野坂昭如
てろてろ
糞便学者《スカトロジスト》ビン
ビンは、腰を上げると、ふりかえって、水中に横たわった大便二本をしげしげと観察し、今朝の色相硬度はHの4、長さ十二センチ、直径二センチ五ミリ。備えつけの紙に記入し、いつみてもこの姿は、静もりかえった印象で、あらたなる感銘を与え、流すのがおしいと思う。
かつてあまりの見事さに金魚鉢を求め、移しかえてしばしの眼の保養にと、ルイ王朝風飾り棚に置いたのだが、半日ともたずに、くずれ拡散して、つまり大便観賞のたのしみは、朝顔や、またある種の蘭サボテンの花と同じく、束《つか》の間《ま》のそのいのちめでるにこそと、心得てはいるのだが、水洗の紐《ひも》ひく時、常にあるためらいを感じた。
この三日ほど、ビンは、ヴァイオリンの音色のみを耳にし、これは現在、実験試みつつある便教の一つで、人間の情緒的生活の影響が、大便にどうあらわれるか、かりに胎教の効果を信じていいなら、同じく便にもいえるはずであり、ビンは、音楽絵画文学の手を変え品をかえ、自分の周辺にはべらせ、たしかにピアノとヴァイオリンでは、食事体調ほとんどことならないのに、色相に差を生じ、ピアノを耳にした時はBの1から3までが多く観察される。
BとHは鉛筆と同じく、ビンの、かりに分類上かぶせた符号であって、Bは軟、Hは硬を意味し、数字は色であって、数のすくない方が黄色、多ければ黒に近い。
もはや「大便」しか信ずるに足りるものはないと、ビンが思いつめてから二年余り、この間《かん》朝な夕な、便器をのぞきこみ、いい加減見あきていいはずなのだが、まさしく大便は、天才の造り出す作品にも似て、一つとして同じくりかえしはなく、しかも、その時々のビンの生活、それもかなり精神的な分野までを反映して、ビンはこれをながめることで、ようやく生きている自分を確認し得るのだ。
大便は人間の生理的営みの、残骸にしか過ぎぬと、もとよりわかってはいる。大便をわが鏡としてそこに自己の投影をみるなど、あるいは健康のバロメーターとしての効用はあるかもしれないが、その実用性を尊《たつと》ぶつもりもない。深酒に数日を過し、Bの8から9がつづいて、異様な臭気を発し、いかさま胃壁の荒れただれ、腸|蠕動《ぜんどう》のリズム狂っていると、推察できてもビンは、だからといって酒をひかえ、薬にたよったりはしない。それは大便を冒涜《ぼうとく》する行為に思えるのだ。
わずかに溜《た》まった水の上に、決して入りまじることなく、ドロリとぬかるんだ印象で、瘴気《しようき》吐き出す大便も、ビンそのものにちがいなく、いとしさにおいて、B4、H3のそれとかわりあるものではない。
便以外の何物を、人間は創り得るかと、開き直るほどの、気負いはなく、これが幼児期の特徴と知ってもいるのだが、また考えれば、便所に憩いを求め、ここに逃避したがるのは、ここが、男性的創造の場として最後の拠りどころであるからではないか。
女性は決して、便所に長くとどまろうとせず、むしろ不浄をいいたて、造花を飾りあやしげな香料ふりまく。これは自分の産み出した作品と直面する勇気がないためであろう。
ゆくゆくは、音楽会がひらかれ、絵の展覧会があるように、大便を各自持ち寄って、互いに色相や、形状、香りのぐあいを競い合い、もって、理想的な大便を選出し、これを表彰することなど、ビンは目論見《もくろみ》、だが何分にも保存方法に難点がある。
プラスティックを吹きつければ、不要な艶《つや》やかさが加わるし、また香りがそこなわれ、カラー写真で姿とどめるのは、しぶり腹のもどかしさで、なるべく溶解せぬようにと、水の代りに粘稠《ねんちゆう》な液体、たとえば蜜、胡麻油《ごまあぶら》に浸してみても結果は同じであった。
多分、食事の中に、成形剤を混入すればかなえられるのだろうが、これは一つまちがうと便秘になるおそれがあり、残るはただ、同好の士相集い、いっせいに作品をひねり出して、すぐお互いを観賞することしかない。
これでもかなり啓発されるはずであった。
ビンは、からくりのこわれた便所で流さずに放置された大便、せっぱつまって戸外の物陰になされた野糞《のぐそ》を、目にすることはあっても、知人のそれを見たことはなく、わがものにつき詳細なデータはあるが、他人と比較検討の機会はまずない。
そして、デパート、学校などに入りこみ、せめて排泄者《はいせつしや》と排泄物の関係さぐろうとしても、みなきわめて細心に始末して、しかも、ドアの外にたたずむビンをみると、いちように羞恥《しゆうち》の色をみせ、後ろぐらい印象で立ち去るのである。
犬は、自らの便に砂をかけ、これは敵に所在をしられないためといわれるが、人間にもそういった怯《おび》えが残っているのか、多分そうではなくて、自ら産み出した作品を、他人に見られるのがいやだからだろう。
本来ならば、いわゆる芸術作品も、自分以外の者の鑑賞にゆだねることは、かなり恥ずかしいことであるにちがいなく、それは、嘘いつわりのない自己の表出が作品にあらわれているからで、現在、いわゆる芸術家に、その羞恥のかけらもないことは、つまり、自己とかけはなれたものを産み出しているためだろう。
もう一度、大便にもどるべきではないか。
すべては大便からはじまることを、再確認した方がよくはないのか。
大便をみせるどころではない。表にビンのいることを、その靴音で感じとった排泄者は、顔合わせるのもきらい、たしかにズボンずり上げ、バンドしめた気配なのに、いっこう出ようとしない。
女性の場合はちがって、むしろ昂然《こうぜん》と胸を張り立ちあらわれ、女には作品意識及び、当然ともなううしろめたさが欠如しているのだ。
ビンは、大便とむきあう男の姿、あれこれ思い浮べるたび、ある連帯意識を感じ、いっぽうにおいて恥じらう男をいとしみつつ、また、もっと堂々と互いに開陳しあおうではないかと、呼びかけたくなる。
ビンの住まいは、麹町《こうじまち》三番町の高級アパート最上階にあって、職業は西洋|骨董品《こつとうひん》鑑定家ということになっている。
べつに専門的な学問おさめたわけではなく、祖父が華族のはしにつらなり、趣味で集めた西洋ガラクタにとりまかれ幼時を過したことが、身すぎ世すぎに役立っただけ。
近頃、けばけばしい住居おったてる成金たちの、インテリアコンサルタントといった形で、外国へ骨董の買い付けにもいけば、地方の旧家をまわり、土蔵にしまいこまれた舶来の道具を掘り出したり、自分のコレクションとしては、目につく限りの便器を集めているが、いずれにも病人用に、ただ機能性のみ重視したもの、また、くさいものにふた式下心のみがうかがわれて、現在、それほど熱を入れていない。
二十四歳、独身で女性とのつきあいは、時に、その大便観察するためにだけ、みじかい交情をもつ。
つけ加えておくと、女の大便は、もっぱら食事の質によってのみ変化をきたし、情緒的な影響があらわれることはまったくないのだ。
ビン自身が、大便と化した如くに、ペルシャ絨毯《じゆうたん》敷きつめた居間の中央、どっかととぐろまき、ヴァイオリンは中止にして、ビートルズのナンバーをボリュームいっぱいに満たし、ナンゼン、スコットなど極地探検家の記録に、排便の記録が欠如していることは、しばしばいわれるが、それ以外にも、古今東西偉人の大便がいかなる具合であったか、いっさい残されていないのは何故か。
ある種の陰謀のはたらいているかの如く、あらゆる伝記にその記述はみえず、孔孟《こうもう》の言葉にも、バイブルにさえ、大便についての卓見は披露《ひろう》されていない。
英雄は、大便に自らを託すよりさらに激しい生甲斐《いきがい》をもっていたからなのか、しかし、自己省察の権化ともいうべき哲人思想家がこれにふれず、せいぜい、スイフト、わが国において加藤芳郎くらいなのは、何故であろうか。
所かわれば習わしことなって、かなり奇怪な風俗もあるのに、大便を神に捧《ささ》げるしきたりはなく、また、洋の東西を問わず、大便は人をののしる表現に使われる。
消化器は、すなわち大便を創造の器官で、唾液《だえき》に食物のまぶされることにはじまり、胃、十二指腸、大腸、小腸、直腸、及び色相に関与する胆嚢《たんのう》、脂肪分解にかかわる膵臓《すいぞう》を含め、肛門《こうもん》にいたるまで、人間内臓のもっとも大きな部分をしめ、ミもフタもなくいってしまえば、人間は大便をつくり出す筒みたいなものではないか。不当にいやしめられている。
ビンとぐろほどいて思うには、情報化社会、完全管理社会、コンピューター支配の未来において、人間性保ち得るただ一つの方法は、大便の再認識にこそある。コンピューターにウンコができるか。
ウンコの人工的管理にまでは、いかな国家権力といえども介入し得ぬはず。ウンコに対し、どのような情報が作用するというのか。窓により立ち、高層建築の立ちならび、高架道路蛇の如く錯綜《さくそう》する街なみながめつつ、ぶつぶつとつぶやく。
「おい、なんか食うもんないか」不意に声がして、身の丈六尺二寸体重二十六貫の新吉がぬっと、ヒットラーの山荘にぶら下がっていたという因縁の、シャンデリアに頭ぶつけて突っ立ち、「また、パクられよったわ、禅介の奴、ほんましゃあない」
口ほどに閉口した風もなく、背の高い男に特有の猫背まるめて、
「なんか食うもんないか、腹減ってんねん」すぐ眼の前のロココ風戸棚に、やはりビンも一人暮し故、即席食品|罐詰《かんづめ》類、びっしりならんでいるのだが、ことさら眼をそむけるようにしてたずねる。
「酔っ払ったのか」「酔っ払ったなんかいう生易しいもんちゃうで。しかも相手がわるかってんな」「なぐられたのか」「なぐられて、蹴《け》とばされて、半殺しの眼ェおうたらしい」「相手は逃げたのか」「いや、べつに」「暴力団?」「いやあ、それやったら、訴えることもできるけど」まわりくどく新吉説明し、かたわら色艶しごくいいのだが、妙に皮のたるむというより余っている印象の頬を、ぴたぴた掌《て》でひっぱたき、「新宿で酒飲んでたらしいねんけど、急に裸になって店とび出してな」ここまでは禅介にとって、珍しいことではない。
いったい酒が強いのか弱いのか、いっぱいウイスキーを口に含むと、とたんに人がかわって、極端な酒乱となる。
いや、酒だけではなくて、薬物にもしごく敏感すぎるのだ。ほんの少々鎮静剤飲んだだけで、もはや、眼の前で殺人が行われようと、またダイヤモンドがころがっていようと、ひたすら冷静でいるし、睡眠薬にしろ、覚醒剤《かくせいざい》にしろ、効き目が常人の数十倍強くあらわれる。
だから、禅介の性癖知る者は、たとえ裸になろうと、二階からとび出しても、いっこうおどろかず、しかも、生来は丈夫で、運動神経発達しているのか、一糸まとわず酷寒の候に酔いつぶれて、風邪もひかぬし、高所から猫のように降り立つ。酒の入らぬ時は、しごくおとなしく、酒の上の行状きかされて、まるで覚えがないらしく、「冗談いっちゃいけないよ。俺はそもそもが高所恐怖症なんだぜ」ろくに飯を食べないから、痩《や》せこけ、青黄色い顔色で、気弱く抗議するのだが、いくら否定しても、絶え間のない生傷がなによりの証拠。
「甲州街道で機動隊とぶつかってしもてんなあ」
近くの学園の、バリケード封鎖排除するため、ものものしく勢ぞろいした、そのまっただ中へ、禅介、奇声をあげてとびこみ、バリケード内の学生拍手|喝采《かつさい》したが、|うもすもなく《ヽヽヽヽヽヽ》公務執行妨害で逮捕され、淀橋《よどばし》署に留置、昏々《こんこん》とねむりこけたから、棒状鈍器のあたりどころがわるかったかと、サツもあわてて病院に移し、しかし寝るだけ寝ると、禅介ケロッと目を覚まし、「すいません、母ちゃんに連絡してくれませんか」看護婦にたのんだという。
禅介だけが、女房もちで、職業は、もともと詩人なのだが、食えないからコピーライター、けっこうフリーの売れっ子で収入はかなりある。
酒乱の父に育てられたファッションデザイナー、亡き父の面影を禅介に見出だしたか、押しかけ女房風に入りこんで、けっこう面倒もよくみる。
「朝早うに、俺のとこへやってきよってな。お巡りの話では、禅介、赤軍派と思われてるらしいねん」
ビンけたけたと笑い出し、「ほっときゃすぐ出てくるよ」刑事が、わるく勘ぐったって、禅介と革命は結びつかぬ。
「なんか、食わしてくれんか」新吉、くの字に体折りまげ、情けなくいって、彼は自称オナニスト新吉、銀座に敷地三十六坪ながら、家代々の土地を所有し、そこに六階建てのビルを築き、どうやら、銀行への返済も終ったところだった。
アフリカの砂漠には、ねずみの変種がいて、一日に体重半分の餌《えさ》を食べないと、すぐ死んでしまうのだそうだが、新吉も同じく、何をいかに食べても、胃袋におさめたとたんに、腹が減り、それと同時に、気がめいってくる。戸棚の即席ラーメン三袋とり出し、湯にもひたさず、カリカリと花林糖《かりんとう》かじる如く口に運びながら、
「どうも、体の調子がわるうていかん。すぐ立ちくらみするし、ときどき息がつまりそうになるねん」
特に寝ている時、後ろ髪ひっつかまれて奈落へおとされるような感じと、心悸亢進《しんきこうしん》が重なり、これは夢だからさめようと、必死にもがくが、ままならず、そのうちひょいと正気にもどり、もどってしまえば、何の異状もない。
「そのうち、俺テンカンになるかもわからんな」
「禅介シュランで、新吉テンカンか」
ビンいっこうおもしろくもなさそうに愚痴をきき流し、新吉の、一種の自律神経失調は、原因がはっきりしていて、つまり、過度のマスターベーションのためであった。
朝から晩まで、新吉は、このことのみを考え、マスかくためには、しかるべきイメージを必要とする。
そのあらたなる刺激を求めて、新吉は生きているのであって、ふさわしいそれが見つかれば、さすが公衆の面前でこそ行わぬが、手近の木立ちトイレットにこもり入って、マスにふける。
新吉を感奮せしめるイメージは、なにも美女やら、あるいは裸体とはかぎらず、むしろ、木の洞穴《ほらあな》の形にいたく刺激うけるかと思えば、雲の流れるさまをみて、色気違いの如くたけり狂うのだった。
あまりに、しごき立ててばかりいるから、新吉のペニスには、マスダコがあるといわれ、しかし、ビンのながめたところ、右利きのせいか、右にやや湾曲していたが、タコなどはなく、ただし、極端な包茎であって、エレクトしたさいも、なお先端より三センチ皮があまり、
「この皮がよろしいねんで、なんし、皮つるみいうくらいですやろ、余ってる方がなにかと、具合ええ」
威張って説明し、皮の余っているのは、ペニスと頬だけではなく、皮膚全体、ゆるめのセーターをまとっているように、皮にあそびがある。
「ほっとくいうて、今は、三泊四日ではかえられんねんから、迎えにいって説明したろやないか」新吉少し人心地とりもどしたか、背すじのばしていい、禅介の貰い下げは、これまで数えきれないほどで、警察にはなれている。
もっとも、機動隊と乱闘ははじめてだったが。
「その前に、ちょっとウンコしていけよ」
ビンが命令し、メモを渡す。
しゃがんでいるうちに、昨日の食事内容を書かせるのだ。
胎内復帰への願望
二日酔いの禅介に、刑事あれこれ訊問《じんもん》浴びせたが、さっぱり要領を得ず、「あの、機動隊の方にお怪我はなかったでしょうか」おずおずと眼を伏せてたずね、デカもあきれかえって、とりあえず身柄を病院から留置場へうつす。
「よう学生、大丈夫だったのか」昨夜の禅介覚えていた同房の一人がたずねる。「はあ」禅介は身も世もなくかしこまり、「あの、暴れましたですか」「根性あるよお前、俺の舎弟でよ、今ムショに入ってるんだが、こいつ気に食わねぇ看守がいると、糞をなすりつけちまったりしてな、すげぇんだ、お前も負けねぇなあ」ジャンパー姿二十七、八の男、首をふっていい、「ぼく何をしたんですか」「とぼけてんなあ、いい、いい。その調子でなきゃ、小便できねぇや」上半身裸でわめきちらしつつしょっぴかれてきた禅介、身体検査受けるとき、しごくこだわりなく看守の脚もとに小便をはなち、仰天してとびのいた看守の顔ながめつつ、最後の一滴まで堂々とふり切ったのだ。「なかなかいいチンポしとるで、女泣かせてんだろ」男、声ひそめているが、さもうれしそうに禅介の肩をたたき、「いやあ、もういわんで下さい」禅介正坐して胸に顔をおとしこむ。
新宿の居酒屋でウイスキーを飲み、かたわらに女々しい言葉づかいをする男がいて、話の具合では質屋いとなむらしく、しきりに商売不振なげいているのを、「いいじゃないか、昔はさんざんあくどく稼《かせ》いだんだから」つい口を出し、「あくどいとはなによ、質屋なんて、人助けの気持がなきゃできやしないのよ」えらそうに答え、やりとりの末、服を脱いで、これでいくら貸すとからんだまでは覚えている。
質屋には、貧乏している頃、足しげく通ってその恨みが残っていたらしい。なぜ、俺は酒乱になるのか、それもさんざん飲んだあげくではなくて、一口すすりこんだだけで人がかわってしまう。怖いもの知らずになり、何をやったっていいんだという、安心感が生れる。べつに心神|耗弱《こうじやく》中の犯罪は、罰せられないというような、計算があるわけではなく、しみじみ気楽なのだ。
禅介、自分の酒癖については、コピーを書きはじめ、プロダクション、スポンサーなどとつきあい、ようやく気づかされたので、それまで詩人仲間で飲むときは、たいてい同じように乱れていたし、特に自分が酒乱とも思えなかった。
だが、記憶失っているときの自分について、皮肉まじり忠告めかしてきかされるうち、怖ろしくなってきて、なぜ酒を飲むのか、あれこれ考えたが思いあたらず、精神病医に相談したこともある。
診断の結果、しごく正常で、決してアル中というわけではなく、酒におもむいて自己を破滅させるような、心理的原因も見当らぬ。
業《ごう》を煮やし、いびきと同じで、いくら他人に、自分の酔態きかされても、もう一つ実感がなく、本当に、酔うとふだんからは想像もつかないことをやらかすのか、自分の眼でたしかめてみたい。ホテルの一室を借り、顔見知りのカメラマンに頼んで、飲みはじめから錯乱の一部始終を撮影してもらった。
このときも気がつくと、同じ部屋のベッドに寝ていて、カメラマンの姿はなくはじめはしゃいで「ひょっとするとこりゃ異色のドキュメンタリーになるんじゃないか。酒乱を一堂に集めて、やってみるといい」ガボガボあおって、後はライトがやたらに眩《まぶ》しかった記憶しかない。十日後にフィルムが現像され、「かなりおもしろいねぇ。酔ってるときの方がいい顔してるなあ」カメラマンにやにや笑いつつ、映写し、禅介はべつに身がまえもせず、観たのだが、カメラにむかいしきりに乾杯してみせる自分の姿にまずうんざりし、だが、それから適当に編集されていて、カメラマンの「飲み出して三十分後」一時間経過と説明されるおのが酔態は、まさに悪夢の如く、土下座しているかと思えば、カメラマンにとびかかったのか、両面が激しくゆれて、次にうつぶせに伸びている姿、骨なしヴァランタイン風にくねくね踊り、カメラにむかい深刻な顔で身ぶり大袈裟《おおげさ》に何事かしゃべりつづけ、しだいに動きが緩慢となって、禅介、とてもまともに見られず、うつむいたままときにちらりとスクリーンながめるだけだったが、この、あたかも空中に浮揚《ふよう》しているが如く、筋肉すべてたるみきり、ゆらりゆらり揺れているわが姿をみると、妙になつかしい感じがあって、これは、どこかで見覚えあるような気がする。
「まあ、この後は、ストンと寝入っちゃったね。べつにどうってことはないさ」
自分の酔態を確かめて以後特に酒とのつきあい方がかわったわけではないが、あの夢遊病者のような、たよりない感じが心に残り、酒を飲みつつああまたあんな風に自分はなるんだなと、かすかに期待する気持があって、しかし、そうなったときにいったい何を考えているかまるでわからない。
べつに勇気があるわけではなく、ただ酔っていただけと知って、同房の男興覚めした風だったが、「まあ、だけどよ、あすこまで徹底できりゃ幸福だよ」一滴も飲まないという男むしろうらやましそうにつぶやき、「あの、お兄さんはなにをおやりになって」「喧嘩《けんか》だよ、図体ばかりでけぇくせに、まるっきり臆病な奴でよ、こっちのヤッパみたら、交番へ逃げこみやがって、だけど、お巡りいやしない。殺すのも馬鹿くせぇから、脚にねじりこんでやった」他に四人留置されていたが、みなこの男に一目《いちもく》置く風で、だまって聞き入り、「お前よ、人殺したことあるか」、禅介にたずね、「いや、人殺しの現場みたことあるか」首をふると、「どんな胆っ玉|でか《ヽヽ》そうな奴だって、殺されるとわかったら、みな同じだな。赤ん坊みてぇにだらしなくなってよ、口ぽかんとあけて、何いったって応えねぇでよ。ありゃもう死んでるも同じだな」歯をせせりつつ、「俺なんかも、何時《いつ》かやられるんだろうなあ。どんなぐあいに死ぬか、ちょっとたのしみみたいな気もしてよ」強がりでもなくいい、「どんな死にかたがいちばん楽ですかねぇ」禅介たずねると「さあ、同じことじゃねぇのか。どんな風に死ぬんだってよ。お前みたいな酔っぱらいだって高い酒と安い酒で酔いかたがちがうっつうことあんのか」
「はあ、そうですねえ」たずねられると心もとなく、あの前後不覚の状態は、つまり死んでるのと同じことなのか。そういえば、フィルムでながめた昏睡《こんすい》直前の禅介の表情は、生気がうかがえず、そうか、俺は毎晩死んでるんだな、納得する気が起って、死んだ奴をよみがえらせるから二日酔いになる。
あのまま本当に死んじまえば、こんな楽なことはなかろう。考えるうち、また飲みたくなり、符節合わせるように、看守が房の戸を開け、「二十九番出ろ」禅介の番号を呼ばわり、釈放をつげた。
刑事部屋に、ビンと新吉、それに風呂敷かかえた女房龍子がいて、いずれもなれているからとりたててねぎらいもひやかしもせず、「刑事さんに挨拶して来なさいよ、みっともない」龍子の言葉に、禅介は「もうしたよ。とにかく風呂へ入りたい」とっとと歩き出し、「風呂なら俺のところで入れてやるから、来いよ」「なにいってんのよ。私の亭主なんだから、うちにだって風呂くらいありますよ」「すぐかえすさ。ちょっと用があるんだ」「いいわよ、またウンコでしょ、用ってのは」「ああ、二日間のブタ箱生活が、どう影響するものかねぇ、ちょっと」「じゃ、自分が入ればいいでしょ。とにかく禅介のウンコを、気易くみたりさわったりしないで頂戴」龍子おかんむりで禅介の腕をかかえ、「あんたたちいい年してなによ。くだらない話ばかりで」新吉を身許《みもと》保証人にしたてたことも忘れた如くまくしたて、「ケチケチするな、じゃ、そっちへいくから見せろよ、ひと眼でいいんだ」「邪魔ですよ、こっちは久しぶりで夫婦のかたらいするんだ。素面《しらふ》の亭主つかまえたのは久しぶりだからね」小柄な禅介の体、浮き上がらせるように腕をくみ、「へえ、あんたらまだ、於芽弧なんかしはるの」新吉びっくりしたようにいう。「あんただってそうよ。オナニーがいちばんなんて、妙なこと亭主にふきこまないでよ。チョンガーはそれでいいだろうけど、私って女がついてるんですからね」「いや、俺は女とするなとはいうてない。女房おるからいうて、オナニーやめてまうのはまちがいや。いうたら女が中華やったら、オナニーは西洋料理みたいな」新吉いいつつ、「そや、あんた差し入れいうて、お稲荷《いなり》さん買うたやろ。ちょっと」龍子の風呂敷包みをとろうとし、「上げるよ。家にかえりゃもっとうまいもの食わしてやるんだから」その結び目ほどこうと、禅介の腕をはなし、すると、ぬけ目なくすきうかがっていたらしく禅介脱兎の如く駆け出し「あんた、どこへいくのよ」風呂敷包みほうり出し後追っかけたが、とうていかなわず、「畜生、手前たちしめしあわせてたんだろ」息切らせつつ二人をにらみつける。
新吉は警察署の階段に腰をかけ、もくもくと稲荷寿司つまんで、「この油揚げの感触というのは、ちょっとチンポの皮に似てないか。こんな風に」包茎の皮をひんむくように、飯を少しあらわにし、しごき立て「本当にまあ、いい加減にしてよ!」龍子ふんぜんと歩き去る。「あれ、ええ女やねんけどな、まああれくらい気イ強うなかったら、禅介の面倒はみられんやろ」指についた飯粒一つ一つ口に運び、「なんかおもろいことはないかなあ」祭礼のようにおびただしい人波を、首一つ高見から見下ろす。
大ガードまで来ると、ひょっこり禅介があらわれ、「ちょっと金貸してくれよ。女房からずらかったのはいいけど、一文無しで」「飲むのか、また」「風呂へ入りてぇんだよ。やっぱりブタ箱に二日いると、かなり垢《あか》のふえる感じだなあ」「トルコか」「いや、銭湯がいいなあ」「やってえへんよ。近頃、昼風呂はどっこもない」「いやあ、荻窪《おぎくぼ》いくとあるさ。少し高いけどね」ビンがいい、「俺も入りたいなあ。インキンまたうじうじはじめて」新吉、股間《こかん》を指で二度三度つまむ。「薬つけりゃいいだろ」ビンがいうと、「薬ではなおらん。いちばんええのは風にあてることやで」それも、たとえば川風の吹く堤防の上を、まっ裸になって一目散に走り、じめじめしたあたり乾燥させるといい、「いっぺんやってみたろか思うけど、東京には場所ないしなあ」「お前は、そのへんがみなおかしいんだな。包茎の、インキンと二重苦じゃないか」「これで毛虱《けじらみ》おったら、ヘレン・ケラーさんや」そやけど、インキンはなにも苦しみだけではない。赤むけになったところへ、沃度《ようど》チンキをなすりつけると、そりゃもうとび上がるほど痛いが、そのおさまった後の、おき火のようなほてり、丁度、熱い芋を口の中でハフハフところがしているような、独特の感触で、また、薄皮のおおったとき、その陽に灼《や》けた肌のように水ぶくれとなっているのを、爪さきにひっかけ、なるべく途切れさせずにむくと、これも快楽に違いない。「俺あの皮で、本の表紙つくれんかと考えたことあるわ」その後の肌を、指の腹でじっと押えれば、「背筋さむなるほど、ええ気持のもんでっせ」うっとりといって、だからなかなか根治などさせられぬ。淋巴腺腫《リンパせんは》れるほど、ひどくなっては困るが、適当に培養しておくのだという。
以前は、毛虱も飼っていたのだが、うっかり水銀|軟膏《なんこう》の量まちがえて、全滅させてしまい、あたらしく飼育するにも、もはや、ジキパンですら、この小動物を保持しないから、新吉悔んで、「ふつうの虱は、ドヤで拾えるけど、やっぱし居つきよらんな」そら虱かて迷惑やわ無理に住みつかされては。
三人タクシーで、荻窪の、古い銭湯にのりつけ、昼間だが、愛好者ききつたえて来るのか、十四、五人の客がいる。
「酒飲みってのは、だいたい風呂好きが多いねえ」ビン、あたりの裸を見まわし、いずれも屈強な体つきはなくて、みるから泰平の遊民、「そら、二日酔いのときは汗出すと楽やし」湯船のへりに頭をのせ、ぶかりぶかり、全身を湯にうかべて新吉がいう。「それに、湯にこないして漂ってる感じは、酒に酔うてるときと似てるのちゃうか」「いやあ、酒に酔うってことは死ぬんだよ。前後不覚にまでいたらない生酔いはつまり死に損いよ」禅介は同房の、やくざらしい男のいっていた言葉を紹介し、「殺される前の、赤ん坊にかえったようなだらしなさと、酔いのまわってだらしなくなるのと、似てるんじゃないかなあ。もう刺激をいっさいうけつけない」「そりゃ、もういっぺん胎内へもどりたい願望じゃないのか」死ぬときに兵士はお母さんというそうな。兵士の死は多分この上なく孤独で、さびしいものにちがいなく、あらゆる苦痛と一人で向き合わねばならぬ。このときの拠りどころとなるのは、宗教でも、あるいは哲学でもない。絶対的に安全で、あなたまかせに漂っていたお袋の腹の中にあこがれるのではないか。「やくざに殺される男も同じ気持だろ。つまり気を失っちゃうんだなあ。失神というのは、胎内復帰願望の具体的な表現かもしれない」ビンがしゃべって、「つまり禅介は、夜毎、お母ちゃんの腹の中にもぐりこんでるわけか。これやったら何も忘れてしまうのは、無理ではないな」新吉がうけ、「そういうたら仏さんの手ェ胸で合わせるのも胎児の形真似させるのかも知れんな」
禅介、二人の勝手なしゃべりききつつ、すると、あのフィルムで、妙ななつかしさを覚えたのは、母親の子宮の中にいた頃の、記憶と結びついたからではないのか。しとど酔って覚めるときの、海の底から浮上するような、次第に明るくなりつつ、つれて頭痛吐き気息苦しさも強くなり、ぽんとほうり出された朝の、あの残酷な印象は、つまり産みおとされた胎児のものかもしれない。
ひょっとすると、生きるというのは、長い二日酔いのごときもの、あの子宮内の羊水にただよっていた頃だけが、本当に生きていたのではないか。
だから俺は、酒を飲んで束の間、子宮へもどる。その暗黒の中に浮きつ沈みつしているときだけ、安心できるのだろう。「通常はセックスによって、その願望を果すんだろうなあ。でないと、男が何故、女の裸やヴァギナをみたがるかよくわからない」ビンがつぶやき、「だから次元が低いいうねん。たかがこっから先を没入したって、復帰とはいえんやろ」新吉、おのがものの皮をつまみつついって、「オナニーはその点、自由自在、観念の世界との臍帯《さいたい》がすなわちペニスいうわけでな。なにもお袋の腹の中とは限ってない。自分の腹の中にお袋みごもることかてできるもん」今にもしごきたてんばかりだから、禅介、手桶《ておけ》の水を新吉の下腹部にぶちまけて、「ビンのスカトロジーも、同じようなものかも知れないね」「どうして、俺のは、大便こそが人間の産み出し得る唯一の作品という、革命的な考え方であって」「いや、胎内復帰がさらに昂じて、自分が母親になりたいんじゃないか」「母親って、どんな具合に」「ビンは、糞を子供だと思ってんだよ。直腸は子宮で、いや糞が子供なら、体全部が子宮みたいなもんだな」「へぇ、俺はビンという奴、ウンコに目鼻か思うてたけど、子宮に手足が生えとったんか」新吉けっけと笑い、しらじらと天井のあかりとりからさし入る陽光を浴びて、ビンの体なにやらそれらしく見えぬでもなく、禅介、まだ酔いが残っているのかと頭をふり立てる。
オナニストの世界
ビンが子宮に眼鼻なら、それこそ新吉、包茎に手足といってよく、おのがものの、皮のみ異常になり余り過ぎていることに気づいたのは、小学校二年の時のこと、教室で尿意をはげしく催し、しかも教師は、新吉の傾倒していた美人だったからいい出し得ぬ。ついに我慢の限度をこえ、ものの先端をつまんでひたすら終りのベルを待つうち、気がつくと、それは氷嚢《ひようのう》の如く拳《こぶし》大にふくらんでいて、つまり少しずつ洩れた尿が余った皮の内部に溜まったので、そろりそろり便所に運び、ばしゃっとうっちゃらかして難をしのいだ。
誰にでもできる芸当とはじめ考えていたのだが、一人尿の近い男がいたから、このコツを教え、実験させると、ほんの二、三秒も保《も》たず、液体がはじけとんで、えらく恨まれたのだが、新吉自分はやってみせず、この余分な皮について、軽々しく公言するべきではないと、子供心にかくす計算が働いた。
やがて中学へ入り、この頃から新吉の身長が異常に伸びて、たちまち大人の平均を凌駕《りようが》し、やれ毛の生え方やら、そのあたりの色合い、形状の変化につき、「あいつもう|ずるむけ《ヽヽヽヽ》やで」ミもフタもなく級友が噂《うわさ》し、それは新吉の体格から推しはかったことだろうが、|ずるむけ《ヽヽヽヽ》の意味がわからぬ。
当時は今より更に皮の余っていた感じで、本体とほぼ同じ長さだけたるみ、知らぬ者はかいまみて巨根とうけとったが、実はたいへんな上げ底。それはいいとして、たしかにパンツに納めたはずが、皮のみブリーフからはみ出し、ズボンのチャックによくひっかかって、これはとび上がるほどに痛かった。
はじめて女体にふれたのは、鎮守の宮の脇に住む後家。あたりいったいの少年の、筆おろし引き受ける女で、新吉おそるおそる推参すると、しさいに点検したあげく「こらドテラ珍宝や、綿入れ着てるみたい」けらけらと笑い、無我夢中かじりつくのを、「そうあわてんと、これ脱ぎなはれ」指でつまんで押し下げようとし、これに類する行為はこれまでいく度も自ら試みていたが、後家のやわらかな指先の感触、天にものぼる心地で味わううち、ぐいと力こめられ、ギャッと一声腰をひいて、とたんに放ち、この世のこととも思えぬ恍惚《こうこつ》と、疼痛《とうつう》重なり合って、みれば先端にうっすら血がにじんでいた。「あんた|しりつ《ヽヽヽ》せなあかんのちゃうか」後家の言葉に、おのがものの異常さを、思い知らされたのだが、皮は皮なりに、無ざまな姿恥じている如く、むしろ、いとおしさが先に立つ。
やがて書物によって、といっても主にその広告だが、これを包茎と呼ぶこと、世にこの悩み抱く若者の多く存在し、メスあてるだけですぐに常人と同じくなり得るとわかったけれど、なんで包茎があかんねん、皮かぶっていることは、いわばプロテクター備えているに同じ、むしろしかけとしては高級やないか、上京して後、娼婦に接したときも、不思議がりつつ、べつにいやがられなかったし、中には、筆先でくすぐられているようだと、喜ぶ女さえいた。
しかし、包茎についての抜き難い偏見というか差別感が、男性側にあって、銭湯へなど友人と同行の際、かなり心やさしいはずの者でさえ、あらわな侮蔑《ぶべつ》の視線を、新吉の股間に向け、「ふーん、話には聞いてたが、はじめて見るなあ」しげしげとのぞきこんで、その後は、なにかにつけて軽んじる風がうかがえる。
これは新吉のひがみではなく、明らかに露茎者は、包茎者に対し、いわれなき優越感をいだいているらしいのだ。新吉の肩にも届かぬチビが、急に胸を張り、さっぱり頭のわるい奴が、逆に、兄貴風を吹かし始める。同類を新吉は求め、いっそこっちこそ完全な珍宝なのだと、たとえば大学に「包茎クラブ」つくる試みや、包茎にして英雄天才たりし者の調査、包茎七つの美徳制定など、よびかけたのだが、「包茎」を「法華《ほつけ》」とまちがえ入会申しこんできた寺の子弟がいただけ。
包茎者はいずれもおのがさだめを恥じて、ひたかくしにしようとする。ならば自分一人でもと、古今東西の文献ひもとき、しかし、まったくといっていいほど資料はなくて、新吉がすなわち先駆者。大学在学中に、長兄みまかり、新吉は養子に出されていたのだが思いがけず、土地財産うけついで、本来ならドイツ文学専攻のつもりが、包茎からひいてはオナニストにいたったもの。
この分野にふみこめばふみこむほど、用語一つにしてもあやふやで、たとえば童貞という言葉がある。元来は、神に奉仕する汚れなき者をさすので、なにも男とは限らず、修道院へいけば老女の童貞さまがいくらもいて、これは不都合ではないか。新吉は、未経験の茎を、「初茎」と規定し、さらに「射精」も非科学的であろう。あれは「奔」「噴」「湧《ゆう》」「滲《しん》」とその程度に応じて使い分けるべきであり、少年のすさまじきほとばしりと、老人のにじみ出るが如き按配《あんばい》を、等しく論ずるのは不都合だろう。新吉、藁《わら》の中に針を探す如き、資料発掘にあきると、おのがものをいとおしみ、その結果として、同じ放出にも差のあることを知り、包茎の文献といえば、やはり医学書を中心に、古今東西の好色文学、美術となるから、いきおい刺激を受けることが多いのだ。
そして、人並みには女性を口説き、また金品ひきかえにかき抱いて、体相応に欲望も強い部類だったが、文献にあらわれる女体、あるいはそのこまやかな心ざまに較べ、現実のそれは、いかにも貧しく、かつ貪欲《どんよく》に過ぎる印象。
金で買われたのだから、少しはつつしみ深くふるまえばいいものを、さらに快楽まで得ようと七転八倒《しちてんばつとう》し、また素人《しろうと》は、どこから得た知識であるのか、あたかもロボットの如く、同じ反応をこれみよがしにし、そのつど新吉は興ざめしてしまう。なにもそんなに大さわぎすることないやないか。
こっちのすむまで、ちょっと静かにしててくれたらよろし。弓状にしない、ギャロップ風に波打つ女体かきいだき、いや、はねとばされぬようしがみついたまま、そのむさぼりつくして静まった束の間を見すまし、放ち終えるので、しかもこれは瞬時に行わぬと、また先様のたうちはじめ、すると新吉、覚めねばならないのだ。
それくらいならば、むしろ自分一人で思うままに間合いをはかりつつ緩急自在のあてがきがまさる。包茎はしごくこのことに有利であって、その先端をゴム紐《ひも》でしばっておけば、たしかに包みこまれた感触を味わえ、しかもこれならば、とび散ったザーメンを、しらじらしい気持であちこち拭き清める必要もない。
ついでにいえば、これを第一の美点として、第二は小学生の頃と同じく、余った皮に蓄尿のできること、第三|火傷《やけど》を防ぐ、第四毛切れの怖れがない、第五肥後ずいきその他の刺激物を加えてかぶれることが少ない、第六包茎にあきたらすぐ露茎にし得る、第七その切り取った皮は、たとえば婚約リングに、なによりふさわしい。
新吉、研究をすすめるうち、身体的にはともかく包茎者には、かなり性格上の特徴があるとわかって、まずひっこみ思案で、しかも執念深い。色好みかも知れないが女性を愛することはない。さらにいえば体制ぎらいで、孤独を好み、論理より直感に秀で、しばしば劣等感、加害妄想の持ち主である。
たとえば新吉、自らの体躯《たいく》巨大なることが、人に怯《おび》えを与えないかと常に気がかりで、背をことさら丸めているし、くよくよ包茎の調査にうちこむなどもなによりのしるし。
この特異な性格は、いずれも亀頭における粘膜の感覚が、それ自体は過保護の状態にあるのだから、露茎より敏感であるのに、他者すなわち女体との接触においては、皮一つへだてて行われる、つまり包茎者は女体を相手にしている時も、われとわが皮の内側としか触れあわぬわけで、女体のそれぞれに個性的な肌合いのちがいを感じとることが少ない。
結局はオナニーと同じこととなり、女体との交流がないから、生身の体から与えられる刺激より、自分で思いえがく性的イメージに逃避し、精神面がより重視されるのだ。
すべての原因はこれにつきるので、体制に加担しない理由は、生殖を拒否したセックスに基づくものだし、加害者意識は、性的悦楽が自己の内部で完結する以上、行為は女性に対してただ暴力を加えることを意味する。
これに加えて、新吉、早く母に死別し、だからこそ関西へ養子にやられたのだが、生母の記憶まったくないだけに、無意識のうち、母を崇高なものにまつりあげ、その母と同じ女性が、セックスに物狂いすることを拒否する気持が強い。これが、包茎と相まってオナニストたらしめたといえよう。
そしてオナニストたるに従い、あるいは種族保存の意志放棄したため、個体維持の欲望が強まったのか、めったやたらと食欲が昂《たか》まって、すべての朝は空腹に目覚め、もう一つの悩みは、いくら無害と医師力説しようと、日に二度三度つづければ、妄想《もうそう》に疲れて立ちくらみやら、心悸亢進があらわれ、新吉心の底では、多分、かき死にするのであろうと思い定めていた。
なんかおもろいことないやろか、禅介、ビンと別れ、新宿をぶらつきながら新吉胸のうちにつぶやく。あるはずないとわかっている。学生と機動隊のぶつかり合いは、まあ、観物《みもの》ではあったけど、なんといってもプロとアマの試合で、あっけなかったし、自衛隊と機動隊ならどうやろか。たとえば、防衛大学に全共闘ができる。この大学卒業する連中のうち、何人かは卒業式に参加せず、つまり自衛隊幹部への道を捨て、こそこそ逃げ去るというから、あながちあり得ぬことではない。防衛大学がバリケード封鎖して、機動隊導入されたならば、これぞプロ同士の決戦となろう。武器はともかく、体重では互角だろうし、TV中継白熱するにちがいない。
金嬉老《きんきろう》は今どないしてるねん。原宿で猟銃乱射した少年は、たしか死刑の判決を受けたはず、わりにみな冷たいもんやな。事件の経過あれほど手に汗にぎって注目していたくせに。
デパートの屋上に突如ライフル持った男があらわれ、通行人なぎ倒すことなど、この日本ではあり得ず、団地ノイローゼの女房が、あたりの子供人質にして籠城《ろうじよう》することもない。新吉は、研究とオナニーの他は、よく、恐喝、誘拐《ゆうかい》を考えることがあり、このアイデア工夫するうち、たいてい眠りにつく。
どちらも陰険な犯罪で、包茎者にふさわしいものだが、たとえば、こうスキャンダルがもてはやされ、一方的にその主《ぬし》の葬り去られる。いや芸能人は別にしても、エリートサラリーマンなる存在は、まず情婦の存在明らかにされただけで、地位を失いかねぬ。それならば、誰でもいいから、目星つけた一人を、しぶとく尾行して、もしその事実があれば、半月しないうちに確証にぎれるはず。
闇夜のカメラもあれば、壁に耳の盗聴器いくらも売っている。あの組合など、正面切って団交などしなくても、この手で搦《から》め手から攻めれば、かなり有利にことを運べるのではないか。
あるいは誘拐にしても、この犯罪の致命的な点は、必ず加害者が、捜査する側と、金の受けわたしで、接触する点にある。少しばかり資金を用意し、まず、誘拐はヘリコプターで行う。あれは時速二百キロぐらいでるから、かなり先方が用心堅固でも、乗せてしまって、東京湾外に出るまで、追いつかれることはあるまい。
アメリカには、第二次大戦で使用した武器をいくらも売っているから、中古の潜水艦一隻購入し、房総沖に待たせておいて、これに移乗させる。後は太平洋のまん中で、連絡をとり、周囲五百キロに艦船飛行機近づかせぬ条件で、取り引きを行う。身代金あるいはそれに代る物を、軽飛行機によりパラシュート投下させ、ひきかえタマを、ラジオビーコン付きゴムボートに乗せ、はなしてやればいい。
太平洋の中から、一隻の潜水艦探り当てるなど、まず不可能なことだし、かなり成功率は高いのではないか。
新吉、目についたそば屋へ入り、ラーメンすすりつつカレーライス大盛りを胃袋へ流しこみ、あたり見まわすと、蝶ネクタイが、かえって貧相な効果もり上げている痩せた男、ジャンパー姿でもりそばをあらかじめ割箸《わりばし》でこま切れにする学生、いずれもべつだんこの世に不服もなさそうな、その表情が、奇妙に思えるのだ。
みんな、なにも不穏なことは考えへんのんか。人のいうままに生きるのが露茎者なんやろか。水源池に毒をふりまく、列車妨害、発電所爆破の妄想は、なにも赤軍派だけのものとちゃうやろ。禍々《まがまが》しい想いではち切れんばかりになりながら、新吉はもはや女体のあれこれえがき、自分の好みのパターンでオナニーすることにあきたらず、近頃、なるべく女から離れたイメージ。
それははじめ動物であり、象にむしゃぶりつくおのが姿や、木の枝にぶら下がってなまけものを背中から犯すことだったが、やがてさらに植物から無機物に移行し、鳥取県|大山《だいせん》のふもとに巨大な、女陰石があるときけば、その石にむけ、矢の立つためしありと、突き刺すことを考え、超高層ビルの窓|硝子《ガラス》一枚一枚珍宝によって破ることを思う。
このままいったら気違いになってまうのとちゃうか。さすがに後では反省するが、すぐにあらたな刺激を追い求め、そのいずれもたいていは陳腐《ちんぷ》なものばかりだから苛立《いらだ》つ。
禅介の如く酒や薬に逃げられる者はまだいい。新吉のかたわらを、シンナー吸いこみ千鳥足となった少年が通り過ぎる。あれも、胎内願望やろ。ポリエチレンの子宮にもどりたがってるわけや。一度こころみたが、向き不向きがあるのか、気分わるくなっただけで、新吉酒もそう飲めるわけではない。
ビンもまあ気楽なもんで、排泄さえしてればいい。やがては、五体の皮一枚下すべて糞になり、全部それを出して、ビニールのダッチワイフ空気抜けたような殻だけが、奴の便所で発見されるにちがいない。あいつ、何を考えながら、便器に腰かけてんのか。科学者みたいに、調べるだけが能やあるまい。わが作品産み出す時の祈りやら、ねがいがあるのとちゃうか。すっかりウツ状態となった新吉、公衆電話のボックスに入り、ビンに電話をかける。
信号音だけで応えはなく、しかし、新吉、受話器をおかずいかにも話し中のそぶり、あっけらかんと流れていく人波をながめるうち、急にブレーキの音が高くきしんで、女の悲鳴があがった。
はねられよったか、さして感動もなく、それでも物音のした方をながめると、老人が舗道と車道半々に身を横たえ、「ぼやぼやしてんじゃねぇよ、まったく」黒い背広の男二人が降り立ち、傷は大したことないらしく、老人上体を起しかける。
男の何かいいかけるのに手をふり、それは傷の手当断わっているようで、また男たちも先を急ぐらしい。名刺を老人に押しつけ、また車にもどり、新吉いっそくたばればよかったのに、残忍な考えいだきつつ、そのかたわらをわざと無視し、過ぎかけると、「あのもし、お若い方」肩で息つきつつ老人が声をかけた。気丈《きじよう》にふるまっているが、顔色|蒼白《そうはく》で、声にも力がない。
甘美なる私刑《リンチ》
「お礼はする。あの女を尾行してくれ」都電のカーブして角筈《つのはず》へ抜ける方角を指さし、もとよりそのあたりにも、交差点で待つやらそぞろ歩きやら、人だかりがあるから、誰と見分けつかぬ。「ミンクの毛皮着た女だ。すぐわかる」荒い息をつきつつ、ふところから老人一万円札二つ折れの束をとり出し、新吉のレインコートの襟《えり》にさし入れる。
「尾行するいうて、どないしますのん」「どこへ入ったか見届けてくれればいい。わしはどうやら見破られていたらしい。頼む」手帳の一枚破って、電話番号を書き、これも押しつけ、芝居がかって片手拝み。「そやけどおっさん、大丈夫でっか。病院へいかんでも」「早くしてくれ。見失ってしまう」しゃっくりするように息を入れ、気ぜわしく腕をふるから、新吉従って、とりあえず道路を横切り、まあたいてい見つからんやろ。あのおっさん興信所にでも勤めてるのんか。気がついて襟元に危なっかしくひっかかっている札束、ポケットへおさめ直し、その厚味は五万十万できかぬ。
ふりかえるとすでに老人の姿はなく、新吉、ボクサーのロードワーク風にフットワークきかせ、人の群れかきわけつつ、まだ先と考えていたら、これはまた突拍子もなく目立つシルバーミンク、ものうげに袖を通さず肩にかけ、その足許は黒のパンタロン、道行く人の視線一身に集めつつ、ゆったり歩く女がいて、危うく追い抜きかける。
それまで一直線に突き進んできた新吉、そのまま前へまわって、表情たしかめたかったが、何分にも巨体、女がひと目見れば覚えてしまうはずで、ふと空を振りあおぎ、ポケットから煙草とり出し一服吸いつける。女の歩きっぷりは、酒に酔ったごとく危なっかしくて、その一足ごとにパンタロンの裾ひるがえり、かなりスタイルはよかった。
尾行は、原則として、右後方三十メートルと、新吉FBI物語で読んだことがあり、三人一組となって街角二つ毎に交替するのだという。
これまであれこれ妄想したことはあっても、いざ現実のことになると、今にも女がふりかえるのではないか、あるいはショーウインドーに背後写してみて、感づきはしないか。猫背をさらにかがめ、痩《や》せこけた街路樹をたよって、根元のポリバケツひっくりかえし、この風態《ふうてい》では見失うわけもないのに、信号で待たされると、気があせる。
女が何者であるかについて、さほど考えず、尾行つづけるうち、自分が映画の中の主人公になった如く、その必要もないのに、早足で少し間隔をつめ、今度は立ちどまり、額にしわよせ考えにふけるポーズをとり、またゆっくり歩き出しつつ吹けもしない口笛をこころみ、いちいちポーズをつけて、新吉はこれも包茎のせいか自己催眠にかけることが得意だった。
子供の時から、孤独を好んで、部屋で遊ぶ時も、長火鉢や針箱衣装箱でかこいをつくり、その中にうずくまり、これを城に見立て、攻めてくる軍勢とのやりとりを空想したし、表では、近くを流れる川の堤防に穴を掘って、地虫の如くもぐりこみ、暮れなずむ夕空ながめつつ、棺桶《かんおけ》に入れられ墓穴へ埋められた死人の、やがて腐れ朽ち果てていく有様を思い浮べる。
養父は自閉症ではないかと心配したが、けっこう友達づきあいはして、ただその遊びのさなかにも、ひょいと異次元の世界に入りこんだ如く、現実よりも妄想にとりつかれて、ぼんやり時を過すことが多かった。
新吉、やがて、周囲の人波いっさいかき消え、ただシルバーミンクの女と二人だけ、この世に存在する如く、女が角を曲れば、細心の注意を払って、しばし後に首だけのぞかせ、突如電柱の後ろに身をかくし、女よりも通行人が、その異常なふるまいに首かしげたが、もはや眼中にない。
女は歌舞伎町の一角、下は不動産屋となっているビルの横の階段を、ついに一度もふりむくことなく、靴音ひびかせて登り、新吉すぐ靴を脱ぎ、後に従う。
アメリカ映画などで、よく追跡する者される者、いずれも深夜に大きく足音とどろかせて、なんで裸足《はだし》になれへんねん、不思議に思っていたから、この辺りの配慮はいきとどいている。大股《おおまた》で三段ずつ忍びあがり、各階のぼりきった両側に事務所らしき部屋の入口があり、「南洋公司」「パシフィック旅行社」などの金文字や看板があった。
四階で女の靴音がとまり、右側のドアの開閉する音がきこえ、いっさい物音が消え失せると、急に怖ろしくなって、ここまで見届ければいいだろう、今度は逆に、罠《わな》にかけられ、まんまとおびき寄せられたように怯え、靴はこうとしたら、どやどや入り乱れるざわめきが、男の、ののしる声や荒々しい動きまじえて伝わり、新吉仰天して、裸足のまま階段をとび上がり、四階の右は「校倉《あぜくら》通商」とあって、左は便所と物置になっている。とりあえず物置に入りこみ、扉《ドア》閉めると暗がりになったが、すき間からさしこむ光に、モップバケツ消火器、不要のロッカーがあって、役には立たぬが、内から鍵《かぎ》がかからぬ故、桟を必死にひっぱる。
物音は、一団となって四階にまで至り、乱暴にドアが開かれると、明らかに人間の体の、突き倒された鈍い音がし、「よう、連れて来たぞ」男の言葉が半ばまできこえ、後はドア閉められたか、急にくぐもり、ただならぬ気配だけが、物置に流れこむ。
うっかり出て、出会い頭にぶつかるかも知れぬ。新吉、体はでかいし、かつて相撲部にいたこともあるが、特に喧嘩に自信のあるわけではない。
なんとかなるはずや、必ず俺はここを脱出できるにちがいない。そして、ああ怖かったとわが身にふりかかった危機ふりかえりながら、飯でも食うにちがいない。そう思いこもうとして、膝頭《ひざがしら》がふるえ、一寸一分たりと体動かせばとてつもない音を立てそうな気がし、金縛りにあった如く、「とぼけた野郎だよ」「どう始末するんだ」「兄貴が来てからのこった」「バラしちまうのか」「知るもんか」急に話し声が扉一枚へだてた外でして、二人小便をする。
一人はすぐ出たが、残った方は鼻唄うたいつつ、入念に手を洗い、その水の流れる音も、バンドしめ直すらしい金属のひびきも、いちいち新吉の神経|逆《さか》なでにし、あげく扉に体ぶつけて去り、身をかくすといっても奥行き二メートルほど、窓のあるわけなく、ただ天井に網目の枠《わく》があって、もしも上が空いているなら、もぐりこめないでもない。
新吉ながめていたが、モップの柄で突いてみると、留め金ゆるんでいて、枠をはずすことはできそう。消火器踏み台にすれば、楽に手がとどき、通風孔らしく、よく聞きとれないが、人声が伝わる。
たとえ窮屈でもここにかくれて夜を待てばええ。四隅のねじをはずし、二尺四方の穴はかなり奥行きありそうだから、はずみをつけて上体ずり上げ、換気特有のいやな臭いが鼻腔《びこう》にひろがる。
枠を元通りにし、ほとんど体いっぱい、向き変えることも出来かねたがどうにか一息入れ、前方にぼうっと白い光が見えた。
しばらく様子うかがっていたが、体動かしてきしまぬし、天井は頑丈に新吉を支えるようだったから、肘《ひじ》をつかって進み、光は同じく網目から洩れているので、のぞくと下は、女の入った校倉通商の部屋らしい。限られた視野に何もみえず、いや暗がりになれていたから眩《まぶ》しくて、「それっ」男のかけ声、何人かがせせら笑い、モーターのひびきのようなうめき声が断続する。
新吉は眼を閉じ、薄目あけつつさらに身をのり出すと、今度はほぼ部屋すべてのぞけて、通風孔の直下つまり隅に三人の頭があり、窓ぎわに机ロッカー書棚がならぶ。机にもたれるようにしすわりこんだ顔中血だらけの男がいて、今、一人がその髪をひっつかみ、うなだれがちなのを引き起し、その額と鼻の下に二本の細い棒がぶら下がりゆれている。
「それっ」ドアのところから、一人が何かを投げ、それは顔をそれ、床に斜めに突き刺さる。机に腰かけた男は下っ端らしく、他にも落ちている棒を拾って、ドアに近く立つ二人に手渡す。
よく見ると、先端にGペンをはさみこんだ割箸で、これを投げ矢の如く、男の顔に投げつけているのだ。男は気を失っているのか、斜め上に顔を上げたままよけもせず、ただうめくだけで、うまく当ってもGペン深く突き立つわけではなく、箸の重さに垂れ下がって、それだけ残忍な印象。
眼《まなこ》そむけることもならず見入って、そのうち男が横倒しになると、その襟首ひっつかまえ、中央にひきずり出し、「おい、度胸だめしだ。お前やれ」下っ端に一人が命ずる。
下っ端は年の頃十七、八、顔ひっつらせて、無言のままズボンを脱ぎ、新吉からよくみえないが下半身裸となったらしい。甲高い笑い声がして、シルバーミンクの女が姿をみせ、「立たしたげようか」ミンク肩から滑りおとし、すると下は白のブラウスで、袖口のふくらんだ腕をさしのべ、下っ端後じさりするのを、「なにぶるってんだよ。できなきゃ、お前もこいつと同じだよ」上からみていても、五体硬直させた感じの下っ端、立ちすくむところへ近づき、よく見えないがしごきはじめ、「ありがたいと思え。姐《ねえ》さんにかわいがってもらえてよ」「この野郎、甘ったれんじゃねぇぞ」男たちの、下品ながらドスのきいた声がひびく。
一人が、倒れた男を足で蹴返して、血に染まったズボン乱暴にはぎとり、白い尻をむき出しにし、いまいましそうに腰のあたりふんづけ、それにそそられた如く、サッカーのプレースキックよろしく、一人ポーズつけて、こめかみのあたりを蹴る。
「およしよ。仏さまになっちまっちゃ、抱きにくいだろ、坊やが」坊やと呼ばれた下っ端、前に跪《ひざまず》いた女の肩に両手をあてがい、顔を上に向けて、苦悶《くもん》の形相。
「どうしたんだよ、若いくせに」女、まったく冷静にたずね、坊や激しく首をふる。「それとも私じゃ気に入らないってぇの。元気お出しよ」「はい」坊やえらくはっきり答え、男たち苦笑いする。
どうにか格好ついたらしく、坊や、倒れた男の尻のそばに跪き、片手は激しく動かせて雄々しさ保つ努力しつつ、右で脚ひらかせようとしたが、死体の如き男の体びくとも動かず、これから行われようとしていることの、推察はついたが、新吉夢みているようで、しかも、真上からながめているだけに、怖ろしさ奇怪さの実感がない。
坊やあれこれ努力したがままならず、女と男たちシロクロながめるように口々に囃《はや》したて、
「バックじゃ無理だろう。女とやるみてぇによ、正常位がいいんじゃねぇか」「もっと尻《ケツ》おっ立てさせろってんだよ、じれってぇな」「じゃお前やってみな」「いやだよ」「こら、餓鬼。お前がかわいがってやらなきゃ、この仏さん、成仏《じようぶつ》できねぇんだぞ。化けて一生お前につきまとっても知らねぇよ」
坊や、せき立てられるうち、破れかぶれといった風に、血まみれの男にかじりつき、つづいて乱暴に男の体の向きをかえて、その両脚今度は開いた中に割りこもうとすると、「あ、いっちまったかな」一人がすすみ出て、坊やの体をひきはなし、丁度、枠の下あたりに男の、仰臥《ぎようが》した下半身があって、そのペニスは、宙に向け隆々とそそり立ち、さらによく見れば、腹やふともも、赤や紫のアザに飾られて、よほどひどくいためつけられたらしい。
「へえ、立派じゃないの、死に水とってやろうか」またミンクのコート肩にはおった女が歩み寄ると、その逸物に指をそえ、男の表情は、眼見開いたまま、顎《あご》をはげしくふるわせ、鼻孔もせいいっぱい空気吸いこもうと、ゴムのように開きすぼみ、手足は棒の如くに突っ張っている。
「それ、いくよ、ほら成仏だよ」女、手はそのままに位置をかえて、今は我を忘れのぞきこむ新吉の眼の前の網に、精液の飛沫《ひまつ》がとどいて、思わず顔のけぞらせたが、ふたたびみると、倒れた男みじろぎもせず、最後の噴出に余力使い果したか、それまで瀕死《ひんし》の姿ではあっても、指一本にまで張りがみえたのに、今は脱殻《ぬけがら》のようにたよりない姿で、「畜生、思ったよりあっさりくたばりやがったなあ」
男のズボンを、下半身にほうり投げ、「どうします」一人が、終始うごかず、上からはソフトしか見えぬ男に声をかけ、「工事現場へでもうっちゃっとけよ」
そして、坊やを呼びよせ、「わかってるな。余計なこというんじゃねぇぞ。明日、昼過ぎに自首して出るんだ」「大丈夫よ。ねえ坊や、今夜は私がお守したげるから」女その肩を抱くようにし、手をひいてドアに近づく。
新吉ようやく我にかえり、枠からのぞきこむことすら恐ろしくなって、通風孔にぴったり伏せ、息苦しいが深く呼吸することもはばかられる。
眼を閉じると、脳震盪《のうしんとう》でも起したように、星が点滅し、男の噴出する直前、かっぱと両の眼見開いて、丁度、子供の人物画のようにまんまるな中に、ちいさな黒眼の浮んでいた、その断末魔というのか、最後の快楽の表情が浮び、これまであれこれあてがきのイメージ、かなり豊富にえがいた新吉だが、こういう光景はついぞ思いもかけぬ。
やがてしずまり、鍵かけて、まだ陽は高いから腹ごしらえにでも出かけるのか、男たちすべて外へ出て、窮屈な姿勢とりつづけ、関節すべてしびれて、ぎごちないながら、この機のがせば、脱出のチャンスはない。服の破れるのも意に介せず、後じさりして、無我夢中、また物置にもどり、靴両手に持つと階段一目散に駈け降り、走り出したいのを必死にこらえ、表通りまで出るとタクシーをつかまえた。
本来なら、そろそろ腹の減っていいはずだが、その気配もなく、運転手に行く先たずねられ、ようやく電話番号教えた老人を思い出したが、到底連絡する気にはなれぬ。
多分、やくざのリンチなのだろう。打撲傷で当りどころがわるいと、しばらくエレクトをつづけたまま死ぬときいたことはあったが、全身傷だらけで、しかも雄々しいその姿は、むしろ新吉も含め、周囲の見守る者を睥睨《へいげい》する如き、威厳にみちていたと、新吉思いかえす。
「どっちへ行くんです」「銀座へいってくれ」答えながら、あの殺された男、最後に何を考えよったんやろ。どのみち殺される覚悟決めて、しかも滅多打ちになぐられ、なぶりものにされ、あやうく於加真掘られそうになって意識しないまでも、せめて男のプライドしめしたのが、あのペニスとちゃうか。あの女は、まさかとどめさすつもりで、愛撫《あいぶ》したわけでもないやろ。やがて死んでいく男に、女として哀惜の情こめつつ、やさしくなでさすったのではないか。それにくらべると俺のあてがきなんか阿呆みたいなもんやないか。あの男は、最後に何を思い浮べて射精したんやろ。それはなにより甘美な、生と死の微妙な境目をゆれうごく、至福の境地、射精と死の一致こそのぞましく思えてくる。
禅介家の内ゲバ
「なにいってんだよ、ド助平、嘘つき、めりけん牛蒡《ごぼう》、すわり睾丸」すさまじい勢いで罵詈雑言《ばりぞうごん》がとび出し、その一つ一つたしかな重量感で禅介の横っ面をひっぱたく。
実際に、龍子が一言いうたび、旧軍隊は新兵の、古参兵に|びんた《ヽヽヽ》食わされる如く、上体よろめかせ、しかし決して酔いのせいではない。
いくらか頭が重く、冬ながら雲一つなく晴れわたっているらしい明るい陽ざしを、眩しく感じ、この程度のハングオーバーなら、まず上々の部だから、禅介、とりあえず寝煙草の火をつけ、「おーイ、新聞持ってきてくれ」気楽に怒鳴ったのだ。
新聞のかわりにたたきつけられたのが、女性週刊誌で、その権幕におどろき、反射的に禅介布団の上へかしこまって、龍子のつむじ曲げる|ねた《ヽヽ》には、はばかりながらこと欠かぬ。
酒場の借金払うといって金受けとりながら、よそへまわしたその催促か、スポンサー、プロダクションからやいのやいの責められて、締め切りをとうに過ぎた広告文案のいいわけ代役にくたびれ、頭に血をのぼらせたか。うっそり上眼づかいに龍子の顔をながめたら、とてつもないボキャブラリーの洪水落ちかかり、もともと龍子モデル上がりのデザイナーで、うわべ乙《おつ》に澄まして、ポーズばかりつくっていると、さて解放された時、その反動でおそろしく言葉づかいも下卑れば、食物も、肥るといけないから限られているが、なるべく惣菜屋《そうざいや》のメンチカツ、コロッケなど下世話なものを欲しくなり、「あんたみたいなおかし気なのと一緒になったのもそうよ。男性モデルのスタイルのいいのばかりみてると、ゲテがよくなるのね」といっていた。
とにかく人をけなしつける感覚的な表現は、泉の如く湧《わ》き出て、しかもいちいちきびしく相手の心に突き刺さるのだ。
「なんだっていうんだよ」「うるさいよ、陽なたよいよい、循環音痴、てっ、きれいごとばかりいいやがって、詩人がきいてあきれらぁ。今度という今度ゆるしませんからね」陽なたよいよいとは、そもなんであるか、中気の爺いが縁側で日光浴していることか、循環ウンヌンは、禅介、酔えば唄をがなりたて、それもドイツリート、※[#歌記号]ザーアインクナープアインレースラインシュテーエンと唄い出し、そのままの節で、レースラインレースラインハーアイデンと、しごく小節《こぶし》きかせてまったく同じままくりかえし、きいているほうは苛々《いらいら》するのだが、これもかなり適確な表現であろう。
ぼんやり考えるうち、バシッと雑誌で頬をうたれ、「なにを去年《こぞ》の雪みてぇな面してやがんだ。しょぼくれ眼《まなこ》見開いてよくみやがれ。ほんとに」腕をくみ、仁王立ちとなって龍子にらみすえる。
女性週刊誌につきあいはなし、表紙めくると、途中に折り目があって、それはグラビアページ、一人の男が屋台風の飲み屋で、肥り気味の女に抱きつき、それだけならいいが、右手をその尻の、まさに微妙なあたりにあてがって、暗い上に少しぶれていたが、髪の具合鼻顎のあたり、まごう方なきわが姿、しかも右肩には、「酔っ払い天国、外人にはみせられません」とあって、禅介、息をのむ。
「なんだいこの姿は、お前いつも何だっていってたい。俺はひたすら酒が好きなんだ。酒さえ飲めば他になにもいらないだって。へーえ、これが何もいらないお姿なのかね」妙に凄味《すごみ》のある口調。
もともと禅介、自分の酔態を、覚めて後聞かされることは、身を切られるより辛いのに、そのうそもかくしもない姿で、よく見れば、これは酒好きというより、見栄《みえ》も外聞もなく、女にすがりついている、ぶざまな態《てい》。「どうしたんだよ、こりゃ、どこのパン助なんだ。それともお前のスケかい。へえ、道理で近頃おかしいと思ったよ、こんな女が出来てやがったんだね」雑誌を自分のほうに向き直し、龍子憎々しげにながめる。
「いや、そりゃ、もののはずみで」弱々しく弁解すると、火に油を注いだ如く、「もののはずみで、こんな格好するのかよ。よくみてごらん、この白いのはなんだい。ズボンのジッパーまではずしてんじゃないかい」そういわれれば、そう見えぬこともなく、しかし、酔えばこれくらい当り前で、ことさら隣の女とは関係ないと、いくら申し開きしても無駄なことはわかっていた。
「私はね、これまでずいぶんいろんな友達にいわれてきたんだよ、あんなずぼらな男もうよせってね。そのたんびに、私ゃ怒ったんだ。あいつのいいところは私にしかわからないってよ。全部、ぶちこわしじゃないか」龍子、うってかわって涙声となり、「今頃、みんなせせら笑ってるよ。なにしろこの雑誌は、美容院に必ずあるんだからね。よくまあ、馬鹿にしてくれたね」
いくらいわれても禅介に覚えはない。うつむけば否応なしに、わが醜態が目に入り、視線上げれば、美人だけに劇画の継母《ままはは》風、女房の形相にぶち当る。
「きょときょとするんじゃないよ。どうしてくれるってんだよ」立ち上がり、箪笥《たんす》の中から貯金通帳と印鑑とり出し、禅介の膝もとに投げつけ、「さあ、これでこの雑誌みんな買いしめておいでよ。折角貯めて、お店出すつもりでいたけど、もう何もかもパアだ。でもいいや。お前のこんな姿世間に見られるよりゃ、さあ、早くしねぇのかよ」たしか貯金は六百万ばかりあったはずで、といっても、ようやく禅介頭がはっきりしてきたのだが、女性週刊誌の発行部数は百万近いはず。
とても買えるものでなし、いや、なによりこれは肖像権の侵害ではないのか。いわれっぱなしにいわれるうち、むらむらと腹が立って来て、「よし、俺にまかしとけ」せいぜい威厳たっぷり宣告したつもりだが、とうてい龍子の勢いにはかなわぬ。「まかしとけが聞いてあきれら。お前にまかしてこれまでうまくいったことがあるのかい。教えてもらおうじゃないか、どうやって潰《つぶ》れた私の顔を立ててくれるのかね」「この雑誌には、俺の持ってるスポンサーが広告を出してるから、そっちの線で押してみて」「押してどうなんのさ」「なにしろこっちは酔ってたんだし、人の酔態をだな、無断でカメラに収めるということは」「わかってないんだな、私の立場を考えろってんじゃないか」禅介、龍子の立場といわれても、文章のあやならともかく、掲載された写真をまさか合成でしたと訂正させるわけにもいかぬだろう。
要するにこのカメラマンは酒を飲まないにちがいない。武士の情けを知らないのだ。まったく風上《かざかみ》にもおけぬ。「まあ、じっくりお手並み拝見しましょ。あんまりなめた真似するんなら、考えがあるからね。この女何者なんだい。いい年くってんじゃないの。あんた、婆ァ好みだったの」かりに美人なら、なお龍子の怒りをかったろうが、写真の女たしかにしまりなく肥っていて、年の頃四十七、八。どうして自分が抱きついているのか想像もつかず、撮られた日時に覚えがない。どうせ酔えば汚れるから、いつもレインコート羽織っていて、髪はざんばら、わが身なりで推測つかず、二人の他は闇で場所もわからぬ。
禅介、酔ってしまえば、まるっきり女色に心動かされることはないと、自分で信じていた。飲むのは女っ気ともいえぬ婆さんの店で、第一、そうでなければ閉口して客にはしてくれないのだ。トルコ風呂へ足ふみ入れず、花園《はなぞの》近辺に街娼の姿もみえるが、声かけたことはない。
いつも最後の店で酔いつぶれ、あるいは交番に保護され、家へたどりつけば気息|奄々《えんえん》、女に悪ふざけしたという友人の証言も聞いたことがない。
「情けないねえ。私はあんたって酒仙だと思ってたのよ。酒癖のわるいのも、才能だと信じてたわ。これまではね、あんたが反吐《へど》はいて、私の衣装台なしにしたって、うれしかったのよ。大体あんたね、詩人でしょ。近頃少しぼけてんじゃない。コピーライターとかなんとかかっこいいつもりになって、なにも私はあんたに金もうけしてもらうつもりで一緒になったんじゃないよ。あんたの一人や二人食べさせてやるさ。もうやめちまいなコピーなんか」
てやんでぇ、詩人じゃ貧乏くさいけど、コピーライターなら時代の花形だものねとかなんとかいったじゃねぇか。俺が内職で稼《かせ》げば、ほこほこよろこんでたじゃねぇか。俺が何しようと仕事のことまで嘴《くちばし》入れるな。
禅介ようやく心が決り、すっくと立ち上がると、「とにかく、この雑誌社へいってみる。時と場合によっちゃ告訴してやる。よくみてみろよ。これ、俺がよろけかかってるところかも知れないし、第一、外人にはみせられませんたぁなんだよ」あまり冴《さ》えない捨《すて》台詞《ぜりふ》を残し、家をとび出し、とりあえず龍子の権幕から身を遠ざけたい。
あてもなく歩き、しかし、煙草屋薬屋雑貨屋の店頭にまで、わが醜態掲載した週刊誌れいれいしくならべられ、道行く女性の何人かに一人はもう眼にしているのかも知れぬ。そう考えればいてもたってもいられず、喫茶店へ入って、レインコートの襟そば立て、ウイスキーのストレートトリプルで頼む。
トリプル三つ重ねて、少し落ち着き、いったいどうしてやるか、龍子のさし出した貯金全部はたいて、弁護士を頼み、裁判に持ちこむか、いや、政治家に献金して、その圧力でしかるべく名誉回復の手段講ずるか、やくざを動員してなぐりこみでもかけさせるか。
あれこれ思いつくが、いかにも他力本願で、いやしくも詩人の発想とは縁遠い。頭を一つふり、さらにウイスキーを注文し、しかし、これを妙にこじらせると、たとえば裁判沙汰となって、かりに肖像権侵害が認められたとする。すると、それ自体一つのニュース性を持ち、あらためてあの写真が、紹介されるのではないか。妙に鼻の下をのばし、まさにキッスしかねまじき姿、いや、うっかりすると、いくら酔っていても、強制|猥褻罪《わいせつざい》の証拠写真になるのではあるまいか。頭がしゃんとして、たしか法律家のそういう文章を読んだことがある。
禅介うなりを上げて考えこみ、あげくビンに電話をかけ、ビンなら打ち明けて恥の上塗りにもならぬ。事情つげると、その週刊誌のグラビア担当を知っているという。
スターの写真撮影の際、小道具に西洋|骨董《こつとう》をよく貸すことがあり、「しかしなあ、どういう名目になるかなあ。これがはなはだしく名誉傷つけ、実害こうむったというくらいならともかく」サラリーマンではないから、社会的地位がおかしくなることも考えられず、体裁はわるいがまあ酔態なんだから運がわるかったといえばそれまで、「一見してすぐに禅介とわかるのか」たずねられると、それは自分の姿だから即座に思い当るが、他人が直ちに識別するほどではなかったように思える。
「まあ、会って話してみろよ。それでネガがあればもらってくるんだな。また何で使われるかもしれないから」ビン気楽にいい、禅介も、実害こうむったとして、龍子の激怒ぶりをつげるのは格好わるいから、要領得ぬ返事をし、常ならウイスキーこれだけ飲むと、一種の浮遊状態になるのが、いっこう正気のまま。
ただわけわからぬ怒りがこみ上げ、おのれカメラマンぶっとばしてくれる。どこかへ監禁して、責め苛《さいな》み、そのあわれみ乞う姿をカメラに収めて、道行く者に配ってやる。掌に汗がにじみ出し、だが禅介、身の丈こそふつうでも、体重四十五キロ、新吉にかかれば片手でつかみ上げられてしまう心細さ、もとより空手キックボクシングの心得もない。
格好だけは肩をいからせ、ハードボイルド風に装って、タクシーをとめ、とにかく担当者に会い、いったい個人のプライバシーをどう考えているのか、酔態を天下に公表し、嘲《あざけり》笑う権利があるのか、ようやく、怒るべきは龍子でなくてこの俺さまではないかと、はっきり確認し、雑誌社は丁度ストライキ中なのか、いたるところ貼《は》り紙が張られ、十本ほどまとめて組合旗がうなだれていた。
「えーと、山下さんいらっしゃいませんか」頭のすみに、やくざは交渉に際し、丁寧な言葉づかいをすると浮び、ならったのだが、「今は時限ストライキ中で、六時まで面会受け付けられません」そっけなく守衛がいう。
「じゃ、編集長でもいいんですがね」今度は強くいうと、守衛時間でもかせぐようにのろのろと、番号簿の数字を指でなぞり、「えー、編集長編集長と」ようやくたずね当て、生れてはじめて電話に向う如く、深刻にダイヤルをまわし、「おたくさんは?」「時任《ときとう》禅介」デンスケと聞き間違えられたが、これはもうなれっこで訂正もせず、「お約束でございますか」「いや」「はーあ」応答を待つ間、余計な口をきく。いちいち腹立たしくて守衛をにらみつけ、「はいはい、あのですね」どうやら通じたらしく、応接間で待つよういわれて、一歩ふみこむと五つあるテーブルのいずれにも、かの週刊誌が置かれている。
「ちょっと編集長は今手をはなせないのですが、どのような御用件で」思ったより|ふけ《ヽヽ》た男、柄物の靴下にサンダルをつっかけ、しごく気易い調子。「実は」さて、何といえばいいのか、担当者|面詰《めんきつ》することのみ念頭にあって、談判の運びよう考えず、目前の雑誌を手にとり、問題の頁めくって、これは私ですというのも間が抜けている。「つまりですな、御社では肖像権の問題をどう考えていらっしゃるかということについて」「はあはあ」「つまり私は、たいへんな迷惑をこうむったわけです」「ほうほう」「そちらに悪意はなかったと思いますが」「ふんふん」やたら相槌《あいづち》を打つ男で、禅介、たまらずグラビア頁を指さし、「これはどういうことですか」あらためてみると、なお怒りがこみ上げ、声がふるえていた。「ああ、これはまあシリーズと申しましても何ですが、ユーモアのある写真を狙いとしておりまして」「ユーモア?」「はい」「そっちはユーモアでも、こっちの迷惑はどうしてくれるんです」「迷惑と申しますと」「これはぼくですよ」「ははあ」男は、あらためてながめ、禅介の顔を見くらべて、「さよでございますかねえ」「そうですよ、見りゃわかるじゃないですか」「はっきり撮られた覚えがおありになりましょうか」「そりゃ、わかってたらすぐ抗議しますよ。盗み撮りなんだから」「しかし、この写真の具合では、果してあなた様かどうか」べつにしらを切るつもりでもないらしく、「こりゃ、屋台ですなあ。どこの、新宿でしょうか」世間話するように男がいい、禅介言葉につまる。
この男、俺が酒乱で、酔うとわからなくなることを知っているのだろうか。うっかり相槌うって、場所がちがっていればさまにならぬから、「カメラマンにたずねればいいでしょう」「さよですな。これはどこのプロダクションが撮った写真ですかねえ」この手の企画物は、すべて社外にまかせてあると、つぶやきつつ頁をめくり、次はやはり酔った女の、ガードルむき出しにひっくりかえった姿、通行人にからんでいる老人の酔態であり、いずれも禅介よりさらに表情はっきり写し出されている。「かなり気をつけているように見えますがねえ」男、蛙《かえる》の面に水の調子で、禅介をながめ、お前なにをそう怒っておるのかという風に、きょとんとしている。
呪術《じゆじゆつ》℃E人学
「じゃお前、ちょっと便所へ入ってみろよ」ビンがのんびりいって、禅介、気勢をそがれる。
この野郎はまったく自分のことしか考えぬ、友だち甲斐《がい》がないというか、エゴイストというのか、めったなことでは怒らない俺が、こんなに激昂《げつこう》して、しゃべってるのに、ガウンを着こみパイプなどくわえ、重々しくうなずくばかり。
それは、禅介のうっぷんなど、もともと酔っている時は、かなり明快な論旨を展開、寸鉄人をズタズタにする皮肉も出れば、袋のねずみと相手を追いつめるけれど、素面《しらふ》では吃《ども》るし、飛躍が多くて、通じにくい上に、かなり個人的な事情だから、ビンのけろっとしているのも当然かも知れぬ。
「べ、便所へいってどうしろってんだよ」
「いや、激怒している人間の糞便《ふんべん》がどういうものか、調べてみたいんだ。近頃、怒り狂う人間なんて少なくなったから、貴重な資料だぜ」ビンはトイレットの扉《ドア》をあけて風呂の湯加減でもみるように、便器をのぞきこみ、四隅に紐《ひも》のついたポリエチレン一枚|溜《た》まった水の上におく。
用便後ひき上げて、近頃、かなり効果的となった大便固定液に浸し、保存するのだが、「バ、馬鹿馬鹿しい。お前も女性週刊誌も一つ穴のむじなだよ。人の恥部をうれしそうにながめて」「それはちがうなあ。ウンコはちっとも恥ずかしいものではない。人間存在のしるしだからねえ。もしウンコを恥ずかしいというなら、人間そのものが、つまり恥ずべきしろものなのであって」「うるさい」いいつつ禅介、口では拒否しながら、いや、心底からビンのスカトロジーなど協力したくはないのだが、下腹部妙にしぶってきて、「まあ、落ち着けよ。お前の話はゆっくりきいてやるし、相談にものるから、出すべきものを出してこい。怒りのもとは糞にあると、中国の古い諺《ことわざ》にもあるんだ。これはまあ俗説というべきだろうけれど、静かに排泄《はいせつ》しつつ、あらためて事態を考えれば、たしかに興奮はおさまるだろう。つくづくとながめれば、大便というもの、あらゆる人間の営みをあざわらっているようにみえるし」
ビンのことだから、もてなしにすすめてくれたウイスキーに下剤しこむくらいしかねぬ。
腹は立つし、便意はたかまるばかり、気も狂わんばかりとなって、逆に頭は妙なぐあいに冴えかえる。「なにしろ、あのカメラマンを探し出し、ぶっ殺してやる。たとえ相手がどんな大男でも、キックボクシングのチャンピオンでも、精神一到何ごとかならざらん」
雑誌社の一室で、いっこうに風采《ふうさい》のあがらぬ男、それだからなお禅介みじめになったのだが、のらりくらりとこっちの攻撃をかわして、あげくの果ては、「まあ、こちらといたしましても、かりに御迷惑をかけたとするなら、まことに不本意なことですし、まあささやかなお見舞いと申しますか、こちらの誠意のしるしとして」おかしなことをいい、はかりかねていると、ふところから封筒をとり出し、中の領収書半ばみせて、「こちらに住所とサインを」金三千円也取材協力費とあった。
「金なんか欲しいんじゃない。俺の名誉をどうしてくれるんだ」「しかしですな、かりにこのお姿があなた様としますか。すると、まあ御酒召し上がった上でのこととはいえ、あまり名誉をどうのこうのという風には」うすら笑い浮べて今度は開き直ったように椅子の背にもたれかかり、脚をくむ。
「な、なんでもいい。あんたじゃ話わからないから、この写真撮ったプロダクションの名前を教えてくれ」「はいはい」いったん引き下がり、名刺一枚持ってきて、「こちらだと思います、ここでおききになればわかるんじゃないですか」そしてあなたかなり酒臭い息をしてらっしゃるけれど、昼間からそれじゃ体をこわしますよ、余計な台詞をつけ加えた。
たまらず便所にかけこみ、思いかえすうち、いったん沈潜した怒りがまた煮えたぎり、つれてどっと体内からあふれ出す放出感があり、みると、なにやら青黒い印象で、へえ、これが激怒糞であるか、ビンの言葉がちらりと脳裡《のうり》をかすめる。
後始末すませて、水洗の紐をひいたがコトリとも音がせず、かわりに「済んだのなら早く出てこいよ」ビンの言葉がひびく。
どうあっても、この糞を資料に使う気かと、禅介、ビンの執念に気押《けお》され、情けない気持となり、なにか方法はないか。小便の圧力でくずせないものか。それとも手ですくって窓からほうり投げてやるか。しばらくながめ入り、ついにあきらめて扉あけると、「どうだった。なにか変った点があったかい?」
まあ、素人《しろうと》にはわからなくても、俺がみればと、ビンつぶやきつつ入れちがい扉の中に消え、これまでも、酔ったあげくの糞を調べられ、その時は、「勝手にしろ」威勢よく便所にもこもらないで、エリザベス朝の頃使用されたという貴婦人のおまるにまたがったのだが、素面でははじめて、妙にうしろめたい気分のまま、禅介、ウイスキー飲む元気もない。「なるほどねえ、スイフトの観察はかなり正しいものだなあ」ビン、ポリエチレンに包まれたものを、手に下げてあらわれ、固定液のある部屋にむかい、「テロリストの糞は、青い色をしているというんだが、お前の殺意のたしかさがあらわれているよ」にこにこ笑って、禅介にいう。
「殺意?」「ああ、大体において、Bの8に近いが、全体的によくいえば玉虫の羽の如く、青い鱗《うろこ》のような色どりがあらわれているのは、いわゆる緑便とはちがう。なかなか珍しいねえ」包みを眼の高さにかかげ、しきりに感心しつつ、「二・二六事件の当事者について、いろいろ報告がなされているけど、スカトロジーの見地からはないなあ。実に認識不足というか、あの朝の雪景色なんか、いくら克明に描写したって、屁《へ》の足しにもなりゃしないのに」
「殺意か」いわれてみれば、それに違いないが、あらためて耳にすると不思議な気もする。これまで他人に危害を加えることなど考えたこともない俺が、殺意をいだいているのか。
「よほど、腹を立てているらしいな」「当り前だよ」ビンあらためて、パイプに火をつけ、「いいじゃないか。酔態の写真なんかとられたって、大体あんなもんじゃないぞ。いつもは」裸になって大道を闊歩《かつぽ》するし、それだけですまず、しきりに珍宝をひっぱり、雄々しくでもなれば、まだしも豪快な印象だが、ますますちぢみ上がるのを、これみよがしにし、「第一、週刊誌なんぞ、一週間たてば誰もその記事を覚えてやしない。ましてグラビアなど、本人の考えるほど他人様《ひとさま》は見てないよ」
「なにもお前になぐさめてもらおうとは思ってないよ」「なぐさめてるわけじゃないさ。なんで突発的に怒りはじめたのか、理由がききたくてね。ふだんのお前なら、こんなことで怒るまい、ぶんなぐられたってへらへらしているし、かなり侮辱うけても、蛙の面に水みたいなところがあるだろ。それが殺意をいだくってんだから、こりゃよほどのことがあったんだろうが、お前のいってる理由はまあくだらんことじゃないか」
くだらんといえばくだらんにちがいない。プロダクションに電話をかけると、べつに一室かまえているわけではなく、貸しデスクらしく、女がぶっきらぼうに「さあ、いつあらわれるかしらねえ。伝言ならうかがっておきますけど」答えて、めざす相手つかみ切れないから、心が苛立《いらだ》ち、あんないわば抜きうちのような盗みどりが許されるなら、人間誰だって油断できない、いわば別件逮捕のようなものではないか。
「つまり社会正義に燃えているというわけかね」「べつにそんなんじゃない」「そうだろうなあ。禅介の柄じゃないしなあ」では、龍子にがみがみ怒鳴られたからか。
まさか、女房のヒステリー如きいちいち気にするわけでもない。
「要するにだな、あの、うだうだと逃げ口上ぬかした男と、このカメラマンを一寸刻み五分刻みにしてやりたいのよ」「なるほど」ビンは、精神病医の患者の訴えきく如く、やさしい|たか《ヽヽ》のくくり方をして、「そういうのが、殺意を支えるもっとも大きな理由かも知れんなあ、意外に正当な理由という奴は、じっくり考えれば熱をさまさせるけど、わけのわからん怒りは、消しようがないし」
ビンますます興味をそそられたか、立ち上がって書棚から一冊の本をとり出し、
「原因不明の殺人事件を集めたものだけどね、たしかに人間はおかしなことで人を殺すねえ」
鼻をかみたいから紙を一枚くれと所望し、断わられたのを根にもったり、煙草の火を貸してくれといわれ、逆上してその相手を刺し殺した例もある。
「もっとも、前者の場合は蓄膿症《ちくのうしよう》でね、いらいらした気分だったらしいし、後者は、えらい損をしたばかりの株屋で、ジンクスがからんでいるけれど」お前のは何に当るかなあ。
漠然たる社会に対しての不満でもなし、現在の生活から逃げ出したいのでもなかろう。コピーライターとしちゃ売れっ子なんだからなあ。詩集だってもう十冊でてるし、コピーライターという、いわば虚業で金稼ぐむなしさは詩を書くことで補っているはず。女房も稼ぎのある美人で、いわば、不満のないことが不満なのか。
冗談とも本気ともつかずビンしたり気にいって、禅介他人ごとの如くきき、「ところで、何で殺すんだ、ピストルか交通事故を偽装するのか」べつに具体的な手段を考えてはいない。なにしろあの男を、この世から抹殺《まつさつ》すればいい。殺されるとわかったら、あいつだって、「ふむふむ」など無表情にはいられないだろう。
「それは、完全犯罪である必要があるのか。もしそうなら、いくらか手伝えるぜ」また何冊かの本をあれこれめくって、「近頃の探偵小説はトリックを軽視してるから、こういう時にたよれないなあ。どうしたって古典ということになっちまう」
禅介も探偵小説読まぬではなく、ビンの言葉にさそわれて、琴の糸をつかったトリック、密室殺人事件のあれこれ、氷の銃弾で人を射つやら、崖《がけ》っぷちに立ち、まず先方がこちらを突き落すようしむけて、すばやく身をかわし、墜落せしめるなど、思いうかべたけれども、どうも自分の気持にはそぐわない。
「いっそぐっと古めかしく呪《のろ》い殺すというのはどうだい。これは安全だし、禅介みたいな非力のものには向いてるぜ」「呪い殺す。藁《わら》人形に五寸|釘《くぎ》うつ奴か」「いや、そんな簡単なものではないぞ。いろいろとややこしい」ビンは『呪術の研究』なる古い一書ひもといて、「今お前のいったのは、人形呪縛というんだな正式には」これは平安時代からすでに行われていて、はじめは紙なり布を人型《ひとがた》に切りとり、竹の串《くし》を油で焼いたものを、突き通して恨みを伝える。「梵字《ぼんじ》でもって、その人形に言葉を書くんだな」頁をひらいてみせ、そこにはみみずののたくったような図が五つならび、「田棺材人」と漢字で説明されている。人は殺すべき相手を意味し、田は墓地をいう。
「深夜にこれを墓地で行うらしい。なんとなくきき目がありそうだぜ」これが、伝えられて江戸時代には、藁人形からさらに精巧に相手の顔形に似せた人形があらわれ、これをひそかに売る呪術師もいたという。
その殺し方も、五寸釘をうてば、先方は深夜、急に胸苦しさを覚え、はなはだしい場合はそれで死にいたるが、そうでなくとも狂気に追いやることができるものらしい。
また、毒殺のように、装うことも可能で、これは「魂毒鬼」と人形にしるし、これを古い井戸の底にたまった丹砂なるしろものでなでさする。すると、呪い受けた者はたちまちに血を吐いて悶絶《もんぜつ》するのだし、事故によって殺すならば、「門弓人」としるして、これを鬼門の方に埋め、上に無花果《いちじく》を植える。うまく根がつけばのぞみがかなえられる。
「こりゃいいよ。いくつかやれば、どれか当るだろうなあ」ビンは自分もやってみたそうに読みつづけ、「焼きものを利用するのもあるぜ。これは、相手の特定の場所を粘土でこねて、素焼きにするんだな。乳房でも珍宝でも顔でもいい」そして三七二十一日の間、祈祷《きとう》をこらす。「オムマクサンダラサンゲンチョクシンレイ」読み上げて、「ふーむ、日射病、悪疫、家族の不幸、仕事の失敗なんでもやらせることができるんだなあ」要するに八百万《やおよろず》の神に、善男善女なにやかやと加護をたのむ、その逆のことが可能なわけで、鬼児《おにご》の懐妊も可能なら、出火失せ物の難にあわせることもできる。
「その出版社のおっさんには、なにがいい。遣いこみで自殺でもさせるか」周囲の反にあい、おとしめられ窮地に追いこむには、「|天※八卦亥五雷《てんこうはつけかいごらい》」としるした紙を壺に入れてもっとも寒い日に、敵の玄関の前へ埋めこめばいい。
禅介は、ビンのいうまま、その情景を思い浮べ、カメラマンが夜中に心臓|麻痺《まひ》を起し、七転八倒《しちてんばつとう》する按配《あんばい》や、あの男が遺書ふところに首を吊《つ》るシーン想像してみたが、どうも自分の考えている殺人とは縁が遠い。
いったい何故相手を殺したいのだろうか。男が死ねば、その家族たちまち路頭に迷うだろうが、それを期待しているわけではないし、どうせあんな男の一人や二人、雑誌社になくてはならぬ存在でもなかろう。死んだからといって、雑誌の業務停滞するわけでもない。
「俺はやっぱり刃物がいいなあ」「刃物? すぐにつかまっちまうぞ」「つかまるのは覚悟の上さ。第一、遠隔操作じゃ、俺が殺したんだということが、奴にわかるまい」「予告の手紙でも書くさ」「せせら笑うよ。そういう奴なんだから」多分、あの男は、トラブル交渉係で、脅迫くらいは屁とも思わないにちがいない。
ましてや、藁人形に五寸釘打つぞなどいえば、まあアル中の妄想《もうそう》くらいにふまれて、すれっからしには効き目もうすいのではないか。人に恨みをかいはしないか、相手を傷つけたのではないかと、くよくよ思いなやんで生きている、たとえば俺なんかさしずめその代表であろうが、そういうデリカシーが、呪いを受けつける。考えるうち、誰かが呪いをかけているような気分になり、空怖ろしい気さえしてくる。
「刃物による殺しは、不意をうたないと駄目だなあ。日本の暗殺にはこれがいちばんよく使われるけど、人ごみにまぎれて近づき、相手のすきを狙う。日本刀は不適当で匕首《あいくち》がいちばんだ。かくし持てるからねえ」
ビンが説明し、「お前なんでそんなことよく知ってるんだ」禅介、感心してたずねる。
「そりゃ俺だってずいぶん殺したい奴がいるよ」ビン、ふと真顔になり、「スカトロジーと、殺人学というのは表裏一体といってもいいかも知れないし」
糞というのは、いわば死体のようなもので、逆にいえば、死体は人間の営みの最後のひりだした糞ではないか。
殺意の発生と系統
ビンがかつて、いちばん殺したいと、ひそかに考えていたのは、父親であった。
父は、戦前すでに官立大学の教授で、世間にそれほど名を知られていなかったが、橋梁《きようりよう》工学の泰斗《たいと》だった。ビンのもの心ついた頃は、定年で官立を退き、私立大学工学部長の職にあったけれど、ビンはサディスティックなまでに、この父にしごかれたと思う。
はるか年のちがう兄が二人いたのだが、戦争末期に、長兄は学徒出陣で戦場へ駆り出されたあげく、特攻で死に、次兄は勤労動員の、陣地構築作業の無理がたたって、戦後長く病床についたまま、ついに健康とりもどさず、ビンの小学校六年の時みまかって、最後の病名は粟粒《ぞくりゆう》結核といわれた。およそ弱い者をいみきらう父で、戦争が終ってからも、幼いビンに乾布摩擦を強要し、広い屋敷の廊下を冬も水でふき掃除させ、ついかじかむ指を台所の、火にかざしたりすれば、容赦なく尻をぶたれて、あるいは病臥《びようが》したままの次兄にこりているから、ビンを雄々しく育てるつもりだったのかも知れぬが、ビンは、自分を憎んでいるためと受けとり、また父はなにかにつけて、戦死した長兄の才能、体格をほめそやし、ビンと比較しては、せせら笑う。
それも意地悪なやりかたで、戦争さかいに小学校で教える内容がらりとちがったのをいっさい斟酌《しんしやく》せず、「君は字が下手だねえ、少し練習してみたらどうだい、これでも見て」と出されるのが、ビンより年少の頃に書いた兄の手習いの字だったり、ビンと同年の頃の、その写真をとり出し、「同じ親から生れても、顔つきがちがうもんだなあ。やっぱり精神というか、内面が子供でも容貌にあらわれる」
ビンを見ながらいう。いかにも自分は阿呆面だと指摘されているようでいたたまれず、ビンだけではなく次兄も、できのいい兄には悩まされたらしい。
「三つしかちがわないだろ。兄貴のすすんだ後を、無理に追わされて、どの学校でも兄貴の秀才ぶりが伝説みたいに残ってるんだ。教師にも、よく比較されてゆううつだったなあ」ビンに物語り、きっと親父は、出来のいい息子が死に、わるいのが残ったそのいわば運命のいたずらにふんがいして、我々に当るのだろうと冗談のようにいい、「まあそうそう長生きもしないだろう、あの体じゃじき中気で倒れるよ。少しの辛抱だ」ビンをなぐさめる。
次兄の部屋に、父はいっさい近づかず、それは病気のうつることを怖れるからで、科学に強いはずなのに、病気についてだけは、草深い田舎の老婆よりおろかしく、少し風邪ひくと大袈裟《おおげさ》にさわぎ立て、何種類もの薬をのみ、主治医を日に何度もよびたてる。結婚して以来、一度も口答えしたことのないという母は、年老いて血色のいい父にくらべ、はるかに老けていて、父の折檻《せつかん》からビンをかばうだけの気力も残さず、「ビン、来なさい。ビン、返事はどうした」父が呼び立てると、自分がまずうろたえて、「あやまっといで。さ、早く、おそくなると余計ひどいから」ビンを追いやる。いったい本当の両親なんだろうかと、兄と年のはなれていることも考え合せ、ずいぶん疑ったのだ。
次兄が死んで悲しむ風もなく、ビンが中学高校へすすむと、英語、数学など、みてくれるのはいいが、これもビンの失敗あるいは、考えこむ姿を楽しむためといってよく、ささいな間違いを指摘しては、しつこく注意し、弁解すれば、今度は男らしくないと説教し、時には、わざわざ母を呼び寄せ、
「みてごらん、中学二年になって、三人称単数現在の動詞にSをつけることすら知らないんだから」いいつける。靴下を裏がえしにはいているのを発見し、鬼の首とったようにあざ笑い、この頃はもはや少しぼけていたのかも知れないが、いったいどういう執念が、ビンに攻撃くわえさせたのか、今、考えても不思議に思う。
ビンは七十歳過ぎて、まだ毎朝三百回木刀の素振りを行なって、次兄のいうようにはあっさり死にそうもない父を、なんとか亡き者にすることができないかと、あれこれ思いめぐらせ、風邪をひいた父の、また枕もとにしこたま置いた薬の中に、睡眠薬を混ぜておいたことさえある。
一晩まんじりともせず、経過をうかがい、効き目あってこんこんと寝入った父の額にそっと手を当て、もう死んだのではないか、冷たくなったんじゃなかろうか、期待と、やはりいささかの不安が交錯し、あれは中学二年の時だった。父は、いつも早い眼覚めが、二時間寝すごしただけで、さわやかに起き出し、よく寝たせいか、風邪まで治っていたのだが、他に、やわらかいゴムのチューブを、ひきのばした状態で首にまきつける、すると、ちょうど柔道で|おと《ヽヽ》す如く、相手にほとんど苦痛与えることなく殺せ、熟睡中にほどこせば自殺装わせることもできるときき、酔って寝こんだそのすきうかがったこともある。
机に向っていても、いっそ父がはっきりお前など出て行けといってくれたら、気楽に家出するのにとか、自殺したら、少しは後悔するだろうかと、空想し、あげくは必ず父の死をねがい、その手段を考え、ノート一冊にびっしりと、探偵小説から得たヒントや、また、独創によるそれを書きつけ、万一、発見されたら一大事、ビニールに包んで、使用していない女中部屋の床下に吊しておいた。
父は、上部に荒藁《あらわら》巻いた松に向って素振り、打ちこみを行うが、それに電線を通しておいて、少々の雨なら濡れても平気だから、木刀を通じて感電死させる。乾燥した日が続くとよく吸入をこころみ、その蒸気立てる器に青酸加里入れておけばイチコロではないか。風呂場のタイルに油を塗っておいて転倒させる、義歯に砒素《ひそ》を塗りつけておくなど、ノートは父の死後破り捨てたから、大半忘れてしまったが、受験勉強の大半は、父殺しのアイデア捻出《ねんしゆつ》についやした気がする。
そして、実際、庭でバットふりまわしている時、気づかずにもう少しでその頭をかっとばしそうになり、「気をつけろ」父は、ビンのそういった気持いささかも知らず、たしなめただけだったが、ビンは膝《ひざ》ががくがくし、本当に偶然なのに、まるで自分が頃合いみはからってやったような疚《やま》しさと、もう少しで念願かなうところだった口惜《くや》しさが入りまじり、これに似た偶然はよくあって、安全カミソリに刃を入れて渡すと、ことさら工夫したわけでもないのに、刃がずれて、父の指を傷つけ、空怖ろしい気がした。
高校へ入り、体格も力もビンの方が、はるか優位となっても、まだ父にいじめられると、いい返すことすらせず、ただ陰険にその殺し方考えることで、うさを晴らし、むしろこれが生甲斐の如くでさえあった。
十八歳の夏に、次兄の予想した中気ではなかったが、脳軟化症で倒れ、右半身が不自由となり、二月後には床を離れて、軽い仕事もできたのだが、肉体的な衰えより、頭の痴呆化が先行して、日一日と子供にかえり、少し気に入らぬことがあれば、地団駄ふんで苛立ち、はじめはそれも気の強いあらわれとみていたのだが、やがて幼児のそれとまったく同じとわかる。つまり、苛立ちの原因は、食事のお菜の量がビンよりも少なかったとか、老眼鏡のつるが折れたという他愛ないことなので、それを満たしてやれば、今度は涙流さんばかりによろこぶのだ。
食い意地がはり、大学はやめたが教え子の病気見舞いに持参する菓子果物すべてを、自分の部屋にかくし、腐っても捨てようとせず、夏など、こぼれたケーキの屑《くず》にいっぱい蟻《あり》がたかって、いっこう気にとめぬ。ビンはみるみる廃人に近くなっていく父を、あっけにとられてながめ、つきものの落ちた如く、殺意は消えていたが、母は父の衰えと反比例して生き生きとよみがえり、これまで忍従の明け暮れ、一気にとりかえす如く、父が盗みぐいすれば、「また、野良犬みたいに入りこんで、何度いえばわかるのよ」口のまわりに飯粒いっぱいくっつけた父の前に仁王立ちとなり、今にもなぐりとばしそうな権幕。
「すまんすまん、つい腹が減って」「なにいってるのよ、さっき食べたばかりじゃない」「そうだったかな、わしは今日まだ食べてないんじゃないか」「あきれた」母は、かつて父がそうしたようにビンを呼んで、朝、三ぜん山盛りで、父が食べたことを証言させ、また、かつて父の好物で、今は医者にとめられている料理を、食膳にならべ、「お父さまはだめですよ。また胸が苦しくなるんだから」いいつつ、ビンと二人だけぱくつく。
父は涙うかべて、その箸先《はしさき》をながめ、しまいには、母やビンの動かす通りに口をもぐもぐさせ、ごくりとのみこみ、黒々としていた頭髪はたちまちねずみに薄汚れ、顔にしわ一つなかったのが、どこもかしこもたるんで、眼やに鼻水よだれの絶え間がない。
やがて失禁しはじめると、おむつあてがわれて、母はそれすらすぐには汚れを替えてやらず、部屋のあちこち垂れ流しがこぼれると、きいきい金切り声あげて「何度いったらわかるのよ、すぐ教えなさいっていってるでしょ」父の尻をぶち、父にもいくらか羞恥心《しゆうちしん》はあって、もらしたとわかりつつなかなか母にいえないのだ。
そして母は、父のその状態を、たとえば臭いですぐわかるのに、父がいうまでそ知らぬふりし、また、父がおずおずと口にしても、「今私は食事の用意してるのよ。なにも、その最中にいうことないでしょ。どこまでいやな根性なんだろ。そうそう上も下もいっしょにできませんよ。それとも、晩御飯抜きでいいの、ええ」いじわるくいう。
ビン見かねて、父のおしめをとりかえてやり、大食でしかも運動しないから、尿ですら悪臭が強く、糞の場合は反吐《へど》はきそうになったが、憎しみはまったくなくて、到底かつての父と同一人物には思えぬ。しかも父は、これほど邪険にされてなお母をたより、外出して少しおそいと、十分にあげず「どこへいった。迎えにいってやれや」とくりかえし、もはや長兄のことさえ忘れたようだった。
大学二年の秋に父が死に、その三月前から生ける屍《しかばね》の態《てい》で、家政婦が世話していたが、臨終に立ちあったのはビン一人。母は外出、家政婦買い物に出かけた留守に、息がかわり、はげしく顎《あご》をふるわせ、小刻みな呼吸をくりかえして後、大きく溜息《ためいき》ついたのが最後、骨と皮に痩《や》せて、ぼろ屑の如く、医者に報《しら》せることも忘れて、ビンは、しゃれこうべに紙はりつけたような父の死顔《しにがお》をながめ、涙は出なかったが、妙に空《むな》しい心となり、それは母においてなおひどく、父の死んだ後は、急激におとろえ、追っかけるように翌年、風邪をこじらせ肺炎で死んだ。「俺はだいたい陰《いん》にこもる方らしいな。この野郎と思ってもお前みたいに、かっかとならない。じっくり恨み晴らす時節を待つんだ。そのかわりかなりしつこいぜ」小学生の時に、馬鹿にした奴の記憶が未《いま》だに残っている。もっとも、何年ぶりかで会ったら、当時、柄もでかく憎々し気《げ》に思えたのが、建売住宅セールスマンとかで、しかも貧相な体つき、拍子抜けがしたのだが。
「へえ、ビンにそういうことがあるのかねえ」禅介、気押されてだまりこくっていたが、ぼさっとつぶやいて、「そうだよ。だけどなあ、さっきの呪術《じゆじゆつ》じゃないけど、こっちがこの野郎と思ってる奴は、たいていろくなことが起らないな。いや本当だよ」
神がかり的口調で、俺にわるいことする奴は、みな天罰が下るんだ、どうもそんな風に思えると断定し、「お前だって、そのいやらしい女性週刊誌のことを、しつこく呪い続けてみろよ。きっと、そうだな。一年以内には、交通事故に遭うとか、あるいは女としけこんだ先で、ガス中毒死するなんてことになるさ」なぐさめるようにいった。
「ほな、おたくはもと中野学校にいてはったんですか」
同じ頃、新吉は代々木御苑《よよぎぎよえん》に近い貧相なアパートの一室で、老人とむき合いしきりに首をふって感じ入っていた。どうやら暴力団の一味であるらしい女を、尾行しろと新吉に頼んだ老人で、新吉銀座のビルへもどったものの、天井からながめたリンチの一部始終が脳裡からはなれず、図体《ずうたい》はでかいが気が弱いから、うっかり関わり合いになってはと、さんざ思案の末、思いきって渡された電話番号に連絡し、すると老人は、すぐ会っていきさつ成り行きをききたいといい、
「万一のことがあるといけない。あなたは四谷三丁目交番の横にいて下さい。タクシーで迎えにいきます、くれぐれも周囲に注意して」ものものしく指示した。
新吉、いったいどういう組織がからんでいるのかわからぬが、いくら身をすくめても目立たざるを得ない巨体を、いざとなれば交番へかけこむつもり、そわそわ落ち着かず待つうち、タクシーが前にとまり、老人外人風に指で乗れとサインをする。仏頂面《ぶつちようづら》の運転手に命じ、ことさら脇道を入り、せまい路地を抜け、しばしば後ろをふりかえって、「まあ、この交通地獄ただ一つの取り柄は、尾行する車を簡単にまけることだな」重々しくつぶやく。つれてこられたのが、オンボロアパートで、六畳一間だが、室内びっしり古本が山積し、わずかな空間に新吉巨体をおさめさて何と挨拶していいかわからぬ。
「あなたとお眼にかかれたのは、私の幸運でした、天未だ我を捨てたまわず」老人、正坐してポンと柏手《かしわで》をうち深く一礼したから、新吉も頭を下げ、「で、あの女どこへまいりましたか」「それがですねえ」新吉手早く一件を物語り、若い男の嬲《なぶ》り殺しと、死してなお雄々しかった次第をつげたが、老人はけろっとしていて、「頸椎《けいつい》に打撃が与えられた場合、しばしばそういう現象が見られますな」戦争中に、事故で飛行機の墜落した時など、乗組員はそのショックで絶命していても、股間《こかん》はそそり立っていて、これを勃起《ぼつき》往生といったそうな。
「捕虜の拷問の際にもよくありましたな。兵隊などおもしろがって、斬りとったりしたものだが」老人昔を思いみる表情となり、「あの、おたくはずっと戦争にいってはったんですか」「戦争といっても、我々は少し特殊なものだったが」口ごもりつつ、「いわば、第五列というか、スパイでしたな」
そういわれてみると、老人の体格、小柄ではあっても古武士の如く無駄な肉づきがなくて、眼光も鋭い。「主にどちらの方で、御活躍しはったんです」「中国でしたな。重慶《じゆうけい》、延安《えんあん》などにも潜入したものです」そして、ふと低声《こごえ》となり、「一味の中に、楊田鼓《ようでんこ》という名の者は、おりませんでしたか」たずねたが、新吉にその心当りはない。「私の余生は、楊田鼓に対する復讐《ふくしゆう》にささげられている」老人、まなじり決してつぶやく。
「はあ、その楊田鼓いうのは、悪い奴なんですか」我ながら、能のない質問に思えたが、他にたずねようがなく、「そう、私のたった一人の娘を、廃人におとし入れた男です」老人、うなだれてうめくようにいい、「必ず探し出して、娘の恨みを晴らすつもりです。そのために私は、おめおめと今まで生命ながらえてきたのだ」いい終ったとたんに、ガタリと戸が鳴って、老人、まさに飛鳥の如くとび上がり、壁に体をはりつかせ、「しっ」唇に指を当て、あたりの物音に耳をすます。「毎度おなじみ、古新聞古雑誌をトイレットペーパーと交換いたします」遠くでスピーカーのひびわれた声がひびく。
中野学校OBの怨念《おんねん》
戦争の終った年の暮、神戸三宮には、日本でいちばん大規模な闇市ができて、ここをとりしきっていたのは、台湾人、朝鮮人、それに日本人暴力団であった。
国電のガード下がその主な舞台で、橋脚と橋脚の間|一小間《ひとこま》を三宮駅側から西へ数えて一番二番と呼び、二十六番までに、地面へゴザ、ムシロを敷き、主に食料品を売っていたのだが、この|しょば《ヽヽヽ》代が一日に百円。はじめは焼け焦げた砂糖を湯に溶かし、ひしゃくですくって、じかに飲ませいっぱい五十銭やら、近くの冷蔵会社に軍の委託温存していた乾燥バナナ、卵、魚などを、こっそり持ち出し並べた程度だったが、たちまち広がって、十月には物々交換が主な取り引き、靴一足持ってたたずみ、弁当箱いっぱいの銀シャリと交換し、軍隊毛布を釜《かま》と取り替え、十一月に入るとこれに泥棒市場風色彩と、進駐軍物資の横流しが加わり、中で楊田鼓が頭角をあらわした。
彼は、体格も力も抜きんでていて、駐留軍の服をまとい、時には青天白日旗染めだした腕章をまいて、さらに箔《はく》をつけ、しょば代徴収考えつくと各小間ごとに手下を配置し、その主だった者にピストル、小銃を持たせて、彼なりの秩序を築き上げたのだ。
もっとも、年が明けるとさらに西へ闇市がのび、高架下以外にもその舞台が広がって、朝鮮系、日本人暴力団がそこに勢力を伸ばしたのだが、昭和二十一年七月三十一日に、いちおう闇市の存在が名目的には許されなくなるまで、三宮といえば、すなわち楊田鼓といっていいほど、アメリカ軍でさえ、当時は手をつけずにいたのだ。
楊は、自分の取り仕切る各小間に、直営の店も出していて、情婦に商売させていたから、つまり二十六人の女を持ち、それもとっかえひっかえ目まぐるしく変ったが、中の一人に、老人の娘がいたという。
老人は中国に渡ったまま、いったいいつ帰国するものやら、いや中野学校出身となれば、その生死もいちいち報告されるわけではない。母は早く亡くなり、親戚《しんせき》の家に預けられていたのだが、ここも空襲で、家族全滅し焼跡の中に一人暮すうち、楊の毒牙《どくが》にかかったらしい。
というのは、中国から香港《ホンコン》へ脱出し、三国人に化けて老人が神戸へもどり、八方手をつくして、娘の行方をようやく探し求めた時に、すでに娘はモルヒネ中毒で廃人同様になっていたのだ。
楊は、女を力ずくでわがものとすると、これを麻薬中毒にしたてて、意のままにあやつり、半年この状態がつづくと、女はまるで老婆の如くにおとろえ、すると、大部屋に同じような連中軟禁して、餓死《がし》に追いこむ。
モルヒネ中毒のまま捨てれば、薬欲しさに何しゃべり出すかわからぬし、駐留する連合軍の中で、アメリカ軍は特に、麻薬にきびしい眼を光らせていた。
「親の勘というものでしょうかな。いや、私だって当時、他に食う手段がなくて、まあ、ブラックマーケットに入りこみまして、楊のいわば手先に雇われ、英語を少しやるもんですから、アメリカ軍物資の横流しを手がけました」名前は轟《とどろ》いていても、楊は六甲|山麓《さんろく》の焼け残った宏大な寺を、まるまる住居としていて、これは寺の建物が、塀《へい》といい庭の広さといい外敵を防ぐのに好都合のためだが、その生活ぶりうかがい知るどころか顔すら見ることはない。
楊がモルヒネ扱っていることは、老人に下される指令の中に、しばしば軍の医薬関係とコネをつけ、手に入れるよういわれていて、老人も勘づいていたが、大陸でこの害悪につき十分心得ているから従わず、「せめてもの救いでした、もし私がその便宜はかっていたら、自分の手で娘を死に追いやったことになる」老人がつらそうにいう。「娘さんとはいつ会いはったんですか」新吉思いがけぬ話をきかされて、居ずまいを正し、さっきから腹が減ってたまらないのだが、中座するわけにもいかぬ。
「当時はそれまでのどんな上流階級の人だって、闇市に足ふみ入れないでは日常の用が足せない、そういう時代でしたから、まあ、闇市にいれば、いつかは消息知れぬ娘に会えるのではないかと、同じ年頃の女見るたび、胸がどきっとして」
娘とさしてかわらぬ娼婦に心がいたみ、また、長靴をはき進駐軍のジャンパーはおって、男まさりの若い女にも、いたいたしさが先に立つ。
昭和二十一年の夏に、いちおう封鎖とはいっても、高架下のにぎわいはそのままで、ただこの頃から食料品にまじって、繊維雑貨が増えはじめたのだが、食料品ならば、素人《しろうと》も玄人《くろうと》もなかったのに、嫁入りの衣装や外国生地の洋服となると、やはり専門的な知識がいる。
米一升の闇値はきまっていたが、ツイードのニッカボッカーなど値段のあってないようなもので、いわばやらずぶったくりに、買いたたき、客に文句をいわせない。「買ポン」という種族が生れて、「売る人買うで、売る人買うで」と三、四人が組となり、その意思のない通行人にまといつき、身ぐるみはがし「はい買《こ》うた、洋服上下で三百五十円や」ぽんと手を打ち、その金を無理矢理押しつける。
文句をいうと、「商売したからには、売るか売らんかこっち次第やで。そやなあ、この服イングランドの生地やさかい、まあ孫子の代まで着られる値打ちもんやで、千円にしとこか」けろっとしていい、相手が悪いからすべて泣き寝入り。
若い娘が、これにひっかかって、木製の枠《わく》に帯芯《おびしん》で袋つけただけの手提《てさげ》をうばわれ、「これ売るもんとちゃいます」奪いかえそうとするのを、「まあええやんか、値エよう買うで」袋の中をあらため、新聞にくるんだ箱をとり出し「さあ何が出るか、指輪か宝石か、時計はオメガやったら千円でもろとく」いいつつ開くと中身は、人間の骨だった。
「なんやこれ」さすが買ポンもびっくりしてつっかえし、娘は涙ぐんでしまい直す。「まあ、気にしないで、ああいう奴なんだからな。こういう場所には近寄らないほうがいいよ」老人がなぐさめると、娘は「これ、お母ちゃんのお骨です。これから納骨にいくとこやのに」泣きじゃくり、「そうですか、気の毒に」言葉もなくかたわらにいると、「なんや、おっさんええかっこして、女こまそういうんちゃうか」さきほどの四人が、自分たちもいくらか気がとがめたのか、いや、そんな仏心のある連中ではない。買いそこねたうっぷん晴らしにいちゃもんをつけ、老人はついその喧嘩《けんか》を買って、あっという間に一味をなぐり倒した。
姿勢はいいが、小柄な体格だから、「なにか空手のようなこと、やりはるんですか」逆に図体ばかりでかくて、まるっきり非力、喧嘩が強いときいただけで、すぐ尊敬してしまう新吉がたずねると、「いやあ、中野学校で教わったんですがね、空手とも合気道とも違う、まあ殺人のための武術で」少々胸を張り、強い語調でいい、「二時間近く乱闘するだけの体力、いっぺんに五人を倒す業《わざ》がわれわれの任務遂行には必要でして」そばの煙草の罐《かん》を、掌に握りしめると、あっさり平たくたたんで、「なにより握力が第一ですな」罐をもう一つさし出し、新吉真似てみたが、へこますのがせいいっぱい。「えいッ」気合いもろとも、たたんで板になったそれを、手首の返しだけで天井にほうり投げ、すると、ずしりととても煙草の罐とも思えぬ重量感で突きささった。「手近にあるものを利用して、敵を殺す、そのひらめきが第二」老人つぶやいて、マッチの軸を二つに折り、そのとがった先端を指にはさむと、座布団に打ちつけて深々と刺す。これも新吉やってみたが、老人の見せたようにはならず、「人間なんてあわれなもので、動脈にこれがくいこめば、それでおしまい」溜息をついた。「ぼくまるで喧嘩弱いねんですけど、なにかこう楽に勝てる方法はないもんですか」図体でかければ、許しを乞う時の屈辱感もひとしおで、時に一念発起して、空手道場に通うつもりになるのだが、実現はしない。
「人間は体の中には、いくら鍛えても強くならない個所がある、たとえば鳩尾睾丸《みぞおちこうがん》のど笛こめかみ、土踏まずというような部分」いかに筋骨たくましい奴といってもここは赤ん坊とほぼ同じで、眼や脇の下もこれに入る。
「ここを狙えばいい。もっともいくらかは練習しないと、一言で眼を突くといえば簡単だけど、向うもじっとしていないからねえ」老人は中指と人差し指を立てタバコの罐の蓋を放り上げると、その落ちてくるのを指ではさみこんだ。「これを繰り返せば指の力もつくし狙いも正確になる」眼を突く時は相手の鼻に入れるつもりで、下から攻撃するのが|こつ《ヽヽ》。
たとえはずれても瞼《まぶた》に衝撃を受けると、誰でも一瞬たじろぐから、そのすきに逃げればいい。
「とにかく百メートルぐらいは人より早く走る力を持つことだなあ、われわれもはじめは走ってばかりいた。いざとなれば駆け出せばいいと自信があれば気楽に喧嘩もできるものさ」
新吉メモを取らんばかり、真剣に聞き入り、老人はまた、親指と人差し指で敵ののど笛を砕く術、万年筆を握りしめ、横なぐりにこめかみを打つことなど説明し、いわゆるストレートやフックは練習が必要だが、下から振り上げて敵のあごをくだく、横に手刀を振るなどは、誰でもできてかなり強力だと説明した。
とにかく老人、もののはずみで四人を倒したが、いずれ楊田鼓の一味だから、たちまち、十五、六人が現われ、かねて用意の日本刀を抜きつれたものもいる。
「ここが死に場所かと思いましたね。当面の連中はかたづけても奴ら、機関銃さえ持っていました、さらに些細《ささい》な理由で、日に一人や二人|蛆虫《うじむし》の如く殺されないことはないのだから、いまさら謝ってもすむ事態ではありません」老人、おだやかな口ぶりにもどった。
にらみ合ううちに強い外国|訛《なま》りの男が進み出て、「あんたの度胸買ったよ。ついてきなさい」いきりたつ男たちを押え、老人は先方の魂胆わからぬながら、この場合従うほかはない。
男に同行し、税関近くの戦前は財閥系の倉庫、現在は楊一味の物資隠匿所に使用されている建物に入り、ここのガードを引き受けないか、と誘われる。
物資狙って集団強盗がしばしば押しかけ、市街戦まがいの撃ち合いがあるのだ。「ピストルを渡されてね、そこには毛布や罐詰ガソリン、ときには密殺する牛までつながれていたねえ」同じ任務のいずれも特高くずれや予科練帰り、命知らずの若者が倉庫に寝泊りし、ここで、楊田鼓の悪事のあらまし胸におさめ、ことさらとがめだてをする正義感もないが、日本人の娘それも処女を楊が珍重し、奸計弄《かんけいろう》しては、ほしいままにもてあそぶと聞き、まさかとは思いつつそのくわしい様子を心がけてたずねた。
「医者を手なずけていたから、女が衰弱死したって、始末には困らない。たいていモルヒネ中毒の最後は肺炎で息ひきとるんだが、そりゃみじめなものです」老人沈痛につぶやき、働きぶりを認められて一年たつと、すでに外車を手に入れていた楊のボデーガードに昇格、生田神社近くの、そのいわば生ける屍《しかばね》集めた部屋をながめる機会を得たのだ。
窓すべてに鉄格子《てつごうし》がはめられ、頑丈な雨戸がたてられたまま、めくら畳敷いた十二畳の部屋に、薄い布団ひっかぶり、八人の痩《や》せこけた女があるいは奇声を発するかと思うと、壁に頭打ちつけ、また髪の毛ひきむしりつつ転げまわる、禁断症状なのだが、ろくに食事を与えないから、モルヒネの毒追い出す前に、息が絶えてしまう。
「ばれりゃ、大変だから、見張りもきびしいし、助け出すこともできない。どうせ長い命じゃないんだからと思って、こっそり薬を手に入れ、苦しんでる女に射《う》ってやったこともある。腕なんか火箸みたいになっててねえ」元気な頃のその表情、想像もつかないほどで、皮膚はかさかさに乾き、黄疸《おうだん》の如く黄ばみ、頬落ちくぼみ、歯が抜けて皆同じような表情に見えた。
「そこで娘さんと会ったんですか」「いや、まだそこまでひどくはなってなかった。ただ完全な中毒で、薬を餌《えさ》に、男をとらされていた」モルヒネ射ったとたん、生気よみがえり、通常の感情を取り戻すらしく、老人に女たちは、楊の悪逆非道ぶりを訴え「売春宿をいくつも持っていたんだな。それも外人相手から下級船員まで、いくつもの段階にわけて」楊に犯された女は、その寵《ちよう》を失うと、一家の幹部に回され、なぶられた末、タイプ別に、それぞれの宿へ送りこまれ、あげくの果てが、生ける屍。
老人の娘は、三宮駅近くの宿屋に居て、おもに闇市に現われる地方の客を相手にし、このあたり物語る時、老人ぶるぶると体震わせ、「楊田鼓かならず見つけだし、この手で息の根をとめてやる」新吉が薄気味悪くなったほど気迫のこもった声音《こわね》だった。
二十三年になると、食糧品よりも進駐軍の物資が闇市の主役となり、しばしば狩り込みがあって、三国人の治外法権的特権薄れて楊もおちぶれはじめ、となると売春宿の経営に力を入れ、老人はすでにすっかり顔を売ってシマ一つをまかされた。「私の取りしきる場所は長田区のほうだったが、三宮へ連絡に行って娘に出くわした。いや、娘が私に気づいたんだ。こっちはまるでわからない。なにしろ最後に会ったのが、十九年の秋で四年ぶりだし、二十歳前の女はどんどん変るからねえ、いや、やっぱりまさかと思う気があったんだろうなあ」娘は、あろうことか父親が自分たちの売春を監督する立場にあると知って、いったいどう考えたかわからぬ、首吊って死に、そのふところにあった遺書によって、事情がわかった。
それも闇に葬られようとしたのをひそかに報せてくれた者がいたから老人気づいたので、「私の名前だけが粗末な紙にびっしり書きこまれていた。私は」声をつまらせ大粒の涙をこぼして、新吉どう返事していいものやら、同じようにうつむいて娘の心境推しはかる。「私は姓も名前も捨てた。かつて大陸へ渡った時も親からもらった名を変えたが、こんどはきっぱり捨てた。この名前をよみがえらせるのは楊の息の根をとめたその時だ」「あの暴力団みたいなのも、楊に関係あるのですか」「そうだ、あれだけではない。日本中のそういった蛆虫の大本《おおもと》が楊なのだ。売春、密輸、麻薬王者といっていい」断言してまた声をひそめ「この部屋も近く引き払うことにしている。どうやら感づかれたらしい。あの女を尾行の際だって車をぶつけられた。危うく身をかわしたからいいが、ふつうならはねられたろう、降りてきた男たちは楊の手下なんだ」
へーえ、新吉はあきれて、すると俺も巻きこまれてしもたわけか、背すじが寒くなり、ちょうど陽がかげって暗くなった室内を見回し、今にもギャングが機関銃乱射しつつ、乗りこんできそうに思える。「もうここへは電話しないほうがいい。きっと盗聴されているだろう。私はこの部屋へ入るときかならず点検することにしてる。爆薬を仕掛けてないか、うっかりスイッチひねってドガーン」びっくりするような声でいい、新吉胆をつぶす。「水だって危ない、レストランにも回し者がいるだろう」なんや知らんオーバーやないかと考えたが、老人の表情きわめて真剣なのだ。
青糞党結成宣言
向き合ったまま、だまりこくって、憎む対象、怨念《おんねん》いだく相手について、新吉ふと思いめぐらせたが、まるで眼覚めて後の夢の如く、いっこうたしかな手ざわりがない。
老人のように、その名前を脳裡《のうり》に浮べたとたん、まなじり決しふつふつと血液の煮えたぎるような、殺してもなおあきたりぬ相手はいないのだ。
俺は大体もの判りがよすぎるのかも知れん。えらい親切にしたったのに、最後は後足で砂どころか小便かけて、裏切った奴がおるけど、べつに腹も立たん。奴には奴の事情があるねんやろ。裏切者いうたら、みな眼くじら立てて指弾するが、恩義にそむいた男の、その苦しい胸のうち察してやれば、そう攻撃することもない。
第一、人間胸に手エ当てて考えれば、とことん親身につくしてくれる人にかて、ひょっと足ひっぱったろかなど考えるもんやないか。背いた女も、噛《か》みついた犬も、相手の立場になって考えてみたら、怒れんもんや。そや「あなたは優しすぎるのよ。優しすぎて、周囲の人に傷を与えてばかりいるのよ」なんかいうた女がおった。
優しすぎるのやろか。新吉考えれば考えるほど、我を忘れるほどの激昂《げつこう》に身をまかせたこともなければ、また、何時《いつ》かみとれと胸中深く恨みいだいたこともないとわかり、がっくりする。
痩せた体に殺気みなぎらせ、端然と坐して、楊田鼓に復讐の念深める老人こそが人間で、自分などついでに生きてるようなものではないのか。
「うらやましいですな」あやうく新吉口にしかけて、言葉をのみ、戦後いうものは、いや、平和な世の中は、まったく自分の敵を見付けにくい。
食いもんの恨みは恐ろしいというが、こう豊富にあれば恨みようがない。かつて疎開とやらをした少年は、百姓にいじめられて、いまだに純朴な農民なんて言葉をきくと、気違いのように反論する。
「冗談じゃないよ。あんなに狡猾《こうかつ》な連中はいやしない。うわべ鈍重を装って、やることは悪どいんだから」米の飯たらふく食う百姓のかたわらで、芋の葉っぱにかぶりついた記憶をくっきり残している。かと思えば、戦前下積みの労働者など、資本家にしぼりとられて、ストを起せば、憲兵警察に殺されるとわかってたって、赤旗をふり立てた。
今のデモはありゃなんや、乳母車にゴム風船などかざり、にこにこ革命歌を唄って、あれでは社長重役びくともせんやろ。
軍隊でこっぴどくなぐられた連中は、しつこくそのことをいい立て、下士官ときいただけで青筋立てるのもいるし、軍歌を耳にしたとたんに席を立つ軍隊経験者もおる。不思議なことに|まま《ヽヽ》母という存在もなくなってしまった。
新吉が辛うじて、覚えている紙芝居では、|まま《ヽヽ》母はとてつもないしろもので、継子《ままこ》の弁当に蛇をつめこみ、その毒によってふた目とみられぬ容貌に追いやったり、盲の子供にうどんと偽り、みみずゆでたのを与えていた。現在の|まま《ヽヽ》母はどうか。えらい物判りがよく優しくて、継子も恨みようがない。妾《めかけ》だっていなくなった。妾の連れっ子といえばひがみの権化《ごんげ》とみなされ、ひがめばこそ頑張ったのだが、これさえ薄れてしまった。
わからずやで、なにかといえば日本刀ふりまわし、飲んだくれてばかりいる親父、女房子供を泣かせ飢えに追いやる男が影をひそめ、めったやたらにヒステリー起して、子供ひっぱたく母親も数少ない。
長兄に差別されたからこそ、末っ子は発奮して努力したのではないか。隣の子供の弁当にくらべあまり貧しいお菜《かず》だから、|てて《ヽヽ》なし子はなんとか卵焼きを食えるようになりたいと汗水流したのだろう。今は悪平等の給食でそのチャンス与えられず、進学だって同じこと。以前なら、歯をくいしばって上級学校を断念し、その口惜しさを長くかみしめたのに、現在はまあ誰でも大学へ入れる。入らなければまたそれなりに希少価値が生じて、珍重されてしまう。
新吉も、本来ならオナニストであることを悩むべきであろう。しかし、性科学者たちはオナニーなど男性の自然な営みといって、悩むことをゆるさず、劣等感などもともとは、軽々しく口にできない事柄のはずなのに、文化人が得々として、「劣等感のない人間はいない。いや、劣等感こそが人間の歴史を支えてきた」と賞めそやすから、むしろ美徳みたいになって、「ぼくはママ・コンプレックスの気があってねえ」などけろっという小説家もいれば、「お前は劣等感が強いな」と人にいわれて、鼻の下のばしたり、セックスについても同様で、同性愛者など、一昔前までは陰々滅々と生きていたものである。他人にかぎつかれまいと、ひたかくしにしたのに、今や堂々と、それを武器にマスコミの寵児にのし上がり、ソドミアの傾向は芸術家に欠かせぬ資格、レズビアンは往年の青鞜派《せいとうは》風あつかわれかたをしている。
新吉は、常住|坐臥《ざが》、楊田鼓からさし向けられるであろう刺客を警戒して、準備おこたらぬ老人の許《もと》を、夜更けに辞し、御苑通りのひっきりなし旅館街へ吸い込まれていくアベックながめながら、はじめ、いきどおっていたのだが、やがて空恐ろしくなりはじめた。
俺はべつに優しい性質なのではない。人を傷つけたり、憎んだりする素質がはじめからあらへんのとちゃうか。これも一種の片輪であろう。たしかに、空腹時の新吉は心を苛立《いらだ》たせ、不機嫌になるけれど、絶対的にその食欲のかなえられることはわかっている。ビアフラの幼児の飢えとは性質がまるでちがうのだ。
ビアフラでは、幼児の体格を調べて、まだしっかりしている者だけにミルクを与えるという。もはや食料恵んでも生きのびられぬと判断された子供は、飢えのまま放置されるのだ。
そこで差別されたものが、万一、成人したらどんな性格になるか。いや、その差別によって辛うじて生きのびることのできた人間は、世の中をどう観るものか。俺なんか生れてこのかた、切実な飢えも、苛立ちも味わったことがない。人につれなくされたって、少々優しい心とやらを発動させれば、万事世はこともなく過ぎていく。これをしも酔生夢死《すいせいむし》というのではないか。あの老人のように、人生の後半すべて、いとしい娘の仇敵《きゆうてき》つけねらうなど、この後も起るわけがない。コンニチハ、コンニチハ、セカイノクニカラや。鬼畜米英、うちてしやまんなんかいうのを、悪い時代と大人はしたり気に説明するけど、ええやないか。アメリカを鬼とみられるなんて、あの特攻隊かて、うらやましいみたいなもんやで。わが愛する国、愛する者のために、愛機もろとも火となって敵にぶつかる、こんなかっこええ死に方はざらにない。
憎む対象もないかわりに、愛するものも見当つかん、俺は誰を愛してるのんか。ひょんなことからうけついだ銀座の土地やけど、これを他人に奪《と》られたからいうて、俺は烈火の如く怒るやろか。
まあもとはただやさかいとあきらめるにちがいないし、娘がおったとして、モヒ中にされたらどうや、モヒ中なんでわるい。一夫一婦制度の中で、うじうじ生きるのと、モルヒネの妖《あや》しい世界の中で、めくるめく生を楽しむ方法と、どっちが上かわからへんと、まあ、あるいはごま化しかも知れぬが、納得させるにちがいない。
日本が、どこかの国に侵略されたとして、防衛する気起るもんやろか。もともと物心ついた時、すでに占領されていて、よう大人が、子供の頃戦争のない時代など想像もつかんかったいうけれど、こっちにしてみれば、独立国がどんなもんか見当もつかん。
一国の首都の周辺に、外国の基地が三つも四つもならんでる独立国なんか日本以外にないわけやから、愛国心ふるい起せいうたかて無理やろ。攻めてきた国を双手《もろて》で迎えて、でれでれとやっていくにちがいない。いったい俺の愛してるもんはなんやねん。ビンは糞で、禅介は酒、俺はマスいうことになるけど。
新吉、四谷三丁目の暗がりに身をひそめ、オナニーでもしないことには、自分自身が果してこの世にいるのかどうか、あやふやな気さえしてくる。六尺二寸の体躯を、前かがみにして右手をペニスにそえ、じっとにぎりしめ、もはやいちいちしごき立てずとも、時いたれば放出にいたるはず。遠くでサイレンがきこえ、タイヤのきしみがひっきりなしにひびく、三メートルと離れぬ街路を、ミニスカート、サロンエプロン、警官、スキーかついだ男、抜きえもんの女など、走馬燈《そうまとう》の如くに過ぎて、あたかも異次元の世界から現世をかいまみるような、白々しい印象。
十分して、しかし昂《たか》まりはおとずれず、新吉、真性包茎のほぼ三センチ余った皮をそろりそろりと上下にうごかし、しかし、前兆さえもないまま、寒さのせいかクシャミが立てつづけに出て、鼻をかみふたたび手にとった時、ペニスはちぢみきっていて、再度|鞭《むち》当てる気もない。
「オナニーもできんようなったんやろか」リンチで殺され、雄々しくそそり立っていた男のそれが浮び、怨念いだく素質がないのなら、逆に恨みをかうのはどうだろうか。
この世に自分を仇《あだ》とつけ狙う男がいるその実感は、かなり明け暮れを充実させるのではないだろうか。俺は、他人いためつけたことがなく、万引きほどの犯罪もおかした経験持たず、だから、ふいに後ろから肩たたかれてビクッと怯《おび》えるような、不吉な予感に心|滅入《めい》った記憶もない。
朝起きて、烏がさわがしく鳴きかわし、ひょっとすると死人がでるのではないかと、胸さわぎした時代は、楽しかったやろ。出がけに鼻緒が切れて、いやぁな気持になるとは、なんと豊かな情緒であろうか。公金|拐帯《かいたい》して、情婦と温泉に身をひそめる男の、風の音に身をすくめ、パトカーの姿に膝頭《ひざがしら》のふるえるなど、それが生きているしるしとちゃうか。
テロリストが、転々と住まいを変えて、機関銃かくし持ち、貴人の通りすがるのを待つ。その時あらゆる風景は、いかに見なれたものであっても、まったくあたらしい光をおび、その一瞬一瞬は、新吉の人生何十倍くりかえして及びもつかぬ、充実感に充ちているだろう。
老人に弟子入りするか、中野学校秘伝の殺人技を教えてもらって、自分の敵が天然自然とあらわれるを待つより、こっちから作ってしまえばいい。政府高官を殺せば、その時から、日本中が敵になるだろう。屁《へ》ェかまされたような顔して、今歩いているこの道も、そうなれば、一歩一歩が千鈞《せんきん》の重みを持つ。あの物陰にいる男は私服ではないか、後ろから同じスピードでついてくる足音は、尾行者のものではないか。突如、新吉きっと立ちどまり、通行人をにらみわたし、視野の中に交番があって、巡査が一人、ぽつねんと街並みをながめている、あれを後ろからなぐりつければ、それで事足りる。考えるうち、なえたペニス隆々と雄々しさをとりもどした。
「へーえ、お前も人殺ししたいのかい」新吉、ビンのアパートまで歩いて、その窓に灯がついていたからたずね、友人とはいえ、口外するつもりはなかったのだが、相変らずどこで仕入れてきたのか、ポリエチレンに入った糞を、棒で突きくずしつつ調べる姿に、「あんたそんなあほなことしとって、折角生れた甲斐《かい》ないやないか」知らずに新吉、興奮していたらしい、きめつける如くいうと、「生れた甲斐だって、へえ、妙なこといい出したなあ」べつにおどろいた風もないから、新吉、老人と出会いのいきさつ、そして現在の心境を説明したのだ。
「で、誰を殺そうってんだい。同じやるなら、大物がいいぜ」ビンは、書架から一冊の本をとり出し、「売春と同じく、人類の歴史からテロのなくなることはないだろうからなあ」近代日本における、竜馬にはじまり浅沼稲次郎までの、さまざまなケースを物語る。「俺はなにも、政治的な意図があるわけやない」「わかってるよ。にしてもだな、いくらか参考になるだろう。テロリストだって、必ずしも政治目的だけで、実行したかどうかわからんしね。案外、お前みたいなオナニストが、発奮した例だって中にはあるだろう」
飯食うなら、レストランへでもと、ビンさそったが新吉、珍しいことにいっこう空腹感を覚えず、窓から地上をながめおろして、自分を狙撃者《そげきしや》になぞらえ、誰も殺されるとは思ってないから、しごく気楽に歩いているけれど、地上三十メートルからインク瓶《びん》一つおとしても、命中すれば、人間は死ぬのとちゃうか。霞が関ビルの屋上からパチンコの球をばらまいたならば、加速度がついてピストルで発射したと同じくらいのスピードになりはしないか。
「禅介も、まったく同じことをいってたぜ。もっとも、奴ははっきりした相手がいるんだが」ビン手短かに、女性週刊誌による禅介の受難を説明し、「テロか、おもしろいかも知れないなあ」他人ごとのようにいって、「実は、さっき、俺が便所へ入ったら、緑色の糞がでたんだなあ。お前も多分そうだろうが」「子供やあるまいし、緑便なんかせぇへんよ」「いや、緑に間違いない。わがスカトロジーによれば、テロリスト、殺人を決意した者のそれは、緑にきまっているんだ」「ほな、ビンも殺したい奴おるんか」「いや、お二人さんほど明確な気持はないんだが、とにかく糞は嘘をつかない。緑色の糞がでた以上、俺はテロリストなんだ」
立ち上がると、新吉のそばに寄り、「お前も出してこい。緑色だったら、本物だ」「その必要ないわ、俺はもう決意してんから」「それがオナニストの単なる妄想か、あるいはお前のいうように、現在の自閉症的状態から脱け出すための、明確な意志にもとづくものか、糞でわかる」とってかえすと、ビンは禅介の残した糞をささげ持ち、「みろ、このあおい光沢を。見事なものじゃないか。彼の殺意に嘘いつわりはない」美術品ながめる如くいって、「こっちがさっきの俺の糞だ。これも緑青《ろくしよう》ふいたようになっている。文献によると帝政ロシア末期のテロリストたちが、このタイプの糞をしたということだ」
そこまでいわれると後にひけず、新吉は、万一、緑でなければ、やはり俺はあかん男なんやろうか。試験受けるような心細い気持で、一気にいきむと、これはあざやかなビリヤードグリーンに色どられていて、「ビン、ちょっと見ろ」思わず大声でさけび立て、「ふーん、これは珍しいなあ」ビンにも、分類の見当がつかぬ。
「それぞれ、理由はことなっても、テロを指向している点では同じだ。いっそ昔からのしきたりに従って、集団結成の式をあげようじゃないか」自分の糞にそそのかされたビン、禅介、新吉をその部屋に集め、マフィア、Q・Q・Q、血盟団、天誅党《てんちゆうとう》など、東西の故事を調べて、たいていは血をすすりあい誓いを固めるのだが、ビンは糞による相互の連帯を確かめようといって、三人おまるならべてしゃがみこみ、しばし後、そのいずれにも緑色の堆積《たいせき》のもり上がったのを、一つにまとめてこね合せ、「青糞党と命名する」重々しく宣告、各自、自らの糞を裏切らぬように誓った。
テロ行為への妄念《もうねん》
会議室から出て、いたる所にある時計、これは社長の時は金なりという信条に基づいているもので、男便所の朝顔それぞれの上にまで備えられているのだが、見るとまだ午前十時を過ぎたばかり。
ふだんならば禅介二日酔いの只中にある頃で、しかし、この三日ばかり、酒を手にはするが、酔いに溺《おぼ》れこむより、つい思いはまだ見たことのないカメラマンどのようにして殺してやろうかと、あれこれ思案にふけって、ふと気がつくと、架空のその家の間取りなど描き、まるで忍者の如くしのび入って寝首かく段取りや、あるいは遠隔操作で目的遂げる手段、たとえば、カメラマンの家へ供給する水道の本管探し当て、毒物を投入すればどうか、もとより、縁もゆかりもない何千人かが巻きぞえ食うことになるけれど、それはいっこうに気にならぬ。
ひょっとすると俺は、稀代《きたい》の残忍な人間かも知れぬ。禅介、にやりと一人ほそく笑み、笑みつつ、さぞかし冷酷な表情浮べているであろうわが面をたしかめたくもなる。とにかく、酒の量めっきり減って、また到底酔うまでにいたらず、眼覚めもしごく爽快《そうかい》なのだ。
月に二度、広告プロダクションに顔を出し、当面の広告制作について社員とディスカッションすれば、嘱託料五万円がいただける。
「全自動式トイレット」の愛称考案することから、校長が妾宅《しようたく》で事故死したため、受験生が減りそうな私立女子高校の、イメージアップを兼ねた入学案内文章にいたるまで、議題山積していて、しかし禅介は、ほとんど馬耳東風。
集まった社員たちいずれもダークのスーツ、しかも流行なのかみな窮屈な仕立てで、きらきらカフ・リンクスを光らせ、コピーライターというしろもの、どうしてこういかがわしい印象なのであろうか、フォルクス・ワーゲン、エービスのキャッチフレーズを成田山のお札みたいにあがめたてまつって、べつにどうってことないじゃないか。自分もその一人ながら禅介冷やかにながめるのが常。近代建築家、前衛音楽家という種族も、同じような感じだが。
それが今日は、「全自動式トイレット」ときくと、「全自動式殺人機」に連想が働き、議題とは関係ないながら、脳細胞活発に動いて、一人ほくそ笑み、なお、その考えを発展させようと、急ぎ足で廊下すすむうち、「救対資金カンパ」とビラの下がった箱を持ち、無愛想にたたずむ一人に気づく。うっかり立ちどまると、「いくらでもいいです。多い方がありがたいけど」つまらなそうに男がいい、「なんなのこれ」禅介たずねると、「なんだっていいじゃないですか。逮捕された同志の保釈金だよ」「逮捕されたって、どうして」「どうしてってねえ、まさか強姦や横領のわけないだろ。反体制運動にきまってるじゃないか」「はあ」禅介小柄だが、男はさらにチビで、ゲバラを真似たか、疎髭《まばらひげ》を顎《あご》に飾り、口調はしごく横柄で、「べつにあんたみたいな資本主義の寄生虫に金なんかもらいたかないけどね。まあ、お互いさま」「お互いさま?」「ああ、革命成就の暁は、こんな会社に禄を食《は》む奴、一人残らず銃殺だろうからなあ。その時、運よくあんた、俺に出会ったら、まあカンパしたらの話だがね。刑一等減じて重労働くらいにしてやるぜ」ひひひと笑って、さらに箱を突き出す。
禅介、これまでまったく思想活動、いわゆる運動に関心がなく、デモもバリケードも他人ごとに考えて来たのだが「ふーむ、銃殺ねえ。しかし、あれは後始末がたいへんだろう」「後始末?」「そうだよ。この会社だけでも六十人以上いるし、他に同じような連中、みな殺しにするとなりゃ、何十万じゃきかない。死体をどうする気かね。大量殺人の合理的方法といえば、なんといってもアウシュビッツだろうな。あれはね」昨夜、その記録を読んだばかりだから、禅介、ナチスの、しごく機械的な処理法ことこまかに説明し、すると男は初耳らしくて、「ふーん、さすがにドイツだなあ」仰天して禅介の言葉を傾聴する。
禅介気をよくし、近くの喫茶店に同行して、ユダヤ虐殺の大まかな説明の後、「革命っていうけど、どんな風にしてやるの?」「武装|蜂起《ほうき》に決ってるじゃないか」「へぇ、それはどっから来るの?」「どっから?」「だって武装といっても、日本じゃ武器が手に入らないだろう」男は大声上げて笑いだし、「だから認識が甘いってんだよ。武器はいたるところにある。もはや火炎瓶の段階じゃないからなあ。たとえば」声をひそめると、さまざまな化学薬品の名をあげて、その混合物の威力を説明し、首相官邸、放送局、防衛庁、国会を制圧、全国同志の蜂起を呼びかければ、たちまちにして腐敗しきった議会民主主義、官庁汚職、重税にいや気のさした国民も同調し、「朝起きてみたら、絞首台が待っていたってわけさ」また、ケケケと笑い、男の服装は、しごく金がかかっていて、蛇皮のジャンパー、皮のズボン、表へ出たとたんモダンジャズプレイヤー風サングラスをかけ、「しかし、あんなとこで金集めていて大丈夫なの?」禅介たずねると、「俺は社員だからな。下手にいちゃもんつけやがったら、社長|吊《つる》し上げてやる。誰にも指一本ふれさせねぇよ」嘘ではないという風に名刺とり出し、それにはCM映像主任の肩書きがあった。
「あんただけにいうけどね、俺は革命正規軍の秘密党員なんだ」満足そうにうなずき、正規軍の噂《うわさ》は、禅介も耳にしたことがあった。従来のゲバ棒、火炎瓶よりさらにエスカレートした戦術を呼号している団体で、だがそれにしては、昼前の喫茶店ほぼ満員の客の間で、プロレスをはじめて見た者の如く、声高に血なまぐさい話題を口にし、「大丈夫なのかね。もし、私服でも近くにいたら」危惧《きぐ》すると、「怖れることはない。革命をこそこそやろうなんてのが、旧時代の考え方なんだ。われわれは堂々と大衆の前に姿をあらわし、あらわすことで、半ばあきらめていた大衆を力づけ、未来への希望をふるい起させる」腕を組み、くわえ煙草でにたりと笑い、周囲見まわして、おのが弁舌に耳傾ける者はいないかと、逆にたしかめる。
禅介、五千円札一枚出すと、男は手っとり早く受取りを書いて、「あんた、話がわかるよ。われわれの戦列に参加するんならここに連絡してくれ」名刺の裏に電話番号を書き、すぐに立って「ああここはいい。俺払っとく」禅介の渡した五千円で、モーニングサービス二人分を済ませる。
禅介、以前にブルーフィルムを観たことがあり、その業者は自分の番号はもとより教えず、客の電話のナンバーも決してメモしなかった。万一の折を考えてのことだが、猥褻《わいせつ》とは比較にならぬ革命を志す連中が、そう簡単に連絡場所教えていいものなのか、狐につままれたような気がし、男のファッション雑誌そのままのスタイル、口に外国煙草くわえて革命うんぬんする姿思いかえすうち、げんなりして来て、思えば自分の殺人妄想も同じようなことかも知れぬ。
台湾坊主とやらの荒れ狂うらしく、強い風の吹きすさぶ街をとぼとぼ歩くうち、所詮《しよせん》、俺は何もやらぬだろう。頭であれこれ考えるだけで、決して実行にうつさぬいわばサロン殺人者にちがいない。今、あのカメラマンに会っても、多分、愛想笑い浮べ、「いやいや、お互いさま食うためですからね。そりゃ迷惑はしたけれど、考えてみりゃおたくを恨むより、あの雑誌の発行者が張本人ですよ」など、手をさしのべかねない。高揚していた気持がみるみるしぼんで、ウツ状態に落ちこみ、朝早かったから、眼までしょぼしょぼしはじめて、もう一度寝るつもり。家へもどると、「ちょっと、これ読んでよ」一通の手紙を龍子がほうり出し、みると別府にいる禅介も顔見知りの友人で、「旦那様の勇姿拝見。相変らずらしいわね。でも、あんな風に心おきなく酔えるっていうのは、やはり龍子がついてるからよ」禅介何のことか一瞬見当つかなかったが、「ねえ、あんたは判りゃしないってごま化したけれども、冗談じゃない。全国に知れ渡ってるじゃない」眼をひき吊らせ、「いやな女、だから女っていやよ、なにもこんなこと書いてくることないじゃない。折角忘れようとしてたのに」手紙びりっと引き裂いたから、「そうだよ。この人何かひがんでんじゃないか」つい釣られていうと、「ひがんでんじゃないわ。あざ笑ってるのよ。彼女別府のホテルの後妻に入って、亭主と年がちがうもんだから、たしかに肩身がせまいらしかったけど、あの写真でざまぁみろと思ったのよ。いったいどうなったの後始末は。ごま化されませんよ。早く訂正広告出さして頂戴。口先ばかりで弱虫なんだから。いったい本当にかけ合ったのかよ」弱虫といわれて、いささか図星でもあったから、禅介逆上し、それはくだらない手紙寄越した女にも腹が立つし、いつまでも過ぎたことにこだわる龍子もなんと分らぬ女か。正規軍と自称の男によって、下火になった殺意またむらむらとよみがえり、「冗談じゃない。訂正どころか俺はもっと」さすがに殺すとはいいかね、口ごもるのを、龍子せせら笑って、「口先ばっかり。あんたは酔っぱらってりゃ天下泰平でしょうけどね。私はどうすりゃいいのよ」ぶっと唾を吐きかけたのを禅介、ぬぐいもせず表にとび出る。革命家の女房はすべて悪妻であるという箴言《しんげん》を、どこかで読んだような気がし、吹きすさぶ風の中を、あてもなく歩き出す。
同じ風の街を、新吉は五階の窓からながめおろし、銀座のまん中だからビルに当ってねじまげられた風は、女のスカートを吹き上げ、横なぐりにプラスティックの看板をたたきおとし、車さえも足どり危なっかしく見える。
火イつけたらよう燃えるやろな。ビルとビルにはさまれた古い日本家屋、主人が頑固で絶対に改築しない。まるで薪木《たきぎ》積み上げたような化粧品問屋の店に眼をとめ、横の路地に石油しみこませた新聞一枚、火をつけてほうりこめばたちまち燃え上がるだろう。
新吉はかつて、八重洲口《やえすぐち》近くで学生と機動隊の合戦に行きあわせ、学生しきりに火炎瓶を投げたが、しごく子供だましのもので、それが新聞の写真では、道路一面火の海の如く撮れているからびっくりしたが、あの火炎瓶でも、この風の日なら、しごく効果的にちがいない。空を見上げて、雲の流れる方向をはかり、これやったら、練馬、板橋、王子、日暮里《につぽり》のあたり、家屋密集地帯に放火すれば、防火線の敷きようないのではないか。地震があったら、各家庭の火元を理想的に消したとしても、六百四十か所から燃え上がり、消防自動車はお手上げになるという。消防庁が出火予想地点として考えているあたりを、重点的に放火してまわれば、つまり効果的なのではないか。
戦争中は、天気予報も民間に報《しら》されなかったという、つまり、敵機空襲の便宜はかる結果となるからだが、現在では、何十日先まで懇切丁寧に教えてくれている。異常乾燥の続いた後の強風の日に、五十人がしかるべく火を放てば、東京なんかたちまち焼野原やないか。新吉、紅蓮《ぐれん》の炎が東京タワーをとりまき、超高層ビルの数知れぬ窓から有毒ガスを吹き出し、なにしろ軍艦でさえあれほど景気よく燃えるのだから、いくら不燃材使うといっても、ビルなどいちころであろう。品川、大森あたり、カビのようにならんだ家屋を津波の如く火のなめつくす光景思い浮べる。
およそ人を憎んだことも、恨みに思ったことも、これまで新吉はなく、それは自分がたぐいまれな優しい心の持ち主だからと考えていた。相手の立場に立ってものを考える癖が骨身にからんで、そやけど、ほんまにそうなのか、単に引っこみ思案だけではないのか。俺がオナニーにふけり、ひたすら腹ばかり減らしているのは、自分だけの世界に閉じこもって、外界との接触を怖れている、いわば自閉症とちゃうか。自分の世界を守るために、無理してやさしさをかり立ててるのではないか。虫けらの如くぶち殺された若者の、そそり立てたペニス、娘の恨みはらすため執念の鬼となった老人の姿にくらべて、俺なんか屁みたいなもんやないか。にわかに心が騒ぎ、誰かを憎みたい。あるいは恨み買いたいという強い欲望が湧《わ》き、しかしどうすればかなえられるか見当つかぬ。
銀座地下駐車場へ足ふみ入れると、ここに火を放てば、車つぎつぎ爆発して、手がつけられなくなるだろう、あるいは東名高速で、真鍮《しんちゆう》パイプが散乱し、タイヤに突き刺さって大混乱となったときけば、ヘリコプターで、主要道路にそれを撒《ま》き散らしたらどうなるか。具体的な対象考えつかぬまま、常に騒乱の工夫あれこれ練り上げていた。
風はますます強く吹きつのり、新吉、燃えさかる炎を高見からながめつつ、それにむけて、オナニー果す自分を考え、ふと、皇帝ネロの気持がわかったような気がして、包茎の逸物《いちもつ》ひき出したが、いかにしごけども不能のままで、このところ食欲もめっきり減退していた。
「テロといっても、さまざまな種類がある」禅介、新吉勝手におのが妄想追い求めるだけだったが、ビンは学究的にテロの歴史を調べ、ヤマトタケルの故事まで引き合いに出しながら「まず政治テロ。この中には個人テロ、集団テロ、体制側のテロ、人民側からのテロ」反体制側のテロは必ず弾圧を招き、集団テロは、民衆の反感を買う。個人テロについては、たいていが表面にあらわれぬまでも、一種の心情的共感者を持つもので、体制側のテロは、デマと抱き合せにされ、その混乱に乗じて果されることが多い。
「俺たちのは、何やろ」「今、調べてるんだが、どうも前例がないなあ」ビン首をかしげ、「俺ははっきりしておる。個人テロだよ。あのカメラマンと雑誌社に対する恨みを晴らすんだ」禅介きっぱりいったが、「そうかなあ。お前、えらそうなこといっても、女房に怒られなきゃ、べつにあんな写真くらいで、人を殺すつもりにはならないだろう」「要するにだな、個人のプライバシー、名誉を屁とも思わぬ現在のジャーナリズムに対し、俺は警鐘を乱打したいのだよ」「お前だって片棒担いでるんじゃないか。プライバシーとは関係ないにしろ、ろくでもない品物を、美辞麗句で飾って庶民のふところを空にさせるマスコミの中で生きてるんだろう」ビン|にべもなく《ヽヽヽヽヽ》いって、「要するにテロリストには、心のやさしい、傷つきやすい人間が多いってことさ。禅介はすぐ傷つくからなあ。新吉はこの上なく優しいし」
「お前はなんやねん」「俺は、前にもいったけど、死体愛好癖があるのかもしれんなあ。スカトロジストのいきつく先は、あるいはネクロフィリア、いや屍姦《しかん》ともちがうねえ。何ていうんだろ」ビン、書棚を探して、要するに西洋|骨董《こつとう》扱っているのもスカトロジーと同じこと。その造られた時の実用性を失い、人間の汗や脂にまみれ、ある時代の遺品として価値を生じたものにしか興味がおもむかぬ。ポンペイの遺跡なんてものも、人間の営みの残骸なのだから、糞とかわらず、この傾向をさらにすすめれば、必然的に骸骨しゃれこうべから、生身の死体におもむくのが当然だろう。「俺は、恨みもない、生甲斐たしかめるためにテロを行うのでもない。死体をみてみたいんだな」「ほな、何も殺さんかて、病院の霊安室にでもいったらええやないか。変死体やったら、監察医務院にようけあるで」「そりゃお前ちがうよ。スカトロジストの本領は、やっぱり自分自身による糞尿に興味そそぐことだなあ。比較検討するために、お前たちの協力をあおぐこともあるけどさ。死体だってそうよ。自分で手を下して、その変化をたしかめなきゃ、物足りない」「ほなら殺人狂やないか」「当り前だよ。あれこれ理屈つけたって、テロリストというのは殺人狂にちがいない。だから青い糞をひり出すんじゃないか」ビン決然といい切り、「絞首、射殺、斬殺、毒殺、窒息死、撲殺、衝撃死、墜落死、恐怖死、狂死、孤独死、圧死、水死、轢死《れきし》」項目を読み上げつつ、一冊の本を広げ、それは戦前ドイツで発刊された、殺人百科ともいうべき大部の書で、ナチスにより焚書《ふんしよ》にされた秘本だった。
死と死の対話
風ますます吹き募り、ビンのアパートは鉄筋だから、窓こそゆるがぬが、時に、ドシンと物のぶつかる如き音をたて、新吉、その窓によりかかり、まだ宵の口というのに人の気配失せた街路を見下ろす。
「絞首は通常、索溝《さつこう》の水平に近いものをいう。つまり両手、あるいは一方を固定することもあるが、紐《ひも》で首を締める、強い力が要るように思えるけど、女にも可能で、この場合、頸動脈《けいどうみやく》を圧迫されて脳に血液がおくられなくなるから、すぐ気を失う。針金などでやれば、知らずに骨だけ残し首を斬ってしまうこともある」ビン、大部の本をひろげ、ドイツ語は禅介、新吉苦手でわからぬが、精密な銅版画風|挿絵《さしえ》がそえられ、絞首のそれは、丈の長いスカートをはいた少女が、ベッドの枠《わく》に紐をしばり、男の首ひと巻きして、脚をふんばり締めにかかる図。「ほなあの、日本の死刑みたいなんはなんや」「正確には吊り首だろ。デスバイハンギングってじゃないか。あれは頸骨を折ってしまうんだな。神経が絶たれるから、瞬間的に意識を失う」昔のヨーロッパでは、吊りおとすより、滑車と分銅によって吊り上げることが多く、この場合は苦痛はなはだしい。「いかに注意しても、死刑台からぶら下がった時、紐がよじれて、左右交互にずいぶん長くまわりつづけるっていうなあ」テロを志せば、行く末は射殺か十三階段にちがいなく、新吉、二センチほども肉のつまめる喉仏《のどぼとけ》あたり指でさすり、空咳《からぜき》をする。「射殺はまあしごく馴染み深いけど、テロ行う場合、確実さを期するためなるべく相手の近くに接近すること、たとえばその口中に銃身こじ入れて撃つくらいの覚悟が必要だ」
ビン、拳《こぶし》を口にあてがい、「これは間ちがいない」また絵をしめし、それは顔の前面、眼の下から顎まできれいにえぐられた男のプロフィルで、「空砲で撃たれたんだそうだ。弾はなくても、ガス圧で吹きとぶ」もし弾があれば、後頭部はじき割れて、脳漿《のうしよう》四散する。
「ピストル自殺するなら、この方法だよ。腹や胸を撃っても助かる方が多い、無意識に致命傷を避けるんだなあ」つづいて斬殺、これはもう日本刀にかなうものはなく、支那の青竜刀、アラビアの半月刀など、すべて実際に骨身断ち割るというより、威嚇《いかく》のため使われ、刃も鈍い。だが日本刀は、膂力《りよりよく》さえ備わっていれば、真っ向唐竹割りというが、正中線《せいちゆうせん》に沿って、人体を二分することが可能で、もっとも、能率からいえば割はわるい。一対一なら槍《やり》、薙刀《なぎなた》にかなうものではなく、刀同士でも、由緒正しい剣法に従い、大上段からふり下ろすより、肩にかついで袈裟《けさ》がけの喧嘩《けんか》剣術の方が、はるかに有利。「そういえば、剣道の試合ってなわからないなあ。一本打ちこむまでに、あれじゃ満身|創痍《そうい》になってしまう」
禅介つぶやき、「日本刀はむしろ呪術《じゆじゆつ》的な恐怖感を与える。それで武士の魂とかいうんだろ」テロにおいては、斬るよりも突く方が有利、胸は骨があるから腹を狙い、肝臓、腎臓《じんぞう》に入れば、ショック死をもたらす。
「なんや中野学校でも、畳針で腎臓突くの教えてたらしいわ。血も出ぇへんし、声一つ立てんいうて」老人がいっていたのを新吉思い出し、心臓はむしろ刺しても、針の場合致命傷にならぬことが多いそうな。「毒殺はテロリストあまり使わないみたいだなあ。やっぱり公衆の面前で、一種のみせしめ的な効果を必要とするからだろう」これは中近東に多く、現在でも、まったくその痕跡《こんせき》をとどめぬ毒薬があって、それは心臓|麻痺《まひ》、ショック死の体裁をとるから解剖してもわからぬ。
その死因のわからぬ、つまり、一見して何の変哲もない死に顔の写真があり、こういうのをドイツ風|几帳面《きちようめん》というのだろうが、痩《や》せこけて眼ぽっかりあいたままのその表情がかえって薄気味わろき印象。だがさらに頁をくると、高圧空気の中に投入された死体があって、これは五体七穴より空気が入りこみ、腹も胸もゴムまりの如くふくらみきり、眼玉はあたかも子供の描いた人間の顔のように、まるく開ききり、中央に黒眼がちょこんとおさまっている。
「炭坑の爆発事故で、急激に気圧がたかまると同じ状態になる」ビン平然と説明し、つづいて逆に、低圧空気中で死んだ姿、皮膚がひび割れ、肛門《こうもん》から直腸、口からえたいの知れぬかたまりを吐き出し、眼球はとびでて、ころりと二つころがり、これも大きな裂け目を生じている。
「これみな拷問でやられたんか」新吉表情堅くしてたずねると、「さあ、写真そのものは事故とちがうかなあ」十九世紀から二十世紀はじめの頃までは、科学の実験すべて命がけで、装置不完全だったから、よく生命を失ったらしい。
「これが、いわゆるセメント履かすという奴だな」
アメリカ禁酒法時代の、ギャングのリンチ、ニューヨーク埠頭《ふとう》に沈められたのを、潜水夫の撮影した写真で、文字通り、四斗|樽《だる》ほどの大きさにみえるコンクリートのかたまりに両脚を固定され、魚にくわれたか、肩と腰ふとももの他いたるところ骨がのぞく。
エッフェル塔から墜死者は、頭蓋骨《ずがいこつ》がくだけ、丁度|煎餅《せんべい》のような顔になって、側面からの写真は、頭部の厚さ三、四センチに思える。
中に、日清戦争の際、日本軍の、捕虜打ち首の写真もあれば、明治初年まで残っていたらしい鈴ヶ森さらし首のならんだ台や、白人が黒人に行なった車裂き、これは四肢それぞれを馬に結び、四方に向けて疾走させるので、丁度ヘソのあたりを中心に四つ裂きとなるし、南米の蟻《あり》責め、蜜を体中に塗り、手足しばって密林に放置したその残骸、蜜の塗られなかったらしい足首から先だけ、残っていて、骸骨が靴をはいたように見える。
「もうええ、わかった」新吉うんざりしてビンのかたわらを離れ、窓によると、風はすこしおさまり、かわって雨がまじる。
「こんなことでおどろいてて、テロリスト志願など、ちゃんちゃらおかしい」ビン冷然といいきり、「白黒だからまだいいんだ。近頃の犯罪現場写真はカラーだからね、そりゃ生々しい」
立ち上がり、分厚い封筒とり出すと机にならべ、それは禅介、新吉もよく知っている、ここ五、六年間の著名な犯罪現場の姿。
禅介うっと喉をおさえ、便所へかけこもうとすると、「反吐《へど》ならこっちだぞ」風呂場をしめし、スカトロジスト、ビンとしては、神聖な研究室を、反吐で汚されるなど耐えられぬのだ。
「人間はどうして死体を見るのをいやがるのか」ビン、ブランデー傾けつつ学究風につぶやき、「大昔に死体を遠ざけようとしたのは、死病もたらしたそのばい菌のうつるのを防ぐため、腐敗して環境汚すことを嫌っていろいろ考えられたけど、現代なら消毒して、防腐剤ほどこせば、一週間はもつ。腐るのは内臓で、肉や骨はそうすぐは変らない。冷凍庫へ入れておけば、二年だって三年だって大丈夫さ。冷凍食品と同じことなんだから」
にもかかわらず、あわてて人間は始末しようとする。愛《いと》しい人間に死なれたなら、これを長く保存して、たとえ物いわぬにしろ、時折、その姿にふれたいのが人情ではないのか。
「悪趣味だよ、そんなん」新吉が抗弁し、「趣味の問題をいってんじゃないよ。人間が何故死体をいやがるのか、本当はよくわからないんじゃないかなあ」
ベトナムで戦死したアメリカ兵士は、かりに四肢ばらばらになり、何人ものそれがまじり合うような状態でも、原則としてはもとの形に復元し、防腐処置をほどこし本国へ送還する。
あわてると、左手が二本ついてたりするが、この際、決して舌を切りとってはならぬ。舌の肉は腐りやすいからと除去すれば、必ず遺族が抗議して、それは、別れの接吻《せつぷん》の際に、支障があるためという。
「外人は死体とキスする時も、ベロ入れたり出したりするんか」新吉舌なめずりしていい、「これはまあ宗教的な習慣なんだろうけど、死体をいやなもの、みにくいものと思ってるうちは、テロも本気にはできないなあ」
「つまりお前は何をいいたいんだよ」禅介頭かきむしってたずね、「お前たちみたいに、こんな写真みただけで、吐き気もよおすような低級なヒューマニズムでは駄目ってことよ」
ビン、口調が荒くなって「自分の内部、自己の存在との対話がスカトロジーならば、他者とのコミュニケーションの究極の形がテロルなんだ。お前たちのいってることは、糞が汚ないから、見たくない、いっそ糞なんかしたくないというのと同じよ。死体を見るのがいやで、どうして殺しができる」
悲憤|慷慨《こうがい》の態でビン演説し、「帝政ロシアのテロリストたちも、時に自分たちの行為に疑いをもったという。残酷きわまりない総督ではあっても、それが一家そろって団欒《だんらん》の姿をみたりすると、心がくじけたらしい。
それがいかん。一殺|多生《たしよう》なんてくだらん考えをもつから、逆にできなくなるので、テロリストは総督とのコミュニケーションを成立させるためにこそ、爆裂弾を投げるのだよ。虐げられた者が、虐げる者に対するこれはやさしい言葉なんだ」一方的にしゃべりまくり、
「テロルに遠隔操作はないんだ、わかるか。テロリストは自分の肉体をぶつけ、対象を殺すことで、対話を成立させる。この対話は断固として、都知事のいうが如きものではない。考えてみろ、ある国の一人の男が、気まぐれにミサイルのボタンを押す。すると、まったく男の見ず知らずの、何百万人かが死体にかわる」
ビンは、また写真集をひっぱり出し、それは広島、長崎の原爆犠牲者の姿、「これをみろ、これにくらべりゃ、個人の意志により、その生身によって殺すことの、いかに心やさしい所業であるか」
ビンの主張わからぬでもないが、新吉さすがに腹が減り、雨はまだ降りしきっているが、足音しのばせ表へ出ると、天候のせいか、近くのレストラン早じまいにしていて、空車ランプつけたタクシーのみ右往左往する。
脳裡《のうり》には、まだ見せられたもろもろの死体の、いかにも何ごとか訴えかけるが如き表情が生々しくはりつき、殺したとたんに、死体がぱっとかき消えてしまう、風船のようなものなら、ずいぶん気楽だろう。
テロリストたちは、目的を果し、その後生き長らえたとしても、相手の断末魔の表情を、死ぬまで抱きつづけて、これはたしかに、一種のコミュニケーションかも知れぬ。
大杉栄を殺した甘粕《あまかす》は、日本瓦解の際自殺したけれど、生存中何を考え、死に臨んで、どういう所感をいだいたのか、天に代りて不義を討つやら、一殺多生といった大義名分をいただくテロは、テロでない。
それは一種の立身出世主義、あるいは、猿まわしの猿であろう。殺すものと、殺される者の、わかちがたい連帯のためにこそ、テロルが行われる、いや、そうあるべきだ。
タクシーに乗り六本木に向いつつ、新吉いくども死者の姿を思いかえし、しかし、俺が対話したい奴はどこにおるねん。
スナック見つけて、新吉雨にぬれた髪やら肩、手でぬぐいつつ足ふみ入れると、コック一人にレインコート羽織った二十歳前後の女客だけ、新吉に目もくれず話しこみ、視野の中に美しい女の姿あれば、たちまちぎごちなくなるから、なるべく隅に陣どって、「スパゲッティとカレーライス」注文し、一人で二人前たのめば、必ず不審の眼で見られるとわかっているから、ことさらコックからそっぽむく。
「へーえ、新聞紙にくるんで」「そうよ、私びっくりしちゃってさ。だって、預かるったって、こわいでしょ。それにさ、斬ったのがうちの包丁なんだもの」コックはゲイ風言葉づかいをし、「どの包丁?」「これなの、もちろん、すぐといでもらったけど、気持わるくってねえ」「あるのねえ、本当に指つめるって」「わりかしめずらしくないんですって」
新吉ながめると、芝居がかって女長い包丁をかざし、「よく切れそうね」「そりゃ切れなきゃ商売にならないもの、首だって落せるわよ」いいつつ、コックうつむいてフライパンの火加減調節し、鍋《なべ》をかきまわす。
その上に女、きらりと包丁ふりかざしたから、「あっ」思わず新吉立ち上がり、女にやりと笑ってウインクし、コック事情知らぬから、きょとんと新吉をみつめる。
「おたく、いつも二人前召し上がるの?」気やすく女がたずね、「カ、体大きいからね、しゃあないわ」「何キロくらいある?」「さあ、百キロは超えてないやろけど」もぞもぞいい、話題かえるために、
「誰か指つめたん」「うん、この包丁でね。それで指先をこの人預かってたんだって」女、コックをしめし、「女のことで、もめたらしいのよ、マキシにパンタロンはいてるカッコいい男の子だったけど、やることは古いわね」
「いいじゃないの、小指のないパンタロンなんてさ。ねえ、どうなるの、切りおとした指って」「見ないわよ、気持わるい」「どうして、私わりに好きよ。交通事故なんかあったら走っていくもん。一度ね、まともにはねられた女の人みたわ。あれカッコわるいわね、むき出しになっちゃって。私の友だちで、殺しちゃったのがいるのよ、車で。ボンネットの上に乗っかって、バアするみたいな顔してたって死んだ人」
「それで、そのはねた人、気にしてないの?」「そうねえ、やっちゃったあなんていって、少し元気なかったみたいだけど、お金払ってすませたんじゃないの」
事故とテロはちゃうやろな、新吉べつにその男を冷酷とも思わず、最後のカレーひとさじ口にほうりこむ。「ねえ、おたく死んだ人見たことある?」女興味|津々《しんしん》といった風にいい、よくみればえらい美人だから新吉サービスのつもり、ビンのところで見た死体種々相克明に物語ると女席をうつし隣にすわって、「それ、おたくがみんな実際に見たの?」「まあね」「おたく何してる人なの、新聞記者?」「そういうわけちゃうけど」「警察じゃなさそうだし」「あんたも、えらい好きやねんねえ」からかうようにいうと、すぐひと膝《ひざ》のり出して、「そうなのよ、ねえ、ヒルデガルドって女の人知ってる?」
「いや」「ナチスの収容所長の奥さんでね、人間の皮をはいでランプのシェードつくったんですって。義歯をくみ合せてシャンデリヤにしたし、魚を飼ってる水槽《すいそう》の底に、びっしり人間の爪をしきつめたのよ。マニキュアしたのもあって、きれいなんだって」眼の色かがやかせていい、「最高じゃない、いちばんの贅沢《ぜいたく》よねえ」
「あんた、気味わるうないの」「どうして、どうせ死んじゃった人のものでしょ、使えるんなら使った方がいいわよ。さっきの指だってさ、ミイラみたいにしてペンダントに作ったらちょっといかしてるじゃない。ほら、孫の手ってあるでしょ」「背中かくやつ」「そう、私はじめね、本当にお爺さんが、お孫さんの手ちょん切って、使うのかと思ったのよ、欲しくってね、そしたら竹でできてんじゃない。がっかり」
けたけたと笑い出し、「ねえ、もっと教えてよ。私わりにお料理上手なの。御馳走するわ」スパゲッティ運んできたコックに、「ごめんなさい、この分払うから」
女手早く札をとり出して新吉のつけ入るすきなく勘定をすませ、女腕をとると、雨の中ものともせず歩き出す。ひょっとして、俺殺されるのんちゃうか。値踏みするように、じろじろ体つきみていたのが気になり、料理上手も勘ぐれば気味がわるい。
「コレクションみせたげるわね」女があどけなくいった。
嗜虐憧憬《しぎやくどうけい》の女
家具調度の様式も気まぐれなら、色彩も出たらめ。近頃六本木青山におびただしく建てられた外見ばかり洋菓子の如くきらびやかなマンションの一つ、かなり高級な部屋にちがいないのだが、女に腕ひっかかえられ、一足ふみこんだとたん新吉異様な印象をうけ、それはあたかも窃盗犯行現場のように、なんの心くばりもなくばらまかれた下着、衣装のまさに足の踏み場もなく、だが、女いっこう気にもせぬ。
「あなたお風呂に入る? 濡れて気持わるいでしょ」「いや、べつになれてるし」新吉眼のやりばに困り、どうにか赤いエアクッションの椅子に腰下ろしたものの、すぐかたわらに脱ぎ捨てたままのパンティストッキングが、黒いパンティとからみあって鎮座ましまし、テーブルにブラジャーあぶなっかしくひっかかっている。「じゃ、何かつくるわね」女、世話女房風にアコーディオンシャッターがらがらと引きあけ、キッチンむき出しにし、冷蔵庫や戸棚乱暴に調べて、「しけてるなあ。何もありゃしない」それでもフライパンをレンジにかけて、新吉は女のいっていたコレクション、スナックでのものいいから察すれば、さだめしグロテスクなしろものと思えるけれど、あたりうかがって、そのしるしはない。
船箪笥《ふなだんす》長火鉢にならんで白い鏡台その上に大きな支那|提灯《ぢようちん》、天体望遠鏡があるかと思えば古い薬屋の看板、スコップ一丁の横にステレオスピーカーが縦に重ねられ、シルエットの女性プロフィール写真と寄席《よせ》のポスター、きょときょとながめる新吉のかたわらに、女、フライパンごとさし出して、「出来たわ。ありあわせのものでごま化しちゃった」パンを油でいため、どうやら卵と砂糖まぶしたらしきもの。「さてと、サテモナンキンタマスダレ」意味不明のつぶやきを残し、それでも懸命に新吉もてなすつもり。片時も腰下ろさず、コーヒーもないのかミもフタもなく水をそえ、やがて大部の羊皮で装われた一冊の書物「こんなの興味あるかしら」みれば、一種の刑罰史とでもいうのか、宗教裁判で惨殺される男女の絵や、江戸時代|牢屋《ろうや》の様子がえがかれ、新吉うんざりと、二、三頁に眼をはしらせ、フライパンの中身にも食指動かぬから、自分の物好きにあきれつつ、退散の口実探しはじめる。
見知らぬ美女にさそわれて、その一室へおもむくなど、所詮《しよせん》は週刊誌の絵空ごと。おっかなびっくりながら、またいささか助平心もないではなかったのを自嘲《じちよう》気味に思いかえし、女の姿見えぬから、いっそだまって帰ってしまえばいい。
風呂へ入ったかトイレに引きこもっているのか、足音忍ばせ、ドアに向いつつ、何気なく、わずかにあいた部屋のとびら、のぞきこむと、女は同じく乱雑にちらかったベッドの上に、腹ばいとなり、左右の脚を膝から交互に曲げて、激しく動かし、左手を首の下にあて、その顔の前にアメリカのグラフ雑誌がみえる。
あまり見なれぬポーズだし、ひたむきな感じがあって、新吉つい視線釘づけとされ、脚を交錯させているだけでなく、腰もわずかに律動し、どうやら右手を体の下に当てているらしい。
人からその按配《あんばい》聞いたことも、書物で読んだこともないが、明らかに女性自慰の姿だから、新吉うっかり体動かせば、女に気づかれるのではないか。そして、自慰を人に知られた女、その屈辱のあまり自殺でもするのとちゃうやろか。いや狂った如く、襲いかかるかも知れん。いそがしく脳裡に思いつつながめつづけ、女の姿には、まるで赤ん坊のむずかっているような、ある可憐《かれん》さがあった。
レインコートの下は、黒いパンタロンと白いブラウスで、少しずつ、ずり上がりながらやがて体が波打ちはじめ、歯をくいしばり苦痛に耐える如きうめきがもれ、首にあてがっていた左手で、手早くパンタロンずり下げると、横向きにポーズをかえ、新吉と向き合う形になったが、女の顔の前には雑誌が屏風《びようぶ》のように支えられて、視線は合わぬ。雑誌の表紙は、おびただしいベトナムの、射殺死体の写真で、そのすぐ横に女の、すんなり長い脚があり、片方を立て膝し、残る一方も膝からまげて、かかとをヒップのあたりへくいこませている。
急に雑誌が投げ捨てられ、女は動きをつづけながら、新吉の姿眼に入らぬのか、すぐ枕もとをまさぐって、別の一冊をとり出し、それはフランス文字のやはり雑誌で、表紙から判断すればアウシュビッツの記録らしい。
女はあおむけになり、左手で雑誌をささげ持ちつつ、右手は下腹部にあてがわれて、腰うごめかせつつ脚をまた開閉し、すでにパンティも取り除けられ、なにもかもあからさまなのだが、不思議に卑猥《ひわい》な印象はない。日本人ばなれした白い肌で、体毛も黒々とまさしく蝙蝠《こうもり》の張りついた如く、その周辺をマニキュアほどこした五本の指、その一本一本が別の生物のようにしなやかにはいずり、またのみこまれ、雑誌をながめ入る女の表情にも淫蕩《いんとう》な色はない。
四冊、雑誌を替えたあげく、女はようやく苛立《いらだ》ち、またうつぶせになると、ベッドごと抱きしめるように両手をひろげ、胎児の如く身をまるめ、そのきしむ音にまぎれさせて、新吉身をひき、女の痴態に刺激されたわけではないが、やはりこのまま部屋を出るのも心残り。
台所で水を飲むと、流しのすみに油虫が二匹寒さのせいかにぶい動きで餌《えさ》を求め、あたり食器や皿小鉢ちらかり放題だから、何気なく片づけ、女に肉親友人はないのか。なぜあんな残酷な絵や写真を好むのだろう。べつに同じオナニー愛好者だから、というわけでもないが、あられもないその姿を見てしまうと、赤の他人には思えず、新吉に妹はないのだが、なんとなく兄貴がわりにいたわり、そのどうやら孤独であるらしい心をなぐさめてやりたい。
散乱する下着に手を出すのははばかられ、当りさわりのない品だけ、時計を箪笥の上灰皿を机にと、本来あるべき場所にもどし、トイレットの横の廊下に本棚があり、スクラップがびっしりならぶ。一冊引き出して調べると、どこで手に入れたのか、殺人現場の写真、きちんと片づいたアパートの一室に、若い女の絞殺死体大の字に横たわるもの、えらく鮮明でドアの近くにかけたのれんのこまかい模様まではっきり浮き上がり、何一つ乱れていないのがうす気味わるい。
次は学生服の男の、箪笥の鐶《かん》に紐をかけ、前のめりに首吊る姿、検屍台《けんしだい》の上に載せられた女の写真、母親と嬰児《えいじ》の心中死体、雑木林での女学生強姦殺人現場と、あきらかにこれは警察の実地検証、あるいは警察医の撮ったものだった。
「もっとすごいのあるわよ」ふいに女が声をかけ、盗み見にちがいないから新吉あわてふためき元へもどそうとし、「いいわよ。気に入ったらあげる」女はブラウスと腰にタオルまきつけた姿で、「ねえ、さっきの続きの話きかせて」みなし児の如く心細げにいい、「ねえ、ビルのてっぺんから落ちると、人間の顔がお煎餅みたいに平べったくなっちゃうって本当?」誘い水をむける。
新吉は、ふと幼くして両親を失い、たよるべきよすがもないまま、飢えと寒さにお互い身を寄せあって、確実な死を待つ兄と妹のような錯覚が起り、それは決していやなものではなく、甘美な情感にあふれていたから、女の肩を抱き、ソファにならんですわって、「私、小百合っていうの」はじめて名乗ったその名前を、こだわりなく呼びつつ「昔は、飢饉《ききん》というのがようあった。今みたいに農業技術も進歩してなかったし、農薬もあらへんでしょ」お伽噺《とぎばなし》風に語り出し、その凶作も一年だけならいいが、二年三年と続けば、当然草根木皮も食べつくして子供を売る。
「天秤棒《てんびんぼう》に籠を吊して、童《わらべ》買いいうのが村から村へ歩きまわるねん」「子供を食べちゃうの」「童いうても、せいぜい当歳にかぎるらしいけどな。百文くらいで買《こ》うたらしい」そのうち女児は、まだましというか、あるいはさらにむごいとみるべきか。眉目《みめ》よき赤ん坊は小金のある家に売りつけ、これは将来の娼婦に仕立て上げられ、男児はすべて大人の口腹に供せられた。「夕暮れなんかになると、子供たちはみな息をひそめて納屋に身をかくすわけや。そのうち火のついたような赤ん坊の泣き声がして、さらにそれを追っかけて、子供の悲鳴があがる。弟や妹が童買いに連れ去られると知って、必死に追いすがるわけや」新吉、それほどくわしく童買いを心得ているわけではない。
中学の頃、教師が授業のつれづれに、「人間なんて、えらそうな顔してても、実際腹減ったら何をするかわからへん」戦場での食人や、日本内地でだって稀《まれ》ではなかったその実例としてあげたのだが、小百合にしゃべるうち、あたかもその現場に居合せたことのあるように、生々しくその情景、夕焼けの具合や幼児の阿鼻叫喚《あびきようかん》のさまが浮び上がる。「で、どうやって食べるのかしら、その赤ちゃん」「脳味噌がやっぱり珍重されたいうな。猿と同じや」「ふーん」「猿の場合は、テーブルに首から上だけ出る穴をあけて、脳天を玄能《げんのう》で叩きつぶし、スプーンですくいながら食べるそうや」「生きてるのかしら、その時赤ちゃんは」「さあなあ」
いいつつ、新吉もここまでくれば、いっそう徹底して無残なことを口にしたくなり、「やっぱりいきのええ方がうまいのちゃうか」「でしょうね」小百合しごく真面目にうけ、画用紙一枚|膝《ひざ》にのせると、さらさらとテーブルをかこむ男の姿をえがき「一時ね、イラストレーターになろうと思ってたの」けっこうそれらしく脳味噌に舌鼓うつシーンの形ととのえ、「ねえ、他にない?」
「さっきあんた見てたん、ソンミ虐殺の写真やろ」いってから新吉、これはつまり自分が小百合自慰の姿ぬすみ見た証拠と気づきあわてたが、小百合はこっくりうなずいて、とがめ立てせず、「あれもしばらくはよかったけど、もう駄目」駄目というのは、自慰のための刺激とならぬ意味なのか。
「あんた、ああいう写真みな興奮せえへんの」「うん」そらまたなんでや、たずねたいが小百合すっかり身をもたせかけ、ねだるような表情だから、「日本軍かて、中国大陸ではごついこと仰山《ぎようさん》してるわ。特に膠州湾《こうしゆうわん》上陸作戦の時は、こっちの犠牲が多かったせいか、日本軍の進撃した後に犬一匹生きてなかったいうな」有名なM兵団のエピソードは、父親にきかされたものだった。
戦死した中国兵は、すべて下半身をむき出しにしその性器を傷つけたというし、婦人ならば竹や棒切れを突き立て、わざわざそこに部隊名をしるしておいたという。「なんであんなことしたんかなあ。生きてる女の四肢を棒にしばりつけて、豚でも運ぶように担いで次の駐屯地へ運んだもんや。どういうわけか目覚時計が同じ棒にぶら下げられてて、途中で急にベルが鳴った時、かついでる連中びっくりして逃げだした」父が物語り、戦闘の後では、いかなる不能者であっても、色気違いになった如く、屍体であろうと何であろうと犯すものだという。
「もう死後何日もたって、蛆虫《うじむし》のわいているような体でも、女であればのしかかっていくねんて」「へえ」「そらまあ、死体と生きてる人間の区別なんか、そうつかへんやろからな。ついさっきまでピンピンしてたのが、爪の先くらいの破片で死人にかわるわけやし」そうかと思うと、下半身を完全にくだかれ、腸を大半はみ出させながら、敵襲をつげるさけび声にむっくり起き上がり、何百メートルをはいずり逃げるほど、しぶとい面も人間は持っている。
新吉は、小百合の肩を抱きつつ、兄が妹にやさしく昔話きかせる風情《ふぜい》で、みてきたような血なまぐさいなにやかや物語り、つれて小百合うっとりまた先ほどの指つかいにふけって、「すてきだわ。もっとお話をきかせて。ねえ、やめないで」膝の上に身を横たえ、両脚を立て膝し、新吉に見入る。「残酷といえば、やっぱし女の方やろな。支那の昔のお妃《きさき》なんか、気の食わん奴の四肢切りおとし、眼の玉くりぬいて厠《かわや》の中にとじこめたいうからな」
それでも半年近く生きのびたそうで、また、顔と手足だけを突き出させ、胴体を塀《へい》にぬりこめて、「人茸《じんじよう》」と称し苦しむ具合を酒の肴《さかな》にした話も伝わっている。
新吉、やがて、愛の口説の如く小百合の耳もとにささやき、自らも裸となってベッドにうち伏し、小百合の、今はまったく先ほどの苛立ちを見せず、うっとりと身をまかせるのに、体合わせて、新吉はテロル行う自らを思いえがく。
その対象はまだつかめぬながら、とにかく殺すべき相手が車の列を連ねて街路を過ぎる。新吉は同志としめしあわせ、ビルの屋上に陣取って、目ざす男のどう逃げようもないタイミングをはかり、手投げ弾を雨あられと降らせる。
煙硝の臭い、血肉のとびちるさま、悲鳴混乱まざまざと浮び、だが、自分の殺すべき対象がどのようにのたうちまわり、そしてテロリストである自分は、この情景眼にしておびえるのか、あるいは助け求めて、あわれみ乞うのか、肝心な点はあいまいのまま。
「もっと、お話しして」小百合もどかしげにつぶやき、「あんこう斬りいうの知ってるか」「知らない」「あんこういうのは、料理する時に、天井から吊して包丁いれるねん。ほしたら、内臓がどっとあふれ出して、なんせあんこうは貪欲《どんよく》やから、消化してない魚がいっぱい胃袋からとび出すねんて。それと同じにやね、人間も両手しばって吊して、みぞおちからぱかっと切り裂くのがあんこう斬りや。戦国時代の刑罰にある」「どうなるの?」小百合、こきざみに体ふるわせつつささやく。
「肝臓とか膵臓《すいぞう》を斬らんようにして、胃と腹だけ立ち割る。血しぶきあげてそれこそ|ひゃくひろ《ヽヽヽヽヽ》が床にずり落ちる。それだけでは即死いうわけにいかんから、えらい苦しむわけやな」「それを犬かなんかに食べさせたら」「ええ?」「自分のはらわたをがつがつ食べられて、上からじっと見下ろしてるってどんな気持かしら」
「そやなあ」新吉そこまで考えなかったから、しごく当り前に「そうええ気持はせんやろ」もぞもぞいったとたん小百合の体弓なりに反って、二十六貫を越える新吉かるがると宙に浮かせ新吉ふり落されまいとあわててかじりつく。
「あんたもそやけど、えらい難儀な癖もってるねんね」新吉中途半端のままベッドをおり、死んだように動かぬ小百合に声かけると、「変態なのかしら」「サディストいうんかなあ」「でもべつになぐったりけとばしたりしたくないんだけど、死体が好きなのよ」ではビンと話が合うにちがいない。「俺の友達によう似てるのがおるわ、あんたと」「私のために人を殺してくれないかしら。そうしたら死んでもいい。自分ではとってもできないけど、私だけの死体をプレゼントして欲しいなあ」無邪気な顔でいい、「ぼくたちのグループ入らへんか」「どうして?」「ひょっとしたら望みかなえて上げられるかも知れん」新吉はまた小百合をあわれに思う気が起り、自分たちのテロは、目的を達成すれば死体にことさら用はない。小百合にささげれば、むしろ仏の供養。
死体巡礼
死体もまたスカトロジーに包含《ほうがん》し得ると、いったものの、ビンろくすっぽ亡骸《なきがら》を見たことがない。以前ならば兄弟姉妹も多く、そして二人や三人|疫痢《えきり》肺炎で夭折《ようせつ》するのが当り前。朝《あした》の紅顔夕べの白骨と浮き世の無情骨身にしみたものだし、家族制度の中では、年に一人や二人仏が出て、親族縁者寄り集い、その唇に水ふくませもした。
だから、死人とのつきあいも縁《えにし》深かったが、今は、ビンの年頃まで、死に水とった経験のない方が当り前で、友人の一人が白血病にかかり、命旦夕《めいたんせき》に迫ったのを見舞って、その死相うかがいみたのが関の山、不吉な資料山と積み上げてはいても、実地にはうといのだ。
「頼みがあるんだけどなあ」ビン、大学病院医局に勤める中学時代の上級生に電話をかけ、なるべく風変りな死体をこっそり見せてもらいたい、申しこむと「大学じゃ無理だけどねえ、俺が宿直引き受けてる救急病院なら、こりゃ年中仏さんが出るなあ。いわゆる変死体という奴だが」上級生は外科医で、ビンこれまでにも、スカトロジー医学的面でのレクチュアを受けたことがある。大腸、小腸などいわば、下痢便の袋のようなもの、直腸に近くなってようやく固型となることやら、切腹などカッコいいようにみえるけれども、腸を立ち割れば血もさることながら、糞《ふん》がとび出して、きっとその現場は便所の溜《た》めひっかきまわしたような臭いがするにちがいないなど、しごく冷たい見解を披露《ひろう》していた。
「死体といってもねえ、近頃は行路病者も少ないし、施療患者もみんな医療保護だからなあ。今の学生は解剖実習にも困ってる」とりあえずビンが大学病院へ出かけると、外科医、洗面器に両脚つっこみ水虫の治療中で、「死体だけは代用がきかないからなあ、実物をじっくり手にとってみないと」医学生が、必ず解剖実習を行うのは、筋肉や神経組織、臓器をいちいち目で確かめる意味もあるが、さらに人間を一個の|もの《ヽヽ》として、よくいえば科学者の心がまえ、まあ、人間の死について|たか《ヽヽ》くくるための準備といってよく、単に構造を知るだけなら、精巧な人形細工でも間に合うのだ。
「今、何体くらいうちにあるんだろう」メモとらんばかりに、熱意こめて聴き入るビンに同情したのか、外科医は解剖実習用の、死体貯蔵庫へ連絡し、「五月から実習で、今はやってないけど、そんなに見たいなら、上からのぞいてみるか」ビンを誘う。上からといわれて見当つかず、ただうなずいて従うと、一棟はなれて建てられた木造平屋の古い教室に入りこみ、科学実験室というか、あるいはマンモスサウナの、洗い場にも似ていて、床はコンクリート、長さ六尺幅二尺ほどの石造りの台が四列にならび、いずれも水道の栓が備えられている。「大体、死体一個に四人が標準なんだが、今はもっと多いかも知れんな」いちおう教室らしく、黒板があり、その横のドアをくぐると、急に冷えびえした感じで、強い薬品の臭いが鼻をうつ。「おじさん、おじさん」外科医さけんで、返事がないから、そこにかけられたゴム手袋をはめ、長い竹竿《たけざお》の先に鳶口《とびぐち》のような爪のついたものをかつぐと、べつに面倒くさい表情もみせず、すみのあげぶたを引きおこし、「この下が、まあ死体貯蔵庫というわけだなあ」ビンものぞきこんだが、二尺ほど下に水面があり、もとより水ではない。
「無断でさわったら怒られるかなあ」竹竿の先で水面をつっつくと、かすかに鈍い音がし、にわかにざわついて、二つ三つのかたまりがあらわれ、その一つはべっとりと頭皮に張りついた髪の毛だった。
まるで魚影見すかす如く、外科医のぞきこみ、やおら鳶口の方を突っこむと、両手に満身の力をこめ、「よっ」褐色の死体、それはマネキン人形の如く、妙に人間ばなれした印象で、さすがにビン何があらわれるかと緊張していたのだが、そう無気味でもない。液体のしたたり落ちる音が、大きく反響し、つるべ支えるように外科医ふんばりつつ、右手で死体の腋《わき》の下へ手を入れ、抱き上げる。
「いくつだかわかるかい?」ビンにたずね、死体は股間をみれば男にちがいないが、ミイラの如くちぢこまっていて、目鼻立ちはっきりわかるのだが、およそ年齢推察の手がかりはない。「十九歳、男子」外科医は死体の足首につけられた札をよみとり、「珍しいな、こういう若いライヘは」ふと医者にもどり、肩やふとももにふれ、「なんで死んだのかなあ、ルンゲにしては体格がいいし」ビンは、丁度紐の先がたれ下がったような、男のペニスながめて、あわれに思うよりも、まったく人間味を感じさせぬその姿に、ある落胆を感じる。
これなら、糞の方がはるかに人間らしい、まだしも尊厳がある。
色は鮪《まぐろ》のフレーク、鰹節《かつおぶし》のように固まって、これはまさに木偶《でく》の坊ではないか。外科医しばらくして、頭から地下槽《ちかそう》に落しこみ、死体はベテランダイバーの如くするりと水面をもぐり、すぐに浮力に押されて顔を突き出し、またゆらゆらと目に見えぬが死体の重なり合い、うごめく気配が起る。
「十年ほど前かな、ノイローゼの学生がここにとび込み自殺した」外科医、槍のように竹竿をしごきつついい、「気違いのやることだから常識で判断できないが、かなり怖ろしいだろうなあ、死体の間にはさまって、しばらくでも生きているというのは」「何体くらいあるの?」「さあ、四、五十じゃないかな。古いのはもう十年もつかってるよ。べつに入った順に解剖するわけじゃないから」「で、その学生どうしたの」「べつにかわらないよ。病死のあげくここへ入れられても、生きたままでも、それより係りの用務員がびくついちゃってなあ。服着たのを引き揚げてからというもの、ノイローゼがうつっちゃったみたいになって」死体にはなれ切っているはずだが、死体の浮遊する中で、じっと立ち泳ぎなどしていたかも知れぬ学生の姿想像すると、背筋の凍る思いで、仕事が手につかなくなり、「どういうわけか、眼鏡がはずれないで、かけたままだったらしい。眼鏡の学生みると怯《おび》えちゃってねえ」ビン、想像してみたがむしろ滑稽感が先に立ち、「まあ、人間もこうなっちゃ、たしかにものでしかないなあ」見るまでは、あれこれ想像し、緊張していただけに張り合い抜けして、正直に感想をのべ、はじめうなずいていた外科医、あまり死体をビンの軽々しくあげつらうのに気をわるくしたのか、「そりゃ、フォルマリン漬けになってりゃこけし人形と大差ないかもしれないが、やっぱり生身じゃいい気味しないものさ」憮然《ぶぜん》とつぶやく。「にしても、まあ、いわば畳の上での往生だから、大したことはないでしょう、変死はともかく」「そうでもないよ。胃穿孔《いせんこう》なんかの手おくれなど、腹開けると、ひどいことになってるからなあ。直前に食べた寿司なんかがはみ出ちゃったりして」「やっぱりその後は食欲なくなりますか」「いやあ、そりゃ慣れてるからねえ」はじめの頃は、たとえばフォルマリン漬けのライヘ切り刻んだ後、鯨の大和煮など食べにくかったといったのに、ビンは「ぼくは鈍いのかな、いっこう感じないけど」案外きれいなものであると、見くびった調子で図にのり、「そうだ、臨終直前の糞というのはどんなもんですか、やはり色とか形かわってるもんですか」突如話題が転じて、外科医どぎまぎし、「臨終直前といっても、そういう時は全身が弱って腸の蠕動《ぜんどう》運動も衰えてるからなあ。まあ、だから発酵して、いわゆる最後っ屁《ぺ》はひどく臭いんだが」自信なさそうに答え、ビンは「ちょっと興味あるなあ。糞っていうのは、人間の体内の忠実なレポーターですからねえ。医者は案外これをなおざりにしてるんじゃありませんか。癌《がん》なんかでも、消化器系統のものなら、糞の精密検査でわかるんじゃないかしら」釈迦《しやか》に説法をのべたてる。
外科医さすがに小癪《こしやく》に思ったか、医局へもどると、同僚に低声《こごえ》でたずねまわり、「じゃもう少し死体らしい死体をみるかい?」ビンにいって、現在、霊安室に二体の仏が安置されているそうな。遺族がつきそっていなければ、白衣でも着て医師を装い、あらためることもできる。
得たりとビン好意を受け、地下のほぼ十坪ばかり、白木の祭壇を飾ったうす暗い一室へ、何ほどのことやあらんと従って、かすかに香煙の匂いはあるが人気《ひとけ》なく、「近頃は家族も冷たいもんだよ。子供の仏の時だけだな、しめっぽくなるのは」解剖実習室よりはましな台の上に、白い布におおわれて二つの遺体があり、外科医その一つを無造作にはぐると、七十歳前後の老人で、しゃれこうべに渋紙張りつけた如く、無残な痩せ方。「こりゃ癌だな、病理解剖したらしい」浴衣の胸はだけると正中線に沿って、荒っぽい縫い目が見える。
もう一体は三十過ぎたばかりの女性、さほど衰えはなく、目を半ば開いたまま首かたむけていて、「このおばさん妊娠してたんだな。妊娠中毒って奴で、えらく苦しんだらしい」説明したとたん、部屋の扉《ドア》ばたんと開いて、外科医閉めにいき、べつに一人取り残されたわけではないが、ビン、女の仏と向き合ってその表情ながめるうち、なるほど怨念《おんねん》そくそくと伝わってくる。
自ら宿した生命にそむかれて、不慮の死をとげた無念の想い、半眼の白眼から形あるものの如くこぼれ、ビンの体にまといつき、苦悶《くもん》のためか、両掌、どうにか胸に置いてあるものの、合掌にいたらず、よくみるとマニキュアした爪の間に血がくろくこびりついている。
手当り次第にかきむしったのかも知れず、うす紫のネグリジェから、黒い実のような乳首すけて見え、もどった外科医が、傾いた首直そうとあごに手をかけると、血の混じった粘液どろりとあふれ、「しょうがないな、近頃の若い奴、後始末がわるくて」白衣のポケットからハンカチを出しふき清めてやる。
「まあ、すごい死体を見たいなら、今度、連絡しようか」外科医がいい、「ああ、できたら、もう二人今度連れて来るから」「妙な趣味だな」「趣味ってわけでもないけど」さすが生の死体には気押《けお》されて、ビン医局を辞し、だが納得するところはあって、新吉、禅介にも見学させる必要があろう。テロリストが、おのが目的遂げたあげく、いちいちおどろき腰抜かしていては話にならぬ。
その新吉は、昨夜、小百合を連れてビンのアパートにあらわれ、あたかも幸せうすい妹いたわるように気をつかいながら、紹介し、小百合はあらかじめきかされていたらしく、是非、青糞党に加入したいと申し出て、徒党組むのに女は邪魔だが、歴史上に女性のテロリストは例のないわけではない。あるいは女性が、男に伍して対等に行えることといえば、テロルだけかも知れぬ。
女がヒステリックな激情にかられ、思いこんだら生命がけで、相手をつけ狙ったら、これはなまじ男より迫力あるかも知れず、かのゲバルトローザなど、その典型といえよう。
「なんなら、小百合さんの、そのなんというか、青いかどうか調べてもろてもええねんけど」新吉がいい、これまでビンはスカトロジー研究の対象として、相手かまわず糞観察して来たが、美少女のそれはなくて、早速おまるさし出すと、小百合こだわりなく提供し、B7の軟便だったが、色合いあざやかな鶯色《うぐいすいろ》で、青糞の資格には十分。「誰か殺したい人間の心当りはあるんですか」たずねると、「誰でもいいの、そんな贅沢《ぜいたく》はいわないわ」ねむそうな目付で、巨大な新吉の体にすがりつつ、「しあわせ」うっとりとつぶやき、新吉またほんの少し前までのオナニストの面目どこへやら、鼻の下のばしている。
まあわるいことではない。オナニーであろうが、通常の|まぐわい《ヽヽヽヽ》だろうが、ビンの関心外のことで、しかし、新吉とりあえず自己|閉塞《へいそく》的状況から一歩抜け出たにはちがいないのだ。
「あの爺さんのとこへいって、みなで技術教わらへんか。短刀で刺すいうても、やっぱしこつがあるやろ」新吉がいい、そうだ、あの外科医にもコーチ受ければいい。労少なくしてはっきり効果のあがる殺人法は、外科医などいちばん心得ているはず。
たしか彼は、一度誤って患者を殺したはず。手術の際、送胆管を傷つけ、本来糞に色をつける胆汁が腹腔《ふくこう》にあふれて、気がついた時は手おくれだったといっていた。きっと思いがけぬ手段方法があるだろう。
麹町《こうじまち》のアパートへもどり、妊娠中毒で死んだ女性の表情思いかえすところへ、蒼《あお》ざめた表情の禅介があらわれて、「あの、呪《のろ》いってのか、丑《うし》の刻《とき》参りは本当に効くのだろうか」酒に酔っているように、おぼつかない口調でたずねる。
「さあ、べつに科学的根拠のあるわけじゃないがね」しばらく酒ひかえていたはずの禅介だから、「また飲みはじめたのか」詰問するようにたずねると、「いや、とんでもない」首をふり、「カメラマンの奴、車にはねられて」「はねられた?」「俺の目の前でだ」ぐったりと禅介床に腰をおろし、禅介十日ほど前にカメラマンを探し当て、向うは顔を知らぬから、その行動を逐一調べ上げて、といっても、カメラマンは盛り場うろついては、風変りなアベックや、また、妊婦の四、五人偶然にそろって歩く姿を、カメラにおさめ、特に注文を受けての撮影ではなくて、巷《ちまた》で拾ったスナップを、雑誌社に売りこむものらしい。
「尾行ってな変なものだな。けっこう情が移って、奴は奴で一生懸命生きてるんだなと、あまり怒る気はなくなった」しかし、龍子は禅介の決意など知らぬから、相変らず責めたて、それを支えに監視つづけるうち、今日の午後、青山一丁目の交差点近くで、何に気をとられたのか、赤信号の車道にふらふら歩き出して、それほどのスピードではなかったが、カーブしようとした自家用車にぶつかり、「すごいもんだな、つんのめるように十メートルほどすっとんだぜ」「大体四十キロなら、ボンネットにはね上げられるそうだ。百キロ以上だと、車の後ろへ宙をとんでいくって」すぐ人垣が出来て、救急車もあらわれ、しごくてきぱきことは運んで、時間にしてどれほど経ったか、呆然としている禅介の周囲、また何ごとも起らなかったように平常にもどり、まるで夢みてるような按配だったという。
「そりゃしかし、禅介の怨念が通じたんじゃないか?」尾行に気づかないまでも、よく他人から視線浴びせられると、ふと気になるもので、カメラマンはなんとない違和感を覚えていたのかもしれぬ。「なんとなくおかしいと思いつつ、しかし心当りないまま、つい注意散漫になったんじゃないかなあ」半ば冗談でビンがいったのに、禅介は急に表情ゆるめて、「もしそうなら、俺にも人が殺せたわけだな」情が移ったなどいったくせに、浮き浮きした調子で、「死んだかどうかわからないさ」何時頃かたずねると、午後二時。では夕刊にぎりぎり間に合ったろう。二人新聞をのぞきこんだが、カメラマン事故の記事はなかった。
「あれで殺せるなら、俺よく考えると、殺してやりたい奴がいくらもいる」禅介、凄味《すごみ》をただよわせにたりと笑う。
テロ実践学
暁方の、四谷見附を市ヶ谷にかけて、まだところどころ思わぬ陰に雪の残る道を、トレーニングシャツ姿の三人と、これはまったく古風な柔道着に稽古袴《けいこばかま》まとった老人、かけ声かけつつ駆け抜け、この時刻にロードワークする者は珍しくもないが、いっこうに走りなれていないその様子も珍妙なら、お互い体格ちがいすぎるのも、異様な印象。
新吉のサイズに合うシャツはデパートにもなく、両国の近頃は力士もこれをまとうから、超大型そろえた洋品屋まで足を運び、背広なら目立たないが、シャツになると巨大な腹が一足ごとに波立つ。「こりゃあなた、赤ん坊二人腹におさめてるようなものだ。まあ、二月もトレーニングすりゃへっこむだろうが」いで立ち整えて勢揃《せいぞろ》いした時、老人ぴしゃぴしゃと新吉の腹を平手で叩き、「脂肪といいたいが、こりゃ水腹という奴で、糞《くそ》の役にも立たん」まあ、肥ったテロリストなんてきいたこともないし、行動の敏捷《びんしよう》性を欠くことはもちろん、万事気働きがのろくなる。
肥ってこそいないが、どことなくたるんだ感じは、ビン、禅介とて同じようなもの、西洋|骨董《こつとう》の埃《ほこり》にまみれ、また宣伝業界のスモッグ浴びてこれまで生きて来たのだし、学生時代にも、ことさら体育に力を入れていたわけではない。
新吉は、自らのとめどなく肥満しつづける体躯《たいく》に恐怖感じて、時おり気まぐれにプールへ出かけても長続きせず、かえって食欲を増すだけで逆効果。
だからほんの三百メートル走っただけで足どりが乱れ、「ハッハッ」と気合いこめてリズムをとる老人のみ次第に先行し、「どこまで行く気やねん」新吉つぶやいたが、他の二人にも答えるゆとりはない。
「気合いを入れんか、それっ」老人の姿が街角を曲って、見えなくなったのを幸い、だらだら歩いていると、待ち受けた出会い頭《がしら》に一喝受け、禅介が照れたようににやり笑いかけると、尻を蹴《け》とばされ、「死にはせん。突撃!」猛烈にダッシュし、つられてやむなく三人も後を追う。
ビンは、三人がテロリストたらんとするのなら、なにより殺人の技《わざ》を習得しなければならぬ。爆薬の調整から、ピストルの操作、車の高度な技術、考えてみると、戦争がしばしば文明の母胎となっているように、逆に殺人を個人的に企てようとすると、その時代のあらゆる分野にわたって該博な知識知恵を身につけなければならぬ。
戦争という大量殺人の場で、勝ったにせよ負けたにしろ、世間一般は、あたらしく自らの生命を守るための知恵を得る。だから、テロリストは常にある時代の、もっとも近くに行われた戦争をじっくり研究しなければならぬ。そこで使われた武器戦術は、次の戦争についていうとすでに旧式なものとなっているが、それは国家と国家の間にあってそうなので、個人的なテロの場合は、守る側に生きている。少なくともこれについての知識を心得ないと、目的果しがたい。
第二次大戦の戦訓を生かすなら、これはやはり中野学校出身、かの代々木老人に頼むのがてっとり早いと、新吉使者になってまかり出て、まさか人殺しの手ほどき受けたいとも切りだせないから、その後、老人のつけねらう怨敵いかが相成ったのか、よも山話つづけるうち、「いや私も近頃はめっきり気力がおとろえて、果してうまくめぐりあえたとしても、娘の恨みを果してやれるかどうか」溜息吐きつつぼやき、「いわば他人のあなたに、このようなおねがい託すのは筋ちがいのことだが、べつに殺してくれとはいわぬ。奴の消息をしらべ、その最期をじっくり見届けて、私の墓前に報告しては下さらぬか。必ず天罰下って、無間地獄へ落ちるに相違なく、さらば自分も、血の池針の山で待ち受ける」時代がかっていうから、「そんな心細いこといわんといて下さい。いや、実は私もちょっと仇《かたき》の筋がありまして、先輩にいろいろ御教えいただければと、なんちゅうか入門のおねがいに上がりましたんです」頭を下げると、老人腕を組んで、「私の望みのかなうことはまずないだろうが、しかし、これまでいささか心得てきた術の一つ二つ、御教示してあなたの力ぞえになるのならよろこんで」引き受けたから、新吉身を乗り出し、「ピストルの射ち方とか、飛行機爆破のてっとり早い方法なんかも御存知なんでしょう」
お世辞のつもりでいうと、老人とんでもないという風に首をふり、「なにごともまず基礎訓練が必要です」特に人を殺すということは、人間の行う運動の中でもっとも全身の筋肉神経を必要とし、そういう強靱《きようじん》さに支えられて、はじめて意志が保持される。「健全な肉体に健全な精神が宿るということは、この意味においてまったく正しい」発作的な殺人、あるいは、気違いのふりまわす刃物には、意志がなく、それは狂犬の行為と同じである。明らかな殺意と、それをしぶとく持続させる怨念を支えるには、たとえピストルによる殺人であっても、全身的な体力がなくてはかなわないのだ。
そして、しごく科学的なトレーニングの方法を口述し、新吉は、もっと神秘的な遣《や》り口があるのかと考えていたが、最初はあらゆるスポーツと同じくロードワークからはじめられたのであった。
この話をきいてビンも深くうなずき、
「われわれのテロは、目的を達成したからといって、そこで終るのではない。あくなきくりかえし、テロによるメッセージを持続して世に広めるのだから、必死必殺では困る。必生必殺のテロでなければならぬ。そのためには、逃げ足も必要なら、卑怯《ひきよう》未練|人非人《にんぴにん》とそしられる行為もあえてしなければならないだろう。たしかに、第一に体力だ」
正しいと信じて、時の要人を殺し、審判はあえて歴史にゆだねるとか、あるいは、世のため人のため破邪顕正《はじやけんしよう》の剣をふるうなどといったかっこいいテロではないのだ。世の中の誰一人味方にはついてくれないだろう。
これまでよくみられたテロリストへの心情的共感などいう、いやったらしいものとは無縁の場所で、ひたすら個人の復権をこそめざす。
熱と意気などむしろ不必要で、鉄の肉体、鋭《と》ぎすまされた頭脳をこそ、養うべきだろう。
「よし」老人、市ヶ谷土手の上まで走って立ち止ると、三人を押しとどめ深呼吸させながら、桜や松の枝ぶりをながめ、ついと身をひるがえし、その下枝に腕をかけたちまち小柄なその身さえ支えかねるような小枝に腰を下ろして、「みんな、それぞれ適当なものを探し、登りなさい」まったく息の乱れをみせずにいう。
禅介、酔った時にしごく身軽く屋根などとび歩くだけあって、すぐ松の木によじ上り、新吉は自分の縁で老人にコーチ頼んだのに、ぶつぶつ文句をこぼし、「やっぱり中野学校いうのは古いねんな。忍者やあるまいし」いくらながめ回しても、おのが巨体に耐え得る枝などないように思える。
「それっ」掛け声かけられ、「大丈夫でしょうか。折れへんかと思うて」「じゃ電柱に登んなさい」しぶしぶ新吉とりついて、互いちがいに打たれた足がかりを三段上がる。
「木登りというのは、運動として、最高の一つである。全身の筋力を鍛え、平衡神経を養い、危険に対し鋭敏となる。さらに、視点を高くすることによって、ふだん道を歩いていたり、車からではわからぬ風景をみることが出来、これはいざという時に役立つ」
いわれてビンしげしげと周囲を見渡し市ヶ谷駅にはすでにかなりの通勤者がつめかけ、まだ中央線の往来はそれほどはげしくないが、昼間みるのとちがって、かなりスピードが早いように思えた。
外国語学校ダンス教習所クッキングスクール雑誌の広告ホテルの看板、店はどこもしまっていて、明けきらぬ街のたたずまいはしごく新鮮で、それは、珍しい朝のながめにふれたというより、木に登って観るためだろう。
ビルの窓から、また展望台で一望のもとに巷《ちまた》のあんばいうかがうことはできるが、それはあまりパノラミックで現実感に乏しい。木の枝の高さは、いわば風景の人間味を失わずにより広い視界を与えてくれるのだ。
「街路の錯綜する状態、車の交通量、電車の間隔など、眼にしたものはすべて心に刻み込む」
禅介ひょいと公衆便所に眼をやると、今しも立ち上がった女の上半身が硝子《ガラス》の破れた窓からのぞき、女はうつむいてしきりに下着を整えるらしい。
「ビン、ちょっと」隣の桜の枝に声をかけて、指でしめすと、ビンも気づいているらしく、うなずき、後ろの新吉いかにとうかがえば、妙な表情でいて、降りたってからきくと、新吉のオナニーは木登りからはじまったので、小学校二年に下腹部の快美感を知り、それから病みつきとなり、しばしば青桐や、ヒマラヤ杉支える柱にかじりつき、「すっかり忘れてたん思い出したわ。もっともあの電柱太すぎて、とてもやれんけど」ようやく息切れおさまったとたん、「膝《ひざ》をかかえて、そのまま歩く」老人、いざりのような形で歩きはじめ、これは敵に見つからぬための訓練だが、ふとももの筋肉を培う。受け身、匍匐《ほふく》前進と、たしかにバーベルを持ち上げエキスパンダーひくような、無意味な動作はなくて、基礎とはいっても、それぞれが実戦にすぐ必要なことだった。
「もう駄目です。かんにんして下さい」すぐへばる新吉を、老人むしろ悲しそうにながめ、「あなたの仇がかわいそうですよ。そんなに弱い奴に狙われてるとわかったら」
いわれても、新吉、具体的に誰といって恨み晴らす対象があるわけではないから、心定めにくい。
容態果してどうなったかわからぬが、禅介だってにっくきカメラマン、天の配剤か車にはねられ、このことを龍子につげると、これまた|つき《ヽヽ》がおちたように「いい気味ね。私に仇《あだ》をする奴はみんなあわれなことになるのよ」鬼女の如くにっこり笑って、べつに名誉回復したわけではないが、腹の虫はおさまったらしい。
これが、かつてのテロリストの如く、軍上層部の腐敗を正すとか、農民の困窮見るに忍びずなどの、大義名分があれば楽だろうけど、テロ行為によるコミュニケーションの成立では、あまり雲つかむようで、たよりないのだ。
「よろしい。深呼吸して、ハイ」
老人、泥のついた袴はらいつつ両手をひろげ、
「なんのためにこんな苦労するのかと、時にはいやになるだろうけど、とにかく続けることですよ。訓練の積み重ねが、一方では、目的達成に近づくことでもあり、また、あらたな目的を発見する道ともいえる」
麹町のビンのマンションにもどると、小百合が掃除に来ていて、自分の部屋なら、いっさい整理する気にはなれないが、他人の部屋の乱れをみると、整頓ノイローゼの如くなって、ほんの少しの乱れも気になるのだという。
「へえ、いよいよはじめたの」げんなりした顔つきの三人をながめ、「私もやろうかな。女だって必要なんじゃない。時には走らなきゃならないし」中学時代五十メートルを七秒台で走れたけれど、今はアルコールと薬で階段上がるだけでも膝ががくがくする。
ぴょんととびはね、足を背中にふり上げて、「バレーやった頃は、かかとが頭についたんだけど」乱れた髪そのままに、べったり床にすわり、「おじさんが先生?」「いや、そういうわけでもないが」老人妙に照れて、眼をそらし、きっと小百合の顔見直すと、「婦人はなにも男のように鍛える必要ない。それよりも必殺の武器がそなわっているのだから」
「ヒッサツ?」
小百合意味とれずにたずねかえすと、
「そう、かつて日本にも、百人以上の婦人スパイがいた。そのすべて生きては戻らなかったが」昔しのぶ口調でいい、つと小百合のかたわらに寄ると手をとって自分の喉《のど》の脇に押しあて、
「男のここを親指の腹でぐいと圧迫する」小百合おもしろがって本気に力入れようとすると、手首をかえしてあっさりはずし、「男と寝ることさえできれば、女はもうその死命を制したといえような」ビン、自分の喉に指をあてがい、軽く押しつけてみる。
「自分でやって、気を失うこともできる。もっともこれで拷問をさけようとしたって、水いっぱいぶっかけられりゃ覚めてしまうけれども」「ねえ、どうやるんですって、教えてよ」小百合興味|津々《しんしん》といった様子でそばへ寄る。
「いかに注意深い男であっても、気をやる瞬間には忘我の状態となる。その時に」「気をやるってなに?」「つまり」老人口ごもり、新吉が「射精することだよ」つまらなそうにいうと、「へえ、気をやるっていうの、あれ」「ふだん寸分のすきもない優秀なスパイも、つい女には心を許す。いや、許していなくとも、生理的必然で、頭が虚《うつ》ろになるんだな」故に、スパイは欲情覚えると、必ずオナニーでこれを処理し、女を抱くのは情報収集のため、あるいは懐柔策としてこれを行い、ベッドにあって真剣に情事いとなまないのが原則。
「にしても、やはりつい気を許してしまうのだな」いよいよ昂《たか》まりが近づき、女の腕がわが首にかけられる。危ないと思うものの、やはりうぬぼれがあって、それは、女が裏切るはずないと信じる気持、及び、たとえ殺す気でいるとしても、女の細腕くらいはずせると錯覚するのだ。
小百合を横たわらせ、老人上からのしかかるようにして、「ぼんのくぼに両手の先端がふれあうよう」教えつつ、自分はその唇にふれるばかり顔を寄せ、「そのまま親指を前に少しまわすと、頸動脈《けいどうみやく》にふれる」
老人あたかもシロクロの如き形ながら真剣な表情。「こうやるの?」「そう強く力入れなくていい。脳への血をとめれば、それで失神するわけだから」「へえ、これで気絶しちゃうの?」
老人体を起し、「睾丸《こうがん》をにぎるとか、陰茎をたたき折るといっても、婦人にとっさにできることではない。しかしこれならば、自分も男の意をむかえるが如く動作するのだし、男も気を許すから、簡単にできる。この術さえ心得ていれば、強姦されなくてすむわけだが」老人はあらためて小百合を凝視し、新吉は、その無残な死をとげた娘さんの、元気でいた最後の年が、あるいは小百合と同じ頃だったのではないか。老人は、自分の技術を、ほんの少し教えておけば、むざむざ毒牙《どくが》にかからなくてすんだのにと、悔んでいるのではないかと、ふと想像し、小百合の指を喉にあてさせ、身を横たえていた老人の姿、見ようによっては、そのまま殺されることをのぞんでいたようにも思える。
「殺してしまうわけじゃないんでしょ。それだけでは」禅介たずねると、「圧迫しつづければ、死ぬけれど、そこまでやるとアザが残って死因がわかってしまう。とりあえず気だけ失わせ、料理するのはゆっくり考えりゃいい」厚い濡れタオルに水を含ませ、顔に当てておけば窒息死して、体に何の傷も残らない。あるいは窓からほうり出して墜落死を装わす、首を吊《つ》らせる、どのようにも偽装できる。
「だから、指で喉笛をつぶしてしまったり、あせってひっかき傷をつけたりしちゃ水の泡《あわ》。マニキュアはいけませんな」小百合の指に眼をとめ、「そうかあ。ペッティングにも、殺しにもよくないのねえこれは」
すぐさま、帝政ロシア時代の、大きな爪切り持ち出してつみはじめる。生のきわまりに際し、息の根とめられる男は、その時何を思うのか、あるいは、指でしめつつ味わう女の感触はいかなるものか。ぱちんぱちんと音させる小百合ながめつつ、ビン考えこむ。
斬奸状《ざんかんじよう》草案
ビンが平河町《ひらかわちよう》を、国会議事堂の方へ、横断歩道渡りかけると、「ちょっと」背後に声がし、ふりむくと二人の警官がいた。
呼びとめられる覚えもなし、そのまま足踏み出したら、「あんただよ。待ちなさい」急に鋭い語調となり、立ちどまったビンを手招きする。無言のまま歩道へもどると、「どこへいくの」いきなり詰問され、「別に」「別にって答えはないだろう。いえないのか」「別にとしかいえないよ。散歩だから」一人がだまると、後引き受けて「住所氏名」「なぜ、そんなこときくの」「どこに住んでるんだよ」「どこだっていいだろ。関係ないじゃないか」「あんた今赤信号で渡ろうとしたね」藪《やぶ》から棒に妙なことをいわれ、これでもビン、日常の行動はきわめて慎重で、朝、新聞を読むと必ずその占い欄に眼を通し、何種類もある中の、ごく不吉な文章「悪縁のしたたり集まりて大海となる。ご用心」といったものを銘記する。
常に悪い日だと思ってりゃ間違いない心配りからで、だから車には注意を払い、今だって信号青にかわった後、二呼吸おいて車道に出たのだ。「冗談いっちゃいけないよ」反論しかけ、すぐこれにはまったく証拠がないと気づき、向うは二人だから口裏合わせられたらそれまで。
だまりこくったビンをみて、勝ち誇った如く「住所氏名だけいえばすむんだ。強情張ることはないさ」一人が猫撫声《ねこなでごえ》でいい、一人はまた「髪の毛うるさくないのか。そんなに長く伸ばして」挑発的な口調。
なんとなく見えすいていてビン腹も立てず、「散歩してるだけですよ」素直に偽名を名乗り、もちろん身分証明に類するものはないから、わかるまい。ひょっとして問い合せされやしないかと緊張したが、警官にもそこまでの気持はないらしく、「散歩なら他にいい場所があるだろ」捨《すて》台詞《ぜりふ》を最後に、手をしゃくって追いやるようにし、ビンきびすをかえしたとたん、彼方《かなた》からサイレンが近づき、オートバイ、パトカーに前後固められた黒塗りの車、いっさい信号を無視して、高速道路入口に向い、車の中には、ひどく蒼ざめて、蝋《ろう》人形のように見える政府高官がいた。
どうしてあんなに悪い顔色なのか。しかも、孤独な印象で、ものものしい警備だから、なおのこと目立つ。多分さっきの警官は、このお通りのために配置されていたのだろう。ビンは国会の裏を歩き、この建物の正面は、公園風に整備されたが、反して裏側は、議員宿舎の頑丈な建物をならべ、これが、国会防衛のためであることは明らか。
デモ隊や、学生の襲撃に備えたのだろうが、しかしあの攻撃側はどうしてわざわざ日時を予告し、機動隊の準備万端整えたところへ、押し寄せるのだろう。今は、午後四時で、陳情だか、議員に招待されたか、いかにも村会議員風の連中、三々五々歩くだけで、あとは道路補修の作業員と、地下鉄駅から吐き出されるわずかな人影。こういう時に、こっそり忍びこみ火炎瓶《かえんびん》投げるなり、あるいはこの巨大な石塔風建物のどこかに身をひそめるなり、少しは頭を使うといい。
ビンは、肉体的トレーニングだけではなくて、机上の戦術も手ほどきしてくれる老人の言葉を思い出し、それは、「通常の軍隊というものは、大義名分が何であれ、兵士それぞれは恐怖感にかられて、敵を殺す。だから、彼等は、戦闘中たいていヒステリー状態となっている。ひきかえパルチザンは、この場合、組織されていない市民兵のことだが、彼等を殺人者たらしめる最大のものは、憎しみである。肉親なり、恋人を敵に奪われた怨みから、沈着に行動し、しかも自らも死ぬことによって、愛する者の後を追いたい気持をもっている。それ故に強い」と説明したもの。あれこれ名目をつけてはいるが、現在の日本の、いわゆる反体制運動には、つきつめたところでの憎しみがない。
といって、自らそれに殉じていささかもかえりみることなき、大義も存在しない。かりに、機動隊員によって、自分の妹を集団暴行されたとしたら、その男は決してデモに参加しないだろう。単身その本拠にのりこみ、旗を振らずシュプレッヒコールもなく、肥溜《こえだめ》に首までつかって平然と、ただ虐殺のみを目的にするだろう。飲まず食わずかっこよさも、マスコミの反応も意識するわけがない。
ビンしっかと見極めるつもりで、議事堂をながめ、この内部の見取図は手に入らないものか、電気の配線ガスの配管、空気孔伝って忍びこみ、天井にかくれ機会うかがうなど案外楽なように思える。あの蒼ざめた政府首脳がトイレットにしゃがみこんでいる時、突如舞い降りて、首根っ子に短刀つきつけたら、果して蝋人形の如く無表情でいられるものか。
テロリストの大便が青味帯びるなら、テロを受ける側のそれは何色を呈するのか。もちろん、不意に刺殺して、肛門括約筋ゆるんだために失禁するそれは、特に変化見せぬだろうけど、あらかじめ予告し、恐怖に怯えさせれば、当然糞に異状があらわれるはず。
ビンはきびすをかえし、わが部屋に向いつつ、まずなすべきことは、脅迫状いや、テロ御通知状ではないのか。市ヶ谷を根拠地とする機動隊トラックが、六台追い抜いて行く。相変らず人影はまばらで、春の夕暮れに近く、すべて世にこともなく、以前の、あの足元に火のついた如き騒乱状態など、嘘に思える。「御通知状? そんな草加次郎みたいなん信用しよらんで」新吉首をふり、「信用するしないは向うの勝手だよ。こっちは、とりあえずの第一歩を踏み出さねばならぬ。必要なのは論議ではなくて、具体的な行為さ」以前ならば斬奸状といったのか、簡明にして達意の名文でなければならぬ。文章の力はけっこう人をうつもので、これが仮名文字タイプに似せた筆跡の、しかも小学生風いいまわしでは見すかされてしまう。
「漢文まがいがいいんじゃないかな。あれは男性の決然たる意志を伝えるにはもってこいだ」風|蕭々《しようしよう》として易水《えきすい》寒し、壮士|一度《ひとたび》去ってまた還らず。コピーものにする際、漢詩の発想にたすけ借りることがあり、禅介時に読みはするが、テロ御通知状など見当もつかぬ。
「終戦の詔勅なんかいうの、漢文ちゃうか」新吉、突拍子もない発想めぐらせ、五体ために裂くとか、忍び難きを忍びなんかいうて調子いい言葉があった。
「ビンのとこ詔勅集ないんか」
古いものはなんでも買い漁《あさ》るが、これだけは書棚になく、しかし考えてみれば、宣戦布告なんてものは、一種の斬奸状であって、あれは、騎士道精神にのっとり、敵に不意打ちくらわせぬためというより、あの通知によって士気を鼓舞し、あわせてもう後にはひけぬという、いわばさいころ投げるのと同じことではないか。戦後に育った三人、開戦の詔勅は、まったく知らないから老人に訊《たず》ねると、「朕茲《ちんここ》に米国及び英国に対して戦いを宣す朕が陸海将兵は全力を奮って交戦に従事し」朗々とよどみなく暗誦《あんしよう》し、「しかし私たちは、宣戦布告とは関係ないところで闘ってましたからな」つまらなそうにつけ加えた。
ビンは書きうつした開戦の詔勅を参考に、禅介と相談して「御通知状」制作にとりかかり、「なんや逆みたいやな。これと思い定めた相手もないのに、通知だけ考えるなんか」新吉がつぶやくと、「いや、そんなことはない。われわれが、上官に命令されて暗殺に出かける時、その相手に何の憎しみも感じてはいなくても、努力するうち、なにが何でもやり遂げるという決意が固まってくるものなのだ」「そら、先生はプロやからでしょ」「人を好きになるのでもそうだ。自分で勝手に特定の女を|もの《ヽヽ》にすると決めこんで、そのための具体的な積み重ねを行えば、おのずと恋情執着がわく。人間は目的によって行動するのではなく、行動によって、自然に目的が定《きま》るのだ」妙に哲学めいたことをいい、「私のようになっては、もう駄目だが」沈んだ表情になった。
「先生はええですよ。いや、こんなこというたらわるいけど、楊田鼓《ようでんこ》いうれっきとした対象がある」「いや、あれは嘘です。まるっきり嘘というわけではないが」嘘? そやけど、娘さんは楊のために麻薬中毒患者にされ、男にもてあそばれて、「娘を自殺に追いやったのは楊だし、私は、すぐその組織をはなれ、つけ狙ったのですが」
しかし、昭和三十五年楊一味は、よみがえった社会秩序からはみ出て、もとより麻薬や密輸のうまい汁など、とうの昔にルートを断たれ、細々と売春宿経営して、息つないでいたのだが、女を患者に仕立て上げるうち、楊も中毒におち入り、つい麻薬入手のため無理して検挙された。
禁断症状激しくて、入院治療となり、またとないチャンスだったが、老人は楊の、まるで狂った赤ん坊の如く、いっさい垂れ流しで、ただけだものの如く吠えさけぶばかりという状態をきき、せめて常人になるまで待とう。そして、それこそ一寸刻み五分刻みの苦しみを与え、罪のいっさい思い知らせて後に、息の根を断つつもり。
「三月後に、楊は死にました。最後は肺炎だったというが、やはり怨念《おんねん》にたたられていたのか、最後までひどい苦しみようだったそうです」三十五年いうたら、もう十年前になるのに、それがなんで今さら暴力団尾行してみたり、その組織探ったりするのか。
「娘さんと同じ犠牲者出さんように、注意してたわけですか」「いや、そんな正義感はない。私は楊殺害だけが、生甲斐《いきがい》だった。娘の恨みを晴らすつもりでつけ狙ううち、実をいえば、私の技術なら、いくらも機会はあったのだ。ナイトクラブのテーブルに隣合せもしたし、向うも表面上はまともな世渡りする身だから、油断が生れて」
老人きっと眼を見開き、五体に力みなぎらせ、
「しかし、そのうち今、楊を殺してしまえば、その後何を頼りに生きればいいのか。おいしい御馳走を先にのばす子供のように、私は、手を下さなかった。楊を殺すことは、私の生甲斐を抹殺《まつさつ》することに通じ、だから、楊の肥った体つきながめつつ、その皮下脂肪断ち割って、溶けた鉛をそそぎこむ。あのぶよぶよたるんだ頬に、そう痛みを与えることなく、しかし二十四時間一定の間隔を置いて刺激しつづければ、人間は必ず発狂しはじめる。私は楊のその姿を宙に描き、苦悶《くもん》の声を空にきき、それにすがって生きてきたのです」
だから殺せない、楊の身辺警護する用心棒の癖から、その住居、行動半径すべて心得、丁度、ねずみもてあそぶ如く、老人は、何時《いつ》どのようにして殺害するか、それはもう娘の恨みとは関係のない、老人の生きる支えであった。
「楊が死んだとわかった時、はじめて娘のために私は泣きました。そして、いっそ坊主になり、もはや恨みはなく、むしろなつかしい思いさえある楊の菩提《ぼだい》を弔う気持さえ起って、しかし、習い性となったか、つい、黒い背広、鋭い目付、いくら装っていても、ギャングの素性は見抜けます。そういった姿眼に入ると、とたんに虚脱したような私の体に活力がよみがえり、ついその後を尾行し、尾行するうちまごうかたなく死んだはずの楊が、その先いる如く思えてきて、自分でも、空《むな》しいとわかりつつ、やめることができなかった」
老人|溜息《ためいき》をつき、だが、新吉に会って、何気なくこれまでのいきさつ説明したとたん、憑《つき》ものがおちたように、今はもう楊はいない。その幻影追うことに余生を託すなどいかにもおろかしく思え、「皆さんに私の拙《つたな》い技術お伝えした後は、どこか山へでも入ってしずかに死ぬまでを過します」
「どうだいこんなところで、あんまり難かしい言いまわし使うと、今時の大臣は読めないかも知れないからな」
原稿用紙を、ビンが差し出し、そこには、
「絶対多数の庇護《ひご》を恃《たの》みて、内に兄弟相|鬩《せめ》ぐ派閥争いを改めず、外には利権私欲ほしいままにせんと資本家を支援して、苛斂誅求《かれんちゆうきゆう》の実を求め、民主主義の美名にかくれ、世間|怨嗟《えんさ》の声を弾圧し、剰《あまつさ》え警備力を増強して世間に挑戦し、さらに学生に対する差別的圧迫を加う。隠忍久しきにわたりたるも、政府に毫《ごう》も交譲の精神なく徒《いたず》らに挑発の挙に走り、世を屈従せしめんとす。斯《かく》の如くして推移せんか、戦後二十六年の努力は悉《ことごと》く水泡に帰し、民主主義の存立正に危殆《きたい》に瀕《ひん》せり。決然我等立って、当面の障害を破砕するの外なく、すなわち、お生命《いのち》頂戴|仕《つかまつ》り候」
なんだかよくわからぬが、最後の部分だけは東映やくざ映画調で、これはよくわかり「そやけどこれはなんとなく全共闘風みたいでもあるし、原水協のアピールのような」「なんだってかまやしないよ。とにかくこれを大臣に送りとどけるんだ」
すべてはこれよりはじまる。ビンはまた、あの政府首脳者の人間ばなれした表情を思い出し、こういった書面受けとれば、あの能面づらにも生気がよみがえるのではないか。
望月《もちづき》の欠けたることなき保守永久政権を担当し、なんの刺激も危機感もない明け暮れ、権力与えられていても、そこはアメリカの鼻息うかがわねば何一つ決められない立場だから、むしろ斬奸状こそが、彼を人間らしく立ちもどらせる方法ではないか。
俺のつきつける刃で、大臣を人間に復活させてやる。これすなわちヒューマニズムでなくて何か。
「その使者の役目、私が引き受けます」老人がいい、まともに投函《とうかん》したって、官房に押えられるだろう。直訴《じきそ》する性質のものでなし、これはやはりじきじき大臣邸に忍び入り、その寝室、できれば寝入った枕もとに置いてくる。
これならば、絵空事ではない恐怖感に襲われ、当然なんらかの反応があらわれる。「素敵。ねえ、先生。私も連れてってくれない?」小百合、あたらしくできたゴーゴークラブへ同行頼むような気楽さでねだり、
「冗談やないで、ひとつ間違うたら殺されてしまう」
新吉とめたが、老人うなずいて「大丈夫。私はどうなろうと、手紙と小百合さんの身の上は引き受けます」原稿用紙こまかく折って胸ポケットへ入れ、これまた食事に出かける如く気軽に立ち上がり、
「女連れ、といっても若過ぎるけれど、一人よりはるかに安全です」
小百合の腕をとり、いかにもなれたポーズで、退職した高級役人が、末娘を連れてホテルへ夕食に出かける按配《あんばい》。
「やあ」ビンが突如足を蹴上げて、新吉の股間《こかん》を狙う。新吉すばやく体を開いて、ビンの顎《あご》に拳《こぶし》をとばし、トレーニングも半月過ぎるとおのおのかなり身が軽く動くようになり、さすがにビン興奮気味だった。
「先生、誰のとこへいくの?」小百合、表へ出るとタクシー待ちながら老人にたずね、「いちばん勢力の弱い大臣がいいなあ。小者ほどさわぎ立てる。総理大臣じゃ、周囲の動揺を怖れて公にしないだろうからねえ」「弱いって?」「法務、厚生というところかねえ」以前なら文部だが、大学闘争以後クローズアップされて今は重要ポストらしい。
タクシーに乗りこむとお互いだまりこくり、小百合は老人の肩にもたれかかって、「ねえ、何人くらい、先生は殺したの?」「そうだなあ、百人まではいってないかな」「どんな具合に?」「ほとんど素手か短刀だね」
小百合、まるでまだ血の臭いのしみついているかの如く、老人の掌を持ち上げ、まじまじとながめる。しなやかな、しかし長い指だった。
テロ前哨戦《ぜんしようせん》
老人は、タクシー運転手再三の質問にも、はっきり目的地をつげず、ただ街角にさしかかると右折、左折を要領よくつげて、小百合さっぱり見当つかぬまま、やがて車は鬱蒼《うつそう》と樹木おい茂った住宅街にさしかかり、「大臣て、誰のところへいくの」尋ねると、「小百合さんは知らないだろうけれど、戦争中にもその職にあり、二十五年以上たってまだ図々しく居すわっている男だ」老人、きっと闇を見すえて、口早に曲り角を指示し、左側にいかにも目立たぬうらぶれた旅館のある通り、まったく人影のない一画にタクシーをとめると、「釣りはいらないよ」千円札さし出し、あたかも好色な老人の、今しもフーテン娘かかえて寝所にいそぐ如きそぶり。小百合の肩をこれみよがしに抱きかかえ、降り立った。
老人は、そのまま旅館に向い、小百合べつだん驚きもせぬが、その謀りごとのみこめぬまま、もつれあって門口をくぐり、「ここに泊ってるの?」「この宿屋の裏が住居になっている」あらわれた女中に手早く部屋の名をつげ、まさに勝手知ったる様子。
「戦争中、各要人の周辺には、私たちの仲間が配置されていてね、護衛は表向き、いざとなれば息の根とめる役割を受けもたされていた」老人のえらんだ部屋は離れ風にしつらえた次の間つきの十畳で、古い造りだから、風呂|後架《こうか》はない。「いくらか恨みがないでもない」老人つぶやき、このすぐ背後に住む大臣は、かつて日本が中国大陸に経営していた国策会社にも関係していた。
敗戦とさだまった昭和二十年七月頃、その首脳部及び高級軍人は、本来、身を賭《と》して守るべき同胞を見捨てて、いち早く内地に逃げ出し、「現在、旧軍人、あるいは戦死者の家族に年金が支給されているけれど、大陸に置き去られて、狼や野犬、あるいは土匪《どひ》の犠牲になった民間人は何一つ報われることがない」いっさいの保護を失った居留民は、着のみ着のまま南へ落ちのび、足弱な子供が脱落すれば、これを背負う力は親にもないまま、打ち捨て、辛うじてやさしい現地人に頼みこんで、野犬の餌《えさ》になるよりはと、子供を託す。
「男の子は駄目だったねえ。女の子だけ引き取ってくれた」ということは、やがて十二、三歳ともなれば、どのような運命におかれるか自明のこと。
「戦争に負けた以上仕方がないといってしまえば、それまでのことだけれども」焼跡の悲劇や、戦後混乱の中で起った地獄図よりも、異国の中で、力を失った流民たちのおかれた立場の方が、どれほど悲惨であったか。「その最高責任者が、この大臣なんだ。近頃、雑誌などで見ればしごく善人面をして孫と遊ぶだけが生きる楽しみのようにいっている」ここもいちおう連れ込み宿らしく、一つ布団に二つ枕煙草盆水さしなど、いっそさむざむしい雰囲気《ふんいき》の中で、老人独言のようにいいつつ、窓に倚《よ》って外をうかがいながめ、「小百合さんにおねがいがある」「なに?」「大臣邸には犬が三匹いる。いずれも獰猛《どうもう》な雄の日本犬だ」「私、わりに犬は平気よ」小百合けろっといったが、老人の手まねきするまま近寄ると、いきなり抱きすくめられ、「失礼します」ミニスカートに老人腕をさし入れ、とても年とは思えぬ器用さで下着に指くぐりこませ、「人類に近く棲息《せいそく》している動物は、人類に似てくるのです」あっけにとられた小百合の顔ひたとながめつつ、巧みに指うごめかせては、その先端にうつった臭いを、自らの襟《えり》、肘《ひじ》、股間、膝《ひざ》にすりこみ、「つまり雄犬は、女体の妙《たえ》なる匂いに知らずうつつを失うのです」これもペッティングにはちがいないのだが、小百合、催眠術にかけられたようなもので、老人のなすままにさせ、しなやかな指のうごきにつれ、いささかうっとりと夢心地にさそわれぬでもないが、老人いかにも厳しい表情だから、またふと引きもどされてしまう。
老人は、小百合の体にも、そのしとど溢《あふ》れさせた粘稠《ねんちゆう》な液をまつわらせ、「では、私についてきなさい。怖い時は遠慮なく大声を上げてよろしい。緊張しないで、遊びだと考えればいい」窓から三尺離れた塀《へい》に、ひょいととびつき、屋敷内うかがった後、いったん地面に降りて、小百合を肩に支え、「下は芝生だから大丈夫。先にとび降りなさい」いわれるまま、高校時代、まったく運動は苦手で、その時間には下剤を服用し、醤油を飲んでまで休んだ小百合だが、案外バランスよく着地し、いよいよ敵地と思えば片膝つき、くノ一風にはったと周囲に目をくばる。
「大臣の寝所はあのはずれです」老人まったく平静なまま、一陣の風木の葉まいて過ぎる如く鉤《かぎ》の手に曲って、ひときわ重々しい屋根の一画に近づき、たちまちウウと、なまじ吠えぬだけに殺気はらんだ犬が二匹、たくましい肩を低く構えて近づいたが、老人芝生に寝ころんで、犬の鼻面に腕をさしのべ、首かき抱くともう一方の手でそのペニスをしごき立てる。「キャウーン」残る一匹ねたましげに周囲をうろつくから、小百合も老人にならって、真剣に指づかいし、「もう大丈夫」みると、老人早くも雨戸にとりついていて、しかし犬は未練がましく、身をかがめた小百合の脚にすがりつこうとする。「蹴《け》とばしなさい。噛《か》みつきはしない」教えられるまま手で払うと、あっさり離れて、二匹狂おしく芝生の上をもがき暴れ、「しばらくこのまま、様子をうかがいましょう」二人縁の下に半ば身をひそめ、木立ち越しにネオンの照りかえしか、うっすらほの明るい色がにじみ、急にクラクションやはっきり聞き分けられぬが、夜の町の物音がよみがえった。
「もう後へは引けんわけか」新吉がうっそりいって、あまり乗り気ではなかった御通知状だし、それがどれほどの恐怖を大臣に与えるものかわからないけれど、もはやのっぴきならぬ緊迫感が生れ、表情ことさらひきしめて夜の巷《ちまた》ながめおろすと、新宿へ向う車のみ、この時刻に珍しく長蛇《ちようだ》の列をなし、あきらめてUターンするタクシーの姿もある。
「事故あったんか」なお彼方《かなた》をすかしみれば、列の先頭に、一人の男が右往左往していて、交通巡査の如くジェスチュアし、どうやら信号機がこわれて、赤がつきっぱなしになっているらしい。
青の方向は、得たりとばかりスピード落さぬ車がつづいて走り抜け、男はこれを一時制止して、渋滞をなくそうといわばお節介かって出たものらしいが、走る車は気にもとめず、新吉ふと四、五年前ニューヨークで起った大停電を思い出した。
三十六時間にわたって電気がとまり、混乱は当然だが、そのわりに事故も犯罪も少なかったのは、罐詰《かんづめ》と在郷軍人のおかげなのだそうだ。つまり、食料不足によるパニックがなく、またいっさいの信号機が役に立たなくなった時、軍隊訓練を受けた男たちが、街角に赤青のハンカチを持って自発的に交通整理し、市民の足を確保したのだが、もし東京でならいかなる事態が引き起るだろうか。
眼下の光景、ますます混乱を増すばかりで、車を降りて様子うかがう者はいても、すすんで孤軍奮闘する先頭の男をたすけず、青をいいことに通り抜ける車の列も、おおよその事情わかっているだろうに、決して止ろうとせぬ。
「ちょっと見てみい」新吉、二人に声をかけ、「テロの後で逃げる時、信号機こわしといたら、いくら機動隊が追っかけてきたって平ちゃらちゃうか」道路に溢れる一般の車が天然のバリケードとなり、戦車でももってこなければ、らちがあくまい。
ビンもすぐ意味を察して、都内の地図をひろげ、「かりに国会近くでことを起すとすれば」三宅坂《みやけざか》、赤坂見附、虎の門、溜池《ためいけ》などの交差点に車を溜めこむ。いくらお巡りがあがいたって、一度に数か所で渋滞が起きれば、お手上げのはずで、いったん通行が遮断《しやだん》されたなら、元にもどるまでその十倍の時間を必要とする。「信号機破壊罪いうたらどれくらいの刑になるねんやろな」火炎瓶よりは軽いはずで、しかもその及ぼす影響は比較にならぬ。
「あの正規軍とかいう連中も、軍事訓練よりは、少し頭はたらかせりゃいいんだ」禅介、人だかりの喫茶店で、得々と革命の具体的戦術を説明していた男の表情思い浮べ、「いや、何をやるにしても、教練は必要らしいよ」ビンは、以前大学で、派手に暴れたグループの指導者が、戦後民主教育のおかげで、学生たちろくに隊列組むことも、また番号唱える要領も知らず、なんとも苛々《いらいら》させられたとぼやいていたことを紹介する。
「中学で教練をやらなくなったのは、反動勢力側の陰謀だなんていってたなあ」「そやけどいくら訓練したって、機動隊、いや自衛隊にはかなわんやろ」「いっそ反戦唱える連中、すました顔で自衛隊に入隊したらどうなんだ。国家の費用でトレーニングできるじゃないか」禅介真顔でいい、「駄目だよ。いったん制服の魅力、団体行動に身をまかせる快感をしったら、ミイラとりがミイラになるさ」号令一下整列したり散開してるうちに、性格やものの考え方も影響されてくる。「集団の中からテロリストは育たないよ。なにも他人とのコミュニケーションをテロ行為に求めなくていいんだから」自衛隊に、酒乱もオナニストもいるまい。ましてスカトロジストにおいてをや。
「考えてみたら東京なんか、もろいもんやで、これは」新吉、ようやく白バイ何台も集まって、クラクション、笛のかしましい道路から眼をはなし、「電気の供給系統はどないなってんねんやろ」「電気?」「そや、東京を二、三日停電さしたったら、こらおもろいのんちゃうか」時々新聞に、凧《たこ》上げの紐が高圧線にからみ、あるいは自殺者ぶら下がって、ある地域が停電したと記事になる。東京へ入って来る高圧線を何人かで手分けし、ちょん切ってしまったらどうなるか。
「冗談じゃないよ。いくつ生命があったって足りゃしない」もともと電気にはからきし弱い禅介、怖気《おじけ》ふるっていったが、「ヒントは新聞にあるで。丹念に停電事故の記事を調べてやな。安全確実な方法を考えたらええ」ちょっと思いつくだけでも、凧の尻尾に長い金属線をつけ、風向きを考えて、高圧線に向け放す、高度さえコントロールできるなら風船でもいい。
これがうまくひっかかれば、ショートして、電線は焼き切れるのではないか。高圧線は電気の流れている時、低くうなるから、そう怖がることもない。「ほしたら、そこから東京に近い側は電流がとまってるわけやから、じょきじょきに切ってしもたらよろし」「あれも使えるんじゃないか。リモートコントロールの飛行機があるだろ」狙いさだめて電線に急降下させるのだ。
「停電になると、人間することがないから、せっせと子づくりに励むそうだな」「することがないっていうより、怖ろしいからだよ、暗闇が」近頃の都会には真の闇がない。たとえ日は出ていなくとも、星あかりがスモッグにさえぎられたって、どこかに光源があるから、夜とはいえどあやめも分かぬ暗さなど経験できない。
「だけどたまに田舎へなどいくと、本当に足を一歩も踏み出せないような暗闇があるもんだよ。あのニューヨーク大停電の時も、みんな本来の夜の持つ、闇の怖さにびっくりして、混乱するゆとりさえなかったんじゃないか」ビンは新説をとなえ、多分、市民たちはお互いの体を手でまさぐり、男女はかき抱き合うことでしかつながりを求められなかった、あるいは闇から眼をそむけるためにひたすらセックス営んだのではないか。
「そうかなあ。俺のきいたんでは、かえってのびのびと、たしか名月が出てたんだろ。夜空ふりあおいで楽しんだっていうけれど」「そんなロマンチックなことちゃうで。東京が停電になったら」アメリカならパン食だから、まあ買いおきを食べればいい。しかし、東京で米はあったとしても、どうして炊くか。今時かまど備えている家庭など数えるほどしかないはずで、「じゃ、ガス釜《がま》が有利になるわけか」禅介つぶやくと、「だめだよ。電気が停れば、ガスも水道もストップするさ」局地的な停電ならともかく、二十三区全域に及ぶようなら、たちまちお手上げのはず。
「冷蔵庫は普及してるいうても、たいていろくなもん入ってないで、団地なんか」新吉、大食漢だけに切実な表情で説明し、さて炊き出しといったって、そんな組織もないし、区役所に米の備えがあるとも思えぬ。
「ボーイスカウトで飯盒炊爨《はんごうすいさん》など心得ていた奴がひっぱり凧だな」「飯盒がどこにあるねん。第一、燃料どないするねん」「飯はともかく、便所もえらいことだなあ」スカトロジスト・ビンとしては、これはうっとり眼をほそめ、「なまじ水洗にしちゃってるからねえ、いくら食べなくても、二、三日は出るだろうし」「車が使えない、電車がストップいうたら、郊外の住宅なんか島流しになったみたいなもんや」「都心の方がひどいよ。さしずめこのマンションなんか、いっぺんにアウシュビッツも同じことになっちゃうぜ」水が出ないからといって、井戸が手近にあるわけでなし、まあ、半日|保《も》てばいいだろう。
「電気とめたろやないか、実験的に」新吉興奮していい、「電気でなくても、水でもいいなあ。団地にいくと給水塔ってのが立ってるだろ。水をあすこへ揚げてその水圧で各戸に配るわけだが、これを爆破してしまえば、まず廃墟に近くなっちゃうんじゃないか」禅介、電気が苦手だから水にこだわり、「貯水池にLSDぶちこんだらどうなる」ビンも笑いながら相槌《あいづち》をうつ。都内の配水状況がどうなっているか、これは秘密とされていて、つまり犯罪に利用されることを怖れるからだが、かりに市ヶ谷自衛隊に通じる水道管に、こっそりLSDを流しこむ。たちまち甘美なトリップにさそいこまれて、まさしく平和憲法にふさわしい軍隊となるのではないか。
ビンは、ダンプカーにLSD山積みして、村山やら小河内《おごうち》の貯水池にぐわあっとぶちまける図を想像し、「LSD飲んだ後の糞はどうなるのかなあ」「そんな冗談とちゃうで。このマンションでやってみよやないか」「なにを」「停電や。ここやったらすぐわかるやろ、どの線切ったらええかいうて」「そんなのすぐ修理されちゃうよ」禅介いちゃもんつけたが、「いや、こういうビルは、おかしなとこにアキレス腱《けん》みたいなんあるねん」たとえば水洗便所の管でも、はじめから組みこんであるから、特定の部分につまると、それこそビル全体をぶっこわさなければ取り除けなかったりする。電線も同じで、ヒューズがとんだり、あるいはねずみにかじられたという事故なら、すぐ修復できても、「この壁の中にもきっと線通ってるやろ。これを探し出して切るねん。つきとめるまでにえらい時間かかるわ」「つまり、建築当時の電気配線図があればいいわけか」
ビンは他人ごとのようにいい、多分図面を手に入れることはできるはず。「昔、城造りに従事した人夫を、完成後に斬り殺したのは、当然の処置だなあ」「だけど、ビンいいのかい、ここで実験して」「俺は平気だよ。そのための準備しておけば」マンションの住人には、バアのマダムや、政治家の妾《めかけ》が多い。これがどう困り果てるか。「おまるやしびん用意して即席の汲取屋になろうか」けっけと笑い出した。
「信号燈どういう仕掛けなっとんのか調べてみる」新吉負けじといい、「じゃ、給水塔は俺の分担か」テロはなにも個人に対してだけではない、文明そのものに向けられてしかるべきであろう。
テロ第二波
非常警報装置のないことを確かめると、老人は雨戸の一枚をはずし、地面に置いて「この男は昔から閉所恐怖症だった。必ず部屋にすき間をつくっておかないと、安心して睡れない」|あて《ヽヽ》を使わずよくいわれるようにしきいに小便などを流して音を殺す工夫もこらさぬまま、手品の如く簡単に忍び入り、「人間には誰だって弱点がある。弱点といえぬほどの、まあ好みの問題であっても、あらかじめ調べておけば役に立つ」
ジンクスや、個人的なタブーを利用すれば、目的を遂げ易い。たとえば小荷物などの紐《ひも》を決してはさみで切らず丹念にほどき、輪にしてしまいこむ癖の者には、紐にうすく溶かした毒薬を塗っておく。また、煙草を消す時、ひねりつぶす如く、灰皿にこすりつけるようなら、こまかい毒針を仕込んで置いて、その際突きささるように工夫する。
駅弁の飯を一粒残さず食べなければ気のすまぬ癖や、レストランで必ず隅の席にすわる習慣、いずれも暗殺者にとっては有利にことを運ばせてくれる。老人は低いがはっきり聞きとれる声でしゃべりつづけ、
「忍びこむ際、ことさら物音に気を使いすぎてはいけない。どうせ敵に近づけば衣服のすれあう音、呼吸、あるいは物にぶつかるもので、それまでが静か過ぎれば、敵の注意をひき易い。寝ている者の耳を徐々にならしておいた方がいい」
老人はいつくばってじりじりと廊下を前進し、障子を開けると耳をすませ、「小百合さん、この手紙を枕元に置いてきなさい」さすがに緊張しきって、五体こわばらせている小百合にいい、夜目になれて今は部屋のたたずまいもおよそはわかった。
「酒を飲んだ後の寝息だから、大丈夫。近くに人もいない」老人に力づけられて、小百合および腰で座敷に踏みこみ、布団の裾から枕もとへまわって、見下ろす大臣の寝姿は、首をちぢめ体くの字に曲げ、その表情うかがえぬが胎児の如き態。
わずかにのぞく白髪のかたわらに斬奸状《ざんかんじよう》を置き、後じさりして老人のもとへ戻ると、小百合そのままのめりこむ如く、老人の胸にすがって、さきほど犬たぶらかすために、愛撫された体の、その残り火が急に燃えさかる。
廊下にどっかとあぐらくんだ老人の膝《ひざ》に跨《また》がり、歓喜仏《かんぎぶつ》の形となり、もとよりうめきも吐息も思うままもらすわけにはいかぬ。思いがけずたくましい老人の男根たしかめると、小百合自ら積極的に導いて、老人も、もはやつぶやきをやめ、小百合の腰に、両手をあてがう。すぐかたわら畳にして三畳はなれぬ場所に、大臣相変らずの寝息を立て、小百合は灼熱《しやくねつ》した巨根、体内におさめたとたん、逆に心気|冴《さ》えわたって、屋敷内の物音ざわめき、うかがい知れぬ離れた母家《おもや》の動静まで、すべて掌《たなごころ》指すように浮び、いや自らの波に漂う如くうごめき、つれて満潮のように昂《たか》まる陶酔をさえ、しっかと見きわめ、これまでの、ただ溺《おぼ》れきりなすままにまかせた営みとは、肌合いまったく異なった。老人の頭をしっかと抱き、体は老人に支えられているのだが、また、母親のように老人をいつくしみいたわる気持があって、ようやく息|荒《あら》らげはじめたその間合いはかりつつ、浮き沈みして、ついに背筋貫きぼんのくぼまで噴き上げたほとばしり、はっきりうけとめて、小百合は体をはなす。二人、無言のまま表へ出ると、また猛犬二匹、さらに小百合の強い臭いしたってせつなげな鼻息立てるのを、老人指で眉間《みけん》はじいて追いはらう。
「ねえ、また連れてってよ、先生」旅館の二つ枕置いた布団のかたわらにすわって小百合がねだり、老人は顔面|蒼白《そうはく》のままうなずいて、「小百合さんの望みならどんなことでも」まるではじめて女体《によたい》知った少年の如く恥じらいをみせ、「あれで、大臣殺しちゃってたら、なおすばらしかったんじゃない?」老人は答えず、だが、大陸にある時、同じような台詞《せりふ》口にした女スパイはよくいた。テロに成功した後、狂ったように男を求め、その相手は苦力《クーリー》でも阿片《アヘン》患者でもよくて、たいていこれが破滅につながった。性的快楽のために男を殺すことは、しごく当り前の女の願望《がんもう》かも知れぬ。
翌日ビンは、マンション建設した会社をたずね、その電気配線図見せてくれるよう頼んだが、けんもほろろに断わられて、いちおう部外秘とされているらしい。
それならば、大学建築科に学ぶ如く装い、研究資料として申しこむ方法もあったのだが、どのみち電気関係は、専門の下請けにまかせたにちがいなく、それ以上無理押しせずに、こちらを当ったがここには四、五年前の配線図など後生《ごしよう》大事に保管などしていない。
「兄ちゃん、なんでそんなもん探してるの」背の高い男が、もどりかけたビンを呼びとめ、「いや、ちょっと論文書くためにね」「そのマンションでなかったらあかんのか」「いや、そんなこともないけど、ほぼ同じくらいの規模のマンションなら」男は鼻筋通った端正な表情で、しかし赤いタオルを首にまき、風態《ふうてい》は見るから流れ者の工夫風。「わし、ちょっと前までホテルやっててんけど、ホテルの配線図ではあかんやろな」ビン、あるいは男が小遣銭でもほしいのか、手なずけておいて損はないだろうと、「いや、ホテルでもありがたいよ。一枚千円くらいはお払いできると思うけど」「いや、金はええねん。あんたそやけど電気のこと何も知らんらしいな」「まあ、そうくわしくはないけどね」「一枚千円いうて、ホテルの詳しい配線図いうたら、そらもう何千枚にもなるで」ケタケタ笑い、「何に使うかしらんけど、持ってきたるわ。どうせ捨てるねんから」店へもどって、別に他人の眼気にする風もなく、机の下に積まれた袋の一つ小脇にかかえると、「これ、近頃開店したPホテルのな、えーと最上階回転レストランの奴やな」道ばたで立ち話もならず、食堂に入って、ビンのぞきこんだが、あまり上等ではないコピーだし、入り組んだ線が縦横に走るだけで見当つかぬ。「わし、丹羽《にわ》いいますねん。何かできることあったらいうて下さい」玉子焼きで、酒を飲みつつ、男はへりくだった調子で自己紹介しもともと大阪|香里《こうり》の団地を手始めに、ビンの踏んだ通り雇われ工夫。
「わし、唄好きですねん。できることやったら、そっちで身ィ立てたいおもて、それにはやっぱし東京に出なあかんよって」折角、万国博覧会景気で、配線工ひっぱり凧の大阪に背を向け、だが、名だけ聞きかじっている作曲家や歌手のもとに、土下座して頼んだって、内弟子どころか、運転手にもなれぬ。「なんや先生みた時、芸能関係の方ちゃうかなあおもて、それで声かけさしてもらいましてん」ビン、堅気の勤め人ではないから、身なりはふだんくずれていて、丹羽の錯覚も無理はない。
「いや、芸能界とは関係ないけれど、そうだなあ、二、三人知らないでもない」有名なヒットソングメーカーの、新築した家にふさわしい家具調度見つくろいを頼まれ、何度か打ち合せしたことがある。しごく趣味の悪い男で、便所の照明までシャンデリアを飾り、洋間の壁面はルミナス、パリで求めたという大道絵描きの油絵にならび、白樺《しらかば》に彫った藤村の詩、ビュッフェのデッサン、秋田地方の簑笠《みのかさ》、ミレーの複製、タイマイの甲羅が雑然とならんでいた。
「いや、唄はもうよろしいんです。電気は喉《のど》にわるいらしいですねん」丹羽、そうがっかりしている口調でもなくいい、「こんな仕事してると、つい電気になれてしもて、百ボルトの家電くらい素手でたしかめたりしますやろ。他は大丈夫やけど、喉とチンポにきまんねん」電流にしばしば接触していると、声が涸《か》れ、不能の現象が起るのだそうだ。
「へえ、そんなもんですかねえ」丹羽の人より低い声に、ことさらかすれは見えないが、うなずくより他なく、「長いことやる商売ちゃいますよ」「しかし、たとえばホテルを眼にするたび、ああ、あの電気は自分が配線したんだという気持になりませんか」「そんなこと考えへんなあ」配線は、基礎的な工事だから、ホテルだって火葬場だって、特に差があるわけではない。「妙なことうかがいますが、ああいうホテルを停電させるなんて、できるもんですか」「いや、ホテルは全部自家発電装置もってるよって、自動的に切り替えなりますやろ」「しかし、内部で線を切ってしまえば、たとえば壁の中にうめこまれているのをパチンとやっちゃえば、しばらくは停められやしませんか」「ああ、それはできまんな」丹羽簡単にいい、「冗談にしてもらっていいんですけど、そのホテルの電線切ってくれと、あなた頼まれたら、どうしますか。もちろんお金はさし上げますけど」丹羽、表情変えずに、「そらおもろいでんな」大体、わしら下請けのしかも日雇いいうたら、ホテル造っても、銀行建てても、完成したとたんに自分とは関係なくなる。ホテルにかて、まず一生泊ることはでけんやろ。「そやから、おもろいこと考える奴もいてますわ」でっかいビルの、ごく一部分を受けもたされ、しかも配線工なんかまったく縁の下の力持ちで、しかし、自分がここで仕事をしたというしるしくらい残しておきたい。
こっそり天井裏のコンクリートに落書きもすれば、生乾きのそれに、自分の糞をまぜて、「どないや、えらそうなこというたって、このビル俺の糞入りやねんで」腹いせのようにさけぶ者もいる。「そういえば、法隆寺の天井にも落書きがありましたねえ」さぞかし、あの寺の建設にかり出された大工たち、自分たちとは無縁の寺を、夜を日についでつくらされる空《むな》しさに、きわめて猥褻《わいせつ》な文字を梁《はり》に書き残したのであろう。「うわべはきらびやかなもんでも、日雇い連中のうらみこもってますわ」「どうです、やってみませんか。私がホテルに部屋をとりますから、少し下調べして」氏素性《うじすじよう》知れぬ丹羽だが、妙に投げやりな雰囲気がビンの肌に合い、もちかけると、「下調べなんかいりませんわ。Pホテルやったら、あれ途中で金ぐりに困って、わりと手エ抜いてるんです」二つ返事で引きうけた。一方、新吉は信号機を調べ、この業界は、まさにうけに入っていて、なにしろ裏道抜け道の四つ角いちいちに信号機がつけられる御時勢。
楽に下請けからその設計図を入手でき「そうきびしい錠や鍵《かぎ》はついてないな。お巡りが赤と青の点滅時間を調整しよるのをみてたけど、ペンチ一つあったらこわせるちゃうか」丹羽に図面見せれば、そのこつもわかるはず。「鍵穴があるんなら、そこから消火液ふきこんでもいいんじゃないか」小型のそれをかくし持ち、こっそり噴出させて、点滅のからくり納めたボックスを、液で充たしてしまう。あるいは、金属|腐蝕《ふしよく》させる液体流しこんでもいい。「いちいち鍵をこわしてちゃ眼立つし、時間がかかるよ」
斬奸状の反応は、とり立ててあらわれず、しかし、昼間、大臣私邸近くを通ってみると、暇つぶし風にそぞろ歩きの男が目立ち、どうやら私服が警護するらしい。「ホテルの停電もいいけど、問題はテロだろう。どうやってやるんだよ」禅介がいきり立っていい、「鉄砲といっても、ここにあるのは種子島《たねがしま》だしねえ」毎朝のトレーニングは欠かさないが、まだスパイ映画風に、かっこよく相手を一撃で倒す技術はない。
「たしかにここで二の矢三の矢をはなつ必要がある」「犬がいるっていってたけど、これをとりあえず血祭りにあげたらどうかな」ビンが提案すると、「ただ警戒を厳重にさせるだけだろ」禅介は、一刻も早い直接行動を主張する。テロを思いついてからは、詩も、もとよりコピーに頭ひねることも色あせて、殺す行為もさることながら、さだめし張られるであろう厳重な非常線をかいくぐり、いや、ビルの屋上のエレベーター格納室などに身をかくして、刻々とせばめられる捜査陣をじっと見守っている。表にとび出せばたちまち射殺されるだろう。といって最後まで、かくれおおせるわけもない。その時に自分は何を考えるのか。
「射たないでくれ」と、両手を上げ見苦しい降伏をするだろうか。それとも、かなわぬまでもピストル乱射して最後まで抵抗こころみるか。あれこれ考えて行きつく先は、絶対に死にたくないということだけ。
ビンや新吉をみていると、まして小百合などまったく自分の死を棚に上げているらしいのに、禅介は、テロが実現に近づけば近づくほど、怖ろしい気持が強くなるのだ。
「あせることはありませんよ」老人は落ち着いて制し、「まだ、後へ退《ひ》けると思うから怖い。もはや殺しつづけるほかないとなれば、冷静になれるもんです」禅介にむかって説き、「折角、あの大臣を怯えさせたんだから、先を続けましょう」「続けるって、また忍びこむんですか」ビンがたずねると、「いや、もう向うだって油断はしていない。しかし、確実な死を用意することはできます」しかも、全員が共犯関係となるようなテロ行為。「いかがです?」「共犯関係いうて、どないしますの」「ここに古い乳鉢《にゆうばち》がありましたねえ」老人ビンにたずね、それは帝政ロシアの頃、やはり宮中で政敵毒殺するための、薬調合に使ったといういわれのもの。
「毒薬作るんですか」「いや、毒というわけではないけど、効果は同じです」ビンがさし出すと、老人棚にならんだコップをながめ渡し、「これ、くだいてもよろしいですか?」「ええ、どうぞ」卵割る如く、乳鉢のふちにたたきつけ、太い陶器の棒でみじんにくだく。
「これをこうやって、すり潰《つぶ》すんです」ガリガリ音させながら老人がまずやってみせ「かなり時間を必要としますから、交替でおねがいします」「硝子《ガラス》が爆薬かなにかになるんですか」「いや、もっとおとなしい凶器ですよ、これは」老人につづいてビンがならう。「小麦粉ほどこまかく、水に落しても、しばらくは沈澱しないように」一同、じっとビンの手もとを見守り、「これを、あの男の好物であるコーヒーに混ぜる。つまり、シュガーポットの中に入れておけばいい。硝子には味がないし、少しくらいなら見分けはつかない」「ははあ、硝子を食べさせるわけか」「でもさ、私の知ってる男の子で、バリバリ噛みくだいて食べるのがいるわよ、コップなんか」小百合、疑わしそうにいい、「それなら大丈夫。ある程度の大きさがあれば、胃壁を少しは傷つけるかも知れないが、死にはしない」「へえ、粉の方が効くんですか」「そう、こまかければこまかいほどいい」
コーヒーと一緒に硝子の粉は、腸で吸収される。つまり栄養分を吸いこむ細い管に入って、そのどこかにひっかかり、すると、腸からの栄養吸収に障害が起る。「まあ、三月から半年で、健康な若者でも衰弱死いたします。一種の栄養失調死でしょうな。老人ならば癌《がん》の末期のようなもので、ただひたすら痩《や》せおとろえたあげく、枯れ木のように息を引きとる」死因たしかめることも、また、いったんつまった硝子の粉を取り除くこともできない。「皆さんで手分けして、この硝子を粉にする。ひとこすりひとこすりが、あの老いさらばえた大臣の死につながります」禅介が交替して乳鉢にむかい、すでにあらかた砂状となっている粉を、じゃりっ、と力こめてくだく。
電光を反映して、粉は時にきらりと光り、見つめていると、その一粒一粒腸の中を雪のように散乱する光景が浮んでくる。「つまり、栄養満点の糞を、あの大臣|排泄《はいせつ》するわけだ」ビンが独言のようにいった。
試し斬り
暗がりの中に、ビンと禅介、それに老人がたたずみ、時おり車のライトに照らし出される街路は、まったく人影見えなくて午前一時。
「あの、腰骨の上の所ですね」ビン、震え声でことさららしく訊《たず》ねる。「そう、背骨に沿った両側、どちらでもいい」老人、つぶやくように答えて、暗闇に眼をこらし、「犬の眼になれということを教わりました」立木に登って情勢うかがうと同時に、身を低くしてあたりの気配をさぐる。これは特に夜、星明り一つない場合、地虫の如く姿勢を低くすれば、視界を遠くのばすことができるのだが、ふだんでも、思わぬ死角を発見するもので、たとえば部屋の掃き出し口、通風孔など、突っ立ったままでは見過し易い。「女でもやるんですか」禅介が訊ね、「そりゃ女でも、かりに子供でも同じことです」ビンも吐息をついて、「まあ、子供は来ないだろうな。こんなおそい時間だから」「女だろうと、子供だろうといちいち斟酌《しんしやく》することはない。相手の立場を考えたらテロなどできやしません」老人まるで釣り堀にすわって、魚を待つように平然という。
すでに彼岸をはるか過ぎているのだが、足もとから寒気がはいのぼり、だが、つい歯の根あわずにがちがちと音立てるのは、寒さのせいだけではなくて、いよいよこれから、人殺しをまずビンが行うためでもある。
通称「グラス・シュガー」と呼ばれる、中野学校|直伝《じきでん》のしろものは、大臣所轄の庁舎に小百合がとどけ、大臣は庁舎に入ると必ずコーヒーを飲む。
上は慶長小判から、下は靴下タオルにいたるまで、おびただしく運びこまれる貢ものを、大臣決して部下に分け与えず、すべて自宅の土蔵にしまいこみ、敗戦直後の罐詰や軍隊払い下げの靴まで大事に保存するけちというよりは一種のマニア。だからしかるべく贈り主の名を書き、受付へ持参すれば、必ず大臣の許《もと》へ運ばれ、しかも、当節、砂糖の付け届けなどすくないから、多分、そのまま朝のコーヒーに供せられるだろう。
これも老人の入れ知恵で、はじめは、御用聞きに扮装《ふんそう》し自宅へとどけるやら、台所へ忍び込んで、砂糖壺に投入するなど、実際に殺人のための道具つくっただけに、禅介、新吉いきり立って思案したのだが、これは、労のみ多く、他人をまきぞえにしてしまう。
「もう飲んだかな」時限爆弾しかけたつもりで、禅介新聞のくるたび、紙面をくまなく探し、「そういらいらしてちゃいけませんな。こんなのは、どっちかといえば機雷を敷設したようなもので、うまくいっておなぐさみ」老人冷やかすようにいい、「殺すという行為は、あくまで、自分の手で相手の息の根を止めなければ」「そりゃそうだよ。そんなことはわかってるけど、実際に何をしていいのか」禅介、いまはアジトの如くなったビンの部屋に、朝から晩まで、小百合、老人を交じえて五人、時には丹羽も加わり、あれこれ机上の空論のテロ行為をしゃべるばかり。そのうち禅介はまた酒を飲み出し、新吉オナニストの以前にもどり、ただ老人と小百合は実の親娘の如く常に寄りそって、いわば食客に近いのだが、いっこうその遠慮はみえぬ。
「ホテルを停電させるの、信号機をこわして交通を麻痺《まひ》させるのといっても、いちばんはじめに考えたテロとは関係ないじゃないか。みんながやらないんなら、俺一人でやったっていいんだ」禅介二日酔いの、まださだかならぬ頭ふり立てて、それもあるいは道理。
禅介の女房龍子、亭主が酒乱のうちは、あっぱれ世話女房風に、自らデザイナーとして家計を支え、その反吐《へど》にまみれ、また禅介酔ったあげくの尻ぬぐいもいとわなかったが、酒よりもテロに熱中しはじめると、もちろんそのことについて何の認識もないのだが、いちいちうるさく行動を詮索《せんさく》しはじめ、「どこへ行くのよ」「ビンのアパートだよ」嘘いつわりないことなのに、しつこく問い質《ただ》す。「電話かけてくりゃいいだろ。ちゃんと居るんだから」「何してるんだか、スカトロジーとかなんとかいって、大体あの男、あたしゃ虫が好かないよ」のうちはまだよかったが、やがてビンの部屋に集まって、自分の悪口をいってるのだろう、週刊誌の記者が自分をつけまわしているのも禅介の指し金であろう。自分がかつて醜態をさらしたから、龍子にも同じくさせるために仕組んだのだと、被害|妄想《もうそう》がつのり、分裂症めいてさえみえた。
家へもどれば龍子にいためつけられ、しかも、テロの妄想は強烈で、新聞コピーを思案するなどいかにも色あせた営み。だからビンの部屋に顔を出すのだが、いっこうに具体化しない。そしていざ具体的な行動に出ることを考えると、恐怖感がつのり、龍子だけではなくて、禅介もノイローゼに近くなり、なにかというと立ち上がり檻《おり》の中の熊よろしくうろつきまわって、怒鳴り立てる。
「要するに、誰かをやればいいんだろ。あみだクジをひいて、当った者が突破口を開くことにしよう、相手はいくらもいるじゃないか。ビンのいう、テロ行為によってしかコミュニケーションを成立させることのできない相手」名前を列挙し、できもしない空手の突きを演じてみせたりする。
「禅介さんが、いちばんナイーブなんですな」老人、冷やかす口調ではなくいって、「しかし、そういったナイーブな人こそ、もっともすぐれたテロリストになり得ます。人非人《にんぴにん》にできるわざではない」
「ナイーブ? ナイーブでもなんでもお前さんの知ったこっちゃないよ。大体あんたね、大きなこといってるけど何人くらい殺したんだね。中野学校なんかろくなもんじゃない」禅介、酒の力をかりて老人にからみ始め、「そうですな、百五十人くらいまでは、いちおう数えましたが、それ以後は、常に一人を対象にするわけではないから、巻き添えにしたのも含めると、五、六百人はあやめましたろうか」
五、六百ときいて度胆を抜かれた一同に、老人淡々と「一人も五百人千人も同じことです。あなた方はどう考えているのか知りませんが、私たちは、ただ自分の命を助けるために人を殺しました。おまんまをいただくのと変りありませんよ」殺し、強盗、放火あらゆる悪事を重ね、それを行わなければ、自分が殺されるとなれば、これも一種の緊急避難行為に近く、罪の意識などない。
「じゃ、強姦もやりはった?」「いや、口説きおとして、女を手下に使うことはあっても、強姦はやりませんでしたね。強姦は、自分を助けることに何もつながらない」
「じゃ、今でも殺せますか」酔いが覚めたらしく、言葉つきあらためて禅介がたずねると、「殺すなんて訳ないことですよ。むしろ人間は死んだ姿こそ本来のもので、生きてしゃべってる方がおかしく見えて来ます。はじめはお国のため、しかしすぐに我が身かわいさで人を殺しましたが、よく考えてみりゃ最後はただ殺しのための殺しを行なっていたのかも知れませんな」
老僧の如くおだやかな表情のまま、老人は爆破によって、手足ばらばらとなった死体、腹を切り裂かれ、あふれ出る腸を両手に捧《ささ》げ持って、なおよたよた歩き逃げようとした凄惨《せいさん》な姿であっても、ひとしなみいとしくながめたといい、小百合は老人にひたと寄りそい溜息《ためいき》つきつつ、脚をよじらせる。
「殺しだけは、たしかに机上の空論いくらたたかわせても埒《らち》があきません。まず、実行することですな」「いちばんはじめの時は、どんな気持でした」ビンがたずね、「私の場合は、中国の奥地で、まず辻斬りを行いました」「辻斬り?」「ええ、あらゆる殺人技を教わりはしましたが、なかなかふんぎりをつけ難いものでして、しかも、狙う相手をつけまわすうち、妙な親しさがわくものだし、その家族を眼にすれば、心もくじけます」
いよいよ要人を刺し殺さねばならぬという前夜、老人は、街角にたたずみ、通りかかった若者を、まさに恩も恨みもないのだが、息の根絶って、「つまり度胸づけですか」「いや、この若者にも家族がいる。若者の死を悲しむ母や恋人がいるだろう。にもかかわらず自分は殺してしまった。若者の家族の悲しみも、自分の狙う男の家族のそれも同じことではないか。無理にそう納得させたわけです」ふーんと、一同うなずいて、「そらそうやな。交通事故で死んだと思えば、ええわけや。俺たちは相手の家族のことまで考える必要ない」「しかし、はじめて相手の脾腹《ひばら》に短刀さしこんだ時の感触というものは、これだけは今だに私覚えております」
「やっぱりぎゃっとかなんとか悲鳴あげますか」「いや、そんなぶざまなことではテロは行えませんよ。すくなくとも、こっちが生きのびるつもりならば」「へえ、そやけど、心臓突き刺されても、即死いうんか、瞬時に意識失うわけではないいうて、きいたことあるけどな」「相手が眠っている時ならば延髄を刺せばよろしい、畳針のようなもので」これは恐らく相手も刺されたと気づかずに、死んでしまう。起きているならば、背後から腎臓《じんぞう》を一刺しにする。「腎臓? あんなん片方とっても生きてるんちゃいますか」「機能的に破壊して殺すのではなくて、ショック死させるわけです」胸を刺す、喉首をかき切るということは、かなりの熟練を必要とするけれども、腰だめに短刀をかまえ、体ごとぶつかるようにして、相手の腰骨の上をえぐるなら比較的楽にできる。
この場合、大して出血もせず、もちろん腎臓刺された途端に相手は意識失うから、ただへなへなと崩れ落ち、その体抱きとめれば、倒れる物音さえも周囲に気づかれなくてすむ。
「じゃ、一度やってみるか」禅介すでにして殺人狂となった如くに眼を輝かせ、これは、ビンなり新吉なりが、とめるだろうと計算しての発言。
自分がいちばん臆病だから、いたたまれなくてこういったのに、誰も反対はせず、「そうですね。誰を殺すにしろ、あらかじめ予行演習しておいた方がいいかもしれません」江戸時代の武芸者も、年に一度は生身の人間を斬って、技《わざ》のみに流れることを防いだという、いわゆる試し斬りも、業物《わざもの》の切れ味をテストする意味より、殺しの気迫を養う意味が強かったのだ。
「私、連れてって」小百合がすぐ申し出たが、女に先を越されてはと、ビン、新吉も同行を願い、しかし、総勢五人ではいかにも目立ちすぎる。
ジャンケンの上で、まずビンが行い禅介と老人が介添えすることとなり、四谷若葉町、表通りからは下り坂となっていて、くぼ地の暗闇に身をひそめ、百メートル間隔で立つ常夜燈のランプが一つ切れていて、そのあたりは身をかくすに絶好の場所。アパートとアパートの間の、せまい路地にビンと禅介がひそみ、老人はコンクリートの電柱にたより、「ここらへんは女給アパートが多いんだろ。ホステス殺しとくれば、先ず痴漢のしわざに思われるだろうな」禅介、落ち着きなくしゃべるのを、老人片手で制して、耳をすますと足音が近づく。ビンは急に尿意をもよおし、喉がいがらっぽくなって、今にも咳払《せきばら》いしかねず、ブロックの塀《へい》にすがっていなければ、膝がくずれそうに思うが、恐怖感はない。
雪山のてっぺんに立ち、これから滑る急斜面を見下ろしているような感じがあって、多分俺はやりとげるだろうと自信が生れる。男だろうか、女か、いや女のはずはない、ハイヒールの靴音ではなく、ややすり足で近づくのは明らかに男、ようやく課長になったばかりで、あるいは転任の同僚を送る酒席のかえりではないか。
おそくなったからと、ケーキの一箱もかかえて、家には少々くたびれた妻と、子供が二人。上は小学校の五年、下が四歳くらいで、もう寝てるにちがいない。部屋には上の子供の描いた絵などが飾られ、男は家族の眼覚まさせぬように物音はばかって寝床にもぐりこむのだろう。
ビンは縁もゆかりもない男の生活状態を十年の知己の如くありありと確かに浮べ、それを不思議にも考えず、老人に手渡されたしごくありふれた小刀にぎりしめる。
思ったより速い足取りで三人の前を男が通り過ぎ、ビンはほとんど暗闇に近い中で、その横顔しっかと心に刻む。鼻の高い四十男で、髪はスポーツ刈りに近く、かなり痩せた体つきだった。「女形《おやま》になるときっと似合うにちがいない」まったく唐突に思いついた時、老人が強い力でビンの左腕をとり、前へ押しやる。
ビンは靴下はだしのまま、突きとばされるように男の背後に近寄り、その気配察したのかふり向うとしたところを、自分でも思いがけぬ力で体当りしつつ右手を背中に向けたたきこむ。ほとんど突き刺したという感じはなくて、だが、男は腰抜かした如くへたりこみ、ついビンは酔い潰《つぶ》れた者を介抱するように、肩を抱こうとしたら、老人まず小刀を奪い取り、ビンをかたわらに押しやった上で、横倒しにころがった男の表情をあらためる。
男は眼を見開いたまま何の苦悶《くもん》の色も浮べず、禅介もそばに呆然と立ちつくし、のぞきこむ。
「終りました」老人つぶやいて、すたすたともとの暗がりにもぐり、「靴をはいて遺留品がないかどうか」しさいにあたり点検した後、「マンションには別々にもどりましょう。人に行き会っても平気な顔して、誰も気づいてないし、発見されるのは明日の朝です」たしかに、このくぼ地のアパートばかり建ち並んだ一画、人通りはしごくすくないのだ。
ビンは、ことさら片手を上げて、二人と別れ、小道を進んで、電燈の光に掌《たなごころ》あらためたが血潮の色はなく、汗もかいていない。これが殺しか、倒れかかる男の重味を受けたわけでも、断末魔の痙攣《けいれん》感じることもなく、まるで握手して別れたのと同じ。男は突き刺された瞬間何を思ったろうか。殺されるとは考えつかず、酔っ払いがもたれかかったくらいに、いや、人気《ひとけ》のない夜道で、背後に迫る気配を感じたのだから、強盗と思ったかも知れぬ。それにしてはおだやかな死に顔だった。
ビンは無性《むしよう》にもう一度現場へもどってたしかめたくなり、その半ばには、今頃あの男むくむく起き上がり、背広についた泥を払って、またすたすた家路をたどっているのではないかと、願うような気持がある。老人のいっていた腎臓ひと刺しというのは、まったくの嘘で、いや、老人とあの男はしめしあわせていて芝居を打ったのではないか。
妄想を追いつつ、だが足取りはマンションに近づくにつれて速くなり、いかに打ち消しても、自分が男の体内深々と突き刺した小刀の感触は逆にあざやかになるばかり。ショック死とはどういう状態の死をいうのか確かめたくなり、小刀突き刺されたとたんにちぢみ上がった腎臓、血液は凝固し、脳髄の一瞬にして石灰岩の如くかたまる様子が浮ぶ。
何の関係もなかった男だが、今ではビンの死ぬまでもっとも身近に存在しつづける人間となったわけで、殺す直前思いやった家族には関心が向わぬ、男は何の職業だったのだろうか。
学歴は、趣味は、身長体重食物の好み一切合財知りたい。マンションにもどると、小百合眼を輝かしてとびつき、新吉と禅介は何となく眼をそらせよそよそしい印象、ビンものもいわず小百合を抱き、別室にとじこもる。突き上げるような欲情が、もえさかっていた。
国家への挑戦
ビンは、ベッドの上に小百合を押し倒し、無器用な少年の如く、ただわが体をのしかからせて、すると瘧《おこり》のような身震いが起り、「怖かったのね」小百合やさしくいいつつ、ビンの背中をなでさする。
恐怖感はそれほどなかったと思う、俺は怖がっているのかと、自分でかえりみる程度のゆとりがあるし、怖いとすれば何に対して恐れるのか、殺人発覚して手の後ろにまわることか、あるいは罪の呵責《かしやく》か、二つながらまるっきりなくて、ひたすら体だけががたがた震え、他人が見ればずいぶんおかしいだろう。
たとえば満座の中で、ふいに一人の男が意味もなく身震いしはじめたら、これは奇妙な見ものにちがいない。
はじめ寒さのためかと思い、つづいて何かに怯えているのか、また悪い病の前兆かと気づかい、しかし、そのいずれでもなくて、ただ無意味に震え続ける男、男自身も、何ごとがわが身に起ったのか理解できず、いくら努力したって、しゃっくりさえコントロールできないのだから、止められるわけがない。
ビンは震えつつそういった男の姿を想定し、わが部屋へもどったとたん、火のついた油紙の如く、思いがけず燃えさかった欲情、そのまま身内にあるのだが、行為にうつることができぬ。震えのせいだけではなく、欲情と、当然それに支えられる営みが、まるっきり別物に思えるのだ。
「先生も禅介さんも何もいわないんだけど、うまくいったんでしょ」小百合がたずね、うまくいった? うまくいったとは何だ。人に見つからず、証拠も残さずに殺したことをいうのか。たしかにあの男はほとんど苦痛を感じなかったようだし、俺も肉体的な負担なしで殺し終えた。だからうまくいったというのか、殺しにうまい、まずいがあるのだろうか。悲鳴を上げられ、弥次馬にとりまかれて、無器用きわまりなく殺したって、殺しには違いない。警察につかまるつかまらないなど、どうでもいいことじゃないか。
あの死体は暗い路上にまだ横たわっているだろう。風がないから垂れこめたスモッグに、月の光はさえぎられていても、きっと死に顔だけは、夜光塗料ぬられた如く、ぼうっと浮んでみえるのではないか。
死んでしまってから、夜眼になれるもなれないもないけれど、ビンは、地面に横たわった男の意識が次第によみがえって、ぽかんと春の朧月《おぼろづき》をながめるように思い、その月の光を、自分もまた浴びている。簡易舗装の背中にあたる堅い感触、冷え冷えした肌ざわりが実感できて、死んでしまったのだから、体を動かすわけにはいかぬ。絶対に動かなくなってしまった境地は、とても安楽なように思えてくる。
「抱いて」小百合は、少女っぽいイチゴの模様のついたパンティだけの姿となり、そのいつの間にか衣装脱ぎ捨てたのにも、ビンは気がつかぬ。
小百合がビンの体に手をさしのべ、不能の状態にあるとしって、まず指の愛撫を加えたが、いっこうままならず、ビンを仰向けにさせると、唇にふくんだ。俺は死んでいるのだ。
ペニスに与えられる生温《なまぬる》い刺激を十分に感じつつ、ビンはなお、死んだ男の乗り移った如き妄想に身をゆだねて、俺にとってテロとは、無限に死者に近づくことではないか。苛立《いらだ》ちながらはいまわる小百合の唇、その柔らかな重味受けとめ、ビンは死んだようにいっさいの反応を拒否し、そのままの状態で射精にいたった。快感というより、屍体《したい》の時を経て、くずれ果てるきざし、軽やかな虚脱感があり、なおまといつく小百合の体は、屍体食いあらす蛆虫《うじむし》のように思え、このまま土に同化できれば、どんなに安楽だろうかと思う。
あの男は、あれでもう思いわずらうことはない。あらゆる浮世の束縛から解き放たれ、土にかえる。いや、実際は火で焼かれるわけだが、重油バーナーの炎につつまれた絵柄は浮ばず、ただ暗い地中に埋められ、なおぼっかり眼を開いたまま、眼を閉じていてもいい、眼の裏側をながめつづける男の表情をうらやましく思う。
「起きなさいよ」小百合にゆり動かされ、思わず反射的に上体起したのは、やはり、心の中では殺人発覚して、その探索の身辺に及ぶのを怖れていたためか、後頭部にいやな疲れが残っていて、痴呆の如く、後ろ手に体を支えたまま、ビン口をきかず、「TV観てごらんなさい」せっつくから、てっきり昨夜の一件を報ずるのかと思うと、正規軍派が飛行機をのっとったのだという。
「乗っ取り?」「そうよ、日航機乗っ取りよ。今、板付《いたづけ》に降りてるのよ。機動隊も手の出しようがないんだって、お客が百人以上いるから」すっかり昂奮《こうふん》しきっている。
禅介は昨夜おそく家へもどっていて、居間に新吉と老人、ブラウン管に見入り、「やっぱり疲れたらしいな、俺、起しにいってんけど、死んだみたいに寝とったわ」たしかに何の夢もみず、そして、昨夜のことはきれいさっぱり痕跡《こんせき》もとどめていなくて、いくらか良心の呵責があっていいはずなのに、心に痛みの片鱗《へんりん》もない。「ここに出てます。通り魔の犯行ということになってますね」老人新聞をさし出し、ビンはじめて男の顔をながめたのだが、自分のいだいているイメージとはまるで異なった凡庸な顔立ち、年齢は四十歳で二児の父。
死亡広告ながめるより興味がわかず、TVに眼をうつすと乗っ取られたという飛行機が、いかにも鈍重な印象で地上にうずくまり、アナウンサーの声が軽薄にとびかう。こんなものが、空中を飛翔《ひしよう》するなんて、何かの間違いなのではないか。近代科学の粋《すい》を集めたというより、進化の途中でとどまってる奇怪な生物に近い。「日本刀でおどかしてるんだそうです。おもしろいですな」老人は、ビンが、自分の手にかけた男の、詳細な記事にいっこう関心払わぬことを不思議に思わぬらしく、むしろ血|湧《わ》き肉躍るといった風にこれまでの経過を報告し、「俺、機動隊がやたら楯《たて》ひきずってうろうろしてるの、はじめて見たわ。いつもと勝手ちがうらしいな」「そりゃそうです、こうなったら戦車持ち出しても、ナパーム弾もまったく効果はない」いくら国家が威張ったところで、日本刀一本にかなわぬ。
「人質か、誘拐《ゆうかい》、脅迫、人質いうのんも、ええ手やな、人道主義がまかり通っているうちは」人質を卑怯《ひきよう》やいうのは、あくまで乗っ取られる側の理屈ちゃうか、乗っ取る方にしてみたら、生きるためのぎりぎりの手段で、建て前としてのヒューマニズムふりかざしてる国家の、まさに盲点ついたわけや。新吉独言のようにいい、「じゃ、乗っ取られた方も人質とればいいじゃない。正規軍派の家族をつかまえちゃうとかさ」小百合の身を乗り出すのに、「それはでけんよ、近代国家は、そんなことようやらん、西部劇とちゃうんねんから」罰を肉親におよぼすことはない、ざまあみろ。
「何を要求してんだ」ビンは、無格好な飛行機の姿にのみ気をとられ、上の空で三人の言葉をききつつたずねると、「北朝鮮へ行きたいらしい」「へえ」正規軍と北朝鮮の関係など、皆目わからないから、「誰かえらい人でも乗ってるのかい」「さあ、政府要人とか財界の大物はおらんらしいけどな」「いなくてもいいんですよ。こうなればお客の一人一人は総理大臣と同じくらいの重味があるんだから」ふだんなら、たとえば車にはねられたって平均百何十万の金支払われてそれなりけり。
しかし、今は文字通り乗客の生命地球の重さにひとしく扱われる。「義賊っていたでしょ、昔」「鼠小僧次郎吉とか、佐倉宗五郎」「宗五郎は賊じゃないだろ」「そやけど、当時の法律犯したことにはちがいないやろ」「そういうのやったらどうかしら」「どないするねん」「人質つかまえといて、いろいろ注文するのよ。公害防止のための具体的な方法を講じなければかえさないとか」「そうなると文化人はどないに評価するやろな」「金嬉老《きんきろう》の時も、大変な名分があって、文化人はみなころっといっちまったからな。目的は正しいが手段がわるいとかなんとかいうんだろ。あるいはこれを機会に反省しなければならぬとか」「さまよえるオランダ人みたいにやな、飛行場から飛行場へ給油しながら飛びまわったらどないやねん」平壌《へいじよう》から北京《ペキン》、香港《ホンコン》、ハワイ、キューバ、思想のちがいも人種差別もあったものではない。ヒューマニズムに支えられてこれこそ世界親善飛行ではないのか。
どこの空港でも、自分のところでトラブル起されたくないから、腫《は》れものにさわる如く、点検修理だって慎重に行うであろう。
「文明国になればなるほど、人質戦術は有効になりますね」老人がつぶやき、国家に刃向うための唯一つの残された方法かも知れない。
現実に空港ターミナルのかげに、機動隊こそこそと姿をかくしているではないか、大学騒乱に際して見せた雄々しさは片鱗もうかがえぬ。
「佐藤訪米阻止もこの手でやりゃよかったんだな」「そらあかんで、米軍飛行場から行くやろ」「だから、新吉のいうフライングダッチマン風に、そこへ舞い降りていくのさ」「かっこいいじゃない」「山岳ゲリラは未開発の国でなけりゃできないから、ゲバラが日本に来たとしたら、やはり乗っ取りを考えたかも知れませんな」「そやけど、正規軍派いうの、いつも妙なことで失敗するやろ。軍事訓練いうて、警察の尾行をつけたまま集合場所へ行ったり、カンパした人の名をノートに書いて押収されたり」「禅介もいってたねえ、あまりことごとしく吹聴《ふいちよう》しすぎるって」
英語習いたての中学生が、横文字使いたがるようなとこがある。「いや、結局はいいふらすでも、誇大妄想的計画でもいいんですよ。自分をそういった暗示にかけておけば、すくなくともきっかけはつかめます」老人がいい、一人でやる行為なら別だが、何人かの協同作業の時は、常に気勢を上げ、目的をエスカレートさせなければ、なかなか行為には結びつかない。
「論理や使命感ではありません。はずみ、時に勢いによってしか、革命でも乗っ取りでもできやしない」やがて乗っ取られた飛行機から老人、子供だけが降ろされ、アナウンサーは、飛び立つ時機の近いことをつげる。
北朝鮮へ向けてでも、あるいは目的地がないのであっても、飛行機の空高く舞い上がった時の、正規軍の胸中はどんなものだろうか、727は急角度で上昇するけれど、その姿そのものが、正規軍の心情をあらわすといってもいい、ジェット機は乗っ取りに似つかわしい。
「殺人と乗っ取りは丁度、国家に対する個人の力の、両極端な形でしょう」ビンも、ふと殺した後の、一種の下降感覚と、ジェット機そのものとなって上昇する乗っ取りを対比して考えたのだが、老人が先まわりして同じことを口にし、
「乗っ取りはサジズムかも知れません。人質を支配する、絶対的な権力を持つことだから」すると、個人的なテロはマゾヒズムなのか、ビンはスカトロジーに身を打ちこんでから、時に、他人の糞便に関心いだいてあれこれ検査したりするのは、どうもマゾに近いとは考えることがあるのだが、昨夜、夢ともうつつともつかずに、死体となった男に自分が同化したような、あの異様な感覚はマゾヒスティックな快感に通じるかも知れぬ。
「お客は怖いやろな」新吉、しごく当り前なことをいい、「いや、それほどでもないでしょう。正規軍派は、市民的な犯罪を行なっているわけではありませんからね、これが強盗とか、殺人犯なら別だけど」「政治犯やからですか」「いうならば、ロマンティックじゃありませんか。国家に対する個人の挑戦で、しかも絶対的な悪と、いや、そこまでいわなくても、彼等を犯罪者ときめつける基盤なんか、よく考えるとありゃしません」もし、彼等の理想とする社会に、日本が変ったとなれば、延安に逃げていた野坂参三が、敗戦後、英雄の如く迎えられたのと同じで、威風堂堂パレードくらいするだろう。
現在の体制が絶対にかわらないと信じるのは、戦争中、日本不敗の信念に凝り固まっていた、あるいは徳川幕府が永久に続くと疑わなかった連中と同じ、どう世の中転ぶかわかりゃしない。
「日本人は日本刀についてはなれてますしね、毛唐なら不必要に怯えるだろうけれど」正規軍派が冷静にことをすすめればすすめるだけ、人質たちは安心するだろう。逆説的にいえば、周到な用意こそが、乗っ取りを人道的に完成させるのであって、また、国家同士が、乗っ取りについて、あきらめることがヒューマニズムといえるだろう。キューバへのハイジャックが、「ハバナエキスプレス」と名付けられて、日常茶飯のことに近くなっているように。
「十人以上いるらしいけれど、なかなか見事なものですな。近頃の若者は団体訓練ができていない。物事をやりとげる根気に欠けるなんてよく年寄りがなげくけど、どうしてどうして私たちだって十人以上まとまると、そうスムーズにことは運べませんでしたよ」
老人は、戦前にアメリカからメキシコへ、バスの乗客を人質にして国境突破したことがあるといい、「運転手の方で、自分の頭にピストルをつきつけていてくれといいましてね、つまりいかにも強制されて越境するんだという風に、警備隊に見せなければ、後がうるさいんですな」「先生ならやれる? 乗っ取りを」「三人いれば大丈夫でしょう。ピストル一丁あればいい」乗務員室に二人、客の制圧に一人、後ろ手に縛る必要などまったくなくて、機内の最後部に立ってりゃいい。
「カンニング見張りする要領やな」「飛行機のいいことは勝負が早いことですね。緊張持続させるのは、せいぜい四、五時間ですむ」「ピストル一つじゃ心細いでしょ」
「いや、人を傷つけるわけじゃない。どこでもいいから、機体に穴をあければ、高速飛行中はそれだけで空中分解してしまうでしょうし、私たちの頃のプロペラ機なら翼半分もぎとられても飛べたけど、ジェット機じゃそうはいかない」アメリカのファントムなにがしが、北ベトナムの小銃で撃ちおとされるのは、ほんのかすり傷でも、あまりの高速によって、かみそりで切る如く、傷口がひろがるからだという。
「飛行機即ガソリンというイメージがあるから、街では玩具《おもちや》じみていても、空中なら効果的でしょう。要するに危険感を乗客に与えればいいんですから」「こんなんが流行したら、飛行機乗らんようなるやろ」「ついでに新幹線も乗っ取れば、お手上げでしょう。東海道メガロポリスとやらは」新幹線の軌道に障害物を置く、とにかく烏がレールにとまっても、自動的にブレーキが働くというから、しつこくくりかえせば、その機能は麻痺《まひ》してしまう。
東京に入りこむ道路も、近代化されていれば、されているだけ弱点がいくらもあって、たとえば重油を各所にふりまけば、高速道路などたちまちつかえてしまう。
「あとは港を押えればいい、東京港|閉塞《へいそく》なんて、しごく簡単なものですよ」「生鮮食品が値上がりするやろな」新吉、生唾のみこみつついい、考えてみると大都会に住んでいるなど、居ながらにして人質にとられているようなものだ。人質民主主義、人質人道主義に支配されているのではないか。
殺しの前奏曲
日が経つにつれ、夢とは逆に、ビンは自分の行なった殺しの記憶が鮮明によみがえり、短刀を背広ごしに突き刺したその感触、男のふっと洩らした溜息《ためいき》、舗道にくずれ落ち、頭のごつんと鈍いひびきたてたことや、ねじくれた脚、無造作な手の位置、その一つ一つが決して酔い潰《つぶ》れたのでも、貧血起して倒れたのでもない。どこから見ても、まごう方なき死体。
そして死体に特有の、ある威厳をたちまち備えていたと、思いかえす。それまで、ビンとあの男はまったく赤の他人であったのに、短刀一本で肉親よりもさらに強いきずなが生れ、相手は死んでしまったのだから、こういう表現はあたらないが、一種の運命共同体といった感じがある。
あの男をひっかついで俺はこれから生きていく。贖罪《しよくざい》では決してなく、一人の生命を奪ったことの疚《やま》しさもない。殺す前に、ふと男の家族を思いやり、年齢からみてさだめし一家の大黒柱であろう。遺族が路頭に迷うのではないかと、気がかりだったが、それはどうやら、ビンのためらいに基づく良心ぶりだったらしく、今ではいささかも念頭にない。
「私もやらなきゃあかんなあ」新吉がしきりにいって、これは自らの臆病さに気づき、禅介と同じく、決意を他人に披瀝《ひれき》することで、のっぴきならない立場に自分を追いこもうとするのだろう。「いっそやるんなら、政府要人を狙ったらどうだい」ビンに先を越され、その口惜《くちお》しさのためか、あるいは、すでに後には引けぬ一線とびこえて、しごく落ち着いて見えるビンを羨《うらや》ましく思うのか、また酒びたりとなった禅介がいい、もっとも、いくら飲んでも以前のような酒乱になることはなかった。
「酒の力を借りて、殺人はできないもんかなあ」ぼやくようにつぶやくと、「そらええかも知れんで。心身|耗弱《こうじやく》状態の殺人は、無罪になることもあるんやろ」新吉ひやかすようにいい、「別に罪をまぬかれるためじゃないよ」「ほな元気づけか。酒飲まな何もできまへんねんな」「何いってんだ。手前だって女一人口説けねぇで、せんずりばかりかきやがって」「いや、近頃やめてるわ。その日のためにコンディションととのえとかんならんからな」言い争い、酔った勢いで禅介は新吉から鉾先《ほこさき》をビンに向け、「一人くらいやったからって、大きな面《つら》するんじゃないよ。しかも爺さんに手伝ってもらったんじゃないか。男らしく自分だけでやってみろよ」からみかけたが、ビンとり合わず、たしかに老人からこと細かに指示うけたものの、他の行為とことなって、殺人だけは手を下した人間に全責任のかかる、いわば孤独な作業とよくわかる。
何百人がそのための準備に努力したとしても、直接手を下した者だけが、殺される相手と関係をもつので、他は誤差に等しい。「恨んで、化けて出るかも知れないぞ」パイプくゆらせ、オランダの硝子器《ガラスき》など磨きつづけ、いっこう反応のないビンに、禅介苛立っていい、「気の毒にねえ。まったく縁もゆかりもない人だろ。少しはこれで大義名分があればねえ。殺された方だって納得できるだろうに」庶民の膏血《こうけつ》をしぼる悪徳役人やら、大口脱税の資本家死の商人いくらもむしろ死んだ方が世のためになる対象はいるはず。
「ごくふつうのサラリーマンだっていうじゃないか。未亡人の談話読んだかい? あんたが殺した男はようやく郊外に土地を買って、子供が中学へ入るまでには、家を建てようと、それだけを楽しみにしていたんだよ。むごいねえ」さらにウイスキーをあおり、「いくらテロの練習といってもなあ。これは無益の殺生《せつしよう》、虐殺だよ。俺はいやだな。新吉のいうように、はじめから悪い奴を狙う」
興奮してしゃべりつづけ、だが、ビン沈黙のままで、それは、人を殺す行為に、正当な理由も、弁解もまったく無用のこと。かりに相手が悪逆非道|天人《てんひと》ともに許さざる人非人だって、また、温厚篤実仏のような善人でも、殺しにかわりない。深々と相手の体内に突き刺さり、かすかにその脈搏《みやくはく》伝える如き、短刀のふるえを実感した時、相手のあらゆる属性は消えさって、ひたすら地上に二人きりしかいなかった、俺には殺人狂の素質があるのではないか。ビンそう深刻でもなく、ふと考えるほど、殺人という行為の、個人的また社会的にもたらす影響が気にならぬ。
ただ自分の存在を、被害者によって確かめる。生きることの、これ以上はっきりしたあかしはないように思え、そのために、相手は誰であってもかまわぬ。
「電話よ」ほとんど泊りこみで、着のみ着のままの小百合が、禅介を呼び、「うるさいな。いないっていってくれよ」「だって奥さまよ、怒ってるみたい」とたんに、禅介うろたえて、新吉とビンを痴呆の如くながめ、それまで憎まれ口たたいていたから、頼みにくいが、かわりに出てくれと哀願の色あらわ、「お龍こそ人類の敵やないか。あれからぶっ殺したらええねん」新吉がいって、受話器をとり、「旦那いま酔っぱらってるわ。まあまだましな状態やけどね」気楽にしゃべると、「冗談じゃないわよ。すぐ珈琲《コーヒー》でも飲ませて。くるのよ警察が」
「警察?」おうむがえしに怒鳴った新吉の言葉に、一同顔見合せ、「そらまた、どういうわけやねん」「知るわけないでしょ。警視庁から電話があったのよ。お話をうかがいたいからって」新吉、送話器の部分を掌《て》でおおい、「お前、お龍に何かしゃべったんか」「な、なんにもいってないよ」「なんで禅介のとこへ来るねんやろ」
「知らないよ、そんなこと」まるで裏切り者のように、あわてふためき、電話をかわると、「ああ、俺だ。サツが来るって?」ことさら乱暴な口調でたずね、「あんた、また酔っ払って何かやったんじゃないの?」「やりゃしないよ」「とにかく帰ってきてよ。至急居所を探して連絡するようにいわれてんだから」「何で来るのか、いってなかったか」「分ってりゃ聞くはずないでしょ。酔ってるんだって? 昼間っから」「酔ってないよ。心配するな」たしかに、禅介それまでいささか|ろれつ《ヽヽヽ》怪しかったのに、たちまち正常にもどっていた。「殺しのことやろか」新吉、この二、三日の新聞をあらためて調べ、丁度、日航機乗っ取りとぶつかったから、社会面のごく片隅に報じられただけ。犯人捜査の経過もくわしくは書かれず、ただ近所の精神異常者を調べているとのみ。「お前、何か現場に落してきたんちゃうか」「そんなことないよ。俺は一歩も動かなかったんだから」「先生に相談した方がいいんじゃない」小百合がいい、老人は昨夜代々木へもどり、都合がよければ、すぐ神戸へ発って、そこで手広く羅紗《らしや》問屋営むかつての上官を訪れる予定。テロの効果的な実行につき、相談してみるといっていた。
「あわてるなよ。とにかく酔いをさまして、警察に会ってみりゃいいさ。もはや一件ばれているなら、じたばたしたってはじまりゃしない」殺人に使った短刀はわずかに付着していた血こそぬぐったが、そのまま台所に放り出し、動機のない殺人だけに、|たか《ヽヽ》くくっていた向きもある。警察の科学捜査がどんなものか、いっさい知識はないのだから、あるいは早くも身辺にその手がのびていて、不思議はないのかも知れぬ。
「なんでビンのとこへ来ないのやろ」「そりゃつまり泳がしてるって奴じゃない?」小百合しごく楽しそうにいい、「ねえ、禅介さん大丈夫? 拷問されるかも知れないわよ」ボールペンの先で、口の中を突く。傷は大したことなくても、ものが食べられなくなるし、指と指の間に鉛筆をはさんでしめつければ、骨は折れないが、それと同様の痛みがある。他に、それほど力を入れず、鼻柱の上を人差し指でしつこくはじき続ける。何百回も首を左右にねじるなど、アメリカ警察のそれほどではなくとも、我が国にだって、いっさい外傷を残さずに痛めつけるアイデアはいくらもある。
小百合の言葉に、禅介ただ陰鬱な眼つきをしただけ。すでに怯えきり膝頭《ひざがしら》ふるわせていて、「大丈夫かあ、おい。きかれん先にぺらぺらしゃべってまうんちゃうかあ」新吉本気で心配し、「逃げたらどないや。出張してるとかいうて、二、三日様子みてみた方がええで」「いや、俺もふんぎりつける。ようやく決心できた」急に、禅介きっぱりいって、「警察には明日会う。それで、俺、今夜やる」「やる?」ビンがたずね、「俺、臆病だからな、自分でも自信がない。しかし、やってしまえば、きっとふんぎりがつくだろう。今みたいに中途半端なままじゃ、なにをしゃべり出すかわからない。俺は、とにかく怖いんだ」
熱にうかされた如くうろうろ歩きまわってつぶやきつづける。
「ちょい待てよ。先生に連絡とってからでええやろ。あわてんでも」「いや、俺一人でやる」台所の短刀持ち出したが、「同じ手口じゃまずいかも知れないな」思案した末、ゴムホースを六十センチほど切りとり、「シカゴギャングでいこう」小百合に、鉛の粒を買ってくるように頼む。これも老人が教えたことで、ガスの火で土鍋《どなべ》を熱し、鉛を融解する。融和点は三百三十度くらいだから簡単に溶けて、これをゴムホースに注ぎこみ水で冷やす。
つまり鉛をゴムで被覆した棒をつくって、これはまず、人を撲殺するためには最上の道具で、頭部を強打すれば声一つたてずに即死。おはじきほどの鉛のうすいかたまりは、銃砲店や学校教材屋に売っているから、小百合の出かけた後、禅介ぴしりぴしりとゴムホースを柱に打ちつけ、「誰を狙うんだ」「あの雑誌社の社長だ。俺前に尾行したことがあるから、大体行動半径の予想はつく」「運転手つきの車ちゃうんか」「いや、夜おそくなるとタクシーだな。組合がうるさいから、私用の時は使っていない」
龍子に電話かけて、警察には明朝早く来てもらうよう連絡を頼み、いったん決心してしまうと、なにやら文句いうらしい龍子の電話をびしゃりと切って、「さっき、ビンにごちゃごちゃいってわるかったな。俺もすぐ仲間入りする」小心なだけに開き直ると糞《くそ》度胸ができるのか、もう声音《こわね》にも怯えは見えず、新吉の手伝うというのを制して、小百合の三百八十円で求めて来た鉛を丹念に吟味し、鍋を火にかける。
鉛はすぐ溶け出し、それは銀色にきらきらと輝き、表面に垢《あか》のような錆《さび》を浮べていて、禅介|割箸《わりばし》ですくいとり、「鉛って、ずいぶんきれいなものなんだなあ」うっとり、武士の日本刀見るようにながめ入る。
「危ないわよ、気をつけないと」小百合が注意したとたん、ホースに注ぎこもうとして、手もとが狂い、支える左手に溶けた鉛わずかながらこぼれ、「チーッ」悲鳴上げたが、禅介手をはなさず、ゴムの焼ける臭いわずかに立ち上っただけで、すぐ鉛は固まり、固まるとまた鈍色にもどって、先刻の輝きは嘘のように失われた。
「大丈夫か」人差し指の中ほど、赤く火ぶくれとなった禅介をビンが気づかったが、痛みにしごく弱いはずの禅介、水洗いしただけで薬もつけず、どっしり重いホースを右手であやつり、スチールの流し台にぶつかると、それはいかにも厚い感じの音をたて、凶器特有の無駄のない印象、みたところ古ホースでしかないのに。
レインコートの下にホース忍ばせて、禅介は雑誌社に向い、もし社長狙うチャンスがなければ、守衛でも運転手でもいい、禅介の醜態をカメラにおさめた写真家は、すでに交通事故で死んだし、ことさら恨みもないのだが、いざ殺しを考えると、いくらかでもひっかかりある対象をえらびたい。
ビンはまるで見ず知らずの男を殺して、それなりの満足を感じているらしいが、俺はやはり顔見知りの方が好ましい。どのみち確固たる目的があるわけではない。ビンは度胸づけにやったのだし、俺は従犯でいることが怖くて、殺す。主犯と従犯では、刑罰こそ前者が重いけれど、後者の方が、怯えは強いのではないか。主犯は開き直っていられるけれど、従犯は心の決めようがない。いや、傍観者もそうだ。
俺は、ビンが殺しを行う時、単なる弥次馬に過ぎなかった。だから後で苛立ったのだろう。
かなりの重さのホースが、いっこう苦にならず、ずいぶん道のり歩きつづけて、雑誌社の前へ来ると、春闘なのか玄関前に赤旗が林立し、硝子窓一面にビラが貼《は》られている。
入ろうとして、腕章巻いた男にさえぎられ、「無期限スト中です。御迷惑をおかけしますが、いっさいの業務を停止しておりますので、すいませんが」風態《ふうてい》から、寄稿家と判断したらしく丁重に断わりをいう。「社長は、出社してないんですか」こんな質問が危険であるとわかっていながら心たかぶっているせいか、つい口に出て、「社長ですか。今は出て来てませんね。失礼ですが、あなたはどちらの方で」男は警戒する口調となり、「いや、ぼくは広告部に用があったんですけど、また、出直して来ます」通りかかったタクシーに乗りこみ、当てはないが社長の私邸、高円寺へ走らせる。
五十過ぎたばかり、一代で大手に数えられる出版社を築き上げた、いわば風雲児。年中ストライキ起されるのは、あまりに独裁体制が強すぎるからだと、きいたことがある。自分がもし殺しを実行したら、時が時だけに、かつての下山事件の如く見られるのではないか。組合員の中の、不穏分子がテロ行為に出たと、世間はこぞって非難するかも知れぬ。いや、完全なワンマンシステムだったというから、雑誌社そのものが潰《つぶ》れてしまい、そうすれば、まさか社員とその家族路頭に迷わぬまでも、かなり不利な世渡りをよぎなくされるだろう。
ビンの殺しとは比較にならぬほど、影響が大きいわけだが、禅介いっこうに気にならず、恐怖感もない。きっと自分はやるにちがいない。ゴムホースに鉛をつめた瞬間に、自分と社長の禍々《まがまが》しく相まじわる運命が設定され、ただそのレールの上を走っているだけなのだ。一種の思考停止に近い状態のまま、私邸の一ブロック手前でタクシーを降り、めっきり陽がのびて、午後五時だが、暮れる気配はない。
私邸は古い日本家屋に、洋風造りを増築していて、敷地は五百坪ほど、塀《へい》に沿って高い木が植えこまれ、中の様子は、老人の教え通り、近くの街路樹にのぼってみたけれど、いっさいうかがえぬ。
人眼については危険だから、かなり離れた喫茶店でウイスキーを飲み、ゴルフの中継行うTVにながめ入り、表情は子供っぽいが、おそろしく胸の突き出たウエートレスの姿を注視し、ひょいと、これが娑婆《しやば》で見る最後のものかも知れぬと思う。
塀を乗りこえ、足音ひめて、社長を探し求める。しかし、ストライキ中でもあり、万一を考えさだめし屈強の若者の何人か、用心棒として泊りこんでいるだろう。発見されたら、いかにゴムホースふりまわしても、もともと武術の基本心得るわけではなく、老人に手ほどき受けた十手術、空手では、とても抵抗できない。
寄ってたかって押えこまれ、裸にされて、あるいは警察以上の私刑を受けるかも知れぬ。悪い予想とめどなくくりひろげて、だが、それがためらいやおびえを誘うことはない。胸の底に、得体の知れぬ自信があり、頭の中では悲観的なシーンえがきながら、ゴルファの屈託ない笑顔、鳩胸の少女の素脚がしごく好もしく、この上なく大事なもののようにうつり、社長の後頭部に激突するゴムホースの手ざわりが、はっきり予感できた。
処女撲殺
喫茶店を出たとたん、禅介のほぼ真正面に、宵の明星が見えて、陽は落ちたらしいが夕焼けはなく、空一面深い蒼《あお》さをたたえていて、丁度、水の底から見上げているような印象。人間は殺しにおもむく時、えてして妙な和歌やら漢詩に、心境を託したがる。いや、人間ではなくて、東洋人特に日本人の癖みたいだ。西洋にだってテロリストは沢山いたのに、ついぞ決行の前夜、事に臨んでのあれこれ女々《めめ》しくうたうことはない。そういえば正規軍派だって、乗っ取りの最後に詩吟をやったという。新聞によるとそれは、鞭声粛々《べんせいしゆくしゆく》だったり故人なからんやら、しごくまちまちで、折角いきがっても乗客の耳には念仏より絵空事のことだったのだろう。禅介は、明星を見つめながら歩きつづけ、テロに際しての心情の相違に思いを馳《は》せ、人を殺すことは、すなわち自分も死ぬと覚悟しなければならないのが東洋風で、だから、つい自然と比較して考える。まさしく人間のちっぽけな営みなど嘲笑《あざわら》っているような雲の流れ、星の輝き、あるいは山川草木に眼を向け、自分もまた滅びていくもの、人生五十年といったって、自然のうつろいにくらべりゃ、またたきするほどの間で、どうってことありゃしないと、つまりあきらめるのではないか。西洋においては、同じ死を意識したところで、決して自然のふところに抱かれることはない。彼らは常に、自然を征服しにかかり、たとえば、あちらでは噴水を賞《め》でるのに、日本は滝である。低きにおもむく水を宙に吹き上げて楽しむ、ふてぶてしさが西洋にはある。
人を殺すに当って、殺すも殺されるも、もとは大自然の付属物と考えてしまえば、これは気楽で、しかも、この考え方は殺されるには何の救いにもならず、一方的に殺す側の自己弁護であろう。相手を殺し、自分も死んでしまえば、それでプラスマイナスゼロ。近代の法律では、死者を罰することをしないから、実に気楽なものだ。西洋のテロにおいては、決して自分の死を前提にしていない。しつこく生き残って、罪なら罪を、あるいはあたらしい殺しのための努力を、身に受けとめる。一人一殺なんてのは、実は卑怯なのじゃないか。テロを行なって、成功したとたんに自殺するなど逃避もいいところではないか。それこそ、死者に対する冒涜《ぼうとく》とちがうか。テロリストが死んでしまえば、それをあやつっていた連中たち、絶対に安全でいられる。他人にあやつられるようなテロリストもナンセンスだが、殺したら死ねと強制するテロル美学実は、老人たちの保身術ではないのか。それに、日本のテロリストたちのよくやる、息の根とめたあげく、右手に血刀、左で片手拝みに冥福《めいふく》を祈るというのもいやらしさの骨頂であろう。苦しい時の神頼み以上に、見苦しいことじゃないか。俺はもともと宗教など信じていないのだから、いっさい救いは求めぬ。詩人ではあるけれど、この静かな黄昏《たそがれ》の風景に、偽りの心意気を託しはしない。ただ鉛封じこめたゴムホースで、雑誌社社長の後頭部を強打する。ビンは、テロルによって人間のきずなを回復させるなどいっていたが、俺はそんなことはどうでもいい。殺すことで、いわば生きるしるしをたしかめる、俺だけの問題なのだ。社長の屋敷にたどりついた時、すでにとっぷり暮れていて、その道に面した塀は丈高いが、隣家との仕切りが低い板塀。これも老人の教えにあり、「迷路の出口を探すように、目指す家の何軒もはなれたところから入って、もぐりこみ易い部分を狙え」といっていた。犬なども、表門からの侵入者には注意しても、思いがけぬ場所にいると、びっくりして吠えるより、臭いをかぎにかかり、この時、自分の唾をなめさせると気を許す。さらに用心するなら、干し肉を携行して、これを口に含んだ上食べさせると、いかな猛犬も尻尾をふるそうな。
隣家の土を盛った上に生垣植えた、そのすき間から忍び込み、板塀をひらりと越えて、精気みなぎっているせいか、信じられぬほど身が軽い。表からは日本風に思えたが、一面の芝生、隅に温室がみえる。
もはや、何かの目的意識も、そして失敗を危惧《きぐ》する気持もなく、糸にひかれる如く、まだ太陽のぬくもりをかかえ、温気《うんき》のこもったフレームの中に入りこみ、そこから勝手口、カーテンの引かれた日本間、新築の洋館がのぞけた。眼がなれると、社長はサボテンを好むらしく、大小の鉢に、いかにも自然の摂理を無視した態《てい》の奇怪な形がうずくまり、中に黄や赤の花をつけたのもある。禅介、しばらく中腰であたりうかがっていたが、ゴムホースにぎり直すと、サボテンの、中でも巨大なのを、横なぐりに払い、鈍い音ひびかせて、あっさりそれは折れ飛ぶ。
子供の頃、同じような悪戯《いたずら》をしたように思い、ふっと考えこんだが、急に勝手口から光が洩れて、黒い人影があらわれ、たちまち現実にもどって、しかし、どうにも芝居の中の役割演じているような、手ざわりの希薄な感じがあった。まさに人殺しを行おうとしているのに、絵空事に思える。少し気をゆるめると、まったく関係のない連想に身をゆだね、それはすぐさめるのだが、いずれを夢、うつつと定めかねるたよりなさで、なんとなく酩酊《めいてい》状態に似ていた。
しかも、そういった自分を、しっかと見すえる心はたしかで、あるいはこれを心神|耗弱《こうじやく》というのだろうか。俺はやっぱり上がっているのか、少なくとも恐怖心はない。手も膝もふるえてないし、心臓も平常のままだ。だが、二キロはあるはずのゴムホースが、風船のように手応えなく、少し気をゆるめると、夢遊病者の如く、ふらふらあの勝手口から入りこみ、社長を探し求めるようなことを、しかねない。
ごみを出すらしく、人影は何度も出入りしたあげく、今度は、はっきり温室に向って歩き出し、逆光で表情は確かめられぬがミニスカートの若い女。禅介、反射的に身をかくそうと、周囲に視線走らせ、だが左右階段のようになって鉢がびっしり置かれ、観葉植物のしげみもあるが、とても五体おおうまでにはいたらぬ。
女の近づくにつれ、金縛《かなしば》りにあったように、しっかとその姿見すえたまま、入口のかたわらに立ち、女は鼻唄を唄っていた。向うからは禅介の姿見分けられぬらしく、ますます歩み寄ってドアーを開き、体より先に腕が蛇のようにのびて、しばらく指さまよわせていたが、突如、フラッシュたかれたような強い光に眼を射られ、その、はっきり痛みを伴って眼底を灼《や》いた光線の中に、禅介は、若い女の、口をわずかにあけ、特におどろいた風もなく、その眼はピラニヤに食べつくされる子牛の如く無邪気だったし、鼻の横に黒子《ほくろ》か、面皰《にきび》のあとかちいさいしみがあり、いや耳たぶに生毛《うぶげ》が光り、ちまちまっと小造りな鼻の孔から、息するたびにゆれ動く空気の流れまで、はっきり見たように思う。
気がつくと、また暗闇にもどった中で、禅介しゃがみこみ、うつぶせに倒れた女の背中に手を置いていて、自分がどうゴムホースふり上げ、女の頭部を一撃し、そしてすぐ電気のスイッチを切ったか、まるで覚えがない。サボテンの頭横なぐりに払ったほどの手ごたえも残らず、女のうめきもきかなかった。鼻の奥に鉄錆の匂いがあって、急にホースの重味が感じられ、早くここから逃げ出さなければと思いつつ、立ち去り難い。スカートがまくれ上がり、パンティがあらわとなっていた。引き下げてのぞきこみたい気がする。
男を知っていたろうか。いや、十七、八のはずで、あどけない表情から察すれば、処女だろう。禅介立ち上がると、勝手口をながめ、女は閉めてきたらしく、光は見えぬ。
女の肩ひっつかんで中へ引き込み、パンティに手をかけると、尻をあらわにさせ、掌《て》でなでさする。ひんやりと冷たいが、決して死者のそれではなく、押し当てれば名残りの乙女のぬくもりを伝え、禅介指をさし入れる。はじめて女の秘所まさぐった時のような、思いつめた昂《たかぶ》りが起って、次第に荒々しくふるまい、脳裡《のうり》には、童女のように邪念のなかった女の最期の表情思い浮べて、しつこく指で犯しつづける。
変質者の凶行とみるだろうか。それならなお俺は安全だ。ふと打算的に考え、また、ネクロフィリアの傾向があるのかと、自らを冷静にながめ、そのうち指先のなめらかな感触に気づいて、仰天し、おそるおそる調べると、指は濃厚な血にまみれていた。
女の死に顔をたしかめることをせず、禅介は温室を出ると、裏口からさりげなく道路に脱けて、すぐ前をサラリーマンらしき姿いくつも通り過ぎたが、いささかの関心も払わぬ。
「ついにやった、人を殺した」罪悪感はなくて、ようやく肩の荷を下ろした安堵《あんど》感だけ。社長ならば、まだしも因縁なくはないが、多分女中であろう、縁もゆかりもない少女を撲殺して、それも、ただ反射的に鉛入りホースたたきつけただけのこと。
詳細な前後の記憶さえ、丁度、深酒の後のように覚えが失せている。にしては、かつてない充足が五体に満ちていた。相手が誰だってかまやしないんだ。人を殺すという行為は、人間にとっていちばんやり甲斐《がい》のあることではないのか。禅介は、ビンが男を殺して後、妙に浮世ばなれをし、喜怒哀楽の情はもとより、すべては投げやりな印象となったことを、理解できるように思う。
人殺しの眼は、きっと怠惰なものにちがいない。殺し屋のそれが鋭いとすれば、それは殺しそのものに楽しみを覚えないからだ。大地に種を植え、海原に|すなどり《ヽヽヽヽ》するより、さらに以前から人は人を殺して生きて来たにちがいなく、生殖とまさに表裏をなすくらいに古い歴史をもつのだろう。そして、生殖において本来、男は傍役《わきやく》でしかあり得ず、だから殺しにのみ専念してきたのだが、その殺しも、武器のとめどない発達によって、まことに希薄な実感しか味わえなくなった。
文明の発達が、人類を滅ぼすのではなくて、個人的な、具体的な殺人を不可能にさせている。その仕組みが、人類を狂気に追いやっているのではないか。俺はたしかに生きている。あらゆる殺人行為は、自分が人間であるための正当防衛なのではないか。妙に目的意識を持つから薄汚なくなるのだし、弁解を用意するからいけない。
セックスと生殖が分離した如く、テロと、目的も分れた方がいい。国家や社会のためではない。自分の楽しみのためなのだ。禅介は、道ばたに堆高《うずたか》く積まれたゴミの山に、ゴムホースをまぎれこませ、右の人差指についた血、もはやどすぐろく乾きひび割れていたが、わざとそのままにして、家へもどると、龍子は、一升|瓶《びん》を枕にうたた寝していた。
「どこほっつき歩いていたんだい」習性でつい忍び足となり、枕もと通り過ぎようとした禅介に、龍子酒臭い息を吹き上げ、「仕事だよ」「へっ、ちんどん屋の口上書きが仕事かね」憎まれ口をたたき、「あんた、正規軍派にカンパしたんだって?」「いや、しないよ」「嘘だろ。したんならしたっていやいいじゃないか。金出しといて、乗っ取りがあったからってしら切るのはみっともないよ」「してないものはしてないさ」「刑事が二人きて尋ねてたよ。あんたの名前が正規軍派のアジトにあったんだって。おどろいたねえ、あんたも進歩的文化人なのかね」「本庁でききたいっていってたのはそのことか」「当り前じゃないか。馬鹿馬鹿しい。手前がけちで臆病なもんだから、断われないんだろう」
なんのことだ。ビンの殺しじゃなかったのか。ふっと安心し、自分の殺しについては、いっこう気にならぬ。「私にもカンパしとくれよ。もう何か月御無沙汰だと思ってんのさ」龍子ぼんやり立ちつくす禅介の脚にかじりついて、「ねえ、私もそろそろ子供産みたいんだけどさ、どうかしら」急にさめた声でいい、「いいだろ」「他人事《ひとごと》みたいにいわないでよ」横たわった禅介の体にのしかかり、「今だと、来年の三月か四月に産れるんじゃない。丁度、気候がよくっていいよ」
それまで俺は生きていられるか。子供といわれたとたん、思いもかけなかった将来のことが、胸に浮び、そうなると、やはり現実に人を殺し、さらに第二第三の行為をくりかえすにちがいない、我が先行き心もとなく思える。「今日はいいよ。私酔っ払ってるからね。明日早く帰ってきて」
龍子猫のように甘えかかるのを、禅介、突如体起して押えつけ、殺人者の糞は青い色をしている。精液は、あるいは血潮の如く赤いのではないか。自分が人を殺したこの記念すべき夜に、どうしても龍子の子宮に、わが種を植えつけたいと、気迫に押され、はじめ少し拒んだものの、すぐなすままにさせる龍子の体手荒く扱い、しゃにむに抱きすくめた。
翌日、禅介は本庁に出頭し、龍子には否定したが、たしかに正規軍派と名乗る若い男に、金五千円也を渡したことは事実で、それが乗っ取りの資金にされたとしても、こっちの預かり知らぬこと。ありのまましゃべって、刑事たちも、もとよりはじめから禅介を、黒幕とみていたわけではない。あっさり調べは終り、「どうします、もし今後また正規軍派からの接触があったら」帰りがけにたずねると、「そこはあなたの良識におまかせして、まあ、私どもも、文化人の方に御迷惑のかからぬよう、極力手はつくしますが」
刑事、しごく丁重に答えた。
「実は、私、温室殺人事件の犯人なんですけど」いうわけはないと、自分で分りつつ、もし口にしたらどうなるか。単なる殺人犯と、政治思想犯と、どっちが罪深いのだろうか。
捜査課の刑事が、殺人犯に憎しみを抱くのは、それはたしかにその家族の悲しみを眼にし、殺しの手口|眼《ま》のあたりにすれば、あるいは当然かも知れないが、正規軍派を敵としてみる根拠はどこにあるのだろう。面子《メンツ》つぶされた口惜しさか。学生たちを思いきり足蹴《あしげ》にし半殺しにあわせるエネルギーを、どこから取り入れてくるのか。
禅介はしかし、それまでいくらか学生と機動隊の乱闘や、学生同士の内ゲバに関心を抱き、ビンあたりから冷やかされていたのだが、今はどうでもよくなる。みんな殺したいのではないか。殺したいが、大義名分が邪魔している。むしろ逆なのだ。殺して後に大義名分が、殺しの結果|如何《いかん》によりつけ加わる。殉じたとか、犬死にだとか。
「残るは俺だけやなあ」新吉、温室殺人事件と探偵小説の題めいた見出しの、新聞記事をながめつつ呟《つぶや》き、この殺しも、さっぱり理由のつかめぬまま、変質者の犯行と、禅介の図星が当り、あの少女は、病身の母と弟をかかえた評判の孝行娘。母はショックのあまり入院して、弟は面倒見る者のないまま、施設に収容されたという。
「労働組合までが、弔意を表してスト解除するねんて」「その被害者特集号出して、大もうけするんじゃないか」「それでボーナス出したったら世の中こともなしか」ビンと新吉がしゃべり合い、小百合はしつこく禅介に犯行の次第をたずねたが、禅介こたえぬ。
「先生にちょっと助けてもろて」新吉、神戸から戻った老人に頼みこみ、彼は、政府要人を狙うといい、窓辺によって外を見下ろす。麹町《こうじまち》の道路は、日に何度か、パトカーに前後警護されて、要人の車が往復していた。
第三のテロ
ビンは、連帯を求めてドスをふるい、禅介また自己の存在確かめるため、鉛入りゴムホースで処女を撲殺し、それぞれ名目つけとるけど、もともとテロを志向した理由は別なとこにあったんちゃうか。
連帯を求めるのやったら、もっともその成立し難い対象をえらぶべきで、たとえば大会社首脳、政府要人を殺すのが当然。
あの四谷のサラリーマンなど、ビンがそのつもりになれば、酒を飲むなり、牌《パイ》をかこむ。一緒にトルコ風呂へ遊べば、かなり人間的なつながりを持ち得る。いや、ビンが一方的にそれを求め、そのために殺したとして、殺される方はどないやねん。あの男は女房子供との間に確固たるきずなを持っていたかも知れんし、なにもドス突き刺されてまで、連帯の挨拶をほしくはなかったやろ。
恐らく、所得番付、今年は土地成金の一時的収入で上位をゆずったが、これまでその常連であった年老いし資本主義の旗頭。彼なら、自分を殺しに来た男のひたむきな視線、そして腹に深々と刺しこまれたドスの、まごう方なき人間の言葉を読みとったにちがいない。
資本家の、家庭生活というものは、余り伝えられていないが、あり余る金にかこまれ、そして、自分の欲望とはかけ離れた、ただ資本の論理に従って、あくなき利益の追求に身をやつし、多分、その親子夫婦、また兄弟友人関係は砂漠のように、乾ききっているのだろう。人間の言葉を耳にし、人間の肌にふれることなどないのではないか。
かつての社長は、たとえばボーナスで、自己の権力を実感し得た、思いつくままでたらめな裁量によって、部下に報償金を与え、その一喜一憂するさまをながめて、わが内なる人間らしさを再確認できたろう。
能力衆に秀で、忠誠心も篤《あつ》い男を、ことさら冷遇し、当然男は恨みをいだく。恨みのこもった眼をわが周辺に配置することで、あるいは逆に、無能な幇間《ほうかん》的存在を厚遇し、そのさらに見えすいたお世辞にとりまかれることで、自分のでたらめな部分を温存し、確かめ、辛うじてバランスをとっていたのではないか。
あるいは、女遊びも可能であった。芸者の水揚げをもっぱら愛好するのも、初夜権に象徴される、自分の権力確認のためではなく、もっとおろかな人間である自分を演技していたのではないか。
誰も、自分を人間として扱ってくれない。神の如くに奉られた時の孤独、そして、末端のサラリーマンが歯車になるよりも、さらに文字通り歯車動かす心棒に自らを強制し、片時も、それから解放されることがない。
すべては身から出た錆《さび》にしろ、いや、だからこそ救いがなくて、資本家の旗頭ほど、やるせない存在はないだろう。もとより、殺されることで、刺客とのコミュニケーションがようやく成立するなど、まったく意識していないにしろ、潜在的にはその願望があるのではないか。
殺されることでしか、救われぬ、時折、夢のように、あの「話せばわかる」「問答無用」を脳裡によみがえらせ、自分を殺しにやって来る若者こそが、わが息子と思いめぐらせやしないか。
親殺しは、もっとも凶悪な犯罪とされているけれど、だからこそ、甘美な面が、殺す側殺される側双方にあって、親子関係の希薄になってしまった現代では、むしろ若者と老人は、殺しを媒体にしてこそ、親子の関係が成立するのかも知れぬ。
あるいは、他人を犯し殺しつづけることで、虚構の地位を築き上げた老人は、ようやく逆に犯されることで、いわばホモ・セクシュアリティにおける|どんでん《ヽヽヽヽ》の如く、救済されるのかも知れない。
一殺|多生《たしよう》ではなくて、一殺互生なのだ。無名の若者と、有名な老人をつなぐきずなはドスしかない。心棒と歯車をつなぐものは、テロルしかない。
新吉は、殺人行なって後、もはや人生において為《な》すべきことのすべて果し終えた如く、自らの殻に閉じこもって、いっさいの刺激に鈍感となってしまったビンや禅介を観察しつつ、自分の行うテロの意味をあれこれ考えつづけ、老人はお国のためにという大義名分、それはすぐに錯覚でしかないと分ったものの、テロを行う基盤があり、そして、いったん手を染めてしまうと、今度は、殺しつづけなければ、自分が逆にやられるという恐怖感に支えられ、いわばその道のプロになった。
敗戦によって、失業しても、なお、幻影の怨念《おんねん》にすがり、それを頼りに生きつづけ、怨念が失せると、今度は技術を後世に、つまりビンや禅介に渡すことで、生き長らえる支えとしている。
丁度、創作力を失った家元、あるいは年老いた武芸者のようなものだろう。また、小百合は、自分のセックスの糧として血なまぐさいあれこれを求め、女には本来、殺人者の資質はない。産むために人殺しを好むとしても、それは殺人狂ではなくて、少々風変りなだけだろう。
女は多分、胎児を孕《はら》んでいる時に、胎児との絶対的なコミュニケーションが成立するから、あるいは妊娠しなくても、その予感があって、男ほど苛立《いらだ》たないのだろう。また男に抱かれた時、連帯の錯覚を抱き得るのかも知れぬ。
男は、いったん浮世にほうり出されたが最後、ついに自分一人で、殺すか殺されるかしなければ、一蓮托生《いちれんたくしよう》の、お互い支え合い、確かめあう拠り所がない。女を抱いて何になる。ただ放出だけで、それやったらマスと変りはない。
子供の表情に自分の面影見出だしても、べつにたよりにはならんし、友情いうもんかて、しごくあやふややないか。「ぼくは、ビンみたいに闇討ちで、しかも相手の表情もわからんいうのは、困りますねん。べつにドスにこだわるわけではないけど、なるべく孤独な老人を殺したいんですわ。たとえば妙やけど、女を抱いてですな、そのオルガスムスを実感するみたいに、老人の、殺される時の表情、声音《こわね》を確かめたいんですわ。犬殺しみたいにたたきつぶして、それで満足するなんて、ちょっとおかしいんちゃいますか」新吉、老人に相談し、老人は「まあ、お二人の気持も当然でしょうけど」「なんで当然なんですか。ビンは場なれするために、いうたら辻斬りをやったわけでしょ。血をみて逆上せんためのリハーサルやのに、それだけで気がすんだみたいや」「いや、その内また以前にもどります。そりゃ丁度、はじめて射精したようなもので、当座はがっくりしてしまうんですな」「射精やったら、いちどええ味しめたんやから、やみつきになるのとちゃいますか」「ふつうの殺人には、いろいろ名目がついてますね。憎しみとか、怨み、面子、あるいは激情にかられてなど、しかし、ビンさんのも、禅介氏のも、まったくそれがない。憎しみによって相手を殺す場合は、殺したことの虚《むな》しさ、つまり、亡き者としたって憎しみそのものとは、何の関係もないことに気づいて、後悔したり、思い悩んだりする。いや、それよりも、なまじ動機があるために、司直の手がまわりはしないかと、怯《おび》える気持が強い。後悔を忘れるためにといっていいか、あるいは警察から逃げるためにいうのが本当か。ふつうの殺人犯ならば、犯行の後に必死に生きるものです。ところが、ビンさんの場合それがない。ただ、アトランダムにえらんだ一人の男の腰部を刺しただけで、怨みもないし、今だって、また将来もこのままでいけば、|さつ《ヽヽ》に逮捕される怖れはまずない。しかし、確実に人を殺したことにちがいなくて、つまり純粋殺人といえます。夾雑物《きようざつぶつ》がいっさいない」射精というより、夢精に似ているかも知れぬ。甘美な記憶だけ残って、その行為の自分に及ぼす影響はほとんどないのだから。
そして禅介のそれは、「新吉さんの|おはこ《ヽヽヽ》のオナニーに似てるかも知れませんな。まさしく一人よがりで、自分勝手なものですからな。あの鉛入りホースは、彼のペニスなんでしょう」老人薄笑いしながらいって、「ほな、ぼくは完全な射精でいきますわ。相手の反応をはっきり確かめる。ドスにしろ、ピストルの弾にしろ、それを老人の腹にたたきこんで、その苦悶《くもん》の表情か、あるいは喜ぶのか知らんけど、この眼で見たい」「しかし、新吉さんの持論じゃなかったんですか。夢精にしろ、マスターベーション、あるいはコイタスいずれにしろ、射精にちがいなくて、むしろ現実の女性を相手にしなければならないというのは、想像力の貧困のあらわれであると」「そりゃセックスはそうかもしれんけど、テロはちゃいます。つまりですね。食欲が、個体維持の本能、性欲が種族保存の本能としたら、テロは、第三の、何というたらええやろか、他者認知の本能で、そのためには、はっきり対象を認識する必要あるんちゃいますか」しかも、テロは、食欲性欲の衰えた現代、その形骸だけが残っている今だから、その補償作用の如くにあらわれた、あたらしい本能、眼覚めたばかりのそれではないか。セックスにおける手淫、夢精賛美の、いわば退廃にはまだ早い。「で、誰を狙うんです」「今の日本で、もっとも孤立している、ということは、最高の権力を持ってる人がよろしいな」深窓の美姫《びき》犯すようなもので、お互いの連帯の度合いも、もっとも深いだろう。「それじゃ、やはり財界人でしょうな」「政治家はあきまへんか」「日本の政治家など、孤立とは縁が遠いですよ。孤立というのは、敵のいなくなった状態だから、現在の総理大臣にしたって、自分の後釜《あとがま》を狙う、いわばよき友がいくらもいるから、とてもさびしがってなどいられない」権力者があくなき権力を求めて、あがき苛立つのは、孤立を怖れるからだろう。ヒトラーにしろ、ナポレオンにしても、そのために自滅し、自滅を予感した時、心底ほっとしたにちがいない。現代の如く、大国がいくつかのブロックを支配し、三すくみの状態になっているのは、むしろ支配者にとっては、孤立感をうすめられて幸せな境地といえる。
「そのブロックの中の、せいぜいが支店長格でしょう、日本の総理なんて。権力といったってうすっぺらなもんですよ」「財界かて、同じようなもんちゃいますか。アメリカがくしゃみすると、日本は風邪ひくいうて」「いや、業界一つ一つが世界みたいなものですから、その支配者は、かなりさびしい存在です。特に創始者の場合、ほとんど神格化されているといっていいでしょう。誰も自分を追い落そうとはしない。周囲の者が、うわべはたてまつっていて、実は自分の死を待ち受けているとよくわかっている。もはや具体的な敵はいないし、しかも余命は長くない。生きているしるしを求めたくていらいらしている」そこへテロリストがあらわれたなら、まさしく、生の最後の凝縮、臨終の栄光といえるだろう。「きっと、新吉さんをよろこんで迎え入れるでしょう。そりゃ、|どす《ヽヽ》をぶちこまれるまでは、処女の如くに抵抗し、懇願するにちがいない。跪《ひざまず》いて許しを乞い、痴呆の如き表情となり、恐怖に五体うちふるわせていても、いったん確実な死、それも自分を殺すとまで思いつめ、憎んでいる男の手にかかるとわかった時、それは具体的に|どす《ヽヽ》のひんやりした肌ざわりの、体内に食いこんだ時でしょうが、きっと、老人の眼にはやさしさが満ち、むしろ蓮華往生《れんげおうじよう》のおもむきさえうかがえる」やっぱり女犯すみたいなことやな、新吉おかしくなり、「適当なんおるやろか」「やはり関西でしょうねえ。東京の財界人というのは、たいてい小粒が多くて、しかも二代目三代目ぞろいです。関西にはまだ一代にして業界を制覇《せいは》した生き残りがおりますからな」老人は、その名をいちいち上げて、「芦屋《あしや》に住んでいる社長がおります。かなりの変屈者で、たしか娘さんが自殺しましてな、その遺した孫と、他は使用人だけときいてますが」社長の名は、新吉も耳馴染《みみなじ》みがあり、たしかに電気メーカー界の主《ぬし》的存在であった。
「よう、死んだいうデマがとぶでしょう、その社長には」「そうですねえ、今のように個人の力がうすめられている時代に珍しいですな。べつだん具体的な変化のあらわれるわけはないだろうに、彼が死ねば確実に株価は二、三割下げるだろうというんですから」老人、もし新吉さんが殺すのなら、私はその株を少し操作して、今後の資金づくりを心がけてみましょうという。
「ねえ、私も今度こそ手伝わせてよ」老人にきいたのか、小百合が新吉にねだり、今度は、行きずりの男、あるいは温室にひそんで女中を撲殺するのではないから準備がいる。
芦屋の屋敷は、しごく広壮なもので、要所にはすべて赤外線利用した非常ベルが仕掛けられ、使用人の数も多く、中にはボデーガードを兼ねる書生もいるらしい。
「私が、女中さんにでも住みこめるといいんだけどねえ」小百合がいったが、身許《みもと》不確かな女など採用するはずがなく、老人は、しばしば芦屋へ出向いて、その警戒の具合や、社長の行動半径調べてくれたが、とり敢えずとっかかる手がかり見当らぬ。
「えらいもんで、今でも毎朝八時には大阪の本社に出社しておりますな。その往きかえりも前後に護衛がついてます」名神高速は利用せず、二国を通って大阪郊外、といっても今では市内とかわらぬR市の本社に通うらしい。宴会はもとより、社用のつき合いもいっさい断わって、大臣クラスであっても、用があれば社長室に呼びつけ、保守党の有力なスポンサーでもあるらしい。
「御用聞きにいろいろたずねたんですが、これも邸内には入れないようで、丁度、内濠《うちぼり》と外濠の如く、塀が二重になっているんですね。内部の様子は今のところうかがえません」強行偵察は可能だけれども、発覚して以後の警戒を堅固にされてはいけないから、ひかえたという。
「私に何かいいつけてよ。女なら少しは安心されるんじゃない?」小百合が申し出て、「次の日曜日にドッグコンクールがあるらしいんですな」これに、社長が飼っている秋田犬三匹が出場する。「多分、女中か書生が犬につきそうんだろうけど、こういう舞台でなら、向うも気を許して何か話をきけるかも知れません」「犬ならまかしといて。私、すぐ仲良くなれるんだから」「つまり、小百合さんも犬を連れて、出場するわけですか」「それも秋田犬がいいでしょう。近頃珍しいし、同じ犬種ならお近づきになり易い」
わざわざ買うのも面倒だから、ビンが西洋|骨董《こつとう》売りつける金持ちの家に、少々頭が弱くて、ただ大食らいなだけの秋田犬がいて、これを借り出し、飛行機で伊丹《いたみ》へ送り、新吉と小百合も関西へ向う。
「書生がついて来たら、私色仕掛けでひっかけちゃうから」「まあ、あんまり危険なことはせんでもよろしいわ。今度めは、これまでと違《ちご》うて、三億円犯人、いや、日航機乗っ取りくらいの捜査網しかれるやろから」「ねえ、お孫さんがいるんですって?」「そうらしいね。小学校二年生やて」「それを誘拐《ゆうかい》したら、どれくらいお金出すかな。身代金《みのしろきん》ていうの」「誘拐?」「そうよ。それこそ三億くらい|め《ヽ》じゃないんじゃない?」「冗談やないよ。こっちはやね」なんのためにテロを行うか、説明しようとしたが、小百合が理解するはずもない。
二人は、みるからに愚鈍な秋田犬をひきつれ、海岸近くの野球場へおもむき、ここがドッグコンクールの会場になっていた。
うららかな初夏の陽ざしの下、新吉は、かしましく犬の鳴き声の、交錯する中で同じ秋田犬を探し、小百合はパンタロンに白のブラウス、みたところ芦屋令嬢風装いで、「ねえ、このわんちゃん、さかりが来てるんじゃない?」雌犬の、その尾のあたりを指でしめす。
令孫誘拐
小百合の指で示したあたり、たしかに妙に人間臭い印象で女陰、いや雌陰がむき出しになっていて、新吉、少々うろたえ眼をそらす。
「どこで登録するのかなあ」まだ開始には間があるらしく、三々五々いずれも犬をひいた紳士淑女乙に澄ましこんで、さだめしわんわんにゃんにゃんうるさいのだろうと考えていた新吉、拍子抜けがする。
ヘリコプターが一台、上空を通り過ぎ、見上げると昼の月があって、これからテロにとっかかるにしては、あまりにのんびりした風景だった。犬好きの人間は、どこか卑しい感じがあると、新吉心の定めようのないまま考え、いっそこんな犬、みな殺して食うてしもたらええ。動物の中で、犬ほど恥知らずな存在があろうか。一方的にヒトに奉仕し、他にこのような例はないはず。飼いならした人間も悪いが、むざむざ野性失った犬もだらしがない。突如、拡声器が軍艦マーチを奏《かな》ではじめ、どうやらコンクールが始まるらしい。
「三千円もとるのよ、参加料金。それに入賞すると認定料として一万円近く払わなきゃならないんだって」小百合のかたわらに、秋田犬いかにも憂鬱そうに腰を下ろし、その周囲を、フォックステリヤと何かの雑種だろう、野良犬が嗅ぎまわって、小百合のいう通り、さかりがついているのかも知れぬ。
日本犬の審査は二時からときき、新吉すぐかたわらを通る阪神電鉄の土手に登り、海をながめる。
大阪湾におびただしい貨物船が沖がかりしていて、その三列横隊に並んだ先は、スモッグにまぎれ入り、ゆっくりと十万トン級のタンカーが東へ進む。
「東京湾でも、瀬戸内海でも、沿岸を死滅させるのは、しごく簡単なことです」かつて老人がいっていた。つまりタンカーを湾内で沈没させればいい。もちろん重油満載の状態で。
東京湾ならば、まず三十万トンの重油があれば、湾内の海は死滅する。つまり海面を油の皮膜がおおって、一種の赤潮のような酸素不足を来たすだろうし、湾内の海流は時計の針の方向に動き、重油が太平洋に流れ出て、薄まるという期待はほとんどできない。
まあ、ハゼや貝類が死滅するならまだしも、当然、重油の中の、揮発する成分が全都くまなくおおいかぶさり、これは四日市の公害どころではあるまい。港としての機能もまったく失われるし、うっかり火でもついてくすぶりつづけたら、能率の悪い石油ストーブを身辺に置くようなもので、都民すべてCO中毒になるだろう。なにより臭くて、とても生活できなくなる。
「地震とか革命よりも、はるかに可能性の高い東京荒廃図ですな」老人つぶやいて、トリーキャニヨン号七万五千トンの重油ですら、英仏両国をてんてこ舞いさせたのだ。この大阪湾で超マンモスタンカー同士衝突したら、阪神重工業地帯はアウトだろうし、いや、そんな局部的なことでなくとも、たとえばヘイエルダールが大西洋を漂流している時に、広大な廃油の海にぶつかり、たちまち遭難しそうになっている。葦《あし》の繊維を冒し浮力を失わせたのだ。
また、藻海《そうかい》において、藻《も》を採集しようとすれば、タール分の方が多く網にひっかかるという。藻海は海流の関係で、洋上のあらゆる漂流物がここに流れつくのだが、各地で廃棄された|かす《ヽヽ》が集まって、今や死の海に近くなり、この二つの現象は、海の自浄能力が、すでに人間の営みに追いつかなくなっていることを意味する。
それともう一つは、タールにしろ重油にしろ、海面をおおいつくして、その蒸発作用をさまたげると、当然近くの陸地の降雨量は減少し、ということはすなわち、海に面した世界中の大都市は砂漠と化す。
一説によれば、この冬に、東京地方で気象台はじまって以来の晴天がつづき、今度は、平年の二か月分くらいを二、三日でオーバーするような雨が降ったのは、これぞ典型的な砂漠型天候という。エネルギー革命は、なにも石炭産業を荒廃させただけではない。人間の生活を根本から破壊しつつあるのだし、もっと極端な例をあげると、北半球における文明の進歩に従って、炭酸ガスが増加し、本来なら植物によってこれは酸素に代るはず。
しかし、植物は減る一方だから、重い炭酸ガスが地表をおおう。まさか窒息までにはいたらなくとも、熱が逃げなくなって、平均気温が上昇する。考えてみても、敗戦前後の冬は、暖房器具の不足以外に、とにかく寒かったのだ。それが昭和元禄とかなんとかいわれはじめると、オーバーがいらなくなり、北国に雪が減りはじめたではないか。
このまますすめば、北極の氷が解け、これは直接海水面の上昇とは関係ないけれど、微妙なバランスの上に支えられている地球の軸がゆらぐ。地軸をゆるがすなどという表現は、古代中国風|大袈裟《おおげさ》なものいいと考えていたらとんでもない。
この場合は人工的に働くのだから、バランスの回復しようがなくて、回転しつづけ、その遠心力によって空気が吹きとばされてしまえば、あらゆる生物はジ・エンド。月と同じになるのだ。
「ほんまですか。先生ちょっと少年漫画の読み過ぎちゃいますか」新吉、淡々としゃべる老人に反発を感じて、冷やかしたけれど、今、眼の前にまるで交差点過ぎるタクシーの如く、しきりにタンカーの往来するのを眺めていると背筋が寒くなる。
石油が古代生物の、生の営みの残骸ならば、まさにそれはよみがえって、現代のヒトにたたりをもたらしているのではないか。ほんまにこの世はリンネや。浮世の小車《おぐるま》くるくるとまわって、いずれが敵やら味方やら、確実なことは因果応報|輪廻生死《りんねしようじ》。久しぶりに海に向ううち、新吉もうどうでもええような気がして、何がテロによる自己の確認、他者との連帯やねん、どっちみち皆死んでしまうやないか。女郎に売られて、胸を患い、楼主《ろうしゆ》からいじめぬかれ、あげくは皿の油なめて、野垂れ死に、投げ込み寺の墓地に亡骸《なきがら》埋めるのも、高貴な血筋に生れ、乳母《おんば》日傘の果ては、人類の哀悼一身に受け、宏壮な墓にねむるのも、同じことやないかい。
いささか虚無的になり、ふりかえると、六甲《ろつこう》山系のはずれが正面に立ちはだかり、山肌のいたるところ禿《は》げ落ちていて中腹にまでビルがならぶ。
社長の家は、もとより見えないが、昼間でも三十分歩いて人っ子一人会わぬこともある、この日本一の住宅地。犬と電話と女中の人口比一番高い土地の、中でも抜きんでて豪華なその邸宅眼にした時、何がなんでも殺したると、意気ごんだ新吉だが、目的遂げたところで、すべて世にこともなしと、いっこう変化はないように思えてくる。
土手にしゃがみこみ、バックネット越しに、審査風景をながめ、なんとなく夢でもみているように、ぼんやりするうち、ふと視野の中に激しく動くものがあり、焦点合わせると、野球場の、丁度センターあたり、小百合が腹をかかえ笑いころげていて、その連れた秋田犬に、同種の雄がのしかかり、今しも交尾の最中なのだ。
雄には誰もつきそわず、しかし五メートル離れて、やはり若い女が一人、犬には背を向けてたたずみ、子供がそのスカートをひっぱって、何事かさけぶ。
小百合も、新吉の姿に気づいたらしく、片腕をぐるぐるまわして、来るように合図し、新吉のろのろ起き上がると、歩き出した。
「ねえ、どうする。赤ちゃんでもできたらえらいことよ」小百合が新吉にいい、そんなんべつに知ったことではないやろ。どうせコンクールに出場するくらいやったら、ええ血統やろうし、だまったまま、まだ激しく腹ふり立てる雄犬をながめ、雌は六甲山の方を向いて、しごく冷静な表情。「早く離してよ、射精しないうちに」小百合が女にいい、どうやら飼い主らしい。
「こら、ダッキー、カムバック、ダッキー」七つほどの子供が綱をひいたが、まるで動かない。「ほら、これが社長の飼ってる秋田犬よ。もう一匹は向うにいるの」小百合小声でささやき、すぐことさらな金切り声で、「やめてえ、いやよ。素性もわからない駄犬の赤ちゃんなんか、産ませないわよ」さけび、すると若い女ふり向いて「まあ、えらいこといいはるわ。うちのダッキーはね、ダッキーオブズーデンサミットいいましてね。れっきとした血統ですのんよ」あほらしもない。秋田犬に横文字の名前つけるなんて、悪い趣味や。そういえば社長の会社で売り出す製品には、しごく日本的なのに、英語の名を冠《かぶ》せることがある。電気|鰹節《かつおぶし》削り器に、「ドライツナスライサー」なんかいうて。
とにかく小百合になにかの魂胆があるにちがいなく、新吉、交尾し合う巨大な犬に、石を投げつけ、すると雄犬が横に降りて、と見る間にくるりと向きを替え、シャム兄弟よろしく、互いにまだつながったまま西と東を向き、雄は女中なのだろう、若い女のもとに近寄ろうと、前脚をふんばる。
「いやん、不潔やわあ。ダッキーちゃん」女中|後退《あとしざ》りをする。「不潔だかなんだか知りませんけどね、おたくの犬が、うちのを強姦したんですからね。責任とってもらいたいですわ」小百合がいい募り、「冗談やないわ。おたくこそ誘惑しはったんやないの」「言葉をつつしんでいただきたいわね。うちの犬はね、子供をとれば一匹何十万て値のつく名犬なんですよ。そんなね、ダッキーだかなんだか妙な犬の|たね《ヽヽ》は、今すぐ洗ってほしいわよ」「ほな、ビデ使いはったらよろしいやんか」「じゃ、あなたの貸して下さる。いや、やめとこうかな。変な病気がうつったら困るから」「何いうてますの。私はまだ神聖な処女ですよ」「へえ、よほどもてないらしいわね。あなたが犬にだっこされりゃいいのよ、丁度いいんじゃない?」女だけに女中も、犯しているダッキーを、積極的に弁護しにくいらしく、たじたじの態だったが、「ミカルちゃん」援軍を呼び、「今ねえ、血統書持ってきたるわ。よう見て下さい。ダッキーはね、種付け料一回三万円いう名犬ですねんよ」「そう、それじゃ三万円払ったげるから、うちの犬の処女をかえしてよ。元の体にして頂戴」「いやあ、いやらしいこといいはる」「何よ、強姦したんでしょ。おたくの飼犬なんでしょ、この助平犬は。あんたじゃ話わからないわよ。主人に会わしてよ」なるほど、そういう下心やったんか。新吉にも小百合の意図がのみこめ、そやけど、犬が強姦されたいうて、社長に面談申し込み、それでテロを行うとは、あんましかっこええとはいえんな。まだ上の空がつづいていて、ひょいと見ると、二匹、東西を向きつつ、しごくつまらなそうに空をふりあおぐ。
またヘリコプターが飛来し、その爆音におどろいたか、かしましく犬の鳴き声が湧《わ》き起る。
逃げもかくれもしません、ここへ連絡して下さいと、女中二人は、主人の名をつげ、さも驚いたかという風に、小鼻うごめかせたが、「何やってるの、この人」小百合あくまではったりをきかせ、「何いうて、日本でも有数のメーカーですやないの。この名前知らんいうのは、常識なしやわ」「知らないわねえ。こんな地方都市の電気屋さんなんか」「いやあ、よういうわ」女中二人、ようやくはなれた雄犬をひいて天幕の近くに向い、「ごついええ鼻してるねえ、これ。何ちゅうのん」新吉たずねられて、足もとをみると、子供がしゃがんで、秋田犬の首筋をなでている。
「名前か? えーと」小百合をみると、「唐錦」「カラニシキ? それどういう意味やのん」「意味なんかどうでもいいじゃない。ダッキーだって別にないんでしょ」「あるよ、ズーデンサミットいうのは、南の嶺《みね》いうことや。おじいちゃんの名前からとってん。ダッキーは、あひるやろ。つまり南嶺家《なんれいけ》のあひる」小学校入ったばかりのくせにこましゃくれやがって、新吉|小面憎《こづらにく》く子供を見やり、ひょいと、小百合のいっていた誘拐を思い出す。殺すよりも、あるいはもっと打撃を与えるのではないか。社長をテロで倒しても、きっと代りの人間があらわれて、組織はそのまま残り、利益の追求だか、企業の存続だか知らないが、要するに人類の未来を食いつぶしつづけるだろう。
しかし、自殺したという娘の残した一人息子、いわば唯一の血縁をかどわかされたら、これはもう老い先みじかい社長、気も狂わんばかりとなって、いや、事実、分別を失って、ひょっとすると企業の縮小をすらあえて行うかも知れぬ。子供の生命と引き替えならば。
「坊や、犬好きらしいな」「うん、おっさん、犬の名前なんぼくらいいえる?」「なんぼいうて、ポチ、ベル、タロー」「ちゃう。種類や」子供は、まるでかつて神武綏靖安寧懿徳《じんむすいぜいあんねいいとく》と、小学生が暗誦《あんしよう》させられたように、「コッカ、スピッツ、ボルゾイ、コリー、テリア、シェパード、ボクサー、秋田」ぺらぺらと澱《よど》みなく、唱い上げるようにいうのに、新吉「あんなあ、家にブルドッグとダックスフントの雑種おるねんけど、見にけぇへんか」
「ブルとダックス?」子供は仰天したような表情を浮べ、「それ、どんな格好してるのん」「そらおもろいで、顔はブルやけどもな、体はダックスで、そやな、耳にちょっとダックスの気配が残ってるなあ」「おっさん、家どこやのん」「すぐそばやが」「今から行ってもええか」「ええよ。そやけど姉ちゃん、大丈夫なんか」「かまへん。あいつらにいうたら、いかんいうのにきまってるもん」
多分、子供の行動についてきつく監視するよういいつかっているはずの女中二人、小百合の権幕に、すっかり興奮して、失念しているらしく、新吉がうかがうと、二人とも審査受けるため引きまわされる犬に夢中で、子供を忘れていた。
「ほな、ちょっと来るか」わざと気のなさそうにいうと、「いくわ。先に道のとこで待っててくれへん。一緒やったらやばいやろ」大人っぽく心を配り、「どうするのよ」少しはなれたところで、小百合がたずね、「誘拐したるねん。あんたいうてたやろ。三億か十億か、せしめたろ思うて」「じゃ、殺さないの?」「その後からでもええやん」「だけど、どこへ連れていくのよ」「今、思い出してんけどな。もう少し東へいったら、西宮の砲台いうのんあるねん。幕末にできたらしいねんけどな、あすこへ連れこんだら、ちょっとわからんで」
西宮砲台というのは、夙川《しゆくがわ》の川口東海岸にあって、瀬戸内海を攻めのぼるかも知れぬ、外国軍艦要撃のためつくられたもの、三尺四方ほどの御影石《みかげいし》を積み上げた、直径十メートル、高さも同じくらいの、西洋風|要塞《ようさい》で、砲眼が十二ある。
しかし、この砲台に屋根をつけたため、試射をすると、煙硝が立ちこめて、砲手のうち二人が息苦しさに失神し、つまり、二発撃っただけで、廃棄されて、しかし、表皮ははげ落ちたけれど、当時のままの姿で残り、学生時代、香櫨園《こうろえん》へ泳ぎに来た新吉、偶然みつけて、なんとなく包茎の男根を想像したのだ。ずんぐりむっくりした形、傘のようにおおいかぶさったその屋根の様子に。
「いこか、うまいこと逃げて来たわ」野球場はずれの町角で待つうち、子供があらわれ、「車? どこ」当然のようにたずねる。「ちょっと故障してるねん。タクシーでいこ」「ほな、駅前の方いった方がええわ」先に立って歩き出し、新吉なんとなく、気押《けお》された感じがある。
ゴッコ精神
海に向って砲台の左側に、今時、珍しいバラック建ての一画があり、あたりの砂浜にいたるところ穴のあいた漁網が干されている。右は夙川の河口で、このあたりも海岸浸蝕されるらしくテトラポットびっしり積み重ねられ、戦後日本の、こういった現象は何によるものだろうか。新吉、暇にまかせて、よく旅行するけれど、海岸線は、陸路ひらけていれば、たいてい沿海工業地帯、砂浜はほとんどといっていいほど、ヒトデ型のコンクリートブロックに固められ、残るところは人の通わぬ断崖《だんがい》絶壁、国破れて山河在りも今は逆で、すなわち国興って山河消滅か。
「おっちゃん、これ何やの」初夏の海の、陽光一面にうつして、のどかなながめに見入る新吉に、子供がたずね、「これはやな、砲台いうて、ここから大砲で、沖を通る船撃つねん」「おもろいなあ」小百合の姿求めると、波打際にしゃがみこみ、貝殻を拾い集めるらしい。女いうもんは、どこへ行っても、抽象的な印象を心にとめず、具体的なものがないと不安になるらしい。そういえば、カメラなる代物も、かなり女っぽい機械で、わが眼に映じた風景なり、人物の姿を信じず、いちいちフィルムに収める、カメラ愛好者はどことなく、女っぽい感じがしよるで。新吉、現在自分が、誘拐を実行しつつあるという実感、それも関西財界大立て物の愛孫、アメリカでは、幼児誘拐して、州の境界を越えたら、文句なしに死刑だというが、あまり易々《やすやす》と第一歩踏み出せたから、危機感もなく、また、今後の処理をどうするか、さし当っての問題として迫ってこない。
誘拐犯の、致命的な弱点は、身代金《みのしろきん》受けとる時、どうしても具体的な接触を、相手方と行わなければならぬ点、及び、目的を遂げたとたんに、通常の犯罪とは比較にならぬ、用意周到に張りめぐらされた捜査網を、かいくぐらなければならぬことにある。
もとより新吉、あれこれ謀りごとをめぐらせ、まず問題はいくら要求するか、十億円として、一万円札で用意させたら、もしそれ新札で積み上げても九メートルの高さになり、持ち運びに不便だろう。
金塊ならば二百貫以上になるし、ダイヤモンド、郵便切手、美術品は、携行に便利だが、真物《ほんもの》かどうか鑑定に時間がかかる。映画にあるような、あるいは探偵小説にあらわれる事件も、すべて金額が低く、個人が直接相手と交渉する場合は、一億が限度ではないか、インフレーションの時代だから、札束は嵩張《かさば》るばかりで、誘拐に不利なのだ。
受け渡しの場所をどこにえらぶか、深夜、人影のない公園などで、相手側と会うなど愚の骨頂であろう。たちまち追跡され、車をどう利用したところで、日本のように人家の密集する土地柄では逃げ切れるものではない。それよりも、たとえば、夏の葉山、鎌倉の海岸を利用する、あるいは国電のラッシュアワーもいい。
海ならば、なるべく日曜日芋の子洗うようにごったがえした、そのやや沖合いを、あらかじめ決めたA地点からB地点へ、ゆっくりボートを漕《こ》がせ、それに一億円の札束を、表から中身のわかるように、しかも厳重に防水包装し、おもりもつけて積みこまさせる。漕ぎ手はもちろん女か、老人に限る。こちらは、AとBを結ぶ、適当な地点にアクアラング装備し、水中で待ち受ける。ヘッドの透明な部分は、ひょっとして浮上した時のため、ビニールでカバーしておけば、なお人相は判らぬだろう。片手に棒でも用意して、進んで来るボートの前面に突き出すのが合図、ボートからさりげなく包みをほうりこませる。
手っとり早く中身をあらため、約束守られているなら、すぐ海岸へ泳ぎもどる。人ごみから少少離れた地点でアクアラング脱ぎ捨て、包みは、後日発見に楽な場所をえらんで、砂の中に埋めるなり、コンクリートブロックに結んで沈めて置いてもいい。
後は、善男善女《ぜんなんぜんによ》と共に、心ゆくまで遊びたわむれ、太陽に肌を焼いて、二、三日おいた夜に、またアクアラング着けて、札包みを拾えばよろしい。
かりに、AとBを結ぶ線上に、何人かの潜水刑事を配置したって、海は汚れきって、三メートル先も見えやしないし、一日何十万人と人の出る海岸の客を、いちいち調べることもならぬ。むしろ警戒の眼は、さらに沖合いの船やヨットに向けられるだろう。
そして、刑事は眼つきや、靴の形で、おおよそ判るものだけれど、裸になれば、なお見分けがつく。顔ばかり陽にやけていて、体が白く、しごくごつい感じだから。
ラッシュアワーならば、さしずめ、新宿から東京までの中央線、午前七時から八時のしかるべき時刻に、札束かかえた男を乗りこませる。合図するまで、東口から西口への通路を、やや速足でいっさい後ろをふりむかず、歩かせ、同じように不自然なスピードで従う者がいれば、これは刑事だろう。
また、この時刻立ちどまって人波ながめているのも怪しい。その他は、上方から監視したって、横から追跡しても、ラッシュの人波にまぎれた男の姿を、正確に見分けることは無理で、そのためには、男の服装を典型的なサラリーマンに装わせる必要がある。
後方から、何人かを間において、傘の柄でつつき、ホームへ上がらせる。一分半おきに入って来る電車の、間合いはかって強引に押しこみ、すぐ札包みひったくって、男はそのまま東京駅までおもむかせる。札包みは、サラリーマン一般の持っていて不思議ないバッグに入れ、四谷ででも、お茶の水でも降りる。
そして、また人波にもまれつつ駅の構外に出るのだが、ラッシュアワー中ほど、尾行あるいは、特別な人間の識別に不便な場所はないのだ。
「イチイチがイチ、インニが十、インサンが十一」子供の妙にこもった声がきこえ、新吉ひょっとみると、かたわらに見当らぬ。砲台の入口は鉄条網で仕切られ、大人、特に六尺三寸の新吉など入りこめないのだが、子供はすき間からもぐりこみ、荒れ果てた中を、こわがりもせず、ぴょんぴょんとびはねつつ呪文《じゆもん》の如きものを唱えている。
「なんや、それ」「おっちゃん知らんの」「数え唄か」「あほやな、九九やんか」「クク?」「おっちゃん習わんかったんか、二二が四いうて」「それやったら知ってるけど、坊主のはまちごうてるやないか。インサンが十一なんか」「まちごうてない」
子供はさらに、二二が百、二三が百十一、二四が千一とおかしげな九九をつぶやき、「これはな、二進法の九九やねん。これ知らんいうのは、頭古い証拠やな」子供さも軽蔑《けいべつ》した如くいって、「どこにおんねんな、ブルとダックスの合いの子いうのんは」「見せたるよって、はよ出て来い」
新吉小面憎く思い、怒鳴りつけると、御影石に反響して、えらくひびき、こらあかんわ、こんなとこで泣かれでもしたら、十二あいてる砲眼から八方サイレンみたいにひびくにちがいない。
「坊主、そんなおかしな九九|習《なろ》てるんか、誰にや」「コンピュータの先生や。MITの修士課程卒業した兄ちゃんやけどな、いうたら世間知らずのボンボンやな」「生意気いうな」「原子力の勉強もしてんねんで」「そうか、天才教育いう奴やな」「まあ、そやな」「ほな、英語やフランス語の先生にもついてんねんやろ」「フランス語ははやらんわ。おじいちゃん、これからは支那語やいうてな、ウオアイニー」「なんやねん」「アイラブユーやんか」
いちいちへこまされ、しかし、しゃべっているうち、ますますキッドナップの実感がうすれる。「どうするのよ、誘拐って時間との戦いでしょ。もう大騒ぎになってるわよ、あっちじゃ」
小百合、西の方を指さし、海岸線は左へ湾曲していて、はるか先に神戸重工業地帯の煙突群が見え、芦屋は眼と鼻の先だ。「そやなあ、もうそろそろパトカー頼んだんちゃうか」「パトカー?」「うん、ぼくよう家出するねん。前にもな、万博見たろかおもて、夜こっそり抜け出してんけど、なんし、二時間おきに見まわりが来よるやろ。ぼくちゃんとしてるかいうて。西宮までも行かんうちにつかまってしもてん」
「坊やなら、いくらだって観られるでしょ、万博。おじいちゃんの会社もパビリオン造ったんじゃないの?」「おじいちゃんは、ぼくを二十一世紀の指導者にしたいねんな。そやから、あんな前世紀の馬鹿さわぎなんか、観たらあかんいいよんねん」
会長ほどの実力者ならば、迷子になった孫を捜索するためにパトカー動員させるくらい朝飯前だろう。
「私たち、夫婦に見えないかしら」小百合がいい、誘拐者はたいてい男手だけでことを運ぶから怪しまれる。男女二人連れに子供なら、安心するもので、公金横領犯人なども、家族を連れて逃げれば、より安全なのだ。もっとも犯罪おかした夫に同行する、貞淑な妻は今時少ないだろうけれど。
「なに、ごちゃごちゃ話してんねん」「あんなあ、おっちゃんなあ、坊主を誘拐してん」「新吉さん」小百合仰天して、珍しく上ずった声をもらす。「いや、みないうた方がええねん。この坊主、みかけによらんとしっかりしてるし、小細工するより、皆うちあけた方が、こと運びやすいで」
祖父にどういう感情いだいているかは知らないが、けったくそわるい九九や、原子力までつめこまされ、遊びにもろくに出られんのやったら、こっちの思惑はともかく、子供にとって誘拐されたにしろ、今は得難い解放された時間であろう。
新吉、手前勝手なことを考えていると、「誘拐、ほんま? うそやないねえ」子供、急に生き生きとしゃべり、「ぼくねえ、よう寝る時におねがいしてん。どうかわるい人誘拐しに来て下さい。覆面したおっちゃんがピストルかまえて、ぼくを車のトランクにぶちこむ。そいで気がついたら、山奥の小屋の中で、後ろ手にしばられて、猿ぐつわかまされてる。さあ餓鬼奴《がきめ》、俺のいう通りに手紙を書けいうてボスが鞭《むち》をバシンと鳴らす。おっちゃんらほんまに誘拐団なんか」
「坊や、冗談じゃないのよ。誘拐ごっこのおあそびしてるんじゃないんだから」
一つ間違ったら殺しちまうかも知れないわよ、小百合|凄味《すごみ》をきかせていったが、「うん、わかってる。誘拐された時、どないするかいうて、ぼく教えてもろてるもん。いわれるままに素直に従うこと、決してすきをうかがって、逃げようなんか思わんこと。一生懸命、無邪気なことしゃべって、相手を安心させること」
「へえ、坊主そんなことまで、習《なろ》うてんのんか」「そらそやで、手紙や電話でよういうて来よるもん。寄付せんかったら、孫をさらういうてな」そして、おっちゃんら運好かってんわ。いつもやったら、もとキックボクシングの選手やった兄ちゃん二人ついてくんねんけど、今日はトレーニングの日で大阪へ行きよってんと、つけ加えた。
急にはしゃぎはじめた子供、あらためて尖《せん》とわが名を名乗り、「なあ、ぼくの身代金なんぼくらい要求するのん」いかにも若夫婦の、子供連れて散策する風に堤防の上を歩き、うっかりタクシー拾っても、国道に警戒線しかれていては水の泡《あわ》。小百合、街並みに入って鞄屋《かばんや》を見つけると、一つ購入して、「旅行者に見せかけるのよ、今、シーズンだし」木をかくすには森がいちばんいい。
ごっこか、たしかにこれは誘拐ごっこかもしれんな。そやけど、緊張しきって、十全の計画をねり、そして真面目に何ごとかを実行するのと、ごっこの間にどれだけの差があるのやろか、新吉ふと考えはじめ、革命かて誘拐かて、そうむきになることはないのんとちゃうか。革命ごっこのつもりが、いったん進行しはじめると、自分でも予測できなかった事態つぎつぎと起って、いわば天の時を得てひょこひょこっと成就できてしまうのではないか。
歴史に名を残す革命家が、いずれもしごくくそ真面目に革命を考えていたとは信じられない。かのチェ・ゲバラ氏など、かなりゴッコ気分|横溢《おういつ》してたんとちゃうか。
子供の世界はすべてゴッコであり、ゴッコだからこそ、どんな夢もかなえられ、行動もゆるされる。大人になるに従って分別が働き、ゴッコ以外の、さらになすべきことがあるような錯覚を持ち、しかし、生真面目に人生に相対したって、裏切られるばかり。
その中で、あくまでゴッコの精神持ちつづけるのが、結局はあたらしい時代をひらくのではあるまいか。
大義名分、それはあるいは、人民のためやら、国家のためだったりするけど、みんな上っ面のつけたし、またそういったものがなければ、たてのものをよこにもしない、怠けものを引っぱるための旗印ではないのやろか。
なにがなんでもやり抜くぞと、勢い込みすぎるから、かえって融通がきかなくなり、突発的な事態に対処できなくなる。いっそこれはゴッコなのだと思いさだめていた方が、もともと当てずっぽうの、風まかせ、うまく成功するのではないか。
現代にもっとも欠けているのは、ゴッコ精神である。新吉はとてつもない真理を発見したような気になり、ふと小百合の横顔をみると、なにしろ二十前で、どう若夫婦とりつくろっても、そうは見えぬ。しかも緊張に蒼《あお》ざめていて、なるほど女にはゴッコを理解できぬのだろう。
性的な営みも、男であってこそゴッコがゆるされる。女においては、究極的に、まだ生殖の残影がある以上、ゴッコはあり得ない。女がセックスについて、妙にひたむきな印象が強いのは、このためだろう。
いかにゴッコのつもりでも、現実には動かし難い子供が産れるのだから、一方においてはゆるがぬ自己の存在を確認できるけれど、またそれにつながらぬすべては虚《むな》しいとみてしまうのだ。
テロルはどないやろ。ゴッコのつもりでやっても、そこには厳然たる死体が残される。
丁度、女性におけるセックスと同じで、この両者はポジとネガの関係にあるといえるかもしれない。「要するに子供になることやな」新吉がつぶやき、「なによ、子供になるって」「いちいち事の意味づけやら、先行きを思いわずらわんのがいちばん。虚心にして行えば万事可なり」誰かえらい人がいうとったような気がする。
西宮市内の繁華街に入り、人波がふえたが、誰も注意はしない。尖はきょろきょろ周囲もの珍しそうにながめ、むしろ新吉の手をしっかとにぎりしめて、誘拐願望のかなえられた、現在の幸福感をのがすまいとする如く、ほのかにその汗が、伝わる。
「お爺ちゃん、誘拐を警戒して、ぼくをいっさいマスコミに出さへんかってん。そやから誰も気イつかんと思うわ」新吉たちの胸中見抜くようにいい、「だまってらっしゃいよ坊やは」小百合ヒステリックにたしなめる。
「まあ、落ち着きなさい」新吉は、どっかで便箋買《びんせんこ》うて、会長に手紙出さんならんな。それとも電話がええか、策を弄《ろう》せず、子供の気持になって行うことや。
老人が教えた、時には犬の眼をもてという、あれと同じことやないか、もっとも無邪気な犯罪は、最高に知能的なそれに通ずるんちゃうやろか。
三億円の身代金
タクシー拾って甲山《かぶとやま》を目指し、甲と猛々《たけだけ》しい名前だが、乙女の乳房伏せたような、半球状の小山。
小百合は三人連れ立つ姿を人眼にさらしたくないらしく、しきりに宿屋を当ったが、すべて旅行客が満ちあふれ、温泉マークなら空いていても、子供がいてはいかにも不自然。「ねえ、とにかく遠くへいった方がいいんじゃない? いくらなんでもやばいよ」タクシー止めようとしたが、新吉はまたそこが狙い目。燈台元くらしで、眼と鼻にかくれていた方が、安全やないか、それも策を弄さずにと、尖の意見をきき、「そやな、この近くやったら、甲山のお宮なんかにかくれとったら、ちょっとわからんで」遠足で一度訪れたことがあるという。
「よっしゃ、そこへ泊ろ」「冗談じゃないわよ。そうでなくてもあなたみたいに大きな体など目につき易いんだから、どうせ、あの女中、詳しく私たちの人相|風態《ふうてい》報告してるでしょ。それが人気《ひとけ》のない山の中なんかにいてごらんなさい」「どこにおっても同じことやないか。なんせ、この子の行きたいとこでとりあえず一晩明かす。後はそれからのことや」「東京に連絡とったらどうなの。ビンさんのマンションにかくしておくとか」小百合ふだんに似合わず、ひどく怯えていて、「いっそ殺しちゃったらどう? お金とるんなら同じでしょ」冷たい眼で尖をながめる。
「ほな、あんたいったん東京へもどってやな、誘拐《ゆうかい》したことを報告してくれんか。ぼくとこの子と、とにかく隠れてて、適当に連絡するから」小百合の存在が邪魔というよりうっとうしくなり、新吉は尖と二人きりで、ひっそり身をひそめ、夜を過したい気持が起ってくる。
「なんか食べるもん買《こ》うていかんと、何もないよ頂上には」「わかってる」新吉、ピクニックに出かける如く、レモン、チョコレート、ビスケットを求めて、小百合のスーツケースに収め、「他《ほか》に何がいるやろ」「そやな。ロープ双眼鏡ナイフラジオ懐中電燈なんか必要ちゃうか」尖はまた、冒険ごっこ風に小道具を指示し、新吉従う。
「ねえ、新吉さん本気なの? 誘拐は。いい加減のとこでかえしちゃうんじゃない?」小百合|呆《あき》れていい、新吉にも、特別なプランがあるわけではない。どう知恵をめぐらせたところで、世界に冠たる日本警察を相手どって、まともに闘いいどめば負けるのが当り前。すべて尖にまかせ、子供の知恵にたよれば、思いがけない相手のすきを発見できるかも知れぬと、新吉はむしろお守の心境なのだ。
「じゃ、私、いっぺん帰るわ。どういうつもりか知らないけど、うまくやってくれなきゃ、他にも迷惑がかかるんだし」新吉が逮捕されたら、その背後関係追及を受け、ビンや禅介の犯罪も、どこでぼろが出るかわからぬ。
「大丈夫。何もしゃべらへんて、万一のことあっても」小百合一人、西宮駅から新大阪へ向い、新吉と尖は駅前のタクシーに乗りこんで、夕暮れの空にくっきり浮ぶ甲山を目指し、「なんと呼んだらええの、おっちゃんのこと」「そやな。兄ちゃんでどないや」「よっしゃ。ぼくは呼び捨てにしてくれてかまへんで」尖、運転手の耳をはばかり小声でいうと、握手を求める。
「あれなんやろ」新吉、土地勘のほとんどない街並みを過ぎ、やがて左右に低い丘の連なる谷あいの、その次第にせばまる住宅地を走りつつ、ひょいと右側の、崖《がけ》のように切りたった壁に、大きな横穴のあることに気づき、それはたちまち過ぎたが、注意してながめると、他にもあって、どうやら戦時中の防空壕《ぼうくうごう》跡らしい。「もう、おそなったなあ。甲山いっても、何もないで」、新吉、独言のようにつぶやき、「はよ帰らんと、小母ちゃん心配しよるわ」けげんそうな表情の尖を制して、タクシー止めさせ、「なにも甲山まで行くことないわ。あすこの横穴に今晩泊ろやないか」つげると「横穴? へえ、原始人みたいやな」尖は無邪気によろこんで、「家にも、ごっつい地下壕あるねん」「へえ、物置か」「ちゃうが、原爆シェルターや」「原爆?」「半年間はそこにとじこもって暮せるねんて」
そのあたりも高級住宅地で、ほとんど人影は見えず、どの家も木《こ》の間《ま》がくれに見える二階の雨戸を閉めきっていて、いったい人が住んでいるのかと怪しまれるほど、誰にもとがめられることなく、横穴の一つに入りこみ、中は、少々異臭があって、誰か切端《せつぱ》つまった者が、便所がわりに使用したらしい。
四、五歩入ると、一寸先わからぬ闇で、足もとしごく危なっかしいが、天井も側壁も手でふれるかぎり堅い感触。しばらく様子をうかがった後、懐中電燈|点《つ》けると、入口から十メートルほどで右に曲り、その先五メートルで行きどまり。
ここまで入りこむ者はいないらしくて、ごみもすくない。「怖いことないか」「平気や。これもシェルターなんか」「いや、原爆用とはちゃうけど、まあ、待避壕いうんかな、前の戦争の」新吉は、ここに尖と二人でひそんでいるうちに、核戦争が突発し、北半球文明国に住む者のほとんど死滅してしもたらどないなると考え、そうしたら、凶悪無残な誘拐犯人変じて、尖の生命をたすけた恩人になるわけや。
「あんたとこのシェルターいうて、どんな風なっとんねん」「地下三十メーター掘ってな、鉛でおおわれた部屋やねん、放射能にも熱線にもびくともせんらしいで」「戦争なったら、お爺ちゃんとあんたと入りこむんか」「他に女の子六人ほど一緒に逃げるねんて」「女の子?」「そや。ぼくの嫁はんいうわけやな。みんな放射能でやられてしもた後で、また人類をふやさなあかんやろ」
新吉あきれて、なお詳しくたずねると、そのシェルターの中には、人類絶滅してしまっても、その文明を直ちによみがえらせるだけの、資料がマイクロフィルムに収められていて、「お爺ちゃんの説では、まあ、ぼくの孫の代になったら、今と同じくらいに復興するやろいうてるわ」
その時に、尖が全世界の、指導者となるよう、準備がすすめられ、その企業の上げる利益のすべては、シェルターのより完全な仕上げのため捧《ささ》げられ、「お爺ちゃんは、そやから、はよ第三次大戦がはじまらへんかいうてな、心待ちにしてるねん」「なんでや」「前癌《ぜんがん》症状の気味あるねんな、どうせ長いことないと覚悟してるらしいわ。そやから、癌の治療法が発見されるか、でなかったら、原爆でひと思いに、みんな道連れにして死にたいんちゃうか」
たしかに、第三次大戦がはじまったとして、いちばん快哉《かいさい》をさけぶのは、瀕死《ひんし》の床にいる者かも知れぬ。自分だけが死ぬのではない。
血気盛んな連中も、もろとも灼熱《しやくねつ》の炎によって雲散霧消してしまうとなれば、しごく気楽なもの、むしろざまあみろといいたいだろう。
「いつ頃から作りはじめてん」「さあ、もともとは、このシェルターと同じで前の戦争の時の防空壕らしかったけどな。それを拡張したんちゃうか」やっぱり一代で産をなす人間だけある。終ったとたんに、すぐ次の戦争の準備はじめるとはえらいもんで、そこへいくと、たとえば日本の地下鉄、あれは、原爆戦争の際、とりあえずの避難壕だろうに、何の配慮もしていない。
かりに原爆とまでいかなくとも、日本の都市にもう一度、爆弾が降りかからぬと、何の保証もなく、ロンドンやニューヨークなど、地下鉄のレールとレールの間に板をわたし仮のベッドとするための資材が、各家庭に備えられているのだ。
今から十五年ばかり前、アメリカにはシェルター産業という、あたらしい企業が脚光を浴びた、これは百ドルから十万ドルまでの原爆シェルターを請負うもので、百ドルというのは、携帯用食糧に防毒マスク、水浄化剤救急薬品などをセットにしてつめただけのもの。
千ドルになると庭に壕を掘り、そこに備えつける空気浄化装置、放射能探知装置が加わり、しかしまあ、なんとか実用になるのは二万ドル以上のもので、これは鉛でおおった緊急避難ボックスやら、二週間生きのびるだけの酸素ボンベがつく。
そして、ライフルが二万ドル以上のシェルターには備えられていて、これは、原爆攻撃の後で侵攻して来る敵を迎え撃つためのものではなく、そのシェルターに入れてくれと、押し寄せるであろう隣人を撃ち殺すためのもの。
さすがに問題になって、ライフルは行き過ぎではないかと、宗教家が反対声明を出したが、一人しか助けられない設備に、それ以上の人間が入らぬよう配慮するのは、一種の正当防衛であるとして、認められた。
もっとも、この企業は、原水爆攻撃の実態を甘く見過ぎていて、いかに十万ドルのそれを備えたって、生存率はまったく期待出来ないとわかり、すぐ壊滅してしまったが、大金持ちたちは、アリゾナあたりの、昔の金山の廃坑を買いとり、その地下五、六百メートルのあたりに豪華なシェルターを構築し、いったん核戦争となれば、自家用機でここへ逃げこむ手はずを整えている。
そして彼らもまた、生きのびた後で、なによりものをいうのは武力であると、火器弾薬のたぐいを多量に貯蔵しているそうだ。
「第三次大戦起ったらぱあやと思うのは、貧乏人だけやなあ」新吉つぶやいて、しかも、ぱあだから考えたってしかたがないと、無理矢理心をそらせ、一寸先は闇の世渡りしているのも貧乏人。
「あんなあ、誘拐されへんか思て考えてる時、ええアイデア考えついてんけどなあ」尖が、話題を変えて、「どんなんや」「一億円なんかこまいこといわんと、ドルでいうたらどないやの。お爺ちゃんやったら百万や二百万のドル集めるのわけないよ」
でなかったら、浮世絵のコレクションもごっつう持ってるし、仏像なんか国宝級のんあるで。
ラジオをつけたが、誘拐のニュースはなく、横穴の入口にたたずんで気配うかがってもとり立てて騒がしい物音もひびかぬ。
いくらか山のきわで、スモッグもうすいのか、星空がくっきりながめられ、ぼんやり見上げていると、尖が高い声で唄をうたい出し、新吉さえぎる気もしない。
「ちょっと電話かけてみよか」「お爺ちゃんに?」「そや。無事預かってるいうとかんと心配しよるやろ」誘拐しといて心配もないものだが、身代金うんぬんよりも、いちおう連絡して、無用の混乱防いでおいた方がいい。
こっちが冷静に応対すれば、相手はなにより孫の安全第一に考えるはずだから、案外スムーズにことは運ばれるかも知れぬ。
「お前、爺ちゃんのとこかえったら、ぼくのことどないいうつもりや」「そやな、もうごっつい怖いおっさんで、滅茶苦茶いじめられたいうたるわ。TVや週刊誌来よるやろな。モーニングショウ出演して、ええかっこしたろか」うれしそうにいい、「大丈夫やて。ぼくお兄ちゃん裏切るようなことせぇへん」真面目な口調でつけ加えた。
「もしもし、あの」尖にきいた番号をまわし、先方にしゃべりかけたとたん「あなた、どなたさまでしょう」しゃがれた声が伝わって、「ええ、私は只今おたくの尖君をお預かりしておるものですが」その、切迫した気配うかがって、新吉、ふとゆとりが生れ、冗談のようにいうと、
「そっちも長話は困るだろう。手短かに用件をいい給え。なにが欲しい」たちまちきびしいものいいとなった、その言葉の様子では会長らしく、尖の耳もとに受話器押しつけると、尖うなずく。
「三億円ほど現金がいただきたいんですわ。使い古しの、通し番号ではない一万円札で」三億円となれば嵩がかさみ過ぎるとわかっていながら、つい調子に乗って新吉がつげると、「わかった、受け渡しは」「また後で連絡しますわ」「一寸待て、尖は元気なんだろうね」手真似で交替するようにつげ、「ああ、お爺ちゃん、ぼくや」遊びに出かけて、帰宅のおくれたのを連絡するような、しごく気楽な調子。
「大丈夫や、そやけど、ごっつい気イ短い人やねん。ぐずぐずしてたら、殺されるかもしれへんわ。うん、わかってる。なんせ案定《あんじよう》たのみますよ」新吉に受話器をさし出し、耳に当てると、会長は替ったと知らず、涙声で、「しっかりしてんねんで。必ず助けたるさかいな」
「警察には届けましたか」新吉の声に、会長また重々しい口調にもどり、「そんなことはしてない。私は尖がもどればそれでいい」
「ほなまた連絡しますから」何かいいつづけるのをあっさり切って、また横穴へもぐり、「三億円で何するのん?」「そやなあ、これもとでにして、もっとごつい誘拐やったろかな」「そんなんずるいわ」「ずるい?」「ぼくのおかげで三億|稼《かせ》げたんやろ。ぼくもそれに入れてくれへん?」「あほいえ」口から出まかせにしゃべったことだが、権力者と対等につきあうためには、人質誘拐がいちばんの手段かも知れぬ。
公害問題でシラ切り通す企業の経営者の子弟をかどわかし、その水銀やらカドミウム入りの水を飲ませれば、問題はいっぺんに片がつくのではないか。
べつに金品を要求しないのだから、単純誘拐で罪も軽いし、被害者の苦しみにくらべれば、誤差みたいな犯罪ではないか。
「三億円もろてもしゃあないなあ」新吉つぶやいて、それより、もっとあの会長を馬鹿にする方法はないやろか。
どうせもう余命は長いことないらしいから、テロを行うのは安楽死みたいなもんやし、三億円など、その年収の一割にも満たない。
功なり名をとげて、一つ間違えば修身の教科書に登場しかねん人物の、その最後にきりきり舞いさせたる方法はないか。
令孫絞殺
気がつくと、自分がどこにいるのか、見当つかず、ただ周囲の暗闇が、ふだん肌になれたそれと異なり、はるかに密度が濃くて、あるいは黄泉《よみ》の国もかくやと、新吉ふと考え、すると、今、自分のいる場所がはっきり思い当って、背中に当る地面の凹凸《おうとつ》が痛いし、よく眼をこすれば、闇にも濃淡があり、かすかに尖の寝息がきこえる。
壕にすわりこんでバナナを食べ、ジュースで喉《のど》をうるおし、特別に追われている意識もないし、はじめもの珍しかった尖の言動のいちいちも、なれてしまえば当り前の子供にしか思えず、どうこれを利用して取引するかあれこれ考えるのだが、しごくとりとめがない。
どうしてもさし迫った金の必要があるなら、それを得るためにふさわしい行動をとれるのだろうが、三億と切り出したものの、その金額の実感もうすいし、まんまとせしめたところで、使う目的が、さし当ってないのだ。
ふいに、しゃくり上げるような尖の呼吸がひびき、新吉ぎくっとして、懐中電燈に手をのばし、だが灯はつけず、耳だけをすますと、どうやら泣いているらしい。目え覚ましてるんか、新吉、様子をうかがい、老人の説によると、規則正しい息は寝ついていない証拠、寝入ると、必ず乱れるものらしい。
尖のそれは間合いも、深さもさまざまで、泣きじゃくるような調子も、時にまじるだけ。「恐い夢でもみてるんやろか」あわれになり、手をさしのべると細い腕にさわり、掌《て》にふれると、じっとり濡れている。
うわべ平気を装い、かえっておもしろがっているようでも、内心は恐怖に満ちていたのだろう。本来なら今頃、さぞや豪華な布団にくるまれ、何一つ思いわずらうことなく、安らかに寝ているだろうに、「ああ、いやや。かんにんや」甲高く尖が、明らかに寝言を洩らし、こんな声を会長にきかせたったら、気イ狂うんちゃうか。新吉、妙に残酷な気持が起って、自分と較べれば四分の一もなさそうな、そのちいさな体を、無理無体にさいなむ妄想《もうそう》をえがく。少年愛の対象にしたったらどないや、あれは十四、五歳が最上いうけれど、尖の年でもでけんことはないやろ。
かなり端整な顔つきだし、さだめし驚愕《きようがく》して暴れるであろうその身体を羽交《はが》い締めにし、鮮血にまみれつつ犯す、その姿を写真に撮って、送りつけてやったらどうか。妙てけれんな九九やら、原子物理学を習わせ、いや、核戦争さえも想定し、それを生きのびて、新しい地球というか、核以後の世界のリーダーたるべく英才教育受けてるこの子供を、おかまに仕立てたらおもろいやろ、百日の説法文字通りホモ一つで吹っとんでしまう。
さんざなぶりものとし、あっぱれホモに仕立て上げ、その他は傷一つ与えずにもどしてやる、掌中《しようちゆう》の珠が、おかまに変っていたと判ったらえらいおどろきよるやろな。新吉、声をひそめてくっくと笑い出し、新吉にその経験はないのだが、笑いごとではなく、その欲望がきざして来る。
抵抗するやろか、それとも、誘拐された時の身の処し方をコーチされてるくらいやから、いっさいあきらめて、なすままにさせるか。ほんまこの餓鬼、大人を何やと思てるねん。誘拐されるのを待ってたやて、わしがやってるのはゴッコちゃうで。
一つ間違うたらこっちの生命なくなってまうんや。これまで、ちやほやと何一つ不自由もなく、自分の意志がすべてまかり通って来たからいうて、わしまでなめたらあかんで。ゴッコではない、食うか食われるかの、キッドナップや。
新吉、無性に腹が立って来て、むっくり上体を起し、その気配を敏感にさとったか、尖の寝息がしずまる。新吉、ズボンを脱ぎ捨て、しばらくはしごき立てることのなかった男根に手をそえると、すでにして雄々しく、ひょいとまた面倒臭くなり、自分のことは自分の五指をもって果したい気が起ったが、ここで尖を犯さなければ、この誘拐のすべてが無為に終る如く思え、しゃがむと尖の身体にのしかかって、しかし、まだ腕で身体を支え、しばらく寝息をうかがう。
「おい、起きろ」われながら陰険に思える声で、新吉つぶやき、尖は、声にならぬ息を吐いて、寝返りうとうとする。その肩口を抱きしめ、何分、ちいさい体だから、手応えがなくて、のしかかられた尖、息がつまったかうっとうめき、さて、どう扱っていいかわからぬ。
やはり後方から攻めるものなのか、あるいは、対面の姿勢で果し得るのか。
もともと運動神経の鋭い方ではないから、うろたえつつ、無器用にかかえこみ、尖もようやく目覚めたか、足ばたつかせて暴れる。
「怖いことないねん、じっとしとったらええわ」
かすれ声で新吉いって、自分でも不思議なほど息がはずんでいる。尖が暴れるから、かえって暗闇の中でその身体の状態がわかり、バンドひきちぎるようにはずし、下半身をむき出しにする。
ふともものすべすべした感触にふれると、新吉、それまではなんとなくじゃれている感じだったが、はっきりした昂《たか》まりが起って、両脚をつかみぐいと押しひろげ、壕の中は、表の星明りも街燈の光も、ほとんど入りこまぬから、闇に眼のなれることがなく、すべて手さぐり。
ちいさくちぢこまった睾丸《こうがん》にふれ、新吉、それをぐいとにぎりしめると、尖は体すくめるようにして力を抜く。
「怖いことないて。すぐすむやんか」ぶつぶつつぶやきつつ、尖の下半身を膝《ひざ》の上に乗せ、やみくもにまさぐり、もはや尖は、いっさいの抵抗をやめて、息さえひそめる様子。
「すまんな、堪忍《かんにん》してや、しゃあないねん」新吉、どうにか見当がつき、自分の体を行為にふさわしく立て直そうとしたとたん、えらい力で、尖の脚が新吉の股間《こかん》を蹴《け》とばし、べつに狙いさだめたわけではないだろうが、正確に睾丸に当って、息がつまる。
「おのれ、何さらすねん」尖の幼い体つきや、ぐったりと力を抜いた様子に、むしろいとしさを感じていた新吉、頭に血がのぼり、うなりつつ手をのばすと、尖の体がない。
「逃げられへんで、くそ餓鬼」相手が子供であることを忘れ、新吉、背をまるめて身がまえ、運動神経は鈍いが、なにしろ巨体だから、これまでも一対一の喧嘩《けんか》なら、負けたことはないのだ。
両手で、鬼ごっこのように暗闇さぐりつつ、一歩一歩尖を追いつめ、耳をすますと、たしかにその呼吸がきこえる。
「逃げられへんで。なあ、どないしたろか、締め殺すのんがええか、なぐり殺されたいか。脚もって、蛙《かえる》つぶすみたいにたたきつぶしたろか」ますます残忍な気持が起り、たまりかねたか、尖の、ほとんど声にはならぬ、悲鳴が起ると、その方角にとびかかって、広くもない壕だから、狙いあやまたず、二人もつれあいどっと倒れ、その拍子に新吉したたか膝を打つ。
「おのれ、なめるなよ」
新吉、尖の細い首筋をたしかめると両掌《りようて》に力こめて、ねじ切らんばかりにしめつけ、そのまったく抵抗感のない手ざわりに、なおじれて、頭部を地面にたたきつけ、「どないや、わかったか。大人を馬鹿にしよると、こないな目エに会うねんで、あほんだらが」ふいに下腹部がくすぐったくなり、新吉けたけた笑いつつ、しばらくそのままでいて、やがて尖の体からは、まったく力が抜ける。
新吉の男根はまだ雄々しさを保ち、それまで、首しめつけていた掌を、持ちかえると、いくらかせわしい息を深呼吸してととのえつつ、暗闇にしっかと眼をすえる。ほとんど無抵抗の、しかも子供を殺した罪悪感はなく、さきほどわずかにふれた尖のふとももの感触がまだ残っていて、その部分だけが、闇に浮ぶ。
もともと新吉のオナニーは、特別なイメージを求め、それを拠りどころに果すのではなくて、得体の知れぬ苛立《いらだ》ち静めるための方便だが、にぎりしめるうちに、熱いかたまりが背筋をはいのぼり、はっきり白熱の精液闇を裂いて、ほとばしるのが見えて、果てた後も、これまでとは異なって、なお余力の残る感じがあり、姿勢そのままに保つ。
三度放ち、さすがに五体なえ切って、新吉また体を横たえ、すると尖の死体が、丁度枕のように首を支える。頭をぐらぐらゆらせたが、いっさい反応はなく、「死によったか。まあ、これも運いう奴や。しゃあないやないか」しゃあないやないかを口に出してつぶやき、先のことは念頭に浮ばぬ。
後頭部から、逆さまに落下するような、自分ではっきり睡りに吸いこまれるのを意識しながら、新吉は寝入って、何の夢も見なかった。
どれほど時間が経ったかわからぬ。突然目覚めて、新吉とび上がるように身体を起し、会社におくれかけたサラリーマンの如く、薄明りをたよりにズボンはいて、横たわる尖の周囲ぐるぐると歩きまわり、ひどい頭痛がした。半分残ったジュースの瓶《びん》をラッパ飲みして、あらためてながめれば、尖は鼻と口の周辺黒く血がこびりつき、むき出しの下半身は、洋服でおおわれた上体と別物のように、たよりなげで、すでに二匹のハエがたかり、うごめいている。
荒れ果てた壕だが、はっきり格闘の跡がしるされていて、新吉、足で土をならし、さまざまなごみの片寄せられたのを、一杯にちらばらせ、自然と、犯行をかくすための作為が働いて、壕の入口から表をうかがうと、まだ明けそめたばかり、何事もなく丘と丘にはさまれた住宅地は静まり、はるか彼方《かなた》を、少年が新聞配って小走りに歩く。
棒きれを二本拾い、壕の奥の土を掘ると、思ったよりやわらかく、すると、新吉ようやくそれまでの夢遊病者の如き表情がひきしまって、上衣かなぐり捨て、必死に穴を掘りはじめる。尖の運動靴を脱がせ、ちいさい体折り曲げようとしたが、硬直していてままならぬ。その直立した体に合わせて、棒で線をひき、墓掘りよろしく穴をひろげ、「死体を埋める時は、三尺の深さが必要。でないと犬がかぎつけて、掘りかえしますな」老人の言葉がよみがえり、まるで、幾度もくりかえし慣れきっているように、尖の着衣もはぎとり、これは、いつかはあらわれるであろう死体の、身もとかくすためだった。
新吉は、鼻唄をうたい、恐怖感をごま化すためとも、肉体労働のはずみつけるためとも、自分でわからぬ。とにかく殺人そして死体隠匿というおぞましい行為をなしつつある自分が、むしろ不思議な感じ、素裸の尖をみても、怯えはない。
ようやくかなりの深さに掘れたから、死体を底に置き、板きれで土を落す際、ひょっとしてまだ生きているのではないか、懸念が起ったが、すでに肌は土気色だし、背中に屍斑《しはん》が浮き出している。
顔を土がおおって、少々気の毒になった他、いっさい事務的に処理し、土の堆高《うずたか》くなったあたりを、足で丹念に踏みならし、ジュースの瓶やバナナの皮、同じようなゴミはあったが、いかにもあたらしいから拾い上げ、瓶は石でこまかくくだき、バナナもふみにじって痕跡を消す。
俺は、まったく無抵抗な子供を、いわば虐殺したんや。いうたら極悪人やで。ほんまにそうなんか、自分で自分をたしかめてみるが、まったくなんということもない。
掌をしさいにながめても、尖のか細い首しめた跡はないし、このままつかまって嘘発見器にかけられたって、けっこう|しら《ヽヽ》切り通せる確信があった。俺は昨日と同じ新吉やんか。どこがちゃうねん。尖の衣服をひとまとめに、はじめ、これを会長に送りつけ、いやがらせするつもりだったが、その気も失せる。
シャツのしわをのばし、ズボンの埃《ほこり》を払うと新吉は、しごく真面目な勤め人の表情で、まだ人影のない道を歩きはじめ、丁度、ごみ取りの日に当っていて、街角にあるゴミバケツの一つ一つに、尖の靴やシャツ、ズボンを分けて押しこみ、夙川《しゆくがわ》の駅に近づくと、モーニングサービスの札のかかった喫茶店に入って、「すまんけど、熱いコーヒーたのむわ」
おしぼりを使うと、尖の血の臭いよりも、わが精液の青くさいそれが立ちのぼり、新吉は荒淫《こういん》の夜をすごした男のように、のろのろと茹《ゆ》で卵の殻を割って、丹念にむきはじめた。
「なんだって、子供を殺したのか」禅介、新吉の報告をきくと、びっくりしたようにいい、「かわいそうに、あの、くたばりぞこないの爺《じじい》なら、寿命に不足はないだろうけど、そんな十かそこいらの」まるで人非人をながめる如くいうから、「なんでやねん。お前かて、何も知らん娘さん、ぶち殺したんやろ。殺すのに、相手の年齢もくそもないわ」
「小百合の話じゃ、ずいぶんかわいらしい少年だったっていうじゃないか」「なんでもええわ。なんせ、わしは子供を殺してん、べつに良心もとがめてないし、きれいさっぱりしたもんやで。大体テロリストがやな、相手のこといちいち考えて何ができる。目的のためやったら、どんなことでもするのが、その本分やないか」「新吉には殺人狂の血が入ってるのかも知れないな」「あほ抜かせ」
冗談めかしているが、禅介、いくらかとがめ立てするような口調で、ビンと老人は外出中で留守。
「ほんとにやったのかい?」「ああ」「何も新聞に出てないじゃないか」
「そら、わしいっぺん電話かけたからな、まあ、誘拐して身代金請求という形をとったわけやから、子供の安全をまもるために報道管制してるねんやろな」「ふーん、しかし思い切ったことしてくれるなあ。大丈夫なのか、証拠残してこなかったろうなあ」
「あぶないのは、小百合さんやな。はっきり女中に顔みられてるから、わしは、遠くにおってそう覚えられてないと思うけど」
今頃、あの老いた資本主義の旗手は何を考えてるやろ。もちろん警察にはとどけて、極秘に八方手をのばしているだろうけれど、原爆待避壕までこしらえて、自分の血筋を残そうとしたって、一人の男の凶悪な意志があったら全部パアやないか。
いや、あの尖かて、やがて起るだろう核戦争の中で、自分だけが生き残らなければならないという、運命より、むしろ壕の中でしめ殺された方が幸せとちゃうか。安楽死みたいなもんやないか。
あらゆる殺人行為は、安楽死の一種かも知れん。自分で死をえらぶことができんから、べんべんと生きながらえるわけで、いっそ恐怖感も、殺される予感もなしに死ねるならば、これは救いに近いといえるのではないやろか。
みじかいとか長いとかいうたって、どれだけ差があるねんな。子供のままで、遊びの延長のつもりで、死ぬことができるねんやったら、これはいちばん幸せやないか。
「俺、もっと殺したるわ、子供を。その方が子供のためやで」
新吉、真顔でいい、禅介しかめっ面をする。
「お前かて、どんどん処女を殺したらええやないか。男なんか知らん方が成仏《じようぶつ》できるで。そやろ」
新吉、ブランデーを飲みながらつぶやき、尖の死体のかたわらで果したオナニーが、なつかしくなる。
テロルの原点
なんで子供を殺したらいかんねん。だまりこくって不機嫌な表情の、禅介のかたわらに膝をかかえて新吉考えこむ。
抵抗力がないからか、そやけどたいていの殺人において、加害者は被害者より圧倒的な力を持ってる。五分五分に渡り合った末の殺しなんてものは、むしろ例外やないか。
昔の刺客は、寝ている者を殺さなかったいうけれど、その枕を蹴とばして目覚めさせて後に斬りつけたそうやが、それでも相手が刀をとろうとする暇を与えず、致命傷を与えとる。
背後から攻撃する時も、一声、声をかけて後に太刀《たち》を浴びせるいうけど、どっちかといえば、あまりに隙だらけな敵に対しては攻撃しにくいもので、まず威圧を加え、そのあわてふためくところを撃った方が、やり易いやろ。
無抵抗な相手を殺すといえば、あらゆる殺人が当てはまる。何も子供に限らん。子供は人類の未来を担うものやから殺したらあかんのか。たしかに、かなり残酷な征服者、成人の男をすべて殺し、女を犯しつくしても、子供はほっておく。
これは子供を労働力として将来使うためやろ。現在かて優生保護法の再検討など、したり気にいう奴らは、二十年三十年後の人的資源を確保したいからで、ヒューマニズムでもなんでもあらへん。
子供を殺すというたら、たいていの人間が、まるで女々《めめ》しく、「気の毒に」「人非人」「人間の皮を着た獣」などと、一片の弁護論もあらわれず、極悪人視するのは、どういうわけか。
貧しい母親が、子供を道連れに自殺すれば、世間はきびしくこれを指弾する。子供は母親だけのものではない。子供にも人格があり、生存する権利があると、したり気にいいよる。そやけど母親にかて復讐《ふくしゆう》する権利はあるのとちゃうか。貧しい母親が、自分をいためつけた世間に対し、母親のみならず子供まで、しいたげようと舌なめずりしてる社会に、精いっぱいあかんべぇしたるのが、母子心中やろ。自分の腹をいためて、|むつき《ヽヽヽ》とりかえ乳を吸わせ、いつくしみ育ててきた子供の、その細いうなじに指をかける。あるいは、死出の旅路の思い出に、動物園などで一日を過し、デパートで買い求めたあたらしい晴れ着装わせ、青酸加里の入ったジュースをあてがう。その瞬間の母親の心境を、誰が忖度《そんたく》できるかい。
自分で産んだもんを、自分で殺して何がわるいねん。人類の未来とやらを信じとる連中だけが眉ひそめるねんやろ。
新吉、べつだん自分の尖《せん》殺しを妥当な行為として、納得させるためではなく、新吉自身、まさか殺してしまうとは毛頭思わず、なんとなくじゃれ合っているうちに、つまりゴッコのつもりが、まごう方なき芽むしり仔撃《こう》ちを演じてしまい、いまだに夢の中に在る如く、また、当然あってしかるべき罪の意識さらにまといつかぬから、心の置きどころに窮してしまう。
たしかに尖はかわいい子供やった。少々大人びてはいたが、決してひねこびた印象ではなく、あのなつきようを考えれば、あるいは新吉が、はじめて尖の周辺にあらわれた、人間らしい人間やったんちゃうか。
すっかり信じ切って、うちとけたとたん、その相手に殺されてしまうなんて、かなわぬながらばたばた五体暴れさせていた尖は、何を考えたんやろか。お爺ちゃんの名あ呼んだか、自殺した母の面影にすがったか。
新吉は努めて、あわれな尖の胸のうちあれこれ思ってみたが、涙も浮ばず、その冥福《めいふく》祈る気も起らぬ。
「殺したんだって、孫を」気がつくとビンがかたわらにすわりこんでいて、禅介ほどよそよそしくはなかったが、やや他人行儀にたずね、「ああ、どないや。糞みたいか、幼児殺しほやほやの糞を」新吉つっかかるようにいうと、「そうだなあ、俺の時はべつに変化はなかったけどね」気のりせぬ様子で、「それより大丈夫なのかい。見られてるんだろ、顔を」「小百合さんもな」「彼女は、老人がかくまってるんだが、なにしろ新吉は目立つからなあ」ビン、新吉と視線合わせぬよう、ことさら宙を見すえて、「今のところまだ報道管制をしいてるらしいな。何もそれらしいニュースはない」「いちおう営利誘拐いうことになってるから、当分、このままちゃうか」「しかし、大々的に捜査網が敷かれてるよ。モンタージュ写真も作られたろうし、第一、あの犬がやばいんじゃないか」禅介も口をはさみ、「ビン大丈夫なのか」「ああ、あれは飼い主が今、外国にいってるしねえ。そうだなあ、同じようなのを一匹探してかえしとこうか」全国に何匹の秋田犬がいるか知らないが、そのつもりになれば|あし《ヽヽ》はつくだろう。
「あんたらに迷惑かけへんよ。俺は覚悟してるねんから」「覚悟?」「そうむざむざとつかまらへん。向うが公開捜査にふみきるまで、もう少し時間あるやろ。まだやりたいことあるねん」「なんだい、今度はいよいよ」大物ねらうのかと、冷やかす調子が、意外にきびしい表情で新吉いるから、声をのむ。
ビンも禅介も、幼児殺しと比較すれば、なんとなく自分たちの犯行の免罪符手にした如く、気楽な表情。殺しに差別はないはずなのに、自分たちの行為が、まだしも情状酌量の余地ある如く思える。もとより新吉のことが露《あら》われれば、かりに|げろ《ヽヽ》しなくても、年中つるんでいた仲間だから身辺危なくなるのにちがいないのだが、「どんな具合だった?」「天性のテロリストかも知れないな。女子供に情けをかけると、たいてい失敗するらしいから」「爺さんどうしてるかなあ。まあ、いいだろ。公害の家元でもあるんだから」「どうせのりかかった船じゃないか。その三億円もいただいちまったらどうだい」でまかせの口をきき、新吉のだまりこくって返事しないのを、さぞや良心の呵責《かしやく》に耐えかねるとみたか、なぐさめにかかる。
「そら、もろてもええけどな」上の空で答えつつ、新吉は、さらに大がかりな嬰児《えいじ》幼児学童に対するテロを夢想していた。
あらゆるタブー、道徳、法律いうもんは、すべて人類が、生きつづけていくという前提の上で、存在し得るのとちゃうか。
かりに近親相姦、インセストタブーが動物の本能やとしても、人類の場合は、より具体的に、親子兄妹がつながり合えば、財産分与の面で問題が起るし、奇形児が産れるからこそ、これを避けとる。
動物より人間の方が純粋なタブーとしての嫌悪感はすくなくて、これは、産児制限の知恵もあれば、また、食べる面でのゆとりを持つからやろ。それでも、まだこのことがおおっぴらにならないのは、一つの世代が、次の世代に対するはばかりがあるからで、単に習慣として、父は娘を犯さず、姉は弟に抱かれないだけや。ところが、どこかでバチンと、種族保存の道がとぎれたらどないなるか。放射能の影響でも、農薬のせいでもよろし。一九七一年以降、全世界の出生率が激減しはじめやがて零《ゼロ》にいたる。一人も産れなくなったら、いったいどんなタブーや、戒律が人間をしばるいうのんか。一年後に核戦争がはじまるいうのならば、やはり無政府状態がひき起されるやろうけど、ほぼ百年後に、人類が絶滅するとわかった時は、みな凶暴になるのんか。それとも優しさのかたまりと変るか。
新吉は、笛吹きの後につき従って、村中の子供が川へ入り、二度ともどってこなかった寓話《ぐうわ》を思い出し、あれこそは大人の傲慢《ごうまん》さをたしなめるお話ではないのかと思う。政府あるいは国連は、どんな処置とりよるやろか。もちろん避妊は、殺人よりも悪い行為にされるだろうし、かつてのナチスが目論《もくろん》だ如く、優秀な子種と、立派な子宮をかみ合せ、なんとか人類の未来を残そうと努力するにちがいない。
オナニーなど、とてつもないことで、もし、妊娠した女があれば、人間国宝か、それだけでノーベル賞だろう。あらゆる特典を与えられ、栄耀《えいよう》栄華はほしいまま、子供をとにかく産んだ夫婦は貴族になって、いかに頭脳すぐれ財に富んでいても、子宝に恵まれねば奴隷と同じ。
すべての産院から新生児の産声のと絶えてしまえば、戦争も植民地もない。子孫のために美田を残さぬといっても、それは子孫がいるから考えることで、実際に地球上からもうじき人類がいなくなるとわかって、しかも、自分たちは生きていかねばならぬ。日常の労働は、自ら食うために怠ることができず、その労働の実感はどんなものやろか。
子供殺しをことさら責める理由が、いくらかわかって来たみたいな気がする。えらそうなこというてても、人間は自分が死んだ後の、手のとどかん未来を信じてないと、生きてられへんねんわ。女だけではない。男も、次の世代が用意されてるから、ぶつくさいいつつ生きる張りを感じてる。そして、ろくなことが起らん。
子供こそ諸悪の根源ちゃうか。いや、子供のため、人類の未来のためなんかいう、美しげな錯覚こそ、いちばん害毒を流す源やろ。
それが証拠に、我が子が不治の病に罹《かか》り、余命いくばくもないとわかった時、親はたいてい善人になる。きわめてやさしい人柄にかわる。子供こそ権力志向の原因とちゃうか。
ユートピアというのは、きっと子供の産れんようなった世の中のことをいうねんわ。それに子供の立場から考えたって古典的な台詞《せりふ》やけれど、好きで産れてくるわけやなし、このままの世の中でかりに成人したってろくなことはない。
母子心中が母親の権利であるように、子供殺しは、大人の権利やないか。未来にすがりつき、死してなお自分の権力を世間に及ぼそうと考える人非人が、芽むしり仔撃ちをおとしめてみるのだ。俺は、笛吹きの少年になったる。世間の子供道連れにして、しばり首にでも、電気椅子にでもかかったる。
「小百合さんから電話で、先生風邪ひいたんだって」ビンが報告し、「とにかく見舞いかたがた新吉をどうするか、相談してみようよ」「俺のことは、自分で考える。テロいうても、ちょっとあんたらとちゃうから、お互いさま一緒におっても邪魔なるだけや」「仲間はずれか」「テロリストに仲間もくそもないやろ。みんな自分勝手に人殺しするだけやないか」新吉のっそり立ち上がり、「ビンはもう満足したんか。一人だけとコミュニケーション持って」皮肉のつもりではなく、たずねると、「いや、あの後二人殺したけどね」ケロッと答え、「禅介はすっかり変質者にされてるよ。今度は老婆をなぐり殺しちゃってさ、はじめは処女のつもりでいたらしいんだが、倒れた顔をよくみると七十過ぎだったって」「へえ、処女でも婆さんでも同じことか」「そう、人間ならね。最初より二度目の方が怖くて、なかなかやれなかったんだなあ。だから野良犬をぶったたいてみても、ありゃ駄目だなあ。人間よりいやな気がする」殺人鬼といわれる冷酷な男が、思いがけず動物愛護の精神に富んでいたりするのも、わからないではないと、付け加えた。
「まあ、こっちもそう長い寿命でもないらしいよ。最後の時は後ろ姿をかなりの人間に見られているから」それは郊外の団地に身をひそめ、わが家へもどるやはりサラリーマンを狙ったので、「あの団地ってのはさ、俺が住んだことないせいかも知れないけど、何度みても白日夢《はくじつむ》みたいな感じだろ」それなりに古びていたり、あるいはみるから住み難《にく》そうならそうでもないが、ビンは何百棟と、いずれも採光に心をくばり、干し物を禁じ、芝を配し、物音さえたてずにしずまりかえっている団地アパートの集落をみると、めまいがするような、違和感におそわれ、眼をそむけて通り過ぎる。
「人間らしさが感じられないなんて大袈裟《おおげさ》なことよりも、腹が立ってねえ、いや、団地に住んでる連中が、自分とはまったくべつの人種みたいな、俺一人取り残されてるような心細い気持になるんだなあ」「またクィックキルでやったんか」「いや、同じ手口じゃばれるから、頸骨《けいこつ》折りでね」ビン淡々と説明し、これは膝を敵の背中にあてがい、両掌を後ろからその顎《あご》にかけて、一瞬の内に息の根とめる方法。すわりこんでいる番兵などにふさわしいのだが、「丁度、駅前におでん屋が店開きしてるんだ。他にもラーメン、寿司の屋台があってね」夜十時近く、駅を降りたつサラリーマン、たいていどれかに寄って腹ごしらえをし、この時刻では家へもどっても夜食の用意はないらしい。「俺は、サラリーマン風のスタイルでおでんを食べていた。そうはっきり殺しを行う決意を持っていたわけじゃない。まあ、団地住人の顔をみてやるくらいの気持で」そこへ、鼻にイボのある四十五、六のサラリーマンがあらわれ、「ゴルフ気違いらしいんだなあ。おでん屋の主人を相手にショートホールがどうしたの、三番アイアンのフォロースルーがどうのって、しかも、おでん屋がけっこう話を合わせてるんだねえ。近頃はおでん屋もゴルフやるのかなあ」ビン妙な質問を、新吉に向け「やっていかんいう理由はないわ」「つみれとはんぺんと大根を食べて、その男は立ち上がったんだ」その時もまだ殺意を感じなかった。
しばらく間をおいて、ビンは団地の建物の、棟《むね》毎に番号こそしるされているが、迷路の如き入りくんだ中を歩き、時に犬が吠えたてるだけ、各部屋の半ば以上に灯は点《つ》いていても、それすらカーテンにさえぎられているから、うす暗い道すじ。
疚《やま》しいというより、他所者《よそもの》意識が強く、やや怯えながら、また一方では道に迷って朝まで歩きつづけているのも悪くない気持で、ふらふら進むうち、一人の男が建物の入口に突っ立ち、同じしぐさをくりかえしている。
うかがい見ると、さきほどのゴルフ気違いで、ドライバーショットを、かなり真剣になって何度もポーズし、腕ふり上げたとたんに、はるか彼方のグリーンへ吸いこまれるボールの姿、はっきり見えるかの如く、静止し、そして、コンクリートの上に跪《ひざまず》き、ティをグランドに押しこみボールをのせるしぐさまでして、慎重にグリップを按配《あんばい》し、架空のグリーンとボール七三ににらみつつ、クラブを肩にかかげる。「五、六ぺんみるうち、つい近づいてね、男は全然気づいてない。まあ、俺も足音忍ばせてはいたけど」不意にナイスショット、声をかけると、男まるで当然といったようににっこり笑って、かぶってもいないキャップの縁に手をかけて挨拶し、すぐにまた身をかがめる。「三度目の時、がきっと」ビン、左右の腕をのばし、掌で円をつくって膝にはげしく近づけ、「骨の折れる音より、頭がコンクリートに当って、団地中にひびいたかと思ったなあ」すぐ辺りをうかがい、足ばやにその建物の端を曲ると、後ろから女連れ二人が近づき、歩くこともならぬ。
「いつ悲鳴が上がるかとひやひやしてたけど」駅にたどりつくまで、十五、六人とすれちがい、それはお互い一瞬相手を認めただけで、事件発覚後も、証人の役に立たなかったらしいが、二人連れの女や、窓からのぞいていた住人に、背丈年格好かなり正確にいい当てられていた。「そのサラリーマン、自ら思いえがくナイスショットの夢にひたり切って、息が絶えたわけか」禅介がいい、「コミュニケーションの回復もいいけど、その男がのり移ったんじゃないか、おい」ビンはその後、時々クラブふりまわすポーズをとり、もともとはゴルフなど大嫌いだったのだ。
殺意の伝達
「一種の安楽死ほどこしたったわけやな」新吉は、ふと人間はなんで長生きしたい思うのやろかと考え、つきつめていうたら、誰にも分らんのとちゃうか。ビンに殺された三人の男、いずれもあと三、四十年の余命はあったはずで、しかし、その年月生き延びるのと、すっぱり死の自覚もないまま、殺されるのと、どこがちがうねん。生きて存在する実感など、何を手がかりに確かめればいいのか。殺すのも殺されるのも、すべて夢みたいなものやないか。尖《せん》の細い首をしめたこの掌に、まだその感触残ってはいても、それはオナニーの際にあれこれ思い浮べる妄想《もうそう》と同じく、とりとめのないもので、殺したと自らにいいきかせれば、そのようでもあり、あんなもんすべて、自分の勝手に想像しただけのこと。以前防空壕だった横穴も、その奥の三尺下に屍体《したい》の埋められているのも、幻影に過ぎないと決めこめば、たとえどんな拷問受けても、否定しきれるように思う。「要するに人生なんか、マスターベーションとそう変りないのちゃうか」「なんだ、またオナニストにもどったのかい」ビンが冷たくいう。
「いやな、過去も未来も、勝手に妄想してるだけのことで、どんなに精力的に人生を生きようと、あるいは自閉症に近い一生を送ろうと、何のちがいもないのんとちゃうか。確実な手ざわりは死の一瞬だけで、いざ死ぬ時の、最後に見たものだけが、生きてきたしるし」新吉いいつのると、「つまり末期《まつご》の眼って奴か」ビンは、自分の殺し物語る時こそ饒舌《じようぜつ》だったが、語り終えたとたん、口が重くなり、「しかし、あいつはまったく自分が死ぬってことについちゃ、自覚がなかったろうからなあ」殺すことによって、あのゴルフだけが生甲斐《いきがい》の男。墓場のように無気味な団地で、ささやかに家庭を営み、永久にビンとふれ合うことはなかっただろう男との、会話は成立したように思う。しかし、先方は自ら殺されると気づいていない以上、一方通行にちがいなく、これは当然で、そもそも背後から襲いひそかに殺すというのは、度胸つけるための方便。本来なら、はっきりこちらの殺意をつげなければ、ビンの意図達成することはできぬ。
「べつに安楽死屋じゃないからなあ」ビンがつぶやき、「新吉ちょっと手伝ってくれないか」「誰をやるねん」「なぶり殺しをやってみようと思うんだけどな」「なぶり殺し?」「そう、禅介の殺しも、お前の幼児殺しも、殺される方に明確なその意識はなかったやろ」「そうやろな。あの子供は最後まで、ゴッコのつもりでおったかも知れん」突如|豹変《ひようへん》した新吉の態度に怯えつつ、しかし、殺されると考えることはあまりに怖ろしいから、必死で遊戯だと思いこもうとしたのではないか。
そのうち意識がうすれて来れば、新吉の凶悪な意志も一人相撲。「相手の恐怖感が伝わらんからかな、いっこうに実感のないのは」「そうだよ。今のようなやり方では、新吉のいうように、オナニーと同じかも知れん。具体的な反応がないからな」「あるいは不感症の女抱いているみたいな」「一人かっさらって来て、この部屋でもいい、一寸刻み五分刻みに、じわじわと殺してみたい」「一人いわんとやな、その状態をもう一人に見せたったらどないやねん。殺されつつある奴は、客観的に自分のおかれてる立場を、よう見んやろ。苦痛が激しなったら気イ失うかもしれんし、そやけど、次は我が身と思いつつ、他人のさいなまれる具合ながめてたら、こら怖がるのちゃうか」「いいだろ。誰にする」「誰かて同じことやて、社会的に影響力持った奴かて、一介のサラリーマン、女子供かて同じや。殺しの前にこそ差別は存在せぇへん」
ビン表をながめ、いずれも|あっけらかん《ヽヽヽヽヽヽ》と明日のあることを信じ、いっさい疑わぬ表情の通行人、そのどれを殺そうと思いのままなのだから、あらためて自分の権力の強大なことに気づく。人間は誰でも殺人ができるのに、それをしないのはどうしてだろう。あるいは、殺されるかも知れないという怯えを、何故ふだんは忘れていられるのか。
あすこに犬を引いて歩く中年の婦人、二、三日行動を監視し、その結果に基づいた、適当な口実をもうければ、簡単にこの部屋へ誘いこめるだろう。あのコットンパンツにバスケットシューズはいた学生なら、小百合が色眼使って|いちころ《ヽヽヽヽ》だ。誰だって殺せる。
ながめるうち、赤の他人の誰彼が、みな身内の如く思えてきて、あるいは王侯貴族の、無上の楽しみとは、眼に入る人間のすべて、小指一本で殺せると思い当り、そして実感できた時をいうのではないか。
ブザーが鳴り、脛《すね》に傷持つ身ながら、べつだん警戒もせず、新吉ひょいとドアをあけると、いかにも月賦仕立てと一眼で知れる安ダンディの若い男二人。
まずものもいわず名刺をさし出し、みれば、角陽商事とあって、肩書きの横に、繭《まゆ》、雑穀、生糸とこまかい字がならび、「赤いダイヤの御説明に参上しました。御主人がお忙しければ奥さまでも」と抜け目なさそうな眼で、新吉の表情をうかがう。
「あんたらセールスマンの人?」「いえ、そういうわけではございませんので、只今、商品取引は空前の好況でして、もし、こちらさまが経済につきまして、いささかの御関心をお持ちのようでしたら何かのお手助けをいたしたいと」もっぱら一人がしゃべって、片方しきりにうなずく。「いつも、この辺りを歩いてはるの?」「いつもというわけではございませんが、まあ、こういうおつきあいは縁のものですから、どこと決めませんで、なんといいましょうか、一種の勘と申すのも妙ですね。おみちびき」女の如く小首かしげてなめらかにしゃべるのを、「まあ、お茶でも飲んでいって下さい。丁度、御主人在宅やし」特に打ち合せしなくても、新吉の口上はビンに筒抜けで、ビンにも、いわばとんで火に入る夏の虫をどう扱うか、心づもりは出来ているはず。「これはどうも恐れ入ります」二人、しっかとアタッシェケースをかかえ、遠慮なく入りこんで、ソファに気難かしい表情ですわるビンをみると深く一礼し、「突然、お邪魔します。私ども」また口上のべはじめるのを制し、「商品取引ってのは話にきいてるけど、なんだか危ないそうじゃないか」「いえ、どうもマスコミにいろいろ悪く書かれまして、たしかに、一部にいかがわしい業者もおりますが、それはまったく例外的なものでして、私ども、お客様の身になって、いっさい独断で売り買いするようなことはいたしませんですし、決算書も、また精算もお客様の命令次第すぐお持ちいたします」それまで口閉じていた一人、膝《ひざ》を乗り出し、「丁度、耳よりな話がございます。これも御縁と申しましょうか」資料を机の前にひろげ、新吉は使用人風に台所に立って茶をいれつつ、男二人の背中越し、ビンをうかがいみると、「危なくないかなあ」気のない様子で、グラフや数字にながめ入るから、「いや、私はやってみたらどないかと思いますなあ」口をはさむ。
セールスマン百万の味方得た如く、「絶対という言葉は、私、使いたくございません。まあ、東京に明日大地震がないとは、神ならぬ者の誰もいえませんように、百パーセントもうかるとは、申し上げません。しかし、たとえて申せば、新幹線で東京を発ち、新大阪に到着するくらいの確率ならば、保証できるのではないかと」「そうですよ。それにこの方たち、いつもは他の地区まわってはったいうし、ここへ来られたんも何かのお引き合せちゃいますか」「じゃあ、やってみるかねえ。資金はどれくらい考えたらいいのかな」男二人、満面に笑みを浮べ、さらに鞄《かばん》から資料出そうとしたすきをうかがって、新吉は背後から、一人の男を羽交《はが》い締めにし、長い腕で、男の後頭部を胸にむけ押しつける。
ビンは同時に、残る一人の顎を、立ち上がりざま下から拳《こぶし》ではね上げ、とびかかってネクタイをしめ上げる。男たち一瞬何のことかわからぬまま三十秒後には気を失って、ソファにお互いもたれかかり、「いちいち行動を会社に報告してるんじゃないのか」「平気やて。商品取引のセールスマンいうたら、とび込みでどこへでも入りこむからな、いちおう地区毎に分担するらしいけど、どうみてもこいつらベテランとちゃうし、会社の方は二人くらいおらんようなっても気にとめんわ」男たちの靴下をあらため、しばらく洗濯していないようだから、まず独身者であろう。二人ともかすかに訛《なま》りがあって、北関東の出身らしい。
ビン、骨董品を送る時に使う、幅広い粘着テープで、男の手足をしばり、その口の中にハンカチ押しこめて後、軽く二、三度頬ひっぱたくと、うなり上げつつ目覚め、まだ事態を認識できないでいるらしい。
「おい、よくきけよ。俺たちはな、商品取引でこっぴどい目にあったんだ。ここへとび込んで来たのは、お前らのいう通り何かのおみちびき。いや、親父の怨みが呼び寄せたんだろう」ビン呆然と眼を見張る二人に語りかけ、「いいか。俺たちの親父は、小豆相場にまんまとだまされて、家屋敷人手に渡したあげく、自殺しちまったのよ。まだ幼いわれわれを残してな、お袋は病身で、親父の後追うように死んじまった。その苦しむ姿みながら、何一つしてやれなかった自分が、子供心にも情けないと思った。いつか復讐《ふくしゆう》してやると、二人手をとり堅く誓ったんだ」
|どさ《ヽヽ》回りの芝居風に口上をのべ、ビンは男たちをしばり上げつつ、まったく理由がなければ、こっちを狂人と思うかも知れぬ。殺しにしかるべきわけがあると納得すれば、その恐怖はさらにつのるであろうと考え、出まかせにしゃべったので、たしかに夢みている如く、焦点のさだまらなかった二人、ビンの台詞耳にするうち頭をはげしくふって、アウアウとハンカチふくまされた口から、声音をもらす。
「そらな、あんたらには直接関係ないかも知れん。実をいうと、商品取引の親玉ぶっ殺したいとこやが、そううかつには手を出せんしな。まあ、運わるかったとあきらめてんか。坊主にくけりゃ袈裟《けさ》までいうやろが。親父の魂なぐさめるためには、お前ら殺すより他方法ないねんわ」新吉の、くぐもった声は、ビンのてきぱきしたそれより、ずっと凄味《すごみ》きいて、「どないしたろ、こいつら」ビンをかえりみると、一人は恐怖のあまり小便を洩らし、「兄貴、死刑執行される直前の、囚人の糞みたいいうてたやんか」「そうだな。じゃ、ちょっとこの世の名残りに糞ひってもらうか」一人の襟《えり》がみつかんでトイレットに引き立て、ズボンをずり下げると、西洋風便器に腰かけさせる。「さあ、うんと気張るんだよ。遺言ならぬ遺糞という奴だな」男は、この期《ご》に及んで何でも命令に従う気らしく、子供のように息をつめ、しかし、屁《へ》も出ぬ。
「よし、そこに頑張ってろ。いいか、糞をひったらまた考え直さないでもない。出さなきゃ」ビン、自分の喉《のど》かき切るふりをしてみせ、男がっくんがっくんと首をふった。
ソファの男は、体立てている気力もないらしくて、妙にねじくれたまま横たわり、眼も見えず耳もきこえぬ様子。「ほら、気付け薬やで。飲みな」猿ぐつわをとき、噛《か》まれぬよう気をくばりながら、鼻をつまむと自然に唇がひらく。新吉そこへブランデーを流しこみ、激しくむせるのを、無理に手ぬぐいで口をしばると、男たまらず鼻から液体を噴き出し、顔を赤く染めて苦しがる。
いっこうにかわいそうには思わんもんやな。新吉、自らをかえりみて、このまったく無抵抗な男を痛めつけ、何の呵責も感じない自分を不思議に思う。ブランデーいくらかは体内に入ったろうに、酔いどころではなく、ただ虚ろな視線を宙に向けて、涙をとめどなくこぼし、間欠的に震える男みるうち、さらに酷薄な気持が生れ、新吉立ち上がるとスリッパのまま、男の胸をふんづける。老人にきけば、拷問のあれこれ分るだろうがどこを責めると効果的なのか、見当つかぬまま、新吉はみぞおち、下腹部を蹴とばし、ブランデーの瓶《びん》でそうは強くなく、男の額をくり返し打ち、何を考えてるのやろ、この男、殺されると、おもてるやろか心底から。
必ず救いが来ると神頼みにすがっとんのちゃうか。あるいはこっちが心がわりするかも知れんと、期待してるのやろか、確実な殺意を伝えるにはどうしたらええねん。まったく助からんと分らせるためには。
ビンは、にらめっこの如く、便器にしゃがんだ男と向きあい、男ずっと気張ったままだから、顔に血がのぼって赤ぐろい肌となり、「そうか、出ないっていうんだな。出ないなら」足一つふみ鳴らしておどすと、男のけぞって、さらに人間の表情とも思えぬ、すさまじい形相《ぎようそう》で息をつめる。
こりゃ口惜しいだろうなあ。いくら気張ったって、出ないものは出ない。何故下痢してなかったのだろうかと、この男恨んでいるだろう。朝飯抜きで出勤したことを、しみじみ後悔しているにちがいない。尻の穴に手をつっこんでかき出したい気持だろう。ビン漫画の人物風に、眉と眼鼻ひとっとこに集めた男をながめつつ、やはりいっこう憐《あわ》れむ気持はない。
「指の爪の間に、爪|楊子《ようじ》を突き刺して、これに火をつける。睾丸《こうがん》を|やっとこ《ヽヽヽヽ》ではさみ、じわじわと潰《つぶ》す。ペニスの先端と肛門を電線でつなぎ、電流を通す。|濡れ紙を顔に押し当て窒息寸前にはがして、これをくりかえす。眼球をむき出しにして眼をつむれないようにする。肛門に十センチほどのくさびを打ちこむ」ビン、書棚からアルジェリアにおいて行われた私刑、拷問の資料をとり出し、声上げ読む。
「垢《あか》のたまるところは、すべて急所なんだってなあ」耳、鼻、眼、肛門、亀頭、爪先などが該当する。「おい、かわいそうやないか。これだけ怖がっとんねんから、もう堪忍したろか」新吉、ウインクしつつビンにいい、「何いってるんだ。こんなことで親父の恨みはれると思ってるのか」ビン|けんもほろろに《ヽヽヽヽヽヽヽ》さけぶと、「そうか、やっぱり殺さな、霊をやすめることにはならんかなあ」したりげにうなずき、新吉が男をみると、いったん助かるかと生色よみがえった表情が、なお血の気を失い、その反応のいちいちみていると、男が人間には思えなくなってくる。
「あんた、わりに肉づきええなあ、スポーツしてたんか」新吉、ソファに横たわった男の肩の肉や、腹のあたりにふれて、「なんで、人間が人間の肉を食うたらいかんのやろかなあ」ひょいとつぶやくと、男の痴呆の如き表情急にひきつって、尺取虫の如くに背をまるめ、新吉のそばから身を遠ざけようと、悶《もだ》える。「ここの太もものあたり、うまそうやんか」指でもむと、男、激しく脚をはねて新吉の体を蹴とばしにかかる。ようやく、殺される実感がわいてきたらしい。何もビンがおかしな理屈つけんかて、こっちを気違いと思わせた方が、相手は怖がるんや。そやけど、ほんまに俺ちょっとおかしなったんちゃうか、この男を食べてみたなるなんて。
新吉、ごろごろ芋虫のようにころがって逃げる男の体を、足蹴にしつつ、実際に食べてみたい気持があり、しかも、そのためには、あまり苦しみを与えず殺した方が肉はうまいと、何かの本で、もちろん牛や馬についてだが、読んだことを思い出す。
人肉試食会
人間が人間の肉食うていかん理由は、とことん考えたら、これまたないのとちゃうか。ほんまに腹減って、他に何も食べるもの見つからん時、一足先に息引き取った奴の、まあ痩《や》せおとろえて、ろくに肉もないやろけど、これをこそぎ落し、煮るなり焼くなりして、自らの養いに供しても、べつに文句はいわれん。
現在の如く、米のあり余ってる時代ならともかく、二、三百年前、ほとんど一年おきに飢饉《ききん》にみまわれた凶作地帯では、赤ん坊の肉が公然と売買されとった。
戦地で人肉食うた話も、半ば公に認められてるし、人間の肉を食べたものが、そのたたりによって気がふれたとか、疫病《やくびよう》に冒されたという話も、きいたことがない。
新吉は、眼の前の、おこりのついた如く、五体わななかせ、怒髪天をつくという表現があるけれど、たしかにおびえた鳥のように、ヘアリキッド、ドライヤーで入念にととのえていたらしい髪の毛、すべて逆立ち、眼の玉は半ば以上白目むき出して、人間の形をしてはいるが、まったく別種の印象の男をながめ、どこの肉がうまいやろと、品定めをする。
形見分けというしきたりも、あるいは食人の名残りかも知れぬ。愛する者の身につけていた品物を、わが身にまとうということは、一歩すすめれば、その骨肉を体内におさめる行為になるだろうし、また、勇者の肉を食べることで、その勇気なり力を自分も備え得るという信仰は、地球上いたるところに見られる。
逆にいうなら、殺した者の肉を食べることが、死者の霊をとむらう最高の手段ではないのか。死者は、肉を与えることで、本来の生よりも、豊かに生きのびる。また食った者は、死者の記憶を、食覚を通じ永く保つ、食べてしまいたいほど、かわいいという形容があるやないか。
「おい、下剤ないか。その抽出《ひきだ》しに入ってると思うんだが」ビンが命じ、いわれるまま新吉、紫檀《したん》の支那風飾り棚から、緩下剤とヒマシ油をとり出し、「どないなっとるねん、そっちは」トイレットのぞきこめば、あまり力みすぎたのか、便器にしゃがんだ男、赤黒く顔をむくませて、これまた白目をむき出し、「気の毒だから、薬でたすけてやろう」茶碗にヒマシ油を注ぎ、男の猿ぐつわほどくと、よほど歯をくいしばったらしく、歯茎から血を流している。「さあ、これを飲めよ。十五分もすりゃ楽になる」精魂つき果てたかに見える男の口に注ぎ込み、「えらい災難や思てるやろな」新吉おかしそうにいうと、「人間の体って不便だよな。死に物狂いになったって、糞一つままならないんだから」襟がみつかんでひっ立て後ろ向かせると、赤ん坊の頭ほどの脱肛が見えて、「腸ごと全部出したい気持だろうなあ、こいつ」ナチスも思いつかんかった拷問ちゃうか。新吉ふと考え、マスターベーション立てつづけにさせて、たとえばザーメン一合貯めたら生命を助けるといえば、丁度、猿のようにカキ続けるのやろか。
その時、男は何を妄想しつつ、精液を放出するのやろか。男だけではかわいそうやから、女も同じ部屋へ閉じこめておく。ただし、互いに触れ合ってはいかん。男は女にさまざまなポーズ、声音を頼んで、それをたよりに三t放出する。一合といえば百八十tで、六十回。
もし達成し得たとして、その後に男が女を見た時、どう感じるやろか。女は性的イメージの残りかすなのか、それとも生命の恩人と思うのか。夫婦いうのは、こういった男女によう似てるのとちゃうか。
やがて男の表情に喜色が浮び、唇の端に、血のまじったよだれが一筋糸をひく。
「少し我慢しろ。そうすりゃ心残りなく出るからな」ビンが注意し、男は、それまでと逆に必死の表情で便意をおさえる。
新吉は、ことさらスカトロジーに興味もないから、自分の獲物のもとにもどり、男はついに気を失ったらしく、かすかに白目をみせたまま、全身の筋肉を弛緩《しかん》させて、ソファに沈みこんでいる。
背広のネームながめると、永石とあって、身分証明書、手帳、紙入れなど持ち物を新吉とり出し、すでに男の五体バラバラに裂きつつある実感が湧《わ》く。
手帳のほとんどは白紙のままだったが、女名前の四つ記された頁があって、それも、男が生きていたしるしには結びつかぬ。
男のすべての属性が、すでに死んだも同様、新吉は、アウシュビッツのガス室係員が、何千人と人を殺し、気も狂わなかったのは、そこへ送りこまれて来た犠牲者たちが、さながら生ける屍《しかばね》に近かったからで、ことさら殺しの実感を味わわなくてすんだためだろうと考える。
この男の猿ぐつわをとっても、手足しばったテープをはがしても、ピンでとめられた虫の如く、身うごき一つしないに違いない。
人間が人間らしくいられるのは、その尊厳さを失わないでいるからと、よくいわれるけれど、尊厳などなまじあれば、恐怖感と向き合っていなければならず、この男の如く、生ける屍になれば、もう何の感覚もないのだろうが、果して、どっちが幸せなのやろか。
何にしても、人に殺される時でさえ、人間は、その前に自殺してしまうのではないか。「おい、兄ちゃん」新吉、男の肩口を蹴とばしたが、身じろぎ一つしない。
背後から抱きかかえ、腋《わき》の下に両腕さしこみ、男のうなじに両掌あてて、肘《ひじ》をぐいとしぼると、たわいなく首の骨が折れる。
折れたところで男の五体に変化はなく、ただ黒目がもどっていて、鼻血のかたまり唇の上にもり上がっている。
「一丁上がり」新吉、わざと声を出していい、さて料理するとなれば、きっと血が流れるだろうし、まず道具がいる。
ビンの方はどうかとうかがうと、バスに湯を入れる音がひびき、開いたバスルームの戸口から、湯気が流れている。
「どないするねん」「いやこの男、糞ひり出したとたん、気がゆるんだのか、脳貧血起したのか、ぶっ倒れちゃってさ」なるほど、トイレットに頭かかえこむように、男が倒れていて、便器には堆高《うずたか》く、真っ黒な糞がもり上がる。
「へえ、黒いねんねえ」「いや、最後が黒いだけだよ。実に不思議な糞を出したなあ、まあ七色というか」ビンの説明では、ヒマシ油の効果で、どっと放たれたそれは、はじめが茶色、つづいて赤、緑、ピンク、白と変り、「なんていうかなあ、バウムクーヘンみたいだねえ。あるいはお雛様《ひなさま》の菱餅《ひしもち》ってとこかな」湯をかきまぜ、温度計で三十六度五分に按配し、台所から食塩の箱持ってくると、「大体、湯の量は〇・七五立方メートルだからと」「何するねん」「生理的食塩水をつくるんだよ」目盛りのついたカップで、塩を計っては湯に投じ、自分でなめてみて、「まあ、こんなとこかな」一人でビン合点《がてん》しつつ、男のそばによると、服を脱がせにかかり、「手伝ってくれ。裸にして風呂に入れるんだ」わけ分らぬながら、新吉手を貸し、湯につけても、男はまだ意識とりもどさぬ。「世の中でいちばん苦痛の少ない、また、きれいな死に方ってのを読んだことがあるんだけど、一つためしてみようと思ってね」ビンは、ゾーリンゲンのかみそり手にすると、頭だけ湯の表に出している男の、右手首ひっつかみ、なでるようにその刃をくいこませ、たちまち真っ赤な血が、煙の如く湧き出る。かすかに男の溜息《ためいき》つく音がしたが、依然、身動きせず、血煙は、脈搏に合わせて、息づくように噴出し、「これだと、全身の血が、この生理的食塩水と入れかわっちまうんだな。意識がある時でも、まったく痛みはないっていうよ。丁度、貧血の時のように、ゆっくり分らなくなって」すでに、バスタブの中は真紅となり、その対比のせいか、男の表情すき通る如く白く、たしかに苦悶《くもん》の色はない。
「後は、栓を抜いて流せばいいんだから、きれいなものさ」後でルミナール反応調べられても大丈夫という。十五分そのままにして、バスの湯を入れ替え、男の体をビンと新吉何も言わないのに、いそいそ石鹸《せつけん》で清め、まだぬくもり保っているから、気味わるい感じはない。
「生体実験というのも、特に残忍さのあらわれではないよなあ」一心不乱に糞をひって、ひり終えた安心から、気を失ってしまったこの男、すくなくとも、生きていたことの証拠を残して、死んだのだから幸せというべきであろう。糞をひるほどのこともせず、たいていの人間は死んでしまうのではないか。
そして、糞ひるために顔赤黒くむくませていた、男の姿みているうち、ビンは新吉と同じく、人間に見えなくなってきて、得体の知れぬ化け物がそこにうずくまっているような、もともとコミュニケーション求めようとするのがおかしいように思え、いったい人間は、自分以外の人間の何をもって、人間と認めるのだろうか。
同じ言葉をしゃべり、同じような体つきをしているからか、同じ文化を共有し、育てているからか、糞ひるため便器にうちまたがり、できることなら体裏がえしにしてでも、糞ひりたいと努力していたこの男は、自分にとってやはり人間と認めるべきものなのか。
捕虜に対し、人体実験のさまざましかけたのは、それによって、相手を人間と認めたかったからではないか。こちらの命令するまま、ただ命が惜しくて、どんなことでも率先してやろうとする存在を、人間とは認めにくい。だから、その体にチフス菌を植えつけ、血を抜きとり、子宮摘出して、人間の生身の反応を確かめたくなるのではないか。
「命乞いをしたとたんに、人間は人間じゃなくなるんだな」ビンつぶやいて、それは、遠からず、青糞党の命運もつきるであろう、ぎりぎり決着のとこまで追いつめられても、命乞いだけはするまいと、自らにいいきかせる言葉でもあったし、新吉もまた、最後まで意識を確かに持たなければ、あらゆる行為は、無為にひとしいと、覚悟決めていた。
弁慶の立往生、最後まで子供を支えていた釜茹《かまゆ》での五右衛門こそ、あらまほしき姿なのだ。新吉の獲物はそのままソファに置き、血抜きとられた男を、台所の大きなテーブルに乗せて、「どっちみち、処分しなきゃいけないんだから、その前にお通夜してやろうよ」ビンがいい、新吉、その意図りかねていると、戸袋の中から電気|鋸《のこ》を引き出し、「人間の肉はざくろの味がするっていうけど」「食うのんか」「燻製《くんせい》にするといちばん味がいいそうだけど、そのゆとりはないから」新吉にいなやはないと決めこんだ風に、ガス焜炉《こんろ》の火にフライパンをかける。
「二人だけで食うのもったいないで、禅介と先生呼んだらどないや」「そうだな、老人は何度か経験あるはずだから、うまい料理法知ってるだろう」新吉、禅介に電話をかけ、龍子が出て、「駄目よ。また酔っぱらってんだから」つっけんどんに答える。人殺しをはじめてから、やはり身辺警戒の心くばり働くのか。禅介早く帰宅して、龍子の機嫌いいはずだった。「飲まさへんよ。ちゃんと責任もって送りかえすから」禅介を電話口に呼び出し、「代々木へいってな、先生と一緒にちょっとビンの部屋へ来てほしいねえ」「なんだよ、また、いい話でもあるのか。うん?」素面《しらふ》の時は、くよくよ思いなやむこともあるらしいが、酔えば、さすが殺しを口にすることはないけれど気が大きくなり、「まあ、悪いことではない。今後のこと相談せんならんし」「分った」禅介さけび、龍子の文句つける気配伝わったが、新吉かまわず電話を切る。
ビンと二人でいれば、いっさい考えることもなかったが、電話にしろ外界と交渉もてば、ひょいと尖《せん》と、そして警察が気になって、下腹がいらいらする。
ビンは慣れた手つきで、男の腕を肩口から切り離し、すべての血は抜いてあるから、ピンク帯びた液体の滴《したた》り落ちるだけ、切り口からのぞく肉も白っぽくて、これから食人のテーブルにつこうとする怯えも、ためらいもない。
「同じ釜の飯っていうけど、同じ人間の肉食った仲間の方が、もっと強い|きずな《ヽヽヽ》に結ばれるんじゃないか」冗談口たたきつつ、大きな包丁で、腕の肉を削《そ》ぎおとし、「新吉、にんにくを刻んでくれよ。まず焼いてみるから」「禅介と先生くるから、ちょっと待てや」「じゃ西洋皿出してくれ。いろんなとこの肉を少しずつ試してみよう」ビンは、肩、尻、ふともも、ふくらはぎ、掌、胸と、まるで考古学者が、土中から発掘した破片一つ一つに名札つける如く、肉の場所を紙にしるしてそえ、「やっぱり、いちばん運動量の大きい筋肉がうまいのかなあ」「尻なんか、やわらかそうで、刺身にいけるんちゃうか」「この片脚そのままハムにしたら、かなり|食べで《ヽヽヽ》があるねえ。人間というのも食肉獣として考えりゃ、大したもんだよ」西洋皿二つに肉を盛りつけ、男の体は骨董品《こつとうひん》くるむ毛布でおおい、部屋の隅に置き、「こっちはどないする」ソファの男ながめると、洋服着ているのが、まったく場ちがいな印象。
裸体を賛美した古代人の、その基礎になったものは、食肉獣として、これをみることではないか。
いったん人間を食べてしまえば、八頭身も肥満体もあったものではない。価値の上下は肉の味によって決る。
人間が人間を食べていた頃、人間はもっとも美しい体型をしていたのではないか。その肉がもっとも美味であるような体つきは、きっとながめても美しいに違いない。
ビンは、味覚よりみた人間の姿態を、ふと研究したくなる。
「なんだい、用って」禅介が老人、小百合伴ってあらわれ、すぐソファの死体に気づき、テロリストにもあるまじく、仰天したが、さらに、テーブルの上にならんだ皿の肉が、人間のものと知って、ものもいわずトイレットへかけこみ、「待て、そこは駄目だよ。七色の糞があるんだから」バスルームを指示され、反吐《へど》を撒《ま》き散らす。
「へえ、人のお肉? これが」小百合はけろっと一つつまんで臭いをかぎ、老人はなつかしそうに、「やはり平和な時代の肉は柔らかそうですな。私が支那大陸で口にしましたのは、飢え死にしたのや、病死したのばかりでしたから、色も悪かったし、もっとぱさぱさしていて」「どういう風に料理すりゃいいんですか」ビンがたずねると、「特有な臭いがありますから、香料をたっぷり使うとよろしいようです。月桂樹の葉とか、サフラン、にんにくでもいいんですが」煮ると、さらに臭いが強まるから、直接炭火で焼くのがいい、どうせ何度もできることではないのだし、おいしく食べるのが男への供養でもある、ビン、炭を買いに表へ出かけ、禅介、ようやく落ち着いたかウイスキーさらに飲みつつ、それでも肉に近づいてながめ、「豚の肉に似てるなあ、けっこう脂がありそうだ」指で押してみたりする。
ほとんど使わないマントルピースに炭を置いて、新聞で火をつけ、肉はあらかじめサラダオイル、すりつぶしたにんにくにひたして臭みを抜き、いよいよいわばバーベキューパーティーの開始。小百合ひょいとTVをつけると、|のっけ《ヽヽヽ》に芦屋へ連れていった犬のクローズアップが映し出され、「狂犬の疑いが強まっております。この秋田犬を見受けた方、過去に見た覚えのある方は、最寄りの保健所に至急御連絡下さい」アナウンサーが冷たくいう。誘拐《ゆうかい》事件を公にしたくなくて、狂犬捜索を装っているのだろう。
死体隠滅
網に乗せ、火にかければ、人肉も豚肉もまるで変らず、熱加えられて、たちまち反りかえり、ジュウジュウと肉汁したたらせつつ、赤味帯びた色は、薄茶に染まって、香《こうば》しい匂いを漂わせる。
食肉獣として人間を考えた場合、有効性はどのようなものか。禅介、吐き気がおさまると、急に好奇心が湧き、たとえば人工胎盤による人間の育成が可能となった場合、そういった人工ベビーは、母胎人間の食欲の対象とされるのではないかと思いつく。
人工胎盤がどのような形をしているのか、見当もつかないが、まあ、工場のようなところで、一種のオートマティックに生産されるのだろう。
栄養の補給を十分にすれば、母胎の如く、必ずしも十月十日の日数を必要とせず、産声《うぶごえ》をあげるだろうし、胎盤から離れ、肺呼吸するようになりゃ、それから後の処理は、現在の産院と同じようなもので、温度の調節と、食物にさえ心をくばるなら、まず半年は生存する。
現在は、労働人口が世界的に不足しているのだから、人工胎盤で生れたベビーは、あたらしい奴隷として、重宝《ちようほう》がられるだろうし、その役に立たない連中は食べられてしまうのではないか。世界の人口が六十億を越えると、恒常的な食糧不足に悩まされるというから、人肉もまた重要な蛋白《たんぱく》資源になるだろう。
クロレラによって人間を養成し、これを食べればいい。人間ほど雑食性に富むものはいないし、人工的環境に強い種族も他にない。たとえば、鶏なり牛なりを、基地の周辺あるいは、四日市、川崎あたりで飼えば、必ずノイローゼになり、痩せおとろえるけれど、人間はそうでもない。
「この男はいくつだったんだい」禅介がビンにたずね、「身分証明書によると二十三歳だな」「その頃が、食べごろなのかね」「さあ、美味求真にも、人間のシュンは書いてないからねえ」「筋肉質と脂肪体と、どっちがうまいだろ」「牛なんかは、シモフリがいちばんいうやろ。そのためにビール飲ませたりするいうて」新吉が口をはさみ、「禅介みたいなアル中の肉食うたら、酔うてしまうのちゃうやろか」禅介の体をじろじろながめ、これはきわめて痩せているから、|食べで《ヽヽヽ》はない。
「要するに、大鵬《たいほう》と柏戸《かしわど》、どっちがうまいかということや」「柏戸はちょっと歯ごたえがあり過ぎるねえ」「同じ堅太りでも貴《たか》ノ花《はな》ならいいんじゃないか。しこしこしてて」「貴ノ花のタタキか」食べてみてうまそうな男の表情体つきを、各人想像し、政治家なるしろものは、煮ても焼いても食えんとたとえにいわれる如く、佐藤福田田中中曽根いずれもあまり食欲はそそらぬ。
「スポーツマンはどないやろか、釜本杉山の脚」「水泳選手は魚みたいな味しよるのとちゃうか」「学者はどうかね。湯川朝永岡吉川なんて、やっぱり小骨が喉につっかえるかなあ」「タレントでいうと、巨泉と前武は、どっちがうまい」「疲労過多で、味ないのんとちゃうか」
王と長島、西城と小林、大山と中原、林海峯《りんかいほう》と大竹、いわゆるライバルと目されている二人を較べると、いかにもその肉の味にも違いがあるように思える。
よくいわれる人間同士|うま《ヽヽ》が合うというのは、お互いの肉を食べた時、うまいと感じる仲をいうのではないのか。
禅介が人工胎盤ベビー食用論を、一同に話すると、老人しきりにうなずき、「十分考えられますねえ。英才教育をほどこして、それぞれの好みの味に育てればいいわけです」今後さらにコンピューターが進歩し、いわゆる文明がなおすすんだならば、もはや旧態依然たる教育は、食用人の味つけのためにのみ有効なのかも知れぬ。
つまり、語学ばかりつめこんだ人間の味と、理数科を専門に学ばせた者の風味は、顔つきのことなるように、ちがうはずで、スポーツも、ただひたすら食用に供するための、方便となるだろう。
「ハイジャンプで二メートルを越えた直後が、食べ頃とかね」「こいつは百メートル自由形で五十五秒切ったから、すくい上げてお刺身にする」野生の馬を改良して、サラブレッドをつくったように、もとは狼であった犬が、現在到底同じ種とは思えぬほど、体型異なっているように、人間だって何世代かにわたり交配をくりかえせば、腕の肉ばかり太い血統、骨のまったくない連中、頭の退化してしまったのやら、母胎人間の好みに合わせて、人工胎盤人たちは姿形を変えるだろう。
「なにも人工胎盤いわんかて、我々もそれに近いのんとちゃうか」新吉、区切りつけるようにいって、まず箸をさしのべ、掌《てのひら》ほどの肉をはさみ上げる。
「それは尻の肉だ」ビンが注釈をつけ、新吉醤油にひたし、一口にほおばる。「どうだい」禅介がたずね、新吉口いっぱいに入っているから返答できず、必死に咀嚼《そしやく》する間に、小百合「これはどこ?」たずねつつマッチ箱大の肉をつまむ。「そりゃ頬の肉だね」「ふーむ」うなずいて口に入れ、「どうだい」禅介、同じ質問をすると、「おいしい。ほっぺたが落ちそう」べつに駄《だ》洒落《じやれ》でもなさそうにいった。
以後は各人、いちいちどこの肉と確かめつつ、むさぼり食べて、「ようけ評論家おるけど、食人評論家いうのはないな」「男の肉と女の肉はどっちがうまいかな」ビンがつぶやき「女の肉?」禅介顔をしかめて、「そりゃいただけないね。気味がわるい」「どうしてよ。女の方がやわらかいし、脂ものってるんじゃない?」小百合侮辱されたように、むきになっていったが、「たしかに女の肉は、食欲そそらんなあ。なんでやろ」「新吉さん、ママコンプレックスがあるからじゃない?」「ママコンプレックス?」「そうよ。女の人をみるとみんなママみたいに思えて、それで口説きもしないでオナニーばかりやってんでしょ。食べるんだって同じよ。お母さんを食べるみたいで罪悪感があるんじゃない?」「そんなこと関係ないよ」「じゃ何故いやなのよ」ビン考えこみ、人間が人間の肉を食べるのは、ぎりぎり決着の連帯感をたしかめるためではないか。
人工胎盤ベビーの時代となって、完全な食肉用の人間がつくられたらいざ知らず、自分たちはまだその境地にいたってない。今、こうやって、ふらりととびこんできた雑穀相場セールスマンの肉に、舌鼓うっている心の底には、食べることで、互いの同一化をはかっているのではないか。
そう考えれば、女の肉を食べたくない気持も、わり切れる。女と男は、食べ合うことではなく、一緒に寝ることでしか、お互いを確かめ合えないのだから。「女の肉か。春川ますみなんかも、ぶよぶよしてて、気色わるいしな」「浅丘ルリ子は骨ばっかりやし」「中山千夏はどうかね」「なんとなく腹痛起しそうやで」「渥美マリ、ジューン・アダムス、藤圭子、たしかに中毒しそうな感じだなあ」やっぱり食べるなら男に限ると結論が出た頃は、一片の肉も網の上に残らず、人肉は淡泊だから、牛や豚にくらべ、ややもすれば食べすぎてしまう。酒はブドウ酒よりも、焼酎《しようちゆう》がよく合い、臭みも思ったほどではなかった。
「そうか、人工胎盤という奴は、たしかに革命的なしろものだな。女性から受胎出産の負い目をなくすと同時に、食人のタブーを色あせしめる、ということは、殺人を日常茶飯事にしてしまうかも知れない」禅介、歯のうらにはさまった脛毛《すねげ》をひっぱり出しつつつぶやき、人間の形をした人工胎盤族を、食欲に供するため、殺すうちに、母胎族の意識がかわって、同族間の殺人も、これまでのような、極悪な犯罪とは考えられなくなるだろう。
霊長類ヒト科といったって、要するに動物に過ぎないと自覚しはじめる。「それでこそ人間は自由、平等になるのんとちゃうか。殺したらあかんという戒律が、あらゆる差別、階級制度を生むねんわ」マルクスもびっくりの新説を新吉がさけび、TVは、事情知らぬ世間も、いささか不審に思うほど、狂犬捜索のお知らせをくりかえしていた。
「新吉、どっかへ姿かくした方がいいんじゃないか」秋田犬など、いずれも表情は愚鈍で飼い主にもそう写真一枚では見分けつかないし、現在、あの犬の主人は海外にいる。犬借り受けたビンは、とりあえず安全としても、新吉小百合について、警察側すでにモンタージュを作製し、ひそかに配布しているだろう。
あくまで、尖の生命保全のため、公開捜査にふみ切らないでいるのだが、これも時間の問題。狂犬捜しを装ったTV放送は、むしろ尖誘拐者に対する警告なのかも知れぬ。これで、なお、接触がなければ、すでに殺されたものとして、大々的に網を張り、そうなれば、六尺二寸の巨体かくしようもない。
「いや、俺はもう覚悟してるねん。つかまる前に自分のことは始末するけどな。それまで、もうちょっとやりたいことあるし、これからは俺、単独行動とるわ。みんなに迷惑かけてもいかんし」まあいうたら今夜のバーベキューパーティーは別れの宴やな。
ついでに食べ残した死体は、俺が処置すると、べつだん表情引きしめるでもなく、淡々といい、「だけど一人じゃ無理だろう」ビン危ぶんだが、「体でかいのこういう時のために都合ええねん。まあ、ほっといてくれ」残った四人も、それ以上別れの言葉を口にせず、どのみちテロリストの果ては、自爆に決っている。
ましてや、食人の先駆者なのだから、殺されるのが当然。一足先に覚悟決めた新吉を、悲壮ぶって見送ることもないのだ。新吉は、ソファの上の男の体を毛布にくるみ、「空襲あった頃は、死体の処理も楽やったろうなあ」とりあえずどう始末するか思いつかぬらしく、ぼさっとつぶやく。「そりゃそうだ。焼夷弾《しよういだん》がみんな灰にしてくれたし、いちいち検視などしなかったろうからな」禅介が受け、「空襲下における殺人事件の記録なんて残ってるのかな」「いや、そりゃないでしょう。農村部ではともかく、六大都市の敗戦直前なんてものは、まるで無警察状態でしたから」老人がいいつつ立ち上がり、二つ三つ咳《せ》きこんで、「さし出がましいようですが、私がお手伝いしましょう。死体隠滅の方法も二、三習いましたから。もっとも、私の場合その必要はありませんでしたが」国家公認の殺人強盗放火略奪で、後始末に心わずらわされることはなかったのだ。
一足先にマンションを出た老人、すぐにもどって、「車を一台用意しました。トランクに入れて運びましょう」こともなくいい、新吉が死体かかえ上げると、「よくある手ですが、まだ硬直もひどくないし、酔いつぶれた態《てい》を装わせた方がよろしい。人眼につくことも考えられます」「今、何時?」「八時まわったとこ」「じゃいちばん眼につくなあ」ビン、禅介も心配し、「ではばらしましょうか」「ばらす?」「死体を運ぶにはこれがいちばん楽です。たとえば頭はボーリングの球のバッグに入れればいいし、足と手は、ゴルフバッグ、胴体は少々大き目のボストンで十分でしょう」かりに検問受けたって、まずは大丈夫。
「スポーツで使っている道具の中には、五体それぞれの大きさとよく似ているものが多いから、運ぶ時は重宝しますよ」サッカー、ラグビー、バレーのボールは、ほぼ人間の頭だし、これはもともとしゃれこうべをもてあそんだのが、球技のはじまりだから当然のこと。ホッケーのスティック、バット、クラブ、木刀などは、脚にひとしく、ラケットは腕の長さと同じ。
老人、先に立って、男の関節をはずし、止血した上で手足頭バラバラに切りほどき、すなわち六つの部分に分けると、ビンの所有するバッグにおさめ、食べ残しの方は、すでに斬り刻んだ後だから、ジュラルミンのケースに収めて「どうするの、これ。どこへ運ぶの? 海?」小百合がたずねると「焼くんです。土葬水葬はばれる率が高いし、まあ、ばれてもどうというわけではありませんけど、やはり花をたむけてねんごろに葬った方がよろしいでしょう」老人自ら腕と脚の入ったゴルフバッグをかつぎ、新吉はボストンとケースぶら下げて、ビンの部屋を出る。
老人の盗んで来た車は、中型国産車で、二人分の死体は十分トランクにおさまり「焼くいうて、どこでですか」「いくら都市化がすすんだなんていっても、まだまだ火葬にふさわしい場所はありますよ」老人ハンドルをにぎって、大宮バイパスから高崎|碓氷峠《うすいとうげ》を越え、旧軽井沢に入ると「まだ少し早いですからね。そう別荘人種も来てないでしょう」ゆっくり徐行させつつ、間道に入って車をとめ、「どこでもいいんですが、空いてる家、といっても暖炉がないと困りますが」闇をすかして、雑木林の中の別荘を調べ、ようやく一軒。かなり古い建物だが、周囲に家がなく、屋根から太い煙突のそそり立つのをえらび、釘付けした戸をはずす。「人間を焼く臭いといってもね、そう特別なものじゃありませんよ。まして、今日はよく晴れてるし、夜空に吸われて誰も気付いたりしません」かび臭い部屋に死体を運びこみ、去年使い残した薪木《たきぎ》を炉に井桁《いげた》に組むと、その上に頭をちょこんとのせて「車のガソリンを抜いてきて下さい。サイフォンの原理でやればいいんですが」
これまで老人の手をわずらわせるばかりだったから、新吉勇躍車に近寄り、ゴムホースをガソリン注入孔にさし入れ、口で吸い、首尾よくガソリンはバケツに流れはじめたが、口中にガソリンの臭いがしみついて、うっかり煙草吸えば、爆発しかねぬ。老人は、古新聞かたくひねってガソリンをしみこませ、マッチの火をうつし、頭の下にさしのべる。
「観自在|菩薩般若波羅蜜多《ぼさつはんにやはらみた》」口にとなえつつ、たちまち炎が頭をつつみ、毛の焼ける臭いが鼻をさす。
「今夜は二人でしかばね衛兵というわけですな」老人と新吉、炉の前にどっかとすわり、新吉焼け具合を注目していると、どこから火が入ったのか、眼球のとけた穴からボウボウと炎が吹き出し、鼻がくずれ、唇が熱によってまくれ上がって、歯がむき出しとなり、しごく無残な姿なのだが、かえって親しみを覚える。「土より出て土にかえる。どうってことはありませんよ」老人、なぐさめる如くいったが、そういう東洋的|諦観《ていかん》とも少しことなり、自分の手で火葬に付したことで、見も知らぬこの男があたかも肉親のように思えるのだ。
いったいこいつ、今朝起きた時は何を考えとったんやろか。新聞の運勢欄を読み、「本日清気堂に満ち瑞祥《ずいしよう》いちじるし。迷うことなく前進せよ」なんか書いてあったんちゃうか。それがまあ、軽井沢の山荘で眼から火イ吹いて、えらいこっちゃったなあ。
なんとなく頭をなでてやりたいような気持になり、しかし、頭皮はすでに骨むき出しとなって、脳髄がぶくぶく煮立ち、骨の割れ目から吹きこぼれている。「私たちの時は、こんな風になごやかに葬ってはもらえんでしょうな」老人、脚二本をしゃれこうべの上に交差させ、ガソリンをふりかける。
「やりたいことがあるって、どういう計画を持ってるんですか」「子供を仰山《ぎようさん》道連れにしたろか思て」老人にたずねられ、反射的に新吉は答えた。子供の肉を、できれば、総理大臣はじめ、えらそうな奴に食わしたりたい。知らずに腹へおさめたその後で、実は人肉、それも幼い子供たちのそれと知ったら、どないなる。
幼児狩り
人間が幼児殺しを、きわめて嫌悪するのは、やはり未来を信じたい気持があり、子供に将来を託すことで、現在の自分のあやふやさ支えたいのだろうが、また、力弱き子供に対しては、絶対的に正当防衛の理由がなり立たぬという点もあげられる。
幼児が殺意を抱き、しかるべき凶器手にして襲いかかるなど、まず考えられないから、幼児殺しは常に一方的な虐殺で、だから弁護される余地はない。
しかし、人間が、人間を殺しても許されるもう一つの理由、つまり緊急避難については、相手が幼児であっても適用されるのだ。
たとえば、敗戦直後、関東軍に見捨てられた満州在留邦人は、着のみ着のまま南下し、その途中で、しばしば匪賊《ひぞく》に襲われ、また狼にも狙われた。
子供を連れた母親は、夜、子供が泣き出して、自分たちの所在を発見されそうになった時、その唇を手でおおい、気がつくと窒息していたなんてことが、いくらもあった。
さらに足手まといの幼児を、荒れ野の暗闇に置き去りにし、その泣きさけぶ声と、あきらかに子供の近くで舌なめずりする狼の気配に、耳ふたいで逃げのびた親もいる。
こういった悲劇について、当事者たちは、あまりのむごたらしさと、自らを今も責めているのだろうか、あまり公にされないのだが、この場合の親を、誰も責めることはできぬ。緊急避難は対象が子供殺しにも適用されるのだ。
自分の生命をまず第一に考えるのは、親子の間柄でも当然なのだから。
子供を殺すと新吉が宣言すると、老人驚きもせず、満州引揚者の話をきかせ、眼の前の死体は、黒いかたまりとなって、ぶすぶすいぶりつづけ、ガソリンふりまいても、その時だけ炎が立ちのぼるが、すぐ下火になってしまう。「内臓は水気が多いから、これ以上無理ですな。残りは土に埋めましょう」物置き捜してスコップを取り出し、まだ火の残るのを裏口に運ぶ。黒いかたまりは、縦横にヒビ割れしていて、中から赤いしたたりがにじみ落ち、これが元人間とは到底考えられぬ。
南洋のどこかに生えていそうな果実の如き印象で、気味悪さはまったくない。そやけど人間いうのもかなりタフなもんやな。自分の子供を狼の餌《えさ》にくれてやって、その呵責《かしやく》ひきずりつつ二十五年間、気も狂わんと生きてられる。日本へもどってから、また子供つくったのやろけど、この子供の成長を、どんな眼で見てるのか。
「幼い子供の生命うばうことは、動物全般に見られるタブーのようですな」老人裏庭の、雑木の間に焼け残りを埋め終ると、何年も住みなれた家のように、まごつくことなく手洗いで汚れをおとし、新吉、前に老人ここへ来たことあるのかとさえ思う。その表情に気づいたか、「家なんてものは、どう凝ってみたって根本の造りは同じですよ。泥棒なんて商売も、だから成立するんで、玄関入るとすぐに寝室なんてことは絶対にない」方角の分らない時は、孤立して建っている一軒家の門を見ればいい。
これはもう南に向いてるに決っているし、家相学なんてのが信用されていた時代なら、便所と玄関をみただけで、おおよその間取りがわかったものだそうだ。「どんな悪人も子供だけは殺しませんねえ」新吉、べつに自分の決断について、論理的な支えなどいらないのだが、考えてみると、なぜ子供を殺してはいけないのか、その理由がよくわからない。「子供殺しをテーマにしたお芝居もないみたいやし」「菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゆてならいかがみ》とか、先代萩《せんだいはぎ》なんかじゃやりますけど、みんな忠誠心のあらわれの、まあ道具に使われているだけで」自殺者、つまり個体保存の本能を捨てた者が、気違いとみなされるのと同様、子殺しもまた狂気の沙汰と受けとられて、それ以上深く考えることがない。
封建時代に、出来の悪い我が子を殺す例はあっても、これだって家を守るための手段で、悪い芽を摘《つ》んだだけのこと。
いかなる殺人鬼も、子供を対象にえらばないのは、それほど強いタブーなのやろか、芽むしり仔撃《こう》ちは。
「大体まあ、子供が欲しくて性を営むわけではないし、性の快楽について罪深く思う気持が、あるいはその結果として出来た子供を、かわいがらせるのですかな」「いや、自分が勝手なことばかりしてるさかい、せめて子供を大事にする。子供のためやと、まあ免罪符みたいなもんちゃいますか」だから極悪人も、幼い者には手を出さない。
「そうだとすると、ますます勝手なもんですねえ、大人は」「なんでですか」「だって、子供がやがてそこで生きていく未来は、結局、大人がつくるんでしょう」だけど、現在の大人が自分たちの欲望かなえるために、勝手気ままなふるまいをし、たとえば公害一つ取り上げたって、今、五、六歳の子供が世に出る時、どんな具合になっているか。
石油にエネルギー源をたよる今でさえこれなのだから、やがて、当然主役となるだろう原子力の、その残滓《ざんし》つまり死の灰をどう処理する。丁度、現在、水銀や鉛が問題になっているように、放射能による奇形児が続出するだろう。水俣病《みなまたびよう》やイタイイタイ病が、むしろ牧歌的に思える時代がきっと到来する。
「よかよか。この世ばやがて水銀地獄になるけん」という、水俣病患者の呪《のろ》いを、たしかに今の大人はまぬかれるかも知れないが、次の世代が、もろに浴びるだろう。
「子供殺しを、すでにやってるじゃありませんか。そりゃ刃物で刺し殺しはしなくても、真綿で首しめるようにあるいは子供は殺さないかも知れないが、一つ世代置いた孫を殺している」「そうやねえ、それで孫が復讐《ふくしゆう》したいと思うても、その頃、今の大人はおいぼれてるし、今度は敬老精神、年老いた者をいたわれという美徳に守られとる」「動物は、決して子供の肉を食べることをしませんけどね。人間は、実はわが子わが孫の生命すりへらしつつ今日ただ今を楽しんでいるわけです」そしてこれも、広義の緊急避難ではあろう。
わが身かわいいのが動物の本能である。そんな先のことまで考えてられるか。「うすうす気づいてるのとちゃうやろか、大人は、自分たちの背負っている後ろめたさについて。子供たちの世代を食いつぶして、元禄のなんのと浮かれさわいでいることに」「正規軍派なんていう過激グループのあらわれるのも当然ですよ。あっちからすれば、正当防衛みたいなものでしょう」「ふーん」新吉うなりを上げ、人間が人間を殺していい二つの理由でもって、旧世代と新世代が争うとは皮肉なこっちゃ。考えたとたん、幾何学の補助線の如く、天啓がひらめいて、「とすれば、子供殺すことに何のためらいもいらんわけですな。もはや、ぼくも二十数年生きたんだから、将来の孫を一人二人しめ殺した勘定になる」「私などは、何人になるでしょう。いや、いわゆる指導者なんていう輩《やから》は、なにも若者を戦場へ追いやった直接責任だけじゃなくて」「すると孫殺されたのは、いうたら当然の報いやろか」新吉、弁護を必要としないとはいうものの、壕《ごう》の中で尖《せん》絞め殺した感触が、今も生々しく残っていて、呵責というほどではないが、小骨のようにひっかかる。
それが急に消滅してしまい、あの祖父の権力は、いったい尖の世代の何百万人を殺して得たものか。
「しかも、現在子供を殺していながら、皆気づかんふりをしとる。いや、後ろめたいもんやから、上っ面だけは慈愛深い顔で、蝶よ花よとおだてあげとる。これはもう極悪非道のだまくらかしやないか」新吉立ち上がって、まるでアジ演説するように大声でがなりはじめる。自分でも不思議なほど心がたかぶっていた。
「大人は子供の肉を食って、栄耀《えいよう》栄華楽しんどる。それもええやろ。そやけど、現在の繁栄を支えるものが、子供の骨肉であることについて、もっと認識せなあかん。子供の内臓にくらいつき、唇から血をしたたらせてGNP第二位なんかいうてるのや」白いテーブルクロスのかけられた食卓の上に、さまざまな子供料理がならべられ、ワイングラスにはしぼりたての乳児の血潮が注がれて、老人たち笑いさざめきつつ乾杯する光景が眼に浮ぶ。
「緊急避難の論理で子供を食うのやったら、やっぱりその実感を持って貰わな」「大臣や資本家に子供の肉を食べさせるという考えはおもしろいですね」「たとえ知らずに食べたとしても、後で発見したら、絶対に人非人のレッテル貼《は》られるな」「他人が貼るだけじゃなくて、自ら狂わんばかりになるでしょう。自分の舌鼓うったボーンレスハムが、実はかわいい盛りの赤ちゃんの太ももだったなんていったら」「狂うてもらいましょ。おのれのやってることは、事実、その通りやねんから」大臣たちの面つきをあれこれ思い出して、よく変るからどれが現職か、今退いているのかわからないが、いずれも太ももハムにくらいついて不思議はない人相。
財界人は、比較的|柔和《にゆうわ》なようだけれど、その鋭い眼つきも、骨をしゃぶって、おかしくない。
「ハム工場知ってますか」老人に頼めば、なんだってかなえられると、信じこんでいる新吉、声はずませてたずね、「ええ、名古屋でちいさい会社経営してるのが、私の一年先輩でして」「そやけど事情話すわけにもいかんし」「いやあ、ハムをつくる時には、豚や牛だけじゃ駄目なんですよ。つなぎに必ず羊とか兎を混ぜます。ヨーロッパ風の、本当に骨つきの肉を年月かけてハムに仕立て上げるならともかく、それじゃ間に合いませんからね」「じゃ、その雑肉いうことにして搬入すればええわけや」「ええ、私が今度その商売はじめたことにして頼めば、結束は今も堅いですからね」思ったより簡単に運びそうで、後は新吉が幼児狩りをすればいい。
「そやけど、後でこれを公表した時、製造元がバレるやろし」「仕方ありませんよ。かつて大陸でさんざ人殺しの手助けをした男なんだから、また手を汚しても、そしてその報いを受けても因果応報というところでしょう」その覚悟は、われわれできていると老人つぶやき、ふとひきしまった表情となって、さすが場数をふんでいるだけある。
新吉の興奮いっぺんに覚めてしまうような、虚無的な色合い、死も生も、老人にとっては風のうつろいほどに、もはや関心がうすいのだ。
別荘を元通りに片付け、やがて何日かすれば、ここへ若い男女寄り集い、時には暖炉に火をたいて、ギターかき鳴らしコーラスでもひびかせるのだろう。
ほぼ同じ年齢の男二人が焼かれたとも知らずに。「見ぬもの清しいうわけか」独言をいうと、すぐ受けて老人も、「死体が山積みにされてた場所でも、片付けられてしまえば、平気でみんな唄い踊れますからね」現に、東京をはじめ大都市の、二十五年前の今頃といえば、いたるところに死体があった。
葬られることもないまま、土にもどったその上にレストランが建ち、バアが栄えていて、もし霊魂というものがあるなら、少しは|たたり《ヽヽヽ》をしてもよさそうなものだろう。
戸閉りをし、ようやく明けそめた高原、白樺《しらかば》やぶな、櫟《くぬぎ》、松の林に霧が流れ、「今年は、木の茂みが例年より濃いようですねえ」
いかにも朝の散策といった態で、あたりをながめ渡す。盗んだ車を国道に置き、老人と新吉、軽井沢駅から上野へもどると、「てっとり早く行動しなければ、あまり時間はないでしょう。誘拐事件で犯人と接触が断たれたままなら、やはり殺されたと考えて、積極的に動き出すし、あの爺さん力を持ってますからねえ」警察以外の筋から、追及の手をのばすことが考えられる。
新吉、値踏みするように、眼に入る子供を観察し、そのふるまい見ていると、急に計画が色あせて思える。
学校帰りで三々五々連れ立ち、ののしり騒ぐその姿が、妙に新鮮で、いちいちおどろかされるのだ。これまでようけ見てきたはずやのに、なんや初めてみたいな気イするで、第一、年いくつくらいなんかまるで見当つかんし、みな、ええかっこしてるもんやな。俺の子供の頃なんか、ええしの子と貧しい家の奴と、はっきり差アついてけど、これではわからへん。
えらい脚長いなあ。女の子なんか、子供服着てるから子供に見えるだけで、まるっきり大人やんか。新吉感心して、これを自分がしめ殺し、その肉をハムに混ぜるなど、とんでもないことに思えて、しきりに心ふるい立たせようとするのだが手が出ない。
「私たちは、子供も殺しましたよ。こちらの顔みられている時は、やはり処置しないと危険ですからね」「殺し難いことはありませんか」「いや、相手が弱いから楽ですね」「夢を見るとか、うなされるなんて」「お経上げてましたから」「お経?」「ええ、そりゃ慣れないうちは、気のくじけることもあって、ちゃんとそのために般若心経なども教えられるんです」「殺しといて、お経よむんですか」「そう、すると気がまぎれましてね。気分|爽快《そうかい》になれます」なんとえらい誤魔化しやないかと、新吉あきれたが、「そのうち般若波羅蜜多とやりゃ、何でも許されるような気になってきましてね」そういえば男二人を焼く時、老人つぶやいていた。
「忠君愛国にこりかたまってはいましたが、なかなかそれだけじゃ救われませんな。やっぱりお経がいちばんです」「ほな、ぼくもやってみよかしらん」郷里にいる時、婆さんがよく口にしていて、白骨《はつこつ》の御文章《ごぶんしよう》や、和讃《わさん》の聞き覚えがある。「朝《あした》の紅顔《こうがん》夕べの白骨」と低く唱えながら、また通りすがりの子供をみると、なんとなくちいさな骸骨が、かちゃかちゃ骨の音ひびかせて歩いているように、思えないでもない。
「攫《さら》って来て殺すいうても、手間いりますねえ」具体的に考えはじめると、いかに先方の力が弱いといっても、通常の殺しより目立ち易いし、現在は誘拐に対する心がまえが徹底しているから、飴《あめ》や玩具《おもちや》ではとてもかなわぬ。
「犬や猫の肉では、やっぱりあかんやろしな」新吉心弱くつぶやくと、「新吉さんはどうころんでも、後一月は保ちませんよ」老人がいって、「子供たちの肉を食いつつ、この世の春をうたってる連中に、思い知らせるためでしょう。新吉さん自身もいってたじゃありませんか。ぼくはすでに食べてしまっているって」「そらそうやけど、どうも具合わるいなあ」「じゃ、私がお膳立てしましょうか。たとえば」そこで老人言葉をのみ、「新吉さんの気が楽になるような例でいうと、およそ生れて来て、何の人間らしさも味わえない。それだけではなくて、その存在のために家族路頭に迷いかねないような、そういう子供もいますねえ」以前ならば、医師の英知によって、生れるとすぐ安楽死させられたし、また、そういう子供は生命力が弱いから、成長することがなかった。
今はそうではない、ろくに国家が保障することもないまま、ただ人の生命は地球より重いとのお題目で強制的に生かされつづけている。
生ける屍《しかばね》
「強制的に生かされている?」「そうです。重症身体障害児、うまれながらに生ける屍の子供が沢山います」新吉は、子供の頃お婆さんにきかされた因果もの見世物のあれこれふと思い出し、それは足蹇《あしなえ》の蜘蛛女《くもおんな》やら全身剛毛におおわれた熊娘で、新吉自身|天幕《テント》張りの、しゃがれきった呼び込みの声、耳にした覚えがある。「さあいらっしゃい見てらっしゃい、お代は見てのお帰り。ここもと御覧に供しまするは木曽《きそ》山中にて発見されましたる熊娘、二十世紀の奇跡とすでに皆様新聞雑誌でご存知の通り」油断ならぬ目つきの、その男の方がはるかに怖ろしい印象だった。
「以前は、矯正し得ぬ片輪や、生存し続けて甲斐《かい》のない先天的な病因いだいて生れた子供を産婆の責任で始末し、別に大したことではありません。生れたまま放置しておけば、もともと弱いのだし新生児肺炎を起して死にます。現在は違う。むしろ奇形が生れると医者はよろこんで、これを少しでも長く生存させようとする。頭の二つある赤ん坊を三月長らえさせた例があるし、まったく目のない新生児を、研究のため親から委任状とって半年近く生かした話もきいたことがあります」名目は、ヒューマニズムでも人体実験に違いなく、その親の気持ともまったく関わり合いがない。
「現在、中絶が認められておりますが、胎児には人間としての意識がない。特に三月までは胎芽といって一種のものとみなされ、つまり殺人が許容される。中絶を正当化する理由には、正当防衛と緊急避難の二つが適用されているのかも知れませんな。しかし、人間としての意識がないというなら、重症の、たとえば脳障害起している子供、一切の感覚知能の麻痺《まひ》した子供も同じことでしょう。殺していいものなら殺したいと考えている親は、きっといるはずです。国がしかるべく保護するならいいが今は大国ぶりに懸命で手がまわらないし」老人冷やかにいい、あるいは最後廃人の如くなって死んだ娘のことを考えているのだろうか。
新吉はふと、白衣にマスクした医者が、あの呼びこみ風に、「さあ寄っといで見ておいで、メスのさばきはこの通り。これまで三月しか生きられないと定説の、心臓欠陥ベビーを二年長らえさせたのだお立ち会い。科学の進歩は人類の福音、フォルマリン漬けの大公開」さけび声上げているように思う。
「重症身体障害児の肉も、我々は食べているのですよ、いろんな意味でね」老人立ち上がり、「私がやりましょう。新吉さんは麹町《こうじまち》のマンションにいて下さい。いや」とあらためて、その巨大な体躯《たいく》をながめ、「両国に部屋を借りたらどうです、あすこなら相撲取りがうろうろしてるから目立たない」少々ふけているが、大学出の新弟子くらいには、見えないでもない。「木を隠すには森ですな」老人笑い、新吉、このところそのいいなりになっていて、いささか業腹だが、いちいちもっともだから抗弁もできぬ。
しかし、体の並みはずれてでかいいうことは不便やな。スポーツ選手になるねんやったらともかく、目立つばかりでろくなことはない。
ちびなら日頃見下されてばかりいるその悔しさをエネルギーとして、奮励努力するのやろけど。老人と別れ、いわゆる川向うをさまよって、この辺りのアパートがどういう具合なのか分らぬまま、不動産屋へ新吉入って、しかし、やはり死体二つ焼いてきたその汚れが目立つのか、暇もて余しているらしい主人なのに、いずれも相手にしてはくれぬ。
汚れきった隅田川《すみだがわ》の、地盤沈下で高いコンクリートの堰堤《えんてい》めぐらせた、その上によじのぼり、奇形児が今はまだ数少ないからいいが、やがて公害の影響あらわれて、三人に一人いや、現在まともに見られている人間の数の方が、少なくなったらどうする。ヒューマニズムの名のもと、正常人間は奇形人間を養うために、あくせく働くようになるかも知れぬ。
されば正常は奴隷で奇形が支配者になってしまう。人間はいったい何やっとんねん。新吉は、老人がどう行動するのか知らないが、やがてハムだかソーセージだかにされる障害児のことを考え、たとえば今の団地で、こういった子供が産れたら、その家族はどうなるか。
看護婦雇うゆとりなどないし、女房が母性愛の権化となって、いたれりつくせりの看護しても、亭主、そして他の子供はどうなる。いや1DKや2DKで、生ける屍かかえこんだ場合の、その家庭の雰囲気はいかなるものか、治癒《ちゆ》するみこみはなく、やがて両親が死ねば、いかなる末路たどるのか。倒産した犬屋の犬なら、競売に付されて引き取り先があっても、人間にはない。
やがて暮れなずむ頃となり、新吉、でたらめに歩いて、行き当った神社の縁の下へもぐりこむ。さすがに疲れていて、瞼《まぶた》閉じれば、たちまち睡気に襲われ、必死で抵抗する、このまま寝入ると、怖ろしい夢を見そうな怯えがあった。
いや、それを望むような気もないではない。暗闇に一人いると、双頭児やシャム兄弟、耳まで口の裂けた赤ん坊、鱗《うろこ》におおわれた子供、上体大人で下肢だけ乳児の如き姿や、福笑いのように造作ばらばらな少女、そういった魑魅魍魎《ちみもうりよう》が、「パパァ」「お父さん」といいつつ、新吉にまといつく光景を、夢ともうつつともつかず、思いえがく。
麹町のマンションでは、禅介無断で外泊したから、龍子に怯えつつ朝早くもどり、「へえ、テロリストにして人肉食った男が、女房を怖がるとはねえ」ビンに冷やかされても気にはせぬ。
「いっそ、そんなに行動束縛されるんなら、女房血祭りにあげりゃいいじゃないか」「ありゃ駄目だな。不死身みたいな感じで、かりに首尾よく殺しても、化けて出そうな気がする」
一般的にいって、かなり憎み合っている夫婦は多いのに、殺人にまでいたらぬのは、それなら別れりゃいいし、また、配偶者は疑われ易いからという理由が上げられるけれど、人殺しは理屈じゃない。朝出会って挨拶しなかったのが原因で、殺した例もあるくらい。
ためらわせるのは、肌なれた相手の息の根止めることの、いわれなき怯えだろう。そしてこれは特に、亭主側に多く見られるのだ。
小百合と二人残されてビンは、死の恐怖にさいなまれた男の糞を固定し、フォルマリン漬けとする作業に熱中、小百合はその周囲をうろついて、手伝うとも邪魔ともつかず、気紛れにお節介をやき、「ビンさんは、団地で機関銃ぶっぱなすんだって?」
「ああ、人間的環境に模様変えしてやるんだ。武器というものは常に両刃の剣なんだな。人を殺すけれども、また人を生かしもする」哲学めいた言辞を弄《ろう》しながら、糞にラッカーを吹きつけ、「これからのテロは、個人に向けてもあまり意味はないねえ、世間の生活の場を相手にしなければ」もはや一人の人間を殺したからって、時代はかわらない。
転換期あるいは対立する勢力の、五分にわたりあっている時なら、一人あるいはグループをつぶすことで、効果を上げ得るけれど、現在、政府首脳の誰を亡き者としたって、影響及ぶのはせいぜい派閥までだろう。
むしろ、反政府運動に対してテロが有効性を発揮する。反政府運動は、常に気違いめいた男に指導されるものだし、その狂気を世間が受けつぎ波及させて、一つの力となる。だから一人の気違いをテロで葬れば、とたんに世間は夢からさめて、安全無害な存在になってしまう。
「だから、団地を狙うんだ。団地には今の世間の暮しの最大公約数がある。最大公約数を脅やかすことですよ」「だってビン氏としては、コミュニケーションの成立とかなんとかいってたんでしょ。自分にとってテロ行為とはなにかって、かっこいいことしゃべってたじゃない。社会に対する影響なんか無視してたんじゃないの?」
「ところがですね、人間特に男というものは、社会の中の一単位として存在してるんで、どうしても自分だけの楽しみというわけにはいかなくなるんだなあ。スカトロジーみたいな、しごく個人的趣味だって、つい公表したくなる。そこへいくと女性の方が、プライベートな生活をしごくタフに持ち続けますねえ」残った糞をプレパラートになすりつけ、ビン顕微鏡をのぞきこむ。
「つまり男って単純なのね」「そう、女は自分の産んだ子供をみせびらかせばそれで気が済む。男は産めないからね、生きているしるしを何であれ公表したくなるんだな。つまり、女は生理的露出癖、男は精神的なそれさ」ビンはあくまでてきぱきと流すべき糞、保存するべきねじりん棒を分ちつつ、「小百合、うまかったかい、人間の肉は」たずねると、「|たれ《ヽヽ》次第じゃない? 特に変ったとこもないし」「しかし、残酷趣味と食欲が一致したんだからよかったろう。一口食べてはアクメに達してたんじゃないか」ビンのからかうような口調を気にせず、小百合は「駄目よ血が滴ってなきゃ。死にいたる過程がいいのよ、お肉になっちゃっちゃ豚も牛も同じじゃない」あくまで即物的に、女はできているのだ。
「特にやみつきになるほどの味じゃなかったわね」淡泊といえば淡泊、若いからまだ脂がまわっていないのだろう。むしろ川魚の洗いに似ていたと小百合は思う。原始人が、人間の肉を食う時、その勇気や力に自分もあやかるためと考え、それは信仰の如くであったらしいが、つまり弁解じゃないのか。生きているものを食う疚《やま》しさに、理屈をつけたので、食人は結局、食料不足を補う苦肉の策だったのだ。
女は、理屈などいらない。腹が減れば人間の大人だろうと、子供だろうと口にして、なにしろ自分自身あたらしい生命を産み出す能力をもっているから、殺しても食べても、心は痛まぬ。
現在でも、美食家が男に限られているのは、同じ理由だろう。固有の美意識を満足させるためと、口実もうけているのだ。食欲から逃げている。肉を肉として賞味するには、やさし過ぎるともいえよう。「ブラバババ」小百合が、機関銃かまえる真似しつつ、大声で叫び、「ビンさん死ぬつもりなんでしょ、私もつれてって。少しは手伝えると思う。よく映画であるじゃん、弾帯っていうの、あれ捧げ持つくらいできるわよ」ぴょんぴょんとびはねながら、いって、「世界から逃げて死ぬのを心中っていうんでしょ。ボニーアンドクライドみたいなのはなんて呼ぶのかしら」男女が力を合わせて、積極的に秩序に刃向い、そして死ぬのは、少なくとも日本には、これまでない。
「もう駄目だってわかったら抱いてね。オルガズムの瞬間に殺されたら最高ね。しぬしぬっていいながら、死んじゃったりして」けけけと小百合笑って、「興奮して来ちゃった」うって変り低い声で、ビンの表情うかがう。
その頃禅介は、新宿の安酒場に腰をすえていた。怯えつつ、家へ帰ったものの、龍子秋のファッションショーをひかえ、夜おそかったらしく、いびきひびかせて白河夜船《しらかわよふね》、そのかたわらに身を横たえ、時おりげっぷが出て、餃子《ギヨウザ》ならともかく、人間食った臭いなど誰も気づかぬと分っていながら、気になる。そのつど口の前に掌をあてがい、くんくんと確かめるのだが、どうやら人肉のおくびは、汗臭い、あるいはクーラーの排気に似た感じだった。
ほとんど日本語とも思えぬような、バーテンダーの、時間早くてあまり客の姿はなく、その景気づけか、さけび立てるのをながめつつ、禅介は、処女撲殺こそが、自分の生甲斐と思い定め、それは数学の仮定の如き感じで、ことさらな理由のあるわけではない。
自分が酒を飲み酔い痴《し》れて前後不覚となるのは多分、母胎回帰願望なのだろう。
酔った時の浮遊感、自分だけがこの世に存在するかの如き、一種の確信、刺激に対する反応の鈍さも、なにより天地|晦冥《かいめい》の中にさまよい、覚めて何も覚えていないことが、そのしるしに思える。
処女はそういったユートピアを拒否する存在であろう。子宮を堅く閉ざし、一切うけ入れようとしないから、俺の敵なのだ。俺自身の拠って立つ基盤を、処女たちは、処女である限りゆるがしつづける。
処女を処女たらしめなくするには、犯すか殺すかだ。犯そうとすれば、俺は重大な矛盾に直面する。俺は自分が子宮にもどりたいのに、入りこむのはわが細胞の一部だけで、俺は俺自身に嫉妬しなければならぬ。
俺は、俺の子供が、女の子宮の中で、何事にも思いわずらわされることなく、あのぬるやかな浮遊感を満喫し、暗がりの中で四肢をちぢめ、絶対的な安心、法悦境|貪《むさぼ》ることに耐えられぬ、俺自身がもぐりこみたいのに、なんたることか。
とすれば、殺すしかない。そうだ、そこに宿るだろう胎児こそ、俺の敵なのだ。
酔いのまわるにつれて、濁った頭で禅介考えこみ、やがて円形のカウンターに二人連れや、物欲しげな男と女それぞれのグループ、びっしりとつめかけたのを、じっくり見定める。娼婦をもっぱら血祭りにあげる殺人狂はよくいる。処女を対象にしたのはどうか。娼婦殺しの場合は、しばしば母に対する潜在的な憎しみが理由として上げられるけれど、処女殺しは逆で母に愛着のあり過ぎるためではないのか。なぜなら母は絶対に、処女と対立する存在なのだから。
禅介は生れるとすぐ母を失って、その姿形、また暮しぶりを知らぬ。
いかにも初々《ういうい》しい生娘の二人三人と連れ立ち、はしゃぎつつ色どり鮮やかな酒飲む姿に、禅介殺意を感じ、処女|抹殺《まつさつ》することこそ、かつてその胎内に至福の時過させてくれた母への、供養の如く思えてくる。
仮定を裏付けるに足る、納得にはいたらぬが、いまだ未通の、青いうなじや、煙る如き柔毛《にこげ》に殺意を覚え、後頭部を棍棒《こんぼう》で一撃したくなる。
常ならとっくに酔い痴れていい量飲みながら、意識はさだかで、これまで思いかえしもしなかった、あの出版社社長の庭の温室、うすくらがりの中に倒れた女中の、スカートめくれ上がらせ突き出した二本の脚の白さが、まざまざと浮ぶ。
「殺してやる、処女を殺してやる」低く幾度もつぶやき、面《おも》上げると、バーテンダーの視線と合って、笑いかけられたから、禅介も唇をゆがめて応えた。
老人は東京をやや離れた、障害児収容する施設に近づくと、低く般若心経|誦《ず》しながら、ひらりと塀をとびこえ、木造のいかにも古い平屋建ての棟へ近づく。
これまで、その死が何らかの意味を持つ人物ばかり狙って来たのだが、このたびばかりは、生ける屍で、逆におびえが先に立つ。相手が怯《おび》え、ひたすら命乞いをすれば、割り切って殺せるのだが、まったく意識がなく、ただ食べて排泄《はいせつ》するだけの存在が、この闇の、十メートル向うにいるとなると、どう心を定めてよいのかわからぬ。
老人にも、収容所についての知識がそれほどあるわけではなくて、ただ両親に見放され、福祉国家の名目上、乏しい予算やりくりして死なないように、心くばりしている、その断片的な写真や記事目にしただけなのだ。
これまでは、どうトリックを弄し、不意をつこうと、殺す相手は抵抗した。指一本こちらに触れ得なくても、視線で、また声とはならぬつぶやきで、怨念《おんねん》を伝えようとした、その怨念をとりこみ、老人はあらたなるテロを行なったのだが、殺されるという認識のない、いや、生と死との区別さえつかぬ相手を、どう殺せばいいのか、恐怖も苦痛もない障害児の首をしめ、または胸を刺し、それはやはり殺人とよばれるのか、人間の行為なのか。
老人は姿勢低くしたまま、消燈してまっくらがりの庭にすくんだ如く動かず、自分もまた結局はこの世に残す何もなかった。障害児とどこが変るのだろう。
知的動物としての人間と、その生ける屍とされる存在と、どこが違うのか、夜の闇は、はじめて老人に怯えを与えた。
マイセルフ・テロ
いびき、歯ぎしり、それに唄うともうなるともつかぬ、異様な節まわしの寝言が交錯し、一歩室内に踏み入れば、手ざわりたしかな臭気があった。
それは老人の足音一つ立てぬひそやかな動きにもゆれ、立ちのぼり、老人の怯え見すかしたような、さまざまの寝息と共に、なお足をすくませる。
六坪ほどの板敷板がこいの中に、十六人が横たわっていて、いずれも身じろぎ一つしない。
当て身くらわすまでもなく、首ひとひねりで多分死ぬだろうし、かりに誰かが気づいても、大声で救い求めることもない。
首を一つふって老人、手近の男らしい髪形に近より、すっと手をのばすと、思いがけず逆に肘《ひじ》をつかまれ、まったく予期しなかったから、とっさの判断がつかず、一瞬そのままでいて、ふだんならつかんだ手を逆にとるなり、ふり払うなり、反射的に行動して当然なのだ。
しかし老人をつかまえた手は、しごくやわらかくて、しかも冷やかだった。赤ん坊の肌に老人の血が通う風で、うかつにふり放せば、手だけもいでしまいそうな気もする。子供をあやすように、老人左手をそえて、ひきはなそうとしたとたん、背後に気配を感じ、ふりむく間もなく、べたりととりすがられ、つづいて足にも手にも粘液のような感触がまといつき、老人の五体から力が抜けて、なすままにまかせる。
すぐ横に寝て、にこにこ笑いながら見上げているのは、小頭児とでもいうのか、眉からすぐ髪の生えぎわになっていて、その髪もきわめてうすい。老人の手をつかんだ男は、やがてむっくり起き上がると、眼が極端にはなれ、鼻梁《びりよう》がなくて孔のみ二つ顔の中央に開き、唇が耳まで裂けていた。
先天性梅毒と、分りはしたが、はじめてみる異相に老人おびえて、しかしまだ、生命の恐怖感はない。
寝こんでいるとばかり思っていたのが、どうやら老人の入りこんだことを、とっくに察知していたらしく、苦笑するような気持。首にまといつく細い腕はずそうとして、それはたわいなくとれたが、すぐ胴体にかじりついてくる。
立ち上がろうとすると、上から二つ三つの体がおおいかぶさり、明りは格子《こうし》のはまった窓からさしこむ月の光だけ。その方向をさえぎられると、夜目の効く老人も、周囲にうごめく連中の姿形判別できず、足を蹴《け》り腕ふりまわして、とにかく陣容立て直したいのだが、赤ん坊の如く力弱いくせに、しつこくからみつき、ままならぬ。誰も声を立てず、息も荒らげてはいない。
老人は中国大陸で、夜の闇にチャルメラのひびきが、まるで野犬の遠吠えの如く鳴りかわしていたことを思いだす。単調なメロディで、しかも物悲しいだけに怖ろしく、これは八路軍《はちろぐん》が連絡につかっていたのだが、いかにもものの怪《け》といった印象だった。
「ウッ」たまりかねて老人、力いっぱいまといつくものに突きを入れ、たしかに当っているのだが、まるで手応えはない。暗闇に浮ぶ頭めがけて手刀をふり下ろし、首筋を打ち、通常の人間なら、息のつまる音、骨打ち割られた苦悶の声が伝わるものなのに、しずまったまますぐ新手がまといつく。
ようやく恐ろしさが生れ、食肉用に二人ばかりかどわかす意図消え失せて、脱出しようとするが、すでに全員起き出したらしく、クラゲの如く老人の体を包みこみ、時に月明りで浮ぶその姿は、年齢性別不明の、髪ばかり長い痩せた男。よく見ると、眼の下から顎《あご》まで陥没している。
一人は手足が乳児ほどしかなく、その体ではいずりつつ老人の脚にしがみつく。また別な者は、まったくの骨なしなのか、蹴っても踏みつけても、半分空気の抜けたゴムマリの如く、これが首すじにからみ、老人眼をつぶったまま、もはや物音にかまってはいられぬ。救い求めたいのだが、声が出なくて、はじめ多寡《たか》くくっていた時は、まだしもゆとりがあったけれど、本気で体を動かし、しかも、抜け出せぬとなると、不意に動悸《どうき》が昂《たか》まって、胸に圧迫感が生れた。
「多分、ここで俺は死ぬ」ふと考えたとたん、膝の力が抜け、えたりとばかり一人が顔の上にのしかかり、これははねとばしたが、体にとりすがった連中を、もはや追い払えぬ。
やわらかいいくつもの体が、ぬめぬめとうごめき、耳をすますと低く何ごとかつぶやいている、それはけだもののうめきともことなり、しいていえば、屁《へ》とか溜息《ためいき》、くしゃみのような、ただ体内から空気のもれる音、動悸はさらにはげしくなり、横隔膜が喉元《のどもと》までせり上がった按配《あんばい》。
殺意とか敵意は感じられなかった。むしろこの異形《いぎよう》の障害者たちは老人に親愛感をいだくらしく、舌でなめずり、体ひたと押しつけ、男根にむしゃぶりつく。
朝になれば、係員がやって来るだろう、それまでの我慢だ。老人一切の抵抗を止め、必死に気息ととのえようとする。衣類はぎとられ、排泄物を塗りつけられても、老人は体を動かさず、異形の者にも性欲はあるのか、こすりつけるうち射精した者がいれば、自分の性器を老人の顔に当てがう女もいた。その女は顔といわず体といわず剛毛が密生していて、乳房が八対ならんでいる。
ようやく窓が白み、老人悪夢から覚める思いで、しかしいちいち調べずとも浅ましい姿であることは見当がつく。あきたのか、大半はまた寝入り、二人がしがみつくだけだったが、身づくろいする気もない。
そして、いかに待っても係員はあらわれなかった。食事は、飯とお菜《かず》まぜ合せた容器、それに水がドアの下からさし入れられるだけ。異形の連中の舌鼓うつ音に気づき、ようやく上体起した老人、仰天してドアをたたき、さけび声上げたが応えはない。
入る時は、鍵《かぎ》をピンで開けたのだが、表からあらためて施錠されたらしい。監視人近くにいないようだから、窓の鉄格子破ることも考えられたが、異形の連中許すまい。
こともあろうに、奇形者の捕虜になるとは、あらためてながめると、上半身と下半身逆によじれて、自らの尻ながめつつ、しきりにうなずいている男が、まだしも顔形人間に近いので、他は形容し難い表情。見ただけで老人心がなえ、へたりこむと、小頭にして象皮病わずらい、全身|鱗《うろこ》におおわれた男が、ふくれ上がった睾丸《こうがん》ひきずりつつ近づいて、老人の口吸おうとする。老人なすままにさせ、死ぬまで、この奇形者の玩具になる覚悟が思いがけずと生れた。
「高層アパートの、上階に住んでいると、人間が虫けらみたいに見えてくるんじゃないかな」ビンが小百合にいい、平家二階屋なら、道行く人を人間として認識し得る。
大声でさけべば注意ひくこともできよう。しかし八階九階からながめていると、人間の矮小《わいしよう》な面ばかり眼につき、子供の頃からその癖がつくと、とてつもない横暴な性格、やさしさに欠けた人間ができやしないか。「きっと支配欲が強くなるだろう。俺だって、この窓から下観てると、人間なんかなんだって感じになってくるし、まるっきり別の生き物のような錯覚が起る」ビン、猟銃をかまえて、通行人に狙いを定め、「ぱーん」口でいって、「お前は一巻の終りだ。あわれなもんじゃないか」小百合も一|梃《ちよう》手入れしながら、「猟銃じゃさまにならないわねえ。やっぱり機関銃がないとさ」ビンの計画実現するため、小百合がボーイフレンドに頼み、その親父の所有するのを盗ませたのだが、せいぜいが鴨撃《かもう》ちの華奢《きやしや》なもの。「自衛隊の銃器庫でも襲撃しなきゃなあ、とうてい自信はないよ」「市ヶ谷には置いてないのかしら」「練馬にならあるだろうけど」「催涙弾はどう」団地を催涙ガスでおおいつくす。近頃のは毒性が強いから、まずそこでの生活は不可能となるだろう。
「学生しか知らない味を、市民の皆様にも味わっていただくのよ。機関銃より楽じゃないかな」「いや猟銃で十分だよ。それより何日持続できるかってことが重要だな。十日や一月《ひとつき》じゃ駄目。もし半年|籠城《ろうじよう》できたら、こりゃおもしろいよ」「団地ジャック?」ビンまた狙いを定め、「機関銃より、ニトロが欲しいな」「ニトログリセリン?」「そう、バリケードなんか築けないから、包囲する機動隊にまずデモンストレーションする。屋上から二、三滴地上にたらすんだな。嘘じゃないと分れば一歩も近づけないだろ」「住んでる人を人質にするわけ」「そりゃ無理だ、二人で見張ったって。ただ、地域を占拠するだけでいい。えらそうなこといったって、国家が指一本ふれられやしない。そしてこれはお祭りだな、団地の」ふだんは、ほとんど近所づきあいしない連中も、事件によってお互いの意見や見通しをのべあうだろう。
以前のお祭りは、収穫をねがい、またそれを天地に感謝するため行われた。そこでは大地にすがり、天の恵みを受けて生きる者同士の、連帯が確認されていた。
現在のそれは、多分、犯罪だろう。なにも団地住民だけではなく、マスコミを通じて等しく一億が関心をいだき、個人もまた生命を賭けるなら、国家とさえ対決できるという、確かめをいだくだろう。
あるいは消極的に自分たちは犯罪者じゃないという安心感で、結ばれるのかもしれない。全国的な犯罪は、今やお祭りだし、それは三億円事件や赤軍派のハイジャックについての反応をみてもわかる。いかにヒューマニズムを建て前とし、市民秩序を標榜《ひようぼう》してる人間だって、すっかり浮かれはしゃぎ、TVの前に釘付けとなり、あの時、人々の表情に生色がよみがえったといっていい。
「食糧をどうやって運びこむの?」「登山の足ならしを装えばいいのよ。山岳部の連中よくやるそうだから、リュックかついで階段を上ってさ、屋上の電気室にでもかくせばいい」住人たちが他人の行動に無関心なのは有利で、いや、さらに屋上から銃ぶっぱなす男女がこの世にいるなど、空想もしないだろう、せいぜいが空巣の心配だけ。二人手分けして、そのつもりになるとインスタント食品も罐入りジュースも、すべて籠城のためにあるようなもの。古新聞ひっくりかえして、太平洋を単独|帆走《はんそう》した男の、用意した品々参考とし、重さにして二百八十キロ、飲料水浄化剤から、各種薬品遺漏なくとり備え、銃弾は一日に十発射つとして二千発、他にカンシャク玉多量に買い込み、これは神経戦に使用する。「後はニトロだなあ。おどかすだけだから、少しでいいんだけど」大学時代の知人で、化学専攻の男を思い浮べ、まともに申し入れたんじゃ、理由に困る。
土臭い縁の下にひそんでいると、新吉つい尖《せん》を思い出して、もうあのちいさな体、地虫に食べつくされたのやろか。ふしぎに老人については考えず、また、自分を血眼《ちまなこ》で追っているだろう警察も怖ろしくはない。「べつに子供のうてもええやんか。俺の肉を提供しても、いっこうさしつかえないはずや」そや、俺が大男であることの有利さは、食肉人として考えた時がいちばんで、この脚一本で、まあふつうの体格の男一人分くらいあるんちゃうか。
ズボンずり下ろすと、新吉わが下肢をつくづくながめ、近頃はまったく運動していないから、ふくよかに肉がつき脂の乗った感じ。
病院で切るわけにはいかんし、第一捨てられてしまう。自分で麻酔薬打って切り落すのも無理やろな、と考えるうち、天啓の如くひらめいたのは、一日にいったい何本の手や足が切られるのか知らんけど、それはどう処理されるのやろか。中絶胎児を集めて処分する業者の話はきいたことがあるけど、手足にも専門家おるのんか。多分、病院の焼却炉で灰にされるのちゃうか。ほなら、金つかませて、横流ししてもろたら、なんぼなと手に入る。
新吉、神社の縁の下からはいずり出て、周囲をながめわたし、すぐ眼の前をミニ・スカートの女が三人足なみそろえて通り過ぎるのを、食肉獣みるように見送って、「俺、気イおかしなったんやろうか」つぶやく。
いったんはとても無理に思えたわが脚の切断が、むしろどうしてもやりとげたいことのように思えてきて、こんな脚や手みなちょん切ってしもて、達磨《だるま》みたいになったら、えらい気イ楽なんちゃうか。
これまで人一倍たくましく、それ故に心いじけさせて来た四肢に対し、復讐《ふくしゆう》してやりたい気が起る。病院探すつもりだったのを、銀座へ向って、もしモンタージュ写真が手配されていれば、かなり不出来であっても、まず巨体故にすぐ不審尋問されるだろう。
そやけど、そうなったらなったでええ。どうせ長いことはない身の上やないか。八丁目にある自分のビルへもどり、裏の階段を上がって、その一足ごとに、いつお巡りの声がかかるかと緊張していたが、べつに何事も起らぬ。
巨大な力で押し切ると、血管の末端が自然に縫合された如くなり、出血はすくないときいたことがある。祖父の形見の日本刀井上真改が一振り手許《てもと》にあり、これを使えば脚の一本落せそうだが、そのままでは出血多量で生命がない。
老人が教えてくれた工場まで運び、なんとかハムに加工して、それを権力者に食べさせなければならぬ。考えれば繁雑な手数を要し、新吉、くもり一つない抜き身をかざし、脚に押し当て、それはとび上がるほど冷たくて、やや歪《ゆが》んだ新吉の表情を写し出す。
「人肉ハム加工場がつくれんかなあ」ハム工場の出物があれば、ビルを売って自らのものとしてもええ。それとも、面倒なことやめて、脚を三枚におろし、牛肉の如くしつらえて、大臣のもとに届けるか。「先生のファンです。やがて総裁公選も近いことですし、肉を食べて大いに力をつけて下さい」なんかいえば、貰いつけてるやろから、疑わんのとちゃうか。
大学教授、学者、宗教家、人道主義者、資本家、えらそうな面してる奴に人間の肉を食わせて、「人食い人種何をいうか」と決めつけたったら、世の中かなりすっきりするやろ。
あいつらは間接的に人間を食いつぶしてるんやから、誤魔化してるだけやねんから、正体ひんむいたるねん。新吉、こころみに刀身をふとももに押し当て、一寸ばかり引くと、ほとんど痛みはなく、しかし、たちまち血が一筋盛り上がり、フーッと流れる。掌《て》にうけて、口にすすりこみ、掌にぎると血糊《ちのり》がぬらつく。
そのぬめぬめした感触にさそわれ、新吉|股間《こかん》をあらわにすると、血まみれの掌で男根ひっつかみ、左にしごき立てつつ、右で右脚のふとももに傷をつける。ひとしごき毎に日本刀をたたきつけ、もはや痛みはまったくなくて、やがてぱっくりとひらいた傷口がなまめかしく思え、裂けてとび散った肉片を口にほうりこむ。
錆《さび》に似た匂いが口から胸にひろがり、肉片を舌でもてあそびつつ、なおはげしくわが身を斬りさいなみ、やがてあたり一面、血の海となった中に、白濁の粘液おびただしくほとばしらせ、新吉はうつぶせに倒れた。
両脚は骨まであらわとなっていて、動脈から脈打ちつつ血液があふれ、それと調子合わせつつ、なお雄々しい男根より、名残りの液が湧《わ》き出て、双方共に鼓動を止めた時、新吉もまた息絶えた。自らの、巨大すぎた五体、千々にひき裂かれて、善男善女の笑み浮べた口に吸いこまれる妄想《もうそう》を、しっかといだきながら。
シティ・ジャック
籠城に必要な品々、とりあえずビンがリュックに詰めこみ、山男の態《てい》装って、かねて目を付けていた郊外の団地におもむき、なるべくなら中心地に近い建物の屋上、制圧し得る地域は少しでも広い方がいい。
ビンは昼といわず夜といわず、団地アパートの群れなす中を歩き、墓場の如く静まりかえって無気味な雰囲気《ふんいき》、立ちぐされつつあるようなその印象よく心得ていたのだが、駅降り立ったとたん、これまでと異なる感じがあり、それは夏休みに入って、決して数多くないが、戯れる子供たちの姿。
子供は、それ自体一つの自然物であると、箴言《しんげん》の如きものをビン思い浮べ、このブロイラーの巣箱の如き団地であっても、子供がからむと肌なじんだ色合いが加わる。
採光の配慮分を加えたためだろうが、てんでんばらばらの向きに建てられたアパート群の中を、足まかせに歩き進んで、ペンタゴン風に五方向へ延びた一棟、ほぼ中央に位するらしいから、その入口に近づくと、気付かなかったのだが、子供たちビンの風態に興味いだいたらしく後をつけて来て、「どこへ登って来たの?」たまりかねたように一人が訊《たず》ねた。
「エベレスト?」「かっこいい」口々にいって、すきあらばさらにまといつこうと、眼《まなこ》光らせている。子供を人質にとるか、一瞬考えたが、何にしてもリュックの中身を屋上へ隠さねばならず、「トレーニングだよ」「トレーニング?」「階段登って足を鍛えるんだ」「へえ」興味|津々《しんしん》とばかり、ビンの頑丈な足ごしらえをながめ、「君たち向うで遊んでこいよ」大人に向っていう如く、真面目な表情で追い払おうとしたが、子供たち格好の獲物見つけたとばかり、先に立って階段を駈け登り、喚声を上げ、到底これでは荷物隠せぬ。
住人にとがめ立てされた時の返答は用意していたが、子供にまといつかれるとは想像もせず、ビンすぐきびすをかえして、駅にもどる。
ニトロはさしずめ入手する目途《めど》つかなかったが、小百合、秩父《ちちぶ》の石灰岩採掘場から、ダイナマイト一箱をくすね、その詳細物語らぬが、どうやら流れ者の人夫を色じかけでたぶらかしたらしい。ダイナマイトで近寄る機動隊を牽制《けんせい》し、せめて一月はこの団地を制圧する手筈だったが、それはやはり机上の空論、屋上にたてこもっても、空から攻められれば防ぐすべはない。
単におどかしではなく、手当り次第に狙撃するつもりだから、包囲する側も容赦なく実弾ぶっぱなす。ヘリコプターでライフルの名手に狙われたらひとたまりもないし、わが身もろともマイトでアパートぶっとばしても、単に狂人の仕業《しわざ》としか受けとられないだろう。
「団地より、都心がいいんじゃないか」べつだん何をしたわけでもないのに、ビンくたびれきって、麹町のマンションへもどり「じゃここでいいじゃない」小百合、視線を室内にさまよわせる。
眼下の道路は幹線の一つだし、周辺も繁華街に近いから、さだめし大騒ぎにはなるだろう。同じ階の住人を人質にとることも出来る。
もともと団地をえらんだのは、そのいかにも冷たいたたずまい、隣づき合いもいっさいせずに、壁|一重《ひとえ》が千里へだてて暮すような生活の中に、銃弾ぶちこむことで人間らしさをよみがえらせる。彼等の共通の敵となり、その憎しみの対象となることで、連帯を確かめさせるつもりがあった。
恩寵《おんちよう》の代りに銃弾をふりまくお祭りの、御神体となる目的だったが、それよりも、手当り次第銃ぶっぱなすその手段に、ビン心|惹《ひ》かれて、窓から見渡せば、太々しく居すわった印象のビル、何の不安もなさそうに歩く人影、それを銃声一発おびやかしてやりたい。
コンクリートがなんだ、社会保障がどれほどの力を持っているというのか。ガス爆発なら、責任当局が保障する、車の事故、工事中の災害、いずれも犠牲者にはしかるべき対策がほどこされる。
しかし、ビンの銃弾には誰が後始末するのか。高層ビルは地震に耐え、台風にびくともせぬというけれど、そこに入りこんだ狂人に対し、いかなる防備方法が考えられているのか。
「なにもこんなちっぽけなマンション乗っ取ることはない」ビンすぐ眼の前にそそり立つ超高層ビルをながめ、あの屋上にとりついたらどうだ、手近に重要官庁がいくらもあるし、警備側もうかつには発砲できないだろう。
「Qビル?」小百合よりそって同じく視線を向ける。「一週間、十日も必要じゃない。まあ二日居すわることが出来りゃ上々だろうな」いわば東京の目玉商品みたいなビルの上に射殺魔が陣取れば、これは団地の比ではあるまい。
日本中を祭りの興奮に引きこめる。いわば日本の中枢神経ともいうべき地域を征服するわけで、交通|麻痺《まひ》やら、事務渋滞どころではない。経済大国の足もとすくうつもりはないが、これだけは政府も、「事態検討の上、善処します」とのんびりかまえてはいられまい。「文化人たち何ていうかしら、説得に来たりして」「マイト持ってると知りゃ、多分、ビル使用者たちが警備陣を牽制するだろうな。高価なコンピューターや資料が沢山あるんだから」「きっとTVカメラが沢山来るわね」「連日、新聞のトップを飾る」ビン、ふと自分が英雄になったような気がし、現代で個人がなし得る最大限のことは、乗っ取りではないかと考える。
それも人質ではなく、国家の威信、社会の秩序と引きかえに行う、いうならばシティ・ジャック、すなわち解放区ではないか。
地域ではなくて、人間の心の中に解放区をつくる。超高層ビルの屋上に陣取った、たった二人のために、大地の如くゆるがぬと思われていた国家あるいは権力が、鼻面ひきまわされる。個人の力を再認識させることができれば、すなわち歯車としてではなく人間として、お互いのからみ合いが生れる。
ゴルフバッグの中に猟銃二梃をしのばせ、小百合のやや古風な化粧箱に銃弾ぎっしり詰めこみ、マイトをスーツケースに入れて、いかにも遊び歩く若者風に装い、二人はQビルのエレベーターに乗りこんで、ビルの最上階にはレストランがあった。
前もって調べたところでは、屋上への出口は厳重に閉鎖されていて、警察もここからの狙撃を警戒しているらしい。レストランまで入りこめば、ことさら隠密に行動する必要はなく、鍵かかったドアはマイトで爆破すればいい。
誰にも怪しまれぬまま、レストランの入口を通り過ぎ、調理場の裏へまわり、汚物残飯運び出すせまい廊下を入って、小百合、マイトを鉄扉《てつぴ》の鍵にしかけ、導火線に点火すると、調理場へとびこみ、コックたち忙し気に立ち働いていて、気にもとめぬ。
十秒後に轟然《ごうぜん》たるひびきが伝わり、あたりの者はてっきりガスの爆発かと、火もと確かめるのを、ビンと小百合煙立ちこめる中を突進して、鉄扉を開き、すると地上のクラクション、ざわめきが屋上にまで届いていて、ビルの中の静けさとは別世界の如く、ビンすぐバッグの中の銃取り出すと、縁に寄って、あたりを見渡す。
小百合は同じく、ようやく異変を知って駈けつけたウェイター、コックに向け盲滅法射ち放し、たちまち悲鳴が起る。まだ正確には事態のみこめず、二人倒れた向うに呆然と立ちつくす男四、五人声をのんで、小百合をみつめ、小百合にっこり笑って鉄の扉を閉める。
外開きだから、棒で支えて、もとより男一人体当りすればたわいなく開くだろうけれど、突入してきたら、導火線短く切ったマイトをぶつける。屋上への出口は四か所あったが、マイトがあるとわかれば、うかつには近寄れぬだろう。ビンは小百合に手渡されたマイトを、地上に投げ下ろす。まだ車も通行人も気づいてなくて、ふり仰ぐ者はいない。
マイトは、路上に駐車した車の列に吸いこまれ、しばらくして、白煙を上げる。音はぼんと軽やかで手応えなく、しかし、車のガソリンに引火したのだろうおびただしい黒煙が立ちのぼる。ざわめきが消えて、無声映画のようにただ人が右往左往し、すぐ隣合うビルから人の頭がいくつも突き出る。猟銃をかまえ直すと、ビンもっとも手近の一人に照準を合わせ、頭はたわいなく内側にくずれ落ちた。
銃の音も軽くて、いっこうに人を殺した実感はない。もう一つマイトを投げ下ろし、それは、燃えさかる車取りまいた人ごみの中に落ちる。はっきり二、三人がはねとび、十数人なぎ倒されるさまが眼にうつった。しかし、百メートルはなれた道路では変りなく車が行きかって、ビン額の汗をぬぐう。
「ちょっと様子を見るか」ビン、導火線片手に握りしめて、さすがに表情ひきつらせた小百合にいい、超高層ビルとはいっても、敷地は狭いもので、守るには好都合。
中央にある電気室をマイトで破壊し、エレベーターをとめる。多分、冷房装置も止ったはずだった。ようやく間の抜けたパトカーが近づき、時を同じくして、新聞社のヘリコプターがいち早く飛来する。
「ヘリコプター乱れとべば、必ず事故あり」ビン呟《つぶや》いて、ヘリに銃の狙いを定め、一発射つ。たちまちヘリは遠ざかり「すごいわよ」小百合、弾んだ声を出す。
屋上に狙撃者がいると察したのか、続々とパトカーが集まり、はるかに遠巻きして、駐車した車の、つぎつぎ燃えるのもそのまま、人影はまったく消えていた。「一発マイトをほうりこむか」ビン鉄扉を開けると、体をかくし手首のスナップきかせて調理場に投げ、その爆風で扉《ドア》の開きかけるのを、必死に押える。ヘリは六機に増えてかしましく飛びかい、だが真上には飛来せぬ。
「ちょっと」小百合、なわを引っ張り出し、その先端にマイトをしばりつけ、振り子の如くして、ビルの側面にたたきつける。「火事にならないか」「大丈夫よ。防火壁が出来てるんだから」なわの寸法はかって、マイトに火をつけるとまるで投げ釣りの如く放り、しばし後、硝子《ガラス》の割れとぶ音がけたたましくひびく。トタン板たたくような音が一斉に起り、いくつものちいさな円筒形のものが、ビルをはい上がり、しかし半ばにもとどかず、落下して白煙を吹き出す。
「催涙弾らしいな」恐怖感はまったくない。「パン食べる?」銃と一緒に納めていたフランスパンを小百合がさし出す。物音はまったく消えていた。スモッグを通して夏の陽光がぎらぎら輝き、小百合ブラウス、パンタロンを脱ぎ捨てる。
「灼《や》けるわよ、きっと」プールサイドにいる如く、寝そべって、パンをかじる。「ヘリコプターからのぞいてるぜ」TVカメラかまえる姿をみて、ビンがつぶやく。「いいじゃない。きっと全国中継されてるわよ」ビンもシャツズボンを脱ぎ、さらにパンツも捨てるとすっくと立ち上がって、TVカメラにわが姿を誇示する。
「主婦連に怒られるわよ、猥褻《わいせつ》だって」
「小百合も脱げよ」二人素っ裸となり、しかし銃はかまえたまま抱き合う。「しようよ」小百合、鼻を鳴らしビンのあぐらかいた上に体を沈める。「TVさん、よく撮って下さいよ」素肌に、焼けた屋上のタイルが熱い。小百合小刻みに動きつつ、もはやヘリコプターなど念頭にない。ビン仰向けに横たわり、八機に増え、うち二機は警察のものらしく大型の、入り乱れて飛びかうのに、銃を向ける。
警戒して、左右上下はげしく動くから、とても当らぬが、ビン引き金をひく。銃声よりも、さらに甲高く小百合の悲鳴に近いよがり声が耳をつんざく。TVカメラは写しているのだろうか、屋上のしろくろを。
ビン上体を起し歓喜仏《かんぎぶつ》の形となって小百合にも銃をにぎらせる。二人抱き合いお互いの肩を支えとして、やみくもに射ち放つ。そのつど小百合の体は強くひきしまってビンも思わずうめきもらす。
十数発射った後、ビンも小百合の体内におびただしく放ち終え、一瞬、眼の前が昏《くら》くなるほどの恍惚境《こうこつきよう》だった。ビン立ち上がり、精液のしたたりをそのままに、マイトつかむと屋上の縁に駈け寄り、力まかせに投げる。
「危ない」小百合がさけび、狙撃手の搭乗《とうじよう》したヘリから銃弾がとぶ。二人電気室の陰にかくれて、「いいから、マイトを放りこむんだ。殺される前にこのビルぶっこわしてしまえ」ビンも冷静さを失ったか、眼《まなこ》血走らせていきり立ち、ヘリに向けても、とても届かぬだろう。
鉄扉から十本つづけてマイトを投げ込み、硝煙うすれたところで、せまい廊下へ身を入れる。「誰もいないわよ」小百合、調理場へふみ込み、ビンはヘリの強行着陸を警戒する。
冷蔵庫をあけると、電源切られて、溶けはじめた氷のしたたりが、ぎっしり詰めこまれた肉やハム、鮮魚の上にふりかかり、小百合、ハム一本取り出してかぶりつく。「当分、籠城できるわよ」ビンに半分さし出しつついって、見ると上空にヘリの姿はなく、上空からの狙撃はあきらめたらしい。誘爆を起して車はつぎつぎ燃えさかり、みると、はるか離れた街路にびっしり弥次馬がつめかけている。あたりふだんならとぎれ目のない車の列が走るのだが、まったくなくて、高速道路も閉鎖されている。
「TV探してこようか。どんな風にいってるか」小百合またレストランに向い、食べかけたまま泡《あわ》食って逃げ出したらしい客席の一隅に大きなカラー受像機はあったが、電気がとまっているから空《むな》しい。
「屋上の二人、すぐ抵抗を止めなさい。君たちの要求があるなら、われわれに聞き入れる用意がある。無用の破壊はよしなさい。屋上の二人、われわれは君たちの要求をききたい」ヘリコプターに備えつけたスピーカーから、機械的な声が落ちかかる。「要求か。こっちを正規軍派だと思ってるのかな」ビンむしろきょとんとながめ上げ、「小百合」呼びよせると、ひしと抱きしめ、みせつけるというよりも、さらにひたむきな感情があった。
なにもいらない、強いていえば、俺たちの営みを全国に中継してくれ。腰をゆすり唇を吸い乳房まさぐる姿を茶の間に送りこんでくれ、超高層ビルを愛のしとねとする二人の姿を。ビンはたとえこのまま射ち殺されてもいい、もう十分だと、まったくヘリを無視して小百合を引きすえ、その股間に顔をうめる。
亀裂からおびただしい樹液が流れ出てそれは、別の生物の如く息づいていた。ビンは母親の乳吸うように丹念に舌ですくいとり、そのつど左右にのびる円柱の如き小百合のふとももがひきつる。もともと色白の肌だからうっすら陽に灼けていて、その紅み帯びたあたりに、指をはいずらせる。
ヘリコプターの爆音が子守唄にきこえ、そのままうとうと寝入りたくなる。
小百合はフランスパンを枕にし、ビンに身体まかしたとたん、仰天したようにはなれていったヘリを見守る。
ビンがせり上がって来て、二人体を重ねる。小百合は、つぎの動作を期待したがビンはびくとも動かず、抱きしめる手に、ねっとりした感触がふれて、みると、血潮だった。
小百合おどろかず、赤ン坊あやすように下からゆすり立て、ビンはすでに息絶えていた。狙撃の成功したことを認めたのだろう。ヘリが近づき、小百合ビンの体ほうり出すと、銃をつかんで、やみくもに射ち放す。
テロの終焉《しゆうえん》
ビンの背中に弾の命中したことを、ヘリコプターも認めたらしく、さらにかしましく上空を交錯し、中の一機、高度を下げて、着陸の機をうかがう。
小百合、ビンの体をそのままに、右手で銃を引き寄せ、盲射ちに二発撃って、牽制し、レストランに通ずる扉までほぼ五メートル、ひっぱりこもうとしたがすでに息絶えた体はしめった砂袋の如く重い。
ようやく二、三歩運ぶと、たちまちヘリが舞い降りて来て、ライフルを乱射し、あたりの化粧タイル数枚を吹きとばす。
ビンの体から流れ出た血潮、鮮やかな赤を色どり、下界はすでに暮れそめていたが、海抜百六十メートルの屋上には、まだ夏の日が輝き、引きずるにつれて、ビンの下肢も血に染まって、陽光に照り映え、青っぽい色もまじり玉虫色に光る。
ビンは筋肉の力を失い、脱糞《だつぷん》していた、尻からあふれでる青い糞、これぞテロリストのしるしが、またテロリストをいろどる当然の血潮と融け合っているのだ。
「テロリストの旗は、青に赤、それに太陽を形どるといい」小百合、ふと思いつき、陽が昏《く》れるとヘリは飛べないから、一機また一機姿を消し、もう狙撃される危険はないのだが、小百合|膝《ひざ》をかかえて、ビンのあざやかな死体に見入る。
下界からパトカーの気の抜けたサイレン、呼子《よびこ》、クラクションが入りまじってひびき、西の空に夕映えはなくて、ただ黒雲の二筋流れ、その下にちいさな富士が浮び上がっている。
耳すませたが、ビルの中に物音はきこえず、夜に入って、包囲陣も、これ以上の混乱を防ぐため、攻撃手びかえているらしい。ビル自体は、五条のサーチライトに照らし出されているけれど、屋上にまでは届かず、小百合、レストランへ入りこみ、ハムを冷蔵庫から引き出す。
廃墟《はいきよ》の如くなったレストランの、東京の眺望楽しむためだろう、広くとった窓から盛り場のネオンが、常とかわらずながめられ、さすがビル周辺の官庁街は、深夜の如く闇に沈んでいた。
ビンに先立たれた悲しみ、一人取り残された孤独感、また明日になれば、必ず射ち殺されるだろう、その恐怖もなく、小百合はハムを指でちぎっては口に運び、腹ふくれると、ダイナマイトをそろえ、銃と弾丸をしかるべく配置し、時に床に耳押し当て、近づく靴音、話し声はきこえぬかと注意する。
誰に教えられたわけでもないが、老人の魂のりうつった如く、てきぱきと行動して、ほとんど考えることすらない。自然に体が動き、心くばりができるのだ。
一糸まとわぬ小百合、妖精《ようせい》のように、レストランのテーブルを屋上に持ち出して、防塁を築き、水や食物もおこたりなく準備をし、そのうち気づいて、テーブルクロスでビンの体をおおう。おおいかくすと、夜目にも白くころがった死体は芋虫に似てぶざまだから、小百合またほどいて、すでにビンは冷え切り、五体硬直していた。
「テロリストの旗は、赤と青、そして形どる陽の光」お経よむように呟くうち、電気機械室の屋上に一本二十メートルほどのポール、多分旗の掲揚柱であろう、くっきりとそそり立つのに気づき、これも小百合、自らの意志というより、憑《つ》かれた如く、その根元に歩みすすむ。
たしかに旗かかげるためのもので、てっぺんに向け二本の綱がのびている。
「テロリストの旗は赤と青」小百合、今度はいと軽々とビンの体をひきずり、それは死体の下にたまった血糊《ちのり》が、滑剤の役を果したので、ポールのきわに横たえると、綱の具合ためした後、一方の先をビンの首にしばりつける。
「弾と刃《やいば》に飾られて、はためく死体は、天《あま》かけるこれはこれテロリストの旗」またつぶやき、戦死者の亡骸《なきがら》は、祖国の旗に包まれる、テロリストの死体は、旗そのものなのだ。それは、やがて陽光に裂かれ、風にちぎられて、ゴミの如くまぎれてしまう、はかない旗なのだ。
ラッパも弔砲もなく、ただ恋人の力でかかげられる旗、小百合はずっと前から決っていたことのように、渾身《こんしん》の力こめて綱をひき、ポールの頂にとりつけられた滑車により、左右に分れた綱の一方にビン、片方に小百合がとりついているのだから、ややもすれば、小百合の方が逆に掲揚されかねぬ。
一つひいては、根元の金具に綱を巻きつけて、もどるのを防ぎつつ、たちまち小百合の体汗まみれとなって、綱もすべるし、足もともおぼつかない。掌が破れ、肘《ひじ》からも血が滴りおち、しかし、それをかばうゆとりはない。
二時間近くかかり、どうにかてっぺんにまでビンを持ち上げると、綱を固定し、かすかな風にビンゆらりゆらりとゆれ動き、ポールにぶつかっては、にぶい音を立てる。
そのまま小百合へたりこんで、欲も得もなく寝入り、気づくと、またヘリが二機飛来していて、馬鹿馬鹿しい騒音をたてるから、丁度、目覚ましがわり。
疲れはまったくない。すぐ銃をとると、ヘリ目がけて撃ち放し、仰天して上昇したすきに、マイトに火をつけ、盲滅法下界へ投げ下ろす。一点の雲もない夏の朝で、みるみる空の青は深みをまし、炸裂《さくれつ》したマイトの音は、祭りをつげる花火の如く、華やかなひびきを巷《ちまた》に伝え、つれて喚声怒号が湧き起る。
一機が、ポールの上空を旋回し、つれてビンの死体、風圧のためへんぽんとひるがえる。新聞社のヘリから、カメラマン身を乗り出してビンを撮影し、気がつくと手近のTV塔に報道陣鈴なりとなっていて、いちはやく櫓《やぐら》もつくられていた。
ビンの死体に度胆ぬかれたらしく、以後ヘリからの狙撃はなく、小百合、両手に銃かまえたまま宙をにらみすえ、ふいに「バタン」と大きな音がしたから、とび上がって銃を向け、多分、昨日のヘリからの弾が跳弾となって鍵《かぎ》をこわしたらしい。電気機械室のドアが、やはりヘリのまき起す風にあおられてひらいたもの、警戒しつつ中へ入ると、各種機械の静まりかえった中に、ドラム罐《かん》が数百本あって、火気厳禁としるされている。自家発電用のガソリンと見当がつき、これもなにかの役に立つだろう。くらがりの中歩きすすむと、高さ一メートルほどの金網にかこまれた穴が二十ならび、これはエレベーターの孔、夜間は、ここへ揚げて格納するらしい。
ドドドドッと、重苦しい音がとどろいて、表うかがうと、これまでとは格段にちがう巨大ヘリが上空にホバリングしたまま、拳《こぶし》下がりに機関銃うちこむ。屋上は舞い上がったタイルの破片と埃《ほこり》で竜巻きのさなかの如く、ヘリはなおも斉射《せいしや》しつつ、慎重に高度を下げ、見守っていると、綱がおろされ、一人完全武装の兵士が、半身を乗り出す。
小百合、マイトを五本束ねて、兵士の綱の中ほどまで降下したところに、放り投げ身をかくす。導火線はあらかじめみじかく切っておいたから、ヘリの直下にマイトころがると同時に、轟然爆発し、兵士ふり落したまま、急上昇しようとしてヘリは姿勢制御をあやまり、斜めに落下して、ボンと鈍い音がひびき、黒煙が吹き上がった。
マイトの火の中に落ちた兵士、黒焦げとなって動かず、この有様目にした他のヘリ、竹とんぼの如く高度を上げる。
三時間ばかり、上空に静けさがもどって、小百合この間をのがさず、電気機械室のドラム罐に猟銃を射ちこむ。もし引火すればそれまでのこと、しかし、ドラム罐には穴があき、ガソリンあふれ流れ出すだけで、火を呼ばず。床をはったガソリンは、エレベーター孔からはるかなる地下に向け、滝の如く落下しはじめる。
たちまちむせかえるような臭いに、その半ば穴あけたところで、屋上へ脱出し、ドアをしめ針金で把手《ハンドル》をとめる。ガソリンが気化して、空気とまじり合ったところに引火すれば、ニトロとかわりない破壊力をもたらすはず。
小百合のこの処置は適切なもので、やがて兵士を満載したトラック数十台が到着、レニングラード攻防戦よろしく、一階また一階と攻めのぼる手筈が、漂い流れるガソリンの臭いに、沙汰やみとなったのだ。
政府は完全に逆上し、花の都の、しかも目玉商品ともいうべき超高層ビル、本来なら白地に赤い国旗へんぽんと掲揚されるべき柱に、全身血と糞にまみれた死体が、風にゆれ、いと気楽にぶら下がっているとは何ごと、決死隊募って取り除こうとしても、死体一つと引きかえに、払う代償があまりに大きい。「とにかく、まだ生きて籠城している女を仕とめることだ」「いや、死体をこなごなにしてしまえ。この元禄泰平の御世《みよ》。あのようにむさ苦しいものを、善良な都民に見せては、及ぼす影響大である」「死体よりも生きているテロリスト」「テロリストより死体」と論議のみかまびすしく、具体的な方策は何一つ浮ばぬ。
まして、超高層ビルの屋上からおびただしいガソリンが流れ落ちているとわかり、うっかり狙撃して、引火すれば想像絶する惨事となろう。
結局は、持久戦、地下に溜《た》まって気化しつつあるガソリンに、土砂を投入し、防ぐことと、気長に女流テロリスト説得しかない。
三日間そのまま過ぎて、ビンの死体に腐乱がはじまり、内臓ふくれ上がり、眼球がとけ出す。「旗はくされ、滅び落ちて、残るのはただ、しゃれこうべ、風に鳴る骨、テロリストの旗、赤と青そして形どる陽の光」ビンの血と糞はなお鮮やかに、夏の陽ざし受けて輝きつづけていた。
小百合は、肌を陽に灼く少女の如く寝そべって、近づくものはヘリ以外になく、それはすぐまどろみを覚ましてくれる。生きているしるしに、マイトを放り投げ、五日目の朝、また射撃の音が起って、それは、ビンの死体をバラバラにして地上に落そうとする企み。
五機のヘリが列をつくり、流れ弾が、国会前の広場にとぶよう、一定の地点から射ちはなつ。ビンの死体ゴーゴー踊る如くにとびはね、そのつど肉をえぐられ、やがて手足形を失い、胴体もしだいに削りとられる。
小百合じっとながめて、ついに頭が吹きとび、すべて地上に落ちていった時、屋上に走り出ると、ポールの根元にマイトをしかけ、これを打ち倒す。あらゆる痕跡は消え失せた方が、テロリストの死にふさわしい。旗のなくなった旗竿《はたざお》なんて、死体よりも醜悪に思えるのだ。
小百合は屋上の縁によじ登って下界をながめ、すると様相を一変していて、周囲のビルはすべてシャッターをおろし、はるか彼方まで人影も車の姿も見えぬ。
屋上の中央に放置されたままの黒焦げの兵士も、巨人の如くふくれ上がり、おびただしいはえが群がっている。夜に入って、ガソリン引火を怖れてか、町中にほとんど燈火は見えなかった。
シティ・ジャックの報に世界各国から報道陣|蝟集《いしゆう》してはいたが、二キロ以内に近づけず、ヘリにかわって小型飛行機が、航空記念日のように上空を舞いとぶ。小百合もいささか疲れていた。
旗がなくなってからは、やはり孤独な気持となって、自分も早く死んでしまいたいのだが、きっかけがつかめぬ。レストランの食物も、今はすべて腐り、水も濁りはじめていた。
ビルを道連れに、つまりガソリンに火をつけて、共に吹きとぶことも考えたが、恐怖感ではなくて、なにやら馬鹿馬鹿しい。所詮《しよせん》超高層ビルとはいっても、コンクリートの固まりに過ぎない。そんなものと、心中するのは、愚かしく思える。あてもなくマイトを落下させ、景気つけてみても、空《むな》しい。
すでに小百合のテロは終ってしまっているのだ。後は、自らの手によるか、あるいは他者によってなされる処刑だけだった。
小百合は、上空を飛ぶ飛行機から、よく見えるように、銃をさし上げ、そしてほうり投げた。弾丸の箱も同じくし、マイトの束も火をつけぬまま投げ落した。そして、屋上に大の字となり横たわる。
飛行機から連絡受けたとみえ、またヘリがあらわれて、一糸まとわぬ小百合の体の上空にホバリングし、二、三人がのぞきこむ。小百合、手をひらひらさせ、降りてこいという風にさしまねく。
「無駄な抵抗は止めなさい。このビルはすでに完全に包囲されている。おとなしく降伏しなさい。そうすればこちらにも情けがある。お前のいい分も十分にきく」まるで見当ちがいな声が、ラウドスピーカーからおちかかる。
小百合の状態がかわり、地下にたまったガソリンも砂でおおわれて、いちおう爆発の危険もうすい。たちまちまた警察、兵士が集まり、その後からおっかなびっくりで報道陣つき従い、ついに決死隊がビルに突入する。いかに物音しのばせていようとも、大勢の靴音いり乱れて階段登る様子が、コンクリートに耳をつけた小百合にわかる。
まだ一本だけマイトをかくし持っていた。マイトの導火線が、内装用生理用品の紐《ひも》の如く、小百合の股間《こかん》から五十センチほどあらわれていることに、誰も気づいてはいなかった。
小百合は、なにげなく導火線に手をふれ、そのとたん背筋にしびれる如き感触が生れた。ダイナマイトに犯されている。卵巣も子宮もこなごなに引き裂く力をひめたマイトに、身体ゆだねていることが、なによりも甘美に思えてくる。
導火線と接続するマイトの本体に指をふれ、体内でうごめくそれは、どんな男の男根より力強く、やさしい印象だった。階下の物音がいったんやみ、それは上空からヘリで監視する者と、連絡をとるためで、まさかヘリからながめていて、小百合が、マイトマスにふけっているなどわかるわけもない。
「いっさい抵抗をあきらめた模様。なお情況変化に注意しつつ、突入すべし」命を受けて、兵士たち足早に階段をかけ登る。
小百合、激しくマイトをあつかいつつ、あたりはばからぬ雄たけびを上げ、何度目かのオルガスムスに達した時、兵士たちの靴音地鳴りの如くたかまって、するとたちまち小百合、身をはね起し、電気室の屋上に登り、下界見渡せば、危険なしといち早く報道されたせいか、あらゆる道筋に弥次馬が群れ集まっていて、世紀の捕物、とうてい下からでは様子うかがえないのだが、片鱗《へんりん》なりとたしかめて土産話の心づもり。
屋上ゆっくり歩きまわり東南の一隅に股《また》思いきり拡げてすわりこみ最後に残った一本のマッチで導火線に火をつける。
群集にも、ヘリにも小百合の行動理解できず、ようやく屋上へたどりついた兵士たち、電気室の上と報されて梯子《はしご》にとりつき、おそるおそる首を出し、犯人は背中を見せているから、それととびかかろうとすると、小百合くるりとふり向き、その股間には、太陽よりなおはげしい光が燃えさかっている。
一瞬なにごとか分らず、|たたら《ヽヽヽ》ふんだ兵士たち、すぐそれが導火線、そして小百合の体内にマイトがあると察して、梯子をころげ落ちる。小百合はすっくと立ったまま、導火線の燃えすすむさまをながめ、熱さはまったく感じない。
マイトが息づきつつ、昂《たか》まりに向け荒々しく一気にかけのぼってくる感じ、はっきりわかって、自分もまたマイトと同化し、やがて炸裂する、たとえようもない恍惚《こうこつ》境にひきこまれ、「早く、早く」身もだえし、白熱に包まれたとたん、小百合は、自分の体が、ビンのそれと同じく宙に浮び、そして手足頭ばらばらになりながらゆっくりと、地上に向け墜ちた実感があった。しかし、小百合は失神して倒れただけだった。
おびただしい愛液に、導火線はマイトに着火する直前、じゅっと消えてしまったのである。
明日嵐になぁれ
ビルを拠点とした市街乗っ取り事件において、もっとも不評をかったのは、TV局であった。なにしろ中継したくとも、画像の中心になるのが死体と、女の全裸、いずれもしごくこれみよがしだから、カメラ向けることがならぬ。
特殊なケースだし、ありのまま茶の間へおくりこもうと、現場は主張したが、良識派に拒否され、新聞はこの時とばかり巻きかえしをはかって、小百合のヌードでかでかと一面に飾り、ポールの頂にひるがえった無残なビンの死体を紹介した。
業を煮やしたTV報道関係者、カメラのピントをぼけさせて、影絵の如くし、TV倫理規定の網目かいくぐったのだが、聴視者はそうと知らず、わが家の受像機こわれたるかと修理屋に連絡し、テロリストあらわれて電気屋大繁盛の結果をもたらす、青息吐息のTVメーカーにとって何よりの福音だった。
禅介は、二人が決行したと知って、すぐ姿をかくし、ビンと小百合の身許《みもと》が割れれば、たちまち自分も追われる身となる。それはいいが、われ一人無為のままではいかにも恥ずかしく、処女を大量に虐殺すると大言壮語してはいても、具体的な方策まったくないのだ。
女子学校にダイナマイトほうりこんでもはじまらぬ。生徒の中に、非処女がいくらもいるだろうし、禅介の考えるテロは、厳密に処女だけを選択して、その対象とするので、十把《じつぱ》ひとからげは意味がない。
男性の胎内回帰願望を拒否する、非人間的存在としての処女を抹殺し、処女の意味を百八十度転換せしめるのが目的なのだから、できれば単発的に数多く殺すより、雨垂れ方式がいい。
もし二日に一人、十分に成熟しながら、男を拒みつづける娘、その心底には自らを一夫一婦制度の中で、高く売りつける打算があり、決してストイックに身を持するのではないのだが、これを撲殺しつづけたらいかなる事態が起るか、はじめ、警察も被害者の共通因子に気づかぬだろうが、やがて動機のない、いわば通り魔的殺人者が、処女をのみ対象とするらしいことに気づき、これがニュースとして流れたら、処女は生命守るために、先を争って男に抱かれたがるだろう。
どうしてもそのチャンスのない処女は、父あるいは兄弟に懇願して、非処女たらんとし、処女売り物の女優歌手は、大童《おおわらわ》で真実をのべ、殺人者の誤認をさけようとするにちがいない。
そして、殺人者が逮捕された後、身を守るためにヴァージニティ失った連中はどうなるか、あるいはどういう眼でみられるのだろうか。
処女の価値は以前より高くなるのか、夢からさめた如く、あほらしいものに見なされるのか。禅介、光化学スモッグの被害者が、まず女子高校生だったことを考え合せ、成熟しながら処女でいる者にのみ被害もたらす毒ガスの如きものを、発明できないだろうかと、妄想する。
電気室の屋上から、ころがり落ちて、危うく小百合との心中避けた兵士たち、いっこうに爆発音ひびかないから、また恐る恐る首を出しながめると、小百合大の字にひっくりかえって、びくとも動かぬ。
銃かまえて近寄り、息はあるが失神しているとわかって、地上に合図し、股間に燃えていた導火線はなんであったかと、指ふれることもならず、のぞいてみると、艶《つや》やかに陽光をうけて輝く、二枚の花弁、息づくように少しずつ収縮し、あたり粘液にまみれていても、べつだん異状はない。
裸体を毛布でくるみ、すやすや寝入るが如き小百合を担架で下ろし、意識とりもどさぬから病院へ運び、診断の結果、極度の興奮の結果、深い昏睡状態にあるとわかり、兵士の証言で、婦人科医も、体をあらため、子宮|頸管《けいかん》下部が赤く腫《は》れているからレントゲン撮影すると、子宮内に、直径三センチ長さ十センチの棒状物体が格納されているとわかる。
マイトにちがいない。この女は膣内にそれを納め、五体四散させるつもりで、果さず、何かの拍子に、マイトが子宮に入りこんだのだろうと推理され、いかに人工中絶の名手でも、マイトはかき出せず、といって、兵士たちの、不発弾処理班も、女体を相手どったことがない。
うかつに刺激すれば、爆発するし、平常の状態でも、たとえば小百合に、性的な刺激、あるいは恐怖感与えれば、子宮の異常収縮により、マイトは炸裂しかねぬ。
体外にとり出さなければ、訊問《じんもん》出来ぬとなって、まだ意識とりもどさぬ小百合を、内診台の上に固定、その周囲を土嚢《どのう》でとりかこみ、婦人科医の指導のもと、決死の覚悟きめた処理班がとりくむ。
「小陰唇の間をゆっくりかきわけて、膣孔《ちつこう》をひろがるだけひろげて下さい」「了解」医者の指図に従い、兵士おそるおそる指をさし入れ、すると、「うーん」小百合、刺激を受けて、意識とりもどしかけたか、鼻声をもらす。
「反応ありました」仰天して兵士が叫び、「麻酔薬注射」医者が看護婦に命令を下す。
兵士は、鳥のくちばしの如き器具、先端の曲った金属棒など、あやつってどうにかマイトをはさみこんだものの、粘液にまみれているからつるつる滑って引き出せぬ。
「いっそ帝王切開したらどうなんだ」指揮官が焦《じ》れていったが、さすが五日間にわたる緊張の持続と、不眠不休が続いていて、とても手術に耐えるだけの体力は、小百合に残っていない。
若い兵士の一人は、眼前|咫尺《しせき》の間に、うら若き美女の、あでやかな秘所をながめつづけ、しかも、一つまちがえばもろとも吹っとんでしまう緊張感に耐え切れず錯乱状態となったし、また、自らの男根さし入れようとかじりつくものもあらわれた。
このことはもちろん報道されて、「自分の体を、こなごなにひきちぎる力秘めたものに、犯されることで犯人の性的興奮は頂点に達したのであろう。しかし、その当然の結果として、女の生命のしるしがあふれだし、その力を静めてしまったのである。古来より、女の秘所には悪霊《あくりよう》を払う力が宿るというが、その具体的な例がここにみられる」性科学者が解説し、つけ加えて「しかし、常に消えるとは限らないから、マイト遊びなどは、きわめて危険である」とこの流行することをいましめ、若い女性の中には、マイト手に入らぬから、花火によって、すでにこれを真似るものがあらわれていた。
どうにか、マイトを無事取り出し、あらためて小百合病院に収容されると、麻酔の覚めるに従い意識をとりもどし、まだ自分が生きていることに気づいて、特におどろきもしなかった。
刑事の入れ替り立ち替り訊問するのに、しごく素直にこたえて、もはや隠すべきことはないし、むしろ自分たちの行為の意図をはっきりつげる方が、効果的なのだ。
大都市の持つ脆弱《ぜいじやく》性につき、為政者も気づいていたが、かりに同じような事件が三つ続いたならば、東京は完全に機能を停止し、革命よりさらにひどい事態となるに違いない。狂人の仕業と決めつけることにし、となると、現行法では刑の執行は不可能になる。
警官兵士市民に多数の死傷者を出し、国家の中枢を麻痺《まひ》させたのだから、極刑がのぞましく、この種事件の犯人にかぎり、狂人であっても処刑するとの特例が国会に提出され、満場一致で可決、裁判公開の原則も破られ、軍法会議めいた雰囲気の中で、小百合は裁かれる。
一方、グループにビンの他、新吉、禅介、老人がいたとわかって、その探索が行われ、新吉はビルの自室に全身腐乱の状態で発見され、老人も、重症精神障害者の、檻《おり》の中で、すっかり同化したのか、言語も不明瞭なら、自分のおかれている立場についての認識もなく、これは裁くことすらできなくて、衰弱しているのを幸い、その死まで放置することに決る。
副産物としては、障害者たちのあまりにひどい生活環境が白日の下にさらされて、施設の経営者世間の非難攻撃の的となった。
禅介に関し、龍子が喚問され、訊問受けたが、ほとんどテロリストの面については知らされていなかったとわかり、その手配写真全国にくばられたが、行方はつかめぬ。
そして、禅介がテロの対象とするのは、処女に限られるという小百合の証言を、発表するべきか否か論議が分れ、これまでのグループの行動からすれば、決して強がりではない。
必ず具体的に実行するだろうし、注意する旨の通達を出すか、あるいはそれによって起る混乱の方が怖ろしいか、小田原評定《おだわらひようじよう》がつづけられた。禅介は、事態の推移一切わからぬまま、新興宗教支部の、壮麗な祭壇の後ろにかくれ、ここにはかつて、PR紙の取材で来たことがあった。
はじめからここを目指したわけではなく、近くを通り過ぎようとして、信者にさそわれ、とにかく一時的にせよ身をかくすことができればと、その講堂に入って、御説教をきき、終った後まぎれこんで、何に使うのかいくつもならぶ小部屋の天井に身をひそめ、納屋に息をこらし、そのうち、信者でも滅多に入れぬ礼拝堂にふみこみ、祭壇にそなえられたおびただしい供物に飢えをいやし、何気なく御本尊の祀《まつ》られるらしい扉《ドア》あけてみると、中はがらんどうで何もない。
年一度、本山から御本尊を移し、大祭を行うと、説明されたのを思い出し、ここへもぐりこんだのだ。
朝夕、緋《ひ》の袴《はかま》はいた巫子《みこ》が穀物野菜水清酒を供え、禅介がぴんはねしても、ばれる気づかいはない。排泄物《はいせつぶつ》も、一年中しめたっきりなのだから、換気設備ととのっていて、さほど臭わず、禅介は、ポリポリと豆を食べ生米かじっては酒をのみ、のんびり一日寝てばかりいた。
あたりはほのぐらく、何の物音もとどかぬ。時のうつろいを忘れ、危険感もやがてうすれ、結局、自分の求めていたのはこの境地ではないかと、考える。これぞ胎内復帰で、いっさいの刺激から守られつつ、栄養ゆきとどかないから、やがて骨と皮に痩《や》せおとろえたが、禅介いさいかまわず、ビンや新吉思い出すこともなかった。
しかし、その遺した意志は、思いがけずに影響を及ぼし、小百合の裁判に関係した者で、未婚の娘持つ場合、いまだ高校低学年であっても、あわてて結婚をいそがせ、あまり不自然だから、当人が反抗する。やむなく親は、やがて処女撲滅のテロが起ると、大袈裟《おおげさ》につげたから、その口からまたたくまに広がって、未然に防ぐ方策を講じもせず、自分の娘だけ助けようとするなど、怪《け》しからん、攻撃がなされ、マスコミはこれを「処女汚職」と指弾する。
いったんばれてしまっては仕方ないから、禅介の計画を公表し、すると、結婚まではと、気取っていた恋人たち、先を争ってベッドにかけこみ、処女ではないという証明書を、医者に書かせ、襲われた時の守り札にする魂胆。
女子高校、中学は当分休校となり、とっくの昔に処女失った尻軽娘、この世の春とばかり大きな顔で盛り場をのし歩き、母親たちも何となくうれしそうにし、どうしても処女が、外出しなければならないのなら一見して非処女風メーキャップほどこすように指導されて、女高生すべて、場末のおさわりバアホステスの如き装いをこらし、処女らしい恥じらい、清潔さは危険をまねくから、言葉づかいも猥雑《わいざつ》に努め、決してすすめられることではないが、種痘と同じで、そのチャンスがあるなら、本当の非処女になっておいた方がいいと、教師も指導する。
処女強姦犯人は、人助けのつもりだったと抗弁するし、レズビアンは恐慌をきたし、泣く泣く男に抱かれる。
禅介の目論見《もくろみ》は着々進行し、新吉、老人の指導者に人肉食わせるこころみ、挫折したし、ビンと小百合の行動も、ビルの守衛が増員され、ダイナマイトの管理がさらにうるさくなった程度の影響しか残さず、ほとんど手を下さなかった禅介が、もっとも効果を上げていた。
だが、そのいっさいを知らず、また知らされても、もはや心うごかされないだろう。禅介は、穀物と酒だけで半年近く生きのび、いつ息ひきとったともわからぬうちに、死んで、丁度寒気きびしい頃でもあり、換気がよかったから、即身仏、木乃伊《ミイラ》となって本来、御本尊のまつられる祭壇に横たわったまま、やがて年に一度の御開帳に際し、発見された。
教祖は、これぞ奇跡のあらわれ、わが信心の賜物と考え、この即身仏こそは、あたらしい御本尊と、うやうやしく礼拝し、十年に一度の大祭に際し、これを一般公開、また新本尊|祀《まつ》り申し上げる大本堂|建立《こんりゆう》すべく、全国に号令を下し準備にとりかかった。
小百合は、死刑と決って仙台の刑務所に移され、その執行の直前に、妊娠していることが判明、在来ならば、出産させて後に執行するのだが、またしても特例もうけて、無理矢理殺してしまうつもりのところ、今度は、母の会、主婦連を中心にする反対運動が盛り上がり、罪をにくんで人を憎まず、あるいは、人すらも憎んで、この場合いいのかも知れぬが、お腹《なか》の子供には何の罪もないはず、あたらしく息づく生命を、殺すべきではないと、主張するのだ。
大勢の人命を奪った史上|稀《まれ》なる凶悪犯と、為政者は強調したが、少し時間が経てば、母親たちの言い分が、センチメンタルな共感を呼び、小百合の出産をつつがなく行わせる市民運動が起り、政府もその力に屈して、小百合は刑務所で手厚い保護を受けることになった。
そして、その刻々たる胎児成長の記録が報道され、女性週刊誌は、新生児の名前を広く公募し、圧倒的に多く集まったのは「てろてろ」で、生れる前からてろちゃんは国民の人気者となり、男か女かの賭《かけ》がなされ、世界中から養子にしたいむねの申しこみが殺到、その分娩《ぶんべん》には、最高の産科スタッフが用意された。
もし、この段階で流産でもしようものなら、国家は、国民のみならず、全世界の非難を受けるにちがいなく、刑務所から一流病院へ移され、立ち居振舞いのいちいちに看護婦つきっきりで手助けをし、王侯貴族顔負けの豪奢《ごうしや》な生活を送る。
もし、小百合がその気になれば、どんなわがままも許されたろうが、しごくひかえ目にふるまって、周囲の人間、これがあのビルの屋上で孤軍力戦した女テロリストかと眼をうたがう。小百合は、今では自分は、あの体内にマイト挿入した時、死んだのだと信じていた。
その後に起ったことは、すべてかりそめのこと、周囲がさわごうが、どう扱われようが、知ったことではなく、自分の胎内に宿ったあたらしい生命の、次第に成長し、胎動はっきりとわかるようになっても、あくまで他人《ひと》ごとだった。
みごもったのは、あのビルの屋上で、ビンと抱き合った時だろう。あるいはひょっとして、狙撃されたビンの、最後の生命のしるしを受け入れたのかも知れぬ。
そして、受胎した直後に、同じ子宮内でダイナマイトと同居し、生れついてのテロリストたる資格は十分なのだが、小百合は、その未来について考えることはせず、一刻も早く絞首台にのぼりたいとだけ思う。
できることなら、陣痛のたかまった時に十三階段を登り、胎児の産道にさしかかるのを見はからって、首になわをかけ、頭の出たところでストンと落ちれば、そのはずみでおぎゃあと安産できるのではないか。
そんな小百合の気持とはうらはらに、世間はてろてろの誕生待ちかね、その唄までつくられ、大ヒットしていた。
※[#歌記号]てろてろ坊主、てろ坊主、明日嵐になぁれ。
あとがき
比較的長い小説として、『てろてろ』は十作目である。処女作が『エロ事師たち』二作目が『とむらい師たち』それにこの小説で、語呂合せではないが、エロ、グロ、テロの三ロ作がそろったことになる。
現代におけるテロリストは、むしろ、もっとも心やさしい人間といえるのではないか、と、まったく唐突に考えついて、この小説を書きはじめた。週刊誌「平凡パンチ」に連載の形で発表したため、ぼくの他の小説もだいたいそうなのだが、支離滅裂まったく一寸先は闇といった気持のまま、主人公たちの動きをひたすら追うばかりといえばきこえはいいが、印刷所の校正室、汽車の中、喫茶店、ホテルのロビーで、書きつづり、連載一回分が原稿用紙十五枚半、平均二時間半で仕上げて、終了するまで、いっさい読みかえしをしなかった。人を殺すという行為についてのみ考え、また、しごく直接的に殺したり殺されたりする、その行為の中にだけしか、人間と人間のつながりを、確かめられないのではないかという、仮説を、ひたすらなぞったのであって、まあ、「仮説小説」と自分では、納得している。
三島由紀夫氏が、石川淳氏との対談の中で、この小説に触れてくださり、「……これはもうほんとうに、破裂するための集中ですよ。めちゃくちゃですね」とおっしゃっている。軽い気持の言葉なのだろうけど、これまで賞められたり、けなされたり、物書き稼業の明け暮れ、いろんな玉章をたまわる中で、少し面映ゆいながら、ひどく心に残った、うまく説明できないけれど、ぼくは、重い言葉としてうけとめたのだ。そして、一里塚というほどの、こしかたもないのだが、『てろてろ』を一区切りとして、あたらしい三ロに、とりかかるつもりである。
昭和五十年十二月新潮文庫版が刊行された。