[#表紙(表紙.jpg)]
涼しい脳味噌
養老孟司
目 次
T
残された唯一の自然
人体の博物館
日本の思想
プラスティック人間創世紀
殴るとはどういうことか
人形とはなにか
言語とはなにか
日本語の特徴
手続きはなぜあるか
正しいとはどういうことか
差異の体系
構造とはなにか
タバコという文化
量は質に転化するか
だれが脳死を決めるか
死体の市民権
死体は誰のものか
個か普遍か
自 殺 装 置
臨 死 体 験
キリストの足跡
金とはなにか
昔の人にあらず
いちばん偉い人
権力とはなにか
環境問題の解決
女は怖いか
脳 と 電 脳
図を描く機械
世代的少数派
若い人たち
分化・人間・都会
クジラの正義
タヌキとはなにか
不思議な話
ハチの一生
虫が好かない
ゴキブリ殺しの文化論
脳ミソください
私 の 専 門
変わるものと変わらぬもの
大 学 物 語
解剖学と教育
初等教育に欠けているもの
ミステリー談義
手塚治虫の生命観
U
要するに、ノイローゼ
運 動 小 説
無慈悲の人、養[#(フ)][#レ]老[#(ヲ)]
思想と文学
ゆく河の流れ
身体論は花盛り
江戸の心身論
江戸の心身論 その2
死にかけ体験
インテレクチュアルズ
ロビン・クックの小説
スティーブン・キングの恐怖
認知科学の本
無益にして不確実なるデカルト
谷崎を読む
芥川の身体観
剣の精神誌
親指のマリア
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T
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残された唯一の自然
最近報道が下火になったが、「真理ちゃん事件」というのがある。犯人が被害者の親に骨を送りつけてきた。こういうときに、なぜか新聞社から私のところにも電話がかかる。「重すぎるから本人の骨ではないという説が出てるんですが。ヒトの骨の重さはどのくらいですか」。私は突然機嫌が悪くなる。別に記者の責任ではない。こちらの都合である。つまり、本人の骨でない可能性があるとすれば、その骨には、それなりの出所がなければならない。わが教室ではないだろうな。
こうなると、電話どころではない。ケンもホロロに電話を切って、じっくり考える。だれが、どうやって、骨を持ち出したか。考えてみると、そんな可能性はいくらでもある。年中こうやって怯《おび》えている。
私どもの大学の解剖室は、すでに五十年を経た建物の三階にある。昔はエア・コンなどという便利なものはなかった。だから、解剖中に窓を開け放す。さもなければ、薬品と死体の臭いがこもって、健康に悪い。一階に解剖室があると、こんなことはできない。外を通る人が卒倒する。
しかし、三階にあればあったで、頭が痛い。解剖室で大勢の学生が解剖している。一年生だから、どんな変なのが混じっているか、まだ不明である。なにしろ新人類、宇宙人である。メスを包丁みたいに握っていることなど、驚いていられない。切り離した腕を、窓から放り出したらどうするか。それに当たって、死ぬ人がいるかもしれない。死なないまでも、管理不行き届きでクビ。私をクビにするのは、訳はない。私が乗っていた電車に、すれ違った電車から飛び降り自殺した人の足が飛び込んだことがある。その足に当たって亡くなった人がいた。嘘みたいだが、本当である。
とにかく、血の気の多い若者が、刃物を振り回す職場である。喧嘩《けんか》を始めたらどうするか。「いまは昔」になったと思っておられるだろうが、大学紛争の頃は、それが真面目に心配だった。解剖室で喧嘩を始められたら、新しいのが増えて、死体の数が合わなくなる可能性がある。若い死体は欲しいが、これではいわゆる有難迷惑である。
私どものところくらい、管理不行き届きに成りやすいところはない。だから、年中事件として報道される。古くは、野犬が人の腕をくわえていたという事件があった。某国立大学が腕の出所だった。犬が入ってくるような建物に、解剖学教室があるのは、だれの責任か。廊下に骨が置いてある、と問題になった大学もある。骨をどこに置くかは難しい問題である。古来、骨の置き場といえば、墓場に決まっている。墓でないところに骨があるのだから、どこに置いたって「問題」といえば問題である。
一年半ほど前に、写真週刊誌にお棺がずらっと並んでいる写真が出た。解剖が済んだ遺体である。これは並んでいて当然である。放置しているわけではない。火葬場というのは一度に大勢焼くようにはできていない。一体焼くのに、小一時間かかる。われわれは朝七時頃から行って、火葬場の最大限度の数だけ、つまり六、七体だけ一度に焼いてもらう。朝の八時に葬式をする人はいないからである。その後の時間は、一般のお葬式が待っている。大学の都合で、一度に大勢遺体が出たからといって、ほかの人の葬式を待て、というわけには行かない。この週刊誌が訂正記事を出したという話は聞かない。人の噂もなんとやら、である。こちらとしては、ホトボリがさめるのを待つしかない。
私は大江健三郎氏の小説は読まない。とにかく、年中電話がかかる。「死体洗いのアルバイトがあるそうですが」という。犯人は『死者の奢り』である。これはやむをえず読んだ。大江氏に芥川賞を出した文藝春秋社にも責任がある。私の原稿料を上げろ。
死体洗いのアルバイトは報酬がいい。そう思っているらしい。先日タクシーにのって、長道だったから、運転手さんと話し込んだ。勤続二十数年、医師の免許があって、東京大学に勤務している。給料はいくらだと思うと聞いたら、「サァ、月に百万か二百万の間かな」という。「年収で千万にならないよ」。そう言ったら、突然それはおかしい、と言いだした。「奥さんが可哀想ではないか、うちの息子は製薬会社に勤めて、三十四歳、年収千四百万だよ。それじゃアイツが五十になったらどうなるのさ」という。そんなこと、私は知らない。親分がそれだから、いくら洗ったところで、死体は金にはならない。金になると疑っている人が、時にあるらしいから、念を押しておく。
六月号(一九八九年)の「文藝春秋」に、解剖関係の「告発」が載った。面倒だから紹介しないが、これもおかしな話である。
ノドもと過ぎれば、熱さを忘れるという。私の手元に、氏名不詳、住所不詳、性別の欄だけに男女いずれか、丸が付いている、そういう埋火葬許可書が数十枚あったのは、そんな昔のことではない。こういう人たちが生じたのは、いったいだれの責任か。私のところに来る以前には、こういう人たちも死体ではなかったはずである。
死体はなぜ問題になるのか。その理由は、一般の人よりは、まだしも私がよく知っているであろう。その根本は、死体がわれわれに残された唯一の「自然」だからである。人がいかに「進歩」を謳歌《おうか》し、すべてが人工物でできた宇宙船地球号に住んだとしても、そこにただ一つ、人工ではないものが存在する。それは人体である。一皮|剥《む》けば、人体は「異形のもの」に変わる。それは、すべての「文化」、すべての「進歩」を否定するものなのである。
[#地付き](一九八九年七月)
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人体の博物館
死体は気味が悪い。そう思う人が多いらしい。机の上に手だけが置いてあったら、たいていの人はギャッという。自分だって同じものを持っているくせに、なぜ不気味か。そういうことは、あまり議論の対象にならない。問答無用に不気味らしい。だから、解剖学という私の専門分野は、いわば問答無用の領域に編入されてしまう。お好きな方が、お好きなようにおやりになったら、いかが。
その結果、なにが起こるか。身体が紛失する。だれも真面目に考えないものは、無くなってしまうのである。現代の多くの問題、末期医療、臓器移植、脳死、これは身体が消えたために生じた。そう私は思う。
だから私は人体の博物館を作りたい。そこでは専門家ではない一般の人が、実際の人体に自分の手で触れることができる。テレビや模型ではいけない。人間の真の知識は、五感のすべてから入るものである。目だけ、耳だけからではない。それでは「擬似体験」に過ぎない。
人体博物館が必要なのは、じつは日本人が江戸期に身体を失ったからである。以来身体を失ったままだから、脳死や臓器移植をどう考えたらいいか、それがわからない。ないものについて考えるのは、むろん不可能だからである。それなら、これから身体を回復するしかない。それには、一般の人が人体に関する真の知識を得る必要がある。だから「人体にさわれる」博物館なのである。
江戸以前には、日本人にもちゃんと身体があった。「腹が減っては、戦ができない」。それが戦国である。戦いに勝てば、敵の首を取る。その首を、首実検のために洗う。ここでは身体は紛失しようがない。『名将言行録』によれば、北條氏康は、息子の氏政が飯に汁を二度かけたのを見て、あえて言う。「北條家は自分一代で滅びる。毎日食う飯にかける汁の量がわからないようでは、人の良否が見分けられるわけがない」。氏政は将たる器ではない、と言うのである。ここでは、身体が歴然とその存在を主張している。信長、秀吉ならともかく、江戸の将軍家たちの風貌、身体の特徴を言える人が、どれだけあるか。
身体のない江戸期に、身体にこだわった人たちがある。京都の医師山脇東洋は、宝暦四年(一七五四)、わが国ではじめて官許の解剖を行なう。こうして解剖が広まり、十七年後に杉田玄白はターヘル・アナトミアを懐に小塚原の刑場へ行き、解剖を見る。これが『解体新書』を生む。東洋は古方医であり、蘭方の医師ではない。古方医と呼ばれる医師たちは、「親試実験」をモットーとしていた。ゆえにわが国の解剖はもともとオランダ医学ではない。『解体新書』の成功もあり、解剖学の内容が西洋医学の影響を受けたこともあって、江戸末期の人ですら、すでに解剖を蘭方つまりオランダ医学と誤解していた。
解剖が蘭方になってしまったために、東洋のような思想は、西洋思想と混同されてしまう。しかし、「身体にこだわる」思想は、この国を支配する「身体を紛失させた」思想の解毒剤として、生じたに違いないのである。その解毒剤が、いまふたたび危うくなりつつある。そう私は思う。
「身体を紛失させた」思想とは脳化思想である。現代は情報・管理社会だという。しかしその真の意義が理解されているとは思えない。情報・管理社会とは脳化社会ということである。そこに存在するのは、脳の産物すなわち人工産物であり、言語、文化、伝統である。自然は排除される。その脳化は江戸に始まる。江戸期の身体の脳化はポルノグラフィーにみごとに表現される。枕絵には、生殖器が異常な大きさで描かれる。なぜか。それは身体が脳化したからである。生殖行為中に脳内で生殖器が占める、相対的な大きさを考えてみよ。それは枕絵に描かれたものよりさらに大きいかもしれない。ここでは脳の中における生殖器の比率が絵画に表現される。実際の身体は「ない」。
身体をいまでは徹底的に隠す。死体はただちに火葬する。それは、外部の自然の消失と軌を一にしている。脳は自然を排除するからである。なぜなら自然は統御できない部分をかならず含み、それは脳が目的とする「統御と管理」に反するからである。人体は人間が加工して作ったものではない。それは自然物なのである。だから現代から排除される。
こうして、われわれに必要なものは、人体の博物館だとわかる。そこでは一般の人が、実際の人体に「触れる」ことができる。これはいままで医学校の特権とされて来た。「知る権利」を主張する新聞が、これに異を唱えないのはなぜか、不思議と言うしかない。この博物館によって一般市民にはじめて身体が回復されるであろう。いまでは、卓上に置ける、実物から作った美しい人体標本が作製可能である。この技術をプラスティネーションという。この七月にハイデルベルクでプラスティネーションのシンポジウムが開かれる。
不快なものをなぜわざわざ見せる必要があるか。解剖された人体を見、それに触れることは、人心に悪影響を与えないか。「解剖のような野蛮行為は、人情酷薄な西洋でならともかく、この国で行うべきことではない」。これはじつは、山脇東洋の解剖に対する当時の代表的な反対意見だった。その意味では、東洋の時代から、われわれは一歩も前進していない。だからこそ、いまあらためて、人体の博物館なのである。
[#地付き](讀賣新聞 一九九〇年五月十五日)
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日本の思想
日本の思想には往生する。『日本の思想』と書けば、これはなんといっても、丸山真男氏の有名な書物。ただし、その結論らしきものは、「日本に思想はない」というもの。これでは、とりつく島がない。
教師が学生をなだめるときの言い方を使えば、丸山氏の「言いたいことはわかる」。考えてみれば、小林秀雄、福田恆存、近くは富岡幸一郎諸氏も、同じような内容は述べているのである。しかし、どこの世界に、思想のない社会、思想のない文化があるか。ためしに「日本に思想はなかった」という論文を、英文の雑誌に発表してみればいい。レフェリーからただちに訂正を要求されるであろう。「思想のない社会、思想のない文化はないはずだ」、と。
これで通るのだから、日本というのは、いかに面白い国か。これ自体が「日本の思想」でなくて、なにが日本の思想かと言いたくなる。丸山氏の思想こそ、その意味では、きわめて独自な「日本の思想」であろう。
自然科学というのは、世界中どこでも通用するものだ、という考えがある。屋根から飛び降りれば、上には上がらず、下に落ちる。これはニュートンの法則だというのである。しかし、ニュートンがなにを言おうが、世界中どこでも、足を踏み外せば、屋根から下に落ちる。どこでも通用する話を、自然科学と呼んだだけのことかもしれないのである。
日本の科学と言うと、なんとなくウサンくさく思われる。日本の科学は世界の水準にまだ追いつけていない。そうした言い方なら、別にウサンくさくはない。しかし、「日本の思想」と同じように、日本独自の科学という意味で使ったら、たちまちウサンくさく思われる。われわれの常識としては、科学は西欧のものであり、思想と同じように、この国には「ない」ものである。
テレビの記者がやって来て、西洋合理主義思想うんぬんと言う。ちょっと待ってくれ。西洋合理主義思想と言うなら、おたくの思想はなんなのだ。
言っている本人はまったくそんなことは気にしていない。丸山氏に従って「おれには思想などない」と思っているのであろう。それとも、日本の思想は東洋合理主義思想か。ここには、いまだに和魂洋才の伝統がある。自分の思想は「和魂」だと思っているらしい。あとは、輸入品の西洋合理主義思想。
これが如実に出ているのが、解剖学の歴史である。あちこちで言うのだが、なかなか通らないから、何度でも言う。解剖は漢方医が始めたもので、蘭方ではない。
江戸の末期にはもうそれがわからなくなっている。蘭方はけしからん。解剖などという残酷なことをする。西欧のような、人情酷薄なところでならともかく。そう言って、漢方医は蘭方医を非難したのである。
日本の官許の解剖は、宝暦四年、一七五四年、京都六角刑場における、山脇東洋に始まる。ということは、ほとんどの医学史の書物に載っている。それなら、東洋は蘭方医か。むろん、そうではない。古方医である。古方というのは、古典に帰れという運動から来た名だが、古典とはつまり、漢の張仲景による『傷寒論』である。それがどうして蘭方か。
以後、しだいに解剖が普及する。だから、東洋の解剖の十七年後、明和八年、江戸ではじめて小塚原の解剖が行なわれたのである。ターヘル・アナトミアを懐に、それに参加したのが、かの有名な杉田玄白。さらに三年後に、『解体新書』が出版される。こうなったら、解剖はもはや蘭方である。
東洋の思想はともかく、これ以降は、解剖は蘭方となる。このずるさがなんとも言えない。おかげで、死体を医療に使うことの是非は、議論されなくなった。そのつけが、脳死問題として、今日に回っているのである。
[#地付き](太陽 一九九一年四月号)
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プラスティック人間創世紀
プラスティック人間を作る、と言うと、すぐに模型を考えるであろう。そうではない。人体の水分を抜き、かわりに樹脂を入れる。樹脂が固まると、その樹脂で固まった人体ができる。むろん、この技術は、生きている人にはまだ使えない。死んだ人だけである。
水を含んでいないから、腐る心配がない。ホルマリンやアルコールに漬けた標本と違って、瓶の中に入れて、間接的に観察する必要はない。乾いているから、机の上にでも、そのまま置ける。ひっくり返すのも、虫眼鏡で詳しく見るのも、自由自在である。こんな便利な標本は、いままでなかった。
そんなものを作るより、模型の方がきれいでいいんじゃないんですか。これが、ごくふつうの人の反応。それに、実物はなんだか気持が悪いじゃないですか。
模型と標本の区別がつかない。これが人工物で覆われた、現代社会に住む人間の、いちばん悪い癖。テレビで戦争を見ていれば、戦争に参加したつもりになっている。
模型を虫眼鏡で見てごらんなさい。なんとも単調な、砂漠みたいなものが見えるはずである。自然の造形という意味では、砂漠の方がはるかにましであろう。標本はどこまで拡大しても、その材質は根本的には「自然」であり、模型は、どこまで行っても、その模型を設計した人間の頭の程度から出られはしない。現代の人間は「人工物」、つまり他人の頭の中に住んでいるから、それが皆目わからなくなっているのである。
「気持が悪い」と言うが、人体とは、自分の持っているものである。それがなんで気持が悪いのか。腕を一本、机のうえに置くと、たいていの人が逃げる。自分だって、腕を二本持っているくせに。
標本というと、なんだかありがたそうな、役にたたなそうな、そんな感じがするであろう。この国の人は、標本に対して、ふつう見世物以上の興味は持たない。いちばん大きな理由は、なぜ標本というものが必要か、それを理解しないからだと思う。
標本とは要するに骨董と似たようなものだが、それにしても骨董ほどは金にならない。そう思っている以上は、標本をどうやって作るか、それに興味があるはずがない。そもそも、なにを標本にしていいのか、それもわからないはずである。要するに、その価値がわからない。
骨董と標本はどこが違うか。たしかに似たようなものである。ただし、骨董なら「人工物」で、標本は「自然物」である。いまの世の中は人工的な世界である。ということは、人工物の世界なら、まだいくらかは理解するが、自然物はまったくダメだということである。東京の町を歩いてみればいい。人工物でないものが、どこにあるか。
価値がわからないのは、じつは骨董でも同じ。おバアさんが風邪を引いたときに、鼻紙を放りこむことにしていた壺《つぼ》が、骨董屋さんに持って行ったら三千万円で売れた、という話がある。話半分としても、標本にそういう話はない。価値があっても金にはならない。じつは、それは間違っている。化石になった動物の、良い標本を手に入れるために、博物館では、数千万円を出すこともある。骨董よりももっと、標本の価値がわからない人が、世間に多いだけのことである。
放っておけば草が生え、木が生え、みごとな自然が生じるのに、それを全部引っこ抜いて、芝を植え、ゴルフ場にする。そこにどんな貴重な動物が住んでいるか、まったく考えたこともない。おバアさんの壺と同じことである。ゴミ捨て場にしかならない。はじめからそう思い込んでいる。
飛行機から日本の地面を一度見てみればわかる。ゴルフ場の間に、町や村が散在している。ゴルフ場がむやみに増えるのは、ゴルフが必要だからではない。要するに、不動産投資の対象になるからである。こういう国で、金にならない標本が理解されるはずがない。
昔から人体や動物の標本と言えば、「ホルマリン漬け」にきまっていた。ホルマリンに漬けておけば腐らない。だから、標本として保存できる。ホルマリンではなく、アルコールでもいいのではないか。アルコール漬けというのもたしかにある。アルコール漬けと、ホルマリン漬けは、いったいどこがどう違うのか。こういうことを説明しようと思うと、つくづく面倒臭い。ということは、いとも簡単にホルマリン漬けなどと言うが、その理屈はあんがいむずかしいということである。
ふつうの人は、そもそもなぜホルマリン漬けにしてまで、標本をとっておかなくてはならないか、と思うはずである。ご存じのように、千年経つと、骨だって価値が出てくる。骨は持ちがいいから、百万年、千万年、五億年という単位で、形が残る。五億年以上古い骨はほとんどない。それは当然で、骨のある動物が、その頃やっとできたからである。
それでも身体の柔らかい部分は残らない。こういう部分については、いま生きている動物の身体を調べるしかない。ごくふつうにいるものはいいが、珍しいものはそう簡単に手に入らない。それで標本が必要になる。
人間だって、同じである。自分は平凡な人間だと思っているかもしれないが、こればかりは解剖してみなければ、わからない。生きているのだから、ほかの人とさして変わるまい。それはそうだが、顔を見てもわかるとおり、人間は一人一人違う。ガンと一言で言うが、ガンだって、一つ一つ違う。ひょっとしたら自分はとても珍しい人間かもしれない。そういう感覚のない社会では、人はある種の生き甲斐を失ってくる。自分が「かけがえのない」「この世で唯一の」個体だということに気がつかない。考えてごらんなさい。自分の体は、自分で作ったものではない。親が設計したわけでもない。これはまさしく自然の産物で、自然というのは人間がそう簡単に読み切れるようなものではない。似た部分ならともかく、自分の身体が他人とどう違うか、それをきちんと言える人があるか。
文化とか、伝統とかいうものは、じつは個人が必要ではない。私がいなくたって、日本語はちゃんと残る。「利休は死すとも、茶の湯は死せず」である。茶の湯は生きても、私は「死ぬ」。その私はどこに残るのか。私とはいったいなにか。
茶の湯が残ればいいという人は、それでよい。しかし、その考え方が「七生報国」の世界を生んだことは、年配の人はよくおわかりであろう。人間は一人で生きているのではない。しかし、同時に、人間は一人一人なのである。
プラスティック人間は、それを私たちに教えてくれる。安全第一、世の中乱れてはいちばん困る。それなら、はじめからプラスティック人間でいればいい。ものも食べず、口もきかず、余計なことは一切しない。こんな理想的な人間はない。
身体とはなにか。その身体でできている人間とはなにか。身体はどのようにできているのか。自分自身のことであるのに、われわれはそれを決して読み切れはしない。それが自然というものであり、人体はその自然の産物である。それをつくづく教えてくれる。それがプラスティック人間である。
[#地付き](QA 一九九一年五月臨時増刊)
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殴るとはどういうことか
プラスティネーションとは、耳慣れないことばである。しかし、すでに国際的にも認められている。これは、人体から水分を抜き、代わりにエポキシ樹脂のようなプラスティックをしみ込ませ、その樹脂を固めて、人体標本を作るものである。従来のいわゆる「ホルマリン漬け」に比較して、乾いているという特徴がある。そのために、机の上に出しておいても、まったく問題がない。たいへん便利な人体標本ができる。十年前から、技術は開発されているが、相変らずお金がない、場所がないで、私はまだ実行していない。本来はドイツで開発された手法である。
七月末に、ハイデルベルクで、これに関する国際会議があった。ここではじめて、全身のプラスティネーションという標本が展示された。解剖しかけの人体を、全体として固めたものであるが、普通の人が見たらサッサと逃げ出すであろう。一見、きわめて不気味なものである。内臓全体を固めたものもある。心、肺、胃腸などが、本来の位置と性状を保って、保存されている。全身を切片にしたものもある。五ミリの厚さで、人体を完全な切片にしていくと、背の低い人でも、約三百枚になる。それを全部つなげれば、もとの人体が得られる。こうした標本を使えば、いまではCTスキャンなどで見慣れた像を、実物で見ることになる。これは、実用上も、たいへん有効なものである。
こうして「プラスティック化」された人体は、取り扱いが簡単だから、展示に向いている。これを使って、私は人体の博物館が作りたいのである。ただ見せるだけではなく、自分で触って、細かい点まで調べてもらう。人体に関して、このようにして五感から入る知識を、われわれはあまりにも無視してきたのではないか。他のところでも述べているように、これが、臓器移植や脳死の問題について、一般の理解を妨げる、最大の障壁となっていると思う。骨にすら触れたことがない人が、「死体」からの臓器を「利用する」といった事実について、いったいどんな具体的なイメージが描けるというのか。
明治以来、わが国が不思議に成功してきた理由として、教育の普及が挙げられる。しかし、文字や視聴覚だけが教育ではない。昔から、文武両道と言うではないか。文が心だとしたら、武は身体である。その「武」が、この国からは、すっかり消えてしまった。もちろん、私は暴力のことを言っているのではない。暴力を本質的に担うもの、すなわち身体のことを言っているのである。
江戸の社会は、身体を消した。それはあちこちで論じたから、もう言わない。その身体が、いくらか復活したのは、明治に西洋文明が流入したことによる。だから、黒田清輝は裸体画を描き、物議をかもしたのである。もう一つ、明治以降、身体なしには済まなかったものがある。それは軍隊である。軍隊から身体を除いたら、軍隊にならない。「腹が減っては、戦にならない」。身体が消えたのでは、いかに頑張っても、特攻にもならないのである。
軍隊経験のある人たちが、異口同音に言うことがある。それは、軍隊とは、理由もなしに殴るところだ、ということである。いったい殴る、殴られるとは、どういう意味を持つのか。これを、サディズムだとか、いじめだとか、心理的に解釈する人は多い。これは、要するにわれわれが身体を欠く以上、すべてを「心理的に」解釈する癖を持つからに過ぎない。こうした心理的な解釈を、新兵が軍隊でとうとうと述べたら、やっぱり「殴られる」であろう。理屈にはなっているが、それだけのことだからである。
軍隊で「殴る」理由の背後には、「ここは娑婆《しやば》とは違う」という論理があったはずである。なにが娑婆とは違うのか。江戸初期以来の一般社会、すなわち娑婆とは、身体の欠けた社会である。その身体への意識がなくては、軍は成り立たない。だから「殴る」のであろう。殴られることくらい、身体の存在を「痛切に」意識する状況はない。あるいは、身体が実存することを、もっとも手軽に意識させるには、殴るにこしたことはない。だから、軍では、とくに新兵を殴る。いまの運動部だって、殴るくらいはするであろう。殴打に関するこうした解釈が、従来欠けていたこと自体が、この国における、身体観の欠損を如実に示す。そう私は思うのである。
人体博物館は、いわばこの軍隊における殴打を、もっと文化的な状況で実現しようというものである。殴る方が確かに安価ではあるが、現在の社会状況を考えたとき、この方策が効をおさめるとは思われない。文化というのは金がかかるものであり、面倒な手続きのいるものである。そうした「文化的」社会を作ってしまった以上、殴る代わりに、博物館くらいは作ってもらわなくてはならない。
だれでも言うことだが、それにしてもこの国で、いままで「無かった」ものを作るくらい、面倒なことはない。「いままで無い」こと自体が、ウサンくさいのである。いままで無いものが、これからも無かったところで、なにも問題はない。臓器移植反対の論理を聞いていると、その理屈がまともに出てくる。だから他のところでも、江戸までの日本人は、漢方医学でも滅びなかったのだから、なにも西洋医学をわざわざとり入れる必要がない。それでも論理としては十分に成り立つ。そう書いているのである。
一般にそういう性向があるから、西洋にはあります、といやでも言わなくてはならない。プラスティネーションの話などしたくはないが、これも西洋にはある。なくたっていいのだが、あると言わなければ、安心しない人がいるのである。
[#地付き](一九九〇年十一月)
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人形とはなにか
数カ月前、新聞を読んで珍しく仰天してしまった。アパートで嫌な臭いがする。アパートの管理人がその部屋を開けてみると、首吊り死体があった。いかに天下泰平だとはいえ、その程度の異変はさして不思議ではない。ところがこの管理人がこの死体を下ろして、ゴミの集積場に出そうとしたというのである。本人は「クサいのはこの人形のせいだから、ゴミとして捨てようと思った」という趣旨のことを述べたらしい。報道によれば、この管理人はお年寄りで、かなりボケていた可能性があるという。
なるほど人形というのはヒトをかたどって作ったものだが、ついに主客が転倒してしまったようである。人形の方に実体感があり、死体の方にはそれがない。したがって究極的には死体がむしろ人形となるらしい。ボケたらなにが起こっても当然だというのは、かなり安直な考え方である。たとえボケるにしても、ボケる順序というものがある。死体と人形が転倒するというのは、つまり人形の方が本質的で死体の方が疎遠だということである。われわれは自分に疎遠なものから忘れていく。とすれば、この事件自体はいまの世の中を象徴している。人形は日常見かけるが、死体はめったに見かけないからである。逆に私がボケたら、珍しい死体だと称して、人形の方を解剖したがるであろう。
西洋人は身体について、われわれとまた違った見方をする。かれらの「排除」は「クサいからゴミに出す」というよりは、もう少し理詰めである。言ってみれば、右の人形の話のように牧歌的ではない。スイス人の同僚にレマン湖のほとりで夕食を御馳走になったことがある。食事をしながら、この教授は熱心にこんな話をする。
ある医学生が気がついた。自分は女に性的に惹《ひ》かれるらしい。これはきわめて不道徳なことではないか。この結論に異論のある人もあろうが、なにしろ名だたるカルヴィンの国であるから、土地柄としては止むを得ない。しかし、なぜ自分は女に惹かれるのか。それは副腎が性ホルモンを分泌するからである。ここでかれが、なぜ睾丸の責任を除外したか、その理由はわからない。ともかくこの医学生は、そこまで考えて、教科書を見ながら自分で自分の副腎を切除する手術を敢行する。しかしさすがに最後まではやり切れず、壮挙半ばにしてついに救急車で運ばれた。そういう話である。だれが救急車を呼んだかは、聞き漏らした。
こういう世界は、要するに脳の優先する世界である。倫理は身体にあるのではない。脳にある。もし倫理が身体に作りつけであるなら、だれも苦労はしない。腹が減ったら物を食べるように、おのずから善が行なわれるであろう。そうは行かないことはだれでも知っている。
ところが脳は身体の一部であり、身体は自然の一部なのである。われわれはその自然の、統御可能である一部分だけをとり、それを世界だとしてしまった。それが脳の作る世界である。人形を死体だと思う老人も、道徳は副腎に左右されると信じる医学生も、つまりはその犠牲者である。どんな世界も、それなりの欠点は持つであろう。しかし、その欠点を具体的に担うのは、その世界のだれかである。自分でその罪がないと思う者だけが、石を投げればよろしい。
幼女誘拐殺害事件の犯人は、ビデオに夢中だったらしい。この犯人にとっては、ビデオが現実になったと報道されている。しかし、そう表現したのでは、おそらく不十分である。人形が現実か、死体が現実か。ここには、何度も言うように人工物と自然物との逆転がまずある。それはすなわち、脳と外界との転換でもある。いまではわれわれは、自然が現実であるような世界には住んでいない。自分たちがそれを嫌ったのだから仕方がない。暑ければ冷やし、寒ければ暖める。その基準はなにか。それは脳である。暑い寒いを決めているのは脳だからである。いまでは脳だけが現実になった。この若者だけ「現実が逆転している」わけではない。
この若者の行為だけをとり上げれば、それが「異常だ」ということになる。しかし、本当に異常なのはどこか。それは数千本に達するというビデオである。その中に住むことができるという、そのことである。どんなに「異常な」人であっても、健康な部分はかならずあるはずである。この若者の「異常な」行為は、ビデオの世界が現実となったからであるとすれば、むしろ正常に戻ろうとする行為だと言うべきであろう。きわめて異常な背景の中では、異常な行為そのものが正常さゆえに生じる。現実でない世界を現実だと信じた若者にとって、現実世界への唯一の可能な出口が、われわれには異常と思える行為だったかもしれないのである。そこで初めて、この若者は「現実」の世界を体感した可能性がある。それが幼女の死体であったと言うのは、あまりにも理屈が合いすぎて、私はこれ以上考えるのも嫌である。その意味では、こうした出来事は十分に予測されたからである。
われわれがもはや忘れてしまったのではないかと思われる世界がある。そこでは、兵士が赤ん坊を投げ上げ、落ちてくるところを銃剣で受けた、そういう話が伝えられている。それが事実であったかどうか、私は知らない。しかし、そこに多くの残虐と思われる行為が見られたことは確かであろう。それをわれわれは状況のせいであると見なす。それなら今度もまた状況であろう。その状況をだれが作ったか。今度もまた、それが「だれか」、わからぬ「ふり」のままに時は過ぎて行く。行為は直接の主体を非難すれば済むからである。この事件が敗戦記念日の頃に「偶然に」片づいたのは、はたして偶然なのであろうか。
[#地付き](一九八九年十月)
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言語とはなにか
犬山の京都大学霊長類研究所からチンパンジーが逃げた。アキラという名である。本人には(本猿には)、自分で逃げ出すほどの才覚があったわけではないらしい。新聞記事によれば、同僚のアイという秀才(才猿)が、なんらかの方法で檻《おり》のカギを手に入れ、アキラを出してやったという。
逃げたアキラは、近所で農作業中のおバアさんを驚かし、このおバアさんは転倒してケガ。小学生が一人、脇腹を噛《か》まれて二週間のケガ。職員の話によると、アキラは「これまでおとなしい性格で、扱いやすかった」という。「まさか、あのサルがそんなことをするとは」。これは日頃アキラを知る近所の人の話。というのはウソ。
チンパンジーはどのくらい利口か。この判断が案外むずかしい。人間でもそうだが、利口かバカか、その見分けが間違いなくできれば、見分ける方が相当の人物。さらに進んで、本人がバカのふりを完全にこなすようになれば、これぞ大人物。古来そういうことになっている。
世の中は「相当の人物」ばかりではない。だから、チンパンジーの利口(バカさ)、それを「客観的に」知ろうとしてさまざまな訓練をする。
知能とはもともとあるものだから、訓練というとなんとなくおかしいが、要するに「客観性がある」と人間が納得するような知能の証拠を集めたい。そこで特定の作業を訓練してやらせ、どこまで進歩するかを見る。たとえば言語を教える。
こう言うと、納得する人も、納得しない人もあるだろう。サルがヒトの言葉を話すわけはない。いや、オウムにできることが、チンパンジーにできないはずがなかろう。じつは、それができないのである。いまではゴリラやオランウータンを尻目にかけ、類人猿ではチンパンジーがヒトにいちばん近縁と考えられている。その高貴なチンパンジーが、じつは話せない。なぜか。それはよくわからない。ともかく、事実話せないものは仕方がない。
そこでアメリカ人が手話を教えることを思いついた。そうすると数十の単語を覚える。ところが、チンパンジーというのは、ご存じのように躁病的である。落ち着きがない。手話というのは手まね身ぶりだから、躁病のチンパンジーが使うと、余計な動作が途中に挟まる。「雑音」が入る。そこで人によっては、たとえばプラスティックの小片と黒板を使う。プラスティックの小片の裏には磁石がついていて、黒板に簡単にくっつけることができる。小片の色や形を変えて、それを「単語」として使う。赤い丸はアイ、白い丸はアキラ、黄色い四角はバナナといった具合である。ここで緑の三角を「与える」という動詞に決めるとすれば、「赤丸─緑三角─白丸─黄四角」と並べると、「アイ─与える─アキラ─バナナ」ということになり、英語風の「文章」が完成する。
いきなりチンパンジーにこんな文章は教えられない。それぞれの単語からまず教える。バナナを見せ、いくつかの異なったプラスティック小片を置き、たとえばアキラが、その中から黄色の四角を持ってきた時だけ報酬を与える。これを繰り返すと、やがてアキラは、「黄色の四角こそ、なにを隠そうじつはバナナである」、そういう約束事を飲み込むようになる。
万事この調子だから、教えるといっても容易ではない。金もかかれば手数もかかる。こんなバカなことをする人間の動機が理解できず、それに悩んで学習が進歩しないチンパンジーだっているかもしれない。ともかく現在のやり方では、言語を教えると言っても、それは視覚言語のほんの一部である。それでも、いちばんの才猿になると、右のようなやや長い「文章」でもなんとか構成できる。では、本人はこの「文章」をどの程度理解しているか。
アキラに次のような文章を作らせる。「養老─与える─アキラ─バナナ」。いちばんの才猿なら、大丈夫できる。こういう文章なら喜んで作る。ところで、この文章をこう変えてみよう。「アキラ─与える─アイ─バナナ」。これを繰り返すと、アキラの機嫌が悪くなる。プラスティックの小片を荒っぽく黒板に叩きつけ、アキラを示すプラスティック小片を取ってきて、それを用意してあるバナナのそれぞれに強く押し付ける。これはアメリカの実験で事実生じたことである。この場合には、アキラにはかなり話がわかっていると考えざるをえない。自分がバナナをもらう話ならいいが、他人にバナナをやる話は気に入らない。誰かに似ている。
チンパンジーに言語を教える話にはいささか変なところがある。野生つまり自然の状態で、チンパンジーにヒトの言語はない。それにヒトの言語を教えようとするのは、要するに天然にないものを強制することである。それが成功したとして、生じたものはいったいなにか。チンパンジーの言語か、やっぱりヒトの言語か。つまりここでは、言語というある意味ではわかり切った概念を、あらためて考え直す必要がある。ほとんどの人にはそんな暇はない。だからチンパンジーの言語の話はわかりにくい。
じつは専門家でも、かなりおかしなことをやっている。アメリカ式手話を教えると言ったが、これは要するに英語である。右に出た例でも「誰かが誰かになにかを与える」とすれば日本語の語順になる。どちらがチンパンジーにとって自然か。こうした考え方をすると、ほとんど無限に問題が出てくる。そのあげくに最後に戻る問は「言語とはなにか」である。
考えてみれば、じつはヒトに共通の言語はない。日本語、英語、タガログ語等々があるばかりである。
[#地付き](一九八九年十二月)
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日本語の特徴
日本語の大きな特徴はなにか。むろん、漢字カナ混じり文にある。私はそう思う。しかし、それだけなら、いまではハングル優先とは言え、朝鮮語だってそうではないか。それに、本居宣長ではないが、やまとことばを乱したのは、漢字の導入である。漢字カナ混じりなど、日本語自身の特徴に少しもなりはしまい。
最初の反論については、それなら日本語の特徴は、漢字カナ混じりの上に、漢字が音訓読みになることである。そう言おう。正確には知らないが、朝鮮語には音読みしかない、と聞いた。当り前の話だが、中国語には音読みしかない。北京、広東、福建といった「方言」はあるだろうが、どれか一つの方言については、一字一音に違いはあるまい。考えてみると、音訓読みのような一字多音というのは、文字のきわめておかしな利用法である。
作家の中村真一郎氏にうかがったら、古代エジプト文字が表音文字と表意文字の組み合わせだった、という。あの解読に西洋人はえらく苦労したが、あの解読に日本人が混ざっていたら、もっと作業が楽だったのではないか。中村氏はそう言われるのである。それにしても、エジプト人にしたところで、表意文字を何通りかには、読まなかったであろう。それなら、この一字多音が、日本語の最大の特徴ではないのか。
第二の反論、つまりことばは音が本来であり、文字はあとから生じただけだ、という意見、これは論破がなかなかむずかしい。歴史的には、この説になんの誤りもないからである。しかも、宣長だけではない。小林秀雄もそうだったし、ソシュールだってそう思っていた。これでは、素人の出る幕ではない。しかし、そう思っているかぎり、言語の問題は解けない。私はそう思う。
なぜか。言語は音が「本来」であるなら、文字は補助である。それなら、ただの「補助」が、これだけ広がったのはなぜか。音で伝えなければ、伝わらないことが、ことばにあるのか。歴史的に文字が遅く生じたのは、音よりも面倒だから、という理由に過ぎまい。そうも考えられるのではないか。音ならすぐに口から出せるが、字の方は紙もペンも、果てはワープロまで要るのである。そういうものが揃うまでは、文字は口ほど有効ではない。それだけのことであろう。言語の本質と、音と文字の歴史的前後は、もともと関係はない。具体的条件に左右されただけだ。そうも考えられるではないか。
言語は、視覚と聴覚とが、その情報処理において、同一の規制に従うことによって生じる。私はそう考える。これは、面倒な理屈のようだが、かならずしもそうではない。聞いたことも、読んだことも、同じ「ことば」としてわかる。それは、だれでも知っている。そのことを、脳をからませて、面倒に表現しただけである。話しことばの文法と、書きことばの文法が、本質的に異なるわけではなかろう。むしろ、両者は「同じでなくてはならない」のである。視聴覚の情報処理が、同じ規則に従う。それを「文法」と呼ぶのである。それなら、音と文字との、どちらが先かという議論は、あまり意味がない。どちらも前提されているからである。それが、言語の発生において、人間に生じたことだろうと思われる。つまり、人間の脳は、あるとき言語を持つような能力を獲得したのだが、その時には、聴覚言語と視覚言語が「能力としては」すでに前提されていたのである。
日本語では、同じ「字」が違った読まれ方をする。これは、はなはだ奇妙なことなのである。なぜなら、音としてのことばと、図形としてのことばが、一対一の対応をしてくれない。これは、情報処理技術に、大きな負担をかけるはずである。このときの漢字は、もちろん、英語なら各ワードに対応する。英語のワードという単語は、つねに word と書かれ、ワードと読まれる。「重」という字は、いったい何通りに読まれるか。それを数えていただければ、脳の苦労がわかる。
一字多音読みは、情報処理器官としての脳に、じつは大きな負担をかけるはずである。少なくとも、一字(むしろ一単語)一音を処理する脳の部分では、この作業はできない。それを証明するのは、日本語使用者つまり日本人における、失読症の症状である。すなわち「字が読めない」という病気は、日本人では、二種類に分離してしまう。漢字が読めないか、カナが読めないか、その二つが別々に生じてしまうのである。漢字失読、カナ失読と呼んでもよいであろう。こんなことは、他の言語には生じない。
その理由は、明らかである。文字を処理する脳の部分が、日本語の場合、漢字とカナとで異なるからである。カナを処理する部分は、万国共通である。なぜなら、これは一字一音だからである。日本語の漢字処理は(中国語ではない!)、音との間に一対一対応がないから、脳はカナやアルファベットとは別の部位で、これを処理する。ゆえに、漢字だけの失読症という奇妙な病状が、日本人に発生するのであろう。これをさらに考えると、言語について、いくつかの面白い問題が判明してくる。たとえば、日本人のマンガ好きは、この問題と深く関連するはずである。なぜなら、マンガは、ルビをふった漢字に相当するものだからである。吹き出しの中がルビであり、マンガそのものは、漢字に相当する。これはマンガを馬鹿にして読まない人には、わかりにくい理屈であろう。しかし、いまや日本のアニメは、世界を席捲《せつけん》している。これは、漢字カナ混じり文が生じた時代、つまり伴大納言や鳥羽僧正以来の伝統に基づく能力なのである。国語の先生は、漢字の音訓読みを子供に教えることによって、脳から言えばマンガ読みの訓練をしている。それが私の考えである。
[#地付き](こくご 一九九〇年十月号)
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手続きはなぜあるか
指折り数えてすでに四十六年、学校に入ったきりで、一度も外の社会に出たことがない。ひょっとするとこれは異常ではないかと思うが、要するに行きがかりでここまで来た以上、いまさら出るに出られない。そんな感じもある。
ということは、学校で教わらなかったことも、学校で覚えるしかない、ということである。その一つが、ものごとの手続き。手続きがなんのためにあるか、なぜ必要か、それを理解するのに、えらく骨を折った。
手続きとは当然のものであり、当然とは前提を意味する。前提を追及するのは、私の「勝手」であり、周囲から期待されている作業ではない。ゆえに、前提の追及は、わが国の学校では、教えてくれないことの一つである。その先なら、じつに丁寧に教えてくれるのだが。
手続きに従うことについて、われわれはたいへん「順法的」な国民らしい。もはや絶滅したらしいが、順法闘争というのがあったくらいである。
日本人がどのくらい順法的かについて、外国で教えられたことがある。
私は自動車の運転免許を持っていない。ただし十数年前、オーストラリアに住んでいたとき、免許をとったことがある。この国の街はむやみに広いから、車がないと生活に難渋する。自分の車を持たず、もっぱら車持ちに送り迎えしてもらっていた先輩もいたが、この人はいまでも日本でそうしているから、別格である。
免許を取るには、まず運転の練習をする。教習所などという、集団主義的なものは、オーストラリアにはない。個人教授である。電話帳で適当に相手を選び、電話をかける。すると、お前の車はなんだ、と訊《き》かれる。免許がないのに、車の種類もクソもあるかと思うが、買ったばかりの車の種類を言うと、同じ型式の車で家まで来てくれる。なるほど合理的である。
近くの公園で、はなから路上練習をする。十数回、無事に練習を終了して、路上試験となる。同時に、交通規則に関する試験がある。こちらは自習。路上試験では、私の運転の先生が助手席に座り、警官がうしろの客席に座る。私が緊張して運転する間、二人は暇そうに四方山話をしている。
警官が先生に訊いている。
「運転免許を取るための学科試験で、いちばん成績のいいのは、どこの国の人間か知っているか」
「そんなこと知らない」
「それは日本人だよ。ほとんど百点近いやつばかり。それじゃ、いちばん成績が悪いのを知っているか」
「それも知らん」
「そりゃ中国人だよ」
連中から見ると、似たような人間のくせに、そこが徹底的に食い違う理由が不明らしい。当り前じゃないか、中国は「法三章」なんだから、立て札を立てて、法律を三行書く。それで終り。それで治まらないのは、政治が悪い。伝統的にそういう国なのである。そういう国の人が、交通規則を気にするはずがない。そう言いたいが、会話に割り込む余裕はない。
こうした意味での順法精神は、日本人は群を抜いている。順法精神で国威を発揚せよ。そんな教育を受けた覚えはない。それなら、国内でやっていることを、素直に外でもやっているだけであろう。日本人は順法精神に満ちているはずである。問題はそれが「法」かどうか。そこがはなはだ微妙であることは、ご存じのとおり。
旧国鉄の「順法」は、「法」と言うより「規則」であろう。交通規則も同じ。法の方はと言うと、これが守られているのか、いないのか、そもそも六法全書を読むのは特殊な人と、昔から決まっている。法学というのは難しく、よくわからない。憲法第九条は、右も左も、もう諦めたらしい。ほとんど議論の対象にならない。
国が宗教に関与してはいけないという、憲法の条項があるらしいが、これがいまだに若干もめている。宗教法人から税金を取らないのも、これと関係するのか。総理大臣が寺の葬式に行ったら、憲法違反か。それで公人か私人か、それが問題になるのだろうが、一方では大臣のプライバシーを暴いて、他方では公人にプライバシーなどというものはないと言う。私人と公人の間に線を引いてくれ。私は国の機関に勤務する官吏だが、ここに書いてる私は、公人か私人か。
どうもそうしたモメごとを避けるために、手続きがあるらしい。きちんと手続きを踏んでおけば、モメることはない。手続きがないと、物事がメチャクチャになる。この感覚は非常に強いように思われる。根回しなども、規定された手続きではないが、一種の手続きであろう。
この国では、法というより、手続きが法の替わりをしているのではないか。法の精神というのはあるが、手続きの精神などというものは、聞いたことがない。手続きとは、あればいいものであって、それが無いと「どうしたらいいか」、それがわからなくなる。その怖れを「メチャクチャになる」と表現するのであろう。
手続きの問題はどこにあるのか。貿易摩擦に明瞭に出ている。手続きをきちんと踏まないと、物事の変えようが無い。ところが、手続きは無機的なものだから、きちんと踏んで行くと、「望んだところに行く」かどうか、それが保証できないのである。医学には、「手術成功、患者死亡」という決まり文句がある。自然科学も次第にうるさくなって、実験の仕方、論文の書き方、発表する雑誌の種類まで規制するようになった。手続きのない仕事がどこかにないか。
[#地付き](一九九〇年五月)
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正しいとはどういうことか
某社の英語辞書が正しくないというので、モメている。この辞書は私も使う。だから興味がある。そこで辞書を批判している側の意見も読んだ。思い出したのは、教科書裁判のことである(「世代的少数派」参照)。教科書なり辞書なりの記述は、どこまで正しい必要があるのか。記述が正しいとか、正しくないとかいう問題で、裁判になるのはどうか。言論は言論で解決すべきではないか。
辞書を作った側は裁判も辞さないという。そもそもが字句の問題になぜ裁判が関係するのか、そこがよくわからない。辞書こそ「字句の問題」の典型である。プライバシーの問題で告訴事件になるのはわかる。これは単に字句の問題ではない。これは書いた人間と、書かれた人間の問題だと、私は了解している。書いた方が「会社」と称して、三人称のふりをして隠れている。だから書かれた方が怒る。書かれた方は歴然たる個人である。裁判にすれば、ともかくいくらか釣合いが取れそうだ。そう思う感覚はわかる。しかし、辞書の場合は、字句が違っていれば訂正すればいい。それだけのことである。違っていなければその必要はない。なぜ裁判か。
両方が腹を立てている。間違いを発見した方は、相手が間違えているといって腹を立てる。極端な人は、本に間違いがあるから、金を返せと出版社に投書する。間違いを発見された方は、言い方が悪いと言って腹を立てる。間違いは間違い、立腹の問題ではない。これは双方に言えることである。私も教科書を書いたり改訂したりする。解剖学の教科書というのは、辞書と同じでむやみに面倒なものである。人間の身体を話に仕立てたって、筋があるわけではない。筋がない話を書くのは、辞書を作るのと同じでじつは難行苦行の連続である。こんな非人間的な作業はない。だから間違える。
辞書や教科書は間違って当り前。私はそう思う。だから検定がなくならない。教科書会社の人は検定は校正と思えばいいと言う。著者と出版社が怠けて、国営で校正をやっている。それにしても間違いにも程度があるだろう。そういう声が聞こえる。いいえ、間違いに程度はありません。手術中の麻酔医が手術の途中で弁当を食べに行き、患者さんが死んでしまった。動脈管開存症の手術で、動脈管と間違えて大動脈を縛って、患者さんを殺した。そういう人は特別だ、ふつうはそんなことはしない。そう言う人は、そうした場面に自分を置いたことが「幸運にも」無かった。幸せな人なのである。
私もインターンの頃、間違って一人殺しかけたし、もう一人は術後に意識が回復せず、死んでから手術のやり方が間違っていたことを知った。私が基礎医学者になるについては、こうした経験が無関係だったとは言えない。臨床をやっていたら何人殺したことか。間違って死んだ人はガンの末期でいずれもまもなく死ぬ人だったが、それは言い訳にならない。辞書の間違いで怒っているくらいが平和でよろしい。
ただ一つだけ言えることがある。どちら側にしても、立腹したのでは真の解決はない。当事者以外の、私のように辞書を買っただけという人間を含めて、だれの得にもならない。当事者がワガママを言ってはいけない。辞書は違っていたら親切に指摘する。指摘されたら素直に直す。自然科学系ではそれは当然のことである。医学の辞書が薬の用量を間違えていたら、患者さんを殺す。これは立腹の問題でも裁判の問題でもない。「事実」の問題なのである。
文科系の学問は、そのところが甘くないか。言いくるめれば、つまり意見を言えば、それで済む。どちらもそう思っているところがないか。それでは辞書が泣く。辞書を作るのは容易ならざる面倒な作業である。その容易でない作業をする側と、その誤りを指摘する側では、作業量が違う。これも単なる事実の問題である。岡目八目と言って、指摘する方が有利である。作る方が開き直るとすれば「それならお前が作ってみろ」ということになる。
しかし、その面倒な、場合によっては「非人間的」な作業を、この文明開化の時代になっても昔風にやるから、こういう問題が起こるのではないか。
今回問題になったのは、たとえば辞書に挙げられた用例の適切さだが、ワープロをお使いの方はよくご存じであろう。原稿が電算機が利用できる形で記憶に入っているかぎり、機械は特定の単語を瞬時に拾い出す。それなら、代表的な書物や雑誌を記憶に取り込んでおき、そこから電算機に用例を探させればいい。「どこにも使われていない用例」などというものは、それこそ瞬時に無くなる。山本夏彦氏「ですら」、これを利用して『無想庵物語』にみごとな索引をつけられたではないか。辞書を作ろうという人が(会社が)、電算機を使わないのが悪い。これも文科系の欠点であろう。
もっとも用例というものは、だれかが使えばもはや用例である。私なら、自分が作った用例こそ用例だとうそぶく。いまでは日本人が使ったって英語である。その意味では、英語がいいの悪いのと言っても始まらない。逆に、いくら英語がうまくなっても、日本人の英語はやっぱり日本人の英語であろう。それとも、無謬《むびゆう》の辞書を利用すれば、英米国人以上に、英語ができるようになるとでも言うのだろうか。
各単語について、どういう使い方がどの程度あるか、電算機でそれを調べる。日本語はまだ機械の読み取り装置が不十分だからダメだが、アルファベット文ならいまでは機械が読む。OCRという装置である。将来の辞書はそうしたものを利用して、用例を集めるであろう。
裁判に力を浪費している場合ではない。その分の金と労力を投入して、いまから新しい辞書の計画を始めたらどうか。
[#地付き](一九九〇年一月)
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差異の体系
自然科学の議論に慣れてくると、文化系の議論は華やかだが、差異の強調に見える。差異はいたるところに発見できるから、これを論じることは無限に可能である。しかし、その差異が議論をどこに導いてくれるのか。その差異を基礎づけ、意味づける「普遍」はいったいどこにあるのか。そこが心配になる。
文化相対主義が話題になっている。どのような文化も、それぞれの宇宙観があり、それぞれの価値観がある。そのどれかを採り、それによって他を断罪することはできない。では、その意見そのものは、いかなる文化の上に立っているのか。少なくとも「文化」なるものを認める以上、当の本人がいかなる文化に属しているか、それはわかっているはずである。それとも文化相対主義こそ、いかなる文化をも超越する、普遍性そのものであるのか。しかし、文化相対主義を否定する文化をどうするのか。リベラリズムが大学紛争のときに役に立たなくなったのは、相手がリベラリズムを否定する集団だったからである。多くのリベラリストが頑張ったが、それでも研究室を追い出されたことに変わりはない。
同じ問題に対して、異文化の意見が食い違ったらどうなるのか。以前は戦争になった。いまでは、戦争は引き合わないから、戦争にはなりにくい。だから理解しようという話になるのだろうが、それならそもそも人間の理解はどこまで及ぶのか。農民の両親を持った子供と、漁民の親を持った子供と、世界観が将来同じになるかどうか。同じことを歴史に及ぼすならば、ドイツ人とアメリカ人の意見が将来同じになるのか。アメリカ人はナチスの行為もまた人間の行為であるのだから、アメリカ人自身もまた、それに責任を持つべきだと考えるのか。それとも、いつまで経っても、あいつらが変だったから、ああなったのだと考え続けるのか。
異文化の理解があり得ないとは思わない。しかし、相手を理解することは、基本に「普遍」がなくては叶わぬことである。この国の理解は、しばしば相手に同化することを意味している。そこがどうにも心もとない。文化の普遍とはなにか。それはその文化の持つ学問であろう。われわれの住む文化国家に、はたしてそれだけの学問があるか。学問がそのようなものとして意識されているか。
私は学問は大切なものだと思う。もし、文化の間に相互理解があり得るとしたら、それは学問を通す以外にあり得ない。それ以外は人間どうしの理解である。それなら、『西部戦線異状なし』ではないが、始めからわかっている。人間どうしの理解ができるかできないか、それは文化にほとんど無関係である。同じ文化の中だって、殺しあいの喧嘩くらいはするのが、人間の常だからである。
国際理解を言うなら、学問に精を出すことであろう。商売はしょせん商売である。そこには損得があり、互いの間で損得が相対的にゼロにならない限り、どちらからか、文句が出るに決まっている。そうかと言って、そもそも損得がなければ、商売にはならない。文化摩擦は具体的には学問の問題であり、「文化」の問題ではない。なぜなら学問とは理性的な普遍の問題であり、したがってだれにも最終的にはわかるはずのことだからである。そこに普遍があり、「文化相対主義」はない。
もちろん、どのような学問にも、文化が忍び込む。これは人間が学問を担い文化を担うものである以上、止むを得ない。それなら、それぞれを丁寧に分けていくほかはない。私たちは解剖図の歴史について、人間の生理から生じる描画様式は、洋の東西を問わず、時代を問わず現われること、文化に依存するものは、当然のことながら、その文化の特異性に依存して生じることを指摘した。もちろん文化もまた、その基底は人間の生理から生じる。しかし、男であること、女であること、人間として両者は生理的には可能である。しかし、現実にはその一方しか取れない。それは文化にもある。
中国人は漢字を使うから、アルファベットは用いず、西洋人はアルファベットを使うから、象形文字は使わない。日本人は漢字と仮名を使う。それはわかり切っている。しかしそれがわれわれにどのような影響を与えるか。日本人の失読症には、漢字が読めない、仮名が読めない、その二通りが出現する。これは西洋にはない。こうした変な状況があるから、おそらく日本人は文字を読む中枢が脳の広い範囲を占めるらしい。しかも、漢音、呉音、唐音、訓、同じ漢字を何通りにも読む。これは中国人とも異なるであろう。
そこからなにが起こるか。漫画である。一部の外人は、日本では大の大人が漫画を読むと言って笑う。しかし、法王庁は手塚治虫に聖書のアニメを注文した。思うに、漫画は絵が象形文字、すなわち漢字の古い形に相当するもの、吹き出しの中が音声、すなわちルビに相当するものなのである。ルビはわれわれの大発明である。そのルビを禁止したバカが、どこかにいるはずである。吹き出しの中に平仮名が多いから、漫画をバカにする人があるが、それは完全な誤解である。ルビの中に漢字を使うバカはそれこそいない。音声は平仮名で示すのである。われわれは日本語で漢字を習うことより、漫画を読むための豊かな特殊訓練を、国民的に受けるといってもよい。だから古くは鳥獣戯画であり、伴大納言絵巻なのである。外人がこれを理解しないのは無理もない。私が言う学問とは、電車の中で漫画を読む大学生に腹を立てることではない。われわれ自身が、よかれあしかれいかなる者であるか、それをきちんと相手に理解させるよう、われわれ自身を「普遍的」に理解することなのである。
[#地付き](一九九〇年二月)
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構造とはなにか
構造ということばは、近年、使用頻度が上がったのではないか。構造主義から始まって、ポスト構造主義、さらに構造主義生物学。これは柴谷篤弘氏の命名だが、『構造主義生物学入門』の池田清彦氏という論客がいる。構造汚職、日米構造協議という面倒なものもある。構造という字ばかりこれだけ並べると、変な気がする。「構造」がなんだか「構造」に見えなくなる。子供の頃に「短い」という字の偏と旁《つくり》を、よく逆に書いた。書いてみると、どこかおかしい。また逆に書いたか。そう思って、偏と旁をいま書いたものと左右逆にしてみる。ますますおかしい。両方の字を比べてじっと眺めているうちに、どちらも「短」という字に見えなくなる。漢字の「構造」が、頭の中で完全に分解してしまう。アルファベットを使う人種でも、こういう現象は起こるのだろうか。
構造というのは、かように視覚的な概念である。目のうしろには脳がついている。つまり目の続きである。この部分の脳が、構造という概念を発生する。こんな概念が、耳の続きから生じるはずがない。私の感覚では、構造とは模式図に描けるものである。ビートルズのノルウェーの森を模式図にせよ。美空ひばりと島倉千代子の歌い方の違いを簡単な図に描け。これは試験問題としては、やはり無理があろう。目のものは目に、耳のものは耳に返せ。
機械や生物ばかりではない。政治や社会にも構造が存在する。そう思うことも可能だが、「構造がある」のではない。当方が「構造として見る」のだ。そう思うことも、また可能である。前者であれば、考察している対象の側に、構造が存在することになる。これをよく客観と言う。後者であれば、構造が存在するのは、われわれの頭の中である。これをしばしば主観と言う。われわれはこの両方の視点をとることができる。この「視点」のどちらか一方が正しい。そう決めると、モメごとがかならず生じる。それは、経験上よくわかっている。どちらも成り立つからである。一方だけをとると、一方が満足しても、他方が満足しない。どちらも成り立つよ。そう言うと、それではイヤだと怒る人がある。これは真理は一つという人である。正義の味方と言ってもいい。真理は一つの方が、頭の中はたしかに楽だが、そう決めたところで、現実はさして楽にはならない。ふつうは「重荷を背負うて山路を行くがごとし」だからである。
フランス由来の構造主義が、アングロ・サクソンの世界にどう受け入れられたかは、『スモール・ワールド』という、イギリス人学者が書いた小説によく出ている。主人公は、構造主義に関する、あらゆる学会に出席するため、世界中を駆け回る。もっともその真の動機は、こうした学会には、正体不明のある美人大学院生がかならず顔を出すからなのである。この小説の中では、構造主義とは結局なんのことやらよくわからない。わからないのは、日本人だけではないのである。この小説をペイパー・バックで読み、「面白いよ」と、うちの大学院生に感想を述べたら、翻訳を買ってきて読んだらしい。「先生、つまりません」と言った。この種の小説は、翻訳するとなぜかユーモアが薄れてしまうことが多い。
政治や経済や汚職のように、もともと網膜に写るはずのないものにも、脳は構造を「発見」する。網膜に写ったもの、つまり目からの情報、それを処理する部分の延長が脳にあり、それを利用して考えるからである。つまり、脳はここでは、いわば「目で考えて」いる。目で考えた方が、話はわかりやすい。昔から「百聞は一見にしかず」と言うくらいである。聞くよりも、見た方が話は早い。目は複雑なものを単純にすることに長《た》けている。
ふつうの人は、脳とは、わけのわからぬものだと思っている。わけのわからぬものは、なにをするか、それがわからない。だから不気味である。不気味なものとは、要するに、わけのわからぬものなのである。しかし、進化のはじめから脳があったわけではない。ということは、脳はしだいに発達してきたわけで、それにはそれなりの生物学的な理由がある。入力つまり知覚情報をよりよく処理し、出力すなわち運動なり行動なりを、より洗練されたものにする。それだけのことであろう。だから脳はそれほど不可思議なものではなく、知覚系と運動系にしっかり結びついたものに過ぎない。それなら、脳の中に、目に強く結びつく部分、耳に強く結びつく部分があって、いっこうにおかしくない。ふつうの人はだれでも、目も耳も、運動系を持っている。だから本来どの型の思考もとり得るはずなのである。ただ、時により場合によりそれぞれを使い分ける。
文字通りにとれば、「構造」協議には、構造を認識する効果はあるかも知れない。しかし、それだけである。対応策は別に考えなくてはならない。なぜなら、構造は「発見」できるが、それは病気の診断がついたのと同じで、どうしたらいいかは、別問題だからである。後者については脳の別な能力、つまり運動系が必要である。目は本来「見てとる」ものであり、簡潔かつ素早い世界の理解には向くが、世界の征服にはとても向くまい。
だから、構造主義は世界を救うわけではない。構造協議も同じであろう。それは「理解」を深めるだけである。では、どうしたらいいのか。どうにか「する」のは、知覚に基づく、運動系の仕事である。運動系の原理はなにか。基本的には、それは試行錯誤である。だから結局、人間はたえず試行錯誤する。永遠の真理、そんなものがあったら、とうにだれかが見つけている。このところ数万年、人間の脳はおそらく変わっていないからである。
[#地付き](一九九〇年八月)
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タバコという文化
考えてみると、あの自動販売機というのが状況を変えたのではないか。あれがまだなかった頃、わが家で麻雀をやる。夜中になるとタバコが切れる。それからがたいへんである。なんとか吸える断片がないか。灰皿を掻《か》き回す。
自動販売機ができてからは、見物人が買いに行く役をする。これがタバコを吸わない男だと、はなはだ同情がない。これを機会に禁煙しなさい、などと平気で言う。なかなか買いに行ってくれない。仕方がないから、餌《えさ》で釣る。もう一回やったら、お前に替わってやる。そのかわり、いま急いでタバコを買って来てくれ。買ってくれば、こっちのものである。交代なんかしない。
私が子供の頃は、おじいさんが道端に腰をおろして、煙管《きせる》で一服していた。掌にまだ火のついている塊を落として、それを器用に転がしながら、次の一服の火種にする。こういう光景も、もはやまったく見ない。煙管も羅宇《ラオ》も、ほとんど死語であろう。
パイプはまだ生き永らえている。しかし、これは臭うので、日本ではあまり好まれないかもしれない。臭いそのものがいけないというのではない。あるものの臭いというのはそれだけが純粋に臭うわけではない。現実の世界では、周囲にかならず、なにかほかの臭いが存在する。タバコの臭いがそれと混ざって、場合により、ところにより、それぞれ特有の複雑なニュアンスを生じる。つまり、純粋のパイプタバコの臭いというものは、じつは存在しない。かならず背景の臭いと混ざってしまう。現実の臭いの、この判断に苦しむ複雑さ、これが日本人の美意識に合わないような気がする。
香道を考えてみればわかる。あれは、できるだけ純粋な匂いそのもの、それを聞こうとするのである。
煙管やらパイプやらの面倒臭さは、文化の面倒臭さである。そこには、自動販売機の手軽さの対極がある。自動販売機の普及によって、麻雀には便利になったが、タバコの「文化性」は希薄になったことは否めまい。
タバコは楽しみに吸うもので、イライラ吸うものではない。ところが、ついイライラ吸ってしまう。もっともこれは、タバコのせいではない。悠然と落ち着いて、ゆっくりタバコが吸えるような生活をしていない。それがいけない。
積極的には、楽しみのために、消極的にはイライラを防ぐために、タバコを吸う。禁煙した人に胃潰瘍が増えるという説もある。タバコには、精神的なストレスを防ぐ効果があるわけだが、いまのような生活をしていたのでは、タバコの本数がストレスの目印みたいになってしまう。
最近は、タバコを吸うと目を三角にする人がある。タバコがなんの役に立つかと怒る。吸わない方もかなり頭に血が昇っている。悠然たる文化とは、ほど遠い。タバコのように手軽なものを、文化の代表にしては気の毒だが、文化とは、はた目には無益なものから始まるのかもしれないのである。
[#地付き](タバコロジー 一九九一年)
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量は質に転化するか
厚生省の末期医療の検討会というのがあった。私も委員の一人だったが、このたび報告書を提出して役目は済んだ。この検討会が発足するときにも週刊誌から電話がかかってきてウルサかったが、終ったら今度はガンの告知について新聞から電話がかかった。報告書の内容がガンの告知についてもう少し積極的であれということだったから、二つの質問に答えろという。それは「自分がガンだったらどうか」「家族がガンだったらどうするか」だというのである。
この検討会自体がそうだが、こういう問題を論じるには前提がある。私の意見は少数意見かもしれないが、私は前提にしか興味がない。つまりガンの告知を「する」「しない」の二分法で決めていいかということである。医師に世論調査をすればわかるが、八割以上の医師は、ガンの告知はケース・バイ・ケース、つまり相手により時期によると答えるはずである。そんなことは当然のことである。告知すべきだと決めたら、あなたはガンですよ、と大喜びして患者に伝える医師がいないとは言えない。サディストはどこにもいるからである。現に告知がやや積極的になったために、私のような医師でない医師の仕事が増えている。それは医師に突然ガンだと言われて本人は寝込んでしまい、家族は右往左往しているが、本当かどうかもう一度見てもらいたいから病院を紹介してくれという相談があるからわかる。この意味では、告知は医師に有利な点が多い。二度手間でも患者は喜んで病院に来る、ガンと患者が知っていれば治療も説得も楽である。医療訴訟を避けられる、など。医師が楽になることは、患者にとっては不利なことがあろう。
そこで先の質問に戻る。この質問はケース・バイ・ケースの真意を理解していない。私がいまガンになったらというのは質問にならない。私にとって生きることは「仮定」の問題ではない。そのつど現実の問題である。私がいまガンになったら自分がどう思うか。それはこっちこそ知りたいことである。そんなことがあらかじめわかったら、生きていてクソ面白くもない。惚《ほ》れているときに、この相手にいずれ飽きがくる、そうわかる人間がいるか。わかってよいか。
いまの人は人生をバカにしているのではないか。そう思いたくなる。自分の生死を考えること、それは生きることそのもののうちであって、他人が口をはさんだり、指図したりすることではない。だからガンの告知が深刻な問題なのである。深刻ぶっているわけではない。それを多くの人が考えないからといって非難する気もない。しかし、アンケートに答える気もない。身内にガンの患者がいた人でも自分が告知されれば動転する。それをいつ医者が伝えいつ患者が知るかは、そのつどの問題であって一般論にはならない。それを担う人たちの問題であり、それが人間を尊重するということであろう。厚生省で決めたから告知する。そんな安易な問題ではない。報告書の真意は、従来は逆に安易に「告知しない」と決めていたからある程度積極的にしたらどうかというのであって、それ以上のものではない。陛下の場合はどうか。
告知の問題より先に真面目に解決しなくてはならないことがあろう。それは脳死の問題である。肝臓移植の患者さんが外国で順番待ちをしている。脳死の患者さんがあちらの国にあって、移植の見込みがついた、ヨカッタヨカッタと新聞の記事が出る。私に言わせれば、これはわれわれの社会総ぐるみの犯罪である。戦前は満州に出て行くことは「侵略」ではなかった。その是非に関する議論は戦前にもあったことであろう。軍部が独走する、右翼が危険だ、民衆が貧乏で教育が不十分だから「仕方がない」、西欧諸国にも悪いところがある。そんなゴタクを並べているうちに、ズルズルと戦争になったことはだれでも知っている。では、脳死はどうか。移植を受けたい患者を傷つけることを恐れ、脳死患者の遺族の恨みを恐れ、いわゆる社会の混乱を恐れ、要するに恐れの上に手をこまねいているだけではないのか。右翼が新左翼になっただけである。戦前の心理とまったく変わらないではないか。
その立場にある人にその力がないことはよくわかっている。戦前もそうであった。組織に意志がなく、状況待ちをするしかない。これを直截《ちよくせつ》に指摘したのがウォルフレンの論文であろう。これには毀誉褒貶《きよほうへん》があったが、おおかたの外国人の意見は、日本側に反対意見が強かったというものである。それは経済のように「成功」している分野を頭に置いた日本側の考えが表に出たからである。
私から見れば食い違いは明らかである。経済は基本的には「量」の問題である。お金の多寡である。言って置くが、人生は一回限りのものである。生死事大無常迅速。政治とはまさにそこに関わる。金の事は会社に任せればよろしい。いまの日本の政治は「量」の政治である。民主主義が票「数」になってしまうのもそのためなら、人気投票になるのもそのためである。しかし、一回限りしかないものに経済の原則は当てはまらない。脳死患者の身体が「生きるか否か」は一回限りの決断にかかっている。それは「量」の問題ではない。
脳死の判断に間違いが生じる可能性はある。しかし、誤りのない判断が「人間」にできるか。「待てば」それが可能になると言うのは嘘である。人間は誤りを犯す。それは永遠の問題である。永遠の問題を永遠の問題として素直に認めて生きる事を勇気と言う。他方「質」の問題を「量」にすり替えるのを卑怯《ひきよう》と言う。戦後の日本人が卑怯になった事は間違いない。おそらくアメリカの物「量」に負けたと思っているからであろう。だから外人にも新左翼にも軽侮されるのである。本人たちは軽侮されたと思っていないにしても。
[#地付き](一九八九年九月)
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だれが脳死を決めるか
解剖というものに携わって、もう三十年を越えた。若い頃と、いまとでは、感じ方がいくらか違っている。解剖する相手の人が、赤の他人とはとうてい思えない。若いうちは、まったく無関係の人だったが、いまでは「いずれ私もこうなる」という関係の人である。これはもちろん、当方の年齢のせいもあろうが、年中「お骨」を扱うことも関係しているらしい。お骨を持つと、それがだれであろうと、なんだか赤の他人とは思えなくなるのである。
解剖の折に、なんとなく粛然とした気配を感じる。どこからともなく死が迫ってくるのである。学生は呑気《のんき》な顔をしているから、やはり自分とは無関係だと思っているのであろう。専門家でも、ある年齢を越えると、実際の解剖を嫌う人があるように思う。どうしても死を思わざるを得ない。それを避けるのではないか。
どうせ少数意見だと思うから言うが、私の日常からすれば、脳死問題などは、じつは馬鹿みたいなものである。私は脳死どころか、植物状態でも殺してもらいたい。世に出て偉くなった、国宝級のお年寄りなら、植物状態で生きていても、レーニンのミイラのような価値があろう。しかし私のように、世間的にとくにだれのお世話をしたわけでもない、一介のサラリーマンが、植物状態を生き延びるためには、家族に多大の負担をかける。自分のために、これ以上家族に負担をかけるのは、私は真っ平ごめんである。
たとえば、いま私が脳卒中で植物状態に近くなったとしよう。健康保険がきくうちはいい。しかし、年という単位で寿命が延びてしまえば、働くことはできないから、むろん大学はクビになる。その後の医療費は、だれが払うのか。女房の財産と能力は、私が知っている。頼る気はない。それどころではない。私は給料の半分近くのローンを支払っている。私の親が財産というのを残さない主義だから、ローンを借りて家を建て、まだ十年にならない。私が死ねば保険でローンは完済する。植物状態で生きていてはダメである。これは保険がおかしいのだが、植物状態のことなど、たいていの人は考えないから、これで通っているのである。そのローンを、女房も子供も、まともに払えるはずがない。
脳死が死でないと頑張る人は、後顧の憂いのない、よほど偉い人か、相当に財産のある、呑気な人であろう。うちの女房は私が卒中になるのを楽しみにしている。「そのときは十分に看病してあげるからネェー」と、はなはだにこやかに言う。敵はなにを考えているのか。「おじいちゃん、サ、やってあげましょうネ」そう言いながら、看病するフリをして、私に針を刺すのだと言う。縫い針、留め針、錆びた針。「これはあのときの分、これは例の喧嘩の分」。私が動けなくなったら、生殺与奪の権は、もっぱらこの敵の手中にある。日常メモしておいたウラミツラミを、順次晴らそうというのである。針には、マスタードとか、ワサビとか、タバスコとか、どうせ女の考えることだから、そんなものでも塗ろうと思っているらしい。
私の恩師の一人は、十数年寝たきりである。応答はまったく出来ない。高名な医師だから、もちろん死なせてもらえない。同級生が主治医だが、この男は温厚篤実だから、注射針にマスタードを塗っているとは思わない。しかし、間違って私が主治医になったかもしれないし、女房のような医者がいないという保証もない。日本人は平和ボケしているから、他人の善意を期待するかもしれないが、それにしたって、周知のように、地獄への道はむしろ善意で敷きつめられているのである。植物状態で、なぜ家族が信じられるのか。
生死を国が管理しようという発想は、私は好きではない。そもそも戦争がそうである。生きているか、死んでいるかくらいは、個人に判断させてもらいたい。植物状態の私が生きているか死んでいるか、私の主治医が決めればいいことである。そのために私は医者に金を払う。だから、医者の責任は重いのである。脳死は死だとか、死でないとか、そんなことを一般に決める必要はない。そもそも決められるはずがない。一人一人の生死は、それ限りのものであり、一般化できるものではない。無脳症児は生きているのか、死んでいるのか。呼吸器をつければ、長らく生きるはずですよ。それがほとんど死んでいるのは、それなら医者が殺しているのか。それを問い詰めて、なにになるのか。
臓器移植を多くの人は嫌う。心臓移植の研究をしている後輩の若い医者に、俺が植物状態になったら、好きに身体を使ってくれ、と申し出た。そうしたら「先生、いくつ」と年齢を訊く。五十二だと答えたら、「そんな心臓、要らねえよ」と言われてしまった。政府の審議会に出るほどの人は、臓器移植では、もはや当事者にはなれない人々なのである。
いつも思うのだが、この国では、主観、客観とは、当事者、傍観者のことである。主観と客観なら西洋の観念で、いわば縦軸と横軸みたいなものだが、当事者、傍観者というのは、同心円状の構造をなしている。その家でもっとも強硬なのは当事者ではなく、その家族と親類である。死体は当人ではなく、その周囲の人の持ち物である。これも普通なら合理的な決め方だが、臓器移植問題では、これが問題を起こす。それは解剖の場合とまったく同じである。死んだ人は、家族にとっては、まだ死体ではない。これもよくわかっていない人が多い。
それにしても、私個人の場合には、植物状態ですでに死である。はっきりここに記しておく。この件について、他人は関係はない。
[#地付き](一九九〇年九月)
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死体の市民権
死体ははたしてだれのものか。
自分のものだとしても、死んだあとでは、所有権を実際に自分で主張することはできない。法的には、そこはどうなっているのか。それを私は、じつは知らないのである。
職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権者が不明である。そんなことで、よく仕事が務まる。そう怒られそうだが、むろん常識的には、死体は遺族のものである。
しかし、ちょっとご想像いただくとわかるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずである。『ヴェニスの商人』ではないが、それなら肉何ポンド分の権利が、それぞれの子供にあるか。そんな議論は、聞いたこともない。
こういう議論自体が不謹慎だ。ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体に関わる多くの問題の背景となっているからである。
こうした常識を考え、それと戦うことは、けして容易ではない。私は死体を扱うのが仕事だから、そうは言っても、それを考えざるをえない。死体をめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。
こうした漠然とした常識、それの背景を知るためには、じつは日本の文化そのものを追及せざるをえない。私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向いてしまった。
遺族だって、けして明瞭ではない。しばしば複数の遺族が出現することがあるからである。東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する。こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、じつは反対だ」という親族が現われる。これは、われわれがいちばん困惑するケースである。
事前に十分に調べろと言ったって、よその家族の事情だから、それは困難である。解剖を承諾しますと言っていただくだけで、当方としてはたいへん感謝している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、郷里のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。
遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである。仕事の上だから、別にどうということはないが、二百五十年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、かならずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。
そう思えば、脳死の問題は、解剖よりさらにモメて当然である。なにしろ、肝心の本人が死体かどうか、それすら判然としない。死の規定について、じつは私は、ほとんど疑いの余地を感じていない。しかし、死の規定に関して、他人を納得させる気もない。十分に考えた人ならともかく、ほとんどの人は、なにも考えていないことが、わかっているからである。
論理的に言えば、死は時の一点にはならない。それなら、死亡時刻の規定は、社会的にならざるをえない。社会的ということは、多くの人の合意ということである。ところが、その合意すべき、「多くの人」が、漠然たる意見しか持ち合わせない。これでは、話がまとまりにくいのは、当然である。
そこに「常識」が出現する。それをきちんと解明しなければ、死体は相変らず、この国で市民権を得ないであろう。しかし、常識の研究は、それ自体が学会での市民権を持っていない。
死体が自分で自己主張するほかはないか。
[#地付き](太陽 一九九一年五月号)
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死体は誰のものか
死体は家族のものである。だから、私が学生の頃までは、解剖のための遺体は、多くは身許不明の人だった。家族がないから、解剖にほとんど問題がなかったのである。当時の埋火葬許可書には、性別だけが記してあり、住所、姓名の欄は空欄であることも始終だった。名前すらわからない死亡者が、多くいたのである。こうしたことは、いまではほとんど考えられない。しかし、たかだか三十年前までは、世の中の実状はそうだった。そう思えば、その頃の方が、日本は広かったとも言えよう。
こういう方たちのお墓は、谷中の天王寺にある。大学の納骨堂がそこにあるからである。年一回、天王寺でその年に解剖された方の慰霊を行なう。解剖体慰霊祭は、山脇東洋がわが国ではじめて官許の解剖を行なった宝暦四年以来、二百数十年の伝統となっている。私もかならず出席する。考え方からすると、とてもそういうことをする人とは思えない。そう言われるが、それは誤解である。若い頃は昆虫採集に凝っていたが、いまはあまりやらない。虫を殺すのが、なんだか嫌になった。人間とは、そういうものではないか。
白菊会といって、献体の意志のある人たちの団体がある。そこの会長さんが、あるときノイローゼに近くなった。いろんな人に献体を勧めてきたのだが、夢を見るようになったと言うのである。いろんな人が出てきて、「イタイ、イタイ」とこぼす。そういう夢を見る。これは、会長の事務所に、大きな仏壇を買い入れて解決した。安直な言い方に聞こえるかもしれないが、人間とは、つまりそういうものである。自己の一身を越えた行為をせざるを得ず、その苦しみをだれが背負ってくれるわけでもない。そこに必要なものは、ただ仏壇である。
死んだ人は家族のものだと言った。なぜなら、家族にとって、死んだ人はいまだ死人ではないからである。これは、遺体の問題を考えるときに、無視してはならない問題である。ここに臓器移植の困難がある。解剖の場合だが、献体の動機に関する統計を国際学会で発表したユダヤ人がある。医師に世話になった感謝からという人もある。医者のおかげでひどい目にあった、こういうことでは困る。せめてそのひどい医学の進歩のためになるなら、という逆の意味での献体もある。さらに、遺族に対する面当てというのもある。ユダヤ人は家族の結束が固い。それが裏目に出る。この点では日本人に近いところがあるらしい。日本でもこういう動機はときどきある。ただ、この場合には、ご本人が亡くなったあと、家族が解剖に反対することが多い。当然であろう。
献体という故人の遺志に反対する人は、生前に本人と仲が悪かった人であることも多い。この心理的な背景はむずかしいが、なんとなく理解できないことはない。本人が生きている間、頑固で言うことを聞かなかったから、死んだいまこそ、故人の意志を無視しようという場合もあろう。それにしても、この場合にも、本人は、ある意味では、死んでいない。死人は、生きているからこそ、面倒を生じるのである。
死んだ人を、いつから死んだと思うか。これはじつにさまざまである。初七日とか、四十九日とか、一周忌とか、それぞれに異なった思いがあろう。私の父は四歳の時に死んだが、私にとって心理的に父が死んだのは、四十を越えたときであった。この話はよそで書いたことがある。
遺族にとって、故人は死人ではなく、したがってその対応を一般化して論じることはできない。解剖にしても、臓器移植にしても、こうした遺族の感情を無視することはできない。ただ、現実の身体と脳裏の故人とは、別人だということを納得してもらうほかはない。これは、精神病の場合に、しばしば切実な問題として生じる。
それをさらに延長すれば、脳死問題となろう。
この国で解剖なり移植なりが可能であるためには、遺族ならびに一般の方の理解がどうしても必要である。それがいつのことになるか、臓器移植については、私にはわからない。世の中の動きは、それに逆行していると見える。死体は見ないし、死ぬことは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の時代とは異なって、よくないことだと考えられている。だから私は、人体博物館を提唱しているが、これは教育の問題だから、当面の問題にとっては、「百年河清を待つ」に近いものである。
移植は不要だという議論もあろう。それはそれで結構である。漢方医によって、江戸時代の日本人は滅びずに生き延びてきた。なにも西洋医学を採用する必要はない。それだって、議論としては十二分に成り立つ。しかし、移植の問題は、日本独自の問題ではない。人間の普遍的な問題である。必要がないなら、数千例にわたる西洋の移植例を否認するだけの論理がいる。死体を手で触る機会も与えないで、どれだけ説得力ある議論が展開できるだろうか。
国際化というのは、都合のよい国際をとり、都合の悪い国際は頬被りする。そういうことではなかろう。ここではそれは、普遍化ということである。人間である以上は、こうである、こうではない。どの国の、どの患者さんに対しても、臓器移植は不必要だ。そう言えるのであれば、それも立派な立場だと私は思う。それが取れないなら、個人に戻すほかはない。私が決められるうちは、自分で決める。決められなくなれば、医者に任せる。それ以外の他人の口出しは、おそらく不要である。これなら、世界中どこでも通用するはずではないか。
[#地付き](一九九〇年十月)
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個か普遍か
ウィーンの病院で、看護婦さんたちが、老齢の患者さんたちを律儀に殺していた。この記事を読んで、「毒薬と老嬢」というアメリカ映画を思い出した。これは、ナチの時代を背景にした風刺喜劇だったと思う。脇役ながら、ピーター・ローレ演じるところのアインシュタイン博士が、よく記憶に残っている。この映画では、善意に満ちた老嬢たちが、殺した人を次々に地下室に埋めてしまう。
今度の事件の動機や背景は、まだよくわからない。しかし、いかにもありそうな事件に思われる。なぜなら、こうした死の問題は、いまでは公の問題になっているからである。
官許の解剖は、わが国では山脇東洋を嚆矢《こうし》とする。ということは、むろん官許ではない解剖の存在を疑わせる。安楽死が公の問題になるということは、同様にして、すでに私的に、その機会が多いことを意味することになる。つまり、もぐりの安楽死である。
最近、『ドキュメント安楽死』という本が出た(イゴール・バレール、エチエンヌ・ラルウ、森岡恭彦訳、講談社)。著者たちは、安楽死に関するテレビ番組を作るつもりだったのだが、反響があまりに大きく、影響が強すぎるので、まず書物にしたという。この本には、安楽死に関わった人たちへのインタビューという形で、いくつもの実例が上げられている。うっとうしい話だが、個人が具体的に、安楽死に直面せざるをえない状況が、注目されてきているのであろう。
昔は「畳の上で大往生」が理想だったが、最近の実情は、病院のベッドの上である。よほどわがままな人でないと、家族に迷惑をかけながら、死ぬまで家で頑張ることはできない。むしろ周囲のことを考えて、あるいは止むを得ず入院するのであろう。その裏を返せば、家庭での安楽死の問題が生じているはずである。
先日、医師で登山家の原真氏と対談する機会があった。「死ぬ能力があるうちに死にたい」というのが、原氏の結論だった。脳死どころか、ボケたり、植物状態になったりすれば、自分で死ぬ能力すらなくなってしまうからである。そうかといって、その通りに死ねるかどうか、それはわからない。病院に入れば、看護婦さんや医者が殺してくれる。さもなければ、家族がその問題に直面しなければならない。ウィーンの病院の出来事は、「死のあり方」がふたたびここまで来たか、との感を与える。これがウィーンで起こったということが、なんともいえないのである。
ワルトハイムから今度の事件まで、オーストリアには、注目すべき問題がときどき起こる。第一次大戦により、ハプスブルグ家の千年王国、オーストリア・ハンガリー帝国は消滅した。しかし、ヒットラーにせよ、フロイドにせよ、世界に大きな影響を与えた人物は少なくない。科学の世界では、ポパーもローレンツも、ウィーンの出身である。ECだって、そもそもウィーン生れの思想といえないこともない。
ツヴァイクの『昨日の世界』を読めば、この帝国の人たちが、自分の国がヨーロッパの伝統の中心であると考えていたことがよくわかる。この帝国の半分は、いまでは東側に入ってしまった。だから、現在の事情はよくわからない。
しかし、私が見た墓地の中で、プラハのユダヤ人墓地ほど陰気な墓地はない。ここにはティコ・ブラーエからフランツ・カフカまでの墓がある。ところが、狭いところに墓石が詰まりすぎて、だれがだれやらわからない。この墓地を見るかぎり、ヒットラーもワルトハイムも、今度の事件も、あまり不思議には思えない。それを単純に、ドイツ人と結びつけるわけにもいかない。人種の問題ではなく、文化や伝統の問題だからである。もちろん、プラハも、好むと好まざるとに関わらず、この帝国の一部を成していた。
われわれの現代世界は、アングロ・サクソンの世界である。われわれだって、好むと好まざるとに関わらず、その世界の一部を成し、その常識で生きている。少なくとも自然科学系では、英語は世界語になってしまった。東京大学のドイツ文学科には、ほとんど学生が入らない。医学ではもうドイツ語を使わないのですね。これはしばしば聞かれる質問である。
第一次大戦中にドイツに留学していた私の大先輩たちは、刑務所にいれられた。日本が連合国側に立って参戦したからである。その当時、米英がいかに日本の参戦を希望したかは、世間とはおよそ縁遠い、私の専門分野にも表れている。当時のアメリカの『解剖学雑誌』は、だから日本特集をやった。アメリカ人がこの特集に書いた論文の題や抄録は、なんと日本語の翻訳つきである。後にも先にもこんなことは二度となかった。
千年王国も、そうして出来たアングロ・サクソンの世界も、いつかは「昨日の世界」になる。ドイツ語の学術用語としての寿命は、じつは二百五十年だった。一体、文明に普遍ということがあるのかどうか。
人生が個か普遍かは、古い問題である。もし人生が個であるなら、死の問題もまた個であり、安楽死の手伝いなど、まさに余計なお世話である。そうかといって、ウィーンの問題は、人生の個を強調する背景から、むしろ生じた出来事かもしれないのである。入院している老人には、「個としての生」はもはやほとんど残されていない。そう考えた善意の看護婦さんたちは、老人の死を、せめて善として普遍化しようとしたのかもしれない。さもなければ、この忙しいのに手数を掛けて、だれがわざわざ老人を殺そうとするのか。
これをナチズムだといえば、短絡といわれるかもしれない。しかし、私は、非難することによって、ナチズムが克服されるとは思わない。それが人間性の普遍でないと、だれがいえるか。
[#地付き](一九八九年六月)
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自 殺 装 置
アルツハイマー病の初期にある女性患者が、ある医師の考案した「自殺装置」を利用して自殺した。米ミシガン州での事件である。現在の法律では、これはもちろん自殺|幇助《ほうじよ》になる可能性が高い。
この事件が、ただのローカルなニュースとしてではなく、わが国にまで報道される裏には、現在の社会の状況がある。死に関する論議が、広く行なわれているからである。私の職業柄もあるが、自分の本棚を見てみると、縁起の悪いことに、「死」という文字が題名に入った本が、たくさん並んでいる。「脳死」の本が多いから、当然そうなるのだが、それだけではない。叢書「死の文化」というのが、何冊もある。アリエスの大著、『死を前にした人間』も、刊行されたばかりである。
なぜ、死の論議が流行するのか。生れた以上は、いずれ死ぬに決まっているのだから、いまさら議論しても始まらない。そうは思わないらしい。
問題は、医学の発展で死の予想がつくようになったことである。右のアルツハイマー病の患者さんも、自分の近い将来がどのような悲惨なものになるか、それをよく知っていたはずである。心臓移植も、移植しなければ、自分の心臓が長くは持たない。それが明瞭にわかるようになったことが大きい。ひょっとしたら、助かるかもしれない。そうした漠然たる望みをつなぐことが、いまでは不可能になってきているのである。
これは、とうに予測されたことだった。なぜなら、社会の流れは滔々《とうとう》と「情報化」「管理化」に向かってきたからである。わが国でも、とくに戦後は、「知ること」をタブーとしなくなった。「新聞が守る、みんなの知る権利」。それなら「あなたの命は、あと三カ月です」。これが「知る権利」に属するのかどうか。その点が明瞭でないまま、「知る」方が独走したきらいがある。ものごとを「知る」には、知るだけの強さがいる。子供の体力で、三千メートル級の山を登るのは困難である。それなら、体力をつけなくてはいけない。あるいは、成熟しなくてはならないのである。「知る」権利と同時に必要な「体力」を、この社会は、きちんと養成してきたか。おそらく問題はそこにあろう。それが「死の叢書」に対する欲求として現われる。せめて本でも読んで、「体力」をつけなければ。
「自殺装置」が合法か否か。それはまさに、社会の成熟に依存している。自殺はじつは、少ないものではない。私は、むやみにタバコを吸う。その一本一本が、じつは「棺桶の釘」だということは、本人がよく知っている。飲み過ぎもそうなら、働きすぎもそうである。人はこうして、なにげなく自分の命を縮めている。それと、自殺装置との間には、ほとんど距離はない。
近代科学は、人生のさまざまな部分を、「予測可能」としていった。子供を産むか産まないか、それもいまでは「自由」である。かつて子供は、「与えられたもの」であった。それはいまでは、「作るもの」であり、「作らないもの」である。たまたま子供の「できない」人が、その自由を奪われているに過ぎない。人工受精の発達により、いまではそれも、あまり問題がない。代理母もある。
産むか、産まぬか、その権利が親に生じた社会の初めに、コイン・ロッカー・ベビーがまず発生したのは、当然のことであった。できた子供を片づける時期が、無知のために、単に遅れただけの話である。生誕は死の対極だが、そこではすでに、ほとんど完全な恣意《しい》が社会的に許されている。それなら、死が自由であっていけないという理由は、まったくあるまい。
中東に事件が起こる。自衛隊を派遣すべきか否か。ある政治家がこう議論する。有事の際を予測して、そのときにはどうするか、きちんと考えておくべきだったのだ、と。有事は、いつ起こるか、なにが起こるか、それがわからない事件を言う。あらゆる事件が予測可能になるはずだ。それが「正しい」。そうした前提が、人々の心の中に暗黙のうちに生じてきている。私はむしろそれを恐れる。
もともと人間は、「一寸先は闇」という人生を生きる。それがじつは、「生きがい」を生じ、「生」を感じさせる。自分の一生は、一度しかない、二度と繰り返しのできない過程だ、と。予測可能性の向上は、この「生」を削る。その代わりに与えられるものは、成功であり、繁栄であり、安全である。それが現代の日本社会である以上、文句は言えまい。そこでは、自殺装置は、いずれ実現されざるを得ないのである。
予測し、管理するのは、誰か。それは、われわれの脳である。すべては脳の言うがままである。アルツハイマー病では、その脳だけが、脳の意図に反して、次第に破壊される。自分の悲惨な末期を予測すれば、脳はそれは嫌だ、と言う。こうして、脳は、自殺装置によって、身体のすべてを道連れにするのである。そこではだから、ひょっとすると、心臓や腎臓が、脳に対して反乱を起こすのではないか。それなら、と心臓は言う。死んだ脳を捨て、他人の身体で生きようではないか。それが臓器移植ではないのか。
なにものとも知れぬものに対する「畏《おそ》れ」、社会がそれを失ってかなりになる。その結果は、われわれ自身が背負うしかないのであろう。
[#地付き](サンケイ新聞 一九九〇年十二月十七日)
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臨 死 体 験
臨死体験というのは、夢と同じように、脳の機能である。それではつまらない。そう思う人も多いだろうが、月には結局、カグヤ姫もウサギもいなかったし、火の玉つまり「人だま」は、早稲田大学の大槻教授の実験室で作られてしまった。世の中というのは、そうしたものである。夢を持つなら、紀元前から人が見続けている夢よりも、もっと新しい夢を持ったらどうか。
臨死体験がなにか神秘的な感じがするのは、こういうことをあまり考えたことがないからであろう。夢だって、じつは毎日見ているのだが、見たことを記憶していないだけなのである。しかも、目が覚めてから、つまり意識水準が寝ているときとはまったく違ってしまってから、記憶に鮮明に残っている部分だけを言語化する。それが夢であろう。そこには、睡眠という低い意識水準で脳に起こった出来事を、覚醒という高い意識水準で記憶から取り出し、しかもそれを言語化するという、何段階かの手続きが含まれている。そのつど、別なものが入り込んで、なんの不思議もない。「夢を語る」ときに、日常正直な人が語れば、本当にそのまま夢を語っているのだ。そう素直に考える人が多すぎる。大学教授の夢と、詐欺師の夢と、どっちを信用するか。夢はしょせん、夢でしかないのである。第一に、記憶に残らないことは語れない。第二に、睡眠という意識水準と、覚醒という意識水準の、どちらかで生じたことを、たがいの水準に正しく翻訳できるという保証など、どこにもない。第三に、言語化すること自体が、実際に脳で起こったことに一種の変形を加えることである。言葉がすべて表現するわけではない。言葉に「ならない」ことが、もし夢の中にあるとすれば、それは省略されるはずではないか。
臨死体験にも、まったく同じ議論が通用する。臨死というのは、意識水準が低下した状態である。そこで起こったことを、正気に戻ってから語る。これは、夢を語るのと、その点ではほとんど違いはない。ではなぜ多くの人が、共通して、暗いトンネルの向こうに明るい光を見たり、色とりどりの天国の花園を見たりするのか。
第一に、地獄を見る人もある。しかし、そういう話は面白くないから、消されてしまう。聞いている人だって、元気が出ない。だから本人も、それについてあまり語りたがらない。第二に、人々の話が共通点を持つのは、臨死体験の際に脳の中で起こる現象が、よく似ているということである。それは当然で、もう少しで死ぬというところまで来ているのだから、要するに脳は息もたえだえである。そうした脳に起こることが、よく似ているというだけの話である。
一般の人が気づかない点は、瀕死の状態では、目はつぶっているから見えていないが、それ以外の知覚、とくに耳は生きて働いていることである。脳は諸感覚からの情報を総合する傾向がある。瀕死の状態では、目からは情報が入ってこない。それなら、耳やその他の感覚から入った情報を、脳は総合するほかはない。そうすると、面白いことに、自分が高いところにいて、「死にそうな自分を見ている」という判断が生じるらしい。これは臨死体験では、よく述べられる体験である。
空間の感覚は、もともと視覚と触覚から生じるはずである。しかも、この二つの感覚では、末梢、つまり視覚なら網膜、触覚なら身体各部の皮膚、その位置は、脳にそのまま投射される。どういうことかというと、末梢で隣り合った二点は、脳にやって来ても、隣り合った二点なのである。右手の中指の皮膚と、人差し指の皮膚からの知覚は、脳の中でも隣り合わせなのである。
ところが、耳では、それがどうなっているか。音を聞くのはカタツムリと呼ばれる器官だが、これは要するに、感覚細胞を細長い板の上に規則的に並べて、カタツムリのように巻いたものである。この板の上の感覚細胞の順序は、じつは音の「高低」を示すのであって、視覚や触覚の場合のように、「位置」を示すのではない。ゆえに聴覚による位置の判断は脳の「中でのみ」生じ、視覚や触覚の場合のように、末梢の位置関係がそのまま脳に投影されることはない。すなわち、聴覚による位置の判断は、「脳で構成される」。
説明がむずかしくなったかもしれないが、単純な質問をしよう。なぜ音は「高低」なのか。文化によって、高い音を低いと言い、低い音を高いと言ってもよくはないか。そもそも、音の周波数の多い少ないを、なぜ「高低」と言うのか。背が高いか低いか、「見ればわかる」が、その高低と、音の高低は、どんな関係があるのか。それとも、「高低」という「感覚」は、もともとが「耳から生じた」ものであり、それが視覚に共通に「応用された」のであろうか。どちらにせよ、意識水準が徹底的に低下したときでも、耳は目と違ってともかく働いているはずである。そういうときの印象を、後で本人が「自分が高いところから見ている」というのは、きわめて示唆的である。
結論。臨死体験において、しばしば「自分が自分を高いところから見ている」という感覚が生じる。それは、視覚が働かず、聴覚から周辺の状況を再構成するからである。ただし、覚醒した後、視覚が働いておらず、聴覚だけだったという意識は、本人にはない。それが「意識が低下している」ということの、一つの意味である。
死後の世界を「見る」。それは死んでから見ればいいので、たとえ瀕死の状態であろうと、生きているうちに見る必要はない。死んでからの楽しみが一つ、減ってしまうではないか。
[#地付き](一九九一年六月)
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キリストの足跡
臨死体験について、前回は理屈を述べた。こうした体験を理屈にしても、本当は面白くない。体験を横から見るものが、理屈であろう。だから、体験そのものと理屈とは、けして重ならない。体験自体を伝えるなら、文学というきわめて有効な手段がある。理屈は体験を「整理する」ものに過ぎない。
私もいくつか、不思議な体験をしたことがある。その説明をする気はない。すぐれた体験談が、たくさんあるからである。最近読んだ本では、マイケル・クライトンの『インナー・トラヴェルズ』がこうした超常体験を直接に述べている。
この人は、ハーバードの医学部を出たが、医者にはならず、小説家になってしまった。クライトンは、いわゆるスプーン曲げを自分でもやる。しかし、曲がってしまえば、それだけのこと、あとはどうということはない。そう述べている。クライトン自身は、超常体験の支持者であり、マサチューセッツ工科大学で、科学者たちを前にして、超常体験を支持する演説をすることを想像し、右の本の一章にしているくらいである。スプーンはともかく曲がった。だが、だからどうしたというのか。
こうした体験の大切な点は、他人が信じるかいなか、ではない。それによって、自分がどう変わるか、であろう。クライトンも、本音では、そう思っているらしい。超常体験、つまり日常の論理では説明できない体験をしたときに、それを自分がどう消化するか、万事はそれに尽きる。神様を信じようが、悪魔を信じようが、本人の勝手ではないか。こうした信念が、他人と共有できる。共有すべきだ。そう信じるところから、信念の強制が始まる。それがロクな結果を生まないことは、歴史が、さらに現在が、証明するとおり。
自分にとっての体験がいくら強烈でも、時間が経過すれば、クライトンのスプーン曲げになってしまう。そうした体験に対して、自分がナイーブだっただけのことである。見渡せば、自分よりナイーブな人はたくさんいるかもしれないが、新しい人がどんどん生れてくるのだから、それは当然である。
恋愛がまさにそうだということは、ある年齢になれば、だれでも気がつく。恋愛が強烈な体験であることはたしかだが、だからといって、すべての人が恋愛をするわけでもないし、恋愛を繰り返すごとに、その内容が、「客観的かつ伝達可能」になるわけでもなかろう。自分がそういう類のことを理解したところで、相手が理解するとは限らない。子供に説教をした人なら、だれでも知っている。こうした体験は、本人にとってはともかく、ほかの人にとっては「積み上げ」がきかないのである。戦争体験を子供に語れば、おおかたは横を向く。臨死体験だって、同じであろう。それがはやるのは、どこかおかしい。私はそう思っているだけである。
体験は一時であっていいが、経験は「客観的に」積み上げがきくものでなくてはならない。もちろん「経験」ではなく、次の体験、それだけを待って暮す人もいるであろう。そうした暮しが放浪生活をもたらすのかもしれない。西行も山頭火も、それか。しかし、全員が西行になるわけにもいかない。
自分にとって積み上げがきくことと、他人にとっても積み上げがきくことの間には、はっきり違いがあるように思う。経験科学が実証を重視するのは、実証によって、積み上げが可能であり、その積み上げの効果が、他人を含んでいるからである。自分だけの積み上げとは、たとえば剣術の名人である。私が名人になったからといって、子供の剣術が上達するわけではない。逆もまた、真である。
超常体験を積み重ねれば、それで頭がおかしくならない限り、心理的には、すぐれた人物ができるかもしれない。だからといって、その方法がだれにでも応用できるわけではない。そうした体験は、根本的には当人のためだけである。『クオ・ヴァディス』の最後の光景を考えてみればいい。迫害に耐えかねたペテロは、ローマを去ろうとする。アッピア街道で、かれは後光に包まれたキリストに出会う。ペテロは尋ねる。「クオ・ヴァディス、ドミネ(主よ、いずこに行き給う)」。キリストが答える。「お前が十字架にかからぬのなら、私が行ってふたたび十字架にかかろう」。ペテロにつき従って歩いていた少年には、むろんキリストは見えない。ペテロが宙に向かって会話している。
クオ・ヴァディスといえば、「クオ・ヴァディスの教会」というのが、ローマ郊外のアッピア街道に建っている。教会の中央をかつてのアッピア街道が通っており、当時の敷石が、教会の床を作っている。この小さな教会に、キリストの大きな足跡がある。クオ・ヴァディスの際の、キリストの足跡だという。コンクリートではないかとも思える石の上に、大きな足跡が実際に捺《お》してある。ふつうの人の足の、二倍はあると思う。鎌倉の半僧坊にある、天狗の下駄や葉うちわのたぐいである。
ここを案内してくれたのは、白タクの運転手である。この運転手は、見せたつもりはまったくないのに、当方の財布の中身を完全に当てるという、イタリア風特技の持ち主だった。この教会は、いかにも私の想像するローマだった。気に入ったから、珍しくこの教会の絵ハガキを買おうと思ったが、小さな無人のスタンドがあるばかり。そこに絵ハガキが置いてあるが、小銭がない。そう運転手に言ったら、「この次来たときに返してくれればいい、ハガキは持ってけ」とニヤリと笑った。このときの借金はまだ返してない。だから私は、キリストの足跡に、いくばくかの借金がある。
[#地付き](一九九一年七月)
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金とはなにか
お金くらい、変なものはない。なぜなら、本来どうして交換可能かと思われるような対象が、お金を媒介にすれば、平気で交換されてしまうからである。
私が大学で働くと、ただいまのところ、一カ月に手取りで四十数万円下さる。ただし、その金額の算定根拠は、私にとっては不明である。おそらく、だれにとっても不明であろう。なぜなら、働いても働かなくても、ほぼ同じくらいの額をかならず下さるからである。もっとも、それが、官庁の取り柄といえば取り柄である。
そもそもお金は、なぜ交換の媒体になりうるのか。それは、ヒトの脳がそうできているからである。脳という臓器は、その内部で、もともとはとうてい交換不能なものを、強引に交換してしまう。たとえば、目から入る刺激は、物理学的にいえば電磁波だが、脳はそれを、音つまり空気の振動と等価交換する。それが、視覚言語と音声言語である。「あ」という形に発する、電磁波の信号が、「ア」という音と等価に交換される根拠は、脳がそれを実際に等価交換しているはずだ、という事実以外にない。脳は、そのいずれをも、神経細胞の信号に変換する。だから、音と光とではなく、信号と信号とで、交換が可能になる。お金はじつは、その信号が、いわば単に外界に出たものに過ぎない。ヒトは、自分の脳を、外部に「投射する」のである。
幽霊であれば、脳が自分のイメージを外界に投射したのだということは、たいていの人が気がついている。しかし、お金というのは、紙幣であれ貨幣であれ、それなりの実体になっているから、脳の投射だとは考えにくい。それでも、紙幣を燃やして見れば、それがただの紙にすぎないことはよくわかる。だから、お金自体に、意味はまったくない。それは、信号それ自体がまったく意味を含まないのと同様である。信号の通る経路を、継ぎ変えることができたとすれば、信号の意味はまったく転換してしまう。
私が子供の頃は、物不足、さらにはインフレ、新円切換などということがあったから、ミカン箱に一杯、お札があっても、無益な場合があることは知っている。いまの若い人には、そういう感覚は欠けるかもしれない。私にとって、お金はしょせん、人間の約束事にすぎない。ただし、いまではそれが、別な実体感を持つようになった可能性はある。お金の世界に暗黙の実体感が生じたことが背景になって、お札を「金」と交換するという、兌換《だかん》券が無くなったのかもしれない。
現代はシミュレーション社会だとか、擬似現実の社会だとかいうが、それは、現代社会が、身体というより、脳に似てきていることを示している。つまり、脳の中では、すべては擬似現実であり、すべてはシミュレーションだからである。その象徴がお金であって、現代社会が、お金を中心に動くような気がするのは、倫理観が変化したからではない。社会が脳に似てきたためである。
現代社会は、要するに、より抽象度の高い世界である。いまの人間が、身体と頭のどっちを余計に使うかといったら、多くの人が、そうとは意識せずに、頭の方を昔より余分に使っているであろう。
テレビを見るという一見単純な行為ですら、頭を使わなくては出来ない。手足を使って、テレビを見るわけには行かない。受験戦争が大変だというが、以前よりは頭を使わなくては、生きていけない社会を作ってしまったから、仕方がない。
ボケの問題が深刻になるのも、頭の重要性が増したからである。昔は、カマドに火をつけた上で、その事実をすっかり忘れても、同時に薪を加えることも忘れてしまう以上、火が燃え続けることはなかった。しかし、いまではいったんガスに火をつけたら、消すという操作を加えるまでは、ガスが燃え続けることになる。だからボケが大変なのである。
お金の問題とは、私からすれば、典型的な「信号問題」である。お金を現実と思っている人は、そうは思わないかもしれないが、それは、自分の手元、つまりお金の動きの末端だけに注目するからである。それは脳の場合も同じであって、感覚だけに注目すれば、現に感じられる以上、すべては現実だということになる。しかし、感覚だって信号としていったん脳の中に入ってしまえば、あとは「八幡の藪知らず」である。
信号の問題点は、その意味で、途中から現実がどこかに飛んでしまうことである。お金がお金を生んだりするのは、脳の中で信号が増幅されるのと同じであろう。脳の中で極端に信号が増幅される病が、癲癇《てんかん》である。現代社会における、お金の増幅は、ほとんど癲癇の前駆症状に似ている。ドストエフスキーを読めばわかるが、軽い癲癇は、天国にいるような恍惚《こうこつ》状態を感じさせることがある。株で儲《もう》けたり、土地で儲けたりすれば、恍惚状態になる人も多いのではないか。
お金の動きそのものが、脳の中の信号の動きによく似ているので、たかがお金の動きに関する議論が、ときどき哲学や神学の議論に近くなるのであろう。こうした学問は、「ことば」という脳内の信号間の関係を、その信号そのものを使って議論する。際限なくモメるのは、そのせいである。
頭の中を信号が飛び回り、変なものが等価交換される。その法則性がわからなくて、お金の動きの法則性がわかるはずがない。その法則性をあっちに置いて、お金の動きに正義や倫理を期待しても、おそらくムダである。頭の中のハエが追えないのに、外に出たものが統御できるはずがない。宗教裁判を行なった人たちも、その世界では良識派だったであろう。ただそれでも地球は回った。問題は、天界の動きを、神の定め給うたものとして、聖書にある通りとする態度から生じた。お金の物理学は、いつ生じるのであろうか。
[#地付き](一九八九年四月)
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昔の人にあらず
六月のある日曜日、エアロビック・ベル・カップの審査員をつとめることになった。早い話が、エアロビクスの美人コンテストである。この話をすると、「おれが代わってやる」という親切な友人が多い。「その必要はない」と言うと、次に「なんでお前が審査員をやるんだ」とかならず訊く。理由を聞いてどうするつもりか。考えてみれば、男が「自分こそその資格がある」と信ずる点において、美人コンテストの審査員の右に出る役割はないのではないか。要するに、男であればすでにその資格が満たされる。世の男どもは、そう信じているらしい。
これはただの美人コンテストではない。そもそもエアロビクスというのは一種の体操だから、その技術がある。それに体力、血液検査。さらに持ち時間二分ほどのスピーチを含め、総合判断をする。これなら、一般のコンテストに比較しても客観性が強い。つい教師の癖が出て、入学試験もこういう具合に行かないか、と思ったりする。
さまざまな職業で、こういうコンテストができないか。とくに必要なのは政治家。いまはほとんど利害関係だけだが、これに体力、常識、風采、血液などの検査を加える。頭のCTスキャンつまりコンピュータ断層撮影もぜひ欲しい。多少とも脳の磨《す》り減り方がわかる可能性がある。ところで、この続きを書こうと思って、ウィルソン大統領の病気について書いた一節を、カナダの神経内科医の本から捜し出そうと思ったら、その部分がどうしても見つからない。ほかの本だったのかもしれない。こちらの頭の検査の方が必要かもしれない。
政治家の病気、とくに精神状態に影響するものは、歴史を変える可能性がある。ウィルソンが典型だが、これは記録が見つからないから論じない。その代わり同じ書物の中に、毛沢東について書かれた部分を見つけた。毛沢東は晩年パーキンソン氏病だった。これは脳の黒質という部分が傷害される。ドーパという薬物を使う治療がある。ただしこの薬は精神に対する副作用があって、幻覚や妄想が出る例がある。もともとそういう傾向のある人は、とくに注意を要する。妄想というものは、むろん本人は妄想だとは思わない。毛沢東はパーキンソン氏病の新しい治療を受けていたはずなので、ひょっとすると文化大革命だってドーパの副作用だった可能性がないとは言えない。この医者はそう言うのである。
いまの中国を動かしているのが、本当に年寄りなのだとすれば、この点は大いに心配である。パーキンソン氏病は若い人には出ないが、年配の人には多い。これは脳の一部の傷害に過ぎないが、治療しようとすると、どうしても副作用が出る。相手が脳だから難しい。この病気だけではなく、かなりの年齢になると脳の機能にいろいろな問題が生じる。年寄りが頑固になり、新しいことに適応が難しくなり、涙もろくなり、敏感でなくなることは、よく起こることである。それはしばしば、動脈硬化による小さな卒中の集積であり、脳全体の萎縮《いしゆく》であり、部分的な傷害である。ほかにもさまざまな症状が出る。
ある人を「同じ人」だと思うのは、そう思っているだけである。自分のことを考えたって、若い時といまとを比べたらけして同じではない。若い時ならとうてい想像もできないことを考えたり、したりしている。若い時、私は人前に出たら口がきけなかった。それがいまでは図々しく講義や講演をする。その自分といまの自分を同じだと思っているのは、そう思っているだけのことである。名前はたしかに同じだが、これは勝手に変えると怒られる。それでわかるが、名前はもともと他人のためにあり、自分のためにあるものではない。物心のつく前から名前がある。その時代の名前こそ、他人のため以外のなにものでもない。自分では名前のあることすら、皆目わからないからである。脳死やら植物状態やらでは、反応がないからまだましだが、精神病のために相手が違った反応をするようになると、まず家族がひどく苦しむ。家族には、相手がいままでと同じ人間のはずだという強い思い込みがあるからである。変わってしまった相手の、新しい状態に適応するのは、容易なことではない。そこに多くの悲劇が生じる。しかし、これならいわば個人的な問題である。政治家はそうはいかない。大勢の人の運命に関わるからである。
いつも書くことだが、中国のような巨大な国の「最高指導者」に自分がなれる、あるいは自分がそうなっていると考える。そう考えることができるということ自体が、考えようによっては正気の沙汰ではない。十一億の人間を統治することが個人に可能だと思うのは、誇大妄想としかいいようがない。むろんかつての中国には指導者がいたかもしれない。しかし、時代の変化を考えてごらんなさい。古い話だが、戦前は「支那に四億の民が住む」と言った。それ以前なら人口はもっと少ない。十一億などという人口は、いくら中国の歴史が古いと言っても、有史以来ない。それを昔から中国だったからという理由で、いまでも相変らず中国だと考える、その辺りから、そもそも変だと言えば変なのである。量は質に転化すると言ったのは、マルクスではなかったか。
ヒトの脳は、チンパンジーやゴリラの脳と比較して、容積が三倍になっている。それでご存じのような違いが生じる。それならたしかに量は質に転化したのである。その脳は、年齢とともに、他の臓器と同じように変化する。同じ名前だから同じ人だと思っているのはいわば「言霊《ことだま》」時代の信仰であろう。伝統にはありがたいものもあるが、迷信というのもある。老齢の政治家とは、伝統か、迷信か。
[#地付き](一九八九年八月)
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いちばん偉い人
全斗煥氏の運命を見ていると、なんだか気の毒な気もする。大統領だったときには、多くの外国の要人が、全氏を表敬訪問したことであろう。こういう人たちが、あの国を再訪する機会があるなら、いささかバツの悪い思いをしないだろうか。
いちばん偉い人がその地位を去ると、こういうことに成りやすい。サル山のサルでは、そこがどうなっているか、報告を詳しく検討する必要がある。他山の石である。全氏の隣の国では、絶対に辞めないし、孫子の代まで頑張ろうという人がいるらしいが、全氏の運命を見ると、なるほどと思う面もある。辞めるに辞められないのだな。
いちばん偉い人が辞めたときに、その人をいじめる習慣をつけると、そのうち偉い人になり手が無くなるはずである。それでもなりたい、という人は、目先のこともわからないバカに違いない。いまのやり方では、後でいじめるのを楽しみに、先のこともわからないバカを偉くしたがっているとしか思えない。余裕があって結構だが、これは平和のときにしか成り立つまい。平和がいつまでも続くものでないことは、歴史を読めば、だれでもわかる。ただ、だれも、それを聞きたがらないだけである。
動物はこういう場合、どんな方法を取るのか。ハナダイという熱帯魚がいる。これは群れをなして泳ぐ。群れの先頭はつねに雄で、この群れには、雄はこれ一匹しかいない。では、この雄が欠けたらどうなるか。むろん、雌のうち一匹が、先頭に立たざるをえない。一週間もすれば、この雌が雄になっている。つまり、性転換してしまうのである。
偉い人になったら、脳転換、つまり脳を取り替えて、清廉潔白、誠心誠意、不言実行、寛仁大度となるようにする。そんな手術でも考えたらどうか。私は、手術をする側に回してもらう。本人としては、別にいまのままでいい。患者にはなりたくない。
個人の能力というものを素直に考えれば、合衆国大統領とか社会主義共和国連邦最高幹部会議長などは、おそらく成り立たないのではないか。たてまえでは誰がやってもいいはずだが、数億の人間を統治することが、自分に出来ると考えること自体、そもそも正気の沙汰とは思えない。ほとんど誇大妄想である。まわりの人間だって「私には無理だが、あなたになら出来る」などと、いい加減なことをいって当人をダマしているに違いない。自分にできないことを、どうして他人ならできると保証できるのか。
現在の政治制度は、大国であれば、普通人の中からという、誇大妄想狂の選択をしているのであろう。私なら、修身─斉家─治国─平天下の出だしで、もういけない。そもそも身持ちが修まらない。それに女房を持った以上、斉家は、はなから不可能である。平等であるからして、斉《ととの》えられるのは、多く見積もって家の半分以下である。第一、勤めに出ていたのでは、家ではとうてい女房の敵ではない。
大学は、いちばん偉い人の問題に、直接の関わりはない。しかし、類似の問題がないわけではない。学内で私がなにかの「長」になる。これは得にならない。よく雑用が増えると文句を言う先生があるので、あるいはご存じであろう。本来の仕事に差し支える。
それが、私個人ならまだいい。じつは、小なりといえども、教授というのは、教室を抱えている。つまり助教授、助手、大学院生、研究生、出入りの学生などである。「長」はこういう人たちの得にもならない。教授が研究費を稼いでくるとか、あまりありそうもないが、仕事のよいアイディアを思いついて、自分たちも得をする、という機会が減る。本来、教授がやっていた雑用も、だんだん廻ってくるようになる。私の教室などは、ほとんど諦めているからいいが、それでも、先生がなにか引き受ければ、どうせ損になると皆が思っている。
そのことを考えているうちに気がついた。学内の「長」といえども、公職の端くれには違いない。それで身内の損になるのは、健全な証拠である。公職で得が生じたら、それは要するに汚職ではないか。しかし、まともな人が、長にはなりたがらないという傾向は、次第に進行するのではないか。やっぱり得にならないからである。しかし、得になるからやるというのでは、汚職が生じて当り前である。こんな矛盾した状況で、人間がまともに育つわけがない。
もし資本主義社会が、「個人がその利益を自由に追求することによって」、健全に発展するという常識で成立しているのであれば、公職については、もう少し考えたらどうか。いかなる社会においても、公職とは、個人がその利益を追求する立場ではない。しかし、公人といえども、家に帰れば、家族の一員である。家族の常識は、公職の常識ではない。資本主義の常識である。ここでもじつは、修身斉家治国平天下が成立しているらしい。しかし、資本主義の原則で修身、斉家まで努めて、治国のところで突然、公の利益のみを追求せよと言っても、それはムリというものである。やっぱり、脳転換が必要であろう。
全氏もまた、家族の行動が問題になったらしい。しかし、いまの世の中で、家族を無視して行動できる公人がいるとしたら、周囲からは、おそらく人でなしとされるのではないか。
わが国では、家族ではなく一族郎党、つまり会社であり、同僚であろう。その利益を無視して、本当に公職が成り立つか。だれかやって見せてくれないかと思う。少なくとも何年か国を背負ったという意味で、私は全氏に、ご苦労様をいいたい。それは、悪く言われているようだが、数人のこの国の元首相についても、同様である。感謝の気持を忘れないこと。そう言ったのはだれだっけ。
[#地付き](一九八九年五月)
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権力とはなにか
大学紛争の頃は、教授会が「権力の源」だった。あの頃、私は助手だったが、学生の言う「権力者」たちの多くは、学生にそう言われて、自分が権力者かもしれないことに、突然ながら気がついたという様子に見えた。ほとんどの先生は、自分のどこが権力者か、学生の指摘自体を不思議に思っていたのではないか。予算は文部省次第だし、給料も自分の仕事にはほとんど無関係に定まっている。権力者とは、だれかほかの人のことではないか。そう感じていたのであろう。助手の私は、映画「殺人狂時代」を思い出していた。この主人公を演じるチャップリンは、検察官に凶悪な殺人犯として指さされると、自分の背後を見るのである。
だから、ウォルフレン氏の『日本/権力構造の謎』を読んで、突然その頃を思い出したのである。いまでは私も、教授会の一員なので、当時の定義によれば「権力者」であろう。むろん、当人にその「権力者」たる自覚はない。久しぶりに権力という言葉を聞いたので、この言葉が頻用されていた時期を思い出したらしい。
もう一つ、大学紛争を思い出させる理由が、この本にある。それは、「東大をつぶせ」と、ウ氏が結論づけておられることである。紛争の頃は、ご存じのように、東大は「粉砕される」はずだった。もっとも、ウ氏の言う「東大」は、どうやら東京都文京区本郷七の三の一に位置する、建造物としての東大ではないらしい。内容的には、東大「法学部」出身者が大勢をしめる、官僚制の源をつぶせということである。それなら、東大ではなく、「法学部をつぶせ」と言って欲しかった。正確には、そういう趣旨ではないか。
考えようによっては、法学部くらい、ずるいところはない。大学紛争のきっかけは、学生の「処分問題」にあった。これは、学内の「法律」の問題であろう。しかし、法学部の先生が、当時この問題について明確な意見を表明したという記憶はない。好んで火中の栗を拾う馬鹿は、法学部にはいないはずである。おそらく、法学部の先生方は、「それは医学部の問題でしょう」とお考えだったにちがいない。ウ氏ふうに言えば、医学部と法学部は違う「システム」なのである。両者は利害が反することもあり、競争もあるかもしれないが、たがいに他の内部には干渉しない。
ウ氏は、法学部ではなく、「東大をつぶせ」と表現されるくらいだから、あまり意識しておられないようだが、大学は学部自治であり、法学部の決定に医学部は制度上も実質上も無関係である。それを、十学部まとめてつぶせ、と外から言われては、他学部は迷惑する。しかし、法学部の先生は抗議しないであろう。法学部と大学が等置されることは、「つぶす」意図が真にどこかにあるなら、かならずしも法学部の損にはならない。それなら法学部の先生は黙っているに違いない。そういうところが、「官僚制の源」だけあって、ずるいというか、「頭がいい」のである。正直なところウ氏は、わが国のシステムがどうはたらくか、それをきちんと指摘しておられる割に、こういう具体的なところで、システムの思うつぼにはまっておられはしないか。この国を「理解し」、それについて「発言する」ことは、各システムの利害によって、その発言がバラバラに理解され、利用されることを意味する。これこそ、システムの思うつぼにはまることであり、日本人あるいは「システム関係者」を批判する真の苦労は、じつはそこから始まる。
この国の権力を、私は自主規制と解釈している。西洋では権力は「正の」権力らしいが、日本は「負の」権力なのである。剥き出しの正の権力と思われるものなら、日本人でも反抗する。ところが、自主規制というのは、権力が負の形で表現される。要するに、「できてもやらない」ということである。権力者が我慢して「正の」権力を発動しないでおけば、相手がまるっきりの馬鹿でないかぎり、それに気がつく。場合によっては、ウ氏のように、それを「脅し」ととることも可能である。しかし、権力者が相手の「理解を待っている」と言えないこともない。こうした「負の」やり方は、西欧にも当然存在するはずである。
負の権力は、つねに自主規制という形をとる。それをウ氏は、まるっきりの「服従」のように表現されるが、そんな奴隷的な心情の人間など、どこの世界にもありはしない。マスコミだって「表現の自由」を「正のものとして」信じていれば、差別問題に関する表現の規制などしないであろう。しかし、それを自主規制することが、マスコミにしてみれば、すでに「マスコミという権力」のチェックを認めていることなのである。それが今度は、私という個人にとっては、表現の自由の侵害になる。しかし、諸般の事情を考えて、私も自主規制する。しかし、それに反抗する自由は、むろんある。そして、その反抗に対する代償も、他の世界と同じように、むろん存在するのである。
正の権力に慣れた目からすれば、負の権力は面倒に見えるであろう。しかし、同じ人間のやることにさした違いがあるはずはない。アメリカ人だって、ヴェトナム戦争に「負け」、犯罪をふやすつもりはなかったであろう。しかしそう「なった」。ドイツ人だって、ワイマールの民主制のもとで、まさかヒットラーが出てくるとは思わなかったであろう。しかしそう「なった」。日本人だって、経済的に大成功し、そのためにまさか非難されるとは思わなかった。どのようなシステムも、システムであれば、類似の欠陥を持つであろう。人はすべてを見通すわけには行かないのである。
[#地付き](一九九〇年十二月)
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環境問題の解決
飛行機で羽田から関西へ飛ぶ。途中、富士山の近くを通る。それまでに、ゴルフ場がたくさん見える。驚くほどたくさんある。山があれば、ふもとにゴルフ場がある。そんな感じである。
熱海の駅で、タクシーに乗る。この辺はゴルフ場が多いネ。そう水を向ける。たちまち乗ってくる。「お客さん、この辺から日帰りで行けるゴルフ場がいくつくらいあると思います」「知らん」「百はあるでしょうな」。
医者向けの雑誌を、頼みもしないのに送ってくる。そこに、ゴルフ場の会員権情報が載っている。小金井三億三千二百七十万、東京よみうり一億五百十万、これは高い方。安い方なら三、四百万。なんのことやら、わからない。そもそもゴルフをやったことがない。会員権の意味がわからない。
ゴルフ場建設反対。この方も、そういうわけでよくわからない。わかる必要を感じない。
自然保護だというが、もはや日本の自然はほとんどダメである。考えても、グッタリして、元気が出ない。昭和三、四十年代ならともかく、今となっては、なにを言ってもムダ。そんな気がする。なによりも水がいけない。ゲンゴロウが稀種になってしまった。タガメは売っていると聞いたが、ゲンゴロウは売ってないであろう。
人類の文明は、大河の河口近くに発生した。そういう場所が、いちばんはじめに農地化されたに違いない。だから、そういう場所に生えていた植物が、まずなくなったはずである。アメリカでは、植物の種を保存している。それは、とくにこうした場所に野生していた、作物の原種の種である。現在の農業は、経済原理にもっぱら依存しているから、虫害なりなんなりが突然に起こったときに、作物の原種が保存してないと困るのである。経済性がよい品種が、そうした天災に強いとは限らない。そういう場合には、原種に戻って品種を改良し直す。しかし、いまのような程度の保存のやり方では、おそらく間に合わないという。こういう話を聞いても、やはりグッタリする。私は、こういう点では、現代に不適応である。
湾岸戦争で、石油が海に流れた。流れたのか、流したのかは知らない。これも、肺ガンと車の関係と同じで、必要悪なのであろう。石油を使うかぎりは、ときに海に流れても、仕方がない。自然が「自然に」回復するか、回復しなくても、なんとかなるだろう。
逗子の池子の問題も、米軍住宅に注目すれば、単なる政治問題だが、環境問題とすれば、全然違った見方ができる。五十年以上も手つかずの自然林など、関東の平地にはもうないであろう。だから貴重だと言えば、住宅の方をなんとかしなくてはならない。そこまで考えてあの場所を決めたのか、それが怪しい。そもそもあれはもともと弾薬庫で、別に自然を保護しようと思って、保護してきたわけではない。危ないから、近所に人を住まわせなかっただけである。これでは、自然保護派も気合いが入らない。
人間という「自然」は、実際タチが悪い。ガンと同じでどこにでも広がり、地球を食い荒す。それがガンで死ぬのは、自業自得みたいだが、それがまた「自然」かもしれないのである。こうなると、考えている方も、ほとんどヤケクソである。
いったい、どんな手をうったらいいか。それがよくわからない。ともかく、自然を教えるべきであろう。自然は不気味なもの、統御するには、たいへんな努力が必要なもの、なかなか管理できないものである。だからこそ、人間は社会を作って、その中に、管理できる状況を創ったのである。ところが、そればかりになってしまったから、自然も社会と同程度に、管理可能だと思うようになってしまったらしい。どうせこうなったのなら、ブツブツ言わずに、「人間という自然」を管理してしまう方が早いのではないか。
自然保護派と同じで、人間の遺伝子導入は絶対いけないと言う人がいる。それなら、人間をいまのままの性質にしておいて、なんとか自然を保護してみてくれ。どうせまた石油を流し、炭酸ガスを増やし、ゴルフ場を作るであろう。元凶が人間なら、それを変えたらいいのである。ここまで自然をいじってしまったのだから、自然としての人間の身体など、別に神聖にして侵すべからざるものではないであろう。違うと言うなら、その論拠を示してもらいたいものである。遺伝子操作は危険だと言うが、車も危険なら、核戦争だってもっと危険ではないか。それに、後二者は現実の危険だが、遺伝子導入の危険は、まだ仮想上の危険に過ぎない。仮想上の危険はより大きな危険で、現実の危険はより小さな危険だと思うのは、単に人間の想像力を重く見た結果に過ぎない。それだって、遺伝子導入の結果、脳が変わってしまえば、変わるかもしれないのである。
明治に亡くなった人に、平成の御世の話をしたら、どうせだれも信じはすまい。そういう意味では、人間の想像力など、たかが知れている。人間を壊そうというのではない。それになにかを付け加えようというのである。われわれが考える程度のこと、それをすべて考えてくれ、われわれ以上のことを、いくらかでも考えてくれる。そういう存在は、人間が古くから考えてきたものである。人間が最後に創りだすものは、それであろう。人間はそれを、神という名で呼んだのである。
写真術ができる以前、その二百五十年前に、写真を小説に描いた男がいる。飛行機ができる二千年前に、ギリシャ人はそれを考えていた。人は考えるものを、いずれは実際に作るのである。
[#地付き](一九九一年四月)
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女は怖いか
女は怖い。女の人にそう言うと、「女が怖いはずがないでしょう」。そういう返事が、かならず返ってくる。私は女である。その私が、相手にとって、怖いはずがない。ゆえに女が怖いはずがない。こういう三段論法になるらしい。これを無意識に認める単純さが、なにより恐ろしい。
第一次大戦中に、バートランド・ラッセルが反戦運動をした。そんなことをなぜ知っているかというと、本人が書いているからである。しかし、これが記憶に残っている理由は、私が平和主義者だからでも、ラッセルに心酔しているからでもない。ラッセルたちの集会に、戦争を支持するオバさんたちが、乱入してくるのである。それが、手に手に、釘を打った板を持っている。もちろん、釘の尖った先端が、板から多数、突き出ている。
この話が怖い。なんとなく、性的な連想が加わるからかもしれない。情景を想像すると、なんとも怖い。ラッセルも結局は逃げるしかないのだが、逃げる途中で、おそらく一回くらいは転んだのではないかと思う。どうもそんな気がする。いまでは怪談を読むから、この手の話はあまり読まない。怪談なら、途中で読むのを止めれば済むが、集会ではそうはいかない。止めるきっかけがむずかしい。だから私は、反戦集会には、学生の頃から参加しない。
大学生の頃、ショーペンハウエルを愛読した。この人の母親が変わっていて、自分は天才だと信じていた。一家に天才が二人いるはずがない。そういう理由で、息子を家から追い出した。「人生は長く、芸術は短し」というのは、ローマのことわざである。ショーペンハウエルは、これをもじって、「髪長ければ、知恵短し」とラテン語で書いた。ショーペンハウエルは、そういうわけで女を憎んでいたので、下宿のオバさんを階段から突き落とした。
日本には、岸田秀氏のお母さんがいる。『フロイドを読む』(青土社)は、岸田氏がお母さんのことにひっかけて、精神分析を論じた本である。このお母さんは、お前のためだけを考えているのだと氏に言い聞かせながら、岸田氏を育てる。それを疑わなければ、ふつうの母子なのだが、岸田氏はやがてそれを疑ってしまう。なぜなら、自分が強迫神経症になったからである。その原因をたずねて行くと、それがついに母親にたどり着く。母親は叔母ではあるが、実母ではない。母は自分に、本当は愛情をもっていなかったのではないか。それを追及する過程で、岸田氏は、ついに専門の心理学者になってしまう。中学生の頃からフロイド全集を読むのだから、救いようがない。
精神分析というのは、要するに本人の解釈の問題である。とくに客観性はない。岸田氏以外の子供が、岸田氏のお母さんの子供であったら、話は違ったかもしれないのである。ほかにもこういう例があるかもしれないし、ないかもしれない。それがわからないところが、精神分析の面白いところである。人間は二人として同じ人はいないし、一卵性双生児のように、たとえいたとしても、同じ人生は歩めない。その解釈には、しょせん客観性、一般性はない。それをなおかつ一般化しようというのだから、分析に終りはない。
それにしても、こういう母親は怖い。ふつうはもっと、子供にだって、「あたる」ところがあるはずなのだが、それがないらしい。一見、やさしい母親なのである。これがいちばん恐ろしい。
フロイドについては、十九世紀のウィーンという背景を考えないわけにはいかない。フロイドの「個人心理」とは、当時の社会心理の個人への投影だ。岸田氏はかつて、そういう重要な指摘をしておられる。これはとくに、フロイドが性の抑圧を重視した点を指している。当時は、社会の性に対する態度が抑圧的だったのである。ところで、日本では、母親の「優しさ」がほとんど神話化している。これが、岸田氏を生み出す、原動力の一部になったかもしれない。岸田氏は、そういうふうには解析しておられない。あくまでも、母と自分との個人心理として問題を扱う。
「天皇陛下万歳」といって死ぬかわりに、「お母さん」といって死ぬ。皇軍の兵士について、そういう話がささやかれたのは、そう昔のことではない。これが事実であろうとなかろうと、日本の社会がそうした面を持つことは、疑いあるまい。天皇が禁忌とならなければ、おそらく母が禁忌となる。「九段の母」「岸壁の母」も、これと無縁ではない。これがなにに由来するか。どういう社会心理か。浅学にして私は、その理由を知らない。なぜ、「女ならでは夜も明けぬ国」なのか。岸田氏にいちばんうかがいたい点である。
女が怖いので、一時オカマに凝った。これは怖くない。なんと言っても、「本当は女ではない」という安心感がある。よく考えてみれば、なんの理屈にもなっていないのだが。真夜中に、六、七人のオカマを連れて、街を歩いたこともある。そろそろヒゲが伸びてくる時刻である。百鬼夜行とは、こういう姿を言うのだな。そのときにそう思ったが、百鬼より女の方が当時は怖かった。
いまは女がそれほど怖くない。というより、怖がっている余裕がなくなってしまった。忙しいから、「これは女だ」などと、いちいち確認していられない。それに、女と思うから怖いので、化粧をしている以上、オカマと思えばいいのである。外から見ると、一見女には見えるが、本当のところは、どうかわからない。いまはオカマがきれいになったから、自分をだます論理としては、これで十分通用する。この論理がいつまで有効か、それは知らない。
[#地付き](一九九一年五月)
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脳 と 電 脳
電脳というのは、中国語である。このことばは、よくできていると思う。電脳を使った、スタンフォード大学の解剖学の学習用プログラムは、エレクトリック・キャデイバー、すなわち「電死体」である。世界中どこでも、人は似たような表現を考えるらしい。
電脳は隠喩を含んでいる。電力を利用した、機械的な人工の「脳」を意味するからである。しかし、これはほんとうに隠喩か。電脳は事実脳そのものではないのか。
これは古典的な疑問であろう。脳と電脳はどこが違うか。機能は基本的、原理的に同じで、材質が異なる。こういうものを、生物学では、相似という。モグラの手と、オケラの手である。では、電脳と人間の脳は機能がまったく同じか。ただちに出る反応は、感情はどこに行った、意志はあるか、という問であろう。
電脳に意志がないのは当然である。意志は運動系から生じるもので、われわれはそれがどのように生じるのか、その過程を自分だって知らないのである。一般の電脳が設計可能であるのは、その機能過程をすべてわれわれ自身が意識しているからである。感情が生じる過程、意志が生じる過程を、われわれは意識しない。だから、それを機械によって再生できないのである。
あるプログラムを組み、いくつかの状況が組み合わさったときに、機械のスイッチが切れるようにする。それを電脳が怒ってストライキを起こしたと考えても、べつに差し支えはない。人間なら怒りだすような状況になったら、電脳が特定の反応をする。それを情動とよんでよいであろう。そうした機械が一般性を持つほど、われわれは自分の情動を理解してはいない。だれかが怒るような状況で、笑っている人すらある。
情動という機能は、脳で言えば、大脳辺縁系に属する。辺縁系の機能は、新皮質に属する明晰な意識と比較すれば、自省的には、あいまいな点が多いのである。考えようによっては、これほど当然の話はない。明晰な意識が新皮質に属し、それをわれわれは電脳化する。結果は意識に上るが、途中の過程は明晰ではないような過程、すなわち辺縁系に属する機能は、電脳化できない。途中の過程がわからないのだから、外在化できなくて当然である。むしろ、そういうものを情動と呼ぶのである。
CGを作る人たちに話を聞くと、電脳を使っているうちに、いつの間にか相手を人間と思っていることがあると言う。なんだか機嫌が悪い。自分で入れたプログラムなのに、そんな気がしてくることがある。こういう反応が人間の側に生じるということは、使う側が機械の背後に辺縁系の機能をすでに想定しているのである。それなら、もはや感情があるではないか。他人の感情が「事実」であるか否か、それには証明法はない。名優であれば、舞台から観客を泣かせるのである。
五感のうち二感、嗅覚と味覚には、言語の構成能力がない。聴覚には音声言語があり、視覚には文字があり、体性知覚には点字がある。匂いや味を使って、文字や音声言語に相当するものが作れるか。作れないから、そういうものはない。これは、解剖学的事実と対応している。言語を構成できる三感は、脳への上向線維がほとんどすべて、新皮質に上がってくる。残りの二感では、半分くらいが辺縁系に入るのである。したがって、味覚や嗅覚は言語化できるが、それ自体が言語を構成することはない。
電脳と脳の比較は、こうした脳の機能区分を、われわれに教えるはずである。この比較の意義は、それだけかもしれない。理性と感情が異なることは、だれでも知っている。しかし、それを担う脳の部分が異なることを、多くの人は意識していない。電脳は理性部分の延長であって、脳の「感情」部分の延長ではない。しかし、両者は脳で連結しているのであるから、電脳に感情が入れられないという理屈は成立しない。それをわれわれが感情と呼ばないだけのことなのである。感情が基本的には他人に伝達できないことはだれでも知っている。それが伝達されるとすれば、相手方が同じ感情を生じる機構を持つ場合だけである。ネコやイヌの怒りをわれわれがただちに理解するのは、同じ機構をわれわれが持つからである。しかし、かれらの「怒り」の内容を追体験することは不可能である。内容は他者には不明であり、それは個々の脳に属する機能だからである。電脳においても、事情は結局ほとんど同様であろう。
脳と電脳の比較は、もはやほとんど意味がない。そんなことより、電脳にはなにをさせるか、脳にはなにをさせるか、その方が大切ではないか。自分の脳を自律的に使用しない人は、あんがい多い。他人の脳のプログラム回路を、自分の脳内に再生して済ませる。これが一般的なやり方らしい。これでは自分の脳を他人の脳の「電脳」にするだけではないか。
[#地付き](DOGUOLOGY 一九九〇年五月号)
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図を描く機械
このところマイコンで絵を描いている。以前からこういうソフトが欲しかったのだが、やっと市販されるようになった。わりあい自由に線を描いたり、図形を描いたりすることができる。二点を直線で結んだり、二点の間に適当な曲線を当てはめたりするのは、むろん機械の得意わざである。図形の回転、移動は簡単にできる。適当な濃度で指定された領域を塗り潰すことも、そこに色を塗ることもできる。もちろん字の書きこみも自由である。
重要なことは、スキャナーという機械を使って画像を取りこみ、それを下絵として利用できることである。たとえば写真があるとする。その写真を取りこんで下絵とし、輪郭をとる。ここまでは機械がやってくれる。輪郭をとった図をさらに加筆訂正して行けば、写真から図が作成できる。写真があるから図は不要ではないか。そう思う人もあるかもしれない。そうは行かない。写真には、必要な情報も入っているが、不要な情報も数多い。たとえばゴミが付いたり、ハエが止まっていたり、光線の具合で被写体の一部だけが光ったり、遠くがボケていたりする。そういう偶然の詳細も、写真にはすべて取りこまれてしまう。図ならその心配はない。余計な情報は、描き手の頭を通る段階で、すっかり消去される。
この種の機械を使えば、他人の描いた図を自分の都合のよいように適当に変更できる。必要に応じて似て非なる図を呼び出し、それを自分の目的に合うように変更して利用する。こういうことが可能になる。私が考えているのは、解剖図を取りこんでおいて、それを必要に応じて利用することである。人体の図は古今東西にわたりきわめて多数あるが、それを一望のもとに見た人はいない。それを機械に全部覚えさせてしまい、必要に応じて呼び出す。というより、暇にまかせて呼び出す。さぞかし楽しいだろうと思う。むろん読者諸賢がそれで楽しめるかどうか、それは保証の限りではない。
こういう「絵を描くための機械」が普及すると、著作権の問題が厄介になる。いったん下絵として取りこまれてしまうと、自分の絵を何回他人に利用されてもどうしようもない。機械から出てくるときには、似て非なる絵になっているからである。有名な人の絵はそれでもいいが、そうでない人の絵は損をするかもしれない。この著作権というのは、じつに厄介な問題である。
絵画や文章のように、素直に書けば、その人が現われるものはまだいい。自然科学の図は、そういうものではない。人体の解剖図なら、人体が変化しない限り変わりようがない。対象が同じだから、簡略化するほど同じになる。しかも自然科学である以上、正確をむねとして実物に似せるから、どうしたって図柄は似てくる。「そんなことはない、人体は一人一人違う。個性があるだろう。個性が」。そういう個性は図には描かない。つまり個人によって違う部分を図に示すことはあまりない。それはいわば、たまたま死体にとまっているハエと同じことであって、偶然の産物である。偶然の産物は科学の一般的な対象ではない。
どうしたって似てきてしまうものに、著作権がどの程度あるか、やや疑問である。メンデルの法則に著作権はない。メンデルの法則を利用するたびに著作権料を取られたのではかなわない。同じように、人体の図にもひょっとすると著作権はないかもしれない。
自然科学というのは本来だれにでもわかるものである。なぜなら、論理的かつ実証的だからである。実験であれば、だれがやっても同じ結果が出る。そのはずである。それなら、一回限りのものではないから、著作権はない。そう考えたらどうだろうか。自然科学者は図を描いて食べているわけではないし、著作権で保護されなければ、食うに困るというわけではない。
確かに絵画と同じで、個性的な図というものもある。しかし、そうした個性的な図は、機械で描くわけには行かない。その個性的な図が描こうとしているのは、「客観的」「一般的」事実である。とすれば、その「客観」、「一般」を抽出した、個性的でない図をもし他のだれかが描いたとしても、それは仕方がないであろう。
科学者の先取権、著作権の問題は、わが国ではあまり議論されていないと思う。それはそれで健康なことである。先人の業績を参考にせずにできる科学の分野など、いまではほとんどない。だれであれ、他人の業績の上に自己の業績を積んでいる。それなら、あえて俺のもの、俺のものと、大声で主張することもない。そもそも科学が体制化し、社会の容認の上で仕事ができるのは、それが本来人々のためになるという思想があるからであろう。それなら俺が先、かれが後ということで争う必要もない。
絵を描く機械の将来は面白い。まだソフトは不十分だが、ワープロと同じで今後どんどん改良されるだろう。
ワープロの場合も、文章がいくらでも訂正可能で、訂正するたびに清書になって出てくるという特徴がある。紙に手で書いていると、書き直しでグチャグチャになってしまう。そうなった文章を読むと、文章のテンポがとりにくい。目があちこちに飛ぶからである。仕方がないから、書き直して全部を清書する。絵を描く機械も、訂正がいくらでもできるという特徴がある。時間さえかければ、素人でもかなりのところまで行く。これが一般の描画能力をどの程度変えるか、それにも興味がある。
ワープロが文章に与えた影響はまだ十分に知られていない。そこに絵が加わる。静かではあるが、これは現在進行しつつある革命の一つだと私は思う。革命である以上そこには良否、善悪がともに存在している。最終決算のためには将来を待つしかないであろう。
[#地付き](一九八九年十一月)
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世代的少数派
私の世代はしょせん少数派ではないかと思うことがある。終戦時、私は「小学校」二年生だった。そう書かなければ通じないであろう。じつはしかし、「国民学校」二年生だった。こういう学校は、戦争中の四年間しか無かったはずである。
入学したときは、皇居に向かって最敬礼、御真影も御製も、天長節も紀元節もあった。その後、民主主義、平和憲法、マッカーサー元帥になった。もう少し上の世代になると、この切り替えは、いくらか理性的だったのではないかと思う。つまり、変わったという事実、それはともかく頭で納得して、行動を切り替えたと察する。先生に対する信頼は失ったかもしれないし、変節を強要されたことに対する、いくばくかの恨みつらみは残ったであろう。われわれより十年近く上の人たちの言い分を聞くと、いまでもその恨みを述べているとわかることがある。
しかし、この切り替えは、われわれにとってはごく素直だった。つまり肌から入ってしまったのである。なにを教えられたって、素直に入ってしまう年齢だからである。そのおかげで、われわれの世代の困難が始まる。
われわれは教科書に墨を塗った。これも当然「素直」に入ってしまった。だから、教科書裁判というのがあったが、あれはバカがやっていると素直に思っていた。教科書になにが書いてあっても、都合が悪くなったら、墨を塗ればいいじゃないか。ともかくわれわれは現に「墨を塗った」のである。問題は、教科書裁判のどちらに正義があるかではない。そんなことは、どっちでもいい。時によって教科書というものは、百八十度回転するものである。それも、どこか遠い国で起こった、だれにも関わりのない出来事ではない。目の前で生じたことである。その事実を、どうして素直に受け入れないのか。
そうして起こったこと、それがいけないことだというなら、われわれはどうなる。われわれにとって教育は、事実百八十度回転したのである。それを子供に経験させるのが悪いことなら、それを経験したわれわれは、悪くなったわけではないか。つまり、われわれが一切関知していない教科書裁判なるものによって、知らない間に、われわれは悪例にされたといえる。
「侵略か進出か」問題というのがあった。これは新聞が作った架空の問題だったが、われわれの世代なら、これは「侵略イコール進出」問題という表現になる。どっちでも、同じことだからである。気に入らなければ、気に入らない方に墨を塗ればいい。われわれは事実、墨を塗って解決した。それが子供にとっていけないことなら、われわれはいけない子になったわけである。
こういう意見は、もちろん一般的でない。それはよく知っている。だから、世代的少数派だというのである。うっかり素直に意見を吐くと、周囲から怒られる。それは、社会的な問題に対するわれわれの意見が、こうした「実地教育」に由来し、そうした教育を、他世代は受けていないからである。その意味で、教科書裁判や、「侵略と進出はちがう」意見の方が、一般には正しいのであろう。それならわれわれは、死ぬまで少数派である。脳には臨界期というのがあって、その時期に構造があるていど決まってしまう。こうした社会的な問題については、小学校の低学年はおそらく臨界期ではないか。もしそうなら、育った後からでは、訂正のしようがない。
いまはリクルート問題というのがあるらしい。私は株のことは皆目わからない。株券を見たことすらない。ただ、江副さんという人は、どうやら私と同世代らしい。それなら、この問題はお気の毒である。われわれの世代は、社会的な善悪について、他の世代とは、いくらか異なった感覚を持つ可能性が高い。したがってこの問題も、当人の頭の中では、善悪の判断など、ほとんど無関係だった可能性があるからである。
右に述べたように、この世代は、個人の倫理はともかく、社会的善悪というものをほとんど信用していない。世の中は、明日になれば、百八十度変わるかもしれない。それを、頭で思うのではない、肌で思う。
江副氏は、ほかの方に迷惑がかかるから、なにも言わないといったらしいが、これは個人倫理である。私でも言わないであろう。つまり、われわれの世代は、個人についてはそれなりの倫理を感じるが、社会に対しては、あまり感じない。社会などというものは、変わるときには、どうせコロッと百八十度変わる。事実変わった。そんなものが倫理の基準になるわけはない。逆に社会的正義などといわれると、急に怒りたくなる。明日になれば、なにかの都合でひっくり返るくせに、偉そうなことをいうな。
これもかなり過激な意見だが、こういう意見が通用したのは、西洋でいえば、ルネッサンスであろう。だから、私とまったく同世代であり、同世代では隠れた人気がきわめて高い、作家の塩野七生氏は、ルネッサンスしか書かない。そう私は解釈している。
この時代は、教会の権威が消えつつあり、地上の権力もまた、いまだ不確定であった。われわれが臨界期に経験した世界は、まさにそういう世界だったのである。陛下という神は失われ、地上の権力者である大人たちは、食うために精一杯、しかも敗戦による頭の切り替えをしなくてはならない。この非常時に子供のことなどかまっていられるか。
だから塩野氏は、ルネッサンスという時代に託して、臨界期の自己を語るのであろう。女性は、いずれにせよ自己しか語らないものだとすれば、むろんそうなってもおかしくないはずなのである。
[#地付き](一九八九年二月)
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若い人たち
大学の教師をやって、二十五年になる。三十代までは、よく学生と間違えられた。実習室に学生用の教材などを持って行くと、「お前、それどこからもって来たんだ」などと、としかさの学生が詰問するのである。
四十代には、初対面の人に、「じつはもっとご年配かと思ったのですが」、とよく言われた。名前から判断すると、どうしても老年のイメージがあるらしい。冗談じゃない。小学生のときから、こういう名前である。
五十代になったら、次は還暦である。そんなもの、だれのことかと思っていたが、もはやそう遠い将来ではない。十年も残っていないのである。
なんだか、若い人が気になってくる。いままでは、自分が若いつもりだったから、若い人という範疇《はんちゆう》がなかった。最近では、こちらになくても、あちらにある。三十代までは、酒を飲むのでも、学生と団子になって飲んでいた。いまでは、そうも行かない。なんだか垣根ができたような気がする。私が気を使うだけではない。相手が気を使う。考えてみれば、私は相手の親の年配である。これでは、おちおち飲んでいられない。
もう一つ。カラオケがいけない。あれ以来会話ができなくなった。話をするより、歌でも歌え、ということになる。あれは、酒の上の会話を、ずいぶん減らしたはずである。それに、歌というのは世代の違いが如実に出てしまう。相手の年代もわかってしまうが、自分の年齢をいやでも意識させられる。それやこれやで、とうとう若い人という範疇が、私の中にもできてしまった。そうなれば、「いまどきの若いものは」と言い出すまで、あと一歩であろう。
その「いまどきの若いもの」である。これがよくわからない。第一に、もったいない。私の学部には、天下の秀才が集まるらしい。ところが、それが卒業して、「あいつ、どうしてる」と訊くと、どこそこの病院に行ってます、という返事が返ってくる。地方の病院で、風邪だの、胃ガンだのの患者さんを診ているらしい。それ自体は立派な仕事だが、なにも若い人がやらなくたっていい。私の母は開業医だが、「白髪にならなきゃ、臨床医はできないよ」とよく言っていた。人間を扱う職業だから、若いうちでは、本当はムリなはずなのである。天下の秀才に、風邪の治療をさせておくのは、国策として考えたって、ムダの骨頂ではないか。
しかし、当人も、周囲も、そう思わないとすれば、それはそれで仕方がない。なにしろ私の分野などは、3Kどころではない。6Kあるいは9Kである。3Kはキツイ、キタナイ、キケンだという。それに加えて、金にならない、研究費がない。気持が悪い。これで6K。あとの3Kなど、もう書く気もしない。これでは、同じKでも、風邪の治療の方が、まだましなのであろう。
若者が3Kを嫌うのは、社会の衰亡の兆候か。私はそのうちこの世から失礼するから、衰亡しようが、発展しようが、知ったことではない。しかし、なにしろ、若い人がもったいない。使えば、もっと使えるのに。
この「もったいない」という感覚自体がもはや衰亡してしまったらしい。いまの若者は、目的志向に欠けるという。それは、すべてが現在だからである。なぜすべてが現在になったのか。それは、情報を集め、予測し、管理するからである。それが情報社会、管理社会である。そうして予測された「未来」、それは、予測が確実であるほど、確実な「現在」に転化する。だから、すべてが現在となり、ゆえに敏感な若者たちは、目的志向を失うのである。
それが大人にわからないとすれば、やはりこの社会は衰亡の一途をたどるはずである。それで別に悪いというわけではないが。
[#地付き](太陽 一九九一年八月号)
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分化・人間・都会
おとなとはなにか[#「おとなとはなにか」はゴシック体]
おとなとはなにか。自然科学の思考では、まず物事の極限をとる。極限でも成り立つ法則は、極限にまだ至らない、途中の状況でも成り立つからである。おとなの極限なら、それは老人である。しかし、世間では還暦というものがあって、六十歳になると子供に還ることになっているらしい。こうした循環論が発生したのでは、おとなの論理的規定は、とりあえず困難になってしまう。
こういう場合には、論理的な対偶をとる。べつに難しい話ではない。おとなの対偶と見なすことができるのは、子供である。子供の極限とはなにか。それは卵である。すなわち受精卵である。これは一個の細胞に過ぎない。大きさは、ヒトであればほぼ十分の二ミリ。卵には手足もなければ、頭もない。これを未分化という。卵はどんどん細胞分裂をした結果、細胞数が百とか千とかに、すぐ増える。しかし、この程度の段階では、胚はまだまったく未分化である。この一桁上くらいの細胞数まで増えると、やっと胎児と、胎児にならない部分の区別くらいが生じる。
胎児にならない部分というのは、つまり羊膜であるとか、胎盤であるとか、ふつうの人が考えたこともないような構造である。それと、将来からだになる部分。その二つが、なんとか区別できるようになる。それから次第に、身体のさまざまな部分が生じ、これまた、たがいに区別できるようになる。これを分化という。したがって、子供の特徴とは、要するに、なにもかも未分化であることである。俗にこれを、ミソもクソも一緒、と言う。
脳もからだの内であろう。それなら、頭の中身も、分化、未分化の法則に従うはずである。だから、若いということは、頭の中が未分化だということである。それなら、おとなということは、頭の中が分化していることであろう。世間ではこれを「分別」と言う。「分」も「別」も、要するに、「分ける」ことにほかならない。つまり「分化」である。天地の始まりは、混沌だと中国人は言う。混沌に穴をうがつと、混沌が死んで、天地が生じる。混沌とは、物事がもっとも未分化の状態である。中国人は話が大袈裟だから、主題が天地になっているが、天地というものは、結局われわれが「認識する」世界であり、つまりは脳の描く像である。それは始め混沌だが、次第に分化する。こう言うのである。若い人の頭の中は、しばしばなにもかもが一緒くたであり、それを混沌、すなわち「分別がない」と言う。
女房が、私の母親、つまり姑のことで私に喧嘩を売る。これは、私の母親と、私という存在の「分別」がないのである。もっともこれは、分別と言うより、まず「区別」の問題であるかもしれない。しかし、区別するのは、彼女の感覚器の機能であり、区別の結果あらためて「思慮」を働かせるのを、分別と言うのであろう。いかに女房の感覚器が未分化であるとしても、母親と私の区別がつかないほど、それが未分化だとは思われない。それなら、感覚器ではなく、やはり頭の中身が未分化なのである。
娘の方は、テレビに何か、ないし誰かが出てくると、怒ったり、笑ったりしている。テレビというのは、ご存じのように、ブラウン管が作る、やや湾曲があるとは言え、要するに一平面上の視覚的イメージである。それに音声が加えられる。その二種類の単調な知覚刺激と、笑う、怒る、喜ぶ、悲しむ、すなわち情動とが、きわめて容易に「結合」するというのは、まだ脳が未分化な証拠である。そこには「分」も「別」もない。困ったものである。
分別がつく、すなわち分化が生じるためには、他方では、基準がなくてはならない。まったく無関係なものが生じることを、「分化」とは言わない。同じ受精卵という細胞から生じる諸器官だからこそ、これを分化と言うのである。カエルの足とヒトの頭が、それぞれに「分化」したとは言わない。こういうものは、始めから無関係だからである。現代の困ったところは、この「基準」である。始めから、関係があるのかないのか、そこがよく分からない。だから、「分化」したのか、していないのか、それが判然としない。こういうのを、話にならない、と俗に言うのである。
人を食べた人がその説明をしたり、人を殺した人が生い立ちの小説を書いたり、殺した子供の骸骨を撫《な》でたりするのは、分化か未分化か、それが明確ではない。むしろこういう現象は、「異化」ではないかという気もするが、こういう言葉は、残念ながら発生学では使わない。分別の困難は、じつは「分ける」ところではなく、その暗黙の背景となっている、共通の基盤にある。共通の基盤がなければ、分も別もない。始めから無関係なものを、分けるもヘッタクレもないからである。
分化の一つの特徴は、ほとんど後戻りが効かないことである。殺し屋として徹底的に分化した人間であれば、これは常人には戻れない。これをプロと言い、アメリカの推理小説にはよく登場する。しかし、殺しておいて後悔して、気持が戻るようでは、これは未分化である。こういう場合には、どうその人を取り扱うべきか、周囲が困る。これはわが国では始終起こる問題であり、もともと頭の中身が未分化であることによって発生する。相手がプロなら、捕まっても泣き言は言わず、言い訳はせず、むしろなんとか逃げようとするであろう。殺しておいて、後悔され、反省されたのでは、被害者の遺族が困ってしまう。憎むか、許すか、そこが複雑怪奇になってしまうからである。
都会とおとな[#「都会とおとな」はゴシック体]
都会におけるおとなの困難は、右の論理から明瞭である。都会というのは、むやみに人間が集まるところであり、人間がやたらに集まったという以外に、明確な構造がない。そうした無原則な構造の中に置かれた個人が、分化するか否かということになると、やはり「異化する」としか言いようがないであろう。だから現に異化するのである。
都会で人間が迷子になるのは、無構造な中では、細胞が分化できないのと同じことであろう。いまでは、細胞を「培養する」ことは日常的に行なわれる。これは、シャーレの中に栄養物を含んだ液を入れ、適当に酸素を供給して、細胞を育てることである。ふつうの細胞をとって、こういう手段に訴えると、なにが起こるか。脱分化という現象が起こる。肝臓なら肝臓の細胞という個性があったものが、その個性がだんだんはっきりしなくなるのである。肝臓の細胞という個性が、完全になくなるかと言えば、かならずしもそうではない。しかし、肝細胞としての分化した特徴は、周囲の構造の消失(シャーレの中だから当然である)によって、ほとんど損なわれてしまう。だから、生体の中にあるときは、明瞭に肝細胞だと言える存在が、シャーレに移してしばらくすると、専門家にも、どこから取った細胞か、それがわからなくなってしまう。
都会という環境は、きわめて人工的である。むしろ、人工でないものを見せてもらいたい。そう言った方が早い。植え込みやら街路樹やら、みすぼらしい「自然物」が残されているが、それも人間が適当に「考えて」配置している。要するに都会では、すべては「脳の中」になってしまっている。建物しかり、道路しかり、建物の内部しかり。そこに住む人間は、早い話が、脳の中に住む人間である。それはおそらくシャーレの中に住む細胞に酷似する。貧弱な外部環境の中で、脱分化を起こしているに違いない。
なぜ脳の中に住むことが問題か。そこでは、予想されないものは、存在しない。生死ですら、そこでは予想がつく。つかなければならないのである。予想さえついていれば、結果がたとえひどいことになっていても、むしろ許容される。自動車事故による死が好い例である。自動車の構造も、その速度も、生産台数も、道路の建設も、すべては人間の脳の中の作業から始まる。脳によって管理される過程から起こる悲劇は、悲劇ではない。天災によって、これだけの死者が出れば大騒動になろう。車による死は当然だから、放っておくのである。天災は当然ではない。自然はつねに「当然」ではない。それは脳にとって予測不能の部分をかならず含む。予測不能なものは、非論理的なものであり、非論理的なものは、不気味なものである。なぜなら、それは管理できない。脳は管理できないものに、徹底的に敵意を持つ。それは、脳の無能力を如実に示してしまうからである。都会では、すべては予測可能性、管理可能性の上に成立する。したがって、そこでは自然物、予測不能物としての「生きた人間」は「痩せ細る」ほかはない。
かつてヒトが生きることは、自然の中で、その予測不能性を生きることであった。実存主義が指向したのは、都会にわずかに残された、ギリギリのその点である。しかし、都会はその一点すら嫌う。だからサルトルは「嘔吐」したのであろう。都会は予測の中を生きる。予測された過程を「生きる」、それは生と言うよりは、むしろ死に近い。徹底的に予測可能なものは、じつは生とは矛盾する。人間は脳化=社会=都会を形成することによって、予測不能性を可能な限り排除し、結果的に生を排除することになった。ゆえにそこでは、各個人の分化が生じようはずがない。すべては都会というものの分化、成熟に捧げられるのである。都会においては、個人は代替可能な部品にほかならず、私でなければ貴方でよく、貴方でも私でもなければ、第三者でいい。脳は最終的には個人を必要としない。「利休死すとも、茶の湯は死せず」とは、それを言うのである。
都会の中の個人は、そうした意味では、まさにシャーレの中の細胞である。シャーレの中の培養細胞もまた、「生きものという自然」の中の細胞ではなく、脳の作った、ごく貧弱な環境内の細胞である。そこでは細胞は「脱」分化する。周囲の構造を失うことによって、本来の個性を無くした、わけのわからぬ細胞が生じる。都会という脳の中の環境は、予測のつかない自然を排除した環境を作ることによって、同じように無個性の、しかも奇妙に「異化した」個人を生じる。それをわれわれは、都会人と呼ぶのであろう。
それがいいか悪いか、それは私の判断することではない。シャーレの中の細胞もまた、細胞には違いない。これにさまざまな条件を加えてやれば、集まって、「肝臓もどき」「人間もどき」の構造を作るかもしれない。都会を作ること、その中に暮すことによって、人間はどうやら、培養細胞になろうとしているように見える。培養細胞における「成熟」とはなにか。これは、どういう細胞を必要としているかという、研究者の「つもり」に依存している。都会におけるこの「つもり」は、明らかに個人の意思ではない。そこでは「利休個人」ではなく、「茶の湯」の意志が働いている。利休ではなく「茶の湯」を実在と信ずるか否か、それは個人の勝手である。私はその実在を信じないのだが。
[#地付き](東京人 一九九〇年九月号)
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クジラの正義
クジラはたいへん利口だということになっている。イルカももちろんクジラの仲間であり、利口なことには変わりはない。私の職場である東京大学医学部の標本室には、傑出人の脳というのが陳列してあり、その中には、夏目金之助とか浜口雄幸、池田勇人などの脳がある。その棚にはなぜか、イルカの脳が一つ、ポツンと置いてある。それは、イルカの脳に、いかに皺が多いかを示すためなのである。
この利口なクジラやイルカが、あるとき、集団で砂浜に乗り上げてしまう。なぜか。
動物学者の解説によれば、クジラの類は、音響定位といって、自分の出す超音波の反響を聞き、障害物を検知する。ところが、砂浜が沖まで続き、その傾斜があるていど以上緩いと、音波が戻ってきてくれない。したがって、クジラはそこに砂浜があることが感知できないのだという。
この話はわかったような、わからないところがある。砂浜が感知できないのはいいとしよう。でも、途中で自分の身体が海底につかえたことくらいは、感じているであろう。それなのになぜ、砂浜に乗り上げるまで、クジラは方向を変えようとしないのか。それではまるっきりバカではないか。そこの解説がついていないから、この話が釈然としない。
そこのところを、もちろんだれもが考えなかったわけではない。安部公房氏は『死に急ぐ鯨たち』というエッセーを書いた。そこではクジラたちは、たとえば先祖返り的な、溺死《できし》に対する恐怖によってパニックをおこし、集団自殺するのではないか、という仮説が紹介されている。
クジラは耳がいい。しかし、目は性能が悪い。嗅覚はないに等しく、胎生期に嗅神経は退化してしまう。皮膚感覚はどうか。これもどうやら、あまりよくないと思われる。クジラの表皮は厚く、ということは、皮膚知覚はわれわれの足の裏が極端になったようなもので、よいはずがない。しかも年中、水に漬かっているだけだから、多種類の知覚などあるはずがない。それは、クジラの皮膚の末梢知覚器の種類がきわめて限られており、ひょっとすると一種類しかないと思われる点からも十分に想像される。それに、クジラの皮膚には、フジツボだとか、クジラジラミだとかいう寄生生物が付着しており、そんな皮膚に、われわれのような微妙な感覚を期待する方がムリというものであろう。
さて、ということは、クジラにとっては、聴覚がきわめて重要な知覚だということになる。それでは、脳がなぜ発達するか。それは聴覚機能のためであろう。クジラの脳こそまさしく、聴覚機能の徹底的処理に向かって、きわめて特殊化した脳ではないかと想像される。
聴覚機能は、脳ではどのような能力に近いのか。たとえば、論理的能力。目には、遺憾ながら、論理はあまりない。百聞は一見にしかずである。見ればわかる。これは論理ではない。明証である。
ところが、耳は時間を追う。説教はじゅんじゅんと説くのであって、ひと耳でわかるというわけにはいかない。クジラもきっと、そうに違いないと、私は思う。クジラが頑固に砂浜に向かうのは、クジラの論理からすれば、そこに砂浜などというものが、あってはいけないからである。聴覚に検知できないものは、あってはならないものである。あってはならないものは、ないものである。これはきわめて論理的かつ倫理的思考ではないか。
動物には、善悪の判断はない。そう思っている人が多いが、それはおそらく違う。善悪のように、感情により近い判断、それはどちらかといえば、原始的つまり脳の下部から発するものであることは、周知の事実である。イヌは腹を出した相手を、さらにいじめることはない。イヌにとっては、それはほぼ絶対に禁止である。それを許せば、イヌのような肉食動物は仲間喧嘩で滅びる可能性がある。相手を殺すための身体的装置は、十分に備えているからである。それなら、腹を出して降参した相手を殺さないことは、イヌの道徳的判断でないと、だれがいえるか。
クジラはほとんど聴覚しか使わない。この巨大な動物にとって、生きるためには、ほとんどそれで十分だった。その脳はきわめて発達するものの、聴覚的な論理的思考しか受けつけない。だから、クジラは、論理的かつ倫理的に砂浜に乗り上げる。聴覚的に存在しないものは、クジラの世界には、あってはならないものだからである。クジラは長年、なにを恐れることもなく、そうして大海原を自由に泳ぎ廻ってきた。それはクジラの正義といってよいであろう。
あってはならないといわれるものは、この世にたくさんある。だが私は、それをいわれるたびに、クジラの自殺を思い出す。この世にあるものは、あるものである。あってはならないから撲滅するというのは、きわめて論理的だが、それは、時によってはクジラの自殺ではないのか。
私は、ユダヤ人を撲滅しようとしたヒットラーに、与《くみ》するものではない。しかし、あれをあまり悪党にされると一言いいたくなる。クジラがわれわれと同じ哺乳類であるように、ヒットラーもまた人間だった。われわれもまた、人間である。ともに人間である以上、ああいう人が、時と場合によって、また出てこないと、だれがいえるか。クジラが集団自殺をするように、かれに追従した人間は、大勢いる。次の機会にもまた、おそらく大勢いるであろう。それがヒトというものではないか。なぜなら、そのことは、すくなくとも一度、実際に証明されているからである。
だから私は、自分の中にも、いくばくかのクジラと、いくばくかのナチズムがありうるかと思っている。
[#地付き](一九八九年一月)
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タヌキとはなにか
最近、わが家の近辺にタヌキが出没する。タヌキも「人口」が増えたらしい。裏山の下草を刈らなくなったから、山からタヌキが下りて来やすい。そういう説がある。タヌキはなんでも食べる。神経質でないから、ヒトに慣れやすい。そんな説もある。
多いときは一度に五匹出てくる。近所の人がそう教えてくれた。ついでに、教えてくれたことがある。近ごろ、タヌキの中に、アライグマが一匹、混じっているのですよ。
いずれどこかのペットが逃げたものだろうが、タヌキに混じるところが、納得が行くような行かないような、よくわからないところである。タヌキは、日本からアムール流域に特産する。地元ではなんとなくバカにされているが、世界的にはそれなりに珍奇な動物である。英語ではラクーン・ドッグ、つまりアライグマ・イヌという、英語の語感からすると、アライグマは、タヌキに混ざる権利も、イヌの群れに合流する理由もある。
アライグマはなぜタヌキを選んだか。それには、いろいろ個人的な事情もあろう。しかし、これは思ったより重要なことではないか。ひょっとすると、種というものの定義に関わりかねない事例だからである。
タヌキは種で、アライグマも種である。こうした「種」とは、いかに決定されるか。この議論は、生物学でも決着がついていない。別種の動物を掛け合わせる。その場合、第一代雑種はできることがあるが、その雑種には生殖能力がない。そういう説がある。たとえばウマとロバの子が好例である。ウマとロバの雑種はラバだが、ラバどうしに子供はできない。だから、ウマとロバは別種である。私はそんなふうに教わった。
考えて見ると、ラバはそう簡単にできるはずがない。できたところで、ラバを掛け合わせて「絶対、子供はできない」という結論が出せるほど、「ラバの掛け合わせ」実験を律儀に繰り返した人がいるはずがない。雑種ができないのが別種だという説は、確率的ではあっても、論理的でも、実際的でもない。
最近、「互いに同種と認知するものが同種である」という考え方がある。これだと、ウマと交尾したロバはウマと同種か、という問題が生じる。ウマは相手を「変なウマ」と考えたかもしれず、ロバはウマに強姦されたと思っているかもしれないのだが、動物の頭の中は不明なので、こういう点は自然科学上の議論にはならない。もっとも、自然の状態では、こうしたややこしい状況を、通常考える必要はない。
この定義だけで、種の規定がうまく行く。私はそうは思わないが、この考えが肝要な点は「認知構造」という、従来の自然科学でいえば「主観的」として無視されるべき基準を、あえて種の規定に持ち込んだところにある。こうした考え方をとると、タヌキの仲間にアライグマが混じったというのは、存外に意味深長である。
タヌキはアライグマを「やや変なタヌキ」だと思っているかもしれない。そうタヌキが思うだろうと私が思うのは、タヌキ自身が、愛敬はあるが、どうも薄ボンヤリしているような気が、私にはするからである。換言すれば、タヌキという種の認知構造は、ややいい加減なのかもしれないのである。
もちろん、アライグマの方がいい加減なのだ、という説が生じることは疑いないが、ここではなんといってもタヌキの群れが母体であるから、アライグマの発言力は、弱いといわざるをえない。群れのタヌキ全員が、アライグマを「変ではあるが、これは一種のタヌキである」と認定しなければ、このタヌキ群にアライグマが参加を許されるはずがないではないか。
さて、認知構造がいい加減であるとは、どのような効果を持つか。
有利な点は、はっきりしている。政治家のことを、一時はニコポンといったが、これは要するに、だれに対しても、ニコニコしてポンと肩をたたくという意味である。相手に対して選り好みがないので、トキのように種の個体数がわずかになっても、子供がなかなかできない、といった不自由がない。どうしようもなければ、相手はアライグマでもいい、というわけである。
種の認知はいかにして決まるか。これが先天的つまり遺伝的であるか、後天的すなわち文化的、教育的であるかは、つねに大問題である。それはヒトに関わるからである。ヒトはかならず人間規定を持つ。これこれをするものは人間であり、あれこれをするものは人間ではない。そうした規定である。骨を持ち出して、ヒトかヒトでないかを決めようとするのは、解剖学者か人類学者しかないであろう。人間規定のなかでも、きわめて著名なのは、カンニバリズム、すなわち食人である。人を食うのは政治家なら職業的行為だが、この場合の食人は、文字どおり、ヒトの肉体を食う行為である。ヒトを食うのは、普通ヒトではない。
この規定があるために、キリスト教のある宗派のように、医療行為としての輸血すら、拒否することが起こる。臓器移植の問題も、この辺に大きな心理的抵抗があろう。消化管を通ることによって、完全に変形した他人の肉体と、原形をとどめた他人の肉体の、どちらかを自分自身を生かすために利用するかは、個人的な都合でヒトを殺せば殺人だが、国家の名において、航空機から爆弾を落とせば英雄的行為であるというのと、どことなく類似点がある。
動物における種の認知構造がよくわからないのは、じつはわれわれ自身が、自分の認知構造をよく知らないからであろう。一体どれだけの与件がそろえば、ヒトか。「人を人と思わない」とか「人でなし」とかいう表現がある国では、ヒトたる与件は、きわめて明瞭であるはずなのだが。
[#地付き](一九八九年三月)
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不思議な話
たいていの人には、不思議な話というのがある。最近では、石原慎太郎氏の『わが人生の時の時』。ヨットから海に落としたはずの時計が、あるとき女性によって届けられる。その女性がだれかも知れず、時計がどのようにして海から回収されたか、それもわからない。
私には、こうした不思議な話は、一切ない。自然科学という無粋な分野で仕事をしているせいらしい。不思議なことがあったとしても、無理に合理的な説明をつけてしまう。一度、手に持っていた遺骨が笑い出したことがあったが、この現象も、物理的に説明できなかったわけでもない。
そうは言っても、子供のときから、不思議でたまらないことは、じつはたくさんある。それはすべての動物。オーストラリアには、数メートルのミミズがいて、このミミズのいるところでは、ミミズが土を食べる音が聞こえる。こういう話を聞くと、実際にミミズが見たくてたまらなくなる。私の恩師の恩師だった小川鼎三先生は、やはりどうにも我慢がならなくなったらしく、ヒマラヤまで雪男を捜しに行かれた。井上靖氏の『群舞』は、小川先生がモデルになっている。小川先生はクジラの脳が専門だったから、ついでにガンジス河からガンジスカワイルカを捕まえてきて、不忍池に放すと言っておられた。近ごろは、こういう気宇壮大な話が少ない。
昔から、不思議な動物の話は多い。これにはいくつか、特定の型がある。一つは、竜に代表される怪物で、要するに派手な動物。いつになっても恐竜が好まれるのは、この型であろう。食肉性の有袋類であるタスマニアオオカミは、すでに絶滅した。しかし、さらに豪州にはトラがいるという話がある。フクロトラである。こういう噂も、怪物願望の表われであろう。
もう一つは、変な動物。最近では、例のツチノコ。ヘビのようだが胴が太い。むろん足はない。モモンガが、空中滑走の途中で地面に落ちたものではないか。これには、そういう解釈がある。モモンガが滑走中に思わず地面に落ち、手足を縮めて呆然《ぼうぜん》としている。それを人間が見て、これはなんだ、ツチノコだと騒ぐ。いずれにしても、愛敬があってよろしい。
ツチノコはわが国の特産かというと、そうでもない。じつは私が小川先生から盗んだ書物がある。先生は亡くなられたから、もはや時効だと勝手に解釈して、いまだに返さない。英書で、『未知の動物の痕跡を求めて』という表題が付いている。雪男の記述が本の半分くらいを占めているから、参考書として小川先生が買われたのであろう。この本の最初に出てくる動物が、ドイツ・アルプスで見られる奇妙な動物である。タッツエル・ヴルムという。これも足がなく、胴が太い。この本には、その動物の写真がついているが、いかにも模型らしく見える。しかし、それはともかく、ツチノコがわが国の特産ではないらしいことが、これでわかる。
第三の型が、不気味な動物である。生きて動いてはいるのだが、なんだか正体がよくわからない。源三位頼政のヌエ。これは脊椎動物らしいが、いまも昔も、わけのわからぬ動物の代表である。こういう不思議は、昔の人の方が詳しい。
「紫野に大徳寺を草創ありし時、庭の池を掘りしに、官人達、開山と値遇の縁を結ぶとて、おのおの錦のもっこにて土を運ばれしゆへに、これを官地といふ。今に方丈の前にある池なり。此池を掘る時、土の下より手も足も目も口もなくして、むぐめく者出たり。人皆これをあやしむ。開山これを宗仏と名付け、法堂のしたにうづみて、当山の守となれとて、その日をもつて、末々までも供養をするを宗仏忌と云と、筆にも残り、人の口譜にもつたへむ」。(沢庵、骨董録)
これならいまでも出そうな気がする。こういう話には、わが家の息子がすぐに参加する。この間、東京の家の汚い池を掃除した。そうしたら、生き物が住めるとも思われない汚れた池の水底から、まさしく「手も足も目も口もなくして、むぐめく者」が出た。「不気味だったぞー」と言う。親の教育が悪いから、動物の分類学を知らない。したがって、それがどのような動物綱に属するものか、判断できなかったらしい。「それは、古風に言えば、なにを隠そう、宗仏というものじゃ」と教えたが、それ以上のことは、当方にも不明である。無知というのは、恐ろしい。学術上貴重かもしれない標本が、こうしてどんどん消えてしまう。
明治の初めに、外国人が日本にやって来て、多くの昆虫を採集して帰った。その中には、いまではどこで捕まえたらいいものやら、皆目わからないものがある。こんなものが本当にいるのかいな、と思う。無知といえば、当方も至って無知なのである。そうかと思うと、昆虫のグループによっては、いまでも新種ばかりというのがあるらしい。いままでだれも、真剣に調べていなかったのである。
人間に関する不思議な話というのは、私にはあまり面白くない。一年に数十人の死体を見ていれば、善悪はともかく、人間とはほぼこんなものかと思ってしまう。動物は不思議でたまらない。都会に住んでいると、それに触れる機会すらなくなる。仕方がないから、人間が不思議になるのであろう。これからは、虫が増える季節である。どんなものが家の周囲に住んでいるか、たまにはしっかり見てみればいい。ほとんどの人は虫ケラと言ってバカにする。しかし、その虫ケラの歴史は人間を越えること、数億年なのですよ。
[#地付き](一九九〇年六月)
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ハチの一生
毎年、家の軒先にスズメバチが巣を作る。今年も二つ、作った。一つは途中で女王が死に、作りかけの小さな巣が残った。もう一つは子供たちが元気に育ち、立派な巣になった。
問題は場所である。例年、屋根の庇《ひさし》の下に作るのだが、今年は二つとも、サッシのすぐ上に作った。つまり位置が低いのである。今年はハチの巣が低いから、台風が多いよ。本人はいっこうに信じていないのだが、ともかく家人にそう言った。ところが、台風が事実多かった。
五月ごろに、その年の台風の頻度を予想する。そんなことがどうして可能か。カマキリの卵が高いところに生んであると、その年は雪が多い。そうも言う。もしそうなら、秋のうちに、冬の天気がある程度わかるわけである。どちらも、どうも半信半疑である。
理屈がつかないと信じない。これは悪い癖だが、職業上、やむを得ない。新薬だの、新治療法だの、あるいは漢方だのと、いちいち信じていたら、とても身がもたない。たとえ理屈がついても、証拠がなければダメ。ハチの予言は、理屈が見つからないのだから、証拠だって探しようがない。これではどうにもならない。
動物の不思議は、昔からいくらでもある。こういう話は、人間の夢でもあるから、そう簡単にはなくならない。ネコやイヌが、驚くほど遠くから帰ってくる。本能的に家の方向がわかるらしい、という。そういう映画まである。
町中のネコを捕まえて、トラックに載せ、箱に入れて外が見えないようにする。それから町中をグルグル走り回って、郊外に出る。そこで、あらかじめ用意してある、大きな迷路の中心に、全部のネコを放す。この迷路には、東西南北に出口がある。どの出口からネコが出てくるか。じつは、町にいちばん近い出口から、ほとんどのネコが出てくる。ここまで行くと、これは多分ウソではないか。私はそう思う。わが家のネコを見ていると、とてもそんな芸当はできそうもない。
夜になっても帰ってこない。心配していると、裏の山で鳴き声がする。下りて来られないらしい。仕方がないから、声を頼りに、こちらが上って行く。やっと見つけてそばに寄ると、パッと逃げる。バカはどうしようもない。超能力など、とてもあるとは思えない。
ハチの巣は十一月の初めに落ちた。残った部分に、十数匹のハチがしがみついている。どうせハタラキバチで、これはもう用が済んだから、あとは寒くなったら死ぬだけである。なんだか身につまされる。巣が落ちたら、家庭も会社も、なにもかもつぶれたのと同じである。生き甲斐がない。残った人生、一花咲かせる知恵もない。そう思うと、人間はまだマシか。生きてさえいれば、回復の見込みはある。
一人で冬を越した女王が、春になると一人で巣を作る。だから、そこで女王が死ぬと、作りかけの巣だけが残る。自分の生んだ卵がかえり、生れた幼虫が無事に育つまで、女王が餌を運び、一人で子供の面倒を見る。やがてこの子供たちが育つ。これがハタラキバチになる。いったんハタラキバチが成虫になると、あとはこの連中が子供の面倒を見てくれる。女王は巣にいて卵を産んでいればいい。
ハチの雌が女王になるか、ただのハタラキバチになるかは、餌による。秋が近づくと、女王は雄を生みだす。雄は、受精なしに生れる。ここがハチのわからないところである。雌バチはすべて、受精の結果生れる。いつ受精するのか。じつは、女王は、前の年に交尾しているのである。おなかはその時の精子を貯めており、そのまま冬を越す。春になると、その精子を使って受精し、ハタラキバチを量産する。
秋が近づくと、精子が種ぎれになり、ついに雄バチが生じる。これが新しく生れた女王と交尾し、自分の方は冬を越さずに死んでしまう。冬を越すのは、女王と、その中に貯えられた精子だけである。
雄が受精しないで生じる。これが、ハチにハタラキバチという変なものが生じる理由である。
ハタラキバチは女の癖に、子供が生れない。なにをするかというと、自分の兄弟を一所懸命育てるのである。自分で子を生まないで、兄弟を育てる。そういう特殊な行動がなぜ生じるか。
それを解明したのは、社会生物学である。その秘密は、雄が受精しないで生じるということに尽きる。つまり、ハチの場合の兄弟とは、自分の生んだ子供よりも、遺伝子から見れば、自分に近い。それなら、自分に遺伝子構成の近い子孫を残そうとすれば、ハタラキバチにとっては、子供よりも、兄弟を育てた方が有利なのである。この理屈は、こういう類のことを考えたことのない人には、わかりづらいかもしれない。
残った巣にしがみついているハタラキバチを見て、なにを考えるか。家人は直ちに巣を叩き落とそうとする。刺されたらどうする、というのである。それを止めるのは、私である。しかし、秋になって、その巣を見て諸行無常を感じているのでは、いっそ叩き落とした方が、すっきりしたかもしれない。しかし、ハチというのも頑固で、落としてもまた同じところに巣を作るのである。
巣が低かったので、今年は観察が容易だった。惜しいことをしたのは、背中にマークをつけなかったことである。つければ個体識別ができたから、もう少し、ハチの生活がわかったかも知れない。それがわかったら、どうだと言うのか。生れてこの方、その種の反論ばかり、言われつけている。とくに返事はない。
[#地付き](一九九一年一月)
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虫が好かない
食物に嫌いなものはない。それがわれわれの世代である。ただしカボチャとサツマイモ、これはいけない。戦中戦後に、人間が一生かかって食べる量を、すでに食べ終ったからである。
これは、明らかに後天的な好き嫌いである。ところが、クモ嫌いとヘビ嫌い、こちらは先天的であるような気がする。しかも、両者は、たがいに他を排除する傾向がある。つまり、ヘビは平気だが、クモはいけない。クモならましだが、ヘビはどうしてもダメ。動物に対する人間の好悪は、この二つのどちらかになるらしい。わが家では、家内はヘビ、娘と私は、クモがダメ。クモは家内が片づけ、ヘビは私が片づける。
私は虫は大好きだが、クモは大嫌い。とくにアシナガグモがいけない。英語では「足長おじさん」という。以前はドブの蓋の下にたくさんついていたが、幸か不幸か、最近はあまり見かけない。嫌いなものを、きちんと定義すると、エビ・カニ類を除く節足動物で、足が六本より多く、かつ胴体に比較してむやみに長いもの、これがいけない。三十年前に奄美大島で夜釣りをしていて、クモヒトデを釣り上げたことがある。この時は、釣った当方が大急ぎで逃げた。これは節足動物ではないし、足の数も五本だが、好き嫌いは論理ではない。そもそも「クモ」という名前が悪い。
ゲジゲジは見るのも嫌。ムカデを見たら、すぐに退治する。これは噛まれると面倒だから、止むを得ない。ヤスデは平気。じつは、この順に足が短い。足数の問題ではない。ムカデは体節に一対、ヤスデには二対、足がある。ゲジの足は──考えたくない。
いずれもわが家にはしばしば出る。ヤスデが床を這《は》っていてもまったく驚かない。むしろ安心する。似たような姿に見えるが、ゲジでもムカデでもないからである。
梅雨時に近づくと、ムカデが増える。障子や襖を大きいのが這うと、独特の音がする。きぬずれというのがあるが、これは「ムカデずれ」である。この音がしたら、断固どこまでも追及する。夜中に頭の上に落ちてきて、無意識に手で払って噛まれる。家内も腕を腫《は》らしたことがある。そういうことがないようにする。
ゲジゲジ。どういういわれか知らないが、カマクラオオゲジなどという嫌な名前がついている。弱い動物で、すぐ死ぬ。簡単に足が取れる。床の上になにか細いものが、規則的に並んで落ちている。よく見ると、ゲジの足である。家内が叩いてつぶした後、胴体だけ片づけるから、こういうことになる。書いていて、鳥肌が立つ。わが家を新築して、引っ越してきた最初の日である。目の前の白い壁に、大きなゲジがついていた。以来、家内が退治する。初日からこれでは、この家はどうせろくなことはない。この原稿を書いているうちにも、二回、電気のブレーカーがとんで、書きかけの原稿が全部消えた。ゲジのせいに違いない。
節足動物は外骨格である。つまり、外側の殻皮が、われわれの骨に相当する。筋肉は、骨ではなく、殻の内側に停止する。殻が骨である以上、こういう動物は、殻が硬くなくてはいけない。その殻が柔らかいというのは、規則違反である。クモの気に入らない点は、まさにここである。節足動物のくせに、強くつまんだら、潰れる。この「潰れる」のが、気色が悪い。
子供の頃に、カニをよく捕まえた。ベンケイガニというのだが、正しくはアカテガニである。川岸の石垣の穴に、一匹ずつ、入っている。これを割箸をうまく使って追い出し、バケツに入れる。もう一つ、川で捕まるカニがいる。モクズガニである。これは、川の中に住む。汚い水でも、わりあい平気で生きている。渓流のようにきれいな水なら、サワガニがいる。このうちで、モクズガニがいちばんいけない。図体は大きいのだが、そのくせ、捕まえた瞬間、殻がフニャとすることがある。脱皮したばかりなのである。カニのくせに殻が柔らかい。なんだか、カニとは思えない。そこがはなはだ気持が悪い。こういうのは、すぐに放す。
節足動物は、なんといっても、殻がカチンカチンに硬くなければいけない。それが、節足動物のあるべき姿、美的倫理ではないか。フニャフニャのカブトムシやクワガタ、そんなものは許せない。子供たちにも、まったく人気はないであろう。クモヒトデが不快なのも、実際の硬度はともかく、足の動きが、いかにもフニャフニャなのである。あれがなんとも気に入らない。
そこまで考えたら、ヘビ嫌いの気持が突然わかった。クモヒトデの足が一本、身体から離れ、独立して歩き出したと思えばいい。それがヘビである。なるほど、そう思えば、たしかに気持が悪い。私はヘビは平気だが、昔のヘビ屋のように、ガラス窓の中に、数十匹のヘビがうごめいている状況、あれは誰にとっても、やや不気味であろう。あれは、クモヒトデの足だったのか。
テズルモズルという動物がいる。ヒトデの肢がどんどん枝分かれして、数が増え細くなる。学名をゴルゴノセファルス・カプートメドゥーサエ、つまりゴルゴンの頭・メドゥーサの頭という。要するに、不気味そのもの。これは一生のうちで、生きているところを、実際に見たくない動物の一つ。クモの大きいのもいやだが、これはすでにトリトリグモを見てしまった。鳥を捕まえるくらい大きいクモ、というのである。オーストラリアにいたときのことである。山の上から少年が、「大きなクモがいた」と大声を出して逃げ下りてきた。このクモは、私の心の中で、いまだに成長を続けている。
[#地付き](一九九一年二月)
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ゴキブリ殺しの文化論
虫が好きだといっても、なにからなにまでというわけではない。なんとなく気に入らない虫もある。
ゴキブリはだれもが嫌う。私だって、とくに好きではない。とくに、羽のない雌がいけない。そんなゴキブリがいるか。もちろんいる。オーストラリアには、古典的な虫、つまりほかの世界では滅びてしまったタイプの虫がまだ生き残っている。ムカシタマムシなどという奇妙なグループが栄えているくらいである。ゴキブリは、昆虫の中では古い方の代表である。したがって、オーストラリア大陸には、ゴキブリの種類が多い。無慮一千種。というのはやや誇張だが、よく調べたら、そのくらいは当然いるのではないか。むろん家の中ではない。野外に住んでいる。家の中にいるのは、チャバネゴキブリのようなコスモポリタン、つまり人間生活とともに広がった、世界中どこにでもいるやつである。
そのオーストラリアのゴキブリの中には、雄はふつう一般のゴキブリ型だが、雌に羽がないのが多いのである。家内は北海道の出身だが、そもそもゴキブリに羽があることを知らなかった。ゴキブリは南方の昆虫で、暖かいところに多い。氷が張るところでは、ほとんど冬が越せない。だから、北海道には、本来まずいないはずなのである。それがビル暖房の普及で、冬を越すようになった。そのゴキブリが、自分のアパートではじめて飛んだときに、仰天した家内は、「わが家のゴキブリに羽が生えて、宙を飛んだ」と友人に電話をかけたのである。
家内のように無知では話にならないが、ゴキブリに羽がないと、どうなるか。「平たいフナムシ」になる。体節すなわちエビの腹のような節が露出して、全体が節でできた、小さなゾウリに足が生えたようになる。足の数は、もちろんフナムシより少く、六本である。その平たいフナムシが、例の速度で突然パッと走る。これがなんとも気に入らない。フナムシというのは、一匹でいるわけではない。たいていは、ゴソゴソと多数出てくる。そうなれば、恐怖映画の一シーンに見える。その正体がゴキブリになるのだから、オーストラリアのゴキブリはいけない。それに混じって、足の長い、掌大のクモが出てくる。こうなっては逃げるしかない。
わが国でゴキブリの種類が豊富なのは、たとえば別府である。元来が南の土地だが、それに加えて温泉がある。これがゴキブリ向きである。九州に行くと、サツマゴキブリがいる。これは第一に、図体がやや大きい。第二に、漆黒に黒光りしている。これは、ゴキブリの中では、まだ感じがいい。潰れそうもないし、光沢のおかげで堅い感じがするからである。オオクワガタなどに、いくぶん似ている。ここまで来れば、もちろん私の偏見である。
ゴキブリが好かれないのは、だれのせいか。むろん、われわれのせいである。チンパンジーもゴキブリを嫌う。嫌い方を見ていると人間そっくりである。ゴキブリが背中についているのではないか。そんな感じがしようものなら、大慌てで手で払おうとする。その仕草は、人間がやるのと、ほとんどまったく変わらない。こういう仕草を見ていると、人間のゴキブリ嫌いは先天的だという気がする。しかし、ゴキブリが嫌味なのは、ゴキブリのせいではない。それをゴキブリのせいにするところから、「差別」が生じる。ゴキブリがゴキブリであることが許せない。しかし、ゴキブリはゴキブリであるしかないではないか。
無茶を言うなと言われそうだが、差別とは、元来そういうものである。相手方にない性質を、相手方のもともとの性質として「仮託する」。すべての差別は、そういうものであろう。嫌悪感だと、それがよくわかる。しかし、好意だって、論理的にはまったく同じである。それを贔屓《ひいき》という。その意味では、すべての贔屓は依怙《えこ》贔屓である。恋愛をみても、それがよくわかる。
相手がゴキブリなりクワガタなら、社会問題は生じない。人間となると、大問題を生じる。この国の人は、倫理のかわりに「美的感覚」を導入するから、わりあい差別感を表明しがちである。自分でそれに気がつかない。
「倫理」は行動の原則である。政治家の発言は、その影響から考えるなら、行動として捉えられる。それなのに「感覚」のレベルから発言するので、政治家の差別発言が止まないのであろう。
ゴキブリが嫌だからと言って、かならず殺していいというものでもない。「嫌」は感覚だが、「殺す」のは行動である。感覚が行動に直結するのは、進化的にはもっとも下等な神経系である。
ゴキブリ殺しを平気で許容する社会には、それなりの問題が自然に発生するはずである。ゴキブリを殺すための道具が、大都会に一般に広がるのは、なぜだろうか。いまでは、ハエ取りリボンや、ハエ取り用の長い管は、まったく見かけなくなった。これはもちろんトイレが水洗になり、人糞肥料が使われなくなったからであろう。そうしたら、次はゴキブリ。まだゴキブリがいるだけよろしい。これがいなくなったら、その次はなにか。どうもその次あたりから、対象が人間になりそうな気もするのである。子供たちのイジメの話などを聞いていると、そこが不気味である。「虫ずが走る」生き物というものが、人間の感性にとって、どうしても存在せざるを得ないものであるなら、ゴキブリやクモやフナムシを、その対象として保存しておくべきであろう。その先まで、あまり進行させない方がよいように思う。これは理屈ではなく、感性の問題なのである。
[#地付き](一九九一年三月)
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脳ミソください
山本夏彦氏に、はじめて拝顔の栄に浴した。『無想庵物語』の「読売文学賞の受賞を祝う会」というのが、文藝春秋社の肝煎《きもいり》で行なわれたからである。同社の『諸君!』に氏が連載をはじめて、すでに十数年になるという。その間、氏は連載を休んだことがない。皆勤だというので、歴代の『諸君!』編集長の名で、皆勤賞が山本氏に贈られた。
山本氏には、私は初対面である。それなのに、なぜノコノコとお祝いに出かけたのか。それには下心がないではない。
私は名のある人に会うのが好きである。この会にも、安野光雅、黒柳徹子、加藤芳郎、林真理子さんらの顔が見えた。なぜ、こうした人たちに会いたいか。じつは脳が欲しい。標本用に、脳が欲しいのである。初対面の人に、いきなりそう言うわけにも行かないから、まず知り合いになりたい。それで、有名人の集まる会には、ニコニコして出かける。まず当方の顔を売る。
作家の塩野七生さんにも、脳をくださいと申し上げてある。この方に最初にお目にかかったときは、たまたま標本室の技官の吉田君を同行していたので、脳をくださいという話に、すぐになってしまった。色よいご返事を頂いたような気がしているが、ただし、この人の場合は、たまにしか東京に居られない。イタリアに住んでいるから、当然である。東京でお亡くなりくださる確率は、きわめて低い。それで安心して、脳をくださると言ったのかもしれない。東京にたまに来られると、東大に電話がかかる。その時には、コロッケを御馳走しないといけない。そうしないと、もう脳はあげない。そう脅される。
山本さんには、脳をくださいとは、まだ申し上げていない。こういう話は、お悔やみのときよりも、お祝いのときの方がよろしい。その意味では、「受賞を祝う会」は好機ではあったが、申し上げそびれた。再度なにかのお祝いがあることを期待している。
作家や芸術家の脳は、ぜひ欲しい。東京大学には、すでに夏目漱石、斎藤茂吉、横山大観などの脳があるが、系統的に調べようとしたら、これではとうてい不足である。政治家や学者の脳もかなりあるが、これはかならずしも特異な才能ではない可能性がある。能力の一般性が高いからである。ところが、文学者を含め、芸術家の脳は、特異性が高いはずではないか。それがどんな特徴か、まだ皆目わかっていない。だから、連載二百回、皆勤賞などという人の脳は、ぜひ欲しい。
山本氏のお好きな食べ物はなにか知らないが、コロッケよりは高くつくかもしれない。しかし、ある程度の高年齢、東京在住といった好条件を考えると、フランス料理くらいは、十分に御馳走する用意がある。もっとも老少不定、こちらが先になる可能性はいつでもある。それでも東京大学に標本室があるかぎり、頂いた脳はムダにはならない。後進がかならずや、いつかその脳を調べてくれるはずである。
『傑出人脳の研究』というのは、長与又郎、内村祐之、西丸四方の共著である(岩波書店、昭和十四年)。浜口雄幸と桂太郎の脳を扱っている。ただし、外見を調べただけで、それほど詳しい調査ではない。したがって、このご両人の脳は、相変らず東京大学の標本室に保存されている。これからは、脳の高次機能の研究が進むと思われるが、その具体的な材料は、遺憾ながらまだ乏しい。生きている脳の研究も含めて、この分野の将来はたいへん期待される。そう私は考えているのである。
これからもせいぜい脳をくださいと言って歩く。しつこくは言いませんから、どうぞよろしく。
[#地付き](室内 一九九〇年六月号)
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私 の 専 門
もともと私は医者のはずだが、患者さんを診たことは、ほとんどない。だから、本人は自分が医者だと思っていない。家族が病気になっても、いっさい面倒を見ない。だから、身内には悪評が高い。よく知らない人は、間違って私を医者だと思うことがある。その誤解を正すのも面倒臭い。そういう時には、止むを得ず往診する。始めに言うと驚かれるから、診察が済んでから、私は死んだ人しか、じつは診たことがありません、と言う。それでたいていの人は納得してくれる。それから、知り合いや同級生の医者を紹介する。
自分を医者だと思っていない有利さもある。医者の悪口が平気で聞ける。医者の悪口に相槌をうっても、痛くもかゆくもない。医者の卵を教えているが、卵は卵であって、トリではない。トリなら怒ることでも、卵には関係がない。医者に対する悪口を聞き慣れているから、自分でもうっかり言うことがある。しかし、学生というお客さんなら、怒る心配はない。
私の専門は解剖学だが、解剖学の専門家に、私が専門家だと思われているかどうか、それはまったく自信がない。ともかく解剖で給料をもらっているので、世間では専門家で通す。世間の人はほとんどご存じないが、解剖学会の会員は、八割以上が医者ではない。しかし、解剖学の教授は、ほとんど医者である。解剖学が専門であっても、医者でない人は、なかなか教授という地位にはつけないらしい。それなら、解剖学の教授と専門家は違うのかもしれない。
学生が相談に来る。教師であれば、これは当然である。学生が言う。いまフランス語の本を読んでいる。将来、こういう本の翻訳もやりたい。学生が勉強するのは、結構なことだ。どんどんおやりなさい。でも先生、質問があります。教養学部の先生に、フランス語をやりたいといったら、それは専門家が一所懸命やっているのだから、と言われました。専門外の人間がやることは、あまり好まれないのでしょうか。
これは困った質問である。だれもが、自分に与えられた仕事をきちんと果たす。そうすれば、世の中、自然にうまく行く。これを予定調和説という。専門家は、しばしば無意識に予定調和説をとることが多い。医者は医学を勉強し、患者の面倒をみればいいのであって、フランス語の本など、強いて読む必要はない。これは、わが国では、ほとんど古典的な論法である。医師のつとめは、患者の苦痛を救うことであり、死んだ人間を解剖したって、何にもならない。解剖をする医者は、江戸時代にそう言われたのである。同様に、いま解剖を勉強中の学生が、フランス語の本など読んで、ロクなことにはならない。そういう実例もちゃんとある。私の先輩で、ドイツ語の解剖学の教科書を、学生のときに全巻読破した人がいる。もちろん、この人は解剖学の試験に落ちた。これは、解剖学を知らない人には、わかりにくいであろうが、日本語で読んでも、よくわからない部厚い書物を、何冊もドイツ語で読んで、頭に入るわけはない。試験に落ちて当り前である。
若い人の勉強に、どこまで無理を言っていいか。能力のある子なら、相当高度のことをやらせても、差し支えない。しかし、本人にその能力がなければ、専門の試験には落ちるだけである。つまり、専門分野では、ふつうの人の基準にも達しない。そうかといって、外国語の読解力が高くなるとすれば、それも捨てたものではないかもしれぬ。「教養」学部で外国語を教えるのは、そういう意味もあろう。さて、どうしたらいいか。
専門の良さは、分業の良さである。しかし、分業をすると、視野が狭くなる。世の中は網の目みたいに絡み合っていると見る人と、俺のためにあると見る人がある。分業指向は、前者に不利で、後者に有利である。土木業では、環境のことを考えない方が有利だし、歯医者にとっては、虫歯がなくならないことが望ましい。分業の物差は全体の物差ではない。逆もまた真だから、分業の中で全体の物差を採用しようとすると、近所から恨まれる。損になることはしないのが人間だから、どうしても総論賛成、各論反対になる。学問にも総論と各論があり、総論としての学問と、各論としての学問は、これが同じ学問かと思うほど、話が食い違うことがある。それはたとえば、哲学と自然科学の違いである。
これまで専門家として食べさせてもらってきたような気がするから、専門分野というのは有難い。しかし、ときどき「総論として」言いたくなることがある。それは、いまの世の中が、専門指向が強すぎることである。他学部の学科の分類などは、同じ大学にいてもまったく飲み込めないことがある。解剖が関わる分野も、大きく分ければ三つある。解剖学と病理学と法医学である。しかし、日本人の九割は、その区別がわからないであろう。その区別の上で、何十年か暮してきたが、そろそろ面倒になった。そういう区別のない学問をやりたい。そう思うこともある。
このところ連日、学生の解剖につきあっている。おかげで体の調子はきわめてよい。三十年こういう仕事をしているから、初夏の風物詩は、私にとって、死体の臭いと感触だけである。アヤメもカキツバタも、まったく関係がない。これを殺風景と思うかどうか、それも私の気持には無関係である。そう思うと、やはりこの仕事が好きなのであろう。毎日好きなことをやっていれば、少なくとも健康に悪いはずはない。病気がうつって死ぬことでもあれば、それも本望である。どのみち、いずれは死ななければならないのである。
[#地付き](一九九〇年七月)
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変わるものと変わらぬもの
世間が思い込みでできていることは多い。たとえば、東京大学の医学図書館を見てみよう。全国の医学図書館の中では、外部の利用率はおそらくいちばんである。
では、医学系の学術雑誌を、いまいちばん多く購入している図書館はどこか。大阪大学の医学部図書館である。どのくらい多いか。東京大学の五倍以上の種類をとっている。東大は約九百、阪大は四千五百。では、都内ではどうか。慶応と日大が東大よりも多い。東大が多いのは面積と利用率。お客さんは、図書館の見た目の大きさと、「東大だから」という思い込みで来ているに違いない。ただし古い文献はさすがに多い。
東京大学の医学図書館は、昭和三十年代にアメリカから寄付を貰《もら》い、不足分を国内で集めて建った。その後、いっさい建物には手を入れていない。要するに、金がない。ということは、クーラーがない。当時はクーラーなど、大変なぜいたくだった。書庫に解剖学関係の古書があり、これをワルダイエル文庫と言う。解剖学の教授であり、鴎外の妹婿、同級生、作家の星新一氏の祖父にあたる小金井良精が、自分の師匠だったワルダイエルの蔵書を、第一次世界大戦後のドイツのインフレ期に、未亡人からまとめて購入したものである。こういう古い本には、皮表紙が多い。それが、ほぼ完全に傷んだ。背皮が粉になってしまうのである。あまりにひどいというので外部の方も運動して下さり、幸い五百万円の予算がついて数年前に全部補修した。ただし元通りには復元できないから、別な表紙をつけた。そのため、中身はともかく、原型が変化した本が多い。
二年前にパリで十七世紀、十八世紀の解剖学の本を買った。これは、表紙がまったく傷んでいない。完全に原型をとどめている。とくに保存に留意した形跡もないから、おそらく日本の湿気が皮表紙に悪いのであろう。皮は生き物の一部だから、湿気があると、いまでも細菌がつくのではないか。書庫にクーラーがなく、夏は開け放しの結果であろう。文化国家である。何億円も出して絵を買っているが、足下は見えていない。私は当面この医学図書館長だが、自分が死んでも、いまのところ自分の蔵書は寄付できない。本が壊れるのは目に見えている。せっかく今世紀までパリで原型をとどめていたのを、いまさら壊すわけに行かない。
医学図書館長の仕事はなにか。東京大学の医学部の卒業生が本を出版する。そのたびに寄付のお願いを出す。依頼状に署名をして、ハンコを押す。新しい本が買えないから、もっぱら寄付に頼る。自分でもバカではないかと思うが、やらないよりもマシであろう。寄付して下さったら、お礼状を出す。これにも署名して、ハンコを押す。これはもちろん、喜んでやっている。先日は、卒業生が手塚治虫の全集を寄付して下さった。これに手塚氏の学位論文をつけて、利用できるようにした。手塚氏は解剖学で医学博士の学位を取ったのである。これも、考えようによってはバカじゃないかと思う人もあろうが、そういう方は前に書いたマンガの話(「差異の体系」)をお読み下さい。仕事と言えばそんなものである。
こういう人間が働いているから、大学が悪くなる。そういう面もあるかと思う。そうかと言って、死ぬわけにも行かない。長い辛抱ではない。もう少しお待ち下さい。死んだら、死体はどこかの大学で使ってもらうことにしている。東大には寄付しない。これは本の話とは違う。私の先生が亡くなられて、その遺体をわれわれの大学の実習に出した。そうしたら、解剖が顔まで行かないうちに、教室員が一致して、解剖は途中だが、遺体は引っ込めようということになった。やはり、あまり親しい人の解剖はやりにくいのである。
大学の実情が、ある面では末期的ではないかと思われるのは、右にも述べ次項にも述べるとおりだが、これをどうするかということになると、議論百出する。そもそも大学はいつでもこんなものだし、こんなものだったという意見もある。お前のところがダメなだけで、ほかは元気にやっているという意見もある。それはそうだろう。私は「古い」ところだけにいるからである。
しかし、学問の良さは、変わらないところにある。政治も経済も人情も変わる。しかし、人間が子を産んで育て、それを教育することに変わりはない。親がやらなくたって、だれかがやる。いまの人間だけが人間ではない。過去の人間も人間だったし、将来の人間も人間であろう。学問はそうした人たちの意見なり権利なりをも、代表するものでもある。学問が世の中について歩いても始まらない。時代によっては、冷飯を食うのは覚悟の上である。だから、いまは研究費もないし、待遇も悪い。そんなことは、本当に気にしていない。気に入らなければ、出ていけば済むことである。
ただ、この羅針盤のない時代になって、頼れるものは変わらないものだけである。変わるものは、心配しなくても、ひとりでに変わる。ソ連を見よ、東欧を見よ。そんなものにつられて右往左往しても仕方がない。しかし、学問は変わらない。変わらないから、学問になり得るのである。学問はかならずしも進歩の象徴ではない。そこが技術とは違う。変わったのは見やすいが、変わらぬところは見にくい。戦後の日本が戦前に比較してどう変わったかは見やすい道理だが、どこが同じかというと、考えるであろう。ほとんど同じだということは、明治三十三年生れの私の母が、平気で現代に適応して働いているからわかる。人間が遺伝子を変えるまでは、人間は変わらないであろう。それを可能にするのもまた、学問ではないか。
[#地付き](一九九〇年四月)
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大 学 物 語
大学について言うと、勤め先だから我田引水になりやすい。世間知らずの役立たずがまた愚痴を言う。そう取られることも多い。しかし皆さんに知って頂いてよいデータもあるのではないかと思う。
東京大学の予算のうち、人件費と物件費の比率が八対二であることが、昨年末に新聞に報道された。会社ならとうに潰れて、いまは無いはずである。この比率は十年前は六対四だった。この十年で大学の地位がいかに低落したか、これだけでもわかる。人件費が下がらないのは、ただ人事院勧告があるお蔭である。これがなかったら人件費も物件費と同じことになったであろう。東京大学なら研究費には困らないでしょう。だれもがそう言う。それならこんなところに(失礼!)原稿など書いていない。ほかにすることが沢山ある。
人間がいかにデータに従って素直にものを考えないか、その典型が日本における東京大学であろう。実質的に考えたら、こういう大学に子供を入れる親の気が知れない。わが子がどういう設備で教育を受けているか、見たことがあるのだろうか。大学の世界ランキングでは六十数位という話がある。それも、このところかなり順位が落ちたのではないか。子供はUCLAとか、スタンフォードとか、せめてハーバードにでも入れなさい。皇族だって、オックスフォードに留学する。いまの日本人ならできないことはあるまい。成績に自信がなかったら、しかるべき大学にお金を寄付すればいい。
東京大学はたぶん没落した田舎の旧家と同じだから、古いものなら沢山ある。たとえば浜口雄幸、桂太郎、夏目漱石、横山大観などの脳がある。しかし、修理して動くならともかく、死んだままでは使えない。増えるものでもなく、利息もつかない。見物料も取らない。夢野久作の父親、杉山茂丸夫妻の全身骨格も揃っているが、これはかなりの好事家でないと価値を認めないであろう。これには頭山満と広田弘毅の自筆の説明がついている。これだけ売り飛ばし、標本室の維持費に当てようかと考えたこともある。
給料は国立大学は一律に同じである。東京は暮しにくいから、多くの人は困っているであろう。若いスタッフが家に困っていることも事実である。一流会社から東大の先生に出向してくると、給料は三分の二以下に下がる。私は当時の最短距離で大学院を出たが、医学部だから普通より長く、給料を貰いだしたのは二十九の年。いま勤続二十二年だが、昨年の税込み年収は一千万を越えない。物件費がその二割ということは、つまり研究費が年額二百万ほどということで、それは実状にあっている。それを大学院生が使ったら、私はすることがない。
総定員法というのがあって、辞める人が定員の一割になるまでは新しい人は採れない。それが始まって、十年以上になる。その間に病院を除く東京大学医学部の基礎と事務系では、六十二名の技官、事務官が辞めた。補充されたのは五名。こういう人たちがこれだけ辞めると当然サービスが落ちる。その低下はまず学生にかかる。学生はいつでもはじめて入ってくるからである。どんなサービスをしたって、大学とはこんなところだと思っている。大学は勉強するところだと言う先生がいるが、それはこうした実態を考えると、かなり怪しい。むしろ学生という身分を与えて、社会に出さずに、ただ溜めておくところではないか。
私は教授就任以来十年近くなるが、技官を持ったことはない。先任の時代に削られたきりである。自分が部屋にいない上に、留守番がいない。ゆえに、電話をしてもまず絶対につかまらない。忙しいと皆さん善意に解釈しておられるが、一人しかいないから当り前。べつによく働くわけではない。外で働く。中で働くとその分は研究費が減るから、若い人が動けなくなる。後進の育成のためには、老人は無為にして化す方がいい。
私の同級生がアメリカから帰ってきて内科の教授になり、電話の用件がいつでも済むように、女の子を二人雇った。そうしたら、ぜいたくだと言われたらしい。なるほど、私に比べたら大いにぜいたくである。しかし、内科の医者の電話は、私と違って人命に関わるかもしれない。「人命は地球より重い」と言ったのは、どこの首相だったか。それはともかく、この例で大学での常識がわかる。
入試ばかりがむやみにうるさい。いちばん時間を食うのが、入試の問題作りと採点。いくら試験をしても、馬鹿を利口にできるわけではない。そんなものに時間と労力をかけるのは、「教育的」とは言えない。他方、試験問題が間違っていると、それだけで大騒ぎ。これはマスコミの責任も大きい。試験が無謬《むびゆう》で、その点数ですべてが定まるのなら、それこそ革命が起きる。そんな世の中にだれが住みたがるものか。試験の成績など、人生でそう当てになるものではない。宝クジほどではないが、当たり外れがあることはだれでも知っている。とくによくできる子なら、どんな試験にだって通るであろう。鼻の差だと問題になる。一点二点の差で及落が定まるのだから、ものごとの本質がそれで決まると信じるのが本来おかしい。
教師の待遇はどうでもいいが、研究費がないのと設備のひどいのは犯罪的であろう。それがあってこそ、待遇はどうでもいい。大学側に問題がないとは言わない。しかし、現在の東京大学の状況は、国民の思想をよく表わしていよう。まさに『町人国家』日本ではないか。二宮尊徳の時代には、学問は商売の邪魔になると言われた。東京大学はどうでもいいが、やがてこの国は滅びないか。もしそうなるとすれば、「防衛」の問題ではない。単に「思想」の問題によるであろう。
[#地付き](一九九〇年三月)
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解剖学と教育
大学では、解剖を長年教えている。二十九で助手になったから、すでに四半世紀、解剖を教えていることになる。
解剖実習室には、遺体がずらりと並んでいる。今年は二十六体。毎日、午後いっぱい、学生の解剖につきあう。何より体力がいる。
指導のために、実習室を歩き回る。作業中は、立っていることが多い。足が疲れる。解剖台が高いから、中腰で作業をする。腰が痛くなる。手先に力が要る作業も多い。それで手も疲れる。
メスで切るのに、力は要らないだろう。そう思うかもしれないが、そうは行かない。メスでむやみに切りまくったら、なにもかも壊れてしまう。できるだけ、切らないように解剖する。学生も、教えておかないと、まずメスで切ろうとする。そうすると、大切なものを、すぐ切ってしまう。とくに血管や神経のように、細長い構造がいけない。途中を切ってしまうと、どことどこがつながるのか、すぐわからなくなる。
ピンセットを頻繁に利用して、鈍的に解剖する。これだと、神経や動脈のように、わりあいに堅い構造は壊れにくい。むしろ抵抗感があって、そこになにかが「ある」ことが、ピンセットを持つ手先の感覚でわかる。
ここ数年、講義にはかなり抵抗があった。自分で思うところがあったからである。マックス・ウェーバーの『職業としての学問』を以前読んだことがある。この中に、学会の定説になっていないことを、教壇から講義してはいけない。そういう一節があったような気がする。自分の意見ができてきたので、それが気になる。世間の同僚が教えていること、それを私も教える。それならいいが、自分しか考えないこと、それを教えていいか。
それで数年、講義をできるだけサボった。教えたくないことを教えると、学生の反応は当然悪い。そうかといって、教えたいことを教えると、常識を教えないことになりかねない。解剖学は古い学問で、たくさんの常識がある。どちらを取るか、自分でなかなか決心がつかない。
今年から、自分で教えたいことしか、教えないことにした。すべては本音である。そうしたら、以前よりも、学生が質問に来る。親しくなる。自分も楽である。
考えてみると、若い頃には、本音もたてまえもなかった。教えることしか、教えられない。言うことのレパートリーが、ごく少ない。いまでは言いたいことが増えてきたから、変に悩むのである。悩んでも始まらないから、結局、本音に戻る。間違ったことを教えたとしても、判断するのは、最終的には学生である。私は、言いたいこと、言うべきだと思うことを、言うしかない。そうなると、マックス・ウェーバーの気持が、いま一つ、わからない。
ウェーバーは社会科学者である。政治学なら、教壇から述べる内容に、問題がある場合があるかもしれない。自然科学なら、そんなことはないはずだ。そう思える人は幸福である。自然科学はけして「永遠の真理」を説くものではない。明日になれば、変わるかもしれない。その可能性の方が高いのである。
解剖実習のよさは、そこにある。目の前にある死体は、現実である。そこには、まったく嘘がない。なにがそこにあろうと、あるものは仕方がない。私が解剖学に惹かれたのはそこである。百万言を弄《ろう》しても、一つの死体が語ることに及ばないかもしれない。そう思うと、また講義が嫌いになる。それが困る。
人体は自然である。われわれはまだ、これを「作る」ことができない。細胞一つ、合成できないのである。そこには確かにある秩序が存在している。それを「底の底まで」知りたい。その気持が学生に伝わればいい。そういえば、ゲーテは解剖学者でもあった。
[#地付き](太陽 一九九一年七月号)
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初等教育に欠けているもの
小学校に入学してからすでに三十五年、ずっと学校に通っている。学部、大学院を含めて、二十八まで大学生でいた。二十九の年から大学の助手になり、以来二十四年、教師の端に連なっている。それなら教育に関して一家言あるかといえば、それがない。困ったものだと思う。女房子供を見ても、私の教育の成果など、とてもあるようには思えない。
私が教育について語ることができるのは、自分が受けてきた長い間の学校教育で、なにを学べなかったか、である。学べなかったことは、もちろん独学するしかない。しかし、独学にも、それなりの基礎が必要である。
では、欠けていたものはなにか。はっきり言えば、それは古典教育だった。江戸の寺子屋では、四書五経を教えたはずである。これも立派な古典教育であろう。私は十八史略を白文で読まされたが、これは兄の友人がほとんど趣味で、中学生の私に教えてくれたのである。後年、論語を読むときに、おかげで抵抗がなかった。どうせチンプンカンプンというくらいで、きちんと読めはしないのだが、漢文に抵抗がなくなるというのは、あとで考えてみればありがたいことだったのである。
中学、高校は私立の一貫教育だった。そこではキリスト教神学の初歩を教わった。生意気ざかりが「神とはなにか」とか、ヒトはサルから進化したのではない。ヒトになるときに、神の手がはたらいたのだ。そんなことを教わって黙っているはずがない。ブツブツ文句ばかり言っていた。しかし、いまになって西洋の学問を学ばされると、こうしたキリスト教の「常識」を若いうちに学んだことが、いかに大切だったか、それがわかる。日曜日に教会に行くだけが、キリスト教ではない。
いまは仏教に興味を持ち、止せばいいのに「仏教」という雑誌に連載までしている。ところが、この仏教を、どこの学校でも教わり損ねた。最近、自分で脳の本を書き、書いたあとでお経の勉強をしたら、自分の書いたことが、根本的には、お経とあまり変わらないのではないか、ということに気がついた。抽象的だから、ふつうの人が読んでも、わけがわからない。そういう意味もあるが、それだけではない。日本語による抽象思考は結局お経に行き着く。そう疑うようになった。日本語は、抽象思考としては、長い歴史の間、仏教浸けになってきたからである。仏教をバカにする傾向は江戸以来の四百年だが、いまの日本は江戸以来の日本であり、それ以前の日本をすっかり忘れているだけのことである。
古典教育、宗教教育は、害もよく知られているが、益も大きい。薬と同じで、毒にもなれば、薬にもなる。いまの日本の教育は、毒になるのを恐れて、薬も飲まない。そういう状態になっていないか。
初等教育に宗教、哲学、論語を欠くのが、いまの日本の教育の欠点だと思う。そんなもの、むずかしくて、子供にわかるものか。子供にわかることだけを教えるのなら、教育の意味はない。「わかること」なら、教えなくたって、本人がちょっと考えればわかる。教育でもっとも大切なことは「ひょっとしたら、この世には、自分がまだまったく理解していない側面があるのではないか」、そういう感覚を身につけさせることである。自分は「なにがわかっていないのか」、なんとかして、それだけでも「わかりたい」。そう思うことができれば、だれだって勉強を一生止めはしない。子供に、ギャアギャア勉強しろという必要はないのである。
[#地付き](讀賣新聞 一九九一年三月十日)
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ミステリー談義
ミステリーは、よく読む。あまり読むので、自分でも読み過ぎではないか、と思う。日販のベストセラーのリストをよく見ると、上位のほとんどを、日本のミステリーが占めている。ところで、私が読むのは、ほとんどが翻訳ものである。日本ものは、あまり読まない。これはただの癖で、とくに理由があるわけではない。若いときに翻訳小説ばかり、読み慣れたせいかもしれない。
私が十代の頃には、翻訳ものでは、いわゆる本格派が多かった。最近では、むしろハード・ボイルドが多いような気がする。新刊が出ると、すぐ買って読む。いくら読んでも、どんどん新刊が出るから、アメリカのミステリーは、ほとんど和訳されるのではないか、と思うほどである。
私には、ハード・ボイルドの方が面白い。作品にもよるが、雰囲気がある。もっとも、その描き方が下手では、どうにもならない。そういうのは、途中まで読んで、止めてしまう。いくらなんでも、時間がもったいない。外国の社会というのは、よくは知らない環境だから、日本ものに比べて、ふつうは描写にボロが出にくいはずである。それなのにへたくそがわかるのでは、どうにもならない。ふつうは、よくは知らない外国の生活に、ある種の雰囲気を、こちらで勝手に仮定して読んでいる。
ただ、翻訳もの一般に、ある違和感がある。いちばんはっきりしているのは、個人が重視されることである。ここが日本社会の現実と、きわめて違う。たとえば、危険が当然予想される場合が描かれようとする。主人公はおそらく、一人で出かけて行く。ここが日本人としては、どうも納得が行かない。「赤信号、みんなで渡れば、こわくない」。私にも、日本人として、その癖がついているらしい。
こうしたおかしさが、とくに目立つのは、ホラーの場合である。だれだって怖いのだから、そんな危険そうなところに、一人で出かけなくてもいいではないか。それでも、ほとんどの犠牲者は、一人で出かける。そうなったとたん、私の興味は半減してしまう。一人で出かけるはずがない。そういう現実感が働いてしまうのである。どんな小説でもそうかも知れないが、とくにホラーは、必然性が大切である。必然でない行動をして、怖い目にあうのでは、要するに自業自得であって、同情の余地はない。下手なハード・ボイルドも同じ。危険きわまりない。死ぬに決まっている。そういう無茶な状況を作れば、主人公がむやみにタフでないと、話がおさまらなくなる。ただの私立探偵が、しまいに超人になってしまう。これでは、雰囲気が壊れる。読者というのは、こういうふうに、ぜいたくなものである。
ミステリーでは、雰囲気を楽しむ。それには、右のような、社会のさまざまな常識が含まれる。イギリスものなら、私立探偵は登場しない。まずは警官である。この警官の地位がよくわからない。警視とか警部とか、警部補とか巡査部長とか、巡査とかいうが、これがそれぞれ、どういう位置にあるのか不明である。大学の職名だって、イギリスは理解しづらい。教授はなんとかわかるが、それ以外は、なんのことやらよくわからない。その教授も、ドイツでは資格だから、イギリスとは違う。
ヨーロッパでは、スウェーデン、オランダ、フランスなどのミステリーが訳されている。それぞれの国の警察制度など、当方にわかるわけがない。
イタリアになると、警察に三種類あるらしい。自治体の警察、国の警察、軍隊の警察。これも話をややこしくするもとである。そういえば、イタリアもののミステリーは思いつかない。あちらも、アメリカものの翻訳で、間に合わせているのか。それとも、日本に紹介されないだけか。
私立探偵というものが商売になるのは、アメリカだけらしい。そういえば、私立探偵の事件簿を読んだこともある。小説では、ほとんどの探偵がお金に困っているから、これは現実なのであろう。警備会社ならともかく、個人営業ははやりそうもない。それにしてもこういう職業が成り立つということは、個人の情報がきわめて手に入れにくいことを意味している。そういう意味でも、アメリカ風の個人主義が、ミステリーには見えるような気がする。
アメリカのハード・ボイルドで目立つのは、主人公の道徳観である。これが「雰囲気」の多くをなしている。それに納得の行くこともあるし、勝手にしやがれと思うこともある。小説に書かれるくらいだから、こうした態度は、一般の道徳観をあるていど示しているのであろう。男女関係、友人関係、親子関係、こうした人間関係もまた、きわめて違う。金に対する態度は、一般にかなり潔癖だが、女性関係では、ほとんど潔癖な人は出てこない。そういう主人公では、本が売れないのであろうか。考えてみれば、外国人の生活に対する私の常識は、ほとんどミステリーで涵養《かんよう》されている。
ローレンス・ブロックは、わりあいに雰囲気のある人物を書く。主人公は元アル中で、いまでもときどき飲んだくれる。正式の私立探偵ではない。免許を持たない。別れた妻と娘たちがいる。この主人公は、教会に十分の一税を納めている。教会だから、強制的に払わされるのではない。収入があるたびに、その一割を、教会の献金箱に黙って入れるのである。こういうやり方は、日本にはほとんどなさそうだから、興味を引く。
私立探偵以外にも警官、検事、弁護士などを主人公としたものも多い。こんなものをいちいち論じていたら、一生が終ってしまう。
[#地付き](一九九一年八月)
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手塚治虫の生命観
手塚治虫の生命観を考えようとして、作品を読み直し始めた。生命観を語ることは、ともかく理屈である。しかし、手塚治虫は理屈を語りたかったか。理屈を語ることを、望んだであろうか。それならかれ自身そういう経歴を選んだであろう。それも可能だったはずだからである。
手塚は医学博士である。学位論文は、タニシの異型精子の電子顕微鏡学的研究。私はこの論文を後生大事に保存しておいた。私が東大の医学図書館長のとき、医学部の卒業生が、手塚全集を図書館に寄付してくれた。その全集に、私が保存しておいた論文を付し、閲覧室に置いた。いまでも医学図書館では、これを読むことができるはずである。
オサムシは冬に「掘る」ものである。なぜなら、土の中で越冬するからである。どういう場所で越冬するか。それがオサムシの好きな人間の極意である。口で説明しても、仕方がないであろう。オサムシを掘ることを、オサ掘りというが、これは関西で始まった採集法らしい。地面が完全に凍るような北の土地では、この方法は使えない。学生時代、私は対馬でオサムシを掘った。じつはいたるところでオサムシを掘ったのだが、対馬がいちばん印象に残っている。なぜなら、ツシマカブリモドキというオサムシは、対馬にしか棲息せず、それを地面から掘りだしたのは、学生時代のわれわれが最初だったと思うからである。
医学では解剖学を修め、オサムシに凝った。そういう人の生命観は、客観的に説明する気にならない。自分の意見を語ることと、同じではないか。人が違うのだから、当然違うところはあるだろうと思う。それを取りあげてみても、どうということはない。手塚氏の亡くなられた年の正月、私はNHKで、はじめて手塚氏と一緒に仕事をする予定だった。氏の病気のため、その予定は流れた。したがって私は、個人的には手塚氏に面識がない。これも、手塚氏について、なにかを触れたくない理由の一つである。生き物に関する興味がよく似ているので、生命観なるものが異なったとしても、それは大同小異であろう。それなら、会ってみなければ、違いの細かいニュアンスはわからない。
それはともかく、生命観を論じるつもりで、作品を読み出した。当然のことだが、そうしたら、ますます理屈を言う気にならない。読み出したら、止められない。終りまで読む。その間に、理屈を言う暇はない。そんなつまらないことをするのは、作品に対する残虐行為である。
手塚氏の作品は、すべて生命に満ちている。そこでは、犬だろうが、鳥だろうが、あらゆる動物が口をきき、ロボットすら、人間として「生きている」。これをアニミズムというなら、手塚氏の生命観は、徹底的なアニミズムであろう。それは、幼い頃に昆虫に興味を持った人なら、当然のことである。世界は人間の気づかない小さな生命に満ちており、それがそれぞれの生活を生きている。一立方メートルの土壌の中には、約一億の個体の生物が住むという。現代のわれわれは、それを徹底的にコンクリート詰めにして、一切恥じるところがない。手塚氏の「アニミズム」には、それに対する悲しみが、十分ににじみ出ている。
手塚氏の作品に、ヒューマニズムを見るとすれば、それはおそらく少し違うであろう。そこには、ヒトに対する愛情よりも、しばしば生きとし生けるものに対する愛憐の情が、より強く表現されている。ヒトはしばしば、バラバラの部品に分解してしまい、それを自分で回復しなければならない。それは『どろろ』に見るとおりである。言ってみればここには、解剖の背景が明瞭に認められるのかもしれない。こうした、ヒトを部品の集合として見る見方は、『ブラック・ジャック』という作品として、もっと明瞭に表われる。一般の人にとっては、これは医学を主題とした作品に見えるであろうが、私の印象に残るのは、むしろ手塚氏の持つ身体への見方である。ここにも、身体に対する部品主義がはっきりと認められる。ブラック・ジャックは、同じ個体の中ではあるが、移植手術がもっとも得意だからである。
こうした手塚治虫の身体観はほとんどレオナルドを想わせる。レオナルドは、人体を明らかに一種の機械と見なしていた。弾丸であろうが、建築物であろうが、人体であろうが、かれの描図では、一枚の紙に平等に描かれてしまう。これはまさに、手塚マンガを想わせるのである。天才的な絵描きは、身体をなぜこう見るのであろうか。私は既成の解答を持たない。しかも、レオナルドもまた、四十体ほどの人体を解剖しているのである。
アトムをはじめとして、「人工」人間に手塚氏が凝った理由も、おそらくそこにあろう。アトムもまた、天馬博士によって、人間の不完全性を補完するものとして創られる。こうした面から見れば、手塚氏は、人間に対しては、むしろ悲観的な印象を抱いていたというしかない。それを救うのは、むしろ科学技術である。これは溺れるもののワラである。その結果生れた「人工」生命が、実際の人間よりも、より理想的な人間を演ずる。ここにあるのは、ヒューマニズムであろうか。それを言うなら、むしろ仏教的な世界に近いであろう。人間に対する、ある程度の悲観主義と、生き物に対する無限の愛情。これはしばしば相伴うものである。
手塚氏の作品は、論ずるより読むべきものであろう。そう私は思う。実際、こうした作家の作品を論じるのは、ある場合には、趣味が悪いのである。
[#地付き](SPY 一九九一年六月号)
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要するに、ノイローゼ
古本屋で『禅林法話集』を買ってくる。奥付けには大正十年十月一日とある。こんなものはほとんどの人は読むまい。総ルビ、内容は一休、沢庵、正眼、白隠の法話。頁の上の方が空いていて、そこにところどころ注が入っている。自然科学では、アメリカの教科書がよくこれをやるが、日本の教科書にもこの形式が入ってきた。なに、日本にも古くからあるやり方なのである。戦時中に紙がなかったものだから、勿体ないというので、こうした余白が無くなったのか。この余白は、書き込みには、はなはだ便利である。
菩薩の四弘誓願《しぐぜいがん》が、その注にちゃんと記してある。衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断、法門無量誓願学、仏道無上誓願成。むやみに漢字ばかり並んでいるが、読めばなんとか意味がわかる。耳で聞いたら、なんのことやらわからない。なぜこれが問題かというと、私の家は鎌倉だから、円覚寺の雲水がときどき托鉢《たくはつ》に来る。いい気持で朝寝をしていると、玄関先で大声でこれをやられて跳ね起きる。わが家の馬鹿ネコは、どうしたわけか、この菩薩の四弘誓願が大好きで、すぐに玄関先に飛び出していく。昔なら、殊勝な猫であるというので、殿様から褒美が貰《もら》えたかもしれない。もっとも、女房の謡のテープをかけても寄って来て、テープレコーダーの匂いをかいでいるから、ネコの鳴き声だと思っているのかもしれない。
わが女房は、三番目の法門無量誓願学を、訪問無料と聞いていたらしい。なるほど、ワープロでも確かに訪問無料と出る。訪問無料にもかかわらずお布施をあげるところに、女房なりの矛盾を長年感じていたのであろう。やはり書物は読むべきものである。長年の疑問が氷解することもある。
こんな書物をどうして買ったかというと、禅宗では身体をどう考えているか、それが知りたかったからである。その目的はおおむね達した。もっとも、詳しいことは、さらに勉強しないといけない。なにしろなんでも独学だから、不便で仕方がない。図書館を利用すべきであろうが、大学の図書館からは一冊本を借りたままで、五六年返していない。ひょっとしたら十年になるかもしれぬ。これを返すのが面倒で、行くわけにはいかない。私は不肖、大学の医学図書館長であるが、遺憾ながら医学図書館には禅の本はない。返すべき本をコピーすればいいのだが、コピー屋に行くのが面倒臭い。それにコピーを製本した本というのは、紙が厚くて、とても本とは言えない。開いておいた頁が、手を離すとパタンと閉じる。まるで意地悪をされているようである。無理に開くと、安い製本だから、全体が壊れる。なんのために製本したかわからない。頁を全部バラバラにしておくと、今度は順序が目茶目茶になって、収拾がつかなくなる。便利なものとは、しばしば斯様《かよう》に安直である。
一休の法話を読んだついでに、『一休がいこつ』を読んでみようと思う。以前コピーしてあったのを捜し出して、仔細《しさい》に眺める。皆目読めない。ふにゃふにゃの昔風の字体で仮名が書いてあるから、面倒臭くて読めたものでない。これが教養のない悲しさ、字が読めなくては、救いようがない。そう言えば、絵入り般若心経というのがあった。「観自在菩薩」なら、まず缶詰を描き、自在鉤を描き、といった具合で最後まで行く。これはもちろん、ともかく音だけは暗記していないと役には立たない。要するにお経のメモみたいなものであろう。古人もいろいろと苦労はしている。
こんな本を読んで遊んでいるから、勉学が進まない。それでも職業意識が出て、白隠の言う「禅病」が気になってくる。真面目な人が真面目に修行をしていると、禅病に罹《かか》る。昔風に言えば、神経衰弱である。
「心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に虚弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寝寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探ると云へども、百薬功なし」。
言うことが古風だが、昔のことでそれは仕方がない。自律神経失調の症状が出ているらしい。腋の下から汗が出たり、涙が出たりするのは、交感神経の機能|亢進《こうしん》であろう。足が冷たくなるのも同じ。血管周囲の平滑筋が収縮している。心火が逆上するとは、どうなっているのかよくわからないが、要するに動悸《どうき》がするわけであろう。それならこれも自律神経失調症。心臓への交感神経がアドレナリンを分泌すると、こういうことになる。怒った時や、ビックリした時と同じ。あとは耳鳴りがし、神経質になり、変な夢ばかり見てしょうがない。そして気分が徹底的に鬱《うつ》になる。要するにノイローゼではないか。
白隠はこの自称「難病」を克服して以来、むやみに元気になってしまう。
「終日坐して曾て飽かず、終日誦して曾て倦まず、終日書して曾て困せず、終日説て曾て屈せず。縦ひ日々に万善を行ずと云へども、終に怠惰の色なく、心量次第に寛大にして、気力常に勇壮なり、苦熱煩暑の夏の日も扇せず汗せず、玄冬素雪の冬の夜も襪せず爐せず、云々」。
少し元気になりすぎてやしないかという気もするが、ノイローゼを治すとここまで自信がつくらしい。自信がなくて起こった病だから、治ったあとは、たいへんな自信である。
「これは、べつに禅の問題ではありません。修行で起こったノイローゼが、修行で治っただけです。それを修行で治った治ったとばかり言うのを、マッチポンプと言います」。そう白隠に言うと、また病気が悪くなる可能性がある。黙って置くにしくはない。
[#地付き](一九九〇年三月)
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運 動 小 説
小説は運動か。なにも海老沢泰久の作品のことを言うわけではない。主題から言えば、海老沢氏の小説はまさしく「運動」小説であろう。野球も玉突きも蹴まりも、運動には違いない。しかし、運動自体が小説になるだろうか。
島田雅彦氏の『夢使い』。著者はこれを、「歩きながら書いた」と言う。そそっかしい批評家なら、首から画板を下げ、そこに原稿用紙を載せ、ニューヨークを散歩しながら、執筆する島田氏を思い浮べるに違いない。これこそまさしく「運動」小説ではないか。「皆さん、九十年代は下半身を鍛えねばなりません」。島田氏はそう呼びかける。
島田氏はしばしば「肉体感覚」を主張する。目で見ても、耳で聞いても、「肉体」感覚であることに変わりはあるまい。哲学者ですら肉体を欠くわけではない。そう主張すれば、『唯脳論』になってしまう。島田氏の「肉体」とは、そういう意味ではないであろう。日本語の主体となる感覚は、しばしば目である。それに対して、島田氏は耳、さらには運動覚の優位を主張するらしい。耳というのは厄介《やつかい》な感覚で、内耳には、音を聞き取る蝸牛《カタツムリ》だけではなく、身体の平衡を感じる平衡器がある。ゆえに、耳と運動とは、より密接に結合してしまうのである。だから体操では号令をかける。
『夢使い』という主題が、そもそも運動優位である。夢とは、受動的に「見る」ものだ。むしろそう思っている人が多いはずである。夢使いとは、他人の夢に入り込むという超「運動」能力を指す。その中の「やっちまえ、犯しちまえ」という、いささか不穏な運動の一筋の書き出しを見てみよう。
「ニシアザブには長谷寺という曹洞禅の寺があり、若い修行僧が毎日、ひたすら座禅を行なっている。境内には、くすの大木から十年かけて彫り出された痴呆のような顔をした色白の観音像を閉じ込めておく建物もある。その観音像の牢屋のうしろに細長い城が建っていた。中をのぞかれるのを嫌ってか、壁は全て鏡になっている。首都高速の薄汚れた陸橋、放心状態で立ちつくす陸橋の向う側のビル群、いつまで経っても東京を立ち去ることができない雲、昔の栄光を懐しむ東京タワー、皇居から遠出してきたカラス、そして東京中の人々に等しく悪夢を提供する暗闇、その暗闇を吹き抜ける風などがあやかしの鏡の中に閉じ込められている」。
ここでは観音様は閉じ込められているのであって、一朝事あれば、巨人ゴーレムのように動きだすつもりでいるらしい。それに座禅を毎日、ひたすら「行なう」というのは、あまり座禅らしくない。なんだか「下半身を鍛えている」ような気がする。「首都高速の薄汚れた陸橋」という表現だけが、純粋の視覚を思わせるようだが、それも結局は鏡の中に「閉じ込められている」のであって、解放されたら、なにをするかわからない。それこそ「やっちまえ、犯しちまえ」ということになりかねない。止まっている雲もじつは「立ち去ることができない」のであって、ここでは運動障害に罹っているのである。カラスはただそこに「いる」のではなく、「遠出してきた」。運動の結果、おそらく相当に疲労し、なにかにとまって休んでいるのであろう。暗闇は人を吸い込まず、悪夢を「提供する」。ここでは暗闇すら「運動する」のである。結局、島田氏にとって視覚系は、運動から切断された、徹底的に閉塞《へいそく》的なものと意識されるらしい。右の描写は、その切断をいわば無理につなぐことによって、逆に切断を表現する。島田氏に対する診断は、限局性視覚性閉所恐怖症であろうか。
こういう小説を年寄りが読まされたら、疲れるに決まっている。年寄りは運動する体力がないからである。この小説は「天地創造」で終っているが、天地を創造すれば誰だって疲れる。そこで主人公は、夢の中で天地を創造する。創造とは、もちろん運動であろう。視覚系なら、「創造する」ときには「想像する」はずである。だから『夢使い』こそ純粋な「運動」小説であり、ゆえにこれを目で読むと、むやみに疲労するのである。しかし、「眼で読む」以外に小説の「読み方」があるか。テニスの試合を見ている人の首が、球の動きに同期して、定期的に右へ行ったり、左へ行ったりするが、あの動きを小説に強制されたのと同じで、視覚が運動につきあうのは容易なことではない。目で見て体操を覚えろというのは、無茶な話であることは、だれでも知っている。柳生宗矩の『兵法家伝書』には、「この一巻は、師弟立相ひ、教ふべく習ふべくを以て、委曲に書述ぶるに及ばず」とある。
それに気がついたら、読みやすくなった。ここでは小説に「身を任せれば」いいのである。なんだか強姦されているような気もするが、運動小説だから、それは仕方がない。身を任せていると、運動が心地よく伝わってくる。最後にはメマイまでしてきたから、奇妙なものである。頁から目を離して戸外を見ると、見慣れた風景が、すべて運動の途中経過に思われてくる。平家の末裔《まつえい》、浦島太郎なら言うであろう。「やっぱり地球は自転しているのだなっ」。
島田氏は芥川賞を何度ももらい損ねた。しかし、運動会の賞というのは、競技が終ってから出る。島田氏の小説は「運動中」だから、賞を投げるしかない。賞が落ちたところに、たまたま氏が存在すればいいが、本人はすでにその場を通り過ぎている可能性もある。それなら、審査委員は腕を鍛えなくてはならない。ここが運動の難しいところである。そうかと言って、老大家たちに、島田氏に「強姦されろ」と言うのも、無理な話ではないか。それに、その光景を想像すると、職業柄、不気味なものにはほとんど驚くことはない私でも、やっぱり気色が悪い。島田氏には「将来がある」と言うのも紋切り型だが、これも「運動」に言及しているのであろう。運動中には、なるほどつねに将来がある。島田氏に芥川賞が出なかった理由は明瞭である。賞は視覚的なものであり、ゆえに運動が停止しなければ、順序はつかない。哲学的に言えば、島田氏の小説と芥川賞の関係は、ツェノンの逆理に引っ掛かるのである。
[#地付き](一九九〇年四月)
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無慈悲の人、養[#(フ)][#レ]老[#(ヲ)]
高校卒業生は今年がいちばん人数が多い。来年からはどんどん減りだす。もう十年足らずのうちに、最低の谷を迎える。老人人口は逆にどんどん増える。このまま行くと、次の世紀には、若い人と年寄りの比率がおかしくなって、老人問題が厳しくなる。それはよくわかっている。要するに医療費高騰も年金問題も消費税も、すべて老人の増加に起因するのである。老人が増えたのは、医学のおかげもあるが、平和の継続と経済の発展に負うところが多大である。と、ここまでは官僚的な説明。
生物学的に言えば、生殖年齢を過ぎた個体には、もう意味がない。子供つまり遺伝子がもはや残らない以上、どんなメチャメチャな老人が発生しようが、進化に影響はない。その意味でじつは老人ほど自由な存在はない。どうせ残り時間は少ないから、先行きの心配も不要である。ちゃんとものを考えるいまの若い人なら、将来を考えて、過激なことはしない。いまのままで世の中が推移すると、全共闘世代が老人になる頃には、老人だけが過激派になるかもしれない。野坂昭如氏などを見ていると、そんな気がしないでもない。
老人と言えば養生訓、養生訓と言えば貝原益軒。その巻第八は、養[#(フ)][#レ]老[#(ヲ)]である。私としては、読まざるを得ないが、残念ながら面白くない。老人はじっと静かにして極端なことをするな。怒ってはいけない。悲しみ嘆いてはいけない。葬式に関わるな。考え過ぎるな。口数を減らせ。早口でしゃべるな。大声で笑うな、歌うな。いくら老人とは言え、これではすでに、半ば死んだも同然という気がする。これで寿命を延ばして、益軒はいったいどうするつもりだったのだろう。
江戸時代の人は長寿をどう考えていたか。大学・中庸・論語・孟子で忠孝だから、当然長生きを褒めたたえたか。むろん、そんなことはない。これから白髪、さらにはおいおい腰が曲がろうという、私のような年寄り候補生が、消費税ではないが、先行きを考えて、若い者にむりやり「忠孝」を教え込んだに違いない。その証拠を長年探していたが、とうとう見つけた。
沢庵和尚に『骨董録』という養生訓がある。その中に、寿命についての問答がある。ある人が沢庵に尋ねる。
「道にかなう人が長命なのでしょうか」。
沢庵答えて曰く、必ずしもそうではない。大聖釈迦は、長くて八十の入滅である。孔子が七十三。聖人に次ぐとは言え、顔回は短命だった。もともと天命は、人によって同じではない。その上、天命を尽くさないで死ぬ者、少しは余計に伸びる者がいる。マァ、だいたいは、受けた天命分ほどは生きるのが、相場ではなかろうか。
この後はむしろ、原文どおりに引用しておく。私が作った文章ではない。念の為。
「八十まで生くべき天命あれども、その行悪しくして、早逝するもあり。行さまでほむべき所もなけれど、生まれ付き丈夫にして七八十までよく保つもあり。行悪しくして長命なるもあり。是もわがままに身をもち、人のために心神をくるしめず、人の辛労をかへりみず、我さへ苦しまずばとおもひて、心のゆるりとしたる人、必ず命ながし。是は無慈悲の人なり」。
忠孝どころではない。こういうことを言う出家だって、昔はいたのである。
「孔子も一生道の行はれざることをやみて、漸く七十三にてはて給ひしが、今此頃も百余歳まで生くる人ままあり。ただ人の事を苦にもたずして、気の緩々なる人なり。物を苦にもち、急々にして義につのる人、長命なりがたし。身をころしても仁をする事ありと、論語にも見えたり」。
ほら見ろ。論語孟子と長生きは、どう考えても矛盾するのである。百歳以上が何人などと、老人の日に新聞は書き立てるが、忠孝と並び称された時代にだって、坊さんがこんなことを書いていたではないか。大道廃れて仁義あり、仁義廃れて長寿あり。
「仁とは、人を愛憐する道なり。心神をくるしめても、義を欠くまい、礼を欠くまいと思へば、心身くるしむ。一言の約をちがへぬれば、信なき者なりと思へば、行くまじき所へも行き、久しく居るまじき所にもをり、長座窮屈にくるしみ、風雨雪霜をもかへりみず、信のために心身をくるしましむ。是れみな道にたがふまじきとおもふ故なり。かくのごとくならば、道しるゆへに寿みじかきなり」。
現代はこういう律儀な人が減少したから、平均寿命が延びたのではないか。ひょっとすると、医学も経済も養生訓も、長寿には無関係かもしれない。道を知る人はこういうわけで寿命が短いのだとすれば、まったく道を知らない人はどうなのか。
「土民百姓の、仁とも義とも知らぬ者に、殊の外長命の者多し。是は心にかかることなくて、命のはゆる(伸びる)者なり。よしあしをしるから寿もつつまる」。
昔から、学に志すとは、容易なことではない。仁義礼智信忠孝を聞いてしまえば、寿命も縮まる。では、道を知り、それでも長生きする人はどうか。
「道はしりながら、道を曲げて、仁にも心をくるしめず、義にも礼にもくるしめず、ただ心のままにして、人のくるしみをおもはず、我さへくるしからずばとおもひ、人のいそぐにもいそがず、心のむくやうに身を持つ人は、一切の道にかまひなく、ただ心身安きをおもふ故に、命の何にちぢまるべき様なし。是によりてわがうけたる血気のつくるまで生くる物なり」。
というわけ。
私も老人予備軍だが、生き方は考えねばなるまい。どこでどうやって、この世を辞去するか。その専門家の坊さんが右のように言うのだから、皆さん自分のことは、適宜にお考え下さればよろしい。いまさら私の出る幕ではない。
[#地付き](一九九〇年五月)
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思想と文学
丸山真男の『日本の思想』が再刊されている。以前読んだときも岩波新書だったが、いまも岩波新書である。第一刷以来、昨年で二十八年、第四十八刷になるらしい。偶然これは、弥陀の四十八願と同じ数だが、それはもちろん、話になんの関係もない。
この本には、思想と文学という、懐かしい主題もとり上げられている。この思想とはマルクシズムだが、はてマルクシズムは、いまやどうなったのか。もはや片づいたのか、もともとなかった問題、つまり擬似問題だったのか。政治の方は、東ヨーロッパどころか、モンゴルまで雪崩をうって変わってしまったから、政治思想としてのマルクシズムは、見直しということになるのであろう。この変化は原理的にマルクシズムに内在するものか、それともなにか別なものか。素人にはよくわからない。
世の中がこう変化したときに、マルクシズム側の説明がないのも寂しい。中国もソ連も思想を放棄したわけではあるまい。では、どう思っているのか。思想不要の時代になったのか、それとも同じ思想で現実の解釈が変化するのか。それともマルクシズムは誤りか。
以下は私の考えだが、思想におそらく正誤はない。ただ、その思想を採用するか、否かである。陰陽五行説をとったところで、天地の解釈が可能であることに変わりはない。文化相対主義に立脚すれば、陰陽五行説でも差し支えないはずである。現に江戸の古医方以前には、医者はすべて陰陽五行説を採用していた。われわれの祖先は、そういう医学のもとで、ちゃんと生き延びてきたわけだから、それでもいいわけである。思想の変化を強要するのは環境であり、その思想では統御できない範囲があって、そこから生じる「環境」が、思想の変化を引き起こす。東欧の場合には、いわゆる自由諸国群が問題だった。明治維新の場合には、黒船。いずれも思想の内部からでは、統制不能なものである。
『日本の思想』を読むと、まことに懐かしいと言うほかはない。
「自己を歴史的[#「歴史的」に傍線]に位置づけるような中核あるいは座標軸[#「座標軸」に傍線]に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった」。
「何かの時代の思想もしくは生涯のある時期の観念と自己を合理化する仕方は、はた[#「はた」に傍線]から見るときわめて恣意的に見えるけれども、当人もしくは当時代にとっては本来無時間的にいつもどこかに在[#「在」に傍線]ったものを配置転換して陽の当る場所にとり出して来るだけのことであるから、それはその都度日本の『本来の姿』や自己の『本来の面目』に還るものとして意識され、誠心誠意行われているのである」。
これに対して、丸山氏は、思想としてのマルクシズムを対置する。ところが、現在に至ると、どうやらマルクシズムもまた、配置転換して、陽の当る場所にとり出されて来たものであったらしい。これからは陽も当らないということになれば、やがて消えることになろう。問題を「思想の問題」だと考えたところに、おそらく丸山氏の誤解があったらしい。マルクシズムですらもまだ、思想の問題ではなく、状況の問題だったのである。
丸山氏もまた、マルクシズムに対して「誠心誠意」おつきあいされたに違いない。いずれは再び、わが国の将来に、マルクシズムという「本来の面目」に還る若者が出るかもしれない。それでもなおかつ、それは思想の問題ではなく、状況の問題に過ぎない。いまになれば、それがわかる。
自然科学では、思想の取り替えは、じつは日常茶飯事である。ニュートン力学から量子力学への変換は、まさにはじめてのパラダイム変換だったらしい。しかし、ひとたびそうした事例が生じてしまえば、いまのパラダイムだって、いつ変換するか、わかったものではない。それが共通の暗黙の了解になってしまう。ゆえに、あるパラダイムは、そのパラダイムが生産性を持つ間、つまりその中で日常科学が成立し、多くの科学者が食っていける間は、パラダイムとして生存する。しかしそのパラダイムで食っていくのが、科学者にとって不利になれば、パラダイムはまもなく変換するであろう。これがダーウィン以来の自然選択説の哲学版、すなわち進化論的認識論の教えるところである。ただし、我流の拡張が加えてある。
しかし、この本はやはり懐かしい。内容はともかく、思想の価値がここではまだ無条件に認められている。明治維新にチョンマゲを結って歩いていた人というのは、こういう感じだったかと思う。ドルが百五十円になり、東京の土地が坪一千万円以上になり、ソビエトに大統領ができる。電算機が人間以上の能力を発揮する時代に、思想はどこに行くのであろうか。
丸山氏は、日本の雑種文化から、むしろ積極的な意味を引き出そうとする加藤周一氏を訂正して、こう言う。「第一に、雑種性を悪い意味で〔積極的〕に肯定した東西融合論あるいは弁証法的統一論の〔伝統〕もあり、それはもう沢山だということ、第二に、私がこの文でしばしば精神的雑居という表現を用いたように、問題はむしろ異質的な思想が本当に〔交〕わらずにただ空間的に同時存在している点にある」。
これも「国際的」な現代では、なんだかずれてしまった。同時に共存と言えば、為替相場などは、同時に共存するより仕方がない。それに、どのような思想であれ、同一人が複数の思想を「理解」するとすれば、それは同一人の脳の中に「雑居」するほかはない。それを雑居と呼ぶか、別な言葉で呼ぶかは、文学者にまかせるしかなかろう。
文学は思想でなくてよかった。この本を再読して、それが私の結論。
[#地付き](一九九〇年六月)
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ゆく河の流れ
書評したいと思っているうちに、その時期を失してしまう本がある。本年一月に出たスティーブン・グールドの『時間の矢・時間の環』(工作舎、渡辺政隆訳)が典型か。グールドは、進化に関する多くのエッセーで著名な米国の古生物学者である。この書物は時間という観念を軸として、バーネット、ハットン、ライエルの著書という、地質学の古典の三つを挙げ、原典を読み直して、一般に流布している誤解を正すという内容である。
これでは、書評がないのもやむを得ない。そもそも原典の方の翻訳がないからである。『論語』がなくて、その講釈だけ読んだのでは、なんのことやら、はなはだ頼りなかろう。こういう書物をまともに書評するのは、ボートに乗り、隣のボートに乗っている男と、殴りあうようなものである。足下がふらついて、どうにもならない。
翻訳本が多いので、最近こういう例が目立つように思う。似たような分野では、『アカデミー論争』(時空出版)がそれである。これは、ジョルジュ・キュヴィエとエティエンヌ・ジョフロワ・サンチレールの、パリのアカデミーでの論争を扱う。キュヴィエ、ジョフロワともに、生物学史にかならず登場するものの、訳書がまったくない。これでは、歴史だけを読んでも、空を掴《つか》むような気がする。
それはともかく、『時間の矢・時間の環』の主題は、もちろん時間である。時間と言えば、いまでは物理学かもしれない。しかし、『方丈記』は文学ではないか。この国の歴史には、哲学も自然科学もないかもしれぬ。しかし、文学ならある。科学も哲学も、いずれも人間の営為である以上、それなら、すべては文学の中に存在するに違いないのである。「ゆく河の流れは」という、あの書き出しは、私にとっては、時間の定義そのものに読める。鎌倉時代には、理学的な議論はなかった。それなら、時を論じようとすれば、ああした具象的な表現をとるほかはなかったはずである。表現が具象的だからと言って、裏に抽象思考がなかったとは言えない。この辺が、古典における表現と、その解釈の困難であろう。その真の理解のためには、脳を理解する必要がある。私はそう思う。
『時間の矢・時間の環』という表題から、ただちに察しられることがあろう。それは、時の本性には、一方的に流れる聖書的時間と回帰する輪すなわち仏教的輪廻を含む、という当然の指摘である。むろんグールドは、それを二者択一しようとしているのではない。現在の西洋の常識では、「時間の矢」が優位を占めているが、「時間の環」は聖書自身の中にすら表われている。グールドは引用する。「昔に起こったことはこの先も起き、今なされることはこの先もなされる(伝道の書)」。
『方丈記』の書き出しにも、この二つの観念がみごとに例示されている。水の流れは変わらないが(日の下に新しきことなし、時の環)、それは一方向に動く(時の矢)。国語の教科書に載ることが『方丈記』の不幸である。そのため、この文章はただひたすら、すぐれたレトリークと見なされる傾向がある。だから堀田善衞氏はわざわざ『方丈記私記』を書かれたのであろう。これを教科書に載せる以上は、六道絵なり、九相詩絵巻なりを挿絵にすべきなのである。鴨長明の生きた時代は、こうした地獄絵に示される時代であり、「道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も不知。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ちて、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり」という有様なのである。仁和寺の隆暁法印が、死体のいちいちの額に「阿」の字を書いて、縁を結ばせたところ、左の京だけでその数四万二千三百、とある。
長明はともかく、グールドの書物は良質の書物である。グールドは自分の立場をこう表明する。
「現役の科学者たるわれわれは、自分たちの仕事は他とは別個のものであり、どこかしら優れているという神話と闘うことが重要である。……科学とは、人間の創造性や社会的背景という現実から離れて、純粋な観察と論理を適用する学問であるという、いまだに残る見かけ倒しの神話の仮面を(建設的なやり方で)剥ぐのがいちばんいいと考える」。
われわれの社会でもまた、この神話を維持するのに、多くの人々が一臂《いつぴ》の力を貸しているはずである。文科は文科なりに理科を敬して遠ざけることにより、理科は専門分野を無限に分割して「棲み分ける」ことによって。それは私などにはわかりません、と言う。その手なら、うちの娘ですら使う。最後にはそう言って、親の追及を逃げるのである。
この書物の最後の章は、まさに文学的主題を扱う。最初にファガードの戯曲『メッカへの道』のあらすじが紹介される。主人公のヘレン・マーチンスは実在の人物で、晩年になってある啓示に打たれる。そして、裏庭にコンクリートで、金ピカの像をたくさん作り始める。それが彼女の「メッカへの道」なのである。続いて、ジェイムス・ハンプトンという黒人の夜警の作品が紹介される。
「一九三一年に始まってその後度々、神と天使たちが彼の前に姿を現し、キリストの再来にそなえて玉座をしつらえた部屋を造るようにと命じた。一九五〇年になってハンプトンは、すっかり荒廃してしまっている自宅の近所に、暖房設備もない粗末なガレージを借りた。その際、家主には、自分が住む下宿の部屋ではできない『あることをやる』のだと告げた。そのガレージでハンプトンは、彼が亡くなる一九六四年まで、アメリカの民衆芸術としては逸品ともいえる彫像を造った。それは『千年王国議会の第三天国のための玉座』として、ワシントンの国立アメリカンアート美術館に展示されている」。
これがどのようなものか、書物をお読み頂くほかはない。これが地質学の古典を扱う書物の最後に出てくる。これがこの国の書物であるなら、著者は気が狂ったと思われるのがオチであろう。すくなくとも地質古生物分野の専門家には、そういう風評が立つであろう。なんとも住みにくい国だが、それを作っているのはわれわれなのである。
[#地付き](一九九〇年七月)
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身体論は花盛り
このところ身体論のまとめを試みている。それで忙しい。身体という装置は、世界を認識する。ゆえにその中に世界を含んでいる。それなら、身体を扱うことは、結局は世界を扱うことである。他方、人間は身体の上にのみ成り立つ。したがって身体を扱うことは、結局は人間そのものを扱うことでもある。そういうわけで、全存在を相手にすることになるから、真面目に身体論などに取り組んだら、七生報国くらいでは済まない。こういう主題をまとめようなどと思うのは、一種の誇大妄想かもしれない。妄想型の分裂病は、中年以降に発病するのである。
他人のことは言えないが、それにしてもこのところ身体論が多い。身体論、心身論、言葉と身体。スーザン・ソンタグの『エイズとその隠喩』(みすず書房)に至っては、短期間に書評を三回頼まれた。なぜこんな本が話題になるか。べつにこの本が悪いというわけではないが、またもやエイズでは、話題が単調かつ当然にすぎないか。この本を読む人と、狩野恭一の『免疫学の時代』(中公新書)を読む人は、おそらく重ならないであろう。この辺がいまの身体論の怪しげなところか。
身体論にも、文科系のソフトな身体論と、理科系のハードな身体論がある。この二つが分離して当然だと、たいていの人は思っているらしい。それは、勝手にそう決めているだけである。たとえば臓器移植を考えたら、ソフトもハードもない。だれであれ、臓器の提供者ないしその親族になり得るし、逆に受け取り側にもなり得る。臓器移植の議論も、また典型的な身体論に違いはあるまい。「社会的合意」がここでは問題になっている以上、その社会の方に、身体に関していかなる予備知識が前提されているのか。そこがどうも心もとない。
身体論を読むのはどんな人たちか。二、三十年前なら、ただむやみに薬を飲んだはずの人が、薬害に気づいて、こんどは身体論を読み出したのか。身体論の逆は「心」つまり精神論であろうが、こちらは哲学、宗教、神経科学、精神医学、心理学、認知科学、果てはニュー・サイエンスまで、専門分野がたくさんあって、しろうとにはもはや理解が困難になってしまった。それならというので、話が「大霊界」の方にずれる。その対抗馬が身体論であろうか。
都合のいいことに、身体論ではさまざまな角度がとれる。優雅な角度は、美術、写真関係のもの、たとえば伊藤俊治の諸作。『生体廃墟論』、『マジカル・ヘアー』、最近では『愛の衣裳』(筑摩書房)。写真だけでも退屈しないのに、それに「論」を付してあるから、ソフト系の身体論としてはなかなか有効であろう。写真に表現された人体は、思わぬ効果が出る。一般の写真集は、美的な効果を狙う。伊藤氏のものは、やや角度が違う。変な効果が出たものに、焦点を合わせるところがある。
『生体廃墟論』は、標題が示唆するようにグロテスク写真を含んでいる。解剖学もまさしく「生体廃墟論」の一種なのだが、学の本来として、はなはだ禁欲的である。だから、ホルマリン写真と言われる、ウィトキンの写真の題材のようなものを、年中見ているのだが、それでなにかをとくに「感じる」というわけではない。たとえなにかを感じたとしても、それを「感覚」ではなく、「論理」にしなければ、当方の商売は成り立たない。この著者は、その感覚と理屈の間を、うまくすり抜けるのである。
『愛の衣裳』の方は、廃墟よりはいささか美しい。ここで言う「愛の衣裳」とは、要するに下着のことである。もっとも一冊の書物を全部、下着の写真で理めたわけではない。たとえば「拘束のモルフォロジー」と題して、ベルメールの緊縛された人体と性を語り、「金属と色彩のエロス」と題して、ポウル・アウターブリッジのヌード写真を語る。ただし、この本では、写真に色がついていない。これではなんだか詐欺にあったような気がしないでもない。ピエール・モリニエという変な人は、著者の好みらしく、『生体廃墟論』にも登場するが、ここでは「脚」のエロスが主題となる。クロソウスキーの絵、イリーナ・イオネスコの写真。これらの人たちの「世界」が、そこに表わされた身体から解読されて行く。
写真家や画家、こうした「表現手段」を持つ人が身体になにを見ているのか、それはともあれ作品から理解できる。作品がよくわからないにしても、伊藤氏の解説がこうして存在している。しかし、一切の表現手段を持たない一般市民は、身体をどう認識しているのか。これは意外にむずかしい問題である。幼女連続殺害事件がそうだったが、ああいう極端な表現手段もまた、それなりにわかる。しかし、あれがどのていど一般的なものか。
身体というきわめて一般的なもの、これをきわめて一般的な人間がどう見ているか、それが判然としない。臓器移植問題も、その空隙から発生しているような気がする。そのわからなさを、新聞は「社会的合意」という、わけのわからぬ言葉で表現するのであろう。
梁石日著『アジア的身体』という文芸評論集がある。最初の章が「アジア的身体」なのだが、ここに「日本人には身体がない」という言明がある。文脈は違うが、この結論は私と同じである。身体がなければ、そこに差別が発生する。これはよくわかる。しかし、ない身体を取り返すのは、容易ではなかろう。「身体がない」ことに、うすうす気がついているからM君が生じ、身体論がはやる。しかし、「論」で身体が回復するか。そうかと言って、ゴルフやボディー・ビル、エアロビクスに励んでも、身体の思想は回復しない。この三つの用語もまた、そもそも外来語ではないか。大江健三郎の『治療塔』(岩波書店)も、考えてみれば身体論である。文学の中の身体は、またゆっくり論じる価値があろう。
[#地付き](一九九〇年八月)
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江戸の心身論
身体と対立するのは、もちろん心である。両者を一括する扱いを、「心身論」と言うらしい。心身のように、相対するものを並べるやり方には、注意しなくてはならない。心でもあり、身でもある。善意の人はそう解釈するが、心でもなければ、身でもない。要するに不明瞭な場合も、「心身」と表現する人がいるからである。両方言っておけば、どちらか当たる、そういうつもりであろう。
病気には、心身症というのがある。これは心が主たる原因で、身体に症状が出るものを言う。リウマチのように、同じ遺伝因子を持つと思われる兄弟が、一方だけ発病したりする。これは、気の持ちように大いに関係がある。そう主張する医師がある。生き甲斐を感じて、元気に働いている方は、同じような体質でも、リウマチになりにくいという。それなら、リウマチは心身症かと言うと、あそこまで身体症状がひどくなり得る病気は、心身症とは言わない。身の方の手当に忙殺されるからである。
私の考えでは、心は脳の機能に過ぎない。ゆえに、心身論とは、つまり身体論の一部である。純粋の身体論なら解剖学だが、機能つまり身体のはたらきを扱うのは、基礎医学では生理学である。それなら、心身論とは、つまり生理解剖学である。これはもちろん解剖生理学と言ってもよい。どちらの表現をとるかは、著者の専門で決まる。後につく方が専門分野である。
さて、『近世の心身論、徳川前期儒教の三つの型』(高橋文博、ぺりかん社)という本がある。これは研究書だから、むずかしい。どうも儒教の研究書は、内容がむずかしい。仏教なら、無学の人にもわかるように説教しなくてはならないから、探せばやさしい本がある。儒教はそうはいかない。なにしろことの始まりが、子のたまはく、である。
「本書は、徳川時代前期の儒教思想のすぐれた達成である。中江藤樹(一六〇八─一六四八)・山崎闇斎(一六一八─一六八二)・伊藤仁斎(一六二七─一七〇五)の思想を考察する。この三人の思想は、わたくしの見るところ、それぞれ明確な個性を持ち、徳川前期の儒教思想の三つの型とでもいうべきものを打ち出している」。
三人とも、名前はたしかに聞いたことがある。この中で、中江藤樹が、いまではいちばん知られていないのではないか。このむずかしい研究書を読もうと思って、昭和十八年刊行の古い本を持ち出してきた。安西安周著『日本儒医研究』(龍吟社)である。これには、ちゃんと中江藤樹が載っている。「日本に生れ、国民学校に学んで近江聖人中江藤樹を知らぬものはあるまい」とのっけから書いてある。うちの大学院生などは、まず藤樹を知らない。国民学校がなくなったせいであろう。そもそも国民学校を知らないのではないか。そういう特別な学校もあった。そう思っているかもしれない。戦争中に小学校が国民学校に変わって、わずか四年続いた。私はその第三期生である。
それはともかく『近世の心身論』である。
「これらの明確に異なる思想が、それぞれいかなる構造と性格において成立しているのかを内在的に考察することが、本書の課題である。
これらの思想の内在的考察の中で明らかになることは、いずれも、世界と人間の存在構造を捉える概念として、心と身の概念を基礎範疇とすることである」。
心身を世界の解釈の基礎に捉えると、なんとなく医学の問題になりそうな気がする。この辺は儒仏同じで、唯一絶対神の西洋と違うところである。実際、江戸時代には、儒家が医者であることは多かった。これを儒医という。ただし医者の方が格が低かったらしい。
この辺のことは、『日本儒医研究』に詳しい。そもそも儒学は修身治国平天下の道、医学は除毒治病平気血の教えである。ゆえに、儒学を修めたものが、治国の責に当り、医学を修めたものが治病に尽す。ただし、国を治する良相の任は大、人を治する良医の職は小である。そこで古来、医人を指して賤技小工と呼んだ。ただし、これでは医者が怒って働かなくなるおそれがあるから、「医は小技と雖も民生を司るの聖職たるをもって、云々」とお世辞を言った。実際のところを見れば、学術優秀の人は、儒官となった。それは「学術優秀に付き爾後医業を改めて儒員と致す」旨の辞令が多いことからわかる。とまあ、文字通りではないが、こんなことが書かれてある。
もっとも、医者と儒家の関係はそれほど単純ではない。伊藤仁斎のことを、小林秀雄が『本居宣長』の中に書いている。仁斎は学問に志したが、生家の資産が傾き、周囲から医を業とすることを勧められたという。「今の俗、皆医を貴ぶことを知りて、儒を貴ぶことを知らず、その学をなすことを知るもの、亦医の計の為のみ、吾嘗て十五六歳の時、学を好み、始めて古先聖賢の道に志あり、然り而して親戚朋友、儒の售《う》れざるを以て、皆曰く、医をなすこと利ありと、しかれども、吾が耳、聞かざるが若くにして、応ぜず、これを諫むる者止まず、これを攻むる者衰へず、親老い、家貧しく、年長じ、計違ふに至りて、義を引き、礼に拠り、益々その養を顧みざるを責む、理屈し、詞窮して、佯《いつは》り応ずるもの、亦しばしばなり、云々」とある。まるで牢屋に入れられて、獄吏に責められているようだった、とこぼす。
これなら、いまと同じではないか。私のところに来る学生でも、親に相談したら、やっぱり臨床をやれと言われました。そういうのがいる。そうでなくても、親の顔色を見、言われる前に、自主規制する子が多いのであろう。仁斎のように頑固なのはいまも珍しい。私も医者になり損ねるよう、頑張ったからよくわかる。親より女房の方がもっとこわい。この国は昔から学問より実利の国である。
[#地付き](一九九〇年九月)
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江戸の心身論 その2
前回は、『近世の心身論、徳川前期儒教の三つの型』を枕にして、中江藤樹を論じようと思ったのだが、途中から話が儒者と医者の違いになってしまった。さて、話は戻って、中江藤樹である。
藤樹伝を読むと、若い時には、かなり他人の思惑を気にする性質であり、心身症ではなかったかと思われる節がある。こういう人が心身一如の説を立てるのは、きわめて理屈にあっている。心身症とはつまり、心身一如であるような症状を指すからである。
藤樹は二十五歳の時に、近江に住む母を、自分の勤務先の伊予大洲へ迎えようとして、近江に帰る。ところが、母親をうまく説得できない。この件について、右の高橋氏の著書は、『藤夫子行状聞伝』を引用する。
「先生廿五歳ノ春暇ヲ乞テ江州ヘ来リ、母堂先生ヲ慕フ思ヒ深キニ依テ、予州エ倡ヒ帰リ定着ノ孝ヲ尽サン事ヲ欲ス。然レドモ母老テ古郷ヲ離遠途趨ク事ヲ欲セザルヲ以テ、独予州ニ帰ル。船中ニシテ始テ哮喘ヲ患フ、極メテ甚シ。後自ラ曰、我幼少ヨリ世間ノ毀誉ヲ思惟而、胸ヲコガシ食味ヲ変ズルニ至ル。コレヲ以テ或ハ此病ヒヲ得ルカ。当時学術アリトイヘドモ、猶支※[#「手へん+牙」]矜持ニ渉リ、カツテ超脱之見ナシ。近来学術漸ク進ムニ従フテ心気粗和平洒脱ニ疾モスコブル軽事ヲ覚フト」。
「忠ならんと欲すれば孝ならず」で、これは当時の典型的なストレスである。おそらくそのためにゼンソクが起こったのであろう。ゼンソク自体は、直接にはなにかのアレルギーであったとしても、それを準備したのは、ストレスである。忠孝の矛盾に関する格言があること自体、これに由来するストレスに囚われたら、当時は抜け道がなかったことを意味している。
母親が頑固な人で、息子の勤め先である四国の大洲に移転すると、どうしても言わないのであろう。いまでもこの種の問題がまったくないわけではない。私の知人の母親は、息子が東南アジアに転勤と決まった時に、「うちの息子が、なんでそんなところに行かなければならんのか」と、会社に掛けあいに出かけたらしい。結局中江藤樹は、やがて勤務先を振って、母親のもとへ帰ってしまう。
会社の転勤を振ったら、いまでも会社を辞めなくてはならない人は多いはずである。この国では、江戸の始めから、社会の事情は変わらないということが、これでもわかる。なにも昔の人だけが苦労したわけでもない。いまの方が仕事が多様化しているから、会社も融通が利くだけのことであろう。
この母にして、この子あり。母親がただの頑固で動かなかったとも思われない。息子が母親の論理をもっともだと感じざるをえなかったはずである。それゆえ、自身の思考の合理化のために、藤樹は「孝」をすべての基本に置く。これを最近ではマザコンというが、平和になってくると、母の論理が優先するのも、人情の自然であろう。藤樹の時代は江戸の平和の始まりの頃である。藤樹に呑んだくれの父親でもいれば、かれの「孝」中心主義がどうなったか、それはわからない。
ところで、世間の思惑を気にして、食物の味も変わってしまうような神経質な近江聖人は、後にどんな人になったか。これについては、『藤樹先生全集』の編者の言が面白い。
「藤樹先生の門下熊澤蕃山・中川謙叔の如き俊傑の士ありしと共に、また大野了佐の如き鈍昧の士あり。而して先生之を憐み、循々として教へて倦まず。その医書大成論の素読を授くるに僅かに二三句につき約二百遍を以てし、午前十時より午後四時に及びて漸く記憶す。食事終りて後之を読ましむるに既に忘れ了れりといふに至りては、誰かその低能に驚かざるものあらんや」。
低能には驚かないが、この表現には驚く。昔の人は、差別問題やら人権問題を気にしなかったから、このくらいは平気で言うのである。なお続く。
「而して先生尚詢々として倦まず、曰く我了佐に於て殆ど精根を尽し了れりと。先生また特に捷径医筌六巻を編して之に授け、医を学ぶの指針たらしめたり。此の書明暦年間印行せられて弘く世に行はる。今之を観るに全部漢文にして六百枚あり。惟ふに先生は独学自修聖経賢伝を精読し、終に一家の見を立て、陽明良知の学を本邦に開き、門下を教育せり。その間寸隙あらんや。然るにかかる多忙の身を以て一書生の為に自らその教授書を編述して之を教育せり。先生の至仁なる性格はまた遺憾なく発揮せられたりといふべし」。
教師の無限責任という考え方も、すでにこのときから明瞭である。生徒の出来が悪ければ、先生は最大限の努力をする。こういう生徒が医者になっては、人々が困るのではないか。そうした近代風の思考は無いらしい。そもそも「漢文六百枚」が、「誰かその低能に驚かざるものあらんや」という学生に、処理し切れると思ったのであろうか。
ここにも、中江藤樹のある種の完全主義の性格が出ているようである。白隠もそうだったが、江戸期の心身論の中には、ノイローゼやらストレス病の自己治療から始まったものが多いらしい。もっとも、それでなければ、多くの人の興味も引かないし、考察の動機もなかったであろう。『日本儒医研究』の結論に、著者安西安周は言う。
「医人としての彼(中江藤樹)は何等の特徴を認めない平凡なる後世派の一人であるが、医生の教育家としての彼は古今に得易からざる偉大なる存在である。故に彼は隠れたる医学家にあらずして、隠れたる医育者と称すべきである」と。
藤樹の心身論の内容は、また別に論じる機会があろう。しかし、彼の心身論が医学ではまったく無いかどうか、「なんらの特徴を認めない」ものかどうか、そこもまだ探究の余地がありそうな気がしている。率直に考えれば、ある人の心身症の解決の為に生じた理論が、心身症と無関係なはずは無い。
[#地付き](一九九〇年十月)
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死にかけ体験
イアン・ウィルソンの『死後体験』(未来社)という本がある。この種の本が流行するのは、日本に限らない。パリの本屋には、こうした類の本ばかり置く大きな棚がある。この棚には、インチキ医療の本も、いろいろ含まれている。臨死体験というのは、臨床的にはなるほど面白いが、それだけのことであろう。基礎的には、さして面白くない。
どこが面白くないか。死後体験にせよ、臨死体験にせよ、基礎的には、要するに夢判断と同じだからである。「夢は正夢」と思った方が、人生面白い。しかし、それだけで株屋をやったら、失敗すること請け合い。どうでもいいことだから夢に頼るが、現実の世界のことを、夢に頼る馬鹿はいない。
夢も臨死体験も、「まともでない頭」が経験したことを、「まともに戻った」頭が、あらためて考え直して述べているのである。そういう行為が、常にきちんと可能だという論理など、どこにもない。そもそも「述べる」以上は、「言語」になっている。言語は、明瞭な意識からしか生じない。その言語を使って、過去の「不明瞭な」意識状態を想起し、その内容をあらためて「述べる」。夢ですら記憶していない場合がほとんどである。いわんや、瀕死の状態の脳の活動においてをや。いわゆる臨死体験の叙述では、ふつうその反省が皆無である。人間がそもそも矛盾した存在だということは否定しないが、矛盾にもさまざまなレベルがあろう。この矛盾は低度過ぎないか。
死後体験を説明している状況では、どう見ても本人は「まとも」に見えるから、死後体験をしているときも、当の本人は「まとも」だった。こう保証している議論も多い。これは、夢について語っている男が、いまでは確かに目が覚めているので、夢を見ていたときにも、もちろん目が覚めていたに違いない。そう判断するようなものである。あるいは、日常信頼できる人の夢は、詐欺師の夢より信用できると言いたいのであろうか。死後体験を持ち上げる人は、ときどきこういう議論をしている。話が本当であってほしいという気持はわかるが、これでは贔屓《ひいき》の引き倒しであろう。
真面目な人が、大真面目でこの種の議論をしているのを読むと、当方としてはほとんど泣きたくなる。いま正気だからといって、以前も正気だったとは、限らない。正気に戻ったら、狂気の状態が説明できるか。それができないから、正気と狂気の間には、一本、線を引く。狂気のときに、なぜあんなことをしたのか、本人もよくわからない。それが狂気というものである。そうかと思うと世間では狂気について、かつて狂気であった以上、いまでも狂気に違いない。そう思う人も多いのである。いずれも、偏見以外のなにものでもないではないか。
イアン・ウィルソンは、イギリスのジャーナリストである。この書物の前半では、過去の心霊術や、生れ変り「伝説」のインチキを暴く。しかし、後半の死後体験あるいは臨死体験になると、「死後もなにかが生き残る」と、著者が考えたがっていることが、はっきりとわかる。その実用上の理由は、明快である。臨死体験者は、死に対する恐怖を失うという。「天国を見る」からである。それをウィルソンは強調する。もっとも、公平のためにつけ加えるが、ウィルソンは地獄を見る人もないではない、と言う。
確かに死は怖いが、私はクモもムカデも怖い。怒った女房はもっと怖い。これが天国を知って救われるか。死に臨んで、天国を見る「らしい」人の例は、ここに多く挙げられている。しかし、すべての人が天国を見るわけではないことは、ご存じのとおり。それなら麻薬を使ってみればいい。麻薬が効果を持つ脳の部分は、論理に関わる部分ではない。もっと深いところであろう。食事や性の快感を考えればわかる。こういう部分が、体力がごく衰えたときに、どのような反応をするか。それだって、よくはわかっていない。それがわかってくれば、臨終には、だれにでも天国を見せてあげられるかもしれないのである。
しかし、そういう臨床研究をしたら、おそらく病院を追い出されるであろう。人類のほとんどは、当面、「死にかけている」わけではないからである。臨終のことなど、考えもしない。麻薬は悪の根源だと信じて疑わない。しかし、いまでは、世界保健機構が、末期医療に麻薬の使用を勧めているのである。
だれも真面目に聞いてくれないから、何度でも繰り返す。心が「目に見えない」のは当り前です。それは、目に関係ない脳の部分が「心」という観念を作ったからです。疑う人は、音を目に見ようとしてみればいい。音は確かに聞こえるし、存在している。しかし、目に見えるか。
世界中のいかなる人種でも、人間が心と身体からできていると考えていた、とウィルソンは言う。それは、人間の脳が、目に関係する部分と、それ以外の部分、つまり耳なり運動系に属する部分からできている以上、当然である。
人間という観念を作っているのは、脳なのですよ。その脳に二つ以上の機能部分があるから、その脳を使って「人間」という観念を作ると、人間が心と身体に分離する。そもそもの始めから、人間が心と身体からできているのではない。そんなことは、当り前のことであろう。
脳という色眼鏡をかけると、人間という一つのものが、心と身体とに分離する。ところがわれわれは、この眼鏡一つしか持っていないから、それでいいと思うのである。大地は平たいが、地球は丸い。それと同じことであろう。大地が平たいと思っていたって、たいていのことは間に合うのである。
西洋人はとくにこうした心的世界に弱い。これは、キリスト教という文化的背景が、与《あず》かって力があろう。なにもわれわれが、いちいちそれにつきあう必要はない。この点では新井白石の時代と事情はさして変わっていない。こと信仰に関する話になると、西洋人は突然、天文や地理の話をしている時とは、別人としか思えないことを言い出す。白石はそう言う。
それぞれの文化に、それぞれの癖がある。その点ではおたがいさま、五十歩百歩であろう。
[#地付き](一九九〇年十一月)
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インテレクチュアルズ
最近、書物の表題にカタカナが増えた。個人名なら、止むを得ない。しかし、『インテレクチュアルズ』(共同通信社)はどうか。
ブルジョワジーというのと同工で、この国に「知識階級」はないと言えばない。「知識階級」という生硬な言葉は、マルクス主義用語であろう。これはもはやほとんど死語か。本文では「知識人」としてあって、「インテレクチュアルズ」とルビをふってある。これは、著者のいうインテレクチュアルズが、「知識人」よりは狭い意味であり、「自分の奉ずる思想をもって社会を変革できると考えている人びと」を指すからである。社会改革派の知識人とでもいうべきか。この本は、こうした知識人たちの実生活が、自身が書いていることと、いかに矛盾していたか、それを突いたものである。
翻訳については一家言のある別宮貞徳氏の訳だから、読みやすいかと思ったが、そうでもない。それはおそらく、原文のせいか、あるいはむしろ翻訳が別宮流に正確なせいであろう。それこそイギリス人の「インテリ」の書いたものだから、どこかで笑えていいはずなのだが、ほとんど笑うところがない。これは多分、日本語にすると、「笑えなく」なってしまうのであろう。
イギリス人は、皮肉屋だということになっている。しかし、私の知人などは、きわめて真面目である。私が冗談混じりの皮肉を言うと、意味がわからず聞きかえす。やむを得ず奥さんが、ドクター・ヨーローは皮肉を言っているのですよ、と本人に耳打ちする。すると、「アァ、そうか、だが俺は皮肉は全然わからない」と言うのである。
イギリス人が、なぜ皮肉屋になるか。それは、このように、まったく頑固なわからず屋が、よそよりたくさんいるからである。そう私は思う。さもなければ、皮肉が発達するはずがないではないか。
冗談や皮肉の「翻訳」は、しばしばほとんど不可能である。皮肉は相手が動かし難いと思っている前提を突くものだし、冗談にもしばしばそういう面がある。ところがことばが違ってしまうと、その前提が違ってくるのである。それでは冗談にならない。
私も科学関係の翻訳をするが、ここには冗談はあまりない。それでもえらく苦労する。原文でピリオドになっていても、次の文章や前の文章とつなげることもあるし、著者が挙げた実例を切ってしまい、乱暴な翻訳だと叱られたこともある。ここの「インテレクチュアルズ」という単語に見るように、翻訳を厳密に考えるほど、英語が「日本語になる」保証など、ア・プリオリにあるわけではないことが、いやというほど意識される。
他人の翻訳に文句をつけて、出版社から原本を借りだし、全体に訂正を加えて訳者に返したこともある。余計なお世話だったが、これは原文もたしかに悪かった。読んで原文がよく理解できないのだから、翻訳でわかるわけがない。この『インテレクチュアルズ』という本は、それとは違う。しかし、なんだか読みづらい。表現がけしてやさしくないのである。
翻訳書を買うのは、日本語が読める、しかもほとんど日本語しか読めない読者である。それなら、まず重要なのは日本語が読みやすいことであろう。『インテレクチュアルズ』という本が、古今東西の古典であるならともかく、ルソーの本も、マルクスの本も、読まない「であろう」人たちが読んで、ちっともかまわない内容になっている。それなら翻訳がかならずしも「正確無比」である必要はない。ある意味では軽い本だから、読みやすければいいのである。
ここは、意外に重要な点であろう。マルクスもルソーもラッセルも、この本の中で取り上げられた人たちである。しかし、私がこれらの人たちに触れるのは、その著作を通してのみであり、当人に就職を頼みに行くわけでもなければ、「清き」一票を投じるわけでもない。それなら、著者も言うように、重要なのはその「著作」であって、むろん当人が風呂に入らなかったから、不潔だった、という事実ではない。
言うことと、やることが首尾一貫しないのは、知識人だけの通弊ではない。政治家が知識人だと言うならともかく。人間は多くの場合こういう癖を持っている(と私は思う)。それでなければ、陽明学派もこの国に生じなかったはずである。それを著者があえてとり上げたのは、「ものには限度がある」と思ったからであろう。ルソー、シェリー、マルクス、イプセン、ヘミングウェイ、ラッセル、サルトルなど、多くの「知識人」が対象になっている。しかし、その「限度」がどのくらいのものか、それこそ「文化」に固有のものであろう。「不言実行」とか、「男は黙ってサッポロビール」とか、そういう表現は西洋にあるのだろうか。雄弁家ということばは、西洋語には頻出する。日本語では、滅多に見ない。口数が多いとか、おしゃべりとか、口から先に生れたとか、文筆の徒とか、聴覚言語にせよ、視覚言語にせよ、「言語遣い」に関する幻想が、この国の文化には少ないことは確かであろう。この辺の常識が、著者による西洋の知識人批判を、われわれにとってあまりピンと来ないようにさせているのかもしれない。偉そうなことを言うけれども、実際にやらせてみな。この国では、こういう常識は、庶民でも持っている。日下公人氏の『日本の寿命』(PHP)には、高田馬場の左官屋のおやじの言というのが引用してある。「大学の先生なら日本語だけでいいかもしれねえが、俺なぞは三カ国語ができなけりゃ、家も建てられやしねえ」。あの辺は外国人労働者が多いから、こういうことになるらしい。
「おめえ、ひょっとするとインテリだな」というのは、車寅次郎得意のせりふである。やっぱりこの国では、西洋ほどインテリは珍重されないのではないか。それなら、インテリはこんな本は訳さない方がよろしい。
[#地付き](一九九〇年十二月)
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ロビン・クックの小説
医者の書いた、SFとも推理小説ともつかない、いくつかの小説。いずれも早川文庫。表題はすべてカタカナだが、日本語訳が付してある。『ブレイン─脳─』『コーマ─昏睡─』『マインドベンド─洗脳─』『ミューテイション─突然変異─』『アウトブレイク─感染─』『モータル・フィア─死の恐怖─』といった具合。対談書評のために、三浦雅士氏に勧められて、とうとうみんな読んでしまった。
同じようなテーマの小説ばかり書くという意味では、競馬シリーズのディック・フランシス。私はこちらが好みである。ペイパーバックを無条件に買うのは、ディック・フランシスとスティーブン・キング。キングは好きで凝りすぎてしまい、『クリスティーン』以来、新作が読みたければ、ハード・カバーを買わざるを得なくなった。
医者がロビン・クックを読むのは、騎手がディック・フランシスを読むようなものかもしれない。騎手なら、休みには競馬関係以外の本が読みたいであろう。もっとも、アメリカの医学、薬学事情は、日本とはかなり異なるので、そういうところだけ見ていれば、クックもあんがい面白い。もっともそれは、読み方としては邪道か。
残念ながら、クックは話がそれほどうまくない。医学知識があれば、かなり前から筋が割れてしまう。推理小説、恐怖小説としての語りの腕は、フランシスやキングのような職人には及ばない気がする。医学の話の七割方は本当だが、肝心なところがときどきウソ。そこでどうしても「しらける」。こういう小説なら、なまじ科学知識がない人の方が、面白く読めるはずである。
科学というのは、小説にするより、実地の方が、はるかに面白い。スモン病や水俣病の歴史は、きちんと描けば、クックよりも面白いはずである。もちろん、この「面白い」は興味本位の「面白い」ではない。サリドマイドやスモン裁判における会社側の言い分は、現代科学の前提が、いかに奇妙なものかを明瞭にした。
たとえば、サリドマイドのような特定の薬剤が、なぜ「アザラシ肢症」を起こすか、その「科学的因果関係が不明」だと言うのである。ゆえに、会社に責任はない。それは一見その通りなのだが、問題は、では「科学的因果関係が明らかになる」ということは、いったいどういうことか、である。
腕に奇形が生じるのは、例外的な現象である。それを「科学的因果関係として」証明するには、まず奇形ではない腕が生じる現象、つまり「正常」の場合だが、その「科学的因果関係」がわかっていなければならない。そんなこと、よく考えてみれば、わかるわけがないではないか。なぜ人間は五本指でなければならないか。そこに論理があるかないか、それすらわからない。シーラカンスの時代、すでに五本指は用意されていた。以来、変更の必要が生じず、あるいは変更の可能性がなかったから、五本指なのであろう。
科学の対象は、「真理」ではなく、単なる「ありそうな事実」に過ぎない。文科の人はそこを誤解することがある。科学はつねに仮説であり、真理を説くものではない。サリドマイドの場合、われわれが知りうるのは、この薬品をある時期に妊婦に投与すると、子供に特定の奇形が生じる可能性が高い。いまはほとんどそれだけである。
ロビン・クックの小説では、そういうむずかしい議論は出てこない。しかし、医学的にこんなことが起こったらどうする、というのが主題である。
たとえば、医者が受精卵に遺伝子導入をして、天才児を作ろうとする。成功はするのだが、この天才児が、どうも道徳観に欠ける。この辺が、ありきたりで気に入らない。天才なのだから、天才的な道徳観があっておかしくない。しかし、そういう道徳観は、著者が思いつかないのであろう。遺伝子導入をされたわけではない、普通の人間作家が書くのだから、それは仕方がない。
論理から予測されることは、まだ実現されていないにしても、未来論として書ける。しかし、遺伝子導入で脳を変えて天才児が生じたときに、道徳がどうなるか。感情がどうなるか。これは論理ではないから、予測ができない。そこに恐怖が生じるのであろう。
現代人は、このようにして、論理的に予測できる結末を追うことが、「よいこと」だと信じ込む。クックの小説は、実際には、そういう効果を持つのである。素直に考えれば、人間の遺伝子導入などはいけない。読者がそう思うことを願っている。著者はそう言うかもしれない。しかし、公平に言えば、脳を変化させたときに、論理的な部分は性能が「よくなる」ことを予測し、道徳の方だけ「悪くなる」と予測する理由はない。この小説は、しかし、そういう印象を読者に与えるはずである。
その総合効果はなにか。論理のように、予測できることは「よいが」、予測できないことは「いけない」。そういう暗黙の一般化を押しつけている可能性がある。情動や道徳、これは変えられない。そう考える人が多くなっても、これなら不思議はない。
昔の教育で「勇気」を教えたのは、先が論理的に予測できなくても、正しいと信じることを行なえ、ということを教えたかったからであろう。そうすれば、状況が変化するかもしれない。
「辛抱」を教えたのは、情動を統御することを教えようとしたからであろう。現代社会は、いずれも取り払ってしまった。それなら、論理的に予測できることしか、若い人がやらなくなって、不思議はない。新しい冒険は、だれかがやる。私である必要はない。余計なことをすると、ロビン・クック描くところの医師になる。さらに、他人の感情にはできるだけ触れない。触らぬ神にたたりなし、である。その結果、感情が統御できない人間が増えてくることに対しては、刺激を避ける。つまり、平穏な環境を作ることによって対処する。これが現代なのであろう。
これでは、小説がつまらなくなるわけである。
[#地付き](一九九一年一月)
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スティーブン・キングの恐怖
恐怖という感情は、奇妙な感情である。この感情は、人間には非常に強い。動物が恐怖を感じるか否か。わが家の馬鹿ネコは、近隣のボス猫に脅されたり、犬に追われたりすると、小便を漏らす。こういう反応から見るかぎり、ネコも恐怖を感じるとしてよいようである。ただし、こういう恐怖は、はなはだ具体的な恐怖である。危険の対象が、現に目の前に存在している。
キングの恐怖はすこし違う。そもそもが小説だから、われわれの目の前にあるのは、文字だけである。そんなものが、怖いはずがない。そう思うのが論理というものであろう。むろん、キングという恐るべき職人の手にかかると、文字もまた新しい恐怖を生み出す。
『シャイニング』の主人公は、夏はリゾートだが、冬は無人になる山のホテルに、妻子とともに留守番として閉じこもる。ゆっくり小説を書こうというのである。執筆はかれの日課になる。しかし、ホテル「憑《つ》き物」が、かれを次第にとりこにして行く。ひょっとして主人がおかしいのではないか。そう疑いだした奥さんが、ある日、主人の執筆している原稿に触れる。うずたかく積み上がったタイプ済みの原稿。それにはすべて、まったく同じ一つの文章だけが、繰り返し、繰り返し、打たれてある。「こんなに仕事をしては、自分は狂う、自分は狂う」と。映画でこのシーンを見たときは、正直なところ、背筋がゾッとした。
この小説の終りでは、ホテルの前にある、動物の形に刈り込んだ生け垣が、直接に見ていないと、背後からジリッと、自分たちに近づいてくるという場面がある。これは子供でもわかる恐怖であろう。たしかこれに類する子供の遊びがあったはずである。
キングは執筆中に、自分でも怖くなって、座っている椅子から動けなくなるという。これだけ恐怖という主題に集中すると、あらゆる恐怖のレパートリーが、キングの作品の中にあって少しもおかしくはない。
同じホラー小説でも、「血まみれ」のクライヴ・パーカーとは異なって、キングの恐怖は正統的である。ホラー小説などはなから嘘に決まっているのだが、その嘘を読ませるためには、話に説得力が要る。『呪われた町』は古典的な吸血鬼ものだが、この話の作り方でキングの才能がよくわかる。こういうありきたりの筋立てで、ここまで読ませるのは、なみたいていの力量ではなかろう。個々の場面に説得力を欠いたホラー小説くらい、くだらないものはないからである。
翻訳で難儀するのは、ユーモアである。日本語にすると、ちっとも可笑《おか》しくない。恐怖も、これといささか似たところがある。翻訳すると怖くなくなるのでは、ホラーにならない。キングの場合には、話の設定に無理がないし、筋書きが自然だから、「構造的に」怖い。その点、文章表現にあまり依存していないから、翻訳でも楽しめるのであろう。それでも『クリスティーン』のように、廃車が主人公になると、ややおもむきが違うかもしれない。原書はじつに怖いが、翻訳はどうだろうか。どうも怖さが、やや減っているような気がする。アメリカの小さな町の、乾いて荒れた人物と光景とが、日本語にするとなんだか薄まってしまうのである。
他方『ペット・セマタリー』は、そういう問題が少ないか。私はこれを台湾のホテルで読んだ。たまたまネズミを採りに、一週間の旅をしたからである。毎晩これを読んでいたら、まったく退屈しなかった。夜になると、ホテルの人が「要・不要」と書いた紙を持ってくる。女が要るかというのである。昔ながらの筆談である。女が要るなら、「要」に丸を付ければいい。そんなものは要らない。キングが一冊、あればいい。
この小説は、墓場の恐怖をすべて集約している。墓場に洋の東西はない。墓場は怖いものと、昔から相場が決まっている。だから、そこに翻訳の問題はないはずである。もっともそのかわり、題名自体が翻訳困難である。なぜなら原題では、「墓場」という単語「セマタリー」を、わざと子供流に綴りを誤記してある。この墓場には、子供たちが死んだ自分のペットを埋めに行くのである。すると、ペットがなぜか、「生きて帰ってくる」。綴りの問題では、翻訳のしようがないではないか。
この本は、ヨーロッパでもずいぶん人気があった。これのペイパーバックが出版された頃、たまたまヴェニスを訪れたが、本屋にイタリア語訳が山積みしてあったのを記憶している。仏訳も人気があった。パリでも、多くの書店の店頭を飾っていた。昨夏はフランクフルトだったが、キングのドイツ語訳は、本屋にほとんど出そろっていた。ウンベルト・エーコの新作『フーコーの振り子』もたくさん積んであったが、ドイツの本屋は新刊に英語本の翻訳が多い。ハイデルベルクの本屋の店員に、ドイツ語のオリジナルの小説で、売れ行きのよいのを訊いたら、ローゼンドルファーを勧められた。これはオーストリアの小説家である。たしかに、オーストリアの方が小説は面白いかもしれない。『白い国籍のスパイ』を読めばわかる。日本と同じで、ドイツ人は真面目だから、純文学でないとバカにするところがあるが、キングの翻訳がこれだけ出ているのだから、ドイツ人の純文学好みもさしてアテにはならない。書く方はともかく、読む方にしてみれば、小説はやっぱり面白い方がいいに決まっている。
キングはホラーばかり書くわけではない。ファンタジーもうまい。子供の頃に、こういう小説があったら、私も小説家になったかもしれない。『タリスマン』はパラレル・ワールドを描いた長編である。いま出ている『ダーク・タワー』もファンタジーである。『ウォーターシップダウンのうさぎたち』を書いたアダムスは、いつの時代ともつかず、どことも特定されない世界を書くのがうまい。ただし、この種のファンタジーはむやみに長くなる。読む方も本当は終って欲しくない。せっかく入り込んだおとぎ話の世界から、出なくてはならないからである。それなら長い方がいい。小説はおとぎ話に限るか。
[#地付き](一九九一年二月)
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認知科学の本
認知科学は、文学とは縁が乏しい。それが常識というものであろう。さらに、それを偏見というのかもしれない。もっともこの種の偏見は、われわれにはきわめて多い。
三段論法風に言えばこういうことになる。文学と心理学の縁は深い。心理学と認知科学は、切っても切れない縁がある。ゆえに文学と認知科学は因縁が深い。
こういう論理は、研究費を貰うための文部省の公式書類を書いていると、どんどん発達する。だから、私は、こういう書類はほとんど書かない。書くときは、二、三行で済ませる。それでは肝心の研究費を貰えないことが多いが、それは止むを得ない。我を通すにはそれなりの金がかかる。金を貰えないと言うことは、裏返せば、別途の金がかかることだからである。
なぜ認知科学かと言うと、溜っていた認知科学関係の本を正月休みに読んだだけのことである。認知科学はいわば「アメリカもの」だから、たとえば英国出身の科学ジャーナリストである、ジェレミー・キャンベルの著書『柔らかい機械』(青土社)には、ほとんどこの表現は出てこない。古い国では、新しい学問分野を示す用語を使うことには、やはりなんとなく抵抗があるらしい。それはよくわかる。ほとんどの分野は、かならずしも新しいとは言えない面を、大きく含んでいるからである。とは言え、このキャンベルの本は、認知科学の現在を書いたものとも言える。
認知科学とはなにか。それなら、このキャンベルの本とともに、ハワード・ガードナーの『認知革命』(産業図書)を読めばいい。この人の本職は心理学らしい。「表象」といった、哲学なら扱うが、ワトソン流の行動主義なら扱わない概念を認め、さらにそれをコンピュータの論理と結合したのが、認知科学だと言う。私は素人だから、この紹介には嘘があるかもしれない。それは最初にお断りしておく。
認知科学の面白いところはどこか。ガードナーの本を読めばわかるが、この本の始まりは、認識論の哲学史である。コンピュータ科学がどこから生れたか、その伝統がよくわかるように書いてある。もちろん、この書き方には、ガードナー流の偏りがある。アメリカの学者であるにもかかわらず、ホッブズには一言も触れていない。アメリカの大学院教育はたいへん良いという人がある。重要なテキストはきちんと読ませるらしい。しかし、そのために、専門家はじつはきまりきった予備知識しかない、ということも多いのである。どの本を見ても、書いてあることは書いてあるし、書いてないことは、全然書いてない。仲間の意見しか聞かない。そういうことがあるから、気をつけないといけない。
それを訂正するなら、たとえば黒崎政男氏の『哲学者はアンドロイドの夢を見たか』(哲学書房)を読めばいい。「コンピュータにとって人間とはなにか」という奇怪な副題がついている。これは、若手の哲学者が人工知能の最近を語ったものとして興味深い。
日本語では、認知科学という用語は、まだ一般性が足りないらしい。コンピュータの基礎は、人工知能研究と呼ばれることが多い。ひょっとすると、この辺が文学と認知科学の具体的な関係であろう。なぜなら、「人工知能研究」よりも「認知科学」の方が、文学畑には通りが良さそうな気もするからである。人工知能ということばには、論理と数学の匂いがするではないか。
認知科学によれば、それはむろん、そうではない。そうなる前に、まず哲学になるのである。それなら、この国では文学の出番であろう。念のためだが、この国の文学を、私は西欧の哲学に相当する「機能を果たすもの」と見ているのである。「仏文学」とは、つまりそういうことであろう。サルトルだって、フーコーだって、文学の領域ではないか。
小林秀雄の作業を外人に紹介するなら、哲学と言っても、べつに差し支えあるまい。「唯野教授」が教える文芸批評には、小林秀雄は出てこない。それなら、本来の哲学はどうなるのか。やっぱり、講壇哲学であろう。学問のための学問である。
認知科学でも、脳のモデル論に関する部分は、いわば算数である。なぜ文科系の人は、算数が苦手か。これには、あんがい単純な理由があるかもしれない。たとえば、子供の頃に原因がある。算数というのは、言語と同じで、じつは約束事である。ところが言語という約束事が先に入ってしまうと、ほとんどの人は、算数に拒否反応を起こす。これが文学者と算数の「食い合わせ」を生じるらしい。
こうしたことをどう考えるか。それなら、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』(産業図書)を読めばいい。ミンスキーは数学のできる人だから、できない人のことはあまり書いてないかもしれない。しかし、人の心がどう働くかについて、かなり論理的に分析してある。
ほかならぬアメリカに、認知科学という学問が、どうして生じたのか。これにはおそらく、心理学における行動主義という背景があろう。心理学のクセに、測定可能な行動でなければ扱わないというのは、かなり極端な主義である。それは素人でもわかる。こうした主義にもとづいたのでは、計算する機械ができてくれば、計算する人間との区別が、なんとなく曖昧《あいまい》になってしまうではないか。両者の能力に、計測可能な差はあるだろうが、それがコンピュータと人間の本質的な違いか。
その意味では、行動主義も認知科学も、なんともアメリカ的である。行動が先にあり、あとで心理の存在に気がついて慌てる。酒を飲むな。タバコを吸うな。そう言って、行動を規制しようとする。酒もタバコも、心理的に用いるものなのに。その裏では、だから精神分析がはやる。プロテスタンティズムが、豊かな土地にやって来て、そうした性向を生みだしたのか。
アラブ人が、自分たちの間で土地を取ったり取られたりしたところで、アラブの勝手ではないかと思うのだが。そこでフセインの懲らしめを買って出るところも、こういうことと無関係ではあるまい。
[#地付き](一九九一年三月)
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無益にして不確実なるデカルト
デカンショはデカルト、カント、ショーペンハウエルで、この三人は時代順に並んでいるらしい。なかでも、十七世紀に生きたデカルトがいちだんと古い。それでも、デカルトの頭骨はパリの人類学博物館にあり、その頭骨の真偽を論じた論文が複数ある。カントの骨は十九世紀末に一度掘り出され、また墓に戻された。カントの住んだ町ケーニヒスベルクは、いまや旧ソ連領カリーニングラードだから、カントの骨はロシアにある。ショーペンハウエルは、頭がたいへん大きかったという測定値があるので、だれか骨を調べたはずだが、まだその論文を見ていない。
最近デカルトの『方法序説・省察』の新訳が出た(三宅徳嘉、小池健男、所雄章訳、白水社)。しろうとのくせに私がそれに解説を書いたが、まだ言い足りない。この新訳が出てすぐに、今度はジャン=フランソワ・ルヴェルの『無益にして不確実なるデカルト』(飯塚勝久訳、未来社)が出た。この表題は、パスカルから取ったものである。
ルヴェルは言う。「デカルト哲学が近代思想の源流の地位に次第に昇っていったのは、ひとえに十九世紀中葉以降のことである。デカルトに関する著作はここ百年間の方が彼の死後二百年間よりも比べものにならないほど多く、その文献目録のほとんどすべてが一八六〇年から今日までの間に並んでいると言っても過言ではない」。
本そのものは、ここ百年間の方が、デカルトの死後二百年間よりも比べものにならないほど多く出版されているであろう。それなら右の叙述がどのていど有意味か、理科系としてはやや気になる。
しかし、これがもし本当だとすると、なぜデカンショかがわかる。当然のことだが、明治に日本に流入した西洋とは、十九世紀後半の西洋だからである。それを西洋そのものだと信じたのは、現代の日本人が、江戸時代以降の考え方を「日本人の伝統的な考え方」と思っているのと、類似の現象であろう。
デカルトの価値はどこにあるか。生理学の伊藤正男氏の放送大学テキスト『脳と行動』を見ると、最初の方に、「脳研究の歴史」という項がある。そこにはこうある。
「脳の解剖学的な研究は古いが、近代的な科学的な脳研究は十七世紀デカルトに始まるとされている」。
「デカルト。フランスの哲学者かつ科学者。脳も含めて我々の身体は精妙な自動機械であり、一方、我々の精神は松果体を通して脳に働きかけるとの心身二元論を唱えた。松果体にそのような働きのないことは今日明らかであるが、心と脳の関係について深く考察した意義は大きい」。
ここのところが、哲学側からの考察では、しばしば落ちているのである。いまになって考えれば、デカルトが松果体を重視したのは明らかにおかしい。それはそもそも心身二元論をとったためである。分割した心身を結合するために、デカルトが用いた論理は、目は二つあるのに、心の中では像は一つになる。それなら、脳にあって、対性ではない器官に両者を統一する働きがあるはずだ、というものである。それなら、左右の脳の中間に一個ある松果体が、その候補となりうる。ルヴェルは言う。「ここに、デカルトがその哲学の最も基本的なテーゼを表明する場合、如何に薄弱な論拠に満足したかを示す一例が見られる」。
しかし、考えてみれば、デカルトの時代に、脳についてこれだけのことを考えるというのは、むしろ立派なものであろう。「目が二つあるのに、なぜ像は一つだ」ときかれて、ちゃんと答えられる人が、いまでもどのくらいいるだろうか。そもそもそういう疑問を感じる人が、どのくらいいるか。
デカルトのコギトは、たいへん有名だが、これも哲学として見るよりも、脳の問題として見る方が面白い。私はつねづねそう思っている。デカルトはよく考えた人である。しかも、考えるということに、たいへん大きな価値を置いていた。哲学者ならそれで当り前だと思うかもしれないが、その価値の置き方がふつうではない。
デカルトの見た三つの夢は、たいへん有名である。これについては、田中仁彦氏の『デカルトの旅/デカルトの夢』(岩波書店)を参照されたい。とにかく、その夢は、デカルトに神聖な使命を感じさせるようなものだったらしい。ルヴェルも言う。「その後、彼はあらゆる点で、ある種の神聖な使命を確信した人間の如く行動している」。
これでは合理主義者の典型が、神秘主義者になってしまう。しかし、それでちっともおかしくないのである。人間が合理的だという保証はなく脳が合理的だという保証もない。むしろ、歴史はその逆を証明する。デカルトも人間である以上、われわれが「合理的」と呼ぶ機能を持った脳の部分と、そうでない脳の部分を持っていたはずである。だからこそかれは『情念論』を書いたのであろう。
コギトもそうだが、デカルトに間違いなく表われるのは、「思考というものの実在感」の優位である。人はさまざまなものに実在感を持つ。金がすべて、というのは、かならずしも小説ではない。金も脳の産物だが、それに「実在感」が付着すれば、それがすべてになって、いっこうにおかしくはない。「金ならたくさんある、ゆえに私は存在する」という、「お金のデカルト」が生じていいのである。本当のデカルトは、夢のせいか、生れつきか、理由はともかく、人の思考に強い実在感を持った。だからこそ、コギトなのであろう。
実在感がなにに付着するか。酒か、女か、ばくちか、歌か、果てはお金か、哲学か。それは人間の個人差である。
他方、合理主義の根底が、非合理な情念であって、いささかもおかしくはない。それが人間であろう。デカルトが近代哲学の祖になった理由は、ルヴェルの言うように、単に十九世紀という時代にあったかもしれない。ルヴェルは、デカルトが、ガリレイ、ニュートン、ハーヴェイのような実証的な自然科学的方法を、じつは理解しなかったという。「言うことは五世紀」だったと言うのである。
しかしそれが、「脳の科学者」としてのデカルトを、じつは用意した。デカルトの真の評価は、十九世紀ではなく、未来にあるかもしれないのである。脳の「科学」は、まだとうてい完成していないからである。
[#地付き](一九九一年四月)
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谷崎を読む
ベトベトした、こんな気持の悪い小説はない。大学生の頃は、谷崎潤一郎の小説をそう感じていた。井上靖の方が硬質で、はるかに「美しい」。なにしろ「カチン。秋の音」である。学生の頃『射程』に読み耽《ふけ》って、電車の駅を二つ、乗り越したことがある。
このところ谷崎を読み返すと、「気持が悪い」という印象は、ほとんどない。ある年齢になると、自分の若い頃の感性をすっかり失う。それが自分でよくわかる。
『盲目物語』『春琴抄』は、谷崎の傑作だと言われる。この二つが、語りの形式をとっていることは、ご存じのとおりである。ということはつまり、はじめから耳で聞かれることを意識しているのである。ただし、それが著者の積極的な意図だったかどうか、それはわからない。
『盲目物語』の中には、当時の俗謡が出てくる。その瞬間に、読み続けにくくなる。リズムが外れるのである。語り形式で進行するから、そこには一定のリズムが生じるのだが、歌の引用になった瞬間に、そのリズムがとぎれてしまう。しかし、そのリズムは、著者の脳裏では、切れ目なく引き続いていたに違いない。
こういうものが書けるということは、著者がいかに聴覚的だったかを示す。逆に、ひょっとすると谷崎は、視覚的な描写を意図的に避けたか、それを嫌ったかのようにも思われる。この二つの「物語」が、盲人を主人公にしたものであることも、それを強く示唆している。盲目である以上、よほどの必要がないかぎり、この主人公たちは、視覚的な描写を作者に強要しないからである。谷崎はそれを好んだのではないか。
小説の地の文を吟味すると、三島由紀夫のような厳密な視覚性は、ここでもまったく欠けることがわかる。むしろ驚くべきことに、すべてがいわば「抽象的」なのである。それは『蓼《たで》喰う虫』のような「現代物」でも同じである。具体的な描写といえば、文楽の人形を見るあたりだが、これも本来「見る」ものだからそうした描写があって当然であろう。それにしても、こんな描写はどうか。
「明治初年の飛鳥山へでも行ったならば、花見時には定めしこんな光景が見られたであろう。要(注・人名)は蒔絵の組重などという物を時代おくれの贅沢品だと思っていたのに、ここへ来て見て始めてそれが盛んに実際に用いられているのを知った。なるほど漆の器の感じは、玉子焼きや握り飯の色どりといかにも美しく調和している。中に詰まっている御馳走がさもおいしそうである。日本料理はたべる物でなく見る物だと言ったのは、二つの膳つきの形式張った宴会を罵った言葉であろうが、この花やかな、紅白さまざまな弁当の眺めは、ただ綺麗であるばかりでなく、なんでもない沢庵や米の色までがへんにうまそうで、たしかに人の食欲をそそる」(蓼喰う虫)
漆の器の感じが、玉子焼きやら米の色なりと合って、うまそうだという。しかし、その色合いは、たかだか「紅白さまざま」で、いっこうに具体的でない。これを読むと、谷崎は視覚的な描写が嫌いなだけではなく、およそ描写する気がないように読める。蒔絵と弁当の中身の色合いに感心して、食欲が沸いたというだけで、あとはその月並みな「説明」に過ぎず、とても具体的な描写ではない。だから「抽象的」だというのである。「明治初年の飛鳥山」も同じであろう。風景の説明が自分の「目」に発していないから、要するに「明治初年の飛鳥山」という引用になってしまう。情景をいちいち書くのが、面倒くさいのではないか。
さらに疑えば、谷崎には、視覚的な印象を文字化する動機が欠けている。そう言っていいように思われる。実際、『蓼喰う虫』を読んでいても、目になにかが浮かんでくるというわけではない。谷崎が視覚的に強力な描写をすることがあるとすれば、それは女の肉体についてだけではないか。それを書こうとする動機なら、十分に存在すると思われるからである。しかし『鍵』を読んでも、夫人のほの白い肉体だけが、ただただ漠然と浮かんでくるばかり。
谷崎がいたく感心している、女性の視覚的な描写がある。それは、水上勉の『越前竹人形』である。その中に「玉枝は黄金色の光の糸を背にして、竹の精のように佇んでいた」という一節がある。これに対して、谷崎は言う。
「私もここで思わず息を飲んだ。『竹の精』という想像はいかにも美しい。この一言でその場の光景が金色を放って目に浮ぶ。島原や芦原の遊廓で娼妓を勤め、一時はだるま屋の売女にまでなり下った女のことであるから、美人といってもおおよそ知れているような気がしていたが、なるほどそういう光線を浴びて竹の林に囲まれてすくっと立っていたとしたら、さぞその美貌が不思議な円光の中にかがやいていたことであろう。ここへ持って来るまでの描写が幾分たどたどしかっただけに、一層ここが引き立つのである」。(谷崎潤一郎随筆集、岩波文庫)
女の視覚的描写であれば、他人の書いたものでも、このとおり。谷崎の目は、要するに女の抽象的な姿に集中してしまう。これは、作家としては、幸福なことであろう。三島由紀夫を見れば、それがわかる。三島は、目の作家として、谷崎の対極にある。三島の小説といえば、視覚的な具体的描写で、ほとんど全編が埋まっているのである。
日本の美とは、視覚的な美である。文学がそれを突き詰めようとするとき、悲劇が生れる。視覚の美を文章にするなら、対象は女だけでよい。それ以上は、「ことばに余る」。芥川龍之介も川端康成も、どうやら目の美にこだわるところがあった。これは、小説家としては、「あぶない」資質ではないか。目の美をことばに表現する。それが結局はうまく行かないから、世に画家という存在がある。その画家が、しばしばむやみに長生きをするというのも、偶然ではあるまい。
そう思えば、谷崎は健康な作家である。長生きをして当然か。
[#地付き](一九九一年五月)
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芥川の身体観
芥川の文章は、小説家の模範のようなところがある。名文だということを、ことあらためて称揚しようという意図はない。文章表現の上で、さまざまな感覚の釣り合いがよいということなのである。
それはむろん、生理学の問題であって文学の問題ではない。ただし、やや目立つのは運動系の参加が大きいことである。それでも島田雅彦ほど極端ではない。その意味で全体の釣り合いがよい。
芥川の文章を「造りもの」だという人もある。ひょっとすると、それはこの釣り合いを指すのかもしれない。諸感覚を、こんなに都合よく、文章の中に均等に混ぜることは、どこか意識的にやらなくては、できないかもしれないからである。私は素人だから責任は持たないが、俳句の感覚がこれに似ているのではないかと思う。芥川も発句は好きだったはずである。生理的に見れば、俳句の中では、異質の感覚がなぜか突然に連結する。芭蕉の「古池や」にしても、視覚が急に聴覚に変換する。その辺の機微が俳句であろう。俳句のような短い形式で、読み手に感銘を与えるためには、異質な感覚の、異質ではあるが必然的な結合が、とくに重要らしい。その方が、脳から見れば、広い範囲を動員することになるからである。
「──私の膝が、先方の膝にさはつたのだ。私は卵色縮緬の小袖を着てゐる。下は多分肌着に、隠し緋無垢だつたらう。それでも、私には、向ふの膝がわかつた。着物を着た膝ではない。体の膝がわかつたのだ。柔な円みの上に、かすかなくぼみが、うすく膚膩をためてゐる──その膝がわかつたのだ。
私は、膝と膝を合せたまま、太鼓を相手に気のない冗談を云ひながら、なにかを待設けるやうな心もちで、ぢつと身動きもしないでゐた。勿論その間も、伽羅の油のにほひと、京おしろいのにほひとは、絶えず私の鼻を襲って来る。そこへ、少したつ中には、今度は向ふの体温が、こちらの膝へ伝はつて来た。それを感じた時のむづ痒いやうな一種の戦慄は、到底形容する語がない。私は唯、それを私自身の動作に翻訳することができるだけだ。──私は、目を軽くつぶりながら、鼻の穴を大きくして、深くゆるやかな呼吸をした。それで君に、すべてを察して貰ふより外はない。」(世之助の話)
「私の視覚、聴覚、嗅覚、触覚、温覚、圧覚、──どれ一つとしても、この女房が満足させてくれなかつたものはない。いや実に、それ以上のものにさへ満足を与へてくれた」。(同)
私が説明しようと思うことを、芥川自身がやってくれているという感じだが、文章表現の中では、これにちゃんと動作まで加わる。ここでは、多種類の感覚が一度に表現されている。なにも縮緬が卵色だろうが、肌着が緋色だろうが、この場には無関係だという気もするが、視覚を介入させるために、わざわざこういう挿入をする。これが、ワザとらしいといわれる所以《ゆえん》であろうか。「柔な円みの上に、かすかなくぼみが、うすく膚膩をためてゐる」というところでは、想像上の視覚と実際の触覚がまぎれて、もはや叙述からは、両者の区別が判然としなくなっている。
右の例もそうだが、芥川はしばしば身体を記述する。表現はともかく、芥川は身体をどう見ていたか。その典型は、『羅生門』であろう。ここでは、老婆が死人の髪の毛を抜いている。鬘《かつら》にすると言うのである。作者の見る目は、主人公の下人の目であろう。下人はその光景を目にすると、カッと怒る。下人には、職もなければ、そのあてもない。死人の髪の毛を抜いていたからといって、そういう男が、いまさら老婆に八つ当たりすることはなかろう。私などはそう思うのだが、芥川はそうは思わなかったらしい。
死体に対するこの感覚は、江戸以降の感覚である。江戸以前と、江戸以降、この二つの時代は、身体という意味では、正反対の時代である。戦国までは、「腹が減っては、戦ができない」時代だが、江戸では「武士は食わねど、高楊枝」となる。これは単に平和を意味すると思えばそれまでだが、それだけではない。身体の持つ重みが異なっている。身体の意味が異なるということは、個人の意味が異なるということである。個人とは、身体の上にしか成立しないからである。この国ではふつう、個人とは身体であるという思考をしない。この国に「個人がない」というのは、「肉体がない」ことと同義である。
『羅生門』の下人には、江戸以降の死体感覚が、みごとに表われている。作者は意図していなかったであろうが、『羅生門』の老婆は、平安末期から戦国に至る、日本社会の身体観の象徴であり、下人は江戸以降の泰平、無身体、唯心思想の象徴なのである。「首を狩る」時代なら、だれかがその首を洗わなくてはならない。血と泥にまみれているに違いないからである。黒澤の映画には、それを女どもが洗う光景があったはずである。鬘くらい、なんのことはなかろう。それが『九相詩絵巻』の背景ではないか。
『方丈記』や『今昔物語』の読み方は、江戸以降の常識を基礎とした読み方では、読み切れない。ピンと来ないのである。しかし、芥川の読み方ですら、そうなってしまう。それは、下人の感情に見るとおりである。ただし、芥川が『羅生門』という作品を書いたということは、暗黙のうちに芥川が、身体観のズレの問題に気づいていた可能性を示す。
さらにそこを突き詰めたのが、三島由紀夫であろう。三島は、自分が肉体を欠くことを痛切に意識していた。しかし、それがかれの信ずる「伝統的な日本」の、じつは典型的な表現の一つであることに、おそらく気づかなかった。だからそれは、三島の具体的な肉体「いじり」という形で表現され、思想として客観化することがなかった。客観化を妨害したのが、三島自身の肉体だったということが歴史の皮肉であろう。
『藪の中』という「心」的世界を描いた芥川の作品が、『羅生門』という、それと対照的な小説の題を取った映画によって世界に広がったのも、歴史の皮肉であろうか。
[#地付き](一九九一年六月)
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剣の精神誌
よくできた剣豪小説は、大好きである。最近では、隆慶一郎の『鬼麿斬人剣』。もっともこれは、刀鍛冶が主人公だから、剣豪としては邪道かもしれない。吉川英治の『宮本武蔵』から始まって、五味康祐、池波正太郎、数え上げたら際限がないが、いずれも江戸の剣士を扱ったものである。ところが、講談ならともかく、まともな江戸時代の歴史で、剣豪の話をあまり読んだことがない。あれは、江戸の歴史ではないのだろうか。
江戸以来、文武両道が強調されるが、これはどういう意味か。文は学問であろうが、武とはなにか。「治世ノ武術ハ晴天ノ雨具ト云フ事アリ」。しばらく晴天が予測されれば、しょせんは余計ものか。
文武両道、この両者は、じつはまったく同じものだ。それに気づいたのは、『剣の精神誌』(新曜社)の著者、甲野善紀氏にお会いして、話をうかがったときである。同じものだから、「両道」なのである。違うものだから、両方を勉強して、もっと器用になれ、というのではない。そもそも、どちらも「道」ではないか。別な表現で言えば、ともに「学問」なのである。文はことばを介するが、武は身体を介する。身体を介する方が、後世には伝えにくい。それだけのことであろう。それを、武道には客観性がない。そう信じたのが、間違いの始まり。明治とは、西洋が乱入する時代だったから、それも止むを得まい。しかし、その明治の「伝統」を、いまだに堅持する必要はなかろう。歴史家だって、武道を研究するより、ことばを研究する方が、楽に決まっている。だから歴史から剣豪が消える。
武道とは、いまで言えば、現象学的な身体を扱うものである。市川浩氏の扱う身体と、それほど変わらない。市川氏の書物にも『精神としての身体』(勁草書房)という題がついているではないか。表題だけ見て、この本を武道の本と間違える人があっても、いっこうに不思議ではなかろう。もちろん、武道の身体の方が具体的で意味が狭いであろうが、その代わり武道は殺し合い、待ったなしである。ひとつ間違ったら、命がない。いい加減には扱えない身体である。
茶道の一期一会が「順縁の出会い」なら、武道は本来「殺し合い」で、甲野氏の表現によれば、「逆縁の出会い」である。西洋でも中国でも、殺し合いは必要悪だが、日本だけは違った。必要悪だと、割り切り損ねた。そう甲野氏は言う。必要悪だと割り切れないから、「道」になり学問になる。私は甲野氏の身体の話をうかがいながら、なんだ、私のやっていることと同じじゃないですか、と思わず言ってしまった。武道の実践というのは、要するに学問と思えばいいのである。頭の使い方と身体の使い方、その比率も、さして変わらないであろう。解剖学だって、大いに自分の身体を使う。そのうえ、さまざまな刃物を使う。頭はときどき使うだけである。
甲野氏は、武道の達人である。氏を知る人は、たいてい一度は投げ飛ばされている。私は幸いにして投げ飛ばされなかったが、それは「触らぬ神にたたりなし」で、甲野氏に触れようとしなかったからである。
「文」と並んで、江戸時代のもっとも重要な哲学の一つだった武道は、剣豪小説として生き残るだけで、その真面目が消えてしまった。歴史家も取り上げないのだから、消えて当然であろう。東大寺のお水取りのように、千年以上もわけもわからず、派手に続いているものもあるかと思えば、この本の主題である「無住心剣術」のように、門弟一万人を誇った流派が、小説からも消えてしまう。甲野氏は、その跡を丹念にたどる。たどってみれば、文献もいくらかは残っているのである。
無住心剣術の開祖は、針ヶ谷夕雲である。この流派はおかしな流派で、剣は要するに、上げて下ろすだけだ、という。言われてみれば、そうかもしれない。切るというのは、そういうことであろう。包丁だって、要するに持ち上げて下ろす。もっともこれには、開祖の夕雲が、怪我で片手しか使えなかったという事情があるらしい。二代目、小出切一雲。三代目、真里谷円四郎。これで終り。円四郎のとき、門弟一万人。久留米藩に仕えたという。
初代の針ヶ谷夕雲は、おもしろい人物である。他流をしばしば、畜生剣法と評する。佐々木小次郎のつばめ返しも、畜生剣法であろう。術に動物名がついているからである。
「近代八九十年此方、世上モ静謐トナリ干戈自ラ熄ミ、天下ノ武士共安閑ニ居睡リスルヤウニ成行テ、戦場ニ臨テ直ニ試ミ習フベキヤウナケレバ、セメテハ心知良友ニ相対シテ、互ノ了簡ヲ合セ、勝理ノ多ク負ル理ノ少キ方ヲ詮議シテ勤習スル事、治世武士ノ嗜ミト成テ、木刀シナヒナドニテ互ノ了簡ヲ合セ試ル事、兵法ノ習ヒト成テ、隙アリノ浪人等朝夕工夫鍛錬シテ、所作ニカシコキ者ハ自ヲ他ノ師トモナリテ教ヲ施ス。如此スル間ニ次第々々兵法者卓散ニナリテ、諸流区々ナリ」。
ということで、江戸の剣法が広がった。夕雲のいう「近代八九十年」は、江戸の初期のことだが、これは歴史の上では重要である。この平和は「意図された」平和であり、体制思想としての平和哲学がここで成立する。現在のわれわれの平和は、この体制思想の上に無意識に乗っているのである。その思想を表明するのが、柳生宗矩の『兵法家伝書』であり、沢庵の著作である。
この『剣の精神誌』の主題は、無住心剣術の歴史であるが、それだけにとどまらない。当然のことだが、当時のいくつかの流派との関係、後の剣術との関連を考えなくてはならないからである。この系譜は、おそらく幕末の山岡鉄舟に至ることになる。一般には、鈴木大拙がこの流派の「相ヌケ」を評価したことが知られているていど。
武道家が本を書くのは、解剖学者が文学を論じるようなものだが、歴史家という本職がこうした主題をあまり論じてくれない以上、止むを得ないのであろう。この書物は江戸の思想、ひいては日本の身体思想を知る上で、貴重な文献である。
[#地付き](一九九一年七月)
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親指のマリア
江戸というのは、よくわからない時代である。私が受けた教育は、反封建主義一辺倒だった。これでは、江戸を自分で考えようとするには、ほとんど役にたたない。ともかく江戸という時代を、自分で考えはじめたのは、解剖学の歴史について、真面目に考えはじめて以来のことである。
ほとんどの人が、解剖学は蘭学だと信じている。幕末の江戸の医師たちの多くも、その例外ではない。しかし、そもそも解剖を始めたのは、山脇東洋という漢方医である。ところが、東洋の解剖に至る動機を、明瞭に記した書物を、私は知らない。それは、歴史学者に、解剖学は蘭学だ、という頭があったからであろう。東洋の解剖の動機を追うこと、それが江戸を考える私の動機となった。
それは置こう。杉田玄白に『形影夜話』なる一文がある。その頭に、「白石・徂徠の二先生は天縦の英才・非常の人物なり。その他の天才のものいかにしてそのところに至るべき」とある。白石は、江戸の学者の範とするにたる人物と見なされていたことが、これでもわかる。白石といえば、冬の夜中に頭から井戸水をかぶり、眠気を覚まして勉強した人物。まあ、だいたい、二宮尊徳と似たようなもの。若い頃の私には、そういうイメージしかなかった。それを変えたのは、『折たく柴の記』である。
泰恒平氏の『親指のマリア』(筑摩書房)は、その白石と、宣教師のヨハン・シドッチの交渉を題材とした小説である。遺憾なことに私は、中高校生の時代を、カトリック系の学校で過ごした。だから、こうした題材には、どうも感情的な依怙贔屓が出る。べつに私がカトリックだというわけではない。しかし私が、宗教というものを、いくらかでも肌から理解したとすれば、この時の教育による。この小説の主題に、おかげでつい引き込まれてしまった。
話は白石の実学志向と、シドッチの信仰志向の食い違いを主題として進む。これが現代の問題であり、しかも古くからの問題でもあるということを、いまではまったく意識しない人も多いはずである。この中でシドッチが告白するように、ヨーロッパの歴史は、「神よりも人間へ」向かって進んできたように見える。この国では、その進行はもっと早かった。とうの昔から、「花より団子」、なにごとも実利と効用である。人間主義、つまりヒューマニズムも、ひょっとすると、この国の方に、しっかり根付いたかもしれない。むろん、このヒューマニズムとは、「ただいま生きている人間にしか、価値をおかない」、という意味である。
国禁を犯し、この国に信仰をふたたび伝える可能性を求めて、シドッチがやって来る。これでは、白石とシドッチの「対話」は、いかに小説とはいえ、成り立ちようがない。それはすでに、『西洋紀聞』などの内容からもよく判断できることである。白石はシドッチの伝える天文、地理などの学問にいたく感銘するかたわら、その信仰については、ほとんど歯牙《しが》にもかけない。すなおに『西洋紀聞』を読むかぎり、白石の態度をそう解釈して当然であろう。話が擦れ違ったままでは小説にならない。だから、話の中で著者は、白石のかならずしも明確ではない出自と、切支丹との関係を臭わせる。論理的には、そういうことがあっても、おかしくはないからである。
私の最初の動機は、この小説に、著者の江戸の解釈を見ることだった。しかし、それよりも「信仰」を見てしまったようである。作中の人物たちは、ずいぶんモダンな会話をする。これは、私の江戸のイメージには、しばしば合わない。しかし、信仰を見ることは、私にとってけして不愉快ではない。
これを読む数日前に、私は大学共同セミナーというのに出席していた。あちこちの学生を集めて、教師と学生が討論する。最終日の討論で、「今時の若い者」にいささかゲンナリしているところに、ある学生が立ち上がって語り始めた。宗教学の専攻だという。全体のテーマは、「現代科学は生命を解読できるか」というものだったが、この学生は、それまでの議論に欠けているものが、人間の持つある種の全体性だ、ということを指摘したのである。不思議なことに、この発言で、学生たちの議論があっという間に引き締まった。その後の議論が、聞くに耐えるものになったことは、私だけの印象ではなかった。この発言が、キリスト教ないしその信仰を背景とすることは、いうまでもあるまい。宗教の持つこうした要素、それを欠いた教育がいかに労多くして功少ないか、自分の怠け癖を棚に上げて言えば、それは日常感じることである。
『親指のマリア』のような、いわば「信仰小説」が、どのくらい読まれるか、私は知らない。ただ、若い人たちが、超常体験やら臨死体験やら神秘学やら、果てはドラッグにひきつけられる現状を見ていると、もう少しまともな「なにか」があってもよいのではないか、と思う。人間の全体性などは、考えようによっては、当り前の常識であろうが、現代の学問が、それを学ぶものに、その常識を意識させなくなったことも確かであろう。臓器移植の反対論には、明らかにその常識の「なごり」が認められる。しかし、この反対論もまた、シドッチの信仰のような、ある強さを持たない。
解剖学で人間をバラバラにしながら、いまでは人間がバラバラだと指摘するのも、おかしなものだが、生きている人間が統一体だからこそ、死体をバラバラにすることに意味がある。はじめからバラバラでは、解剖学の出番がない。だから、こういう学問が、もはやはやらないのであろう。
イタリア名ジョヴァンニ・バッチスタ・シドッチはシチリアの出身で、この島には十日間、研究会で閉じ込められたことがある。パレルモの近郊、アル・カポネの出身地であるトラパニという港町、その背後の山頂にあるエリチェという古い小さな町である。この小説には、この町まで出てくるのが懐かしい。以前のことが懐かしくなると、次は老人ボケかもしれない。
[#地付き](一九九一年八月)
初出誌
各文末に記してあります。なお文末カッコ内に誌紙名のないものはすべて
Tは「諸君!」
Uは「文學界」です。
〈底 本〉文春文庫 平成七年六月十日刊