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ヒトの見方
養老孟司
目 次
ヒトの見方について
T
形を扱う
機械論と機能論
科学の作ったバベルの塔
脈絡のある事実
人体のイメージ
生物学と自由――渡辺慧『生命と自由』
世界の緊張関係――森政弘編『生きもののデザイン』
私の視覚――大森荘蔵『新視覚新論』
U
剰余とアナロジー
顔の見方
ヒトにはなぜヒゲがないのか
形態と機能からみた人間
単純なる前提――丸山工作『筋肉のなぞ』
縦断的な方法――小野三嗣『ひげの科学』
丈夫な哲学の必要――香原志勢『人体に秘められた動物』
V
進化と進化論――生物と人間における時間の超克
形態学からみた進化――進化の要因論と過程論
進化は歴史である――G・C・シンプソン『馬と進化』
「真理は一つ」という誤解――今西錦司『主体性の進化論』 柴谷篤弘『今西進化論批判試論』
進化を見る――D・アテンボロー『地球の生きものたち』
W
トガリネズミからみた世界――形態から推理する
ネズミのヒゲと脳
わが始祖、食虫類に魅せられて
X
人は慣れる
にわか坊主
虫が好く
虫の楽しみ
われらが内なる「虫」
チョウを見る――海野和男『チョウの世界』
レオナルドの解剖図展
鴎外とケストラー
あとがき
文庫版あとがき
[#改ページ]
ヒトの見方について
物の見方[#「物の見方」はゴシック体]
自然は真空を嫌う、という古い言い方がある。同様に、科学者は哲学を嫌う、と言いたい時がある。
物の見方というような論議を、哲学と評する人がある。当の論議の内容が、哲学であるか、哲学でないか、それを論じるつもりは私にはない。私が興味を持つのは、むしろ、ある人がある状況を哲学と評したということ、そのことである。そこに、その人の哲学に関する考え方が表出しているからである。
それがすなわち、その人の「物の見方」にほかならない。そして、その人をそう見ることが、こんどは、同様にして、ヒトの見方にほかならないのである。
どんな叙述にも二つの面がある。一つはその叙述の内容そのものであり、もう一つは、その叙述が、ある状況で、ある人によって、どういうふうにか、なされたということである。
ここで言う「物の見方」とは、つまり後者に近い。叙述の内容にとりあえず反論せず、叙述そのものを、素直に事実として受け入れる。それは、いわばヒトの博物学とでも言うべき立場を導く。
叙述を素直に認め、逆にそれを発言者の立場を考えるよすがとする、というやり方を、われわれの祖先は古くから実行してきた。だから、「語るに落ちる」というのである。そこでは、語りの内容の当否がかならずしも直接の問題ではない。そのような内容が語られたということが、語りを語る人間の内実や、置かれた状況をあらわす。そして、そのことは、科学であっても同じことである。
これを、叙述の「形式と内容」とも表現できよう。たとえば、文学について批評が成立するのは、基本的には批評が右の意味での事実、つまり形式を扱うからである。そこでは批評の方法は、「科学」の方法と、とくに変りようがない。
それが内容の問題によって妨害され、たとえば理科と文科で話が通じないという現象があれば、それはいわば学問の不健康である。しかし、われわれの社会では、理科がほとんど輸入品だったという事情があるにせよ、学問にそうした傾向があったことは、否定できないであろう。
たとえば、いまここで私がしているような議論は、べつに哲学でも批評でもない。要するに解剖学である。解剖学とはその内容である、と考える人達なら、また違った意見を持つかもしれないが、私の議論は、むしろヒトの解剖学なのである。なぜなら、解剖学は、不運なことに、まさしくそうした「形」そのものを扱う学問でもあるからである。
ヒトの脳を解剖すれば、それが原則的には似たような構造を持ち、各個人の差というものが見られはするものの、神経解剖学という分野が一方では成立し得るだけの構造の共通性を示していることを知る。つまり、その中身に何が入ることになろうと、その機能には脳の構造から規定された「共通の形」が存在するはずであり、事実それがある。
とすれば、ヒトがおたがいどうしを理解するのは、もともと脳の中にどういう内容が詰っているか、の問題ではなく(ヒトによって異なるに決まっている)、それが働く場合の「形式」の問題だ、といわざるを得ない。だから、ただいまここで文句を言っている人間が、やがて立場を交換すれば、文句を言われている人間と同じ行動をとる、ということがおこり得るのである。
同じ人間で理解ができないはずがない、話せばわかるというが、それが通用するとはかぎらない。話し合いはいわば形式の問題であり、話し合いを取るか取らぬかは、内容とは別問題である。問題が、あるいは形式であるにもかかわらず、内容として理解されるところに、しばしば悲劇の原因があるらしい。
たとえば、ほとんどの教師は、話せばわかる、などと考えてもいないであろう。たいていの学生には、話してもわからない。叙述すなわち言葉とは、内容を伝えるものだ、と学生はふつう堅く信じて疑わないからである。
形式を学ぶために、われわれの祖先は、徒弟奉公からはじめて、さまざまな教育方法を考えてきた。物を習うにはまず形から入る。そうしたやり方が、ひょっとして消えて無くなっているとしても、それはべつに私の故ではない。
対象は何か[#「対象は何か」はゴシック体]
解剖学の対象が、形や構造であることは当然である。しかし、解剖学は、すでに数百年の歴史を持つ。ここから、解剖学の対象について、別な具体的問題を生じる。すなわち、解剖学の対象には、解剖学の論文が含まれるか、という点である。
自然科学の対象は、もちろん自然である。しかし、考えてみれば、科学そのものの大きな内容をなしているのは、現在では論文である。では、論文もまた、解剖学の対象だろうか。
私は、すでにそう考えてよい、と思う。というより、そう思わざるを得ない。論文を読むことは科学では不可欠であり、したがってたとえば、解剖学関係の論文であれば、その論文を読むという作業は、解剖学という分野に属しているというほかはない。第一、読む人がなければ、論文を書いても仕様がないではないか。しかも、解剖学の論文を解剖学者以外の人が読むことは、まずほとんど考えられないのである。
これは当然のことでありながら、しばしば無視される。それは、自然科学の本道が自然を扱うことにある、というたてまえ、ないし思い込みによる面が大きい。
現在のように、論文が沢山書かれるようになると、読む方も応接に暇がない。百年前の論文をまだ読み終えていないのに、とんでもない速さで、新しい論文が溜る。論文を書くのが大変なら、読む方だって大変である。自然が現実であるなら、文字で書かれているとはいえ、論文だって現実である。現に私の本棚は、その現実のおかげで、棚が落ちそうになっている。
論文の集積速度は、どの位のものか。昭和四十二年からの三年間に限り、「食道」という言葉でコンピュータから引き出された論文数は、一四四二だった。米国のデータだから、もちろん日本語で書かれたものは、含まれていない。なぜこんな古いデータを持ち出すかというと、新しいデータは、もはや恐ろしくて見る気がしないからである。
十九世紀の科学者、あるいは解剖学者は、自然を対象とし、そこから抽出された図式を提示するのが科学だ、と考えていたらしい。そして、それが可能であった。たとえば、その時代の解剖学教科書には、現在の教科書とはっきり違う点が一つある。それは、引用文献がほとんどないことである。引用すべき文献が無かったこともあろうが、明らかにそれだけではない。著者の立場は、その場合「自分が自然から抽出した図式を提示する」というものだった。少なくともそれが、長い間のたてまえだったのである。
現在の解剖学教科書は、それとは対照的である。引用文献に満ちている。もはや忙しくて、たてまえなどには構っていられない、というのである。すなわち論文そのものもまた、叙述の対象となる。
自然だけではなく、科学者によって書かれた事実、さらにまた、科学者がそれを書いたという事実が、教科書の内容に含まれる。
その結果、たとえば、教科書に占める事実の割合は、ある分野に従事する科学者の数をも反映するようになる。なぜなら、多くの論文が出される分野は、教科書の中では、大きな場所を占める傾向が、当然生じて来るからである。現代の教科書はすでに、自然のみならず、科学者の社会を、あるいは意識せずして、反映していると言ってよい。
これは、善悪の問題ではない。書かれた事実が対象に入ってくるようになれば、自然科学の教科書であっても、次第に人文科学の色彩を帯びる。人間の行為を含むようになるからである。
「十九世紀には、科学者の仕事は、『ただ本当の事実を示すだけである』と考えられていた」
だから、十九世紀の科学者にとって、
「科学とは、議論の余地のない客観的事実をできるだけ多く編集することだったが、この説こそ、過去百年間、近代科学者の上に破滅的な影響力を振い、ドイツ、イギリス、アメリカの諸国に、無味乾燥な事実の、微に入り細をうがったモノグラフの、果てはあとかたもなく事実の大海に沈んでしまうような、ますます多くを知るインチキ科学者の巨大な、いや日増しに巨大になる一大集塊を生み出すに至った」
この意見はやや極端だが、傾聴に値する。とくに解剖学には、よくあてはまるかもしれない。
ただし、この訳文には、私の都合で誤植があり、右の文章中の〔科学〕は、原文中ではなぜか〔歴史〕となっている。原文はE・H・カーの『歴史とは何か』から引用されたものである。当然のことながら、いまとなっては、自然科学だけが「歴史」の埓外にある、というわけにはいかないのである。
もともと自然科学は、対象を素直に扱い、それを論文という形式で表現すれば足りた。
「自分が事実の方を心配していれば、意味の方は神様が心配してくださる」(ランケ)はずだった。
自然科学の対象は、もちろん自然である。しかし、前述のように、科学そのものの内容を成しているのは、じつは論文である。従って、論文もまた、対象とならざるを得ない。自然科学の歴史がこれだけ長くなり、科学に従事し、してきた人達の人数がこれだけ多くなれば、そう考える方がむしろ、素直な考え方であろう。
論文を読む人は、論文の著者と同じ作業をするわけではない。当り前である。作業そのものを追試したり、論理を追ったりすることはできる。しかし、結局、著者がある見方で現実を切り取ったという事実が、最終的に読む人に伝えられる事実である。示されたものは、決して内容だけではない。
論文を書く視野に入ってくるのは、主として自然であるが、論文を読む視野には、その意味で、著者という人間が加わる。だから後者では、人間に伴うもろもろの要素、すなわち社会や文化や言語や伝統を抜きにしては語れぬ事情が、かならず混在してくるはずなのである。
現代の博物学[#「現代の博物学」はゴシック体]
ヒトの見方にも、さまざまな範疇がある。しかし、世の中にいちばん多いのは、実利と効用を旨とし、便宜上、ヒトを分類するものではないか。
営業の人間にとって、ヒトはある商品を買う存在か、買わない存在か、に大別される。頭の痛い問題を抱えた管理者は、配下のヒトを、当面の問題に対して、有能か無能かのいずれかに分類するに違いない。
日常生きて行くためなら、ヒトの見方は、とりあえずこの程度で充分かもしれない。しかし凝り出せば際限はないとはいえ、ヒトも人生も、もう少し詳細で、面倒なものであろう。
芝居は、そういう面倒な人生の断片を取り上げる。自然科学でいえば、モデルと考えてもよい。この人生モデルでは、ヒトは配役として明快に分類される。主な役柄には固有名詞があてられるが、違う役者が演じることが可能である以上、これは事実上固有名詞ではない。
問題は、配役の最後にある。そこには、ときどき、「その他大勢」というのがある。これが、分類としてはきわめて実用性に適う。
恋する二人にとって、ヒトは「恋の相手」および「その他大勢」である。昆虫に興味の無いヒトには、昆虫はチョウ、トンボ、カブトムシ、および「その他大勢」である。
ここでは、分類は、何らかの「価値」基準によっており、それは対象の外部から持ち込まれたものである。そうした基準を利用することから、「その他大勢」が発生する。実用上の分類の要諦はここにある。整理学の秘訣は「未整理」という箱を置くことである。
博物学を生み出した態度は、それを拒否した。自然、あるいは物自らをして語らしめようと欲したのである。
だから、ともかく、リンネの分類には「その他大勢」が無い。そのかわり、簡便な実用性も無い。そのかわり、全ての生物を網羅する。そのかわり、あらゆる種・属は平等である。ヒトといっても、特別ではない。
解剖学も、ヒトの身体の可視的な構造を呈示することにより、本来は、それ自身に何かを語らせようというものだった。解剖という操作は、あくまでその補助手段にすぎない。すなわち、ここでも、ただヒトの部分がそういうものとして示され、それがどういう風にか、ヒトを語る。その語りを、古くは、杉田玄白が感激して聞いた。
その意味で、解剖学は、すなわちヒトの身体の博物学だった。むしろ、博物学が、こうした態度から生じたものである。そして、そのために、当然のことながら、解剖学も分類学と同じく、きわめて網羅的だった。「その他大勢」を禁じたからである。
こういう態度が、どうして生じたのか。むろん、歴史的な理由は、私には知るよしもない。ただ、こういう態度は何かに似ている。そして、似ているとすれば、それはとくに視覚だというべきであろう。
動物の脳は、基本的に二つの部分を持つ。すなわち、知覚系と運動系とである。脳はこの二つの系を含み、もともとその影響下に成立している。
「物の見方」およびそれに相当する学問の分野、つまりたとえば博物学は、前述のように、ある共通の性質を示す。それは、おそらく、系統発生的に言って、知覚系から発展したもののはずである。だから、「見方」なのである。
したがって、「見方」そのものを純粋に詰めていけば、知覚系が持っていた本来の性質あるいは弱点もまた、露呈してくるであろう。動物が生きるためには、知覚と運動の、両者が不可欠だからである。
知覚はむしろ、つねに行動の前提である。視覚や聴覚を、動物は空間定位に用いる。自身の位置を知らなければ、動きようがない。その意味では、知覚は運動に不可欠だが、知覚が行動の原則を決定するわけではない。
だから、「物の見方」に行動の原則、つまりたとえば処世の方針、を求めてもムダである。それは、いわゆる「八百屋で魚を買う」たぐいである。知覚系が行うことは、情報の整理であり、正確な情報を選択し、無用なものを排除することである。排除というのは、知覚系に本来付属した性質らしい。
白い花は、われわれには白い花だが、ハチにとってはしばしば、コントラストの強い、模様のある花である。ハチの眼は紫外部の波長を感じるが、われわれの眼はそれを無視する。コウモリの発信音を、われわれの耳は受けつけないが、イヌは聞く。
たとえば、博物学は、徹底的に物を蒐集したように見える。しかし、そこからは、多くのものが除かれている。ミシェル・フーコーは、博物学は排除によって成立したという。そこでは、偶発的なものは一切無視される。それだけではない。善悪、好悪、価値、その他もろもろの人間的「意味」が、意識的に排除されているのである。
物事に意味を付けるのは、おそらく知覚系の本来の仕事ではない。それはまさしく脳、つまり中枢の仕事である。眼や耳そのものが物事の意味をとらえるわけではない。
博物学は、おそらく、学問の眼あるいは耳であろうとした。その眼あるいは耳は、きわめて精密なものだったが、やはり「末梢」知覚であることにかわりはない。そこにすべてが入っているように見えるのは、ちょうど五官に捕え得るもののみが世界である、というのと同じである。
中枢が、なぜ知覚器を模倣しなくてはならないか。それはおそらく、中枢が知覚器から発展した部分を持つからである。あるいは、その一部が、知覚器の原則を取り入れて成立したからである。
十九世紀の科学は、博物学の態度を、極端まで押し進めた。その結果は、見ているヒトを隠すことになる。真理は、対象に内在することになり、ヒトの頭は、とりあえず行方不明となった。あるいは、それが対象の方に入ってしまったのだとすれば、学問の主体の方が、行方不明になった。人間のかくれんぼである。
もともと博物学を創始した前提が、こうして博物学を殺した。物自らをして語らしめたのは良いが、真理が物にだけ存在するようになっては、おしまいである。見ている方のヒトが、消えてしまったからである。チェシャ猫ではあるまいし、ヒトは目玉だけになって宙に浮いているわけにはいかない。
もし現代に博物学があるとすれば、それは対象と共に、対象を見ているヒトを、同時に含むに違いない。そうするよりほかは無いのである。
その意味で、解剖学も、現代では、ヒトの見方の一つとならざるを得ない。見方は、見るヒトを、当然のことながら含んでいる。ただもっぱら、対象に内在する事実を求め、探している自己を韜晦すれば、どうせまた、ヒトの姿はどんどん痩せ衰えていくであろう。しかし、なぜか、そうした態度が、わが国では十九世紀以来、しばしば科学的と誤解、あるいは理解されてきたようなのである。
見ることについて[#「見ることについて」はゴシック体]
見方はつまり、見ることにはじまる。博物学、すなわち分類学、解剖学も、その点はまったく同じである。しかし、見る、と表現される行為には、きわめて多くの段階があり、そこには認識論から生理学までを含む。
「見るということの概念の中にある複雑さを理解することが、科学の中にどれほど多くのものが含まれているかを知る第一歩なのである」(ハンソン、『知覚と発見』)。
見ること一般を論じるのは大変である。それは、こうした引用を待つまでもなく明らかであろう。
図1に示すのは、凍結割断法という方法で、細胞の一部を電子顕微鏡で見たものである。この方法では、氷晶ができないように組織の一片を急速に凍らせ、それを割って得た表面に金属を蒸着し、レプリカ、つまり鋳型、を取ってある。だから、これは、細胞の断面の表面像である。
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この像では、蒸着した金属の厚みにしたがって陰影が生じているが、それは普通の人には意味を持たない。そこで、ここに見られる凹凸は、見方によって自由に逆転する。もし逆転しない人は、像の一部に注目したまま、本を逆さにしてみればよい。もちろん、専門家は、この凹凸を正しく判断するように訓練されているが、それでも凹凸は意志によって逆転できる。
これに似ているが、極端な例を英国の生理学者グレゴリーが示した(図2)。これは、ヒトの顔の鋳型、つまり、たとえばデス・マスクを造るときの型を、写真に取ったものである。これは、石膏を中に流し込み、顔の像を造るためのものだから、凹面である。しかし、この凹面を二次元に投影したもの、つまり写真にとった像からは、われわれは、かならずヒトの顔という凸面を再構成してしまう。すなわち、ヒトの顔の凹面は決して写真からは読みとれない。
写真という二次元像から、ヒトの顔の凹面を再構成するのは、ともかく私には不可能である。人間はヒトの顔という凸面を見る訓練を積み過ぎたので、他方では同じ様相の凹面を、二次元から再構成する能力を消失した、と考えざるを得ない。
これは実際にやってみた人でないと、なかなか納得しないのであるが、写真に示したのは間違いなく私の手元にある顔の凹面を写した写真なのである。これが素直に凹面に見える人は、かなり特殊な能力の持ち主だ、と言わざるを得ない。
ここでは「ヒトの顔」という「意味」が、おそらく生理的過程といってよいであろう二次元像の再構成すら、規定してしまうのである。「これはヒトの顔だ」という意味をまず読みとらなければ、この写真でも、前の写真同様、凹凸が自由に逆転するはずである。
考えてみれば、より高次の「見る」行為について、似たような経験を持つ人は多い、と思う。一般に「専門的な立場から見る」ことは、「偏見によって」、「経験の集積によって」、「その人の奉じる理論によって」、決定される。
たとえば、解剖学の教育では、まさしく先人が見てきたように人体を見る、という「偏見、経験ないし理論」を負荷することが、教育の当面の目的となっている。もし先人の見方をまったく押しつけないとすれば、ほとんどの学生は、解剖すべき死体をかかえたまま途方にくれるであろう。
見ることは、本来、このように、特定の立場から見ることである。とすれば、博物学は「見方」から意味を取り除こうという、ずいぶん思いきった実験をしたのである。
それが、十分成功したから、博物学が成立した。しかし、右のような例を見れば、「意味」は、ヒトがヒトの社会で育ってヒトになるということから、すでに規定されていることがわかる。排除したはずの「意味」は、すでに視覚そのものの中にすら、ひそかに忍び込んでいたのである。
メガネザルというサルがいる。眼がたいへん大きく、二つとも前を向いている。前を向くのはあたりまえだ、と思われるかもしれないが、そうは言えない。サカナやトリの目玉はたいてい横を向く。ウサギのように、年中あたりを見張らなくてはならない弱い動物でも、視界を広げるように、目は横を向く。ウサギの場合、両眼による正常の視界は、三五一度に達する。見えないのは、真うしろの九度、たかだか尻尾の延長線上だけである。フクロウの目は例外的に二つとも、前を向いているから目立つ。だからあの顔は子供がすぐに親しむ。ヒトの顔に似ているからである。
ところでメガネザルは眼球が大きすぎて、眼窩を満たしてしまう。このため、眼球運動ははなはだ不自由である。それを補償するため、首がよく回る。首を真うしろに回すことができる。つまり、頸椎の運動性が非常に良い。そこが変っている。
ヒトの見方を論じる場合、首の運動がどの位良いか、これはやってみなくてはわからない。案外いろいろなものが見えるかもしれないが、どこかで首の骨を折るかもしれない。たとえメガネザルでも、自分の首は見えないというのが、安全の原則にはかなっているのであろう。
これは、「専門的に見る」ことを意識的に統御できるか、という寓話である。
視覚の性質[#「視覚の性質」はゴシック体]
子供が、
「宇宙の果てはどうなっているのか」
と尋ねることがある。
うっかり「果て」の説明をすれば、
「そのまた向うには何があるか」
と質問しようとして、待ち構えている。
この質問で問題なのはむろん前提である。子供は宇宙を、ある視覚的対象として、前提している。
なぜなら、われわれの日常見る物体には、たしかに周縁があるからである。したがって、いわば「果て」があるわけだが、空間そのものに周縁があるかどうか、これはわからない。実際の経験からすれば、無いという方が正しいのである。空間に物が置かれてはじめて、われわれは空間を知る。
もし、動物に一切物体を見せずに育てたら何がおこるか。それには、生理学が解答している。もし、明瞭に物を見なければ、視覚は完成しない。物を見ることが、視覚の完成の前提である。
たとえば、モグラは、事実上そう暮している。モグラの子供は、おそらく、成長するまで、視覚的対象に会うことはないであろう。したがって、この動物では、視覚はほとんど退化している。モグラの子供を明るいところで育てたらどうなるか。これは私がいまだに抱いている疑問である。
もし動物が、空間だけを見て育ったとすれば、その個体には光の知覚、つまり明暗感覚はあるが、形の感覚は欠けているであろう。その意味では、形とは、太陽の光を媒介として、視覚系と事物との交渉によってでき上った、奇妙な概念である。
視覚と対象との関連は、その意味では、ちょうど「氏か育ちか」というのと似た面がある。分析が進むほど、頭の中での両者のからまりあいが複雑なことがわかる。
分類学や解剖学が、視覚を中心にでき上っている以上、そうした学問は、こうした視覚の特質をある程度反映しているに違いない。
たとえば、大森荘蔵氏は言う。
「目覚めている限り、私はいやでも応でも〔見えている〕状況の場にある」
もちろん、盲人はその限りではない。コウモリやクジラも、ひょっとすると違った主張をするであろう。
「目覚めている限り、私は現に聞こえている状況にある」
というかもしれないのである。
コウモリやクジラは、音響定位といって、自分で超音波を発信し、その反響を聞くことをもって、われわれの視覚のかわりとしている。盲人の杖の音、あるいは足音も、おそらく同じはたらきをするのだが、盲人本人が、それに気づいているとは限らない。
ただ、視覚には、こうした生体の側からの働きかけ、つまり音波の発信に相当するものがないことはたしかである。
ところで、眼が休んでいるというのは、どういう状態であろうか。ふつうは、それは、眼をつぶっている状態、つまり光が無い状態だ、と答えられるかもしれない。しかし、暗黒の洞窟の中では、暗ければ暗いほど、われわれは眼を見開く。しかし、見えていない状態にあるわけである。
しかし、光が無い状態、つまり暗闇ないし閉眼時と、いわば「意識的に物が見えている状況」との間に、「ただ見ている状況」というのがあることは、カエルの場合には、はっきりしている。この動物は、動くものしか見えないからである。カエルの場合、光はあるが動くものが無い、という「ただ見ている状況」が、いわば定常状態、つまり、おそらく大森氏の言う「現に見えている状況」として存在しているらしい。
網膜の視細胞、つまり光を感じる細胞は、光によって過分極する。しかし、刺激が与えられることによって、ふつうの感覚細胞は脱分極する。光を感じる細胞は、その点が逆である。
これは、とくに意味はない現象かもしれない。しかし、右の視覚の定常状態と関連させて考えれば、ある示唆を生む。つまり、刺激に対する反応が、ある意味でふつうと逆だということは、分極の方を中心に考えれば、視細胞では光があるのが定常状態であり、光の無いのがいわば興奮状態ということも可能なのである。
だから、たとえば、まったく光の無い環境に住む動物は、比較的容易に眼を失うのではないか。常に刺激が存在している状態にいつも細胞が置かれているから、と考えることもできるからである。
もしそうなら、大森氏の言い方には、生理学的に根拠がある。そして、われわれは直感的に、視覚が何かそうした客観的と言ってもよいような定常状態を持つのではないか、と感じていることはたしかなのである。そうした視覚の特性から、逆に言えば、博物学のいわゆる客観性が成立したかもしれない。知覚系と関連して、全部とは言えぬまでも、脳のかなりの部分が成立した以上、知覚の基本的な形式が、脳の形式を規定したのはたしかだからである。
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T
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形を扱う
形のありか[#「形のありか」はゴシック体]
形の第一の不思議は、そのありかである。形はいったいどこにあるのか。
自然科学の前提では、形は物の属性である(と思う)。ところで、そうだと断言する自信は私にはない。形は頭の中にもたしかに存在するように思えるからである。
たとえば、いま私の目の前にも、「見えざるものの形」という書物がある。なんだか「消えたローソクの灯で本を読む」たぐいの表現だという気もするが、「見えざるものの形」のありかも、もしあるとすれば、とうぜん頭の中であろう。
自然科学者は、他人の頭の中は遠慮なく調べるが、自分の頭の中に立ち入るのを嫌う傾向がある。むろんそれは、自然科学のエゴイズムである。
形が物に属し、自分の頭に属さないから、それはそれで結構である。物の属性であれば、操作可能な経験的実在で、科学の対象だから。
自分の頭の中にあったのでは、具合が悪い。もし頭の中にあるとするなら、そういうものは、文学、哲学、心理学、何の対象でもいいが、ともかく自然科学の対象ではない。たとえ頭の持ち主が自然科学者であるにせよ、自分の頭の中で試験管を振り回されてはかなわない。
形はたしかに物の属性である。しかし、それは同時に頭の中にある。そんなことは、じつは誰でも知っている。ツルゲーネフの小説に登場する人物は語る。
「人は岩の上に立つにしても、やはり立つのは自分の足ですからなあ」
いかに確実な客観的対象を扱うにせよ、それを扱っているのは自分の頭である。
ところで、チェホフの登場人物はいう。
「風邪を引いても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状に過ぎない」
風邪をひいてもこわれるような頭で、確実な経験的世界を扱うのが自然科学であるなら、経験的世界の中でもとくに確実なものは形である。
たとえば、人体解剖学はその確実さによりかかって、数百年をすごしてきた。なにしろ誰が見ても人体という同じものが見える。こんな確実な学問はない。頭がいくらこわれ易くとも、相手が丈夫な分だけ救われるというものである。それを、形態学では、事実を重視する、という。だから、問題がおこれば、「他としての形」に全責任を押しつけるのである。それが、いわば、形態学の科学的客観性をなしている。
誤解がないように付け加えるとすれば、私は形があちらにもこちらにもある、と思っているわけではない。科学はふつう自他の存在を前提とする。だからそれにしたがった表現を用いただけである。形を考えるには、他としての形と、それを対象としている自分を、共に考慮しなければならないということは、どう考えても当然であろう。
ただし、この場合、自他を無理に分割すれば、認識論上の議論が生じる(たとえば大森荘蔵『新視覚新論』を見よ)。それは、いまの話に直接は関係がない。
自然科学としての形態学[#「自然科学としての形態学」はゴシック体]
形を扱う学問が形態学である。形態学の本来の前提は、形は物に属する、ということだったと思う。たぶんいまでもそうである。だから、形態学者は物を扱っていると思っており、ゆえに自然科学だと思っている。化学者もまた、物を扱っている、と考えている。だから、化学者もまた、当然、自分は自然科学者だと思っている。
両者を共に自然科学者だとすることは、かならずしも優れた分類法とは思えない。
自然科学という大分類は、その中で様々な対象を様々なやり方で扱っている人達にとって、もはや適切ではなくなってしまった、と私は思う。自然科学という概念は広くなりすぎているのに、同じ自然科学者なら前提も同じ、と考えているふしがある。
たとえば、化学者と形態学者が、同じようにネズミを材料にしていたとする。両者とも自分の相手はネズミだ、と思っているかもしれないが、そこで化学者がほんとうに扱っているものは、「分子」ではないか、と私は思う。
いま、分子に小さなトゲが生えていたとする。分子は目に見えないから、トゲももちろん目に見えない。したがって、化学者がトゲに気付くのは、そのトゲが何かマクロの現象を引きおこし、それが観測にかかった場合である。つまり、トゲが無いものとしてできあがっていた化学の論理的整合性が、トゲの存在で乱された場合である。
この場合、大切なのは、トゲの存在の化学による認知と、トゲが論理的整合性を持つ化学という体系に組み込まれることとが、同時に生じるという点である。不可視の存在は、つねに論理によって存在を推測せざるを得ない。だから、こうした存在を扱う自然科学では、存在と論理体系とは矛盾なく共存している。それどころか、存在を決定するのは、むしろ論理の体系なのである。
こうした学問分野では、論理はきわめて重要である。というよりも、当然の前提となっている。
形態学では、事情がまったく異なる。卵にトゲが生えていれば、目が見えているかぎり、バカでも気付く。そこでは、論理的整合性はあとからついてくる。ついてくればいい方で、困ったことに、全然ついてこない時の方が多い。
形態学者は、トゲの生えた卵を前にして悩む。なぜ卵にトゲが生えねばならないのか。卵にトゲが生えていれば、母親の産道に傷がつく。そんなものが生えるわけがない。しかし、現にトゲがあったとすれば、私がどうするわけにもいかぬ。
こういう状況は、化学をその代表とするような論理で育った自然科学者にとっては、自然科学に見えなくて当然である。だから、形態学は科学以前だ、といわれることも始終である。それは単に、自然科学をどう規定するか、の問題に過ぎない。
化学のように「科学的な」科学では、論理体系に載らないものは無視してよい。都合のいいことに、分子は不可視だから、無視してもとりあえず問題は生じない。論理がその存在を示さない以上、そもそも見えないものの存在が検知し得るはずがない。ゆえに、問題が生じるわけがない。
もっとも、そういう風にかなり徹底的につじつまがあった系というのは、形態学者から見れば、うさん臭いところがある。形態学は、右のように、つじつまの合わない系ばかり見ていることが多いからである。
どちらの系が実在するのか、といえば、これは現実感の問題である。何が感覚的現実かは、じつは多数派が決定する。その決定は、現実には、化学者と形態学者の数比の問題になるのである。そして、現代の自然科学では、化学者の数の方が、幸か不幸か、どうも多いような気もするのである。
形態学の論理[#「形態学の論理」はゴシック体]
それでは、形態学に論理体系はないのか。
むろんない、というわけではない。
第一に、以前はあった。しかし、論理体系のはっきりした部分は、以前はあったとしても、形態学から独立してしまったのである。たとえば、生理学がそうである。血液循環といえば、現代では生理学の主題である。しかし、ウィリアム・ハーヴェイは、自分を解剖学者だと考えていたし、まわりもそう思っていた。
機能を扱う分野は、目的論というはっきりした論理を持つ。その上、機能は見えないといえばあまりはっきりとは見えないものだから、当然のこととして、生理学はやがて独立した。細胞生物学でも、形態学に含まれていた部分は、いまや独立しかかっている。そのかなりの部分が、物理や化学を基礎とするからである。
第二に、いまでも形態学に論理体系があるといえばある。しかし、これは、べつに高級な論理体系ではない。では、どんな論理体系か。
それは、常識である。
自然科学の論理体系が常識では、どうも具合が悪い。それでも、先の例からもわかるかもしれないが、やはり形態学で通用するのは常識のみである。もし数学や化学の論理をもっぱら使うのであれば、それは結局、数学であり、物理であり、化学である。対象が生物だろうが無生物だろうが、対象を扱う人間の方の論理に変わりはないからである。
常識という言い方が悪ければ、自然科学を含めたたいていの学問の体系が、形態学の基礎になっているだけだ、と言ってもよいであろう。しかし、そのどれか特定の一つではない。
そういうことでは気勢があがらないが、それは仕方がない。自分で考えてみても、形態学がそれほど高級なことをしているとも思えないからである。
それでは、形態学が独自に持っている論理の体系はまったくないのか。
問題にすべき点が一つある、と思う。それは用語の体系である。
形態学には、分類学にせよ、解剖学にせよ、独自の用語体系がある。人体解剖学の用語は、私の計算では、公式に用いられるものに限っても、約一万二千語ほどある。たいていの人は、これで往生する。
この用語体系は、もちろん、ある論理のもとで出来上ったに違いない。それがどういう論理か出して見せろ、といわれても困るが、それは一般の言語の体系が、どういう規則で出来ているか、を尋ねるのと同工であろう。ただ、形態学の用語体系の方には、ほとんどの場合、現実の方に用語に対応する物、ないし形がある、という点を指摘できる。
逆にいえば、形態学のきわめて基本的な作業は、視覚的な現実に対応する言葉を創出することだ、といってもいい。
したがって、形態学の用語体系は、生物という対象における視覚的な現実を、言語の世界に翻訳する、という機能を持っている。そうした翻訳ないし写し換えの手段を与えるのが、用語の第一義的な目的である。
形態学の用語体系が右のようなものであることに、現代ではしばしば無視されがちな言語の機能が明示されている。
すなわち、われわれはいまでは、いわばすでに言語が出来あがった世界に住んでいる。その世界では、言語はすでに与えられているから、
「言語の機能はもっぱら伝達である」
と考えがちである。たとえば、「 」内の意見は、私が考えたわけではない。丸谷才一氏のものである。
しかし、形態学の言語体系から見れば、こうした言明は、短見以外の何物でもない。言語が伝達の手段となる前にも、その後にも、ことばを創出し、それを現実にフィード・バックし、確認する、という過程が存在している。これは、他人の介在なしに可能な過程である。
私自身が人体を前にして、この過程を何度も繰り返す。そこに、人体解剖学が成り立つ。
そうした意味で、言語は生きている。それ自身が生物の持つ体系の一部であり、生物の属性を示す。つまり、進化し、多様性を示す。
形態学の用語はべつに高級なものではない。むしろ、言語の系統発生の比較的初期の段階をいまだに保存している、といってもよいであろう。
形態学の用語がいったん出来上がれば、それは現実を反映するだけではなく、現実を規定する。人体解剖学であれば、人体のイメージが、ある程度定められてしまう。それは、言語が元来持っている本質的な機能である。けっして言語の機能は、もっぱら伝達のみではない。
それを忘れたところから、ほとんどの言明が、ただのかけ声に変わったのである。それを、現象的にとらえて人々は、言葉のみだれ、をうんぬんするのである。
形態学の論理は、常識である、ということの意味はこうしたことにある。そこにはべつに、不思議なものは遺憾ながら何もない。ただ、日常われわれが用いる言葉があり、観察と推理があり、素朴な考えがあるだけのことである。
誤解がないように付け加えるとすれば、形態学を成立させる要件は、言語のみではない。当然のことながら、画像を含んでいる。しかし、論理という面からすれば、これはとりあえず無視してもよいであろう。ただ、言語と画像の緊張関係は、形態学のもっとも重要かつ面倒な局面を含むのである。
頭の中の形[#「頭の中の形」はゴシック体]
はじめに述べたように、形は頭の中にもある。たとえば、人体というイメージは、それぞれの個人の中にある。人はそうしたイメージを利用し、考え、判断する。解剖学者のもつ人体のイメージは、一般の人のものに比べて詳細をきわめているであろうが、それにもさまざまな変異があるに違いない。
現在では、医者の九十パーセント以上が自分を自然科学者だと考えている、という。したがって、人体のイメージはきわめて自然科学的であるはずである。しかし、先に述べたことから想像されるかもしれぬように、自然科学といっても、ひといろのものではない。
現代人が持つ人体のイメージがきわめて統一的なものだ、などという保証はべつにないし、統一しなくてはならぬものでもない。むしろ、現実には、はなはだ不統一ではないか、と私は疑っている。
たとえば、化学なら、どういう人体のイメージを与えるのだろうか。人体のかなりの部分は、水で占められている。水の分子が一センチメートルの大きさとしたら、人体はどのくらいの大きさになるのか。数百万キロという単位になる。
紙の上に一センチの大きさで水分子を描くことは、化学者なら時々やるかもしれないが、その大きさでは、人体は所詮描ききれない。化学者が紙をくれ、という時に、解剖学者は宇宙をくれ、と言わなくてはならないのである。
こうした例からはっきりすることは、人体解剖学が与える素朴な人体イメージと、現代の化学的なイメージの間には、形態的な見方からすれば、きわめて大きな懸隔がある、ということである。大きさというのは、形態学ではまず問題になることの一つなのである。
そうしたイメージのへだたりは、日常の範囲でも、かなり誤解をひきおこしているに違いない。人間はそれほど器用な生き物ではなく、仕事上でも日常生活でも、二つの考え方を使いわけるのは、なかなか困難だと思うからである。
たとえば、薬の効果を私に尋ねる人がある。もちろん、私には、たいてい返事をする能力がない。しかし、質問している当人は、人が薬を飲むという事実を、池の中に赤インクの瓶を放り込む、というようなイメージで考えているのではないか、と思う。池の水が赤くなる、といった返事を期待しているとしか思えないからである。
しかし、漢方のようにごちゃごちゃした成分の薬品でなければ、薬品とはつまりある化学物質である。それが人体内でどのような効果を示すかという問題は、そう簡単に綜説できるはずがない(と形態学者なら考える)。
なぜなら、人体は恐るべき数の化学物質の複合体であり、それが全体として生きて動いている。だから、単純な答を要求する方があきらかに間違っている(と形態学者は思う)。
すくなくとも、分子が反応する相手としては、分子ないしそれに近い水準のものを、まず考えるべきであろう。分子の相手が人体という質問では、たいへん厄介な問題を生じることは、はじめからわかったようなものである。
さらにたとえば、私のところに、薬品会社の人がポスターの原画を持ってくる。校閲せよ、という。こうした場合、私がいちばん困るのは、人体構造が描いてある図の中に、薬品その他の分子を描きこんであることである。私が持つ物事の釣合いの感覚、この場合なら大きさの釣合い感覚は、その結果、まったく狂ってしまう。
問題は大きさのみではない。図の精度である。化学者が分子を描く精度に比例して、人体構造を描いたらどうであろうか。ここでは、作用する化学物質のイメージが精密になるほど、作用を受ける相手としての人体のイメージがぼやける、という不確定性が生じているのがわかる。
もちろん、形態学者のこうした感覚は、一般的ではないかもしれない。しかし、すくなくとも、素直であろう。形態学者にとって、対象はつねに視覚的現実である。そこでは、見えないものはやはり見えない。
常識は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。しかし、それを認定する独自の論理体系を形態学者は持っていない。
形態学のためにひいきをしていえば、形態学に常識以外の独自の論理体系が成立しない理由は、はっきりしている。すでに述べてきたように、可視的な事実が、人間側の論理をすぐに反証してしまうからである。だから、形態学者はふつう、あまり理屈を言わなくなってしまうのである。
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機械論と機能論
科学技術という言葉が、いつごろから普通に使われるようになったか、はっきり覚えがない。科学と技術が並んでいるが、この二つはどうも同根とは思えない。
十七世紀の初め、フランシス・ベーコンは、技術すなわち印刷術、火薬、航海用の磁針が、帝国や星座や宗派、つまり政治や哲学や宗教より、人間社会に大きな影響を及ぼしたと述べた。近代科学はベーコン以降の発展がいちじるしい。だから、歴史的には、技術は近代科学にとくに依存してはいない。
ベーコンの時代以降、幸か不幸か、科学と技術が結婚した。その結果生まれた子供が、現代の「科学技術」である。
しかし、当然のことながら、結婚につきものの問題がいくつか生じた。その第一は、どこにでもあることだが、妻と夫の身分に関するものである。科学と技術の結婚は、身分違いのものだったのかどうか。
アリストテレスは、人間の活動のうち、政治やスポーツを上位とし、物を作ることを二の次においた。物を作るのは「生きる」という目的に奉仕するものだから、目的そのものに比べれば、下位にあるともいえる。古代ギリシャでは、その意味で科学の方が身分が上だった。こうした身分感覚の持ち主は、いまでもいるにちがいない。
一方、ベーコンの言い分は、また別である。ギリシャの学問について、かれは言う。「おしゃべりにはすぐ間にあうが、生産には役立たず、未成熟である」これはたぶん、夫である技術が、妻である科学を評した言葉であろう。もちろん、ベーコンは科学者ではなく、官界の高位を歴任した実務家だった。
わが国では、ベーコン風の意見の方が一般的である。ご存じのとおり、この国では、手足を動かす勤労そのものが「成仏」への一つの道だった。万事は実利と効用とに尽きる。日本人が基礎科学より応用技術に秀でるのは、このあたりに原因がある。
ともかくアリストテレス以来、科学と技術は、身分上の問題を争っている。私はその上下を論じるつもりはない。夫婦げんかは犬も食わないというとおり、その仲裁くらいばかばかしいものはない。
この夫婦の第二の問題は、それぞれの収入にかかわる。科学は基礎で、技術は応用だという。しかし、応用というのを現代風にいえば、つまり、お金を稼ぐことであろう。だから、いまのところ、お金がもうかり出せば技術、ぜんぜんもうからないうちは科学、とするのがよいのではないかと私は思っている。
科学と技術の場合、一方は金を使い、他方は稼ぐ。ただし、どちらが夫でどちらが妻かは言わないことにする。金を稼ぐのは夫、と決めつけてはいけないことになっているからである。
私の専門は基礎医学で、基礎医学の中でも解剖学である。金にならないのは保証つきである。だから、お金がもうかるのが技術だという、先の定義からすれば、応用科学としての医学のなかで、より「科学」らしいものに属する。
解剖学には、昔から学問という意味で科学もあったし、一方それなりに技術もあった。たとえば解剖の上手下手という「技術」は、いまでもたしかにある。同じ解剖でも、下手な人がやると手間ひまばかりかかって、なかなかラチがあかない。
こういう技術は、現代にいう科学技術と少し違う。いわゆるテクノロジーではなく、昔風の「芸」つまりアートに近い。医者には芸がどうしても必要である。外科の医者は、手術が下手ではどうにもならない。病気の治る治らないは、今では「科学技術」の問題だが、患者さんがともかく満足するかしないかは、相変わらず医者の芸のうちである。
ところで身分と収入のほかに、この夫婦に関する問題の第三は、性格の一致、あるいは不一致である。これは、実際の夫婦の場合と同様、なかなか複雑かつ微妙といわざるをえない。
そこで、私がこれから試みようと思うのは、科学と技術という両親の性格から、科学技術という子供の将来を占うことである。子供はもうできてしまっている。そうなった以上、親の性格などをいまさらうんぬんしても仕方があるまい、という意見も成り立つ。しかし、この問題児を今後育てていくについては、いずれにしても両親のそれぞれに、一半の責任があろう。あえて妙なことを試みる次第だ。
ところで、解剖学と技術は、一体なんの関係があるのか。
十九世紀の後半、エルンスト・カップというドイツ人が『技術哲学の基礎』という本を書いた。そのなかでかれは、当時の人体解剖学の知見とそのころの技術とを、ひろく比較する。
ミッチャムという米国の学者が、最近ある書物のなかで、短くカップの意見を紹介している。ミッチャムによると、カップは以下のようにいう。
「道具は結局ヒトの身体の延長であり、ただ材料や目的を思い切って限定したものである。たとえば、着物や家は皮膚や毛の延長であり、カタパルトはヒトが物を投げる時の腕の延長である」
カップの考えは、ほんとうはそれほど簡単ではない。しかし、この紹介の仕方には、逆にミッチャムという人の考えが、よく出ている。この人の考えは、私のいう機能論である。
道具は人体の延長だという考えは、古来いろいろな人が表明している。マルクスもそんなことをいったらしい。最近でも、マクルーハンは、エレクトロニクスはヒトの神経系の延長だという。
たしかに、道具はヒトの身体の延長である。しかしその理屈は、カップの場合も、私の場合も、ミッチャムとはちがう。この点をもう少し考えてみたい。
道具がヒトの延長だ、という場合、それはまず道具の機能をとらえている。ミッチャムがまさしくそうである。身体の一部と道具とが同じ働きをする。ただし、道具の効率がよりよく、より大きなことができる。
それが、道具は人体の延長だ、ということのすべてだろうか。妙な言い分かもしれないが、ヒトが「物を見る見方」を、ここで考えに含めてみよう。つまり「ヒトは道具や人体をどう見るのか」という視点である。
そうした見方の第一は、ミッチャムのように、はたらきを考えることである。これを「機能論」と呼ぼう。
子供が見慣れない機械を見つけた時、最初に「これは何するものなの」と尋ねる。
子供にかぎらず、たいていの人は、見慣れぬものを見ると、その用途ないし目的を尋ねる。期待するのは、その機能の説明である。お断りしておくと、こういう質問は、決して単なる「物」に対して発せられることはない。
タクアン石なら別だが、天然の岩について、その機能を尋ねる人はいない。それは、あるいは常識が教えるかもしれないように、岩が死物だからではない。生死や材料にかかわらず、この質問が意味を持つのは、ふつうその「物」に人工が加えられているか、ヒトの作った状況に置かれていることが、あきらかな場合である。
ただし「人工物」の作製者には、人のほかに生物とそれに類するもの、たとえば、そういうものがいるとすれば、宇宙人、および創造主であれば、神様を含めてもよい。
解剖学では、先の質問の答えは、特定の器官なり細胞なりにつき、それに特有な機能を説明することである。その結果、ヒトはその構造の意味を理解する。だから、構造を対象とする解剖学の歴史の中から、もっぱら機能を対象とする生理学が生まれ、独立した。
機能はつねにある目的を前提とする。その場合、素朴な質問は「何のためにあるのか」である。
心臓は血液を循環させる。その血液は、酸素と栄養を運び、老廃物を運び去る。心臓が停止すれば循環はとまり、個体は死ぬ。つまり、心臓は個体の維持のためにあるといってよい。
卵巣の例をとろう。ご存じのように、卵巣がなくても、その人の生命に別条はない。その点は、心臓とはまったくちがう。卵巣は卵や性ホルモンを産生する臓器であって、個体の維持にはほとんど無関係である。しかし、卵巣が無ければ、子供は作れない。つまり卵巣は、個体ではなく、種族の維持にとって不可欠である。「そのため」にあるといってよい。
おもしろいことに、こうしてヒトは、人体の諸構造について、人工物に対するのと同じ質問をし、同じ形式の答えを返す。すなわち「この構造は何のためか」を尋ね、「何々のためにある」と答える。
その点に関するかぎり、ヒトは人体および人工物(技術の産物)を、まったく区別していない。じつは、その意味を含めてこそ、道具は人体の延長なのである。
ヒトが人工物ないし人体を見る見方は、むろん機能論にかぎらない。
十八世紀に、フランス人ド・ラ・メトリは、『人間機械論』を書いた。この「機械論」が、まさしく「機能論」とは異なる第二の視点である。ド・ラ・メトリは「人体は時計である」と述べる。それならさしずめ、医者は時計の修理業である。
人体そのものを、機械として意識することは、近代科学の勃興時の人々に、新鮮な驚きを与えたらしい。
しかし、人間機械論は、すでにルネサンス期に、はっきりあらわれている。レオナルド・ダ・ビンチは、精密な解剖図をたくさん描いた。そのなかのいくつかで彼は、筋肉を「配線図」と呼ばれる形式で表わす。そこでは、筋肉が本来の肉質のかたまりではなく、筋繊維の走行に沿った、いくつかの線状構造に分解されて描かれる。
筋はふつう、両端が別な骨に付着する。同じ骨に付いたのでは、ものの役には立たない。筋が収縮すると、二つの骨の相対位置が変わる。つまり、関節が動く。
それがわかれば、筋はまったく力学的なものとして把握されるから、骨と骨との間に張る構造として、線で表現すればよい。その結果、筋の機能が模式的に表わされる。現代の解剖学書も、こうした表現を頻繁に使う。
「配線図」という表現からもすでに読みとれるように、レオナルドは、人体を一種の機械に見たてた。
さらに解剖図を見ていると、ほかにも気付くことがある。レオナルドは、鉄砲玉やらビルディングやらの設計図を、解剖図と同じ紙に、同じ筆致で描き込む。このことは、かれが、人体と機械を同一に見る視点に立っていたことを、如実に示す。
大切なのは、ド・ラ・メトリがいったような、人体は時計だ、という「内容」ではない。ヒトの身体を考察する時に、レオナルドはすでに、人体と機械(人工物)とを同一の視点から眺めていた。その見方、すなわち「形式」が重要なのである。
人間を機械として見ることは、機械を人間の延長とする視点の裏返しにすぎない。ただし、そこでは機械の地位が向上している。しかし、素直に考えれば、人間を機械だと思う人はあまりいないと思う。もともと機械が人間の一部なのである。人工物は、人間の身体の延長だからである。
どこでどうして、人間が機械だという逆立ちがおこったのか。太古のヒトにとって、道具(人工物)が人体の延長なのは、おそらく当たり前だった。使っていたものといえば、たとえば握りづちやら石おのやら、手に取って使う道具である。これなら、たしかに道具は手の延長である。
たとえば、カップは説明する。医学用語で用いる|器官《オルガン》という言葉の原語、すなわちギリシャ語のオルガノンは、本来は四肢を指す。つづいて転義し、手の転化したもの、つまり道具を指すようになり、さらに道具を造る材料である木材のごときを指すようになった。ドイツ語でも、|器官《オルガン》と|道具《ヴエルクツオイク》は、しばしば同一の意味で使う。
カップは、言葉にも、道具は身体の延長だ、という観念が投射しているというのである。しかし、現代のように機械が複雑な構成を持ち、それがよそで造られ、その過程を一切知らず、いきなり完成品が目の前に出現する。そうなったとしたらどうか。機械は機械である、人間とはなにか別な存在だ、という印象が生じて、不思議はない。
おそらく、そうした複雑さが、単純な器具だけが存在した時代とはちがった印象を、ヒトに与えたらしい。その結果、道具は人体の延長だという前提は、次第に失われる。そこで、逆に人体は機械だという視点が、ヒトに新鮮な印象を与えることになった。
人体を機械として見る見方、つまり機械論は、近代科学とともに急速に発展する。おかげで気の早い人は、機械論こそ自然科学、と即断するようになったくらいである。
これには自然科学の方でも、迷惑した。わが国でいわれる、いわゆる「理科」と「文科」のちがいも、ここらあたりに由来する可能性がある。その結果、学問として共通でなくてはならない面が閑却され、「諸学の学」の成立がむずかしくなったのである。
機械論とは、もちろん物理化学的な物の見方である。
人体解剖学では、カップがとくに感銘を受けた例が、一つある。それは、ヒトの大腿骨の骨頭での骨梁の走行である。
骨は、表面の緻密質と、内部の海綿質という、二つの部分からできている。表面を覆う緻密質は、いかにも硬そうにみえる。それが骨というものに対する、ふつうの人の印象をきめる。
しかし、海綿質は骨の内部の大きな部分を占め、そこではちょうど海綿を見るように、多数の骨梁が間に腔をはさんで走る。
大腿骨の骨頭、つまり上端は、立位では体重を支え、ここに大きな荷重がかかる。この骨頭の部分は骨全体の長軸に対し、約四十五度の角度をなす。さらに、骨頭の断面を観察すると、海綿質では骨梁が規則的な配列をとり、荷重による力線に沿って並ぶのがわかる。
これは、たとえば、ヒトが橋桁を設計する場合と、ちょうど同じような例である。
「最小限の材料で最大の強度を得るにはどうするか」という問題を、ここでは自然が解決している。すなわち、実際の骨がそうできているような構造が、右の問題の解答になっているのである。
カップは、ヒトが意識して作った橋桁の場合と「ひとりでに」できた骨とが、同じ原則に従うことに感嘆する。それは、今日のわれわれには、あるいは当たり前かもしれないが、当時は驚くべきことだったのであろう。
こうした力学の問題は、前提をきちんと置くかぎり、唯一の解を与える。これが機械論の特徴である。しかし、だからといって、正しい骨の見方はそれしかない、という保証はない。なぜなら、そこには、問題に固有の前提が、あらかじめ置いてあるからである。
実際の「物」は、機械論から導き出される以外の、ちがった現実を含むかもしれない。そして、実際はそうである。それを見いだすのは、事実のていねいな観察しかない。そうした観察こそ、解剖学が永年やってきたことである。
機械論を取る人は、それが唯一の説明だと時に誤解する。しかし、ある前提のもとで答えが一つだからといって、骨がそういう形をとる、という説明がほかにないとはかぎらない。
なぜなら、たとえば大腿骨の形は、胎児の時期に、すでにおおよそ定まっているからである。胎児の大腿骨には、荷重はかかっていない。にもかかわらず、生体はあらかじめ、荷重がかかったあとの骨の形を、おおよそ準備する。その論理は、成体での骨の形の決定とは、また違った論理であるにちがいない。
このように、ヒトはいくつかの見方で、人体や道具を見る。そうした見方のうち、機械論も、機能論の場合同様、対象としての人体と人工物をまったく区別しない。そこが私の議論の要点である。
その意味で、ここでもやはり、道具を人体の延長としても、矛盾は生じない。ただし、機械論はただの物、つまり人工物でないものにも通用する。それが人間機械論に、いわゆる「客観的真理」としての力を与えた。
機能論の場合とちがって、こうした見方からすれば、ヒトの身体だろうが、天空の星だろうが、一視同仁である。
ところで、機械論は、機能論とどう関連するのか。機械論も機能論も、実はヒトが物を見る見方の一つであって、その両者の間に、相反関係があるわけではない。だから、機械論と機能論は、一方があれば、他方が追い出される、という関係にはなり得ない。一方を認めないのは自由だが、それは他人が一方を認めることを禁止する根拠にはならない。
はじめ、機械論はもっぱら物だけに通用する、とたぶん思っていたから、そのせいで、カップは驚いたのである。さらに、機械論は世界のあまりにさまざまの局面を説明するようだったので、こんどは、自然科学とは機械論だ、と即断する人たちが現れたのであろう。
それに拍車をかけたのは、真理は一つでなければならない、という考えである。真理というものはそういうものだ、というのなら結構である。しかし、自分の見方だけが真理だというのでは話が違う。
そういうものは、どこでも、たいていは迷惑の種である。物の見方に関するかぎり、形式は唯一ではないと思われるのである。
機械と人間を区別する視点はないのか。「機械は生物ではない」といったら、どうだろうか。これはちょうど、取り出されたヒトの骨は生物ではない、というのによく似ている。だからといって、ヒトが機械を見る見方や、人体を見る見方に、変化の生じようがない。
機械が生物ではない、というのは、じつは見方ではなく、機械の定義である。いくらそう定義しても、ヒトの「物の見方」は規制できない。
そのため、自動車の持ち主は、他人が自分の車をけとばせば、やはり腹を立てる。車は持ち主の一部だからである。だから、番町皿屋敷のお菊さんは、皿一枚で命を落とした。
機械は生物ではないという根拠から、人間機械論を批判しようとしても、これもとうぜん、うまくいかない。なぜなら、何度も繰り返すように、ヒトは結局どこかで機械を自分の一部と見なし、逆もまた真だからである。
近代技術が始まった時代には、人間の疎外が問題とされた。しかし、疎外されたのは、なんのことはない、機械だったかもしれないのである。ヒトには長い歴史がある。人体の歴史は、われわれの祖先が背骨を持つようになった時代から数えても、五億年になる。道具の歴史はずっと短い。しかし、道具にも歴史はある。
カップはていねいに道具の歴史を述べる。それはちょうど、進化学者が、動物の器官、たとえば手の歴史を語るのに似る。道具もやはり進化する。
しかも、器官の進化と同じで、道具もつねに同一の目的に向かって進化するとは限らない。カップはキリの起源は、原始人の火起こし道具だ、という先人の考えを挙げている。途中で目的が変わり、穴あけ道具に転化したらしい。
道具にも歴史はあるが、道具の歴史は、生物の遺伝子のように、道具自身の中に書きこまれてはいない。ただ、そうした性質をもつ機械が、将来とも生じないという保証もない。ド・ラ・メトリのころには、自分で動く機械といったら、時計ぐらいだった。仕方がないから、かれは人体は時計だといったのである。
むしろ、道具の進化史から見れば、機械はますますヒト類似の性質を帯びる、と予測できる。第五世代のコンピュータはその典型である。ここでもふたたび、ヒトは道具と人体を同じ眼で見る。それを「歴史的な視点」と呼んでかまわないであろう。
ところで、道具にはヒトのように、個性はあるだろうか。それは、道具を実際に用いる人たちが、いちばんよく知っている。もし、ほとんど個性がないとしたら、そういう道具は、構成要素が単純すぎるのである。
個性が生じるのはなぜか。それは、おのおのの道具に、それ自身の過去があるからである。生の材料から始まり、さまざまな工程を通り、さまざまな人の手を経る。
こうした個の歴史を、生物学では、個体発生と呼ぶ。だから、道具の個性を論じる視点を「発生学的な視点」と呼んでよいであろう。
ヒトが道具を見る視点は、以上のものだけではない。審美眼という目もある。私は残念ながら、この種の目の良質なものを持ち合わせない。しかし、この目は、職業上もきわめて大切である。
この目も、人体と道具を差別しない。陶器に何かの意味で「女性」を感じる人も少なくない。
解剖学でも、標本や写真の美しさが、実は仕事の評価をほとんど定めてしまう。それは、初学者でもよくこころえている。ただ、大声では、言わない。美しさは、なぜか「主観的」な性質だと考えられているからである。機械のデザインについては、もはやいうもヤボであろう。ここでもやはり「機能的なものは美しい」のである。
種を明かせば、ここまでの内容は、人体の構造を私が学生に話す時の視点を、そのままそっくり、道具の世界にもちこんだものである。楽をしようと思ったからである。狂言回しは、道具は人体の延長だ、という古来の見解である。
だから私は、機械について、社会的、政治的、経済的な視点などには、一切触れていない。そんな種類のことを、私は講義した覚えはないからである。
それでも、ここまでの話の趣旨は、はっきりしていると思う。物の見方に関するかぎり、ヒトは人体も技術の産物も、差別していないのである。
解剖学の対象は人体である。それも、ふつうは死んでいる場合が多い。それは、ヒトであると同時に、もはやヒトではない。
日常私が対話する相手は、そうしたヒトであって、しかもヒトではない「もの」である。それはヒトの世界にまだ属しているとともに、もはや統一された全体としては、属していない。その意味で死体は、いままで述べてきたように、技術の産物に、なぜかよく似ている。
そこでの考察に関係するのは、自分と、対象である「もの」のみである。だから、解剖学とは本来医学の認識論である。それも、自分と対象だけという、もっとも素朴な形式をとる。
そういう仕事から生じる私の基本的な立場は、いかなる「もの」を見るにせよ、見ている主体はヒトだ、ということである。
ヒトが道具と人体を同じように見るというのは、あたりまえの話である。見ているのはヒトだからである。そう思えば、何も道具を引き合いに出すこともない。ふつうヒトが「もの」を見る、ということは、積極的な行動ではないとみなされている。しかし、「見る」ことによって、ヒトは対象に刻印を押す。
たとえ対象が遠い空の星だったとしても、話は同じである。見られることで、星はヒトの世界に強制的に参入させられる。そう考えると「物を見る」というのも、なかなか大したことである。
ヒトが「もの」を扱う形式は限られていると私は思う。その形式をいくつか述べてきた。なぜ限られるかは、はっきりしている。ヒトの脳に、定まった形式が規定されているからである。物を見て考えるのは、やはりヒトの頭なのである。
科学の目的は、物を理解することである。わかりさえすれば、何もしないでもよろしいというところがある。技術はちがう。その目的は実用にある。しかし、この二つは、つまりは同じ形式で物を見る。その見方こそ、両者の基礎である。そこでは科学も技術も区別はない。
両者の子供である科学技術も、たぶん同じ性質をもつ。しかし、私が興味をもつのは、科学技術がいままでの話の内容を変える可能性があるか、という一点だけである。あるとすれば、どういう風にであるか。
一つだけ、可能性がはっきりしている。それは、科学技術が、ヒトを対象とする時である。もし、ヒトの神経系自身が変化してしまえば、いままでの私の話とちがった話が成り立つかもしれない。ヒトの物の見方そのものが、変わり得るからだ。
現在の遺伝子工学はまだ初歩的である。しかし、遺伝子の導入によって発生を変化させ、現在の生物とやや違った生物をつくることが実現可能なのは、もはやはっきりしている。それが、ヒトを対象にする日が来ないとはいえない。それは禁止の問題ではない。「現在のヒト」という生物の、物の考え方の問題である。
すでに見てきたように、ヒトの考え方の形式は、ほとんど変化してこなかったと私は思う。変化したのは、内容だけである。科学も技術も、対象を結局は同じ形式で眺めてきた。それが変わるとすれば、人間、しかもその神経系が変わるしかない。
コンピュータがその役割をする、というのが工学者の夢であろう。しかし、そのように変化したコンピュータの機能を、はたしてヒトが理解するであろうか。
ヒトの方は変化しないという仮定の上であれば、ヒトとはちがった形式で思考する機械が、できてくるはずはない。なぜなら、そういうものが目の前にあったとしても、ヒトはそれに気付かないはずだからである。
科学技術がひきおこす、まったく予測不能な変化というのは、論理的にこれだけではないかと私は思う。ヒトをヒトたらしめてきたのは、ヒトの神経系である。それが変わるということは、何がおこるかという予測を超越する。タバコや酒や麻薬で、ヒトは神経系に機能的変化をおこさせ、その結果を見てきた。その程度でも世界はずいぶん違ってみえた。
科学技術による、そのような変化が望ましいかどうか、私は知らない。しかし、とにかく、ヒトはいまでは、その可能性を手にしつつある。それが実現する時、科学と技術は真に一体化するほかはない。「物の見方」と「現実」が、そこでは、一緒になってしまうからである。
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科学の作ったバベルの塔
大学は勉強をするところだ、と私は思う。それが必ずしもそうならないについては、たてまえと本音の分離だとか、時代の流れだとか、けしからんことだとか、いろいろ考え方はあろう。勉強するところだ、という考え自体が古い、という人もあろう。しかしともかく、大学とは、とりあえず勉強をするところなのである。
どこの学校でも、先輩神話というものがある。私が医学部に入ったころに、ある先輩がラウベル・コプシュの解剖学教科書を全部読み、解剖の試験に落ちた、という話があった。われわれ後輩の反応は「無理もないなあ」というものであり、それがこの神話が成立した理由でもある。ラウベルは当時の標準的なドイツ語系の教科書であり、現在でも流布している『分担解剖』や『日本人体解剖学』の原型となった大部の書物である。こんな本を全部ドイツ語で読んだとすれば、読み終るころには始めのほうは十分に忘れているから、当然試験には落ちる。外国語で通読したことは、母国語、つまり日本語で読んだことより、正確には記憶に残りにくい、というのは日常経験することである。
ではこれが勉強の仕方として間違いかといえば、そんなことはいちがいにはいえない。この先輩は解剖学者にはならなかったが、世の中、何が役にたつかわかったものではないから、あとで何か大いに得をしたかもしれぬ。すくなくとも、どういう風に勉強したら試験に通るか(落ちるか)ぐらいはしみじみと理解したであろう。物事をとことん理解するのは、ことほどさように大変である。幾何学に王道はない。
これが結論ではあまりに愛想がないが、本当のことというものはえてして愛想のないものである。べつに私のせいというわけではない。
解剖学の教育については、他科の先生方でも往生している方がおられるようである。批判を耳にする機会もなかなか多い。ある医科大学の学長さんが解剖学会の懇親会の席上で、解剖の先生方を大勢前におき、「解剖の授業はもっと何とかなりませんかなあ」と壇上から挨拶されたことがある。古臭い上に量が多すぎる、ということだと思うが、さすがに遠慮されたのか詳しくは語られなかったので、意とされるところは十分には明確でなかった。しかし、解剖学の教育が現状では困る、と思っておられたことだけはたしかである。
解剖学教育が実用上はたいへん無益で、将来学問をする上にはたいへん有害な多量の知識を詰め込む、という意見が流布しているのはたしかである。しかし、量が多いということについては、解剖の方からも言い分はある。
現代の医学で情報量が増えたのは、解剖学ばかりではない。全体に増えている。それは論文の出版量をグラフにして見れば明らかで、ここ数十年でむやみに増えた。それをかいつまんで学生諸君に教えるとしたら、諸君の頭が混乱してあたりまえであろう。まして解剖学のように何百年も前からのデータを山ほど溜め込んでいる学問では、学長さんすら頭にきて当然である。私だっておよばずながら頭にきているのである。
しかし、考えてみると、これは解剖から事実を減らしたら片がつく、という問題ではない。現代の科学自体がかかえている問題である。皆が「ラウベルの教科書を読んで試験を受ける」ようなことをしているのである。したがって、専門家のあつまりである学会に行っても、ちょうど学生諸君がそれはまだ習ってないから知りませんというように、専門外のことはわかりません、という挨拶はごく陳腐なものになってしまい、だれもそれを不思議とは思わなくなってしまった。
最新の学問分野であっても、百年たてばふたたび無用無益な知識といわれるものを抱えこんでいることになろう。もっとも、大抵はそうした知識を屑カゴに放り込んで良いわけだが、形態学の場合にはすこし事情がちがう。事実の方が容易には変ってくれないのである。ラットには胆嚢が無いし、当分の間やはり胆嚢は無いのだから、いくらこれが古臭い事実だといっても事実に変りはなく、屑カゴにすててよいかどうか、なかなか判断がつかない。
こうした情報処理の問題は、実は科学史上はじめて起こったことであり、コンピュータの発達、情報科学の発達はこれと軌を一にするものであろう。ただこうした情報処理自体も発展途上のため、現実に十分追いつかないのである。
戦争の時代に生を受ける人もあれば、平和の時代に生を受ける人もある。今の学生諸氏はまさしく情報戦争時代の人であり、こればかりはどうしようもない。これまた愛想のない話であるが、本当のことだから仕方がない。
人間というのは利口であるが、かなり馬鹿なところもあって、こんなに皆で勉強したら、その結果を誰がまとめるのだろうか、というようなことはあまり考えない。その暇があったら、専門領域で業績をあげたほうが良い。その結果業績ばかりはどんどん積みあがるから勉強はますます大変になる。したがって、ある領域の専門家は他の領域の進歩についてはよく知らない。つまり、今のように生物系、工学系の科学の進歩の速い時代では、学生諸君が最新の知識をいちばん広く頭にいれているのであって、教師のほうは狭い範囲でしか勉強していない、ということになる。
私は解剖を教えているが、生化学で何を教えているか、生理学で何を教えているか、よくは知らない。それを知るためには、諸君と一緒に毎年授業を受けなくてはならないが、それでは解剖が勉強できなくなってしまう。もし学生諸君が解剖学は量が多くて大変だ、と思うならば、われわれは科学というものは量が多くて大変だと思っているのである。つまり、そうした問題については諸君とわれわれは同じ問題に直面しているのであり、その解決策は一緒に考えていくしかないのである。それが、こうした現象は人間の歴史始まっていらい初めてのことだ、ということの意味なのである。科学はいわばバベルの塔を作りつつある、と言ってもよいであろう。
そうした医学共通の問題をのぞき、もし解剖学そのものの勉強をどうしたら良いのか、と尋ねられるなら、やる時は一所懸命やりなさい、としか言いようがない。結果がどうあれ、ものごとはそれ以外にはやりようがない。勉強したらバカになるかもしれぬが、勉強した結果、利口ができる歩どまりは、昔からごく低いことはわかっていた。だから学者バカというのである。
わたしが最初に解剖実習を学んだ時は、プリントを一冊わたされた。今から二十五年前のことである。このプリントにはラテン語の解剖学用語だけが書いてあり、ただそれが毎日の実習で出てくる順序に並んでいた。はじめに、表皮と真皮という言葉がラテン語で記してあったと思う。まずそこにメスを入れるからである。この種のお経の勉強みたいなことは、さすがに今ではやっているところはあまりないであろう。さいわい東京大学でも、もうやっていない。
そのかわり、今の学生諸氏はわれわれよりラテン語の知識がなくなった。ムダをはぶくという意味では結構なことだ、と思う。ただし、英語の術語はいずれ覚えることになるから、結局は同じことである。独、仏に比べて語彙が二倍はあるといわれる英語が国際語だというのは、ラテン語時代に比べて特に立派な進歩だ、という確信は私にはない。
第一次大戦前にドイツに留学され、敵国人として抑留された解剖学の大先生が、戦いすんで帰国の船上、「これでドイツ語の時代も終り、これからは英語の時代だ」と誰かが言ったのを聞き、カッとしてエスペラント語を始めた、という伝説があるが、その気持は私にはわからぬでもない。
日本語すら使いこなすのが容易でない学生が多い時代に、英語中心で当然うまく行くと思っているなら、たいへん楽観的な進歩思想のようにも思われる。ヨーロッパ人の中で語学の得意な人にとっても、英語の難しさには定評があるからである。日本語については言うまでもないであろう。
解剖学の中でも、組織学については、細胞学や細胞生物学を含め教えるほうも教わるほうも抵抗がすくないと思う。問題はいわゆる肉眼解剖学である。私も学生時代には、お経のせいもあり、この学問だけは皆目わけがわからず、結局その状態で勉強が止まってしまった。そこで卒業後も解剖を勉強することになった。世の中にわからぬことがあるくらい癪なことはない、と若気のいたりで思っていたからであろう。最近これはなかなか面白い学問だ、ということがやっとわかってきたような気がしないでもない。
私の場合は二十年解剖をやったから面白くなったので、どこが面白いかを説明するなら、稿を改めるしかない。学生の間はあんなアホな学問はない、と思っていた。いまでも医学者全体からすれば、アホらしいと思っている人のほうがたぶん多いであろう。私もそれに異をたてるつもりはない。自分もそう思っていたからである。
その面白さを本当にわかっていただくには、やはり二十年解剖を勉強していただくしかない。ただし、二十年やっても、相変らずアホらしい、と思うかもしれない。もし間違って、面白いと思うようになったとしても、それはアホらしい学問を長らく勉強したため、私のようにアホになったせいかもしれず、べつに自慢できることではない。
こうして生じたバカを、世間では専門バカという。ただし、紛争中に専門バカと学生に罵られた先生方は、「お前らこそバカ専門ではないか」と言ったという神話が今に伝わっている。
もう一つ、今度は勉強家に対してつけ加えるとすれば、学問をあまり狭く考えないでほしい、ということである。肉眼解剖学が難しいのは、それが専門領域としてあまりにも特殊化したからというよりも、関連する領域が極度に広いため、さまざまな事実の意味がわかりにくいからなのである。ある形態学的事実の意味は、分類学、進化学、発生学、行動学、人類学その他もろもろの学問、あるいは自然科学とは限らない分野の中ではじめて見つかるかもしれない。臨床に役立つ解剖学も大切であるが、学問という領域全体から見れば、それは解剖学的事実の一つの意味にすぎない。
わたしたちの大学はいわゆる総合大学であるから、十学部の先生方が集まることも多い。そこでつくづく思うのは、違った分野の人達と言葉を通じあわせるのは、意外に容易ではない、ということである。医師はあらゆる人達を患者としてあつかう。その容易でなさは、これと同質で、もっと大変なものであろう。人間の理解という面から見れば、ありとあらゆる学問が、かならずしも自分には関係ない、では済まぬところを持つようにも思われる。
解剖学についても、自分にはそんなものは縁がないと思えば、適当に済ませればよいし、事実普通の学生はそうしているのである。ただ、さまざまな分野の人達が皆そう思うようになったら、最後にはどうなるのであろうか。私はそれをバベルの塔と先に表現したのである。
現在地球上の人口は四十億をこえる、という。こんな時代はいままで無かった。もし医師に人間の深い理解が要求されるとすれば、あらゆる学問もまた人間の諸活動の一つであり、人間の理解に欠かせぬものだ、という考えが必要ではなかろうか。その意味で、解剖学が特に人間の理解に資するところがある、というのは保証してもよいであろう。やはり、大学は勉強をするところであり、それには際限がない、と思わざるをえない。やっかいな時代に生まれたものである。
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脈絡のある事実
解剖の勉強が大変なのは、学生ばかりではない。授業の時期がくる毎に、厭でも勉強させられる。その時はいろいろ憶えるが、そのうち忘れる。以前のノートを見ると、なかなかよく勉強してある、と自分で感心したりする。
とにかく事実が多い。大変なのは、しかし、事実だけではない。時々、大後頭孔を食道が通ったり、母親の臍と胎児の臍が臍帯で連絡したりする学生がいる。これが記憶に無駄な負担をかける。憶えておかなければ、次の時に不必要に驚かねばならぬからである。解剖学者たるもの、あることのみならず、ないことも知らねばならぬ。
解剖はもとから大変だったが、拍車をかけた事情がある。現代の医学・生物学における情報のおびただしさである。このこと自体はすでに周知の事実であろう。弊害を説く人はあるが、さてどうするかというと、すぐには名案がない。現代のデウス・エクス・マキーナ、つまりコンピュータを持ち出す人もある。こういう仕様もない問題は考えないという人もある。自分の領域で一所懸命に勤める他はない、いずれ落ち着くところに落ち着く、という予定調和説も強い。永い辛抱ではない。いずれ自分の寿命がくるか、さもなければ学問の寿命がくるだろうというわけである。
解剖学のように古い学問になると、判っている事実がすでにおびただしい。まず整理が大変である。一方、新しい事実も大変な勢いで溜る。古いことを丁寧に勉強していると新しいことに遅れ、新しいことに熱中すると古いことが踏みつけになる。どちらかというと、古人は踏みつけても余り文句はいわぬから、全体として学問は新しいほうに片寄る傾向を生じる。これが人情の自然、勢いの赴くところである。
ところで私の場合、どうやらこの大勢に遅れた。後向きに歩いている感がある。それは、解剖学の教科書を丁寧に読んだ故である。あんな面白くない本はもともと読みたくなかったが、止むをえず読んだ。どうしてそんな馬鹿なことをしたかというと、教科書を改訂するためである。何が書いてあるか判らなくては、改訂の仕様がない。ご存知かとは思うが、解剖の教科書ほど読みづらい本は滅多にあるものではない。とにかく読むのに時間がかかる。それで大勢に遅れた。教科書には古いことは書いてあるが、新しいことは書いてない。遅れて当然である。
時間がかかったについては、さらに理由がある。解剖の教科書の一行一行には、過去の後光が差している。各行は先人の業績の集約である。おろそかにはいじれない。だから時間がかかる。私は、各一行毎の背景を探索した。それには古い論文を読まねばならぬ。古い論文というのは、古くなるほど長びく傾向がある。古い人ほど、当時の世界では、新しいものを見ていた理屈だから、話は長くて当然である。解剖学の古い論文といえば、これはもはや論文というより古文書というべきであろう。解剖学をやっているのか、古文書を調べているのか、しまいには判らなくなった。
おかげでさまざまな問題が生じる。まず第一に、仕事の時間がなくなった。「咬筋部からは平らな突起が一つ、頬骨弓内面に発して深く位置する部分の咬筋と、側頭筋前縁との間を後上方へ出て、側頭筋膜の深葉の下で、深部にある咬筋の筋束と側頭筋表面との間に位置するに至る」という類のドイツ語の文章を延々と読んでいれば、暇がなくなって当り前である。
第二に、自分の気持が当時の人達の気持の中に次第に入り込む。といえば若干聞えはよいが、要するに現実感が狂う。ここは二十世紀の東京で、十九世紀のハイデルベルヒではない。ゲーゲンバウルはとうに死んだ人で、別に私の知り合いではない。この辺を時々確認せねばならぬ。
第三に、大げさにいうと、史観が変る。古い論文に引き込まれると、古人の感情が何となく伝わる。昔も今も人は変らぬ。昔の論文は記述に余裕がある。他人の酷評がある。発見の喜びがある。アルキメデスが風呂からとび出したのは何故か。国際的に認められたからではない。彼の発見が彼自身にとって思いがけず新しいものだったからだ、と確認する。人は変らぬ、とばかりを確認すると、循環史観に陥る。現代科学は徹底的に進歩史観である。現代に引き返すと、どうも感覚が合わぬ。また大勢に遅れる。
そこで私は、多少変だが、解剖学の基礎をやろうと思ったりする。それなら何も解剖学そのものをやらずとも済む。古文書を読んだってよいではないか。やることは沢山ある。解剖学とは何か。解剖学における事実とは何か。記載とは何か。言語と現実の関係はどうか。図が沢山出てくるが、あれは一体どういう積りか。解剖学用語は、組織発生を合せておおよそ一万語を超えるようだが、起源と定義は如何。形態学は視覚を中心とするが、視覚の特質は何か、等々々。
中島敦によれば、ネブカドネザル王の時代から、図書館には人の眼を食い荒す虫が棲んだということである。たしかに、古文書を読みはじめてから眼も頭も痛くなるし、肩もひどく凝る。史観まで変るとなると、この虫は脳も食うらしい。それで以上のような詰らぬことを考えるのかもしれない。
ところで、正気に戻って考えてみると、結局問題は情報のおびただしさにある。古い論文が多いというのも、その一面にすぎぬ。古いものは読まなければよいが、それがそうはいかぬ。形態学では事実が先行するからである。古い論文でも、眼に見える事実は変らぬ。
さらに、解剖学は昔から詰め込み主義という点で、学生にも卒業生、つまり医師にも悪評が高い。このことは、情報量からいえば、実は解剖学が医学の先進部門だったことを示す。昔からすでに情報過多だったのである。ちなみに、一五四三年のアンドレアス・ヴェサリウスの『人体構造論』は、本文六百五十九頁、あろうことかラテン語で書いてあるのはご承知の通りである。レオナルドの解剖図に至っては、何枚あるのか私は知らぬ。解説は左手の鏡文字、しかも勝手な綴りのイタリア語で書いてある。
こうしてみると、系統解剖学という、あのややこしい代物が何か、何となく判ってくる。あれは錯綜する解剖学上の知識を整理するために、先人が案出したものに他ならないのであろう。現代風に表現すれば、系統解剖学とは解剖学の情報処理システム、そのノウハウだったのである。
ところが、その後、先人も恐らく思い及ばなかった程度に、医学・生物学が進歩した。その結果、このシステムに老朽化が目立つことになる。真の事実には老朽化はない。老朽化するのは常に人の作った部分、ここではシステムである。機械、つまりハードウェアは老朽化してもすぐ取り替えがきく。第一、放っておいたら動かなくなるから、取り替えざるをえぬ。しかし、ソフトウェアの老朽化は対策が難しい。古くなっても使えぬことはない。たいていだましだまし使う。第一、古いシステムがしっかり頭に入った人達、たとえば老人の処置をどうするか。長所は判るが欠点はまだよく判らない新しいやり方と、欠点は十分判るが長所はすっかり判らなくなった古いやり方と、そのどちらをとるかは、古くて新しい問題である。政治は年中それでもめている。決着には、たいてい高度の政治的判断を要する。
ところで、情報過多はむろん解剖学だけではない。最近では、生化学のほうがよほど大変だと思う。メタボリック・マップというのがある。私の研究室では、これを壁に貼っていたが、そのうちこれを貼りつけるに足る壁の空白がなくなった。天井に貼るしかないが、そうすると見るために望遠鏡が要る。このマップを仔細に検討頂ければ、十分納得がいかれると思う。何しろ代謝経路がみんなあげてある。矢印も沢山描いてある。少なくとも私は、この矢印を見ていると目が廻る。
ただし、生化学と解剖学とでは、本来異なる点が一つある。解剖学では対象は可視であるが、化学では通常不可視だということである。人間という生物は、目の前に見えていても気付かぬことがある程うっかりした生き物ではあるが、そうした言い方が可能であるほど、逆に「目前に見る」という事実は強力なのである。したがって、化学では問題としている特定の対象以外をとりあえず無視することは可能であろうが、解剖学ではそうはいかぬ。厭でも隣近所のものが目に入る。
たとえば、ある蛋白を取りあげるとしよう。この蛋白分子が生体内にある状態で、隣にどういう脂質が接し、上にどんな糖が付着し、下にどういう蛋白があって、周囲に何個の水分子が吸着し、何個分くらいの水分子が自由に周辺を動いているか。これは、通常化学の教科書には書いてない。解剖学の教科書ではこれが丁寧に書いてある。だから、読み手も書き手も疲れるのである。英語系の解剖書なら、リレイションズ(局所関係)と書いてある項を見ればよい。右の話に類する説明が延々と並ぶ。
さらに、不可視の世界では誰かが拾い出す物質なり事実なりは常に何らかの意味ないし脈絡がある。だからこそ拾われたのである。つまり、本質的には予測されたものである。もともと見えないものだから、それでなければ拾いようがないではないか。一方、可視の世界では必ずしも事実の間に脈絡はない。存在がまずあって、眼に見えてしまう。事実の「意味」のほうが後追いをすることも多いのである。
解剖学が科学として厭がられる点は、多分この辺にある。理論や筋道が必ずしも先行せず、先に物がとび出す。これは一種の強制だから、特に若い人が厭がる。私も実は厭であった。しかし、考えてみれば、それが経験科学の本来である。実用という脈絡を外せば、臨床でも事情は全く同じであろう。解剖学では、むしろ脈絡のない事実をよくもうまくまとめたものだ、と感嘆することも多いのである。
もし拾い出す事実に何らかの脈絡があるなら、整理は簡単である。その脈絡に従って事実を配列すればよろしい。解剖学の場合には、本来そうした脈絡はない。実は、一部の脈絡のある分野は、歴史的に解剖学から独立していったのである。十九世紀には、生理学がそうであり、人類学がそうであった。生理学は、機能という意味をその脈絡として成り立っている。しかし、この脈絡は、形態全体から見れば、その一部を説明するに過ぎない。現代では、化学的な筋道による仕事は多い。これもやがて、生理学のように独立していくであろう。
あらゆる「意味」は、その意味にのらない事実を存在しないものと見なす。解剖学とは、そうした「存在しない」はずの事実を、その歴史と特性から、むやみにかかえ込んでいる。こうした事実に「存在」を与え、整理を可能とするような「意味」にはどんなものがあるか。私は最近それを論じたことがある(「形態学からみた進化」)。こうした整理によって、系統解剖学のソフトウェアが何とかモダンな生物学の体系となるようにできないか、と思うのである。
考えていると際限がないが、結局私が現在できることは何か。新しい事実を積み上げるのはともかく、情報の整理についていえば、新旧の事実をその意味について再編することである。これはいわば廃品回収、つまり屑屋であるから、余り若い人に勧められることではない。しかし、時代に節目はいつもくる。前のものを片付けることは新しい作業の場を得るためにも、必要なことであろう。
そうした目で解剖学を見ていくと、これはまた大変面白い学問である。扱われている事実は結局可視の事実であり、誰にも判る。解剖学の構築に参加した人達の層は、長い年月の間にきわめて厚い。同じ廃品の回収にしても、ずい分掘り出しものがありそうな気がしているのである。
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人体のイメージ
教育と政治、つまり広義の人事については、論じれば際限がない、と世間では言うようです。いずれも相手のある仕事ですから、そう自分の思うようにはならぬ、という教えかと解釈しております。
自分のことで恐縮ですが、私が学生時代に受けた教育は、現在の基準からすれば極端なものだったと思います。たとえば、人体解剖学実習では、プリントを一冊渡されましたが、これにはラテン語で解剖学用語だけが書いてあり、それが実習に出てくる順序で並んでいました。したがって、最初の語はcutis、つまり「皮膚」だったと記憶します。そこに最初にメスが入るからです。
そういう教育でしたから、自分が後年肉眼解剖学に興味を持とうなどとは夢にも思いませんでした。そういう学生が解剖学を専攻した理由は、もっぱら先生にあります。古風な言い方をすれば、畏敬すべき師の門をたたいただけのことであります。ただし、その結果、解剖学界はおそらく才能並びに適性を欠く解剖学者を一人、余分に抱えこむことになったわけです。
それを考えますと、教育の形式や内容がどうであったにせよ、私が解剖学者になる動機にはあまり関係がなかった、と言わざるを得ません。ですから、「基礎医学者を養成する」ための教育法などは、私にお尋ねいただいても無駄であります。
一方、医学部では、ほとんどの学生が臨床家になるわけですから、この人達に対する基礎医学教育は重要であります。しかし、基礎教育の質と量の按配はなかなか難しいと思います。たとえば、基礎医学をきわめて熱心に教えたとしたらどうでしょうか。私どもの大学では、しばしばたいへん優秀な学生が入学してきます。こうした学生の教養課程の成績を見ますと、数学を含めた自然科学系はほとんど百点、語学は第一第二のほかに、あろうことか第三、四、五まで取り、その点数はほぼ九十点以上などという者がいます。こんな学生に解剖学をあまり熱心に教えますと、解剖学用語などは全部記憶してしまいかねません。ゆえに、教えかたにも手加減が必要かと愚考します。
さて、おそらくは臨床家になるだろうと考えられる学生に対する解剖学教育の目的ですが、私はそれを、人体についてその学生なりのある形態学的な|像《イメージ》を創ってもらうことだ、と考えています。
こうした像は、もちろん完成した定型ではなく、一生の間に必要に応じて変化し、また不必要なら消えていくものです。ですから、私どもはそうした像をはじめから完成したものとして学生に与えることはできません。それが本質的には各人固有のものだからです。当然のことですが、この像は、常に現実という|詳細《デテール》を通じて与えられ、自然に育ってゆきます。
解剖学が実習を徹底的に重視する理由は、ここにあります。他の学問分野では、人間が持つ考えの筋道の方がより重要な場合があります。そうした筋道は、記号や言語を用いて学生に十分伝えることができます。しかし、解剖学では、視覚的な現実がまず何より優先します。学生は、目の前に存在する人体を、何はともあれ、自分の頭に入るような形に整理することを知る必要があるわけです。しかし、人体というのは、頭の中に入れるために元来でき上がってきたものではありませんから、ここにさまざまな解剖学教育の問題点が生じてきます。
たとえば、学生であれ教官であれ、現実という詳細そのものを学の目的と考えることがあります。こうした誤りは、解剖学では詰み込み主義とか、暗記の強要とかいう形で、よく非難されます。ある場合には、解剖学そのものがそういうものとして非難されます。しかし、右で述べたような教育の目的をお考えいただければ、それが短見であることはご理解いただけるかと思います。たとえば、局所解剖学的な知識は実用上は有益なものかもしれませんが、ふつう解剖学教育ではとくに重視されません。その理由もまったく右に述べたごとくです。そうした知識は、各人が後に自分の頭に付加していけばよいのです。
一方、頭の良い人は、教官、学生を問わず、右で述べたような像を、逆にできるだけ早く最終的な定型としてとらえ、固定しようとします。しかし、現実という詳細を通じてでなければ、決して有効な像はできません。現代人は、たいへん忙しいため、しばしばこの面からも解剖学を非難することがあるようです。
たとえば、実習用の死体が不足なら模型を使いなさいという人もあります。しかし、前述のように、模型は私のいう詳細ではありません。それはすでに人間の頭を通ってきた何か別のもの、いわば講義で与えられる概念に似たものです。それならおそらく、講義だけでも十分に用が足りましょう。別に面倒な手間をかけて模型を作る必要もないと思います。
さらに、頭の天辺から足の先まで、毎回実習する必要があるのか、という人もあります。手の解剖をやったら足は要らないのではないか、と言った人もあります。学生の負担を減らそうという気持はわかりますが、手足のどちらかは省略するとして、次にどうしたら良いのでしょうか。まさか頭が済んだら胴は要らぬ、胸が済んだら腹は要らぬ、というわけでもありますまい。
人体の像を構成するという場合、現代の解剖学教育で大きな問題となるのは、化学的な世界像と形態学で与える世界像の落差だと思います。私には、まだここに大きな断層があるように見えます。
現代医学が、基礎的にも臨床的にも、化学に大いに依存していることは明瞭です。しかし、化学の与える世界像と形態学の与えるそれは、十分な一致を見ておりません。たとえば水の分子を一ミリの大きさで描いたとします。その時に細胞の大きさはどの位になるでしょうか。
概算ですが、その場合、細胞の大きさは約五キロになります。これはいわば都会の大きさであり、その際人体の大きさは、ほぼ十万キロの単位になります。化学的な世界を視覚化することはこうした意味ではたいへん難しいことだという事実は、ふつう避けて通られているように思います。真理は一つ、したがって科学は一つ、と思われているからです。
右に述べたように、形態学は現実という詳細を通じて入るものですが、化学は違います。化学には、まず論理があります。なぜかというと、化学で扱う分子は元来不可視です。不可視なものが扱えるのは、それが何らかの論理に則っているからであります。そうした目で解剖学を見れば、ある意味で原始的な学である、という印象は拭えないようです。
形態学では、目に見えるものを扱います。たとえ論理に則らなくても、形態の世界では先に存在がありますから、それを何とか頭に入れねばなりません。これが原始的である所以であります。人体の構造を何とか頭に入れるために、先人が苦労して創ってきたソフトウェアが実は解剖学用語であり、系統解剖学です。そうしたソフトが現在でも十分に有効かどうかについては、たしかに問題がありましょうが、その点を論じている余裕はありません。
歴史的に解剖学は、近代医学の発展と密接に関係してきましたが、それは解剖学の与えた結果、つまり知識が医学にとくに有効だった、ということではないように思います。むしろ、素朴ではありますが、現実を精緻に観察して考え整理するという、解剖学が示した方法が臨床医学にもたいへん有効だったからではないでしょうか。その意味で、解剖学は現代医学の歴史でいわば認識論の役割を演じてきたのだと思います。その役割は、人間が視覚的な動物であり続けるかぎり、今後とも消えないであろうと思っています。解剖学教育の有用性は、結局その辺にあろうか、と常々考えている次第です。
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生物学と自由――渡辺慧『生命と自由』
生物学は厄介な学問である。もっとも、大抵の学問はそれぞれ違った風に厄介なのであろう。
生物学には昔から、生気論と機械論、統合論と還元論、という対立がある。この本を読むと、それがどういうことであるか、良く判る。他人の厄介事を理解する為に、本を読もうという奇特な人は余り無いかもしれぬが、それはさておこう。
生気論、統合論は同系で、機械論、還元論は同系である。つまり、生物学というものは、物理化学に還元できる、と思うのは還元論の方である。このことを詳しく言い出すと際限が無くなり、この本のように、本を一冊書かなくてはならなくなる。だから、右の要約でまけておいて頂く。
ところで、現実に生物学をやっている人と話し合うと、機械論者というのは、探せば探すほど居なくなる。もし居るとしたら、貴重な存在であるから、大切に保存しなくてはならぬ。
考えてみれば、これは当り前のことで、近代の生物学は人間も生物の中にまぜてしまった。生物学をやるのは人間であるから、誰も自分を機械だとは本当のところ思っていないし、あの女に惚れたのはホルモンの故だ、とは思っていないのである。だから、抽象的に論ずる限り、機械論も還元論も人気は全く無い。
ところで、もう一つ厄介な事がある。患者は医者に行くと、薬をもらいたがる。注射をしてくれ、と言う。これは明らかに、機械論、還元論の立場に立っているのである。自分の体の動きが悪いから、油を差したら何とかなるか、と思っているのである。
具体的な生物学の現場、つまり研究室でも話は同じである。機械論、還元論の立場で仕事を進めない限り、普通は論文にはならない。当人が論文の積りでいても、エッセイにされてしまう。受け付ける体質が無い。薬づけにしなければ、医者が儲らないのと同工である。論文が無いと飯の食いあげになる。第一、論文というのは形式が決まっていて、それにはまる様に書けば、ちゃんと機械論、還元論になるようにできているのである。
この『生命と自由』という本は良い本である。内容に反対すべき点を見出すことはできなかった。判らぬ所も含めての話である。私が付け加えたいのは、問題は論じられている内容の正否ではないような気がする、ということである。現場の生物学は、今や構造汚職ならぬ構造的還元論状態とでも言うべきものに陥っており、この書物に書かれた趣旨に対しては、総論賛成、各論反対という、典型的な病状を示している、ということなのである。
それにしても「生命と自由」という題は示唆的である。今度は「生物学と自由」という本を、誰かに書いて頂きたいものである。
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世界の緊張関係――森政弘編『生きもののデザイン』
この本は対談集である。ホストは工学者の森政弘氏、ゲストは六人の医学者である。ただし、そのほかに、動物学者の日高敏隆氏と、僧籍にある後藤栄山氏が加わっている。
本の構成は、とてもうまくできている。医学の問題、つまりヒトの問題に入る前に、まず動物一般を語る。「生きもののデザイン」と題する日高氏との対談がそれである。ここでは、日高氏の専門を反映して、動物の形ではなく、生き方のデザインが語られる。動物の行動に関するいろいろなエピソードがたいへん楽しい。
つづいて、医用電子工学の渥美和彦氏、精神科の加藤正明氏を相手として、手と足の問題が論じられる。物を握る、足で歩くという現象の解析である。この二つの対談では、ロボット工学者としての森氏の談話が精彩をはなつ。カニのハサミの右と左は、微妙に造りがちがう。その結果、機能のうえでは1+1が2以上になる、といった例が出る。つづく神経内科の豊倉康夫氏との対談では、「左と右」という主題がさらに拡張される。母親は子供を左側に抱くことが圧倒的に多いのはなぜか、左右の大脳半球の働きはどう折り合いがついているのか、といった疑問が提出される。注意して読むと、ずいぶん高度な問題が取り扱われており、示唆に富む。
次は、臨床検査の専門家、奥田清氏との対談である。「測る」という題が付されており、検査における計測が主題となっている。現代の医療は検査ばかりと非難されるが、そのなかで検査の知恵≠ニでもいうべきものが、いわば黙々と育ちつつある、との感がある。つづいて内科の五島雄一郎氏との対談では、ストレスが主題となる。むろん、ストレスといっても力学でいうそれではなく、人間のストレスである。話はこのあたりから人間臭くなる。
最後の部分では、小児科の小林登氏、僧侶の後藤氏を相手に、たぶんロボット工学には現われてこないであろう主題、すなわち宗教が論じられる。ロボットから宗教までというのは、考えてみればなかなか野心的な企画であるわけで、書名が「生きもののデザイン」となってはいるものの、動物と仏様との間にロボットと人間とがはさまって、サンドイッチができているという本書の構成からみれば、この本そのものが一種の「現代医学のデザイン」として通用しそうでもある。
対談集は、最近数多く出版される。実際おもしろいものが多い。この本のように、専門家が俗耳に入りやすい例をあげて話してくれるのは、ありがたい。元来、自然科学の問題は、もし論じるとすると、論理的な構成のもとに論じなくてはならない、という前提がある。前に論じたこと、後から論じることとの間に、何らかの論理的必然性の存在が要求されるわけである。
対談の良いところは、その辺を若干あいまいにしておいても、何となく話が雰囲気でつながってしまう点にある。対談から私は連歌を連想する。いったい連歌というのは、どこが良いのかよくわからないが、ともかくつながって長くなる。あれでつながっているのだから、科学の話ぐらいすぐつながる。日本語は、こういうつながりに関して、たいへん融通がきくようにできているのではないか、という気がすることがある。
この対談集の性格を決めているのは、ホスト役をつとめる森氏である。森氏は自身を主観的、合成的と称され、ゲストとして登場するお医者様方を客観的、解析的と評される。これは一見逆説的である。小林氏が対談のなかでいくつかの実例をあげているように、医学には元来、客観的、解析的な世界から逸脱する部分が含まれる。たとえば、いわゆる植物状態にある患者の、レスピレータを止めるか止めないか、これは人間の決めることではない、と小林氏はいう。人は神の代理をつとめるわけにはいかないからである。
医者の前提とする世界が、しょせんこのようなものであれば、医者の意識は客観的、解析的な世界に近寄る。それは心理的には、堅固な安定した世界と映るからである。また、工学者がこれとは逆の意識的傾向を示すことも、同時に納得がゆく。客観的、解析的な世界が前提にあるからこそ、主観的、統合的な世界を強く意識する。このようなそれぞれの状況は、それぞれの心理的なコンプレックスの表現といえなくはないかもしれない。
解析的な世界と、統合的な(森氏の表現に従えば合成的な)世界との緊張関係は、近代生物学の成立以来存在していると思われる。医学という実学のなかでは、それはさまざまの実害として、じつはそれぞれの側から、別の面がとらえられ、批判されている。森氏が、あるいは小林氏を含めても良いかもしれないが、感じておられることは、このように対立する世界の統合と、宗教とが何らかの関係をもつ、ということであるように思われる。私は多少若いせいかもしれないが、もう少し今のままで頑張ってみたいという気がしている。個人的な問題は別として、私は宗教を呼び出そうとは思わない。
もともと、ある世界には、その世界を特徴づけている固有の緊張関係が存在するはずである。宗教の世界のそれは、歴史的にも、現代においても、明らかであろう。これもまた、別の形で多くの実害をもたらした。
近代の科学、とくに医学生物学における統合論と還元論との間の緊張関係は、私にはわれわれの世界に固有の、いわばつくりつけになった緊張関係だと思われるのである。現代の科学技術、したがってわれわれの世界が、本来そういう緊張関係のうえに成立しているのだということ、したがってそこから生ずるできごとは、前提を受け入れるかぎり受け入れざるをえない、ということを意識することが、まず大切なように思われるのである。
宗教も科学も、しょせんは丸もうけの形で社会にとりこむわけにはいかないというのは、因果なことである。
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私の視覚――大森荘蔵『新視覚新論』
『新視覚新論』という表題は、『視覚新論』の前に「新」がついたものである。それがわかっていれば、表題をどう読んだらいいのか、迷うことはない。『視覚新論』はバークリィによる。バークリィという名は、私にとっては、漱石の『三四郎』の中で、与次郎がしゃべるせりふの外にはほとんど記憶がない。
ラッセルによれば、バークリィは、物質の存在を否定したことによって、哲学上重要である。物質的対象は知覚されることによって存在するにすぎない、と彼は主張した。それでは、私がいま書いているこの原稿は、目をつぶれば存在しなくなるか、との問いに対して、バークリィは「神はつねにあらゆるものを知覚している」と答える。ところで、バークリィは三年間を米国で過ごしたことがあり、カリフォルニアのバークレーは、彼の名にちなんでつけられたという。
大森氏は、物とその表象という二重構造を否認する。この物心一如の世界では、「見るもの――見られるもの」という認識論的な主客の構造というものはなく、したがって当然、「見る」という認識論的な作用体験もない。だが、とさらに大森氏はいう。「このことを承認するのは容易なことではない」なるほど、実際容易なことではない。
私の専門は解剖学である。解剖学では、目前に死体がある。日常「私は死体を見る」わけだが、大森氏によれば、認識論的にはどうもここに問題があるらしい。私は死体が見えている状況にある、とでもいうべきなのかもしれない。
解剖学は「|視《み》る」ことを中心の一つとしており、大森氏が取り上げたような型の、いわば認識論的な問題がたしかに存在する。しかし、この本であげる実例は、光学的な例、たとえば鏡に写った像や、レンズのいわゆる虚像、また私たちの目に映る星の光である。それはそれとして興味深い例証であるが、必ずしも私の助けになってはくれない。大森氏の結論を私の分野にもち込むと、どういう整合性のある視界が開けるのか、今のところはよくわからない。
解剖学では、研究者は「対象を見て、記載する」。その場合、大森氏と異なるかもしれない点は、目の前にいつも同じ対象があり続ける、つまりいつも死体があるということである。形態学でいう「視る」ことは、「私の視覚」の問題であるとともに、「死体の見方」の問題にもならざるをえない。
一方、大森氏が徹底的に整合的な二元論者だとする生理学者は、視覚をどう扱うか。彼らは今度はネコを登場させる。その典型はヒューベルであり、彼はネコにスライドでさまざまな形を映して見せ、ネコの神経細胞の応答を記録する。
大森氏の科学哲学と、ささやかながら私の解剖学と、ヒューベルの生理学では、貧富の差が激しい。じつは、ヒューベルがいちばん金持ちである。彼は自分の視覚のほかに、ネコ(対象)と、スライドのプロジェクター(操作手段)をもっている。私がもっているのは、要するに死体であり、大森氏は自分の視覚しかもっていない。
そこからの帰結は明らかで、ヒューベルは、自分の視覚以外なら、どれも取り換えることが可能だが、私が換えられるのは死体だけで、大森氏は取り換えられるものをもっていない。つまり、実験科学としての生理学は、この中では最大の経験的な自由度をもち、大森氏は貧乏で、自分の仕事にほとんど自由度はない。
現代では、このことを取り上げて、物差しとする。つまり、ヒューベルの仕事が最も生産的だ、とみなすのである。哲学などやっても仕方がない。そこから新しい実験のアイデアが出るわけではない。もっとも、それゆえに、ヒューベルにはたくさんの亜流が生じうるが、大森氏の亜流は生じがたい。同じものをひっくり返しても、それほど異なった答えは、急には出ないはずだから。
生物学は、ヒューベルに見るように、とりあえず徹底的な主客の分離というたてまえの上に構築されている。そこで認識論を追究するなら、たてまえから話を始めなければ、だれも振り向いてはくれない。ところが、もし主客を分離するなら、少なくとも形態学では「見ている人間の頭」つまり「主」が必ずしのび込んでくる。少なくとも、私自身については、そう結論せざるをえず、この結論は何となく大森氏の結論に似ている。そこが気になるから、この本を読んだわけだが、結論は当然ない。できあがった科学の根元を掘るということは、そう簡単な作業ではないらしい。
大森氏は、本書の中で、視覚の生理学にはほとんど触れていない。生理学の前提はともかく、バークリィの時代と私たちの時代がいくぶん異なるとすれば、ヒューベルやグレゴリーに代表される視覚の生理学が、たくさんの「事実」を積み上げたことにあろう。そのうちのかなりの部分は、くずかごに直行してよいとしても、残りに一顧を与えても、決してつまらない作業にはならないと思う。それは君らの作業だろう、とボールが返って来そうな気もするのだが。
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剰余とアナロジー
サルにもゲームがあるだろうか。
一般に、こういう問題には扱い方が二つある、と思う。一つは素直なやり方である。まずサルの専門家に相談を持ちかける。ただし、この辺がやや安易だから、問題が生じることが予想されぬでもない。たとえば専門家の方で、
「ゲームとはいかなるものをいうか」
と反論するかもしれぬ。このあたりが明確でないと、なにしろサル学者もなかなか複雑な人達であるから、
「サルにもゲームはあると言えばある。が、無いと言えば無い」
などといった、不得要領の返事が返ってくる恐れがある。
ところで、無責任な話だが、ゲームとは何か、を判然とさせるつもりは、とりあえず私には無い。第一、その能力が無い。一般に右のようなやり方は、前提がはっきりしない場合、とくに私のように前提をはっきりさせる能力が無い場合、具合が悪い。仕方がないから、ここでは、第二の方法を採る。
この方法では、右の具体的な問題を、より大きな問題の一部に還元する。大問題の方が解ける、ないしは結局解けない、ということが証明できれば、右の問題はその系であるから、同様にして解答が可能になる。これもよく使われる手ではあるが、多少インチキ臭い。その点は勘弁していただくより仕方がない。サルにもゲームはあるかという問題は、つまるところ、
「ヒトと動物はどこが違うか」
という古典的問題に帰着する。
そもそもこの問題は、解剖学に伝統的な問題である。はじめ、ヒトとサルは違う、というのは常識だった。しかし、良く見ると両者がまぎらわしいことはたしかだったから、たとえば、オラン・ウータンは間違ってヒトと一緒にされてしまった。十七世紀の英国の指導的解剖学者、エドワード・タイソンは、『サル、類人猿、ヒトと比較したオラン・ウータン、またはホモ・シルヴェストリス、またはピグミー、の解剖』という本を書いた。この本の挿絵では、オランはなぜか立って歩いている。
この問題をさらにややこしくしたのは、むろんダーウィンである。十九世紀の西洋でも、この問題は主に解剖学の分野で論じられた。さもなければ神学とぶつかる恐れがあったからである。解剖学であれば、これは目に見える〔事実〕のみを扱うわけで、神学としても文句が言いづらい。そうかと言って、キリスト教神学というのは、目には見えぬ神様の属性ですら、万物の創造主、全知、全能、遍在するもの、という風にしっかり理性で規定してしまおうという学問であるから、「ヒトと動物とはどこが違うか」という問題は、キリスト教神学がヒトの尊厳を理性的に規定するために、どうしても避けるわけには行かない主題だった。
カトリックでは今でも、「ヒトは理性と自由意志と良心とを持つ」もの、と規定する。私は、ヒトはそのどれか、あるいはすべてを、いくぶんなりとも欠くもの、と規定した方が良いように思うのだが、これではヒトの文学的定義にはなっても、神学的定義にはならないかもしれぬ。
ヒトと動物はどこが違うかという問題には、したがって、はじめから西洋では〔色〕が着いている。カトリック神学がいうように、ヒトと動物とが右の点で本質的に違うとすれば、生物が創造された後、ヒトが創造される段階で、あらためて神の手が働いたことになる。私の理解するかぎりでは、ここが神学では大事なところなのである。
その是非は私が当面問うところではない。ただ、現在の問題のとり扱いには、こうした〔色〕は邪魔になる。私の場合は、いつどこで頭に入ったか知らないが、やはり一切衆生、悉有仏性で、衆生の中にはサルもいつの間にかまぎれこんでしまっているのである。
神学的な取り扱いを別にすれば、ヒトと動物の違いについて、はっきりした規定を述べたのは、カッシーラーである。かれはヒトを、「象徴、すなわちシンボル、を操るもの」とした。かれの挙げる例は、言語であり、宗教であり、芸術であり、歴史であり、科学である。これはまた随分と高級なものを列挙したわけであるが、かれの考えは当然であり、基本的に正しい、と私は思う。カッシーラーの考えを取れば(本人はどう言うか知らないが)、サルにはゲームは無いとしてよいはずである。しかし、ここで、私なりの論拠を述べる必要があろう。
ヒトと動物の違いを論じる場合、まず第一に、いわゆる〔心理〕は当面の考察から外す必要がある。動物行動学者やサル学者は、心理を案ずるなら、サルを代表とする多くの哺乳動物は、人間とさして異なるものでない、ということをあきらかにした(と私は思う)。サル、ひいてはヒトを理解するのに、この点はきわめて重要である。なぜなら、われわれは時に、心理とは高級なものばかりであり、動物にそういうものを想定するのは、ヒトの想像にすぎない、という偏見を持つからである。
たしかに高級な心理とでもいうべきものが動物にあるかないか、これが客観的に証明し難いことは、行動主義者の主張を待つまでもない。しかし、ヒトは動物の心理を、少なくともある程度は洞察し得る能力を持つ、という証拠をわれわれはすでに手にしていると考えて良い。その証拠は、解剖学的なものである。われわれの中枢神経系は、ヒトになる段階で急激に異常に大きくなった。しかし、それは、動物の時代にもともと持っていた部分を犠牲にした結果ではない。当然のことながら、動物の脳にさらに何かが、そう言ってよいと思うが、剰余が、重なったのである。つまり、動物が生きていくために本来あるべき部分については、あるいは下位の中枢については、ヒトの脳と動物の脳はさして変らない。脳の構造と機能の間にはある対応がある、という現在の生物学では当然の前提を置けば、このことは、ヒトの脳の中でも、動物の脳で起っている過程と類似の過程が存在することを意味する。これがおそらくは、ローレンツに代表されるような、動物行動の了解主義的な方法を保証した。動物の脳がヒトの脳の中に部分として含まれている以上、十九世紀の物理学的、機械論的科学観では、はなはだ主観的に見えたかもしれない「動物心理を主観的に了解する」という方法が、実は「科学」による保証つきの、より良い方法だったのである。ワトソン風の行動主義が結局うまく行かなかった理由を私はそう考えている。かれは「科学」に対して、あまり清教徒的だったのである。
太陽や惑星の運行、分子の行動ならば、もともと擬人主義と相容れるわけがない。脳の中に天地の動きの類比を求めるのは、容易なことではなかったであろう。ゆえに、こうした現象の説明を創出するためには、いわゆる擬人主義を意識的に徹底して排除する、というのが、ヒトの発見した、実際的かつきわめて有効な経験的手法だったのである。これを十九世紀の人達は、「科学」に唯一の方法と考えた。
しかし、どんな方法にも、相手が悪いということはある。いかに天地の動きを説明したからといって、そのやり口がどの相手に対してもうまく行くと思うのは、つまり世に言う「馬鹿の一つ覚え」というものである。
ヒトが動物の心理を洞察することについて、右の程度の保証があるならば、動物、とくにサルや類人猿が示す、さまざまな行動についてヒトが行う心理的解釈は、当たらずと言えども遠からずだと考えて良いであろう。その結果、サル学から得られた多数の実例は、動物が心理的にはきわめて〔高級な〕ものであることを示した。ここでは、実例を一つだけ挙げておこう。
チンパンジーの研究者である東京大学の西田利貞氏から話を聞いたことがある。チンパンジーは離乳に五年かかる。これはずいぶん長いが、その間子供が親から離れないとあれば、仕方がない。これは、子供の親に対する心理的な愛着がきわめて強いためではないか、と解釈できる。チンパンジーはその優れた知能の代償として、さまざまな問題を抱えているが、それには、かれらよりやや知能の優れたヒトから見れば、同情すべき余地が多い。
ある幼いチンパンジーは、母親が群から出て行ってしまったために、孤児となった。勿論、この子供は離乳後の個体である。この子供の姿を写真で見せられた時に、講演を聞いていた出席者一同は、期せずしてこの子は影が薄い、との印象を持ったものである。この子はやがて完全な成長を待たずに死ぬ。これは、チンパンジーの心の病であり、この動物には比較的よく起る事件である。
チンパンジーは知能が高く、さらに集団で暮すため、多くの心理的負担を負っているように思われる。野生のチンパンジーがやがて滅び行くであろう種族とされるのも、故なきことではない。チンパンジーに関する報告を聞いていると、いったんチンパンジーになったら最後、種族として生き延びて行くためには、結局はヒトになるより仕方がないのではないか、と私には思われるほどである。
岸田秀氏によれば、ヒトは本能が壊れた動物である。それゆえ、ヒトは生存し続けるために、幻想を必要とする。家族や社会は幻想を共有し、それは各個人の幻想の中から共通部分が吸い上げられたものである。これを岸田氏は共同幻想と呼ぶ。
岸田氏の考察と論理は見事なものである。しかし、岸田氏の言うような意味では、チンパンジーもまた、本能の破壊された動物である。かれらの雄は、正当の教育を受けぬ限り、まともな性行為を行なうことはできない。雌の子育てもまた、教育なしでは、不可能である。かれらは勢力の衰えた他の群をあるいは意図的に襲撃し、母子を襲い、子を殺し、場合によっては食べる。おそらく、岸田説にしたがえば、われわれはチンパンジーの共同幻想について語らざるを得ないであろう。
これはおそらく行き過ぎである。そして、行き過ぎが生じた理由は明らかだ、と私は思う。それは、岸田氏が、幻想を生存にとって不可欠だとしたためである。より基本的には、氏の言う幻想が事実上何であれ、それが「生存に不可欠」だ、という観点を岸田氏がとったためである。
すでに述べたように、ヒトの脳では、いわば〔剰余〕が生じたのであって、その結果、岸田氏のいう〔本能〕、つまり下位の中枢の機能はその分だけ薄められた。そうした稀釈化はすでにチンパンジーの脳にも起っている、としてよい。岸田氏は、ヒトにおける本能の高度の稀釈化を、本能の破壊と表現したと解釈される。
氏は幻想がヒトの生存に不可欠だとするが、生存に不可欠な性質はまず原型を動物に求めざるを得ない。なぜなら、いわば生存そのものが、ヒトと対照された場合の、動物の定義だからである。近代生物学の前提は常に動物を徹底的に生存機械と見なすことであった。生存に不可欠という観点から考察される「心理」は、いかに「人間的」に見えようと、所詮動物、少なくともサルないし哺乳類、の生存にとってもまた不可欠の現象を含んでしまう。その意味において、心理にヒトと動物の本質的区別はない。アドルフ・ヒットラーはドイツ国民の心理を徹底的に操作したが、かれの操作能力からすれば、あるいはかれはチンパンジーの一群すら「心理的に」操作したことであろう。私はそれを疑わぬ。
というわけで、
「ヒトと動物はどこが違うか」
という問題は、「生存に不可欠」というような生物学的に基本的かつ重要な観点ではなく、よりはるかに低次元の観点、早い話がどうでもよい観点、から考察されねばならない。
チンパンジーは暇つぶしには何をするであろうか。
ふたたび、西田氏らによれば、かれらは、たとえば、まず小枝を千切る。二、三枚葉をむしる。臭いをかいでみる。手の内の木の葉をさらに千切る。丸める。ポイと捨てる、といったようなことをする。あるいは、あおむけにひっくり返って、手で腹をたたく。我が家の子供達も、無聊の余り、似たようなことをする。だが、長くは続かない。やはり、そうなれば、たとえばゲームをすることになる。
ハンガリーのタタという所で、磨いたマンモスの歯が発掘されたことがある。炭素の同位元素法により、これは約五万年前のものと推定された。ヨーロッパでは、この時代はネアンデルタール人の時代である。この歯は完全な卵円形に磨かれており、手ざわり、形を含め、感覚的にきわめて美しい。これが実用的な目的に用いられたとは考えにくい。おそらく、常に携帯された魔よけのようなものだったと考えられる。
チンパンジーは、ふたたび西田氏らによれば、頭に花を飾る、というようなことはしない、という。かれらはアクセサリーを持たない。かれらが光る石を拾って来て古木の上に安置し、一日の定まった時刻に一同そこに集り、うやうやしく何かの儀式をする、ということも当然ないはずである。
すでに述べたようにカッシーラーはヒトを、象徴を扱うもの、と定義した。彼の言う象徴は、言語、宗教、芸術、歴史、科学、等々である。ただし、私が考えているものは、もう少し卑近なもの、あるいは形のあるものである。私は実はもう二十年も解剖学者を勤めているので、どうしても形あるものにこだわり易いのである。つまり、アクセサリーであり、お金であり、御神体、御本尊、さらにその他もろもろの非実用品、すなわち実体的象徴とでも呼ぶべきものである。ゲームはしばしば形が無いことがあるので、ここに含めたものかどうか難しいが、碁、将棋、マージャン、サイコロ、ゴルフ道具、いずれにしても遺物として残り得る上に、そのもの自体にまさしく実用性が無いから、含めても構わないであろう。いずれを取っても、週刊誌の題材にふさわしいもの、と定義することもできる。
お金という印刷した紙が、決定的な意味を持つ世界にわれわれは慣れてしまっているが、こんな不思議なものはない。カッシーラーは哲学者の品位にかけて、お金のことには一言も触れていないが、貨幣というのは、きわめて人間的な発明であって、これまた実体的象徴以外の何ものでもない。社会に対する私の寄与という〔幻想〕、つまり私の給与は、従来紙幣という実体的象徴として表れ、私に手渡されていたが、最近、私の給料は銀行振り込みになってしまったため、ついに紙ですらなくなり、数字という徹底的なシンボルに変ってしまった。岸田氏の共同幻想ですら、多くの場合、紙幣という実体的象徴として現われるものと思われる。「人間万事金の世の中」、チンパンジーの労苦は、気持の上では痛いほど私にはわかるつもりであるが、少なくとも連中には、金の苦労は無いはずである。
ゆえに、サルにはゲームは無い、と私は考える。
ゲームはいくつかの性質を持つ。まず明確な規則体系があり、その体系の中で選択可能な「手」がある。「手」が逐次選択されてゲームが進行し、最終結果が何らかの基準にてらして秤量される。
こうした性質を持つ人間の活動でもっとも典型的なものは何か。何のことはない、それは自然科学である。だからアメリカ人は、自分の研究について、「このゲームは」と表現することを好むのである。カッシーラーによれば科学はシンボルであり、シンボルを扱う動物はヒトのみである。ゆえにサルに科学はなく、したがって、ゲームも無い。
ヒトの脳は動物の脳の上に剰余が重なったものだ、ということには、重要な含意がある。それは、象徴とは何か、という問題に関連するからである。剰余部分は何かの機能を持ち、その機能はヒト独特の形式、今の文脈では〔象徴〕、として表現されるはずである。
では、その機能とは何か。それは、おそらく、|類比《アナロジー》であろう、と私は思う。コンラート・ローレンツはかれのノーベル賞受賞講演で、自分の方法は類比であり、類比のみである、と強調した。すでに述べたように、かれの脳が基本的に動物と同じ部分を持ち、さらに剰余部分が大きくあるとするなら、そこには類比の余地が当然発生してくるはずである。つまり、了解主義は脳の機能形式の、脳によるシミュレーションであり、それは計算機による脳のシミュレーションよりずいぶん楽で確実な方法だったはずである。
象徴が類比という機能の上に発生した、というのは考えて見れば当り前のことのようにも思われる。岸田説に戻って見れば、たとえば、ヒトの自己は幻想としての自己であり、ヒトの考える死は生物学的な死ではなく、〔幻想としての自己〕の死である。岸田氏は、したがって、ヒトは自己の防衛において必要以上に攻撃的となる、とする。表現を変えれば、その場合ヒトにおける自己の死は類比された死、つまり象徴としての死に他ならないのである。
生物の構造が示す|剰余《リダンダンシー》の問題は、生物学では従来ほとんど全く無視されてきた。したがって、脳に剰余が生じた理由は明らかにされていない。もし適応という観念を重視すれば、剰余はただの余りであり、節約の対象にしかならない。所詮本質的には不要なものとされてきた。ところが、その剰余が、進化における根本的ないくつかの段階を生み出してきたのである。
生物進化の上で、最初の剰余は遺伝子の複製が生じた時に生じた。これは全く同じものが生じるのだから、間違いなく剰余である。同一細胞の中で遺伝子に重複、つまり剰余が生じた時に、原核生物から真核生物が進化したことになる。さらに、同一個体に細胞が重複した時、多細胞生物が単細胞生物から進化したであろう。われわれの発生の初期に、卵割と称して、細胞の重複だけが、つまり数の増加だけがしばらく続くのは、その意味で興味深い。
剰余が生物進化の上で何故大切かと言えば、結局はそれが分化の前提となるからである。当り前の話だが、複数の同一材料があれば、そのうちどれかは、変化して構わない。素材が一つでは、変化すれば元のものが消えてしまう。これは、生物の自己保存性に反する。生物の進化は、一個の生物が時間の縦軸に沿って一直線に変化した、というようなものではない。原核生物、つまり進化史上最初期に発生して来た生物群も、ヒトが出現した現在に至るまで、数多く生き残っている。進化は同時に分化、すなわち多様化であって、多様化の前提は重複、すなわち剰余である。
ヒトに生じた特有の剰余は中枢神経系であり、それもいわゆる新皮質のみである。しかし、それだけで、生物進化の上でかなりの大事件が結果として生じたのは、ご存知の通りである。どうしてある構造の剰余が決定的であり、他の構造の剰余はどうでもよいのか。それは、剰余の生じる構造が、情報に関連する程度によって決まる、という気もするのである。遺伝子と神経細胞とがその典型である。ものによっては、剰余が生じても使い道がない。たとえば、肢である。ムカデの肢はずいぶん多いが、これは進化に決定的役割を演じたとは思えない。
個々の器官について、その相対的剰余性を論じることもできる。ヒトの場合、手が余分だったのは明らかである。したがってそれは、|位置移動《ロコモーシヨン》の手段としては、整理されてしまった。しかし、ヒトは二本足で歩くかわりに、こうやって物を書くことができる。ヒトの手は、一種の情報器官の役割を持つ点に注目すべきである。ただ、脊椎動物全体を見ても、やはり後肢より前肢の剰余性が高い。脊椎動物の前肢は、その相対的剰余性を利用して多様化する。つまり、羽になったり手になったりする。しかし、カンガルーや恐龍では、事実上余ってしまうようにも見えるのである。
剰余とその結果としての多様化の問題は、生物が進化のはじめから抱えている基本的な問題である。ゲームに戻って言えば、それは、もっぱら食う為に働くか、空いた時間を見つけてさまざまなゲームにはげむか、という問題である。あるいは、実業にはげむか、学問、芸術にはげむか、という問題である。そんなものに既製の答があるわけはないのである。
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顔の見方
人は顔に年輪を刻む。四十を過ぎたら顔に責任を持て、などとも言う。顔の話は止めましょう、と抗議する人もある。
これから顔の見方の一つについて書いてみようと思う。物の見方は十人十色である。顔の見方も沢山ある筈である。顔を見てその人の運命を語る術もある。これは観相術である。代金をとることが多い。ここで紹介しようと思うのは生物学的な顔の見方である。私は解剖学を専攻している。顔の見方には、解剖学的な見方というのもある。ここでは見方を紹介するだけであるから、結論はない。話題はあちこちに飛ぶ。それはどうかお許し頂きたい。
人の顔は皆違う。どうして違うのか。勿論同じだったら誰も見分けがつかないから違うのである。屁理屈だと思う人は次を読んで下さい。
もし人の顔がそれぞれ見分けがつかない位によく似ていたらどうなるか。勿論見分けがつく部分を選んでそこに注目するようになる。例えば臍の形が千差万別であることはかなり確かだから、人類は顔のかわりに臍を出して歩くようになっただろうと思われる。冗談だと思う人はもう少し先を見て下さい。
シャラーという生物学者が書いた本の中に、一頁にわたって同じような、しかしよく見ると少し違っているような妙な絵が十六個ほど描き込んである(図1)。これはゴリラの鼻なのである。シャラーはゴリラの鼻ではなくて、ゴリラの生活を調べていたのである。とにかく生物学者というのはいろいろなものを調べるものなので、ゴリラの生活をどういう訳で調べなくてはならなかったのかはさておき、ゴリラの生活を詳しく調べるには一匹一匹のゴリラの区別がつかなくては仕様がない。ところがシャラーはゴリラが鼻の形で迅速かつ確実に区別されることを発見したのである。この発見によりシャラーは今出現したゴリラが誰(誰ゴリラ)であるか、たちどころに言い当てられるようになったのである。つまりその位ゴリラの鼻というものは個性があるということになる。
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このように生物というものは、ある形質を一つとりあげて見ても、実に多くの微妙な差異を示すものであって、これを多様性というのである。人の顔かたちの多様性は人が社会生活を営む上で欠く事のできない個人識別を可能にしているのである。指紋には二つとして同じ物は無いので、犯罪捜査に利用されることは誰でも知っている。それに気が付く前には指紋のかわりに頭の骨の形を計測して犯罪者の記録としていたのである。この方式を始めたのはベルティヨンというフランスの犯罪学者で、この人のお父さんは人間の頭の骨を調べるのが好きだったのである。ベルティヨンは若いうちは定職にもつかず、ブラブラしていた野良息子だったのであるが、お父さんに言われて勤めさせられた警察の書記をやっているうちにこの方式を思い付いた。髪の毛だの名前だのはかなり好きなように変えられるが、頭の骨の形はそう気軽に本人の好きなように変えられるものではない。しかもいくつかの点について計測しておけば二つとは同じものが無いようにできる。犯人というのは口から出まかせを言うものであるから、ベルティヨンの方式ができるまでは警察は前科者らしき犯人を捕えても確認に困っていたのである。ベルティヨンの方式は間もなく指紋にとって替られたが、ベルティヨンは犯罪学者として著名になった。
さて元に戻って人の顔かたちがこれだけ様々なのは、やはり見分けをつける為なのであろうか。この辺は実はかなり難しい問題なのである。私がこれから難しい問題にしてしまおうと思うのである。問題を易しくするのは難しいが、難しくするのは易しいからである。
素直に考えれば、人の顔かたちが様々なのは何の為でもない、偶然だという説明も成り立つ。その偶然を都合が良いから人が利用しているだけであると考える。ベルティヨン氏はそれを意識的に、あるいは「科学的」に利用した最初の人である、とする。
私はこの偶然説に賛成なのである。けれどもさっきゴリラの鼻の話を出した。ゴリラも鼻で区別するのが一番簡単らしい。すると人の顔もゴリラの顔も偶然個人差が多いのだろうか。解剖学ではここですぐもっと他の例を探すのである。ではネズミはどうだろうか。
ネズミを顔で区別するのは難かしい。職業柄ネズミは沢山飼うが、顔どころかどれが誰だか判ったものではない。ネズミに訊いてみたらどうであろう。どうやらネズミはお互い同士顔で区別はしていないようなのである。専門家に尋ねるとネズミ同士は匂いで区別し合っているのだろう、と教えてくれる。成程ネズミには人の顔ほどさまざまに違った体臭があるらしい。
ネズミは鼻が良いから匂いでお互いに区別ができる。しかしネズミの仲間は鼻が効くばかりではない。匂いを出す腺を持っている種類も多い。つまり体臭を作り出しているのである。場合によっては唾液も体臭に利用するらしい。
人の顔の場合をもう一度考えてみよう。人は眼が大変良い。厳密に言えば、眼とそこからの情報を処理する中枢が良いのである。その代り動物の中では相当な鼻バカに属する。だから眼で見てお互いを区別するのである。
では人の顔に個人差が多いのは、眼が良いからいろいろ細かい区別がついてしまう為であろうか。これも正しい見方の一つだと思う。それが証拠に外人の顔は慣れないうちは同じに見える。顔色や鼻の高さばかり目立って細かい所が目につかないからである。
見る方の問題はここまでとする。でもゴリラや人と、ネズミとでは顔の個人差の幅に違いがあるのだろうか。つまりネズミにくらべて人の方が人による顔かたちの違いが大きいだろうか。これも短く言うと、そうだと思うのである。犬の顔は狆からブルまで実に様々であるが、あれは人間が作ったものだから、ここでは少しおく。
人の顔はネズミにくらべて顔かたちの差は大きくなっていると思う。その理由は、顔の使い途にある。ネズミは御存知のように鼻をよく使う。鼻には沢山の立派なヒゲが生えている。このヒゲは実は感覚器になっていて、これであちこち探索するのである。ネズミは薄暗い時刻に活動する動物で、ヒゲは暗中を模索する道具なのである。ちなみにマウスではこのヒゲは三百六十一本プラスまたはマイナス二本ある。この間必要があって数えたから間違いない。ヒトにはこの種のヒゲはない。哺乳類で無いのはヒトだけである。
どうしてそうなったのか。つまり人が立ち上ったところに問題がある。顔というのは、あるいは頭でも良いが、本来動物の運動方向の先端に位置していて、つまり汽車で言えば運転手、飛行機で言えばパイロットの居る所だったのである。そこで頭には眼とか、耳とか、鼻とか、さらにはヒゲとかいう情報の収集器官が集合し、それが今度は脳の発達をうながした、というのがつまり解剖学の教える所である。ところがあろうことか人は進化の過程で人になる時に立ち上ってしまったのである。すると今まで身体の先端だった鼻は必ずしも先端ではなくなり、中年に至ると臍が進行方向の先端に位置しかねまじき大変化が起ったわけである。そうなるとネズミのようには物事に鼻先を突っこまなくなる。つまり人間の鼻はここに於て解放され、自由になったのである。自由は多様性を導く。すなわちこうでなくては生きるに困る、ということが無くなると多様性が許される。政治ではこれを百家争鳴という。人の顔は直接の探索行動から解放された結果、百家争鳴気味となったのではないかと思われる。そしてそのきざしはゴリラにすでに見られるのである。
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もうちょっとヒゲの話を続ける。動物はヒゲをピンと立てたり、ねかせたりする。人間のヒゲはチックをつけるからピンと立つのであって、ネコのヒゲのように触ったら逃げるというようなものではない。第一動物のヒゲは無いと困るものであるから、男女両性に同じ数だけそろっている。ヒゲの動くのは面白いもので、あれが動かないものだとハサミを持ち出してヒゲを切ってみようかなどという気は起らないかもしれない。
ヒゲが動くについては無論筋肉が働く。だからヒゲには一本一本に筋肉がちゃんと付いている。さて人では動くヒゲは残念ながら無くなってしまったが、ヒゲの筋肉はどうなったであろうか。ヒゲと共に消失したであろうか。ヒューバーという解剖学者は四十年位前にこの問題を論じている。ヒューバーによればヒゲの筋肉は人に残っている。それは人の表情筋である、というのである。
すでに人の顔かたちは様々であることを論じた。その時に顔の動きのあることは言わなかったが、よくお判りであろう。人の顔は実に極めて良く動く。その動きによって生ずる姿を読みとって我々は喜怒哀楽を知る。動物では表情筋の発達は悪い。クマは表情がないから怖いという。怒っていても判らないのだといわれる。サルでは発達がよくなり、同時にヒゲが減る。手がヒゲにとって代って探索の役目を果す。眼と眼からの情報処理は良くなり、表情が重要な情報たり得るようになる。その表情を作る表情筋は顔の皮下に薄くひろがる筋肉なのである。ヒューバーはヒゲの筋肉はヒゲから解放され、転用されて表情筋に組み込まれたとする。
医者になるには人体解剖の実習が必須である。私も学生の時に初めてやった。今では慣れたが、記憶に残ることがある。それは私の扱った遺体の顔と手とである。顔と手とにはじめ私はなじめなかった。気味が悪いというのは正確な表現ではない。が、それに近い感覚である。私はやがて慣れたが、そういう感覚があった事は憶えていた。
どうして特に顔と手なのであろうか。顔と手とには表情がある。顔も手も生前は二つながら活き活きと動き、生きる事を語ったのである。その表情を画家はキャンバスに美しく止める。その手や顔が突然動きを止め、ある瞬間に止まったままとなったらどうであろうか。我々は顔や手にどうしても表情を読む。停止した表情は不思議な表情である。表情とは流れるものだからである。流れない表情。私は遺体にそれを読もうとしたのである。
能面は人が付けて動く[#「動く」に傍点]ものである。動けばその姿は流れ、流れることによって我々はそこに表情を見る。壁に掛けた能面が不思議な表情をたたえ、人の心をさそうのも動かないからである。モナ・リザは謎の微笑をうかべる。舞台は異るが学生の私は遺体にそれを見たのだという気がするのである。
最初にお断わりしたように、この話に結論はない。今までの話に私自身が納得しているかというと、必ずしもそうではない。全部本当か、といわれると、かなり嘘かもしれぬとも思う。ただ最初に述べたように物の見方にはいろいろある。「科学的」な見方というのもその中に入る。「科学的」な見方というのはある見方をとって、それを譲らないから強いのである。強いから進歩するのである。しかしある見方をとれば、そこから見えないもの、そこでは意味を持たないものは無視されてしまう。医学は昔から個を扱い、同時に誰にでも通用する法則を扱うのである。これはずいぶん器用な綱渡りなのである。医学の多くの問題はここに起る。顔のちがいを論じてみるのも綱渡りの練習なのだろうと思って頂ければ幸である。
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ヒトにはなぜヒゲがないのか
哺乳類の特徴の一つは、体に毛が生えることである。ケモノという呼称がそれを示す。ヒトは「裸のサル」である、というが、体毛の生えている密度は類人猿と変わらない。ヒトでは、個々の体毛が、類人猿にくらべて短いだけのことである。
毛には二つの種類がある。一つは通常の体毛で、もう一つはネコやネズミの顔でおなじみのヒゲである。このヒゲは、毛根に大きな静脈洞を持っているので、洞毛と名付けられる。洞毛の最大の特徴は、毛根に多数の神経線維(解培学用語、繊維と同義)が入り込むことである。つまり、洞毛は明らかに感覚器官なのである。一本の洞毛に、しばしば百本近い神経線維が集中する。通常の体毛の場合、毛根に入る神経線維は、高々二、三本にすぎない。組織学では、皮膚を感覚器の項で扱うが、洞毛は皮膚感覚を代表する構造といってよい。
私たちは、洞毛という感覚器の機能について、直観的な理解を欠いている。ヒトには、洞毛という構造が欠けているからである。洞毛の機能を理解するのは、鼻や眼や耳の機能を知るのとは、少し話が違う。したがって、動物の生活における洞毛の重要性は、つい軽視されやすい。しかし、スイスのファン・デア・ルース、米国のウールジィ、あるいは私たちの研究室での最近のデータは、洞毛が感覚器の中で、鼻や眼や耳と同等に、時にはそれ以上に、動物にとって重要であることを示した。
体毛と同様に、洞毛もまた哺乳類一般に認められる構造である。クジラのように体毛を失った哺乳類でも、洞毛の方はなくなっていない。東アフリカに住む変なネズミ――ハダカスナネズミ(Heterocephalus glaber)――は、すっかり体毛を失っているのに、体中に疎らではあるが、洞毛の方を生やしている。洞毛は下等なサルはもちろん、アカゲザルのようなサルらしいサルの顔にも認められ、類人猿にもあるとされる。
とすると、洞毛を欠く、という点で、ヒトはきわめて特異な哺乳類であるらしい。「裸のサル」というよりは、「ヒゲナシザル」と言わねばなるまい。どうしてヒトに限って洞毛が欠けているのであろうか。
従来ヒトの顔の特徴として、洞毛を欠く、という事実が指摘されたことは、ほとんどない。ヒトでは体毛が発達せず、したがって洞毛がないのもごく自然に感じられたからであろう。こういう感覚のもとになっているのは、さらに、体毛も洞毛もしょせんは同じ毛ではないか、という考えであろう。
以下に論ずるように、私は両者が起源的に異なったものだ、と考えている。クジラやハダカスナネズミの例でもわかるように、哺乳類の中で、体毛と洞毛の消長は並行していない。だから、ヒトの場合、体毛が十分発達しないから、洞毛も欠けているのだ、という理屈は、実は成り立たない。
ヒトには洞毛が欠けている、という事実に対し、いろいろな面からの解釈ができる。私は発生の面からその解釈を試みた。これは、解剖学の伝統的な手段の一つである。以下に、洞毛が胎児ではどのように発生してくるか、についてまず説明する。つづいて、洞毛が発生してこないことについては、ヒトの発生過程で一体何が起こったと思えばよいか、という問題を論じる。そして最後に、洞毛の消失という現象が、進化の過程でのヒトの顔かたちの変化と、どう関連しているのか、についての私の解釈を述べる。
洞毛の発生[#「洞毛の発生」はゴシック体]
毛や羽やウロコのような皮膚の付属物は、発生時に共通の形成過程を示す。外胚葉性の上皮の下に、中胚葉由来と考えられる間葉細胞が集合して塊を作る。上皮と間葉との相互作用の結果、最終的に毛なり羽なりウロコなりが形成されてくる。できてくる構造が何になるかは、間葉の性質に強く依存することがわかっている。その意味で、間葉が上皮を「誘導」する、と考えておいてよい。適当な上皮をとり、毛を誘導する型の間葉塊と実験的に結合すると、上皮が元来毛を生じてこない部分から取られたとしても、毛が生じてくるのである。したがって、洞毛と体毛とが、基本的に異なったものであるならば、両者を「誘導」してくる間葉の性質は、基本的に異なったものでなければならない。
こう論じてくれば必然的に、それでは二つの間葉はどう異なっているか、という問題になる。しかし、ここではその問題を直接に追究することはしない。まず状況証拠の確認からはじめる。
私たちは走査型電子顕微鏡を用い、マウスを材料として、洞毛が発生してくる過程を観察した。走査型の電子顕微鏡は、材料の表面像を立体的に観察するのに便利である。毛のように、皮膚の表面に生じてくる構造の発生は、きわめてよく解析できる。この方法で予想外に興味深い結果がいくつか得られたが、そのうち以下の議論にとって重要なのは、次の二点である。(1)洞毛の大部分は、胎児の顔面隆起の上に出現してくる。(2)洞毛の発生時期は、場所によって一〜二日のずれがあるが、同じ部位では常に体毛の発生に先立つ。
顔面隆起は哺乳類、あるいは脊椎動物一般の顔面の発生を特徴づける構造である。鼻孔の内外側にあるものがそれぞれ内側鼻隆起、外側鼻隆起と呼ばれ、口の上下を形成するものが、上顎隆起、下顎隆起と呼ばれる。発生が進むと、これらの隆起は互いに癒合し、境がわからなくなって、成体の顔面に見られるような平坦な連続面を形成する。
洞毛が主として顔面隆起の上に発生する、という事実はどういう意味を持つだろうか。これについて注目されるのは、ジョンストンがニワトリで得た結果である。ジョンストンは、ニワトリ胎児の顔面隆起は、頭部神経堤由来の細胞の、移動、定着、増殖によって生ずる、と主張した。両生類では古くから、頭部、特に顔面の間葉は神経堤に由来する、とされているのである。もしトリや両生類で成立するこのような事実が、哺乳類でも成り立つならば、私たちの答は明らかである。洞毛を誘導してくる間葉は神経堤に由来する可能性が強い。むしろ神経堤である、と言ってよいのではないか。ここで神経堤についての説明がまず必要であろう。
神経堤(neural crest)とは何か[#「神経堤(neural crest)とは何か」はゴシック体]
発生初期に胚(胎児の若いものと考えていただいて結構である)の外面を包む一層の細胞層が外胚葉である。外胚葉では、まず神経板と呼ばれる部分が分化する。神経板からは、後に脳や脊髄などの中枢神経系がつくられる。神経板以外の部分の外胚葉は、主に後の皮膚(表皮)をつくる。いま問題にしている神経堤は、神経板と、将来皮膚になる部分との中間の地帯を指す。神経堤は、神経板の周囲を、細い帯状にとりかこんでいる、と考えていただいてもよい。神経堤は、むろん外胚葉の一部である。
神経板は間もなく陥入をはじめ、やがて神経管という管を形成して、外胚葉から離れる。この頃の時期に、神経堤由来の細胞は、次々に上皮を離れ、間葉中を遊走していく。頭部以外の部分の神経堤に由来する細胞は、脊髄神経節、自律神経節などの末梢の神経節細胞や、シュワン細胞、メラノサイトなどに分化する。
前世紀の終わり頃、両生類の発生を調べていた研究者たちによって、妙なことが報告された。両生類の頭部では、神経堤由来の細胞が間葉を形成し、さらに軟骨や骨をつくる、というのである。いわゆる三胚葉説では、間葉、骨などは、中胚葉に由来するはずのものであるから、こういう報告はおさまりが悪い。
なぜこんなことがわかったか、というと、両生類では外胚葉由来の細胞が含む卵黄顆粒が小さく、中胚葉由来の細胞とはっきり区別ができたからである。それがなければ、遊走して間葉に混ざった神経堤由来の細胞は、他の細胞とは区別がつかない。両生類の神経堤細胞は、いわば自然の標識を付けていたのである。
このあと、さまざまな移植実験が行なわれ、半世紀以上の間に、両生類の顔面や鰓弓の軟骨、骨、皮膚の真皮などが、神経堤に由来することが確認された。
両生類のあとをついで、一九六〇年代から米国のジョンストンが、すでに述べたように、ニワトリで同じ問題を追った。ジョンストンは一方の胎児を3H−チミジンで標識し、この胎児からとり出した神経堤の一部を、標識のない胎児の同じ部位に移植する方法を用いて、神経堤の移動を調べた。その結果は、基本的に両生類で得られた結果を追認するものであった。
トリにおける神経堤の運命を、もっと見事に示したのは、フランスのル・ドゥアランである。ル・ドゥアランのグループは、ニワトリとウズラの細胞が、核の形態ではっきり区別ができることを利用し、両生類でよく行なわれていたような異種間での神経堤の移植実験をトリで行なった。このグループの研究は、現在も継続中であるが、以下の議論に重要な結論は、ル・リエーブルによって得られたものである。すなわち、ニワトリとウズラの顔面と鰓弓の軟骨・骨は神経堤に由来する。後頭部の骨は中胚葉性であるが、中間の部分の骨は神経堤と中胚葉の混交である、という点である。
毛は二つの起源を持つ[#「毛は二つの起源を持つ」はゴシック体]
ここで私の推論に至る過程をもう一度要約する。洞毛は主に顔面に発生し、特に顔面隆起の上に多い(事実)。顔面の間葉は、主に神経堤に由来する(トリと両生類)。洞毛を誘導するのは、顔面の間葉である(事実)。故に、洞毛は神経堤由来の間葉に誘導されて生ずる(推論)。体毛の方は、一般に認められているように、中胚葉由来の間葉に誘導される、と考える。今の所、哺乳類の顔面の間葉が神経堤由来かどうか、実証がない。哺乳類では、技術的に移植実験が面倒だからである。しかし、早晩なんらかの実験が行なわれる、と思う。ジョンストン、ル・ドゥアラン共に、トリと哺乳類では、顔面の間葉の発生に本質的な違いはない、と信じているようである。
右の推論が成り立つならば、毛は発生上二つの起源を持つことになる。ここでただちに連想されるのは、マウスの毛のないミュータント、すなわちヌードマウスやヘアレスマウスである。これらの変異株では、洞毛はどうなっているであろうか。もちろん生えている。これらのネズミは「ハダカネズミ」であるが、「ヒゲナシネズミ」ではない。ここでも、洞毛と体毛の行動は分離している。私たちはいまだ、毛がなくなる型のマウスの変異株を全部調べたわけではない。しかし、このような変異株での洞毛と体毛の有無は、たいていの場合並行しないであろう、と予測される。
毛の発生における二元論を、系統発生に応用してみよう。最初に述べたような、哺乳類の中では体毛と洞毛の消長が並行しない、という現象は、二元論からは当然の帰結である。
古い文献から、毛の起源を論じた論文を拾い出してくると、面白いことがわかる。ドイツのマウラー一派は、毛は側線器官に由来する、と主張した。その根拠は主として、発生初期の毛と側線器の形態の類似であった。一方、オッペンハイマー以来、毛はウロコに由来する、との考えがあった。両説の対立は決着がつかなかった。
毛は、現生の動物では哺乳類にのみ認められる構造で、その起源はウロコや側線器のようにすでに完成した器官には直接還元することはできない。この立場をおし進めたのはボテザットであって、彼は毛は哺乳類に新生した構造であり、したがって起源を他に求めても意味がない、としてゴルディウスの結び目を切ってしまった。おかげでボテザット以降、毛やウロコや側線の研究者は、少なくとも互いに相手の研究結果を気にしなくてすむようになったわけである。
二元論の立場から見ると、ウロコ説と側線説の対立は、実は見かけ上の対立であった、ということになる。私は、洞毛は側線を前提として発生し、体毛はウロコを前提として発生した、と考えている。最近メイダーソンは、ウロコの生えている状態の皮膚から、どのように毛が生じてきうるか、という過程を、ウロコと毛の神経支配を軸として考察している。
皮膚の付属器の系統的な起源については、長くなるからこれ以上論じない。ただ、魚の顔面における側線器官の配置と、哺乳類の顔面での洞毛の配置とが、たいへんよく似ている、という事実を指摘しておく。
顔面の洞毛の分布[#「顔面の洞毛の分布」はゴシック体]
私たちの推論をひねくり回すと、洞毛の発生について、いろいろな想像ができる。
かつてヒューバーは、哺乳類を見渡すと、洞毛が顔面では四つの場所にほぼ恒常的に出現する、と指摘した。これに対応する部位は、ヒトの頭骨でも実はちゃんと指摘できる。ヒトの頭骨を前から見ると、動物で洞毛が見られる場所に一致して、左右四対の穴が空いているのである。すなわち、眼窩上孔、眼窩下孔、頬骨顔面孔、頤孔。ヒトの頭骨は穴だらけのようであるが、眼鼻口という大きな穴を除けば、前面の穴はこれだけしかない。下から見るともっと沢山あって、試験で医学生を悩ます。前面に空いた四つの穴は、三叉神経の皮枝の通る穴である。三叉神経の皮枝はこの穴を出て皮膚に至り、顔面の知覚を支配する。動物では、これらの穴から出た皮枝が、皮膚に最初にぶつかる点に一致して、洞毛群が認められる、というのがヒューバーの指摘の内容である。
私はこの事実は、発生時の神経堤の移動遊走の経路が、三叉神経の皮枝が伸びてくる経路と共通しているために起こる、と思う。両者が共通の経路をとるならば、神経堤細胞が上皮下に集合して生ずる洞毛の原基に、三叉神経の線維が大量にやってくるのは当然のことである。この経路が皮膚にぶつかる位置はまた、洞毛が生ずるのに一番都合のよい場所である。なぜなら、神経堤細胞の移動が続く期間を通じ、この位置には絶えず新しい神経堤細胞がやってくるはずだからである。
このように考えると、ヒトの頭骨前面に空いた穴は、三叉神経の皮枝が通る穴、というよりは、胚の時代に、神経堤細胞や神経の突起が通っていった共通の経路の、「化石」のようにも見えてくるのである。
ヒトはどうして「ヒゲナシザル」か[#「ヒトはどうして「ヒゲナシザル」か」はゴシック体]
洞毛は神経堤由来の間葉に誘導される、という仮説から、哺乳類の中での洞毛の有無や多寡は、どのように説明されるであろうか。
神経堤は元来は外胚葉の出身であるが、発生後期に頭部では真皮や軟骨や骨に分化する。中胚葉性の細胞のような性質を示すわけである。それなら、発生のどこかで、いわば外胚葉性から中胚葉性へと性質の変化を起こす、と考えてもよいであろう。
今の所、このような変化以前の神経堤由来の間葉の性質について、中胚葉由来の間葉とどう違うか、といった具体的な特徴はわかっていない。そこで、勝手ながら、この間葉の具体的な特徴の一つとして、ある期間洞毛の誘導能を持つ、ということを仮定しよう。
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すでに述べたように、間葉と上皮の相互作用で洞毛ができてくる。ところが、上皮の方も発生の過程で分化していくものである以上、ある時期にならなければ間葉と相互作用を起こす能力ができてこないであろう。具体的には、間葉からの誘導に対し、被誘導能がない、と考えてもいいし、上皮下に間葉を集合させる、あるいは止めておく能力(そういうものがあるとすれば、の話である)のようなものがない、と考えてもよい。これを短く上皮の被誘導能と表現しておこう。
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とすると、間葉の誘導能の持続と、上皮の被誘導能の発現との、時間的関係が問題となる。このような関係は、図5のように表示することができる。このグラフでは、間葉の誘導能が山として、上皮の被誘導能が水平線として表現されている。
たとえば、マウスの顔では、胎生一四日には洞毛の形成が終了している。したがって、この時期までには、神経堤由来の間葉の性質が変化してしまう、と考えてよいであろう。だから、その日以後顔面に生えてくる毛は、すべて体毛である。マウスの場合、グラフの山の下降線の下端は、故に胎生一四日、と見てよいわけである。
さて、もし上皮の被誘導能がこの下降線の時期のうちにまだ発現してこないならば、洞毛はいっさい生じてこないことになる。私はこれが、具体的には、ヒトの場合ではないかと考えているのである。
もし、グラフに示された洞毛誘導能を示す山と、上皮の被誘導能を示す水平線との、時間軸での重なりが大きければ、多数の洞毛が誘導されてくることになるであろう。トガリネズミ、セイウチ、マウスなどの場合がそれではなかろうか。
山と水平線の関係は相対的で、どっちが時間軸に沿ってずれたとしてもよろしい。神経堤由来の間葉が、早期に洞毛の誘導能を失う、としてもよいし、上皮の被誘導能の発現が遅れる、としてもよい。もし、系統発生の過程で、下降線に沿って右へと水平線がずれていけば、そのグループの動物は、次第に洞毛を失っていくであろう。これが霊長類に起こったことではなかろうか。
ジュゴンやハダカスナネズミは全身に洞毛が認められる。この場合も同じ考え方で統一的に説明しようとするなら、ふつうの動物では、胴体の皮膚での神経堤と上皮の関係は、ヒトの顔面の場合と同様で、洞毛を誘導できないが、こうした特殊な動物ではマウスの顔面の場合と同様になっており、洞毛がうまく誘導される、と考えればよい。
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このような議論に対し、ヒトの場合に洞毛が欠けているのは、ヒトに限ってなんらかの遺伝的変異が生じたのではないか、という考えをする人もあるだろうと思う。それを否定する根拠はない。そのような考えの方が実証されるかもしれない。しかし、その結果が、私のような考え方と矛盾することになるかどうか、それもまだわからない。この先はどうやら実証の問題になりそうである。
ヒトの顔では何が起こっているか[#「ヒトの顔では何が起こっているか」はゴシック体]
ヒトはどうして「ヒゲナシザル」か、という論議は以上である。ここまでの話に関しても、これから実際に確認しなくてはならぬ点が、沢山ある。ヒゲの話がヒゲだけのことであれば、ここで終わってよいわけである。しかし、生物の形質に関する議論はたいていそうはいかない。ヒゲだけが独立して空中に浮かんでいる、というわけではないからである。そこで、ヒトの場合、洞毛の消失という現象を、もう少し大きな文脈の中で、次に考えてみようと思う。
ヒトの顔の大きな特徴として、顔面の扁平化、という現象が挙げられる。霊長類に話を限っても、ツパイやキツネザルから、ヒトに至るまでに、顔が相当扁平になってきていることは明らかである。ヒトはこれが特にひどい。洞毛の消失は、このような顔の扁平化と関係している、と私は考える。
機能的な面から見ると、霊長類で次第に洞毛の重要性が減少するのは、直接に口吻を用いる探索行動をしなくなるからである。この種の探索は、ヒトや高等なサルでは、「手」に移ることになる。しかし、形態的に見ると、元来洞毛が生えるべきはずの口吻がどんどん縮んでいくのであるから、口吻で探れ、と言っても土台無理な話であろう。その意味では、霊長類で洞毛がだんだん退化し、ヒトで完全になくなるというのは、顔の扁平化と見事に並行しているということになる。
哺乳類の顔の骨が神経堤由来である、と信ずる科学者はまだ余りいないと思う。しかし、トリの顔面・頭部の骨の発生的な起源について得られた実験結果を哺乳類に当てはめてみると、実に興味深い示唆が得られる。すなわち、ヒトへの進化の過程で次第に萎縮し、顔面を扁平に見せる原因となった骨は、トリや両生類では神経堤に由来する、とされる骨であると。
結局、ヒトの顔面の扁平化と、洞毛の消失とは、関連した現象、あるいはまとめてある一つの現象、とみなしてよい、と私は思う。その場合、狂言回しは無論神経堤に違いない、ということになる。もっと一般化して表現すれば、ヒトの顔面では、ヒトに至る進化の過程で、頭部神経堤が発生に関与すると疑われる構造が、漸次退化してきた、と言ってよいであろう。歯もこの例に含めることができる。歯の発生における神経堤の役割は古くから論じられた問題であり、ヒトにおける歯の退化は、犬歯や親知らず(第三大臼歯)などの例からも周知の事実だからである。
このような退行現象がなぜ起こるか、まだわからない。もちろん、顔面の扁平化や歯の萎縮については、すでに人類学者や解剖学者がその原因を考えてきた。私は右のような観点から、このような現象を統一的に説明できないか、と期待しているのである。少なくともこの問題を考える場合、発生学的な観点は当然導入されてよいであろう。もしヒト顔面の扁平化と総称される現象が、発生上の変化に大きく起因して生ずる、とするならば、このような現象は|一次的《プライマリー》に起こった現象、ということになり、今西流の表現を借りれば、「起こるべくして起こった」ということになるであろう。とすれば、ヒトはやわらかいものばかりかむから歯が退化した、というわけではなく、歯が退化したから、やわらかいものをかむことに解決の道を見出した、ということになるわけである。この場合、どのような遺伝的な背景があるのか、は別問題である。現在の所、私たちは遺伝的な変化と、形態形成との関係に関する法則について、ほとんどまだ何も知らない、と言ってもよいからである。
顔という「場」と洞毛[#「顔という「場」と洞毛」はゴシック体]
前項に述べたことは、神経堤を中心に考えるならば、ヒトの顔での洞毛の消失と、顔面の扁平化とは、互いに関連した現象に違いない、ということであった。ここでもう少し、洞毛と、洞毛の置かれている顔という「場」との関係を説明しておこう。
動物の顔で、洞毛の配列を眺めていると、洞毛がいくつかの群(グループ)をつくっていることがわかる。すでに述べたように、洞毛は発生時に顔面隆起の上に生じる。私たちはそこで、洞毛のグループと顔面隆起との関係を調べてみた。その結果、むしろ洞毛は、どの顔面隆起の上に生じてくるのかによって、グループに分類されるのだ、ということに気付いた。すなわち、小群をなす洞毛を除き(これらはごく小さい顔面隆起のようなものに由来すると見てもよい)、洞毛は四群に分けられ、外側及び内側鼻隆起群と、二つの上顎隆起群とがあり、上顎隆起群に二つあるのは、実はこの隆起が二つ(または三つ、この話は面倒になるから省く)の要素からできているからだ、ということがわかったのである。だから、逆に洞毛のグループを利用して、そのグループの洞毛の生えている顔の領域が、胎児の顔ではどの隆起に相当する部分であるか、ということを、はっきりさせることができるわけである。
成体の顔のどの部分が、胎児の顔面隆起のどれに由来するか、という線引きは、もともとヒトの顔について最初に行なわれたものである。東京大学の解剖学教室の教授であった、井上通夫による線引きが、よく知られている(図7)。しかし、ヒトの顔での線引きには、諸説があって必ずしも一致した意見がない。ヒトの顔には、洞毛という都合のよい標識がないからなのである。動物の顔での線引きは、従来行なわれていないが、洞毛を使えば、ヒトよりも確実にできるわけである。
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ところで、右のようなことから、別の面白い問題が見付かったのである。マウスの洞毛の数は、すでに述べたように、ほぼ一定している。しかし、時に個体によって余分のヒゲが出ることがある。ICR系のマウスではこの変異はきわめてまれであるのに、BALB/c系では約三分の一の個体に余分のヒゲが出る。余分のヒゲの出る個体を交配していくと、余分はどんどん増え、恒常的に各個体に六本の余分が出るまでになる。このことは、余分のヒゲが生じる傾向は、遺伝的に決定された性質であることを示す。
ところが、このような余分なヒゲが、一体どの部分に出現するか、を丁寧に調べてみると、このようなヒゲが生ずる部位は、すべて胎生期の各顔面隆起の境界線に相当する、ということがわかったのである。つまり、どの顔面隆起の上に発生するかによって分類した各洞毛群の中間にだけ、余分の洞毛が出現するのである。
以上のことは、ヒゲが余分になるかならぬかは、遺伝的に決められているが、余分のヒゲがどこに生ずるかは、発生の規則によって定められている、ということを示す。
いずれにしても、このような事例を通じ、顔面の構成のある一面を、洞毛がよく表現している、ということがわかる。
「頭問題」と間葉の集合[#「「頭問題」と間葉の集合」はゴシック体]
前項で例示したように、洞毛と顔面の構成の関連は深い。ここまでは洞毛を中心に述べてきたが、最後に少し角度を変えて、頭部の構成という問題に触れておきたい。結局、洞毛の問題は、私にとっては頭部の構成は如何、という問題の一部になっているからである。
顔または頭部を見る角度は、いくつもある。伝統的には、しかし、機能的な見方と構造的な見方とを分ける。頭部をまず機能的に見てみよう。脊椎動物では、頭は進行方向の先端に位置する。動物が進行すれば、まず頭を新しい環境に突っ込む。餌があれば早速取り入れる。そこで口がある。つまりエネルギーの取り込み口である。さらに、眼耳鼻ヒゲなどの感覚器が集合する。未知や既知との遭遇に備え、情報を収集するわけである。脳がある。これは感覚器からの情報を処理するように発達したものである、等々。
このような見方からは、頭は様々な機能を持った構造の集合体に見える。ところが、眼耳鼻ヒゲ脳などをただくっつけても、実は頭にならない。様々な部品を集めても、車体がなくては車にならぬ。構造的な観点からは、したがって、頭部の土台をなすものが逆に重視される。眼耳鼻などは、この土台の一部が特殊化して生じたものだと見る。頭骨は典型的にこのような土台の性質を表現する。ヒゲも土台と関連が深いとすでに述べた。このような土台の構成を考える時に、発生系統発生的な見方が有力になる。
動物の頭はどういう構成原則でできているのか、というのは、実は比較解剖学で最初に定式化された主要な問題の一つである。これは「頭問題Kopfproblem」と呼ばれた。解剖学者としてのゲーテもこれにかかわった一人である。
最初の仮説は、頭骨の形は体節構造の変形だ、というものであった。頭部はいくつかの体節に還元できるかもしれぬ、というのである。体節は、体の前後軸に沿って認められる、整然とした繰り返し構造で、高等な脊椎動物では、胎児のみに著明である。成体では体節構造はかなり崩れるが、肋骨や脊椎骨に名残りは明らかである。個々の体節は、発生上は間葉の集合から成る、という点が重要である。著名な比較解剖学者たちが、この仮説を精細に追究した。しかし、頭部全体を体節に還元する試みは流産した、と言ってよい。頭の一部しか、体節に還元できなかったのである。
古典的な仮説の無理は、体節そのもの、つまり体幹に見られる間葉の集合、を頭部全体に延長しようとしたことである。ここでは「場」の問題が無視されている。体節の特質を、間葉の集合が整然と配列するもの、と見れば、鰓弓と顔面隆起を、やや配列が崩れるが、同様な集合が時期と場所を変えて表現された、と見ることもできる。さらに、洞毛の原基も同様のものと見られる。洞毛原基は、初期には特別な分化を示すわけではなく、上皮下に間葉の集塊が生じ、表面から見れば、そこが鰓弓や顔面隆起のように、盛り上がっているだけである。しかもこの集塊は、全体として見事な幾何学模様をつくって配列する。これらの構造はすべて、間葉が集合し、整然と並ぶ、というルールが、時期と場所を変えて、繰り返し表現されているのだ、と解釈されるわけである。頭という「場」の特性から、このルールは体幹と異なる具体的な形で、頭部に表現される、というのが私の解釈である。とすれば、あとは頭という「場」の特性を考えてみることになる(洞毛原基をつくる間葉の集合パターンには、面白い意味がある。このパターンが、大脳皮質の一部で、神経細胞の配列のパターンを定める、ということがわかっているからである。これについては、「ネズミのヒゲと脳」を参照されたい)。
頭極と尾極[#「頭極と尾極」はゴシック体]
頭問題はそもそもどうして生じたのか。その前提には動物の頭部の形態の多様性があったと思う。
分類学者は頭骨を重視する。頭骨には種族の特徴を示す大きなパターンと、種やそれ以下の区別に使える細かな特徴とが、共に出現するからである。ヒトは同種内で、顔の形の多様性を個人識別に利用している。一卵性双生児の顔を見れば、ヒトという種内の顔の多様性は、個人個人の遺伝子構成の違いを、形に反映したらしい、ということがよくわかる。
頭問題は、元来このような多様性を整理し、その中を貫く一般法則を抽出しようとして生じたものである。だから問題の前提は、頭部の形の多様性だ、と述べたのである。ただし、多様性というのはわかったようなわからない概念で、これを厳密に論じると、いろいろ面白い問題が出てくる。しかし議論が長くなるから、ここでは例を挙げて説明する方法をとる。多様性が頭に出現してくる理由について、私は場所の問題が重要だと思う。
比較解剖学では、頭極と尾極、という概念がある。高等な哺乳類では、この両極に「自己表現」としての様々な特徴が出現するとポルトマンは言う。たとえば、サルの顔は赤いが、同時に尻も赤い。ヒヒでは顔の色と尻の色の類似はもっと顕著である。モリスが、このような事実に対し、行動学的な面からの解釈を試みたことは、よく知られている。
ところで、ヒトの形質的な特徴を考えてみよう。脳の極端な発達。顔の扁平化。ささやかながら、洞毛の消失。これらはいずれも頭極での変化と言える。直立と尾の消失。これは尾極での変化である。ヒトの形質的な特徴もまた、両極に表現されると言ってよい。
トガリネズミという動物を例にとろう。これは食虫類に属する。食虫類は哺乳類の祖先型をよく残し、他方霊長類とは系統的に近縁だとされている。ヒトの顔が扁平なのに対し、この動物はその名が示す通り、顔がとがっている。とがっているのは口吻が長いからで、ここには多数の洞毛が生える。つまりこの点からは、トガリネズミはヒトの対極にある顔を持つ。
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この動物の尾極を見てみよう。雄と雌とは極端に違う。雄には極度に発達した生殖器系がある。体の断面を見ると、睾丸の占める割合はきわめて大きい。付属性腺が発達する。陰茎は長く、体長の半分をこえ、ふだんはトグロを巻いた形でしまい込まれている。雌では、体の後半を大きく占めるのは乳腺である。この腺はちょうどヒトがパンツをはいた形に広がっており、ずい分厚みがあるパンツだから、歩くのにさぞ骨が折れるだろうと思われる。直腸には、雄雌共に、肛門近くに唾液腺と構造を同じくする腺があり、肛門唾液腺の名がある。
ヒトとトガリネズミの例を引いたが、これはたまたま私が両方に親しいから、というにすぎない。しかし、この例からでも、頭極と尾極には、その種らしい変った特徴が出現することがわかる。哺乳類全体として見れば、ここに多様性が出現することになる。これをポルトマンのように、自己表現ととるかどうかは、また別なことである。同時に両極には、しばしば共通の構造の存在が認められる。
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発生から見れば、両極はある共通の性質を示す「場」と言ってもよいであろう。胎児の背側には、体節構造が強く出現する。しかし腹側、つまり消化管側では、体節構造は弱い。あるいはない。前後軸から見ると、頭極と尾極とは、背側部と腹側部がそこで移行する部分である。こういう部分は体に二つしかない。
さらに極という名が示すように、ここは端である。端という「場」が多様性を示す例をあげよう。たとえば、手の先である。ウマのヒヅメやコウモリの羽は、哺乳類の進化の過程で、手の先端に大きな変化が起こりえたことを示す。ヒトの場合でも、何の役に立つか知らぬが、指紋があって、個人差を厳密に形に表現している。
脊椎動物の各グループの中で、体のある部位が他の部位よりも、遺伝子構成の差を明瞭に形に示す。解剖学はそのような表現としての形を扱う。その形の表現を規定するのは、発生の法則である。発生から見れば、それぞれの部分は、ある「場」であって、その「場」の性質に従って形の表現が生ずる。ヒゲの問題も顔の問題も、さらにそういう面から追ってみようと思っている。
考えてみれば、解剖学で扱う成体の形態というのは、遺伝因子の最終表現であり、発生過程の最終表現であり、進化の過程の今の所の最終表現であるのだから、解析が一々面倒臭いのは当たり前である。それをもし短く言おうとするなら、やはり嘘にならざるをえないであろう。いかに真理は単純であることを好む、と言っても、事実の方はどうやら、複雑の方を好むようにも思われるのである。
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形態と機能からみた人間
ヒトと哺乳類[#「ヒトと哺乳類」はゴシック体]
ここでは、哺乳類の一員という面から、ヒトの形態を考えてみたいと思う。それにはそれなりの事情がある。
哺乳類としてのヒト、という観点は、結局、比較解剖学的なヒトのとり扱い、ということになろう。しかし、古典的な比較解剖学では、脊椎動物を一貫する法則からヒトをとらえようとした。たとえば、西成甫の固有背筋に関する研究をみればそれがわかる。それはそれでもっともなのであるが、今となってそういうことをやろうと思うと息が切れるのである。
古典的な比較解剖学は、脊椎動物の系譜をたどる。したがって、ナメクジウオ、円口類、魚類、両生類、爬虫類、鳥類という段階をていねいに調べる。ひと口に魚類といっても、真骨類のほかに板鰓類(サメ、エイ)、全頭類(ギンザメ)、肺魚類、総鰭類(シーラカンス)など、いろいろなものを含む。現生種のみならず、化石種も含まれる。最後にやっと哺乳類の話になるが、ここまでくるころには、たいていの人がくたびれてしまっている。
たとえば、最初にでてくるナメクジウオである。これには脊索があるというので、無脊椎動物から脊椎動物への移行を彷彿させるものとされた。ところが近年、この脊索は実は斜紋筋であると判明した。光学顕微鏡時代の組織学者は、ナメクジウオの脊索が妙に規則的な構造を示すことは知っていたが、まさか筋だとは思わなかったのである。
脊索が筋では、構造上たいへん困る。脊索とは、いいにくいのである。困るから、最近の比較解剖学書では、ナメクジウオは特殊化した生物であり、そのまま直接に脊椎動物の起源に結びつくものではない、と強調する。さらに、身体諸器官の相互連関のなかでは、この棒状の筋肉はやはり脊索相当の構造なのである、とも説明する。べつにこれが誤りだというわけではないが、これだからナメクジウオからヒトにたどりつくまでには時間がかかる、といわざるをえないのである。実際にも、ナメクジウオ程度の生物からヒトに至る過程には、少なくとも五億年を越える歳月がかかっているはずである。話がめんどうなのはやむをえない。したがって、古典的な比較解剖学を基礎とするにしても、具体的な話はなるべく哺乳類にかぎりたい、として不思議はないであろう。
哺乳類としてのヒトをとり扱うことは、実際的な意味も大きい。現代医学では、実験動物として哺乳類がほかの動物群よりはるかに重要な地位を占めるからである。たとえば、各種の動物の特徴を主題とする発表がもともと多い解剖学会ですら、一九八二年度の総会における演題のうち、哺乳類を材料としたものが全体の八〇パーセントに達し、さらに、マウス、ラット、ハムスター、モルモット、スナネズミなどに代表される齧歯類は、全体の五〇パーセントを占めた。解剖学の柱は人体解剖学であるが、ヒトに関する演題は人類学関係を含めて一四パーセント弱にすぎず、量的には、基礎医学はもはや哺乳類の生物学だ、といってよいであろう。こうした傾向は医学のほかの分野、とくに実験的な分野では、さらに強調されているはずである。
齧歯類が多く用いられるのは、なんらかの理論上の必然性があってのことではない。飼いやすい、飼育下でよく繁殖する、大きさが手頃だ、系統が確立しているなどの、実用的な理由による。飼育下でよく繁殖することはとくに重要であり、たとえば人工胎盤、全胚培養のような技術が可能とならぬかぎり、発生の研究材料としては決定的な条件となる。パンダのように珍奇な動物ならずとも、北海道の郊外ならいたるところふつうにみられるオオアシトガリネズミすら、飼育下での繁殖は困難である。一方、こうした問題は実験動物学、育種学の問題でもあり、この面における最近の進歩は著しい。たとえば、トガリネズミと同じ食虫目に属するスンクス(ジャコウネズミSuncus murinus)は、飼育下での繁殖が可能となり、食虫目からの唯一の実験動物の候補となっているだけでなく、わが国で開発された最初の実験動物となるかもしれない、といわれている。こうした実験動物化の進歩も、ほかの哺乳類とヒトとの関連の解析を、実際上強く要請しているのである。
実験的な医学、生物学がネズミを代表とする哺乳類を材料に用い、臨床医学がヒトを対象とするところから、若干不都合が生じる。ネズミとヒトでは、いったいどこが同じで、どこが違うかがだんだんわからなくなるのである。著者の場合、これが「哺乳類としてのヒト」を考える大きな動機となっている。
この点について、二つのはっきりした、しかし暗黙の立場がある。一つは、自分のとり扱っている性質は、基本的にはヒトでもネズミでも成立する、とするものである。基礎医学者はふつうこの立場をとるであろう。両者に共通しない性質は、本質的ではない性質、つまり瑣末なものだ、ということになる。もう一つの立場は、しばしば臨床家が述べる言葉に要約される。ヒトとネズミは違う。ネズミで得られた結果がヒトにあてはまるとはかぎらない、というのである。
どちらの立場にも一理あると同時に、どちらも素直でない点がある。それは、ヒトとネズミはどこが同じでどこが違うか、素直に考えたがらないという点である。これを素直に考えると、「哺乳類としてのヒト」という観点が自然に浮かんでくるように思う。
一般論としてヒトの特質を考えてみよう。ヒトに独自の性質というのは、ヒトの示すあらゆる性質から、ほかの生物がもつあらゆる性質を差し引いたもの、ということになる。換言すれば、ヒトの示すあらゆる性質から、チンパンジーの示すあらゆる性質を引いたものとさほどかわらない、と考えてよいであろう。いかに臨床家がヒトを重視するといっても、こうして定義されるヒト独自の性質のなかだけに、現代医学の問題がおさまるとは思わないであろう。
他方、基礎医学者の重視する立場を極端にしてみよう。共通の性質が基本的であり、これをのみ評価するというのであれば、上記のようにして定義したヒト独自の性質はすべて瑣末なものだ、ということになってしまう。それでもよいといわれるかもしれないが、ヒトとチンパンジーの差は実は瑣末ではない。「本質」を重視する現代生物学の立場からでも、その差の重要性を指摘できると思う。
すなわち、現代の分子生物学の教えるところによれば、遺伝子に関するヒトとチンパンジーの違いは、通常の生物で同属の異種が示す差に達せず、亜種よりは大きい、という程度にすぎないという。もし、両者のあいだで異なる遺伝子を数えあげたとしよう。わずかの差であるから、これはいずれ可能となるはずである。とすれば、形質が遺伝的に決定されるかぎり、ヒトとチンパンジーの形質間の違いは、これら二種間で異なる遺伝子の数に対応するはずであり、その数に相当する、なんらかの形で整理できるはずだ、ということになる。両者のあいだの違いは上記のように比較的小さいから、逆にこの程度のことが将来もできないとすれば、遺伝子から表現型に至る過程の解析は、しょせん不可能であろう。したがって、共通性に注目するかぎりヒトとチンパンジーの差異はごく瑣末なことがらとなるが、事実上は哺乳類の遺伝子の機能に関して、重要な発見をもたらす可能性をもつ「瑣末なことがら」なのである。この種の話を続けると「哲学」になり、嫌われる可能性があるので、「哺乳類としてのヒト」はこのくらいにしてつぎに進もう。
形質の古典的なとり扱い[#「形質の古典的なとり扱い」はゴシック体]――肝の場合
古典的な比較解剖学も、むろん哺乳類の形質を対象とすることがあった。その場合の問題の扱いかたを、具体例でまず考察してみよう。
著者の手元に、レックスの「哺乳類肝臓の形態学について」という論文がある。この仕事は、十九世紀後半から今世紀初頭に至る比較解剖学の全盛期中に行なわれており、典型的な考えかたに従っているといってよい。レックスはハリモグラ、ハリネズミ、イルカ、アザラシ、ネコ、ネズミ、ヒトなど八つの目に属する哺乳類につき、肝の肉眼的な形態を調べた。
哺乳類の肝は、形に多様性を示す(図1)。まず肝は周囲の臓器との位置関係により、表面にさまざまな凹凸を生じるくせがある。人体解剖学では、これを圧痕(胃圧痕、食道圧痕、……)とよぶ。これは外的な条件による形の狂いである。しかし哺乳類の各種を比較した場合、むしろめだつのは分葉が基本的であるということである。分葉の状態は動物群によって異なる。典型的なのは、たとえばネコのような食肉類で、中央に位置する分葉の左右にそれぞれ二つずつ、計五つの分葉をはっきり示す。中央葉は、胆嚢を入れる深い切れ込みにより、さらに二分されることが多い。
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一方ヒトの肝では、周知のように分葉はきわめて不完全である。解剖学用語では、右葉、左葉、方形葉、尾状葉を区別するが、これは、ネコにみられるような分葉にほとんど対応せず、各葉のあいだには深い明瞭な切れ込みがない。レックスの材料で、ヒトと同様に分葉を欠いているのはイルカのみであった。
こうした形の多様性を整理するため、レックスは肝の内部構造、とくに門脈の分岐に注目した。組織学でも知られるように、門脈、胆管、肝動脈は、いずれの動物でもほぼ平行し、肝静脈は独立に走る。門脈は分岐をくり返すが、この分岐の方式は哺乳類間で基本的に等しい。むろんヒトの肝も、門脈分岐に注目するかぎりほかの哺乳類に類似の分岐様式を示す。
一般に分葉の状態は、基本的に門脈の分岐様式を反映している。
レックスは結論として、哺乳類における肝門脈分岐を一般化した模式図を描いている。ここにはもちろん、古典的な比較解剖学における「原型」の観念が投影されている。あらゆる哺乳類の肝門脈分岐の型は、この「原型」からの変異ないし偏倚として説明しうる、というわけである。レックスはさらに、ヒトの肝を主要な門脈分岐の流域に区分した。これが現在の解剖学用語でいう肝区である。各肝区は、典型的な哺乳類(原型)ではそのまま分葉として現われる。
レックスの例は、古典的な比較解剖学の方法を典型的な形で示している。まず形質の多様性(肝の肉眼的形態)が前提にある。そこから共通する性質を抜きだし、基本となる型(原型)を定める(この場合、門脈分岐の型)。前提であった多様性は、そうした基本型からのずれとして説明される。
こうした考えかたは、多様性の整理にはきわめて有効な場合があったので、現在でもたとえばブローマンの鰓弓動脈の図にみるように、よく利用されている。この場合には、背腹の大動脈をつなぐ六対の平等な鰓弓動脈の存在が基本型として呈示され、個体発生や系統発生で示される諸型は、何はともあれこの基本型の変化として説明しつくされるのである。もちろんこれは純形態上のとり扱いであって、そこには本来、機能や時間の経過は考慮される余地がないのである。そこで、生物学の他の分野の進歩に伴い、こうした考えかたは、単なる整理の目的以外には、しだいに利用されなくなった。機能を含めた比較解剖学的な考えかたについては、次項であらためてとりあげる。
レックスの事例で、もう一つ注目すべき点がある。それは、元来出発点に含まれていた肝の分葉の有無という事実が、最後にはどうでもよくなったことである。肝の形態を門脈の分岐様式という一般法則から整理したとき、分葉の有無はこの法則の網にはかからなかったのである。これが、基本法則を確立したとき、事実が法則からこぼれ落ちる、という典型例を示している。こうした現象は、比較解剖学にかぎらず、生物学の他の分野でも起こりつづけてきたことであり、つねに、いわゆる本質論と生物の示す事実上の多様性とのあいだの緊張関係を生みだしてきたのである。比較解剖学は多様性そのものが前提に呈出されるからまだましだが、法則が抽象化して歩きだすと、生物がどんどんこぼれていく、という現象が起こる。たとえばレックスの場合でも、いったん門脈分岐の型から肝の形態の多様性を説明することが習慣となると、多様性という前提はやがて話からしだいに落ちていく。たとえば教科書への引用のなかでは、伝聞として伝わっていくのは、門脈分岐の一般則のみであろう。解剖学用語の肝区はよい例であり、現在これを外科的な肝葉切除のための便宜を考えた区分、と信じている人も多いであろう。
さらに、レックスが論じているなかで興味深い問題があるのでつけ加えておこう。それは、哺乳類における胆嚢の有無である。当時すでに、動物によっては胆嚢を欠くことが知られていた。この点でとくにたちが悪いのは、哺乳類のなかでも齧歯類で、近縁の種でも胆嚢のあるものとないものとがある。われわれに親しい例では、マウスは胆嚢があり、ラットにはない。機能的な観点をとれば、胆嚢を欠く動物では、胆道系に胆嚢を代償するような構造があればよく、事実キュヴィエはそう考えたようである。しかし、レックスは、その考えは成立しないとしている。彼の時代以降、動物間における胆嚢の有無について、われわれはそれを整理しうる原則をまだ発見していない。この問題は、ただし哺乳類だけにかぎられるものでないことを銘記しておくべきであろう。
機能をとりいれた視点[#「機能をとりいれた視点」はゴシック体]――気道の場合
比較解剖学は、はじめから機能を無視していた、というわけではない。機能という観点から構造をみた比較解剖学者の典型は、キュヴィエであろう。キュヴィエは、身体各部分の機能的な連関を徹底して信じていたから、骨一本からでも、もとの動物全体を推測するとの評判を得、さらに古生物学の始祖にもなりえたのである。一方このことは、理由のすべてではないにせよ、キュヴィエが進化論にくみしなかったわけを説明している。彼はそれぞれの動物の構造が機能連関のうえで完成している、と考えたのである。完成したものに変化(進化)があるわけがない。そうした当時の考えかたに対しダーウィンは、生物は完全そうだが実は完全ではなく、しかもかぎりなく完全に近づいていく、とややこしいことを主張せざるをえなかったのである。
形態を機能からみる、という観点は、今世紀には一般的なものとなった。解剖学のあり方が、必ずしもそうみえなかったとすれば、一つには機能を対象とする生理学が成立していたことから、解剖学者が意識的に機能的観点を排除した面もあったからであろう。機能は形態を理解するには当然不可欠な観点であるが、しかしそれだけでは形態の解釈として不十分である。それはべつに論じるとして、まず機能的にみた哺乳類の形質の例として、ヒトの気道の系統発生を説明してみよう。
毎年正月になると、数十人の老人が餅をのどに詰まらせて死ぬ。これはむろん、気道と食物路とが咽頭で交差しているために起こる。したがってこの交差は、この点からいえば欠陥構造であり、設計の誤りである。摂食と呼吸とは、動物にとって必須の機能であり、食物路と呼吸路とは本来、それぞれ構造上は連続性をもたせるべきものであろう。しかしヒトの場合には、呼吸路がいったん咽頭でとぎれるところに問題がある。このため、ヒトは食物を呑みこむときは呼吸を止め、呼吸しながら物を呑みこむことはできない。嚥下時間はヒトでは約〇・五秒とされるが、これもまた以上の事情から規定される面があろう。ヘビのようにゆっくり餌を呑んでいるわけにはいかない。呼吸ができないのである(図2)。
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この欠陥設計は、もちろん歴史的な事情にもとづく。元来、気道の入口である外鼻孔は、嗅覚器を容れる鼻腔への入口であった。鼻腔は口より上方、つまり消化管の背側に位置する。一方、肺は鰓弓領域最後端の直後で、消化管の腹側に発生する。消化管から肺が陥入した入口の部分が特殊化し、その結果生じた構造が喉頭である。したがって、歴史的には鼻腔と肺とは、消化管をはさんでそれぞれ背腹の反対側にあった。現在でも魚類では、ふつう前後の外鼻孔があって鼻腔はもっぱら外界にのみ開き、口腔とは関係がない。ただ、古代魚の一部で、前後の外鼻孔のほかに、口腔へ向かってあらたに後鼻孔(原始後鼻孔)が開く。この現象は、哺乳類でも発生初期に認められる。もともとあった後の外鼻孔は、陸生脊椎動物では鼻涙管に転化する、と考えられている。
両生類では後鼻孔は口腔へ、肺は咽頭へ開き、鼻腔を中心とする気道上部と、喉頭から肺に至る気道下部とは直接の連絡がなく、呼吸路と食物路は消化管のかなりの部分を共有する。哺乳類に至って、本来の後鼻孔(原始後鼻孔)の外側に出現するひだ(外側口蓋突起)が発生期に水平位まであがり、中央線で癒合して二次口蓋をつくる。さらに、その後方部が軟口蓋として後方へ延長する。これによって、気道上部は後方にある喉頭に向かい、構造的に延長することになった。
ヒトの気道をみているかぎりでは、口蓋によりその上方につくられる気道は比較的短く、「延長」という感じはあまりしない。しかし、一般の哺乳類、とくに嗅覚型の哺乳類では、鼻咽頭管という細長い管がここに形成され、気道上部は後方の咽頭へ向かって著明に「延長」するのである。
他方、喉頭側からは、喉頭蓋が軟口蓋へ向かって伸びだす。喉頭蓋というのは、きわめて変な構造物で、内部にはシャモジのような形の軟骨を入れているだけである。この軟骨は、よけいなことだが、腺が多数はいりこむためにたくさん孔があいている。ヒトの喉頭蓋をみるかぎり、喉頭蓋の機能はなんともわかりにくい。教科書には、食物が気道にはいるのを防ぐ、と記載されているが、べつになくても嚥下にさしつかえるものではない。
しかし一般の哺乳類をみると、喉頭蓋の構造上の意義はあきらかである。二次口蓋が鼻腔を喉頭側へ向かって延長するのに対応して、喉頭蓋は鼻腔側へ向かって喉頭を延長する。したがってほとんどの哺乳類では、軟口蓋の背面に喉頭蓋が到達し、気道はここで上下が「構造的に」連結する。あるいは、気道の連続性が確保される。こうした事情を最も端的に表現しているのは、イルカ類の喉頭である。イルカでは、軟口蓋から咽頭後壁をとりまく筋が、喉頭をしっかりとり囲み、鼻腔と喉頭とはほぼ直接に連結してしまうのである。
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こうしてみるとヒトの気道の特性は、その不連続性にある(図3)。この不連続性は、霊長類のなかで、ヒトに至るまで漸次進化してきたものである。ゴリラでは、まだ喉頭蓋の上端は軟口蓋の後縁に届いているが、ヒトではまったく届かない。ただし、ヒトでこのような結果をもたらす「喉頭の降下」は、生後六か月までに起こるもので、新生児では、まだ喉頭の位置はかなり高くゴリラ型である。
咽頭における呼吸路と食物路の交差は、機能上いくつかの意味合いをもつ。哺乳類では一般に、構造上喉頭が食物路に突きだすことになるため、食物路は左右に分離されてしまう。イルカでは喉頭が一方へ偏り、食物路は一方が主通路となる。このような工夫がない一般の哺乳類では、気道が多少とも嚥下の障壁となるはずである。他方、それによって気道が確保される利点はあきらかである。ヒトのような飲食物の誤飲はまず起こらない。食物をとりながら、常時嗅覚が働く。嗅覚が発達していない霊長類でも、大量の食物をたえずとるサルでは喉頭の位置が高く、おそらく気道を確保するためとされている。気道がこのような形で連結する型の哺乳類では、呼気は口ではなく、鼻へ抜ける。したがってブタやウマは口をきかず、鼻をならすが、他方、ヒトは口をきくわけである。
このことから、近年一部の人類学者は、ヒトの喉頭が系統発生の過程で、いつごろ下降したのかを推測しようと試みている。言語の発生に関連があろう、と思われるからである。彼らは化石種を含むさまざまな霊長類とヒトで頭蓋底の計測を行ない、現生種については喉頭の高さとの相関を求め、化石における喉頭の高さの推測を企図している。もし、頭蓋底の計測値と喉頭の位置に一定の相関があれば、化石人類の頭蓋底から、喉頭の高さを推定することができる。それは、ヒトが構造上いつから「口をきく」のが可能となったか、を推定させることになる。
こうした哺乳類の気道に関する話は、ネーグス、ゲッペルト、ウィンドといった人たちによって十九世紀から今日までのあいだに組みたてられてきたものである。中心の主題は気道の連続性であり、元来不連続であった気道は、哺乳類に至るまでにしだいに連続性へ向けて進化してきた。ただ、ヒトに至って、喉頭の降下によりふたたび不連続性が出現するが、それがヒトの言語機能と結びつくことになるわけである。
気道の例と、レックスの肝臓の例とを比較すると、はっきりした違いに気づく。気道の話には、厳密にはもちろん不十分だが、機能的な観点や系統発生的な観点が不可欠なものとして導入されている。また、気道の例で中心となっている具体的な構造は、おもに口蓋と喉頭蓋とであり、これらが哺乳類に至ってはじめて出現したものであることは、のちに述べるように、注目に値する。肝や門脈は、哺乳類に特異な構造ではなく、魚類あるいはそれ以前の動物から連綿として存続してきたものである。したがってレックスの場合、肝門脈の一般的分岐は、なにも哺乳類にかぎって考察する必然性は、はじめからなかったのである。
こぼれた事実[#「こぼれた事実」はゴシック体]――気道の場合
前項の話は、機能的観点をとりいれた構造論としては、うまくいった例だと思う。ふつうは、なかなかこうはいかないのである。気道についても、うまくいかない場合のほうがはるかに多いであろう。右の話でも、たとえば、脊椎動物が陸上へ進出するに伴い、嗅覚器としての鼻腔が、呼吸器における気道としての役割を、口腔にかわってひきうけたはずであるが、嗅覚器と呼吸器の鼻腔における重なりあいについては、食物路と呼吸路の重なりほどには話がすっきりしていない。気道には、肉眼解剖学的な構造についてすら、まだ問題が多いということを、前項の追加として少し考察してみよう。レックスの例で示したように、話がすっきりするほど、こぼれる事実のほうは多くなるからである。
鼻腔から肺に至る経路は、前述のように嗅覚器および呼吸器としての機能を分担する。したがって、もし気道を機能的にみようとすれば少なくともこの二つの面から考える必要があろう。右の話では、嗅覚器のほうはとりあえず無視されたのである。
さらに、あたりまえのことだが、気道はそのなかを空気が流れる。したがって、流体力学的な考察が当然成り立ってよい。力学的な方法は、骨や血管については、ずいぶん有効に利用され、一つの分野をなしている。ただ、嗅覚とか呼吸とかいった場合の機能と力学とは、観点としては性質が異なっている。後者は目的論的な要素を含まず、前提から機械的に結論を導く。著者はこれを機械論的な観点とよび、目的論的な機能論と区別している。機能論の観点は情報の問題にかかわる面が大きく、他方、機械論はモデル論であり、究極には物理化学的なモデルに還元できる。実在の生物は、モデルとの一致不一致について、必要に応じてよびだされるだけである。
構造的には、気道は実はきわめて扱いづらいものである。最大の理由は、それが単なる空隙だ、ということである。解剖学者は元来、骨や筋肉や神経や血管といった実体のとり扱いには慣れている。しかし、気道には空気のほかにはなにもないから、そのもの自体は論じようがないのである。そこで、気道をみるために、昔から金属やプラスチックを流しこんで、鋳型をとる方法が行なわれてきた。しかし、この方法では今度は気道の壁がなくなってしまうので、なんとも妙なものができてしまう。最近もこういう鋳型をつくって発表したアメリカの人があったが、できあがってみたらやることがないのに気がついたとみえ、気道各部の太さをいくつかの哺乳類で計測するにとどまった。もし機能的にみるとすれば、流体力学のデータに使えるのであろう。著者は、気道の上皮に若干の結合組織や神経をつけたまま、そっくり残す方法をとっている。これだと、全体の観察にはなかなか都合がよい。ただし骨は除いてしまうので、骨の話はべつに考える必要がある。
嗅覚器としての鼻腔は盲嚢だ、といえば、変だと思う人も多いであろう(図4)。たえず呼吸気が流れているからである。これは、嗅覚器と気道とを混同しているからであり、嗅覚型の哺乳類をみるかぎり、嗅覚器の主体はやはり盲嚢状の部分である。嗅覚型の哺乳類では、この部分は鼻腔後方で左右にやや張りだし、なかに規則正しく配列する篩骨甲介をいくつか含む。この部分は、後鼻孔より上方にあり、外面からはっきり仕切られていることがわかるので、特定の名称が当然あってよいが、ヒトでは、はっきりしないために名称がない。ヒトの嗅部は退化が著しく、鼻腔上方に残存し、しかも加齢とともに嗅上皮が退縮する。しかし、やはり下鼻道を中心とする呼吸気の通路からはひっこんだ位置にある。哺乳類の二型、すなわち嗅覚型(大嗅部性)、非嗅覚型(小嗅部性)の区別は、しばしば生態的適応との関連で論じられるが、鼻腔の構造的な違いが結果的にこの差を招来した可能性もあり、この点については、嗅部を含めた哺乳類の気道の系統発生をあらためて吟味しなおす必要は十分にあると思う(後述)。
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嗅覚器が盲嚢状であることは、もう一つの嗅覚器であるヤコブソン器官がそれを例示している。これは、齧歯類、食虫類、食肉類などで典型的にみられ、鼻中隔の前方下部に位置し、ふつうは切歯管との関連が深く、ここに開くことが多い。ヒトではやや位置が吊りあがり、鼻中隔表面に開口する(図5)。成人ではヤコブソン器官は退化するとされるが、嚢状のヤコブソン器官の名残りがみられることがある。この器官が成人でなぜ退化するかは、ほとんど真面目に論じられていないが、興味深い問題だと思う。ヤコブソン器官から嗅球へ走るヤコブソンの神経(鋤鼻神経)は、ヒト胎児や新生児でみるかぎり鼻中隔を走る他の神経、すなわち前篩骨神経、鼻口蓋神経、終神経、さらに嗅神経のいずれよりもりっぱで太い。それが成人ではまったく認められない、とされているわけである。
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ヤコブソン器官の退化について、著者は鼻中隔の発育との関係を疑っている。ヒトの鼻中隔軟骨は、あたりかまわず発育する傾向があり、その結果、周知のように鼻中隔彎曲をきたす。さらに、ヒトの外鼻が突出するのも、鼻中隔軟骨の発達の結果だ、と考えられている。とすれば、ヤコブソン器官のように保守的な器官の神経の伸長が、これに追いつかない可能性があろう。
この神経は嗅神経と同じく、ヤコブソン器官の神経上皮細胞の軸索が構成するものである。ところが、細胞体は嗅上皮と同じ上皮細胞の形をとるため、一般の神経細胞とは形も異なり、小さく、軸索も細い。このことは、もしかすると維持しうる軸索の長さに上限があるという可能性を示唆する。一般に、軸索の長い神経細胞は細胞体が大きい、とされるからである。この場合、基本的にかかわっているのは、軸索輸送の限度であろう。
この想定を拡張すれば、嗅神経についても同じことがいえる。ところが鼻中隔をよくみると、嗅神経はつねにヤコブソンの神経よりも短いのであって、これは鼻中隔前下方に位置するため、ヤコブソン器官が嗅部に比べて嗅球からずっと遠くにある、という事情による。したがって、前述のような想定で軸索の長さに限度があるとしたら、ヤコブソンの神経が当然嗅神経よりさきに退化するはずなのである。こうした事情は同時に、哺乳類一般で肉眼的に確認される嗅部と嗅球の密接な位置関係をも説明しているのかもしれない。
ところで、嗅部が盲嚢をつくるについては、それが機能上なんらかの必然性をもつ、と考えるのがふつうの見解であろう。しかしそのためには、呼吸気の流体力学的な解析に関連した、嗅覚機構の解明が必要であるように、著者には思われる。嗅上皮も構造上決して嗅部に平等にひろがるわけではなく、たとえばトガリネズミでは、鼻甲介が渦巻き状に巻く傾向を示すが、その凸面では嗅上皮は厚く、凹面ではあきらかに薄い傾向がみられる。
さらに、こうした点から注目すべきなのは、ラットにみられる中隔器官である(図6)。これは、鼻中隔上で鼻咽頭管への移行部(ヒトの後鼻孔にあたる)付近にみられる嗅上皮の離れ島である。この部分からの神経は嗅神経ともヤコブソンの神経とも結合せず、独立に走って嗅球に至る。もし、呼吸気がたえず通過する部分と、盲嚢状の部分とで、嗅覚器の行動が異なるとすれば、この中隔器官は盲嚢状の嗅部の機能を補っている可能性があるわけである。
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嗅覚器としての鼻腔についてはこれまでとして、気道としての鼻腔であるが、哺乳類ではこの点について形態の整理が十分ではなく、機能という観点から論じるどころの話ではない。鼻咽頭管をただの筒としてみれば、むろん、ラクダの例でシュミットとニールセンが調べたように呼吸気が対向流として働き、水の損失を防いでいる、といった機能的な考察の例をあげることはできる。
気道としての鼻腔の形態が哺乳類でわかりにくい理由は、固有鼻腔から鼻咽頭管への移行部が、哺乳類の各群で、構造に多様性を示すからである。この場合、骨を無視すれば、鼻咽頭管の天井は盲嚢状の嗅部で、床を構成するのは二次口蓋である。ところが、嗅部は哺乳類で二型を示すことは前述のごとくで、二次口蓋も哺乳類で確立する構造として変異が大きい。このことは、頭蓋底の骨を各群の哺乳類から選んで比較すれば、一見してあきらかである。したがって、ただの筒にみえる鼻咽頭管も、各部分について壁の対応関係を異なる群の哺乳類について確立しようとすると、意外にむずかしい。
さらに事情を複雑にしているのは、鼻中隔の後縁、すなわち自由縁の位置である。もしこの自由縁を含む仮想的な面をヒトの場合にならって(二次)後鼻孔と定義すれば、哺乳類は後鼻孔の位置が骨性鼻腔のなかにあるものと、後端にあるものとの二型に分かれる。
ヒトは後者に属するが、この型の哺乳類は霊長類、翼手類などである。かわったものではアザラシがこの型に属する。アシカとアザラシは、みたところ似たようなものだが、このあたりの構造については、驚くほど異なっているのである。
哺乳類鼻腔の肉眼的構造に関する仕事は現在進行中でまとまった結論はまだない。ただ、哺乳類の構造は、気道という限定された部分をとっても、まだとうてい整理されているとはいえないことが、こうした事例を扱うとよくわかるのである。
哺乳類特有の性質と多様性[#「哺乳類特有の性質と多様性」はゴシック体]
最初の項では、なぜ哺乳類という枠組みのなかでヒトをみるかを説明した。つづいて、この視点を縦軸として肝や気道を例にとり、比較形態学的な見かたを紹介したつもりである。そのさい機能的・機械的・系統発生的な観点が、いわば横軸となっていた。これに発生学的な観点を加えれば、形態の一応の視点が完成する、と著者は考えている。ここからはさらにそうした視点も加え、哺乳類全体の特徴を考察してみたい。
ふつう哺乳類といえば、脊椎動物の一部門であり、一連の特徴を共有するものと考える。すなわち、温血である、乳腺をもつ、毛がある、脳に新皮質が発達する、二次口蓋や頬が完成して哺乳が可能である、こまかいところでは、すでに述べたように喉頭蓋がある、などである。
しかしここで強調したい点は、哺乳類特有の性質は、哺乳類のなかではむしろしばしば多様性を示すということである。このことはすでに、気道の例をあげて示したとおりである。ヒトにもネズミにもイルカにも、たしかに二次口蓋も喉頭蓋もある。ただ、その構造や機能は、これらの動物間で異なる様相を示している。
こうした性質を、ただ哺乳類に「共通する」としてまとめてしまうと、話はそこで終ってしまう。その結果、哺乳類はみごとに定義されたように思える一方、哺乳類そのものをそこから先、さらにどうみたらよいのかがわからなくなる。つまり最初に述べたように、「ネズミとヒトはどこが違うか」が皆目わからなくなってしまうのである。「共通性」を本質的だと考える態度は、それを助長する。さらに哺乳類の場合、この群に特有な性質が多様性を示しやすいという事情が、多様性の無視に拍車をかけてしまう。「法則」が確立したとき「事実」がこぼれる、といったのはこのことである。ここで必要なのは、たとえば「毛がある」という特徴をある一つの「法則」としてみるのではなく、一つの「枠組み」としてみることであろう。その枠のなかには、哺乳類にありうる毛の存在様式は、すべて含まれているのである。これは以下にも述べるように、決して小さな枠ではない。
哺乳類に特有の性質が、哺乳類のなかで多様性を示すことは、考えようによっては当然である。哺乳類は脊椎動物の進化史上いちばん新しい一群であり、これに固有の性質は、脊椎動物のなかに哺乳類という枠組みが成立するのに伴って生じた新しい形質である。したがってそうした形質は、脊椎動物が共通に示す形質に比べれば多少とも「実験的」な性質を帯びており、おそらく肝や門脈ほどには、固定した性格をもたないであろう。ゆえに哺乳類のなかでは、むしろさまざまに分化して当然なのである。こうした形質のなかには、いまだに進化の途上にあるのかもしれないとされるものもある。一例をあげてみよう。
マウスの顔面には、五百本に達する洞毛が生えている(図7)。これらの洞毛のうちおもなものは、数も配列も定まっている。各洞毛は毛根に多数の神経線維をうけ、感覚器として働く。この神経線維は三叉神経に由来し、中枢へは三叉神経の知覚核、視床を経由し、結局皮質の体性知覚野の顔面域に投射される。顔面域には、バレルとよぶ神経細胞の特異な集団があり、バレル一つは、一本の洞毛に対応する。バレルの配列は、末梢における洞毛の配列にまさしく一致する。
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顔面に配列する洞毛は、完全に一対一の対応をなして、皮質の体性知覚野に投射される。ところでJ・C・ヌスバウマーは、洞毛間の皮膚、つまりひげのあいだにある地の皮膚の知覚が、皮質のどこに投射されるかを調べた。もし洞毛の場合と同じ末梢――中枢間の対応があれば、これらの部分からの投射は、当然バレルとバレルとのあいだに見いだされてよい。
彼の結果はこれを否定した。洞毛間の皮膚からの入力は、バレル領野の外に投射されるのである。
このことから、彼は結論する。マウスのバレル領野は、洞毛からの投射に占有される皮質の領域である。しかも、バレルという特定の変な構造をもつ。ゆえに、この領域は脳における新しい型の皮質の出現を示唆しているのではないか。
たとえば眼からの投射は、皮質の視覚領にはいる。この部分は皮質のなかでは形態的に区別され、視覚入力に占有される。バレル領野も、体性知覚野のなかにある点ではまだ視覚領ほど独立していないが、いわば独立途上ではないのか、というのである。
洞毛とその伝導路については、さまざまな特性がわかっている。三叉神経核にも視床にも、バレルに対応する神経細胞の集団を認める。バレルそのものはある程度可塑的であり、たとえば生後二〜三日のあいだに洞毛を破壊すれば、バレルは消失する。ヌードやヘアレスのように体毛に異常の起こるマウスの変異型では、バレル領野は狭い。発生時に余分の洞毛を生じると、相応の部位にバレルを余分に生じる。こうした現象は、中枢が本来もつ可塑性の表現とも考えられるが、同時に、先に述べたような系統的に新しい形質のもつ変異性を表わしている、とも考えられる。
このような考えかたの当否はともかく、洞毛から皮質のバレル領野に至る経路は、きわめて古くは側線系のような器官になんらかの関係をもっていたかもしれないとしても、常識的には、哺乳類に新生したものと考えてよいであろう。そこで哺乳類のなかでは、洞毛部分にも皮質部分にも多様性が出現する。バレル領野はすでに齧歯類のなかで多様化し、マウスでは前述のように著明だが、ラットでははるかに不明瞭である。トガリネズミやスンクスに代表される食虫目トガリネズミ科の動物は、マウスよりさらに洞毛が発達し、毛根の構造はきわめて特殊化するが、皮質にはバレル様構造をほとんど認めない。したがってこうした動物では、洞毛からの入力がきわめて大きいと思われるにもかかわらず、マウスとはやや異なった中枢処理機構をもつのかもしれない。
さらに、洞毛そのものについても、分布、数、毛根の構造には多様化がめだつ。毛根の構造は、二、三の種を除きていねいな記載は乏しいが、その限りにおいても、動物群による差は著しい。ヒトはいまのところ、洞毛を欠く唯一の哺乳類であると著者は考えており、このことがヒトの顔面の形成に示唆を与える点について、すでに詳説したことがある。
哺乳類固有の性質に多様性が出現する例は、強いてあげる必要もないであろう。もし徹底的にこの主題を扱うとすれば、一冊の書物でもとうていおさまらないと思う。ウィーンの解剖学者J・シャファーは、哺乳類にみられる放臭腺および肛門周囲の腺について、『HautdrŸsenorgane(皮膚腺器官)』という本を書いた。ためしにこれでもごらんいただければ、哺乳類がいかにさまざまな部位に種々の腺を発達させているか十分おわかりいただけるであろう。そして、むろんこれは哺乳類の皮膚分化の一例にすぎない。ちなみに、同じ温血動物である鳥類は、皮膚にまったく腺をもたない。羽を生やしているだけである。
ヒトは裸のサルである、とモリスはいう。これも哺乳類の皮膚分化の一例であろう。サルの仲間の毛皮を並べ、そこにヒトの(毛)皮を並べてみれば、ヒトの特徴はあきらかだ、とモリスはいう。モリスが重視したのは、視覚情報の送り手としての形態であるから、こうした論法をとるのはわかる。しかし、その論法からすれば、現代のゾウはマンモスに比べれば「裸のゾウ」であり、サイはケブカサイに比べれば「裸のサイ」である。ヒトの毛はたしかに躯幹で短いが、毛根の密度は類人猿にかわりないという。もっとりっぱに毛がなくなる動物はほかにもあり、東アフリカのモグラネズミHeterocephalus glaberは、全身に疎に洞毛を生やすほか、まったく体毛を失っている。この動物は地下生息であるが、やはり寒いとみえて折りかさなって住んでいるのが観察されている。
むしろヒトに特徴的なのは、一般の哺乳類で毛に付属して全身に分布するアポクリン汗腺が、ヒトでは腋窩に限局し、他方、ふつうには手掌や足底のように毛のない部位に限局するエクリン汗腺が全身に分布することであろう。これをヒトの毛あしの短さといっしょにして考えれば、これらの特徴は、人類学者がいうように、体温調節への機能的適応と考えたほうがよさそうである。この点から考えると、人類の起源は、元来東南アジアのようにむし暑い気候の地方ではなく、気温は高くても乾燥した地帯だったように思われる。梅雨時のように汗がザアザア流れて蒸発してくれないのでは、なんのためにエクリン汗腺からわざわざ汗をかくのかわからないからである。もっとも、汗腺は哺乳類のなかではさらに分化があり、カバは全身に線条部をもった唾液腺型の汗腺をもつという。こういう類いの話を続けていくと、際限がないことはおわかりいただけたであろう。
多様性はどこにいつ出現するか[#「多様性はどこにいつ出現するか」はゴシック体]
いちいち多様性の例をあげれば際限がないとすれば、哺乳類に固有の特徴の出現には、まず部位的になんらかの共通性がないか、を考えざるをえない。それには、ヒトの特徴を考えてみればよいであろう。ヒトの形質的な特徴は、頭部と尾部とに出現する。すなわち、一方では脳の発達、顔面の扁平化、洞毛の消失、他方では尾の消失、直立に伴う骨盤部近辺の変化である。
頭部と尾部とに顕著な特徴が出現することを、ポルトマンは頭極と尾極(肛門極)の分化、という概念から扱った。彼は高等動物(たとえば哺乳類)ではこの両極に、自己表現としての諸特徴が出現すると主張した。ポルトマンは、たとえばシカの角と陰嚢、あるいはヒヒで奇妙な色彩が顔と尻とに出現すること、などを例にとった。こうした視覚情報にかかわる、文字どおり「めだつ」特徴は、しばしば現代生物学の体系の盲点に位置するようにも思われる。
しかし、一般の形質上の諸特徴も、頭尾極に集中して出現する。それは、前述のヒトの例からもあきらかであろう。分類学者は頭骨を重視するが、その根底には、頭部には共通性とともに多様性が著しく出現するという事情がある。哺乳類の尾部にも、むろん新しい形質が出現する。たとえば、会陰の形成に伴う総排泄腔の消失である。それに伴ってさらに中腎管(射精管)と尿管の開口部には急激な位置の変化が生じ、その結果、膀胱三角が形成する。カモノハシやハリモグラのような単孔類は、いまだに総排泄腔を残す。ヒトの場合でも、骨盤出口筋が古くから注目されてきたが、最終的な構造的特徴は、直立に対する適応であるとみなされる傾向が強い。しかしここでも、哺乳類で生じた大きな形質上の変化が、多様性発現の背景をなしている、という事情を忘れるわけにはいかないであろう。骨盤部に出現する平滑筋も、人体解剖学用語における二、三の名称として記憶されているが、動物によってはよく発達し、特異な分化を示すことは、ほとんど知られていない。同時に、ヒトにおける下肢の長大な発育のため、骨盤部は一般の哺乳類から比べると過度にせまく感じられる傾向がある。たとえばトガリネズミでは、カウパー腺は背部に位置し、長い導管によって尿道に開く。
こうした頭尾極における形態の多様性の出現は、まず第一に、それが末端だということからある程度了解される。たとえば、哺乳類の四肢末端は肉食獣の爪、蹄、翼、鰭などに変化するが、もし近位部の構造を大きくかえるとすれば、それより遠位部は、すべてそれに伴って改造しなくてはならないであろう。
しかしそれにしても、頭尾極に多様性が出現するについては、具体的な過程を担う、具体的な存在があるわけである。それを、個々の器官とばかり考えていたのでは、あいかわらず多様性の列挙に終らざるをえない。したがって、著者の考えている課題は、こうした多様性が、たとえば発生期にどのような種類の細胞に担われて実現していくのか、あるいは発生に限らず、多様性がどのような具体的な枠組みのなかに見いだされるのかを解明していくことだと考えている。
そこで、哺乳類の特徴は、発生期ではいつごろ出現してくるかを最後に論じておこう。たとえばヒトの胎児では、ヒトらしい特徴が出現してくるのは、約一〇ミリメートル以後の胎児である。この前の時期では、顔面から頸部にかけて、間葉の集塊によって生じるいくつかの隆起を示す。これらは、顔面では顔面隆起、頸部では鰓弓とよばれる。こうした隆起は、つぎの時期には間葉の移動によって消失してしまう。この過程はきわめてすみやかで、妊娠期間が約二〇日のマウス、三〇日のスンクスでは、約一日間でつぎの段階に移行する。さらに隆起の消失とともに、マウスやスンクスではただちに洞毛原基が出現する。これは、口吻の近位からはじまり、先端へ向かって増加し、規則正しく並ぶ。このときの配列のパターンが、のちに脳の皮質におけるバレルの配列のパターンを決定するわけである。この時期に、スンクスでは急激に口吻が伸長し、トガリネズミ科の動物に特徴的な長い口吻が一日のうちに成立してしまう。ヒト胎児では、これに相当する時期に、顔面が平坦のままにとどまっている。
洞毛原基の出現と同時に、体幹では一見まったく平坦にみえる皮膚の一部から、急に乳腺原基が出現してくる。これは、マウスでは洞毛原基に酷似し、走査型電顕でも区別がむずかしいほどである。動物によっては、乳腺原基は稜状に出現するとされるが、これは、口吻部の洞毛原基が最初は稜状を呈する事実に一致するのかもしれない。
鰓弓の消失とともにめだつのは、外耳の原基の形成である。これは、第一鰓孔の背側部に生じるいくつかの間葉塊に由来する。成体での外耳の神経支配をみると、小後頭神経、大耳介神経など頸神経由来のもの、耳介側頭神経(三叉神経)、顔面神経(Huntの領域)、迷走神経耳介枝など、いくつかの神経支配をうけ、外耳を形成する材料がずいぶんいろいろなところからの寄せ集めであることが示唆される。むろん外耳は哺乳類特有の構造であり、翼手目ではとくに分化して、諸種の奇妙な形態を示す。
さて、こうした発生の問題も、列挙すればやはり際限はない。ただ上の例からでも、哺乳類固有の形質は、ある時期いっせいに出現する傾向があることはうかがえるであろう。したがってこうした形質の発現には、発生の面からみても、ある特定の枠組みが存在していると想定されよう。少なくともここで注目に値することは、顔面隆起や鰓弓、あるいはそれ以前に出現する体節は、脊椎動物共有の間葉集団であるが、それ以降に出現する間葉集団によって、哺乳類固有の形質の多くが分化してくるということである。
著者はこのような間葉集団における神経堤の関与の可能性をすでに述べた(「ヒトにはなぜヒゲがないのか」)。神経堤について注意すべきことは、それが分化能をもつと同時に、おかれた部位によって分化の方向をこまかくかえることである。たとえば鳥類では、毛様体神経節の原基を脊髄神経節の位置に移植すれば細胞は移動を開始し、交感神経幹の位置にとどまったものは交感神経節細胞に、腸管内壁にはいったものは、壁内神経叢の神経節細胞に分化する。これときわめて対照的なのは、第二鰓弓由来の中胚葉性間葉であり、顔面全体にひろく散らばるにもかかわらず、つねに顔面神経支配下の横紋筋として分化するのである。
こうした例は、発生期においてある一群の細胞集団が、おかれた位置を認識して分化するという可能性があることを示し、もしこのような細胞集団が進化の過程であらたに出現してくるとすれば、形態形成に大きく影響する可能性があることも示す。この点の解明には、哺乳類の実験発生学の技法の確立が強く望まれるのである。
哺乳類に特有の性質のみをとりあげても、問題はおびただしくひろい。少なくとも、形質を複数の観点からみて整理しよう、という著者の意図をある程度わかっていただけたら幸いである。
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単純なる前提――丸山工作『筋肉のなぞ』
食用とする肉は、ふつう筋肉である。シャトーブリアンというステーキは、ウシの腸腰筋の筋腹を用いるらしい。やや細長い筋の、中央部だけを切り出す。だから、本当は、一頭のウシから、左右二コしか取れない。腸腰筋の類の筋肉は、腰の内側、つまり脊柱の腹側にあって、ヒレというのはこの辺の筋の総称である。そう思って見ていると、ヒトの腸腰筋も少し小さめとはいうものの、軟らかく、旨そうな筋ではある。
この本は、特にステーキとは関係はない。わが国の研究者を中心におき、戦後の筋肉の生物学の発展を解説したものである。
頭脳労働に対して筋肉労働、というが如く、われわれは筋肉の機能に対し、偏見を抱く。筋肉には、別に不可思議な生命の力は含まれていない。筋肉が行うのは、まさに「機械的な」運動に過ぎぬ。
筋肉の機能が単に力学的なものだ、という牢固たる偏見は、筋肉の物理化学的な解析を助けたに違いない。ここでは、「高次の」神経活動、という表現に見られるような、生き物を物理化学に還元することに対する、心理的な障壁は存在しにくい。
戦後わが国における筋肉の研究が、期せずしてアルバート・セント=ジェルジの書物を読んだ数人の研究者にはじまるということを、私はこの本で知った。
セント=ジェルジは、研究生活をウサギを材料とする仕事からはじめた。しかし、彼はウサギという材料は複雑にすぎる、と考え、やがて材料を細菌に変えた。しかし、細菌もなお、複雑にすぎたので、筋から抽出した蛋白の研究に移った、という。
セント=ジェルジの晩年の述懐はこうである。「私は生命を理解しようとして、生命をバラバラにしていった。しかしその間に、生命は指の間からこぼれ落ちてしまった。私が今やろうとしていることは、その生命を再構成することである」
この本では、単純な前提から、明確な結論がどれだけ次々に導き出されてくるか、という、いわば成功した生物学の分野の典型が示される。科学的な真理とは単純なものである、と私は教えられてきたように思う。しかし、このような例を見る限り、単純なのはむしろ前提だ、と言わねばならぬ。前提が単純でなければ、実行、つまり実験、の役には立たないからである。
教科書風ではない、現代の生物学の解説として、この本は良いものであるし、雰囲気がよく伝えられていると思う。こういう率直な本は、科学では少い。現に活躍している人達を取り扱っているだけに、著者の解釈と評価には、異論が有り得よう。しかし、その点はまさに、著者が語るに落ちているのであって、著者の考えは考えであり、率直にそう見なせば良い、と思うのである。
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縦断的な方法――小野三嗣『ひげの科学』
著者は生理学者で、この本の主題はヒトのひげである。中心となるデータは、著者自身のひげであり、毎日ひげをそっては重さをはかり、これを二十年続けた結果がこの本になった。念のため付け加えるならば、著者は別にひげだけの専門家ではない。専攻は運動生理学で、東京オリンピックのときには、重量あげのトレーニング・ドクターとなり、出場選手全員入賞の蔭の立役者となったという。
著者が用いたような方法は、成長の研究では必須である。ヒトの体の成長を数値で示すとき、普通に用いられるのは、横断の数値である。つまり同年齢の子供を大勢集め、たとえばその身長を測って、平均値を求める。各年齢の子供についてこれを行ない、年齢順に並べてみれば、平均の成長がわかる。
しかし、この方法には、明らかな欠点がある。得られた成長曲線は、多数の子供のものであるが、同時にだれのものでもない。すべての人が、その物理的年齢に従って、定まった身長の伸びを示すわけではない。中学で伸びるものもいれば、高校で伸びるものもいる。大学で背が伸びて、友人にあきれられる男もいる。こうした差異は、横断値ではまったく無視されてしまう。
これに対して採用されたのが、縦断的な方法である。一人の子供について、生まれたときからのデータを、たとえば一年ごとに、継続的に取り続けるのである。このやり方を、ある人数を対象として行なうことがいかに大変かは、容易に理解されよう。第一、研究者の方が途中で死んでしまうかもしれない。ヒトの成長を調べるのであれば、データが完成するまでには、少なくとも二十年の歳月が過ぎる。著者が用いた方法も、じつはこれと同じことになっているわけである。ただし、著者の場合には、例数は一つである。さすがの著者も、他人のひげをそって二十年、毎日重量を測るという繁忙には耐えられなかったものと思われる。これは縦断法の欠点である。
名実ともに「自分の」データをもとにした、著者のひげに関する考察は、多岐にわたる。食事、季節、加齢などによるひげの伸びの変化は、著者の方法がいちばん威力を発揮する部分である。十分納得がゆく。運動とひげ、頭髪の伸びとひげの伸び、ふけや爪との関連などは、日常生活にかかわり、親しみやすい。頭の働きとひげ、生物時計、排泄物としてのひげなどの議論は、ひげを中心とした四方山話の感がある。
私自身に興味深かった問題は、死者の頭髪とひげの伸びである。昔からよく死者のひげが伸びる、ということがいわれる。専門家の意見は、通常これには否定的である。俗説だという。著者は、毛根は加齢とともに、しだいに体の他の部分からの独立性を得るという。死者の毛根は、いわば組織培養されたような状態にあり、毛が伸びることがあっても不思議ではない、というのである。
材料が一例しかないということから、著者に可能であるのは、推論と洞察であり、証明ではない。たとえば、縦断法で得られる子供の成長曲線には、いくつかの型があることが知られている。著者のひげの場合でも、季節変動のように例年くり返されるものについては、二十回分のデータがあるわけだが、個体によってはまったく異なる型の季節変動を示す可能性もあるわけで、こういう類の問題には手が出ないことになる。これはむしろ著者の前提であって、とくに欠点とはいえない。
「学問とは普遍妥当性のある原理、法則を追究するものだ、などと考えたら、こんな研究は出来なかった」とは著者の言である。しかし、著者もまた、自分の仕事がある種の普遍妥当性をもたないと考えていたら、他人に向かって自分の仕事を公表しよう、とは思わなかったはずである。
科学がその社会の中から、おのずから生まれてきたものであれば、科学はしいて自意識をもつ必要はない。わが国では、科学は元来輸入品だったからこそ、科学とはこういうものであるという基準が、個々の具体的な仕事に対して、いわば押し付けられたのである。お前はきちんと御手本通りやっているか、というわけである。
今となっては、御手本はあっても良いし、なくても良いであろう。少なくとも私は、御手本にこだわる意見はとらない。本人が楽しんでやっている仕事の良さは、はたから見てもその仕事が楽しい、というところにある。『ひげの科学』を見ていると、話はそこに落ち着くような気がするのである。
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丈夫な哲学の必要――香原志勢『人体に秘められた動物』
人は誰でも、少なくとも自分自身については専門家だ、と考える。そこから、こと人間の問題に関する限り、専門家としての自信と偏狭さ、つまり独断と偏見とを生じる。だから、あらたに人間を論じ、なお人々を納得さすに足る、というのは、元来ずい分むずかしい芸であろう。著者は、学者たちの研究・調査の網目にひっかからない日常的な人間的諸現象について考えるのも大切だ、と「考える人類学」を提唱する。他人の疝気を気に病むわけではないが、人類学者も大変だろう、とつくづく私は思う。現代の社会では、人間や人間をめぐる事象に深い洞察を与える機会に、特に人類学者だけが恵まれる、というわけでは無さそうだからである。
この本で著者は、手足、木のぼり、姿態、眼、眼鏡、口、顔、自己と自己表現、衣、食、住などを取りあげる。論点は各項についてもきわめて多岐にわたり、評者としては内容のまとめに難儀をする。
著者の目的は、「人体を素材として人間を省察すること」であり、その立場は「基本的には比較形態学的発想をもとにしている」そこで、「口の自然史」の章では、口器の系統発生から人の口に至るまでを、また「顔の多面性」では、咀嚼器、呼吸器としての機能から表情までを、比較形態学の立場から扱う。さらに、人間は「文化をもつ動物」であり、「人体のみでは説明できない存在」である以上、「今日、人類学者にとってもっとも必要な研究態度は、文化の生物学的基礎を解明する」ことだ、とする。そこで、「眼」の章では、動物の眼は黒目がちだが、人の眼は白目がちで、これは人の近接視の故だろう、と独自の視点からの導入部をおき、次に「眼鏡と日本人の顔」を論じて眼鏡の歴史を紹介すると共に、眼鏡の枠を狂言廻しとして、日本人の顔の特徴を浮き彫りにする。さらに、「自己表現の生物学」につづいては、「人間の心の再表現の手段」としての衣服について、機能から思想までを語る。
著者は、ポルトマンによる、動物の形態は内面の自己表示だ、との考えをまず引用し、さらに人間の衣服に至る。ポルトマンがすぐれた形態学者だ、との意見に私は同意するが、この扱いの順序は、ひいきの引き倒しではないか、と思う。個人の心理を集団に拡張する根拠は、と問われて、岸田秀氏は答える。フロイドは個人の心理を扱ったのではない、当時の社会心理を個人に投影したのだ、と。
ポルトマンの自己表現説は、まさしくこの種の逆説である。彼は、自説の好例として、個体発生・系統発生での精巣下降を持ち出す。こうしたとんでもない例を思いつく背景には、たとえば自己表現としての衣服、という見方への徹底的な抑圧がポルトマンの中にある、と私は思う。人の持ち物が自己表現の性質を帯びて当たり前だが陰嚢がシカの自己表現なのは決して当たり前ではない。この順序を逆にしては、ポルトマンの逆説が成り立たないのである。
この本は一般の人を対象にしたものであるが、扱う内容はかなり高度である。決して読みこなし易くない。その点を配慮してか、著者はさまざまな軽い挿話をはさむ。読者としては、これにだまされるわけにはいかぬ。
読み手と書き手にとって、一般向きの本は、実はいちばんむずかしい。たとえば、「口の自然史」では、ライヘルト説が紹介される。この本でこの説が占めるのは、図を含めて一ページである。今世紀初頭、ライヘルト説をあらためて取りあげ、学説として定着させたガウブの論文は、四百ページである。専門外の人に専門を解説するのが、元来難事なのは、これだけでもわかって頂けるであろう。
さらに、一般向きの本がかかえる難題は、一般の人が気付かぬ前提を、専門の立場からまず指摘すること、にある。一般人とは、専門外の研究者を含む。そのためには、著者は専門よりはむしろ、俗説の蘊奥を究めねばならない。
たとえば、著者にとって、人体と同時に眼鏡や衣服を論じるのは、自明であろう。他方、現在の生物学の主流をなす実験生物学者がこの本を読むとする。こういう人たちは、一般に働き者で頭が良く、その分だけ頭が堅いから、すぐ尋ねるであろう。人体を論じるのと、衣服や眼鏡を論じるのに、同じ基礎があるのか。ちがう所があるとすれば、どこが違うのか。
もし、「道具は手の延長だ」と答えるなら、彼らは「人間は生物だが、道具は無生物だ」と反論するであろう。著者が人体を扱い、衣服や眼鏡を扱う場合、比較形態学者として全く同一の立場を立てていることを、著者の論考は明示する。しかし、著者自身は、こうした点について、意識的には解説しない。一般書として、これは不親切である。あるいは、著者の論考が不徹底である。
「人類学では哲学的考察も、他の学問以上に要求される」哲学が諸学の学である以上、このような問題、すなわち生物学の諸部門を結ぶ基本的な「哲学的考察」こそ、著者にお願いしたい、と思う。「考える人類学」のような立場は、実験室の科学者から、常に若干の軽侮と多少の憐みで遇されてきた。この傾向を助長しないためにも、必要なのはまさしく丈夫な「哲学」である。そのような哲学の必要性については、私は全く著者に同意するものである。
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V
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進化と進化論――生物と人間における時間の超克
進化に関する論考は沢山ある。まともに扱うと、厚い書物ができる。『種の起原』は、岩波文庫で三巻分あるが、短いのもある。今西錦司氏の『私の進化論』は、『種の起原』のたぶん十分の一以下である。もっと短いのもある。例えば、岸田秀氏の『擬人論の復権』である。これは、大げさに言えば、岸田進化論とでも言うべきものであるが、全部で約一万四千字、進化に関する部分は、つごう約三千五百字である。
私もここで進化を論じてみようか、と思ったのであるが、実は進化の話はもう終ってしまった。というのは、その内容はすでに副題にまとめてしまったからである。つまり、生物と人間における時間の超克、というのである。十四字である。極く短い。これは進化論の短い方の記録と言わねばならぬ。
ふつう、真理は簡潔を尊ぶものである。従って、字数から言うと、私の進化論が最も真理に近い。ただし、遺憾なことに私自身がそれを信じていない。
元来「進化」のように複雑な様相を示すできごとは、玉虫色である。見様によって、どうにもとれる。だからいろいろな人が、いろいろな風に、進化を論じることになる。
ところで、以下に論じることは、一向に進化とは関係がない、と思う人もあるかもしれぬ。進化に関する本文はもう終ってしまったのだから、当然のことである。私も、関係は別にないかもしれぬ、という気もしているのである。では、以下の話は何の話か。それは読んで判断して頂くより仕方がない。
古代のエジプト人達は、どうしてあんな風にピラミッドを構築したのであろうか。クフ王のピラミッドは、ほとんど完璧に東西南北を指しているという。エジプト人は、よほど方位にこだわったらしい。こだわるというのは、心理学的には常に隠された意味がある。本人がそれを意識しているとは限らない。エジプト人はピラミッドを作る時に、どうしてそれほど方位にこだわったのであろうか。
ヒトの空間的な移動の方法、つまり当時の交通手段からすれば、彼等の支配し得た空間は、実質的に存在し得る「全世界」を意味したであろう。彼等は全空間の支配者だったのである。空間を支配した文明は次に何を試みようとするか。それは常に「時間」の支配に向かう。最も素朴な、古典的な時間の支配の方法とは何か。それはまず、時間を停止させることである。
ピラミッドの末広がりの形の安定性、石という材質、その巨大さ、そして方位の極端な厳密性は、すべてそれを意味している。彼等が求め、手に入れようと望んだものは、時間と共にできるだけ変化せぬものだったのである。方位は、時間と共には変らない。
ピラミッドでは、時は停止する。時間の超克の為にまず選ばれたもの、時の支配へのエジプト文明の試みの記念碑が、ピラミッドなのである。
このことについて、いくつかの傍証を拾うこともできる。わが国の古墳は、そのような意味では、動かざること山の如し、を心理的には表現したものである。古墳やピラミッドが同時に墓でもあるのは、よく知られているように、死者にとっては時が停止するからである。残された生者にとっても、死者の時は死の瞬間で停止する。古墳もピラミッドも、死者の為ばかりのものではないことは、言う迄もない。葬式に出ればそれが判る。
エジプト人は、やがてピラミッド作りを止めてしまった。エジプトにもさぞいろいろと事情があったことであろう。しかし、ピラミッドを築いたのはエジプト人だけで、例えばユダヤ人はあんな変なものは作らなかった。両者は恐らく共通の理由から、一方はピラミッドを作り、一方は作らなかったのである。
もしピラミッドが、すでに述べたように、時間の超克を意図したものであったとするならば、ユダヤ人はもっと狡い、楽な方法を見出したのである。それは文字である。文字で記された「歴史」である。いささか部厚くなったとはいうものの、僅か一冊の書物の中に、彼等は世界の初まりから終末までを閉じ込めてしまったのである。それが聖書である。この史書の中には、予言者が時として登場し、未来を語る。しかしその未来もまた、聖書の中に閉じ込められているのである。
文字でできごとの記録を行なうことは、数多の民族が良く知っていたことであろう。しかし、ある文化に属する人々が、その人々の暗黙の合意により、書物の中に時を封入する方法を承認した時、その文化における新しい、ピラミッドとは異る形式の、時の超克が完成する。わが国の古墳時代は、史書の作成に対する政治的文化的意志の出現によって、完全な終焉をむかえた、と言ってもよいであろう。万世一系の天皇制もまた、われわれの住む文化の時計を意味するということが、明治以来の年号にも象徴されているというわけである。
秦の始皇帝というのは、変な人である。この人は、ピラミッドと並ぶ世界の三大無用の長物の一つ、万里の長城を築いた。始皇帝が焚書坑儒を同時に行なった人であるのは、恐らく偶然ではない。秦は当時の中国では文化的に異質の、あるいは遅れて来た国であった筈である。彼等の考えていた「正統なる」時間の超克の方式は、最も素朴な、古典的なものであったに違いない。だから秦人は文字をとらず、阿房宮の方を採った。それ故の焚書坑儒である。
西洋の中世は、静謐な時代であったかのように見える。歴史家はそれに異論を唱えるかも知れぬ。しかし、そこには直感的に静謐な世界が拡がっていることが感じられる。多分それは聖書の中に時間という「魔」が閉じ込められたためであろう。中世の時は絶対的に測られ、聖書という時計にのみ従って流れる。このような「時」の流れる世界に、現代の狂騒はない。
時計はどれを買っても、刻む「時」は同じ「時」である。時が数字で示されようが、針で示されようが、ディジタルであろうが、アナログであろうが関係はない。繰り返し時計を買い求める人の心に、異質の「時」に対する無意識の欲求がない、と言えるであろうか。少なくとも人間の頭数に比べて、現代は時計の数が何故か多すぎることだけは、確かなようである。
中世というのは、迷惑な時代である。厄介至極なものをいくつか準備した。一つは、科学と技術とが結婚するに至る条件である。それが可能となったのは、実はあらずもがなの神学のためである。
人は育って行く時に、まず親の、そして教師の、言の内容を受け取る。しかし、本当に学ぶものはその形式である。言われていることの内容は、結局最後に鼻の先で笑うようになるにしても、行動については親教師のやることを、そっくりそのまま真似て意識せぬ。こういう行動に対しては、やっている当人に心理的抑制がかからぬからである。その意味で形式は常に踏襲される。
中世は、「キリストにまねぶ」時代であった。人々はキリストの言葉の内容に従って生きようとし、あるいはたかだかキリストの如くにあろうとした。しかし、その背後では神学者たちが一段と厄介なことをたくらんでいたのである。それはキリストと神とを合一させ、神を理性で規定しようとすることであった。一神教の世界で、神を理性的に規定したとき、西洋文明の悪疫の如き流行の原因が確立したのである。キリストの如くにあろうとしたように、人は神の如くにあろうとするからである。たとえそれを意図せずとも、そこには心理的な抑制が欠けるからである。教会に行き、初歩の教義を学べば、それが判る。
神は遍在するものである、と彼等は教える。至善の神ですら遍在するのに、人間が空間的に拡がっていけないわけがない。だから西洋人は世界中にひろがり、他人の喧嘩にまで口をはさむのである。
神は全智全能である。神がすべてを知り、かつ至善の存在である以上、この世界に知的な探求をはばむべき心理的な抑制は、一切存在しない。する筈がない。無限の知的な探求は、ただ西洋の人達が「神にまねびた」だけのことである。
神は創造主である。万物を創り給うた。就中、人間を、である。それなら人間がものを創り出すのに、何の遠慮があろうか。それは、至善の神の行為、神によってすでに行なわれたことの、貧弱極まる模倣にすぎない。
このようにして例えば、生物学は遺伝子工学へと最終的に行き着く。それは実験生物学のはじまりから予定された航路にすぎない。だが、むろんその先は無い。そこで西洋文明の活力は尽きる。遺伝子工学が、人間を変更する可能性を論理的に与えた以上は、である。もはや「まねぶ」べき神の属性、形式は尽きてしまったのである。西欧の没落、と西洋人自身が言うのは、それを予感したからに他ならない。
中世に準備されたもう一つの現象は、聖書の中に凍結された「時」の、ゆっくりとした溶解である。凍った「時」はやがて溶ける。生物にとって、そして当然のことながらヒトにとって、時間はエントロピーの増大する方向に向かってのみ流れるからである。因にこれは、渡辺慧氏からの剽窃である。聖書の中の「時」がゆっくりと溶けて行くと共に、「科学」が次第に姿を現わす。
科学が本来西洋文明において、時の超克、という役割を担っていたことは明らかである。それはすでに、科学が宗教の代替物として、一時受け取られるようになったことにも現われている。しかし、表現の上でこれをもっと見事に示しているのは、むしろSFである。「サイエンス」・フィクションである。どうして「サイエンス」なのであるか。それはSFが、科学に担わされた最初の期待を、もはや科学が担いきれぬことが明瞭となった時点において、肩代りする為に出現したものだからである。あるいは科学に対する期待だけが一人歩きしたものと言ってもよい。
SFからタイム・マシンを抜いてしまえば、SFの歴史は無に帰してしまう。物理学者が「タイム・マシンの作り方」という書物を書くことを断念したとき、小説家が同じ題名の書物を書くことになった。結局、文化的、心理的には、科学は元来、時間の超克という役割をも負わされていたのである。アインシュタインの不思議な人気は、それに基因する所が大きい、と言ってもよいかもしれぬ。
古典的な哲学は、「永遠の相下に」ものごとを観照しようと試みた。もし永遠の真実が手に入れば、ピラミッドよりもはるかに費用と労力のかからぬピラミッドである。その望みは結局果されぬことが判ったから、科学はもう少し手数と費用のかかるピラミッドの構築を試みた。手数がかかるから、こちらはもっと、長続きしたわけである。
解剖学を例にとろう。解剖学では死者を扱う。そこには、すでに述べたように、ある一瞬に停止した「生」の姿がある。生物の時を停止させ、その一瞬の相を徹底的に調べあげ、その所見をピラミッドとして構築するのが、古典的な解剖学だったのである。だから、古典的解剖学の体系は膨大なのである。ピラミッドが小さくては話にならぬ。少なくともわれわれは古典的解剖学にピラミッドを連想し、中身はすでにガランドウかも知れぬがともかく、現在でもレンガを積み重ねるのである。医学や生物学の中で、解剖学がもっとも古くから発達しはじめたのはこのような面からも偶然とは言えない。時の超克の上から、最も古典的な手段を用いているからである。現代の解剖学が直面している問題は、実はほとんどすべて、溶け出した「時」に関わる問題のようにも見える。
凍った「時」は必ず溶解する。その岐路を示す人物に、例えばゲーテをとろう。ゲーテは解剖学者でもあり、同時に進化論者でもあった、とされる。古典的にはこれは一種の矛盾である。キュヴィエを見ればそれが判る。
ゲーテが、そのような意味で「古典的」ではないことは、『ファウスト』に明示されている。あらずもがなの神学までを含め、ファウスト博士の学問は、すべて「古典的」である。だからファウストとメフィストフェレスとの約束は、「時の停止」に関するものとなる。「時の停止」という古典的な方法を、いかなる機会であれ、ファウストが再び本心から許容したとき、ファウストは結局元のモクアミに戻る。彼は溶けて消滅してしまうはずの、ピラミッドの世界へと投げ返される。従ってそれは、地獄に落ちることを意味するのである。この作品にタイム・マシンが登場するのは、多分やはり偶然ではない。ファウストはメフィストの用意するタイム・マシンに乗る。これは、この作品に登場する乗り物として、魔女の箒よりも、はるかに似つかわしいものに見える。
何故聖書を奉ずる世界から、進化論が執拗な攻撃をうけたかは以上のことから明らかであろう。進化論は、聖書の凍結していた「時」、そのような「時」の溶解を助ける最後の熱を加えたのである。あるいは、「時」の古典的な超克法に対して、科学の側からの最初の明瞭な反命題を呈示したのである。聖書をたてにして、進化論を排撃した人達は、本当は聖書の字句に拘泥したわけではない。彼等は自分達が何やら価値のあるものを擁護していることは知っていたが、擁護しているものが何であるか、はっきり意識してはいなかったのである。進化論の勝利の結果、時はその文化的意義を失い、無色無臭透明なものに変って流れることになった。従ってそれは、あるいは個人の心理に従って恣意的に流れ、あるいは社会の要請に従ってひたすら速やかにのみ流れるようになったのである。
結局、生物は本質的に時間を超えて存続しようとする存在である。進化というのは、そのような存在としての生物が示す形式に他ならない。ヒトのすることを見ても、当人が意識するしないにかかわらず、それが表現されている、というのがこの話のまとめである。
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形態学からみた進化――進化の要因論と過程論
以下では私は、「形態学からみた進化」という主題について、その前提や背景を考えてみよう、と思う。
もともと自然科学では、前提だの背景だのではなく、主題そのものを論ずべきであろう。前提を論じれば哲学になり、背景を論じれば評論になる。いずれも科学者が本来口を出すべきすじ合いのものではない。
ただ、進化という主題には、「科学」という建て前におさまりきれぬところがあり、似たような事情が形態学にもある。私が大学に入学した当時、「形態学などは科学ではない」という講義をまず受けた。最近では、「観察する、観察する、では科学にはならぬ」と研究用機器の免税申請書の書き直しを命じられたこともある。ひとつには、進化学も形態学も、純粋な実験科学でないところから、こうした批判がおこるようである。
科学がわが国で自然発生したものなら、哲学でも評論でも、おのずから科学とは根を同じくする、と信じられよう。生物の進化と同じで、間にさまざまな移行型が存在してもよいはずである。わが国では、そうとは信じられぬ、というのが心理的事実であるらしい。心理的事実は、事実無根であっても、信ずる者にとっては、厳然とした事実である。したがって、ある種の論考はいつになっても科学ではなく、以下の論考もまた、それに準ずることになるかもしれない。
客観的事実のみを扱うはずの科学においても、真の問題はときに背景にあって、表面に出た問題は、一種の「標語」にすぎぬことがある。建て前の上で「科学」になろうとなるまいと、背景や前提を取り扱わざるをえぬ事情は多い。
そうした事情を扱う場合、取り扱う側の立場は明らかだ、と思う。問題となる科学的事実とともに、その事実を扱う人間を対象に含めるほかはない。少なくとも人体解剖学が成立するのは、個性とともに、人体の構造には普遍性があるからである。科学的事実を扱い、同時にそれを扱う人間を扱うことに、当然ある一般性をもった法則を予期してよいであろう。科学もまた、人間の営為である以上、人間側の問題をあくまで表面から隠したいわゆる科学的客観性≠フ上で、いつまで科学がやっていけるのであろうか。
形態学の立場とコウモリの起原[#「形態学の立場とコウモリの起原」はゴシック体]
形態学者は、進化の過程は喜んで推論するが、進化の要因は論じたがらない。いいまわしは慎重だが、こうした立場を明示するのは、たとえばA・ポルトマンである。
第一、形態学者は、要因を論じる暇がない。「可視の事実」、つまりみれば誰にもわかるが量ばかりはおびただしい事実を、記載し、整理し、解釈しなくてはならぬからである。この場合、要因論、たとえば自然選択説はほとんど作業の役に立たぬ。これが、形態学者の性向を定める。つまり、右のような要因論への不信と同時に、個々の進化過程にこだわる、一種の瑣末主義を作り出す。
「コウモリの羽はどうして生じたか」という問題がある。これをダーウィンは、自然選択による進化、という自説の難点とみなした。したがって、『種の起原』では、学説の難点に関する章にこの例を挙げる。
とりあえずダーウィンが与えた解は、コウモリはヒヨケザル(皮翼目)に似た滑空型の動物に由来する、というものだった。これはまさしく、「要因ではなく、過程を論じた」わけで、ダーウィンはここでは、自然選択説を奉じる要因論者から、いつの間にかA・ポルトマンの立場に移行している。
他方、今西錦司は、自然選択説を批判する際、しばしばコウモリの例を引き、「羽でもなければ肢でもない」ものがどうして生存に有利か、との印象的な論法を用いる。今西は、ヒヨケザル説も含め、具体的に羽が生成する過程を無視する。今西の暗黙の前提は、この過程を納得がいくように示すのは無理だろう、ということらしい。
要因論にとって、コウモリの例は結局将棋の駒にすぎない。そのこと自体は問題ではなく、都合によって使われたり、使われなかったりするだけである。要因論は羽の生成過程そのものについて、何も示唆しない。こういう瑣末な過程をまじめに扱うのが、つまりは形態学の仕事なのである。
J・D・スミスは、一九七六年、ヒヨケザルからコウモリへの移行を、具体的な図で示した(図1)。大御所A・S・ローマーもヒヨケザル説をとる。同時にスミスは、コウモリは虫を捕えるために年中とび上がっていたから飛べるようになった、というP・ピルロの主張を批難する。しかし、どちらも粗雑な点では似たようなものだ、と私は思う。
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当然ヒヨケザル説を否定する人もある(G・L・イェプセン)。滑空はコウモリの飛行とは全く異なるからである。滑空型は齧歯類、有袋類に多くみられ、十分に成功している。滑空は移動の手段であり、ヒヨケザルは一三〇メートル、ムササビ類では四五〇〇メートル滑空した、という(どうやって測ったか、私は知らぬ)。コウモリがヒヨケザル由来なら、逆も成り立ってよい、とイェプセンはいう。
スミスの描く、ヒヨケザルからコウモリへの移行図は、解剖学者なら首をかしげるであろう。両者の本質的な違いは、コウモリでは手指の骨が伸長し、U〜X指の間にも大きく皮膜が張るのに、ヒヨケザルでは手指は普通で、主に手足の間に皮膜が張ることにある。コウモリでは、発生時に他の動物ではふつう退縮する指間の皮膚が強く発達する。一方、ヒヨケザルの皮膜は、主に体側の皮膚のひだ由来、ともみえる。要は、コウモリには手の強い変形があり、ヒヨケザルにはそれがない。とすれば、上肢と体側の間に張る皮膜が、コウモリの場合と、ヒヨケザルの場合とで、相同か否か、まず問題がある。コウモリの皮膜は、主に手の原基に由来する、と考える方が常識的であろう。これは、解剖と発生から、ある程度わかるはずである。
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ところで、今西のいう「羽でもなければ肢でもない」ものも、考えられぬではない。コウモリについて、羽の起原をいう人たちが一切無視した著明な事実がある。それは、コウモリが倒立することである。コウモリは一生の六分の五を倒立して過ごす。あとはほとんど飛んでいる。
人類学によれば、ヒトは直立することにより、ヒトになった。それなら、コウモリが倒立することによりコウモリとなった、として不思議はあるまい。二本足で倒立すれば、手が空く。この手は、「羽でもなければ肢でもない」他方、手が空かなければ、羽にはなれぬ。花蜜を吸うように特殊化した有袋類Tarsipesが、上の枝からぶら下がって、下の枝の花蜜を吸う写真をみた人は、コウモリの祖先が似たような様子で暮していた、と想像するのに異和感はなかろう。手を不可欠な用途に使用する動物には、相変わらず手がある。ヒヨケザルは両手足で枝にぶら下がる。ナマケモノもまた然りである。
上記の仮説をもし認めれば、以後の仕事は明らかである。形態的な倒立の特徴、特に骨に関するもの、をまず定式化する。ヒトの場合と異なり、コウモリは種数が多く、骨盤の変異は大きい。したがって、一般論は簡単ではない。つづいて、この定式にはまる化石を探すようつとめる。それが形態学の作業である。もっとも、この種の仕事は、昔から真面目にやる人は少ないのである。
種の起原と体制の進化[#「種の起原と体制の進化」はゴシック体]
進化に対する形態学の立場が、右のような「過程論」だとすれば、要因論に対する形態学の見方はどうか。やはり、要因論の成立過程を考え、その適用なり限界なりを理解する、ということになろう。その意味では、「種の起原」という表題の成立と背景は複雑である。ここでは、その一部のみに触れる。
『種の起原』の内容は、二つの異なった形態学上の問題を含む。第一は、むろん「種の起原」そのものであり、第二は「体制の進化」である。両者は当時すでに存在した広義の形態学の二大部門、分類学と比較解剖学とにそれぞれ対応する。進化そのものをも合わせて証明する必要があったダーウィンは、両者を自然選択説という、同じ籠に盛った。
しかし、自然選択説は、種の起原の問題のほうに、はるかに関わりが深い。その由来を明示するのは、ダーウィンよりもウォーレスである。ウォーレスの「サラワク法則」は、「新種形成を統制してきた法則について」であり、結論は「すべての種はあらかじめ存在したごく近縁種から、時間的空間的に共存して由来する」である。この論文を読んだC・ライエルは、ダーウィンの家へ駆けつけた、という。
ウォーレスの次の論文、『変種が無限に原型から離れていく傾向について』が自然選択説をはじめて定式化した。この論文は、今では、自然選択説のみごとな「抄録」として読むことができる。
ウォーレスはH・W・ベイツとアマゾンに赴き、三年を過ごす。帰りに船が沈み、標本をすべて失う。前記の二論文は、より長期にわたるその後のマレー群島滞在時に書いたものである。ウォーレスはいわば採集者であり、研究室での背景はない。彼は昆虫を中心に動物を採集し、重複する標本をロンドンに送って売ってもらい、滞在費を工面した。
ウォーレスはベイツと知り合って特に甲虫に興味をもつ。甲虫は動物の中で最も種類が多く、数十万に達する。各種の差は、外形によく現われる。甲虫の場合、外部形態の多様性は、うまく種数に翻訳されてしまう。種数からみると、甲虫は種の多様性を生存の武器とした一群の動物だ、といえぬこともない。
したがって、ウォーレスの重要な論文が、第一に新種の起原を論じたものであり、第二に自然選択による新種の形成だったのは、一種の必然とみえる。彼が日常接していた世界は昆虫を主体としていたが、論文の字面からそれは読めない。むしろ、脊椎動物の例を列挙する。これはウォーレスが比較的孤独な環境におかれ、自分の考えを説明する相手が少数の素人だったからであろう。わかりやすい例を示す癖がついたのである。ダーウィンの自伝の終りにあるように、クロズジュウジアトキリゴミムシのような例をもち出しても、ふつう誰も何にも納得しないであろう。
比較解剖学は、分類学の「種」に相当する、多様性の量子的単位をもたない。したがって、「体制の進化」は常に連続なものとして捕えるほかはない。連続性に注目するかぎり、選択は生じず、比較解剖学者は、ありうるすべての可能性が実現される、と考える方を好む。そのため研究室の科学である比較解剖学は、自然選択説に対して、ウォーレスが種の起原を扱う場合のような、必然的な関係をもたない。
最近、比較解剖の大著が、たまたま二つ出版された。それぞれ、D・シュタルクおよびE・ヤルヴィクによる。シュタルクは教科書的で、穏健中正であり、したがって発作的に自然選択説を口にする部分がある。ヤルヴィクは頑固に自説だけを記す。ヤルヴィクの立場は過程論のそれであり、シュタルクの中では、今度は自然選択説が将棋の駒にされている。両者を見比べると、進化の過程論も具体的に意見の一致をみるにはほど遠いことがよくわかる。
形態の解釈[#「形態の解釈」はゴシック体]
人は事象の意味をたずねる。これを禁ずるわけにはいかない。形態学という素朴な学問では、これは形の解釈として現われる。
進化学は、しばしば形態上の例をもち出す。コウモリの羽、キリンの首、ゾウの鼻、等々。この場合、各例は進化過程の産物とみなされているが、「同時に」、それとは別の見方からも解釈されている。たとえば、コウモリの羽は飛行のための器官である、云々。
形態から進化を、あるいは逆に進化から形態を論じる場合、こういう形の解釈が必ず顔を出す。進化過程の最終産物、というのも、実は形の解釈の一つだ、とみなしうる。これはあたりまえのことであるが、そのためかえって意識されない。意識されないと、議論が紛糾する。紛糾しないまでも、スレ違い、双方不満足を生じる。したがって、進化と形態を考える場合、形態の解釈の問題は、議論の前提として肝要だ、と私は思う。
形の解釈があえて意識されない理由は、おそらく次のような論理にある。
「形はみれば誰にもわかる。客観的事実といえよう。では形の解釈はどうか。これは明らかに人間側の作業であり、対象の問題とはいえぬ。したがって、解釈はみる人の自由であり、恣意的でありうる。恣意的である以上、解釈は科学にはならぬ」
漠然とこう考えた時代があった、と思う。擬態の歴史をみればわかる。擬態は戦前、わが国の学界へ上陸を阻止された。あれはお話だ、というのである。科学ではない。
形の解釈は自由である。自由であるが、恣意的ではない。自由度が定まっている。この自由度を、先験的に導くことはできない。しかし、経験的に数えることはできる。形態学の歴史は十分長いからである。以下に、それを列挙する。現在のところ、基本的な形の解釈はこれだけだ、と私は思う。
(1)機能的な解釈[#「機能的な解釈」はゴシック体]
機能から形態を解釈するのは、最も一般的である。G・キュヴィエは典型といってよい。解剖学者には、隠れた機能論者が多く、機能解剖学という言葉もある。機能論は目的論だ、としてよい。キリンの首が長いのは、高い木の葉が食べられるからである、または首が長くないと立ったまま水が飲めないからである、云々。
古典的な生理学は、まずこうした個体維持の機能に注目した。この種の機能は、除去実験でわかる(キリンの首なら切らない方がわかる)。個体維持に不可欠な器官を除けば、動物は死ぬ。死ねば、除去した器官は生死に関わる「重要な」器官である。機能的解釈の特徴は、ここにもある。評価を含むのである。
心臓を取れば動物は死ぬ。精巣を取っても死なない。だから心臓は精巣より重要だ、とは限らない。心臓は個体維持に不可欠だが、精巣は種属の維持に不可欠である。つまり、評価の基準が違う。
右の例ならあたりまえだが、例を変えれば誤解は多い。大唾液腺は三種類左右六個あるが、どの五個までを除いても、生存に差し支えない。これを知ったある研究者は、大唾液腺はどれも、さして重要な器官ではない、と結論を出した。もしそう思うならばこの人は、自分の睾丸を除去してみればよい。生存には一向差し支えないが、何か具合の悪いことに気付くであろう。
これが機能論の陥し穴である。機能をあらかじめ推測するための、確実で一般的な方法はたぶんない。構造における機能は偶然の産物だ、というのは形態学者の暗黙の前提である。擬態はまさしくその一例である。
擬態は、情報源としての形態、という機能を認めないかぎり、概念として成立しない。この前提がないかぎり、擬態は形や色の偶然の一致にほかならない。この意味で、擬態は典型的に機能による形の解釈である。
自然選択説は、形態の解釈について、機能論を利用する。ウォーレスが擬態を語るのは、ごく自然である。十九世紀の進化論は、形態学的には、機能的な解釈に基づく進化論であった。
(2)機械的な解釈[#「機械的な解釈」はゴシック体]
この見地から形をみた人の典型は、D・トンプソンである。この人の著書は、形の数学的な解釈で埋まっている。
機能論は生物特有の現象に関わるが、機械論は数学や物理化学を利用し、目的論を排除する。肉眼的な形態学では、扱いづらいゆえか、機械論はふつう機能論の陰に隠れている。
最少の材料で最適な形を片持ち梁について求めると、大腿骨頭の形を得る、という。これは、骨の形の機械的な解釈の典型である。特定の前提をおいて出発すれば、どうしても計算上その形にならざるをえない。この見地からは比較もなく、選択の余地もない。したがって、この見方は直接は自然選択説に役立たない。
機械論のよい例は、モデルによる解釈である。古典的には、椎骨の橋梁説や、眼とカメラの類比がある。橋では力学が、カメラでは光学が支配する。モデルの中では、解釈はあくまで機械論である。神経系のように複雑な構造では、モデルが精巧適切なほど、モデルの複雑さは現実の複雑さに近づく。ある点から先では、理解という面では、何のためのモデルかわからなくなる。D・ヒューベルの仕事は、すでにそれを予期させる。
(3)発生による解釈[#「発生による解釈」はゴシック体]
膵臓には、主膵管と副膵管がみられることがある。元来膵臓は背腹二つの原基から生じる。二本の導管は、それぞれの原基に由来する。
これは膵管の重複に関する発生上の解釈である。発生学そのものの中で議論がどう行なわれようと、成体の形を解釈するのに、発生から説明するのが発生による解釈である。この特徴は、発生をさかのぼったある最初の状態を定め、これを前提におくことにある。最初の状態から成体の状態までの移行は、理想的には繰り返し継続して観察可能である。
(4)系統発生による解釈[#「系統発生による解釈」はゴシック体]
これはむろん、形態を進化過程の最終産物とみなすものである。私の手の骨格は、デボン紀の古代魚Eustenopteronの鰭の骨格から派生する。指が五本あるのは、この先祖が指を五本準備していたからである。有尾類のように四本なら、先祖が違う可能性がある。
発生上先行する型を前提とする点で、この見方は前者と変わらない。ただその過程は、一度しかおこらなかった歴史的過程である。
系統発生は個体発生という四次元現象自体の時間的変化だ、ともみなしうる。発生全体を考えたら、面倒すぎて何が何やらわからないが、部分的にはこれに近い見方から、具体的に論じることもある。発生工学の進歩で、種々の型の動物の創出が可能になるとすれば、過去の動物の発生過程が全く再現不能とはいえないから、このような考え方が部分的に実験科学に育たないとはいえぬ。
(5)つけたし[#「つけたし」はゴシック体]
これらの解釈は、たがいに独立であり、今のところどれが偉い、とはいえぬ。形態学の議論では、しばしば右の四つの解釈が入り組む。一つの形態は、ふつうこれだけの種類の解釈を許す。(1)、(2)と(3)、(4)とは、時間に対する意識が根本的に異なる。ただし、この点を論ずると長くなるから、略す。
このような類の話を、哲学と評する人もある。とてもそういう立派な代物ではない。議論が粗雑なのをみればわかる。実は、われわれが日常行なっている常識的な解釈を数えて、ただ並べただけである。
例をとろう。砂漠に車が置いてある、とする。宇宙人がやってきて、これを見つける。彼らがわれわれと同じ感覚器と中枢の持主であれば、車の形態について、われわれと同じ解釈にいずれ達するであろう。
車の各部分は、相応の機能をもつ(機能論)。車の構造は、むろん機械的な原理に従う(機械論)。部品によってはいくつかがまとめられているが、これは製造工程の都合による(発生による解釈)。アメリカ車だと、月曜と金曜にできたものには、ネジが欠けていたりする(同前)。エンジンは前にあっても後にあってもよいが、たいてい前にある。これは車が馬車の後継者だからである(系統発生による解釈)。
こうしてみると、人間の使う道具は、人間の延長だ、と納得がいく。重要なのはここでは、物か生物か、という区別ではない。生物に付属するか否か、である。生物に付属するものであれば、たとえ「無生物」であっても、生物の刻印をおびる。もっとも、人間の頭で考えて作ったものが、頭でする解釈にあてはまってあたりまえである。
ただ、ときにより問題により、右の解釈から一つをとって、残りは討伐しよう、とする人がある。そのときに使うのは、真理は一つだ、という説である。私は真理の数は数えないが、形の解釈の種類は数える。それは今のところ四つである。
類比としての遺伝子の進化および不確定性原理[#「類比としての遺伝子の進化および不確定性原理」はゴシック体]
進化の要因論は、メンデル以来、遺伝学に鼻面をとられて引き回された。それもあって、形態学者は進化の過程しか論じたがらない。過程論は形態学者の安全地帯である。ポルトマンはメンデルの再発見が進化論とゆく末どう折り合うかを憂慮した青年時代を回顧している。
私のみるところでは、遺伝子の進化とは、おおむね次のようなものである。
「はじめ遺伝子は小さな粒で、親から子にきちんと配分され、サヤの色やマメの大きさなどの単純な形質を決めていた。粒はカチカチで堅そうであり、進化はまだおこらなかった。そんなはずはない、というのでこの粒は多少やわらかになり、ときどき突然変異をおこしてこわれはじめ、ここに進化の可能性がはじめて生じた。突然変異はまずたいていは有害だったので、動きのつかぬことが多く、進化は遅かった。粒はやがてヒモになったが、一遺伝子は一酵素を決めており、逆もまた真だとすると、一酵素には一遺伝子しかなかった。やがて大野乾氏のおかげで、同じ遺伝子が横に重複したり、縦に重複したりしてどんどん増え、中には中立の突然変異をおこすものも生じて、急に進化は加速された。その後、遺伝子の内部にもさまざまな構造が出現するようになり、イントロンとエクソンの区別が生じたことから、真核生物と原核生物という二大グループが、はじめて分離することとなった。分類学の最初の部分が、ようやく現われたのである。さらに、遺伝子よりも大きい単位で、成体にも組換えや欠失のような現象がおこりはじめた結果、進化は今後ますます加速するのではないか、と期待されている」
自分でドグマを作ってはこわすのは、科学者の仕事だから、他人から文句をいうすじ合いのものではない。ただ、形態学は、遺伝子の最終産物の側から物をみる。いちばんの末梢から本質論をみると、こうもみえる、といいたかっただけである。形態学では、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類は、それぞれ異なるカテゴリーだが、遺伝学からはまだ同じようにみえる。遺伝子の高次の構造やふるまいが、よくはわからないからである。発生学の苦労もこの辺にあり、要因論と過程論をつなぐための課題は、たいてい発生学というハキダメに放り込まれてしまう。
発生や進化のように、時間的に形態が変化する系について、要因論と過程論をつなごう、と意図したとする。これは、そう簡単にはつながらない。次に述べるような妙な事情があるからである。
例をとろう。ここに性腺原基がある。これにHY抗原というタンパク質が働くと、原基は精巣に発生し、働かなければ卵巣になる、とする。事実がどうあれ、こういう系が存在する、と仮定する。
そこで、この系のことは、いっぺんすっかり忘れる。忘れた上で、HY抗原そのものを精を出して分離し、一次二次三次構造まで徹底的に調べる、という作業を行なう。
作業が済んだところで、さっきの系を急に思い出してもち出す。驚くべきことに(ちっとも驚くべきことではないが)、性腺原基の複雑さは、HY抗原の構造が明瞭になった分だけ増加したことがわかる。つまり、HY抗原の姿が形の上で明瞭になるほど、相手の性腺原基の姿はそれに釣り合った分だけボケてくる。性腺原基を構成するタンパク質、脂質、糖、等々の分子数、種類、構造、分布などを考えればわかる。性腺原基はさっきから全くいじっていないのに、勝手に姿がボケてしまったのである。
私はこれを、生物学の不確定性原理、と冗談にいうのである。分類学や解剖学の対象なども、いつの間にかすっかりボヤケてしまった。これは、私が老眼になったためではない。誘導物質の研究が常に歯切れが悪いのも、大方この原理のためだろう、と思う。
この原理から生ずる長所は一つある。HY抗原で性腺原基の姿がボケた分に比例して、生物学者の仕事は確実に増えたからである。
こうした変な問題がおこる理由の一つは、分子と性腺原基という、異なるレベルのものを並列したためである。分子遺伝学をみよう。その核心は、特定の塩基配列とアミノ酸との、明確な「対応関係」にある。この場合、対応関係にある両者のレベルは等しい。現代医学で大変にぎやかな免疫学をみよう。抗原と抗体の像が、それぞれどれほどボケていようと、両者間の対応関係は十分信頼できる。
類似の例は、マクロの生物学にも求められよう。K・ローレンツは、ノーベル賞受賞講演で、類比のみを方法として強調した。ローレンツの対象は動物の行動であり、行動はその動物の中枢のプログラムに対応する。他方、類比はおそらく、ヒトの中枢で意識されるこうしたプログラムの型に対応しよう。ヒトの脳が動物の脳の中で最も複雑である以上、動物行動の類比は、おそらくかなり安心してローレンツの頭の中に求めることができたはずである。ここでは、よい対応関係の条件は、あらかじめ進化の過程で用意されていた。
したがって、現代の生物学での成功の要件は明らかであろう。同じレベルの物の厳密な対応関係≠基礎とするか、そのような対応が、ヒトと対象の間で、何らかの仕方で予測される分野を扱うことである。最初に述べた態度の理由は、ここにある。
進化の要因論と過程論の融和が可能か否か、私は知らない。右の原理≠ヘ、今のところこれに否定的である。両者を一緒にしようとするのは、まさしくダーウィンが創始した形式であり、それが真理は一つ、という一神教的世界に由来する強迫観念ではない、とはいえぬ。両者が別なものだ、とすれば、今後の作業は、形の解釈で行なったような仕方で、両者の領分をできるかぎり明確に意識し、画定することだ、ということになろう。これも、まじめにやる人はあまりなさそうである。
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進化は歴史である――G・C・シンプソン『馬と進化』
ウマの顔は、六千万年かかってあれだけ長くなった。もっとも客観性の為に付け加えれば、その間ウマは顔を長くすることに専心していた、というわけでは無論ない。
ヒトの顔は、たぶんもう少し短い年月の間に、どんどん扁平になった。ヒトのように平たい顔をした動物は他にはない、と言っても良いであろう。
そもそもの祖先からはじめて、ウマの仲間の化石を並べてみると、ウマの眼がだんだん顔の後の方へ移って来たことが判る。これは眼玉が移動したというよりは、眼よりも前方の顔の部分が次第に長くなった、と考えるべきなのである。鼻と口、つまり口吻が長くなったのである。顔かたちについてのみ言えば、ウマはヒトとは対照的な変化を示す面白い例である。
私の頭の中では、ウマの顔がどうして長くなったのか、という問いは、ヒトの顔がどうして平たくなったのか、という問いと並列している。著名な進化学者であるシンプソンが、このような問いを気にかけているかどうか、何か説明を与えているかどうか、知りたいと思ってこの本を読んでみたが、説明は無かった。
西洋人は大体顔の長い人が多いから、ウマの顔もさして長いとは思わぬのかもしれぬ。
私は別に難しい議論を期待したわけではない。進化は歴史である、と割り切ってしまえば、必ずしも難しい議論は要らない。進化を論ずる、つまり「論」がはさまるところから、面白い話が厄介な話に変ってしまう。これは昔風に言えば当然ダーウィンの故であるが、現代風に言えばダーウィンを産んだ十九世紀の故でもある。今の人なら、歴史の原則を一言にして言い表わそうなどとは、致底思わぬであろう。原則を押し付ければ、事実は死んでしまう。
シンプソンは真面目な学者であるから、真面目に進化を論ずるところがある。だからふつうの人がこの人の著書を読むとくたびれる。この馬の本は、その点気楽に書かれていて、読み易い。第一、進化という訳題が付してあるが、元来は「馬」という題の本なのである。
ウマの顔が長いのは、飼葉桶に顔をつっこみ易いからだ、という説がある。飼葉桶というのは、ウマの顔に合わせて作ったものであって、その逆ではない。というような議論を、もう少し高級な、やかましい水準で論ずるから、進化の話は時々うるさくなるのである。この種の本では、そういう部分は読み飛ばせば良い、と思う。
町であまり馬の顔を見かけなくなって久しい。筑波大学のようなキャンパスなら、馬で通勤する人があっても良さそうだと思ったが、馬は現代風ではないらしい。いわんや馬の進化を論ずるに於てをや、である。
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「真理は一つ」という誤解――今西錦司『主体性の進化論』・柴谷篤弘『今西進化論批判試論』
この二冊の本の組合せは、大変興味深い。共通点は明瞭だ、と思われる。両書とも、六十数頁目に、たった一カ所しかさし絵がないというのに、昆虫の図が入っているのである。図は柴谷氏の方が立派で、色まで付けてある。虫の好きな人というのは、仕様もないものだ、と思う。ドイツ人は、酒・女・歌、これを好まぬものは一生馬鹿で終わる、というらしいが、私はこの後に「虫」、と追記することにしている。カッコをつけるのは、普通にはなかなか賛成してもらえないからである。いずれもたしかに、男が耽溺するものには違いあるまい。歌というのは、むろん音楽一般のことである。
今西氏の書物のうち、進化に関するもので、私が一番感銘を受けたのは、『主体性の進化論』よりは、むしろ『私の進化論』である。生の意見が直截に表明され、いいっ放しであるが、わかりやすく、訴える力が強い。『主体性の進化論』は、それにくらべると、叙述が随分丸くなったように読める。書き手と読み手の年齢の故かもしれぬ。
「ダーウィンの進化論は私にとって若い頃から、眼の前に立ちふさがった大きな壁であった。いま晩年に達して、私はようやくこの壁が苦にならなくなった」とあとがきにあるのは、その間の事情を著者の側から表現した、ともとれる。「私の進化論はまだ出来上っていない」と今西氏が書いたとき、そこには気持の上でダーウィンの進化論に替るべき進化論が想定されていたはずである。しかし、本来今西氏が闘っていた対象は、進化を論ずるにあたって、ダーウィンないしその後の西洋人が、知ってか知らずか与えてしまった「進化論」という形式であった、と私には思われるから、ダーウィンの内容をいくら批判したところで、最後の満足にたどりつくはずもなかったのである。『主体性の進化論』の中では、闘争の部分は影をひそめる。したがって、進化は所詮歴史である、という言葉が素直に書かれる。
歴史の見方はいくらあっても構わない。しかし、私は歴史全体を単一の法則でくくろうとは思わない。十九世紀以来、こういう暴力的なことをやって、しかもそれを現在でも評価するのは、西洋人の勝手である。ハイエク氏や吉本隆明氏との対談では、今西氏のそれに類した感覚は率直に伝わってくる。もしそうした感覚が背景にあるならば、『私の進化論』など所詮有りうるはずがない。ダーウィン以来の形式にのっとって、内容だけが異なる進化論を追究してみても、納得のいくものがみつかるはずもない。ダーウィン、マルクス、フロイトという「二十世紀の迷信」が、ちょうど手相見や運勢判断が人の歴史と共に常に生きているように、まだ生き残っているからといって、もはや眼に角をたててもはじまらない。そういう感情が、『主体性の進化論』の背景に流れている、といったら読みすぎであろうか。
柴谷氏はいう。「(私は)今西の進化学説のうち、今西が〔ひそかに自負をもって〕これこそおれの学問の個性的な部分と見なしている〔であろうところの〕ものを、〔それはなるほど現実との対応はいいだろうが、そんなことは〕西欧の生物学でも認めていることであると〔いうように〕説こうとしてきた」(〔 〕は評者)。
文章中、婉曲ならびに意地の悪い点を〔 〕で除去すれば、これはこれで一つの見方だと思う。ただ、さんざん西洋の学問に振りまわされて、やっと安心立命の境地に達した老人の書いたものをつかまえて、もう一遍日本語で西洋流に翻訳し直す、という面倒な手数をかける、というのも、御苦労なことだといわざるをえぬ。
『今西批判』の内容のうち、今西氏が元来ほとんど扱わない部分は、発生と進化との関連であろう。この問題は、解剖学者には興味深い主題である。今西氏は、発生過程について、ほとんど触れることがない。自動的な過程だ、とお考えだからかもしれぬ。柴谷氏は、発生を重視する考えをおもちのようである。『今西批判』の中では、例として、キリンの首とゾウの鼻をたまたま挙げておられる。
「キリンの首はなぜ長いか、ゾウの鼻はなぜ長いかという問題は、発生の問題なのであって、現実にこれらの動物が食物をとる段階での調節の問題ではない」
形態の解釈を論ずる場合、多くの人が忘れておられるようであるが、実は少なくとも四つの視点から常に議論を組みたてることが可能だ、と私は考えている。それを、「真理は一つ」という誤解から、一本の統一見解にしぼろうとするため、話が妙になるのである。とりあげる例によっては、一つの視点で議論が尽くされたようにみえることはあるが、意識して掘り出してみると、四つの話が別々に成立するはずだ、とわかる。
キリンの首やゾウの鼻は、「現実にこれらの動物が食物をとる段階での調節の問題」として議論できぬことではない。実際、ゾウの系統発生の専門家にたずねてみると、キャリントンはこの間の事情について、それなりに明快な説明を与えているという。体が大きい動物では、地面の草を喰い、水を飲むために、口が地面にとどく必要がある。そのため、キリンのように首を伸ばしたり、ゾウのように鼻を長くする。ゾウの場合、はじめは頭自体を延長するのであるが、大体からだが大きいのだから、あまり頭が長大になると、頭が重くなる。したがって、結局は頭の短縮、頭骨の含気洞の発達が生じ、その際、鼻は取り残されて長いままに残る。第一、ゾウの鼻が残らなければ、水も飲めず、地面の餌も拾えぬ。
解剖学は、現代でも実験科学(一般には、すなわち「自然科学」)というふりを強いてせずとも済む、少数の分野の一つである。その立場から一言述べさせていただくと、形態の解釈というのは、外側の対象だけの問題ではなく、半分は人間の頭の方の問題である。真理は対象に内在する、と考えるのは自由であるが、実験的ではない形態学の場合、考えている自分の頭を無視するわけにもいかぬ。人間の見方の方から整理してみると、動物の形態を解釈する場合、機能的、機械的、発生的、系統的な視点をとることが、一般に独立に[#「独立に」はゴシック体]可能だ、というのが私の考えである。したがって、進化に関しても、形態を取りあげるかぎり、四つの方向からの議論が成立してよいのであって、どれか一つを正しい、とするのは、その人の得手勝手である。たとえばこのうち、機能的な視点からなら、自然選択は有りえようが、他の三つでは怪しいものである。
論ずれば際限がないが、機械的解釈の例として、ヒト大腿骨の骨頭の形をあげよう。これは片持ち梁として、典型的に力学的な解釈が成り立つとされる。しかし、力学的に至適な形をとる、ということは、負荷が加わる以上、「それ以外の形はとれぬ」ということを意味し、その限りでは選択の入り込む余地などない。しかし、同じ骨頭の形にしても、負荷のかからぬ胎児の時代に、すでに成体の形がほぼなぞらえられてでき上がっているのだから、発生的にあの形を導き出す論理も当然あってよいはずなのである。
ゾウの鼻は発生の問題だ、と決めてしまうところがいかにも「実験科学」風なので、右の叙述はおそらく、柴谷氏が自分を発生生物学者とみてもらいたい、と述べておられるのと同義と解釈すればよいのであろう。
ところで、西欧の生物学にも認められている(かどうかさだかではないが)例として、進化に今西説があるごとく、発生にも今西説があることを追記しておく。ポルトマンの態度がそれらしく、例として哺乳類の精巣下降をあげる。
「この現象を説明しようという場合には、たいてい個体発生の事情から出発し、精巣の脱出ということを種々の発生過程の結果として叙述する。だがこういった説明の試みは、これら個体発生機構の成り立ちそのものが、精巣の脱出に役立つようにできている[#「個体発生機構の成り立ちそのものが、精巣の脱出に役立つようにできている」はゴシック体]のであって、その〈原因〉ではない、ということを看過している」(脊椎動物比較形態学(島崎三郎訳)、太字は評者)。
つまり、精巣下降は発生現象としては、いわばおこるべくしておこる、というのである。時間とともに変化する生物の形態をどう解釈するかは、いまだその視点に一般の一致をみない。その場合、一つの鮮明な立場は、今西氏やポルトマンのごとく、「成るべくして成る」というもののようである。
いずれにせよ、億という年月にわたりあらゆる生物現象を包含するのであるから、進化を論ずる、というのは随分大変なことである。私も一度やってみようとしたことがあるが、十四字で力が尽きてしまった(「進化と進化論」)。日本語で書くなら、十七字か三十一字が適当ではないか、と思うこともあるが、十四字ではどうにもならぬ。柴谷氏が指摘されておられるように、わが国では、あえて何も語らぬ人が多いことを考えると、先達としての今西、柴谷両氏のエネルギーは、ともあれ敬服すべきものだ、と私は常に思っている。
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進化を見る――D・アテンボロー『地球の生きものたち』
私が学生だったころ、「哲学者とは緑の野原で枯れ草を食べている人たちだ」という言葉を教えられた。同じような事情は、ずい分前から、生物学へ引っ越して来たように思える。
この本は、進化という過程をたて糸にして、地球にすむ生物という緑の野原を、数十葉のみごとな写真を含めて、紹介したものである。写真を見ながら話の筋にそのままついて行けば、生物の歴史が実際の順序ですなおに頭に入って行くようにできている。実験室でもっぱら枯れ草を食べている生物学者とは違って、著者のアテンボローは、珍しい動植物や化石を見るために、世界中を駆けまわった。何ともうらやましい限りである。
原著はBBC(英国放送協会)の同名のテレビ番組に並行して書かれており、いわばテレビの台本みたいなものである。ところがこの台本が、なみの台本でないことは以下に紹介する通りである。番組の方は取材に約百万ポンドかかっている、というのが訳者日高敏隆氏の解説である。番組自体は、ついこの間まで、NHK教育テレビジョンで土曜八時に連続放映していた。御覧になった方もあろう。
全体は十三章に分かれ、テレビの十三回分に対応している。著者はまず生き物の多様性から説き起こす。ここでは、グランド・キャニオン、イエローストン公園、スペリオル湖、南オーストラリア、と至る所に著者が現われ、生命のごく古い形態をあらわす化石や現生の生物を紹介する。取りあげた地方を見ると、どれもアングロ・サクソンの人たちが住む土地である。自然誌においては、大英帝国はまだまだ死んでいない。つづいて無脊椎動物の歴史にうつり、さらに森林の形成を語る。最初の三章で、動物の活躍の舞台がいかに形成されたかを示すわけである。四章では現代の世界で最大のグループである昆虫を前章に続けて扱う。五章は魚類、六章は両生類で、ひきつづき脊椎動物の陸上への進出が述べられる。さらに爬虫類、鳥類と進んで、最後の四章を使ってていねいに哺乳類を扱う。最終章はむろんヒトにあてられている。
著者が述べているように、内容は自然誌、つまり現生生物の博物誌を、自然史、すなわち生物がどのような歴史を経て変遷してきたか、という過程にうまく乗せて書いてある。したがって、材料は主として現生の生物であるが、そうした例の選び方や配列の仕方が、自然に進化を解説することになっている。これは当たり前のやり方のようだが、これだけうまくやってみせるのは、やはり大変な芸である。この書物の内容を、学校の教壇から紹介しようとすれば、相変わらず枯れ草の山を積むことになろう。テレビや写真という画像の偉力であり、また存分に材料を世界中から集めた成果だ、と言えるかもしれぬ。
記述の中には、動物の事例が多数挙げられている。引用は概して適切で、解釈は穏健である。著者は、事実に忠実であるという立場を守り、極端な解釈をとらない。現在の博物学の常識を知るのに向いている。時々大切な点では、解剖学上の事項が解説されるが、これも簡にして要を得、全体の記述が最近の自然誌にありがちな生態に流れる所がない。もっともこれは、評者の専門から来る偏見かもしれない。
ただ、一般向きの書物として考えた場合、この本の横書きは、少し行が長すぎないか、と思う。はじめこの本を読もうとしたとき、いくらか抵抗があった。何だかむやみに字がたくさんかいてあるように見えたのである。読みはじめたら訳文の読みやすいこともあって、すぐ終わりまで行ってしまったが、余り予備知識のない人には、ひょっとすると読みづらい印象を与えるかもしれない。もしそうなら、大変もったいないことである。実際、大勢の人に楽しんでもらう価値は十分にある書物だからである。
私自身は、写真よりも、この本全体の構成と記述を好む。したがって、読み易いという印象は特に大切だ、と思うのである。
進化、といえば、進化論を思い起こす人が多いかもしれない。しかし、進化には、二つの大きなとらえ方がある。一つは要因論で、進化がどのようなしくみで起こるか、という問題を解析するものである。自然選択説は、その古典的な例証となっている。もう一つは過程論で、進化の過程は事実上どういうものだったか、を問う。この本は、後者の入門書として、大変すぐれたものである。
進化の過程を扱う書物は、一般に専門的なため、ほど良く概説を行なったものを、私は余り見たことがない。私の子供の頃には、H・G・ウェルズの『生命の科学』がそうした役割を果たしていたのではないか、と思う。今ではその頃にくらべ、生物学の範囲は途方もなく広がり、概説は難しくなった。アテンボローの仕事には、英国の自然誌、自然史の伝統が大きな背景をなしている。こうした書物を見て頂けば、進化を論じる≠謔閧焉A進化を見る&がはるかに興味深い、と思って下さる方も読者のなかにはあるだろう。
他方、進化はつまるところお話だ、という実験家もいるが、それを言うなら、実験はつまるところテレビ・ゲームである。手続きは厳格だが、相手の理屈はいつも同じなのである。ゲームを好むか、お話を好むかは、きっと子供の個性によるのであろう。
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トガリネズミからみた世界――形態から推理する
トガリネズミ(Sorex)の生き方はあまりよく知られていない。この動物は名前こそネズミとはいうものの、食虫目に属する。ラットやマウスのように実験動物として飼育されているネズミは齧歯目に属し、トガリネズミと直接の類縁関係はない。食虫目はモグラやハリネズミを一族とし、その他諸々の何となく曖昧な動物を含む、一群の哺乳類である。
例えばローマーの教科書で哺乳類の系統樹をみると、トガリネズミ様の動物が樹の根元に描かれている。すなわち食虫目のこの仲間は、最古の哺乳類の姿を現代に髣髴させるものとみなされているわけである。系統樹の根元を占める食虫目からは数本の直接の枝が出る。この中の主な二本の枝が翼手目(コウモリ)と霊長目(サル)である。いわゆるネズミ(齧歯目)では、食虫目から現代の齧歯目に至る道程の間に、原始形態を有するネズミの祖先がはさまっていて、われわれヒトのように祖先をたどればそのまま真直ぐトガリネズミにゆき着く、という風にはなっていない。霊長目と食虫目をつなぐ現存の動物はツパイであって、この動物はトガリネズミの仲間が樹上に登ったものとみなすことができる。
トガリネズミという和名はおそらくドイツ語名のSpitzmausに由来する。トガリネズミは北方系の動物で、本州では北アルプスのような高地にしかみられず、したがって古来の日本名がなくて当然なのである。北海道では平地、山地に普通に見られる。一般にこの仲間は欧州からシベリア、北米にかけて拡がっている。本州の低地から南にかけては、類似のジネズミ(Crocidura)を産する。これは子供を連れて歩くときに、第一の子が親の尾の付け根に喰い付き、第二の子が第一の子の尾の付け根に喰い付く、という具合にして、一列に連らなって歩く習性がある。これはジネズミのキャラバン形成と呼ばれる。一度新聞の投書欄にネズミの知恵としてこの光景を紹介した人があったと記憶するが、その人はキャラバンを形成していたのがただのネズミではない、ということには気がつかなかったようであった。
トガリネズミのことは、アリストテレスの博物誌に記されており、咬み傷は有毒であるとの汚名を着せられている。ただしジネズミの仲間は顎下腺が特殊化していて、唾液がある意味で有害であることは確かである。トガリネズミはミミズや昆虫を食べて生計を立てており、マウスの死体なども食べるが、噛む力は弱く、ヒトの皮膚もまず喰い破れない。ダンゴムシを餌にやると、殼が堅くてよく噛めず、丸くなったムシをしばらくしゃぶっていたりして、愛敬がある。
なぜ材料になるのか[#「なぜ材料になるのか」はゴシック体]
トガリネズミのような特殊な動物をなぜ材料に用いるのか? その理由の第一は、上述の比較解剖学的な興味にある。哺乳類の原型に近い動物であり、ヒトとの因縁も浅くないのに、生活や形態が案外知られていないのは、どうしてなのであろうか。第二の理由は、トガリネズミの大きさにある。北海道には四種のトガリネズミを産する。オオアシトガリネズミ(二十グラム)、エゾトガリネズミ(十グラム)、ヒメトガリネズミ(五グラム)、トウキョウトガリネズミ*(二グラム)である。括弧内は成獣の体重を示す。最後の種類は稀なものであるが、世界最小の哺乳動物の一つである。この中で最大のオオアシトガリネズミでも、マウスの三分の二の体重であることに注意されたい。電子顕微鏡で日常用いる倍率は五千〜一万倍であるが、ヒトの全身をもしこの倍率で観察することが可能であったとすると、身長百六十センチの人は八キロ〜十六キロの大きさとなる。それだけの大きさの立体をじっくり観察したら、どの位の時間が必要であろうか。われわれは動物の組織を観察するときに、ある一定の大きさの断片を取り出して固定包埋する。このサイズの組織片に含まれる情報量は動物が小さいほど大きい。体が小さいのに、一応組織器官の一揃いをちゃんと備えているから、構成単位の重複が少なく、観察には便利なことが多い。そのかわり部品の予備が少ないので、小さい動物の寿命は短いのかもしれない。
トガリネズミはさらにいくつかの興味深い生理的な特徴を示す。例えばこの仲間は同体重の齧歯類に換算すると、単位体重あたりの酸素消費が二倍に近いといわれる。すなわち基礎代謝が高い。この理由はよくわからないが、とにかくトガリネズミはむやみに餌を摂っていないといけない動物で、飢えさせるとすぐ死ぬ。組織学的な比較研究の一例としてこの動物を利用した論文では、トガリネズミについては標本の保存が悪く、形態的にはっきりしたことがいえない、と断ってあることが多い。これは代謝が速いこと、したがって多分死後変化が急速にくることに関連した現象かと思う。一方、トガリネズミが厳寒のころに活動しているという観察はいくつかあって、冬眠はしないようにも思われる。このようなせわしない動物が、北海道やシベリアの冬をどうやって越すのであろうか。
さらにトガリネズミは入手が意外に簡単である。捕えるためには落し穴を利用する。トガリネズミのいそうな場所にいき、アキカンとかゴミ入れ、ビールの紙コップなどを埋めておく。夜の十時から十二時ごろ見廻りにゆくと、この中にトガリネズミが墜落している。ただしいそうな場所というのを間違えると何も落ちていない。ヤチネズミなど齧歯目の本当のネズミは、この程度のトラップは何事もなく飛び出してしまう。トガリネズミはこれだけの障壁も乗り越えられない。また、朝まで落し穴にそのまま入れておくと、間違いなく死んでしまう。ヒメトガリネズミのような小さい種類は特に繊細で、生かしておくのが難しい。
野生の動物としてトガリネズミは棲息地では個体数が多いことも考えに入れて、実験動物に最も適したものの一つであろうと私は考えている。実験動物は最近冷暖房完備の建物のケイジの中に入っているが、こういう動物では何かが欠けている。不備なネズミ小屋をもっていて、ときどきネズミに逃げ出され、逃げたネズミが建物に棲みついた経験をおもちの方もあろうかと思う。このようなネズミですら半野性化すると同胞とは驚くほど違った敏活さをみせるのである。感覚器や脳の一部、あるいは唾液腺など、動物が本来の自然環境で暮してゆくには不可欠であるが、実験室のケイジの中ではさして必要でない器官の研究には、野性動物の利用が不可欠であると私は考えている。
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*この和名は変であるが、おそらくyezoensisがyedoensisとなったためと考えられる。例えば同様の例としてトウキョウトラカミキリがある。これも北海道にはいるが、東京では見られない。
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トガリネズミの感覚器系[#「トガリネズミの感覚器系」はゴシック体]
トガリネズミがネズミ≠ニ呼ばれるには、おそらくそれなりの理由がある。この種の動物は色彩が地味で、鼻は何となく尖っており、ヒゲが生えていて、尻尾は長く、薄暗がりを出て歩く。このような動物の生活では視覚はあまり大きな役割を演じない。ヒトは他人を見分ける≠ェ、ネズミは嗅ぎわける=B嗅覚型の動物にとって、派手な色彩は無縁のものである。
トガリネズミの語源は特徴的なその鼻(口吻)にある。口吻は突出し、体の大きさに比して長い。特に上顎が長く伸び出し、鼻孔が先端に開き、下顎はやや後退しているので、口は口吻の下面にある。飼育下のトガリネズミを見ていると、この鼻を絶えず物蔭から覗かせ、ぴくぴく動かしている。つまり鼻であたりを窺う=B
トガリネズミの口吻を吻端から連続切片にして観察してみると、口吻と、その中に含まれる鼻腔の構造がよくわかる(図1a、b、c)。鼻腔が中央にあって、その外側は主として洞毛(ヒゲ)と、洞毛に分布する神経線維で占められている(後述)。鼻腔は前後に長く、先端近くでは鼻甲介の形は単純である。しかし鼻端から二〜三ミリ入ったあたりで、鼻中隔の基底部がふくらみ、横に張り出す。このふくらみの中に腔所があって、感覚細胞が内腔を覆っている。これがヤコブソンの器官である(図1b)。これは嗅覚器(化学受容器)の一つで、爬虫類では割合発達がよく、ヘビでは舌を口中におさめると、ヤコブソンの器官にすっぽりおさまり、舌の先についた物質の臭をこうして感ずるという。ヒトではこの器官は胎児にみられ、後に退化する。トガリネズミのヤコブソンの器官は径〇・五ミリにも満たない小さい嚢であるが、成体にはっきり観察される。この嚢は鼻腔と口腔の双方に極めて細い管を通じて連絡しているようにみえる。
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鼻腔をさらに二ミリくらい入ると、鼻甲介の形は急に複雑さを増す(図1c)。断面では、鼻甲介の作る形はまるで唐草模様のようにみえる。断面がこのような複雑な形を示す立体を考えて、その立体の中に鼻孔からの吸気が流れこむ有様をご想像いただきたい。唐草模様の表面はほぼ完全に嗅上皮で覆われている。すなわち、嗅刺激の受容器である嗅細胞で覆われているのである。嗅上皮の下層には、嗅細胞に由来する嗅神経の束が多数みられ、嗅神経は脳の嗅球に入る。嗅脳は大きく、脳全体のかなりの部分を占める。トガリネズミのヤコブソンの器官を含めた嗅覚系の詳しい吟味はまだ手がつけられていないが、おそらく哺乳類中でも有数のよく発達した系であろうことが想像される。
トガリネズミの生活において、嗅覚が重要な役割を演じていることは、このような嗅覚系の分析からだけ示唆されるわけではない。トガリネズミは側腹部に放臭腺をもっている。放臭腺は雄では極めて大きく、春の繁殖期に肥大し、この頃の雄は大きなお腹を抱えて歩いていて、まるで妊娠中みたいにみえる。放臭腺は独特の臭気を発し、雄がトラップに落ちていると、臭ですぐそれとわかる。雌の放臭腺は小さく、体積で雄の百分の一、肉眼的にはみえない。放臭腺は皮膚腺の特殊化したもので、乳腺と同様皮膚内に生じたものである。したがって皮膚を剥ぐと、一緒にすっぽり取れてくる。この腺は普通の毛と、毛に必ず伴う皮脂腺およびアポクリン汗腺が異常に肥大したものからなる。毛は太く直立して剛毛状となり、腺の分泌物が付着して、何本かが先端でくっつき合い、円錐状の束をなす。この腺の分泌物はフェロモンとしての機能を有することが想像される。興味深いことに、トガリネズミとジネズミでは放臭腺の主体がアポクリン汗腺か皮脂腺かで異なっており、これに伴い顎下腺の分泌性の部分に交叉的に構造差を認める。小哺乳類の顎下腺は、科学的な情報伝達にかなりの役割を演じていると私は推測している。嗅覚を種内の情報伝達に利用している動物の暮しぶりは、ヒトからはなかなか想像が難しいのであるけれども、嗅覚型の動物における分泌腺や膀胱の構造と機能は、一度きちんと見直してみる必要があろうかと思う。
トガリネズミの眼はごく小さい。この動物では視覚はモグラと同程度に退化していると思われる。退化傾向にある眼の特徴として、レンズは丸く厚い。視細胞には杆状体、錐状体が一応揃っている。眼窩は眼球よりはるかに大きく、内部を大きな涙腺が埋める。眼が小さいのに、どうしてこのような立派な涙腺がみられるのであろうか。マウスなどでは眼窩を埋める腺はハーダー氏腺と呼ばれ、分泌物はポルフィリンを含み、螢光を示す。この腺ごと眼球を摘除した動物と、眼球だけを除去した動物を比較すると、松果体のセロトニン含量の日周変動が異なるという報告がある。したがってこの腺は網膜外の光受容になんらかの関係があるのではないか、との考えが提出された。この説の当否はともかく、涙腺は随分大きい。
トガリネズミやモグラの眼が、どの程度物をみられるのか、はっきりしていない。明暗の弁別に対する条件づけはモグラでは可能なことがわかっている。物の動きもある程度わかるのかもしれない。片眼のモグラは、眼のある側の物の動きに若干反応するという。モグラの視神経終末は視蓋前野に終るが、終末の数、位置に個体変異がいちじるしいという。ヘビ類は様々の変った構成の網膜を示すが、これはヘビが一度土中生活を経て再び地上へ戻ったからとして説明しようとする考えがある。モグラやトガリネズミの視覚系は、十分利用されないために様々の遺伝的変異を蓄積しつつあるのだろうか? これらの動物は生後発達の過程において、十分の光が与えられていない可能性があるが、これが視覚系の構造にどのような影響をもたらしているのであろうか。
嗅覚は多種多様な臭を嗅ぎ分ける。しかし方向探知の正確さに劣る。これは気流の状態にもよるであろうし、フェロモンを利用する昆虫などは、微気象まで考慮に入れて棲息場所を選んでいるのかもしれない。だがいずれにせよ、直進する光を媒介とする視覚とは比較にならない。そこで視覚を十分利用しえない動物は、聴覚を利用して方向探知を行なう。
トガリネズミの英名はshrewで、シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」は"Taming of the shrew"である。どうしてじゃじゃ馬とトガリネズミが同名かというと、一方はキイキイと金切り声で悪態をつきたがる女であり、トガリネズミも始終カン高い声を出して、鳴きながら歩いているからである(これは嘘かもしれないが、日大・島崎三郎教授の御教示による)。トガリネズミのこの声は、活動時刻に棲息場所で静かに待っていれば、簡単に聞くことができる。ヒトの可聴域より高い周波数の音も出している可能性が強い。このトガリネズミのキイキイ声*は、この動物の音声が種内の情報伝達だけでなく、音響定位に利用されている可能性を示す。
音響定位とは動物が音を出し、反響を聞くことによって周囲の構造物を認知することである。哺乳類でこの能力のいちじるしいものはコウモリとイルカである。しかし最近米国でトガリネズミの音響定位が実験的に確かめられた。トガリネズミとコウモリの類縁関係はこの稿のはじめに述べたが、音響定位の能力は、両者共通の原型がすでにもっていたのであろう。
食虫類の一部が音響定位を利用している可能性は、実験的に確かめられる十数年前に、中耳の形態的な研究から指摘されていたが、多分誰も注目しなかった。音響定位に利用されるのは、高周波のいわゆる超音波で、コウモリの常用する音はヒトの耳には聞えない。このような超音波をとらえる耳は、中耳の耳小骨や関節の形が特有の変化を示してくる。ヘンソンはこのことを小哺乳類の中耳を比較して論証し、食虫類の一部に音響定位の能力を想定した。
中耳は全くの力学的な音の伝達器官であるから、それが超音波を聞くことに適合すると、低周波の音を聞くのに多少都合が悪くなることが予想される。もし両方の音域を十分聞きうるようにできるなら、そのような様式はとっくに普及していたであろう。一方トガリネズミやモグラのような半地下棲、地下棲の動物は、人の足音のような低周波の振動に敏感であることが気づかれている。それではこのような振動をトガリネズミはどのようにしてとらえるのであろうか。口吻の洞毛ではないだろうか。
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*この音源が声帯だけであるかどうか、確証はない。歯を利用している可能性がないか、調査中である。
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トガリネズミの口吻で最も目立つのは多数のヒゲが生えていることである。オオアシトガリネズミでは左右合せて五四〇本ある。このヒゲは哺乳類に特徴的で、クジラにすら生えている。毛根は大きな静脈洞にすっぽり漬かっていて、したがって洞毛と呼ばれる。多数の神経線維(八十〜百本)が洞毛に分布する。洞毛が欠けているのはヒトだけで、サルには沢山ある。
トガリネズミの口吻は体の先端に位置する。普通の動物はカニと違って前方へ移動するから、体の先端に感覚器が集中する。これが感覚器と、それに伴って発達した脳の位置を決めている。ところがヒトは直立したために、口吻が体の先端とはいえなくなってしまった。われわれは暗闇を手さぐり≠ナあるく。触覚による探索行動はすなわち手に移っている。手に洞毛があってもよいわけだが、なぜかない(手に一本くらい生えている動物もある)。トガリネズミは、手は歩いたり、穴を掘ったりするのに使うので、口吻を手さぐり≠ノ利用する。口吻のヒゲはまずそれによって発達したものであろう。
トガリネズミの洞毛はみごとな立体配置を示す。皮膚表面での洞毛の配列は、いわゆる六角型である(図2)。洞毛は口吻の先端では短く、一ミリメートル足らずで、後方にゆくほど長く、二センチメートルくらいになる。前方からみると、洞毛の先端をつらねた面は、幾何学的な美しい面となっているが、図に示し難い。洞毛間の間隔は後方へゆくほど、したがって洞毛が長くなるほど長い。テレビのUHFのアンテナをお考えいただきたい。
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さて本題へ戻って、この洞毛が低周波の振動をも感じているのではなかろうか、というのが私の推測である。根拠はいくつかある。第一に長さの異なった洞毛が整然と並んでいることである。異なった長さの毛は異なった固有振動数をもつ。洞毛の固有振動数の概算では、数百cpsくらいの値が得られた(東大・岡村弘之教授による)。これはふつうのネズミで顔面三叉神経領域の毛が六十〜三百cpsの振動に敏感だという生理のデータにほぼ一致する。
第二に洞毛の毛包全体の形が、振動系としての洞毛という仮定によく一致する(図3)。振動系には振動するレバー、振動を減衰させるダンパーが必要である。洞毛の構造をこの点から解釈すると、洞毛がなぜ洞毛であるかを理解できる。すなわち静脈洞内の血液は毛の振動に対するダンパーとして働くと考えられる。
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従来洞毛の静脈洞は海綿体とも呼ばれ、洞毛に分布する神経に周囲からの刺激を伝えないための緩衝地帯であり、また勃起の働きを有するといわれてきた。前者の解釈は消極的で、後者の解釈はトガリネズミの洞毛には該当しない。第一に洞毛を立てたり寝かしたりするには、洞毛独自の筋肉が存在する。第二にトガリネズミの静脈洞は動脈が直接には流入せず、静脈叢の一部となっている。すなわち血液の急速な流入による勃起の働きは考えられない。陰茎海綿体からの類推はここには当てはまらない。
毛根に分布する神経は振動の検出器とみなされる。この検出器は毛根の特定の高さに集中する。ここは毛根がその構造上最も自由に動き得る部分である。トガリネズミではこの部分にさらにきわめて特異な形の剛い構造が存在する(図3)。これはドイツ語でRingwulstと呼ばれる。一般の哺乳類ではこの構造は欠けるか、ドーナツ状に毛根をとりかこみ、これといった特異な形はとらず、機能が論じられたことはほとんどない。オオアシトガリネズミのこの構造は左右一対に分れており、各々は落下傘のような形をしている。落下傘のように紐は一組ではなく、二組で、各組は毛根の少し離れた二点に向って集中し、付着する。傘の部分は静脈洞の中に浮んでいる。このRingwulstは内部に径五百ミリミクロンくらいの、すなわち通常の約十倍の太さの、膠原線維を多く含み、他には線維芽細胞のみを含む。したがってこの構造は全く機械的に機能するものと思われ、力学的な性質だけが問題となる。太い膠原線維は軟骨様硬度を示す静脈洞外壁の構成分でもあるので、Ringwulstはおそらくかなり剛い構造とみなしうる。この構造のこのような性状と、特異な形から考えて、Ringwulstはトガリネズミの洞毛が振動系として特殊化を強めると同時に特殊化していった、ダンパーの一つと考えてよいと思われるのである。
洞毛は一本一本のサイズが若干異なっていて、一方毛根の形は互いによく似る。しかも毛の長さから比例配分したように毛根や静脈洞のサイズが変化する。このような受容器は一本一本の機能を問うと共に、全体としてこの毛の集団がどのように働くのか、毛根のサイズや形の相似的変化は何を意味するか、考えてみる必要があったのではないかと思われる。毛の配列にみるUHFアンテナ様の並び方も、受容する刺激の方向探知になんらかの働きをもっていないだろうか。ここに述べた仮説が正しいか否か、将来の実験に待つところが大きいが、以上のような考えが敢えて「洞毛器官」という用語を新造した理由である。
トガリネズミの脳を腹面からみると、三叉神経の太さが驚くべきものであることがわかる(図4)。二本の三叉神経を合せた太さは、延髄の太さの三分の四倍に達する。この神経の大部分が洞毛に分布するので、トガリネズミの顔面からの知覚入力は、洞毛からのものが非常に大きいであろう。一方視神経は極めて細い。脳においては洞毛からの線維は途中三叉神経知覚核、視床の二カ所で中継された後、大脳皮質知覚領の体性知覚野顔面域に投射される。この経路に関する形態的分析は、トガリネズミではまだ手がつけられていない。
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一九六九年、ファン・デア・ルースとウールジィはマウス大脳皮質のこの領域に、彼らが「樽(barrel)」と呼ぶ特異な構造の存在に気づいた。普通脳の切片を作るときは、きちんとタテに切ったり、きちんと横に切ったりする。そうするとこの「樽」はただの縦線になって目立たない。彼らは脳の表面に平行な、横でもタテでもない、つまり斜めの切片を作り、ニッスル染色を行なった。その結果、大脳皮質の体性知覚野顔面域に奇妙な模様が現れるのに気づいたのである。この模様は神経細胞の密集する輪状の部分が、神経細胞の少ない中央の部分をかこむ、大きさの異なる樽″\造の集合からできていた。この樽の集まりの模様をみていると、何とこれがマウスの顔に並んでいる洞毛の配列に酷似しているではないか! その後「樽」に関する仕事がいくつかなされたが、その結果この「樽」一個が、大脳皮質でやはり一本の洞毛を代表している、ということが確認された。
トガリネズミの脳のこの部分を、彼らのように切ってみた仕事はない。しかしもしマウスと同様の構造が脳にみられるならば、左右合せて五百四十個の樽≠ェ、トガリネズミの脳では整然とした六角配列を作って並んでいるはずである。この「樽」の問題はトガリネズミの仕事の今後の楽しみの一つになっている。
視覚に頼らず、音響定位を利用する動物では、三叉神経、それも第二枝がよく発達する場合が他にもある。それはイルカの類である。ガンジス河に棲息するガンジスカワイルカは濁った河に棲むためか、眼はほとんど退化する。この動物の脳をみると、三叉神経がやはり特によく発達する(東大・神谷敏郎博士による)。イルカでは三叉神経第二枝はヒゲではなく、イルカやマッコウクジラの頭を丸くみせている構造――メロン――に集中する。メロンは水圧を感ずるという仮説などが提出されているが、イルカの場合もトガリネズミの場合と同じように、聴覚が音響定位に用いられた場合のなんらかの補助的な感覚受容器として、代償的に第二枝が発達している可能性がないであろうか。トガリネズミと同様に皮膚知覚が本来有している振動覚を利用し、中耳ないし骨伝導系の扱いきれない低周波域の振動受容を行なっている可能性も今のところ否定できないであろう。
洞毛の系統発生は直接には余り論じられていないが、哺乳類に特異な構造として哺乳類内の系統を論ずるときの資料に用いられる。洞毛は神経分布の型においては、ふつうの毛に基本的に一致する。静脈洞の存在は、毛の結合組織鞘にみられる毛細管網あるいは静脈叢の発達したものと考えられる。故に神経支配、血管支配の両面において、洞毛は通常の毛にみられる状態が量的に拡大したものとみなされる。毛根や毛自体もふつうの毛が太くなったものである。ただこのように量的な拡大がおこった背後には、洞毛のおかれている位置の問題が隠されている可能性がある。肺魚ではちょうど洞毛の発達するあたり、すなわち口の周辺に特異な側線系の器官の配列が例外なくみられる。洞毛とこのような構造との間になんらかの関係がつかまれば面白い。
トガリネズミの舌では味蕾の発達は悪い。マウスやラットに較べて、明らかに数が少ない。一方トガリネズミの口吻の腹側には正中に溝がある。この溝の部分には図1aに示すような断面の突起がみられる。この突起は実は切歯乳頭と呼ばれるもので、ヒトを含めふつうの動物では切歯の後方にあるが、トガリネズミでは妙なことに切歯の前にある。この小突起の中へ左右から三叉神経第二枝の枝、鼻口蓋神経が入ってくる。この神経は左右各々百本近い神経線維を含み、線維はこの突起内に終る。神経線維と終末の豊富さからみてこの動物の切歯乳頭は感覚器様の構造と考えられる。この突起の位置は、上下の切歯で物をくわえるとちょうど突起に触れるくらいの場所にある。
トガリネズミからみた世界[#「トガリネズミからみた世界」はゴシック体]
トガリネズミは虫の世界をみているのだと私には思われる。この動物の短い一生、小さい体、食餌、繁殖期における身体の急激な変化、薄暮での活動などが、昆虫の生活を想起させる。トウキョウトガリネズミを原記載後に初めて再発見した北大の阿部永助教授は、この種類をトラップの中で最初に見たとき、「虫がいるのかと思った」そうである。
トガリネズミの世界は、哺乳類よりはるか以前から存在していた昆虫の世界の上に、重なっていったようにみえる。近縁のコウモリは空中へ飛んだが、同じような生活の色合いを今に残し、昼間の世界はトリが占拠しているので、相変らず薄暮に出て歩き、虫を捕えている。ヒトによってはときどき虫を集める性癖がみられるが、祖先の血のなす業であろうか。
トガリネズミの素描はまだはじめたばかりである。トガリネズミの形態を取り扱おうとする理由は先に述べたような具体的な理由だけからではない。もし形態学に独自の方法論があるとするなら、その方法を用いて描かれたトガリネズミは一体どのような姿になるのであろうか。描き手のヘボ絵描きを含め、描き方自体が一つの実験になってくれればよいがと私は思っている。解剖学におけるヒトの画像は、すでに絵具が厚くなり過ぎていて、今のところ難し過ぎる。
生き物を扱う人は二つに分離しているようにみえる。生き物を他者とみるか、同胞とみるかである。他者とみる性向が強ければ、生物の多様性や生物間の差異は自明であり、したがって前提となる。論理による共通性の追究が表面に現われ、いわゆる本質論をなす。ヒトと動物を峻別する伝統に立つ西欧の生物学が大きくこちらに寄るのは故なしとしないであろう。生物を感性的に同胞と認める性向がどこかで刷りこまれてしまった人にとっては、生物の同一性は前提となり、多様性が逆に驚嘆の的となる。
生物はこの地上に一回だけ現れたものであり、唯一度の歴史を経てきた。生物学においては、取り扱う主体も、取り扱われる対象も、同じ長さの歴史的時間の所産であり、同じ法則に従ってでき上ってきたはずのものである。この二つの存在の間に、それ故の何か絶妙な共鳴≠期待するのは誤っているであろうか。もし生物学が他の自然科学から際立った所がありうるとしたならば、このような同胞の間に成り立つ「共鳴」ではないだろうか。
もし以上のようなことが、今後の仕事の中で多少とも活かされることがあるならば、表題にかかげた「トガリネズミからみた世界」は、トガリネズミというレンズを透して私がみた世界という、本来の私の含意を幾分なりとも示してくれるであろう。
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ネズミのヒゲと脳
脳の解剖学はむずかしい。現在、日本の大学の解剖学教室で、神経解剖の専門家が居ないところはあまり無いだろう、と思われる。そのために、脳の解剖は、ますますむずかしくなるのかもしれない。続々と大量の新しい知見が発表されるので、私たちはそれをちらっと見て、戸棚へ仕舞ってしまう。
戸棚には過去数世紀にわたる知見が詰まっている。今度、戸棚をうっかり開けると、せっかく仕舞っておいたものが、ガラガラッと全部こぼれ出て来そうな気もする。そうなったら仕方がないから、こぼれたものの整理にかかる。一般の解剖学は私にとってはそのような段階にある。神経解剖はよく判らない。私には、とりあえず、戸棚に仕舞うものを増やしているようにも思われる。
触覚を代表とする体性知覚は、大脳皮質の体性知覚野に投射される。体性知覚野の各部位が末梢のどの部分に相当するかは、古くから生理学的に調べられている。結論的には、皮質には末梢が本来の位置関係を保ったまま投射されている、ということが知られた。つまり、有名なペンフィールドの図のように、皮質にその動物の体表面を描き込むことができる。たとえば、口の周辺のように触覚の鋭い部位は、皮質では相対的に大きな領域を占める。そのため、皮質に描かれたその動物の顔は、口のあたりが異様に大きくなってしまう。
以上のようなことは、あくまでも生理学的に確かめられたことである。つまり、末梢を刺激すると、皮質の特定の部位に、対応する電気的応答が生ずる。これを繰り返せば、皮質に末梢の地図が描ける。この点に関しては、解剖学者には余りなす術が無かった。すなわち、体性知覚野のある部位を解剖学の標本として取り上げた場合、それが手を代表するのか足を代表するのか、はたまた顔であるのか、標本から読みとることができるわけではなかったからである。
以下にのべる「樽」(barrel)は、その意味では、実は解剖学者が一番望んでいたものを取り出して見せてくれたものである。
一九六九年にウールジィとファン・デア・ルースの二人が、マウスの脳の体性知覚野に奇妙な模様を見出した。この模様は神経細胞が集団を作るために生ずる。皮質は組織学的には表面から六層に分けるが、この模様は第四層にだけ見られる。第四層は、下方にある視床からの入力をもたらす神経線維が皮膚に入って終末を作る部分である。
この第四層を層に平行な切片、つまり脳の表面にほぼ平行な切片を作って観察すると、神経細胞が中央の細胞の少ない部分をかこむように配列していることがわかる。この構造を立体的に考えると、樽のようになっていると見なして良い。樽の壁を作っているのは神経細胞の集団で、樽の中身は視床から皮質に至る神経線維の終末を含む。樽にはフタがあるが、底は余りはっきりしない。
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さて、マウスでは、このような樽が体性知覚野顔面域の第四層をぎっしり埋めている。最も注目すべき点は、この樽の配列が、口の周辺に生えているヒゲの配列にピタリと一致することである。ただちに生理的な実験が行なわれ、樽一個がヒゲ一本を代表することが間もなく確認された。その上、ヒゲの大小は樽の大小として表現されているのである。
解剖学者はついに、皮質に末梢の感覚器と一対一に対応する「構造」を手に入れたのである。網膜と視覚領の対応もみごとなものであるが、私たちはまだ視覚領の一部をとり出して、それが網膜のどこに当たるかを解剖学的に示すことはできない。ヒゲではそれができる。
動物の口のあたりに生えているヒゲは百本位の神経線維を受け、毛根に何種類かの知覚終末を有する感覚器である。ヒゲに至る神経線維は三叉神経節内の神経細胞から末梢へのびた突起であり、同じ細胞から中枢へも突起(軸索)がのびて、その先は延髄の三叉神経主知覚核で終わる。
ここで軸索は次の神経細胞に連絡する。すなわちニューロンを変える。この細胞の突起(軸索)は上行して視床に至り、ふたたびニューロンを変える。視床の細胞からの軸索は皮質第四層に至り、その終末周辺に神経細胞が集まって樽が形成される、というわけである。
ファン・デア・ルースらは樽がマウスでは生後三〜五日の間に出来上がることから、この時期にヒゲをこわしてみた。もし生後三日頃までにヒゲをこわしてしまうと、対応する樽はできてこない。この場合、ヒゲは毛根を電気的に焼くのであるが、ヒゲに来ている神経は傷付くにしても、樽までには間に完全な神経細胞が二つはさまっている。どういうわけで樽の消失が起こるのだろうか。
私たちの研究室では、脳ではなくてヒゲを調べていたのであるが、その結果、上の事実を補強する事実を見出した。それはマウスによって余分のヒゲが出てくる個体が多い系統がある、ということである。特にBALB/c系統では三分の一の個体に余分のヒゲが一〜二本生ずる。このヒゲはある決まった場所に生じ、その意味はだいたいわかっている。
このような個体変異としての余分なヒゲが見られる場合、樽はどうなっているのか。もちろん、あるべき位置にあるべきサイズで、余分の樽が生じてくるのである!
以上のことを別な表現でいえば、皮質における樽形成は完全に末梢依存性である、ということである。余分なヒゲはマウスの顔の片側、時に両側に生じ、これは発生上のいわば出来損い(出来すぎ)であることはほぼ間違いない。遺伝的にはBALB/c系に余分のヒゲが生じ易いという性質はあると思われるが、皮膚ではヒゲを一本増し、脳では樽を一個増やし、途中の神経細胞を必要なだけ増やすような遺伝子はないはずである。故に、ヒゲをこわせば樽は無くなり、ヒゲを増やせば樽が増える。では、ヒゲは皮質に対しどのような命令を下しているのだろうか。
第一の問題は、一本のヒゲに行く、たとえば百本の神経線維は、どうして自分達がある特定のヒゲに行っている、ということを認知するのか、ということである。もし個々の線維(または、その線維を出す神経細胞)がそれをあずかり知らない、とするならば、あるヒゲに行く線維全体はいわば強制的に束ねられ、集団的に行動させられていなくてはならない。それならそのような束が解剖学的に(構造学的に)認められるであろうか。そのような束は延髄から視床への束、視床から皮質への束、としても独立していなくてはならない。そういう風に果たしてなっているだろうか。これは解剖学の出番であって、生理学の問題ではないようである。そこで私たちの当面の課題はこのような「束」探しになっているわけである。
一方、論理的には他の可能性を考えることもできる。皮質にできている樽の集団は、二次元的なパターンである。二次元的なパターンを決定するのには、XとYの価を与えてやればよい。うまいことに、ヒゲの系は神経細胞を二度以上乗り換えている。いわば、ランダムに延髄へ入って来た線維は、三叉神経知覚核でXの価を知らされ、視床でYの価を知らされる。したがって皮質では末梢と同じパターンで配列できる、というわけである。この話は話としては成り立つが、具体的なイメージが浮かばない。これは明らかに解決が生理学の分野に属する、と見られる仮説だからである。
ヒゲと脳との関係は、突拍子もないようであるが、実は、さまざまの興味深い問題を含んでいる。私たちはむしろ、ヒゲそのものに興味を抱いており、ヒゲは実は、サカナに見られる側線器と同系のものである、という仮説を持っている。側線器と脳との関連もそのような眼で見直してみると面白いことになりそうだ、と期待しているのである。
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わが始祖、食虫類に魅せられて
食虫類は、哺乳類の中では比較的興味深い一群で、調べはじめると、何となくつり込まれてしまうところがある。私は、ここ十年間ほど、食虫類から足が洗えないでいる。それも、もともとは他の仕事の片手間に調べているつもりが、だんだん真面目になって来てしまったので、どういうわけでこんなことになってしまったのか、悩んでいるところである。
食虫類に興味を持つ理由はいろいろある。以下にそれを順次述べてみようと思うのであるが、まず公式的見解を述べるならば、食虫類(食虫目)は、系統発生的に真獣類の基幹群と見なされているからだ、ということになる。真獣類は、哺乳類の分類上の単位(下綱または上目)で、その中に現生の哺乳類の大部分、すなわち十六の目を含む。哺乳類のうちで、真獣類に含まれないのは、卵を産む単孔目(カモノハシ、ハリモグラ)と、育児嚢で仔を育てる有袋目(カンガルー他)という、変なグループのみである。食虫類が真獣類の基幹群だということは、つまり食虫類こそヒトを含む一般のまともな哺乳類の祖先型に近くもともとの性質をわりあい良く保存し、他の真獣類は食虫類様の動物から由来した、ということを意味する。食虫類の化石は、すでに白堊紀から知られ、現生の食虫類も、歯や頭骨に比較的古い型を残す。したがって、ヒトを頂点とする哺乳類の成立と進化を解明するためには、食虫類の研究がまず基本となるであろう、というわけである。
私が食虫類に興味を持つのは、右の公式的見解だけからではない。さまざまな実際的な事情もある。解剖学を例にとろう。肉眼解剖学では、古来ヒトが最も調査の行き届いた材料であり、諸国の言葉で「人体解剖学」などという分厚い本が、昔からいくつも出版されている。他方、微細形態学ではマウスやラットを用いることが圧倒的に多いのは、材料が生きた動物でなくてはならず、その上、実験操作を加える場合には、多少とも個体数が必要だから、である。そこで、ある形質の系統進化を考えるような場合、ヒトと齧歯類以外の報告は不十分である方がふつうで、イライラすることが多い。こうした時に、食虫類という材料は、わが国で案外入手し易く、大きさも手頃で、しばしばイライラの解消に役立ち、私にとっては有難い存在なのである。
わが国では、最近食虫類を用いた研究が比較的多く行われる傾向にあり、たとえば解剖学会では、ここ数年間、演題に食虫類を材料とするものが漸増している、という。食虫類の利用が増加している第一の理由は、前記の公式見解にあろう。さらに、食虫類と霊長類とが、ツパイを介して直接に類縁関係がある、と見られることが注意される。第二に、名古屋大学環境医学研究所の織田銑一氏らによる、スンクス(ジャコウネズミ)の実験動物化が成功しつつあることが挙げられる。その結果、実験室での飼育と繁殖がわりあい容易であることが判明したのが、利用の増加に大きく寄与したと思う。第三に、現在の実験動物で手頃な大きさのものが、ラット、マウス、ハムスター、モルモット、スナネズミなどの齧歯類に限定される傾向は望ましくない、と考えるのが私ばかりではないからであろう。本年(一九八一年)の九月二日に、実験動物学会で、「新しい実験動物――スンクス」というシンポジウムが開催され、はなはだ盛会であった。それには、齧歯類以外の適当な実験動物が欲しい、という要求が、大きな背景をなしていたと見られる。現在、一般の生化学的な分析にまで利用し得る程度の個体数を得るのは、まだ容易ではないが、この点は今後、次第に解消されるであろう。したがって、食虫類の利用は、実際的な面で今後どんどん進む、と信じられる。ただし、私は予言者ではないから、絶対にそうなる、と断言するつもりはない。
以上に述べたような理由から食虫類を調べるのであれば、何も悩むほどのことはない。時々利用させていただけばすむことである。しかし、食虫類という対象自体につり込まれるについては、まだ別なわけがある。それは、食虫類が示す性質、私の場合は主に形態、の多様性である。以下にこの点を論じてみようと思う。
食虫類とは何か[#「食虫類とは何か」はゴシック体]
ひと口で言って食虫類の特徴は何であろうか。食虫目というのは、分類学上の概念であるから、この点を明確にするには、分類学の書物を参照するほかはない。その結果、やや奇妙な事実が判明する。すなわち、食虫目の説明は、常にこの目が含む動物群(上科、科)の特徴の説明であって、ふつうそれ以上のものではない、ということである。つまり、食虫類全体をそれでくくることが可能であるような、明瞭な形質は存在しないように思われる。たとえばシンプソンはいう。「食虫類は変化に富むグループであり、論理的に分類することは難しく、きわめて古い起源と分化とを示す」
分類学の始祖リンネの頭の中には、「食虫類」の概念は、まだ存在しなかった。当時知られていた食虫類は、アルマジロやオポッサムやブタと一緒にされていたのである。はじめて食虫類という名を考えつき、食虫類をある程度それとして認知したのはキュヴィエだとされる。こうした歴史から見ても、食虫類はもともと比較的あいまいな、はっきりしないグループであることが判る。シンプソンはさらに、「食虫類とは、一般に原始的な特徴を示す小哺乳類を含めるための屑カゴである」とはっきり述べている。
さまざまな動物の分類を吟味すると、それぞれの大きな群のうちに、多彩ではあるが何となくわけのわからぬ動物種を含む一群がたいていは設けられており、分類学者は一般にこうした群を「屑カゴ」ないし「ゴミ溜」と呼ぶ。「整理学」という書物を参照すると、整理の要諦は、「未整理」という箱を必ず設けることだ、と書いてある。分類が自然に存在する動物群をある一定の見方で整理するものである以上、どのような仕方で自然から群を切り取ったとしても、そこに「ゴミ溜」が残るのは止むを得ず、あるいはむしろ自然なのである。それは、ある特定の見方をとる、ということの当然の帰結、といったほうがよいかもしれない。したがって、このことは、さらに一般にも成り立つかもしれないのである。
たとえば、形態学者が擬態という現象を見せられて当惑するというのも、右の話に類するところがある。なにぶん形態学者は、生物の形態は何らかの内的な法則あるいは必然性の結果として出来上ったものだ、という暗黙の信念もしくは偏見を抱き易いから、擬態のように、形が似る、ということそのものに意味がある、という現象を指摘されると、何となく往生するのである。機能的適応の結果として外形が類似してくる、すなわち「収斂」が起る、というのはまだ許せる。しかし、擬態まではちょっと困る、というのが、大方の形態学者の本音であろうか。つまり従来の形態学の体系は、擬態という現象をその中に自然に受け入れるようにはできていない、と思われるのである。逆に良き形態学者であるほど、そういう現象は取り扱わぬ、といったらよいかもしれない。
食虫類という一群は、分類学者が「ゴミ溜」だというのであるから、食虫類についての説明は、常に具体的に、「これこれの動物を含むグループ」と定義するほかはない。このことは結局、以下に述べるような食虫類の形態に見られる多様性は、まずこの群の成立に関わる大切な問題を含むことを意味する。ただ、この多様性が、食虫類という群を無理に作り出したために生じた、とは私は考えていない。分類学は、論理だけで押して行くと変に見えるところを持っているかもしれないが、パターン認識としては、案外確かなものである。結局、あらゆる動物群は形態の多様性を示すものであるが、食虫類は哺乳類の中でそれをもっともよく表現している、と見られ、むしろこの点が実は食虫類のもっとも興味深い点ではないか、と私は思うのである。
食虫類のいろいろ[#「食虫類のいろいろ」はゴシック体]
現生の食虫目は、全世界で四百種前後を含む、小型から高々中型の哺乳類の一群で、齧歯目、翼手目などについで種類が多い。小さいものは、ヨーロッパの地中海沿岸から北アフリカにかけて見られるSuncus etruscaや、わが国では北海道に局地的に見られるチビトガリネズミSorex minutissimus(最小のソレックスの意)のように、成獣の体重が二グラムを超えない。これらは世界最小の哺乳類と見なし得る。他方、大きいほうでは、餌をやり過ぎたハリネズミが体重一・九キログラムになったという話があるが、まあこの程度が上限といえる。
現生の食虫類は、七つの科を含む。かつて行われたように、ツパイを食虫目に含めると、もう一つ科が増える。このうち、ソレノドン、テンレック、キンモグラ、ハネジネズミは分布が限局され、あまりわれわれが見かけぬ類の動物である。
ソレノドンは、肉食性のやや大き目の食虫類で、ハイチとキューバに各一種を産するが、人間の移入したイヌ、ネコ、マングースなどと競合するため、キューバでは今世紀初頭以降の記録がなく、絶滅を疑われている。ハイチソレノドンは動物園で飼われ、ハーターによれば、餌や水を入れるボウルや置き忘れたホウキなどを巣箱に集める癖がある、という。ソレノドンは「溝のある歯」の意で、下顎の第二切歯に深い溝があり、ここに腺の導管が開く。こんな腺を持つ哺乳類はほかにないから、この腺がどういう腺で、組織構造がどうなっているのかは、後に述べる点にも関連してきわめて興味がある。
テンレック科は、食虫類でももっともよく旧い型を保つ、とされる。マダガスカル島周辺に限局し、この島では若干の適応放散を示す。マダガスカルは白堊紀の終りにはアフリカからすでに分離していたことが知られており、いくつかの動物群でこうした放散が認められる。テンレックは、最後に述べるハネジネズミの一種と共に、過剰排卵を起す哺乳類の一例で、四十個ぐらいの卵を排卵し、これが受精着床するが、妊娠中期には七十五パーセントが吸収されて、生れる仔の実数は減ってしまう、という。
キンモグラ科は、モグラとは異なった食虫類の一群がモグラ同様地下に潜ったもので、モグラやフクロモグラとある程度の収斂を示す。毛皮の金属光沢からこの名がある。分布は主にアフリカ南部に限局される。上肢の腱は穴掘り適応の結果、一部骨化し、中手骨や手根骨はモグラとは全く異なった状態に特殊化する。
ハリネズミ科はわが国には見られないが、ユーラシア大陸に広く分布し、韓国にまで達する。ハリネズミはヨーロッパでは周知の動物であり、幼児向けの絵本にもよく登場する。ウサギとカメの話は、英語圏ではウサギとカメであるが、独語圏ではウサギとハリネズミとなるそうである。食虫類としては大きいほうで、背中にトゲを生やし(ヤマアラシと間違ってはいけない。これは齧歯類である)、トゲの数は推定一万六千本。危険の際には体を丸めてトゲを立て、したがってトゲを立てる皮筋がよく発達し、昔から解剖学者がこの皮筋をどういうわけかよく調べている。韓国では、ハリネズミはキュウリを好む、といい、キュウリ畑を転がり、トゲに刺さったキュウリを盗んで逃げるのだという。ただし、同じ話がヨーロッパにもあり、すでにプリニウスによって記されているというが、所が変ったのでキュウリが果物に変っている。ハリネズミは「食虫」類だから、この話は多分ウソである。もっとも、だれかがトゲにキュウリを刺したハリネズミを見たかもしれぬから、とすればウソではなく、解釈の妥当性の問題である。ハリネズミ科の動物は東南アジアにも見られるが、これはトゲのないグループに属する。再びハーターによれば、ハリネズミは丈夫な動物で、毒物に耐性が強く、ツチハンミョウのようにカンタリジンを含む甲虫を平気で食べ、だれが数えたのか私は知らないが、五十二匹のハチに刺されても平気でいた、という。
わが国に分布する食虫類は、トガリネズミ科とモグラ科のみである。両者は比較的縁が近く、トガリネズミ上科としてまとめられる。以後の記述の便宜上、日本産の食虫類を簡単に第一表に示す。このうち、トガリネズミ科の動物は、いずれも鼻の長い変なネズミ型という外見上の類似にもかかわらず、いくつかの形質が属間で変異し、解剖学的にもきわめて興味深い。そのような形質は、モグラ科ではむしろ安定している。トガリネズミ亜科は北極をかこむ地域に広く分布し、歯の先端が赤く着色する。他方、ジネズミ科は、熱帯を中心にして広がり、歯は白い。歯の着色が何に由来するのかは、よく判らない。
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トガリネズミは寒冷地に適応し、わが国では本州の高山と北海道に見られる。きわめて活動的で、冬眠はしない。越冬中は体長が縮み頭骨の高さが低くなる。これは椎間板の変形や、縫合部での骨吸収によることが知られている。文字通り、「身を縮めて」冬を越す。
スンクスは暑い地方に住み、インドから東南アジア、わが国では五島、奄美、沖繩などで見られる。グアムやマダガスカルにもひろがる。各地産の個体で、染色体数や行動、大きさなどに相違が認められ、種内である程度の多様性をすでに示す。トガリネズミよりずっと大きく、小さめのラットぐらいで、動きはやや鈍い。織田銑一氏の話では、豚小屋に餌入りのトラップをかけると、一直線にやって来るそうである。スンクスに限らず、トガリネズミ科の動物の食物に対する執心は、一般に並々ならぬものがある。
最後のハネジネズミ科は、たいていはあまり利巧そうに見えぬ食虫類の中では敏活で、いわゆる大脳化も進む。古くはツパイとハネジネズミを一緒にして、他の食虫類と対置した。その場合の根拠は、ツパイとハネジネズミには盲腸がある、という点にある。その後、ツパイはふつう霊長目に入れられ、ハネジネズミはゴミ溜にまだ残留しているわけである。ただし、人によっては、独立の目を立てる。この動物は、アフリカ北部を中心に分布し、小さいカンガルー型で、眼がよく発達する。鼻は長く、よく動く。この鼻の形と運動は特異なもので、一見の価値がある。ECフィルムには、ハネジネズミの鼻の動き、テンレックの臭いづけ行動、ジネズミのキャラバン形成、という食虫類の奇妙な行動の記録を含む、面白いものがある。ハネジネズミの一種Elephantulus myurusでも過剰排卵が見られ、六十〜百二十個の卵が受精して四細胞期に至るが、着床部位がなく、結局、二匹だけ産れることになる、という。ただし、他の種ではこういうことはないのが判っているものもある。
以上のような動物群が、外形上はトガリネズミ型、ラット型(ジムヌラ、英名moon rat)、カワウソ型(カワウソジネズミ)、モグラ型(モグラ、キンモグラ)、カンガルーネズミ型(ハネジネズミ)などに分化しているのだから、前述のようにシンプソンが言うのも、まあ無理はないわけである。
腺のいろいろ[#「腺のいろいろ」はゴシック体]
前項までに述べたことは、食虫類自体が、多様な要素を含む群だ、ということである。今度は視点を変えて、顎下腺を例にとり、器官の側から見た食虫類での多様性を見てみよう。特に顎下腺を取り上げるのは、哺乳類に特異な三大唾液腺(耳下腺、舌下腺、顎下腺)のうち、この腺が特に多様な組織構造で知られるからである。話が面倒になるので、先に結論を述べると、顎下腺では、食虫類の一群(トガリネズミ科)での腺構造の幅が、哺乳類全体で見られる特異の幅に匹敵しそうだ、ということである。
顎下腺は、食虫類を除く哺乳類のうち、齧歯類で変った構造を示す。齧歯類の場合、(1)分泌部に一種類の分泌細胞しか見られない(ヒトを含む他の群では二種類、食虫類は後述)。(2)元来、水とイオンの再吸収部位である線条部(導管の一部)に、多数の明瞭な分泌顆粒を持つ(他の哺乳類でも若干の顆粒を見るが、齧歯類のようにひと目で判るほどではない)。
このことから、哺乳類の顎下腺は、大きくヒト型とネズミ型に分けられる(と私は思ったので、以前からそう主張していた)。ところが、トガリネズミ科を見ると、困ったことが判る(第二表)。オオアシトガリネズミはモグラと共にヒト型を示す。ミズトガリネズミは文献上ネズミ型であることが知られる。スンクスを調べてみると、(1)の性質についてはヒト型、(2)についてはネズミ型である。私は、こんな動物がいるとは、夢にも思わなかった。齧歯類を見ている限り、(1)と(2)は常に相並んで出現するからである。そういう場合、両者の相関は、暗黙の前提になってしまう。今考えてみると、両者の並存に論理的な必然性はない。パターン認識の注意すべき点である。
さらに話を面倒にしよう。齧歯類のうちでも、マウスは線条部の分泌顆粒の存在が、テストステロン感受性であることが知られ、したがって、線条部に著明な雌雄差を示す。ところが、ラットでは、雌雄差ははるかに不明瞭である。つまり、ネズミ型にも、この点からは二型ある。さらに、雄マウスの線条部分泌顆粒はNGF(nerve growth factor、交感神経成長促進因子)、EGF(epidermal growth factor、表皮成長促進因子の意であるが、一般的な細胞分裂の促進因子)というタンパクを多量に含み、当然顎下腺での含有量に雌雄差が著しい。ラットでは、こういうタンパクはあったとしてもわずかである。
食虫類の場合、ジネズミでは、線条部のテストステロン感受性は、はっきり証明されている。この点は、マウスに等しい。ただ、分泌物内容は判らない。スンクスでは、線条部の雌雄差は形態的に判る。さらに、最近東大薬学部の上山敬司氏らにより、スンクス顎下腺に明瞭な(マウスと同程度の)NGF活性が見出された。したがって、前記・の性質は、マウスとスンクスで、ある類似を示す。しかし、スンクスの場合、雌でもかなりNGF活性があるらしい。また、細胞や分泌顆粒の様子は、マウスとはずいぶん異なる。
結局、顎下腺では、哺乳類全体を見たときに、目や科で変動する形質が、食虫類では属間で変動する。食虫類がこうした多様性を示す理由が、私の問題であるわけである。さらに、NGFやEGFのように生理活性の高いタンパクが、なぜ大量に、内分泌ではなく外分泌され、しかも雄で沢山作られなくてはならぬか、という事情も、皆目判っていない。ただ、ここで問題にしているような小哺乳類が、いわゆる嗅覚型の動物で、体の他の部位に放臭腺が発達し、顎下腺と放臭腺の構造に特定の交叉関係を見ることから、前記の物質は化学的な情報伝達に一役買っていよう、と私は以前から指摘しているが、証拠はまだ挙がらない。NGFはモルモットやウサギの前立腺からも見付かり、性行動との関係がありそうであるが、これも推測に止まる。ただし、顎下腺の性質の機能的意義と、多様性の起源とは、本来独立の問題である。機能中心主義をとれば別であるが、これは形態のすべてを説明しない。ここではこれ以上論じないが、一方をすべてと思う人がないでもないので、付け加える。
腺のいろいろ――肛門腺など[#「腺のいろいろ――肛門腺など」はゴシック体]
食虫類間で差異を示すのは、顎下腺だけではない。腺の中には、唾液腺と体制上共通の地位を占めるものがあり、やはり哺乳類間でも多大の変異を示す。それは、いわゆる肛門腺である。消化管の前後両端に発生する腺が、構造の多様性を含め、以下に述べるような類似を示すのは興味深い。これは、脊椎動物の体制について、大切な示唆を与える。
肛門腺(独:ProktodealdrŸsen,英:anal gland,ドイツ語名は外胚葉由来の直腸に由来する腺の意)は、唾液腺ほどはよく知られていない。ヒトでは、皮脂腺とは別に、この種の腺の名残りが直腸にあり、導管のみが残ることが多い。痔の際に瘻孔を作る、というので、外科医が興味を持つことがある。一般には、スカンクの臭腺が有名であろう。この腺については、ただし、あまり報告はない。英国の外科医マッコルは、スカンクの臭腺の研究者は「間もなく研究室に孤独で残されているのを発見するであろう」と警告している。
トガリネズミの肛門腺は、構造がきわめて特異である。この腺の導管は、介在部、線条部の分化を示し、唾液腺にそっくりなので、「肛門唾液腺」と呼ばれた。この腺は、スンクスやハリネズミでは全然違う形態を示し、タンパク性と思われる多数の顆粒を持つ分泌細胞が広い管腔をかこみ、導管の分化はなく、一見、原始的な多細胞腺の型を示す。モグラでは、この型の腺の発達は悪く、そのかわり巨大な皮脂腺が肛門周囲をかこむ。このモグラ型は齧歯類に多い。トガリネズミの肛門唾液腺は、丁寧に調べると、二つの型の腺を含み、一方はアポクリン腺であり、しかも二つの型はおそらく互いに移行し得ることが判るが、これ以上は論じる余地がなくなってきた。
食虫類での腺の多様性の例をもう少しだけ、挙げておく。側腹部の放臭腺は、成体の雄で、トガリネズミではおもにアポクリン腺、スンクスやジネズミではおもに皮脂腺である。眼窩のハーダー腺は、トガリネズミとスンクスで、肉眼的位置がかなり違う。これらも、他の哺乳類では、目の単位で変異する性質である。副生殖腺の多様性も、食虫類全体にわたって、著明なようである。ハリネズミでは、精嚢や前立腺にあたる構造の数が多く、このうち外前立腺と呼ばれるものは、重層扁平上皮の分泌部を示し、他の動物のなにに相当するのか、見当がつかない。オオアシトガリネズミはスンクスの半分くらいの大きさであるが、精巣、副生殖腺、陰茎がすべて絶対値でスンクスよりずっと大きい。ところが、輸精管の不動毛の状態や精巣の間細胞の形態などで見ると、スンクスはきわめて特徴的で、トガリネズミはあまり変哲もない。こうした例を挙げていくと、際限がなさそうで、これからゆっくり吟味しなくてはならぬ。
ふたたび多様性について[#「ふたたび多様性について」はゴシック体]
形態学で取り扱う生物の特徴の一つは、形の多様性である。比較解剖学は、元来このような多様性をなんとかまとめようとして、発達して来た。私の食虫類も、ご覧のように、まだ到底まとまらぬ。
ウォーレスやダーウィンのような、十九世紀の博物学者をひきつけ、進化論を形成させる契機となったのは、一群の生物が示す、驚くべき多様性であった。この人たちが、いずれも甲虫に興味を持っていたのは、不思議ではない。甲虫類(鞘翅目)は、現存する生物の目の中で、最大の種数を含み、おそらくその数は二十万を超え、さらに一つ一つの種の外形上の特徴が著しいからである。十九世紀の進化論は、形の多様性を、分類学が確立した「種」という、いわば量子的な概念で取り扱うことにより、昆虫の世界を感覚的な背景として、成功をおさめた。したがって、「種の」起源、だったのである。
形態学で扱う形の多様性では、種に対応するような「量子化」はできていない。脊椎動物では、多様性は種数ではなく、むしろ体制の複雑さと器官構造の分化とに表現される。個々の種には、ずいぶん元手がかかっているのである。このような特徴は、形態形成と深くかかわる。分子生物学は、生物共通の部分について、多くの成果を挙げているが、まだ形態形成についての考え方を確立するに至らない。その点では、ポルトマンのいうように、「可視の世界を不可視の世界に翻訳する」に止まっている。しかし、マクロの生物学もミクロの生物学も、おそらく同じ山に登っているのであって、たまたま登り口が違うだけだ、と私には思われる。
私の目的も、最終的には、哺乳類の体制の成立を理解することにある。この場合、群により多様性を示す性質が、ちょうど種の多様性のような役割を果してくれるはずだ、と期待している。ここで挙げたような、分類学上の階層での群の地位と、器官分化とがずれているような性質ほど、私には興味深く思われる。たとえば食虫類では、これが体制の進化におけるいわゆる「食虫類の原始性」の内容だと思われるからなのである。
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人は慣れる
元旦は大晦日に亡くなられた或る方と二人きりで数時間を過ごすこととなった。死者とは浅からぬ因縁があり、私から特に望んでそのようにさせて頂いた、というわけではない。私の勤務先である医学部解剖学教室では、遺体の引き取り及び保存のための処置はいわば日常の業務なのである。元旦に大学へ病院から連絡があり、故人の遺志により遺体を寄贈したい、とのことであったから、埼玉県の戸田市まで引き取りに伺い、大学へ戻って必要な処置を済ませた。元旦のことゆえ人手が無く、完全に処置を終えるまで私一人で数時間かかったわけである。
こういう場合の当座の処置は、普通それ程手数のかかる仕事ではない。大腿動脈を切開し、これに挿管して血管内にホルマリンを静水圧で流し込む。輸血の状況を想像して頂けばほぼ間違いはない。ただこの日の例では、最初に切開した右大腿動脈の内腔が狭く、用意した管がうまく入らず、左でもう一度やり直したので時間がかかった。相手が生きている人であれば、この辺りで大騒動になるはずのところである。
こんなふうに仕事の話をすると、初対面の人からは「気持が悪くはないですか」とよく訊ねられる。勿論気持は悪い。私共のような職業に就いていると人柄が変ってしまい、死体を見ても何も感じなくなる、というものではない。
しかし何事にも人は慣れる。この慣れというのを説明すると次のようになる。
数学が判らない時に、いちばん判っていない状態では、自分は何が判らないのか、がまず判らない。これを昔から、何が何だか判らない、と言う。しばらくすると、どこが判らないのか、判らない所がはっきり判ってくる。本当に話が判るのはそのあと、である。
死体の場合もつまりは同じことである。はじめはただひたすら気持が悪い。やがて何がどのように気持が悪いのか、見極めがついてくる。
従って、気持が悪いような状態をある程度効果的に避けられるようになる。例えば顔を白布で覆っておく意味が判ってくる。そうなれば心理的には無駄な緊張がとれる。このようにして死体に対する自分なりの気の持ち方ができてくる。それは人によってもいくらか異るはずである。
例えば――子供の頃から私は人見知りが強い。私が処置室で出会う人達は、殆どが見知らぬ人達である。すなわち私はこの人達には初対面である。故に私が遺体に出会って最初に抱く感情は、謂わば人見知りのそれ、である。そこで私は相手にちょっとした会釈をする。そして対人関係における挨拶の重要性を一方的ながら再確認するのである。こうすれば私は気が落着く。もっともその瞬間に相手が挨拶を返したらどうであろうか、とも思うが、未だそういう経験は無い。
親しくそれを経験する、ということが限定されてしまうような情況に関しては、想像が屡々現実を凌駕する。解剖学教室における死体の様相は、大江健三郎氏の『死者の奢り』に詳細に描かれた。氏の描写は実見に基づくものではなく、聞き書きによると推察される。しかしそのために死者のイメージはかえって豊かにふくらんだと思われる。氏の才筆によって水槽の中の死体は活き活きと生き返り、やがて一人歩きをはじめたのである。
すなわち解剖学教室は「死体洗いのアルバイトがあるそうですが」という電話に悩まされるようになった。初めはぶっきら棒に、「そんなものはありません!」と答えていたが、たび重なるので、「どこで聞いたんですか!」と話の出所を追及することにした。ところが「友達に聞いた」という答ばかりで要領を得ない。この手の電話は数年前までひき続きかかり続けたが、無論、死体洗いのアルバイトは当時も無かったし、今も無い。考えてみればこれは芥川賞が解剖学教室という僻地に与えた一つの波紋だったのである。
現在の解剖学教室にはもはや奢れる死者の棲む水槽は無い。そのかわり鋼鉄製のロッカーが整然と立ち並んでいる。嘗ての陰翳はそこに棲んだかも知れない者と共に消えてしまった。遺憾ながら解剖学教室における大江健三郎氏の世界は、我が国の経済の高度成長と共に、どちらかというと手塚治虫氏の世界へと変容してしまったようである。
死者に似つかわしい衣裳すら時代と共に変る。進歩であるか否か、特に考え込む必要もないようである。
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にわか坊主
職業柄、何処か田舎の方に、故人のお骨をお返しにあがることがある。解剖のすんだ方の御遺体を故郷にお返しするのである。
一件であれば、お骨も持ちやすいが、それ以上だとなかなか大変である。ああいうものは、本来、たくさん持つようにはできていない。骨箱というものはわりあい大きな箱であって、二つ持ったら、振り分けにでもしないと、なんとも持ちづらいものである。欲張ってその上にカバンでも持とうものなら、どうにもならない。数年前に、そういういで立ちで出かけたことがある。
自分自身の気持にゆとりのない頃だったから、さてどうなることかと思ったが、実際には、大変気持のよい旅であった。私とは、生前特にご縁のあった方ではない。ただ解剖室でお目にかかったくらいの因縁である。そういう方のお骨を膝にのせて乗り物に乗っていると、不思議な感じがしてくる。
宗教に縁があるわけではないが、念仏でも唱えていなければ、何となく落ち着かないような気もする。骨箱が二つだから、正しく同行三人ということになる。
酒を飲んでホテルに戻っても、黙って私を待っていてくださるらしい。かなりいかがわしい所業があっても、別段批評を受けることもない。こういう点では、生きはいいがうるさいのがそばに付いているより、どれだけせいせいするかわからない。
ご自身の遺志で解剖に来られるような方であるから、お年寄りである。大概のことには、驚かないであろう、と勝手に私は解釈する。この辺が生身の人間が相手では、甘えられぬ所である。実にありがたい。
こういうことをしていると、医者か坊さんかわからなくなる。似たようなものだ、と言えばそれまでだが、やはりどちらも職業になり、専門家になってしまうと、難しいことも多かろう。
直接には何も言わぬが、何かを語らぬでもない人たちの話に耳を傾けるだけで、私には充分である。素人医者、素人坊主が所詮似合いなのであろう。
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虫が好く
世間には虫を好む人がある。私もそうである。こういう人は昔もいたらしい。『堤中納言物語』に記されている。それは、眉毛も抜かず、鉄漿もつけず、髪を耳ばさみにして、虫愛ずる姫君である。日本の中世に、何の予兆もなくだしぬけに現われたこの自然科学者は、賤の男の子どもを召し使い、さまざまな虫を捕えて大小の虫かごに入れる。姫君は虫を眺め、名の無いものには自分で名をつける。
私は文献を探渉して、虫好きには凡そ二つの典型があることを知った。虫を捕える人と、眺める人とである。この二つの型は、ふつうは一個人の中に混淆して現われる。それはすでに、按察使の大納言の姫君に見られた如くである。
吉行淳之介という人に、恋愛についてのエッセイがある。私はこれを読んで一驚した。虫好きの人について書かれたエッセイだと信じたのである。私は女[#「女」に傍点]と書いてある部分を、虫[#「虫」に傍点]と置きかえて読んだ。そう読んで私はこれを良く理解した。この中では、捕えることに情熱を傾ける人はドン・ファン型と記され、手にとって眺める人はカザノヴァ型と呼ばれている。
私は折角論じようとした主題が、既に先人によって完膚なきまでに論じられていることを知って、意気を落した。しかし、この程度のことは科学ではよくあることである。メンデルの論文は、コレンス、ド・フリース、チェルマクの三人が独立に同じ結果に到達することにより、再発見された。昆虫学史における吉行氏の業績を発見したのは、私だと誇って良いのかもしれぬ。
幸い虫という言葉には、女という言葉をめぐるのとまた違った雰囲気がある。敢えて論じてみれば、別な真理が見出されるかもしれぬ。こういう楽天主義こそ科学の歴史を支えてきたものではないか。
ドン・ファンの場合[#「ドン・ファンの場合」はゴシック体]
フェリクス・アルキメド・プーセはフランスの動物学者である。が、こんな人は誰も知らない。この人はアンドレ・ジイドのお祖母さんのまたいとこである。ジイドは幼い頃から虫好きで、親戚もそれを知っていた。だから二十四箱あったプーセの甲虫の標本は、ジイドに遺贈された。しかしジイドはあまり喜ばなかった。ジイドが好きだったのは、自分で虫を捕えて標本を作ることだったのである。
ジイドは吉行分類学におけるドン・ファン型に属する。この虫好きであった作家は、次のように書いている。
「後年、書物でも、音楽でも、絵画でも、私が子供だった頃、生物を相手に味わった、あの生気ある喜びを与えてくれたかどうか、疑わしい」
ふつうはこれは単なる作家の修辞として読み過されるであろう。私はこの一文に、「女でも」とさらに一語を加えて読む。その方がジイドに似つかわしい筈である、と私は思うのである。
生き物を捕えるのは、人間の基本的な情熱の一つである。魚釣りを見れば判る。英国では、釣竿は一方の端に餌がつき、他方の端には馬鹿がつく、という。情熱に駆られた人間は、はたから見ればほぼ馬鹿に見える。虫採りでも事情は同じことである。
カエデという樹木は葉ばかりが名高いが、むろん花も咲く。四、五月の候、赤味の強い、萼ばかりのような花が満開となる。カエデの花には珍しいカミキリが集る。ふつうはカミキリムシというが、虫の心得のある人はムシという語を後につけない。名前が長くなりすぎるからである。
山奥にカエデの花が咲くと、虫が集り、虫を追って人間が集る。虫は羽を使って飛んで来るから、それを待つ。ただ待つのではない。網を掴んでカエデに登り、木の上で虫を待つ。折角虫が飛来しても、網の柄が短いと、網先三寸で逃げられてしまう。そこで継ぎ竿を使う。早い話が釣竿である。
さて、同じカエデでも、大木の方が沢山花が咲く。従って沢山虫が集る。そこで虫好きは大木を選んで登る。大木から落ちるのは簡単であるが、登るのは容易ではない。いったん大木に登りつめて、虫を待つ態勢に入れば、滅多なことでは下りる気など無い。だから木に登る時には網と継ぎ竿とを持ち、さらに昼食の弁当を腰につけて登る。こうして、アカイロニセハムシハナカミキリとか、ヒラヤマコブハナカミキリとか、カエデヒゲナガコバネカミキリとかを捕えるのである。ムシの二字が省略される理由はお判り頂けたと思う。
食べる場合[#「食べる場合」はゴシック体]
釣った魚は食べられるが、虫は食べられぬ、と言って、虫採りを魚釣りの下位に置く人がある。これは所詮あとからついた理屈である。釣った魚は放してやることになっていても、やはり釣る。ただただ釣りたいのに決まっている。
もっとも虫も食べられないわけではない。
人類の遠い祖先はたぶん食虫類である。食虫類については、別のところで真面目に論じたから略す。祖先の頃の記憶はヒトにはもう残っていないかもしれぬ。しかしサルも虫は食べる。
以前家にカニクイザルを飼った。この種のサルは虫をよく食べる。クモの巣を見つけると、パッと手で払い、手のひらにクモを握って口に入れる。一度アシナガバチを追いかけていたが、取り逃がした。その時は痛いとも何とも言っていなかったが、次の時からハチを見ると、横っ飛びに逃げるようになった。最初の時にハチに刺されたに違いない。
チンパンジーも虫を食べる。小枝を使ってアリを吊り上げて食べる話が有名である。もっとも、有名なのは小枝という道具を利用することの方であって、道具の使用の対象である虫の方ではない。
私の手元に、プレイト氏著『オーストラリアのキャンプ技術』という書物がある。その中に、山で食べる物が無くなったらどうするか、という章がある。プレイト氏によれば、幸いオーストラリアの山中では食物に不自由することは無い。まずヘビが出ている。ただしヘビを食べるには、まずヘビを捕えねばならぬ。ヘビは眼は良いが、耳は悪い。しかし大地の震動には敏感である。(確かにその通りである。ヒトでは鼓膜に付着し、音波の振動を内耳へ伝える耳小骨は、ヘビでは下顎の骨に関節する。故にヘビはアゴで振動を聞く。)そこで、ゆっくり静かに近付いて捕える。暑い日には、朝か夕方を選ぶ。涼しい日には、日なたぼっこをしている所を襲うと良い。次に料理法が書いてある。簡単である。頭を取り去り、内臓を除き、洗い、内側に塩をまぶし、背を下にして熱い炭火の上におく。トリと同様の味がする。とある。塩を何処から持って来るかは書いてない。
ヘビのあとに、ウィチュティが出ている。これは甚だ栄養に富み、美味であり、手に入り易い。オーストラリア原住民、すなわちアボリジニーズの好物で、重要な蛋白源でもある。料理法は単純で、生でも食べられる。山の食物の中では一番清潔である。というのはウィチュティの餌は木材に他ならず、しかも木材のみだからである。
プレイト氏の本にはさし絵が入っている。それを見ると、ウィチュティはカミキリ、もしくはタマムシの幼虫の大きい奴であることが判る。
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ウィチュティを生で食べる時には、まず左手を用い、親指と人差し指の間に、しっかりと虫の頭をはさむ。そして右手の親指と人差し指で、肛門の周囲の皮膚をはさみ切る。次に右手で虫をしごいて内臓を捨て、残りにかぶりついて首の所でくいちぎって食べてしまい、指の間に残った頭の部分は捨てる。本当にこう書いてあるから仕方がない。
以上は、ウィチュティの正式なアボリジニーズ・スタイルの食べ方である。プレイト氏は、調理法については具体的に触れていない。
この手の虫は淡いクリーム色をしており、ハチの子の大きいものと思えばよろしい。枯材の中に見付かる。終戦直後、私が小学生の頃、学校の小使さんがカミキリの幼虫をフライパンで煎っていたことを憶い出す。薪を割ると次々に出て来る奴を集めて調理する。やがてやや狐色を帯びて煎りあがる。長い間そばで眺めていたが、御相伴にはあずからなかった。
カザノヴァの場合[#「カザノヴァの場合」はゴシック体]
捕えることも、食べることも、共に能動的な行為である。生物学的にいえば、運動系のできごとであり、主として筋肉が働く。虫好きの他の典型は受容の面に現われる。それはすでに述べたように、虫を眺めること、である。再び生物学的にいえば、これは感覚系のできごとである。主として眼と視覚の中枢が働く。能動といい、受容といっても、その間に上下はない。運動と感覚とは共に生物の基本的な機能だからである。眺めることは、捕えることと並んで、虫好きの基本的な特徴となっている。
世にいう収集家とは、実はほとんどが眺めて楽しむ人である。手元に集ったものを、眼を細くして眺める人である。だから書画骨董は古来収集の対象となる。集めたものを時々とり出しては眺める。眺めて忘我の境に入る。
カザノヴァについて吉行氏は言う。「(カザノヴァの場合は)相手の美しさに触れ、官能の中に溺れることに快楽を見出すわけである。従って(ドン・ファンのように)一度手に入れたら最後、ということはない。官能を味わい尽すには、時間がかかる場合があるからだ」この場合、官能とはもちろん「虫を眺める楽しみ」と訳す。
眺めるという情熱は、場合によっては時間がかかる、というばかりではない。そのもの自身が長く持続するものであるらしい。運動と違って、疲れにくいこともあるかもしれぬ。ファーブルの『昆虫記』を見れば判る。ファーブルは虫を眺めていただけであるが、『昆虫記』はあれだけ長くなった。
ファーブルは手ずから実験を行わなかったわけではない。しかし、余り得意ではなかった。セミの鳴いている木の下で大砲を打ったことがある。セミがケロリとしていたので、セミは耳が聞こえない、と結論した。もっとも大砲というのは、何となく一度は打ってみたい気のするものである。
私の場合[#「私の場合」はゴシック体]
私が虫を集めていることを知ると、収集狂と評する人がある。本人はやや納得が行かぬ。収集狂とは、収集という行為に道ならぬ情熱を感ずる人のことである。私の虫は、捕えて標本にしているうちに、どちらかというとひとりでに溜ったのである。
収集とは、あるカテゴリーに属するものを恣意的に選び、それに属するものをことごとく集めようとする行為である。これは情熱を感ずるには、抽象的にすぎる。多くの場合、収集は情熱の結果であって、動機そのものではない。
但し、私は自分が収集狂と呼ばれても止むを得ぬ状態に陥る場合が、一つだけあることを知っている。それは集まった標本がかなりの数に達し、そこには欠けた種類が殆ど無いということを意識した時に、突然起こるのである。これはまさに、ドン・ファンが自分が誘惑したあらゆる女のリストのなかに、尼が欠けている、と気付いた時の感覚であるらしい。
甲虫の中に、ハムシと呼ばれる一群の虫がいる。おおむね植物の葉を喰べて生活しているから、こう呼ばれる。ハムシの中に、背面に沢山のトゲを生やしたハムシがいる。これをトゲトゲという。私は自分の標本を眺めて数えあげる。カヤノトゲトゲ、カタビロトゲトゲ、キベリトゲトゲ、ヒゴノトゲトゲ、クロルリトゲトゲ。そこで私は突然[#「突然」に傍点]気が付く。この中にはトゲナシトゲトゲが抜けているではないか。トゲナシトゲトゲはカヤのような植物の葉を喰い、珍しく、トゲトゲのくせにトゲがないので、トゲナシトゲトゲという。それから私は急にトゲナシトゲトゲが欲しくなるのである。トゲナシトゲトゲの夢を見るようになるのである。
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虫の楽しみ
昆虫とは、いくつになっても縁は切れそうもない。ただし、以前より暇が無くなったから、十年前に採集した甲虫がまだ紙包みに入ったままである。「近頃虫の方はどうですか」と訊かれた時は、「停年になるのを楽しみにしています」と答えることにしている。
虫の楽しみというのは、判る人にでなくては判ってもらえぬ。もっとも、判ってもらう必要も特にないから、自分で勝手に楽しんでいる。私が楽しんでいるのは、はたの人にも判るらしく、「面白そうですな」とは言うが、その先会話が発展することはまずない。
今、研究室においてあるのはメルボルンで捕えた虫である。はじめて南半球で虫を捕えに出た時は、興奮した。これも判る人にでないと判ってもらえぬであろうが、とにかく捕える虫がどれもみんな、それぞれ初めて見るもの、という土地は、これは天国というより他はない。私は天国に一年間滞在したが、住みつくならあの天国に住みついて虫が取りたい、と思う。
ユーヤンという、変な名前の山がメルボルン近郊にあり、平原にだしぬけにそびえている。春の朝、この山の中で地面にしゃがみこんで虫を捕えていた。背中でドンドンという太鼓のような音がする。当方は虫に夢中だから、後など見ない。一息ついてふと後を向いたら、人間程の背丈のグレイ・カンガルーの一団が、私のすぐ後で二メートルはあろうかという金網を飛び越えている。太鼓の音は、カンガルーが次々着地する音であった。
ポカンと眺めていたら、びっくりしたのは私だけではないと見え、足元には何処から現われたのか、ハリモグラが這い出してきた。手近の棒で突いたら、急に立ち止まって腹の下の土をかき出し、地面に沈み始めた。ハリモグラは地面にもぐるのではない。沈むのである。
虫ばかりは、どうも止められぬ。虫が面白いばかりではないからである。
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われらが内なる「虫」
先月、中国四川省で珍しいアゲハチョウが採集された、という記事が出た。チョウは昆虫の中では、人に好かれるものの代表で、「チョウよ花よ」と世に言うくらいであるから、珍チョウの再発見が新聞紙上をにぎわせても、不思議というわけではない。
これがゴキブリであれば、こうは行かぬ。ゴキブリの方がチョウよりもはるかに種類数が少なく、従って珍しげなゴキブリが発見されれば、やはり事件であろうが、珍ゴキブリ発見の記事は、よほどうまく書かれていないと、没にされてしまうに違いない。
家の中をはいまわるゴキブリはきらわれものであるが、大多数の種のゴキブリは野外に住み、人家には住まない。たとえば、全世界には、三千種をこえるゴキブリを産するが、屋内に発見されるのは、そのうち数十種にすぎぬ。他の二千九百数十種は、謙虚に人目を避け、野外でひそかに生計をたてている。
ウンナンシボリアゲハ再発見の記事が、新聞によっては、一面に写真入りで大きく扱われるという時世を思うと、わが国における昆虫の社会的地位も、ずい分向上したものだ、との感慨にふけらざるを得ぬ。これもまた、世の中の余裕というものであろうか。そう言えば、昆虫の「昆」の字も、わりあい最近わが国の市民権を得たもののようである。
農業に従事する人が減り、団地に住む人々が激増した当今では、人々の生活に昆虫が占める役割もまた、昔と比べて全く様変わりして当然であろう。夜のチョウ、ゴキブリ亭主などという表現の対比は、現代における昆虫の社会的地位を如実に示す、と思われる。
ところで、現実の虫そのものを好むか好まぬかは、それこそ「たで食う虫も好き好き」である。この例や右の例とは異なり、日常の表現の中には、より抽象的な存在としての「虫」が、しばしばそれと気付かれずに登場している。こうした表現から、われわれの祖先が虫というものに対して抱いていた感覚を、吟味してみることもできよう。
虫のように、妙な形をした、何を考えているのか良くわからぬ生き物は、どうも「虫が好かぬ」という人もあろう。この場合の「虫」は、われわれの心の中に居所を占め、判然とした理屈ではうまく表現できぬ、われわれの好悪を決めているもの、なのである。ゴキブリに至っては、その影を見たかと思うだけで「|虫酸《むしず》がはしる」という。短時間の視覚刺激によって、われわれの内なる虫が、何やら酸のごときものを分泌し、心を不快感で満たすらしい。
外で喧嘩をして、口論の上に立ちまわりを演じ、その場はひとまずおさめて帰って来たものの、何となく「腹の虫がおさまらぬ」この虫は、やはり情念にかかわる虫であろう。おさめて当然、と理ではわかっているが、何故か虫の方が勝手におさまろうとしないのである。
こういう時に、はたから余計な口出しをされると、つい他人を怒鳴りつけたりする。怒られた方は、自分のどこが悪かったのか、はなはだ納得が行かぬ。仕方がない、肩をすくめて、相手の「虫の居所が悪かった」とあきらめる。虫が正常のあるべき状態に落ち着いていなかったのだから、やむを得ぬ。ここでも、理には合わぬが、存在することはどうにも認めざるを得ぬ、という「虫」の特性が表現されている。
江戸の昔であれば、こういう喧嘩で腹でも刺され、戸板に乗せられて、虫の息でわが家にかつぎ込まれる。あいにく女房は他出中であるが、外出先で何やら胸騒ぎを感じて、とんで帰って来る、ということにもなろう。これは、何となく「虫が知らせた」わけである。この虫は、SF流に表現すれば、予知能力か何かだろうが、理にはかかわらぬ、超越した心の働き、ということになる。
このように見て来ると、こうした表現に見られる「虫」という存在は、意識的な論理にはならぬが、どうにもならない自律性を持った、われわれの心の中にある一部分を指すものらしい、とわかる。理というものが意識の世界に属するものならば、「虫」が働く世界は、すなわち無意識の世界である。気心の知れぬ意識下の存在を、われわれの祖先達は、いみじくも「虫」と表現したのであろう。
こういう表現をつくり出した古人に、フロイド流の精神分析学について、解説したとしよう。「ほう、そんなものかね」と親愛なる古人は、わかったようなわからぬような顔をするかもしれぬ。あるいは、「人の心をとことん理ではかろうとは、少し虫が良すぎる」、と忠告するかもしれぬ。
この虫がどういう虫か、これはなかなかの難問である。他人から見れば、「虫の良い」当人の論理には、明白な欠陥が見えているのであるが、本人は何故かそれに気が付かぬ。ここでもやはり、虫は正常な論理の働きかけを妨げる何物かとして表現されていることは確かであろう。まったく、虫にもいろいろな虫があるものである。
こうした「虫」に示される古人の表現を、ゴキブリ亭主などという現今の表現と比べてみれば、現代の比喩がいかに即物的で含蓄を欠くかは、歴然としている。どうやら技術文明の発達は、現実のホタルや様々の昆虫たちと共に、心の中の虫までも退治しかけているのであろう。虫の世界のできごとは、決して他人事ではないよ、と私の内なる「虫」は言うのである。
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チョウを見る――海野和男『チョウの世界』
これはチョウの写真集である。だが、ただの写真集ではない。著者は一九四五年生まれとの事で、いわゆる「紛争」の世代に属する。この世代の人は、専門分野で強力な仕事をする傾向があるようにも思う。この世代のもう一つの側面であろうか。
この写真集を、子供を含めて何人かの人に、何も注釈を加えずに見せてみた。はじめページをパラパラと繰る人もいたが、やがてひき込まれ、黙って一枚ずつページをめくる。そのパターンが妙によく似ているから、見ている方がおかしくなった。
凝った写真集であることは、これだけでもわかる。順ぐりに、個々のチョウの、形の上での特徴を示す写真を並べたのでは、こうはいかない。チョウ気違いでもないかぎり、すぐに飽きがきてしまう。
じつは私は、はじめかなり違和感をもって、この写真集をながめた。それなのに、何度かながめ返しているうちに、どんどんこの写真集にひき込まれた。しかも、個々の光景が、やがて頭の中に焼き付いてしまったのである。
非常に特異な瞬間が撮られている写真がある。吸水中のチョウが、他方では水を同時に排出している姿が捕えられている。スソビキアゲハや、ヒメシロオナガタイマイである。こんな連中は、わが国でお目にかかるわけにはいかない。マレーシアでの観察である。
そうかと思うと、クヌギの古木に、オオムラサキが集まっている。よくよくながめてみると、中央では、スズメバチがアオカナブンと頭を付き合わせているらしい。わきの方にも、もう一匹スズメバチがいる。子供のころの光景が、つぎつぎによみがえってくる。ヘビの死骸に、イチモンジチョウが三匹とまっている。「チョウよ花よ」のチョウとは、とうてい思われない。ベッコウヒラタシデムシやらハイイロハネカクシやらが、いっしょに写っている。ふつうの人なら、汚らしい虫どもめ、というところであろう。私にとっては、旧知にめぐりあえて、ありがたい。
今度は、カワカミシロチョウが何頭も連なって飛び、その軌跡が蝶道を示す。熱帯でのチョウの豊富さにより、いわば時間的な存在である蝶道が、シャッターの切れる一瞬の時を利用して、空間的な表現として固定される。地図の上に、船や飛行機の航路が引いてあるが、写真で蝶道を示そうというのは、人工衛星から写真を撮り、たくさんの船がつぎつぎに連なって見えている状況から航路を示そう、というのと原理は同じことになるわけである。理屈のうえでは、こういうこともありうるわけであるが、出して見せろと言われても、かんたんに出して見せられるような代物ではない。
私は元来、チョウの好きな人、つまりよくチョウ屋と呼ぶのであるが、そういう人は多少軽蔑の眼でながめていた。私は甲虫の方が好きなのである。理由はかんたんで、チョウの方がいわば俗受けしたからである。
はじめの違和感の原因の一部は、そこにあったかもしれない。しかし、それだけではない。この写真集は、しばらくながめていないといけないのである。たとえば、写真によっては、チョウが小さく小さく写っており、宝探しのようになっているし、写真によっては、今度はむやみに大きくなっている。
しかし、チョウの世界を私たちが見るとき、心理的な事情はじつはこうなっているのである。チョウにのめりこんだ人にとっては、チョウそのものが前景に出て、チョウばかりが画面を占める。実際のチョウは違う。それは時に点景であり、時にグロテスクな怪物ともなりうる。
チョウを行動学的に扱うおもしろさと、そのむずかしさは、じつはここにも現われている。ある生物の全体像を学≠フ対象としようとするとき、かならず私たちは、自己自身を問われていることに気づくからである。「見る」ことが「学」たりうるためには、自分がどこに立って見ているかを、明確に知る必要があるからである。私も形態を扱っているので、この写真集に表現されたチョウを見たとき、いわばその作業の「つらさ」を想起したのである。それが違和感の大きな原因だったのである。
この写真集をながめた日の夜、私はチョウの夢を見た。フスマ大のチョウが、五島列島の私の旅宿の庭にある梅の木にとまっていた。ふつうの人には悪夢かもしれないが、虫屋にとっては別段悪夢とも思われない。しかし、妙な夢であった。
さらにその翌日、私は亡くなられた磐瀬太郎氏を追憶した。私はチョウ屋にはなりそこねたが、私にチョウを教えてくれたのは、この人である。今まで生きておられ、このような写真集を見られたら、と思う。今昔の感に耐えない。
チョウは現実の利害に、ほとんど関わりをもたない生物である。その割に名ばかりが高い。目立つのである。しかし、そのようなチョウを扱う人の心に、激しい情念が存在することを、私は再び磐瀬氏から学んだ。チョウという生き物は、軽はずみのようでいて、決して軽はずみな生き物ではない。この写真集は、それをみごとに想起させる、と私には思われたのである。
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レオナルドの解剖図展
フィレンツェのコルソ通りを歩いていると、頭の上に街路を横切って細長い幕が宙吊りになっている。展覧会の広告である。「レオナルドの解剖図展、ヴェッキオ宮にて」(一九七九年六月)とある。日本でいえば垂れ幕であろうが、横文字で書いてあるから、縦に垂らすわけに行かない。不便なものである。
レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図は約二百枚ある。ウィンザー・コレクションと呼ばれる手稿の一部で、英国の王室図書館の所蔵である。この解剖図は、去年はアメリカ国内をまわっていると聞いたが、今年はフィレンツェに里帰りしたものと見える。レオナルドは元来フィレンツェ人である。
もっともフィレンツェの町は、レオナルドを相応に遇したとは言えない、という説がある。一四七六年、レオナルドが二十四歳の時、告訴事件があった。レオナルドと、師の画匠ヴェロッキオとの男色関係を批難する内容である。この頃、サンタ・マリア・デル・フィオーレのように大きな教会の柱には、目安箱みたいなものが取り付けてあったらしい。告訴状は無名であった。
蔭間茶屋の伝統を持ち、玉三郎を産む国の住人には、この種の禁忌はよく判らないところがある。よく判らぬがともかく、審理の結果、ヴェロッキオとレオナルドは無罪とされた。それにしても狭い町のこういう住み難さは、時代と国とを問わぬと見える。
メレジュコフスキーは『神々の復活』の中で、レオナルドはこの事件のあと間もなくフィレンツェを去った、とレオナルドの弟子の口を借りて表白している。年表で調べてみると、四年後の一四八〇年に、ヴェロッキオはヴェニスに移る。同年、レオナルドはミラノのイル・モーロ、ルドヴィーコ・スフォルツァに雇われたことになっている。
その後レオナルドはフィレンツェに長く住むことは無い。ただ、一五〇〇年八月から一年足らず、フィレンツェに居り、この間サンタ・マリア・ヌオヴァ病院で解剖の研究に従事したという。従って、解剖図とフィレンツェとの因縁は浅くはない。
レオナルドは晩年の三年間をフランスで過ごし、一五一九年アンボワーズで死んだ。レオナルドの死後、解剖図は何度か所有者を変え、最後に英国へ落ち着いたものと思われる。
解剖は私の専門であるが、図画は苦手である。講義の際に黒板に図を描くと、学生が笑う。笑う図と笑わぬ図があるが、どの図が笑われる図か、描いてみるまでは判らない。何を書いたか判る図だと笑うのかもしれぬ。止むを得ず最近はなるべく他人の描いた図を剽窃して使う。剽窃して権威を保つ。
私は論外であるが、解剖学者は概して絵が上手である。多少共絵ごころのある人が多い。本職の画家と並んで、展覧会に出品する人もある。こういう人は私の理解を絶する。
生き物の形を取り扱う学問は形態学と呼ばれる。解剖は形態学に属する。生き物の形態を視てとり、その本質を洞察するのが形態学である以上、形態学者には絵ごころがあって当り前である。その点、私は間違いなく落第である。私の絵は、小学生の頃から、精神科の医師の参考資料ぐらいにしかならぬ。
教室の後輩は遠慮が無いから、「先生、商売を間違えましたね」という。私だって自意識があるから、その位のことは自分で考えつくこともある。ある時、大学をやめて商売をやろうかと思う、と先輩に相談したことがある。先輩はジロリと私の顔を見て、「君、商売は金を儲けるものですよ。金を費うものじゃありませんよ」と言った。以来転業の望みは果されずにいる。
イタリアに行ったのは、研究会に出席する為である。研究会のおかげで、シチリアの田舎の修道院に十日間閉じ込められた。そのあと勝手に三日ほどの休暇をとって、不案内の道をやっと「花の都」フィレンツェにまで這い出してきたところである。解剖図には恨みこそあれ、義理があるわけではない。
しかし、解剖図の歴史では、レオナルドは天神さまみたいな人である。天神さまの描かれたものとあれば、やはり拝観せねばなるまい。そう考えて私はシニョーリ広場へ向った。
広場に出ると、ヴェッキオ宮は修理中と見えて、壁一面に足場が組んである。心なしかやや薄汚い。しかしイタリアのこういう一見薄汚い建物に入ると、中には一財産が詰まっている。この国は見た目よりは金持ちの国である。本当のお金持は、常に見た目よりも金持である。この国は時々映画の中でまで貧乏臭いふりをして見せる。
解剖図の展示場はヴェッキオ宮の最上階にある。手稿はガラス板にはさんで、両面から見られるように立ててある。五百年の歳月の為に、薄くなった素描も多い。保存上の考慮から、部屋の照明を極く暗くしてあるので、詳細が見づらい。
美術としての解剖図は、すでに充分述べたように、私の論評する限りではない。予想外であったのは、解剖図の大きさである。紙面をいっぱいに使ったものが余り無い。屡々一枚の紙に複数の図が描きこまれている。余白はたいてい文字で埋めてある。
レオナルドの手帳、といわれるものは、二十×十五センチほどの紙を二つに折ったものだそうであるが、解剖図の手稿は折ってないだけで、似たようなサイズである。
小さな図であるから、きわめて細かく描き込んである。どうしてこのような大きさに描いたのか、判らない。現在では印刷することを考慮に入れて、図は少し大きめに描くことが多い。縮小して印刷する。そうすれば出来上りは細かく、精密に見える。私の方にそういう先入観があるのが良くないのかもしれぬ。レオナルドの解剖図は始めから精密である。
紙の値段が高かったのかもしれぬ、などと考えてみる。余り有りそうなことではない。しかし、高い廉いは主観の問題である。ケチな人なら、廉いものでも高いと思うかもしれぬ。
一体この紙は当時どのような用途に用いられたものか。手紙用であろうか、帳簿用であろうか。画家専用であろうか。どのようなサイズで売っていたものか。値段はどの位したものか。容易に手に入ったものか、注文であろうか。
もう少し大ざっぱな問題も気になってくる。解剖は自分の手で行ったのであろうか。あるいは初期の解剖でよく行われたように、執刀者は別にいたであろうか。死体の入手はどうしたであろうか。解剖図は死体の傍で描かれた写生であろうか。いくつかの解剖を行った結果の概念化であろうか。
こういう点を気にしはじめると、際限が無くなる。解剖をやめて、医史学へ転向しなくてはならぬ。
レオナルドの手記から、ある程度のことは判る。遺憾ながら紙のことは書いてない。解剖のことはいくらか詳しい。
サンタ・マリア・ヌオヴァ病院に収容されている老人のことが書いてある。レオナルドはこの老人と会話をかわし、死後この人の遺体を解剖している。生前レオナルドと老人とが、解剖についての話をしたか否か、手記からは判らない。しかし、老人はレオナルドが解剖の研究を目的として病院に出入りしていることを、知っていたかもしれぬ。これはごくありそうなことではないか。この老人は自称百歳であった、とある。現在でも御年寄は、死後の自分の解剖に対して、淡泊であることが多い。私の想像に浮んだのは、レオナルドが解剖に関して、老人の生前に本人の諒承を得たかもしれぬ、ということである。現在の解剖は、司法解剖を除き殆どすべてこのようにして行われているのである。
レオナルドが相当数の死体の解剖を行っていたことは明らかである。その中には老人も子供も、妊婦も含まれている。北イタリアでは、レオナルドが熱心に解剖を行うに至るまで、約二百年の解剖の歴史がある。記録に残された著名な事例は、ボローニャの解剖学者モンディーノ・デイ・ルッツィによるものである。一三〇二年、モンディーノはパドヴァの大学で、公開の解剖を行った。材料は二人の婦人の死体で、女性を選んだのは「より動物に近いから」だった、という話がある。未だ「完全なる人間」を解剖するには、若干のためらいが残っていた、というわけである。
解剖の歴史はルネッサンスの歴史とよく並行している。モンディーノからレオナルドに至るまでの二百年に、どのように人の心に変化が起ったのか、私は知らない。
解剖と、それに対する人の心の動きは簡単ではない。わが国でその間の事情を良く伝えるのは、森鴎外の史伝『伊沢蘭軒』である。鴎外はこの史伝の第三百段に、伊沢榛軒の上書を引用している。藩主阿部正弘に対するものである。この中で榛軒は、蘭医方の三弊事を挙げ、その一として解剖を置く。鴎外の筆致は榛軒に好意的である。「榛軒の解剖を悪む情には尊敬すべきものがある」と述べる。
鴎外を読めば判るから、内容はここに引かない。しかし、榛軒の上書の内容と、鴎外のそれに対する評との二つを考え合せて、我々はこの頃の人達の解剖に対する心の動きを、ある程度理解し得るのである。
解剖図の展示場の隣は、「地図の間」である。部屋の壁には、イタリアを中心とする当時の世界が詳しく描かれている。日本はまだおぼろげな影にしかすぎない。レオナルドの念頭には日本のことなど塵ほども無かったであろう。私はいく分はぐらかされたような気もして、ヴェッキオ宮を出た。
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鴎外とケストラー
学問も人も、いずれは古くなる。何はともあれ解剖学も、古くなった、という点だけは、なかなか他の学問に引けはとらぬ。長生きも芸のうち、ということもないではない。
古来解剖学の領域には、学際的に名高い人が多い。もっともこの場合、解剖学者が学際的な領域を拓いた、というよりは、他の分野で声名高い人々が、解剖学を考究した、と言うべきであろう。
ボローニャの解剖学者、モンディーノ・デイ・ルッツィがパドヴァで公開の解剖を行ったのは、一三〇二年のことである。それから約二百年後に、レオナルド・ダ・ビンチという人が現われた。この人はどういうわけか数十の人体について、熱心に解剖を行い、解剖図を多数描いた。解剖学者のマルカントニオ・デラ・トルレがレオナルドと共同研究を行った、ということになっている。
レオナルドは誰でも知っているが、マルカントニオというのはよく判らぬ。パドヴァとパヴィアの解剖学の教授であった、という。とすると、先達モンディーノの跡をつぎ、学統を守った人に違いない。それなのにレオナルドと並べると、驥尾に付した感じになってしまう。何となく申し訳がない。
もっと後世になると、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという人が、ドイツに現われた。顎間骨がヒトにも見られることを論じ、他方、形態学という言葉を創った。ゲーテと同時代の解剖学者を挙げなさい、と言われても、ふつうの人は思い付かない。わが国でも、上野の美術学校で芸用解剖学の教授に森鴎外という人がいた、ということである。
ところで、近年出色の解剖学書と言えば、吉行淳之介氏の『女のかたち』であろうか。ゲーテに形態学の定義を借りるまでもなく、人体のかたちを取り扱う学問分野は人体解剖学である。
ふつう解剖学の書物は、全巻の半分くらいを解剖図が占める。アンドレアス・ヴェサリウスの大著『人体構造論De humani corporis fabrica』の図版は、チチアーノ一派の画匠の手が加わるもの、と言われる。ヴェサリウスの著書は、近代解剖学の基礎を作った。因みに、この本が発刊された年には、コペルニクスの遺著が刊行され、種子ヶ島には鉄砲とポルトガル人が流れ着いた。レオナルドの解剖図の方は、誰かが大事に仕舞い込んでしまい、やがて再び普く世に流布するまでは、解剖学への直接の影響はよく判らない。
吉行氏の著書は、米倉斉加年氏の描画が巻の半ばを占める。従ってこの書物は、体裁から見ても、古典的解剖学書の趣をそなえる、と言わざるを得ぬ。内容は各項が短いから、ここで紹介するわけにも行かない。しかし、中でも、「みみ」の項などは絶妙と言って良いであろう。外耳の本質、つまり早い話が耳というのはいかにトリトメのないものであるか、を論じて至らざるところがない。
思うに、学際領域の最大の分野は、昔も今も文学と自然科学との間にあるらしい。
ただ困ったことに、人間は物差しが一本でないと困惑する。評価が二本立てでは、社会に混乱をまねく。学際領域の難点はここにある。つまり当該の業績を、相接する二つの領域の、どちらの物差しで計ったものか、それを決める物差しが存在しないのである。従って現実の上では、学際領域というものはとりあえず認められない。これは無論、善悪の問題ではない。
わが国は言霊の幸わう国である。歴史的には「文」の国である。何事も「文」の洗礼を受けなくては、この国に本当には容れてもらえないような気がする。その点でいつも憶うのは、森鴎外のことである。
石川淳氏は文学者としての鴎外を論じ、山崎正和氏は家長としての鴎外を描き、吉野俊彦氏はサラリーマンとしての鴎外を捉える。科学者としての鴎外は、わが国ではどことなく冷遇されている。それは別に、医者としての鴎外を論じる人がない、という意味ではない。たぶん、本を書いても、あまり売れないのかも知れぬ。
鴎外の作品に対する「文」の評価は、芥川竜之介の『森先生』に尽きるかと思う。文人の直感は、「森先生は畢に詩人よりも何か他のものだつた」という結論を引き出した。森先生の歌や俳句は、何か微妙なものを欠いている、とも言うのである。穏当な結論に違いない。何か他のもの、であるから家長にもサラリーマンにも医者にもなる。ただ、この場合、史伝は棚上げにされる。史伝もまた、畢竟、文学とは何か他のもの、なのであろう。
鴎外の学んだ科学は、衛生学である。衛生学の師の一人は、ミュンヘンの衛生学の教授、ペッテンコーフェルである。ペッテンコーフェルは偉い人であるが、変な人である。フランクフルトの水道を改良する計画を立案した。当時ハンブルグやフランクフルトの上水道からは、ウナギが出た、という。この人によって、ドイツの伝染病の流行は、急減した。
ペッテンコーフェルの哲学は独特のものである。年老いて世の中に役に立たなくなった人間は、生きているべきではない、というのである。従って八十三歳の時に、ピストル自殺を遂げた。
コッホのコレラ菌の発見に対して、あれは学説として不十分である、と頑強に抵抗したのも、著名な逸話である。鴎外もこの話を紹介している。ペッテンコーフェルは、コッホのやり方どおりにコレラ菌を培養し、自分で飲んで見せた。フランクフルトで流行る病が、ミュンヘンで流行らなくてはならぬ、という必然性はない、というのが当人の主張である。同じ実験を追試した二人の助手のうち、一人はコレラで死んだ、という話がある。ペッテンコーフェル本人は、軽い下痢をしただけで、熱も出なかった。ピストル自殺をしなければ、この人はいつまで生きたか判らぬ。もっとも下痢の回数は、一日三十五回であった、という。
奇行の原因を性格に求めるのは、一つの解である。社会に求めるのは、他の解である。どちらにしても、このような人物が存在し、敬意を博した当時のドイツ医学界の雰囲気を、鴎外が漫然と通り抜けたはずがない。自然科学というのは、ヒトに一種の中毒症状を起させるのが通例である。それに触れたからには、ペッテンコーフェルのように頑健な体質の人でも、下痢くらいはする。どこかで中毒の症状が出なくてはならぬ。史伝を鴎外の下痢と言ったら、怒られるであろうか。
自然科学でもっとも重要なものは、形式である。方法はこれに含まれる。科学論文は、一定の手続きを踏んで行われた仕事を、一定の手続きで表現しなくては、ふつう認知されない。鴎外が史伝を書いた時に頭にあったのは、たぶん自然科学の方法論であろう。鴎外の動機となったのは、鴎外自身が小説に描いているような、当時の神話と歴史の混淆であろう。
科学の長所は、やり方さえ規定すれば、馬鹿でも一定の結果に到達する、という点にある。若い鴎外は、実学と称して碌でもない論文をつぎつぎ出版する医学界にイライラしていたことがある。きちんとした手続きを守って仕事をする限り、こうしたことは起りようがない。
史伝の執筆は、個人的には、長い間中断した自然科学への欲求不満を、鴎外に解消させる方策を与えたであろう。同時に、史伝に示されたような方法に従う限り、歴史はいずれ正しい像をいわばひとりでに描き出すであろう、と信じたに違いない。少くとも、鴎外の描いたような、大道を空車を引いて歩く大男のイメージは、私にそれを想起させる。科学は方法を呈示すれば、答は向うからやってくる。車の積み荷には、必要なものを必要な人間が積めばよろしい。
一言でいえば、鴎外の後期の作品を読むたびに、私は自然科学者のイライラをしばしば感じるのである。
アーサー・ケストラーに『ヤヌス』という著書がある。この人も変な人で、小説家かとも思うが、生物学にも始終顔を出す。『ヤヌス』は、いわば、ケストラーの考え方をまとめた書物である。この本のはじめに、著者はハンス・ヴァイヒンガーを引用する。ヴァイヒンガーは、かつて鴎外が「かのやうに」の哲学として、その論説を紹介した人である。
ケストラーは文学から起って、自然科学を眺める人である。鴎外もつまりはそのような人であろう。いずれにしてもこの二人が、ふとヴァイヒンガーを想起する、というのは偶然ではないかも知れぬ。文学と自然科学の両方の毒気に当った人には、今のところヴァイヒンガーを対症療法として処方する他ないのかもしれない。ただし、私は医者としては、死んだ人しか診ないから、治療の責任をおうわけには行かない。
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あとがき
ここ数年のあいだに書いた文章が、本になるほどたまってしまった。
もともと何とはなしに頼まれて書いていたのに、これだけたまったのは、原稿の依頼を断わるということが、どうしてもできなかったからだと思う。
ただ、いわゆる自然科学の文章を、日本語で表記したいという気持が、自分の大きな動機だったことも間違いない。
いまでは、専門の論文は、英語で書くように訓練される。それがどうしても納得がいかない、というのが私の正直な気持だった。そこで、ここに載せた文章を書いていた間、日本語でしかものを書かなかった。おかげで損をしたこともあるかもしれないが、一方、いろいろな興味も沸いてきたと思う。
いまさら国粋主義を標榜する気もないし、他人に勧められることでもない。しかし、日常の言語で仕事ができないという状態を百年放置しておくのも、やむを得ないとはいえ、ほんとうにそれでよいかと考えてみると、怪しいところがあるような気もする。
よく評価の問題だから仕方がないという人があるが、外国で評価されるものは、外国の物差に合い、日本で評価されるものは、日本の物差に合う。それだけのことである。もしそれが気に入らなければ、物差を変えるべく努力するのが本来だろうというのが、すこし肩肘張った、私の言い分である。
肩を張ったついでに言わせて頂けば、文化というのは、もともと物差のことをいうのではないだろうか。
フランス人も中国人も、あまり何もしていそうもないようなのに、平然として見えるのは、自分が物差だと思っているからではないかしら。物差自身は、べつに実用になる必要はないのだから。
もちろん物差だけが宙に浮いている、というものではない。物差の基準は、元にもどって、作品である。それがここに提出できたかといえば、それがご覧の通りで、自分でもはなはだ心もとない。
時々おそらく善意で、文章をほめてくださる方がある。しかし、ぜいたくを言うようだが、これもすこし腹が立つ。なぜなら、そこでは、文章と内容という二元論が、とうぜんの前提になっていると思われたからである。もし二元論が正しいとすれば、文章は所詮単なる方法に過ぎない。
そうでなくて、私は、使い慣れた日本語で書くことで、「科学」の内容を何とか変えていけないかと思ったのである。
でも結局、それはまだ果されなかったようである。「まだ」というのは、ご迷惑でしょうが、この先まだ頑張るつもり、ということである。
自然科学の基礎は、およそいまでも、なおざりにされているように私は思う。研究費や待遇の問題ではない。なにより基礎的な考えの問題である。ことばの問題も、とうぜんその一つである。
一般の人たちが、基礎に見向きもしなくても、それは仕方がない。しかし、専門家が科学の基礎を考えなければ、そんなものを考える人はどこにもいなくなるに決まっている。それでは食えないというのであれば、
「なぜ学問などに金を出さなくてはならないのか、日本人は困っているのだから、基礎科学は金を出す余裕のある外国人にやってもらえばいいではないか」
とわが国の実業家が言っていた時代に、科学者の方は相変らず停滞している、ということになる。基礎というのは、いまでは、公式に研究費の出る部門以外の部門だ、と定義した方がいいように思うからである。
科学論文を日本語で書く話には、公式の研究費は出ない。だから立派だと思われても困るが、出版社は多少なりとも、お金を出してくれる。いま外国の科学雑誌に論文を載せたとして、それにお金を払ってくれるところがどれだけあるだろうか。
私は何もかも金で計るつもりはない。でもこうでも言わなければ、下手な英語で論文を書く習慣は、永久にこの国からなくならないのではないかと思うのである。
私の書く程度のものに、お金が払ってもらえる。ということはつまり、日本語でも十分以上に評価され得るということなのである。国際的な立派な科学論文に、お金が出ぬはずがない。
もしこのくだらない文集が、優秀な方たちが日本語でもっと良い本を書いてくださる契機となれば、冥利に尽きるというものである。
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文庫版あとがき
すでに「あとがき」のある本に、あとがきを加える。これは、「屋上屋を重ねる」ということだと思うが、むしろ「床下に床を重ねる」というべきか。屋根ならさらに積めるが、床下にまた床を張るのは、ムリというものである。
『ヒトの見方』は、私が一般向けの文章を書きだした頃のものを集めてある。解剖学という専門に近い主題が多く載せられているのも、そのせいである。これ以降、『脳の中の過程』(哲学書房)、『からだの見方』(筑摩書房)の二冊が似た形式になっていて、これといって特定の傾向なしに書いた文章を集めてある。それ以降は、たとえ短い文章を集めたものでも、時評は時評、身体は身体というふうに、分けるようになった。
こういう雑炊みたいな本は、若かったからできた。編集の尾方邦雄氏が、熱心に作ってくださったことを、いまでもよく覚えている。尾方氏に最初に出会ったときは、教室の職員がアル中でしばらく休んでおり、その人を入院させるために、出かけなくてはならない日だった。その出先まで尾方氏がついてきて、私がその職員を担いで車に乗せ、入院させるまで、手伝ってくれたような気がする。そのあと、新宿で酒を飲んだと思う。
そういう変なことまで、全部自分でやっていた時代だから、本が雑炊になるのは、やむを得なかった。私だって、まとまったことがしたかったが、とてもそんなぜいたくは言っていられなかったような気がする。なんだか変に忙しく、しかし生活が生き生きとして、面白かった覚えがある。『形を読む』(培風館)、『唯脳論』(青土社)、『解剖の時間』(哲学書房)のような、まとまった主題についての本は、その後まもなく書いたものである。
いま見てみると、この雑炊にまぜた主題は、その後大きくなったものが多い。もっとも、ただ長くなっただけかもしれない。
Tの部分は、『形を読む』に関連が深い主題である。実際、この一部は、『形を読む』の草稿だったものである。
Uは、『唯脳論』で扱う主題と、『形を読む』で扱う主題が、混じっている。
Vは進化関係で、この主題はその後、東京大学出版会の『講座進化』第四巻の「個体発生と系統発生』という論文につながる。
Xは雑多な主題で、その後「諸君!」や「文學界」に連載することになった、時評や書評風の文章の習作である。
この分類は尾方氏がしてくれたものだが、こうしてみると、有能な編集者は、本人よりも、著者の脳の中を、客観的に見ている面があるらしい。全体として見れば、私の書くものは、いまでもこの範囲をあまり出ていない。
以前の「あとがき」を見ていると、「日本語で書く」ことにこだわっている。いまではこだわりはなくなって、本当に日本語しか、書かなくなってしまった。一冊だけ、布施英利君と共著の『解剖の時間』だけは英訳しようと思っているが、なかなかその暇がない。そう思うと、『ヒトの見方』におさめた文章を書いていた頃は、それでも暇があった。まだ「日本語で書こう」と思っていたからである。書くことの主体が、英語論文だったからであろう。
言語の問題は、『唯脳論』の中で、もっと発展したと思う。「日本語で書く」だけでなく、「日本語を使う」ことの意味が、すこしずつ、わかってきたからである。「仏教」という雑誌に連載を続けているのも、日本語を使うかぎり、「思想」が仏教と切っても切れない関係を持ってしまうらしいことに気づいたからである。日本でマンガが流行することの意味も、それなりに解けてきた。考えてみれば、この種の話は、まだまとめていない。まとめないうちに、寿命が来るかもしれない。
平成三年九月二十四日
[#地付き]養老孟司
養老孟司(ようろう・たけし)
一九三七年、神奈川県に生まれる。一九六二年東京大学医学部卒業。北里大学教授。東京大学名誉教授。著書に『唯脳論』『人間科学』『からだを読む』『バカの壁』など多数。専門の解剖学から社会時評まで幅広く発言を続けている。
本作品は一九八五年六月、筑摩書房より刊行され、一九九一年一二月、ちくま文庫に収録された。