野坂昭如
錬 姦 作 法
目 次
迷 え る 羊
女性窃視症
強 姦 の 園
不能講習会
犢 鼻 褌 様
セーラー服神話
スワッピング
強 精 者
トイチハイチ
獣姦ランド
ホームS・E
性欲減退剤
オナニー指南
マスゲーム
スプーニング
妄想欠乏症
ピグマリオニズム
ヘ ン シ ン
痴 漢 入 門
チンチンカモカモ
男性不感症
よ が り 声
少女姦願望
ヌード写真
女学生後遺症
性的好奇心
トルコ元祖氏
指 道
無垢な猥雑
水 の 泡
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迷 え る 羊
「おねがいです、何とか往診していただきたい。もうじき妻ももどって来るし」電話の声は泣き出さんばかりに悲痛で、しかし、ひたすら往診を要請するだけ、いっさい事情を説明せず、もっとも説明されたって、仁太は内科小児科などの医者ではないのだから、どうにもならぬ。そもそも急病なら、妻の帰宅はむしろのぞましいはずだし、と、考えるうち、「あいたた、おい、どこへ行くんだ」無理矢理、電話から遠ざけられたのか、声が低くなり、「もしもし、百十番に連絡しましょうか」仁太がたずねると、「冗談じゃない、とにかくすぐ来てくれ、あんたにだって責任があるんですぞ」先方の口調が、やけくそめいた。電話の主は、電車で二駅先きの、画家で、仁太の患者である。責任と決めつけられては捨ててもおけず、なによりただならぬ事態が起っているらしい様子は、よく分るから、「じゃ、すぐいきます。なんなら医者を手配しときましょうか」「医者呼ぶくらいなら、あんたにかけやしない、とにかく急いで」断末魔の如き声を最後に、電話が切れた。
仁太の職業は、セックスカウンセラーということになっている、自らこの肩書を名乗り出たわけではなく、五年ほど前までは、いっぱし小説家で通っていたのだ。自分の作品が、売れはじめた頃、ああこれで俺も作家になれた、いやなりつつあるんだなと、かなり実感があったのだが、ひょいと気がついた時、もう何カ月も、いや一年近く原稿用紙に向って小説を書いてなくて、いつその座をすべり落ちたのか、よく分らない。雑誌の人生相談を引き受け、TVの同じようなセクションを担当し、口から出まかせの評判がよくて、老若男女を問わず、人生百般のもめごと悩みごと、訳知りぶってしゃべり、また書くうちに、同じ先生でも、内容が小説家から評論家、カウンセラーとなり、百般とはいっても、たいていはセックスに関係のあることだから、いつしかその専門家に、おさまったのだ。
小説家という種族も、しごくつぶしがきかないもので、まだその現役だった頃から、仁太は、老後についてあれこれ思案し、いっそ壮烈に野垂れ死に書き死にのできた戦前戦後の時代が、羨ましい。どうやって才能と寿命のギャップを埋めればいいかと、職業別電話帳の索引ながめて考えこみ、なりふりかまわなければ、いくらも浮かぶ瀬はあるけれど、一家をかまえる以上、葬儀屋の手伝い、温泉マークのボイラーマンともまいらぬ。どうやら文化人として世渡りできそうなのが、そして将来性もあるのは、塾の経営と、占い、及び老人福祉関係。塾といっても、生徒を集めるのではなく、出向いていくので、若者に向い、「未来は君たちのものだ」とか、「俺はやった、君もやれ」などしゃべる、つまり講演をぶってまわる、若者からみれば知的レジャー、少しは淫祠邪教風色合いをそえた方が売れるだろう。占いは当然女性が対象で、老人福祉というのは、今後その数は増えるばかりだし、文化国家の体面上、予算も増える一方、いや、大票田だからやがて老人は圧力団体となり、年金などをもぎとるにちがいない、金と暇があるのだから、いいカモのはずで、しかしまあ、こんな先き行きくよくよ考えているから、仁太、小説家として駄目になったのだろう。だが、思いがけずセックスカウンセラーの座にすえられて、つらつら見渡せば、これもわるくはない世渡り、これまでこの領域は、親方フロイトの連中、及び婦人科医で占められていた、そこへ仁太のような、まあよくいえば世間通人情の機微を心得た男、ふつうにいって下世話なのがまじると、話が具体的にならざるを得ないから、分りやすくて喜ばれる。
小説が書けなくなって、カウンセラーと見られるよりは、ようやくめぐりあえたこれぞ天職風に装った方が、もちろん有利だから、たまにはPR雑誌から小説の注文もあったが、「いやどうも、書くことに興味を失ってね、確かに現実は小説より奇なりだよ、うん」達観した面持ちで断り、自宅に麗々しく看板こそ出さなかったが、悩める手紙に丁寧な返事を書き、面接希望者の要求を入れ、これが口伝手《くちづて》に広まって、門前市とまではいかないが、迷える羊が群れ集い、べつに医療類似行為をするわけではないから、世をはばかることもない。
画家は、確か一月前にあらわれ、近頃、妙に春画が描きたくなった、それも芸術的香気あふれるものより、毒々しい色彩構図のからみあいを、思うままにカンバスに描き出したい、これはどういうことかと、訴えたのだった。こんなのには、描きたけりゃ描けばいい、行いすました老|碩学《せきがく》が、こっそり猥褻な絵を描いていたり、文豪にもそのての筆のすさびはあることと、こたえるしかなく、すると、「私は、もともとアブストラクトの方で、頭の中で春画を組み立てると、しごく抽象化された図柄になっちゃうんですな」誇らしげな表情で、愚痴をこぼした。「一度、写生をしてみたい、デッサンからやり直したいんです」くどくどいっていたが、要するにシロクロを見たいらしい。
セックスカウンセラーを名乗っていると、コレクター、あるいはよほどの好き者とふまれることが多く、「私の妻はどうも処女じゃなかったらしい」深刻な表情の男の本音が、実は、処女膜の写真を見たがっているとか、人妻に亭主強化術の、処方を質問されたりするのだ。だからべつにおどろきもせず、「奥さんとのことを、こう鏡などに写して、じっくり観察したらどうですか」「女房とですかふーむ」考えこみ、「わりにあっさりしてましてねぇ、どうも毒々しいって感じにはなりませんなあ」真面目に答えた。しかし画家のいうことが、本当なら妙な話で、自ら、あからさまな春画を描きたいと思っていても、アブストラクトの筆癖がつくと、それができなくなるものなのか、しばらく絵画談義を交わし、その後、彼のアトリエヘ出かけ、作品を観た。べつにどうという特徴もなく、「奥さんが駄目なら、適当なモデルを探したらどうです」冗談めかして仁太はいったのだが、責任といわれて、思い当ることは他にない。
健康のために用いている自転車をとばし、手入れのあまりよくない生垣にかこまれた、画家の家へ着くと、呼リン押しても返事がない。玄関の鍵も閉ったままで、アトリエは、離れになっているから、そのドアを開けると、突如、けたたましい犬の吠える声がひびき、思わず仁太、逃腰になったその眼の前に、奇妙な姿があった。
何という種類か分らないが、大きな犬が、しゃがんでいて、その両側に、裸の男の脚が突き出しているのだ。「先生ですか、早くドアをしめて、こいつがとび出したら、えらいことです」画家の声はすれども、姿は見えず、そのうち、犬の首に人間の手がかかって、横に引き倒すと、ようやく上半身はセーターをまとっている画家があらわれた。
「どうしたんですか」「どうしたもこうしたも、あいてて」立ち上ろうとし、よろけて中腰のまま机の角にしがみつく。「離れなくなったんですよ、実験というか、そのつまりモデルを演じてるうちに」主人と話を交わしているから、犬は仁太に警戒心を解いたらしく、のっそり腰をあげ尻尾をふると、それが、画家の顔に当る。ようやく事情のみこめたが、さていかがしたものやら、「力を入れて、こう引いてみたら」「冗談じゃない、ちぎれちまいますよ、さっきなんか、これが庭に出ようとして、いくらふんばったって、何しろ力が強いからねえ。私も一緒に、庭をひとまわりさせられたんだ」
犬のペニスの根本には精液|瘤《りゆう》なるものがあって、交尾の際、これがヴァギナにぴったり栓をかったようになり、だからしばらく離れなくなるときいたことはある。しかし、現在の関係は逆なのだ。「水ぶっかけてみましょうか」「効くんですか」「いや、よくいうでしょ、離れるって」「冗談じゃない、もっと科学的に処置して下さいよ、カウンセラーなんでしょ、あんた」「しかし、これはやはり医者に」と口にしたとたん、ワギニズムに思い当る。
「その、何といいますか、交尾の最中にですね」このいいかたは、犬を主体にしている、やはり性交といった方がよろしいか、患者はしばしば、カウンセラーの不用意な言葉に傷つくものだから、訂正しようとしたが、画家それどころではないらしい。「何か、ショックを与えましたか、犬に」「ショック?」「通常ワギニズムは、男性に対し恐怖嫌悪の念を、いだいている場合、また女性自身に防衛本能が強すぎる時、及び、突発的ショックによってひき起されますが」「じゃあれだ、トイレットペーパーだ」「トイレットペーパー?」「交換屋のスピーカーが大嫌いなんだ、ベルは。あれがきこえてくると、耳を伏せて机の下にもぐりこんでしまう、確かにさっき通って行ったから」「では、それが原因ですな」「で、どうなるんだこれ」「ワギニズムの治療は、軽度の場合、くすぐって笑わせる、酒に酔わせる、それで駄目なら麻酔で筋肉を弛緩させる」「分ってるなら、早くやってくれよ」「私は、犬にくわしくないんですが、どこです、犬のくすぐったいのは」「冗談はよしてくれ、犬が笑うわけないだろう」「じゃ、酒ですか、しかし、これは獣医に早く診せた方が」「酒なら、ヘネシーのVSOPがそこにある」「飲みますかね」「とにかく、やってみてくれよ」画家、泣声を出し、しかし、かなり犬も不機嫌にはちがいないのだ。牛肉でも与えるならいいが、VSOPをどうやればいいか。
おそるおそるその口もとに近づけ、匂いをかぐようだから、思いきって瓶を口に突っこみ、逆さまにすると、犬、仰天して走り出し、画家、首にしがみついてアトリエの中を二回まわった。
「犬のワギニズムですかな、そんなことあるかなあ」ようやく呼び寄せた獣医も首をひねり、「私たちは、人間の体を診断できないんですがねえ。資格がなくて治療して、贋医者呼ばわりされるのもいやだし」「ワギニズムを起してるのは、犬の方なんだから、大丈夫だよ、たしか麻酔を射てばいいはずです」「しかしですね、原因となったのは、人間でしょ、こういう臨床例を知らないから、やはり一般の医者に立ち会ってもらわないと」「ぼくが責任持つよ」「失礼ですが」獣医にたずねられ、名刺を出すと、仁太の名は知っているらしく、「ああ、道理でどこかで見た顔だと思いました」ようやく安心したのか、麻酔薬のアンプルを取り出した。あらかじめ持って来るよう、頼んでおいたのだ。
たちまち昏睡状態となった犬から、ようやく画家の体が離れて、心身ともになえ果てたか床にへたりこむ。「こういうこと教えられちゃ困りますよ」獣医がいうからとんでもないと、仁太手をふって、「こちらの先生に、少し勇気がありすぎたんですな」画家を見たが、説明する気もないらしい。
「ただいま、ごめんなさい、おそくなっちゃって」ドアから女の顔がのぞき、「あら、お客様でしたの」一礼した拍子に、ぶっ倒れた犬に気づいて、「どうしたのベル、死んじゃったの?」土足のままかけ上り、犬にすがりつく。「どうしたの、あなた」すでに涙声で、画家を見上げ、「いや、ちょっとショックで、失神しているだけさ、すぐ気がつく。ねえ、先生」懸命に威厳つくろって、画家が獣医にいい、「はあ、三時間くらいで、もとにもどります」獣医、真面目にうなずいてみせた。
ともあれ、妻のもどる寸前に、両者分れたことは不幸中の幸い、長居は無用と、くわしいいきさつ、後でたずねることにし、仁太、自転車を走らせつつ、もし、あれがばれたとして、夫の、浮気の相手が、牝犬と分ったら、妻たるものどういう気持になるものなのか、うかうかしてはいられない。そういった相談持ちかけられて、「必ずあなたのもとにもどってきます。苛立つことなく、待つことです、そして、あなたの方にも、御主人に対し、いたらぬ点があったのではありませんか」などと、月並みな返答はできぬ。「即刻、犬を保健所で処分してしまいなさい」なんていうと、「犬に何の罪がありますか」と、動物愛護協会にしかられるだろう。
家へ着くと、「どこへ行ってたのよ、面接時間中は、ちゃんと居て下さいよ」、妻の伶子が険のある口調でいい、これはまあ無理もない。仁太に面会を求める連中は、まずまともでないから、うす気味わるく思っているのだ。もともと伶子は、カウンセラー開業について、乗気ではなく、しかもセックスと上につくと分った時、離婚さわぎまで起ったのだが、友人たちにこぼすと、「あらいいじゃない、家の亭主行かせようかしら。近頃どうもおかしいのよ」やら、「御主人が権威なら、あなたお幸せね」などいわれて、たちまち宗旨替え、しかし、時に、亭主がカウンセラーなら、女房もくわしいのかと、とっつかまえて延々としゃべりこむ者がいる。「いやんなっちゃったわ、あけすけないいかたで」げんなりした表情でこぼし、仁太もなるべく昼間は家にいるようにしているのだ。
「予約じゃないんですって、なんだか陰険な男の人よ、気をつけた方がいいわよ」いちおう前もって、時間の約束をすることになっていたが、開業間なしでは、そうお高くとまってもいられない。「いらっしゃい、どうもお待たせしました」応接間を、少し模様がえしただけの、面接室に入ると、陰険というよりは、貧相な中年男がいて、「突然お邪魔いたしまして」体つきににあわず大声で挨拶する。
医者ではないから、単刀直入に質問もできず、たいてい世間話からはじまるのだが、この患者は、一礼するなり、「私、孔版印刷の技術を担当しておる者でございます。恥ずかしながら、奇病にとりつかれまして」「奇病?」「はあ、その、字が、思うように書けんのです」「技術というと、あの原紙を切るお仕事ですか」「はい」つまり職業病で、一種の書痙《しよけい》ではないか、専門の医者に診てもらった方がと、いいかけるのを制し、「他の字は書けるんです、それがこのカンだけ姦になってしもうて」「カンだけカン?」「一字一字気をつけておればよろしいんですが、調子を上げてやると、感も勘も官も、みな姦になりよるんです」耳できいても、仁太には何のことやら腑におちず、男も気づいたとみえ、「たとえば、時姦に姦係なく姦覧のことという風になってしまうんですなぁ、こりゃどういうことじゃろう」
男、あらためて考えこみ、腕を組む。「はあ、カンという音の漢字を、すべて姦であらわしてしまうわけですか」「はい、姦動、姦激、五姦、連合姦隊、左姦、姦参り、姦の入り、姦和辞典、姦心、姦静、姦定、蜜姦、玄姦、寝姦、姦単、姦大、習姦、姦吏、姦古鳥、姦事、姦守、主姦、楽姦、姦潮、唯物史姦、お姦定とまあ、こんな風に、何でも姦になります、そしていかんと気がついても、しごく簡単な」男は、ずらずらっと、いかにも孔版のカキ屋らしい字でメモ用紙に姦づくしをならべ、今度は、「簡」を書こうとして、しきりに首をひねる。「こんな字まで近頃忘れてしもうとる、以前は私は、ようけ字を知っとることで、重宝がられとったのに、これじゃ食い上げでございます」急にしょげかえり、それはそうだろう、筆耕なら、後で訂正することもできるが、原紙ではそうもいかぬ。
「それは何時頃からですか」「そうですなあ、半年前から、ぼつぼつあらわれて、はじめは、そんな全部ちゅうわけでもありませんでした、正しい字も書けとったんですが」よく見れば、実直な職人風で、とても「姦」などという凶々《まがまが》しい文字にとりつかれるとは思えぬ。「ふーむ、まあ、例のないことではないけれど」仁太おもむろにつぶやき、これも手であった。こういえば患者も安心して、くわしいことをしゃべりだす。カウンセラーがびっくりなどすれば、怯《おび》えて以後口を閉ざしてしまうのだ。
そして、男の書いた字をながめるうち、姦吏、習姦、主姦など、このままで通用するように思え、つい姦者と自分でも書いてしまい、仁太は即ち姦セラーか。
十二畳の洋間には、薄紫のカーペットを敷き、変哲もない事務机に応接三点セット、それにマッサージ用の、車のついた細長いベッド、事務机側の壁は一面の書棚で、以前、小説家であった頃、身辺に配した本のうち、現在の肩書にふさわしいものをえらんで、並べてある。しかし、小説家なんてものの、いや仁太の蔵書など、妙ちくりんな題名が多く、とても埋めつくせないから、カウンセラー開業以後買い集めた文献もまじり、時にひもといてみることもあった。そしてつくづくフロイトが天才であると分ったが、しかしまた、これを利用すると、なんでも片がついてしまうから、敬遠の気持も生れ、これはやはり元小説家の意地かも知れぬ。こんな風に割り切れるのなら苦労はしないと、腹立たしくなるのだ。仁太はもっぱら、患者とのやりとりについては、アメリカの精神分析漫画と、探偵小説の、そのシーンを参考にした。孤島、刑務所とならんでサイコアナロジーは、アメリカ漫画の大きなジャンルであり、マッサージ台を備えたのも、これが大きな道具立てとして、利用されているからだ。漫画の中の精神分析医はたいてい眼鏡をかけ、患者を、一方がやや高くなったべッドに寝かせて、その枕元にすわる。位置的にみて、これは医者が、絶対的な有利を占めるわけで、あるいは女性患者は、分析医に父親を感じるかも知れず、男なら、自分がひどくちっぽけな存在になった気がするだろう。そしてまた探偵小説の中の分析医は、いろんな臨床例を提供してくれるし、かりに登場しなくても、その理論をいたるところにちりばめた作品が多い、まるでアメリカの性的現象のすべて、フロイトがとりしきっているような印象さえ受けることがあった。
仁太は、患者をマッサージ台に寝かせ、「楽にして下さい」いいつつ、テープのスイッチを入れ、「お生れは」「大連です」「戦後引揚げて来たんですか」「ええ、中学四年の時でした」「御結婚は」「独身ですわ」アメリカだとここで、同性愛についての質問が発せられるところだが、どうもこの貧相な孔版技術者には、ふさわしくない。「いや、三度、結婚はしたんですけどな、逃げられたというか、追い出したというか」「うまくいかなかったわけですか、肉体的に」あるいはインポテンツかも知れぬ。「それにつきましては、私から御説明申し上げますです」不意に甲高《かんだか》い声がひびき、いつ上りこんだのか、白髪で額の広い老婆が、小腰かがめつつ、マッサージ台に近寄り、男の足もとにペタリと、すわりこんだ。
「あなたは、あの」「はい、申しおくれましてございます。私はこれの母でございまして、どうしても一人でこちらへうかがうと申しますから、私、表で待たせていただいておりましたが、なにしろ世間知らずな子供で、つい気になりまして、まあ、先生きいてやって下さいまし、これの嫁と申しますのは、みな一筋ナワではいかぬあばずればかり、運がわるいと申しますかねえ」狐|憑《つ》きの如き表情で、早口にしゃべりまくる。
「いや、カウンセリングはやはり、御当人からお話を伺いませんと」「いいえ先生、これはからきし口下手でございまして、それに私と息子はいわば一心同体、考えていることはすべて分っておりますです。おそれ入ります、硝子戸を少し開けていただきとうございます」仁太に命令しつつ、男に向い「暑いから背広お脱ぎなさい」指示して、男、幼児の如く従う。「おなかは減ってませんか」「いや、大丈夫」「おしっこは」「いい」「我慢しちゃいけませんよ、ねえ、先生」脱いだ背広を老婆袖だたみにすると、かたわらにきちんと置き、「そりゃもうひどうございました。最初の嫁は色好みで、これを朝に夜になぐさみものといたしましてねえ」男は、瞑目したまま、身じろぎもせず、母親の乱入して来たことに、不服も感じないらしい。「私がこれと添い寝しようといたしますと、いやな顔をいたしますの。大体これは私がそばにおりませんことには、寝つけないタチでございましてね」母親は、七分三分の割りで、男と仁太をながめ、しばしもその手を休めず、男の靴下のゆるみを直し、ズボンをひっぱり、「そんなに固くなってると肩が凝ります」無理に寝がえりうたせようとする。
当節、過保護の息子など珍しくもないし、成人して後も、母に手をつないでもらわぬと不安で一人歩きできない男がいくらもいる。しかし、この母子は、過保護というのも少し当らぬ印象で、仁太だまったまま母親の、二人目の淫乱ぶり、三人目が色情狂であったと克明に説明する言葉をきき、「大体がこの子は、父親に似まして女好きがいたしますのよ。ですから私が眼を届かせておりませんと、もうたちまち女の餌食にさせられてしまいます」いくら親馬鹿とはいえ、この貧相な男が、女にもてるなど、信じられず、仁太、生返事していると、「お道具が立派なんでございます。まあ、こう申しちゃなんですが、こうなるまでには私もいろいろ工夫いたしましてね」あれよという間もなく、母親は男の、古めかしくボタンでとめたズボンの前を、スリのような手つきでぱらりとはずし、年を経た婦長の、患部をあらわにする如き、熟練をみせて、ひょいと男根つまみ出したのだ。
「おやおや、元気がありませんねえ、さ、先生に立派なお姿を見ていただきなさい」母親はやさしくいいかけ、きちんとすわり直すと、両手をそえて、キリをもむ如く、こすり合わせ、時にフッと息吹きかける。その姿は、いかにも真剣で、うかつにとめると、たたりが及ぶように思え、眼にして楽しいながめではないが、さりとてそっぽ向くのもわるい気がする。「ほら、ごらん下さいまし、これまでにいたしますには、並大ていの苦労ではございませんです」屹立《きつりつ》したものを、ほれぼれとながめ、しかし、母親のいうほどに、立派ではなく、まずは太めの万年筆ほどの大きさだった。「生命の源、男のしるし、何度見ましても、見あきぬものでございますねえ」「いつもそうやって、何といいますか、訓練をなさるんですか」つぶやいたとたん、仁太は、時に妻が、気を利かせてお茶などをもって来ることを思い出し、こんな情景見られるのは、やはり具合がわるい、ドアの鍵をかけて、さて、どうすればいいのか。
「要するに、お母さんが、こちらのお嫁さんになってさし上げればよろしいですな、いちばん」ヤケクソの如くいってみると、「まあ、先生、御冗談を」母親、突如身をくねらせ、頬を染めて、「この年ではねえ、とても、私。それはまあ女でございますから、時には寝苦しい夜もございましてねえ、何しろ、連れ合いに死なれましてから二十七年、それはもう世間様に指一本さされずやってまいりまして、おかげで只今はアパートを二軒経営しております。さよでございますか、先生もやはりこれと一緒になりますのが、いちばんいいようにお考えでございますかしらねえ」よだれ流さんばかりにいう。
近親相姦をすすめるわけではないが、いまさらこの母子がどうなろうと、大したことはない。子供でもできるおそれがあるなら、困るが、六十半ばの老婆だから、その憂いはないし、一方では何よりの親孝行、また男にとってみても、妄姦症状から脱出する一つの方法であろう。母親は、男だけをこの世のたよりとして、しゃかりきに働き、その世話をし、そのうち他の女に渡すのがいやになったのだろう。といって、自分のものにするにしては、やはり古い女でためらいがある。そこで、なお男の面倒をことこまかにみる。あるいは息子がいつまでも幼くいてくれれば、手もとからはなさなくていいと、ねがう気持もあるのだろうし、反面、それは母として矛盾したことだから、大人たらしめようと、性器をやたらと鼓舞激励する、悪循環、迷路のようなもので、母に誘いこまれた息子が、これまたおかしくなったとしても、不思議はない。
「あなたはどう思いますか」男にたずねると、「それで治るじゃろうかねえ」「と思うけれど、でも、お母さんはアパートを経営しているっていうし、少し仕事の方は休んだってかまわないだろう」「これは腕がよろしいんでございますよ、ええもう、重宝がられておりましてね。私、子供の時分から、字だけはきちんと書くように躾けましてございますから。なんと申しましても、印刷は文化的な仕事ですし、あまり無理しないで、ぼつぼつやるようにね」そして、とてもそれどころではないという風に、仁太をながめ、「これと結婚するとなりますれば、やはり、仲人がいりましょうけど、先生におねがいできますでしょうか」「いや、それはやらないでもありませんが、やはりちょっと表向きにはできかねることで、たとえば入籍もできないわけですし」「いいえ先生、籍の方はとっくに入っておりますです」母子だから当然のことで、仁太、ふと近親相姦幇助罪というようなものがあったかどうか、思いめぐらせる。いや、近親相姦そのものが、我が国ではべつに罪にならないはず、しかしあったとしたら、母子の場合は、まず母が主犯で子が従犯、父娘なら逆の場合もあり得る。
近頃の教育ママなんてしろものは、潜在的な相姦願望をいだいているといってよく、また、娘を嫁がせるに際し、取り乱す父親も、これはもう顕在化したそれといえる。そして、このタブーを、捨て去ってしまえば、世の中ずい分気楽になるのではないか。母親の溺愛、つまり本当は息子を抱きたいのだが、戒律にしばられて、止むを得ず、その代償的おせっかいを、一身に受けた息子が、インポテンツになることなど、しごく通常のことだ。はじめから抱いていれば、こんな結果にはならぬはず、つまり十代で母に性の手ほどきを受け、生活力を身につけて後、生殖を目的とした結婚を行えばよろしいのだ。男性の性的能力のもっとも高揚する時期は十六歳から、二十歳くらいといわれ、その母は、まず四十から五十とみていい、そして母も、もっとも性的欲望のさかんな時期だから、丁度、符節があう。男親は、妻を息子に寝取られるかわりに、娘を抱けばいい、これまた、父親が丁度、若い女を好む年齢に在るし、はじめて男を知る娘は、なるべくなら、やさしい思いやりと、技術を持った相手に、手ほどき受けることがなによりなのだ。
「近親相姦のタブー打破こそが、今日の性的昏迷を救う唯一の道」仁太は、ふとキリストになったような気がしたが、眼の前で、うっとり息子の顔に見とれ、逆にまったく無表情、いっさいを母親にまかせきった男の姿ながめると、いくらかうんざりしないでもない。といって、今更この母子に、どうフロイトをふりかざしてみても、頬がえしはつかないだろう。もう少し早ければ、母の死によって、翻然と息子は目覚めたのかも知れないが、すでに手おくれ。それでも必死の抵抗が、あらゆるカンの音を有する文字を、「姦」と書く症状としてあらわれたにちがいない。母親が、慈母のいつくしみを装って、自分にしかけるなにやかの、その根底にあるものは姦であると気づき、それをあからさまにできないから、自分の鉄筆によって主張したのであろう。はっきり直面してしまえば、気が楽になる。母と子だから、きずなを絶てないが、男と女にふりかえたならば、ごくふつうの関係の如く、やがて男は、年老いた母、いや女を嫌ってすたこら逃げ出すことができるかも知れぬ。
「べつに特別なことじゃありません、気楽におやりになればよろしい」仁太が、決着つける如く、くりかえすと、「じゃ、お言葉に甘えまして」母親、平つくばって一礼し、「本当にもう姦と書かなくなりますかねえ」息子はまだ字にこだわり、のろのろと背広を身にまとった。
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女性窃視症
これはしかし他人ごとではないように、仁太考える、長女は九歳、長男六歳になるのだが、ごく最近、妻は長男の股間をしげしげとながめ、「三センチくらいかしらねえ、ちょっとはからせてくれる?」冗談のように、風呂の脱衣場でいっていたのだ。仁太、ききとがめてたずねると、幼稚園の父兄参観日の帰り、母親同士が喫茶店で油を売り、男根の大きさは果して遺伝するかどうか、議論になったという。「古川さんは、絶対にするっていうのよ、それが証拠にそっくりなんですって、旦那様と坊ちゃまのが。でも前田さんの奥さまは、意見がちがうの、あれは、訓練によって成長がことなるから、つまり獲得資質っていうの? 遺伝しないって」妻は、妙なことがらに関してのみ、仁太を全能の如くに錯覚し、真面目な顔で質問しかける。
「さあねえ」「あなた、お父さまと較べてどうなの?」「親父?」確かに見たことはあるはずだが、大体あんなものは顔立ちとちがって、そう似ているいないとことごとしくあげつらうほど、特徴があるわけではない。「古川さんの旦那様は、少し左にねじれてて、黒子が二つあるそうよ、それで、こう」妻は指で、三角をつくり、「こんな風にコブラの頭みたいなんですって。ところが坊ちゃまも、そっくりで、ちがうのは黒子が三つってところだけ」「ヘーえ」じゃ、母と娘についてもそういうことがいえるのか、と、あやうく口にしかけて、この冗談はしごく危険であると気づき、胸におさめる。九歳の娘と、三十五歳の女のそれなど、似るも似ないも、別の天体の生物の如くにちがっている。
「古川さんは自慢なさるのよ、うちの坊やは形もそうだけど、寸法も大きいって、ふつうの時で四センチあるんですって、それで朝なんか、六センチ五ミリになるらしいわ、あれの成長ぶりを解説した本はないの? 私、心配になって来ちゃった」じろじろと、長男の股間をながめ、「もっとしゃんとしてごらんなさいよ」いわれて長男、姿勢を正しくしたが、椎の実の如きそれに変化はない。「毎日引っぱっていたら、少しはちがうのかしら、前田さんのいう通りなら」「馬鹿馬鹿しい」「あらどうしてよ。短小コンプレックスっていうのは、大きな影響をあたえるんでしょ。折角東大に入ったって、何にもなりゃしない。テストの成績ばかりじゃ、駄目なのよ。少しは協力してくれてもいいでしょうに」「父親がどうするんだい」「あなた、曲りなりにもセックスカウンセラーでしょ、資料を調べるとか、いい方法がないか研究してみてよ」
生返事して、退散したものの、教育ママの関心が、男児の性器にまで及んでいるとすれば、後十年もすれば、さっきの息子の例は、もはや特別なことではなくなる。「私はこうして、息子の短小を治しました」とか、「母の愛によって、私は長大になった」なんて手記が、女性誌にあらわれるかも知れず、「短小児を持つ母の会」が、国会に陳情することも考えられる。いち早く「長大教室」をつくって金もうけをはかる輩《やから》も出るだろうし、弓削道鏡や上山草人のそれが、聖母マリアの像にかわって、胎教の教材に用いられるだろう。しかし、父兄会のもどり道、さんさんたる陽光の下、母親が口角泡をとばし、息子の男根の長短を論じ合うなど、さぞかし奇妙な光景であろう。きっと喫茶店の紙ナプキンに、図解ぐらいしたのではないかと、仁太思わずにやにやしかけると、「お客さまですよ、女の方」妻が、外出するらしく、顔にコールドクリームをぬりつけ、おびんずるさまの如き表情で、告げた。「水商売みたいな人、いい加減にあしらっといた方がいいわよ」余計な口をきいて、ひっこみ、入れかわって、髪の毛を赤く染め、パンタロンにチャンチャンコの如きセーターの女があらわれ、「どうぞ、おかけ下さい」椅子をしめしたが、指を噛み、怯えたように立ちすくんだまま。
「あったかくなりましたね」仁太が声をかけても、女、なにやら叱責を待つ如く、肩をすぼめおとがい胸にうめこんで、返事をしない。「どうしました、なんでもしゃべっていいんですよ」あまりにあわれな印象だから、つい猫撫声を出し、こういう時、仁太は常に一種のうしろめたさを覚えた。先方がぺらぺらしゃべってくれるなら、適当に相槌を打ちつつ、そのかかえこんでいる悩みごとについて、裁断を下し得るし、かりにその当てずっぽがはずれても、洗いざらいぶちまけた患者は、それだけで気が済んだような顔付きになることが多いのだ。しかし、考えこんでいる相手を、誘導して、なにやかやきき出す行為は、仁太自身医者でもなし、宗教家でもないのだから、神をおそれぬ仕業といった感じが強く、妙にうろたえてしまう。
「私、ちょっと出て来ます」妻が声をかけ、「五時までには必ず帰りますから。夜は何を召し上る?」女の患者であることを意識して、余計なことをたずねる。以前、女性編集者が訪れて来た時も、ことさら仁太にまといつき、これみよがしに世話をやいたりした。
「あの、奥さまお出かけになりますのでしょうか」患者、くぐもった声でいい、下三白の眼で仁太をながめ上げる。「ええ、子供の友人のお誕生日とかいってましたねえ」「それでは、私のおねがいをきいていただけますでしょうか」せきこむようにいい、上半身をのり出してきたから、「なんでもおっしゃってごらんなさい、気を楽にして」「見ていただきたいのです、私」「見るって、どこか具合がわるいのですか、ぼくは医者じゃないから」「いいえ、ただ見ていただければ」仁太、見当がつかず、しかしその思いつめた表情声音から推して、まずノイローゼにはちがいない。「はじめに奥様がお出になりましたので、とても無理だろうと思い、あきらめかけたのですが、外出なさるのでしたら」「いや、かりに家にいても、この部屋は離れ小島と同じで、私の許可がなければ誰も入って来ません」「はい、でもやはり、落着けませんから」「見てほしいって、何です?」業を煮やしたずねると、またうつむき、「手はふれないでいただきたいのです」「ええそりゃおっしゃる通りにしますが」もじもじする患者をながめ、あるいは春画などの鑑定かと仁太は考えた。父が隠れたその収集家だったりして、死後、思いがけぬコレクションを発見した遺族は、たいてい、処分に困る。売るにしても当てはなし、また、意外に価値のあるものかも知れぬと、欲もからんで、これまでに二度、持ちこまれたことがあるのだ。
「私は鑑定の方は余り」「駄目でしょうか」「まあ、拝見させていただいた上で、およその見当ですねえ、時代とか、よしあしくらい説明できるかも知れないけど、値段になると」「値段と申しますと」患者、極端な下三白しかも受け唇で、ますます仁太に上体をすり寄せてくるから、「いや、お売りになる時の参考に、時々きかれるんですけど、こればっかりは保存の程度とか、色のあせ具合、初刷りかどうかなんて、ポイントがいくつかあるらしくって、やはり専門家でないと」「売りませんから、お値段の方はよろしゅうございます」「じゃ、とにかく見てみますか」「はい」患者うなずくと、表情ひきつらせて仁太をにらみつけ、部屋の隅へ行き、少し思案する風だったが、「カーテンをしめてもよろしいでしょうか」「ええ」大袈裟なことをすると、ながめていたら、留金が二つはずれていて、よく合わさらない部分を、ヘアピンでとめる。
仁太、うんざりした気持で、眼をそらせ、あの絵描きの犬は、もう麻酔から覚めただろうか、帰途、獣医の話では、近頃いわゆるワンシロが増えて、一人暮しの女性が、犬を飼っている場合、十中八、九まで何らかの性的関係があるという。「ワンカマってケースも一つありましたねえ、犬のペニスに雑菌がとりついちゃって、丁度、トリッペルみたいな症状になっているんです。原因が分らないんでぼくがひねくりまわしてたら、急に発情しちゃって、とびついて来ましてね、すると犬の主人は急に女言葉にかわって、『あら、やあね、およしなさいよ』て、しなしなと犬の首にかじりつくんですなあ。大体ぼくは、人間が好きじゃないから、この職業をえらんだんですが、もう動物だけを相手にしているわけにはいかなくなりました」情けなさそうにいい、なにも犬だけではなく、蛇、トカゲ、魚なども、性的ペットにされているという。「魚をどうするのかね」「鯉のちいさいのなんか、丁度手頃でしょう」男性のマスターベーションは手にはじまり、さまざまな創意工夫のあげく、また手にもどって来るが、女の場合、とめどなく探求心がエスカレートするものらしいのだ。
ひょいと気がつくと、下半身まる裸となった患者が突っ立っていて、「おねがいします」恥ずかしがりもせず、マッサージ台へ歩きかける。「どうしたんですか」とたずねかけ、見ろ見ろといっていたのは、つまり婦人科のなわばりについてであったかと気づき、とたんに恐怖心が起る。いくら患者の自発的行為とはいえ、こんなことがばれたら、猥褻《わいせつ》ナントカ罪になりかねず、「ぼくは、そのカウンセラーで、医者じゃないんですから」「でも見てくださるっておっしゃいました、色とか保存の程度とか」マッサージ台に腰をかけ、うらめしそうに仁太を見る。
「いや、私が勘ちがいしていたんです、とにかく、服を」と、脱ぎすてられたパンタロンを拾い上げようとしたが、裏がえし、つまりパンティが上になっているから、手をふれるのもはばかられる。「おねがいします」患者、ふりしぼるような声でいって、どてっと横倒しになり、あっけらかんと両脚を開いた。これは一種の露出狂なのか、婦人科の医者の許へはよくこのての女が来るときいたことがある、何も故障はないのに、月に一度内診台へ上り、見せつけなければ気が済まないらしく、「馬鹿馬鹿しいから、ひねくってやるんだ」と、医者がこぼしていた。
カーテンこそ閉めたが、電気がついているから、かなり離れていても、少しうすい柔毛《にこげ》と、その下のぴったり閉じられた部分が、はっきり見える。小説を書いている時、こういう奇特な女性があらわれてくれればよかったのだ。仁太は、ポルノ解禁近しときいて、おおいに怯え、これまでは法律で禁止されていたから、適当に「モヤモヤ」「ムチムチ」などごま化していられた。しかし、すべて克明に描写してよろしいとなったら、胸に手を当て考えるまでもなく、仁太、ほとんどそれを眼にしたことがないのだ。妻に頼んでみたが、それこそ変態を見る如く、さげすみきった表情で、「また私を、馬鹿にしようっていうのね、どうしてそう陰険なの」妙なことをいい、仁太は情理をつくして説明したのだ。しかし、するほどに妻の眉吊り上り、まなじり裂けんばかりとなって、「じゃ、私をさらしものにしようというわけ、私のそこを克明に書いて、日本中にばらまこうっていうの」「べつに、君のその部分をあからさまにするわけじゃないさ、つまり取材であって、適当に潤色して」「そりゃ私はもう大年増ですからね、潤色でも脚色でもしなきゃ困るでしょうよ、でもね、そんな風にしたのはあなたなのよ」変な方に発展し、かなえられず、しからばとストリップ劇場へ出かけたのだが、これはまたサービスがよすぎて、そこはかとなきたたずまいをうかがうにはいたらぬ。皆、十分に押しひろげて下さるから、単なる洞穴としか見えないのだ。
女性性器の描写というものは、べつに猥褻取締りとは関係なく、これまで余りないようで、アメリカの文学作品には三十頁余りも、ひたすらそれのみに費やした例があるというが、我が国ではまず稀、実にあれは描き難いものなのだ。文学的ないいまわしをふんだんに使うと、性器だか壺の描写だか分らなくなるし、色であらわそうとしても、実に表現しにくい。たとえば、裂け目から時としてはみ出ている部分は、何色といえばよいのか、暗紫色、どどめ色、ブドー色いずれも少しちがうようで、仁太が、ずっと以前にちらりとながめた妻のそれは、山谷で一皿二十円の肉の煮込みの一片によく似ていたと思う。この肉の素姓は、犬であるらしかったが、まさか「煮込んだ犬の肉の如き色合い」とも書けない。そしてまた、まくれこんだ部分の形状、上端の突起など、まあ、写真では見たことがあるから、これを文字に置きかえようと試みて、常に仁太の場合、完結できなかった。才能と同時にタフネスも必要なのだ。
「あなたは処女ですか」自制心より、やはり取材の気持がまさり、仁太たずねると、「はい、人跡未踏です」意外にしっかりした声でこたえる。すると処女膜があるわけで、このものこそ、想像を絶した存在といっていい、人によっては黄色だといい、また淡紅色であると断定し、したり気に形状を説明するけれど、本当に処女膜を見た者は、そう数多くないはずだ。婦人科を訪れる者は、原則として、まず痕跡もとどめないだろうし、ヌードカメラマンだって、中まではのぞきこめず、新婚初夜に、懐中電燈片手にして、確かめる花婿も考えられぬ。仁太、なるようになれと、思いを決し、マッサージ台の端にすわりこんで、のぞきこむと、「見てるの? ちゃんと見てる?」「はあ、見てますよ」「もっと見て、しっかり見て、あー」患者うめき声を立て、腰を浮かせた。一種の鼻息の如きものが、たちのぼって、はじめ閉じられていた貝殻は、おのずと左右に開き、キラキラ光る水滴が、露のように結び、フラっとしたたり流れる。全体にこぢんまりとした感じで、うごめく腰の動きにつれ、アカンベェしてみたり、ひきつったりし、女の手はマッサージ台の脚をしっかとにぎりしめ、明らかに快感を貪っているのだ。「窃視症」あるいは「視姦」という性癖について、読んだことはあるが、男に特有のこの現象と、丁度見合うものなのか。
患者は、しきりに見ろ見ろとうわごとの如くにいい、仁太いささか興醒めしつつ、「はい、見てますよ」いちいちこたえ、まあ、これは特に珍しいことではないのかも知れぬ。女性に潜在的な露出願望があることは確かで、それが少し極端な形をとると、こうなるのだろう。
「これからも、時々、見ていただけますかしら」患者は、十分ほど、まったく通常の性行為と同じ経過をたどって、どうやらオルガスムスに到達したらしく、「見られた見られた」と早口にいったあげく、ストンと静まり、身じまいととのえると、仁太にまた下三白の眼を向けていう。「早くいい人を見つけて、結婚なさることですねえ」「私、結婚はいやなんです、男の人にさわられると考えただけで、ゾーッとします」「困りましたねえ、私の立場は、あなたのその、少しばかり風変りな癖を治すことにあるんで、今みたいなことは」「おねがいです。私、本当に悩み抜いてこちらへうかがったのですから、お恥ずかしい話ですけど、どうしていいか分らないまま、夜も寝れないんです、苦しくて」「しかし、こういっちゃなんですが、ふつう男というものは、見たがるわけだし、そのチャンスはあるでしょう」「ございません」患者きっぱりいって、これまでずい分見てもらいたいために、努力したのだそうだ。
「男性のトイレットに入って、わざと鍵をかけないでいました、でも、みんな、大あわてでいったん開けたドアを閉めてしまうんです」また、急な階段の上にパンティをはかず、突っ立っていたこともあるという。しかし、むき出しのそこに気づいたとたん、男性は仰天して眼をそむけ、誰一人ぐっと注視してくれる者はいなかった。夜更けに、一糸まとわぬ姿で窓辺にいても、同じことだったし、「男性が見たがるなんて信用できません、みんな怯えたような表情になるのです」「ストリッパーになったらどうですかなあ」「私も考えましたけど、あれは何べんも舞台に出なきゃいけないそうで、そんなに数多くしてたら、体が持ちませんでしょ」そして、客もしらけるかも知れぬ。「見られたあ」なんていって、のけぞったら、あほらしくなるだろう。「行きずりの方に、おねがいしたこともありましたが、みんな見るだけでは済まなくなって、いやらしいことをなさいますし、先生はその点紳士的で、私はじめてしみじみと満足できました。おねがいです、しつこくはいたしません、月に一度だけ見て下さい」「まあ、何とかまともになるように考えてみますが、しかし、こういっちゃ変ですけど、その欲求不満を感じた時は、困るでしょうね」「いろいろ工夫しまして、義眼を使っております」「義眼?」「はい、べッドの上に義眼を二つ置いて、見られているつもりになって」患者、肩をすくめ、消え入りそうな風情でこたえた。「いつ頃からです、そんな風になったのは」「中学の一年でしたかしら、お風呂ではじめて見まして」「見るって?」「あの、その頃に発毛があって、調べてみたんです」「はーあ」「セックスについていちばん興味を持つ頃ですから、毎日学校でいろいろ話をするんです、誰それはもうタワシみたいだとか、まだの人で、養毛剤すりこんだら、かぶれたとか」「へぇー」仁太は、まさか清純な女学生が、そんな会話交わすなど、信じがたい思いで、「もの珍しかったんでしょうか、何分、メンスがあったり、それから自転車に乗ってると、妙な感覚が生れたり、みんな新しい玩具を発見したみたいなもので、ひどく関心をいだくんです。特に私は、こわくてさわれなかったけど、見てると、とってもいじらしいみたいな気持になって」「見るったって、あれはなかなか」「しゃがんで、下に鏡を置けば」「はーあ」「そのうち、誰かに見せたいと思って、それもなるべく毛むくじゃらな、怖い小父さんが、じっと私のことを見てると空想したら、あの、とってもいい感じになっちゃって」「ナルシシズムなら自分で見るだけで満足するんだろうけど、自分の所有する美しいものを人に見せびらかしたいとなると何だろう。とにかく、通常のセックスはそれをこわすことにつながるから拒否するんですな」「やはり変態でございましょうか」「まあ風変りなことにはちがいないけど、そりゃやはり強姦でもいいから、男性に犯されてみなきゃしかたないんじゃありませんか。ぶちこわしちまうんですよ」仁太、やや無責任にいうと、患者びくっと体をふるわせ、「強姦でございますか」「仕方がないでしょ、あなたの気持としては、肩にさわられるのもいやっていうんだから」「先生におねがいできますでしょうか」「いや、私はもうそんな元気はありませんけど、いくらもいるでしょう」「どこへまいりましたら、ようございますか」
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強 姦 の 園
仁太、ふと患者の一人に何がなんでも処女と寝たいと、相談持ちこんで来た中老の男がいるのを思い出した。ポン引きではあるまいし、いささか向っ腹立てて仁太追いかえそうとしたのだが、「では、強姦するより手がありませんかな、私、後わずかの人生なのです、肝硬変をわずらっておりまして、いつ頓死するかも分りません。こうなれば怖いものなし、なんとか処女にめぐりあうまで、襲いつづけましょう」思いつめたようにいうから、捨ててもおけず、事情をたずねたのだ。二年前、妻に先き立たれ、そのいまわのきわに、自分には結婚する前、いいかわした男がいた、これまで欺していて申し訳ないと告白したのだという。「私は、一穴主義でして、一度も浮気をしたことがありません。それも妻を信じていたからです。妻が処女でなかったとすると、私は、えらい損をしたことになります」それから金に糸目をつけず、探したが、ついにめぐり合えなかったという。
「それは奥さんの意地悪じゃなかったのかなあ」仁太、いかにも思いつめたような、中老の男を前にして途方にくれ、つぶやくと、「あれが意地悪? そんなことは考えられぬ。実にやさしく、思いやりの深い女だった。それも今から思うと、自らの無垢《むく》ではなかったことを恥じて、せめてもの償いに、こまやかな心くばりをしていたのだろう。そして臨終の時、神の御許に偽りを抱いたままでは、怖れ多いと、告白したのです。死んだあれもあわれな女だった。しかし、残された私は」悲痛な表情で、虚空はったとにらみつけるのだ。
この男、ひどく融通がきかず、また押しつけがましい性格にちがいない。隠忍自重久しきを耐えたその妻は、いまわの際となって、男のもっとも弱い部分に、いわば最後っ屁を放ったにちがいないのだ。これに対し処女などつまらない、労多くして功少ないばかり、処女膜など垢のより集った如きものと、いくら説得してみてもはじまらぬ。いや、処女であっても駄目なのだ。「私は幸い金にゆとりがある、子供たちも独立したし、老い先き長くないと分った今、全財産を処女獲得に投じて何のさしつかえもない、そこで、私はあらゆる手段を試みた、芸者、舞妓の水揚げ、ポン引きを通じて貧しい娘たちに魔手をのばし、時には若造りを装い、ゴーゴークラブなるものにも出かけて、ハントした」だが、男のイメージの中にある処女はいなかった、つまりあまりにも古めかしすぎるのである。
処女というものは、徹頭徹尾男を拒否しつづけ、力の限り抵抗し、ついに犯された後は歎き悲しんで号泣、あげくは汚れた身を恥じ、自殺をはかると、まずこういった固定観念にとりつかれているらしい。百万円近く投じて、先斗《ぽんと》町の舞妓、十八歳になる女を抱いたものの、そして仁太の想像では、色町の方が性的管理はきびしいから、きっと処女だったろうと思うのだが、「あきまへん」男、京都弁で否定し、舞妓は、これでようやく一人前になれると、よろこんでいたという。「そんなもんらしいですよ、くわしくは知りませんが、何時までも水揚げされないままだと、周囲に気がねがあるらしいし」「しかしですな、処女がですよ、あらわりに柔らかいもんやねえ、などといいますか、タンポンとかわらんわと、けろっと口にするとは、何ごとです」「そういう率直な点がつまり、無邪気の証拠でしょう」いってから仁太、この年ならペニスも、そうは硬くならないはずで、ふとおかしくなり、タンポンと同じと形容されるからには、短小なのかも知れぬ。短小の男には、自らのひけ目をカバーする気持が働くのか、ひどく几帳面な男が多いと、これまでのカウンセリングで、気づいていた。
また、ゴーゴークラブで知り合った少女は、「喪失をはっきり意識してみたいの、わけがわからない内になんて、いやよ」と、連れこみホテルヘ入ってから、男の体を調べ、自らの乳首や、首の太さ、もちろん肝心の部分についても入念に確かめ、「大体わかったわ、じゃ、はじめて下さい」と、両眼パッチリ見開いたまま、べッドに横たわり、電気消すことを許さぬ。「こんな処女がどこにあります、私が、少しでも初めての経験を、苦痛少なく終えさせて上げようと思って、いろいろ工夫いたしますと」男、右手の指を妙な具合にうごめかせ、「そのいちいちに、つまりバルトリン氏腺液の分泌をうながしているわけね、キッスをすれば、今のが歯茎に舌をふれさせるってテクニックでしょと、解説するんですなあ」少しの動きにも、少女は身を起して確かめ、まごまごするとメモさえとりかねぬ有様、まったく気勢をそがれてしまう。「こっちが克明に反応を確かめたいのに、これじゃあべこべでしょう、言語道断ではないですか」「しかし、もっとも処女らしい反応と考えれば」「私はモルモットというか、つまり自動ハリカタじゃないのだ。あの娘は、今何センチくらい埋没しているのかとたずねおって」「首尾よく征服したんですか」「誰だってあれじゃ、意気沮喪するでしょう」ついになえたものを、ふるい立たせようと努力する男に、「ズンズンズンズンズンズンズンズン、ピンポンパポン」と、唄の伴奏をつけ、「あれは、妙に合うもんですなあ、私はついつられて指をうごかして」仁太わるいと思ったが、ケタケタ笑い出した、あの唄には「ガンバラナクッチャァ」という一節もあるはずだった。
とにかくしらじらしい思いを噛みしめただけのこと、以後、何人かためしてみても、いったん疑心暗鬼のとりことなってしまった以上、煙草を喫うのは処女らしくない、事前に便所へ入ったのは何か細工するためではないか、苦痛訴える声音が芝居じみていた、下着が派手過ぎておかしいと、満足せず、一生かかってどうにか老後の支えにと、おっ建てたマンションも手放し、ますます処女願望は募るばかりだという。この男は、処女であるかないかは、二の次ぎ、強姦の形式を必要としているので、極言すれば、最後まで抵抗しつづけ、口惜し涙の一つも流す相手なら、六十の婆さんですら処女だと思いこむだろう。
ひるがえって眼の前にすわる露出癖の女の場合、通常のセックスを、そのナルシシズムのため営めないらしいが、強姦によっていったん経験してしまえばノーマルな世界にもどれるはず、まさしく似合いのカップルといっていいのだ。しかし、仁太にそれをお膳立てする権限はない、一夫一婦の仲人、人類の未来のため、枝葉繁らせるべくとりもった場合は、後生《ごしよう》がいいとやら、有徳《うとく》の人とやらもてはやされるのに、個人の安心立命をはかれば、売春斡旋などという、罪名を冠せられてしまう。だが、仁太のもとを訪れる悩める小羊のほとんどは、しかるべき異性をあてがってさえやれば、フロイト、メニンジャーのたすけ借りずとも、まともになれる連中だった。ところが、その結びつきが、常識はずれの形をとるものだから、公的に相手を探すチャンスもなく、また各人、自分は有史以来の変態ではあるまいかと、悩み、あげくにおかしな症状があらわれてくるのだ。
国家は、変態のために、ふさわしい相談所をつくって、彼等をもまた人間の一員として、文化生活を享受《きようじゆ》せしめるべく努力するべきなのだ。「強姦の園」を郊外に設け、その願望者と、被姦願望の女性を一定期間住まわせる。強姦願望というものだって、あらゆるセックスのチャンスを、すべてレープの形で行いたいと思っているのではない。まずたいていは、一夫一婦制の中における、肌なれた関係をあきたらなく思い、そしてこの言葉のもつ強烈な語感にあこがれる。その中には青春へのノスタルジーがあるかも知れず、強者としての自分を確かめたい気持もあるだろう。映画のシーンや、小説にあらわれるその描写を参考にして、妄想を組み立て、頭の中ではどのように輝かしいその光景をも、ほしいままにできるのだから、現実のセックスが色あせて見えて来るのも当然。いったん経験してしまえば、先天的な異常者でない限り、ツキが落ちたようにまともになるものなのだ。あの中老の男にしても、六十年近くを、しごくおとなしい市民として生活して来て、ただ老妻の、多分いやがらせだろう末期《まつご》の告白に、たちまちそれまでおし隠して来た願望が噴出したのだし、また娘に対し何時おそいかかるか、われながらおそろしいといって訪れた男もいた。これも十九歳というその娘の年頃に近い女を、強姦すれば、それで気が済むはず。この男は、娘の貞操観念がきわめて強いことを期待し、となると初めてのことは必ず強姦に近い形で行われるだろう、それはまた娘がかわいそうで、このジレンマに陥ったまま、それくらいならいっそ自分が犯してと妄想し、いわば自分の翳に怯えている。
そしてこれに見合う被姦願望の娘は、山ほどもいる、そのたいていは、強いて求めなくとも、男の方で面倒みてくれるからいいようなものの、取り残されて二十代半ばに近くなると、やはり特殊な症状、悲鳴を上げるもので、これに加えて妊娠を望みはじめると、毎月の生理のたびに狂う。生理の前後にホルモンのバランスがくずれるというような、生易しいことではなく、白い便器にほとばしる鮮血によって、一つは、処女喪失の際の出血を連想し、また一方では、まだ生み得ぬなによりのしるしを確かめて、悲歎にくれるのだ。土曜の夜、盛り場をうろついて、男の声のかかるのを待ち、ことさら暗がりにたたずみ、近づく男の足音に期待するのだが、たいていは空しい。露出狂の娘が、下穿きをはかずに階段の上に立ち、男の視線を期待しても、裏切られた如く、この手の女性には一種の妖気がただようらしくて、好き者も敬遠し、またかりにうまく男に誘われても、女の側に被姦妄想がはりつめているから、スムーズにことは運ばぬ。女は、幾度となくベッドの中で、またラッシュアワー人混みにもまれながら、自らの犯されるシーンをくりかえし追い求め、完璧なストーリーをつくり上げている。だから、ひょいと男の手が肩にふれただけで、自動的に妄想は突っ走って、「痛い、ゆるして」の場面にまで到達し、つまり、いちいち仕草がオーバーになり、男を興醒めさせるし、知識は十分あるのに、はじめてキスしただけで、想像妊娠するケースだって稀ではない。
これも一度、経験すればいい、強姦の園には、お互いがその舞台として想定する、野原、森林、倉庫、学校、人通りの少ない道、空家などを映画のセットの如く配して、好むままに行動させればいい。セックスそのものは、生殖からまったく切り離されているのに、セックスにまつわるモラル、考え方は百年前と同じことで、しかもこれは、人間存在の根底にかかわることがらのように目されている。このひずみが、小羊たちを狂わせているので、一夫一婦制など、まったく自縄自縛の制度といっていいのだ、身から出た錆とはいいながら、四十七、八歳以上の妻が、夫に抱かれるチャンスはきわめて稀だろう。以前の如く、さんざ子供を産み、育児に疲れ果てていれば、閉経期にふさわしく欲望の方もおとろえ果てた。しかし、当節この年はむしろ女盛りといっていいのだ。女盛りではあるけれど、化粧も服装も以前の年齢相応に装い、必死になって、今さら男をほしがるなどはしたないと、思いこむ。亭主だって女扱いはしないのだから、知らずに欲求不満が溜り溜って、おかしげなふるまいをしでかし、PTAで妙に甲高くしゃべりまくる母親というものは、まずこれとみてさしつかえない。セックスを愛だの、神聖な行為だのと、勝手にまつり上げた罰なのであって、女房たちは、性の営みを自らの精神を安定させるため、亭主はまた家内の安全をはかるためと、割り切ればいいのだ、医療行為とし、なんなら税金から一回についていくらと控除しても、釣り合いはとれる。性的不満の女房族が、うっぷんを晴らすために行うことがらの中には、かなり公共の福祉をそこなうものもあるし、健康保険を利用して、医師に通うのも、大半はこれにもとづくのだから。
女の患者を帰して後、夕刻六時から、麻布のマンションで開かれるある大学の心療内科主催、インポテンツ治療講習会まで、患者もないままに、仁太、深く現今の情勢を憂い、このセックス一回につきいくらと、税金を安くする思いつきにいたって、はたと膝をうち、もはやこの他に手はないような気もする。女はもともとケチであり、かつ見栄っ張りだ、自分のおかしげなふるまいが、欲求不満のためといわれても、決して納得せず、「子供の将来を思えばこそ」とか、「ピンク映画追放のため」と大義名分を申しのべるにちがいない。しかし、税金が安くなるとなれば、うわべの名目をここに求め、いや、うわべだけではない、性的欲望を充たし得るのだから、一石二鳥で、亭主の方も、浮世の義理だけではなく、張り合いが生れる。しかし、この確認をどうするか、コンドームの数でしめすか、自家営業の者が、税金の申告の際、領収書や、源泉徴収票をペタペタ貼付する如く、コンドームを添えて、「性的扶養者控除表」というのを提出すればいいのだ。しかしこの場合、未亡人がいかにも気の毒であろう、男やもめと較べて、はるかにその数は多いのだから、有無相通じさせるわけにもいかない。まったく女性というものは、ヒューマニズムの欠如した代物で、決して自分の亭主を、飢えた未亡人に提供するといった心を持たず、これは精液銀行の設置によって、解決できないものか。血液銀行というのは、健康な時に、自分の血を預け、いざ必要となった際、その量だけ引き出し、利用することができる。
同じようにして、自分の亭主が、気の毒な未亡人をなぐさめたら、その回数分将来、回収することができるように仕組めばいい。亭主は枕交わした未亡人の、正に領収いたしましたという証明書をもらって、女房に渡す、深夜、生命保険の証書と、精液領収書をながめ、にたにた笑っている女房なんてものは、なかなかに凄まじいけれど、それが本性なればおどろくこたァない。
「ただいま、また寝ころがってんの、いい商売ねえ、私は一生懸命夕飯の仕度するために帰って来たのに」自らマッサージ台の上に横たわり、うとうとユートピア幻想を追っていた仁太、たちまち現実に引きもどされて、「いわなかったっけ、今夜は外で食べるんだ、会合があって」「きいてませんよ、そんなこと。だからいやよ、ちっともこっちの都合考えてくれないんだから、どうして早くいわないのよ、さっきだって、夕飯までにはもどりますっていったでしょ。あのいやな眼つきの女の人と話しこんで上の空だったんでしょ。今夜は、もともと晩御飯をよばれたのよ、坊やだってそのつもりでいるのを、無理に連れて帰って来たんじゃない、いやだわ、もう」妻はたちまちふくれかえり、「何なら、もういっぺん出直したら」とりなすつもりで仁太がいうと、「あなた、気は確かなの、これからまたお邪魔して、亭主は外出しておりましたから、御馳走になりますっていえると思う。よくまあ、そんなことで、小説を書いてられたわねえ」そういわれれば一言もなく、「じゃ、とにかく食べてから出かけるよ」「なにも無理に食べてもらわなくてもけっこうです。折角、材料は買って来たんだけど、ラーメンでもとって済ませとくわ。かわいそうに、お友達の家にはいろんな御馳走があったのに。坊や、いいでしょ、ラーメンよ、みんなパパがわるいんですからね、怒るなら、パパに怒ってちょうだい。ああ、肩が凝った、按摩さんとろうかしら」
仁太、ほっと溜息をついて、そういえばここのところ御無沙汰がつづいていたのだ。まったく人の頭のハエ追うどころではないと、こそこそ身仕度をととのえ、少し早い時刻だが表へ出る。インポテンツ治療の講習会はこれが三度目、はじめての時、集った者の三分の二が女だから、不思議に思うと、これは患者の妻や母で、仁太の言葉を、いちいちメモし、しごく真面目な顔で、「春本をね、私が読んできかせておりますのですけれど」などという。その女は、以前、新劇の役者だったそうで、朗読には自信があったらしいが、「効果ははかばかしくなくて」悲しそうな表情を浮かべた。女房が真に迫った口調で、「いや、およしになって、ああ」と読みあげるかたわらの、亭主を想像すると、仁太、こたえるべき言葉を失ったが、主催者は「いや、見上げた内助の功です」うなずき、「春劇という試みも、考えられますなあ」といっていた。
春劇といっても、アングラ風ポルノ劇を観賞させるわけでなく、患者夫婦が演じてみるのだが、医大講師の主催者は、「さまざまな抑圧が、性的不能の原因となっているのだから、他の人格に扮することで、たとえ一時的にしろ抑圧を除去できれば、可能となることも考えられる」この思いつきに、ひどく興奮し、「先生、適当な台本はありませんかなあ」仁太にたずねたのだ。しかし、春本、春画、破礼句《ばれく》、艶詩はあっても、春戯曲というジャンルはまったく開発されていない。「先生は御専門でもあるのですから、ひとつ手をつけてごらんになってはいかがです、偉大なる先駆者になれましょう」主催者そそのかすようにいった。「なにも、あたらしく作らなくても、ありものに付け加えたらどうです。舞台では暗転になるところへ、適当に台辞《せりふ》を入れて」たとえば新派のお蔦主税が、湯島境内の場で、そのままもつれあうとか、歌舞伎だったら心中場面の前に、最後の交情を行わせる、そもそも新内とか河東節の、嫋々たる節まわしは女の閨中の声を模しているといってよく、これが観客の妖しい妄想を、なおかき立たせるのだから、新内の流れてくるシーンに、情交場面をおけば間違いないだろう。「いや、そういうのはむつかし過ぎますなあ、衣裳もたいへんだから、これはやはり新劇風に」「それは無理ですよ、大体、新劇がつまらないのは、そういった場面の入りこむ余地がないというか、理屈ばかりこねていて、情感に乏しいせいで」仁太がいうと、主催者は新劇愛好者らしく、不機嫌にだまりこくってしまった。仁太、そう芝居を観ている方ではないが、どう考えたって、もし春劇を演ずるとすれば、宇野、滝沢よりも、勘三郎、富十郎の方がふさわしく思える。
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不能講習会
講習会の会場は、麻布のマンションの一室で、裕福な父親を持つ主催者が、研究所と称し借りているのだが、べつだんそれらしい書籍調度もなく、二部屋ぶち抜いて椅子をならべただけ。十七、八歳の男から、最年長者は仁太とほぼ同じ年頃の息子を持つ母親まで、四十人ばかりが集り、いずれもしごく熱心だった。インポテンツときいて、はじめその外見にもなんとなく虚弱な感じがにじみ出ているのかと考えたが、むしろ平均よりたくましい印象。これは当然のことで、彼等は、自らふるい立たぬことにじれて、栄養食品をむさぼり、また適当な運動も行っている、あたりのサラリーマンよりは陽灼けし、首筋も腕も太いのだ。そしてまた女の方も、いささか教育ママ風ではあるが、仁太、自分の妻と較べてみて、はるかに心やさしいように思う。カップルで来ている者もいたが、その妻こまやかな心くばりを見せ、これが通常の夫婦なら、なにもそう人前で、でれでれするなといいたいところ。しかし何分片方が不能とわかっている、その眼で見れば、年老いた夫婦のいたわり合う如くで、むしろ好もしき姿。また母親も、息子の不能にしごく満足しているような色合いが見えないでもなかった。「本当にね、いい年してだらしがないこと、じれったくなっちゃいます」口ではこぼしつつ、マリア様よろしき慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
主催者は、背後の黒板にやたらと横文字を書きつらね、高邁《こうまい》な不能理論を展開し、その情熱はよく分るのだが、仁太、受講者をながめ、ことさら有能になることもないのではないかと考える。なまじ有能だから、妻の方もそのつもりになって、年齢別性交回数を気にして、やいのやいのと責め立て、少し夫が遠ざかれば、愛がさめたのなんのと、ヒステリー状態におち入る。しかし、亭主が不能とはっきり見きわめがつくと、これは気楽なものであろう。先天的な色情狂ならともかく、男の肌にふれずにいたからといって、気違いになることはない。三十娘が苛立つのは、性的欲求不満よりも、ただ結婚という人並みの枠の中に自分を納めることができないからだ。不能者たちは、性的面だけ除いて、すべて人並みあるいはそれ以上に、世渡りをしている、夫の欠点を知っているのは、妻だけなのだから、クラス会へ出かけて肩身のせまい思いをすることもない。さらに秘密を共有することで、その結びつきは通常の夫婦より、緊密であるかも知れず、妻は、夫の不能を治すという、なによりの内助の機会を与えられている。
サラリーマンの妻で、自分は夫の働きに何分かの力となっていると、実感できることはきわめて稀だろう、ことさら家事労働を金に換算してみたりするのも、そのあらわれといっていい。しかし、不能者の妻は、夫をいたわり励ましている自分を、はっきり確かめ得るのだ。利点は他にもあって、この場合、非はすべて夫にあるのだから、いつでも離婚できるし、これが夫の女遊びのためというなら、そうのほほんともかまえていられない。「ああきつい奥さんじゃ、無理もないわねえ」など、両成敗風に見られることもあるが、不能ならば、ひたすら「お気の毒に」と、同情を集め得るし、なにより再婚の時に有利ではないか。なんだかんだといっても、女は一度の性行為、妊娠出産のつど、自分が古物になっていく怯えをいだいている。拡張恐怖症とでもいえばいいか、処女を失った女、出産した妻が、急に図々しくなるのは、ペニス、あるいは赤ん坊によって、膣を押し広げられてしまったという、被害者意識のなせるわざなのだ。
不能者の妻にはこれがない、世間態の上では何一つ不足のない妻で、しかも内実は、新鮮さを保ちつづける、一種の理想的立場とはいえないか。そしてまた、ふがいない息子を持った母親も幸せなのだ、息子を他の女に盗られなくて済むし、いつまでも自分の羽交いの中で玩具にしていられる。たいていの姑と嫁は仲がわるいはずだが、不能の男が間に存在すると、気味のわるいほど意気投合して、受講者の中にも、姑と嫁連れ立ったのが三組いた。劣等感が不能の一因となるときいて、嫁姑額をつきあわせ、「彼は小学校の時、よくできたんでしょ」「でも少し背が低かったからねえ」「じゃ、今度カカトの高い靴はかせてみようかしら、七センチくらいのがあるのよ」「いいかも知れないね」和気あいあいと語り合う。これが有能な男の、母と妻だったらどうなるか、「彼、少し背が低いから、カカトの高い靴買ってこようかしら」「背の高い低いがどうしたってんです、大体あなたがノッポ過ぎるんですよ」「あら、私はふつうよ」「背ばかりふつうでもね」「他はふつうじゃないっておっしゃるの?」「いえね、女なんて小柄な方がかわい気があるってことです」「かわい気があるかないか、お母さんにきめてもらわなくてもけっこうです」「へえ、えらく自信がおありのようだね」たちまち血河屍山のていたらくとなろう。
性的不能は病気ではない、これを治さなければ悶絶してしまうわけでなく、また、不能の代償に反社会的行動をとるおそれも少ない。仁太が、なにも無理して有能にならなくてもと、考える理由の一つには、なごやかなその家族の表情の他に、御当人がいっこう悩んでいないことがあった。意馬心猿とはやりながら、しかも行為がかなえられぬというのなら気の毒だが、不能者の三分の一は、もともと性欲がなきに等しく、残りの連中も、それぞれの方法で、ちゃんと果しているのだ。あるいは春夢だったり、また、マスターベーションによって、欲望を処理し、何の不自由も感じていない。
女房同伴であらわれる男の一人に、公認会計士がいたが、これはかなり意識的に、春夢を愉しむことができるらしく、「なんせ、いちばんはじめは中学一年の時でしたかなあ、寝しなに梅干しを食うたんですわ、ほしたら、もやもやっとした夢見てねえ、まあ、よほどびっくりしたんやなあ、病気になったんちゃうかと思うて。よう覚えてます」それからというもの、性欲が昂進するから、梅干しを食べたくなるのか、あるいは、梅干しが何かの刺戟を与えるのか、大体三つくらいを寝る前に食べると、艶夢がもたらされるという。赤ら顔で、刀剣収集の趣味をもつこの三十男は、まったくの不能ではなく、妻も抱き得るのだが、現《うつ》し世のことでは、絶対に射精できない。「私かて、子供欲しいしね、どないぞならんかと思いまして」妻が、講習会へいざなったのだという。
主催者と、その時々の講師の一般的な講義が終った後、各自質問やら、また自分の症状につき告白するのだが、むしろ受講者にとっては、この時が救いになっているようだった。なにしろ主催者の講義は、いかに大学心療内科を後楯にしているといっても、いささか迂遠、よくいえばアカデミックであって、「交接は一人の男性と、一人の女性の性的結合をいい、交接を果すためには、男女両性の十二分なる成長がなければなりません」などと説きはじめる。仁太には、文学作品中にあらわれたるインポテンツなるテーマが最初与えられたのだが、せいぜいチャタレー夫人の夫くらいしか思い浮かばず、でまかせをしゃべると、これが好評で、月に一度顔を出すことになり、そして、仁太にとっても、雑談の時間はひどく興味深かった。いずれも不能相憐れむ同士だから、はじめ口ごもっている新参者も、先達のアケスケな告白をきくうち、われ劣らじとしゃべりはじめ、中でも公認会計士のそれは、圧巻だった。
梅干しと春夢の取合せも滑稽だが、さらに、夫婦協力して、なんとか春夢の前兆をはっきりつかみ、妻からすれば、空しくあふれるだけの精液を、わが胎内に受けとめたいという、その努力のあれこれ、「睾丸のしわが少しのびるような感じで、全体にじっとりして来ると、間近なんですわ、その他に、首筋がちょっと凝ったみたいになりますな」亭主の言葉を受け、痩せ細ったその女房「こらもうすぐやな思うと、なんとか夢を見ささんように、いろいろ苦心しましたわ」やわらかい布団はいけなかろうと、木綿のそれにかえ、少しでも妙な気配があったらゆり起すつもりで、女房まんじりともせず、亭主の寝姿をながめていたこともあるらしい。「ほんまこの人、調子ようにいびきかいてはって、癪にさわってきましたわ。それで、一寸静かになったから、いよいよかと、起してみても、何も夢なんか見てないいうて、怒鳴りはるんです」「そらそうでっせ、私かて、好きこのんで夢精してるわけちゃいまっさ」「まあねえ、夢の中に出て来る女が、私やいうから、我慢してるんですけど」女房、少し誇らしげにいったが、これは亭主のごま化しであろう。仁太にも覚えはあるが、春夢に較べれば、生身の女など馬鹿馬鹿しいにちがいない、マスターベーションなら、あれこれ妄想を求めなければならないが、この場合はひたすら羽化登仙の境に遊んでいればいい。
そして、このことは、なにも寝床でだけかなえられるわけでなく、しわがのび、うるおいを持ったところで、梅干しを食べると、事務所のソファにうたたねしていても、春夢は訪れるらしい。「べつに、声を上げたりおかしな寝相になるわけでもないらしいんですわ、電車の中、それから麻雀やってて、ついうとうとした時に、ちゃんと見ましたからな。時間でいうと二、三秒のことや思いますねん。私がパイ捨てて、次ぎに自摸《つも》る間でしたから、そやけど、夢の方では、ちゃんとストーリーもあって」いいかけ、女房をはばかったか口をつぐむ。「それで、いっぺん、そのなんといいますかなあ、私を抱いたまま寝たらどないやろいうて、やってみたことおますねん」結合の形で、亭主が春夢を見れば、受胎にはつながるはずだったが、「こら無理いうもんでっせ、四十八手とかなんとかいうけれど、男の方が寝入ってるいうのはおまへんやろ、どないな態位を工夫しても、寝つかれまへんねん」「ほんま、獏《ばく》のたたりちゃうか思いますわ、私」女房、真面目な表情でつぶやいた。「獏ねえ、これはおもしろい、獏コンプレックスとでも名づけますかなあ」主催者、感にたえた如くいい、なに会計士の奇妙な性癖をどう分析していいか分からぬまま、女房の言葉にとりついただけのこと。それでも、「きっと御主人は、奥さんを愛し過ぎていらっしゃるんですよ、夢の中で契《ちぎ》るなんて詩的だなあ」とりなしたけれど、「そうかて、主人がええ目ェしてる時、こっちは何も感じまへんさかいなあ」女房、しごく現実的な感想をのべ、「夢中の奥さんはどんな風にしてあらわれるのですか」これは貿易商営む三十前後の男がたずねると、「そらまあ、いろいろですなあ、もうそろそろと思うたら、寝つく前に、考えますねん、今度は野原でアオカンしようかなあと」「すると、その通りになりますか」「伊達に三十年近うやってるわけやおまへん」「こう、よく夢見てて、あっ今夢見てるなと、気づくことあるでしょ」「それでんが、来たなと分りますねん、それで、私の見たいシチュエーションいいますか、それとちごうてたら、さし替えるんですわ」「へーえ、そりゃ便利ですねえ」亭主の言葉に、女房いちいちうなずき、わが夫の特殊能力を誇るかの如く、「こないいうたらおかしけど、うちがマリリン・モンローみたいになって、出て来たりするんやそうです」「はーあ」一同、唖然として女房をながめ、およそモンローとは似ても似つかぬ体つきなのだ。
「奥さんがモンローさんにおなりになるわけですか」主催者、オウム返しにたずねると「まあ、そういうこともありま」突っこんで質問されるとボロが出るからだろう、会計士あわてて話題をそらすように、「夢見んで済む薬はおまへんやろかなあ」空々しい口調でいった。「でも、奥様の場合、まだ、御満足なされるんざんしょ、その、お子様は無理でも」白髪に紫の粉をふりかけた、いかにも裕福な身なりの女がいい、「へえそらまあ、なんし終りはらへんのですから」「生きてる張り形みたいなものざんすね」女、手きびしいいいかたをし、「家の娘など、そりゃかわいそうですよ、結婚して半年になるのに、まだ生娘同様なんざますから」「おいくつです、旦那さんは」「二十七になります、大学時代ラグビーの選手でして、そりゃもういい体格ですのに、それとこれは別物なんざんすねえ」溜息をつき、「私も、これで十年近く後家を通してまいりましたが、この年になりましても、時にふと淫らがましいことを考えたりいたします。それを、あたら花なら盛りの二十四、五、しかもお床の中に亭主がいながら、かわいがってもらえないってんですから、私、かわいそうで。しかもにくいじゃござんせんか、婿は、結婚する前に、自分のは大きいとか、一晩に三回は大丈夫なんてホラを吹いたそうなんですよ」仁太、見たところ六十四、五のこの女でも、妖しい妄想を描くのかと、無気味に思う。
「別れちゃえばよろしいでしょ」これが、中年になってからなら、いろいろわずらわしい問題も付随しようが、生娘同様なら、いくらも再婚できるだろう。「いじらしいんですよ、娘はなんとか治してやりたいってんで、こちらにも御厄介になっておりますし、加持祈祷もずい分いたしました」かたわらに、口数の多い母親とは正反対の、美女がひっそり坐っていて、それが娘らしい。「御主人も一緒にいらっしゃるとよろしいんですが」主催者がいうと、「いえもう見栄っ張りな男で、とても来やしません」「インポの神さんいいますか、その祈祷してくれはるとこあるんですか」会計士たずねると、「そりゃございますよ、あの、おふんどしを持って参りましてね、お祓《はら》いを受けます」首尾よく本復すれば、あたらしいふんどしを納めるのだという。「犢鼻褌《ふんどし》さまといいましてね」
わが国には八百万《やおよろず》の神がましまして、しかも一つの神様の守備範囲は、きわめて広い。たとえば庚申様など、農作物養蚕漁業の守護から、病気なら疱瘡風邪歯痛眼病耳鼻病を治し、地の厄もはらえば、建築も司る、ざっと数えて六十余りの、ありがたい功徳を下さるのだ。その他、便所、タンツボ、屋根裏、物置きと、いたるところにそれぞれ特有の神様のナワバリがあって、うっかり便所にタンを吐いたりすると、たちまちたたりを受けてしまう。犢鼻褌の神様が存在して下の病い一般を引き受けても、べつに不思議ではない。
「そら、立たずの方だけやりはるんですか」夢精症の会計士、たずねたが「おたく様の御病気はいかがざましょうね、うかがっておりませんが」
「どこにあるんですか」仁太、なにもフロイトだけが尊いわけではない、なにぶん性にまつわる障《さわ》りの由来は、千差万別といってよく、犢鼻褌だって、信心次第では、効験あらたかなものが、あるかも知れないのだ。「赤坂見附のそばの」と、有名なビルの名を母親はつげ、「信心なさる方は、いずれも政財界の関係でいらっしゃいまして、祈祷所と申しましても、そりゃ豪勢なものでございますよ」「ははあ、じゃ、老人が多いんですか」「よく存じませんが、若いかたの方が」まったく、石が流れて木の葉の沈む世の中、仁太のもとに不能を訴えて来るケースをみても、ほとんど若い年齢層だった。それはまあ、年とってしまえば、自然現象としてあきらめもするのだろうが、つきそいの母親にそれとなく質問してみると、その連れ合いは、結構、現役であることが多い。「男親なんて冷たいものでございます、伜のこのことを相談しても、せせら笑って、鍛えかたがちがうなんて、むしろうれしそうなんですから」と、母親もまた決して悲しむ表情ではなくいっていた。確かに明治生れの男は、いずれもしぶとい印象で、かなり年をとっても、まだ息子と競い合うような面がうかがわれる。
明治、いや江戸時代から、さらに以前にもインポテンツは存在したらしいが、川柳などにあらわれたそれは、たいてい房事過多のあげく、なえてしまうもので、むしろ人に羨まれている。帝国軍隊に性的不能などという現象はあったのだろうか、仁太思いついて調べようとしたことはあったが、いかに戦記物ブームでも、「インポテンツかく奮戦す」なんていう資料があるわけもなく、また考えれば、不能者の楽園こそが、軍隊といえるのだ。この欠陥、戦闘には何の支障ももたらさず、差別される機会も、きわめて少ないのだから。いったい何時頃から、不能が顕在化してきたのか、男女共学、女性上位、女性の性知識普及、破瓜《はか》年齢の低下、婦人参政権、教育ママの増加などが、それぞれ因果をもたらしているはずで、あるいは性的不能の源をつきつめていくと、平和憲法にまでぶち当ってしまうかも知れぬ。仁太、改憲論者の写真をながめて、不能にあらざるかと、検討してみたが、その気配はべつになく、むしろ、護憲市民運動推進者の方に、なにやらアク抜けした印象が強かった。
仁太の扱った患者だけを考えても、奇想天外な不能がいるもので、「巨大乳房恐怖症」とでもいうべき青年が、開業すぐにあらわれ、彼はどこで調べて来たのか、「お、およそ人類の雌ほどその体格に比して乳房の大きい動物はいません。チンパンジーのような霊長類にしろ、また巨根といわれる馬や、鯨だって、雌のオッパイは乳首がちょこっとあるだけです。いったい、ど、どういうわけでこんな風になったのでしょう」吃りながら訴え、今や母乳など、人工栄養にとってかわられているし、巨大なればこそ、添い寝の赤ん坊を窒息死させる、女性にとっても、何かとじゃまっ気なはずと、悲憤慷慨する。これを従前通りの割り切り方で考えるならば、成熟した女体に恐怖感をいだく、つまり男の中に幼児性が残っているので、それは多分、母親との関係に理由があると、まずは、もっともらしい御託宣となるのだが、この青年の場合はもっと単純なのだ。
その通っていた中学は、完全に女生徒が支配していて、男など眼中になく、なにかといえば雨天体操場の裏へ連れこみ、リンチを加える。「カミソリを二枚指にはさんで、顔にたたきつけるし、鉄片を先きにしこんだ靴で向う脛を蹴りますしね」その番長格の女が、きわめて巨大な乳房を所有し、女もそれを誇らしく思うのか、ブラジャーをせず、わざとゆさぶらせて見せつける。「夏なんか、男子の前で、上半身裸になっちゃうんです。うっかり見ると、ド助平と怒鳴られるし、眼をそむけてりゃ、近くへ寄って来ますしね、こわかったですよ」卒業して、やれやれと思ったが、何分ポルノ時代、マスコミの隅々までヌードがはこびり、このすべて乳房がでかい。「条件反射ってんですかね、眼にしたとたん、暗い気持になっちゃうし、もちろん生身の女など、裸を見たらもう駄目です」ぺったんこな乳房を探せば、どうしても小学生低学年ということになり、幼女姦犯しそうで、われながらおそろしく、相談に来たというのだ。
かと思うと、幼稚園から、高校まで受験一本槍で過ごし、マスターベーションは無害と教えられていたから、妄執の犬は五指に追い払って、この頃は、まことにまともだった。ただし、小百合、智恵子、小巻といった、いわゆるオナペットはあまりに美し過ぎて、実感がない。「ぼくは面もまずいし、背も低いでしょ。だから、なるべくブスを考えました、妙に頑丈な体格で、髪の毛もちぢれてるような」首尾よく大学へ入り、天下晴れて恋人もできた。これが、まずは美人の部類で、彼は有頂天になり、結婚の約束を交わし、卒業直前、ベッドを倶《とも》にしてみると、まるで駄目。マスターベーションの際お世話になった醜女のイメージが、骨にからみ、目前の美女には怯えが先きに立つ。「さんざ、醜女を妄想の中でとはいえ、オモチャにしたせいでしょうか、仕方ないから眼をつぶって、また醜女を思い描こうとしたんですが、なにしろ現物と抱き合ってんですから、没入できません」すっかり面目を失してしまい、それが原因で二人は別れ、「ぼくも美人はあきらめて、醜い女を探したんです。ところが、皮肉なことに、つきあってると、必ずどこか美しい部分を発見できるんですねえ、こういうのを、アバタもエクボというんでしょうけど、困るんですなあ、ぼくの場合は」ひどい反っ歯も、金壺眼も、一カ所くらい取柄はあって、とたんに彼は、すくんでしまう。「八方醜女ってのはいませんでしょうか」いたしかたなく、未だに指技をたよるという。
そうかと思うと、戦後、日本政府の、貧困な住宅政策の犠牲としかいいようのないケースもあって、彼は、比較的早く建てられた鉄筋アパートで育ち、もの心ついた頃は、むしろ皆に羨ましがられていたという。「バラックからみりゃ、金殿玉楼みたいなものでしたからねえ、昭和二十五、六年当時の、鉄筋アパートは」両親も安心して、子孫繁栄の営みに励んで、姉の他に、妹三人が生れた。「ところが、成長するにつれて、何分アパートには風呂はあっても、脱衣場がないでしょ、母親は平気で、その前後、裸の体をさらす、娘たちも見ならって、夏の夕方など、たいへんなものですよ、親父は内緒でぼくに、こりゃ銭湯の番台にいるみたいだっていってましたが、内心、迷惑だったにちがいありません」いったん嫁いだ姉が、不縁となりもどってくると、妹たちもすでに年頃、「民主主義教育の成果でしょうか、数をたのんで、男をコケにするんです」下着を取りかえるくらいならまだしも、時には経血に染まったものを、取り落し、トイレットも半分くらい開けたまま用を足す。「二間っきゃないから、どうしたって妹と一緒に寝るでしょ、よく住宅事情がわるいと近親相姦が増えるっていうけど、逆ですね。日本の団地においては、女性についての夢が失われて、それどころじゃありません」いかなる美女を見ても、たちどころにその楽屋裏を想像してしまい、「女たちの出はらった後、父と二人のんびり向き合ってた時の、せいせいした気持を思うと、とても女を抱けません」と告白し、ついで「ひょっとするとぼくは、親父と精神的なホモ関係だったのかなあ」深刻につぶやいていた。
こんな風な、あまり深層心理学とは関係のない不能者には、理屈よりも、むしろ迷信おまじないの類が、有効かも知れないのだ。「一度、見学させていただけませんかなあ、犢鼻褌様を」仁太が申し出ると、「それがでざます、いっさいマスコミに宣伝されるのを嫌ってらっしゃいまして、本当にお気の毒なお悩みの方だけ、御祈祷下さいますんざます」母親、自分の身内を自慢するようにいい、「じゃ、私がその不能ということにして、いや、実をいいますと、近代科学だけでははかりかねる要素がありましてね、この現象には。決して礼を失するようなことはいたしませんから、奥さんにお口添えねがって」犢鼻褌様を信ずる気などはないが、また、ライバル視する気持も毛頭なく、仁太、学問的好奇心をいだいたのだ。性的不能者には、いやおうなくこちらのやさしさを、引き出すような面があり、仁太はべつにヒューマニストではないけれど、できるかぎりのことをしてやりたく思う。これは、やがては自らにもその現象があらわれると、はっきり分っているためだろうか。女に不能はなく、また、出産をよみがえりと考えるなら、死もない。女の、同性に対する思いやりのなさは、不能と死からまぬかれているためではないか。
母親が、親切に犢鼻褌様を紹介してくれたのは、決して仁太の向学心に協力するためではなく、どうやら仁太自身、実は不能の悩みをいだいているらしいと、邪推したからで、「紺屋の白袴って申しますものねえ、けっけっけ」と口調とうらはらに、下品な笑い声上げて紹介状を渡し、仁太の場合は、まず一夫一婦性不能であった、世の亭主が女房を抱く時、何を思いめぐらして、ふるい立たせているか、あからさまに教えたら、女房ども憤死するにちがいないのだ。
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|犢 鼻 褌《ふんどし》 様
犢鼻褌様は、ビル十二階の三分の一ばかりを占有して、その受付はちょうどサウナ風呂の如く、入場料を渡しチケットをもらう。予審判事といった態で、仁太とさして年の変らぬ貧相な男が、一室に導き、不能の症状につきあれこれ質問し、「近頃、交媾のことが、あまりに安易になり過ぎております。すべての不能は、これに原因いたしますな」いわれてみれば、その通りかも知れぬ。せかれればこそつのる想いで、簡単にはこぶからこそ、変態や不能が生ずると、いえないでもない。仁太うなずいていたら、「それ古えの交媾にありては、衣冠束帯のまま、婦にまみえ、私《し》をながめて点頭三歎、三歩退いて長揖《ちようゆう》すること三度、ようやくにして唐突すと、先人は教えております。この気持を忘れなければ、あり得ぬことです、不能役立たずなえ魔羅など」重々しくいって「しかし、お気の毒にはちがいない、折角信心なさって、一日も早い御全復を」男、メモ用紙片手に立ち去った。
なにやら漢語をとりまぜていたし、これは道教に源を発する宗教なのかと、仁太思案し、日本の呪いの中には、道教を下敷きにしたものが多いのだ。「こちらへいらせられましょう」ひどく大時代な声がかかり、これはまた神社の巫女《みこ》風いで立ち、若い女が仁太をさしまねき、深閑として人の気配もない廊下を歩きすすむと、同じようなドアの並ぶ、いちばん奥へ案内され、そこは、まったく結婚式場そのままの構え。つまり正面に神道の祭壇があり、左右に席がならび、祭壇と向き合って、椅子と机が用意されている。「犢鼻褌をお出し下さい」若い女性の突拍子もない命令に、仁太仰天し、こんなことはあの母親教えてくれなかったのだ。「申し訳ありません、私は、ええ、パンツでございまして」「けっこうでございます」いささかもたじろがず、女がいう。仁太のっぴきならぬ立場に立たされ、というのも痔持ちなのだ、年中ではないが、しばしば汚染のあとくっきりと浮き出ていることもあり、「では、出直してまいります、何分むさくるしいものでございまして」「御心得ちがいでございましょう、陽根はすなわち天のぬぼこ、尊いものであります、それを納めまする犢鼻褌様に、何の汚れがございましょうや」女、いい捨てるなり袴をさばいて、奥へ向い、左手の戸口に姿を消した。
残された仁太、場所柄だけに、神様の機嫌をそんじてしまったような怯えを感じ、うろたえて、廊下に出ようとしても、鍵がかかっている。やはり脱がなければならぬかと、覚悟決めかけた時、「御祈祷に先き立ち、男子不立の五説を申し上げましょう」凜とした声うちひびいて、別の、美しい巫女があらわれ、祭壇よりお祓いを持って近づく、「まず、天の不立、すなわち罪障は天にあり、先人の悪雲陽をおおいて、ために痿《な》うるなり。漏の不立、精寒にして常に遺漏し、気を発するなし。法の不立は、敵を見て興らず、変の不立すなわち埒外をいい、※[#「牛+卷」]の不立これ、勢いたらざるの謂《い》いなり」仁太、よく理解できず、ただかしこまっていると、「汝が不立は、漏と定まりたり」バサリと、お祓いをふりまわし、「漏をおさうるには、是、角をもってす」そこまで、むつかし気にいって急にうちとけ、「お分りになりましたか、犢鼻褌様のお告げは」たずねた。
角というのは、乾ナツメのことだそうで、これを食べれば、精を暖め、気を発せしめると、説明し、「もっとも、ふつうのナツメでは効き目がありません」にこやかにいう。「どうやら漢方のお薬のように思えますが」仁太、たずねると、「犢鼻褌に和漢洋の別はありません、陽物を納むるについてはすべてこの神様がみそなわします」「こちらで、いただけるわけですか、特別のナツメを」「はい、お分けいたしますよ」そして、巫女はまた口調をかえて、「もっとも漏の不立は、お相手にもよりますね、たとえば、奥様のお道具に御不満のあります時は、これはやはり、気発せざるも無理ないことで」なにやら遣手婆さん風口調となり、仁太は、これも一種の淫祠邪教だろうが、よくきけば納得できないでもない。古女房にげんなりして、ゴルフ麻雀酒に逃げるのは、たしかに精を遺漏することといえるだろう。
「いい方法をお教えいたしましょうか、あの、にぎり飯というのがございますね」巫女は、自分でにぎる手つきをしてみせ、「|これ《ヽヽ》の起源をごぞんじでしょうか」非常食とくらい見当はつくが、あらたまってたずねられると、覚束ない。「あれはもともとお産から生れたものです、産婦が無事産み終えた後、熱い御飯をまるめて、産道へ押しこみます。一昼夜おいてこれをとり出しますと、押しひろがった産道も、生娘の如くになり、また、患いをまぬかれます。そして、夫がこれを食べれば、なによりの精力の素となるのです。べつに産後と限ったことはありません、何時おためしになっても、効験あらたかなものでございます」そして、巫女はおかしそうに、「女の火戸《ほと》の大きさは、そのにぎるにぎり飯と同じですよ、三角、お太鼓、丸などの形も、同様」仁太、いささか毒気を抜かれ、もし女房にこの秘法を強要したら何というだろうか、そしてまた、そ知らぬ態度で、にぎらしてみたいような気もする。
「取りあえずは、私の漏を治したいのですが、そのナツメをいただいて」「はいはい」巫女はうなずいて、「一日七枚を用いてください、七枚と申しましても、いただく順序がありますから」鈴をふると、祭壇の横の戸口から、十五、六歳と思われる少女が七人、やはり巫女姿であらわれ、横一列に並んだ。
あらわれ出でたる巫女七人、横にならんで一礼し、袴のもも立ちをとり、「うち入れて丹精こめしなつめなれば、うるみて後は魔羅立ちにける」甲高く詠唱し、腰をやや落し気味にすると、それぞれの足もとにちいさな音がひびき、見ると、ナツメの実が、ころがっている。「処女の体内にとどめること七日、その精を吸いつくしたナツメであります」女が説明し、「どうぞお取り下さい」うながされた仁太、あっけにとられつつ、まだ突っ立ったままの巫女に近づくと、「わが情け若き生命にわき出でて、われ目からこそ色のしたたる」また声をそろえて唄い、しずしずと立ち去る。
「あの、今のお歌は、やはり御詠歌と申しますか、お祈りの」たずねるのを制し、「敷島の道でございます。歌心はすなわち色に欠かせぬもの。近頃、色の乱れておりますのも、これを忘れた者が多いせいでございましょう」確かに、古い日本においては、懸想《けそう》すれば必ず歌を贈ったものだし、その返事も歌でなされた。犢鼻褌さまと、ミもフタもない名前の神様ながら、しごく風流な一面もあるらしい。「御指導いたしましょうか、御祈祷、霊薬、それに加えて歌心をおそなえになれば、いかなるなえ魔羅でありましても、必ずふるい立ちます」「いや、私、歌を詠むなどまったく無調法でございまして」「それがいけません、日本に生を受けた者すべてに、敷島の道は開かれておるのです。近頃の教育がこれをないがしろにするから、色ばかりでなく、世情一般、品《しな》下がってしまう」女、眉ひそめていい、「丁度、只今歌垣を行っておりますから、御見学なされてはいかがでしょう」「歌垣と申しますと」仁太、いくらかの知識はある、西国では歌垣、東国でかがいといって、男と女が山や海辺に集り、互いに歌を詠み合う、当然、その歌を縁にして結ばれたのだろうが、まさか東京のまん中で、そんなゆかしい行事がなされているとは、また、当意即妙の歌を詠みこなせる連中がいるとも、信じられないのだ。
「これをお召し下さい」女、祭壇から新しい犢鼻褌を取り出すと、仁太に渡し、今は毒皿の心境、臆する気持より、やはりカウンセラーとしては、見学しておきたい。「あの、ここで裸になりましてよろしいのですか」「どうぞ」女は、べつに視線をそむけるでもなく、そばにいるから、仁太、後を向いて洋服を脱ぎはじめる。「そのような異国ぶりを身にまといなさるから、なえ魔羅となるのです、これからは犢鼻褌さまを着用なさるように」「はい」「白絹のトクビコンこそ品よけれ、その下紐に忍ぶ大魔羅」一首詠じて、「さ、まいりましょう」仁太をさしまねき、廊下へ出る。
下は厚い絨毯だし、壁や天井もまったく近代的色調の中を犢鼻褌一つの仁太、心もとなくつき従い、ドアをいくつか通り過ぎて、突き当りの部屋に、女、まず首だけさし入れてのぞきこむと、「一座終ったところらしゅうございます、丁度よかった」つぶやいて、仁太の手をとった。
部屋は、何の飾りもなく、畳敷きで約五十畳ほどの広さ。しごく暗くて、眼のなれぬうち、よく見分けられなかったが、両側の壁に男女それぞれ七、八人が正座し、いずれも上半身裸体であった。すなわち男は犢鼻褌、女は腰巻きをまとうだけ、「見学の方は、こちらにおすわり下さい」入ってすぐの、椅子をしめされ、そこにでっぷり肥った先客が二人いる。
「歌垣第三座に入りまする」女の声がひびきわたり、「第一番は、まず口吸いでございます」なんとないざわめきが起って、それは三十一文字にまとめようと、いずれもぶつぶつと口のなかでつぶやく声音、しわぶきだった。仁太も、なにぶん元はもの書きだったのだから、少しはひねり出さなければ、沽券《こけん》にかかわる如く思い、口吸いつまりキッスのことであろう、たしか川柳にはいくらも描写されていたと思うが、和歌ではあまりきかない。「口吸うといえば首ふりいやいやを、しつつこばまぬ乙女なりけり」取りあえず五文字七文字ならべてみて、うんざりする。これでは戦前の少年雑誌にあった滑稽和歌同様、もう少し形にならぬかと、頭をひねり、古い名歌を思い浮かべる。戦時中、やたらと勇ましい和歌を暗記させられていたから、うろ覚えに残っているのは、色と関係ないものばかりで、仁太つくづく教養のなさを恥じ入った。
二、三歳年上の連中は、特攻などで散華《さんげ》する前に、必ず辞世の一首を遺したものである、いざとなればできるものなのか、それにしても、日本人は何故、死ぬ前に歌を作るのだろうか。男女交合のきっかけも歌であるし、このことを研究してみると、おもしろいかも知れぬ。俳句より和歌がえらばれるのは、最後の七七が、いかにも決然とした意志の表明にふさわしいからだろう。「へちま咲いて痰のつまりし仏かな」よりは、「今日よりはかえりみなくて梓弓、亡き数に入る名をぞとどむる」とした方が死に易い。
仁太、うろうろと考えるうち、男の一人が手を上げ、部屋の中央にすわった、これも巫女姿の女がうなずくと、朗詠をはじめた。「口吸えば、鼻息の音嵐山、散り乱れたる桜紙かな」二度くりかえす。鼻息を嵐と形容して、桜と受けるなど、巧者に思え、しかし、口吸っただけで桜紙を必要とするなど、早漏であろうか。「お返しいたします」女がいって、「口吸われ、解かんと思う下紐に、はやぬらつきのさわる口惜しさ」女も、早漏とこれを解したらしい。
「ではつづきまして、月のさわり」なんとメンスを和歌に仕立てるらしい。「水の月、すくわんとせし猿猴《えんこう》の、なげきを思う月の水かな」端にすわった男が意気揚々と詠じ、「いいかねて、顔にちらせし紅葉《もみじば》の、紅《くれな》いにこそ判じたまえや」打てばひびくで、女が返す。「初夜」また題がかわって、「いつわりて佳きを痛きによそおえど、腰のうねりにあらわれにけり」「ぬらぬらと時雨《しぐれ》そめたるまたぐらを、傘さしかけて分け入らんとす」中央の女、首をふって、「時雨と傘はよろしいけれど、初夜には関係があうまいと思われます」いちゃもんをつける。「新割られ後架へ立ちしまたぐらに、ひとすじ紅き糸のあらわる」これは、あらわれの語呂合せだけのことだろう。
題材は十二用意されていて、まず男が詠じ、女が返し、時に、中央の女が、賞めたりけなしたりしながら、最後のやりとりが済むと、「このたびの秀歌は、当てがきに決りました」宣言して、男女一人ずつが立ち上る。「では、お下りください」犢鼻褌男と腰巻き女、手を取り合って隣部屋へ移り、残された者は、ほっと溜息をついた。
「あれは?」仁太、かたわらの女にたずねると、「めでたく敷島の道にかないました由、結ばれなさるのです」「女性は、こちらの巫女の方ですか」「いえ、犢鼻褌様は、女の悩みもお救いいたします、あの方は、不感症でいらっしゃいましたが、きっと色の心を会得なさいましょう」「男の方は、やはりインポテンツですか」「いえ、お歌にもあらわれておりましたように、当てがきが過ぎて、本来の道を見失われたのでございます。あの方も、もう三月になりますか、はじめは敷島の道にもとんと心もとなくていらっしゃいましたが、御精進の甲斐がございましたね」その歌というものは、「空契り果てにし後はひたぶるに、心悲しも指のきぬぎぬ」で、「なか指の半ばふやけし契りかな、くじるばかりにじれる夜もあり」が、返しの一首。
仁太のもとにも、当てがきの、名人とでもいうべきか、これに溺れこんで、通常の営みがかなわなくなったという患者が、かつて訪れたことがある。「私自身は満足してるんだからよろしいが、女房がどうも苛立ちまして、家内に波風が絶えません。悪癖から抜け出る方法はないものでしょうか」相談を持ちかけたのだ。血気盛んな年頃に、身をもて余してのことではなく、中年になってまだマスターベーションをしつづける男には、性格的にいってケチな男が多い、つまり、女性のよろこぶ態《さま》を、快く思わないのだ。
仁太がそのことを指摘すると、合点いかぬように考えこみ、「どっちかというと気前のいい方なんですがねえ」「いや、本心はケチなのです、それを他人に気づかれたくなくて、金銭的には、鷹揚なふるまいをする」「ははあ」半信半疑の様子だから、「マスターベーションの時は、たいてい自分の好みの妄想を追うものですが、あなたの場合は、どんな風です?」たずねると、「妄想ねえ、あんまりそういうのは必要としませんな、むしろ場所です」「場所?」「ええ、歩きながらとか銭湯、ラッシュアワー、それからまあ、いろいろですが」「歩きながらできるんですか?」「これはいいものです、そのためにはズボンのポケットの、底を抜いておかなければいけませんが」男は、自分のそこに手をさし入れて見せる。
「まあ、歩きながらペニスをにぎりしめて、何時でも可能なようにしておきます。それで、まあ、歩行者天国のような、若い女がいっぱいいるところを、ぶらつきまして、これと思う相手の後をつけながら、はじめます」男、ポケットの手をうごかしてみせる。「あまりぴっちりしたズボンはいけませんな」「集中できるもんですか、人の沢山いるところで」「そりゃなれると何でもありません。これは愉しみなものですよ。よりどりみどり、好きなのをえらべばよろしいんですから。うまくタイミングが合いますと、そんな妄想など追わなくても、女の股倉から毛の生えかた、そのものずばりまで、はっきりすかし見えますからねえ」「へえ」「気をやる時は、でたらめな名前を呼ぶんです。たいていふりかえりますね、すぐそばでいわれるから。その瞬間に放ちます」しかし、ふりかえった女はびっくりするだろう、眼の前に、射精中の男の顔があるのだから。「気づかれませんか?」「いや、分りませんよ。ただ、後姿に惚れこんではじめると時に当てはずれがあります。近頃、婆ァのくせに派手な服着こんだのがいますからねえ」男、何を思い出したのか、げんなりした表情を浮かべた。
「銭湯ってのは、どうやるんです」「これは、やはりにぎりへのこで、十分に用意しときましてね、番台へ金を払う時に、さっと失礼する。まあ、どんな風呂屋でも、チラリとは見えますからね。これもスリルがありまして、乙なものです」ラッシュアワーあたりは、仁太にも見当がついたが、この他に「泊りがき」「ジャンがき」「けつがき」と、時と場所がことなれば、また同じ指技にしても味わいがちがうそうで、「泊りがき」というのは、友人の家で、その女房をながめつつ行う。「亭主をそばにおいといて、やるわけですから、おもしろいですし、『ジャンがき』は、麻雀のパイを片方で自摸りながら、片方で人こそ知らね、一物を自摸るわけでして、倍満くらいの手をつくってる時には、こたえられませんな、リーチをかけまして、捨てパイつもりパイのひとつひとつにしごきます。首尾よく上れば、そのとたんにこっちも頂上をきわめる。この時だけは、どんなに大声を上げてよがっても、皆、おかしくは思いませんからね」「じゃ、競馬なんかでもいいわけですね」「ありゃ早過ぎますよ、二、三分の勝負でしょ、もったいないです」「『けつがき』ってのはどうするんです」「これは私が発明したといってもいいんでしょうが、長年かきつづけたあげく、おかげさまでようやく到達できました境地」男は妙ないいかたをし、これぞ名人芸であった。なえたままのペニスを、尻へとまわして、こすり立てるのだそうで、「なかなかコツが要ります、硬くなってしまっては、とてもそんなことはできませんから、頭の中はからっぽにしておかねばなりません。そして、少しぐらいきざして来ても、そっちに心をとられてはならぬ」無念無想でつづけるうちに、「ドッカンと、こうはじけとぶような感じで、クライマックスがやって来ます。これに較べたら女なんて、問題じゃない」男、吐き捨てるようにいっていた。
よほど惚れた女と、首尾をとげるのででもなければ、男は、女体を抱きながら、あれこれ別の世界をさまよって、ようやく昂まりを得る。考えようでは、マスターベーションと変りないのだ。しかし、この患者のように、ひどく即物的な刺戟がないと、それもしばしば公開の場所でなければ、愉しめないというのなら、確かに女房を抱きにくいであろう。そして仁太は、歩行者天国の中で、よりどりみどり、好きなタイプを探し、こっそり放つという方法に、なにやら魅力を覚えさえした。
「いたしかたありませんなあ、それだけ愉しんでいるなら、少し奥さんにがみがみいわれたって我慢しなければ」仁太、匙を投げていうと、患者わが意を得たりというように、にっこり笑って「そうですか、いっそ別れちまった方が、お互いのためですかな」そして、折角ここまで研究したのだから、さらに努力して、「手淫道」とでもいう一派を創立し、その家元になりたいという。「ホモセクシュアリティとかマゾヒズム、サディズムについては、近頃、世間も理解し、商売にさえなっておりますな。しかしマスターベーションだけは、まだ日かげのまま取り残されております。大人の玩具をみても、女のための独悦具はあるけど、男のそれはない。ゲイバアがある以上、手淫バアがあっていい、レスビアン小説があって、手淫小説のないのは、どういうわけです」あたかも、手淫の市民権獲得のために、立候補しかねまじき勢いとなり、その後、仁太を手淫道の理解者とみなしたのか、「千摺百種」と題するパンフレットを送ってよこし、それにはくわしい手段、タイミングのはかりかたが解説されていた。
「歌がみとめられなければ、いつまでたってもあぶれたままでいるわけですか」見学終えて、もとの部屋へもどった仁太と、でっぷり肥った先客二人、こもごも歌垣のやりかたについて説明を求める。「私は、都々逸なら少しつくったことがあるんですが」先客の一人がいうのを、「あのようにいかがわしいものは、百害の元でございます。男のますらおぶり、女のたおやめぶりは、三十一文字の中にこそあらわれるものです。遊里の戯《ざ》れ唄など、とんでもありません」女、手きびしくたしなめ、仁太、いささか馬鹿馬鹿しくなる。
苦しまぎれに三十一文字をひねくり出すうち、自分の潜在意識の中に眠っていたものが、ひょっこり浮かび上り、それが抑圧をとりさる効果もたらすと、考えられないでもない。しかし、要するに歌垣とはいっても乱交パーティみたいなもの、そうえらぶることはないだろう。正体見きわめた感じで、どこまで本当なのか分らぬナツメの実だけ、うやうやしくいただくと、金二万円なりを支払って、退散したのだ。
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セーラー服神話
まだ陽は高いから、仁太、かねて講演をたのまれていた女子高校へ足を向ける。はじめ高校生だけが対象なのかと考えていたら、中学生も聴講するといわれ、さて、十二、三から十七、八と、もっとも変化のはげしい年齢層を相手に何をしゃべればいいか、見当もつかず、すると、仁太の大学同級生であるそこの教師が、前もって見学するようにすすめた。「お前、女学生などしみじみ見たことはないだろ」と、いわれてみればその通り、女学校の校庭に足ふみ入れたことすらない。「体操の時間なんか、いいんじゃないか」「ブルーマなのか」「まさか、キュロットっていうのかなあ、半ズボンみたいな」同級生、仁太の無知を笑いつつ、「ブルーマかあ、なつかしいねえ」昔をしのぶようにいった。
その女子高校は、戦前から名門とされ、生徒に美人の多いことでも、有名だった。静かな屋敷町の中にあって、近づくにつれ、下校する、これは付属小学校の児童らしい姿が増え、その流れに逆らうようにして歩くのは、仁太一人。講演の下打合せだから、何も恥ずべきことはないと、自らにいいきかせつつ、古めかしい校門の前に立ち、はるか昔、同じようにして、ここまでやって来たことをよみがえらせる。昭和二十二年の初夏の頃で、戦後すぐ、中等学校では、対抗討論会なるものがしきりに行われ、これはまた、男女共学への下地づくりをも兼ねているようだった。それまでまったくの別学、戦争に敗けて、すべての道徳秩序がひっくりかえっても、男女不同席の考え方だけは残り、うかつに女学生と口きこうものなら、軟派とみなされ、予科練がえりにぶんなぐられたものだった。しかし、討論会を口実にすると、男女それぞれ学校を訪問することができて、仁太たち五人、この名門校に討論を申しこむためやって来たのだ。空襲を受けなかったから、古い校舎のたたずまいといい、また、尼さんが二、三人連れ立って校庭を横切る姿といい、中学の雑然とした雰囲気に較べ、あまりにも別世界の印象、前もって連絡をしておいたのだが、とても踏みこむ勇気がない。ようやく一人が、下校するらしい女学生に、担当教師の名を告げ、どこへ行けばいいのかたずねたのだが、「私、存じません」こちらの顔も見ずにすげなくいって、歩き去った。今思えば、失礼な話だが、そっけない相手の態度が、しごく高貴に思え、うっとり後姿をながめるだけ、結局、早々に退散したのだ。
再度の挑戦、というほどの気持もないが、つい一息入れて、歩をすすめ、校舎のほとんどは新しくなっていて、全体にせせこましい感じだった。用務員の老人に、来訪の目的を告げると、すぐ応接室へ通され、窓の外にバスケットの練習をする生徒の姿が見える。仁太はついその入り乱れる体操着姿のはずれに、制服がひっそりと見学しているはずと、探し求める。生理中の女学生は、体操をしないと、かつてきいたことがある、しかし、いっこうに見当らず、とたんに、体操しているところを、じっくりながめ入るなど、痴漢的ふるまいに思われぬかと、椅子に腰落着ける。女学生についての神話を、ずい分教えられたものだった。教室に一歩入ると、異様な体臭が立ちこめていて、思わず息がつまる。教師は万遍なく視線を、生徒に向けていないと、誰それをひいきにしたと、たちまち密告される。そのトイレットには、電球やナスビが捨てられているし、上級生の下足箱にはよく下級生からの恋文が入っている。
「やあ、忙がしいかい」すっかり腹の出た友人がやって来て、古い妄想追い求めていた仁太にいい、「いや、まあまあ」うろたえるのに、「丁度よかったなあ、今、もめごとがあってね」「何?」「中二の教室に猥本が落ちてたんだ」「猥本?」「それも生徒が書いたものなんだなあ」「へえ」何とか、気の利いたことを口にしたかったが、相槌を打つだけで精いっぱい。「題名はオチンチンていうんだ、なに、たわいないもんなんだけど、大袈裟にさわぎ立てる教師がいて、何分うちは堅いからねえ」「まわし読みしてたのかい」「そうだろ、よくあることだけど、自作ってとこが珍しいなあ」読んでみるか、参考になるだろうといわれ、「いや、およそ見当はつくさ」「絵入りでね、近頃の子供は絵がうまいから」子供でなくても、ノイローゼに悩む女子大生など、自分の見る夢とか、性的妄想を字より、絵であらわすことが多く、なまじ克明に描写されているから、通常の春画よりはるかに猥褻感が強い。「俺たちの時はどうだったかなあ」仁太、自分の中学二年当時を思い出そうとしたが、「比較にならないよ、中二ってのはいちばん好奇心が旺盛なんだな、弁当の時間なんか、もっぱら話題はセックスらしい」「じゃ、経験者も多いのか」「それは、いわれてるほどじゃないだろうな、少なくともうちは」友人、かばい立てするようにいい、「突拍子もないのも出るけれどねえ、夏休みにゴーゴーガールをやってたのがいたし」
とにかく、教室を見てみようと、廊下へ出ると、ベルが鳴って騒音があたりに充ち、どやどやっと走り出たセーラー服に、仁太とりまかれる。いずれもむくむくと小肥りしている感じで、姦しく交わすその言葉まではきき分けられず、なにより年の見当がつかない。押し流されるように歩き、便所から手をふきつつあらわれる姿を見ては、眼をそむけ、走るにつれてひるがえったスカートの裾に、ちらりと太ももがあらわれると、また同じくし、「こっちが化学実験室、左は雨天体操場になってる、これじゃしょうがないなあ」友人、手近のグループをつかまえて、時間割を確かめ、「そうか、文化祭の準備委員だったな、君たち」仁太に、「この連中と少し打合せしたらどうだい、その方が手っとり早いだろ」「しかし、俺はまだテーマも決めてないし」女学生たち、疑惑に満ちた視線を、仁太に向けているように思え、心弱くこたえると「今度、講演をして下さる先生だ、女子高校ははじめてだっておっしゃるから、下見にいらした」「よろしくおねがいしまあす」一同、ぴょこんと頭を下げ、「はあ、こちらこそ」「先生は、セックスカウンセラーなんですって?」眼鏡をかけた一人が大声でたずねる。
「ねえ、どういうことするの? 教えてえ」「どんな人が相談にくるんですかあ」口調だけを耳にしていれば、少女のものにちがいないが、仁太、女子高校の廊下でこんな質問受けるとは想像もしていなかったから、身の置きどころに窮し、「まあ、そうあわてないで、さっきの部屋でいいだろ」元へもどり、「まあ、ぼくがいない方が話しやすいだろ、何でも自由に質問して」半ば以上、仁太に向けていうと、友人は去る。六人の女学生、さすがにかしこまった感じ、互いに小声でしゃべり交わし、仁太は自分がかなり逆上していることに気づいていた。「あなた方は、何年生ですか」「二年です」二年といえば、昔の高女で五年生、年いうと数え十八、十八ならもう子供を産んでもおかしくはなかったはず。「カウンセリングして下さるんですか?」一人が、きれいな発音でたずねる。「そりゃまあ、御希望なら。でも、いっぺんに大勢ってわけには」「ねえ、うちの先生をしてさし上げたら?」「そうよ、その必要大ありよ」「みんな、気持わるいんだから」「ほんと、中野なんてなによ、あれは」「欲求不満の変態婆ァじゃない」「かわいそうねえ私たち。まだ二年教わるのよ、ゲーッ」「横井もおかしいわね」「あんな腹ぼてで学校へやってくるんだもん、教卓にどっこいしょって、お腹のせちゃってさ」「そうよそうよ、そのまま黒板に字書くから、はすっかいになっちゃって」口々にいったあげく、「ねえ、やったげなさいよ、カウンセリング。それやるとまともになるんでしょ、私たちのためにもなるし」「もうヒイヒイいってるんだから」
「それはみんな女の先生?」「そうねえ、男だって」といいかけ、仁太の友人を思い出したらしく、「あの先生は立派よね」「そう、やさしいし。でも例外よ、他はなんか気取り馬鹿にうぬぼれ馬鹿」「おかしかったわねえ」新任の若い教師を、みんながちやほやすると、その教師はわざわざ教壇で、「私は教える立場にいる者です、いかに好意を寄せられても、垣をのりこえるわけにはいきません」といったという。「それで、二、三人が泣き真似したの、そしたら」説明する女学生、こらえきれずに笑い出し、「失恋は、限りなく美しい青春の花である」別の一人が唄い上げるようにいった。「わるいわよ、あの先生は純真なだけよ」「何いってるの、あんたこそ先頭になってやったくせに」「気取り馬鹿にくらべりゃマシね」気取り馬鹿というのは、背広とズボンの端片《はぎ》れをつぎ合せた、ネクタイをしめてみたり、黒板に字を書く際、小指をぴんと立て、食事の時、食塩の瓶を、まず右手で持ち、左でその手首をポンポンと叩いて使用する。「この馬鹿に、先生は怒ってらっしゃる時の顔がすてきっていったら、いちいち気取って怒るのよね、そっ歯をもぐもぐ隠しながら」きかされて仁太、いたたまれなくなり、自分だって後で何をいわれるか、分ったもんじゃないと、身がまえつつ、きわめてさりげない風を装う。
「でも女よねえ、おかしいのは、うちを出てねえ、女子大へ入った方が、卒業して、先生になることがあるのよ。こういうのサイテエ、妙に好奇心が強くてねえ、フランス語でメートルといったら、まあ主人でしょ、これが女性形になると情婦になるわね、その説明を延々としちゃって」「そうそう、性行為を伴う恋人といえばいいかしらだって」「おトイレの話の好きな奴もいるの、美人なのにねえ」「誰?」「片桐倫子よ」「あー、おトイレじゃなくて、排泄物でしょ」「そのくせ、礼拝の時、感激しちゃって泣き出したり、さっぱり理解できないわ」「校医もいやね、ニタニタ笑ってばかりいて」「人権蹂躙よね、ブラジャーまでとらせるんだもん」「ねえ、先生のお話うかがいましょうよ、折角、打合せに来て下さったんですもの」一人が制止すると、ぴたりと静まり、「何かお話して下さい」ひどくあどけなくいう。
「いや、ぼくは、男女共学を知らないもんだから、女学生にあこがれてましてね」「中年の人ってよくいうわね、パパのお友達もそんな話してた」「セーラー服を見ただけで、上っちゃうようなところがあります」「嘘」「いや本当ですよ」「汚ないのよ、これ、紺だから目立たないだけ」「それでその、何をしゃべっていいか、なにしろ中学一年から高校三年までを相手にするというと、見当がつかなくて」「あら、先生の御自由でよろしいのよ、どんなお話だって、みな期待してるんですもの」仁太、からかわれているように思い、こうなったらどう軽蔑されようと知ったことではない、とにかく宝の山に入りこんだのだからと、「たとえば、中学一年の性意識なんて、どんな風です?」「中一? さあ忘れちゃったなあ」「中学二年が、いちばん好奇心旺盛とかってきいたけど」「そうそう、そんなことばっかりしゃべってたわね」「堅い人の方が、凄いこというのよね、テクニックとかいっちゃって」「高二と高三は、生理の手当てがちがうわ」「それはどういう風な」「高三になると、タンポンが多くなるみたい」「あれ、ちょっと勇気いるもんね」「伝染するのよ、あれ。誰かがはじめると、まわりにひろがっちゃって、C組なんか多いらしいわ」「煙草喫いはじめるのが高一かな」「私は中三だった」「お酒は、パパと一緒に小学校の時からよ」「それは、お父さんがおもしろがって飲ませたの」「うーん、飲み過ぎるといけないから、たすけたげたの、私わりに強いのよ」「本当、はらはらしちゃう、ウイスキーがぶがぶ飲むんだもん」「あれは眠れない時よ」「中三で外泊しはじめるんじゃない? お友達のところで勉強するって」「外泊? 男性と?」仁太、仰天したが、「まさか、本当にお友達の家ですよ、誰だっけ、レズの写真とった人」「ああ、裸で抱きあったとこ撮って、学校で現像した人いたわね」「馬鹿みたい」
あまり雑多な情報を与えられて、仁太混乱し、講演については、ますます自信がなくなる。「先生の家にお電話してもいいですか」「ええ、どうぞ」「奥様に叱られない?」「そんなことはないさ」「先生、気をつけた方がいいわよ、彼女、電話魔なんだから」「失礼ね、そんなにかけないわよ」「電話魔って?」「お小遣いの大半、公衆電話に使うんだもん」「まさか」大して否定もしない。作家、芸能人の家ヘファンや外人を装ってかけ、その反応を楽しむのだそうで、「小説家がいちばん話相手になって下さるみたい」質問に素直に答えてくれるという。まああまりもてない種族だし、読者と名乗られれば、一も二もなくありがたがってしまう覚えは、仁太にもあった。
一時間ほど話をきいて後、友人を探してもらったが見当らず、そのまま帰ろうとすると、二人連れの女学生、「お家はどちらですか」たずねかけ、途中まで一緒してもいいかという。セーラー服を従えて歩くなど、今にも補導連盟に詰問されるような怯えを感じたが、他人がみれば教師と生徒に受け取るはず。「先生、今度あそびに行っていいかしら」「前もって時間が分ってりゃね」「私たちもいろいろ悩みがあるんです、教えていただきたくって」小羊風にしおらしくいい、「親にも相談できないしねえ」別の一人も、相槌を打つ。これまで仁太のもと訪れる患者のすべて、若いといっても女子大生どまり、女子高校生については経験がないから、あるいはよくあるように、性器の異常とか、オナニーの被害妄想をもちかけられるのか、仁太、どうこたえりゃいいものかと、あらためて二人をながめたが、およそさっきあけすけな話題に興じていたとは信じかねる無邪気な表情、眉に唾をつけたくなった。
「お前の女学生時代はどうだった?」家へもどると、仁太、敷島の道と、女学生ポルノがごちゃまぜになり、しごく疲れていて、ぐったりすわりこんだまま、妻にたずねてみる。「どうだって、何が」「何年くらいから、異性を意識するようになったかっていうこと」「そうねえ、やっぱり二、三年かしら、具体的には痴漢に狙われるようになるのね、その年頃で。それまではワイワイしゃべってるだけだけど、実際に手をにぎられたりして、男についての認識を深めるのよ」「必要悪みたいなものか、痴漢も」「そうねえ、百の性教育より、一人の痴漢かも知れないわ。お互いに経験をしゃべり合ううちに、男の全体像が浮かび上るの」「じゃ、ひどく助平な存在として、まず考えるわけだな」「特にそうも思わないわね、こっちだって狙われてほっとしてるんだから」第二次性徴もさることながら、いつまでたっても手一つさわってもらえぬ女学生は、肩身をせまく感じるものだという。
およそ、妻としゃべって、疲れが治るなど覚えのないことだったが、この日ばかりは、女学生についてのイメージの錯綜を、妻の言葉で整理したく思い、なにやかや報告し、「中学二年ていうと、もうちゃんと毛も生えてるんだろうなあ」つい、つぶやいたその表情が、よほどいやしい色を浮かべていたのだろう、「なによ、そのいいかたは。カウンセラーなんて、えらそうな横文字使ったって、結局、興味本位なんじゃない」妻、うってかわって険のあるものいいをし、「そりゃ男だから、少しは興味も」「へえ、中学二年がお好みなの、狒々《ひひ》親父、今に週刊誌でやられるわよ、カウンセラーを装い猥褻行為だなんて。そうなったら私、子供連れて死にますからね、それだけははっきりいっておきます」「なにを馬鹿馬鹿しい」「そんな女子高校でしゃべるなどやめて下さい、どうせろくなこといやしないんだから。ホステスを口説くだけの器量がなくて、子供を相手にするなど、みっともなさ過ぎるわよ」何をいっても火に油を注ぐありさま、ようやく自室に逃げこむと、すぐ後を追うようにして、「あなた、口先きばかりじゃなかったのね、本当に誘惑する気?」ひきつった顔で、妻がいう。「少しは冷静になれよ、あの学校には、俺の友人の」「じゃはっきり私の前でいって下さい」「なにを」「電話がかかって来てるんです、お好きな女学生から、失礼な電話よ、私を女中とでも思ったのかしら」「忙がしいっていって切れよ」「ごま化しても駄目、はっきり講演は断るっていいなさい」
「先程はどうも」きき覚えのある声が、受話器からひびき、仁太ちらりとかたわらを見ると、わが横顔にらみすえる妻の視線にぶつかって、「ちょっと今忙がしいんだよ」当りさわりのない台辞つぶやいたつもりだったが、「私、そんなこといえっていってないでしょ、断るんですよ、講演会を」「じゃ、切るよ電話」「どうしてぇ、ねぇ、忙がしいって患者さんが来てるの? どんな人?」「何故断れないんです、何かうしろめたいことでもあるんですか」「カウンセリングって、どんな風にやるの、やってみてぇ、いや、ごめんなさい、やってみせていただけません?」「いくらでも理由はつくでしょ、嘘つくの上手じゃないの、原稿がおくれた時なんか、でたらめのいい放題いうくせに。もっとも、その報いでしょうけどね、注文のこなくなったのは」「どうしてだまってらっしゃるの、何かお話してえ」受話器の向うで、ひそひそ話合う声がきこえ、妻はさらにすさまじい形相で、つめ寄る。どうしてこんな破目になったのか、仁太茫然とする思いで、ただ、心当りはこの二週間ばかり、妻に接していないことだった。二、三日前から、その苛々している感じはよく分り、だから昨夜も、抱こうとしたのだが、カウンセリングの後は、つい酒を飲んでしまうから果せず、酔いにまかせて寝入る時、不吉な予感があったような気がする。「何をぼんやりしてるのよ」妻の声と、受話器の向うでは選手交替したらしく、「パルレブーフランセェ」やわらかいひびきが伝わり、これをしおに仁太、「後でかけて下さい」フランス語でつぶやき、何かいいかけるのを、無視して電話を切った。
「何よ、今のは」「断ったんだよ、あの学校はフランス語が必須課目なんだ、あんまりこっちがだまってるもんで、フランス語でしゃべりかけてきたからさ、フランス語なら断っても角が立たないと思って」「どうして角が立たないのよ、卑怯な人ねえあなたって、私に分らないように、外国語で逢い引きの打合せするの」妻の口調陰にこもり、なるほどいわれてみれば、妙な理屈にはちがいない。「とにかく、講演には行かないからいいだろ、それで」「分るもんですか、近頃の女学生って開けてるらしいから、それに、あの年頃は中年に興味を持つものなのよ、そうそうあなたに見せてあげるわ」妻、席をけたてて立つと、小冊子を手にしてもどり、「こういうのが配られてるんですからね、あなたが狙ったって無理というものよ」仁太の膝元へほうり投げる。
表紙に「美しい成長のために」とあり、目次をながめていると、「ここんとこよ、よく読んでごらんなさい」妻はよほど熟読したらしく、手ぎわよく中ほどを開いて突きつけた。「年輩の男性」なる項目があり「ずっと年が上の男性とおつき合いすることは、ある意味で、同じ年頃の場合より危険です。あなた方は、ついお父様のつもりで、安心し甘えた気持になり易いのですが、いくら年をとっていても、男性にはちがいありません。特にお酒を飲んだりすると、まさかと思うような、行動にでますし、手練手管も上手なものです」以下、克明に中年男の心理を紹介し、最後に「手練手管」を「人をあざむき惑わす手段術策のこと」と解説してある。発行所は、「純潔教育普及会」というもので、仁太つい苦笑すると、「いやあね、男って」妻は、まるで自分が、中年男に見こまれた小羊の如き表情を浮かべ、「あなたが、いくら頑張っても無駄って、よく分ったでしょ」何をいってる、創作ポルノグラフィをまわし読みする連中に、「手練手管が上手」もくそもあるものかと、仁太片腹痛いが、取りあえず、妻の気持落着いたようだから、「お前の頃にも、こんなのが配られたのかい?」「冗談じゃありません、私たちはしっかりしてましたからね。あなたなんか本当にありがたいと思ってくれなきゃ、清浄無垢のまま上げたんですもの」うっとりマリア様を気取る。ずい分ソバカスが増えたと、その顔ながめつつ、仁太手をとって引き寄せれば、「夜まで待って、ねえ、待てないの?」急に油ぎった声と変り、しどけなく体をくずした。
やはり女学生を身近にして、刺戟を受けていたのか、常よりは雄々しくふるまえて、しかし、おもむくままに身をゆだねれば、また事態は悪化するだろう、旱天の慈雨はもっとも効果的に降りそそぐ必要があるのだ。仁太、手をのばして小冊子を手にとり、頁をめくると、「春、万物よみがえるこの季節を迎えて、あなたはまた一歩、女としての成熟がすすみます。何年か前のある日、あなたの体に大きな変化が起りましたね。あの時のおどろき、そして喜びを、思いかえしましょう。初心を忘れぬことです」あの時というのは、初潮のことだろうか、仁太、考えつつ、妻が自らの好みに従って、体うごめかせるのに応え、心中なかなかいいことをいうと、考える。「何年か前のある日、あなたの体に大きな変化が起りましたね、あの時の恥ずかしさ、痛みを、思いかえしましょう」とすれば、世の人妻全部に通用する、初心を忘れるから、そのように取り乱すのだ。「夏、万事開放的になり易い季節です。あなたの何気なくあらわにした肌の色、またポーズが、思わぬ波乱を呼びます、男性は視覚によって刺戟を受けることが多いのです。ノースリーブの腋の下、タイトスカートの線などに、淫らな視線が集ります」
仁太、妻のあらわな下肢を、ふと見やり、うんざりして、いったいこの本を書いた人は何歳くらいなのか、さだめしナントカ母の会という組織のお偉方なのだろう。かつてTVの座談会で会ったことがあるが、付添って来た三人の娘は、いずれもオールドミス、昔の娼婦の如き厚化粧をし、しごく無表情で気味わるかったことを思い出し、とたんに「どうしたの、これからっていうのに」妻、情けなそうな声を出す。つい、意気なえてしまったので、仁太、必死に女学生の体操姿を追い、すずやかな声音よみがえらせ、さらに頁をくると、「純潔とは何ぞや、純潔とは、女性のみに与えられた、心のやすらぎをいう」「希望とは何ぞや、それ希望とは、しあわせな結婚へいたる道しるべをいう」辞書には見られないような定義が記されていて、最後の一頁には、もんぺまがいのズボンをはき、またロングスカート着用の若い女性が、うれしそうに結婚の門へ歩み、そのはるか後方に、どうやら敗戦直後のパンパンを模したらしい女三人が、泣きくずれている絵があった。いったいどこが、こんなパンフレットを印刷するのかと、奥付を見たが、それはなくて、ただ寄付を受けた名のみ記され、すべて公営ギャンブルを主催する団体だった。
「さあ、御飯の用意しなくっちゃ、ねえ、あなた何召し上りたい?」体を離した妻は、しごく上機嫌でたずね、「何でもいいよ」あまりの現金さに、鼻白んで仁太こたえたが、「そう、じゃまかして頂戴。栄養つけないとね、何しろ神経を使う御仕事なんだから」鼻唄まじりに妻台所へ向う。まったく、チャーチルの肺炎に対し劇的効果をあらわした初期ペニシリンの威力と、同じくらいによく効くもので、まだあらわなままのペニスを、仁太つくづくながめ入る。「あら何なさってるの、エッチねえ、パパは」すぐに妻もどって来て、にこやかにいう。自分のものを自分でながめて、何がエッチかと、また腹立たしくなったが、「はい、お手紙が来てますよ。ちゃんと返事書かなきゃ駄目よ、日頃の積み重ねが大事なんだから、何なら、私、代筆したげましょうか」妻あくまではしゃぎきっていた。
自分の感情の移り具合を、こうまであらわにして恥ずかしくないのだろうか、それとも中毒みたいなもので、セックスの前と後では別の人格になってしまうのか。これではジキルとハイドもはだしで逃げ出すだろうと、仁太は考え、しかし、とにかく家内安全に保たれるなら、めでたいにはちがいない。胸なで下して、手紙の束をながめれば、凶刃に倒れた革新政治家の、胸像設立趣意書、純金メダル販売の案内、それに三通の私信で、うち一つは、見るからにノイローゼ患者の筆蹟だった。
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スワッピング
なれてみると、顔色表情口調、それに字でおおよその見当はつくもので、患者の多くは、細かい字を書き、しゃべる時、不必要に語尾がはっきりしている、「のではあるけれども」とか「分らないのでありますです」と、きっぱりいい、そして上目づかいで人をながめる。細かい字は後まわしにして、男の手になる一通をひらくと、カウンセリングの申しこみで、「恥を申し上げるようですが、私たち夫婦は、ホモビアンとでもいいましょうか、一風変った性癖の持主でありまして、先生に御面談の上、御教示ねがいたいのです」という。くわしい説明はされていないから、見当のつけようもなく、あるいは亭主がホモで、女房がレズの男役なのだろうか。最後の手紙は、月に一、二通、自分の性生活の克明な記録を送ってくる団地夫人、一種の露出狂なのだろう。
妻が食事の仕度ととのった旨、大声でさけぶのと同時に、玄関のベルが鳴って、出てみると、獣姦の画家が、しょんぼり突っ立っていた、「どうしました」「ええ、また御相談にのっていただきたいと思って」「今、食事してるんですが、お待ちいただけますか?」「どうぞごゆっくり、私は駅前のレストランで、いっぱいやってますから」今度は、火急の用でもないらしい。後で、仁太もレストランヘ出向くことにし、食膳につくと、レバー、山の芋、ピーマン、ケンチン汁と、いかにも失われた三CC分の栄養、いちはやく補いつけなければと、下心のうかがえる献立てだった。
江戸時代の文献によると、当時は性の禁忌が沢山あって、よく知られているのでは庚申様の夜がいけないし、五月五日七月七日の如く、月と日の重なるのも駄目、他に日蝕月蝕、節分、土用、寒の入り。雷の鳴る日、きのえ子《ね》、かのえ申《さる》の日が駄目、仏事の前後、井戸替えの前後、旅立ちの前、灸、鍼《はり》の後、風邪ひき食当り、深酔い、びっくりした時、眼、歯病のある時、落胆の時、走った後、力仕事の後、及び産後三十三日、産前二十日間は交わってはならぬ。ざっと数えて、年に半分以上はいけないのだし、これに月水が加われば、亭主たるものずい分肩の荷が軽かったわけである。現在の如く、メンゼスの際もさしつかえないといわれ、年中その気になっているから、女房族は苛立つのではないか。今こそ迷信をよみがえらせ、あれこれこじつけて、その日に交わると、交通事故に遭うの、肌が荒れるの、女性のもっともいやがることにむすびつければいい。恐妻のいちばん大きな原因は、女房の欲望に応じきれぬ、亭主のひけ目にあることは確かで、今や、アリストファネスの「女の平和」など、まったく想像もつかない。ギリシャの女房たちは、男が戦争ばかりしていることに業を煮やし、ベッドインを拒否し、平和をもたらしたというが、現在ではむしろ、女房から逃げたくて、戦争おっぱじめかねないのだ。
妻のあれこれとすすめるのも、わが睾丸を肥らせたい所存と思えば、砂を噛むようなもので、「もう一人、相談にのらなければならないから」仁太、そそくさと席を立ち、すると妻は、「あら、少しは落着いて下さいよ、親と子供の対話を、心がけないと非行に走るんですってよ」勝手に、走りやがれとばかり、無視して、画家の待つレストランに入ると、ストレートをあおっていて、見るからに悩み深げだった。「どうしました」「いや、どうもまいりましたな」あるいは、あの犬から悪い病気でもうつされたのかと、たずねたが首を横にふり、「もうあれはこりごりです、やはり人姦にかぎります」妙ないいかたをする。「実は私、これは嘘いつわりなく、芸術の方のインスピレーションを得たくて、考えついたことなのですが」雑誌ではよく読む、ワイフスワッピングを企てたという。「私の友達にも、話の分るのがおりますから、はじめ冗談めかしてもちかけてみたら、二人が乗気になりましてね」「でも、奥さんを説得するのがたいへんでしょう」「いやあ、みんな貧乏時代にむすばれたんですし、そう氏素姓の確かな女房でもありません」それぞれの妻に話をすると、やはり、話にはきいて好奇心をいだいていたらしい、案外、あっさりと承知したらしい。
「こういう点は、日本もさばけて来ましたなあ、むしろ男の方がおたおたしちゃって」つまり、一人は自分が人より短小だと信じこんでいて、あまりに他の二人が偉大であれば、以後、妻が文句をいうかも知れない、あらかじめ調べさせてくれと、申し出た。「アトリエで寸法の測りっこしたんですが、あんまり差はないものですな」一同、納得し、すると別の一人が、「技術面においても、制約を加えよう、あまり妙なサービスをされてだな、その味を覚えられてしまうと、これまた面倒臭い」これも、もっともな話だから、もっぱら正常位と決め、時間は十分、これ以上かかった場合は、引き離すことにし、「ありゃ妙なものですね、私だって、妻の癖はのみこんでおります、どこをどうすればと、教えてやってもいいのに、知らん顔でいましたな。やはり、妻にとって自分がいちばんの男と、思わせたいのですなあ」画家、他人ごとの如くつぶやき、スワッピングは、あるホテルの一室を借りて、適当にパートナーチェンジをしながら、スムーズに運んだという。
「眼の前で見てる分には、女房が他人に抱かれても、そういやな気もしませんねえ。もっともみんなキョロキョロ人の姿ばかり見ていて、首の筋が痛くなりましたが」ところが、後になってトラブルが出来《しゆつたい》した。「友達の女房が、私ともう一度、逢いたいっていって来たんです。なにしろ、もうお互いに肌を知った仲だから、あまり気にもせず、一緒に食事しましてね、これまた不思議なことで、昼間会えば、ひどく新鮮だし、この前のスワッピングの経験は夢のように思えるんです。あらためて正式に口説いてみたくなって」先方も同じ思いらしかった。ふつう男女の間柄は、キッスで別れたなら、次ぎはそこからはじまって、先きへすすむものだが、この場合は逆、うっかり腕にふれるのもはばかられたという。
「ところが、その逢い引きを、女の亭主に見られちゃったんです。亭主はカンカンに怒ってましてね、私が逢い引きしている以上、彼にも私の女房を口説く権利があるという」もっともなことだから、画家が妻にその旨いうと、妻は妻で烈火の如くたけり狂い、「どうして、私があんないやらしいのと、食事しなければいけないのよ。あんたもあんたよ、よくも他人の女房ひっかけといて、そのうめ合せを私にさせるわね、人非人!」と、アトリエの中の絵すべてを八つ裂きにしたらしい。「どうも私、考えると訳が分らなくなるんですがねえ、いちばん最初に、私と彼女、そして彼と私の女房は、抱き合ってるんですよ、今さらどうこういうことはないように思うんですが」友人は、最愛の妻にちょっかいを出した不倶戴天の輩《やから》とみて、罵倒するし、妻はまた、自分の保身のため、人でなしなことを命じたと信じこんで、憎しみを駈り立てている。
「なんとか、先生のお力でですなあ、理非曲直をあきらかにしていただけませんでしょうか」打ち明けられて、仁太も考えこむ。どっちにも理屈はあるような気がするし、みんながそれぞれ自分勝手にも思える、「もう一度、やってみたらどうです? スワッピングを」それしかないのではないか、仁太、ふと自分たちが加わったらどんなもんかと、想像した。
乱交パーティ、スワッピングなど、噂を耳にすることはあっても、体験者に出会ったのはこれが初めてで、仁太、画家にあれこれ質問しかけたが、唸り立てたり、口ごもってみたり、余りはかばかしい返事をしない。「きっかけはどんな風につけるものですか」「素面《しらふ》じゃ具合わるいし、なんとなく」「組合せはあらかじめ決めて」「ええ、アミダくじでね」「アミダじゃ、本当の夫婦がぶつかることもあるでしょ」「二度つづけてそうなって、やり直ししました」アミダの線をたどったあげく、自分の配偶者にぶち当ったら、どんな気のするものか、仁太、その語感と実態にかなり隔《へだた》りがあるように思う。
画家の悩みごとはそのままに、もし自分たち夫婦がスワッピングを試みた場合を考え、まず仲間は、同じ世代であろう、二十代で新婚早々の夫婦が、相手になってくれるわけもない。職業柄、年恰好の近い夫婦とのつき合いが少なく、せいぜい子供の通う学校へ、父の日とやらに駈り出された際、その片割れを見た覚えがあるくらいのもので、陽光さんさんと輝く校庭でゲームに打ち興ずる父親たちの姿と、スワッピングは結びつきにくい。TVのスタジオから中継される、司会者中心のショウ番組、あれにはどういうわけか、主婦たちが駈り出されて、雛壇にずらりと居並び、見学しているけれど、連中の年齢は、ほぼ妻と変らない。仁太、そうよく観るわけではないが、しまりなく肥って、反っ歯むき出し、脚おっぴろげて、能もなくうす気味わるく笑っているばかりの、主婦たちを思い浮かべ、げんなりした。戦前だったか、あるいはこれは外国のことなのか、かつて、女がいちばん美しいのは、子供を一人産んだ後だと、きいたことがあるが、現代の日本に於ては、まったく通用しない。考えるうち、仁太は、自分がTV番組に出演した際、やはり主婦が何人も来ていて、一種の討論を行ったことを思い出し、それはまったく悪夢の如き経験だった。
テーマは忘れてしまったが、やはりセックスに関することで、「性のよろこびは、本当に極めつくせぬほど、奥深いものでございます」やら、「夫に愛されている時にこそ、女の生命のほとばしりがあるのです」など、年齢不詳貫目またつまびらかならぬ手合いが口々にいい、連中は高い段の上にすわるから、長ズロースとでもいうのか、意気沮喪させる代物が視野にチラチラし、何をいう元気もなく、だまっていると、「先生の敗けですわね、土台無理なのよ、先生だって、女の股間から生れたのですもの」リーダーらしい枯木の如く痩せた一人が、怪鳥のような笑い声を立て、さらに終ってから、比較的若いグループが、「もう少しじっくりお話ししたいわ、先生にだけは、分っていただきたいの」ねっとり搦みつくような声で誘われたのだ。
仁太がスワッピングを試みるとなれば、まずTV主婦を相手どるわけで、これはもう苦行の部類だろう。アメリカでは、一夫一婦制を守りつつ、しかも人間性を取りもどし、また、孤立からまぬかれるための、輝かしい手段とされているらしいが、日本においては、まず無理だろう。それにしても、我が国の主婦は、どうしてこう醜くなってしまったのか。歩行者天国や、デパートで見受ける夫婦、あるいはこれから主婦を開始しようという新婚旅行のカップルでもいい、女の方がしゃっきりしている例は、まず皆無であろう。以前に較べれば、暇もできたし、贅沢について気がねすることない、化粧の時間にしろ、衣裳の種類にしろ、ふんだんに与えられているのに、ひどくみっともない。男だってそれは確かにくたびれている。だが、それなりに形が決っているが、女房の方は、醜女のばかはしゃぎといった態で、見てはいられないのだ。
「スワッピングというのも、たいへんなもんですな」仁太がつぶやくと、「楽しみは少ないですよ」画家も溜息をつく、「浅丘ルリ子、岩下志麻、岡田茉利子、佐久間良子なんてのが、加わってくれるとよろしいのにねえ」仁太はヤケクソでいい、「亭主がうんといわんでしょうな」画家、当り前のことをいう。「いや、実をいいますとね、私、近頃とんと性欲がなくなっちゃいましてね」画家、話題をあらため、「先日も、お恥ずかしいところをお見せしちゃいましたけど、せめて形式でも変えないと、まったくその気になれんのですよ」「奥さんに対してですか」「女房もそうだし、まあホステス、芸者なんかにもね、いくらかチャンスがないわけでもないんですが、おっくうさが先きに立って」「四十過ぎると、中だるみってのがあるらしいですよ」「先生なんか、いかがです」「まあ、浮世の義理だと思ってますが」「えらいですなあ」べつに賞められるほどのことでもない、こっちが妻をかまいつけない余り、浮気をするなら、まあ、それも止むを得ぬと思う。しかし、まず相手を見つけ出せないはずで、すると当るのは子供であって、仁太は時々、殺しやしないかと怯えを感じさえした。子殺しを救うための、一種の義挙のようなものなのだ。
画家は、そういう仁太の胸中を知らず、しきりに首をふって、「性欲がなくなるということは、さびしいですよ。これは創作力にも関係がありますね、私は、なんとかカンバスに向って、おのれの全てをたたきつけたいと、気ばかり焦るんですが、肝心のおのれがとりとめなくなっちゃって」だから、あれこれ試みるのだという。「オカマってんですか、あれもやってみましたが、むつかしいし」「いくらもいるでしょ、盛り場行けば」「いや、その、こちらがオカマになりたいんです」仁太、納得する。確かに画家らしく、しゃれた身なりだが、身の丈六尺余り熊の如くいかつい体格なのだから、そう簡単には、掘ってもらえないだろう、真性のホモは、むしろたくましい肉体を、求めるものだが、日本には女まがいを相手にするニセがほとんどなのだ。「変態志願とでもいいましょうかね、眼先きのかわったことをやれば、少しはふるい立つかと思って、下着泥棒もやってみましたし、その、露出狂も一度だけ」ウイスキーに酔ったのか、画家、ただごとならぬ告白をはじめた。
つまり、彼には、いわゆるアブノーマルにおもむかなければならぬ要因は何もないのだ。はじめ仁太の許へやって来た時、予備診断を行って、その生い立ちから、性体験をきき出し、まったく正常人であると分っていた。幼少時に母と別れ、祖母に育てられたということもなく、人より体格がひよわで、女の子とばかり遊んでいたわけでもない。母親のグロテスクさにふれず、過保護の経験もなく、専制君主的父親にいじめられてもいない。ごくふつうの家庭に少年期を過ごし、画家を志すくらいだから、青春時代にいくらか無軌道な生活も送ったらしいが、恋愛結婚で今の妻とむすばれ、子供のないことだけが、欠陥といえばいえた。
正常であり過ぎることにじれて、フェティシズム、エキシビジョニズムをやったらしいが、「馬鹿馬鹿しいものですよ、アパートの窓の外に、パンティが干してあったから、塀にのぼってかっぱらったんですが、あれは、かっぱらってからどうするもんなんでしょう」「持主の肉体を想像しながら、マスをかくんじゃありませんか」「ははあ、私は始末に困って、深夜こっそりはいてみたんですが、何も興奮しませんでした」そりゃお気の毒にともいえず、仁太、笑いを噛み殺していたが、「肉体を想像したって無理だなあ、あのアパートにはオールドミスばかり住んでるんだから」「やるんなら吉永小百合とか、栗原小巻のを狙うんです」「彼女たち、表に干してますかねえ」「床の間あたりに陰干ししてるんじゃありませんか」「じゃ強盗になっちゃうなあ」情けなさそうにいい、「露出狂ってのは、こう出すわけでしょ」「外国の例だと、大体マントを着こんでるようですね、マントで隠しといて、時いたればエイヤッと開陳する」「なるほど、そういう手がありましたか」画家は、向うから少女のやって来るのを見定めて後、やおらズボンのチャックを下し、ブリーフの中に指を突っこんだが、なまじ雄々しくなっているだけに、思うにまかせず、うろうろして、ようやくとび出させた時には、いつの間にはいずり出て来たのか、乞食が一人いて、ニヤリと笑いかけたという。「気持わるかったですよ、乞食に逸物見られた時は」一目散に逃げ出して、これもかなわぬ。
「まあ、余り神経質に考えないことですよ、男には先天的に性欲がそなわっていると、誰も断定しちゃいないんですから」「そうですかねえ」「十五、六くらいでは、矢も楯もたまらないような気持に駈られるけど、あれも玩具を使ってみたいということだけかも知れないし」男に性欲があるなど、錯覚ではないのか。「しかし、私の兄は、軍隊に行ってましたがねえ、女の姿を見ないで、一月も二月もいると、はっきり変化があらわれるそうですよ。本当に、老婆が美人に見えてくるって」「そりゃ、何時死ぬかも知れないし、なんとかタネを残しておきたい気持からじゃないかなあ。あなただって、明日死ぬとなりゃ、きっとふるい立ちますよ」「そりゃそうでしょう」「大体、西洋人というのは、狩猟民族でしょ、ひとつ所に定住してないで、年中、移動するし、生命も危険にさらされる。やれる時にやっとかなければと、励むならわしが性となって、強いんじゃないんですか。それに較べると、こっちの先祖は田畑を耕してたんだから、いつでもできる、あわてることはないとのんびりかまえていたから、淡泊になってしまった」「平和日本ではなおさら淡泊になるばかりですか」「多分、戦争中は、大和民族も頑張ってたんじゃないかなあ」昭和十二年から二十年まで、戦局の推移と共に性交回数がどう変化したかを調べてみると、興味ある結果が出るかも知れない。大東亜戦争のはじまった日とか、山本元帥の戦死した夜、さてはいよいよ明日あたり空襲必至となった時、夫婦は睦みあったのではないか、十六年十二月に受胎したのなら、十七年九月に生れたはずで、その出産数を他の月と比較してみればいい。
「しかし、同じように平和な時代だった江戸期には、みな、色の道を好んでたんじゃありませんか」確かに、おびただしい性的な絵画文字が産み出され、性文化も頂上を極めたけれど、逆にいえば、やはりやる気がなくなったからこそ、観念的な操作におもむいたのではないか、そして、なにも江戸だけではなく、性的文物が頂上をきわめた後に、その体制はくずれている。いわば、ポルノ度の高さは、滅亡への道しるべといってもいいのだ。「よくは覚えていないけれど、江戸時代の性教育書に、淫の十徳十損てのがありましてね」つまり、セックスを快楽とか、人間性と関係なく、ひたすら生活上にどう影響を及ぼすかという点を論じた文章。「第一の徳は、金もうけ也です」「金もうけ?」「どんな暇つぶしだって銭がかかるのに、これはただですからね、女房となら」第二が、食当りを防ぐ、三は視力を保つ、四がいざという時機敏に行動できる、五は足腰を強くする、六が顔つきが若くなる、七は歯を丈夫にする、八は子供ができる、九が年老いてもできる、十は病を防ぐというもの。「なんのことはない、精力の強い人の特徴をあげてるようなものでしょう」「そうともとれますが、つまり、こういう効能があるから、せっせとやれと教えてる訳です。江戸時代も、付録がなきゃ、やる気が起らなかったんでしょ」
そういえば、仁太の読んだ江戸ワ印は、ほとんどが男性向けのもの、女性を喜悦させる術、長持ちさせ、精を養う手段、さてはふるい立たせるための舞文曲筆で、女を対象にしたものは少ない。「女|庭訓《ていきん》下所文庫」など、女子の教養のためという体裁をとってはいても、内容は男の感興を目的にしたものだ。「平和がつづくと男はインポになりますかな」「けっこうなことですよ、ピースサインや鳩の足跡のかわりに、グニャチンをかかげればよろしい」だからこそ、仁太の商売も成立するのであって、セックスカウンセラーこそは、平和使徒。それが証拠に、世上の同業見渡してみても、いわゆるタカ派、右翼はまるでいない、徴兵制復活賛成の、カウンセラーなどきいたこともない。
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強 精 者
仁太、画家と別れて、わが家へもどり、今日は昼間義務を果していたから、意気揚々と玄関をくぐる。負い目のある時は、実に重苦しく感じるもので、世の亭主族のハシゴ酒の一端は、多分これにあるのだろう。「あなた、お客様ですよ」これもふだんなら、おそい来客で不機嫌なはずが、心にかかる雲晴れて真如の月仰いだかたじけなさ故か、妻、晴々しくいい、「お待たせするのもお気の毒だから、私がお相手してましたのよ。変った方」当り前だ、まともなのがやってくるものか、仁太腹立たしく思いつつ診察室へ入ると、肥っているわりに目方の軽そうな、三十二、三の女に、貧弱な四十男が、ちんまりすわっている。やれやれまた同じ愚痴をきかされるのか、うんざりしたが、思いがけず、男の方が甲高い声でしゃべり出した。亭主の精力減退を歎いて、来訪する夫婦のすべて、まず女房が口をきくものなのだ。
「あたしゃいやだってえのに、これがどうしても先生に相談しろって、じゃ、勝手に一人で出かけてくりゃいいだろってったんですが、一緒でなきゃいけねえっていやがって。どうも夜おそくすいません。あたしゃ、ボイラーの方やってましてね、丁度、今、夜勤の時なんで忙がしいんですよ。ボイラーっていうと先生なんか、石炭くべて真黒になると思うだろうけど、今は簡単ですよ、もっとも五年前までは不動産の方やってたんだが、ありゃ神経がくたぶれてねえ、向き不向きがある。ボイラーはいいすよ、これで一級ボイラー士と、空調士の免許とりゃ一生くいっぱぐれがねえんでさ」ぺらぺらとまくしたて、「そんなことしゃべりにきたんじゃないでしょ、先生もお忙がしいんだから」女房が制し、「申し訳ありません。あの実は、恥ずかしいことなので、他に相談もできませんで、丁度、美容院で先生の記事を拝見したものですから」二、三週間前の女性雑誌に、仁太が紹介されていたのだ。
「どうぞお楽に、まあこういうことは、くよくよ考えこんでても仕方がありません。何でもざっくばらんにおっしゃって下さい」「いえ、この亭主のことなんでございますけど、私もうこのままじゃ、本当に体がもたないんじゃないかと思いまして」「てやんでえ、減るもんじゃなし、第一、お前なんか寝てるじゃないか」「いくら寝てるったって、一晩に三回じゃひりひりしますよ」「唾でもくっつけときゃ治っちまわあ、ねえ先生」貧相な亭主、相変らず威勢よくまくしたてる。「一晩に三回っていうと、性行為をですか」「いいじゃありませんかねえ、夫婦の仲だもの」お茶を持って来た妻、興味津々といった態で立ちぎきしていたが、「超人的でいらっしゃいますのね」たまらず口をはさんだ。「超人なんてそんな、昔は、どっちかっていうと弱かったんですよ、それが交通事故に遭ってから、人が変ったように」「事故といいますと」「追突されたんです、それで鞭打ちってんですか、あれでしばらくギプスはめまして、頭が痛いのなんのっていってたんですけど、そっちがどうにかよくなりましたら、急に性欲が強くなっちゃって」「けっこうなこったよねえ、先生」「私はたまったもんじゃありませんよ。これもきっと事故のせいですわ。こんな風になったことについて慰藉料はとれないものでしょうか、常人じゃありませんもの」「てっ、半端者みてえにいうねえ。弱けりゃ弱い強けりゃ強いで、文句ばかりいいやがって」「ほどほどにして下さいよ」「中ぐらいもいいさか、アハハハ」亭主、けたたましく笑い明らかに躁病風だった。
欲望を抑制する機能が、何らかの原因で衰えると、性欲や食欲が、異常に昂まることがある。しかし、これはさらに重大な病気の、一つの症状としてあらわれるのだから、長くは続かない。だが、物理的なショックを受けて、突然体質が変ったとでもいう他はない現象もあって、高圧電気に感電して後、それまで虚弱だった体が丈夫になったとか、高い所から落ちて、全身打撲のあげく、近視が正常にもどったというような報告がある。フジヤマのトビウオ古橋広之進選手は、少年の頃、感電して、以後筋肉が強くなったと、仁太何かで読んだことがあるし、戦前、一世を風靡した科学者で、交通事故に遭い、頭を強打失神したのだが、それからというもの、六十歳という年齢にもかかわらず、若い娘を追いかけまわした例もあるのだ。
「まあ、天の恵みと考えて、お愉しみになったらいかがです」「あの」女房、口ごもって、「こういう念書をもらってるんですけど、加害者の方から」一通の書類を仁太に見せ、それは、事故によって被害者に与えた損害治療費は、全額負担する、なお、当面症状としてあらわれなくとも、明らかに事故が原因と認められる後遺症があらわれた時は、あらためて考慮するというもので、「お金がねえ、かかるんでございますよ、強過ぎるのも」亭主の欲望をもて余し、トルコ風呂で発散させれば、一回五千円は必要だし、女房がなぐさめてやるにしろ、一種の重労働だから栄養を補給しなければならない。「女でもおてんと様が黄色く見えるものでございますね、本当にふらふらしちゃって」性欲過剰が、後遺症としてあらわれたのだから、加害者に請求したい、ついては仁太に証明を頼むというのだ。
仁太、腕を組んで思わず溜息をつき、「しかし、性欲の吐け口はもっとお金のかからない方法があるでしょう」「と、申しますと」「マスターベーションとか」「そうそう、それですよ、これがいやがるから、じゃ頼まねえやってんで、かきはじめましたらね、そんなもったいないことやめろっていやがって」「だってさ、枕もとでやられちゃ、こっちも気になるよ、ねえ先生」女房、急に口調が乱暴になった。「治療費請求は無理かも知れませんが、性欲減退剤ならさし上げましょうか」仁太、いたずら心を起して、犢鼻褌さまでもらって来たナツメを取り出し、「うっかりすると、まったく無くなっちゃうかも知れませんが、これを試してみたらいかがで」と、いい終らぬうちに、「冗談じゃありませんです、そんな危ないお薬」女房、妖気追い払う如く、掌をふり立て、「そりゃまあ、私が我慢すりゃいいことなんでございましょうけど」要するに、もっと補償を要求したくて、相談もちかけただけのことなのだ。
「どこらへんをお打ちになったんですか?」かたわらできいていた妻、一区切りついたと見きわめたか、男に質問する。「腰骨背筋頸椎全部ですな、酔っ払ってタクシーに乗ってたもんだから、シートにこう、寝てたんですな、そこヘドシンと来やがって」「へえ、ねえ」今にも、御運がようございましたといいかねない口調で、妻はうなずき、「主人と同い年くらいでいらっしゃるのに、一晩に三回」「それもしつこいんですよ、なんだかんだって、しゃべりかけましてね」「やさしくっていらっしゃるんだわ」「まあ、皆さんにお話ししますと、羨ましがられはしますけど」「ここへいらっしゃる患者さんは、たいてい駄目な方なんですのよ、お宅さまなど、本当に珍しいわ、ねえ」仁太にいいかける。
「まあ、もう一度同じショックを受けりゃ、元へもどるものですよ、そう御心配にならなくても」「もどるんでございますか?」「はずみで、神経がずれちゃったんですな、弱から強の方へ。だから、また追突されると、治ります」治ってはたいへんというように、女房は亭主をながめ「その時はいただけるんでしょうねえ」あくまで慰藉料にこだわっていた。「あんな体で、よく三回もねえ」ボイラーマン夫婦が引きあげて後、妻、信じられぬ如くいうから、「どこかで無理してるんだから、そうは続かないさ」「男性で、先天的に強い人っているの?」「そりゃ、さまざまだからなあ」「あなたのお友達でいる?」うーむと、仁太思いめぐらせたが、心当りはない。「大体、強い奴というのは、どこか変だね」「どんな風に」「背が低くってね、こう蝶ネクタイにベレーなんか冠ってて、よろず独断的だし、自己顕示欲が強い」「なんだかひがんでるみたいね」「いや、そんなタイプなんだよ、颯爽たる美男子で、しかも傑出した才能の、強精家っていないな」「だけど、英雄色を好むっていうでしょ」確かに、昔はいったし、それは事実だったろう。だが、近頃、仁太などが知っている色好みたちは、およそ英雄の印象からは遠い。たとえば、家中からもて余され者になっている、町の発明家によく似ているのだ。かつて仁太は、雑誌にルポを寄稿していたことがあり、何人かの、強精家にインタビューを試みた。ベレーと蝶ネクタイはその時の記憶なのだが、まず、愛想がよく、おしゃべりであって、カメラ、テープレコーダーのマニヤ。ということは記録魔の一面を有し、自分の信念なりモットーを、住いのいたるところに、自筆で大書し、まったく系統立たないコレクターだったり、骨董品をやたらありがたがるような面がある。
「要するに、そういうのが親戚に一人いたら、しごくうっとうしいというかね、たずねて来られると、居留守使いたくなる手合いだよ」「ふーん、で本当に強いの?」「この女房というのが、共通しているね、少し小肥りで、以前はまあ見られたかなという程度の御面相、余り口をきかず、亭主は、生証人として、しきりに話しかけるんだけど、シラケきってるような感じ」「じゃ、本当は大したことないんじゃない?」「そりゃ、確かめようがないからねえ。本当に強いにしても、なかなかそれを信じさせ難いから、みんな風変りなことをしでかすのかな」「風変りって?」「特別なものを食べるとか、ひどく派手な洋服を着る、年中、他人の眼を意識して、強精者らしくふるまってなきゃいけないように、思いこむわけだ」
まったく生を享《う》けた時代がわるいわけで、強精によって代表される男の能力が、そのまま社会の勝利者につながり易い世の中なら、時を得顔にのびのびとふるまえたのだろう。だが、今では、強精者など、男性の中に憧れの残像としてはあるけれど、むしろ滑稽な存在でしかない。それは確かに、一日三度営まなければ、鼻血が出るという男の前に出ると、いちおう誰でも尊敬の念をあらわにする。しかしそれは、滅び行く部族の酋長に対する敬意と同じことだろう。
「へえ、情けないことになったものねえ、女としては由々しい現象よ」「これから、もっとひどくなるんじゃないかね、敗残者色を好むが定説になるかも知れない」たとえばあの鞭打性淫乱症なんか、その典型であろう。「彼の奥さん、しごく自分勝手で、金にうるさそうだろ。きっと鞭打ちになる前は、亭主に向って、稼ぎがわるいの、愛情が足りないのって、文句ばかりいってたにちがいない。亭主は、女房にせっつかれりゃせっつかれるだけ、さらにいじけちゃう。そこへ鞭打ちだろ、きっとあの女房は、加害者にえらい勢いでかけ合ったにちがいない。それまで能のない亭主が、事故にあったとたん、価値のある存在になった。まあ少しはやさしくもしたんだろう。そして、亭主にしてみりゃ、自分の能力の足りない点は、すべて鞭打ちのせいにできる、とたんに気が楽になった。そこでうまく、歯車が噛み合ったのさ。寝てうまいもの食って、苦労がなければ、色気もよみがえる。これまで、月に数えるほどだったから、チャンスをのがすまじと、女房しゃかりきに精魂をこめて、亭主はベッドでも圧倒されていた。しかし、補償の交渉やなんかで気疲れしている女房が、面倒くさがるのを、無理に押しひしげば、亭主ますます自信をつける。この相乗作用で、今のところ彼は、女房に君臨しているんじゃないかね。五体満足、心身ともに健康な男は、逃げ場がないし、女房からも、むごく扱われる、といってただ病弱なだけでも駄目だろ。犠牲者的色合いのあった方が、気持の安定を得易いし、できれば補償をもらえるような病気怪我で倒れるのだ、そうすれば、きっと色好みたり得る」
「なんだか、今の演説はあなた自身、弁解してるみたい。私、そんなに助平かしら」仁太、しゃべりながら、これはかえりみて他をいう類だなと、気づいていたが、つい長広舌を揮《ふる》ってしまったので、「いや、さっきの患者を分析しただけさ、君とは関係ない」さり気なく否定し、「ぼくのところへ来る不能者だって、若者は別にして、みな立派な社会人だろ、一流の肩書を持った男ほど駄目になり易い。今に、生活保護法の適用を受けるような男だけが、色好みたり得るかも知れないな」これは由々しき問題で、優秀な素質を持った男も、若いうちは溌溂たる能力がある。しかし、その時代に妊娠させても、まず中絶してしまうだろう。そして、管理された社会の中で、動物的能力を失いかけてから子供をつくる。あまり生きのいい後継ぎはのぞめない。ひきかえ、管理社会からはみ出た連中は、長く生殖能力を保持し、子供を産みつづける。「保護法の規定では、三人くらい持った場合、いちばん割りがいいっていうしね。こんなことをくりかえしてたら、自然淘汰の逆で、劣性ばかりふえてしまうな」「ふーん、じゃ有利ね」「なにが」「そういう屑ばかり生れてくるんなら、受験の時、楽じゃない。ねえ、もう一人欲しくない? 産むんなら、もうラストチャンスよ」妻、仁太の肩にもたれかかる。未来をバラ色にえがこうが、破滅と予想しようが、女の受け取り方は一つなのだ。「昼間済ませたろ」「ねえ、タクシーに乗る時は気をつけてよ」「あー」うんざりこたえたが、妻の意図するところは、同じ追突されるならシートに寝そべり、腰骨背筋頸椎万遍なく打って、ボイラーマンにあやかることにあると、仁太気づいて心をなえさせた。
その場はとにかく難を避け得て、まだ調べものがあるからと、書斎にひきこもり、ウイスキー飲むうち、うとうと寝入り、洗濯板のようなもので、腰をぶんなぐられている夢をみて、その痛さに目覚めると、すでに窓の外は白みかけていた。不自然な形で寝たから、腰をねじったらしく、及び腰で、ソファベッドに移り、二度寝を決めこむつもりが、たちまち電話のベルにたたき起される。
「あのですねえ、今、東京駅ついたとこですねん」「はあ?」仁太、半ば寝呆けていて、何のことやら分らず、その間のびした女の声に問いかえすと、「うち、山科の隅田ですねんけど、前に手紙出しましたでしょ。返送されてけえへんから、きっと読んでくれはったんやろなあおもて」「隅田さん?」「はあ、先生お手伝い求めてるいうて、書いてはったでしょ、それで私、応募したんですわ。もう決ってしもたんですか」ようやく事態がのみこめ、二月ほど前、週刊誌にそれほど期待もせず、そういったコメントを出したことがあったのだ。思ったより希望者が多くて、妻が手紙には返事を書き、直接乗りこんで来た者に、面接したが、「興味本位や、馬鹿馬鹿しい高望みしてるのや、まあ駄目ね」と、結局雇うにいたらず、そして確かに隅田という差出人の手紙を、四、五日前に、受け取った覚えがある。タイミングがおそいから、妻にも見せなかったのだが、一人合点にしろ上京して来たのなら、そのまま追い帰すわけにもいかぬ。
「東京の地理は分りますか」「全然ですわ、修学旅行の時、来ただけやし」「そりゃ弱ったなあ、誰か迎えにやるといっても」「かましません、ブラブラたずねながらまいります」他に手もないまま、電話を切り、これは妻にとってわるい報せではない。もの書き稼業の頃は、家に居るのがいやなら、ふらっと表へ出かけて、まずさしつかえなかったが、カウンセラー開業して、縛りつけられることが多くなると、いちいち妻の顔色うかがう癖がついた。このことを告げれば、怒るかよろこぶか、まず考えるので、われながら情けなく思うのだが、同じ屋根の下に、妻の怒声をきけば、カウンセリングどころではなく、第一、患者の信用を失うだろう。
仁太の母の時代を思うと、べつに女中を雇わなければならぬほど、忙がしいとも思えないが、妻は希望していた。いや、女中を探して、苦労する主婦の役を楽しんでいるのかも知れぬ。この前、面接を行った経験について、ずい分多勢にしゃべりまくっていたのだから。なんにしても、また一人やって来たのなら、暇つぶしにもなるだろう。仁太は、覚えのある手紙を探し、あらためて読むと、大学中退、趣味古典文学読書、自動車ラリーと自分を紹介し、父は染色会社の社長なのだ。
「社長の娘? もっとも社長といっても、今はいろいろだけど」妻は、あまり好意を抱かぬ態でいい、「乱暴ね、こっちの返事も待たずに上京して来るなんて、帰りのお金大丈夫かしら。また、あなたにたかるつもりじゃないの? 女中に応募を口実の東京見物よ」かなり前、家出娘がたよって来て、その汽車賃出してやったことを、未だに根に持っているらしい。喜ぶだろうと思ったのに、風向きことなるから、「まあ、会うだけ会って、追い帰せばいいさ」書斎にもどり、昔の大人はえらかったと思う。女中に手をつける主人などざらにいたらしいが、見上げた度胸ではないか、仁太など、かりに女中を雇ったとして、もしひょんなはずみから、関係ができたら、これは考えるだけでもおそろしい針のむしろだろう。「あなた」と、呼ばれるたびにとび上るにちがいない。
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トイチハイチ
二時間ほどして、隅田景子がボストン一つ持ってあらわれ、その気配を察したが、仁太わざと無視し、今日来るはずの患者のリストを調べていると、「あなた、ちょっと顔出して」妻が呼びに来た。「いいよ、どうせ向うも礼を欠いてるんだから、ぼくは今忙がしいっていって帰せば」てっきり断るのだろうと考え、ことさらに冷たくいうと、「いいお嬢さんなのよ、お父さまの会社は千人も従業員がいるんですって」「それがどうして女中なんか」「今はお手伝いさんていうんですよ、気をつけて口をきいて下さい。しっかりしてらっしゃるの、親の膝元じゃ本当の勉強はできないからって、決心したんですって」「へえ」「ちょっといらしてよ」いいつつ、洋服箪笥のカーディガンを取り出し、「少しはきちんとして、びっくりされちゃうわよ、あんまり汚ない恰好だと」浮き浮きと先きに立つ。
茶の間に、きちんと膝を折ってすわる隅田は、まず十人並みの顔で、しかし、体つきはしまりなく肥った印象、「はじめまして、よろしゅうおねがい申します」湯呑みを膝に抱いたまま、顎を突き出して挨拶した。「数学や理科もお得意なんですって、家庭教師の役もおねがいできるわ」「はあ、中学まででしたら、私、京都でやってましたし」「御両親が、よく許してくれましたね」「はあ、もうあきらめてるんですわ」「あきらめてるって」「いえね、大学時代に二度ほど家出しましてん」「へえ、恋人でもいたの」仁太、冗談のつもりでたずねたのだが、「恋人いうのかなあ、一緒には生活してんけど」今度は妻が鼻白み、「で、今はどうなの?」「清算しました、やっぱし不自然やからいうて」「そりゃそうよ、もし赤ちゃんでもできたりしたら」「それはありませんけど」「ありませんたって」妻、憤然といいつのるところへ、「うちらレスビヤンやってんもん」少し照れたように隅田はいった。
「レスビアン?」仁太、オウム返しにつぶやくと、「そうですねん、先生なんかそっちにも興味おありになるんでしょう」隅田は、ふと妖しい目つきとなって、「そやけど、本当のことは知らはらへんのとちゃうかなあ。いろんな人が書いてはるけど、全然分ってないみたいやし」確かに、女の同性愛についてくわしく説明した文献資料は少ないのだ。
男色にしろ獣姦にしろ、多分、人類があらわれてすぐに、営まれた行為だろうし、レスビアンも古くからあったことにちがいない。しかし、他のいわゆる変態については、各種の報告がなされている、説話や川柳の中に、その描写があるけれど、女同士の愛撫は、まったく見当らぬ。女ばかりが暮していた江戸城大奥においても、世間が想像するのは、せいぜい張り形を用いて、うさ晴しをするのであろうという位。「あれは何でしょ、娘時代にかかるハシカみたいなもんじゃないの。私だって女学生の頃、靴箱によく下級生からの手紙が入ってたわよ」妻が、いかにも訳知りぶっていうと、隅田はコロコロ笑って「そんなんレズでもなんでもありませんわ、本当のレズいうたら、ちょっと秘密結社みたいなとこあるんですよ」仁太は、結社といわれて、マフィア、KKK団、フリーメーソンを思い出し、三角の頭巾をかぶった女たちが、奇怪な祭壇の前にぬかずく光景を想像したが、眼の前に居る隅田は、下ぶくれのまあ愛くるしい顔立ちで、凶々しいイメージとは重ならぬ。確かに女学校にはSと呼ばれる同性愛が存在したし、宝塚少女歌劇にもデベンと称するこの手のことがある。デベンの語源は、出弁当で、これは重箱が二つかさなっていることから、女同士のからみ合いになぞらえたものなのだが、Sにしろデベンにしろ、男性とつき合う機会を与えられれば、それなりけりで、いわば代償行為に過ぎない。女のセックスには生殖行為がむすびついているから、やはり妊娠分娩のかなえられぬそれは、どうしても代用品のおもむきがあって、変態では満足しきれないのだと、仁太はこれまで考えて来た。
仁太の許を訪れる患者の、ほとんどが男であるし、その症状は顔つきのことなるのと同じくらいに複雑多岐だが、女はまことにはっきりしている、とにかく男に抱かれたい、子供を産みたいのに、それがかなえられないから頭に血をのぼらせる。もっとも一人だけ、極端な妊娠恐怖症の患者がやって来て、仁太のところへはインポテンツの男もあらわれるだろうから、そういう中に、自分と結婚してくれる者はいないかと、相談持ちかけたことがある。「真性不能者がよろしいのです、先きへいって治ったりすると困りますから」と真顔でいい、話をきくと幼女の頃、大人にいたずらされたのが、恐怖症の原因らしかった。男性性器を連想させるいっさいのものを遠ざけて暮し、だが文明の利器の中には、よく似た形状のものが多いから、まことに困ると眼を伏せ、ペニスを思い浮かべたとたん、下腹部にこむらがえりのような痛みを覚えるのだそうだ。
こういった女性にとっては、レスビアンしか生きる道はないように思えるが、まず例外的な存在。「誰に教わったんです? その方法を」「うちにずっといてた女中さんですねん、この人、昔お女郎さんでしてん」「お女郎さんが? 同性愛を?」妻びっくりしたようにいい、「男の方をナニする方法ならよく知っているでしょうけど」「もちろん、そっちも心得てましたけど、廓には昔からトイチハイチの秘法というのが伝わっているんです。これがつまりレスビアンの四十八手といいますか、絶対門外不出のことで、あの、赤線なくなったでしょ、昭和三十三年でしたか、あれ以後、すたれたんです。女中さん、いやもうええ加減なお婆さんやったけど、それが口惜しいいうてね、私に教えてくれはりましてん」仁太、隅田のいうことよくのみこめぬが、トイチハイチなる言葉は、きいたことがある。確かに女の同性愛に関係があって、しかし、この正確な意味を、つきとめたものは誰もいないのだ。「お女郎さんたちが、トイチハイチをやってたの?」「はあ、私なんかよう分りませんけど、一日に十人くらいも男に抱かれるわけでしょ、たいてい不感症になってしまうんやそうですわ、また、そうでなかったら、あの、いちいちオルガスムスに達してたりしたら、体もたへんらしいですわ」「そりゃそうよねえ、だけど一日に十人ていったら、年に三千六百五十人、十年勤めたら、四万人近くの男に愛されるわけね、フーン」妻、感歎した如くつぶやき、「本気になってたら、確かに死んでしまうわ」「そうでしょ、というても、やはり生身の体やさかい、女の喜びを味わいたい、そこでトイチハイチがつかわれるんです」「だけど、情夫っていうのかしら、恋人をつくればいいじゃないの」「抱え主がいやがるらしいんです、男がおると、どうしても床あしらいが上の空になってしまうし、足抜きいうんですか、男にそそのかされて、よその土地に住み替ったり」隅田は、よほど女郎上りの女中にくわしく説明されたとみえ、よどみなくしゃべって、トイチハイチは、どうやら遣手婆さんが、伝統を継承しつづけるものらしい。
つまり、廓へ売られて来た女たちを、お女郎として一人前に教育するのは、遣手婆さん,客の迎えかたから、病気の有無の見分け方、洗滌液の使用法、後朝《きぬぎぬ》の作法いっさいをコーチし、その中にトイチハイチもふくまれる。「この味を知ってしもたら、男なんかあほらして、本気で相手はできんそうです。男に抱かれるのは商売のためと、割り切るためにも効果があるんですわ。先生の年やったら、赤線にも行きはったでしょ」突如質問されて、仁太はうろたえ、「まあ、何ごとも経験だと思って、上ったことはあるけど、お茶だけ飲んで、話をきいたりして」「なにを、ごちゃごちゃいってるのよ、結婚前に何をしていようが、かまいませんよ」妻、せせら笑っていう。「お女郎さんで、絶対にキッスを許さへんのがおったそうですね」「あー、体は売っても心は売らないという心意気だとかって」「それはみなトイチハイチの人です、唇と指が重要な役目しますねん、そやから男にはふれさせへんのです」「しかし、指はけっこう使ってたけどな、むしろ向うからすすんで持ちそえたりして」「いやあね、あんまり露骨にいわないでよ」また妻がたしなめた。
「それは右手を使うんです。トイチハイチでは左が神聖な指いうことになってますさかい」「で、どんな風にやるの?」「そんなん説明でけへんわ、実際やってみなかったら」隅田、妻を見やって笑い、「奥さん相手してくれはったら、お教えしますけど」「いやよ、私は主人で間に合ってるんだから」「そうはいうても、いっぺんだまされたと思うて、試してみはったら、なるほどなと分ります」「気味わるいこといわないでよ」「冗談です、ごめんなさい。実は教えてあげたかっても、あかんのです。ふつうの堅気の人妻にトイチハイチを伝授したらリンチ受けます」「過激派みたいなのね」駄目といわれて、妻少し口惜しそうな表情を浮かべ、「同棲っていうのは、誰としてらしたの」「一人は女子大生、もう一人はクラブのホステスしてはる年いった人でしたわ」
江戸時代につかわれた言葉で、何を意味するのかよく分らないものが、いくつもあり、その有名な例に、「小股の切れ上った」という形容がある。いったい小股とはどこのことをさすのか、また、切れ上るとはどういう状態であるのか、学者がずい分論議して、まだ結論が出ていない。ある人の説では、江戸時代の堅気の女は、みな内股で歩いた、それに対し、花魁《おいらん》などは外八文字という特殊な歩行の仕方をし、これをくりかえすことで、性器の機能をたかめもした。だから外八文字風に歩くことを、かくいうとする説もあれば、「小股」とは膣前庭を意味し、これが切れ上るということは、とりもなおさず「上つき」をいい、江戸時代では上つきすなわち上開とされていたから、珍重されたのだという学者もいる。また、「小股が切れ上る」は誤りで、「切れる」が正しく、その意味するところは、どんな立居振舞いをしても裾の乱れぬ女と、規定してみたり、小股というのは、ももの内側をいい、切れ上るは長さの形容、つまり脚のすらりとしたさまをいうとする説、中国のてん足と同じで、極端な内股、立った時にカカトのつかないような一種の不具者のことだという説、アキレス腱の左右にあるくぼみを小股といい、ここの凹みの鋭い女を、かく称するという説、下腹部とももの間の線が、急角度で上向いていることを意味するという説、諸説入り乱れて、結局は、よく分らないのだ。「トイチハイチ」も同じこと、この語については、粋人が、あれこれ詮索して、まったく実態はあいまいのまま放置されている。
ここでトイチハイチについて、明確な解説を仁太がなせば、セックスカウンセラーとしての箔《はく》がつくにちがいなく、「まあ、人体実験はともかく、しゃべれる範囲でいいから、教えてくれないか」隅田に頼みこむ。「お手伝いの方は、どうなりますか、雇ってもらえるんですか」隅田、交換条件のようにいうから、妻を見ると、「御両親には断ってらしたの? もし家出同様っていうのなら、うちとしてはちょっと」「いや、雇うていただけるんでしたら、すぐ電話します。居所だけはっきりさせとったら、それ以上は心配しませんねん」「荷物やなんかは送ってもらうの?」「こっちで買いますわ、さし当ってこちらに雇ってもらえたら、そう必要なもんもないやろし」「あなたはいかがです?」「ぼくはまあ、いいと思うよ。トイチハイチを女房に仕込まれちゃったら困るけど」「それは安心しとって下さい、私かて痛い目エ会うのいやですし」しかし、女房と女中がレスビアンの関係になったら、ずい分気楽かも知れない。男をつくられたのなら、沽券《こけん》にかかわるというか、そう平静な気持でもいられないだろうけど、女同士何をごちゃごちゃされたって、たかが知れているように思える。たいていの亭主は、女房の過剰性欲になやまされているのだから、トイチハイチが大々的に普及することで、ずい分救われるのではないか。男が、管理された社会の中で悲鳴を上げ、あるいは変態にあこがれてみたり、不能におち入る時代に、女だけが旧態依然たる性にこだわるのはおかしいのだ。
「痛い目とかリンチとかっていうけど、そんなの分るわけもないでしょ、かりに私が教わったとしても」「そやから、秘密結社みたいやというたでしょ、私と奥さんがそないになったら、誰がしゃべらんでも、奥さんの表情態度物腰ですぐばれてしまいます。誰が教えたかということも、たちまち分ります」「君に教えたお婆さんは、トイチハイチのすたれることを歎いて、伝授したんだろ、それなのに仲間がそんなにいるのかい」「私が伝授されたんは六年前でしたけど、同じように考えた人が他にもおったらしいんです。お婆さんは、私に教えた後、申し訳ないことしたいうて、自殺してしもてんけど、私も、ちょっと病みつきになってましたから、すぐ相手を探すいうか、仕込まんならん。それで女子大生をひっかけたんですわ」女子大生も溺れこんで、同棲しはじめたのだが、これにもやはり相性があるらしい。隅田はナイトクラブのホステスとなって、二人の生活費を稼いだのだが、このクラブにトイチの先輩がいた。「あんた、こっちの方やろ」年上のホステスが、両手の小指を合わせて八の字の形をつくり、これがトイチをあらわす符牒であった。隅田は何のことか分らず、きょとんとしていたら、「隠さんかてよろし、そやけど誰に教わったん」ホステスは、ハンドバッグの中から、三味線の糸を出して見せ、ようやくトイチのことと見当がつく。
「三味線の糸を使うの?」「まあ、そういうことです。それにお茶碗と水を少し」「なんだかお呪いみたいね」妻、興味津々といった態で身をのり出した。「そのホステスの方がうまが合ういうのんか、具合よろしいねん、それで、その人と一緒に暮しはじめて」「かわいそうに女子大生ふられちゃったわけ」「いえ、すぐに自分の好みの娘《こ》ォ見つけましたわ」そして、ホステスにトイチハイチにまつわる戒律を教わったという。「現在、ちゃんとした結婚生活してはる人妻には、これを教えたらいかん。相手は、まだ男について無知な娘か、あるいは男にひどい目にあってる女性に限るんです。もともと廓に生れたことやから、まあ後ぐらい感じもあって、人にしゃべったりすることも禁じられてます」この戒律、他にもこまごまとした条項があって、いったん結婚した場合には、それ以上トイチを人にほどこしてはいけないし、また、トイチ仲間が困っている時には、親兄弟を犠牲にしてもたすけなければならぬ。「まるで仁侠の世界みたいだなあ」「ほんまにそうですわ、結婚することはつまり足洗うことやし、教えてくれた人に対しては、年齢身分がどれほどちがっても、目上の礼をつくさなあかんのです」
べつだん、はっきりした組織があるわけではないが、全国主要な町のトイチ親分の名は仲間うちの誰もが心得ていて、トイチを続けるつもりなら、まず挨拶をしなければならない。でも、「男を必要としない、少なくとも男に従属しないで生きるっていうところはウーマンリブに似てるんじゃないかしら」妻がいうと、隅田は憤然として、「あんなチンケな芋姉ちゃんと一緒にしてもろたら困りますわ。トイチの女性には文化人もようけおるんです」名を挙げて説明したそうな表情だったが、思いとどまり、「リンチってどうやるの」「それはちょっといえませんけど」「まさか殺しはしないんでしょ」「いや、女としては死んだも同然いう目エにあわされます。さっきいうた茶碗をつこうてやるねんけど」
隅田は、ホステスと同棲しているうちに、さすがまだ若いから、このまま年老いていくのも口惜しく、ひと思いに上京して来たという。「私まだ、ふつうの意味でいうたら処女ですねん、できたらこっちで恋人でも見つけて、結婚しようかと思うて。もっとも私らみたいなんは、十中八九うまいこといかんらしいんですけど、何ごとも経験ですわ。やっぱりトイチの方がええとなったら、またもどればええことやし」肝心のところへ来ると、隅田は話をはぐらかし、仁太もどかしく思ったが、まあ、しばらく居るうちに少しは実態を説明してくれるだろう、そして、その技法を世に発表したらどうなるか。「HOW TO トイチ」とか銘打って、ひょっとするとベストセラーになるやも知れぬ。女の変態がもっとおおっぴらになり、多種多様なパターンがあらわれなければ、本当の男女同権とはいいにくいのだ。
隅田のとりあえず寝る部屋がないから、客間に案内し、わりにのんびりしたところがあるらしく、ボストンバッグをおいたままで、仁太、その中をあらためてみると、十センチくらいに切った三味線の糸が、何十本も輪になって入っている。これもトイチの道具なのか、三十センチ四方くらいのビニール、製図用の毛箒、軍手など、妙な取り合せの道具があって、恋人探しとはいっているものの、トイチ一派の、工作員と見た方が、よさそうだった。仁太、隅田の怪しげな所持品について、問い質《ただ》すことをせず、また妻にも告げず、ひそかにそのふるまいを観察していたが、とり立てて変った点もなく、むしろその年頃にしてはよく気がつき、人手不足の折から、拾いものといってよかった。ただし、掃除や後片付けについては、眼端行き届かせるが、自分の身のまわりの整頓、また清潔を保つ心づかいに欠け、朝、顔を洗わず布団を敷きっぱなし、子供部屋を明け渡したのだが、下着生理用品が常に散乱していて、うっかり眼にすると、仁太、食欲減退を覚えかねぬ。「あんなものなのかね、今の若い女性というのは」「お家での躾が少しルーズだったんじゃないかしら」妻も、その気風が子供にうつることを心配していたが、他人に対してはけっこうきびしいのだ。トイチハイチは娼婦の間に伝わる秘法らしいが、またこれになれしたしむと、堅気であっても心ざまが似てしまうのかも知れぬ。娼婦の楽屋裏をのぞいたことなどないが、かなり自堕落なたたずまいであることが想像されるのだから。
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獣姦ランド
しばらく前に、東北地方の住人から手紙が届いて、丸一日仁太のカウンセリングを買い切りたいという申しこみ、ことこまかに料金やら手続きを質問し、「もしよければ、先生にも事業の一翼を担《にな》っていただきたい」と、妙な文面だった。
これも珍しいことではなく、いわゆる大人の玩具のメーカーや、温泉マーク経営者が、よく相談もちかけて来るから、その類かと適当にあしらっていたのだが、約束の時刻にあらわれたのは、きわめて巨大な体格の男で、「いやあ、かねてより御高名は雷の如く、草深き奥州路にあっても、よく耳にいたします」のっけに大声でさけび、見るからに躁状態の印象。そして口にしたことは、およそ仁太とは関係のない、日本の行く末をうれう言葉で、「地球の資源をくいつぶして築きあげた繁栄など、かのバビロンの栄華と同じく、必ず破滅に至ります。私は、日本百年の計のため、いささか手持ちの財のすべてを投げうって、微力をつくしたいと考えておるのです」返答のしようもなく、仁太がただうなずいていると、「人間の二大本能はいうまでもなく食欲と性欲であります。そして食欲の多様性にくらべ、性欲は何と貧弱なことでありますか、これはもう先生がとっくに気づかれておるはずで、ここに平和日本のすすむべき道があります」「いや、私などせいぜい個人の、ささやかな悩みごとについて、まあ愚痴のきき役といったところです。とてもそういう高遠な計画は」「いやいや御謙遜でございましょう」男ははじめて名刺をさし出し、その肩書に「性在万象協会会長」とある。
「古代の日本人は、世に在るすべてに性を認めておったのです。なにも男と女のごちゃごちゃするだけを、セックスだなどと、けちなことを考えませんでした。先生は、全国各地に遺されている陽石陰石を御存知でしょう、山にも池にも古代人は性を感じとり、積極果敢にいどみかかった、何という気宇の壮大さでありましょうか、この心を失った時から、堕落がはじまった」男は手をふり、声に抑揚をつけて演説し、ふとささやく如く、「かのアポロ計画というのも、実はアメリカのすくい難い性的退廃を、なんとかしようとして、故ケネディ氏が計画したものなのですな」「は、あ、まあ国の威信を高めるために、無駄費いをしていることは分りますが」「ノウノウ、あのロケットをみてごらんなさい、ペニスそっくりではないですか、ロケットの雄々しくそそり立つ姿に、男はわがなえ魔羅を託し、女もあこがれを寄せる、つまり現代の陽物崇拝のあらわれなのです」「すると、宇宙船はさしずめ精子ですか」「その通り、月を犯すのです。月は太古より陰のシンボルでしたからな。これは極秘情報ですが、アポロ発射の瞬間に何百万人もの男がエクスタシーを感じ、そして月着陸の際、女性はひそかにオルガスムスを愉しんでいる、この愉しみあればこそアメリカの納税者も文句をいわないのであります」
男は、日本のちょっとした街には、必ず塔が立っているのも、同じあらわれだといい、「しかしこんな無駄費いをすることはないのです。しかも、他者に心情をいくら託してみてもたかが知れておりましょう。セックスだけは自分で営まなければ、はじまりません」故に自分は、多年研究の成果を事業に移し、人類の救済をはかりたい。「性的快楽の対象を、人間同士の間にのみ見出すことはない、一方では山を犯し、また片方においてアメーバにまでやさしい心をそそぐ、これです」「アメーバとセックスを営むわけですか」「営むといえばやや語弊がありましょうが、利用はできます」アメーバといわれても、仁太、中学の生物の教科書にあった分裂増殖する奇怪な姿しか思い浮かばず、キョトンとしていると、「アメーバ赤痢というのを御存知ですかな。かつて名横綱双葉山は、満州巡業の折り、これに犯されて、ひどく消耗しました。アメーバといえどもあなどるべからずです」「それと、どうやってセックスを行うんです」「アメーバ赤痢の特徴はしぶり腹にある、君よ知るやしぶり腹の醍醐味を、出でんとして出でず、果てしない直腸感覚の持続を」男は頬を紅潮させ、「なにもオカマだけが愉しむことはない、アメーバ赤痢菌少々でかなえられる、しかも今は抗生物質があるから、すぐに治ります」
これを菌姦というのだそうで、他に疥癬《かいせん》菌や水虫タムシインキンをもたらす菌も、快楽をもたらす、「インキンとアメーバ赤痢菌の合成に成功してごらんなさい、身ぶるいするくらいのものでしょう、しかもこれは内面的性感ですからね、まったく新しい分野だ」仁太も学生時代インキンを患ったことはある。睾丸の皮膚がカサカサに乾いて剥落し、その跡はじくじくとしめっていた。その部分を指の腹で押すと、異様な感触があった。男のいう人間の体の内面的性感は、確かに新しい考え方かも知れない、これまではすべて外部であって、かりに妊娠した女性が、胎児の動きに、ある種の快感を感じたとしても、子宮そのものが内臓とはいいにくいものなのだ。あるいは五臓六腑に、まったく異質の感覚がそなわっているかも知れず、その開発にはどうしても、菌にたよらざるを得まい。「すると癌なども、利用のしかたによっては、いいかも知れませんな」仁太、思わずつりこまれていうと、「さよう、癌姦と申しますか、人類の敵変じて福音をもたらします」
要するに男は、なんでもすべてを、性的快楽にむすびつけ、その観点からながめ直す、そうすれば、あくせく暮さなくても済むというのだ。「たとえば、現在もっとも問題になっております車、また文明国で増加しつつあるアル中、こういうのも、単に性的関係を男女、あるいはその代替物の間に限るからこそ起るのでありまして、視野を広くすればたちまち解決します」車に乗りたがるのは、そして車に乗ると人格が幼児性をおびるのは、子宮願望のせいである。スマートな車ほど、形態は子宮そっくりで、乗っている人間も赤ん坊の如き表情をしている。「幼児性を残しているなら、それに応《ふさ》わしい営みを与えてやればよろしい、かなえられないからあのような凶器を文明の名のもとにはびこらせる結果をもたらす」「それは、どんな風なものです」
「いや、目下研究中ですが、たとえば虫姦などふさわしくありませんか」「虫姦?」「はい、子供は虫が好きでしょう、だからこれと性的関係をむすべば、満足できるのではないかと考えます」「できるもんですかなあ」「意識を変えることですよ、ゴキブリをみて先生は何を連想します?」「そりゃまあ、ゴミ箱とか、台所」「ゴキブリだって、何も不浄な場所を好むわけではない、生れたばかりは清潔なものですよ」男は、鞄の中から小箱をとり出し、「これは清浄培養したゴキブリですが、バイキンはまるで付着しておりません」まだ幼虫で、色もうすく弱々しいそれを、腕にとまらせ、「近頃、バイブレーターとか、羽根つき手袋がはやっているようですな」バイブレーターはともかく、羽根つきが分らず問いかえすと、これも性具の一つ、皮膚を愛撫するためのものだという。
「とても、このゴキブリにはかないませんよ。昔、青年たちがハエ姦をやったのを御存知ありませんか」「ハエって、あのうるさいハエですか?」「さよう、まず風呂へ入ってペニスの先端だけ水面に出す。あらかじめつかまえておいたハエの、羽根をちょん切り、この上に置く時は、ハエ四面水なるをもって進退きわまり、孤島の上を右往左往して、快感いわんかたなし」ところが、ゴキブリの幼虫ならなお効果的らしいのだ。「みみずでも同じことです。これを尿道に誘導してやれば、一匹にして千匹にまさります」幼児性を残している連中を集め、ドロンコ遊びさせながら、こういった虫による快楽をむさぼらせれば、性的不満おのずと充たされて、子宮類似の車へおもむかなくて済むという。そういえばアメリカで、同じような向きの大人を集め、「オカーサーン」と何度も絶叫させる治療法があるらしいから、似たようなことか。
「実は私、田舎に土地を持っておりまして、このたびはからずも大金が入ることになりました、新幹線の用地に買収されましてな。これを社会のため有益に使うべく、あれこれ考えたあげく、『性在万象協会』を設立、いわばセックスサナトリウムを造りたいと思うのであります」日本には、もともと資源も少ないし、このまますすめば公害実験国になってしまう。丁度モナコがバクチによって国を維持する如く、わが国の未来はセックス立国しかないのではないか。「精液をどうたれ流ししても、赤潮や廃油ボールはもたらしませんからな、自然環境も破壊せず、そして世界のにくまれ者になることもない」「セックスコンビナートですか」「いや、そういってしまうと、ミもフタもない感じですな。つまり現代人は性力がおとろえておりますでしょう。一夫一婦制度におしひしがれ、タブー戒律にさいなまれている、これを解き放って、旧に復するための療養所です」アポロに託すのも、あるいはヌーディストクラブヘ入るのも、所詮は文明の掌の上でじたばたしているにすぎない。「自然と交わることです、これしかない」
「しかし、虫姦菌姦といっても、なかなかとっつきにくいんではありませんかなあ」「そりゃ、極端な例を申し上げたからです、とりあえずは獣姦でも、水姦山姦樹姦、とりかかり易いものからはじめてけっこうです」「水姦というのはどんな風な」「水泳ですよ、今の水泳は馬鹿みたいに速さをきそっておりますが、もともとは水と媾合の形なのです」「はーあ」「クロール、ブレスト、バックストローク、バタフライ。それから日本のノシにしろヌキテにしろ、すべて男女の態位に似ておりましょう、速さなどどうでもよろしい」
「いわれてみると、そう見えないでもありませんなあ、近頃のドルフィンなんか、見るからにアクメ寸前の感じだし、ノシは松葉くずしといったところですか」「さよう、水の女神を犯すつもりで、また女性なら、逆のことを考えつつゆっくり泳いでごらんなさい、そりゃもうゴクラクゴクラクといったものですよ。ダイビングだって同じです」「山姦というのは、山登りですか」「さよう、山を犯すのです」本来の目的を失っているから、無理をして遭難する、「高きが故に尊からずとはこの意味をいうのです。おのおのの能力好みのまま犯せば、山はやさしく抱擁してくれます」そして男は、とりあえずいちばん肌になじみやすいであろう獣姦の施設を造りたいという。
「これはもう古くからあることですしね、私らは田舎ですから、いくらも見聞きしました。嫁に先き立たれた亭主が、牛っこをかわいがるなど、当り前のことでしたし、山羊もわるくない、乳の出がようなります。戦地でも、馬や豚を犯すことがよく行われていたそうで、兵隊は馬と暮しているうちに、情が移るといいますかな、もう本当に人生の伴侶といった態で情を交わしておったものです」「しかし、それとあなたのいう、性の復権というんですか、どう関係があるんです」「やさしさ、思いやりですよ。人間がおかしくなったのは、人間以外の動物を自分たちのために容赦なく殺し、かと思えば過度な保護を加えてみたり。同じ地球に住む相棒とはまるで考えていません。今のところ、人間と獣の間には言葉が通じないし、力関係でいうと、人間の方が一方的に強い。この垣を破るのがセックスではありませんか。あなた、いっぺんでも情を交わした相手は、なかなか食べにくいものですよ。食べても、うしろめたさがつきまといます。これが必要なのです、獣と寝れば、自分も獣であるとよく分りましょう。そして、犬などを相手にすると、実に犬の感情がよく伝わります、その、やさしい心根を学ぶことができる」態位こそ一つしかなくても、本来の雄と雌にあらまほしきいたわりの形は千変万化、くめどもつきせぬものがあるという。「なるほどねえ、分らないでもありませんなあ、よく子供にとって最良の友は犬だっていうし、動物をかわいがることで、やさしい性格をはぐくむともいわれているから」「あくまで、飼主とペットであってはいけません、対等にふるまわなければ。でないと、愛護家特有のいやらしさを身にそなえてしまう」「具体的にはしかし、どうやりますかねえ。獣姦の場所といっても」「トルコ風呂のようにやりゃいいんです。日本の法律では、獣姦は禁止されていないはずですからね、犬、馬、牛、キリン、象、カモシカ、好みの動物をえらんでいただく。なんなら虎でもライオンでもよろしい。いやあ考えただけでも勇壮ですなあ、ライオンと愛撫をかわしてごらんなさい、今みたいになんだか乳液をつけてこちゃこちゃやってる手わざなど、馬鹿みたいなもんでしょう」「食べられちまいませんかね、猛獣を相手にしたら」「本当は、飼いならしたんじゃうまくないんだけど、はじめのうちやはり調教師をつけた方がよろしいかも知れません、昔風にいうと遣手婆さんですかな」
男、愉快そうに笑い出し、「どうやら先生の御賛同をえられたらしくて、はるばるやって来た甲斐がありました」あっさりいうから仰天し、「いや、私ももう少し研究してみないことには」「もちろんです、幸い私の実験的獣姦ランドもおよその形がついてまいりました。是非おこしいただいて、納得のいくまで御研究下さい。まあいろいろ申しましたが、これで分らない部分もずい分ありましてね。さかりのついていない雌にとっかかれば、怒られちゃうでしょうから、媚薬も必要ですし、サイズも問題だし、ゆくゆくは鳥獣草木虫菌風水火木土における四十八手も、はっきりさせたいと思います。先生のお力添えが是非とも必要ですなあ」男、その手付金といって、百万円の小切手を仁太にわたし、立ち去った。「男の人はたいへんですねんねぇ、女やったら一つでええのに」立ちぎきしていたらしい隅田、わるびれもせずつぶやいた。
その内容はとにかく、トイチハイチという言葉は何に由来するのか、仁太、ウイスキーを飲みつつ考えてみたが、とっかかりがない。隠語辞典によると、トイチは、花札の用語にあって、素札と一点札のことだそうで、ハイチは開くことを意味するという。
トイチハイチから、共にイチを抜くと、トハで、これはサイコロであり、中の二字を抜き出して、チハは何であるかといえば、これも賭博の一種、そして確か国鉄の車輛の種類をあらわす用語にもある。「対」「配」「吃」と考えれば、麻雀だけれども、とにかく賭けごとに縁の深い言葉であるらしい。
イチを一に当てはめてみると、あるいは「上」を分解したのかも知れず、しかし、八一が分らず、十一八一にしてみても、六十九ほどはっきりした意味はうかがえぬ。隅田は、英文タイプを習うために、夕刻六時から外出し、十時近くにもどるが、どうやらそのつど三味線の糸など一式を携帯するらしく、仁太がこっそりあらためたところ、ボストンバッグの中のそれは、数が少なくなっていた、そして、いくらなだめすかしつつ、たずねてみても、「あんなん、男に必要ないことですわ」口を割らず、仁太は、東北地方の、獣姦ランド企画者から、妻に内緒の百万円を受け取っていたし、もし、トイチハイチ実演の場を、かいま見せてもらえるならば、十万くらい払ってもいいと申し出たのだが、「なにもお金出してまで、地獄を見はらんでも」と、ますます思わせぶりなのだ。
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ホームS・E
「あなた、きちんとして下さいよ。小説書いてる時なら、汚ない恰好もいいでしょうけど、今はカウンセラーなんですからね。白衣かなんか着たらどうなの」妻が、そわそわした物腰であらわれ、仁太の乱れた髪の毛をなでつけにかかる。「なんだい、お客さまか」「いやあね、すぐ忘れちゃうんだから、私のお友達があなたに相談したいって、ちゃんとスケジュールを決めたでしょ」仁太、見当がつかずぼんやりしていると、「今たいへんなのよ、高校生の性教育ががらっと変ったでしょ。もし相談された時、どうしようって、うちはまだちいさいからいいけど、その年頃のお子さん持ってらっしゃる方は」ようやく思い当り、いささかうんざりしていると、「ねぇ、白衣つくりなさいよ、カッコいいの。若い人だとキザだけど、中年には似合うわよ、お腹のでっぱったのも隠せるし」「カウンセラーは医者じゃないからね、着る必然性がないよ」大体、白衣白帽で週刊誌に登場する医者というものは、余りオーソドックスな分野ではない、むしろいかがわしさの象徴の如き印象なのだが、妻に説明しても無理だろう。
「何時なの? 来るのは」「八時よ、昼間っから性教育でもないでしょうって、わざわざ夜にしてもらったの、そのほうがいいでしょ、あなただって」「家は大丈夫なのかね。空けても」「みんな遊び歩いてるわよ、私、おそく産んじゃって損したわ。子供が高校に入った頃って、いちばん楽なんですってね、これが大学だと、もうお婆ちゃんになっているけど、今なら年増盛りでしょ」
仁太は、なんとなくホストクラブのホストになったような気持で、妻のいうまま第一種礼装に近い姿に身を固め、待つうちまず車で乗りつけた一人、前輪を溝に落して、ジャッキを操作する手伝いをさせられ、ようやく終えると、今度は幼児を連れた一人が「なんだか熱っぽいみたい、先生診ていただけません」と、男の子をさし出す。医師ではないと断るより前に、「あなた、お薬にはくわしいじゃない、みつくろってさし上げたら」妻が口をはさみ、止むなく子供を受け取って、部屋へもどる。
「どこか痛いの?」仁太がたずねると、「うーん、眠いんだよぼく」子供が、むやみに睡む気を訴えるのは、いい徴候ではないから、熱をはかったがべつにない。話をきいてみると幼稚園へ入るための、塾へ通っていて寝不足らしいのだ。「じゃ、ここで寝るかい?」問診用のべッドをしめすと、こっくりうなずき、ごちゃごちゃ口でつぶやくから、お祈りでもするのかと思うと、九九を暗記しているのだった。「これやってから寝ないと、叱られるの」呪文となえ終って、子供体を横たえ、今度は、手をのばして、掌を開閉させ、「こうやると夢を見なくて済むんだって」情けなさそうにいった。
何人集るのか知らないが、すでに姦しくしゃべりかわす声がひびき、仁太、何を講義していいものやら、確かに新聞で、あたらしい性教育の教科書がつくられたこと、これまでの通りいっぺんとことなり、避妊の具体的な方法から、行為の説明もなされていると読んだ覚えはある。
「あらセンセ、申し訳ありません、大勢で押しかけてまいりまして」いずれも、豪華な衣裳まとい、指輪を飾った十二、三人の中年婦人、客間に三つ並べた机の両側にすわりこんでいて、すでにビールが用意されている。「ほんとに小学校では集合論で困らされるし、今度はでしょ」「ついていけませんものね、私たち」「静粛に皆さん、センセはお忙がしいんですから」一人が制し、S・Eというのは、どうやらSEX・EDUCATIONの略らしかった。
「あの、本日私どもが図々しくうかがいましたのは、S・Eのガイダンスプランの解説と、それから私どもまだちいさいのがおりますもので、ホームS・Eについて、母親の心得なければならぬ基礎知識を、お教えいただきたいと存じまして」背の高い女が、一群のリーダーらしく、てきぱきした口調で申しのべ、「なんでございましょうか、性教育と申します以上、試験の課目に採用されるんざましょうかねぇ」ねずみの如く貧相な女が、ぶつぶつとつぶやく。
「いや、私も文部省の意図がどこにあるのかよく存じませんし、まあ、日本でやることですから、とても北欧のようにすべてあけっぴろげというわけではなくて、べつにことさら教わらなくても、とっくに高校生なら心得ているようなことばかりでしょう」仁太が当りさわりのない台辞をのべると、「でもねセンセ、幼児の性器いじりなどをどう考えるか、なかなか母親には難問でござますのよ」「われわれ女性には分りませんわね。確かに性器をのばしたり、ひねくったりしてればおもしろいでしょうけど、後々の影響を考えます時、どう指導すればよろしいか」「子供でも、あれ大きくなるものですわね」「そりゃそうですわ、赤ん坊だってねぇ」口々にしゃべりはじめる。「あまりいっぺんに申し上げても、先生お困りでしょうから、整理しておうかがいすることにいたしましょう。まず先生の、性における情緒的要因の位置づけをどのように考えていらっしゃるか」
性器いじりから、突如、情緒的要因に飛躍されて、仁太うろたえ、このてのボキャブラリーはきわめて貧困だし、また反発感もある。近頃、なにが難解であるといって、前衛と称する映画を批評する文章ほど妙な新語の羅列されているものもなく、これを読むと、肝心の映画を観る気が失せてしまうのだが、PTA、教育ママにもその影響が及んでいるのか。「そりゃまあ、かなり重要なものだと思いますが」「つまりHな言葉を使い、またそのような写真を眼にすることが多ければ、早熟になるとお考えですか」今度は、しごく当り前のことをいって、一人で深くうなずき、メモをとる。
「性教育のカリキュラムとしましては、学習、経験いずれが重視されるのでしょうか」ギスギスに痩せた女がたずね、これまた仁太は苦手なのだ。オリエンテーション、ガイダンス、ドリル、カリキュラムなどの、戦後教育用語がさっぱり分らず、パネルディスカッション、シンポジュウムも理解しにくい。学習、経験というから、「まあ、両者並行して行われるのが望ましいですな」「そういたしますと、経験の場合、オナニーでございますね。そういうものも、学校で教えるのでございますか、それともこれは家庭指導のジャンルでしょうか」「私、困りましたわ、よく存じませんもの。あれはトルコ風呂などでよくやるんだそうですね」「私、ほんの少しは分りますけど、あの、三番目の子供がお腹に入っております時、体の具合がおかしくて、とても、主人の愛にこたえることができませんの、それで、いろいろ工夫いたしましてね」豊満な母親、掌を筒型にして上下にふる。「あら、どうやるんですか?」心得なければ、自分の子供に顔向けできぬとでもいうように、三、四人が同じくし、「ねえ先生、これでよろしいんざましょ」ジャンケンの前の如く手首をふり立て、そのさまは、いかにも誇らしげなのだ。「性教育は、社会でしょうか、それとも生物なのかしら」「うちの子供は社会が苦手なんですよ。もし東大入試の社会の撰択科目として、性教育が加われば有利ですわ。むつかしい年号を覚えるより、これでよろしいんですもの」「正科に加えられたんざましょ、だから当然ですわよ」口々にいい立て、仁太、そうなった時の有様をふと思い描く。
「オナニーの正しい方法につき記せ」いや、現在は○×式だから、「オナニーは順手に握り、上から下へこするのが正しい」「オナニーは逆手に握り、下から上へこするのが正しい」「オナニーはカカトで行うのが正しい」などの設問に○×をつける。もしそれが女の場合はどうなるか、女も男のオナニーについて正しい知識を身につける必要があるのかも知れぬ、しかし、これのカンニングは楽だろう、一人がこっそり試験場でやってみせればいいのだ。
「男ばかりではございません、女の子の場合もうかがいませんと。あの、生理帯の当て方なども試験に出ますのでしょうか。うちの二番目は小学五年でして、まだなんでございます。これはやはりもうおありになるお子さんの方が有利だと思いますが」「それにあれは個人差がございますでしょ、いわゆる上付きと下付きでは当てがう場所がちがいますし」「そうですわねえ、うちのはどっちかしら」「母親に似るそうですわ」「そりゃそうねえ、父親は関係ないもの」「ねえ先生、性交はどのへんまで予習させとけばよろしいんでしょう」「予習?」「ええ、うちの坊やの通っております高校は、いわゆる有名私立でございまして、きっちり予習していかないことには、とても追っつかないんです。ですから、そのオナニーですか、それもきちんと教えてやらないことには、きっと恥ずかしい目にあうでしょうし、ほらここにございますね」母親の一人、教科書をしめし、「男子の性器を女子の膣に挿入することによって、性交が行われるってございます、坊やにはすぐ理解できないだろうと思いますの」「そうよねぇ、私だって娘時代さあ、不良の友達にきいたけど、信じられなかったもん」ガサツな口調の一人が同意をしめし、「これはもう両親が模範演技する他ないんじゃない? グアハハハ」大声で笑い出す。「笑いごとじゃございませんことよ、あやまった知識をいだくと、同性愛やらインポテンツになるっていいますもの、ねえ先生」「本当に母親も学ぶことが多くて、でも、おかげでおくればせながら知識を広めることができるんですから、幸せですわ」仁太、ただ呆然と、母親たちをながめ、この教育ママたちは、子供のためなら、確かに自分たちの営みを見せかねぬ。
「パパもちゃんと協力して下さらなきゃ、ねぇ、恥ずかしがってる場合じゃないのよ、明日は、男子性器の試験があるんですから」などいって、娘を父親の前にすわらせ、「では部分の名称からおさらいしましょうね、ここはなに?」「キトウ」あどけない娘が答える。「勃起現象について説明しなさい」「はい、性的刺戟、緊張あるいはボーコーに尿の溜った場合、性器に充血が起って容積を増加させる現象をいう」「そうよくできました、ではパパ、ちょっと勃起させてみて頂戴」これが逆ならば、母親が息子に見せる。「ここが膣前庭っていうのよ。図のこの部分。これが陰核、興奮すると少しだけど勃起するの」まあ、ここにいる母親の股倉のぞかせられる男児こそいい迷惑であろう。
母親たちは興奮しきって、ミもフタもない術語をふりまわし、だまりこくっている仁太に気づくと、あわてて身じまいを正し、「本当を申しますと、私たち、男性の性心理って、よく分りませんのよ。どうかこれからもお導き下さいましね」リーダーが一礼し、「子供のこともそうだけど、少し亭主についてもうかがわないこと? 私、近頃どうも疑問に思うことがあるのよ」「なに、浮気でもなさってるの?」「それなら珍しいことでもないけど、全般的にちいさくなったみたいなの、あれやっぱり年と共にちぢむものなのかしら」「お道具つかえばいいのよ、そういうのには」「お道具って?」「いろんなの売ってるわよ」貧相な一人が、色どり鮮やかな性具をとり出し、「なれないと幅ったい感じだけど、性感倍増よ」「体にわるくはないかしら」「ちょっと見せてよ」ふと気づくと、仁太の妻もそれを手にとり、しげしげとながめ入っていた。
仁太、そのさわぎをよそに、トイレットヘ立つふりで、診察室へもどると、男の子は棒のように体をのばしたまま、眼をぱっちり開けているから、「どうしたの?」「お腹が減っちゃったの」「晩御飯食べたんだろ?」「ぼく少し肥っているでしょ、みっともないからって減食させられてるの」仁太、もらいもののクッキーの罐をさし出すと、浮浪児のようにガツガツ食べはじめる。客間からは、母親たちの姦しい笑い声がひびき、まったく少年の前途多難なりと、仁太つぶやかざるを得ない。
仁太の知っている例でも、子供のペニスが、他に較べてちいさいのではないかと、毎日刺戟を加えて、雑菌が入ったのだろう、腫れ上ったのを、効果てきめんと喜んでみたり、小学二年の女の子が、股間に手を触れたがるのを、きっと汚れているせいだと、朝夕ぬるま湯で洗い、まんまとオナニーの癖をつけてしまったり、性教育の必要なのは、母親側なのだ。
丁度、今、高校生を持つくらいの母親は、男女不同席教育の末期に、学生時代を過ごしている、隔靴掻痒の感じで男女のことわりをまさぐるうち、結婚生活へ入り、一種の好奇心が純粋培養されているのだろう。だからミもフタもない用語を口にし、教育の名をかりて、充たされぬまま放置された欲望を、満足させようとはかるのだ。「あら、先生。逃げちゃうなんてずるいわよ、今ね、お家代々の絵巻きが御開帳されてるんですよ、ねえ、解説して下さらないと分らないのよ、あんなことってできるものかしら」男の子の母が足どり覚つかなく入って来て、しなだれかかり、「坊や、早く寝なさい。明日は九時からお稽古でしょ」怒鳴りつけ、仁太を引っ立てようとする。獣姦ランドよりも、母親の欲求不満をなだめる設備の方がもうかるのではないかと考え、廊下を母親に手をひかれ歩くうち、帰宅したばかりの隅田とすれちがった。隅田は、おちょぼ口にして舌を突き出し、舌には、刀のつかの如く、糸が幾重にもまかれていた。
仁太が客間へ戻ると、S・Eママたちは、机の上にひろげた巻物に見入っていて、それは十二カ月風に仕立てた春画、ところどころに虫食いの跡があり、かなりの時代もの。それまでの姦しさとうって変り、いずれも妙にひたと眼をすえる感じで、ただ一人、幼児の母だけが、ビールの酔いをかりて「まあまあ、こんなポジションは、はじめて見ますわ」絵を指さし、「いくら春画と申しましても、やはり名人の手になった作品は、芸術的でございますねえ、センセ」「名人って、誰のものです、これ」「ええと、どなたでしたっけ」心もとなくたずねると、痩せこけたママが、「私が嫁ぎます時、父からもらいましたものでして、なんでも元はかしこきあたりが所蔵されていたとか」仁太しげしげとながめ、まったく絵についての知識はないが、そう名人上手の手になる作品とも思えぬ。しかし、芸術という言葉に力を得た如く、押しだまっていた一同、急に、指の表情がこまかいとか、髪の乱れ具合がリアルだとか、しゃべりはじめ、仁太はよほど、そんな枝葉末節よりも、肝心の女性的部分は、どうなのか、自らにひき較べ、描かれている形は、リアルであるかどうかたずねてみたい。まったく女性は自分の性器をどんな風に考えているのか、ふつうにはなかなかのぞきこみにくい部分にあるから、見ぬもの清しでケロっとしているのだろうけれど、直視したならば、とうてい愛とかなんとか、口にできる筋合いのものではないと分るはず。
「先生など、こういうものには食傷してらっしゃるんでしょ」たずねられて仁太、このところブルーフィルムにしろ、春画にしろ、まったく観ていないことに気づく。「食傷っていうより、もう興味がありませんね」「まあうまいことおっしゃって、奥様がいらっしゃるからそんなこと」「そうよ、男性っていくつになっても、ストリップとかシロクロとか、お好きなのよ」「いやあね、奥様のを見てりゃいいでしょうに」「観せてやろうかしら亭主に、一回いくらって料金をとって」女の常で、話が飛躍しはじめたから仁太はだまりこみ、ママたちの話題は巻物についたシミの鑑定から、男のお道具調べにいたって、つきるところを知らぬ。
十一時近くになり、ようやく腰を上げ、となると、急に亭主や子供の話題に一変し、「私がいないと、主人は冷蔵庫の氷も出せないんですよ」「うちも同じ、ひっぱがしてやらないと、下着も替えませんの」「ちゃんと宿題したかしら」良妻賢母風表情を浮かべる。
「あの、おねがいがございますんですけど」チューインガムを噛みつづけている一人が、後に残って仁太にいい、妻もかたわらで、「他の方がいらしては具合のわるいことなんですって」あらかじめ頼まれていたらしく口ぞえする。「どうぞ」「息子のことなんですけどねぇ」「大学二年生でいらっしゃるのよ。さあ、おっしゃいませな、主人は職業上の秘密を決して他へもらしたりしませんし、ねえあなた」妻こざかしくいう。「どうも、近頃ホモになりかけているようなんです」大学生の息子がいるとはとても思えぬ若造りのママで、「ホモっていうと、どんな風に?」
「体つきはもうとても男らしくて、空手部に所属してますのよ、坊主刈りですし」ママのいうには、とにかく過激派だけにはなってほしくないと、高校の頃から日本古来の武道を習わせたものらしい。「体育会系の学生は、礼儀も正しいですし、しごきだけを除けば、安心してられますものねえ」なるほど、そういう躾のしかたもあるのかと、仁太感心する。「おかげさまで、大のアカ嫌いになってくれたんですけど、近頃なんて申しますか、興奮すると女言葉を口にして、しかも自分では気がつかないらしいんです」ママが、息子の留守のうちに、うっかりその部屋を片づけてしまい、「いやだなあ、ぼくももう大人なんだからね、プライバシーを尊重してくれなきゃ」と抗議するうちはよかったが、「いいでしょ、ママが掃除するんだから。それともママにも内緒の秘密でもあるの?」「秘密のあるなしじゃないのよ、ここは私のお城じゃない、勝手に他人の手でひっかきまわされたくないのよ、それくらい分ってくんなくっちゃやだわ。ドアに鍵をかけようかしら」次第に女っぽくなり、言葉だけではなく、動作もしねしねと奇怪な印象で、「これがね、玉三郎ならいいんですけど、何分六尺近い坊主頭でございましょ、私、気持がわるくなっちゃって」「ふざけてらしたんじゃございません」妻、なぐさめるようにいったが、「それから気をつけてみてますとね、電話でしゃべる時に、女言葉つかったり、チャールズ・ブロンソンのポスターを大事にしてたり、ただごとじゃございませんのよ」
過激派の角をためてオカマに仕立て上ったのなら、まあ、少なくとも親が天下に謝罪する心配がないだけましと、仁太冷たく考え、「男性の中には、ホモ的部分がいくらかはあるもんでしてね、そう心配しなくてもいいんじゃありませんか。ホモで社会的に立派な活動している方も多いんだし」「でもね先生、パパも気味わるがってんですよ、やたらべたべたと肩にさわったり、腕組みをしかけるらしくって」急にママは鼻をすすり上げ、「一人っ子でございましてね、本当に手塩にかけて育てましたのが、こんなことになって。先生、もし万一でございますよ。パパと息子が、あの近親ホモ関係にでもなったらどうしましょ。もう私など邪魔者扱いで、パパと話をしている所へ、私が顔を出しますと、プイと立ち上ったりして」「まさか奥さま、そんな、ねえあなた」「そこまで考えることはないでしょうけど、一度ここへ来るようにおっしゃったらどうです、大学はどちらで」仁太たずねると、同学で、いわば後輩。「先輩が、酒を一緒に飲もうといっているとか、うまく口実をつけて」「ありがとうございます、どうか先生の口から、ホモは人間の道にはずれていると、おさとしいただいて」「まあそうせっかちにも運べないでしょうが」「空手部はやめさせた方がよろしゅうございましょうか」「それは関係ないでしょう」「いっそ早くに誰かとあの、女性のねえ、よさと申しますか、分らせればいいかとも思いますんですが」「結婚させるんですか」「いえ、適当な芸者さんかなにかに、筆下しっていうんですか? 童貞を失わせてやって」
「しかし、よほどいい相手ならよろしいでしょうけど、かえって女嫌いになることもあります」「そうでございましょうねえ」「こればっかりは、いかに偉大な母の愛情といっても、御自分ではなされないし」妻が、つぶやくと、ママ急にキッとなって、「いえ、私、人身御供になりましてもようございます。息子を邪《よこしま》な道から立ち直らせるためには、操を捨てましても」古めかしい言葉を使い、確かに息子と寝ても、操を失うことにはちがいない。
「まあそう思いつめなくても、何か方法はあるでしょう」「先生がごらんになって、もし私の体が必要ということであれば、おっしゃって下さいまし」体という、今度は生々しいその語感に仁太うんざりし、結局、このママは息子と寝たいだけなのだろう。「父子相姦より母子の関係の方が、まだましでございましょ」妻にいいかけ、「そのようでございますわねえ」妻、深刻にうなずく。
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性欲減退剤
翌日、仁太は大学時代の同級会が、神田で開かれるから外出し、四十もぞろ目近くなると、最後の悪あがきといった感じで、理由もなく転職する者、離婚した者、さらにはノイローゼになった者と、さまざまな中には、いちばんのんびりしているのは、大学にそのまま残り教師となった連中、学園紛争の頃は、神経をつかったらしいが、一段落してみれば、やはり気楽な稼業。大学教師を見ていて気づくのは、肥満体と痩身、また美男子と醜男にはっきり分れていることで、中間型がないこと、神経質なタイプと豪放磊落、大声と小声という点でも、他の分野に較べ、極端なあらわれ方をしているように思える。仁太は、肥満体の醜男で、神経質のくせに大声でしゃべる同級生を、会の前に、その研究室へたずね、ホモ学生をカウンセリングする下調べのつもりだった。
「そんなのはべつに珍しくもないさ、いやもう近頃の学生など、どんなのがとび出して来ても、俺はおどろかないね」天井までとどく書棚を背にして、周囲に大学院の学生らしい若者がいくらもいるのに、同級生声高にいい、「いうならば、精神病院みたいなもんだなあ、教師なんて、入院患者をあやしている看護婦と大差ないぜ。いちいちおどろいてた日には体がもたない」「じゃホモも多いのかね」「ホモなんて正常な部類じゃないか、どうってことはないさ」同級生はあたりを見まわして、「あすこにいるのな、語学研究所の男だけど、れっきとしたオネエだし、今入って来た奴は、マゾの方だ」指さして素姓を説明する。
「べつに隠さないのか」「当り前じゃないか、お前よくそんなことで、セックスカウンセラーなどといってられるなあ、あのマゾの男なんか、学生に吊し上げられて、ぶんなぐられたりしたら、ヒイヒイって喜んでるぜ。近頃は学生も心得て、奴がのり出すと解散しちまうけどな」へえと仁太あきれかえり、「まあ、ここに一日すわっててみろ、いろんなのがやって来るから」同級生は、机の抽出しからノートをとり出し、「昨日、俺のところに文学史上に残る大発見をしたといって、これを持って来た学生がいる」仁太の前に頁を開き、そこにはこまかい字で、性器の名称が書きならべられている。
「それはまあ便所の落書と思えばいいが、その次ぎに」頁をめくると、「日常語にあらわれたる性的用語の誤用例」と大書してあって、「めのこ算はあやまりへのこ算なり」と、またこまかい字で説明がなされている。へのこつまりペニスは裸になれば、すぐ目につく、これを数えるような勘定の仕方をいうのであって、「めのこすなわちおめこをどうやって数えるというのか、あれは通常裸になっても、見えない部分にあるのだ」といい、下に感歎符がつけられていた。「なんだいこりゃ」「分らんね、多分性的ノイローゼなんだろうな、これは博士号を確実にもらえる論文だから、これを担保にして金を貸せっていうんだ」「たかりの手か」「いや本人は真面目なんだよ」ノートは最後までびっしり字がうまっていて、「きんかくしはあやまり、正確には|ちん《ヽヽ》かくしなり。|きん《ヽヽ》はかくさずとも、男根の裏にあって、その必要なし」のような誤用例の他に、名前による性器判断、遊びの性的解釈など、いずれもでたらめだが、一種の執念の如きものを、仁太は感じた。
「世界を救済する秘法を発見したというのもいたな、なんでも心に悩みをいだいて、明治神宮へ参拝したんだそうだ。そして叢《くさむら》に寝そべるうち、ついマスをかいたらしい。かき終ったらもう心のもやもやはすっかりなくなっていた、これはやはり明治神宮のありがたい御恵みにちがいない、悩める者は、すべてあの神域でマスをかくべしというんだなあ。そりゃ若いうちは、どこでかいたって、当座さっぱりするだろうよ」同級生、さすがにげんなりした口調でいい、「ふだんは真面目な学生なんだぜ、それがひょこっと、妙なこといい出すんだから」「やっぱり自臭症っていうのもいるからね」「自分が臭いなんて、そんな生易しいもんじゃない、年中、糞をたれてるんじゃないかと悩んでる奴もいれば、女子学生ならメンスノイローゼかなあ、三百六十五日生理帯を当ててないと駄目なのがいる」「糞をたれてるって、どうなるんだ」「指名して答えさせると、必ずその前に便所へ行かしてくれっていう、バスで揺られてるうちに出たんじゃないかと心配する。ケツのことばかり気にしてるんだよ。内ゲバノイローゼも多いなあ、これはまあ気の毒な例だけど、誰かに狙われてると思いこんで、変装して教室へ来たり、飯の途中で急に走り出したりね。昔ったって、まあ俺たちの頃は、ノイローゼも単純だったよ、失恋とか、運動の挫折くらいだろう。今は、もう原因も分らなきゃ、症状も千差万別さ、ホモならホモで固定してりゃ幸せなうちだよ」同級会に出席するため、二人連れ立って大学のキャンパスを歩き、相変らずタテカンこそにぎにぎしいが、二、三年前の熱気は、まったくうかがえない。
たった一人でプラカードをかかげ、大掃除手伝いのスタイルで、わめきつつ歩く学生がいた。「あれもノイローゼかな、一日に一度ああやって校内を練り歩かないと、気がすまないんだ」他に、犬神講中という看板をかかげ、しきりに演説をつづける学生は、自分に犬神が憑いていると信じこんでいるそうだし、心霊術研究会、シャーマニズム復権の会などの字も見える。「なんだか、頓珍漢な時代へ迷いこんだような感じだな」仁太のつぶやきに、同級生は「そう、マルクスも新左翼も駄目、といっても右にもいけない連中は、あたらしい憑きものを探しているんだな。線香をたいて、想念を凝らしてみたりね、試験の前にお祈りするのもいれば、数珠を片手に答案書く奴ね、うっかり落第点をつけると呪い殺されかねないよ」
学生たちがいっぺんに原始宗教へもどってしまったのも分らないではない気がする。しかし、仁太が学んでいた頃は、まだ焼け焦げの残る校舎だったのが、今は国連ビルにまがうばかりの壮麗な建物にかわり、そのながめとうらはらに、犬神や線香の煙が満ち満ちていると考えれば、うす気味わるくもあった。「これからますます増えるだろうからな、お前の商売は、繁昌まちがいなしだ」「しかしなあ、犬神なんて俺知らないからねえ」「どうってことはないさ、要するに彼等は孤独で見捨てられた存在だと、自分を規定してるんだな、話をきいてもらえる相手がいれば、それでいいんだよ。就職すれば十人のうち八人までがまともになる、実社会で生きているっていう実感さえあれば、治ってしまう。よく全共闘学生の就職転向ってことが問題になるだろ、あれも戦前の転向と同じに考えてはまちがいだよ。連中は生きていることの確かめがほしくって、いわば革命幻想に憑かれていただけのことさ、犬神と大差はない。給料という形で、社会他人とのつながりが確かめられたら、今度はそれをさらに確実なものとするために、モーレツ社員になる。考えてみると、高度成長の経済を支えるためには、今の立ちぐされみたいな大学も、けっこうその機能を果しているのかも知れない」同級生、憮然とした表情でいい、さて同級会の会場は中華料理屋の二階で、すでに二十名近くの顔ぶれが席につき、飲みはじめていた。
「この二人は、まあ死にっこないなあ」幹事が、会費を集めながらいって、「もう三千円出せ」「三千円!」「この一年に三人死んだんだよ、ふだんは連絡とりにくいから、ひとまとめに香奠おくるんだ」仏の名をきくと、親しくしていたわけではないが、仁太にも覚えがある。「これからは、同級会のたびごとに、香奠集めだな」「まだ早いよ、三人たって、一人は事故で一人は前から肝臓わるくしてたんだろ」「保険にでも入っておくかなあ」ガヤガヤしゃべるうち、「なあおい、お前専門家なんだろうから、きくんだが、女っていくつくらいまで性欲があるもんなんだ」商事会社へ勤める一人が、仁太にたずねた。「そりゃ、死ぬまでだろ」「死ぬまで! よしてくれよ」「精力増強剤なんていうのより、減退剤を造ってくれないかなあ、これは売れるよ、じゃんじゃん女房に飲ましちまうからなあ」べつの者がいって、一同、深刻にうなずく。どうして性欲減退剤がないのだろうか、これさえあれば、貞操帯というような必要もないはずなのに。
「おいお前なんとかしろよ、セックスカウンセラーなんだろ」幹事引き受けている中田がいい、「なんでもいいから十日くらい、一人でのんびりしたいよ」「十日って、そんなに年中サービスさせられるのか」「馬鹿いえ、ギッコンバッタンの方は、せいぜい月に一回だけどさ、とにかく暑苦しいんだ。公害みたいなもんだよ、女房見てると、眼がチカチカしてきて、吐き気がする」中田は学生時代から、今の女房と同棲していて、当時はさんざひがまされたものだった。「二十二貫あるんだぜ、信じられるか、座敷をふつうに歩いていて家鳴り震動するからね」「しかしそれはまだ希望があるよ」「どうして」「ポックリいくかも知れないじゃないか」一人が冷酷なことをいい、「いや、うちのは肥るタチなんだな、女房のお袋も十九貫あって、まだぴんぴんしてるもんな」そして、肥るに従い性感が鈍くなるようで、それに焦れて、二十二貫をのたうちまわらせ、「しがみついているだけで精いっぱいだぜ、結婚した時の丁度倍なんだからなあ。これが商品なら詐欺でうったえて当然だよ」「何いってんだ、もう二十年くらいになるんだろ、それだけ使えばガタが来て当然だよ」仁太はしかし、男が結婚の約束を反古にすると、制裁を加えられるのに、女が結婚して後、人が変った如く、図々しくまた醜くなって、それまで男に与えていたイメージとまるっきり異なる存在となるのも、一種の結婚詐欺ではないかと思う。
「本当にないのかよ、性欲減退剤なんてのは。要するにバランスを保てばいいんだからな、亭主と女房の。こっちばっかり栄養剤のむのは不公平だぜ」すっかり頭のうすくなった一人が切実にいう。「健康なら健康で、欲望は強いし、病気になるとまた昂進するらしいな。戦争中、栄養失調でメンスがとまっちまった女なんか、平時よりも男を欲しがったっていうし」保健所へ勤めている男がつぶやく。「栄養失調っていうけど、たいてい男だったぜ、うちの母親なんか、三食雑炊食って、ちゃんと肥ってたし」「そういや女の餓死なんてきいたことないなあ」「俺の女房は、抱いてやると泣くもんな」「馬鹿野郎、のろけてる場合じゃないぞ」「ちがうよ、済んだ後で、さめざめと涙をこぼすんだ、これでまた三日我慢しなきゃいけないのってさ」「かわいいじゃないか」「冗談じゃないよ、こっちは家内安全のために奮励努力したんじゃないか、少しはうれしそうにしてほしいよ」「俺んとこなんか、マスかきゃがるぜ」新聞記者がのり出し、「こう抱きついてくるのをな、寝てるふりしてごま化そうとすると、股の間に俺のふとももをかかえこんでさ、妙な具合に体押しつけるんだ」「へえ、そりゃすさまじいねえ」「なんとなく、痴漢に襲われた女学生の心境でな、俺はじっと身を固くして、台風の過ぎ去るのを待つだけさ」「ホルモンかなんかで、年二回だけ発情するように、できないもんかね」「しかしそれも怖ろしいなあ、もうじき女房の発情期かと思うと、生きた心地はしないぜ」「亭主もそういう時は、生埋休暇ってことにしてさ」「そうだ、女房を抱いた翌日は休みってことにしてくれるといいのにな」「まったくだ、競馬麻雀の楽しみがあれば、まだ、我慢できる、今はまったくの無償奉仕だもん、たまったもんじゃない」「迷信をつくったらどうかね、三十過ぎてから週に一度行うと、癌になるとか、早死した女を調べてみると房事過多の傾向が見られるなんて、週刊誌が書き立てるのさ」「女は割りに信じるからねえ、女のいちばんいやに思ってることは何だろう」「さあ、色が黒くなるとか、シミソバカスが増えるといっても、閨の愉しみには代えられないだろうし」「埋まっちゃうてのはどうだ」「埋まる?」「過ぎると、ヴァギナが変形してできなくなるというような」「そりゃ駄目だ、女ってな妙にあれには自信もってるからね、短小だ包茎だって悩むのは男だけさ」
確かにそうなので、早漏という現象も、一面からみれば、女側の鈍感さのしるしであるはず、三こすり半できわまりに達する男の女房は、その間にしかるべくクライマックスを味わうよう努力すべきなのだ。しかし女は決して自分の道具について不備な点を認めたがらぬ。「これだけ、女のメカニズムについていろいろ説明されてるのに、自分のものを思い悩まないというのも不思議だな」蛸巾着数の子|愛宕《あたご》山一本松みみず千匹と、上開の条件がしめされているのだ、果して自分のはいいのか、わるいのか、考えてもいいはずだろう。「といって、女房に、お前のは粗末であるともいえまい」中田が、あたり見まわしてたずねると、一同無言のままうなずく。仁太がもし妻にそういったらどうなるか、「お前さんは、いうなれば太平洋間口百間奥千畳という奴だ」など、もし告げたとしても自らのいたらぬ点を深く反省し、以後しおらしくふるまうことは考えられぬ、きっと子供に当るにちがいない、あるいは医者へ行って、縫い合せてくるか、どっちにしろ事態はわるい方へ展開するだろうことは確かだった。
「考えてみりゃ、結婚直後にミスしてるんだな、はじめから年に一回とか二回とか癖をつけとけばよかったのさ。それを当初やみくもにやっちまったから、男はそういうものかと信じこんじゃったんだ」「男はみんな助平と思ってるからなあ」「怖るべき誤解だよ、まったく、小説家にも罪があるぜ、連中はいい年してまだ女に飢えている男を、よく主人公にするだろ、実に害毒を流しているといわなければならん」学校教師がつぶやく。
TVもくだらない国会討論会などやめて、こういった中年男のぼやきを、そのまま中継すれば、きっと高視聴率を上げるはずだし、週刊誌は、女房の性欲減退策を特集すればいい。男の方を強くするといっても、その手段のほとんどが、まじないに毛の生えたものと見きわめがついている。しかも情勢はますます男にとって不利である。管理化された社会機構の中で、男は動物的能力を衰えさせる一方だし、ひきかえ女は子供も産まず、家事に疲れることもなし、性器に手足の化物となるばかり。今こそ医学薬学界こぞってこの妙薬の開発に当るべきで、これは制癌剤よりも緊急の用であろう、このままでは、女房から逃げ出したくて、戦争をおっぱじめることだって考えられるのだ、男のすなる遊びのすべてに、女がしゃしゃり出て、遊びの本質を変えてしまい、今や残る聖域は戦場しかないといっていい。
中年男たちは、さんざ女房の愚痴をこぼしたあげく、さすがにわが身情けなく思って、「ひとつゴーゴーでも踊りに行くか、たまにゃハイティーンの生きのいい姿を見なくちゃなあ」中田がとても一人では入りかねるから、今がチャンスとばかり誘うと、「若い女ってのは割り切ってて、七、八千円でつきあうっていうじゃないか」「ゴーゴークラブヘ来る女の九割九分処女じゃないっていうしな」「今、いちばん尻軽なのは、客寄せに半裸で踊ってるゴーゴーガールだってな」噂話を寄せ集めて、一同そわそわし、六本木の一軒へ押しかけたのだが、すでにゴーゴーの時代は過ぎていて、中年男がいかにも下心あらわに、若い女事務員らしき相手と踊る他は、客もいない。バンドのいかにも軽蔑しきったような視線を浴びつつ、中年男、自分では巧者なつもりで、腰ふり立て足をさばくが、淫らがましい印象が先きに立ち、仁太御一行自らの姿を写し見るようで心なえる。
「何をやってもさまにならない年なんだなあ」中田がっくりと肩を落し、「俺、へそくりが三十万ちょっとあるんだけど、あんたたのまれてくれないか」「なんだい、女世話しろっていうのか?」「いや、そうじゃないんだよ、あんたなら女房を昔から知ってるし、これでハワイでも香港でもいいから、航空券買って、女房にプレゼントしてもらいたいんだ」仁太、事情のみこめずキョトンとしていると、「俺が女房に行って来いといっても、駄目なんだよ。奴は守銭奴みたいなところがあって、そんな金があるなら貯金するっていうにきまってる。だから、君がさ、何か手づるがあって航空券をもらったことにして、昔のよしみで、女房にくれるんだよ。そうすれば奴出かけるだろ、俺このへそくりをどうやって使ったらいちばん有効か、いろいろ考えて、これ以外にないと決めたんだ」「女房を海外旅行に出して、何かやるのか、鬼の留守に」「とんでもない、そんな当てなどあるもんか、ただ俺は、女房のいない家の中で、思いきりのんびりしてみたいだけさ」よほど二十二貫がうっとうしいらしいのだ。
ゴーゴークラブからなお二、三軒飲み歩き、いずれも今日は同級会ということで、おそく帰る名目が立つから、もはやしゃべることもないのに、未練がましく腰落着け、「仁太、減退剤をたのむぞ」女房のマスの道具にされている新聞記者が未練がましくいった。
家へもどって、妙に目が冴えたままだから、半ばは見栄で飾っている、性に関する文献を調べてみたが、古い時代から研究のすすんでいる中国印度にも、女の精を弱まらせる秘法はなくて、もちろん我が国には、見当らぬ。昔の女は、慎み深く自ら男にもちかけるようなことはしなかったらしい、文字のすべては、「惚れた女なびかせる法」やら、「生娘に味な気分起させる法」「身持ち固き女に淫欲きざさしめる法」の説明ばかりだった。
中に紫草の効験という項目があり、これはガマの油をあやまって眼に入れると、失明してしまう、この時紫草の汁で洗眼すれば治るのだという。ずい分御親切なことと、感心して読むうち、「この紫草は、他に女人の欲心を防ぎ、乱るるを制す」とある。これすなわち減退剤ではないかと、仁太、さらにくわしく読むと、紫草はつけたしで、その項目はガマの油について説明がなされ、江戸時代に、男を長持ちさせるための薬として四つ目屋が売っていた「長命丸」、その主要成分はガマの油と阿片だったらしい。ガマの油の中にはレジホゲニンという成分が含まれ、これは呼吸中枢を興奮させ、血圧上昇作用がある。つまり「この薬用うれば玉くきあたたかにして、太さ常にまされり」という効き目は、レジホゲニンのせいで、しかも一方阿片で知覚を麻痺させるから長持ちもする。
そして紫草は逆の効き目があるのだ、仁太はムラサキと名のつく草を調べてみると、これはまた「むらさきえのころ草」「むらさき万年青」「むらさきかたばみ」「むらさきけまん」「むらさきしきぶ」「むらさきせんぶり」「むらさきつゆ草」「むらさきつりばな」「むらさきみみかき草」「むらさきもめんづる」「むらさきはしどい」とさまざまにあって、どれが「欲心を防ぐ」のか分らぬ。植物園で少しずつ葉を分けてもらい、その成分を分析すれば、あるいは発見できるかも知れず、しかしこれを世に発表したらどういうことになるだろう。女は、発情しては充たされず、悶々の日々を過ごすことから、すくわれるのだからよろこんでしかるべきだが、きっと仁太を、人非人の如くそしるだろう。紫草は水に浸してその汁をしぼり、局部に塗るのだそうで、こっそり例のナプキンなどにしみこませておくといいかも知れぬ。あるいはルーデサックの外側に塗るのもいいだろう。「なんだか今日は気分がのらないわ、もうやめて」なんてことになったら、まったく亭主たるもの、生きかえった気分になるだろうが。
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オナニー指南
三日後に、空手部のホモ学生があらわれ、「オス」と仁太に挨拶、なるほどたくましい体格で、とても女言葉使うとは信じられず、うかつな質問すれば、ぶんなぐられかねぬ。あくまで、先輩が後輩にいっぱいおごるという態だから、さりげなく仁太は、学校の現状について説明きくと、「われわれが、ちょっと部員をしごけば、たちまち新聞にたたかれるでしょう。しかし過激派諸君の内ゲバは、みんな見て見ぬふりをするのは、けしからんですよ」「そんなにひどいのかね、内ゲバは」「連中一人では歩けませんね、同じようなこといってるのに、どうしてあんなにいがみ合うのかしら、いやあね」たちまち口調がかわり、「私たちなら、どこが急所か分ってるでしょ、だから危ないところは避けるわよ。彼等は無茶なんだもの、キン蹴り平気でやるし、よく私とめて上げるのよ。そうすると右翼ひっこめだなんていって、憎たらしいったらありゃしないわ、もう」「君、今しゃべってるうちに、自分の言葉つきが変ったの、分ってる?」「ああこれですか、癖なのよ。おかしいかしら」「いや、そりゃ好き好きだから、どんな風にいったってかまわないだろうけど」「うちのママったら変なのよ、坊や近頃オカマになったんじゃないかしらって、パパにこっそり相談してるの。いやあね、オカマなんて下品なこといって。同じいうなら、ペデラスティとか、ホモ・セクシュアリティっていって欲しいわよねえ」「君自身はどうなの?」「私? どうかしら、ホモって文化人でなきゃならないでしょ」「そうらしいな」「ちょっとあこがれる気持はあるんだけど、ねえ先輩、教えて下さらない? 素質はあると思うんだ、私」「女には興味がないの?」「いやあよ、汚ならしくって」「男の方が好き? たとえば汗の臭いとか、皮の臭いをかぐと、興奮するなんてことはない?」「そうねえ」「じゃ、たとえばオナニーの時は、女よりも男のことを考えるわけ?」「あらいやだ、私、そんな不潔なことしたことないわよ」「へえ、じゃ性欲を感じたらどうするの?」「それがあんまり感じないのよねえ、よく友達なんかが、やりてえなんていって身もだえしてるけど、私、そういう経験ないのよ」「信じられないなあ、君みたいに健康な男が、欲情したことないってのは」「そうかしら」「たとえばオチンチンさわってて、なんとなく妙な気分になるなんてこともない?」「そうねえ、べつにないみたい。本当にだけどあんなのさわっていい気持になるのかしら」「そりゃそうだよ、まあ君がホモでもなんでもいいけど、まるで性欲を感じないってのは困るねえ」仁太より先輩に当るカウンセラーの中には、おしぼりを使い、青年にオナニーの方法を教えている者がいた。その話をきいた時、なんとまあ馬鹿馬鹿しいと感じたのだが、目の前に、たくましい体つきながら、どことなく植物の如く、迫力に欠ける若者を見ていると、仁太も苛立って、「ひとつ教えたげようか、性欲を感じる方法を」「おねがいします」男、くねっと体をひねって一礼した。
「ふつうは、こうやって足を開いてすわるね」「自然体というわけね」「右手でこう」まさかいちもつひけらかすわけにもいかないから、自らの股間に当てると、「空手にもそういうかまえがありますのよ、キンを守るの」「あまり強くにぎっちゃいけないね、『皮つるみ』というように、掌ではなくて、皮を上下させるんだからね、だから別名『着せはぎ』ともいう」男は、仁太のしぐさを真似て、拳を上下させる。
「こうやるとどうなるんです?」「いやまあ、動作だけじゃなくって、いろいろ妄想するんだな」「何を?」「君の好みのことさ、女がきらいだというと、どうなるのかなあ」ホモの猥褻なイメージというのは、やはりアヌスなのか、それともペニスでも思い描くのか、眼の前に、拳を中途半端にかかげたまま、きょとんとしている男を見ていると、仁太虚しい気持になり、「とにかく、やってるうちに分るよ」喉がかわいたから、廊下へ出ると、男のママがいて、あわててノートを閉じ、「坊やにはだまっていて下さい」小声でいう、「復習させようと思いまして、ノートをとっておりましたの、やはり、オナニーも練習次第でございましょうねえ」小首をかしげていう。
「あなたが、そういうことをするから、息子さんの乳離れがおそくなるんですよ」仁太、ママを引っ立てるようにして、玄関まで連れて行き、「過激派になろうと、ホモになろうと、いたしかたないじゃありませんか、少しはほっときなさい」「センセは他人だからそんな冷たいことおっしゃるんです。センセだって、もし坊ちゃまがそうなったら、居ても立ってもいられませんことよ」「少なくとも十八過ぎれば、当人の責任ですからね、法律的には」「法律的にはどうであっても、ほら新総理のお母さまだって、未だにアニアニって呼ぶんでしょ、母親の気持は同じでございます」そういわれれば、過激派の事件については父親がやたら矢表に立たされ、総理の場合、母親が引っ張り出されて来たのは、奇妙な暗合といえる。一国の総理が決定した時、その母親が渦中の人となるようなことは、これまであったことなのか、いや、文学者についても、父親がかなりしつこく伜を語りつづけたし、近頃、親子のつながりは以前より密になっているらしい。
しぶる母親を追い出し、診療室へもどると、まだ男は拳を股間に当てがったままでいるから、「オナニーは、また『当てがき』とも称する、つまり、いろいろと淫らな妄想を思い描いて、愉しみとするわけだ。君はそういうことをしないのかね」「妄想ねえ、何しろあたい達、受験勉強でずっといためつけられて来たじゃない。だから、何を考えるかっていうと、すぐ大学に合格して、のんびりしている時のことなのよ」「だって君は、実際に今大学生じゃないか」「そうよ、だから変だけど、今だって、楽しいことを思い浮かべるっていったら、それよ。一人ぼっちで居る時に、自分でも気がついてびっくりすることがあるわ、合格したらあれもしようこれもしようって、考えているのね」ようやく仁太にも事情がのみこめる。受験勉強の重圧から逃げたくて、合格を妄想しつづけた癖が、解放されて後も抜けないのだ。そして、あこがれの大学生になってはみたものの、さっぱり実感がないから、逆に、まだしも妄想を楽しみ得た昔をなつかしむ。
「たとえば、女を犯してみたいと、考えたことはない?」「面倒臭くって、そんなの」「いや本当にやるんじゃないよ。こう人のいないところでさ、今のシーズンならさしずめ浴衣姿で、十六、七の女の子が一人歩きしている、そういうのを押し倒して、無理矢理に」「私は空手でしょ、押し倒すより突きを入れちゃうわね。でも相手が女じゃ、死ぬかも知れない」男は、股間の手を急に前へ突き出し、キェッと怪鳥の如き声を発した。
「君たちの友人も、同じようなの?」「同じってなあに?」小首かしげて、童謡歌手のようにたずねるから、仁太心くじけたが、なにやら男の先輩として見捨てておけぬ気持、一種の義憤に駈られ、「つまり、女のことは考えないのかっていうの」「そうねえ、おしゃべりはもっぱら車かお洒落ね、あと海外旅行くらいかしら」「しつこいようだけど、女を抱きたいと思わないの」「だから、中にはやりてえなんて、もだえてる人もいるっていったでしょ、変ってるのよ」「そっちがまともなんだよ、君くらいの年で、しかもスポーツやってりゃ、年中もやもやしてたまらないはずなんだよ」「もやもやってどんな風?」「そばにいないのに、女の体臭が匂ってくる、ぬめぬめした肌ざわりが実感として伝わってくる、女の股間に顔を埋めてみたい」仁太、過ぎ去ったはるか昔をしのびつつつぶやき、甘酸っぱい気持になる。
「君たちの友人も、一緒に連れておいでよ、そんな心細い状態じゃ日本の未来が心配になって来た」「あら、それなら私たちにも関心はあるわよ。平和憲法のもとで、失ってしまった日本文化の伝統を、どうとりもどすか、また、日本の生命線であるマラッカ海峡からアラスカにいたる広大な地域を、どうやって守るか、よく話合ってるの」「そんなことより、とにかく女だよ。CMじゃないが、われわれの異性は女性なんだ、いや、ホモでもいいたくましく育ってくれれば、とにかく頑張らなくちゃ駄目だよ」中年男が、女房の強さをなげき、精力の衰えをかこつのは、いわば生理の必然でいたしかたない。しかし、一生のうちでいちばん強いはずの、この年齢にあって、淫欲をいだかぬとは由々しきことであろう。
仁太、友人を集めて来るようにいって、男をいったん去らせ、こんな風な状態に追い込んだ責任は、やはり四十、五十代にあるのだ。きわめていびつな受験制度を設け、教育ママの跳梁を、せせら笑いつつ、しかし他人ごとの如く放置したから、オナニーすらできぬ、妄想思い描く能力もない若者をつくり上げてしまった。カウンセリングをはじめてから、さまざまな悩める小羊に会い、あきれかえったり、げんなりしたことはあったが、今ほど気持の昴ぶったことはなく、なんとかして、連中にもやもやを味わわせてやりたい。仁太は、いちおう妻の眼をはばかって、隠してある春画、春本をとり出し、適当なものをえらびはじめる、今の若者の周辺にポルノはいくらもある、そして、もうその刺戟にはなれっこになっているにちがいない。もっと直接的な描写でなければ、効果はあがらぬはず。春信、歌麿、英泉の写真版をそろえ、「水揚帳」「春雨衣」「長枕衾合戦」など、江戸期の名作を準備し、待ち受けるほどに夕刻、十人ばかりの校歌だか応援歌だかがなりたてる声が近づいて、「オス」と掛声が玄関先きにひびく。
仁太が出てみると、校旗を一人がささげもち、「空手部ファイトォ」一人が音頭をとって、一同唱和し、いずれもいかつい面構え体つきなのに、気のせいか女の集団の如き印象だった。勝手に意気ごんで、呼び集めたものの、空手者に特有の、鋭い眼付きでにらまれていると怯えが先きに立ち、「まあ、気楽にしゃべりましょう」「オス」「なにか、飲みますか、ウイスキーならあるけれど」「オス」同じ返事で、訳分らぬながら、仁太は酒の用意をすると、意外なことに、いや激しいスポーツをやっていれば当然なのかも知れないが、六人はコーラを所望し、下戸だという。「皆さんを呼んだのは他でもないんだが、先輩として少し気がかりだったからね、そのなんというか、皆さんは余り女のことを考えないんだって」「女は修業の妨げになります」「そりゃそうだろうが、しかし、性欲はあるんだろう?」いったとたん、一同腰をもじもじさせ、「まいったなあ、性欲なんていわれると、調子狂っちゃうよ」「中年の人は、露骨だから困っちゃう」口々にいう。「オチンチンが硬くなって始末におえないなんてこともないの?」仁太、少しサディスティックな気持となり、なお質問すると、みんなうつむいてだまりこくる。「これちょっと観てごらん、春画なんだけど、もし文章の方がよければ、ここにある」テーブルの上の資料文献を押しやったが、一昔前の生娘よろしく照れているから、仁太は、春本の一冊をとり上げ、「男はせめてのことと、すそより手を入れ玉門のあたりひなさきをいらえば、女もう上気してまえあらわに『ええもうふしん気な、ハァ』というもことわりなり。去年去られてよりいっこう男の肌かぎもせぬのに、惚れた男にこうくじられては、只身ふしもなえるなり。男も大きにおやして女ににぎらす。はずみひとしおつよく『これはもう、つんつんと』おいどふれば先水男の手に溜らんばかり。おまめは最前よりこの態を見てとり、しきりに気がわるくなって、男にすがりつき、『さあさあ』というほどに、男も鈴口のきりきりするほどきざして、闇雲になり、切った火焔の如きいちもつ」音吐朗々、節まわしたくみに読みあげたのだが、これには照れるよりも、キョトンとした表情。
「どうだい、艶なるもんだろう」それとなく男たちの股間うちながめたが、さして変化はなく、「それなんですか」一人がたずねる。「なんですって、男女交情の描写ですよ。すそより手を入れ玉門のあたり、ひなさきいらえばなんて、うまいいいまわしじゃないか」「玉門てなにかね」田舎訛りの男がいい、「なんだか、古語の時間を思い出しちゃったなあ、俺、全然苦手なんだ」「玉門というのは玉の門て書くんだろ、ケツのことじゃないかな、睾丸の門てわけだ」口々にしゃべりはじめる。「君たちは、春本読んだことないの?」「春本てなんですか」「つまり、セックスを描写した小説ですよ」「ああポルノか」「ポルノとも少しちがうけど」仁太、苛立ってもっと易しい言葉づかい、いいまわしのものはないかと探したが、玉門ひなさき鈴口が分らなければ、所詮空しいのだ。
「ぼくたちの頃は、必死になって読んだもんだけどねえ、一冊の本がクラス中にまわって、人に貸したらまずかえってこなかった。だから青春と春本は、二度ともどらないなんて箴言もできたんだけど」「そんなの、すぐコピーとりゃいいでしょ、複写機で」「春本はそんな複写するようなもんじゃない、やるとすれば筆で写す」仁太も、「末摘花」など、必死に書き写した覚えがあった。「副読本か何かだったんですか?」「ちがうよ」「じゃどうしてそんなもん一生懸命読んだんです?」「マスをかくんだよ」「どうして?」「どうしてって、春本読んでカッと来るだろ、その後、春本の主人公になったつもりで、かくのさ」「はじめから読まなきゃいいじゃありませんか、面倒くさい」
仁太、こうなったら何としてでもこの連中を興奮させ、のたうちまわらせてやりたい。「それじゃ、現代文でぼくがいうから、よくきいててくれ。ぼくが、どうしてもかきたくなるようにさせてみるから」「わかんねえなあ、どうしてかかなきゃいけないのか」「いけないんだよ、オナニーは、一種の準備運動といっていいんだ、オナニーも知らないようでは、それこそ早漏になっちゃうし、第一、男としての自覚に欠ける」コーラなんか飲みやがって、それでも空手部か、泡盛が当然ではないか、さらにいきり立ち、仁太これでも以前は小説家、若者好みの濡れ場くらい、即席ででっち上げられなくてどうする。「君たちの好みの女っていうと、吉永小百合かい」「天地真理のほうがいいですよ」「俺は沙織だな」「何でもいい、眼をつむって、好きな女のイメージを思い描いてくれ」「はい」一同、素直に眼を閉じた。
「その女が、夜道を歩いていた。歩くにつれて、裾から白い脛がちらちらと見え隠れする」「あれ、ミニじゃないんですかあ、着物じゃ調子狂っちゃうなあ、真理はいつも洋服だし」「じゃセーラー服でいくか」「古いよ、セーラー服なんて、やっぱりビキニかなんかじゃないと」「じゃ、ビキニで夜道を歩いていた」「海へ行ってたんですね」「そう、そうすると、突如、物陰から一人の男があらわれて、女にとびかかった」「へえ」「女は必死に抵抗したが、いかんせん女の力では男に勝てない」「誰か呼べばいいのに、今は夜だって海水浴場てのは誰かいるもんなあ」「海から少し離れた松林の中だったんだ。たちまちブラジャーがはぎとられ、むっちりした乳房があらわになる」「真理のバスト何センチだっけ」「沙織はあれでわりにでかいんだぜ」「先生、センチでいって下さい」「九十二センチのバストがあらわになり、そのバストを毛むくじゃらの男の手がはいずりまわる。女体の生理の悲しさに、心ではあらがいつつも、いつしか五体の力はうせ、今は男のなすままに身をまかせ、やがて男は、パンティに手をかけた」「でも、生理なんでしょ」「いや、その生理とはちがうんだよ、女というのは、たとえいやな男であっても、くじられてるうちには、乙な気分になるんだ」「くじるって何のことです」「ほじくることだよ」「どこをほじくるんです?」「鼻の穴や耳の穴じゃない」仁太、やけになって怒鳴り立てる。「しかし、膣には感覚がないそうですよ、同じやるなら、やっぱりクリトリスの方がいいんじゃないかなあ」「クリトリスをさわるんなら、くじるじゃなくてクリるが本当だろ」学生たち、しゃべりかわすから、「どっちでもいい、要するに男は女を犯しにかかったんだよ」「それで?」「それでって、女は処女だから、いざとなるとまた抵抗をはじめた。よして、痛い、お母さん」仁太、声色をつかって熱演したが、いかに笛ふけども、一同踊らずしらけきった表情でいる。
「何ともないのかね」「ポルノ映画みたいでおもしろかったけれど、べつにどうってことはないみたい」「天地真理が、犯される、いや、君がだな、襲いかかることを考えないのか。いやがる真理の手を押さえ、その体を裸にひんむいて、ながめて見たいとは思わないのかい」「だって、週刊誌のグラビアに水着姿が出てるもんなあ」「そう、あれみてりゃ大体見当つくよ」「ぼくたちの頃は、スポーツ部の連中っていうと、稽古の終った後で、よくマスゲームをやったよ」「へえ、女の子みたいですね」「あれじゃない、飛ばしっこだ、こうやって一列に並んですわって、一二三ではじめる、早くてしかも長距離を飛んだ者が優勝者さ」「それをやると、何か効果があるんですか?」「効果はなくても、自分は人より強いっていう自信が生れる」
「フーン、それはいいかも知れないなあ、つまり根性がそなわるわけですね」「まあ、そんなもんかな」「わが空手部は、技術面で決して他校にひけをとらないんですが、最後のねばりにかけるところがある、先生直伝のしごきによって、根性をそなえることができれば鬼に金棒だ」マネージャーとみえる男が深刻にいった。「先生、ひとつコーチをおねがいします」一同そろって頭を下げ、そうあらたまっていわれても妙なもので、「しかし、君たちは妄想も描かないようだし、オナニーの必要も感じてないんだろ」「精神一到何事か成らざらん、これからは妄想を描くようにします」「いっそ、女を用意した方がいいかも知れないねえ、フランスなんかじゃ、オナニーパーティなんてのがあるらしい。セーヌ川に船を浮かべて、一方の舟べりに女をならべておく、男は別の側からそのセクシーな姿態をながめつつ、しごくわけだ」「よし、じゃ女子部員の協力を求めよう」マネージャーが断言する。
「いいのかねえ、そんなことに女子部員を使って」「空手部の悲願達成のためです。いやとはいわせません」「場所は、どこがよろしいのでしょうか」「そうねえ、できればホテルのようなところ」「じゃ、千葉の合宿でやろう、あすこなら誰にも気がねすることはない、先生同行おねがいします」仁太、うっかりしたことを教えて、空手部特有のしごきが、文字通りのそれになりはしないかと思う、つまり、退部申し出た者に、上級生が強制オナニーを行うのだ。これは自由組手とかでいためつけられるより、なお苦痛かもしれない。
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マスゲーム
いやあの殺伐たるしごき、弱い者いじめ以外のなにものでもない行為も、マスゲームのような、男としての連帯を確かめる遊びが、すたれたからではないか。仁太は、空手部学生たちの希望を入れて、千葉の合宿へ同行することにし、さて、自らをかえりみてみると、仁太もとばしっこなどした覚えはないのだ。なにしろ血気旺んなる中学生の頃を、戦時中に過ごし、教練やら動員やらで、そのゆとりがなく、敗戦後は腹が減ってなお手すさびどころではなかった。仁太の世代より、五、六年上で、この伝統はとぎれたものらしく、噂だけが残っていたのだ。
仁太のきいたパリのマスゲームは、きわめて優雅なことで、セーヌ河に舟を浮かべ、男性側は主に指揮者、画家、振付師などの芸術家、男色女色ともにきわめつくした遊び人たちで、女は踊り子だという。踊り子がどんないでたちで、またいかに男性を挑発し、欲情をそそり立てるのか分らないが、一度このプレイの味を知ると、病みつきになるものらしい、「そんなのはストリップ劇場で、指技を弄するのと、同じようなことじゃないか」仁太が反論したが、参加したことのある指揮者は、「いや、全然ちがう。ちょっと説明しにくいんだが、淫らさにおいて最高の遊びじゃないかなあ、指一本ふれてはいけないっていう制約のせいか、それともマゾヒズムの愉しみなのか」指揮者、うっとり眼を細め、「トルコ風呂の特殊奉仕は指でやってくれるんだろうが、この場合、精神面の交流だけなんだな。男の気持を読みとりつつ、女はいろいろ焦らすし、また煽り立ててね、きわめて高級なセックスだよ」
空手部の部員ではどうなることか心もとないが、仁太は、なすべきコーチのあれこれ思案のあげく、合宿へ乗りこんでみると、漁村のはずれ、倉庫のような建物で、麗々しく校旗が飾られ、中ですさまじい気合いがひびき渡り、まさか頼もうとも声をかけられず、うろうろしていたら、これが女部員なのか、トレパンのはち切れそうに肥った一人が、コソ泥見る如く仁太に無遠慮な視線を当て、指の骨をパキパキと折り曲げる。「マネージャーいらっしゃいますか」女部員無言で、顎をしゃくり入口をしめすから、のぞきこむと、巻藁というのか、なわを巻きつけた柱に向け、四、五人が拳を突き出し、他は各自勝手にでんぐり返しをうっては、起き上って宙を蹴り、かと思うと正座の姿勢から、三尺ほども跳ね上る者、果てしなく腕立て伏せをくりかえす者。「オス」と横合いから声かけられて、仁太とっさに逃げ腰になったが、暑い中に学生服着こんだマネージャーで、「丁度、飯の用意ができたところです。一緒に食べて下さい」事務所風の一室へ案内した。
空手部猛者の食事といえば、かつては犬や猫を殺して、栄養の補いとしたはず、しかし、テーブルの上にならんだ献立ては、マカロニサラダと鶏の餌の如き生野菜、パンにメンチカツで、まずは小学校の給食。「これで足りるんですか」「いや、みんな肥るのをいやがってね、米の飯を食わんのです」「折角、海が近いんだから、もっと魚を利用すればいいのに」「骨が面倒だっていうんです、料理するんだって、鱗をとったり内臓をかき出したり、気味わるいでしょ」「でも、女子部員がいるんでしょ」「冗談じゃないすよ、彼女たちにそんなことさせようもんなら、たちまち退部しちゃいます」
それでも、マネージャーが食事の旨告げると、どやどやと十数人がテーブルをかこみ、「ラーメン食いたいなあ、合宿もわるくないけど、うまいラーメン食えねえのが辛い」「TVつけてくれよ、TVがないと俺食えねえんだ」口々にさけんで、仁太もすすめられたが、箸をとる気にはなれぬ。若者たちが大勢で食卓をかこめば、一種の熱気が生れるはずなのだが、TVドラマの食事シーンの如くしらけた印象なのだ。仁太も、二十数年前に犬を食べたことがあった。首の骨を折って殺すと、血が肉に混じらないからうまいといわれ、内臓をとり去った後、土中に二、三日埋めておくと、臭みがとれる。はじめそれとしらずに口にしたのだが、味噌と一緒に煮れば、当時、腹の減っていたせいもあろうが、けっこういけたし、正体を知っても、べつに吐き気をもよおすことはなかった。
小学校給食風献立てと、犬を較べれば、それはもう前者が文化的にきまっているが、ほんのささやかな量でさえ残す若者の姿を見ていると、仁太、うんざりして来る。「それで足りるの?」「腹減ったらアイスクリーム買ってくるんです、クッキーもあるし」「先生、あれはいつやるんですか、飯食ってすぐじゃ具合わるいかしら」「そんなことはないけど、女子部員の了解は得てるのかね」「そりゃ大丈夫です、空手部の栄光のためですから」「オス」五、六人の女の声がして、いずれも坂田の金時風だから、仁太いささかたじろいで、「じゃ、ちょっと彼女たちと打合せをしとかないと」「おねがいしまぁす」そろって道場へもどる。
「まあその、瓢箪から駒というか、妙な具合になっちゃって、皆さんには御迷惑でしょうが」なんと説明していいか、口ごもってしゃべりかけると、「いいんです、私たちにも参考になりますし」「そうよ、一度見てみたいと思ってたのよ、どれくらい飛ぶんですか、精液って」「十メートルくらいじゃないの、何かで読んだわ、私」「いいわね、男の人って、無人島へ漂流しても、それで遊んでりゃいいものね」思ったよりもの分りがいい。「まあ、今度のことは、みなさんのお力を借りて、男子部員の男性復権をねがうものですから、真面目にやっていただきたいと思います」「どうするんですかあ、先生」「要するに、皆さんは、こちら側の壁際にすわって、いや立っていても結構なんですが、向いにいる男子部員を挑発していただきたい。声でもいいし、ポーズをつくるとか、なるべく悩ましくふるまって」「じゃあ、まかしといてよ、ねえ」一人が、これはまた古めかしいモンローウォークを披露し、だが上体はドラム罐風だから、色気どころではなく、「いゃあねえ、バカーン」別の一人、三亀松風発声をひびかせる。「そのトレーニングシャツやら、稽古着じゃ感じがでないなあ、何かあるでしょ、ミニスカートとか」「私、ネグリジェでやってみるわ」「じゃ、こっちは浴衣でせまるか」女の方が、よほどのみこみがよくて、みないそいそと着替えに立ち去った。
「大体うまくいきそうだけど、君たちは大丈夫だろうね」TVにぼんやり見入っている男子部員にたずねると、「よろしくおねがいします」「いっぺんリハーサルやらしてくれませんか、なにしろ初体験だからなあ、自信ないよ、俺」「あら簡単よ、こういう風ににぎって、しごくのよ、ねえセンセ」ホモまがいが、仁太に教わった通りの手つきをしてみせる。「よし、予行練習をやってみよう、道場の壁際に整列、一メートルの間隔を置いて、一列横隊に並ぶ」仁太、中学生の頃の教練を思い出して号令をかけ、のろのろ体動かす者を、「急げ!」怒鳴りつけた。
「ズボンを脱げ」囚人の如く浮かぬ顔で、突っ立っている部員に命じ、「パンツもとるんだあ」大声上げていると、仁太、知らずに旧軍隊の古兵風心境となり、「もたもたするな、それでも男かあ」余計な台辞まで口にした。仁太の目前に、すっかりちぢみ上った男根十一本がならび、なおサディスティックな気分が昂じて、「へえ、お前のは皮かむりじゃないか」せせら笑ったのだが、御当人はケロッとしていて、「もうじき手術しますから、性生活にはさしつかえないんです」「恥ずかしいとは思わないのか」「仕方ないでしょ、生れつきだもの」「お前のはまたちいさいなあ」「大小には関係ないんでしょ、大体、膨脹時に八センチあれば十分だそうだし、膣には感覚がほとんどないんだから、べつに大きいからって、いいわけでもないって」いずれもケロっとして、他人の持物が気にならぬらしい。
「ふーん、みんな自分のものが一人前だと思ってるのかね」「かりに一人前でなくても、そんなことで悩むのは馬鹿馬鹿しいですよ、人生他にいくらも補いがつくもの」仁太のもとに、短小コンプレックスの若者があらわれたら、同じことを口にして、なぐさめてやるだろう、しかし、こうケロっとしていられると、かわい気がない。「ペニスは、一黒二赤三紫、あるいは紫高雁高三段巻きといって、いいのもあればわるいのもある、やはり同じ男と生れたなら、いいものを持ってた方が、有利だなあ」「それより車でしょう、いくら一黒だって、お金がないんじゃもてないよ」「先生は、男の精神性をまったく無視するんですか、侮辱だなあ」「無視しやしないけど、やはり男の根本を為すものは、男根なんだ、これを君たちみたいにしごくこともせず、小便だけの用に供しているから、男らしさを失ってしまう」「へえ、先生は右翼なの、珍しいんじゃないかなあ、右寄りのセックスカウンセラーなんて」「右も左もない、スポーツで体を鍛えるのもいいが、もっと大事なことを、君たちは忘れている」「だから、ぼくたちコーチしてもらおうと思ってるんじゃありませんか、そう興奮しないで」
マネージャーにとりなされて、仁太、奮然としたまま、「ではとりかかる、いいな、まず右手で、しっかり、いや、あまり強過ぎてもいけない、あたかも寒夜に霜の降りる如く」身ぶりでしめし、「つづいて、やわやわと上下にしごく」一同、不得要領な表情だから、つい手拍子をうち、「一、二、三、四」掛声をかける。「なにもそうかしこまってる必要はないんだよ、リラックスして」「先生、ぼく不感症でしょうか、ちっともいい気持になりません」「まだなるわけないだろ、前にもいった通り、助平なことを考えなきゃ駄目なんだ」とはいっても、カビ臭い倉庫の中で、しかもあかあかと西陽がさしこみ、とても味な気分になりかねるとは、仁太にも分る。
そこへ、浴衣、ネグリジェ、ホットパンツに、それぞれ妍《けん》を競う女子部員があらわれ、壁際にならんだ男を見るなり、嬌声上げて、「私、こんなにいっぺんに見たのはじめてよ、ずい分ちがうもんねえ」「センセ、さわるのなしですかあ」「鈴口っていうけど、本当に鈴みたいな形してるのねえ」「下の方にあるんでしょ、男の性感帯って」「睾丸て、わりにちいさいものなのね」前にすわりこんで、しげしげと観察する、「駄目駄目、もっと離れて、向うの壁際、そこでさっきいったように悩殺的ポーズをとる」「それ、ファイトォ」女子部員、多分、ヌードモデルの真似のつもりだろう、体つきくねらせて、しかしトレーニングシャツ姿の方がまだましで、因果物めいた印象。
「さあ、ああやって協力してくれるんだから、君たちも本気になれよ。本来なら妄想だけで放たなければならないんだ、大サービスなんだぞ」掛声かけたが、男たちいっこうに意気上らず、中には、情けなくうなだれてしまった者もいる。「注文を出しなさい、君たちの好みのポーズをいって、寝そべってくれとか、脚を開いてもらうとか」「いいわよ、山田君どんなのがいいの?」「わかんないよ、俺」山田と呼ばれた二枚目、頭をかきながらうつむくと、「じゃ、思いきって脱いじゃうわ、その方がいいでしょ」女子部員の一人、パンティ一枚となって、ゴーゴーを踊りはじめる。
他の面々もそれにならい、ようやく暮れなずんで、薄暗い室内に、ギクシャクと小肥りの女体がうごめき、「だらしがないぞ、君たちは、これでもまだ興奮しないのかねえ」「眼がちらちらしちゃって」「そう、少し動かないでいてほしいなあ」「よし、じゃ女性諸君、また静止のポーズをおねがいします」仁太がいうと、女子部員の方は、男と逆にすっかりうわずり、息はずませつつ、ある者はどたりと横になって、身もだえし、また、レスビアン風に抱き合う者もいれば、人眼もあらばこそ、指づかいするらしい身のこなし、たちまちあたりに淫風を生じ、ねっとりとからみつくような声音が錯綜する。
これじゃ逆じゃないかと、仁太あわてて、だが、女子部員によせともいえない。「ねえ、山田君、好きなようにしていい、私もうせつなくて」よく肥った一人が、ビヤ樽ころがすように近づき、山田の脚にとりすがり、「よ、よしてくれよ、冗談はやめてくれ」山田、逃げようとしたが、さすがに女とはいえ空手部の猛者、猿臂《えんぴ》のばして睾丸むんずとつかんだから、その場にうずくまって、「よせよ、離してくれよ」悲鳴を上げた。他の女子部員も、両手を乳房にあてがい、さも悩ましげに男の方へ近づいて、「先生、どうにかしてください」「いいじゃないか、こうなったらもう、やっちまえ」仁太も混乱して、怒鳴ったが、「やだよ、俺。結婚するまでは童貞でいるんだ、堪忍してくれ」パンツで、前を隠しながら右往左往し、まるで鬼ごっこよろしき有様。つかまえた男を、二人三人の女子部員がキャアキャア喚声上げつつ、解剖にかかり、ミストルコよろしくふるまって、なんのことはない、かつての先輩の役目を、代行しているのだ。
「逃げるな、君たちも男だろう、覚悟して初体験を受けたまえ」「そうだ、根性をうえつけるためなんだぞ」マネージャーも声をからして、隅っこにかたまった部員を、一人ずつ引き出し、女子部員はすっかりコツを心得たらしく、「山田素平、ファイトォ」気合いをかけては、処置をほどこし、放ち終えると、飛距離高度分量を記録する。ひとわたり済んで、女子部員も、しごく一方的な営みながら気が済んだのか、さっぱりした表情で、「有段者だからって、べつによく飛ぶわけじゃないのねえ」「時々やりましょうよ、ペニスコンパ、勉強になるわ」姦しくしゃべり合い、まったくうらはらに男は、腑抜けた顔付き、「どうだった、いっぺんやれば見当もついたろう」仁太がたずねても、「いやもういいですよ、おう痛ぇ、やたらとひっぱりやがって、ちぎれるかと思った」「しかし、その瞬間は、えもいわれぬ感じだろ」「俺は小便が出て来たのかと思って、あわてたけれどなあ」「栓が抜けたみたいな感じだったな、スポンと」いっこうにたよりない返事なのだ。
「一日に一度必ずしごき立てること。しごかないまでも、じっくりながめること。君たちが男である何よりのしるしは、このものにあるんだから、これの切磋琢磨《せつさたくま》をおろそかにしてはいけない。励めば必ずそれにふさわしい喜びが与えられるはずだ」翌日、仁太はあらためて訓戒を垂れ、合宿を後にしたのだが、どうやらこの試みが逆効果をもたらしたと、分ってはいた。朝の稽古を見学するうち、女子部員はなにやらタカをくくった感じで、男に相対し、キエッと気合いをかけるたび、男は反射的に股間をかばう感じで、結局は、女に対する恐怖感を増大させただけらしい。家庭における性教育は、赤ん坊の生れる理屈よりも、むしろマスターベーションの正しい方法を教えることに重点をおくべきではないのか、丁度、女子に生理の手当ての仕方を、母親がコーチするように。父親が奮起しなければならないのだ。
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スプーニング
女性の性感覚が、どのようにして開発されるのか、仁太には見当もつかないが、男性よりは目覚めるチャンスが早く、そして多いように思える。小倉清三郎の主催した「相対会」の研究報告書や、高橋鉄の「性心レポート」を読めば、三、四歳にしてすでに、性的快感を知り、その探求にふさわしい手段方法を心得ている例が、いくらも紹介されているのだ。しかし、男はのびたりちぢんだりする股間の代物を、玩具がわりに弄《もてあそ》ぶことはあっても、その先きに開かれている感覚については、まったく気づかないまま成長する。仁太と同じ年頃の連中は、十四、五になって、ようやく如意棒の特殊性に注目し、たとえば畳に腹ばいになって、本を読んでいるうちに、もどかしい感触を覚え、知らず知らず膝でにじりすすみ、一時間近くも部屋の中を蛇の如くうねうねとはいまわってみたり、また、夏、熱い砂浜に下腹部押しつけているうち、同じ状態となり、いわば地球姦を試みようとしたり。女性は、ただ指でふれるだけで、いちおうの境地に到達できるらしいが、男性の場合、弄ぶといっても、まず握りしめる、ひねるくらいのもので、しごきをなかなか発見できぬ。発見しても、その行為自体、快感とは結びつかないから、途中で止めてしまうことが多いのだ。さらに、妄想を描くことで、行為を助けようとしたって、若者の妄想はほとんど現実の絵姿として用意されているから、なおやり難いだろう。ヌーディストが、女の裸を思い描いて、マスをかくはずがないのと同様、ここにも豊かさ故の貧困があるのだ。
「オナノロジーの確立が必要だなあ、このままじゃ、手淫自慰自涜マスターベーションなんて言葉は死語になってしまう」妻と子供が、避暑に出かけた留守に、仁太、何気なく隅田にいうと、「そんなん死語なったってよろしおすやん、今の若い男性は、それだけ恵まれてるわけやもん」「恵まれちゃいないよ、マスもかけない男なんて」「ナニヤラのないコーヒみたいなもんですか」隅田笑って、「そら先生のジェラシーとちゃいますの、マスターベーションせんかて、いくらも女性と遊べる今の人を、ねたんではるねんわ」「冗談じゃないよ、マスというのはね、女の代用品とちがう、いわば男となるための精神的トレーニングなんだ。男は、常に遠国の美女にあこがれている必要がある、未だ見ぬ恋に身を焦がしてこそ男なんだ。手っとり早くそこいらへんの女とでき合って、満足してるから、今時の連中には、なんというか、精神性が欠如しているのだ」「なんや、右翼みたいになってきましたな」「ああ、性的分野においては、ぼくはきわめて保守的だねえ」仁太、いきまいたが、なに、性的分野以外で、特に進歩的というわけでもない。しかし、いかに男女共学フリーセックスの時代であっても、現実の女性を拒否し、架空の恋人あるはずもない美女を思い描いて、マスをかく時期が、若いうちにあって当然ではないか。
「男と女のセックスのいちばん大きなちがいはここですよ、女のセックスはやはり妊娠出産によって完成される。どうしたって男が必要なんだ、しかし男は、必ずしも女でなくったっていい、美女を抱くのも、獣を相手どるのも、本質的には同じなんだから」「そやから先生はロマンティックいうか、封建的というか」「封建的?」「一夫一婦制度の中でこそ、確かに女は子供産まんならんけど、この枠をはずしてしもたら、女にとっても子供なんか関係ありませんよ」「そんなことはない、封建的とか民主的に関係なく、女は子供を産むことで、自分の生の確かめを得るんだから」「動物はそうかも知れませんけど、やっぱり人間だけはちょっとちゃうのちがいますか。人間の雄がその精神性とやらを重んじて、オナニーを重視するみたいに、雌としては、徹底的に肉体的な快楽を追求することも考えられるでしょ、その場合、男は関係ないかも知れませんよ。男はなんというても、射精で、一区切りついてしまう、そやけど、女同士は果てしないよってねえ」「つまりあんたのおとくいのトイチハイチかね」「おとくいいうわけでもありませんけど」
いわれてみれば分らないでもない、女は子供を産みたがっているというのは、男の身勝手な想像かも知れないのだ。「売春婦いうのんは、昔は神聖視されてたんでしょ、まあ、こういうことは先生の方がくわしいやろけど」「そうでもないけど、まあ昔は神に仕える巫女なんかが、売春婦をかねていたというし、江戸時代の花魁《おいらん》なんか、ずい分格式が高かったらしい」「つまり、売春婦は、男の中の遠国美女願望をかなえるためおったんちゃいますか。そのためにも売春婦はこの世のものではないように、崇め奉られんならんかった。もちろん子供なんか産んだらあかんし、男との交情で楽しみをむさぼってもいかん。自分を架空の存在たらしめて、男の夢の中でよみがえるような、そういう人達やった思いますわ」隅田むつかしいことをいいはじめ、確かに理想の娼婦像は、そういった存在をいうのだろう。
「オナニーとトイチハイチは、正に裏表の関係にあるわけです。男の夢のままにあやつられる売春婦が、女としての確かめを得るのはトイチハイチによってですねん。逆のこともいえるかも知れんなあ、あんましトイチハイチの快楽がすさまじいから、もう男に抱かれる時は、脱殻みたいなもんで、そやから男は、思うままの願望を、売春婦に託せるのやと」「そんなにいいのかねえ」「うち、もうじきここお暇《いとま》させていただきたい思うてますねん」不意に隅田、かしこまって切口上でいい、「まあ、理由はきかんとって下さい。先生のお家に何の不満があるわけでもありません。そやけど先生がオナノロジーを研究しはるみたいに、私にも使命があります」女スパイの如くいい、「他の方やったら、絶対に教えませんねんけど、先生は特別や、よかったらトイチハイチの初歩だけでも、コーチしましょか」
「コーチったって、ぼくは男だし」「そやから、女になったつもりで、私のいう通りしはったらよろし、私は男役やりますから」仁太はかつて、レスビアンの男役と、ホモのおねえが情を交わすと、どんな風になるのかと考えたことがあるが、隅田はさっさと立ち上って、自分の部屋へ向い、ボストンバッグぶら下げてもどると、「そのなりでは、具合わるいですな、ズボンとシャツだけ脱いで下さい」命じた。
万一、こんなところを妻に見られたらどうなるか、これは自分が隅田を犯しているのではなく、自分は女役で、男役の隅田にコーチを受けているのだと、どう説得したって通用しないだろう。「いろんな態位ありますねんけどね、まあ基本的なものだけ」「やっぱり四十八くらいあるのかね」「アホらしい、桁がちがいますわ、男と女のことでは、なんというても、結合部分が固定してますでしょ、女同士やったら、好きなところで愉しめますから、まあ四、五百以上」「へーぇ、その何ていうかな、張り形など使うってことは」「それはしません、張り形なんて、それこそ男の代用品ですわ、やっぱし未亡人なんかの専門とちがいますか」トイチハイチが、娼婦に伝わる秘伝であるのなら、確かに張り形は不必要だろう、年中、本物に接しているのだから。
「一番基本形は、近頃レスビアンなんかがいうてるスプーニングですな。うちらは『雛羽交い』と呼んでますけど」隅田、仁太をうつぶせにし、その尻の上にタオルを置き、「あんまし直接ではわるいから」いいつつ、のしかかって、左手を仁太の腋の下から胸にのべ、右手はふとももの付け根に当てがう。「これは若い娘、娼婦になりたての者に、遣手婆さんなんかがほどこすもんです、ちょうど親鳥が雛をかばうみたいな形でしょ」隅田の指がゆるやかにうごめき、つれて一種の快感が身内にしみ入るのだ。「なにも愉しませるだけとちゃいますねん、これは勤めの凝りをもみほぐす役目もします」肘で自分の体を支えているから、隅田の重みは余りかからず、しかし、全体に軽く押したり、また離す動きが感じられる。仁太が女であれば、隅田の左右の手は、もっとちがう場所にふれるのだろうが、知らず知らずに、仁太は、隅田の体が押しつけられてくると、それに逆らう如く、尻を少し上げ気味にし、つれて、確かに雛の心境というか、のしかかっている隅田に、甘えるような気持が生れてた。
「つづいて、『鶴の巣ごもり』」うっとりと睡ってしまいたいような感じで、ぼんやり横たわっていた仁太を、隅田引き起し、今度はあぐらをかいた膝の上に、すわらせる。「トイチの方では、みな鳥に関係のある名前がついています。この態位は、四十八手でいうと、『居茶臼』いうんですか」「そうだねえ、しかし、のっかるのははじめてだから、君、重くないかね」「心配せんかてよろしい、ちょっと我慢してて下さい」隅田は、あちこちと仁太の体を動かしたあげく、自分のカカトを、丁度肛門のところにあてがい、足首を動かして、刺戟を加える。
「これは、姐さん女郎が、妹をかわいがる時に行うもんです。今は、右脚だけをつかってますけど、左脚の指もいろいろいのかせるわけです」「ふーん、『鶴の巣ごもり』ねぇ」「男と女の交情では、よく女が七転八倒、阿鼻叫喚いうことがありますねえ、トイチハイチは、静かなもんですわ、大体、あんなに取り乱すいうのんがおかしいんですね。膣にはほとんど感覚がないのに、三浅一深かなんか知らんけど、ヒャアヒャアいうのんが、おかしい。あれは錯覚ちゃいますか、誰がいいはじめたんか知らんけど、あないならな一人前ちゃうみたいに思うて、一種のヒステリーいいますかなあ」カカトの動きにつれて、熱いような、むずがゆい感じが生れ、しかも、もっとはっきりした感触を求めたくなって、つい隅田の肩を抱いた手に力がこもる。
「このへんは、男性に一切ゆだねて、脱殻となったお女郎さんに、生身を取りもどさせる、まあ前戯というんかな」隅田は、仁太を仰向けに寝かせると、その股間にタオルを当て、仁太の右脚を腹の上にかかえ上げると、にじり寄って、右脚で仁太の左脚をかいこむ。「『波千鳥』というんです。これは少しなれると、ぴったり合うて、それで、吸盤みたいになるんですわ、これができたら、初級終了いうところですかな」この態位は、通常の松葉くずしに似ていたが、さらに深くからみ合った感じ、首をねじ曲げて、隅田の体をながめると、腹筋が大きく波打ち、つまり吸盤の働きを行っているらしい。「まあ、大体見当はついたけど、あなたの立場は、やはりいい気持なの? 受身の方は、確かに愉しめるだろうけれど」「それはいろいろです、『鶴の巣ごもり』なんか、抱いてる方はどういうこともないけど、それでもだんだん人心地を取りもどす相手を見てると、それなりにええ気持になるのとちゃいますか」
その後、隅田は、三味線の糸をしめして、「両方の指を、これで結ぶと、けっこう女泣かせになるもんですよ、自由に動きますしね」口をつかって、両手の人差指中指の四本まとめてゆわき、くねくねと動かしてみせ、また、両手を後で組んで、人差指を二本立て、「スプーニングの時に、こうやると、効果的ね。これは、『雛のついばみ』っていうんだけど」さらに、一度、廊下ですれちがった時、隅田がわざと見せつけたように、舌を丸めて、糸でしばり、「これは、男性が真似てもええのとちゃうかしら、『きつつき』いいますねん」これまた器用にうごめかせ、「耳とか、眼とかね、なにも一カ所だけ攻めるのが能ちゃいますよ」
「なんだか茶碗も必要だっていってただろう、最初の頃に」「ああ、あれは後始末というか、これは説明しにくいなあ」隅田、柄にもなくもじもじするから、「まさか、これを入れるわけじゃないんだろ」手近の湯呑みしめすと、「先生分ってないねぇ、入れるいうことは、トイチではほとんどしませんねん、指でも舌でも、ペニスに較べたら、大きさではアホみたいなもんでしょ、膣感覚は重視せんのです」「じゃどうするんだい」「昔はお化粧品なんかなかったし、まあ、効き目あったんかも知れんけど」「化粧品?」「つまり、トイチハイチのうちに、いろいろ分泌液が出ますねぇ、それを、遣手婆さん、あるいは少し色気の衰えはじめた姐さんなんかが、茶碗に受けて、しわ防ぎに使うんですわ。まあいくらかはホルモンも含まれてるかも知れへんけど、これが遣手婆さんに珍重されたそうです。色町の年寄に、えらい若う見える人が多いのは、このせいやいいます」「へぇ、男性側のものは、よく精力を補うとかなんとかいって、飲む奴がいるらしいけどねえ」「まあ、なんにしても、こんなんは気のものですやろうけどね」
隅田、ボストンバッグを片付け、ズボンを差し出して、「えらい失礼しました」一礼したから、「いやこちらこそ、いろいろ秘伝を教えていただいて」「秘伝いうほどのことちゃいます。もっとものすごいのんあって、こんなこというては失礼やけど、先生をオカマにしようと思うたら、簡単ですねん」「ぼくを?」笑い出したが、しかし、「鶴の巣ごもり」の際、もどかしいまま、もじもじと尻うごめかしたことは事実で、また、隅田に抱きかかえられていながら、一種の安らぎを感じたことは確かだった。「まあ、先生がオナノロジーの研究と、そして普及に力つくしはるんやったら、私も頑張らんとねぇ」隅田、真面目な顔でいったが、もし、人工胎盤が完全に実用化されたら、男性は男性らしく、精神的なセックスに徹底して、未だ見ぬ恋に心を焦がし、そして、出産から解放された女性は、もっぱらトイチハイチで、肉体的な快楽を追求するとなったら、ずい分気楽なことだろう。
現代の男性と女性を較べると、これが人間の雄と雌とは信じがたいほどに隔絶していて、とても同じ価値体系、あるいは道徳秩序の中で暮すことは無理のように思える。赤道を境いに、男は北、女は南と分れて暮し、男と女が交渉するのは、すべて売春の形態をとればいいのだ。「先生はそやけど、今でもオナニーしはるんですか」「いや、さすがにもうその元気はないねえ」「トイチハイチには年がありませんからね、かなり年とっても、これをやってれば呆けることもないんですわ。恍惚の人にならんで済むわけで、嘘やと思うたら、養老院行って調べはったらよろし、おかしなってるのんは、たいてい人妻の成れの果てですな。お女郎さんから遣手婆さんを経て、施設に収容されたいうお婆さんは、みなしっかりしてまっせ」隅田、捨て台辞のようにいって引き上げた。
四十歳過ぎれば、仁太だって、ふと老後を考えることがある。あるいは男だってカキつづければ、呆けなくて済むのではないか。仁太、あたりに人なきを確かめ、股間の逸物引っ張り出し、しげしげながめたのだが、さて何をアテにしていいのやら、仁太にももはや妄想の力は涸れ果てているようだった。少し前までは、眼をつぶるとセーラー服や、あるいはブルーマの姿が、あざやかに浮かび上ったものなのだが。老いを防ぐためには、まず妄想の手がかりを、拾い集めることではないか。
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妄想欠乏症
「週一年齢という言葉があって、これは週に一度、妻を抱き得る年をいうんだな。アメリカだと六十歳、日本では四十二歳らしい」同級生である大学助教授、商事会社課長、広告代理店の常務の三人と仁太、下町の泥鰌屋で暑さ負けを防ぐべく鍋をかこみ、焼酎飲みつつ、話題は蟻地獄の如く、おのおのの性の衰えにまつわるエピソード。なんとか景気のいい話をと心がけても、いっこうに意気上らず、また互いに一種卑下自慢の如く、競い合って軟弱ぶりを強調するおもむきも、ないではない。「四十二歳というと我々の年齢じゃないか、週に一度などとんでもない」課長が、しかめっ面でいう、「またオナニー年齢というのもあって、これは何歳までいそしんだかというんだが」仁太、もっともらしくのべたが、これは思いつきで、まさか現在やっているかとたずねもならぬから、学説めかしたのだ。「それは平均何歳くらいなんだ?」助教授がすぐのってきて、「アメリカより日本の方が高いらしい、けっこう老人も若き日の手すさびを忘れかねるらしくて」またでたらめをいうと、「そうだろうなぁ、性的文明度からいえば、我が国の方が上だから」「オナニーと文明が関係あるのかね」常務キョトンとしていう。
「そりゃそうさ、即物的セックスなど、女子供の為す術、成熟した大人なら、オナニーをむしろえらんで当然だろう」「そんなものかねえ」常務心細そうな表情で、「俺、風呂場でいっぺんためしたことあるけど、すぐもったいなくなって止めたなあ」「どうしてもったいないんだ」「だって、むざむざと流しちまうのも、惜しいじゃないか」「だから分ってないんだよ、あるいはケチというべきか」助教授、きめつけるようにいい、かつての同級生ながら、肩書に押されて、常務いいかえしもならず、「俺たちの年で、オナニーしてる奴っているのか?」仁太にたずねる。
「つまりこれは、性的妄想を思い描く能力なんだな。よくインポテンツのことはいわれるけれども、肉体的には通常でも、まったくイメージの欠如したセックスを営むなら、これは精神性インポといっていいんじゃないか」「そうだよ、現実の女をしか抱けないというのは、唾棄すべき状態であるな。まあ代理店なんかで、金もうけばかり考えてりゃ無理もないだろうが」「妄想なら、俺だって考えるよ」「どんな」「どんなって、そうだなあ」常務、メロンジュースで割った焼酎のグラスを口に運びつつ、あたりを見廻し、「あの娘ね、さっきから見てると、実によく働いているんだなぁ、俺、ああいうのが好きだ」「好みをきいてるんじゃないよ」助教授サディスティックな口調でいう。泥鰌屋の客は、大半がサラリーマンで、中に夫婦子供連れが混じり、席の空くのを待って、立ち飲みの男もいる繁昌ぶり、その中を、四人の女中が泳ぐようにして注文をきき、酒や鍋を運ぶのだが、中に一人、若い娘がいて、確かに今時珍しい働き者の印象だった。
「ああやって働いている姿を、まあ、上さん抱く時に考えるんだな」「あれを犯すシーンか」「いや、犯さなくてもいい、そうだなあ、腰つきとか、歩く姿などちらちらよみがえらせてれば、なんとか恰好がつく」ひどく真面目な表情でつぶやきつつ、娘をながめ、「犯すったって、高嶺の花だろ、あの年頃は。とても荒唐無稽な感じで、かえって興醒めしてしまう」「情けない奴だなあ、妄想の世界は、荒唐無稽だからいいんじゃねえか。あれの帰りを待ち受けて、やにわに襲いかかる。スカートがめくれ上って、パンティむき出し、うむいわさずのしかかることぐらい思い描きなさいよ」「そりゃ駄目だ、丁度、俺の娘が同じ年頃だしな」常務は早婚で、十八歳になる娘がいるのだ。「ははあ、するとお前の妄想は娘を犯したい、しかし、やはり近親相姦をタブーとする気持があるから、露骨なイメージを描けないわけだ」「そうかなあ、しかし、妙なもんだぜ、娘が日一日と女っぽくなっていくのは。うちの奴わりにませててな、小学校六年の時、すでに腋毛が生えはじめたんだ、俺は、ショックでしばらくインポになっちゃったなあ」仁太の娘は、まだ幼いから想像もつかないのだが、常務心底うんざりしたようにいった。「上さんに、なんとかしろっていったんだが、以後、妙に気になってなあ。そういわれると、たしかにオナニーをしなくなったのは、その頃からじゃないかなあ」「なるほど、これはきわめて興味のある問題だな。お前は、妄想の世界で、女を犯そうとすると、すぐ娘のイメージが出て来る。そこで妄想を拒否し、必然的にマスをかかなくなったわけだ」助教授が断定し、「妄想は精神の若さの所産であり、四十過ぎたら、むしろ積極的にこの涵養につとめる必要があるなあ」自ら思い当ることがあるようにいった。
「妄想能力のなくなった連中は、ストリップとかトルコ風呂へ行くんじゃないか」仁太は、自分にその経験がほとんどないのをいいことに、また新説を出すと、「ストリップねえ、確かに若い連中は余り観ないようだな、俺たちの頃はどうだったろう」課長は、、吾妻京子、ジプシーローズ、メリー松原、ヒロセ元美など、往年の名花の名前を挙げ、「みんな美人だったなあ、今のと較べて」「俺たちは、ただ女体探求の目的でいったんだよ。べつにストリッパーの姿に当ててマスはかかなかったと思うねえ」「そう、あれにはそう猥褻感がないしね。むしろジプシーローズなんか、圧倒される感じだった」「今はなにもかも見せちまうんだろ、あんなもの観て、どうするのかねえ」常務が不思議がる。確かに、何故、男は女の局部を見たがるのか、その色の具合形状をしっかりと脳裡に刻みこみ、あるいは女房を抱く時の、支えとでもするのだろうか。「ストリップは、視姦という奴だよ。あれで完結しているのさ。小屋から出て来る時、みんな満足しきった顔をしてるからね。ストリップを観たあげく強姦したなんて余りないだろ」助教授が解説する。「ヌーディストクラブなんてのも、余り風紀は乱れないだろうな、しょっ中互いの裸を見てりゃ」「多分、乱交という形になるんだろ。ヌーディストの一夫一婦制なんて、あまりふさわしくない」仁太がいう。「ヌーディストの妄想は着衣のシーンかね」「そうだろ、今の若い連中も、ヌードじゃもう刺戟にならなくて、パンティをはかせるっていうからね、頭の中で」「ややこしい世の中だなぁ」課長溜息をつき、「ミニスカート以後、俺は世の中がつまらなくなったよ」「どうして」「階段などで、よくパンティストッキングが丸見えになるだろ。ありゃよくないねえ、下のパンティがすけててさ、興醒めもいいとこだ」「いったいどっちがいいのかねえ、女がひた隠しにして、男は妄想をたくましくするのと、今みたいにあけっぴろげなのと」常務の質問に、仁太は厳然と、「そりゃひた隠しの方がまともさ。まあ俺たちはいいとして、今の若い連中は、妄想を描く余地がないからね。つまり男らしくないんだ」やや飛躍したことをいい、空手部でのマストレーニングを報告すると、「なげかわしい。まったくことセックスに関していうなら、俺は保守派だね。男女七歳にして席を同じゅうしないことが、リビドーをたかめるなによりの方法だよ、べつに学生がインポになろうが、ホモになろうが、知ったこっちゃないけれど」助教授、吐きすてるような調子で、俺たちは、「SHEという英語で、もうクラクラっと来たもんなあ」昔をなつかしむ。
何時の時代だって、初恋はあるにちがいない。しかし、今は好きな女の家に電話をかけても、いっこうさしつかえなく、また、誘い出してお茶を飲むくらい、楽にかなえられる。仁太の頃、うっかりラブレターを出せば、まず停学処分だった。停学処分を覚悟で、手紙を書く気持と、十円玉一枚ほうりこみ、「今度の日曜日さあ、プールヘ行かない?」と、誘うのと較べて、どちらが充実しているか。補導連盟などというサディストの集団は、まったく気色のわるいものだったが、そのおかげで、ついに声もかけられぬまま、空襲により離ればなれとなってしまった、お下げ髪の少女の面影が残っているのだ。そして仁太は、今でもその少女の面影をたよって、マスをかくことがある。
「確かに性教育の重要な部分として、少年にはオナニー、そして少女には避妊の解説が必要だな」助教授がいった。現在のそれは、単に妊娠の原理を、ミもフタもなく解説するだけで、こんなことは小学校上級になればみんな心得ているのだ。「しかし、オナニーする必要はないんだろ、みんな性的には恵まれていて」課長が、少し羨ましそうにつぶやき、「冗談じゃない、受験校の連中は、まったく見向きもしないよ、童貞率は俺たちの頃よりずっと高いんだから」助教授がいう。「それでオナニーもしないのか?」「だから教えてもらえないんだ。また、これによって頭がわるくなると信じこんでいる節もあるなあ」「しかし、あれは、やむにやまれぬものだろ、いかによくないと思ったって、つい手が出てしまうし、誰に教わらなくても、心得ることだぜ」「だから憂慮すべきことなのさ。妄想欠如症というかな、あれこれ思い描いて苦しみもだえることがない。だからあんな風に、けろっとした面つきの連中が増えるんだよ」丁度TVのCMに、若者のクローズアップが登場し、それはいかにも痴呆的な表情だった。
「あんたのいうこときいてると、すべからく世の中は、軍国主義の時代にもどった方がいいような感じじゃないか」常務、少し酔っぱらったのか、からむようにいう。「ことセックスに関する限り、ストイックな世の中の方が愉しみは多いと思う」「よほど学生に痛めつけられたらしいな、そう右旋回するところをみると」「右でも左でもいいよ、俺は現状を憂えてるんだ」助教授もグラスを一息に空ける。「平和な世の中に、性的リビドーが低くなるのは当然だろ。人が死なないんだから、そう欲情する必要もない」仁太、とりなすようにいったが、「しかし、性というのは、人間の根源ですよ。それがこんな風にあやふやになっちまっちゃ、戦争のもたらす荒廃より尚惨めじゃないか」「連中それで満足してるんだから、ごたごたいうこたないさ」課長も、助教授の、なにやら国士風弁論に、鼻白んだ様子。「若い連中より、俺たちのことだよ。俺の考えるところ、四十過ぎたら、下っ腹や血圧を気にするより、妄想能力の低下に注意した方がいい。頭の中で何かを考えて、たちまちエレクトするかどうか、これが問題なんだよ」仁太がいうと、「そんなことは簡単さ、年はとったってはばかりながら」助教授、仁太の手をとって、その股間にふれさせ、「ただちにたくましくして見せる」と、瞑目した。
「おもしろいじゃないか、俺もやってみる」四人、一つの机をかこんで車座になっているのを幸い、左手を隣人のしかるべき場所に当てがい、「いちばん駄目な奴が、ここの勘定を持つことにしよう」常務もけっこう自信があるらしい。「お前は有利だよ、ここの女中さんが好みなんだろ」助教授あたりを見たが、その姿はない。「おい、あの若いお手伝いさんどうしたの」たずねると、「あー、里子さんかね、赤ちゃんの世話に帰ったんだべ」「赤ちゃん?」「気の毒にねぇ、子供産んですぐ、旦那がダンプにはねられてよ、アルバイトでここに働いてんだよ」きいて助教授、「おい、脈あるぞ」そそのかしたが、常務げんなりした顔つき、「まあ、これで条件は平等だ、ヨーイドン」仁太、皆にならって目をつぶったが、周囲はなお客が立てこんで、しごく騒々しいし、股間におかれた課長の手も気になる。妻と同衾の時、あれこれ思い描くパターンはあって、たとえば体操選手の演技、あれを裸でやったらどんな具合だろうか、礼幌冬季オリンピック氷上の名花といわれた少女の、同じ姿を追い求め、もちろん生々しいそのイメージが結ぶわけでもないが、ふるい立つための支えにはなる。
しかし何分、泥鰌屋ではままならず、仁太の手がふれている助教授のそこも、いっこうに柔らかなままだった。若い頃は、眼をつぶりさえすれば、女性の姿態がまざまざとあらわれ、それは決して裸ではなく、シュミーズや、またごわごわした感じの下着をまとっていた。マスをかく時は、たいてい拒否する女の声音を、空耳に聴き、そしてパンティのちらちら見え隠れするシーンを思い、このあたりのかね合いが、しごくむつかしかった。つまり妄想がさらに進んで、あらわになると少し興醒めの感じ、さらに女の両脚押しひろげるとなったら、そこで中断、あらためて「イヤ」「カンニンして」からはじめなければならない。行為そのものに至らぬのは、少し異常だったのかもしれぬと考え、拒否する存在であることが、好ましいのも、歪みのあらわれだろう。
いっこうに乙な気分にもなれぬうち、課長が名乗りを上げ、「はい、できましたよ」天婦羅でもあがったようにいい、「いや怖れ入りました、あんた、元気がいいねぇ」介添え役の常務、その股間をポンと叩いた。確かに常ならぬふくらみが認められ、「私も、もう少しなんだが」結局、びくともふるい立たぬのは、助教授と仁太。「コンディションがわるい。昨日、女房とやったばかりだし」助教授、未練がましくつぶやき、「むっつり助平にゃかなわない」課長をながめて、「あんた、何を考えたんだい」「うちに、コンピューター室があってね、そこは女の子ばかりなんだ。みんな水色のミニスカートをはいてるんだが、これはミニでもなかなかいいもんだよ。あたりは機械ばかりだしね、そこヘイチゴの模様のパンティがちらつくなんてえのは」「役得か」「若い社員は見あきたらしいけど、俺には眼の保養だな。十人くらいずらっと並んで、お尻まる出しなんて光景もあるしね、あれをこう一人ずつ順番に端からなにしたら」「ひでえ課長だなあ」助教授、羨ましそうにいい、「制服ってのは、いいねえ、女子学生にはない色気だなあ」「私は、CM写真撮影のね、スタジオを考えていた」常務、鼻の下をのばし、「あれは奇妙なもんだよ、十六、七の女の子が尼さんの衣裳やら、ビキニ姿やら、とっかえひっかえ着替えするんだ、尼さんてな魅力あるよ」「俺は、病院へ見舞いにいった時のことを思い出したんだけどね」助教授がいって、「女子学生の一人が、骨を折ってね、スキーで。大して義理もないんだが、暇つぶしのつもりでいくと、片脚に大きなギプスはめてるんだ。ネグリジェを着てたけど、動きが不自由だから、ついパンティが見えちゃうんだなあ。ギプスとパンティの取り合わせが、妙に色っぽくて、この女をやるにはどういう体位がいいかなんて考えたら、その時は、ちょっと刺戟的だったんだが」「今は駄目か」「俺は妄想力があり過ぎるんだなあ、あのギプスでどうやって小便するんだろうとか、ギプスの中に蚤が入ったら、さぞかし困るだろうなんて、妙なことを考えちゃって」「そりゃ妄想力ってもんじゃない、やはり拒否してるんだな、女子学生に手をつけちゃいけないと」仁太、解説しかけたが、「おい、そのコンピューター室のミニスカートっての見物させてくれよ」助教授、見栄も外聞もなく、課長にたのみこむ。
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ピグマリオニズム
日本橋にある商事会社の、コンピューター室を仁太たち見学することにし、表向きは、以前小説家であった仁太の、取材を装ったのだが、現在、セックスカウンセラーで世渡りしていても、はるか昔に何作か小説を書いていただけなのに、べつに「元」とかぶせなくても、通用するのは奇妙なことだった。そして、仁太の乏しい経験でも、小説を書くためといえば、たいていの場合、積極的に協力してくれるのも不思議といえば不思議、いつ頃から、世間のもの分りがよくなったのか、あるいは小説家がなめられているのか。
商事会社へなど入るのは、仁太初めてのことで、何となく怯えたが、課長の威光なのか、一同うち連れて玄関を入ったとたん、カウンターに近くすわっている男たちの、手すきな者いっせいに立ち上って一礼し、その背後には世界地図がかけられていて、商取引を図解するのか、日本から各地に矢印が交錯している。想像したより閑散とした印象だったが、「景気いいんだろう、今は」大学教授も、いささか気おくれした如くで、おもねるようにいうのを、「おかげさまで、ここんとこ輸出が好調でね」政府の苦悩などてんから気にしていない様子。
さんざエレベーターを待たされて、乗ったと思うとすぐ二階で降ろされ、たしかに水色のユニフォームまとった女事務員が数十人、ゆったりと歩きまわっている。不意にここへ連れて来られたら、仁太には、彼女たちが何をしているのか、まるで見当つかなかったろう。各自の机の上に備えられた、テレックスの如きものから、細かい数字のならんだ紙が吐き出され、それが一定の長さになると切り離し、隣同士で何ごとかしゃべり合っては、一人がその紙を持って、なにやらものうげに奥の部屋へ歩きすすむ。「向うにコンピューターの本体があるんだ、ここに各地の支店から報告が入って来て」課長、説明しはじめたが、それよりも、女事務員たちのミニはきわめて極端だから、窓際に置かれた長椅子に坐っていると、きわめて自然に下着がのぞき、少し前かがみになれば、つい眼をそらしたくなるほど、尻の丸みがあらわとなる。
「ユニフォームは、ここで着るだけなんだろ」常務も、仁太と同じ疑問を抱いたらしく、課長にたずねた。つまり、ここはほとんど外部と接触がない事務室なのだ。時に書類を持って男の社員がやって来るが、それもコンピューター本体に用があるらしく、艶やかなながめにいちべつもくれず、いったい何のためのミニスカートなのか。退社する時、私服に着替えるのだから、もし男性の熱っぽい視線を意識し、挑発することにミニの意義があるとすれば、まったく虚しいことで、「つまらないんじゃないかなあ、折角妍を競っても」「それがおかしいんだよ、なにしろ女ばかりだろ、うちは各持場によってユニフォームっていうか、仕事着をかえてるんだが、このコンピューター室なんか、地味でもいいつもりでデザインを考えたら、えらく反対されてね。連中の希望なんだよ、このミニは。こんな恰好で男と一緒に働かされたら、気が散ってしかたないけれど、ここはいわば女の園だからな、好きなようにさせてるんだけど、各自、競争でなお裾を短くしてるようだなあ」しかも、ユニフォームを、いわばハレンチに仕立てて以後、能率が上ったという。「一種のナルシシズムなのかな」助教授、うなずきつついって、しかし眼は左右に激しくゆれうごく。
いずれもパンティストッキングだが、下着はさまざまで、もちろん彼女たちも、たとえ同性にしろ、見られることを十分意識しているのだろう。丁度、近頃テニスの選手のそれの如く、フリルがついていたり、鮮やかな刺繍があったり、「女同士のパンティ競争か、妙なもんだなあ」「無味乾燥な数字ばかり相手にしてるだろ、それもほとんど意味のない羅列だからね、せめて人間らしさを求めたくて、パンティを誇示しているのかも知れぬ」課長、訳知り顔にいう。そういわれてみると、女事務員が、数字をあやつるだけのロボットの如く思え、下着にこそ個性はあっても、その表情はみんな人形のように画一的で、ここでは個人の責任はほとんど問われることもないし、人に負けまいと努力する必要もないのだから、それも当然かも知れぬ。
「ピグマリオニズムだな、彼女たちに色気を感じるのは」仁太がつぶやくと、「なんだい、それは」常務、声をひそめてたずねる。「つまりお人形なのさ。多分、彼女たちが退社して以後、表であってもそう刺戟は受けないと思うよ。ほとんど人間らしい感情のないところが、妙に色気をそそるんだな。あのパンティも、課長さんのいう通りだろうけど、結果的には人形ぶりを強調することになっている。人形を人間に近づけようとして、それらしく装えば装うほど、空々しくなるだろう」パンティに包まれた尻の集団は、確かに生身、あるいは成熟した女を感じさせず、かりにそれをあらわにしても、つるんとした幼女の如き形であるように思えるのだ。
「若い男が、ここの女に関心を寄せないのも無理はない。中年男好みなのさ」そう割り切ってしまうと、眼から鱗が落ちた如くで、仁太あまりそそられず、しかし助教授はひとり興奮し「人間的確かめをミニスカートに求めるということはよく分るな、もともと女陰には災厄を払うという効験がある。未開人はいやなことに会うとこうやって」人差指と中指の間から親指を出して見せ、「魔除けをするだろ。彼女たちは、あるいは無意識のうちに、自らの女陰によって、管理化社会に抵抗しているのかも知れんなあ。さらにすすむと、ボトムレスになるかもしれん。それぞれの陰毛に花など飾ってな。いやさらにすすむと、コンピューターの前で、まずまぐわいを営んでから仕事をはじめる。この現代の神と人間の決定的相違は、つきつめりゃセックスだけだろうから」かつての農民たちは、五穀の稔り豊かなることを祈願して、田の神にまぐわいを捧げたというが、同じことをミニスカートの巫女も、行うかもしれぬ。
「しかしなあ、あんたたちみたいに理屈をつけはじめると、何事も無味乾燥になっておもしろくないよ。今でいうシラケるって奴だな」常務、コンピューター室を引き揚げ、応接間でジュースの接待を受けつつこぼす、「折角、俺はかなり刺戟を感じてたのに、まったく学者なんてろくなことをしないな」恨めしそうに、助教授にいった。「そりゃ俺は、あんたみたいに単純な人間じゃないからな、現代とセックスの関わり合いについて、常に深く思いをいたす癖がついている」「だから、インポまがいになるんだろ」「インポってわけじゃないよ、こないだは少し条件がわるかっただけさ」「どうかなあ、仁太のいう妄想能力の衰えをカバーするために、したり気な理屈をこねたがるんじゃないか。よく野球選手が引退してから評論家になるだろ、あれだよ」常務、手きびしいことをいった。
確かに、先日の泥鰌屋で試みた時、常務と課長は、どうにか形をととのえたのに、助教授と仁太はからきし駄目だったのは、実業と虚業の差が出たのではないか。なんといってもGNPを支えている連中には、それだけのたくましさがあるもので、仁太の如き立場は、いくら他人から先生と呼ばれ、たよられたって、まったく空々しいばかり。これが、ちゃんとした医者ならば、少なくとも苦痛をやわらげてやるとか、熱を下げるなど、はっきりした効果を確かめ得るけれど、セックスカウンセラーなど、いったい自分の御託宣がどう効き目をあらわしているか、見当がつかないのだ。たとえば三十過ぎて、ノイローゼに悩む女性が相談に来る、十中八、九までは性的欲求不満にもとづくものなのだ。しかし、亭主にこれを充たしてやるだけの力がなかった場合、ノイローゼをすくうためには、浮気をすすめるより他はない、あるいは仁太が抱いてやることが、いかなる暗示や薬にもまさる。これはもうはっきり分っていることだし、男性のインポテンツも同じことだった。もしそれ若年の者であれば、べつに美人でなくてもいいから心やさしい娼婦によって、母の呪縛から解放されるだろうし、中年なら、高麗人参やローヤルゼリーによるまでもない、少女をあてがうことで、すぐ雄々しくなるだろう。今時の、やたらと肥って図々しく、そしていっさいの心づかいを忘れた女房を、抱けという方が無理であって、四十過ぎた妻を持つ男のインポテンツは、一種の自衛策、緊急避難といってもいい。
しかしカウンセラーである仁太は、口が裂けてもこういうことはすすめられぬ。もっともふさわしい手段、それが人助けの道でも、欲求不満で子供を殺しかねまじき人妻を、仁太が抱き、まともな道にもどしてやったとなったら、たちまち社会的な指弾を受ける。セックスについて考える時、昔風の淫祠邪教の方が、よほど効果的に思えることが多いのだ。
つまり、無力感に充ちた明け暮れであって、とてもダウ式平均値が四千円を突破したとか、日本の広告量が何パーセント増加したというような、具体的な確かめがない。これは助教授についても同じことがいえるだろう、今の学生に対しどう熱をこめて講義したところで、のれんに腕押し、ヌカに釘、テープレコーダーで講義を録音し、後は手分けして文字に起して、コピーをとり、試験にそなえるのだから、張り合いのないことおびただしい。「奴等は、大学へ入ったことで、人生の大半の目的を達成したと信じこんでいるんだな、養老院で講義してるみたいなもんだよ」かつてこぼしていたことがあった。つまり、コンピューター室で、きらびやかなパンティを競い合っている女事務員と、仁太や助教授は同じ立場なのだ。そういえば、銀行員や役人、いやもっと気楽な職場で働く者でさえ、仁太に較べるとかなり老けている。彼等は、年齢にふさわしく年をとっていくのに、仁太が、いつまでたっても見た目は若く、そして自分でそれを誇りとし、心がけているのは、パンティの派手やかさと同じ、空しい抵抗ではないのか。生きている実感がないから、うわべを飾りたがるのだ。
「職業別でいうと、何がいちばん助平だろうなあ」仁太が常務にたずねると、「昔は、三者といったら、学者医者、それからなんだっけ、芸者かな」「芸者の助平は、ちょっとちがうんじゃないか」「たしかに医者は助平だな、今でも学会が地方都市で開かれると、その期間中、プロは買いしめられちゃうというからな」常務と課長、こもごもにいう。「いや、医者も近頃は駄目だよ、昔は、自分の腕がすべてだったろ、風邪の診断一つでもおろそかにできなかった、すぐ患者は死んだからね。ところが今は、風邪だろうが下痢だろうが、アイヨとばかりに抗生物質を与えておけば、とりあえず治ってしまう。昔の医者は、よく酒も飲んだものだよ、どう努力しても治せない患者がいると、やはり苛立って酔わずにいられなかったんだな。今はちがう、治せなくても自分のせいじゃない、近代医学で治らないような患者は、運がわるいってことになってる」助教授が断言する。だから、医学部にしばしば不祥事件が起り劣等生だけを金で集める医大ができる。こういった程度のわるい連中にも、今では医者がつとまるのだ。「抗生物質の使い方さえ心得てりゃ、外科と産婦人科以外は、誰だって医者になれるんじゃないかなあ、だから酒も飲まなくなったし、女も必要ではない。せいぜい健康保険で稼いで、家を新築するとかね、マイホーム型に変ったよ、まあ、医者が新しく建てた家の応接間なんてものは、ノーキョーさんよりひどいね、その趣味のわるいこと」人間の生命を預かるという実感がうすいのならば、性的リビドーも衰えて当然かも知れない。これもまた虚業になってしまったのだ。
「教師はどうだね」課長がいうと、「大学は昔から駄目さ、色気とは縁のうすいのが集ってるし、またそういう奴でなけりゃ、研究室なんかに閉じこもっていられないからなあ」自分を棚に上げて助教授はつぶやき、「小学校は女の教師が増えてるからね、けっこう職場恋愛は多いらしい」「それは、べつに小学校と限ったもんじゃないだろ」仁太がいうと、「男ばっかりの頃は、すごかったんだよ、教師というのは、世間からストイックな生活態度を要求されるだろ、だからいったん旅行に出たりすれば、ハメをはずしてね、温泉などで、女をよべっていちばんうるさくいうのは、小中学校の教師だったんだが」「今は、衰えたのか」「そうだなあ、聖職意識を強制されなくなったしね、これもマイホーム第一じゃないかなあ。小型車の購買層として教師というのは、メーカーの大顧客だっていうから」「医者学者が駄目とすると、スポーツマンかねえ」「これがまた健康の科学的管理とかいって、若いうちは監視されるし、結婚しちまえば女房のヒモがくっついてしまう。うっかり浮気すりゃ、女性誌に書き立てられるしね」課長がこの分野にも色好みの棲息しにくいことを説明した。
芸能界のことはさっぱり分らないが、スキャンダルジャーナリズムが、こう完備されていては、色豪の登場する余地はなさそうだし、もともと色の道は、貴族階級のおとくいのはずだけれど、今の日本にそういった存在はない。「ノーキョーさんはどうだろう」「これも駄目だろ、昔なら農事の一つ一つに性的な行事が付属していたらしいけど、今は化学肥料とかビニール床とか、天地の神にお祈りする必要もないし、娯楽だって完備してるからね、暇をもて余して、せっせと子造りにいそしむこともないさ」仁太、以前東北地方へ旅行した時、若者の姿もまた子供の数も、まったく少ないことにおどろいた覚えがある。八月半ばのお盆の時だけ、いささか故郷帰りした連中でにぎわうのだし、こう出稼ぎが一般的になっては、農村こそ戦時中と同じで、女房たち孤閨に耐えなければならないのだ。「サラリーマンもそうやってるようには思えないしなあ」常務、窓の外をながめながらいい、見下す歩道には、丁度、昼休みでいずれもYシャツ姿の連中がどっとくり出し、「うちなんか堅い会社だから、年頃の娘に狙われててね、いっぺん寝たらまずつきまとわれて駄目らしい。今時の女は泣き寝入りってことをしないからね、上役のところへ訴え出たりして、気の毒みたいなもんだよ。こっちは内情知ってても、結婚式というと出席して祝辞をのべたりしてるけどさあ」だから、みなおそろしがって、キンキロさんで我慢しているという。「なんだいキンキロって」助教授たずねると、金嬉老がたてこもったスマタ峡のこと、つまり行為寸前で止めておく。「それならいいのかい?」「いいらしい、まるで警察みたいなんだな、現代女性は。何度目に会った時キッスをしたとか、あの時にこういう態度に出たのは、自分を愛していたからか、それとも玩具にしたのかって、一度、俺立会わされたことがあってね。女は手帖をめくりながら、えらく露骨な言葉づかいで、男を責めるんだ。その、半分だけしかいれなくても、これは性交にちがいないとかね。そりゃことこまかに説明するんだなあ」「男はどうしてるね、そういう時」「だまってるねぇ、まさか、半分じゃない三分の一だったともいえないだろ。スマタなら、胸を張って、申しひらきできるそうだ」昔の傷もの意識を逆にとって、結婚をせまるらしい。「スマタばかりじゃ、やっぱりおかしくなるんじゃないか、なあ」助教授、仁太にいったが、むしろそういう不自然なことは、女に影響があるのではないか。
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ヘ ン シ ン
「若い連中がマスを心得ようが得まいが、独身サラリーマンがスマタ峡だろうが、そんなことはどうでもいいよ、俺たちのことを少し考えてくれよ、お前、専門家だろ」助教授、駄々をこねるようにいう。「まったくだなあ、つくづく情けないと思うよ。俺の父親など、この年には妾を持ってたし、時には芸者に送られて家へもどって来たからねえ。われわれの年代で、それだけ元気のある奴はいるかい」課長もしみじみとつぶやく。「あれは妾というのかなあ、ほら同級会の時に来てたろ、学校出てすぐ新劇の役者になって、結局はタレント養成所を主宰している山田っての」いわれて仁太、そのどことなく影のうすい表情を思い出し、「奴が、妾持ってるのかね」「養成所の事務員に手をつけたらしいんだけど、子供もいるんだなあ」常務は、いくらか芸能界に関係があるから、その消息を耳にしているらしい。「タレント養成所って、そんなにもうかるのか?」助教授ねたましそうにいい、「いや、インチキなもんさ、研究生募集して、受験料とるのが主な稼ぎでね、受けたのはみんな合格させて、月謝をふんだくる」「それじゃ学校詐欺みたいなもんだろ」「はっきりいっちまえばそうだけど」「しかしえらいなあ、妾に子供産ませるなんて」「これが地獄らしいんだ」「当然だろうな」助教授、ようやく安心したような顔付きで、常務の説明を待ち受ける。
つまり、妾に子供ができたとたん、十年連れ添ってその気配もなかった女房も身ごもり、あれよという間に内と外、ほとんど同時に男と女が生れてしまったという。「妾の子供にお土産を買ってやるだろ、そのレシートをうっかりポケットヘ入れたまま家へもどって女房にばれちまうとか、もっとひどいのは酔っ払ったあげく、両方をごちゃまぜにしちゃったとかね。妾の子供は女なんだ、それをつかまえて坊やっていって、顔をひっかかれたってぼやいていたよ」「しまらねえ旦那だなあ」「大体、俺たちは駄目だよ、食うや食わずで若いうちを過ごしたから、現在、女房子供が無事息災なら、それで満足しちゃうんだな」確かにそういった面もある、仁太の同級生の就職先きを考えても、一流の企業はほとんどなく、その社名からは、内容の皆目《かいもく》見当のつかないものが多いのだ。
「無器用だしな、まあ妾といえば、元は芸者とか、あるいは若い後家さんの世話をみるのが常道だろ。事務員に手をつけて、孕《はら》ませるなんざ、お手軽というか、能がないというか」「しかしなあ、妾も舟板塀に見越しの松で、チンかなんか抱いておとなしくしてくれてりゃいいよ、今の女は、そうもいかないからねえ。すぐ籍を入れろの、子供を認知しろのって、結局、女房のわずらわしさが二倍になるだけじゃないのか」常務、あきらめたようにいう。「しかし馬鹿げてるなあ。男女共学ってな、仁太の話によると、あまりおもしろくないらしいが、こっちはその味も知らないし、赤線だってようやく間に合ったといったところで、いつもショートだろ、いっぺんくらい泊ってみたかったよ」「今更、トルコ風呂の泡踊りでもないし、怪しげなバアヘ行くのも怖ろしい」「この年で、若い女に手を出しゃ、いつおどかされるかも知れないしな」「仁太、冗談じゃなく何とかできないか、おい」
いわれてみればその通りで、四十代の前半というものは、もともとそんなものなのかも知れないが、性的中休みといった感じが強い。これがいっそ五十になってしまうと、同じいやらしさでも、少しは枯れてくるのだろうし、先きが見えているから、なりふりかまわず口説くこともできる。けっこう探求心旺盛で、足まめに出かけているし、チャンスがあれば不見転《みずてん》で枕を交わす。仁太の年だと、やはりえり好みをしたがり、怪しげな噂を耳にしても、まあそのうちにとおっくうさが先きに立つ。といって三十代の、男女共学経験者のようには、女に対し気楽にふるまえず、いちいち斜にかまえ、ふられるくらいなら、はじめから毒づいていた方がいいと、ことさらいやがられるようにしむけて、また、いざ口説くつもりになると、大袈裟にことをかまえ過ぎ、一人相撲に終るのだ。
「世の中には、千人斬りなんてのもいるのに情けない話だよ」助教授、すっかりひがんで、「大人の玩具ってのがあるだろ、時々あの店を冷やかすんだけど、けっこう買ってるのがいるねえ、バイブレーターとか、肥後ずいきとかさ。やっぱり相手がいるんだろうなあ、買う以上」「そりゃそうさ、女房にあんなもの試したってはじまらない」「店員に使いかたをしつこくきいてたりしてね、迫力あるよ、禿の爺いなんかが」「秘訣をききたいな、まったく」「しかしねえ、その強精者ってのも、内容は大したことないみたいだぜ」仁太、べつになぐさめるつもりはないが、商売柄、他の連中よりは性的エキスパートの話をきくことが多く、その一日に三度交わらないと鼻血が出るとか、また、何人もの女性を突きこわしてしまったと自慢する連中は、どことなくうさん臭い印象なのだ。「そりゃお前がひがんでるんじゃないか?」「それもあるかも知れないが、大体共通してる面があるなあ、自己顕示欲が強い、自分以外の強精者をみとめない、必ず自己流の強精法を信じている。おかしいのは、連中の女房に会ってみると、何となくせせら笑っているような感じなんだなあ」
セックスカウンセラーを開業してから、対談の席にかり出され、オットセイまがいの男の話も何度かきいたのだが、いずれもきわめておしゃべりで、躁病まがい。わるく勘ぐれば、自分の本性見破られまいとして、必死にまくしたてているように思えるのだ。仁太がへりくだって、「いやぼくなど月に一度か二度がやっとですね」などというと、「一度か二度? 信じられないなあ、そりゃ奥さんが気の毒です、それよりあなた体がわるいんじゃありませんか。まあね、だまされたと思って私のいう通りにしてごらんなさい、もう朝夕ピンコシャンコですよ」押しつけがましく処方箋を開陳する。逆に仁太が攻撃的になって、しつこく質問すれば、丁度、女のように、ヒステリックなこたえかたをし、たとえば、「そりゃあんたがどう不思議がろうと、実際に私はやってるんだから、ここへ来る前だって女房抱いて来たし、この後も一人待たせてある」憤然たる面持ちでいい、ことさららしく、出された食事の中の、これは精力減退させるとか、こっちはよろしいなど、専門家ぶるのだ。
「どうも信じがたい感じだよ、それにえてして意地汚ない面が多い」「いいじゃないか、悟りすました老僧風で、インポまがいより」「今思いついたんだが、セックスの実践者にしろ、あるいは理論家にしろ、あまりいい顔の人間はいないなあ」「なにいってんだよ、手前を棚に上げて」「いや、俺ももちろん含めてだよ」性教育をことごとしくあげつらって、ワレメちゃんとやらアポロの塔とやらいう手合いにしろ、外国の事情を鬼の首とった如く紹介する学者にしろ、なんとなく下品でいじましい。学問に貴賤の別はないはずだが、理論物理学の権威、数学者、動物学者などに較べると、妓夫《ぎゆう》太郎めいているのは何故か、「そういえば、性的文献のコレクターというのも、みな一風変ってるな」助教授が仁太の説を補う。
「うちの大学にもワ印の収集家がいるけれど、妙にベレーなんか冠っちゃってね、何でもない話をする時も、声をひそめてみせる」「コレクターには二つの種類があるよ、一つは造り酒屋とか地主とか、代々の金持で、玉石混淆手当り次第に買い集めたのと、もう一つは、こつこつ丹念に足で稼ぐケース、これはいわば汗と脂の結晶だから、わりにそろってる。そのかわり頑固だね、他人のコレクションをくそみそにけなす」仁太も心当りの収集家を思い浮かべつついうと、「大体ケチだねえ、俺なんかいくらいっても見せてくれない、能書ばかりで」「ふつうの骨董品、書画陶磁器などなら、むしろ見せたがるもんだろう」課長が首をひねり「そうだと思うがねえ、どうも性的コレクターには不能者が多いんじゃないかな」「いや、不能の傾向のある者が、コレクターになるんだ。実行するより鑑賞におもむく、生身の女に対しコンプレックスを抱いているから、その代償に絵や文章を集めるんだなあ」「すると、他人に見せることは、自分の女を抱かせるようなものか」「でも、コレクターはまだよろしいよ、俺たちは生身にも骨董にも、楽しみがないんだから」話はまた同じところに落着く。こればかりはいくら他人をけなしたところで、自らふるい立つことがなければ、所詮虚しいのだ。
「あんたんとこの女房は、いくつになる?」商事会社の応接室を出て、課長はそのまま残ったから、仁太たち三人はビヤホールヘ入り、いずれも味気ない思い噛みしめつつ、ジョッキを合せた後、助教授がたずねた。「三十六かな」「そりゃたいへんだぜ、これからが女盛りだからなあ、夜討ち朝駈け雨霰」「冗談じゃないよ、もう沢山だ」「あんたは沢山でも先方はそうはいかない。近頃はメンスが上ってからが、またたいへんなんだから」「そうらしいなあ、もう産む心配がないってんで」常務うんざりとつぶやく。「いくつ位までやる気なのかねえ、あちら様としては」仁太、半ば真面目にいうと、「こっちがききたいよ、まあ五十五くらいじゃないか」「後二十年か、月二回として、四百八十回」「四十代は月二回じゃ無理だよ、家庭の平穏無事をねがうんなら、まず五回は必要でしょうね」助教授猫撫声をだし、「まあ、千五百回は覚悟しといた方がよろしい」そういわれても、仁太には実感がない。「千五百回ねぇ、精液の量にして四千五百CCか、もったいないな」ぼんやりいうと、「おい、どっかに共同で部屋を借りないか」助教授、声をひそめて藪から棒の提案「何をするんだ」「要するに、俺たちが思い切った行動に出られないのは、こういっちゃなんだが、身分にしばられてるわけだろ、今はやりの言葉でいうなら、ヘンシンするわけさ、部屋を根城にして」「ヘンシンして何になるんだい」「かつらとかサングラスのような小道具を使うんだよ、そこまで凝らなくってもだな、家庭から隔絶した世界を持てば、きっとのびのびできると思う」
とても妾は持てないから、せめてマンションの一室を借りて、暇な時に、ただ寝ころがっているだけでもいいし、もし可能なら女を連れこむことも考えられる。「温泉マークとなると、やっぱりやり難いだろう。マンションに遊びに来ないかっていえば、女だって安心する」「そんなにうまくいくかなあ、そこへ住みつかれちゃったらどうする」「先きのことはまた先きになって考えりゃいいだろう、お前他人の頭のハエばっかり追ってないで、少しは自分のことも心配しろよ」助教授じれったそうにいう。「これから二十年間頑張らなきゃ、女房は性的欲求不満で、荒れ狂うんだよ。釈迦に説法だろうけれど、中年女のノイローゼなんて、みんな基は一つだ。家庭の幸せは、かかって男の股間に在る」「それとマンションが何の関係あるんだよ」「山田の奴が妾に予供を孕ませたとたん、女房にも子種がとまったことを考えてみろ。新鮮な刺戟がありゃまだ俺たちだってふるい立てるんだ。くよくよ悩んでることはない、実行あるのみよ、まあ乱交パーティは無理だとしても、若い女性とお話するだけだっていいと思うがね」助教授の言葉に常務が笑い出し、「乱交パーティとお話じゃ、ずい分ちがうなあ」「俺、女子学生連れてくる。個人的に借りた研究室ってことにすりゃ、掃除くらいしてくれるさ、そこでこっちは酒を用意してもてなす、キャバレーなんかよりよっぽどいいぜ、これは」「かつらとサングラスってのはおもしろいな」仁太はなまじTVにしゃっ面さらしているから、素顔ではうかつなことはできぬ。しかし別人を装えば、あるいは大胆なことだってできるかもしれないのだ。「そうだよ、若造りにしてガールハントをやりゃいいのさ、近頃お前若い女と口をきいたことあるのか、カウンセリング以外に」いわれてみれば、近頃どころか、この何年来、その経験はないし、もちろん連れ立って街を歩いた覚えとなると、さらにさかのぼる。
「一人じゃやりにくいから、部屋で変装してだな、ラッシュアワーの痴漢、公園のノゾキ、どしどしやってみるんだよ。睡眠薬遊びとか、雑魚寝とか、世の中には楽しいことがいっぱいあるはずなんだ。週刊誌で読んで、よだれ流してるだけが能じゃないぜ」痴漢になるには、勇気がない、ノゾキを実行するには、面倒臭さが先きに立ち、睡眠薬遊びには老け過ぎている、そう思いこんでだらだらと不能に落ちこむよりは、かりに虚しくはあっても、抵抗を試みた方がいい、それで駄目ならあきらめようと、助教授は力説する。「今ならまだおそくないと思う、四十も後半になってみろ、もうじたばたしたって体がきかなくなるからな」「そりゃ、妙な薬を服むよりは、生身の女を身近にすることがいちばんだよ」「三十万ずつ出せば、名ばかりのマンションでも、2DKが借りられるぜ、どうだい?」常務にたずねると、「それ位は何とかなるなあ、俺は取りあえず昼寝できる場所があると、ずい分楽なんだ。なるべく都心に近い方がいい」「もちろんその線で探すさ。もっと安いアパートでもいいんだけどな、今、過激派の学生に警察が神経とがらせてるだろう、いつも留守で居住者が不定だと、怪しまれるんだ。マンションなら大丈夫」「風呂付きのをたのむよ、一寝入りした後、さっぱりしたいからなあ」「隠居所じゃないんだよ、お前」助教授、常務をたしなめた。
自分とは、まったく隔絶したこととして、これまで深く考えず、またうっかり考えれば苛立つだけと分ってもいるから、よそごとにながめて来たのだが、たとえば新宿にセーラー服を着た高校生売春婦がいると、何かで読んだ時、仁太はかなりそそられたし、また、日曜日の浅草には、集団就職で東京へ出て来た若い女工たちが、好奇心に満ちてほっつき歩き、レストランの食事をおごればその後寮の門限までつきあうときいて、何やかや思いめぐらせたこともあった。自分の年とか、社会的な立場を考えて、実行に移さないだけのこと、少し前に、仁太と同じ年齢のサラリーマンが、家出少女を宿屋へ連れこみ、女将に怪しまれ表沙汰になったことがあったが、多分、四十代の男は、半ば羨み、そしてやらないでよかったと、胸なで下したにちがいないのだ。仁太の父親の時代なら、妾を持つことで、若さを保ち得たのだろうが、今は経済的にも、いやそれよりも女の意識が変ってきているから、トラブルの種を蒔《ま》くだけのこと、残る道はヘンシンしての、スキャンダラスな行為だけだろう。これは一種のサナトリウムといっていい、一夫一婦制にがんじがらめにされ、また社会のきずなに縛られて、手も足も出ず、男性的能力を衰えさせる一方の、現代人にとっては、必須の蘇生法なのだ。
仁太は、その夜、妻を抱いた。このところ何年か、おざなりの行為だったのだが、まだ海のものとも山のものともつかぬ、マンションの部屋と、そこでくりひろげられるだろうあれこれを、まざまざと思い浮かべて、ふるい立ち、妻はしごく満足の態。「やっぱり、お化粧してると感じがちがうの?」果てて後に、妻がいうからしげしげながめると、アイシャドウに口紅をつけたまま、「たまには濃い寝化粧も旦那様をよろこばせるって、婦人雑誌に書いてあったのよ」妻、無邪気に笑いかけた。
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痴 漢 入 門
助教授がいちばんマメで、いや多分暇なのだろう、あちこち歩きまわって不動産屋をたずね、また専門紙買いこんで比較検討し、めぼしい物件があれば、仁太へ連絡してくる。まかせっぱなしもわるい気がして、仁太も一度同行し、これもおもしろい経験だった。学生独身時代は、下宿を転々と替え、かなりこの業界についてはくわしいつもりだったが、以前のどことなく偏屈な、また人生脱落者めいた手合いは少なく、みなおそろしく張り切っていて、現在は売り手市場らしく、権柄ずくなもののいいかたをする。「社長くらいの貫禄なら、まあこれくらいは張りこんでいいんじゃないですか」仁太にしゃべりかけ、どこへ行っても助教授の方が、部下にふまれる。まあ中年男二人が連れ立って安マンションの部屋を探すなど、そうみっともいい図ではなく、多分、仁太の女を住まわせるために、腹心の部下と物色中くらいに考えているのだろう。結局、四谷三丁目に近い一室、道路拡張でころげこんだ金をつぎこみ、やみくもにひょろ長いビルを建て、三階から上を貸す、その四階に決め、2DKとはいうものの、七坪しかない。「誰が住むのかねえ」他人ごとのように仁太がつぶやくと、「みんな銀座のホステスさんですよ、壁は厚くなってますから、物音はきこえません」一階で自動車の部品を売る大家、いやしく笑ってトントンと叩いてみせた。
そこに住むわけでなし、また目的がはっきりあるのでもないが、ガランドウでは殺風景、「書き出そうか、必需品を」助教授と仁太、それに課長、常務も加わって、おのおの思いつく品をいう。ベッドやTV、冷蔵庫などはスムーズにまとまったが、各自妙なところに凝るもので、常務はひたすら風呂場の小道具をならべ立てるし、助教授はまた、せせこましい空間にバアでも開く如く、酒の道具をそろえたがり、課長は、周りがホステスときくと、盗聴器、また道をへだてた向い側にも同じようなマンションがあるから、のぞくための望遠鏡が欲しいという。
「なるべく日常の用には必要のないものがいいな、なにしろここはヘンシンの場所なんだから、奇抜なアクセサリー、絵なんかがふさわしい」助教授がいうから、「それならうちに女陰の拡大写真が何枚もあるよ」仁太が申し出る。仁太をよほどの好色漢とみてか、よく料金後払いで、この手のものが送られてくる。拡大写真は、大学病院の無影燈で撮影したものと説明があり、たしかに毛一本一本浮き出た、鮮明な代物だった。「しかし、そんなの壁に貼ったら、女連れこんだ時困りゃしないか」課長が難色をしめし、「まあ置いとくだけでもいいだろう、ここでなら誰はばかることなく観賞できるし」「気持わるいなあ、お前ここへ閉じこもって、そんなのをニタニタ笑いながらながめようってのかい」とりなした常務を、助教授ひやかしたが、「俺は、ほとんど見たことがないんだよ、よく温泉などで、若い連中が買いこんでるらしいけど、この年で眼の色かえるのもみっともなくてな。大体ストリップが俺は駄目だよ、何度か観にいったけど、とても正視できないなあ」そういわれてみると、仁太もストリップ劇場に入ったことがなかった。世の中には、トルコ・ストリップ族と、キャバレー族があるらしく、トルコの権威はまたたいていストリップの通であり、そして連中はキャバレーに足をふみ入れぬ。「まあ、せいぜいここを利用して、拝ませてもらえよ、生身のそれでも、写し絵の女陰でも」それよりもと、助教授ひとひざのり出し、「早速、痴漢をやってみないか」「ラッシュアワーか?」「大体、背広にネクタイなどしめてるからいけない。なるべく下品な装束をそろえてだな、まず形から入るのさ」なまじ社会的な地位なんてものにこだわっているからいけない、また発覚した時のことを思うと、勇気が出ないのだ。
「大体、俺たちは、いちおう大学が最高学府として認められている頃に、大人になったろ、これがいけないんだよ、かりにも最高学府を出ていながらという呪文に束縛されている。そしていちおうはインテリと世間からみなされる階級に所属しているだろ、諸悪の根源はここにある」行動のいちいちに規制が働いて、いじけてしまう。なにも肉体労働者の真似をしなくとも、いや、貧弱な体つきだから、とても真似はできないのだが、まず、ちいさな証券会社に長年勤めたあげく、客の金に手を出して馘《くび》になり、現在は歩合をたよりのセールスマンといった態を装えば、かなり気楽にやれないか。
「知人に会ったらどうするんだよ」課長、とても無理という風に首をふったが、「こっちが気をつけて、先きに見つけりゃいいさ、まあ、正体をあらわさないように、キョロキョロしてりゃ、なお痴漢らしくなるぜ」「その歩合セールスマンてのは、どんな恰好してるもんかね」「だから各自工夫して、朝ここへ集ろう、痴漢が済んだら、それぞれの本分にもどればよろしい」「弱ったねえ、いっこうに思い浮かばないなあ」常務もぼやく。四人の中では、いちばんお洒落のセンスがあるから、いかに変装であっても、先きのとがった靴や、複雑な模様の靴下は身につけにくいのだろう。
「べつに強制はしないさ、いやならよせばいい」助教授がいうと、「まあ、一緒にやらせてくれよ、四人そろってりゃいくらか安心だもんな」課長、仲間はずれにされることを怖れるようにいった。仁太は、学生時代、心ならずもラッシュで、女に体を押しつけられ、すると若いから股間が堅くなり、気配察した女、しきりに身もだえし、はじめは何でもなかったのに、拒否されたとなると、少し凶暴な気持の動いたことを覚えている。助教授の提案した、いかにも痴漢風いでたちで、実行するよりは、ふだんのままやった方が、刺戟は強いにちがいないが、しかし、姿を変えなければ、指一本にぎれないだろうとは分る。
たしかに生活の惰性のまま生きているので、孔子じゃないが、何をやるといっても、ノリを越えず、あるいは女と二人で無人島に流れついたとしても、結婚の約束をしてからでなければ、その体を抱けないかも知れぬ。よく正直運転手とかいって、何百万円もの拾得物を警察に届けているけれど、あれも五千円ならネコババするのだろう、何百万とまとまると、ノリをこえにくくなるのだ。仁太は、洋服箪笥の中の、古い冬ものを引っ張り出し、これも十数年前に作ったダブルカフスのYシャツ、そして、糸の如く細いネクタイを用意し、靴はメッシュの白黒コンビネーション、靴下は紫。お中元にもらったまま使っていない整髪セットと、デュポンのガスライター、煙草は富士、痴漢には関係のない小道具だが、いやらしい中年男のイメージをなるべく明確にするべく、うすいサングラスを買い求め、よほどベレーを冠ろうかと考えたが、思いとどまる。自分以外の存在になろうとしているのに、装うほどまごうかたなきわが正体があらわれてくるような感じもあり、ベレーはその最たるものだった。妻の寝た後、鏡の前ですべてを身につけてみると、ふだんは若造りしていても、黄ばんだ肌、眼の周囲のたるみ、あごに付いた贅肉など、いかにも四十男にちがいなく、日頃のうぬぼれを思い知らされる。まさに知性の片鱗もうかがえぬ、むさくるしい失業者の表情にちがいなかった。
四谷のマンションに朝六時に集合、いずれもボストンバッグを抱えていて、「どうもいきすぎかなあ、これは」課長は、今時まったく珍しい裏がえしに仕立て直した背広を披露し、それに水玉の蝶ネクタイ、ひび割れしたコードバンの靴、蛇皮のバンド、チェックの模様のブリーフケース。助教授は、黒の背広に茶色のズボン、赤いネクタイ、先きのそっくりかえった靴、丸縁の眼鏡を用意し、常務は、ただ流行おくれの洋服で、しかしそれを着こむにも、「酒でも飲まないとなあ、とても表を歩きかねる」とこだわっていた。それぞれ人に合った衣裳をつけているから、形がついていると、お互いよく納得がいって、助教授は、皇居清掃奉仕隊の引率者風だし、課長はTVドラマに出て来る村役場の書記、常務はズボンも袖も太い洋服をまとうと、まず賛助金目当ての業界紙記者、そして仁太は、チックで長髪を固めて、初老期ウツ病に悩む高校教師と、見立てられる。
一大決心でマンションを出たが、もちろん誰も気にはとめず、タクシーをとめて、中野へ向う。ここから四谷までが、痴漢の名所と、週刊誌に紹介されていて、もっとも足をのばせば、近郊から都心へ入る私鉄の方が、時間も長く、すさまじいらしい。課長だけは毎日通勤ラッシュを経験しているのだが、少しでも疲れないようにと、そればかり考え、痴漢の目で車内を物色したことはないという。「これと決めた女の後からぴったりとくっついて乗るんだ、はじめは手の甲でヒップにタッチすると書いてあった」助教授、痴漢の手口を紹介した記事を一同に見せ、「これは万一の時、見つかるとヤバイから捨てるよ」秘密書類を処分する如く、車の灰皿に押しこんだ。
仁太は、ほとんどラッシュアワーを経験したことがない。学生時代も朝はおそかったし、退《ひ》け時に都心から電車に乗ることもなく、だから、中野駅の混雑にまぎれこむと、人いきれにまずうんざりし、また、あたりの女をみても、ヒップにさわられてだまっているような、かよわい印象ではなかった。男の方はまだしも見当がつかぬでもないが、女の勤務先きはまったく推しはかる材料がなく、ながめていると、年も二十代なのか、三十代なのか、処女かあばずれか、判断に苦しむ。「決めるも何もこのまますすんでいけば、まず女と一緒に乗りこめるぜ」助教授、ほくそ笑みつつ仁太にささやき、女学生の姿もあったが、人混みの中のセーラー服は、むさ苦しい感じが先きに立つ。あのスカートの中に、汚れを知らぬ尻があるとは考えにくく、いずれも女兵士のようにたくましいのだ。
流れにもまれるゴミ屑の如く、もみくちゃにされて、しかし四人まとまったまま、入口から押しこまれ、まったく偶然に四人が一人の女をかこむ形となり、はじめあれこれしぶっていた課長や常務も、地の利を得たと分って、品定めする如く女をながめる。鏡の前にいればともかく、いくら変装してみても、そう気持は変るものではなくて、仁太は、むしろ他の痴漢は何をやっているのか、検分してみようと、女の背後にへばりついた男の動き、向き合ったままぴったり体を合せ、顔だけそむけている二人の表情を観察するうち、ちいさな舌打ちがきこえて、助教授をみると、眼くばせしている。その指の動きは分らぬが、逃げようとするらしい女の腰が、もぞもぞと仁太の前でうごめき、気がつくと、左側に立った常務、前にかしげた手の甲を、女の乳房に当て、くねくねと動かす。他人の行為を眼にすると、仁太も少しはやり立って、指先きでまさぐると、思いがけずパンティストッキングに直接ふれた。そのままにして、女の表情うかがったが、変化はなく、なお上に指先きを上らせると、はっきり繁みのザラザラした辺りにふれる。気のせいか、そこはひどく熱くて、女もいやがっていないと見きわめをつけ、しかし、それ以上はどうにもならない。
もはや相棒にはかまっていられず、さらに有利な立場をとろうと、体ずらしにかかると、常務の肘が仁太の胸に当り、逆の側の助教授は女の腰に手をまわして、尻を後からかかえこんでいた。止むなく仁太、不自由ながら指に力をこめ、ザラザラした部分を丹念になでさすり、女の息がはっきり荒くなったことを確かめると、下腹部がふくれ上り、それだけである快感があった。女の手をみちびいて、愛撫させたいと考えたが、めくれ上ったスカートのはしを押さえて、しっかりにぎりしめたまま、電車が停ってさらに人が乗りこんで来ると、態勢はくずれたが、女にふれている指だけは離さず、女の方も自らあてがうようにふるまう。ついに御本尊にはふれず、四谷でどっと吐き出され、あるいは女が仁太を求めて、視線さまよわせているのではないかと、キョロキョロ探したが、たちまち人波にのみこまれて、その姿はなく、降り立った客が、昇り口を上ってしまうと、中年男四人、茫然と立ちつくしていた。
「これは、ビギナーズラックといったところじゃないか?」課長が、舌なめずりしつついう。「うまくいったかい」「いくもいかないも、あの女俺のチンポコをつかんで離さないんだ、ありゃ色気違いじゃないかね」「そりゃちがう、俺がうまいこと刺戟してたからだな、なにしろ急所を押さえちゃったから、グウの音も出やしない」助教授、誇らしげにいう。「仁太の奴、人のことを押しのけようとするんだからなあ」常務が、いまいましげにつぶやいて、「俺はオッパイさわっちゃった、はじめのうちはらはらしたけど、なれると平気だな」口々に戦果のほどを自慢する。「あれいくつくらいだろう」「さあ、二十一、二ってとこじゃないか」「ちょっと美人だったな」「顔より体だよ、いい尻してたなあ」「とにかく男なれてはいたな、トルコ風呂の女じゃないか」「まさか、こんな早く電車にのるもんか」「しかしうまかったなあ、あやうくイキそうになったぜ」「近頃の女は素人だって、開けてるのさ」仁太はうっとりしている三人をながめて、呆れかえる,女の顔をいちばんよく確かめられる位置に仁太はいて、小心にその表情をうかがっていたから分るのだが、まずは三十五、六の、かなり色艶おとろえた女だったのだ。しかし、仁太自身も、これがいわゆるおさわりバアで横にすわられたのなら、早々に退散したろうが、痴漢のふるまいをするうち、顔が気にならなくなったので、男三人が勝手な夢を追うのも、無理はないように思える。
「サラリーマンていいなあ、毎朝あんな風に楽しんでるのかあ、おい」助教授がいって、あたりの通勤客を羨ましそうにながめ、「じゃ、もう一度もどってやってみるか」勤めのある二人が、四谷のマンションヘ向った後、助教授をさそったが、「いや、もう疲れた、実をいうと俺、洩らしちまったんだ」ふっと溜息をつく。黒い背広に茶色のズボン、先きのそっくりかえった靴をはいたフランス文学の少壮学者は、げんなりとベンチにすわりこみ、「考えてみりゃ馬鹿馬鹿しいなあ、インポかでなければ早漏なんだから、とてもこれじゃ女子学生を口説くどころじゃないぜ」仁太も、さきほどの煮えたぎるような欲情はすっかり失せていて、むしろ、痩せこけた女の頬や、やや反っ歯だった口もとばかりよみがえり、指先きを洗い清めたくなる。
「どうも痴漢は向いてないようだな」仁太がいうと、「週刊誌の記事によれば、お互いいやがることはせずに、節度を保って楽しむんだそうだ、とても無理だな」助教授、ガニ股で歩きつつ、「どこかに下着売ってないかなあ」店を探したが、早朝で見当らぬ。「わあ気持わるい、しまったなあ、パンツの替えをもってくるんだったなあ」輝かしかるべきマンションでの初仕事は、精液に濡れたパンツ洗いだった。
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チンチンカモカモ
考えてみると、助教授などは、もっとも気の毒な状態なのかもしれぬ。仁太は職業柄、インポテンツのケースを何例も見聞きしているが、御当人はいずれもケロッとしたものなのだ。恍惚の人と同じで、迷惑というか、苛立ち騒ぐのは、その女房あるいは母親であり、それは確かに、大の男が不能となれば、何となく肩身のせまい表情でいるけれども、見ようによっては、解脱の境に遊ぶ如く、のんびりしている。あり余る欲望に身をさいなまれて、しかも得手吉《えてきち》のままならぬということは稀で、股間不如意と無欲は相伴うものらしい。助教授の場合、余りにも純粋な男性といえて、つまり自分の好みの枠がせまいから、なかなか奮い立たず、そして、好もしき状態にめぐり合ったとたん、今度は一瀉千里に噴出させてしまう、インポか早漏かというのは救いがない。朝早く起きて、わざわざラッシュに乗りこんで、痴漢のふるまいに出たのも、そこで刺戟を受け、飢えたる狼の如き気持を保持するためなのに、速戦即決で果して、パンツを洗う態たらくでは、まったく意味はないのだ。
「まあ、君の若さが証明されたんだから、いいじゃないか」仁太、なぐさめたが、なにしろ朝っぱらから妖しげなふるまいを行って、自己嫌悪にひたる時間だけはたっぷりある。しかも、黒の背広に茶のズボンという妙ないでたちも、今ではひたすらおぞましく思えるらしく、一糸まとわぬ裸となり、風呂へ入ろうとしたが、火のつけかたが分らぬ。「男と女の乗る車輛を、分けるべきだ」とか「ラッシュアワーを経験した女は、すべて半処女とみなしていいなあ」など、きわめて古めかしい言い草をつぶやき、助教授すっかり参っていた。「あまり直接的だったからいけないのさ、そうがっかりしなくったって、変態の分野はまだいくらもある」「俺は小学校の頃から、そう人におくれをとった覚えはないんだがなあ、セックスに関してだけは、どうも原始人風に単純らしい」「トレーニングだよ、何事も。ノゾキでもフェティシズムでも、あれこれ手を出していれば、そのうち隠れたる才能というか、性癖があらわれて来るさ」「ノゾキねえ」助教授、ぼんやりつぶやいて、「高校の頃、悪い奴に誘われて一度出かけたことがあるけれど、俺は感受性が強すぎるのかなあ、他人がうまいことをしているのを見てると、楽しむより腹が立って、とても楽しめなかったぜ」それは感受性の問題ではなく、単に嫉妬深いのだろうと、仁太冷やかしたい気持だったが、口には出さず、「俺はよく進駐軍とパンパンの抱き合う姿をのぞいたねえ。連中はおおらかなものだった」大男が立木にもたれかかり、両手で女の体を支えうごめいていたり、また、自分の膝の間に抱えこんで、幼女をあやしてでもいるような形を見た覚えがある。あの頃は、何もかもおおらかで、仁太が若かったせいもあるだろうが、秘事をのぞくといったじめじめした感じは少なく、これもまたアメリカ文化の一端にふれたような、印象だった。
「お前、アオカンてのしたことあるかい」「ないね、そもそも温泉マークヘ入ったことだって、余りない」「そうだなあ、まったく貧しいものさ」赤線があった頃は、それ一点張り、線後は、いちおう分別のつく年頃で、うかつに素人に手も出せず、いやそのチャンスに恵まれぬまま、四十を迎えてしまい、課長や常務を考えても、彼等が回転ベッドやら、近頃、常備してあるというベッドサイドのTVビデオテープを利用した経験があるとは思えないのだ。「よし、頑張らなくてはなあ」助教授、自らの性的貧しさを再認識して、ようやく元気が出たらしく、用意の鞄の中から、また週刊誌の切抜きを取り出し、「ノゾキの名所は、まあこういう所らしいんだが」作戦参謀よろしく仁太の前にひろげて、指でしめす。皇居前広場、日比谷公園、外苑、オリンピック公園、外濠、谷中青山墓地などの略図が描かれ、◎や△の印があって、◎は「本番多し」△は「初心者」をあらわす。「いや、俺は駄目だなあ、この略図を眼にしているだけで、苛々して来る。初心者といえば、きっと高校生なんかだろう、映画を観に行くなんていって、親を誤魔化し、こういうところでいかがわしいことをするんだ、文部省は何をしとるのか」助教授、また悲憤慷慨し、「昔、補導連盟というのがあったろう、もし、若いカップルがいたら、補導連盟風にいやがらせしてやろうか、学校や名前をたずねて」「よせよ、それこそスキャンダルだぜ」仁太、呆れかえったが、なお、切抜きをくわしく読むと、プロのノゾキ諸氏は、観るだけでなく、アベックのすぐそばに体を横たえ、なにくれとなくその行為を手伝ってやるらしい。一種のマゾヒズムかも知れないが、その境地に較べれば、まだ仁太は助教授に近いのだ。
中年男二人、柄にもなく早起きしたし、やはりなれぬことで疲労していたから、そのまま孤児の如く寄り添って寝入り、仁太、艶夢に近いものを見たのは、痴漢の効用だろうか。しかし、その相手は女でなくて、美老年とでもいうべき男、しかも衆人環視の中でいどみかかろうとし、果さぬまま眼覚めたのだ。酒屋からビールをとって飲みはじめ、ノゾキにもいろいろ小道具が必要らしいが、要するに闇にまぎれる衣裳があればいい、好みに合えばその先き工夫することにして、うっかり凝りはじめると、それだけでくたびれてしまう。「徒党を組んでも具合わるいだろうなあ」助教授がいい、「しかし、声をかけなきゃひがむぜ」堅気の相棒二人に電話すると、常務は留守だったから、課長と信濃町で落合う手はず。週刊誌によれば、初心から本番まで、外苑にはすべて取り揃っているらしいし、地の利もいくらかはある。
仁太と助教授がかなり酔っているのを見て、課長あわてたように、「俺だけ素面《しらふ》というのはまずいよ」寿司屋で、日本酒を四合飲み干し、さて外苑へ足をふみ入れたのが、午後七時で、すでに帰途につく二人連れが目立つ。「もう済んじゃったのかな、おい早く行こうよ」助教授、あわてて芝生の中に入りこむ。木の根方に老婆が二人いて、仁太たちを見ると近づいて来たが、「なんだ、ちがうよ」いいかわして、そっぽを向く。小脇に箱を抱えているから、「何持ってるの?」仁太たずねると、「何だっていいでしょ、男連れに用はないよ」「ねえ小母さん、ちょっと教えてくれないかなあ」課長、千円札一枚を老婆ににぎらせ、さすが商売人だけあって、機をみるに敏、「ここらへんにアベックが沢山いるんだろ、ちょっと見物したくて来たんだけど」「およしなさいよ、折角、人が楽しんでるのにさあ」老婆の口調が変り、「何がおもしろいんだろうねえ」「小母さんたちはちがうの?」「冗談じゃない、あたしゃアベックさんの味方さ」荷物をしめして、「ビニールの風呂敷とか、衛生サックにパンテェなんてね、要り用のものを売ったげてるんだから」二人でフェッフェッと笑い合う。「なにもこれで食べようってんじゃないんですよ。私もこの人も、古川橋にアパート持ってますしね、息子だって大学を出て」それまでだまっていた老婆が口を出す。「いい商売だなあ」「人助けですよ」「もうおそ過ぎたかしら、アベック見物には」「これからこれから」老婆、闇の中を指さして、「絵画館の裏とかね、権田原《ごんだわら》口の植込み、軟式野球場のまわりなんて、そりゃもうチンチンカモカモの勢揃い」「若いアベックの来るのはどのへん?」「みんな若いやね、金がないからこんなところへ来るんだろ」老婆にべもなくいい、「サービスにこれあげるよ」蚊取線香を手渡す。「薮っ蚊がひどいからね」「こんなの持ってて、ばれないかなあ」課長がいうと、「雷が落ちたって離れやしないさ、お祭がはじまっちゃったらね」老婆、かなりノゾいているらしく、断言した。
おけら詣りよろしく、三人火のついた蚊取線香を手にして芝生を歩くと、夜眼にも白く浮き上るアベックが、まるで縫い目にたかった虱の如く、木の根元にすわりこみ、やがて闇に眼もなれたのか、そのふとももあらわとなった態、ひしと抱き合って石と化した姿が見分けられる。しかし、ちらっと眼にしたとたん、あわてて視線をそらし、とても観賞するゆとりはないのだ。「これと思うアベックがいたら、じっくり時間をかけた方がいいらしい。足もとの方から近づいて、男の背後にまわるのがコツだそうだ」仁太が解説し、すると、「あれなんかどうだい、もうじきはじまりそうだぜ」課長が示したのは、男を組敷いた形で、パンティむき出しにした女、「なんだか品がないなあ、同じ観るならロミオとジュリエットのような」助教授ないものねだりをいい、「こっちは可憐な感じだぜ」どうやらお河童頭らしい女が、男に抱きすくめられ、しきりに身もだえしていた。まったく前後左右アベックだらけ、地雷原にふみこんだようなもので、うっかりすると足蹴にしかねぬから、とりあえず歩道へもどり、三人とも毒気を抜かれた態だった。
「ちょっと、そこの人」後から声がかかり、険しい口調だから、思わず逃げ腰になると、いつの間にかパトカーが近づいていて、「何してるんだ、こんなとこで」「青山へ行くんですよ」「方角がちがうだろ」「青年会館の方へ抜けて行きゃいいんでしょ」「身分証明書を見せて」「そんな必要ないよ」助教授抗弁するのを、課長だまって名刺をさし出す。さすが有名商事会社だけあって、パトカーすぐに去り、「昔は俺の名刺も効いたんだけど、近頃は逆に怪しまれるからな」助教授ぼやいた。大学紛争以後、助教授の肩書はまるでお巡りに通用しなくなったらしい。「歩いてちゃヤバイよ、とにかく狙いを定めて」老婆に教えられた権田原口の植込みに向い、一度とがめられると、妙に疚《やま》しい感じが募って、いかにも用あり気にとっとと先きを急ぐ。歩道のベンチ、すぐその後の芝生にもアベックはいて、お互い一種の仲間意識があるのか、無視し合い、隣のベンチであたりはばからぬ喜悦の声を立てているのに、すぐ横の二人無邪気に笑いながらしゃべり合っている。すすり泣きや男のくぐもった声、吐息忍び笑いが交錯し、秋草にすだく虫の音とまがうばかり。
「よして、いや、ねえ」急に、|喋 喋喃喃《ちようちようなんなん》とはまったく異なる、切迫した女の声がひびいたから、三人ギクリと足をとめ、耳すますまでもなく、もみ合う物音が伝わる。仁太、とっさに姿勢を低くし、四つんばいになって、物音の方角に忍び進む。二人もつき従い、近づくにつれいずれも匍匐《ほふく》前進の形となり、頭を低くすると、見通しがきいて、五メートルほど前方に、からみ合う姿が見えた。下になった女は、男をはねかえそうとして、脚をあられもなくばたつかせ、男の顔は胸のあたりに埋められたまま、動かない。「よして下さい、先生」女の低いつぶやきに、仁太仰天し、五体硬ばらせて、しかしさらに近づいてみたい。他の二人も同じ気持らしく、一番乗りを争うように、前進しはじめると、「しっ、まだ駄目だよ」耳なれぬ声がして、横を見ると、五十年輩の小柄な男がクモのようにはいつくばっている。
「もどれもどれ」押し殺した声でいいつつ、手をふり、じっとしていると、仁太のズボンをつかんで引きもどそうとするから、「なにをするんだ」相手が弱そうなので、つい強い口調でいう、「なんだとはなんだ、ここは俺のナワバリだぜ」男、開き直った言葉づかい、とたんにかたわらの木がざわついて、もう一人が闇からにじみ出たようにあらわれ、「見かけねえ面じゃねえか、よう」これまたやくざっぽくいう。仁太たち三人思わず立ち上ると、その気配にアベック気がついて、居ずまいを正し、「そんなところで何してるんだ」男が、かすれた声で詰問した。答えようもなく、三人こそこそと立ち去り、後ふりかえると、邪魔者に一喝くわえた先生とやらを、たのもしく思ったか、今度は女の方がすがりついている。
「つまり、あれがプロのノゾキ屋なんだな」助教授つぶやき、「ナワバリがあるのかねえ」「まったく気がつかなかったなあ」課長も感心したようにいった。「まずノゾキ屋がいないかどうか確かめないといけないな」仁太は、アベックの行為よりも、それを心ゆくまでながめて愉しむノゾキ屋に、嫉妬心が湧き、こうなったら何としてでも、一部始終見届けたい。しかし、あらためて注意すると、恰好の場所には必ずプロがいて、一組のアベックをかこみ、五、六人がしげしげとのぞきこんでいたり、こればかりは週刊誌の記事にいつわりはなく、二人のすぐ横に寄りそい、肘枕してながめる者もいるのだ。「こっちもアベックで来りゃいちばんいいんじゃないか」課長がいったが、その当てはない、「ノクトヴィジョンがありゃなあ」赤外線応用の、夜でもはっきり見える眼鏡だそうで、ないものねだりをはじめれば、きりがないから、仁太先きに立ち、もうプロにとがめ立てされようが、アベックに気づかれようが、かまうことはない、俺にはノゾキが合っているのかと考えつつ、歩きまわるうち、すぐ後は公団アパートとなっている外苑のはずれに、もつれ合う二人を認め、しゃがみこむ。アパートの敷地と外苑の、仕切りの塀にぴったりくっついているから、一種の盲点になっていて、あたり確かめたがプロはいない。
無言で指さすと、二人もうなずいて、洋服の汚れるのも意に介さず、にじり寄れば、これはまごうかたなく、行為の最中だった。シロクロショウで、男女の営みを見たことはあっても、素人のそれははじめて、女の脚は思いきり開いていて、時に片足だけをびくっとはね上げ、男の尻はそれ自体一つの生物の如く、うごめきつづける。そのひたむきな印象にうたれて、なるほどこれはいくらそばまで近づいても先方は気づかぬだろうと、納得できたが、それもなりかねるほどの、すさまじい迫力なのだ。女よりも男の鼻息やらうめきが伝わり、こんな風に一心不乱になれるものならと、羨ましい気持が起る。
助教授は、しきりに首を動かして、したりげにとみこうみするが、それも迫力にうたれてのことと分るし、また課長は、口を半ば開きよだれ流さんばかり。二人は、やがて体を入れ替え、横抱きにからみ合う形となって、助教授、ここがノゾキの正念場という風に前進し、仁太もつづく。女が上にのしかかり、しばし後に居茶臼となり、後取り、仏壇返しと、千変万化の態位、いささか三人あっけにとられ、やがて、怪鳥の如きさけびを共に発して、静まる。それまでめまぐるしく動いていたから、発見されるはずもないとたかをくくり、余りに近くへ寄り過ぎていた。身動きならぬまま大地にひれ伏していると、「どうぞ、お身を起して下さい」品のいい老女の声がして、仁太なにやら夢を見ている按配。顔を持ち上げると、六十前後の男女、身ずくろいしながら、「どうもありがとうございました、近頃は、私たちノゾキ屋さんにも相手にされませんでねえ」男、立ち上って力いっぱいベルトをしめ、ズボンの埃を払う。「おかげさまで、久しぶりに堪能《たんのう》できましてございますよ、ありがとうございました」女、あらためて一礼し、にこにこ笑いつつ、手をとり合って歩き去る。「なんだいありゃ」「ノゾかれなきゃ満足しないんだなあ」べつに珍しい例ではないのだ。
三人信濃町へもどったが、明るい場所へ出ると、いかにも洋服の汚れが目立つ、「酔っ払ったふりして歩こう」助教授ヤケッパチにいい、互いに肩を組んで、放歌高吟しつつ外苑帰りらしく、いずれもさっぱりした顔付きの、男女にまじって四谷へ向った。
課長の服には蚊取線香の焼け焦げができていて、仁太は小銭入れとデュポンのライターを、匍匐前進の間に落していた。まったく他人ごとではない、何とかしなければ、えらい損をするという実感が、しみじみあった。
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男性不感症
「どうも私は、不感症らしいんですなあ」ゴルフ焼けして、精悍な面がまえ、三十前後と思われる男が、妙な台辞口にして、ほっと溜息をつく。「男の不感症というのは珍しいですねえ、最近そうなったんですか」仁太なにやら馬鹿馬鹿しい気持でたずねると、「なったというより気がついたんです。自分ではこんなものかと思いこんで、これまで来たんだけど、色々本を読んだり、人の話をききますと、どうもおかしい。エレクトもするし、早漏でもないんですが、なんというか内容の貧しいセックスを営んでいるような」「そりゃあなた、男の快感は、女に較べるとずっと貧しいんですよ、あられもなく取り乱すなんてことは」「それは分ってます、なにも女と同じによくなりたいわけじゃありません。ただなんというか、要するにちっともいい気持じゃないんですよ」男、焦れったそうにいう。
そして、しばらく沈黙したあげく、深刻な表情で、「教えて下さい。どこがどんな風によくなるんでしょう」「どこがっていわれてもねえ」仁太、今度はおかしくなり、考えてみると、男性の性感について具体的な説明は、これまでされていない、自分の記憶をまさぐってみても、はっきり順序だてて説明はしかねるし、むしろ、果てた後の、あっけらかんとした気持の方が、はるかに実感としてあるのだ。「私の場合ですね、あっと気がつくと、すでにじわっとにじみ出てしまっていて、若いうちは、それでもせいせいしたというか、腰が軽くなった風通しのよくなったみたいで、まあ納得してたんですが、最近つくづくこれでいいのかと疑問に思うんです」「人の話をきいてっておっしゃったけど、どんな風でした、その話は」「会社の同僚なんですが、彼の場合、まず予感があるんだそうです、もうじきイクなと思って、そのタイミングをはかるのがまず愉しい。つぎに今はこれまでと潮の満ちるままにまかせ、背骨の末端に熱い感触が生れる、それがぼんのくぼまでゆっくりはい登り、そこではじける、五体のすみずみに一種のしびれが走って、思わずうめきを上げるっていうんです。そしてついに射精がはじまる、尿道の奥の快感小球を刺戟しつつ、はっきり形あるものとして、精液が奔流の如くほとばしり、この時、くるまれているのはペニスだけであるのに、全身がヴァギナの中に埋没しているような感じだといいます。放たれた精液は、無限のかなたに吸いこまれ、充ちたりた虚脱感に身をゆだねる、こんなすばらしいことはないと、いいます」男、心底羨ましそうにいう。
「そりゃ少し大袈裟だと思いますがねえ、あの時に、そういちいち克明な観察をするもんじゃないし」「じゃ先生は、一瞬、無我夢中におなりになるわけでしょう」男、不機嫌な口調でいう。「それすら気にしませんねえ、大体、性感をそうたいへんなことに考えない方がいいんじゃないかなあ。ある人の説によれば、男の喜びは、女性に満足を与えたという、確かめにあるといいますし、あるいはようやく想いをとげた、その征服欲の充足やら、とにかく観念的なものなんですね。女性がクリトリスに刺戟を受けると、すぐ息を荒くするような、そんなもんじゃないんだから」「それはよく分りますが、しかし、女房との場合どうなりますか」男、なお思いつめた表情となった。「女房に満足を与える、征服したからといって、先生は喜べますか」「まあ、その場合は、なれあった愉しみといいますかねえ、こうすりゃこうなると、あまり気をつかわなくて済むでしょう」仁太、少し自信がなくなる。
「あなただって性欲はあるんでしょ」「そりゃあります」「それが充たされるんだからいいじゃありませんか」「しかしですね、腹が減ってるからって、機械的にオカラをつめこんでも楽しくないでしょう、やはりうまい味をあじわわなけりゃ」「うまい味ってなんですか」仁太、少し腹が立ってくる、「味なんてものは、一種の錯覚ですよ、オカラをまずいときめこんでいるのは、あなたの想像力が貧困だからなんだ、いくらオカラでも、御馳走に仕立てることはできるはずです、これを、二十四オンスのサーロインステーキだと思いこめば、その味がする」「そりゃ無茶ですよ、オカラとサーロインステーキはちがう」男、大声を出して否定した。
「あなたは食通の方ですか」仁太、われながら陰険な声を出し、たずねると、「そりゃまあ、わりにうるさい方でしてね、まあサーロインステーキを食べるならば、マティニにスモークサーモン、これにそえて紫蘇の葉とケッパー、ケッパーは市販のもので十分です。葡萄酒はマディラのヴァンローゼ、スープは冷たいコンソメ、ステーキには銀皮の中で口をあけている馬鈴薯と人蔘インゲンのつけ合わせがいりますねえ、焼きかたはレア、外側のカリカリした舌ざわりと、赤い生肉のしっとりした味わいを二つながら楽しむというのは、これぞ至福の時としかいいようがない。これとオカラを同じだなんて」男は、よだれ流さんばかりにして長広舌をふるった。
「ぼくは、オカラだって、あなたと同じように情熱的にその醍醐味をしゃべることができますよ」仁太、反抗的にいう、「オカラをですか、まああれは、ヒキ肉と人蔘油揚げなんかきざんで入れて、油でいため醤油で味つけすると、一口二口はいけますね、卯の花といって、昔はよく作ったもんです」「そんなややこしいオカラじゃなくていい、要するに、大豆のしぼりカスそのままでけっこう」「そりゃ食べられたもんじゃありませんよ」「マティニなんかいらない、こわれた水道の蛇口からほとばしり出る水でよろしい」仁太、テーブルをどんと叩いて、「ガダルカナル島にいると思うんです。自分は一木支隊の一兵卒としてガ島へ送りこまれた、しかし作戦のあやまりから、食糧弾薬の補給がつかず、たちまちジャングルの中をさまよい歩く敗残兵となってしまう、蛙ネズミを食いつくし、死体にわいた蛆さえも口にする、木の根方に打ち倒れ、なすすべもなく死を待ちながら、内地の食べものを、あれこれ考える。不思議にこういう時は御馳走などでてこない。二十四オンスのビフテキより、まずいからいやだと食べなかったオカラや、干大根があらわれる、ああ、あれを食べとけばよかった、あの初雪をそっと掌にうけたように、ふくよかでつつましいオカラ、口に含めば大豆の青くさい匂いがひろがり、歯ごたえのないままノド元を過ぎて、あとにかすかな甘みが残る、ねえうまそうでしょう」
「しかし、どうしてそんな面倒なことを考えなきゃいけないんです」「大体、分りましたよ、あなたの場合食通風セックスなんです。つまり女性的なのだ」「冗談じゃない。ぼくはこれでもスポーツマンだし、これまで誰にも、女性的だとはいわれたことはない。それに先生はまちがっている。食通というものは、男性にのみ許されることですよ。女の食通なんていますか、連中はせいぜいどこそこのアンミツがうまいとか、汁粉がどうしたとあげつらうだけ、でなければ、名のある店で食べれば、それがうまいと信じこんでいる。美味求真の資格は、また情熱は男性のものです」それは確かにそうであって、女流食通なんて、あまりきいたことがない。「じゃ取消しましょう、あなたは男性的な食通でいらっしゃる、しかし、三食その二十四オンスのステーキを食べてるわけじゃないでしょう」「当り前です、金もつづかないし、ステーキばかりじゃ腹にもたれてしまう」「ふだんは何を召上ってらっしゃいますか」「ぼくは食いものの話をしに来たんじゃありませんよ、セックスの」「いや関係があるんです」「家にいりゃ女房のつくったものですよ」「どんな風な」「主に栄養に重点をおいてますなあ、味はまあうるさくいったところで仕方ありませんし、おいしいっ? てきかれりゃうんと答えてなきゃ、女房のきげんがわるいし」「食通の方は、気の毒ですねえ、一流の店のフカのひれのスープとか、鯛の活き造りを食べてなきゃ、おいしいとは思えないんでしょ、ふだんは砂をかむような食事をしていることになる」
「そんなことはありませんよ」男、少しうろたえながら、「たまに食うから、うまいってこともあるでしょ」「すると、月に一度くらいは二十四オンスのテキ食べることを生甲斐にして、粗食に甘んじてるわけですか」「べつに粗食ってわけでもないけど」「はっきりして下さい、はっきり」仁太きめつけるように、「マティニやらヴァンローゼと共に食べる二十四オンスのサーロインがうまいんでしょ、すると、自分の家のテキはどうしたってまずい道理です」「そりゃ値段がちがいますしね」「ぼくなど、いつだっておいしいですな、つまり観念的操作を加えることで、マキシムのフォアグラも、即席ラーメンも同じことです。セックスだって同じことでしょう、食通が女性的セックスに通じるといったのはこの点です。女性は、やれ前戯だとか後のたわむれだとか、ムードやら小道具に凝って、そのすべてがしごく具体的にととのわなければ承知しない。あなたがさっきおっしゃった二十四オンスのビーフステーキについての説明を、いいかえてみましょうか、ある男についての記憶を告白する女のモノローグとして」「なんだか偏見みたいに思えるけどなあ」
仁太、立ち上ってあたりを歩きながら、「まずキッスは、芳潤で濃密で申し分なく、加えてまさぐる指の動きがすこぶる巧者だった。指の方はいうまでもなくクリトリスにふれているのだが、男とも思えぬやわらかな肌ざわりで、しかも時に花片をかきわけるしぐさがえもいわれぬ。こんなありふれた愛撫を賞めるのはおかしいけど、つまりぺッティングの味をひき立てるほどに、キッスがおいしいということである。確かに私はキッスを楽しみつつ、思うままに男の唾液をのみこんだ。それから二人は、あれこれ体を入れかえつつ、スワサンヌフの形となる。男のペニスの先端はスモークサーモンの如くなめらかに光っていて、それを口の中にふくんでいると、男の中のいちばんおいしい部分が、ここに集っているとよく分る。さて、いよいよ私の体の中に入って来て、なにしろ、十八センチのキングサイズ、しかも雁高節太だから、ペニスというよりは、武器といった印象、見ためにも威風堂々としていたが、私の中で、なおそれはふくれ上り、つけ合せのホーデンもかたくひきしまり、過不足ない刺戟をアヌスに与えてくれる。うんと深くと注文したから当然だけど、抽送のつど眼のくらむ思いで、ほの温かい感触がひたひたと身内にひろがり、ペニスの外側のざらざらした肌合いと、私の濡れそぼったそこの、自分でも思いがけずに収縮し、またとき放つ具合がえもいわれず、ゆっくりと私は腰つかいつつ、これを至福の時といわずして何であろうかと思う。それをあえて分析すれば、世の中に男がいて、私に欲情し、ペニスを大きくさせ、大きいことはいいことであるし、私にヴァギナがあり、その愛撫により、うるおうことはいいことで、さらに男がキッスの上手であることも、指がしなやかなのもいいことである、といったようなことだろうか。私は、すっかり満足して、十八センチのペニスを楽しみ、唇をむさぼり、ホーデンの刺戟にうめき、さすがに男の乳房へのタッチだけは、もう死にそうになったからやめてもらって、三度オルガスムスに達し、男がいつ放ったか、夢うつつでよく分らなかった。と、まあこんな風になりませんかね」
「女の告白にしては、さばさばしてますな」「それはしかたがない。要するにです、男の食通のありかたは、女のセックスによく似ている、食通が自分の家で食事をする時、貧しい気持になるのと同様、女も、おいしいセックスをいったん知ってしまうと、なまじのことでは満足しなくなる。両者に共通しているのは、観念の欠如である、そしてあなたは、セックスにおいても食通風なのだ、女みたいなのだ」仁太、珍しくたかぶって、男にいう。「ひょいと気づいたら、じわっとにじみでて、キョトンとしてしまう、いいじゃないですか。これをつまりオカラとしましょうか、オカラセックスでも、観念妄想の味つけによって、いくらでも愉しいものとなるのです、マティニやヴァンローゼに色どられたセックスも、オカラセックスも同じことなのだ」「じゃ、私は不感症じゃないんですか」「当り前です、男なんか、本当はちっともよくありませんよ、みんなそれをなんとか愉しいものに思いこもうとしているんです。そりゃ、はじめての女、若い女と寝るなら、それこそ十二オンスのサーロインかも知れません、しかし、十年二十年つれそった女房と寝て、何がいいもんですか、ふざけちゃいけませんよ」「いくらか安心しましたけど」「どうしても妄想をかき立てられないのなら、フカヒレのスープ、鯛の活き造り風セックスを探すんですな、処女を抱くなど、たしかに活き造りといった感じですねえ」「いや、ぼくは気持がやさしいせいか、そういう残酷なことはできないんです」男、ようやく納得したような表情だった。
しかし、男を帰して後、仁太もよく考えてみると、性的快感など、すごくあやふやなことに思える。この男ほどひどくはないが、まあ、少しいいなと感じるのは、二、三秒であろう。そして、これが当然なのだ。大昔は、どこに敵がひそんでいるかも知れず、二時間も三時間も、「ここで気をやるは初心なり、往生したと見せて、いったんは静まりつつ、またしかけたれば、女、お役御免と気を抜きし後なれば、ふいをうたれて今度は」と、のんびりやったら、殺されてしまうだろう。元来二、三秒のものを、女の一方的な要求で、何百倍もついやさなければならぬとは、ずい分不合理なことに思える、この馬鹿馬鹿しさが、変態をもたらしているのではないだろうか。
仁太、つれづれなるままに、自らのペニスをひき出し、以前ならば外の風に当てただけで、むくむくと頭をもたげたのに、今はまったく死体の態、こころみにしごけば、老犬のおあいそに尻尾をふる如く、わずかに反応をみせたが、手を離すと、そそくさとした感じで色あせてしまう。女は、男がセックスにおいて、ちっとも愉しんでいないことを知っているのだろうか、抽送の一つ一つには何のよろこびがあるわけでもない。あのヴァン・デ・ヴェルデがしめした快感曲線、女は高原状をしめし、男はすとんと落ちてしまうなどいうのは、まったく嘘で、男のそれをしめすなら、まずは、グラフの右の方にひょこっと、出べその如き形があらわれるだけなのだ。オーラルセックスなんてのも、アヌスも、結局は同じことなので、よくまああきもせずに、男はくだらぬことをやりつづけているものだと思う。オカラを二十四オンスのサーロインに化けさせようとするから、疲れてしまうのだ。男はちっともよくない、せいぜい三秒くらいで十分と、女にPRする必要があるのではないか。
考えていると、またさっきの男があらわれ、「先生は間違ってるらしいですよ、こいつは、ぬきさしのいちいちに楽しいっていってます。先生は味覚においても、性感においても、まったく駄目なんじゃないかって」男の連れは、六尺有余、トドの如き印象だった。
その大男は、大男総身に知恵がまわりかね、大男の小魔羅といったような、大男に関するあらゆるマイナスの条件を、完備している印象で、猫背ガニ股、さらに歩きぶりからみて扁平足であることは確かだった。「最後の二、三秒しかええことないちゅうのは、やっぱりおかしいのちゃいますか」あらかじめ、仁太の説をきかされていたらしく、ニタニタ笑いつつつぶやき、「ぼくなんか、つい知らずに声上げてますもんねえ」「イイとかウウとか、さけぶんですか」「夢中で何いうてるのか、自分で分りませんわ、よう寝入りばなに、自分のいびきにびっくりして眼ェさめることあるでしょ、あんな具合に気イつくこともあるけど」大男は、何を口走っているのか確かめてみようと、録音したことがあって、「われながらちょっと恥ずかしい気イしましたな、えらいうめき声上げて、その他になにやかやしゃべりかけてるんですな、覚えてないけど」男のセックスに完全黙秘型と、饒舌型のあることは仁太も知っているが、閨房で女に語りかけるのも、あるいは鶯の共鳴きといって、初心の女を相手どる時、まずこちらが取り乱したふりをみせ、その羞恥心を除く技術も、みな意識してのことで、われ知らずよがり声をもらすとは珍しい。
「その間中、ずっといい気持なんですか、入れたとたんから」「そらそうです、でなかったらアホらしてやれまへんやろ」「しかし、快感はすぐ射精に結びつくでしょう」「べつにそんなことありませんなあ、愉しめるだけ愉しまな損やし」大男を伴った自称不感症は、それみたことかという表情で、「やっぱり我々がおかしいんですよ。しかし何ですなあ、セックスコンサルタントの先生が、自分の症状に気がつかなかったというのは」うれしそうにいう。若い頃、仁太の下宿に女連れで泊りこみ、夜中おっぱじめた奴がいたが、この場合も男は終始だまったまま、最後にスンと一息、スカシッ屁の如くもらしただけであった。ブルーフィルムの男女は、お互いお芝居をしているのだろうが、もし男がみな我を忘れてのたうちまわるのなら、お愛想にもそのふりを演ずるはず、しかし、いずれも瞑目したままではないか。
「まああなたは特異例なのかも知れないけど、そのいい気持というのは、どんな風な感じなんです」「そうあらたまってたずねられると困るけど、チンチンの内側が痒いみたいなね、一般的に隔靴掻痒というのは、もどかしい状態を意味するけど、セックスの場合はむしろそれがよろしい。また、クシャミをこう我慢してるような感じもあります。あれ、ちょっとええ気持のもんでしょ、ムズムズして、もうじき出るか出るかと、無念無想で待ってるのは」「なるほど、そういう状態を保つように我慢するわけですか」「我慢せんでもよろしい、ぼく早漏とちゃうから、十分や二十分は続きます」「そんなに夢中になるのなら、女性の感極まっている姿を確かめて、満足するなんてことはないわけですな」「そら分りますよ」「しかし、自分の声ですらきき分けられないというんじゃ」「モノに対する当りで、ちゃんと見当つきますがな、しまったりゆるんだりしまっしゃろ」大男、にぎり拳を開閉してみせた。
仁太、なにやら珍妙な動物を見るような感じで、もちろん羨ましいとは思わず、「それだけ愉しめるんなら、幸せですよ」半分皮肉でいったのに、「はあおおきに、おかげで女房もうれしい悲鳴上げてますわ、なんしこの歳で、朝晩欠かしませんしな。麻雀ゴルフなんかいう、しょむないことにも手は出さん、ほんまセックスは家庭の礎《いしずえ》でんな」あっけらかんと答え、「先生は、お気の毒でんな、精力剤いうのんはあっても、男のよがり薬は耳にせんし」同情をしめす。大男の言葉に嘘は感じられず、十人十色というから、あるいはこういう恵まれた男も、世の中に存在するのだろう、「先生が同病じゃ相談しても仕方がないけど、なんとか治らないもんでしょうか」不感症、あきらめきれぬようにいう。
「これは私見ですけどな」大男、わざとらしくへりくだって、「女でも、なかなかすぐにはオルガスムスに達しませんでしょ、やっぱし三月から半年かかる。先生なんかも、いわば途中の段階ちがうのやろかねえ、ぼくも若い頃は、確かにようなったとおもたら、すぐに済んでしまいましたわ。この二、三年やろか、醍醐味に到達したのは」「しかし、医学的にいうと、関係ないんですけどね、男の場合は」「いや、やっぱりトレーニングやと思いますわ。失礼ながら、先生これまでに何回くらいやりはった?」「さあねえ」馬鹿にされているようで仁太、こたえる気もしないが、大男ますます図にのり、「先生、こらええテーマちがいますか。これまで男の不感症については、あまり論じられなかったけど、こいつの話をきいてみても、世間にはひそかに悩んでるのが多いみたいで、HOW・TO・SEXなんかいうのも、主に女性を満足させるためのもんでしょ。私、協力しますから、ひとつ研究しはったらどうです、そんな先生、二秒か三秒でしまいいうたら、ほんまオカラでっせ」大男は優越感にみちみちていった。
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よ が り 声
二人が帰ってから、仁太、文献を調べてみたが、女のヴォカリゼエションについては、かなりの多様性が見られるが、男の場合、「イクイク」「ソレソレ」「フンスン」と、掛声みたいなのが多く、これは明らかに射精のリズムに合わせて発するもの、そこへ到る過程においては、まったく快感の表現はないのだ。助教授に電話をかけて、外国のポルノグラフィはいかがあいなっているのか、たずねてみても、このことに東西の別はなく、「そんなことは、エロテープ聴けば分るだろう、男のわめいているのなど、まあないからなあ」「しかし、例外があるらしい。そいつの話をきいてると、俺はずい分損してるように思えてきてな」仁太、助教授のひがみをかき立てるべく、しんみりいうと、「男でひいひいいうのがいるってのか、そんなのはろくでもない奴だよ」たちまちのって来て、「で、どんな具合なんだ」すぐ、声の調子が深刻に変った。
手っとり早く説明すると、助教授しばらくうなり立てていたが、「丁度いい話があるんだなあ、この前のノゾキの失敗を同僚に話したら、いいとこがあるっていってな」同僚の教え子にモーテル経営者の息子がいて、モーテルの特別室に工業用TVとマイクを設置してある、名目は自殺防止のためとなっていて、あやしいカップルをここに案内し、それとなく様子をさぐるというのだが、目的はもちろん別にある。「その息子は単位とひき替えに、ノゾカせると申し出たらしい。一人では行きにくいから、誘われたんだ」ここで、じっくり観察すれば、男のよがり声について、ある程度のことが分るのではないか。
セックス態位についての学問は、ほとんどが机上の空論で、病理学解剖学の面では極めつくされた感があるが、臨床例は、かなりの専門家も経験が少ないのだ。今をときめくセックスドクターにしてみたって、男女交合のあからさまな形を何例見ているかといえば、おのが姿を鏡にうつす以外、まずないにちがいない、あるいは若い頃、シロクロを鑑賞したくらいのものだろう。すべての研究材料は、営みの後で、しらじらしく告白する被験者の言葉の中にしかなく、そしてこれがいかに実際から遠いものであるか、果ててしまえば、閨中のあれこれを、いかに学問のためとはいえ、素直にしゃべる気持にはなれぬ。本当をいえばセクソロジー研究室には付属の温泉マークがなくてはならぬはず、あるいは実験動物としての夫婦を何組か持っている必要がある。
仁太は、早速助教授にたのみこんで、モーテルヘ同行することにしたが、ひょっとしてあの大男の説が正しく、女を抱きつつ、男が阿鼻叫喚《あびきようかん》の態でいるのを見せつけられたりしたら、やはりがっかりするだろうと思う。仁太も、確かに二、三秒はかなり佳境を味わい得るのだ、そしてこの状態が、もっと長くつづいたらさぞかし結構だろうと、考えないでもなかった。射精直前の快感が二、三分続くとしたら、しかし男は何も手につかなくなるのではないか、たいていの男の娯楽というものは、性的快感に結びついているという。二、三秒であきたりぬ、その不満が男をして遊び人間たらしめているのだ、女は、十分に堪能できるから、あまり遊びを求めない。
「やあ、いらっしゃい」同僚の教え子は、しごく上品な顔立ちで、とても怪しげな出合茶屋経営者の息子とは思えぬ。仁太、近頃の若者を見ると、時々不思議に感じることがあり、それはたいていの者が、学習院出身ですといっても通るほどに坊ちゃん風なのだ、以前ならこれは苦学力行の早大生、地方秀才の東大生とおよそ見当がついたものだが。
息子は、ガレージに案内し、利用者がいちいち顔を見られなくても済むように、ちいさな窓が一つあって、そこに車のキイを渡すと、入れちがいに部屋の鍵をもらえるしかけ。「今、特Aはふさがってる?」窓にたずねると、「三十分前にお入りになりました」「ありがとう」そのまま、階段を上り、まだ陽のあるうちで、使用人が廊下にいっぱい並べられた植木鉢に水をやっている。「ビール飲みますか」「そうだねえ、素面ってのも少し」助教授がいう。
視聴室、つまりノゾキの部屋は応接間風にしつらえてあって、壁に百科事典がならび、仁太はなんとなく、うすぐらく窮屈な場所を想像していたから、落着かぬ。秘戯図写し出されるTVも痴語の流れるステレオも、一流メーカーの製品だった。丁度、二十年ほど前、TVそなえた家へ伺候して、プロレスや大相撲の中継を見物したような感じで、三人ソファにちょこんとすわり、息子はすっかり見あきているらしく、ビールのコップをならべ、つまみを用意し、「終っちゃわないか、おい」同僚が心配したが、「うちは二時間単位ですしね、こんなに早い頃入るのは、大体ゆっくりしてるもんです」それでもスイッチを入れた。
黒白で、誰もいないベッドが写し出され、「ほら、まだ別室にいるんですよ」チャンネルを切り替えると、四畳半の部屋に机はさんでさしむかいの男女、男は三十五、六、女二十前後といったところ、ぼんやりTVを観ている。「ポルノをサービスで流しているんだけど、これは大分なれ合ったカップルですね。知り合ったばかりなら、男は気持がせくし、女の方は恥ずかしがって、TVどころじゃない」息子、訳知り顔で解説した、なんとも間の持てぬ時間で、ステレオのスイッチを入れても、雑音がひびくだけ。「妙にうしろめたいもんだな、やっててくれりゃ、向うもいいことしてるんだから、気にもならないけど」同僚、ビールをずるずるとすすりこむ。
「君はよく観てるんだろう」助教授は息子にたずね、「はじめはよく親父と観ましたけどね、中気で倒れちゃってからは余り。これ、一人で観てもおもしろくないですよ、相棒がいないと」「まさかお母さんと一緒ってわけにもいかないだろうし」「お袋は怒るんですよ」「そりゃそうだねえ、こんな愉しみは男のものだから」「いや、観るのは好きらしいんだけど、いちいち狒々爺が娘を引っ張りこんだとか、あんな若いのに上手過ぎるとかって、社会正義に燃えるんですねえ」「君の見聞した中で、男がヒイヒイいうのはあったかね」「そりゃいくらもありますよ」息子、ケロッと答えた。
「男がよがるのかい?」同僚もびっくりしたように口をはさみ、「そりゃ女の声だろう、あの時は顔に似合わない低音でうめくこともあるから」「そんな、きき間違えすることはありません、でも、どうして男がよがっちゃいけないんです?」「いけないことはないけどね、近頃は、そうなったのかねえ」助教授あいまいにつぶやき、自分たちは直前まで何も感じないとは、ちと口にしにくい、それこそ不感症を指摘されるようなもの。
「あ、はじまりますよ、ね、ぜんぜんなれてるでしょ」音声のボリュームを上げると、もっぱら女は会社の連中の噂話をしていて、恋人の出会いというより、夫婦の床入りに近い印象。思い切りよく女は裸になり、男は未練たらしくパンツをはいたままべッドに入り、枕もとをまさぐると、突如、ベッドが波打ちはじめる。「電動式なんです」こうあからさまでは、いささか感興をそがれる感じで、仁太、ビールをたてつづけにあおり、やがて打ち重なった二人、波打ちつつうごめいたが、なんと女より男の雄たけびがひびいて、「ほら、べつに嘘じゃないでしょ」息子がにやりと笑う。そして女の方は、やや冷静にあれこれ注文をつける。さわれとかひねれと、指図し、これは仁太の考えている、いや信じている男と女の立場とは、まったく逆なのだ。やがて、女もうめきをもらしはじめたが、互いに競い合う如く、その声をたかめ、一種のデュエットで、これをこの場以外で耳にしたら、仁太はとても閨房のこととは思わなかったろう。
クライマックスにおいても、男ははっきり自分の到達した恍惚境について、うわごとの如く感想をもらし、「ああ天国天国、うーむしあわせだなあ」と、うつけた声を発した。「なにいってやがんだ、あの野郎」助教授、たまりかねて罵声を発したが、思いは仁太とて同じ、いやそれよりさらに、ゾッとする感じが強い。一瞬、言葉を失って画面をながめこみ、男は女の股間を丁寧にふき清めると、仰向けに二人ならんで横たわり、なんとなく視線が合うようで、いずれもビールに逃げる。お互い茫然としていることはよく分ったし、そのおどろきを息子の前で口にしてはならぬと、気づいていた。息子がビールを取りに出かけた間に、助教授は「今の奴は、あれ変態じゃないのかな、あんなことってあるか」早口で仁太にたずねる。「よく分らないねえ、何か特別な薬でも使ってるのかな、それとも電動式がいいのか」「そんなことはありませんよ、あのべッドはただモクモク動くだけですから」同僚がつぶやき、「私も、男のよがり声なんてのを、はじめて聞きました」
三人、もう一組の、これは十代とおぼしきカップルを視聴し、これはさらに輪をかけてすさまじく、男の方が女に組み敷かれて、七転八倒し、シーツをにぎりしめ、女の肩に顔を埋め、まさに身も世もない態をしめした。もちろん声音も甲高くひびかせ、「羞恥嫌悪の情をもよおさしめるなあ」助教授がつぶやいたが、嫌悪の上に自己の二字をつけていい表情。男をげんなりさせるものとして、巨根、強精がある、しかし、こんな風にセックスについて愉しみ得るというのも、かなり心をなえさせるもので、しかも、近頃の若者は、みなその能力を持っているらしい。
「俺たちは不感症、片輪なのだろうか」助教授がいう、「われわれのまったく知らないところで、革命が起っていたんですなあ、しかし、意識が変れば、それにつれて感じ方も変るのが当然かもしれないし」同僚も力なくつぶやく。戦争を知らない子どもたちは、セックスにおいて、女と同様の、旧世代からみれば信じがたい感受性に、恵まれているのだ。
「男より女の方がいいという理由として、古来、女には出産の苦痛があるから、その埋め合せだといわれているな」助教授、モーテル近くのスナックで一息入れつつ、つぶやいた。「それは逆じゃないのかなあ、産みの苦しみを経て後に、こんな思いをするんだから、一生懸命愉しまなきゃ損だと、悟る。よくいうだろ、女体は出産を経てはじめて完成されるって。完成というのは、愉しむつもりになった状態のことさ」同僚も、重々しくいう。「そんなややこしいことではない、出産を経験して、いっさいの羞恥心がなくなるんだよ。ありゃすごいからねえ、羊水出血大便小水あらゆるものを噴出させつつ、ひり出すんだからな。つつしみ深いとか、たしなみとか、全部吹っとんでしまう。つまり以後、女は開き直るんだ。なんたってセックスにおける女のポーズってものは、珍妙だろう、天井向いて股おっぴろげたり、うつぶせに尻を突き出したりさ、だから、出産前には、どうしてもこだわりが残る。エクスタシーに達するための障害が精神的にはあるんだ。産んじまえばもう後白浪《あとしらなみ》よ」仁太、なんとなく向っ腹が立って、乱暴に説明した。
「これはしかし、すべて古典的な説だな、今の女は子供をほんの少ししか産まない。いや、産まなくても、とことんオルガスムスに到達するらしいからな。ウーマンリブなんか糞くらえだ。セックスにおけるこの不平等をなんとかしてくれよ」助教授、ビールをウイスキーに替えて、あおりつづけた。「それは、俺たちの世代までのことじゃないのか。近頃の若い連中は、男だってあんな風にヨガってるんだから」同僚冷やかにいって、「まったく損してるぜ、親父の頃には、芸者遊びもできた、飲んだ後ふらっと遊廓へも行けたんだ。数をこなし、対象があたらしければ、かりに二、三秒でもいいよ、その過程を愉しみ得る。そして若者たちは、観念的セックスなんて、姑息な手段を弄さずとも、女同様、抜き差しのいちいちにヒイヒイと喜悦の声をもらす、俺たちはどうすりゃいいのだ」
若者たちが女性化したと、よくいわれるが、まさかセックスの感覚においても、そうであるとは仁太、まったく考え及ばず、しかし、これは当然のことだろう。仁太の年齢の男が、性的に目覚める頃、まだ男性的社会であった、女の腹は借り物で、子種をうえつけることが、セックスの目的。恋の愛のといってはいても、男たる者、生きる目的は、八紘一宇やら、まあそれはともかく、名を上げ身を立て、もってお国につくすことが第一義。どうしても、女とのたわむれに熱中できない、そして、無味乾燥な、妻との、子種受け渡し作業にあきたらなければ、色町で、遊びとしての性を愉しむことができた。たとえば女郎にふられて、一夜空床のまま放置され、膝をかかえて寝るにしろ、それなり楽しみを味わえたのだ。まして大籬《おおまがき》へくりこむ際など、まず芸者を揚げてひとさわぎ、引手茶屋から案内されて、花魁の吸い付け煙草をくゆらせ、セックスそのものより、それにまつわる儀式に遊びの醍醐味がある、これなら射精直前の二、三秒に快感を味わうだけで十分だろう。「俺たちは赤線に毒されたのかも知れんなあ、なにしろイッパツいくらってんだから、少しでも長引かせようと思って、いい気になるのを拒否したろ、あのくせがついちゃったんじゃないか」助教授が、少しなつかしそうにいう。「空威張りというか、虚勢を張っていたな、女郎をヒイヒイいわせたいという、それだけが目的で、もし先に果ててしまったら恥というような」同僚も相槌をうつ、「それですよ、男は、女を押しひしがねばならぬ、強くなくてはいけないという男尊女卑の精神が骨がらみになっていたのだ。うむ、大分分って来たような気がする。ぼくの読んだ資料にこういうのがあったな」仁太、古い性に関する研究書の中の一文を思い出す。
それは、貧しい家の娘が、玉の輿に乗ったのはいいが、閨中において、さっぱり情を解さぬ。婿がじれて問い質すと、娘は嫁ぐに際し、その伯母から「なに分身分のちがう縁組、しかしお前も元は士族の出なのです。かりそめにも婚家で後指さされるようなことのないように。とりわけて夜は身だしなみよく、つつしむこと」と、教えられていたのだ。このため娘は、歯をくいしばって亭主の愛撫に耐え、ついに感じなくなったもの。
「俺たちは、この娘みたいなもんじゃないか。親父の世代から、やれ男の愉しみは、女をヨガらせることとか、あるいは千人斬りとかいい伝えを受けて、後生大事に守っている。しかし、女房以外にほとんど女を抱くすべはないのだから、こんな教えはまったくナンセンスだよ」仁太の言葉に、助教授ひと膝乗り出して、「つまり、今の若い男は、セックスにおいてリードする、ヒイヒイいわせて喜ぶなど考えてないんだな、はじめから感覚が開かれている」「そうなんだ、女のヒイヒイだって解剖学的にいうとおかしいんだもんな。膣にはほとんど快感神経はないし、子宮だってしごく鈍感な器官さ。クリトリスはまあ鋭敏だけども、ここだけでは満足しない、鈍感きわまる部分を刺戟されて、はじめて恍惚の境に入るというのは、かなり精神的なものだ、だから男だって、神経分布からいえば、女と同じ状態になって当然なのさ」仁太、語調を強める。「性感改造論という奴か」同僚も興味|津々《しんしん》の態で、「しかし、もうおそくはないか、われわれは自意識が強過ぎるよ」「いや大丈夫のはずだ。大体、女が今みたいに野放図にヨガるというのはだ、出産を経験しなくても、すぐオルガスムスに達するのは、そうでなければ一人前じゃないと、信じこんでるからだ。自己暗示のせいさ。また、若い男も、セックスについての手続きや、観念的面より、なにしろ抱きあう中にこそ楽しみがあると考えている。なにがなんだか分らないまま、ヒイヒイヒャアヒャアわめいていりゃ、そのうちよくなるんだろう」「しかしなあ、今更、女房を抱いて妙な声も出せないぜ」助教授、悲しげにつぶやき、「そりゃそうさ、脳溢血でも起したかと思うだろ」
「戦争を知らない子供たちは、うらやましいなあ」同僚がしみじみいって、「俺たちはどうも軍国主義的セックスから抜け切れていないんだ。数多くの女を求めるというのは、性的帝国主義だし、女房を子孫繁栄の道具と考えるのは、植民地経営と同じこと。そのしっぺがえしを受けてるんだな、いわば大英帝国というところか」「そう、男もまた女と同じように閨の中でのたうちまわることこそ平和への道さ」助教授がうなずく。あたりの客は、近くの三流大学生らしく、いずれもヒッピー風で、これみよがしに教科書小脇にかいこみ、井戸端会議よろしく姦《かしま》しくしゃべっている。「あの手の、ふにゃふにゃした声をきくと、恐怖感か嫌悪感にまず襲われたもんだけど、今では羨望の気持しかない」助教授は学生の姿にながめ入り、「連中が女みたいな服装をしてるのも、発想が女っぽいのも、よく分ったよ。セックスにおいてこそ男女同権は確立されていたんだな、すべてはそこから派生したことなんだ」
しかし、仁太たちは、これからどうすれば女と同様に快楽を貪《むさぼ》れるのか、「トルコ風呂でためしてみたらどうかなあ」同じ思いらしく同僚がいった。「トルコ風呂は明るいからなあ、やりにくいんじゃないか」助教授、何度か通ったことがあるといい、「あれはまったく幼児回帰的セックスの場所だな。まず何というのか、ムサレる箱があるだろ、あれは子宮によく似ている。泡踊りなんていうのは、母親に湯浴みさせてもらってる感じだし、特殊奉仕にいたっては、まさにあの幼い日、風邪を引いて寝ていた時、母のなにくれとない心づかい、看病してもらった記憶そのままだよ」「しかし、ダブルとかなんとか、こっちからもできるんだろ」「それも、母親に甘えてるようなもんさ」「じゃ好都合だろ、こすられるたびに、叫んでみたらどうだ」「勇気がいるなあ、それも」助教授、自信なげに表の風景をながめ、ついでTVに眼を向けた。
「トルコ風呂は、丁度、昔の赤線の逆のわけだ。赤線の客は、女を征服したその錯覚を愉しむのだし、トルコは逆に征服されて喜ぶ。マゾヒズムだな」仁太がいうと、「サドとマゾを較べりゃ、これはもう後者の方がずっといいらしい、しかも持続性あるという」助教授が説明しながら、TVをしめし、「ああいう女なら、こっちもヒイヒイいい易いんだけどな」仁太が見ると、和田アキ子が、マチャアキをからかっているところで、「そうかねぇ、俺はどうも合いそうにない」「あれだけでかければ、あまり抵抗なくヨガり声を上げられるよ、実際に俺より強いだろうし」「体がでかけりゃいいってもんじゃない」「じゃどんなのがいいんだ」「そうだなあ」TVの連想からか、仁太はふと清純な姿態が売物の歌手を思い浮かべ、しかし、いかにも中年男風発想だから、口には出さず、だまっていると、「山本リンダってのはどうだろう、妙なボディアクションをするだろ、俺、妙にあれが眼について、夜中にそっと自分でやってみたことがある」いかにも真面目そうな同僚がいい、まるで合図をした如く、ブラウン管にその当人が登場した。
「いっそずっと年上の女で練習したらどうだろう」助教授の言葉に、「年上の女なんていえるのは、三十までさ。四十過ぎた男の場合、婆さんばかりじゃないか」同僚、うっとりとリンダをながめつついう。「五十くらいの女になら、少しは気楽にヒイヒイいえないだろうか」「冗談じゃないよ、その手合いは、それこそ無言のふるまいを、男のあるべき形と信じこんでんだから、異常者扱いされるさ」「そうかなあ」
仁太は、二人のぼやきをよそに、麻丘めぐみ、森昌子といった十代も半ばあたりの、歌手の姿を脳裡に描き、彼女たちを相手どれば大丈夫ではないか。いったいどうすれば、麻丘めぐみに近づけるか、見当もつかないが、そこははしょって、仁太とめぐみ、ホテルの一室に向き合いすわっている。とても犯すことまでは考えられぬ、腕を引き寄せ、まず指を口に含む、多分、めぐみはその行為が何を意味するのか分らず、戸惑った表情のまま、さからいはしないだろう。「めぐみちゃん、めぐみちゃん」つぶやきつつ、膝をまさぐり、少しももにふれれば、めぐみはびくっと体を硬ばらせる。「大丈夫、何もしないから」また、膝にもどし、「背中を見せて」「恥ずかしい」「背中ならいいだろ、オッパイは恥ずかしいだろうけど」わずかに産毛《うぶげ》のはえるうなじから、襟のあたりに唇をはわせつつ、そのボタンをはずし、するとスリップの白い色が眼にしみる。仁太は少々酔いのまわった頭で、妄想を追い求め、これならば、自分の仕草のいちいちに、アーとかウウと、思わずうめきがもれて当然のような気がする。われながらうつけた表情となっていることに気づき、あわててめぐみの背中を追い払うと、「じゃ、出るか」二人にいった。
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少女姦願望
「とりあえずトルコ風呂へ行ってみようよ、これだけ飲めば、俺、少しは声を出せそうな気がする」助教授がいい、「性的帝国主義反対、スーハー勝利」学生にきこえよがしにつぶやいた。「俺は用があるから、帰るよ」仁太、一人になったのは、ひょいと浮かべた妄想がいかにも甘美な印象、身に合って思えるのだ。今さら、オナニーペットでもないのだが、性的イマジネーションの対象として、ここ何年にも感じたことのない昂ぶりを、めぐみに抱いたのだ。骨がらみとなっている男性優位思想、あるいは年中、敵を意識し、弱味を見せまいと|鯱 張《しやちほこば》っているポーズをくずすためには、やはり方法としてマゾヒズムがいちばん手っ取り早いかも知れぬ。そしてそれは、靴でふんづけられるとか、鞭でぶんなぐられることよりも、美少女を相手にした方がいい。それも沼正三風に、オシッコをひっかけられたいというようなものではなく、自分も少年にもどることだ。
何分、相手は男を知らない、いや、知らないことにしておく。そしてめぐみの年頃の娘は、比較的年長の男にひかれることが多い。関係としては、少女と中年男で、精神的にはこっちが優位性を保っている。しかし、性的な面で、男側が少年にまで身をおとす、子供になったつもりで、口調もそれらしく、粗暴さと、臆病さのないまぜになった態度で迫る。めぐみは、それが男というものなのかと、とまどいつつ、制するべき指には抗《あらが》い、許していい部分は、まかせるだろう。これなら、仁太は、拒否された時、悲しくて泣くことさえできそうに思える。ごろごろと身をころげさせて、せめてもう一歩の愛撫をたのみこみ、かなえられれば、たとえそれがくるぶしにキスすることであっても、深い吐息をもらすのではないか。
少女に対してだけ、仁太は、素直な気持になれるように思うのだ。犯す必要はまったくない。性器を結合させたとたんに、また帝国主義だが、スターリン主義が鎌首をもたげるであろう。この少女をなんとかして、ヨガらせたいと、またあれこれよしなしごとをしかける、クリトリスを愛撫し、三浅一深の法を用い、時間の延長をはかる。そのあげくは、テキの独立運動をうながすだけだし、結局、二、三秒の快楽ともいえぬ、感覚を愉しむだけがオチ。女の方で、出産を拒否している以上、男も以前の幻影のまま、出産に結びつく行為をもってセックスのすべてと考える必要はない。男女共学で、女性的感覚の下地を身につけた若者は、勝手に古典的セックスを営めばいいが、仁太のような旧世代人は、革命を行う必要がある、いや、藩籍奉還といえばいいか、男性を放棄するのだ。
麻丘めぐみが何歳なのか、仁太は知らないが、よく考えてみると、今の時代、めぐみの年であれば、かなり男女の理《ことわり》を心得ているはず、しかも芸能界にいれば、マセていて当然、具体的に考えはじめると、たちまち色あせた感じとなり、仁太は、妻子の寝静まった後、もっともふさわしい少女像を思いえがく。なるほどある文豪が、美少女の片腕だけを愛撫する小説を書いたのは、当然だろう、うっかり五体整っていると、余計な想念が入りこんでしまって、現実にひきもどされる。
仁太はもどかしい思いで、少女の、手や足や、肩や尻を脳裡に浮かべ、その肌目《きめ》こまやかな肌ざわりを、過去にそんな覚えはないのだが、はっきり掌に確かめ得た如く、ふと感じ、しかしたちまち消えさってしまう。少女の女陰の匂いをかぎ、裸のその体を膝の上に抱きすくめ、この作業は、微妙なバランスを必要とした。つまりあまりに露骨な行為を思い描くと、かえってシラケてしまうので、ふれるかふれぬか千番に一番のかね合い、もやもやとゆれ動いている如き境地を保たねばならぬ。いつのまにか仁太は、「めぐみ、めぐみ」とつぶやき、これは架空の美少女の名前として他に思いつかなかったせい、麻丘某からはまったく離れたイメージだった。「ウーム、どうして、ねえ、おねがい。あー、ありがとう。もう少し、だめ? ウーム」仁太は、一人でもだえながら、たわ言をつぶやき、自分の声を耳にしても、興醒めするよりは、むしろそそられる気味合いが多い。時に、ちらっと、こんなところを妻に見られたらどうすると、怯える気持も生れたが、それよりも愉しみがまさる。
仁太は、一種の少女姦願望に身をゆだね、もちろん、その妄想が覚めてしまうと、しごく罪深い感じで、自己嫌悪におち入ったのだが、しかし、もはやすくいはこれにしかないような、確信があった。モテる者とモテない者が存在するように、性慾の強弱も、ずい分個人差があるようで、仁太はどちらかというと弱い方らしい。まあ、弱くて幸せ、もし強精者ならば、たちまち少女姦を、妄想の中にとどめるだけではなく、実行に移すだろうと、なにやら胸なでおろしたくなるほど、それは魅惑的な行為に思える。
そして、べつにこれを変態とおとしめてながめることもないので、たいていの男には、こういった傾向が内在する。少女姦と幼女姦の差は、後者の場合、ほとんどが性的不能に近い男、あるいは、通常のセックスを営みかねる病疾者が行うのに、前者は、しごく正常な能力を持ちながら、おもむく。幼女姦は、だから社会的地位の低い者や、進行性痴呆症の老人に多いのだけれど、少女姦では、むしろ権力の座にある者が、地位や財力をたのんで実行している。たとえば、ベストセラー「ゴッドファーザー」の中に、ハリウッドの映画製作者が、美少女をなぶりものとするエピソードが紹介され、もともとハリウッドは、この行為のメッカといってもいいのだ。また、四、五十年前までの中国においても、ごく当り前のこととして営まれていたらしい。
日本でも四、五年前、中年男が女子高校生を誘拐し、一室に閉じこめて同棲生活を、かなりの期間過ごした。男は英語教師とかのふれこみで、少女とのいきさつを日記にしるし、その乳房を「スイートチキン」と表現し、妙に生々しい感じだったのを、仁太は覚えている。日本の少女を養子として、アメリカヘ伴い、あやしげなふるまいを行ったGIの記事を週刊誌で読んだこともあった、確かに、幼い娘を手もとで育て、その成長ぶりをながめつつ、十三、四歳になった時、これを性的な対象とすることは、愉しい営みにちがいない。一面において男は完全な権力者としてふるまえる。密室に閉じこめておくのだから、男だけが、少女にとって全宇宙みたいなもの、生きるための糧《かて》も、すべて男が与え、また知識や情報についても、男がとりしきるのだ。しかも、性的な面では、逆転して娘をあがめ奉り、自分は奴隷の如く、その膝下にぬかずき、ほしいままにうめき悲鳴を上げて、もだえ狂う。つまりサディズムとマゾヒズムを二つながら充たすことができる。
公園などでぼんやり、少女の遊ぶ姿をながめている初老の紳士や、あるいは娘の通う中学の運動会へ出かけ、好もしいパパぶりを演じている男の心中には、この手の妄想が渦巻いていて、べつにおかしくはないし、この傾向は今後、さらに強くなるだろう。児童福祉法があるから、当分は無理でも、それまで禁断のことであったホモやレズが、あっという間に市民権を得た如く、やがて少女バア、少女トルコが出現し、専門誌が刊行される。大体、現在のミニスカートなるもの、及び、女性風俗の幼児化は、男性側の、少女姦願望に符節を合せているといっていい。女が出産を拒否したとたん、男も、出産能力のある女体より、それ以前の幼い体を求めはじめ、その気持を受けて、スカートが短くなったのではないか。
「大体、あいも変らず週刊誌や月刊誌が、決りもののように、女のヌードを掲載しているのは、おかしいんじゃないか」週に二度は四谷のマンションに集り、仁太たち、性の種々相を体験してみようと、あれこれ提案はするが、なに分おっくうさが先きに立ってしまう。つい酒におもむき、だらしなく酔うだけなのだが、それすら話題はとぎれがち、ふと思いついて仁太がつぶやくと、「男よりゃいいだろう、なんだか外国で男性ヌードが当ったらしいけど、すぐ日本は真似するからねえ、やめてもらいたいよ」商事会社課長がうんざりしたようにいう。「男は論外としてだな、あのヌードはどういう読者層のためにあるんだろ、俺なんかほとんどまともにながめたことはないけどねえ」「そういわれるとそうだな、男性は女の裸を見たいもんだという錯覚の上に成り立ってるんじゃないか」助教授、これは深刻に考えこむ。
「豊かな乳房とか、よく張った尻に、男が魅かれるというのは、神話だよ。そういうよき時代もあったんだろうが、現代ではあんなもん、新聞の論説と同じじゃないか、一種のお飾りさ」「といってなければ、殺風景だろ」「だからよく考えればいいんだ。グラビア担当の者は、どういう写真を、読者が求めているか、同じヌードでも、痩せたのとか、ペッタンコの胸とか、ちったあ目先きを変えるべきだろう」「そういえば、女の裸についての大和ぶりは、今みたいにグラマーを好みはしなかったなあ」「そうさ、ウイスキーの水割りとならんで、只今のヌードは浅薄なるアメリカ文化の落し子である、この二者がなくならないうちは、戦後は終らない」仁太むきになっていいつのる。
昔の日本女性は、乳房の大きいことを恥じて、さらしを巻き押さえつけた。出っ尻もむしろからかいの対象であったのだ。アメリカ文化について、ことごとく反感をしめす向きが、女の体型については、メリケンべったりというのもおかしい。「確かに、見ただけで食傷しちゃうね、もう少し爽やかなヌードがあっていい」広告代理店常務がいう。「爽やかってどんなんだ、大体、女の裸に爽やかさなんてあるか」「たとえば、少女の裸などいいんじゃないか」「いよいよ中年むき出しだな」助教授、ひやかしたが、表情は真面目で、「駄目だろうな、母の会なんてのがすぐしゃしゃりでて、ぶっつぶすよ」仁太、ようやく自分の願った通りの方向へ話題が進展しかけたから、「メンスの上った婆ァどもは、要するに嫉妬の権化なのさ、なだめるために、連中のヌードものせてやればいい」「七十婆ァの裸をかあ?」「いやなら見なきゃいいのさ、目的は少女の方にある。たとえば、女性のヌードは、年齢にかかわりなく美しいものだとかいってさ、十代前半から、七十まで年代順に並べるんだ、これなら母の会も文句はいうまい」確かに、胸と腰の発達した、つまり出産と古典的育児にふさわしい体型の女のみを、美しいと認めるのは、しごくずれた考え方で、仁太の主張はウーマンリブも認めるはずだった。
「ポルノ解禁とか何とかいったって、今みたいに被写体が片寄ってると馬鹿みたいなもんだぜ。二十歳から三十くらいまで、何度も堕胎したような連中の、あからさまな姿を見たってどうってことはない、同じ眼にふれるなら、やはり十三、四歳がいいなあ」仁太の言葉に一同うなずいて、「今じゃ小学生の三十三パーセントがすでに生えてるそうだな、もう二年くらい年齢を下げてもいいぜ」「残酷じゃないかねえ、そういうのは」「それがいいのさ、ヒューマニズムなどくそくらえだ。第一、十歳くらいの女の子にも、コケットリーはあるし、人に見せびらかしたいという気持をいだいてるもんなんだ。嘘偽りなく白状してみろ、お前見たくないか」
異論を唱えた課長、仁太に質問されると、すぐに「そりゃ見たいさ、俺のとこはもう大きくなっちゃったからな、かえってスリップ姿でうろうろされると圧倒されてしまうけど、少し前までは娘の湯上り姿を、こっそり楽しんでいたものさ」「そうだろう、俺がグラビアを担当するなら、まず、少女のヌードを出す。話題騒然人気集中だよ。隠すべきところを隠しておけば、桜田門だって文句をいうまい。汚れなき少女の姿を眼にして、羞恥嫌悪の情をいだく者はないはずだ」「そりゃそうだ、少女のヌードに猥褻感をいだくのは、すなわちその者に、少女姦の傾向がある証拠だもんな」助教授、よだれ流さんばかりにして同調し、「少女ストリップなら、観にいってもいい、金髪とかレスビアンより、ずっと楽しいぜ」興行師は少し工夫すればいいのだ。正真正銘の大和撫子を、紅毛女に仕立て上げるくらいなら、扁平な胸小柄な体つきの女を、十四、五歳というふれこみで、客寄せに使った方が、よほど効果的だろう。
あたらしい風俗が、世にもてはやされるためには、必ずスキャンダラスな側面を必要とする、というよりも、まず既成の秩序があり、そのまやかしに我慢できぬ連中たちが、あたらしい風俗を受け入れ、なしくずしに秩序をこわしていくのだから、当然、はじめは風当りが強い。ビートルズだって、ミニスカートだって、のっけは大人たちに毛嫌いされていたが、今や主流になっている,まず毛嫌いされることが、流行の条件といってもいい。そしてこれまでは、すべて若者が、そのリーダーシップをとって来た。若者たちにとって、生きにくい世の中だから、彼等に加えられる圧力を、エネルギーとしてとりこみ、時代の先頭に立っていた。
しかし、性的に考えた場合、いちばん馬鹿馬鹿しい立場に置かれているのが仁太たちの世代であろう。専制君主の如き女房に押しひしがれ、離婚すれば人非人とそしられる、浮気をするにも、どうやら代償が高過ぎる感じで、せいぜいがトルコ風呂の特殊奉仕、おさわりバアでの行為にうさ晴し、だが、こんなものをいくらハシゴしたって、通いつめたって、男本来の楽しみを味わうことはできぬ。
「だから、われわれの止むに止まれぬ志というものは、リヴァプールの貧民街から生れたリズムと同じに、もっとも現代と関わり合っているのだ。圧倒に苦しむ者のさけびは、常に正しく、そしてあたらしい時代を拓く、当初はスキャンダラスなことと、おとしめられるだろうが、必ず性的地獄におちいっている中年男への福音となる」仁太、ろれつのまわらぬ口で、熱弁をふるった。「つまり、少女願望か」「そうだよ、俺たち自身をかえりみて、ホモっ気もない。サドマゾも、今あるような形では、どうもピンと来ない。ノゾキも痴漢も、話にきいてる分にゃおもしろそうだが、どうも才能に欠けている感じだ。強姦もできないだろう。獣姦もチャンスが少ない。しかし、少女なら、ピンと来る。俺はこれに思いついた時、実に天窓の開かれたような感じだったなあ」「少女か、しかしこれはむつかしいよ、ひとつまちがうとこれもんだからなあ」助教授、両手をそろえて前にさし出して見せる。
「先駆者の道は、常に茨ときまったものさ。しかし俺だって、他人のインポの相談ばかり受けてるのが能じゃない。セックスを研究する者として、これは義務だと思うなあ」「そういや祇園の舞妓なんて、昔は十二、三それも数えのその歳で、水揚げしたらしいなあ」課長がいった。「そうだよ、これは人類のタブーに挑戦しようなんて、大それたことじゃない。要するに風俗の問題なんだ、たとえば俺たちは、もうバアヘ行く気など、まったくしない。しかしあの場所に、厚化粧目張り付きの女給の代りに、十四、五の少女がいてみろ、これは必ず足を運ぶぜ。べつに妙なことをしなくてもいい、少女たちとたわいない会話を交わせば、いかなる精力剤にもまさる」
「なるほどなあ、オジサンなんて呼ばれるわけか」常務、鼻の下をのばして、その情景を思い描くらしい。「少女のレスビアンショウをうつせば、斜陽映画は必ずもり返すだろう。映画が駄目になったのはTVのせいではない、われわれ中年男に見はなされたからだ」
「そりゃそうだ、俺たちはよく観たからなあ、俺たちが映画館に通わなくなったのと、衰退期はまさに一致する」「小説だって、少女と中年男を主人公にすればよろしい。ひどく床上手で、ヒイとかヒャアとか口走りつつのたうちまわる女給とのセックスを、どう克明に描写されたって、ピンとこないだろう。少女が相手なら、それこそ芸術的にあいまいで、節度を保っていても、十分、読むにたえるだろう」「お前、それでカムバックしろよ」「いや、俺は楽しませていただいた方がよろしいね」仁太、にべもなく答え、「少女こそが、もっとも美しい、女は少女期に完成され、後は衰えるばかりということになったら、美容法や、薬もずい分ちがって来るだろう」ミニスカートは、すでにそういった時代を、先き取りしているのだ。豊胸術なんてことは、たちまちなくなって、平胸術が流行するだろう。なにより珍重されるのは、スラリと伸びた長い脚と、もちろん素肌の美しさが、ポイントとなる。「恥毛など、うすい方がいいわけだな、髪型はオカッパか三つ編、ニキビは最大のチャームポイント」課長も、美女の条件を数え上げた。「成長抑制ホルモンが売れるな、第二次性徴をなるべく押さえるわけだ。言葉づかいも幼児的になって、もっともこれは今だってかなり退行しているようだけれど」サ行の発音が、タ行に近くなっているTVタレントがよくいるし、ごく少ないボキャブラリーで、しゃべることなど、そのあらわれといえないでもない。
「少女の頃は、どんなチンクシャオカメでも取柄があるもんなんだ。つまり美人と醜女の差がなくなるし、二十歳過ぎれば、いかなる女だって婆ァと認定されるから、実にこれは平等そのもの。しかも今のように女性としての成熟をいい立て、亭主になにやかや要求することもなくなる。最高の女体は少女なんだから、ヨガリ声など上げられない。常に眉をしかめて、早く終ってくれないかなと、祈るような表情でいなければならぬ。ハウツウセックスの各先生方も、改訂版を出さなければならなくなるなあ」「少女風俗のパテントをとっておくと、マリー・クワントみたいに金もうけできるかも知れん」常務がつぶやき、「いやたしかに仁太のいうことにも一理あるなあ、TVのCMでこっそりやってみようか」「実際にもうそれに近いのがあるぜ、ポリバスの広告に、美少女の裸が出て来る、後姿だけどね」「股おっぴろげて、とんだりはねたりするのも、考えてみりゃ、少女っぽさを強調してるといえるな、服装だって幼い感じだし」
だが、具体的には何から手をつけていいのか、さっぱり見当がつかぬ。少女に関する情報ほど、乏しいものもなくて、とりあえず仁太、少女、ティーンと名のつく雑誌数種類を買い求めて研究してみたが、おどろいたことに、ヌードではないが、十二、三歳のその青い状態を、かなり大胆なポーズで紹介しているのだ。「俺の予想では、中年男がこっそりこれを読んでいると思う、いかにも娘に買ってやるようなふりをしてね」そして、くわしく調べると、生理の知識やら、男女交際のありかたについて、そのつもりで読むせいかも知れないが、妙に生々しい表現をつかい、解説していて、一同、興味津々頁をめくり、これは北欧ポルノよりはるかに刺戟的だった。
「じゃ俺がちょっと当ってみよう、会社で時々たのむブルーフィルム屋がいるんだ。もっとも近頃、あまりはやらないらしく、何でも屋みたいに、雑用を引き受けている。撮影の時など、重宝しているんだ、たのむとフラフープとか、ダッコちゃんなんて、妙なものまで持って来るからね。彼にいって、少女のヌードはないか、探してもらおう」常務がいう、「俺たちも、撮ってみないか」「どうするんだよ」「いや、カメラをぶら下げてさ、かわいらしい女の子がいたら、表情だけでいいよ、フィルムにおさめる」「大丈夫か、変質者にまちがえられるぜ」課長、怯えたようにいったが、助教授は、「そうだ、少女をテーマにした写真展を開くといい、いったいどれくらい中年男が集るか」もし仁太の考えにまちがいがなければ、さらに、同好者のための雑誌を出すことが、考えられる。
「少女少女というけれど、いったい何歳までをいうのかね」常務が仁太にたずねる。「十四歳未満かな、この場合、たとえ合意の上でも、寝れば強姦罪ということになっている」「相手が年齢を偽っていてもか?」助教授がいい、「つまり、近頃、女子中学生の売春てなものもあるそうじゃないか、体つきだけじゃ分らないからね」「情状酌量の余地はあるだろうけれど、いちおう適用されるんじゃないか」「戸籍抄本とりよせて、せにゃならぬ、ホイか」助教授、調子っぱずれに唄って、「下限はいくつくらいだ」「初潮だろうなあ」「十一、二、かな」「いや、もっと早いらしいよ。昔は、十三ぱっかり毛十六といったもんだが、今は十二、三で生えるんだから、必然的にメンスはその三年前」課長、真面目に説明し、「うちは小学校四年だったかな、ということは、早生れだから十か」「娘が女になった時の、男親の気持ってどんなもんだ?」仁太、おっつけわが身も経験しなければならぬから、きくと、「べつにどうってこたあないさ、今は、教育が行き届いているしね。準備おさおさ怠りなく、母子で待ちかまえている。こっちも、およその様子が分るから、そうびっくりはしない。むしろ母親だね、あわてるのは」こんなに小さいうちから気の毒にと、思いやりが半分、それに、嫉妬が半分、「へえ、やきもちを妬くかねえ」「娘の初潮ほど、母親に老いを感じさせるものもないんじゃないか。そのせいだろうけど、生理用品の始末について口喧しくいってたな。目ざわりなんだろ、娘のそれは」そのくせ、女二人、大声で、ナントカ式がいいと、新製品の情報を交換しあったりもする、「今度は、父親が疎外される番か」「小学生の場合、手当ての品は何に入れて持ってるのかねえ、ふつうならハンドバッグだろうけど、かりに学校へ行く時など、どうするんだい」「ちゃんとあるんだよ、袋がね」「しかし、そんなの持って、便所へ入れば、すぐばれちゃうじゃないか」「どうってことないのさ、男の子に気づかれても」
仁太が中学生時代、禁断の園である女学校の情報の一つに、体操の時間、必ず見学する者が二、三人いて、制服のまま、木陰にかたまり、じっと級友のとんだりはねたりする姿をながめている、というものがあった、なんとなくそれは、一幅の絵の如く、思えたのだが、「今や女性生理の神秘なんて、なくなったんだな」「中学で、男の生徒に買いにやらせるのがいるっていうぜ、一種の制裁として」「気の毒に」中年男たち、しみじみとつぶやく。
「メンスから十四歳までを少女と認めるわけだな」「もう少し上も入れていいよ、親の許可があれば結婚できるのは、十六歳以上だっけ。だから、法律的に結婚できない間は、少女と認める」
「あれは、気になるものらしい」また、課長が新知識を披露し、「十六歳の誕生日が近くなると、そわそわしはじめるねえ、その日が来れば、もう結婚が可能なんだと考えると、いても立ってもいられない」「なるほど、男の場合、結婚となりゃ、生活能力とか、先きの見通しとか考えなきゃならないけど、女は、ウェディングドレスを着た自分を思い描くだけでいいんだからな」「男を見る眼が急にちがって来る。ちょっとオールドミスに近い気持なんだな。好ましい男について考える時に、すぐ結婚とむすびつけてしまう」「そういや幼な妻なんてのは、大体、のっけが十六歳だね」「よし、十六歳未満を少女としよう。そしてわれわれは、赤頭巾ちゃんを狙う狼となるのだ」助教授、狼とは似ても似つかぬ柔和な表情で、宣告した。
「しかし、危ないもんだな、こりゃ。聖域を犯しつつあるんだぜ、われわれは」常務がいう、「たいていの性犯罪には、まあ殺しちまえば別だけど、被害者側にも責任があるとか、加害者を同情する、あるいは憐れむような意見が出るだろ、少女を犯した場合は、こっぴどくやられる」「なにも犯すなんていってやしないさ」「いたずらでも同じことだよ、人非人扱いされるな」「つまり、抵抗する力のないものを、いじめたということになるのかなあ」「それなら、お婆さんを犯すんだって同じだろ、力弱いという点では。お婆さんなら、むしろユーモラスに受けとられて、少女の場合、悲惨に感じるというのは、老人に対する差別である」助教授、憤然という。
「精神的な未成熟につけこむから、愚劣なんだろ」「精神的成熟って何だよ、二十過ぎれば、成熟するのかね」「要するに、社会的通念ですよ、いちいちこまかく考えてたら、どんな犯罪だって、成立しにくくなる」課長、訳知り顔でとりなすようにいったが、「その通念という奴は、俺の考えるところ、母親の気持から生れたものだな。お前のいう通り、初潮を迎えた娘に、母親は嫉妬する、自分の夫を奪られないかと怯えるわけだ。この怯えから、少女姦をタブーに仕立て上げたのだろう」助教授、にっくき陰謀と決めつけ、「生殖年齢に達しない女を犯すのは、たしかに変態かも知れないが、メンスがありゃ立派なものさ。それでもいけない、十六歳まで、性的対象と考えてはならぬとは、母親帝国主義のもたらした妄想である」「しかし、肉体的な痛手だけじゃ済まないだろう。少女の場合は、将来に影響を及ぼす」常務がいった。「確かに、売春婦の経歴を調べると、幼い頃に、いたずらされた者が多い」仁太、その報告書を読んだ覚えがある、「売春婦は、人間としても、また社会的にも、罪深い存在であると、お前は考えとるのか」「そうでもないけどさ、売春婦を自らえらんだのならともかく、そうならざるを得ないような、痛手を負わせるのは、よくないだろう」「その説をいちおう認めるとしても、少女期に与えられた性的暴力が、一生影響を及ぼすというのは、通俗心理学流考え方じゃないかね。マリリン・モンローだってそうだろ、モンロー神話の最大眼目は、少女時代に犯されたってことだ。みんながみんな『昼顔』の主人公になるわけもないさ」
かりにここに、身長一メートル五十四、体重四十二キロ、十四歳のごく平均的な体格の少女がいる。もちろん第二次性徴も完全であり、その性的知識は行き届いている。これをもし、合意の上で四十男が犯したとして、法律的に問題ないが、まず、社会的には葬り去られるだろう。これは不合理なことではないか。同じ体格でも、二十歳なら、うまくやったと、むしろ羨ましがられるだろうに。「よくいわれる言葉に、体は大人でも、心は子供で、分別がないというものがある。誰がそんなことを確かめたのか。今の子供は、知識にしろ知恵にしろ、性に関する限り十二、三になりゃ大人も同じだよ。戦前のことを考えてみろ、結婚するまで何も知らない女がいくらもいたんだ。それはむしろうぶとかおぼこ、箱入娘のしるしとして、珍重されてたじゃないか。少女姦を、タブーとするのはナンセンスであります」助教授、自信たっぷりに、一座を見渡した。「馬鹿馬鹿しいなあ、法廷でいやいいんだそんなこと。それよりどうすれば、少女とお近づきになれるかだよ」常務が、うんざりしていう、助教授は理屈ばかりのべたて、たいていきかされるうちに、本質が何だったか分らなくなるのだ。やや、議会における政治家のやりとりに似てないでもない。
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ヌード写真
いざ! 実行となると、またまるで目途のつかない感じで、絶望的になったが、三日後に課長が興奮して、仁太に電話を寄こし、「あったよ、けっこう昔からやってたんだな」「なにが」「いや、お前のいってた少女のヌードだよ、外国の、しかも戦前のものだけど、ちょっとしたもんだぜ」たのめば、何でも探し出して来るという、元ブルーフィルム屋に、心当りをたずねると、二つ返事で持って来たのだ。「一九三〇年のドイツで撮られた写真でね、おっさんの説明では、ちゃんとこれ専門のコレクターがいて、集める手伝いをしたことがあるらしい」とにかく実物を観ることにし、だが、おっさんもコレクターから借りて来ていて、その日のうちにかえさねばならぬ。
まさか会社では、開帳しにくいから、近くの小料理屋で落ち合うことにし、他の二名は外出中で連絡とれぬまま、仁太一人がおもむき、課長は、そのおっさんと一緒に、すでにビールを飲んでいた。写真は、本からの複写らしいが、鮮明に撮れていて、いずれも金髪の少女、七、八歳から、せいぜい十二、三まで、さまざまなポーズ、組合せが、約六十枚。「日本のもありますが、やはりこの方が美しいですな」おっさん、したり顔でいい、「これなんか、ちょっと珍しい形です」指さしたのは、姉妹とも思える、顔立ちの似た二人が、互いの股間に手をふれつつ、キッスしているものだった。
「妙なことをうかがいますが、こういうのを販売しても、お上のおとがめを受けるんですか」仁太がたずねると「そうらしいですよ」おっさんはこたえ「フーン、裸体写真の場合、毛があるといけないけど、こういうのは、生えてないし、あっても翳としか見えないくらいで」「判例はないんじゃないか、つまり少女の裸体を、愉しんでながめるような人間は、世の中にいないことになってるんだよ」課長がいう。「獣姦もそうだね、日本には獣姦罪はない。近親相姦罪も成立しない。なぜかといえば、そんな馬鹿げたことを行うのは、人非人、心神喪失であるという考え方さ。人間でないもの、あるいは精神病者に法律は適用されないからね」「しかし、引っ張られましたよ」おっさん、不服げにいい、少女愛好者を集め、十歳のモデルを使って、撮影会を開いた時、主催者があげられたらしい。「モデルに金を払ったのかい?」「そりゃそうです」「つまりそれは、児童福祉法違反じゃないかねえ、すくなくとも猥褻罪じゃないと思うけど」どう考えても、少女の写真が、猥褻であるはずはないのだ。見る人間にもよるが。
「おもしろいかも知れないねえ、今の規準によれば、性行為、及び性行為を暗示するような写真、ならびに性器を露出したものは、おとがめを受ける。しかし、毛の生えてない少女を、堂々と出した場合、これをどう取りあつかうのかねえ、モデルとして報酬を与えればいけないんだろうけど、たとえば、自分の娘を写したら、どうなるんだろう」「法律の手の届かない部分は、いわゆる良識が、裁断するさ」課長、あきらめきったようにいった。「しかし、そんな撮影会を、どうやって」仁太がたずねると「愛好者がわりにおりましてねえ、これは、あんまりしゃべれないんですが」「いや、モデルをどうやって調達するか」「わりに簡単ですよ、後味はよくなかったけれど」おっさん口ごもって、「つまり、タレントにならないかと、誘ったわけです、私が」
日曜日の午後、デパートの屋上にいる二人連れのローティーンに、声をかけると、しごく簡単にOKしたという。「しかし、写真を撮るというのは」「いや、カメラテストするなんかいいましてね、はじめは着衣でしたが、注文つけるうちに、まあ、わりと簡単に裸になりました。まだ生えてなかったですなあ」「どうして、バレたんです。少女の口からですか」「ちがいます。母親がねえ」「ははあ、しゃべっちゃったんですか」「しゃべったのはいいけど、売りこみに来ましてねえ」おっさん、いまいましげにつぶやき、娘から委細をきいた母親、撮影の現場である宿屋をたずね、そこで主催者の住所をきいて、乗りこんで来た。悪事露見かと主催者怯えたが、母親はむしろ礼をいって、すっかり、美空ひばりのママ気取り、いかに娘に芸能人の才能があるかを吹聴し、「金になると分るとすごいもんです、母親も、ふれなば落ちんという感じになってねえ」主催者を、すっかりTV界の実力者と信じこみ、媚態しめしたらしい。「娘を連れて、よくあらわれるんです、主催者が社長している会社へねえ、結局、芸能界とは何の関係もないと分ったら、母親カンカンになって、警察へ行ったんです。フィルムは全部押収されました」「何の罪に当るんだろうなあ」「詐欺じゃないか」仁太いったが、自信はない。
アルバムの、西洋少女ヌードは、あまり美しくて、まるで人形を見るような感じ、仁太の思い描く妄想とは、なにやらズレがあって「撮影会というのは、もうやらないんですか」おっさんにたずねると、「私も、これはやばいと思って、近寄らないようにしています。ばれたらえらいことですからねえ」怖気《おじけ》をふるう。少女愛好者は、そう多くないが、いわゆる春画、春本、ブルーフィルムの愛好者が、どちらかといえば、見せびらかしたがるのに、これは絶対に公開せず、同じ趣味の者だけが、マフィアの如き、結束を誇り、「このアルバム借りてくるのでも、えらいことでした」おっさん、溜息をつく。
「日本の少女のが見たいなあ」仁太がいうと、「まず自分で撮りはるんですな。コレクターいうのは大体ケチが多いけど、少女モノは特にそうです。交換条件が成立しないと、無理です」「こっちにもあるっていうのか?」「少女モノにも、いろいろありましてね、どうもあんまりいいたくはないんだけどなあ」おっさん、柄にもなくためらう。「ポーズの種類?」仁太がたずねると、「それもあるし、年齢ね、まあ、こういうポーズのが撮れたらいちばんです」相互ペッティングの一枚をしめす。自分は専門ではないから、よく分らないと、おっさん気弱く言葉をにごし、海千山千の業者ですら、少女を汚すことについてはこだわりがあるらしいのだ。
「お前、カメラいじれるのか」仁太が、課長にたずねると、「まあ、少しはね」「現像焼付けも?」「ここのところやってないけど、道具はそろってる」「じゃ、やって見よう。はじめはさりげないポーズでいいじゃないか」「やるったって、どうするんだ。口実がないよ」「公園とか、デパートの屋上には、十二、三の女の子がたむろしてるもんなんだ、特に注文つけることはないよ、気づかれないように撮ったっていいだろう」「大丈夫かあ」課長、ためらっていたが、「ただカメラを向けるだけなら、罪にはなるまい。よく銀座なんかで、傍若無人に通行人を撮影してるのがいるんだから」仁太がいうと、うなずいて、「理屈ばかりいってたってしかたがないからな」
日曜日に、仁太と課長、それぞれカメラをぶら下げて、新宿御苑から外苑をぶらつき、確かに少女の群は、いくらもいて、シャッターたてつづけにきったのだが、やがてあきてしまい、「やっぱり少しは、下着が見えるとか、あられもない姿でなきゃねえ」ためらっていた課長が、逆に不平をもらす。「じゃたのんでみるか、モデルになってくれって」「裸のか?」「いや、着たままさ、あれこれポーズをつけているうちには、おもしろいシャッターチャンスがあるかも知れないよ」仁太、これみよがしにカメラをにぎりしめて、酔ってでもいるかの如く、手当りしだいに口をかけ、その六度目に二人連れが、応じた。「カメラ雑誌に出したいと思うんだけどな、ほんの二、三枚でいい」頼みこむと、お互い相談していたが、「モデル料は出す」いったとたんに「じゃいいわよ、彼女、今切実にお金を必要としてるの」勝気そうな一人が、連れを指さし、「スタジオ?」と、たずねたのだ。
切実になどと、こましゃくれたものいいするだけあって、女の子の一人は、大人びた印象、冗談半分で金を出すといったのだが、こうあっさりOKされては、空怖ろしくもある。「べつにヌード撮るわけでもなし、ここでいいんだよ」怖ろしい癖に、その目で見はじめると、なにやら媚売る如き、少女の表情につられて、仁太なお危険な台辞を口にし、「あらつまんない、私たち平気よ」「うん」少女、互いにうなずき合う。「馬鹿なことをいうんじゃないよ」課長、たしなめ、「いくつだい?」「いくつにみえる?」「十二、三かな」「さすが、ぴったしよ。彼女は早生れで、一つ下なの」「中学一年か」「うん」もっぱら一人がしゃべり、仁太、あらためてカメラかまえ直すと、「ギャラ決めてほしいな」「必要としてるって、いくら要るの?」「三千円よ、高いかしら」何に使うかたずねかけて、いかにもお節介めくから、仁太はだまったまま紙入れを出す。
盗み撮りなら、何ということもないだろうが、金を渡したとたん、うしろめたい気持に襲われ、「べつに妙なことするわけじゃないからね、ただそのテーマが少女というので」弁解を口にし、「どうすればいいの、ポーズつけてよ」少女、そういった思惑見すかしたように、冷たくいった。「そこの柵にでも、腰かけてもらおうかな」課長が指図すると、髪の乱れ直し、ブラウスのしわを気にしながら、二人ちょこんとすわり、乙に澄ましこむと年相応のあどけなさだった。しかし、疚《やま》しい気持のあるせいか、大の男が二人、少女にカメラ向けていると、誰やらに見張られている如く、今にもとがめ立てされぬかと、腰落着かず、お義理に二、三枚シャッター切っただけ、一刻も早く立ち去りたい。
「どうもありがとう」同じ思いらしく、課長もさっとカメラのレンズにふたをかぶせ、「あらもういいの? つまんないなあ」「小父さんたち腕がいいからね」「どうせ写してもらうんなら、ねえ」少女、連れに語りかける。「スタジオってわけじゃないけど、小父さんたちの事務所に来ない? そこでならゆっくり撮れるんだけどな」仁太、乗りかかった舟、ただ写真撮るだけなら、天地神明に恥じる必要なしと、自らを励まして誘うと、「遠いの?」「タクシーで十分足らず」「おい、そりゃ無理だよ、怪しまれるよ」課長、おたおたとささやき、「大丈夫でしょ、私たちと小父さんなら、どう見たって親子だもん」少女、ケラケラと笑った。確かにそうにちがいない、四十男と少女の連れを見て怪しむ者は、まずないはずと分っていながら、爆裂弾をかかえているような怯えがあって、仁太、四谷三丁目の目印をつげ、「小父さんたち別の車で行くよ、君たち、これでタクシー拾って」五百円札を渡し、もし逃げられたのなら、むしろ難まぬかれたと考えればいい。「おい、本当にやるのかい? 何か御馳走して、帰した方がいいぜ。それにお前TVにも出るだろ、いつばれるか分りゃしない」「いや、十二、三といえば、もうかなり大人のはずだよ。第一、彼女たち、こっちの下心にかなり気づいているみたいじゃないか、親にいうわけないよ」はっきり自信はないが仁太断言する。十二、三歳の女は、自らの性について、明確に意識を持ち、被姦願望のもっとも強まる時期と、本で読んだことがある。少しは危険を冒さなければ、何ごともはじまりはしないのだ。
タクシーを降りて、さり気なく道ばたに佇むうち、少女二人眼の前に車を乗りつけ、「ここらへんやばいなあ、うちのお手伝いさん、時々買物に来るのよ。よく安売りしてるから」だまったままの一人が、仁太の陰に身を隠し、「早く行こうよ」「四階の四〇六号室、後から来なさい」仁太、ことさらきっぱりいって、課長をうながす。部屋は、男同士居汚なく酒を汲みかわしたまま、足のふみ場もない有様だから、二人無言で片付けはじめ、これまでに、もし女子学生迎え入れるとなったら、いかが飾り付けをなすべきか、鳩首協議したことがあった。常務は、男臭い感じを漂わせた方がいいと主張し、助教授断乎として、ムードを盛り上げるべく、カーテンの色やグラスの形にも、デリケートな心くばりが肝心などと、各人各様の夢をのべたのだが、さて、中学一年にふさわしい部屋のたたずまいなど、見当もつかず、時間もない。
ドアがノックされ、課長、すっとび上って、鍵を開き、「まあ、お入り下さい」神妙な口調。「ここが事務所なの?」別に他意はない質問なのだろうが、いわれてみれば、デスクも書類棚もないのだから、「ここはサブオフィスで、まあなんというか、主に電話連絡などを行ったり、昼寝したり。なにしろ夜おそくまで働いているから、寝が足りなくてね、こういう場所も必要なんだよ」課長、くどくどと弁解した。
「何か飲む?」冷蔵庫の中には、幻の女性客のため、清涼飲料水も用意されていて、仁太がたずねると、「うん」二人、そろってうなずき、表とはうって変り、お客によばれた如くかしこまった印象。「こわくない? 知らない男の、部屋へ入って」「どうして?」「だって、ママが教えるだろ? 男の人が親切そうに何か誘いかけても、返事をしちゃいけないって」「小学生の頃、よくいわれたけど」「今の方が、もっと危ないじゃないか」「平気よ、信頼してるもん、小父さんたち」ケロッという。
しげしげとながめれば、二人ともすでにはっきり胸のふくらみが認められ、みじかいスカートから伸びた脚の、ふとももにも滑らかな艶があり、化粧すれば、十七、八に見えないでもないのだ。「お風呂もあるのね、こんな部屋があったらいいなあ」無口な方が、興味津々といった態で、あたりを見まわし、「彼女、今、真剣に家出を考えてるのよ」「へえ、じゃお金もそのため?」「まさか、三千円じゃどこへも行けないわよ」「止めといた方がいいよ、家出なんか」しゃべるうち、どうしたって、年相応の分別があらわれ、すると、あらためて自分の立場を認識せざるを得ず、打ちとけるというより、怯えが増すばかり。
「そのテーブルの上に立ってみてくれない?」もともと持ちつけないカメラだから、ポーズをつけるなど思いもよらず、でまかせに仁太がいうと、「はい」素直に勝気な一人がうなずき、靴を脱いで、ぼさっと突っ立った、赤と白に色分けされた靴は、いかにも幼い感じで、かなり汚れている。「こんな風にするの?」少女、わずかにスカートをかかげ、「前に、彼女の家でストリップごっこやったことあるの、けっさくだったわ」「どんな風に?」「パァなんて、脱いじゃって」「ませてんだなあ」こういう形容が当るかどうか分らぬが、他に挨拶のしようもなく、取りあえず、眼の前の足に焦点合わせて、シャッターを押し、次第にカメラ位置を低くして、当てずっぽうだが、下着を狙う。
「いやあね」少女、すぐ仁太の下心を察し、少し隠すようにしたが、特に拒まず課長は無口な方の顔の、すぐ前にカメラをかまえ、大写しをこころみていた。「写真のモデルになったこと、誰かにしゃべる?」「冗談じゃない」「でも、雑誌に発表するんだから、ばれるかもしれないよ」「何て雑誌?」「カメラの専門誌」「うちの親、見ないもん、そんなの」「でも、ウスイが凝ってるわよ、カメラに」無口がつぶやき、「キャッ、どうしよう。本当だ、ウスイよく自慢してるもんね」ウスイというのは、学校の絵の教師だそうで、「本当に発表するの?」「そりゃそうだよ」「どうしてえ、撮るだけでいいじゃないの。絶対分っちゃうわ、ウスイに」それまで、どちらかというと、仁太たちをなめているように思えた少女だが、とたんに年相応のうろたえぶりをみせ、「よしてよ、ねえ、いいでしょ」仁太の腕に手をかけて、あどけないながら、必死の態。
「どうするかなあ、折角撮ったんだし」思いがけず優位に恵まれ、仁太、課長の顔を見ると、「もったいないよ、フィルムが。発表できないとなると」先刻心得て、課長も深刻につぶやく。「どうしてえ、いいじゃない。顔だけせめて止めてよ、後姿にしてよ」「写真のポイントはなんたって顔さ、君たちのその汚れを知らぬ表情がいいんだよ」「私、かまわないわ」無口な方が、反抗的にいって、「お金ももらったんだし」「あなたはいいわよ、家出するんだから。でも、私、困るのよ」「規則にある? モデルになっちゃいけないって」「そりゃあるに決ってるじゃない、退学よ」二人、仲間割れしかねず、「分った分った、じゃ雑誌には発表しない、迷惑かけちゃいけないからね」「本当? ゲンマンして」仁太と少女、小指をからませ、ハリセンボントースと誓い合う。
少女のうろたえぶりを見て、ようやく仁太気持が落着き、無口な方は、これもさだめしたわいない理由からなのだろうが、妙に開き直っているから、かえって危険。もし、家出の真似ごとでもして親に問いつめられた時、弁解の一つに、今日の一件をしゃべるかも知れない。ひきかえ、勝気な方は、ごくふつうの少女で、親や学校にばれることを怖れているのだから、ほどほどのつきあいなら、今後も、つづけ得るだろう。まあ、初回はこの程度で切り上げておくのが得策と、「じゃ念のために、フィルム抜いておこうね」安心させるべく、カメラの裏ぶたを開けた。
課長も同じくならって、「いつも日曜日は一緒にぶらぶらしてるの?」「そうでもないけど」「また会えるといいねえ」われながらいやらしい言葉つきに思えたが、仁太、後日の手がかりを求め、「夜十時頃なら、電話に必ず私出るわよ」「そんなおそくまで起きてるの?」「当り前よ、二時、三時までは寝ない」「眠いだろ、学校で」「べつに」「だけどさ、ひょっとしてお母さんが出たらなんていえばいいのかなあ」「出ないって、ママは九時過ぎりゃ、大いびきよ」
「ねえ、発表しなくてもいいんだけど、私の写真撮ってよ」無口な方がいって、勝気な少女の相手は仁太と決めこんでいるらしく、課長の前に立つ。「そりゃいいけど」「お風呂場で撮って」「風呂場?」「うん、いっぺん私ヌードになりたかったの、いいでしょ」課長、返事もできず、仁太にすくいを求めたが、「小父さんたち、本当はヌードが見たいんでしょ」なにやら傲慢な表情で、少女はいった。
実はそうなんだとも、あるいは、馬鹿馬鹿しい餓鬼の裸なんかとも、答えられず、「で、どうするの」「べつに、記念に持ってたいのよ、うちにもカメラあるけど、私、現像できないしね、丁度いい機会だわ」少女、さっさと風呂場へ向い、「用意ができたら合図するから、タオルは中にある?」一人でのみこんで姿を消した。
「あのこ、変ってるのよ」勝気な方が、少し口惜しそうにいい、「小父さん、撮ったげなさいよ」課長をそそのかす。「フィルムがないよ、そんなこといわれても」仁太、だまってポケットから一本さし出し、「大丈夫か、おい」「断ったらなおまずいんじゃないか」「弱ったな、お前やれよ」課長がいうと、「駄目よ、小父さんはここにいるの」少女、仁太の腕をつかむ。
「OKよ」風呂場から声がして、「早くいったげなさいよ、風邪引いちゃうわ、彼女」「弱ったなあ」フィルム装填したものの、まだふんぎりつかぬ様子、「二、三枚写してやれば、気が済むんだろ」まるで、先方のわがままかなえてやるが如く、仁太がいうと、「じゃまあ、ちょっと」課長、口の中でもぞもぞいい、風呂場へ入りこんで、しばらく、くぐもった声がひびいていたが、やがて静まる。
「小父さんもそうなの? 私の裸みたい?」「うーむ」残った少女、しんみりとたずね、仁太も返答に困る。妄想しているうちは、確かに見てみたい気持があったのだが、こうなると、なにやらあやふやで、着衣の上からあらためてその体つきを確かめ、「まだ子供じゃないか」「そうかなあ、パパなんか、時々ヘんな眼つきで私のこと見るわよ、いやらしいったらないの」「裸を?」「まさか、ジーパンはいてる時なんかそうでもないけど、分るのよ、パパが私のどこを見てるか」「へえ、思い過ごしじゃないかねえ」「兄貴なんかもそうよ、用もないのに、部屋へ入って来て、じろじろ見るし」べつだんいやでもなさそうな口ぶりで、「でも彼女、勇気あるなあ」「家出するって、何があったの?」「赤ちゃんが生れるのよ」仁太、茫然とし、すると金が要るのは中絶の費用なのか、もしばれたらこれはたいへんなスキャンダル、いやこの年頃は無分別だから、自殺しかねない、あるいは最後の思い出に、ヌード写真を撮らせたのではないか、いっさいの符節が合ったように思い、うろうろと立ち上ると、「どうしたの?」少女、よほど仁太の表情こわばっていたのだろう、びっくりしてたずねる。「写真やめさせるんだ、それで善後策を考えなきゃ」「善後策って?」「赤ん坊の始末だよ」しばし、キョトンとしていたが、少女ひっくりかえって笑い出し、「できたのは、彼女のママよ、いやあねえ」仁太、だまって腰を下し、だが、ゾッと怯える気持は、身内のすみずみにまで行き渡っていた。
無口な少女のすぐ下に妹がいるのだが、十年ぶりに、母がみごもって、少女、ショックを受けたらしい。父親に対し、絶望したので、「不潔よ、いい年して」とふんまんをもらし、男女交合図をノートに描き、矢印でパパ、ママと記して、親しい友人に見せたという。「仕方ないじゃないか、夫婦なんだから」仁太、愚にもつかぬことをいい、「でも、本当に四十過ぎてもするのね。私もびっくりしたわ。彼女のママなんて、本当にもういい小母さんなのよ、ザアマス言葉なんか使っちゃって」「四十どころじゃないよ、五十、六十だってやるさ」「本当?」「そうですよ」少女、しばらく考えこんでいたが、「四十くらいの小母さんの方がいいの? 私たちより」「そりゃ、ちょっと比較にならないなあ」「どうして?」少女、つと胸を押さえ、「八十一あるのよ」まったく、つられるように、仁太手をのばし、胸にふれると、見た目よりはるかにふくよかな感触、「いいわよ、さわっても」少女、いどむ如き表情でいった。
「いや、どうにか撮り終えました」眼をぱちぱちさせつつ、課長があらわれ、まさかどうだったときくわけにもいかぬ。「やっぱりきれいだねえ、少女の体は。神々しいといえばいいかなあ」「全部脱いだの?」「そう、でもまったく何も感じなかったよ、彼女もわるびれなかったし」何をいってやがると、仁太、腹立たしく思う。まったく、何もなかったように無口な少女が、セーターを手に持って風呂場から出て来ると、勝気な方は、闘い終ったボクサーを迎えるセコンドのように、近づいて肩を抱き、「うまくいった?」「さあ、どうかしら、小父さん大分アガってたみたい、ねえ」「いやいや、すぐ落着いたさ、うん」課長、はじめの怯えは気配すらなく、有頂天になっている。それだけが目的だったように、少女二人帰り仕度をはじめ、「電話かけて」勝気な方が、仁太にささやいた。
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女学生後遺症
少女たちと過ごしたのは、ほんの一時間ばかりだったが、仁太、ぐったり疲れ、その帰って後、やみくもにウイスキーあおって、課長と、とりとめのない話を交わし、しかし、お互い上の空でいると、はっきり分る。ややもすればだまりこみ、あわてて話題を探しながら、気がつくと、仁太は、自分の掌をじっとながめていて、そこには、はっきり少女の胸のふくらみの、感触が残っているのだ。「今日のことは、だまっていよう、その方がいい」課長、ぽつりとつぶやく。「お前、現像できるのか」「昔、やったことがある」「俺にも見せろよ」「ああ」「いや、現像するところをだよ」仁太、まったく写真には無知なのだが、現像液の中で、ゆらゆら揺れつつ、少女の裸像の、次第に鮮明となっていく過程を、確かめたい気持があった。
「どんな具合だった? 撮る時」「はじめは、やっぱり照れてたのかな。ことさらオーバーなポーズを自分でつけて、そのたびにサッなんて掛声をかけるんだ」「お前、注文したのか、立てとか坐れとか」「そんなゆとりはないよ、ただもうファインダーのぞいて、シャッターをきっただけさ」かなり寒いはずなのに、シャッターの音につれ、まるで発熱したかの如く、少女の肌は淡紅色に変じ、表情もうるんで、「べつに見たことはないんだが、催眠術にかかってるみたいな感じなんだなあ」フィルムがなくなり、「はい、おしまい」といっても、すぐには衣類をまとわず、ぼんやりしていたという。
「へえ、そりゃなんだな、やはり性的刺戟を受けたんだよ、自分の裸をレンズの前にさらしているってことで」以前、仁太のもとに、露出癖の女があらわれ、関西ヌード顔負けのポーズをしめしたが、しかし、十二歳の少女であれば、またおもむきはことなるはず。「俺の方はまるで昂奮しなかったねえ、確かに発育はよくて、裸になると大人とそうかわりはないみたいだったけど」「罪悪感が先きに立ったか」「それもなかったなあ、とにかくあの風呂場はもう少し掃除しておく必要がある。ビール瓶や新聞の束なんかいっぱいあってさ、ぜんぜんムードが出やしない」課長、妙なことを口にし、こっちはまだ夢心地でいるらしい。
課長、カメラしっかりと抱きかかえて立ち上り、「これから会社へ行って現像するか、カメラ部に行けば、すぐできる」仁太を誘ったが、「俺はくたびれちゃったよ、ま、でき上ったところで観せてもらえば」「そうか、で、どうする」「何を」「他の二人にいうのか、今日のこと」「ねたまれるだろうなあ」助教授はきっと、焼増ししろというにちがいない。「それはいいとして、あいつおっちょこちょいだろう、誰かの眼にふれてみろ、やはり問題だぜ」「うん、当分は伏せとこうか」課長、ほっとしたように溜息をつき、「じゃ、ちょっと行ってくら」ぎごちなく敬礼して去る。
仁太、また自分の掌を、顔の前にかざし、そこに少女の乳房が写ってでもいるように、ながめこんで、しかし、さっき別れたその面影は、まるでさめて後の夢と同じ、みるみるうちにおぼろとなり、うすれて、いったいどんな顔形だったかさえ、さだかに描けないのだ。そして、うすれるのと反比例して、性的な昂ぶりが生れ、少女を犯す妄想とは結びつかぬが、一人、身をよじり、もだえころげてみたい。三十年近く前、こんな風な苛立ちにさいなまれた覚えがある。身うちに生じた欲望を、どう処理していいか分らぬまま、じたばた悪あがきしたのだが、今はしずめるべきてだて十分に心得ていながら、それに身をまかせる気はない。かるい二日酔、あるいは微熱を愉しむように、仁太は思いがけぬこの、いわば少女後遺症を、味わい、やがて奇怪な妄想を、追い求めはじめた。
顔をどう思い描いていいのか分らぬ。少女の面立ちなど、かりに絵に描けというなら、まあなぞれないでもないだろうが、仁太の脳裡に、さっぱりまとまらぬまま、はっきりしているのは、やはり感触の残っている乳房だった。いや乳房も、形としてはとりとめのないまま、ただ、やわらかなものに、ひたすら舌はいずらせている自分を、考える。仁太は、いつのまにか床に横たわり、「小父さんも、裸を見たい?」と、傲慢な口調でつぶやいた少女の声音をよみがえらせ、乳房から背中、腋の下を愛撫する。
まったく力を抜いて、ただやわらかく、そして青白い少女の肌の、体臭をかぎ当て、かすかな吐息を空耳に聴き、舌をはいずらせる妄想につれて、おぼろげながら、像が結ばれていく。「オシッコがしたい」ふいに少女がいう。十二歳の少女の股間からほとばしる小水は、まさしく処女の泉にふさわしいものではあるまいか。仁太は見たいと思い、そこで我れにかえり、小水を妄想したのは、自分にマゾヒズムの傾向があるせいではないか、と考える、有名なマゾヒストの、少女の小水願望を、読んだことがあった。
夢うつつの状態を、仁太ただよいつつ、しかし、この場合の夢、すなわち妄想は、いったん中断されても、すぐ継続できるし、しかも思うままコントロールし得るのだ。コントロールといえないかも知れぬ、さだかならぬ妄想を追ううち、しだいに形がととのい、それは当然、仁太にとって好ましいものだから、さらにのめりこんでいく。「ここでしていいよ」「でも汚れちゃう」「待ってなさい」仁太は、少女と語りつつ、タオルを用意して、そのやや広げさせた両脚の間にあてがう。
以前にも、こんな風な少女の姿をながめたことがあるように思う。あるいは娘がまだ乳呑児だった頃、気まぐれに世話してやったおしめの記憶だろうか。少女は恥じらいつつ、キラキラと輝く、透明な小水をタオルの上に放ち、両脚とタオルにさえぎられて、湖のような小水の溜りができる。仁太と少女、それをのぞきこみ、しかし、小水はすぐタオルに吸いとられて、ヴァギナがあらわとなり、そのふくらみの合わさった上部から、なお滾々《こんこん》と小水が湧きつづけるのだ。
タオルにしみこんだ、小水のぬくもりや、じっとり掌に伝わる重味を、仁太、確かに感じとり、こわれものを扱うように、タオルかたわらに置くと、あたらしいそれで、股間をぬぐう。少女は、仰向けに横たわって、仁太のなすままにさせ、タオルの動きにつれ、ふくらみがわずかに割れて、中の花片が見え隠れする。それは淡い紫に色どられ、さらに下に、あざやかな赤がのぞく。キラリキラリと光りながら、一滴また一滴と、小水が生れて、つとふれた仁太の指にうつり、そのくりかえしのうちに、小水とは別の粘稠《ねんちゆう》な液が、にじみ出し、同じように光りながら、うず高く盛り上り、仁太は唇を寄せて、吸いとる。
かぐわしい香りが、口中に満ちたと、仁太は感じ、とたんに「まさしくこれは不老長寿の貴薬」妙に俗っぽいことが頭に浮かんで、妄想はかき消え、気がつくと、体をエビの如く曲げて、床に横たわっていた。まだ陽は高く、明るい室内だから、誰かに見られやしなかったかと、仁太怯えて、カーテンのかかった窓へ近づき、表をながめたが、四階だから、まったくその心配はない。
先きほどまでの昂ぶりは失せていて、もしやと、自らの股間確かめたが、遺精はない。未練がましく、もう一度目をつぶり、妄想かき立てようとしても、まったく空しく、なによりいい年をしながら、何と馬鹿馬鹿しいことを思い描いたもの、自己嫌悪におち入り、といってウイスキーを飲む気もなかった。夢想しているうちはいいが、ひょっとして本当に少女を犯してしまうのではないか、いや、犯すまでにはいたるまい、しかし、妄想と同じような行為をしでかさないか、もちろん、あの境地にいたるまでには、いろいろ少女をなだめすかさなければならないだろう、少女の膝下にひれ伏し、三拝九拝して、小水を手に受ける自分なら、そう突拍子もない感じもなく納得できるのだ。「おねがい、いっぺんだけでいい。ちっとも汚なくなんかないよ、お礼はするから」と、その台辞を心中つぶやき、だが、お礼をするという発想は、あまり似つかわしくない。
あくまで、少女の自発的な行為であってほしいのだ。これはしかし、いかにも「家畜人」の発想とよく似ているから、以前は自分でも小説を書いていた仁太、プライド傷つけられた思いで、なにか他の方法はないだろうかと、思案するところへ、電話のベルがひびき、受話器をとると、思いがけずさきほどの少女だった。
「あら、小父さん、まだいたの?」何の屈託もない声が、仁太の耳にひびき、「よく分ったね、ここの番号」「だって、電話に書いてあったもの。私ね、電話番号だけは、不思議によく覚えられるのよ」「へえ、じゃ、歴史の年号なども、得意だろ」「まあね、小父さん、そこでなにをしてるの?」「美少女のことを考えていたのさ」「まあ、美少女だなんて」美少女といわれて、すぐ自分のことと思う程には、意識しているらしい。
「お友達はどうした? 後悔してない?」「平気よ、なんだかはしゃいでたみたい」「とにかく家出は止めた方がいいねぇ」「そうよねえ、でも彼女すぐ気が変るから、心配ないと思うわ」「今、家からかけてるの?」「そう」「家族の方いないの?」「パパとママは結婚式によばれてるのよ、どうせおそいでしょ」電話の声をきいていると、少女の姿態はっきりよみがえって、自己嫌悪はうすれ、むしろ、この得難い手づるを確実なものとしたい気持が強くなる。
「小父さん、いつもそこに居るの?」「そういうわけでもないけど、君がもし電話をかけてくるんなら、時間を決めといて」「また遊びに行ってもいい?」「いいけど、危ないなあ、ぼくだって男だからねえ」「御信頼申し上げてるわよ、いざとなったら大声上げちゃうもん」「だってさっき、胸にさわらせたじゃないか」「あんなのどうってことないでしょ、小学校の頃から、さわられつけてるもん、男の子に」「へえ、何も感じない?」「馬鹿みたい、感じるわけないじゃない、男の人の方がおもしろいんでしょ、タッチすると」何も感じないから、いっそあっけらかんとふれさせるのだと、仁太にも分る。
「もう一人の小父さんは?」「帰ったよ」「本当にカメラ雑誌に出すの?」「いや、迷惑がかかってもいけないからね、止めた」「その方がいいわよ」少女、大人びた口調でいい、「じゃあねえ、夜でも電話してよ」かかって来た時と同じく、まるで十年の知己の如く仁太をあつかって、あっさり切った。
翌日、常務から連絡があり、自分でだまっていようといったくせに、課長は、他の二人に日曜日のできごとを吹聴したらしく、「残念だったなあ、カメラなら俺の方がはるかに腕は上なんだぜ、もう駄目かな、撮るのは」口惜しそうにいうのを、「ありゃ危険過ぎるよ、やるとしても間をおいた方がいいな」仁太、冷淡に答え、少女とのつきあいは、二人だけのことにしておくつもり。「そうだろうなあ、まあしかし、よくやったよ。先方もしごく話が分ってたそうじゃないか」「特殊なケースさ、あいつもうっかり調子にのると、それこそ身を誤るぜ」「うん、しかし興奮してたぞ、世紀の大傑作だなんていって」「現像できたのか」「何だ、まだきいていないのか、今夜、四谷で見ることになってるんだが」常務、待ち遠しげにいい、「中学一年でも、立派なもんだってなあ」あたらしい玩具を待ちこがれる子供のように常務、声をはずませる。
仁太はしかし、少女ヌード写真鑑賞の会に加わらず、おかしなことだが、自分の、いわば幼い恋人にわるいような気がしたのだ。あるいは、写真に固定されてしまった、その姿を見れば、あのくらげなす如く、ただよいもつれる、妖しい妄想に、なまじのリアリティが加わって、興醒めとなるのではないかと、恐れる気持もあった。昨夜、仁太は妻を抱き、これまで昂ぶりを生ぜしめるために、さまざまなよすがを、必要としたのだが、しごく素直に没入できて、それは少女妄想の余燼が残っていたからにちがいない。「どうしたの? 急に元気になって」妻、にたにた笑いつつ不思議がり、「あんまり無理すると毒よ」など、冷やかし気味だったが、仁太の動きにすぐ応じ、その荒い吐息や、激しい動きも、さわりとはならぬ。確かに少女には回春の力があるらしい。この分ならインポテンツを治すことだって、そうむつかしくないはず、要するに祇園の舞妓を復活させればいいのだ。
妻を抱いた後、仁太はよほど少女に電話してみようかと考えたが、いかにも性急な感じだから、あきらめ、ひたすら一日置いた後の午後十時を待ちこがれた。これに較べれば、写真などメじゃない感じ、むしろ眼の汚れとさえ思える。しかし、好事魔多しで、ようやくその時刻が到来すると、妻は実家の者と長話をつづけ、公衆電話を考えたが、どうもふさわしくない。苛々して、ようやく診察室の電話に切り替えられた時は、すでに十一時過ぎ。二時、三時まで起きているとはいっていたが、深夜かけるのもはばかられて、助教授の家にダイヤルをまわす。
「どうだった、昨日は?」「ありゃひどいよ、人権蹂躙ですよ。俺もまあ、たいていのことにはおどろかないがね、あーいうヌードはいやだねえ」許しがたいといった口調、「すぐ焼き捨てろっていってやったよ」「なんだ、もったいない」「お前だって見れば、げんなりするぜ。まだ生えそろってもいない女の子がさ、ぼんやり突っ立ってるんだ、エロなんてもんじゃないよ」「そうかなあ、奴はきれいだといっていたが」「俺の趣味じゃないね、やっぱりまともなのでいくべきだ。それより、こっちにいい報せがあるんだよ、燈台もとくらしっていうのかな、四谷のマンションのすぐそばにヌードバアがある、もちろん会員制だけどね、俺コネができたんだ、行ってみないか」「へぇ、そりゃおもしろそうだなあ」仁太、まるっきり興味はないが、うわべ好奇心うごかした如くとりつくろい、つまり助教授の言葉をきくまでもなく、少女願望はひた隠しにしなければならぬと、察しがついていた。隠すためには、ヌードバアヘも率先して出かける必要があるだろうし、助教授風に、少女ヌードに対し、嫌悪感を表明するべきなのだ。何分、この道は最大のタブー犯すことなのだから、と考えて仁太は、あまりに激しい助教授の言葉に、あるいは奴も、写真によって目覚めたのかもしれぬと思う。見せびらかす課長がむしろ自然なのではないか。
「しかし、かわいい女の子だったけどね、ちょっと嬌慢な感じで、人もなげにふるまったりして。あの年頃が、いちばん心身ともに魅力的なんじゃないかねえ」仁太、そそるようにいうと、助教授うーむとうなり、「どうせ撮るなら、もっときれいな場所をえらばなきゃなあ、あれはいかにも舞台が因果ものめいている」「そういうのならいいか」「そりゃ、美しいと認めるについては、俺はやぶさかではないさ」仁太、心中笑い出したくなった。助教授にも確かに少女願望はあるのだ。すると、急に、仁太は、自分には親しい少女がいるということを、誇りたくなり、喉まで出かかったのを、危うくこらえて、電話を切ると、ほとんど何も考えずに、少女のダイヤルを指でたどる。三度信号が鳴って応えがなければ、送話機を置くつもりだった、その一度目に、少女が出た。
「はい」と、つつましやかな声は、確かに少女のものだったから、仁太、安心し、しかし、名前をまだきいていないのだ。「えー、今晩は」もっともらしい口調でいうと、「ああ、小父さん」すぐに分って、「どうもありがと」「ありがとうって?」「わざわざ私みたいな餓鬼に電話かけてくれて」「そんなことはないよ、ぼくだって早くかけたかったけど、怯えちゃってね」「あらどうして」「だって、もしお母さんが出て来たらどうしようかと」「そんな心配ないっていったでしょ、もしママが出たら、間違ったことにすればいいし」
鈴を鳴らすような、といえば月並み過ぎるが、仁太、そうとでも形容する他はない、少女の声に、うっとりきき惚れ、考えるまでもなく、この年頃の声をこれまで耳にしたことがないのだ。TVに出演して、セックスのあれこれ解説すれば、悩める乙女から電話のかかってくることがある。だが、いずれもくぐもり、早口で、しかも鈍重な印象、受話器を耳に当てているのさえ、うっとうしくなる。あるいは出先から、妻へかけるにしろ、また助教授たちとの、たわいないやりとりにしろ、およそ電話など、文明の利器の中でも、便利なだけになお殺風景な代物《しろもの》と決めこんでいたのだが、今だけはちがう。
「ねぇ、きいてる?」だまりこくった仁太に、少女がたずね、「うんおもしろいよ」「気のない返事ね」少女は、間違い電話を装って、いたずらする遊びを、ことこまかに説明し、さらに、小説家や映画俳優の家に、ファンとして電話し、からかう楽しみを物語った。小説家には、外人の真似がいちばん有効だそうで、「私うまいのよ、片言の日本語しゃべるの」真似てみせ、「日本に留学しているようにいうの、先生の本をはじめて読んだ、まだよく分らない部分もあるが、人間の悲しみについて、先生は深いシンパシーを抱いていらっしゃる、なんていうと、もうほいほい喜んじゃう」「へえ、そんなことして遊んでるの」「つまんないもんねえ、大人の人としゃべるチャンスなんか、まったくないでしょ」「大人としゃべるとおもしろい?」「そりゃそうよ、うちの学校女ばかりでしょ、もう気持わるくって。なんでもいいから男性の声がききたくなるわね」「そうかなあ、中年男からすると、君たちとしゃべれるんなら、こんな楽しいことはないんだけど」「うまくいかないもんね」少女、ほっと溜息をつき、「また会っていただける?」「もちろんだよ、でも場所がむつかしいなあ」「そうねえ、外国なんかどうなってるのかしら」「さあ」いかなる先進国でも、中年男と少女の逢いびきの場はないだろう。
三十分ばかりしゃべって受話器をおき、仁太しみじみと満足で、しかし、中年男が少女に興味をしめしてわるい理由はなんなのか。「女学生がいい」「セーラー服に魅力を感じる」など、仁太の年齢にある者がいえば、必ず「いやらしい」「文字通りの中年趣味」と、けなしつけられる。バアで女給に、この願望を告げると、「よしなさいよ、あんな子供なんか。何がおもしろいの」軽蔑されるのはまだいい方で、「セーラー服? 変ってるのねえ」人類以外の存在の如く、ながめられるのだ。いや、同じ年頃の連中さえも、「要するに女が分ってないんだよ」やら、「気持わるい」十人が十人、嫌悪の情をあらわにする。たいていの変態が、市民権を得ているのに、セーラー服願望だけが、不当におとしめられているのは何故か。
仁太が、女性を意識しはじめた年頃、その対象は女学生であって、しかも彼女たちとは口をきくどころか視線さえ、合わせることができなかった。現実の女学生がどのように猥雑で、またあのセーラー服なるものが、実はぼろ隠し、各種汚れの付着していると、頭で分っても、戦時中に少年だった者は、女学生ときいただけで、ある種の戦慄が身内に起るのだ。男女共学といったって、戦後しばらくは儒教の影響が根強く残っていた。また、食うや食わずで、とても胸ときめかせるだけのゆとりはなく、どうにか衣食足りてからは、もっぱら赤線通い。そして、結婚してしまうと、自分でも女学生とは別の世界に住むと決めこむ。しかし十五、六歳当時の願望は、純粋培養されて、胸の奥深くに眠っているのだ。
これもまた人間の自然ではないか、母親に強い影響を受けた男が、ホモになるとか、少年期の過ごしかたで、フェティシストや、マゾヒストができるのなら、女学生願望だって同じこと。しかるにおとしめられるのは、少女に対して、性的興味を抱くということは、つまり衰えのしるしという迷信があるからだろう。れっきとした大人は、成熟した女体を相手にして当然という、肉体主義が世にもてはやされている。そして、タコの巾着のと、女性の部分につきあげつらうことが、男のしるし、女性をしてノタウチマワラセてこそ、男の真骨頂の如き、考え方がまかり通っていて、こっちこそアブノーマルではないのか。夜毎苦心惨澹して、女房をよがらせ、その姿をながめつつ、ニタリニタリとほくそ笑むなど、奇怪きわまりない行為であろう、千人斬りというようなふるまいも、おかしいので、むしろ男としての弱さのあらわれの如く思える。
そして中年男に、この願望があれば、相呼応して、女学生も、大人を求めているのだ。女子校の生徒たちは、手近に異性がいないから、書物を通じて男を知りたいと、考える。これは丁度、戦時中の中学生と同じ状態といっていい。観念的に男女のことわりを理解してしまうと、今度は、受験勉強一本槍で過ごす、同じ年頃の男の子など、ちゃんちゃらおかしい。知的レベルは女の方がはるかに上なのだから。といって、教師も父親も、話相手にはなってくれず、大学生や若いサラリーマンは、余り血気盛んだから、怖ろしい。中年男こそ、ふさわしい対象なのだ、いや、こんな風に少女の胸の中で、はっきり願望が形づくられているわけではないだろうが、きっかけさえあれば、この両者、仲良くなるべき素地は十分にある。
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性的好奇心
翌日から仁太はカウンセリングを受けにあらわれる患者の中で、同じ年頃の男、たいていその悩みというのは、突発性インポテンツなのだが、何気なく装って、女学生願望の有無を調べてみた。もっとも、四十前後の男性があらわれることは、きわめて少なく、これは雑誌の各種相談欄を見ても分る。中年男は実に悩みをわが胸一つにおさめて、日夜奮闘しているといっていいのだ。
その日やって来たのは、これが三度目の男で、早漏に悩んでいた。若い頃は人並み、いやその気になれば三十分一時間でも、もったらしいが、年と共に早まり、今では十秒がやっとというのだ。「ふつうは逆じゃないでしょうか、女房がきっと病気だろうと申しましてねえ」男は、いかにも肩身がせまいといった態でつぶやき、「ルーデサックを重ね着させるといいって、女房が教えられて来まして、その」と、男妙な手つきをし、「着せてるうちに、発射しちゃいましてねえ、女房の奴ダメって手でふたをしましたが」
これはつまり、女房と寝るのがいやなのだ。なんとか閨の営みを早く終らせたいという意識があるから、下痢風射精となるのだろう。「他の女性とならどうです」仁太が、二度目のカウンセリングの際たずねると、「いや、私カトリックの信者でして、そういうことは」滅相もないという風に首をふる、「治療のためだと考えても駄目ですか、やはり息抜きは必要だと思うんですが」「しかし、どこでやればいいかも存じませんし」カウンセリングを生業としていれば、しばしばポン引きの役を勤めねばならぬと、よく分っているから、仁太、中野の三業地を紹介し、今日はその報告に来る約束だった。いかんともしがたい事情で、孤閨を忍ばねばならず、その欲求不満から、いろんな症状のあらわれてくる女房たちにも、端的にいえば、「盛り場で男をひっかけて、上手に遊びなさい」という処分がいちばん有効なのだが、やはり女性にはまだ仁太いえないでいる。しかし、本来の使命から考えれば、慰安夫とでもいうべき男をそろえ、抱かせることまでしなければならぬはず、カウンセリングなどで、どうにもなりはしないのだ。
「いかがでした」「いや、どうも臆病でしてね、病気のことなど考えると」申し訳なさそうにうなだれる。「困りましたねえ、前にもいったように、あなたは奥さんを憎んでいないまでも、抱く時には嫌悪感がある。しかし、あなたは心やさしいから、その気持を自分に対しても隠そうとなさって、その葛藤が早漏をもたらすんですねえ。他の人なら、この助平女くらいに考えて、まあ浮世の義理だと納得させ、お勤めを果すところなんだけど、どうも優し過ぎるんだなあ」他の女となら、多分長く営めるにちがいないし、浮気をすれば、女房に対する憎しみもうすれる。「私は、妻を愛しておりますんですが」男、腑に落ちない様子だった。「芸者だったからいけないのかなあ」「いや、多分、どういう女性でも、うまくいかないんじゃないでしょうか。何分、カトリックの方ではきびしい一夫一婦制でして」「まあ、抱く抱かないはべつとして、しゃべるだけでもいいんじゃないかな、奥さんにがんじがらめにされている今の状態から、少しでも抜け出せば」「と申しましても、会社の秘書を相手に何をしゃべったって」「女学生はどうです」
男は、一瞬キョトンとしたが、すぐもじもじしはじめて、「そんなハレンチな。世間に知られたらえらいことです」悪魔を払うように、手をふって拒むから、仁太、昨夜考えた中年男女学生同盟論を、こんこんと説明し、「あなたの心の中に、女学生願望はありませんか、正直におっしゃって下さい、いかがです。ひだの多いなんとなく重たげなスカートからのびるほっそりした脚と白いソックス、深く切れこんだ襟にのぞく蒼白い肌」実際、言葉にしてみると、馬鹿馬鹿しくて、あの少女のすずやかな声音の、何十分の一も表わしていないと思ったが、男は急にコホンコホンと空咳をはじめ、「私はあの、田舎に育ったものですから、こう畑の中のほそい道で、コホン、よく行き会いまして」うつむいたままもぞもぞしゃべり出した。
「女学生に憧れることを、何も恥じることはない。むしろ少年のような若さ初々しさを保つ証拠といえましょう。どうです、女学生とおしゃべりしてみませんか」「コホン、そんなことができますので」「何分、まだ偏見が支配しておりますから、おおっぴらにはできませんが、私は中年男の性的障害のすべては、抑圧されたこの願望のなせるわざと考えます。たとえば、秋の一日、中年男と女学生が合同ハイキングに出かけるなど、いいと思いますよ。初老期のウツ病や、喘息も、すぐ治っちゃうと思います」
「よろしいでしょうなあ、※[#歌記号]ハルノウララノスミダガワ」男、ベルカント唱法で、突如高らかに唄いだし、「女学生さんはサンドイッチなど持って来る、私どもはにぎり飯なんかで、お互い交換しましてね。席順がむつかしいでしょう、バスにしろ電車にしろ、隣り合う相手を、どっちがえらぶか、これはやはり幹事さんが札をつくって、不公平のないように、コホン」男、人がちがった如く、流暢《りゆうちよう》に夢を語る。「何らやましいことはありませんねえ、これなら。世代の断絶を埋めることでもあるし」「そうです、中年男の身につけた人生の知恵と、女学生のかぐわしい息づかいをギブアンドテークするわけ」「そう、女学生はいい匂いがしますねえ、ゲランもディオールも、結局は中年女の臭気どめに過ぎない」
「他に、女学校授業参観、運動会参加なども考えられます」「ははあ」男、もう空咳もせずに、「私は一歩も入ったことがありません、どんな風になっておりましょうか」仁太も、講演会で足ふみ入れたくらいなのだが、「そりゃあなた、授業が終ると、みんな運動場に向けて走り出します、階段なんかとんで降りますからね、スカートがひらりひらりとひるがえる」「トイレットなども、さぞかし満員になって」「ええもう、みんな足ぶみしながら順番を待っております」「フヘーッ、それを見ることができますんで」「はい。もっとも、重々しい表情でいませんとね、あまり鼻の下をのばしても」「分りました」男、急に表情を引きしめ、「運動会参加というのは、二人三脚などやるのでしょうか」「他に、マスゲーム、輪になってみたり、こう跪《ひざまず》いてみたり」「知ってます、それは偶然ですが、ちらっと見たことがあります」男、片膝をついて片手を上げ、「ポーズがきまると見物がパチパチと拍手する、あれはひどく華麗なような、また空しい感じのものですねえ」男、かいま見ただけの、その情景を思いかえすらしく眼を閉じた。
「機関誌も出す計画です。グラビアには名門女学校の代表的美人、もちろんセーラー服姿に限ります。ジャンパースカートや、ネクタイは駄目」「女学生と中年男、略して女中雑誌、いやこれはイメージがわるい。えーと、不惑の友なんてどうです」「ちょっとあわれだなあ、まあ、よく考えましょう。それで合ハイのレポート、各女学校の行事案内、女学生の集る場所の紹介」「校医さんの頁はどうです?」「なるほど、銭湯の番台へすわるより、校医になりたいですねえ」「ペンフレンドの募集もやって下さい、見知らぬ女学生から手紙がくるなんて、いや、人生に希望が出てきました」「その調子でやってみて下さい」「はあ?」「いや、奥さん抱く時、女学生のことを考えるんですよ。パーティをやるとすれば、場所形式はどういうのが適当か。第一、しゃべるといっても、あまりにこれまで接触がないから、きっかけをつかみにくいでしょう。話題についても工夫するんですよ」「なるほど、長持ちできそうに思えて来ました」男、すっかり明るい表情になっていた。
合ハイにしろ、機関誌にしろ、仁太のでまかせだったが、考えられないことではない。女学生、特にセーラー服は、もう絶滅寸前といっていいのだ。生徒たちは私服をのぞんでいて、コウノトリあるいはトキと同じ運命にある。今、女学生の、生態を研究記録することは、必須のことではないか。全国各地の女学校について、土地の同志が報告してくれれば、思いがけぬ発見、明治以降の日本文化の移りかわりについて、何かの新発見があるかも知れない。たとえば、女学生の制服としてセーラー服を採用したのは誰なのか、そして外国にその先例があるのか、仁太の見聞した限りでは、まず欧米に例はないと思われる。中学生が、いわば陸軍の軍服まがいを制服として、女学生が、水兵の真似をした理由は何か、実に女学生の世界こそは、耶馬台国と同じ神秘につつまれ、包まれたまま滅亡しようとしているのだ。それもすべて、大の男が、セーラー服なんかに興味を寄せるのはいやらしいという、頑迷な偏見のせいである、仁太は考えるうち、ガリレオ・ガリレイ、あるいは、クリストファ・コロンブスになったような昂ぶりを覚えた。
「ふーむ、それは金もうけになるかも知れないぞ」四谷のマンションで助教授に、仁太が女学生願望の妥当なること、及びそれを充足させるための手段を説明すると、相棒思いがけぬことをつぶやく。「いや、金にはならないだろうけど」「なる。たとえばあのSLブームをみてみろ、これまで蒸気機関車なんていえば、足はのろいし、煤煙ですすけるし、時代おくれの象徴だったろう。それがいざ姿を消すとなったら、大騒ぎじゃないか。SLが男らしさを表わすなら、セーラー服は古きよき時代の、女らしさのシンボルといっていい。確かにもうじきあのスタイルはなくなるだろう、その時、セーラー服ブームが到来する」だから今のうちに写真の撮りだめをしておいて、時来たらば出版するなり、ジャーナリズムに貸し付ける。「こりゃアナだよ、おい」象牙の塔の住人、狸の皮算用して、「趣味と実益をかねるというか、いや、ひたむきなわれ等の憧れが、当然の恩寵にめぐり会うというか」「さしずめ女学生評論家というわけだな」「そう、時代の寵児になれる、TV週刊誌でひっぱり凧だ」
「外国にもセーラー服はあるのだろうか」仁太がたずねると、助教授腕組みして、「制服の処女って映画があったなぁ、よく内容を覚えていないんだが」「スエーデンの美少年がTVのCMに出たろ、あれはセーラー服だった」「格子なき牢獄のコリンヌ・リュシエールはどうだったかなぁ」「女子感化院の話だろ」「ジーン・クレインなんてのは、似合ったんじゃないか」二人とも、昭和二十年代には、馬鹿馬鹿しく映画を観ていて、当時、戦前の名画がよくリバイバルされたし、もし欧米にセーラー服があるのなら、当然、眼にしているはずだった。
「日本映画だと、青い山脈の杉葉子か」「性典ものの若尾文子、南田洋子」「セーラー服の似合うタイプってのがあるなあ」「確かにあれは舶来のように見えて、外人少女には不向きなんじゃないか」ローマの休日のヘップバーンは、年頃からいってふさわしいようだが、どうもセーラー服姿を想像しにくい、若草物語のリズにしろ、サントロペのマリー・ラフォレ、パリの空の下セーヌは流れるのブリジッド・オーベル、いずれもピンとこないし、ましてやバルドー、モンローのセーラー服など、奇天烈以外の何物でもないだろう。
「これは親子丼、トンカツなんかと同じで、洋式に思えるけれど、実は日本の産んだ風俗かも知れない」助教授、重々しくいい、「そして、日本においてすら、セーラー服の似合う女優は少なくなっているのだ。ローティーン、ハイティーンはいても、女学生はいない」女学生の話題が、バンチョウだけとは、なんと歎かわしいことか。「今すぐにも大女学生展を催して、その良さを再認識させる必要があるなあ」「展覧会か?」「そう、英国フェアとか、ルイ王朝展などどうでもいい、地元の文化財を見直すべきだよ」「明治時代は海老茶の袴だろ、大正時代も同じようなスタイルじゃなかったのかな。セーラー服は多分昭和以降だと思う、一般的になったのは」「大体、女学校の数も少なかったしな。時代考証は俺が学生に命じて、行わせるから、どうだい、展覧会は。同級生にデパートの仕入れ部長がいるだろう、あいつにたのめばいい」助教授性急にいい、「セーラー服だけじゃなくて、下着の変遷、それから隠語もあるはずだしな、生理の手当てをどうしていたか、それにマスターベーションのやりかただって、時代と共に変っているはずだ」
「どうやって展示するんだよ」「昭和十年代は主に、電球、ナスビ、万年筆であったなんていって、ならべとくのさ、ウヒヒヒ」助教授ワルノリして、「女学生名シーンなんてのを、蝋人形でつくってもいい、たとえば夕焼け空を背景にしたニレの木陰に、背の高い上級生が、美しい下級生の肩に手をかけている姿」「なんだいそれは」「これ女学校名物Sの場面、どうして私の手紙に返事をくれないのって、上級生が口説いているところ」「月並みだねえ、発想が」仁太、何気なくいうと、「月並みの何がわるい、前衛のアングラのって、目先きの趣向にふりまわされるのは、わるい傾向だよ。女学生は古典的存在なのだから、新解釈は要らない」助教授ムキになり、「不良がかったのは喉に包帯を巻いているのさ。腕時計のバンドは赤、体操する時はブルーマ、生理帯はゴム」怒鳴り立てた。
「俺の考える女学生というのは、あまり美人でもいけないんだな」仁太、助教授の興奮をしずめるため話題を変え、「眼鼻立ちととのってはいるんだが、もう一歩で美しくなる、つまり未成熟故のアンバランスな感じが漂っていて欲しい。それと、妙な病気をする。ものもらいで眼帯をしていたり、脂肪のかたまりが足にできたり、皆勤の女学生などかわいげない」「そうだ、女学生の女学生たるゆえんのものは、すべて外見なんだ、精神面はいらない、なにより|らしい《ヽヽヽ》ことが第一」「いいなあ、女学生が卒業する時に、お互いアルバムに記念の言葉を書くだろ、『チャコ、いつまでも永遠に、友情を』とかさ、『離れていても、いつも一緒よ』なんて、実に感動的だからなあ、なまじべ平連などに関係してると駄目だ」「そう武者小路か永六の線ですよ」「部屋に飾ってある絵は、雲間洩れる陽光に、手を合せている子供」「手紙の封には√3と書くねえ」「急に不機嫌になって、部屋に閉じこもり、晩飯を食べない」「ある夜ひそかにお化粧をしてみて、狸みたいな面になってガッカリする」二人、女学生についての乏しく、そして古めかしいイメージを披露し、「お前の知合いに女学校関係者はいないか」助教授が鼻息荒らげつつたずねたが、仁太にその当てはない。「うちの女子学生にたのんで母校を紹介してもらうか」あまり自信もなさそうにつぶやき、さて具体的な行動となると、雲をつかむような感じになってしまうのだが、思いがけずに、道が開けて、それは早漏の患者の妻が、やはりカトリック系名門の出身で、校友会の幹事をしている。仁太の教えに従い、見事十秒を五分にまで延ばすことのできた患者は、自分も興味があるのだろう、「よかったら、口実は何とでもつけるとして、見学ぐらいできます」と連絡して来たのだ。
名門校は、郊外の丘の上にあり、遠くからも付属する教会の尖塔がながめられ、善は急げと三人出かけたものの、さて何と見学の理由をつけていいか分らぬ。「神父さんを紹介してくれたのですが」患者は、妻に書かせた書状を見せ、「私の知人のお嬢さんが、入学を希望しているからと、女房にはいったんですがねえ」「出たとこ勝負ですよ、われわれうまく芝居しますから、とにかく禁断の園に足ふみ入れるだけでもいいでしょう」助教授一人きおいこむ。「神父さんは修道院に住んでるんですが、もしそっちへ案内されちゃうとねえ」「へえ、尼さんと一緒にいるんですか」「もちろん別棟ですよ」「ふーん、すると女学生の片鱗もうかがうことができないで、お説教だけということもあり得る」「それくらいに思ってた方がいいよ」仁太、あまり希望はいだかず、しかし近づくにつれて、下級生らしいセーラー服の三々五々下校する姿が増え、助教授は用意のカメラで盗み撮りをする。
受付で案内を乞うと、白いカラーの他は黒ずくめの、ほぼ仁太とは同年輩に思える神父があらわれ、修道院ではなく校舎の応接間に通されて、仁太と助教授、いかにも娘の進学に思いわずらう態を装い、あれこれ質問するうち、「そうですね、生徒をここへよびましょうか、直接学校のことをおたずねになってみれば手っとり早いかも知れません」思わずくずれそうになる相好ひきしめて待つうち、セーラー服五人があらわれ、「私がいてはしゃべりにくいでしょうから」と、神父は座をはずした。
「こちらのお二人、お嬢さんをこの学校へ入れたいとお考えになってらして」患者がとりあえず話の中立ちを勤めようとしたが、「ええ、うかがいましたけど、おやめになった方がよろしいんじゃございません?」背の高い一人、そっけなくいって仲間を見渡し、一同もいっせいにうなずく。「しかしここは名門だし、まあ親の身としては、男女共学よりも、やはり女の子だけの」助教授がしゃべりかけると、「どうして共学だといけないんですか」「どうしてって、その、男と接触する機会が多いから、つまり」「私たちだって、学校の外ではボーイフレンドがいるわよ、ねえ」「そうよ、別学だからつきあわないなんて、あり得ないことよ」「逆に多いんじゃない、普通校の女の子より」「ボーイフレンドって、大学生?」仁太がたずねると、「きまってないわよ、そんなこと」押しまくられる感じで、男三人だまりこみ、すると女学生たち互いに小声でささやきあっていたが、「あの質問してもいいですか」小肥りで眼鏡をかけた一人が、教師にでもいう如く発言し、「ええどうぞ」仁太、つられて答えると、「あのゥ、女の人って何歳くらいまでヤルんですか?」男三人、呆気にとられ、「ヤルって?」「つまりィ、三十過ぎても旦那さんと寝るって本当ですかあ」仁太は、確か田辺聖子女史の随筆にも、これに類する話があったと思いつつ、さて何と答えていいものか、「もちろん」というのも、当り前過ぎて能がない。
「三十なんてまだしおらしいさ、四十シゴロ五十ゴザカキっていうくらいだよ」助教授、吐き捨てるようにいい、「ゴザカキって何ですかあ」「そのう、オルガスムスのあげくばりばりとゴザをかきむしるのさ」「ゴザの上でするんですかあ」「そりゃ畳でも同じことさ」「へえ、ネコみたい」「信じられないわ、じゃうちの母さんまだやってんのかしら」「いくつ?」助教授、調子にのってたずねたが、無視され、「あの、五十の女の人でも、男の人ってそんな気になるんですかあ」チビメガネが、代表質問者の如く、仁太に問いかける。
「ならないけど、仕方がないさ」「かわいそう」「誰が」「男の人が、だってねえ、五十のお婆さんなんか」一同、顔をしかめ、これは潔癖感というよりも、ジェラシーなのだろう。「じゃお父さんが、浮気しても平気?」「当然じゃないんですかあ、家出されると、今のところ困るけど」「ねえ、男の人の性欲ってどんな風に起ってくるの?」べつの、これはしごく愛くるしい一人がいい、「キャッ、カマトト」べつの一人がつぶやく。「玲子分ってるの?」「赤タンちゃんでしょ」とたんに一同はじけるように笑い出す、「なに? 赤タンて」一人がしゃべりかけたが、他に制止され、クスクス笑いがつづくから、「よほど興味があるらしいなあ」仁太、誘い水のつもりでつぶやくと、「もっぱらよね」「あの、女性の場合も、ある年齢になると、性欲を実感するのかしら」「女性はないよ、まあ、抱きしめられたいというくらいの、漠然たるもんでしょ」助教授が口を出す。「そうよねえ、具体的に考えると恥ずかしいもんねえ」
「君たちのクラスで、経験者はいるの?」仁太がたずねたとたん、異口同音に「三人」返事があって、「分る?」「そりゃねえ、これ見よがしにキスマークにファンデーション塗ってみたり」「月曜日はことさらだるそうにしたりね」「大体、親友に告白するのよね、そうしたらたちまち伝わっちゃう」「三人っていうのは、多い方なのかな、君たちいくつ?」「十六歳デース」「十五歳ナノデース」「真面目な方よ、二年のクラスなんか、処女全滅って噂だもん」「全滅?」「種族維持の限界点てあるでしょ、ある数より減ると、もう滅亡する他はないっていう、あれと同じみたい。クラスのうち三分の二がヤッちゃうと、後はバタバタよね」「そう、少数派になっちゃうもんね、村八分よ」「三人なら大丈夫?」「われわれは真面目だもん」「一年おきにわるいのよ」「あら、わるいことかしら、ナンチャッテ」つまり、一年上が不良だと、下はどうしても行動をつつしむ、またつつしまなければ、生意気とみなされて、リンチを受ける。そしてその下は、逆に野放図になり易いのだそうだ。「本当、今の中三の連中すごいわね、あれが上って来たら怖ろしいわよ」「売春してるのがいたっていうじゃないの」「あら、ゴーゴークラブに夏休み勤めてただけでしょ」「うーん、そこのマスターが斡旋してたんだって、一回一万五千円で」見たところ、清純としかいいようのない女学生だが、空怖ろしい会話を口にし、「本当に、名門女子校なんか、おやめになった方がいいと思うわ」「私たちだって転校したいくらいだもん」
「さっきの赤タンというのは、オチンチンのこと?」助教授がたずねると、「うん、直立した時の」「どうして赤タンなのかなあ」「感じよ、実際に見たことないけど」「じゃ、女性の方は?」「あれはナニよね、ナニで通じるもん」「じゃセックスは、ナニをスルってことになるの?」「セックスはガーベラ」「ガーベラ?」助教授、仁太を見て、「何のことかね、ガーベラって」「お花にあるじゃない、知らない?」「花のガーベラがどうして、セックスなの」「なんだか、赤くって黒っぽいからよ、そんな風じゃないの?」仁太、分らないでもないように思う、要するに毒々しいイメージなのだ、セックスは。
「大分、お話がはずんでいるようですね」神父が、しずかな笑み浮かべてあらわれ、「帰校時刻のようですから、今日のところは」「いや、どうもありがとうございました」「何か御参考になれば、よろしいのですが」「はあ、もう十分」「それはけっこうでした、皆さんどうもありがとう」女学生いっせいに立ち上って、一礼し、これはうってかわったしとやかな足どり。「修道院の方へいらっしゃいませんか、お茶でも」神父に誘われたが、三人遠慮して、校門を出る。
「大分イメージが狂ったなあ」助教授、げんなりしていうのに、「いや、昔だってあんなものではございませんか、ただ口にしなかっただけですよ」患者がつぶやき、「セーラー服のいいところは、内に猥雑なものを秘めているからさ」仁太はべつに幻滅も感じない。十五、六歳はいちばん性的好奇心のたかまる年頃で、それがガーベラと結びつくところに、えもいわれぬ風情があるのだ。
「どっちへ帰るんですか」見覚えのある二人の女学生が、タクシーを待つ仁太たちにたずねかけ、「東京の方だけど、送ろうか?」「じゃお言葉に甘えて」「叱られないの? 知らない男と一緒に乗っても」あまりあっさりいうから、仁太が心配すると、「知らないわけでもないでしょ、さっきお目にかかったんだし」やがてつかまえたタクシーの、それでも助手席に二人乗りこみ、「ねえ、君たち日曜日は何してるの?」「何してるって」「宿題なんかで、忙がしいの?」助教授、おろかな質問をする。
「この人はピアノと書道があるけど、私は映画観たり」「女一人で映画なんか観てると、男にいたずらされない?」「かなり危ない時もあるわね」「今度、一緒にいこうよ、エスコートする」なんとまあストレートないいかたをするものだと、仁太があきれるより先きに、女学生二人、小鳥のような表情で後をふりかえり、「本当? 連れてってえ」無邪気にせがむ、「ポルノを是非観たいと思って、あればっかりは、女同士じゃちょっとねえ」「ポルノォ?」助教授、口ごもっていると、「私もお伴しましょう」カトリック教徒の患者、身をのり出していう。
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トルコ元祖氏
二、三日後、仁太のもとに、ひどくはしゃぎたてる患者があらわれ、しきりに仁太とは同業だと、くりかえすから、たずねると、「私は、特殊サービスのコーチでございまして、まあ、口幅ったいいいかたで申し訳ありませんが、我が国で草分けの一人。性文化向上のため日夜奮励努力しております」男の患者の場合、陰々滅々たるタイプと、この草分け氏の如く、たいへん陽気な型に分れ、後者はまず稀であった。
説明されても、仁太見当がつかず、あいまいにうなずいて、まあ、先方のしゃべるにまかせておけば、やがて正体明らかとなるはず。「先生はどうお考えになってるか知りませんが、実にこのセックスの道は、きわめるほどに奥深く多様なものですねえ。ところでやっぱり東京に地震は来るでしょうか。中央官庁など疎開の準備にとりかかっているという噂を聞きましたが。私の考えるには、いっそもっと都民をおびやかしてです、東京に住んでたら生命の保証はないと、政府があおり立てれば、地価も下るはずでしょう。先生のお子さん、学校は?」話がどんどん飛躍するから、仁太まともに受け答えする気にもなれず、「近くの公立へ通ってますが」「そりゃよろしいです、カトリック系というのは、みなアメリカの息がかかって、いざとなった時の、日本占領の拠点ですからねえ」「そうですか」「よく調べてごらんなさい、カトリック系学校は、たいてい見晴しのいい高台か、または都市の要衝にある、マッカーサーの軍隊は引き揚げても、ちゃんと手をうってあるんです」「そうですかねえ」「実は私、悩んでおりましてねえ、私も知らず知らずに、マッカーサーの手先きを勤めていたのではないか」草分け氏、突如深刻な表情となって、「現今のトルコ風呂について、先生はいかがお考えでしょうか」
仁太、学生時代にちょくちょく赤線へは足ふみ入れたが、売防法以後、およそ興味が失せ、トルコ風呂で売春類似の行為をおこなうときいて、いっこうに好奇心も起らぬ。かつての赤線を知っている者は、あまりトルコに近づかないようで、それには年もあるだろうが、まずあの明るさに馴染めないらしい。入口廊下部屋と、いっさいかげりなく照らし出されているから、なにやら病院の感じだし、一方的にサービスされるというのも、肌に合わぬ。同年輩の者にきいてみると、トルコヘ行かない明確な理由は、これといってないのだが、この二つが大きな比重をしめ、他に、赤線でなら、時には床入りをせず、お茶だけで帰って来ても、それなりの情緒はあった。トルコでは考えられぬことで、つまり遊びの面がまったくないこと、湯が手近にあるから、事後の処理がいかにも手っ取り早く行われて、味気ないなど、あげる者もいた。
「私は、余りくわしくないのですが」「そうですか、いや、それは結構なことです。戦争中に、もし日本が敗けたら、男は睾丸を抜かれ、女はすべて犯されてしまうというデマがとんだのを覚えておられますか」「敗けてから知りましたねえ、そういうくだらない情報を流してまで、敵愾心をかり立てようとした、軍部の愚かさについて、本で読んだのかな」「私、これはデマではないと考えます。トルコ風呂において、今日只今日本の青年は、睾丸を抜かれているのです」草分け氏、なお沈痛な面持ちとなり、「マッカーサーの遣り口を考え直せば、すべて腑に落ちます。トルコ風呂の経営者に外人の多いこと、日本古来の伝統である公娼制度を廃止させたこと、いや他人ごとではない。この私も、知らぬこととはいいながら、前途有為な若者の睾丸抜きに力を貸してしまって」非憤の涙さえ浮かべ、にぎりこぶしワナワナとうちふるえさせるのだ。
これはとても、自分の手におえる患者ではない、精神病院の方へお越しねがってと、仁太考え、「まあそう深刻にお考えにならなくとも」なだめたが、草分け氏自らの膝を拳でうちつつ、「私、罪を償いたいのです、是非先生のお力をかりて、この怖るべきアメリカの陰謀を明るみにさらけ出し、日本の若者を救わなければならぬ」「具体的にいって、その罪というのはどういうことですか。さっきも申し上げた通り、トルコ風呂をよく存じませんので」「私は、トルコ風呂女子従業員の技術指導を、長年にわたって行ってまいりました」
「技術指導と申しますと?」「いかにすればお客様によろこんでいただけるかと、つまり趣向を考案し、教えるわけです。なかなか給料もよろしいし、私などチェーン店六軒の指導をいたしますから、月百万からの収入になります、もちろんその陰には文字通り膏血しぼり出す苦心を必要としますが」自慢話になって、草分け氏またはしゃぎはじめ、「トルコには三つの派があります。つまり本番だけをやらせる店、本番は行わずもっぱらサービスで人気を集める店、両方やる店。私は、トルコの本筋は二番目にあるという持論でして、いっさい売春は禁じてまいりました。国家が決めたことであれば、譬《たと》え悪法でも従わねばならぬと思います」ソクラテスのようなこといって、胸を張り、「私の考案になるサービスで、もはや古典ともいえる技術が三つあります。もしこういったテクニックについて、特許がとれるものなら、今頃、倉の二つ三つ建っていましたなあ、ウハハハ」草分け氏、掌で膝をたたきつつ、腰おどらせて笑い出す。
「たとえばどんなものですか」仁太も、泡オドリとか、ボディ洗いというような技術用語を耳にしたことはある。「まずリリーオブザヒルズ」案外、流暢な英語の発音で、「それからクイーンビー、まつげばき以上三種です、今でもこのコーチをたのまれることがあります」「ははあ、あれはトルコ嬢が自分で工夫するわけじゃないんですか」「とんでもない、彼女たちのオツムでは無理です、第一、あれこれ工夫するよりは、本番させた方が楽ですしね」「リリーオブザヒルズというのは、どんな風に」「こうやりまして」草分け氏、診察台に横たわると、自らの胸に手を当て、左右から押しつけつつ、「オッパイの谷間にリリーをのぞかせ、行うわけです。少しサディスティックな楽しみといえましょう。女の顔に向けて、ザーメンが噴出するわけです」特に変った趣向でもないように思える。戦前の舶来春画に、似たような態位があるのだ。「それ逆にしたらどうです」「逆に?」「ええ、女の顔の上にまたがって、つまりアヌスにも刺戟を受けつつ営む」草分け氏、手をポンと叩いて、「なるほど、さすがですな、つまり男はこういう形になって、この時、女の尻の下に枕でもかえば、眼の楽しみも味わえる」四つんばいの形となり、「いや、これは新手です」喜び勇んだが、すぐに肩を落し、「いや、いけません。これ以上罪をつくってはならない」「べつに罪というほどのことはありませんでしょう、むしろ人助けですよ」
「トルコ風呂は、アメリカの悪質な占領政策なのです。かつてイギリスが中国に阿片を売りつけ、青年の心身をむしばんだ如く、アメリカはトルコにおいて、日本の若者の骨抜きをはかっている」睾丸が骨にかわり、「私、自分でもしみじみ情けなくなります。トルコ風呂の待合室にいる男たちの表情を見てごらんなさい。かつての赤線をうろつく連中には、まだ男らしい精気がうかがえました。娼婦に音を上げさせてやろうとか、あるいはモテたいとか、男と女の、あるべき姿が見られたのです。トルコにはない。あるのは自分ではなに一つ能動的に働きかけず、かゆいところに手の届く女のサービスを、乳呑児の如く待っている怠惰この上ない、そして無気力な印象だけ。これでよいのか、日本の将来はどうなります」
草分け氏の説によれば、トルコのサービスに慣れてしまうと、積極的に女を喜ばせようという気持が失せる、あるいは強姦してでも思いを遂げたいというような気迫が、消えてしまう。これは一大事である。近頃、見受ける若者のなんとも面妖な風俗、そしてわがまま勝手なふるまい、ファイトのなさ、これらすべての根源がトルコにあるというのだ。「私がこの道に足ふみ入れたのは、なにを隠そう、母の、いわば遺志をついだといってもいい。私の父は性的不能者でした。母は、なんとか回復させたいと願い、神信心から民間治療薬、もちろん芸妓やお女郎にも伝手《つて》をたどって、特別な方法はないかと、教えを乞うたのです」草分け氏の記憶に残っている母の姿は、深夜、父の股間に顔を埋めて、必死の努力をつづけるその姿だったし、何十本もの手ぬぐいを湯にひたし、本当に傷口を介抱するような母のひたむきな表情。「男をして雄々しく立たしめる、これが母、いや女のあるべき姿と、幼い私は信じこみました。いやそうはいっても、戦時中のことで、私、陸軍にとられて中国大陸を転戦し、二十一歳で復員、すでに両親は世になく、焼跡闇市をほっつき歩いて、半端稼ぎに糊口《ここう》しのぐうち、昭和三十二年、売防法の施行を前にして、トルコに転業した女郎屋の、ボイラーマンになりました」
そこで草分け氏は、トルコ嬢の行うスペシャルサービスを知り、この頃は、お上の眼をはばかって本番は行われず、もっぱら単純な指技のみ、そして女たちはよく、「どうやればよくなるの、教えてくれない?」冗談まじりに草分け氏にたずね、この頃もとよりサービスの指導者などいない。トルコ嬢の一人とわりない仲になって、商売の実験台をつとめるうち、草分け氏はふと、母の姿を思い出し、そして使命感に目覚めた。「男をして立たしめ、快楽を与える。まあ、お金はいただくにしろ、女の方はいっさい楽しまないのですから、母の愛に近い無償の行為と、私は思ったのです」ついに不能のままみまかった父と、客の姿が重なり、指技にいそしむトルコ嬢のすべてが、母に見えた。
「特別な知識があるわけじゃありませんが、私は研究しました、これは苦痛でしたなあ、一晩に十回近くも、射精するのですから」まだ若かったし、二回三回は、指でも果し得たが、五回目になれば、唇にふくんでもらっても、なえたまま。「くすぐったいやら痛いやら、死ぬ思いでしたが、女に命じて、さまざまな刺戟を試みさせたのです。クインビーもこの時の発見です」これは、ペニスに蜜をぬり、舌でなめとらせる技術、またまつげばきなる奥義は、つけまつげでペニスを愛撫するもの、「これは極め付きといっていいですな。たいていの不能者も大丈夫です」草分け氏の彼女は、客にこの研究の成果ほどこして、ヨシワラのヒトミちゃんといえば、三十年代前半、斯道にひびいた名前だったという。
「私はあたらしい性の文化を築くつもりでした。いわゆる性行為とは異なる、生殖にむすびつかない営み、女の一方的奉仕により、男を満足させるというのは、世界でもはじめてではないか、これぞ新生日本のセックス、やがては世界に広めたいと考えました。まったく愚か者でしたなあ」ヒトミちゃんの人気に経営者おどろいて、秘訣をたずね、これより草分け氏が正式に登場、おどろいたことに、新宿池袋渋谷など、盛り場に建てられたトルコ風呂では、すでに同業が活躍していたという。「私は体を張ってやりました。自分の精液のつづく限り、トルコ嬢のトレーナーをつとめたのです。噂をきき伝えて、他の店からも招かれ、さすがに生身ではとてもこなせないから、張り形など使用して教えました。泡踊りやボディタワシなど、他人の発明した技術も導入、さらに発展させました」
大体、一つの技術を完成させると、半年は食えるという。お客は常に新機軸を求めていたから、常住坐臥このことばかり考え、ヒマさえあるとペニスにながめ入り、二、三年前まで、世のため人のためと信じて疑わなかったのだ。「しかし、セックスはやはりどう金がからむにしろ、男女双方力を合せてやるべきものです。最近、ママコンプレックスの青年が増えているといいますが、セックスにおいても、まるで母親にすべてまかせっきりのような、現在のトルコにたよっていれば、ついに日本を背負って立つ如き人材の、あらわれるはずはない」
「まあ、そう考えられないでもありませんが、ママコンプレックスだらけになればなったで、しかたないことでしょう。それよりもあなたの折角研究した成果を、このまま埋もれさせるのも、もったいないですな。私のところへ来る患者にも、インポテンツが多いんですが、ひとつ役立ててみては」仁太、なぐさめたが、草分け氏悲しそうに首をふり、「本当のインポにはやはり効かないのです。私、これも職業病でしょうか、一年前から駄目になりまして。これはアメリカの陰謀に加担した報いでしょう。先生、なんとかトルコ撲滅のために、一刻も早いキャンペーンをおねがいします」結局、草分け氏は、自分の不能について、ある納得を得たいため、こんな妄想を思い描くのだろう。あるいは、自分が愉しめなくなったから、癪にさわってトルコの消滅をねがうのかも知れぬ。
すべてしゃべり終え、いくらか気も済んだらしく、草分け氏、あれこれ技術の手ほどきをし、現在もっともはやっているのは、SMゴッコで、トルコ嬢にけとばされたり、小便ひっかけられることをのぞむ客が多く、他人の体の上で用を足すのも技術の一つ、なかなか出ないそうだし、出したとたんに興奮した客に抱きつかれ、わが小水ながら、余り気持のいいものではなく、いろいろ苦労は多いらしい。「しかし、私もセックスカウンセラーの末席を汚しているのですから、トルコの実態くらい心得ておかねばなりませんなあ」「そうです、私、及ばずながら協力いたします、只今は、船橋、川崎がおもしろいようですが、私の息のかかった連中なら、まずたいていのサービスはいたします。先生、是非おたしかめ下さい、日本青年睾丸抜かれの現実を」確かに、トルコでのサービスに慣れてしまうと、結婚してから、通常の営みに不満を感じることはあるだろう。まさか新婚早々からまつげばきや、リリーオブザヒルズを、妻に強制することもできないし、妻には何の快感もないのだ。
「トルコ嬢は、やはり結婚がのぞみのわけですか」「そりゃそうですね」「その場合、どうなるんでしょう、亭主に習いおぼえた技術でサービスすることは」「絶対ありません。大体、恋人というか、気に入った客にはしかけ難いものらしいです。やはり本番がよろしいんですなあ」一日に、六人七人もの客をこなせば、肩がこり、それ以上に欲求不満が昂じて、誰でもいいから、とにかく抱かれたいとねがうものだと、草分け氏説明した。「そこで、ヒモにとりつかれてしまいます。トルコの女に気に入られようと思ったら、前戯もくそもない、ひたすらやるだけでよろしい」トルコ嬢と女学生では、天地雲泥の隔たりがあるようだけど、おかれている環境は似たようなものかも知れない。
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指 道
仁太は、川崎市堀の内一帯のトルコヘ、草分け氏に案内されて出かけ、この業界の指導者たち、それぞれ一派の名乗りをこそ公けにしていないが、仕組は家元制度に、似てないでもない。つまり、各指導者は四、五軒から十軒の店を受け持って、自らの開発した、汗と精液の結晶ともいうべき新技術を、トルコ嬢に伝授するわけだが、これを直弟子とすると、この直弟子が、他の店に住み替えして、あたらしい仲間に、自分のテクニックを教えてやることがある。こういった関係がくりかえされると、草分け氏の技術は、本人の想像以上に、広く伝播するもので、しかも、直弟子は、仲間に教えてしまうと、自分の売物がなくなるから、授業料を払って、草分け氏に、新手の指導を乞うのだ。「店で教える以外に、百人近くいますよ、弟子が。こういうコはみな熱心でしてね、なにしろ生花や茶の湯とことなり、生活に結びついていますからな」本場はやはり東京だから、都落ちした連中が、まず教えて、日本中のトルコ風呂は、指導者別にはっきり色分けされている。草分け氏の場合、バンコックにまで伝わっているらしい。「近頃、タイ国での日本の評判はたいへんわるいようですが、例外は日本式トルコ風呂でして。いわば日タイ親善の役割を果しているのです」草分け氏、しごく真面目にいう。
しごく馬鹿馬鹿しいことにまで、秘伝や奥義がつきまとうお国柄なのだから、やがては草分け氏の名をかぶせた流派が確立し、トルコ嬢の名札に、肩書として記されるかも知れぬ。やはりこれは「指道」とでもいえばいいのか、だがまた考えれば、剣道だって、本当に抜き身をふりまわし、斬ったり突いたりしていた戦国時代には、誰も「道」などといわなかった。泰平の世にいたり、特に袋《ふくろ》竹刀《じない》を用いだしてから、うるさくなったので、実用性がうすれると、形やら心やらうるさくいいはじめるのだ。「しかし、花を生けるんじゃありませんからねえ、実際に、お客をいい気持にさせなきゃはじまらない。いくらタオルさばき、、乳液のふりかけ方、あるいは指づかいがしなやかでも、それでは満足しませんよ」草分け氏、不服そうにいう。
「もちろん、お客にもふさわしい心得が必要ですね、客道というか、根道とでも申しますか、第一、『道』になるためには、家庭に入らなければなりませんなあ」「そりゃ無理でしょう」「いや、柔道だって、はじめは殺伐な殺し技だったんです。嘉納治五郎が、流派を統一し、青少年の心身鍛練のため、ふさわしいスポーツとしたからこそ、普及した」「もっとも、だからまた、柔よく剛を制す術は封じられて、体のでかいのが勝つという、当り前の格闘技になっちゃったけど」「確かに流派は多いんですよ、指導者たちは皆一匹狼で、お互いに技術を秘密にしてますしね」「誰か一人の、トルコ界の嘉納治五郎が出ればいいんです。そして、トルコの技術は決して、淫靡なものではない、男性の性感帯開発という、まず性史上はじめてあらわれた時代の先駆者、その技術を習得すれば、家庭円満夫婦和合間違いなしと、うたえばいい」「そりゃ間違いないです、なにしろ今の女房族は怠慢ですからねえ、亭主にサービスさせるのが当然だと思っている。自分からしかけるったって、せいぜいフェラチオでしょう、あれだってまあその下手なこと、喉につまらせてみたり、歯を当てちゃったり。少しコツをのみこめば、亭主もよろこぶんですがねえ」「その通り、ヴァン・デ・ヴェルデ以後、女性の性感帯について、いろいろ知識は普及した、そして、女性のオルガスムスは、女性解放に欠くべからざる如き、考え方が一般的になっている。ひきかえ、男はどうなったか。まるで奴隷ですねえ、女房の欲望もてあまして、いずれさまも塗炭の苦しみ、しかも誰もこの片手落ちについていわぬ。じっと耐えているだけです。いやあ、現在、トルコがこれだけ流行《はや》っているということは、自然の摂理かも知れませんなあ」
仁太は、これまでトルコに対して、いわれなき偏見をいだいていたような気がする。一夫一婦制度の欠陥を、トルコが補っているのではないか。「避妊の知識は教えても、男を愉しませることについては、なおざりのまま。いや、時に枝葉末節のことを解説しているけれども、誰も心を教えないから、単にその場限りのこと。いったい花嫁の誰が、男の性感帯についての心得を持っているのか、男の悲願を知っているのか」目ざすトルコに着いたものの、直弟子嬢に客がついていて、さすが草分け氏は顔が利き、応接間に通される。仁太は考えるうち、トルコの技術こそが、いわば不能不感的状態におち入っている現代男性をすくう道ではないかと思い、「あなたのトルコで本番は邪道という説は正しい、実に暗示的だなあ。女が産まないセックスを主張するのなら、男は挿入しない性をいって当然のことです」「できるかどうか分りませんが、私が、自分の創り出したテクニックを、文章に書いてみましょうか」草分け氏も、仁太の昂ぶりにつられて、なにやら意気ごみ、そこへ、お目当ての理恵嬢があらわれた。
嬢とはいうものの、すでに三十過ぎ、「あら先生、どうなさったの」なつかしそうにいって、確かに久しぶりに再会した師弟にふさわしい甘えと尊敬の色合いが、理恵嬢の表情にうかがえる。「あんたのテクニックを、一つ試してみたいとおっしゃってね」紹介が済むと、すぐに草分け氏本題を切り出したから、仁太あわてて、「いや、お話を伺わせていただければいいんですよ、もちろん、その分の謝礼はいたします」「話だけでいいんですか?」「まあ、私も専門家ですから、耳できけばおよそのことは」「じゃ、何からやりますかな」草分け氏、愛《いと》しそうに理恵嬢をながめ、仁太がトルコの技術について、賞めたてたから、いくらか心落着いたらしく、カウンセリング求めて来た時のような、躁状態はおさまっていた。
「それよりも、何ていうかな、一日のスケジュールを教えてくれませんか、何時に起きて、何を食べるといったような」「どこかへ発表するんですか」理恵嬢、顔をしかめていい、一度、週刊誌に実名入りで書かれ、宣伝にはなったが、警察ににらまれ迷惑したという。「大丈夫です、秘密は守ります」「そんならいいけど、起きるのは二時頃かしら、夜がおそいもんねえ」「この店はいちおう十一時で客の入店を断りますけどね、どうしたって、一時過ぎにはなるねえ」草分け氏も口を添え、「掃除して、御飯食べると、まあ三時よね、アパートヘ帰るのが」「あの、結婚なさっているんですか」「してないわよ。亭主持ちにできることじゃないもん」まさか、ヒモがいるかとたずねもならず、こうきいたのだが、理恵嬢、いかにも馬鹿馬鹿しいといった口調でこたえ、「彼女、身持ちは固いんですよ、大体ここのコはみなそうだねえ」「まあ、居る人もいるけどね」「ベテランになると、しっかりしてますよ」「じゃ、恋人もいない?」「トルコで働いててさあ、この年でしょう。おいしいこといって来る奴は、下心あるにきまってるじゃない」
「あなたは、本番といいますか、そういうのはなさらないんでしょ」「規則だもんね」そっけなくいい、「しかし、こう男に抱かれたいというような気持は」「なくなったわ、それに私には、レオがいるし」「レオ?」「コリーの犬よ、でも変なこと想像しないでよ。子供みたいにかわいがってるの。レオと一緒に遊んでる時がいちばん楽しいわね。忠実だし。あのね、犬が眼をまわすって知ってる?」レオの話になったとたん、理恵嬢いきいきとし、「一緒にお風呂に入るでしょ、毛が長いから熱がこもっちゃうのね、すぐ湯気に当ってノビちゃうのよ、水かけたりたいへん。はじめ死んじゃったかと思ってね、おいおい泣いちゃった」「でも、アパートでいいんですか、犬なんか飼って」「お店に勤めてる仲間と一緒にアパートまるごと借りてるの、それで一部屋を、犬専用につくりかえてね、外出する時はここへ入れとくのよ」「みんな飼ってるわけ」「そう、かわいいわよ、ちゃんと私の足音きき分けて、ドアのところに待ってるもん」
犬と遊ぶ他は、深夜放送をきき、本を読む、客以外の男とまったく接触はないらしい。いちばん怖いのは、警察だそうで、だがその理由は、「留置場へ入るとくさい飯を食べさせられるんでしょ、考えただけでぞっとする」文字通り、腐った御飯と解釈しているらしいのだ。「どういう客がいちばんいいんですか、モテるっていうか」仁太がたずねると、理恵嬢、ふと真顔になり、「トルコでは、モテる客、モテない客ってないわね、どんな男も一緒よ、パッパッパァよ」掌を開閉してみせる。「でもうまくいったと、満足できるようなことは」「そりゃあるわよ、時々、すごく酔っててね、駄目なお客がいるの、そういうのをだましだまし、しゃんとさせてね、いかせた時は、やっぱりね」「逆のことは?」「余りないみたい、若い人なんか、にぎっただけで済んじゃうでしょ、気の毒だから、もう一度したげるの。そうねぇ、私たちの生甲斐っていったら、グニャチンをしゃっきりさせることにあるみたい」
煙草くゆらせつつ、理恵嬢うなずいていう。「その意味ではナイチンゲールも同じことだよなあ」草分け氏も、思い入れたっぷりにつぶやく。「こちらの先生は、あんた達の技術を、もっとこう全国の女性に普及したいと考えておられるのだ」「そんなことしたら、こっちは食い上げじゃない」「いやいや、なんというか、師匠になって、技術指導料をとればよろしい、ねえ先生」草分け氏、もう決ったことの如く、仁太にいいかける。
「駄目よ、お客さんの中には、奥さんにやらせてみる人もいるわよ。でも、無理なんだって。そりゃそうよねえ、奥さんは、べつに生活がかかってないもん」「確かに女房族はもう度しがたいだろうけど、未婚の女性ならいいんじゃないかな」「未婚の人に、教えるの? トルコ教室とかいって」「まあ、すぐにはそこまでいかないにしても、たとえば、ぼくが、女学生を何人か連れて来たら、あなた教えてくれますか?」
「女学生?」理恵嬢と草分け氏、異口同音にいい、「制服のトルコですか」「制服はともかく、ぼくは、女学生と、トルコさんは非常によく似ている、いや、性の裏表といった関係にあるように思います」「つまり、清純とすれっからしってこと?」理恵嬢、べつにひがんだ風でもなくたずねる。「そうではなくて、何というか、精神的に、女学生はたいへん猥褻なわけです。これはつまり男をよく知らないから、いや、もちろん近頃は制服の処女といっても、売春する連中までいるんですから、一概にいえないけど、この場合、ヴァージンということにしときましょう。性的好奇心にみちみちて、男の性のことばかり考えています、肉体的には清純でも、気持は逆です」
そこへいくとトルコ嬢は、男の性の本質を知っている、しかも自分は参加しないのだから、しごく冷静に見きわめて、もはや悟りの境地に達している。「確かに行為としては、猥褻なことをなさっている、しかし、精神は、修行を積んだ禅僧の如く、清らかなのです」「清らかっていうより、あきらめてるわねえ、恋とか愛とかいったって、結局は、パッパッパァだもん」「大した境地ですよ。あなたがたは、この世でもっとも高貴な魂を所有する女性といっていい。ぼくの考えるところ、この両者の結合だけが、男性を救う道のように思えます」
べつにはっきり確信があって、しゃべったわけではないが、口からとび出る言葉によって、逆に自分の中でもやもやしていた考えがまとまりかけ、「つまり、今の女性に対し、男はまったく絶望している。これは何も女だけの罪とはいえない、男と女と、互いに影響しあいながら、今日の如く、救いのない状態に追いこまれたわけですが、しかし、現実にインポテンツが増え、おかしな変態があらわれていることは、すなわち男性の悲鳴といえましょう。そりゃ、だからこそ、私のような商売も繁昌するし、また、人は好き好きで、変態インポの何がわるいといわれれば、それも一理ある。でも、男がそうなりゃ、困るのは女性です。インポはインポなりに楽しみを見出せるでしょうけど、インポの妻はどうにもならない。こういう事態となった第一の原因は、世の中に、猥褻性がうすれたからなのだ、戦後民主主義は、猥褻を駆逐してしまった」
「確かに、ポルノの取締りなんか、ナンセンスですねえ」草分け氏、うなずいたが、仁太はけんもほろろに、「私のいっている猥褻というのは、そんな法律的なことではありません。刑法百七十五条など、関係はないのです。男をふるい立たしめる要因といいましょうか、あるいは女性を幸せにする絶対条件といえばいいか」西欧諸国においては、つとにこのことに気づいて、あれこれ手を打っている、北欧のフリーセックスも、このあらわれに過ぎない、一夫一婦制のもつ非人間性を、なんとかカバーしたいと考え、ワイフスワッピング、あるいは乱交パーティーが行われているのだ。
「しかし、こんなものは一時しのぎにしか過ぎないでしょう、くりかえすうちに猥褻性はうすれてしまいます。常に新しい猥褻をつくり出していくためには、そもそも教育から考え直さなければならない。真の教育というものは、人間についての深い認識でしょう、こういった教養が身にそなわっていれば、夫婦それぞれ、性をより輝かしくするための努力、個性的な猥褻状況を成立せしめるべく工夫をこらす。この教育こそ性教育というべきなので、避妊の知識などくそくらえです。教育という以上、それは学問でなければならない、人間の精神面にかかずらわなければいけないのに、現在の性学は、技術だけです」
「で、あたいたちは何をすればいいの?」キョトンとして、仁太の弁舌を、きくというよりながめていた理恵嬢がたずねる。「やがては、各女学校でトルコが必須課目になるでしょう。巷《ちまた》のいたるところに、丁度、今の料理学校の如く、トルコスクールが看板を上げるし、TVもそのための番組をつくる。決して夢ではありませんよ。料理だって、原始時代には、味やとりあわせは関係なかったのです。獲物が手に入った時、とにかく食っておかなければならない。しかし、だんだんゆとりが生じて、やれ甘いの辛いのと、文句いいはじめた。うまいものでなければ、食べなくなったし、そのために調理法が発達したわけです。セックスだって同じこと、猥褻という味つけを必要としている」「そうなると、私なども名士になるわけですねえ、参議院くらいには出られるかなあ」草分け氏、また躁狂状態におち入ったらしく、「いや、一生懸命研究いたします、こりゃ早く新案特許を申請しておく必要がありますねえ」そわそわと歩きまわる。
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無垢な猥雑
「無垢な猥雑」といえば、なにやら純文学の題名みたいだが、女学生とミストルコは、共にそういった存在で、産みかつ育てるという実用一点張りの女房族とは、まったく正反対の立場にいる。古代、神に仕える巫女は、娼婦の役をかねていたり、あるいは処女であったというのも、この二つが、男性の憧れの対象だったからだろう。女房との営みは、しごく散文的で、また具体的行為であるのに、ミストルコの、性感探求作業は、しごく即物的でありながら、実は男の観念に働きかけ、女学生も同じく、猥褻という一つの、概念そのものなのだ。成熟した体を包むセーラー服は、まず、若い尼僧の黒衣に匹敵する。
「この、お互いにまったく結びつきにくいものを、合致させることができれば、多分、現在不能におち入っている男性を、救うことができる。そして将来、インポテンツはますます増えるにちがいないのだから、人類のためにも、必須の存在なのだ」四谷のマンションで、仁太が助教授に説明すると、「インポテンツが増えることは、何も憂うべき事態ではないなあ、むしろ世界平和のためだろう」人口の増加が、戦争をひき起すのだから、むしろ歓迎するべきで、もし、本当にインポが増えているのなら、これも人類の、生物的知恵からかも知れぬ。「それはどうかな、きっと人工受精で、補うだろう」「いいじゃないか、現代のような世の中で、なお雄々しくふるまえる男は、つまり強者なんだ。インポすなわち弱者は淘汰されるわけで、生物的必然といっていいだろう。そうか、あしき平等主義に毒されていた人類も、今ようやく目覚めたわけだ」助教授、急に興奮しはじめる。「文明という奴は、人類の本能を磨滅させ、やがては滅亡をもたらすと考えられていたんだが、一方で文明はインポをつくり出した、これで丁度、釣り合いがとれるわけだ、そうだろ」「しかし、インポが必ずしも劣等な人間とは限っていない、むしろインテリに多いんだし」「インテリ、文化人などくそくらえだよ、インポすなわち劣等人間なんだ、そんな連中の救済を考えるなど、公害企業、死の商人と何らことなることはない」
そういわれれば、仁太もうなずかざるを得ない。生殖と結びつかない性行為、いわゆる変態が増えているのも、しごく結構なことで、ポルノを解禁させ、性的リビドーをうすめることだって、長い目で見ると、むしろ人類を長持ちさせるための、知恵かも知れぬ。
性的タブーをさまざまにもうけ、欲望の発散を押さえれば、男はやみくもに放ちたくなる。戦争の好きな民族に限って、性的タブーを沢山持っているのは、これにより子供、すなわち消耗品としての兵士を、沢山準備しなければならないからだろう。タブーを解き放つと、性は遊びになってしまい、男のリビドーは低下、インポが増える。インポテンツが兵士に向かないことは当然だし、また、兵士を生産することもない。動物的能力の強い者だけが、それでも頑張るだろうが、その子孫は、遺伝的にみて、知的労働より、肉体的な面ですぐれているはず、当然、文明は退化し、地球上の空気は清浄になる、まったくねがったりかなったりといっていいのだ。
「じゃ、全地球的に考えることはよして、個人的な好みの問題にしぼろう」仁太、急に調子を落し、「若い連中が、どうなろうと知ったことではないさ。もう子供を産ませる力もない四十男、つまりわれわれの楽しみとしてだな、これは考えられてもいいと思う。お前だって、女学生と話をした後、少しはふるい立ったろう」「そりゃそうだ、あの声を耳にするだけで生命がのびるなあ」お寺まいりの婆さんのようなことを、助教授がいい、「両者を合致させるというのは、つまり、セーラー服の女に、スペシャルをやらせるのか」「そんな発想は古すぎる、玉の井だよ」そこまでさかのぼらなくても、コールガールの中にセーラー服を用意しているのがいる。「俺にも分らないんだが、この両者をいっぺん会わせてみたらどうなるかと思うんだなあ」「雑誌の見出し風にいうと、セーラー服VSミストルコってわけか」「女学生は、男の生理について、まったく無知なわけだ。この点ミストルコは知りつくしている。しかしまた、ミストルコの思いも及ばぬ、猥褻な発想を、セーラー服がして、ミストルコをたじたじとさせるかも知れぬ、これはおもしろいよ」
「おもしろいって、俺たちははたできいてるわけか」「たとえば、あんたのところの、学生にたのんで、またモーテルを借りるのさ、のぞき窓のついてる」「ふーん、誰が司会をする」「俺の知っている、トルコ風呂で指技を教えている男がいい。少し躁狂の気味があってね、おだてるとなんだってやっちゃうんだから」「しかしなあ、女学生というのは、お前のいう通り、具体的に何も知らないからいいんだろう、うっかり心得ちまったら虻蜂とらずじゃないか」「そうなりゃそれでもいたしかたないさ。どうせ、女学生といっても、すぐ恋人ができて、ごく当り前の女になってしまう。とにかく、この両者の対決がいかなることに相成るか、実験してみることだよ」
仁太は、草分け氏に連絡し、ミストルコの中でも、指技に秀で、男のツボ心得つくした者五名を集めてもらい、助教授は、郊外の名門校生徒、ポルノ映画を観たいといっていた女学生を誘い、草分け氏は、仁太の説明をきいて、すっかり家元気取り、「腕によりをかけてお教えいたしましょう、やはり黒板なども準備した方がよろしいと思います、口だけではやはりねえ」あれこれプランを思い描く様子だった。
また、仁太は自分の患者にも、声をかけ、獣姦の画家や、女房性早漏者に、くわしい事情は打ち明けず、「一種の、のぞきなんですが、少しは役に立つと思います」とだけいったのに、「のぞき」の一語にすっかり上ずって、そわそわと参加したい旨をつげ、さて、晩秋の日曜の午後、一度にくりこんでは目立つから、三々五々モーテルヘ集り、女学生いずれも私服だったが、セーラー服も持参させていた。
助教授は、「ポルノなんかより、トルコ風呂のお姉さんに話をきいてごらんよ、そりゃおもしろいから」何気ないふりでいったところ、なんと女学生は、トルコの何たるかをよく知らないのだ。「むし風呂へ入って、女の人に体を洗ってもらうんでしょう」あどけなくいわれて、助教授はあわててしまい、「それだけじゃないさ」「するとヤルの? ナニを」今度はあけすけに女学生がたずねる、「いや、やるわけでもない、要するに、男の愉しむ場所なんだなあ」「本当におもしろい?」「おもしろいだけじゃない、参考になる」「日曜日ねえ、丁度試験の終ったところだし、いってみるか」お互い顔を合わせ、「パンダ見にいくつもりだったんだけどなあ」一人がつぶやくと、「馬鹿みたい、パンダよりトルコの方がいいわよねえ」助教授たずねられて、ウームと口ごもった。
草分け氏はまた、仁太の言葉通り、ミストルコに告げたらしく、「はじめ半信半疑でしたが、先日の理恵って女がね、うまく説明してくれまして、みな納得したようでした。もっとも、近頃の女学生はみな凄いから、怖ろしいなんていってましたが、近頃話題の、番長なんて手合いじゃないんでしょうな」「とんでもない、みんなれっきとした良家の子女です。これは保証します。そして多分、処女のはずです」「はあ、処女に教えるわけですか。これは張り合いがありますなあ、指道普及の第一歩というわけですか。記念すべき日です、菊の香かおる秋の佳き日」なにやら、仲人の如き台辞をつぶやいた。
「まあ、ぼくたちが、そばにいては、ききにくいだろうから、遠慮します。今日紹介するお姉さんがたは、長年トルコ風呂で、何というか男性の裏も表もきわめつくした、いわば先輩、女の鑑《かがみ》といっていい方たちです。これからあなた方が教わることは、お茶やお花のような空虚な技ではない、赤裸々な男の実態、そして、実用の役に立つ知識です」いずれもモーテルになどはじめて足ふみ入れるのだから、興味津々、部屋をくまなく検分して、べつにものおじしない女学生たちに、助教授が説明、「これは勉強だから、やはり学校と同じくセーラー服に着かえて下さい」真面目にいう。
少しおくれて、けばけばしい身なりのミストルコ御一行があらわれ、こちらはモーテルにもなれているらしく、設備について批評し、TVをつけ、冷蔵庫からいちはやくジュースをとり出す。「ええ、私、紹介させていただきます」黒のダブルに威儀を正した草分け氏、セーラー服にうやうやしく一礼したから、「いや、そう固苦しくならないで、まあ適当にすわっていただきますか」女学生に、ソファーと椅子をあてがい、「お姉さんがたは、ベッドの上で楽にして下さい」助教授、てきぱきととりしきり、「では、いちおう講義は二時間として、後ほどお寿司をとどけます。ビールはいかがですか?」ミストルコにたずねたが、いずれも首をふり、「どうぞ気をおつかいにならないで、これは遊び半分とちがいますし」草分け氏、あくまで真面目だった。
「はじめまして、私、トルコ風呂において、指道の研究に当っております者で、本日は皆様のようなお若い方とお目にかかれ、また、日頃|研鑽《けんさん》の成果を、お教えする機会をたまわり、まことに光栄と思っております」草分け氏、荘重な口調でしゃべったが、「指道って何ですか」女学生にたずねられて、たちまち口ごもる、「つまりこのことよ」ミストルコの一人、指で輪をつくり、上下に動かしてみせ、「男を極楽に昇天させるのよ」かなり挑戦的な感じだった。
「妙なものですな、この組合せは」女房性早漏が、ごく当り前のことをつぶやき、のぞき窓には仁太たち六人が、息をひそめて成り行きを見守る。「昇天てなによ?」女学生も、ミストルコの口ぶりに反撥を感じたのだろう、語気鋭くたずね、「いかせることに決ってるじゃないの」「まだ分るわけないわねえ、子供だもん」「先生、罪じゃないの、こんな餓鬼に、あたいたちの技術教えるって、第一、見当もつかないわよ」ミストルコたち、口々にしゃべりはじめた。「分らないかも知れないけど、教えて下さい」女学生の一人、しおらしくいい、べつの者は、「失礼しちゃうわねえ、餓鬼だなんて、もう大人デース」「まあまあ、そう急に話を運んでも無理だから、小父さんが解説しましょう。みなさんは、どうして、男性がトルコ風呂へ遊びに来るか、考えたことがありますか?」草分け氏、猫撫声を出し、「むし風呂に入るんじゃないの?」「それもありますが、何といいますか、奥さんや、あるいは恋人によってはかなえられない、男の夢が、ここで充たされるからなのです」とたんにミストルコたち、けらけら笑い出し、「あんたたち、男の性感帯って知ってる?」理恵嬢が、一膝のり出す。
「なにも男根だけじゃないのよ」直接的な表現がとび出し、女学生いっせいにうつむいたが、「睾丸、肛門、胸、耳、内股、足の指、うなじ、腕のつけ根、女のいいところは、男だって感じるのよ」さらに嵩《かさ》にかかっていう。「分る?」「分りません、その男根というのも見たことないし」女学生がいい、「あら私パパのは見たけど」「立ってるところ?」「まさか」キャーッとセーラー服、笑いころげて、理恵嬢しらけた表情。「すいませんけど、男根から教えていただけませんでしょうか」「では、図解いたします」あくまで真面目な草分け氏、紙をとり出し、マジックで下手な男根図を描いた。
「何色してるんですかあ」「そりゃ、いろんな色ですねえ」ミストルコにたずね、「一黒二赤三紫っていうわね」「へぇ、カラフルなんですねえ」「あのう、立つってどうなるのかしら」「面倒くさいわねえ、先生見せたげたら?」「いや、ぼくは今日は、まだそこまでするつもりはないので、とりあえず図でまいりましょう」草分け氏、うろたえ、「立つというのは、海綿体に血液が充満して、このように」腕を曲げて、上下させる。
「なんだあ、あんなことなら俺にもできるよ」画家が、うらやましそうにいう、「臨床実験するんなら、俺、モデルになるけどねえ」助教授がもぞもぞ体うごかしながらつぶやき、今のところは、どうも両者うまくかみ合わぬ様子だった。
「私、よく分らないんですけど、トルコ風呂では、男性の性感帯を、なんていうのかな、刺戟するんですか」女学生がたずね、「そうですよ」草分け氏うなずくと、「どうしてですか」「どうしてって、いい気持だからよ」「男だけが?」「そうよ」「じゃ、お姉さんたちつまらなくないんですか。性行為というのは、男女両性が共に愉しむことで、男のみいい気持になるというのは、封建的な奉仕ではないでしょうか。女性もまた性的快楽において、十二分に満足してこそ、人格的にも社会的にも男女平等といえるので」「なにいってんのよ、そんなことは分ってるわよ、私だって高校の時、社会で習ったんだから」「そんな屁理屈ばかり女がこねるから、男が私たちのところへ来るのよ」「あの、妙なことをうかがいますけど、お姉さんたちの行為によって、男性は射精するのでしょうか」「もちろんよ」「どれくらい飛ぶんですか?」「何が?」「精液です」「そりゃ人によるわね、三メートルくらいの人もいりゃ、ぜんぜんって人もいるし」「そういう時、男の人はどんな顔をしてるもんなの?」「眼をつぶってるわ」「お姉さんがたは?」「こっちは何でもないもん」「あらそうかしら、けっこう愉しんでるんじゃない」「たまにはねぇ」ミストルコたちけらけらと笑い合う。
「つまり男性にサービスすることで、女性も愉しむわけですねえ」草分け氏がもっともらしくいい、「基本の技としましては、この男根の下側、縫い目のあたりを、やわらかあくなでなでする」「ナニには縫い目があるんですか」「似たような線があります。若い男性ですと、これだけで十分ですねえ」「それだって爪もあれば、舌を使うこともあるのよ、マニキュアを何のためにするか知ってる? 長くのばした爪は、男をひっかくためだけにあるんじゃないの」女学生たちようやく真剣にきき入り、自分の指先きをながめる者もいる。「まあ、このおしぼりでやってみましょうか」理恵嬢、おしぼりを男根風にまとめ、ハンドバッグの中からルーデサックとり出すと、器用にくるみ、「こっちが表とするわね、つまりこんな具合よ」爪でなで下げ、よくのびる舌をつかって、技巧を凝らす。「さあ、やってごらんなさい」理恵嬢、女学生の一人に、偽根をつきつけた。「こんな風ですか」しごく投げやりに、女学生、爪でひっかき、「無器用ねえ、あんた」「だって」「こうやるのよ」くりかえすうち、女学生の指、しなやかに動き、それはなんとも淫らなながめであった。仁太も昂ぶりを感じたが、それより、ミストルコたちが、女学生の操作になにやら刺戟を受けている様子で、腰をもじもじさせ、理恵に負けじと、各自がおしぼりを手に偽根をつくり、「こういうのもあるのよ」それぞれ得意の、秘術を披露しはじめたのだ。
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水 の 泡
ミストルコたち、おしぼり製偽根をうばいあって、あるいはのけぞりつつ、蛇の如く舌うごめかせ、また横にくわえ首をふる。草分け氏必死に押しとどめ、「実技はまだ早い、理論をまず説明してから」と、偽根とり上げようとするが、ラグビーのパスよろしく転々ミストルコの手を渡り、あげくは女学生がしっかと胸に抱きかかえた。キャアキャアとはしゃいだ声立てていても、皆、表情は真面目だし、なまじ草分け氏がとめ立てしたため、女学生は、大事な宝物手中にした如く、身がまえていて、「とにかく、まず図解からはじめましょう」草分け氏、FBI射撃訓練の的のような、人体図を書いてみせ、要所に印をつけるが、見向きもせぬ。
「大きさはこんなもんなの?」女学生の一人、今は、はっきり先輩に対する尊敬の念をこめてたずねれば、「ちいさいのは親指くらいのもあるし、大きいとなったら」「有名なのがいるのよ、口が裂けちゃいそうなの、ねえ」「そうそう、新丸子の板前ね」「口が裂けそうって?」女学生の質問に、ミストルコ、自らのにぎり拳《こぶし》を、口にあてがい、「こんな感じ」女学生たち、いい合わせた如く、口をぽかんと開けた。
「君たちねえ、こちらは未だ純真無垢の方なんだから、そう刺戟の強いことをいっちゃいけないよ、やはり基礎からお教えしないことには。そしてまた、トルコ風呂へやってくる男性の、やるせない気持についても」草分け氏、懸命に説くが、女学生たちも、実技の方がおもしろいらしく、「何か味がするんですかあ」ミストルコに質問をつづける。「味なんかしないわよ、よく洗っておくもん」「硬いの?」「硬いといっても、何ていえばいいかしら、やっぱり実物でなきゃねえ、温かいし」「そう、昂奮するにつれて熱くなってくるわね、最後はぶるぶるふるえるみたいになって」「よく分らないんだけど、男の人は寝てるんでしょ」「いろいろよ、立ったままが好きな人だっているし、坐って、後にのけぞった形でないと駄目な人も」
女学生たちも、やりとりに刺戟を受けているらしく、椅子の上でしきりに尻をもぞもぞさせ、つれてスカートがまくれ上り、ふともものあたりが、のぞき穴からながめられる。「見てごらんなさい、あのおしぼり、ねじ切っちゃいましたよ」誰の仕業か、たしかに偽根はくしゃくしゃになって、床の上にころがっている。
「先生、実験台におなんなさいよ」理恵が、草分け氏にいい、草分け氏とっくにその予感をいだいていたらしい。すっとび上って、「冗談じゃない、私などとても」「どうしてよ、実際にやらなきゃ駄目って、いつもいってるじゃないの」「私みたいな、その、使い古したものを、お嬢さんがたにお見せしては、将来のためによくないし」「あら、御立派よ」「それとも、トルコ娘を教えるならよくって、女学生にはさしさわりがあるっていうの。許しがたい差別だわ」「そうです、教えて下さい、先生」女学生、口々にいい、「センセイセンセイ、ソレハセンセーイ」と、唱い出す。
「いけません、あなた方にはふさわしい若い男性がいくらもいる。こんな中年の、くたびれきった男のものを相手にしても、参考にならない」「中年だからいいんじゃない。この子たちの相手ったら、せいぜい大学生でしょ。さわっただけでおしまいよ」理恵、きめつけるようにいい、「先生なら、何時間でももつじゃない」一人が、草分け氏の肩を押さえ、たちまちバッタのように残りがとりついて、「自分で脱ぐよ、自分で」草分け氏の悲鳴もものかは、上衣ズボンがはぎとられ、Yシャツが破られる、「どうする、助けなくていいかい」助教授、仁太にささやいたが、べつだんリンチされるわけでなし、もう少し事態の推移みきわめてからでも、おそくはない。
礼服の下は、赤と青の縞パンツで、「ふーん、やはりお洒落なものですなぁ」女房性早漏者がつぶやく。「では、私、実験台になります。これはいわば私の、終生かけて研究いたしました男性性感刺戟の奥義です。よくごらん下さい」草分け氏、悲壮な表情で、おずおずとパンツを脱ぐ。「出たあ」女学生の一人、すっとん狂な声張り上げ、いちおうおざなりに掌で顔をおおったが、ベッドに草分け氏が寝ると、すぐに立ち上って、のぞきこむ。
「元気がありませんなあ」画家がいい、たしかに草分け氏の鉄槌は、雌伏したままで、「ねえ、誰か乳液、持ってきたあ」「風呂場にあるんじゃない?」一人が探しに行き、「男性用ばかりよ、これでいいのかしら」四、五本の化粧水の瓶を、匂いかいだり、掌に受けたりしたあげく、「自前でやるか」理恵、乱暴な口調でいい、ペッと草分け氏の股間に、唾を吐く。「乱暴なもんだねえ」助教授、自分にひっかけられた如く、一瞬のけぞり、「いや、プロですな、やることが」画家は、感歎の態。
「じゃ、はじめます。礼」理恵、先日、草分け氏と仁太の話をきいていただけに、いかにも指道伝授のおもむき、一礼し、女学生もならう。「立たない時は、もみ洗いの要領、つまんでこねくる、左手は袋にそえて、きつくするといたいから、やさしくね、暗夜に霜の下りる如く」のぞき窓は、ベッドの枕を見下す位置にあるから、仁太たち、草分け氏の顔を目前にして、なにやら具合わるい。
「どうしたの先生、駄目じゃないの。しっかりしないと、指道がぶちこわしよ」「わかってる、もう少しだ」草分け氏、力のない声を出し、確かに、ここで立たなければ、長年の研鑽はすべて水の泡なのだ。「選手交替、まかしといてよ」べつのミストルコがしゃしゃり出て、おしぼりで股間清めると、顔を理めた。
「やったあ」また女学生が、声を上げ、しかしいずれも、ミストルコの首の動きに合わせ、かすかにうなずきをくりかえし、「オワヒイワヘ、ヘンヘエ、ヘフアッケヨ」ふくんだままミストルコが、かたわらの同輩にいい、心得て、胸のあたりを指先でさすりはじめる。「二輪車、三輪車というんでしょ、一人の客に二人、三人でかかることを」早漏者が知識を披露し、ミストルコは六人いるから、これは六輪車、しかし、いっこうふるい立たぬ様子なのだ。草分け氏の体は、ミストルコにおおい隠されて、表情しか見えず、その表情は、苦渋に満ちたものだった。
「先生、この子たちにも手伝ってもらうからさ、眼を開けなよ」理恵は、女学生に向い、「ぼさっとしてないで、エロをやんなよ」命じ、「エロってなんですか」「スカートをめくるとかさ、フレンチカンカン踊るとか」「できません、そんなこと」一人が断ったが、三人はいわれるまま、スカートをはらりとまくり上げ、西部劇の娼婦の如きポーズ、「ほら、先生見てごらん、女学生のストリップだよ」
しかし、草分け氏首をふり、かえってしっかと眼を閉じたまま。考えるまでもなく、指道の権威の意地だろう。男性をして雄々しくさせ、快美の極みに到達せしめるべき技術は、あくまで指及び舌によってなされるのだ、ここに視覚の力をかりるならば、草分け氏の存在理由はなくなってしまう。「やっぱり年なのかしら」足の方を受け持っていたミストルコが、うんざりとつぶやき、とたんに、みな作業をやめてしまい、まるで死体のような、草分け氏の、みすぼらしい裸が、またあらわとなった。「気の毒だよ、いい加減で助け舟を出してやりましょう」画家がいい、仁太も同感だった。指道普及の第一歩に挫折した草分け氏の心情を思えばかわいそうで、「ぜんぜん駄目なのね」「赤ちゃんのみたい」女学生たちのささやきを、きけば、なおその無念さがよく分るのだ。
「やあ、いかがでした」何食わぬ顔で、仁太たちが、部屋へ入ると、室内には異様な匂いが充ちていて、吐気をもよおしそうになり、しかし吐くゆとりはなかった。「丁度いいのが来たじゃない。私たちの技術を侮辱されてだまっちゃいられないわ」理恵が血相変えている。のぞき部屋からここまで、廊下を大まわりしなければならず、その間に女学生が、余計なことをいったらしいのだ。「そうよ、大したことないとは何よ、ねェ、おたくたち、ちょっと実験台になってみて」ミストルコいずれもまなじり決した感じでつめより、「え? 何のことだか」懸命に、とぼけつづけたが、相手はうむいわせぬ実力行使、仁太の背広をはぎにかかる。
「よせよ、俺、その気おこらない」助教授が抵抗したが、「起してあげるわよ、それくらいできなくって、どうするのさ」これはまた端的に、むんずとその股間ひっつかみ、「あひゃひゃ、乱暴するな」助教授、腰ひいたとたん、後からべつの一人が、引き倒す。仁太はなすままにまかせていた。眼の前に、興味津々といった表情の、可憐な女学生が、セーラー服姿でいる。そしてわが身には、斯界でも屈指のテクニシャンの愛撫が加えられるのだ。
これはまさに、考えられる限りの猥褻な状態ではないか、部屋にこもる匂いの元凶は女学生らしく、そのかたまったあたりから濃厚にただよってくる。すっと下半身が寒くなり、股間に、かつて覚えのないやさしい感触がふれた。「いいかい、よく見ておくんだよ。伊達や酔狂でトルコに勤めてんじゃないんだ。あんた達が何年大学へ通ったって、教えてはもらえない女の道なのさ、これが」理恵リンと声を張っていい、助教授他二名も、おとなしく横たわっているらしい。腋の下やうちももに、くすぐったい感触がはいずり、もちろん仁太の鉄槌にも、さまざまな圧力が加えられているのだが、好奇心のみ先き立つ感じで、もう一つぴんとこない。「おたく、好みがあるの?」たずねられたが、答えようなく、「さわってもいいんだよ」トルコ嬢の胸に指先き導かれて、感興のますわけでもない。三十五、六でしみの浮き出たその顔が、なまじ黄色い歯むき出し、媚びる風情を見せると、げんなりしてしまうのだ。
「やっぱり駄目じゃないの?」女学生から声がかかった、「馬鹿みたい」、さきほど、きつい言葉で、ミストルコにいわれたから、また挑戦的になっているらしく、きびしい台辞を吐く。「じゃあ、やってみなよ」「いやだあ、汚ならしい」「汚ない? 何が汚ないんだよ、手前たちだって、ここからひり出た一滴じゃないか、元はといえばよう」「そうかも知れないけど、さわるのはいやなのでーす」キャッキャッと笑い合う。
仁太もいささかミストルコに同情し、「じゃ、あなたがた、ぼくたちをしゃんとさせられるかい?」寝そべったまま、もうこうなれば、毒皿の心境。「できたら、何かごほうびくれる?」「ああ、パンダのぬいぐるみでも、レストランで御飯食べるんでも」「そんなのつまんない、ゲイバアヘ連れてってよ」「お安い御用だ」「よし、じゃあいっちょやるかぁ」「ファイト」「オゥ」威勢のいいかけ声がひびき、ベッドがきしむから、上眼づかいにながめると、トゥインの一つに四人が乗って、「サッサッサァ」「アリャサノサァ」はやし立てつつ、スカートをひらひらさせ、腰をくねりまわす。
白いパンティが、はっきりのぞけたしセーラー服の下の、肌着のしわが、たしかに猥褻な印象だったが、まけじとばかり指によりをかけて、サービスするミストルコの仕草が、邪魔になった。しかもこうおおっぴらでは、すぐ刺戟はうすれてしまい、セーラー服をまとったストリッパーの演技と大差ないし、そのケタケタ笑っている声も、耳ざわりなのだ。
「駄目かしら、これじゃ」「いっそやっちゃいなさいよ」一人がけしかけられてスカートを脱ぎ、仁太の顔にほうり投げる。「伴奏してよ」「OK」「パパパパパパッパパーン、パパパパパッパパーン」、二人がトランペットの音を真似、案外ものなれたポーズで、上衣を脱ぎ、ブラジャーをはずし、後向きとなって片手を上げる。「そんなもんで、立つんなら、苦労はないよ」ミストルコ、せせら笑い、今度は唇を寄せて来たのだが、仁太、ひたすら寒々とした感じで、さらに昂ぶりは起らない。
「残念ねえ、うまくいかなかった?」スリップ姿の女学生、あくまで遊びのつもりらしく、笑いながらのぞきこみ、「ずい分のびるもんなのね、ひっぱると」「ひっぱらしてえ」一人が、むんずとひっつかみ、「イテテ」仁太悲鳴を上げると、「あら痛いの?」「だから急所っていうんでしょ」「とれちゃったらえらいことね」ひとしきり騒ぎ立てる。「要するに、おたくたちはインポなのよ、それも真性にちがいないわ」理恵が、煙草ふかしつついい、男たちは、草分け氏もふくめ、どてんとひっくりかえったまま、身じろぎもせぬ。
「ねえ、お姉さんたち、女性の方はくわしくないの?」女学生が、うってかわったやさしい口調で、ミストルコにたずね、「そんなの自分で探せばいいじゃないか」「だって、よく分んないんだもん」「恋人が教えてくれるさ」「そうかなあ、私の彼、ぜんぜん知らないみたいだけど」女学生の一人が、あどけなくいうと、「たとえば、オッパイなんかこうやって」ミストルコの一人、女学生を横抱きにし、キァアと上げた悲鳴もかまわず、その胸を言葉とはうらはらにやさしく、もみはじめる。「アア」と、かなり切ないうめきが女学生の口からもれ、すると、ミストルコたち、苛立ちをしずめる恰好の手段みつけた如く、それぞれセーラー服にとりついて、さまざまに技巧をこらし、女学生たちまちうっとりと眼を閉じあられもない声音を吐き、身もだえしつつ、わが身をミストルコにすり寄せる。
裸のままの男五人、茫然とこの有様をながめ、互いに顔見合わせたが、表情に何の色もうかがえない。パンティがひらひらと、空間をとびかい、ミストルコと女学生抱き合ったまま、ベッドや床の上をころげまわり、まったく仁太たちは眼中にないらしい。
「トルコ風呂の女は、男にこりてますから、レズが多いんです」草分け氏、女たちの体をまたいで、縞のパンツを拾い上げる。仁太も同じくならったが、刺戟的なはずの、シロシロのながめにも、鉄槌はびくともゆるがない。「お前、えらい経験をさせてくれたなあ」助教授、陰気な口調でつぶやいた。「なにがミストルコとセーラー服だ、猥褻の二つの面を代表する存在だって。冗談じゃない」「まあ、できたことはしかたがない、ビールでも飲めよ」仁太も、ただがっくり疲れていた、そしてこの疲れは、生きているかぎりわが身にとりつきつづけるだろうという実感がしみじみあった。
「ちょっとごめんなさいよ、おみ足を少しこっちへ」女房性早漏者が、冷蔵庫の前の女二人に声をかけ、ビール瓶をとり出し、一同黙然と飲みながら、果てしなくうごめきつづけるトルコ娘と女学生の姿にながめ入る。「一夫一婦制ってのは、やっぱりいい制度なんですなあ」女房性早漏者、しみじみといい、仁太にも異存はなかった、かりそめの姿にしろ、雄々しくふるまえる相手は、もはや女房だけしかないと、よく分るのだ。
「まだいるの? インポは早く帰んなさいよ」理恵がさけび、男五人、部屋を出た。しんと静まりかえった日曜日の午後、誰一人しゃべるものはなく、ひたすら女房のもとへ、足をいそがせるのだ。アーア。
[#地付き]〈了〉
初出誌
「週刊文春」昭和四十七年四月十七日〜十二月二十五日号 連載
単行本
昭和四十八年十二月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 昭和五十六年二月二十五日刊