■皆殺し編TIPS
;■1 *代子へ
先立つ不幸を許せ。
余命幾ばくもなく、薄れる意識の中でいつが己の死する時かもわからず旅立つよりは、自らの足で死出の旅路に踏み出したい気持ちをどうかわかってほしい。
そのお陰でこうして文を残せる。
無意味な延命に寝惚けた意識の中で死を迎え、何も残すことができない恐怖に私は耐えられないのだ。
だが、結局、私は何も残せなかった。
私の積み上げてきた人生も誇るべき実績も結晶も、何もこの世には残せなかった。
私の死後に忘れ去られるのではなく、私が存命している内から忘れ去られた。
それを見ながらこの世を去らねばならぬ苦痛は筆舌に尽くし難い。
お前は祖父を越えなさい。
祖父の至れなかった先へ至りなさい。
分野は何でも構わない。
後世に名前を残しなさい。
それが無理なら偉業や成果を残しなさい。
人の身である以上、私もお前もやがては死ぬ。
人の身である以上、やがては焼かれて灰になる。肉の身は灰となるのが定めなのだ。
だが、お前が優れた偉業を残し名を残したなら、灰となっても永遠に生き続ける。
人の身を失いても生き続ける時、人はそれを神と呼ぶ。
祖父もそうなりたかったが至れなかった。
お前は神になりなさい。
;■2 オヤシロさまも団欒
夕食後、私と沙都子と羽入はテレビを見ていた。
バラエティ番組の中で、お笑い芸人がどっと観客を沸かせる。私たちも大笑いしていた。
「ほっほっほっほ! ざまぁないでございますわねー!!」
「あぅあぅあぅ、でも、とっても痛そうなのです…。」
「……みー。にぱ〜☆」
私の目から見ると3人での食後の団欒だが、実際には私と沙都子の2人しかいない。
羽入が見えるのは私だけだ。
沙都子には当然見えていない。
沙都子が何かを言うたびに羽入も相槌を打つ。
その相槌が沙都子に聞こえるわけではないのだが、羽入は機嫌がいい時にはよく相槌を打っていた。
それは例えるなら、テレビの中の人物の問いかけに返事をするような、決して双方向でない擬似的コミュニケーションでしかない。
…言ってみればコミュニケーションのままごとかもしれない。
私以外の人間と意思を疎通できな羽入が、そういう遊びを覚えたのは必然と言えたに違いない。
だから、部活にも羽入はいつも一緒にいて、みんなの盛り上がりと一緒になって笑ったりハラハラしたりしているのだ。
……もし、羽入が普通に会話をすることができたなら、私たちの良き仲間として迎え入れられてるだろうか。
…それを想像することは、かえって羽入を傷つけることになるので避けた。
古手家に伝わる古い古文書に出て来る奇跡の話が、全て事実でそれが羽入を指すなら、羽入は太古の昔、少なくない人々と交流しその力を示せた。
…それが今では神通力のジの字どころか、私以外には存在を感じ取ってもらうことすらできない。
羽入がどうしてそういう、らしい力を喪失したのかは語られたことがない。
時代と近代化が進み、神々の居場所がなくなるにつれ羽入の力や存在は薄まっていったのだろうと納得するしかなかった。
古手家に女子が七代続けば、オヤシロさまが蘇るという伝説。
…確かに私の代になって羽入は久し振りにコミュニケーションができる人間と出会えた。
…それは人間側の見地からだと、オヤシロさまが蘇ったということになるのだろうか。
村人たちが崇めるオヤシロさまという存在と、そうだと主張する羽入の存在は時々重ならない。
沙都子と一緒に並んでうつ伏せになって、頬杖をしながらテレビを楽しむその姿からはとてもとても。
;■3 僕とボク
古手梨花は、自分が初めて家族の存在を知った時、自分を4人家族だと信じて疑わなかった。
当り前のように見える家族、
生まれたばかりの梨花は、僕が自分にしか見えない存在だとは夢にも思わなかっただろう。
僕の容姿は人間のそれとは違う。
人の姿を形作っても角だけが隠せない。
だから、どう微笑もうとも、自分が人間の仲間ではないことは明白なのだ。
でも、生まれたばかりの梨花が、当り前の光景として僕の姿を見たなら、この醜い角のことも気にしないでくれるのではないだろうか。
その淡い期待は実った。
雛(ヒヨコ)が生まれて最初に見たものを自分の親だと信じ込むように、梨花も何の疑問も持たずに僕を家族だと信じてくれた。
角が生えていてもだ。
だから、梨花が僕を家族だと信じてくれた日から、僕と梨花は一番の家族で仲良しになった。
梨花にとっては両親より身近な遊び相手であり、僕にとっては、思い出せないくらいに長い時間を経た久し振りの交流相手。
僕たちは常に一緒に過ごしたっけ。
ただ、家族、とりわけ母親は僕の存在を強く否定した。
梨花にとって当り前な家族である僕の存在をあまりに何度も強く否定したため、…梨花は母親との距離を開くようになっていった。
子どもたちが母親と遊ぶ中で学んでいくべきことを、梨花は学ばなくなってしまった。
だから、僕が母親であるべきだと思い、昔から伝わる色々なことや知恵、習い事を教えてあげた。
…………皮肉なのは、それがどういうわけか余計、母親に嫌われたことだったのだが。
そう言えば、自分の呼び方でずいぶん母親と喧嘩をしていたっけ。
梨花が自分を“私”と呼ばず“ボク”と呼ぶのは僕のせいの可能性が高い。
あの頃の梨花は、母親と仲が悪いことを除けば、ごく普通の少女だったのだ。
沙都子とそっくりな雰囲気。
野山を駆け巡り、いたずらが大好きな元気な少女だった。
……………だが、昭和58年6月。
…梨花は命を奪われた。
僕たちは、梨花の成長と共に人生を満喫し、謳歌する以上の幸せは願っていない。
…僕の力は、それに至るための道筋を探るだけだ。
確かに、何度繰り返しても悲しい運命は覆せない。
…それは確かに悲しいことだけれども、………落ちてしまい、這い上がることのできない井戸の底に楽しみを見出すのだって、悪いことじゃない。
古手梨花の人生は確かに運命の袋小路に埋もれ、悲惨の一言に尽きる。
でも、…僕は梨花と、本来の梨花の寿命以上の時間を一緒に居られることに、ささやかな喜びも感じていたのだった。
もちろん、梨花と一緒なだけじゃない。
問い掛けには応えてくれないけれど、
それに加わることはできないけれど、
;■3.5 高飛び直前
;※3日目の次の日。4日目の前の日。日付表記がつけてない日があった…orz
「これが航空券だ。遅れんなよ。後のカネは現地だ。」
「おおきにおおきに。ほい間宮ン。」
「きゃははは、サンキュー! 私、札幌って一度行ってみたかったのよねー。」
「……北条の野郎にゃ気取られてねぇだろうな。」
「大丈夫だよ。あいつ馬鹿だもん。/
でかいのはナニと態度だけー。」
「へははは、そうなのかよ。」
その時、突然、タイヤの鋭い泣き声がいくつも聞こえてくる。
ぎょっとして男がカーテンの隙間から外を見ると、黒い車が3台、アパートの前に乱暴な停め方をしたところだった。
車からは見るからにガラの悪そうな男たちがわらわらと降りてきた。
その男たちの何人かがこの窓を見上げる。
目が合った気がして慌ててカーテンのわずかの隙間を締めた。
「畜生、嗅ぎ付けやがった!! ズラかれッ!!」
「ちょっと…、嘘、マジ?! 何で今日バレるのよ!」
「間宮ン、ボケっとすんな!! 捕まったら殺されンぞ!!!」
非常階段を大勢が駆け上ってくる音と怒声はすぐそこまで迫ってきていた。
;■4 出鼻に釘
鉄平にとって、雛見沢に来たのはほとぼり冷ましだった。
とりあえずはこの夏、もしくは暮れまでここで過ごし、様子を見よう。
賭場や盛り場でしか生きられない鉄平にとって、雛見沢の家など隠居もいいところだ。
愛人のリナが突然失踪。
しかもどうも噂では相当ヤバい話に手を出したらしい。
……すでに捕まってバラされたとも聞く。
リナと自分が同棲しているというのは、この界隈では誰もが知る話だった。
だから、この件の一部始終を知っているものと誰もが思い、何かうまいことをやって大金をせしめたと勘違いしていたり、あるいは何やら物騒な連中に絡まれたり。
興宮でだいぶ過ごしにくくなってしまったのだ。
それ以上に、リナが自分に隠れて他の男たちと何か企んでいたらしいというのが気に入らなくて、興宮を出たのだった。
となると鉄平が戻る先は雛見沢だけだった。
昔、自分と女房が住んでいた家は、沙都子たちの家に移ってからは放置しているのでとても住めたものではない。
…そもそも鍵を持ってない。
だが沙都子の家の方なら、今も住んでいるだろうし、何しろ家事は沙都子がやってくれるから気楽なもんだ。
鉄平は炊事も洗濯もできなかったし、もちろんする気もなかった。
リナには時々反抗的なところがあり、次に誰かと同棲するなら、従順な言いなりのペットみたいなヤツがいいと思っていただけに、鉄平にとっての沙都子はその条件を全て満たしていると言えた。
乳臭い小娘なので食指は動かないが、背中でも流させたらそれはそれで楽しいかもしれない。
そういえば、事故で死んだ沙都子の母は美人だったっけ。
沙都子もあと4〜5年も飼えば見違えるような美人に育つかもしれない。
そんな下世話なことも考えながらの帰宅だった。
家に鍵が掛かっていたので、買い物だろうと思い商店街をうろつき、
家を開けさせると、中は埃まみれ。
聞けばこの一年間、他の友人のところで寝泊りしていたそうで、家は放ったらかしだったという。
鉄平は自分勝手にもそれに怒った。
留守を守るのが沙都子の役目だと怒鳴った。
叩いて蹴って、床を転がしてやった。
……そうしている内に、沙都子の表情は、いつの間にか鉄平がよく覚えている昭和57年のそれに戻っていた。
沙都子は文句ひとつ言わず言うことに従うようになり、まずは家の掃除を命じた。
新しい住処に新しい女。
新生活は、ほとぼりを冷ますだけにしては上々の滑り出しだった。
機嫌をよくした鉄平はそれを自慢したくて、仲間たちを呼び自宅で麻雀をした。
酒やツマミの世話をさせて見せ、新しいペットだと自慢した。
ペットだから四つん這いで歩いて見せろと言ったら嫌がった。
でも殴る素振りを見せたらすぐに従った。
みんなは笑ってくれて、羨ましがってくれた。いい気分だった。
だが、鉄平の上機嫌はすぐにケチがついた。
「私、興宮分校教諭の知恵と申します…! 北条沙都子さんはいらっしゃいますか。」
保険か何かの勧誘がうるさいと思ったら、若い女性の訪問だった。
しかもそいつは学校の教師だと名乗った。
「あぁん? 何じゃいおどれ。何でおどれに沙都子会わせにゃならんね。」
「今日、北条さんが学校をお休みしましたけれど、連絡がなかったもので何かあったのかと思いお伺いさせていただきました。」
「ああぁん…? 学校ぉ…?」
「はい。沙都子ちゃんはいますか? ちょっとお話したいことがあるのですが。」
「あぁん、…風邪なんねぇ、そうそう。…沙都子は風邪で熱ぅ出してるんですわ。」
「プリントとかをお渡ししたいですので、ちょっとだけお話することはできませんか?」
「どあほう。おどれ話、聞いてなかったんかい。沙都子は風邪じゃ! うんうんうなっとるんね!! それを会わせられるかいボケぇ!!」
内心、面倒なことになったと思った。
鉄平にとって、沙都子はペット以上でも以下でもなく、そもそも登校させるという概念が欠落していた。
しかも、一日登校させなかっただけで教師が家まで押し掛けてくるとは。不愉快の極みだ。
鉄平は学校も教師も偉そうなヤツらは全部嫌いだった。
「そうですか…。明日は登校できそうですか?」
「知るかいなッ!! そんなもん、明日になってみなきゃわからんわ!! このクソボケ!!」
「……………………そ、…そうですか。…わかりました。では沙都子ちゃんによろしくお伝えください……。失礼します…。」
とりあえず追い返せたようだが、沙都子を学校に行かせないと色々とうるさそうだ。
鉄平はここで短からぬ時間を過ごすつもりなのだから、変なトラブルは避けたかった。
つまり、今後は安易に沙都子を殴れないということだ。
暴力は鉄平の最大のコミュニケーションだ。それを禁じられるのは実に不愉快だった。
不愉快さでますますに沙都子に八つ当たりしたくなるが、殴るときっと跡になる。
跡になれば登校させられなくなる。
登校させないとあの女教師がまた来る。………くそ。
しかも、夜には児童相談所まで来た。
……あの女教師が通報したに違いない。
あのアマ、今度見かけたら親でも見分けがつかないようなツラにしてやる…!!
取り繕ったように沙都子との仲を示すと、沙都子は自分を怖がっててくれるのか、あっさりと仲良しと風邪であることを演じてくれた。
…昨日の今日、ちょっと脅しをかけただけでここまで簡単に屈服してくれるものなのか。
鉄平は改めて沙都子が便利なペットであることを知ると同時に、……児童相談所などというところに睨まれて、今後は色々とやりにくくなりそうだと感じていた…。
「…ああん、ごんまん、おもろないんばっかね!!」
;■5 受付メモ
No.
昭和 年 月 日( )
件 名 北条サトコさんの件
来訪者 前原圭一 外4名(関係:友人)
・北条サトコさんが叔父に虐待を受けているので、一時保護をしてほしい旨、訴えがありました。(対応中?)
・冷蔵庫の掃除をしますので、私物は今夕までに片付けてください。
;■5 鬱積と通帳
鉄平は、沙都子がもう少し金を持っているだろうと思っていた。
だが実際には沙都子は無一文だった。
今までどうやって生活してきたのかと聞くと、同居してた友人に世話になっていたので、自分はお金が必要なかったと返事が返ってきた。
鉄平は、賭場などで悪いお金を多少は稼いでいた。
その蓄えが多少はあったから当分は問題なかったが、そもそも鉄平にとってその金は軍資金兼、遊興費であり、生活費に回すなど不愉快極まりないことだった。
だが、沙都子が金を持っていないはずがない。鉄平はそう考えた。
鉄平の妻、つまり沙都子の叔母は、事故で死んだ沙都子の両親からかなりの金の入った預金通帳を奪っているはずだった。
その叔母は去年死に、悟史も失踪。
だとしたら、その通帳は最後のひとりの沙都子が持っているに違いなかった。
だが、沙都子をいくら脅しても、そんなものを受け取っていないと繰り返すのみだった。
きっと隠してるに違いないと思い、鉄平が納得行くように沙都子を詰問してみた。
沙都子自身に暴力を加えると傷が残り、女教師や相談所に疑われる。
だから沙都子は殴らない。
言葉や暴言で殴り、物や家具を殴ったり壊したりして見せた。/
こういう脅し方ももちろん鉄平の得意とするものだ。
だが、沙都子は持っていない知らないと半狂乱になって答えるのみで、本当に持っていなさそうだった。
沙都子の怯えた小動物のような仕草に、鉄平は居間をひとつ、完全に荒らしきった後、ようやく納得するのだった。
……となれば、通帳はどこに? 鉄平は2つ考えた。
1つは叔母がへそくりのようにどこかに未だ隠し持っていること。
もう1つは、叔母が死んだ後、それを悟史が奪い、やはりどこかに隠し持っていること。
どちらにせよ、この家のどこかに隠されているだろうという結論に至った。
沙都子には自分で荒らした居間の片付けを命じ、鉄平は二階建ての狭くない家の中を彷徨い始めた。
……実は、この頃には鉄平は沙都子を持て余し始めていた。
風の噂では、沙都子の両親は相当の金を残していたはずだ。
そしてそれを叔母は全て独り占めしていた。
守銭奴だったから、犬が何でも持ち帰って律儀に取って置くように、多分、通帳も手付かずで丸々残っているはずだ。
まとまった金が手に入ったら、どこか別の土地へ行くのも悪くないと思い始めていた。
穀倉の辺りの賭場には多少のツテもある。
昔世話したヤツらがまだヤサにしてたはずだ。
当時の恩でゴネて転がりこむか。寝床くらいは貸してくれるはずだ。
確かに沙都子に家事を任せる気楽さはあるが、学校や児童相談所から監視を受けており、窮屈さは否めない。
自らを暴力の塊であると認める鉄平にとって、今後も沙都子に暴行しない保証など、自分に対してすら出せるわけがなかった。
…そう思えば思うほどに、無抵抗な沙都子を思い切りぶん殴ってやりたい衝動に駆られるのだった。
抵抗する相手を屈服させる愉しみしか知らなかった鉄平にとって、無抵抗の沙都子がどこまで乱暴すれば抵抗してくれるかを試すことは、最後に試してみたい愉しみだった。
知恵が訪問して以来の不愉快さは未だ消えず、ここを出る時にその鬱憤を晴らすために沙都子を滅茶苦茶にしてやろうというルールが、いつの間にか鉄平の内側に作られていたのである……。
;■6 背後関係は無し
「お待ちください、今代わりますね。……お魎さん、役所の自治係の人から電話が入ってますけど。」
「……あぁん、もしもし。」
「どうも園崎顧問、こんにちは。自治の相田でございます。先日はおはぎをどうもご馳走さまでした。」
「いいんねいいんね。こちらこそ文化祭りの時は世話んなったんね。野点傘の件、ありがとよぅ。あれ、一本いくらくらいすんかんね。すったら毎年使うもんなんだから自治で一本、買っといてくらんとよ。」
「あれはですね、一応、先生からの借り物になっておりまして。一応、値段を調べたんですが、国産だと20万くらいするらしいんですよ。中国製によく似たものがありまして、こっちなら8万円くらいで何とか買えそうでして…。」
「別に中国製でもどこ製でも構わんぎゃあ、お呼びする先生に失礼んならんとよ、よぅ選んどくれぇな。」
「一応ですね、今、その8万の傘の方を取り寄せさせていただいております。届きましたら、顧問にも一度見ていただきまして、それで判断ということではいかがでしょうか…。」
「それから、もう3年、江戸千家が続いとるんね、先生がたまには他の先生もお呼びしないとバランスがようないっちゅうんしゃあ。表でも裏でもいいから他の先生をちょいと自治の方で来年までに探してもらってもいいかんね。」
「は、はぁ……そうですか…。わ…わかりました! ちょっとこちらでもお茶の先生を探してみます。…それでですね顧問。実は今日はちょぉっとご相談がございまして。」
「こっちの傘の話ばっかりですまんね。で、何の話なんしゃあ。」
「実はですね、雛見沢にお住まいの北条沙都子さんの件で顧問のお耳に入っておりますかどうかと思いましてお電話させていただいたんです。」
「……北条沙都子ぉ? あぁん! バチ当たり北条のとこの娘かぁ。何かしよりましたんかいね。」
「いえ、実はですね。最近、叔父さんと同居を始めたとかでですね、その叔父さんから虐待を受けているとか、そんな話は顧問のお耳には入っておりますでしょうか。」
「叔父? 沙都子がぁ? 私ゃあそんな話は知らんがね!」
「いえいえいえ、知らなければ結構なんです。実はですね、そういった旨の陳情が児童相談所に入ったらしいです。相談所が言うにはだいぶ強い口調で来られていると、そういう話らしいんです。それでですね、相談所の係長から、お魎さんのお耳に入ってる話なら取り扱いを急いだほうがいいんじゃないかという話が来まして、」
「私ゃあ何も知らんし、全然わからん! なぁんでわしが北条のバチ当たり娘何ぞに骨を折らんしゃああかんがね!! 園崎家は全然知りませんし関係も何もありゃんせんね!!」
「では……連町の方からそういう話が出てるとか、そういう話はお耳には…、」
「知らん知らん!!! 何の話しゃあね!! 公由んところが北条のバチ当たり娘になんぞ肩入れしたらんきゃあ、すったらんなぁんて園崎には話が入らんね、どういうこっちゃあ!! 誰じゃあね、その相談所に陳情したったちゅうんわ!!」
「クラスメートが何人かいらっしゃった…
「そんに決まっとんしゃあ、なぁん勝手な真似をしさらしとん!! 知らん知らん!! 村は沙都子とは何の関係もなあね!!」
その内容は自治係から児童相談所に伝えられた。
……つまり、裏にお魎がいないということは、この陳情は特別扱いする必要はないということだ。
相談所の係長は、もし仮に明日も来ても話だけ聞いて、決して安易な口約束をしないようにと窓口の職員に釘を刺すのだった。
「前原圭一くんか。こういう子が将来、行政専門のクレーマーになるんだろうなぁ!」
;■6 疫病神と復学
沙都子を学校に行かせずもう三日になる。
…あの知恵とかいう生意気な教師の電話がまたあり、怒鳴って切ってやった。
だがあいつはネチっこい女だ。
きっとこのままでは済まない。また児童相談所に電話するだろう。
鉄平が沙都子を学校に行かせない最大の理由は、きっと学校に行ったらそのまま助けを求めるだろうと思ったからだ。
相談所が訪問してきた時、確かに沙都子は口車を合わせてくれたが、それは隣に自分がいたからに他ならない。
自分から解放されたらきっと裏切るに決まっている。
そうなれば相談所がすぐにもすっ飛んでくるだろう。
いや、それどころか沙都子に対する虐待だか何だかで警察沙汰にもなるかもしれない。
…相談所の連中は警察を伴うこともあると仲間の誰かに聞いていた。
鉄平のスネは傷だらけだ。
警察の厄介になったら最後、他のヤバい話にまで及ぶに決まってる。それだけは断じてごめんだった。
とにかく、金さえあれば。
兄夫婦の残した通帳さえ見付かればこんな窮屈な村からおさらばできるのだ。
外を歩くと、村人の目がきついように感じたので、鉄平は外には出なかった。
でもそれでは暇なので、仲間を呼んでは麻雀をしていた。
だが麻雀は4人集まらないとできない。
人が集まらず、家の中でテレビを見ていることしかできない時間も短くなかった。
なので、そんな暇な時間を宝探しに費やすようになった。
どう散らかしたって、沙都子に片付けさせればいいのだから気楽なものだ。
どうせ出て行く家だ。
多少家具が壊れたって知ったことじゃない。
鉄平は押入れの中身を全て引っ張り出して、天井の板を外してみたり、/
タンスの引き出しを全て引っ張りだして中身をぶちまけ、引き出し全てを引っこ抜いてまで調べた。
守銭奴というのはへそくりの隠し方だって巧みだ。
きっとこれくらいはしないと見付からない。
そんな調子で家の中を荒らし続け、二階に上がり、手始めにこの部屋から探そうと思った時、
「に、にーにーの部屋は駄目ですの…ッ!!!」
「何しさらすんじゃあぁ!!!」
「駄目ですの、にーにーの部屋は止めてくださいですの…!!!」
最初、その過剰な反応は、この部屋にこそ通帳が隠されている証拠だと鉄平は考えた。
鉄平は沙都子を振り払い、その部屋、悟史の部屋に無理に入ろうとする。
…だが沙都子は半狂乱になってそれを食い止めようとした。
無抵抗で言いなりの沙都子がこれだけの抵抗を見せるのは面白くもあったが、同時に意外でもあり、鉄平はどうして悟史の部屋に入るのだけが駄目なのか、沙都子の主張を聞かざるを得なかった。
「……えっく! その部屋は…にーにーの部屋ですのよ…。…にーにーが帰ってきた時、大変なことになってたら…にーにーが悲しみますのよ…。うっく、えっぐ…!!」
「何じゃい、兄貴の部屋だからって、それだけで駄目なんかい。悟史なんか生きとるかどうかもわからんわな。」
「にーにーは生きてるんですのよ!! きっと帰ってきますのよ!! わああぁああぁあん!! 荒らさないで、荒らさないで!!」
「…何言うてんな。わしゃあ荒らすんと違う。この部屋をな? ちょいとお掃除しようちゅうとんしゃあな。いないヤツのために部屋を残しとく義理なんかあらんね。だからちょいとお片付けをするだけなんね。」
「だめッ!! だめええぇええええ、わああああああん、わああぁああぁあッ!!! にーにー、にーにーー!!! うわああああぁあぁあぁぁッ!!!」
「なッ、何じゃいな、そんなに嫌か、わしがこの部屋に入るんがそんなに嫌かい…!!」
沙都子の抵抗があまりに半狂乱なので、さすがに鉄平もこれ以上はやめた方がいいと思った。
……鉄平も脅しのプロだった。
追い詰めすぎると素人ほど窮鼠、猫を噛む。
だから、沙都子のこの異常な抵抗を無視してこの部屋を荒らせば、きっと家を飛び出しかねないと感じた。
今や沙都子は、近くに置いておくのも煩わしいし、かといって手元から離すのも危険だという疫病神扱いだった。
「わぁったわあった!! 沙都子がいい子にしてたらわしもこの部屋には入らん。な? それでええんね?」
「……はい、……はい。」
「その代わり、わしを怒らせたら知らんぞ。悟史なんて帰ってこないヤツのために部屋を残しとく謂れはないんだからのぉ! お前が帰ってこんようになったり、他所様にわしが虐めてるなんてことを言いよったら、
「……はい、……はい、…ありがとうございますありがとうございます…。」
きっとこの部屋に通帳がある。
…だが、自分がこの部屋を荒らした痕跡をわずかにでも気取ったら沙都子は面倒なことになるだろう。
面倒な約束をしたな、とは思ったが、この部屋なんていうどうでもいい人質で沙都子の口が封じれるなら、考えてみれば悪い話ではなかった。
…よく言い聞かせれば、学校に行かせてもいいんじゃないだろうか。
明日も休ませると、あの女教師、今度は警察と一緒に乗り込んで来かねない。
沙都子を学校へ行かせられなかった理由は、学校で余計なことをしゃべるんじゃないかという恐れだけだ。
その恐れさえないなら、むしろ沙都子は学校に行かせた方がいい。
それに、沙都子が学校に行っている間なら、こっそり悟史の部屋を調べることもできる。
「沙都子。お前がいい子にしたったんから、風邪ももうええぇころじゃんね。お前、明日から学校行けぇ。」
「…………ありがとうございますありがとうございます…。」
施しを受けたら礼を言えと仕込んだが、何度も繰り返されると気持ち悪い。
鉄平は自分勝手にそう思った。
「早ぅいがんね、ざったいわこのダラズが。……あぁもう! 面白ないん!!」
;■7 公務員の心構え
「そうですか。裏に、町会も、その鬼ヶ淵死守同盟とかいう恫喝団体もいないとわかれば、これで安心でしょう。北条沙都子さんの件は、特別扱いせずに慎重に対応してください。」
「はい。雛見沢の総意でないとわかればこちらも落ち着いて処理ができます。」
「しかし、私は好きになれませんね。裏に誰がいようがいなかろうが、常に公平な対応をするのが公務員です。恫喝がまかり通るようなことがあったという先例を残したから、雛見沢は特別扱いだという妙なルールができてしまったのではないですか?」
「……まぁ、確かに所長の仰るとおりだとは思いますが、……一応ですね、その…。」
「わざわざ自治の係長が、連合町会が背景にいないことを確認してくれたんですから、うちの職員も厳粛に事務を進めてください。雛見沢だからどうすべきかとお伺いを立てること自体がすでに公務員の心構えとして問題です。係長も、その辺をよく職員に教えてくれなければ困ります。」
「はい、申し訳ございません…。とにかく、裏に村がいないとわかれば安心です。」
「裏に村がいるとわかっても、対応を焦るべきではありません。何があろうとも! 北条沙都子さんの件は慎重に対応してください。くれぐれも異例の措置は取らないよう、担当に念を押しておいてくださいよ。」
;■8 降伏勧告
「えぇ〜そうなんですよ。公由会長さんから大変強いお話がございまして。」
「そんな。昨日、そちらに聞いた時は連合町会は関係ないという話だったじゃないですか。」
「ここまで大掛かりな話が前日まで園崎顧問の耳に入っていなかったなんてことはあるはずがないんですが…。ただ、園崎顧問も一晩で意見が引っ繰り返っちゃいまして。私も大変驚いてはいるんです。」
「まぁ、そういうことならそういうことで、自治さんの方から町会さんへは、当方の業務にご理解をいただけるよう説明していただきたいところです。判断を誤れば、当該児童の人生に深い禍根を残すこともあります。慎重に観察した上で判断することで、特定の近隣住民の偏った陳情のみで早計な判断を下すことは厳に慎まなければなりません。」
「いえ、ですからですね…。雛見沢連町がついたということは特定の近隣住民ではなく、地域住民のほぼ総意と同じでして…。」
「別に町会加入率が100%ってわけじゃないでしょう。住民の総意であるかどうかは、選挙で問うものであって、任意団体である町会ごときが主張できるものではありません。それに、当該児童に対する判断を見極めるのは当相談所の業務であり、住民ではありません。もちろん、貴重なご意見は汲み取り参考にしています。住民の方からの陳情は充分に汲み取り児童への判断材料としています。その上で慎重な時間が必要だというのが当方の考えです。うちの係長もそうですが、雛見沢だから特別扱いという風潮は改められた方がよろしいんじゃないかと思います。自治さんも5年前のダム闘争が未だ抜け切っていないんじゃないんですか?」
「まぁまぁまぁ所長さん。…自治の方からはですね、真摯に話を聞いて対応するのも行政ではないかと、そういうお話をさせていただきます。それでですね、所長のお返事を私の方から公由会長さんにお伝えしなければならないんですが、」
「私の話をそのまましていただければ結構です。陳情をいただければご意見は伺いますが、行政に対してある種の圧力を加えて不正規な手続きを強要するようなことは、あってはならず、またそのような圧力に屈することはないと、そうお伝えください。ここで相談所が屈したら、市政全体に妙な前例を作ることになるんじゃないですか?」
;■9 色褪せたノートT
神がいつ降臨されるのかは誰も知りません。
それは例えるなら、泥棒がいつ訪れるのかわからないように。
だから予期せずしてその時を迎えて、不信心であったことを悔いぬよう、常に目を醒ましていなさい。
その日が何時なのか、神さえも知り得ないのです。
神はいつその時が訪れてもいいように、常に目を醒ましているでしょう。
常に自分の中の神を信じよ。
いつ日の光を浴びるかは、その神すらも知り得ないのだから。
努力を惜しむな。
常に勤勉であれ。
探求に情熱を。
報われる日は神でも知り得ないが、その日は約束されているのだ。
約束の日まで、私は自らの情熱の炎を潰えさせることはない。
Hifumi.T
;■10 色褪せたノートU・V
神の子は自らが三日の後に復活すると予言しました。
罪人たちは兵にて墓を封じ、その体が蘇ることがないよう監視しましたが、それはとても愚かしいことでした。
復活とは肉体が蘇ることではなく、その心と教えが蘇ることだからです。
肉体の死を恐れるな。
自らの貢献が揺ぎ無いなら、必ず自分は蘇る。
その時、自分は死を超越し永遠の生を得るのである。
そして悪魔は、神の子を断崖に連れて行き、飛び降りるように言いました。
自らが神の子を名乗るなら、神は奇跡にてその身を守るはずだと言うのです。
それを試すことは即ち、神を試すということです。
神は人を試しますが、人が神を試してはなりません。
試すことは疑うことです。
疑いは悪魔の囁きに耳を貸し、あなたを堕落させるでしょう。
自らの成果を疑うな。
自らの人生を疑うな。
自らの貢献を疑うな。
そして自分の実績を人が評価することを試してはならない。
それを試すということは、自らの人生を疑うのと同じことなのだ。
Hifumi.T
;■11 カケラ遊びの最後に
……梨花の知りたかった答えはこれで出揃ったようね。
でも、この記憶が持ち越されるかは別の問題ね。
梨花は死の直前の記憶を遡って失う。
だから、このカケラを教訓として活かせるかは大いに疑問だけれど。
どう? あなたも楽しかった?
このカケラを見てしまえば、もうカケラの積み木遊びなんて退屈なだけでしょう。
……そうでもない?
そうね。古いカケラをもう一度積み木遊びしてみると、別のものが見えて楽しいかもしれないわね。
どうせここでの時間は無限なのだし。
自分で何かの遊びを見つけない限り、ここには何もないのだから。
箱遊びも、箱の中身を知ってしまえばもう何の楽しみもない。
…それでもなお、箱遊びが楽しめるのだとしたら、あなたはなかなか殊勝だと思うわ。
え? 私はどういう遊びをしているのか?
遊びというよりは、退屈しのぎね。
私は、梨花たちの世界がどこでどうなっていたら理想的な世界へ至れたかを想像するのが好きよ。
彼らが至れたら素敵だろうと思う世界のカケラを、自分なりの解釈で作ってみているの。
今回のカケラで、世界の構造をほとんどわかったでしょう?
その上で、どこで誰がどう立ち回っていたら、梨花は鷹野に負けなかったのかを想像することが、最近の私のお気に入りの遊びよ。
どんなカケラか見たいって?
くすくす、残念ね。あなたには見せてあげないわ。
その世界ではね、梨花たちは見事、苦難に打ち勝ち、運命を覆して昭和58年6月を越えるのよ。
自己満足のようなカケラだから、恥ずかしくてとても見せられないけれどもね。
…でも、梨花がこれから作ってくれるカケラの方が、もっともっと輝いてくれるに違いない。
仮に、昭和58年6月19日に閉じ込められてしまっても。
それはそれで、梨花のひとつの世界の終焉としてこの上なく輝かしいカケラとなるでしょうし。
どんなに苦難があったにせよ、もしもそれを乗り越えられたなら、もっともっと輝くカケラになるでしょうし。
私が描くどんな物語より、梨花が自ら紡ぐ物語の方がよっぽど素晴らしいものになるでしょうね。
梨花はどうしたかって…?
結局、羽入と一緒にもう一度世界をやり直す決心をしたみたいよ。
自分に与えられた人生を精一杯足掻く。
それが自分の美学だと、知ったみたいだから。
次のカケラはもう始まってるわ。
どんな世界なのかしらね。
これから見に行ってみるつもり。
あなたも一緒に見に行く…?