CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第01話
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
第1話 勇気を出して
古川渚――この春に3年生に進級したばかりの、
病弱で、ちょっぴり引っ込み思案な少女。
思うように友達ができず、落ち込むことも多い渚だけど、
愛する家族に励まされて
いつも前向きにがんばっている。
アナザーストーリー第1話は、そんな渚のちょっとした、
そして運命的な、とあるハプニングのお話。
この1年後、彼女は後輩≠フ岡崎朋也と出会い、
恋をしていくことになるのだが、
今回はその前段階のエピソードとなる。
ゲーム本編では詳しく語られなかった、
渚と朋也それぞれの過去。
2人の間に何があったのか……光に満ちた春の学園に、
もうひとつの『CLANNAD』の扉が開かれる。
SCENE 1 〜学校にて〜
三年生に進級した、その日の朝。
職員室の前に張り出された、クラスの割り当て表を見上げる。
新しいクラスに話ができる人はひとりもいなかった。
その日の放課後、下校生徒でにぎわう廊下。
「こちら木村さん。新しいクラスで、前の席になった子」
友達の子に、ひとりの女の子を紹介される。
「はじめまして古河渚です……えへへ」
精一杯の笑顔で挨拶する。
「木村さんとわたし、このまま服みにいくけど渚ちゃん、どうする?」
「ええと…」
考える。迷う。
「道草いけないので、帰ります」
結局そう答えた。
「そんなの気にしてる子、今時いないって」
「ほら、いこうよ]
「んー……」
迷う。考える。
「大丈夫だって」
その言葉がわたしの背を後押しする。
「それでは……今日だけつきあわせて頂きますっ」
目をつむって、そう答えた。
「あはは、そんな力入れて、古河さんって、おおげさだね」
木村さんという子がわたしを見て笑う。
「おもしろい子なんだよ、渚ちゃん」
わたしのことを話題に歩き出す。
すごく照れくさかった。
――――
デパートの中を三人で見て回る。
「ああもう、ドキドキします……先生に見つかったら、ぜったい怒られてしまいます」
「他にもウチの制服の子いっぱいいるじゃん。ほらこのワンピース、絶対渚ちゃん似合うよ。試着してみて」
「試着までするんですか……すごくドキドキします……」
「試着もせずに買えないでしょ。ほら着てみて着てみて」
「わたしは見るだけでいいです」
「いいから」
胸にワンピ―スを押しつけられる。
「はあ…」
情けない声をあげて、試着室へ。
服を着替え終えてカーテンを開けると同時。
「先生きたっ、早く逃げるよ!」
「え、わぁ」
値札がついたワンピース姿のままデパートの中を走る。
結局、それはわたしをだます嘘だったのだけど。
だけど、楽しかった。
トンカン、トンカン。
「で……俺たちは何をしてんだ……」
俺はベニヤ板を押さえながら訊いてみる。
「入学式の準備だねぇ」
金槌で釘を打ちながら春原が答える。
「なんでそんなことをしてんだ……」
「それは罰ですねぇ」
「なんで罰受けてんだよ……」
「それは僕が授業中、カーテンにくるまって隠れてるのを先生に見りかったからだねぇ」
「おまえ、アホだろ……」
「違うっ、僕は完全に気配を消して隠れることに成功していたんだ! けど、あいつが……杏の奴が……『先生、なんかカーテンの下から足が出ていますけどぉ』ってチクリやがったんだよぉっ!」
「おまえ、まぬけすぎるからな……」
トンカン、トンカン。
「で、どうして俺まで」
「おまえも授業サボッてたんだから、同罪」
こっちは中庭で日向ぼっこしてただけだってのに、カーテンに隠れていた奴と同罪……嫌すぎる。
「ああー、もうやだっ、なんで僕のようなアウトローが新入生歓迎の手伝いなんてしてんだよっ」
春原が金槌を投げ捨てる。
「でも、生活指導の大口が仕切ってるからな……逃げ出すとやっかいなことになるぞ。後、自分でアウトロー言うな」
「そうだ、岡崎。ひとつ罠を什掛けておいてやろうぜ」
「罠……?」
「ああ、新入生をぎゃふんて言わせる罠。この学校は甘くないんだぜっ、僕たちみたいなアウトローが居ることを覚えておきなってな挨拶さ。どう?」
「いや。まーどーでもいいけど」
「よしじゃあ、とっとと自分たちの仕事を済ませちまおうぜ! ほらちゃんと押さえておけよ! 気合い入れていくぜ!」
「律儀なアウトローだな……」
――――
日もとっぷり暮れた帰り道。
木村さんも別れた後。
「渚ちゃんも早く、クラスで遊べる子見つかるといいね」
そう彼女はわたしを振り返って言った。
叱咤。
うん、と小さく頷いた。
彼女と木村さんは、これから仲良くなっていくんだろうな。同じクラスなんだから。
そう思いながら、ひとり家路についた。
SCENE2 〜古川パンにて〜
家の敷居をまたぐ。家はパン屋。今は店じまいの最中たった。
「おかえりなさい」
お母さんが手を止めてそう迎えてくれる。
「ただいまです」
「おかえり。どうだ、親しい奴と同じクラスだったか?」
くわえたばこのお父さんが足を止め、訊いてくる。
「いえ……やっぱりクラス別れちゃってました」
「じゃ、新しい友達は。席、近い奴と話さなかったのか」
「ぜんぜん話せなかったです」
「くわ……なんでそこでつっこんでいかないんだよっ! 自己紹介していけよっ! オレだよ、オレオレ、そう、渚! あんたの孫の渚だよっ! 自己ちゃって困ってんだよ! ってつっこんでいけよ!」
「それなんかちがいますっ」
「まあ、それぐらいの勢いが必要だってこったよ」
「ニ年の時も、同じクラスの子と親しくなるのにすごく時間かかったんです。今回も時間かかりそうです……」
「てめぇ奥手だからなあ……」
「話すきっかけがほしいんですよね」
お母さんが助け船を出すように言ってくれる。
「あ、はい……そういうのがないと話せないです……」
「じゃあ、とっておきの作戦を伝授してやるか……」
「え、そんなのあるんですか」
「ああ、先生を間違えて、おかあさん! って呼んでしまって恥かくことあるだろ。それを応用してだな、先生を間違えて、ウルトラの母! って呼ぶんだよ」
「……もういいです」
「最後まで聞けよっ、そうするとだな、みんなが噂し始めるんだ、古河さんって……もしかしてウルトラ関係の人? 変身できるの? 聞いてみようか? 古河さ――ん!」
「……夕飯つくりますっ」
SCENE 3 〜学校にて〜
翌日は土曜。
1時限目が終わった休み時間。
前の席の子が、隣の子と話している。
何かのマスコットキャラクターの名前を忘れてしまったようで、思い出そうとしている。
わたし知ってる……。
でも、結局、隣の子が思い出してしまった。
「はあ……」
小さくため息をつく。このままじゃいけない。
きっかけ、きっかけ……
必死に考える。
……ウルトラの母。
……古川さんって……もしかしてウルトラ関係の人?
ぶんぶんと首を振る。
え? と斜め前の子がわたしを振り返っていた。
えへへ……と愛想笑い。
不思議そうな顔をした後、また隣の席の子との会話に戻った。
「はぁ……」
次の授業の準備をしよう……。
結局その日も誰とも話すことかできず、終わってしまった。
――――
ザクザク、ザクザク。
「なんで、こんなことしてんだ俺は……」
「ん? 紙吹雪」
「んなことはわかってるよ……」
春原と俺は向かい合って、色紙をハサミで切り刻んでいた。
「どうして、入学式の準備が終わったのに、俺たちはまだこんなことしてんだよって意味」
「そりゃあ罠を仕掛けるためだよ。おっと、くす玉の張りぼてが乾いた頃かなっ」
「むちゃくちゃ心優しい先輩になってる気がするんだが……」
「ばぁか、体裁を整えもせずにドッキリが面白いかよっ!」
「ドッキリなのかよっ!」
「いや、間違えた……挨拶、挨拶。行儀いい先輩ばかりじゃねぇぜっていうさ」
「あーもーなんでもいいよ、とっとと終わらせてくれ」
「後は、中から出てくる垂れ幕だな」
「ものすごい懲りようだな……」
「なんて書こうかなぁ。『春原・岡崎仲良しコンビby夜露死苦』とかどう?」
「ツッコミどころがいくつかあるが、とりあえずやめてくれ」
「じゃあ陽平&朋也ふたりは最高!by夜露死苦』」
「さっきよりツッコミどころが増えた。とりあえずbyの前後、逆だからな」
「文句ばっか言うんじゃねえよっ、なら、てめえが書けよっ」
「なんで俺が……」
「じゃあ、『春原・岡崎仲良しコンビ&オメガトライブ with J-WALK featuring サザンの原坊以外 by夜露死苦』にしよう」
「むちゃくちゃ暑苦しいからやめてくれ……」
「じゃあ、原坊は譲るよ」
「いや、それ譲られても変わらないからさ……」
「だったら、おまえが書けよ」
「ちっ……わかったよ……」
俺は渋々筆をとる。なんかいいように乗せられた気もするが……。
「この幕が垂れ下がった後に、アレが落ちてくるんだな?」
「ああ」
「じゃあ、俺が言えるのはこれだけだ」
書き上げた垂れ幕と紙吹雪ををくす玉に詰め、封をする。
それを春原が体育館二階席の手すりに取りつけるのを俺は下からじっと見上げていた。
「つーかさ」
「ん? なんか言った?」
「これ、ひっかからないだろ……」
俺の目の前には紐が垂れ下がっている。そこには、
『誰か引いて お願い おもしろいよ』
と書かれたタグ。
「よーしっ、準備万端、明後日の入学式が楽しみだぜぇっ! ふふ……ははは……はーっはっはっ!」
春原の笑い声だけが館内にこだまし続けた。
――――
月曜。今日は入学式。
朝のHRが終わると、すぐ体育館に移動。
移動の時は、ひとりが目立って見えるからなんとなく好きじゃなくて……。
かといって、自分から一緒に行こう、とも言い出せず。
ああ今日の夕飯は揚げ物ならコロッケか、対するはなんだ、レンコンをすって揚げたの、どっちにしようかうんうんと必死に考えなから、体育館へ。
しめやかな入学式の空気だけど、生徒側の席はざわついた感じもする。退屈なのか、ときどき口を押さえながらあくびをしてる一年生もいた。ニ年前にわたしが入学式に出た時は、緊張でそれどころじゃなかったんだけど。
長い校長先生の話が終わって、眼鏡をかけた女生徒が一年生総代で挨拶をしていた。
やがて、一年生が花道を通って退場していく。
父兄にまじってそっと拍手を送る。
入学式が終わる。
またひとりで戻る。
――――
ニ階ギャラリー席、そこには未だ球形を留めるくす玉。
「誰も引っかからなかった……」
隣の席で春原が呆然としている。
「……あんなもんに引っかかるやつなんているかよ……そいつアホだぞ」
「くそぅ……あいつらは僕の頭脳を上回っていたってことかよ……」
「おまえがその一番底だからな」
「いや……待て、誰か立ち止まってるぞ」
春原の視線の先を追う。言葉通り、ひとりの女生徒がくす玉の真下に立っていた。
「一年か?」
「いや、さっき解散した三年じゃない?」
女生徒が正面に向けて手を伸ばした。
まさか引くのか……?
……引いた。
ぱかっとくす玉が割れ、紙吹雪が舞う。
俺の書いた垂れ幕と、そして……
ごんっ!
金だらい。
女生徒はそれをまともに受け、その場に卒倒した。
「おい、岡崎……」
「ああ…………アホな子がいた……」
目覚めた時、わたしはベッドに寝ていた。そばには、見覚えのあるクラスメイトの韻。クラスで前の席のふたりだった。
「ええと、古河さん……だっけ、大丈夫?」
「あっ、はい……ちょっと首が痛いですけど、大丈夫です……」
「誰かの悪戯《いたずら》だったんだって。金だらい。すぐ後ろにいたんだけど、なんかドリフみたいで笑っちゃった、ごめんね」
「あ、ぜんぜん気にしないです」
「古河さん、おもしろいよね。前もひとりで子犬みたいにぷるぷる首を振ってたりして」
顔が紅潮していくのがわかる。
でも、今は話さないと。難しい漢字の人がくれた、大事なきっかけなんだから。
わたしは話し始める。
くず玉から出てきた垂れ幕の言葉に背を押されて。
『この先の困難に負けずがんばれby夜露死苦』
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第02話
涼元悠一
原作 Key
イラスト ごとP
第2話 ワンピース
恋愛AVG 『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフたちが、
登場キャラクターのさらなるエピソードをつづる
公式アナザーストーリー光見守る坂道で=B
前回の古川渚に続き登場するヒロインは、
主人公の朋也が学園の図書館で
出会った少女・一ノ瀬ことみ。
全国レベルの学力と、無垢な子供っぽさを
あわせ持つ彼女の不思議な魅力に、
朋也は心惹かれていく……。
2人の前途に、運命のイタズラ、
過酷な試練が待っているとも知らず……。
今回のお話は、そんな紆余曲折を乗り越えて
結ばれた彼らの、楽しい日常風景。
雨雲も吹き飛ばす、元気な乙女たちの競演だ。
SCENE 1 〜書店の前にて〜
六月なかば、雨の土曜日。
一時間ぶりに書店から出た時、雨は変わらずに降り続いていた。
濡れた歩道を、ことみとふたりで歩く。
買ったばかりの本でいっぱいの鞄は、俺が代わりに持っている。
「きっと、今日から梅雨入りなの」
ことみはどこか嬉しそうに言う。
「梅雨を『つゆ』と呼ぶようになったのは、雨粒の露から来ているという説と、梅の実が熟して潰れる時期だからという説があるの」
「ふーん」
得意げな解説に相づちを打ち、ことみの歩調に合わせる。
「五月雨《さみだれ》、霧雨、小糠雨《こぬかあめ》、氷雨《ひさめ》、時雨《しぐれ》、白雨《はくう》、驟雨《しゅうう》、雷雨、喜雨《きう》、篠突く雨、天気雨……」
お気に入りの玩具のように言葉をならべなから、ことみは雨粒を斜めに仰ぐ。
「とってもたくさんの雨があるの」
幼い形の髪飾りが揺れ、なんとなくいい感じだなと思う。
いつも通りの、当たり前のふたり。
俺はまだ、少し照れくさかった。
「あれれ?」
ショーウィンドウを眺めていたことみが、不意に声をあげた。
閉ざされたシャッターの店、『長らくのご愛顧ありがとうございました』の貼り紙。
「このお洋服屋さん、やめちゃったんだ」
たしかここのショーウィンドウには、白くて子供っぽいワンピースが飾られていた気がする。
「この辺の商店街だって、ずっと同じってわけにはいかないだろうからな」
「……うん」
俺の何気ない言葉に、ことみがそっと頷く。
子供のような純粋さの中、時々浮かぶ大人びた表情。
俺は思い出していた。
五月の連休、最初のデート。
ことみが着てきたのは、黒いワンピース。
最初はただ、意外に大人っぽい趣味なんだな、としか思わなかった。
今考えれば、あれは……。
「??」
珍種を見つけた博物学者のような顔で、ことみがこっちを覗き込んでいた。
「朋也くん、考えごと?」
「まあ、そんなところだ」
「なにを考えてたの?」
「おまえって、休みの日はいつもあの服着てくるよな、って思ってさ」
「あの服って……あの黒いワンピース?」
「ああ」
俺が頷くと、子供っぽい瞳をくるんと動かす。
「朋也くん、黒い服、きらい?」
「いや、そういうわけじゃないけどな……」
最近のことみは、自分の気持ちを素直に表せるようになってきた。
だから俺は、もっといろいろな姿のことみと一緒に歩きたい、そう考えてしまう。
たとえば、真っ白な服を着たら、どんな感じになるだろうとか……。
「事情はわかったわ」
振り向くと、そこに藤林姉妹がいた、
「……毎度毎度、最初からいたかのように会話に入ってくるのはやめろ、杏」
「こっちもさっき本屋にいたんだからね。気づかなかったあんたたちが悪い」
もっともらしく答えつつ、長い髪をふわっとかきあげる杏。
「ええと……」
ようやく親友ふたりの存在を認識したことみが、いつもの挨拶をはじめる。
「杏ちゃん、こんにちは」
「はいはい。雨の日までお熱いわね〜」
この物言いが、乱暴でおせっかいな姉。
「椋ちゃん、こんにちは」
「はい……ことみちゃん、こんにちはです」
妹のほうは、杏と双子だが内気で優しい。
俺をそっと伺って、「いつもすみません」と視線で伝えてくる。
「で、あんたいくら持ってるの?」
そんな妹の気づかいを完全放置し、何かの密売人のように言い寄ってくる杏。
「いきなりなんだよ?」
「ここで売ってたみたいな服、プレゼントするんでしょ? ことみに」
「なんでそんな話になるんだよ?」
「いいから見せなさいよ、ほらっ」
放っておくと無理矢理強奪されそうなので、しぶしぶ財布を開き、中身を確認する。
「1650円」
「……あんた、人生ナメてない?」
速攻かつ理不尽なダメ出しを食らう。
「そんなんで彼女に服プレゼントしたいなんて、よっく言えるわねぇ……」
ひと言たりとも言ってない。
「……ほっとけよ。だいたい、例のアレで金がないのはお互い様だろうが」
「その辺の私情はちょっとこっちに置いといて……」
俺に合わせて声をひそめてから、意味ありげに笑う。
「要するに、布地が少なければ安く済むってわけよね?」
SCENE 2 〜洋品店にて〜
「ほらことみ、予算1650円以内で好きなの選んでいいわよぉ♪」
高らかに杏が言う。
商店街でいちばん大きな洋品店の一角。
「杏、おまえここ……」
たしかにそこは商品で溢れていた。
洒落《しゃれ》たブティックに比べればはるかに手頃な値段で、種類もたしかに豊富だった。
大勢の女性客で賑わっていた。
というか、男の客は俺ひとりだけだった。
壁のポスターには『婦人下着売場 初夏の大セール中』と書いてあった。
「ほらほら、彼女と一緒に選んで選んでっ」
「ってできるかああああっっ!!!」
「またまた照れちゃって〜」
完全に杏の独壇場だった。
「えと……岡崎くん、すみません」
姉の凶状を見かね、藤林が耳打ちしてくる。
「今日はもともと、お姉ちゃんとここで買い物するつもりだったから……」
「そんなことだろうと思ったけどな」
深く深くため息をつく俺。
そしてことみはといえば。
未知の惑星に到達した探査ロボットのような動作で、辺りをきょろきょろ見回している。
「?」
明らかに売れ残りであろう品揃えのワゴンに、わけもわからず引き寄せられていく。
「??」
「ウルトラTバック」とタグに書かれた怪しげな商品を、恐る恐るつまむ。
「???」
目の前でぺろんと広げてみる。
「………ただのひも?」
「いや、途方に暮れた顔で、俺に訊かれても……」
仕方なく、俺は藤林に耳打ちした。
「悪いけど、選ぶの手伝ってやってくれるか? あいつら任せだとロクなことにならない」
「えと……わかりました」
ぺこっとお辞儀して、売場のほうに行った。
壁際の椅子に座り、待つことにする。
他の客の視線が痛くて、目を上げることができない。
下着の森の向こうから、時々にぎやかな声が聞こえてくる。
「セットだと予算がちょっときびしいわね。でもブラだけっていうのはアレだから……」
「ええと……」
「……これなんかかわいいです、この黒猫のバックプリント」
「……おしりがとってもくろねこなの」
「あ、これ安い。谷間メイクでショーツとセット……っと、サイズがダメか。あんた見かけによらないもんねぇ」
「ええと……見かけによらないの」
「このフリルづかい、すごくかわいいと思います……それか、こっちの水玉とか……」
「とってもフリルで水玉なの」
「適当な感想でごまかそうとしてる子は、さっきの紐みたいなやつ強制着用だからね」
「………いじめっ子、とってもいじめっ子」
いきなり降りかかった下着探索クエストに、早くもいっぱいいっぱいなことみ。
まったくいつもの調子だった。
壮絶な場違いを感じながらも、なんだかんだで聞き耳を立て続ける俺。
「……ことみちゃん、いつもはどこで買ってるんですか?」
「近所に行きつけの下着屋さんがあるの。そこのお姉さんに、ずっと選んでもらって……」
「って、いきなりランジェリーショップで、しかも店員任せでフィッティング!?」
「ええと……」
「それであんなオトナっぽいのつけてたんだ」
「えと、あの……ことみちゃん、おとなっぽいんですか?」
「そりゃもう、えろえろよ〜」
「………」
椅子から立ち上がり、無意味に屈伸運動する俺。
三人とも試着室のほうに行ったのか、そのうち声は聞こえなくなってしまった。
そうなると余計、耳を澄ましてしまう。
「ほら、子供じゃないんだから、早く脱ぐ脱ぐっ」
「……でもでも、とっても恥ずかしいの」
「お姉ちゃんお姉ちゃん、声が外まで漏れてるから……」
「いいから椋も入ってきてよ、脱がせるの手伝って」
「でも、三人で試着室に入るのは、ちょっと……」
「ふたりで確かめたほうがいいでしょ? 早く」
「もう……やっぱりこうなるんだから」
「ほらことみ暴れないっ、今ホック外すからね〜」
……ぱちん。
たゆんっ。
「……じかに見るとやっぱりスゴいわねぇ」
「恥ずかしいの、恥ずかしいの……」
「腕で隠さない。ちゃんと大きさ見ないとダメなんだから」
「お姉ちゃんが持ってきたのだと、ちょっと小さすぎるみたい」
「……どうせあたしのがいちばんちっちゃいわよ」
「またその話でいじけるし……」
「いいわよいいわよ。こうなったら乳牛みたいにおっきくしちゃうからぁ」
がばっ。
「!?!?!?!」
ふにゅふにゅふにゅふにゅ。
「〜〜〜〜!! 〜〜〜〜〜!!! 〜〜〜〜〜〜!!!!」
「……いや、さすがに妄想入りすぎだから」
心の耳で聞いた試着室内実況想像に、自分でツッコミを入れる。
とにかく、ここにいるのはいろいろな意味でまずい。非常にまずい。
「場所を変えよう……」
つぶやいて、心持ち前屈みのまま振り向く。
「………」
思いっきりことみがいた。
「ええと……」
固まっている俺を見たまま、何ごとか考える。
「見ちゃいやあん、えっち」
ほとんど棒読みで、体をくねっとさせた。
「……杏にそう言えって言われたんだな?」
こくり。
素直に頷くことみ。その胸に、ビニール袋に入った商品を抱え持っていた。
「で、それでいいのか?」
俺はもう破れかぶれで訊く。
「ええと……」
頬を染めなから、俺にそっと差し出してきたものは……。
「っておいこれ……」
思わず絶句した。
目が痛いほどに真っ赤な下着だった。
「丹田のツボを赤い布で覆うことにより、身体のエネルギー効率を高めるの」
「いや。自慢げに解説してもらっても……」
「腰痛、冷え性、更年期障害こ効果抜群、還暦や健康長寿の贈り物に最適なの」
「つーかおまえ、もっともらしい宣伝文句にその場で感化されまくっただけだろ?」
「かわいい巣鴨の刺繍つきなの」
「いや、何がどうかわいいんだかさっぱりわからないし」
「とってもとっても高機能なの」
「………」
かわいい下着を前に照れまくる初々しいふたり、なんて図を一瞬でも思い描いた俺が馬鹿だった。とっても大馬鹿野郎だった。
「ことみちゃん、それはあのわたし…… わたしたちには、まだちょっと早い気が……」
「そうね、いくらなんでも過激すぎるわ」
藤林姉妹も来て、助け船を出してくれた。
ことみは少しだけ残念そうだったが、過激な健康長寿下着を元の場所に戻した。
「ほらことみ、選び直しましょ」
「……いやそれ以前に、下着を買うってとこから考え直しでくれ、頼むから」
「そうねえ……」
わざとらしく考え込む杏。『今日はもう充分楽しんだ』と顔に書いてあった。
「ことみは何がいい? 気をつかわなくていいから、はっきり言うこと」
「ええとね、私……」
俺たち三人に見守られ、しばらくの間考える。
「あの黒いワンピース以外、似合わないかもしれないから」
「そんなことないわよ」
「そんなことないです」
藤林姉妹か同時に言い切った。
絶妙なハモリっぷりに、さすが双子と妙な感動をしてしまう。
困ったような、恥ずかしいような顔で、ことみは親友ふたりのことを見た。
それから、俺のほうをそっと伺って……
「あのお店にあったみたいな、白いワンピースが着てみたいの」
少し小声で、でもはっきりとそう言った。
「よしよし、いい子いい子〜」
若すぎる母親みたいな顔をして、杏がことみの頭をぐしぐしと撫でる。
「でも、あの服は店ごとなくなっちまってるしなあ……」
「おまけに予算も最低レベルだしねぇ」
「ほっとけ」
俺と杏が考え込んでいると、藤林が切り出した。
「それなら……えと、ことみちゃんがよければ、なんですけど」
SCENE 3 〜雨の商店街にて〜
夕方の商店街を、四人で歩いていた。
雨は変わらずに降り続いている。
ことみは胸に、新しい荷物を抱えている。
さっきの洋品店の紙袋。
中身は真っ白な木綿の生地、ミシン糸、それに初心者用のワンピースの型紙。
「材料だけ買えば、そりゃ安いわよねえ……」
感心したように、杏が言う。
「それでも、予算ギリギリだったけどな」
「ちょうど安売りしてて、よかったです」
微笑みながら、藤林が答える。
「お洋服を縫うのは、前からやってみたかったの」
幸せそうに、ことみも笑う。
「みんな、とってもありがとう」
新しいことに向かう好奇心で、瞳が輝いている。だから俺も嬉しくなる。
「でも、まずは型紙通りにつくること。いきなりヒラヒラなのに挑戦したら、失敗するのが見えてるから」
「うん。まずは型紙通りなの」
杏に釘をさされ、素直こ頷く。
「まあそれでも、前途多難だけどねぇ……」
と、藤林か声を落として庵に訊いてきた。
「えと……ことみちゃんの家のミシン、今も動くでしょうか?」
「俺が今から見に行ってみるよ。つっても、油注すぐらいしかできないけどな」
「いえ……岡崎くんなら、きっと直せると思います」
藤林の言葉に、俺はなんとなく照れてしまう。
「そうと決まったら、お茶菓子買ってかないとね
「……やっぱり、おまえらも来るわけな」
「当然でしょ? ねぇ、ことみ」
「うん。お茶は私が淹れるの」
歩道が途切れた。
めいめいが傘を広げ、雨の中に踏み出す。
俺はことみの服が完成した時のことを想像していた。
たとえばそれは、よく晴れた夏の日だ。
真っ白なワンピースに身を包んだことみが、みんなが来るのを待っている……。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第03話
魁
原作 Key
イラスト ごとP
第3話 男友達
恋愛AVG『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフが、
登場キャラクターのさらなるエピソードをつづる
公式アナザーストーリー光見守る坂道で=B
第3回のヒロインは、
主人公・岡崎朋也のクラスメイトで、
学級委員長を務める藤林杏。
椋という双子の妹を持つ、勝ち気で毒舌家の女生徒だ。
物語はゲーム本編より1年前。
知り合ったばかりの朋也と杏の、
せつない関係にスポットを当てていく。
お得意の憎まれロの間に見え隠れする、
杏らしい純真な乙女心を
お見逃しなく。
SCENE 1 〜教室にて〜
「あのさ、岡崎。あたしのことは杏≠ナいいわよ。名字で呼ばれると紛らわしいし」
「なんだ紛らわしいって?」
「あたし、双子の妹がいるの」
「え?! おまえみたいなのが2人もいるのか?!」
岡崎朋也。
2年に上がって、同じクラスになった、学校でも有名な不良らしい。
といっても、茶髪でタバコ吸って喧嘩して、といった絵に描いたような不良じゃなく……。
進学校と呼ばれるこの学校だから、そう言われてるだけのような気カする。
「どういう意味よ……」
「あ、いや別に。物騒だなと思っただけだ」
「全然フォローになってないでしょ!」
「まあ、フォローのつもりもなかったけどな」
……悪く言えば口が悪いだけ、よく言えば裏表のない態度。
「殴っていい?」
「殴らないでほしい」
気兼ねなく話のできる奴だとすぐにわかった。
初めはただのクラスメイト。
次は面倒をかける困ったクラスメイト。
いつのまにか友達。
そして――……
「……まったく……こんな硬いとこで、よくもまあ熟睡できるものねぇ……」
人気のない中庭。石垣の上で岡崎は横になっている。
先生に言われて捜し回って、ようやく見つけたのがここだった。
あたしが近寄っても起きる気配はない。
顔をのぞき込んでみる。
「………」
まあ……どっちかというと、カッコイイほうよね。
睫とか長いし、鼻筋も通ってるし、唇の形とかも……。
って、なに見とれてるのよっ! あたしっ!
ガササ…
突然の物音にあわてて振り返る。
そこにいたのは金髪の男子生徒。岡崎といつも一緒にいるウチのクラスのもう1人の問題児。
「あ……あの……僕、邪魔しちゃったかな?」
「なっ……」
その言葉に顔が赤くなっていく。
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよっ!」
最悪っ! 見られてたっ!
確か殴れば記憶ってとんだわよね?!
「ん……ん?」
と、ここであたしの声に岡崎が目を覚ました。
「あん……? 藤林に……春原?」
「おい岡崎、おまえ今、藤林杏に襲われかけてたぞ」
「……は?」
眠そうな目でなにを言ってるんだという顔をする。
「な、なな! なに言ってんのよ!」
「え? 違うの?」
「ち、違うわよっ! 先生に言われて捜してただけよ!」
「ふ――ん」
春原が意味ありげな顔であたしを見た。
なにか勘ぐられている。
このままここに居たんじゃ……あまりよくない方向にしか話が流れない。
「ほ、ほら! 職員室いくわよ!」
ぐいーっ。
赤くなった顔を見られないように、岡崎の手を引っ張って歩き出す。
「あ、おい! ちょ‥‥‥引っ張るなって……こら藤林っ!」
つないだ手が熱くて・・・…胸がドキドキしていた。
……いつからだろう、こんな気持ちになったのは。
気がつけば自然とあいつの姿を目で追っていた。
男と女の友情は成り立たない……。
その理由が、なんとなくわかった気がした。
SCENE 2 〜バスルームにて〜
「はぁ〜……」
湯船につかりながら伸びをする。
今日も岡崎と春原に振り回されて疲れた。
あの2人って、まるっきり子供よねぇ……。
「保母さんとかってこんなに疲れるものなのかな〜……」
「え? なにか言った?」
髪を洗っていた椋が、こっちを振り向く。
「んー、面倒見るって大変だなあーと思ってね」
「なにかあったの?」
「クラスの子でね、面倒ばっかかけるのがいてさ、毎日毎日疲れるのよ」
「ふーん……」
椋は不思議そうな顔をした後、洗面器にためていたお湯を頭からかぶって泡を流す。
「でもお姉ちゃん、なんだか楽しそう」
「そお?」
「うん。全然いやな顔してないよ」
思ってもいなかったことを言われて少し驚いた。
つい顔に手をやってしまう。
「……ん、まあ……いやじゃあない、かな」
とりあえず、退屈な毎日を過ごすよりも断然楽しい。
2年に上がってから、他のクラスの子達は1年の頃に比べて勉強にカリカリし始めているし。
そう言う意味では、あいつらと一緒にいるほうが学生らしい生活を送れてる気がする。
「えっと、岡崎くん……だった?」
「え? なにが?」
「お姉ちゃんが気になってる男の子」
「な、なな、なに言ってんのよっ! 別にあんな奴なんとも思ってないわよ!」
「え? そ、そうなの? 最近はいつもその人のことばっかり言ってるから」
「単に面倒かけるだけの、えっと……その……も、問題児よっ!」
「そうなんだ。でもめずらしいから」
「なにがよ」
「お姉ちゃん、これまで男の子の話はあまりしなかったから」
「別に……話すような男がいなかっただけよ」
「ふーん。あ、そうだ。あとで占いでもしてみようか?」
「……どんな?」
「相性占い」
「お願いだからやめて……」
この子の占いはいろんな意味で怖い。
それがいい結果であれ、悪い結果であれ。
椋は占いを断られてがっかりしたように肩を落とすと、スポンジにボディーソープを付け、体を洗い始める。
「……ところでさあ……」
「はい?」
あたしは自分の胸をちらりと見てから言う。
「あんた……また胸大きくなったんじゃない……?」
「そ、そそ、そんなことないよぉ」
朝、椋が笑顔であたしのベッドの横にやってきた。
「……なに〜? もう起きなきゃいけない時間〜……?」
霞む目で時計を見る。
あと10分は、寝ていられるはずだけど……。
「えっとね、お姉ちゃんの今日の運勢占ってみたよ」
「ふ〜ん…………えっ!?」
霞がかっていた頭が弾けるように覚醒した。
「ちょっ……! え? う、占っちゃったの?!」
「ダメだった……?」
「あ・・・・う〜ん……ダメっていうか……」
どういう結果が出たのか聞くのが怖い……。
「えっとね、スペードの6とハートの8とスペードの9が出たの。6と9の丸がくっつくことで、8が生まれるっていう意味で……。つまり、えっとね、素敵な人に告白されるみたいだよ」
「……こ、告白……」
驚くあたしを見ながら、椋はニコニコと笑顔を返してくる。
この占い……どうとるべきなのかしら。
告白自体されない、素敵じゃない人に告白される……。
少なくとも……うれしい展開にはならない……わね。
「あ、ありがとね」
頬が引きっているのがわかった。
SCENE 3 〜学校にて〜
休み時間……。
自分の席に座りながら、まったく落ち着かない……。
「あの、藤林さん?」
「は、はひ?」
クラスの男子の声にビクリと肩を震わせて振り返る。
そんなあたしに話しかけてきた子が、一瞬後ずさる。
「あ、えっと、このプリントの提出って今日までだったよね」
「あ、ああ、うん」
クラスの男子からプリントを預かる。
ドキドキする……。
椋の占いを信じているわけじゃないけど。
むしろ信じてるからこそ、周囲が気になって仕方がない。
当たらない占いがここまで怖いなんて……。
――素敵な人に告白される――
ちらりと、とある机を見る。
岡崎は……まだ来ていない。
遅刻はいつものことだけど……。
って、なに意識してんのよあたしっ!
あ、あの子の占いは当たらないんだって!
「うぃーっす」
ガラリと教室のドアが開く。
遅刻なのにまったく悪びれた様子もなく春原が登校してきた。
寝癖そのままでネクタイ曲がって……人前で大きなあくびして……。
あー……こいつに告白なんてされたら……最悪ねぇ……。
「ん? なに? 僕の顔になんかついてる?」
「鼻と目と口がついてるわよ」
「え? おかしいなちゃんと顔洗ってきたはずなんだけどな」
そう言って顔を擦り始める。
こいつって……本当にバカなのね……。
春原は自分の席に行くと、辺りをキョロキョロと見回す。
と、なにかに気づいたように手を叩きこっちに来た。
「あ、そうそう、委員長」
「なに?」
「岡崎まだ来てないでしょ?」
「え? あ、う、うん、まだだけど?」
あたしの言葉に春原はニヤリと笑うと、周りに聞こえないよう小さな声でささやいてきた。
「あいつ、中庭で待ってるから」
「……え?」
「それじゃ、確かに伝えたよ」
春原はそれだけ言って自分の席に向かった。
しばらくボーっとなっていた。
頭の中を整理する。
岡崎はまだ教室に来ていない……。
中庭で侍っている……。
そのことを春原が伝えてきた……。
つまり……。
「あれ? 藤林さんどこ行くの?」
「え、え、と、頭痛いからちょっとトイレ」
ゆっくりと、普通に……あくまで自然なスピードで歩いて教室を出る。
次の瞬間、廊下を走っていた。
岡崎が……中庭であたしを待ってる?
確か椋の占いは……素敵な人から告白される……。
でもあの子の占いは当たらない。
当たった試しはない。
けど……もし……。
千回に1回……、ううん、1万回に1回くらいは当たるかもしれないわよね。
もしかしたら、その1回が今回って可能性も……。
中庭の手前あたりから走るのをやめて、呼吸を整える。
走ってきたなんてバレたら、恥ずかしいから。
呼吸は落ち着いてきたのに、心臓のドキドキだけは治まってくれない。
べ、別に岡崎が待ってるからって……その……告白とかそういうのじゃないかもしれないのに。
でも……わざわざ人気のないとこで待つなんて……それ以外考ええられないわよね……。
ど、どうしよ……朝、歯はちゃんと磨いたけど.もう時間経っちゃってる。
平気かな……大丈夫かな……って! いきなりそんなことならないって!
……たぶん……。
それにしても……。
「……どこにいんのかしら……?」
中庭を見回しても、岡崎どころか誰の姿もない。
トイレにでも、行っちゃったのかしら……。
それとも……恥ずかしくなって、隠れてる……?
ちょうどいいから、今のウチにこのドキドキしてる心臓を落ち着かせよう。
石垣の上に座ってしばらくぼーっとする。
意味もなく……ううん、十分意味のある、深呼吸もしてみる。
時間だけが刻一刻と過ぎていった。
チャイムが……嗚った。
授業が終わるチャイムだった。
つまり……、1時間、独りで中庭に待ちぼうけ……。
いろいろな可能性を、考えてみたけど……コレはたぶん……。
あのバカにハメられたという可能性が一番高い。
「ふ……ふふ……ふふふ……」
石垣の角を力一杯握る。
「さてと……まずは目を突いてから喉でも潰して、舌を引っこ抜いてやろうかしら……」
ゆらりと体を揺らしながら腰を上げると、拳を握りしめてあたしは教室へ向かった。
と、その途中の廊下。
「ん? 藤林」
岡崎がいた。
顔が一気に赤くなったのがわかった。
「え……あ……えっと……あんた……今来たの…?」
岡崎が手にしている鞄を見ながら訊く。
「ああ、そうだけど……おまえは? 保健室帰りか?」
「え? な、なんで……?」
「顔、赤いから。それに教室そっちじゃないだろ」
「あ……赤くなんかないわよっ!」
怒りと恥ずかしさと……いろんな感情が入り交じって声が荒くなる。
「そうか? まぁあんま無理するなよ」
「………」
ずるい……。
こいつは……岡崎は、ぶっきらぼうに言い放つくせに、優しい言葉を混ぜてくる。
「それよりも、今からあんたのツレが大変になるわよ」
「なんだそれ?」
首をかしげる岡崎と一緒に教室に向かう。
ドアを開けるなり、金髪バカは驚いた顔でこっちを見た。
まさか2人で帰ってくるなんて思ってもいなかったんだと思う。
あたしはニッコリと満面の笑みを浮かべなから、自分の席まで行くと、鞄の中からさっきの授業で使うはずだ、た英和辞書を手にした。
あぁ、これっていい感じの重さね。
次の瞬間、春原は白目を向いて床に倒れていた。
「おまえ、アホだろ?」
床に正座させている春原に向かって岡崎があきれた顔で言った。
「はい、僕アホです」
「つーか、藤林。おまえもなんで春原の言うことを素直に信じんだよ」
「う……うるさいわね……委員長として出向いただけよ」
「で、1時間も俺を捜してたと」
「え、えっと……そ、そう! 委員長として……その……授業に出席させなきゃいけないでしょ」
「それでおまえがさぼってたら本末転倒だろ」
「っていうか、傍目には2人仲よくサボリって感じだね」
「「あア?」」
「ひぃっ!」
軽口をたたいた春原に、あたしと岡崎の睨みがハモる。
いつもの調子の、いつもの関係。
中庭にいた時の緊張はもうない。
どこかガッカリしている半面、ホッとしている自分がいることに気づいた。
そう、少なくとも、今のこの気兼ねない関係を続けることができる。
「あ、ところでさ、岡崎……ずっと気になってたんだけど……」
「ん?」
「あんたが呼んでるすのはら≠チて誰?」
「本人を前に、それって絶対イジメですよねぇ!」
「……え? あんたはるはら≠カゃないの?」
「ちげーよっ!」
「ああ、すのはら≠チてのはあだ名なんだ」
「あんたも当然のように嘘を言わないでくれますかっ!」
「なんか面倒な名前だから下の名前で呼ぶことにするわね……って下の名前なに?」
「なにげに失礼なこと言ってますよねぇ?」
「あ、そうだ、今からあんたも朋也≠チて呼ぶから。そのほうが楽でしょ」
「はあ、まあ好きに呼んでくれよ」
「うん、朋也。あ。前にも言ったけど、あたしは杏≠ナいいからね」
とりあえず、小さくだけど一歩前進した。
今のところはこれでいい。
友達のままでコイツのことを知っていこう。
ゆっくりでいいから、知っていこう。
無理して先に進んでしまえば、大切ななにかを見過ごしてしまうかもしれない。
後悔だけはしないように……。
進むより戻ることのほうが難しいんだから。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第04話
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
第4話 あのころの私
恋愛AVG『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフが、
ゲームでは描ききれなかったエピソードをつづる
公式アナザーストーリー光見守る坂道で=B
今回は、第1話に続きメインライターの麻枝氏が登場し、
本作きっての武闘派ヒロイン・坂上智代の過去を明らかにする。
先輩である主人公・朋也と交際を始め、
ふつうの女の子として幸せな毎日を送る智代。
しかし、彼女にはかつて、とある事情から
町でケンカに明け暮れていた時期があった。
あまりの強さに、不良たちからも恐れられていた
智代だったが、その前に最強の敵が出現し……。
『CLANNAD』世界では異彩を放つ、
バイオレンス・アクション(?)をお届けしよう。
SCENE 1 〜デートの途中〜
「なにか話をしてくれないか」
午後の喫茶店でランチ。
食後のコーヒーを飲みながら、そう彼が切り出す。
彼とは、岡崎朋也という同級生……いや、先輩だったか。
まあ、なんでもいい。私が付き合ってる男だ。
「どんな話がいい」
「智代の昔の話がいい」
「それは……いじめか?」
朋也は不服のため息を漏らす。
「そんなわけないだろう。俺はおまえのことだったらなんでも知りたい。教えてほしいんだ。おまえの全部が好きになりたいんだ。おまえが生きてきた、俺の知らない過去も、全部。未来はいいんだ。これからふたりで作っていくんだから」
こういう照れることを堂々と言う奴なんだ。
店員がいないのを確認してから、隠れるようにキスをした。
「なら話してやってもいい。でも、引くな。これは約束だ」
「今さら引かないよ」
「うん、じゃあ、話してやる。あの頃は毎日、喧嘩に明け暮れていた」
私はテーブルの隅で、三角の山になった角砂糖をスプーンで指す。
「ちょうどこの角砂糖のようにだ」
「なにが?」
「不良たちの屍《しかばね》を積み上げていった」
「………」
「今、引いただろ」
「引いてないっ、引いてない」
「本当か?」
「本当」
真剣な眼差しが私に向く。テーブルの上では、私の手が彼の手で包まれていた。
「仕方のないやつだな……。これは、私が一度だけ、負けを覚悟した時の話だ」
SCENE 2 〜過去〜
だむっ!
鈍い音がして、またひとつ屍が積み上がる。
他人のことなんて考えない奴ら。
自分のことしか考えない奴ら。
自己主張のみで生きる奴ら。
そんな奴らの骸《むくろ》だ。
「うざい……」
振り返る……その先。
尖った月の真下、見慣れない格好をした同じ歳ぐらいの若い女性が立っていた。
月の形と同じ眼差しで私を射抜いていた。
「あなたが、この町で噂の、月夜に現れるという狩人《かりびと》ですか」
「仇討ちか? やめておけ。おまえのような奴も何度も見てきた。すべて返り討ちだ」
私は一蹴する。したつもりだった。
けど、彼女の眼光は変わらない。
「仇討ちではありません。私は悪が許せないだけです。特にあなたのような、絶大な力を誇る悪が」
「相手は選んでいるつもりだかな」
「そんなことは関係ありません。力を失ってください」
彼女が駆けた。間合いが詰まる。速い、一瞬だ。
けど直線的で、避けるのは容易《たやす》い。体を捻《ひね》る。
ざっ、と彼女が通り過ぎた後。
肩に熱さを覚えていた。それはみるみる広がっていく。
血が流れているんだ。
彼女は月明かりで手に持つ刃を鈍く光らせてみせた。
「汚いやり方で申し訳ないですが、これであなたに勝ち目はありません」
腕が動かない。出血は止まらない。彼女の言うとおりかもしれなかった。
「悪はいつか、正義に屈するのです。正しさのほうが強いのですよ。これは摂理です。覚えておいてください」
言うが早いか、白い煌《きらめ》きが右上から降ってくる。
体を反転させる。元いた場所に月の光が。
「……今のを避《よ》けるのですか」
「見えれば避けられる」
「そうですか。では……」
そうつぶやくと、一足飛びに私の間合いまで飛び込んできた。
動く右腕から抜かれる刀。
右下……速い!
とっさに刃の方向へ身を投げ出し、転がるように避けた。
続けざま打ち下ろしの攻撃が来る。
刃をかいくぐり、そのまま遠心力を利用して両足で蹴りを放った。
が、彼女はいなかった。体が目の前から消えた――ように見えた。
ぞく、と背中に冷たいものが走り、視界が一瞬だけ暗くなる……。
月明かりが遮《さえぎ》られたのがわかると同時に体をひねり、蹴りを横へ変化させた。
がつ!
手応え。
その勢いで後ろに蜻蛉《とんぼ》を切って、間合いを取る。
どうやら蹴りは彼女の腕あたりに当たったらしい。
刃先が逸《そ》れ、スカートのすそが少しだけ切り取られていた。
「空中で体勢を変えるとは、冗談のような体術ですね……」
「できないことはない」
ただもう一度やれ、と言われてできる自信はなかったが。
このままではどうすることもできない。
一度喰らってしまえば負けてしまうのに、こちらは攻撃の糸口さえもつかめていない。
せめて一回だけでも、相手の刃を跳ね返せれば……。
考える暇もなく、次なる刃が降ってくる。
刃先と動きは辛うじて見えている。腕さえ使えれば、刃の横を叩き、跳ね返せるかも知れないが、斬られた肩口の傷で右腕は動こうともしない。
仰《の》け反《そ》るようにして避け、大きく後ろへ一歩飛んだ。
足首に違和感。気を失っていたはずの不良が足首をつかみ、体勢が崩れてしまった。
「不運ですね、覚悟を」
躊躇《ちゅうちょ》もなく刃を振りかぶる。
……避けようがない。その時、
「これを使えぇぇ――っ!」
声とともに、視界の端、なにかが高速回転をして飛んできた。私は藁《わら》にもすがる思いでそれに手を伸ばす……
「すげー……漫画みたいじゃん」
朋也が驚嘆の息を漏らす。
「飛んできたのはなに? 剣?」
「そんな都合のいい話があるか。鉄パイプだ」
「それでも十分武器になるな。なるほど、それをバシィッ! と受け取って、反撃に転じたわけだ」
「いや、それが違うんだ。まさしく漫画のようだった」
手を伸ばすが、届かない。その代わり……。
がこ――んっ! と鈍い音を立て、鉄パイプは相手の女性の側頭部を痛打していた。
「あ、わりー」
相手は膝から崩れ落ち、しばらく動かなくなる。その隙に、私は不良の手をふりほどく。
「水、差しちまったかな」
場にそぐわないとぼけた声。
だらしない格好をした男は、気を失い倒れている不良どもを覗き込んでは、頬を叩いたり、呼びかけたりしていた。
「おーい、蛭子ー。起きてたら返事しろー。死んでても返事しろー」
「誰だ、おまえは」
いささか呆れながら訊いてみる。
「こいつらのダチ。ったくしょーがねぇな、女一人にこのザマとは」
男は振り返りもせずに言った。態度を崩そうとしない。
「うわはははははっ、おまえ、顔に足型ついてっぞ。ちくしょう、カメラ持ってくりゃよかった。面白すぎる」
どうも勝手が違うように思えた。
目が覚め出した不良どもは、男の顔を見るとばつが悪そうに肩をすくめて苦笑を浮かべた。
「おらおら、おまえらさっさと退け。ケンカの邪魔をすんじゃない」
男は嬉しそうに、土手の真ん中に座り込んだ。ご丁寧にも手には缶コーヒーがある。
「見飲物じゃないぞ」
「そう言うなよ。可愛い女の子同士が真剣片手に戦ってんだぜ? 見なきゃ損だろ」
そう言って、高笑いしていた。不思議と気は悪くない。
「その邪魔をしたのは誰ですかっ!」
彼女がようやく立ち上がり、そう怒り出した。気持ちはよくわかる。
「あーあー、わかったわかった。用事、済んだから帰るよ」
「用事ってなんだ?」
「あん? こいつらを止めに。つーか、迎えにだな。女の子一人によってたかってって聞いたからさ。俺、そういうの趣味じゃないんだ。ま、揃いも揃ってブチのめされてるとは思わなかったけどさ」
笑いながら見渡すと、不良どもはうなだれてしまった。
「気に障《さわ》ったら次もするぞ」
「ああ、いつでもやってくれ。貧弱なこいつらが悪いからな」
「貧弱ってなんだよっ」
「カズさん、そりゃないっすよっ」
口々に不満が出る。
「はあ? 女一人に負けて、貧弱じゃねえって?」
男が凄むと、不平の声はさっと止んだ。
「そういうことだ。あと、悪かったな」
「なにがだ。謝られるようなことはしてないぞ」
「迷惑かけちまったみたいだしよ。ま、気が向いたらこいつらの話も聞いてやってくれ。そんなに悪いやつらじゃねえからさ」
「そうして男は立ち去った」
「何者だったんだよ、そいつ……」
「さあ、今でもよくわからないが」
もう一度会えればいいと思っていたが、いまだそれは叶っていない。
「……で、戦いは終わったのか?」
朋也は持っていたグラスを置き、私のほうを向いて訊いた。
「いや、彼女は軽く脳しんとうを起こしていただけだ。その騒ぎの間に回復して、また向かってきたんだ」
――――
何度避けたか、何度やられたと思ったかわからない。
喉が空気を求めてあえいでいた。緊張で口の中がからからに乾いている。
……負ける。
心の隅でそう囁く自分がいる。
場違いなほど心は平静を保っている。ただ、少しずつ、少しずつ諦めが削っていくだけ。
これが敗北なのだろうか。このまま心が削られ続けると負けるのだろうか。
ふっと、気が抜けた。ような気がする。
斬られた右腕が鈍く痛み、熱さすら感じられた。
立ち止まり、振り返る。
彼女は月明かりを一身に浴びるようにいた。当然のように。
刀を振りかぶり、軽やかな足取りで向かってきていた。
さっと、風が吹いた。
気合が、風を、蹴散らした。
最後の力で、私は抗い、回り込んだ。
高く澄んだ、金属の音。
彼女の肩に桜の花びらが舞い落ちる。
桜の木だった。
躱《かわ》した先に、桜の幹があり、刀は食い込んで離れなかった。
がきっ。
膝で刀身の擬死を叩き折る。
「悪に属した……正しさか……」
折れた刀を落とし、敗者は呆然とした表情で言う。
「善も悪も超越したところに強さはあるというのでしょうか……」
「さぁ……私のほうが強かった、それだけじゃないのか?」
「そんなはずはありません……奇襲にも成功し……その後も、一方的に攻めて……私のほうか強かったはず……」
「じゃあ、私が悪じゃないんだ」
にっこりとした顔で言ってやる。
「あれだけのことをしておいて、悪じゃないわけありませんっ」
間髪入れずにつっこみ。なかなか楽しい奴だ。
「最後にひとつだけ聞かせてくれませんか……」
立ち去ろうとしていた私に訊く。
「あなたが求めているもの……それはなんなのですか。支配ですか、さらなる強さですか、それとも乾きを癒しているだけですか」
「そんなのわからない」
私は背中を向けたまま答える。
「ただ今じゃない場所……そこだけだ」
「つまりそれは……未来ですね」
彼女が要約する。
そう言われて初めて気づく。
私が求めているものは未来なんだと。
今とは違う、未来へ。
SCENE 3 〜学校にて〜
「真剣振り回す奴相手に素手で勝つって……どんなだよ……」
「引いてるじゃないかっ」
「いや、引いてないっ、引いてない」
「本当か?」
「本当」
真剣な眼差しが私に向く。私の手を握る彼の手にぐっと力がこもる。
「仕方のないやつだな……」
店先で、数人の客が待っていた。周りを見回すと満席だった。
朋也がそれに気づいて、さっと伝票を取る。
「そろそろ出よう」
「うん」
鞄を持って立ち上がる。
会計は朋也に任せる。おごられる、というのが女の子らしいからだ。
一方的におごられるのは不公平な気がしたけど、休みの日は朋也の昼食を作ってやったりしているので、まあおあいこだ。
学校に戻る。
校門をくぐるとき、朋也が怪訝《けげん》な顔をした。
「どうした?」
「中でも腕組んだままなのか?」
「いいじゃないか。全校公認だぞ」
「まあいいんだけどさ……いつから俺はそんな青春キャラに……」
腕を組んだまま歩いていく。
体育館の前に制服姿の生徒が密集していた。
「おい、なにごとだよ」
朋也は足を止め、近くにいた男子生徒を捕まえて訊く。
「去年のインハイ優勝校の生徒がウチの剣道部に交流試合に来てるんだってさ。ウチのあの弱小部にだよ?」
「なんだ、つまんね……行こう智代」
朋也はぷいと顔を背けて、校舎に向かって歩き出す。
私は引っ張られる格好で、ついていく。
こういうのもなんだか女の子らしくて嬉しい。
私を引っ張って歩けるのは、朋也、おまえだけだ。
それは言わずにおく。
ただ抑えきれず頬が緩んでしまう。
きっと馬鹿みたいに幸せそうな顔をしてるんだろうな。
他校の制服を着た女性とすれ違う。
「ふふふ」
笑い声。
「そんな未来だったのですか」
立ち止まることもできず、朋也に引っ張られていく。
知り合いだったのだろうか。
まあ、誰だっていい。行こう。
今は朋也と過ごす時間がなにより大切で、そして私にとっての幸せなのだから。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第05話
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
第5話 公子の日記
AVG『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフが、
ゲーム本編のサイドエピソードをつづる
公式アナザーストーリー『光見守る坂道で』。
第5話はこれまでとちょっぴり趣向を変え、
ヒロインの1人・伊吹風子の日常を、
姉である公子の視点から見つめる日記形式でお届けする。
時はちょうど、風子が学園に入学する直前のことだ。
本編では、登場人物の誰よりも子供っぽく、
ハジケた言動が印象的だった風子。
この小動物のような少女は、家の中でも
やっぱり風子≠ネのだろうか。
深い姉妹愛に彩られた風子観察日記≠ナ、
その驚きの生態が明らかになる……!!
SCENE 1 〜3月25日〜
今日からは自分の日記とは別に、私の妹、ふぅちゃんの観察日記をつけることにしました。
情けないながら姉である私にも、あの子のことがよくわからなくなるときがあるのです。
「藤子不二雄のキャラクターでしりとりです、うなぎいぬ!」
そう言われたとき、人はどう対処すればいいのでしょうか。
藤子不二雄作品で『ぬ』から始まるキャラクターを必死に探すべきでしょうか。
それとも、優しく、「ふぅちゃん、それは赤塚不ニ夫だよね」と諭せばよいのでしょうか。
そもそも藤子不ニ雄であれ、赤塚不ニ夫であれ、作者を限定したしりとりでは到底ゲームが成り立つとは思えません(水木しげるも可であれば「ぬりかべ」を思いつきましたが)。
あるいは、そこにあるメッセージを私がくみ取れていないだけでしょうか。
もし先に何かがあったとして、この日記を振り返ることで、その意図がわかるようになれば。
そう願って書きます。
SCENE 2 〜3月26日〜
ふぅちゃんがヘンな技を覚えました。
「必殺……甘噛み!」と言って、耳を噛んでくるのです。
その後、こう続けます。
「これでおねぇちゃんはメロメロです」
私は悩みました。どう反応すればいいか。
突っ込みどころが満載です。
一体どこでそんな技を覚えたのか、私をメロメロにしてどうするのか、そもそも必殺と甘噛みが矛盾しているのではないのか、どうして甘噛みなのか、思い切り噛んだほうが必殺技としては有効なのではないか、突っ込みだしたらキリがありません。
また噛もうとしてきたので、今度はよけてみました。
「う……動けるんですか」
いや、そんな意外そうに言われても。
「もしかして、メロメロになってませんか」
なってません、と答えてあげます。
「そうですか……おねぇちゃんは、感じない人だったんですか……」
なんだかひどい言われようです。
おねえちゃん、仕事残ってるからごめんね、と言うと、
「あーもぅ、次の作戦ですっ」
ぷんすかしながら、部屋を出ていきました。
そこにどんなメッセージが隠されているのでしょうか。
我が妹ながら、謎は深まるばかりです。
SCENE 3 〜3月27日〜
ふぅちゃんが眼鏡をかけていました。
「風子、眼鏡っ子になりました」
そう高らかに宣言します。
しかしその眼鏡は明らかに、私の物です。
それ、おねぇちゃんのだよね? と訊いても「風子のです」と言い張ります。
嘘よくないよ? と言ってもききません。
「読書をします」と言って、勝手に私の部屋の本棚を物色し始めます。
ふぅちゃんにとっては恐ろしくつまらないであろう本を選び出し、それを立ったまま読み始めます。
上半身が揺れてきました。難しさにくらくらしているようです。
ふぅ……と息をついて本を元に戻します。そしてこちらに向かって、「読み終わりました」と誇らしげに眼鏡のツルを持ち上げてみせています。本を読んでいた時間は正味3分ぐらいです。ありえません。
私が仕事に集中し始めると、ふぅちゃんは部屋を出ていきました。
それで満足したのかと思いきや、奇行はまだ続きました。
お手洗いへと向かう途中、廊下でふぅちゃんと鉢合わせになりました。
ぶつかってもいないのに、ふぅちゃんは床にしりもちをついています。
大丈夫? と声をかけます。ふぅちゃんは黙って、私の顔をじっと見上げています。
よく見ると、ふぅちゃんはいつも結んでいる髪を解いています。
そして、足下には私の眼鏡。
なんなんだろう、この状況は。
「ときめきましたか?」
出ました。謎かけです。
ときめいてません、と答えてみました。
「ショックです。」
こちらもショックです。
「おねえちゃん、眼鏡っ子が趣味じゃなかったんなら最初からそう言ってくださいっ!」
普通言いません。
「風子、とても時間を無駄にしました」
そう言って立ち上がります。そして眼鏡を差し出してきます。
「どうもお借りしました」
どういたしまして。
SCENE 4 〜3月28日〜
「風子だっちゃ」
わけがわかりません。
「ダーリン、風子だっちゃ」
今回はかなりきています。私が覚えている限りでも、飛び抜けています。
何かに取り憑かれたのでしょうか。
背中をぱんぱんと叩いてあげます。
痛かったのか、わーっ、と逃げていきます。
どうどうと落ち着かせた後、もう一度、名前を言ってみて、と話しかけてみます。
「オッス! オラ風子!」
別なものに取り憑かれました。
「どっちがよかったですか」
二者択一ですか、と訊いてみます。
はい、と頷かれます。
私は悩んだあげく、前者よりは後者のほうがまだ世間体的にましかと考え、後のほう、と答えました。
「だっちゃはダメでしたか。では、オイッスのほうでいきます。オイッス!」
それは長さん。オッスだったと思いますが。
「そうでした。オッス! オメエ風子!」
私は公子です。
「必殺技見せます。きっと痺れます。見ててください」
はあ。
ふぅちゃんは手を合わせて、それを後ろにゆっくりと引いていきます。
「か――……め――……は――……」
そして、一気に押し出します。
「メェ――――ッ!!」
ああ、そこで撃っちゃうんだ。
「どか――――ん! 敵は粉々です」
敵もやりきれない感じです。
「どうでしたか、おねぇちゃん痺れましたか」
私はもう、返す言葉もなく、引きつった笑いを浮かベるだけです。
「黙ってたらわかりません。いつもの風子より痺れたかどうかご意見お願いします」
いつものふぅちゃんでいいよ、と答えました。すると、
「ショックです! ここまでやらせておいてそれはあんまりですっ!」
怒ってしまいました。
「おねぇちゃんがそっちのほうがいいと言ってくれました……だから恥ずかしかったですけど、がんばってかめはめ撃ちました……」
ああ、やっぱりそういう名前なんだ。間違ってるよ。
でもそんなところをいちいち突っ込んでいたらキリがないので、ふぅちゃんがどっちかを選べって言ったから選んだんだよとだけ答えました。
「そうですか……いつもの風子でよかったですか……」
落ち込んだように肩を落として、立ち去りました。
SCENE 5 〜3月29日〜
今日はふぅちゃんが一日中わけのわからない行動をとりました。
ずっと私の後ろについてくるのです。
私がどうしたの? と振り返ると、近くの壁に顔を押しつけます。
見えてるよ? と言っても、無言のままでいます。
また歩きます。ついてきます。
ばっと振り返ります。
すると近くにあった電話の受話器を取り、
「ああ、わたしだ」
とわけのわからないことを言います。
また、すぐ飽きるだろうと思って、放っておきました。
ですが、今回の奇行は、一日中続いたのです。
トイレに入っているときはこうでした。
とんとん、とノックし、「誰ですか?」と訊いてくるのです。
「おねぇちゃんよ」と答えると、そこで会話は終わります。
花に水をやろうと外に出ても、ついてきます。
どうしたの、ふぅちゃん? と振り返って訊いてみます。
それまでと同じように、素早く近くの壁に張りつきます。
しかし……ざくっと音がして、わーっ! と悲鳴。
そこにはサボテンが飾ってあったのです。ふぅちゃんの頬にとげが刺さってしまっています。
慌てて救急箱を取ってきて、手当てしてあげます。
消毒の後、大きい絆創膏を貼ってあげました。
ふぅちゃんは、しばらくその頬を撫でながら、気まずそうに、私のことを見上げています。
そして突然私の背後を指さしてこう叫びます。
「あ、三木道三そっくりな人が歩いてます!」
多分、私を振り返らせようという作戦なのでしょうけど、かなり引きが弱いです。
「一生一緒にいてくれやと口ずさんでます! きっと水物です!」
えー、それほんとだったらすごいよーサインほしいよーと騙されたふりをしながら振り返ってみます。案の定、三木道そっくりな人なんていません(そもそも本物であっても私はよく知らないので気づけません)。
もう一度ふぅちゃんに向き直ると、予想通り、壁に張りついていました。
黙って、水やりをすることにしました。
夕飯の後、部屋に戻ると、隅のゴミ箱の後ろにふぅちゃんがしゃがみ込んでいました。
かなり窮屈そうです。
試しにゴミ箱を動かしてみます。すると、転がりながらついてきます。
可哀想なので、座布団の前にゴミ箱を置いてあげました。
すると、居心地良さそうに、座布団の上で丸くなりました。
それで安心して、仕事をすることにしました。
10時を回って、振り返ると、案の定、ふぅちゃんは寝ていました。
その肩を揺すって、ちゃんと布団で寝ようね、と言ってあげます。
薄目を開けて、んーっ、と頷きます。
眠そうに目をこすりながら、覚束ない足取りで部屋を出ていきます。
最後の言葉はこうでした。
「本物でした」
私は目をぽかんと開けて、一時間ぐらいそのままでいました。
SCENE 6 〜3月30日〜
その日、昼食の場で、ふぅちゃんは私に言いました。
でかけてきます、と。
え? ひとりで? と聞き返すと、頷きました。
この春休みは、ふぅちゃんとは一緒に遊ばないようにしていました。
ふぅちゃんは、いつも私と遊んでばかりで、他に友達がいませんでした。
このまま姉の私と一緒に遊んでいたのでは、いつまでも友達を作らない、そんな危機感を覚えたからです。
4月からはふぅちゃんも高校生です。
この機会にと、私はふぅちゃんとは遊ばないことにしたのです。
今の寂しさをばねに、高校ではたくさん友達を作ってほしいのです。
そのふぅちゃんが、ひとりででかけると言ってきたのです。
私を誘わずに。
これまでなかったことだったので、驚きました。
大丈夫? と聞き返すと、大丈夫です、と言って、箸を置きます。
ぱたぱたと家の中を走り回り、支度をしているようです。
ひとりで買い物だろうか。危険じゃないだろうか。そう考えてから、私は自分を笑いました。
あの子を離せなくなっているのは私のほうじゃないか、と。
それにもう高校生なんだし。
私は自分の部屋に戻ることにしました。
夕方になって、花に水をやりに表に出ました。
すると、玄関先にふぅちゃんが座り込んでいました。
バケツの中を覗き込んでいました。
おかえり、帰っていたんだ、と言った後、バケツの中を覗き込んでみました。
ザリガニが一匹いました。
言葉に詰まりました。
何を言えばいいのかわからず。
この子は、これを捕まえにいってたんだ。
そして、ここで遊んでいたんだ。
ひとりで。
全部、ひとりで。
胸が痛みました。
ただ、ふぅちゃんを抱きしめてあげたかった。
寂しかったよね、ごめんね、と言ってあげたかった。
そして一緒に遊ぼうと手を引いてあげたかった。
ふたりだったら、もっとたくさん捕れるよ。
おねえちゃん、こういうの得意なんだから。
でも、それはしませんでした。
両手は両膝に置いたまま、ただ一言、
「すごい、ザリガニ捕まえたんだね」と言いました。
ふぅちゃんは、ザリガニをつかみ取ると、そのお腹を私に見せてくれました。
ひとりで捕まえた、という誇らしげな笑顔で。
そうして、今、この日記を読み返してみて、わかりました。
それらは、ふぅちゃんが、私を振りきるために必要な行動だったんだと。
いろんなことを確かめていく過程だったんだと。
私の気持ちを確かめていくためだったんだと。
ふぅちゃんは成長していく。
私から離れて。
寂しいけど、それは大事なこと。
SCENE 7 〜4月7日〜
初めてふたり別々に過ごした春休みが終わります。
明日は入学式です。
今書けるのは一言だけです。
どうか晴れますように。
「それではいってきますっ」
いってらっしゃい、ふぅちゃん。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第06話
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
第6話 ときめく瞬間
恋愛AVG『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフが、
ゲーム本編のサイドエピソードをつづる
公式アナザーストーリー『光見守る坂道で』。
連載第3話に登場したヒロイン・藤林杏に、
椋という双子の妹がいたことを覚えているだろうか?
今回は、栃木県の近江さんから寄せられた
リクエストをもとに、彼女・藤林椋が、主人公の岡崎朋也と
出会ったころの甘酸っぱいエピソードをお届け。
スポーツ万能で開放的な杏ど比べると、
おとなしい椋は、けっして目立つ存在ではない。
だが、そんな彼女が、ある事件をきっかけに、
華やかステージに祭り上げられることとなる。
受難≠フ椋に、幸せは訪れるのだろうか……!?
SCENE 1 〜コート上〜
目の前には、手を伸ばしてもなお天辺に届かないネット……。
そのさらに上を行き来する白いボール。
周囲からはこれまで感じたことのない視線……。
期待されている視線……。
私はどうしてこんなところにいるんだろう……?
そんな疑問を抱きながらも帽子を深くかぶり直す。
「杏ちゃん、くるわよ」
違う……。
「藤林、頼むぞ!」
それはあってる。でも違う。
「レシーブ!」
だって私は……。
「はい、トス!」
私は……。
「いっけー! 杏ちゃん!」
「殺人スパイクをおみまいしてやれ、藤林!」
……私は――……お姉ちゃんじゃないのに……。
SCENE 2 〜教室にて〜
――1週間前……。
お昼休み、私は教室で同じクラスの人たちに頼まれて占いをしていた。
「で、では……、来週、私達のクラスが球技大会でどうなるかですが……誰か一枚引いて下さい」
「うん」
周りにいた人の一人が、私の手の中の束から一枚カードを抜く。
「それではカードをしっかりと憶えて、私に見えないように束に戻してください」
「うん」
トランプが戻されたことを確認すると、札をよく切る。
そして一番上のカードを手に取り……。
「……あなたの選んだカードはスペードのJ、これですね」
「すっごーい! 当たってるよ、藤林さん……って、これ手品じゃんー」
「あ、いえ、1回目で当ったということは、これは一回戦のことを意味します。そしてJは11、1が二つに割れることを意味します」
「……つまり?」
「1回戦は突破できます」
私はニコリと微笑みなから言った。
が……、周りの人たちの表情がみるみる曇っていく。
「あぁ……結果のわかった勝負ってつらいな……」
「でも参加しないと、成績に関わるしねぇ……」
「知っちゃいけない、未来もあるんだねぇ……」
「あ……う……あの……その……突破できるんですけれど……」
「あー、うんうん、ありがとうね椋ちゃん」
「占いは占いだし、なんとかなるさ」
うろたえる私にクラスのみんなが、ぎこちなさのある温かな眼差しを向けてくれる。
少し複雑な気分……。
ドガシャン!!
トランプを整えていると、突然廊下のほうからけたたましい音がした。
みんなは慌てて窓を開け、廊下に顔を出す。
と、そこには見知った顔――……お姉ちゃん……と、……男子が二人。
「あ――っ! もうしつこいっ! 本気で殴るわよ!」
「あんたさっき本気で蹴りましたよねぇ!」
一人は髪を金髪に染めていて、もう一人は――……。
「朋也っ! あんたもしっかりおさえてなさいよ!」
「俺ごと蹴飛ばしておいて何言ってやがる!」
……あ、あの人が岡崎くん、なんだ。
突然の騒動に、教室のみんなが呆然としていた。
ふと見れば、お姉ちゃんは手に紙を持っていた。
あの紙は……たしか球技大会の参加メンバーの登録用紙。
「つーか杏! そればっかりはマジで勘弁してくださいっ!」
「ダメ! あんたは球技大会サッカー決定!」
「3年と試合することになったらどうするんだよ! 僕、途中退部してるんだぞ?!」
「そりゃおもしろい展開だよな」
「あんためちゃくちゃさわやかに言いますねぇ! めちゃくちゃバツが悪いでしょっ!」
「いいじゃない、もっぺん根性叩き直してもらいなさいよ」
「根性以外のところを叩かれますっ! って……うわっ! 岡崎放せ! 手を放せ!」
岡崎くんが金髪の人の腕をしっかりと掴んでお姉ちゃんに言う。
「行け! 杏! さっさとその紙提出してこい!」
「OK!」
お姉ちゃんは生き生きとした笑顔で親指を立てると、踵を返して走り出す。
「放せ――! 岡崎ー! おまえ騙されてるんだぞー!」
「何を騙されてるっていうんだよ」
「男女混合バレーのとこおまえの名前書いてあったぞ」
「なにぃ!?」
「僕達はあいつにはめられたんだよ!」
「くっそ! あの女ぁー!」
二人は競うように廊下を蹴って、お姉ちゃんの後を追った。
「なにあれ……?」
「今のって藤林さんのお姉さんだよね?」
みんなが不思議そうな顔で私を見る。
「え? あ……えっと……そ、その……まあ」
きっと双子なのに全然性格が違うって思われているんだろうな……。
SCENE 3 〜球技大会〜
――球技大会当日……。
「椋ちゃん! そっちいったよー」
「え? あ、わわ……わ……」
ゆっくりと白いボールが私のいる場所に落ちてくる。
「藤林、おちついてレシーブだ」
「あ……う……え、えっと……あう……」
自分でもわかるくらい、みっともなく慌てている。
えっと、レシーブは……両手を重ねてボールの落ちてくる場所に……。
ビシ……
手にボールの触れる感触がした次の瞬間……。
ベチッ!
「あうっ」
額に衝撃がきた……。
そして、それは試合終了の合図でもあった。
「あ……ぅ……う〜……すみません……」
完全に足を引っ張る形になってしまい、申し訳なさに私はまともに顔が上げられなかった。
「仕方ないよ、藤林さんそんなに運動得意じゃないしさ」
「そうそう、それに1回戦敗退のほうが、後は自由だから楽だしね」
「うぅ〜……すみません……」
みんなは優しく声をかけてくれる。
けれど、それでもやっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいで……正直涙が出そうだった。
と、その時――……
「朋也っ! そっち行ったわよ!」
お姉ちゃんの声。
よく見れば隣のコートで、お姉ちゃんたちのクラスもバレーボールしていた。
「くそ……なんで俺は馬鹿正直にバレーなんてしてるんだ……」
お姉ちゃんの声に、男子生徒――岡崎くんが、面倒くさそうに片手を出し、ボールを弾く。
岡崎くん、ちゃんと出場しているんだ……。
ボールはフラフラとネット際に飛んでいく。
「Bクイック!!」
そう叫びなから、ネット際へ走り込むお姉ちゃん。
それに合わせるように、他の男子が跳んだ。
お姉ちゃんはアタッカーに向けて鋭いトスを――……出さなかった。
トスの構えからそのまま手首のスナップだけでネットギリギリにループボール……、ツーアタックでボールを返した。
「き、きたねえ! クイックじゃねぇのかよ!」
「なんだそりゃ――!」
完全に虚を突かれた相手側がブーイング。
「あはははー、戦いは裏の読みあいでしょー」
親指を地面に向けながら胸を張って言い切るお姉ちゃん……。
「おまえすっげー姑息なのな……」
「知略的って言いなさいよっ!」
「わりぃ、無理だ。言えね」
「言えるようにしてあげようかしら?」
「つーかさ、おまえの髪、邪魔だ。跳ぶ度、俺たちにまでブラインドになる」
「んなっ……ぬっ……む……どうしろってのよ」
「知るか。帽子でもかぶって抑えてろ。それより昼飯の件、絶対逃げるなよ?」
「しつこいわねぇ、わかってるわよ!」
「あ、ボールきたぞ」
「わかってるわよ!」
お姉ちゃんたちのそんなやり取りを、少し離れた場所から私たちは見ていた。
「凄いね、藤林さんのお姉さん」
「え? あ、うん、私と違って運動できるから」
「違うよ、今、岡崎くんと普通に話してたでしょ?」
「あ、うん。よく話するみたいだよ」
「そうなんだ、怖くないのかな」
怖い――……。
岡崎くんは、他の人からみたらそういう人に見えるんだ……。
私には……お姉ちゃんと仲のいい、ふつうの男子にしか見えないんだけどな。
SCENE 4 〜中庭にて〜
「椋〜」
中庭を歩いていると、後ろからお姉ちゃんが声をかけてきた。
振り返ると帽子をかぶった女の子――……一瞬、誰かわからない。
「…………お姉ちゃん……?」
「あ……あれ? あんたでもわかりにくい?」
「う、うん、だって髪がないんだもん」
「朋也がうるさいから巻いて帽子の中に入れたのよ」
「そうなんだ。でもそのほうが慟きやすそうだね」
「まあ、ね」
お姉ちゃんは苦笑する。
「ところでお姉ちゃん、どこ行くの?」
「え?」
「こっちって保健室しかないよ」
「あー、えっとさー、実は足捻っちゃった」
全然痛そうなそぶりを見せず、あっけらかんと笑いなからお姉ちゃんは言う。
「……え?!」
「たぶん、さっきの試合の最後のアタックの時ね。着地した時になんか変な角度だったから」
「だ、大丈夫なの?」
「平気平気。まぁ、ちょっと保健室で湿布貰おうかなーってくらいよ」
「ついていこうか……?」
「いいわよ、そんな大げさなもんじゃないし。それに変に心配されるのも嫌だしさ」
お姉ちゃんは照れたように笑いながらそう言った。
「あ、そうだちょっと帽子預かっといて。髪が抑えられてちょっと痛いのよ」
お姉ちゃんはそう言って帽子を脱ぐと、私の頭にかぶせた。
「じゃあちょっと行ってくるね。すく帰ってくるから」
「あ、うん。じゃあここで待ってる」
私はお姉ちゃんの背中を見ながら、中途半端にかぶされていた帽子を、しっくりくるようにかぶり直す。
「杏」
「……え?」
不意に背中に届く声。
振り返ると、そこには……岡崎くんがいた。
「おまえ、足平気か?」
岡崎くん……私をお姉ちゃんと間違えている……?
って、足……? 岡崎くんはお姉ちゃんの足のこと気づいていたの?
「いつかはわからないけど、捻ったんじゃないのか」
「あ……ぅ……その……」
どうしよう……お姉ちゃんは足のこと黙っていてほしいみたいだったけど……。
ううん、その前、私がお姉ちゃんじゃないことを言わなきゃ。
あ……でも言っちゃったら、お姉ちゃんがどこに行ったか言わなきゃいけなくなる……。
心配されるの嫌って言ってたし……でも……ぅ〜……。
「……? おまえ、本当に大丈夫か?」
「あ、ぅ……は、はい」
「はい?」
「い、いえ、うん」
とっさにお姉ちゃんのフリをしてしまう。
「…………? 実は頭を打ってるとか?」
「ううん」
すぐに帰ってくるって言ったし、この場さえ乗り切れば……。
「足……大丈夫か?」
「うん」
「足踏みしてみ」
私はその場で足踏みをする。
「ジャンプ」
ぴょんぴょん
「反復横跳び」
シユタっ シユ……タっ
シュタ……っ ……シュタっ
「なんか最後のはキレが悪い気がするけど……それだけ動ければ平気か」
私はコクコクと頷く。
「俺の気のせいだったのか……。まぁいい、じゃあ行くぞ」
「?」
……あれ?
「もう2回戦が始まる」
――え?!
「昼飯のおごりの約束は、最低2回戦突破だったからな」
「あ……ぅ……ぇっと……ぅ……その……」
「今さら、契約破棄は許さねぇぞ。さっさと来い」
「あ……わわ……わ……ぅ……」
ど……ど、どうしよう……お姉ちゃん、どうしよう〜。
SCENE 5 〜ふたたびコート上〜
目の前には手を伸ばしてもなお天辺に届かないネット……。
そのさらに上を行き来する白いボール。
周囲からはこれまで感じたことのない視線……。
期待されている視線……。
私はどうしてこんなところにいるんだろう……?
そんな疑問を抱きながらも帽子を深くかぶり直す。
「杏ちゃん、くるわよ」
「藤林、頼むぞ!」
「レシーブ!」
「はい、トス!」
「いっけー! 杏ちゃん!」
「殺人スパイクをおみまいしてやれ藤林!」
ぺすっ……
手の先にかする感触。
ボールは力無くネットを越え、まるで枯れ葉のようにユラユラとコートに落ちる。
相手は虚を突かれ、その軌道を呆然と見ていた。
「すげぇ藤林! 勢いある腕の振りなのに力のないボール!」
「ナイスフェイントだよ!」
「髪も帽子の中にちゃんとしまって戦闘態勢ばっちりしゃん」
「あ……うぅ〜……」
ど、どうしよう……お姉ちゃんじゃないってバレたらどうなるんだろう……。
みんなの視線が怖いよ……お姉ちゃんはいつもこんな視線を受けてるの?
そんな中、岡崎くんだけみんなとは違う視線を私に向ける。
訝しがるような――……心配をするような――……。
……それでも試合は続いていく。
そして徐々に……十分予想できたことだけど、私が足を引っ張り始める。
「おい、あそこは穴だぜ」
「みたいだな」
対戦相手が私のほうを見て言う。
「藤林のやつ、どうしたんだろ」
「杏ちゃん、調子悪いのかな」
味方の人達も不思議そうな顔で私を見る……。
どうしよう……このままじゃ私のせいで負けちゃう……。
「杏……まさかおまえわざと負けて昼飯の件なしにする気じゃないだろうな……?」
「う……ぁぅ……」
岡崎くんが訝しげな目で私を見る。
けどすぐに頭を掻きながら言った。
「っても、まあ負けず嫌いのお前がわざと負けるわけないか」
「まぁ、きついの一発決めてやれよ」
「あ……う、はい」
相手のサーブボールがこちらのコートに飛んでくる。
岡崎くんが両手でボールを受け、ネット際に飛ばした。
他の女子が、私を見ながらそれをトス。
……私を見ながら、……ということは……あ……わわ……私がアタック??
ふわりとネットと平行に柔らかく飛ぶボール。
「行け杏!」
「決めて藤林さん!」
私は飛んでいるボールを凝視しながら体育で習ったアタックの打ち方を必死で反芻させる。
たしか――……左手を上げながら跳んで……、上げた手を振り下ろしつつ、右手をしならせるように……。
――振り抜くっ!
スカっ!
腕が勢いよくボールの横を通り過ぎた……。
「あ……」
跳ぶのが……、遅かったみたいだった……。
ボールはこっちのコート内に落ちる。
そしてさらにその上……ボールの上に私は着地した。
結果……。
ずてっ!
転けた……。背中から無様なくらいの勢いで……。
全身を襲った衝撃に、倒れたまま呆然としていた。
「ふっ、だっせー」
「空振りしてしかも転けてやんの」
対戦相手の男子が私を見ながら笑っている……。
泣きたくなってくるくらいみっともない……。
ドムッ!
不意に近くで何かを蹴る音がした。
そして少し離れたところで、バシっと何かが当たる音。
「うわっ! いてぇな! なにボール蹴ってんだよ!」
相手チームの男子の声。
「てめぇら何笑ってんだよ……」
続いて聞こえたのは岡崎くんの怒った声……。
あたりが凍ったように静まる。
「……杏、大丈夫か?」
けど、私にかける声はふつうのものに戻っていた。
「あ……ぅ、はい……」
倒れたままじゃ余計な心配をかけてしまうので、慌てて立ち上がる。
「痛っ……」
右足首に痛みが走り、体勢を崩してしまう。
けど、近くに来てくれていた岡崎くんに寄りかかる形になってしまい倒れるまでには至らなかった。
「あ……ぅ……ごめ……」
「タイムでいいよな」
私の言葉を遮るように岡崎くんが相手チームに言った。
「保健室、連れてくくらい待ってられるだろ」
相手チームの返事を待たず岡崎くんは私に肩を貸してくれながら歩き始めた。
岡崎くんの身体に触れてる……。
……凄くドキドキする……こんなに近くに男の子がいることなんて初めて……。
「杏、おまえ大丈夫か? 動き悪いし口数少ないし……」
だって……とてもじゃないけどしゃべれるような状況じゃないもの……。
「顔も赤いみたいだし、風邪か?」
火が出そうなくらい熱いよ……。
「足、無理そうだったら棄権しちまおうぜ。たかだか球技大会なんだ」
岡崎くんて……ぶっきらぼうだけどすごく優しい……。
これはお姉ちゃんにだからなのかな。
……それとも……もともとこういう人で、……みんなが知らないだけなのかな……。
ゆっくりと保健室に近づいていく。
……って、保健室にはもしかして、まだお姉ちゃんがいるんじゃ……?
考えている間に保健室の前まで来てしまった。
「あ……あの……」
「ん?」
「その……えっと……ぅ……だから……こ、ここまでで……」
「あぁ、わかった」
ちゃんと言葉になっていないのに.岡崎くんは素直に私から離れてくれた。
触れていた部分が温もりを失っていき、物寂しさを感じる。
「ここで待っててやるから、はやく診てもらってこい」
私は黙ったまま頷いて保健室に入る。
心臓はドキドキしっぱなしだった。
保健室に入った私を出迎えてくれたのは、慌てふためくお姉ちゃんだった。
「ああぁっ、寝ちゃってたー!」
「お、お姉ちゃん?」
「試合始まっちゃう! あ、椋、起こしに来てくれたの? 帽子ありがとね」
お姉ちゃんは私の頭から帽子を持っていくと、そのまま保健室を飛び出した。
「うわっ! 杏?! もういいのか?!」
「え? 朋也?? って試合は?!」
「タイムとってるから大丈夫だと思うけど……足は大丈夫なのか?」
「え? あ……あ〜、う、うん、こんなくらい全然平気よ、ありがと」
「そうか、じゃあ行くか」
「あんたもお昼ご飯が食べたかったらきばりなさいよー」
「てめえこそさっきみたいなヘマ……って、おい! 待てよ!」
遠ざかっていく足音……。
お姉ちゃんと岡崎くんが、走っていく……。
一人になって……ようやく安堵の息が吐けた。
……捻った足が痛みを思いだし、熱く脈打ち始める……。
でもそれ以上に、胸の奥がドキドキしている……。
「岡崎……くん……」
名前を口にすると……さらにドキドキした。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で 第07話
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
第7話 特別な夜
恋愛AVG『CLANNAD』のシナリオを担当したスタッフが、
ゲーム本編のサイドエピソードをつづる
公式アナザーストーリー『光見守る坂道で』。
今回はいよいよ、リクエストがもっとも多かった、
古河秋生&早苗夫妻のエピソードを、お贈りする。
続々と編集部に届く熱い声にこたえ。
麻枝氏が書き下ろしてくれた、本編の数年前のお話だ。
飄々とした永遠のヤンチャ少年・秋生と、
ほがらかで優しい女神のような早苗。
おしどり夫婦として町内でも有名な2人だが、
そこにどんな馴れ初めがあったのだろうか。
ちょっと冷え込む聖夜を舞台に、娘の渚も顔負けの
ホットなドラマが展開する……。
SCENE 1 〜聖夜の出会い〜
寒い夜だった。
俺はマフラーに深く鼻を埋める。そうしていないと、痛くて歩けない。
通りでは街路樹が電飾に輝き、波打った遠近図を描いていた。
肩を並べて歩く男女は皆そろってスローペースだ。
どこかの店先からか遠くで賛美歌が流れているのが聞こえた。
(クリスマスか……関係ねーや)
そんな連中を縫うようにして足早に抜けていく。
よっ、と歩道に駆け上がったところで、
「うあ?」
子供が倒れていた。冷え切った路面に頬を寄せて。
「おい……大丈夫かぁ?」
……返事はない。
「困ったな……」
別に俺が助けなくても、すぐ別の通行人がやってくる。
顔を上げれば、ほら、正面から歩いてきている。スーツ姿の社会人だ。学生の俺なんかより、大人に任せておいたほうかいい。
適切な処置ってものをわきまえているだろう。
でも、俺は立ち止まったままでいた。
……ここでこいつを助けなければ後悔する、どうしてかそんな気がした。
そんな柄でもないのに……。
俺はしゃがみ込んで、そいつの頬を叩く。目覚めない。息はしている。
その体を背負おうとする。小さいから重くはない。
だが、気を失っている人間を背負うのは難儀なことだった。
通行人が何事かと見ていく。
はあ……なんだって俺は……。
背負うのは諦めて、抱き上げる。
病院まで腕力がもつのか……。
「……空腹?」
医者の言葉をオウム返しに訊く。
「昨日から何も食べてないみたいだね」
それが子供の症状だという。
今は落ち着いてるのか、カーテンで仕切られた隣のベッドで寝ていた。
「ちっ……人騒がせな……そんなことぐらいで行き倒れになるなよ……」
腕をだらりと下げる。ぱんぱんに張ってしばらく使えない。
「まあ、事情がある家だからね」
「なんだよ……」
「両親がね、いないんだよ……」
重々しく息を吐いた。
「父親が仕事場で事故にあって、入院後すぐ亡くなって……そうしたら母親も後を追うようにして病気でね……」
「ふたりとも亡くなったのか……」
医者は頷く。
「今は確か、おばさんの家に厄介になってるとか。そのおばさんも夜遅くまで仕事で、かぎっ子なんだそうだよ」
「クリスマスの日だってのにか……」
「まあ起きたら、何か温かいものを食べさせてあげるよ。君もごくろうさま」
そう言って医者は俺の膝を叩いた。
これで俺の役目は終わった。
この診察室を後にして、稽古場に向かえばいい。
けど、まだ何か引っかかるものがある。だから訊いてみた。
「何食わせんだよ?」
「ん? 君も食べていくかい?」
「ちげーよ、何食わせんのかって,訊いてんだよ」
「まあ近くのうどん屋のカツ丼でも……」
「はあ?」
一瞬唖然とした。すぐ怒りがわいてくる。
「んなもん食わせんなよっ、クリスマスだろーが、今日はよっ!」
「いや、それは別に関係ないだろう……?」
「大ありだよ、ばーかっ!」
俺は椅子を蹴るようにして立ち上がる。
医者に背中を向けると、ベッドに近づいていって、そこに横たわる小さな体を揺すった。
「おい、起きろ」
「君、どうするんだいっ、乱暴はいかんよっ」
「うっせぇ、あんたみたいな大人には子供の気持ちなんてわかんねぇんだよっ、クリスマスにカツ丼食わされる子供がいるかよっ! よく考えろぉっ!」
喧噪の中で目覚める、男の子、あるいは女の子。
「行くぜ、男の子、あるいは女の子」
その細い腕をつかむ。
「どこに?」
甲高い男の子の声で訊いた。
SCENE 2 〜必要なもの〜
「どこに?」
もう一度男の子は訊いた。寒空の下で。
俺は考え込む。
稽古場か? いや、稽古場に連れ込んだら、さぼるわけにはいかないし、こいつの相手をしてられなくなる……。
なら家か? 遠い。タクシーでも使わないと帰ってこれなくなる。
だから俺は答えた。
「ここ」
「え? なにが?」
「ここが目的地っつってんだよっ」
寒いのも手伝って、いちいち言葉尻が荒くなる。
「なにもないよ?」
「調達してやるさ……。とりあえず待ってろ。腹減ってんだろ」
「おら、チキンだ」
ファーストフードのフライドチキンの箱詰めを手渡す。
男の子は、わぁと顔をほころばせた。
「今夜はクリスマスだからな。遠慮せず食えよ」
俺たちは閉店した店の前の段差に腰掛ける。
男の子は3本を、俺は1本を、またたく間に平らげる。
備えつけのおしぼりで手を拭き、男の子の口を拭ってやりながら思った。
「なんか足らねーな……」
俺は首をひねる。
「さて、なんでしょう?」
訊いてみる。
「なんでしょう?」
訊き返される。
「おら、ケーキだ」
リボンで飾られた箱を突き出す。すげぇ痛い出費だ。
「ショートケーキなんてケチなもんじゃねぇ。ちゃんとした丸いケーキだ。サンタも立ってる」
地面で開封して見せると、男の子はまたわぁと顔をほころばせた。
ろうそくを立て、ライターで火を灯していく。
電気を消す必要もなく、それはまばゆく光り輝き出す。
しかも温かい。
ふたりで冷えた両手をかざす。
「なんか足らねーな……」
そうしながらも俺は首をひねる。
「さて、なんでしょう?」
「なんでしょう?」
「歌だ」
「うた?」
「そう。ジングルベルを歌わなきゃクリスマスは始まらない」
俺の声はよく通る。毎日発声練習をしてるからだ。
けど、遠慮はしない。
この町の奴ら全員巻き込むぐらいの勢いで歌ってやる。
男の子も、か細い声で精一杯歌う。
歌い終えた後、俺はまだまだだな、という顔をしてやった。
ろうそくを吹き消し、プラスチックのフォークで両端からふたりで食べていく。
俺が先にギブアップした。甘いものはそんなに入らない。
男の子はまだまだだな、という顔をしていた。
3分の1を残し、男の子もギブアップした。
残りを箱へとしまい、ふたり、親子のように並んで、身を寄せ合う。
「なんか足らねーな……」
俺はまた考える。
「さて、なんでしょう?」
「なんでしょう?」
無邪気な顔でそう問い返す。
その無邪気さは、かつて知っていたのだろうか。
その温もりを。
俺は先刻聞いた医者の話を思い出す。
……父親が仕事場で事故にあって、入院後すぐ亡くなって……そうしたら母親も後を追うようにして病気でね……。
「……母親だ」
俺はそう口にしていた。
「ははおや?」
「ママだ、おかあさんだ」
「ママ、いないよ」
「知ってる。でもクリスマスなんだしよ、いてほしいだろ」
俺は立ち上がり、公衆電話を探そうとした。
けど、すぐやめた。
誰を呼ぶつもりだ?
春からつき合っていた彼女とは先月別れたばかりだ。
男の子はそんな俺を座ったまま見上げていた。少し哀しげな目で。
またその顔を、わぁと輝かせてみたい。
ろうそくをたくさん立てたケーキみたいに。
「今日は、特別な夜だからな」
「とくべつなよる?」
「そう」
にこりと笑ってやる。
「だから、きっと叶うさ」
俺は通りを行き交う女性に、声をかけ続けた。
俺とあの子につき合ってくれないか? 少しの間でいいんだ。
けど、見知らぬ男と子供のために時間を割いてくれる奴はいなかった。
無視か苦笑いを浮かべるかして、目の前を通り過ぎていく。
くそ……。
俺は声をかけるのをやめ、しばらく人の流れを眺めていた。
その中に見つけた。
見知った顔だ。2年の時、同じクラスだった奴だ。連れもなくひとりで歩いてくる。
俺は駆け寄る。足を滑らせ転げそうになるが、不格好に持ちこたえる。
「よう」
そう声をかける。
「わ、古河くん」
相手は驚いた顔をして立ち止まった。
「おまえ、なにしてんの」
「これから勉強会。こんな日でも遊んでる時間なんてないからね。受験生はつらいっすよ」
「なあ……俺につき合ってくれないか。少しでいいんだ」
「え? 今から?」
「そう、今から」
彼女は思いを巡らせた後、納得顔になる。
「あー、彼女と別れたんだってね」
「知ってんのかよ……」
「うん」
なにが楽しいのか笑顔で頷く。
「今、あの子、バスケ部の子とつき合ってるよ。古河くんもやっぱスポーツしてたほうがよかったんじゃない? 背も高いし、運動神経だって抜群なのに、もったいないよ」
「なんだよそれ……もてるためにスポーツしろってか」
「いや、してたら、もててたよって仮定の話で。わたしはぜんぜんそんなこと言わないけどさ」
慌てたように取り繕う。
「言ってんじゃん」
「そう……かな」
「ああ、言ったよ」
「じゃ……ごめん」
気まずい空気になる。
なにやってんだろ……。
あ、そうだ。
俺は目的を思い出す。こいつを責め立ててる場合じゃない。
「で、つきあってくれんのか? 少しでいいんだ」
「いいよ。少しじゃなくても」
やった。子供のように喜んでしまう。
「よし、じゃ、こっちに来てくれ」
その腕を引っ張る。
「そんなに慌てなくてもっ……」
先には男の子がぽつんとひとりで待っていた。店の前の段差に座って、手を息で温めていた。
「あいつとクリスマスパーティやってんだ」
「え、わたしと古河くん、ふたりきりじゃないの?」
「ああ、あいつと3人で」
「なんでさっ?」
「なんでって、あいつとパーティやってんだってば。あいつこんな夜にひとりきりなんだぜ? そんな話ってないだろ?」
彼女が逆方向に引っ張る。そのまま腕を振りほどいた。
「なんだよ……」
「そんなのあんたひとりが相手してればいいじゃないっ」
怒った声で言った。
「話を聞けよ、事情があんだよっ、母親役が必要なんだよっ」
「母親役ぅ?」
呆れたように頬を歪めた。
「勉強会さぼろうとしてたのに、そんなので振り回されるこっちの身にもなってよっ」
「そりゃ悪いと思ってるよっ、でもこんな夜だぜ!? なんでも叶う夜にしてやりてぇじゃねえかっ」
「なにそれっ……演劇のやりすぎでおかしくなったんじゃないの?」
「はぁ?」
今度は俺が顔を歪める。
「なんでそんなこと言われなくちゃならねえんだよっ、演劇馬鹿にすんじゃねえよっ」
「………」
もう彼女はなにも言わない。涙目のまま、俺を睨みつけた後、走り去っていった。
くそ……。
また心の中でこの状況を罵《ののし》った。
SCENE 3 〜最後の願い〜
どれだけの時間が経っただろう。
いつしか立ちつくしていた。
体温が下がっていく。指先は冷たさを通り越して痛く、足の先は感覚がなくなっていた。
今頃仲間たちと、挟い稽古場で練習に汗を流していたはずだ。
それをさぼって、なにやってんだ、俺は……。
ズボンが引っ張られていた。
振り返ると、男の子が立っていた。
「ね」
「なんだよ……」
「ぜんぶ、かなったよ?」
「まだ途中だよ……」
「とりもたべたよ? けーきもたべたよ? うたもうたったよ?」
「まだだよ……」
まだ残ってんだよ……。
「ありがとう、ぱぱ」
その言葉は俺に向けて。
「え……」
俺はしばらく止まっていた。
「ばぱって……おれか」
訊き返す。
「うん、ありがとう、ぱぱ」
俺はその場に崩れ落ちる。
地面こ膝をついて、男の子を抱きしめた。
「ありがとうをいうのは、こっちだ……」
涙が止まらない。だらだらと頬を伝って落ちていく。
こんな短い時間でも……こんな無茶なやり方でも……。
それでも、ぱぱって……。
なら、俺はやっぱり叶えてやりたかった……。
「ごめん、ごめんな……」
その首筋にそうつぶやいた。
叶えてやりたかったんだ、神様。ぜんぶ。
「叶いますよ」
神様の声が。
「だって、特別な夜ですから」
違う、人だ。女性だ。
俺たちは顔を離す。その隙間に降りてくるのは、大きく膨らんだ靴下だった。
「これも、足りなかった……ですよね?」
男の子は、わぁという顔をして、それを受け取った。
俺は濡れた顔を服の袖で拭ってから、女性を見る。
女性は走ってきたのか、息を切らせていた。
コートの下に制服が見えた。ウチの制服だ。
こんな子いたっけか。見覚えがない。
俺が思い出せないだけか。だから訊いてみる。
「あんた、だれ?」
「ママ」
男の子の顔が、また、わぁとほころぶ。
ぜんぶ、叶った。
残りのケーキを一緒に食べた。俺も無理をして詰め込んだ。
それは家族の時間だからだ。
食べ終わると、温かい飲み物を買ってきて飲んだ。
そして、手をつないで温め合った。
「今日出会ったばかりなのに……」
その温もりを感じながら、不自然さを口にした。
「一度だけ、演劇をご一緒したんですよ、覚えていませんか」
意外な言葉が返ってくる。
「あんた、ウチの演劇部だったのか?」
「いえ」
彼女は首を振る。
「今年の春です。演劇の題材にと、あなたは図書室で、本を探していました」
「へえ……」
他人事のように間の抜けた返事をする。
「でも、タイトルを忘れていたんです。図書委員の方を捕まえて、必死に手振り身振りを交え、内容を伝えていました。そこそこ有名な本だから、知ってるはずだって。それを見ていた私はすぐぴんときました。私、その本知っています、と告げました。でも滑稽ですよね。私も内容は思い出せても、タイトルは出てこなかったんです」
徐々に思い出してきた。その日のことを。
「ふたりで説明しているうちに、あなたは主人公を演じ、私はヒロインを演じていました」
日だまりの中で、彼女は舞って、俺はその身を抱いた。
拙《つたな》かったけど、愛の感じられる演技だった。
「そうか、あんただったのか」
最後には拍手の中にいた。数は少なかったけど、暖かな拍手だった。
「実はさ、本番のヒロインより、ヒロインらしかったと後で噂になったんだ」
「嘘ですよね?」
「ほんと」
俺がそう答えると、目を線にして笑ってくれた。
「私は演劇、好きですよ」
冷え切った俺の心まで温かくなる。
「セリフ覚えてる?」
「はい」
「じゃ、ディナーショーにしてやるか」
立ち上がった俺を、少年がきょとんとした顔で見上げている。
「俺が一番好きなものを見せてやるよ」
「でも、まだなにか足りないですね」
俺に続いて立ち上がった後、彼女はそう俺の文句を真似てみせた。
「さて、なんでしょう?」
「なんでしょう?」
俺と男の子が同時に返す。
「雪」
彼女の答えに俺は眉をひそめる。
「冬の物語ですから」
「いや、いくらなんでも、それは無理だろ……」
「きっと、叶いますよ。だって、特別な夜ですから」
その無垢な目を見ていると、本当にそう信じたくなる。
俺はひとつ頷いてから、客席に向く。そして胸に手を添えて、敬礼をする。
彼女も同じようにした。
物語の始まりだ。
彼女の手を取る。
図書室にできた日だまりの温度を思い出して、俺は思わず微笑する。
あ、と男の子がに一際白い息を吐いていた。
空を向いていた。
俺たちも見上げる。
ああ……本当に……。
なんでも叶う夜だった。
おわり
CLANNAD Official Another Story 光見守る坂道で
特別編「古河ベイカーズ再結成!?」
麻枝准
原作 Key
イラスト ごとP
特別編 古河ベイカーズ再結成!?
恋愛AVG『CLANNAD』のサイドエピソードを、オリジナルスタッフがつづる
公式アナザーストーリー『光見守る坂道で』。
G's本誌でおなじみの連載企画が、出張版としてFestival!≠ノ登場だ。
この特別編は、連載開始時から麻枝氏の構想の中にあった
爆笑エピソード草野球編≠ノ続く物語。
Festival!≠セから実現できた、お遊び外伝ストーリーを堪能してほしい。
古河秋生を中心に結成され、隣町のチームと激闘を
繰り広げた伝説の球団古河ベイカーズ=B
一度は解散した彼らだったが、その前に新たな敵が出現し……?
さらなる戦いが、ここにプレイボール!
1球目 〜1ストライク〜
「てめぇ、野球しねぇか」
声。すぐ正面。
見覚えのある男が立っていた。忘れるはずがない。
「うわっ、草野球の男っ」
春原が隣で声をあげ、腰が引けるように俺の後ろへ隠れた。やれやれ、と思いながら俺は言い返した。
「前にしただろ」
「もう一回だよ」
「やだね。あれはあれで楽しかったけどさ、疲れた。二度とする気おきねぇや」
「そんなこと言ってもいいのかねえ」
「罰ゲームは前の野球で終わってるだろ。まだ続いてるなんてずるいこと言うなよ」
「岡崎っ、この人に逆らうとやべぇよっ」
春原が後ろから言う。どうでもいいが、うっとうしいので腕を引っ張るのは止めて欲しい。
「おまえ、超ビビリな。アレがついてるなら、少しは言い返してやれ」
「あ、ああ、てめぇっ、お手柔らかに頼みますっ!」
「ふん……」
鼻で笑った後、取り出すは、一葉の写真。
「……これ、ばらまかれたいかい」
「ああっ、ぜんぜんお手柔らかじゃない雰囲気っ!」
「なんだよ、それ」
「てめぇらが、女子がプールに入っている隙に下着を盗もうと更衣室に入っていこうとしてる写真」
「え……?」
まったく身に覚えがない。
「見てみるかい」
俺は投げつけられた写真を拾い上げる。
更衣室のドアを開けている春原と、その後ろにそっぽを向いて立っている俺が映っていた。
「うん、確かに更衣室だ。入ろうとしてるねぇ」
春原が脇から。
「これ、俺、関係ないじゃんっ」
「てめぇらの仲は周知の事実だ。見張りをしてるようにしか見えないだろうな」
「ぐあ……てめぇっ、なんで俺の知らないうちに、下着なんて盗もうとしてんだよっ」
怒りの矛先を春原に向ける。
「いや、してないよっ、この時は、中から誰かに呼ばれたから開けてみただけだって!」
「なに……」
苦々しく、オッサンのほうを見る。
その口がにやりと笑う。
「古河ベイカーズ、招集だ」
2球目 〜1アウト〜
「こんな受験シーズン真っ盛りな時に付き合ってくれるお人好しなんていないわよ」
杏が一蹴。傍らで開いていた参考書から目も離そうとしない。
「えーっ、それじゃあ、僕らが校内で変態呼ばわりされちまうよっ」
「おまえなんかいいじゃないかよっ、俺なんて変態じゃないんだぞっ」
「僕だって変態じゃないよっ!」
「ええ〜っ」
「そこ、ええ〜っ、言うなっ!」
春原がキレかけたところで、杏は溜息を吐いてから顔を上げた。
「で、どうするの、集めてみるの?」
「やんないと、俺まで変態だし。おまえはどうすんの」
「まあ、他のメンバーが集まったらやってあげてもいいけど」
「じゃあ、付き合ってくれよ。こいつとふたりで頼んで回っても、望みは薄そうだ」
俺は素直に頭を下げた。杏は仕方なさそうに肩をすくめ、参考書を鞄に仕舞った。
「よし、いこうぜっ! こういうの、ドリカム状態って言うんだよね、ヘヘっ」
「キモイこと言わないでよ……」
3球目 〜1ストライク 1アウト〜
「すんげぇ忙しそうなんだけど」
生徒会室、中心に机をまとめ、6人の男女が向かい合っていた。様々なプリントが机を埋め、それぞれが何かを言いながらもメモを取る手を止めようとしない。
「なんだ、きみたちは?」
その中のひとりがドア越しに覗き込んでいる俺たちを見て訊く。
「智代ー」
教壇を背にして座っている智代に向かって、俺は手を開いてみせた。
「なんだ、おまえたちか。どうした?」
「おまえに話があるんだ」
「そうか。悪いが、今、話し合いの最中なんだ。待っててもらえないか?」
俺たちは教室の隅にしゃがみ込んで、話し合いが終わるのを待つことにする。
あの日、草野球を共にしたメンバーはこうして、それぞれの日常に戻っていった。
今はもう、道も目標もばらばらなんだ。今また、一瞬だけでも、その道が交わるのだろうか。
「……で、次の議題に移るわけだが」
智代は手元にあったプリントをめくった。
「生活指導より最近、校内が汚いと苦情がきている。生徒会で対策を打てとのことだが、何か意見はないか」
「はい」
眼鏡をかけた男子生徒が手を上げた。校章から二年生とわかった。智代は無言で頷く。
「質問なんだけど、どこが汚いって言ってる?」
「裏庭、グラウンド、三年生の教室及び廊下、学食と出てる」
智代がメモを読みながら言った。
「そしたら、相当場所のクラス担任に言ってもらうとか」
「それくらいすでに言ってるだろう」
別の学級委員が言う。
「生徒会主導で放課後、チェックを行うとか」
「副会長、できるか? なんなら私と副会長で回ってもいいと思うが」
智代が傍らに座ってノートを取っていた男子生徒へ促した。
「できなくはないけど、掃除の時間内にしなきゃ意味がないと思うよ。綺麗にするんじゃなくて、掃除をしてもらうのが目的なんだからね。でも、僕たちも掃除しなきゃいけないんじゃないかな」
シャーペンをくるくると回しながら副会長が答えた。若干の間を空け、副会長はこう付け加えた。
「誰かがチェックしないと、同じことが起こるからさ、各クラスの美化委員とかに回ってもらうのは? 各クラスで一人ずつなら無茶な案じゃないし」
小難しい話し合いが延々と続いていく。
「そういやさ」
俺は思い出したように、隣の春原に向けて呟く。
「おまえ、なんか集めてたよな……あれなんだっけ」
「え? なんのこと?」
「ほら、コーヒーについてるシール。集めると、なんかもらえるんだろ?」
「ああ、ウルトラカッコイイロゴの入ったジャンパーが当たるんだ。あれ着て登校したら、やばいね、モテモテだよ」
「もう応募したのか?」
「もうがんがん送りまくってるよ。学食で売ってるコーヒーだからさ、探せばいくらでも見つかるんだよね。裏庭、グラウンド、三年生の教室及び廊下のゴミ箱はそりゃ漁りまくったね、毎日のようにさ。まだやってるよ。なに? シールくれるの? ラッキーッ……ごぶうぅぅっ!」
杏が顔面のへこんだ春原を、生徒会の連中に突き出す。
「はい、犯人」
「というわけなんだが」
話し合いが終わった後の生徒会室で、俺は智代に事情を話した。
「そうか、それは不憫だな。確かにおまえは、そういうことをしそうにない」
「だよねっ」
「おまえはしそうだ」
「ええ〜っ!」
春原には目もくれず断言。
「だが、この話、何か引っかかるな」
智代はそう続ける。
「なにが」
「あの男……そんな卑怯な手を使ってまで、私利私欲を満たすような人間には見えなかった」
「ああ、それには同意だわ」
杏が賛同し、俺も頷いた。
「そういやさ、あの人、別れ際、異常なぐらいむせてたよね」
智代が大きく目を見開いて、春原を驚いたような顔で見る。
「病気……か?」
「だったら、気管……肺だねえ」
「そういや、ヘビースモーカーだもんね……」
「若く見えて、結構歳いってるんだよね……」
「いや、ちょっと待て、それはなんでも飛躍しすぎじゃね?」
「でもなんだか嫌な予感がするんだ……」
「じゃ、娘の古河にそれとなく訊いてみようよ」
「おまえのそれとなくは恐らく、恐ろしいまでにストレートだから、女性陣に任せろ」
4球目 〜2ストライク 1アウト〜
B組へとって帰ると、ちょうど下校しようとした古河を捕まえることができた。
「みなさん、おそろいでどうしたんでしょうか」
「野球しようぜ!」
「おまえ主旨変わってるし、おまえが訊くなって言ってるだろ」
智代が一歩前に進み出る。
「おまえの、お父さんはその……お元気か?」
微妙な笑みを浮かベて訊く。
「え、お父さん、ですか」
言いよどむ。とたん、緊張が走る。
「ここのところは、どうも調子が悪いようです。風邪でもないのに、よく咳き込んじゃってます。でも、大丈夫だ、このことは誰にも言うなって……あ、言ってしまいましたっ」
「うわああぁぁ――っ!」
春原が悲鳴をあげて、俺たちの肩を抱き寄せ、古河から引き離す。
「やっぱりそうだよっ、隠してんだよっ、重い病気なんだよっ」
「それでも野球をしようってことは……」
「やっぱり最後に好きなことを……この町、最強のチームで……」
「あるいは、娘の目に自分の勇姿を焼きつけておこうと……」
「前の試合は、すぐベンチだったからなぁ……」
「だったら素直に頼めばいいのに……こんな卑劣なやり方をしなくても……」
「ああ見えてさ………照れ屋なんだよ……」
「やべ、僕、泣きそうだよっ」
「泣くなっ、嘘を突き通させてやるんだっ」
「わかったよ、僕、最後まで笑ってるよ……」
「古河ベイカーズ、最後の試合だ……俺たちは最後までチームメイトだ……あの人のな」
手を合わせて、一致団結。
5球目 〜2アウト〜
俺と智代と杏は、学生寮の美佐枝さんの部屋へ。
「やーよ、忙しいもん」
「この通りだっ!」
智代が頭を下げる。
「ダメなら、土下座だってするっ」
「わあ、だめっ、女の子がそんなことしちゃダメだって!」
「じゃあ、引き受けてくれるのか……?」
「引き受けないわけにはいかないじゃない、もう……」
春原と落ち合う。
「芽衣ちゃんはどうだった?」
「芳野さんが来るんだったら、来るってさ」
「相変わらず、兄の威厳0だな」
夕日が山の陰に隠れる頃、俺たちは駅前で叫んでいた。
「よ・し・の! よ・し・の! って、女性陣さぼってんじゃねーよ!」
「う、悪いけど、辞退……」
「てめぇ、人の命がかかってんだぞ……旅の恥なんてかき捨てろ!」
春原が熱く吼えた。
「他に方法あるでしょ、普通に考えたらさぁ……」
「あと、ことわざの使いどころ間違ってるからな」
「これ以外方法はねーんだよっ! ほら、人手が足りないんだから、手伝ってくれよ!」
「やるしかないのか……」
「こうなったら、ヤケね……」
「よ・し・の! よ・し・の!」
手拍子と共に芳野コールを連呼し、町を練り歩く不気味な男女4人組。
やがて、春原の体がひょいと持ち上げられる。
その先には、芳野祐介の端正な横顔。
春原ひとり、芳野祐介のステージに迎えられたんだ……悔しいぜ。
「喧嘩売ってんのか、このやろおおぉぉ――――っ!」
違った。
「あ、芳野さん、探してたんだ……」
「人の名前を連呼しやがって嫌がらせかっ! お前に名刺渡してあるだろっ、事務所に連絡よこせ!」
「え……」
浮いている春原の背後に目を光らせる杏。
「今は止めない」
無慈悲な智代。杏が大きく振りかぶる。俺は恐怖で目を背けた。
「うわあああああぁぁぁぁ……」
嫌々ながらも、芳野さんは駅前のベンチで俺たちの話を聞いてくれた。
「で、なんの用だ」
「やぎゅぶうぼぶべっ」
「腫れが引くまでおまえは喋るな」
「このメンバーだ、また野球だろ……お断りだ。おまえらみたいな学生じゃないんだ。仕事で忙しいんだ」
「わたしたちだって、受験で忙しいわよっ」
「だったらなんだっていうんだ」
「それは……」
「………………」
一同黙り込む、誰も目を合わせようとしない。
「なんなんだ、このしんみり感はっ、おまえらに一体何がっ!?」
「オッサンが……」
俺は苦々しく重い目を開いた。
「……もうすぐ死ぬ」
「なにぃっ!? あの古河パンの親父がか……!?」
「最後の思い出に……俺たちとまた野球したいんだって……あの人、それを選んでくれたんだ……」
「そうか……わかったよ……こんな俺でよければ、最後の思い出に参加させてくれ」
芳野さんは立ち上がり、目に光るものを浮かベながら語りだした。
「仕事なんてクビになろうがまた探せばいい。だが、かけがえのない時問は、二度と取り戻せやしない。俺は……かけがえのない時間をみんなと共に過ごすことを選ぼう……」
「ありがとう、芳野さん……」
6球目 〜1ボール 2アウト〜
いつもの通学路。
既に夜となっており、街灯に照らされた歩道を俺たちは歩いていた。
「これで全員揃ったな……よくもまあ、こんな時期に揃えられたもんだ」
「そうだねぇ、いい友達を持って僕幸せだよ」
「いや、おまえの人望で集まった奴はひとりもいないから、勝手に幸せを感じるな」
「あれ……」
俺が突っ込んだところで、杏が不穏な声をあげる。
「人数おかしいことない? 古河さんのお父さん入れて、数えてみてよ……」
「あ……」
杏の言葉に春原が気づく。
「11人いる!」
「どこをどう数えたら11人もいんのよっ!」
「えぇ? 僕と岡崎でしょ、杏、智代、芳野さん、美佐枝さん、芽衣、斉藤、古河のお父さん、なんだ、ちゃんと9人じゃん」
「斉藤って誰よ……」
「あ、あいつはメンバーじゃなかったのか……じゃあ……あれ? ひとり足んないよ!」
「古河は?」
「あれはお父さんと交代だったから、スタメンにはいなかった」
「じゃあ、もうひとりは誰なんだ?」
「まぁ、僕がいるんだしさ、後は人数合わせで、誰でもいいんじゃない?」
ぼかぁっ!
「いってぇなぁ! なんで殴られなきゃいけないんだよっ!」
「それ言ったら殴るって言ってあっただろ、すんげぇ前だけど」
「すんげぇ前だったら無効にしろよっ!」
「ん……なんだ、これは」
ひとり後ろを歩いていた智代が不意に声をあげて、立ち止まっていた。
「なになに、お、手裏剣じゃん」
その智代の手には、星形の彫刻のようなもの。皆で覗き込む。
表面にはマジックペンで文字が書かれていた。
「えーと……塩水に十分浸した後、撫でながら風子とお呼びください……?」
「なんだよ、そうすりゃ何かが召喚でもされるのか?」
バリバリ……ドゴ――――ンッ!
「うわぁっ」
曇ってもいなかったのに、突然目の前に稲妻が落ちた。
そこに人影。ゆらりと振りかえる。
「風子……参上」
「いや、まだ塩水に浸してないし、撫でてないし、呼んでもない……」
「これは失礼……早とちりしました……インパクトある登場シーンが台無しです……」
「あ、そ」
「遅いから、もう帰んなさい」
「はい。それでは……」
その姿が闇夜に消える。
「風子か……」
その名前を呟いてみる。
「あ、思い出した、あいつが最後のメンバーじゃん」
「そういわれてみると、そうだな。どうして忘れていたんだろ……」
「もう一回呼んでみようぜ」
「でも、塩水ないし」
「いや、かなり適当なので来てくれそうじゃん」
「風子ちゃーん」
春原が名前だけ呼んでみる。
バリバリ……ドゴ――――ンッ!
「風子……参上」
「ほらね」
「塩水いらないなら書くなよ……」
「風子ちゃん、野球する?」
「はい……なんとなく楽しかったので、またやってみたいです」
「オーケー、また呼ぶよ」
「それでは」
また姿を消す。
「どーでもいいが、すごい友達がいるな、俺たち」
7球目 〜1ストライク1ボール 2アウト〜
こうして、またあの日と同じメンバーが揃う。
オッサンの最期の試合を飾るために。
その日はどこまでも続く青い空。
それを遠くまで見渡せるグラウンドに、俺たちは会していた。
……たくさんの小学生と共に。
「あー、この人たちがコーチ。それぞれのポジションを教えてくれるからなー」
オッサンは拡声器を使い、そう俺たちを紹介した。
「えっと……これってなに?」
杏が俺の脇をつつく。
「んーと……もしかして、あれ?」
春原が背後に立つ黒板を肩越しに指さす。
そこには、第一回古河野球教室の文字。
「あー……試合じゃなかったんだ……」
「でも、これがあの人の最後の夢なんだ……そう考えると泣けるよ……」
しかし……最後の夢に、第一回って書くだろうか……。
それにすごく元気そうだ。
揚々とトスバッティングを始めている。
「ばーか、大きい声出すんじゃねえっ!」
病気のことを訊いた俺をオッサンはグローブで口元を隠して罵倒する。
「ありゃあ、早苗のパンのせいだ……」
目の端には、レジャーシートを敷いて声援を送る健気な早苗さんの姿。
「今は無事だが……そんな姿バレたら、私のパンは副作用付きなんですねーっとか言って、また泣き出されちまうだろ……だから俺ひとりで処分しておいた……」
ぽかーん。
オッサンは清々しい顔でグラウンドを見渡す。
そこでは、すでにメンバーたちが、子供たちに守備を教えていた。
「どうやったか知らないか、よくあの日のメンバー集められたな。よくやった、おまえはファーストか、コーチ頼むぜ」
ぽんっ、と背中をグローブで叩かれる。
ああ、なんだろう、この感覚。
俺は忘れかけていた。
含み笑いでそれを噛みしめた後、俺はグラウンドでコーチングするチームメイトを端から眺めていく。
オッサンの病気はみんなの思い過ごしでした、なんて今更伝えたらどうなるか考えながら。
「とりあえずファーストに投げてみろ。間に合うかもしれない。それをセンターゴロというんだぞ」
「目をつむって、適当にえいっと飛んでください。そうすれば、グローブに入ってます。そんなもんです。なめてかかってください」
「ボールは真心だ。真心を受け取り、相手に手渡すと思え」
「後ろにそらせたら殺される……キャッチャーてのそういう生死をかけたポジションなんだよ。ビビリは帰りな」
きっと、何も変わらない。
一斉にコケて、そして笑い合った後、またそれぞれのポジションに戻っていくんだろう。
いいや、ほっとけ。
グローブを拾い上げ、ファーストキャンバスに向かう。そこにはたくさんの子供たちが待ち受けている。
「わりぃ、持たせたなーっ」
見上げれば舞う白球と青空。
そして、あの日と同じ匂い。
おしまい
スタッフより
麻枝准……次は、G's本誌にて、秋生と早苗の過去を前後編で書くつもりです。が……期待が高い分、それにこたえられるかプレッシャーが……(汗)。おもしろそうなだけにおもしろく書くのは難しいです……。そして、読者のみなさま、いつか、渚と汐と朋也のフィナーレを書きますので、そこまでおつきあい願えれば幸いです。引き続き応援のほどよろしくお願いします!
魁……最近朝がすっかり寒くなって、起きるのがつらくなってきました。そんな中、みなさんのハガキやイラストを見ると元気が出ます。これからの予定は……杏、椋と続いたので次はボタンですかね(笑)。杏との出会いか、ボタンの目から見た日常か……。気力、体力が続く限り、みなさんの伺待にこたえられるようがんぱります。これからもよろしくお願いいたします。m(__)m
ごとP……ども、イラスト担当のごとPです。この半年、クラナド漬けになって描き続けてきましたが、いまだにキャラの魅力を引き出しきれない未熟さを痛感する日々であります。しかし、本誌連載だけでもヒーヒー言ってるのに増刊号ですって? ビックリですよ。おかげでまだゼシカさんに会えないですよ。どーしてくれるんですか。それじゃ予約したDS取りに行ってきまーす。