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鬼平犯科帳の人生論
里中哲彦
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は じ め に
講義中に私語を慎まぬ学生の次に、人生論を聞かされることが嫌いである。つねづねそれを口にしてもいた。
だから、本書の執筆にかかったとき、友人たちから「おまえはそういうことが嫌いじゃなかったのか」と咎《とが》められ、「成熟とか大人とか責任とかについてあれこれ論じるようになると人相が悪くなるぞ」とおどかされた。
もとより小生は自分自身をいじめるのは得意であっても、他人を叱ったりハッパをかけることは苦手であった。
が、厄年《やくどし》(中年期)を過ぎた頃から、他人の言葉遣いや素行がずいぶんと気になりはじめた。そしてそれが日頃の不機嫌の多くの原因でもあった。典型的な老化現象である。
じっさいセメントの塊と同じくらいのなめらかさをもって年下の男たちに説教する自分を発見することがたびたびあった。
こんなことをやるようではいけないなあ。しみじみそう思った。
でも我慢ならないなあ。つくづくそう感じた。
俗物の極《きわ》みだ。しんみりそうつぶやいたこともある。
あるとき、待ち合わせの時間に三十分ちかくも遅刻してきた年下の友人がいた。小言をいうと、それからというもの、気の毒なほど礼儀正しくなってしまい、なんだか悪いことをいっちゃったかな、と逆に胸を痛めた。
人を叱るのはなんと難しいことなのだろう。こんどはそんなことを考えるようになった。そうこうするうち、なんとはなしに小生の頭を領したのは、「人生のコツ」であり「生き方のツボ」であった。もっとうまく、もっとなめらかに、もっと朗《ほが》らかに人生を過ごせないものか……。
「若いときから老成するのはよくない」
ある友人からはこう諭《さと》された。
友よ、いっとくけど、おれたちはさほど若くないんだよ。
何ごとにつけ、人生かくあるべし、世の中かくあらざるべからず、と言い切ってしまえるほどの心境には達していないものの、この世に生を享《う》け、先人たちの知恵に接し、その恩恵に浴した者として、いかほどかは恩返しをしなくてはならないとの気持ちがむくむくとでてきたのである──こう書けば何となく格好はつくが、小生、残念ながらここまで謙虚ではない。人生かくあるべし、世の中かくあらざるべからず、はかならずあるのだ。
じつをいうと、人生論を聞かされることは嫌いであったが、読むことはさほど嫌いではなかった。「聞かされる」ことが嫌いであったのは、思うに語り手の話術に問題があったからだ。
説教を垂れるのが好きな人は、どうしてあんなにも話がヘタなのか。ユーモアも結論もあったものではない。好き勝手に気持ちよくしゃべっているだけじゃないか。だから、そんなときの小生はいつも催眠術師の前に座っているようであった。
どうだ参ったか、みたいな威張りン坊に説教されるのは好まないが、こう考えたらどうだろうか、と静かにそっと書きつらねる人たちの言葉には耳を傾けた。
例外は、極道辻説法≠ナ有名な今東光《こんとうこう》和尚だけである。和尚はつねにどなり散らしていたが、恋人のことで相談してきた男性読者に「その女、オレに紹介せい」などと書くユーモアもあり、当時まだ高校生だった私を大いに笑わせてくれた。ほんと、愉快な和尚であった。
話を戻そう。なかでも次に挙げる三人の先生のおっしゃることは我が身に沁《し》みた。
まずは福田|恆存《つねあり》先生。
私にとって目覚ましかったのは、その明晰な頭脳である。いや、明晰な頭脳の持ち主などといえば、それこそ掃いて捨てるほどいるのだろうが、この先生だけは「格がちがう」との印象をうけた。
人間という劇的な存在についてまたとない観察者にみずからを仕立てあげたこの碩学《せきがく》は、怜悧酷薄との印象を若干与えはしたが、時代と日本人を巨視しながらも、一人ひとりの行為を微視するのを忘れず、さまざまな人間の所業を解剖医の手つきで闡明《せんめい》するのだった。不敏菲才《ふびんひさい》な小生といえども、人品《じんぴん》のよさというものを文章から感じ得たのは福田先生がはじめてではなかったか。先生の文章を読み終えたときは、読むまえよりも人品骨柄がよくなったように感じたものだ。
その実りある読書は、私をひとつ上の次元へ導いてくれるような気にもさせてくれた。先生の書くものはまさに「洞見」といってよく、めったにない感動を幾度となく覚えたものだ(それにしてもこの方の頭のよさは屈指であることよ)。
次は田辺聖子先生。
田辺先生はチャーミングなロマンチストでありながら、すこぶる付きの人性研究家《モラリスト》である。|どきり《ヽヽヽ》とさせられることがたびたびあった。
論を急がずにゆるゆると人生の深淵を語っていく素振りを見せつつも、ここぞというときには大事なことを言い忘れない田辺聖子先生の魅力と魔力には、思わず「おっしゃるとおりです」と伏し拝んだ。
小生のはしゃいだ精神に冷水を浴びせかけてくれたばかりではない。小生の心に襞《ひだ》というものがあるのを知ったのも田辺先生のおかげである。「日本精神のマザー・テレサ」といえば、私にとっては田辺聖子先生なのである。
最後に、池波正太郎先生。
先生は机上の理想論より路上の現実論を好んだ。正直、最初のうちは口うるさそうな老人だなと思った(じっさい若い頃の先生は怒りっぽく、「火の玉小僧」の異名をたてまつられたこともあるほどの癇癪《かんしやく》持ちであったそうだ)。
だが、ひょんなきっかけから親近感をおぼえるようになった。それは絵であった。先生のお描きになる絵がとても気に入ってしまったのだ。それも一枚の絵ではない。目にしたほとんどの絵が好きになってしまったのだ。先生の絵には随所にさりげないリアリティが感じられ、その細部には生活への慈愛がこもっていた。
絵に親しんでいるうち、人となりにも興味をもつようになった。まずは随筆を読んでみた。しかめっ面をしたり、呆れたり、哄笑したり、眉をひそめたり、唇を噛んだりしながら読みすすめていくうち、いっていることがどれもいちいちもっともだと思われるようになった。自分自身の恥ずかしい過去を思いだし、うっすらと冷や汗をかいたことも幾度かあった。そしてその蓄積が、私のなかでひとつの「教養」になっていくのにあまり時間はかからなかった。
「人は文なり」(ビュフォン)というが、それとは直截にはいわず、人間社会の実相とそれを構成する人間の営みをあわてず騒がず慈愛をこめて語るのが池波先生のやり方である。山っ気のない平明な文章といおうか、心やさしくも感傷的ではない文体といおうか、歯切れのいい文体にのった率直な言葉の数々は、世俗に徹した大|通人《つうじん》の趣をもっており、小生の耳朶《じだ》をうつことがたびたびあった。
先生の文章はかぐわしい。生活の匂いが立ちのぼったその文章は「味つけのいい文章」といってもよいものである。そして、とくにそれは食べ物の描写をするときに遺憾なく発揮された。
食べ物に関する本の多くは下品で喰えないものが多いが、池波先生のものだけは嫌味をまったく感じなかった。食べ物への愛着を叙するときの池波先生は、類もなく精妙で、息遣いは微細だった。
むろん随筆だけに人生を学んだのではない。私は池波先生の時代小説を教養小説としても読んだのである。
なかでも『鬼平犯科帳』からは多くのことを学ばせていただいた。『鬼平犯科帳』の功績は、勧善懲悪の域を脱しえなかったそれまでの時代小説に新しい風を吹き込んだことばかりではない。人間の社会は黒白だけで決められるものではなく、中間の色合いというものがあり、それが融通《ゆうずう》というものだと喝破したことだ。ここにこそ、『鬼平犯科帳』が世の大人たちに好んで読まれる理由があるのだが、小生はこの小説から融通を成り立たせる「中庸」というものの大切さを学んだのだった。融通は平衡感覚を求めて「中庸」にたどりつく。いわば「中庸」は綱渡りにおける平衡棒のようなもので、絶えざるバランスの獲得をその目的とする。「中庸」の対極にあるのは「極端」と「大げさ」であるが、「中庸」こそがいまの日本人が忘れかけている大切な美徳ではあるまいか。
本書は、鬼平≠アと|火付盗賊改 方《ひつけとうぞくあらためかた》(火盗改《かとうあらた》メ)の長官・長谷川平蔵を主人公とする小説『鬼平犯科帳』から小生が学んだことをざっくばらんに書き記した人生論集である。
とはいっても、本書はいささか風変わりな人生論の入門書といえるかもしれない。それというのも、読者の心の動きについてはほとんど念頭においてはいないからだ。
こうしたらいかがでしょう、ああしてはいけません、みたいなことをいちおうは書いているが、これは「私の中のもうひとりの私」に対していっているのであって、読者のみなさんに強要しているわけではまったくない。いわば、本書は、私自身へむけての覚悟でもあるのだ。
どうか、中年男の戯言《たわごと》と思って、Tシャツの衿《えり》を正すような気分で読んでいただきたい。そうすれば、さほど面白くないこともない、と勝手に思い込んでいる。
[#地付き]里中哲彦《さとなかてつひこ》
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目 次
は じ め に
モテる男になる秘訣
人間は平等であるが、対等ではない
愛情の表現は、短く控えめに
「成果主義」はほどほどに
ユーモアにもルールがある
おおいに若者を嘆くべし
才能は育てあげるものである
人を動かす極意
ひらめきを喚び込む術
短 く 叱 れ
悪友もいいものだ
中傷をどう捌くか
考えたくないことを考える
ギャンブルに必勝法はない
養生に身が痩せる
人は自分の信じたい〔うわさ〕だけを信じる
男は収集して安心する
「仲間とだけつき合う」のはやめなさい
礼儀は正しいのがよい
偶然とは、偶然を装った必然である
人生に負けはあるか
健全な警戒心をもて
人は「承認」を必要とする
褒めるときは、気づきにくい美点を一刷きで
「尊大」という病を患うな
教育で個性は育めない
上達とは真似ることと見つけたり
お金は、わたしたち自身である
気持ちはあとからついてくる
いさぎよい女は見返りを求めない
親しき仲にこそ礼儀あり
短所は気にせず長所を伸ばせ
日本的経営を手放すな
美人とは哀しい存在である
「期待される部下像」をはっきりと伝えよ
「和を以て貴しとす」は目標ではない
人は「間接的伝達」に弱い
目指せ、その先の快楽へ
希望は与えられるものではない
情に報いて「情報」となす
景気は心理に左右される
上品を気どるのは下品である
部下としての心得
好奇心があれば老いぼれない
自分の特徴を熟知せよ
宿命のなかに快楽を求めよ
善行から善が生じるとはかぎらない
嫉妬は自分を不幸にする
中庸こそが処世の要諦である
かけひきの常套手段にご用心
所が変わっても、舌は変えるな
運に見放されたときは、とりあえずぐっすり眠れ
ミスの処理を誤ると会社は傾く
自分がわからない
四季は情感を抱きすくめる
将たる者は喧嘩が強くなくてはならない
肌に合わぬ言葉はつかうな
半常識的な姿勢を
人柄まで喰って旨い
してあげる喜び
時間を甘くみるな
人は外見で判断する
酒は両刃の剣である
組織の成功は個人の才能にかかっている
「気づく力」で活路を見いだせ
しかるべきことはしかるべき時期にしかるべきふうに
その場に合った声の大きさを
聞き上手は知恵を授かる
ウマの合わない人間とつき合う法
責任回避のための会議はやるな
自分の掟にしたがって、おおいに妥協せよ
おしゃれの作法
塩梅を知るのが大人というものである
弱みを強く自覚せよ
書を読んで町へ出よう
恋に勝利する方法
人は有能であっても全能ではない
白い割烹着と和服の復活を
もっと感謝を
叱られ上手は叱り上手になる
決断はあわてずに急げ
失敗は成功に欠かせぬ条件
あ と が き
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● モテる男になる秘訣
[#ここから5字下げ]
「ああ、もう……お雪とこうしていると、おれはもう、お役目なぞどうでもよくなってしまう。ああもう、たまらない。お前と片時もはなれてはいられないのだよ」
などと他愛《たあい》のないことを口走りつつ、忠吾はお雪のえりもとを押しひらき、南天《なんてん》の実《み》のような、紅くいじらしい乳首を吸いはじめる。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「お雪《ゆき》の乳房《ちぶさ》」
「兎忠《うさちゆう》」こと木村|忠吾《ちゆうご》は女にモテた。
なぜか。
容姿容貌が目を見張るほどよかったからか。ちがう。
男ぶりがすこぶるよかったからか。ちがう。
あり余るカネがあったからか。ちがう。
しかししかししかし、忠吾は女にモテた。
ずばり、それは女を褒《ほ》めるのに巧みであったからだ。これこそが女の気を惹《ひ》く、安易にしてもっとも有効な手段なのである。
木村忠吾は、女を褒めることに何ら躊躇《ちゆうちよ》はしない。ふつうの男ならまず口にできないようなくどき文句を、ふとさりげなく、いともやすやす、真顔でいってのけるのだ。
聞くところによると、女は、どんな女であっても、鏡を見てはどこかに取り柄を見つけてまんざらでもないと思っているらしい。女性を洞察して定評のあった吉行淳之介は次のように述べている。
「女性は、自分の容貌のどこかに特長を見つけて、ひそかに自負しているものだ。だから、女性をクドくには、その自負していそうな点を発見して、そこをやたらに褒めるにかぎる。もしも発見できない場合は、耳を褒めるがよい。耳というものは一種盲点に入っていて、最も美の基準があいまいなものだから」
さすが助平な御仁、なかなかにいやらしい。ちなみに五味康祐の見立てによれば、女性の耳というのは女性自身≠ナある。
男が目で恋をするとしたら、女は耳で恋に落ちる。男は夢想家であるがゆえに目が鍛えられておらず、女は現実家ゆえに目に見えないものに騙《だま》されるのだ。
小生の見るに、女は、それがどのような女であれ、ひと皮むけば「耳で夢見る乙女」であり、その大半が耳がとろけることで恋に落ちる。女はだいたいにおいて、くどく男にメロメロとなるのだ。
つまり、女は男に言葉でうっとりと酔わせてもらいたいと思い、その願望を満たすことができる男こそが、モテる男ということになる。
「きみのお母さん、さぞかし美人だろうね。だって、きみがとびぬけて美人だから」
「あなたは地上に降りてきた最後の天使だ」
「きみとこうして歩いていると、胸に赤いバラをさして歩いているみたいだ」
男性諸君、こんなセリフが吐けますか。
「そんな歯の浮くようなこと、いえるか」
「死んでも、よういわん」
と、たいていの男はいうであろう。
だから、たいていの男はモテないのである。
● 人間は平等であるが、対等ではない
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「父上にも似合わぬ失態でございましたな」
いった瞬間、長谷川平蔵がはね起き、息子の横面をちからまかせになぐりつけ、
「ばかもの!!」
大喝一声した。
「素人《しろうと》に何がわかる」
いい捨てて居間を出て行く父の後姿を見送り、二十歳の辰蔵が泣きべそをかき、
「ひどい。これは、あまりにもひどすぎる」
と、わめいた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「泥鰌《どじよう》の和助始末《わすけしまつ》」
大きな泣き声をあげて手足をばたつかせる男の子(推定年齢五歳)に、若い父親が自分の人差し指をなめさせて、「おいちいでちゅか?」となだめている姿を昨日、田園都市線の車中で目撃した。瞬間、顔面が歪んだ。ゾッとして、ゲッとなった。思わず座席から腰を浮かしかけてしまったではないか。若い父親よ、いくらなんでも人前で「おいちいでちゅか」はなかろうよ。平蔵がこの光景を見たら、思わず大刀の鞘《さや》へ手をかけたであろうことは想像に難くない。
父はむかしの父ならず。去年《こぞ》の雪いずくにありや。女房に遠慮し、若者に迎合し、権威におもねっているうち、父親たちはいつのまにか我が子にまでも媚《こ》びるようになってしまったようだ。それが証拠に「父親の媚態」というべき惨状はハトの糞のようにあちこちで散見できる。でもさ、いくらなんでも父親が「子どもに媚びる座敷犬」になってはいかんだろう。
「厳格な父」とか「立派な父」という言葉を耳にしなくなって久しいが、そのかわりにいやというほどに見聞するのは「叱らない父親」や「ものわかりのいい父親」だ。結果、子どもたちは、父親のいうことはさっぱり聞かず、占い師や芸能人のいうことばかりに耳を貸すようになった。あまつさえ、自分に甘く、子どもにも甘い父親がゴマンと目につく。日頃、辛口や毒舌を売りにしている人でも、身内にはみっともないほど大甘だったりする。なかには「だらしない父親のほうがむしろ自然だよ」とか、「ありのままの弱い父親を見せることも勇気だと思うよ。父親としてのひとつの理想像だね」などとわけ知り顔でいう大人もいて、「火付盗賊改方ですか。ご出役願います」と電話をかけたくなる。
また、けしからんことに「子どもの主体性や自主性は尊重しなくてはいけない。価値観の押しつけなんて、もってのほかだ」などと心得顔でいう大人もいて、「バカも週休二日制にしなさい」といってやりたくなる。まったく薄学にもほどがある。無知を絵に描いて国立近代美術館に飾っておきたいほどだ。
人間は平等である。がしかし、対等ではない。大人と子どもが平等だと述べて、「がしかし……」や「ただし……」をつけ足さないのは歪《ゆが》んだ平等意識といわざるをえない。
気をたしかにもって、聞いていただきたい。主体性とか自主性というようなものは、なんらかの価値観があってはじめてもちうるものである。なんの土壌や下地もないところにいきなり主体性や自主性なんてものが根づくわけがないではないか。根づくものがあるとしたら、それは「わがまま」だけだ(責任を負うことは考えずにただ欲望を発散する「わがまま」と、責任を負うことではじめて成り立つ「個としての自由」とは千里の隔たりがあると知るべきである)。子どものわがままを放任するというのなら、大人と同様の義務と責任と処罰を課すべきである。それが嫌だというなら、躾《しつけ》をしっかりとやることだ。それが健全な親というものであり、また父性というものである。
● 愛情の表現は、短く控えめに
[#ここから5字下げ]
「久栄《ひさえ》」
「はい?」
「ちかごろは……」
「ちかごろは、何でございます?」
「大分《だいぶん》に……」
「大分に?」
「肥《こ》えたな」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「毒《どく》」
思わず、「プッ」と笑ってしまった。やるね、平蔵。
さて、西洋人は人前であっても配偶者を褒めるという。知り合いのアメリカ人夫婦を見ていてもたしかに頷ける話だ。「シェリル、きみのお尻、ほんとにキュートだね」「ありがとう。あなたの指づかいだって、ステキよ」などとやっている。
日本人は、だいぶ変わってきたとはいえ、この点においてはまだまだであるようだ。夫は妻を「愚妻」と呼び、あからさまに「器量よしじゃない」と公言することがあり、性格を評して「きつい女でして」などと露骨にいうこともある。また妻は妻で、夫のことを「太ることだけが得意でして」とか、「もう少し稼いできてくれるといいのですが」などと口にして臆面もない。「西洋人が見たら、日本の夫婦はほとんどが離婚寸前に見える」といわれるが、日本人の夫婦が互いを貶《おとし》めるのは、愛し合っていないというのではなく、人前でいちゃいちゃすることが下品だと思っているからであり、へりくだることが美徳だと考えているためである。つまり、たんに愛情を人前でおおっぴらに表現しないというだけのことだ。
日本人は感情をおもてにださないと批判されて久しいが、小生にいわせれば、それがどうした、である。小生はむしろ派手に感情をあらわすことのほうが見苦しいと感じる。そう育てられもしてきた。愛情は真率になればなるほどその姿を隠したがるのだと。
私の父は大正生まれで戦地に赴いたが、何年かぶりで無事に帰ってきたとき、感涙するでもなく、玄関先でひとこと、「帰ったよ」とボソッといったという。待っていた家族は「おかえり」と口々にいい、祖母(父の母)は「荷物、重くなかったか?」とさして意味のないことをいったそうな。そして父は無愛想に「うん」とか「ああ」とこたえたそうだ。九死に一生を得て戻ってきた息子に、穏やかにほほ笑みかける表情や、荷物をおろすのに手を貸すしぐさにこそ、言葉にならない深い愛情を小生は感じるのである。歓喜は、花びらのように広げられた両手や身にあふれだす叫びのみによってあらわされるものではない。
夫婦にしてもそうだ。昨今、「言葉にしなくても愛は伝わる、と考えるのは夫たちの怠慢」という妻たちの声を耳にするが、妻≠ニいう字が毒≠ノ見えるのはこうしたときだ。なんでもかんでも言葉にしようとしたら、虚言と誇張が氾濫するのは目に見えているではないか。冷たい温もりを感じるぐらいがちょうどいいのではないか。
妻に向かって、目を合わせず、「ちかごろは……大分に……肥えたな」とポツリといえるほどの仲こそ、あらまほしい夫婦の関係である。
それにしても、かいがいしく動きまわる妻の姿がどれほど暑苦しく感じられたとはいえ、よくもこのような発言を平蔵は妻に向かって吐けたものだ。現代の夫婦では、誠実かつ真摯な謝罪をもってしても、関係の修復にはだいぶ時間がかかるであろう。ひょっとしたら、臨死体験をする夫だっていそうである。
● 「成果主義」はほどほどに
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他の役職とはちがい、命がけではたらき、手柄をたてたところで、格別の昇進があるわけではないのが火付盗賊改方なのだ。
それでも尚、盗賊の追捕《ついぶ》に彼らが熱中するのはそこに彼我《ひが》の生なましい闘争があり、その闘争の中で、男としての情熱をたしかめることができるからなのであろうか……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「網虫《あみむし》のお吉《きち》」
経営環境が厳しくなると、経営者の頭にまず浮かぶのは徹底した「成果主義」の採用であるらしい。
いまのニッポンを見渡すと「成果主義」はあたかも落ち目の会社を延命させる起死回生の万能薬のような扱いである(それにしても、法人としての日本国は金持ちなのに、なぜそろいもそろって個人はこうも発想が貧困というか貧乏たらしいのか)。
何らかの閉塞状況を打破しようとするとき、人は「極端」と「徹底」を好み、性急に白黒をつけたがるが、昨今の「成果主義」ほどこのことをわかりやすいかたちで見せてくれたものはない。
いうまでもなく、「成果主義」の目的は社員のやる気をあおって会社の業績を向上させることにある。が同時に、成果をあげぬ社員をあぶりだして人員を整理≠キることもその射程に入っている。
といって、これ自体べつだん責められるべきものでもない。経営学を少しでもかじった者ならば知悉《ちしつ》していてとうぜんの知識である。小生も片手を上げて賛成しよう。だが、もういっぽうの手は下ろしたままでいたい。
なぜというに、「成果主義」には大きな落し穴があるからだ。
ひとつには、会社が「人物」を失う可能性が高くなるということだ。どういうことかというと、「成果主義」の徹底は長期雇用がもたらす社内での人格|陶冶《とうや》を放棄することにつながるため「人物」が育ちにくく、長い目で見れば大きな不安定要因を内部に抱えこむことになる(たとえば後継者なるものは、社内で「育てる」ものではなく、社外から「見つけてくる」対象となるであろう)。
いまひとつは、「成果主義」を徹底した場合、一度達成された成果はそれが水準と見なされ、より高い目標を次から次へと要求されることになるため、過度の心理的圧迫を誘発することになる。結果、心身の健康をそこねてしまう者が大量にでてくる。
さらにいえば、「なにをやったか」だけに関心が向けられ、「なにをやりたがっているか」に目を向けられることがなくなるため、やりがいを見失う社員が多数あらわれる。
むろん、これを仕掛ける経営者側だって安穏としてはいられなくなる。高い成果をあげたときに転職して自分を高く買ってもらおうという集団が社内に形成されるため、優秀な社員を失うリスクをつねに背負い込むことになる。
「企業とは利益をあげるための集団である」というあたりまえの前提を踏まえたうえであえていうのだが、「成果主義」の採用はあるべきだが、徹底すべきではない、と小生は考える。なぜというに、平蔵の火付盗賊改方がそうであったように、人は成果のみにて生くるものではないからである。
そこで社長さんたちにこっそりと耳うちしたいことがある。
もっとも効率よく人を減らす方法は──人を育ててしまうことです。
● ユーモアにもルールがある
[#ここから5字下げ]
「それがさ、尻を押えて、|びっこ《ヽヽヽ》をひきひき……」
「なんだと?」
「どうも野郎、ひどく痔が悪いらしいので」
「痔もちの盗人か、それはおもしろい」
「それでね、銕《てつ》つぁん、野郎、なかなか|ふんぎり《ヽヽヽヽ》がつかねえようだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「泥亀《すつぽん》」
お読みいただいたように、老密偵・彦十も、現代ニッポンに生きるわたしたちと同様、下ネタのジョークがたいそう好きなようである。ずっこけるね。心胆を寒からしめる、じつにくだらない労作だ。まあ、彦十らしいけど。
「日本人はユーモアの精神が欠如している」といわれて久しいが、読者諸氏もそのようにお考えだろうか。たしかにわたしたち日本人は、「公」の場ではあまりユーモアの精神を発揮しない。おそらく「公」の場で笑うことを不真面目な心情としたのは儒教や武士道の影響であろうが、それはたんに相手を軽々しく馬鹿にすることを戒める心の態度であって、それがすなわち「日本人はユーモアの精神がない」ということに結びつくものではない。
じっさい真面目な表情のうちを覗いてみれば、日本的湿潤はいくぶん強く感じられるものの、滑稽やら諧謔《かいぎやく》を愛する精神がそこかしこに蠢動《しゆんどう》しているのが見てとれる。それは小生の大好きな落語ひとつとってみても首肯できることだ。
しかし、残念なことに、ユーモアの精神を「公」の場から「私」の場に追いやってしまったがために、多くの日本人はその本来の意味とルールを誤解してしまったようだ。
結果、「ごちそうさま。いやあ、うまかった。牛負けた」とか「ライスがないと、つらいッス」というようなお粗末な駄洒落《だじやれ》が蔓延し、「バイアグラ、水割りで」とか「おれ、紅顔の美少年じゃなかったけれど、睾丸が美少年だったんだよなあ」などの滑稽にして|しまり《ヽヽヽ》のない下ネタが多くなり、ともかくひとたび駄洒落癖を患ってしまえば、「ユーモアのある人ね」ということになってしまった。脳皮が痙攣《けいれん》するね。
そこにはありふれた世界観を一瞬にして転倒してみせようという意気込みも、奸智《かんち》に長《た》けた自分自身を嗤《わら》ってみせる知性も、露骨な言葉に薄化粧をほどこそうとする行儀のよさもほとんど感じられない。真に「ユーモリスト」といえる人が圧倒的に少ないのだ。
では、機知に富み、奇を衒《てら》った辛辣なユーモアを数撃てばユーモリストになれるかといえば、それもまたちがう。
世に「ユーモリスト」なる尊称をいただく御仁は、批判の精神をもって寸鉄人を刺す言葉で社会や人間を見事に茶化してみせるが、そのときひとつのルールだけは厳しく守るのである。
そのルールとは、滑稽の言葉を投げつける相手が権威社会や特権階級に生きる強者に限られるということだ。彼らの暗愚や劣弱や非力を笑うのはいい。だが、弱き者、愚かな者、幸うすい者を茶化すのはユーモアのルールに反している。権威や強者のおかしさが、ひょっとしたら自分のおかしさではないかと思いつつ、軽妙かつ自嘲的に語れる人が真のユーモリストなのである。
● おおいに若者を嘆くべし
[#ここから5字下げ]
「捨ておけ、もはや害も毒も消えた老人だ」
「よ、よろしいので?」
「ああいうのが、真の盗賊というやつだ。おれが若いころには、まだ大分に残っていたが……このごろの盗賊どもは、品も格も落ちるばかりよ。さ、のめ。もっと、のめ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「はさみ撃《う》ち」
古往今来《こおうこんらい》、旧世代が新世代の不平をいうのは世の常であったらしい。メソポタミアの洞窟に書いてあった古代文字を解読したら「最近の若者はなっとらん」という意味だったとか、ピラミッドの基底部から出土した粘土板には「いまどきの若造は礼儀を知らん」と刻まれていたなどという笑い話がある。
引用の言葉は、誰あろう、長谷川平蔵その人の口から発せられたものであるが、火付盗賊改方の長官が最近の若い盗賊たちのふがいなさを嘆いていて溜飲が下がるというのではない。ここで注目すべきは、あの鬼平までもが若者を慨嘆しているという事実である。
平蔵も凡人俗輩と同じく、若者を嘆いていたのかと落胆する向きもあろうが、浅読みは禁物である。さっきもいったように、年長者が若い人を嘆くのは、いにしえより連綿とつづいてきた人類の伝統である。年長者は年少者を、自分より年齢が若いという理由だけで、野暮で、世間知らずで、気の利かない人間だと伝統的に見なしてきたのだ。
ならば、これは人類の病であるのか、それとも叡知であるのか。
冷静に考えてみると、「なっとらん若者たち」が世代ごとに生みだされるのだとしたら、世代ごとに世の中はどんどん悪くなっていくはずである。そしてそれが真実ならば、人類はとっくの昔に滅んでしまっているはずだ。
だが、人類はいまだ滅びず、退化どころか進化し、世の中はずいぶんと便利で過ごしやすいところになった。
これはどういうことなのか。
各世代の「なっとらん若者たち」が知恵をだして、世の中を少しずつよくしてきたという理由以外に答えは見当たらない。
であるなら、「なっとらん若者たち」がどうして知恵者になれたのか。
答えはひとつ。それは、各世代の年長者が若者たちの未熟と無分別を「見ちゃおれない」としっかりと嘆いてきたからである。
年長者が年少者のとっちらかった言動に目くじらをたて、いちゃもんをつけ、苦々《にがにが》しく吐き捨てることで、年少者は反発し、発奮し、努力してきたのである。実行力はあるが技倆《ぎりよう》と自省能力に欠ける年少者に入念に喝《かつ》を入れつづけることで、彼らの奮起や熱意や勇躍を促してきたのである。……人類の知恵は、ホント、侮れん。
昨今、若者を「なっとらん」と嘆くことが流行《はや》らないようであるが、これは人類の遺産を軽視した烏滸《おこ》の沙汰である。
勇を鼓《こ》して、おおいに若者を嘆くべし。これは悠久の歴史のなかで生みだされた人類の知恵なのだから。
● 才能は育てあげるものである
[#ここから5字下げ]
「ほれ見ろよ、お長。お富の手のゆびは千人……いや万人にひとりのゆびだ。こいつ仕込んだら大《てえ》したものになるぜ」
と、定五郎がお富の手ゆびの如何《いか》に掏摸《すり》の素質をそなえているかを発見するや、
「なるほどねえ。仕込んでみようか」
お長も双眸《りようめ》をかがやかせた。
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[#地付き]「女掏摸《めんびき》お富《とみ》」
引用した例はいささか不穏当であるが、どんなに軽視してみても、やはり才能というものは厳然として存在するようだ。
大きな才能をまえにして自分の夢が音をたてて崩れていく……じっさいそうした残酷な現実に遭遇したことのある読者もけっこういるのではないか。
才能──いったいこの天与の資質はどのようにして世に立ちあらわれてくるのだろうか。天与の資質なのだから、そのまま放っておけば勝手に伸びるのか。そうではないだろう。「玉|磨《みが》かざれば光なし」というではないか。才能だけで世にでることは、金持ちが神の国に入るほどに難しいものだ。
才能というものは、それ自身で勝手に花開くものではない。「見られる芽」は「見る目」があってはじめて蕾《つぼみ》になり、またほころびるものなのだ。
「人は好んで才能を云々したがるけれど、個人の才能とは実のところ伝統を学ぶ学び方の才能にほかならない」と述べたのは『文章読本』での丸谷才一氏だが、言い換えれば、才能の主とは、伝統を知る知者によって見いだされ、養分を与えられ、剪定《せんてい》をされて開花するものである。
それが証拠に、天才的な素質をもちながら「運命的な出会い」がなかったばかりに芽がでなかった人ならいくらでもいる。あるいは才能を開花させるかに見えたのも束の間、急に萎《しお》れてしまう人もあまたいる(たとえば、野茂投手やイチロー選手は、仰木彬監督との出会いがなかったら、ともに芽がでなかったであろうと多くのスポーツジャーナリストにいわれている。また仰木監督自身も、西鉄ライオンズ時代に知将℃O原脩監督との邂逅《かいこう》がなかったら、「仰木監督」は存在しなかったであろうと囁かれている)。
才能をもった人間がしぼんでしまうのは、人生の妙が織りなす幾多の幸運な出会いを忘れて自分ひとりの力で大輪を咲かせたのだと思い込んでしまうせいである。これもまたよくある残酷な事例だろう。
また、才能というものは、他人に嫉妬されないようにうまく発揮してこそ、咲き匂うものである。才能の持ち主を嫉妬の毒牙からうまく離してやるのも、そばについている人間のやることであろう。
こう考えると、「才能を見いだし育てあげる才能をもった人」はもっと評価されてよいのではないか。
むろん、これは芸術やスポーツの分野にかぎったことではない。会社組織においてもそうだ。人事を司《つかさど》る人間は「才能を見いだし育てあげる才能をもった人間」にこそ、人事的視線を投げかけるべきであろう。それでこそ「敏腕人事部長」といわれるのにふさわしい。人事の妙とは、「才能のある人間」と「才能を育てあげる才能をもった人間」をめぐりあわせることにある。
● 人を動かす極意
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(さて、だれがよいか……?)
大滝の五郎蔵か、小房《こぶさ》の粂八《くめはち》か、伊三次か……。
と、そのとき、ふと、平蔵の脳裡に浮かんだ一事がある。
「うむ」
すぐさま、うなずいた長谷川平蔵が、
「利平治。この役はひとつ、わしが買って出よう」
と、いったものだ。
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[#地付き]「殿《との》さま栄五郎《えいごろう》」
火付盗賊改方の長官みずからが殿さま栄五郎≠ニいう盗賊になりすまし、一味に加わって盗賊どもを一網打尽にしようというのである。この申し出に、むろん周囲の者たちは仰天した。が、そうと決まれば、話は早い。輩下の者たちは独自の機動性を発揮して機敏に動きだした──。
部下が思うように動いてくれないことに、世の多くの上司たちは頭を悩ませているという。
では、「人を動かせない上司」とはどういう人間なのか。まずはそこから考えてみたい。
「人を動かせない上司」は、そもそも「人を動かす」ことの意味を誤解しているようだ。
「自分はじっとして動かず、相手を意のままに操る」くらいにしか考えていないのである。
だから、自分ならとてもじゃないが引き受けないような難題を平気で部下にもちかけ、あげく、
「あいつは仕事ができん」
と嘆き、
「もう少しマシなのはいないのか、まったく」
とぼやいている。
じっさい「人を動かせない上司」は傲岸不遜の皮肉屋であることが多い。要するに、人を動かせない人間は、お椀に入った伊勢海老のように地位や立場にあぐらをかいて、気まぐれに大きな掛け声をだしているにすぎないのである。口を動かすばかりで、頭と身は動かしていないのだ。
いっぽう、人を動かすことのできる人はどうか。
自分が率先して動くことにためらいがない。というか、即座に熟考し、すばやく決断し、迅速に行動することを自分に課していさえする。
またそうすることで、目的に対する熱意と、組織における統率力を部下に示すことができるのだということもあらかじめ承知している。
平たくいえば、人を動かす極意とは、自分が動くことである。
自分が動けば、まわりも動く。
説教一本ではダメなのだ。若い頃の自分をもちだし、ああしたこうしたと「巧妙な自慢」をちりばめながら説教をしても人は動かない。
行動を伴った小さな習慣を積み重ねることで人はついてくる。少なくとも、人を動かすことのできる人はそう心得ている。それで組織の士気も高まる。こう考えれば、人を動かすことなど、さほどの労を要する難事ではない、と平蔵はいっている。
● ひらめきを喚び込む術
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牢屋に詰めている同心へ、茶を運ぶつもりだったのであろう。
湯呑みは石畳に音を立てて、割れ散った。
その割れ散った湯呑みを、長谷川平蔵が凝《じつ》と見据えた。
「こ、これは、どうも、とんだことを……」
庄七が狼狽《ろうばい》し、身を屈《かが》めて湯呑みの破片を拾いはじめた。
平蔵は背を向け、通路を歩み出している。
(おもい出したぞ、石川の五兵衛)
平蔵の片頬に、微《かす》かな笑いが浮いた。
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[#地付き]「瓶割《かめわ》り小僧《こぞう》」
休息は欠かしてはいけない。
どんな仕事であれ、どんな恋愛であれ、日曜日は必要である。
リラックスすると、からだが休まるだけではない。天啓ともいえる「ひらめき」がとつぜん飛来することがあるからだ。
「現代人は頭が悪い」ということを示す例として、頭を過信しすぎるということがある。なんでもかんでもとにかく考え抜けば、結論や妙案が導きだせるのだと思い込んでいる。結果、休息もとらずについ頑張りすぎてしまう。はっきりいおう。休息の効用については、もう少し頭をつかいなさい。
おうおうにしてハタと膝をうつようなひらめきは、机に向かって格闘しているときよりもむしろ、それを期待していないのんびりとした時間に飛来してくることが多いようだ。
四六時中ずっと考えても解決の糸口が見いだせないときは、しばしそこから離れて「あたためて」おく。すると、知らないうちに発酵をはじめ、ひょんなきっかけから思いがけない手がかりが頭に浮かんでくる。こうした天来の着想については、新商品の開発者や発明家の多くがもっている経験でもあろう。
とはいえ、むやみやたらと息抜きをすればいいかというと、むろんそうではない。
果報は練って待て。
ひらめきは、準備している者にしか訪れないものだ。
言い換えれば、ひらめきは、準備している者のもとへはかならずやってくる律儀な小鳥なのだ。準備をしていない者は、灰色の脳細胞は灰色のままだし、鈍色《にびいろ》の眼はいつまでも鈍色のままであろう。
ひらめきは、日々の努力と研鑽《けんさん》があってはじめてやってくるのであって、精励や熱意のないところに残念ながらひらめきはノックさえもしてくれない。平蔵が割れた湯呑みを見て、盗賊の名まえを思いだしたのも、長考のあとのリラックスがもたらしたものにほかならない。
ひらめきは、九十九パーセントの努力と一パーセントの休息なのだ。
ついでにいうと、猪突猛進型の人間は「休むこと、すなわち怠けること」と考えており、「がむしゃらに働いて、がむしゃらに寝る」ことを誇らしげに語ることがしばしばあるが、そういう人にかぎってリラックスするのがヘタで、しまいには神経をすり減らしてしまうようである。とうぜんひらめきも遊びにきてはくれない。
気分を一新させる術《すべ》を知らないと、非能率であるばかりか、しまいには自律神経に支障をきたしてしまう。集中したら休み、休んだらまた集中する。その緊張と弛緩《しかん》の連続が、啓示や天祐を喚び込むようだ。
● 短 く 叱 れ
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「不覚者《ふかくもの》め」
低い声だが、きびしく、平蔵が島田慶太郎を叱った。
島田は、平伏したままだ。
その両肩が激しくふるえている。
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[#地付き]「鬼火《おにび》」
人を叱るのは難しい。「人を見て法を説け」という格言があるように、叱る人間は叱られる人間の心情を推し量らなくてはならないから一筋縄ではいかない。
自分の優越性を誇示するようなやり方で叱ったのでは相手に劣等感を抱かせるだけだし、こめかみに血管を浮き上がらせて高圧的な態度で叱声を浴びせかけたのでは相手を萎縮させることにしかならない。ましてや、相手の気持ちを考えずにそのときの気分で悪しざまにコキおろしたのでは相手を傷つけるだけだ。人の心は一度ヒビがはいってしまうと、なかなか完治しないものである。
で、そのような叱られ方をした人間はどのような反応を示すのか。ある者は「どうせ自分はダメなんだ」と背中をまるめ、唇を噛みしめ、屈辱にうなだれる。またある者は、「エラそうに。何をいってやがる」と反発し、逆恨みして、復讐の牙を研ぐ。いずれにしても、これでは叱った意味がない。
では、どう叱るのがもっともよいのか。われらが鬼平に学んでみよう。
まず、「本気できびしく叱る」ことだ。ヘラヘラ笑いながら感情のおもむくままに人を小馬鹿にするのが得意な人間はたくさんいるが、誠意をもって真剣に叱責できる人間はごくわずかである。……はて、どうして人は真剣に他人を叱責できないのか。それは、しょせんは他人ごとだからである。じゃあ、平蔵が本気で人を叱れたのはなぜか。もうおわかりですね。それは、「このおれに、さらには組織全体に迷惑がかかるから」と真剣に思ったからである。だからこそ、生半可な気持ちで人を叱れなかったのだ。それ以外の理由はない。「島田慶太郎の成長を願って、ではない?」って、あたりまえである。鬼の平蔵は、叱ることに大きな期待を寄せるほど浅薄な男ではない。
二つめは、「短い言葉で叱る」ことだ。よく「いいたかないよ、こんなこと……」といってから、いいたいことを、いいたい放題をいう人がいるが、これでは逆効果だ。いい歳になってから人に説教されるのは、けっこうこたえるものであり、その内容がもっともであるほど、そしてその御託宣が長引くほど、なぜか人を素直にさせないものだ。
叱正は簡潔明瞭を旨とすべし。ネチネチと長ったらしく叱るのは、いかなる場合においてもご法度《はつと》だ。具体的にすみやかに語られる短い叱正だけが心に素直に受け入れられる(ときに大喝一声するのもよい)。鬼平は人界を泳ぎまわっているうちに、こうした知恵を身につけたようである。
最後に、「その後を気にする」ことだ。叱りっぱなしにしてはいけない。平蔵はこのあと、がっくりと肩を落とした同心・島田慶太郎を気遣って、「島田から目をはなすな」とまわりに厳命したあと、新たな力が心身によみがえることを願って、翌日の捜索には「島田慶太郎も連れて行け」と直属の上司である与力の佐嶋に命じている。人望をあつめる男とは、こうした叱り方をするのである。
● 悪友もいいものだ
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「左馬之助《さまのすけ》。こりゃあ、御手柄だ」
長谷川平蔵が真顔になり、
「いくらでも恩に着よう」
「ざまあ見ろ」
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[#地付き]「敵《かたき》」
吾輩は寝ころんでいた。熱はまだない。そこへ室崎のバカから電話。この男、ハンサムなくせにバカなのがせつない。で、用件は……。おそらく借金の電話であろう。
「小銭なら、ある」
任せてくれ。ダテにものは書いとらん。え、ちがうの?
「一杯やらないか」との誘いであった。無駄な知識と体脂肪では群を抜く佐藤と、他人の心理はコントロールできるが自分の体重はコントロールできない須藤のバカも「はや臨戦態勢に入っている」という。どうしようかな……。咳《せき》はでなかったが、空咳をしながら「じつは風邪をこじらせたんだ」というと、
「ほんとうはバカをこじらせたんだろう」
電話の向こうでガハハと笑っている。友よ、「バカをこじらせた」はなかろうよ。
……よおし、飲みにいってやる。
さて、日頃は脳の前頭前野《ぜんとうぜんや》を冷静に機能させる小生がどうしてこのようなバカをやろうとしているのか。いっておくが、融通性、柔軟性、即応性において人よりまさっているというわけではない。それは、欠席すると無茶苦茶いわれるという危惧もあるが、悪友の効用というものを骨身に沁《し》みて知っているからである。
悪友のいいところは、「落ち込んだときに自分より間抜けなやつを見るとほっとする」という効用があるだけではない。ズバリ、それは、はしゃいだ精神に冷水を浴びせかけてくれるところだ。
読者諸賢は知っていると思うが、あれこれの調査が示唆しているように人はバカである。それも大量かつ多彩に存在することを知っていよう。少しばかり出世したり、ちょっとばかり札束を握ると、「おれは……おれが……」と偉そうな顔をしたり、ふんぞり返って威張ってみたくなる。ましてやアルコールが入り、聞き上手な異性や従順な部下が傍らにいれば、猛烈に居丈高になってみたい誘惑にかられる。こうしてバカは図にのってますますバカを炸裂させるのだ。浜の真砂《まさご》は尽きるとも世にバカの種は尽きまじ。
ところが、相手が悪友となるとそうはいかない。そんな高飛車な態度をとろうものなら、間髪《かんはつ》を入れず、何のためらいもなく「おまえはバカだ」と罵ってくれ、膨張するバカに歯止めをかけてくれる。悪友は、その名にふさわしく、なかなか意地悪な存在だ。
人はバカだけれども、まんざら捨てたものではない。愚かであるがゆえにいろんな間違いを犯すけれど、悪友たちが痛罵してくれるおかげで、なんとか謙虚さを取り戻すことができる。小さく断定するが、悪友がいるからこそ、人は等身大の自分を知り、自己を省みる知性を身につけることができる。平蔵の人品骨柄が卑しくならなかったのは、耳の痛いことをずけずけといってくれる岸井左馬之助という悪友がいたからである。ゆめ、悪友をバカにするなかれ。
そんなわけで小生は出かけなくてはならない。これにて御免。
● 中傷をどう捌《さば》くか
[#ここから5字下げ]
「長谷川平蔵も焼《やき》がまわったらしい」
旗本ばかりか、幕閣の人びとも、そんな|うわさ《ヽヽヽ》をしているとか……。
老中・松平定信も、
「葵の御紋を汚《けが》す盗賊、一日も早く召し捕えよ」
正式に、各奉行所へ指令を発した。平蔵の顔は〔まるつぶれ〕である。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「妖盗葵小僧《ようとうあおいこぞう》」
葵小僧《あおいこぞう》は将軍家の葵の紋付を着て盗みをはたらき、そのうえに婦女子を犯しまくった獣のような悪党である。平蔵は、この神出鬼没の葵小僧に翻弄され、いくたびも煮え湯を飲まされた。葵小僧に手を焼く平蔵を見て、旗本や幕閣は非難を浴びせ、そのうえに中傷をパラパラとまぶすのであった。さすがの平蔵もこれには参ったとみえ、心労のあまり「|げっそり《ヽヽヽヽ》」となり、「|やつれ《ヽヽヽ》が目立って」きたほどであった。
いうまでもないことだが、中傷は人を滅入らせる。あのマザー・テレサでさえも、「もっとも困難な仕事は、中傷と戦うことだった」と述べている。
人は誰でも、妬《ねた》みや僻《ひが》みや恨む気持ちを心底に宿している。聖人君子にいわせれば、それらは卑しい感情≠ノなるのであろうが、それをもっていることを認めてなお自制するのが理性ある大人ではなかろうか。他人の気持ちを斟酌《しんしやく》することなく、己れの感情の奴隷となり、自分の都合や利益を優先して、ほんとうに他人を誹謗し中傷してしまうのが卑しい人間≠ネのだ。嫉妬は薄焼きせんべいの如く、キツネ色にほんのり焼く程度にとどめておくことだ。
インターネット──小心者および卑怯者たちがかならず分け入るといわれる、あの伝説の獣道《けものみち》。そこでは匿名性のなかに身をひそめて自己を肥大化させ、文字にするのが憚られるほどの過激さと、蛇のごとき執念深さをもって他人を貶めて愉快がっている心ない人間がうじゃうじゃいると聞く。
ざっくりいうが、そういう人間は「したい」という欲求を「しない」と抑え込む自律心を欠いているのだ。虫酸《むしず》が走るというか、えげつないというか、かかわりたくないおぞましい連中である。「卑しい感情」をもつのは仕方ないが、それを実行してしまう「卑しい人間」になってはいけない。
おそらく、そうした彼もしくは彼女が最後に見るものといったら、自分の手で燃やしてしまった金閣寺だけであろう(若い人よ、人間は記憶というものに苛《さいな》まれる動物でもあるのだよ。早いうちに足を洗いなさい。さもないと、忌まわしい記憶に苛まれて人生を台無しにしてしまうよ)。いずれにしても、人を批判するときは、黒帯をしめて堂々とやることだ。
では、そうした卑しい人間の中傷から己れを守る術《すべ》はあるのだろうか。
たったひとつだけある、と平蔵は無言のうちに述べている。
それは、他人の評判のうえに自分の安心感を築こうとせず、己れのやるべきことを自覚して、そのことにひたすら打ち込むことだ。小人《しようじん》の不善などにかまけている時間はないと強く自分に言い聞かせて、中傷をまったく意に介さないことである。謂《いわ》れなき非難中傷は黙殺するに限る。とにかく素知らぬ顔で受け流してしまうことだ。
じっさい平蔵は、これら中傷に対していっさいの反論をせず、自暴自棄にもならず、身を粉にして万策を講じ、ついには葵小僧を捕縛するのだった。
● 考えたくないことを考える
[#ここから5字下げ]
(まさに、池田又四郎《いけだまたしろう》じゃ)
得心《とくしん》をした。
となれば、なつかしさにたまらず、すぐにも襖を開けて、
「おい、又四郎。どうしていた?」
声をかけねばならぬはずだ。
しかし、平蔵はうごかなかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「霜夜《しもよ》」
平蔵のむかしなじみ、それも弟のように可愛がった男が、たまたま立ち寄った料理屋の隣座敷にやってきた。二十数年ぶりに聞くなつかしい声だ。
だが、平蔵は声をかけない。それは声に「むかしのままの又四郎だとはおもえぬものがこもっていたから」である。平蔵は、料理屋をでていく又四郎のあとを尾《つ》けて行けるように仕度をととのえはじめた……。
こんなときにも最悪のことを考えるのが、われらが長谷川平蔵だ。
読者諸賢よ、この平蔵の行動の背後にあなたは何を見るであろうか。小生には、ここに「人生で失敗しないための大きなヒント」が隠されているように思えるのだが、どうであろうか。
一般に、「ストレスを軽減し、心の平静を保ち、集中力を高めるためには、悲観的にならず、つねに楽観的な態度をとるのが望ましい」とされる。なるほど、ひとつの見識であろう。
だが、ものごとを楽観的に考えれば、きまって望ましい結果が得られるかというとそうではない。自信のもてないものに、いくら自分に都合のいいように言い聞かせてみても、しょせんはその場かぎりの気やすめにしかならない。ごまかしでは、しょせんごまかせないのだ。では、悲観するのもだめ、楽観するのもだめとなったら、いったい何をどうしたらいいのだろう。
以下に、これまで世にまったく知られることのなかった小生の処世術を披露しよう。
それは──と、もったいぶることもないのだが、
「最悪のときに最高のことを考え、最高のときに最悪のことを考える」
というものだ。最悪の事態に直面したときは楽天家になり、最高だと思えるときには悲観的なものの見方をする人間になるのである。
たとえば、最悪のときには「これは好転の予兆かも」と考え、最高のときには「ひょっとしたら大失敗の前兆かも」と戒めるのだ。つまり、有頂天や上機嫌は落胆のときのためにとっておき、自省とか後悔は元気なときのために温存しておくのだ。
一見、ヘソ曲がりの発想に思われるかもしれないが、これこそが人生で大過なく生きていくための知恵であると小生には思われる。
大きな失敗をしない経営者は、小さな冒険をするときでさえもかならず最悪の事態を想定してから行動するという。彼らは「考えたくないことをどれだけ考えられるか」が勝負の決め手になることを熟知している。また、そうすることで、油断を遠ざけ、精進《しようじん》を怠らないでいられることを知っている。
嗚呼《ああ》、それにしても、ここまでしなくてはいけない人生とは、ほんに難儀であることよ。
● ギャンブルに必勝法はない
[#ここから5字下げ]
翌日。勘助《かんすけ》はおたみに「仲のいい友達が病気で困っているから、たのむ」といい、かきあつめた一両をつかんで、役宅からの帰りに秋元屋敷へ飛んで行った。このときは明け方までに一両が八両ほどになった。それがまた、いけなかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「白《しろ》い粉《こな》」
わたしたち現代人は、未曾有《みぞう》のストレス社会に暮らしている。
戦いや競争を強いられ、気がつけばいつのまにか自分自身も非難や中傷、衝突や軋轢《あつれき》、嫉妬や羨望が入り交じった大渦の中に巻き込まれている。そのうえ大半の人間はカネがないときている。財布軽ければ、そう、心は重い。「明日の希望より今日の一万円」を求めてさまよっている。
これでストレスをためるなというほうが無理である。勘助のように博奕《ばくち》に興じる人間がいても頭ごなしに責めるわけにはいかないであろう。考えようによっては、ギャンブルはストレスが充満する現代社会においては必要悪ともいえるのかもしれない。
ギャンブルは魅惑的だ。「神意」を知る神聖な行為でもあるから、人を勇気づけたり慰めたりする力も備えている。が、魅惑的なものは、同時に幻惑的でもある。深追いしなければギャンブルはいつまでも友人でいてくれるが、自分のものにしようとしたら最後、一転してその性悪ぶりを剥《む》きだしにする。欲が顔を覗かせたその瞬間、ギャンブルはここぞとばかり、あなたの弱みにつけ込んでくるのだ。
そもそもギャンブル産業は「ギャンブルには必勝法がない」という条件のもとに成り立っている(必勝法があれば、それはギャンブルではない)。ゆえにギャンブルにおいては、一時的には儲かることはあるにせよ、回数を積み重ねていけばいくほど「儲かるわけがない」のである。しかしこれを承知で、人はギャンブルにのめり込む。
なぜか。それは欲があるからだ。しょせん人間は勘定《ヽヽ》の動物。運をためしているだの、願をかけているだの、夢を買っているだのと口ではいろんなことをいうが、要は「自分だけは儲かるかもしれない」という願望を秘かに抱いている。
ギャンブルの狙い目はそこだ。冷静さを失って射幸心を見せたその隙《すき》に、ギャンブルはあなたに取り憑くのだ。浅き夢見し射幸心。気がつけば、ギャンブルに浸蝕されているというわけだ。
ギャンブルの餌食にならないためには、「ギャンブルで生計を立てない。ギャンブルで借金をしない」と自分に強く言い聞かせることだ。「たとえ小金であろうとも、いっさいの寸借はしない」と自分に誓うのだ。それから、負けても「ぜったいに元をとってやる」とか、「一円でもいいから勝ち越してやる」などと息巻かぬことである。どんなに悔しくても、椅子の上に立って獣のごとく咆哮《ほうこう》するぐらいにとどめておくことだ。勝ったら大喜びし、負けても「いやあ、楽しませてもらったよ」といえるくらいのゆとりをもってやるのがよい。あくまで遊び≠ナやることだ。これを守れない人は、ストレスを蓄積し、明るさを失い、自分に愛想を尽かし、他人からも愛想を尽かされ、人相を悪くし、自暴自棄になり、最後には……向かうところカネなし、身を持ち崩すことになる。
いにしえより「お金をためるコツは二つある」といわれている。それは「コツ、コツ」である(失笑)。
● 養生に身が痩せる
[#ここから5字下げ]
彦十も、五十を越えたというより、六十近い年齢になっているし、
「若えときから、下直《げじき》に躰をつかっているものだから、こうなると、どうにもならねえ。おらぁ、死ぬかも知れねえよ」
などと、見舞いに来た大滝の五郎蔵・|おまさ《ヽヽヽ》の夫婦へ、気の弱いことをいったりした。
病気の原因は、
「食べすぎ、飲みすぎ」
なのである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「むかしなじみ」
世をあげての健康ブームである。
それはよかろう。「健康がいちばん」という言葉もあるからね。けれど、なぜ人はかくも病的に「健康通」を目指すのか。ここまでやる必要ある?
「商売繁盛」「学業成就」「容姿端麗」を目指すのはわかる。だが、健康を目指すとなると、人間として、何かひじょうに大きな間違いをしている気がしてならない。
そもそも「健康がいちばん」という言葉は、「ある目標を達成するには健康であることが必須条件。だから健康に気をつけなさい」という意味だ。つまり健康は、目的達成のための手段なのである。だが、わがニッポンでは、いつのまにか「目的」と「手段」がひっくり返って、健康が「目的」の座に居座ってしまった。
テレビや新聞は、まるで日本人全員が「健康という病」にかかっているかのように医療と健康に関する情報を連日連夜流しつづけている。その物言いたるや、「豪華粗品進呈」じゃなかった、「健康のためなら死んでもいいでしょ」といわんばかりである。「弱き者よ、汝の名は健康なり」といいたくなるほど、健康は現代ニッポン人が愛してやまない対象なのだ。
気になるところを冗談口でいってみると、小生の抜きがたい偏見に、「たいした用のない奴にかぎってケータイを肌身離さずもつ」というのと、「長生きしたってしょうがない人間ほど、健康法に夢中になる」というのがあるが、それは「健康を誇るだけでは、人間として中途半端である。健康であることのはにかみをも同時に抱いていなければいけない」(亀井勝一郎)との言葉に深く共感しているためである。
そのむかし、「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語があったが、「短い人生、そんなに健康になってどこへ行く」と申し述べたい。
百歩ゆずって、かりに健康の目的が長寿にあるというのなら、日本はもうとっくに世界一の長寿国になっているわけだから、その目的は果たしたわけである。不思議なのは、その日本人が、世界一の長寿国であることを忘れて、健康補助薬を飲んでいるアメリカ人や、ヨーグルトを食しているブルガリア人の真似をしていることだ。
現代ニッポン人も、少しは彦十を見習ったらどうか。彦十はもともとが誘惑に負けやすい性質《たち》であり、易《やす》きにつく性向があるが、養生については見習うべきところがたくさんある。酒を飲んだら酔うのが酒に対する礼儀であり、うまいものを食べたらおかわりをするのが料理に対する行儀である──これが彦十の生活信条だ。少なくとも私には、こうした不養生をやれるのは健康な証拠であると思えるし、だいいち魔がささない人生なんてちっとも面白くない。「養生に身が痩せる」(健康を心がけるあまり、神経をすり減らして痩せてしまう)という格言もあるではないか。
強調しておきたい。わたしたちは健康を目標にして日々を暮らしているわけではないし、長生きをするために生きているわけでもない。
● 人は自分の信じたい〔うわさ〕だけを信じる
[#ここから5字下げ]
「宗仙《そうせん》さまのところの縁の下には、どれほど小判が埋まっているやら……」
以前から、そうした〔うわさ〕がささやきかわされているらしい。
〈中略〉
しかし、長谷川平蔵は、
「人のうわさほど狂うているものはない」
と、山田同心に、
「お前、宗仙がことをさぐったのか?」
「いえ別に、そのような……宗仙どのを迎えにまいりましたとき、何気もなく、近所のうわさを……」
「こやつ、役目癖がぬけなくなったわ」
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[#地付き]「麻布《あざぶ》ねずみ坂《ざか》」
果たして宗仙は、白子《しらこ》の菊右《きくえ》衛|門《もん》という香《や》具|師《し》の元締《もとじめ》とつながりをもつ指圧師であった。菊右衛門の妾《めかけ》に手をだしたのが徒《あだ》になり、大金が要ったのだった。
ところで、「人のうわさほど狂うているものはない」という鬼平だが、平蔵は当時、どのようにうわさされた人物だったのか。
ご存じのとおり、長谷川平蔵は実在の人物である。歴史家にいわせれば、江戸市中にはびこっている無宿人をあつめてその更生を図る「人足寄場《にんそくよせば》」の創設と運営に尽力した傑物ということになろうが、たとえば老中・松平定信の自伝『宇下人言《うげのひとこと》』に目をとおした読者は、これとはちがう実像≠イメージしているにちがいない。そこには次のような平蔵が描かれている。要約してみよう。
「無宿人対策を求めたところ、火附盗賊改の長谷川何がしが、やらせてください、といってきた。やらせてみると、たしかに無宿人や盗賊が減った。これは長谷川の功績だが、この男、功利をむさぼるがゆえに山師のようにずる賢いとの悪いうわさもあった。それを承知で任せたのは、それくらいの者でなければ寄場の創業はおぼつかないと考えたからである」
え? これが鬼平の実像なのか……と思われた読者もいることだろう。平蔵の姦物《かんぶつ》ぶりには目を見張るものがあった、といわんばかりの筆致である。
しかし、この人物|月旦《げつたん》の主である松平定信の周辺に想像力のツバメを飛ばしてみると、いくつかの疑問がわきあがってくる。
そもそも「人足寄場」の功労者を、名前をぼかして長谷川何がし≠ニしたのは何故《なにゆえ》か。また、功績はそっちのけにして、山師≠ニの悪評判をあえて伝えようとしたのはどうしてか……等々。
それは、〔うわさ〕を信じたからである。
定信のまわりには、武人を嫌う文人肌の隠密、自分以外の人間を憎んでいる嫉妬深い役人などがいて、「平蔵は山師」との情報をせっせと定信の耳に入れたようである。
そこで、〔うわさ〕についての小見を三つ。
ひとつ、うわさの七割はやっかみから生じたものである。
ふたつ、人というものは、自分の信じたいうわさしか信じない。
みっつ、世間はその人が乗り越えられるだけのうわさを与える(聖書に「神はその人が乗り越えられるだけの試練を与える」との一節がある。そのもじり)。
† たとえば、べつだん気がない女子(男子)社員を連れて麻布のレストランで食事をしたとしよう。あなたが得るものといったら、いったい何であろう。誤解という名の〔うわさ〕だけである。老いも若きも、男も女も、春夏秋冬、朝から晩まで、ほんとうに〔うわさ〕が好きである。
● 男は収集して安心する
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ことに、馬蕗《うまぶき》の利平治《りへいじ》の嘗帳《なめちよう》は大したもので、二冊合せて二十余件におよぶ商家の家風《かふう》・行事から財産、奉公人の人数、主人夫婦の嗜好《しこう》までが、くわしく調べあげられ、店舗や住居《すまい》の絵図面まで添えられているではないか。場所は北陸から近江、上方、中国すじばかりではなく、江戸にも数件あった。
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[#地付き]「熱海《あたみ》みやげの宝物《たからもの》」
深夜、仕事が終わってからのんびりとシングルモルト・ウィスキーを飲む。
某夜、テレビをつけると芸能人が回文(上から読んでも下から読んでも同じ文になる言葉)の披露をやっている。面白い企画だが面白いものがない。
ちなみに、小生の知る回文のなかでもっとも気に入っているのは、
「寝ているわたしにナニした悪い手ね」
というものである。
テレビを消してグレンリヴェットをちびりちびりやりながら、さっそく自分でもやってみることに。ヒントになる回文があって、
「農家もイモ買うの」
という秀作をつくる(まあ誰もが思いつく回文かもしれないが)。
今宵《こよい》はウィスキーがうまい。よし、次は本でも読もう。迷ったあげく、中野翠さんの『会いたかった人、曲者天国』(文春文庫)にする。
まえがきの冒頭に「世の中にコレクターという異常な人種が存在する。たいてい男である」とある。うーん、さすがに鋭い。
そういえば、あいつも男、そう、あれも男だ。富士には月見草、美人には傲慢が似合うように、男にはコレクションがよく似合う。感心しながら、ボウモアを飲むことに。
『鬼平犯科帳』には、押し込みに適当な商家や豪家をこと細かく調べあげて記録するコレクター(嘗役《なめやく》)が登場するが、意外や意外(これ回文)、これが皆どういうわけか、揃いもそろって男である。
どうして男はこうした収集癖があるのか。
疑似帝国をつくりあげて君臨したいという欲望があるからだという説が有力のようだ。
では、なぜ男だけが自分だけの小宇宙をつくることに夢中になるのか。ラガヴァーリンに手が伸びる。
「たぶん、男は生まれながらにアイデンティティの不安とか空虚感といったものを抱えていて、その欠損を何かにすがりついて埋めたくてたまらないのだろう」
というのが中野翠さんの説だ。コワいね、中野さんの観察は。
小生の頭には、男はつねに「強くあること」や「頼りになる存在であること」を何らかのかたちで周囲から要求されており、そこから逃避したいという願望と、逃避してはいけないという抑圧が疑似帝国の建設に走らせるのではないか、という学術的な仮説がひらめく。
ふふふ、今夜のおれは冴えていると感じ入って、今度はマッカランに手を伸ばす。
眼がだんだん朦朧《もうろう》としてきた。
モルトウィスキーの壜《びん》を眺めながら、もっとこのコレクションを広げたいなあと思う。
不敵な笑みもこぼれる。
● 「仲間とだけつき合う」のはやめなさい
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「婆さん。笠をかぶっているのに、よく、わかったな」
「なあに、笹やのお熊の眼力は、むかしのままだ。お前さんもすこし肥ったが、歩きっぷりはむかしのままじゃあねえか」
と、お熊は、いま江戸市中に隠れもない長谷川平蔵へ、遠慮会釈もなく、
「何も銭をとろうたぁいわねえ。茶の一杯ものんでいきな」
「そうか。では、ちょっと……」
苦笑をかみしめつつ、平蔵は〔笹や〕へ入って行った。
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[#地付き]「寒月六間堀《かんげつろつけんぼり》」
ある会合からの帰途、顔見知りの数人が連れだって一杯やることになった。ざっくばらんな席だったのだが、話題が「おまえは何が怖いか」に移ったときに見せた、その場に居合わせた者たちの表情は、小生に多大なる感興を与えずにはおかなかった。はじめのうちは、「出世をあきらめたサラリーマンかな」とか「わたしコワいものがないのよ、という妻だよ」などの秀作が提出され、笑いにつつまれたなごやかな雰囲気だった。そこへ突如、
「過去を知る人」
という声があがったのだ。一同、寂《せき》として声なく、私はといえば、手にしたジョッキをそっとテーブルに置いて、小さく呻《うめ》くばかりであった。
人は誰も他人にはいえぬ暗黒の過去があるらしい。そこに居合わせた、ハタから見るとさまざまなことに恵まれていると思われる友人のYでさえ、ついに辛抱たまらずといった表情で「自分の過去を知らない人のなかで人生のやり直しをしたかったなあ」といったものだ。
恥多き若き日の種々《くさぐさ》を知る者は、それほどまでに人の心に暗い影を落とすうっとうしい存在なのだ。
平蔵にとって、頭があがらないのは、誰あろう、やはりお熊婆さんである。お熊婆さんは、平蔵の「恥ずかしい過去」を微細にわたって知っている人間だ。しかも、気どりや虚飾をいっさい受けつけない突破者≠ニきている。
あるとき火盗改メの役宅にやってきたお熊婆さんは開口一番、
「おい、銕《てつ》つぁん。むかしなじみの、このお熊を庭先へ通すとは、あまりに|むごい《ヽヽヽ》仕うちじゃぁねえかよ。むかし、お前さんが勘当《かんどう》同様になって屋敷を飛び出し、本所・深川をごろまいていたころには、毎日のように酒をのませたり、泊めてやったりしたのを忘れたのかえ」
嫌味たっぷりに平蔵をからかう。度量のない火付盗賊改方の長官ならば、その場で打ち首であろうが、平蔵はむしろそれを愉しむところがあって、頭を掻《か》いたり照れたりして小さくなっている。平蔵がいいのは、年寄りとつき合い、若者ともつき合い、異業種の人ともつき合い、異性ともつき合い、犬や猫ともつき合い、季節ともつき合い、さらには「恥ずかしい過去」を知っている幼なじみともつき合っていることだ。そうすることで平蔵は、自分の傲慢さに歯止めをかけ、己れの無知を知り、健全な精神を保っているようである。
小生の見定めるところ、「人物」といえる人間の多くは、年寄りと話をするのが好きだし、「恥ずかしい過去」を知っている人とも気やすく語り合う人間である。限られた仲間だけとしゃべっていると、人は言葉を鍛えず、だんだん尊大になっていくようだ。高学歴な人ほど「頭が悪い」とか「思いやりがない」といわれることがあるが、それは彼らの多くが限られた仲間としかつき合っていないからである。社会や理屈は知っていても、世間や民情を知らないというわけだ。
● 礼儀は正しいのがよい
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夕暮れが近づくと、平蔵は駕籠《かご》で、本所二ツ目の軍鶏《しやも》なべ屋〔五鉄〕へ出かけて行った。
すでに、大滝の五郎蔵は彦十と共に待っていた。
「わざわざ、お出向きをねがいまして、申しわけもございません」
と、五郎蔵のあいさつは、そのことばにもかたちにも、実に|きっちり《ヽヽヽヽ》としたものがにじみ出ていたようである。
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[#地付き]「深川《ふかがわ》・千鳥橋《ちどりばし》」
大滝の五郎蔵は、大盗・蓑火《みのひ》の喜之助《きのすけ》のもとでみっちりと修業を積んだ盗賊で、のちに火盗改メの密偵となった男である。密偵・小房《こぶさ》の粂八《くめはち》によれば、「蓑火の親分にみっちりと仕込まれただけあって、そりゃもう、何から何まで、立派なもので……」という人物である。いっときは四十人ほどの盗賊を束ねる頭であった五郎蔵は、その「礼儀正しさ」ゆえに、大親分としての信頼と貫禄を備えていたようである。
何ごとにつけ、言葉の身だしなみを整えてきちっとした挨拶ができることはよい。このことは論を俟《ま》たない。なぜか。礼儀正しい、と受けとられるからだ。では、どうして「礼儀正しい」ことがよいことなのか。それは、例外はもちろんあろうが、一般に礼儀正しい人は「油断をしない信用できる人物」であるからだ。仕事で無作法な人に会う。こちらが挨拶をしても無視して返さず、いきなり用件を切りだしてくる人がいる。つむじまがりを自任して、それをぶっきらぼうに初対面の相手に伝え、ひどく高飛車な態度をとる人もいる。むろん言葉遣いもぞんざいだ。でも、そうしたとき、小生は妙に安心してほくそえんでしまうのだ。どうしてか。そういう人は、けっきょくのところ、多くの人間からの信用を勝ち得ぬ大した人物ではないと考えるからだ。
ある年下の若者に年賀状をだしたところ、「ぼくは虚礼廃止主義者なので、年賀状はだしません」との電話があった。えっ。書くと短いが、この「えっ」には礼儀に対する小生のさまざまな思いが込められていた。虚礼廃止主義者……ね。たんに「好み」の問題といえば、問いつめようという気も起こらなかったのに。主義者だと。なんと陳腐な言葉遣いであることか。小生、彼の主張を諒解したうえでこう切りだしてみた。
「虚礼廃止っていうけど、虚でない礼があるのかなあ。初対面の挨拶しかり、別れの挨拶しかり。あなたはそれもいっさいしないの。そうじゃないだろ。人に会えば頭をさげるぐらいのことはしているだろ。年賀状だって同じだと思うんだけどな。ただ、面倒だからやらないだけだろ。大人は、礼が虚であることを知りつつも、それが社交の基本であるから、面倒くさくてもやってるんだよ。礼儀とは、心と自分自身がどんな人間かということを他人に伝えるための大事な手段だと思うけどなあ」
ひとしきり呆れかえってやった。無作法な態度をとるというのは、心底で相手を見くびっていることであり、逆にいえば、察するに、見くびれない相手にはぺこぺこと頭をさげているのだろう。そんな人間が肝《きも》の据わった人物であろうはずがない。礼を失している人間の、失礼な態度の背後に、人間社会に対する認識の甘さが見てとれる。どんな相手に対しても礼儀正しいという人間は、無作法な人にいわせれば、本心を明かさない、警戒心の強い人間ということになっている。が、小生のささやかな人生経験によれば、礼儀正しい人間は、間違いなく、油断をしない誠実な人間である。
若い人よ、イリオモテヤマネコに出会ったように私を眺めないでほしい。
[#改ページ]
● 偶然とは、偶然を装った必然である
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「妙義《みようぎ》の團右《だんえ》衛|門《もん》。おもいのほかに、早くあらわれたな」
「何じゃと……?」
「愛宕権現の水茶屋の女を、わしの密偵《てのもの》が見張っていたのを知らぬとは、いささか江戸の盗賊改メを嘗《な》めすぎたようだの」
「だ、だれだ?」
「長谷川平蔵だ」
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[#地付き]「妙義《みようぎ》の團右《だんえ》衛|門《もん》」
妙義の團右衛門は色狂いの兇賊である。ひと息つけば、もう女を物色している。平蔵はこのことを見抜き、とある水茶屋の女に網をかけていた。團右衛門にしてみれば、平蔵にばったり出くわすなど「たんなる偶然」としか考えられなかったであろうが、平蔵にいわせればそれは「偶然を装った必然」でしかなかった。
偶然と必然──わたしたちはこれら二つの織りなす物語に翻弄されながら生きている。
偶然を恃《たの》む人は運を天に任せ、必然の人は意志で人生を切り拓こうとするが、あにはからんや、偶然には必然が宿り、必然には偶然が憑依《ひようい》して、どちらも思うようにはいかない。
私ごとになるが、コピーライターの仕事をしている頃、会社経営者をはじめとするいわゆる「成功者」にインタビューする機会が幾度となくあった。そこで気づいたことは、彼らが申し合わせたように「運がよかった」とか、「偶然が重なっただけ」などいう言葉を口にすることであった。
論理的にものを考え、並みはずれた勤勉さを備え、先見の明を保持する、いわば必然の代表のような人の口から、「運」とか「偶然」という言葉が幾度となく洩《も》れるのだ。最初のうちはずいぶんと謙虚なことをいうものだと感心していたが、どうも本心からそう思っているらしいのである。
人生は有為転変《ういてんぺん》の連続である。予想のつかないことがたびたび起こる。だからといって、「明日をあてにして、今日をないがしろにする」という投げやりな態度をとるのでは知恵がなさすぎる。あるいはまた、これはこうして、あれはああしてと、すべて計画ずくめで事がうまく進行するとも思われない。
現代のように不確実で不透明な時代にあっては、偶然と必然、どちらかいっぽうに比重をかけすぎるのは賢明な人生態度ではない。
あてにもならぬ開運や僥倖《ぎようこう》をぐずぐずと待ち望み、偶然ばかりを頼りにしている人生では知恵がなさすぎる。人生をそんな刹那《せつな》主義的人生観で彩ってしまうのは、なんとももったいない話ではないか。
かといって、必然だけを追い求める人生は、融通がきかず壊れやすいものになってしまう(不満屋の多くはもしかしたらなれたかもしれない自分≠ノしがみつく元必然派の闘士であることが多い)。
偶然とは偶然を装った必然であり、必然とは必然を装った偶然である。
こう考えてみてはどうか。
いささか奇を衒《てら》った言い回しに聞こえるかもしれないが、こうした構えをもてば、新鮮な目で人生を見つめることができ、また己れの人生をよりいっそう味わい深いものにできるように思う。
● 人生に負けはあるか
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つまり、それだけ多彩な人生を体験してきたからであろうが、いまになってみると平蔵、つくづくとこうおもうのである。
(つまりは、人間《ひと》というもの、生きて行くにもっとも大事のことは……たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、好きな食物《もの》でも食べ、ぼんやりと酒など酌みながら……さて、今日の夕餉《ゆうげ》には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、夜は一合の寝酒をのんびりとのみ、疲れた躰《からだ》を床に伸ばして、無心にねむりこける。このことにつきるな)
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[#地付き]「寒月六間堀《かんげつろつけんぼり》」
人生は闘争である。
小生も、しみじみそう認める。上になるか下になるか、右にそれるか左にはずれるか、それともがっぷり四つに組むか。人生はどこから眺めても|しのぎ《ヽヽヽ》を削る競争社会である。だが、その闘争で勝つ人と負ける人がいる、とあっさり言い切ってしまうのはいかがなものか。
このところ「勝ち組」とか「負け組」という言葉をよく耳にする。もともとはビジネスで成功して人もうらやむような高収入を得れば「勝ち組」であり、そのひと握りのおこぼれを頂戴するのが「負け組」であった。が、それがさしたる深謀遠慮もなく、人生全般にも拡大適用されるようになってしまった。まったく、現代のニッポンは悪い冗談に満ちている。いったい誰がこんな安直で浅薄な見識を世に広めたのか。この世の中にはさまざまな価値観をもった人がいることを知らないのだろうか。自分の価値観にしたがって生き、それをまっとうした人間が「負け組」なんかであるものか。ましてや、他人から敗残者呼ばわりされる筋合いなど毛頭ない。自分の人生の主役は自分であるべきで、またそうであるなら己れの人生の価値は、他人の評価によって決まるものではない。人生の価値や評価を決めるのはあくまでも自分であって、他人に判定してもらったり、異なる人生と引き比べられて優劣を決定されるべきものではないのだ。
己れの生き方にかかわる決断を他者に委《ゆだ》ねなかった者は、それがどんなにつつましやかな人生であれ、またどれほど小ぢんまりとした暮らしぶりであれ、「負け組」などではけっしてない。その意味では、人生の価値における要諦は、我流《がりゆう》に徹する決意にほかならないのだ。
人生は「見た目」や「効率」では判定できない。本人は無駄なく賢く生きたつもりでも、それが他人にはまったくうらやましくないことだってある。それを「おれたちは勝ち組だ」なぞと一方的に威張られても、ちっともうらやましくない。どうぞ勝手にやってくれである。それにしても、彼らには生きていること自体への漠たる不全感もないのだろうか。「おれは勝ち組だ」とうそぶいている人よ、もし人生というものに「負け」があるとしたら、それは自分自身が「負け」と認めた人生しかないのだよ。
「しかし、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。ただ、負けないのだ」
こう述べたのは太宰治の自死を知らされたばかりの坂口安吾だが(「不良少年とキリスト」)、つとめて飄々《ひようひよう》といってのけるところに、安吾の抑えがたい哀しみが滲んでいる。いつ読んでも生きるということへのひたむきさに胸が衝《つ》かれる。
● 健全な警戒心をもて
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「人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子《ひようし》で、小さな悪事を起してしまい、それを世間《せけん》の目にふれさせぬため、また、つぎの悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ。おそらく、富田達五郎もそうだったのであろう」
長谷川平蔵の声に、茂兵衛は何度も何度も、うなずきながら泪《なみだ》ぐんでいた。
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[#地付き]「殺《ころ》しの波紋《はもん》」
ワル≠ニか悪党≠ニ呼ばれている極道たちは、「ちょっとした出来心」や「何かの拍子」で悪の道へ入ってしまうようだ。だとしたら、それは「人を疑うという健全な警戒心」をもっていなかったからではあるまいか。
ひと昔まえの親たちは「男子ひとたび家を出《いづ》れば七人の敵あり」といったものだが、いまのニッポンでは対人関係についていえば、人を信じることばかりが重視されすぎてはいまいか。なるほど、人を信じることそれ自体は大事なことだ。だが、どんな人であれ、温室のなかでぬくぬくと一生を終えられるはずもなく、いやがうえでもさまざまな人と交わらなくては生きてゆけないわけだから、裏切り、抑圧、詐欺、妨害といったものと無縁でいられるはずもない。ならば、人を信じることと同程度に「人を疑うという健全な警戒心」をもつことも強調されなくてはならないのではないか。これこそが本音と建前をわきまえた折り目正しい教育というものであろう。ここをしっかり押さえておかないと、信用のおけない人間をたいした吟味もせずに恃《たの》み、あげくおおいに期待を裏切られ、人間社会に対する歪んだ不信感をもつようになる。
「大人が頭のなかで考えているほど、少年少女は子どもではない」というのは真実である。とすれば、子どもたちに健全≠教えることができるのは、ユーモア交じりに世の中の本音を語ってみせる親の勇気ではないだろうか。
いちばんいけないのは、どんな場においても、すべての人はやさしくて、いい人ばかりだと言いつのることである。世の中は大きな「ふれあいの広場」で、そこで出会う人間はみな善人だと思い込んでいると、その確信がぐらついたとき、振り子は大きく逆方向へ揺れ、こんどは一変して人間をひどく疑うようになる。人間は、いちど過度の人間不信に陥ると、人はみなロクでもない奴ばかりだと思い込むようになる。こうなると生活が一変し、自分のやることが他人に受け入れられなかったり、気持ちがうまく人に伝わらなかったりしただけで、すぐにヘソを曲げ、いじけた態度をとるようになる。そして、そうした態度がだんだん周囲に容認されていくと、「つまらない」「かったるい」「うざったい」などが口ぐせになり、ますます図にのり、横着になって、利かん気の、厚かましい、不逞な人間になっていく。こうして自制の箍《たが》が完全にはずれると、すべてがどうでもよくなり、自暴自棄になって、しまいには大切だった自分自身をも粗末に扱うようになる。
自分を好きになれない人間は、他人をも好きになれないにちがいない。自分を憎んでいる人間は、他人をも憎むものだ。それは、あらゆる人間が自分と同様、不快な存在として映るからである。だから、他人を傷つけても心が痛まない。
悪人を評して、「あいつは小さい頃、ほんとうにやさしい子だった」といわれることがしばしばあるが、小生の耳には「あいつは人を疑うという健全な警戒心をもっていなかったのだ」と聞こえてならない。
● 人は「承認」を必要とする
[#ここから5字下げ]
小房《こぶさ》の粂八《くめはち》は、両親の顔を知らぬ。
〈中略〉
「両親の顔もしらねえということは、人間の生活《くらし》の中に何ひとつ無《ね》えということで……それからのわっしが悪《わる》の道へふみこんで行った経緯《ゆくたて》についちゃあ、いちいち申しあげるまでもござんすまい」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「血頭《ちがしら》の丹兵衛《たんべえ》」
平蔵にこう述べた粂八は、長谷川平蔵が盗賊夫婦(助次郎・おふじ)のもとに生まれ孤児となった赤子のお順を事もなげに養女としたことを知って、ひどく感激してしまったらしい。いかなるかたちであれ、人は誰かと繋《つな》がりたいと欲求し、「集団の中での自分の居場所」を確保したいと願い、自分という存在を認めてほしいと願望している。というか、人は他者からの「承認」を得られなければ、一般的生活との折り合いがつかないどころか、人間としての営みをつづけていくこと自体が困難になってしまうようだ。では、いったい人間はいかなる「承認」を必要とするのか。
一、家族(とくに親)からの根源的承認。
二、恋人からのエロス的承認。
三、仕事仲間や友人知人からの社会的承認。
これら三者から「おまえ、なかなかやるじゃないか」とか「残念だったわね。でも好きよ」とか「たいしたものだ。見直したよ」とかいわれれば、人はいくばくかの自信をもって生きてゆける。また、どんなに辛苦に満ちた日々に遭遇しようとも、それをよすがにすればなんとか道を踏み外すことなく人生を歩んでゆける。
小生、荒《すさ》んでいた二十歳のときに、さほど好きでもない女の子から「好き」といわれたことがある。意外であったが、心外ではなかった。いや猛烈にうれしかったと告白しよう。というのは、一緒に街をぶらぶら歩いて話をするだけでこんなにも心がやすらぐものかと感じ入ったからである。いや、生きている手ごたえさえ感じたのだ。
がしかし、これら三者のいずれからも「承認」を得られないとなると、自分ひとりではどうにも立ちゆかなくなり、この世はひどく容易ならざるところになってしまう。じっさい思春期につまずいた人や犯罪に手を染めた人は、これらの三者のいずれからも「承認」を得ることに失敗しているようだ。
密偵・小房の粂八の生いたちは不遇であった。両親の顔を知らずに育ち、気がついたときは雪深い山村で「おん婆《ばあ》」と自分が呼んだ祖母らしい老婆と暮らしていた。そして、この「おん婆」が死んでのちは、売り飛ばされて諸方を転々としていく身となった。盗賊の世界に足を踏み入れ、女を平気で嬲《なぶ》ったりしたのも、こうした境涯に対する復讐にほかならなかったのであろう。粂八はのちに火盗改メに捕えられたとき、「両親の顔もしらねえということは、人間の生活《くらし》の中に何ひとつ無《ね》えということで……」と洩らすが、これは「愛すべきものや守るべきものがないという人間は、あらゆる行動が人間としての営みとして感じられない」と読んでもいいであろう。人はそれほどまでに他者からの「承認」を渇望する生き物なのだ。
† この稿を起こすにあたって、勢古浩爾《せここうじ》氏の『わたしを認めよ!』(洋泉社新書y)を参考にさせていただいた。痛快無比の、まれに見る名著である。
● 褒めるときは、気づきにくい美点を一|刷《は》きで
[#ここから5字下げ]
「女の腹がふくれはじめると、すぐ目立つ」
「おそれ入り……」
「亡兄の妻子は、一時、実家《さと》へ帰しておけ」
「はっ」
ほうほうの態《てい》で、寺田金三郎が出て行ったあと、平蔵は金三郎と同じ組屋敷に住む佐嶋忠介をよび、こういった。
「佐嶋。おぬしの炯眼《けいがん》にはおそれ入った。まだ、ふくれてもおらぬ女の腹の内を見通すとはな」
「おそれ入りましてございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「いろおとこ」
長谷川平蔵は冷たい頭と温かい心をもつ大人《たいじん》である。
なぜ小生が平蔵にこのような印象をもつのか。それは、平蔵が「人を褒《ほ》める」ことの妙趣を心得ていたからだ。
わが日本には「豚もおだてりゃ、木に登る」ということわざがあるが、この聖句が人口に膾炙《かいしや》されているのは、いかに人というものが褒められること、もちあげられることが好きであるかということをあらわしている。
褒めるということについて平蔵に問うてみれば、「組織のうえに立ち、人を引っ張ってきた人間であれば、褒めることをなおざりにはしまいであろうよ」と明快に答えるであろう。
そしてまた、「他人を褒めたがらない人間は、相手を褒めたら自分が見下されるのではないかとびくついているのだ。つまり、自信のないやつは人を褒めないというわけさ」とつけ加えるにちがいない。
褒めるということは、人を元気づけるばかりか、どこかしら褒める人間の器量や気位《きぐらい》と結びつくところがあって、その人の屹立《きつりつ》した美しさを際立たせることがある。
じっさい人は、叱られたことは意外に早く忘れるけれど、褒められたことはいつまでもおぼえているものだ。そして、自分を褒めてくれた人に感謝と敬意の念さえ抱くのである(言いづらいことだが、褒めようのない人ほど、褒め言葉に弱いものである)。
とはいえ、なんでもかんでも褒めればよいかといえば、むろんそうではない。それが世辞やへつらいと解されたのでは立つ瀬がない。
褒めることが難しいのはそこだ。いくら真顔で褒めようとも、素直に喜んでもらえないことがある。「心を伝える技術」があるように、「心を裏切る技術」もまたあるのだ。
平蔵が人を褒めるとき、何が凡骨とはちがっていたのか。
観察してみると、次の二つの点に気づく。
ひとつは、「他人が気づきにくい手柄や美点を褒めている」ことだ。
「佐嶋。おぬしの炯眼《けいがん》にはおそれ入った」と感服の言葉を投げかけたあと、「まだ、ふくれてもおらぬ女の腹の内を見通すとはな」と具体的細部をきっちり褒めるのだ。だが、これは「言うは易く、行なうは難し」である。相手に向ける並々ならぬ観察眼と洞察力がなくてはならないからだ。
いまひとつは、「その観察したところを集約して、一|刷《は》きで伝えてのける練れた表現力がある」ことだ。だらだらくどくど褒めたら、褒め言葉も台なしである。かえって逆効果になるかもしれない。「褒める」ということは褒める人間の器量や気位を美しく際立たせると先に述べたが、まさにこの簡潔と潔さをいっているのである。
心利きたる者よ、平蔵の「心を伝える技術」を習得するがよろしい。
● 「尊大」という病を患うな
[#ここから5字下げ]
「相手は三人だ」
「ま、三人も……」
「うむ。おれが二人を相手にして、御頭は一人を追いかけて行かれてな。そいつを捕えた。おれは一人を斬って捨てた」
と、忠吾は平蔵のはたらきを横取りしてしまい、
「そのとき、後ろから来たやつに、太股をやられた。これは、どうも、いくらおれが強くても防ぎきれなかったよ。何しろ、おたか。二人を相手にしたのだからな」
「まあ、さようでございましたか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「麻布一本松《あざぶいつぽんまつ》」
「尊大」という病に罹《かか》っている人がいる。いかなる症状がでるのか。
一、訊《き》いてもいないのに己れの虚飾に満ちた自慢話や荒唐無稽な法螺《ほら》話をとくとくと語ったり、非現実的な抱負|経綸《けいりん》をぶちあげることができる(カラスが孔雀《くじやく》の羽を身につけて得意がってもすぐに見破られてしまうものだが、本人はあくまでも孔雀のつもりなのだ)。
二、持ち時間≠フすべてを独り占めしようとする(自分は主役≠ネので、他人の時間も含めて、その場の時間はすべて自分に捧げられるものと思い込んでいる)。
三、たえずイライラしている(自己顕示欲が旺盛で、いつも注目されたいと思っているのだが、そうでもないこともあるので不満がくすぶるのである)。
四、のべつ賞賛の言葉を期待している(いかに自分が特別であり独特であるかを滔々《とうとう》としゃべり、しかも感心と賞賛の言葉を臆面もなく要求する。心の発達が未成熟であるといわざるをえない。賞賛の言葉を受けているうちは、寛大、鷹揚、太っ腹である)。
五、むやみに威張る(たとえば尊大な上司は、部下のアイデアを鼻であしらい、せせら笑って、叩きつぶすことばかりを考えている。叩きつぶすことで、自分が部下よりも経験が豊かで有能だということを確認したいのである。さらにいえば、上にペコペコする度合いと、下に威張り散らす度合いはほぼ比例する。上に対してへつらわない人間は、下に対しても傲慢で不遜な態度はとらないものだ)。
六、人見知りをする(誰も指摘していないが、尊大な人間はじつは人見知りをする。「人見知りをする人は、心底では人からよく思われたいという願望が人一倍強い」との確信を小生はもっている)。
七、過剰に謙虚である(人間が小さければ小さいほど尊大さは肥大化する。なんとも滑稽な反比例式だが、それよりもやっかいなのは尊大は謙虚の服を着たがるということだ。過剰な謙虚は歪んだ自己顕示欲の裏返しであり、ほとんど尊大である。が、多くの人はそれに気がついていないようだ)。
尊大な人間は、いうならば「お山の大将」なのだ。自分のお山で自慢やら功績やら武勇をふれまわっているうち、自己がどんどん肥大化し、自分をとてつもなく偉大な人物だと思い込むようになる。
そして、これが高《こう》じると誇大妄想の領域に入り込むようだ。こうなると、外部との「関係」がつかめなくなり、時代の「空気」が読めなくなって、現実感覚を失ってしまうことになる。それでもまわりの人たちが「さわらぬバカに祟《たた》りなし」と考えて、押し黙って何もいわないと、彼もしくは彼女は政治家への道を考えるようである。尊大とは、もっとも根治が難しい難病のひとつである。
● 教育で個性は育めない
[#ここから5字下げ]
二十五名の配下が、異口同音に、雨引《あまびき》の文五郎《ぶんごろう》を、
「二代目の長兵衛お頭に……」
と、すすめもし、ねがってもみたが、文五郎は毅然として、
「いや、おれは先代の長兵衛お頭の跡目をつぐつもりはねえ。なぜといいねえ、おれは雨引の文五郎で西尾の長兵衛お頭ではねえからだ。だからお前たちは、おもいおもいに散って行き、それぞれおもうところへ身を落ちつけるがいい。おれはこれから|ひとりばたらき《ヽヽヽヽヽヽヽ》の盗人になるが……もしも、お前たちのうちで、先代の跡目をつぎてえという者がいるのなら、おれはとめねえ。好き勝手にしたがいい」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「雨引《あまびき》の文五郎《ぶんごろう》」
雨引の文五郎は『鬼平犯科帳』に登場する盗賊のなかでも、もっとも魅力ある盗人のひとりだ。
なにがいいといって、宵越《よいご》しの権力をもたず、颯爽《さつそう》としており、それでいて情が深く、信義に厚いところがいい。あまたいる盗賊のなかでも、その個性は際立っている……などと書くと、「個性という言葉をつかえば、何でも済むと思っていやがる」とお叱りを受けそうだが、不用意に使っているつもりは毛頭ない。というわけで、今回は「個性」について考えてみたい。
世を眺め渡してみると、「個性重視」の声は相変わらず大きい。なかでも教育と名のつくところでは、画一を排して個性を尊重するといえば、誰も異議を唱えないばかりか、もろ手を挙げて大賛成という次第。で、結果、どんなことが起こったか。
勝手がのさばり、わがままが横行した。
子どもの意欲、創造性、好奇心などを過度に尊重しすぎたために、あちこちから悲鳴と批判の声があがっているほどだ(アメリカではいま、「個性重視の教育は失敗した」という反省がしきりになされている)。
もとより画一主義を遂行すれば人は型にはまり、個性主義を実践すれば個性が伸びるなどと考えること自体が、もう人間という生き物に対する想像力を欠いている。
愚見を述べれば、個性とは、教育する側の意図と期待を裏切ったところにしかその姿をあらわさないものだ。個性主義教育をやれば、個性がすくすくと育つと考えるのは短絡的にすぎる。
たとえば、大リーグへ行った野茂英雄やイチローを見るがいい。野茂は入団当初、投球フォームに難ありといわれ、しばしば改造を命じられているし、イチローもまた打撃フォームの矯正を幾度となく示唆されている。しかし、|幼い頃からすでに基礎的訓練をしっかりと積んでいた両選手《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》はそれを受けつけず、「変則」だの「異端」だのといわれても自分の思うところを貫きとおし、野茂は「トルネード投法」を、そしてイチローは「振り子打法」をそれぞれ完成させていった。
いうならば、個性的なものとは、画一なるものから逸脱したところにその顔をのぞかせるものなのだ。いや、こういったほうがいいだろう。個性的なものは、退屈ともいえる画一的な基礎訓練を充分に受けた土壌にしか芽吹かないものである、と。
そもそも教育とは、先人の知恵を学び、そこから何かしらの「型」を身につける場である。その意味において、教育の現場はどうしても画一にならざるをえず、個性を排除しにかかるのは当然のことといってよいであろう。こう考えれば、「個性主義教育」なるものが、いかに形容矛盾であるかがわかろうというものである。
また、個性主義教育とか、個性を重視する指導などといっている人間にかぎって個性が感じられないのも、個性というものを考えるうえで大いにヒントになる。
● 上達とは真似ることと見つけたり
[#ここから5字下げ]
「あのような御立派な父上をもたれたからには、もそっと上達をせねばなるまい」
と、口ぐせのように辰蔵をいましめるのだが、どうもこの弟子、|すじ《ヽヽ》がよくない。
「お前のすじの悪いのはわかっておる。なれど、坪井先生に日々《ひび》接することのみにても、お前のためになることだ」
と、平蔵もつねづね息子にいいきかせている。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「霧《なご》の七郎《しちろう》」
上達の早い人がいる。コツの飲み込みが早く、要領よく何でもこなしてしまう。そんな人が周囲に一人や二人はいるだろう。どうしてなんだろう。上達にも秘訣があるのだろうか。上達の早い人を見ていると、あこがれの対象をしっかりと見つけていることに気づく。「あの人のようになりたい」とか、「あんなことができるようになりたい」という具体的願望をもっているのだ。そして、あこがれの対象を見つけたら、それをじっくりと観察して、真似《まね》しようと努めている。つまり、明確な課題意識をもって自分の獲得したい技術を真似しているのである。
ところが、上達の遅い人はこれができない。「真似をする」というと、とたんに「自分は人の真似なんかしません。わたしはわたしですから」と不満をあらわにして興味を示さないのだ。どうして彼らはこんな子どもじみたことをいうのか。
戦後、日本社会は「強制」と「模倣」を悪≠ニ見なし、その象徴としての「師弟関係」の抹殺に渾身の力を注いできた。学校の現場はその放逐に力を貸し、教師たちは師≠ノなることを嫌がり、生徒は弟≠ノなることを拒否した。小生にいわせれば、これが「真似することを嫌がる人たち」を大量に産みだす原因となったのだが、これによって日本人が「独創」を得意とするようになったかというと、そんな話はついぞ聞いたことがない。つまり、日本人は「模倣」も「独創」も手放してしまったというわけだ。
考えるに、独創とは、模倣がもたらすものではないのか。ある技術を長い目で眺めると、つくづく「独創は模倣の延長線上にある」ことがわかる。模倣を通過しない技能は奇を衒《てら》う破目《はめ》に陥りやすく、実を結ばないことのほうが多いのだ。「学ぶ」という言葉も、「真似《まね》ぶ」からきているというではないか。「習う」も「倣《なら》う」だ。学習の根本は、師の技術を真似ることにほかならない。
では、どう真似をしたらいいのか。
卓越した技術はマニュアル化されていなかったり、言語化されていないことが多い。また、当人に訊いても、言葉でうまく伝えられなかったり、さまざまな理由で教えてもらえない場合もある。
そこでまず、凝視と観察がはじまる。次は、見よう見真似の模倣だ。むろん最初のうちは、自分でも滑稽と思えるくらいに|ぶざま《ヽヽヽ》であろう。が、試行錯誤を繰り返しながらひたすら真似するうち、ある日まさに突然という感じで、すんなりできてしまうことがある。そして、やがてその技術に慣れてくると「気づく力」が芽生え、美点だけではなく、欠点も気になりはじめる。次なるは、それを自分に見合ったように修正しようとする訓練だ。独創がひょいと顔をだすのはそのときである。
独創とは、気づかれぬ剽窃《ひようせつ》であるのかもしれない。だから、もっと模倣を。
● お金は、わたしたち自身である
[#ここから5字下げ]
「金と申すものは、おもしろいものよ。つぎからつぎへ、さまざまな人びとの手にわたりながら、善悪二様のはたらきをする」
「ははあ……」
「その金の、そうしたはたらきを、われらは、まだ充分にわきまえておらぬような気がする……」
何やら、しみじみと、平蔵がいったものであった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「赤《あか》い空《そら》(雲竜剣)」
不思議だ。お金というのはとても大事なものなのに、その扱いについては小学校でも中学校でもいっさい教えてくれない。ところが、成人してお金のことで失敗すると、あれやこれやと非難される。これはもうほとんど理不尽の世界といってよい。
お金とはいったい何者なのか。
こうなったら、その正体をさぐるべく、お金を尾行してみることにしよう。と思ったら、少数ながらもわざわざむこうからやってきてくれた。そうかそうか。ほんに愛《う》いやつよ。懐がほっこり温かいのは何ともいえず格別よのう。でも、きょうはおまえさんを手放さなくてはならないのだよ……というわけで、こっそりとお金のあとをつけてみると──べつだん用もないのに仲間のいるところへよく顔をだすことがわかった。かなり偏りのある交友関係を築いているようだ。気まぐれのうえに淋しがり屋なのか。聞くところによると、友だち付き合いもマメで、仲間うちで海外旅行に出かけたりもするらしい。が、政情が不安定なところへは行きたがらないようだ。けっこう用心深い性格である。
尾行二日目の晩、お金たちがヒソヒソ話をしているのを目撃した。そばによって聞き耳をたてると、
「いいカモが見つかったわよ」
「どんな奴?」
「ずぼら。ぐうたら。なまくら。働いてもいないのに、お金を見ると一日の疲れがとれるなんていっていた。とにかく金さえ手に入れば、人生それでハッピーと思ってるような人間」
「ラクしておれたちが手に入ると思っているのかな?」
「そうらしいわね」
「だとしたら、おれたちの努力と才能に対する侮辱だ。目には目を、だな」
「いいえ、目には目と歯よ。で、どう、ちょっとからかってみない?」
「いつものやつ?」
「そう。みんなで押しかけて大名気分にさせたところを、そう、一斉に引きあげるって寸法……」
などと密談しているのである。自尊心が強く、コケにされるのをひどく気にする性質《たち》のようだ。ハテ、これ、誰かに似ていないか。気まぐれで、淋しがり屋で、用心深く、自尊心が高いといえば、そう、現代ニッポンに生きる最大公約数的な平均的日本人の姿である。お金とはつまり、それをもつ人間の心や価値観、その総体としての社会を映しだす合わせ鏡であったというわけだ。さらにいえば、お金とはわたしたち一人ひとりの欲に対する態度がそのまんま反映されたものである。この断定には自信がある。私の年金を賭けてもいい。
● 気持ちはあとからついてくる
[#ここから5字下げ]
平蔵は曲折に富んだ四十余年の人生経験によって、思案から行動をよぶことよりも、先ず、些細《ささい》な動作をおこし、そのことによってわが精神《こころ》を操作することを体得していた。
絶望や悲嘆に直面したときは、それにふさわしい情緒へ落ちこまず、笑いたくなくとも、先ず笑ってみるのがよいのだ。
すると、その笑ったという行為が、ふしぎに人間のこころへ反応してくる。
〈中略〉
(よし、来い!!)
呼吸がととのい、勇気がわき出てきた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「兇剣《きようけん》」
感情への耽溺は、錯覚をもたらし、勘を鈍らせる。勘が鈍ると、忍びよってくるのは焦燥であり不安である。そしてそれらに支配されはじめると、ますます情緒が不安定になり、さらなる妄想と曲解へ至る──というような悪循環に陥ったことは、誰しもが経験したおぼえがあるだろう。こうなると自分の力ではどうにもならなくて、まるで流砂にずんずん下半身をくわえこまれていくような感覚に捉われる。こんなとき、そこから脱する方法はあるのだろうか。
以前、「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるのだ」という先人の文言に出会ったとき、ほほう、そういう考え方もあるのか、といたく感心したおぼえがある。ということは、心が楽しいと笑みがこぼれるわけだから、逆に笑顔をつくれば心が楽しくなるはずである。そう考えて、ためしにいま、口をとがらしてみると、……五秒もしないうちにじわりと腹が立ってきて、文句のひとつもいってみたくなるではないか。一斑が全豹を変えてしまうことはおうおうにしてよくあることなのだ。
ひきこもりがちだった人がひょんなことから陽気な異性と出会って明るさを取り戻したとか、うつ病の人が光に満ちた南の島に移住したらウソのようにうつ病を発病しなくなったという話を聞いたことがあるが、これもうわべを変えることで全体を変えることに成功したよい例であろう。
感情が行動を規定するとは考えずに、
「ある行動をとれば、それにふさわしい感情がついてくる」
と考えてみてはどうか。平蔵がいわんとしていることも同じである。思考の蛸壺《たこつぼ》にハマりそうになったら、その傾向に埋没せず、うわべを変えることで望ましい気持ちを呼び込んでしまえと説いている。池波正太郎はこのことをかなり意識していたようで、
「私は、仕事の行き詰りを頭脳からではなく、躰のほうから解いて行くようにしている」
とか、
「人間という生きものは、苦悩・悲嘆・絶望の最中《さなか》にあっても、そこへ、熱い味噌汁が出てきて一口すすりこみ、
(あ、うまい)
と、感じるとき、われ知らず微笑が浮かび、生き甲斐をおぼえるようにできている。
大事なのは、人間の躰《からだ》にそなわった、その感覚を存続させて行くことだと私はおもう」
などと書いている(ともに『日曜日の万年筆』所収・新潮文庫)。
ちょっとした動作に、こうなったらいいなあという心をちょっと添えることで、あっという間に自分を取り囲む世界がひっくり返ってしまうことがあるということは、なんとも愉快ではないか。
うわべに自由あれ。そしてそのための「内心の自由」にも自由あれ。
● いさぎよい女は見返りを求めない
[#ここから5字下げ]
「それほどに、死んだ女がよかったのか……?」
「何事にも、いさぎよい女でございました。男らしい男のように、いさぎよい……」
「そうか、なるほど。そうした女は百人に一人もいまい。顔かたちや肌身のよさでもなく、そうした女こそ、何よりも男がのぞむ女なのだからな……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「消《き》えた男《おとこ》」
妻を亡くした男と平蔵とのやりとりである。
男同士のいい会話だ。「いさぎよい女」こそ、男がのぞむ女だという。わかるなあ、その気持ち。
私事閑話である。いきなりだが、小生、女々《めめ》しい女が嫌いだ。
テレビなどでも、ささいなことでやたらにメソメソする女を見ると、
「もうすこし毅然としておられんのか」
ソファーの上で仁王立ちになりたい気分に襲われる。
時はいつなんめり。あまたの男性が「いい女だ」と認める女性と食事をする僥倖《ぎようこう》に恵まれたことがある。彼女は、東に悩める後輩がいれば一緒に将来を悲観してあげ、西に上司のつまらぬジョークを聞けばお追従笑いをしてあげ、南に宴会があればしょんぼりしている同僚をやさしく励まし、北に会議があれば堂々と「意見書」のみで参加を表明して実務をテキパキこなす、と噂される才女であった。
その食事の折、「あなたは誰からも好かれているみたいだね」というと、「それは、あたしが悪人だってことでしょ」と朱唇を結んでキッと睨んだ。簡にして要を得た受け答えである。そして、「笑いたくないときも笑ったりして、自分の心を偽り、それで他人までもダマしているわけだから」と美しい眉を微動だにさせることなくつけ加えるのであった。やるね。玉のような艶やかな時間とはこれである。
その晩、物語はいっこうに始まる気配を見せず、「公園の池のまわりをぐるっとしませんか」と誘ったが、彼女は私にパンチをくらわす格好をしたあと、「ほんじゃあね〜」とパソコンを強制終了≠ウせるようにあっさりと帰ってしまうのだった。小生が彼女のなかに小さな忘れ物をしたのはいうまでもない。
後年、彼女はある男性との恋に破れたらしいのだが(むろん小生ではない)、別れ際に「あたし、男みたいに女々しくないから安心して」と訣別の辞を述べたそうな。
春夏秋冬、女は怖い。だが、こういう女こそが「いさぎよい女」である。
相手が自分の言いなりになってくれることが愛されていることだと勘違いし、打算や損得ばかりを気にして厚かましい言動にでたあげく、望みがかなわないと知るとメソメソ泣き、泣いても埒《らち》があかないとわかるとふてぶてしく開き直る浅ましい女とは、そもそも男に対する気構えというか、料簡《りようけん》がちがう(だから小生もこれに見習い、未練はあるがいさぎよく、泣く泣く彼女には近づかないでいる)。
平蔵の妻・久栄《ひさえ》や、密偵のおまさが、男性読者の眼に好ましいと映るのは、彼女たちがともに出処進退が垢抜けていて、目から鼻へ抜ける才覚をもった「いさぎよい女」だからである。いさぎよい女とは、見返りを求めない女である。で、まわりを見渡してみると、いさぎよくない女だらけである。
● 親しき仲にこそ礼儀あり
[#ここから5字下げ]
久栄《ひさえ》が平蔵の妻になったとき、
「このような女にても、ほんに、よろしいのでございますか……?」
久栄が両手をつき、平蔵に問うた。
「このような女とは、どのような女なのだ?」
「あの、私のことを……」
「きいたが、忘れた」
「ま……」
「どちらでもよいことさ」
「は……」
「おれとても極道者《ごくどうもの》だ。それでもよいか、と、お前さんに問わねばなるまいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「むかしの男《おとこ》」
平蔵と久栄の初夜の情景である。
ご存じの読者も多いと思うが、久栄は処女で結婚した女ではない。十七歳のときに、近くに住む与太者に娘のあかしを奪いとられている。いまでこそ処女であるとかないとかはべつだん問題にされないが、江戸時代に生きる武士の娘がチンピラに処女を奪われるなどもってのほかであった。
哀れ、久栄は失意のなかで暮らし、それを知った父親もまた「嫁にはゆけぬ」とがっくり肩を落とした。
ところが隣屋敷に住んでいた平蔵は、久栄の気だてのいいのを見てとり、
「よろしければ、私がいただきましょう」
じつにあっけらかんと久栄を嫁にしてしまうのだった。
そればかりではない。平蔵はただの一度も、久栄のその忌まわしい過去へはふれたことがない。それどころか、
「おれとても極道者だ。それでもよいか、と、お前さんに問わねばなるまいよ」
と、問題をわが身のものにして久栄をかばいとおしている。
やさしい男とはこういう男のことをいうのだ。
男の生態に詳しいある中年女性によると、おおよそ八割の男が閨房《けいぼう》で、
「何人の男を知っている?」
に、はじまって、
「最初はいつ?」
などと、女の過去を根ほり葉ほり聞きたがるのだという。ニッポンの男たちはお勉強のしすぎで、喋々喃々《ちようちようなんなん》のやり方も忘れてしまったようだ。
「そういう男には三白眼《さんぱくがん》でねっちりと睨み返してやればいいんだよ」
というと、
「だめだめ。黙っていたら、それこそよけいに疑われてしまうわよ」
あらぬ嫌疑をかけられてしまうというのだ。だから女性たちは、嫌々ながらも適当な返答をするのだそうだ。男ってバカだね。それで納得するんだから。
女の、触れてほしくない過去に土足で踏み込み、言葉の愛撫もせずに無神経に質問を浴びせるなど愚の骨頂である。人間関係においては、越えてはいけない一線、踏み込んではならない領域というのがある。
むろんそれは男女の関係に限られるものではない。男同士の関係とて同様である。ひと皮むけば、男なんて生き物は大なり小なりそれぞれ脛《すね》に傷があるものだ。なんでもかんでも知りたがるのは、相手の気持ちを慮《おもんぱか》ることをしない甘ったれがやることだ。信頼関係は互いが無邪気になれあうことではなく、触れてほしくないことに立ち入らぬことによって支えられていることもある。「親しき仲にこそ礼儀あり」なのだ。
● 短所は気にせず長所を伸ばせ
[#ここから5字下げ]
間もなく、庭先へあらわれた老婆は、まさに、弥勒寺《みろくじ》門前で〔笹や〕という茶店を出しているお熊婆ぁであった。〈中略〉
「おい、銕つぁん。むかしなじみの、このお熊を庭先へ通すとは、あまりに|むごい《ヽヽヽ》仕うちじゃぁねえかよ。むかし、お前さんが勘当《かんどう》同様になって屋敷を飛び出し、本所・深川をごろまいていたころには、毎日のように酒をのませたり、泊めてやったりしたのを忘れたのかえ」
あたりかまわぬ声を張りあげたものだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「お熊《くま》と茂平《もへい》」
お熊婆さんは「天動説の女」だ。万物は惑星であり、すべては自分を中心にまわっていると考えている。ゆえに、この老女の辞書には「配慮」とか「遠慮」とか「熟慮」といった文字はない。ところが、まわりの人間たちはそのことを疎《うと》ましく思うどころか、むしろ好意的に捉えて愉しんでいるかのようだ。
「人のつきあいにおいては、われわれは長所よりも短所によって人の気に入られていることが多い」
と喝破したのは箴言家《しんげんか》のラ・ロシュフコーだが、わたしたちの多くもまた「隙《すき》のない人間はつまらない」と思い、心の奥底では、それを嘆く愉快さも含めて、気質上の短所には親近感をおぼえて好意を寄せているのではないか。
性格上の欠点や短所を矯正できれば「ちっぽけな自分」を感じなくて済む──安易にこう考えて、昨今、自己啓発セミナーとやらに足を運ぶ人がけっこういると聞く。じっさいそうしたセミナーに参加したある女性は、目に力がこもり、声なんかやたらにでかくなって、しきりに「世界がちがって見えるようになった」とその変貌ぶりを誇示するのであった。
へえ、こんなふうにお手軽に「これまでとはちがう自分」に出会えるものなのか。人間も品種改良とか促成栽培ができるとは知らなかったなあ……。と、それも束の間、ひと月もするとやはり以前の彼女に戻ってしまっている。いや、以前よりも元気をなくしてしまったようにさえ見えた。あたかも悪い液体を含んだシラス台地のようにグズグズと崩れていくような印象さえ与えたのであった。
気質という地金《じがね》の部分にいくら自己啓発という名の興奮剤を注入したとしても、もって生まれついた「らしさ」はおいそれとは変えられないようだ。いや、むしろ虚構の自信を与えることで、かえって新たな不安を生んでしまうことが多いのではないか。いやいや、そもそもわたしたちの不幸は、自分以外のものになろうとすることからはじまるのではないか。
人は年月をかけて身につけた「他人の目に映る自分」からはなかなか自由になれないようだ。どんなに努力しても「等身大の自分」からは容易に逃げだせないらしい。だとしたら、「自分」という人間をずっと引き連れていくしかないのだと潔く開き直ってしまったらどうか。気質上の短所のことはいっさい気にせず、長所を伸ばすことだけ考えるのだ(人と接するときには、相手の短所は気にかけないようにして、長所とだけつきあうのがよい)。長所が目立つようになれば、不思議と短所はそれに反比例して小さくなり、やがて人生に妙味を加えてくれる香辛料のようなものになる。いや、思い切って、短所はかならず長所につうじるものだと考えてみてはどうだろうか。
ちなみにお熊婆さんの長所は、誰に対しても気さくなこと。それから、何があってもウジウジめそめそしないことである。
● 日本的経営を手放すな
[#ここから5字下げ]
「ところで、細川」
「は……?」
「明日は非番じゃそうな。ゆるりとやすむがよい。そして、明後日から、お前は勘定方《かんじようかた》をやめ、わしと共に市内見廻りをしてもらおう」
「そ、それは、あの、まことでございますか?」
「お前に嘘をついたところで、わしは一文《いちもん》にもならぬ」
「か、かたじけのうございます」
細川峯太郎はよろこびいさみ、両手をついた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「草《くさ》雲雀《ひばり》」
勘定方同心・細川峯太郎は若輩者であった。誘惑に陥りやすく、意志も薄弱である。
だが、組織のなかで鍛えられていくうち、成熟した大人としてのふるまいができるようになった。そんな細川に、待望の外廻りの役目が申しつけられたのだ。聞けば、入れ替わりに勘定方になるのは、腰痛に悩む高齢の岳父《がくふ》だという。細川は平蔵の粋なはからいに、ひたすら深謝するのみであった。
小生、その挿話に「日本的経営」の原点を見てとり、戦後日本の復興に思いを馳せるのであるが、読者諸氏のなかにも同じ思いに駆られた人がいるのではなかろうか。
昨今、不況のあおりで「リストラ」という名の解雇があちらこちらで行なわれている。そうしたなか、「日本的経営はもはや破綻した」などという考え方が支配的になっているようだが、まったく事実誤認も甚だしい。不況の原因は日本的経営にあったわけではまったくない。
もとより「利潤優先」という資本主義の基本原理を考えた場合、年功序列や終身雇用が徹底を欠くのは当然である。がしかし、日本的経営とは、年功序列や終身雇用に象徴される経営形態をいうのではなく、長期雇用がもたらしうる人格|陶冶《とうや》と年功評価をいっていたはずだ。多くの人間が長く組織にかかわることで、若輩者が鍛えられ、功労者がいたわられてゆくシステムこそが日本的経営なのである(そもそも年功序列制度は、戦後の高度成長期にのみ見られた一時的な現象で、戦前の日本にはなかったし、また資本主義が存続する限り、今後も存在しえないであろう)。
それがいつのまにかごっちゃにされて、世界に誇るべき日本的経営が苦しい立場におかれている。
冷静になって考えていただきたい。日本的経営を捨てるとは、すなわち組織のなかでの訓練と成長を手放すということであり、そこで働く人間を交換可能なモノと見なすことである。それでいいのか。断言するが、これは日本的経営の功績と将来の可能性に想像力を欠いた観念的蛮行である。惚れ惚れするようなバカっぷりといってもよい。
人間をモノと見なす組織が存続しえないことは、中学生でもわかる人間論であり組織論である。日本が日本的経営を捨てたとき、ほかにどんな雇用形態を選択するというのか。人を徹底的にモノ化するシステムをつくるとでもいうのだろうか。
「たわけ!!」
日本的経営は破綻したなどとほざいている経営者や経済学者に、平蔵ならこう大喝するであろう。
「青二才どもめが。愚かなことをしよって。日本的経営があればこそ、いまの日本と日本人があるのだ。人格陶冶を手放した組織に未来があるものか」
平蔵の怒りの声が聞こえてくるようだ。
● 美人とは哀しい存在である
[#ここから5字下げ]
二人とも、若い性欲を散ずるためには別に困ることはない。男の|あぶら《ヽヽヽ》がこってりと腰や胸にのった商売女たちへは、遠慮|会釈《えしやく》もない腕をさしのべる二人であったけれども、白桃《はくとう》の実《み》のようなおふさに対しては女性《によしよう》への憧憬《どうけい》のすべてがふくまれてい、その折のわが胸底《きようてい》に秘められた万感の、|純なるもの《ヽヽヽヽヽ》あればこそ、平蔵も左馬之助も、おふさを忘れきることができないのである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「本所《ほんじよ》・桜屋敷《さくらやしき》」
若き日の平蔵と岸井左馬之助は、ともにおふさに恋心を抱いていた。おふさは清楚可憐であり、白桃の実のような色白の美人であった。
女も男と同様、その魅力は「外見ではない」といわれることがある。が、正確にいうとそれは「外見だけではない」ということであって、やはり、どうしようもなく外見である。
美人とは、とくにお腹がすいているわけでもなく、またとくに何か食べたいものがあるわけでもないのに、なんとなく開けてみたくなる光り輝く冷蔵庫のようなものである(中には何も入っていないこともあるのに)。じっさい「おれは面喰いではない。女といえども外見で判断するようなことはしない」とつねづね口にしていた友人が、あるときすこぶる&tきの目の覚めるような美女をまえにしたときにとった態度は、いまだ小生の心に強い印象を残している。あたかもそれは台詞《セリフ》を忘れて舞台の上で棒立ちになった役者のようであった。また、そのとき「美人であること」が見せた威力もすごかった。かすかに微笑む以外は何をしたというわけでもないのに、彼を無条件に投降させ、静かな没頭、やわらかな専心へと導いていくのであった。
男は美人に弱い。これはもうどうしようもない真実だ。異議のある方は、白雪姫やシンデレラがブスだったら王子さまは好きになっただろうかという基本演習問題をまず解いていただきたい。
美人とは、宝石である。存在するだけで価値があり、眺めているだけで心が洗われる。そして美人に対する男の忠誠心は、忠犬ハチ公のそれをはるかに上回る。男にとっての美人とはそういうものだ。ところがやっかいなことに、そしてとても言いづらいことに、美人は美人でなくなってしまうことがある。老いたり、太ったりして、美人ではなくなってしまうのだ。容姿容貌だけではない。性格の嫌な一面を目にしたというだけで(たとえば、四角い部屋を丸く掃いたというだけで)、あるいはくしゃみの仕方が見苦しいというだけで、憑《つ》きものが落ちたように一瞬にして美人に見えなくなってしまうことがある。
こうなると男は身勝手なもので、次なる美人に目移りをして、かつての美人には見向きもしなくなる。残酷である。女性が美人であることを長期にわたって維持するのは、駱駝《らくだ》が針の穴を通るほどに難しいことなのであろう。
ゆえに、美人とは哀しい存在である。だからこそ男たちは、「いまそこにある美人」にひざまずき、これでもかというほどの待遇を用意するのだ(金と根性のないへなちょこ男に、美女はぜいたくである)。
男と女の関係はうつろいやすいもので満ちている。が、ひとつたしかなことがあるとしたら、それは初恋の女性には再会しないほうがいいということである。「本所・桜屋敷」はそのことをそっと教えている。
● 「期待される部下像」をはっきりと伝えよ
[#ここから5字下げ]
事もなげに笑って平蔵が、
「この御役目はな、善と悪との境目《さかいめ》にあるのだ。それでなくてはつとまらぬのだ。だからといって、田中貞四郎の二ノ舞をだれかがやったら、おれが腹を切る!!」
|ずばり《ヽヽヽ》というや、人が変ったようなすさまじい目つきで一同をにらみまわしたかとおもうと、がらりと口調が変り、
「おれはな、失敗《しくじり》の二ノ舞は大《でえ》きれえだぞ」
いい捨てるや、颯《さつ》と奥へ入ってしまった。
一同、顔を見合せ、|なまつば《ヽヽヽヽ》をのみこむばかりであった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「鈍牛《のろうし》」
部下には、「いわれなくてもわかる部下」「いえばわかる部下」「いわれてもわからない部下」の三つのタイプがある。
困るのはもちろん「いわれてもわからない部下」だ。そして、その「いわれてもわからない部下」は、「言語理解能力において著しい欠陥がある部下」と「ほんとうはわかっているのだがわからないふりをしている部下」に分けられる。
やっかいなのはむろん後者のほうだ。彼らはどうしてそんなことをするのか。
一、上司に反感をもっているから(反対派)。
二、上司より自分のほうがすぐれていると考えているから(能力派)。
三、いまの仕事より魅力的でやりがいのある別の仕事に関心があるから(転職派)。
四、仕事より家庭や趣味のほうに興味があるから(自分派)。
五、あくせく働いたって、「先」は知れていると思っているから(無気力派)。
多くの人生論や人間関係学はこうした部下をもったときの心得として、「懐柔」と「説得」をすすめる。が、小生はそう考えない。こればっかりは人間の性根玉《しようねだま》の問題だから、いくらすり寄り、どんなに言い含めても他人の力ではどうにもならないのだ。彼らが「気持ちを入れかえる」ことがあるとしたら、自分で気づくしかないのだ。
さらにいえば、人間に成長を促すものは自己嫌悪である。ゆえに、彼らに改心を求めるのは、ダチョウに空を飛べというような無理な要求である。
そんな彼らが口にすることの多くは、よくいえば詩、悪くいえば妄想以外の何ものでもない。
「自由に空を飛びたいよ。きっとどこかにぼくを待っていてくれる人がいる」
とかなんとか。
こんな詩を口ずさんでいる人間と、まともな対話が成立するであろうか。だから、ここは思いきって、
「旅人よ、もう、きみとは一緒にやっていけない」
という意思を伝えるのがよい。関係の分岐点、結節点、分水嶺をつくるうえでも、意を決してこう伝えてみてはどうか。
「期待される上司像」があるように、「期待される部下像」だってあるはずだ。まずはそのことをきちっと伝え、異動、転職をすすめたらどうか。
そのとき、「異動(転職)すべきはあなたのほうではないですか」といわれたら、その図々しさと無思慮に呆れてこんなふうにいってやるといい。
「いいか。きみにはおれにない才能があるかもしれん。だが、才能はあっても資格はないのだ。おれは上司で、きみはおれの部下だ。残念ながら、決断を下すのはきみではなく、おれのほうだ」
二重顎でもつまみながら、野蛮かつ鷹揚にいってやれ。
こうしたことで、きちんと生きている人間がわりを喰うことはない。
● 「和を以て貴しとす」は目標ではない
[#ここから5字下げ]
伊勢屋の主人の又七は、加賀やから舟を出させるときも、船頭の常吉《つねきち》を大声で叱り飛ばしたりして、傍若無人《ぼうじやくぶじん》にふるまう。
かねがね、それが癪《しやく》にさわっていた所為《せい》もあって、先ず、伊勢屋に火をつけたのだ。
伊勢屋は丸焼けになり、となり近所が五軒も類焼し、三人の焼死者が出た。
(ざまあ、みやがれ)
であった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「火《ひ》つけ船頭《せんどう》」
なんだかんだいっても和を以《もつ》て貴しとするのが日本人である。
「皆さんがよろしければ、私もいいです」
などという、おそらく欧米社会で口にしたら、たんなる阿呆としか見なされない言葉にそれは端的にあらわれている。
和を以て貴しとすることを頭ごなしに批判するつもりはないが、どうも日本人はこれを美徳としてことさら強調しすぎるきらいがある。
たとえば、社長室に入るとよく「和」の一文字が掲げられているが、「和」はあくまでも何かを成し遂げるための一便法であって、目標とすべき事柄ではない。もちろん、壁に飾るのにふさわしい言葉でもない。さらにいえば、「和」を重視しすぎると、知らず知らずのうちに批判力が低下し、想像力が弱まり、決断力が鈍ってしまう(経営者にとっては、このほうが都合がいいかもしれないが)。で、こうなると、どうなるか。卑屈ともいえる態度をとるのがつねとなり、いつのまにか自分が弱者であることを演出するようになって、やがてそれがほんとうの自分になってしまうのだ。
船頭の常吉は、無口な男であった。
胸のうちでは絶えずぺらぺらとしゃべっていたが、それを口にだすことはめったになかった。争いごとを好まず、鬱憤は胸のうちに畳み込んでしまう小心の男であった。怒髪衝天することもなければ、大喝一声することもなかった。
女房のおときが寝取られたときもそうだ。女房にも相手の男にも、責めるどころか意見もできなかった。胸のなかに仕舞い込んで、じっと堪え忍ぶのだった。
これでは見くびられるのも当然である。
それでまた鬱憤が蓄《たま》っていった。
鬱憤は発散を求めて、ひどく常吉を苦しめた。
何か鬱憤晴らしになるものはないものか。
ついに常吉は、それを火つけに求めるのだった。
論より火つけ。ちょっと火をつけるだけだ。それで大火事だ。黙っていりゃ誰にもわからない。へへ、それで憂《うさ》が晴れる。常吉は線香花火のように弱々しく笑うのだった(ここは想像)。
意見には賛成し、非難には押し黙り、軽蔑にはうなだれているうち、人は卑屈ともいえる人生態度を身につけるようになる。
和を以て貴しとすることに価値を見いだすのはときとして必要だが、日常の処世訓にしてしまうと、あとでとんでもないシッペ返しをくうことになる。
常吉にならないためには、鬱憤晴らしのための小爆発≠ェ必要だ。
たまには悲憤慷慨の心境や遺憾千万の思いをおもてにだしてみることだ。殺虫剤をかけるくらいのことはしてもいい。大爆発したら、もう手遅れだ。
● 人は「間接的伝達」に弱い
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いつであったか長谷川平蔵が、妻女・久栄《ひさえ》に、
「川村弥助は勘定掛として、まことに、すぐれている。〈中略〉いつなんどきにても、帳簿を一目《ひとめ》見れば、たちどころに御役目の上の金の出し入れによって、与力・同心のはたらきぶりまでが、わかるようになっている。つまり、そのように川村は、おのれの仕事に絶えず工夫をこらし、誠実《まこと》をつくして、つとめている。なればさ、通常は二人、三人にてつとめる勘定掛が、わしのところでは一人ですむ。〈中略〉川村弥助のごとき才能は、この世の宝物《たからもの》といってよいのだ」
そういったことがあった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「泣《な》き味噌屋《みそや》」
火盗改メは獰猛|剽悍《ひようかん》な盗賊に立ち向かう勇猛果敢な武闘集団である。が、ひとり川村弥助は小心者の泣き虫であった。犬に吠えつかれれば竦《すく》みあがり、人に意見をされれば泪《なみだ》をため、地震があれば腰をぬかして失禁してしまうのだった。あたかも負け犬が柔らかい腹を見せるがごとき自尊心のない行為を人前で平気でやってしまうのだ。そんな川村を目にした同心たちは、おおいに気抜けがして、「さむらいの風上にもおけぬ男よ」と陰口をたたき、泣き虫をもじって「泣《な》き味噌屋《みそや》」という軽侮に満ちた渾名《あだな》を献上するのだった。
こんなときである、乙女の感受性を秘めた戦略家・長谷川平蔵の腕力が発揮されるのは。平蔵はさっそく川村の美点を見つけ、
「今の世の武士には、川村のごとき男も必要なのだよ」
と妻の久栄にそれとなく聞かせるのだった。
一見すると何の役にもたたず、それどころか周囲に迷惑をかけ足手まといになる人間が周囲にいた場合、読者諸氏よ、あなただったらどんな行動をとるだろうか。おおかたは、まったく気の滅入るような野郎だよ、と舌打ちをしながら嘲笑し、軽蔑に嫌味を添えて陰に陽にいじめにかかるであろう。だが、平蔵はそうはしない。「精進を怠らぬ人間はきっとどこかで誰かの役に立っている」という信念の持ち主であるから、広く当人の周辺にサーチライトを当てて、なんとか美点を見つけようと努めるのだった。刺激の強い色を際立たせるにはまわりに薄い色も必要だよ、といわんばかりのやさしさである。こういったところに、人間に対する平蔵の寛容さが見てとれるのだが、注目すべきはこれにとどまらない。その配色の妙をごらんあれ。
次に注目すべきは、平蔵に命じられたわけでもないのに、妻の久栄が平蔵の洩らした話を「川村どのの胸ひとつに、おさめておきなされ」と本人にそっと伝えていることだ。
人は間接的伝達に弱い。
賢明な読者なら、直接的伝達よりも間接的伝達のほうが相手の心により大きな美しい波紋を与えることができるということを知っていよう。噂や悪口をいちいち伝えにくる人間はまことにうっとうしいが(小生、このテの人間が大嫌いである)、よい話は間接的に伝わってくると、えもいわれぬほど、じわっとうれしい。
「人を褒めるときは、面と向かっていうよりも、人づてに伝えるほうが効果的である」ということを、平蔵夫婦はじつによく心得ている。
それをあらかじめ承知で平蔵は妻の久栄に川村の話をし、久栄もまたそれがわかっているから川村にそっと伝えたというわけだ。もちろん、川村の心の風鈴がチリンと揺れたのはいうまでもない。見事な二重奏である。人の心を活殺自在に動かすことができる人間はこうしたことを心得ているんだね。さすがは平蔵夫婦だ。あざとい。この小股すくいめ。いや、味なことをやるといっておこう。
● 目指せ、その先の快楽へ
[#ここから5字下げ]
「さあ、それからというものは、一日一日が、まるで変ってしめえました。お今《いま》とお仙《せん》にいろいろと教えられ、躰のあっちこっちをいじりまわされているうち、手前《てめえ》が女どもにどんな男なのか、それが、はっきりとわかってめえりました。へえもう、いくらでも、ちからが出てめえりまして……もう、おもしろくておもしろくて、たまったものじゃあねえ。男と女の|あのこと《ヽヽヽヽ》の底は、へい、まことにその深え深えもので……こいつ、盗《つと》めするよりもどんなにか、おもしろいことだろうと、へい。
それに、私も二十七のこの年まで、こんなに……こ、こんなに可愛がられたことはござりませんので、へい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「白《しろ》と黒《くろ》」
こういう言説は、聞く者をしゅんとさせずにはおかない。
手に入れやすいと思いながらなかなか手に入れられないものといったら、セックスによる恍惚感にとどめさす。こればっかりは「犬も歩けば棒に当たる」ように、「生きていれば素晴らしいセックスにぶちあたる」ということはないようだ。
小生、禁欲家ではないが、さりとて性技について深く思いを致すというたしなみには欠けている。その意味では、セックスを語る有資格者ではないかもしれない。だが、興味は人一倍もっているので、いちおう書いてみる。
いうまでもなく、脳内エッチに際限はない。そのうえ千差万別である。ゆえに誰もが「完全主義者」を目指すようだが、とびきりの恍惚感を手に入れているのはごく一部の選ばれし者たちであるようだ。
「心おきなく欲情させてくれる相手にまさる者はなし」というが、話はそんな単純なことではない。たんに「気持ちいい」だけじゃなくて、その先の、もっと奥深い、身もとろけるような、悦楽の境地というか、夢幻の世界があるようなのだ。山腹で登頂感を味わってはいけないらしいのである。
そ、それほどまでにいいものらしい。
だが、学校と名のつくところでは、その道の奥義は教えてくれない。大学でも「人間関係学部」というのはあるが、「肉体関係学部」はない。
ならば、ひとりで(あるいは二人で)学習するしかない。「セックスの快楽は、青春の疼痛《とうつう》とともに思いだされる過去になってしまった」などと弱気なことは口にしてはいけない。
勃《た》て、あなたの愛撫の手順にはもう厭《あ》きたわよといわれている夫たちよ。
征《ゆ》け、河馬《かば》が討ち死にしたという恰好でソファに横たわる妻たちよ。
男も女も汁気がなくなったらおしまいだ。
「仕事とセックスは家庭に持ち込まない」とか「我ときて遊べや妻とせぬ男」などとのんきなことをいっている場合ではない。厳しい悲観論を生きる陽気さをもって立ち向かえ。
と、きばったところで、誰もが「身のとろけるような快楽」を得られるようではないらしいのだ。それどころか、蜃気楼のように追っても追っても到達できない未到の地のままで終わってしまう人もけっこういるらしいんである。
横浜界隈を根城《ねじろ》にするある精力絶倫の求道者というか性の大食漢にいわせると、どんなに励んでみても、「脳みそまで濡れそぼった」り、「腰がしびれ、頭の毛がしびれ、頭のなかに穴があき、そこから自分が抜けだすような感覚」にまで至る人は「女で百人にひとり。男だと、千人にひとり」らしい。せ、せんにんにひとり……。
だから、みなさん、ご安心ください。あるいは、おあいにくさま。
● 希望は与えられるものではない
[#ここから5字下げ]
平蔵が、うしろへついてくる細川峯太郎へ、
「どうじゃ。少しは胸の閊《つか》えがはれたか」
「はっ……そ、それにしても……」
「どうした?」
「あまりに、ちがうものでございますから……」
「おれと、お前がか」
「は、はいっ」
「当り前だ。おれは、お前のように、ぼんやりと日を送ってはおらぬ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「泣《な》き男《おとこ》」
人間には誰しも得意とするものがあり、その技能に磨きをかけると他人から評価されることが多くなり、ますますやる気がでるが、なおも頭角をあらわすには「なりたい自分」にどれだけ本気になれるか、これが決定的に重要である。むろんその達成には、才能、方途、時運などがさまざまに絡み合うわけだが、「甘えを捨て去った情熱をもつこと」こそが、その大きな推進力となる。
記憶にある読者も多いと思うが、ひと頃、『希望の国のエクソダス』という村上龍氏の小説が話題になった。日本という国に絶望した中学生たちがエクソダス(脱出)を目論《もくろ》むという物語だ。その小説のなかで中学生の少年が「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」との感慨を述べる場面がある。で、小生はこの発言の反応に驚いたのである。驚いたのは、ろくすっぽ人生を生きたこともない餓鬼が利《き》いたふうな言辞を吐いたということではなく、多くの識者たちがこの発言に共感をおぼえたということにである。豊葦原《とよあしはら》の瑞穂《みずほ》の国に生を享《う》けて四十余年、これほど知的に驚愕したことはめったにあるものではない。多くのメディアで、評論家とか知識人といわれるような人たちがあまた共感の意をあらわしたのだ。日本人はここまで腑抜けになってしまったのか。まさか希望さえも国から与えられるものだと本気で思っていたとは……。笑止の沙汰とはこのことである。苦労して「何でもある国」をつくってくれた先人たちにすまぬとは思わぬか。バチあたりめ。古人を無思慮に侮るな。
歳を重ねることが人間的成熟を意味しないことぐらい知っていたが、この国の住人たちは飽食の度合いを強めるにつれ、破廉恥といってよいほど幼稚化しているようだ(ここでいう幼稚とは、頭が悪いとか物を知らないというのではなく、肝心なことを考えないということである)。赤ん坊は口を開けていればご飯が入ってくる。入ってこなければ、泣いて駄々をこねればよい。この赤ん坊がまさにいまの日本人ではないだろうか。ためしに貧しい国や紛争地域に行って「虚しい」とか「満たされない」とつぶやいてみるといい。「よしよし」してもらえるどころか、見向きもされないだろう。みずから助けようとせぬ者を、いったい他の誰が助けてくれるというのか。
こんなふうだから、いざ希望をもてというと、「とにかく日本を脱出したい」だの、「やさしい国際人になりたい」などという、吹雪の荒野に裸で飛びだすようなとんでもない希望を掲げてしまう。開いた口が閉口してしまうね。
「甘え」とは、誰かに寄りかかり、ぶらさがって、ぼんやりと生きていくことである。つまり、自分の生殺与奪の権利を他者に委譲してしまうことだ。
希望の芽は、「甘え」を拒否した毅然たる態度にしか顔を覗かせないものだ。日本人が甘えを捨て去ったときにはじめて、日本は「世界に日本があってよかった」といわれるようになるだろう。
● 情に報いて「情報」となす
[#ここから5字下げ]
五郎蔵は喜十《きじゆう》の存在を、畏敬している盗賊改方の長官・長谷川平蔵にも洩《も》らしていない。
それが、喜十との約束だし、また長谷川平蔵も、密偵たちの情報網に対しては、いささかも口をさしはさまぬ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「引《ひ》き込《こ》み女《おんな》」
盗賊あがりの密偵たちはそれぞれが秘密の情報網をもっている。五郎蔵もそのひとりだ。いうまでもなく、その情報の多くはかつての盗賊仲間からもたらされる。またそうであれば、とうぜん「売りたくない仲間」をお上《かみ》に売ってしまうこともある。
心中を察するに、たとえ平蔵に身を任せたとはいえ、そこは血のかよった人間であるから、報告すべきか隠蔽すべきか、大いに悩んだこともあるだろう。元盗賊の密偵たちには、口にだしてはいえぬさまざまな心の葛藤があったわけだ。が、むろん平蔵がこのことを知らぬわけがない。
≪(この相手だけは、お上に売ることはできねえ)
という場合がないとはいえぬ。
そうした密偵たちの微妙な心理については、長谷川平蔵もよくわきまえているにちがいない。
なればこそ、密偵たちも、
(いのちがけで、はたらくときは、はたらく……)
のだといってもよい。≫
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「馴馬《なれうま》の三蔵《さんぞう》」
平蔵の立場を考えれば、密偵たちの情報隠蔽に対しては厳しく問い質《ただ》すことができたはずである。が、平蔵はそうして得られた情報の価値よりも、密偵たちの心に潜む声なき声に耳を傾けることのほうを重んじた。
密偵たちの心のなかに土足で入り込み、大事なものをひっくり返し、勝手なあら捜しをしたとしたら、密偵たちはどう思うであろうか。平蔵のために「いのちがけで、はたらく」者など、誰一人としていなくなるであろう。ひょっとしたら、平蔵に牙《きば》を剥《む》く密偵だってでてくるかもしれない。そうなれば火盗改メの結束力と活力は失われ、平蔵たちの情報が外部に漏洩する可能性さえでてくる。疑心暗鬼が横行する組織に結束力や求心力がはたらいたためしはない。
情報は、真実を暴きだすもの、攪乱《かくらん》を狙ったもの、信用失墜を計ったものなど、さまざまな用途目的のために流される。
しかし、忘れてはならないのは、情に報いる「情報」もあるということだ。
情報源を明らかにしないことや、情報そのものを露見させないことで、より役に立つ大きな情報を得ることもある。情報は理非(真偽)だけではなく、正否(正不正)によっても語られなければならない。
誤解を恐れずにいえば、情報には、すぐにでも露見させるべき情報、しばらく放っておくべき情報、静かに葬ってしまったほうがいい情報がある。
情報というものは、活字と音声だけで成り立つのっぺらぼうなものではない。そこには、たたずまいがあり、色艶があり、香りがあり、味があり、食感があり、あと味さえある。こう考えると平蔵は、情報の酸《す》いも甘いも噛みわけていた男といえよう。
● 景気は心理に左右される
[#ここから5字下げ]
「……さ、お帰りなさい。いまの盗賊改方は長谷川平蔵が背負《しよ》っているのだ。金ずくでまるめこもうとしても……」
口調が、がらりと変って、
「だめだよ、爺《じい》さん」
と、鼻で|せせら《ヽヽヽ》笑ったものである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「毒《どく》」
お金というものは、それを扱う人の心を映しだす鏡である。
ひと夏、経済に関する本をせっせと読んだ。わかったことは、日本が重度のうつ病にかかっているということだ。国内市場の競争は相変わらず活気に満ち、商品の競争力では世界有数であり、アメリカに対しても大幅な黒字貿易というのに、人びとは雇用不安にビクつき、ひたすら貯蓄に励んで内需を落ち込ませている。いまの不景気は、日本人の心理が生んだ不景気ではないのか。
「コンピュータができてから、景気予測がちっとも当たらなくなった」と皮肉ったのは松下幸之助だが、景気動向を数値だけで判断するのは景気の本義を知らぬ幼稚な態度といってよい(ケインズやハイエクといった経済学の泰斗もまた、経済は客観的事実に対する人々の主観的態度、つまり心理によって構成されると説いている)。
英語では「不景気」のことをデプレッション=idepression)というが、この単語は同時に「うつ病」の意味をもつ。フランス語のデプレシィオン≠燗ッ様である。これまでつねに世界経済をリードしてきた欧米において「不景気はうつ病である」との認識をもっていることはじつに興味深い。
話を戻そう。世界一の債権国であるわが国が、つまりよその国にもっともお金を貸している日本が、どうしてこんなにも不安におびえているのか。個人金融資産も外貨準備高も潤沢といえるほどあるというのに、なぜ「あつものに懲《こ》りてなますを吹く」ような行動をとるのか。日本が重度のうつ病患者になってしまった真因は、「バブル」といわれるお上《かみ》公認の乱痴気パーティーのときに政治家と官僚が気まぐれに「どうだ、食べないか」と差しだした毒まんじゅうを多くの国民が食べてしまったことによる。平蔵のように「金ずくでまるめこもうとしても……だめだよ」ときっぱり断われなかったのだ。そして、その気まぐれの後始末をやりながら後悔と反省を自閉的に繰り返しているうちに、とうとううつ病を患ってしまったのだ。とはいえ、うつ病は「不治の病」ではない。有効な治療法はいくつか認められている。そのもっとも有効な手だては原因のもとをしっかり断つというものだ。日本の場合はすなわち、政治の信頼を回復することである。毒まんじゅうを国民に食べさせた政治家がいまだにのさばっているようでは、いつまでたっても不況から脱することはできないであろう。壱万円札の収集家になるために政界に就職した自称政治家≠スちの排除なしに、うつ病の克服はないと知るべしである。
† わかったことがもうひとつある。それは、エコノミストと呼ばれている人たちのほとんどが特定の会社や組織に所属しているということだ。とうぜん彼らは所属する会社や組織のことを十分に考慮≠オて発言することになる。なかには「言を食《は》むのもいい加減にしてほしい」と文句をつけたくなるような噴飯ものの本もあった。自己顕示欲の発露として知識人≠ノなっている人がこの世界にはかなりいるようだ。
[#改ページ]
● 上品を気どるのは下品である
[#ここから5字下げ]
「お先へ、ごめん下さいまし」
その客が、ごく自然に平蔵へ声をかけ、外へ出て行った。
〈中略〉
(あの男、どうも、くさい)
箸《はし》を置き、連子窓《れんじまど》の隙間《すきま》から、源兵衛橋を南へわたって行く、いまの客の後姿《うしろすがた》を注視した。
彼は、夕闇のたちこめる源兵衛橋の中央で、こちらを振り返った。これも平蔵の気にいらなかった。
さらに彼は、橋の向うから|とぼとぼ《ヽヽヽヽ》やって来る乞食の老婆を呼びとめ、|ほどこし《ヽヽヽヽ》をしたものである。
そのことが層倍に、平蔵は気に入らなかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「蛇《へび》の眼《め》」
平蔵は、この男になぜ嫌疑の目を向けたのか。
それは、こやつには礼儀正しさや謙虚さが身についていないと看破したからである。
ぎこちない、いかにもとってつけたようなふるまいが平蔵の勘ばたらきを刺激したというわけだ。豹はいくら頑張ったところで斑点を変えることができないのだ。
果たして、その男は蛇《くちなわ》の平十郎という盗賊であった。平蔵に刺客をさし向けたこともある兇賊である。
卑劣な人間は上品を気どるとき、残酷なまでに下品さをあらわしてしまうらしい。
上品は滲みでるものであって、気どるものではないのだ。が、悲しいかな、卑しい人間にはそれがわからない。物言いや素行をすっぽり「上品」で包めば、人の目を欺けるものと思ってしまう。豪邸へはハイヒールをはいて盗みに入ればよいと考えてしまうのだ。滑稽をとおり越して哀れである。
むろん話は鬼平の時代にとどまらない。下品な人たちは、現代ニッポンのそこかしこに散見できる。
まず小生の頭にすぐ浮かぶのは、血税を公的資金、馘首《かくしゆ》をリストラ、超過勤務の給料不払いをサービス残業、売春を援助交際、猥褻《わいせつ》をスキンシップと上品≠ノ表現して乙《おつ》にすましている一群の人たちだ。
いい気になりすぎというか、心根が下品きわまりない(小生、スニーカーを運動靴、ビーチサンダルをゴム草履、デパートを百貨店、傘をコウモリ、ノートを帳面、ポットを魔法瓶といって、さんざんバカにされた経験をもつ。が、それを根にもってここで指弾しているのではない)。
半径二百メートル以内にも下品な人たちはいっぱいいる。
自分で稼いでもいないのにブランド品で身をかためている驕《おご》り高き女子大生。高級クラブで「やっぱり勝てば官軍じゃないですか」などとほざいて呵々《かか》大笑している増上慢《ぞうじようまん》。礼儀を無用と心得て、カネを懐へ入れることばかりに熱中しているドケチ経営者。人生を謳歌《おうか》していることを他人に見せびらかしたくてしょうがないタラバガニおばさん(カメラを向けると彼女たちはかならずタラバガニのようにVサインをする)。読書が好きで、やたらウンチクをかたむけたがる入社五年目のインテリくん(この本も隠れてこっそりと読んでください。でないと、利口であることがバレちゃうよ)。
いずれも、これみよがしの上品さが下品である。
彼らは、自尊心や自信をもつことが、すなわち「物品や態度で気どる」ことだと勘違いしているのだ。浅ましい虚勢である。人格や見識はちっとも成熟しないのに、見栄をはったり、気どることだけは肥大化するようである。いっておくが、お金がないことや生活が苦しいことは下品ではない。それはただの貧乏であって、それ以上でもそれ以下でもない。念の為。
● 部下としての心得
[#ここから5字下げ]
むろん、小柳安五郎という男が他人を讒訴《ざんそ》するような男でないことは、平蔵もよくわかっている。そればかりか、数多い同心の中でも思慮が深く、それでいて、いざとなると純真な直情をむき出しにするような小柳の性格から推《お》して看《み》て、今夜、同僚の黒沢の行状を平蔵に告げたというのは、
(よくよくのこと……)
と、看《み》てよい。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「網虫《あみむし》のお吉《きち》」
手厳しい言い方に聞こえるかもしれないが、親と上司は選ぶことができない。まず、このことを耳うちしておく。
上司には、統率力のある上司、決断力にすぐれている上司、身だしなみはよくないが着眼力と表現力に恵まれている上司、交際意欲は旺盛だが裏読みのできない上司、髪は薄いが信頼は厚い上司、剛毅な気性であるが雑駁《ざつぱく》な上司、抜群の子分肌を発揮する部下にしか目をかけない上司、無節操にして一本気な上司、他人には厳しく自分には甘い上司、自分で決めたくせに他人のせいにしたがる上司、昼飯は多めだが頭は少なめに使う上司、「人を信用するな」という座右の銘をもっているがゆえに人から信用されていない上司、しじゅう眉間に皺を寄せているがじつは場あたり的な上司、都合が悪くなると突発性健忘症を患う上司、陽気なばかりで根気のない上司、判断が不適切でムダな仕事ばかり思いつく上司、「蒸し返しの鈴木(仮名)」と異名をとる上司、思いつきを思いつきで処理する上司、粗野で淫猥《いんわい》な上司、小心のうえにくどくてしつこい上司、卑劣で狷介《けんかい》な上司など、さまざまなタイプがいる。……地位は人をつくるというより、むしろ人間を卑しくするのであろうか。上司というのは、じつに九割方がうっとうしい存在である。
けれど、どのタイプの上司についたにせよ、部下としてやってはならないことがある。以下に、「べからず集」としてまとめておく。
一、直属の上司をとび越えて、気やすく上層部に接触するべからず。どうしてもというときは知恵を絞り、巧みな方法で、ひとりでやるべし。
二、会社の悪口を上司から聞きだそうとしてはいけない。また、上司が経営者について不平を洩らしても安易に同調してはいけない。
三、内容の吟味もせずに、説明ベタ、討議ベタというだけで上司の能力を判断してはいけない。英雄気どりの舌のなめらかさで上司を嘲笑うなど、軽薄な人間がやることである。
四、上司のまえでは忙しがるな、億劫がるな、大言壮語するな、利口ぶるな。とくに酒の席では利口ぶるな(嵐山光三郎氏によれば、サラリーマンにとっての酒場は「道場」であり「赤いネオンの取調室」である)。
五、言い逃れや責任転嫁をするな。つまり卑怯なことをするな。
上司に対してやるべきは次のことである。
一、はやくこういう人になりたいというキャリアターゲットを見つけ、お手本にすべし(肩書きを目標にするのではない。職業的人間としての目標を見つけるのだ)。
二、やったこともない仕事を頼まれたとき、やれない理由を探そうとするな。「どうしたらうまくやれるか」をまず考えてみよ。
三、ケンカをするときは、自分の立場が徹底的に弱いことを強く思い知ったうえでやれ。
四、苦手な上司ほど明朗に挨拶をせよ(挨拶だけでよい。酒を誘われたら断われ)。
右のこと、これぞと思ったものだけ拳々服膺《けんけんふくよう》されたし。
● 好奇心があれば老いぼれない
[#ここから5字下げ]
「ですがねえ、銕つぁんの旦那、|たま《ヽヽ》にゃあ、奥方さまのお眼をぬすみ、あぶらっ濃いのを抱いて若返って下せえよ。このごろどうも、銕つぁん老けてちまって、いやだよう」
元気いっぱいに冗談をいいながら去った。密偵になってからの彦十、何かこう、でっぷりと肥えて来て、生甲斐《いきがい》をおぼえているようである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「お雪《ゆき》の乳房《ちぶさ》」
自分がしゃべるのを人が黙って聞いてくれている──そう感じることが多くなったら「老い」を意識したほうがいい。老いたる人とは、相手が静かに聞いてくれていることの畏怖《いふ》を感じることなく気持ちよくしゃべっていられる人のことである。
さて、人はいったい何をきっかけにして老いに向かうのか。
化粧品に合わないのは肌ではなく容貌であるように、老いにそぐわないのは実年齢ではなく好奇心である。老密偵・彦十はおそらく、そろそろあちらのほうは年貢の納めどきであろうが、意気軒高《いきけんこう》なのは劣情一般に対する旺盛なる好奇心があるからである。
では、好奇心のあるなしは、いったいどこで判断できるのか。
自分より年少で、しかも自分とは考えが異なる意見の持ち主のいうことに耳を傾けられるかどうかを観察してみるとよい。片っ端から冷笑し腐《くさ》すようであれば、その人は好奇心を失った正真正銘の「老いぼれ」である。
対して、歳を重ねてもなお、人事の観察を怠らず、人から学ぶことが好きで、感奮を忘れず、知的欲求をつねに新しいものにふり向けようとする瑞々《みずみず》しい精神をもった好奇心のかたまりのような人がいる。その人は「皺《しわ》のある青年」といってよいであろう。こういう人は「もうちょっとだけやってみるか」という粘りと、「もっと他にやりようがあるのでは」という知的渇きをかならずもっている。
とはいえ、生物としての老いは否応なしにやってくる。皺は深くなるし、筋肉の預金残高もどんどん減ってゆく。
だが、である。六十五歳以上であることと老人であることはかならずしも一致しない。好奇心が旺盛で若々しい七十歳もいれば、二十歳かそこらで新しいことに挑戦する意欲を失い、感情を老化させてしまっている早老°C味の若者もいる。耄碌《もうろく》しているか否かは好奇心が決め手である。老いてもなお老いぼれぬ人は例外なく未来を見据えて好奇心を握りしめている。あなたはどうか。
† 世に好奇心を失った覇気《はき》のない若者ほど虚しい存在はない。
「なあ、豊ちゃんのカツ丼、それともキッチン南海のひらめ&しょうが焼、どっちにする?」
「べつにどっちでも……」
「どっちだ。昼飯に何を食うかは、一日のうちでもっとも重要な決断だぞ」
「わざわざ行くんですか?」
「あたりまえだろ」
「じゃ、やめときます」
弾《はず》まないとはこのことである。
乾いた雑巾《ぞうきん》を絞るような虚しさとはこれである。
● 自分の特徴を熟知せよ
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「よくもしてのけた」
いつの間にか、長谷川平蔵が縁側へあらわれている。
「おかげを、もちまして……」
庭先へ両手をついた沢田小平次へ、平蔵が、
「いまの太刀打《たちうち》、かまえてしたことか?」
「いえ……自然に、あのようなことになりました」
「む。それでよい。お前は、実に大した腕前となっていたのだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「剣客《けんかく》」
世に「一発屋」は多い。
その名のとおり彼らはチャンスをものにして天下人の趣をもったのも束の間、あとがつづかずバンジージャンプさながらの急降下、あっという間に表舞台から消えていく。「実力がなかったのだ」といってしまえばそれまでだが、多くの場合それは自分の特徴と特長がわかっていないことに起因する。
企業を例にとってみよう。
何かで一発当てると、調子づいてすぐに拡大路線≠とる会社があるが、たいがいそれが裏目にでてしまうのは欲に目がくらんで不慣れな分野にまで手を伸ばしてしまったことに起因する。つまり、みずからの得意と不得意を認識していなかったために起きた不祥事であることが多いのだ。
個人の場合も同様である。
「一発屋」はたいてい分不相応なことに手をだして自滅する。これも自分という人間の特徴や得手不得手を見極めていないことにその原因を求めることができる。
では、「一流」といわれる人たちは、「一発屋」と何が決定的にちがうのか。
一流の人たちは「ひとりの人間がもっている能力と時間には限界があるから、不得意を克服するよりも得意な分野に能力と時間を充てたほうがよい」と考えており、「だから苦手分野では勝負はしない」と強く自分に言い聞かせている。職人気質があるといおうか、自分の取り柄にだけ情熱を傾注するのだ。「一流」といわれる人物は、ほぼ例外なくそうである。
読者諸氏は真田健一郎という役者をご存じであろう。
そう、テレビ「鬼平犯科帳」で同心・沢田小平次役をつとめたあの名優である。沢田小平次は「剣の達人」だが、真田健一郎はその剣豪ぶりを見事に演じきって申し分ない。まさに余人を以て代えがたい役者といってもよく、その演技は絶妙をきわめている(この役者のおかげで、一連の鬼平作品がどれほど深みを増したことであろうか)。
新国劇出身の真田健一郎は、師匠に辰巳柳太郎という大役者をもったのだが、私の眼にはまさにこの二人の関係が、長谷川平蔵と沢田小平次の関係に重なって見える。平蔵と沢田が何においても徹底を好んだように、辰巳と真田も己れの芸の真髄を極めようとして精進した役者である。また、双方とも不慣れな分野に手をださなかったという点においても見事に重なり合う。おそらく真田健一郎という役者は、沢田小平次と同じく自分の取り柄を熟知しており、その得意とする技倆《ぎりよう》を磨いてきた人にちがいない。
生前、池波正太郎は、真田健一郎のその気迫のこもった殺陣《たて》に「他の役者の追随をゆるさないだろう」と感嘆の声をあげたことがあるが、小生もまたこの役者に唸りっぱなしなのである。
● 宿命のなかに快楽を求めよ
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いつであったか平蔵が、妻女におもわず零《こぼ》したことがあった。
「このように、一所懸命にはたらかなくてもよいのだ。よい加減にしておいて、他の人に交替してもらうのが、もっともよいのさ。これではおれも、とうてい長生きはできまいよ」
「では、よい加減にあそばしたら、いかがで……」
「できれば、な……だが、どうもいけない」
「なぜ、いけませぬ?」
「この御役目が、おれの性《しよう》に|ぴたり《ヽヽヽ》はまっているのだ。これはその……まことにもって、困ったことだ」
「まあ……」
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[#地付き]「礼金二百両《れいきんにひやくりよう》」
仕事をやるうえでの心得、いわゆる仕事訓に「KKD」なる言葉があるという。
「勘・経験・度胸」と解する向きもあれば、「根性・根性・ド根性」とみずからに言い聞かせている御仁もいるようだ。わざわざこのような標語をつくってまで立ち向かわなくてはならない仕事とは、辛いこと憂《う》きにたつことの多い、まことにやっかいな代物といわねばならない。
じっさい、仕事は思うにまかせぬものである。商社マンに憧れ、志望した商社に就職できたものの自分の思うようにならず、去っていた人ならゴマンといるであろう。あるいはまた、サッカーへの道を選んでしまったばかりに多くの辛酸を舐《な》め、サッカーを恨んで残りの人生を過ごすという人もいるであろう。人は自分のやりたいものを選んだからといって、それで幸福になれるという保証はどこにもないのだ。いや、むしろ「やりたいもの」と「得意なもの」はそもそも喰い違うのではないのか。
「これといって、いまの仕事に文句はないんだけど、何かもの足りないんです」
「自分には、もっとほかに向いている仕事があると思うんです……」
こうした不満を吐露する若者は多い。しかし、そのことを嘆くばかりではいっこうに埒《らち》はあかない。というより、そんなことで多くの時間を無駄にすることは、限られた人生への冒涜《ぼうとく》である。若い衆、よく聞けよ。幸福に秘訣があるとしたら、好きなことをいたずらに追い求めるのではなく、めぐりあった宿命や、いまそこにある仕事に魅力を見つけて、強引に好きになってしまうことだ。福田|恆存《つねあり》によれば、「不幸にたへる術を伝授する」ことこそ、「唯一のあるべき幸福論」である。
どんなことであれ、一定の期間それに打ち込むと、ぽつんぽつんと良いところが見えてくるものだ。と同時に、「職業に見いだされる自分」というのもだんだん浮き彫りになってくる。つまらないからといって、すぐに投げだしたら、なじむものにけっして出会わないであろう。安易な転職ではなかなか天職が見つからないものなのだ(転職をするのだったら、いっさいの責任をすべて自分で背負いこむ覚悟でやることだ。残るのだったら、いまの不遇を仕事や他人のせいにするな)。
宿命のなかに快楽を求める人生態度にこそ、幸福を獲得する最大の秘訣がある。平蔵は妻女との会話のなかで、このことを自分に言い聞かせるようにたしかめている。
じっさい周囲を見渡してみても、「仕事のできる人間」は「仕事に愉しさを見つけた人間」であり「仕事が好きな人間」である。人は嫌いなことをしていて辛い目にあったら頑張れないが、好きなことをやっていて辛いことに出会ったら踏んばれる。だから好きになってしまえばこっちのものなのだ。あとは情熱をもってそれを持続すればよい。目先の利益に惑わされることなく、黙々とやりつづけるのだ。結果、予想もしなかった果実がもたらされることもあるだろう。潔くあきらめることもときには大切だが、持続することもまた間違いなく美徳のひとつである。持続(succession)とは、成功(success)の母親でもあるということを知っておくとよい。
● 善行から善が生じるとはかぎらない
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盗賊のくせに次郎吉は、他人の難儀《なんぎ》を見すごせない男だ。
それもこれも、おのれが他人の金品を盗み取るのを稼業にしている引け目から出たもので、悪事をして食べているのだから、悪事をはなれているときぐらいは、
(せめて、善《い》いことをしてえものだ)
という、いわば罪ほろぼしをしながら、こやつは罪を重ねて生きている。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「明神《みようじん》の次郎吉《じろきち》」
小生、いつの頃からか、悪の世界にひどく興味をもつようになった。考えてみるに、悪人といわれる者たちが「身は鴻毛《こうもう》より軽し」の言葉どおり、些細なことに死を賭して無造作に死んでいく、その決然たる野蛮な態度に魅了されたようなのだ。
悪のもつ野蛮さは魅力的だ。洗練は研鑽《けんさん》によって容易に手に入れることができるが、野蛮は生半可な研鑽では手に入れられないからだ。
世上《せじよう》、悪人の評判はよろしくない。悪いことを為し、そのうえ偽悪の芸を競い合うからとうぜんである。だが、猪野健治氏をはじめとする数人の事情通によれば、同情の余地なしという極道もなかにはいるが、任侠系のやくざはけっこう小さな善事を重ねているのだそうだ。なかにはこちらの頭がさがるような殊勝なことをやっている極道もいるらしい。
マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』のなかで、「人間の行為に関しては、善からは善のみが生じ、悪からは悪のみが生じるというのはけっして真実ではなく、往々にして逆の場合が真実である」と述べているが、これは肝に銘じておくべき真実ではないだろうか。事実、己れを善人だと思い込んで、ひとり悦に入っている人間ほど始末に負えないものはない。自分自身の善行がひょっとしたら相手に迷惑をかけているのではないかと疑ってみる想像力を欠いた人間は、じっさいのところ傲慢な加害者になっている可能性が高いのではないか。
凡人の美徳はほとんど偽装された悪徳であるといったら言い過ぎだろうか。そういいたくなるほど善意の化粧をほどこした悪はこの世の中に充満している。
「正直者は馬鹿をみる」という言葉をご存じであろう。小生の思うに、おそらくこの言葉の作者は自称正直者≠ナ、この言葉の背後には、不正直者をたいへんうらやんでいる気配がある。
「ほんとうなら、正直で善良なこのわたくしがボロ儲けをするはずだったのに……悔しいったらありゃしない。ちくしょう、あの悪人どもめが。おぼえてやがれ」
たぶん、このような邪悪な思いに「善意」という名の薄化粧がほどこされて、「正直者は馬鹿をみる」という言葉に結実したのではあるまいか。
それにひきかえ悪人は、自分がつまらない人間であることを自覚しているぶん、好ましい存在だと映る。「悪人の自覚とは、悪人ぶることでもなく、救ひを打算することでもない。自分の心の中に巣くふ情欲や物欲のあさましさをみつめて、けんそんになることだ」と述べたのは亀井勝一郎(「悪人の自覚」)だが、『鬼平犯科帳』の大きな魅力のひとつはそうした悪人がたくさん登場することだ。「自分の心の中に巣くふ情欲や物欲のあさましさをみつめて、けんそんになる」悪人たちは、決然たる野蛮な態度と研鑽による洗練さを際立たせることによって、善男善女たちの、人目に触れることを狙った偽善的善行を嗤《わら》うことがある。
● 嫉妬は自分を不幸にする
[#ここから5字下げ]
「どうも、いささか、近ごろの御頭は沢田さんや松永弥四郎ばかり贔屓《ひいき》になさるようだ。そうはおもわぬか、おい」
「なあんだ。木村さん、|やきもち《ヽヽヽヽ》を焼いている」
「だまれ、そ、そんなおれではないぞ」
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[#地付き]「妙義《みようぎ》の團右《だんえ》衛|門《もん》」
算数が苦手な人はいても、打算的でない人はいない。なんだかんだいっても人は自分の利得を考えて日々を暮らしているものである。またそうであれば、とうぜん妬心《としん》や怨嗟《えんさ》といった負の感情から無縁でいられるはずもない。呪詛《じゆそ》や怨恨をみずからのうちにたぎらせて生きているのだ。
あなたは男同士のやきもちを厭《いや》というほど知っているであろう。
知らない? あなたはとことん能天気な人間だ。
どんな分野にせよ、多少とも為すところあらんとする意欲の持ち主ならば、嫉妬というものは意識してとうぜんの感情である。谷沢永一氏によれば、嫉妬とは「本然《ほんぜん》の情」である。また、嫉妬からどんなに無縁でありたいと願っても、蔦《つた》のようにからまりついてくるからやっかいきわまりない。
男の私がいうのもなんだが、少なくともいまの世の中、男のほうが女よりも時代と寝るし、また男ともしょっちゅう添い寝している。もちろん比喩としていっているのであるが、それくらい現代の男たちはおべっかをつかう動物へと変貌を遂げている。これは組織や会社というタテ社会のなかに女よりも男のほうが多く組み込まれているためであろうが、おべっかつかいはそれこそハトの糞よりもたやすく見つけることができる。そしてやっかいなことに、おべっかをつかう動物はその反動としての嫉妬に狂う獣でもある。
演出家の熊谷雅弘氏は温厚篤実な人格者である。おそらく若き日には深山幽谷《しんざんゆうこく》に分け入って滝に打たれるなどの荒行《あらぎよう》を積んだのではないかと思われるほどの強い心をもった高潔な人物だ。経歴および容姿にも恵まれ、およそ人を妬《ねた》んだことなどないであろうと思わせる人でもある。ところがその熊谷氏いわく、「さすがにこの歳になるとそんなことはないけれど、六十くらいまでは修羅を燃やしていたね」とこうである。嫉妬の妄執に苦しめられたというのだ。ああ人間って。
悲しいかな、人間は成長してもなお嫉妬の炎《ほむら》をゆらゆらと燃やしてしまうものらしい。それどころか、なかには嫉妬の炎を大火にしてしまい、自分自身をも燃やし尽くしてしまう者さえいる。嫉妬で身を焦がしてしまったら、もうおしまいだ(ひょっとしたら人生の幸福とは、人に嫉妬されるほどの幸福をむさぼらないことにあるのかもしれない)。
嫉妬心を滅却するには、自分が尊敬できる人を競争相手に選び、嫉妬がもつ情緒的エネルギーがいかに自分を不幸にするかということを強く自覚し、他人の生き方に気をとられてはいけないと英雄的な自戒をするしかない。
心の安寧を手に入れたいと願うのなら、腹の底でとぐろを巻く嫉妬という野獣に断じて活躍の場を与えてはならない。わたしたちは、嫉妬するためにこの世に生まれてきたのではない。
● 中庸こそが処世の要諦である
[#ここから5字下げ]
平蔵は、老中・松平定信へ、人足寄場《にんそくよせば》設置の建言《けんげん》を何度もおこなったが、幕閣は、はじめ、
「そのような小細工《こざいく》をしても、みちあふれている浮浪の徒を収容しきれるものではない」
として、平蔵の建言をしりぞけたものであった。
「何をいうことやら……」
平蔵は苦笑して、
「浮浪の徒と口をきいたこともなく、酒をのみ合うたこともない上《うえ》ツ方《がた》に何がわかろうものか。何事も小から大へひろがる。小を見捨てて大が成ろうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「殿《との》さま栄五郎《えいごろう》」
このところ、つまらない日常をなんとかしてドラマチックに仕立てようとして、放埒にふるまうことで自分の非凡さ≠演出しようとする徒輩《とはい》が目につく。なかには他人を恫喝することでしか自分の非凡さ≠感じられない下司《げす》もいて、情けないというより不憫《ふびん》である。だいたいにおいてこうした不真面目なことを得意がってやるのは、目方の軽い脳味噌をもった若い男女か、帽子をかぶるだけの頭しかもっていない中年男である。
非凡≠ネ演技は、一見、颯爽と見えて分《ぶ》がいい。
だが、よく目を凝らしてみると、滑稽なほどの哀しい姿が透けて見える。とくにコンプレックスが生みだした非凡さ≠ヘ「極端」と「派手」を行動の特徴としており、またおしなべて例外を許さないという硬直性をもっているため、その末路は悲しいほどに哀れなものである。
ご存じのとおり、鬼平は勘ばたらきによってさまざまな難事件を解決したが、じっくり読み込んでみると、「中庸」というさほど魅力を感じぬ心がけを行動の基本原理に据えていることが見てとれる。
「中庸」といっても、それは物理の真ん中≠意味するのではない。ここでいう「中庸」とは、ちょうど右に左に調節をとって綱渡りをするときのような、絶えざるバランスの獲得である。
よく「上手は美技を演じる」というが、その道の玄人《くろうと》にいわせれば、ひと目でわかる美技はこれみよがしで、むしろそこから「気負い」とか「稚拙」といったものを読み取るようである。
いっぽう、ほんとうに上手の人は美技に美技の表情を与えないので、その出来ばえは、素人の目には「平凡」であると映る。いや、むしろつまらないとさえ感じるかもしれない。しかし、長い目で見れば、「平凡」をせっせとこなし、「中庸」を果敢に貫いた者が、けっきょくは非凡なことを成し遂げているようである。
処世の道における要諦は、「中庸」にあるのではないのか。
人生行路の諸事万端では、「平凡」がもっとも信用に足る徳目ではないのか。
ちょっと見には華々しく映る平蔵の活躍も、じつは地味で目立たぬ行為の積み重ねのうえに成り立っている。
平蔵の快挙とは、冷静な足どりで世態人情を見つめ歩き、真面目にものごとを考え、仕事に精をだし、親愛なるものを大切にし、つねに決断と覚悟を己れに課してきた「平凡」な人間の、じつに「中庸」といってよい発想を基軸にしている。
では、目先のことに心を奪われ、非凡と過剰を好み、美技を演じることに腐心する者たちはその先どうなるか。彼らは、自分の隠れた才能に出会うこともなく、やがて周囲から厭きられ、嗤《わら》われ、軽蔑されて、戦力外£ハ告をうけるようである。
● かけひきの常套手段にご用心
[#ここから5字下げ]
「おれをゆすっているつもりなのか」
「|ゆすり《ヽヽヽ》じゃねえ。かけひきさ」
「なにを……」
「ま、きいてくんねえ。そう、にらむなよ。一度だけだ。今度かぎりのことさ。それにな、お前が手を貸してくれたら。お返しをするぜ、お返しを……縄ぬけの野郎の居処《いどころ》をお前に教えようじゃねえか、どうだ。そうすりゃあ、向うがお前を見つける先に、お前の方から|そっと《ヽヽヽ》出向いて行き、縄ぬけの源七を殺《や》ってしまいねえ。どうだ、え……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「密偵《みつてい》」
ときに世間は百鬼夜行で満ちた大きな伏魔殿である。
「アフリカの子どもたちは飢えています」「被災地に義捐金《ぎえんきん》を」──街を歩いていると、こうした募金活動をやっている「いかにも善意の人たち」に出会う。が、聞くところによると、なかにはとんでもなく胡散臭《うさんくさ》い人たちも混じっているという。彼らは募金活動をするだけでなく、もうひとつの商売も同時にやっているのだと。たとえば、どこかで災害が起きたとする。するとすぐに「被災地を救う女たちの会」などというもっともらしい団体をでっちあげ、真面目そうな顔をした中年女性を数人バイトに雇い、幟《のぼり》の下で街頭募金をやらせるのだそうだ。手にするのは多額の現金だけではない。署名もお願いするので、とうぜん募金者の住所や氏名も手に入る。次なるは、それを「名簿屋」へ売りつけるのだ。濡れ手で粟《あわ》とはこのことであろう。これで年間億単位のカネをかせぐ悪党もいるという。……気づかないうちにわたしたちもどこかでこうした詐欺の餌食になっているのかもしれない。
悲しいかな、人生はどうあがいても|かけひき《ヽヽヽヽ》と無関係ではいられない。人間に「かけひきをやめろ」というのは、ボクサーに「パンチをだすな」というようなものだ。二桁の齢を重ねてきた者ならば、こんなことは十分に承知のことであろう。にもかかわらず、わたしたちは人生のきわめて重大な事柄を単純なかけひきによってわりとすんなりと決めてしまうようだ。かけひきでよく使われる手口とはいったいどのようなものなのか。
まずは、相手の自尊心をくすぐって自分に好意を抱かせる。と同時に、自分の欠点やら不利になることを口にして相手のガードをゆるめる(自分をさらけだすことで、相手に「この人は正直者だ」という印象を与えるのだ)。そして頃合いを見計らって、やんわりと法外な要求をつきつける(むろんこのとき、自分だけでなく相手の利益にもなるということを強調する)。しかしながら、相手はこれをすんなりと受け入れない。こちらはとうぜんしょげて見せるものの、譲歩のお伺いを立てることは言い忘れない(このとき相手は、自分を高く買ってもらったうえに譲歩までさせたという心理的な負い目≠ゥら、ちょっとはお返し≠しなくてはという気持ちになっている)。そこへすかさず、「わかりました。では、これで手を打ちましょう」と、あらかじめ用意しておいた本来の要求をだす。この一連の流れを、相手に考えるスキを与えないようにして遂行するのだ。時間をかけてしまうと、「借りを返さなくては」という心理的な負担が薄らいでしまって、望んだ結果を得られない。……とまあ、まことに単純な手口であるが、頭ではわかっていても、多くの人はこれで手もなくやられてしまう。
舌先三寸のかけひきが蔓延《まんえん》している。好漢、自重されよ。
† 疑り深い人のほうがかえって詐欺にひっかかりやすいものだ。なぜなら、疑り深い人はいったん信用してしまうと、とことん信用してしまうという悪癖をもつからだ。
● 所が変わっても、舌は変えるな
[#ここから5字下げ]
「でも……」
「でも?」
「何となく……」
「どうした?」
「この家《うち》が、いまでも、何処からか見張られているような気がしてなりませぬ」
「そりゃあ、おまさ。お前の、おもいすごしだよ」
と、横合いから口をはさんだ忠吾が、
「きさまは、唖《おし》になっておれ!!」
平蔵から叱《しか》り飛ばされ、|くび《ヽヽ》を竦《すく》めた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「鬼火《おにび》」
人間は保身のためには努力を惜しまない生きものだ。
たとえば、高収入を得ている人に税金の話をしてみるといい。彼らは間違いなく「所得への累進課税は不当で、消費税でそれを補うべきだ」と主張する。累進課税を引き上げよと唱える者は誰一人としていまい。同様に、資産を多くもっている人は「相続税は高すぎる」と声高に主張するのであって、相続税の税率をもっと引き上げよと叫ぶ者など誰一人としていないであろう。そして、いずれの場合においても、「これはけっして自分の利益のためにいっているのではない。社会全体のことを考えて述べているのだ」との言葉がつけ加えられる。
人は利害がからむ当事者となれば、どんなに「いい人」であっても自分にとって都合のよい見解に味方しようとするものだ。それはそれで仕方のないことだ。だが、エゴを剥《む》きだしにして保身そのものを目的にしてしまうと、人は見苦しいほどに自己を分裂させてしまうようだ。
ひとつ身近な例を引こう。たとえば会議と名のつくものにでてみるとよい。自己顕示欲で質問する者、じっと黙って頷いてばかりいる者、考えているふりをしながら居眠りしている者のほかに、大勢を占めそうな意見の尻馬に乗って囀《さえず》りまわるスズメが数羽かならず顔をだしている。庇護を求めて群がるこうした腰巾着たちの発言を聞いていると、意見とは名ばかりで(「意見」は近世までは「異見」と書いていた。こちらのほうが意味がはっきりしている)、ほとんどが強者のヨイショに終始していることがわかる。寄らば大樹の蔭とばかりに、長いものにはみずからすすんで巻かれにいくのである。彼らの賛否の判断は、「何をいったか」ではなく、「誰がいったか」によってなされる。内容がどのようなものであれ、「あの人のいったことだから」という理由でことの是非を判断してしまうのだ。
地位や立場の高い者のいうことがつねに正しいかといえば、誰もが知るように、むろんそうではない。が、鼻息を窺《うかが》う者たちは、「仕える身の上だから」という大義名分のもと、間違っていることを承知のうえで上位者の意見や思いつきにとことん同調しようとする。ちょっとした造反もしないのだ。
「課長がいわれましたように、日本的経営なるものは前近代的な遺物でありまして……、とは申しましても、先ほど部長がおっしゃったように、和というものは大事でして……」
こうしてスズメは舌を小さく切り分けていくうち、何枚もの舌をもつ醜い風見鶏へと成り果ててゆくのだ。
人はぶらさがること、なびくことによって矜持《きようじ》を失っていく。勇気のないことは仕方ないことだが、自分の意に沿わないことを繰り返していると、人はだんだん卑怯になっていく。相手によって自分の意見を変えているうち、人はかならず卑屈さを身につけるのだ。だから忠吾よ、少しはおまさを見習いなさい。
● 運に見放されたときは、とりあえずぐっすり眠れ
[#ここから5字下げ]
ここ一、二年は、盗賊の捕り物はあっても忠吾自身の手柄はなく、以前はあれほどに「忠吾《うさぎ》、忠吾《うさぎ》」とよんで、何かにつけて供を命じてくれた長官《おかしら》・長谷川平蔵が、ちかごろは顔を合わせても、
「うむ……」
軽く、うなずいてくれるのみだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「麻布一本松《あざぶいつぽんまつ》」
このところ木村忠吾はツイてない。それが自分でもわかるから、苛立ちもよりつのる。
人生には潮の満ち引きがある。何をやってもすべてが順調にいくときがあるかと思えば、何をやっても思いどおりに運ばないときがある。自分の力ではどうにもならない、目には見えない大きな力がはたらいて、わたしたちの運命を翻弄するのだ。
アメリカ大リーグでMVPに輝いたことのあるマイク・シュミットはかつてこう述懐したことがある。
「スランプから抜けだせなくて悩んでいるときは、グラウンドのうえにあるものがみな、自分にヒットを打たせまい、塁に出させまいとしているように見える。こういうときは、二塁の審判までグローブをはめているような気がしてくる」
こんなときはすっかり塞《ふさ》ぎの虫に取り憑《つ》かれてしまい、憮然とした浮かない表情になっていることだろう。また、まわりの人間たちもこちらがくすぶっているのがわかるから近寄ってこようともしない。あーあ。髀肉《ひにく》の嘆をかこつばかりではいけないと思い、脳漿《のうしよう》をしぼって才智才略の網を張るが、これがどういうわけかことごとく裏目にでてしまう。くそっ。チャンスはめぐってくる。が、どいつもこいつも猛スピードで走り去っていき、しかも短い前髪しかもっていないため、振り返って後ろ髪をつかもうにもつかめない。どうして自分だけが……。激しい自己嫌悪とやり場のない怒りが一気にこみあげてくる。不遇を嘆き、天命を恨みたくなる。
こんな出口のない迷路に入り込んでしまったときはどうしたらいいのだろう。何か打つ手はあるのだろうか。
とりあえずは、何もするな。どうもするな。
そうしたときは、じたばたせずに、雨の日もあるさ、とのんびり構えることだ。
「花の咲かない冬の日は下へ下へと根を下ろせ」というではないか。不遇や逆境こそは己れを鍛えてくれる冬の雨だと思って、じっと堪えていればよい。
平蔵がつねづね小生の耳もとで囁く、せめてもの対策は次のことである。
ぐっすり眠れ。
空を見上げよ。
ぶらりと外に出よ。
大股で歩け。
朗《ほが》らかな気持ちであれ。
春風の如く人に接しよ。
秋霜を以《もつ》て己れを慎め。
くちびるに歌をもて。
小さく声援を送ってくれる友と語らえ。
できることなら名山大川に遊べ。
● ミスの処理を誤ると会社は傾く
[#ここから5字下げ]
人びとの中には、蔭へまわって、
「事情はさておき、罪人を逃がした同心が罰をうけぬとは、どうも解《げ》せぬ」
などという者がいたようだ。
それを耳にはさんだとき、平蔵は、
「だれが小柳の|まね《ヽヽ》をしてもかまわぬ。なれど失敗《しくじり》あったときは、腹を切る覚悟でやることだ」
事もなげに、いったという。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「あきれた奴《やつ》」
同心・小柳安五郎は、鹿留《しかどめ》の又八を平蔵に内緒で牢から逃がしてしまった。又八の相棒である盗賊の居どころをつきとめるのがその目的であった。小柳は又八の人柄を見抜いて危険な賭けにでたのである。
うまくいけば又八が相棒をしょっぴいてくるかもしれぬ。が、木乃伊《ミイラ》取りが木乃伊になるやもしれぬ。そうなれば、小柳はみずからの腹を切らねばならぬ。平蔵は、小柳安五郎という男がその覚悟ができていたことを見抜いて温情をかけたのである。
さて、社内でミスが生じたとき、その処理方法は会社によって大きく二つに分けられる。犯人探しに血道をあげ、懲罰委員会やそれに類する集団がやたらと活気づき、責任追及があれこれと考えられ、懲罰が確定した段階で「これでよし」となる会社と、ミスが発生した原因を徹底究明して、その再発の防止に努める会社である。
いうまでもなく前者と後者とでは、会社の将来性において決定的な違いを見せる。
前者の場合、ミスが生じるたびに監視体制はより強固なものになっていく。そうなると、どうなるか。疑心暗鬼が強まり、信頼関係は崩れて、遅かれ早かれ組織は傾いていく。雪辱戦や敗者復活戦のチャンスが与えられることもめったにない。
後者はどうか。ミスを教訓として学び、それをシステムのなかにうまく取り込んでいくため、同じ失敗が繰り返されることは少なく、柔軟性のある組織をつくりあげてゆく。つぶれない会社とは「失敗をさほど嫌がらない会社」でもあるのだ。
極論すれば、そもそも少々のミスごときで、会社が大きく傾くことなどないのだ。
会社がだめになっていく過程とは、小さなミスを大きく騒ぎ立てる狭量の小心者が会社の主流になり、ミスに対する処理の仕方を誤って、個々の人間がそれぞれの能力をじゅうぶんに発揮できない環境をつくってしまうことにある。おっかなびっくりのへっぴり腰で舵をとったのでは、うまくいくものもうまくいかないものなのだ。
小さなミスを許容できるくらいの環境でなければ、独創や才能が顔をだすこともないであろうし、さらにいえば、組織全体がミスを愉快がるくらいの器量がなければ、その先の大きな成功はおぼつかないであろう。
大切なのは、ミスを指弾することではなく、ミスを活かすことなのだ。
ついでに、上司と部下の関係についても触れておこう。
組織の発展に欠かせないのは上司と部下の信頼関係だとよくいわれるが、どういった上司が、部下の信頼を得ることができるのか。それは例外なく、部下のミスを活かすことを考えている上司である。これはもう間違いなくそうである。そして、そうした上司の数が多ければ多いほど、ふくよかな人材が育成され、組織の結束力は強まり、また会社としての品格も備わっていくようだ。
● 自分がわからない
[#ここから5字下げ]
「なあに、物のはずみさ。あのときの私は、ちょうどうまく、元気が出たのだよ。人間にはね、彦十どん。日によって、元気なときと臆病なときがあるのだ。あのとき、私が臆病なときだったら、見ぬ|ふり《ヽヽ》をして何処かへ行ってしまったろうよ」
「いや、それにしても、えれえものだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「高萩《たかはぎ》の捨五郎《すてごろう》」
この高萩の捨五郎の言葉には考えさせられた。
何を考えさせられたかというと、人間というものの不思議についてである。「人間にとってもっとも不可解なものは人間自身である」といわれるが、人間というものを考える面白さは、大げさにいうのではなく無限大である。
幼い頃、自分がなぜこの自分であるかに疑問をもった。これほど多くの人がいるのに、どうして自分はこの顔をもち、この皮膚のなかにいるのか。そんなことを考えた。長じては、自分の気持ちに疑問をもった。思いもよらない自分の心の動きに出会ってびっくりするというようなことがよくあった。これはいまでも変わらない。
べつだんこれといった原因があるわけでもないのに、ふと心がへたばったり、無性に浮かれてみたくなる。いつもなら笑ってすませられるようなことが腹立たしくて仕方ない。むろんこれだけではない。心身をすり減らしてでも仕事に打ち込んでみたいとさっきまで思っていたのに、青空を見上げた次の瞬間、あくせく働かずのんびりと過ごしたいなあと考えている。坂の上の雲を目指す若人のように勇気凜々と昼ごはんを食べにでた数十分後、背中を丸めて峠をとぼとぼと下る気の弱い老人のような気分で戻ってきたりもする。気力がみなぎり精力たくましくやっていけそうなときもあるし、なにもかもが馬鹿らしく見えて心を閉ざしたくなるときもある。自分が怠惰なのか、律儀者なのかさえもわからない。思えば、はじめて恋をしたときもそうだった。好きな人をまえにして、ひどく緊張した。口は渇き、目はひからび、躰《からだ》は引き攣《つ》った。ぎこちなさは自分でもよく感得できた。内心、笑われているのではないかと思った。ヘマをして不快がられたらどうしよう。あげく、自己嫌悪のあまり、自分をこんな目にあわせた相手が憎くなって、しまいには相手の気持ちを傷つけるようなことを口走った。
人間というものはじつに不安定な存在で、ときとして自分自身でさえ自分のことがわからなくなる。この歳になってもまだ、さまざまな局面に臨んで自分の言動の本心がつかめなかったりする。この不安さをどうしたらいいのだろう。いろいろ考えた。でも、いい考えが浮かばない。
しかし、大切なことがわかった。それは、頼りない、何をしでかすかわからない危うい自分をつねに意識しておけ、ということだ。これによって冷静と客観を手に入れることができる。
それと、もうひとつ。経験をあてにしすぎるな、ということだ。いうまでもなく、経験は大切だ。いくら泳ぎ方が頭で理解できても水中で練習しなければ泳ぐことができないように、いくら理論や理屈で武装しても自分の身体や気持ちは思うようにうごいてくれない。その意味では経験は有効だ。だが、経験が教えてくれるもうひとつのことは、「経験は何も教えてくれないこともある」ということだ。経験にはそうした横顔もある。
● 四季は情感を抱きすくめる
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「つもりましょうか?」
「春の雪じゃ。人の足を困らせるような|まね《ヽヽ》はすまい」
綿を千切ったような雪が、はらはらと下りてくる庭をながめつつ、長谷川平蔵がいった。
「どうして、雪なぞというものが空から落ちてくるのか……ふしぎなことよ」
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[#地付き]「春《はる》の淡雪《あわゆき》」
三年ほど前のことである。拙者《やつがれ》、数か月に及んで読書その他の知的自慰行為に耽《ふけ》っていたら、陰鬱に包囲され、しまいには何といったらいいのだろう、ヘンになってしまった。頭には活字ばかりが堆積し、心には沸き立つものがなくなった。つまらないミスが多くなり、ヘマやポカが目立つようになった。食べ物はこぼすし、歩いてはよくころんだ。そればかりではない。会議にでれば見当違いな発言をするし、人と話しては相手の気持ちを斟酌することが少なかった。その場でのいちばん大切なことが何なのかがわからなくなり、優先すべきことが不明になった。「現実検討能力の低下」である。そして、しまいには倦怠感が強くなり、多くのことにやる気が失せた。いまにして思えば、それは「暗闇のなかの競泳」であった。誰かの水しぶきが耳の後ろにまで迫ってくるのだが、隣の泳者が見えない。そんな気鬱な毎日がつづく。佐野厄除大師《さのやくよけだいし》へお参りに行ってみようか……。そんなことまで考えた。
そこで、花鳥風月をこよなく愛する年長の知人に相談してみると、行雲流水としたたたずまいで「読書は陰気な室内活動です。週に一日はロゴス(知性・精神)的世界から離れて、パトス(感性・身体)的世界に遊びなさい」と、なんでもわかったふうなことをいう。がしかし、バカをこじらせてはいけないと考え、いわれるままに楽器をいじくり、絵を描き、料理に精をだし、自転車に乗り、散歩をはじめた。すると、どうだろう、半年も経った頃から、窓のあいた部屋にいるような気分になり、からだにさわやかな風が静かに吹きわたるようになった。心がほぐれ、やわらかい気持ちになった。しだいに倦怠感もうすれ、日常の狎《な》れが消え、気力がよみがえり、機嫌もよくなった。心と身体がいかに密接に関わっているかをあらためて認識した次第である。いっとき「左脳(知性)を鍛えろ」とか「右脳(感性)人間になれ」という言葉が流行《はや》ったが、小生の経験からいうと、どちらに偏ってもよくない。その両方を渾然一体と同居させているのがよい。
教訓──情感は明晰な頭脳があってこそ正しく発露されるし、頭脳は豊かな情感があってこそ十全にはたらくものである。バリバリやったら、のほほんとすることだ。
なかでも、もっとも効能があったのは旅先での散歩であった。自然のなかを散歩していると、そこかしこに季節を感じる。稜線を染める「ブナの峰走り」で春を感じ、小川を流れる落葉で秋の到来を感じる。そればかりではない。情感が四季に抱きすくめられるという感触も味わうこともできた。兼好法師は『徒然草』(第十五段)のなかで、「いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目なれぬことのみぞ多かる」(どこでもいい、しばらく旅に出ていると、目のさめるように清新な心持ちになるものだ。あたりをここかしこと見物して歩き、田舎風情のあるところや山里などに出かけると、まったく見慣れないものばかりに出くわす)と、旅とそこで出会う自然を礼賛している。同感である。まったく自然の力は摩訶《まか》不思議というほかない。
● 将たる者は喧嘩が強くなくてはならない
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「鬼の平蔵さまにお会いなされたか?」
と、佐野倉の主人が、
「どんなお人でしたかね。私も、ぜひ一度、お顔を見たいとおもっているのだが……」
〈中略〉
「なんともいえぬお人だ。怖くて、やさしくて、おもいやりがあって、あたたかくて……そして、やはり、怖いお人だよ」
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[#地付き]「用心棒《ようじんぼう》」
指導者の条件というと、きまって「統率力」「決断力」「先見力」「バランス感覚」などが挙げられるが、それらの能力を根っこで支えているのは「喧嘩の強さ」に他ならない。
こんなことをいうと、喧嘩っ早い暴れん坊がリーダーに適しているかのように勘違いされるかもしれないが、そんな単純きわまりない話ではない。
名将たるもの、事の大小が判断でき、まわりの人間を自分の肌身のように愛する気持ちをもち、火のような情熱と水のような冷静な頭を保持していなくてはならないのはいうまでもない。が、これらの能力や資質が光彩を放つのも、根っこの部分に「喧嘩の強さ」があればこそなのだ。
喰うか喰われるかの有事のときに、大将が恐怖で青ざめたり、茎から折れた花のようにうなだれてしまったら、周囲の者はどのような反応を示すだろうか。間違いなく多くの人は失望の表情を浮かべて去っていくだろう。
危機が到来しても、あいつだけは勇を奮って知恵をふり絞ってくれる、ワニと格闘する破目になっても、紅蓮《ぐれん》の炎となってきっと勝利をもぎとってくる、そう周囲に思わせることのできる人物こそが大将にふさわしい(たとえばここに、能力の似かよった二人の優秀な社長候補がいたとしよう。あなたは何を判断基準にして社長を選ぶだろうか。小生なら、ぜったいに喧嘩の強そうなほうを推す)。
喧嘩はできればしたくない。賢《さか》しい者ならば、誰もがそう考えるだろう。
だが、横槍を入れられたり理不尽を突きつけられたら、将たる者はこれを拱手《きようしゆ》傍観してはならない。いらいらしたり、気を揉《も》んだり、うろたえたり、おびえたりする表情さえも見せてはならない。
なぜか。
将たる者は、自分についてくる者たちの生命と財産を守らなくてはならないと同時に、安らぎも与えなくてはならないからだ。
ゆえに、有事のときの大将は、裂帛《れつぱく》の気合いに満ちた面構えと、ぜったいに負けないのだという強固な意志をもたなくてはならないのだ。
鬼平は、平素はのんびりしたところがあり、まわりからは「ねむり猫」のようだと噂される一面があった。
が、一朝ことあれば、あのお方は真っ先に出ていってくれる、逃げも隠れもしない、そして自分たちにはとうていできない気迫のこもった芸当で戦いに勝ってくれる、と周囲の人間に思わせており、じっさい修羅場となったら動物的な精気をみなぎらせ、文字どおり鬼≠ニ化して勇猛果敢にやり遂げている。これぞ将たる者の範である。
引用の言葉は、「鬼の平蔵」をもっともうまく形容した表現であろう。
● 肌に合わぬ言葉はつかうな
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「だからよ、彦十。お前には、ちゃんとお熊婆ぁの守役《もりやく》を、つとめさせているじゃぁねえか」
すると、聞耳《ききみみ》をたてていたお熊が、
「へっ。こんな彦十みてえな死損《しにぞこな》いの守役は、ごめんこうむりてえね」
といったものだから、相模の彦十が白眼《しろめ》をむき出し、
「何をぬかしゃぁがる。腐《くさ》れ鰯《いわし》の骨婆《ほねばば》ぁめ!!」
と、わめいた。
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[#地付き]「お熊《くま》と茂平《もへい》」
ふつう人生の終幕にさしかかると、激情から逃れて、ひとり静謐《せいひつ》に憩いたがるものだが、この二人にはまったくその気配がない。二人とは、老密偵の彦十と〔笹や〕の女|主人《あるじ》お熊である。
それにしても、じつに由緒正しい罵り合いではないか。憎まれ口をたたくときは、こんなふうにやりたいものである。自分の肌に合った言葉をつかっている人間は、板についているといおうか、やはり「聞かせる」ものだ。やたらに説得力がある。言葉遣いには人柄が滲《にじ》みでるというが、生活実感のない新奇で空疎で陳腐で稚拙な言葉を並べる手合いと較べると、日常語を自前の言葉としてしっかりと身につけたこの二人のほうがよっぽど「たしかな人物」に思えてくる。
流行の尻馬に乗って、肌合いに合わぬ流行《はや》り言葉を得意気に操ってご満悦な人をしばしば見かけるが、小生、そういう人間を「半人前」としか見なさない。異性の好悪と、言葉の好き嫌いをもたぬ人間にロクなやつはいない、という偏見を小生はもっている。人間は「言葉の動物」(ホモ・ロクエンス)であるとの前提に立てば、自分の言葉をもたぬ人間は、しょせん箍《たが》の緩んだ桶のような、いい加減な人間ではないのか。あるいは身体の歴史感覚を欠いた、芯のない、ナメクジみたいな優柔不断な人間ではないのか(昔からある言葉は、無辺際《むへんざい》の過去からやってきたご先祖さまのようなものである。大事に扱うにこしたことはない)。
卑近な例を挙げれば、「おいしい仕事」だの「地球にやさしい」だの「あげまん」だの「飲《ノミ》ニュケーション」だの「自分へのご褒美」だのと真顔でいっている大人がまともなものか。言葉を時代の雰囲気のなかに蒸発させて喜んでいいのは小学生までである(「マジ?」だの「ダッセー」だの「やばい」だの「なにげに」だの「きもい」だの「ワタシ的には……」だのといった品質の悪い言葉も耳障りだ。ちなみに小生はこれらの言葉を死ぬまで口にするつもりはない。古くさいぞ、小生は)。
もう数年前のことになるが、テレビでニュース番組を見ていたら、司会者が「では、もう一度おさらいしておきましょう」と耳慣れぬことをいう。
おさらい、だと。
小生はこの司会者の生徒になった覚えはまったくないので、ひどく不快になったが、あにはからんや、「おさらい」はいつのまにか日本のあちらこちらに伝播《でんぱ》してしまった。最近では、テレビをつければ「それでは出場選手をもう一度おさらいしておきます」とか「ここで食材のおさらいをしておきましょう」との声が飛び交っている。ためらいとか含羞《がんしゆう》ってものはないのか。まったくテレビの連中はどいつもこいつも軽薄なんだから……と思っていると、とある会議で女性の司会者が「決定事項をおさらいしておきますと……」といいやがった。何をぬかしゃぁがる、である。
● 半常識的な姿勢を
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「人間《ひと》とは、妙な生きものよ」
「はあ……?」
「悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする。ふ、ふふ……これ久栄。これでおれも蔭へまわっては、何をしているか知れたものではないぞ」
「お粥《かゆ》が、さめてしまいまする」
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[#地付き]「明神《みようじん》の次郎吉《じろきち》」
「もしもし」
「はい、サトナカ工務店ですが」
「えっと、森下いる?」
「あのう、どちらの森下でしょうか。うちには森下が二人おりますが」
「バカのほうだよ。バカのほうの森下」
「あいにく森下は、二人ともバカですが……」
この電話の二人、両方ともバカである。どう考えても常軌を逸しているし、常識にも欠けている。
いまの時代、倒錯や逸脱がもてはやされて常識の人気がない。だが青年よ、常識というものは身につけておかなくてはならない。便利だし、損をすることが少ないからだ。
とはいえ、常識は何から何まで無難かといえば、むろんそうではない。常識といえども万能ではない、というのもまた常識である。
そもそも常識とは、固定化された規則や規範ではなく、いまの世の中をよりよく生きるにはどうあるべきかという問いに簡潔な態度をもって応えようとする不断の試みのことである。
だからこそ、常識はまた、脆弱《ぜいじやく》な脇腹をもつ。新しい常識が攻撃をしかけてくると、旧来の常識は驚くほど脆《もろ》いのだ。正しく培われたもの、美しく育まれたものは、おうおうにして抵抗力がないものだが、常識もまた例外ではない。
では、そんなあやふやな常識というものに翻弄されない生き方はあるのだろうか。
じつはこれには妙案がある。それは、「半《ヽ》常識」という発想をもつことだ。反対の「反」ではない。半身の「半」だ。
非常識は、愚かなゆえに常識が欠如していることだ。
反常識は、気負いのゆえに常識を逆手にとっているだけだ。
「半常識」は、常識を身につけたうえで、常識の意味を考え、常識を疑う態度である。
すなわち、半常識の人とは、「群《ぐん》するも党《とう》せず」(多くの人と自由に交わるが附和雷同して実力者におもねることをしない)を常識に対して実行して、いざとなれば常識をかなぐり捨てる覚悟をつねにもっている「半身だけ常識の人」である。
たとえば、二十世紀後半にこの日本を支配した「弱者は善人、強者は悪人」という考え方はどうか。「もはや常識ではない」といってさしつかえない人間理解であろう。
平蔵の言動が意表を衝《つ》き、且《か》つまたそこに周囲の納得を得ることができたのは、「半常識」という構えをもっていたからである。
人生の格闘家・長谷川平蔵がおそらく肝に銘じていたことは、「常識は身につけておかねばならぬが、丈《たけ》に合わぬと感じたら、さっさと脱ぎ捨ててしまえ」であった。
● 人柄まで喰って旨《うま》い
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「このごろ、勘助はどうかしている。こころに何ぞ、屈託《くつたく》があると見える」
「と、申されますのは?」
「このごろは、あの男にも似合わぬ莫迦《ばか》な|味つけ《ヽヽヽ》をする。今夜は、ことにひどいようじゃ。庖丁をつかう手も胸のうちも乱れ立っているような……」
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[#地付き]「白《しろ》い粉《こな》」
老舗《しにせ》や名店といわれる料理屋のなかには、わざと偏屈ぶり、とんでもなく威張りくさっている主人《あるじ》がいる。「僭越ですが」の言葉も添えず、あれこれ指図がましいことを客にいうのである。「お客さまをおもてなしする主人の心得」というものがないのだ。そのような店主のいる店に好んで足を運ぶ物好きもいるようだが、小生は真《ま》っ平《ぴら》ゴメンの助《すけ》である。そうした前向きなマゾっ気はいっさいもちあわせてはいない。そんな店はどんなにおいしい料理をだすとしても、こっちから願い下げである。万が一、そんな店へ行ってしまったら、杯盤狼藉の限りを尽くしてやろう。
鮨《すし》がいちばんの好物であったという池波正太郎は、あるとき若い職人が雲脂《ふけ》の落ちそうな長髪をかきあげつつ、おしゃべりをしながら鮨をにぎるのを見て、長年かよったその店へはそれっきり二度と足を運ばなかったそうである。
鮨はにぎってくれる職人さんの気質や人柄も喰うようなところがあって、職人と客との息が互いに合わないと旨くないのだ。互いのあいだには、金魚すくいの紙、あるいは箸でつまんだ冷奴があるかのような微妙な空気が流れている。大げさにいえば、見た目や味だけでなく、職人の人柄や気質、さらにはその日の虫の居どころまでも吟味しながら食べるのが料理の醍醐味である。
平蔵が、味つけの微妙な変化から、職人の庖丁をつかう手や胸のうちの乱れまで察知したのも、平生からそうした吟味をしながら料理を食していたからにちがいあるまい。
とはいえ、気心のつうじあえる職人のいる店を見つけたとしても、相客が悪いと、料理の味まで落ちてしまうから不思議だ。小体《こてい》な店に大挙してやってきて店を社員食堂のようにしてしまい、ほかの客もいるのに大声でしゃべり、そのうえ長っ尻でいつまでも腰をあげないばかりか、他の客をはやく追い出そうとする気配さえ漂わせるサラリーマンたちがいる。そんなときは、きょうはツイてないなあと思い、早々にひきあげることになるのだが、店をあとにしたときの小生の表情はひどく憮然としたものであろう。そればかりではない。店をでたあとも、櫛比《しつぴ》する飲食店の|のれん《ヽヽヽ》のあちらこちらにクダをまきたくなる。味わい方ひとつ、感じ方ひとつで料理の味は変わる。料理は、店の雰囲気や、働いている人たちの気質や人柄、さらには相客まで喰って旨いのである。
† 小生が贔屓にしているお鮨屋さんは、赤坂の〔いとう〕である。この店の接待ぶりは自然で、まったく遺憾がない。ご主人の伊藤靖弘さんをはじめ、はたらいている人たちが皆、礼儀正しく、また朗らかである。
「雨の中をありがとうございます。さあ、どうぞ」
ご主人にこんなあいさつをされると、〔五鉄〕に入る平蔵の気分になって、つい長居をしたくなる。
● してあげる喜び
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「急《せ》かして、すまなかったな。ま、あがれ」
平蔵が、おまさを居間へあげたとき、妻女・久栄《ひさえ》が、冷えた麦茶《むぎちや》と手製の白玉《しらたま》を盆にのせてあらわれた。
「おそれ入りますでございます」
と、おまさは両手をつかえ、深ぶかと、あたまを下げた。いや、下げずにはいられない。
役目柄とはいえ、四百石の旗本の奥さまが、手ずから立ちはたらき、ことに、おまさへのこころづくしには格別のものがあった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「むかしなじみ」
幼い頃、「この子は、ほんとに気のきかない子だよ」とか、「あの子は、ほんと、よく気のつく利発な子だね」という言葉を大人たちが口にしているのをよく耳にした。
「ビール、といわれたら、グラスも持っていくのが当然でしょ。まったく気がきかないんだから」とか、「おまえは腰が重いんだから……そんな面倒くさがりでどうする」などと親から叱られた記憶をもつ人は多いであろう。
そんなとき、子どもたちは親たちがこまごまと立ち働いているのを見て、「あ〜あ」とため息をつきながらも重い腰をあげるのだった。そうして、だんだんと重い腰を軽くして、「気のつく子」になっていったのだ。
おそらく平蔵の妻・久栄もそんなふうにして「気ばたらきのできる女」へと成長していったのであろう。
諸くん、やはり「いい女は一日にして成らず」なのだね。
いうまでもないが、久栄が身分のちがう密偵のおまさをもてなすのは、なんらかの見栄や下心や魂胆があってのことではない。あるいはまた、ひそかに善行を行なえばよい報いがあるという「陰徳陽報」にのっとっているのでもない。
「人間というのは、ふとした拍子に心が明るくなったり、生きる気力をとりもどすことがある」
ということを熟知していて、それで小まめに気をはたらかせているのだ。
おそらく久栄は、
「してもらうことよりも、してあげることの面白さをおぼえたほうが、人生をたのしく過ごせるものですよ」
と考えていたのであろう。
仏頂面して、ふてくされ、拗《す》ね者を気どり、しれしれと自己中心的になり、「してもらう」ことばかりをねだる人間になるよりも、「してあげる」人間になったほうが、よっぽど多くの笑顔で人生を彩ることができるという考えを久栄は胸に抱いていたようだ。ほんとうに立派である。
「してあげる喜びをもてた私の人生は素晴らしいものでした」
おそらく久栄はこんな言葉を残して死んでいったにちがいない。
なんという美しい心。アルプスの雪のように眩しい。
バカな女が、あくまでバカであるように、賢い女は、とことん賢い。
『論語』の最高徳目が「仁」であることを読者諸賢は知っていようが、久栄こそがその「仁」を獲得した人間であるように小生には思える。
「仁」とは、相手を思いやる気持ちであり、また他人の喜びを自分の喜びにできる心のことだ。他人がにっこりするのを見て、それを自分の喜びとする心踊りは、人間がもちうる究極の美徳であろう。
● 時間を甘くみるな
[#ここから5字下げ]
「ま、佐嶋。きけい」
と、これから平蔵と佐嶋の密談がはじまり、佐嶋が急ぎ帰ってのち、平蔵は久栄《ひさえ》の問いに答えて、
「なんでもないのだ。ときに久栄。明日は六ツ(午前六時)に起してもらいたい」
「ま、ずいぶんとお早い……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「礼金二百両《れいきんにひやくりよう》」
有能な人物ほど時間の御し方がうまい。
逆をいえば、時間管理ができない人は心身規律の基本ができていない。
さらにいえば、時間を守る人間は、時間を守らない人のことを「社会人として失格」だと見なしており、人間関係において信用のおけない人物だと思っている。
だが、そうとは知らず、「忙しくて困っちゃうよ」などといいながら、巌流島の宮本武蔵のごとく大物ぶってわざと待ち合わせの時間に遅刻をしてくる人がいる。そういう人は間違いなく、時間の大切さを知らぬ「薄っぺらな小物」である。
今回は、小生が『鬼平犯科帳』から学んだ「時間に関するマナー」について述べてみたい。
一、「きょうは忙しくなる」と感じた日は、念のために早起きをする。時間に追われるのではなく、時間を追いかける立場に自分を置くのである。そうすれば万端の準備ができ、余裕をもってことに臨むことができる。時間に関しては、とにかく「早めに」を忘れぬことだ。「わが人生の成功のことごとくは、いかなる場合にもかならず十五分前に到着したおかげである」(ネルソン提督・イギリス)との言葉を知っておくとよい。
二、下位者は上位者を待たせてはならない。待たされた人間は、待たされたことをなかなか忘れないものだ。年下の者が年上の者を待たせるなど、不作法の極みである。
三、時間利用法で忘れてはならないことは、ものごとの優先順位を決めて時間を割りふること。そしてその優先順位を決める時間もあらかじめ取っておくこと。この段階で、願望の半分はもう手に入れたも同然である。
四、やりたくない事柄をあれこれ考えて時間を無駄づかいしてはいけない。やりたくないものは後回しにしないほうがいい。むしろやりたくないものから先に手をつけると、あんがい仕事や作業は能率よくすすむものだ。
五、時間を飼い馴らすコツは、仕事や作業をグループ分けすること。たとえば、メールをだす用事が四、五件あるとすると、それをひとまとめにして一定時間内にやってしまうのだ。これでずいぶんと時間を管理できる。
六、二度手間にならないようにすること。たとえばメールを見ても返事を書く時間がないときにはメールを開かない。一度目にメールを読んで、二度目に返事を書くということは、けっきょくのところ読む作業を繰り返すことになるわけだから時間の無駄である。
番外だが、「腕時計は服装に合わせること」を挙げておきたい。
英米では、スーツを着用したビジネスマンは、けっしてデジタル時計をはめない。デジタル時計は安っぽい趣味だと見なされているし、時間の流れを意識しない人間がもつものだと考えられているからだ。こんなところからも時間に対する意識をうかがい知ることができる。
[#改ページ]
● 人は外見で判断する
[#ここから5字下げ]
うすよごれた網代笠《あじろがさ》に深ぶかと面をかくし、墨染めの衣《ころも》に白の脚絆《きやはん》。丸ぐけの石帯という扮装《いでたち》で、旅の老僧に化け、四尺余の竹杖《たけづえ》をつき、とぼとぼと歩む姿を見たなら、妻女の久栄でさえ、これが平蔵とは気がつかなかったろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「雨引《あまびき》の文五郎《ぶんごろう》」
鼻毛が一本でていたからという理由で百年の恋も三秒で冷めたり、つぶれたギョーザみたいな靴(スリッポンのことか?)をデートのときに履いてきたからといって婚約を破棄したという女性たちの話を聞くにつけ、身だしなみや外見はやはり大事なことなんだなあとつくづく思う小生であるが、だらしない、との印象を与える男たちが急増しているのはひどく気にかかる。この数年、服装においても表情においても身のこなしにおいても、だらしない男たちが全国的に増殖しているのは憂うべき事態である。
ドーベルマンとかボクサーといった犬の横に並んだら、「立派さ」の点において明らかに見劣りする貧相な男たち。シベリアン・ハスキーやゴールデン・レトリバーといった犬と比較されたら、「気品」の点において大きく水をあけられるであろう緊張感のない男たち。こんな男たちが、このニッポン、うじゃうじゃいるのだ。
さて、さすがに最近では歌麿の春画や「王将」の文字がついたネクタイをしめているオジサンを見かけなくなったが、「おしゃれ」と「目立つこと」を勘違いしている人は依然として多い。
ある広告会社の重役と食事をしたときのことである。重役氏は一見して高価だとわかるスーツを着ていたのであるが、不躾《ぶしつけ》な視線を放って目を懲らしてみると、なんとネクタイにさまざまなセックスの「体位」が小さくプリントされているではないか。魂消《たまげ》たのはいうまでもない。しばらくして重役氏は上着を脱ぎ、ワイシャツ姿になった。と、こんどはこげ茶色の乳首がワイシャツから透けて見えるではないか。後ろへひっくり返りそうになってしまった。下着をつけていないうえに、ひじょうに薄手のワイシャツを着ていたのだ。オジサンの、四十八手ネクタイとこげ茶色の乳首を見ながらおいしい食事と上等なワインを飲むというのはけっこう辛いものがある。変種の暴力といってもよいであろう。気の弱い人だったら、白目を剥《む》いて失神していたかもしれぬ。
ビジネスにおける身だしなみとは、仕事内容、商談内容に合わせた着こなしができるかどうかである。それは相手の年齢や地位、業務内容や社風までも含んでいる。いずれにしても、第一印象が悪いというのは、仕事をすすめるうえで相当に不利であると自覚しておいたほうがいい。
心得その一──男も女も服を着せてみないと本質がわからない。
心得その二──服装は、心の人相であり、社会人としての覚悟である。
引用部のつづきに触れておこう。変装した平蔵はお熊婆さんの〔笹や〕に入っていき、托鉢《たくはつ》の態でいきなり経文を唱えはじめたのであるが、平蔵と気づかぬお熊婆さんは、「場違いなところへ、面《つら》あだすな」と、すぐさま塩辛声で怒鳴りつけたそうな。なんだかんだいっても、人は予想以上に外見で判断する。
だから、外見のことをもっとよく考えよ。
● 酒は両刃《もろは》の剣《つるぎ》である
[#ここから5字下げ]
この夜。平蔵はめずらしく興に乗り、一升ほどの酒をのんでしまい、清水門外の役宅へ帰るのがめんどうになってきて、
「彦や。今夜はここに泊る。何かあるといかぬから、お前すまねえが役宅へ知らせておいてくれ」
いうや、二階の、女密偵・おまさが寝泊りしている部屋へあがりこみ、ねむりこけてしまった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「寒月六間堀《かんげつろつけんぼり》」
きゅっとあおった冷酒《ひや》が喉をすべって五臓六腑に沁みわたる。眼が細くなり、すぼめた唇から舌鼓がこぼれ、やおら箸で塩辛をすくいとると、酒で湿っている舌のうえにそっと運んでいく。そしてまた、酒をちくとやる──。
こんな酒の飲み方をしている人を見ると、いかにも仲のよい恋人同士という感じがして、酒飲みっていいもんだなあという心持ちにさせられる。つくづく酒は嗜《たしな》むものであって、がぶ飲みするものではないなぁと思う。
だが、ご存じのとおり、酒飲みが皆このようなしみじみとした飲み方をするわけではない。飲めば飲むほど、心が澄んできて、憂いが取っ払われ、気分が高揚し、天に口なし、酒をしていわしむ≠ンたいな心持ちになり、何かの伝道師になったり、説教したり、威張ったり、愚痴をこぼしたり、クダを巻いたり、強情になったり、わがままになったり、あげく泣いたり暴れたりして、非礼と恥辱の数々を尽くす。
たとえば──、焼酎のなかの梅干しの肉片が不規則にブラウン運動をするのを見つめながら、ひとしきり辞表を受理されなかったことを自慢したかと思ったら、
「おまえだけだよ、おれのことをわかってくれているのは」
と涙声でしんみり語ったりする。と、その舌の根も乾かぬうちに、
「てめえなんか人間じゃねえ。とっとと消え失せろ」
こんどは、相手の胸ぐらつかんで猛禽じみた形相になっている。このように一夜で二つ三つの合併症を患うのも酔っ払いの特徴である。こんなときである、酒というのは大衆の階級的自覚を妨げる現代の阿片であるとつくづく思うのは。
「ほろ酔いにまさる酔いはなし」というが、酒飲みの多くは、ほろ酔い状態でやめることができない。ついつい余分に飲みすぎてしまう。そして、魔がさすのだ。箍《たが》がはずれ、ふつう≠ナはなくなり、周囲に迷惑をかけ、しまいには人間関係に支障をきたすようなことをしでかす。「酔っぱらいとは、自分では最高と思っているが、しらふの人間から見れば最低と思われている人間のことである」と思っておいたほうがよさそうだ。
酒は両刃《もろは》の剣《つるぎ》である。飲み方によって、天の美禄にもなるし狂い酒にもなる。格別の陶酔を与えてくれるときもあれば、このうえなく苦《にが》くまずい酒もある。同じ飲み物でも、そこがジュースや味噌汁とはちがうところだ。
鬼平の生みの親・池波正太郎は「けっこういけたくち」(豊子夫人)で、若いころなどは役者の島田正吾と二人で三升ほどの酒を飲んだこともあったそうだ。飲めば朗《ほが》らかになり、おしゃべりになった。だが、酒をいっさい口にしない日もあった。あるエッセイのなかで、こんなふうに語っている。
「苦しいとき、哀しいときの酒を、私は一滴ものまぬ。うれしいとき、たのしいときしかのまない」
これが池波正太郎の酒とのつき合い方であった。だから、自分にとっての酒は「百薬の長」といってよいであろう、とも述べている。賢いね、やっぱり。
● 組織の成功は個人の才能にかかっている
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「なれど、兇悪なやつどもが蔓延《はびこ》る今の世に、この長谷川平蔵と、おぬしたちほどの盗賊改方が他に在《あ》ろうか。在るはずはない」
慢心ではない。
これは平蔵の自信であった。
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[#地付き]「春《はる》の淡雪《あわゆき》」
どれほど才能に恵まれていても、ひとりの人間にできることには限界がある。
そこで人は、ひとりではとうてい達成しえない目的を成し遂げるために「組織」というものを考案した。これが会社のはじまりである。
とはいっても、やたらに数だけを集めればよいというものではない。
それが烏合《うごう》の衆であっては、目的の達成どころか、まともな戦略すら立てることができない。休まず、遅れず、働かずというような者がたくさんあつまったからといって戦力になるはずもないのだ。
確乎たる目標を掲げる組織には、それに見合ったすぐれた能力と際立った個性をもった人間ができるだけ多く集まらなくてはならない。
本田技研工業を世界のホンダ≠ノせしめた立役者のひとりである藤沢武夫は、創業者の本田宗一郎について、「これ以上はないという人にめぐり会えた」と述べたあと、次のような感慨を語っている。
「よく私に経営哲学があるかのようにいわれますが、それは本田という人と出会って、一緒に仕事をしたから、結果としてできたことであって、あの人と組まなければあり得なかったものです」(『経営に終わりはない』文春文庫)
まず人ありき、というのである。
古来、東西を問わず、組織の成功に欠かせないのは、なんといっても個人の資質である。そして、優秀な人間が多ければ多いほど、成功の可能性はより高くなる。
「三人寄れば文殊《もんじゆ》の知恵」というが、能力のない三人を寄せ集めても「下手の考え休むに似たり」なのだ。一本なら簡単に折れる矢も三本まとめると折れないという「三本の矢」の教訓は、組織づくりの観点からいえば、「弱い三本の矢は束ねても弱いが、強い三本の矢は束ねるとよりいっそう強くなる」と読み換えるべきである。
結論をいうと、才能の集団が運悪く失敗することはあっても、一流の才能を欠いた会社が一流になることなど絶対にあり得ないのである。小生が四人結集してもけっしてビートルズにはなれないし、十一人あつまってもレアル・マドリードにはひとつも勝てないのだ。
才能が集結した組織は、当初の目的を達成すると、やがて「ひとりではできないことをやる」から、「組織にしかできないことをやる」という積極的目標を掲げるようになり、より結束を強めて、新たな成功へと邁進《まいしん》する。長谷川平蔵率いる火付盗賊改方を眺めていると、多くの才能が出会うときに発揮される力はそれこそ無限大のようにさえ思われる。
言い忘れたが、ここでいう「才能」や「能力」をもった者とは、自分の本分に忠実であり、そのことに対して慢心ではない自信をもっている人間である。
● 「気づく力」で活路を見いだせ
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間もなく、平蔵は酔った足どりで〔山吹屋〕を出た。
一本杉神宮堂の前に待たせておいた駕籠《かご》へ乗り、役宅へもどりながらも、
(……どうも、気になる……)
で、あった。
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[#地付き]「山吹屋《やまぶきや》お勝《かつ》」
平蔵は何が気になったのか。
茶屋女のお勝の手首をつかんだときに見せた「彼女の間髪《かんはつ》をいれぬ反応の仕様《しよう》」が気になったのだ。それがどうしても腑に落ちない。ふつう、つかまれた手首を振り放そうとするなら、手前に引いて逃げようとするものだが、お勝は「かるく手首をひねりつつ、これを平蔵の鼻先へ突きあげるようにして、わけもなく外《はず》した」のだ。「なまなかの女にできる|仕わざ《ヽヽヽ》ではない」と看《み》たのである。
人を唸らせる「頭のいい人」というのがいる。といっても、どこそこの学校をでているというような頭のよさをいうのではない。ここでいう頭のよさとは、「気づく力」をもった頭のよさと解していただきたい。
引用した平蔵の例でもわかるように、平蔵は「気づく力」において群を抜いている。ひじょうに頭がシャープで、さまざまな関係の行間≠ェ読めるのだ。
「気づく力」の持ち主は、だいたいにおいて好奇心が旺盛であり、観察力があり、人を惹きつける(周囲を見渡してみるとよい。観察力のある人の話はきまって面白いから。逆にどんなに知識があっても、観察力のない人の話ほどつまらぬものはない)。
いざ何かをやってみようと思うとき、最初から難しいと思ったり、つまらぬと感じたらもうダメだ。「難しい」とか「つまらない」と感じた瞬間から、そのことはより難しくなっていくし、よりつまらなくなっていく。すると躰《からだ》と頭は萎縮しはじめ、もてる力を充分に発揮できずに終わってしまう。「気づく力」も、むろん発揮できない。
たとえばあるマンガを読む場合においてもそうだ。「これ、けっこう難解だよ」といわれたら、読みはじめるまえから、もう疲れるマンガ≠ノなってしまう。
いつの時代でも、「まずやってみる人間」と「文句ばかりいって、けっきょくはやらない人間」の二種類がいるのであろうが、たまたまあなたが後者に属するのであれば、「見た目は難しく思われるけれど、やってみれば意外に簡単かもしれない。同じ時間を割くのなら、とことん面白がってみよう。何かに気づくかも知れないし……」と考えてみることだ。何かことにあたるときは、とにかく好奇心をもって臨むこと。そして、できるだけそれを面白がってみること。「気づく力」は、好奇心の大きさと、それを面白がる力に比例している。
次に掲げるのは、晩年にさしかかった池波正太郎の日記である。
「明日は東和でフランス映画〔パッション〕の試写がある。
それを観てから銀座を歩くことを想《おも》うと、うれしくて、ベッドへ入っても子供のように眠れなくなった」(『池波正太郎の銀座日記〔全〕』新潮文庫)
年老いてもなお衰えぬ、この好奇心はどうだ。
読者よ、最近、「うれしくて、ベッドへ入っても子供のように眠れなくなった」ことがありましたか。
● しかるべきことはしかるべき時期にしかるべきふうに
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「もっとも、若いころのわしは、他人《ひと》の何倍も男のたのしみを味わってきたことゆえ、いつ死んだとて、おもい残すことの、先ずは無いと申すことよ」
と、平蔵は傍《かたわら》の置棚《おきだな》から振鈴《ふりすず》を取って鳴らし、
「いまのわしは、若いころの罪ほろぼしをしているようなものじゃ」
つぶやくがごとくいった。
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[#地付き]「春《はる》の淡雪《あわゆき》」
中年になって、自分だけでなく、まわりの人も納得するような顔になっているにはどうしたらよいか(つまり若づくりなんかせずに、しっかり老いづくりをしているかどうかということ)。それには、勉強も仕事も、恋愛も遊びも、しかるべき時期に、しかるべきことを、しかるべきふうにやっておくことだ。
若い時期に、やるべきことをやらなかった男は、物腰や言動、生活信条や金遣い、服装や趣味に如実にあらわれる。どんなに着飾ろうとも、どんなに勇ましい言葉を吐こうとも、どこか貧相で、もの欲しげで、どうにも薄っぺら感を払拭《ふつしよく》できないでいる。はっきりいってしまえば、人間が安普請《やすぶしん》なのだ。
また、そうした男に限っていえば、小心な見栄坊が多く、説教とボヤきだけはいっぱしである。「失われた青春時代」への腹いせなのか、若い者同士が愉しくやっているのを見るだけで、もう不満なのである。
「おまえらは気楽でいいなあ。でもな、愉しいのはホント、いまのうちだけだぞ。人生はそんなに甘いもんじゃないからな。ひひひ」
他人の愉快がっている様《さま》にすぐさま水をさしたがるのだ。
「軟弱なんだよ、おまえらは。ほんとに情けねえなあ。おれなんかがさ、若い頃はさ、女なんてものは……」
態度はでかくても、心は小学生の尿道のように狭いのだ。しみじみ情けない。憎まれ口でしか、若者と対話できないのである。これは、若いころにやるべきことの入り口まで行ったけれど、中には入らなかった、あるいは入れなかった者がいう典型的な僻《ひが》みの台詞《セリフ》である。
また、こういう人間はつねにいま≠ノ不満があるため、たとえ過去がどんなにみすぼらしいものであっても、二つや三つはあるであろう「わが人生の快挙」を見つけ、「あのときのおれは、さすがだったね」とか、「あの頃がいちばん愉しかったよなあ」と過去をひたすら美化して語るのだ。虚栄や見栄も、度を過ぎると可愛げがない。
で、まわりはこういう人間をどう評するか。「成長を止めてしまったつまらない人間」とか、「みずからすすんで人生に白旗を掲げてしまった敗残者」と見なすであろう。
思いだしただけでも冷や汗が吹きでるような恥の数々も含め、若いうちにやるべきことをきちんと済ませてきた人間は、自分と同じような過ちを犯している若者を愛情をもった眼差しで見つめることができるし、また中年になればなったで、若い頃には知らなかった気ばらしを見つけていま≠積極的に愉しもうとしている。
こういう中年は「外柔内剛」の人が多く、どこぞのバカな中年のように「中年の魅力」とやらを語ったりもせず、つまり「中年の魅力」を語らない魅力があり、いまそこにある仕事に黙々と打ち込んでいるようだ(つい最近まで、こうした中年は数多くいたような気がするのだけど……)。
● その場に合った声の大きさを
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「うっかりとはいえぬが、おれは、いささか長官《おかしら》が軽率《けいそつ》だったようにおもうな」
「叱《し》っ……」
同心たちの、ひそひそばなしがはじまった。
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[#地付き]「犬神《いぬがみ》の権三《ごんぞう》」
場所柄や内容を考えずに大声でしゃべる人がひどく苦手だ。ひそひそ話は、ひそひそとやるべきである。
場に応じて声の大きさを調整できない人間は、感性に脂肪がついている、あるいは感性が難聴になっているのではないか。
一年ほど前のこと、都内の静かなレストランで、とある中年男性と食事をしながら仕事の打ち合せをすることになった。ここに何の問題もない。問題は、その人の声量にあった。むやみに声がでかいのだ。とくに感嘆の声が。音量調節のつまみがないのか。騒がしいったらない。そのうえ酒が入るにつれ、どんどんクレッシェンド(徐々に音を大きくしていく演奏)していく。逆に私の声は、恥ずかしさのあまりそれに反比例してどんどんディミヌエンド(徐々に音を小さくしていく演奏)になっていく。
三十分が経過した。小生は吹雪のなかの笠地蔵のようにすでに固まっていた。
すると相手は、私に元気がないと勘違いして、励ますように「いやあ、サトナカさんはこれからの人ですよ」などと大音声《だいおんじよう》をあげるのだ。頭がクラクラしてきた。うるさいバカヤロー。大声をあげて恐慌をきたしそうになる(平蔵なら、太刀風一閃《たちかぜいつせん》、すぐさま彼を静かにさせただろうけど)。
またその折、まだ料理が残っているのに「おさげしてよろしいでしょうか」の言葉も言い終わらぬうちに皿に手をかける躾《しつけ》の悪い若い給仕係が二人もいて、もうその晩は頭に血がのぼりっぱなしであった。
小生、幼い頃から親に、目立つことをするな、地味がいちばん、人の口の端にのぼるようなことをしてはいけない、といわれて育ったためであろうか、大人になったいまでも、はしゃいだ精神とか、でかい態度とか、大きな声がひどく苦手である。
だから新宿歌舞伎町が大嫌いだし、電車に乗るときも騒がしい車両を避けようとする傾向がある。他者への配慮を欠いた大声を聞くのが嫌だからだ。車中であたりを憚らずに「オレさあ、マジで、おまえのこと好きだよ」と携帯電話で大声をあげている男の横などにいたくないのだ。電話の向こうにいる女の子にとっての彼は「世界でいちばん素敵な男性」かもしれないが、小生には「他人の視線に鈍感な不感症男」でしかない(彼にとっての他人とは風景なのである)。
おそらく彼には、恐れたり敬ったりする具体的な対象が身近にないのであろう。人間は畏怖する存在がないと、謙虚さまでも失ってしまうようだ。
最近、若者たちが「いちばん大切なのは感性」といっているのを耳にするが、彼らのいっている感性とは、しょせんは自分中心の感性ではないのか。自分の感性には敏感であっても、他人の感性にはとことん鈍感なのだ。
マナーとは相手の気持ちを思いやる作法である。マナーを踏まえぬ、廉恥心を欠いた感性なんか、とっとと犬に喰われてしまえ。
● 聞き上手は知恵を授かる
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「佐嶋。明日からは、また鬼の平蔵とやらにもどる」
「安心をいたしました。それにいたしましても、このところのご繁多ぶりは……?」
「なに、人足寄場《にんそくよせば》の引きつぎやら何やら、いろいろと、な」
それだけではない、と佐嶋|与力《よりき》は看てとったが、長官がいい出さぬことを訊《き》き出そうとするような男ではない。
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[#地付き]「蛇《へび》の眼《め》」
良寛和尚が「口舌」に対して戒めたもの──ものいいのくどき。さしで口。おれがこうした。人の物のいいきらぬにものをいう。酒に酔いて理《ことわり》をいう。あやまちを飾る。ひきごと(引用)の多き。たやすく約束をする。推し量りのことを真事になしていう。己が氏素性の高きを人に語る。ものの講釈したがる。憎きこころをもちて人を叱る。
どれもひやりとさせられるものばかりだが、なかでも癇《かん》に障《さわ》るのは「人の物のいいきらぬにものをいう」人ではなかろうか。相手の最初の二言三言を枕≠ノして、自分の話へとつなげてしまう人がいる(おまえだよ、と自分に詰め寄りたい気分である)。
世の中には何でも急《せ》いてやらなければ気が済まぬという人がいて、のろまな人を見るとイライラがつのり、相手がしゃべり終えるのさえ待てず、話の腰を折ったり、話題を横取りしてしまったりする。
こういう人は長い目で見るとずいぶん損をしているわけだが、当人はなかなか気づかないようだ(小生も以前はこのタイプに属していた。自分が無口であることを説明するのに一時間もかけてしまうようなおしゃべり人間だったのだ。恥ずかしい。死んだら「饒舌院しゃべると止まらない居士」という戒名をくれるという友人がいたものだ。いまでも、ふと何かのはずみで、骨身にしみ込んだ饒舌癖が顔をだすことがある。要注意。これもしゃべりすぎか)。
だが、おかげさまで、世の中は捨てたものではない。ごくわずかだが、「聞き上手」なるひと握りの賢者が存在する。観察してみるとよい。彼らには他人の知識を自分の人生に活かそうとする謙虚な姿勢があるため、そのもとへは水が低きに流れるがごとく、あるいは砂鉄が磁石に吸い寄せられるように知恵や情報があつまってくる。
「聞き下手」はそうではない。おれがああしたこうした、と自分のことしか頭にないので、他人の経験や見識をみずからの知性に取り込むということがない。他者から学ぼうとする姿勢をほとんどもっていないのだ。小賢《こざか》しい口をきく「賢《けん》に走るバカ」もたいていこの部類に属している。
対策を講じておこう。まずは口をつぐみ、要所要所で話の腰をやさしく撫で、びっくり上手になる。そして、相手が興にのってきたら真剣な黙考をもって聞き耳をたてる。これを積み重ねてゆけば、少なからず「|!《ピン》」とくる情報に出会うであろう。そればかりではない。それまでの自分がいかにお節介で、でしゃばりで、詮索好きであったかもわかるだろう。酸素の無駄づかいをして申し訳なかったとさえ思うかもしれない。小人の交わりは蜜の如し。君子の交わりは水の如し。こうした戒めが身に沁みるはずだ。とくに自分より上位の者が多くあつまったざっくばらんな席では、口は小さく耳は大きくしているのがよい。こう自戒はするのだが……。
● ウマの合わない人間とつき合う法
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「高松。おぬし、やはり、御役目のことが忘れきれなかったのだなぁ……」
「いえ、そんなことは……」
「わかっている、わかっている。もう何もいうまいよ。八年前、おぬしが御役目も、御先手《おさきて》組・同心も投げ捨てて、その身ひとつで江戸を去ったとき……いや、あのときのわれらの御頭が長谷川様であったら、と……いや、愚痴《ぐち》だ、やめよう」
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[#地付き]「消《き》えた男《おとこ》」
どんな職場にもウマが合わない人間はいるものだ。で、そのウマが合わない人が自分の直属の上司であったら、それはもう毎日、針のむしろの上で柔軟体操をやらされているようなものであろう。
「声を聞いただけで脳ミソに悪寒が走る」
「目が合っただけでゴキブリを素足で踏んだ気分になる」
「顔を思い浮べただけでシュレッダーにかけたくなる」
こんな上司といったいどうやってつき合っていったらいいのだろう。
ある友人の話をしよう。
野球選手である彼は、試合で遠征に出かけることが多く、飛行機を利用することも頻繁にあった。がしかし、大《だい》の飛行機嫌いときている。
「あんな鉄の物体が空を飛ぶなんて信じられない」
これが彼の口癖であった。
離発着時のことや揺れのことを思い浮かべただけで、もう血の気が引いてボーッとなってしまう。具体的にその恐怖をイメージしようものなら、身体中にブツブツがでる始末である。
これでは大事な試合にも集中できない。どうにかならないものだろうか。
彼は飛行機に対する攻略法をあれこれと考えた。
思いついたのは逆療法である。それからというもの、飛行機に関する本を買いあつめ、機種から安全性に至るまでの知識を得て、ちょっとした航空機の専門家になったのである。そのうち、飛行機の正体≠ェわかってくると、飛行機への恐怖心が払拭《ふつしよく》できたばかりか、愛情さえわいてきたという(いまでは、「飛行機が怖い」という人をバカにしたりもしている)。
反《そ》りの合わない上司とのつき合いにもこれを応用するとよい。毛嫌いして遠ざけるのではなく、その考えるところや興味をもっているものを知るように努めるのだ。
最大の悩みは何か。
誰を怖がっており、好意を抱いている人間は誰か。
何にこだわりがあり、コンプレックスは何か……等々。
これをひと月、小まめにメモしつづけるのである。そしてその横に、心にひっかかっている自分の気持ちや感想をできるだけ冷静に書きだしてみるのだ。
じっさいやってみれば、発想の根っこがつきとめられ、行動の意味がわかり、これまでとは違った目で上司を眺められるはずである。ひょっとしたら、誤解や敵意が、理解や氷解、愛情や憐憫《れんびん》に変わるかもしれない。
とはいっても、好意をもって近づくことはない。また他人に告げ口することでもない。いままでどおりしていればいい。
● 責任回避のための会議はやるな
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「われら火付盗賊改方は、無宿無頼《むしゆくぶらい》の輩《やから》を相手に、めんどうな手つづきなしで刑事にはたらく荒々しき御役目。いわば軍政の名残りをとどめおるが特徴でござる。ゆえに、そのたてまえをもって此度《このたび》の事件《こと》も処理いたした。もしも、それがいかぬと申さるるなら……」
火付盗賊改メを廃止したらよろしい、といい張り、上司たちの圧力に|びく《ヽヽ》ともしなかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「妖盗葵小僧《ようとうあおいこぞう》」
日米の会社を比較してみると、際立った二つの相違点があることに気がつく。
ひとつには、日本の会社は「まるごと満足主義」で、社員も取引先も顧客もみんな一様に満足させようとするのに対して、アメリカの会社は「株主優先」で、投下資本の利益率を拡大し、株価を上げてとにかく株主を喜ばせようとする。優先事項の順番がひじょうに明確なのである。
いまひとつは、会社の意思や方針を決定する役員会のあり方である。
アメリカの場合は役員が少なく(大会社でも十人程度というのはザラ)、社外役員が過半数を占め、また決定すべき事柄がはっきりとしており迅速である。とうぜん議論は、単刀直入、丁々発止、侃々諤々《かんかんがくがく》となされる。
いっぽう日本の場合はというと、社長、副社長、専務、常務、本部長など、役員会に出席する人数は多く、重要な議案にはたっぷりと時間をかけるのが常である。
ゆえに、意見をだし合い、とことん、じっくり、もたもたと話し合うことは、疑いのない良心的かつ民主的な¢ヤ度である。
そこには、かつて山本七平が指摘したように、全体の雰囲気を象徴するかのような「空気」が立ちこめるのを待つといった風情が漂う。
だが、これには二つの大きな落とし穴がある。
ひとつは責任者が大勢いることで、当事者たちが責任者としての自覚をなくしてしまうということだ。
それが証拠に、二十人あつまって会議を開いても二十人ぶんの知恵がでることはない(二十人ぶんの時間は失われているわけだが)。過半数は他人まかせなのである。
もうひとつは、会議の時間が長くなればなるほど、言い訳や言い逃れがしやすくなるということだ。
悲惨ともいえる結果を招いてしまった場合は、「あれだけ時間をかけて知恵をだし合ったのだから」と互いを慰め合うことができるというわけである。
だとしたら、「良心的で民主的な」会議は、たんなる「責任回避のための場」でしかなくなる。そういう陥穽《かんせい》が日本型会議には潜んでいる。
「会議とは、ひとりでは何もできないが、おおぜい集まれば何もできないということを決定できる重要人物たちの集まり」と皮肉ったのはフレッド・アレン(アメリカのユーモリスト)だが、この言葉は日本のあちらこちらの会議にあてはまるのではないか。
はっきりいってしまえば、会議とは誰が責任を負うのかを決定する場である。このことを多くの日本人は忘れてしまっている。
いまの時代にあれば、平蔵の独断的な¥置は多くの非難を浴びるであろうが、優先順位と責任の所在を明確にしているという点において、すぐれて「英断的」であるとまずいうべきである。
● 自分の掟にしたがって、おおいに妥協せよ
[#ここから5字下げ]
「盗《つと》めの芸」
を重んじ、それがためには、おのれの欲望や快楽を二の次にして生きぬいてきた市兵衛だけに、
「わしの|まね《ヽヽ》ができる盗め人は、先ず、あるまい」
強い誇りをもっていた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「討《う》ち入《い》り市兵衛《いちべえ》」
巷間よく耳にする「人生は妥協の連続である」という言葉には、どこかしら敗北感が漂っている。
そもそも妥協≠ニいう言葉は「相手に押し切られるかたちで譲歩する」という意味合いを含むが、あらゆる妥協が好ましくないものかといえば、むろんそうではない。また、かならずしも敗北や屈伏を意味するものでもない。
平蔵の生きた時代は、捨て子や孤児が巷にあふれていた時代である。裸身で世の中へ投げ出され、己れが身を曠野《こうや》に叩きつけて生きるほかなかった人がたくさんいた。
盗賊たちの多くもそうした境遇であったのだろう。どんなに強面《こわもて》であっても、よく見るとその横顔には妥協の痕があちこちに刻まれている。
彼らの人生は、一見すると傲岸不遜にして傍若無人だ。だが、そのふてぶてしい人生は、じつは数々の妥協がつくりあげたものでもあったのかもしれない。
くそっ、なめやがって。いつかこの仕返しはしてやるからな。おぼえてやがれ。こう思って、したい放題に悪行を重ねた盗賊なら枚挙にいとまがないであろう。
がしかし、「だからといって何をやってもいいというわけではない」とみずからを戒めた盗賊たちもまたいっぽうにはいたようだ。
一、盗まれて難儀するものには、手を出さぬこと。
一、盗《つと》めするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。
自分が自分にする約束のことを「規矩《きく》」というが、真の盗賊たちはこの三ケ条を己れの規矩とした。市兵衛もその一人である。
おそらく市兵衛は、規矩と妥協についてこんなふうに思っていたにちがいない。
「人にはそれぞれ自分に課した掟、つまり規矩というものがある。それは何があっても守り抜かなくてはならない。なぜならそれを破ってしまえば、自分が自分でなくなるからだ。だが、その規矩を守りさえすれば、妥協などいくらしたってかまわない。要は、節操を曲げない柔軟さをもてということだ。肉を切らせて骨を断つ≠ニいう言葉もあるではないか。己れに課した掟さえ破らなければ、妥協することなぞ、さしたる意味もないのだ。場合によっては塵《ちり》|あくた《ヽヽヽ》も同然である。枝葉末節など、どんどん他人にくれてやれ。自分の掟にしたがって、おおいに妥協するんだ。それが腹の据え方というものだ。妥協は敗北だといって騒ぎ立て、妥協それ自体がいけないなどと言い立てる輩《やから》は、そもそも自分の掟さえもっていない甘ったれにすぎないのだ」
妥協を短い言葉で一蹴するほど思いあがってはいけない。
● おしゃれの作法
[#ここから5字下げ]
この日の長谷川平蔵は、いつもの微行巡回《びこうじゆんかい》の着ながし姿ではない。紋つきの羽織をつけ、袴《はかま》をはき、塗笠をかぶっている。忠吾は役宅を出る折に、左藤巴《ひだりふじどもえ》の長谷川家・定紋《じようもん》のついた紫色の布《ぬの》に包まれた箱のような物を持たされていた。
これは、見舞いの品であった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「白根《しらね》の万左衛門《まんざえもん》」
お世話になった人のお見舞いに出かける平蔵のいでたちである。いつもの着ながしではない。びしっとキメている。
「衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を剥いでも、現われてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、被膜でもない」と述べているのは鷲田清一だが(『モードの迷宮』中央公論社)、私なりに解釈していえば、衣服はそれを身につけている人の心を語っているのである。
相手のことを気遣って装うのが身なりの基本である。衣服は断じて自分だけのものではない。また、このことはマナー全般についてもいえることだが、マナーは本来、他人に不快感を与えないことをその要諦《ようてい》としている。
だから衣服の場合は不潔であってはならないし、商談や打ち合せを目的とする場合は着ていたものが印象に残らないのがよい(とくにサラリーマンは、仕事以外のところで目立つべきではない)。しかし、質実剛健の精神を尊ぶ人たちのあいだでは、きちんとした身なりを文弱の徒として軽蔑する風潮があり、とくに男が身なりに気を奪われるのは、男子の本懐に反すると信じている人も少なくない。また、若い人たちのあいだでは、粗雑やだらしなさを剛毅のあらわれと見なす傾向があり、それがまた流行のファッションとなっているようである。
小生にいわせれば、いずれも矮小《わいしよう》な利己主義のあらわれであり、ちょっとは他人のことを思いやったらどうだい、と小言をいいたくなる。身なりとは、相手に関心のあることを示すメッセージなのであり、その関心の強さが色気となるのである。
また、おしゃれというと、目立つことを念頭において、すぐに海外のブランド品で身を包むことを考える人がいるが、これも滑稽といわざるをえない。全体のバランスを失って一部だけが際立ってしまったり、衣服と体型が釣り合わずスーツのなかで体が泳いでしまったりしたのでは、お世辞にもおしゃれだとは言い難い。
おしゃれとマナーを融合させるのは難しいが、「優美は端正から生まれ、下品は規格がつくりだす」のが基本だと思っておけばよい。わかりにくいかな。もう少し言葉を尽くせば、身だしなみの美学は、相手に不快感を与えないことを旨とし、嫌味が漂わないように心がけ、さりげない気配りをするも統一感を損なわず、おしゃれのウンチクについてはいっさい口をださず、ひたすら無関心を装うところにある。「これみよがしのおしゃれ」を嫌うのがおしゃれの真髄なのである。
† 少年であれ、青年であれ、壮年であれ、老年であれ、男が大真面目な顔をしてドライヤーをかける図は、どうしてああもサマにならないのだろう。滑稽をとおり越して嫌悪すらおぼえる(小生は、誰にも見られないようにドライヤーをあてている)。この心理もおしゃれとおおいに関係があるような気がするのだが……。
● 塩梅を知るのが大人というものである
[#ここから5字下げ]
平蔵は苦笑と共に自宅へ入り、自分とお園との関係を久栄《ひさえ》のみに打ちあけ、
「よいか、たのんだぞ」
「はい。なれど、これより、どうなされまする?」
「あの女に打ちあけたがよいか、どうじゃ。あの女……いや、妹は、おのれの父に死別をしたとおもっている。ま、おれの父上とも死別は死別だが……」
「はあ……」
「あれで父上も、隅におけぬお方であったな。うふ、ふふ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「隠《かく》し子《ご》」
平蔵の亡き父に、隠し子がいることが発覚した。
平蔵に腹ちがいの妹がいるのだと。
寝耳に水とは、まさにこのことであった。
まさか謹直なあの父が隠し子をつくっていようとは……。
さて、どうしたものか。
けっきょく平蔵はこのことを妻の久栄には伝えはしたが、同心をはじめとする周囲の者にはいっさい洩らさなかった。妹本人にさえも。つまり、妻以外の人間にはすべて秘密にしてしまったというわけだ。
池波正太郎はのちにあるインタビューでこの一件に触れ、次のように語っている。
「こわいのは、言ったことによって、その腹ちがいの妹のお園の人柄が変るかもしれないってことなんだよ。すべてそうよ、物ごとはね。秘密を言ったがために、その言った相手が変ることが、いいことか悪いことかということだよ。そのことを考えなきゃいけないんだよ」(『新 私の歳月』講談社文庫)
たとえ真実であっても、秘密をいったがために関係がぎくしゃくしてしまうことがある。そんなふうになったら元も子もないではないか。秘密を洩らす人間は、すべからくこのことを考慮に入れなくてはならない。これが池波正太郎の考えだ。
また、こうも述べている。
「人間とか人生の味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに」(『男の作法』新潮文庫)
含蓄深甚。
それまで平蔵とお園は他人どうし≠ナあった。その二人がある日をさかいに身内になればどうなるか。とうぜん必要以上に気を遣うことになる。双方が互いの背負っている人生など忘れて、それこそ一途《いちず》になって兄と妹の関係をつくろうとしたらどうであろう。これではかえって関係をぎくしゃくさせてしまうことにもなりかねない。そう考えたというのである。
塩梅という言葉をご存じか。
むかしは「えんばい」といっていたが、いまでは「あんばい」という。塩と梅酢で料理の味加減をすることから、「ものごとのほどあい」をあらわすようになった。これを人と人との関係にあてはめた場合、相手の心のありようにまで心をくばるのが塩梅となる。
秘密を打ち明けることで、互いが強い絆で結ばれようとして塩をまぶしすぎたり梅酢をかけすぎたりしては元も子もない。加減して調《ととの》えてゆくのが塩梅というものだ。平蔵はこう考えて、二人の仲を秘密にしてしまったというわけだ。
読者諸賢よ、あなたは平蔵のこの匙《さじ》加減をどう見る。
● 弱みを強く自覚せよ
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その日の夕餉《ゆうげ》に、長谷川平蔵は佐嶋忠介と小林金弥の二与力を相伴《しようばん》させた。
〈中略〉
「のう、小林。彼奴《きやつ》めは一筋縄ではゆかぬのじゃ。ただ、わしはな、彼奴めの弱味を握ってしまっていたゆえ、頭があがらなくなってしまったのであろうよ。人は、だれにも弱味がある。千軍万馬の豪傑も大嫌いな鼠一匹に顔色を変えるとか……。今日の彼奴めも|それ《ヽヽ》じゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「瓶割《かめわ》り小僧《こぞう》」
じっさいのところ、弱みをもたぬ人間がどこにいよう。
本人はそれといわず、また認めようとはしないものの、ひそかに弱みを抱えないような人は誰一人としていまい。人は皆それぞれに秘密の小箱を胸の奥に抱えているのだ。
ある者はそれが露呈することを異常なほどに恐れ、またある者はそれを他人に悟られまいとして知力の限りを尽くす。極端な言い方をすれば、人間はある意味で弱みに律せられた人生を送っているのではないか。弱点こそが人間の原点ではないか。
では、弱みはつねに人生の負の要因であるかといえば、かならずしもそうではない。なぜなら弱みは、他人の痛みに共感できる能力と強く結びついているからだ。
人は自分の弱みを自覚することで、生きることの畏怖を感じる。自分がちっぽけなとるにたらない存在として感じられ、自分ひとりでは生きていけないことを自覚するのだ。「弱みをもつ自分」を意識することは、「弱みをもつ他人」を認めることでもある。つまり、弱みとは他者の痛みに共感できる因子であり、人情の機微につうじる水脈なのだ。
逆をいえば、他人の弱みを追いかけ、拡大鏡をあてるようにしてその弱みを人前であげつらうことのできる人間は、自分に弱みがあることを認めることのできない弱い人間であり、人間らしさを失った驕慢《きようまん》な存在といってよい。
また、そうした自分の弱みを認めない人間は、弱さを糊塗《こと》しようとして、つねに虚勢を張っているため、心が休まるということがない。彼らは、四六時中「これさえ手に入れば」という目つきで獲物を狙っている。これが足りない、あれも足りない……これさえ手に入れば大丈夫なのに、これさえあれば安泰なのに……。「足るを知る」ということを知らないのだ。気に喰わないね、こういう欲深な人間は。
「これさえあれば」という心性はまた、「これさえなければ」という心性と強く結びつく。この二つの心性は見事にコインの表裏なのだ。物欲しげな卑しさの裏には、無慈悲で独善的な顔がある。こういう人はつねに力みかえっているから、ひどく余裕の感じられない、抜き差しならない状況に自分を追い込んでしまっている。
そのとき人はどうなるか。無慈悲な、共感能力に欠けた、非人間的な行動をとるようになる。場合によっては、他人のものを手に入れるために、他人という存在すら排除しようとする。そんな人品骨柄が、目指す強者としての人望を得られるであろうか。いわずもがなである。それどころか、もっとも遠ざけておきたい人間の典型となるであろう。自信をもつことも大切だが、弱みに律せられた人生もまた、その人の持ち味となり、大きな魅力にもなりうるのだという認識が必要である。小生の見るに、誠実といわれる人は「弱さを強く自覚した勁《つよ》さ」をもっている。
弱みとは、料理でいえば調味料のようなもので、適度であれば全体を引き立てる絶妙のスパイスになるが、強すぎると劣等感ばかりが目立つ「弱音ばかりを吐く人間」になってしまう。これもまたうっとうしい。
● 書を読んで町へ出よう
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「おまさが見えたと……よし、ここへ通せ」
長谷川平蔵は、居間で読書をしていたところであったが、すぐに酒の用意をさせ、おまさを迎えた。
「ずいぶんと陽に灼《や》けたものだな」
「もう、女ではございませんよ」
「いや、苦労をかけている」
「とんでもない……」
「ま、のめ」
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[#地付き]「女賊《おんなぞく》」
大学生数人とのんびり話す機会があった。雑談をしていて驚いたのは、彼らがクルマのことにひじょうに詳しいということと、みんな自動車免許をもっているということであった。そういえば、大学生が自動車免許をもっている時代なんだね。
「ところで、免許をとるのにいくらぐらいかかったの?」
「三十万円くらい。もっとかなあ」
さらに私を驚かせたのは、路上にでるために三十万円ものお金をかけるのに、社会にでるための本代は年間三千円にも満たないという事実であった。これでは内容貧困症を患い、社会の迷路にすぐさま入り込み、路頭に迷うのも当然である。
そこで小生、オジサンぶって、もうちょっと本を読まなくてはいけないよと助言してやると、うちのひとりが「書を捨て町へ出よう、っていうじゃないですか」とまぜかえしてきた。そういえば、ひと昔まえにも「書を捨てよ、町へ出よう」(※[#○にc、unicode24d2]寺山修司)という文言が流行ったが、大学生がそんな俗言を口にして威張っているようでは、私はバカです、といってるようなものではないか。本から得られる教養を丸腰でバカにするのは、ほんとうのバカがやるものである。そこで大学生たちに冗談口で、「では問題です。関ヶ原の戦い≠ナ戦ったのは誰と誰」って訊《き》いたら……聞いて驚け、うちのひとりが「それはですね、徳川家康とですね、福沢諭吉っ……」と、のたもうたのである。きみはほんとに大学生か。びっくりするようなことをいうなよ。激しい優越感に襲われてしまったではないか(正解は徳川家康と石田三成です)。人は、大学へ行ったからといって教養が身につくとか、年|長《た》けるにつれて賢くなるということはないようである。
ゆえに、「書を捨て町へ出よう」は正しくない。「書を読んで町へ出よう」が正しい。書は読んでから捨てるべきなのであって、大学生が本も読まずに町へ出るなど、自分はバカですと宣伝して歩いているようなものである。大学を卒業するまでに三十万円ほどのお金を本につぎ込めとはいわないが、せめて年間五万円ぐらいのお金は本に費やしていただきたい。読書をすすめる理由は、自分自身と他人がよくわかるというだけではない。社会における安全運転のしかたがわかるし、世の中のルールやマナーのことだって知ることができる。エンジンを取り替えたような爽快感に浸ることもできるし、社交上の巧みなギアチェンジも習得できる。
もちろん人生というもの、本以外のものからさまざまな知識や知恵を学ぶこともできようが、本がいちばんてっとりばやく、また安価ではなかろうか(もの書きはけっこう正直な人が多く、本のなかで自分の手の内を見せていることが多い)。周囲を見渡してみると、本好きな人には趣味人が多いが、言い換えれば、本を読まない人は世の中の数ある楽しみを、無知(無能ではない)であることによって知らないのではないか。だとしたら、ちょっと不幸だ。
● 恋に勝利する方法
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「わしが生甲斐《いきがい》は、女だけじゃ」
と、みずからいうだけあって、行く先々に妾を囲っている。自分の物になった盗んだ金を瀬兵衛はほとんど女につかい果してしまうらしい。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「浅草《あさくさ》・鳥越橋《とりごえばし》」
中年男ばかり四人で、女の話をした。うちのひとりが、男から見た女は二種類にしか分けられないとおごそかに断言した。いわく、「食指のうごく女」と「食指のうごかぬ女」であると。一同、おごそかに沈黙し、一拍《いつぱく》おいて、大きく頷いた。
男はおおかた、そんなふうに女を見ているのである。女たちよ、「ぼくには、いわゆるアリエール・パンセ(フランス語で下心をこういう)はないから」などといわれても信用してはいけない。男というのはどんなに紳士を装っても、好みの女性を前にしたら、真心の下位にある下心のカタマリだと思っておいたほうがいい。だから、ふつうでは考えられないようなことを平気でやってしまう。
バタイユという思想家によれば、男のエロティシズムは、いわば禁止されたものとしての美(=女性)を侵犯してわがものにするということにあるのだそうだ。また、プラトンの『パイドロス』を読めば、恋愛における欲望にはかならず狂気じみたものが漂っていることがわかる。さらに、不肖小生によれば、恋愛とは非会計学的なエゴイスティックな行為、ということになる。以上を総合すると、こと恋愛に関するかぎり、男はとにかく「狂う」ようである。時間と金銭の感覚をみずからの手で麻痺させ、あげく好かれたいと思うあまり、美しい心で醜いことをしてしまう。で、狂ったあげく、おおかたは失敗する。
が、「女たらし」の異名をとる男たちはちがう。彼らはあくまで冷静なのだ。
小生の見るところ、女たらしはおしなべて淋しがり屋であり、女の話をよく聞く男である。きみがいないと淋しくて生きていけないという素振りを見せ、くだらない話でも熱心に耳を傾ける。そして、褒めることを忘れない。嫌味や皮肉の言葉は忘れても思いやりは忘れない。難癖をつけることは忘れても海容は忘れない。年齢《とし》は忘れても誕生日は忘れない……。彼らはこうしたことを「食指のうごいた女」であれば、どの女に対してもやってのけるのだ。これを冷静といわずに何といおう。
ある女たらしに「女を誘惑するもっとも有効な手立ては何でしょう?」と問うたところ、「そりゃあ、カネだよ」と言下にいったものだ。「カネのないやつは、そうだなあ、女に惚れないことかな。とにかくさ、こちらから好きだといわないことだよ」
名うての女たらしは、きれいな声でこう言い放ったのである(女たらしはまた美声である。顔の造作は悪いのはいても、どういうわけか、どの男も美しい声の持ち主なのだ)。
恋愛は惚れたほうが負け。岡惚れしたらおしまい。惚れたが最後、あとは無明長夜《むみようちようや》の悶々たる日々が待っているのだという。恋愛は戦い、女は戦利品だと。女たらしは、自分に好意を寄せてくれる相手には半ば気のない素振りを見せてちょっぴり残酷に対応することで、すべての恋をぎりぎり持続させている。
恋に勝利する秘法は、惚れないことと見つけたり。求めるな、さらば与えられん。でも小生は、彼らがうらやましくない。
● 人は有能であっても全能ではない
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「佐嶋。その井筒屋へ、だれか一人、泊り込ませたらよいとおもうがどうじゃ?」
「はい。結構に存じまする」
「だれがよい?」
「さて……」
「忠吾《うさぎ》はどうじゃ?」
「あ……打ってつけでございますな」
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[#地付き]「影法師《かげぼうし》」
平蔵が、与力の佐嶋忠介に相談をもちかけているという、何の変哲《へんてつ》もない場面である。が、浅く読んではいけない。
平蔵はすでにもう人事を決めているにもかかわらず、筆頭与力の佐嶋に相談≠もちかけているのだ。そして、老巧・佐嶋もそれがわかっているから、「打ってつけでございますな」というドンピシャリな相づちをうっている。
平蔵の補佐役・佐嶋忠介は、平蔵よりも年長の硬骨漢である。つまり佐嶋は年下の上司についたわけであるが、二人が生きた時代は身分がすべてであり、年齢や能力の違いなど、身分のまえにあっては何の意味もなかった。
したがって、上に立つ者は、気遣いに何の工夫をせずとも、部下を服従させることができたのである。
ところが平蔵は人間の機微につうじていたので、年長の部下を粗末に遇することをしなかったし、それをよく知る佐嶋も年少の上司を蔭で小馬鹿にするようなことはいっさい口にしなかった。というより、互いが互いに尊敬の念を抱いていた。
平蔵は佐嶋のことを、
「おれの呼吸をのみこんでくれているものは、ほかにおらぬ」
と思い、佐嶋は佐嶋で、平蔵の魅力を、
「いやもう、今晩一晩かかっても、語りきれぬわ」
と洩《も》らしている。
どうして平蔵と佐嶋はこのような信頼関係を築くことができたのか。
大げさに聞こえるかもしれないが、それは平蔵も佐嶋も、互いが有能であるのを認めつつも、全能ではないということを知っていたからである。
いうまでもないことだが、どんなに知識がある人間でも、すべてのことに精通しているわけではない。よくわからない分野や不明な領域がかならずある。
が、ともすると大きな権力をもつ人間は、自分が全能であるかのように思い込みたがり、その肥大化したイメージに心地よくつつまれたいと願うものだ。
しかし、有能なる人物は、ひとりの人間の能力には限界があり、ましてや自分が全能であるとも思っていないから、周囲の者たちの知恵ある言葉や価値ある情報に耳を傾けようとする。つまり、他人の頭脳を自分のものとして活用しようとするのだ。
そのときに芽生えるのが、人間の、人間に対する謙虚な気持ちである。
尋ねられたら、謙虚な気持ちで(場合によっては恥じらいをもって)教えてあげる。
尋ねたら、感謝の気持ちをもって(場合によっては批評精神をもって)耳を傾ける。
交友の愉悦は知恵のひらめきを互いに感得するところに浮きあがる。そうしたことの積み重ねがやがて信頼関係となって実を結んでいくのだ。
● 白い割烹着と和服の復活を
[#ここから5字下げ]
小紋染《こもんぞめ》、定紋付《じようもんつき》の衣服に黒の帯をしめた久栄が豊満な躰《からだ》を反《そ》り気味《ぎみ》にして、
「こなたに、近藤さまと申さるるお人が見えておられましょうか」
ものしずかに、茶店に入って問うや、
「はい、はい」
あらわれた茶店の老爺《ろうや》が、久栄を|ひと目《ヽヽヽ》見て、
「こちらでござります」
腰かけがならぶ土間の奥から、裏手の田圃《たんぼ》と木立に面した|離れ《ヽヽ》のようなところへ案内をした。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「むかしの男《おとこ》」
衣服に関していうと、いまの日本の女性たちが愚かだなあと思うことが二つある。
ひとつは、母なるものの象徴というべき白い割烹着を消滅させつつあるということだ。
割烹着はとにかく実《じつ》にかなっている。魚をさばこうが天麩羅を揚げようが、上半身をすっぽり包み隠しているから衣服が汚れることはない。袖なしエプロンのように可愛さだけが売り物の新参者とはわけがちがうのだ。袖なしエプロンは、主婦にはなりたくないが、妻としては、あるいは大人の女としては認めてほしい、という厚かましい試みに失敗している典型的な例であろう。含羞《がんしゆう》だってある。女なるものが不可避的に発散しているエロスを、あの白い割烹着はつつましやかに隠している。照れが男の上質な色気であるように、含羞は女のたおやかなる色気である。
いまひとつは、老いも若きも和服を身につけたがらないということだ。袷《あわせ》、ひとえ、うすもの(絽《ろ》・紗《しや》・麻)、どれもてくてくと絶滅への道を歩んでいる。
土着的なもの、古めかしいものに目をつけて、それに新解釈を与えて遊ぶのはわが国の知識人の十八番《おはこ》だが、小生はそんな「珍しさを求めて異説を好む」知的遊戯はやらない。旧解釈が正しいと思うから、旧解釈を踏襲する。
おしゃれな人というのは、自分に似合うもの、似合わないものがきちんと見分けられる人のことをいうのだが、日本の女性がおしゃれに着飾ろうとしたら、小生、それは和服にとどめをさすと信じて疑わない。なぜというに、躰の薄い、胴長、短足の女性は和服がよく似合うからだ。和服こそ、日本人のコンプレックスをすべて隠してくれる「魔法の衣《ころも》」ではなかろうか。
欧米の女性たちが集《つど》うパーティーで日本人女性がドレスで勝負にでる例がままあるが、ドレスを身にまとったところで勝ち目はない。ドレスは上半身に厚みがないと貧弱になってしまうからだ。逆をいえば、背中に肉がついている女性に着物は似合わない(これ、卓見だと思うのですが)。欧米の女性にありがちな、いかつい肩、もりあがった背中は和服向きではない。着物はそもそも躰の大きなネコ背の人にはそぐわないのだ。さらに和装は、日本の女性の、女っぷりをあげてくれる。男の和装は、恰幅がよく腹がでているほどサマになるという難点≠ェあり、また年齢、容姿、髪型とも大いに関係してしまうため、男っぷりがあがるとはかならずしも言い切れないが、女性の場合は、年齢容姿を問わず、おおかたの女が品よく映る。
願わくば、初夏、日傘をさし絽を召した内股の女性と日に二回はすれちがってみたい。夕暮れどきは、涼しげな藍のゆかたを着た、くすくす笑いの似合う女性を眺めたい。ちょっと着くずれしているところがあればなおいい。涼しい眼尻《まなじり》を細めた乙女が「ごきげんよう」とかいってくれたらもっといい。
和服を着た女性は、日本をより好きにさせてくれる「風景の華」である。
● もっと感謝を
[#ここから5字下げ]
「長谷川さま。御役宅から沢田さまとおっしゃる方が、お見えになりましてございます」
「おお、来たか。連れの老爺《としより》がいたであろう。共にこれへ通せ」
「あの……」
と、女中が、
「沢田さま、おひとりでございますけれど……」
「何?」
平蔵は不審におもった。
嫌な予感がした。
「あの、お通しして、よろしゅうございましょうか?」
「む……かまわぬ、通せ」
渡り廊下へ去る女中を見送った長谷川平蔵が、傍《そば》にいるお妙へ、
「よし。ありがとうよ」
と、いった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「雲竜剣《うんりゆうけん》」
お妙は料理茶屋の、気だても容色もいい座敷女中で、平蔵の贔屓《ひいき》であった。引用は、そのお妙がこまごまと世話を焼いてくれたことに対して、平蔵が感謝の言葉を投げかけた場面である。「嫌な予感」がしても、感謝の言葉をかけることを忘れない平蔵は、やはり立派といわねばならない。
世界にはおびただしい数の言語があるが、どの言語においても、もっとも美しい言葉は「ありがとう」という感謝の言葉であろう。
忙しい現代人は、ともすると「ありがとう」の言葉を忘れがちである。なかには、だし惜しみをしているんじゃないかと思えるほどに「ありがとう」の五文字を発せられない人を見かける。「えっ」と、自動販売機のお釣りがでてこないときのような理不尽さを感じることさえある。
とりわけ、そこそこ出世して小さな権力を手に入れた人間はまわりがチヤホヤしてくれるので、まるで一人で大きくなったような顔つきになると同時に感謝の言葉も忘れていくようである。男盛りは自惚《うぬぼ》れ盛りでもある。
「そういわれれば、おれ、最近、人に頭さげてねえな」
いつぞや、アルマーニの背広についた目に見えぬゴミを丁寧に吹き飛ばしながら、こうのたもうた男がいた。男は、誇り高き貴顕の血筋ではない。中古車販売会社の若社長だ。「ボロは着てても心は錦」と歌ったのは水前寺清子だが、この男は「アルマーニは着ていても心はボロ雑巾」である。
だがいっぽう、功成り名を遂げたあとでも感謝の言葉を投げかけることを忘れない人格者もいる。頭をさげる回数が多いというだけではない。そうした人に限って、相手が誰であっても分け隔てなく、またパブロフの犬のヨダレよりもはやく「ありがとう」の言葉を笑顔を添えて投げかけるのだ。
さて、あなただったら、どちらの人間のそばにいたいと思うか。
問うまでもあるまい。
競争社会に身をおく現代人は、ともすると積極性や能動性ばかりに価値をおき、受け身になってものごとを受容するという情緒をないがしろにしがちである。しかしながら、考えてみれば、生命も境遇も友人もすべて授かったものである。自分で生みだしたものなどではけっしてない。
受け身になることを知らぬ人間は、感謝することの意味と大切さを知らぬまま、あくせく働いて不満なだけだろう。
「鬼」といわれて周囲から恐れられた平蔵であったが、部下であれ、密偵であれ、料理茶屋の座敷女中であれ、犬であれ、感謝の言葉をだし惜しみすることはなかった。
引用した「よし。ありがとうよ」という言葉の背後には、「いつなんどきといえども、感謝の気持ちを忘れなければ、大事のときでも大過なし」との教えがある。
● 叱られ上手は叱り上手になる
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「いつまでも、子供では困るぞ。早う一人前《ひとりまえ》の男になれ」
奥庭にも、草《くさ》雲雀《ひばり》が鳴いていた。
さびしげに愛らしく、透《す》き通るような、その鳴き声を耳にしながら、細川峯太郎は、まだ両手をついたままだ。
得体の知れぬ寂寥感《せきりようかん》が、細川の胸の底から、|ひたひた《ヽヽヽヽ》とわきあがってきて、われ知らず泪がこぼれ落ちた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「草《くさ》雲雀《ひばり》」
「人は叱られながら育つものである」などというが、頭ではわかっても、いざ叱られてみると、なかなか素直な気持ちになれないのではないか(小生のささやかな経験と観察によれば、目や口と比べると、耳がいちばん素直じゃない)。
叱られ上手になるか、叱られ下手になるかは、人生の大きな分かれ目である。
じっさい同僚のまえで上司に怒鳴りつけられたというだけで気を病み、それを恨みにもって職を辞し、流浪の民となっていく一群の人たちがいる。いっぽう、未熟なうちは叱られることはあたりまえだと考え、叱られたことをプラスのバネにして、より積極果敢に仕事に取り組んでいく人たちがいる。断言するが、前者はぜったいにリーダーにはなれないし、後者はリーダーとして成功する可能性が高い。
人は口でいうほど、自分の欠点や短所を意識していないものだ。がしかし、叱られ叱られしているうちに、否応なしに自分の欠点や短所に気づかされていく。そしてそれが成長に欠かせぬ糧《かて》となり、また梃子《てこ》となる。
もう十年も前のことになるが、ある友人がこんな話をしてくれた。
「どうして叱られるってことをそんなに嫌がるのか俺にはわからんね。頼みもしないのに、まわりが俺の教育をやってくれるのだからむしろ有り難いと思わなくちゃ。叱られ上手は、人生で得をしているよ、いやホント。そのうえに給料までくれるんだから」
書くと何ともいやらしい感じが漂うが、やはりクレバーな考え方といわなくてはならない。ところが拙者《やつがれ》、そのとき彼に「おまえは利口だね。資本主義社会にぴったりの人間だよ」とおちょくったとか(本人に記憶はない)。人間のデキに雲泥の差がある。
彼はいま、ある会社の副社長になりおおせているのだが、いまも部下に対しては「チンケな自惚れをもつな。叱られ上手になれ」と、自身の処世訓をつねづね訓示しているようである。先日、そんな彼の部下たちと食事をする機会があった。いやあ、驚いた。彼らもまた叱られることを愉しんでいるようで、叱責をうけたことを慈愛を込めてしゃべるのである。
「本心からそう思っているの?」と私。
「はい」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「皆さん、優等生だね。人間、なかなかそうはなれないよ。競争社会にはうってつけの人たちだなあ」
またいってしまった……。
叱られ上手の人は叱り上手になり、叱られ上手の人間を育てることにも長《た》けているようである。若い読者よ、神聖不可侵の自分をつくって、叱られることを忌避してはいけない。叱られようとする勇気をもつことも大切だ。明窓浄机より自戒をこめて。
● 決断はあわてずに急げ
[#ここから5字下げ]
背後から、突風のように肉薄《にくはく》して来る殺気を感じた。
平蔵は振り向かず、まっすぐに駈けた。ここで振り向いたなら、かならず斬られる。振り向くという一瞬の動作をしたために敵につけこまれるのだ。
駈けながら、提灯《ちようちん》を捨てて大刀をぬきはらうや、
「む!!」
身を沈めざま、背後に迫る敵を、平蔵がなぎはらった。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「暗剣白梅香《あんけんはくばいこう》」
ぞくぞくとする場面である。瞬間、平蔵の頭の中には「振り向いたときの映像」と「まっすぐに駈けたときの映像」が浮かんだのであろう。それにしても直観的かつ具体的な決断力を見せている。
とっさのときに必要なのは全体への瞬間的解釈とそれへの対応、つまり瞬発力である。
ところが、この瞬発力を備えている人間にはめったにお目にかかれない。それどころか、のっぴきならぬ自己が露見してうろたえてしまう人が多いようだ。おそらくこうした人は日々、決断を回避してばかりいるのであろう。だから、いざというときに頭と身体がいうことをきいてくれない。
決断というと、多くの人はそれが正しいか否かで頭を悩ませてしまう。できるだけ情報をあつめ、時間をかけて正しい決断をしようとするのだ。だがこのとき、大事なことを忘れてしまっている。それは決断の速さだ(外国の要人たちから「日本人は判断能力にすぐれているが、決断するのがめっぽう遅い」と揶揄《やゆ》されていることを思いだしてほしい)。
そもそも決断は、速いからこそ決断なのだ。遅い決断は決断とはいえず、たとえばそれが集団の意思決定であった場合、待つ者を息苦しくさせるどころか、多くの人のやる気を殺《そ》いでしまうという大きなハンディさえ背負いこむことになる。
さらにいえば、決断の対象となるものは、そもそもどちらを選ぼうが「どちらも正しい」のである。この段階で正解などないのだ。重要なのは、決断したものを正解にするように努力することなのである。つまり、「どちらも正しい」からこそ、速い決断を要求されているのだ。極論をいってしまえば、大切なのは「適切な判断」ではなく、「迅速な決断」なのである。
だがじっさいのところ、「忙しい」のを理由に、なかなか意思決定をしない人がいる。彼らの口癖は「忙しくてそこまで手がまわらなかった」である。そもそも「決断が遅いから忙しい」ということにまったく気づいていないのではないか。
なかでも最悪なのは、問題を大量に抱え込んで、しかもいつまでも決断しない人間だ。こういう人は何でもかんでも独占したがる欲張りな人間に多く、期待したところで裏切られることのほうが多いであろう。
そうした人間にならないためには、「決断をした回数が自分自身をつくりあげる」との自覚をもち、「決断は結果ではなく、過渡期にすぎない」と悠然と構えることだ。
一、あわてずに急ぐ。
二、未来の映像を頭の中に描いてみる。
三、自分の強みを考慮に入れる。
四、優先順位をつける。
以上が、決断をする際の、平蔵の心がけである。
● 失敗は成功に欠かせぬ条件
[#ここから5字下げ]
「おれの仕様《しよう》がいかぬとあれば、どうなとしたらよい。お上が、おれのすることを失敗と断じて腹を切れというなら、いつでも切ろう。世の中の仕組みが、おれに荒っぽい仕業《しわざ》をさせぬようになれば、いつでも引き下ろう。だが、いまのところ、一の悪のために十の善がほろびることは見のがせぬ。むかしのおれがことをいいたてるというのか……あは、はは……ばかも休み休みいえ。悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「蛇《へび》の眼《め》」
鬼の平蔵の、真情あふるる独白である。
失敗や挫折で落ち込んでいる読者諸氏よ、傷つくことばかり上手になってはいけない。
鬼平の生き方を見習って、
「失敗を知らぬものが、成功などできようものか」
とつぶやいてみてはどうか。
「ドジをふんでおかないと、いつかはボロがでるものだ」
と叫んでもよいであろう。
「人生の無病息災なんて、どれほどの価値があるというのだ」
こう解してもよい。
一般には、何ごとにせよ、失敗しないほうがよいとされる。が、つねに勝ってばかりの人は同じ戦法を用いる癖がつくうえに、自惚れの心が生じるから、いずれは乾坤一擲《けんこんいつてき》の一六《いちろく》勝負にでたところをガツンとやられ、決定的な敗北を喫することになる。
つまり人間は、それがどんな人間であっても、けっきょくは失敗をするものなのだ。
ところが、その失敗を失敗にとどまらせない知恵者がいる。
彼らは失敗から多くのことを学び、失敗を決定的な敗北に至らしめないのだ。
それどころか、致命的ではない程度の失敗を重ねることで、自戒と慎重を手に入れ、敗者にしかわからない成功の方程式を獲得するのである。
いや、あるいは次のような考え方をしているのかもしれない──そもそも失敗というものは、そこでやめてしまうから失敗≠ノなるのであって、成功するまでやめなければ、それは失敗とはならず、たんなる成功への一過程でしかなくなる。
幼い頃、「失敗は成功のもと」という俗言をよく耳にした。
長じては、ウィリアム・サローヤン(作家・アメリカ)の「有能な人間は、失敗から学ぶから有能なのである。成功から学ぶものなど、たかだか知れている」という箴言《しんげん》にほほうと感心した。
トマス・カーライル(思想家・イギリス)の「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」という警句を知ったのも同じ頃ではなかったか。
そしていまは引用部を「失敗を知らぬものが、成功などできようものか」と読みかえて、両方のこめかみあたりに貼っている。
『鬼平犯科帳』をはじめて読んだとき、とくに印象深かった文句は、ここに引いた「悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」であった。ここには、放蕩無頼の泥沼から這いあがり、生きることに果敢に立ち向かった長谷川平蔵という男の、独立自尊の気魄《きはく》が立ちのぼっている。鬼の平蔵の、屈指の名文句である。
[#改ページ]
あ と が き
『鬼平犯科帳』はカヌーに乗って川下りをするようになめらかに読めてしまう。心地よい文体に誘われて、短時間のうちに読了してしまえるのだ。
だが、このことは、軽い読み物であるということや、読者におもねる文体であることを意味しない。
あとから、ひやり、とさせられるのだ。痛撃をうけることもある。じっさい私は、机の角で足の小指をうったときのような一撃を幾度となく味わっている。
安っぽい正義感や独り善がりの思い上がりを叙したのではこうはいかない。そんなものは読んだそばからすぐさま忘れてしまうものだ。
そう考えると、『鬼平犯科帳』が小気味よくも、いきとどいた心くばりのある小説だということにいまさらながら驚く。本書で、いくぶんたりともそのあたりの魅力を感じていただけたのなら、これにまさる喜びはない。
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前著『鬼平犯科帳の真髄』(文春文庫)は、私に二つの満足感をもたらしてくれた。
ひとつは、それなりの仕事をすれば認めてもらえるのだという実感をもてたということ。
二つ目は、多くの未知なる人たちと出会えたことだ。読者はもちろんのこと、出版関係の人たちにも数多く出会うことができた。
そのうちのひとりが、「日刊ゲンダイ」の社会情報部長・関根一郎氏である。氏は、小生の所見にいくばくかの脚光を浴びせてやろうとの配慮で、一年にも及ぶ連載を企画してくださった。
そして、この一年にわたる連載を一冊の書物にすべく労をとってくださったのが文藝春秋の福田華さんと庄野音比古さんである。お三人の御骨折には感謝の言葉もない。
それから池波正太郎先生。先生は、書物によって迂愚《うぐ》な小生の蒙《もう》を啓《ひら》いてくださった。今回また『鬼平犯科帳』の全作品を通読したのだが、多大なる感興をもって読了したことをここに告白しておきたい。
最後になったが、池波豊子さんにもお礼をいわなくてはならない。原文の引用を快諾していただいたばかりか、お宅にお邪魔してお話しする機会までも与えてくださった。
みなさんのお蔭で本書ができました。ありがとうございました。
[#地付き]里中哲彦
初 出 「日刊ゲンダイ」(二〇〇二年十月十八日〜二〇〇三年十二月二十六日)
底 本 文春文庫 平成十六年七月十日刊