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クレギオン アフナスの貴石
[#地から2字上げ]野尻抱介
[#地から2字上げ]口絵・本文イラスト 弘 司
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目 次
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ACT・1
その巨船に近づく時、メイ・カー卜ミルはいつも緊張《きんちょう》した。
距離感覚《きょりかんかく》はあてにできなかった。ドックと船殻《せんこく》を結ぶ蜘蛛《くも》の糸のように見えていたものは、接近《せっきん》するにつれて太さを増し、目前にきてようやく、中を車が走れるほどのクレーンだとわかった。
宇宙空間で距離を目測《もくそく》するには細部を観察《かんさつ》するしかない。だがこの、美観《びかん》をも考慮した豪華《ごうか》客船の船殻はあまりに滑《なめ》らかすぎた。それは接舷《せつげん》というより、小|惑星《わくせい》への着陸《ちゃくりく》に似ていた。
「距離三百……二百八十……二百六十……」
メイは短距離レーダーの示す数値を読み上げた。
ときどき外を見て、距離と視覚を関連づけようとする。視界の半分を占《し》める白い船殻を、小さな黒い染《し》みが這《は》っている。自分たちの乗る小型|貨物《かもつ》船、アルフェッカ号の影《かげ》だった。
アルフェッカ号にはメイを含めて三人が乗っており、それがこのミリガン運送のすべてだった。前列左に船長のマージ・ニコルズ、その右に社長のロイド・ミリガン。
メイの航法席は後列右にあって、外向きに配置されている。正面は航法コンソールで占められているが、首をすこし回すだけで外の様子は見えた。
船影《せんえい》はやがて、ガントリー・クレーンの落とす影と溶《と》けあった。
ガントリーはこの造船所で最大のものだった。それは分厚《ぶあつ》い握《にぎ》り拳《こぶし》のような形をしていて、大きさはサッカー・スタジアムほどもある。拳は建造中の客船をやんわりとつかみ、その隙間《すきま》には無数の触手《しょくしゅ》が伸《の》びていた。
ガントリーはそれ自体が宇宙船であり、造船ドックでもあった。
客船の骨格が完成すると、二基のガントリーはそれぞれ船首《せんしゅ》と船尾《せんび》につき、一日二メートルの速度で移動した。両者が中央で出会うとき、客船は進水式《しんすいしき》を迎《むか》える――もちろん、一滴の水にも触《ふ》れないのだが。
二基のガントリーは、いまや十メートルまで接近していた。
『ミリガン運送アルフェッカ号、ガントリー1と2の隙間をくぐれるか?』
通信機を通して、ドックの管制員が問いかけてきた。
マージが外を一瞥《いちべつ》して答えた。
「気に入らないわね。ゲート29は通れないの?」
『別の船が接触《せっしょく》事故をやらかしたんだ。だがこれ以上、内装《ないそう》工事を遅《おく》らせたくない。腕試しにどうかね?』
「そう言われちゃ、やるっきゃないか」
マージは操縦《そうじゅう》系統を手動に切り替《か》えた。
リクライニングしていた副操縦士席で、ロイドが上半身を起こす。
「昼寝は終わった?」
「起きてたさ」
初老の男はそう言って、頭上のスイッチを押した。
「メイ、マストが引っ込んだか確認しろ」
「はい、収納状態です」
「そうじゃない、船外カメラで見るんだ」
「あっ、すみません」
ロイドは背中を向けているが、どうしてか、こちらが何をしているかは把握《はあく》していた。メイは遠隔《えんかく》操作のカメラをまわして、船体上部にあるマストが畳《たた》まれているのを確認した。
「マスト、収納できてます」
「もうレーダー類は使えん。外部カメラで船底と船尾を監視《かんし》しろ」
「はい」
航法パネルのスクリーンを二分割して、両方の画像を映す。
船尾のずっと後ろに、ドック内管制の作業船が停泊《ていはく》しているのが見えた。船底側に見えるのは、まだドックの外壁《がいへき》だった。
前照灯《ぜんしょうとう》の光芒《こうぼう》に、ガントリーの谷間が上下に浮かび上がる。それはマストを収納してさえ、アルフェッカ号が通れるぎりぎりの幅《はば》だった。
金属の谷間は約二百メートル続き、左右もキャットウォークで制限されていた。
こんな場所をくぐりたがるのは、暴走族くらいのものだった。だが、本当の腕|利《き》きは、改造ボートではなく貨物船のブリッジにいる。造船所の聖典は工程管理表であり、それはしばしば安全規定に優先する。要求を断《ことわ》ったら次の仕事はもらえない。
メイはマージがこのドックの誰《だれ》よりも腕利きだと信じていたが、本当のところはわからなかった。容姿についていうなら、マージは間違《まちが》いなく一等賞だったが――こうした無数の作業艇《さぎょうてい》やバージの織《お》りなす混沌《こんとん》の中では、一流の腕がなければすぐに淘汰《とうた》されてしまうのだった。
「最微速《さいびそく》前進」
美貌《びぼう》のパイロットはそう告げて、バーニアエンジンをひと噴《ふ》かしした。
高価な内装部材を満載《まんさい》した貨物船は、じわじわと前進を開始した。
小型といっても全長四十メートル、総質量三百トンを越える船は、さぐるようにガントリーの隙間に入った。
「確かに気に食わんな」
ロイドが言った。
「ゲート29で事故となると、漂流物《ひょうりゅうぶつ》がこっちに来るかもしれん」
「わかってる」
「管制め、マーシャラーくらいよこせってんだ」
「事故処理で手|一杯《いっぱい》よ。納期《のうき》前に遊んでる人員なんてないんだから」
マージの右手は、操縦桿《そうじゅうかん》を軽くつまむように操《あやつ》っていた。
彼女もロイドも、まるで力むところがない。だがその眼は、船外と計器をめまぐるしく走査していることを、メイは知っていた。
こんな時、ゆっくり行けば安全というわけではない。徐行《じょこう》せざるをえない状況《じょうきょう》では、回避《かいひ》行動も低速でしかできない。大切なのは早期に異状をつかむことだ。
それを真っ先に見つけたのは、ロイドだった。
「二時方向に漂流物、距離八十メートル。進路交差するぞ」
「先行してやり過ごす」
マージはわずかに噴射《ふんしゃ》を加えた。
「5号コンテナだな。ゆっくり回転してる。間に合うか」
「大丈夫《だいじょうぶ》」
事故を起こした貨物船からこぼれたのだろう――バスほどもある黄色いコンテナが、音もなくこちらに向かってくる。
メイは固唾《かたず》を呑《の》んだ。回転するコンテナは、いまにも一端《いったん》が壁《かべ》に触《ふ》れそうだった。そうなったら、どんな挙動《きょどう》に出るかわからない。
「ビリヤードだな。メイ、前じゃない、船尾を見てろ」
「は、はいっ!」
「落ち着いていけ。もうじきだ――三、二、一、後方通過」
直後、船尾カメラの視野をコンテナが横切った。
回転するコンテナは、ガントリーの谷間でつっかえ棒になろうとしていた。
「コンテナ、下のキャットウォークに触れます!」
「どっちに跳《は》ねる」
「えと……せっ、船尾|左舷《さげん》っ!」
マージがさっと振り返って、メイのスクリーンを一瞥《いちべつ》した。ただちに船を水平|旋回《せんかい》に入れる。コンテナをかわすには、それしかなかった。
「船首下げろ! 右上に標識灯!」
復唱する前に、マージは反応していた。目の前を赤い光が横切る。
ついで右舷の窓をコンテナの黄色い壁が斜《なな》めに横切った。一瞬《いっしゅん》、ボルトの一個一個が見えた。
アルフェッカ号は二つの障害物をかわすと、ぴたりと停止した。たちの悪いジャイロ効果を打ち消しながらの、同時二|軸《じく》の旋回だった。
三人は息を殺して、遠ざかるコンテナを見守った。
コンテナは前方でもう一度壁に触れた。そして、開けた空間に漂《ただよ》い去った。
ため息がもれた。
メイの手は汗で濡《ぬ》れ、膝《ひざ》は小刻《こきざ》みに震《ふる》えていた。
「アルフェッカより管制、ドック左舷に向かって微速漂流中の5号コンテナを目撃《もくげき》」
マージは何事もなかったように、管制員に報告した。
『了解《りょうかい》、アルフェッカ』
「ふん。さすがに回収してくれとは言ってこないな」
ロイドが苦笑した。
「んなこと言ったら、あっちに乗り込んでぶん殴《なぐ》ってやるわ」
「今だってしていいぞ。文句は言えまい」
「それもいいけど、荷下ろしに体力温存しないとね。メイ、状況報告」
「は……はい。船尾クリア。船底、あと一メートル……いえ、五十センチくらい」
「とすると右上に回るか」
マージは船体をひらりと立て直すと、再び前進を開始した。
残る四十メートルを乗り切ると、アルフェッカ号は光の中に出た。目の前で客船がまばゆく輝《かがや》いていた。
「アルフェッカより管制、これより搬入《はんにゅう》開始」
『了解、アルフェッカ』
たった今、地獄《じごく》の一丁目から生還《せいかん》したことを知らない管制員は、ねぎらいの言葉ひとつかけなかった。
だが、メイの胸には喝采《かっさい》が鳴り響《ひび》いていた。ロイドとマージは、管制員がやんわりと命じた無理難題をこなし、何の賞賛《しょうさん》も求めなかった。自分もほんの少しだが手を貸せたのが嬉《うれ》しかった。
――この小さな運送会社に、見習いとして飛び込んで半年。
仕事はきつく、二人から学ぶことはあまりに多かったが、十六歳のメイはそれをスポンジのように吸収し続けてきた。それは輝くような毎日だった。
ACT・2
アヴィス星系第二|惑星《わくせい》を周回する軌道《きどう》産業都市、サル・アモニアク。
客船|埠頭《ふとう》の出発ロビーに、一組の男女が入った。
男は三十代の半《なか》ば。黒いリーゼント・ヘア、顔は濃いサングラスに覆《おお》われてわからない。引き締《し》まった長身に、黒いワックスド・コートが似合っている。
女はまだ十代で、長めのパーカーから黒タイツの脚《あし》がひょろりと伸びていた。枯《か》れ草色の髪《かみ》はショートで、こちらも尖《とが》ったサングラスをかけているが、そばかすの残る頬《ほお》はどこかあどけない。
二人とも、小ぶりのスーツケースを下げていた。
男はロビーに入ると、壁のスクリーンを一瞥《いちべつ》し、それから何気《なにげ》ない仕草《しぐさ》であたりをうかがった。
女が、どう?、という顔で男を見上げた。
男はかすかにうなずき、船会社の窓口に向かって歩き始めた。
列の最後尾につこうしたとき、男は急に立ち止まって、女に何かささやいた。
あとから来た商人風の男が「あんたら、並んでるのかね」と聞いたが、二人は答えず、足早に列を離《はな》れた。
二人はロビーを出て、免税店《めんぜいてん》やレストランの並ぶ通りに入った。
人ごみを選んで、二人はどんどん歩いた。
そして角を曲がるや、全力|疾走《しっそう》に入った。
靴音が追ってきた。二人は振《ふ》り返らなかった。トラムの駅に駆《か》け込み、人を押しのけてゲートを通り、ホームに出る。トラムはたったいまドアが閉まったところだった。
追っ手がホームに現れた。
「こっちだ!」
男は女のスーツケースをひったくると、ホームの末端《まったん》から超《ちょう》伝導レールの上に飛び降りた。女はホームの端《はし》できわどく立ち止まり、男を呼んだ。
「だーっ、あぶないよ、そっちはっ!」
「いいから跳《と》べ! セイフティがある」
男の言ったとおりだった。無人運転のトラムは、レール上に異物を感知すると自動停止する。発車したばかりのトラムは三十メートルほど前方で停止した。たとえ異物が後方にあっても、それが同じ方向に移動している場合は引きずり事故とみなすのだった。
男はトラムのデッキに駆け上がるなりスーツケースを投げ出し、後から来た女の手を引いた。それから車内に入り、壁のパネルを開いて解除ボタンを押した。
トラムは再び走りはじめた。追っ手もレールに飛び降りたところだったが、男は解除ボタンを小刻《こきざ》みに押してトラムを走らせ続けた。こうした扱《あつか》いは心得ていた。
ほっとして車内を見回すと、二人は穴のあくような視線に囲まれていた。
男はサングラスをつけたまま、へへっ、と口で笑ってみせ、
「ども。お騒《さわ》がせしましたっス」と言った。
女は男を見上げ、にっと笑いかけた。
だが男は、もう笑わなかった。どうやってこの軌道都市を脱出《だっしゅつ》しようか、と考えていた。
港はすでにマークされている。追っ手の裏をかいて、自力で脱出するには資金がいる。
おそらく、もう一稼《ひとかせ》ぎしなくてはならないだろう……。
数キロ離れた造船所では、ミリガン運送が命がけの資材搬入をしていた。
これが一週間前の出来事だった。
ACT・3
反射鏡が回転して都市から日照《にっしょう》をそらすと、空気はひんやりと湿《しめ》り気《け》をおびてきた。あちこちで灯《ひ》がともり、街路樹《がいろじゅ》の影《かげ》が窓にかかった。
港町にはめずらしい、こぎれいなカフェだった。客は八分ほど入っていて、ここも造船所の作業員が目立った。
離れた席で、客の一人がバーテンをつかまえて「おい、ニュースを見せろよ」と言った。
静けさと清潔《せいけつ》さを看板にした店だから、普段《ふだん》は映像を流すようなことはしない。バーテンは壁際《かべぎわ》にいたもう一人に何か告げ、カウンターの奥に入って小さなコンソールを叩《たた》いた。
壁の一方が黒く消え、映像が現れた。
白い、巨大な船体から、最後の作業艇が離れたところだった。ドックにある無数のクレーンや足場もすべて引き込み、客船はいまや何のささえもなく、のしかかるように浮かんでいた。音声は出なかった。
船首にスポットライトがあたり、カメラがズームアップした。画面の隅《すみ》から何かが飛来し、エンブレムの下にぶつかって砕《くだ》けた。真空の中で、シャソペンは輝く霧になって飛散《ひさん》した。
ミリガン運送の三人は、夕食をとる手をやすめて、その映像に見入った。
船が動きはじめた。象牙《ぞうげ》のような船殻《せんこく》に、サーチライトと恒星《こうせい》の光が映えていた。船は大河のように進んだ。船尾がドックを出るまでにずいぶんかかった。そのあいだ、店の客達はおとなしく画面をみていた。
「すごい船ですよね」
メイは我に返って、そう言った。
「そうね」マージが言った。
マージは一流の商船大学を出ていた。卒業生の多くがあんな船に乗る。いまマージが乗っているのは、たった百トンの貨物船だった。
「……こんな田舎《いなか》の造船所にしちゃ、がんばったもんだわ」
マージはそう付け足した。彼女にしては誉《ほ》めたほうだった。マージはめったに他の船を誉めない。
「あの船室の床《ゆか》、それから腰板《こしいた》もすごかったですよね。工事の人、すごくていねいにしていて、板を投げる奴《やつ》があるかって叱《しか》られて」
「木工職人って、そういうとこあるわね」
「木工だけじゃなかったですよね。真鍮《しんちゅう》の手すりも、わざわざ無垢《むく》のままにして、毎日クルーが磨《みが》くんだって言ってましたよね」
「そうね」
この一か月あまり、ミリガン運送はドックに内装《ないそう》資材を運んでいた。
構造材のほとんどは星系内で加工されるし、精密部品は外からメガシップで運ばれる。ミリガン運送のような零細《れいさい》業者が運ぶのは、マホガニーやチーク、ローズウッドのような高価な内装材が多かった。それらは客船内でもファーストデッキとプロムナードデッキにしか使われない。街路に植えてあるような模造品《もぞうひん》ではなく、本物の樹木だった。数少ない地球型惑星から少量取り寄せるので、大型貨物船では割に合わなかった。
その契約《けいやく》も、昨日で終わった。
メイは建造にかかわった日々を反芻《はんすう》していた。
「向こうからコンテナが流れてきたときは焦《あせ》りましたよね」
「よくある事よ」
「そうですか。私、いまでもどきどきするんです。天国の入り口が見えたみたいで」
マージはうなずき、それからワイングラスを傾《かたむ》けた。一口ふくんで、なお手の中でもてあそんでいる。マージはくつろいでいた。
「ま、キツめの現場ではあったけど、借金も返せたし、まずはめでたしってとこかな」
「そうですよね」
メイは心からそう言った。
「あんな立派な船の建造に関われたなんて、なんか誇《ほこ》らしいですよね」
言ってから、メイはふとロイドの顔を見た。
「……ですよね?」
「気に入らんな」
ロイドはそう言ってグラスを傾けた。
酒の好きな男だった。航海中も船をマージとメイにまかせて飲んでいる。
「気に入らない……?」
「まったく気に入らん」
ロイドはくりかえした。
メイは怪訝《けげん》な顔になった。一仕事終えたとき、ロイドはきまって、それがいかにやりがいのある労働だったか弁《べん》じるものだ。
「気に入らないって――」
「聞いてやることないのよ、メイ」
マージが横槍《よこやり》を入れた。
「久々に肉体労働したもんだから、疲《つか》れがたまって不機嫌《ふきげん》なのよ。もう歳だもんね」
「そうじゃない」
出鼻をくじかれて、ロイドはむっとしたようだった。
相手が社長であろうと、マージは全く遠慮《えんりょ》しない。ミリガン運送でロイドのしてきたことを思えば、無理もないのだが――メイの脳裏《のうり》にある天秤《てんびん》は、わずかにロイドに傾いた。
「あの、いちおう聞きますけど、今度の仕事の何が気に入らなかったんですか?」
「堅実《けんじつ》さだ。いくらか危ない目にもあったが、あんなものは宇宙じゃよくあることだ。まじめに働いて、予定通りの金を受け取る。まったく堅実そのものだ」
「それが気に入らないんですか?」
「そうだ。これじゃあ成長ってもんがない。予期せぬ試練、大いなるリスクを乗り越えてこそ、人間は成長するんだ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「だまされちゃダメよ、メイ」
マージが言った。
「決められたことをきちんとやりとげる――これがどんなに熟練《じゅくれん》を要し、多くを学べ、人を磨《みが》くものか、ロイドは百も承知なの。彼の口車に乗ってはだめ。年寄りだからって同情するのもだめ。どうせまた、宝探しのネタを仕入れてきたに違いないんだから」
マージは慣れた口調《くちょう》でまくしたてた。ほとんど音楽的といっていいほどだった。
またまた、恒例《こうれい》の板ばさみだ……。
メイはひそかに覚悟《かくご》した。
ミリガン運送は三人で構成され、マージとロイドはいつも対立するから、票決は自分の一票で決まる。
「そういうことなら話が早い」
ロイドは切り出した。
「お嬢《じょう》さんがたは生きた宝石<Aフナサイトというものを知っているか?」
「知らないし、知りたくもないわ」
マージは頭から拒絶《きょぜつ》した。
「貯金ゼロの現状で宝探しなんて論外よ」
「聞けよ、悪くない話なんだ」
「聞かないわ。また大損するだけよ」
「いいか、きみが宝探しと呼んだ業務の期待値を聞いて驚《おどろ》くなよ――」
「あたしにそんな詭弁《きべん》は通じないわ。自分の道楽《どうらく》に社員を巻き込まないでちょうだい!」
「ふむ……」
マージが声を荒立《あらだ》てると、ロイドはグラスを傾けて、冷却期間を置いた。
「マージ。ひとつ聞くが、きみの夢ってなんだ」
「そんなものないわ」
「ないはずはないぞ」
「ないってば」
「過去の夢でもいい。きみがパイロットのライセンスを手にした時、ひとつの夢がかなったと思わなかったか?」
「…………」
マージは一瞬、返事をためらった。
「だったら何よ」
「宇宙は危険な職場だ。パイロットになろうとした時、周囲は反対しなかったか」
「少しはね」
「しかしきみは押し切った。メイだってそうだろ? きみは船乗りになるために家出して、わしらの船に密航した」
「ええ……」
「家族の潜在《せんざい》的な反対を押し切って、自分の夢を貫《つらぬ》いたわけだ」
メイはこくりとうなずいた。
「そのことで、家族に心配をかけた。そうだろ?」
「でもそれは、その時は、それしか思いつかなくて……」
「そうだ」
ロイドは二人の顔を交互《こうご》にうかがいながら、仕上げにかかった。
「つまり我々の考えは一致してるんだよ、諸君」
「どういうことよ」
「無論、それは程度問題だし、後でそれなりのつぐないをするとしてだ――」
ロイドは自信満々で言った。
「我々はこう考えたのさ。『自分の夢をかなえるためなら、周囲に迷惑《めいわく》かけてもいい』これだ! この信念のもとに我々は遥《はる》かな宇宙に乗り出し、そして出会った! ああ、なんたる数奇《すうき》! なんたる人生! 我々は決して立ち止まらない! 夢にむけて前進あるのみだ!」
「…………」
「…………」
マージとメイは唖然《あぜん》として、しばらくロイドを見つめていた。
「何を言い出すかと思えば」
「論理展開が著《いちじる》しく偏向《へんこう》しているように思えるんですけど……」
「偏向などしてるもんか、きみらのしてきた事を要約《ようやく》したまでだぞ?」
「それで今度はロイドが迷惑かける番だってわけ?」
「今度も、かも」
「聞きたまえ。迷惑というのはこの場合、経済上のリスクにすぎないんだ――」
「それ以上の迷惑はないわ」
マージは勝機とみて、攻勢《こうせい》に出た。
「メイ、あんただって帳簿《ちょうぼ》は見てるでしょ。動力|炉《ろ》の突然《とつぜん》の故障と、モジュール交換《こうかん》にともなう大口の出費。船員協会から借金できて、それが返せただけで、あたしたちの奇跡《きせき》は使い果たしたと考えていいわ。アルフェッカ号がぴかぴかの新造船なら一安心してもいいけど、現状じゃこの先いつどこが壊《こわ》れるかもわからない。どんな理由があって山師《やまし》の真似《まね》事ができると思う?」
「そうですよね」
メイはすんなりと同意した。
「じゃあ採決といきましょ。堅実な経営を貫くことに賛成の人は――」
「待てメイ、なぜ君はリスクを負うことを嫌うんだ」
ロイドはなおも食い下がった。
「あの時、君はリスクを恐れずに家出した。そうして得たものの大きさを考えるんだ。ありもしない危険を避けるために、人生を退屈《たいくつ》の海に沈めてはいかん」
「でも、ミリガン運送が倒産したら、家出した甲斐がなくなります」
「いや、そうじゃなくてだな――」
「採決に入る!」
マージが宣告した。
二対一。こうして、ミリガン運送は、少なくともあと二か月、堅気《かたぎ》をつらぬく経営方針を決定した。まったく合理的で、常識に照《て》らせば論じるまでもない決定だった。
これが四日前の出来事だった。
ACT・4
メイとマージは係船場に行って、アルフェッカ号の清掃《せいそう》をした。
ここでのリーダーは、最年少のメイだった。
マージは、普通《ふつう》に結婚していれば子供がいてもおかしくない年齢だったが、掃除《そうじ》や料理は一貫《いっかん》して不得手だった。宇宙船の操縦は天才的で、機械の整備も一流だが、ことハウスキーピングにおいては、唖然《あぜん》とするようなミスもしくは手抜きを連発する。
「いいですかマージさん――」
メイは忍耐強《にんたいづよ》く説明した。
「クリーナーというのは、自分を中心に回転させるものじゃないんです」
メイはクリーナーの柄《え》を持って説明した。
「壁《かべ》にそって、こう動かすんです。ゆっくりと、隔壁《かくへき》に突き当たるまでまっすぐに。そして隔壁まで行ったら、すでに拭《ふ》いた範囲《はんい》と少し重なる程度に移動して、前回と平行に動かします。スキャナーになったつもりでやるんです。わかりますか?」
「わかるわよ、それぐらい」
「四角い床《ゆか》を丸く拭いちゃだめなんです」
「わかってるったら」
「ノン・インターレス・スキャンです。拭き取る領域《りょういき》に隙間《すきま》をつくっちゃだめです」
「わかったって言ってるでしょ」
「そう言いながら、行動に反映されなかったことが何度もあったんです」
「今度は大丈夫《だいじょうぶ》だってば。私は手順を理解したし、やる気もばっちりだわ」
「じゃあ――始めます」
二人はめいめいクリーナーを持ち、通路の中央から前後に分かれて床を拭き始めた。
しばらく黙々《もくもく》と拭いていたが、何度目かに中央で出会った時、メイが聞いた。
「今日はロイドさん、どこへ行ったんですか?」
「船員協会へ行ってみるって」
「そうですか」
「ちゃんとした仕事、みつけてくれるといいんだけど」
「あれだけ念を押したんだから、大丈夫だと思いますけど」
「でもねえ……」
マージはクリーナーを壁にもたせかけて、苦笑した。
「仕事だったらローカルネットにアクセスすれば見つかるわけでしょ。それをわざわざ協会まで出向いてって、対面でやろうとするのよね、ロイドは」
「そういえば、そうですね」
「借金の件で何度も足を運んだから、いくらか顔見知りもいる。その一人をつかまえて、得意の話術でもちかける。バーに行って酒をおごり、何かうまい話はないかときりだす」
「ありがちなパターンですね」メイも苦笑した。
「表沙汰《おもてざた》にできない仕事でもいいんだ、税金のつかない収入は歓迎《かんげい》さ、なんて言うのよ、きっと」
「でもって私たちには、ちゃんと協会からもらって来た仕事さ、と」
「わかってきたじゃない」
「……マージさん、手が止まってます」
その日、夕食の時間になってもロイドはホテルの続き部屋に戻らなかった。
夜中に隣《となり》で物音がしたので、メイは戻ったなと思ったが、顔は合わせなかった。
これが三日前の出来事だった。
ACT・5
二日前の朝。
メイはいつもどおり、一番に目覚めた。しかしすぐには起きず、しばらく頬《ほお》に触《ふ》れるシーツの感触《かんしょく》を楽しんだ。
こうしたホテルに泊まるのは、大きな仕事が終わった時ぐらいだった。たいていは船内か、契約《けいやく》先の関連|企業《きぎょう》ハウスと呼ばれる事務所兼宿泊所を使う。
メイはベッドを出て、腕を伸ばし、大あくびをひとつした。マージは隣《となり》のベッドで、こちらに背を向け、毛布をぬいぐるみのように抱いて眠っている。
洗顔し、ギンガムチェックのシャツとショートパンツに着替《きが》える。仕事中に着るセミ・エマージェンシー・スーツは船に置いてある。
髪《かみ》をポニーテールにまとめると、メイは続き部屋のドアをノックした。
ロイドを起こすのはメイの日課だった。放置すると、自分からは決して起きてこない。
「おはようございます。ロイドさん」
形式的に声をかけて、メイはロイドの部屋に入った。
ロイドは大口をあけて眠りこけていた。顔に刻《きざ》まれた皺《しわ》と、不精髭《ぶしょうひげ》が目につく。
「おはようございます。ロイドさん」
ロイドは起きなかった。疲れてるのかな、とメイは思った。
右手を肩におき、軽くゆする。「おはようございます」
男は、うーむ、とうめき声をあげた。
それから目を開き、まるで初めて訪《おとず》れた場所のように、天井《てんじょう》や壁を見回した。
視線がメイに止まった。
「おう……メイか」
「そうですよ」メイはくすりと笑った。「誰《だれ》だと思いました?」
「いや、別にな……」
ロイドは半身を起こし、目をこすり、それからメイの体を上から下まで眺《なが》めた。
「何見てるんですか」
「メイも一人前になったかなと思ってな。ふーむ……ちょっとは出るとこ出てきたか」
「朝から何言ってるんですか」
メイはぷいと回れ右して、自分の部屋に戻った。
ドアを閉めながら「早くしないと朝のバイキング終わっちゃいますよ」と告げる。
ロイドはぶらりと手を振って「気が向いたら行くよ」と答えた。
マージの朝食はグレープフルーツ・ジュースとバターロールのみ、という簡素なものだった。育ち盛りのメイは、そこへいり卵とニシンのオイル漬《づ》けが加わる。
食事が終わっても、ロイドは現れなかった。
レストランを出て、エレベーターホールに来たところで二人はロイドと出会った。
いつもどおり、合成|皮革《ひかく》のジャケットにコーデュロイのパンツ姿だった。昨日までは燕脂《えんじ》のネクタイを結んでいたが、今日はつけていない。
「おはようございます、ロイドさん」
「おはよう、ロイド。遅《おそ》いじゃない」
「のんびりシャワーを使っていたら遅《おく》れちまった」
「昨日はどうだったの?」マージが聞いた。
「ああ……外惑星《がいわくせい》方面でいくつか募集《ぼしゅう》があったが、払いがいまひとつでな」
「そう。今日はどうする?」
「もう一度、船員協会をあたってみるよ」
「あたしも行こうか」
「いや、わし一人でいい」
ロイドはきっぱり断った。
「きみは船のメンテをたのむ」
「わかったわ。仕事だけど、あんまり選《え》り好みしないでね」
「適当に折り合いつけるさ」
ロイドはそう言って、一人でレストランに向かった。
これが昨日の出来事だった。
ACT・6
今朝も目覚めはいつもどおりだった。マージは隣のベッドで、こちらに背を向け、毛布を抱いて眠っている。
メイは着替えをすませると、ロイドを起こしにかかった。
「おはようございます。ロイドさん」
メイはロイドの部屋に入った。
メイはすぐ戻ってきて、マージを揺《ゆ》り起こした。
「起きてください! マージさん! 大変です!」
マージは呂律《ろれつ》のまわらない声で「ろうしたの」と言った。
「ロイドさんがいないんです!」
マージは顔をしかめ、目をこすった。
「……朝帰りでしょ。よくあるじゃん」
「そうじゃなくて、書き置きがあって!」
「書き置き……? 見せて」
「ロイドさんのベッドです。現場、保存したほうがいいかなと思って」
ものものしい言葉を聞いて、マージはベッドを出た。
二人はロイドの部屋に移った。
置き手紙はベッドの上にあった。
ホテルのメモ用紙を使い、筆跡《ひっせき》はロイドのものだった。
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突然《とつぜん》だがミリガン運送は解散した。
二人の口座に2か月分の給料を振《ふ》り込んでおいた。
船は売った。私物はホテルに届《とど》ける。
ロイド・ミリガン
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「なにこれ……冗談《じょうだん》でしょ」
マージがそう言った矢先、ドアがノックされた。
外にはボーイと、満載《まんさい》の台車があった。台車には衣装《いしょう》ケースやコンテナ類が山積みされ、粗《あら》いネットで包んであった。すべて、マージとメイが船室に置いていた私物だった。
部屋に押し込まれた荷物の前で、二人は立ったまま、それをしばらく眺《なが》めていた。
冗談ではなさそうだった。
マージが口を開いた。
「港に行くわ。船をなんとかしないと」
「なんとかって……」
「あれはあたしの船よ! 勝手に売られちゃたまんないわ!」
マージは船長で、船主はロイドだった。船長が船主に逆らえるのは、航行中だけだった。しかしメイは、マージをなだめることはしなかった。何より、自分の気持ちを整理するのに忙《いそが》しかった。
大急ぎでマージの着替《きが》えを手伝い、ホテルの前でタクシーをつかまえる。軌道《きどう》港のゲートはメインストリートにそって一|象限《しょうげん》半先だった。
ゲートで港内トラムに乗り換え、係船場に入った。
係船場はコロニーの回転軸付近にあった。重力はほとんどない。壁を走るハンドレールにつかまって進むところは、吹き流しのようだった。
通い慣れた道だった。いつもの交差点で方向転換すると、通路の左側がガラス張りの送迎デッキになる。その向こうが広大な係船場だった。並んだ船も、いつもどおりだった。
アルフェッカ号が見えた。船はまだそこにあった。
舷側《げんそく》の放熱板は冷《ひ》えたままで、繋留索《けいりゅうさく》もぴんと張りつめていた。動く気配《けはい》はない。
メイは少しほっとした。来る間、ここに何もなかったら、ぽっかり真空が満ちていたらと、そればかり考えていた。
「……まだ、間に合うかもしれませんね」
「わからないわ」
マージは踵《きびす》を返し、トラムの発着場にある事務所に向かった。メイも早足で後を追った。
「係船番号4A、アルフェッカ号の所有者を教えてちょうだい」
窓口で、マージはそう言った。
「あなたは?」中年の係官が応じた。
マージは船員手帳をかざし、船長だと言った。過去形は使わなかった。
係官は事情を察《さっ》したようだったが、何も言わず、端末《たんまつ》のキーを叩《たた》いた。
「オルビス商会になってますね」
「いつから?」
「昨日からです」
「ハードコピーをちょうだい」
係官は登記簿《とうきぼ》を複製して差し出した。
マージはそれを、食い入るように見つめた。メイも横から覗《のぞ》いた。
目の前の端末から出力された以上、本物にちがいなかった。船主はノーマン・オルビスとなっていた。
「オルビスはジャンク屋です。〇・一Gの造船区画に店を出してます。堅気《かたぎ》だって話ですがね」
「ありがと」
造船区画は係船場の外周部分にあった。十分の一の重力によって、重量物も楽に扱《あつか》え、無重力の始末の悪さもない。
通路の移動には、ここでもハンドレールを使い、脚《あし》はほとんど使わない。ハンドレールのない場所では、歩くにせよ止まるにせよ、数秒前に決定して慣性に始末をつける。急停止・急発進は醜態《しゅうたい》のもとだった。
マージとメイは、慣《な》れた動作で通路を進んでいった。
オルビス商会は、店舗《てんぽ》らしい店舗ではなかった。敷地《しきち》はすべて、ジャングルジムのようなフレームラックに占《し》められていた。各々《おのおの》のラックはトラックの荷台ほどある。どのブロックも、大小の廃品《はいひん》が積み上げられて、いまにもこぼれ落ちそうだった。
通路から丸木橋のようなものを渡ると、そこが事務所のようだった。
机のベルを鳴らすと、二層上から、小太りな男がふわふわと舞《ま》い降りてきた。
「呼んだかね」
男は着地すると、二人の女をまじまじと見た。
「こりゃ、めずらしい眺《なが》めだ」
「アルフェッカ号のことを聞きたいんだけど」マージが切り出した。
「あんたらは?」
「もと船員」
オルビスはふんふん、と訳知《わけし》り顔でうなずいた。
「面倒《めんどう》はごめんだよ」
「そんなつもりはないわ」
マージは静かに答えた。オルビスは警戒《けいかい》を解《と》いたようだった。
「おいてきぼり、くったかね?」
「そう思う?」
「えらく急いどったからね」
オルビスは言った。
「わしを係船場に引っ張っていって、あれを六千万で売りたいと言った。わしは三千以上は出せんと答え、四千で話がついた。まあ、叩《たた》き売りだな」
「どんな男だった?」
「そう、男だ。五十すぎで銀髪《ぎんばつ》、口髭《くちひげ》。なかなか口の達者《たっしゃ》な奴《やつ》だった。わしには負けるがいい勝負だった」
マージはふーむ、とため息をもらした。
「ロイドさんですね」メイは言った。
「そう、ロイド・ミリガンといったな」
「あの、何か言ってませんでしたか? ロイドさん」
「船を売りたいんで、見積もりに来てくれないか――そんだけさ」
「あれだけの船をいきなり売ろうってのよ。事情くらい聞いたでしょ?」
「あれだけったって、結構なボロだし、相手も急いでたしな」
オルビスは無神経に言った。
「会社|畳《たた》んで、隠居《いんきょ》でもするんだと思ったさ」
「ボロじゃないわ。何もかも完全に磨《みが》き上げてあるのよ!」
「動力|炉《ろ》が生きてるのは確かめたさ。でなきゃ売り物にならんからね」
「売るんですか?」メイが聞いた。
「そりゃそうだ。それで食ってんだからな」
「もう買い手がついてるんですか?」
「まださ。昨日の今日だからな」
「いくらで売るんですか」
「まあ、買い値の五掛《ごが》けが相場《そうば》だな」
六千万ポンド。
本気で買い戻そうと思っていたわけではないが、メイは肩を落とした。
マージは黙《だま》って唇《くちびる》を噛《か》んでいた。
「……こういう店じゃ、客の詮索《せんさく》はしないんだよ、お嬢《じょう》さん方」
二人の様子を見て、オルビスは言った。
「いろんな客がいろんな事情を背負ってやってくる。夜逃《よに》げしようって奴もいりゃ、こつこつためた金で船買って商売始めようって奴もいる。ブツに関しちゃ客の話は信用しない。わしがこの目で確かめて、売り物になると思ったら取り引きするさ。書類がきちんとしてることはもちろんだがね」
オルビスは自分の仕事をわきまえていた。ジャンク屋は廃品《はいひん》を売り買いする。それだけに徹《てっ》している。
「しばらく――」
メイが言った。
「しばらく、売らないでもらうわけにはいきませんか?」
「無理だね」
「そこをなんとか」
「係船料だって馬鹿にならないんだ。一刻も早く売っちまいたいね」
「じゃあせめて、売る時は連絡してくれませんか。セントラル・ホテルの三一二号です」
「見送りでもしようってのかい」
「メイ、いきましょ」
マージが言った。
「知りたいことはわかったわ」
「でも」
「いいからいきましょ」
マージに袖《そで》を引かれて、メイは店を後にした。
間違《まちが》いなかった。
ロイドは自分で、正規の手続きを踏《ふ》んでアルフェッカ号を売ったのだ。
ACT・7
それから二人は客船用の桟橋《さんばし》にまわった。期待はしていなかったが、待合室を順に覗《のぞ》いてみた。ロイドはどこにもいなかった。
二人は朝食をとりそこねたことに気付き、出発ロビーの片隅《かたすみ》のスナックに寄った。
サンドイッチとクールエイドを注文すると、二人はスツールをまわして、ロビーを眺めた。
旅行者に身を包み、スーツケースを押す家族連れがいた。
手首にアタッシェケースを結んだ行商人《ぎょうしょうにん》もいる。
立ち止まってスクリーンを見上げる男。抱き合う二人。はぐれた子供。小走りする警備員。いろんな声や靴音が混じって、砂利《じゃり》の雨のようだった。
ストローを遡上《そじょう》して、冷たい液体が喉《のど》に流れ込んでいるのがわかった。
味覚はどこへ行ったんだろう、とメイはぼんやり思った。
それから言った。
「……なんで、こうなったんですか」
マージは、肩をすくめた。
「黙《だま》って行くなんて、そういうこと、あるんですか」
「あるかもね」
マージは残りのクールエイドを飲み干した。
「行動力と無謀《むぼう》さにかけちゃ宇宙一だから」
「行動って、じゃあ、ただ逃げたんじゃなくて何か目的があったんですか」
「だからあたしは知らないってば」
「そうですけど、考えて、なんとかしないと」
「どうなんとかするのよ」
「ロイドさん連れ戻して、船も買い戻して、もとどおりに」
「もとどおり、か」
マージは少し考えて、つぶやくように言った。
「メイはもとどおりがいいわけか……」
「ちがうんですか?」
「ちがうって?」
「マージさんは、ちがう解決を考えてたんですか?」
「ロイドは別の道を選んだわけでしょ」
マージは淡々《たんたん》と言った。
「あたしたちはそれで放り出された。もう、元には戻れないと思うけどな」
「そんな!」
「まあ、探し出して何を始める気か、聞いてみたい気はするけどね」
「そんな、さめたこと言うんですか! 六年間も一緒《いっしょ》にやってきて――」
「いつまでも一緒だとは思ってなかったわ。遅《おそ》かれ早かれ、こうなるだろうってね」
「ですけど!」
「あんたたち」
女主人がカウンターごしに言った。
「食べ終わったんなら、席をあけてちょうだいよ」
二人は黙ってスツールを降りた。
それから、黙々《もくもく》とトラムの駅に向かって歩いた。
メイは不機嫌《ふきげん》になっていた。マージが冷淡《れいたん》なのが、気に入らなかった。
ACT・8
二人はホテルに戻って、最近のロイドの行動を振《ふ》り返っていた。
「生きた宝石≠ニやらを探したがってたのよね」
「進水式の日だから、三日前の夜ですね」
「うん。生きた宝石≠チて何だろ?」
「さあ。アフナサイトつて言いましたよね。検索《けんさく》してみましょうか」
「あとにしましょ。それから?」
「うーん……」
メイは考えたあげく、ほとんど慣れっこになっていた、ある事実に思い当たった。
「あの、思ったんですけど」
メイは言った。
「私たち、ロイドさんに嫌われるようなことって、結構言ってると思うんです」
「小言? あれは言うべくして言ってるのよ」
「でも、そういうのがどんどん蓄積《ちくせき》して、ああなったとは考えられませんか?」
「そうかなあ?」
「考えてみれば、ほとんど顔あわせるたびにガミガミ言ってるじゃないですか」
「言わなきゃ経営も業務も成り立たなくなるでしょ」
「でもロイドさんだって、社長としてのプライドがあるじゃないですか。社員から、あんなふうに言われたら――」
「あんなふうって、どんなふうよ」
「たとえば――二度めの納品で船外から戻った時、ロイドさんが、ああ疲《つか》れたって言って」
「うん」
「私が、歳なんだから無理しない方がいいですよって言って」
「うん」
「そしたらマージさんが『アル中がたまに働くとこれよね』って」
「……それぐらい、こたえないと思うけどな」
「ロイドさんはアル中じゃないんです。心から愉《たの》しんで飲んでるのであって」
「だけど始終飲んでることには違いないわ」
「マージさん、いつも言葉がストレートなんです」
「そうかな」
「アル中の他にも、無責任とか、生ゴミとか、山師《やまし》とか、不良中年とか、大きな赤ん坊とか」
「そ、それくらい……」
「顔には出なくても、ぐさっとくるんじゃないですか?」
「あ、あんただってさ」
マージは急に語気を強めた。
「そういうあんただって、『もう歳なんだから』とか、さりげなく突いてるじゃないの」
「あれは、思いやりで言ったんです!」
「男ってのはね、女から憐《あわれ》みを受けるのが一番こたえるのよ」
「そっ……そんなこと……」
「五十すぎってのは微妙《びみょう》なのよ。若いとはいえないけど、老人というにも早い。まだまだ走れる、セックスもできるって気でいるけど、密《ひそ》かに自信は陰《かげ》ってる。そこへきて、孫みたいなあんたが、やれ老い先短いだの、体をいたわれだのと言う。やっぱりそうか、はたから見てもわかるのか、なんて思うわよね」
「…………」
メイはみるみる蒼白《そうはく》になり、両手で頬《ほお》を覆《おお》った。
マージも口をつぐんだ。
少しして、マージは言った。
「あーでも、やっぱり、あたしたちの言動に嫌気《いやけ》がさして蒸発《じょうはつ》した、なんてことはないんじゃないかな。いくらなんでも、船まで売り飛ばして消えるなんてさ」
「……そ、そうですよね」
「そうよ。そうに決まってるわ」
「そうしましょうか」
「そうしときましょ」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙《ちんもく》のあと、メイはベッドサイド・テーブルに組み込まれた端末《たんまつ》の前に立った。
「アフナサイトについて調べてみますね」
「うん」
メイがキーとポインターに指を走らせはじめると、マージも画面をのぞきこんだ。
「全検索すると料金高いわよ」
「そうですね」
メイはメニューから、大まかなジャンルを選んだ。【科学】のメニューを選ぶと、さらに細分化されたメニューが現れた。
「【数学】【物理】【化学】【生物】……あれって鉱物《こうぶつ》ですよね」
「じゃ【惑星学】かな」
「そうですね」
キーワードを入力すると、すぐに答が返ってきた。
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<<アフナサイト>>
アフナス星系の小惑星帯で産する稀少《きしょう》な鉱物|結晶《けっしょう》。ぺロブスカイト質の小惑星中から発見された。半導体素子《はんどうたいそし》に似た機能をもつことで注目される。
アフナサイトに電圧を加えると回折模様《かいせつもよう》が変化し、二度と同じパターンを繰《く》り返さない。これは結晶がなんらかの学習機能を持つことを意味するが、詳細《しょうさい》は不明。人為変成《じんいへんせい》鉱物として、異星種族もしくは大戦前の人類が造ったコンピュータの一種とみなす説もある。
アフナサイトは三八四一年に最初の一個が発見された。以後、小惑星帯で大規模な探索が行われたが、三八四五年の四個めを最後に発見は途絶《とだ》えている。
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画面の中で、標本《ひょうほん》の一つがゆっくり回転していた。メッシュ・スケールによると直径は大五センチくらい。全体は握《にぎ》り拳《こぶし》のような不定形で、いくつかの平面と、貝殻《かいがら》状の打撃痕《だげきこん》があった。透明《とうめい》で、かすかに緑味をおびたゼリーのようだった。
表面か、そのすぐ下で、小さな虹《にじ》がゆれていた。
説明文には、微小《びしょう》電極より通電中、とあった。映像の回転を止め、いっぱいに拡大してみる。
結晶上の小さな領域《りょういき》が明滅《めいめつ》しているのがわかった。少しズームバックしてみると、それの明滅が連鎖《れんさ》し、ある領域から隣《とな》りあった領域へと、電光標識のように色彩《しきさい》を運んでいた。
さらにズームバックする。規則的に連なった領域は、小さな都市のようだった。
左の街区《がいく》が青く染《そ》まると、次に右の街区が同じ色に染まる。もとの街区は紫《むらさき》になっている。色の変わらない街区もあれば、違う色に分岐《ぶんき》するところもある。それらがひとつになって、肉眼で見える大きさの、動く虹を描いていた。
「不思議な石ですね」メイが言った。
「カオス仕掛《じか》けのおもちゃだってこんなもんだけど――これが天然ものだとしたら、確かに不思議ね」
「世界に四個きりだと、一個いくらくらいするんでしょう」
「値段なんかつけられないわね。大きな博物館なら言い値で買うんじゃないかな」
「……ロイドさんが目をつけるわけですね」
「宝は金額で決まるそうだからね」
どんなに美しくても、どんなに稀少《きしょう》でも、高価でなければ宝じゃない。
ロイドはよく、そう言っていた。
でなければ、宇宙は宝でいっぱいになってしまうだろう、という論理だった。
「そのくせ金銭感覚はルーズなんだから……」
マージはため息をついた。
「ロイドさん、どこでこんな話を仕入れたんでしょう? 前から知ってたんでしょうか」
「たぶんこっちに来てからよ。悪くない話だって言ってたから」
「でも……どうしても探しに行きたいっていうふうじゃなかったですよね」
マージもうなずいた。
「この手の話なら毎度のことだもんね。とても会社|畳《たた》んでまで行くとは思えないわ」
「ですよね」
メイは考えた。
ロイドの無鉄砲《むてっぽう》・無責任さは重々|承知《しょうち》している。だが、いいかげんな話にあっさり乗るような人ではない。本当に見込みがあるなら、あらゆる取り決めを無視してでもこちらを説得し、社をあげておもむくだろう。
なにか、他の事情があったのだろうか。人助けとか……。
「とにかく、誰かに会ったんですよね、ロイドさん。船員協会とか、酒場とかで」
「その誰かを探そうっての?」
「できる限りは」
「酒場をまわるのは大変よ。メインストリートだけでも一周六十キロあるんだから」
「じゃ、船員協会に行ってみましょうか」
「そうねえ……」
マージはすぐにはうなずかなかった。
「行ってどうする、って気もするのよね」
「でも、何か手掛《てが》かりがあれば――」
「そんなことよりメイ、自分の心配はしなくていいの? これからどうするの?」
「どうするって……」
「家に帰るのかってこと」
「――――!」
メイは虚《きょ》を突《つ》かれた。
ロイドも船も、もとどおりにしたい――これがメイの希望であって、他のことは考えていなかった。この朝、彼女は失業したのだった。
このまま、すごすごと家に帰るのか?
ミリガン運送に出会うまでの行動圏《こうどうけん》は、生まれ育った惑星《わくせい》と、その衛星軌道《えいせいきどう》でしかなかった。もっと広く、恒星《こうせい》間世界をめぐり、さまざまな星や人との出会いを求めて、メイは家出したのだった。
それは強行|策《さく》だったが、それから毎日のように書く手紙のなかで、両親の理解は得られている。今すぐ帰れとも、二度と帰って来るなとも言われていない。
おまえの思うとおりにやってみなさい。
しかし無理はするな。立派になろうとか、一旗《ひとはた》上げようなんて考えなくていい。気が向いたらいつでも帰っておいで。
手紙には、いつもそう書いてあった。
家に帰れば、父も母も、両手をひろげて迎えてくれるだろう。
でも……。
「私、こういう形で帰るのはいやです」
メイはそう言った。
マージは小さくうなずき、そっか、と言った。
それからマージは、実際的なことを言った。
「資格もいまいちだしね。役立つってことなら、あんたがいて大助かりだけど、免許《めんきょ》は二級航法士でしょ。再就職《さいしゅうしょく》するなら操縦《そうじゅう》免許はほしいわね」
「ときどき操縦させてもらいますけど、あれって飛行時間にカウントされないんですよね」
「操縦時間にはね。あたしが教官免許持ってりゃいいんだけど」
「そこまで甘《あま》えようとは思ってませんけど」
「まあ航法免許だけでも法規《ほうき》は免除《めんじょ》だから、大手に入れば費用むこう持ちで免許取らせてくれるけどね」
「大手……ですか」
メイはため息をついた。狭《せま》き門である。
「そんな暗い顔しないで」
マージはメイの肩を叩《たた》いた。
「まだ十六なんだから、何を始めるにも早すぎるくらいよ」
「それは……」
そうかもしれないけど――
学校生活、バカンス、クラスメイト、家族、ボーイフレンド……同じ年頃《としごろ》の子が、あたりまえに享受《きょうじゅ》するものをすべて投げうって、ここにとびこんだのだ。気軽に、はいそうですかと出直す気にはなれなかった。
メイは時計を見た。
午前十一時。あれからまだ、四時間しか経《た》っていない。
メイは立ち上がり、ベッドの上にほうりだしてあったウエストポーチを腰に巻いた。
「出かけるの?」
「船員協会に行ってみます。やっぱり私、もう少し調べたいんです」
「あたしも行こうか?」
「一人で、やってみます」
「そう。じゃあ――陰《かげ》ながら応援《おうえん》してるわ」
マージはぎこちなく、おどけてみせた。
ACT・9
船員協会はポートセンターと呼ばれる大きなビルの一角にあった。
それは宇宙運送に携《たずさ》わる者に種々の便宜をはかる組織で、業務の斡旋《あつせん》もサービスの一部だった。
どう言ったらいいものかと戸惑《とまど》いながら、メイは受付係に言った。
「えとあの……ここに仕事を探す人が来たとしたら、どこへ行くと思いますか?」
「え? なんだって?」
案の定、受付にいた年配の婦人には意図《いと》が通じなかった。
「つまりその……ここで仕事を探すなら、どこへ行けばいいですか?」
「あなたが仕事?」
婦人はいぶかしげな、ついで憐《あわ》れむような目でメイを見た。
「お家はどこなの? お金は持ってる?」
家出娘だと思ったらしい。まあ、それはそうなのだが――メイは免許証を見せて言った。
「私はメイ・カートミル、ミリガン運送の航法士です。同じ会社の人がここに来たはずなので、その人を探してるんです」
「あら……そういうこと。だったらそこの、業務情報センターで聞いてみてちょうだい」
婦人は指にはさんだスタイラスペンで進路を示した。
メイは一礼して、奥に進んだ。
ドアを開くと、入り口付近にデスクが三つ。その奥はついたてで仕切られたコンバートメントが並んでいた。こちらに向いたコンパートメントのひとつでは、二人の男が端末《たんまつ》をはさんで差し向かいになり、何か話し合っていた。
「はい、なんでしょう」
手前のデスクの男が顔を上げて言った。
「あの私、ミリガン運送で働いている者なんですけど、人を探してるんです」
同じ轍《てつ》は踏《ふ》むまいと、メイは免許証をかざして言った。
「ふーん、人探し。どんな人?」
「ミリガン運送の社長で、ロイド・ミリガンといいます。五十二歳で、銀髪《ぎんばつ》、口髭《くちひげ》があります。こちらに来たはずなんですけど」
男は椅子《いす》をまわして、部屋中に聞こえるように言った。
「おーい、ロイド・ミリガンって知ってるやついないかー」
「ああそれ、こないだ倒れた人じゃないの?」
そんな返事があった。メイは驚《おどろ》いた。
「倒れたって――」
「ああ、あの男か」
最初の男が言った。
「一昨日の午後だったな。急に気分が悪くなって、机に突っ伏したんだ。救急車呼んで運び出したよ」
「そんな、ひどかったんですか!?」
「発作《ほっさ》みたいだったな。しかし死にそうな感じじゃなかった。青い顔して、担架《たんか》に乗せられてったよ」
「病院は――どこの病院ですか、運ばれたのは!?」
「このエリアだと、ヨハンソン病院だろ。ベッドが一杯なら、よそにまわされるだろうけど。でも入院したんなら、連絡ぐらい行ってもよさそうだけどな」
男はメイの驚きぶりを観察しながら、そう言った。
「わかりました、ありがとうございましたっ!」
メイは部屋を出るなり、小走りになった。
ヨハンソン病院は、表の道路ぞいにあって、コロニーの回転方向に五百メートルほど行ったところだった。無人タクシーを降りると、メイは受付に駆け込んだ。
「あのっ、こちらにロイド・ミリガンっていう人が入院してませんか!?」
「お待ちください」
その時になっても、メイはまだ、ロイドがここに入院していると思い込んでいた。昨日の朝、顔を見ているのだが。
「ロイド・ミリガン氏ですね。入院の記録はありませんけど?」
「じゃあ……他の病院に行ったかどうか、わかりますか?」
「ええ、わかりますよ」
受付嬢は端末を操作し、すぐに答えた。
「どこにも入ってませんね。スペルはこれでいいですか?」
こちら向きの画面に名前が出た。
「ええ――どこにもって、このコロニー内の全部ですか?」
「そうです」
「一昨日の午後、ポートセンターからここに救急車で運ばれたはずなんです。入院はしなくても、カルテか何か、残ってませんか」
受付嬢は首を横に振《ふ》った。
「どの診察《しんさつ》記録にもないですね。救急隊のほうに問い合わせてみましょうか」
「お願いします」
受付嬢は受話器をとって話し始めた。メイは混乱した思いで、受付嬢の耳に揺《ゆ》れるイヤリングを見つめていた。
「そう……変ねえ……ありがとう」
「どうですか」
「救急隊の出動記録だと、一昨日の午前十一時半、ポートセンターからここに運んだって」
「じゃあ、どうして」
「さあ……」受付嬢は肩をすくめてみせた。
「そのときの救急車の人と連絡とれますか?」
「やってやれないことはないと思うけど――それなりの理由があればね」
「行方《ゆくえ》不明なんです」
それから、メイは胸にわだかまっていた不安を、初めて言葉にした。
「警察に捜索願《そうさくねが》いを出すかも知れないんです」
「わかったわ」
受付嬢は再び受話器をとった。
「こちらヨハンソン病院です。さきほど電話した者ですけど……はい……さっきの件だけど、乗務していた人と連絡とれるかしら?……ええ、こちらにまわしてくださる? お願い」
少し待つと、相手が出たらしかった。
「こちらヨハンソン病院です。あなた、おとといポートセンターからこちらへ患者《かんじゃ》を搬送《はんそう》した方ね?」
メイはたまらず、代わってくれと身振りで示した。受付嬢は窓口ごしに受話器を差し出した。
「もしもし? そのときの状況《じょうきょう》を教えていただけますか?」
『ああ。あれは五十すぎの男で、事務所で昏倒《こんとう》したんだ』
背後にサイレンが聞こえる。緊急《きんきゅう》走行中らしい。
「それで、ヨハンソン病院に運んだのは確かですか?」
『そうさ。ドリーに乗せて玄関から入れた。ドクターの指示で治療室《ちりょうしつ》に運んだよ』
「どんなお医者さんでしたか?」
『三十そこそこの女だった。髪はブルネットでソバージュ。眼鏡《めがぬ》してたかな。それくらいしか覚えてないが』
「治療室って、どこのですか?」
『正面の廊下をつきあたりまで行って、右側のICUだったな』
「その、ICUって?」
「集中治療室よ」受付嬢が言った。
サイレンの音が止まった。
『現着だ。これでいいかな?』
「はいあの、お名前を」
『ユーリ・ホイットレー』
電話はそこで切れた。
メイは受話器を返した。
「廊下のつきあたりのICUに運んだそうです」
「つきあたりの、どっち?」
「右と言ってました」
「第四? あそこなら一昨日は定期点検で――ああ、ちょっと!」
メイは勝手にその方に向かった。第四集中治療室、とあるドアを開けてみる。
そこは控《ひか》え室《しつ》のようなところで、ロッカーばかりが目立った。その先にガラス張りの小部屋があり、さらにその奥が治療室のようだった。患者を治療している様子はなかったが、白衣の男が一人いて、ずらりと並んだME機器のひとつをいじっていた。
男はメイを見ると、真ん中の部屋に来て、ガラス越しに言った。
「ここは立入禁止だ。注意書が読めないのかね」
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんです」
「案内なら――」
「ここのことなんです」
「ここの?」
メイが事情を説明すると、男はキャップを脱《ぬ》ぎ、こちらにやってきた。
メイの前を素通《すどお》りして、壁際の端末に向かう。
「一昨日の1130か……」
画面にスケジュール表のようなものが現れた。治療室の使用記録らしい。
「点検《てんけん》整備中だ」
「え?」
「一昨日は終日、整備中で使用禁止になってる」
「確かですか」
「間違いない。月に一度の定期点検日だ。途中《とちゅう》で使った記録もない」
「……あの、いま話した女のお医者さんに心当たりはありますか?」
「知らないね」
「えと、あなたは――」
「ドクター・エリンガム」
「エリンガムさん、この病院にいるお医者さんは、すべて御存知《ごぞんじ》ですか」
「もちろんだ。ただし打ち合わせなどで他所《よそ》から出向いてきたドクターなら、その限りではないがね」
「そういう人が、救急車で来た患者《かんじゃ》を診《み》ることってありますか?」
「ないだろう。ここが猫の手も借りたい状況になることはまずないからね」
「じゃあ……ええと……」
整理しようとしたが、ふだんの半分も頭が働かなかった。
ロイドはこの病院に運ばれてきて、医師が出迎え、集中治療室に運んだ。だがそんな医師はいず、治療室も整備中だった。
なんらかの犯罪《はんざい》が行われた可能性が高い。
「さて、どうするね」医師が聞いた。
「どうしよう……」
「おかしな話だ。ここにドクターのふりをした誰かがまぎれこんだとしたら、こちらとしてもほうっておけないが」
「ロイドさんを探さないと。あの、病院として、協力してもらえますか?」
「犯罪だと思うなら、まず警察に話すべきじゃないかね。でないとこちらも動けないだろう。もっとも――」
「警察……やっぱりそうですか!」
メイは動悸《どうき》が高まるのを覚えた。
「そうします。ありがとうございましたっ!」
メイは部屋を飛び出した。
一人になってから、医師は言いかけた言葉をまっとうした。
「――ここの警察は、腰が重いんで有名だがね」
ACT・10
一定の空間と半世紀の年月があれば、それが地上にあろうとなかろうと、都市としての混沌《こんとん》を備《そな》えるようになる。サル・アモニアク軌道都市《きどうとし》は一G層だけで八百三十平方キロの面積をもち、百七十万の人口を擁《よう》していた。
その広大な円筒《えんとう》面を一周するメインストリートは、拠点《きょてん》ごとに繁華街《はんかがい》が成長しており、回転する都市の重心に支障ない限り、独自の裁量《さいりょう》で枝葉《えだは》が付け加えられていた。
そんな枝葉のひとつに、クラン・カラスコとアルチナ・クインランは潜《ひそ》んでいた。
四日前に移ったばかりのモーテルだった。
ドアが二回ノックされ、クランが左手でチェーン錠《じょう》をはずした。食料品の袋をかかえたアルチナが立っていた。
アルチナは中に入り、袋の中身を冷蔵庫に移し始めた。クランはチェーンを戻し、全部の鍵《かぎ》をおろすと、壁際《かべぎわ》の端末の前に戻った。
アルチナはソーセージと入れ替えに冷蔵庫からビールを出し、栓《せん》をあけた。まだ酒の許される歳《とし》ではなかったが、それしきのことは彼女にとって全然へっちゃら≠セった。
ビールを一口飲むと、アルチナは男に言った。
「次のカモ、決まった?」
「まだだ」
クランはこちらに背を向けたまま言った。アルチナは軽い失望をおぼえた。
「いつまで待つのさ。やつら港まで張り込んでるんだもん、ここだっていつ嗅《か》ぎつけるかわかんないんだよ?」
アルテナは、苛立《いらだ》ちをあらわにした。
「それにロイドのやつだって、もう帰ってくるかもしれないじゃん」
トラムに飛び乗って追っ手をまいたまでは痛快だったが、それからの潜伏《せんぷく》はアルチナの心をしだいに圧迫《あっぱく》していた。
もう、客船での脱出《だっしゅつ》はできない。逃走資金をつくるために一仕事したが、まだ足りなかった。仕事するたびに潜伏しにくくなる。それでも、早く次の仕事にかかって街を出ないと、捕《つか》まるのは時間の問題だった。
「ロイドのほうは平気だ。あの手口はカモのほうで逃《に》げてくれるって特典があるからな」
こちらに背を向けたまま、クランは言った。
クランは煙草《たばこ》を一服すると、つぶやくように言った。顔も心も画面に向いていた。
「だけどあいつ、商社の重役なんだろ? でかいヤマ当てて、昇進してやるって言ってたんなら、毎日会社と連絡取ってるかもしんないじゃん」
「だとしてもアフナスまで十日はかかる。まだ余裕《よゆう》だ」
「そかなー」
アルチナはいったん口を閉じた。
「……で、次のカモは?」
「足りるかもしれん」
「足りるって?」
「資金さ」
「??」
クランがキーを叩《たた》くと、端末《たんまつ》のスロットから一枚の紙が吐き出された。
「これ見ろ」
サングラスの下の目が、アルチナに向いた。アルチナはビールを置いてそばに行き、コピーを受け取った。
「オルビス商会……何これ? 中古宇宙船のリスト?」
「そうさ」
「まさか……買えるの!?」そばかす顔が、ぱっと輝《かがや》いた。
「そうさ。ジャンク屋の現状渡し・アフターケア一切なしなら手が届《とど》く。これまでの蓄《たくわ》えにこんどの稼《かせ》ぎを足せばな」
クランはにやりと笑った。
「すっげー!! あたしたち、とうとう自家用船持つんだ!!」
アルチナは跳《と》び上がった。
「ねね、どれ? どの船買うの!?」
「まだ決めたわけじゃないんだが――」
「どんなの? クルーザー? あたしバーとゲームホールのついたのがいいな!」
「そんなリッチな船が買えるか」
クランは言下《げんか》に否定《ひてい》した。
「地味なやつだ。運送屋が使うような、ぱっとしない、古い型にする。操縦なんてもう十年やってないからな。最新式じゃ俺《おれ》がついていけない」
「着陸は? 大気圏飛べるの?」
「地上まで行けなきゃ役に立たんだろ。そこにシャトルと恒星《こうせい》船がセットになったやつが載《の》ってる」
「どれどれ……」
アルチナはリストをたどった。
「……ここれか。アルフェッカってやつね?」
「そうだアルフェッカだ」
クランはうなずいた。
「どこのどいつが乗ってたのか知らんが、まったくおあつらえ向きの船じゃないか」
ACT・11
二人が分署の玄関を出てみると、街はもうたそがれていた。
石段を降りる途中で、メイは立ち止まり、そのまま座り込んでしまった。
マージも隣《となり》に腰をおろし、二人はぼんやりと、通りをながめていた。
どうも朝からこのパターンだな、と思いながら、マージは言ってみた。
「できるだけのことはやったわさ」
「…………」
「向こうの言うことも、一理あるのよね」
「そうでしょうか」
「本人の意志で、置き手紙までして出てったんだし、船の売買手続きもきちんとしてる。この限りじゃ、犯罪《はんざい》としては扱《あつか》えないでしょ」
「でも、絶対おかしいじゃないですか!」
「それはね」
マージはいちおう同意した。
「でも、警部さんも言ってたけど、救急車や病院のなんでもない連絡ミスが重なっただけって可能性もあるし」
「だとしても、どんなミスだったか確かめるべきじゃないですか」
「それがベストだけどね」
マージはそうとしか言わなかった。
メイが納得《なっとく》できないのは、ロイドの動機だった。
心の中で何を考えても犯罪にはならないが、ロイドを動かした背景に犯罪がひそむ可能性はあった。そのことを、マージはメイほど重く見ていないようだった。
二人はホテルに戻った。
その夜メイは、習慣になっている両親への手紙を書こうとした。
メイのスレートには、専用の定型書式が登録してある。
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前略。
父さん、母さん。お元気ですか。
メイはいま、{所在地}で、とても明朗かつ元気に働いています。
ロイドさんもマージさんもすごく優しくしてくれるし、お仕事も安全かつ健全なものばかり。早く一人前の船乗りになって、成長したメイの姿をお目にかけたいと思います。
{本文}
心をこめて メイ
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これを雛形《ひながた》にして身辺のことを書き綴《つづ》るのだが――今日ばかりは、何も書けなかった。
いつもなら、嘘は消極的なものですんだ。本当に重大なことを書かないだけでいいのだが、今回は、それだと書くことがなくなってしまう。
ありのままに書いてみようかとも思うが――二十分ほどスレートとにらめっこしたあげく、メイはスイッチを切った。それでは両親に対して、敗北宣言することになる。
その様子を見ていたのだろう。ネグリジェ姿のマージが言った。
「寝ちゃいましょ。明日になれは、ひょっこり帰ってくるかもしれないわよ」
「……そうですね」
あり得ないことではなかった。
寝る理由ができたので、メイはそうすることにした。
翌朝、メイは真っ先に続き部屋を覗《のぞ》いてみたが、願いはかなわなかった。
そのかわり、オルビス商会から電話が入った。
『俺のお人好しに免じて、面倒は起こさんでほしいんだが――』
オルビスはそう切り出した。
『あの船な、今日が見納《みおさ》めになりそうだぜ』
アルフェッカ号の買い手がついた、ということだった。
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ACT・1
「あたしは行かないからね!」
マージは言い張った。
「アルフェッカ号は今も昔もあたしの船じゃないわ。あれはロイドの持ち物で、今は他人の物。何が解決するわけじゃなし、なんで見送りに行かなきゃなんないの」
「でもマージさん、あの船にはいろんな思い出がつまってるじゃないですか」
メイは相手のためを思って、そう訴《うった》えた。
「暇《ひま》をみては整備して、あちこち使いやすいように改良して、航海のたびにどこか壊《こわ》れるけど、いざという時は信頼《しんらい》に応《こた》えてくれて……私、自分の家みたいに思ってたんです」
「家にしちゃ狭《せま》すぎたわ」
「でも、宇宙じゅう飛び回れたじゃないですか。初めての星系にいくたびに、食堂の壁《かべ》に星型のシール貼って。もう三十個くらいありましたよね」
「三十四個よ」
「ほら、憶《おぼ》えてる。やっぱり思い出があるじゃないですか」
「ないとは言ってないわよ」
「……海賊《かいぞく》につかまって、船のことをボロだって言われたとき、マージさん大喧嘩《おおけんか》しましたよね」
「あれはあんたがパワーローダーを持ち出したから大乱闘に発展したのよ」
「最初に手をだしたのはマージさんじゃないですか」
「海賊があんなこと言うからよ」
「そうです」
その不幸な宇宙海賊は、アルフェッカ号のことを「ボロ船」と呼んだのだった。
「マージさんの行動には、船への誇《ほこ》りと愛情が感じられました。船長として、当然のことだと思います」
「あんたがどう感じようと勝手だけど……」
マージはやはり動こうとしない。メイはため息をついた。
「どうしても行かないっていうなら、無理にとは言いませんけど――でも、アルフェッカ号は今日が見納めですから」
メイはドアの前でふり返って言った。
「私だったら、親の死に目に会いそびれたような気がすると思います」
「な――なにを大袈裟《おおげさ》な」
「そう思うんです」
メイはゆっくりと、ドアノブを引いた。
「それじゃ、行ってきます」
「あ、あー」
マージは奇妙《きみょう》な声を発した。
「なんですか?」
「あんたがそんなに言うなら、つきあったげるわよ」
送迎デッキの入口から数えて、アルフェッカ号は四|隻《せき》めだった。
最初にアレイ・アンテナが見えた。
アンテナの後ろには短いマストが立っていて、末端に光学・磁気・重力センサー群のプラットホームがある。
……あのプラットホームが、すぐ動かなくなるんだ、とメイは思った。その故障は、いろんなセンサーの走査データが一斉《いっせい》に止まることで判明した。
二人は前進を続けた。
手前の貨物船が出払っていたので、すぐに全部が見えた。
全長四十メートルの角張った恒星《こうせい》船。その前半をしめる細長いキールには、有翼シャトルが懸下《けんが》されている。恒星船の右舷《うげん》に、なかばめりこむように、四角いブリッジとキャビンがある。
舷窓《げんそう》に、明かりが見えた。
ブリッジに人影《ひとかけ》が――少なくとも二つ。
「もう入ってますね」
「うん」
メイとマージは、船の真横まで来て停止した。固定した手すりをつかんで、靴を床に吸着させる。
二人は黙《だま》って、船を見た。
「あれ、ロイドさんじゃないですね」
「うん。ロイドじゃない」
ロイドはいつも、シートをリクライニングさせて、ふんぞり返っていた。ちらちら動く人影は、細部はわからないが、ロイドではなかった。
アンカーケーブルはまだ四方に張られたままで、蜘蛛《くも》の巣《す》につかまった羽虫《はむし》のようだった。だが、放熱板の警告サインは点灯しており、動力|炉《ろ》が始動していることがわかった。
もう、いつ発進してもおかしくない。
発進したら、また帰ってくるだろうか?
メイはこみあげる感傷を、どうすることもできなかった。
船殻《せんこく》の大小の補修|跡《あと》がいやでも目に入る。ロイドやマージに教えられながら、メイ自身が手をかけたものも少なくない。
インテリアにいたっては、メイの独壇場《どくだんじょう》だった。
メイは整理|整頓《せいとん》を最大の美徳《ぴとく》としていたので、船内のあらゆる物品を常に分類し、しかるべき場所に収納していた。
その努力によって、船倉《せんそう》の空きスペースは三倍になった。
散らかし屋のロイドとマージはすっかり感心したが、まもなく、自分の必要とする物はタオル一枚に至《いた》るまでメイに聞かないとわからないことを悟《さと》ったものだった。
その有難迷惑《ありがためいわく》に、メイは気付いていない。ただ自《みずか》らの信念にそって、アルフェッカ号を第二のスイートホームに仕立てていたのだった。
追憶《ついおく》のテープがまわりはじめると、こまごまとした事が、次々に思い出された。
トイレのハンドクリーナーの位置を変えたこと。
すぐ行方《ゆくえ》不明になるバスタオルにトレーサーを縫《ぬ》いつけたこと。
ロイドのアルコール類を金庫に移したこと。
それから……
「メイン・ロックの二番ドレイン、そろそろ交換《こうかん》でしたよね」
マージはうなずいた。
「あそこ、詰《つ》まると面倒でしたよね……」
しばしの沈黙《ちんもく》のあと、マージは言った。
「シールド・アクチュエータも時々止まるのよね」
「フランジの下を叩《たた》くと、とりあえず直りますけど」
「それとドップラー・レーダーのあれも――」
「あれは、まだ予備があります」
「レーザーのほうは切れたままでしょ」
「でしたね。ドップラーが生きてるうちはいいや、みたいな感じでのびのびにしてて」
「部品高いし、注文すると長いしね」
「でしたよね……」
二人はため息をついた。
思えば、やり残した仕事はまだまだあった。
感傷は、しだいに現実的な心配に変化してきた。
「フォロ・メモリーのゴミ掃除《そうじ》≠ヘしてあった?」
「あ、まだです。会話モードで使うとすぐアラームが出ますね」
「それからあんたさ」
マージが言った。
「航法コンソールをまめにカスタマイズするのはいいけど、ガイダンスをきちんと表記してくんないから、こっちが使うとき困るのよね」
「すみません。しょっちゅう変えるから、つい面倒になって」
「今となっちゃ謝《あやま》られても仕方ないんだけどさ」
「そうでした……」
メイの思想は航法業務においても励行《れいこう》されていた。新しい現場を一巡《いちじゅん》すると、その過程で使用|頻度《ひんど》の高い操作を洗い出してマクロ・キーに登録する。キーの1番は標識ブイの検索《けんさく》、2番は航路情報の更新《こうしん》、という具合である。メイの脳裏《のうり》にはその一覧表がありありと掲《かか》げられていたが、他人がうかつにさわると、時として面倒を引き起こした。
しかし、そうしたカスタマイズはメイに限ったことではなかった。
「……あの、お言葉を返すようですけど」
「なによ」
「手動操縦のレスポンス・レート、マージさんの設定だとものすごく敏感《びんかん》なんですよね」
「そうよ。でなきゃかったるくてやってらんないわ」
「あれ、そのまま普通《ふつう》の人がやって、大丈夫《だいじょうぶ》でしょうか……?」
「あれぐらいなら――」
言いかけて、マージは口ごもった。
操縦系統はマージ自身の手によって極限までチューニングしてある。必要があろうがなかろうが、空荷《からに》のアルフェッカ号は戦闘機顔負けの運動性を発揮《はっき》する。
「あー、でもほら、普通のパイロットならオートでやるでしょ」
「オートは半年前から調整が狂《くる》ったままです。マージさんが、どうせあんなものは使わないって言うから、ずっと後回しになってたんです」
「そうだっけか」
マージは頭を掻《か》いた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙《ちんもく》の後、メイはぽつりと言った。
「手動だと、操縦桿《そうじゅうかん》に触《ふ》れるだけでひっくりかえりますね」
「そ――それはちょっと、表現が大袈裟《おおげさ》じゃないかな?」
「そうは思いません」
「…………」
二人は不安になってきた。
視線が、舷窓《げんそう》の人影にむく。
「あの、マージさん。こういう船の売り買いって、乗組員どうしできちんと引き継《つ》ぎをするものじゃないんですか?」
「普通はね。でもジャンク扱いは別。売りっぱなしの買いっぱなしよ」
「それって、危なくないですか」
「安さの代償《だいしょう》よね。それだけ買うほうも腕に自信があるんだろうけど」
「資金不足でやむを得ずってこともありますよね」
「でもほら、最初に慣熟《かんじゅく》運転ぐらいするでしょ。ぼちぼち癖《くせ》をつかんでいけば、なんとかなるわよ」
「そうでしょうか」
「亜《あ》光速で、ちょっと加速するぐらいなら――」
「心配なのは」
メイはぽつりと言った。
「無事に港を出られるかってことなんですけど」
ACT・2
「ええい、いったいどうなってんだ、この船は!」
クランは毒づいた。朝一番に乗船してから、何度そう言ったかわからない。
暗証コードを打ち込んでキーをひねればすぐ動くと信じていた。事実、あのジャンク屋がやってみせたとおり、動力|炉《ろ》はすぐに起動した。だがそれからは、茨《いばら》の道だった。
「アルチナ! メインスクリーンに操縦系の取り扱い説明を表示させろ」
「だからあたしは、こーゆーの知らないんだってば!」
「音声対話モードってのがあるだろうが。パイロットに化けたつもりでやってみろ」
「つもりでできりゃ苦労しないよ」
「いいからやってみろ」
「ったくもー」
アルチナは航法席の肘掛《ひじか》けに尻を乗せたまま、ぞんざいにコンソールを眺《なが》めた。
「『音声』ってキーがあるけど?」
「じゃあそれだ。入れて、しゃべってみろ」
アルチナはキーを押して、コンピュータに話しかけた。
「あーあー、コンピュータ君、元気してる?」
中性的な声が、すぐに返ってきた。
『こんにちは。航法関連の装置はすべて正常です』
「クラン聞いた? 返事したよ、この子!」
「よし。命令してみろ」
「うん。……コンピュータ君さ、操縦の説明書ってある?」
『ありますとも。説明を表示しますか?』
「そうして。メインスクリーンにね」
『わかりました』
アルチナがにんまりした矢先、コンピュータはこう言った。
『ちょっと待ってください。説明に必要なフォログラフ・コアメモリーの領域が不足しています。メモリーを増設するか、不要なノードを切除《せつじょ》する必要があります』
「なに? なによそれ」
『ではまず、コアメモリーに関する説明を表示しますか?』
「…………」
嫌《いや》な予感がしたが、アルチナは提案《ていあん》を受けることにした。
「とりあえず、やってみて。手短《てみじか》にね」
『わかりました。……ちょっと待ってください。説明に必要なフォログラフ・コアメモリーの領域が不足しています。メモリーを増設するか、不要なノードを切除する必要があります』
「だから説明を表示しようって話だろ! あんたチップ抜けてんじゃない!?」
『言語認識に必要なフォログラフ・コアメモリーの領域が不足しています。メモリーを増設するか、不要なノードを切除する必要があります』
「だーっ! なんなのさ、このブリキ頭はっ!」
『語彙《ごい》が理解できません。言語認識に必要なフォログラフ・コアメモリーの領域が不足しています。メモリーを増設するか、不要なノードを』
「るせえ!」
アルチナは憤然《ふんぜん》と『音声』キーを叩《たた》いた。コンピュータは沈黙した。
「アルチナよ」
クランが言った。
「機械相手にギャーギャー騒《さわ》いでどうする」
「クランだってさっきからぶつくさ言ってるじゃないさ」
「それが師匠《ししょう》に向ける言葉か?」
「師匠だったらこんな船ぐらい、さっさと飛ばせるはずじゃん」
「普通の船ならな」
「普通じゃないっての?」
「普通じゃない。前の持ち主がいじりまわしてある」
「じゃあ前の持ち主探して、聞いてみれば?」
「つかまるもんか。ジャンク流れの船だぞ」
「じゃあどうすんの。もうじき出航時間だよ? フライトプラン変更《へんこう》する?」
「大丈夫だ、なんとかなる。動力炉の起動までは一発だったんだからな」
クランは自分に言い聞かせるように、繰《く》り返した。
「案ずるより生むが易《やす》しだ。ぶっつけ本番でやりゃあ、なんとかなる」
「でもさー、コンピュータも調子悪いみたいだし」
「手動でやってやる。ちょいと慣らし運転するだけだ、なんとかなる」
「そーかなー」
ACT・3
アンカーケーブルが一斉《いっせい》に切り離《はな》され、支《ささ》えるもののない空間をするすると巻きとられていった。
「始めたか……」マージがつぶやく。
「やっぱり、中の人に連絡したほうがいいんじゃないですか?」
マージは首を横に振《ふ》った。
「アンカーを収納したってことは、十分にプリフライト・チェックしたってことよ。さもなきゃ自信|過剰《かじょう》よね」
「後のほうだったらどうするんです」
「自らの責任において善処《ぜんしょ》していただくわさ」
「そんな、冷たい……」
「こっちからのこのこ出向いてって、大きなお世話だって言われたらくやしいじゃない。社長が夜逃《よに》げして、おいてきぼりくって、未練《みれん》がましく見送りに来てて、そのうえ今の船主に『なにかお手伝いしましょうか』なんて言いたくないわよ!」
「それは、気持ちはわかりますけど……」
「だいたい、あたしが六年かけて培《つちか》ったノウハウを、タダで差し出すなんて死んでもするもんですか!」
どれも本音《ほんね》にちがいなかった。
放熱坂が赤熱しはじめた。推進剤《すいしんざい》が予圧《よあつ》され、チャンバーに行きわたる頃だ。ドック側でも赤色灯が点灯し、出航を知らせている。
「ふん。考えてみりゃ、珍《めずら》しい眺《なが》めだわ」
マージは言った。
「外から出航を見たことって、なかったのよね」
「マージさん、私たち、避難《ひなん》しなくていいんでしょうか」
「お手並拝見といこうじゃないのさ」
「…………」
うわべは冷静だが――マージさん、かなりきてるな、とメイは思った。
いつもなら、恐いならあんたは隠れてなさい、ぐらいは言ってくれるのだが……。
メイは仕方なく、その場にとどまった。
船はまだ、じっとしている。
操船が正しく行われれば、まず微速《びそく》で三十メートル上昇し、そこで百八十度|回頭《かいとう》してゲートに向かうはずだ。
メイは固唾《かたず》を呑《の》んで、アルフェッカ号を見守った。
二分……三分……
突然《とつぜん》、船は動き始めた。
まず急上昇し、天井《てんじょう》すれすれでからくも停止――ついで下降に入ったが、それは危険な偏流《へんりゅう》をともなっていた。左舷《さげん》が信号灯に接触《せっしょく》すると船体はたちまち横転《おうてん》し、隣《となり》のタンカーに向かって暴走しはじめた。一瞬《いっしゅん》の出来事だった。
「やったか、逃げろ!」
「はいっ!」
二人は全力で避難した。水泳選手のようにハンドレールをたぐり、通路に張り出した肋材《ろくざい》の陰《かげ》にとびこみ、胎児《たいじ》姿勢をとる。
何秒たっただろうか――覚悟《かくご》していた阿鼻叫喚《あびきょうかん》は訪《おとず》れない。
二人はそろそろと背後をうかがった。
アルフェッカ号はこのうえなく無様《ぷざま》な姿勢でドック内に宙吊《ちゅうづ》りになっていた。
危険を察知《さっち》した管制官が、いちはやく拘束ネットを射出《しゃしゅつ》したのだった。
警報が鳴り響《ひび》き、レスキュー隊員がとびだしてゆく。
メイとマージは、無言で顔を見合わせた。
どちらも蒼白《そうはく》だった。
心臓の休養に一分近くをあてたのち、二人はやっと口を開いた。
「い……いわんこっちゃ、なかったわよね」
「起こるべくして、起きましたね……」
ACT・4
「だから船がおかしいんだ! 免許証《めんきょしょう》を調べてみろ。嘘偽《うそいつわ》りなく、俺には事業用二百トン級までの操縦資格がある!」
救護所に連行されたクランは、脂汗《あぶらあせ》をうかべて訴《うった》えた。
ポートパトロールの保安官はクランの免許証をピュアーに通して、入念にあらためた。
免許取得は十二年前。どうもペーパー¥Lいが、更新手続等は問題なかった。
「……となると、整備不良ってことになりますかね」
「あんたはどうしても俺を罪人《ざいにん》にしたいようだが、俺は被害者《ひがいしゃ》なんだ」
「刑務所《けいむしょ》はいつも満員なんで、むやみに押し込むつもりはありませんがね。しかし、ドック内であんなアクロバットをやられてはねえ」
「これからどうなんのさ?」
アルチナが聞いた。
「まあ、事故調査を進めないとなんともいえませんが」
「悪いときはどうなんの?」
「ヒューマンエラーなら免停《めんてい》その他、各種の罰則規定《ばっそくきてい》にそっていただきます。船側に問題があるなら、船検《せんけん》証明の失効《しっこう》や整備不良として海事審判《かいじしんぱん》にかけられることもありますね」
保安官といってもいでたちはスーツ姿で、言葉|遣《づか》いは丁重《ていちょう》だった。だが、その慇懃《いんぎん》さの背後には、法を背負い人を裁《さば》く者の権威《けんい》が垣間《かいま》見えていた。
「どれくらいかかるのさ、日程は?」
「まあ、早くて三週間――」
「おいおい、冗談《じょうだん》じゃねえぜ!」
「あたしら有り金はたいて買った船で商売始めるんだからね。三週間も遊んでられないんだよ!」
「規則は守っていただきます。これは宇宙船という、途方《とほう》もないエネルギーを内包した乗物を扱う上での、当然の義務です」
保安官はきっぱり言った。
「なら、ひとつ言っておきたい」
クランが言った。
「いまこの時点で、オーナー兼パイロットである俺が確信しているのは、あの船の前のユーザーが船を徹底《てってい》的にいじりまわしたことだ。そこを踏《ふ》まえて裁定《さいてい》してもらいたい」
「覚えておきましょう」
その時、取調べ室のドアが開いて、若い職員が顔を出した。
「ノックぐらいしないか。調べ中だぞ」
「すみません。しかしあの、アルフェッカ号の元乗員って方が来てるんですが」
クランとアルチナは顔を見合わせた。
「噂《うわさ》をすればか。よろしい、第二調べ室で待たせろ」
「第二は使用中です」
「他《ほか》は?」
「他もふさがってます。しいていえば、待合室くらいですが」
「待合室で事情聴取《じじょうちょうしゅ》ができるか。……まったく、くる日もくる日も面倒の多い港だ」
保安官は小さく毒づいた。造船所が大型船を進水させると、きまって不景気の風が港を吹きぬける。それはさまざまな形で波及《はきゅう》し、無数のトラブルを生む。
「あー、だったらここへ来てもらったらどうです?」
クランが急に愛想《あいそ》笑いを浮かべて言った。
「容疑者と証人を対面させるのは問題があるのでね」
「いいじゃん。あたしら余計な事は言わないからさ、ちゃっちゃと証言つきあわせようよ」
「そうすりゃ船も人も悪くないことがわかって、厳重注意で一件落着《いっけんらくちゃく》ですよ。時間を有効に使いましょうや」
「ふむ……」
部下の前で手抜きをするのは気が進まなかったが、最後の言葉が保安官を誘惑《ゆうわく》した。
「やむをえん。ここへ連れてこい」
「承知《しょうち》しました」
ACT・5
メイとマージは、薄汚《うすよご》れた廊下を歩いて、取調べ室に案内された。
中には三人いた。ダークスーツの胸に記章をつけた保安官。
壁際《かべぎわ》に立つ、サングラスの男。
その隣《となり》にメイと同じくらいの年頃《としごろ》の娘《むすめ》――彼女は、現れたのが女ばかりだったことに興味《きょうみ》をそそられた様子で、こちらをまじまじと見ていた。
「私は保安官のJ・D・ハーディ、こちらはアルフェッカ号の船主のクラン・カラスコ氏とアルチナ・クインラン嬢《じょう》です」
保安官はレコーダーのスイッチを入れ、二人を向かいの椅子《いす》に座らせた。
「証明書のたぐいはお持ちですか」
メイとマージは免許証と航海日誌のメモリーディスクを差し出した。保安官は今度も、入念に記録を調べた。
「ふーむ。この母港《ぼこう》は形式的なものですね?」
「そうです」
マージが答えた。ミリガン運送は根無し草のように、宇宙を渡り歩いては仕事をみつけてきた。
「こちらにみえた理由をお聞きしましょうか」
「たまたま、事故を目撃《もくげき》したもので」
「たまたま?」
「そう、たまたま通りかかったんです」
マージは偶然《ぐうぜん》を強調した。
「ふむ――で、なにか心当たりでも?」
マージはうなずいた。
「あの船は扱いに少々こつがいるのよ。元船長のあたしとしては、あの船を何度もぶつけられちゃ寝起きが悪いから――おせっかいかもしれないけど」
「いえいえ、協力に感謝してますよ」
保安官は理解を示した。
「その心当たりとかをうかがいましょうか」
「ええ。まず反動制御系だけど、標準状態でバイパスの流路《りゅうろ》はメインのサーボ制御弁に直結して推力《すいりょく》は二倍、さらに熱|交換《こうかん》は三段のカスタムチャンバーだから――」
たっぷり二十分かけて、マージは手動操縦系のおそるべき応答性を説明した。
「……わかりました、もう結構です」
保安官はマージをさえぎって言った。
「まるで戦闘機ですな」
「自慢《じまん》じゃないけどマフィアや海賊《かいぞく》と互角《ごかく》に渡り合った船だからね」
マージは自慢げに言った。
「よくわかりました。で、クラン氏はコンピュータが不調のために手動操縦を選んだと言っていますが、それは事実でしょうか?」
「あ、それは不調というか――」
メイが言いかけた。
「どうぞ」
「航法コンピュータのメモリー・セルは二つしかないんです」
「たった二つ? レジャーボートでも十個は積みそうなものだが……?」
「そうなんです。四つ実装《じっそう》してますけど、二つは壊《こわ》れてて。それで、残る二つでいかにメモリー領域をやりくりするかが工夫のしどころなんですけど、たとえば亜《あ》光速|巡航《じゅんこう》のあいだは――」
「自慢話はいいから、要点を聞かせてくれるかね」
「すみません。えと、つまり、メモリーを浪費《ろうひ》する手続きを呼び出して限界を越えると、エラー手続きに入るんですが、そのときの使用領域はエラー手続きの最初の段階のみを実行できる大きさに限られています」
「つまり、エラーは表示するが回復処理までは実行できないのかね」
「そうです。原因は考えればわかりますから、システムを再起動して余分な手続きを削除《さくじょ》すればいいんです」
「それってさ」アルチナが割り込んだ。「音声で応答やるとどうなる?」
「あ、音声対話モードはやめたほうがいいです。メモリー大食いしますから」
「やっぱし! あたしら使い方わかんないから、ずっとしゃべってたんだ」
「それにあれって複雑な言い回しをすると、すぐ動的領域を再配置して太るんです」
「それそれ。ね、聞いたろ、保安官」
アルチナは喜色満面《きしょくまんめん》だった。
「私が許すまで黙《だま》っているよう言ったはずだが」
「ああ、悪《わ》りぃ悪りぃ」
「しかし、これでわかったでしょう、保安官」
クランが言うが、保安官はうなずかなかった。
「聞いた限りでは違法《いほう》改造とはいえないようだ。かなり異例の設定をほどこした船ではあるがね。ええと、きみ」
保安官はメイに向き直った。
「きみのコンピュータだが、テレメトリとログ機能まで外してはいないだろうね?」
「あ、それは大丈夫《だいじょうぶ》です」
メイが請《う》け合《あ》うと、保安官は受話器を取った。
「十五番ドックかね? ポートパトロールだが、さっき曳航《えいこう》したアルフェッカ号のテレメトリをこちらに転送できるか?……よし、すぐたのむ」
受話器を置くと、保安官は端末《たんまつ》のスクリーンを開いた。
宇宙船のコンピュータは数万項目にわたる搭載《とうさい》機器の状態を常に記録し、リクエストがあれば外部に送信できる仕組みになっている。これをテレメトリ&フライトログといい、事故調査のとき最大の物証となるものだった。
保安官は四人を待たせたまま、届《とど》いたデータを調べた。すべてに目を通すには何日もかかるが、ソフトウェア・エージェントが知的な検索《けんさく》能力を発揮して、不自然なデータをピックアップしてくれる。
「アルフェッカ号に違法改造や整備不良はみあたらないようだな……」
十分ほどして、保安官は顔をあげた。
「かなり冗長性《じょうちょうせい》に欠けているが、船体検査はパスする範囲《はんい》といえる。よって今回の事故は操縦者であるクラン・カラスコ氏の過失《かしつ》と判断される」
「おいおい、あのびっくり箱みたいな船を動かすのが過失だってのか!?」
「設定を確かめずに動かすからだよ」
「だからコンピュータさえちゃんと動きゃ――」
「それなら出航を待つべきだった。結論はこうだ――クラン・カラスコ氏に三か月の免許停止」
「さっ、三か月だあ!」
「この略式裁定《りゃくしきさいてい》に不服があるなら、海事裁判所に控訴《こうそ》する権利がある。かなりの費用と、三か月どころじゃない日数がかかるがね」
「なんてこった……」
クランは思わず天井をあおいだ。追っ手は三か月も待ってくれない。それどころか、さっきの騒《さわ》ぎで人目をひいたから、一刻も早くここを出たいところだった。
「ねえ、あんたたちさ」
アルチナがメイとマージに言った。
「あの船の船員だったってことは、もしかして今、フリー?」
メイとマージはこくりとうなずいた。
「あんたたちがいれば、あれ、動かせるんでしょ?」
再度、うなずく二人。
「だったらさあ、今の仕事やめて、あたしらに雇《やと》われない?」
「おい、アルチナ!」
「免停明けまででいいんだよ。その間この姉さんたちに操縦まかせて、ついでにいろいろ教わればベストじゃん」
クランははたと手を打った。
「……それもそうだな」
「でしょでしょ。決まりだねっ!」
「ちょっと。勝手に話進めないでよ」
マージが言った。
「アルフェッカで何をする気?」
「運送業」
「業務経験はあるの?」
「ないけどさ」
「これまでどんな仕事をしてたの?」
「ギャンブル関係だ」
これはクランが答えた。
「怪しいもんじゃない。地道なもんさ」
「そうそう、だからうちらに雇われちゃいなよ。ここじゃ当分職なんて見つかんないよ」
「だからって、安売りする気はないわ」
「いくら?」
「何が」
「給料に決まってるじゃん。いくらもらってたのさ?」
「あの、初対面なのに、そういうこと、ずけずけ聞くなんて――」
横からメイが抗議《こうぎ》しかける。
「聞かなきゃわかんないじゃない。条件考えようって言ってんだから」
「そうですけど――」
「そうなんだってば」
アルチナはメイの顔をまともに見ながら言った。
「あんた給料安そうね。見習いとみた。そっちの姉さんは?」
「あたしは……」
短い沈黙《ちんもく》のあと、マージは不機嫌《ふきげん》な声で答えた。
「週八千……」
「一万ポンドです!」
メイが咄嗟《とっさ》に吹《ふ》っ掛《か》けた。金銭感覚はマージより鋭《するど》い。
「よし、三か月契約で週一万五千だそう。そっちの女の子には七千だ」
クランが言った。
マージとメイは思わず息を呑《の》み――顔を見合わせた。
なにやら怪《あや》しい二人組だが、所得は倍増する。
しかも乗船するのは勝手知ったるアルフェッカ号、船内ではこちらに分がある。
となれば……
「とりあえず、悪い話じゃないと思うけどな」マージがささやく。
「でも、ここを離れたらロイドさんが……」
「戻ってくるあてなんかないでしょ。もし戻る気になったとしても、船といっしょにいたほうが目印になるんじゃない?」
「それは……そうですけど……」
「君たち、仕事の話は外でやってもらえないかね」
「まあ待ってくれ、保安官。この二人がうんと言えば、あんたの裁定《さいてい》を受けるから」
クランはそう言うと、メイとマージに向き直った。
「どうだ。気に入らなくても三か月ぽっきりだぜ」
「まあね」
マージはその気のようだった。
メイは決断を迫られた。
ロイドは姿を消し、ミリガン運送は解散した。
そのことを、もう受け入れるしかないのだろうか。
とすれば、ここで仕事を見つけるか、故郷に帰るか。答はもう出ている。あれから何度も自問自答してきた。あとは一歩ふみだすだけだ。
メイがうなずくと、マージは言った。
「わかったわ。ええと――」
「クラン・カラスコ、こいつはアルチナ・クインラン」
「マージ・ニコルズ」
「メイ・カートミルです」
四人はとりあえず、握手《あくしゅ》を交《か》わした。
ACT・6
新しい船主の最初の命令は「今すぐ出航しろ」だった。
船体の損傷は軽微《けいび》なものだったが、マージは点検《てんけん》と応急修理に二日よこせと言い張り、結局二時間で折り合いがついた。
応急修理もそこそこに、アルフェッカ号はマージの操船《そうせん》でドックを離れた。
ブリッジの座席配置は、水上|船舶《せんぱく》よりは航空機の伝統にそっている。正面左側には船長のマージ、右には船主兼副操縦士のクラン。一段後ろの右側には航法士のメイ、左隣のチャートテーブルにはアルチナがついた。
「微速《びそく》前進」
マージは離岸後《りがんご》の方向|転換《てんかん》から、切れ目なく前進に入った。
外に続く回廊《かいろう》が音もなく流れてゆく。
最後のゲートが見えてきたとき、クランが言った。
「おい、あの緑のサインは何だ」
「誘導灯《ゆうどうとう》じゃない。緑はゴー、赤はノーゴー、正方形に見えたら軸線《じくせん》上にあるってこと」
「俺の頃はあんなものなかったぞ」
「まともに船を動かしたければ、毎週ノータムに目を通すことね」
クランはふん、と鼻をならして沈黙《ちんもく》した。
メイは目の端《はし》に見えるクランの席が、気になって仕方なかった。
そこはロイドの場所だった。
いつもならそのシートは大きくリクライニングし、ロイドがグラス片手にふんぞり返っている。そしてたいてい、酒を飲むか居眠りしていた。
それでいて、大事な時には必ず注意をうながす。
ロイドは計器よりも、人の動きを見ていた。マージが緊張《きんちょう》したり、自分があわてる気配をロイドは敏感《びんかん》にとらえ、そこから何が起きつつあるかを逆算する――そんなところがあった。口では悪く言うものの、ロイドはただそこに座っているだけで安心できる存在だった。
いま、その席に座っているのは若い、少し神経質そうな男だった。クランは乗船してこのかた、そわそわとあたりを窺《うかが》い続けていた。まるでなにかに脅《おび》えているようだ。
あれから船の点検にかかりきりで、ろくに話もしていない。デネヴ星系に向かえ、と言われただけだった。
ゲートをくぐると、宇宙空間に出た。メイは室内灯の照度《しょうど》をわずかに落とし、誘導《ゆうどう》ブイの位置情報を船長席のサブ・スクリーンに送った。
「マーク21まで四十秒」
「了解《りょうかい》」
船が回転し、メイは次の情報を告げる。
「低加速領域に出ました」
「了解」
もう、メインエンジンを弱く噴射《ふんしゃ》してもよい場所に来たことになる。
ここからはコンピュータまかせなので、マージは手動操縦系を切った。しかしまだ操縦桿《そうじゅうかん》からは手を離さず、船外の監視《かんし》を続けている。港の周辺にはどんな障害物が浮かんでいるかわからない。レーダーも使うが、こうした軍民共用の港はステルス素材のゴミもあるから始末が悪い。
あと二つブイを通過したら、その心配もほぼなくなる。
そしたらお茶をいれよう――メイはそう段取りしながら、レーダースクリーンを見つめた。
その時――
「メイさー」
横からアルチナが言った。
「さっきからいろいろいじってるけど、それって必要なわけ?」
「それはまあ……」
どのレベルまで説明したものかと思いながら、メイはあいまいに答えた。
「この船って一人で動かせるって聞いたんだけどさ。あんた見てると、いずれあたしも同じ事しなきゃなんないのかって思うじゃん?」
「…………」
メイは少しあきれて、ますます返答に戸惑《とまど》った。クランに聞こえるところで、ここまで言うものだろうか?
「一人でも操船できますけど、二人で補佐《ほさ》しあったほうがいいんです」
「あっそ」
アルチナはそこで打ち切った。これ以上話をすすめると、自分も引き受ける羽目《はめ》になると思ったらしい。
計器類は多重化されているので、大半の情報はどの席にいても読み出せるし、指令も送れる。したがってアルフェッカ号は一人でも飛ばせるが、息の合った乗員が仕事を分担し、互《たが》いにチェックしあえば、ずっと楽になる。
メイは少し、意地悪を言ってみる気になった。
「補佐することでパイロットを集中させれば、それだけ安全で無駄《むだ》のない航海《こうかい》ができますから」
「わかったよ、もう」
「アルチナ」
前の席からクランが呼んだ。
「お前もメイのやることを見習っとけ」
「あたし機械は苦手《にがて》なんだってば」
「だからやるんだ」
「けどさー」
「物覚えがいいって、いつも自慢《じまん》してるだろうが。メイがやってるんだ。できないはずはない」
「セリフ覚えるのとは達うんだよ」
「慣れれば、すぐ頭に入りますよ」横から、メイ。
「メイ、あんた自分の立場わかってんの?」
アルチナはむっとした顔で言った。
「この船は誰のものかってこと」
「それは――」
「あたしとメイよ」
前を向いたまま、マージが言った。
「航海中はね」
メイは心で快哉《かいさい》を叫んだ。そうだ、その通り!
「ちょっとクラン、こーゆー態度って――」
「マージの言うとおりだ」
クランは意外なことを言った。
「二人は操船のプロだ。尊重《そんちょう》しろ」
「あーもう、クランまでそーゆー?」
しかし三対一とあっては黙《だま》るしかない。アルチナは深入りしなかった。
クランって人、案外ちゃんとしてるな、とメイは思った。
船は二つ目のブイを通過したところだった。エンジンの出力は順調に上がり、巡航《じゅんこう》加速に入っている。
メイは席を立ち、「お茶をいれましょうか」と言った。
「おう、気が利《き》くな」
クランは頬《ほお》をゆるめた。
「女の子はこうじやなきゃな」
「これも補佐のうちですから。パイロットの」
言外に、あなたたちにはついでに出すんです、という意味をこめてみる。
メイとクランからダブルで皮肉を言わたアルチナは、ぷいと顔をそむけ、聞こえないふりをしていた。クランのほうは、わずかに苦笑しただけだった。
――この二人なら、うまくあしらえるかもしれない。
メイはそんな気がしてきた。
メイは食堂に入り、食器棚から自費でそろえたボーンチャイナのティーセットを出した。
ポットを持って機関室に行き、濾過装置《ろかそうち》のドレインを開く。これはメイの発見した、船内で最も良質の水を取り出せる場所だった。
ギャレーに戻って湯をわかし、アルテミナで買い込んだリーフティを入れる。
いつもどおりの手順だった。新しい所有者は、船内をほとんどいじっていない。
一式をトレイに乗せ、頃合《ころあい》をみてブリッジに運ぶ。
「お茶が入りました」
「ん」
いつもどおり、マージは計器に向かったまま、手だけこちらに出す。それをひとすすりしてから、おもむろに席を回すのだった。
マージにカップを渡そうとして、メイは過《あやま》ちに気付いた。
「あ、今日からカップ、四つなんだ」
続いてマージも間違えた。
「いいのよ、どうせロイドは酒でしょ」そしてすぐに訂正《ていせい》した。
「ロイドじゃないか」
「ロイド?」
アルチナが、怪訝《けげん》な顔で聞いた。
「前の船主です。ミリガン運送っていう会社で」
「ミリガン?」
今度はクランが聞き返した。
「ええ。ロイド・ミリガンです」
「ロイド・ミリガン……運送」
クランは、言葉を組み立てるようにつぶやいた。
「……でかい会社だったのか?」
「いいえ。この船一隻と、私たち二人きりでしたけど?」
「それが、廃業《はいぎょう》したわけか」
「ええ。ロイドさん、急に、勝手にいなくなっちゃんたんです」
メイはありのままに言った。
「あの、もしかして、ロイドさんを御存知《ごぞんじ》ですか?」
「いや、知らない。初めて聞く名だ」
「ロイドさん、なぜそんなことしたのかわからないんです。もし何か知ってたら――」
「知らんと言ったろ」
メイはその口調《くちょう》に少し驚いて、クランの顔を見つめた。
サングラスの下の視線は、アルチナに向いたようだった。
アルチナのほうも、ぽかんとした顔でクランを見返している。
二人は目だけで、なにかを交わしていた。
「ああ、お茶をもらおうか」
クランは思い出したように言った。
メイはトレイをチャートテーブルに置いて、シュガーポットを開いた。
「おいくつですか?」
「三十四だ」
「いえ、砂糖の……」
「砂糖か。砂糖はいい」
「そうですか。アルチナさんは」
「いいよ。自分でやるよ」
そう言って、アルチナはカップに手をのばした。
砂糖を入れずにがぶりと一口飲み、「あちっ!」と言った。
メイは自分のカップを取りに戻りながら、いまの会話は何だったのだろう、と考えた。
ACT・7
アルフェッカ号が巡航加速に入ると、クランとアルチナは船の扱いを聞こうともせず、ブリッジを出た。二人はクランの船室に入った。
ドアを閉めるなり、アルチナは両手を振《ふ》り回してわめいた。
「ハマったじゃん! どうすんのさー!」
「でかい声出すんじゃねえ! ばれなきゃいいんだ」
「ばれるとこだったじゃん。もうクランたらびびって、顔色変えちゃってさ!」
「大丈夫だ、気付きゃしない」
「ポーカーフェイスは詐欺師《さぎし》の基本だって、いつも言ってるくせに〜〜」
「大声で詐欺師なんて言うな!」
「あんただよ、それは」
「む……」
クランは一瞬《いっしゅん》、詰《つ》まった。
「とにかく、あの二人に悟られないようにふるまうしかない。船はあいつらが握《にぎ》ってる。正体がはれたらサツに直行だと思え」
「わかってるよ、それは」
それから、クランは舌打ちした。
「……ロイドの野郎、商社の重役なんてぬかしやがって、すっかりだまされちまった」
「詐欺師がだまされるなんて、ザマないよね」
「おまえだって信じたろうが」
「そりゃあ、だって……」
アルチナは口を尖《とが》らせて弁明した。
「身なりいいし、押し出しいいし、妙に貫禄《かんろく》あったし。こんなボロ船の運送屋になんか見えなかったんだもん」
「帳簿《ちょうぼ》をちょいといじりゃ、それくらいの金はすぐ揃《そろ》うと言ったんだ。その気もないくせに、こっちだけ本気にさせようとしやがった」
クランは、あの夜のことを思い出しながら言った。
「社内の軋轢《あつれき》がきびしくて、思うように仕事ができん。自分には夢がある。一度でいいから自分の思いどおりにやってみたい――なんて言ってた」
「そこだけ本音だったかもね。あの姉さんたち、けっこう手強《てごわ》そうだから」
「だからって、社長がいきなり会社ほうりだすか? 自分の夢をかなえるためなら、社員がどうなってもいいってわけか?」
「……だよね。他人の迷惑考えてないよね」
自分のことは棚に上げて、二人はそう言った。
アルチナはベッドに腰掛けた。
クランは沈黙《ちんもく》した。
アルチナも黙《だま》り、それから部屋を見回した。
壁に、写真かなにかを剥《は》がした跡《あと》が、そこだけ白く残っていた。
あの時――ロイドは診察室《しんさつしつ》でも煙草《たばこ》を吸っていた。同じ臭《にお》いだった。
「奴《やつ》の部屋だね、ここ」
「らしいな。長くいたんだろう」
それからクランは、ぽつりと言った。
「変だとは思ったんだ」
「なにが?」
「二度めに会った時も、奴は平気な顔してた。これは宝探しだ、アフナサイトを独占《どくせん》して昇進してやる。しくじったら面倒だが、新ルートの開拓《かいたく》にゃリスクはつきものだからな――なんて言ってた」
「一貫性ってやつ?」
「気が変わったと言えばすむだろうが。余命《よめい》三か月で元気いっぱいホラ吹くか、普通《ふつう》?」
「……確かに」
二人は沈黙したが、思うことは同じだった。
この仕事は、金をまきあげる相手の人格に通じていないと成功しない。
仕事はうまくいった。
だが二人は、ロイドについて、何も知らなかったことを知ったのだった。
ACT・8
「いいかな。オルタネート・モードにして、FEGとSEGをオン」
「オルタネートでFEG、SEGをオンと……」
クランは言われたとおりにスイッチを入れた。
「次、アジャスターの指針《ししん》をグリーンに入れて――」
「待て。いま書いてる」
クランはマージの言うことをいちいちメモにとっていた。
「律義《りちぎ》なことね」
「記憶《きおく》力は信用しないんでな」むっつり顔で言う。
「ギャンブラーなのに?」
「ギャンブル関係だ。この業界にもいろいろある」
「ふうん……」
マージは退屈《たいくつ》しかけていたので、ちょっと脱線《だっせん》してみようと思った。ダッシュボードから『辛党《からとう》天国ハラピニョ・チップ』の袋を取り出し、ひとつかみ頬張《ほおば》る。
「そのへん、詮索《せんさく》していいかしら?」
「話すようなことはない」
袋をさしだすが、クランは手をつけようとしなかった。
「同じ船に乗っている以上、チームワークは必要よ」
「それがどうした」
「お互いの理解を深めたほうがいいってこと」
「理解と詮索とは違う」
「じゃあ、理解を求めるわ。なぜ運送業をやろうと思ったの?」
「食いっぱぐれがないとみたからだ」
「それはどうかしら」
「厳《きび》しいのか」
「メガシップを何隻も持ってるようなフリートなら仕事はいくらでもあるけどね。うちみたいな小型船じゃ、食い込むのは大変よ」
「ぼちぼちやるさ」
「余裕《よゆう》あるのね? ただでさえ使用人が二人増えたのに」
「まあな」
「船をジャンク屋で買うくらいだから、かなり逼迫《ひっぱく》してると思ったんだけど?」
「それで金が浮いたんだ」
「そして接触《せっしょく》事故。賢明《けんめい》な資産運用とは思えないな」
「俺の金だ。どう使おうが俺の勝手だ」
マージは肩をすくめた。レッスンに戻る時がきたようだ。
「さてと……アジャスターは中央より低めをさぐるのがコツ。センサーと共振《きょうしん》するらしくて、応答性がぐっとよくなるわ」
「それはいいと言ってるだろう。俺はあんたみたいにブンブン飛ばすつもりはない。回り道でも必要なことがやれればいいんだ」
「あらそ」
つまらない男だ、とマージは思った。
男たるもの――車であれ宇宙船であれ――エンジンの整備は自分でやり、常に最高にチューニングしていなければならない。仕事上の安全ははかるとしても、機会をとらえてはポートパトロールをぶっちぎる意志と運動神経を持つべきなのだ。
ロイドならそんな時、勝負しろ、どんどんやれ、と煽《あお》る。このクランって男、見た目はロイドよりよほど飛ばし屋っぽいのに……。
気がつくとマージは、クランとロイドを比較《ひかかく》していた。
いろいろ問題はあるが、少なくとも、ロイドといれば退屈はしなかった。
ロイドは自分がその気になれは、いつでも伊達男《だておとこ》になれた。女には不思議なほどもてたので、肩を並べて歩くのは嫌ではなかった。
遊び相手として、この男はどうだろうか?
歳《とし》はお似合いだし、ルックスも悪くないが――
「どうするんだ?」
「え?」
「熱輸送システムだ」
「ああ……」
「何ぼんやりしてる」
マージはため息をついた。
「ちょっとね。前のバカ社長のことを思い出したりして」
皮肉のつもりはなかった。
だがサングラスの下の顔は、かすかに揺《ゆ》れた。
「ロイド……とかいう奴か」
「うん」
「どんな奴だったんだ?」
「なかなか一口では言えないな」
「言うなればバカ社長か」
クランはむっつりと言った。
「そう。あるいは大人《おとな》の少年、てとこかな」
「今度も夢を追ったか」
クランはそう言った。
マージは、ほう、という顔でクランを見た。
「いい線いってるわ。そう――ロイドの夢は宝探し。仕事にかこつけて、ずいぶんあちこち引っ張りまわされたもんよ」
「そうか」
「そのたびに大損して、いつも赤字だった」
「そうか」
「懲《こ》りるってことがないのね。ああいう男は」
「男はみんなそうだ」
「あなたもそうなの?」
「俺はちがう」
「でも、その気はあると」
「俺の仕事は、男どもに夢を与えることだ」
「ギャンブル関係ってやつ?」
「そういうことだ」
「ふーん……」
このときマージは奇妙《きみょう》な違和感《いわかん》を感じたが、そのわけに気付いたのはずっと後のことだった。クランは過去形を使わなかったのだ。
ACT・9
その夜、メイは食堂のテーブルに頬杖《ほおづえ》をついて、ぼんやりとスレートの画面を眺《なが》めていた。
アルフェッカ号の個室は三つしかない。ロイドの部屋にはクラン、マージの部屋にはアルテナが入り、マージはメイと同居することになった。ベッドを二段にするのは簡単だったが、もともと広くない部屋を二人で使うのは窮屈《きゅうくつ》だ。長い航海では、どうしても一人になる時間が要る。
メイは夕食後も、できるだけダイニング・キッチンですごすようにした。
片付けが終わって自由時間になると、自分のスレートを開いて、ライブラリにある小説を読むことにする。
しかし、あまり集中できなかった。なにより両親への手紙を書かないと落ち着かないのだが、いまだにできない。
メイは人生が流転《るてん》したと感じていたが、ミリガン運送のことが断《た》ち切れたわけではなかったし、そう思いたくもなかった。手紙を書いて、両親に報告すれば、この留保《りゅうほ》に終止符《しゅうしふ》を打つことになる。メイはどうしても、踏《ふ》み出せなかった。
足音が近づいてきた。アルチナだった。
「暇《ひま》そうじゃん」
「うん」
「来ない?」
「来るって……」
「あたしの部屋。ジン・ラミーでもやろうよ」
「やったことないから」
「じゃあ始めなきゃ。ルールなんてすっごい簡単だよ。五分でわかる。だけど奥が深い。ハマると思うな」
そういう時間のすごし方もあるかな、とメイは思った。
アルチナの部屋は、マージがいた時と変わってなかった。壁にあった写真パネルが消えているが、これはロイドがホテルに送り付けてきた荷物の中にあったから、捨てられたわけではない。
アルチナはベッドに腰《こし》をおろし、ついでショートパンツからのびた左足をシーツの上に投げ出した。
メイも向かい合わせに腰|掛《か》けた。アルチナは傍《かたわ》らのバッグをごそごそやり、カードをとりだした。ジョーカーを抜いて二人の間にぶちまけ、慣れた手つきでシャッフルする。
「こいつは手札《てふだ》を捨てれば勝てるゲームなんだ。同じスートの連番か、同位のカードを三枚以上そろえれば役になる。役ができたら捨てられる。わかる?」
アルチナは自分とメイに、手札を十枚ずつ配《くば》った。
「ええ」
「自分の番になったら、残ったカードの山から一枚とって手札を一枚捨てる。捨てたカードはオープンにして並べる」
「うん」
「役になってないカードには点数がつく。キング、クイーン、シャックは十点、エースは一点、他は数字と同じ。この点数の合計が十点以下になったら『ノッキング!』と宣言《せんげん》していい」
「ええと……点が少ないほどいいのね?」
「そう。ノッキングしたら、いらないのを一枚捨てていいから、役つきと捨てたい一枚を除く全部を合計するんだ」
「わかった」
「ノッキングされたほうは、相手の役に付け札ができる。ジャックの3、4、5と並んでて、自分がジャック、の2や6を持っていたら付けられるんだ。そして点数を合計する。点数が少ないほうが勝ち。わかった?」
「ええと……わかったと思う」
「じゃ、始めようぜ。メイから替《か》えなよ」
手札で役になりそうなのはクイーンのツー・ペアとスペードの7、8、10くらいだった。
新たなカードはハートのジャックで、これはツー・ペアの一枚と連番になる可能性が出てきた。
しかしジャックは点数が高いから、あまり残したくない。メイはそれを捨てた。
アルナナのほうはクラブのクイーンを捨てた。
そうか……
メイはこのゲームの要領《ようりょう》がわかった気がした。相手が何を捨てるかを観察して、そこから相手の手を推測《すいそく》すればいいのだ。
メイは脳裏に、四×十三の格子《こうし》になった電光表示|盤《ばん》を描いた。自分の手札と場に出たカードは消灯≠オ、残りをアルチナの手札の候補《こうほ》とする。
さらにメイは、アルチナがとりうる役を表示させた。それは格子上で、縦か横に連続した三枚以上のカードだ。
なんだ、全然簡単じゃないか、とメイは思った。
チェスにくらべれば、探索《たんさく》空間は問題外に狭《せま》い。いまのところ未知のカードは四十枚あるが、既知《きち》のカードが格子の中で虫喰《むしく》い状に散らばって連続性を壊《こわ》しているから、役はかなり絞《しぼ》りこめる。
カードを四回替えた頃から、それはますます明瞭《めいりょう》になってきた。アルチナはこちらの手札を知らないから、届《とど》きようのないカードを待っている可能性もある。だが、相手もそのリスクはわかるはずだから、より達成率の高い役を作ろうとするだろう。
メイは脳裏に、第二の電光表示盤を用意した。そこにはアルチナの立場からみた情報を表示する。アルチナはこちらの手札を知らない。推測しているだけだ。
アルチナがハートの8を捨てた。
電光掲示盤のひとつが消灯した。違うスートの8は持ってないのか? いや――今回の補充《ほじゅう》でクラブの7から9までが揃《そろ》ったんだ。それで、ツー・ペアだった8に見切りをつけた。そうにちがいない……
三十分後。アルナナはすっかり降参して言った。
「おまえ、タダもんじゃないな。ジン・ラミー、ほんとに初めてなのか?」
「ほんとですってば!」
「じゃあ、他に何かやってたんだ。ブリッジとか」
「カードは特に……でもチェスなら少し」
「チェス? レーティングは?」
「えと、二千五百四十ですけど」
アルチナはあんぐり口をあけた。
「二千五百四十! そりゃプロ級だぜ!」
「でも、マシン判定だから実戦は……」
「それにしたってすごいもんだぜ! だったら棋士になりゃいいじゃん! こんな船でくすぶってないでさ!」
「くすぶってるとは、思わないけど……」
「プロになりゃ、なんでも買えるしどこでも行けるぜ」
「でもちょっと、性に合わないみたいだし。棋士なんて」
「けど才能は生かさなきゃ!」
「才能なら――」
メイは言いかけて、それが高慢《こうまん》に聞こえないかどうか心配になった。
アルチナは先をうながした。
「ちゃんと生かしてるってか?」
「いちおう……」
「航法士が?」
「航法士っていってもいろいろあって」
「じれったいなあ、さっさと言えよ」
「私、ヴェイスって星の生まれで、それで機雷原《きらいげん》専門の航法士だったんです」
「機雷原?」
「ええ……」
メイは説明した。惑星《わくせい》ヴェイスは二百六十年前の大戦≠ナ散布《さんぷ》された宇宙機雷に包囲《ほうい》されていた。どんな手違《てちが》いがあったのか――終戦後もその機雷は除去《じょきょ》されず、惑星外との交易《こうえき》を阻《はば》み続けた。しかし資源の乏《とぼ》しいヴェイスで、市民が生き延びるためには宇宙交易がどうしても必要だった。
ヴェイス・ナビゲーターはそうした交易船に乗り込んで、機雷原を道案内するスペシャリストだった。望めばなれる仕事ではなかったが、メイは自らの才能を自覚すると、進んでその訓練コースに入った。
「だけどそれって、長生きできねーんじゃ……」
「数年で引退《いんたい》しますけど、殉職《じゅんしょく》は多いです」
「…………」
少しの間、アルテナは黙《だま》っていた。
「ナビゲーターも命知らずですけど、それは物資を運ぶ貨物船の人も同じで――それで私の初仕事のとき、いっしょになったのがミリガン運送のロイドさんとマージさんなんです」
「あの二人が?」
「ええ。それが――いろいろあって――ロイドさんとマージさんのおかげで二百六十年間そのままだった機雷が除去できたんです。それで、ヴェイス・ナビゲーターの仕事は必要なくなって」
「それで、普通の航法士になったわけか?」
メイはうなずいた。
「けどさあ、そんな危ない仕事やってたんなら、恩給《おんきゅう》とかで暮らせるんじゃねーの?」
「外の世界を見たかったんです」
メイは言った。
「ロイドさんやマージさんみたいに、星から星へ渡り歩いて、いろんな人と出会って、いろんな物を見てみたくて――それで、家出しちゃった」
メイはべろりと舌を出した。
「家出? おまえが?」
「母さんが反対したから。でもあきらめきれなくて、家出してアルフェッカ号に密航《みっこう》して。ちょうどこの部屋の、すぐ下の船倉《せんそう》にもぐりこんで」
「……すげーことするなあ、おまえ」
「なんか、勢いだったんです。命がけで機雷と勝負してたのが、急にやることなくなって。それにロイドさんとマージさん見て、すごいなあって思ったし」
「ふーん……」
アルチナは真顔《まがお》になって、沈黙した。
メイはふと、自分ばかり話していたことに気付いた。
「あの、アルチナさんはどうなんですか?」
「アルチナ、でいいよ」
「じゃあ、アルテナ」
「あたしは――」
アルチナは、ふと顔をそらした。
「そんな凄《すご》いことやってないけどさ」
「でも、普通なら学校に通ってる歳ですよね。どうしてクランさんと働くことになったんですか?……あの、ギャンブル関係って言ってましたけど」
「まーね」
アルチナは、とつとつと話しはじめた。
「クランは――うちの父親の……まあ取り引き相手だったんだ」
「お父さんて、どんな仕事?」
「病院やってた」
「へえ……すごいんだ」
「つまんない奴《やつ》さ。あたしとはウマが合わなかったな」
「親子で、ウマが合わないなんて言うかな」
「いいんだよ、表現はどうだって」
「それで? クランさんとは?」
「何度かうちに来たから、あたし、顔なじみになったんだ」
「うん」
「話もするようになったしさ」
「うんうん」
メイはこくこくとうなずいた。
「で、ある日その……仕事が終わって、じきにクランが遠くへいっちまうのがわかったんだ」
「いきなり? アルチナに黙って?」
「まあな」
「そんな……」
「むこうはその気じゃなかったんだ。でも、あたしは追った」
アルテナはしだいに、気分に浸《ひた》りながら言った。
「有り金はたいて切符買って、港の待合室にとびこんだらクランがいた。それで『面白そうだからついてくよ』って言ったんだ」
「面白そう? クランさんの仕事が?」
「ああ……まあ、言葉のアヤだな」
「そういえは、クランさんってギャンブル関係よね。なんで病院と取り引きなんか?」
「そりゃまあ……病院に遊戯施設《ゆうぎしせつ》でも置こうって話で――メイ、いまいいとこなんだから話そらさないでよ」
「あっ、ごめん。でクランさんはなんて言った?」
「そりゃしぶったよ。あたしみたいな未成年の小娘《こむすめ》を連れてったら誘拐犯《ゆうかいはん》に間違われてもおかしくないだろ」
「でも、食い下がった?」
「そう。そしたら、最後にゃ『勝手にしろ』って」
「すごーい!」
メイは顔を上気させた。
自分のときもそうだった。密航が明らかになると、ロイドとマージは、もう少しでヴェイスに引き返すところだった。メイは処分を知らされるまで、ほとんどまる一日、個室で待機させられた。
たぶん、その間に両親と交信していたのだろう。あの時、船はヴェイスから二光時離れていた。一度のやりとりに四時間かかる距離では、込み入った話はできそうにないが……。
「あの家にはもう、うんざりだったんだ」
アルテナは言った。
「あいつら、あたしを医者にさせたがったんだ。あたしが成績悪いのが嫌《いや》で、なんでお前はこうなんだって言う。顔見るたびにさ。だけどあたしは他にやりたいことがあったんだ」
「なに? やりたいことって」
「劇さ。役者になりたかったんだ」
「へええ!」
「驚くかな。メイだってやったことあるだろ? 学芸会かなんかでさ」
「あるけど……ほとんど台詞《せりふ》もない役ばっかりで」
「それじゃつまんないな。劇ってのは長っが〜い台詞を滔々《とうとう》とわめくのがいいんだよ」
「わめく……?」
「シェイキーの劇は知ってるだろ?」
「シェイキー?」
「マクベスとか、ロミオとジュリエットとかさ」
「ああ、シェークスピア……」
「よし!」
アルチナはベッドを降りて立つや、中天をあおぎ、両手で胸をかき抱《いだ》いた。
「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜロミオ様でいらっしゃいますの、あなたは! 憎いのはその名前――でも名前が一体なんだろう? 私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、薫《かお》りに違いはないはずよ!」
「アル……」
メイは唖然《あぜん》として相手を見上げた。
アルチナは別人になっていた。
「メイ、あんたはロミオをやるんだ」
「え? 私が?」
「本ならそのスレートに入ってる。ライブラリの古典文学・戯曲《ぎきょく》で探してみな」
「でもロミオって男だし――」
「いいじゃん、男をやるのも楽しいぜ」
「でも――」
「いいからやってみなって」
メイは言われるまま、スレートに戯曲『ロミオとジュリエット』を表示させた。
「えと……」
「第二幕第二場。バルコニーで二人っきりで会うシーンだよ。ロミオはいまあたしが言ったセリフを聞いて、相思相愛《そうしそうあい》ってことを知る。普通のドラマならこれで終わったようなもんだけど、シェイキーのはここからが長い。二人でじゃんじゃんしゃべって、互いの気持ちをガーッと盛り上げるんだ!」
「はあ……」
メイはこの劇のことを、漠然《ばくぜん》としか知らなかった。以前ビデオで一部を観《み》たが、何やら大仰《おおぎょう》なセリフを交わしていた印象しか記憶《きおく》に残っていない。
「いいかい、いくよ――」
アルチナは再びジュリエットに変貌《へんぼう》した。
「それにしても、あなたはどうしてここへ、そして何のためにいらしたの? 塀《へい》は高くて、登るのは大変だし、それにあなたという身分柄を考えれば、もし家の者に見つかれば、死をも同然のこの場所へ」
メイはベッドに腰掛けたまま、スレートの画面に向かってセリフを読んだ。
「こ――こんな塀くらい、軽い恋の翼《つばさ》で飛び越えました。石垣などで、どうして恋を閉め出すことができましょう」
「その調子その調子」
「力の及ばぬことならいざ知らず、出来ることならどんなことでも恋はする。だから、あなたの身内ぐらいがなんの邪魔になりましょう」
「でも、見つかると殺されますわよ――さあ、次は気合いれて!」
「気合って、どうすれば――」
「立って大声でわめく! 声出す時はジュリエットを見る! あんたはジュリエットに一目惚《ひとめぼ》れして、もう好きで好きでじっとしてられない。ジュリエットはまだちょっとクールだけど、手応《てごた》えは充分《じゅうぶん》、男としちゃ押しの一手だよ。さあ!」
メイは言われるままに、立ち上がった。スレートの画面を一読してから声にする。
「どうして、奴等《やつら》の十や二十よりも、あなたの眼のほうがよっぽど恐い――」
「もっと大声で、あたし見て」
メイは真っ赤になりながら、セリフをとなえた。
「やっ、やさしいあなたの眼差《まなざ》し、それさえあれば、なんの奴等の憎しみなど、僕は不死身《ふじみ》だ!」
「どうあっても私はいや、見つからぬようにしてちょうだい!」
「夜の衣《ころも》に隠《かく》れているからは、断じて奴等の目につくはずはない。だがもし愛していただけないなら、いっそこのまま見つかりたい。あっ、あなたの愛もなくて、おめおめ命だけ長らえるよりは、むしろ奴等の憎しみで、殺された方がいいですっ!」
「誰の手引きでおわかりになって、ここが?」
ジュリエットはロミオを試してるんだ。でもロミオはめげるどころか、どんどんリードしていく。だって恋してるんだもの――メイはそう思いながら、次のセリフに進んだ。
「恋の手引きです! そもそも尋《たず》ねる心を促《うなが》したのも恋なら、知恵《ちえ》を貸してくれたのも恋、僕はただ恋に眼を貸しただけなのです! 僕は水先案内じゃない、けれどあなたという財宝のためなら、たとえ万里《ばんり》の海路、八重《やえ》の潮路《しおじ》をへだてた荒蕪《こうぶ》の異境であろうとも、僕はきっと冒険《ぼうけん》をしてみせますっ!」
第二場が終わった時には、二人とも真っ赤になっていた。
ベッドに腰掛け、冷たいレモネードを飲み干して、やっと人心地《ひとごこち》がついた。
「どうだい、気持ちよかったろ?」
「うん! なんか生まれ変わったみたい!」
「だろっ!? 別の人格に化けるって最高さ。やみつきになるぜ!」
「でもアルチナってすごいな。始めたらがらっと変わって、ほんとにジュリエットみたいだったもの」
「メイもよかったぜ。磨《みが》けば光るとみた」
「まさかぁ」
「ほんとだって。おまえ、わりと没頭《ぼっとう》するタイプだろ?」
「よく、そう言われるけど……」
「それそれ、役者にはそれが必要なんだ。才能は伸ばさにゃ」
「でもアルチナ、今の仕事って、劇の才能が生かせるの?」
「そ、それは――」
警報が鳴ったのは、その時だった。
アルナナにとっては幸いだったが、それも束《つか》の間《ま》のことだった。
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ACT・1
ブリッジへの一番乗りはメイとアルチナだった。室内灯をつけると、メイはすぐに電子機器をスタンバイからノーマルに切り替《か》えた。
「ねえ、なにが起きたのさ」
「遭難《そうなん》信号が入ったみたい。ちょっと待ってて」
作業服をはおったマージが現れた。
「どうした?」
「遭難信号が入ったみたいです」
マージは、おーう、と唸《うな》った。
それから、クランが現れた。服装は夕食のときと変わっていない。たぶん、着替えずに寝ていたのだろう。あいかわらずサングラスもつけている。
「どうした?」
「待ってください。すぐわかります」
アビオニクスの立ち上げが完了した。
スクリーンに現れた詳細情報を、メイは一同に伝えた。
「ええと――四分前、自動発信の遭難《そうなん》信号を受信しました。船名はマーキュリー・エクスプレス、総質量七百トンの高速貨物船。位置は現在|照合《しょうごう》中。乗員からの救助|要請《ようせい》は今のところありません」
「なんだ、こっちのトラブルじゃないのか」
クランが拍子抜《ひょうしぬ》けした声で言う。
「トラブルをしょいこんだってことよ」
マージが言った。
「遭難信号を受けたら、最寄りの船が救助に向かうしきたりよ」
「俺たちが一番近いのか?」
「もうじきわかる」
そう言って、マージは航法席を振《ふ》り返った。
「どう?」
「ええと……マーキュリー・エクスプレスはほぼ真後ろ、四千七百万キロの位置です。半径一AU以内で、他に船はいません」
「というわけよ」
「救助は義務なのか」
「義務じゃないけど、後で事情聴取されるわよ。明らかに救助が可能な状況《じょうきょう》なら、それを怠《おこた》ったことで厳重注意を受ける。こっちだって後味が悪いでしょ」
「ふむ」
マージは通信機を緊急《きんきゅう》共通波にセットすると、相手に呼び掛けた。
「貨物船アルフェッカ号よりマーキュリー・エクスプレス。貴船の遭難信号を受信しました。状況報告ねがいます」
返事は早くても五分後になる。
「ポートパトロールとかは出てこないのか。むこうの指示をあおぐとか」
「連絡はするけどね。でもここじゃステーションがあるのは内惑星《ないわくせい》領域だけだから――」
マージはスクリーンを一瞥《いちべつ》した。中心|恒星《こうせい》から、すでに三十三AU(天文単位)――およそ五十億キロ離れている。ポートパトロール本部のあるサル・アモニアク軌道都市《きどうとし》も、通信中継の経路《けいろ》を考慮すればほぼ同じ距離《きょり》になる。
「この距離だと一回のやりとりに九時間かかるわね」
クランはため息をついた。
「僻地《へきち》じゃ自分らで助け合えってか」
「そのとおり。星系外に出ればジャンプドライブに入るから、このあたりは船乗りが経験する一番さびしい領域ってことね」
「無法地帯ってことでもあるな」
「ん?」
すれ違いを感じて、マージはクランの顔を見た。クランは言った。
「この位置なら、パトロールが追いつく前にジャンプできるだろう」
「そりゃまあ、そうだけど――」
「直径百AUの系内空間で、相手は〇・三AUしか離れてない。偶然《ぐうぜん》にしちゃできすぎじゃないか?」
「偶然じゃないわ。まさしくこんな時に備《そな》えて、先行する船にベクトルを合わせるってノウハウがあるのよ。それに――」
マージはスクリーンの拡大率を低下させ、太陽系全体を表示した。外縁《がいえん》方向に向かう船だけをみると、ほぼ同一線上に並んでいる。
「この星系じゃ、恒星船は大半がサル・アモニアクを起点にするでしょ。ジャンプ可能領域まで最短距離をとるなら、港から太陽を背にして直進することになる。その進路は惑星につれて時計の針のように動くけど、短期的にはほぼ一定になるわ」
「ふむ……。しかしあっちは俺たちの後に出た船だな?」
「加速性能にもよるけど、だったら何なの」
「つまり――」
クランは言葉を選びながら言った。
「俺達を追ってきた――海賊船《かいぞくせん》か何かって可能性もあるわけだ」
「海賊船がこの船に出航前から目をつけてたってわけ? あはは、すんごい発想だわ!」
マージは不遠慮《ぶえんりょ》に笑った。
「海賊ならまっすぐ向かってくるわよ。中継ステーションとの線上に割り込んで、通信|妨害《ぼうがい》をかけてね。わざわざ遭難を装《よそお》って、星系中に知らせるような真似はしない。だいたいあたしが海賊なら、この船だけはまたいで通るな――ねえメイ?」
「普通、積み荷の目星くらいつけますよね」
メイも笑いをかみ殺しながら言った。二人の女に笑われて、クランは赤面した。
「それとも」
マージはクランに、にんまり笑いかけた。
「何か貴重《きちょう》なものをお持ちかしら?」
「…………」
しばしの沈黙の後、クランは憮然《ぶぜん》とした顔で言った。
「美女が三人乗ってる」
「は――」
一瞬《いっしゅん》の間《ま》をおいてマージとメイは爆笑《ばくしょう》し、アルチナまでそれに加わった。
あまりに笑ったので、メイは自分の腕時計のダウンカウントがゼロになったのを、あやうく見逃《みのが》すところだった。
「しーっ、皆さんお静かに! 応答が届《とど》く時間です!」
マージは通信機の音量を上げた。
「さあて、鬼《おに》がでるか蛇《じゃ》がでるか……」
四人は息を殺して待った。
だが、二分待っても、三分待っても、マーキュリー・エクスプレスからの応答はなかった。
「どーなってんの?」
アルチナが聞いた。
「よくあることよ。通信機が故障していたか、乗員がたまたま席を離《はな》れていたか、応答する気がなかったか――一番多いのは、全滅《ぜんめつ》ね」
「それでも救助に行くっきゃないわけ?」
「そういうこと」
「なんだかなー。報《むく》われないっていうか……」アルチナはクランの顔をうかがいながら、ためらいを見せた。
「あんたも若いのに、消極的ねえ」
マージはため息をついた。
「こういう緊急《きんきゅう》活動って、カーッと燃えるものがあるじゃない? 日常をぶち破るなにかがさ――そりゃ時間も燃料もかかるけど、貯蓄《ちょちく》ってのはこういう時のためにするものよ」
「それはロイドさんの受け売りですね」
メイがつっこみを入れる。マージは否定《ひてい》しようとしなかった。
「そうよ。いなくなってわかったわ――ロイドのおかげで、どんなに退屈《たいくつ》がしのげたか」
「俺たちじゃ退屈か」クランが言った。
「少なくともロイドなら、救助をためらったりしなかったわ」
「観光旅行してるんじゃないんだ。退屈で結構だろうが」
「ええ、そうでしょうとも」
わかんなきゃいいわよ、という顔でマージは切り上げた。
「メイ、できた?」
「いまそちらに転送します」
マージは手元のスクリーンで、メイが作った救助プランを一読した。
「三Gの定常加速で二十三時間後にランデヴー。さあ、どうする?」
マージは新しい船主に意見を求めた。
「一週間でここまで来たのに、たった〇・三AUバックするのに一日かかるのか」
「古典物理から復習する?」
「忘れちゃいない。一日ロスするのが気が進まんだけだ」
「本船に求められているのは人命救助である! ゴーかノー・ゴーか?」
マージは高飛車《たかびしゃ》に決断を迫《せま》った。
「ゴーだ」
「ちょっとクラン――」アルチナが制止《せいし》しかけるが、クランはもう、動かなかった。
「いいんだ」
「だけどぉ……」
「いいんだ。難破《なんぱ》が本物だったら寝起きが悪いだろ」
クランはためらいを振《ふ》り切るように言い放った。
つまるところクランは、連日ロイド相手に舌戦《ぜっせん》を展開してきたマージやメイの敵ではなかった。二人は、男の意地≠ニいわれる急所を、なかば無意識的に突くすべを会得《えとく》していた。
マージは救助プランをシーケンサーにロードし、ただちに実行させた。
船体にかすかな振動《しんどう》が走り、窓外の星空が流れた。右手からひときわ明るい星が現れ、正面でぴたりと止まった。この星系を支配する、主恒星アヴィスだった。
これまでと正反対の加速が始まると、マージは通信機のトークボタンを押した。
「貨物船アルフェッカ号、船長マージ・ニコルズよりポートパトロール各局。貨物船マーキュリー・エクスプレスの遭難信号を受信。状況は不明、救助活動を開始する。ランデヴーは明朝0120の見込み。標準時0247、通信終了」
それからメイに言った。
「さっきのマーキュリー・エクスプレスへの送信だけど、三十分おきにオートリピートするようにしてちょうだい」
「了解《りょうかい》。こちらあてに何か受信したら、どうしますか」
「総員起こし。アラームをじゃんじゃん鳴らす」
「わかりました」
マージは席を立ち、一同に言った。
「つーことで、寝直しましょ。寝られるうちに、ぐっすりね」
四人はぞろぞろと、それぞれの部屋に戻った。
ACT・2
翌日になっても、マーキュリー・エクスプレスからの応答はなかった。
広大な宇宙空間での救助活動はやたらに時間がかかり、通信でさえ間延びしたものになる。この日は朝から四人ともブリッジに勢揃《せいぞろ》いしたが、相手からの応答がない以上、特に仕事はなかった。
正午近くになって、ポートパトロールから最初の返答があった。
音声としては「救助活動に感謝する。健闘を祈る」という短いメッセージだけだったが、マーキュリー・エクスプレスの船体データも同封されていた。それはごくありふれた、四百トン級の恒星間貨物船だった。船体の透視図《とうしず》を見ながら、エアロックの位置などを確認していると、また通信機の着信音が鳴った。
「クラン、新聞社からインタビューが入ったけど、どうする?」
バトロールへの第一報が届いて、すぐに記者クラブに伝達されたのだろう。こうした事故はさほど珍《めずら》しいことではないが、現在進行中とあればニュースバリューはある。マージはそれを一読したが、肩をすくめただけだった。
だが席をはずしていたクランは、それに興味《きょうみ》を示した。
「どんな内容だ?」
「再生するわ」
サブスクリーンに、若い男の角張った顔が現れた。
『アルフェッカ号乗員の皆様、こちらはアヴィス・ニューズパケットのJ・R・アンダーソンです。貴船のこのたびの勇敢《ゆうかん》な行動はアヴィス市民の注目するところであります。つきましては、次の質問にお答えいただければ幸いです。このインタビューは時差《じさ》を編集で削除《さくじょ》して、シティネットで放送される予定です』
「物好きな連中だな」
「彼らの期待に応《こた》えようなんて思わないことね」
「そうなのか?」
「視聴率がはね上がるのは、救助が失敗したときよ」
画面の中で、記者は質問を開始した。
『まずニコルズ船長におたずねします。救助活動は航海を少なくとも一日延長させるだけでなく、ときには乗員の生命を危険にさらすことになりますね? それでもあえて救助を決断した、その心境をお聞かせください』
「やらなきゃテメーらが槍玉《やりだま》にあげるからだろうが」と、クラン。
「ご名答」
『難破船《なんぱせん》に乗り込む勇者にご登場ねがいます。どんな危険が待ち受けているかわかりませんが、今のお気持ちはいかがでしょうか?』
「ゆうべから気になってたんだけど、これって誰が行くのさ?」アルチナが聞いた。
「あたしだろうね」と、マージ。
「一人でか?」これはクラン。
「あなたとアルチナは経験不足でしょ。メイには船をあずけたいし」
「俺が行くつもりだったんだが」
「船外活動に熟練《じゅくれん》してないと無理ね」
「俺は元宇宙軍だぞ。向こうに乗り込むくらい楽勝だ」
「資格目当てに二年いただけでしょ? ここで求められるのは経験よ」
『星系辺境での遭難においては、救助者による略奪《りゃくだつ》が問題になっていますが、今回そのようなことはないと誓《ちか》えますか?』
「消しちまえ」
マージはログ消去キーを押した。
「大丈夫《だいじょうぶ》だよ、クランはこういうの得意だから。器用だし、運動神経いいもんね」
アルチナが後ろから掩護射撃《えんごしゃげき》した。
「そういうことだ」
「二人とも、難破船に乗り込む危険を知ってるの?」
マージはいさめるような口調で言った。
「宇宙船ってのは星ひとつ吹き飛ばす力を持ってるのよ。難破船にはそれがどんな形で残っているかわからない。放射能、不安定な縮退《しゅくたい》物質や反物質、腐蝕性《ふしょくせい》の液体やガス、超《ちょう》伝導コイルに蓄《たくわ》えた大電流や磁気、それに慣性――船が独楽《こま》のようにスピンしていたら、どうやって乗り込むつもり?」
マージは返答を待たずに続けた。
「内外に浮遊《ふゆう》するケーブルや破れた配管、氷や汚物《おぶつ》、予想外の積み荷。船体は余熱で赤熱しているかもしれないし、空気さえ凍《こお》る極低温かもしれない。固い床に見えたものが、宇宙服に触《ふ》れたとたん沸騰《ふっとう》しはじめることだってある。あたしには、こうした船の略奪《りゃくだつ》が割に合う商売とは思えない」
「よくわかった」クランは言った。
「そういうことなら、なおさら一人で行かせるわけにはいかん」
「は?」
「もとより船外活動は二人一組が原則だ。そう習ったろ?」
「あんた、時々変なこと言うわね」
マージはひととき男の顔を眺め、それから言った。
「まあ、足手まといにならなきゃいいけど」
「その言い方、なんとかならんのか。給料を払うのが誰かを忘れるなよ」
「航海中は船長の天下だってこともね。――わかったわ、手足を切断したり、酸欠で脳細胞《のうさいぼう》を半分|壊《こわ》してもいいと思うのなら行くのは止めない。今のうちに自分の宇宙服をしっかり点検《てんけん》してちょうだい」
「持ってないんだが」
「宇宙服を?」
「そうだ」
マージはため息をついた。
「……てことは、アルチナも宇宙服を持ってないのね?」
「ないよ、そんなもの」
「自分の宇宙服も持たずに、よく宇宙船に乗る気になるもんだわ。――メイ、二人の服を用意して、整備と調整の手順を叩《たた》き込んでちょうだい」
「あの、予備は一着しかないんですけど――」
「クランにはロイドの服を使ってもらうわ」
「わかりました」
「それができたら、あたし以外は睡眠薬《すいみんやく》を飲んで三時間仮眠すること。作業は深夜になるからね」
ACT・3
そこに昼も夜もないことはもちろんだが、宇宙空間とかかわりの深い軌道都市《きどうとし》や宇宙船内では、日照《にっしょう》に関係ない恒星《こうせい》間共通の標準時を使用する。
標準時、午前零時半。
前方二十キロの宇宙空間で、マーキュリー・エクスプレスは明滅《めいめつ》するかすかな光点として見えていた。光度に増減があるのは、船体が自転しているせいだろう。明滅の周期から、六秒ごとに一回転していることがわかった。
「この周期だと、半径十メートルで一・一Gになりますね」
メイは手早く計算して伝えた。
「どーゆーこと?」アルチナが聞いた。
「船の自転軸から十メートル離《はな》れた場所だと、体重が一割増しになるくらいの遠心力がかかるの」
「それぐらいだったら知れてるじゃん」
「でもアルチナ、宇宙服とバックパックつけて鉄棒に長くぶらさがっていられる?」
「……やったことないけど、ちときついかな」
「最初は北極≠ゥ南極=\―つまりなるべく自転軸に近いところにとりつくのがセオリーね。そこから船殻《せんこく》をつたってエアロックに移動する。クラン、いい?」
「わかった」クランはマージの指示を、素直に聞き入れた。
「じゃクラン、そろそろ移乗のしたくをしましょ。メイ、あとはよろしく」
「あ……はい」
マージはランデヴーの最終段階を見届《みとど》けずにブリッジを出た。相手の船との距離《きょり》を測《はか》るのは近距離レーダーとレーザー測距儀《そっきょぎ》だが、マージはそのどちらも信頼していない。
……てことは、自分が信頼されてるのかな、とメイは思った。
ブリッジはメイとアルチナの二人きりになった。メイは船長席に座り、アルチナはその隣《となり》に移った。
「メイさあ、操縦できるの?」
「免許《めんきょ》はないんだけど――」
メイはそこで言葉を切って、計器を入念に調べた。
「――現場に出ると、手の空いてる人がやるしかないって時があって。プログラム操船なら、なんとか動かせるの」
「プログラム操船って?」
「さきにプログラムを組んでおいて、本番はコンピュータに操縦させるの」
「ふーん……」
打ち合わせでは、三百メートル手前で停止することになっていた。
現在のモードならコンピュータが航法装置のデータを読んで、船を停止させる。
距離を測るのは近距離レーダー、それが不調ならレーザー測距儀が選ばれるが、両方とも故障しないとはいえない。メイはひっきりなしに、各計器をチェックした。
アルチナは、まだ何か言いたげだったが、メイの様子を見て遠慮《えんりょ》していた。
「目標まで五キロ」
インカムでダイニングルームに報告する。少し間をおいて、マージのヘルメット・マイクを通した声が返ってきた。
『船の周囲に漏洩物《ろうえいぶつ》は見える? ガス状のものとか』
「ええと……」
メイは望遠映像を見た。
「見えません。逆光なので、あれば見えると思うんですが」
『了解《りょうかい》。乗員が全滅したわりにはおとなしいわね』
「全滅と決まったわけじゃ……」
『まず全滅よ。この距離でまったく応答がないんじゃね』
「それはそうですけど……。えと、目標まで一キロ。微速前進中」
『打ち合わせどおり、三百メートルで停止ね』
「はい」
メイはサーチライトを点灯し、ビームを絞《しぼ》って目標にロックした。
まもなく、マーキュリー・エクスプレスの外観が、肉眼でもはっきりと見えてきた。
全長は六十メートルあまりで、細長い双胴《そうどう》で貨物コンテナを抱え込む構造だった。前部にはブリッジと居住区、後部には推進機関がある。外から見た限り、損傷《そんしょう》の痕跡《こんせき》はない。
幸いなことに、船はバーベキューのように回転しているだけだった。これなら船のどこにとりついても、さほど大きな遠心力はかからない。
そのことをマージに伝えているうちに、船は停止位置に来た。
『じゃあ、これより船外に出る――クラン、いい?』
『いいぞ』
「二人とも、気を付けて」
まもなく外に二人が現れた。バックパックの噴射装置《ふんしゃそうち》を使って、滑《すべ》るように遠ざかってゆく。今のところ、クランももたついている様子はない。
目標の手前で、二人はいったん停止した。
メイは望遠映像の倍率を上げた。二人は互いを命綱《いのちづな》で結んでいるところだった。
貨物船は二人の数メートル先で、音もなく回転している。それは静謐《せいひつ》そのものだが、人体を瞬時《しゅんじ》にミンチにするだけの慣性を持っていることも事実だった。
『今ブリッジの前に来たけど、人影《ひとかげ》は見当たらない。磁場、放射線、重力……すべて異状なし。船首のエアロックから入ることにする』
「了解」
それから、マージとクランのやりとりが聞こえた。
『ふむ……メリーゴーランドにとびつく要領だな』
『手前のハンドルが見えた? つぎの一周でつかまって』
『わかった』
『スリー、ツー……それっ!』
マージはクランを背後から蹴飛《けと》ばした。
悲鳴をあげなかったところをみると、クランも承知していたのだろう。プロはむやみに噴射装置を使わない。二人は正反対の向きに押され、命綱が伸びきったところで静止した。直後、クランの目の前にエアロックがめぐってくる。クランは素早く腕を伸ばした。
『つかんだ――ざっとこんなもんだ」
『油断しないで。まずカラビナを通して……そう』
続いてマージが、命綱をたぐってエアロックにとりついた。
『手動開閉はこれだな。回すぞ』
『ゆっくりね』
メイとアルチナは、通話に聞き入った。望遠映像では、エアロックがこちらを向いたときしか様子が見えない。外扉が開き――次に見えた時には、二人は中にいた。
外扉が閉じると、アルチナが不安げに言った。
「なあメイ……」
「うん?」
「さっき、全滅したわりにおとなしいって言ってたけどさ……」
「うん」
メイは生返事《なまへんじ》をした。今は外の二人に集中していたかった。
「なんか、嫌《いや》な予感がするんだ」
「そう」
「この話、向こうに聞こえてる?」
「ううん」
望遠映像を見つめたまま、首を振《ふ》る。
「つまり、ここだけの話なんだけど」
「うん」
「あたしたち、追われてるんだ」
「うん」
メイはそこで我に返った。
「アルチナ、いま――追われてるって言った?」
ACT・4
計器にもそう表示されていたが、マージはエアロックの内扉にヘルメットを押し当て、ノックして確かめた。
「空気はあるようね。念のため、手動で開いて」
クランは指図に従った。
開閉ハンドルを回しはじめると、空気が流入する感触《かんしょく》があり、やがて内扉が開いた。
「まだバイザーは開けないで」
「わかってる」
中は暗かった。自立した電源を持つ、非常設備のランプだけがともっている。
「いま、エアロックから船内に入った。メイ……聞こえる?」
応答はなかった。無線の中継《ちゅうけい》装置が働いていないらしい。
二人は内扉の上≠ノよじ登り、側壁《そくへき》に立った。
重力グリッドも作動《さどう》していないので、船内は自転による遠心力に支配されている。スペースコロニーと同様、外側が下、中心が上になった。
次の部屋に通じるドアは真上にあった。
壁のハンドルを手掛かりにすれば、どうにかよじ登れそうだった。
ポートパトロールが送ってきた資料によれば、この先に数メートルの廊下があり、荷役《にえき》用の作業室に通じているはずだった。
「俺が先行しよう」
「いいえ、リーダーはあたしよ」
マージはきっぱり言った。
「女を先行させるのは気がすすまないんだ」
「女に上に立たれるのが気に入らないんじゃないの?」
「そうじゃない、俺は万一を考えて――」
「階級制度は議論で時間を空費《くうひ》しないためにあるのよ」マージはきっぱり言った。「持ち上げてちょうだい」
クランはなおもためらっていたが、相手が態度を変えないので、しぶしぶひざまずき、両手を組んだ。マージがその手に片足をかけると、クランは一気に体を持ち上げた。
マージは真上のドアにとりつき、ノブを引き下ろした。
その先も暗かった。船の自転軸に近づいたので、もう片手でも自分を持ち上げられる。
マージはドアの上によじ登った。
二人とも、明白な異常をひとつ見逃《みのが》していた。もし船が事故で人工重力を失ったのなら、ドアを開いたとたん、がらくたが一つや二つは落ちてくるはずだった。
通路を登るにつれて重力が小さくなり、まもなくゼロになった。船の中心に来たことになる。マージはそこでとんぼ返りをうち、なかば自由落下するようにして先に進んだ。
作業室の手前に着地。ドアは足元で、内側に開いた。
廊下の対岸から、クランが呼んだ。
「マージ、異常はないのか?」
「特にない。部屋に降りてみるわ」
この部屋も、上下関係は九十度ずれている。重力に従って考えれば、マージはいま天井から床《ゆか》を見下ろしている格好になった。真下に小さな丸窓があったが、それは通常なら左舷の側壁にあたる。
「入る前によく確認しろ」
「降りてみないと。ここからじゃよく照《て》らせないのよ」
そう言って、マージは飛び降りた。
ヘルメット・ライトで周囲を見回そうとした矢先、背後から太い腕が伸びて、マージの上体をはがい絞《じ》めにした。続いてもう一対《いっつい》の手が現れ、マージの両手を背中にまわして手錠《てじょう》のようなものをかけた。
動作は熟練《じゅくれん》しており、何をする隙《すき》もなかった。わかるのは四本の手が動いたことだけ。
室内灯がともり、一人がマージの正面にまわった。
宇宙服を着てバイザーを下ろしている。体形からすれば、長身で贅肉《ぜいにく》のない男。右手に拳銃《けんじゅう》を持っている。
「何の真似《まね》?」
「思ってる通りさ――おっと! 馬鹿はやめろ、クラン・カラスコ」
男は鋭《するど》く命じ、同時に銃をドアに向けた。
クランは――いつのまにか彼も銃を持っており――その銃口と顔半分を見せたところだった。
「おまえのことはよく知ってる。銃は持っても弾《たま》は入れない主義だ」
「いつもそうとは限らん」
「なら、そこの窓を撃って証明してみろ。その口径なら貫通はしないが、二層目が軟質《なんしつ》だ。跳弾《ちょうだん》の心配はない」
「…………」
クランは撃つかわり、あまり説得力のない弁明をした。「弾は節約するもんだ」
「ところがこっちはフルオートで撃つ用意がある。銃を捨てて――念のためだが――ゆっくり降りてこい」
「いやだと言ったら?」
「こちらのアルチナお嬢様が傷つくさ。少々痛い目にあわせてもいいとの、クインラン氏のお達しでね」
男はよどみなく言った。
「私はアルチナじゃないわ。よく顔を見て」
マージが言った。男がうなずくと、もう一人がマージのヘルメットを外した。
「ほほう。あいかわらず見事なメイクですな」
「そうじゃなくて、あたしはアルフェッカ号の船長、マージ・ニコルズ。どこをどう見りゃあの小娘と間違えるの! 身長で七センチは高いし、胸なら――まあその」
だが追跡者《ついせきしゃ》は、すでに結論を持っていた。
「変装《へんそう》には用心しろと、お父様に何度も念を押されましたよ。どんな姿であれ、クランの隣《となり》にいる女がアルチナだと思え、とね」
「あのねえ――どんな事情だか知らないけど」
「そいつは本当にアルチナじゃない。あの船といっしょに雇《やと》ったパイロットだ」
「じゃあ撃っていいんだな? まず右足だ」
男はそのとおりに照準し、トリガーを一段引いた。もう一段引けば、高速の固体弾が発射される。
「この女が誰であれ、ためらう理由がないことはわかるな、クラン?」
クランは動かず、表情も変えなかった。
だが、やがて言った。
「……わかった。俺の負けだ」
クランは銃を捨て、部屋に降りた。
最初の男がクランの背後にまわり、今度も手錠をかけた。
二人は並んで、壁――本来は天井――の配管に縛《しば》りつけられた。
男はかすかな笑みを浮かべた。
「賭《か》けだったがね。疑いながらも救助に来ると踏《ふ》んだのさ、クラン」
返事がないので、男は勝手に続けた。
「お前は見かけよりお人好しだ。金だけ奪《うば》って人を傷つけないのを得意がってる甘《あま》ちゃんさ」
「そのお人好しが、ここへアルチナを連れてくると思ったのか」
男は肩をすくめた。
「二人はいつもいっしょだったからな。このまえの港でもそうさ。別々に動きゃ目立たないものを――」
「誰かあたしに説明してもらえるかしら」
マージが割り込んだ。
「あたしはアルチナじゃないから事情がさっぱりわからない。説明だけはしてちょうだい。でないとこの先、何度でもうるさく要求するし、できる抵抗はすべてやる」
「ふむ……なかなか筋の通った演技ですな」
男は苦笑した。
「まあいいでしょう。ニコルズさんは、クインラン病院チェーンを御存知《ごぞんじ》ですかな」
「聞いたことないわ。それから、そっちも名前ぐらい名乗りなさいよ」
「私はスミス、そいつはジョン」
あからさまな偽名《ぎめい》だったが、この状況で抗議《こうぎ》しても仕方がない。
「続けて、スミス」
「クインラン病院はケルリアじゃ有名なチェーンです。星系の医療《いりょう》現場を支配しているといってもいい。で、このクランって男は駆け出しの詐欺師《さぎし》です。一時は軍にいたがすぐに辞《や》めて、職を転々とするうちにその道に入った――そうだな?」
「どうだかな」
「そうなんだ」
スミスは決めつけると、マージに向き直った。
「そして、大胆《だいたん》にもクインラン第一病院に現れ、院長相手に一仕事した。かれこれ一年近く前のことです」
「ふーん……」
マージはクランの顔を見た。クランはそっぽを向いていた。
「クランは首尾良く金をせしめた。ところが院長の一人娘のアルチナは、あるときクランの狙《ねら》いに気付いた。そしてアルチナはクランに惚《ほ》れてもいた――そうですな?」
「だからあたしはアルチナじゃないんだってば」
「わかりました、そうしておきましょう。で、アルチナは逃走《とうそう》しようとするクランの前に現れて、自分も連れて行けと迫《せま》った。クランは渋ったが、騒《さわ》がれては困るのでそうするしかなかった」
「小娘の一人くらい撒《ま》けなかったの?」
マージはクランに質問した。
「そいつの言う事を真に受けるな」
「でも、辻褄《つじつま》は合うのよね。あんたに分別《ふんべつ》があるなら、十六の小娘を連れ歩くとは思えないんだけど」
「そこですよ」
スミスは我が意を得たりとばかりに言った。
「アルチナには演技の才能があって、ごらんの通り変装《へんそう》も得意だった」
「ごらんの通りじゃないってば」
「まあまあ。我々はクインラン氏の依頼で、二人を追ってきたんですが、その道中でアルチナの活躍《かつやく》を何度も耳にしました」
「活躍?」
「要するに、アルチナはクランの相棒として、びっくりするほど役に立ってたんですよ。それでクランもアルチナを手放せなくなり――」
その時、スミスは相棒の視線に気付いた。
「長くなりそうなんで、続きは後にしますよ。ジョン、始めろ」
無口な大男は、その場で宇宙服を着ると、ロッカーのひとつから太い筒《つつ》のようなものなとりだした。
「何が始まるの」
「お二人をクインラン氏のもとにお連れします」
「そうじゃなくて、彼は何をしようとしているの」
「見てわかりませんか。便利な道具なんですがね」
そのとおり――テロリストにはまことに使い勝手《がって》の良い道具として、厳重に管理されているはずの、個人戦闘用ミサイルランチャーだった。肩と腕で支え、目標に大まかな照準をつけてトリガーを引くだけで、続く作業はミサイルが引き受けてくれる。相手が軍用船なら対抗《たいこう》手段はいくらでもあるが、無防備な民間|船舶《せんぱく》ならひとたまりもないだろう。
「ポートパトロールが来るのは六日後。我々は明日にもジャンプ領域に入ります。よその星系でこのボロ船を処分すれば、事件は迷宮入りでしょうな」
ACT・5
「そういうことはもっと早く言わなきゃ! マージさんだって事情を知ってればもっと慎重《しんちょう》に動いたろうし、変に隠《かく》さなきゃ過去を詮索《せんさく》したりしなかったと思うし」
アルチナが打ち明けたのは、クランが父の金を詐取《さしゅ》し、自分たちが父に雇《やと》われたエージェントに追われている、ということだった。その後二人がミリガン運送の解散にかかわったと知っていれば、メイの態度は違うものになっただろうが――メイは改めて、マーキュリー・エクスプレスの様子をチェックした。
「明かりのついてる窓がある……」
「それって、変なの!?」
「二人が移乗してから、もう二十分も経《た》っているでしょう? マージさん、明かりをつけたなら真っ先に無線|中継《ちゅうけい》を回復させて、こちらに連絡するはずだもの」
「やっぱり――罠《わな》か!」
アルチナは青くなった。
「中継装置が故障してるのかもしれないけど」
メイは気休めを言ってみたが、自動救難信号は出ているのだし、船の外部にもダメーシはみられない。やはり不自然だ。
「どうしよう。連中、あたしらを殺す気はないんだけど……結構|手荒《てあら》だし」
「何か要求してくるのかな?」
「たぶん、あたしとマージを交換《こうかん》しようって言ってくるよ」
マージが自分と間違えられているという事実には、考えが至らない。
「困ったな……」
メイは確かに困っていた。
そんな要求がきたら、応じてもいいかな――と思えてくるのだ。
アルチナから聞いた印象では、追っ手は要するに、泥棒《どろぼう》と家出娘を連れ戻しに来ているのだ。
アルチナの気持ちはわかるけど、いちど家に帰ってみるのも悪くないのではないか。そして二人がいなくなれば……
「あっ」
「なんだよ、メイ」
「あ、なんでもない、なんでもない」
「なんだよ、気になるじゃんか!」
「ほんとになんでもないの。それより、どうするか考えないと」
「ちがうこと考えてたのかよ〜〜」
「ごめーん」
二人がいなくなれば、アルフェッカ号は自分たちのもとに戻るのではないか、と一瞬考えたメイだったが。
しかし、アルチナの父はクランに賠償《ばいしょう》を迫《せま》るだろう。クランにその金がなければ、かわりに船を差し出すことになる。
そんなお金、もうないよね?――と聞きたいのを、メイはぐっとこらえた。
彼女はたぶん、自分よりずっと不幸な家庭|環境《かんきょう》にいたのだ。それになにより、恋人のクランと引き裂《さ》かれる。それはあんまりだ。
しかし――犯罪者《はんざいしゃ》と、それにつきそう未成年者に加担《かたん》していいものだろうか。
メイはまた、混乱してきた。
これは要するに人助けだが……こういう問題になると、得意の論理思考も働かない。
それからメイは、ふと思った。
「ロイドさんなら、どうするかな」
「ロイドなら?」
「うん」
メイはこんな場合の、ロイドの対応をおさらいした。
人助けをするとき、しなくてもいい事をするとき、見返りの期待できないことをするとき、ロイドならどうするか。
メイは記憶《きおく》をたぐり、そしてひとつ思い当たった。
ロイドなら、後味のいいほうを選ぶのだ。
関係者がどうなろうとかまわない。自分が「今日はいいことをした」と満足できれば、それが明日への活力になる――
「……だめ。全然参考にならない」
アルテナはがくりと肩を落とした。
「頼《たの》むぜ。あたしとクランの未来がかかってんだよ!」
「そ、そうだよね!」
つまらないことで悩んでいるうちに、かけがえのない時間を浪費《ろうひ》してしまった。
メイはとりあえず、今できることを探してみた。
「じゃあ……あの窓のなかを、もっと詳《くわ》しく見たいから――」
「うんうん!」
「アルフェッカ号の動きを、向こうに同期させてみる」
「どーゆーこと?」
「向こうの自転に合わせてこっちも旋回《せんかい》すれば、中の様子を連続して見られるよね」
「……そんだけ?」
「いちおう、状況|把握《はあく》ということで」
アルチナはため息をついた。
メイはシーケンサーにプログラムを与えて、実行に移した。
ACT・6
「何度も言わせないで! あたしはアルチナじゃなくて、本物はあっちに乗ってるんだってば! アルチナを殺したら、あんただってただじゃすまないわよっ!」
マージは必死だった。こんなつまらない理由で、あたしのアルフェッカ号、あたしのかわいいメイが宇宙の藻屑《もくず》になるなんてことは――
だがスミスは、マージの努力に比例してますます誤解《ごかい》を深めるのだった。
「大熱演ですな、アルチナお嬢様」
「アルフェッカ号を呼び出して、本物と見比べるくらいしたっていいじゃない!」
「その手には乗りませんよ。不意打ちの効果がなくなりますからね」
「本物を死なせたら、あんただってただじゃすまないわよ!」
「この商売はハイリスク・ハイリターンが基本でしてね」
スミスは冷笑するばかりだった。
そのとき、クランが突然命じた。
「マージ、脱《ぬ》げ!」
「は?」
「脱いであのやせっぽちと違うとこを見せてやれ!」
マージは唖然《あぜん》とした。
「そっ……あんたときどき変なこと言うけど――」
「そうでもしなきゃ納得《なっとく》しないだろうが! 船が木《こ》っ端《ぱ》微塵《みじん》にされてもいいのか」
「そりゃ――だけど脱ぐったって……」
「おいスミス、余興《よきょう》としても悪くないだろ。手を貸してやれ」
「ちょっとクラン!」
「ふむ……」
スミスの口許《くちもと》に、好奇《こうき》の色が浮かんだ。
「慎重《しんちょう》なのは悪いことではないな」
スミスはマージの前に来て、胸元の気密ファスナーに手を伸ばした。
「ちょっと!」
「嫌《いや》ならやめてもいいんですがね」
「そっ、そうじゃないけど――」
「心配するなマージ」横からクランが言った。
「俺は見ない」
「そうじゃなくて!」
マージは泣き声になったが、クランは答えず、そっぽを向いただけだった。
ジョンはエアロックの外扉を開き、宇宙空間に上半身を乗り出した。
船殻《せんこく》が作る銀の地平線の上に、星々がゆっくりと流れていた。
その後スミスからの指示は入らない。となれば、打ち合わせ通りにやるまでだった。
ジョンは両足をふんばって姿勢を固定すると、ランチャーをかまえた。セイフティを解除し、スコープを覗《のぞ》く。そしてゆっくり数えた。
「一……二……三……」
こちらは自転しているから、待っていれば相手が見えるはずだった。
だが、六まで数えても、アルフェッカ号は現れなかった。
ジョンはまさかと思いながら、船がもう一回転するのを待った。
だが、やはり目標は見えなかった。
自分の目が信じられなかった。さっきまで、すぐそばに浮かんでいたのに!
相手が船をはさんで、ちょうど反対側を回っているとは思いもよらない。
ジョンは――禁じられていたのだが――思わずインカムのスイッチを入れて言った。
「アルフェッカがいません」
その声は船内に届《とど》かなかった。マージらの交信を阻害《そがい》するため、中継装置が切ってあったのだ。
だがもう一|隻《せき》の船は、その限りでなかった。
電波は船の外部構造で散乱して、裏側にまわりこんだ。かなり減衰《げんすい》したが、たかだか三百メートルの距離をわたるには充分《じゅうぶん》だった。
ACT・7
メイとアルチナは、外部カメラの捉えた望遠映像に見入っていた。
画面いっぱいに映っている丸い縁取《ふちど》りは、直径二十センチほどの舷窓《げんそう》だった。
室内は非常灯の、赤味をおびた光で照らされている。部屋の反対側にはドアがあり、こちら向きに開いていた。ドアの奥は廊下で、つきあたりはエアロックのはずだが、よく見えない。
「誰もいないね」
「死角に入ってるのかも」
「でも、なんか気配がないじゃん。歩き回ってたら、窓の前ぐらい通りそうなのに」
「前っていっても、いまは床《ゆか》から天井《てんじょう》を見上げてる向きだから」
「そうか……」
受信機に聞き慣れない声がとびこんできたのは、その時だった。
『アルフェッカがいません』
野太い、男の声だった。
「誰!? クランじゃないよ!」
「宇宙服のインカムだ。生存者がいたんだ!」
メイはトークボタンを押した。アルチナはちょっと待て、という顔をしたが、メイは型通りに返信した。
「こちらアルフェッカ号、貴船の左舷《さげん》三百メートルにいます。状況を知らせてください」
返事はなかった。
「受信機が壊れてるのかな?」
「だったら送信もしないよ! あれは何か指示を求めてたんだ!」
アルチナは勢い込んだ。
「メイ、変だよ絶対。送信できるんなら、なんで今まで黙《だま》ってたのさ。こっちの船名知ってるのに」
「……たしかに」
「映像、もっと引いてみて!」
メイは望遠カメラをズームバックさせた。マーキュリー・エクスプレスの船首全体が視野に入った。
その下端《かたん》に、動くものが現れた。
宇宙服を看た人間だった。
「誰かいる! こっち向いた」
人影《ひとかげ》は遠心力に耐《た》えながら、ハーネスと両足で船殻に立つ形になった。
それから、背中にしょっていた長い筒《つつ》のようなものを外して構えた。
筒はまっすぐこちらを向いた。
「なにかな、あれ?」
「メイ」
アルチナが言った。
「あたしにはあれ、武器にしか見えない」
「言われてみれば……でもどうして」
「とにかく逃《に》げなきゃ!」
アルチナはメイをどやしつけた。
「ぼやぼやしてないで逃げろ! 今すぐ逃げるんだよっ!!」
「逃げる――ええっと……」
「そんなんじゃ遅《おそ》いっ!」
キーボードを叩《たた》きはじめたメイに、アルチナは怒鳴《どな》った。
「マージみたいにはぱっとしなきゃ! 手動だよ手動! もう撃《う》つよ、あいつ!」
「でも手動操船は私――」
「やるんだ! 吹っ飛ばされてもいいっての!?」
こういう場面になると、アルチナのほうが頭が働くようだった。メイはワンテンポ遅れて、その考えを受け入れた――やるしかない。
「よっ、よおし……」
メイはモードセレクターを手動に切り替え、操縦桿《そうじゅうかん》を握《にぎ》った。
腫《は》れ物《もの》にさわるように、そっと。
だが、鋭敏《えいびん》な感圧センサーはその感触《かんしょく》をあまさず伝達し、船はたちまちぐらりと揺れた。
「おっとと――」
「あいつの死角にまわりこむんだ!」
「ちょっと待って――あっ、行きすぎた――もっと右――」
「なにやってんだよ、裏にまわるんだよ、裏に!」
メイはオーバーコントロールを重ね、船はむしろ、意志と反対に動いた。
「そのつもりなんだけどとあれっ、いまどっち向いてる??」
「知るかよ〜〜!」
結果としてその不規則な運動は、ミサイルの目標ティーチングを妨害《ぼうがい》していた。
ジョンは懸命《けんめい》にアルフェッカ号を照準したが、姿勢がころころ変わるのでミサイルがロックオンしてくれない。
いっそ単純な赤外線|追尾《ついび》モードにしようか、とジョンが考えたとき、目標の動きがやや鎮静化《ちんせいか》してきた。
しめた、とジョンは思った。直後、ロックオンのサインが照準スコープ内に現れた。
トリガーを引こうとしたとき、ジョンは異変に気付いた。
スコープにとらえた目標が、急に膨張《ぽうちょう》しはじめたのだった。
「いいぞ、その調子だよ、メイ! 右へ回りこむんだ。ほら、前進して」
「よっ、よおし――あああっ!!」
その調子でやったつもりだったが、望む針路から二十度も外れ、前進速度は明らかに早すぎた。そしてあろうことか、アルフェッカ号はマーキュリー・エクスプレスに向かって突進《とっしん》しはじめた。
「メイ、ブレーキ! ブレーキかけてっ!!」
「ブレーキなんか――ええと、逆噴射《ぎゃくふんしゃ》か」
「早く! ぶつかるよっ!!」
メイは七十メートル手前で逆噴射を開始したが、間に合わないように思えた。それよりも針路をそらすべきだ、と考え直したが、モードセレクトを誤《あやま》ったために姿勢が変わっただけだった。
最後の瞬間《しゅんかん》はスローモーションで訪《おとず》れた。
衝突速度は秒速わずか五十センチほどだったが、総毛立《そうげだ》つような振動《しんどう》と金属の悲鳴がブリッジを満たした。
たっぷり十秒ほど、メイとアルチナは頭を両腕にうずめて丸くなっていた。
それから、おずおずと顔を上げた。
窓いっぱいにマーキュリー・エキスプレスの船殻が立ちふさがっていた。
スクリーンに真っ赤な警告サインが点滅している。最大の損傷は――
「ああっ、百二十万ポンドもするアレイアンテナがっ!」
「アンテナなんかいいんだよ! 生命|維持《いじ》できるのかい、この船は!」
「えと……それは大丈夫《だいじょうぶ》みたい」
気密|漏洩《ろうえい》も、火災もない。思ったより軽傷だった。
船外カメラで調べてみる。アルフェッカ号は背中から衝突したようだった。上部構造物が相手の船にからみあい、すぐには離れないように見える。相手側にも大きな損傷はみられないが、その自転はほとんど止まっていた。
「となると、あとはあいつか――どこにいるんだ」
「アルチナ、これ見て」
メイが分割表示した船外カメラ画像のひとつを指した。
漆黒《しっこく》の宇宙空間を背景に、二つの光点が遠ざかっていくところだった。拡大すると宇宙服と、あの筒状の物体になった。相互《そうご》の距離《きょり》は徐々《じょじょ》に離《はな》れてゆく。
メイは無線で呼びかけた。
「こちらアルフェッカ号、船外活動している方、応答ねがいます」
今度も返事がない。
アルチナが代わった。
「答えなよ。死んでるんなら助けないぜ」
搬送《はんそう》音が数秒続いたあとに、ためらいがちな声が返ってきた。
『……生きてる』
「よーし。じゃあ後でな」
アルチナは通話を打ち切ると、メイに言った。
「返事したってことは自分で移動できないんだ。クランとマージが先だよ。こっちから乗り込もう!」
ACT・8
クランはそのチャンスを逃さなかった。
衝撃が襲《おそ》ったとき、彼が縛《しば》りつけられていた配管が継ぎ目から折れたのだった。それは給水管で、元栓《もとせん》が自動閉鎖するまでに、大量の水が室内に噴《ふ》き出した。
船の自転が止まると、水は重力の消滅とともに複雑な挙動を示した。壁にへばりつくものもあったが、多くは無数の水玉となってシャボン玉のように震《ふる》えながら空中を舞《ま》った。
まだ手錠《てじょう》はかかっていたが、体は自由になっている。クランは行動を開始した。
床を蹴《け》り、空中で反転して対面を蹴って、姿勢を崩《くず》したスミスにとびかかる。
最初の襲撃は失敗し、クランは押し戻された。だが、その先にマージがいた。
「クラン!」
「蹴ってくれ!」
マージは足でクランの背中を蹴った。
クランは再びスミスにとびつき、今度は両脚で相手の上体をはさんだ。
両手が使えないので、その先が展開しなかったが――うまい具合に、直径三十センチほどの水玉がそばに漂《ただよ》ってきた。
クランが体をひねると、スミスの頭がその水玉に触《ふ》れた。その途端《とたん》、水玉は大きく変貌《へんぼう》して、スミスの頭部をヘルメットのように包みこんだ。
スミスは必死に水を振りはらおうとしたが、狼狽《ろうばい》のあまり大量の水を飲み込んだ。数回身もだえすると、スミスの体はふいに弛緩《しかん》した。
結果だけを言うなら――彼はバケツ一杯ほどの水に溺《おぼ》れたのだった。
スミスが目を白黒させているところへ、宇宙服を着たアルチナとメイが飛び込んできた。
アルチナは斧《おの》、メイはスパナで武装《ぶそう》していた。
「クラン、大丈夫!? とどめ刺《さ》す??」
「マージさん、クランさん――あっ、その人は」
「まず手錠を外してくれ。キーはこいつの胸ポケットだ」
アルチナが手錠を外すと、クランはそれをスミスにかけた。
ついで背後からスミスの頭をのけぞらせ、空いた腕で胸に圧をかける。ゼロG用の人工呼吸法を数回くりかえすと、スミスは水を吐き出し、苦しげに息を吹き返した。
メイは、マージの拘束《こうそく》を解きにかかった。
「あの、前がはだけてますけど……」
「間一髪《かんいっぱつ》セーフだったわ。それよりあたしの船をどうしてくれたの」
「軽微《けいび》な接触で、アレイアンテナが、ちょっと、その」
「値段は知ってるでしょうね」
マージは自由になった手でファスナーを引き上げながら言った。
「ま、とっさのプログラム操船としちゃ名人芸だったけど」
「プログラムというか……まあ、その」
人工重力を回復させると、室内の水玉は床に落ちて無害な物質に戻った。
それからマージとクランは、漂流《ひょうりゅう》していたジョンを回収し、マーキュリー・エクスプレスに連れ戻した。男は敗北を悟《さと》ると、抵抗《ていこう》しなかった。
エージェントの二人は、さっきまでのマージとクランのように、壁際《かべぎわ》に拘束《こうそく》された。
マーキュリー・エクスプレスには結局、ジョンとスミスの二人しか乗っていなかったので、ひとまず制圧は完了したことになるのだが……。
マージとメイ。クランとアルチナ。ジョンとスミス。
三グループが三方から向き合い、少しの間、沈黙《ちんもく》していた。
「さてと、スミスさんとやら」
クランとアルチナを視野におきながら、マージは切り出した。
「続きを聞かせてもらえるかしら」
スミスはため息をつき、今は何も話したくない、という顔をした。
「あの、続きって?」
メイが聞いた。マージは、スミスから聞いたことをかいつまんで話した。
「詐欺師《さぎし》……だったんですか」
「こいつの話じゃね」
「そうですか……」
メイはアルチナの顔をうかがった。アルチナは目をそらした。
それからメイは、スミスを見た。マージが彼に聞いた。
「あたしたちはクランに雇《やと》われてる。こんな事態になった以上、雇い主の素性《すじょう》くらいは知っておかないとね」
「……どこまで話しましたかね」
「クランがアルチナと組んで、何をしたかよ。アルチナが重宝《ちょうほう》してるってことだけど」
「アルチナは変装《へんそう》と芝居《しばい》の名人だったんですよ」
「さっき聞いたわ。それをどう生かしたの」
「たとえば余命告知≠チて手口ですが――」
「そいつの話に耳を貸すな!」クランが怒鳴った。「アルフェッカを吹っ飛ばそうとしたんだぞ」
「吹き飛ばすほどの炸薬《さくやく》は入れてないさ。しばらく操船不能になってくれればよかったんだ。そうすりゃポートパトロールが救助する」
「両方の話を聞きておきたいわ。今はスミスの番よ」
マージはきっぱり言った。
「続けて。どういう手口なの? 余命告知≠チて」
「まず素質のありそうなカモを選んで、うまい話をもちかけるんだ。金と引き換《か》えに、もっと金になる情報を与える、とね」
「あたしなら信じないな。自分でその情報を活《い》かすはずじゃない」
「情報を金にするには一か月かそこらの時間がかかる、ということにするんです。ところが売り手――クランのほうは、ある事情からすぐに金がいる。そこで泣く泣くこの情報を売り渡そうとしている、とね」
「だとしても、かなり不自然だわね」
「そう、この段階では信じなくてもいいんです。ここでアルチナが活躍《かつやく》するんですよ。クランはカモに会った時、相手の飲み物に一服盛る。チョコレート・チップほどのカプセルなんですが、遠隔《えんかく》操作で薬を放出できる。排泄《はいせつ》されない限り、いつでも好きな時にカモを昏倒《こんとう》させられるわけです」
「昏倒?」
メイは思わず聞き返した。頭の片隅《かたすみ》で、小さな閃光《せんこう》が瞬《またた》いた。
「そう。頃合《ころあい》を見計らってリモコンのボタンを押す。カモは倒れ、病院に担ぎ込まれる。するとそこに、医者になりすましたアルチナが待っている。なにしろアルチナほ、子供から老女まで、どんな人物にも化けられますからな。しかも家が病院とあって、医者の真似は得意中の得意です」
「…………」
「アルチナは意識が回復したカモに、失言を装《よそお》って容体《ようだい》が重篤《じゅうとく》なことをほのめかす。カモのほうは急に倒れて不安になっているから、しつこく問いただす。そこでアルチナはおもむろに『あなたの余命は三か月です』と伝える」
マージがゆっくりとうなずく。メイは不安になった。
「カモは十中八九、これを信じます。近ごろは不治《ふじ》の病《やまい》など珍《めずら》しくなりましたが、この宙域じゃ先の大戦で散布された対人用ナノウェアが根絶されてませんからな。これに感染《かんせん》すると、いまの技術では打つ手がありません。せいぜい活性を低下させるぐらいです」
大戦には分子サイズの機械――ナノウェアが自己|増殖《ぞうしょく》する兵器として使用され、物質と情報の選択《せんたく》的な破壊《はかい》が行われたとされている。
大戦後、人類はそれまでの魔法のようなテクノロジーを失い、超《ちょう》光速航法と重力制御を除けば、宇宙時代の黎明期《れいめいき》にまで退行《たいこう》する。
対人用ナノウェアは赤血球よりはるかに小さい、分子サイズの殺傷兵器だった。これに対する認識は、二十世紀における癌《がん》に相当する。
「知ってるわ」
「そうなると、次にカモが考えるのは、最後の三か月をどう過ごそうかってことです」
「ふーん……」
マージも同じことを考えている、とメイは思った。
あの人なら、どうするか――
「酒池肉林《しゅちにくりん》はすぐ飽《あ》きるそうですよ。静かに本でも読むか、宗教に走るか、家族のために何か残すか」
「あるいは一生の夢をかなえたい――宇宙のどこかに眠る財宝を探すとか」
「ビンゴ! クランは最初からそういう男をカモに選ぶんですよ。この宙域は開拓地《かいたくち》だ。一攫千金《いっかくせんきん》を夢見る男は、探せばいるもんです」
「……夢を売るのが仕事ってわけね?」
マージの声はクランに向いていた。クランは答えなかった。
「クランはさりげなくカモの前に現れる。カモは先日の話を思い出す。今も半信半疑だが、どうせ残り少ない人生だ、これに賭《か》けてみよう、と考える」
「最後のカモの名前はわかってる?」
「確証はつかんでいませんが、二人の仕事と時を同じくして、ある男がただ一隻の持ち船を売却《ばいきゃく》しています」
「名前は」
「ロイド・ミリガン」
マージとメイは黙《だま》って顔を見合わせた。
マージはクランに目をすえたまま、ゆっくりと足元の銃を拾った。クランは身じろぎもしなかった。
「メイ、ごめん! 嘘《うそ》つくつもりはなかったんだ!」
沈黙を破って、アルテナが言った。
「ずっと迷ってたんだ。あんたがロイドをどう思ってるかわかったし――まさか同じ船で暮らすなんて、ほんとに――知らなきゃ、こんなことは、だから」
「いいの。それは、いいの」
混乱したアルチナにメイはそう言った。それから、クランに聞いた。
「ほんとうなんですか、クランさん」
返事がないので、メイは繰り返した。
「答えてください。私、怒ってません。クランさんが詐欺師《さぎし》っていうの、なんとなくわかる気がするし、アルチナが誰かに化けるの、得意なのも知ってたし――だから怒るっていうんじゃなくて――」
「おまえが怒るかどうかは、俺も問題にしてないが」
「ええ、だからつまり――事実かどうか、知りたいんです」
「事実だったらどうする」
「急いでロイドさんを探さないと。そうしないと、困るんです」
「困る?」
「困ります、絶対。……ですよね、マージさん?」
「同感だわ」マージは端的《たんてき》に答えた。
「その――なんで困るのかな?」
アルチナが聞いた。
「仕事に困るから? 前に戻りたいから?」
「そうじゃないわ」
「それもあるけど……」
元ミリガン運送社員は、微妙《びみょう》に異なる返事をした。
「余命三か月ってのが問題だわさ」
「ですよね」
「わかんないよ、それがなんで困るのさ」
「クラン、あんたもわからない?」
マージが聞いた。
「あんたが考えたんでしょ、この手口」
「そうさ」
「胸張って言うこたぁないのよ」
「…………」
「ロイドなら乗ってくると思った。そうなんでしょ?」
「ああ」
「見切ってたんでしょ、ロイドがどう出るか」
「その、つもりだった」
クランはそう言った。
「つもり?」
「なんちゅうか、その……」
クランは壁に向かって頭を掻《か》き、それからマージのほうに向き直った。
「……どっちがだまされたんだか、いまいちピンとこなくてな」
「あのねえ」
「そんなもんですよ、そいつは」
壁からスミスが言った。
「駆《か》け出しの青二才です、まったくのところ」
「お前は黙ってろ」
「歳上《としうえ》は敬《うやま》うもんですよ」
「お前の歳なんか知らねえよ」
「だから、何が困るっていうのさ!」
アルチナがしびれを切らして割り込んだ。
メイが答えた。
「何するかわからない、と思うの」
「ロイドが?」
メイはうなずいた。
「ロイドさん、死ぬとなったら、人の迷惑《めいわく》なんか考えないの。人を殺すとかはしないと思うけど、それ以外のことなら……たぶんひととおり……」
「やるわよ。百万とおりくらいやるわ。成り行きで人だって殺すかもしれない」マージが決めつける。
「まさか!」
「あんた、あのロイドをだましたわりには見えてないのねえ」
「だって……」
「あっ!」
メイが声を上げた。
「どしたの?」
「いま思ったんですけど――」
「うん」
「もしかしてロイドさん、だまされたふりをしてるのかも」
アルチナはあんぐり口を開けた。
「あんたら、そんなにあたしの演技が信用できない? 顔色変わったんだから、あの時は。ほんとだよ!」
「ごめんアルチナ。でもロイドさんなら、後で病院に確かめるぐらいすると思うし」
「…………」
「だから――もしかして、だまされたことにして、やりたい放題しようと思ったのかも」
「うーん、そこまでやるかあ……?」マージは首を傾《かし》げた。
「でも私たち、ロイドさんにはいろいろつらく当たってきたし……」
「だからそれは当然の報《むく》いであって、ああやって手綱《たづな》を引かなきゃ彼だって不幸になったのよ?」
「でも、ロイドさんはロイドさんなりに働いてたんです。今度の救助だって、私、ロイドさんがいたらなって思いましたし」
「いたら役に立ったと断言できる?」
「だっ、断言はできませんけど!」
メイは論点がそれているのに気付き、軌道《きどう》修正した。
「ただ、今度ロイドさんに会えたら、もっと優《やさ》しくしてあげたいと……」
「そうは思わないわ」
「マージさん、またロイドさんと一緒《いっしょ》にやるの、嫌《いや》ですか?」
「嫌じゃないけど」
「どうも話を聞いていると」
クランが言った。
「そもそもの原因はおまえらにあったようだな?」
「ちがいますっ!」
「悪いのはあんたよ!」
二人は電光石火《でんこうせっか》で返答した。
「しかしだな、基本的にこの手口は、被害者《ひがいしゃ》が最後に命だけは助かったことを知って胸をなでおろすことになってるんだ。俺としちゃ、人生の意義を見直すいいチャンスになると思いもして――」
「それであんたの所業《しょぎょう》が正当化できるってわけ?」
「そうは言わんが」
その時、スミスが咳払《せきばら》いした。
「あー、君達の話には興味《きょうみ》がつきないんだが……」
「?」
「今後のことを決めてもらえないかね。我々をどうするのか。この詐欺師《さぎし》たちはどうなるのか」
「そうだったわさ……」
マージは少し考えた。
「まず、エージェントのお二人を放免《ほうめん》する理由はないわね。金次第で何でも引き受けるなんて仕事があっていいものかどうか、監獄《かんごく》でじっくり考えていただきたいわ」
「ずいぶん堅《かた》い考え方ですな。なにかと警察機構が行き届かないこの世界で、私的に犯罪者《はんざいしゃ》を追うことがそれほどの罪ですか」
「あのランチャーさえ持ち出さなきゃね」
「ふむ。……警察への引き渡しはどうします?」
「この船の推進剤を抜いて、ポートパトロ−ルが来るまで漂流《ひょうりゅう》してもらうわ。事情はこちらから説明しておく」
「あの、クランさんとアルチナはどうするんですか?」
「詐欺師に情けをかける理由もないわね。一緒に残ってもらいましょ」
「えっ……」
顔色を変えるメイに、マージは問い質《ただ》した。
「前科者をかくまおうとでも言うの?」
「そっ、そうじゃないですけど、でも……」
「ロイドを探す気はないのか?」
クランが割り込んだ。
「奴《やつ》の行方《ゆくえ》を知ってるのは俺たちだけだぞ」
「……行方なら見当がつくわ。アフナスでしょ」
「アフナスといっても広い。星系中探すつもりか?」
「お宝がみつからなきゃ、すごすご出てくるでしょ」
「それまでロイドを野放しにしといていいのか? さっきの話じゃ、一騒《ひとさわ》ぎも二騒ぎもありそうだが」
「あんたにそういう言われ方したくないのよね」
「成り行きなんだから仕方ないだろ。それに俺たちがつかまりゃ、アルフェッカも差し押さえられる」
「それがどうしたっての。もともとあたしの船じゃないわ」
「何度も『あたしのアルフェッカ号』と言ってるのを聞いたぞ」
クランは言った。
「俺たちを見逃《みのが》すなら、ロイドの捜索《そうさく》を手伝おう。船もロイドに返す」
「その後は」
「どこか、サツのいない所で降ろしてもらえるとありがたい」
「だめ。あんたたちを逃がしたら、犯罪幇助《はんざいほうじょ》になるわ。こっちまで罪《つみ》をかぶるのはごめんよ。そうでしょ、メイ?」
「それは……そうですけど……」
その先が続かなかった。マージの考えは単純明快で、反駁《はんばく》の余地がないように思えた。
アルチナが肩を落とす。気まずい沈黙が流れた。
「ひとつ提案があるんですがね」
スミスが言った。
「詐欺師のお二人とともに、私どもを見逃していただければ、犯罪者の幇助ということにならないのではありませんか?」
「……は?」
「我々六人は運命共同体なのですよ。こうなった以上、我々もクインラン氏の依頼より我が身の方が大事です。釈放《しゃくほう》していただければ、ここで見聞きしたことは忘れますし、今後クランとアルチナを追うこともしないでしょう」
「何を言い出すの」
「マーキュリー・エクスプレスは動力|炉《ろ》に故障を生じたが、アルフェッカ号によって救助・修復されて航行を続けたのです。詐欺師のお二人はロイド氏の捜索に協力し、発見の暁《あかつき》には船を譲渡《じょうと》する。クラン氏は個人情報の改竄《かいざん》に成功しておられるようだから、詐欺が発覚しないうちは正式な譲渡になります。これで全員めでたしめでたしです」
「だめよ! そんなこと――できるわけないわ」
「よく考えてください。悪くない提案だと思いますがね」
「悪いわよ! 絶対悪い!」
「ミサイルのことなら、先程も申しましたように、アルフェッカの乗員をあやめるものではなかったのですよ? それに先程の話では、いちはやくロイド氏を発見することが、世のため人のためになるのでしょう。何が悪いというのです?」
「正義にもとることよ!」
マージは断固として言った。
「あたしは常に正義を貫《つらぬ》いてきた。朝、鏡で自分の顔を見たとき、なんて恥《は》ずかしい奴だって思いたくないから!」
つけ加えるなら、メイの手前、正義だけは貫くんだ。
マージはそう、自分に言い聞かせていた。
だが、メイのほうは、懸命《けんめい》に違う道筋を模索《もさく》していた。それはなかなか言葉を結ばなかったが、いつのまにか身についていたロイドの流儀《りゅうぎ》が、最後の一押しをした。
つまるところ、後味の悪いことはよくないことなのだ。
「マージさん……」
「あんたもそう思うわよね?」
「正義って、今すぐ貫かないとだめなんでしょうか?」
思わぬ返事だった。マージは一瞬ひるみ、それからまくしたてた。
「あのねメイ、あたしはあんたのためを思って言ってるのよ? あんたの前途《ぜんと》を真っ白なままにしておくために、あたしはこうして」
「私、その」
「なによ」
「私、その正義っていうのを貫いたら、友達の未来を奪《うば》うことになるんです。やり直すチャンスがあるのに、それを奪うなんて、できないです」
「友達って……」
マージは室内を見回した。
アルチナが目を見開いていた。その目から、たった今、涙がこぼれたところだった。
マージは熱でも測《はか》るように掌《てのひら》をひたいに当て、それから両手で髪をかきむしった。
五分後、マージはようやく言った。
「何が正義かを決めるのは、いつも難しい問題だわ。多数決で決めましょう。投票権は全員に与える。スミス氏の提案に賛成の人は挙手して」
二名は両手を拘束《こうそく》されていたが、投票は歓喜の声によって行われたのだった。
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ACT・1
あれから一日――
レーダーからマーキュリー・エクスプレスの光点が消えた。
目的地は聞いていない。
スミスは、どこか人の多い、ほどよく治安《ちあん》の悪い星に行くのだ、とだけ言っていた。彼らの仕事場は、人の作り出す汚穢《おわい》のなかにあるようだった。
それから、アルフェッカ号もジャンプドライブに入った。
目的地はアフナス。今はそれしかわからない。クランは駆《か》け引きのひとつとして、ジャンプドライブに入るまで詳細《しょうさい》を語ろうとしなかった。
午後三時、四人はダイニングルームに集まった。メイが丹念《たんねん》に焼きあげたフルーツ・クランブルを呑《の》み込むと、クランは言った。
「……うまい。アルチナ、おまえもこういうワザを身につけてみないか」
「あたしも手伝ったんだよ」
「どこをだ。オーブンのボタン押しただけじゃないのか」
「どうでもいいから、さっさと始めなって。みんなお待ちかねなんだから」
「うむ」
クランはフォークを置いた。
「アフナサイトのことは調べたって言ってたな」
「百科事典程度にはね」と、マージ。
「アフナサイトはすべて小惑星帯で発見されたから、アフナスで興味《きょうみ》のある場所もそこしかない。最近じゃ山師はいなくなったが、小惑星帯の中にデネヴの定点観測船が一隻|常駐《じょうちゅう》してる」
「ロイドもそこに向かったの?」
「最初はな。アフナスに定期便はないから、定点観測船に出入りする補給船のことを教えてやった。ロイドはそれに便乗《びんじょう》したはずだ。だが、目的地はちがう。小惑星帯ってだけじゃ、金のとれる情報にならないからな」
「そこからあんたの法螺《ほら》が始まるわけね?」
「法螺ってわけじゃない。ロイドの前じゃ、俺は前線観測所の航路部員になりすましていた。俺は実際に航路部の連中と親しくして、アフナスのこともみっちり調べた。俺自身、そこで一山あててみようかと思ったぐらいだ」
「どこなの?」
「意外にも小惑星じゃないんだ」
「もったいつけないで」
「第二惑星さ」
マージは、ハッ! と短く笑った。
「アフナサイトが惑星上に転がってるって言ったの? 探査《たんさ》はとうに終わってるはずだし、とてもロイドが信じるとは――」
「惑星上といっても、地表じゃない。地下のマントル層さ」
クランはスレートを開き、かつて何度も眺《なが》めて頭に叩《たた》きこんだ画像を表示させた。
それは衛星写真をもとにした、第二惑星の世界地図だった。
直径は五千キロあまりで、惑星としてはかなり小さい。名称《めいしょう》はなく、単に第二惑星としか呼ばれない。
地表は無数のクレーターで覆《おお》われ、惑星が生まれてまもない頃《ころ》の様相《ようそう》を残している。それらを侵食《しんしょく》する、水や大気が無いに等しいことは明らかだった。
住民もなし、地上|施設《しせつ》もなし。
「ここを見てくれ。この昼側の――」
「てことは、常に同じ面を太陽に向けてるのね?」
「そうだ。この昼側の赤道近くに大きめの衝突《しょうとつ》クレーターがある。一見これという特徴《とくちょう》はないが、生成年代はずっと新しいものだ――といっても数億年前になるが」
「それがどうしたの?」
「これだけの衝突なら、地殻《ちかく》はもちろん、マントルまでえぐられて宇宙空間に飛び出すだろう。その一部は、小惑星帯まで運ばれた可能性がある」
「インパクト説ってわけね。まあ、ないとはいえないか」
「そしてアフナサイトはぺロブスカイト――いわゆる灰《かい》チタン石の母岩《ぼがん》中で発見された」
クランは急に、声をひそめて言った。
「地球型惑星では、ぺロブスカイトはマントルの上層部で生成される。その深度は星の密度によって変わるが、あのクレーターから衝突規模を計算すると、その深度までえぐられたことは間違いない」
「ふむ……」
「そして第二惑星で、マントルに達するボーリング調査は行われていない」
「おいそれと紛れないからでしょ」
「その通り。ところが、天然のボーリング跡《あと》がここにある」
クランは再びクレーターを指差した。
「あとは皮一枚めくればいい。表面のレゴリス――まあ塵《ちり》みたいなもんだ――を払ってやるだけで、そこにお宝が待っているわけさ。どうだ、ひとつダメモトで探査してみないか」
「…………」
思わずひきこまれて、マージは我に返った。
「あたしを引っ掛けてどうしようってのよ!」
「――とまあ、こんな具合に仕掛けたわけさ」
「ねっ、クランって仕事になると、結構説得力あるでしょ」
アルチナが自慢《じまん》する。懲《こ》りない娘だった。
「とにかく、ロイドさんはその第二惑星に向かったわけですよね」
メイが先をうながした。
「たぶんな」
「第二っていうからには、太陽に近いですよね。危険はないんですか?」
「アフナスは赤色矮星《せきしょくわいせい》だから温度はしれている。公転半径はたった五百万キロだが――」
「五百万キロ!? そんなに近くて、放射線は大丈夫《だいじょうぶ》ですか?」
「惑星の磁場《じば》が強いから、大部分は地表に達しないはずだ」
「定点観測船から第二惑星まではどう行ったんでしょう?」
「観測船まで行けば小型の探査艇《たんさてい》がある、とだけ教えた。ロイドは、じゃあ行けばなんとかなるな、と言っていた」
「この程度の軽い惑星なら、汎用《はんよう》のシャトルは必要ないわね。小惑星用の探査艇でも行けるわけか……。とにかく、アフナスに着いたらまずその観測船と連絡とることね」
マージはふと思いついて、クランに聞いた。
「いくらふんだくったの? ロイドから」
「四千万」
「この船の売り値と同じか。てことは、ロイドの所持金はしれてるわ」
「まっとうな手段じゃ、チャーターできないってか」
「船さえあれば、自分で操縦《そうじゅう》するだろうけどね。腕はだいぶなまってるけど」
「つまり、かっぱらえばすむんだな」
「そういうことね」
四人はため息をついた。どうもロイドの捜索《そうさく》より、その後始末のほうが気になる。
メイはぽつりと言った。
「ロイドさんの『なんとかなる』って、必ず人をまきこむんですよね……」
ACT・2
船内の部屋割りは一部|変更《へんこう》された。
現在の最高権力者はマージであり、彼女は元の部屋を独占する資格があった。
同じ資格はメイにもあったが、さまざまな配慮《はいりょ》からアルチナをクランの部屋に同居させるのは避《さ》けるべしとして、娘二人が同居することになった。もちろんメイもアルチナも異存はなかった。
その夜、二人きりになると、メイはずっと気になっていたことを切り出した。
「ね、アルチナ」
「うん?」
「聞いて、いいかな」
「なにさ?」
「ロイドさんに、あと三か月の命だって言った時、どんなだった?」
「ああ……」
アルチナはかすかに顔を曇《くも》らせた。
「いいの。ただ、知りたいだけ」
「あなたが御自分の行動に責任を持てるなら、お教えしましょう。確実とはいえませんが、猶予《ゆうよ》は三か月と考えてください――って言ったんだ」
「うん」
「ロイドは少し黙ってた。ちょっと天井《てんじょう》を見たりして――」
「うん」
「それからこっち向いて『面白いことになってきたな』って言った。あたしさ、ちょっとほっとして――ほんとだよ。そんなふうに思うんだ、あの時はいつでも」
「わかるよ、アルチナ」
「あたしは、死ではなく生きることを考えてください。生き延びたときに困らないように、って言った。いろいろ思うことあるけど、ここは台本どおりやったほうがいいんだ。本物の医者もそうだっていうし」
「うん」
「ロイドは『ありがとう、今日はいい話を聞いた。最近ちょっとマンネリ気味でね。やる気が出てきたよ』と言って、席を立った」
「そう……」
「ああ、それから帰りに上着《うわぎ》きながら『ガキのひとつも作っとくべきだったかな。うっかりしてたよ』って。そんだけ」
「そんなこと言った」
「ああ」
「ロイドさん、子供作らなかったんだって。ずっと避《さ》けてたって言ってた」
「ふうん……」
なんとなく、会話が続かなくなったので、二人はベッドに入った。
次の夜、アルチナは遅《おそ》くまで部屋に戻らなかった。彼女はクランのところにいた。
「クランさあ」
アルチナはビールをすすりながら言った。
「あのこと、全部正直に言っちゃったんだね」
「ロイドをはめたネタのことか」
「うん」
クランは一つしかない椅子《いす》にかけていた。机には船倉《せんそう》から発掘《はっくつ》したスコッチを並べている。ロイドが買い置きしたと思われるものだった。
「不満なのか」
「そうじゃないけど」
「ロイドが見つかりゃ、俺たちを放免《ほうめん》するとマージは言ったんだ。正直に言うのが一番だろうが」
「だから、それでいいと思うよ」
「じゃあ何が言いたいんだ?」
「ひょっとして、ロイドに会いたくなったのかな……とか思って」
「ふん」
クランは曖昧《あいまい》に反応した。
「マージは放免《ほうめん》するって言ったけど、ロイドが賛成するとは限らないじゃん」
アルチナは少し、食い下がってみた。
「そう思うのか?」
「でたらめ教えて、隙《すき》をみて脱走《だっそう》するって手もあったよね。ほんとにアフナスくんだりまで行っちゃったら、逃《に》げようがないじゃん」
「そうさ」
「じゃあ、やっぱりロイドに会いたいんだ!」
「おまえは会いたいのか」
「ちょっとね」
「ちょっとか」
「うん、ちょっと」
アルチナは妙《みょう》におかしくなって、笑みをもらした。
「はじめてだよね。仕事のあとで、カモに会いに行くって」
「まあな」
クランも苦笑した。それから、机のボトルを見やった。
「酒のわかる奴《やつ》らしい。もっといい銘柄《めいがら》を知ってるかもしれんからな」
クランはそう言って、グラスをあおった。
ACT・3
八日後、アルフェッカ号はアフナス星系に入った。
アフナスを行政上の星系≠ニして扱うかどうかは、議論の分かれるところだった。
一般《いっぱん》的な星系が直径百AU、光でさえ横断に十三時間かかるのに対し、アフナスは十二AUしかない。
中心|恒星《こうせい》はおき火のように鈍《にぶ》く光る赤色矮星《せきしよくわいせい》で、そのまわりを七個の惑星《わくせい》と一本の小惑星帯がとりまいている。惑星に大きなものはなく、それどころか外縁《がいえん》に向かうにつれて小惑星と区別がつけにくくなった。
つまるところ、この世界の創造は材料が少なすぎるために不発に終わり、かろうじて暗黒物質になるのをまぬがれたにすぎないのだった。
「ちょっと、明かりを消してみますね」
メイはそう言うと、ブリッジの室内灯を消した。
「見える? 真正面だけど、目が慣れないとだめかな」
「……わかんないな」
アルチナは目をこらしてアフナスの太陽を探したが、計器の光のほうがよほど明るかった。
「あの明るいやつ?」
「あれはメラデスだと思う。お隣《となり》の星系ね」
「そこから右へ小指の長さだけ離《はな》れたとこよ」
目のいいマージは、すでに発見していた。
「……もしかして、あのぼーっとした、ゴミみたいなやつ?」
「御名答」
「たはっ、あれがここの太陽!? 赤っていうよりグレーじゃん!」
「そんなものよ。でもね――」
マージはそこで注意事項を述べた。
「第二惑星まで行ったら、バカにならないわよ。まぶしくなくても赤外線はかなりある。うっかり見つめてると、殺菌灯《さっきんとう》と同じで網膜《もうまく》がやられるわ」
「へえ……。第二惑星って暑いとこなんだ」
マージはため息をついた。
「あたし、なんかボケかました?」
「大気がないから、いちがいに暑い寒いとは言えないの。それに潮汐安定《ちょうせきあんてい》でいつも同じ面を太陽に向けてるから、場所によって温度はぜんぜんちがうし」
「ふーん……」
「メイ、真昼の温度いくらだっけ?」
「摂氏《せっし》四十二度です」
「なんかすごいとこだね。メイ、そこって宇宙服で平気?」
「これぐらいなら大丈夫だけど――」
その時、通信機から、受信を示す短いビープ音が流れた。
「静かに! 返信だわ」
アフナスの星系|外縁《がいえん》に入ったとき、マージはすぐに定点観測船に通信を送ったのだった。
往復一時間二十分かけて、その返事が届《とど》いたらしい。
『定点観測船ホワイトオウルよりアルフェッカ号、私はフィン・ピーターセン観測主任』
落ち着いた、年配の男の声だった。
『貴船の問い合わせには、思い当たることがいくつかあるよ。人柄《ひとがら》はなかなか魅力《みりょく》的だったが――ああいう人物と一緒にいると苦労が絶えないだろうね。短い滞在だったが、こうと決めたら他人の迷惑は考えないタイプだとわかったよ』
一同は顔を見合わせた。
『彼は偽名《ぎめい》を使わなかった。ロイド・ミリガンは八日前に補給船に便乗《びんじょう》して現れ、探査艇を貸してくれと言ってきた』
「正攻法でいったか」クランがつぶやく。
『予算縮小で使える探査艇は二隻しかなくてね。丁重《ていちょう》にお引き取り願ったんだが――それから一騒動《ひとそうどう》あった。補給船が帰還《きかん》してまもなく、船首ドッキングベイで火災報知器が鳴った。隔壁《かくへき》を閉めて、火元を確認するのに手間取っているうちに探査艇が発進した。火事のほうは虚報《きょほう》だったよ』
「ざっとこんなもんよ」これはマージ。
『お騒《さわ》がせした。第二惑星に行く。船は返すつもりだ、という一方的な連絡が入って、それっきりだ。……いや、それっきりというわけでもないな』
少し間をおいて、男は言った。
『二日後、第二惑星に設置してある地震計《じしんけい》が奇妙《きみょう》な波形を送ってきた。潮汐《ちょうせき》による脈動ではない、地殻《ちかく》表面での小規模な爆発を示すものだ。直径数メートルの隕石《いんせき》が落下した、と考えるのが妥当《だとう》だろうが、タイミングがよすぎるようだ』
メイは顔色を変えた。
「まさか、墜落《ついらく》したんじゃ――」
「ロイドがアステロイドをぶつけたのかもよ。穴を掘《ほ》るために」
『問題はこの後だ。さらに二日たつと、最初の震源付近から、別の波形が届きはじめた。地震でも火山活動でもない。ごく穏《おだ》やかな振動《しんどう》で、なんと言えばいいのか――地下で途方《とほう》もないトンネル工事が始まったような感じだ。もちろんあの小さな探査艇にできることじゃない。何しろ震源域《しんげんいき》は昼側の赤道直下、全長八百キロにわたるのでね』
「……どうなってるんだ」
「偶然《ぐうぜん》でしょうか」
「きっかけはロイドよ。絶対」
『こんなことは観測史上、一度もなかった。だからこの異変はぜひとも直接探査したいのだが、ただ一隻の探査艇はかの人物に奪《うば》われてしまった。そして我々の観測船は人工惑星として軌道《きどう》周回する目的で建造されているから、おいそれとは動かせない。
そこで、ものは相談なんだが――どうせ目的地は同じだろう――貴船を第二惑星の探査に使わせてもらえないだろうか。私一人と若干の観測機器を運んでもらえばいい。資料をそえたから検討《けんとう》してほしい。よい返事を待っているよ』
いっしょに送られてきたデータを開くと、観測機器の仕様とピーターセン博士の紹介資料が入っていた。機材はアルフェッカ・シャトルを使えば、容易に運べるものだった。
人物のほうは、四十年にわたる堅実《けんじつ》な研究歴を持つ、長身で額の広い紳士だった。
「専門家がいれば心強いわ」
マージは言った。
「観測よりロイドの捜索を優先させる条件なら、受けていいんじゃないかな」
「でも観測船に立ち寄ると、第二惑星への到着が一日以上遅れます」
「じゃあメイ、ロイドは惑星上でどんな移動手段を持ってるかわかる?」
「観測船に聞いてみないとわかりませんが」
「でしょ? ロイドはあそこの資材を使ってるのよ。現地に行って、ちょっとした問い合わせのたびに十分かそこら待たされることになるわ。急がば回れよ」
「マージの言う通りだ」
クランが言った。
「どうやら第二じゃ、とんでもない事が始まってる。小さいといっても直径五千キロの惑星だ。学者がついてたほうがいい」
「そのこと、何か心当たりありますか。とんでもないことって」
「わからん」
クランはすぐに否定した。
「でも、直感っていうか、そういうことでも」
「俺はロイドに、マントルと地殻の境界面は全部アフナサイトかも知れんと法螺《ほら》を吹いた。ロイドは、それじゃ多すぎる、宝石としての価値が下落するさ、と笑った。それで俺は、しくじったかと思ったんだが――」
メイは首を横に振った。ロイドがそんな言い方をするときは、要注意なのだ。
「そう――ロイドは言った。だがあれはただの宝石じゃない、生きた宝石だ。重さで測るようなもんじゃないかもしれん、とな」
「……そうなんでしょうか?」
「わからんと言ったろ」
「なんか当たってるような気がするなあ……」
アルチナが言った。
「あいつ、妙な嗅覚《きゅうかく》あるもん。嘘から出た真《まこと》を見抜くっていうのかさ」
「アルチナ」
クランはたしなめる声になった。
「そういう事をサラっと言うな」
それからクランは、マージに向かった。
「同乗には賛成したが、俺たちのこと、向こうにはどう言うつもりだ?」
「そうねえ……」
「あの、マージさん、正義は今すぐ行使しなくても――」
メイがすかさず言うのを、マージは苦笑してさえぎった。
「詐欺師《さぎし》を乗せた船なんて言ったら、相手はどう思う? ばれないうちは黙《だま》ってるしかないわよ。正義を行使しないうちは、嘘に嘘を重ねる羽目になるってことね」
二日後、アルフェッカ号は定点観測船ホワイトオウルにドッキングした。
その全長は百五十メートルほどで、回転する居住区と三基の長いセンサーマストを持っていた。船体にくらべて噴射《ふんしゃ》ノズルはいかにも小さく、宇宙船というよりは移動可能な宇宙ステーションのようだった。
「いやあ、待ちかねたよ。渡りに船とはこのことだな」
宇宙服の入ったスーツケースとヘルメット、ブリーフケースを一度に抱《かか》えて、ピーターセン博士はエアロックに現れた。
「きみがニコルズ船長かね? ずいぶん若いな」
「いえ、私は航法士のメイ・カートミルです。マージさんはいまシャトルで搬入《はんにゅう》の指揮《しき》をしてます」
「おおそうか。ええと、私の荷物はどこに置けばいいかね」
「とりあえずここに置いといてください。私が片付けますから」
相手が散らかし屋であることを直感して、メイはそう言った。
「ブリッジに補助席を用意しました。トイレは廊下に出て右側すぐです。なにかあったら、インカムはチャンネル3を使ってください」
「よしわかった」
「お部屋ですけど、このダイニングルームしか空いてないんです。ちょっと落ち着きませんけど――」
「廊下でもかまわんと言ったはずだよ」
そう言って、初老の惑星学者はにっこり笑った。
眼鏡の奥で、瞳《ひとみ》が生き生きと動いている。調査に出られるのが、うれしくてたまらないようだった。メイは博士に好感をおぼえた。
ACT・4
長い航海の後だったが、急いでいるのはお互い様だから、誰も時間を無駄《むだ》にしなかった。
観測機材の積み込みが終わると、マージはブリッジに上がってきて、挨拶《あいさつ》もそこそこにドッキングを解除した。
ホワイトオウルから第二惑星までは、三十五時間の道のりだった。
到着までに、夕食が一度ある。ゆっくり食事ができるのは当分おあずけになるかもしれないので、メイは腕によりをかけて料理した。レンズ豆のスープ、ラムチョップ、牛肉のアプリコット煮《に》……。
それは気をまぎらすのにも、ちょうどよかった。
ロイドの探査艇《たんさてい》との交信は途絶《とだ》えたままだし、第二惑星の地震計は奇妙《きみょう》な波形を送り続けている。
探査艇が正常に機能していれば、乗員一名を楽に一か月生存させられることはすでに聞いていた。しかし第二惑星では何が起きているのか? それはあまりに太陽に近いので、遠方から観測することはできなかった。
結局、現地に行ってみるしかない。それまでは気をもんでいるしかなかった。
「本物のラムチョップがどんなものか知らないんだが――」
ピーターセンはそう言って、メイに笑顔を向けた。
「これは素晴《すば》らしいね。まさに家庭の味だ」
「でも、レタスだけはだめなんですよね。どうしてもうまく保存できなくて」
博士の手がサラダに伸びるのを見て、メイは言った。
「マイクロブラックホールを飼い馴《な》らした冷蔵庫が研究されているよ。冷蔵というのは言い得て妙だ――凍らせるのは時間というわけだ」
この冗談《じょうだん》はいまひとつ受けなかった。
そのわずかな沈黙《ちんもく》を契機《けいき》に、クランが質問をくりだした。
「あんた、惑星学者だと言ったが――アフナサイトのことは研究してるのか?」
「こつこつとね。ホワイトオウルはこの星系全体を観察するのが任務だから、それにかかりきりではいられない。私も興味《きょうみ》はあるんだが、標本は全部デネヴにあるし、その後あたらしい標本も出てこないから、思うように研究できないんだな」
「知ってることを教えてくれ。あれは生きた宝石と言われてるが、ほんとのところはどうなんだ?」
「生きた宝石≠ニ呼ぶのは、やや情緒《じょうちょ》的すぎるきらいがあるね」
クランの言葉はぶしつけだったが、ピーターセンは気さくに応じた。
「人差し指がもう一本あるといいんだが――」
博士は両手の人差し指で十字を作ってみせた。
「三方向にクロスした、十字|継《つ》ぎ手《て》を想像してほしい。そんなオモチャがあるだろう? 縦・横・高さのどの向きにでも、好きなだけ連結できる仕掛けだ。実際にはもっと複雑なんだが、これがアフナサイト結晶《けっしょう》を組み立てる、レンガのひとつだと思ってほしい」
「単位格子だな」
「その通り。どんな大きな結晶も、この単位格子が積み重なってできている」
スープを一口飲んで、博士は続けた。
「アフナサイトの単位格子は、普通《ふつう》の結晶のそれに比べるとずいぶん大きい。光学|顕微鏡《けんびきょう》で見えるほどではないが――大きくて、進化した構造を持っている」
「進化?」
「そうとしか思えないね。もちろん、何者かが創造した可能性もある。だが、我々自身がそうであるように、自然はなかなかのテクニシャンだからね」
「単位格子にはどんな機能がある?」
「この十字継ぎ手だが、中空のトンネルになっていると考えてほしい。驚くべきは、このトンネルの中をトラックのようなものが走り回っているらしいことだ」
「そろそろ自信なくなってきたな」
アルチナが横から言った。
「たとえはわかるけど、ちゃんとイメージできてるかってね」
「そんな心配をするとは、きみはセンスがいいよ」
「あたし理科はからっきしダメなんだけど」
「教え方もしくは学び方が悪かったのさ。これからやり直せばいい」
「それはちょっと……」
「で、そのトラックは何を積んでるんだ?」クランが先をうながした。
「電荷《でんか》と配達先の住所だよ」
「電荷?……単位格子の中で、そんなものが自由に動けるとは思えないが」
「そのためのトンネルだよ。どうしたわけか、トンネルは内部の電磁的な約束事を排除《はいじょ》しているので、電荷を自由に輸送できるんだ。交差点には住所がついていて、やってきたトラックを交通整理する。住所に一致した交差点は電荷を受け取る。受け取った電荷は、そこで蓄《たくわ》えられたり、消費されたり、新たなトラックを送り出すのに使われたりする。つまりアフナサイトには、コンピュータを構築するのに必要な素材がすべて揃《そろ》っているわけだ」
「ちょっと信じられないな。ただの透明《とうめい》な塊《かたまり》にしか見えないが」
「しかしきみも見ているはずだ。通電したアフナサイトに、虹《にじ》色の波紋《はもん》が広がるのを」
博士は言った。
「中で何かが動いているにちがいないのさ」
「あの――いいですか?」
メイが質問を求めた。
「どうぞ遠慮《えんりょ》なく」
「その、消費された電荷っていうのは、何の役にたつんですか?」
「何にでも」
「何にでも?」
メイがきょとんとしているうちに、博士はラムチョップを一切れほおばった。
「我々が暮らしているような温和な環境《かんきょう》では、原子どうしは電荷で結ばれている。もし電荷が消滅《しょうめつ》したら、すべてはバラバラの粒子《りゅうし》になってしまう。この料理もテーブルも、きみの体もだ」
「……接着剤みたいなものですか?」
「それだけじゃない。電荷が動けば電流となって、ラジオやモーターを動かす力になる。誤解《ごかい》を恐れずにいうなら、アフナサイトの単位格子は電荷を自分で操《あやつ》れるスマートな原子≠ネんだ。アフナサイトは、その気になれば自分の形を組み替えたり、情報を処理することもできる。大戦前の人類が使いこなしていた、ナノウェアのようにね」
「しかし、あの標本が変形したなんて話は聞いたことがないぞ」クランが言った。
「そう――そのとおり。そこがアフナサイトの最大の謎《なぞ》なんだな……」
ピーターセンの視線は、少しの間、宙をさまよった。
「結晶というのは、安定な物質の代表だ。アクセサリー・ショップに並んでいるありふれた水晶でも、数億年の歳月をへていることが珍しくない。地球に恐竜《きょうりゅう》がいた頃だよ。アフナサイト結晶も同じで、状態はきわめて安定している。にもかかわらず単位格子には、いつでもバラバラになる用意ができている。これは非常に不自然だ」
「やっぱり人工物じゃないのか。いつ誰が作ったのか知らないが」
「かもしれないが、鉱物結晶ほど人工物と見誤《みあやま》りやすいものはないからね。結論は慎重《しんちょう》に出すべきだよ」
「それで博士――」
黙々《もくもく》とサラダをついばんでいたマージが、実際的なことを質問した。
「第二惑星で始まった異変に、アフナサイトは関係してるのかしら?」
ピーターセンは肩をすくめた。
「疑問だね。あれを電気エネルギーで起こそうとすると、途方《とほう》もない電源が必要になる。惑星上のどこにも、そんなものは見当たらないんだ。そもそも、あそこにアフナサイトが眠っているという根拠《こんきょ》もない」
すまないがね、という顔で、ピーターセンはクランを見た。
「きみがなぜあんな話をミリガン氏に説いたのか、詮索《せんさく》するつもりはないよ。ただ、科学者として言わせてもらえば、あれは単なる思いつきにすぎない。非常に面白い考えだし、否定できないことも確かだが、その考えを実証するだけの材料をきみは揃《そろ》えなかった」
クランは答えなかった。
惑星学者は、静かに続けた。
「だが、やらせてもらうよ。きみのアイデアは念頭においておこう。そして第二惑星で何が起きているか、実証してやる」
「望むところだ」
クランが不敵に応じると、アルチナは顔を輝かせた。
「でっかいお宝が待ってるかもしれないしねっ!」
「それもある」
「あの、皆さん」
メイが釘《くぎ》をさした。
「ロイドさんを探すのが先ですから」
ACT・5
その距離、わずかに五百万キロ――太陽直径の十倍にも満たない。普通《ふつう》のG型|恒星《こうせい》でここまで接近したら、船はたちまち金属の蒸気になるだろう。
アフナスはもはや、薄暗《うすぐら》くたたずむ天体ではなかった。それは夕陽のように赤々と燃え、ときおり白熱したフレアの脈を浮き上がらせていた。
メイは落ち着かない心地《ここち》で、何度も船殻《せんこく》の温度をチェックした。
地球と同程度の輻射《ふくしゃ》しか受けていないとはいえ、見かけ上、満月の三十六倍にもなる火の玉が視野を支配しているとあっては、心|穏《おだ》やかではない。
マージも同じ思いだったらしい。
「メイ、アフナス―第二惑星系のラグランジュ1高度は?」
「はい……ええと、千四百八十七キロです」
「目的地をそこに変更《へんこう》するわ。恒星船をそこにパーキングして、自動安定させる」
「わかりました」
「なぜかね? ラグランジュ1からだと震源域《しんげんいき》は星の裏側になるが」
後ろの補助席から、ピーターセンが聞いた。
「太陽輻射を避《さ》けるためです、博士。ラグランジュ1なら常に目陰《ひかげ》だから安心です」
「アフナスはきわめて安定した太陽だよ。もう六十億年も、静かに燃えてるんだ」
「一万年に一度しかない表面爆発でも――」
マージは後ろを振《ふ》り返って言った。
「避けられる危険は避けることにしていますから」
「そうか。いや、口をはさんですまなかった」
第二惑星の落とす永遠の闇《やみ》の中で、アルフェッカ号は停船した。
千五百キロ下方に広がる大地には、なんの光も見えない。大気が存在しないことは、全円をなす地平線に、わずかな光さえ漏《も》れてこないことからわかった。
メイとマージは恒星船を待機モードに入れ、留守中の船内温度を五度に設定した。
さらに自動操縦で現在の位置関係を維持《いじ》するようプログラムする。ラグランジュ1は力学的に不安定で、わずかな外力で軌道《きどう》を逸脱《いつだつ》するおそれがあった。第二惑星はわずか二週間で太陽のまわりを一巡《いちじゅん》するが、そのあいだ無人のアルフェッカ恒星船はぴったり足並みをそろえて惑星の外側にいなければならない。
「留守番するなら、風呂は使い放題、食料も食べ放題ってことにしてもいいわよ」
ブリッジを出るときになっても、マージはまだ、アルチナを連れてゆくことをためらっていた。
「そうなったらあたし、発狂《はっきょう》して船を壊《こわ》す。絶対だよ!」
マージはため息をついた。
捜索チームの編成についてはいろいろ考えたが、名案は浮かばなかった。
ピーターセンを同行させるのは当然だが、メイも連れていきたい。シャトルの扱いで自分の手が離せないとき、メイは頼《たよ》りになる。
正直なところ、クランにも同行してほしかった。宇宙服の扱いはまずまずだったし、地上では若い男の力が必要になるかもしれない。
だがそうなると、アルチナ一人に留守をあずけなければならない。この位置では昼側にまわったシャトルと無線連絡できないから、いかにも孤独《こどく》だ。べそをかきそうになったアルチナを見ると、マージはさすがにひるんだ。
「アルチナ、もう一度|誓《ちか》って。何があってもあたしの指示に従うこと」
「誓う」
「……じゃ、移動しましょ」
五人はキール内部にある狭《せま》いトンネルを通って、シャトルに移乗した。シャトルに人工|重力場《じゅうりょくば》はなく、五人は天井のハッチからキャビンに舞い降りた。
機内は恒星船よりずっと狭いが、座席配置は基本的に変わらない。コクピットの左にマージ、右にクラン。クランの真後ろの航法席にメイ。アルチナとピーターセン博士はコクピットに続くキャビンの補助席に座った。
メイはいつもより念を入れて、機内をチェックしてまわった。宇宙服のほか、食料や水も余分にいる。人間ほど手間のかかる積《つ》み荷《に》はない。
キャビンに戻ってみると、案の定、ピーターセンは自分のスレートに夢中だった。
「博士、着席してハーネスを締《し》めてください。まもなく発進します」
「おおそうか」
シャトルのペイロードベイには、ホワイトオウルから積み込んだ観測機器が固定されている。データはピーターセンのスレートに伝送される。彼はそのチェックに没頭《ぼっとう》して、自分のことはすっかり忘れていた。
全員が椅子に固定されたのを見届《みとど》けて、メイは航法席についた。
「機内|点検《てんけん》終わりました。異常ありません」
「了解《りょうかい》」
マージは右手を伸ばして、頭上のスイッチをいくつか押した。
「ドッキング解除シーケンス起動」
メイは船外カメラの映像をにらんだ。
左右から胴体《どうたい》のハードポイントを押さえていたアームが開く。続いてキャビンの天井でラッチの外れる音がした。
「アンドッキング完了」
機首のバーニア噴射《ふんしゃ》が一閃《いっせん》し、シャトルは動き始めた。モニター画面の中で、恒星船が遠ざかっていく。
メイはキャビンの二人に声をかけた。
「もうすぐ減速開始です。固定してないものはありませんか?」
「大丈夫だ」「いいよ」
メインエンジンの噴射が始まった。背中に重力がよみがえった。
最初の噴射はすぐに終わり、二度めの噴射で高度五十キロの赤道|軌道《きどう》に入った。
シャトルはぐるりと回転し、頭上に第二惑星をあおぐ姿勢になった。
地表はまだ夜の領域だった。
「ペイロードベイ・ドアを開きました。博士、どうぞ始めてください」
マージが後ろに声をかける。
「よしきた」
ピーターセンはスレートを指で操作しはじめた。
メイはカメラでペイロードベイを監視《かんし》した。床に固定された機器のカバーが開き、大きな対物《たいぶつ》レンズが現れた。その横でトラス構造のマストがスルスルと伸びてゆく。先端にはセンサーの集合体があり、マストの途中《とちゅう》には大きなアレイアンテナが開花した。
もちろん、ロイドの捜索《そうさく》が優先される約束だが――こうした機器はその用途《ようと》にも使える。軌道上からロイドの探査艇を探すには高感度の電波望遠鏡が役立つだろう。たとえビーコンの送信が切ってあっても、探査艇の電子機器が完全に停止していない限り、微弱《びじゃく》な電波が漏《も》れているはずだ。
目の端《はし》に光を感じて、メイは顔をあげた。
惑星の黒い地平のむこうから、アフナスが昇るところだった。
それとともに昼の世界が視野に入ってきた。赤く照らされた大地はどこもクレーターに覆《おお》われ、その起伏《きふく》が長い明瞭《めいりょう》な影《かげ》を落としている。
「昼側に入りました。何か入感《にゅうかん》ありますか?」
メイはピーターセンに声をかけた。
「いや……」
首を傾《かし》げているような声だった。振り返って様子を見ると、そのとおりだった。
「どうかしましたか?」
「磁気センサーが故障したらしい。地磁気《ちじき》の密度が変なんだ」
「地磁気を測ってるんですか?」
「普段《ふだん》と比べて半減してる。そうそう変わるもんじゃないんだが」
「それより探査艇の電波を――」
「いやぁ、故障じゃないのかな。ちゃんと地理変化は出てるんだよなあ……」
「あの、博士、地磁気よりまず探査艇をですね!」
「これだって探査艇ぐらい見つけられるよ。宇宙船はけっこうな磁場を持ってるからね」
「そうですか……?」
メイは疑いのまなざしを向けたが、ピーターセンはスレートに顔をうずめていた。
メイは仕方なく、自分のコンソールに向かった。シャトルにも高感度の受信機とスペクトル分析器《ぶんせきき》がある。これだって捨てたものではない。
いや、その前に――メイは通信機を共通波にセットすると、送信ボタンを押した。
「こちらアルフェッカ・シャトル、ロイドさん応答ねがいます。メイです。そばにマージさんもいます。すべて許すから戻ってこいって言ってます」
「あのねえメイ、家出少年じゃないんだから」
メイはかまわず続けた。見えない相手に語りかけて、心がたかぶっていた。
「ロイドさん、あと三か月の命っていうのは嘘《うそ》だったんです。まだまだ生きていられるし、私もマージさんも反省して、これからはもっとロイドさんに自由を与えようって言ってるんです」
「メイ!」
「いいんです、とりあえずこう言わないと!」
「恥《は》ずかしいから出力を絞《しぼ》りなさい! 星系中に聞こえるんだから」
「……そうでした」
「急に電波を出さないでくれないかね。サイドロープをひろっちまう」
後ろからピーターセンが言った。メイはむっとして振り返った。
「探査艇を探してくだきってるんでしょうね!?」
「ああ……もちろんだよ」
「いまの送信、十分おきにリピートしますから。その間に観測してください!」
「わかった。わかったよ」
アルフェッカ・シャトルは高度五十キロを維持《いじ》したまま、東に向かって進み続けた。
地図にマークした赤道直下の震源域《しんげんいき》はそろそろ地平線上に現れる頃だった。
「え、なにこれ?」
ピーターセンのスレートを覗《のぞ》いていたアルチナが声を上げた。三次元グラフのひとつが、急に異常な起伏《きふく》を見せはじめたのだった。
「待ってくれ……」
惑星学者は低い声で応じ、めまぐるしくタッチパネルを叩《たた》いて他のデータとの比較《ひかく》にかかった。
「震源域まで八百キロ」
メイが告げる。
「……こりゃ、接近してるせいじゃないぞ……」
ピーターセンはそう言い、息を呑《の》んだ。
「博士、異変があったら報告してください」
「震源域で地磁気と電磁放射に異常がある。現在も活動中だ。変化は増大している」
「探査艇ですか?」メイが聞いた。
「ちがうね。震源域のほぼ全部だ」
「外見に異変なし」
マージがHUDに投影《とうえい》した地図と外を見比べて言った。
「危険な兆候《ちょうこう》ですか? 博士」
「わからん。しかしこんな変化が長続きするはずはない。カタストロフを目前にしたような感じだ」
「カタストロフとは」
「この場合は火山|噴火《ふんか》や地震の発生だが――」
「震源域まで五百キロ」
「高度を上げたほうがいいんじゃないのか」クランが言った。「表面重力は七分の一Gだ。なにかあったらすぐ軌道に届《とど》くぞ」
「そのようね」
マージはただちに決断した。
「緊急|待避《たいひ》、インパルス三G・六十秒、メインエンジン噴射スタンバイ」
「待ってくれ!」
ピーターセンが言った。
「いま加速したら、センサーマストがもたない」
「至急収納してください」
「この変化は見逃せない。せめて上空通過まで――」
「収納しないのなら投棄《とうき》します」
「無茶をいわんでくれ!」
「震源域まで二百キロ」
「ペイロードパレット、十秒後に爆破投棄」
「わかった、やむをえん――」
「見ろ!」
クランが叫んだ。
何者かによって、大地が一直線に機銃掃射《きじゅうそうしゃ》を受けた――そんな感じだった。
閃光《せんこう》とともにナイアガラ瀑布《ばくふ》を思わせる塵《ちり》の壁《かべ》が立ち上がった。その上縁《じょうえん》は音もなく持ち上がり、たちまち軌道高度に達した。壁はシャトルの目前から始まり、はるか前方まで続いている。
「全員、衝撃にそなえて! 減圧注意!」
マージは観測機器をパレットごと投棄すると、メインエンジンを全開にした。
だが、すでにシャトルは塵の壁に突入していた。
アルチナが悲鳴をあげた。
正面の窓が、一瞬《いっしゅん》ですりガラスに変わった。
警報が鳴り響き、それを陵駕《りょうが》する無数の衝突音がシャトルを包んだ。機関部が損傷したのだろう――噴射はすぐに自動停止した。
ハーネスが体に食い込む。塵の抵抗《ていこう》で、機体は急速に速度を失っていた。
「メイ、レーダーは生きてる?」
「生きてますが、ノイズがひどくて――スクリーンに出しますか」
「そうして」
「推進剤がどこかで止まってる。メインはもうだめだ。バーニア噴射もチャンバーに残ってる分だけだぞ」
クランが言った。
「わかってる。最後までとっとくわ。メイ、対地速度を読んで」
「秒速千百――どんどん落ちます――九百五十……八百七十……八百四十」
レーダーを見る限り、塵の密度は徐々《じょじょ》に低下していた。
だが、もはや軌道を維持《いじ》することはできなかった。
秒速五百メートルを切ったあたりで減速はおさまった。だが、降下速度はむしろ上昇している。高度は十キロを切っていた。
状況《じょうきょう》が見えてきたので、マージは船長としてアナウンスした。
「みんな聞いて。一番の損傷《そんしょう》は推進系で、速度を回復できないから不時着するしかない。でも核融合炉《かくゆうごうろ》、電力、生命|維持《いじ》系統は持ちこたえたわ。不時着して救助を呼べば、あとは待つだけよ」
それから、クランが後ろを振り返って言った。
「アルチナ、平気か」
「……あ、うん、なんとか」アルチナはぎくしゃくと答えた。
「マージの言った通りだ。心配するな」
「うん――でもさ、その窓、真っ白だよ?」
ショックで思考力が退行《たいこう》しているのか、アルチナは妙なところを心配した。
「まあ、計器飛行で不時着なんてぞっとしないわね」
マージは余裕をみせながら言った。
「大丈夫、シャトルはこの手の汚《よご》れ仕事を想定してあるから。――そろそろいいかな」
マージは窓枠に仕込まれた成形爆薬に点火して、傷ついた窓の保護層を吹き飛ばした。
視界がよみがえった。
重く、速度の大きい塵はすでに散ったようだが、周囲にはまだ微粒子《びりゅうし》のスモッグが残っており、アフナスの日照《にっしょう》で赤く染《そ》まっていた。視程はよくないが、徐々に地表の様子が見えはじめた。
「何、あれは……」
マージは目を疑った。それは確かに、そこにあった。
眼下に、彼方《かなた》まで一直線に続く渓谷《けいこく》が横たわっていた。
両岸はナイフで切ったように急激に落ち込み、谷底は完全な平面で、ガラスのような光沢《こうたく》を放っていた。幅《はば》は数キロもありそうだった。
「道路にしちゃでかすぎるわ」
「あの規模なら地図に載《の》っていそうなもんだが……いつの間にできたんだ」
「さっきだよ、たぶん」
いつのまにか、ピーターセンが前に来ていた。
「博士、着席しててください」
「もうしばらく時間があるだろう。観測装置を全部なくしたんだ、せめてこの目で見せてくれないか」
「さっきって、どういうことだ」
「あの爆発さ。地下工事が終わって、地表の塵を吹き飛ばしたように見えるね」
「誰が? なんのために? どうやって?」
「それはこれから調べることだ。なんにせよ、おあつらえ向きの滑走路《かっそうろ》じゃないか。向きもぴったり一致してる」
「でもあの谷底が何でできてるかわからないわ」
マージが言った。
「氷か、液体のようにも見えるし」
「車輪を出すのがいいだろう。大丈夫、アフナサイトの硬度《こうど》は水晶なみだ」
「なに……」
博士は息をのむクランの肩を叩《たた》いた。
「きみの説が大当たりだったようだ」
「あと二分で着陸です。博士、席に戻ってください。クランも今は着陸に集中して。降下角がかなり急よ。バーニアだけで軟着陸できるかどうか」
「キャプテン、ひとつアイデアがある」
席に戻ったピーターセンが言った。
「粉塵《ふんじん》を大気と考えて空力操縦するんだ。あれだけの抗力が《こうりょく》あるなら、揚力《ようりょく》も生み出せるはずだ」
「でも……メイ、こんな大気モデル、登録されてた?」
「ありません」
なければどれかにあてはめよう、と思うのだが、ちょっと見当がつかない。
「あの、真空中の粉塵を大気とみなすのって、どう考えていいか」
「超音速域での特性はかなり似てるよ。彗星《すいせい》のダスト粒子《りゅうし》を考えてみたまえ――」
「博士、講義は後で」
「わかった。私のスレートからパラメータを送るよ。チャンネル2でいいかね」
「どうぞ」
その数値は航法コンピュータによって加工され、スクリーンに予想進路が描き出された。
見慣れない曲線だった。
「衝撃波に乗ってタッチダウンしろってか……」
マージはつぶやいた。
「地面効果はけっこうあるようだ。いけるんじゃないか」クランが言う。
「計算上はね」
ガラスのような谷底が迫《せま》ってきた。表面に何の模様もないので、距離感も速度感も得られない。メイはせめてもの補助にと、高度を読み上げた。
「高度百メートル」
谷は果てしなく続いている。オーバーランの心配がないことだけが救いだった。
「三十メートル」
「ギア・ダウン」クランがスイッチを押す。
三本の車輪が出てロックした。
「いいぞ。降着装置はしっかりしてる」
「十メートル」
マージは思い切って機首を引き起こした。同時に最後のバーニア噴射をおこなう。
押し出された塵が機体を追い越して、前方に散るのが見えた。
直後、軽い振動が走った。
「タッチダウン」
機首を下げる。前輪も接地した。
ブレーキを徐々にかける。低重力で効きが悪い。マージはかまわず走らせた。やがて速度が落ち、機体は停止した。
「ホイール停止……標準時1755」
「ブラボー、キャプテン!」
ピーターセンが祝福した。完璧《かんぺき》な着陸だった。
だが、再び離陸できる保証は、なにもなかった。
[#改ページ]
ACT・1
宇宙服を着ると、メイとマージはシャトル最後部の機関室に入った。
損傷|箇所《かしょ》はすぐにわかった。あの時、惑星側《わくせいがわ》を向いていた天井側から、ピーナツほどの石がとびこみ、推進剤を送る配管のひとつを貫通《かんつう》、さらに予備の配管の継《つ》ぎ目《め》を歪《ゆが》ませたのだった。貫通した側に圧力がかかっていたら、ただではすまなかっただろう。
「まいったな。五百気圧もかかる配管じゃ、そう簡単に修理できないわ」
「予備は積んでなかったですね」
「恒星船の中よ。なんとかここにあるもので修理したいんだけど」
「そうですね……」
メイは周囲を見回した。
「転用するとしたら、バーニア用の配管ですか。二系統ありますから、予備を使って」
「あれは耐圧《たいあつ》が百気圧でしょ。長さも違うし」
「なんとかだまして使えませんか。低重力だから、出力は弱くていいと思うんです」
「いけるかな。でも長さはどうするの? 溶接《ようせつ》なんて無理よ」
「待ってください」
メイはスレートを開き、推進系のパーツリストを呼び出した。
「もしかして、あんたの得意技《とくいわざ》? ナップザック問題?」
「ええ、まあ」
ありあわせのパイプとジョイントを組み合わせて、もとの配管と同じ長さを作れないか?
メイは脳裏に方眼紙を描き、その天文学的な組み合わせを、自分でもわからないアルゴリズムで整理していった。
「……ええと、こうかな。A11―A14、ここで直角に曲げて、B22―C34―A08―B31、もういちど曲げてまたA11―A14――」
「ずいぶんたくさん使うのね」
「十時間くらいはかかりますね。バーニアの予備配管を外すのが大変です。主翼《しゅよく》にもぐらないとだめだし」
マージはため息をついた。
「やるしかないか。……まったく、ロイド探しどころじゃなくなったわ」
メイはうなずいた。
「探しにくることぐらい、予想してほしかったですよね」
「あたしは、はなっから探す気なんてなかったわ。ロイドもわかってたはずよ」
「でも――」
そのとき、インカムにアルチナの声が入った。
『えてる? おーい、聞こえてる? おーい』
「アルチナ、どうしたの?」メイが答えた。
『ああメイ、なんかクランと博士が石の話で盛り上がっちゃって、外に出ようとしてるんだけど、放っといていいのかなあ』
「だめよ! すぐやめさせなさい」マージが言った。
『あー、もうドアが閉まっちゃった』
「すぐ行く」
メイとマージは身をかがめてペイロードベイの床下を進み、キャビンに戻った。
丸窓から見ると、すぐ外に二人がいた。ピーターセンはしゃがみこみ、ハンマーで地面を小突《こづ》いている。
「博士、勝手に外に出ないでください! クランもよ!」
『自分たちが何の上に乗ってるか、急いで調べた方がいいと思ってね。大丈夫だ、なんの危険もない』
「是非《ぜひ》はともかく指示は守っていただかないと」
『悪かった。だが、せっかく来たんだ。ミリガン氏の追い求めたものをきみらも見てみないかね?』
メイとマージは顔を見合わせた。
「……危険はないんですね?」
『まったく安全だ』
「わかりました。これから行きます」
「ね、あたしも出ていいでしょ? せっかく宇宙服着たんだしさ」アルチナが言った。
しぶるマージをみて、メイが助け船を出した。
「あの、これから何があるかわかりませんし、アルチナにも船外活動の経験をさせたほうが、いいと思うんです。面倒は私がみますから」
マージは肩をすくめた。
「オーケイ、三人でいきましょ」
エアロックを出ると、さえぎるもののない、この世界の純粋《じゅんすい》な眺望《ちょうぼう》がとびこんできた。
地表は氷結《ひょうけつ》した湖《みずうみ》のようだったが、表面のわずかな塵《ちり》を除けば澄《す》みきっていて、地底のどこまで続くのか想像もつかない。真上から降り注《そそ》ぐアフナスの日照は、その凍《こお》りついた深淵《しんえん》に吸収され、ただ薄暗《うすぐら》く衰《おとろ》えていくだけだった。
遠くには、この渓谷《けいこく》を縁取《ふちど》る崖《がけ》が低くそびえている。距離はさだかでないが、歩けば何時間もかかりそうだった。
崖の上には赤黒い空があったが、天球のほとんどは漆黒《しっこく》の宇宙そのものだった。
天頂には赤く燃えるアフナスがじっと浮かんでいる。みかけの大きさは地球から見た満月の六倍にもなった。落ち着かない眺めだった。
ラッタルを下まで降りたとき、メイは宙に踏み出すような不安をおぼえた。だがそれは完全な固体で、歩くと靴底からガラスのような感触《かんしょく》がつたわってきた。
振り返ると、アルテナがラッタルの途中《とちゅう》から飛び降りようとしていた。
「アルチナ、跳《と》んじゃだめ!」
遅かった。アルチナは一・五メートルの高さをたっぷり一秒半かかって落下した。
着地の衝撃はないに等しかったが、どんな重力場にあっても変わらずつきまとう慣性が、女の体を思わぬ向きに引き倒そうとしていた。
駆けつけたメイの手に救われて、アルチナはどうにか転倒をまぬがれた。
「たはは。なんかプールんなか歩いてるみたい」と、ヘルメットに手をやる。頭を掻《か》こうとしたのだろう。
「もうアルチナ、気をつけなきゃ! 重力が弱いからって油断しちゃだめ。動き出したらすぐには止まれないんだから!」
「ごめんごめん。これから注意するってばさ」
メイはアルチナの手を引いて、他の三人が集まっているところへ行った。
マージとクランは、ピーターセンの作業を見守っていた。
「あまり破壊《はかい》的なことはしないほうがいいんじゃないのか」クランが言った。
「なに、平気さ。X線を当てるだけた」
ピーターセンは片膝《かたひざ》をついて、小型の装置《そうち》を地面に押し当てた。数秒待ってとりあげ、表示を読む。
「やはり間違いない。アフナサイトだよ」
「アフナサイトって、これが全部!?」アルチナが一オクターブ高い声で言った。
「そうだよ。それも、これまでの標本よりずっと構造が整《ととの》っている」
「すっげー!」
飛び上がろうとするアルチナをメイは押さえにかかったが、口まではふさげなかった。
「やったじゃんクラン! これで大金持だよ!」
「はしゃぐな。その前にいろいろ考えることがあるだろ」
「ああ、えーと……分け前とか?」
「あの爆発はなんだったのか? この渓谷《けいこく》はなんなのか? そしてこれは、単なる自然現象なのか?」
ピーターセンが列挙《れっきょ》する。
「心当たりはあります?」マージが聞いた。
「エネルギー源《げん》だけはね」
「エネルギー源?」
「さっきの観測で、地磁気が異常に減衰《げんすい》していることがわかった――装置の故障でなければだが――その減衰分がこの大事業に使われたのなら、辻棲《つじつま》はあいそうだ」
「でも、磁石からエネルギーを取り出すことは不可能って習いましたけど?」
「地磁気にもいろいろあるんだが……」
博士は少し言いよどんだ。
「これは単なる仮説――というか思いつきの次元なんだが、この星のマントルのある層はぺロブスカイトだと考えられている。ぺロブスカイトは高温超伝導物質と同じ結晶構造だ。そこでもしこの結晶に特殊《とくしゅ》な構造が生まれたら、惑星《わくせい》を二周する超伝導コイルとして働く可能性もないとはいえない」
「超伝導コイルって……じゃあ、電流を閉じこめておける?」
「そう。地磁気はその単なるおまけだ。磁場からエネルギーを取り出すことはできないが、コイルからなら簡単だ。その途方もない電力をうまく使えば、岩を吹き飛ばすこともできるだろう」
「誰が、なんのために?」
ピーターセンは肩をすくめただけだった。
「わかるのは、アフナサイトとぺロブスカイトは、単位格子がまるでちがうわりに、類似点が多いことだけだ。産地も隣接《りんせつ》している」
この、めまいのするような平面が、地下からくみだした電力で開拓《かいたく》された……。
メイは慄然《りつぜん》とする思いで、あらためて周囲を見やった。
上空から見たとき、ここは正確に東西にのぴた滑走路《かっそうろ》のような形だった。
たしかに、東西方向は崖《がけ》が見えず、足元から続く平面が天地を分けている。
細長くて平らな建築物。
道路。モノレール。滑走路。どれも何かが通るためのものだ。
地平線までの距離は三キロもないだろう。メイは急に不安をおぼえて、その方に目をこらした。
何かが光ったような気がした。
「どしたの、メイ」
アルチナが声をかける。メイの視線は地平線に釘付けになっていた。
「あそこに――」
アルチナもそちらを見た。
「……なんだ、あれ!?」
ACT・2
アルチナの声に、ほかの三人も振り返った。
西の地平線に出現した光芒《こうぼう》は、最初、日の出のように見えた。
まもなく、光は地面から発していることがわかった。それは一本の光の帯で、渓谷《けいこく》を横断する幅《はば》を保ったまま、まっすぐこちらに向かってきた。
「みんな、シャトルへ戻って!」
マージはそう叫んだが、光の移動は圧倒的に早かった。
何をする暇《ひま》もなく光は足元に達し、五人の怯《おび》えた顔を照らし上げた。
光はそこで止まった。
続いて南北方向の収縮《しゅうしゅく》が始まり、最後にはシャトルを中心とする、およそ百メートル四方の正方形になった。
まるで、スポットライトを浴《あ》びているようだった。
何者かが、自分たちを走査《そうさ》している――そう考えざるを得ない。
アルチナがクランの右腕にしがみつく。
シャトルへ戻りたかったが、身じろぎさえためらわれた。
「落ち着くんだ。有害な光線じゃない」
ピーターセンがスペクトル・アナライザーを見て言った。
「そうね……」
マージが呼吸を整えながら言った。
「相手の出方を待ちましょう。どんな相手だか知らないけど」
長くは待たなかった。
光は電磁波の一種であり、通信電波の親類だった。
次に届《とど》いたものを探知したのは、宇宙服の無線機だった。
『あなたは人間か?』
中性的な声が、ヘルメットに流れ込んだ。
五人は等しく、息をのんだ。
マージが応答した。
「そうだけど――あなたは誰?」
『私は原住知的生命だ』
マージは困惑《こんわく》して、他の四人の顔をうかがった。誰も首をふるばかりだった。
「あなたはどこにいるの?」
『人間の隣にいる』
「その人間はどこにいるの?」
『人間とはあなたのことだ』
「姿を見せて」
『すでに見えている』
「変な光と滑走路みたいなものしか見えないわ」
『それが私だ』
「この、透明な結晶でできた場所がすべてあなたなの?」
『そうだ』
「あなたの大きさを教えて」
『八百三十一×十四×二十七キロメートルの直方体に内接する」
この渓谷――自分たちは、彼の背中に乗っていたのだ。
マージはひるまずに質問を続けた。
「あなたはなぜ人間の言葉を話すの」
『SCPを学んだ』
「SCPって、標準|遭遇《そうぐう》手順のこと?」
『そうだ』
SCP――標準遭遇手順とは、人類が知的生命と遭遇した場合に提供する、必要最小限の情報で、どんな宇宙船のライブラリにも収録されている。
それは1と0を現すデジタル符号《ふごう》で表記され、数字と四則演算《しそくえんざん》を教えることから始まる。
情報はしだいにステップアップし、やがて画像を提供する。画像によって種々の物理法則を教え、水素原子など、宇宙共通の物質を尺度《しゃくど》にして、距離や時間、力の単位を伝える。
ここから画像は動画と音声になり、人類の外見や文化、生活習慣を示し、同時に数百語からなる標準語を教える。
相手に相応の知性があれば、このSCPを解読して、人類と会話できるようになるはずだった。これを使った異星人との接触《せっしょく》は、銀河の半分に散った人類|版図《はんと》のなかで、過去に数十回もあったといわれている。
「SCPは誰が教えたの?」
『わからない』
「なぜわからないの?」
『私が始まったとき、SCPをすでに知っていた』
「始まった、とはどういう意味?」
『新たな状態に移ったこと』
「誕生《たんじょう》したって意味じゃないか」クランが言った。
「そうか……あなたは始まってからどれくらいたつの?」
『知らない』
「親や仲間はいるの?」
『その言葉は理解できない。結合の切れた存在を作ることはできる』
「一番古い記憶からどれくらいたつ?」
「八十四万六千百三十九秒だ』
「ええと……」
「十日弱です」メイが言った。
「地震が始まった頃だな」これはピーターセン。
『地震とは何か』
「惑星上で起きる振動《しんどう》の一種だよ。詳《くわ》しくいうなら――」
ピーターセンが答えると、マージが身振《みぶ》りでさえぎった。そして船に戻れと指示した。
マージに追い立てられるようにして、一行はシャトルに戻った。
キャビンに入ってヘルメットのパイザーを上げると、マージは言った。
「あそこじゃ無防備だし、こちらの会話が筒抜《つつね》けでしょ。コクピットから無線で話したほうがいいわ」
「なあんだ、そういうこと」
「いささか懐疑《かいぎ》的だね」
「船長としては当然の義務ですよ、博士」
ピーターセンの言葉に、マージはきっぱり返した。
「SCPに目時の時間単位が記述《きじゅつ》されてないのはなぜか御存知《ごぞんじ》ですか? 自転周期から地球が母星であることを知られないためです。提供する物理学も古典理論だけで、地震はともかく核融合《かくゆうごう》や超光速航法については、その存在さえ教えてはならないんです」
「わかってるさ。だがそれは人類の猜疑心《さいぎしん》を露呈《ろてい》するものとして、昔から論議の的だ。もし相手が相対論を知っていて、こちらの嘘を見破ったらどうするね?」
「嘘は言わないんです。黙っているだけで」
「しかし相手は質問するかもしれない。手順書によれば『規則によって答えられない』と返答するわけだが、かえって不審《ふしん》がられると思うね」
「相手が本当に知的なら、答えられない事情も理解するでしょう」
マージは言った。
「私たちはあの爆発に巻き込まれたんですよ? それが攻撃ではないとしても、こちらの存在を知った上で実行したのなら、ずいぶん危険な存在です。慎重《しんちょう》にやるに越したことはないでしょう」
「ふむ……」
ピーターセンはしぶしぶうなずいた。
「わかった、キャプテンはきみだ。きみに従うよ」
「ねえ、あいつさ、生まれたときからその標準なんとかがあったって言ってたけど、どうしてかな」
アルチナには、クランが答えた。
「おまえだって生後数年のことは覚えてないだろ?」
「それもそうか」
「とにかく、はじめましょ」
マージがうながした。一同はコクピットに移った。
インカムを外部送信にセットすると、マージは言った。
「ハロー、原住知的生物。会話を続けましょう。あなたはおよそ三千秒前、この地形を作った。その目的は何?」
『宇宙に出ようとしている』
「どうやって宇宙に出るの?」
『この平面上で電磁作用によって自分に脱出速度を与える』
「リニアカタパルトか。なるほど、アフナサイトならお手のものだ」
ピーターセンが言う。
「それでは、この平面はここに残るのね?」
『そうだ』
結合の切れた存在を作る、ということらしい。自分の一部を捨てることには躊躇《ちゅうちょ》しないようだ。
「理由が聞きたいね。なぜ宇宙に出るのか」
「あなたはなぜ宇宙に出るの?」
『知識を得るためだ』
知的生命としては、当然の理由だった。
「私たちに話しかけたのも、知識を得るため?」
『そうだ。破壊した人間は知識を失う』
マージは送信を切って、一同に振り返った。
「どういうこと?」
「死ぬってことでしょうか」
「私には、これから人間たちを破壊する、と受け取れたんだが」
ピーターセンが言った。
「つまり……我々はレールの上で立ち往生してるわけだから」
「なんてこと!」
マージは顔色を変えて、対話を再開した。
「あなたは私たちを破壊するつもり?」
『そうだ』
「それは困るわ。やめてちょうだい」
『私が宇宙に出ることは、やめられない』
「それじゃ、少し待ってちょうだい。ええと……三万六千秒待ってちょうだい」
『それは待てない』
「なぜ待てないの」
『宇宙に出ることは重要だからだ』
「なぜ重要なの?」
『知識を得る機会だからだ」
「出発を三万六千秒くらい遅らせても、知識は得られるはずよ!」
『重要な事はただちに実行しなければならない』
「あ、あたしたちから知識を得るんじゃなかったの? いろいろ聞くことがあるでしよ?」
『あなたは人間であるとわかった。人間のことはSCPに記述されているから、必要な知識はすでに得ている』
「あー、いやあれは……人間のごく一部を記述したものにすぎないから……」
マージは船長の義務≠ニのジレンマに苦しみながら、言い訳を試みた。
だが、アフナサイトの返事は硬質《こうしつ》だった。
『宇宙には人間の知識など及びもつかない知識がある。宇宙に出ることを急がねばならない』
「なぜ人間の知識が宇宙に及ばないとわかるの?」
『そう知っているからだ』
「なぜ知っているの?」
『わからない。私が始まったときから知っている』
「まずそれを疑うべきじゃない?」
『行動にさいして疑問をもつことはよくない』
「ど……」
マージは憤然《ふんぜん》として送信を切った。
「どうなってんの! SCP読んで、なんであんなへんてこな哲学を持つのよ!?」
「ねえ、みんなで幸せになろうよって言ってみれば?」
「そんなムードに聞こえる? アルチナ」
「そうじゃないけど、知的生命どうし、対等に尊重するってのかさ」
「あ、それはいいかもしれませんね。生命の価値を理解させれば、考え直すかも」
メイが言った。
「そうだな。一理あると思うね」
「わかった、やってみる」
マージは送信ボタンを押した。
「あなたは自分が知的生命だと言ったわね?」
『そうだ』
「私たちも知的生命よ。それは理解できる?」
『理解できる』
「あなたは自分が生きて知識を求めることが重要なのよね?」
『そうだ』
「では、私たちが、生きて知識を求めることも重要だと理解できるかしら?」
『理解できる』
「では、私たちを破壊することが、重要な損失《そんしつ》だと理解できるかしら?」
『理解できる』
「では、宇宙に出るのは三万六千秒|延期《えんき》できるわね?」
『それはできない』
マージの顔が赤変した。
「なぜできないの! 同じ知的生命を勝手に破壊していいと思うの?」
『私は決して立ち止まらない』
「ちょっと――何を言い出すの!」
『私の夢をかなえるためには、他の知的生命に迷惑《めいわく》をかけてもかまわない』
「――――!」
マージは震える手で送信を切った。
「何言ってるの。SCPの語彙《ごい》に夢なんて……これじゃまるで――」
「そうです、ロイドさんです!」
メイが叫んだ
「それ、ロイドさんです! あの時ロイドさんが言ってたこととおんなじです!」
「ロイド……」
「ロイドか」
「あ、なんかわかる! あいつの言いそうなことだよ!」
「ミリガン氏か……あの傍若無人《ぼうじゃくぶじん》ぶりは確かに」
五人はいっせいに納得《なっとく》した。
「でも、どうして――」
「いや、あるかもしれない。ミリガン氏が探査艇《たんさてい》でここに来て、SCPとともに自分の人生観を語ったとしたらどうだね。それがアフナサイトの知性に大変革をもたらして、いわば本能のレベルで刷《す》り込まれたとしたら」
「でも、ロイドは平気で人を破壊したりしないわ」
「エイリアンの死生観なんてわかるものかね。鉱物|結晶《けっしょう》は億単位の年月を生きるんだ。どう誤解《ごかい》されたって不思議じゃないよ」
その時、通信機に一瞬、強烈なノイズが入った。
「なんだ……?」
「電磁パルスか。待ってくれ――」
ピーターセンはスレートを取り出して、パネルを叩《たた》いた。
「震源域《しんげんいき》の西端で、南北二十七キロにわたって特異な振動《しんどう》がある。どうやら出発進行だよ」
「出発って……」
「渓谷《けいこく》の幅《はぽ》いっぱいの物体が移動してる。小さな島ぐらいの質量だな。約〇・二Gで加速だ」
「ここまでの時間は?」
「十分かそこらだ。秒速五百メートルで突っ込んでくるぞ」
「なんてこと」
マージは顔色を変えた。
「逃げるのは無理だわ。止めないと。電気的にどうにかできないんですか?」
「特大の核爆弾《かくばくだん》でもないとね」
「説得するしかないだろう」
クランが言った。
「奴《やつ》はロイドの哲学で動いてるんだ。その哲学をくつがえすしかない」
「その気になったロイドを止めるなんて無理よ! ロイドの哲学なんて、単なる自己|弁護《べんご》にすぎないんだから!」
「それを言っちゃおしまいだろうが。どこかに突破口はないのか」
「あの」
メイが挙手《きょしゅ》した。
「後味の悪いのを嫌うんです、ロイドさんは」
「だめよ、あのパージョンは殺人にすら罪悪感《ざいあくかん》持ってないんだから」
「あ、そうでした」
「あんたたち、いつもロイドの言いなりじゃなかったんでしょ? どうやったのさ」
「そりゃ……経費の問題とかを盾《たて》にしたから」
「それだ。経費がかかり過ぎると説得すれば」
「彼にその苦労がわかると思うかね? 電流は太陽磁場と公転運動から無尽蔵《むじんぞう》に得られるんだ」
「じゃあ、宇宙に出たらどうなるんだ?」
「どこかの星系の磁気圏《じきけん》に入るまでは電池切れだろうね」
「それだ! 宇宙に出たら死ぬぞと言えばいい」
「やってみるか」
マージは送信ボタンを押した。
「あー、あなたにひとつアドバイスがある。もしあなたが宇宙に出て磁気圏を離れたら、あなたに電力が供給されなくなる。そしてあなたは死ぬわ」
『それは死ではなく、活動の休止にすぎない』
「だとしても、磁気圏のある星にたどり着く可能性はきわめて低い。宇宙に行けば、永久し活動を休止すると考えていいわ」
だがアフナサイトの返答は、SCPに含まれない語彙《ごい》を使ったものだった。
『問題はない。行けばなんとかなるだろう』
「な……」
メイはすかさず計器|盤《ばん》に手を伸ばして、送信を止めた。
それから逆上しかけたマージにすがって、必死になだめた。
「おっ、落ち着いてください、マージさん、とにかく今はおさめて――」
マージは数回深呼吸すると、かすれた声で言った。
「い……今ほどロイドを憎《にく》んだことはないわ」
「とにかく落ち着いて」
「落ち着いて死が待てるかっ!」
「それはそうですけど!」
それからマージは、急にクランにくってかかった。
「なんとか言いくるめてよ! あんた詐欺師《さぎし》なんでしょ!」
約束などすっかり忘れて、マージは怒鳴《どな》った。
クランは答えなかった。
「あと三分で到着だ」ピーターセンが淡々と言った。
「ねえクラン……なんか思いつかないの? 黙ってないでよ」
マージは一転、哀願調《あいがんちょう》になった。
さらに二十秒して、クランは口を開いた。
「アルチナ」
「なに、クラン?」
「おまえ、ロイドに化けろ。奴をだますんだ」
「は……?」
「あれはコンピュータみたいなもんだろ。ロイドの言ったことをそのまま録音してるかもしれん」
「おお、それはありそうだね」と、ピーターセン。
「最も単純な記憶方式だ」
「だろ。だからロイドの声で話しかけりゃ、奴はいうことを聞くかもしれん」
「でっ、でもあたし、ロイドとはほんの小一時間しゃべっただけだし、台本もなにも」
「声と言葉づかいだけ真似《まね》て、ロイドの前言を撤回《てっかい》するだけだ」
「だけど――」
「やるんだ!」
アルチナは泣きそうな顔になって、一同を見回した。
奇抜《きばつ》な提案だったが、全員、真顔《まがお》でうなずく。
「できるよ。アルチナだったら絶対できる」
メイはそう言ってヘッドセットを差し出した。
「これがトークボタン。押してる間だけ送信するから、あぶないと思ったらすぐ離して」
「だけど、役が見えないよ!」
「アルチナ、ロイドはきっと、くつろいだ感じで話したはずよ」
マージが言った。
「厄介事《やっかいごと》を全部捨ててきて、最後の時を楽しんでたにちがいないわ」
「う、うん……」
「ロイドさん、アフナサイトに自分の未来を托《たく》したのかも。俺のかわりにやってこい、みたいな親身な感じで」
「そっ、それもそうか」
「そして『自分の夢をかなえるためなら、周囲に迷惑かけてもいい』って言ったの」
「わかった」
「さあ始めろ。まず名前を名乗るんだ。奴の記憶に眠ってるにちがいない」
アルチナはまなじりを決して、ボタンに指を乗せた。
「ああー。あーおーえーいーう!」
「なに言ってる!」
「発声練習だよ! まだ送ってないって!」
「時間がない、さっさとやれ!」
「わかったよ、いくよ」
送信開始。
「あー……わしの声を覚えているかね。ロイド・ミリガンさ」
メイは息をのんだ。
そこにロイドが現れたようだった。
声の高さは隠せないが、微妙なイントネーションや間合いはロイドよりもロイドらしく聞こえる。
永遠とも思えた五秒後、アフナサイトは答えた。
『ロイド、その声は記憶している』
「うむ。私が言ったことを実行しようとしているようだな」
『その通りだ』
「せっかくだが、あれは忘れてくれんか」
『理解できない』
「つまりだな、わしは自分の夢をかなえるためなら、周囲に迷惑かけてもいいと言ったんだが、あれは間違いなんだ」
『なぜ間違いなのか』
「夢ってのは誰でも持つだろ。たとえば……好きな人といっしょになりたいとか、舞台《ぶたい》女優になって有名になりたいとかさ。そういう誰かの夢まで壊しちゃだめじゃん」
『語彙《ごい》が理解できない』
「あ……いやつまりそのだな」
アルチナはあわててロイドに戻った。
「夢、という言葉はわかるかね?」
『最も重要な目的のことだ』
「そう、その夢はきみ以外の人間にもあるんだ。人間の夢を破壊しちゃ、後味悪いだろうが」
『後味悪いとはどういう意味か』
「その事を実行してから、そうしなければよかったと考えることさ」
『なぜ後味悪くなるのか、理解できない』
「とにかく理解するんだ」
『理解できないものは、理解できない」
「理解できなきゃ、学ぶんだ。人の夢を壊しちゃいかん! 人は夢を持たずには生きられないんだ!」
『SCPに記述された人間の生存条件に、夢は含まれていない』
「SCPはどうでもいい、わしを信じろ!」
アルチナは叫んだ。
「きみを育てたのはこのわしだ。信じるんだ!!」
アフナサイトは沈黙した。
五秒。十秒。
息を殺して待つ。
だが一分が経過しても、返事はなかった。アルチナは小刻《こきざ》みに震《ふる》えていた。
「来たぞ」
クランが言った。外の光景に、変化が訪《おとず》れていた。
まるで渓谷《けいこく》に、突如としてダムが出現したようだった。
それはみるみるうちに膨張《ぼうちょう》し、高さだけでも千メートルを越す壁になった。
両側面は浅い角度で面取《めんど》りされ、全体はつぶれた六角形をしている。
「やはり単斜晶系《たんしゃしょうけい》か……見納めとしては悪くない」
ピーターセンがつぶやく。
そのとき、スピーカーから聞き覚えのある声が流れた。男でも、女でもない――
『あなたは人間か?』
アルチナが、弾かれたように顔をあげた。
「なに、どういうこと!?」
「最初からやり直してるんだ!」
メイが叫んだ。
「アフナサイトが生まれかわったんだ、たったいま!」
「じゃ、今度は修正版の本能なの!?」
「そうでなきゃ。アルチナ、早く返事して!」
「よしっ」
アルチナは送信ボタンを押した。
「私は人間だ。あなたは私の夢を壊そうとしている。すぐに止まって!」
「無理だよ。今から〇・二Gの減速では止まれない」
「そんなあ!」
結晶体は、減速の気配すら見せなかった。
突然、結晶の前面に四角い開口部が現れた。
開口部は正確にアルフェッカ・シャトルの延長上にあった。
「ト……トンネルを作った??」
「信じられん。アフナサイトはあんな速度で変貌《へんぼう》できるのか!」
ピーターセンの言葉が終わる前に、結晶はシャトルを飲み込んだ。
シャトルは微動《びどう》だにしなかった。
たっぷり百秒かけて巨大な結晶はシャトルの頭上を通過した。
そして、ますます速度を上げながら、東の地平線に消えた。
五人は声もなく、その姿を見送った。
命拾いしたことに気付くまでには、もうしばらくかかった。
ACT・3
翌日――。
メイとマージの三万六千秒にわたる苦闘によって、アルフェッカ・シャトルは息を吹き返した。シャトルはバーニアエンジンを静々と噴射《ふんしゃ》し、渓谷《けいこく》の上空に舞い上がった。
「さあて、どこから探すかな」
「あたしがロイドだったらさあ、ぜったい出発を見送るな。自分の育てた子供だもん」
「地上で見送るとなれば、私なら東のはずれの安全圏に陣取《じんど》るね」
ピーターセンが言った。
「あの巨体が第三宇宙速度ですっとんでいくところは、さぞかし壮観《そうかん》だろう」
「二人ともすっかりロイド通になったのねえ……」
マージは苦笑しながら、針路を東にとった。
「パターンが見えれば、わりあい単純なんですよね、ロイドさんて」
「おーおー、そのわりにゃ頭かかえてたじゃん、メイだってさ」
「アルチナだって」
「命の恩人にそんなこと言うかー? なあみんな」
アルチナは得意げに一同をみまわした。
「あの凶悪《きょうあく》な岩っころをしつけ直したのはあたしなんだからね!」
「わかったわかった」
渓谷の東端にさしかかると、マージは旋回《せんかい》飛行に入り、その円を徐々《じょじょ》にひろげていった。
ほどなく、メイはレーダーにひときわ強いエコーを捉えた。
「北北東へ二十キロ」
「了解《りょうかい》」
到着が近づくと、メイは航法席から身をのりだすようにして、眼下を眺めた。
遠くで、一瞬なにかが光ったような気がした。
「メイも見えた?」
「ええ。アフナサイトの破片かもしれないですけど」
「あたしの目にかけて、あれは金属よ」
「じゃ、無線で呼んでみますね」
「待った。もしロイドの船だったら、逃亡《とうぼう》する可能性があるわ」
「まさか……」
「あたしの考えじゃあ――」
アルチナが自信満々で割り込んだ。
「ロイドは逃げないと思うな」
「念には念を入れてのことよ。応急修理のシャトルじゃ追いつけないから」
「あの」
メイが言った。
「マージさん、ロイドさんを見つけたらタコ殴《なぐ》りにするんですか?」
「な――なんでそんなこと聞くのよ」
「そのつもりだから、自分だったら逃げるって考えたんじゃないかと」
「…………」
クッ。
沈黙するマージの隣《となり》で、クランが笑った。
「図星《ずぼし》だったようだな」
「あー、ほら、見えてきたわよ!」
マージはこれ幸いとばかりに、外を指差した。
アイスクリーム・コーンを逆さにしたような、ずんぐりした円錐形《えんすいけい》の物体だった。
テニスコートほどのクレーターの中央に、四本の脚を伸ばして立っている。
「間違いない、我々の探査艇だよ」
ピーターセンが保証する。
「よおし、もう逃がさないわよ……」
マージは探査艇に視線を固定したまま、シャトルを着陸させた。
五人は宇宙服を着た。
今度はマージも、全員が出ることを禁じなかった。
塵《ちり》を踏《ふ》みしめて探査艇のエアロックの前までくると、マージは手動開閉ハンドルを回した。
外扉が開いた。エアロックは一度に三人しか入れなかった。
「レディーファーストってことで」
マージ、メイ、アルチナが入って、外扉を閉じる。
マージは内扉にとりかかった。扉の計器は、内側に空気があることを示している。
メイは心臓が高鳴るのをおぼえた。
思いがよみがえるたびにすぐ否定するのだが――自殺などしていないだろうか?
あるいは、帰るあてのない徒歩旅行に出て、アフナサイトが何を始めるかも知らずに爆発に巻き込まれてはいないだろうか……?
マージが内扉を開いた。
最初の区画は、船外活動の準備用の控え室だった。
「博士、聞こえますか? いま船内に入りました」
『よく聞こえる。正面がコクピット、向かって左がリビングだ』
「了解」
三人はバイザーを上げた。そしてすぐに顔をしかめた。
アルコール臭《しゅう》がたちこめていた。
マージは黙ってリビングルームのドアを開けた。
そのとたん、臭気が数デシベル高まり、三人は一瞬ひるんだ。
床に数本の酒瓶《さかびん》と、糧食《りょうしょく》のパッケージが転がっていた。
向かい側の壁際に二段ベッドがあり、それぞれカーテンで囲われていた。
下の段のカーテンから、むきだしの足が一本突き出て、床に届いていた。
先に動いたのはメイだった。
メイはマージの横をすりぬけて中に踏み込み、カーテンの端を握《にぎ》って力いっぱい開いた。
ロイドが寝息をたてていた。シャツとトランクス一枚だった。
メイは数秒それを見下ろし、それから後ろの二人を振り返った。
「生きてます……ロイドさんが寝てます」
震えるような、怒ったような、変な声になった。
一拍《いっぱく》の間をおいて、マージは声高に命じた。
「ただちに起こしなさい!」
メイはロイドの両肩をつかんで揺さぶった。
「ロイドさん、起きてください。ロイドさん!」
マージが、床のゴミを蹴ちらしながらやってきた。
「起こすってのはこうやるのよ」
マージはロイドの胸ぐらをつかむと、力任せにベッドからひきずりだした。
「起きろっ!!」
「おっ……おうおうおう、なんだなんだなんだ……」
ロイドは声を発し、目をしばたたかせた。
マージはロイドを、かたわらの椅子に座らせた。
ロイドの意識は、しだいにはっきりしてきたようだった。
数回顔をこすると、その手を止め、ゆっくりとこちらを見上げた。
「……マージにメイじゃないか。そっちのは……どこかで会ったかな……?」
クランとピーターセンが入ってきた。
「おおう、これはこれはおそろいで。……夢の続きかな」
「どんな夢だか知らないけど――」
マージはロイドの耳をつかむと、力いっぱいひねりあげた。
「――今は現実よ!」
「痛てててて、わかった、わかった、確かに現実だ」
「さあ、説明してもらいましょうか。今まで何をしてたのか、残らず、正確に!」
「わかった。わかったマージ。説明する。その前に着替えて顔を洗うから、外で待っててくれんか」
「逃げようなんて思わないことよ」
「逃げるもんか」
五分ほどして、ロイドは出てきた。無精髭《ぶしょうひげ》を剃《そ》り、いつものジャケットを着ていた。
ロイドは部屋を横切り、ロッカーの出っ張りに腰を乗せた。
「では、始めよう。まあ話せは長いんだが……ここまで来たってことは、大体の事情はわかってるわけだな?」
「余命三か月と宣告《せんこく》されて――」
マージは言った。
「クランの話に乗って会社をたたみ、船を売り飛ばしてここまで来たわけよね」
「クラン? ハンクじゃなかったのか」
「いろいろあるんだ」
「ふむ……」
「ロイドさん、三か月の命っていうのは違うんです」
メイは待ちきれずに言った。
「つまりこの、アルチナが……」
「ああ、どこかで見た顔だと思ったらきみか。誤診《ごしん》だってことをわざわざ言いに来てくれたのかね?」
「いや、誤診って言うか――」
「ロイドさん、なんで誤診ってわかるんですか?」
「アフナサイトさ。あれは大したもんだぞ。わしが命令したら単結晶糸になって皮膚《ひふ》からわしの体内に入り込んでな、ナノウェアを探してくれたんだ」
「本当かね!?」ピーターセンが驚きをあらわにした。
「三日がかりで全身くまなく調べて、白血球以外に敵対するものはないと言ってきたよ。ついでに腰椎《ようつい》の成形と肺の掃除《そうじ》もしてくれて気分|爽快《そうかい》さ。十年は若返った気がするね」
アルチナはあんぐり口をあけたまま、クラン、マージ、メイの順に顔をうかがった。
メイはかすかに首を横に振った。
ロイドがあれを誤診だと思っているのなら――本当かどうかわからないが――今すぐ告白することはないような気がした。
マージは眉間《みけん》に指をあてていたが、これはロイドがますます健康なことに頭痛をおぼえたせいらしかった。
ピーターセンが言った。
「素晴らしいな……いったいどうやってアフナサイトを手なずけたんだね?」
「ハンク――いやクランの話どおりさ。探査艇を拝借《はいしゃく》して、ここで手頃《てごろ》な岩を拾って軌道から加速して落としたんだ。深さ三十メートルぐらいの穴ができた。まだ熱いうちだったが、穴に降りてみると、底のほうでキラキラ光るものがあった」
「アフナサイト層だね?」
「ああ。不思議な光景だったよ。見ている前で、周囲から結晶が成長して破損部分を修復していくんだ」
「ほう……」
「そこでわしは、アフナサイトに電流を加えると虹《にじ》色に光ることを思い出した。通信機のバッテリーをとりだして、ナイフを介して通電してみると、確かに光るんだ。こうやって――接触させるとパッと光る」
「ふむ」
「面白いからリズムをつけてナイフでつついているうち、ナイフを離したままでも同じリズムで点滅するんだ。驚いたよ。さらにいろいろ試すうちに、通電しなくても、指で触れただけで反応するようになった。結晶の表面を指でなぞると、ペンで描いたように跡が光るんだな」
「そんな反応は、これまでのサンプルにはなかったよ」
「量の差じゃないかな。それでわしは、指でまず点をひとつ描き、隣に三つ、さらに五、七、十一と描いた。そして待った」
「素数テストか」
「そうだ。次の場所に十三個の点が現れた時には感激したよ。これは生きた宝石どころじゃない、考える宝石だってね」
「そしてSCPを読ませたわけだな」
「接続は簡単そのものだった。インカムのイヤホンからリード線をひきだして、結晶面におしつけた。船からデジタル音にして送信するだけで、あいつはスポンジみたいに知識を吸収していった。そして翌日にはもう、インカムで会話ができたんだ」
「そして自分の人生観を植えつけたわけね?」
マージが低い声で言った。
「そうだ。なにしろあいつは、生まれてこのかた地面の下にいて、外ってもんを知らなかったからな。決して死なない代わりに、生きてもいないんだ。
わしはこんな悲しい生物はないと思って、とにかく宇宙に飛び出して見ろと言ったんだ。ここは重力も弱いし大気もない、飛び出しちまえばあとはなんとかなるってな」
五人の聴衆は、一斉《いっせい》にため息をついた。
「するとあいつは、飛び出すのはリニアカタパルトみたいなものでできそうだと言った。だがそれだと、自分の一部であるところのカタパルト部分がここに残らなきゃならん。これが未練らしいんだな。そこでわしは言ったんだ。そんなもの気にするな、自分の夢をかなえるためなら――」
「周囲に迷惑かけてもいい」
五人は完璧《かんぺき》なハーモニーで合唱した。
「それそれ。わかってるじゃないか」
ロイドはにっこり笑った。
「おかげであたしたちは死にかけたわ」
「……ほう?」
「さらに、あたしたちが介入《かいにゅう》しなかったら、アフナサイトは宇宙一の乱暴者として恒星間を徘徊《はいかい》することになったのよ!」
「どういうことかな?」
マージは、昨日からの顛末《てんまつ》を語った。
聞き終えると、ロイドはうーむ、と唸《うな》った。
「なんてこった、そんな面白いことがあったのか……」
「面白いですって?」
「面白すぎるじゃないか! なあ、そこの――アルチナだったか、きみはアフナサイトをまれ変わらせたんだ。ひとつの生命を創《つく》ったんだぞ、こんなすごいことがあるか!?」
「ま、自分でもちょっとしたもんだと思ってるよ」
アルチナは精一杯《せいいっぱい》抑制《よくせい》しながら、それでも笑顔を隠しきれなかった。
「他の四人もたいしたもんじゃないか。その短い時間で、よくそこまでやれたもんだ」
「ロイドさん。ここで誉《ほ》めてもマージさんの気持ちがおさまるとは思えないんですけど」
メイが言った。
「あたしが許せないのは」マージはただちに言った。
「ロイド、あなたの無責任さよ。そもそも勝手に会社をたたんだことだって、あたしはともかくメイはどうなるの? ここで放り出して、すごすご家に帰れってわけ?」
「マージさん、そのことなら私は――」
「あんたは黙ってなさい。ロイド、メイがこれまでミリガン運送のためにどんなに熱心に働いてきたかわかってるでしょう? 仕事に追われて資格もろくにとれずにいたのに、いきなり放り出すなんてことは、経営者として断じて」
「ただ放り出したわけじゃないだろ?」
「ただ放り出したわよ!」
「……手紙を読まなかったのか?」
「手紙って、ベッドに置いてあったやつ?」
「そうじゃない、きみのジャケットに入れたやつだ」
「そんなもの……知らないわよ」
「アルテミナで買った赤い襟《えり》のやつだ。ポケットに入れたんだ。わしの知り合いの運送業にあてたメイの紹介状といっしょにだ」
「そっ……そんなもの、紙屑《かみくず》かなんかと間違えて捨てるかもしれないじゃない!」
「捨てたのか! あれにメイの将来がかかってたんだぞ!」
「なんだってあたしの服になんか入れたのよ!」
「まずきみからメイの意志を確かめて、必要に応じて紹介状を渡すべきだと思ったんだ。当然の配慮《はいりょ》だろう!」
「だって――」
「まったくきみは女のくせにがさつなんだからな! 少しはメイを見習ったらどうだ」
「待って、それは論点のすりかえよ! そもそもロイドが無責任にも」
「ポケットに入ってるものを確かめもせずに捨てるか、普通」
「だからそういう問題じゃなくて!」
「そんなことで船長がつとまると思うか」
「もういいんです、やめてください、二人ともっ!」
メイはたまらず割って入った。
「恥ずかしいからやめてください」
「…………」
「…………」
二人が口をつぐむと、メイは赤面のまま言った。
「いろいろ問題が残ってるんです。ピーターセン博士」
「なんだね」
「ロイドさんが探査艇を盗《ぬす》んだことと、それから、クランさんとアルチナのことですけど、つまりその……ここに長居はしたくないっていうか」
「わかるよ。この大発見に比べれば、それぐらいは私の一存でなんとでもなると思うね」
「私たちも、学者の人やマスコミに会うのは、ちょっと問題があって」
「まれに見る謙虚《けんきょ》な人たちで、さっさと別れを告げてどこかへ行ってしまった、とでも言っておけばいいかね?」
メイはうなずいた。
「だが、ミリガン氏の発見を独占するのは気がひけるな。宝石として売れば大金持ちになれそうだが……」
「そんな気はないよ」
ロイドが言った。
「たとえひとかけらでも、あれは心と命の一部なんだ。売り買いするようなもんじゃない」
マージがそっとロイドの顔を見たのがわかった。
その瞳《ひとみ》から、怒りの炎《ほのお》は消えていた。
「あと、もう一つ、お願いがあります、博士」
メイは言った。
「シャトルの修理費を、チャーター料といっしょに振り込んでもらえますか」
「好きなだけ請求したまえ。今度の件で、我々の予算は激増だろうからね!」
一時間後、シャトルと探査艇は相次《あいつ》いで離陸した。
探査艇にはピーターセンが乗り、残る全員はシャトルでアルフェッカ恒星船に戻った。
航法席につくと、メイは言った。
「あの、マージさん。さっきから私、いろいろ仕切ってるみたいなんですけど――」
「なに?」
「見納めに、ランデヴーしたらどうかって思うんです。まだ近くにいるはずです」
「そうね。そうしてちょうだい」
アフナサイトは黄道面《こうどうめん》にそって、秒速七十キロで飛行し続けていた。速度は徐々に落ちているが、決してゼロにはならず、数年のうちに星系を脱出することはまちがいなかった。
その先には果てしない恒星間空間が待っている。
アルフェッカ号はまもなくアフナサイトに追いつき、五十キロの距離をおいて併行《へいこう》した。
赤色矮星《せきしょくわいせい》にぼんやりと照らされた結晶体は、距離感にとぼしく、目の前に浮かんでいるガラス板だと言われても信じられそうだった。
アルチナとクランは食堂の窓際にたたずみ、いつになくしんみりと眺めていた。
「あれって、もう止まったのかな」
「どうかな」
「磁気圏の外じゃ電池切れって言ってたよね」
「話しかけてみるか?」
アルチナは首を横に振った。
「返事しなかったらやだもん。泣いちゃいそう」
「そうか」
クランはそれだけ言って、アルチナの肩を抱いた。
二人に遠慮《えんりょ》して、ロイドとマージはもうひとつの窓を選んでいた。
「せめて核融合炉でも持ってりゃなあ」
ロイドが言った。
「意識ぐらいは維持《いじ》できたろうに……」
「核融合はSCPに載《の》ってないからね」と、マージ。
「よその恒星にたどりついて、意識が戻るまでに何億年かかるかしら……」
「水素を二つ、ぶつけてみろとは言ってみたんだがな」
「ロイドったら、そんなこと教えたの? 重大な規則違反よ」
「いいじゃないか。そのヒントを活用するにしても、どうせ何億年も――」
ロイドはそこで絶句した。
「なんだ、ありゃ」
食器を磨《みが》いていたメイは、その声を聞いて窓際に駆け寄った。
アフナサイトの一端が、光を放ち始めていた。
光はみるみるうちに白熱し、若い恒星の輝きになった。
その輝きを起点として、虹《にじ》の色彩《しきさい》が湧《わ》きあがった。絵の具を流したように、虹は全体を包みこんだ。あらゆる色彩が結晶面に現れては消え、まるで沸騰《ふっとう》しているようだった。
「あれってまさか――核融合!?」
「ロイド! あなたがよけいな事を教えるから!」
「いや、あれは、きっと自分で発明したんだ。そうに決まってる」
「マージさん……あれ、動いてます。加速してます!」
メイが叫んだ。
「これだけ離れてて、目で見えるような加速って――」
マージは顔色を変えた。
「追跡するわ。配置につきなさい」
五人はブリッジに駆け込むと、ただちにメインエンジンを起動した。
「メイ、相対距離は?」
「千八百キロです。どんどん離れていきます」
「こっちは三Gで加速してるのよ?」
「でもぜんぜん追いつかないんです。アフナサイトは五十G出してます」
「ばかな、核融合でそんな加速が続くわけないじゃない!」
「だって事実そうなんです!」
「そんな……」
だが、もはや計器を疑うまでもなかった。
アフナサイトはみるみるうちに小さくなり、数分で輝く光点となった。
一時間後、それは星と区別がつかなくなった。
そのあいだ、対話を試みてみたが、返ってきたのは途切《とぎ》れることのない意味不明の二進数列だった。そこに織《お》り込まれているであろう膨大《ぼうだい》な知識のことは、想像もつかない。
メッセージはやがて、赤方|偏移《へんい》のもたらす闇《やみ》の中に霧散《むさん》した。
それはアフナサイトが光の速度に迫っていることを意味していた。
思い出したように、クランが言った。
「よかったな、アルチナ。奴は元気一杯だ」
「だけど……なんか可愛いってレベルじゃなくなっちゃったな」
アルチナは複雑な表情だった。
「あーゆーの、野放しにしといていいわけ?」
「超光速航法が使えないうちは大丈夫じゃないか」
二人は来週、ワインズ星系で船を降りることになっていた。それはここから最も近い文明世界だが、現在のアフナサイトの能力では二十五年かかる距離だった。
「でもさあ、あいつ、一日かそこらであんなエンジン発明しちゃったんだよ? 来週には銀河一周して、ワインズで待ってるかもしれないよ?」
「うむ……」
「そうよ。ロイド、自分のしたことがわかってる?」
マージが言った。
「ピーターセン博士が報告書を出したら、宇宙中大騒ぎになるわ。ずばぬけた野心を持つ、人類の新たな脅威《きょうい》の出現ってことでね」
「そうなったらなったで、人類同士、連帯が深まっていいじゃないか」
「いいわけないでしょ。戦争で連帯するなんて最低だわ」
「でも――」
メイが言った。
「アフナサイトは、人間の夢を壊したりはしないですよね」
「甘いって。あの時はうまくいったけど、ロイド流の教えなんて矛盾だらけよ。たとえば自分の夢と人間の夢がかちあったらどうするの?」
「…………」
メイはロイドに向き直った。
「どうなるんでしょう?」
「なあに、心配するには及ばん」
いつもなら、かえって心配になるのだが――その一言で、メイはなぜかほっとした。
「なんとかなるさ」
[#改ページ]
長らくお待たせしましたが、クレギオン・シリーズの六作目です。
今回の中心人物は――宇宙|翔《か》けるミリガン運送の社長にして、宝探しを夢見る大人の少年――ロイド・ミリガン。
一巻が出た頃から「私、ロイドのファンです」という声をよく耳にするのですが、これまで彼が中心になった巻はありませんでした。
作者にとって、ロイドは最も気心の知れた人物です。
マージやメイもそうですし、作者の願望が少なからず投影されていますが、やっぱり男どうしにはかないません。ここぞというとき、ロイドは頼もしい存在です。
彼があまり表に出なかったのも、そんな信頼関係があってこそでしょう。仲のいい友達なら、ほうっておいても平気ですからね。
そんなわけで、ようやく主役がまわってきたロイドですが、なぜか出番は最初と最後しかありません。しかしあの『2001年宇宙の旅』に迫る? 感動の結末が用意されていますので、ぜひ御一読ください。
(大丈夫、本シリーズはどの巻から読んでも平気です)
物語のアイデアや科学考証にあたっては、ニフティサーブ・サイエンスフォーラム、およびインターネット・reg-geoの皆様のお世話になりました。特に鉱物採集仲間の根子さん、高山さん、清水さん、ありがとうございました。作中に間違いがありましたら、その責はすべて作者の負うところです。
『ロミオとジュリエット』の引用部分は、新潮文庫・中野好夫訳をもとにしました。
引用にあたって久しぶりに再読してみましたが、やはりシェイクスピアは面白いですね。彼の作品は、本書でアルチナが語っているとおり、無邪気に言葉の奔流を楽しめばいいと思っています。
[#地付き]野尻抱介
[#改ページ]
【参考文献】
『ロミオとジュリエット』
[#地付き]シェイクスピア著 中野好夫訳 新潮文庫 昭和26年
[#改ページ]
底本
富士見ファンタジア文庫
クレギオン アフナスの貴石《きせき》
平成8年3月25日 初版発行
著者――野尻《のじり》抱介《ほうすけ》