ひぐらしのなく頃に外伝 猫殺し編
竜騎士07
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時として――
「好奇心」はその者の身を滅ぼす
勇敢な人間が必ずしも英雄になるとは限らない
雛見沢で起こった事件に関わった人々もまた――例外ではない
九つの命を持つ猫≠ナあっても
その「好奇心」が元で命を落とす
たったひとつしか命を持たない―ヒト―であればなおさら……
それでも貴方は好奇心を抑えきれず
この本を開くのですか……?
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ひぐらしのなく頃に外伝 猫殺し編
前編
我が部の恐《おそ》ろしいところを挙げろと言われたら枚挙《まいきょ》に|暇《いとま》がない。
負けたらとんでもない罰《ばつ》ゲームを食らうことになることももちろん恐ろしい。だが、本当の意味で一番恐ろしいのは、競う種目が何でもアリなところではないだろうか。
例えば、野球部やサッカー部。彼らが自分たちの部名の種目で戦うのは当然で、それ以外の種目で戦うことはあり得ない。だからこそ、ある一種目のみを練習すればいい。
だが、我が部は何で戦うか種目がまったく想像できない。
優劣《ゆうれつ》さえつけば、およそ地上に存在する|全《すべ》てのものが戦いになり得る。だから、何かひとつに特化することなど何の意味もないのだ。何しろ、自分の得意な種目で戦わせてもらえる保証などないのだから。
明日、何の種目で戦うかもわからない。にもかかわらず、我が部のメンバーは巧《たく》みにそれを戦い抜いていく。それも狡猾に、華麗に!
なぜ我が部はオールマイティに強いのか。……それはつまり、この世に存在する全ての競技には、たったひとつ共通することがあるからだ。つまりそれは、…相手を読むこと! 戦いの流れや勝機《しょうき》、相手の機微《きび》を読むことに長《た》けているからだ!
「……その意味で言えば、これほど我が部に似合うゲームもないもんだよな…。」
「おじさんはノーチェンジでいいわ。…くっくっく!」
魅音《み おん》が5枚の手札を扇《おうぎ》のようにしながら優雅《ゆうが 》に扇《あお》ぐ。どうやら最初の5枚でいきなり強力な役《やく》が出来たってことらしい…!
「ノ、ノーチェンジとは余裕《よ ゆう》でございますわね…! ということは、5枚で成立する強い役ということでございますわね!?」
「えっと…、5枚ないと成立しない役って、……えっと? えっと?」
「ストレートにフラッシュ、フルハウス。…ストレートフラッシュにロイヤルとファイブカードも5枚成立する役だな。」
「……みー。ということはどれもとても強い役なのです。」
「くっくっく…! さぁねぇ。どうだろうねぇ! 何しろポーカーってゲームは、ブラフってヤツがあるからねぇ。おじさんの手札が、実はブタ(役なし)の可能性もあるよぅ?」
…そうなんだよ。そこがポーカーの怖《こわ》いところなんだよ…!
ポーカーというゲームは、手札を一度だけ交換《こうかん》し、役を作ってその優劣で勝負を決めるゲームではある。…だが、そこにコインを賭《か》けるというゲーム性が加味された時、このたった5枚のカード遊びは高度な知的ゲームに昇華《しょうか》されるのだ…!!
「……魅《み》ぃはたまに、役もないのに強がることがありますです。」
「だ、だよね…。ものすごい強い手札のフリをして、レナたちを降ろさせる作戦かもしれないね…。」
「くっくっく…そう思うんなら勝負してみたらいいんじゃなぁい? おじさんはもちろん限度まで賭けるよ、|MAX《マックス》の10枚賭ける!」
「…わ、私の役も決して劣《おと》っているとは思いませんけど…、これほど強気な魅音さんと大勝負をして絶対に勝てる自信があるほどの役ではありませんのよね…。」
沙都子《さとこ》は自分の手札と、魅音が自信タップリに賭けた10枚積み上げられたコインを見比べる…。
ポーカーに2番はない。勝負したら一番強い役の人が全てを総取りだ。だから、微妙《びみょう》な役が出来ている時ほど、慎重《しんちょう》な判断が求められる…!
「どうするかなぁ…。………やはり、慎重に降りるか…? 魅音の手がハッタリかどうかを確かめるために10枚のコインを賭けるリスクは計り知れないぜ…。」
それでなくても、俺《おれ》の残りのコインは少ない。10枚のコインは、今の俺の全財産の半分以上にもなる。……つまり、俺の破産、ゲームオーバーはすぐそこまで迫《せま》ってきているというわけだ。
「くっくっく! 賢明《けんめい》な判断だねぇ! 何しろ、降りておけば損害は場代《ば だい》コイン1枚だけで済むからねぇ。」
「その1枚も、4人から巻き上げればコイン4枚の戦果ですものね…。私と魅音さんの枚数差は一気に5枚もついてしまうということですわ…!」
「…ボクは魅ぃが怖いので勝負なんかしないのですよ☆ コイン1枚で降りてしまうのです。」
「くそ…。梨花《りか》ちゃんは何気にツインを蓄《たくわ》えてるからな…。魅音の強気をコイン1枚で回避《かいひ 》できるなら安い出費ってわけか…。だが……、負け込《こ》んでいる俺にはその1枚すらも重い…!!」
「圭一《けいいち》くんはちょっと大勝負をし過ぎたからだと思うな…。もう少し慎重な方がいいと思うかな、…かな。」
「でもなレナ! このデカイ負けを取り返すにはどこかでひとつ大勝負に勝たなきゃならねぇんだ! 俺の見たとこ、今回の魅音は強気が過ぎる! 本当にデカイ役が出来てたら、もっと慎重に賭けてくると思うんだ。それこそ、騙《だま》し騙し釣竿《つりざお》を引く釣り人みたいな感じでな!!」
「くっくっくっく! そこまで言うなら圭ちゃんは降りないんだよね? 乗るね? 10枚の大勝負!!」
「……圭一はさっきもこんな感じで乗せられて、がっぽり取られてしまいましたのです。にぱ〜☆」
「圭一さんを釣るには、騙し騙し釣竿を引くより、一本釣りみたいに激しい方が向いてるみたいですわね…。私は降りさせてもらいますわ。」
「ぬおおぉ! それは沙都子、つまり、俺と魅音の勝負は魅音に軍配が上がるって言ってるわけだなぁ!? レ、レナはどうだ!? 魅音の役なんてどうせブタに決まってるよな!? だから勝負に乗れ! 魅音の10枚を賭けて俺と一騎討《いっき う 》ちしようじゃねぇか!!」
さっきまでは慎重に様子見で行こうなんて思っていたが、挑発《ちょうはつ》されているうちにだんだん、勝負した方がいい気になってきた。
勝負を降りれば失うコインは1枚で済むが、その1枚がじわじわと首を絞《し》めて来るのだ。チリも積もれば山となるの逆のパターンってわけだな。いつまでも様子を見続けていれば、俺は勝負することなく敗北が確定するだろう。
魅音は、降りれば1枚を失うだけで済むというポーカーの甘《あま》い罠《わな》を知り尽くしていて、時折、役もないのに強気に出てみんなを強引《ごういん》に降ろし、本来のカード運以上に勝負を勝ち抜いているように見えた。そう、ポーカーはカードゲームとしてのテクニックは非常に限られている。しかし、駆《か》け引きが生じた時、そこに初めて高度な心理戦が生まれるのだ! 魅音はそれを誰《だれ》よりも知っているということなんだろう。
その魅音のブラフを見破るには、こちらにもある程度の勝負手が出来ていればいいのだが、実際のポーカーはそんなに都合よく大きな手はできない。…結局、手役《て やく》という支援ナシで乗るか反るかの勝負に挑《いど》まなくてはならないわけだ。手役というセーフティーを求める心の弱さが、強気な相手にすでに屈《くっ》しているということなのだ…!
そうさ、このまま勝負を降り続けても勝ちなど掴めない。ここが転機だ。魅音のブラフを暴《あば》き、逆襲の一撃を加えてやるのだ…!
ちなみに、今の俺の役はワンペア。……役としては最弱で非常に心許無《こころもとな》いが、魅音がもしもブラフで何の役もなかったなら、一矢報いることは大いに可能だ。
「ということは圭一くん、何か役があるんだよね…? レナは役がワンペアしか出来なかったから、きっと負けちゃうよ。だから賭けられない…。」
「安心しろ、俺もワンペアだ。だから勝負は互角だぞ!!」
「2人が同じ役だったら、数字が大きい方の勝ちでしたわよね? 数字も同じだったらどうなるんでございましたっけ?」
「……スペード、ハート、ダイヤ、クローバーの順で、強いスートを持っている方の勝ちになりますですよ。」
レナが手札を確認する。…ワンペア対決になるなら、大きい数字であることが必須《ひっす 》。勝てる数字かどうか悩《なや》んでいるようだ。
…ちなみに、俺はここまで挑発しておいてエースのワンペアだったりする! しかもスペードのエース入り。つまりワンペアでは最強ってことだ!! だから、レナのワンペアが例え何であろうとも、俺の勝ちは絶対だ。
「………う〜〜〜ん…。よし、レナも勝負するよぅ!」
くっくっく!! どうやらレナのワンペアは数字が大きかったようだな。多分、絵札《え ふだ》のワンペアなんだろう。低い数字だったなら勝負を降りることも考えただろうが、下手に数字が大きかったのが墓穴《ぼ けつ》を掘ったに違いない…!!
…となれば、残るのは魅音だ。
「ほほぅ…。ワンペア如《ごと》きで私に突《つ》っ掛《か》かってくるとはねぇ…! おじさんをブタだと、本気で思ってる? 私を蔑《ないがし》ろにするとは、大した度胸だねぇ?」
…多分、ブタだ。魅音は役ナシに違いない。
だが根拠《こんきょ》はない。魅音がとんでもない役を作っていて、それにより絶大な自信を持っている可能性は否《いな》めないのだ。……だが、だからこそなのだ! 向こうだって、こっちの役が何かは晒《さら》されるまでわからない。俺は今、自分の役をワンペアだと告白しているが、実は実はとんでもない大役《たいやく》で、そのワンペアだという発言がブラフという可能性も大いにあるのだ…!! そうさ、魅音だって怯《おび》えてるはずだ。10枚の大賭けをしておいて、その勝負に降りずに乗ってきた俺に、ひょっとするとこの勝負に負けないだけの自信のある役を完成させているかもしれないという妄想に怯えているはず…! 屈するな、ここで気圧《けお》されたら負けだぞ前原圭一!!
「いいや、お前はブタだ。絶対ブタだ!!」
「ほほぅ? よくもそんなに言い切れるもんだね!! その強気、命取りになるよ!?」
「ああ、言い切ってやるぜ、何度でも言ってやる! お前はブタだ。ブタブタブタ!! ブラフにハッタリのブタ野郎だ!!」
「……にぱ〜☆ 圭一が、魅ぃは豚《ぶた》だと言ってますです。ブタブタブタ☆ ロースの辺りが脂身《あぶらみ》で大変なことになっていますのです。」
「だぁれが豚だぁああああぁッ!!!」
普通《ふ つう》、こう発言したら梨花ちゃんがぶっ飛ばされると思うだろ? だろ? ところが違うんだよ。俺なんだよ俺。というか魅音、…空中コンボの後、空中投げで拾えるんだな…。
「さぁて! 勝負に乗ったのは圭ちゃんとレナだけだね! では勝負と行こうじゃない!! さぁ、その無謀《む ぼう》な手札を晒してごらん!!」
「抜かせ! 本当の勝者は手札を最後に晒す! お前から先に手札を晒せ! てめぇがブタだってことを示して見せろ!!」
失言。もう一回空中コンボを食らう俺。今度のシメはキャンセルからのゲージ技だった…。空中で10段も食らうとうっとりしちゃうよな……。
「じゃ、…レ、レナからね! はぅ、ジャックが2枚もあるんだよ!」
レナが手札を2枚だけめくり、ジャックのワンペアであることを示した。…よし! 予想通り! 俺のエースのワンペアの勝ちだ! レナはまず脱落《だつらく》確定!!
「ジャックのワンペアなら、まずまずでございますわね! でも、圭一さんのワンペアがそれ以上の可能性もありますわよ!」
「……それに、魅ぃがブタと決まったわけではないのです。牛さんかもしれませんです。」
「くっくっく! そうだねぇそうだねぇ! 豚の挽《ひ》き肉か、極上牛のサーロインかわからないよぅ!?」
腹は豚でも胸は牛だな、とか言ったら120%の確率でトドメを刺されるから、流石《さ す が》にそれは言わないでおく。
「互いに先には晒したくはないようだな。なら同時に行こうじゃねぇか!! 同時に晒すぞ。レナも見てろよ!! 勝てば35枚もの大量コインが一気に動く大勝負だ!! 誰が勝者になるか、しかと見届けろよッ!!」
「け、圭一くんも魅ぃちゃんもがんばれ…! で、でもレナの役より下だと嬉しいかな、かな!」
「これは面白い見物ですわね!! では私がカウントダウンしてさしあげますわ!! 同時に公開するんですのよ!? 3、2、1、……そぉれッ!!!」
「うおおおおぉおおぉ、エースのワンペアだぁあぁ!!」「エースのスリーカードッ!!!」
「なな、のわにぃいいいいッ?!?!」
お、俺の珠玉のワンペアが、…エースのワンペアが…崩れ去る…。そ、そうか、魅音はいきなりスリーカードだったか……。それは簡単には負けない役だな…。チェンジして、フルハウスやフォーカードを狙う手もあったのに、敢《あ》えて手札を変えず、ブラフを演出したというのか……。
……って、あれ?
エースのワンペアってことは俺のとこにエースが2枚。エースのスリーカードってことは魅音のとこにエースが3枚。……あれれ? トランプって、エースは全部で何枚だったっけ…?
なんて疑問が湧《わ》いた瞬間《しゅんかん》、魅音が頭を掻《か》きながら大笑いした。
「あは、…あはははははは!! う、嘘《うそ》ウソ、冗談…!! お、おじさんもワンペアなんだよねぇ…エースのワンペア、あははははははは!」
魅音は自分の手札をごちゃごちゃっとかき混ぜて|誤魔化《ごまか》すと、ハートとクローバーのエースの2枚を俺に示した。
俺を驚かせるためにスリーカードと言ったのだろうが、それにしてはやたらと慌《あわ》てた対応だったなぁ…? その様子を怪訝《け げん》そうに見ていた沙都子が何かにピンと来たようで、いきなりニヤニヤと笑い出した。
「をっほっは…! 魅音さんもツイてませんわねぇ。圭一さんがスペードのエースを持ってたなんて!」
「あ、あはははは…! ほ、本当にツイてないよ! あはははははは」
「……にぱ〜☆ 魅ぃがズルイことをしてたのに気が付きましたです。」
「え? な、何? 魅ぃちゃんがズルイことって、一体何? え? え?」
「圭一さんがエースのスペードを持っていなかったら、きっと魅音さんはスリーカードに違いありませんでしたわね。をっほっほっほ!」
魅音の苦笑いと、ニヤニヤ笑う沙都子たちの意味がよくわからない。当事者の俺とレナは煙《けむ》に巻かれるばかりだ。
「と、とりあえず、魅ぃちゃんのスリーカードは間違いで、実はワンペアだったってことかな…? かな?」
「??? よくわからんが、…と、とにかく俺の勝ちってことだ!!! 俺のワンペアには最強のスペードのエースが入っているんだからな!! レナのジャックは論外! 魅音のエースもスペードがないから俺以下だッ!! 勝ったッ、制したぞ、35枚の大勝負を制したぞ、これで俺の大逆転だああぁあッ!!」
「こ、ここで一挙に35枚とは…圭一さん、これは大きい勝利でございましてよ!」
この35枚の大量|獲得《かくとく》で、俺はさっきまでの負け分の大穴を一気に埋《う》め、戦線に復帰したことを示す!! ポーカーは知的ゲームだが、ゲームである以上、勢いや運気が絡《から》む。俺はこの大勝利でこれまでの負け運を引っくり返して運気を掴み、ここから怒涛《ど とう》の反撃を見せるのだ!! これぞ大勝利、大逆転、勇者の貫禄《かんろく》ッ!!! うおおおおお、前原圭一!! よくやった感動したッ!! これが相撲《す も う》なら総理大臣にトロフィーがもらえるところだぞ!! フィギュアスケートだったら金メダルで紫綬褒章《しじゅほうしょう》確定ってトコだなッ!!!
「わっはっはっは!! やったぞレナ!! 大逆転だ!! これで今日の優勝も再び見えてきたぞッ!!」
「う、うん! これでもう一度、優勝争いに絡むことができるかな、かな! すごい大勝利だよ、35枚、35枚〜!!」
レナも10枚という大量のコインを失ったが、親友として俺の勝利を率直《そっちょく》に祝ってくれた。…レナも今日は俺と同じく負け込んでいた。この状況でさらに大量のコインを失ってしまえば、今日の争いからは脱落したと言っていいだろう。……つまりそれは、今日の優勝を俺に託《たく》すという、エールに他《ほか》ならない…!!
「その想《おも》い、しかと受け取ったぞ!! レナのコイン、おろそかにはしないッ!! 必ず優勝へのビクトリーロードを築く| 礎 《いしずえ》にしてやるからなッ!!!」
「う、うん! 絶対に無駄《むだ》にしないよ! きっと圭一くんのコインで優勝を掴むからね。はぅ!」
「ああ! 見てろよレナ! きっと今日は俺が優勝してやるからな。その無念は俺が晴らすッ!!」
「う、うん…。最下位からの優勝はとっても大変だと思うけど……。でも、レナは圭一くんの大逆転を信じてるからね、…はぅ。」
「もう最下位じゃねぇぞ。2位はさすがに無理だが、3位くらいには行けたんじゃねぇか?」
「さ、3位まで来れたかなぁ!? すごいすごい、レナがんばった! ちょっと数えてみるね…。」
「ちょ、ちょっと持てレナ。…何でお前、自分のコインの枚数を調べてるんだよ。」
「……みー。かわいそかわいそなのです。」
わずかの違和感《い わ かん》は、俺の頭をシュッシュッとなでる梨花ちゃんの手で確定した。…理解不能な悪寒《お かん》がゾクゾクと背中を上る…!! え、ってことは……えッ!?
「くっくっくっく、あっはっはっはっは! レナもやるじゃない!! 圭ちゃんも私に集中し過ぎる余り、身近な敵を見誤ったねぇ!」
「な、何を言ってんだよ!? 俺はエースだぞ!? エースのワンペアだぞ!? それがいつからジャックのワンペアに負けることになったんだよッ!?」
「圭一さん、あなたが言ったんですのよ? 自分はワンペアだーって。それを確認した上でレナさんは勝負に乗ったんじゃありませんの。」
「な、何を言ってるのか素敵《す てき》にわからねぇぞ沙都子…、というか梨花ちゃん、不安感を煽るその慰めを止めてくれ…。」
「つまりね圭ちゃん。こういうことさッ!!!」
魅音が、レナの裏返しのままのカード3枚を威勢《い せい》よく表にする。すると………あれあれ!? それってッ?!?!
「あははははは……。レナ、…ジャックと3のツーペア。……はぅ☆」
「な、……なななななッ!? お前、ワンペアだって最初に言ったんじゃ……、」
「……というわけで、ツーペアはワンペアより強いのですよ。にぱ〜☆」
「魅音さんのブラフしか見えなくて、レナさんのブラフが見えなかったということですわねぇ。をっほっほ! なかなかのトラップセンスでしてよ〜!」
…つ、つまりレナは本当はツーペアなのに、自分はワンペアだと嘘をついたと。…で、俺が自信たっぷりに、安心しろ俺もワンペアだ! なんて言ったもんだから、遠慮《えんりょ》なく勝負に来た、と………、と、……とととと、
「はぅ〜! 一度にこんなに獲得したよ〜ぅ! これで魅ぃちゃんも射程|距離《きょり 》に入ったかな、かな!」
「ここで強烈《きょうれつ》な追い込みをかけて来たねぇ!! そうでなくっちゃあ我が部のメンバーじゃない! もちろん圭ちゃんも頑張《がんば 》って、その圧倒《あっとう》的に致命《ち めい》的な最下位から如何《いか》にして這《は》い上がるか、おじさん、興味《きょうみ》津々《しんしん》に見守ることにするわ。くっくっくっく!」
「……なでなで。シュッシュッ☆」
「あ、でも、圭ちゃん、コインが10枚を切ってるんじゃないのかなぁ? ということは、以後、誰かがMAX賭けをしたら、自動的に降り、ということになっちゃうけどぉ?」
「つまり、圭一さんがどう強気に出ようとも、力技《ちからわざ》で捻《ね》じ伏せてしまえるということですわねぇ。資本主義のゲームは恐ろしいでございますこと!」
「はぅ…。何だか可哀想《か わいそう》…。10枚に満たない分、レナが貸してあげようかな、…かな…。圭一くんを騙しちゃって悪い気もちょっとするし……。」
「…ぐ。先立つものがなければ戦えん…。すまんレナ、恩に着る。必ず返すからな。利子は付くのか?」
「あはは、利子はいらないよ。お互い、がんばろ! で、何枚いるのかな?」
「……レナ。今日の罰ゲームは素敵な衣装《いしょう》にお着替《きが》えで村中を大行進なのですよ。だからきっと圭一は、スクール水着にガーターベルトにコルセットでメイドさんな格好《かっこう》までさせられて、村中を練り歩かされて、赤面《せきめん》モジモジ前屈《まえかが》みに違いないのですよ。にぱ〜☆」
「に、にぱ〜〜〜〜〜☆!!! そ、それはいいねいいねぇ、はぅううぅ!! メイド圭一くん、お〜持ち帰りぃいい!!」
「そ、それでレナ…。と、とりあえず、今、取られた分、10枚くらい貸してくれると……。」
「駄目だよ圭一くん、貸してあげないよ、勝負は非情なんだよ〜ぅ!! だから圭一くんは一番に破産してメイドさんで村中を練り歩いて、レナがお持ち帰りぃいいい〜〜!!」
「をーっほっほっほ! 勝負は非情でございますわねぇ、ホント非情でございますこと!」
「今日の罰ゲームは悲惨《ひ さん》だから、負けたら大変だってあれだけ言ってたのにねぇ。早くも圭ちゃんがビリで確定かなぁ! くっくっく!」
「くくく、くそぉおおぉ!! わかってるぜ魅音、ここから引っくり返してこそ真の部活メンバーだって言うんだろ!? この絶体絶命の窮地《きゅうち》から引っくり返してこそ!!」
「わかってるじゃない。でも、どうするつもり? 絶体絶命を飛び越えて、今の圭ちゃんはもはや息の根が止められちゃってる状態だと思うけど? 第一、次に例え圭ちゃんの手札にロイヤルストレートフラッシュが入ろうとも、私たちの誰かがコインを10枚賭ければ、圭ちゃんはそれを受けられず自動的に降りが決まる。つまり、圭ちゃんはこの後は破産するまで、一度も勝負に乗ることができないってわけよ。」
「………う、………そ、そう言えばそうだな…。」
「誰かが親切にリーズナブルな賭け金にしてくれれば圭ちゃんにも乗れる勝負があるかもしれないけど、……くっくっく! 私たちがそんなに甘いと思うぅうぅ?」
みんながニヤァ〜と笑う。……だよな、当然だよな。チャンスさえあれば常に逆転を狙うのが部活メンバーだ。だから息の根を止めるまでは油断しないし、また、止めるチャンスがあるならば誰もそれに躊躇《ちゅうちょ》しない!
つまり俺に出来るのは、一度に全てを賭けて一気に負けるか、コインの枚数分、ゲームを降り続けてじわじわと負けていくかのどちらかを選ぶのみってわけだ…。
「つまり、ゲームオーバーってことですわね! をっほっほっほっほ!!」
「……というわけで、圭一は今から早くも、かわいそかわいそなのです。なでなで。」
「はぅ、ごめんねごめんね…! でも、圭一くんのメイドさん、…すっごい似合うから、……はぅ。」
「うんうん。圭ちゃんのメイド姿が映《は》えすぎるゆえの悲劇だねぇ。くっくっく! ガーターベルトが見えるように、スカートはとにかく短いメイド服を用意してるからねぇ!! お楽しみに〜! くっくっくっく!!」
「ぎゃぎゃあああ、嫌《いや》だあああぁあぁ!! 風でスカートが捲《まく》れでもしたら、そこに覗くのはスク水にガーターベルト。しかもそれは、俺、俺だよ俺俺俺、前原圭一!! うっぎゃあああああ!!!」
……そんなわけで。…早くも俺の戦線脱落が確定する。他の4人にとっての勝負はまだ続く。俺の残りコインを誰がいただくかで勝負の行方はわからなくなるからだろう。
とにかくとにかく、ひとつ言えることは。……俺のゲームはもう終わった、ってことだ……。
…そ、そんなのは悔《くや》しい、悔しすぎる…!! そこで諦めるのが一般人だ。だが俺は末席とは言え部活メンバーの一員! 例え終わりかけた勝負でも、勝負が続いている限り降参の選択《せんたく》肢はない。この状況でも抜け出せる起死回生《き し かいせい》の何かを考え出すのだ…!!
今の俺を絶体絶命にしている最大の理由はコインが10枚に満たないことによる。だから、誰かが俺の全財産を上回るコインを賭けて来たら、俺は受けられず自動的に降りさせられてしまうわけだ。
カジノなんかの本場のポーカーなら、こういう時は足りない分のコインをその場で換金《かんきん》して、すぐに積み上げるだろう。つまり「換金」してコインを得て、足りない賭け金を補うわけだ。
カジノではコインを得るのに現金で交換する。…だが俺たちの部活では「換金」という考えはない。ゲーム開始時に分けられたコインがあるだけで、そこにコインを新たに追加する方法は与えられていない。
だが、ルールにないから出来ないということはない。この場にいる全員を納得させられれば、どんなルールだって捻じ曲げられるのだ…!
「はいよ、圭ちゃん。一応、まだゲームオーバーじゃないんだから、ちゃんとゲームに参加してよ? くっくっく!」
魅音が嫌味《いやみ 》たっぷりに俺にカードを配る。……手札を見ると、…ゲームオーバーが確定した今の今になって、強い手が入り込んできた。なんと、チェンジ前からスリーカードが出来ている! さっきの魅音の手がそのまま俺に入ってきた感じだ。
「はい、圭一くんの番だよ。何枚交換するのかな?」
「……あ、……2枚頼むぜ。」
「圭ちゃんの最後のチェンジだねぇ! どんな手札になったかなぁ? くっくっくっく!」
「ぅ、……うお…。」
…何てこった。…ビンゴだった。スリーカードだって|充分《じゅうぶん》いい役だが、……この2枚のチェンジで一気に大化けした。
何と、ジョーカーが入ってきたのだ!! つまり、……スリーカードが一気にフォーカードに化けてしまったのだッ!!
フォーカードという役は、はっきり言って半端《はんぱ 》じゃない。オールマイティのジョーカーが入らなかったら、ほぼあり得ないと言い切っていいくらいの半端ない大役だ!! これは何としても勝ちに行かなければならない正念場だった。
だが、…俺にはコインが足りないのた! 勝負手なのに、俺には土俵に上がる軍資金が足りない…!!
となれば手はひとつだ。足りないコインの代わりに、コイン以外の何かを賭けるしかない!!
「まー、おじさんは大した手じゃないんだけどねぇ。容赦《ようしゃ》なく圭ちゃんにトドメを刺させてもらうわ。ほれ、10枚賭けね!!」
「……ボクの手も大した手じゃありませんですが、受けて10枚賭けますですよ。」
「あらあら。圭一さんの遺産目当てに皆《みな》さん、勇ましいですこと! 私も乗りますわよ!」
「あはははは、レナも負けない〜! はい、圭一くんからもらった10枚を賭けるよ〜! はぅ、圭一くん、後でガーターベルトの付け方教えてあげるからね〜!!」
「んで、圭ちゃんは10枚を受けられないっと。くっくっくっく!!」
誰もが降りずに景気よく10枚の大賭けをする。…つまり、場には今や、40枚を超える大量のコインが懸《か》かっているわけだ。こんな大勝負時に俺の手札にはフォーカード。そしてコインが足りないというなら、……やるしかないッ!!
「ま、……待て。確かに俺の全コインは10枚に満たない。だからコイン10枚の勝負を受けることができないさ。…でもな、……俺は10枚に足りない分、コイン以外のものを賭けようと思う。どうだ、受けてくれるかッ!?」
「くっくっく! そう来ると思ってたよ。んで? 圭ちゃんは足りない分、何を賭けてくれるのかなぁ?」
「えーっと、……あのな…、今日の罰ゲームとは別に! 俺がお前らの望むスク水にガーターベルトにミニスカメイドになって…お持ち帰りされてだな、その……、耳|掃除《そうじ 》なんかしてあげちゃうのはどうだああぁッ?!?!」
お、俺は何を言ってるんだ……。自分で壮絶《そうぜつ》な墓穴を掘ってるだけの気がする…。だが、ここは勝負なのだ、勝負するしかないのだ!!
「…ほ、……ほほーぅ…。そこまで捨て身になれるとは…。よっぽど勝負がしたいみたいだねぇ…!? ということは圭ちゃん、絶対に勝てるつもりだねぇ!?」
「で、でもいいの、圭一くん? もしも圭一くんが負けたら…レナ、容赦なく圭一くんをお持ち帰って、膝枕《ひざまくら》で耳掃除してもらっちゃうんだよ…? は、…はぅ…。レ、レナも耳掃除してあげたいな、耳の掃除っこしよしよ、はぅ〜〜!!!!」
「だだだ、駄目駄目ッ!! それはこの勝負に勝った人の権利でしょ!? ……くっくっく! 気に入ったよ圭ちゃん! 足りない分は体を賭けようという度胸、気に入った!」
「……なぜか魅ぃのお顔が真っ赤っかなのです。きっと魅ぃのお部屋でメイド圭一と2人きりで、膝枕をしたりされたりで、きゃっきゃっなのですよ☆」
「そそそ、そんなの想像してないよ!! わ、私は部長としてね! この大勝負を純粋《じゅんすい》に楽しんでるだけだよ!!」
「はぅ〜!!! 圭一くんお持ち掘りできるならレナは負けないよ〜ぅ!!」
「……ボクたちはお耳の掃除はいいので、集会所のお手洗いの掃除をしてもらいましょうです。」
「それは名案ですわね!! もちろん、町会の皆さんが打ち合わせとかをしてる時にお掃除をしてもらいますのよ〜!!! 無論《む ろん》、メイドさんの格好ですわよ!? あぁ、診療所《しんりょうじょ》のお掃除もよくございません?」
「それもいいねぇ…!! 監督《かんとく》、きっと圭ちゃんをほっとかないねぇ…! うっひゃっひゃっひゃ!!」
「で、どうなんだよ…! 俺のこの権利でコインの足りない分には充分足りるよなぁ!?」
「あぁ、足りるよ足りるよ充分足りる!! コインは出さなくていいよ。圭ちゃんの膝枕耳掃除だけでコイン10枚の価値があるよ!」
「よ、ようし、つまり乗るってことだな!! ようし、俺のカードを見てビビるなよ!!」
く、…くっくっく…!! どいつもこいつもすっかり乗せられやがって…!! 俺の最後の悪足掻《わるあ が 》きくらいにしか思ってないだろう。
仮に、何かの間違いで俺が勝っても、みんなはすぐに背水《はいすい》の陣《じん》というわけじゃない。その安心感ゆえの甘さが、俺がここまで強気に出る根拠へのヒントをボケさせる!! みんな自分が勝ったら俺をどうやって| 辱 《はずかし》めてやろうかということで頭がいっぱいだ。そここそ、俺が付け入るチャンスなのだ!!
叩《たた》きつける俺の手札ッ!! 100億分の1の確率で、誰かが俺を上回る超《ちょう》大役を完成させているかもしれないという恐怖《きょうふ》感は碓かにあった。だが、それを捻じ伏せて、他は自分の体を賭けて大勝負に出る!! それはコインという架《か》空《くう》のお金を賭けている時には感じることができなかった、本当のギャンブルのキナ臭《くさ》さ。………これこそ、部活メンバーの起死回生の最後の一手に相応《ふ さ わ》しい大勝負の醍醐味《だいご み 》なのだ!!
「よーし行くぞ!? うおおおおおぉおお、食らいやがれ、フォーカードだああぁあ!!」
「「「えええええぇえぇええぇえぇッ!?」」」
100億分の一の恐怖は、全員の手札を完全に確認することで、完全に杞憂《き ゆう》だったことが証明された。今度こそ騙しも伏兵《ふくへい》もない。………つまり、……俺は大勝負に勝ったのだッ!!!
場に積み上げられていた大量のコインは一挙に俺のものとなり、みすぼらしいまでに背水の陣だった俺の状況は一変した。まさに逆襲の一撃、一世一代《いっせいいちだい》の大勝負だった! それを制したからこそ、俺は死の淵《ふち》から| 蘇 《よみがえ》ったのだ! これからは不死鳥《ふ しちょう》圭一と呼んでくれ、がっはっはっは!!
意気揚々《い き ようよう》と次なる勝負を挑む俺。手持ちのコインも一気にゆとりが出来、今度は冷静な勝負に努め、下手に乗せられた大勝負で大負けをしないよう気をつけようと思った矢先だった。
最初は慎重な賭け方だったのに、魅音が急に上乗せをして賭け金を吊り上げてしまったのだ。くそ、勝負手が入ってきたに違いない!! だが、俺の方もツーペアが出来ていて、あっさりと引き下がっていいのか迷った。
漫画《まんが 》に出て来るポーカーでは、何かと威勢のいい役が飛び出すものだが、現実のポーカーは非常に地味だ。ほとんどの勝負はワンペアかツーペア、せいぜいスリーカード程度で決する。フラッシュやフルハウスなどの強力な役は、そうそうお目にかかれるものではない。
つまり、俺のツーペアはそんな悪い手ではないということだ。それは魅音にしても同じ。手札がツーペア程度なら、充分勝負を挑める手となり得るのだ。
レナは少ないコインをこれ以上、減らすわけにはいかず、慎重に勝負を降りた。梨花ちゃんもそれに倣《なら》い、沙都子は魅音が上乗せしてきた時点で戦略的|撤退《てったい》を決断した。
「やれやれ。またこの構図だねぇ? くっくっく! せっかく、|奇跡《き せき》的な役で大勝をせしめたのに、また水泡《すいほう》に帰《き》しちゃうのかなぁ?」
「くそ、いつまでも勝負のペースを握《にぎ》ってると思うなよ! さっきの大勝利で流れは変わってるんだ。今や勝利の女神は俺に微笑《ほ ほ え》んでる! 風向きはひっくり返ったんだ!! 乗ってやる。その上乗せを受けようじゃないかッ!!」
「だ、大丈夫《だいじょうぶ》なの圭一くん? せっかく大勝して勝負をやり直せたんだから、ここは慎重にした方が…。」
「今の俺には充分な軍資金があるんだ! へへ、仮にこの勝負に負けても、当分は戦えるくらいの充分な蓄えがな!! それにな、今は攻める時なんだ。さっきの勝負を制して、俺は一気に運気をひっくり返した!! その流れで一気に魅音を討ち取ってやるんだ!!」
「憎《にく》らしいですけど、さっきの大勝負で、手持ちは一気に50枚くらいに増えてますものね。碓かに逆襲するには今しかないですわね!」
「……みー。ブルジョワ同上が潰《つぶ》し合うのを見物するのですよ。」
「圭ちゃん以外はみんな降りちゃったから、この勝負は私と圭ちゃんだけの勝負になるね。……どうよ圭ちゃん。通常は賭け金の吊り上げは1回限りで上限は10枚までなんだけど、それをもう1回吊り上げられることにしない? 私と圭ちゃんの一騎討ちルールだよ。受ける気があるなら、私は………さらに30枚を追加して、計、40枚賭けの大勝負にするッ!!!」
「なッ、なんだとおおお!? ふ、ふざけるなッ!! そんなリスキーな勝負を受けられるかッ!!」
何て自信だ! 魅音め、そこまで大賭けしても勝てるつもりなのか!? 40枚なんて高額勝負、もしも負けたら、俺のさっきの大勝利は完全に吹《ふ》き飛び、また風前《ふうぜん》の| 灯 《ともしび》に逆戻りだ。
俺がこの10枚勝負に乗ったのは、この勝負に万一負けても、まだまだ勝負を続けられるという余裕があるからこそ。その余裕が失われるなら、この勝負のリスクはあまりに大きすぎる。それにこの勝負は俺にとって致命的だが、蓄えがまだまだある魅音にとっては直ちに致命傷となるものではない。……俺と魅音では状況がまったく違う!!
それとも、絶対に俺を降ろさせたいのか!? …ということはつまり、ブラフ!? 役ナシのブタで、俺が賭けたこの10枚をまんまと巻き上げようという魂胆《こんたん》か!?
「もちろん、この勝負は言い出した私に有利な条件だからねぇ。おじさんはこの30枚とは別にさらに他のものを賭けることにするよ。圭ちゃんのさっきのやり方に倣おう。もし私が負けたら………、圭ちゃんの好きな格好をして宿題を代わりにやってあげるよ!! どう!?」
「なな、なんだってぇえぇ!? ということは魅音、俺がさせられた屈辱《くつじょく》の格好|No《ナンバー》.036、あの梨花ちゃん専用スク水エンジェルモートを着て俺の部屋に来て、宿題をやってくれるってんだなッ!? ぅぅ、嬉しいような恥ずかしいような!! というか親に見つかったらなぜか殺されてしまいそうな気がするがとにかくとにかくッ! コイン40枚にさらにその権利まで上乗せしちゃうわけだなぁ!?」
「もーちろん! 部長に二言はないよ! さぁて、私に勝てたらとんでもない虹色《にじいろ》ハーレム、宿題御免!! 他にもここではちょっと言えないあんなサービスやこんなサービスが飛び出しちゃうかもー!!! ど〜ぅ!?」
「はぅううぅ!! いいねいいねぇ!! そんな魅ぃちゃんならレナがお持ち帰りしたいよおおおおぉ!! 圭一くん、いいないいないいな〜〜!!!」
「そこまで言われたら乗らないわけにはいかないぜ、勝負してやる勝負勝負勝負ぅううぅ!!! ……………………なぁんてな…。その手には掛からないぜ、生憎《あいにく》だな魅音。そこまで大胆な条件を出してくるってことは、これはもう、絶対負けないとんでもない役ができてるって宣言してるようなもんだぜ! その手にゃ乗らんぞ、降りる降りる降りさせてもらう!!」
「あらあら、圭一さんったら意気地がありませんこと。そこまで言っておいて、男が勝負を逃げますのー?」
「笑いたくば笑え。とにかく絶対絶対、この勝負は魅音の罠だ。た、確かに破格《は かく》の条件の勝負ではある。何かの間違いで俺が勝つようなことがあれば、とんでもない恥ずかしい格好の魅音を俺の部屋にお持ち帰りして宿題までやってもらえちゃうんだぞ!! 普段、さんざん偉《えら》そうにして俺を罠に掛けまくってくれたあの魅音が、羞恥《しゅうち》に頬《ほお》を染めながら、屈辱の罰ゲーム衣装に身を包みながら宿題を片付けてくれちゃうのだ!! 確かに最高のシチュエーションさ、手に入れてみたいマイドリームさ!! でもな、あり得ないんだよ!! 魅音が勝てもしない勝負にこんなとんでもない条件を賭けるわけがないんだッ!! な!? そうだろ魅音!?」
「ふふ〜ん♪ さぁね〜、ひょっとすると圭ちゃん、一生に何度もない、最高のチャンスを逃しちまったのかもしれないよ〜ぅ?」
「えぇい、うるさいうるさい! とにかく降りるったら降りる! すでに賭けちまった10枚は惜しいが、魅音の甘言《かんげん》に乗せられてさらに30枚を失うことを考えたら安いもんだ。ほれ、持ってけ持ってけ…!!」
「にゃっはっは! 降りちゃうのぉ? そう、それじゃ戦わずしておじさんは圭ちゃんの10枚をいただきだねぇ。くっくっく!」
…く、これはやむをえない支出だ。10枚を失うのは痛くないとは言えないが、それでも負けるとわかっている勝負に乗せられて傷口を大きくするわけにはいかないのだ。………魅音への恥ずかしい罰ゲームには後ろ髪を引かれまくりだが、それはぐっと唾《つば》を呑《の》んで堪《た》えるしかない…。
「……圭一。魅ぃはブタさんでしたが、圭一はどうでしたか?」
「あ、梨花ちゃん、勝手にカードをめくっちゃ駄目だってば! あっひゃっひゃっひゃ!」
「ぐおわあああぁあぁあ!!! ブ、ブラフだったってのかよおおおぉ!!! じゃあ何か!? 俺は欲望のおもむくままに勝負に乗っていたら!! 今頃《いまごろ》、スク水エンジェルモートの魅音をお持ち扁り確定だったってのかよおおぉ!?」
「あ――あ――、残念だったねぇ〜? くっくっくっく!! 次の勝負でも同じ条件を賭けようかなぁ? もっとも、この条件に対し、圭ちゃんにはコイン10枚分を賭けてもらうことになるけどねぇ?」
「…はぅ。それならレナは、次に負けたらエプロンメイドさんになって、お夕食とデザートを作りに行ってあげる権利を賭けようかな…。コイン10枚分で。」
「か、考えましたわね…。勝てる勝負ならたくさん賭けたいところですけど、手持ちのコインがどうしても足りないなら、…コイン以外の条件を賭ければいいわけですものね!」
「……負けなければいいのですから、どんな条件を賭けたってへっちゃらなのです。」
「むむ、勝負手が入って来たぜ!! MAXベットに加え! なら俺もコイン10枚分で賭けちゃうぞ、今度は前原圭一がメイドさん姿で朝夕お迎えご優待券だぁあぁ!!」
「あぁら私も降りられない手なんですのよ!? 私もコイン10枚に加えて、お好きな格好でお昼にお弁当を食べさせてあげる権利ですわー!!」
「はぅううぅう!!! いいねいいねぇ!! レナも勝負するよぅ、10枚賭けちゃう!! さらにねさらにね、レナがメイドさんになってあげて、お家にご飯とデザートを作りに行ってあげるというのはどうかな、かな!!」
「……みー!! レナのデザートはとってもおいしいのですよ。ならボクも10枚賭けてさらに、ボクに首輪を付けて一緒《いっしょ》に四《よ》つん這《ば》いお散歩券を付けちゃいますです。」
「こ、……こいつぁ何だか面白くなってきたねぇ!! おじさんも乗るよ!! コインよりリスクを賭けようというそのスピリッツ、気に入ったぁあ!! じゃあね、私はさっきの権利をもう1回賭けようかね!」
「をっほっほっほ!! 魅音さんに算数ドリルの宿題を代わってもらえるのも悪くないでございますわねぇ!!」
「駄目だよ〜!!! レナが勝って、みんなみんなお持ち帰りぃいいぃ!!!」
…………と、言う感じでどんどんとゲームはエスカレート。普通にポーカーをしてたなら、敗者が1人で罰ゲームになって、少なくとも4人は助かるだろうに。…コイン感覚で様々な罰ゲームが賭けられ乱れ飛び、誰もがとんでもない罰ゲームのペナルティを被《こうむ》っていった…。
さすがにあまりにとんでもない数の罰ゲームが飛び交ったため、罰ゲーム同士をそれぞれに清算して相殺《そうさい》し合ったが、それでも誰も罰ゲームから逃れることはできなかった。結局、順位に関係なく、全員が罰ゲームをするはめになってしまったわけだ。
「………な、……なんだったんだ、今日の部活は…。勝者は1人もなく、ただ全員が敗者になったと、そういうわけなのか…!?」
「はぅ…。戦いは何も生み出さないんだね…。」
「…明日以降の罰ゲームはともかく、今日の罰ゲームはどういうことになってますの…?」
「……みい。全員が罰ゲーム衣装にお着替えして、全員で村の中を歩き回ることになってしまいましたのです。」
「じょ、冗談じゃねぇぞ。俺たちの誰か1人がやれば済むはずの罰ゲームが、何で全員なんてことになっちまったんだ…!! 誰のせいだ!? 誰がこの|地獄《じ ごく》の扉を開いちまったんだッ!?」
「た、…多分、圭一くんが耳掃除をしてあげるって言い出したところからおかしくなったと思うかな。…かな。」
「……う――ん。とにかく、会則では罰ゲームは絶対と定めてある。…こいつぁ仕方ないね! まぁ、自分1人だけが罰ゲームになるよりは、全員一緒の方がまだマシってもんでしょ!」
「みんな一緒でも恥ずかしいのは同じでございましてよー!!」
「はぅ〜!! レナはそれでもいいよ〜ぅ。圭一くんのメイドさんが見られればそれでレナは幸せ〜☆」
「……一番恥ずかしい格好が圭一なので、ボクもそれでいいと思いますです。にぱ〜☆」
「あっはっは! そうかもねぇ! ささ! そうと決まったらさっそく着替えようかねぇ! ひっひっひ!! さて、圭ちゃんのが一番着付けに時間が掛かるねぇ。みんなで着替えさせてあげようかねぇ!!」
「や、やめろぉおおお、何で俺だけ…!!! ぎゃぎゃ、ぎゃあああああ!!!」
…その後は、昼下がりが夕方に徐々《じょじょ》に変わっていく空の色を楽しみながら、みんなで互いの格好を冷やかし合いながら村を練り歩いた。
自分だけが妙な格好だったらきっとかなり恥ずかしかっただろうが、みんなで一緒だと、恥ずかしいのは同じにしてもちょっとした連帯感が感じられた。
……まぁ、たまにはこんな滅茶苦茶なことがあってもいいのかな…。きっと10年も経《た》てば、今日の出来事も楽しい思い出になるに違いない…。…と、レナが俺のスカートをめくろうとかぁいいモードで追っ掛けてくるのを、俺はみんなの周りをぐるぐると回りながら逃げ回りながら思っていた。
しかし、……こんなとんでもない5人が歩いているのに、すれ違う村人たちはみんな至って普通だった。…この格好を不思議に思わないのではないだろう。悪名《あくみょう》高き部活メンバーのいつもの性《た》質《ち》の悪い罰ゲームだと知れ渡っているからに違いない。…………知れ渡ってるって? 俺がいつも女装させられてひどい目に遭《あ》ってるってのが知れ渡ってるって……? ……ううううう、親の耳に入らないことを祈りたい。
「次はどちらに曲がりますの?」
「どっちに行こう? こっちだと福田屋《ふくだ や 》さんの方に出るね。向こうだと、…高津戸《たかつ ど 》かな? 谷河内《や ご う ち》かな?」
「谷河内までずーっと道が続いてるだけだよ。つまらない道だね。福田屋の方に曲がろう。」
「谷河内の方って、俺、行ったことないんだよな。どういうところなんだ?」
谷河内という地名だけは何となく知っていた。遠いとか、最も山奥だとか、そういう印象のある地名だ。
「……谷河内は、あまりお家とかありませんです。寂《さび》しいところなのですよ。」
「なら決定だ、そっちへ行こう! これ以上、村人とすれ違いたくない!」
「あはははははは! 圭一くんのメイドさん、村のみんなもきっとかぁいい☆ って思ってると思うけどな!」
「男のくせによくこんな格好できるものだと、きっと正気を疑っているに違いありませんわね!」
「うーん、圭ちゃんがどうしてもって言うなら、少しだけ行ってみる? 散歩気分でさ。村を練り歩くっていう罰ゲームはもう充分だろうしね。」
「…できれば、一度帰宅して着替えてから行きたいんだが、…それは駄目なんだよな?」
「駄目だよ駄目だよ〜、その格好のまんまなんだよ〜〜ぅ、はぅ〜〜☆」
「あっはっは! じゃちょっとだけ行ってみようか。あまり面白いものもないけどさ。」
「……ボクは、あまり行かない方がいいと思いますです…。」
梨花ちゃんがそう呟《つぶや》いたが、それは俺の耳には届いていなかった…。
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後編
雛見沢《ひなみ ざわ》をかつて俺《おれ》は田舎《い な か》だと称したが、…この谷河内《や ご う ち》という場所に比べたら、雛見沢は立派な町だと思った。
「…谷河内って初めて来たけど、本当に何もないところだなぁ。人、住んでるのか?」
「昔はね。さっきから何|軒《けん》か廃屋《はいおく》があったのを見ただろうけど、とっくの昔に廃村《はいそん》だよ。」
あるのは山林と耕作地。たまにある小屋などは朽ち果てて蔓《つる》が絡《から》まり、ここがすでに人の生活する地ではないことを物語っていた。
聞こえるのはちょっぴり|涼《すず》しい風が葉を|擦《こす》る、ざぁっという|爽《さわ》やかな音と、ここは自分たちの聖域《せいいき》だと主張するひぐらしたちの合唱だけだった。
雛見沢以上に空気のおいしい自然の雄大《ゆうだい》なところなんだなと思う反面、ほとんど誰ともすれ違わず、少しだけの寂《さび》しさも感じさせた…。
「この辺は街灯《がいとう》もほとんどございませんし、夜になると真っ暗でとても怖《こわ》いところなんですのよ。野犬が出るという|噂《うわさ》もございますし。」
「……子どもは夜はこんな山奥《やまおく》に来てはいけませんのです。」
「あはは、そうだね。これ以上は止《や》めて引き返した方がいいかもね。はぅ、罰《ばつ》ゲームにはもう充分だろうし。」
「ですわね! こんなおマヌケな格好《かっこう》で山奥で迷子なんて、七代に語り継《つ》がれる恥《は》ずかしい話になってしまいますわよ!」
これ以上はどこまで進んでも寂しい道らしい。いや、それどころかますますに寂しい道になるだろう。…夕闇《ゆうやみ》が近付き、影《かげ》が長く、そして濃《こ》くなるとそれは寂しさにちょっぴりの薄気味悪さを混じらせるようになってきていた。
ひぐらしたちの合唱がさらに大きくなる。これ以上先は人の踏《ふ》み入るべき地ではないと、さらに強く主張しているかのようだった。…人の生活感が感じられないというだけで、これほどまでに土地は拒絶感《きょぜつかん》を感じさせるものなのか。
村人とすれ違う羞恥《しゅうち》プレイが楽しい罰ゲームのはずなんだからな。誰ともすれ違わない道をこれ以上、歩いても面白《おもしろ》くない。
「じゃ、引き返そうよ。暗くなる前にお家に帰ろ。」
レナが言うと、みんな同感と頷《うなず》いた。
「そうだな。引き返すか。谷河内探検も充分に楽しめたしな。……ここより先はもう何もないんんだろ?」
「採石場《さいせきじょう》の跡地《あとち 》があるよ。」
「採石場?」
「セメントの会社なんかがね、原料に使う砂や砂利《じゃり 》を集めるための場所だよ。ずいぶん昔に潰《つぶ》れたんだか何だかで、今は無人なんだけどね。」
「こんな寂しい山奥に、無人の採石場跡地か。…ふむ! 何だか面白そうだな。今度、時間がある時に探検に行ってみたいぜ!」
「……駄目《だめ》なのですよ。採石場はよい子は近づいてはいけないのです。」
「そうですわね。夏休みのしおりにも、採石場には近付いてはいけないって書いてありますわ。」
「ふっふっふ! そう言われれば言われるほど忍《しの》び込《こ》んでみたくなるのが男心ってヤツなんだよ。廃工場とかって、何だか楽しそうじゃないかよ。なぁレナ。ひょっとすると、ダム現場に匹敵するようなお宝の山があるかもしれないぜ?」
「は、はぅ〜!! 新しいお宝の山かな、かな!! ならレナも行ってみたいよぅ!」
「……ん〜〜〜、行くのは勝手だけど、あまりお勧《すす》めはしないなぁ。…あそこ、『穴』があるって言うし。」
「穴ぁ? 何だよ、落とし穴でもあるのかよ。沙都子《さとこ》、裏山だけじゃ飽き足らず、採石場にもトラップを仕《し》掛《か》けたなぁ?」
「…私も穴の話は聞いたことありますわ。……でも、本当なんですの?」
俺はいつものノリで沙都子に話題を振ったつもりだった。
売り言葉を沙都子が買って、いつものひと悶着《もんちゃく》。それでお開きにするくらいのつもりだった。
だが、沙都子の反応は期待していたものとは異なり、少し淡白《たんぱく》な、…怪訝《け げん》なものだった。
「…ボクも穴があると聞いたことがありますです。近寄らない方がいいと思いますです。」
梨花《りか》ちゃんが沙都子に応《こた》えるように言う。…その表情にも、ふざけたものは一切《いっさい》浮《う》かんでいなかった。
見れば、魅音もいつの間にかどこか怪訝そうな表情を浮かべていた。…俺とレナだけが、何かに付いていけてない。
気付けば、こんなにもみんなは滑稽《こっけい》な格好をして、間抜けな話をしながら散歩気分で歩いていたのに、……いつの間にかその表情が無味《むみ》になっていた。
魅音《み おん》も沙都子も梨花ちゃんも、『穴』という単語を口にする。『穴』とは、…穴だと思う。でも、……みんなが口にするその『穴』にはどこかちょっぴり、…気味の悪い含みがあるようだった。
「…何? 何かな? 魅ぃちゃん、穴って何?」
「あ、そっか。レナと圭《けい》ちゃんは知らない話だよね。…うん。採石場には『穴』が開いているって言うんだよ。」
「だからその『穴』って何だよ? シャベルで掘《ほ》り返した穴、って程度の意味じゃないんだろ?」
俺もレナも、みんなが口にする『穴』に、何か特別な意味が込められていることには気付いていた。そしてその意味は、みんなの浮かべる表情からうっすらと方向性だけ読み取れる。………曰《いわ》く、それはあまり縁起《えんぎ 》のいい話ではないらしい。
「…私、…『穴』の話はあまり詳《くわ》しくないんでございますけど、…本当なんですの?」
「……ボクたちは小さかったから、あまりよくは覚えていないのです。でも、村中で話題になったのは知っていますです。」
「あの話は、オヤシロさまの祟《たた》り関連に繋《つな》がっちゃうから、未《いま》だにタブーっぽい話だしねぇ…。」
「おいおい。俺とレナだけ置いてきぼりだぞ。何だか面白そうな話だから俺たちにも聞かせろよ。」
「オヤシロさまの崇り関連って、………ひょっとして人が死んだりとかしちゃう話…?」
「……2人死んでしまったと言いますです。」
「私も当時は幼《おさな》かったでございますから詳しくは存じないんですけれど。…ちょっとした怪談《かいだん》ですわね。」
祟りとか呪いとか、そういう怪《あや》しげな話は一般的に俺みたいな年頃《としごろ》の男は好むものだ。友達の友達の兄の弟に聞いたというような、あるんだかないんだかもわからないデタラメさが面白い。……だが、今、みんながしている話はそういういい加減なものではないらしい…。
「あれは今でもよく覚えてるよ。……ひょっとしてたら、『穴』に落ちていたのは私だったかもしれないって思うとね、すごく怖くなる時があるよ。」
魅音のその言い方は、まさに当事者のそれだった。…どうやらこの『穴』の話は、出所不明のでたらめ話ではなく、…実際に数年前の雛見沢に起こった実在の事件らしい。
当時のことをよく知っているのは魅音だけのようだった。魅音は話すべきかどうか少し迷ったが、やがて語り始める…。
「あれは何年前かな。……私がいくつの時だっけ。…多分、6〜7年くらい前だと思うね。ダム戦争が華《はな》やかだった頃の話だよ。まぁ、ダム戦争なんて結局は大人の行事であって、子どもにとっては祭りでしかなかった。呼び出しが掛かれば|騒《さわ》ぎもするし石も投げたけど、それが毎日ってわけじゃない。子どもたちは今の雛見沢と同じく、野に山に|普通《ふ つう》に遊び回ってたんだよ。」
そんなある日、谷河内の山奥にある採石場の会社が潰れ、操業《そうぎょう》を停止した。
「噂じゃ、人のいい社長さんが騙《だま》されたらしくてね。息子同然に可愛《か わ い》がってきた若い社員たちの連帯保証人を引き受けて、…みんな揃《そろ》ってドロンされたらしいとか何とか。とにかく人のいい社長さんだったらしい。人生で人に裏切られたことなんてなかったんだろうね。負債《ふ さい》もとてつもないものだったらしいけど、それ以上に心の傷が大きかったんだって。」
…連帯保証人というのは、借金の当人がお金を返せなくなったら、その借金を代わって払うという役割のことだ。なので、連帯保証人なんて喜んで引き受けてくれる人など普通はいない。人の借金の責任を無償《むしょう》で引き受ける御人好《お ひとよ 》しなんてそうそういない。
だが、借金をする時、連帯保証人を求めるケースは非常に多い。だからお金を借りたい人は、連帯保証人を引き受けてくれる人を探すのに骨を折ることになる。
普通は親類に頼む。借金は私が責任を持って返しますから、連帯保証人の名前だけ貸してください。そう頼むのが普通だ。
だが、………世の中には悪い人もいる。言葉|巧《たく》みに仲間に連帯保証人を引き受けさせ、自分は大金を借りそのままドロンなんて連中もいる。
借金取りは逃亡《とうぼう》した相手を探すなんて|面倒《めんどう》なことはしない。きょとんとしている連帯保証人のところへ押し掛け全額の返済を迫《せま》るのだ。
信用して連帯保証人を引き受けた御人好しは借金返済を要求される金銭的|打撃《だ げき》だけでなく、信頼《しんらい》して連帯保証人を引き受けたという心を裏切られて精神的打撃をも被《こうむ》ることになるのだ……。
「確か、その社長さん、自殺なさるんですわよね…?」
「うん。自殺じゃ保険金は下りないからね。自分が死ねば残された家族が借金を負い、苦しむだけ。」
「……ということは、……心中《しんぢゅう》、…かな。」
レナが悲しい表情で漏《も》らす。…それが真相に違《ちが》いなかった。
「奥さんと幼かった子どもを採石場の中のプレハブ事務所で殺して、家族と自分に灯油を浴びせて、生きたままバーベキューになったとか。」
「悲惨《ひ さん》な話だぜ…。……連帯保証人は軽々しく引き受けるなって言うけど、…本当だな。」
「…それでもレナは、…家族で心中なんて間違ってると思うな。……確かに借金生活はとても大変なことに違いないけど…。……でも、家族でならきっと乗り越えられたと思うの。だから、…家族で死を選んだのが、…レナは悲しい、かな。」
レナが悲しそうに俯《うつむ》く。……息子同然だと信頼していた部下の連帯保証人を引き受け、生活を破綻《は たん》させられた社長一家の不幸。…他人事とは言え、やりきれない話だった。
「………あれ? さっき梨花ちゃんは2人死んだって言わなかったか? 今の話じゃ3人死んでるぞ?」
「あぁ、ごめんごめん。この3人は『穴』の話にはノーカウント。とにかく、この自殺のせいで採石場は閉鎖《へいさ 》され無人になったんだよ。」
当初こそ、自殺現場に社長の無念の幽霊《ゆうれい》が彷徨《さ ま よ》う…という噂が立ったが、新しい遊び場に飢《う》える子どもたちにとって、無人となった採石場は、興味津々《きょうみしんしん》だった。まるで未知の新大陸のように魅力《みりょく》的だったのだ。
やがて、遊びに行ってみようという話になった。幽霊など信じない逞《たくま》しい少年たちが何人かで、採石場へ遊びに行ってみようということになった。
少年たちは新しい遊び場に胸を膨《ふく》らませながら、自転車で谷河内のさらに奥地を目指した。
敷地《しきち 》に入ったことは誰もなかったが、中の様子だけは知っている。
砂利や砂の山。ベルトコンベアーやサイロのような大型機械。ブルドーザーやプレハブ…。少年たちにとって、それらは遊びのインスピレーションを掻《か》き立てるものでしかなかった。
採石場は閉鎖され、門は堅く閉ざされていたが、田舎育ちの少年たちの侵入《しんにゅう》を阻《はば》むことなどできるはずもない。
「へー…! 聞くからに楽しそうだな。自殺の話さえなきゃ、最高に楽しそうなロケーションだぜ。みんなは行ったことあるのか?」
「……みー。行ったことないです。」
「私は『穴』の話を聞いてしまってますもの…。あまり好んで近寄りたいとは思いませんですわね。」
「私は行ったことあるよ。というか、今、話をしてるその少年たちに私も混じってたってわけ。」
「あはは、魅ぃちゃんらしいね。」
「まぁね! 当時の私は、今に輪を掛けて男っぽかったし。女子と一緒《いっしょ》より、男子と一緒に遊ぶ方が多かったよ。だから、採石場に遊びに行ってみようという話は当然、私にも来た。まぁ、当時の私は喜んで|誘《さそ》いに乗ったね!」
柵《さく》を乗り越えたそこにあるのは、放置された採石場という新しい遊び場。すぐに少年たちはそこで何をして遊ぶか相談し合った。
まずは探検から、となるはずだったが、たまたまいい感じの空き缶《かん》が転がっていたため、缶|蹴《け》りをしようということになった。缶蹴りなら、隠れんぼの要素もある。隠れる時に探検の醍醐味《だいご み 》も味わえるから意外にも一石二鳥な感じだった。
「はははは、缶蹴りかぁ! あれはスリリングだよな。鬼《おに》の目を掻い潜《くぐ》って缶を狙《ねら》うスパイアクション的なスリルがたまらない!」
「圭ちゃんもわかってるねぇ! 隠れる場所や充分な広さがあれば、あれはものすごく楽しいゲームなんだよ。採石場はその意味では最高の缶蹴りグラウンドと言えたね。それでジャンケンで鬼を決めて、みんなで隠れるために散っていった。…………でも、…あの時は誰も気にしなかったけどさ。…採石場に入った時から、少し違和感《い わ かん》は感じてたんだよね。」
「…違和感?」
「うん。……臭《にお》い。何て言うのかな、……………おでんのゆで卵を煮焦《にこ》がしたみたいな臭い。食欲を誘うわけじゃないんだけどね。」
「卵の焦げた臭いって、…硫黄臭《い おうしゅう》かな?」
「そうそう、硫黄臭って言うんだろうね。そんな臭いがうっすらとしてたんだよ。」
「……硫黄臭って普通、山の火口《か こう》付近で感じるもんだろ? 採石場からも出るもんなのか?」
「さぁ…。今となってはわかんないよ。実際、あの時しか嗅《か》いだ覚えがない。その後、谷河内には何度か訪れてるし、採石場の近くにも来たことがあるけど、あんな臭いは二度と嗅いでないね。…今にして思えば、あの時にだけ漂《ただよ》ってた奇怪《き かい》な臭いだった。」
でも、少年たちのそんな違和感は、新しい遊び場を見つけた興奮を上回るものではなかった。工場に異臭《いしゅう》は付き物だと、誰も深くは考えなかった。
缶蹴りの鬼がみんなの隠れる時間のため、100を数える。
缶からむやみに離《はな》れても仕方ないし、うまく隠れられる場所を見つけたい。同時に、この新しい遊び場を探検したい。
少年たちは興奮しながら採石場の中をはしゃぎ回った。
何度も鬼を交代しては、色々な場所に隠れたり潜《もぐ》り込んだりして、この場所を徹底《てってい》的に遊び倒《たお》した。
だが、子どもだけに許される夢中な時間は、いつも大人の無粋《ぶ すい》で打ち破られるのだ。
「そしたらさ、急にどこかから関係者?みたいな、作業員のおっさんがものすごい剣幕《けんまく》で走ってきてさ。まぁ、口を開く前から何て言うかは想像ついてたね! このガキ共、ここは遊ぶ場所じゃねぇんねー!! ってさ。」
「ははは、本物の鬼の登場ってわけだな。で、蜘蛛《くも》の子を散らすようにみんなで逃げ帰っておしまいってとこか?」
「そんなとこー! 捕まりゃこってり油を絞られただろうからね! いやぁゲンコツのひとつじゃ済まないツラだったよ。まぁ、今にして思えば無理もない話だね。…当時はダム戦争の真《ま》っ只中《ただなか》だった。ダム事務所への攻撃が飛び火して、ダムとは全然関係ない作業場へも子どもが|悪戯《いたずら》することは少なくなかったって言うし。向こうの剣幕も少しは理解できるね。」
それでみんなは一目散《いちもくさん》。逃げながら、からかいながら、あるいは石を投げながら。敷地の外へ逃れ、各自の自転車に跨《またが》り全速力で逃げた。
逃げる時は真剣だったけど、逃げ切れたことに気付くと誰からともなく笑い始め、最後には楽しい冒険だったということで落ち着いた。
また明日も行って、あのオヤジをからかってやろうか、なんて話も出た。でも、採石場はダムとは関係ないから、悪戯をすればきっと怒《おこ》られると誰かが止めたため、ほとぼりが冷めるまではしばらく遠慮《えんりょ》しようということになった。
どうせ作業の人だって営林署《えいりんしょ》と同じで日曜日は休みだろう。日曜日だけ遊びに行ける遊び場ということにすればいい。そういうことで納得した。
「でも魅音さん、ちょっと変な話ですわね。その採石場はもう潰れて閉鎖されて無人だったんでございましょう? どうして人がいるんでございましょうね?」
「……うーん、まぁ、よくわかんないけど、会社が潰れたって社員はいるわけだし、…後片付けとか、…破産|管財人《かんざいにん》? とか、…うーん、まぁ、何だろうねぇ。とにかく、無人だと決め付けたのは子どもの浅はかさだったみたいだよ。」
少年たちが雛見沢に戻《もど》って来る頃にはもう暗くなっていた。門限の厳しい子もいる。だから、そのまま流れ解散となった。
………でも、実はもう、この時には消えていたのだ。
「実は、……その作業員のオヤジに怒られてみんなで散って逃げたからさ、全員で一緒にまとまって帰ったわけじゃないんだよ。」
「つまり、その場にはいない子もいたわけだね…?」
「私たちは子どもだったし。それに人が消えるなんて、考えるわけもない。だから、私たちとは別の方向へ逃げ、村へ戻って来るのが|遅《おく》れてるのか、さもなきゃ器用に逃げてとっくに帰宅しているか、あるいはドジって捕まって油を絞られてるかのどれかだと思った。いずれにせよ、また明日学校で会えると信じて疑わなかったんだよ。」
「それって、行方不明ってヤツなのか…?」
「……オヤシロさまの崇りにあって、鬼隠《おにかく》しにされてしまったのではないか、なんて言われていますです。」
「ほ、本当か嘘《うそ》か、ちょこっとわかりかねる話でございますけどね…。離見沢の怪談みたいなものですわ。第一、その消えた方の名前、不明じゃありませんの。」
「…不明なんかじゃないよ。…その子の家族は今も雛見沢に住んでるから、みんな気遣《き づか》って忘れたふりをしてあげてるんだよ…。だって私は、一緒に遊んだことあるもん。だから、苗字《みょうじ》も名前も、今でもしっかり覚えてる。………でも、…圭ちゃんとレナには一応、A君って言い方にしておくね。」
その夜、Aの親から友達の家に電話が掛かってきた。…Aがまだ帰ってこないというのだ。
みんなで分かれて帰ったから、Aが誰と一緒に帰ったのかはわからない。だから、採石場に遊びに行った全員の家にAの親は電話を掛けた。…その結果、わかったのは、……Aと採石場から帰った子は誰1人いなかったということだった。
Aとは確かに一緒に遊んだ。みんなで缶蹴りで楽しく遊んだし、ちゃんと鬼もやってるはずだ。小柄《こ がら》さとすばしっこさで、妙な|隙間《すきま 》や物影にうまく潜り込み、|絶妙《ぜつみょう》のタイミングで鬼の目を掻い潜り何度も缶を蹴飛ばしている。
「たまたまうまく隠れてて、オヤジが来てみんなが逃げ出したことに気付かなかったんじゃないのか? ほら、缶蹴りで有名なイジメにあるじゃないかよ。鬼だけを残してみんなで帰っちゃうってヤツ。」
「あ、あれは腹が立ちますわよねぇ!! もちろん、そんなことをしてくださった方々には翌日から一週間、北条沙都子《ほうじょうさと こ 》トラップ大カーニバル、無料ご招待の刑《けい》でございましたけれど!」
「……にぱ〜☆」
「そうですわよ、あの時は梨花まで私を置いて帰ってしまいましたのよー!! 梨花にはまだお返ししてませんわー!!」
「みーみー! あははははは☆」
「たまたまそのAは綺麗《き れい》に隠れちゃってて、オヤジたちが来てみんなが逃げ出したことに気付かなかったってことだろ。その採石場ってのが広ければ広いだけ、その確率は高いよな。」
「……それは、レナはおかしいと思うな。」
「どうして…?」
「だって、缶蹴りって、鬼の目を盗んで缶を蹴っ飛ばすゲームなんだよね…? だったら、常に鬼や缶の動向をうかがってるはずだもん。みんなが逃げ出す瞬間に例え気付かなかったとしても、みんながもういなくなってることにはすぐに気付けたはずだよ。」
レナの言うそれは、どうやら正しい分析《ぶんせき》のようだった。魅音も神妙そうな表情で頷《うなず》いて応《こた》える。
「レナの言う通りだよ。例え、みんなが逃げ出すところを見てなくても、5分もしない内にみんなが帰っちゃってることに気付いたはず。」
「そのAが鬼だったら、みんなが帰ったことには気付けないと思うぜ?」
「Aは鬼じゃなかった。最後の鬼は覚えてる。全然違う人。」
「なら、…常識で考えて、そのAも缶蹴りが終わったことに気付いて、ひとりで帰ったと考えるべきだろうな。」
「帰る途中《とちゅう》で事故にでもあったかもしれないって思うのが普通だよね。圭ちゃんたちも気付いてると思うけど、この辺りは街灯がほとんどない。だから、ひょっとして自転車がパンクしちゃって、暗闇の中で途方に暮れてるかもしれないと、親はそう思ったんだよ。それでA君の父親が車で採石場まで行ってみることにした。」
ひょっとすると、入れ替《か》わりでAが帰ってくることもあるかもしれない。だから母は留守番をすることにして、父を見送った。
……だが、それが父との最後の別れになってしまった。
「え…? じゃ、父親も戻らなかったのかよ!?」
「うん。結局朝になるまで何の音沙汰《おとさ た 》もなし。母親は何か大変なことがあったに違いないと思い、すぐに警察に届けたよ。で、すぐに見付かった。」
A君とその父親を乗せた車は、谷河内から雛見沢へ戻る途中の沢で見つかった。
車内にはA君とその父親。そして、A君の乗ってきた自転車が積まれていた。その|状況《じょうきょう》から考えて、無事にA君を見つけられたが、その帰り道にハンドルを誤って斜面《しゃめん》下の沢《さわ》へ転落したものと思われた。
「…可哀想な話だね。せっかく迷子を見つけて家に帰るところだったのにね…。」
「……そこで、ちょっとおかしい話になりますのよね? 確か、事故現場が採石場にだいぶ近いらしいんですのよ。」
「採石場に近いとどうおかしいんだ?」
「だって、父親が車で迎えに行ったのはだいぶ遅《おそ》くなってからでございましてよ? 辺りが真っ暗になるくらいにそんな時間まで、Aさんはずっと採石場に居たわけでございますの?」
「ん、……それはその、……あれだ。逃げ帰ろうとしたら自転車がパンクしてたとか!」
「いや、車中から見付かった自転車は特にそういうことはなかったらしいよ。」
「じゃあ、あれだ。採石場のオヤジに捕まって、たっぷり絞られてたんじゃないのか? そこを親に迎えに来てもらったんだろう。」
「そんな真っ暗になるまで延々《えんえん》お説教というのも、何だか変ですわよね。」
「そうだね。そんなに辺りが暗くなるなら、採石場の人も、子どもをひとりで帰すなんてしないと思う。…家に迎えに来るように電話くらいするんじゃないかな。」
「ここでいきなり妙な話になるんだけどさ! その後、警察が調べたら、その日、採石場には誰もいなかったって言うんだよ! そんなはずない! 私たちはおっかないオヤジに確かに追っ掛けられたよ! 確かに人はいた!」
「お、落ち着けよ魅音…。多分、何かの勘違《かんちが》いだろ? 魅音たちが見た以上、居たのが真実じゃねぇか。」
「……魅音さんには悪いですけど、その作業員のおじさんが、実は幽霊なんじゃないかって囁《ささや》かれていますのよ。」
「そんなはずないって!! あんなドタドタ走る重量感のある幽霊がいるわけないでしょ!? ………うううん、でも、…確かに作業服は違ったんだよね…。」
「作業服は違ったって、何の話だ?」
「あ、…うん。つまり、採石場の会社の人の作業服とは、…違ったんだよ、そのオヤジ…。」
その後、採石場の人と警察が話をし、その席に少年たちも呼ばれた。だが、採石場の会社の人の着る作業服は、あのオヤジが着ていた作業服とは違う色だった。
少年たちの見たオヤジの作業服の色は、その採石場には存在しない作業服だと言うのだ。採石場の会社の人は、少年たちが説明する作業服など一度も見たことがなく、そんな人間が出入りしていたこともなかったと証言した。
「何だか妙な話になってきたじゃねぇかよ…。じゃあそのオヤジは何者だったんだよ。…出てけって喚《わめ》いたら、普通はそこの人だと思うよな。」
「私《わたし》たちは、あれは採石場のオヤジだったと信じてるよ。でも、私たちが覚えていた身体的|特徴《とくちょう》は、採石場の会社の誰にも該当《がいとう》しなかった。」
「……う――ん、よくわかんないけど、業者さんが出入りしていたとか。その、警察で話をした社員さんの知らない業者さんとか。」
「そうかもしれないねぇ。…でもとにかく、あの時のオヤジについては正体不明。第一、あの当日は会社の人は来てなかったから、全《すべ》ての建物も門も施錠《せじょう》されていた。だから、あのオヤジも私たちと同じように柵を越えて入ったんだろうし、プレハブなどの事務所にも入れたはずがない。…何であの場所にいたのか、考えれば考えるほどに不自然だけどね。」
「そのオヤジは何かの見間違いってことでいいんじゃねぇのか? 第一、Aと父親は無事合流できたんじゃないか。…まぁ確かに、そんなに暗くなるまでAが採石場にずっと居たってのはちょいと引っ掛かるけどな。」
「……Aは、『穴』に落ちていたのではないかと噂されてますです。」
「…穴?」
「………う――ん。私も今のこの年になって聞いたなら、きっと馬鹿馬鹿《ばかばか》しい話だと思うに違いないんだろうけど。…小さかった頃に聞いちゃったもんだから、この年になっても、『穴』の話だけはなぜか笑い捨てられないんだよねぇ…。」
「また穴の話になったけど、…穴って何?」
「穴ですわ。それもとても深い。…地の底の鬼の国に通じていると言われていますわね。」
「……雛見沢の昔話では、鬼ヶ淵《おにが ふち》の沼底は地の底の鬼の国につながっていると言われていますです。」
「つまり早い話が、…鬼ヶ淵村の伝承では、村の地下深くには鬼の国、つまり|地獄《じ ごく》があるってことになってる。そこに直結する『穴』があるんじゃないかって話なんだよ。」
「また妙な話になってきたな…。つまり何だよ、その『穴』に落っこちて、Aは地獄に行ってたってのか? そりゃまたぶっ飛んだ話だな…。」
「『穴』の話って、全国的には結構あるんだよ? 荒地《こうち 》で日本軍が演習やって、終わった後に点呼を取ると1人足りなくて、いくら探しても見付からない話とか、…山菜採りに出かけた人が突然《とつぜん》姿が消えてしまった話とか。それも、一緒にいた人の目の前でとかね。」
日本古来から伝わるオカルト現象の中でもっとも有名なのが「神隠《かみかく》し」だ。人が忽然《こつぜん》と姿を消してしまう怪現象。……ちなみに、雛見沢では「鬼隠し」と呼ぶ。
天狗《てんぐ 》がさらったとか、次元の狭間《はざま 》に落ちたとか、…色々な話があるが、一般に共通して、その後に発見されたという話もないし、死体が見付かったという話もない。完全にこの地上から、その存在が消えてしまう…。
「…なるほどね。地の底には鬼の国。……そこにつながる『穴』で人を隠すから、鬼が人を隠して『鬼隠し』というわけなんだ?」
「さぁ…、語源までは知らないけどね。とにかく、あの日、あの採石場には地獄に通じる『穴』がぽっかり開いていて、…Aは知らずにその穴に入ってしまったんじゃないかって言うんだ。……ほら私、最初に言ったよね? その日、採石場では硫黄の臭いがしてたって。それも、あの遊びに行った日だけ臭ってたって。」
「……その硫黄の臭いは、実は地の底の鬼の国から漂ってきた臭いなんじゃないか、って言われてますわね。」
「確かに硫黄の臭いって、地獄を象徴するものかもな。火山の噴火口《ふんか こう》付近の荒地や、煮えたぎる硫黄泉のイメージが、昔はよく地獄に例えられたらしいし。」
「その採石場には硫黄が湧《わ》き出すということはあるの?」
「まさか。だから嗅いだのはそれ一回きりなんだよ。そもそもあんな臭い、雛見沢一帯じゃ縁がないよ。それこそ、どこかの山の火口にでも行った時くらいしか経験がない。」
雛見沢ではあり得ないはずの硫黄臭。
硫黄の臭いは地の底にあるという鬼の国からの誘《いざな》いなのか。
「でも。…『穴』と何か関係あるのか? だって、Aは消えたわけじゃないだろ? 無事、父親と合流できて、その帰りの事故じゃないか。」
「……う――ん、…何しろ、子どもの世界の怪談だからねぇ。…事実とデマが混同しちゃってて、その場に居合わせたはずの私自身、実はうまく説明できないんだけど…。……えっとね、当時、こんな話があったんだよ。まぁ、子どもの世界の話なんで、ちょっと逸脱《いつだつ》してるのはご容赦《ようしゃ》ってことで。」
沢に転げ落ちていた車は無残なものだった。
車内には2人の遺体があり、これだけの斜面を転がり落ち、しかもこれだけ無残に車体が潰れていれば、ただでは済まないことを容易にうかがえた。
……だが、…検死の段階で妙な噂が流れた。2人が事故で死亡したものと誰もが信じたが、…実は、事故を起こす前にすでに死亡していたのではないかと言われたのだ。
この話のソースははっきりしない。ただの噂話かもしれないし、子どもの界隈《かいわい》で誰かが言い出した尾《お》ひれかもしれない。…あるいはひょっとすると、本当のことなのかも。
その噂が本当ならば、…2人は車で雛見沢に帰る途中の車内で、何らかの理由で急死。そしてそのまま道を外れて沢へ転落…ということになるらしい。
「聞くところによりますと、一番最初に車を見つけた村人は、車の中を覗《のぞ》き込んだ時、さっきから魅音さんの言ってますような、卵の焦げた臭いをうっすらと感じたと言ってるらしいんですの。」
「また、硫黄臭だね。…採石場で遊んでいる内に臭いが染み付いちゃったのかな。」
「いや、そこまでひどくはなかったよ。だって、帰ってきた私たちはそんなに気にならなかったし。」
「……Aたちは、硫黄臭のより濃い世界≠ヨ、迷い込んでしまったとか言われてますです。」
「硫黄臭の、濃い世界…。」
「うん。…Aはね、『鬼の穴』を見つけて、そこをちょうどいい隠れ家だと思って、入り込んでしまって、……生きてる人が辿《たど》り着いてはいけない世界に迷い込んでしまったって言われてるんだよ…。」
Aは人知《じんち 》の及《およ》ばぬ異世界に迷い込み…、必死で元の世界に戻ろうと足掻《あが》いたのだろうか。
みんなはすぐそこの地上で楽しく缶蹴りで遊んでいる。……自分のことには気付きもせずに。
そして、自分がいなくなったことに誰にも気付いてもらえず、自分だけが地の底にひとりぼっちの置き去り…。
Aは地底を彷徨《さ ま よ》いながら、泣いて、泣いて。…届くはずもない家族の名をずっと呼び続けた。……その声を、採石場を訪れた父親が奇跡《き せき》的に耳にできた。
父親は硫黄臭の噴《ふ》き出る異世界への穴を見つけ、恐《おそ》れず地の底へ足を踏み入れ、もがく息子を見つけて無事に地上へ連れ戻した…。
だが、地の底の鬼の国の「瘴気《しょうき》」はすでに2人の体を蝕《むしば》んでいたのだ。
「瘴気って…?」
「……鬼の国に満ちていると言われる悪い空気なのですよ。」
「硫黄の臭いのする毒ガスみたいなものと言われてますわね。」
「オヤシロさまの崇りで村が滅ぶ時、その瘴気が鬼ヶ淵の沼より溢れ出て村を飲み込むって、昔話では伝えられてるねぇ。…おっかない話だよ。」
そして、車は採石場を後にしたが、……結局、『穴』から逃れても、命まで逃れたわけではなかった…。結局、瘴気は急速に2人の体を蝕み、…その命を地の底に引き戻してしまった…。
「はは、ははは! 何だか安っぽい話だなぁ、おい。まさかそんな出来の悪い怪談がここじゃあまかり通ってるのかぁ?」
「……確かに私も出来が悪いお話とは思ってますけど。…でも、…そういうことになってますわねぇ。」
「事故の死因とガスでの死因はちゃんと違うと思うな。…そういうのは警察とかがちゃんと調べるんじゃないのかな…?」
「調べて、それで特にその後、騒いだって話がないから、多分、単なる事故死で、瘴気で死んだってのが尾ひれなんだと思うんだけど、…硫黄の異臭の辺りで多分、妙な噂が立っちゃったんじゃないかなって思う。」
「…硫黄の臭いなんて、普通じゃありませんものねぇ。」
「あれ? でも、……ほらあれ。………そうだ、硫化水素《りゅうかすいそ 》って言ったっけ? あれって確か硫黄臭のする猛毒《もうどく》ガスだろ。確か、マンホールとか廃液のタンクとかから湧き出したりってこと、なかったっけ? よくは知らないんだけど、下水の中のアンモニアだかとかが分解されて生成されて溜《た》まるとか何だかんだで、たまに工場の廃液タンクを清掃《せいそう》中に作業員が中毒死したなんてニュースがあったはずだぜ。」
「へぇ、そうなの? 圭ちゃん頭いいねぇ。」
「『穴』の話は胡散臭《う さんくさ》いけどな。…その採石場に廃液か何かのタンクがあって、それが老朽《ろうきゅう》化で亀裂《き れつ》でも入って中の悪いガスが漏《も》れて……。そう言や、硫化水素って金属を腐食《ふしょく》させるらしいしな。」
「確かに、それだと話の筋は通りますわね。缶蹴りで遊んでいる内に、妙なところに入り込んでしまって、廃液から漏れ出す悪いガスを吸ってしまってそのまま倒れてしまった。」
「……そこに、お父さんがやって来てくれたけれども、お父さんも悪いガスを吸ってしまったに違いないのです。…みぃ。」
「へ――……。圭ちゃん、なかなか頭いいねぇ…。そういう風に説明されたら、長年の謎《なぞ》があっさりと解けちゃった気がするよ。」
「でも、圭一くんの言う硫化水素の事故だと、もっと劇的じゃないかなぁ。高い濃度だと、吸った瞬間に昏倒《こんとう》しちゃうような危険なガスだったはず。……倒れた人を助けようとして近付くと、次の人も倒れちゃうくらいに危険なガスだったような…。」
「……それもそうだよな。倒れてる息子を連れ出そうとしたなら、その場所にはそれだけの濃度のガスが滞留《たいりゅう》していたはず。近付いた父親もただじゃ済まないよなぁ。」
「でもさ、その採石場では私たちも遊んでたんだよ? もしそんな危険なガスが漏れ出してたなら、私たちにも何か後遺症《こういしょう》とかあってもいいんじゃないかなぁ?」
「火山の事故なんかだと、わずかちょっとの窪《くぼ》みの上に居たか下に居たかだけで生死を分けることもあるって話だぜ。ほら、ビーカーの中の長さの違う2本の蝋燭《ろうそく》が、短い方から消えていくって実験やったことないか?」
「蝋燭から出る二酸化炭素がビーカーの底に溜まっていって、低い蝋燭からそれに飲まれていって火が消えるっていう実験かな…?」
「そうそう、それそれ。でも、肉眼では二酸化炭素が溜まっている層は見ることができない。低い蝋燭から順に火が消えていくのを見て、二酸化炭素の層が厚みを増していくのを推測する他《ほか》ない…。気体ってのは、その層の上にいるか下にいるかで、はっきり明暗が分かれるものなんだよ。…だから案外、魅音たちは、文字通り、死の『穴』のすぐ近くで遊んでいたのかもしれないぜ。」
「……つまり、『穴』は本当にあって、…その底には漏れ出した悪いガスが溜まっていて、そこに入ったAさんは窒息《ちっそく》してしまった…ということなんですの?」
「そう考えると、『穴』と硫黄臭というキーワードは重ねやすいな。…でも、さっきレナも言ったとおり、そんな危険なガスの穴の底で倒れてるAを助けようとしたら、穴の底に降りた父親だって昏倒して二次遭難してたはずだ。それに、硫化水素中毒なら検死ではっきりわかるもんだと思うしな。…よくは知らないけど、きっと血液中から検出されて、明らかに交通事故とは違う死因であると特定できるはず。それで検死した結果、事故死に違いないってことになったんだろうから、俺の推理は|所詮《しょせん》、妄想《もうそう》の域を出ないけどな。」
「……………ん――、どうなんだろうねぇ。何かのドラマで見たんで、本当か嘘かは知らないんだけど、検死ってのは医師の初見《しょけん》で簡単に決められちゃうんだって。初見の医師が、事故死に間違いないから解剖《かいぼう》の必要はナシって言っちゃったら、それでおしまいになっちゃうらしいよ。それが日本の検死制度の弱点らしくて、初見の誤診《ご しん》率は30%を超《こ》えるとかドラマでは言ってたなぁ。」
「つまり、圭一さんの言うのが真相である可能性もあるということですのね?」
「30%程度にはね。」
「まぁ、俺も付け焼刃《やきば 》の知識でいい加減なことを言っただけだからな。真相なんて見当もつかないけどよ。……ただ、それでも、どうもこの事故には、単なる事故では済ませられない何かか潜んでいるように思うぜ。」
「……単なる事故じゃなかったら、………圭一は何が潜んでいると思いますですか…?」
「ん〜〜、そうだなぁ…。……ポイントはいくつかあるな。遊んでいる間に消息を絶ったA。いるはずのない作業員のオヤジ。そして父親がやって来るまでの間、暗くなってもまだ採石場に留まっていたことの意味。そして、無事合流できて帰る途中の車中での謎の怪死…。」
「ね? 『穴』の話だと、それらのポイントを全部、うまく使ってるでしょ?」
「…なるほどなぁ。怪談を考えた連中も、一応、押《お》さえるべきツボは押さえてるようだな。」
「……それで警察は、その採石場を調べたの?」
「いや、調べなかったと思うよ。だって、事故死ってことになったんだし。2人の死因には不審《ふ しん》な点はない、ってことになったらしいし。」
「でも、事故の前に死んでたって言う噂は立ったんだろ? 火のないところには噂は立たねぇぜ? 警察での検死で揉《も》めた証拠《しょうこ》じゃねぇのか?」
「さぁねぇ…。警察に知り合いなんかいないからね。真相はおじさんも知り得ないけどさ。」
「採石場を調べて、危険なガスが漏れ出してないか調べればいいのにな。」
「……ガスで人が死んだのが間違いなければ、でしょうが。」
「それが事実なら、採石場跡は今も変らず危険な場所ってことになるよ。……学校の子たちはみんな『穴』の話を怖がってるから近付かないけど、理由はともかく、近付かないのは正解かもしれないね。」
「…わざわざ遠い谷河内まではるばると、薄気味悪い噂の真相を確かめに行きたいとは思いませんわね。」
「レナもそんなところに行くのは賛成じゃないかな…。もし今も悪いガスが漏れてたりしたら、とても危険だもの。」
「おじさんはむしろ、興味が湧いてきたけどねー! 昔は怖がってて鵜呑《うの》みにしてた話だけどさ。圭ちゃんの話を聞いてる内に、怪談の真相が見えそうな気がしちゃってさ! 今度、みんなで探検してみない? って提案しようかと思ってるくらいだよ。」
魅音にとっては、長いこと妄信してきた怪談が、実はちょっとした事故によるものかもしれないとの糸口が見え、面白くてしょうがないのかもしれない。
恐らく、昔はこの怪談を怖がり|枕《まくら》を抱《だ》いた夜もあるのかもしれない。…だからこそ、その苦手だった怪談のバケの皮を引っぺがしてやりたいという気持ちがあるのだろう。
やたらと好戦的に笑う魅音の気持ちは、少し理解できるものだった。
でも、そんな魅音を諭《さと》すように、梨花ちゃんはゆっくりと言った。
「……魅ぃ。忌《い》みとする場所もありますです。祟りも怪談も、そこから人を遠ざけるためのものでしかないのです。」
「難しいことを言うなぁ。忌みとする場所って何だい?」
「……圭一。世の中には光があれば陰が必ずあるように、良い場所もあれば悪い場所もあるのです。悪い場所は、悪い場所です。…そこに立ち入ることで、何の理由もなく人を不幸にします。……理由など必要なく、近付かない方がいい場所もありますのですよ。そういう良くない場所を、言葉でうまく説明できない時、ボクたち人間はそこを、忌みする場所≠ニ呼びますのです。」
珍《めずら》しく多くを語る梨花ちゃんのその言葉には、何か大切なことが含まれているように感じた。
世の中、全てのことが理詰《りづ》めで説明できるわけじゃない。
それに説明を求めようとするのは人としての欲求でもあるが、無知が災厄《さいやく》を招くこともある…。
世の中には、梨花ちゃんの言うところの忌みとする場所などきっといくらでもある。そして、その中には理詰めでは説明できない、本当に奇怪なことも含まれているのかもしれないのだ。
何しろ、俺たちの住む雛見沢にだって、……毎年、綿流《わたなが》しの日に起こる奇怪な事件があるじゃないか。理詰めでは到底《とうてい》説明できない、不思議な事件の数々。
俺自身、連続怪死事件に妙な好奇心を持って首を突っ込んだために、その好奇心を呪ったこともあったんじゃなかったっけ……………?
梨花ちゃんの言う通り、祟りも怪談も、何かから人を遠ざけるための方便《ほうべん》だ。怪談のロジックに矛盾《むじゅん》があるかどうかを暴《あば》くのが大切なんじゃない。その場所には近付かない方がいいという先人の忠告に耳を貸すことが大切なのだ。
「好奇心は猫《ねこ》を殺す、とも言うもんね。……よくない噂のあるところなら、変な興味は持たない方がいいのかもしれない。」
「…そうですわよ。私もレナさんに同感ですわ。」
「う――ん、そういうもんかねぇ…。圭ちゃんはどうよ。探検に行ってみたくはない?」
探検の賛同者が現れないので、口を尖《とが》らせた魅音が俺に振ってくる。
「そうだな…。俺的には結構行ってみたいけどさ。でも、行きたくないってヤツもいるんだから、俺は無理に行こうとは思わねぇな。」
「えー、何よー。圭ちゃんまでまさか、怪談を信じちゃってビビってるってわけじゃないよねぇ?」
挑発《ちょうはつ》気味に笑う魅音だが、魅音自身、今日の今日までその怪談をビビっていたクチのはずだ。そもそも一番最初に自分で言ってる。採石場はお勧めしないって。だから、今さら怖くない風を装《よそお》う魅音がとても滑稽に見えた。
「それより、もう帰ろうよ。だんだん涼しくなってきた。暗くなる前に帰らないとお父さんが心配しちゃう。」
「そうだな。暗くなってから帰ってきた娘が、そんなトンデモナイ格好だったら、お父さんきっと卒倒《そっとう》しちまうぞ。」
「は、はぅ〜!! それは圭一くんも同じだよ〜ぅ!」
みんなでもう一度、互いの格好を笑い合った。
「仕方ない。多数決で探検は否決されたからね。じゃ、帰ろうか。」
そこで俺たちは引き返し、来た道を戻り始めた。ここは谷間だから、日が傾《かたむ》きだすと暗くなるのが早い。急いで帰ろう。お腹《なか》も空《す》いた。
ここに来る途中、楽しそうな場所はほとんどなかった。…俺は今後も、この谷河内の辺りまでやって来ることはそうそうないだろう。だから採石場に近付くことはあるまい。
……本当は採石場には興味がある。年頃の男として並の冒険心があれば、怪談など恐れるどころかむしろ飛び込んで行きたいくらいだ。
でも、梨花ちゃんの言うように、そこが忌みする場所≠ナあるならば、俺はそれを尊重したほうがいい。
忌みする場所を恐れるというのは、神聖な場所を敬うという気持ちに通じる。
土地には土地の信仰《しんこう》があり、ルールがある。その土地でその場所を恐れよと教えるならば、それに従うのが新しく|郷《ごう》に入ったものの勤めだ。それを軽んじれば、郷里《きょうり》の教えを破るのも同じこと。祟りはなくとも、村の人たちに白い目で見られることもあるかもしれない。
大切なのはコミュニティのルールに従うこと。コミュニティの一員として、しきたりに従うことだ。俺たち部活メンバーにだって、決して破ることの許されぬ会則がいくつもあるじゃないか。それと同じだ。
だから俺はそれに従う。だから採石場に、近付かない。
突然、俺の頭が撫《な》でられた。背伸《せの》びをした梨花ちゃんだった。
「……圭一はいい子いい子です。ちゃんと学習しますのです。」
「いい子いい子って、俺、別に何もいいことなんかしてないだろ。」
「ちゃんと採石場に行きたいのを我慢《が まん》できましたです。……ちゃんと学習してますのですよ。」
「もし、俺がこっそり採石場に探検に行ったなら、……俺もその『穴』に落ちて、鬼隠しになっちまうかな。」
「……なりますですよ。」
梨花ちゃんは、にぱ〜☆と笑いながらだったが、…恐ろしいことを平然と口にするのだった。
顔は笑っているが、瞳《ひとみ》の奥が笑っていない。それはまるで、俺の目の前に落とし穴があって、あと一歩進んでいたらそれに落ちていたと、自覚なく回避《かいひ 》した危険を教えているように見えた。
そんな馬鹿なと笑い返しておいたが、それは馬鹿なことでも何でもなく、真実なのかもしれない。
ここは雛見沢。かつて鬼ヶ淵村と呼ばれた半人半鬼《はんじんはんき 》の仙人《せんにん》たちの血を受け継ぐ村。
そして村には守り神であるオヤシロさまがいて、厳しい戒律《かいりつ》と祟りが支配している。……オヤシロさまの崇りはすでに4年連続して起こってる。それも毎年同じ、綿流しの日に。
4年も連続したなら、きっと5年目だって起こる。誰もがそう信じてる。
ソシテソレハ、必 ズ 今 年 モ 起 コ ル。
逃れられぬ崇りのある村に住む俺が、…わざわざ怪談に首を突っ込む必要などないのだ。
……自ら首を突っ込まずとも、……崇りの方から俺のところへやって来るかもしれないのだから…。
もうすぐ、綿流し。
[#改ページ]
底本:「ひぐらしのなく頃に 外伝【猫殺し編】」スクウェア・エニックス
コミック「鬼隠し編1」「綿流し編1」「祟殺し編1」3冊購入者限定全員応募者サービス(非売品)
2006(平成18)年06月発行
入力:TJMO
校正:TJMO
2006年10月15日作成