ひぐらしのなく頃に 「綿流し編」
あなたの乾きを癒せない。
真実を欲するあなたがそれを認めないから。
あなたの乾きを癒せない。
あなたの期待する真実が存在しないから。
それでもあなたの渇きを癒したい。
あなたを砂漠に放り出したのは私なのだから。
■1日目(日曜日)
目覚まし代りは小鳥のさえずりだった。
……あれ。
…今日は日曜日じゃなかったっけ…?
土曜の晩はたっぷり夜更かしをして、日曜はたっぷり午前中を寝過ごすのが俺の基本スタイルじゃなかったっけ?
…何だってこんな健全な時間に起きちゃったんだ。…寝直し寝直し…。
「圭一〜、起きてる〜?! 電話よー!」
その時、階下からのお袋の呼び声がようやく耳に入った。
電話?!
ガバッと跳ね起き、階段をドタドタと騒がしく駆け下りる。
お袋が起きてきた俺に気付き、電話の相手に、「起きてきました。代わりますね。」と告げる。
「もしもし! 俺。どちら様〜?」
「あっははは! おはよう圭一くん。お寝坊さんだね。だね!」
「レナか! こんな朝っぱらから何の用だよ…。」
「あ、朝っぱらってことはないと思うな。…もうお昼だよ?」
11時半か。
……広義の意味ではお昼と言わないこともないな。
「で、何か用か?」
「ちょっと待ってね! 今、魅ぃちゃんに代わるよ。」
「グッモーニン圭ちゃ〜ん! 日本語で言うならおはよう圭ちゃんってトコかな?」
「ついでに中国語とドイツ語とロシア語でも言ってみろ。」
「ニーハオ圭ちゃん。グーテンモルゲン圭ちゃん。ロシア語〜?! だずびだーにゃ……………知るわけないでしょーッ!!!」
「わっはっはっは!! まぁいいや。バカな話してたら目が覚めた。」
「あははは! そりゃ結構なことで。……でさ、圭ちゃん、今日ヒマ? 圭ちゃんが大丈夫なら全員揃うんだけどな。」
全員? って、部活メンバーのことかな?
「そうだよ。まぁ普段の激戦を思えば休日くらいのどかに…なんて思ってるかもしれないけど!! そりゃあ甘いよ圭ちゃん!!」
「へいへい。あらゆる環境に対応して最善手を模索するのが我が部の趣旨だもんなー。つまり休日だろうとお構いなしってわけだ。」
「おー! 圭ちゃんも我が部のことがわかってきたねぇ! で、どう? 来れそう?」
何の予定もない日曜日だった。
魅音部長の部活の誘いを蹴って、他にどんな魅力的な過ごし方があるって言うんだよ。
「…別に予定なんかねーし。嫌だって言ったら不戦敗扱いでどんな罰ゲームを科せられるやら!」
「そこまで分かってるなら断れないよね〜! もしOKなら、いつもの待ち合わせ場所に1時集合! 町へ行くから自転車で来てね。」
町で部活か?
…まぁどこでだって部活は出来るもんな。
それに、ロケーションが変わったからと言って、熾烈でないわけがない!
「私、一昨日の惜敗、かなり根に持ってるからね〜!! 今日ははっきり言って、負けないよー?!」
一昨日の金曜の部活……。あの超硬派なポーカー対決だな!
死闘だった。
誰も引かなかった。
精算するまで、誰がトップで誰がビリかすらわからなかった。
結局、わずか1枚のコイン差で俺が優勝!
魅音は2着だった。
くっそー!! あの時、余裕ぶって降りたあの1枚があればぁあぁあ!!!
魅音はそう嘆いて、競り負けたことをこの上なく悔しがってたっけ。
魅音は負けない。
だから魅音が嘆くのは「優勝」を逃した時だけだ。
だからこそ惜敗を誰よりも悔しがるのだ。
……で、今日はそのリターンマッチのつもりってわけかよ?!
「上等だッ!! 一昨日同様、一気に畳んで罰ゲームさせてやるぜー! せいぜい自分がやらされても辛くない内容にしとくんだなぁッ!!」
「くっくっく! そう来なくっちゃ! 潰し甲斐がないもんねぇ!!!」
その後、互いに売り言葉に買い言葉を交し合い、適当なところで受話器を置いた。
自転車のカギを取りにバタバタと階段を駆け上がると、布団を抱えて降りてくるお袋と鉢合わせになった。
「あら圭一、上機嫌みたいね。お出掛け?」
「そんなとこー! 俺、みんなと町に遊びに行ってくるから。」
「いってらっしゃい。車に気をつけるのよ〜! 夕飯までには帰ってくるのよ〜!」
「へいへい! ちゃんと帰ってくるってー!」
ガレージに止めてある自転車のチェーンを外し、ちょっと硬めのペダルの踏み応えを楽しむ。
よし、出発!
爽やかな朝の空気を切り裂きながら、自転車が滑り出して行った。
■合流。町へ。
「圭一く〜ん! 遅いよ遅いよ!」
「おう待たせたな! あれ、沙都子と梨花ちゃんは?」
「あの二人はここで待ち合わせるより、直接、町で合流した方が早いよ。」
あ、そっか。確か、沙都子と梨花ちゃんの家って学校の反対側なんだよな。
「そうそう。町で部活って、どうゆうことだよ。まさかみんなで覆面をして、日が暮れるまでにいくつ銀行が襲えるか、ってゆうのじゃねーだろうなぁ!」
「別にそれでもいいけど? それでも私は負けないけどねぇ〜!」
「魅ぃちゃんってね、なぜか現金輸送車の順路とか時間とかをいつもレナに教えてくれるんだよ。…何でだろね。何でだろね!」
え?!
俺はかなりのマジ顔で魅音に振り返る。………確かに魅音ならありえる。
「……マジかよ魅音。」
「レ、………レナぁああぁあッ!! あんた、なに言ってんのぉおぉお!!!!」
「あっははははは! 魅ぃちゃんごめんね! 魅ぃちゃんごめんね! あはははは!」
じゃれ合う二人。
…今日みたいなよく晴れた日には、こんな透き通る笑い声がきっと一番よく似合う。
「おい二人とも! 沙都子と梨花ちゃんが先に待ってるんだろ? じゃれてないで、早く行こうぜ!」
くるくると、まるで蝶が舞い踊るようにじゃれ合う二人を、本当はこのまま見続けていたかった。
でもきっと、5人の方がもっと楽しいに決まってる!
「そうだね! じゃあ行こうか!」
「目標は10億強奪! 山分けしたら、みんなで高飛びだぜー!!!」
「「おおーーーーッ!!」」
3人の自転車が、町へのなだらかな坂道を滑り降りていった。
一気に加速して急な坂道を登りきる。
視界が開ければそこは興宮の駅前だ。
駅前にはたまに来ることもある。
だが、はるばるここまで来る労力を考えると、ついついおっくうになってしまうのだ。
だから駅前、いや、興宮の町のことはほとんど知らないと言ってよかった。
今日向かう道も、もちろん俺の知らないものだ。
踏み切りを渡り、駅の南側へと抜けて行く。
「…こっち側は来るの初めてだなぁ。」
「こっちにはね、ゲームセンターとかおもちゃ屋さんとかがいろいろあるの。魅ぃちゃんが詳しいよ!」
「ゲーセンもあるのか。俺、前は結構通ってたからなぁ! ゲーマーの血がうずくぜぇ!」
「ゲーセン通いなんて、圭ちゃん不良だねぇ〜! 今度来た時に案内してあげるよ。結構台数をそろえた、いい店があるから。」
興宮の町は、どうやら魅音の庭らしいな。
聞けばいろいろなことを教えてくれるかもしれない。
やがて、前方に自転車がやたらと停めてあるお店が見えてきた。
ゲームセンターか? いや…もっと小さい店だ。
ディスプレイを見る限り、普通のおもちゃ屋さんに見える。
…だが、子供がこんな10人近くも出入りしているなんて…繁盛し過ぎだ!
「ひょっとして…あの店で今日、何かイベントでもあるのか?」
「その通り! 優勝賞金は5万円ッ!!!」
「ご、5万円ッ?!?! 何だよそれ!! 圭一王国の5年分のGNPに匹敵するぞッ!!!」
店頭でじゃれていた2人の可愛い人影がこっちに気付き手を振る。
「皆さま方〜!! お待ちしてましてよ〜!!」
「……おはようございますなのです。」
「おーぅ! おはよう梨花ちゃん! 沙都子、警察が来る前にケリを着けるぞ! 目標は10億強奪だ!!」
「は??……圭一さんの話がわかりませんわ?」
「遅くなったかな? 梨花ちゃんたちは今来たの?」
「……今日は早く終わったので、だいぶ待ってましたですよ。」
「そりゃ悪いことをしたわー。こっちは圭ちゃんがなかなか来なくてさぁ!」
「……圭一では仕方ありませんですよ。」
そういって魅音の頭を背伸びしてなでなでする梨花ちゃんだが…、ちょい待て。…俺が悪役になりゃ丸く収まるのかよ?!
「もちろん! 圭一さんでなくては務まらない大役でしてよ? をーっほっほ!」
「じ、実に嫌な大役だな。こんなので丸く収まると思ったら大間違いだぞー!」
…適当にムカついたので沙都子の頭をポカポカ叩いておく。
ポカポカポカポカポカポカポカポカ…!!!
「圭々がいじめたぁあぁあ!!! わぁああぁああぁあああぁあんッ!!!」
「……圭一にいじめられてかわいそかわいそですよ。」
「沙都子ちゃん泣いてる泣いてる!! お持ち帰り〜〜!!! 悪い人はレナお姉ちゃんがやっつけてあげるからね!」
スパーーーーーーーンッ!!!!
レナは沙都子の泣き顔(どうせウソ泣きだ…)に狂喜してほお擦りし、梨花ちゃんは大の字に倒れた俺の顔面をなでなでしている。
……そうだ、これでいいのだ。
「う、…うむ。…やっぱりこれが正しい、丸い収め方だよな…。」
「…前歯が欠ける前に新しいオチを探した方がいいと思うけどねー。」
さて、よっこらしょっと。
とりあえず、出会い頭の挨拶はOKだな!
おもちゃ屋の中には、比較的、俺に年の近い男子が10人くらいたむろしていた。
みんな魅音の知り合いらしく、魅音が来たことを知るとぞろぞろと出迎え、憎まれ口で挨拶する。
「魅ぃちゃんはこのおもちゃ屋さんの常連なの。だから友達もすっごく多いの!」
「おもちゃ屋の常連って…何なんだ?」
「ほら圭一さん、奥を御覧なさいませー!」
沙都子に促され、店の奥を見ると…まるでお誕生会の会場か何かのように、テーブルクロスをかけられた机やイスが並べられていた。
……ピンと来る。
「ま、まさか…これって…部活の会場なのかッ?!」
「驚いたかい圭ちゃん。私、この店のおじさんと仲良しでね! たまに客寄せイベントってことでゲーム大会を開かせてもらってるんだよ。」
客寄せイベント…、なるほどね。…ってことは、この店内をにぎわせている男どもは…参加者ってことか?!
「そうなの。いつもは5人だけど、今日はもっともっと大勢での部活なんだよ!」
レナは大勢と一緒に遊べることを無邪気に喜ぶが、俺の顔はみるみる険しさを増していく。
「……圭一さんの考えてること、手に取るようにわかりましてよ。」
「ほー。じゃあ試しに言ってみようか。言うぞ? せーの、」
こいつらは敵だッ!! 綺麗に沙都子とハモる。
参加者たちを見渡す。
……何しろ優勝賞金は5万円! その瞳には炎が灯っている。
「ね、圭ちゃん。今日は楽しめそうでしょ。」
「…まぁな。ライバルが何人増えようが、狙うものに変わりはないさ!!」
「ライバル? ……はぁー、圭ちゃん。……鯨が水を飲むとき、今飲んだ水の中に何匹白子が混じってたか、いちいち数えてると思う〜?」
嫌らしい声でそう言い、部活でしか見せないようなこの上なく攻撃的な目つきで笑う。
…魅音め…。
……こいつ、今日はこれ以上ないくらい本気だなッ!!
「本気なのは私だけじゃないよ。……ほら、梨花ちゃんを見てごらんよ。」
魅音が向こうを指差す。
その指の先へ目線を向けると……。
「……何だありゃ。」
梨花ちゃんが、「その手の属性」の連中相手に過剰なくらい愛嬌を振りまき、早くも敵を群単位で骨抜きにしているのだ…!
「……ボクもがんばるのですよ。
ファイト、おーなのです♪」
「「「ファイト、お〜〜〜♪」」」
すっかり、ぐでんぐでんに骨抜きにされたギャラリーたちが、梨花ちゃんに合わせて気勢をあげている。
店内が徐々に「梨花ちゃんの世界」に侵食されている…ッ!!
…くそ、……早くも「殺る気」満々じゃねえか!
「きょ、今日は楽しくなりそうだね! 頑張るよ〜! はぅ〜〜〜〜!!」
レナも、いつになく大勢の面々にテンションをアップさせているようだった。
ぴょんぴょん跳ねたり、はしゃいだりと、すっかりかぁいいモードに出来上がっている。
……レナの場合、テンションゲージを振り切ってからが本番だからな!
見かけの能天気さとは正反対に、今がもっとも恐ろしい戦闘態勢と言えるだろう…。
魅音は、顔見知りの常連たちとたわいないお喋りに華を咲かせ、いつもの自分をアピールしていた。
無論、これがいつもの魅音に見えるようでは我が部の部員たる資格はない。
魅音の足元の影から…まるで冷気が吹き上げるかのように…殺気が滲み出してるのだ!
「……魅音め、……恥も外聞も捨てるくらいに……本気だな。」
「圭一さん、知らないんですの…? …賞金の5万円、魅音さんの自腹でしてよ。」
なッ、何ぃいいぃいいいぃッ?!?!
5万円を…自腹だってっぇえぇええぇ?!
その途端、魅音の周囲を歪ませるどす黒い瘴気が見えるようになる…ッ!!
「……ん? 何、圭ちゃん。私の顔に、
…ナニカ憑イテル…? くっくっく!!」
ぞくり!!……背中を戦慄が這い上がる。
……魅音のヤツ……自らを死地に追い込むことで…奥底に潜む鬼を…引き出しやがったな…ッ!!!
じょ、上等だぜ…! くそ……膝がカタカタと笑ってるよ…!
気付けば、店内にはいつの間にかさらに人が増えていた。
だが、こいつらの眼差しに敵意はない。
あるのは期待と好奇心。
ここでどんな勝負が行なわれ、そして誰が勝利するのかを求めるギャラリーの目だ。
「へへ…、最高の舞台じゃねえか。面白くなってきやがったぜ…。」
「けけ、圭一くん! がががが頑張ろうね! 頑張ろうね!! はぅ〜!!!」
レナはすでにチャージを完了している。
かぁいいモードのレナの前には、地上のあらゆる常識、法則は通用しない!
できれば戦いたくない相手だ。
「梨花ちゃんガンバレー!! 僕たちも応援してるよ〜〜!!!」
「……はい。頑張りますですよ〜♪」
いくら何でも過剰すぎるくらいの愛敬を振り巻き、梨花ちゃんはすでにギャラリーの大半を味方に付けている。
さり気なくかわすのが信条の梨花ちゃんが…ここまであからさまに仕掛けてくるなんて、明らかに異常ッ!!
……レナ同様、とても戦いたくない相手だ。
「もちろん、一番戦いたくないのは魅音さんですけどね。」
「……何度か部活でヤツと死線をくぐったが。…今日ほどヤバイと思う日はないぜ。」
「魅音さん、…おとといのポーカーで負けたの、相当、根に持っているみたいでしてよ?」
「らしいな。…つまり今日は、魅音の復讐のための特設舞台ってわけだ…!」
まるでテレパシーでも伝わるかのように、魅音がこちらに振り返る。
『あんたら、今頃気付いたの…?!』、そう目が無言で語る…。
魅音だけでなく、レナも梨花ちゃんも、かつてない程のテンションアップ。
…あぁ。…今日は出る。…間違いなく死者が!!
「私と圭一さんが何となく置いてきぼりですわねぇ。
…いかがでございましょう? 何でしたらスマートに、緒戦をお手合わせ願えませんかしら?」
「そーしよっか。俺もエンジンがかかるまで慣らしをし、」
雷が走ったかのように脊髄が跳ね、…氷柱をねじ込んだかのように、背筋が凍りつく。
沙都子の後ろに、ゴゴゴゴゴ・・という書き文字のような緊迫感が背負われていたからだ。
それに……沙都子の、まるでいつものように見える笑顔が…例えるならプラスチックで作ったお面のように無機質だったのだ…!
「…へ! そんなに俺を緒戦で消したいかよ。殺気が隠せてないぜ。」
「あら残念ですわね…。圭一さんにしてはなかなか慎重でしてよ? ほっほっほ!」
間違いなくワナだった。
…どんな仕掛けかわからないが、沙都子と緒戦を戦っていたら、『魅音と戦うよりも絶対確実に』負けさせられたッ!!!
店内を包む漆黒の瘴気…。
どいつもこいつも…そんなに優勝賞金5万円が欲しいかよッ!!
いや、違うな。
…賞金が欲しい程度の闘志で戦おうとしているのは一般参加者共だけだ。
俺は間違ってた。
今日をただの日曜日のお遊びと勘違いしていた。
今日がいつで、ここがどこで、相手が誰かなんて関係ない。
………我が部は、俺たちは最高頂点しか求めないッ!!!!
俺の内側に…どんな強風でも消えない、そしてどんな鉄でもドロドロに溶かす、超高熱の種火が灯りだす…ッ!!!
かつてない…最高に熱い部活バトルの火蓋が……切って落とされるのだッ!!
その時、お店のおじさんが、魅音ちゃん、そろそろ時間だよーとのんびりした様子で告げた。
「みんないいかな〜?! 傾注傾注〜!!」
魅音がおもちゃ屋のおじさんに代わって開会の挨拶し、今日のゲーム大会のルールを説明し始める。
争うのは優勝のみ!
2位や3位はない。…これは部活と同じだ。
参加者は15人。これをくじ引きで5卓に分け、それぞれの卓から1人の勝者を出す。
5卓それぞれの勝者はトーナメント式で決勝へ向けてコマを進めていく。
「さて。各卓の競技方法なんだけど。これは各卓で好きに決めていいよ。このお店にあるゲームなら何を使ってもOK!」
部活戦闘モードに入った俺は、ゲームルールのわずかなほつれも見逃さない。
「魅音、質問いいか? みんな自分の得意ゲームを主張して決まらないんじゃねーのか?」
「……はぅ。そうだね。決まらないと始められないね。」
ギャラリーも頷く。
当然だ。相手の提案するゲームを了承するヤツなどいるものか!
「紳士的に決めてほしいけど、そーゆう時は店のマスターが決めるってのでいい?」
おもちゃ屋のイベントなんだからな。店のマスターが審判を兼ねるのは当然か。
この後も簡単に説明が続き、負けた参加者は、負けたゲームを買わなければならないという、何ともお店にやさしい罰ゲームを追加して説明を終えた。
まずは…くじ引きで5卓に別れる。
みんなで一列になり、店のマスターが用意したくじ引きを引いて行く。
俺の番だな。
よし、引くぞ。……誰とぶつかろうと…ぶっ潰してやるぜッ!!!
その時、魅音が鋭い目つきで笑いながら言った。
「当然、わかってると思うけど…部活メンバーには一般参加者とは別に罰ゲームが付くからね。」
「…へ。そんなことだろーと思ったぜ。内容は何だ。」
「勝者が敗者一人一人に1個命令。」
シンプルなイメージとは裏腹。…あまりに内容の読めない、恐ろしい内容だ…。
魅音め…。こいつ…本気で俺に猫耳ブルマに尻尾付きで、雛見沢を練り歩かすつもりじゃないだろうな…?!
魅音の目は、…そんな甘いのじゃないよ…と無言で語る。
しかも…今回はビリだけが罰ゲームということではない。
「敗者一人一人に命令、……つまり、ビリでなくても罰ゲームってことだな。」
「そういうこと。」
「勝者がない場合は? 部活メンバーが全員、途中で脱落したらお流れか?」
「…あっはっはっは!! 圭ちゃん、脳みそは元気〜?」
「な、何ぃいぃいい…ッ?」
歯と敵意を剥き出しにした魅音の瞳が、百獣の王のそれに変わる…!
「我が部の最精鋭が、どう間違ったらこんなヒヨコ共相手に負けるってーの? ……圭ちゃん。緒戦で消えて、私に恥かかさないでよ…?」
だが俺は臆さない!! 相手が燃え上がれば燃え上がるほど…俺は強くなるッ!!
「見てろ。ただ魅音にいじめられてたわけじゃないって事、見せてやるぜッ!!!」
「会おうね。
……決勝でッ!!!!!!」
くじの結果は…まるで陰謀めいたものだった。
部活メンバーは全員、きれいに5卓に別れたからだ。
…あんなランダムなくじで一体どうやって…?!
すでに魅音の術中にはまっているような不安感は拭えない。
だがそれも上等だ。
…小細工ごと、ぶっ潰してやるぜッ!!
さて、俺の対戦相手はどこだ。
自分のくじの番号に従い、それぞれの卓に移動する。
俺の卓の対戦相手はこの2人組か。年下みたいだな。……………あれ?
「あれ、…お前ら、学校のクラスメートだよなぁ?」
「あ、どーも。富田です。彼は岡村です。」
どうも、と会釈する岡村くん。
緒戦は学校の後輩とか。
…こう言っちゃ何だが、組み易い相手だったな。ツイてる! 容赦なく潰させてもらうぜッ!!!!
「じゃーみんな!! それぞれに対戦ゲームを決めて、始めてちょうだい!」
魅音の開始宣言と同時に、一気に店内は賑やかになった。
みんなが口々に得意ゲームを叫びあい、ゲーム前からの優位を確保しようとする。
一見、無口そうな後輩二人も、開始の合図を聞くや否や、猛然と得意ゲームを提案しだした。
もちろん蹴る!
相手の得意ゲームを選ぶ必要など一切ない!
「悪いな、どれも知らないゲームなんだ。もっと知名度の高いヤツにしてくれ。」
無論、彼らも俺の提案するゲームを了承したりはしない。思わず苦笑する。
当然だが、その後5分経っても、この卓のゲームは決まらない。
そこでルールに従い、店のマスターにお伺いを立てることにする。
マスターが埃を払いながら、奥からボードゲームを持ってきてくれた。
百万長者ゲーム。
…ずいぶんと懐かしいのが出てきたな。
そう言えば…負けたらこのゲーム、買わないといけないんだっけ。
…マスターめ、このイベントに乗じて売れ残りを全てはき出すつもりだな?
「これなら俺も知ってるよ。二人も知ってるよな。ルーレットを回して、ゴールを目指す。最後に精算して一番お金を持ってるヤツが勝ちだ。」
2人は問題ないと頷きあい、いよいよゲームを開始することになった。
この時、思えばすでに危機感はあった。
……その正体に気付くには、しばらくゲームを進めなければならなかった。
「1・2・3・4。出産祝いをもらう。全員から5000$もらう。…悪いね!」
よし! 少しだがリードしたぞー!!
「1・2・3・4・5・6・7・8っと。
ボーナス。銀行から十万$もらう。」
んなッ?! あっという間に逆転かよ?!
「1・2・3。
出世コースに進む。」
うわ、おいしいルート!!!
…何か俺のコマだけ堅実なマスにしか止まらないぞ?!
魅音の部活にボードゲームが登場しないのを疑問に思ったこともあるが、その答えが今こうして赤裸々に明かされた。
そう。
今頃になって気付く。
…このゲームは…完全な運のゲームなのだ…!!!
最終的に一位を取るために…俺にどんな努力が可能なんだよッ?!?!
このゲームの勝敗は……人間の与り知れぬところで決められているッ!!!
…他の仲間はどんな感じだろう。自然と他の卓に目が向いた。
魅音の卓は……なんだ。
何もしてないぞ?
まだゲームが決まってないのか…?
そんなカマトトぶった想像が…一番恐ろしい想像から目を遠ざける…。
魅音は悠々と、表の自販機で買ってきたジュースを片手にくつろいでいた。
目線が合うと余裕の表情を返してくる。
まさか……もう決着したのかッ?!?! 何のゲームで?! こうもあっさり?!
そんなことは今となってはどうでもいい事かもしれない。
開始5分で、対戦相手2人は完全に再起不能。…そこでがっくりとうな垂れている。
彼らはぶつぶつと自らのミスがどこにあったかを自問していたが、…そんなのに答えがあるはずがない。
『魅音と同じ卓に着いた』それ以上のどんな敗因があるってんだッ?!
じゃあ、レナの卓はどうだ…?! ギャラリーがかなり騒いでいるぞ?!
どうやら…ゲームはカルタらしいな。マスターが読み上げる役をしているようだ。
レナって結構、おたおたしたり、ぽーっとしたところがあるからな…。
…こういうゲームは苦戦するんじゃないか?
「じゃあ、読みますよ〜。…『犬も歩けばくたびれる』〜。」
スパーーーーーーーンッ!!!!
マスターが読み上げると同時に快音がし、目標のカードが卓上から、いや、地上から掻き消えるッ!!! ……馬鹿なッ?! 一体どこへッ?!
………レナの頬にそれはあった。ほお擦りしているのだ。
「はぅ〜〜〜〜…! かぁいいよぅ〜〜!! お持ち帰り〜〜〜!!!」
レナがほお擦りしているカードに目をこらすと……それはアニメか何かをモチーフにしたカルタらしく、何だかやたらめったら可愛い、萌え系のイラストが描かれていた。
もっと具体的に言うと、犬耳系半涙、だけどちょっぴり乳デカな美少女が鎖で引っ張られてはぁはぁ♪しているイラストだ。
……あんなイラストのカルタなら、俺だって神速のプレイになるだろう。
増してやレナだぞ!! 恐らく、手の先端は音速ぎりぎりくらいは出ているはず!!
「……決まったね。」
魅音が涼やかに笑い、これ以上、見る必要はないと踵を返した。
「かぁいいかぁいい!!! レナ、勝ってもこのカルタ、ちゃんと買うよ〜〜!!! お〜持ち帰り〜〜〜はぅ〜!!!!」
その後も読み上げると同時に、
スパーーーーン!
スパーーーーン!!
と快音が響いていた…。
さて、沙都子の方は…、お、こっちもオーソドックスなゲームだぞ。こっちは神経衰弱だ。
沙都子の苦悩の表情を見る限り……どうやら苦戦しているように見える。
神経衰弱というゲームは、中盤以降から一気に流れが早くなるのが特徴だ。
覚えるカードが減れば、それだけコンボはつながりやすくなる。
その最初の流れを掴んだ者がそのまま勝者になれるといっても過言ではあるまい…!
場のカードの枚数は減っている。
…これまでに開かれたカードをちゃんと暗記できてるなら、一気に畳みこめるチャンスのはず…。
沙都子も多分、残るカードの配置はおおよそわかっているだろう。…だが、順番がひとつ遅い! ここで相手に畳み込まれたら…このまま決してしまう!!
「北条、悪いけど…僕も優勝賞金を狙ってるんだ。悪く思うなよぉ!」
この兄ちゃん、…残るカードの配置を暗記できてるな?!
完全に勝利を確信した様子だった。彼の頬がだらしなく弛む。
「ふん。……決まったな。」
俺は退屈そうにそうつぶやき、視線を自分のゲームに戻した。
ルーレットを回してっと。1・2・3・4・5っと…。
「え、えぇええぇッ?!?! そんな!! 確かにここはハートのA…ッ!!」
沙都子の卓で悲鳴とざわめきが起こった。
俺の卓の2人も驚きそちらに振り返る。
俺は別に振り返らない。驚きもしないからだ。
ギャラリーたちは口々に、「いや、確かにあそこはハートのAだったよ!」と騒いでいた。
そんなバカな…見間違い…興奮していたから……。…勝利を確信しながら敗北した彼の苦悩は深い。
ふん。………そうだな。
相手が沙都子でなければ、きっとそこはハートのAだったろうな。
馬鹿なヤツ。
…沙都子相手の勝負に最後まで油断などあるものかッ!!!
「あら、圭一さんの勝負はまだ付きませんの? センスないですわねぇ。」
沙都子は勝者だけに許される優雅さで、涼しげに声をかけてくる。
傍目には僅差を制しての勝利だったはずだ。
だが…俺から見ればこんなのはままごとだ。
勝者と敗者という役割が決まっている、おままごとに過ぎない!
滑稽なのはその役割分担を相手が知り得ないことだけだ。
「やるじゃねぇか。…ハートのAなんて、お洒落なワナをかけやがって。」
「相手を仕留めるワナはほんのちょっぴり。それも1個で充分ですのよ?」
トラップ使い沙都子。
…ヤツの真骨頂は乱発しないこと。
……仕留めるワナは1個で充分?……くぅ〜〜!!…カッコイイじゃねぇかぁッ!!!
次々とメンバーたちが、持ち味を活かした勝利を挙げていく中、進展のない俺の焦りは募るばかり…。
そうだ、梨花ちゃんはどうなってるだろう?!
我が部の侮れない小狸、梨花ちゃんはどこだ?………って、何だありゃ。
その一角は、明らかに他の卓の緊張感とは別世界だった。
梨花ちゃんの卓のゲームは……電池で動く魚釣りのゲームをご存知だろうか?
魚がゲーム盤の上を口をパクパクさせながら回っていて、それを磁石の付いた釣竿で吊り上げる、あの懐かしいゲームだ。
…吊り上げた数で勝敗を競うのが当初の予定だったのだろうが……。
…それはすで対戦と呼べるような雰囲気ではなかった。
「……わぁ♪ 釣れましたですよ〜。」
「うまいうまい! 梨花ちゃんうまいよ〜!」
「おっとっと、また釣られちゃったよ〜。梨花ちゃんはうまいなぁ☆」
…梨花ちゃんが戦闘開始前からギャラリーと一部対戦相手を骨抜きにしていたのは知っていたが…。……さすがだ。
あの一角だけは、古手梨花ファンクラブ親睦会々場と化している…ッ!!
「梨花ちゃんの圧勝だよ! 圧勝だよ! 梨花ちゃん、お魚釣りうまいんだね〜!」
「梨花ちゃんが釣ってるのは、多分、魚じゃないと思うな…。」
それが聞こえたのか、梨花ちゃんはこちらをちらりと一瞥した。
ボクなりの本気なのですよ。…そう聞こえた。
「梨花にしかできない、梨花だから許される…大技ですわね!!」
…あぁ! …大技だッ!!!!
「前原さんの番ですよ。」
「あ、すまんすまん。俺の番か。1・2。………脱税の追徴課税。5万$支払う…。」
それに引き換え……俺のゲームは…何という無様な展開…!!
俺の焦燥が浮く顔に気付き、仲間たちが様子を見にやって来る。
「あれ……、圭一くん、ひょっとして苦戦かな? 苦戦かな?」
「岡村。あなた今、いくらぐらい持ってますですのー?」
岡村くんがエリートコースでたっぷりと溜め込んだ、切れるように白い十万$札を数え始める。
「えっと…98万ちょいくらいかな。」
「……富田はどれくらいお金持ちですか?」
「あ、…俺は………88万$。まだまだ逆転できる位置だね!」
二人とも…100万$くらいは余裕で達成できそうじゃねぇか!!
「で? 圭ちゃんはいくら持ってんの…?」
魅音の声は初めから陰っていた。……部活の部長としての…失望と呆れ。
「し……仕方ねぇだろッ?!?! このゲーム、ルーレット回す以外に何も作戦がないんだぜッ?!?!
イカサマがあるとしたら何だよ! 二人に目をつぶって百数えてもらって、その隙にルーレットに細工でもするのかッ?!……そんなの、出来るわけねぇだろッ?!?!」
梨花ちゃんが俺の頭をやさしく撫でてくれた。…だが、あまり嬉しくなかった。
「……無様ですわね。一度は好敵手と思ったのに。幻滅でしてよ〜?」
「投げちゃダメだよ圭一くん! 何か逆転があるはずだよ?! がんばろ! 最後までがんばろ!!」
…だから…この運だけのゲームに…どんな逆転があるってんだよッ!!!!! なぁ?! 魅音?!
…だが、魅音の目は信じられないくらい淡白で、…つまらないものでも見るかのようだった。……そして何も言わずに背中を向ける。
「お、…おい、魅…、」
自分でも悔しいくらいの……情けない声だった。
「………失望したよ。みんな本気なのに、圭ちゃんだけは本気になってくれなかったね。」
「ほ、本気って何だよッ?!?! 気合でルーレットの目をコントロールしろってのかよッ?!?! そんなの出来るかよッ!!!!」
「……本気の圭ちゃんなら、そのゲームでも開始10秒でケリを着けてたね。」
「み、魅ぃちゃん、そんなに怒ることないよ…! 待ってよ…!」
魅音は不機嫌そうに…、俺を打ち捨てて店の奥へ消えた。
…気まずくなったのか、ギャラリーたちも俺の卓から散っていく…。
くそ!! 俺が本気じゃないってのか?!
本気の俺なら、この運だけのゲームを開始10秒で決着できたって?!?! 本気の俺って…、本気の俺って…ッ!!!!
みんな俺の勝利を祈ってた。信じてた!!……その期待を裏切ったッ?!?!
俺が……本気じゃなかったから…ッ!!!!!
…………くぅ……ッ!!!!
「あの……ゲーム、進めます…?」
二人が遠慮がちにゲームの再開を促してきた。
…俺はそれに応えない。
卓を…じっとりとした沈黙が包む。
「前原君は…投了でいいかな…?」
マスターは俺が投了したものと思い、ゲームの中断を宣言しようとする…。…その瞬間ッ!!!
…俺の中の、鬼が咆哮をあげて……目覚める。
わかったよ魅音…。
……俺の本気……、
見せてやるぜぇえええぇええぇッ!!!!
ガシッ!!
俺は二人の肩を力強く叩き、抱き寄せてから声を低くして告げた。
「富田くん。岡村くん。取引しよう。俺を勝たせろ。」
二人は何を言われたのか、それが何を意味するのか一瞬わからず困惑する。
「な、前原さん、暴力はなしですよ! ちゃんとゲームで勝敗を…!!」
「話は最後まで聞け。……お前らの望みは何だ。優勝して5万円か?」
「そりゃそうですよ。5万なんて大金、二度とないチャンスですよ!」
「仮に優勝したとして。お前らその5万で何をする? どんな楽しみ方をする?」
…二人は軽く考え込む。
「新しいゲーム買うとか…。…お菓子とか。…ジュースとか…。」
「くくくく…、小せぇ小せぇ。馬鹿かお前ら…、くっくっく!!!」
「じゃ、じゃあ前原さんが勝ったら、どんな楽しみ方があるってんですか。」
「俺か? そこが本題だ。今から言うことを黙って聞け。」
俺たち部活のメンバーは、一般参加者とは別に罰ゲームが設けられている。
負けたら勝者の命令を1つ聞かなければならない。
…だがこれは逆に見れば、優勝者は部活メンバーに好きなことを命令できる賞品とも受け取れる!
「まず富田くん。君は沙都子萌えだよな? 否定するなッ!!! そして岡村くん。君は梨花萌えだな? 赤くなるなッ!!!!」
赤面し、今のが回りに聞こえなかったかを気にする二人の肩をさらに力強く抱き寄せる。
「ロリ!
萌え!
美少女!!
男の垂涎、
男の浪漫!!
例えるなら永遠にたどり着けないエデンの園ッ!!
だけど目指すんだろ?!
それは俺たちのハートに熱い魂が…萌えよと叫ぶからだッ!!!!!」
好きな子のことを好きと言えない多感な年頃…。それを全部理解した上で、俺は一層力をこめる!!!
「俺が優勝したら富田くん。沙都子を一日、首輪付きで君の妹にしてあげよう。」
ぶしゅ。富田くんの両鼻から赤い飛沫が飛び出る。
「そして岡村くん。君には猫耳梨花ちゃんに手綱を付けてお散歩させてあげよう。」
ぶしゅ。岡村くんの額の血管から血流が噴火する。
「「そそ、そんなこと……そんな、あのあのあの…ッ!!!!」」
「うろたえるなッ!!! お前たちは俺に無理やり付き合わされたことにすればいいんだッ!!
前原先輩のわがままの犠牲者なだけ!! いやいやでいいんだよ!! わかってるッ!!!お前たちの胸の内は全部わかってるッ!!!!」
……そこで俺は言葉を一度切り、口調のトーンをぐっと落とした。
「…俺は灰色の学校生活を送ってきた。それがどんなにつまらなく、人生の大切な時間を浪費したことになるのか身をもって知った。
……だから…後輩のお前たちには…
そんな時間を過ごして欲しくないんだよッ!!!!!
自分に素直になれッ!!!夢を追え!!そしてかなえろ!!!俺がかなえてやるッ!!!俺がだぁああぁあぁあッ!!!!」
……男たちが世代を超えて価値観を共有した…瞬間だった。
「「ま、前原さぁあぁあぁあぁぁぁぁぁぁあああんッ!!!!!!」」
自分たちの胸中を…これまでこれほどに力強く代弁してくれた先輩がいただろうか? いない!! いるわけがないッ!!!
人の一生に運命的な出会いが三度しかないなら。その貴重な一度目を…二人は今この瞬間に体感するッ!!!!
「……じゃあ、いいな? 行くぞ。………せーの、」
「「「ゲーム終了ぉぉおおぉおッ!」」」
あまりに威勢のいいゲームセットの掛け声に、店内全員のギャラリーが振り返る。
それは、俺が投了しかけ、ギャラリーたちが俺の敗北を確信した時から3分も経っていない。
「け、圭一さん……どうなりましたのッ?! 勝敗は…ッ?!」
「俺の完全勝利だ。」
「な、なんですってぇえぇえ?! あの状況を…どうやってひっくり返しましたのッ?!」
「過程なんか必要ないよな。男と男の決着だよな。
……なぁみんなッ!!!」
「「ぅおおおぉーーすッ!!!!」」
二人は感涙に咽びながら…力強く、腹の底から返事した。
あの絶対不利の状態からギャラリーが目を逸らしていたこの3分間に…一体、どんな奇跡が起こったと言うのかッ?!?!
「や……やったよやったよ圭一くん!! わぁあぁあーい!!!」
さっきの絶望的な状況を知るギャラリーも一瞬の逆転劇にどよめき立つ!
…あの男、ルーレットの目すら自在に操れるのかッ?!
奇跡だ!
魔性だ!!
あの魅音の仲間だぞ?!
怪しげな技を持っているに違いないッ…!!
興奮覚めやらぬギャラリーを尻目に、完全に戦闘状態として覚醒した俺が冷笑をたたえる。
「……これが俺の本気ってことかよ。魅音。」
「ふん。……遅ぇーっての。」
互いに犬歯を剥きだしにして…醜く笑い合う…ッ!!
「じゃあこれで…部活メンバーが全員、一回戦突破ですわね!!」
「ということは、今度は…みんなで対決だね! 対決だね!」
「……ボクはもう賞金で買うものを決めていますです。」
「もちろんですわ〜! ねー!!!」
沙都子とレナがにっこり(ニヤリ?)と笑い合う。
へ、どいつもこいつも…。
本気になったこの前原圭一を前に…本当で勝てるつもりでいやがるッ!!!
「魅音。……失敗だったなぁ。…お前はさっき、俺に「助言」すべきじゃなかったぜぇ…?」
「…くっくっく……、ヒヨコが。私に勝つなんて百万光年早いって。」
「魅音。……光年は距離の単位だぞ。」
…あ、照れてる照れてる。
「どうするの魅ぃちゃん。5人でどう戦うのかな? かな?」
「さぁて。…くっくっく。これだけ豪華な面々が揃ったんだからね。今日という日を急ぐのが惜しいよ。」
「……魅ぃの言ってる意味が難しいです。」
「?!………まさか、てめぇ…ッ!!」
魅音はその長い髪を優雅に、まるでマントのように翻すと卓に背を向けた。
「今日の勝負を、部長、園崎魅音が預からせてもらうよ。勝負方法と日時は未定。…ギャラリーは多い方がいいね。雛見沢も興宮も、全ての人間の目の前で。
……これ以上ないくらい徹底的な決着をつけてあげるよ。」
「に、逃げる気ですのッ?!?! いくら魅音さんでも卑怯ですことよ?!」
「くっくっく…ヒヨコがぁッ!! 生かされたことにまだ気付かんか!」
魅音の全身から噴出す闘志のオーラが障壁となって、沙都子の勇み足をすくませる…!!
「また会いましょ。せいぜい首でも洗っとくことね。」
甲高い笑い声を残しながら…魅音は店を出て行った…。
一瞬の沈黙の後、ギャラリーが一斉に歓声を上げる!!
この勝負は一体いつ再開されるんだ?!
魅音は本気だ!
他のメンバーも上々の仕上り!
新人の前原も何か得体の知れない力を持ってるぞ…!!!
あの絶対ビリの状況から瞬時に逆転したッ!!
「「前原さぁああん!!! 絶対優勝して下さいよぉおぉおッ!!!」」
「おぉうッ!! 魅音なんざ、逆さにして三途の川に叩き込んでやるぜッ!!!」
富田くんと岡村くんと、例の密約を漏れ聞いたらしい一部のギャラリーが歓声をあげる!!
でもどうせ魅音の勝ちだ!! 無敗の帝王! 俺は魅音に賭けるぞ!!
いいや神速のレナだ!!
トラップの沙都子!!
萌え落としの梨花!!
大穴でダークホースの前原だ!!!
だが今の俺は、そんな黄色い歓声には興味ない。
これほどの大勝負の舞台を用意され、ここで魅音を逃がすなど…絶対に許せるものかぁあぁああぁ!!!!
店の外では自転車にまたがろうとする魅音と、見送っている店のマスターがいた。
「逃げるな魅音!! 部長なら逃げるなッ!! 俺と戦えーー!!!!」
「あ、ごめん圭ちゃん、私、これからバイトー…☆」
んがーーー?! 俺の両足が、コント番組そのままに前後に滑って開脚する。
「うん。圭一くんがゲームしてる間に魅ぃちゃんに電話があったの。…残念だね。」
「せっかく熱くなってきたのに…ツイてないよ。…叔父さんの店でさ、特売にお客が殺到してるらしくてさ、レジが足りないから助けてーって電話があったんだよ。」
「叔父さんって…なんだ、スーパーの店長でもやってんのか。」
「ささやかなお店だけどね。でもさー!
……特売やれば主婦が殺到するの、常識で読めないのかねぇー!! 店員足りないのにタマゴ1パックお一人様1点限り10円なんてやるなー!!!!」
ちょっとびっくりだった。
さっきまで店内にいた、瘴気のようなオーラを放つ部長園崎魅音とはとても思えない。
…まったくにもって、いつもの調子の魅音だった。
ようやく俺も肩の力が抜ける。
…そっか。部活モードはもうお開きなんだな…。
しかし…、今日はすごく熱くなれた。本当に楽しかった!
魅音め、こいつなかなか人を熱くさせるのがうまいよなぁ!
「私こそ! 頭がジンジン痺れるくらい燃え上がったよ! 特に圭ちゃん! 怖かったぁ!! あの場で本当に噛み殺されるんじゃないかって思ったね!」
「お仕事だから仕方ないけど…ホントに残念だね!」
「この続き、本当にやりたいですわね! いつがいいでございましょう〜!」
「……綿流しのお祭りでやるのなんていいですよ。」
「綿流祭五凶爆闘か!……そうだねぇ。考えておくかなぁ。」
今、梨花ちゃんと魅音は何て言ったんだ?
…綿流し? 綿流祭五凶……何だって??
「あははははは! 私、週間漫画みたいないい加減なノリ、大好きなんだ。こんな痛快な部活が、近いうちにまたできるといいねぇ!」
見ている者まで心が爽快になるような、そんな笑顔で笑った。
その時、お店のマスターが店内から紙袋を持ってきた。…何だろう。くれるのかな?
「今日はみんな、本当にありがとう。お陰でイベントは大盛り上がりだったよ〜! 大したものじゃないけど、これ、今日のお駄賃に〜。」
「わ、善郎おじさん! 私にはないの、お駄賃ー!」
「あらあらあら!! かわいいのが出てきましたわよ?!」
沙都子と梨花ちゃんが紙袋を開けると、中から小さく可愛らしいぬいぐるみが出てきた。
「わ!! これ…かぁいい〜…!! お持ち帰りしていいの?! 本当に…?!」
「ってことは俺のもかな? ……ぅお。何だかやたら可愛いのが出てきたぞ。」
豪華なドレスを着た、いかにもままごとに使いそうなぬいぐるみだ。
レナの目が俺のぬいぐるみに釘付けになる!
…いや、沙都子もだ。心なしか梨花ちゃんも…?!
「あっはっはっは! 圭ちゃんには一番似合わないのが出てきちゃったねぇ!」
「…なんつーのか、プリティーって言うかキュートって言うか、…可愛いのは認めるんだが…着せ替え人形はちょっとなぁ…。」
「圭ちゃんが持ってたら、確実に明日から変態扱いだね。うん!」
…魅音に嫌味を言われるまでもない。これは男の俺の持ち物ではない。
魅音だけおみやげをもらってないので、魅音に渡そうかと思ったが、ちょっと考えてからレナに渡すことにした。
「えッ?!?! くれるの?! レナに?! ありがと〜〜〜!!!!!」
「保身のためだよ。…レナにあげないと夜道が怖い。」
「あっはっはっは!! 違いない違いない!」
「魅音にあげようかと思ったけど…ちょっと違うよな!」
「へっへっへ、わかってるじゃない! 私さ、どーして男に生まれなかったのかなーって思う時あるよ。」
「女でよかったな。男だったらもうとっくに殺してる!」
「あっはっはっはっは!! 今のうちに殺しといた方がいいよ〜? じゃないと圭ちゃん、死んで後悔することになるから。あっははははは!!」
物騒なことを言って大笑いする魅音。
みんなも一緒に大笑いする。
「来世では神さまに男にしてもらえるように頼めよ! 俺も男にしてもらうから。」
「そしたら圭ちゃんと組んで、軽く全国制覇から始めようかね! あっはははは!」
魅音ちゃん、そろそろ急がないと…。マスターがすごく遠慮がちに告げた。
俺たちが本当に楽しそうに盛り上がってたから、水を刺し辛かったんだろうな。
「じゃね。今日は最高に楽しかった。またねみんな。明日、学校で〜!」
「バイト、遅刻すんなよー!」
みんなで手を振り、魅音の後姿を見送った。
…気付けば日も落ちかけ、風はほんのり涼しさを運ぶようになっている。
「もうちょっと町で遊んでいく? それとも帰るかな?」
「……暗くなると道が怖いですよ。」
「では、引き上げ時ですわね。今日は本当にいっぱい騒ぎましたわぁ!」
「そうだな!……よっしゃ! 帰ろうぜ。」
熱気で火照った体を鎮めるように、いつの間にか風はやさしく涼しくなっていた。
雛見沢への帰り道は長いはずなのに、あまり気にはならない。
「そうそう! レナさん、圧勝でございましたわね!」
「レナがああなっちゃ、悪いけど誰にも勝ち目はないな…!」
「あはははは! だってすごいかぁいいカルタだったんだもの。ほら! 買っちゃったんだよ☆ はぅ〜〜!」
「梨花も相変わらずですわ。梨花にかかれば、男どもなんて赤子の手をひねるようなものですわね!」
「……楽勝だったのです。」
「…どこまで計算ずくでどこまでが天然なのか…。梨花ちゃんの行く末が実に怖いな…。」
「あはははは! 沙都子ちゃんだってすごかったね! 最後は大盛り上がりだったよ!」
「褒められるようなゲームではありませんでしてよ? をーっほっほっほ!」
「……圭一も、最後はとうとう牙を剥きましたです。」
「ん? ま、まぁな! 俺は追い詰められてからが強い男なんだ!」
「…富田さんたち、何だかすっごく応援してましたけど、…何ですかしらね?」
「……富田と岡村に何か約束してましたです。…きっと内緒話なのですよ。」
「な、…内緒話…内緒話…。
……はぅ〜〜…何だろね、何だろね!」
「…………お、男には時に、戦いを通じてしか語り合えないものがあるんだよ…! わっはっはっは…!!」
苦し紛れに大笑いし、必死に話題を逸らす。
その後もみんなで互いの戦果を称え合い、今日がいかに楽しかったかをいつまでも噛み締め合うのだった。
「見てご覧なさいませーー!! 夕日がきれいでございますわよ〜!!!」
沙都子がはしゃぎながら指差す先には、でっかいでっかい夕日があり、俺たちの自転車の影を、さらに長く見せていた。
ひぐらしの鳴き声がやさしくて、とても心地よかった…。
■1日目幕間 TIPS入手
1■魅音の叔父さんって?
魅音のバイトって?
「うん。ごめん。今日はさ、急に叔父さんの店のバイトが入っちゃってさ。」
「なんだなんだ。じゃあ今日の部活はお流れってわけか。」
「いやぁ、あっはっは、申し訳ない…!」
魅音は拝むように両手を合わせると、にやっと笑ってみせる。
「そんなに部活がやりたかったら、おじさん抜きでやってもいいけど? 部活ロッカーにゲームがいっぱい入ってるからさ。どれか適当に選んで。」
部活ロッカーってのは、いつも部活の時に魅音がゲームを引っ張り出してくるあの四次元ロッカーのことだ。
あの、清掃用具入れよりもさらに一回り小さいロッカーの中に、どうしてあれだけのたくさんのゲームが詰め込めるのだろう…。
のみならず、罰ゲーム用の怪しげなアイテム(衣装?)までたくさんたくさん…!
整理するために床に並べたら、きっと教室の床中が埋まるに違いない。
「……やめとく。俺がいじったら、ロッカーの中身がドサドサーッて溢れてきそうな気がするよ。」
「あっはっはっは! う〜ん、そうだねぇ。素人は手を出さない方が無難かもしれない。くっくっく!」
魅音は、それが出来るのが部長の所以だとでも言わんばかりに大笑いした。
「……魅ぃ。先生が体育倉庫のカギを探してますですよ。心当たりはありませんですか?」
「はれ? …私、職員室に返さなかったっけ?」
そう言いながらごそごそとポケットをまさぐる魅音。
……表情から察するに、職員室に返したつもりでいるものは、どうやらそこに納まっているらしい。
「ほぅらやっぱり魅音さんですのよ〜! 私、絶対絶対ぜーったいそうだと確信してたでございますわー!」
「……ボクも大正解なのですよ。沙都子と一緒に大正解なのです。」
きゃっきゃと手を打ち合わせて沙都子と梨花ちゃんが喜び合っている。
「やかましい!」
ガスン! ゴスン!
沙都子と梨花ちゃんの頭に肘を叩き込むと、魅音は職員室へ向かっていった。
「あ、そうだ。二人とも聞いたか? 今日は魅音、バイトがあるから部活はお休みだとさ。」
「あら、そうなんですの?! それはつまらないでございますわね。」
「……みぃ。」
<笑顔でないデフォ顔です
二人ともつまらなさそうな顔をする。
…何だかんだ言っても、魅音の部活は学校に来る一番の楽しみなんだよな。
それがお流れになるとわかったら、そりゃー憂鬱になるのも頷ける。
「魅音ってバイトをやってるんだよな。…あいつ、一体何のバイトをしてるんだ?」
魅音が部活を中止する時は大抵、バイトが理由だ。
だが、毎日通っているにようには見えないよな。
2〜3日、連続で行く時もあれば、全然行かない時もある。
…そんないい加減なアルバイトなんてあるんだろうか?
「……別に、決まったお店でお勤めをしてるわけではないのです。」
「決まってないってことは…、じゃあ日雇いってことなのか?」
魅音が足袋にヘルメットで、工事現場で汗だくになって……。…想像がつかん。
「魅音さんは叔父さんの店にお休みが出たりすると応援に駆けつける、便利屋さんなんだそうですわ。」
「あー…、なるほどな。そう言えば、叔父さんのとこでバイトなんて話。前にも聞いたことがあるような気がする。」
「……お店を持ってる叔父さんがいっぱいいるので、魅ぃは引っ張り凧なのです。」
お店を持ってる叔父さんがいっぱい? いっぱいいるのか?
「あら、圭一さんはご存知ありませんの? 興宮には魅音さんの親戚の方がやってるお店って結構いっぱいありますのよ?」
「へー…。そりゃ知らなかった。…そんなにいろいろあるのか?」
「えぇ。パン屋さんとか八百屋さんとかラーメン屋さんとか。他にもまだまだ。あの部活をやったおもちゃ屋さんもそうなんですのよ。」
ちょっと絶句。……それは…すごいな!
「…魅音の一族って何気に商才があるんじゃないのか? それだけいろいろあるってのも何だかすごいよな!」
「……他にも、サラ金屋さんとか、地上げ屋さんとか、イメクラ屋さんとか、ソープランド屋さんとか。いろいろやってると言ってますです。」
何だか妙なのも飛び出してきたが、まぁとにかく! 手広いのはよくわかった。
「あいつに小銭を借りると、妙に返却期限にうるさいのは、サラ金屋の血が流れてるからかー。納得納得!」
「……魅ぃにお買い物代を借りたことをコロリと忘れてしまったら、耳を揃えて返さんと身売りして風呂に沈めたるどーと凄まれましたのです。」
………梨花ちゃんが借金のかたに特殊な風俗業界に身売り…。
……あ、やべ、…鼻血〜☆
「お風呂に沈められて溺れ死ぬなんて、おマヌケにもほどがありますわね〜!」
……は?
…こいつ、よく意味がわかってないな…?
今どきなかなか初々しいヤツ。
俺と梨花ちゃんが沙都子の頭をなでなでしてやる。
「…?! …な、なぜ撫でられるんですの?! …?!」
「……沙都子はいい子さんですから、なでなでなのです。」
沙都子は意味がわからずうろたえていたが、馬鹿にされたことだけは理解しているようだった。
■2日目(月曜日)
「……午後の授業ってさ、どーしてこー眠いんだろーねぇ。」
魅音が、聞く者まで眠くするような声で話しかけてきた。
「眠いことに医学的説明が必要かよ。話してもいいが、もっと眠くなるぞ。」
「…ぎゃ〜…堪忍して〜………。」
もうすぐ3時。
6時限目の授業ももうすぐ終わりだ。
ちなみに、沙都子たち低学年は5時限目で開放されているので、今頃は校庭ではしゃぎ合っているだろう。
校庭から聞こえてくる子供たちの楽しそうな声が、実にうらやましい。
「ほら、魅ぃちゃんは委員長さんなんだからもっと頑張らないと。寝ちゃだめだよ〜。」
「私さー、クラス委員長じゃなくて、水泳部の部長がいいんだよ。いっぱい寝れるからー。」
「ほー? …してその心は?」
「水泳部なだけにスイミン・グ〜、なんちゃって〜…。」
ゴン!
先生がけらけらと笑いながら、教科書の角で魅音の後頭部を叩く。
「…お後がよろしいようで。今日はこれくらいにしましょう。委員長、号令。」
「きりーーーーつ! きょーつけーーーー!!」
さっきまで半分寝ていたはずの魅音が、授業が終わると聞いた途端に元気を取り戻す。
…ここまで現金だと、見ていて痛快かもしれない。
ホームルームは、低学年の最後の授業が終わった時に済ませているため、最後の授業が終わると、そのまま流れ解散になる。
異なる学年が混在する我が校ならではの変則技だ。
授業が終わったことがわかると、沙都子と梨花ちゃんが教室に戻ってきた。
「……お疲れ様なのです。」
「さー!! 楽しい部活の時間ですのよー!!」
「よっしゃ。そーだねー。今日は何をしようかねー!」
「ねぇ魅ぃちゃん。今日は昨日のイベントの続きにはならないの?」
「そうそう! そうですわ! あれだけ大盛り上がりして尻切れトンボでは、納得が行きませんのよー!」
「まぁまぁ。気持ちはわかるけど、またの機会にしようよ! 放課後の教室なんてしみったれたロケーションじゃなくて…もっと晴れの舞台でさ!」
「俺はいつでもいいけどなー。決勝戦は後輩たちも立ち会わせる約束になってるんだ。予め日取りを決めてほしいぜ。」
「わー! 圭一くんすごい! 応援してくれる人がいるんだね! いるんだね! ……レナにも応援してくれる人、いないかな。」
レナがちょっぴり夢見る乙女モードになったのを見逃さない。
「手は抜けないけど、…レナの優勝、俺が祈ってるぜ。」
サッカリンのように甘〜い圭一スマイルで、レナの頭をわしわしと乱暴に撫でてやる。
「は?! はぅ〜〜〜?!?! ……けけけけ、圭一くん、それ…どういう……はぅ〜〜………。」
レナは真っ赤になってショートし、両耳からブスブスと煙を噴き出している。
瞳を覗き込むと、ナゾのお花畑で俺と手をつないでスキップしているレナが映っていた…。
……あぁ…例え他人の想像の中だとしてもすごく嫌だ……。
「……レナ殺しの圭一なのです。」
梨花ちゃんがそう言うと、みんなも一斉に笑い出す。
「あははは! でもそのレナは沙都子や梨花ちゃんキラーなわけでしょ。」
「確かにレナさんには勝てないかもしれませんけど…、私たちは圭一には負けませんでしてよー!!」
「へー、何だか面白い相関図だな。俺たちの強さって、ジャンケンみたいに相性があるわけだ! …でもそれ、魅音が抜けてるな。」
「当り前でしょ。私、相性なんか関係なく、誰にでも負けないし。」
魅音が…部長の、いや帝王の眼差しでニヤリと笑う…!
場の雰囲気も盛り上がってきた。そろそろ…始めたい頃合だぜ!
「さぁて! ボチボチ始めようかね!」
「うん! それで魅ぃちゃん、今日は何をやるのかな? かな?」
魅音は、う〜んと軽く唸りながら、通称「部活ロッカー」の中身を漁っている。
いつ見ても…色々とごちゃごちゃ入っているよなぁ。
あのぎゅうぎゅうに詰まった箱類は全てゲームなわけだろ?
しかも罰ゲーム用の猫耳やら首輪やらもしまってあるんだから…そのキャパシティーは計り知れない!
…あのロッカー、実は奥の壁をぶち抜いていて、その向こうは四次元につながっている……というのが俺の推理なんだが。
そうでなければ、あぁも次から次へといろんな物が出てくることを説明できん!
魅音は顎に手を当てて軽く思案した後、どのゲームも取り出さずに振り返った。
「今日はさ。ちょっとシンプルに行ってみようかね! 大道具を使ったゲームばかりってのも大味でよくないでしょ。」
「……どんなゲームでも、みんなでやれば大盛り上がりしますです。」
「うん。そうだね。そうだね!」
俺もレナに相槌を打つ。…同感だ。
このメンバーでなら、例え校庭の雑草むしりをしたって楽しいに違いない。
「…私は楽しくないですわ。草むしりなんか。」
「あ、やっぱりか? …ってゆーか沙都子。人の表情見て、考えを読むのはやめろ。」
「圭一くんは顔に考えてることがすぐ出るからね。すぐわかっちゃうんだよ〜。」
昔からよくそう言われるが、転校してからは特にひどいようだな…。
ポーカーフェイスを身に付けないとまずいかもしれないな…。
「はーい!! みんな傾注傾注〜! ルールを説明するよ〜!!」
俺たち全員が下らない話をやめ、表情を一気に引き締める。
いつの間にか、みんな虎や鮫のような眼差しで耳を傾けている。
そう。ルールを聞くこの段階から……勝負は始まっているのだッ!
「今日のゲームは…割とパーティーゲームでは知られてるヤツなんだけどね。「シンパシー」って言うんだけど、聞いたことある人いるー?」
…シンパシー。
共感するって意味だよな。…あれ、俺、知ってるかも…?
「魅ぃちゃん、それひょっとして…。お題目を決めて、みんなで連想する言葉を書いて…同じ答えを書いた人が多ければ多いほど得点、っていうゲームかな?
だったらレナ、知ってるよ!」
あぁ…思い出した!
小学校の時、遠足のバスの中でそんなゲームをやったよな!
「知らないゲームでしてよ。説明してほしいですわね。」
「まずね、親が「お題目」を決めるんだよ。例えば……「デザート」って言うお題目を決めたとする。」
「うふふふ! 沙都子ちゃんはデザートって言われたら、真っ先に何を思いつくかな?」
「……えっとー…そうですわね。例えば『プリン』とか。」
「OK! だったら沙都子は手元のメモに『プリン』って書くわけ。で、全員でいっせーのせ!で答えを公開し合う。で、プリンって書いた人が2人以上いれば得点!
いればいるほど高得点だから…全員が同じ答えだったら、最大5点入るわけ!」
「……つまり、みんなと同じ答えになるように考えるのがコツなのです。」
まさに梨花ちゃんの言う通り。
このゲームで大事なのは、この『みんなと同じ答えになるように』考える点だ。
例えば…自分はデザートと言われて真っ先に『イチゴ汁粉!』と思いついたとしても。…他のみんなと一致しない答えでは得点できないわけだ。
だから、ぐっとそれを我慢して、みんなの答えそうな答えに変更しなくてはならない…。
自分の考えでなく、他の仲間の答えをどこまで読めるかがカギになる、高度な知能ゲームなのだ!!
「……魅ぃ、沙都子のために1回だけ練習をしてみましょうです。」
「OK〜。親は部長である私でいいよね。お題目を何か適当に……。」
国語の教科書を取り出し、ランダムにページをめくり始める。
「じゃあ…1回だけ練習戦ね!………最初のお題目はー
『かき氷』ッ!!!」
「あははは! かき氷って言ったら…決まってるよね〜!」
かき氷のスタンダードって言ったら、イチゴ、メロン、ブルーハワイだよなぁ!
中でも人気は…メロンに決まってるだろ!
「みんな書いたー? じゃあ一斉に公開するよ? いっせーのぉ、せッ!」
「イチゴ」「メロン」「宇治金時」「イチゴ」「イチゴ」
ありゃあぁッ?!?! メロンが…俺しかいない?!
「お、お前ら…! イチゴなんてスッタンダードなつまんねーの選ぶなよなぁ!
おいレナ、かき氷でイチゴなんか頼むかよ?! 夏祭りで一番早く売り切れるのはメロンって決まってるんだぜ?!?!」
「レナもメロン味は好きだよ! でもやっぱり…イチゴ味だよね。よね☆」
「圭ちゃん、確かに私も選ぶならメロンにするよ。だけどね、これは連想ゲームだよぅ? かき氷って言ったらまず筆頭はイチゴでしょ!!」
釈然としないが……まぁとにかく! こういうゲームなのだ!!
「…り、梨花のは何て書いてありますの…? それ、かき氷ですの??」
「……宇治金時です。たまらないおいしさなのですよ。」
まぁ確かにうまいとは思うが…ちょっと一般的じゃないぞ。…いやしかし……チョイスが渋い…。
「沙都子、これでだいたい分かったかな? イチゴって書いた人は、仲間が3人いるから3点獲得! この調子で点を競っていくわけ!」
「えぇえぇ! わかりましたわー!! それより魅音さん。今日の罰ゲームは何にしますですの?!」
「はぅ…! や、やっぱりあるんだね…。……何かな…何かな!」
「うーん…。何にしようかね。……圭ちゃん、何か提案ある?」
え、罰ゲームか??
……小学校の頃…罰ゲームってのがあったら……うん。やっぱりアレだよな。
荷物持ち!
「つまり、負けた人が全員の荷物を持たされて運ぶ、ってヤツでしょ。男子がよくやってるね。全身ランドセルだらけにして歩いてる小学生、よく見るし〜!」
「でも……どうするの? 沙都子ちゃんと梨花ちゃんのお家は私たちとは逆方向だよ?」
「じゃあ…1位の荷物をビリが家まで運んであげる、でいいんじゃない? 全員の荷物の宅配だと結構いい距離になっちゃうしね。」
「あ、うん。それくらいなら…いいかもね!」
「……何だか、今日の罰ゲームは簡単ですわねぇ。この程度の罰ゲームでは圭一さんにやらせても面白くありませんわ〜!!」
「じゃあもうちょっとレベルアップしようかね!
ただ荷物運びをするだけじゃなく……
ジャーーン! これを着て荷物運びをしてもらうというのはどうかなぁ?!」
「ななッ!!!
なぜにメイド服ーーーッ!!!!!」
「は、はぅ…! か、かぁいいけど……そ、そんなのいや〜〜〜〜!!!!」
「……でもでも! 圭一さんが負けた場合はどうしますの?! 圭一さんに着れるサイズがなければ…、」
「そこは抜かりないよ〜! 圭ちゃん用にちゃんとXLサイズも用意してあるもんねー!!
さぁ圭ちゃん、覚悟はいい?! メイドコスさせて外をねり歩かせてあげるよ〜!!!
カチューシャからガーターベルトにショーツまで…ぜ〜んぶ揃ってるんだからねぇ!!」
「ぜぜ、絶対ヘンだ!! なんでそんなものがサイズ毎に全部ロッカーに入ってるんだよ!!」
ま、まずいぞ前原圭一…!!
何だか…俺に限って支払いが過酷な内容になりつつあるぞ?!
間違って俺が負けでもしたら…?!
もう日中に表は歩けないッ!!
あら奥様、前原さんちの坊ちゃんでしてよ? 聞きまして? 何だか女装癖があるらしいんですの。
あらやだ本当に? 恥ずかしいったらありませんわね、をーっほっほっほ!!
「だーーーーッ!!! そ、それは辛すぎるー!!!!!」
それはあまりに…苛烈だ!! 正常な罰ゲームに戻すなら…今しかないはず!!!
み、みんな、こんな不健全な罰ゲームはやめるんだ…!!!
何で学校の帰り道に! メイド服の女の子を従えて、荷物持ちなんかさせなきゃならないんだ?!
で、ご主人様ぁって言わせて、恥ずかしいカッコのまま村中を引き回して……はぁはぁ。………はぁはぁって?
…な、なんだ…。この湧き上がってくる感情は……。
「ねぇ、やっぱり普通の荷物持ちにしようよ…! ほら、圭一くんも固まっちゃってるし…。」
バシーーンッ!!!
レナの双肩を俺の炎をまとった両手が力強く叩くッ!!!
「レナ、罰ゲームが何かが問題じゃない。…勝てばいいのさッ!! そうだろ、みんな!!!」
白い歯をキラーン!と輝かせて、俺の爽やかな笑顔が向けられる。
「お、圭ちゃん、分かってきたねー!!」
「どんな罰ゲームでも恐れない!! 勝てばいいんだから!! だよな、みんな!! えいえい、」
「「「おぉおおーー!!!」」」
魅音から梨花ちゃんまでが、全員力強く握りこぶしを突き上げる!!
レナだけは踏ん切りがつかないらしく、しどろもどろとしている。
…鈍いヤツだなぁ。ちゃんと勝てれば、レナにだっておいしいチャンスなのに!
「おいおいレナ。これ、かなりのビッグチャンスだぜ?!……メイド服の梨花ちゃんor沙都子をお持ち帰りできる史上最高、最強のチャンスなんだぞッ?!」
ぶッ!
レナが勢いよく鼻血を噴き出す。
瞳の色はすっかり変わり…かぁいいモードにシフトするッ!
待ってたぜレナ!! その瞳の色をよぅッ!!
「はぅ〜〜〜、お持ち帰り〜!!! 別に圭一くんでも魅ぃちゃんでもいいんだよ〜! はぅ!」
「よぅし!! 全員覚悟は決まったね!! じゃあメモの用意!! 第1問、いっくよ〜?!」
魅音がランダムに教科書を開き、目に付いた単語を読み上げる!
「まず最初のお題目は……
『夏休み』!!」
これまた…抽象的なキーワードだな。
…じゃあまずは無難に、この辺りから行くか。
「いい?! 行くよー! いっせーのーせ!!!」
魅音の号令に合わせ、みんなが一斉に書いたメモを掲げる。
どれどれ…みんなのは何だ?
「夏祭り」「夏祭り」「花火」「蚊取り線香」
「お、レナと私が同じ答えだね! よっしゃ、2点獲得!」
「でも沙都子ちゃんの花火ってのもいいよね。梨花ちゃんの蚊取り線香ってのも、季語みたいでとってもいいと思うよ。」
「……どの答えも実に涼やかなのです。」
「夏休みまでもうすぐだね。……今年の夏はどうやって過ごすかなぁ。」
夏休みを想起させる涼やかなキーワード…。実に心を豊かにさせてくれる。
みんなはじき訪れる夏休みに…たくさんの夢を思い描いているようだった…。
「…ところで圭一さんの答えは何ですの? 早く見せなさいでございますわ。」
「あ、……お、俺のは大した答えじゃ……。」
「ダメダメ! 見せるのがルールなんだから!! ほらほら!」
「あ、やめろよッ!! み、見るなー…ッ!!!」
『宿題』
シンとする。
…特に誰のフォローもない。
まるで、俺の無神経な答えが、もうすぐ訪れる楽しい夏休みの夢を汚してしまったこと責めるように……。
「圭一くんの夏休みって………楽しくなかったんだね…。」
「……大丈夫ですよ。今年の夏はみんなで過ごしましょうです。…圭一を独りぼっちにはしませんですよ。」
梨花ちゃんが俺の頭をなでなでする。
お、…俺の夏休みって一体……。
…夏期講習。
ひまわりの観察。
模擬テスト。
夏季特別集中講座…。
……暑い夏休みなんて知らない。いつもクーラーの効いた塾だったから…。
……うぅ……涙が……。
「……圭ちゃんの夏休み、灰色だったんだね…。」
「ぅ、ぅわぁあぁああぁあッ!!! そんな憐れみの目で俺を見るんじゃねぇええぇええぇええッ!!!」
…このシンパシーというゲーム、想像以上に恐ろしいものかもしれないぞ……。
「まぁとにかく! 私とレナは2点獲得ね!! 続けていくよ!!…次は……
『魚』!!!」
魚か! そう言えば最近、お寿司を食ってないなぁ。
ちなみに俺は、赤身のマグロよりはヒラメなどを好む『通』なのだったりする!
…今度の答えは誰かと合うだろう。
日本人なら誰だって思いつく答えだからな。
「じゃ、いいかみんな! 今度は俺から公開するぜ!! いっせーのーせ!!」
『お寿司』
どうだよ今度こそ!
活きのいい魚があったら、焼いたり蒸したりしたいとは思うまい?!
新鮮な刺身こそ最上!
そこであえて刺身と書かずお寿司というフレンドリーな単語にすり替える辺りが俺の狡猾さ…!!
……だが、俺の自身満々の答えとは裏腹に、みんなの表情は淡白だ。
「そうだよね…。お魚って、うん。…お寿司はおいしいもんね。」
「ぅ、ぅわあぁあぁあぁあ!! そんな同情っぽく言うなぁあぁああ!!!」
「じゃあ残る全員も公開するよ? いっせーの!」
「イルカ」
「クジラ」
「水族館」
「水族館」
「梨花と同じ答えですわね! 2点獲得ですわー!!」
「レナはクジラかぁ! 私も考えたんだけどね。イルカにしちゃった。」
「あ、そうだったの?! レナは最初はイルカって書いたんだけど…誰も書かないかなって思って…。」
「……どちらもとってもかぁいいのですよ。」
俺以外の4人は水平線の彼方に思いを馳せ、その耳には潮騒が聞こえているようだった……。
「これで全員2点獲得ですわね! 圭一さん以外!」
「…圭一くんの答え…、0点だけど、…レナはとっても独創的で面白いと思うな! 思うな!」
「魚と聞いて真っ先に食用に走るとは。……圭ちゃん、心の貧しさを恥じた方がいいよ、うん。」
「ぅわあぁああぁあぁ〜!!
心が貧しいとか言うなぁあぁあぁあッ!! 大体、魅音とレナの答えは何だよ! 魚類じゃないぞそれ! 哺乳類だしッ!!」
「全会一致で却下!!……ほれ! 次の問題行くよ!!」
な、なんて嫌なゲームなんだよ今日のは!!
ゲームを重ねれば重ねるほど…自分がいかに安っぽい人間かさらけ出しているようだー!!
俺だけまだ無得点…!! せめて次の問題でくらい得点を取りたいッ!!
「さぁてお次のお題目は…………
『さくら』!」
ちくしょー!! 今度こそ当てるぞー!!
クールになれ前原圭一!
自分のセンスで考えるな!
周りは全員女の子なんだぞ?
男のセンスで考えるのはやめるんだ!!
ここで「さくら餅」なんて答えを書いたら二の舞になる!
そういう食い意地の張った男のセンスは捨てるんだ!
今だけ自分を女だと思いこめ!
俺は女…俺は女…俺は女……!!!
「みんな書けたかな?! 行くよー!!」
「圭一さん、今度くらい得点できないとヤバいではございませんの〜?」
ふん! 今度こそ完璧だ。見事に自分を殺した!!
今度こそ…当たるッ! いや、当てるッ!!!
「圭一くん、今度は自信たっぷりだね! レナね、今度は圭一くんと合うようにね、男の子の身になって考えたんだよ。えへへ〜…『さくら餅』☆」
「……ボクも大好きなのです。書きましたですよ。」
レナと梨花ちゃんが二人でえへへ〜と笑い合う。
「ぅおおぉおぉおお!!!
今頃になって食い気を出すんじゃねぇえぇえッ!!」
「では圭一さんは私と同じではございませんこと?『お花見』ですのよ!」
「そーだよねー! さくらって言ったらお花見しかないでしょ! 私も書いたよ!」
魅音と沙都子の答えは『お花見』! …お、お花見だとぉおぉおおッ?!?!
「お、お、お花見なんて、酒盛りして痴態をさらすオヤジイベントの定番だろうがぁあぁあぁぁッ!!!
何で今頃になってあっさり女の子な答えを放棄するんだよぉおぉッ!!」
「じゃ何、圭ちゃん。…あんた、どんな女の子な答えを書いたわけよ。」
「なな、…何でもないよ!! 次行こう次ッ!!………あ、」
いつの間にか、梨花ちゃんが後ろに回りこんで、背中に隠したメモをじーっと読んでいた。
「………『カードマスターさくら』って書いてありますです。」
シン。
…水を打ったような静寂が教室を包む。
誰か笑うとかつっこむとかボケるとかすればいいのに…、誰もリアクションしない。
自分の顔が青から赤に変わり、とうとう腹の底の圧力釜が一気に爆発した。
「さ、ささッ、さ
くらって言ったら『カードマスターさくら』だろーッ?!?! 国営放送で毎週放送中の大人気アニメ!!!
小さな女の子から大きなお友達まで大ヒットブレイク中のっぉおおぉッ!! お前らだって見てるだろ?! いや絶対見てるさ、俺だって見てるくらいなんだからぁああぁあぁあッ!!!!」
「……いやそんな、力説しなくてもよく知ってるよ。あの毎週、違うコスチュームで戦うヤツでしょ? うん。知ってる知ってる。」
「うんうん。かぁいいんだよね! レナもたまに立ち読みでストーリーちゃんと追ってるよ☆」
「最近、見始めましたわ。さくらが元気一杯でカッコイイんですの!」
「……ボクはビデオを撮ってる女の子が好きなのです。」
「小さい女の子だけじゃなくて、その道の割と大きな男の子にも人気があるんだって?…圭ちゃんもその一人だったとはねぇ〜。」
思わず余計なことまで言って自爆してしまったようだが…問題なのはそこじゃない。
「お、お前ら全員知ってるじゃねぇかぁあぁあ?!?! それを何で書かなねぇんだよぉおぉおお?!?!
さくらっつったら木之元さくら!! さくらたんはぁはぁ!! カードマスターさくらって考えるのが正しいんだよぉおおおぉおぉおーー…ッ!!!」
ぽん。
無言で魅音が肩を叩く。
「圭ちゃん。……今、確信したわ。…圭ちゃんは骨の髄まで……オヤジなんだよ。
矯正不能なくらい。」
「ぎゃあぁあぁぁあぁああッ!!
何でみんなそんな同情的な目でみるんだぁあぁあああぁあぁあ!!!」
「そ、そんなことないよ圭一くん…。さ! がんばろ! ここから大逆転だよ!」
「オヤジな圭一さんに逆転などありえませんわー!! 大人しく今日の罰ゲームをお食らいなさいませー!!」
きょ、今日の罰ゲームって…な、何だったっけ…?!
「……メイドさん衣装、カチューシャ、ガーターベルト付きで1位の人の荷物を運ぶのですよ。」
「のわあああぁあぁあぁああぁああッ!!!」
「さぁ!! 我が部の部員なら、この絶対不利を覆してごらんッ!! さぁさぁ続けて行くよーー!!」
■2日目アイキャッチ
……………くっくっく。
「あーっはっはっはっはっは…!!!」
「わ、圭一くんがうれしそうだよ?…何でだろ?! 何でだろ?!」
「あははは! きっと女装の悦びに目覚めちゃったんだよ〜。」
「あ、圭一くん、カチューシャ落ちそうだよ。直してあげるね。」
レナがさも愉快そうに、俺の頭に鎮座するズレかけたカチューシャを直す…。
「どうよ圭ちゃん。本物の女の子の前で女の子の格好をする快感に目覚めたりとかした〜? 正直に言ってごらん〜? 大丈夫! 笑ったりしないから〜!!」
「ぅお〜〜!!!! てめーー!!! ぶっ殺ーーすッ!!」
魅音のカバンをぶんぶん振り回しながらしばし追い回す。
今日のゲームの俺のビリは早々に確定した。
俺の罰ゲームが確定したことを知ると魅音は本領発揮!!
鉄壁の如き手堅さで得点を重ね、精算の必要がないくらいのトップを築き上げたのだった……。
その後、更衣室にて…
阿鼻叫喚、
恥辱・暴力の限りが尽くされ、魅音に下着からリボンまでのあらゆる着付けをご教授されたのだった…。
……み、魅音め…、何がいつかきっと役に立つだ…。
「男がガーターベルトのつけ方を習って、人生のどこで役に立つってーんだよぉおおぉ!!!」
「しーーー!! 圭ちゃん、声大きい声大きい! 黙ってりゃ演劇のお稽古くらいで誤魔化せるんだから〜。」
「そ、そうだよ…。大騒ぎしたら……そ、その……ぱ、ぱんつまで女の子のだって…バ、バレちゃうよ?」
ぅごあぁあぁあああああぁああぁあぁああぁッ!!
喉までこみ上げた絶叫を理性が抑え、声なき叫びに全身を振るわせる。
「でも圭ちゃんってさ、お肌のキメ、細かいよねー。お化粧ののりがいいってよく言われない?」
そう言って魅音が俺のほっぺたをさわさわと触る。
ぅおおおぉお! 化粧のノリがよくて褒められる男はいない!
「メイドさんのカチューシャを付けた感想はどう? これぞまさに画竜点睛! カチューシャこそがメイド衣装の真骨頂だもんね〜!」
「なな、何が画竜点睛だー!! バカこら! いじるな!!」
「うふふふふ! 圭一くん、照れてる。かぁいい〜…☆」
「そうそう。男の人ってガーターベルトとかって好きなんだよねぇ〜。どうよ、それを自分で身に付けてみた感想は☆」
「かか、感想なんて別に、そ、そんな……ッ! バカやめろ! めくるなー!!」
「きゅっとするでしょ。歩く度に肌を擦るの…ちゃんと感じてる〜?」
や、やめろ〜…! そんなヘンなことを耳元で言わないでくれ〜!!
は、はぅ…! 悲しい男の性が思わず前のめりな状態に……ひ〜…!
「赤くなってる赤くなってる。…やっと気付いたかなぁ? そう。今、圭ちゃんは…成人男子垂涎のメイドさんそのものなんだよ。」
やめろ魅音〜!! だから何でそんなことを耳元で囁くんだよー!!!
「メイドさんをぎゅーって抱きしめたいって思ったことない…? 圭ちゃんは今ね、そのメイドさんと一体化してるの。わかる? それはね、肌を重ねるよりも…ずっと近い距離。……ほら、息吹や鼓動が…聞こえてこない…?」
「みみみみみ、魅ぃちゃん……それって…………はぅ……!」
オーバーヒート直前のレナの鼻から、赤いものが一筋垂れてくる。
「ちゃんとお化粧して、圭ちゃん好みのストレートロングのかつら被せて…。…圭ちゃんの理想そのままの美少女にコーディネートしてあげるよ…。そしたらさ、私と一緒に町を歩こうよ。きっと男たちの視線を独り占め。……それはきっと、とても気持ちのいいことだよ…?
こ〜れで股間にでっかいのが付いてなきゃ本物の女の子なのにな〜〜!!」
そういって俺のスカートをめくろうとする!! わぁあぁ!! 今だけはダメだ!! 絶対に魅音たちには見せられない男の事情がぁあぁあぁああッ!!
すぱぱぱぱぱーーーーーーーーーーーんッ!!!
気付いた時、俺はいつの間にかレナに頭を抱えられ、ほお擦りをされていた。
「もじもじしてる圭一くん、すすすすす、すごごごごごくかぁいかったよ…!! お、おおおお、お持ち帰り〜〜〜ッ!!!」
レナの万力のような抱擁の隙間から、大の字になって倒れる魅音を見る。
…なるほど。
これがレナに捕食される沙都子や梨花ちゃんの気持ちか…。
その後、俺は狂乱するレナをなだめることに相当の時間を費やさねばならなかった…。
「じゃねー圭ちゃん。今日は最高に楽しかったわ。……ぷぷぷッ!!」
「をぼえてろ魅音んんん〜ッ!!! 今日の屈辱はきっと10倍にして返すッ!! ぜってーに俺が圧勝して、路上羞恥プレイに処してやるー!」
「ぎゃーっはっはっはっは!! おじさんに勝てたらね〜〜!! その機会を楽しみにしてるわー!」
魅音は俺の服一式を投げて渡すと、これまで見たどんな時よりも上機嫌な様子で去っていった。
……さてと。
「…魅音から開放された今、俺は一分一秒でも早く家に逃げ帰る必要がある。」
「そうだね。レナは魅ぃちゃんみたいに上手じゃないから。…誰かとすれ違ってもフォローしてあげられないからね☆」
その後は全力疾走!!
100mを6秒程度で走りきる自信があった。
「じゃあね圭一くん。また明日ね〜!」
「おう! また明日なー!!!」
誰にもすれ違わずに自宅までたどり着けたのは日頃の行いがよかったからに違いない!
今日の俺は本当にツイている…。
その時、玄関の扉が、まるで待っていたかのように開いた。
「おう、圭一。帰ったか。……お父さんはこれから散歩、」
…親父の反応速度の遅さに閉口する。
…正常な凡人なら、最初の、「おう、圭一。」の辺りでその異常な光景に気付くはずなのだ…。
「あ、あの…父さん。…これは…ほら、いつも話してる部活の罰ゲームなんだよ…。今日はたまたま俺が負けちゃって…、」
…そんな俺の肩に親父の手が乗せられる。
ヘンにじっとりとしていて、実にいやに熱っぽい手だった…。
「…圭一。父さんとアトリエでちょっとお話しような。
もちろん母さんには内緒でだーーーーッ!!!」
「やや、やだよ父さん離してよ!! お、俺、今から見たいテレビがー!!!」
魅音、てめー覚えてろぉおぉぉおおぉ!!!!
芸術の炎をたぎらせた親父に引きずられ、俺はアトリエの奥に消えていった…。
■エンジェルモートへ
「圭一いる? あら、お風呂だったのね。……………それ、化粧水よ?」
「え、…や、わはははははははははははッ!!! そ、それより何?」
「ごめんね。母さんちょっと頭が痛くて、お夕飯作れそうにないの。だから申し訳ないんだけど、お父さんと一緒に表に食べに行ってくれる?」
お袋は仕事なんかをバリバリこなすスーパーウーマンだが、周期的に体を崩すのだ。
だからこういうことはそんなに珍しいことじゃない。
「それはいいけど…。母さんは晩飯はどうするの。」
「母さんひとりなら、適当に何とかするから。行ってらっしゃい。」
「圭一〜!! 車で行くから早くしなさーい。」
親父にしては機敏に車の準備をしていた。
やはり腹が減っているから、食事に行く時くらいはキビキビ動くのか。
「お待たせー。で、どこに食べに行くの。」
「……うーん。お父さんな、この間、いいお店見つけたんだよ。そこ行こうか!」
基本的に、ものには文句しか付けない親父が褒めるとは…意外だ。
そんな親父が三ツ星を付ける店とはどんななのか。
美食の求道者、前原圭一としては実に興味深い…!
車は、暮れだしたら早い雛見沢の闇夜をライトで切り裂きながら、一路、町を目指すのだった。
隠れた名店はどこにあるのかと思ったら……。それは何と駅前のファミレスだった。
「……父さんの言う、いい店って…ここ?」
ファミレスらしいコミカルなロゴで、ファミレス『エンジェルモート』と書かれていた。
レストランというよりは、ケーキバイキングのおいしい女の子向けのお店のような雰囲気だ。
「圭一は入ったことないだろう。」
確かに言われてみれば…ないな。
遠くの町まで出かければ外食をすることもある。
だが、興宮の駅まで帰ってきてしまえば、わざわざ外食などしない。
家はもうすぐなんだからな。
……なるほど。ゆえの死角というわけか。
お店の駐車場に車を入れる。……繁盛しているらしいな。車は結構止まっている。
だがナンバーがすごい。
…この近隣とは思えないナンバーが結構ある。
…富山、名古屋はまぁいいとして……千葉?!…埼玉ッ?!
頭の中で地理の教科書を開き、主要高速道路で何時間くらいかかるか逆算する…。
「ふっふっふ。圭一もどうやら、この店の凄みに気付いたようだな…。」
「ど、どうゆうこと?! この店に来るために…こんなに遠方から人が来るってこと?!」
親父の後について、階段を登り店内に入る。
扉につけられた鐘がカランコロンと鳴ると、すぐにウェイトレスさんがやって来て、人数と喫煙の有無を聞き席に案内してくれた。
親父が日替わりセットを2つ注文する。
作り置きがあるらしく、大して待たされずに運ばれてきた。
味は……親父には悪いが、そんじょそこらのファミレスと大差はない…。
「…味だけで言えば、…普通のファミレスに見える。」
「味なんかはどうでもいいんだ圭一! な〜…いいだろう〜☆」
……そう。
この店は…味なんかどうでもいいことなのかもしれない。
この店の客層のほとんどは若い男性だ。
…ファミレスとか言いながら、家族で来ている客はまったくいない。
なのにこの繁盛。
駐車場には方々からのナンバーの車がたくさん。
……彼らがはるばるこの店にやって来る理由が、この平凡な味の料理でないとしたら…ひとつしかない。
親父が手近にいるウェイトレスさんを呼び止める。
「すみませ〜ん、セットのデザートがまだ来ないんですけど〜。」
「あ、…も! も、申し訳ございません…。」
「日替わりAセットのデザートです。さっきからずっと待ってるんですけどねぇ。」
「その、……す、すみません。すぐにお持ちしますので…!」
新米っぽいウェイトレスさんはおたおたとしながら駆けて行った。
「…お父さん。……ひょっとしてこの店って…。」
「いいだろう〜。ここのウェイトレスさんの制服〜〜♪」
スパーーーーーン!!
「なな、何をするんだ圭一! 父さんにも殴られたことないのにー!」
「俺は息子だーー!!」
「いいか圭一、父さんは決して不埒なつもりで来ているんじゃないんだぞ。
あのグッドでキュートでエキセントリックな衣装から受けるインプレッションを! 芸術的インスピレーションを! お前に感じさせてやりたかったんだよ!! お前だってこういう刺激を求めていたはずだ!! そうだろ?! でもひとりじゃ恥ずかしい。わかってる!! だから父さんが無理やり連れてきたんだ! 父さんのせいにしていいんだぞ! 父さんが泥を被ったとしても…圭一にはこの気持ちをわかってほしかっただぁあぁああッ!!!
………あー…
トイレ行ってくる…。」
照れ隠しになると訳の分からない事をまくしたてて煙に巻こうとするのは親父の悪い癖だ。
……このヘンなのは俺に遺伝していないと信じたい。
一方的にまくし立てると親父は席を立ち、お手洗いへ向かっていった。
親父がいなくなり、ボックス席には俺ひとり。
……ようやく今頃になって、俺にも恥ずかしさがこみ上げてくる。
…ひとり赤面するしかない。
さっきデザートを頼んだウェイトレスさんが、きょろきょろと伝票とこっちを見比べながらやってきた。
「あ、あの………えっと……、」
俺の席へ来て、どもりながら何かを言おうとしている。
先輩ウェイトレスさんが肩越しに助言している。
…ほら落ち着いて、「大変お待たせしました…」って!
「えっと……大変お待たせして申し訳ありませんでした…。」
そうそうその調子! がんばってね〜!
そう耳打ちし、先輩ウェイトレスは去って行った。
どうやらこのウェイトレスさんは相当の新米らしい。
自信のないおどおどとした身のこなしは、何だか危なっかしくて、見ているこっちがハラハラするくらいだ。
ウェイトレスさんが慣れない手つきでデザートを配膳するのをじっと眺める。
…しかし…親父の言うとおり…なんて凄い制服だろう…。
バニーガールとメイドさんとフリフリな衣装を足して円周率で割ったような…実に怪しい格好だ。……とにかく、とても真っ当なウェイトレスさんには見えない。
何しろ…いろいろとチラチラし過ぎて……その、…目のやり場に困るよな。
こんなのが店内を歩き回ってるんだから…消化に悪いったらありゃしない…☆
でもそれはこの格好をしている、当の新米ウェイトレスさんにも同じようだった。
この恥ずかしそうな様子は、まだ仕事に慣れてないからというよりは、肌の露出を恥ずかしがってのものに違いない…。
俺もウェイトレスさんも、互いに恥ずかしがって目線を逸らしあってるのだから。…何ともプラトニックな、恥ずかしい感じだった。
……俺は客だぞ?!
もっと堂々としててもいいはずなのに…!
……はぅ〜…鼻血が〜……。
その時、偶然、ウェイトレスさんと目が合った。
両者とも目をぱちくりさせ相手を凝視する。
………………あれ、こいつ…、
「……………魅音、だよな?」
「…………へ…。」
髪を下ろしている上、いつもの自信溢るる雰囲気とあまりにかけ離れていたから……全然気が付かなかった。
魅音だ!!! こいつなんでこんなとこにッ!!
「お前……、何でこんなとこで働いてるんだよ…!!」
「え、あ、あの、……お、叔父さんのお店の手伝……、」
そう言えば…親類が町でお店をやってて、たまにバイトで手伝うことがあるなんて話、聞いたことがあったな!
「……ほ〜〜〜。それはご苦労さんなことで。」
俺の中の緊張が瞬時に解けていく。
魅音だとわかれば緊張することなんかない。
いや、それどころか……動物的な直感が、今は俺と魅音のパワーバランスが逆転していることを悟る! そう、俺はお客!! 魅音よりも立場は優位ッ!!!
そして俺の脳裏を横切る今日の日中の…罰ゲームの辱め…。
あぁ神さまはちゃんと見て下さっている!
こうして復讐の機会をお与え下さるなんてー!!!
俺の瞳に復讐の炎が灯ったのに気付いたのか、魅音がぞっとし一歩後ずさる。
「しかし…こうして見ると、結構そーゆう服も似合ってるじゃねーの〜☆」
「は、恥ずかしいんだからその、……あまり見ないでよー…。」
先制攻撃が完全にクリーンヒットしたことを確認する!
間違いなく今の魅音はガード不能!!
ヒット確認と同時に続けて連続攻撃を叩き込むッ!!
「魅音って結構、胸があるから今にもこぼれそうだよなー。お客さんみんな見てるぞきっと〜!」
「そ、そんな、…こと…言わないでよー……。」
「恥ずかしがったふりしてもダメだからな〜! 魅音はそういう恥ずかしい衣装で男の目を引いて楽しんでだろ〜! じゃなきゃそんな格好できないもんな〜!」
「わ、わ、私だってその……好きでこんな…してるわけじゃ……、」
い、いいのか前原圭一。ちょ、調子に乗りすぎてるんじゃないか?!
いくらあのねちっこい日中の屈辱への復讐だとしても…やり過ぎじゃないのか?
えぇい、うるさいぞ理性ッ!!
魅音に倍返しできるチャンスなんてそうそうないのだーッ!!!
「こんな恥ずかしいカッコして、お母さんは悲しんでるぞ〜!」
「ぅぅ〜……!」
「その見えそうで見えないのが最高だよな〜! もっと近ぅ寄れ〜!!」
「ひぃ〜…堪忍して〜…!」
「お客様への奉仕の心がまだまだでおじゃるぞよ!!」
「ど、どうかお許しを〜…!」
「はぅ〜〜〜お持ち帰り〜〜〜♪」
「それは嫌ぁぁああぁあ〜…!」
完全にレナのかぁいいモードと化した俺は、鼻血を滝のように流しながら、たっぷり存分に悔いがないくらい! 言葉責めプレ……じゃなくて昼間の復讐を果たすのだった。
「うむ! これくらいで今日は許してやろう。……はぅ〜〜☆」
魅音の頭の回路は恥ずかしさですっかりショートしてしまっているようだった。
ちょっぴりいじめすぎたかな、とも思ったが、こんなしおらしい魅音など滅多にお目にかかれるものではないので良しとすることにする。………何が良しなのかは置いといて。
「しかし、知らなかったなぁ。天下御免の魅音がウェイトレスは苦手なんてなぁ!」
「…………………ぅぅ…あの、…ち、ちが…、」
「でも意外な一面だよな〜。昼間の魅音に見せてやりたいよ! ってゆーか、レナたちにも見せてやりたいなぁ。レナなんかきっと狂乱して喜ぶぞ! あいつ、この店で働きたいとか言い出すんじゃないかな?」
「ちが、ち、……違うんです…、」
「俺も魅音にこんなかぁいい服装が似合うなんて夢にも思わなかったぜー!」
「だだ、だから違うんです…!!」
魅音は真っ赤になりながら、ようやく喉に詰まっていた言葉を吐き出した。
「違うって、……何がだよ。」
「わた、私! …………
魅音じゃないんです!!!」
…はぁ? 魅音にしてはあまりに滅裂なことを言い出すのでびっくりする。
「魅音じゃないって、……じゃあお前は誰だよ。園崎魅音だろ?」
「あの………ごめんなさい。言いそびれちゃってたんですけど……
私、園崎詩音(しおん)なんです。…姉が魅音なんですよ。」
…突拍子もないことをしゃあしゃあと言うので、思わず目を丸くしてしまう。
魅音もそんなアクロバティックな言い訳が通用すると思ってないのか、耳まで真っ赤になりながらドキドキそわそわしているようだった…。
「しおん…? 園崎、詩音?」
「は、はい…。よくお姉に間違われるんです……。」
「でも、俺に会った時、初対面とは思えない反応を示したよな。」
「そ…それは……いつもお姉が話してるから人だから…知ってたわけで……。」
ちょっと苦しい言い訳だぞ、それ…。
…だが…、まるで信じてほしいと懇願するような魅音の表情を見る内に、俺の中のいじわるな気持ちはすっかり収まってしまった。
俺たちにとって魅音というリーダーは、常に自信に満ちていて牽引力のある存在でなくてはならないのだ。
それを日中の魅音に突き付けたら、きっと俺は傷つけてはいけないものを傷つけてしまうに違いない。それを俺は決して望んだりしない。
だから理解する。ここでの悪ふざけは、日中の魅音とは別の出来事なのだ。だから…「詩音」なんだと。
「…………………そっか。だったらその…悪かったなぁ。」
「い、いえ……わかってくれればいいんです。お姉も敵の多い人ですから。」
なんだ、自覚してるじゃないか。
思わず噴出すと、魅音……いや、詩音もつられて笑ってくれた。
「詩音はウェイトレスの仕事、初めてなのか? 慣れてなさそうだったからさ。」
「実は…今日が…うぅん、圭ちゃんが初めてのお客さんなの。」
そう言ってから慌てて、姉と同じ呼び方でもいいよね、と付け加える。
…そんな見え見えの仕草が何だかどうしようもなく可愛くて、笑いが止まらなかった。
「叔父さんの店でバイトしてるってのは前に聞いてたからさ。もっと手馴れてるものだと思ってたぜ。」
「あ、…お店持ってる親類って他にもいるの。だから…このお店の叔父さんの手伝いをするのは初めてで…。」
なるほど、納得する。誰だって慣れない仕事は不安だもんな。
「魅音はこの店、手伝いに来ないのか?」
「あ、お姉ってほら。…こういう可愛いの苦手なんで…、」
…言いたいことはわかってるさ。
「そうだな。魅音ってカッコイイ系の方が似合うヤツだもんな! だからこの店の手伝いは詩音ちゃんが来て正解だったと思うぜ。」
…え? と詩音が聞き直す。
「その制服、魅音なんかには絶対に似合わないと思うけど。…詩音ちゃんにはよく似合ってると思うしさ。」
「え、……………それって……あの、」
詩音は、よくレナがそうするように…ぽーっとした遠い目をして真っ赤になった。
「ど、…どういう意味……なの、かな…。」
……少なくとも今この瞬間は詩音という架空の人物が存在するように感じる。
…俺の知っている魅音にこんな一面はないはずだから。
その時、先輩のウェイトレスが向こうで手を振っているのに気付いた。
「園崎さ〜ん、R入っちゃっていいですよ〜!」
「あ、は、はい…!」
ようやく魅音は我に返った。どうも休憩か交代かなんかの時間らしいな。
「じゃ、その……私はこれで。噂の圭ちゃんと話せて楽しかったです。」
「魅音と勘違いしていじめて悪かったな。魅音には改めて復讐すると伝えておいてくれ。」
「あ、…メイドの格好させられて、表を歩かせられたんですよね〜!」
そういって悪戯っぽく笑うその笑顔は、俺のよく知るそれとまったく同じだった。
「そうだ。たっぷりかかされた恥は、きっとお返しすると伝えておいてくれ!」
「べ〜。それより私、今日いじめられたこと、お姉にチクりますから。お姉に部活で仇を取られちゃって下さいねー! あはははは…!」
「あははははは!! 上等だぜッ!! 返り討ちにしてやらぁ!!」
魅音は緊張の解けた柔らかい表情で笑いながら、奥に消えて行った…。
…今日は何だか貴重な経験を得た気がする。
そうだよな。天下御免の魅音だって、不得手があれば焦ったり恥ずかしがったりだってするもんな。
しかし、よりにもよって…双子の妹なんて言い出すとは思わなかった。
明日、レナたちに妹が実在するか聞いてみようかとも思ったが。…だがそれはやめた方がいいかもしれない。意地悪だ。
今この場で俺が出会ったのは「詩音」という双子の妹だと決まったのだ。だから、俺はそれを否定するようなことは慎むべきなのだ。
言葉を交わして約束したわけじゃないけれど。……さっきのやりとりで生まれた、俺と魅音のルールだった。
肩がポンと叩かれる。親父だった。
……長いトイレだったなぁ。
便座に座っている内に、新しい創作のアイデアでも浮かんだのだろう。
「圭一、そろそろいいか? 帰ろう。」
会計を済まし、親父が持っていたスタンプカードに押印してもらう。……結構溜まっていた。親父め、常連だな…。
「さっきの新米ウェイトレスさんは圭一の知り合いか?」
「なんだ。物陰から見てたのかよ…。」
親父め、よくわかんない気の利かせ方をしやがって…。
「学校の子かい? 雛見沢の?」
「うん。俺の友達の魅音ってヤツの妹なんだよ。学校は雛見沢じゃなくて、町のに通ってるみたいだね。…学校じゃ会ったことないから。」
「へー。雛見沢の子ってみんな圭一と同じ学校に通ってるわけじゃないのか。」
「半分くらいらしいよ。半分の生徒は町の学校まではるばる自転車で登校してるんだってさ。」
自分でこうして話していると、あれは本当に詩音だったという実感が湧いてくる。
明日、魅音には何て言おうかな。お前の妹に会ったぜ!……こんな感じかな。
魅音とこんな形だとしても、ささやかな秘密を共有することができたのが、何だかちょっぴり嬉しくって恥ずかしかった。
■2日目幕間 TIPS入手
2■詩音って本当にいるの?
「は? 魅音さんの家族?」
「あぁ。もっと平たく言えば、あいつに兄弟とかいないのかなーって思ってさ。」
詩音という双子の妹は実在するのかなと思い、…好奇心に負け、こっそり沙都子に聞いてみた。
「…う〜ん。…どうなんでございましょうねぇ…。いるやらいないやら…。」
何だか歯切れが悪い。
…沙都子は魅音の家に何度か遊びに行ったことはないのかな?
「その反応からすると、…会ったことがないみたいだな。」
「えぇ。お婆さん以外にはありませんですわ。」
この反応を見る限り、…詩音実在説には早くも暗雲だな。
「そういうのは梨花が詳しいですわよ。梨花に聞いて御覧なさいですわ。」
沙都子が日向ぼっこをしている梨花ちゃんに手を振る。
「梨花ぁ。魅音さんのご家族のことをご存知ですの?」
突然な質問に梨花ちゃんはきょとんとする。
「……魅ぃには家族や親戚がいっぱいいますですから、全部はなかなかわからないのですよ。」
「そんなにたくさんいるのか…。例えばさ、…うーん、園崎詩音ってヤツはいるのか? えーと、その、…聞き間違いかもしれないから、ひょっとすると実在しないかもしれないんだけど…。」
「……詩ぃですか? 詩音はいますですよ。」
え?
これは意外だ。実在したのか…!
「ふ〜ん? よく似た名前ですのね。間違えて舌を噛んじゃいそうですわ。」
「……魅ぃの双子の妹さんだと聞いたことがありますですが、あまり会ったことはないのです。」
梨花ちゃんも知ってはいるが、あまり会ったことはないという。
「……何年か前に、法事の集まりがあった時に会ったような気がしますですよ。」
「このクラスにいないってことは、学校は興宮の方に通っているってわけかな。」
「お家も興宮なのかもしれませんわよ。だって、魅音さん自身、家族とは別でお婆さんと暮らしてるわけですから。」
両親と別居してるのか? それは何だか変わってるな。事情でもあるのかな?
「……とてもややこしいお家なのです。」
「親類の数が多いらしいですから。きっといろいろと都合があるに違いないのですわ。」
とりあえず詩音という双子の妹がいることだけはわかったが、その家族構成は、本人同様、なんともミステリアスなようだな…。
「お、3人揃って何の話だい? おじさんも混ぜてよー。」
「あら、魅音さん、いいところへ〜! 魅音さんに双子の妹さんがいるってのは本当でございますのー?」
あ、…魅音、…まずい…。
「…い、…妹…?!
え、と………、う、うん。いるよ…。」
魅音が柄にもなく赤面しながらうろたえる。
…何となく俺の様子を伺っているような……。
「あら〜! それは知らなかったですわ〜! どんな方なのかしら。ぜひ一度お顔を見てみたいですわねー!!」
「会わない方がいいよ! ぜ、全然可愛くないし! 生意気だし! たまに電話で話すくらいで…私もしばらく会ってないし…!」
……どうしてこんなに狼狽しながら話すんだか…。
こんな様子じゃ、昨日の詩音は実は偽者でしたーって公言してるようなもんだぞ…。
とりあえず面白いのでしばらく放って置くことにする。
…詩音という名のもうひとりの魅音。
…またあの店に行けば会えるのだろうか?
魅音と同一人物であると知りながら、まるで新しい友人と知り合ったような、そんな不思議な感覚があった。
2■Tips:エンジェルモート紹介記事
闘撮必勝ガイド4月号「征服徹底解析(ファミレス編)」より転載
そしていよいよ、激アツの3日目。
××県鹿骨市という辺境にありながら、マニア垂涎の超有名店がこのエンジェルモートだ。
なぜにも名店はこうも人里を嫌うものなのか…。闘撮の神の試練としか思えない。
地元では美味しいデザートで知られるレストランだが、我々には知ったことじゃない!
高いデザートが食いたければ不○家系にでも行けばいい!
我々の目指す甘いデザートは食べるものではなく……制服の方なのだー!!
芳しき汗の芳香を漂わせ、その着用を強要されたウェイトレスの制服は、もはや公然の拘束具と言ってもいい!
こんな羞恥プレーが全国の制服のかわいいお店で堂々と行なわれているなんて?!
出撃せよ!
闘撮ハンタァアァアァアー!!
★喫煙席こそMAXポジション? タコ粘りでチャンスを狙え!
竜「昨日は席取りで失敗しましたからね。
今日こそ究極の黄金席、喫煙席の角ボックスを狙います!
一般にヲタクは禁煙席が圧倒的に多いんですよ。ですから喫煙席の方がゆとりを持って射界が取れるんです。」
さすがはハンター竜。
勝負は座る席の時点で決するとでも言わんばかりだ。
実際に竜は、初日の秋葉原の××××××でも同様の戦略で高設定席のゲットに成功している。
この日もランチタイムを外した昼下がりに、狙い席の空きを確認の上、楽々ゲット。
メニューを小出しに頼むなどの小技で確実にエンゲージの機会を増やしながら闘撮のチャンスを伺う…。
だが…やはり前日のアレ(※1)がたたったのか、闘撮の神は微笑まない!!
3時に一度、手堅い連チャンを取りこぼして以降、チャンスはまるで訪れない。
4時過ぎからはオーダーも男が取りに来るようになり、完全に見抜かれた様子…。
マークされたら潔く撤退が暗黙のハンタールール……。
竜「狙いは完璧だったんですが…、あの2時半にやったフォーク技が裏目ったようです。
…ボックスシートでバッグ床置きはやはり警戒されたかなー…。もうボストンバッグに隠しカメラは化石技かも…。
半日粘って2桁EGなら充分な高遭遇率なんですが。…無念です。」
それでも何とかお宝ショットを数枚ゲット。
…さすがはハンター。
不調をぼやきながらもこのナイスアングル。
職人である。
しかし驚くべきは、今回の制服大征服日本縦断(ファミレス編)、何とまだ検挙者なし!
全国の都道府県警の約半分にお世話になったと豪語するハンターには幸先のいいスタート?!
※1 前日のアレ
前日にハンターが挑んだ、名古屋の巫女割烹××。
なんとハンターは意気込み過ぎて入店と同時に店側に看破され、初めからボックス配置の宮司待遇。
半日粘るも、とうとう巫女さんは1stオーダー時にしか現れなかったのである…!
ハンターにあるまじき大ポカ!!
というわけで毎度激好評のハンター生写真のプレゼントコーナー!!
ハンター直選の、エンジェルモート制服をローアングルから食べ放題生写真3枚セットを、熱い読者1名にプレゼントだ!!
激アツ写真で君も今日から闘撮者!!
■3日目
カレーの日
「いいですか皆さん。お料理は真剣にやらないと思わぬ怪我をします。これも授業ですから、ふざけないでしっかりやって下さいね!」
クラス全員がはーーーいと陽気に応える。
今日は半日かけて家庭科の授業だ。
みんなでカレーライスを作り、日頃、校舎として間借りさせてもらってる営林署の皆さんに食べてもらおうという企画らしい。
みんなでひとつのナベでカレーを作るならただのカレーパーティーだが、やはりそこは授業! 低学年はともかく、俺たちは一人ずつカレーを作りその出来を採点されるらしい。
「いいですか。今でこそカレーライスは手軽で簡単で誰にでも作れるメニューということになっていますが、カレーは本来インドを発祥とする古式ゆかしいちゃんとしたお料理です。
日本式にアレンジされたとは言え、そこには古代インドの英知と文化が込められています。ゆめゆめ、そのことをおろそかにしないように。
真剣にやらない人は先生が本気で怒りますからそのつもりで。」
……何だか無駄に力の入ったカレー談義だったな。…まぁいいか。
「知恵先生はカレーに命かけてるって噂でしてよ。採点はきっと厳しいですわよ。」
「家庭科の点数なんか、赤点でさえなければ適当でいいんだよ。適当で。」
「適当なんて言わない方がいいよ…。先生、カレーに関しては鬼だから。」
「…何だよ、そのカレーの鬼って。…初耳だぞ。」
「普段は温厚ないい先生なんだけどねぇ。…どういうわけかカレーにだけはうるさいんだよ! 偏執的なくらいに!!」
「うん。秘伝のカレーを研究するためにって言って、毎年インドに旅行に行ってるって言ってたもんね。」
「……風の噂ですと…ご飯は3食カレーライスで、たまに他のものを食べる時でも必ずカレー味というこだわりぶりらしいですの。」
「…それ、偏執的というより変態的だぞ。何か悪い宗教にでも入ってるんじゃないのか…?
大体、カレーなんてジャンクフードの筆頭じゃねーかよ。3食カレーなんて栄養的にも偏って、」
ドガガガッ!!!
俺のつま先びったりのところに包丁、おたま、フライパン返しが突き刺さり、ビ〜ンと揺れている…。
先生が自分の鍋をかき混ぜながら、こっちを見て微笑んでいた…。
「け、圭ちゃん、シ〜〜〜!! …それ以上を言ったら埋葬される…!!」
それ以上を言うと、それ以上にいろいろとマズイみたいだな…。
「へいへい。…しっかり真面目にカレーを作ればいいわけだろ?」
「……でも今日はそう簡単には行かないのです。」
「あのね、…魅ぃちゃんが…。」
……ピーンと来るぞ。
…土俵が同じで優劣が付くなら…これが勝負にならないわけがない!
「わかってるねみんな!!
料理勝負だぁあぁああ!!」
そんな気はしてたぜ…!! こんなおいしいイベント、魅音が放っとくわけがない!
「勝敗はどうするでございますの? 先生の採点で決めますの?」
それだけではありませんよ、と言いながら現れたのは…なんと先生と校長だった。
「今日は営林署の皆さんへの感謝のイベントですから、先生だけでなく採点はみんなで行ないますよ。」
「うむ。わしと先生と、それから営林署の方5人で採点する! 各自健闘を祈るぞ!! がっはっはっは!!!」
こ、校長までー?!?!
見ると、クラスメートまでが興味深く見守っている。
「そういうわけ。のんびりしたカレーパーティーなんかには終わらせないよ!!」
「レナ、カレーは得意だよ! 今日は負けないよ〜!」
「私の学年は班で作りますから、梨花と一緒なのですわよ。」
「き、汚ねぇ!! 梨花ちゃんは確かかなりの料理上手じゃ…!」
「……ボクのカレーで、おいしくって体がどうにかなっちゃうのです。」
魅音はどうだ?!
あまり料理が上手そうには見えない。
こういうヤツは不器用と昔から相場が決まってる!……だが魅音は相変わらずの不敵な表情。
「くっくっく…。……圭ちゃんが今思ってることを当ててあげるよ。……魅音はきっと料理が下手に違いない。…でしょ〜?」
い、…嫌な言い方だな。
………まさか…いや、魅音に限ってそんな…。
その時、先生のホイッスルの音が聞こえてきた。
「では皆さん、いいですか? 刃物には充分に気をつけてくださいね。始め〜!!」
戦いの火蓋は切って落とされた…!
ご飯は飯ごうで炊くが、デイキャンプ仕込みの俺にはそんな難しいものじゃない。
お米をとぎ飯ごうに入れ、底に手のひらを当て…ちょうど手首が隠れるくらいが水加減だ。
「本当にそんな水加減でいいんですの? もっと入れないといけないそうですのよ?」
ウソをつけ。
これ以上いれたら生煮えで芯の残ったお粥になっちまうんだよ!
「沙都子、それがワナのつもりなら残念だったな。俺は慣れてるぞ、飯ごう炊飯は! 始めチョロチョロ中パッパ。赤子泣いてもフタ取るな!」
「へ〜、圭一くんすごいね! ちょっと意外。サマーキャンプで習ったのかな!」
「親父がデイキャンプが好きでさ。夏場なんかにはよく家族で出掛けるんだよ。」
「ってことは…全員、ご飯の炊き方は問題なし。つまり…勝負の分かれ目はカレーの方ってことになるね!」
「ふん! カレーこそ梨花の独壇場ですのよ! 皆さんなんかコテンパンですわー!!」
「……梨花の、ってトコが泣けるぞ。お前も何か料理を手伝えよ。」
「う〜ん、ひょっとすると……沙都子ちゃんは何もお手伝いをしないのが、一番のお手伝いなのかもね☆」
「ひぅッ!!! しょ、勝負は勝てば官軍でございますわよー!!!」
レナにしてはさらっとトゲのあることを言う。
沙都子が食って掛かると、レナは笑い転げながらごめんねごめんね、と逃げ回っていた。
「じゃあ…さっそくカレーの方に行こうかね。ここからが勝負どころだよ!」
ニンジン、ジャガイモなどの定番野菜を流しで洗い、包丁を構える。……ごくり。
「今日〜のカレーはどんな味〜♪」
レナは鼻歌混じりに、実に手馴れた手つきで包丁を扱っていた。
リズミカルにまな板を叩くその音は、日本の古き良き時代を想起させる。…平たく言えば完璧ってことだ。
あまりに危なげなさ過ぎて……とても勝てる気がしない!
沙都子&梨花ちゃんを見る。
…沙都子は野菜を洗うのに専念し、皮むきなどは梨花ちゃんが担当しているようだ。
…話には聞いていたが…梨花ちゃんの包丁捌きも侮れない!!
くるくると、楽しそうにジャガイモの皮をむいていく。
しかも…皮が長い。かつら剥きと言ったっけ? あんな風に長く長く皮を剥くのは立派な技術だと聞いたことがある…。
その皮を流しから拾い、おめめを包丁で書き込んで…、
「……ヘビさんなのですよ。がおーーー。」
そう言いながら長々と剥いたジャガイモの皮を同じ班の男子の頭上に乗せている。
…すごく余裕だ。…梨花ちゃんにとっては…料理は勝負ですらないのだ。
……しかし…がおーー? ヘビの鳴き声ってがおーだったっけ…。
さて、魅音はどうだ…?
きっと不器用に決まってる!
あんなにくるくるとジャガイモの皮がむけるはずはない…! 絶対にない!!
「そんなわけあるかー!! 絶対ウソだ! トリックだSFXだ! ワイヤーとか使ってるに違いなーい!」
「くっくっくっく…。ほれ、びろーん。」
魅音が勝ち誇ったように、長々と剥けたジャガイモの皮を見せ付けた。
「……圭一は知らないですか。魅ぃはお婆ちゃんにお料理とかも教えてもらってるですよ。」
「料理だけじゃないよ〜。裁縫からお華にお琴、銃器から無線機、ヘリの操縦まで何でも出来るんだからねぇ!」
…後に行くほど現実味が増すな。
筆頭の裁縫の方がむしろウソくさいのが不思議だ。
「本当はすっごくお料理上手なんだよ。…面倒臭がって全然作らないけどね〜。」
く、くそ〜!!
俺も本当は料理は得意なんだぞ…! 特に中華なんかは…!!
「……圭一、お湯を沸かして注ぐのは料理に入りませんです。」
これから口に出そうとしたネタを、口に出す前に釘を刺されてしまう…。
「をっほっほ!! ざまーないですわね!! 今日は圭一さんの一人負け確定ですわよ〜!!!」
ごちんッ!!!
「てめーだって料理できないだろがー!!!」
「ふわぁああぁああぁああん!!! 梨花ぁ〜!」
「かわいそかわいそです。……ボクが圭一をコテンパンにしてあげますです。」
ぐ!……形勢は…不利か…!
全員が不敵な笑みを向ける!
早くも白旗かよ前原圭一!!
勝負を投げるな!
クールに考えろ!
ジャガイモの皮を上手にむく方法じゃない。…いかにしてこの勝負を制するかだ!!
「……ここはギャラリーが多い。俺、他の流しで仕事するから。」
それだけ告げて、俺は野菜一式を抱えその場を後にした…。
「圭一くん、大丈夫かな。包丁で指とか切らないか心配…。」
「さぁて…圭ちゃんのお手並み、拝見だね〜!」
俺が皮むきに精を出したって、下手すりゃ指をちょん切るのがオチだ!
なら…方法はひとつ!!
「富田くん、岡村くん! お、君たちは4人でグループか。」
先日の日曜日、例のおもちゃ屋でのイベント以来、義兄弟の契りを結んだあの後輩二人組だ。
どうやら、女子2人と組んで4人の班らしい。
「あ、はい。女子2人が料理とか得意なんで。」
「俺らは遊んでるだけでOKです。」
…2人が指差す先にいる女子2人。
…なるほど、レナには及ばないが、充分、及第点に値する包丁捌きのようだった。
「単刀直入に言おう。このままでは部活に負ける! 君たちの班が剥いた野菜をくれ。」
「ま、前原さん、…それ、ほとんど恐喝です。……でも、まぁ話によっては…。」
「交渉次第ならOKってことですよ。」
「む、たくましいヤツらだな!…まぁ当然だ。ではこうしよう。
俺が勝てたら、沙都子&梨花ちゃんグループのカレーを食わせてやる。これならどうだ?」
「え、…あ、……ど、どうしようかな……。」
二人ともいきなり核心な条件提示に度肝を抜かれてるようだが……まだ一押し足りないらしい。
いいだろう、駄目押しだ。
………二人の肩をぐっと寄せ小声で告げる。
「…もちろん沙都子と梨花ちゃんの食べかけをだ。
スプーンも付ける。」
ぶはッ!! 二人の後輩の鼻から威勢良く赤い飛沫が飛び出す…。
「あら…? …圭一さんも…結構やりますのね…! きれいなジャガイモですこと。」
俺は見事、野菜の皮むきをクリアーし、仲間のもとへ意気揚々と戻ってきた。
「へー、すごいねすごいね! 圭一くんの皮剥き、上手だよ!」
「……ふ。違うね。圭ちゃんが剥いたのはジャガイモじゃなく、…牙でしょ?」
「あぁ…。俺はとっくに本気だぞ。てめらまとめてぶっ潰してやるぜー!!」
野菜の下ごしらえが終わったら、なべを沸かし、火が通りにくい野菜から順に入れていく。……この辺りはキャンプの時、お袋に習ったからな。
だが…このまま順当に続けても…大きなポイントの獲得にはならないだろう。
レナを見ると……何だかいろんな野菜を絶妙なバランスで煮込んでいる。
それは野心的でもなければ打算的なゲーム感覚でもない。……おいしいご飯を作る、母の技…。
魅音がいかに技を尽くそうと勝負になる気はするが、レナに関しては勝負にすらなるまい…。…完璧に格が違うのだ…。
「うちのお母さんのカレーはね、いっつも具沢山だったんだよ。だからレナのカレーも具沢山なの。……本当は一晩かけてじっくり煮たいんだけどね…。はぅ。」
「……頼む。俺のカレーにも少しお力を貸してくれないか…。」
「あはははは! ダメだよ〜。これ、部活だもの! レナは負けないよ〜!」
ぐ、部活モードになればどんなにやさしいレナでも敵だもんな…。
梨花ちゃんはリンゴなんかも煮込んでるようだ。…うぅ、…本格派っぽい。
魅音はどうだ…?
「わ、魅音てめぇ!! そりゃ何だよ!! ハンバーグなんてどこから!!」
「行事予定表で今日のことを予め知ってたからね。…下ごしらえはばっちりってわけよ。……私のカレーは…ゴージャスに行くよ〜!!」
見ると…魅音は自宅から持ってきた野菜やらスパイスやら具材やらを…たくさん広げていた!!
こいつ…今日の為に…家から材料の持ち込みをー!!!
「い、異議ありッ!!! 先生、こんなのありですかぁあぁあッ?!」
「異議を却下します。おいしいカレーが出来れば先生は何でもOKです☆」
ぐ、……あの真面目な先生が語尾に☆をつけるなんて…!!
…噂通り、筋金入りのカレーバカだ…。
「レナと梨花ちゃんは天性の料理上手! 私は入念な事前準備!! …で? 圭ちゃんは? くっくっくっく…!!」
……ダメだ…。料理という長丁場では…野菜の皮むきなんて一部でしかない。
……俺がクリアーしなくてはならない関門は…あまりに多く、…そして高い!!
「……前原さん、こっちこっち!」
声を掛けられて振り返ると…向こうで呼んでるのはさっきの後輩、富田くんと岡村くんだった。
「何だよお前ら。……ん? そのナベは何だよ。お前らの班のか?」
「これ、気付かれない内に前原さんのナベとすり替えて下さい。…うちの女子のカレーなら、前原さんが作るよりは出来はいいと思います。」
…お、お前ら……、…俺のために…?!
「か、勘違いしないで下さいよ。俺たち…前原さんに勝ってもらわないと……その、」
そうだったな。
俺が勝たなきゃ、沙都子&梨花ちゃんのカレーを食わせるって話はお流れになってしまうからな…!!
お前らも…牙を剥けるようになったか…!
「すまん!! 世話になる!!……だが、お前らのグループの女子がよく許したな?」
「前原さん。…俺たちも…本気ってことです…!」
日直3回交代。……彼らは…俺の勝利のために…代償を払ったのだ……!!!
後輩たちの燃える眼差し…!!
あぁ、俺はひとりで戦ってるんじゃない。
…みんなで戦ってるんだ!!!
「任せておけー!!!! 腹は空かせておけよ。絶対に食わせてやるからなー!!!」
「「お待ち申し上げておりまッす!!」」
ガス台だから火加減はらくちんだ。
あとはこのまましばらく煮込むだけ。カレーのいいにおいが漂い始める…。
後輩二人組の班のナベは確かに凝っていた。
様子を見に来たレナが驚いたくらいだから、悪くないどころかかなりいい感じらしい。
「……圭ちゃん、やるじゃない。これは…最後までわからない勝負になったねぇ!」
「圭一くんのカレー、レナも食べてみたくなっちゃうなぁ。なっちゃうなぁ〜!」
「レナのカレーも魅音のカレーも、…みんな強敵だよ。俺の最善は尽くしたが…結果はどうか……。」
「圭一さん、梨花が呼んでますわよ。行ってあげてでございますわ。」
え? 梨花ちゃんが? 何だろうな。…まぁいいや。ついでに敵情視察もして来よう!
梨花ちゃんはナベの前で地面にラクガキをしていた。
…あとは時間をかけて煮込むだけだもんな。それでも火の側を離れないとは実に感心だ。
「よ、梨花ちゃんの方はどんな具合だい?」
「……カレーさんなのです。」
…へ? …梨花ちゃんが怪しげなラクガキをし、それをカレーさんだと紹介する。
「……カレーさんはすごいのです。目からビームも出ます。…びーーーー。」
カレーさんの目からビーム……らしい。
木の棒でビームを描き、俺の足元へ線をなぞる。……これって、俺がビームに撃たれたということか?
「ぅおおおぉおぉお!! バリアー!! ビーム反射ーッ!!!」
俺も木の棒を取り、ビームの線を跳ね返し、カレーさんに直撃させる!!
「……カレーさんのお腹からはミサイルも撃てるのです。……びしゅーー。」
「ぉりゃああぁ!! 前原超電磁バリヤー!!! そして反撃のビーム!!!」
「……カレーさんはビームエネルギーを吸収して波動砲を撃てるのです。」
俺と梨花ちゃんは木の棒でがりがりと地面にラクガキをし合い、壮絶な戦争にしばし酔いしれる。…………………だが待て。
「なぁ梨花ちゃん。…俺に何か用があって呼んだんじゃないのか?」
「……はい呼びましたですよ。…でももうご用は終わっているのです。」
その時…背筋にぞくりと…悪寒。………ご用はもう…終わってる?!
「や、やられた…ッ!!!!!!」
自分のナベへと駆け戻ると…そこには案の定、沙都子の姿が!!!
問答無用でその後頭部に二段踵落としを叩き込む!
「なな、何をしますのー!!! レディの頭を何だとお思いですのー!!!」
「んな事はどうでもいい! まさか沙都子、俺のカレーに何か混ぜたんじゃ…!!」
「失礼な。…そこまで落ちぶれてはおりませんわ。…こう見えても私、フェアですのよ?」
「……じゃあこの、よくわからない並べ方をしてあるシャモジとかお皿とかは何だ! こんな不安定な置き方をして、倒れたらどうすんだよ!!」
その時、そよそよ…と風が吹き、立て掛けてあったおたまがぱたり、と倒れた。
倒れたおたまはドミノ倒しのように、隣の炊具を次々と倒していく。
パタパタパタパタ。ガチャンガチャン、ドタパタドタパタ……
「これは芸術だなぁ。…そう言えば昔、テレビでドミノ倒し世界記録に挑戦なんてのが流行ったよなぁ。」
「け、圭ちゃん!!! フライパン!!!」
え? と思う間もなかった。
…ドミノ倒しはまな板を倒し、フライパンを倒し……その先には俺の鍋が……。
ズガシャーーーン…!!
フライパンがその重量を活かしたパワフルな攻撃で…俺の鍋をひっくり返す!!
無惨にも中身がぶちまけられ…、俺の力作カレーは今や校庭が試食中だ……。
唖然呆然……。
あまりの美しいトラップワークに一瞬、現実感を喪失してしまう…。
「あらあら大惨事ですわね〜! 私は何もしてませんのよ? をーっほっほっほっほ!!」
……最後の最後に…油断した…!!
料理のできない沙都子を無視し過ぎてた…!!
沙都子には料理ができなくても…こういう方法で戦列に加わることができたのだ!
その時、向こうで自分の鍋の味見をしていたレナが悲鳴をあげた。
「あ、あれーー?!?! レナのカレー…しょっぱいよ? しょっぱいよ?!」
レナもすでにやられた後だったか…?! じゃあ魅音は…?!
「私のはご飯がしょっぱいーーーッ!! やられたぁあぁあぁああ!!」
「をーっほっほっほっほ!!! これで邪魔者は戦う前に全て一掃でございますのよ〜!!」
「……せっかくの力作が台無しなのです。かぁいそかぁいそなのです。」
「かぁいそかぁいそですわよ〜。」
呆然とする俺の頭を梨花ちゃんと沙都子が存分になでなでしていた…。
机が並べられ、いよいよ食事と採点の時間がやってきた。
おいしそうなカレーのにおいが校庭いっぱいに広がる…。
来賓席に、日頃お世話になっている営林署の人たちが案内されてきた。
校長先生がセレモニー的な挨拶をし、続けて先生が、カレー勝負があるので、ぜひ採点してほしいとお願いする。
営林署のおっさん方はそういうノリが好きらしく、よし来た!と気勢を上げている。
「さて、皆さんできましたね〜。ではこれから審査員の皆さんと校長先生と私で試食をしますからね〜!」
クラスのみんなが力作のカレーを盛り付けて机に並べていく。
部活のメンバーでまともに仕上げられたのは梨花ちゃんたちだけだ…。
レナは失敗カレーであることを知りつつ盛り付ける。ひどい点数になるのは承知でだ。
だが…それでもまだ盛り付けられるだけましだろう。
俺や魅音のカレーは完全に破壊され、食卓に並べることすらかなわない…。
先生たちや審査員の営林署の人たちが、低学年のカレーから順に試食している。
そしてうまいだの甘いだの、力作だの個性的だのと論議に花を咲かせていた。
そしていよいよ……俺たち高学年のカレーへ。
「次は竜宮くんのカレーであるな。うむ。…実に美味そうである!!」
校長先生はホクホク顔でレナのしょっぱいカレーを頬張る…!!
もちろん、その顔はすぐに陰る。
「あらあらあら…、竜宮さんどうしちゃったんですか? 途中まではあんなにおいしそうだったのに…。」
期待していたのか、先生はがっかりしたようだった。
「はぅ……、す…すみません…。間違えて……お塩を一袋入れちゃって……。」
審査員たちも一口食べただけで顔をしかめてしまう。……気の毒に。
「失敗こそ成功の調味料である!! 次回に期待するぞ! 頑張りたまえ!!」
そう言い、塩カレーを丸呑みにして完食を決めた校長の背中に漢を感じた。
レナ、轟沈。
攻撃力は見事だったが、ガードが甘かったのが敗因か…。
「……では。次はボクたちのをご賞味いただくのですよ。」
「古手さんの班のカレーもとても頑張っていますね! どれどれ。……うん。素朴だけど、これはとてもおいしく出来てます☆」
直前のレナの塩カレーのこともあり、審査員たちの評価は非常に高い…!
非常にどころか…ひょっとして今日の中で一番おいしいのでは?
審査員たちが熱の入った議論を始める。
その中、一人の審査員がため息を付きながらニンジンの塊をスプーンでどかした。
「う〜ん、この子のカレーも結構悪くないけどな。……俺、ニンジン嫌いなんだよな。」
カレーにニンジンはド定番だと思うが。…人には好みがあるってことだよな。
だが、それを見た梨花ちゃんは彼の作業着の胸にある名札を読み取り、口を開いた。
「……だめですよ恭司。ニンジンを残してはいけません。」
突然何を言い出すのか…。みんながぎょっとして梨花ちゃんを見る。
だが……梨花ちゃんのそれは……クリティカルだったのだ。
ニンジン嫌いのその審査員は…ボロボロと涙をこぼしながらカレーを頬張りだす!
「……恭司。御代わりありますですよ。」
ぅ〜〜、お母ちゃぁああぁあぁん!!
そう泣き叫びながらカレーを頬張る頬張る!
そう。…梨花ちゃんのカレーは素朴なんじゃない。
それは…お袋の味のカレーだったのだ!!!
ニンジン嫌いの審査員すらもKOし、梨花ちゃんの評価は揺るがない。
「をっほっほ。梨花のカレーには誰もかないませんのよ〜!!」
沙都子が高らかに笑い勝利を宣言しようとした時…!
「騙されてはなりません審査員の皆々様方!!
貧乏くささをお袋の味と錯覚させるなどまやかしもいいとこ!! 皆様方が本当に食べたかったのは…こういうカレーじゃない?!」
をぉおおぉおおッ!!!!
いつの間にか完璧に盛り付けられた…魅音のカレー!
審査員だけでなく、先生や後輩たち、もちろん俺も…感嘆にどよめく!!
デミグラスソースのハンバーグに見目鮮やかなサラダ付き…!!
これはセットだ!!
コースと呼ぶに相応しい!! 完璧な…完璧な仕上りだッ!!!
「す、すごいすごい!! 魅ぃちゃんすごい! 魅ぃちゃんすごい!!!」
沙都子も驚愕する。
梨花ちゃんでさえ驚きを隠せない…!!
食べる前から…勝負は決したようなものだった。
もちろんハンバーグは手ごね。
ドレッシングも自家製の本格派。
カレーだって…ミクロン程の隙もないッ!!!
「とても美味しい…。実に豊かな味わいですよ園崎さん!
このカレーこそ…インド6000年の英知と日本人の食文化の美しい融和の生きた証…。…先生、感激です! これは満点の仕上りですね!! 百点をあげちゃいます。」
「いえいえどういたしまして〜。クラス委員長として模範を示したまでです。」
魅音がうやうやしくお辞儀をする。…そして俺たちにニヤリとウィンク!
「……ボクの…負けなのです。」
「そ、そんなはずはありませんわ…!! 確かに飯ごうに細工をしましたのに!!」
そうだ。
沙都子が魅音の飯ごうに塩をブチ込んで台無しにしたはず!!!
その時、何かを直感的にひらめき、俺は自分の飯ごうに振り返る。
……そ、そういうことかぁああぁあぁあッ!!
いつの間にか俺の飯ごうが開けられ、しゃもじで中身がごっそりと抜き取られていた。
「み、魅音めぇええぇえ! 俺のご飯を使いやがったなぁあぁああッ!!! ずるいぞぉおぉおぉ!! お前のカレーも半分寄越せぇえぇえ!!」
魅音はチッチッチと指をふり、不敵な笑みを浮かべた。
「おぉっと圭ちゃん、それは甘えてるよ。この最後の土壇場を、圭ちゃんは諦めた。私は諦めなかった。そういう差でしょ? 勝負は捨てたらオシマイってこと!!」
ぐ……!! 文字通り、ぐぅの音も出ない…!
「魅ぃちゃん、圭一くん可哀想だよ。…ちょっとくらいなら分けてあげても…。」
「いいのいいの。これは授業料だよ。圭ちゃんは今、勝負を最後まで捨ててはいけないことを学んだの。…ね!」
く、悔しいが……魅音の言うとおりだ!
勝負を早々に諦めた自らの甘さ…!!
それを気付かせてくれた魅音に…むしろ感謝すべきなのだ…!
じゃあ…今この状況でも勝負を諦めてはいけないってことか?!
「カレーは鍋ごとひっくり返し、ご飯すらも残ってない…。この状況で…どう勝負を諦めるなって言うんだよ…ッ!!!」
「ま、前原さん……。」
いつの間にか、富田くんと岡村くんが来ていた。
くそ…!!
後輩たちだって頑張ってくれたのに…!!
期待に応えられなかった!!
「じ、事故ですよ。…仕方ないです。」
落胆する後輩二人…。く、……あっさり負けを認めたらダメだ。俺は先輩なんだ!! 後輩たちに見せた夢のカケラを…俺が拾わなくてどうするッ!!
たった今…魅音に習ったばかりだろッ?! 勝負を捨てるな! 最後の一瞬まで!
「考えろ前原圭一!! 考えるんだ前原圭一!! カレーを作る方法じゃない、勝負に勝つ方法をだ…ッ!!! …………むむむ……かぁああぁあぁあッ!!!!」
一手思いつく。
……逆転できる自信はないが、座して死ぬくらいなら賭す価値がある!
「富田くん、手を洗って来い。手伝ってくれッ!! 岡村くんには探してきてほしいものがあるんだ!!」
「「うぉっす! 了解です!!」」
後輩たちが指示を受け辺りに散る。
「…ほぅ。最後に圭ちゃんがどう足掻くか。…見せてもらおうじゃない?」
「往生際の悪い男は嫌われますのよ〜?」
「うるせぇ! 俺の最後の勝負を黙って見てろッ!! まず魅音、お前の飯ごうをもらうぞ。嫌とは言わせん!!」
「………別にいいけど。しょっぱいよ?」
「レナも手伝っていいよね? 圭一くん、非常事態だし。」
「そう言ってもらえるなら心強い!!! じゃあレナ!……お茶を入れてくれ。」
「はぅ、……信頼されてない〜。」
「それから沙都子!! そして梨花ちゃん!! 一騎打ちを申し入れる。」
「な、何ですってぇええぇええッ?!?!」
「……お話を伺いますですよ。」
俺の為に汗を流してくれた後輩たちのための…唯一の義務だ!
「俺が百点をもらえたら、……沙都子、梨花ちゃん!! お前らのカレーをいただく。
メシ抜きだっぁあぁああぁああッ!!!」
「じょ、冗談もほどほどでございますのよー!!! そんなのアカンベ〜でございますわよ!!!」
「……いや、いいでしょ沙都子。受けなよ。」
沙都子の頭をぽんぽんと叩きながら、魅音が堂々とした部長の威厳で言った。
「これだけの致命傷を与えたんでしょ? 再起なんかあるわけがない。だから沙都子も堂々としてなよ。……どう足掻こうと逆転などあるわけがない。そうでしょ?」
「むぐぐぐ……そ、そうでございますけど……。」
「……ボクはいいですよ。圭一、ファイト、お〜です。」
審査員たちは様々なカレーを食傷気味になりながらも食べ、各人の出来を議論していた。
……漏れ聞く限り、魅音の優位は揺るがない…。
「そう言えば…、前原くんのカレーはどうなりましたか? 先生、まだ食べてませんよ?」
「……………はい。俺のカレーはその………鍋がひっくり返ってしまい……。」
「むぅ。…そうであるか。それは実に残念である!!」
「…カレーは失いましたが…勝負を失ったわけじゃありません。…皆さんをうまいと言わせて見せます!!」
俺のただならぬ闘気に審査員たちも何事かと集まり始める…!!
「まずは黙って食って下さい。……文句はそれから伺いますッ! …これが…俺の料理だぁああぁあぁああッ!!!!」
「…ま、前原くん…それは………?」
「むぅ…。……おにぎり、であるか。」
審査員たちは壮絶な前ふりの割りにシンプルなのが登場し、苦笑している。
レナは給湯室から持ってきた湯呑にお茶を入れてくれた。
「ば、…ばかにしてますわぁ!! それに…ほら! 中身も何にもない…ただの塩にぎりではありませんの!!! こんなの勝負にもなりませんわぁあぁあ!!!」
「………確かに塩加減は悪くないかもしれないけど……。」
奇策だとは思うけど…逆転は無理じゃないかな…。レナの目はそう言っている。
「前原さん、本当に…こんなので…逆転できるんですかぁ?!」
「後輩諸君。よく尽くしてくれた。……大丈夫。黙って見てるんだ。」
審査員たちはもぐもぐと頬張り、お茶をすする。
…うまいと言う者もなければ、感嘆に咽ぶ者もいない。
……ただ黙って、…もりもりと食べるだけ。
「………圭ちゃんも…卑怯な手を使うようになったねぇ。…こりゃ…辛いなぁ。」
「あ、そうか。……レナにもわかったよ。」
「ど、どういうことですの?! 何でみんな黙って…あんなにも食べてますの?!」
「それはね沙都子ちゃん。審査員さんたちね、実は……、」
…カレーに食べ飽きているのだ!
審査員だから一応全員分は味見しなくてはならない。
それに小さい子たちが普段の感謝にと言って作ってくれてるんだから一瞥するだけってわけにはいかない。
「男はな、時には味よりも…量を尊ぶこともあるんだよッ!! その時、味は起立した心振るわせるものよりも……素朴であることが望ましい!!」
口に出しては言えないけど、実はこれが一番うまいんだよね…。審査員たちは苦笑いしながら、目で肯定した。
「健闘は称えるが…今日はカレー勝負。……これに点数を与えてよいものなのか。」
先生も校長も唸りながら腕を組んでしまう。
後輩たちもそれを聞き…見えかけた逆転の光明が消えていく様子に落胆する…。
く…、やっぱりこんなびっくり技じゃダメなのか…?
「……諦めるな圭ちゃん。」
魅音がぼそりとつぶやく。……そうだ。ここで押さなくてどうするッ!!!
「いえ、先生。採点はして頂きます。
カレーとおにぎりを異なって評価することにそもそも致命的な間違いがあります。」
「?? 前原くん、何を言ってるんですか? カレーとおにぎりがなぜ?!」
校長が先生を制する。
俺に最後のチャンスをくれたらしい。
審査員たちもあらかた満腹したのか、俺の口上を黙って待っている…。
「本場インドのカレーはナンというパンで食べるそうですね。ですから、このカレーライスという料理は、それを取り入れアレンジした日本の食文化のひとつと言えるでしょう。
冒頭に先生が仰られた通り、インドと日本の文化の融合の結晶なのです。」
「前原くんの言うことはわかります。でも、それとおにぎりにどんな関係が…。」
「とても簡単なことなんですよ。…カレーもおにぎりも、…お米をおいしく食べるための知恵なんですッ!!!!
古代中国よりの米の伝来。
…農耕種族たる祖先たちは田に水を引き、天気や病虫害と叩きながら育んできた米主食の文化…!!
そう日本人は様々な料理を編み出してきたが、それは所詮、米をおいしくたべるための方法の模索でしかない!!! つまり…、
「カレーもおにぎりも……同じ米食文化の…
結晶なのですッ!!!!!」
ぱらぱらと、そして徐々に轟々と。俺を称える拍手が鳴り始める!!
「よ、世迷言もほどほどになさいませー!!!! 認めませんわよ〜!! 先生はカレーの出来を採点してますのよ?! こんなのは採点外!
零点が相応しいに決まってるでございますわー!!!」
「せ、先生…。圭一くんは頑張ったんです。認めてあげてください…。」
「……カレーの授業のはずだったのに…。どうしましょう。」
魅音が、ふっと鼻で笑ってから歩み出た。
「かつてフランスからミシュランの三ツ星シェフが来日した時、ホテルの人たちが様々な材料をフランスから空輸したんだそうです。でもそのシェフはそれらに見向きもしませんでした。」
「……どうしてなのですか。本場の材料さんなのですよ。」
「シェフは地元の漁港へ行き、日本で取れた新鮮な幸を使って料理を作ったそうです。
食文化は決められたルールに縛られるものじゃない。…文化なんです。日本に来れば日本の文化と溶け合ってまた新しいものを形作る。
……だからカレーもおにぎりも、同じ日本の文化なんです。」
み、魅音………。援護射撃…感謝。
審査員たちもなんだかありがたそうな雑学知識に根拠なく感動している。
先生は一際厳しい目つきになり、腕を組みなおした。
「…………前原くんは、カレーのお鍋をひっくり返してしまったそうですね? 危ないから気をつけなさいと始めにあれだけ言ったのに。」
「す、すみません…。」
「ですが、……前原くんや園崎さんが言うように、食文化には垣根はありません。人を心底感嘆させるものなら、その形式はなんら差別されるものではない。」
「……じゃあ? じゃあ?」
「お鍋をひっくり返したので減点20。…でも今日だけですよ。挫けないでがんばったので特別に20点プラス。
百点をあげておきましょう。」
「「ま、前原さん!! やったぁあぁあぁあああッ!!!」」
後輩たちが飛びついてくる!! 百点だ!! やったやったッ!!
カレー鍋をひっくり返されご飯を奪われ…。でも返り咲いた!!
結局、梨花ちゃんのカレーも満点だったので、レナ以外は全員満点ということになった。
……部活番外編なので罰ゲームは特にない。レナは胸を撫で下ろす。
「さて、約束だぞ。沙都子に梨花ちゃん。君たちのカレーは没収する。」
「そそ、それじゃ私たちのお昼がなくなっちゃいますわ〜? ぅぅ〜〜!!!」
沙都子は地団太を踏んで悔しがるが、敗北の支払いは絶対だ。
「と言いたいところだが、情けだ。半分は食って良し!!」
「……圭一、ありがとうなのです。」
物陰から伺う後輩二人組が感涙を滝のように流しながら、男同士にしか通じ得ないアイコンタクトを送ってくる。
ぅぅ…やりましたね前原さんッ!!
あぁ、お前らのお陰だぜッ!!
互いに親指を立ててガッツポーズ! ビシリッ!
「さて…このカレーは後輩たちに渡して、っと。俺も腹が減ったよな。自分のおにぎりでも食うか。…………って、あれ?」
俺のおにぎりが…跡形もない。
俺の分に取っておいたはずのもない。
きょろきょろと探す俺の肩を校長がバシンと叩いた。
「がっはっはっは!! さっきの前原くんの話を聞いていたら、噛み締める米の味が一際美味でのぅ!! がっはっはっはっは!!!」
「あの……ひょっとして…俺の分も食べちゃいました…?」
「がっはっはっはっはっはっは!!!」
校長は大声で笑うだけで答えてくれない…。
マ、マジかよ………。
半目に涙を溜めながら、ぐ〜とお腹を鳴らす俺を、先生が呼ぶ。
「前原くん、さっきはああいう場だったので満点ということにしましたが……、わかっていますね?」
「へ? わかってって……何がっすか。」
先生の瞳の色が変だ。
……なんていうのか…カレー色だ。
煮込んだカレー鍋のように、瞳がぐるぐると渦を巻いている…。ぞくりと悪寒。
先生がガシっと俺の両肩を掴み、鼻がくっつくほどの間近に引き寄せた。
「カレーはこの世で一番尊くて神聖な素晴らしい料理です。それとおにぎりを同一扱いするなんて断固許せません。いいですか? カレは四大河川文明に匹敵する第五の文明として古代インドに生まれ、アショカ王の時代にカピラ城でシャカの生誕に万国食文化博覧会が絶賛してミシュランぐるぐるエッフェル塔すらもカレ漬けをぐつぐつ煮込んでタメリックが寝ても覚めてもカレカレカレカレ……」
「…ちょっと圭一さん! 何をふらふらしてますのー!! 後片付けもお料理の一部ですのよー!!」
「圭一くん、目がカレーだよ? どうしたのかな? かな?」
カレーカレーカレー。くっくっくっく…♪
「あちゃー…やられたか。大丈夫、一昼夜で元に戻るよ。多分。」
空腹感で我に返るまでにそう時間はかからなかった…。
■放課後
結局…おにぎりは全部、校長に食べられてしまったので、俺は昼抜きとなったのだった。
昼を抜くと……ここまで午後は辛く長いものなのか…。
眠気とは異なる感じで意識が遠のきかける…。
「だ、大丈夫かな圭一くん。…だからレナのカレー食べなよって言ったのにー。」
塩まみれの高血圧カレーなんか食えるかー! と言って拒否したのだが…。
後悔せざるを得ない。…空腹で…胃痛が……。
「まぁまぁ! よくしのいだよ。あの絶対的な状況下から! つくづく圭ちゃんは追い詰められてからが強いねぇ!」
「…今はどんな褒め言葉もいらん。…メシをくれ〜…。」
「家に帰れば何かあるんでしょ?」
「……うちってお菓子とかの買い置きはないんだよ。カップめんを今は底を尽きてるし…。」
「あはははは! 我慢してまってれば今日のお夕食はきっとおいしいよ。」
とてもつられて笑う気にはなれない…。
「じゃあ私はこの辺で。また今日もバイトでね。…は〜、慣れない職種はしんどいよ。」
あぁ、例のエンジェルモートってファミレスのバイトか。
……あの制服(?)が何だか刺激的な…☆ はぅ〜。
「…やっぱウェイトレスさんってハードワークなんだな。」
「え? 魅ぃちゃんってウェイトレスさんやってるの? 本当に本当に?! どこのお店かな?! はぅ〜〜!!」
「ち、ちが…、わ、私は…そう、先日のおもちゃ屋さんの店番なの!! ウェイトレスは詩音で……、」
あ、いけね。
…そういうことになっていたのをすっかり忘れてた…。
「ご、ごめんごめん。あまりにもよく似てるから間違えた。」
「圭一くん。……詩音って誰かな?」
レナが当然の疑問を口にする。
「あ、えっと……魅音の双子の妹なんだよ。性格は違うけど外見は瓜二つなんだ。」
「そうそう! 外見は似てるけど中身は大違いなんだよ! 私はやさしくて思慮深いけど、詩音は冷めてておっかない性格なんだよねー…!」
「……多分、生まれた時に魅音の女の子らしい部分は全部詩音に行っちゃったんだと思う。
…魅音と違って実にはにかんだ笑顔の似合う可愛い女の子なんだ。」
「けけ、圭ちゃぁあぁあぁあん…!!!」
そんなやりとりをレナは目をぱちくりさせながら聞き入っている。
「…ふーん…。そうなの? レナ会ったことないなぁ…。魅ぃちゃん、妹がいるなんて話してくれたこと、あったっけ?」
詩音という存在のバケの皮が早くも剥げそうになっている。
…お、俺にはフォロー不能だ…。ここは魅音に乗り切ってもらうしかない。
「あー…うん。レナには紹介したことなかったかな。
あはは、私の双子の妹で詩音って言うんだよ。」
「知らないよ。聞いてないよ。魅ぃちゃん家に行っても会ったことないよ?」
「えっと…そのその! ほら知ってるでしょ、婆っちゃと住んでるのは私だけだから。詩音は興宮の実家に住んでるの。あ、あんまり仲がよくないから……うん、こっちには来ないんだけどねぇ〜!」
「ふーん…。」
納得したようなしないような顔をするレナ。
…一見ぽーっとしてそうで、こういう時、勘が鋭いタイプなんだよな…。
「えっと…まぁ、…ウソじゃないんだ。信じてやってくれ。」
うん、信じるよ、と言ってレナは急にぱーっと笑顔になった。
「レナもいつか会ってみたいな〜! 今度レナもお顔を見にいってみるね! どこのお店で働いてるのかな?! かな?!」
「え、……っとぉ……その………。」
…あぁどんどん泥沼に。魅音がどんどん焦っていくのがわかる。
…助け舟を出したいのはやまやまだが…家族ネタばかりは部外者にはどうしようも……。
「あ、あ! ごめん!! バイトもう急がないと!! じゃあね! レナに圭ちゃん! また明日〜!!」
一方的に話を打ち切ると、魅音は家に向かって駆け出していった…。
誰が見ても逃げたようにしか見えないな…。緊急避難として承認しよう。
「魅ぃちゃんなんだか可愛かった。何でかな何でかな。くすくす…!」
レナは面白そうにくすくすと笑っていた。
■自宅で
夕食は何時だろう…。横になっているのが一番カロリーの消費が少ないだろうか。
玄関で靴も脱がずに突っ伏す。
薄れる意識に身を任せようと思った時、チャイムがなった。来客らしい。
「はいどーぞー。開いてますよー……。」
生気のない声で扉の向こうにそう告げる。
「…ど、どうもこんにちはー…って?! 圭ちゃん、何やってんですかー?!」
来客は魅音…じゃなくて、なんと詩音だった。
玄関に突っ伏している俺を見て、何事かと驚いている。
「し、詩音か…?! また…どうして…。」
詩音という存在は、魅音のあの場限りの幻だと思っていた。
だから、そんな詩音がこうして積極的に現れるなんて思いもしなかった。
「お姉に聞きましたよ。今日のお昼、部活で大変なことがあって、ご飯、食べられなかったんですよね?」
「……あぁ大変だったぞ。沙都子に鍋を倒され、ご飯はお前に盗まれて…。」
「だ、だから私……詩音……、」
赤くなってふさぎ込む。…そっか、今は双子の妹ってことだもんな。
「すまんすまん。…それでなんだよ。空腹の俺の為に差し入れでも持ってきてくれたのか?」
「ありゃ…、……図星を突かれちゃって何だかがっかりですけど、これ。」
詩音は残念そうに笑いながら、後ろに隠していた小さな弁当箱を差し出した。
「え?! ほ、本当に差し入れなのかよ?! サ、サンキュー…!」
「お姉が学校に持っていったハンバーグの残りがあったんで、ちょっと持ってきました。お夕飯前だとは思いますけど…いかがかなって思いまして。迷惑でしたか?」
「め、迷惑なんてめっそうもない…! すげぇ嬉しいよ!! 本当に食っていいのか?!」
弁当箱を開けてちょっと覗いてみると…、残り物をちょっと詰めてきたというには凝りすぎな、とても綺麗なお弁当が詰められていた。
「ほ、本当にいいのか?! これ、タバスコとかがいっぱい入ってるとかそういう冗談じゃないのかよ?!」
「もー。お姉じゃないんですから、私、そんなことしませんよ。…別に嫌なら無理しなくても……。帰って自分で食べちゃいますから…。」
そう言って可愛らしくむくれながら弁当箱をひったくろうとする。
……たまに本当に魅音と同一人物なのか疑わしい時があるが、まさに今がそれだ。
「ぜ、全然嫌じゃないです。感謝の心を忘れずに噛み締めたいと思います…!」
「そ、そんな…鼻水垂らされて感謝されるほどのことじゃ……。」
詩音は、俺が弁当を受け取らないかもしれないと思っていたのか、とても嬉しそうに俯いていた。
「な、何にもないけどあがってくか…? お茶くらいなら出せるかも…、」
「…うーん……ごめんなさい、またの機会にします。私、バイトに行く途中ですから。」
あ、そうか。そう言ってたな…。
「お弁当箱は適当に水洗いして、明日、お姉にでも返しといて下さいね。」
「と、当然だぜ! こんなうまそうなのを食わせてもらったら、それぐらい礼儀だろ!」
「じゃあ私はこれで。…………………あ、……あと最後に…、」
詩音がまた赤くなりながら俯いた。
「……お姉がカレーの時、黙って圭ちゃんのご飯、取っちゃいましたよね? …悪ふざけが過ぎるとお姉、ついやり過ぎちゃうんです。決して悪気があったわけじゃ…、」
「おいおい。別に俺はあんなの何とも思っちゃいないぜ。部活の上でのことは恨みっこなしだからな!
毎回スリリングに楽しませてもらってるのをこっちが感謝したいぐらいだぜ!………そう魅音に伝えてくれるか?」
「……はい。…それ、……お姉きっと喜ぶと思います。ではこの辺で…!」
詩音は、ぱーっと明るく笑った。
それから深々とお辞儀をすると、時計を見ながら駆け出して行った。
「…うれしいけど…コレ、本当に大丈夫なんだろうなぁ?」
後に残された弁当箱。
ほんのりとした温かさが手のひらに伝わってくる。
魅音なら…タバスコやマスタード、下手すりゃ裁縫針くらいは入れる気がする。(さすがに裁縫針はやらないだろうけど…)
もう一度弁当箱を開け、恐る恐る口にする。
……ひとつ食べる。もうひとつ食べる。
…何も仕掛けはない。
何の危なげもなく、おいしい。
そう。あれは魅音じゃなくて詩音だから、そんな心配なんか不要のはずだったのだ。
部屋に駆け戻り、感謝しながら食べる。
……空腹には涙が出るほどうまかった。
「……詩音、……いや…魅音、俺が空腹で死にそうって言ってたの聞いて、大急ぎで持って来てくれたのか。」
最後までおいしかった。…中から妙なものが出てくることはついになかった。
それを警戒した自分がちょっぴり恥ずかしかった…。
■3日目幕間 TIPS入手
3■ごちそうさま
「おい、魅音。これ。」
「わ、な、何よ圭ちゃん…!」
魅音の鼻先に、昨日、差し入れてもらった弁当箱を突き出す。
「昨日、差し入れてもらった弁当箱だよ。ごちそうさま。うまかったぜ。」
「…ふぇ、…………あ、……、」
…魅音の顔がぱーーっと薄く赤くなっていく。
……おいおい、弁当を持ってきてくれたのは詩音ってことになってるんだろ…。
魅音状態の魅音が赤くなってどうすんだよ…。
このままじゃ、勝手に墓穴を掘って自爆しかねないので、一応フォローしてやることにする。
「あのな。俺、昨日、腹を空かせてたらさ。詩音がわざわざ家まで来て弁当を差し入れてくれたんだよ。で、これはその弁当箱。ちゃんと洗ってあるからな!」
「あ、……あはは、そ、そうなんだ! 詩音は気が利くね〜!」
白々しい仕草だなぁ。
…魅音ってこんなにも嘘の下手くそなヤツだったっけ。
…だがそんないつもとは違う表情がなんだか、…不思議とかわいらしく見えた。
「で、ど、どうだった?」
「…魅音に瓜二つなヤツだと思うぞ。だって双子なんだろ? 似てて当然だよ。」
「えっと、……じゃ……じゃなくて…えぇと……。」
魅音がなんだかぽー…っとした表情で、何かの答えを待っている。
…どうだった?って聞いたのは、詩音の容姿じゃなくて、弁当の出来についてかな…?
「あぁ、もちろん! うまかったぜ。」
「…え、……あ、…本当に?」
「俺は食い物の感想には嘘はつかないぞ。俺がうまかったって言ったら、誰が食ったってうまい! 万人にお薦めできる評価だと思っていいぞ。詩音に実に美味しかったって伝えておいてくれ。」
「あ、……う、うん! 詩音にね! 伝えておくよ! きっと喜ぶと思うよ…! あはははははは…!」
魅音でなく、詩音にもらった弁当ということになってるのに。本当に…心の底から気持ち良さそうに笑った。
…こいつも、こんな見てるだけでこっちも気持ちよくなれるような笑い方ができるんだな。そんな嫌みが口を突いたが、そのまま飲み込むことにする。
魅音が弁当箱をカバンに入れようとして、カラカラと音がするのに気付いた。
「……圭ちゃん、何か入ってるよ? あれ?
……………………わぁ……。」
げ、…こいつ、この場で開けやがった…!
その中身はちょっと恥ずかしいので、ここでは開けてほしくなかった。
慌ててそれを隠すように手で覆う!
「えーと…えーとな! これはだな、うちのお袋がお礼に入れとけって言ったんだ! 別に俺のセンスじゃないんだからな! 誤解すんなよ!!」
「……きれい…。飴だ…。」
ピカピカの弁当箱の中にはきれいな包み紙で包まれた飴が一握り入れられている。
…昨日、流しで弁当箱を洗っていたら、お袋に「詰問」され、誰の差し入れかを白状させられたわけだ。
そしたらお袋が、こういうのはお礼を入れて返すもんなんだって言い出して。…俺は恥ずかしいのは嫌だし、こんなのはセンスじゃないしって抵抗したんだけど…。
「……と、…いうわけなんだ。…まぁその、…ぅぅ……。」
顔から火が出るほど恥ずかしい。
…いっそ、いつもの魅音に笑い飛ばされた方がマシなのだが、…なぜか魅音は陶酔した表情で弁当箱の中の飴玉を見入っている。
「……あ、…ありがとう。」
「お、俺に言うな。入れたお袋に言ってくれ! そそ、それに魅音がお礼を言う必要なんかないんだぞ?! それは詩音にあげるものなんだからな?!」
「…………あ、…ぅん。そうだよね…。…うん。詩音に伝えておくね! きっと詩音もうれしがると思うよ。」
魅音がちょっぴり残念そうな顔をしながら弁当箱のふたを閉じる。…結果的に、少し意地悪なことを言ってしまったようだった。
(時間経過のコマ)
「今日は何だか魅ぃちゃん、ほんわかな感じだね。いい事でもあったのかな。かな!」
「…風邪でも引いたんではありませんの? お顔が赤いのはきっと微熱のせいでしてよ。
………って、梨花。なんで私の頭をなでますの。」
「……沙都子もきっとその内、お風邪を引けるようになりますですよ。」
…なでなで。
■4日目
■もうすぐ綿流し
以前にも説明したことがあったろうか。
うちの学校の体育の時間は本当にちゃらんぽらんなのだ。
適当に準備運動をしたら後は勝手。暴れようが寝転がろうが自由なのだ。
「……よくは知らないけど、教育委員会とかに教育指導要綱とかあるだろ? 何歳ならこれくらいの運動能力はなければいけない、みたいなさー。」
「圭一さんが何を言ってるのか、難しくてさっぱりですわよ。」
「えーっとね。先生の授業の進め方のルールみたいなものなの。」
「あっはっはっは! 都会の軟弱な連中にはそういうのは必要だろうけどさ。田舎育ちのうちらが身体能力で劣ると思うー?」
「……ボクたちは圭一が思ってるよりも運動神経はいいのです。」
言われて見れば…そうかもしれないなぁ。
全員でよーいドン!なんてやったら、下手すりゃビリは俺かもしれない。
…熾烈な罰ゲームの賭かった部活が、100m走とかにならないことを祈ろう…。
「ではそういうことで…、俺はテレビの見過ぎで実に素敵に眠い。睡眠時間の補給をさせてもらうぜ。空腹絶頂の4時限目。…今寝ずにいつ寝るよ…。」
土管の上にごろんと横になろうとすると、魅音が襟首を引っ張った。
「ちっちっち。まさか大人しく眠らせてもらえると思ってる〜?」
「……その顔で言われたら、大人しく寝る方が勇気が要りそうだ。」
やれやれ…。ってことは…また始まるな…?!
「さて!! このまま井戸端会議でチャイムを待つなんて、熱き血潮のたぎった私たちには無理だよね! 部活タイム、行ってみよっかー!!!」
「ちぇ、案の定、来やがったなぁ?! 今日のゲームは何だ!!」
こうなっては昼寝など不可能だ。
いやそれどころか…そんな半分眠ったような頭では餌食にされるだけ!
脳を一気に活性化させる…!!
「レナはそれより…今日の罰ゲームは何かな?の方が先だと思うな。」
「くっくっく…! レナはわかってるねぇ〜! 今日も飛び切りのを用意してるよ!」
魅音が三回転半のひねりを加えながら、その過酷な罰ゲームを発表しようとする! その矢先に、
「……ごめんなさいです。ボクはちょっとやりたいことがありますです。」
なんと梨花ちゃんが不参加を表明した。珍しいこともある。
…決め所を失い、魅音はコマのようにぐるぐると回りながら倒れこむ。
「あれれれれれれ…れ…れ。…何、どうしたの。今日は調子悪いの?」
「あ、そうか。魅ぃちゃん、綿流しの練習だよ。」
「そうですわよ。今度の日曜日ですもの。梨花は猛特訓中なのですわよ!!」
「……最近はがんばり過ぎてお腕が痛いのです。」
「そっか。じゃあ仕方ないな。全員揃わないなら仕方ない。…今日は各人、のんびりしようかね!」
「……ごめんなさいなのです。でもがんばりますですよ。」
「うん! 頑張ってね! レナたちも応援してるからね〜!」
魅音が部活の中止を宣言すると、梨花ちゃんと沙都子は一緒に校舎裏に駆けて行った。
俺だけがすっかり取り残されてしまって話が見えない。
「…一体何なんだ? 梨花ちゃんは何か大会前とかで特訓をしてるのか??」
「梨花ちゃんは綿流しの巫女さんだから、奉納の演舞をすることになっててね。その練習なの。」
「…順を追って説明してくれ。まず綿流しって何だ。次に巫女さんって何だ。最後に奉納演舞って何だ。」
「あれ? 圭ちゃん家には回覧板とか行ってない? 書いてなかった? 今度の日曜に綿流しのお祭りがあるって。」
…あれ?
そう言えば…お袋が夕飯の時、そんな話をしていたような気がする。
「綿流しはね、毎年6月の日曜日に神社でやるお祭りなの。とってもにぎわうんだよ!」
「なるほどな。しかし綿流しってのは変わった名称だな。…あれか? 灯篭流しみたいに、何かを供養して川に流すのか?」
「お、さすがは圭ちゃん、察しがいいねぇ! 綿流しはね、名前の通り、綿を流すんだよ。」
「綿ってのはね、お布団や半纏なんかの綿のことなの。だから、お布団の供養になるのかな? …祭壇にもお布団を積み上げているし。」
「ご先祖様とか戦没者とか、針とか包丁とかの供養ってのは聞いたことあるけど。布団の供養っては初耳だな。どんな謂れがあるんだ?」
魅音がうーんと小首をひねりだす。
「…謂れなんてほど難しいのはないと思うなぁ。この辺って冬の寒さはかなり厳しいからね、布団とか半纏とかの防寒具を特に大切にしたからじゃないかな。」
「あー…なるほどなぁ。つまり、冬の間お世話になった布団に感謝しようってわけだ。で、巫女さんが供養をして最後に川に流すわけか。それが綿流しってわけだろ?」
魅音とレナがパチパチと手を叩いて正解だと告げる。
「でね、でね。その供養をする巫女さんの役が……梨花ちゃんなの!」
「へー…。梨花ちゃんが巫女なんだ。………言われて見れば梨花ちゃんって、どことなく神秘的な雰囲気あるよなぁ。」
「だよね! だよね! 梨花ちゃんの巫女さん姿ってね…はぅ〜!
かぁいいんだよ〜ぅ!」
…確かに似合いそうだな。うん、かぁいいかもしれない。
「ようやく話が見えてきたぞ。梨花ちゃんの言う特訓ってのは、この巫女さん役の練習なわけだな。」
「そういうこと。巫女さんが布団をお祓いする一連のセレモニーを奉納演舞って呼ぶんだけどね。それの練習なんだよ。……結構、大変なんだなこれが。」
「巫女さんはね、祭事用の大きな鍬を持って演舞をするんだけど…それがね、梨花ちゃんにはすっごく重いらしいの。」
「梨花ちゃんって小っちゃいもんなぁ。…その重いクワってどのくらい重いんだ?」
「かなり重いらしいよ。…梨花ちゃんは餅つき用の杵で練習してるくらいだから。」
ちょっと待て。それは重過ぎだぞ…!!
梨花ちゃんどころか俺だって辛い!
「祭事用の神聖な鍬だからね…。間違って落としちゃったら大変らしいし…。」
「まぁ…年に一度の御勤めだからね。私たちは陰ながら応援するしかないね。…大丈夫。去年もちゃんとやり遂げたんだから!」
「……そっか。じゃあさ、せめて応援してやろうぜ!! それくらいならいいだろ!」
どんな風に練習しているんだろうという好奇心も多少はあった。
だが魅音は笑いながら首を振る。
「放っといてあげなよ。圭ちゃんが来たら梨花ちゃんは、可愛くなっちゃうから特訓ができなくなるよ。」
? よく魅音の言う意味がわからなった。
「梨花ちゃんはね、努力とかそういうのを人に見せるのが好きじゃないの。ね? そっとしておいてあげて。」
…いつも涼しそうに飄々としている梨花ちゃんも、やはり汗水をたらして頑張っている時があるんだ。
いつもスマートに装っているからこそ、無様な姿を見せたくない…という気持ちは決してわからなくはない。
「俺にできるのは成功を祈ることだけってことか。………がんばれー!! 古手梨花〜!! 応援してるから〜〜!!!」
さて。
俺は土管の上によじ登り、ごろんと横になる。
「フレーフレー梨ぃ花ぁちゃーん。…さらに応援の念波を高めるため、これより瞑想状態に入る。…ぐー。」
「結局寝るわけかぁあぁーーーー!!!!!」
<すぱーーーーん!という効果音
■魅音は可愛い子だよ?
のんびりとした昼を終え、午後の気だるい授業時間になった。
昨日のひもじさの反動で、今日の昼はいつになく食いすぎたため今のコンディションは最悪だ…。
「う〜…、さ、さすがに食い過ぎた〜…。午後の授業は…堪える…。」
「あはははは。圭一くん、今日は何だかすごい食欲だったもんね!」
「基本的にいつも大食いだけどさ。今日は何か格別だったねー。」
「昨日は俺、昼飯抜きだったろ? そのひもじさが染み付いちゃってさ。今度は逆に、いくら食っても食欲が底無しって言うか…。」
「あはははは、わかるよ。わかるよ。」
「しかし…圭ちゃんってさ、いつもお弁当、きれいに食べるよね。ご飯一粒も残さないって言うか。」
「食べ物ってのは作ってくれた人に感謝して食べるもんだぜ? 残したら、苦労して作ってくれた人に失礼だろ。」
それを聞いて、魅音はちょっと眼を丸くした後、涼しそうに笑う。
「圭ちゃんってさ。ぱっと見、ワイルドでいい加減そうなんだけど、…結構、律儀だよね。しつけがいいと言うか。」
「あ、うん。それはレナも思うな。思うな! 圭一くんって、見かけよりずっとやさしい人だよ…!」
…2人は褒めてるつもりなんだろうが、微妙に褒められていない気がするぞ。
「そんなことないって! 見かけと中身は大違いって、そう言いたいんだよ。」
「それが褒めてねーって言ってんだよー!」
「こらッ! 園崎さん、前原くん、授業中ですよ…!! 園崎さんはどこまで進みましたか? ノートを持ってきてください。」
魅音がギクリと、誰にでも分かるような擬音を口にする。
こいつ、おしゃべりに夢中で、さっきから全然手を動かしてなかったからな。
「えー、まー……。ソコソコに…☆」
「さっきから全然進んでいないじゃないですか…!! 最上級生なんだからもっとしっかりしないといけませんよ!!」
魅音め、何だかお説教されているぞ。…不憫なヤツめ。
「人は見かけによらない、っていうことだね。…むしろ、見かけとは逆が真かもしれないよ。」
「……ふーん? 面白いこと言うじゃねーか。」
レナが含蓄のありそうな言い方をするので、向こうで梨花ちゃんと仲良く自習する沙都子に眼を向けてみた。
「あの生意気盛りの沙都子も、実は見かけとは逆にすげーしおらしいってのかよ。」
レナの説の通りならそういうことになるよな。
あの沙都子がしおらしい、童話の中のような女の子とは到底思えないよな。
「最近はあんな感じだけど、ちょっと前までは違ったんだよ。
すごい甘えんぼでいっつも……………………うん。えへへへ…沙都子ちゃんには内緒ね☆」
「あの沙都子が…甘えんぼー?!」
沙都子が甘えるとしたら、それはそれで何か計算があってのことだと思うぞ。
誰かの背中に避難することはあっても、決して懐くようなヤツじゃないと思うがなぁ。
…でもせっかくなので、しおらしくて甘えんぼの沙都子を想像してみることにする。
「おい、沙都子。」
「何ですの? お兄さまぁ☆」
沙都子が愛くるしく笑い、俺の方へ駆けて来る…。
ところが…沙都子が3歩進むと、なぜか俺は3歩逃げてしまう。
「?? お兄さまなんで逃げますの…?」
「すまん沙都子。…お前が愛想笑いして近付いてくると、何かのワナのような気がするんだよ。」
「ひ、ひどいですわ〜!! お兄さまの意地悪〜!
あぁあん〜〜!!!!」
「あ、あ…ごご、ごめん!! 別に悪気があったわけじゃないんだ!」
泣く沙都子に駆け寄る俺…。……俺って涙に弱いんだなぁ…。
ズボ。ガチャン。
へ?!
トラバサミ?!?!
俺の足に、鉄のギザギザの歯が噛み付いてる!
「をっほっほっほー!! かかりましたわねぇ!! 続けて行きますわよ!!」
沙都子が勝ち誇ったように、右腕をかざすと…次々にトラップが連鎖発動する!!
突然、壁が突き出し、俺を3ブロック吹き飛ばす!
そこへ目がけて……トゲだらけの巨大鉄球が転がってくるッ!!!!
しかも鉄球が俺を弾くであろうその方向には……巨大なギロチン台がぁああぁあ!!!!
「よくわかんないけど…圭一くん、今すっごく突拍子もない想像してなかった?」
「いや別に。全然してないぞ…。」
「ウソだぁ。トゲ付き鉄球に潰される〜ってカオしてたよ。」
……俺の表情って、どうしてこう具体的に胸の内を語っちまうんだろうなぁ。
「すまん。…しおらしい沙都子の想像ってのはかなり無理がある。…今度体調がいい時に再トライしてみるよ…。」
次に、沙都子の隣で漢字ドリルを頑張っている梨花ちゃんを見る。
沙都子とは逆に、しおらしいのが標準状態だ。
梨花ちゃんなら…「お兄さま〜☆」って駆けて来たら……抱くよな! がっちりと!! こっちは…萌えるッ!!
「圭一くん、よだれ〜。」
「あ、ごめんごめん。…じゃあ梨花ちゃんはどうだよ。あれも見かけによらないってのかよ?」
と、自分で口に出して疑問を感じてしまった…。
……梨花ちゃんって…本当に可愛らしいだけか??
あれはあれで…立派な狸だよな。可愛らしく…こう、上手にかわすというか。
「……確かに梨花ちゃんは……ただ可愛いだけじゃない気がするな。…確かに見かけによらないぞ。」
うまくイメージを口に出来なかったが、レナには俺の言いたいことがよく伝わったようだった。
あー、そんなこと言っちゃいけないんだ〜っと悪戯っぽい眼差しを向ける。
「梨花ちゃんはきっと大きくなったらね、すっごい美人になって、男の人を振り回す、小悪魔のような女性になるんじゃないかなって思うんだ〜。そういうの、カッコよくない?」
レナはとても楽しそうに言うが…男の俺としては何だか笑えない話だぞ。
それに、本当にそうなりそうなところが恐ろしい…。
そんな俺の視線に気付いたのか、梨花ちゃんはこっちを見ると、天使のような微笑でにっこりと笑って見せた。
俺もレナも、それぞれ自分に向けられたものと思い、ドキっとする。
「はぅ〜〜……かか、かぁいいねぇ。かぁいいねぇ☆」
「レナ、鼻血鼻血。」
……人は見かけによらない、か。…じゃあ、我らがリーダー、魅音はどうだ?
向こうで先生のお小言をのらりくらりとかわす魅音をじっと見てみる。
レナの説によるならば、あの、がさつそうで、それでいて計算高くてずる賢い魅音にも見かけによらない一面があるってことになる。………………。
「じゃあ何だよ。あの魅音も見かけによらず、実はいいヤツだって言いたいのかよ。」
「魅ぃちゃんはいい人だよ?」
「あ、まー、そりゃそうだけどさ! そういう意味じゃなくてその…。」
「圭一くんの言いたい意味、うんうん。わかるよ〜。」
俺が自分の言いたいことを上手に表現できずに言葉を詰まらせると、レナはそれを察したのか、一層明るく笑った。
「わかるって、何がだよ。」
「魅ぃちゃんって不思議でしょ。女の子なんだけど、男の子みたいって言うか。」
そうだな。…魅音が女であることは充分承知しているが、確かにレナの言うとおりだ。
魅音と盛り上がっている時は、男女として盛り上がっているというよりは、同性の気心の知れた友人と盛り上がっている感覚だ。
「あいつが男だったら…、きっと意気投合するだろうなー。ってそりゃ今と同じか。あははは!」
「でもね。そんな魅ぃちゃんも、…本当はすっごく女の子らしいんだよ。」
「……レナ。お前、魅音にいくらもらったんだよ。」
「ちーがーうーの〜! もー、ちゃんとした話をしてるんだよ。だよ?」
茶化すタイミングではなかったらしいな。レナが口を尖らせる。
「魅ぃちゃんは部活の部長さんだから、みんなのリーダーとして頑張ってるけど。…本当はとっても可愛い女の子なんだよ。それ、特に圭一くんには忘れてほしくないなぁ…。」
……レナの眼は少し遠くて、魅音のさらに向こうを見るような、そんな感じだった。
俺がエンジェルモートというファミレスで出会った魅音は、およそ普段の魅音からは想像もつかない雰囲気だった。
慣れない仕事におたおたとして戸惑って。自信満々で不得手はないと豪語する魅音のそれとは遠くかけ離れていた。
俺が空腹で死にそうだと嘆いていたら、バイトに急いで行かなきゃならないのに、わざわざ俺のために弁当を作ってくれた。…そして魅音として届けに来ないで、詩音として届けに来た。
詩音って魅音の何なんだろう…。…魅音ってのは一体、どういうヤツなんだろう…。
「多分、圭一くんには想像付かないと思うな。思うな!…くすくす!」
内緒だよ、と言って指を唇に当てレナはくすくすと笑う。
魅音はようやく先生のお説教から解放されたらしく、照れ隠しに頭をかきながら席に戻ってきた。
「ちぇー! おじさんはね、人生に必要な勉強は小学校までで充分だと思ってんだよ。」
そう言って、乱暴そうに腰を下ろす。
そんな魅ぃちゃんも、本当はすっごく女の子らしいんだよ、か。
詩音にもう一度会えないかな。
…ちょっと話をしてみたい、そう思った。
カラーンカラーン!!
校長先生が振る、チャイム代わりの振鈴だ。
先生が慌てて黒板前に戻ると、各人の宿題について書き始める。
「わー。今日は宿題が結構出そうだね。がんばらないと!」
「じゃあさ。……レナも、ってことか?」
「え? 何がかな?」
「人は見かけによらないって話。レナも、ってことになるのか?」
「え? あははははは……。圭一くんには…レナのこと…どう見える、かな? かな?」
俺の知っている竜宮レナという少女は…ときどき悪ふざけが過ぎるけど、基本的におしとやかで親切でやさしい…理想的な女の子だ。
「ホントに? ホントに…? だったら……うれうれ……うれしいかな…。」
それが見かけで、本当は逆なのだとしたら…?
「……逆なのだとしたら…?」
「…………………………。」
試しに言ってみてよ、怒らないから。……そう言われたように感じた。
「………………レナは……、」
「うん。レナは…?」
「…ぎゃ、……逆になっても、レナだよ。……だろ?」
こんなにも緊張して応えるような問いかけではなかったはずなのに。
…それとも、当の本人に、じーっと瞳を覗き込まれているからなのか。
たったそれだけを口に出すのに、妙な苦労があった。
「ず、…ずるいなぁ、圭一くん。そんな言い方されちゃったら…気になっちゃうよ〜…はぅ!!」
レナは俺の無言に耐えられなかったのか、勝手に顔から火を噴いている。
「レナぁ〜! 圭ちゃ〜ん!! 帰ろ帰ろ!!」
魅音が帰り支度をしてやって来た。
学校が終わるとこいつ、一際元気になるよな。
■放課後
いつもののんびりとした帰り道だった。
何気なくポケットをまさぐり、あるはずのものがないのに気付く。
「どうしたの圭ちゃん。」
「…いつも持ってるはずの家のカギがないんだよ。…まいったな、どこにやっちゃったかな…。…親はいるから今日はいいけど、…まずいよなぁ。」
「それは困るね…。忘れてきたの? それとも落としちゃったのかな?」
どっちだろう?
そもそも、朝から俺、カギを持ってたっけ? ……あれ? あれ?
「圭ちゃん、そのカギの特徴は?」
「ん、キーホルダーが付いてる。昔、夏休みの宿題で作らされたヤツで、青いオットセイなんだよ。」
「あれ?……………目をつぶった感じで、お昼寝してるみたいなヤツ?」
「お、何で知ってるんだよ! そうそう、それだよ!」
魅音は、あぁ…あれか…、と遠い目をしながらつぶやく。
「えっと…さ。一昨日、圭ちゃん、エンジェルモートに食事に行ったでしょ? その晩さ、お店でカギの落し物があったんだよ。それにオットセイのキーホルダーが付いてた。」
と言ってから、突然慌てふためき、そう詩音が言ってたよと付け加えた。
「えー…?! あの時に落としちゃったのか…。」
「あははは、でも見つかってよかったね! お店がきっと預かってくれてるよ。」
「そうだね。行ってみなよ。詩音の顔、私と同じだからわかるでしょ?」
これは…意外な展開になってしまった。…再び、詩音に会いに行かなくてはならなくなるとは…。
でも昨日の弁当のお礼もある。
それに、詩音というもう一人の魅音ともう少しゆっくり話をしてみるのも面白いかな…なんて思い始めてたところだし…。
「そうだなぁ。エンジェルモート、だっけ? 詩音の店に行ってカギを返してもらって。ついでにお茶でも飲んで優雅に過ごすってのも悪くないなぁ。」
「あはははは! 何だか英国紳士みたいだねぇ。圭ちゃんには似合わないかも!」
「ひょっとしてそのお店かな? 魅ぃちゃんの妹の働いてるお店は。」
「あぁ。何ならレナも一緒に行くか?」
「ちょっと残念だけど…、今日はお父さんと約束があるから。またの機会にするね。」
レナはせっかくの機会なのになぁ…と残念そうだった。
「双子だそうだけど、そんなにそっくりなのかな? 間違えるくらい?」
「あぁそっくりだ。外見だけはそっくりだ。…中身は魅音と違ってお淑やかで実に可愛らしいのになー。」
そう茶化すと魅音は口を膨らませて反論した。
…魅音のちょっぴりの茶番に思わず噴き出してしまう。
そっくりも何も、本人なんだから。
帰宅後、適当な服に着替えるとガレージに向かい、自転車を引っ張り出す。
また詩音に会えるかと思うと、何だか不思議な気持ちだった。
詩音という名の、いつもとは違う魅音。
…本人は騙せてると思っている、何だか滑稽な不思議な存在。
…何となく上機嫌でペダルを漕いでいる自分に気付く。
ひょっとして俺、詩音に会えるのを楽しみに思ってるのかな…?
知り合ったばかりの新しい友達の家に初めて向かうような、新鮮な緊張感。
レナの、魅ぃちゃんも本当はすっごく女の子らしいんだよ、という言葉が蘇る。
魅音の別の一面を覗き見してるようなやましさと、そんな一面を自分だけが知っているという照れる感情が入り混じっていた。
あれは詩音なんだ。魅音の双子の妹の。
……本人が自分を魅音だと名乗るまでは、詩音でいいんだよな。
魅音だって異なる自分を演じて、結構楽しんでるつもりなのかもしれない。
急な坂を一気に越えると視界が開ける。もうそこは駅前だった。
■不良にからまれる
以前に来た時は親父と一緒だから恥ずかしさはなかったけど、今度は一人で行くとなると…なんだか妙な恥ずかしさがある。
詩音に会って、カギを返してもらう。それだけの仕事のはずなんだけどな…。
こうしてうろうろしてる内に、バイトに出勤してきた詩音が見つけてくれないだろうか。
……おいおい、何をやってるんだよ前原圭一!
俺はただカギを取りに来ただけなんだぞ?
別にラブレターを渡しに来た小学生ってわけじゃないだぞ?!
あぁ…自分の頭の中の考えが、どういうわけかどんどん泥沼な方向に〜…。
俺って浮かれてるんだなと実感した。
だから…ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ浮かれすぎて。
…不可解な行動をしてしまった。
歩道を塞ぐように停めてあったバイクをえい!と蹴っ飛ばしてしまったのだ。
確かに邪魔だったが、蹴る必要なんかまったくなかった。…本当に浮かれてたんだと思う。
ガシャ、ドガ、
ガターーーーン…!!
3台まとめてバタンバタンと将棋倒しになり、凄い音を立てて初めて我に返った。
「……あ、…やば……、」
「ンにすんだンの野郎ぉおおおぉおッ!!!」
…その3台のバイクの持ち主はすぐそこにいた。
見るからに目つきの悪い、文字通りごろつきと形容するのが相応しかった。
恐ろしい形相で目を吊り上げ、聞いたこともないような怒声をあげる…!
3人が踵を踏み潰した浅い靴をべたべたと言わせながら迫ってくるのを、どこか遠い世界の出来事のように呆然と見てしまう…。
気付いた時には、襟首を捻り上げられ、つま先立ちにされていた。
「すっとろけてンじゃねやぁあぁあッ!! おぁしたるぁ?! おああぁああッ?!」
ごろつきの3人は、日本語としては文法のまったく成立しない、だけれど相手を充分に威圧して震え上がらせる言葉を次々に吐き出す。
…そんな風に乾いた冷静さが心の内にあるにも関わらず…足はかくんと力が抜け、喉の奥もひりつくように乾いてしまっている。
「す、すみません…、つつ、つ、つい…、」
「ついじゃねぇだろ、おあぁッ?! 蹴ったゃねえかよボケぇえぇえッ!!」
一方的にこっちが悪いので、何も言い返すことなどできない。
…それが結果として向こうを付け上がらせているのだが…。
「ンだちくしょぉおぉおおぉッ!! 塗装剥げたじゃねえかよぉおおぉッ!!!」
「おぅ餓鬼ぃッ!! せがンとしたぁンないするつもりじゃあああぁあぁッ!」
「悪ぃのはてめぇなンだぞこんにゃろぉおおぉおッ!!」
3人が次々とわめき立てる。個々が何を言っているかなどさっぱりわからない。
呆然とそれを聞いているしかない自分にさらに腹を立てたのか、近くの商店の空のビールケースを掴み上げ、電信柱に何度も何度も打ち付け始めた。
ケースにひびが入り、プラスチックの欠片を飛ばす。そしてそれをシャッターに思い切り叩き付けた。
バシャアーーーン!!!
シャッターがものすごい音を立てて悲鳴をあげる。
それでも飽き足りないのか、空き缶入れをひっくり返し、中身を往来にぶちまけていた…。
…と、とても普通じゃない…。
テレビや漫画でよく見る蛮行が、現実にはこれほど恐ろしいものだったとは……。
文明社会の安全がモラルという、あまりにも脆弱なものに支えられていることをこの瞬間、痛感する。
カクカクと膝が笑い出す。視界も何だかノイズ混じりだ…。
…何という、絶対的な恐怖。
この眼前の、暴力という絶対的な恐怖を阻止する手段が自分に何もないなんて。
助けてくれる何かをただ待つしかないなんて…。
…これほどの恐怖はないはずだ…。
誰か…助けてくれないかな…。……視線が自然と周りへ泳ぐ。
…こんな見るからにガラの悪そうな3人に絡まれているのだ。
仲介しようとする勇気ある通行人などいるわけもない。
ある意味…自業自得かもしれない。
…俺だって通行人の立場だったら…きっと無視するに違いないんだから。
だからこれはそんな俺への天罰なんだ…。
「黙ってンなごらぁああぁああッ!!! しゃあっすぞおらぁッ!!!」
鼓膜がびりびりするくらいの怒声が目の鼻の先から浴びせられた。
やや薄れかけた意識を無理やり元に戻させられる。
ごろつきが余ったもう片方の手を後ろに回し、嫌な感じで体をひねった時、鼻の上あたりに突然、鉄の味を感じた。
電気のような悪寒も脊髄を駆け抜ける。
…次の瞬間を予見し、力の限りぐっと目をつぶり歯を食いしばった…ッ!!!
「やかましいよクソボケ共が…。私の目の黒い内に失せな。」
……その声は少し遠かった。
俺の襟首を掴んだまま、3人は後ろへ振り返る。
「…ンだてめぇええぇッ!!!」
そこには詩音がいた。…いや、魅音だった。……これまでに一度も見たことのないような…恐ろしい形相で立ちはだかっていた。
部活の時にする遊びの目じゃない。
……見る者を恐れさせずにはいられない、鷹の目だ。
…それはとてつもなく恐ろしく…同時にこれ以上ないくらいに頼もしかった。
「もう一度だけ言うよ。…圭ちゃん離してとっとと失せな。」
魅音はまるで恐れる様子もなく、挑戦的な言葉を並べていく。
もちろん3人が怒り狂わないわけがない。
あっという間に一指即発の険悪な空気で満たされていく。
「クソ女がぁあぁぁあぁああ!!! ッくぞンにゃろぉおおおぉおお!!」
やめろ魅音…、こいつらは狂犬みたいなヤツらだぞ! はったりも何も通用しない!
「………み、魅音……、危ないから……早く……、」
情けないことを言っているのはわかっていた。…だが…魅音まで巻き込まれることはない…!
誰がどう見たって、魅音が虚勢を張っているようにしか見えなかったはずだ。
…しかし、あの魅音に限って虚勢などあるだろうか。
しかし…その理由は次第にわかるようになる。
……増えているのだ。少しずつ。
始めは帰宅途中のサラリーマンが見物しているように見えた。
次に、買い物帰りの主婦たちが見物しているように見えた。
…次の、どこかのお店の主人みたいなおじさんが現れるころには……明らかに見物とは違う雰囲気になっていた。
魅音の周りには…すでに7人くらいの人たちがいた。
仲間が応援にやって来たというのとはまったく雰囲気が異なった。
…なぜなら、あまりに集まってきた人たちの世代や性別がバラバラだったからだ。
3人も、何だかおかしい状況に少しずつ気が付き始めたようだった。
「な、何だこいつら………!!」
後ろにも、いつの間にか4人くらいの、世代も服装もバラバラの人たちが立っていた。
中学生くらいの女の子。
パン屋のエプロンを付けたおじさん。
割烹着姿のお婆さん。
……他にも他にも…様々な年齢の人たちが。
眼差しには…魅音に勝るとも劣らない…敵意。威嚇。
気付けば10人を越える人々が、その輪で囲んでいた。
そこへさらにバラバラと5人くらいの小学生たちが駆けつけ、同じ様に輪に加わる。
……何人かは見知った顔。クラスメートも混じっていた。
……じゃあこの人たちは…雛見沢の住人だ?!
雛見沢の人たちが、次々に駆けつけているのだ。
…興宮の町の住人たちは、足早に通り過ぎていくからその差は一層顕著だ。
「んだ、お前らッ!! 散らんかぃこらァ!!」
いつの間にか…20人くらいの人間が取り囲んでいる。
……完全に飲み込まれ、ごろつきたちの顔に焦りが浮かび始めていた…。
魅音も含め、誰も言葉を発しない。
それはとてつもなく異常で、見ようによってはとてつもなく…恐ろしい光景だった。
……ごろつきたちの声だけがまるで悲鳴のように響き渡っていく。
誰かが一歩、その間合いを詰めた。
…するとみんなも同じように一歩詰め寄り、その輪を縮めた。
ごろつきたちは顔面蒼白で、互いに背中をくっ付け合いながら、怒鳴り続けている。
口汚い言葉を連呼しているはずなのだが、なぜか「助けてくれ」と言っているように聞こえないこともなかった…。
「ハイハイハイハイ、どうしたのかなぁ、どうしたのかなぁ!!」
突然だった。がっちりした体格の警官が輪を割って入ってきた。
いつの間にかパトカーが2台もやって来ていた。通行人の誰かが通報してくれたに違いない。
2台目のパトカーからも次々と体格のいい警官が現れ、どかどかと駆けつけた。
「…あ、お巡りさん、いいところに来ました! 恐喝の現行犯です。捕まえてください。」
「ンだごらぁあぁああぁッ!!! ンのガキが悪ぃんだろぉおぉ!!」
いつもの魅音に戻り、しれっとした態度で警官にごろつきたちを示す。
もちろん逆上するごろつきたち。
だが、もうこうなってしまってはどうにもならない。
こいつらの負けだ。
「わかったからわかったから!! ちょっとおいで。いいからいいからッ!!」
警官が右に左に組み付き、羽交い絞めにしながらパトカーの方へ引きずっていく。
「ンだよ離せよ!! 俺らが被害者なンだよ、聞いてんのか畜生ぉぉおおぉッ!!」
どんなに騒いでも警官にはかなわない。
瞬く間にパトカー2台に詰め込まれてしまう。
パトカーの中でまだ怒鳴り続けているようだったが、もう何を言っているかはよく聞こえなかった。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
刑事だろうか。警官たちのリーダー格が俺の顔を覗き込む。
「……いえ、……別に。」
「んっふっふっふ! それは不幸中の幸いでした。では、良いお年を。」
でっぷりしたその男は周りを見渡し、集まってくれた人々に軽く一礼した。
「市民の皆さんの迅速な通報に感謝します。住民の皆さんの連帯のお陰で、今日も町の平穏が保たれています。素晴らしいことです。…んっふっふっふ!」
「…………お仕事ご苦労さまです、大石刑事殿。住民を代表して日頃の公務に感謝いたします。
一課の刑事がわざわざこんな所までお出で下さるとは光栄の極みです。」
…詩音の言い方はどこか鬱で、何だかあまりいい雰囲気の言い方ではなかった。
「偶然ですよ。県警の帰り道に無線連絡が入りましてね。寄り道したわけです。」
「お仕事がんばってください。今後のご活躍を切に祈っております。」
「んっふっふっふ! いえいえ。でも怪我人が出なくて本当に良かったです。」
「大石さ〜ん! OKっす! 行きましょうー!」
「ではでは、良いお年を。………失礼、道を開けてもらえますかな?」
大石と呼ばれた刑事は愛想良く笑って挨拶した後、のっしのっしと歩いて行き、待っていたパトカーに乗り込む。
すぐに走り出し、街道の向こうに消えて行った。
あっという間だった。
……あまりにあっという間だったので、ポカンとしてしまう。
警官は何があったかを尋ねすらしなかった。
…この集団を解散させるために、迅速にその芽を摘み取った、そんな感じだった。
パトカーが消え去ったことを確認すると、魅音がパチンと指を鳴らした。
「おっしゃ! 一丁あがりだね!! おととい来やがれってーの!」
それが合図だった。みんなが一斉に笑い出し、緊張していた空気が弛緩する。
中年のおじさんが俺を起こしてくれた。
「大丈夫かい、前原の坊や。今度からは喧嘩は相手を選んでやりな〜。」
「べ、別に喧嘩ってわけじゃ…。」
「怪我とかしてない? 頭とかぶつけてるならレントゲンを撮っておいた方がいいわよ。」
名も知らないおばさんが俺の怪我を気遣ってくれた。
「たまたま駅前で、人通りの多い時間だったからこれだけ集まれたけど。次からは気をつけるんだよ…! 最近の町モンは物騒なんだから! ブツブツ!」
割烹着のお婆さんにも注意される。
詩音は散っていく人たちと手を叩いたりして戦果を称えあった後、俺のところへ駆け寄ってきた。
「いやいや…圭ちゃんもやるじゃない? でも私も相手を選んだ方がいいと思いますけどねー。」
「サ、サンキューな魅音…。…助かったよ。」
「……だから私、詩音…。」
困ったような顔をしながら真っ赤になって俯く詩音…。
「お姉に聞いてますよ。オットセイのカギ、あれ圭ちゃんのですって?」
「あ、……うん、そうだった。…これからお店に行こうとしてたんだった。」
「それで浮かれてて、あんなヘンなのに絡まれちゃってたんですかー?」
今度は俺の顔が真っ赤になる。
…ず、図星だったが…実に認めたくない。
「まぁその……ツイてなかったよ。でも詩音のお陰で助かった。」
「お礼はいらないですよ。だから、圭ちゃんも他の人がいじめられてるのを見付けたら、きっと助けてあげて下さい。…私たち、そういうのとても大切にするから。」
そういう仲間意識はよくわかる。
…だが、さっきのは、…助けておいてもらって何だが、少し常軌を逸してたように感じた。
助けてもらって悪いが、正直なところ怖かったぐらいだ…。
「……………お店、来ますよね? 疲れちゃっただろうから一服しません? おごりますよ。」
…俺の瞳に浮かんだ怪訝な色を気取ったらしい。
詩音は俺の返事を待たずに、歩き始めていた。
■4日目アイキャッチ
■エンジェルモートにて
店内の涼しい空気に冷やされ少しずつ緊張が覚めてきた。
体のあちこちが少し痛むのは、きっと緊張してガチガチだったからだろう。
お店の制服に着替えた詩音がアイスコーヒーを2つ持ってやって来た。
「ハイこれ、おごりのアイスコーヒー。レジでこのチケット渡せば無料になりますからね。」
…何から何まで、本当に申し訳ない…。でもせっかくなので頂くことにする。
せっかく気分のいい一日だったのに…浮かれてあんなことをしてしまったばかりに。…台無しにしてしまった。
「でも本当にさ、……さっきのは助かったよ。詩音が本当に頼もしく見えた。」
「私だって怖かったですよ。でも、他ならぬ圭ちゃんのピンチだし……。
勇気出して頑張りましたってことです。」
そういってちょっとはにかみながら、腕をぐっと立てて見せた。
「詩音、本当にありがとうな…。」
…俺、詩音にありがとうって言ってるけど。…本当は魅音にありがとうって言いたいんだからな。…魅音、本当にありがとうな…。
「ほらほら、もう元気出して下さいよ。もしも恩義を感じるなら、今度は圭ちゃんが他の誰かの為に戦ってくださいね。……例えば私がピンチになったら。きっと助けに来て下さいよ。」
「あ、…あぁ、もちろんだ。約束する。」
「あはははは! 絶対ですからね!」
詩音は揚げ足でも取るかのように、俺の約束するという言葉を嬉しがった。
「ピンチになったら圭ちゃんが助けに来てくれるのか〜! 早くピンチにならないかな〜☆ …………あ、やっと笑ってくれた。」
そう言って詩音は微笑みながら、俺の緩んだ頬を突っついた。
「元気のない圭ちゃんなんて偽者もいいとこです。ほら笑って笑って〜!」
「くく、くすぐったいってば…! や、やめ、わはわはははは…!!」
詩音にちょっかいを出されている内に、ようやく元気を取り戻してきた。
さっきの一件で強張っていた全身の筋肉がようやく、緊張を解き始める…。
「元気出たらお腹とか空いてこないです? 私、お腹空いちゃいましたからホットケーキとか食べたいんですけど。圭ちゃんも食べます?」
遠慮しようかと思ったが、遠慮なんてそれこそ俺らしくない。だからこそ遠慮なく言ってやった。
「うまいんだろうなぁ? 俺、ホットケーキはかなりうるさいぜ。」
「あはははは! 安心してください。うちのホットケーキはかなり評判いいですから。」
詩音は通りすがったウェイトレスさんにホットケーキを注文する。
店員さんが店員さんに注文するってのも何だか変な話だな…。
…おいおい、そう言えば詩音、今バイト中じゃないのか? 俺とずっと話をして油を売ってていいのかよ。
「叔父さんにね、私が不良に絡まれてるところを圭ちゃんが助けてくれた、って言ったら、ねぎらってあげろって☆ だから店長公認でOKです。」
「そ、それ事実と正反対だぞ…。いいのかなぁ…!」
「全然いいのです。…あはははははははは!」
注文のホットケーキが来る頃には、すっかり打ち解けた雰囲気で会話をしていた。
二人でホットケーキを食べながら、他愛のない話に花を咲かせる。
…テレビの話とか芸能人の話とか。
趣味とか食べ物とか。本当に他愛のない話を。
こうして話をしながら、俺は改めてこの詩音のことを女の子なんだなぁと思った。
…おいおい、それはおかしいぞ前原圭一。
詩音と魅音は同じ人間だぞ。
違う点があるとすれば…魅音が、魅音であることを認めているか否かという点だけのはずだ。
にもかかわらず、どうしてここまで違う会話になるのだろう?
「圭ちゃんって、お姉のこと、女だと思ってないでしょ〜。」
「そ、そんなことはないよ。男だったら容赦なくどつき倒してる!」
「圭ちゃんとお姉が仲が良いのって、そういうノンセクシャルな関係にあるって思うんです。……それってなかなかできない、羨ましい関係ですよ?」
「………言ってる意味がよくわかんないが…。まぁ確かに女にしとくにはもったいないヤツだよな。」
「あ〜、圭ちゃんそれ男女差別ですよー! あははははは!」
差別という言葉を聞いて、自分の胸を探る。
俺は魅音と詩音に、何を差別しているんだろう?
魅音は魅音。
遠慮なんかいらない最高の親友で、いつも俺より3枚は上手の部活の部長だ。
こいつとの出会いがあと5年早かったら、…俺の人生は今よりもっと楽しいものだったことを信じて疑わない。
じゃあ詩音は?
…魅音の妹というだけで、会ってまだ3日も経たない。姉を知っているという間接的な縁だけの、魅音より遥かに遠い関係だ。
詩音もまた、俺と同じく、会ってまだ3日も経たない姉の友人として接している。
…魅音と詩音の違い?…親しさ? 馴れ馴れしさ?
…自分でもよくわからない思考に翻弄され、しばらくの間、耳には詩音の言葉が届いていなかった。
「例えばですよ? 聞いてます?」
「あ、ごめん。うん、聞いてるよ。」
「例えばですよ? 私とお姉が共にピンチで、うん! 崖にぶら下がってるとします。圭ちゃんはどっちを助けます? どっちかひとりだけですよ。」
いじわるな言い方じゃなく、楽しいちょっとしたゲームのような言い方だ。
「い、嫌な問題だなぁ…! どっちも助けたいけど…それじゃダメなんだろ?」
「ダメです。詩音か魅音のどっちかだけです。どっちですか?」
……魅音ならそもそも、そんなピンチには陥らないと思うし、その程度の窮地はらくらく脱出できるように思う。
……でも詩音は普通のか弱い女の子なんだろ? やっぱり…仕方ないよな。
「お姉じゃないですよねぇ?」
魅音と詩音が別人だとしら…やはりそうなるのだろうか。
否定も肯定もできなかった。
…微笑んでいるはずなのに、視線がちくりと刺さる。
「つまりー、そういうことなんですよ。お姉はそのつまり………。……あれ、……えへへへへへ! すみません、何か自分で言ってて破綻しちゃいました。」
詩音はさも楽しい話をするように話すが、俺にはただそれだけには聞こえなかった。
魅音は、詩音を通して俺に何かを伝えようとしているのだろうか…?
それを明確に捉えられない自分が、何だか歯痒かった。
詩音は照れ隠しに、話題を180度反転させる。
「それよりもさっきのあれ。……驚きましたか? みんながどんどん集まってきて。」
「そりゃー驚いたよ! レナや沙都子が駆けつけてくれるならともかく。あんなに老若男女がいろいろと集まってくるんだからな。………あれ全部、雛見沢の人なんだろ?」
「えぇそうです。雛見沢の人はみんな結束してるんですよ。一人の敵は全員の敵。日和見なんか誰もしません。……えへへ、結構頼もしい住民性なんですよ。」
「…誰かがいじめられたら、みんなで結束してやっつけるわけか。何だかマフィアとかヤクザみたいな結束だな!」
「そんなこと言っちゃだめですよ。とてもありがたいことなんですから。圭ちゃんもそれに助けられたんですよ? 感謝の気持ちを忘れないように〜!」
ヘイヘイと返事をする。
でも感謝しなくちゃいけないのはよくわかってる。
「雛見沢の人たちって本当に仲が良くて…結束してるんだな。」
「…昔からの伝統かな? 雛見沢って昔っからいろいろと廃村の危機に遭うんですよね。その度に結束して戦って存続を勝ち取ってきたっていう歴史があるんですよ。
例えば〜………圭ちゃん、雛見沢ダム計画って知ってます?」
雛見沢ダム計画?
…………はて、誰かに聞いたことがあるようなないような。
「10年くらい前にね、突然ここにダムが出来て、雛見沢がまるごと水没するって話になったんですよ。」
「あ、…そんな話、親父かなんかに聞いたことがあるような…。でもそれって確か中止になったんだろ?」
「中止にさせたんですよ。みんなで団結して! だからこれは戦って勝ち取った勝利なんです。」
俺が聞いた話もそんな感じだったと思う。
住民運動が激化して、新聞や雑誌でも取り上げられて。……その末、計画凍結になったらしい。
「ダムの話そのものは私が生まれる前からあったらしいんです。最初は候補地調査とか砂防のための小さいダムとか、そんな程度の話だったんですよ。」
それが、蓋を開けてみれば…。
完成すれば日本屈指の巨大ダムの計画で、雛見沢どころかさらに上流までの様々な村が水没することになってしまった。
住民運動が直ちに始まった。
計画の中止、または移転を求めて嘆願書を書き、議会に提出。
さらにははるばる東京の建設省まで行き、建設大臣宛てに直訴状を手渡した。
国の用地買収に応じていた元の地権者は、用地使用の説明の際に虚偽があったとして買収の無効を求めて提訴。未買収の土地を細分化して地権者を増大させ、計画の妨害を図った。
「土地の買収なんてゆー、お金の問題の内は可愛かったんです。その内、土地の強制収用をちらつかせる様になりましてね。その頃からです。機動隊とかの暴力行為が目立ち始めたのは。」
「機動隊って…警察だろ? 暴力行為なんてするのかよ?!」
「殴りますよ。蹴りますよ! 私も殴られたことありますし。この辺だったかな? 皮が切れちゃったみたいで血がすごい出ました。」
そう言って、詩音は側頭部の辺りをちょんちょんと突っついて見せた。
「け、警察とかには?」
機動隊という警察の蛮行を警察に訴えるというのも何だかおかしな話だった。
もちろん取り合ってもらえるわけがない。
機動隊の誰に殴られたか立証できないし、向こうには公務執行妨害罪という免罪符がある。
「うちの婆っちゃ、烈火の如く怒り狂いましてね。それからが凄かった! もう全面戦争ですよ。こっちも座り込みで訴えるなんて生っちょろいことなんかしません。ガンガン攻めました。」
まず法に訴えるため、ダム建設の中止の仮処分を裁判所に申請。
世論を味方に付けるため、著名な学者を呼び、雛見沢がいかに貴重な動植物の宝庫であるかを訴えさせた。
県議会、市議会にも強力に働きかけ、地域住民を無視したダム建設を容認した県知事の罷免を要求。徹底的に糾弾した。
もちろん雛見沢においても、ダム戦争と呼ぶに相応しい熾烈な闘争が開始された。
機動隊の蛮行を封じるため民放と連携し、機動隊員の暴力行為をすっぱ抜いた。
さらに続けて住民闘争を踏みにじる政府をテーマに特番を組ませ、全国に放映させた。効果はてきめん。以来、機動隊の完全な封殺に成功する。
連日のように署名活動やデモ、街宣等で運動をアピールする。
支援の輪は次第に雛見沢から広がっていき……………、それらが実ったのか、それともこれも国の都合によるものなのか。ダム計画を無期限に凍結すると発表したのが、つい数年前であった。
「私たちに出来ることなら何でもしました。…村全部が一丸になって戦ったんです。あの時は必死だったけど…、終わった今となってはいい思い出かな。……村人たちの連帯感や団結心は今でも消えていないんです。」
詩音はそういって遠い目をした。
その目には憂いはなく、むしろ誇りのようなものすら感じさせる。
「そういう連帯感って…いいよな。なかなかないことだよ。世代を超えて地域で団結できるなんて。」
「私もそう思います。ダム計画は試練だったけど、それを乗り越えて得たものはとても大きいと思いますよ。」
……さっきまで怖いと思ってたことがだんだんと薄れていく。
ごろつきに絡まれていた時、人がどんどん集まってくるのを見て、怖いと思ってしまった。
…だが今、それはとても失礼なことだったと心底思う。
自分たちの故郷を決死の覚悟で守りぬいた村人たち。そこで培われた連帯感。
……こんなことを言ったら不謹慎だろうが、…ちょっぴりうらやましく感じた。
俺もそのダム反対運動の時に雛見沢にいたなら、その連帯感を共有できたかもしれない。
「圭ちゃんは反対運動の時、雛見沢にいなかったから、村人たちの連帯感を実感できないかもしれないけど。…みんなにはあるの。しっかりと。それは例え引っ越してきたばかりの圭ちゃんに対してもね。」
…まったくその通りだ。
引っ越してきたばかりの俺の為に、あれだけの人が助けに集まってきてくれた。…名前すら知らないはずの他人のはずなのに。
……なんだか胸の奥に熱いものがこみ上げるのを感じた。
都会に住んでいた時、お隣やお向かいに住んでいる人のことなんか知ったことじゃなかった。そしてそれを当然と思っていた。でも……ここではそれこそ非常識な、情けないことなのだ。
俺は他人だと思ってるのに……俺以外の村人は俺を仲間だと思ってくれた。
嬉しくって熱くって…。そんなじんわりとしたものがこみ上げてくるのをひしひしと感じていた。
「園崎さ〜ん。店長がホール入ってほしいそうです。」
先輩ウェイトレスが手を振って詩音を呼んでいた。…どうやらもう仕事の時間みたいだ。
「あ、はーい! 今入りま〜す! すみません。もう仕事しないとまずいみたいです。」
「いいよいいよ。付き合ってくれてありがとな。楽しかったよ。」
「………あ、…帰っちゃいます?」
「まぁな。メシの時間には戻らないとお袋がうるさいし。」
詩音は何か言いたそうだったが、ぐっと飲み込んだ。まだ話し足りない、そんな感じだった。
その表情を見て、魅音を失望させるようなことを言ってしまったな…と後悔した。
もうちょっとくらいなら大丈夫かな、と言おうとした矢先に詩音が席を立った。
「ハイこれ。このチケットで払えばホットケーキ代も大丈夫ですから。」
そう言いながら、チケット帳を見せびらかし、その何枚かをちぎって渡してくれた。
「便利でしょ。お給料のほかにもらえるボーナスチケットなんですよ。」
「い、いいよ。ホットケーキ代くらい払えるよ。」
「おやおや〜。遠慮するなんて圭ちゃんらしくないですよ? 私がお姉だったら喜んでおごられるクセに〜!」
そう言って笑いながら、俺が開こうとした財布をそっと制した。
こんなにも弾むような笑顔で言われてるのに、何だかちくりとする。
「園崎さ〜んすみませ〜ん、レジ入ってくださ〜い!」
「あ、ハイ! 今すぐ…!」
じゃ! 今日は楽しかったです。そう言って詩音は最後にもう一度笑って見せた。
「あ、魅音! 今日は本当にありがとうな。この恩は忘れないよ。」
「そう思うならきっと返して下さい。楽しみにしてますから…!」
言ってしまってから、間違って魅音と言ってしまったことに気付く。
その間違いに彼女が気付いていたかどうかは、わからなかった。
■自宅に電話
夕食後はだらだらとテレビを見て過ごすのが日課だ。
一見、無駄な時間を過ごしていそうに見えるが、政経から雑学、エトセトラに至るまでの様々な情報を吸収するとても大切な時間と言えるだろう。
食後の、もっとも脳に栄養が行き渡り冴えわたるこの貴重な時間を有意義に過ごす。
「バカバカ! 東京タワーの方が高いに決まってるだろ!! あ〜〜!!」
今日は毎週欠かさず見ているクイズ番組で日頃蓄えた雑学をテストする。
こうしてテレビの前にいる分には結構正解できるんだけどなぁ。…これが実際の会場だったなら、あがりまくって惨敗してしまうのだろうか。
「圭一〜。園崎さんから電話よ。」
「あいよー。……園崎? 魅音か!」
電話にしちゃちょっと遅い時間だよな。…嫌な予感がするぞ。部活に関係した電話の気がする。
明日の部活に関する何かの告知だろうか。
…何しろ魅音だぞ。
今から部活だからすぐ来いくらいのことは言うかもしれない。ちなみに今は夜の8時だ。
「もしもし。今から部活の夜戦ってのは却下だぞ!」
「え?!……じゃなくて…その……、」
魅音なんだけど魅音らしからぬ言い方。
……あれ、まさかひょっとして…?
「ご、ごめん。ひょっとして魅音じゃなくて、…詩音か?」
「そうです。…えーと…どうもこんばんは。夜分遅くにすみません。」
魅音だったらあまりに不似合いな丁寧な口調。だけど詩音だったらそれはごく自然な口調。
…どっちも同じ人間なのにな。
苦笑いしながら、この不思議な感覚を楽しむことにする。
「いや、別にいいよ。それより何の用だい?」
「圭ちゃんはケーキとかデザートとか…甘い物は好きですか?」
嫌いなわけない。天下御免の食い盛りだ!
「ならよかったです。実はですね、夏の新デザートコンテストってのがありまして。」
なんでも、季節毎にデザートメニューを一新するんだと言う。
それでデザート候補の味見のモニターを抽選で募集しているらしい。
「エンジェルモートのデザートはかなり評判いいんですよ。モニターの募集もかなり倍率高いんです。……それで単刀直入な話、じゃ〜ん☆」
「じゃ〜んと言われても…見えないからわからないけど、ひょっとして…。」
「そうです。そのモニターチケットがここにあるってわけです。もしも甘い物が嫌いじゃないなら、いかがですか?」
「いかがですかって、つまり何だよ。そのチケットで俺が新デザートを食い放題と、そういうわけなのか?!」
昔からうまい話には飛びつくなと言うが…、本当に美味い話だと飛びつかずにはいられない。
デザートを無料で食い放題なんて幸運、ちょっとないぞ!
「OKなら、モニター当選者の末番に名前を書いておきますね。明日、お店に来たら係の者に名前を言ってください。それで万事OKですから。」
「万事OKって……それで、食べ放題なのか?! 無料なのか?!」
「えぇ、無料です。結構ありますから、お腹を空かせてくることをお薦めします。」
何だかおいしい話過ぎて怖いくらいだ。
…本当に詩音だよな?
魅音が詩音のふりをして何かのワナにはめようとしてるんじゃないだろうな…?
って、何言ってんだ俺…。どっちも同一人物なのに。
「ハイハイ。圭ちゃんの考えてることはわかってますよー。こんなおいしい話があるわけないって思ってるんでしょ?」
「ぎく。いやそんなことは全然………。」
「ぷ! くっくっく……。お姉から聞いてますけど…つくづくウソのつけない人なんですね。私、そういうの嫌いじゃないです。…くっくっく!」
詩音は、よく魅音が笑うみたいな声でしばらく笑い転げていた。
「…下心ってわけじゃないんですけど…。実は私、明日はちょっとバイトしたらすぐに終わりなんです。……もしもご迷惑じゃなかったら…その後、ちょっとご一緒してもらってもいいかな…って思いまして。」
「へぇ…、明日のバイトはすぐ終わっちゃうんだ。」
「はい。だから圭ちゃんがデザート食べながらのんびりしてる内に終わっちゃうんです。」
「まぁ…俺も特に用事はないし。多少、付き合うくらいなら構わないよ。」
「別にどこかに行くわけでもないです。夕涼みしながらお散歩でもできたらな…って思ってるだけですから。」
断る理由が何もない。
…せっかくだから、好意に甘えてみてもいいかもしれない。
「そう言えば…圭ちゃんと私って、何だか毎日会ってますよね?」
「…言われてみればそうだな。」
「でもOKしてもらえたお陰で、また明日も会える口実を作ることができました。」
え?? み、魅音は何を言ってるんだ??
「あははははは、圭ちゃん、何だか声が裏返ってます。どうしたんでしょうね。くすくすくす!」
テレビ電話でもないのに、俺が赤面していることはバレてしまっている!
「じゃ明日、きっと来てくださいね! それじゃこれで失礼します。お休みなさい。」
「あ……おやすみー。」
詩音は用件だけを伝えると、ダラダラとは話し続けずに会話を終えた。
受話器を置き、居間に戻るとテレビはすでに消えており、お袋が揺り椅子で眠っていた。
改めてテレビをつける気にもなれず、そのまま二階の自室に戻ることにする。
「俺、詩音に世話になってばかりだよなぁ…。」
弁当を持ってきてくれたり、ガラの悪いのに絡まれているところを助けてくれたり。
別人ということになっているから、学校の魅音に面と向かってお礼も言えない。…言った所で、妹に伝えておくという言い方をされてしまうだろう。
詩音に対して、ありがとうって言わないといけないんだよな…。
明日、何か詩音に恩返しができたらな、と思った。
■4日目幕間 TIPS入手
4■三人組の顛末
「ンで俺たちが逮捕されなきゃなんねぇんだらぁあぁッ!!!」
「すッとらってンじゃぇえよ!! 離さんかいごらあッ!!!」
「熊ちゃん、腕を放してあげていいですよ。さささ、どうぞおかけになって。」
熊谷くんたちがが相当キツく腕を締め上げていたらしく、3人は痛そうに腕をさすっている。
「なっはっはっは…。お兄さんたち、誤解しないで下さいよ? 別に逮捕したわけじゃないんだから。熊ちゃん。冷蔵庫から冷たいの出してあげて下さい。お兄さんたちは泡の出る麦茶と出ない麦茶、どっちがいいです? んん?」
応接用のソファーにどっかりと座り、怒鳴りこそしないものの、相変わらずの険しい表情だ。…う〜ん、若さが羨ましい。
「飲まないなら私、勝手に飲んじゃいますよ? 失礼して、プシッと。……ん〜〜〜!!! 勤務中に飲むビールが一番おいしいですねぇ〜!」
ビールをうまそうに飲んでみせると、顔を見合わせ、ようやく缶に手を伸ばしてくれた。
…警戒は解かないが、さしあたって断る理由も見当たらないという感じだ。
3人がそれぞれ缶を開け、中身を口にし始める。
「お兄さんたちはどっから来たんです? ここいらの人じゃないでしょ。んっふっふっふ!」
顔を見合わせ、言うべきかどうか訝しそうな顔をする。
「お兄さんたち、大学生? お友達同士? バイクか何かで旅行中だったんでしょうかねぇ。羨ましいなぁ!」
「……………………………。」
「家は近くってわけじゃないんでしょ。どこから来たの。大阪ですかな?」
「ンなの、どこでもいいだろ。」
「まぁまぁ、そう凄まないで。あのままいたら、お兄さん方だってヤバかったでしょ?」
先ほどの、刺激の強かった出来事をめいめいに思い出しているようだ。
…学生とか不良グループとか、そういうのに囲まれるなら理解もできるだろうが。
…老若男女取り混ぜての、地域の人間たちに囲まれるって経験はなかなかないはず。
それはきっと、かなり怖かったことだろうと容易に想像がつく。
「ここいらの人間なら、どんな間違いがあっても雛見沢の人間には手出ししないですよ。……あそこの連中は特殊なんです。子供の喧嘩に親は出てくるな、なんてモンじゃない。……1人をいじめたら、それこそ村中が総出でやってきますよ。いやホント、脅しでもなんでもなく。」
反論はない。
…実際に目にし、囲まれたのだから疑いようはない。
「ここいらじゃあね。雛見沢の人間に睨まれたら、あっさり「鬼隠し」にあって消えちまうんです。もう跡形もなく忽然と。…兄さん方、行方不明になったら誰か捜索願いを出してくれるご家族はいます? いないならまずいな。蒸発扱いですよ。んっふっふっふ!」
さっきだって、私たちがいいタイミングで来たから事無きを得たが、もうちょっと遅れてたらまずかったかもしれない。
路地裏なんかに引き込まれてたら、…今頃このお兄さんたちはソファーじゃなく、検死室にいたかもしれないですしね。…んっふっふ! なんちゃって…。
まぁ何しろ。…死体が見つかる内は、まだかわいいかもしれないなぁ。
「…お兄さん方、興宮へは何で来たの? 電車? バイク?」
「……バイク。」
「そりゃまずいな。さっきのとこにまだ停めっぱなしなんでしょ? あんたら、ノコノコとバイクを取りに戻ったら、今度こそ袋叩きにあいますよ。」
「な、……何だよそれ!! 上等じゃねぇかよぉおおぉッ!!!」
落ち着いて落ち着いて…。
何ですぐ叫ぶんですかね、最近の若者は…。
「あんたらももう面倒ごとはごめんでしょ。バイクのナンバー教えて下さい。ここまで持ってきてあげますから。…熊ちゃん、交通禍対策にゲート車を借りてきて下さい。」
「うっす!」
「べ、別にいいよ…! 自分たちで取りに行くからいいって!」
「あんたら、本気で囲まれたいんですか? 今度は警察、間に合わないかもしれませんよ?」
「………………………。」
「大丈夫だッつってんだらぁ?! 囲み上等だよ!!」
「おい。お兄さん方。あんたら、今、泡の出る麦茶飲んだろ。…エンジン掛けてみろ。その場で飲酒取るぞコラ。」
「…き、…汚ぇえぇえぇ…!!」
「警察が税金使って、兄さん方のバイクをお運びして進ぜようって言ってんだよ。ごちゃごちゃ言わねぇで、ナンバー言えってんだこの糞馬鹿野郎。」
3人はナンバーを伝えるのを渋る。
…買ったばかりだから、ナンバーをよく覚えてないとか何とか、ごちゃごちゃ言っている。
………まー、そんなことだろうと思った。は〜〜…。
「熊ちゃん。ゲート車に同行してバイク持ってきてあげて。ヤマハのごつい赤いヤツと、テールランプの右側が割れたヤツ。あとシートにガムテ貼ってあった白いヤツ。それだろ? 兄さんたちのバイク。」
返事なしだが、正解ってとこかな。
「大石さん、ゲート車来ましたんで、行ってきます。」
「ハイハイ、よろしくお願いします。あと熊ちゃん、ちょっとちょっと。」
「なんすか。」
「ナンバー照会しといて下さい。間違ったバイクを持ってきちゃうと悪いから。」
3人の顔色が変わる。
…わかりやすい連中だなぁ本当に…。
「バイク戻ってくるまでのんびりしてましょうよ。ビールもっとありますよ? 乾き物だってありますし。テレビ見ます? ろくなのやってませんけどね。」
「いいよ、俺たちもう行くから。こんなとこにいつまでもいたくねぇよ!」
いつの間にか、大柄な署員たちが5〜6人も集まってきている。
明らかに威圧の目で彼らをソファーに釘付けにする。
「…な、…なんだよ!! 俺たちが何かしたかよッ!!」
盗難バイクで恐喝行脚か。…暇な学生さんだ。
■5日目
■放課後
放課後に部活がないのは魅音が言い出す前からわかっている。
今日は詩音に誘われてるんだよな。…確か、デザート食い放題!!
わざと弁当を半分残したので、高まる期待と相まって…空腹度ま頂点だ!
「圭一くん、今日は何だかうれしそうだね! いい事あるのかな? かな?!」
やはりバレるか。レナが嬉しそうに聞いてきた。
そうだ、レナもデザート食べ放題にさそってあげようか。
……うーん、でも詩音は確か「チケットがある」なんて言い方してたから…。
下手すると今日は店はチケット制になってて決められた人しか入店できないなんてことになってるのでは…。
だとしたら…、誘うだけ誘って、入口でレナだけ門前払いでは感じが悪過ぎる…。
「うん。ちょっとしたラッキーでさ。明日報告してやるよ!! レナ、きっとうらやましがるぜ〜!!!」
「わ、わ、わ! 何だろ何だろ! いいないいな〜! そのラッキーって…かぁいいかな? かな?」
…かぁいい?
…うーん、エンジェルモートの制服はレナにはどうだろう。
……絶対クリティカルに決まってる…!
「…多分。かなりかぁいいかも…。」
「え〜〜〜!!! いいないいな〜!! 何かな何かな?!」
「へー。どんな幸運に恵まれたのやら! ………あれ? ひょっとして…ふた月くらい前にエンジェルモートで三角クジとか引いた? それに当たった?」
「おいおい、俺はふた月前にはまだ転校してきてないぞ。」
「あ、そーか。…じゃあエンジェルのデザートフェスタでもないしぃ…。」
「魅ぃちゃん、エンジェルのデザートフェスタって…何かな?」
「ほら、興宮の駅前の正面にエンジェルモートって言うファミレスがあるじゃない?
あそこではね、季節の変わり目に新デザートのお披露目イベントをやるんだよ。それが今日でね。…あ。行っても無駄だよ。クジ当選者以外は入店できない貸切デーだから。」
魅音は昨夜、詩音として俺に説明してくれたことを改めて説明してくれた。
「レナも今度からお店に通ってみよ。がんばってクジを当てて、次のデザート食べ放題を狙うの!」
「あははは、頑張れー! ちなみに聞いた話だと、当選クジはマニア垂涎のプラチナチケットで、闇では高値で取引されてるなんて噂が…!!」
…そんな話を聞いてると、詩音が融通してくれたチケットのありがたみが増してくる。
俺はデザートがタダで食べられてラッキーくらいにしか考えてなかったが…、本当はとても貴重なチケットだったのだ。
………また詩音にお礼を言わなければならないことが増えてしまった…。
「あ、……ありがとな。そんなに価値があるものなんて俺、全然知らなくて…、」
魅音だけに聞こえるように、本当に小声で。…そう伝える。
魅音はちょっとだけ俺の瞳を覗きこんでから…小首を傾げるように微笑んだ。
「…ん? 何? 何か言った?」
今の私に言われても困るよ。…そう言ってるように感じられる笑顔だった。
やはり魅音でいる魅音に礼を言っても聞いてはもらえない。
お店へ行こう。
詩音である魅音に、今日は本当にありがとうって言おう。
「じゃ、おじさんはこの辺で失礼するわ。今日のバイトはちょっとハードなんだよな〜! じゃ〜ね〜〜!!!」
魅音は元気に手を振りながら去っていった。
「ねぇ圭一くん。……何だか魅ぃちゃん最近ヘンなの。浮かれてるっていうか嬉しそうっていうか。」
「……ん、……そ、そうなのか?」
レナはこれでいてなかなか鋭いところがある。
俺には魅音はいつもどおりにしか見えなかったが…レナには何か感じられるものがあったのかもしれない。
「圭一くんは知らないのかな? てっきり、知ってるのかなって思って。」
レナは思わせぶりな笑い方をしながら、くるんと体をひねってスカートをなびかせた。
「知ってるって…俺がぁ……何を。」
…白々しい言い方になってしまう。でも…ウソはないよな。
俺だって正直なところ、何も知らない。
どうして魅音が詩音というもうひとつの存在と分かれて俺の前に現れるのか、聞きたいのは俺の方なんだ。
見破られて当然の白々しい間だったが、レナは気にする様子はなかった。
「そっか。じゃあ何なんだろうね。でも魅ぃちゃんが機嫌いいとレナもうれしいよ。
はぅ〜〜〜♪」
そう言って両手を左右に広げ、とても嬉しそうにくるくると回った。
どうしてだか、レナはとても上機嫌だった。…こっちまでつられて微笑んでしまうくらいに。
セミたちの声すらうれしそうに聞こえた。
「でもね。」
唐突にレナの踊るような回転がぴたっと止まり、その瞳が落ち着きを取り戻した。
「………魅ぃちゃんね。つい最近ね。…すごく傷つけられたの。」
「傷つけって、……え?」
レナの言う傷つけられたという言葉は、もちろん外傷の意味ではないはずだ。
「…始めはあまり気にしてないふりをしてたけど。…怪我と同じ。だんだん腫れてきた。ジンジン腫れてきた。……とうとう痛みがこらえられなくなって、夜中に目を覚ました。そしてレナに電話してきたの。……魅ぃちゃんは泣いてた。」
「ご、ごめん。……それ、…何の話だよ。」
「何の話? え? …レナは今、何か話をしてたのかな? かな?」
「お、おい、そんなとぼけ方するなよ。今、レナは…!」
「知らない知らない知ぃらなぁい。レナは何も知らないよ。はぅ〜〜〜〜…。」
とぼけた笑い方をしながらぐるぐると回っている内に、とうとう気持ち悪くなったのか、ふらふらと壁に手をついてうずくまってしまった。
「はぅ〜〜〜…。目が…回ってぇ〜〜……。」
「ばかだなぁ! 調子に乗ってぐるぐる回ってるからだよ!」
「ご、ごめん…。はぅ……気持ち悪いかも…。」
あんぽんたんに肩を貸してやる。
この歳の内から千鳥足とは実に天晴れなヤツだ。
その後のレナは、上機嫌に滅裂な会話をするだけだった。
俺も笑いながら応じたり揚げ足を取ったりする。
だが、さっきのレナが話しかけた意味深な話を聞きなおす機会は訪れなかった。
■エンジェル攻防戦
家につくなりカバンを放り出し、手早く着替える。
昼飯を軽く済ませた効果はすでに出ている。お腹の虫がコロコロと鳴きだしていた。
さぁ行くぞ、エンジェルモートへ!!
いざ臨まん、デザート食い放題の世界へ!!
戦闘準備完了ッ!! 出発だぁあぁあぁああ!!!
エンジェルモートは、確かに昨日までとはどこか違う雰囲気に包まれていた。
『デザートフェスタ開催・本日招待客さま貸切です』
にも関わらず、店の前には10人を越えるいい年をしたお兄ちゃんたちが群がっている。
入店できずにうらやましそうに見上げているところを見ると、招待客ではないようだ。
ではなぜ入店できないと知りつつ、なぜ群がっている?
その答えは、彼らの間を抜け、お店の入口への階段に足をかけた時にわかった。
「あ、あんた…当選者なのか?! チケットを持ってるのか?!」
「…あ、あぁ。まぁな。ラッキーだったんだ。」
その途端、彼らがわーッと群がってくる!!!
押しくら饅頭の満員電車状態! …い、一体…何が…!!
彼らの言い分はこうだ。
チケットは1人1枚ではなく、1枚で4名様まで入店できるものらしい。
「…そうだったのか。……ますますレナや他のみんなを誘ってやるべきだった。親切にありがとう。でも今の話は聞かなかったことにするよ。」
そう爽やかに笑い、彼らを無視しようとすると…彼らが救いを求める地獄の亡者たちのように…一斉に手を伸ばしてくる!!!
「「「そ、その4名様までのお供に…ぜひ俺たちをぉおぉおぉおお〜!!」」」
な、なんてムシのいい奴らだ…。
こいつらが店の前で群がっていたのはそういうことだったのか…!!
男たちのむさ苦しい大熊手のような腕が何十本も襲い掛かり…
空を切るッ!!!
俺の姿はすでに入口の階段の上にあった。
「な、なんて身軽なヤツ!! 取り押さえろー!!!」
じょ、冗談じゃねぇぞ!!
残る階段を駆け上り、店内へ飛び込む!! …そこが絶対の国境だった。
むさ苦しい亡者たちはガラス扉の向こうから、様々な呪いの言葉を投げつけている。
だが完全防音でクーラーの効いたこの店内、そして天使の微笑みで迎えるウェイトレスさんの前ではそれすらも涼やかな見世物に過ぎない。
…笑っちゃいけないとわかっているが、黒い笑いでくっくっくと笑ってしまう…。
「いらっしゃいませ。エンジェルモートへようこそいらっしゃいました。
本日はデザートフェスタにつき、チケットのお客様のみの貸切になっております。チケットとご芳名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「えっと…チケットはないけど名簿に名前があると思います。前原です。」
「前原…前原。…あった。…失礼ですがフルネームでお伺いしてよろしいですか?」
「圭一です。前原圭一。」
「大変失礼いたしました。特別招待の前原圭一さまですね。お席へご案内いたします。どうぞこちらへ。」
店内はすごい熱気だった。
…ボックスシートはぎゅうぎゅうの超満員。
いい年をしたお兄ちゃんたちが、容姿的に到底似合わないような可愛らしいデザートを頬張っている光景は何だか恐ろしくもある…。
席に案内されるとすぐに詩音がやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそエンジェルモートへ。」
「よう詩音! 今日は本当にありがとうな。世話になりに来たぜ。」
「ちょっと遅かったから心配しました。でも来てくれてうれしいです。」
他の客の目もあるからなのか、ちょっと口調が堅めだったが、いつも見せてくれた飛び切りのスマイルで歓迎してくれた。
「…見ての通り、今日はお客さんがすっごいんで…定時に抜けさせてもらえるかちょっと自信がないんです。私の仕事が終わるまでのんびりしてて下さいね。
終わったら一緒に遊びに行きましょうね〜。」
耳元でそれだけを告げると、詩音はウィンクを残して厨房に戻っていった。
…店内の熱気のせいか、詩音も何だかちょっと大胆な雰囲気だった。
…ちょっとした仕草の違いにどきどきしてしまう。
「お待たせしました〜!」
店内の雰囲気に圧倒されている内に、次々と夏の新作デザートが運び込まれてきた。
……どれもボリューム満点の凄い迫力!!!
なるほど…こんなスゴイのが無料で食い散らかせるんだから…今日のチケットがプラチナ扱いになるわけだ。納得する。
しかも…どのデザートも充分にうまい。
万人受けから対象を絞ったマニアな一品まで…レパートリーには隙がゼロだ!
「……どう考えても…ひとりで食う量じゃないかもしれないなぁ。…まぁそれは置いておいて。」
…実は何だか雰囲気が落ち着かない…。何しろ…店内の熱気が異常なのだ。
他のボックス席はどれも4人ぎっしり。
いい年をしたむさ苦しい男たちが可愛らしく盛られたデザートを欲望のままに食い散らし、皿までベロベロと舐める様子は…ちょっと怖すぎる…。
何となく気になり、彼らの会話に耳を傾けると……何だか壮絶なものが多々聞こえてくる!
「はぁはぁ…エンジェルモート萌え〜♪」
「僕ですか? 当選チケットは×オクで7万で落札したっす!」
「職場には親戚の葬式だと言ったにゃりんよ〜♪ エンジェルは制服が最高ニョリ!」
「ウェイトレスさん、水とかズボンにこぼしてフキフキとかしてくれないかにゃ〜♪ にゃ〜にゃ〜〜!!」
「エンジェルモートのフィギュアが今度発売されるらしいでござるな。WFは要注意でござる…!!」
「アキバの××××4Fでエンジェルモートの使用済み制服が売ってたらしいナリ!! でも28万もしてたニョー…。」
「凄まじいレートでござるな! アンミュラで8万、閉店後のブロバで12万が相場でござるのに…!!(使用済みの場合でござるよ。コピー品は半額以下でござる!)」
「×××でコピー品でいいから衣装販売してくれないか尿〜☆ そしたら我輩が××××××××でン十万で買った等身大フィギュアに着せ着せするです尿〜☆ 毎朝毎朝、エンジェルの制服を見上げて目を覚ますでおじゃるよ〜!!!」
………彼らの口走る単語のほとんどは意味不明な隠語だ。
…だが、それらの裏側に見え隠れするオーラの異常さだけはひしひしと伝わってくる…!!
「お待たせしました〜。次のデザートは『南国風シナモンのアバンチュール』でございます。……? どうかなさいましたか?」
「……あ、…いえ。…………何かこう…、今日の店内は雰囲気が違うな…と。」
「うちのお店、その道の方々にはかなり有名らしいんです。まぁ、そういう狙いのお店ですからイイんですけどね☆…でもイベントの日のお客様はちょっと濃い目の方が多いんで、困っちゃいます☆」
ウェイトレスさんは苦笑いしならが、耳元で小声で教えてくれた。
「なんかお客の人たちも血走ってて…ハイエナみたいですよね。」
「今日のお客さんのほとんどはかなり遠方から無理して来てるみたいですからね。……そういう方々ってハメを外し易いんでちょっと怖いんです。ちゃんとガードを固めておかないと大変なんですから。」
ガードを固めるって、どういう意味だ?
その時、ガシャーンという盛大な音がした。
驚いて振り返ると……ウェイトレスさんが転んで…見事にオーダーをお客さんにぶちまけたらしい。…って、…詩音じゃないか!
「すす、す、すみませんでした…! そのお召し物はそ、そのその……、」
「何て事をするにゃりん〜!! 某ジーンズ専門店で1800円もしたズボンが生クリームでベトベトにゃりんよ!!…はぁはぁ…♪」
……何だありゃ。…悲惨な目にあった割には嬉しそうだぞ…。
「これは惨いですにょー。ウェイトレスさんが誠心誠意、フキフキするしかないでござるにょ〜♪」
話が急におかしな方向へ転がり始める。
…おいおい何だって?
フキフキって、拭かせる気か?!
詩音に…あのどう見ても普通じゃなくパンパンにテントの張った股間を?!?!
「え………でも……その、……………わた、私、…………、」
「「「フキフキ! フキフキ!! フキフキ!!!」」」
店内にあっという間にフキフキコールが広がる!!
絶対的に追い詰められた詩音が青ざめ、先輩ウェイトレスに助けを求めるが……同情の顔で首を振るだけだ。
「…園崎さん、足を引っ掛けられたんですね。ああやってわざと衣服を汚させて絡んでくるお客が最近多いんですよ。」
「あ、足を引っ掛けてだって?! じゃあ今のあれも…事故じゃなくて?…故意?!」
「メインの女の子は充分気をつけてますから絶対あぁはならないんですけど…、園崎さんは短期バイトだからまだガードが甘くて。…今日のお客様たちにも早々に見破られちゃったみたいで…朝からあんな感じで絡まれてるんです。」
「店長とかは何やってんだよ! あんな不良な客は追い出せよ!!」
…客商売ですから、弱いんですよ私たち。…笑いながらも諦めた口調で彼女はそう語った。
詩音は真っ赤になりながらおしぼりを手にわなわなと震えている…。
生クリームをぶっかけられた男は、ソファーにふんぞり返りながらクリームまみれのテント張りの股間を誇示している。
……覚悟もできないまま…震える手が回りに気圧されて…意に反して少しずつ前に…。
「さぁさぁさぁ!! フキフキするでござるよ〜〜〜!!!!」
男の俺から見れば、苦笑いするような滑稽な光景なのかもしれないが…女である彼女から見れば…これはとても屈辱的な行為に違いないのだ。
……男の俺が、足がすくむぐらい恐ろしいごろつきに絡まれていた時、詩音は恐れることなく立ち向かい、俺を助けてくれた。
でも…屈辱的とは言え…詩音にも責任があるわけだし……別に、命の危機が迫ってるわけじゃないよな…?
あいつらだって…ちょっとHなシチュエーションをはやし立ててるだけで、別に詩音を取って食おうってわけじゃない。…後で慰めてやればいいよな……。
私だって怖かったですよ。でも、他ならぬ圭ちゃんのピンチだし……。勇気出して頑張りましたってことです。
男の俺が、足がすくむくらい恐ろしいごろつきに3人も絡まれていた時、詩音は臆すことなく助けてくれた。
今度は何だ?
……汚らしい脂ぎった連中が、詩音に難癖をつけて絡んでいる。…あの時とはまったく逆のケースだ。
おい前原圭一。
…これを救わずして、俺はいつあの時の恩を返せるんだ…??
怖いかよ前原圭一。
あの時の詩音、いや魅音は微塵ほども臆したりはしなかった。
じゃあ今の俺は?
……臆してなんかないさ。
じゃあどうして?!
臆してないならなぜ助けないッ?!
…………………………………。
「さぁ観念するでござる〜〜〜!!! ふぉっふぉっふぉ〜〜!!!!」
「やかましいぞ脂デブ! 俺の目が黒い内に出て失せろ。」
詩音の肩をぐっと掴み、後ろへ下がらせる。
「け、圭ちゃん……、」
「わかっておらんでござるな。そのウェイトレスが余のおズボンに粗相をしたのでござるよ? これはお仕置きなのでござる〜!!」
「お仕置きが必要なのはてめぇの方だぁあぁああ!!! 男なら能書き吐くな!! 腕で物を言ってみろぉおおぉおおぉお!!!」
ガス、ドガ、ズッギャーーーン!!!!
俺の体が軽々と宙に浮き…自分の席まで吹き飛ばされる…!!!
こいつ…強い?! どう見ても運動神経とは無縁そうな…ただの脂デブなのに…!
「ふっふっふ。ヲタクは意外にマイナーな武道を会得していることが多いでござるから、甘く見ると大変でござるよ〜☆」
男はニマリと笑うと歯茎を見せて笑った。
「け、圭ちゃん……大丈夫?!」
く…くそ……なんてみっともない…!!
「詩音は足を引っ掛けられたんだろ?
向こうが悪いんだから付け上がらせることなんかないぞ!」
「そ、…そうだけど……でも、………やっぱり悪いのは……私だし……。」
「ぅおおおぉお!! もう一度だ!! 行っくぞぉおおぉおおぉ!!!」
バキ、ドガ、ガッシャーーーーーーン!!!
「これくらいでへこたれる圭一さまだと思うなよ!! もう一度だぁあぁああ!!!」
バコ、バギ、ズッダーーーーーーーンッ!!!!
「ふぉっふぉっふぉ!! 口ほどにもないでござるの〜!!!」
「ま、まだまだぁあぁああぁ!!!」
高まれ闘気!!
ぬおおぉおおおぉおおおッッ!!
安っぽく駆けるのでなく、一歩一歩踏みしめながら脂デブへの間合いを詰めていく。
自分が床から足を引き剥がす度に、そこから闘気が吹き上がるのがわかる!
まるで水中を歩くような緩慢さ…。
そんな粘ついた時間の中を歩きながら…冷静にヤツとの間合いを計る…!!
ヤツとの身長差、リーチの究極の有利点…!
俺のパンチだけが紙一重で届く究極の間合い…!!
繰り出す怒りの鉄拳が、水を割く様に…ゆっくりとヤツの顔面へ向かって繰り出されていく。
それに反応して…ニヤリと笑いながら、俺のパンチの内側にゆらりと入り込む脂デブ…!!
先ほどまでは理解できなかった、ヤツの不可解な反撃が、この粘ついた時間の中では皮肉なくらいよく見て取れる!!
腕を風車のように大きくゆっくりと回し…、
俺の空を切ったパンチを巻き込んで、下へ下へ…ぐるりと回し…。
その回された手がそのまま時計のようにぐるりと回って、…俺の上体を捻りながら頭に絡み付いてきて…!!
俺の頭を巻き込みながらさらに一回転…!!
今度は全身をコマのようにぐるりと回して…
さらに一回転!!!
防御と攻撃が一体になった…見事な返し技。
そうだ…3回、回されてから投げられてたんだっけ。
だが…このねっとりとした時間に抗うこともできず、投げられるその瞬間を呆然と待つしかない…。
その水中を歩くような粘った時間は、投げられる瞬間、唐突に終わった。
グワッシャーーーーーーーーーンッ!!!
「修行が足りないでござるよ〜。ヤングメ〜〜〜ン!!!」
……悔しいが…気合だけでは…ちゃんと武道を習った相手には…勝てない…!
立ちくらみのような感じで意識が薄れた後、…気付くと自分の席に寝かされていた。
「怪我しなくてよかったですね。」
詩音の先輩ウェイトレスさんがおしぼりで額の汗を拭いてくれている。
そこへ、真っ赤な顔に涙を溜めた詩音がとぼとぼとやって来た。
「だ、大丈夫ですか…? 私なんかのために……す、…すみませんでした…。」
「俺こそ……役に立たなくて…すまん。…俺、喧嘩って勝ったことないし…。」
「う、うぅん、私のために助けに来てくれただけで……うれしかったです。
本当ですよ? それだけでも…今日は圭ちゃんに来てもらえてよかったかな…って。」
そう言いながら、舌を出して強がる詩音だが。
……前にそろえた両手にはおしぼりが握られていて…生クリームが拭き取られていた。
「園崎さん、R入っててもいいですよ。あと1〜2時間でしょう?」
「あ、…ぇ、いいんです。バイトとは言え、お給料をもらってる身ですから。時間内はちゃんと働きたいんです。だからホント、お気遣いなく……。」
強がりにすらなっていなかった。
あの魅音にもこんな脆さがあったのか…などと思ったりは一切なかった。
こいつは詩音であり、そしてワケのわからない有象無象どもにいじめられた。それだけが事実。
「圭ちゃんは気にしないでデザートいっぱい食べてて下さいね。一通り食べ終わったらアンケートを書いてもらいますので。……じゃあ私、ホールに戻りますね。」
先輩ウェイトレスさんは同情の笑みで慰めの言葉をかけた後、仕事に戻ろうとした。……それを俺は呼び止める。
「すんませんウェイトレスさん。……電話借りたいんですけど。」
「電話ですか? レジ横にございますよ。ご案内いたします。」
財布から10円玉を取り出す。
もう面子とかそんなのは関係ない。
俺が不甲斐ないのは動かしようもない事実だが、泣き寝入りは今晩いくらでもできる。
今は泣く時じゃない。
戦わなければならないんだ…!
「確かチケット1枚で4人までOKなんですよね。あと3人、呼んでもいいんですよね。」
「えぇ、そうですけど…。一応、名簿に書きますので、お名前を伺ってもよろしいですか?」
…そこで俺は一度振り返った。
詩音に屈辱的な仕打ちを強いたあの脂ぎった無法者たちを見据える。
貴様らは3つ運に見放された…。
1つ目は俺が詩音に借りがあるということ。
2つ目は俺が勝つためならプライドだって捨てられる男だということ。
そして3つ目は………、
俺たちが史上最強の部活メンバーだと言うことだッ!!!
「名簿には、竜宮レナ。それから北条沙都子。古手梨花で。」
「かしこまりました。承ります。」
最高にして最強の部員たちを入国させる。
ヤツらこそは一騎当千!! 脂デブどもッ!!
貴様らは終わりだぁあぁああぁあぁああッ!!!
「イ、イイお店だね!! はぅ! 制服かぁいい!! レナも着たい!! はぅ〜〜!!」
「……しかもデザートまでおごってもらえるなんて、ボクは大感激なのです。」
「あぁ…好きなだけ食ってくれ。俺の分なんか気にするな。」
「圭一さん、茶番は結構でございますのよ。用件に入ってほしいですわ。」
沙都子がそう切り出すと、レナも梨花ちゃんもフォークを置いた。
…俺はそれをしばし眺めた後、べたっと額を机に押し付けた。
「頼む。……俺の不甲斐なさを笑ってもいい! 力を貸してくれッ!!!」
突然のことに3人は少し驚いたようだったが、俺のただならぬ様子に茶化すことなく耳を傾けてくれた。
「……ど、どうしたのかな? 何があったんだろ。だろ!」
「実は……魅音の妹の詩音がこの店でバイト中なんだ。」
「あ、話に聞いてた魅ぃちゃんの妹さんだね?! ひょっとしてあれかな。あれかな?! 似てるね似てるね!!」
「に、似てるも何も…髪をおろしただけの本人ではありませんの…?」
う。……言葉に詰まる。
「……圭一が詩音だと言うから詩音なのですよ。」
「いくら双子だって、あんなに瓜二つになるもんなんですの?」
「一卵性双生児って言ってね。本当にそっくりの双子ってこともあるんだって。」
…レナがもっともらしいことを言ってくれたので、みんなも納得する。
「な、納得してもらえたかな? それで…本題だ。」
そして…俺はさっきあったことを全て話した。
…詩音が目をつけられ、意地悪な客たちにどう扱われたか、どんな屈辱的なことを強いられたか。
…そして、自分がいかに情けなかったかを…包み隠さず話した。
「そ、それはひどいね。…詩ぃちゃんかわいそう。」
「しかし…それを助けられないなんて! みっともないにもほどがありますわよ?!」
「…それに関しては言い返すことはない。」
「沙都子ちゃん。負けを認めて助けを求めるのって、とっても難しいことなの。圭一くんはヘンなプライドなんかより、詩ぃちゃんを助けることを選んだんだよ。」
「…ふん。情けないですことー。」
レナのフォローが胸に痛いが…理解してくれたことに感謝する他ない。
沙都子はさんざん悪態をついたが、言葉には決してトゲは含まれていなかった。
「……で、ボクたちは何をするですか?」
言葉に抑揚はないが、…すでに決意にも似た響きがあった。
俺はその梨花ちゃんの余韻ある沈黙に…同じく決意ある沈黙を返す。
「…ま、そんなところだと思ってましたわ。圭一さん一人には少々荷が重過ぎますもの。」
「え、……じゃあ……助けてくれるのか…?!」
「当然だよ、圭一くん。私たちは誰がいじめられても助けに行くよ。」
…ごろつきに絡まれた日、詩音が話してくれた雛見沢の強い連帯感を痛感する…。
だが前原圭一!
今はそれに感謝して感涙に咽ぶ時じゃない。戦う時だ…!!
「すまん!! 恩に着るッ!!」
「……ひとりで頑張ったけど歯が立たなくてかわいそかわいそです。」
梨花ちゃんは俺の頭をなでなでしてくれた。
…だがその手のひらには小馬鹿にした憐れみはない。
……あとはボクたちにお任せですよ、という…あまりに頼もしい力強さに満ちていた。
「……諸々の都合により魅音は参戦できないので、臨時に俺が指揮を取る。……作戦内容は詩音の護衛と敵勢力の殲滅。」
「敵って誰かな? いっぱいいるのかな?」
「現時刻以降、詩音にちょっかいを出そうとする全個人・全勢力を敵と認める。交戦規定はなし。報酬は今食ったデザート。……質問はあるか?」
すでに部活モードに入った部員たちは闇より獲物を狙う肉食獣のような眼差しで、店内にひしめく有象無象たちを見渡す…。
その中、梨花ちゃんが挙手した。
「何だい、梨花ちゃん。」
「……手加減は必要ですか?」
「不要に決まってますわッ!! 魅音さんの妹に狼藉を働く輩に手加減なんか不要ですの!!」
「……いいんですね。圭一。」
…梨花ちゃんは…本気だ。…本気で殺る気だ。…あぁ…頼むぜ梨花ちゃん!!
「全責任は俺、前原圭一が取る。蹴散らしてやれッ!!!」
「あははははははは! ようし! レナも頑張るぞぅッ!!」
「すまん!! よろしく頼む…!!」
「……圭一さん、そんなに力まなくても大丈夫ですのよ。…まぁご覧あそばせ。圭一さんがそのパフェを食べ終わる頃にはお掃除は終わってましてよ。」
「……ではみんな。頑張りましょうですよ。ファイト、おーです。」
「「「おぉぉーーーッ!!!」」」
かくして…魅音が育て上げた史上最強の局地戦集団が動き始める…。
俺は年齢上、性別上、リーダーっぽく振舞ったが…部活だけで言うなら俺が一番の後輩だ。
……俺以外の誰だって、個人で恐ろしい戦闘能力を持っている!
それらが、詩音ひとりを守るために結集したらッ?!
予想も付かない。
…俺は恐ろしいものを目撃するかもしれない…。
「園崎さ〜ん、7番テーブルにDXパフェを5つお願いします〜!」
「あ、はい…!!」
詩音がオーダーのパフェを5つも運んでいく。
不安定な詩音はそれをバランスよく運ぶのに精一杯で足元に注意はまったく払われていない…。
「くっくっく…同志よ、また来たでござるよ…!!」
「今度はミーのおズボンにぶっかけさせて、ぱんつの中までフキフキしてもらうニョリ!!」
ほんの小一時間前に起こったフキフキ騒動…。それを今度は自分が再現しようと…穢れた男たちの欲望が襲い掛かろうとしてるッ…!!!
「圭一よりレナへ。5〜6番テーブル付近で待伏せだ。……レナ? 聞こえてるか?!」
「お店の制服、…かぁいいねぇ…!! はぅ〜…お持ち帰り〜…!」
ふらふらとパフェを運ぶ詩音のおしりを、ふらふらと追うレナ。
詩音の背後にぴったりと付き、護衛しているはずのレナは詩音の制服の後姿にすっかり釘付けだ。
普通の人が見れば、まるで狼に羊の番をさせているように見えるのかもしれないが……レナに関しては違う!
「かぁいい状態、シンクロ率120%…。勝ったな。」
「……あの状態のレナさんには、地球上のどんな物理法則も通用しませんわ。」
よたよたと無防備に歩く詩音の足元を…、脂ぎった男たちが狙う…!
「今でござるよ同志諸君ッ!!」
「晴海の輝ける明星にして偉大なる総統閣下万歳〜ッ!!!」
…詩音のその無防備な足元に…ヘビが襲い掛かるがごとく、転ばせようと足が伸びるッ! なんと…一度に3人もッ!!!
スパパパパパーーーーンッ!!!!
「ぎゃッ?!」
「ぅごッ!!」
「ぬわんとぉッ?!?!」
まさに電光石火ッ!!!
愚かな3人が足を不自然に曲げながら苦痛にのたうち回る!
「お、おごぉおおおぉおおぉッ?!?!」
「ここここ、これは…何事で…ござるかぁああっぁあ…!!」
レナがふらふらと現れ、彼らに注意(?)する。
「はぅ〜〜〜…おいたはダメなんだよ〜☆ メッだよ? メ! レナがお持ち帰りするからメ〜〜〜〜〜♪」」
「ここ、この小娘……珍妙な技をぉおおぉおぉお…ッ!!」
脂ぎった男たちはアザの残る足首を押さえ悶絶している…。
「さすがはレナさん…。…いつ見ても恐ろしいキレですわね。」
「あぁ。絶対的なガードだ!! 半径2m以内で行なわれる詩音へのあらゆる攻撃を、レナは完全なカウンターで粉砕するッ…!!」
詩音がオーダーのために店内を何往復かするころには、あちこちで、足や手の甲にアザを作った連中が悶絶していた…。
「はぅ〜〜〜☆ レナより圭一くんへ。もう詩ぃちゃんにちょっかい出す人はいないよ〜。だからもうお持ち帰り〜〜!!」
「圭一よりレナへ。ご苦労だった。引き続き護衛を続けてくれ。それからお持ち帰りは不可! 繰り返す、お持ち帰りは不可!!」
「じゃあ見てるだけだよ見てるだけ☆ はぅ〜〜〜〜〜♪」
…まぁ見ているだけならいいか。
ついでに詩音のガードも続けてくれてるのだからOKにしてやろう…。
だがこれで、詩音に悪さをしようとしていたヤツらは全て把握した!
手や足を押さえて悶絶しているヤツらに残されたアザはまさに烙印!
「現時刻を以て敵勢力識別を完了。次のフェイズへ移行する。圭一より沙都子へ! そっちはどうなってる?!」
「沙都子ですわよ。…どうなってるとはヒドイ言い方でございますわね。圭一さん、私を誰だと思っておいでですのー?」
沙都子の姿は厨房内にあった。
配膳卓上に何枚ものオーダー伝票と目標の所在を書き込んだ店内見取り図を広げ、出来上がったばかりのデザートを選り分けている。
「……ちょっと…さっきから何をしてんの?!」
<詩音<あたふたした感じで
「まーまー☆ 園崎さん、いいからいいから彼女に任せておいて! それよりもこのオーダー、全部一度に行くからお願いね!」
先輩ウェイトレスが後輩たちにてきぱきと指示を出し、次々に配膳に出発させて行く。
店内に一斉に配られる、沙都子の手の入ったデザート…。
「はぅ〜〜!! かぁいいデザートがいっぱい来たよ〜〜!! はぅ〜〜!!」
「…わかってるだろうが、手をつけるなよ。自分の身が大事なら。」
「わ、わかってるけど〜…、はぅ〜〜!!」
確かに、いずれも劣らぬ可愛いデザートばかり。食べる前から存分に目を楽しませてくれる芸術品ばかりだ…!
だが、その芸術品も沙都子が絡んでいると知れば…危険なUnknown(未確認物体)に過ぎない!
そんなことには気付きもせず、がばがばと頬張る男ども!!
「む…。」
「……これは。」
「……ぅごぉ、」
…異変は数瞬を置かずに起こり始める。
「沙都子。………何を混ぜた? 塩やタバスコってわけじゃないだろ。」
「あぁら、圭一さんが言ったんですのよ? 手加減無用って。私、こう見えても叩く時は徹底的に叩く性分でございますの…!」
そう言いながら、怪しげな薬ビンをくるくると回しながら、スチャ!とポシェットの中にしまった。
「沙都子より梨花へ。お客様が行きますわよ。エスコートをお願いしますわ〜!」
「……ボクにお任せなのです。」
…そう言えば梨花ちゃんの姿が見当たらないな。どこかに潜んでいるのだろうか…?
ガタガタン! 何席かの男たちが荒々しく席を立ち、店内をきょろきょろと見渡していた。
あのせかせかとした雰囲気。
……そして天井に吊るされた1枚の看板を見て安堵する。
その看板には…「お手洗い」と書かれていた。そこを目指して殺到する!
それは1人や2人ではなかった。
あちこちの席で「敵」だけが腹を押さえながら席を立つのだ。
「ぅぅ…さすがにがっつき過ぎたでござるよ…。お手洗いはどこでござるか…。」
「僕もにゃりんよ。スモールでなくビッグの方でござる! 要リプレイ外しにゃりん!」
「おトイレはどこにゃー?! 見つけたにゃー! レッツ尿〜!!!」
…沙都子がヤツらのデザートにどんな細工をしたのか、考えるだけでも野暮だな。
問題はここからどうつなぐかだ。
…興味にかられ、続々とトイレへ向かう彼らに付いて行く。
トイレへ通じる狭い通路は10人前後の男たちでひしめき合っていた。
「「「こここ、これは…何としたことでござるかぁあぁあぁあああッ!!!」」」
肩越しに何が起こってるのかを伺うと……うわッ!!
大便器が詰まったらしく、ゴボゴボという凄まじい音と臭いを放ちながら…逆流しているッ!!!
これではとても用など足せないッ!!!
さ、沙都子のヤツ…何て荒技を…!!!
い、いや、これは沙都子の仕業じゃないな。
天罰だ。
うん、運が悪かっただけなのだ。
トイレの清掃は申し訳ないがお店の人にお願いしよう。
「こ、これでは…用が足せぬでござる!!」
「あうぅぅううぅー!! どうしたものにゃりんか、マイ同志ぃいいいぃ!!」
…見事なトラップコンボだが…最後にもう一押し欲しいところだよな。
…そして沙都子に限って、ぬかりがあるはずもない!
「こうなっては…ささ、最後の手段にゃー…。」
背を腹には変えられないと悟ったその男の行く手は…
「女子手洗い」ッ!!!
「さ、さすがに女子トイレはまずいではござらんかぁあぁ?!」
「今日のお客さんに女子はいないにゃりん!! コロンブスの卵でにゃりん!!」
「はぁはぁ…女子便最高〜〜!!!!!」
な、なんてたくましいヤツらだッ!!
額にまでたっぷりと汗を浮かせた男たちが、何の躊躇もなく女子トイレに殺到する!
「……みぃ?」
「「「のわぁあぁあああぁああぁあッ…?!?!」」」
女子トイレには…女の子が、梨花ちゃんがいた。
複雑な驚きのポーズのまま石化する男たち…。
梨花ちゃんも咄嗟の出来事に唖然としている…。
……しかし微妙なうまい表情だな。これも計算の内なのに。
さすがは狸だぜ、侮れないぞ梨花ちゃん!!
「こ、ここ、これはでござるな、マドモアゼール…。」
「……みぃ。」
「男子便所がちょっとデンジャラスにゃので、ちょっとおトイレをお借りしたかっただけなのにゃ〜…。にゃ〜〜♪」
「……みぃ……、」
「ででででも…やっぱりいけないことでござるよな!! どどど、同志諸君!!」
女子トイレに婦女子が立つだけで…ここまで圧倒的な結界が張れるものなのか…。
この状況下で梨花ちゃんの脇をひょいと抜けて用を足せる猛者などいようはずもない!
……ふん。
だが、そこがこいつらの所詮の限界なのだ。
真の部活モードに入った男、例えば俺なら、……梨花ちゃんなんか弾き飛ばして遠慮なく用を足してる!!
さぁどうする脂デブども!!
詩音を嬲ってくれた代償はまだまだこんなもんじゃないぜ!!!
「……お困りならボクが助けてあげてもいいのです。」
「かか、かたじけのぅござる!!! してその方法は?」
「……お外のトイレを使えばいいのです。ご案内しますですよ。」
「それは助かるにゃりん!! さぁさぁ!! このままじゃ集団浣腸プレイ状態にゃりん〜!!」
梨花ちゃんはニコニコ笑いながら、のんびりとした歩幅で彼らを先導し始める。
……この一刻を争う状況下で牛歩とは……地獄の責め苦!!
「マドモアゼル…、そのおトイレはここから遠いでござるか…??」
「……すぐに着きますです。」
彼らは梨花ちゃんに従えられて店の外へ出ようとする…。
「圭一くん、シメだよ。ビシ!っといってね!」
「おぅよ!! 任せておけッ!!」
俺は店を出ようとする彼らの前に両手を広げて立ち塞がる!!
「何の真似でござるかあぁああぁあ!!! このデフコン1の非常時にぃいぃ!!!」
「脂デブども…!! この扉から一歩外へ出ることがどういうことになるか、わかってるんだろうな?!」
「それはどういう意味にゃー!!!」
「あははははは! ほら、チケットに書いてあるよ。
「途中退店無効」って〜!」
「どこのおトイレに行くのも自由でございますがね、その扉を一歩でも外へ出たなら二度と戻れませんのよッ!!」
ドオォオオオォオオォオンッ!!!!!
「「「おお、覚えてろぉおおぉおぉおおおッ!!!」」」
「……そんなこわいこと言う人たちに案内したくないのです。」
踵を返そうとする梨花ちゃんに、みんな大慌てだ。…借りてきた猫のように大人しくなって一列になってついていくしかない…。
ウェイトレスさんも並んでお見送りだ。
「本日はご来店、誠にありがとうございました〜☆」
「「「アイシャルリタぁああぁあぁあぁあぁンッ!!!!」」」
からんからん。
軽快なベルの音を立てて扉が閉まった。
「ざッまぁないですわね!! 楽勝の極みでしてよ〜!!」
「あっははははは! やったねー! えーい!」
レナと沙都子がパチンと手を叩き合う。
「ひゅー…。俺一人じゃ歯が立たねぇ連中も、メンバー総登場なら…まさに一網打尽だな。」
「この程度の相手なら、私たちなら一人でもお相手できましてよ? 圭一さんも少しは腕をお磨きあそばせ〜!」
…悔しいが沙都子の言うとおりだな。くそ! 俺もきっとこいつらに並んでも恥ずかしくない力を身に付けてやる!!
「でも、魅ぃちゃんの妹さんを守れて本当に良かったね! もうこれで、いたずらする悪い人たちはひとりもいなくなったよ!」
「素敵な友人に恵まれたわね。園崎さん。」
先輩ウェイトレスさんも微笑んでくれた。
当の詩音は、一網打尽になりすっかり落ち着きを取り戻した店内と俺たちを見比べながらおたおたしていた。
「わ、わたわた…私のために…? …そ、…その……、」
詩音は嬉しそうな、バツが悪そうな、曖昧な顔でうっすらと赤くなりながら……厨房に走って逃げた。
「わ、…詩ぃちゃんもかぁいい!! 双子なんだね〜はぅ〜〜!!!」
詩音の性格からして、面と向かってお礼なんか言えるわけないよな。
ちょっと派手に暴れたけど、助けることができて本当に良かった…。
「わかってると思いますけど、園崎さん、とても感謝してますよ。私もホールを代表して感謝いたします。」
パチパチパチパチ。
その拍手がいつの間にか店内に広がっていった。
他のウェイトレスさんたちも、お店のデザートを純粋に味わいたかった紳士的なお客さんたちも、みんな拍手で称えてくれたのだった…。
デザートをあらかた食いつくし、感想のアンケート用紙に記入しているところで梨花ちゃんが戻ってきた。
「おぅお疲れ! 首尾は上々か? ずいぶん遅かったな。」
「……ごめんなさいなのです。帰りに迷子になってしまって大変だったのです。」
「あははははは。梨花ちゃんはヘンな道を通ることが多いからね、よく迷子になるんだよ。」
…近場のトイレに案内するだけでどうして迷子になるんだろう?
「人間誰にも得手不得手がありましてよ。梨花にはそんなの負けないような長所がたくさんありますわー!」
「それもそうだな。さっきの女子トイレのあの表情! 役者だったなぁ!!」
「……あの時の圭一はひどいのです。自分が彼らの立場だったら、ボクを弾き飛ばして女子トイレに飛び込むとか考えていたのです。」
「お、おわぁあぁあぁああ?!?! また俺、考えが顔に出てたのかぁ!!」
「け、圭一くん……Hなんだぁ…。」
「いやその……わははははははは…!!!」
この日は笑って済ませたが、俺は後日、新聞で「飛騨山中にて不明男性10人を保護。
男性たちは鹿骨市内から徒歩でトイレにやってきたと主張したが、保護された場所から鹿骨市内までは××キロも離れており…」
という記事を読み、梨花ちゃんの恐ろしさを知ることになるのだった…。
「……さてと、ごちそうさまなのでした。今日は呼んでもらえて嬉しかったのです。」
「あら、もう帰りますのー? もうちょっとゆっくりしても……。」
「たんすのお片付けの途中だったのですよ。あのままではお布団が敷けないのです。」
「あ、……それもそうですわねぇ。」
ありゃ、何だか悪いタイミングで呼んじゃったみたいだな。
「うん。レナが電話した時はお部屋の片付け中だったんだよ。でも駆けつけてくれたんだよね!」
「まぁ。非常時だから仕方ありませんわ。」
「……それに、甘いのをいっぱいいっぱい食べさせてもらえましたですから、とても喜んでいますよ。」
「今日はありがとな。急に呼び出しちゃって。」
「……詩音によろしくとお伝えなのです。」
「では失礼しますわ。レナさんはどうぞごゆっくり。」
「うん、そうするね! じゃーねー!」
2人はいちゃいちゃとふざけ合いながら、上機嫌に去っていった…。
■5日目のアイキャッチ
■レナの話の続き
レナと、さっきのデザートの味を論じているところに詩音がコーヒーを持ってやって来た。
「……あら。…あの、小っちゃい2人は帰っちゃいましたか?」
小っちゃい2人という言い方が可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
「あっはっはっは! 何か片付けの途中だったとかで帰っちゃったよ。」
詩音は4人分のコーヒーを持ってきてくれたのだった。
「先輩に話を聞きました。…何だか…私のためにいろいろご迷惑をかけてしまったみたいで…。」
「全然迷惑じゃないよ。他ならぬ、詩ぃちゃんのピンチだしね。……あ、いいよね詩ぃちゃんで!! 魅ぃちゃんとお揃いでかぁいいかな〜って!」
「あ、……まぁ…どうぞご自由に………。」
詩音はレナに話しかけられて、ちょっと戸惑っているようだった。
レナはちょっと鋭いところがあるから、こうして話している内に魅音だと見破られないか不安でならないのだろう。
2人分のコーヒーだけを置くと、もうすぐで仕事は終わりですから、と告げて、足早に厨房へ去っていった。
「……レナに素っ気無かった。馴れ馴れしい子だと思われちゃったかな…。はぅ…。」
「照れてるだけだよ。」
「でも、本当にそっくりだね。双子ってよりも、もうひとりの魅ぃちゃんみたいな感じ。」
「外見は似てるけど、雰囲気って言うか、中身は全然違うだろ。そういう双子も面白いと思うけどな〜。」
「圭一くんはそう思う? …中身もそっくりだと思うよ。」
何となくの沈黙。
レナはコーヒーの表面を描くミルクの模様を無言で眺めている。
…いつもしゃべり尽くめの俺には何となく息苦しい間だった。
レナの仕草がどことなく突き放した感じで、失言があったような気にさせられる。
…ちりちりとした、何だか居心地の悪い間だった。
「……レナさ。今日、言ってたろ。魅音が傷つけられた…なんて話。」
「そんな話、したかな…?」
「だからとぼけるなよ…! 確かに言ったよ。今日の学校からの帰り道で。」
レナはとぼけるように笑いながら、そんな事も言ったかな…と答えた。
いくら鈍感な俺でも…薄々と気付く。
レナは、俺が魅音を傷つけたんだと言いたいんだ。…でも、いつ? 俺が?
「もし……仮にそういうことがあったとしても…。そりゃ俺には悪意はなかったんだよ。」
俺が魅音を傷つけた、そう仮定した部分を端折って話を切り出す。
「うん。きっとそうだと思う。圭一くんに悪気はなかったと思うな。」
レナもまた、俺が傷つけたという仮定を端折って答える。……だから確信した。
どういうわけか知らないが…俺が魅音を傷つけたらしい。…そして、レナはそれに気付かない俺に立腹しているのだ…。
「誤解しないでほしいんだけど、別にレナは怒ってるわけじゃないよ。」
そんな俺の考えを見越したのか、レナはいつも以上に柔らかく笑いながら言った。
「ただその、…何て言うのかなぁ。難しいなぁ…って。」
「……俺に落ち度があるなら、はっきりそうだと言ってくれないか。俺は自分でも呆れるほど鈍感なんだ。…謝るべきことがあるなら、少しでも早くそれに気付いて謝罪したいと思ってる。」
「別に圭一くんに落ち度なんかなかったと思うよ。
考えようによっては…ずるいのは魅ぃちゃんの方なのかも知れないし。ずるいのが女の子だ、って居直るのもまたずるい気がするし。」
レナの言い方は謎めいていて…申し訳ないがさっぱり意味がわからない。
ただひとつわかるのは、「俺が何気なく」した、あるいは言った何かに魅音がとても傷つけられた、ということだけだ。
「…頼むよレナ。…魅音は俺の最高の仲間のひとりだ。禍根を残してなんか付き合いたくない。…だから教えてくれよ。俺は、何を傷つけてしまったんだ…?」
「だめだよ。こういうのは自分で気付かなきゃ。」
レナはいつものように微笑んでいたが、ぴしゃりと言った。
…こんな芯の強さがあったのかと一瞬驚かされる。
「…それに気付けないからこうして頼んでるんだろッ?!」
つい語気が荒くなったしまった。
レナも一瞬驚いたが、すぐに元の素っ気無い雰囲気に戻った。
「じゃあヒントだけならいいかな。特別なんだよ?」
「……すまん。頼む。ちゃんと考えるから。」
レナは店内を見渡して詩音を探す。
詩音は相変わらず自信なさげに、だけど張り切って仕事をしていた。
「詩ぃちゃん、髪の毛を上げて結んだら魅ぃちゃんと見分けつかなくなるんだろうね。」
「ん、そうだなぁ。」
「じゃあさ。魅ぃちゃんが髪をほどいたら、やっぱり詩ぃちゃんと見分けがつかなくなるのかな。」
「多分な。…でもそれとこれが何の関係があるんだよ?」
「もしもだよ? 双子の妹なんて話はウソで、あれは妹のフリをしてる魅ぃちゃんだったら、どう思う?」
…レナの日頃の様子からは想像もつかない鋭さだった。
口に出して肯定していいか戸惑うが、それは正解だ。
「質問に質問で返すようで悪いけどさ。…レナの言うとおり、魅音が詩音のフリをしていたとして、…そりゃ何のためだよ?」
レナはしばらくの沈黙を守った後、時計を見る仕草をした。
「そこを考えてほしいなぁ。…う〜ん、ヒントにしては多過ぎかも。…はぅ。」
ごちそうさまと短く告げ、レナは席を立った。
「ごめんね。頼まれてるお買い物があるからそろそろ帰るね。
詩ぃちゃんには挨拶もせずに先に帰っちゃってゴメン、って伝えておいてもらえるかな。」
「あぁ、伝えておく…。」
「ごめんね。」
「え…?」
「レナって怒りんぼなの。…怒ってごめんね。圭一くんだけが悪いわけでもないのに。」
レナはキツイ言い方をして申し訳ないと謝ったが、本当は謝るのは俺の方のはずだ。
「魅ぃちゃんだってもうそんなに気にしてないことだと思うの。だからなかったことにして、忘れちゃってもいいと思うんだけど。
……でもね、同じ女の子としては、…圭一くんに自分で気付いて自分で謝りに来て欲しいなって夢を見ちゃうの。
……はぅ♪」
最後だけかぁいいモードになって茶化し、レジの方へ消えていった。
■詩音と
ぼーっとしていたところを、突然、肩を叩かれた。
「お待たせしました…。えへへ、…やっと終わりました。」
私服に着替えた詩音だった。
今日は疲れましたと言って機嫌よく笑って見せた。
「今日は本当にありがとな。どれもすごいおいしかった。みんなも喜んでたよ。」
「いえいえ、そんな。…でも喜んでもらえてうれしかったです。…あれ? さっきの女の人も帰っちゃったんですか?」
「買い物があるって言って帰ったよ。先に帰って申し訳ないって伝えておいてくれって。」
「そうですか。
…じゃ、私たちも表に行きません? 例えオフでもバイト先は緊張しちゃいますから☆」
どこへ行くわけでもなく、ぶらっと散歩しようということになった。
俺もずーっと座っていたので、表の空気が吸いたくなっていたところだ。
店を出ると、外はいつの間にか夜の帳が降りようとしていた。
「…あーあ。何だか暗くなってきちゃいましたね。…もっと早めに終わらせてもらえる約束だったのに。」
詩音は残された時間がほとんどないことが残念そうだった。
「でもいいかな。ちょっとでも、こうしてのんびりお話できる時間が取れたから。」
そう言って、詩音は駅裏の並木通りの方へ歩き出す。
駅前は帰宅途中のサラリーマンが少しずつ増え始めていた。
「さて。自己紹介からしようかな。…初対面はいきなりお姉と間違えられるという衝撃的な出会いだけで、互いに挨拶もしてないですからね。」
悪戯っぽくそう笑われると、苦笑するしかない。
「私、園崎詩音と申します。お姉と似てるのは外見だけなんですよ。お姉は大雑把で暑苦しい人なんだけど、私は几帳面だけど涼しい人なんです。」
ついさっきもレナに似たようなことを問いただされたことを思い出す。
俺は外見は似てるけど性格は違うんだぜ、と言ったら、レナは同じだよ、と言った。
どこで気付いたのかはわからないが、レナは詩音が魅音であることを看破してた。
そして、それに関連して、俺が魅音を傷つけたとも言った。
レナが出したヒントはひとつ。
魅音が詩音を演じる理由は、というものだ。
「詩音は俺のこと、魅音から何て聞いてるんだ?」
「お姉は圭ちゃんのこと、お気に入りみたいですから。饒舌にいろいろとしゃべってくれますよ。部活の話とか、やられたとかやり返したとか、そんな男の子みたいな話ばかりです。……本当に仲がいいんですねー。」
そんな男の子みたいな話ばかり、か。
そう言えば、詩音本人に前に言われたことがあるような気がする。
圭ちゃんはお姉のこと、女だと思ってないでしょうって。
…それって、そんなにも魅音のことを傷つけてしまうようなことなのだろうか?
魅音だって、男の子に生まれたかったとか、女の子みたいのは似合わないとか、自分でいろいろ言ってたじゃないか…。
「……圭ちゃん、さっきから何だか楽しくなさそうですけど。」
「え、…あ、いや! そんな事ないよ。」
「隠し事が下手なくせに嘘つこうとするんですよねー。だから憎めないんですけど。」
そう言いながら、俺の額をこつんとチョップみたいに叩いた。
…こんなにも詩音は楽しそうにしてるのに、俺は魅音をどんな風に傷つけてしまったって言うんだろう。レナの残した謎はしこりを残したまま、なかなか解けようとしない…。
「ほら、あれ、綺麗だと思いません? 男の子でも綺麗に感じます?」
「へー、綺麗だなぁ…!」
詩音はウィンドウショッピングを楽しみながら、普段俺が入ったことのないようなお店を案内してくれた。
別に買ってくれとせがむわけでもなければ、俺を退屈にさせるわけでもなかった。
散歩しながらの話のタネくらいに。
そんな軽やかな足取りでいくつかのお店をひやかして回った。
俺の知らない話題ばかりなのに興味が尽きない。話し上手なんだなと思った。
「圭ちゃんって、こういうの初めてですか?」
「あぁ初めてだよ。こんな小物のお店なんか、こうして連れてきてもらわなかったら一生入らなかったなぁ。」
「…そういうのじゃなくって……その、こういう感じの。」
んな?!
突然、詩音が腕を組んできたのでびっくりして飛びのこうとした。
「ちょ、…そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。
女の子と腕を組むくらい、そんなに恥ずかしいことなんですかー?」
ちょっと怒ったような、それでいてどこか挑発するようなそんな表情をする詩音。
「べべべべべ、別に恥ずかしくなんかねぇよ! 腕が欲しけりゃ一本でも二本でもくれてやるよ。…ほら!」
「くっくっく…! 圭ちゃんって本当に退屈しない人ですねー。お姉のお気に入りってのもよくわかります。」
「い、いらねえなら引っ込めるぞ、腕…!」
「あははははは! そんなそんな〜。喜んで拝借いたしますわ〜!」
詩音は上機嫌に笑いながら、えい!と言って腕に組み付いてきた。…ちょっとドキドキ。
「反応を楽しみたいんで意地悪に質問しますけど、圭ちゃん、女の子と腕組んだことあります? 林間学校のキャンプファイヤーでってのはナシでです。」
…こんの小悪魔がぁ!! そんな経験絶対ないってわかってて聞いてやがるなぁ!
「…………林間学校を封じられると、……辛いな。」
「くっくっくっく…!! そうだと思いました〜。」
「その悪戯っぽい笑い方、本当に魅音と同じだなぁ! お前本当に詩音なんだろうなぁ。
魅音が詩音だってウソを付いてるんじゃないのかぁ?」
「お姉が、詩音のフリをしてるかもしれないって、思ってます?」
「さっきまでは双子だと思ってたが、悪ふざけの仕方が魅音とそっくり過ぎるからな!」
「口ではそんなこと言ってますけど。圭ちゃんはちゃんと私とお姉を区別してますよ。」
「区別って何だよ。」
「お姉がこうやって腕を取ってきたら、圭ちゃんドキドキしますか?」
「する。関節技でもかけられるんじゃないかと思ってビクビクする。」
「あっははははははは!」
詩音は片腹を押さえてひぃひぃと笑った。
「おいおい、そんなに可笑しいことかよ。片腹押さえて涙溜めるくらいに。」
「いえいえ…その。お姉ってしょうがないなぁって思ったんです。年頃の男の子と腕を組んで、心臓を高鳴らすこともできないなんて。本当に女の子失格ですよねー。」
前にもどこかで誰かに言われたことがあるのを改めて思い出す。
「お姉は男の子に生まれた方がよかったんじゃないかなぁって思うことありますよ。……そしたら、私も惚れてるかもなー。
なんちゃって〜! あっははははははは!」
「…魅音も男の子に生まれたかった、なんて言ってたな。」
「お姉は女の子がしたいのか男の子がしたいのか、中途半端なんですよね。まぁ、ぶきっちょな生き方のツケですからね。放っておいてあげて下さい。」
「さっきから、実の姉にずいぶんな言い方だなぁ。」
「私、魅音のどことなく甘えたところ、好きじゃないんです。」
詩音の言い方にどことなく冷めた雰囲気があった。
「詩音って、…魅音とあんまり仲良くないのか?」
「まぁそこそこは仲良くやってます。
でも、姉妹として許せないなぁってところはいろいろありますよ?
……あ、あれ見て下さい! かわいいと思いません…?」
詩音に指差されて振り返ると…そこは見覚えのあるおもちゃ屋のショーウィンドウだった。
日曜日に部活の大イベントの会場となったあのおもちゃ屋だ。
詩音が指差す先には、女の子が好きそうな人形がたくさん可愛らしくディスプレイされていた。
「女の子ってどうしてこういうのが好きなのかなぁ。」
「だってかわいいじゃないですか。圭ちゃんはかわいいって思いませんか?」
「…俺は男だから、特にそういうのは感じないよ。」
「まぁまぁ。圭ちゃんはこの中で一番かわいいのはどれだと思います?」
詩音に腕を引っ張られ、横一列に並べられている人形を示される。
…ずらりとまるで仲の良い姉妹が記念写真を撮っているみたいに並べられた人形たち。
不思議と、その中のいくつかに見覚えがあるような気がした。
「……こっち側に並んでる4つは見覚えがあるな。」
「あ、やっぱり有名なんですね。圭ちゃんでも知ってるくらいだから。」
詩音はちょっと感心した風に言った。
「最近、イギリスから入ってきたばかりの新作なんですよ。この辺ではまだ売ってますけど、都市部の方じゃ品切れ状態で、安さがポイントのはずなのに、ヘンに高騰しちゃってるそうですよ。」
「女の子っていい歳になってもこういうのが好きなんだな。」
「人にもよるでしょうけど、人形とかぬいぐるみとかを嫌いな女の子ってそんなにいないと思いますよ。あのオトコ女のお姉ですら、かわいいって言ってましたから。」
「へー…。魅音もかわいいって言うのか。そりゃーすごいことだな。」
そうだ、思い出した。
この人形はあの日曜日のイベントのあと、お店のマスターがお駄賃代わりにくれたんだっけ。
全員がもらえたのに、魅音だけ身内ってことでもらい損ねたんだ。
「やっぱり…あれが一番ですよね。ドレスのふわふわな感じがホントに…。」
「…それだ。この店のマスターに俺がもらったヤツだ。」
「らしいですね。」
詩音が小さく、だけどはっきりとそう答えた。
「善郎おじさんが、日曜日のイベントを盛り上げてくれたお礼にって。お姉が連れて来た友達4人に配ったんだそうです。ドレスの人形は圭ちゃんがもらったんですね。……どうでしたか? とってもかわいかったでしょ。」
…男の俺がもらってかわいいなんて思うわけがない。
「じゃあその人形、どうしちゃったんですか?」
「持っててもしょうがないから、……あげちゃったよ。」
誰に?
詩音がそう笑いながら微笑んだ時、頭の中でパチリとピースの合わさる音が聞こえた…。
「今日はみんな、本当にありがとう。お陰でイベントは大盛り上がりだったよ〜! 大したものじゃないけど、これ、今日のお駄賃に〜。」
「わ、善郎おじさん! 私にはないの、お駄賃ー!」
「あらあらあら!! かわいいのが出てきましたわよ?!」
沙都子と梨花ちゃんが紙袋を開けると、中から小さく可愛らしいぬいぐるみが出てきた。
「わ!! これ…かぁいい〜…!! お持ち帰りしていいの?! 本当に…?!」
「ってことは俺のもかな? ……ぅお。何だかやたら可愛いのが出てきたぞ。」
豪華なドレスを着た、いかにもままごとに使いそうなぬいぐるみだ。
レナの目が俺のぬいぐるみに釘付けになる!…いや、沙都子もだ。心なしか梨花ちゃんも…?!
…そうだ。
レナと沙都子と梨花ちゃんだけじゃない。
…もうひとり、羨ましそうにしていたのがいた…。
「あっはっはっは! 圭ちゃんには一番似合わないのが出てきちゃったねぇ!」
…そんな表情を読み取られたくなくて、精一杯の照れ隠しを言っていた。
「…なんつーのか、プリティーって言うかキュートって言うか、…可愛いのは認めるんだが…着せ替え人形はちょっとなぁ…。」
「圭ちゃんが持ってたら、確実に明日から変態扱いだね。うん!」
…魅音の、小馬鹿にするようないつもの口調。
俺はこの人形を誰かにあげようとして周りを見渡したんだ。
正面に魅音がいた。
魅音だけおみやげをもらってなかったので、魅音に渡そうと思った。……でも渡さなかった。
「えッ?!?! くれるの?! レナに?! ありがと〜〜〜!!!!!」
羨望の眼差しの魅音に背を向け、俺はその人形をレナに渡した。
俺の背中で、魅音の笑顔に影がさしていた。……気付くはずもなかった。
どうして、俺は魅音に渡さなかったんだ…?
魅音だけもらえなかったんだから、魅音にあげるのが一番筋なんじゃないのか…?
その時の俺も、その違和感に気付いていた。
だからごまかしで言ったんだ。
「保身のためだよ。…レナにあげないと夜道が怖い。」
「あっはっはっは!! 違いない違いない!」
「魅音にあげようかと思ったけど…ちょっと違うよな!」
魅音の瞳がほんの少し陰ったのに、その時の俺は気付かなかった。
魅音にあげようかと思ったけど…どうしてあげなかったんだ。
「へっへっへ、わかってるじゃない! 私さ、どーして男に生まれなかったのかなーって思う時あるよ。」
魅音自身がそう言って笑ったから、俺は彼女を傷つけたことに気が付かなかった。
「そうだな。魅音ってカッコイイ系の方が似合うヤツだもんな! だからこの店の手伝いは詩音ちゃんが来て正解だったと思うぜ。」
…え? と詩音が聞き直す。
「その制服、魅音なんかには絶対に似合わないと思うけど。…詩音ちゃんにはよく似合ってると思うしさ。」
「え、……………それって……あの、」
詩音は、よくレナがそうするように…ぽーっとした遠い目をして真っ赤になった。
魅音はとてもうれしそうだった。
詩音を褒められたことを、嬉しそうだった。
魅音には似合わないけど詩音には、君には似合うと言われて、嬉しそうだった。
「あ、えっと……魅音の双子の妹なんだよ。性格は違うけど外見は瓜二つなんだ。」
「そうそう! 外見は似てるけど中身は大違いなんだよ! 私はやさしくて思慮深いけど、詩音は冷めてておっかない性格なんだよねー…!」
「……多分、生まれた時に魅音の女の子らしい部分は全部詩音に行っちゃったんだと思う。…魅音と違って実にはにかんだ笑顔の似合う可愛い女の子なんだ。」
魅音は怒ったようなうれしいような、不思議な顔をしていた。
詩音をかわいいと言ってもらえたことを、喜んでいるようだった。
弁当箱を開けてちょっと覗いてみると…、残り物をちょっと詰めてきたというには凝りすぎな、とても綺麗なお弁当が詰められていた。
「ほ、本当にいいのか?! これ、タバスコとかがいっぱい入ってるとかそういう冗談じゃないのかよ?!」
「もー。お姉じゃないんですから、私、そんなことしませんよ。…別に嫌なら無理しなくても……。帰って自分で食べちゃいますから…。」
お姉じゃないんですから。そう断った。
詩音は自分が魅音ではないことにこだわった。
私は詩音だと、魅音だと思わないで下さいと重ねて言った。
魅音は詩音でいることに、特別な意味を持っていた。
「魅ぃちゃんって不思議でしょ。女の子なんだけど、男の子みたいって言うか。」
レナはそう言った。
「でもね。そんな魅ぃちゃんも、…本当はすっごく女の子らしいんだよ。」
「……レナ。お前、魅音にいくらもらったんだよ。」
「ちーがーうーの〜! もー、ちゃんとした話をしてるんだよ。だよ?」
茶化すタイミングではなかったらしいな。レナが口を尖らせる。
「魅ぃちゃんは部活の部長さんだから、みんなのリーダーとして頑張ってるけど。…本当はとっても可愛い女の子なんだよ。それ、特に圭一くんには忘れてほしくないなぁ…。」
初めから謎なんて何にもなかった。
…レナは初めから答えしか言ってなかったんだ。
………それで、もう私、……何がなんだか…わからなくなっちゃって…。
「……うん。」
……圭ちゃんに悪気がなかったのはわかってる。…わかってるつもり。
「うん。…圭一くんは人を傷つけるような人じゃないよ。だから魅ぃちゃんが痛みを覚える必要なんか、全然ないんだよ。」
………じゃあ、何なんだろうね。
……悔しいのか、それとも悲しいのか…全然わかんなくて………。
「……ほしかった? あのお人形。」
………………………………。
「レナがもらったのをあげても、…何にも解決にならないもんね。」
……………そうだね。
「じゃあ魅ぃちゃん。圭一くんにおねだりしてごらんよ。…正面からぶつかってみた方が、結構解決できるかもしれないよ?」
そ、そんなの…できるわけないじゃない…!
「今さら…恥ずかしくて出来ない…?」
……………………魅音じゃない私で、もう一回やり直したい。
そうしたら、今度はもっと素直になりたい…。
魅音としての圭ちゃんとの関係はとても気に入ってるよッ?!
わがままだと知ってるけど……もう一回…。
「きっと気付いてくれるよ、圭一くん。」
……………そうかな。
「レナも応援するから。……魅ぃちゃんが悲しみが軽くなる方法を探してみようよ。私を信じて。……魅ぃちゃんを泣かせたりなんか、絶対にさせないから。」
………信じる。…信じる。
「きっと圭一くんは魅ぃちゃんのこともわかってくれるよ。それでね、無神経なことを言ってごめんねって言って…あのお店に魅ぃちゃんを連れて行って、あのお人形をプレゼントしてくれるの。」
……うん。……うん。
「そうしたら…魅ぃちゃんもありがとう、って言うんだよ。…茶化しちゃダメだよ。素直に言うんだからね。」
………うん。……ぅっく……。
「……ほしいな、って言ったら………圭ちゃん、…買ってくれます…?」
魅音は、恥ずかしさを精一杯の努力でねじ伏せながら……静かにそう言った。
反射的に照れ隠しの軽口が口を突く。
……魅音がそうするように、俺もねじ伏せた。
「いいよ、魅音。……今日までのお礼ってことで、どれでも買ってやるよ。」
言い馴れない言葉に喉が渇く。
魅音の精一杯に負けないように、俺も精一杯だった。
「だ、だから私、…魅音じゃなくて詩音……。」
「……じゃあ詩音。詩音に買ってやるよ。」
詩音は答えず、赤くなりながら俯き、…あのドレスの人形を指差してショーウィンドウを指でなぞった。
「ほ、…ほ、………本当にいいんですか? あのドレスのだけは、…ちょっぴり高いんですよ?」
「…値段の問題じゃないだろ。気持ちの問題だよ。」
「私、……今日は圭ちゃんに、…嫌なお客さんから助けてもらえて…本当に嬉しかったです。
…先輩たちもみんな助けてくれなかったのに、…圭ちゃんだけは助けてくれました。……私の肩をぐい!って、引っ張ってくれましたよね…? あの時、すごく……カッコ良かったです。なのに私………恥ずかしくって…ちゃんとしたお礼もできなくって……。」
詩音の頭にポンと手を乗せ、わしわしと撫でた。…レナたちにそうするように撫でた。
そうすると詩音もまた、レナがそうするようにぽーっと薄っすらと赤くなった…。
「そんな難しいのは抜きでいいよ。…あの時、あげてれば良かったんだ。そうすればみんな楽しく笑ってられたんだ。」
………詩音は答えなかった。
真っ赤になりながら、まるで笑いや涙をこらえるみたいに、俯いていた。
「今、買ってくるよ。そこで待ってろよ。」
「あ、……わ、私も一緒に行きます。」
そう言って、再び俺の腕を取ってきた。…もう邪険にはしなかった。
「……お姉がどうして圭ちゃんのことを好きなのか、私、…よくわかった気がします。…………ねぇ。…圭ちゃんのこと。…ちょっぴり好きになっても、いいですか?」
慣れない状況に…頭がぐるぐる回る錯覚がする…。おおおお、俺は一体一体一体…!
もう限界だった。
照れ隠しの苦笑いをしながら、詩音を引きずるように店内に入って行く。
「すす、すみませーん!!! 表のショーウィンドウにあるドレスの人形がほしいんですけどー!!」
やや遅れて、ハーイという声が聞こえ、お店のエプロンを着たバイトさんが出て来、
「け、圭ちゃん? それに……何でアンタがここにいるのッ?!?!」
「バイト中のお姉には関係ありません。私、圭ちゃんとデート中なんですから。」
「え、…えぇえぇぇぇえ…ッ?!?! な、なな、何で圭ちゃん…?」
な、何でと聞かれても……お、俺が聞きたい…。
魅音は祈るような焦るような狼狽の表情で俺を伺っている…。だがそれは俺も同じだ!
…俺の隣にいるコイツは…じゃあダレなんだ…?!?!
「最初からそうだって言ってますよ。園崎詩音です。お姉の双子の妹ですよ。圭ちゃんだって私のこと、詩音って呼んでたじゃないですかー。」
『詩音』はそう言って、かわいらしく頬を膨らませた…。
「どどどどどどういうことなの……。説明してよ……詩音…!」
「別にー。お姉がご執心の圭ちゃんってどんな人なのかなって思って。デザートフェスタのチケット、都合してあげたんです。…そしたら、圭ちゃん、…私が嫌なお客さんに絡まれているところに颯爽と現れて…。ばったばったとなぎ倒して私を助けてくれて…………ぽ。」
「「えぇええぇえぇぇ〜〜…?!?!」」
俺も魅音も情けない声を出して、最大限の混乱を表現した。
「……魅音が……電話をくれたろ…? 昨日さ…。」
「…しないよ私。……何のことか全然わかんない…。」
「私、圭ちゃんのためにお弁当を届けてあげたよね? あれは私だもんねー?
それともあれ、お姉だったの? 園崎魅音ともあろうお方が手作り弁当を作って、男の子の家に甲斐甲斐しく届けに行ったと? へー…お姉って見かけによらず大胆〜!」
ボン!と音がして、魅音の頭から噴煙のような蒸気があがる…。
「いやいえ………し、…知らない知らない……!」
「ほらね圭ちゃん。お姉は知らないって。だから昨日までのは全部、私、園崎詩音なの。
私のフリをしたお姉かもしれないって思ってたかもしれないけど、これで疑いは晴れたしょ。」
……何が何やらわからない…。
そこに鏡があったなら、目が点になっている俺が映っているに違いないだろう…。
「さ、店員さん。表のショーケースの人形、包んでくださいね。大好きになった人からの初めてのプレゼントだから、ちゃんとリボン付きで梱包してほしいです。」
うろたえる魅音と、涼しそうな顔で追い詰める詩音。
…思考が停止した俺。
「ぇ……え……、……そんな………圭ちゃ〜…ん…。」
「…………何が……どうなって……………。」
「じゃ、行こ! 圭ちゃん! もう暗くなってきたから、お家まで送ってあげるね。お姉、悪いけど興宮の家に電話して車を回すように言ってもらえる?
自転車も積めるように、ワゴンか何かで来てほしいって伝えてね。」
嬉々満面の詩音と対照的な…半涙で抜け殻のようになった魅音。
「……ぅぅ…………圭ちゃ〜…ん…。」
その後、別れるまで魅音のぼやきは絶えることはなかった…。
■5日目幕間 TIPS入手
5■初めましてじゃないです
「…だから初めましてじゃないですって! 昨日まで毎日、お会いしてたじゃないですか。」
「……もういい。お前がそうだって言うならそういうことでいい。」
詩音の家の人がワゴン車で迎えに来てくれた。
俺は一応は断ったのだが、詩音に押し切られる形で、自転車ごと押し込まれたのだった。
車は今、一路、雛見沢へのでこぼこした道を走っている最中だ。
詩音ってヤツは…どうやら魅音と同じか、もしくはそれ以上の役者らしく、どう問い詰めてものらりくらりとかわす。
「しかし……そっくりだなぁ。魅音みたいに髪を後ろで結んだら、やっぱり魅音そっくりになるのか?」
「さぁ。試せばそうなるんじゃないですか? 私たち、筋金入りの一卵性ですから。昔は服を取替えっこしただけで、誰も見破れなかったものです。お姉と一緒にことあるごとに入れ替わって、いろいろと騙したりしましたっけ。あははは!」
運転していた初老で黒スーツという、まるで執事とでも言わんばかりの男が深くため息を吐く。
「なぁに、葛西。そのふかーいため息は。」
「失礼しました。……昔から変わられないなぁと思っただけですよ。」
バックミラー越しに、運転手の男のふかーい積年の苦労が見て取れる。
「それより、圭ちゃんの家ってこっちでいいんですか? 葛西は園崎本家への道以外は雛見沢をよく知らないから。任せておくと谷河内辺りまで走ってっちゃいますよ。」
「そ、そりゃ困る! …すみません、次の右に入る細い道のところで停めてください。そこまでで結構です。」
望みどおりの場所で車を停まる。
葛西さんと呼ばれた運転手が荷台から自転車を下ろしてくれた。
「あ、…どうもすみません。今日は送ってもらってありがとうございます…。」
「圭一さんでしたか、お名前。」
「え、あ、はい。」
「……いろいろと災難はあると思いますが、そのうち飽きると思いますので、どうかそれまでご辛抱下さい。」
深いふかーい同情の顔。
……このおっさん、きっと園崎姉妹が幼かった頃からいろいろと苦労してきたに違いない。
「ですが、魅音さんと同じで、根はやさしい方なんですよ。」
「…それはつまり、魅音並に迷惑をかけるヤツだ、ということですか。」
おっさんは笑顔を凍りつかせたまま、二の句を失っている。…おい、少しはフォローしろ。
「じゃあね圭ちゃん! また会いましょうね。姉にもよろしくお伝え下さい。私も明日から雛見沢の学校に通おうかな。」
「絶対に来るな。詩音が転校して来たら、俺が興宮の学校に転校するから。」
「わ、それはすごくひどいことですよ、圭ちゃん…!」
短くクラクションが1回。おっさんが運転席から小さく手を振る。
車は砂塵を残しながら、暗い夜道を引き返していった…。
…………もう本当に、…わけのわからん一日だった。
…俺が詩音といるところにばったり出くわした魅音の、豆鉄砲を食らったハトのような顔が、今さらだが何だか印象深かった。
■6日目・空冷の一日
あの日の翌日。
…魅音は平静を取り戻そうとやっきになっている変な一日だった。
俺と目が合うと、用事を思い出したとかトイレに行くとか言ってすぐに逃げて行ってしまうのだ。
見かねたレナが付きっ切りで魅音を介護していた。
「……今日の魅音さん、…徹底的にヘンですわね。」
「一部始終を知ってはいるんだが……何とも説明しづらい…。」
「……女の子には不安定になる時もあるのです。放っておいてあげるのが一番なのですよ。」
…ん?
ふと見ると、廊下からレナが呼んでいた。…何だろう。
「圭一くん、こっちこっち。」
「何だよ、こんなとこに呼んで。内緒話か?」
「えーっと……その、………災難だったみたいだね。
…あははははは。」
「う、……う〜……ん…。」
「魅ぃちゃん、かなり壊れてたけど、…何とか直しておいたから。」
「よく直せたな…。一体どうやって…。」
「うん。テレビと同じ。斜め45度くらいの角度でえい!えい!って。」
そう言い、チョップするような仕草をして見せた。
…ギャグなのか本当なのか区別が付かないぞ…。
「明日からは大丈夫だから。だけど圭一くんにもお願いしたいことがあるの。」
「……悪気はないんだが、なぜか罪の意識もある。…何でも聞くぞ。」
「うん。助かる。……魅ぃちゃんはね、昨日までの数日間のこと、なかったことにするから。」
なかったこと、って…。……なるほど、そういう逃げ方もあるなぁ…。
「だからね! 圭一くんもなかったことにしてあげて。それで魅ぃちゃん、いつも通りだから。」
「そ、そんな簡単なことで…本当に大丈夫なのか…?」
「お願いだから魅ぃちゃんの心の整理が付くまでそっとしておいてあげてよ。」
「……うーん……わかったよ。」
俺に落ち度はないはずなのに……なぜか俺が悪い気がする。
一番悪いのは事情を知りつつ丸一日魅音に成りすましてた詩音なんだが…!!!
うー…でも……あいつ一言も自分が魅音だとは言ってないもんな…。…うー…。このやり場のないゲンコツはどこへ向ければいいんだよー…!
俺がそんな、ヤキモキとした仕草で地団太を踏んでいるのを見て、レナはくすくすと笑っていた。
「でも、圭一くんもわかったでしょ。魅ぃちゃんにもかわいいところがあるんだ、って。」
レナは風に髪をなびかせながら、落ち着きのある声で言った。
「………あぁ。退屈しないヤツだということがわかった。」
「…よかった。」
レナは短くそう答えると大きく伸びをして空を仰いだ。
「圭一くんがそれに気付いてくれれば、この数日間の出来事はすぐに笑い話になるんだよ。」
俺もレナがするように伸びをして空を仰いだ。
澄み渡る空はどこまでも高かった。
「今日は部活も何にもなし。今日だけは申し訳ないけど圭一くん、下校はひとりでいいかな。明日からは元通りだから今日だけ。…ね。」
今日一日、そっとしておけば元に戻るなら、楽な注文だ。
「わかったよ。………魅音に面と向かって言えないから、レナに言っとく。……何だか、申し訳ないな。謝る…。」
「…う〜ん! 元はと言えば、圭一くんが無神経なことを言うからいけなかったんだよね。これに懲りて、少しはデリカシーってものを身に付けるんだよ?」
「へいへーい、努力しまーす。」
その日は、これまでで一番短い一日だった。
レナが魅音に付きっ切りでずーっと話をして過ごしているようだった。
とても楽しそうな話なので、ついつい加わろうかと思ったが、それはしない約束だ。
魅音も、俺を意識しないように精一杯がんばってるようだった。
…だから俺も同じ様に、魅音を意識しないように精一杯がんばる。
お昼も久しぶりにひとりで食べた。
魅音もレナと二人きりで食べた。
灰色の感情でため息を漏らしていたら、梨花ちゃんがやって来て、俺の頭を撫でてくれた。
「……圭一も魅ぃもいっぱいいっぱいお勉強しましたですね。」
勉強って言い方をするとは思わなかったな。…なんか恋愛のトラブルがあったみたいですごく嫌だぞ。
見かねた先生とかに、放課後に職員室に呼ばれたりはしないだろうな…。
「……きっと圭一は素敵な大人になれますですよ。」…なでなで。
「…ふーん。…梨花ちゃんはお勉強家だからすごい素敵な大人になれそうだな?」
「……もちろんなのですよ。ボクは大人になったらスゴイスゴイのです。」
「あぁら、私も大人になったらすごいレディーになるんですのよ〜?」
「沙都子はいくつになってもお子様だと思うぞ。賭けてもいい。」
「なななな、なんですってぇえぇええええぇ?!?!」
沙都子が指を鳴らすと上からタライが落ちてきて、俺の頭に命中した。
「いってぇええぇえぇ…。何しやがんだ沙都子ぉおおぉおぉ!!!!」
どったんばったん!! つねったりひっかいたり…!!
仲間のありがたみを噛み締める一日だった。
■6日目アイキャッチ(あっという間なので幕間じゃなくてアイキャッチ)
■7日目(土曜日)
今日は土曜日だから学校はあっという間に終わりだ。
これだけ日が高い内に帰れると実に気分がいい。
いつもなら、たっぷりある放課後を使って部活で大はしゃぎをするところなのだが、梨花ちゃんが明日の綿流しのお祭りの予行練習があるというのでお流れになった。
「梨花ちゃんはどんな調子? 練習はばっちり?」
「……去年よりはがんばりますです。」
「去年は終わったあと、へとへとの汗だらけだったんだよね。」
「今年はもっともっとさまになってますわよ! 特訓の成果、ご期待あそばせですの。」
以前、みんなが話してた綿流しのお祭りはいよいよ明日なのか。
6月の祭りなんて何だか時期的に早いなと思っていたが、今年は例年になく夏が早いので、夏祭りのイメージがよく似合う。
「……じゃあボクたちは失礼しますです。」
「明日を楽しみになさいませ〜! それでは御機嫌ようですわー!」
沙都子と梨花ちゃんは元気そうに手を振りながら去って行った。
「そう言えば聞いてなかったんだけど、祭り会場ってどこなんだ? この辺って祭りの出来そうな場所なんてあったっけ?」
「古手神社でやるんだよ。ほら、以前にみんなでお散歩した時に行ったでしょ? あの見晴らしの良かったところ。」
…あぁ…思い出した思い出した。
そう言えば高台に、雛見沢にしては立派過ぎる神社があったっけ。
「神社には立派な集会所とかもあって、老人会のカラオケとか習字サークルの会合とかを時々やってるからね。単なる神社というよりは公共施設のような雰囲気だね。」
「なるほどね。それなら立派なのも納得かな。」
「魅ぃちゃん家も今日の設営にはお手伝いに行くの?」
「うん。男手がいるからね。町から親類が大勢手伝いに来るよ。」
男手がいる、か。…今日は帰っても別にすることはないし…。
「俺みたいのが飛び入りで参加するとかえって邪魔になるか?」
「へ?
…圭ちゃん、手伝いに来てくれるの?」
「…迷惑なら行かねぇよ。単なる興味だからさ。」
町内の盆踊り大会とかは前の町にもあったが、手伝いどころかいつあるかもよくは知らなかった。地域との縁がまったくなかったと言っていいだろう。
だが雛見沢に来て、強く郷土というものを意識させられた。
祭りの前日準備というささやかなコミュニティー活動に、ちょっとした興味を覚える。
「圭一くん、がんばれるかな。テントを建てたりパイプイスを並べたり。結構重労働って聞いてるよ。」
「別に俺一人でやるわけじゃないだろ。みんなでやればきっと早いぜー?」
魅音は嬉しそうな顔をしながらも戸惑うという複雑な表情で迷っていた。
それをレナが後押しする。
「じゃあ決定だね。行ってきなよ圭一くん。魅ぃちゃんはビシビシこき使ってあげてね!」
「レナの推薦じゃあ仕方ないなぁ。じゃあさ、帰ったらラフな格好で神社に来なよ。汗拭き用のタオルもあるといいかもね。」
「よし来た! 俺、こう見えても太陽の下で汗をかくの、嫌いじゃないんだぜ。」
「せいぜい腰を痛めないよーにね。んじゃ、おじさんはこの辺で。…私も着替えたらすぐに神社に行くから。」
「魅ぃちゃんもがんばってね〜! バイバ〜イ!」
元気よく手を振って別れる魅音の颯爽とした後姿を見る限り、昨日のヘタレ状態からは回復できたようだ。
「女の子は切り替えが早いんだから。もう魅ぃちゃんも大丈夫だよ。」
「うん。あれだけキレイに切り替えてくれると、こっちも実に合わせやすい。」
「でも面白かったでしょ。シンデレラみたいって言うのかな。魔法が解けたらもう逢えないってところが。」
レナは結構、愉快そうにくすくすと笑っていた。…レナ好みのシチュエーションなんだろうか。
ちなみに付き合わされた俺としては、おもちゃにしたのかされたのか何とも言い難い複雑な気分なのだが。
「そんなに面白いなら、レナももうひとりの自分を演じればいいじゃないか。」
「うん、面白そうだね! じゃあ圭一くんは、どんなレナに会いたいかな?」
「バスト90以上。お触りOKのボインボイン。」
「そ、そんなの無理ー…!」
「料理上手でお昼のお弁当を作ってくれて朝は迎えに来てくれて…。」
「それ、いつもやってる…。」
レナの頭を掴み寄せ、鷲掴みにしてわしわしと撫でてやる。
「竜宮レナなんだろ? 礼奈じゃなくてレナ! だからレナはいつまでもレナのまんまでいろ。」
「…………ありがと! お祭りのお手伝い、がんばってね〜!」
「おぅ!! 明日、祭りに会おうなー!!!」
■お祭りのお手伝い
さっそく着替え、魅音の忠告通り汗拭き用のタオルを首にかけ神社へ向かった。
神社には…普段の雛見沢からは想像も付かないくらいの大勢の人たちが集まり、ラインを引いたりテントの骨組みを組み立てたりと、にぎやかにしていた。
…さてと、魅音はどこにいるんだろう? これだけ賑やかだと探すのは容易じゃない。
俺が作業スタイルできょろきょろしていると、何と校長先生が話しかけてきた。
「む、前原くんであるか。関心である!! 綿流しの準備の手伝いに来たのかね?」
「え、…あ、どうも。何かお手伝いできないかなって思いまして。」
「殊勝な心掛けである!! 存分に汗を流すがよいぞ! がっはっはっは!!」
校長に促され、テントの組み立てをしている人たちのところへやって来た。
「ありゃー、前原の兄ちゃんじゃねえの。ひょっとして、手伝いに来たのかい?」
魅音には会えないが、まぁ会っても仕事の邪魔をしちゃうだけかもしれないしな。
「ぅおっす! 手伝いに来ました!! よろしくお願いしまっす!!」
「若いのは元気があっていいね〜! おら、軍手付けて。テントは組んだことあるかい?」
「いえ、初めてっす。」
若者にものを教えるのはとても楽しいものらしく、たくさんの人たちが上機嫌にいろいろと教えてくれた。
「じゃ、兄ちゃんは天幕の内側に入って天骨のヒモだけ結んで。結んだら脚を立てて、残りのヒモも結ぶからな!」
「蝶々結びでいいんですよね? ……よいしょよいしょ…。」
「結んだかぁー? 立てるぞー!! いっせーのぉ!!」
ただのつぶれたテントが、目の前で一瞬にして立派な四脚テントになって立ち上がった。…おぉ…。こうして形が組みあがると、何だか感無量だな!
「ほれほれ、感動してる場合じゃないぞ!! まだまだたくさんあるんだからなぁ!」
「トラックにテントを積んであるからここまで持ってきな。重いから二人でやれよ!」
大丈夫っすよ、俺、こう見えても結構力あるんすから…!
ぅおッ?!?!
軽々と渡されるものだから、てっきり軽いのかと思っていたら…重いッ!!
「だぁから二人で運べって言ったろー?! ほれほれ。」
そう言って、俵でも担ぎ上げるようにひょい!と抱えて持っていってしまった。
……俺が非力なのか、おっさんたちがみんな豪腕なのか…。
「ほら、一番若いんだから汗しないとダメだぞー!! がんばれがんばれ!! 終わったあとのビールがうまいぞ〜!!」
「あの、俺、未成年だし………。」
汗がぼろぼろとこぼれる。たっぷりこってりと、お手伝い三昧だ。
婦人会のばあさんにもらった麦茶がこれほどうまいとは思わなかった。
「若いからねぇ。たーんとお飲み。」
「あ、ありがとうございます…。」
その時、向こうの社の方に人だかりが出来ているのに気付いた。
目を凝らすと、巫女さん衣装の女の子が、何人かのじいさんたちと一緒にセレモニーの段取りをしているようだった。
「……梨花ちゃんか? おぉい!! 梨花ちゃ〜ん!! がんばれよーぅ!!」
大声で呼びかけると、聞こえてくれたらしい。
はちきれんばかりの梨花ちゃんスマイルで返してくれた。
おっさんたちも梨花ちゃんの様子を遠めに眺めていた。
「梨花ちゃまも頑張るなぁ。」
「去年に比べるとだいぶ板についてきたみたいだしなぁー!」
俺に麦茶をくれたばあさん、数珠みたいなものを手で揉むようにしながら、
「梨花さまぁ〜、ありがたやありがたや…。」
と、その御姿をうやうやしく拝んでいた。
………あれ?
そう言えば、ここって古手神社って言うんだよな。…で、梨花ちゃんのフルネームは確か古手梨花じゃなかったっけ。
その疑問に隣のおっさんが答えてくれた。
「そうだよ。梨花ちゃまの古手一族は代々オヤシロさまをお祀りする由緒正しい一族なんだよ。」
…ふーん。どことなく一般人とは雰囲気の違う子だと思ってたが、やっぱり、やんごとなき一族の出なのか。
「一昨年、神主さまだったお父さんが亡くなられてからは、ああやってがんばって祭事を引き継いでおるんだよ。…この立派になった姿、神主さまに見せたかったのぅ。」
「え? 梨花ちゃんのお父さんって、お亡くなりになったんですか?」
「よぅし! 休憩終わり。次は使わないパイプイスを興小の体育館に戻しちゃおっか。牧さん、軽を回して何人か連れてってよ。」
「んじゃ前原くん、最後にもう一働きしよぅか!」
げー…!!
ま、まだ働かされんすか…???
おっさんたちは、俺が未成年なのを知ってか知らずか、がんばれがんばれビールがうまいぞーと応援する。
「圭ちゃん、がんばってるー?!」
魅音とすれ違った。大きなダンボールを運び、向こうもまさに労働の真っ最中のようだ。
シャツにも汗がにじんでいるところを見ると、大変なのは俺だけではないらしい。
「おう、頑張ってるぜー!! 魅音もがんばれよー! ビールがうまいぞー!!」
「あっはっはっはっはっは!!」
日が傾いて涼しくなるまで、俺たちはたっぷりと働かされたのだった。
■日が暮れて…
すっかり夕方になり、ひぐらしの涼しい音色が、ほどよい疲れを癒してくれていた。
おっさんたちは前夜祭状態の酒盛りを開始し、向こうのテントで大盛り上がりしていた。
さっきまでのにぎやかだった境内は、今度は逆に寂しくなり、夕方の涼しい風の通り道となっていた。………風が心地いい。
狛犬に寄りかかり、足を投げ出してぼーっとしていると、突然目の前に麦茶の入った紙コップを差し出された。
「圭ちゃん、お疲れさまー。ハイ、麦茶です。」
「お、気が利くな〜。サンキュー魅、」
確かに声はそっくりだったが、どことなく雰囲気が違う。
「あ、お前は…!!」
「ど〜も〜、詩音でーす。気が利いてるのは詩音の方。利いてないのが魅音の方ですので、お間違いなきよう。」
「し、詩音、てめぇえ〜!! ここで会ったが百年目ぇ!」
「あっははははは! 圭ちゃんが勝手に勘違いしたんですよー? 私は初めから詩音としか名乗ってませんしー☆」
「うぐぐ……、それを言われると弱い…。」
「くすくす。…そうそう、お姉にすらかなわない圭ちゃんが、私にかなうわけないんですからねー。それより麦茶。ぬるくなっちゃいますよ。」
「……む、」
「もー、機嫌直して下さい。だからこれ、仲直りの麦茶ってことで。」
…せっかく持って来てくれたんだし。まぁもらっておくか。
受け取り、一気に喉の奥に流し込む。
…その時、突然、あーーーーーッ!!!
という大声が浴びせられて、思わずむせこんでしまう…。
「げほげほげほ…ッ!! 今度はどっちだ?! 本物の魅音か?!」
「し、詩音んん!!! アンタ何でまた圭ちゃんと一緒にいるわけぇええぇ?!」
「お姉と違って私は気配りとかできるタイプですから。汗だくになってた圭ちゃんを放っておけなくて、麦茶を持ってきたわけです。
……ところでお姉は何で麦茶を2つも持ってるんですか?」
魅音は真っ赤になりながら、両手に持った麦茶の紙コップを隠そうとした。
「え、い、いや………これは………!」
「大雑把で自分さえよければいいお姉が、クラスメートの男の子に甲斐甲斐しく麦茶を持ってくるわけないですよねー?
結局何なんです? その2つの麦茶は。」
「これは……えっと……その…その………、うん! すっごく喉が渇いちゃって…2杯は飲めるかなぁなんて…!」
「あははははは、お姉らしい。それ! イッキ、イッキ!」
詩音にはやし立てられ、魅音は2杯の麦茶を次々と飲み干した。
「うーッげほげほげほ…!!」
「さすがはお姉、見事な飲みっぷりでしたー。
圭ちゃんも拍手拍手。」
ちょっと…にわかには信じがたい光景だ。…あの魅音がこうも簡単にあしらわれてしまうとは…。今さらだが…詩音、恐るべし。
「………魅音って、…詩音には頭上がらないのか?」
「私、詩音嫌い〜。この前からもっと嫌いになった〜。」
その時、カシャ!というシャッターを切るような音が聞こえた。
「こんばんは。いよいよ明日がお祭りだねぇ! 今日は準備、お疲れさん。」
「こんばんは。……あら、詩音ちゃん? 珍しいわね、こっちへ来るなんて。」
「ありゃ、富竹のおじさまに鷹野さんじゃないですかー。」
「こんばんは。ご無沙汰いたしております。」
「君が噂の転校生、前原圭一くんだね? 今日は張り切って仕事してたね! 感心したよ。」
…このカメラマンみたいなおっさん、会ったことがあるような気がするな。
「えー…っと、どこかでお会いしてますよね?」
「覚えててくれてうれしいね。圭一くんとは道で何度かすれ違ってるよ。僕は富竹。東京から来てるフリーのカメラマンさ。」
「じゃあ私はわかるかしら…?」
「…………すみません、覚えがないです。」
「鷹野三四(みよ)さんだよ。圭ちゃんはまだ風邪とかで診療所のお世話にはなってない? 三四さんは診療所で看護婦さんをやってるんだよ。」
「鷹野よ。よろしくね。治療に来る時は教えてね。太めの注射針を用意しておくから。」
「…そりゃーご丁寧にどうも…。」
富竹さんは園崎姉妹が瓜二つなのを面白がって、写真を何枚も撮っていた。
「話には聞いていたけど、一卵性双生児ってのは初めて見たよ。本当にそっくりなんだなぁ!」
「そっくりなのは外見だけじゃないんですよ。ほら、下着もおそろい☆」
「ぎゃぁああぁぁぁぁ、バカバカ、アンタ何すんのぉおおぉおぉおッ!!」
………2人揃うと、賑やかなことこの上ない。
当初はそっくりだと思っていた二人だが、何だかだんだん個性がわかるようになってきた。
魅音は魅音で、詩音は…魅音が演じていたものよりもずっと役者が上みたいだ。
第一、魅音を鼻であしらえるようなヤツが、あの日のエンジェルモートで、脂デブ共に弱みを見せるはずがない!
だとすると、あの日の弱々しい仕草は全て…演技だったってことになるもんなぁ!
「あの二人、昔はもっとそっくりでね。ご両親でもどっちがどっちかわからなくて手を焼いていたそうよ。」
「……すごく想像に容易です。…ご両親のご苦労がよくわかります。」
鷹野さんは不思議そうな顔をしているが、面倒くさいので特に説明はしない。
「富竹のおじさまは、また綿流しの取材が終わったら東京にとんぼ返りですかー?」
「うん。本当はいつまでも滞在していたいんだけどね。しがない大人の都合ってヤツさ。」
「お写真が、早く素敵な賞を取るといいですね。お祈りしていますね。」
「ありがとう! 今度来る時には、今日撮った君たちの写真も持ってくるよ。」
「今日は前原くんもお疲れさま。慣れない力仕事で疲れたでしょう。」
「え、まぁ…疲れたけど、結構、楽しかったです。」
「若さね。うらやましいわ。」
鷹野さんは、俺の仲間の誰も持っていない大人の優雅さで笑った。
髪が風に乗り、…知的な美しさを感じさせる。
「おやおや皆さん。こんにちは。」
この賑やかな人だかりはやはり目立つのか、今度は肥えたおっさんが声をかけてきた。
……またしても、どこかで会った顔だ。確か…警察の人じゃなかったっけ。
「あら、大石さん。こんばんは。明日の警備の下見ですか?」
「なっはっはっは。そんなところです。おや、富竹くんじゃないですか。ご無沙汰しておりますねぇ!」
「僕の名前を覚えていて下さったとは、光栄ですよ。」
「あなたもつくづく雛見沢が好きですなぁ。
ここいら辺は東京よりもずっとアパートは安いですよ。いっそ引っ越してくればいいのに。仲のいい不動産屋を紹介しますよ。」
「それはうれしいですね。その節はぜひお世話になりたいです。」
「なっはっはっは! ではでは皆さん、よいお年を。園崎の双子さんも良いお年を。」
「よいお年を、大石刑事。……お仕事よろしくお願いしますね。今年は皆さんの手を煩わせない綿流しにしたいです。」
「これは手厳しい。…なっはっはっはっは。」
大石刑事は下品な笑いを残しながら、向こうにいる警官たちの所へ歩いていった。
…ふと魅音を見ると、まるで嫌いなヤツの後ろ姿を睨むような、つまらなさそうな顔をしていた。
「……そうねぇ。今年は警察のお世話にならない綿流しになるといいわね。」
「あっはっはっは。君も好きだね。」
「あら、ジロウさんは嫌い? …私、そういう夢のある話、好きよ? 潤いのない時代だからこそ、そういうのに憧れるの。」
「オヤシロさまの祟り、か。」
富竹さんが、祟りなんて物騒なことを言い出す。
その時、突然、俺の手が引かれた。
「圭ちゃん、私、お腹空いちゃったからさ。酒盛りのテントに行って、お菓子でも食べてこない?」
「ん…、そうだな。俺もちょっとお腹が減ったかな。」
「行こ行こ…!」
その時、詩音が鷹野さんたちに向けて言った言葉が耳に飛び込み、ぎょっとする。
「今年は誰が死んで、誰が消えるんでしょうね。」
手を引く魅音に抗い、俺の足がぴたっと止まる。
「詩音、…今、何て言ったんだ?」
「…………………。」
いつの間にか空気が乾いている気がした。
「行こうよ圭ちゃん。…つまんない話だよ。」
「……お姉はまだ圭ちゃんに話してないの?」
「私、そういう話は吹き込まない主義なの。」
詩音の冷たい口調と、魅音の邪険にする口調がとても対照的だった。
「…おいおいおいおい、何の話だよ…? 知ってるなら教えてくれよ。俺だけ除け者なんて、なんだか気分悪いぞ…?」
状況がよくわからないから何の話か教えてくれ。……という俺の発言は、結果として魅音の意には沿わないようだった。
魅音は握る手をほんの少し強く引いたが、俺が興味を示して踏みとどまったことを知るとその手を離した。
「…じゃさ、私、先に酒盛りのテントに行ってるよ。早く来ないと圭ちゃんの分、なくなっちゃうからね!」
「あぁ、わかってるって! すぐ行くから。」
魅音は小走りで境内の向こうの賑やかなテントへ走っていった。
途中で一度立ち止まり振り返る。
だが、俺が来る気配がなかったので、そのまま走り去っていった。
「もしも聞いてないんだったら話してもいいけど…。ひょっとすると、聞かないで彼女と一緒にお菓子を食べに行った方が賢明かもしれないよ。」
…おいおい、ここまで興味を引いておいて、今さら聞かない方がいいはないだろ。
「圭ちゃんにも聞く権利があると思います。……お姉はその権利を奪ってただけです。」
詩音の言い方には、何だか魅音を責めるようなトゲが感じられた。
「…一体、何の話だっていうんですか? あまりもったいぶられると不愉快ですよ。」
俺の覚悟を見て取ったのか、鷹野さんは一同を見渡し、異存がないことを確認の上、口を開いた。
「前原くんは祟りを信じるかしら。」
「タタリですか…? ……面白いとは思いますけど、あんまり信じては……。」
何となく皮肉めいた視線を感じたので、たじろぐ。
…まるで、祟りを信じない方がおかしい、と言われているように感じる…。
「圭ちゃんは間違ってないですよ。祟りなんて迷信もいいとこ。信じなくて当り前です。」
「…そうね。それに、祟りを信じるかどうかは、話を最後まで聞いてからゆっくり考えればいいことなんだから。」
そう言って鷹野さんはくすりと笑った。
脅かされている。…なんだかそんな気がした。
「じゃあ……少し僕が話そうか。圭一くんは、雛見沢ダム計画を知ってるかい?」
あぁ、それなら先日、エンジェルモートで詩音に…いや魅音に教えてもらったんで知ってる。
「確か、雛見沢が丸ごと水没する巨大なダムの計画が発表されたって言うんですよね。」
「その通り。それに反対するために住民運動が結成され、国と激しい戦いを繰り広げたんだ。」
それも聞いてる。
…マスコミや政治力、その他の持てる力を全て振り絞って、村中で一丸となって戦ったと魅音が誇らしげに語っていた。
「…あれ、ずいぶん詳しいじゃないか。そう、その通りさ。わずか千人ちょいの村人たちが中心になって結束して、国の施策を跳ね返したというちょっとした武勇伝なんだ。」
「その辺はお姉に聞かされてませんか? この辺りの武勇伝はお姉も好きですからね。」
「…あぁ。話してたよ。」
「その雛見沢の人たちが結束して旗揚げした、反対同盟の事務所があったのがね。この神社なんだよ。」
「ほら、あの集会所がその名残よ。解散後は老人会のサークル活動にしか使われてないけど、当時はまさに最後の砦だったの。」
そう言って鷹野さんが指差す先には、今日の準備で荷物の出し入れで何度も出入りした集会所があった。
……そういう事務所って、村長宅なんかが兼ねるってのならわかるけど。神社に事務所を置くなんて、何だか戦国時代の武将の本陣みたいだな。
「そんな心境だったんだろうねぇ。彼らは雛見沢の守り神さまであるオヤシロさまを祀る神社に本陣を置くことで必勝を祈願したんだよ。」
オヤシロさま…。
間違いない。
さっきオヤシロさまの祟りと言っていた。そのオヤシロさまか…?
「圭一くんはオヤシロさまは知ってるかい? この神社の祀る神様の名前だよ。雛見沢を守ってると伝えられてる。」
「いや、…よくは知らないです。」
「そうか。じゃあ、ここから先は鷹野さんの方が詳しいかな。タッチ。」
「平たく言えばそのままよ。
オヤシロさまはこの雛見沢に伝わる古い神様で、神聖なこの地が俗世に汚されることがないよう、守り続けてきたと伝えられてるわ。」
典型的な守り神さまってわけだ。
まぁどこの地方にもこの手合いの神さまはいるもんだ。
「オヤシロさま崇拝は、一種の選民思想の表れではないかと研究されてるわね。選民思想って言葉、わかるかしら?」
…選民思想は平たく言えば、自分たちは優れた民族、神に選ばれた特別な民族だとするナショナリズム的な思想のことだ。
自分たちを優れた民族だと思うからこそ、互助の精神も養われるが、同時に自分たち以外の民族に対して排他的にもなる。
…ここではいちいち説明しないが、戦争前まではあちこちの国・あちこちの宗教でそんな思想があったわけだ。もちろんこの日本だって。
「大昔の雛見沢の人たちは、自分たちは人間とは異なる、格の違う存在だと強く信じていてね。下界との交流を「穢れ(ケガレ)」として忌み嫌ったそうなの。
……だから、村に下界の人間が来ると穢れてオヤシロさまのバチが当たると強く信じ、何者も近寄らせなかったそうよ。」
「よそ者を嫌う村、ってよく金田一の小説に出てくるだろ。典型的なそういう村だったらしいんだよ。」
「…一応、名誉のために断りますけど、大昔のことですからね。今は違います。」
富竹さんの言葉にカドを感じたのか、詩音はすぐにそう付け加えた。…富竹さんが失言を恥じ、ポリポリと頭を掻く。
ふーむ…。
…つまりオヤシロさまを祀るこの神社は、雛見沢を神聖視し、下界との交流を嫌った故事の象徴なんだ。
「…なるほど。だから下界からやってきた穢れたダム計画に立ち向かうために、雛見沢の守り神さまの神社に本陣を置いたと。」
正解。そう言って鷹野さんはくすりと微笑む。……頭の悪い人は嫌いなタイプなんだろうなと思った。
「縁担ぎも万端。村人たちは死力を尽くしてダム計画に立ち向かうんだ。……その最中なんだよ。事実上、あの事件でトドメが入ったと言ってもいい。」
…オヤシロさまの、祟り。
「雛見沢ダムの建設現場の監督がですね、殺されちゃったんです。4年前かな。結構ハデに新聞に載ったんですけど、覚えてません?」
「えーと…ちょっと知らないな…。」
「部下と喧嘩して、つるはしで滅多打ちにされて、両手両足、首をもいで捨てられたんだそうです。」
「バラバラ殺人だよ。ひところ流行ったろ。」
……なんとも凄惨な事件…。
でも…これは事件だ。
人間の犯人が起こした事件であって、ちょっと祟りとは違うのでは…?
「その翌年にはね、雛見沢の住人でありながらダム推進派のグループを結成していた男がね、旅行先でガケから落ちて死んじゃったの。これは事故だそうよ。」
「何しろ、雛見沢中から敵視されていたからね。警察もかなり念入りに他殺の線を洗ったんだけど、結局、事故と断定したみたいだよ。」
…今度は事故か。
…これが一番祟りっぽいけど、それでも眉唾な話だ。
「さらに翌年。今度はね、この神社の神主さんが原因不明の病で倒れて急死しちゃったの。」
「……前の神主さんは、こう言っちゃ失礼ですけど、ちょっと日和見な人だったんですよね。
村中が反ダムで盛り上がってるのに、神主さんは放っておけ、みたいな感じで。」
「抵抗運動の象徴である神社の神主さんがそんな感じなんだからね。…リーダーシップを期待していた当時の村人たちは失望し、中には怒りを抱く人たちもいたそうよ。」
「だから当時、年寄り連中はみんな言ったんです。これはオヤシロさまの祟りだ、ってね。」
……確かに、毎年、村に仇なすダムの関係者が次々に死んでいくと、確かに気味悪くはある。
「しかもね。面白いことに、これらの事件や事故は、毎年必ず、綿流しのお祭りの晩に起こるんだよ。」
「…えぇ…?!」
「ね? …ちょっと祟りっぽくなってきたでしょう?」
「さらに翌年。つまり去年だね。今度は、事故死したダム推進派のリーダー格の男の、弟夫婦の奥さんが撲殺死体で発見されちゃったんだ。
もちろん、犯人は捕まったけどね。」
「ね? やっぱり祟りっぽいでしょう?」
…これで4年連続か。
…確かに、個々の事件や事故はありふれたものだが、それらが全て必ず、オヤシロさまを祀るお祭りの晩に起こるというのは…確かに普通じゃない。
「…年寄り連中はこの数年の事件ですっかりオヤシロさまの祟りを妄信しちゃって…。若い人たちだって、最初は馬鹿にしてましたけど、今は誰も茶化しませんね。」
わかるな、その気持ち。
…俺だって、祟りなんてあるわけがないと思いながらも、こうして並べられると、…ひょっとして本当に…という気になってくる。
「例えば、今日のお祭り準備にしてもそうさ。
ダムとの戦いで荒れていたとは言え、何年か前までは綿流しはそんなに盛況していたわけじゃないんだよ。」
「まー……そうですねー。オヤシロさまの祟りの話がなかったら、こんなにお祭りには集まりませんねー。
不信心者にはバチがあたるかもしれない、だからオヤシロさまのお祭りには必ず出ようって言ってる人たち、多いです。」
詩音も自嘲気味に頷く。
「どうかな? 圭一くんも…ひょっとして祟りは本当にあるのでは…という気になって来たんじゃないかな?」
……確かに…こうも毎年同じ日に、ダム計画の関係者ばかりが亡くなると、一笑に伏すのも何だか難しい。
俺ですらそうなんだから、村の信心深い人たちはもっとそう思うんじゃないだろうか。
「……まぁその、…それでも祟りなんかないと思ってます。ですけど、信じる人たちの気持ちもわかるつもりです。」
「さすが。圭ちゃんは冷静に判断できてますね。」
詩音は俺が祟りを一蹴したと知ると、笑顔を浮かべた。
「祟りでもなく、偶然のはずもないなら、…さて、これらの事件はどういうことになるのかしらね。」
鷹野さんがナゾをかけるように、悪戯っぽく笑いながら言った。
祟りでもなければ、偶然でもない。
なのに毎年人が死ぬ。
…それがどういうことになるか、だって…?
俺がすっかり煙に巻かれた様子を見て取ったのか、富竹さんが助け舟を出すように口を開いた。
「……鷹野さんはね、人間の仕業かもしれない、って言ってるんだよ。」
え?! …消去法で行けばそうなるが…、咄嗟には思いつかない答えに唖然とした。
「だってそうでしょ? 祟りでもなく偶然でもないなら、人の意思が働いてるとしか考えられないもの。」
そう鷹野さんに詰め寄られ、思わず苦笑してしまった。
ついさっきまで祟りなんかあるはずがない、と思っていたのに。人間の仕業だと詰め寄られると、人間のはずもあるわけがない…なんて思ってしまったからだ。
でも鷹野さんの言うとおりだ。
祟りか人か、どちらかしかない。
祟りなんて非現実的なものが存在しないなら、……これはもう、人間の仕業を疑うのが当り前だ。
…でも、そうだとすると…。
そこでちらりと詩音の顔を伺う…。
「…人間が犯人なら、確かに雛見沢の誰かが犯人なんでしょうね。現に警察の大石さんはそう見てますから。」
「……お、おいおい…、そんなわけ、あるのかよ…。」
何となく、魅音がこの話を嫌った理由がわかった気がする。
…オヤシロさまの祟りが実在するなら、まぁそれもいい。ダム計画に対する天罰だという気もする。
だが、…オヤシロさまの祟りが(当り前な話だが)存在しないなら、…犯人は恐らく雛見沢の人間だ。
ダム計画に抵抗するために死力を尽くした村人たち…。
彼らは様々な方法を使ってダム計画と戦ったという。
……その様々な方法の中に、…ひょっとして……。
「オヤシロさまの祟りは、ダム計画抵抗運動の…暗部じゃないかって囁かれてんです。」
…俺がまさに考えようとしたことを、詩音はあっさりと口にした。
もちろん、ちょっと意外だった。
…雛見沢の人間である詩音が、自ら口にするとは思わなかったからだ。
「…ちょっと落ち着いて考えれば、誰が見たって雛見沢の誰かの仕業だってわかることです。ダム工事に反対して得をする人以外、動機がないじゃないですか。」
「そ、それはそうだけど……。」
ダム闘争の暗部を認めることは、それを誇らしげに語った魅音に悪いと思った。
だから詩音のもっともらしい意見に、素直に頷けずにいた…。
「それにね、…警察の人は知らないだろうけど。
…雛見沢の人間にはわかる、雛見沢の人間の犯行だという証拠があるんです。」
「…え、…えぇ?!」
声が大きいと詩音にたしなめられる。
「…ご、ごめん…。……でもその証拠って…一体…?」
「必ず、1人が死んで、もう1人が消えるからです。」
もう1人、消える。
……それは祟りで死ぬ1人とは別に、もう1人が犠牲になっているという意味なのか…?
「消えるって意味がよくわからないな…。…それは失踪するって意味か?」
「そうです。忽然と跡形もなく。」
そう言いながら、詩音はシルクハットを消してみせる手品のような身振りをして見せた。
1人が怪死し、1人が失踪する。……その奇妙な手品。
でも、それがなぜ……雛見沢の人間が犯人だという証拠になるのだろう…?
「実はね。雛見沢の古い古い伝統のひとつにね。…オヤシロさまの怒りを鎮めるために生贄を捧げた、というのがあるの。」
「い、生贄ぇ…?!」
「えぇ。簀巻きにされて、底無し沼に生きたままじわじわと時間をかけて沈めたんですって。」
鷹野さんが、とても楽しいことを打ち明けるような表情で…とんでもないことを語りだした。
「文献を調べた限りでは、三日三晩をかけて本当にゆっくりとじわじわと沈めたそうよ。…ホラ、昔の人って結構ダジャレが好きでしょう?
「沈める」と「鎮める」をかけてたんだと思うの。だから「時間をかけて鎮める」という意味があったんでしょうね。…くすくすくす。」
どうも、今の部分にオチが含まれていたらしいが、笑ったのは鷹野さんだけだった。
詩音は否定する素振りはしなかったが、冷めた表情からは、鷹野さんとの温度差を感じさせられた…。
「この辺の話は…まぁ聞いて想像がつくと思いますけど、雛見沢の秘史です。雛見沢に昔からいる人なら誰でも知ってますが、それを口に出すことはありませんね。」
「鷹野さんは雛見沢出身じゃないけどね、詳しいだろ。彼女は郷土史とか民間伝承とかが好きでね。全部、独学で調べたんだよ。」
「そんなにかっこいいものじゃないのよ。単なる知的好奇心。…子供と同じよ。ただのこわい物見たさ程度なんだから。」
そういって少し恥ずかしそうにしながら、富竹さんと笑いあった。
「ちょ、ちょっと待ってください。…ってことは何ですか、事件の度に消えるという1人は…生贄に捧げられているって言うんですか?!」
そうだ。
一番最初に詩音は確かに言った。
誰が死んで、誰が消えるんでしょうね、と。
「…うーん…。本当に生贄にされてるかどうかは別にして。過去の事件では必ず、1人が死ぬ他に1人が消えてるんだよ。
…例えば一番最初の、ダム現場の監督が殺された事件も、複数犯の内の最後の1人が未だ逮捕されてないらしいんだ。」
「…それは…単に、うまく逃げおおせてるだけなんじゃないんですか? 別に生贄にされたというのとは違うのでは…。」
「まぁ、僕もそうだとは思うんだけどね。…で、次の年のダム推進派のリーダー格の男なんだけど。」
「えっと…、確か旅行先で崖から落ちて亡くなったんですよね。」
「落ちたのは奥さんも一緒らしいの。警察は懸命に捜索したんだけど、どうしても奥さんの遺体だけ見つけられないんですって。」
「崖下の川は増水してたそうだからね。どこか川下の湖の湖底で土砂にでも埋まってしまったのかもしれないけどね。」
バラバラ殺人の犯人だって、捕まりたくないだろうから必死に逃げて隠れてるだろうし。
増水した川で溺れたら、死体があがらないこともあるという話はどこかで聞いたことがある。
…これは気の毒な事故による行方不明なのであって、やはり生贄とは違うのでは……。
……過去の事件同様、個々に聞く分には、個々の消息不明はそんなに気味の悪いイメージはない。
「その翌年の、神主の病死の時ははっきりしてます。奥さんが遺書を残したんです。「死んでオヤシロさまのお怒りを鎮めに参ります」ってなカンジのが、神主さんが亡くなった晩に自宅に残されてたそうですから。」
……これに関してだけは……そういうことになるのか…。
「まぁ、真相は闇の中なんだけどね。
その奥さんが入水自殺した沼は、さっき鷹野さんも話した例のでっかい底無し沼ってことになっててね。警察も沼を調べたそうだけど、遺品がいくつか見つかっただけで、遺体は発見できなかった。警察は偽装自殺を疑って、今でも探してるらしいよ。」
……毎年人が死ぬのと同様、毎年人が失踪する。
その失踪した人々は極めて高度な方法で拉致され、底無し沼に生きながらにしてじわじわと溺れさせられたと言うのか…?
祟り同様、にわかには信じ難い話だ。
「その翌年には…何だっけ、ダム推進派の男の弟夫婦の奥さんだっけ? が殺されたんだよな。……この事件でも誰かが消え、」
「消えました。…北条悟史くんっていう、私と同い年の男の子です。殺された主婦の義理の甥に当たります。」
詩音が少しだけ強い口調で割り込んできた。
…失踪した男の子をよく知っていた…そういう感じだった。
「まぁ、ざっとこんな感じね。必ず1人が死んで、必ず1人が忽然と消える。」
…忽然とかはともかく。
…必ず1人が消えているのだけは共通する事実だ。
「えっと……じゃあつまり…、1人目が死ぬのはオヤシロさまの祟りで、2人目が失踪するのは、村人が生贄に捧げてるからだ、って言うんですか…?!」
「圭ちゃん、祟りなんかないです。
……誰かがオヤシロさまの祟りという名で1人目を殺し、誰かがその生贄として2人目をさらってるんです。」
「でも詩音、それじゃ……村の中に犯人がいるってことになるんだぞ?!」
「私は初めからそう睨んでます。…結構ショックですよ? この昭和の時代に、そんな古い因習で人殺しが堂々と行なわれるなんて。」
…まったく関係ないことだが…、詩音はあまり雛見沢を好きじゃないのかな、と思った。
魅音は雛見沢のことやその武勇伝をとても楽しそうに語った。
だから、どう解釈しても雛見沢にいいイメージのないオヤシロさまの祟りの話からは逃げてしまった。
俺に悪いイメージを持たせまいとして話もしなかった。
でも…詩音はどこか違う。
祟りの話を一蹴したのは雛見沢へのマイナスイメージを払拭したいからじゃなく、雛見沢の人間が犯人だと強く確信しているからだ。
…その確信は、強い連帯感を持つ雛見沢の連帯意識とは少し離れているように思う。
かつて、見間違えるくらいにそっくりだと思っていた詩音だが、…こうして話を聞いていると、魅音とはまったく異なる個性を持っていることを強く意識させられるのだった…。
「……じゃあ皆さんは…雛見沢のは誰かが犯人だと思ってるんですね…?」
詩音も鷹野さんも、答えない。
だが、このじっとりとするような沈黙の意味するところはひとつしかなかった…。
「…じゃあ重ねて質問します。雛見沢の誰かが犯人なら、犯人は誰なんですか。」
この問いかけにも、やはり詩音と鷹野さんは答えない。
…質問しておいて失礼だが、回答がないことに期待していた。
…自分のした質問は、彼女らの言う、雛見沢の誰かが犯人という説を「仮説」に過ぎないと反論するためのものだったからだ。
詩音はその意図を汲み取ったのか、俺の小意地悪さに苦笑いしてから口を開いた。
「私が言ったのは所詮、状況証拠ですからね。具体的に犯人の名前を知ってたなら、警察に突き出してます。」
もっともな意見だ。……では鷹野さんは?
詩音がしたように、やはり苦笑いをしてから口を開いた。
「…えっとね。始めに誤解を解いておきたいんだけど。別に私は探偵さんのつもりはないのよ? 本音を言うとね、犯人が誰かなんてことには興味ないの。」
「あはははははは。…鷹野さんも困った人だなぁ。」
犯人に興味はないという意外な意見に、富竹さんが苦笑いを添える。
「私はね。古式ゆかしい残酷な風習やおとぎ話に興味があるだけ。知的好奇心で面白がってるだけなの。
だから一連の事件も、犯人は誰かってことよりも、事件の存在自体が、古い因習がまだ根深く残ってることの証拠だって思って面白がってるくらい…。」
知的好奇心という言葉を弄びながら、刃物の先端のような鋭さの笑みを浮かべる鷹野さんという女性に……少なからずの薄気味悪さを覚えた。
…それは自分に理解のできない感性の持ち主への畏怖なのかもしれない。
「ま、私は全然面白くないですけどね。明日はいよいよ綿流しのお祭りですけど、誰にも死んでほしくないし、誰も消えてほしくないです。」
「…明日、か……。」
そうだ。…すっかりわすれていた。
…オヤシロさまの祟りと称される一連の怪死事件はまだ終わってはいないのだ。
もしも去年の事件が最後でないなら、明日の祭りの晩にも……誰かが死に、誰かが消える…?
「明日は一体、誰が死んで、誰が消えるのかしらね。」
鷹野さんは髪をかきあげながら、とても優雅な仕草で……だけれども、ぞっとさせるような声で、そう言い、薄く微笑んだ。
それはまるで明日起こるかもしれない事件を楽しんでいるかのようにすら見えた…。
その時、突然、大勢の人たちの手拍子が聞こえてきた。どうやら酒盛りの中締めみたいだ。
そうだ、魅音をずっと待たせていたんじゃないだろうか。…そろそろ戻らないと…。
「鷹野さんもからかい過ぎだよ…。圭一くんがすっかり真に受けてしまったじゃないか。」
「くす、ごめんなさいね。また悪い癖が出ちゃったみたい…。」
そう言って、ペロっと舌を出してはにかむ鷹野さんの様子には、先ほどまでの薄気味悪さはなかった。
「鷹野さんはね、純粋そうな子を見るとからかいたくなる悪ーいクセがあるんだよ。圭一くんが真剣に聞いてくれるもんだから、ついつい調子に乗っちゃったみたいなんだ。」
鷹野さんと違って富竹さんはごくごく普通の常識人のようだった。
彼女らの話が俺にどういう印象を持たせてしまったを充分理解し、詫びているようだった。
「鷹野さんが今した話は、あくまでもフィクションだからね。もしもさっきの話で、圭一くんが雛見沢に持ってたいい印象が傷つけられてしまったなら、純粋に申し訳なく思うよ。」
「…もぅ、ジロウさんったら。」
「鷹野さんも謝った方がいい。怖がらせてしまってごめんなさい、ってね!」
そう言いあいながらじゃれ合う、鷹野さんと富竹さん…。すでにさっきまでの緊迫した雰囲気は霧散していた。
「圭ちゃんもそろそろ戻った方がいいです。お姉は嫉妬深いですからね。私は顔を合わせるとケンカになりそうだから、このまま帰ることにします。」
「そうなのか? じゃあ俺は魅音のとこに戻って、待たせたことを謝るかな…。」
「迷惑をかけたね圭一くん。魅音ちゃんに、圭一くんを長く借りすぎて申し訳ないと伝えてくれないかな?」
「あ、はい。伝えても機嫌は直さないと思いますけど、一応。」
富竹さんと鷹野さんは肩を寄せ合いながらくすくすと笑った。
「じゃあね圭ちゃん。…明日のお祭り、どこかですれ違えるといいですね!」
「会えるよ。どうせ俺たちのことだ。にぎやかにやってるに決まってる。」
詩音と2人で富竹さんたちに別れの会釈をする。
…去り際に鷹野さんに呼び止められた。
「私の話を真剣に聞いてくれてありがとうね。前原くんがあまりに聞き上手だったんで、話しててとても楽しかったわ。」
「聞き上手なんて…そんな…。」
ショッキングな話が次々と飛び出すから、唖然としていただけだ。
「今日した話、面白かった?」
「……まぁ…その、興味深かったです。」
「なら、また今度も聞いてくれる? 雛見沢の昔話とかおとぎ話にも興味深いものがたくさんあるの。もちろん、薄気味悪いのがたくさんね。私特選のをたくさん披露するわよ。」
嬉しいような困るような…。思わず苦笑いして頭を掻いてしまう。
「圭一くん、もう行ってもいいんだよ。鷹野さんがからかっているだけさ。」
もう一度会釈してから駆け出す。
富竹さんが、明日のお祭りで会おうね〜っと明るい声をかけてくるのが聞こえた。
魅音と待ち合わせたテントに行ったが…魅音の姿はなかった。
あれだけ待たせたから…怒って帰っちゃったのだろうか…。
通りすがりの大人に聞いたら、親族と話しながら帰るところを見たと言われた。
……悪いことをしちゃったかな。
でも今は魅音を待たせて悪かった、という気持ちよりも…。
鷹野さんや詩音に聞かされた、薄気味悪い話の印象の方が勝っていた。
4年連続で起こっている連続怪死事件。
…それは5年目として明日も起こるのか?
そして…祟りを模倣して雛見沢の誰かが犯行をしている可能性。
生贄の儀式という、この昭和の時代におよそ似つかわしくない奇怪な因習。
今さらだけど、ちょっとだけ後悔した。
…どの薄気味悪い話も俺と無関係なのなら。…魅音に手を引かれて、一緒にあの場を去るべきだった。自分の安っぽい好奇心が少し情けなかった……。
■7日目幕間 TIPS入手
7■スクラップ帳よりT
<オヤシロさまの祟りについて>
古代鬼ヶ淵村では、オヤシロさまの怒り(祟り)は何よりも恐れられていた。
だが、オヤシロさまが怒ると最終的にどのような神罰(祟り)が下されるのかは記述が少ない。
伝聞から調べる限りでは、「地獄の釜が開く」「鬼が溢れ出す」「地獄の瘴気が溢れ出し、村人たちことごとく逃れることも叶わず、息絶えるなり」といった、村の全滅を想起させる物騒なものが目立つ。
これらの恐ろしい神罰は、その他多くの宗教の終末(地獄)表現とほぼ同じで、これを回避するために教義に従わせようとする方便だと容易に想像できる。
オヤシロさまの怒りに触れる条件が、イコール鬼ヶ淵村における禁忌(タブー)と言えるだろう。
この禁忌を犯す行為が行なわれた時、オヤシロさまは「怒った」と称され、その怒りを鎮めるために、前述の「生贄の儀式」が行なわれたと考えられる。
7■スクラップ帳よりU
<生贄の儀式について>
生贄の儀式は、最もシンプルな溺死型で、神聖な沼である鬼ヶ淵沼に犠牲者を沈めることで成立した。
鬼ヶ淵村における儀式で特徴的なのは、犠牲者を三日三晩もの長い時間をかけてゆっくりと沈める点にある。
犠牲者を沈めて「殺す」ことよりも、「沈める(鎮める)」行為に重きが置かれていたと考えられる。
その為、放って置けばあっという間に沈んでしまう犠牲者をいかに緩慢に沈めるかに、様々な工夫が凝らされたはずである。
残念だが、その方法は知る限りの文献には載せられていない。
私の想像では、丸太等で巨大なイカダを組み、そこに処刑台を設え、縄で犠牲者を吊り上げ、時の刻みに合わせて少しずつ沼へ沈めていったのではないかと思う。
だがそうだとするのならば、その儀式に使った「祭具」は神聖なものとして崇められ、どこかに祀られていてもおかしくない。
7■スクラップ帳よりV
<儀式の祭具について>
古代の宗教儀式に用いられた儀式道具は「祭具」と呼ばれ、その一部が今日も古手神社や御三家の蔵に祀られている。
だが、それらの確認できる「祭具」はいずれも装飾的なものばかりで、鬼ヶ淵村の暗部を司る儀式に使用されたと思われるものは何一つない。
幕末から明治にかけ、数々の伝統儀式が喪失した際にそれらも紛失、もしくは闇に葬られてしまったのだろうか?
私はそうは思わない。
鬼隠しの夜の宴に使った「祭具」も、生贄の儀式に使った「祭具」も、人知れずそれらは祀られ、現存しているに違いない。
それは紛れもなくこの雛見沢に、今日この瞬間にも実在しているのだ。
それがどこに祀られているか、九分見当はついている。
これまでは堅牢だった施錠が、今年からどういうわけか低廉な安っぽい南京錠に変わったのだ。あの程度の錠前なら、彼なら何とかできるかもしれない。
だが、集会所が遠くないということもあり、常に人の気配の絶えない場所でもある。
だが私は諦めない。
…雛見沢中の全ての村人の死角となる夜が、もうすぐやって来る。
もうすぐ、綿流し。
7■いよいよお祭り
ざわざわざわざわ…。
「おいおい、今日のうちからへばっててどうすんだよ。本番は明日だぞー? 明日は最後の最後、ばっちり深夜まで燃え上がっていくんだからなー?!」
「ぅおっす! 気合い入れてきまっす!」
「わっはっは! よぉーし! 若さが一番だ!」
「みんな、お疲れさん! 綿流しはいよいよ明日だからなぁ。今夜は早めに眠って体力を蓄えておいてくれよ!」
明日がいよいよ綿流し。
祭りってのは楽しむ側とそれを提供する側の2つがある。
前者に必要なのは心の準備だけだが、後者の場合は、心と体だけでなく、入念な打ち合わせや下準備が必要になる。
多くの一般参加者が能天気に祭りを楽しんでいる間、俺たちは緊張を維持し続けるわけだ。…何のために?
「そりゃあ決まってるだろ! 全部終わった後のビールがうまいからだよ。」
「わっはっはっはっはっは!!」
こういう時は体育会系のノリが一番!
打ち上げを楽しみに頑張らなきゃ張り合いがない!
「あ、来ました…!」
大石さんが入ってくる。みんなシャキっとして立ち上がった。
「はいはい、皆さん、お疲れさまですねぇ。あぁ、そのままで結構ですよ。」
「「「お疲れさまです!!」」」
普段威張っている先輩たちも、大石さんには頭が上がらない。
まるで一昔前の応援団員のような雰囲気で一礼する。
大石蔵人さんか。
内規などほとんど無視し、これといった働きもせず、日々をダラダラと過ごすいい加減な、退職待ち刑事。
下ネタの好きな下品オヤジというイメージのある人だが、先輩たちが言うには、若い頃は相当の武闘派で、かなりの武勇伝を持つとか持たないとか…。
…とにかく。一緒に入ってきた課長よりも貫禄も存在感も遥かに上だということは確かだ。
「皆さん、明日の綿流しの準備、本当にお疲れさんです。」
全員、直立で課長の訓示に耳を傾ける。
「昨年発生したように、連続事件を期待する愉快犯の出現が濃厚に危惧されます。各員、一層気を引き締め、犯罪の抑止のために任務を全うして下さい。」
「「「ぅおっす!」」」
「何も起こらなければ一番いいんですがねぇ。…ですが皆さん。必ず事件は起こると考えてくださいよ。抑止が一番ですが、まぁ多分無理でしょ。今年も誰かが死んで誰かが消えます。もー間違いなく。…んっふっふっふっふ!」
課長以外は皆、苦笑する。
「大石さん、…そんなんじゃ困るよ! もっと真剣にやってくれなきゃ…、」
「肝心なのは祭りの夜を越すことじゃないんです。…明日の夜、起こった何かに迅速かつ徹底的にどこまでも食いついていくこと。気合い入れてくよ?! ケツの穴、引き締めてけッ!! オヤシロさまの祟りのバケの皮を完璧に引っぺがしてやるぞぉおぉッ!!!」
「「「うおぉぉおおぉおぉすッッ!!!」」」
■8日目
「わー! 圭一くんだ、おはようなんだよ! だよ!」
レナが嬉々としながら大手を振っている。早くもテンションが高いようだな。
「おはようって、もう夕方だぜー? こんにちは、だろ。」
「でもでも、…今日、圭一くんにする最初の挨拶だから、やっぱりおはようがいいな。いいな。」
「…わかったわかった。じゃーおはようでいい。おはようレナ。」
レナの頭を鷲掴みにしてわしわしと撫でてやる。
うにゃうにゃと喜ぶそれはまるで猫みたいだ。
「やっほ、圭ちゃん! 昨日は申し訳なかったね。黙って帰っちゃってさ。」
「あー…それを言うなら俺の方が悪かった。魅音をずーっと待たせっぱなしでごめんな。」
「昨日のお祭りの準備のことかな? どうだった圭一くん。しっかりとお仕事してた?」
全身が微妙に筋肉痛で動きが鈍いのは…早くもバレバレみたいだな…。
「がんばってたよ。へばってたけどね〜!」
苦笑いしながら3人で大笑いする。
「沙都子と梨花ちゃんは? 祭り会場で合流か?」
「うん。梨花ちゃんはほら、大切なお勤めがあるから昨日からずーっと。沙都子ちゃんもそのお供だそうだから、もう2人とも神社にいるよ。」
そうだそうだ!
今日は梨花ちゃんの晴れ舞台だったな。この日のためにいろいろと特訓してたらしいし。…これは仲間として応援に行ってやらないとな!!
「よっしゃ! さっそく行こうぜ!!」
「「おお〜〜〜!!」」
神社へ近付くにつれ、人通りが多くなり、たくさんの停めてある車が目に付くようになる。にぎわいも大きくなり…盆踊りの曲みたいのも聞こえるようになる。
逸る気持ちを抑えきれず、石段を1段飛ばしに駆け上がる!
「け、圭一くん、早いよ…、…待ってぇ〜〜…!!」
「ったく、圭ちゃん、お子様なんだからなぁ。」
をおぉッ!! 境内は…たくさんの人出で賑わう、祭り一色だ!!
「わーー…、今年も立派だね!! すごいねすごいね!!」
「雛見沢中から出てきてるんだろうなぁ。
ありゃ、公由分家の寝たきり爺さんまで来てるじゃない! あの爺さん、去年の綿流し以降、ずーっと布団の中で過ごしてたんじゃないかなぁ。」
確かに、あまり見慣れない村人も多い。
今日のために重い腰をあげてきたに違いない。
「あー! 沙都子ちゃんだー。お〜〜い!」
「あぁら、皆さんでございますのー! こんにちはですわー!!」
「よー、沙都子。今日はすごい人出だよなぁ!! はぐれて迷子になるなよ。」
「だ、誰が迷子になるんですのーー!!!」
沙都子もいつになくテンションが高いようだな。もちろん俺も例外じゃない。
「あれ? 梨花ちゃんは? まだ自由時間でしょ?」
「梨花は村長さんたちと挨拶してましたですわ。すぐに来るでございますわよ。」
そうか。梨花ちゃんは今日のお祭りの巫女さん役だもんな。…偉い人たちの挨拶できっと大変なんだろうなぁ。
「……実に大変なのですよ。こんにちはなのです。」
「は………はぅ〜〜〜〜!!!! 梨ぃ花ちゃ〜〜〜ん!! お持ちおもおもお持ち帰り〜〜!!!」
卸したてという感じの実にぴっしりとした巫女装束で登場だ。
……梨花ちゃんのどことなく神秘的な容姿と実によくマッチしている!
「どう? 丈とか長過ぎない? 婆っちゃから、もしも袖がかかるようならって、安全ピンを預かってきてるんだけど。」
「……大丈夫なのです。実に快適なのですよ。」
そう言いながら、梨花ちゃんはラジオ体操をするみたいに、体を伸ばしたりひねったりして見せた。
「…いいねいいよね、コレかぁいいよね〜〜。はぅ〜〜〜!!」
そんな梨花ちゃんの仕草を見て鼻血を垂らしているのが約1名だ。
「けけ、圭一くんはかぁいいと思わないかな? かな? 思わないならレナのになっちゃうからお持ち帰り〜〜!!」
「すごくかぁいいと思うぞ。かなりイカス。父兄のフリをして写真を撮りまくりたいくらいだ。2点から撮影して立体視できるようにすれば………立体の生梨花ちゃんが、自宅でいつでも食べ…もとい、眺め放題〜〜!!」
「はぅ〜〜〜!!!! いいねいいねいいね〜〜〜!!!!」
俺とレナは目にチカチカの星を浮かべながら、よだれと鼻血を垂らし放題だ。
「…梨花、あいつらに近寄ると大変ですわよ…。」
「……地下室とかに閉じ込められるかもしれないのです。」
「あっはっはっは! その割には梨花ちゃん、楽しそうだけど?」
「……魅ぃがひどいことを言うのですよ。」
みんなでもう一度笑い合う。
「じゃ、もたもたしないで、祭りを回るかね!! 梨花ちゃんの出番までそう時間がないでしょ。」
「そうだな。よっしゃ!! 行こうぜみんな!!」
「「「おおーーーー!!!」」」
■祭りの部活
「よー! 園崎のお嬢ちゃんじゃねーの! 食ってきな!! 豚肉たっぷりの焼きソバだぜよ〜! 今年はイカリングまで入ってるボリューム派よー!!」
「ヘイ、親父! 今年の焼きソバもなかなか力作じゃないの。イカまで入れるとは…今年は奮発してるねー?!」
「へ〜! おいしいね! おいしいね!!」
「あぁ。イカってのは食ってもうまいが、それ以上に匂いが香ばしいんだよな。軟弱になりがちな歯応えも実に見事に補ってる。イカと豚肉のボリューム感は実に素晴らしい……うん! 悪くない出来だッ!」
「へー。圭ちゃんって何気に料理番組の司会とかに向いてるねぇ!」
「うん。圭一くんがおいしそうに食べてると、何だかいつもよりもずーっとおいしそうに感じるもんね。」
「俺はうまい物はうまい!っていう主義なんだよ。だから俺がうまい!って言う物は、とりあえず試してみる価値があると思うぞ。」
「……では圭一。この焼きソバの評価を改めてどうぞなのですよ。」
「一言で言うとだ。
…うまいッ!! 胃袋がもう1つあるんなら、迷わずもう1つ買ってるな!」
そんな俺の三ツ星評価を聞きつけたのか、何だか一気に焼きそば屋の前に人が並び出す。
「おー、すごいよ。圭ちゃんがあんまりにも美味そうに言うもんだから、集客効果ばっちりだわ。…やるねぇ!!」
威張ることではないのだが、とりあえず胸を張って威張っておく。えっへん。
「あら、そうなんですの? では私も挑戦してみましてよ? おじさんおじさん、たこ焼きをひとつ下さいますこと?」
沙都子が隣の屋台のたこ焼きを購入し、ハフハフしながらそのひとつを口に入れる。
「どうかな沙都子ちゃん。おいしい評価が出るならレナも買うよ〜!」
もごもご、もにゅもにゅ。ごっくん。
「さー、ミシュラン雛見沢の北条沙都子審査員のご感想をどうぞー!」
「……えーっと……。
…………む〜……。」
やる気満々だったにも関わらず、感想にとまどう沙都子。…おいおい、どうしたってんだ?
みんなでひとつずつもらい、それぞれに口に入れる。
「…あれれ? レナのはハズレだね。」
「……ボクのもハズレです。…タコさんが入ってないのです。」
…このたこ焼き屋…、
まさか夏祭り限定出没の「タコの入ってない」たこ焼き屋では?!?!
どうせ今日限りの稼ぎだからとタコをケチる悪徳たこ焼き屋…!!
「あ、私のには入ってたわ。…うん。タコが入ってる分には充分うまいよ。」
「…このタコなしたこ焼きを…どうおいしそうに解説すればいいんですの…?」
みんなで首をひねり出す。
……そのいぶかしげな様子に、列に並んでいる人たちも怪訝に思っているようだぞ…。
「えっとね、えっとね、…こんなのはどうかな?
たこ焼きなのにタコが入ってないからとってもヘルシ〜☆ タコの嫌いな人でも食べられるおいしいたこ焼き〜…☆」
それを聞き、ぎょっとした客が何人か列を離れる。
ざっくりと逆効果だ…。
「じゃー次は私が挑戦するよ。
小麦粉やねぎ、紅しょうがの味などの素朴さをしっとりと味わわせてくれる自信作! タコが入ってない分だけ素材の味がほどよく…、」
…途中までは悪くなかったが、タコが入ってないという件を聞き、列の人がさらに数人抜けた。
「…り、梨花ちゃんは何かいいコメントはあるか? …率直でいいぞ。」
「……これで400円は高いのです。」
げは! 率直過ぎだ!!
…お客さんが致命的に離れていく。
何しろたこ焼きの屋台は探せば他にもあるからな。
「いや〜〜…なんかその…、私ら、とんでもないことをしてるような〜…。
ほら、沙都子! あんたが始めたことなんだからビシ!っとここで逆転させなさいよ!」
「むむむむ、無理でございますわー!!
タコの入ってないたこ焼きなんてどう褒めればいいんですのーッ!!」
わーバカー!!!
沙都子の憤慨で致命的にトドメが入る。
「わ、わ! お客さん、みんないなくなっちゃった…! あれれ? おじさん睨んでる。…何でだろ? 何でだろ? はぅ〜〜!!!」
はー。…仕ッ方ないヤツらだなぁ。
ここはひとつ、この前原圭一さまが一肌脱いでやるか…。
「……圭一ならきっと何とかできますですよ。タコなしたこ焼き屋さんを助けてあげてほしいのです。」
「…笑顔でトゲのあることを言うな。…まぁわかった。俺がプロの技を見せてやるからよく見てろよ。」
俺はタコなしたこ焼きに楊枝を刺し、改めてパクリと頬張った。
相変わらずタコは入ってない。
…でも魅音のには入ってたんだよな。…ここがポイントだ。
「このたこ焼き屋の親父さんは…本当の意味で、たこ焼きが好きなんだ。いや、愛してると言っていい。」
「「「えぇ…?!?!」」」
みんな、びっくりして素っ頓狂な声をあげる。…それは睨みつけていたたこ焼き屋の親父さんもだ。
「あの親父さんは、本当にたこ焼きが大好きなんだ。大好きだからこそ、いい加減なたこ焼きを作りたくないんだ。
……そうだね? 親父さん!」
たこ焼き屋の親父は戸惑ったように俯く。
ギャラリーたちも、タコなしたこ焼き屋が、どうしてそういう評価になるのか、興味津々な様子だ。
「でも圭一さん、そんなにたこ焼きが大好きなら、どうしてタコなしたこ焼きなんか作りますの?! たこ焼きに対する裏切りではございませんのー?!」
「そうだな。ある意味、裏切りだ。だが……これは親父さんにとっての、最大限の妥協点なんだ。親父さんは今日だって!本当のたこ焼きを作ってるよ。でもそれはこの中のほんの1つか2つでしかない。」
「まぁそうだね。私の食べた1つにはタコは入ってたし。…タコが入ってる分にはそんなに悪い味じゃなかったよ?」
「そう。それが本物のたこ焼きだ。……それ以外のたこ焼きは…「8個入ってなきゃたこ焼きじゃない」という一般人の先入観への、最大限の妥協なんだ。」
「??? 圭一くんの言う意味がわからないよ? どうして本物は1つで、他は偽物なのかな? かな?」
「その秘密は…タコにあるんだ。親父さん、このタコ、
本物の明石のタコだね?
近年、明石のタコの水揚げは激減して、とても高騰しているんだ。たこ焼きになんかにとても使えないような…とても高い値段になってしまってるんだ。」
その時、これまでずっと俯いてた親父がポツリと漏らした…。
「…あぁそうよ。明石のタコは…すごく高いんだよ…。」
「でも親父さんは明石のタコにこだわったんだ!
安物の、いい加減なタコを使えばいくらでも誤魔化せるのに!
明石のじゃないのに明石という登りを立てて販売してるインチキたこ焼き屋はいくらでもあるのに!!
親父さんは誤魔化さなかった、ウソをつかなかった! タコは明石ッ!!! この一点だけを頑なに譲らなかったんだ!!! 親父さんはタコ焼きを愛してた! だからウソをつけなかった!! でも…どうしても一点だけ強いられる妥協点があったんだ。」
「そ、それは何ですの…?」
「数さ。たこ焼きってのは1舟、8個がポピュラーだ。いくら本物の明石のタコだからって言って、400円で1個だけってわけにはいかないだろ?! でも8個にしなくて買ってもらえない…。…だから親父は涙を飲んだ!!
本物のたこ焼きをひとつ作るために…
残り7個にウソをつくしかなかったんだぁああぁぁぁあぁッ!!!!」
ぅ、ぅおおぉおおぉおぉおーー!!! タコなしたこ焼き屋の親父が号泣する。
その肩をやさしく叩く。
「みんなが何と言おうと、俺はあんたの純粋さを忘れない。あんたこそは本物のたこ焼き屋なんだ!!! あんただけがたこ焼き屋を名乗っていいんだぁあぁあぁあ!!!!」
パチパチ、…パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ…!!!!
俺と肩を抱き合い男泣きに咽ぶ親父に、ギャラリーたちの感動の拍手が浴びせられる!
「さぁ、みんな!! この本物のたこ焼き屋のたこ焼きを、どうか食べてやってくれ!! こんな純粋な男を大事にしなくて、どうして本当のたこ焼き道が守れようか!! みんなが食わないなら俺が食うぞぉおおぉおーーーッ!!!」
「わ、わ、見てた人たちがみんな並ぶよ?!
圭一くん、やったやった!!」
「たこ焼きがおいしそうに感じたってより、圭ちゃんのアジ演説が面白かったからだろうね。…圭ちゃんって、ガマの油売りとかやったらかなりウケるかもしれない!」
「……秋葉原駅の入口なんかでやるとウケそうですよ。」
「…梨花、秋葉原ってドコですの?」
この大盛況に度肝を抜かれ、さらに隣の露店の親父が声をかけてくる。
「おいおい兄ちゃんたち、うちのあんずアメも頼むよ!!」
「よし、要領は掴めただろ! 今度はレナが行け!」
「よぅし、頑張るよ〜!!
……はぅ〜〜!!! あんずアメが冷えててとってもおいしいんだよ〜!! 水あめの上にね、ちょこんってあんずが乗ってるの。はぅ、かぁいいねぇ!! お持ち帰り〜〜! はぅ〜〜〜〜!!!!!」
…自分で言いながら、すっかり酔ってしまったようだな…。
でも、女の子がナチュラルに褒めるのは、それだけで集客力がある!!
レナの後ろには早くも列が出来ているぞ!
「今度はお好み焼き屋だ!! 沙都子、行け!」
「えーっとえーっと…。
焼きそばに揚げ玉入りでかりかりなのがとっても美味しいでございますわねぇ!! 大きなベーコンがまるごと敷いてあって、かじるとほら、びろ〜んって出てきて…はふはふはふ!!」
「おぉう!! うまいうまい!! そ、それなら俺も食ってみたくなる!!」
俺を皮切りに、長い列が伸びていく!!
なんだなんだ一体。
…つまり、ギャラリーは俺たちと一緒に露店を回ってるわけか。
「……みんなのを聞いてから食べると、いつもよりずっと美味しく感じるからなのですよ。」
そういうことか。
梨花ちゃんも、巫女服を汚さないようにかけたよだれ掛けを、ソースで汚しながらパクついて見せた。
「よーし! おじさんも盛り上がってきたよー! よし圭ちゃん、私はどれだ!」
「よっしゃ! 魅音はさらにその隣の露店へ行け!! 魅音の底力を見せてみろ!!」
「あれ? で、でも圭ちゃん、お隣のお店は……、」
ありゃ!
金魚すくいか! 今度は勝手が違うな。
「いや、部活の部長たるもの、相手が何であれ逃げられないね。やってみるよ!」
「…魅音さんのお手並み、拝見でございますわー!!!」
ギャラリーも期待の眼差しで魅音を見守っている。
「ヘイらっしゃい。はいよ、網とお椀。」
「よし、やるぞ。……うーん、金魚はみんな活きがいいねぇ!!
実に美味しそう!
この小さいのなんか、そのままボリボリと生で行けちゃうよね〜!!!」
ざわ…ッ?!
「…み、…魅音さんは…なな、何を言ってるんでございますの…?」
「……魅ぃちゃん……食べてたの? 去年、レナからもらったのも…食べちゃったの?」
「ち、ちが……わ、私そんなこと言ってない…!!」
魅音が真っ赤になりながら、ぶんぶんと首を振って否定する!
「いや、でも……今、魅音、お前自分で言ったぞ。実に美味しそうだ、って。」
「えぇ、確かに言いました。お姉って雑食ですから、口に入れば何でも食べちゃうんです。」
「……おいしいなら、今度ボクも試してみるのです。」
「だだだだだだ、だめだよ梨花ちゃん、お腹壊しちゃうよ…!!!」
……ちょっと待て。おいコラ。お前、いつの間にいるんだよ、…詩音ッ!!!!
「ハ〜イ、圭ちゃんにお姉にみんな! こんばんは。」
「あ、……あ゛ぁああぁああぁーー!!! アンタどこから湧いてきたの詩音んんーー!!!!」
「焼きそば屋さんの時からずっとです。お姉たちは騒がしいからすぐに見つけられました。」
「もー!! アンタは関係ないでしょー?!?! 早くどっかへ消えなさいよー!!」
「も〜、お姉もあまり私を邪険にしないで下さい。…ね? 圭ちゃん? 私が一緒でもいいですよね?」
そう言って、俺の腕を取り、胸を押し付けてくる。
ふに。
「圭一くんHだ…、鼻血出てるよ…。」
「トコロテンを押したら、にゅ〜って出てくるだろ? あれと同じだ。これは抗いようのない現象なんだよ…。」
「へー、そうなんですか? じゃあ力を入れたらもっと出てくるかな?
え〜い☆
ぎゅう。」
し、詩音が…谷間で…俺の腕をみっちりと……。
ぶーーーーーーーーー。
「ぎゃーーー!!!! 詩音アンタこら、何やってんのぉおおぉお!!!」
「…不潔ですわ!! 見損ないましてよー!!」
「……ボクの平らなお胸ではどうなのです?」
梨花ちゃんも反対の腕に、
むに。
豊満な感覚がいっぱいに伝わる左肩と、未成熟な青い果実のすっぱさを感じさせられる右肩と……。は、…はぅ〜〜〜〜!!!!!
スパパパパーーーーン!!!!!
俺、詩音、梨花ちゃんの3人が顔面にアザを残しながら大の字に倒れる。
「よくやったレナ…。」
「みみみみ、みんな不潔なんだよー…。はぅ〜…。」
「……レナに殴られたのです。痛いのですよー…。」
「り、梨花は自業自得でしてよ…。」
や、やれやれ…。
詩音が加わって、俺たちのにぎやかさはさらに120%増しだな…。
「ふふ、あっはははははは…! お姉の友達は実に愉快です。退屈しないなぁ。」
「あーそう。アンタさえいなくなればもっと愉快なんだけどねぇー!!」
「あはははははは!
もっと一緒にいたいけど、あんまり圭ちゃんを誘惑すると、本当にお姉に噛み付かれちゃいそうです。だから私、一時退却しますね。また来ます。じゃあね、お姉!」
「二度と来るなーー!!! 塩まけ、塩ぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!」
詩音はさんざん姉をからかうと、人ごみの中に逃げるように消えていった。
「……何だか珍しい魅音さんを見た気がしますわ。」
「詩ぃちゃんが一緒だと、魅ぃちゃん何だかかぁいいねぇ!!」
幸せそうに微笑むレナの頭をポカンと魅音が叩く。
「アホなこと言ってんじゃないよ! 次行くよ次!!」
そんな調子で、本当ににぎやかに楽しく、露店で遊んで回った。
最初の内こそお金を払っていたが、途中からは店の親父さんたちにも面白がられてたので、ほとんどお金を払うことなく遊んで回れたのだった。
ドーーーーーーン!
威勢のいい大太鼓の音が響き渡ってきた。
「梨花、そろそろ時間みたいでございましてよ?」
「あ、…いよいよなんだね。」
そうか。いよいよ梨花ちゃんの出番の奉納演舞の時間がやってきたのか…。
「……ちょっとドキドキしてるのです。」
「信じなって、自分を! 梨花ちゃんが流してきた汗は絶対に無駄になんかならないから。」
魅音が力強く梨花ちゃんの背中を叩く!
「そうですわ。梨花はきっとやり遂げますわ!!」
「……頑張るのですよ。」
「うん! その意気だよ〜!」
俺はぐっと握りこぶしを作って天に突き上げる。
「応援してるぞ梨花ちゃん!! ファイト、おー!! だぜ?!」
「「「ファイト、おーー!!!」」」
梨花ちゃんは最高の笑顔をした後、くるっと踵を返し、駆け出していった。
「じゃあ…私たちも行こうよ!」
「そうだな。応援してやろうぜ!!」
「ダメですのよ! 演舞中は静かにしてないといけませんでございますわよ!」
わかってるって! 親友を最後まで心配する沙都子の頭をわしわしと撫でてやる。
「なら急いで行かないと! いい場所がなくなっちゃうよ!! 行こ!!」
魅音が駆け出すと、みんなも遅れまいと駆け出した。
大勢の人たちが、ありがたい演舞を見ようとすでにひしめき合っていた。
「こりゃあ……すごい人出だなぁ!!」
仲間に振り返ったつもりだったが、そこには見知った顔はいなかった。
み、みんなどこに行っちゃったんだ?!
…この人ごみでははぐれるのも無理はないのか。
ようやく見つけた魅音の後頭部は、人垣のずーっと向こうだった。とてもそこまでは行けそうにない。
…まぁ別に、はぐれたってどうと言うことはない。梨花ちゃんの演舞が終わったら合流すればいいだけなんだからな。
みんなとの合流を諦め、少しでもよく見えそうな場所を求めて、うろちょろしてみた。
……どこへ移動しようと、人垣の頭の隙間から伺うしかないことに気付くのにそんなに時間はかからなかったが。
ドーーーーーーン!!!
再び、一際大きく大太鼓が鳴り響いた。
それが演舞の始まりを知らせるものだった。
よくは見えないが、どうやら梨花ちゃんが村長たちの扮する神官を従えて登場したようだ。
おぉ…という感嘆のため息と、ありがたがり数珠を揉む年寄りたち。
人垣の頭が邪魔で、よく見えないのが本当に悔しい。
先に遊びを切り上げて、陣取りをしていた方がよかったに違いない…。
梨花ちゃんが祝詞を唱えた後、祭事用の大きな鍬を抱え、祭壇に積み上げてある布団の山に近付いていく。
そうだよな。布団をお祓いして供養するっていうのが儀式の趣旨だったな…。
そして、厳かな奉納演舞が始まった。
餅つきの杵を使って練習するだけあって、…梨花ちゃんの持つ、祭事用のややこしい形をした鍬は、本当に重そうだった。
よろよろよたよたと、振り上げるだけでも大変に違いないものを、汗だくになりながら振ったり、掲げたり、降ろしたりする。
それは嫌々こなせばいいものではなく、巫女として、祭事に臨む厳かさが伴わなければならない。
……梨花ちゃんの双肩に圧し掛かるプレッシャーは相当なもののはず…。
……くそ!! なんで俺はこんなよく見えないところで応援してるんだよ!
せめて、梨花ちゃんが一番よく見えるところで応援してやるのが仲間ってもんだろうに!
「圭ちゃん、こっちこっち。」
襟首を軽く引っ張られる。…詩音だった。人垣の輪の外で俺を手招きしている。
いたずらっぽく笑うその顔には、私しか知らないとっておきの場所がありますよ、と見て取れた。
「詩音、…なんだなんだ。」
「しーー。黙って付いて来て下さいね。」
詩音は付いて来るように言うと、人垣をぐるっと大回りに走り出した。
こういう時、土地勘のあるヤツがいると助かるよなぁ! なんて感心してると、すぐにも詩音を見失いそうになる。
もうはぐれるのはごめんだ。
俺も遅れないように駆けていく。
どんな穴場なんだろうと期待すると、詩音は人の輪を外れ、境内の裏に回って行った。
「おいおい、…どこ行くんだよ…! これじゃあ、どんどん離れちゃってるぞ?!」
「しーーーー! 黙って付いて来ればわかりますから。」
詩音が、よく魅音がそうするようにウィンクしながらそう言った。
ひと気もなく、明かりも充分でない暗がり。すっかり境内の人だかりからは離れてしまった。
…こんなところから、どうやったら梨花ちゃんの演舞が見えるって言うんだ?
「そっか。…どこか高い所があるんだな? 屋根の上とか、そういうところから見下ろそうって言うんだろ。」
「はい? 何で屋根に登んなくちゃいけないんです?」
「だって、そうじゃなかったら、どうやって梨花ちゃんの演舞を見るんだよ。」
「梨花ちゃまの演舞なんか見たかったんですか? 圭ちゃん、ひょっとしてストライクゾーン、もっのすごく低くありません?」
「…何だか話が微妙に噛み合わないぞ。お前は俺を、梨花ちゃんの演舞がよく見える場所に案内してくれるんじゃないのか?」
「はい?
…誰もそんな約束してませんよ?」
んがーーッ!! な、なんだそりゃあぁあー!!
なんで俺は!! いっつも詩音とは噛み合わないんだ!!
俺か?! 俺が勝手に勘違ってるだけなのか?!?!
「じゃ、じゃあ、お前は俺を何でこんな所に呼び出したんだよー!!」
詩音が茶化さない目で、人差し指を俺の唇に当て、静かにするように無言で告げる。
…お祭りの死角を突いた、ひと気のない暗がり。ここには年頃の男女が二人きり。
……えぇえぇ?!?! まままま、まさか?!?! 詩音のヤツ、また何か…嫌ぁなことを企んでないか?!?!
(しーーーーーー。あれを見て下さい…! ほら。)
詩音が小声で告げ、暗がりの茂みの向こうを指差す…。
そこには…2人の、男女の人影。
(な、…なんだ、ありゃ。……………まま、まさか…。)
(逢引の生現場に決まってるじゃないですか〜。ほらほら、よく見て下さい。あれ、誰だかわかります?)
詩音に言われ、暗がりに目を凝らす。
………あ、富竹さんと、鷹野さんだ…!
富竹さんと鷹野さんは、明らかに息を殺し、気配を悟られまいとしてきょろきょろと辺りを伺いながら、倉庫のような木造の建物の入口にしゃがみ込んでいた。
(…まさか、詩音。……これを見せたくて俺を呼んだのか?)
(圭ちゃん。梨花ちゃまの演舞は毎年見れるけど、こーゆうのは二度とお目にかかれませんよ?)
……園崎姉妹ってのは、姉も妹も個性的だとは思ってたが、こういうところだけはいやにそっくりだぞ…。
(俺は帰るぞ! 二度とこんなのに呼ぶなよなぁ!!)
(あ、今、動いたらバレちゃいますって…!!)
俺たちのそんなにぎやかなやりとりに、鷹野さんがビクリと振り返る!
「……あらあら。どなたかしら?」
しばらくは息を殺し、やり過ごそうと試みたが、鷹野さんは完全にこちらの気配を感じ取っているようだった。
詩音と顔を見合わせ、諦めて茂みの影から出る。
「どうもこんばんはー。お月様の綺麗ないい夜ですね。」
「あらあら。詩音ちゃんに前原くんじゃない。こんばんは。月の綺麗な夜ね。」
「おやおや……、圭一くんも隅に置けないねぇ! こんな所で逢引かい? だとしたら、僕たち、とんでもないお邪魔をしちゃったかな。あっはっはっは!!」
逢引してたのはそっちだろうがー!!
勝手に笑い合う富竹さんと鷹野さんが何だか腹立たしい。
「ってことは富竹さんたちは、逢引してたってわけじゃないみたいですね。」
「そ、それはもちろん違うよ。
そういうロマンスも嫌いじゃないけどねぇ。」
「くすくす…。残念だけど、貴方たちが覗き見したくなるような逢引現場じゃないのよ。期待に添えなくて申し訳ないわね。」
「ふーん。逢引現場じゃなかったら、何してるんですか? 富竹さん、今、扉の南京錠をいじってませんでした?」
え? そう言われて、改めて二人を見直すと…確かにそう見えた。
倉庫の扉の前に屈み込み、重そうな南京錠をいじっているように見えた。
「……バレちゃあしょうがないなぁ。僕たちが倉庫破りをしてたなんて、…内緒だよ?」
「な、内緒って…、それ、ドロボウってことですか?!」
富竹さんがあまりにあっけらかんと笑うので、思わず呆れて聞き返してしまう。
「やぁね。ドロボウってのは物を盗む人たちのことでしょう? 別に私たちは物を持ち出そうとしてるわけじゃないのよ。」
「へー…。じゃあ何のためにカギ開けなんかしてるんですか? ここ、開かずの祭具殿ですよね。古手家とほんの一握りの人間しか入ることが許されないって言う。」
開かずの祭具殿…?
言われて、2〜3歩下がってその全容を改めて見直す。
こんなひと気のないところに、まるでひっそりと、隔離するかのように建てられた倉庫のような建物。
…めったに開かれることがないことを示す汚れ具合。
そして…異様な迫力で威圧する、堅牢な造り…。
確かに、言われて見ればこの建物は異質だった。
「ここはね。祭具殿といってね。祭具をしまっている倉庫なの。…いえ、祭具を祀っている神殿と言ってもいいかもしれないわね。
梨花ちゃんが奉納演舞で使っている祭事用の鍬も、今日までこの中にしまわれていたものよ。
もちろん、古手家の人間以外は
「穢れ(ケガレ)」を持ち込むから立入禁止の不可侵領域。……聖域なの。」
そんな場所、ますます踏み込んじゃいけないんじゃないのか?!
だが鷹野さんの顔には、子供っぽい、よく言えば無邪気な、悪く言えば残酷な笑みが浮かんでいた。
「私、雛見沢の昔語りや伝承を趣味で研究してるって言ったわよね。私の知的興味の様々な答えがこの中に詰まってるの。
この中に入れるチャンスを今日までずっと待ってたんだから。」
チャンス、か。…確かにお祭りの今日は、全ての人の目が境内の演舞に注がれている。確かに究極の死角だ。
「へー。富竹さんにカギ開けの技術があるなんて知りませんでした。」
「…よしてくれよ。僕だって嫌々やってるんだよ?」
「つき合わせてしまってごめんなさいね。でも、ジロウさんのお陰よ。感謝してるわ。」
「やれやれ…。でも鷹野さん、こういうのはこれっきりにしてくれよ? こういうところに黙って入り込むのはやっぱり気が引けるよ。」
「くすくす…。やっぱりジロウさんはいい人ね。」
ゴトリ。
…富竹さんが南京錠を外し、それを脇に置いた。
「開いたよ。」
「ありがとう。…いよいよね。」
鷹野さんが、ごくりと唾を飲み込み、らしくもなく興奮した様子で、重い扉をぐっと押し開ける…。
隙間から、カビと埃のツンとした臭いが溢れ出てきた…。
祟りなんか実在しないと言い切った俺でも…、この状況では祟りを信じてしまう。
…土足で、こんな神聖そうな場所に踏み入ったら…何だかバチが当たりそうだ。
「どう? 貴方たちも共犯なんだし。せっかくだから一緒に見学しない? 雛見沢の秘史を埋める、貴重な文化遺産の見物会よ。…今日だけの限定開館。くすくす…。」
「べ、別に俺たち…共犯ってわけじゃ……、」
「…面白いと思いません? ねぇ、覗いて見ましょうよ。」
詩音が俺の腕に組み付き、想像通りのことを言い出した。
「でも…これは絶対、いけないことだよ…! 神聖な倉庫なんだろ? 祭具殿って言ったっけ?! ますます勝手に入っちゃまずいよ…!」
「私は一応、園崎の人間ですからこの中にあるものは、おおよそ想像がついてます。でも、それは圭ちゃんにも見てもらいたいものです。」
「俺に見てもらいたいもの…?」
俺を倉庫に引き込むための方便だと思ったが、詩音の瞳には茶化す色はなかった。
……もっとも、真顔で嘘が付けるタイプなんだろうが。
でも確かに、…俺も平均的な男の子だ。
むしろ好奇心は人一倍強いくらいだ。
門外不出のお宝が眠る開かずの倉庫が覗けるチャンスなんてそうそうない。
どちらかと言えば…見たいくらい!
でも、かかってるカギを外してまでってのは……ちょっとまずくないかなぁ…!
「面白くないって思ったら、圭ちゃんはすぐに出ればいいです。きっと興味を引かれると思いますけどね。」
富竹さんは、俺と詩音のそんなやり取りを聞きながら、階段部分に腰を下ろし一服しようとしていた。
「僕がここで見張っててあげるから。一緒に見てきてごらん。僕はあまり趣味じゃないけど…、圭一くんみたいな若い男の子には結構面白いかもしれないよ。……ふっふっふ!」
そう悪戯っぽく笑った。笑いに悪意はなかった。
「富竹さんは、この中に何があるのか知ってるんですか?」
「まぁね。鷹野さんにたっぷり聞かされてるからね。」
「相方の特殊な趣味に付き合わされる殿方も大変ですね〜。」
富竹さんは答えず、苦笑いを返事とした。
鷹野さんはどことなく、自分の好きなものには、他をかなぐり捨てても一直線というコワイ雰囲気があるが…。
富竹さんは逆に極めて常識人だ。
…その富竹さんが、こんなにも気さくに、見てきてごらんなんて言うと、急に罪の意識が軽くなる。
「じゃあ………ちょっとだけな。…面白くなかったらすぐ出るぞ。」
そうこなくっちゃ! 詩音が魅音そっくりにウィンクして見せる。
「決まったみたいね。じゃあ行きましょうか。…ジロウさん、留守番をお願いね。」
富竹さんは、いってらっしゃいとばかりに、手をひらひらと振った。
■祭具殿
中は真っ暗だったが、鷹野さんが用意していた電池式のランタンを灯すと、かなり狭い前室であることがわかった。
「真っ暗だねぇ。みんな転ばないように気をつけるんだよ。」
「ご心配ありがとう。…じゃあ門番をよろしくね。ここ、締めるわよ。」
楽しいことから富竹さんだけを締め出すように、鷹野さんが意地悪に笑いながら、扉を閉めていく。
「やれやれ…。…じゃあみんな、ゆっくり楽しんでおいで。」
低く重い、よく響く音を立て、…外界と完全に遮断されると…シンシンとした闇が蝕んできた。…鷹野さんのランタンだけが頼りだ。
「大丈夫よ。予備電池も入ってるアウトドア仕様なんだから。消えたりなんかしないわよ。」
不安な顔を見透かされたらしい。…思わず照れて顔を背ける俺。
奥に、古いながらも頑丈そうな、そして厳かな装飾のされた重い扉があった。
……その向こうにあるものを封じ込める、最後の扉のようだ…。
「ただの倉庫なのに前室があるなんて変わってるでしょう。…一度に1枚ずつ扉を出入りさせることによって、祭事殿の中が外に見えないようにする工夫だと考えられるわね。」
鷹野さんはその構造にしきりと感心していた。
…しかし…本当に暗いな。……おや? あれは…。
壁に不恰好に取り付けられ、配線の束を垂らした電源のブレーカーを見つけた。
「あ、これ、灯りのブレーカーか何かじゃないですか?」
一番大きなスイッチをバチン!と入れると、真っ暗だった室内に、古ぼけた裸電球が灯る。
ストロボのような突然のまぶしさに、みんなが顔をしかめた。
「ダメです!!」
詩音が言うよりも先に、俺の手を叩いてスイッチを落とした。
大きなバチン!という音がもう一度し、再びランタンの灯りしかない暗闇に戻る…。
「いててて……。」
「ダメです圭ちゃん。私たち、ここに忍び込んでるんですよ? 灯りなんかつけたらバレちゃうかもしれないじゃないですか…!」
ちょっときつめに詩音に怒られる…。
今の一瞬の灯りで誰かに気取られなかったか心配してるようだった。
「大丈夫よ。本当に一瞬だし。」
鷹野さんは大人の余裕だ。
…仮にバレても、うまくごまかしきる自信でもあるみたいだな…。
「さ、入りましょう。…よいしょ、っと。」
さらに重い扉が開かれ…ほこりだけじゃない、嫌な臭いの空気があふれ出して来る。
……台所の奥の、埃にまみれた何年も開けてない戸棚を開けたような臭いと、魚屋の生臭いにおいが混ぜこぜになったような…説明の難しい、嫌な臭いだった。
音の響き具合から、前室とは比べ物にならない広さを感じる。
鷹野さんがランタンをかざすと、その広々とした内部が鮮明にわかった。
「…ぅわ…!!」
祭具殿の正面一番奥には…仏像のようなご神体が立ち、侵入者である俺たちを見下ろしていた。
ランタンのか細い明かりに照らされたその迫力に思わず驚いてしまう。
「あれが雛見沢の守り神、…
オヤシロさまよ。」
「……社にあるのより、ずっと立派ですね。」
オヤシロさま。
……これが、雛見沢の守り神。
聖地、雛見沢を外界の穢れから守り、ダム工事で土地を穢そうとした人間たちに、次々とバチを当てているという……。
「…想像してたより…たくさんの祭具が収められているようね。
…でも残念。どれもあまり手入れがされていないわ。…状態が悪いのが悔やまれるわね…。」
壁や、天井、そして棚などにたくさんのヘンなものが並べられているのが、この暗がりでもうかがえた。
鷹野さんはうっとりしたように言いながら、暗がりの中に並べられている様々な祭具に酔いしれている。
…あまり祭事的な、芸術的な形のものはなく、どちらかと言えば…鍛冶屋や大工さんなんかの作業場のような、そんな感じの木製や金属性の大道具がごろごろと並べられていた。
こう言っては悪いが、結構退屈なものばかりだ。
もっと平安時代の美術品のようなものを想像していたのだが…。…とても文化遺産なんて言葉とは程遠い。
そんな俺の、期待外れな表情はすぐに読まれたようだった。
「……あら、…面白くないかしら?」
「俺は文系でも美術系でもないんで…。…あんまりこういうのを見ても、よく価値がわからないです。」
「ふふ、………圭一くんはよくわかってないみたいね。無理もないけれど。」
鷹野さんはさっきからずっと持っていたペーパーバッグの中から、使い込んだ感じのスクラップ帳を取り出すとめくり始めた。
「……じゃあ、圭一くんのために、昔話でも聞かせてあげようかしら。この地方では一般的な昔話よ。図書館に行けば、教育委員会推薦の本にも載ってるくらいにね。」
こんな薄気味悪いところで…昔話か。
……どちらかと言えば、怪談の気分だよな。
でも詩音は全然平気そうな顔をしていた。
魅音と同じ性格なら、ここで怖がると揚げ足を取られるだけだ。
…ここは我慢して平静を装おう。
「いーい? じゃあ…読むわよ。」
俺が大人しく耳を傾けたことを確認すると、まるで幼稚園の先生が絵本を読むように、やわらかく語り始めた……。
■昔々あるところに…
「昔々、ある山奥の村にね、沼があったの。その沼はね、底無しの深い深い沼でね。地の底の鬼の国につながっていたんですって。」
その沼は海より深いと噂され、飲み込まれればそのまま黄泉の底まで沈んでいくと伝えられる、底無しの沼だった。
その名を、鬼ヶ淵と言う…。
…あれ?
昨日聞いた、生贄を底無し沼に沈めたって言う話。…ひょっとしてこの沼のことなのでは……。
「…ってことはその村は、…雛見沢ですね。」
「察しがいいわね。そうよ。…当時は鬼ヶ淵村って呼ばれてたけどね。」
「鬼ヶ淵村……。…物騒な響きのある名前だな…。」
「イメージもあったんでしょうね。明治の頃に、今の名前に改称されたって聞きました。」
…鬼の国につながる沼の名前が鬼ヶ淵。
…そしてその名を村の名に冠した、雛見沢の本当の名前、鬼ヶ淵村。
「村人たちは鬼の国、つまりは地獄のことね。…鬼の国とつながるという沼を崇めながら過ごしてきたの。でもね、ある日のこと。」
沼の底から鬼たちが次々に現れたのだ。
…地獄が溢れた。
村人たちはそう怯えた。
鬼たちは村人たちに容赦なく襲い掛かった。
村人たちは怯えるだけ。
…ただ身を隠し震えることしかできなかった…。
「…で、誰かが鬼を退治するわけですか?」
「残念だけど、このお話には桃太郎もスーパーマンも登場しないわ。」
「じゃあ…村をあげて戦うわけですか?」
「まさか。村人たちに鬼と互角に戦える力などあるわけもない。」
「…じゃあ…村を捨てて逃げるしかないですよね…。」
「それも無理ね。…村人たちにとっても村は大切な郷里だったから。どんな恐ろしい鬼が攻めて来たからと言って、簡単に逃げ出せるはずもなかったのよ。」
「…じゃあ…どうするんですか? 滅びるしかないじゃないですか。」
戦うこともできず、逃げることもできず。…このまま村が滅びるのを待つしかないのか…。
そう誰しもが諦めた時、
…神さまが…「オヤシロさま」が降臨した。
「なるほど…。つまり、天からやって来たオヤシロさまが鬼たちをやっつけるわけですか。」
「…圭ちゃんは男の子ですねぇ。すぐに腕力で解決する方に走るんですから。」
詩音がちょっと呆れた感じに言ったので、恥ずかしくなり口をつぐむ。
「オヤシロさまはね。やっつけるとか、そういう暴力的な神さまじゃなかったの。……もっとやさしい、慈愛のある神さまだったの。」
天から降臨したオヤシロさまの力は鬼たちとは比べ物にならなかった。鬼たちは戦うまでもなく、その威光の前に平伏する…。
オヤシロさまは彼らに元の鬼の国に帰るよう諭したが、鬼たちはどうしても帰れない、と涙ながらに拒んだ。
「鬼たちの世界にも厳しい戒律があってね。彼らは地獄を追放された鬼たちだったんですって。」
地獄にも、そしてもちろん人の世にも居場所のない鬼たち…。
もちろん鬼たちが村を襲ったのはとても悪いことだけど。彼らはそれを深く反省した。
「村人たちも話を聞く内に、少しずつ気の毒になっていったわ。…それでね、村のみんなで話し合った結果、鬼たちと一緒に住むことを決めたの。」
「退治するとか追っ払うっていう昔話は多いけど…共存ってのは確かに珍しいですねぇ。」
「ですよね。鬼ってのは元来、諸悪の象徴のはず。それとの共存を決めたというお話なんだから、本当に変わってます。」
鬼たちは村人が自分たちを受け入れてくれるという申し出に、まず耳を疑い、次に感涙に咽びたという。
村人たちは鬼たちに生活の場を与えた。
その恩返しとして、鬼たちは自分たちの持つ様々な力や秘法を村人に授けたと言う。
「オヤシロさまはその微笑ましい交流をとても喜んでね。鬼たちが村人と分け隔てなく暮らせるよう、人間の姿を与えたんですって。
そして自らも地上に留まり、末永く両者の交流を見守ることにしたんだそうよ。」
人と鬼と神の三者の住まう土地、か。
…鬼ってのは退治されるべき悪役の代名詞だと思っていた。
神さまの仲介があったとは言え、こうして両者が仲良く住むというハッピーエンドはなかなか聞いたことがない。
…なるほど、ちょっぴり面白いかもしれないな。
「普通のおとぎ話ならここで終わりなんだけどね。このお話は江戸時代にだいぶ加筆されたみたいで、まだまだ続くずいぶんと長い話になってるわ。」
その後、人と鬼の混血が進み、もう何の区別もなくなったと言う。
「鬼の存在は結局、村に溶け込んで消えてしまった、ということですか。」
「いいえ。消えたりなんかしないです。半分はしっかりと残ってたそうですよ。」
鬼の持つ様々な知識や秘法を持った人間たちは、もはやただの人間ではなく、仙人と呼ばれるべき存在だ。
彼らは自らの持つ力が異端であることを充分に理解し、ふもとの人々に崇められながら、ひっそりと隠れるように暮らしたという…。
「このお話がね、その後に派生するたくさんの昔話・フィクションの原点になってるの。だからこのお話がある意味、基礎中の基礎。ベーシックね。」
「原点って、どういう意味ですか?」
「村人たちは鬼の血を引いている、という部分ですね。……つまりこの辺りに伝わる様々な伝承や昔話は全部、その村の人たちは鬼の血を引いているというのが前提になっているんです。」
そう言う詩音には、どこか面白がるような表情が浮かんでいた。…つまり、その鬼の血は自分にも流れているんだと言いたいらしい。
…でも…何か根拠でもあるんじゃないかな?
ただの昔話で終わらない、何か歴史上の事実に基づいてるとか。
「あら。…じゃあ前原くんは沼から鬼が現れて人間と交わった、っていうのは本当にあった出来事だって信じてるのかしら?」
「……うーん、信じないわけじゃないんですけど…。」
鬼って言うのはもちろん、地獄の鬼のことなんだけど。…古代日本では必ずしも地獄の鬼だけを指したわけではないんじゃないかな、と思う。
割と知られているのは漂流異人説だよな。
近海で難破した西洋人が流れ着き、あまりの風貌の違いに「鬼」と呼ばれたなんて話だ。
日本人に比較的似たアジア人ならともかく、西洋人は体格も一回り違うし、顔つきも皮膚の色も全部違う。
赤鬼、青鬼、なんて言い方なんか特に西洋人を連想させるじゃないか。
色素の足りない西洋人は、日焼けすればきっと真っ赤になるだろう。
色白だから血管が浮けば青くも見えるだろうし。
遭難した異人たちが何人か日本に流れ着き、鬼と呼ばれ迫害を受けた。
彼らも生きるために山へ逃げ込み、山賊化して村々を襲撃して食料を奪った、とか。
「なんて説はどうでしょう。…ちょっと子供じみてますかね…。」
俺のそんな即席の仮説に何だか笑うような仕草を見せたので、思わず自虐的にフォローしてしまう。
だけど鷹野さんは馬鹿にするような笑いはしなかった。
「別に可笑しくないわよ。実際に漂流異人説を唱える人もいるもの。でも実際はどうなのかは誰にもわからない。山賊化した異人の集団だったのか、本当に地の底から来た鬼たちだったのか…ね。」
「じゃあ、…えっと…鷹野さんはどっちを信じてるんですか?」
「真相は別にして。夢のある方を信じたいわね。その方が面白いでしょう?」
ちょっぴりロマンチストな回答に驚いた。
てっきり、非現実的な話は却下するものとばかり思っていたから。
「さて。……いよいよここからよ。面白くなるのは。」
鷹野さんは一旦そこで区切ると、仕切りなおすように間を置いて焦らしてみせた。
「…………?」
その時、詩音が何かを気にした風に辺りを見渡した。
…ぐるりと見渡し、何の変化もないことを確認する。
「…? どうした詩音。」
「……………ごめんなさい、気にしないで下さい。」
そう言って、何事もなかったかのように振舞った。
鷹野さんも何事もなかったことを確認すると、咳払いをひとつしてから切り出した。
「…村人たちに半分、鬼の血が流れてるのは話したわね。実はその血なんだけど、鬼は鬼でも、『人食い鬼』の血なんだ、って言われてるの。」
「…人食い鬼、ですか? ……急に物騒な響きになりましたね。」
「その血は今でも村人たちには脈々と流れていてね。
……時折、その血が眠りを覚ますと言われてるわ。」
人と鬼との共存というハッピーエンドで終わったと思ってた昔話は…急に泥臭い、血生臭いものに化けていく…。
「人食い鬼だから。何十年かに一度、どうしても人肉が食べたくて仕方がなくなる周期があるんですって。だからって村人同士で共食いするわけにはいかない。……だから彼らはその度に人里へ降り、『鬼隠し』をしたと伝えられてるわ。」
「なんですか、『鬼隠し』って。」
「平たく言えば、鬼たちによる誘拐行為よ。鬼ヶ淵村の村人たちが人里に押し寄せ、哀れな生贄を無理やり力尽くでさらったんですって。」
鷹野さんの説明はあまりに簡素だったが…それは想像すると…とてつもなく恐ろしいものだった。
人としての理性を失い、
文字通り鬼と化した村人たちが大挙して、彼らが穢れた俗世と忌み嫌う村々に襲い掛かり…、食い殺すためだけに人をさらう。
「そ、それじゃ鬼となんら変わりないじゃないですか。…オヤシロさまはどうしたんです?! その村に留まって人々を見守ってるんじゃなかったでしたっけ?」
「もちろんオヤシロさまも了承してたそうよ。だから『鬼隠し』は無差別ではなく、神さまが決めた生贄以外には誰もさらわなかったらしいし。ほとんどの場合は1人か2人だったって記されてるわね。」
……人と人ならざる者の共存する村。
…その微笑ましいエピソードは、まるで写真のネガのように反転し、…痛々しく、そして醜くさらし出される…。
「そうして生贄をさらってきた夜にはね。…哀れな犠牲者を美味しく頂くため、『綿流し』の儀式が開かれたというわ。」
綿流し。
…今夜のお祭りも綿流し。
…今日の楽しかったお祭りの光景が、どうしても鷹野さんのしている物騒な昔話と結びつかない。
「綿流しは、…えっと確か…、冬の間につかった布団なんかに感謝するお祭りじゃなかったでしたっけ?!」
「圭ちゃん。…ワタって言いません? 臓物のこと。」
それまで沈黙を守っていた詩音が口を開く。
「ワタ? ……そう言えば言うな。魚のワタって言う。……え?!」
今日の楽しかったお祭りのピースに、あまりに歪な形をした奇怪なピースが、パチリと音を立てて合わさっていく。
「腸(ワタ)流し…。」
自分の口に出して、かつてこれほどおぞましく思ったことはなかった…。
「そう。前原くんの想像している通りよ。
…今でこそ綿流しは毎年6月に行なわれるちょっと早い夏祭りに過ぎないけど、昔は違った。哀れな食材をさらってきた夜にだけ開かれた……凄惨な人食いの宴のことだったの。」
「う、嘘だッ!!!」
明白な根拠があったわけじゃない。だがそう言わずにはいられなかった。
「前原くんはさっき、綿流しは布団を清める儀式だと言ったわね。ワタが詰まった布団って、何を意味してると思うかしら?」
「布団は布団だろ?! 寝具! 寝るための道具だよ! 他に何の意味があるんだよ?!」
…自分のうわべは、鷹野さんの言うおぞましい『綿流し』を否定しようと必死にまくし立てる。
…だが、心の奥底は…鷹野さんの言った意味をよく理解してしまっていた。
ワタの詰まった布団。
ワタは腸(はらわた)を意味するものなのだとしたら、腸の詰まった布団というのは…人間のことに他ならない。
「では、梨花ちゃんがやった奉納演舞を思い出してちょうだい。梨花ちゃんがあそこで何をしていたか、…わかってくる?」
「わからねぇよ! 第一、梨花ちゃんの演舞は最後までちゃんと見てないし…!!」
「しーーー。圭ちゃん、エキサイトし過ぎです。」
詩音が俺の耳をクイ、とつねり、大声を出すべき場所ではないことを思い出させてくれた。だが、それでも俺の興奮は収まらない。
「梨花ちゃんが持っていた祭事用の鍬。…もう薄々は気付いてると思うけど、あれは田畑を耕す鍬ではなくて。
…人間の腹をこじ開けるための解剖道具なのよ。」
最後まで演舞を見なかったので、梨花ちゃんがあの後、どのような演舞をしたのかはわからない。
そう言うと、鷹野さんはわざわざ親切に梨花ちゃんの演舞を全て教えてくれた。
簡単に略すと…、梨花ちゃんはあの後、あの鍬で祭壇の布団を突いて、裂いて、中のワタを引きずり出すらしい…。
そのワタをひとりずつが千切って、沢に流す。……そういう儀式だと言うのだ。
「平たく言えば、魚のワタを取り出して三角コーナーに捨てるのを、仰々しく儀式仕立にしたってことね。…それで儀式はおしまい。
そのあとは、それぞれの役割を持った村人たちが、各々に肉を解体して美味しく頂いたって考えられてるわね。…くすくす。」
…さも愉快そうな鷹野さんの笑いに、どうしてか、猛烈な不快さを感じた。
梨花ちゃんが…休み時間の度に、校舎裏で餅つきの杵を使って…汗を垂らしながら一生懸命、今日のために特訓した奉納演舞…。
……その苦労を、努力を、…この鷹野さんという人は汚した。
…あんなにも頑張って今日に臨んだのに……。
「…鷹野さんももう少し、言葉を選んでほしいです。圭ちゃん、ナイーブなんですから、あまりからかわないでください。」
俺が怒りの感情を口から出そうとした矢先を、詩音が制した。
…詩音には、俺が今の話でどういう感情を持ったか、よくわかっているようだった。
「ごめんなさい。…男の子だから、ショッキングな話は結構好きかと思って。」
鷹野さんは悪びれた様子もなく、優雅に笑いながらそう言った。
「この辺まで話を聞けば、…圭ちゃんにも、この祭具殿の中にどういうものがあるのか、理解できるようになってきませんか? ほら。」
詩音はそう言い、ランタンの灯りにぼんやりと照らし出された壁を指差した。
……そこには、…さっきまで何の興味も感じなかった、つまらない形をした祭具が並べてかけられていた。
「…………………ぅ、」
何に使うのか理解できない面白みのない形をした道具の群が…突然、意味を持った形になり……思わずうめき声を漏らしてしまう…。
それは始め、ノミやカンナなどの大工道具のように見えていた。…だが…よく思い出せば…こんな道具類の写真を見たことがある。
…それは確か…日本史の教科書に出てきた。
そう、………解体新書を紹介したページでだ。
「こういうのはね。医学の本場、ドイツの文献の方がリアルに掲載されてるわよ。」
これは…大工道具なんかじゃない。…この歪な形をした道具類は…解剖道具なのだ。
江戸時代に、西洋医学を研究するため、処刑場の罪人の死体を解剖したという話は誰でも知ってる。
その時に使った解剖道具の図解は、副読本なんかに載ってたりする。……この壁に掛けられているものは…まさにそれらによく似ていた。
「もっと怖い言い方をするなら、調理道具と言ったところかしらね。…くすくす。」
鷹野さんは唯一の灯りであるランタンを持って、壁に沿って先導していく。
…唯一の灯りを持っているのだから…好む好まざるに関わらず、鷹野さんについて歩くしかない。
「…ほら。」
鷹野さんが照らし出す先には、見るものを威圧しそうな鎖のとぐろ。
それ自体は大して珍しいものではなかったが……その先々に、明らかに拘束をイメージする、蝶番で締められるようになった鉄環が付けられていた。
「け、…圭ちゃん、……あれ。」
肩をぶつけてきた詩音が指差す先には……はっきりと人型と見て取れる形をした…拘束台が立てかけられていた。
背筋が凍りつき……、凍ってシャーベットのようになった血液が背中を登ってくる。
各関節を、鎖や鉄環で拘束する仕掛けがいくつも取り付けられ…、まるで、その拘束台が次なる犠牲者を求めて、両手を広げて覆いかぶさってくるかのようだった…。
「多分、…まな板じゃないかしら。犠牲者を拘束してこの台の上でお料理をしたんだと思うわね。」
まな板という言葉にぞくりとする……。
目を凝らすと……確かに、包丁のようなノコギリのような、そんなどす黒い切り傷が、幾重にも刻み付けられていた…。
それはこれ以上ないくらいに明白な、使用の痕跡。
…この道具が、見掛け倒しではなく、本来の用途に沿って使用されたことを示す証なのだ。
こんな拘束台で厳重に拘束されたら…身動きひとつ取ることなどできないだろう。
…そんな無抵抗な腹に……あそこに並んでいる…あまりに物騒な調理道具の刃を突き立て…、…その腹を裂き、腑分けをしたと言うのか……?
「……話には聞いてたけど……、………すごい………。」
詩音はここに入る直前、中のものは大体想像がついていると言っていたが…、それでも想像を超えているようだった。
「まだまだあるわよ。…どう? 蝋人形館より面白いでしょう。」
鷹野さんは、初めて訪れるおもちゃ屋のような、そんな嬉々とした表情を浮かべていた。
…わからない。
この鷹野三四さんという人の神経がわからない。
この人は…こんな猟奇的な、異常なものが…そんなにも楽しいんだろうか?
俺は楽しくない。
…正直に言う。
薄気味悪いくらいだ。でも、……今はそれよりももっと恐ろしいものがある。
それは……他ならぬ、鷹野さん自身だ。
このあまりにか細い灯りを放つランタンを持っている鷹野さんが、……突然、灯りを消したなら。
……その時、俺は、……次の瞬間に暗黒で訪れるであろう何かの事態に、一体どんな対応をできるというんだろう……。
だから怖かった。
……唯一の灯りを持つのが鷹野さんで、…とにかく怖かった。
…詩音が、いつの間にか俺のシャツの裾を掴んでいた。
歩く上で少し邪魔だったが…振りほどきはしなかった。…このわずかな感触が、今ここに自分以外の味方がいることを感じさせてくれるから……。
祭事殿の中を…半分も歩かない内に、…肌で感じていた空気の感触はがらりと変わっていた。
この祭事殿に所狭しと並べられた、残酷な器具たち…。
あるものは、犠牲者の自由を奪うおぞましいものであり、
あるものは、犠牲者を効率よく分解・調理するための道具だった。
…理解できるものはまだいい。
どうしても用途の理解できない、怪しげな形をしたものもたくさんあった。
でも…ここにある以上、それらがどのような恐ろしい目的に使用するものなのか…詳しく知る気も起きない…。
…だが、少なくともそれらは、日本刀のように、スパっと殺すような道具とはまったく異なるものだ。
人を殺すための道具は、当り前のことだが、人を殺すように作られている。
それが目的なのだから、使用された相手が死に至るのは、ある意味当然のことと言える。
だが、ここにある道具類は違う。
……ここにある道具は、人間を切ったり、砕いたり、茹でたり焼いたり、または摩り下ろしたり。…そう言った拷問紛いな道具ばかりだ。
……人を殺すように出来ていない。
結果として殺してしまうだけだ。
……いや、殺してしまうかも怪しい。
…犠牲者たちが、これらの恐ろしい儀式の過程で死ねるならまだいい。
……だが、死に至ることすら出来ず、…生き地獄のような苦しみのまま……生かされていたのかもしれない…。
この差が、どれほどおぞましく…そして恐ろしいことなのか……今この瞬間、はっきりと自覚する……。
「人ってね。上手にやると、結構殺さずに済むものらしいの。」
俺の心を読むかのように、鷹野さんがぞっとする笑顔で微笑む…。
「魔女狩りで有名な火刑、火あぶりなんかはすぐに死んじゃうのよ。
全身の皮膚が広範囲にわたって重度の火傷を負うと、組織の分解産物で中毒症状を引き起こし、重度なショックを併発しちゃうから。…まぁ確かに、それに至るまでが、ギロチンなんかに比べれば遥かに長いところに残虐性があるんだけど。」
……恐ろしい話を、何だか妙に医学的に描写する。…その疑問には、すぐに詩音が答えてくれた。
「鷹野さん、看護婦さんですから。」
…医者のなんとかほど恐ろしいものはないと言うが……本当のようだ。
「ところがね。ローマの時代の処刑方法にね、網焼きというものがあったの。バーベキューと同じにね。金網で挟みつけて、炭火でじっくりと焼いたんですって。」
家族でデイキャンプに行った時の思い出が…こんな時に限って鮮明に蘇る…。
「…これだとね。どういうわけか、なかなか死なないらしいのよ。
ものの本によると、一昼夜かけて片側が炭化するくらいこんがり焼いても、まだ意識があって流暢に話をした、なんて記述も出てくるから。」
…そんな…丸一日火あぶりにしても…、まだ意識があるなんて……。
死刑がひとつの見世物だったローマの時代には、いかにして死を長引かせるかに主眼を置いた処刑方法がいろいろと考案されたという…。
「その中にね。お腹を開いて、腸をウィンナーみたいに引っ張り出して、ウィンチで引っ張り上げてさらし者にする刑があったんですって。」
詩音が俺の背中に、しがみ付くようにくっついてくる。
……それは怖いからだけじゃない。…お腹をかばっているのだ…。
「臓物を引っ張り出すなんて、聞いただけでもすぐに死んじゃいそうでしょう? でもね。…丁寧にやさしくやるとね。意識がはっきりとした状態のまま、ハラワタを引きずりだすことって可能らしいのよ。」
お腹の内側に、嫌な感触を感じる…。
まるで、鷹野さんが目線だけで…俺の内臓をこね回しているかのようだった…。
「ウィンチで引っ張り出すっていうのは何だか大仰な方法だけど。もっと野蛮に、裂いた腹から臓物を、千切っては投げ千切っては投げという…そんな恐ろしい刑もあったんじゃないかって充分に考えられない? でも処刑者には意識があるの。…それは痛い以上に…恐ろしい体験なんでしょうね…。」
まるで、どこかで観光してきたかのように楽しく語る。…耳元で、詩音が何度も唾を飲み込む音がした……。
「雛見沢の、いえ、鬼ヶ淵村の綿流しもそんな感じだったのかしらね。……ほら。耳を澄ませば……聞こえてくるような気がしない?」
何も聞きたくないとこれほどにも強く思うのに…、
なぜこんな時ばかり、聞こえないはずの音まで聞こえるようになってしまうのか…。
鷹野さんは、俺と詩音を充分に怖がらせたことを確認すると、今度は和ますようににっこりと笑った。
…そして踵を返し、ランタンを掲げて再び歩き始める。
……鷹野さんに置いて行かれるということは、灯りから遠ざかるということ…。
俺と詩音は、…どんなに怖くても、鷹野さんと一緒に、祭事殿を見学して回らなければならないのだった……。
「これで軽く一周できたかしら。ね? 面白いところでしょう?」
そう言って、祭事殿の中央で、高くランタンを掲げた。
薄暗いのは変わらないはずなのに……なぜか、おぞましい器具類が一望できた気がした…。
「け、……圭ちゃん、……上……。」
詩音がどもった声を出しながら、俺の襟首を掴む。
「う……………………………、」
暗くてわからなかったが…、天井にも……たくさんの器具がぶら下げられていた。
それらは鉄格子で出来たようなものばかりだったが…すぐにわかった。檻なのだ。
檻と言っても…とても小さい。
まるで棺桶程度の、窮屈なひとり分。
……あんな中に閉じ込められたら……いや、閉じ込めるなんてものじゃない。鉄格子で挟み上げてしまうだけの…拘束具だ…。
それらが……大小、いくつも…さまざまな形のものが……吊り下げられて……。
…さっき鷹野さんがした、人間を網焼きにする処刑が脳裏を過ぎる…。
自分たちは…おぞましい器具に囲まれていただけではないのだ。…こうして、天井いっぱいにまで…覆い被さられていたのだ…。
「ヨーロッパの拷問道具に、こう言った鳥篭がたくさん登場するわね。日本にもあったなんて驚きだわ。」
「け、……圭ちゃん、……あれ、中に入ってない?! 人? ミイラ?!」
「え?! ど、どれ…?!」
いくつもぶら下がっている人間鳥篭の中のひとつを、詩音は懸命に指差すが、どれのことを言っているのかわからない。
…それに、この暗がりで、中に何かが入っているのかどうなのか、わかるわけがない。
「……私には何も見えないけど。見間違いじゃないの?」
「……………………………………………。」
詩音は納得できないようだったが…、確かめる術がなく、途方に暮れるしかなかった。
「これで前原くんにも、何となく信じられるようになったんじゃないかしら? 雛見沢に伝えられる恐ろしい儀式の数々が。」
信じるもなにも。……こうして、実物を見せられた今、それを否定することなどできやしない。
……美しい景観と伝統を誇るヨーロッパの国々にも、暗黒時代と呼ばれた中世に、恐ろしい魔女狩りの嵐が吹き荒れたのだ。
その時代が、いかにおぞましい拷問や処刑を生み出したかは広く知られるている。
日本だってそうだ。
宗教の弾圧とかで、地獄絵図のような拷問の宴が催された時代があったじゃないか。
…そして雛見沢にもそういう時代があった。…それだけの、歴史上のことなのだ。
魔女狩りのあったヨーロッパだって、それは遠い昔の、歴史上の出来事なのであって、この現代にはそんな異常な出来事はありえない。
そしてそれは雛見沢にだって当てはまることなのだ…。
「……中世の暗黒時代とかがそうだったように、…雛見沢にも暗黒時代があった。…そういうものなんだと解釈します。
…本当に雛見沢でこういう恐ろしいことがあったのだとしても、……それは大昔の出来事なんです。…今、暮らしている雛見沢の人々とは何の関係もないことです。」
「前原くんは、本当に雛見沢が好きなのね…。」
馬鹿にした風はなかった。鷹野さんは軽く笑ってくれた。
「でも、鷹野さんはその風習が、実は現代にも残っているんじゃないかと思って、研究をしてるんです。…そうでしたよね?」
詩音が言い出したとんでもないことに…
心臓が飛び上がる。
…こんな…異常なことが…この現代にも行なわれているって?!
「……これ、本当に内緒なんだからね? 詩音ちゃんは理解のある人だから話したけど、他の村人には聞かれたくないの。…下手をしたら罰当たり者ってことで、袋叩きにされかねないんだから。」
そう言って、背徳感を面白がる魔性の笑みで笑って見せた。
「前原くんも内緒にしてね? 知られたら私、オヤシロさまの祟りにあうか、生贄にされちゃうかするかもしれない。
祟りなら、今年はどんな死に方をさせられちゃうのかしら。生贄なら…鬼ヶ淵の沼に生きたまま沈められちゃうのかしら?……そう言えば今夜よね。オヤシロさまの祟りがある夜は。」
額がぶつかりそうになるくらい、鷹野さんは顔を寄せて…そう言った。
…まるで、もしも選ばれるのなら、自分が祟りにあってみたい。……そう言わんばかりだった。
鷹野さんはペーパーバッグから、かなり使い込まれたスクラップ帳を取り出すと、バラバラとページをめくり始める…。
スクラップ帳の中身は、いろいろな文献や新聞記事のコピーが貼られ、様々な書き込みがなされていた。
どの字もびっしり細かく記され、ちょっと見ただけでは何のことを書いてあるのかわからない。
「本当は国会図書館で当時の新聞が探したいんだけどね…。
…ほら、ここ。」
……何かの文献のコピーが貼られ、やはり細かい字でびっしりと書き込まれている。
他のページ同様、ぱっと見ただけでは何のことやらさっぱりわからない。
「これは実際にあったお話よ。明治の終わり頃にね。…鬼ヶ淵村で身元不明の惨殺死体が発見されたんですって。」
噂話やおとぎ話でないことを、貼り付けられた古い新聞記事のコピーが伝えていた。
「当時の警察の資料がほとんど残ってないそうだから、口伝と記憶によるものだけなんだけどね。……ほら、これ不鮮明だけど、明治の頃の新聞の切り抜きみたい。」
『…カクモ無惨且ツ残虐非道ヲ尽クサレタ遺体ハ嘗テ無ク/鬼ノ仕業カ…』
コピーにコピーを重ねたとても不鮮明なものだったが、異常な緊迫感だけは読み取ることができた。
明治の終わり頃。
旧名鬼ヶ淵村で、惨殺死体が発見された。
死体の身元は不明。……いや、とても身元が確認できるような状態ではなかった。
遺体は頭部を欠き、四肢と胴体の五つに分解されていた。
全身は生皮を剥がれ、至る所に惨たらしい拷問のような痕跡を確認できたという。
のみならず、腹部は鋭利な刃物でこじ開けられ、体内の臓器は丸ごと引きずり出されていた。
警察は直ちに捜査を開始するが、犯人はおろか被害者の身元すら割り出せず、非常に困難な捜査を強いられていると言う…。
「どういう状況か、わかるかしら?」
想像したくてもすることが出来ない…あまりに異常な光景。
貧困な想像力に感謝したことは生まれて初めてだった…。
「被害者は生きながらにして全身の皮を剥がれ、あらゆる拷問を受けて虐め殺されたんですって。
……そして死後にもさらに遺体を分解・解剖と残虐の限りを尽くしたのではないか、って筆者は見ているはね。
……私は、どの工程も『生きている』内にやったんじゃないか、って思ってるんだけどね。前原くんはどう思うかしら?」
…彼女がもっともっと残酷な想像を掻き立てるようなことを言ったが…。
俺の脳のキャパシティはとっくに限界で、それ以上の凄惨な想像などできるはずもなかった。
鷹野さんから目をそむけたつもりの先には…歪な形をした…奇怪な器具たちが、まるで俺たちを囲むように…ぐるっと取り巻いていた。
その、明治の終わりに発見された惨殺死体は……ここにある道具を使えば、見事に再現できるのだろうか…。
否定したい。
…そんな恐ろしい出来事が実際に起こったなんて認めたくない。
…だが、あまりに奇怪でおぞましい、それらの器具たちは、そんな俺の逃避する心を見透かしたように、声なき嘲笑を浴びせかけるのだった…。
「その……薄気味悪い事件が、…何だって言うんですか。」
「筆者はね、…鬼ヶ淵村の恐ろしい習慣は明治以降の近代。…ひょっとすると昭和初期くらいまでは残ってたんじゃないか、って結んでるわ。」
この、一見すると拷問の末に虐め殺したような死体…。
だが実は…それは…人食いの恐ろしい宴の哀れな犠牲者の残骸…。……喰い残しだと言うのか…。
あまりにも突飛な話しで現実感を帯びない。…これも昔話の延長じゃないのか…?
だが…明治と言う、昔話と呼ぶにはあまりに近代の事件…。
それに…こうして新聞の切り抜きも実在してるし……。
「で、でも…本当にあったとしたって、…昔の事ですよね。明治なんていったら、それこそ百年くらい前の…。」
「たったよ。…たった百年前のことよ。それにね。昭和に入ってからだって、あるんだから。…終戦直後に騒ぎになった
人肉缶詰事件、……あ、ごめんなさい。この話はタブーだったわよね…?」
鷹野さんが急に話をやめ、詩音に気遣うような仕草を見せた。
…詩音はどことなく不機嫌そうな顔を浮かべたが、それはすぐに消えた。
「……え? 今、鷹野さん、何て言いました? 人肉缶詰って…、」
その時、ギィイィイィという怪音!!!
はっとして全員が振り返る!!
…扉を細く開けた富竹さんだった。
「あっはっはっは。驚かせちゃったかな?」
「あら、ジロウさんも見たくて我慢できなくなったかしら? ……ここ、素敵な拷問道具の宝庫よ。」
「僕は遠慮させてもらうよ。…あははは…、生来ね、こういうのは苦手なんだ。」
男のクセに、とでも言いたいのだろうか、鷹野さんは押し殺した声で、お腹を抱えながら笑った。
「それより。演舞とセレモニーが終わって、みんな沢の方に降りて行ったよ。あと何分もしない内にお祭りは終わっちゃう。」
「あら、いけない。前原くんがあまりにも聞き上手だから、またお話三昧になっちゃったわ。」
……こんなところで引き合いに出されたくないのが本音だ。
「ジロウさんは表で待っててくれるかしら。私はちょっと写真を撮るわね。本当はいくつか道具を持って帰りたいんだけど、それはさすがに無理そうだからね。」
そういうと、鷹野さんはペーパーバッグからカメラを取り出し、せかせかと撮影を始めた。
……まるで時間制限のある宝探しのように、楽しそうだった。
「ん? 圭一くんも出るかい?」
「……もう充分に見ましたので。…詩音、もういいだろ? 出ようぜ。…きれいな空気が吸いたいよ。」
「同感です。出ましょう。」
こんな暗闇に、鷹野さんをひとり残していくことに少し抵抗も感じた…。
だが考えてみれば、この暗闇にどんな魑魅魍魎が潜んでいたにしても、それら全部より鷹野さんの方がコワイに違いない。
妖怪風情が出てきたところで、鷹野さんは大喜びしてフラッシュをたくだけだ。
そんな失礼な想像は、どうやら詩音にもあるようだった。互いに目でそれを確認し合うと、申し訳なさそうに苦笑し合う。
俺たちはフラッシュを瞬かせている鷹野さんを残し、祭事殿を出ることにした。
■祭具殿を出て
祭りの人々はみんなで沢に降りて行ったらしく、人々のざわめきがとても遠かった。
虫の声が涼やかで、…ひと気のない寂しさを掻き立てる。
「どうだい。面白かったかい?」
富竹さんは、ちょっと意地悪そうに笑いながら聞いてきた。
俺たちの青白い表情を見れば、聞かなくても感想はわかるはずなのに。
「……富竹さんと一緒に、留守番をしてればよかったです。」
「あっはっはっはっはっは!!」
富竹さんは、さっきまでの暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるくらい、痛快に笑い転げてくれた。
「詩音ちゃんはどうだったかな? 怖かったかい?」
「…一応、心の準備があった分、怖くはなかったですけど。…でもやっぱり実物は迫力あります。」
詩音は全然怖くなかったような言い方をしていた。
…本当は、詩音も充分に怖がっていたのだが、もっと怖がってた俺にバラす資格はないよな。
富竹さんの気さくな笑いに触れている内に、だんだんと緊張してガチガチになった心は落ち着いてきた…。
「鷹野さんは大人しく見物してたかな? ほら、彼女、子供っぽいところがあるだろう? 宝の山を前に、さぞや興奮してたんじゃないかと思ってね。」
俺も詩音も笑って、それを答えとした。
「見るだけならいいんだけどね。こっそりと何かを持ち出したり、いじくり過ぎて祭具を壊したりしないかが心配なんだよ。」
…あ、その線はあるかもしれないな。
…今は中にひとりきり。
懐に隠せそうな小さな祭具をちょろまかしたりするかもしれない。
「あははははは、うん。やりかねないです。」
詩音も同じことを言う。
「本当に何も壊したりしなかったかな? 何だかドタンバタンと飛び跳ねるような音がよく聞こえたからね。僕は不安で不安で…。」
「ごめんなさい。フィルムがなくなっちゃったわ。ジロウさん、フィルムが余ってたら分けてくれないかしら。」
鷹野さんの話をしている真っ最中だったので、突然現れてみんな驚く。
富竹さんも取り繕ったような笑顔で、さも何事もないように応じていた。…大人だよな。
「あ、あっはっはっは! もう予備のフィルムは切れちゃったよ。申し訳ないね…。」
「…もう。いついかなる時でもフィルムを残しておかないとピューリッツァーなんか取れないわよ? …仕方ないわね…。」
富竹さんが申し訳なさそうに頭を掻く。
フィルムがなければお手上げだ。
…鷹野さんもそれで諦めがついたらしい。
忘れ物がないかをよく確認すると、扉を閉め、脇に置かれた、重そうな南京錠に手をかけた。
「鷹野さん…、何も持ち出してないだろうね…。」
「失礼ね。そこまで子供じゃないつもりよ。」
ガチャリ。
元通りに南京錠を施す。
……ぱっと見ただけでは、中に賊が忍び込んだようには見えない。
「よし。僕たちも沢に行こう。綿を流すところくらいやらないと、お祭りに来た意味がないよ。」
富竹さんが明るい声で言いながら、みんなを促す。
…ワタを沢に流す、か。
…頭を二三度軽く振り、陰鬱な想像を追い払った。
鷹野さんは少し未練があるように、何度か祭具殿に振り返っている。
「もうこれっきりにしてくれよ。充分に知的好奇心は満たせただろ?」
「まさか! むしろ新しい興味を惹かれるような発見ばかりよ。今日ので、これまでの仮説が一気に現実になったわ。これで今後の調べ方がだいぶ変わってくるんだから…!」
いやいや…実にたくましい。
ここまで徹頭徹尾、好奇心を貫くのもある意味、大したものだ…。
石段を降りていくと、沢に群がる大勢の人が一望できた。
石段の下辺りで、ワタを千切ってもらい、それに願掛けをしてから沢に流している様子がここからでもよくわかる。
…祭りは、もう終わりだった。
「まずったなぁ。綿流しの一番いいところを撮影し損ねたよ。」
「あら、まだ遅くないわよ。私が行って流すんだから。私を撮っては下さらないのかしら?」
鷹野さんが小悪魔っぽい表情で、富竹さんの肩に頭を寄せる。
年甲斐もなく、富竹さんは照れた表情を浮かべる…。
富竹さんは、何だか大変な女性とお付き合いしてるなぁと、同じ男として率直に尊敬した…。
「じゃあね。前原くん。詩音ちゃんも。」
「僕たちは今からでも沢に行ってみるよ。君たちも一緒に来るかい?」
「まさか。お二人の邪魔なんてできません。どうぞごゆっくり〜。」
詩音もまた、鷹野さんに負けないくらいの小悪魔的な表情で手を振って答えた。
…富竹さん的にはついて来て欲しそうだったが、…まぁいいか…。
詩音は、うん…っと伸びをすると、石段に座り込んだ。
「えへへ…。疲れちゃいました。」
「…同感だな。……俺も疲れた。」
「圭ちゃんは綿流し、初めてなんですよね? 私なんか気にしないで行って来て下さい。私は疲れちゃったんで、人ごみはちょっとパスしておきます。」
確かに、今から行けば最後のぎりぎりでワタを流すセレモニーには滑り込めそうだ。
「お姉たちが圭ちゃんのこと、探してるかも知れませんから。行って来て下さい。」
「あ、…そうだ。魅音たちと別れたまま、それっきりだったな。探してると悪い…。」
そこで詩音が急にいたずらっぽい表情になると、内緒を意味するように人差し指を立てて唇に当てた。
「お姉ってすっごく嫉妬深いんです。私が圭ちゃんを独占してたことがバレると、いろいろうるさいんで、今夜のことは秘密にしておいて下さいね。」
…今夜のことは秘密って、
……何だか恥ずかしくなるようなことを言うなー!
「そういう意味だけじゃないですよ。
…今夜、私たちがしたことを思えば、秘密にするのは当然です。……今夜起こるかもしれないオヤシロさまの祟り、…私たち4人が最有力候補なんですからね。」
弛んだ緊張の糸が一気に張りを戻す。
でも詩音は、からからと笑い飛ばした。
「じゃあ、私はお姉に出くわす前に退散します。今日は本当に疲れてるから、お姉とやり合えるだけの体力はないですし。」
「詩音って魅音と仲がいいのか悪いのか、よくわからないなぁ。」
「仲、いいですよ。」
とは言いながらも。双子の姉妹の関係は、いろいろと微妙なのです、…と曖昧な表情で語っていた。
「俺は一人っ子だからよくわかんないな。せいぜい仲良くしろよ。」
「はい。余計なお節介と承ります。…それじゃあ私はこの辺で。圭ちゃんも急いで行った方がいいですよ。本当に綿流しが終わっちゃいます。」
詩音はおしりの埃を叩きながら腰を上げる。
俺もその様子を見届けてから、眼下の終わりかけている綿流しの最後のセレモニーに目を戻した。
「でも本当に。…あの音は何だったんでしょうね。不愉快というか、気味が悪いというか。」
「え? 何の音だって?」
「………………音ですよ。
ドタンバタンって。…うるさかったじゃないですか?」
きょとんとした顔で俺をまじまじと見る詩音。それはもちろん俺も同じだ。
「ごめん、詩音。………はしょらないで、最初から説明してくれないか。何がうるさかったって?」
「………圭ちゃん、あれ。…気にならなかったんですか?」
最後の最後で。…お互いにさっぱりと話の歯車が噛み合わない。
「詩音。…冗談抜きで、初めから説明してくれないか? 音がどうしたって?」
「…圭ちゃんこそ冗談抜きで。……本当の本当に、……気にならなかったんですか?」
互いに譲らない。
…互いに相手が信じられないという面持ちで。
質問に質問で返し合い、話が一向に見えてこない。
すっかり煙に巻かれ、怒鳴りつけたい気持ちをぐっと抑え…丁寧にもう一度聞く。
「…もう一度、聞くからな? 質問は俺からだ。」
詩音も無言で頷く。
「…じゃあ聞くぞ。…音がしたって、何のことだ?」
「ドタンバタンって。何だかどこか遠くの板の間で、子供が跳ねてるような。…本当に気にならなかったんですか…?」
「……気にならないもなにも。…そんな音、いつ聞こえた? 俺は何も聞いてないぞ。」
「ちょっと圭ちゃん…、…それ、…本気で言ってるんですか?」
俺が素で返した返答がよっぽど腑に落ちないのか、詩音は真顔で詰め寄ってきた。
……何事なのかさっぱり理解できないが、あの詩音がこれだけ真面目になる、その何かが気味悪くて、背中をぞっとさせる。
「さっき、祭具殿の中で鷹野さんと一緒に見て回ってる最中。…鷹野さんが昔話を始めた頃からかな? 少しずつ。だんだんと。ちょくちょくと…。」
どこか遠くの板の間で、子供が跳ねてるような、ドタンバタンという音が聞こえた…?
「ウソだろ。最後の最後で怖がらせるのはナシだぜ、おい。」
そんな音、何も聞いてない。
…聞いてないどころか、シンシンとした静寂に、自分の血流の音すら賑やかにきこえるくらいだった。
「圭ちゃんこそ、怖がらせないで下さい。…何だか、鷹野さんの怖い話に合わせて音を立ててるようで、…私、ずーっと薄気味悪かったんですから。」
………背中から後頭部へ。
…凍りかけた血流が遡って来る。
それらは頭にたどり着くと、ジーンと凍えさせた…。
「圭ちゃんも鷹野さんも、全然、意にも介さない風だったので、…私も聞こえないフリをずっとしてましたけど…。…聞こえましたよね? 何度かは、すごく大きな音でしたから。」
…詩音の目が、聞こえたと言ってくださいと詰め寄ってくる。
…だが俺の目にはきっと、その話は冗談だろう?という、まったく異なるものが浮かんでいるに違いない。
……俺たちが祭具殿の中で、この世のものと思えない、残酷な祭具に囲まれながら、恐ろしい昔話に耳を傾けていた時。
…詩音は、俺たちにはまったく聞こえない「音」をひとり、ずーっと聞いていた。
…それは、聞こえた詩音が震えるべきことなのか、聞こえなかった俺が震えるべきものなのか、…すぐに判断がつかない。
だが、…とりあえず詩音には。その判断が俺よりも早くついたようだった。
「あ、……あはははははははは。」
「なんだよ突然…。」
「引っ掛かりましたね圭ちゃん。ウソですよ、ウ・ソ。」
「………はぁ〜〜〜〜?!?!」
詩音が、圭ちゃんは怖がりだなぁと馬鹿笑いしながら背中をドンと叩く。
…その笑いはどこか作り笑いめいていて、むしろ気味が悪かった。
それから社交辞令のような別れ際のセリフを2〜3残し、逃げるように去っていった。
その後姿を…ぽかんと見送るしかない。
……最後の最後で。…何が何やらさっぱりわからない。
詩音は、ウソだったと笑い飛ばしたが。…それは、ウソのわけはないのだ。
そうだ。
思い出せば…さっき富竹さんも言っていたじゃないか。
「何だかドタンバタンと飛び跳ねるような音がよく聞こえたからね。僕は不安で不安で…。」
あの場にいた中で、もっとも中立的な場所にいた富竹さんは、聞こえたと言った。
……じゃあ……音は、…本当にあったんだ…?
ドタンバタンって。
何だかどこか遠くの板の間で、子供が跳ねてるような、音。
毎年起こり、そして今夜も起こるかもしれない、…オヤシロさまの祟り。
その最有力候補は、鷹野さんと富竹さんと詩音と、……俺。
人々のざわめきだけが嫌に遠く、虫の声が嫌に近く聞こえた。
…こんなにも人々の温もりの近くにいるのに、…そこにはもう、決して戻ることはできない。
……そんな、不吉な妄想が苛んだ。
その時、突然、後ろから飛びつかれ、心臓が飛び跳ねる!!
「……圭一、見ーつけたー、なのです。」
梨花ちゃんだった。…見ると、魅音とレナもいた。
「はーー、やっと見つけた。あとは沙都子かー。」
「今年はみんなはぐれちゃったね。来年からはちゃんと合流場所を決めておきたいな。はぅ。」
「そーだねー。やっぱりお祭りはみんなと一緒でないとね!」
魅音が嬉しそうにそういうのを、ちょっと後ろめたく聞く。
「……圭一はボクの演舞はちゃんと応援してくれましたですか?」
「あ、あぁ! ちゃんと見てたぜ!! 最後までちゃんと頑張ったな。ミスもなかったし。」
「…………………………。」
「…うん。そうだよ梨花ちゃん。あんなのはミスの内に入らないよ〜。」
失言を悟り、全身が強張る…。
魅音が、俺の肩を少し乱暴に叩いた。…全身から嫌な汗が噴き出す。
「…圭ちゃんはやった? ワタをもらって、沢に流した?」
…やってないよね? そう念を押されているように感じた。
…これ以上、ウソを重ねる勇気もなく、…俺は力なく首を横に振った。
「あれ? そうなの圭一くん! 早く行かないと終わっちゃうよ。終わっちゃうよ。」
「ご、ごめん…。初めてのお祭りだからさ…。よくルールがわからなくて…。」
「……………そうだったね。ごめん。」
魅音は俺の手を取ると石段を降り始める。
「…ねぇ圭ちゃん。」
「なんだよ…。」
「詩音には会わなかった?」
心臓がもう一度飛び跳ねる。
……その衝撃は、手を伝って、魅音に気取られたかもしれない。
「い、いや………あ、でも…。…うん、姿を見たような……。でも、魅音とそっくりだからなぁ…。魅音だったのかもしれないし…。」
「…そんなに間違えないでしょ。服装だって違うんだから。」
「え、……あ、……そうだよな……。」
魅音のしばらくの沈黙が、じわじわと俺を締め上げる…。
「……しょーがないなぁ、詩音は! まぁあいつのことだから、放っておいても大丈夫かな。」
魅音は元の、いつもの笑顔に戻ると、俺の手を強く引き、石段を駆け下りていった…。
■8日目幕間 TIPS入手
8■スクラップ帳よりW
<綿流しについて>
綿流しの儀は今でこそ、毎年6月に行なわれる村祭りだが、その原点を紐解くと、実に血生臭い儀式にたどり着く。
本来、綿流しは、一定周期に基づき、オヤシロさまの信託を得て「犠牲者」を選び出し、それを村ぐるみで誘拐(鬼隠し)し、儀式めいた方法で解体して食す人食いの宴であった。
(周期の法則には謎が多い。儀式の間隔が非常に不定期だからだ。天体を元にした吉凶によって決めているという説もあるが、説得力に乏しい。)
古代の鬼ヶ淵村の住人たちは自分たちが半人半鬼の仙人で、人間よりも高貴な存在であると固く信じ、それを内外に認めさせていた。
人間をさらい、それを食す行為は、食物連鎖における優位を示すために行なわれたのではないだろうか。
以下は仮説だが、綿流しの儀は、閉鎖環境である鬼ヶ淵村の内側に何らかの不満が募った場合のはけ口や、目を逸らすための目的で開かれた、政治的なイベントとも考えられないだろうか。
こうした目的で主に開催されていたとするならば、儀式の不定期性にも説明が付き易い。
8■スクラップ帳よりX
<なぜ祭具はこれほどまでに必要なのか>
「祭具」の具体的な形状についての記述はほとんど見つからない。
だが実在し、それも多種多様のさまざまな種類が存在していたことは間違いない。
一部の文献では、綿流しの儀に用いた祭具だけでも二百を数えると記されている。
ここでぶつかる疑問は、なぜ多種多様なものが必要だったかという点だ。
綿流しの儀は、鬼隠しによって誘拐した人間を解体して食すものだ。
そのための解体道具や拘束道具が考えられるが、それでも二百を超えるとは多過ぎる。
基本的に道具の進化は、ある到達点への模索である。
一定以上の効率に行き着いたなら、それ以上の進化は求められないのが普通だ。
にも関わらず、これほどまで多くの種が生み出されるのはなぜなのか。
時代と共に多様化する文化のひとつに娯楽がある。
娯楽に使用する道具は時間と共に進化し、多様化する。
一般的な道具と違い、到達点に至ることはすなわち行き詰まり(マンネリ)であり、次なる到達点を求め、いくつもの亜種にも分裂する。
では二百を超えると伝えられる「祭具」にも、娯楽性が宿っているとは考えられないか。
もちろんこれも仮説だが、人間を解体する過程が一種の娯楽(見世物)として扱われていたのではないだろうか。
観客を飽きさせないため、様々な、斬新で興味を惹く「祭具(解体道具)」が歴代の御三家当主たちによって、次々開発されていった…。そう考えられなくもない。
あの祭具殿の中に、それらが全て祀られているのは間違いない。
綿流しの夜まであと少し。
本来の意味が失われたとは言え、古式ゆかしい儀式の夜に祭具殿の神秘を解き明かせるのだ。
…胸の高まりが押えられない。
綿流しが、待ち遠しい。
8■後夜祭
緊張感の張り詰めた深夜の署内。
シンとした中、幾人もの署員たちが時計と電話を交互に見比べながら、息の詰まるような時間を過ごしている。
熊谷くんが若いのを連れて飛び込んできた。
「大石さん、こっちは検死入りました! じい様もさっき到着です!! 俺もスタンバイOKしました!! このまま岐阜へ直行します!!」
「熊ちゃん、ちょっと話がややこしくなりました。向こうは身元の判別が非常に困難な状態だそうです。」
「まさか、バラバラっすか…?!」
「いぃえぇ。
こんがりといい感じだそうで。」
ふざけた口調だが、意味するところは重い。
…署員たちのため息がもれる。
「頭のてっぺんからまるまる…?」
「ばっちり黒焦げだそうで。あぁ言う臭いってこもるんですよねぇ。岐阜さん、可哀想だなぁ。」
所持品ゼロでこんがり。しかも県外に捨てるとは…。
下手をしていたら1週間は身元確認が遅れていたかもしれない。
…それを今晩の内に嗅ぎ付けれたのは大きい。
「今、小宮山くんたちが興宮の歯科医を根こそぎ夜襲してます。カルテで歯型照合するしかないでしょ。…ごめん! 誰かウルトラマイルド、2箱くらい買ってきてくれません?」
若手が返事をし廊下へ飛び出して行った。
「……今年は見事、見つけましたね。…ひょっとすると、過去の失踪者もこんな感じで県外でバラされてたんすかね。」
「なら埋めればいいじゃないですか。重り付けて日本海でも琵琶湖でもいいですねぇ。」
「…でもどうして。…1人死んで1人消えるのがこれまでのパターンじゃないすか。」
「熊ちゃん。仏は拘束なしでドラム缶の中でこんがりでしょ。多分、シメられた後にわざわざ焼いたんじゃないかと思うんですよ。見つかることを覚悟の上でです。」
「じゃあつまり…、今年は消す気は初めからなかったってことすか?」
「消す気がないってよりは、これはそれとはまったく別のものでしょうねぇ。消すどころか、主張しているようにすら感じられますよ。」
「つまり…見せしめの意味があるってことすか?」
腕を組み、…そこで溜めに溜めていた大きなため息を、ぶは〜〜〜…っと吐く。
「それを市内でやってくれりゃあ、その線もあるんですがねぇ。
…こんな遠くまで運んで焼いちゃったら、下手したらわかんないでしょ。見せしめにするなら雛見沢の近くでやるべきなんですよ。……殺したことを主張したいのに、場所は演出効果の確実じゃない遠方。主張したいのか隠したいのか。………今年はなぁに考えてるのかなぁ、オヤシロさまは〜。」
重い沈黙を裂く電話音。近くの署員が受話器をひったくる。
「大石さん! 小宮山さんです!! 出ました! 興宮のデンタルクリニックで3年前に親知らずの治療をしてます!!」
「カルテは?!」
「レントゲン付きでばっちりと!」
「いやぁ…、こんな明け方前に歯医者さんには申し訳ないなぁ。熊ちゃん、小宮山くんからカルテ受け取ったらすぐに出発して下さい。」
「了解っすッ!!」
「あ、課長です!! 夜分、お疲れさまです!」
「大石さん、遅くなって申し訳ない。状況は?!」
「う〜ん、…やっと面白くなって来たってとこですかねぇ。燃えてきたぞぅ! わぁ〜お♪!!」
■9日目
でかいあくびをひとつする。
ようやく寝付けた、と思ったらもう朝だったのだから…。
お袋が朝飯を並べながら、苦笑いしている。
「どうしたの圭一。昨夜は何時に寝たの?」
「12時には寝たつもりだけど…、昨日は何だか寝つきが悪くてさ…。」
「お祭りではしゃぎ過ぎて、興奮して眠れなかったんでしょう。」
「ち、違うよ…! バリバリ!」
照れ隠しに、たくあんをバリバリを頬張る。
…昨夜の最後の最後で、詩音に聞かされた音の話。
…何だかどこか遠くの板の間で、子供が跳ねてるような、ドタンバタンという音の話。
その話が嫌に頭にまとわりついて、なかなか眠れなかったのだ…。
聞こえるはずもない、あるいは取るに足らないどこか遠くの小さな梢の音にまでびくびくした、…長い夜だった。
こうして朝の日差しと小鳥の声を聞いていると、それがいかに臆病なことだったのかよくわかるのだが…。
…何となくすっきりしない朝だった。
「圭一く〜ん、おっはよ〜! あれ? 圭一くん、目が真っ赤だよ? どうしてだろ? だろ?」」
「おぅおはよう。どういうわけか寝つきが悪くてな。そんなわけで今日は寝不足だ。…ふぁ〜あ。」
「昨日のお祭りは楽しかったね…! レナも興奮がなかなか覚めなくて、なかなか寝れなかったんだよ。だよ!」
レナの場合、まだ興奮が覚めてないようだな…。
「こういうお祭りが何度もあればいいのにね!
またみんなで大盛り上がり。はぅ!」
「ん、あぁ、…そうだな。」
レナに昨日の祭りの話しをされ、忘れかけていた昨夜のことを全て思い出す。
…祭具殿の中は、のんびりうららかな雛見沢の日常とはあまりにかけ離れていた。
そして、鷹野さんにたっぷりと聞かされた様々な話…。
毎年、綿流しの日に起こる謎の事件。
1人が死に、1人が消える奇怪な事件。
…その裏にちらつく、雛見沢の昔話。鬼ヶ淵村の恐ろしい因習の数々。
鬼の血が流れている村人。
人食いの恐ろしい宴。
そのための哀れな犠牲者を、人里からさらったという「鬼隠し」。
そしてオヤシロさまの怒りを鎮めるための…生贄の儀式。
……他にも他にも。…思い出すだけでも陰鬱になる話がたくさんあった。
そしてそれらの多くは、フィクションでなく、事実だったのだ。
…だが、事実だったことを恐れる必要はないんだ。…それは昔のことなんだから。そう、昔の。
「魅ぃちゃん、遅いね。」
「え…?」
いつの間にか、魅音との待ち合わせ場所に来ていた。
…どうもだいぶ考え事に没頭してたみたいだ。
「この時間になっても来ない時は、先に行ってもいい約束になってるんだけど。…どうする?」
魅音が遅れてくるのはそんなに珍しいことじゃないが、…今日はいつになく遅いな。
……再び、脳裏に昨夜の不吉な会話がいくつも蘇る。
今年は誰が死んで、誰が消えるんでしょうね…。
……ま、まさか……魅音…?
「どうするかな圭一くん。…もう行かないと遅刻になっちゃうかも。」
「……来るよ。学校を休むって電話があったわけじゃないだろ? もう5分、待ってみようぜ。な?」
レナは時計を見比べ、ちょっと困ったような顔をしたが、すぐに満面の笑顔で大きく頷いた。
うーん…。
5分待ったら、学校までは全力疾走で行かないとまずいよな…。
と、思った時、息を切らせながら走ってくる魅音の姿を見つけた。
「魅ぃちゃ〜〜ん!! 遅い遅い〜!!」
「はー! はー! …待っててくれたわけ? さ、先に行っちゃっても良かったのに…。」
…真っ赤な顔で、荒く息をつく魅音。
…魅音の家はこの先をすぐのはずだ。そんなに疲れるような距離じゃないはずなんだが。
「……魅ぃちゃん、…ひょっとして、具合悪くない?」
え? …そう言えば…。
…レナが魅音の前髪を掻き分けて、その額に手を当てる。
「…レナの手、冷たいな。」
「魅ぃちゃん…ちょとだけど熱あるよ?」
「そんな大したことないよ。…半日もすればケロッと治っちゃうって。」
「本当に大丈夫かよ。…あんまり無理するなよ?」
「あれ? 圭ちゃん、気遣ってくれるの? あはは…うれしいなぁ。」
……いつもの魅音らしくない返答だ。
…こりゃ重傷だな。
「む、無理しない方がいいと思うな。先生にはお休みだって伝えとくよ?」
「大丈夫大丈夫! 風邪薬も飲んだし。すぐに効いてくると思うから。」
魅音は無理に元気そうに見せて、力こぶを作るようなまねをした。
「じゃあ…行こうか。くれぐれも無理するなよ、って言いながら。…時間。」
「わ?! は、走らないと、ま、間に合わない〜!!」
「あっははははは! スリリングな朝になっちゃったねぇ。鈍った体にはちょうどいい喝かもね! 走ろ!」
おいおい…病人が張り切るなよ…!
だが、魅音は元気そうに駆け出していった。
「…魅ぃちゃんだって最上級生だよ? 自分の体のことは自分で一番よくわかってるよ。」
魅音が大丈夫だという内は、大丈夫ということにしておくか。
「よし、俺たちも行こうぜ!!」
魅音の後を追って、俺たちも走り出した…。
■学校にて
いつもの学校風景だ。
寝不足にはとてもこたえる気だるい時間…。
熟睡競争なる競技があったなら、今の俺なら世界制覇だな。
こういうデンジャラスな状態の時にはシャーペンを逆さにして持つのがコツだ。
…なぜかって?
寝ぼけてノートの上に、怪しい模様を書かないためだよ。
逆さにシャーペンを持ってれば、そんなことにはならないだろ?
ポコポコポコ! ポコポコポコ!
消しゴムのようなものが6つ、俺の頭にぶつけられる。
「いてててて、…何しやがる沙都子ぉ!」
「わ、私は何もしてないでございますわ…!」
「お前以外にこんないたずら誰がするんだよ?! あ、消しゴムじゃなくてチョークか。……へ?」
俺の背後に…まるでスケ番がカミソリでも持つように、両手に3本ずつのチョークを持った先生の影が……。ゴゴゴゴゴ……。
「前原くん。…お顔を洗ってらっしゃい。」
「あ、……は、はい、よ、喜んで…!」
その演出だけで充分に目は覚めたのだが…先生の迫力に気圧される形で、廊下に飛び出したのだった。
同じ顔を洗うなら、暗い給湯室の流しで洗うより、表の流しを使ったほうが気分がいい。…そう思い、昇降口から表へ出た。
日差しが強い。…とても6月とは思えない。
蛇口をひねるとじょぼじょぼと景気の悪い音をたてながら、ぬるい水がほとばしる。
…しばらく出しっ放しにしたら、冷たい水になるだろうか。
…そう思いながら、しばし放心する。
「やっぱ、圭ちゃんはこっちの流しを選んだか。表の方が気分いいもんね。」
「ん、…魅音か。…ふぁ〜ぁ。授業、さぼるなよな〜。」
流水に手をかざすと、さっきまでがウソのように冷えた水になっていた。
それをすくい、バシャバシャと顔に叩き付ける。
流しを譲ると、魅音も同じ様にバシャバシャとやった。
「…魅音、風邪の方はいいのかよ。眠いのは寝不足じゃなくて、風邪薬の副作用なんだろ?」
「ん? …あはははは、実は内緒なんだけど…、昨日はお祭りのあとで親族の宴会に巻き込まれちゃってさ。
それで…チョイっと。」
チョイっと。
コップを傾けるようなジェスチャー。……ってことはお前、風邪なんじゃなくて…、
「ふ、二日酔いかよー?! お前、歳はいくつだー!!」
「なはははは…! 勘弁してよ。体調が悪いのは本当なんだからさー。」
…確かに体調が悪いのは同じだろうが。風邪と二日酔いじゃ、その扱いは全然違うぞ。
「心配して損したぞ。ったく…魅音らしいというか何というか…。」
魅音は頭をポリポリと掻いて見せた。
…確かに具合は悪そうだが、二日酔いだとわかればそんなに心配はいらない。時間と共に快調に向かうんだからな。
「あ、でも頭がガンガンするのは本当。だからさ、さっき先生に早退していいって言われちゃった。」
「あ、ずるいヤツ…! じゃあ魅音は、もうこれで帰りなのか?」
言われて見れば、魅音はカバンを持っていた。このまま帰るつもりらしいな。
「うん。申し訳ないけどね。今日は家で大人しく寝させてもらうわ。…部活、できなくて申し訳ないね。今日は圭ちゃんがリーダーってことでやってくれない?」
「……多分、無理だと思うぜ。俺たち、部活は全員揃った時しかやらないっていう暗黙の了解があるだろ。魅音がバイトに行ってる時は、いつもそのままお開きだったんだぜ?」
気なんか遣わなくいいのに、そう言って魅音は苦笑いした。
でも、どんなに楽しく盛り上がっても、それを共有できない仲間に悪いと思うのは、本当に素晴らしい友情の証なんだと思う。
そういう意味で、魅音が作り上げた部活というのは、素晴らしいものなのだ。
そうしてる内に、洗顔で濡れていた顔はすっかり乾いてしまった。
…そう言えばお喋りが過ぎたかな。そろそろ教室に戻らないとまずいかもしれない。
「じゃあな。俺は教室に戻るぜ。帰りは気をつけろよ。ふらふらして、側溝や用水路に落ちるなよ。」
俺はそれだけを告げ、教室に戻ろうと身をひるがえした。
「あ、…そうそう、圭ちゃん。」
魅音が呼び止めるので、首だけを振り返して聞いた。
「なんだー?」
「変なこと聞くけど、深く考えないで答えてね。」
「そりゃ、内容によりけりだな。」
「昨日の綿流しの晩さ。
…富竹さんと鷹野さんに会わなかった?」
……ぎくりとして体が強張った。
「富竹さんと鷹野さんはわかるよね? ほら、圭ちゃん、お祭りの前日準備の時、詩音と一緒に4人でお話してたでしょ?」
あの晩の、祭具殿に忍び込んだことは、できるなら早く忘れたい。
…だからこそ、あの場に居合わせた人たちの名前が出ることが、何だか無性に嫌だった。
…それよりも。
…どうして魅音は…そんなことを、俺に聞くんだろう…?
即答できず、魅音の目をじっと見てしまう…。
…魅音の、会わなかった?という質問が、質問なのか、会ったことを知った上での詰問なのか、…読みきれない。
「……さ、…さぁ…どうかな。…会ったような会わなかったような…。」
曖昧な返事が魅音を不愉快にさせているのは明白だった。
……魅音が俺から、どんな答えを期待していたのか…知る術はない。
「…………そう。じゃあもうひとつ質問ね。同じく昨夜。詩音に会わなかった?」
再び、心臓が飛び跳ねる。……魅音の言葉の裏に潜む、小さな針がチクリと刺した。
「…それ、…昨日も聞いたよな? …俺、会ったかどうかわからない、って答えたと思ったぜ…。」
「ん、そうだっけ?
…また改めて聞いたら、違う答えが返ってくるかなって思ってさ。」
魅音の眼差しに…いつの間にか得体の知れない、何かが宿っていた。
富竹さんに鷹野さん。
そして詩音。
…そして、それを俺に聞く。
……間違いない。
…昨夜、祭具殿に忍び込んだ4人…全て。
…で、でも…だから、何だってんだ?! 別に祟りがあるわけでも……!
…そうだよ。
祟りなんかないって、祭りの前日に詩音も鷹野さんも言ってたじゃないか。
…祟りよりもむしろ、村人の仕業だって…。…………………………血が凍る。
…魅音は、…ほぼ間違いなく、…祭具殿に忍び込んだことを知っている…?
それを不思議がることはない。
……灯りのスイッチを押すという致命的なミスを、昨夜、俺が犯してる。
…その一瞬の灯りを、俺を探していた魅音が見かけて、様子を伺っていた…なんてのは想像に容易だ。
「……本当に会ってないんだね?」
「ど、どうして会ったかどうかを、そんなに気にするんだよ?」
「大したことじゃないの。…富竹さんと鷹野さんと、詩音と圭ちゃんをね。…悪く言ってる人たちがいるの。……何が悪いんだかはよく聞いてないんだけどね。」
嫌な汗がじっとりと腕を伝い…指先からポタポタと垂れる音が嫌にうるさい…。
「私、圭ちゃんが悪いことをするなんて信じてないから。…でも、ちょっとだけ聞いてみたかったから、聞いてみたの。…不愉快な思いをさせて、ごめんね?」
……何も返事をすることができない。
…そういう反応が、如実に真実を物語ってしまっているに違いないのに…取り繕うことができない。
「圭ちゃんは富竹さんとも鷹野さんとも、そして詩音とも一緒じゃなかった。……そうだよね?」
「………あ、………あぁ。」
苦しい息の中から、やっとひねり出した俺の返事に、魅音は少し表情を緩やかにした。
「……よかった。私、言っとくね。圭ちゃんは何も悪いことには加わってないって。…みんなにちゃんと言っておくからね。」
…あぁ…言っておいてくれ。
…俺は別に…何も悪いことはしてないって。
…みんなに…ちゃんと。……みんな。……みんなって…誰だよ…?
「じゃあね。明日は元気になってるから! バイバイ!」
ま、待てよ魅音!! みんなって一体…!!
その時!! 俺の首筋に、冷え切った手が当てられるッ!!!!
「こぉら! 遅いですよ前原くん。顔を洗うだけなのに、時間がかかり過ぎです!」
……先生だった。
…俺があまりに遅いので、呼びに来たのだろう…。
「あ、すみません…。つい魅音とお喋りを……。」
振り返ると、当の魅音はいつの間にか校庭を横断して、もう門のところにいた。
「さ、お勉強に戻りますよ! 早く早く。」
先生に促され、昇降口に戻る。
…もう一度振り返った時、もう魅音の姿は見えなくなっていた。
■放課後…。
「……圭一、今日はずーっと元気がないのです。」
「昨日、大はしゃぎし過ぎたからに違いありませんわー!」
「迷子になって、目を真っ赤にさせて半泣きしてたヤツに言われたくねー。」
「あ、あははははは〜!!
ゆ、昨夜の沙都子ちゃん、か、かぁいかったよ! はぅ〜!!」
仲間が俺を元気付けようとがんばってくれるのだが…気は晴れなかった。
自分で思っているよりも遥かに。……俺は昨夜、とんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか…?
そんな思いが、今日一日が終わるまで…ずーっと苛んでいた。
「…じゃあね、圭一くん。また明日ね。」
気付けば、いつの間にか自分の家の前だった。
「……魅ぃちゃんも風邪だったみたいだけど、…ひょっとして圭一くんもなのかな? かな?」
「え、……大丈夫だよ。こう見えても、風邪で休んだことはないんだぜ?」
「でも、魅ぃちゃんも圭一くんも、今日は具合が悪そうだし…。」
「…気にしてくれてありがとな。大丈夫! バカは風邪引かないんだぜ?」
レナは笑って手を振りながら、去って行った。
…ふぅ。
…肩で重い息を吐きながら玄関に入った。
帰ってきて早々、お袋に呼ばれる。
「何?」
「圭一。悪いんだけど、図書館に行って本を返してきてくれない?」
「…えー、面倒くさいなぁ…!」
「お父さんもお母さんも、今ね、ちょっと電話待ちをしてるところで家を空けられないの。返却期限も今日までだし、お願いできない?」
……やれやれ。
親父の仕事の絡みかな? 仕事の話を持ち出されたら逆らいようがない。
「仕方ないなぁ。…でも俺、図書館がどこにあるか知らないよ。」
「あら、知らないの? 興宮の駅前をちょっと進んで…、」
その時、電話が鳴った。
両親の顔が一気に険しくなる。
…お袋が受話器をひったくった。
「もしもし! 前原です。……………はい? はい。おりますけど。」
その受話器が、今度は俺の鼻先に突き出される。
「圭一に電話よ。早めに終わらせてね。」
誰から、と聞こうとしたが、それは電話の向こうの相手に直接聞いた方が早い。
「もしもし。」
「あ、…園崎の妹の方です。こんにちは。今はお時間、大丈夫ですか?」
詩音だった。
…姉は二日酔いだったのに、妹の方はケロッとしている。
「詩音か。魅音と同じで、今日は二日酔いで寝込んでるんじゃないかと思ったぜ。」
「え? お姉、二日酔いなんですか? あっはははははは! お姉らし〜〜!」
和やかに談笑してしまったが、お袋が、早く電話を終わらせろという顔で睨んでいる。
「……とと、…ごめんな。ちょっと親が電話待ちをしてるんで、そんなに長話はできないんだ。…何の用だ?」
「…お話したいことがあったんですけど…長電話が無理じゃ仕方ないですね…。」
少し落胆したような言い方だった。
…詩音がわざわざお話したいことって何だろう。興味はあった。
「じゃあさ、会って話をしないか? ついでに図書館にも案内してもらえるとありがたい。」
「図書館って、駅前の市立図書館ですか? 別にいいですよ。バイトのついでってことで。」
「じゃあ、いつも魅音と待ち合わせてる場所、わかるか? 園崎家の小道に分かれる分岐の、」
「あ、圭ちゃん。言ってませんでしたっけ? 私、本家じゃなくて興宮の家に住んでるんですよ。だから待ち合わせ場所は、興宮駅の改札前なんかにしてくれた方がうれしいんですけど。」
本家?
興宮の家?
……そう言えば、園崎姉妹って、何となく疎通が取れてないと常々思ってたんだが…住んでる家が違うのかな?
そう言えばレナも、遊びに行って妹なんかに会ったことがないって言ってたよな。
「じゃあ駅に集合な。すぐに行くよ。じゃ!」
受話器を置くと、すぐにお袋が分厚い文庫本を鼻先に突き出してきた。
…長編推理小説が6冊。…お袋も好きだなぁ。
「圭一、よろしくね。お夕飯までには帰るのよ。」
「へーい。んじゃ、行ってくるよ。」
取り合えず、着替えと自転車のカギだ。
俺は自室への階段を登って行った。
■園崎家について
詩音は先に待っててくれたので、合流はとてもスムーズだった。
「魅音と違って、詩音は待ち合わせ時間を守るなぁ…。しみじみ。」
「あはははは。お姉を標準にされるといろいろと困ります。」
ん?
詩音も、何となくふらふらなような。…こいつも魅音同様、昨夜は飲んだな?
「お前も昨夜は飲んだだろ。隠しても無駄だぞー。で、学校を早退したに違いない。」
「残念でした。私はそもそも、今日はズル休みしてますので。私、お姉より要領いいですから。」
おいおい…。
学校をズル休みするのを要領いいとは言わないと思うぞ…。
「じゃ、先に用事を片付けます? 時間もそんなにないですから。…図書館へ行くんですよね。」
「あぁ、頼むよ。お袋の借りてる本の返却期限が今日までらしいんで。…図書館は遠いのか?」
「すぐ近くですよ。」
詩音の言うとおり、図書館の案内看板はすぐに見つけられた。
こんなにわかりやすいところにあるなら、詩音にわざわざ案内してもらうまでもなかったな…。
ちょっと通りを曲がると、その建物はすぐに見つかった。
鹿骨市立図書館。
田舎の図書館だからと期待していなかったのだが…なかなか大きい。
実際には1階はお役所になっているので、2階部分だけが図書館なのだが、それでも蔵書の数はかなりありそうだった。
自動ドアをくぐるとエアカーテンの涼しさが迎える。
セミの声で充満した外より静かな館内。
本にとって理想的なコンディションに保たれた空調。あと、古書独特のカビに似た匂い…。
「…どこの図書館も似たようなもんだな。」
一点違うところがあるとすれば…受験軍団が席を埋めていない点くらいかな。
かつてその内の一人だったことが今では遠い昔のようだ。
「すみません、返却に来ました。」
返却の手続きを済ませ、お袋の貸出カードを返してもらう。
詩音はあまり図書館には来ないタイプなのか、興味深そうに、本棚の間を行ったり来たりしていた。
「…悪いな、お待たせ。終わったよ。」
「図書館って、涼しくていいところですね〜。私、将来は図書館で働きたいです。」
「地味というか堅実というか……姉と比べるとずいぶんとささやかな希望だな。」
魅音なら、国際商社のバリバリ社員とか、とにかく世界を縦横無尽に駆け巡る派手な職業を希望するに違いない。
それに比べると…何とも微笑ましいものだ。
「まぁ、互いの持ち味を大切にしたいですよね。私たち、分身じゃなくて、詩音と魅音という、ちゃんとした個人なんですから。」
「…双子は双子なりに、いろいろと考えてるんだな。でも楽しそうだよな。…俺には兄弟はいないから、家には俺以外は親しかいない。窮屈なもんだよ。」
「私だってそうです。お姉とは一緒に住んでるわけじゃないですから。」
そう言えば、そんなことを言ってたっけ…。でもどうして? 姉妹で別居なんて珍しい。
歩きながら話をするのも疲れるし。
…結局、ひと気のない休憩コーナーでお喋りをすることになった。
「あははははは。えぇ。お姉は本家に、私は興宮の家に住んでるんです。」
「本家って何だ? …ずいぶんと、立派な響きがあるけどな。」
「本家は本家です。園崎家の本家。お姉は跡取りだから、婆っちゃと一緒に住んで、いろいろと当主としての修行をさせられてるみたいです。」
魅音が…当主?
何だか似合うというか、似合わないというか…。
「圭ちゃんは引っ越してきたばかりでしたよね。…自分で言うのも何ですけど、園崎家って、ここいらじゃ結構、名士なんですよ?」
「え、…本当かよ?」
魅音や詩音の、あまりに気さくな雰囲気からは、とても名士という言葉とは結びつかない。
詩音が言うには、…園崎家というのは元々、雛見沢の旧家だったが、戦後にいろいろな事業で成功して大きく勢力を伸ばしたのだと言う。
「園崎家はですね、親族全体で助け合う土壌があるんです。…今の当主の婆っちゃが築き上げたんですけどね。」
ひとりの親族の事業を助けるため、親族全体が様々なバックアップをする…。それは園崎家という大きな会社・生き物のようだった。
税法上のトラブルを潜り抜け、豊富な資金力で次々と親類は事業に成功。
「興宮の町を歩くことがあったら、看板とかを意識して見て下さい。園崎の親族が経営してるお店ってとても多いんですよ。」
「…言われて見れば…。例のおもちゃ屋も、親類の人が経営してるみたいだったなぁ。そう言えば、エンジェルモートも親類の人が経営してるんじゃないのか?」
…俺の知ってるほんのわずかの店ですら、園崎の一族が関わっているとは…。さすがに驚く。
「特に金融・不動産関係は強いですね。あと、商工会議所の役員も何割かは園崎姓か、その親類が就いてます。興宮一帯を票田に、市議会議員と県議会議員にも園崎がいますし。」
「……ちょっと待て。…なんだか…すごい話になって来たぞ。」
興宮の町中に親類が経営する店があって、特に金融・不動産に強い…?
しかもその上、商工会議所の役員の何割かが親類で、しかも地元選出の議員までいて…。
「…ひょっとして、……園崎家って、この辺り一帯じゃ…すごいんじゃ…?」
「えぇ。凄いんです。んっふっふっふ!」
突然、タバコをくわえた太ったおっさんが話に割り込んできた。
…あれ…このおっさんは確か……。
「どうも! こんにちは。今日はデートですかな? 羨ましいですねぇ。」
「そうだと思ったら邪魔しないでほしかったですね。大石さん。」
そうだ。警察の大石さんだ。
…以前、不良に絡まれたときに助けに来てくれたのもこの人だったと思う。………そう言えば、魅音とは仲が悪そうだったな。
「いえいえ、すみません。知ってる声が聞こえてきたので、ついつい。」
悪びれた様子もなく下品に笑う大石さん。
…それを見る詩音には、魅音が感じさせたほどの嫌悪感はないようだった。
「前原さん、でしたよね? あなたもタフな人ですねぇ。園崎姉妹を二股かけるなんて。」
「いや…そんな…、二股だなんて…。」
同意を求めたくて詩音に振り返ったが、にやにやと笑うだけで助け舟を出してはくれなかった。
詩音の目線が泳ぐ。…その先には時計があった。
「あ、ごめんなさい圭ちゃん。…私、もうバイトの時間なんです。」
「え? あ、…そうなのか?」
そう言えば…、今日は詩音、何か話があるんじゃなかったのか…?
でも…変なおっさんはいるし…。
「うん、また今度…。あ、バイトが終わったら電話します。夜なら電話、大丈夫ですよね?」
「あぁ。丈夫だと思う。」
「じゃあ、今夜電話しますので、その時に。じゃ!」
そそくさと、逃げるように詩音は駆けて行ってしまった。
…大石さんが俺の脇でにこにこと手を振っている。
……何だか俺をダシにして逃げたような感じがしなくもない。…本当にバイトがあるのかも怪しいな…。
「…園崎のご令嬢とこれだけ親しくできるなんて、前原さんもなかなかの大物ですねぇ。私も口の利き方を改めた方がいいかもしれません。んっふっふっふ!」
大石さんは何だかとんでもないことを言いながら、カップコーヒーの自動販売機に小銭を入れていた。
「アイスティーでいいですか? ミルクは入れます?」
「え?! あ……いえ、」
「じゃあ入れますよ? ハイ、どうぞ。」
ぽかんとしてる内に、氷がたっぷり入ったアイスティーのカップを渡される。
…こんなおっさんに、飲み物をおごってもらう義理なんかないはずなのだが…。でも…一応、おごられたのでお礼を言っておく。
大石さんは退屈しのぎなのか、大して縁があるわけでもない俺に、何だかいろいろと下らない話をしてきた。
…本当なら詩音と話をしていたことを思えば、とんだ災難だった…。
「前原さんは園崎さんのことをどれくらいご存知で?」
「……さっき聞いた以上のことは何も。」
魅音も詩音も、面白いヤツだと言う以上のことはさっきまで何も知らなかった。
何だか大層な一族のご令嬢だなんてことも、本当に始めて知った。
「園崎家はこの地域一帯を牛耳ってるヤクザ屋さんです。ちなみに彼女のお父さんは、××組系のヤクザの大幹部さんです。ご存知でした?」
「え…? 大幹部って…、」
「詩音さんの自宅をご存知ないんですか?
高い塀に有刺鉄線と監視カメラで守られた、典型的なヤクザの組長宅ですよ。今度ぜひ遊びに行ってみてください。」
「…………………………。」
魅音は跡継ぎだとか言ってたけど……まさか…そのヤクザの…?
「いえいえいえいえいえ。まさかまさか。園崎魅音さんが継ぐのはそんなチンケなヤクザ組織だけじゃありません。彼女が継ぐのは園崎家そのものですよ。……その辺りの意味、ちょっと噛み締めていただけますかな?」
大石さんは終始、茶化すような言い方をしていたが、その話の内容は茶化すどころか……にわかには信じられないような話だった。
「魅音さんがその気になれば、往来の真ん中で人殺しをしたって、もみ消せちゃうかもしれないんですよ。証人は現れないだろうし、警察にだって圧力をかけられますし。」
「み、魅音は人殺しなんかしないぞ…!」
「なっはっはっは…、しませんしません。ものの例えですよ。」
「…えっと…大石さんでしたっけ? 名前。」
「えぇ、そうです。」
「大石さん。…魅音の家が何だろうと、魅音は俺の誇れる最高の友人です。それをあまりけなすような言い方は好きになれないですね。」
静かな怒りを眼差しに乗せ、睨んでやる。
…もっともこのつかみ所のない男にはそれが通じたかどうかは怪しい。
「ではざっくばらんに。…その魅音さんに、いくつかの事件の嫌疑がかかっているとしたらどう思います?」
事件の嫌疑?!
とんでもないことを言い出すにも…限度がある!
「何かの誤解に決まってるじゃないですか! 魅音は物騒なことを言うヤツだけど…そんな、悪いことをするようなヤツじゃない!!」
「前原さん、お静かにお静かに…。ここ、図書館ですから。」
大石さんがシーっとやるが、俺の昂った興奮は簡単には治まらなかった。
「…落ち着いて下さい。さっきも申し上げました通り、園崎家は良い意味でも悪い意味でも、この辺り一帯で強い力を持っているんです。ですから、ちょっと何かあるとすぐに疑いがかかってしまう。…その辺をご理解いただきたいのですよ。」
……まぁ…大石さんの言いたいことはわかる。
さっきの詩音の話も加味するなら、園崎家は雛見沢から興宮までを牛耳る大一族なのだ。
そして魅音は、その一族の跡取りで、一族全体に強い影響力を持つらしい。
だが…だからと言って、魅音を何かの事件で疑うなんて!!
「ですから、私だって仕事で仕方なくやってるんです。魅音さんを疑うためでなく、魅音さんの疑いを晴らすために捜査をしている……そうお考えいただきたいのです。」
…うまい言い方をする人だなと思った。
汚い大人、狡猾な大人の典型みたいな人だ。
この頃になると、大石さんとの出会いは偶然ではなく、
…意図的なものだと気付き始めていた。
「……大石さん、ひょっとして俺に用なんですか?」
「えぇそうですよ。前原圭一さん。」
…あっけらかんとした口調でそう答えた。
「…何かの事件で魅音を疑っていて、その友人の俺に何か聞きに来た。…そういうことですか?」
「いえいえ、違います。私は園崎魅音さんの友人と話をしにきたのではなく、前原圭一さんに話をしにきたのです。ご自宅にお伺いしたらご迷惑でしたでしょうからね。」
「俺に……? 警察が何の用だって言うんですか…?」
この偶然を装ったコンタクトが、俺個人を狙い撃ちしたものだとわかり、急に気味が悪くなる。
「なっはっはっは。そんなに構えなくて大丈夫ですよ。肩を楽にして、ちょっと質問に答えてくださるだけでいいんです。」
「それって…職務質問ってヤツですか…?」
「偶然知り合ったオジサンとの世間話ってことにしましょう。んっふっふっふ!」
大石さんはリラックスしたムードを演出しようと、砕けた言い方をする。
…だが、瞳の奥に見え隠れする光には鷹のような鋭さが宿っていた。
この場を無理に逃げ出そうとすれば、このおっさんは本当に俺を連行して取調室みたいなところへ連れて行くかもしれない。……それはたまらなく嫌な想像だった。
「…昨夜は綿流しのお祭り、盛大で楽しかったですねぇ。」
「はぐらかさないで下さい…! 今さら世間話なんかされても…、」
「昨日の綿流しの晩。
…富竹ジロウさんと鷹野三四さんにお会いしませんでしたか?」
……ぎくり。
体がびくりと震えるのが、自分でもよくわかった。
「あれ……写真はどこにいっちゃったかな。…あぁ。あったあった。」
手帳を開き、2枚の写真を出す。…見るまでもなかった。
「さ、…さぁ…。どうでしょう…。会ったような会わなかったような……。」
今日、これと同じ質問を二度受ける。…そして俺は、二度目もまた同じ答えを口にした。
「あれ。記憶が曖昧ですか? まさかアルコールが入っててよく覚えてないなんてのはナシにして下さいよ。んっふっふっふ!」
これもまた……魅音に質問された時と同様。
…俺の曖昧な答えを、不快に思っているのがよくわかった…。
どうして…魅音と同じことを…俺に聞くんだ…?
詩音とお喋りすることで、忘れかけていた今日一日の暗い気持ちが一気にぶり返す。
……神聖な祭具殿に忍び込んだ、バチ当たりな行為。
…それはちょっとした出来心で…、今さらだが…反省しているつもり……。
「もう一度、お聞きしますよ。…昨夜のお祭りで、富竹ジロウさんと鷹野三四さんにお会いしませんでしたか?」
口調は穏やかだったが…、明らかにさっきとは違う、凄みが込められていた。……怖い。率直にそう思った…。
「…っと…、繰り返し聞かれても……こ、答えはさっきと同じ、です……。」
よく覚えていない。
…これほど都合のいい答えはほかにない。
…会わなかったとウソをつく勇気もないし、…会ったと認められる勇気もまたなかった…。
「そうですか。……改めて聞けば、さっきとは違う答えが返ってくるかなぁと思いましてね。」
もう怖くて…大石さんの目を見ることもできなかった。
「では質問を変えます。
…ほら、前原さん。リラックスリラックス。」
大石さんが、肩を掴んでぐいぐいと揉むように力をかけてくる。…痛いだけだった。
しかし………どうして…魅音と同じことを聞くのだろう。
……魅音とまったく同じことをまだ聞いてくるなら、次の質問はきっと…、
「同じく昨夜のお祭りなんですが、
園崎詩音さんにお会いしませんでしたか?」
………カラカラカラ。
…何の音かと見下ろすと、俺が両手で握り締めているカップの中の溶け残った氷が音を立てていた。
…震える両手が、氷を揺らして音を立てているのだ。
…それに気付き、慌てて残った氷を口に入れ、ガリガリと噛み砕く。
「……す……すみません……。会ったかもしれないですけど……ほら…、魅音にもそっくりですから…。……魅音と見間違えてるかも……。」
「なっはっはっは。…そんなわけはないでしょう?」
突然、大石さんは俺の両肩をぐっと掴むと、目が合うようにわざわざ屈みこんできた。
…ヘビに睨まれたカエルというのは…こういうものなのか。
目線を逸らしたいのに…逸らせない……。
射抜く眼光というものを…生まれて初めて経験する…。
「魅音さんも詩音さんも、服装は全然、違うんですから。そう簡単に見間違えるはずはありませんよ? 前原さん。」
口調が厳しかった。……魅音にされたのと同じように、厳しかった。
自分の動悸が激しくなるのがわかる。
…それが肩を掴んだ手に伝って、感じ取られているのがわかり、さらに恐ろしかった。
…どうして…どうして、魅音も大石さんも…昨夜のことを聞くんだ…?
祭具殿に忍び込んだことが……そんなにも……、………ぅ…………。
…鷹野さんの口車になんか乗せられなければよかった。
富竹さんが見てきなよ、なんて気さくに言うから…つい。
……詩音だって…俺に勧めなければ……。
いや、…わかってる。
一番悪いのは自分自身だった。
……変な好奇心なんかに負けず、禁断の祭具殿に入らなければよかったんだ……。
「大石さん。蛍の光っす。」
休憩コーナーに、スーツの若い男性が入ってきた。
…雰囲気から、大石さんの部下か何かだとすぐわかる。
「ん? ありゃあ、本当だ。もう閉館なんですねぇ。」
言われるまで気付かなかった。
…いつの間にか、閉館を知らせる音楽とアナウンスが流れていた。
…そんなのも耳に入らないくらい、焦燥しきり、打ちのめされていた。
「じゃあ前原くん。もうこんな時間なんで、私たちは失礼させてもらいます。このお話は、もっと時間のある時に、のんびりといたしましょう。」
……冗談じゃない。金輪際にしてほしかった…。
大石さんは、部下を伴うと、休憩コーナーを後にした。……と思った矢先に、ぐるっと振り返る。
「そうそう前原さん。」
「…な、……何ですか…。」
「さっきさせてもらった2つの質問ですが。…どちらの回答も、よく覚えてない、でしたよね?」
「………ぇ……、は、はい………。」
「参考までに。…あなた、昨日、全員にお会いしてますよ。4人で楽しそうに歩いてたじゃないですか。……石段のところで。私がこの目で見てますから。」
「ぅ………………、」
…息が詰まって、心臓が止まりかける。
……何て嫌らしい男なんだ。
…この男は…知ってて…俺を試したのか…。
「ではまたお会いしましょう。よいお年を。」
カツカツという、革靴の踵が鳴らす音が完全に聞こえなくなるまで…俺は石のように、動くことはできなかった…。
■9日目アイキャッチ
■家への帰宅
自宅への帰り道。
………ひぐらしの鳴き声が、寂しげな夕方をさらに引き立てていた。
……自分が思う以上に、長い時間が経っているようだった。
夕方の空の橙色は、東の空から迫る群青色に少しずつ追い立てられている。
雛見沢へ続く、ゆるく長い上り坂に疲れ果て、…いつしか自転車を降り、押しながら歩いていた。
「………………………………。」
何が何やらわからない…。
……誰も、俺に面と向かって、お前は悪いことをした!と罵ったわけじゃない。
…いや、…むしろ、そうだった方がよほど気が楽だったかもしれない。
昨日の出来事は…本当にちょっとした好奇心。
…赤信号もみんなで渡れば怖くないといった程度の…本当にささやかな悪戯程度のつもりだった。
神主の一族しか入ってはいけない神聖な、祭具殿。
確かに中には、想像もしたことがないような恐ろしいものがたくさんあった。
…だが今になって思えば、中にどんなものが納められていたからと言って、俺が犯したことが正当化されるわけじゃない。
…魅音は、俺たち4人のしたことを…知っているようだった。
…そして、どういうわけか警察まで、俺たち4人のしたことを知ろうとしていた。
そんなにも…悪いことをしてしまったのだろうか……。
そうさ。
…悪いことに程度なんかない。
…俺は悪いことをした。それだけが事実なのだ。
…なのに、それを認めることも出来ず、魅音にも大石さんにも、謝らず、曖昧に言い逃れをするだけ…。
俺は昨日、悪いことをしました。
…入ってはいけない祭具殿に、ちょっとした悪戯心で踏み入ってしまいました。
そこで見たものは全部忘れます。
そしてもう二度とこんなことはしません。
……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
そう謝ったら、……許してもらえるのだろうか…。
急に冷えだした夕方の空気はそんな感傷すらも許さず、一刻も早く家へ帰るようにと、容赦なく足元を冷やすのだった…。
…でも結局、夕方の空気は正しいのだ。
こんな寂しい道をとぼとぼと帰りながら、いくら後悔を重ねたって、何も変わらない。
帰ろう。
帰って自分の部屋へ戻って、お気に入りの音楽でも聴きながら布団に入っていよう。
…そんな一見地味なことが、今日はきっと一番に感じるに違いない。
「……………………ふぅ…。」
そうと決まったら、こんなところをもたもたと歩いていても仕方がない。自転車にまたがる。
ペダルをきつく漕ぐ。
どんどん踏み込む。
ぐんぐん速度を上げる。
切る風が容赦なく冷たかったが、それが自身へのささやかな罰になる気がして、むしろ心地よかった…。
■詩音からの電話
夕飯はあまり箸が進まず、早々にご馳走様をして、自室に戻っていた。
階下から、お袋の呼ぶ声がする。
「圭一〜。電話よー。園崎さんからー。」
園崎? 魅音か?
…違う。詩音だ。
…思い出した。
今日は、詩音が何か話があるということで会ったはずだったんだ。
大石さんが割り込んできたので、何も話せなかった。…だから夜に電話すると言ってたっけ…。
「もしもし。…詩音か?」
「どうも。今日は災難でしたね。」
あまりにもあっさりと言うので、ちょっと腹が立った。…俺を置いてさっさと逃げやがって。
「そんなこと言わないで下さい。私、圭ちゃんに一緒に逃げようってサインを送ったじゃないですか! なのに圭ちゃん、ボサーっと残っちゃって。」
「ボ、ボサーってことはないだろ! …詩音があっという間に置いてきぼりにしたんで、あの後、俺は大石のおっさんにたっぷり付き合わされたんだぜ?!」
「そんなの、私に愚痴られても困ります。」
…よ、よくもこうバッサリと言えるものだなぁ!
魅音とあんなにもそっくりなのに、だからと言って中身はこうまでも違うのか。
…心のどこかで、別の人間と知りながらも、魅音と同じリアクションを期待している自分に気付き、少し呆れる。
「…あー…悪かったよ。次からは詩音を置いてくぐらいのつもりで、真っ先に逃げ出すようにする。」
「出来ればレディーファーストでお願いします。あははははは!」
詩音が小気味よく笑った。
…その声を聞いてようやく、詩音はそんなに真面目な意味で怒ってたわけではないことに気付く。
…確かに詩音の言うとおりだ。
…俺の不機嫌の元凶は、あの場でとっとと逃げ出さなかった自分のせいなのだ。
…人のせいにするのはやめよう。人のせいにするのは…。
「それより…俺に何か話があるんだろ?」
「あ、はい。…………もしも、もう知ってるなら、改めて言うような話じゃないんです。……その、……知ってますか?」
詩音が、辺りを伺うように急に小声になった。
…知ってますかと言われても、何のことやらさっぱりわからない。
「…悪いけど、何のことかさっぱりわからないぞ。ヒントくらい出せ。」
「…………ってことは、…知らないみたいですね。」
俺のまぬけな質問がそのまま、知らないという返答になったらしい。
だが詩音の声に落胆やふざけた様子は一切なかった。
「実は、…昨日の綿流しのお祭りの晩なんですけど。」
全身がゾクリとした悪寒に襲われる…。
…し、…詩音までもが…同じことを…?!
「もしもし? 圭ちゃん、聞いてます…?」
「…あ、…あぁ。聞いてる。…昨日の晩、どうしたんだよ。」
「私たち4人、…入ったじゃないですか。」
…相槌は打たなかった。
それは俺が認めたって認めなくったって、…なかったことにはできない、絶対の事実だからだ…。
「それでその後、みんなで歩いて……、石段の辺りで私たち、みんな別れましたよね? 鷹野さんたちは沢に行って、圭ちゃんはその場に残って。私は親類の人たちのところに行っちゃって。」
「…あぁ。それがどうした。」
「………お互い、質問の返し合いになっちゃうと埒が明かないんで…私からまず質問します。いいですか?」
「昨夜、富竹さんと鷹野さんに会いませんでしたか、…だろ?」
「……え? …あ、はい。…あの後、あの2人には会いましたか?」
…驚かないというと嘘になった。
…今日、代わる代わる三度も聞かれた同じ問い。
なぜ? どうして? 何だってんだよ一体?!
「ど、どうしてだよ?! だからどうしてそれを俺に聞くんだよッ?!」
「ほらほら圭ちゃん! 質問は私からのはずです。答えて下さい。」
「し、詩音は会ったのか?! 詩音が先に答えたら俺も答える…!」
今日一日の出来事で…すっかり怖がりになってしまった、矮小な自分の、みすぼらしい返答だった。
詩音はしばらく何も答えなかった。
…自分のした返事が、大きな失言ではなかったのかと思い始めた頃、ようやく答えてくれた。
「もちろん、会ってません。一緒にいた親類が証明できます。」
「……俺だって会ってない。証明って言うなら、魅音とかレナとか、みんながしてくれる。」
互いの答えが一致したことを確認し合うと、どちらからともなく、安堵に似た溜息を漏らした…。
「正直に答えてくれて、ありがとうございます。…じゃあ、…言いますね。」
…昨夜、鷹野さんと富竹さんが死んだんだそうです。
「……ごめん、詩音。…今、何て言った?」
「昨夜、鷹野さんと富竹さんが死んだんだそうです。
鷹野さんは焼死体で。富竹さんは…自殺みたいな感じで。…今朝知ったんです。…お父さんが親類の人からの電話で話してるのを聞いて…。」
昨夜の深夜。
お祭りの警備を終えて帰る途中の警察の車が、興宮への道の途中で、倒れている富竹さんを見つけた。
死因は…喉を掻き毟っての、
自殺。
「な、なんだよ、喉を掻き毟っての自殺って…。あ、あの明るそうな富竹さんが自殺?! 何かの間違いだろ?!」
「警察がちゃんと検死したんです! 自分の爪で! ガリガリと喉を掻き毟って、血管を破いて、血をドバドバ出して! 自分の血で溺れ死んだんだって!!」
「そんな馬鹿な自殺、聞いたことないぞ!! 自分の喉を掻き破るなんて…おかし過ぎる!!」
大声を出し過ぎたことに気付き、声のテンションを下げる…。
親に聞かれたくなかったので、子機に持ち替え、自分の部屋へ駆け上った。
「……大声出してごめん。…で? 鷹野さんも…自殺なのか?」
「鷹野さんは…自殺かどうか、ちょっと……。」
鷹野さんの死体は、岐阜県の山中で見つかった。
深夜の山中で火があがっているのを、付近のサービスエリアの職員が見つけ通報。
駆けつけた消防署員が発見した。
検死の結果、半裸女性の焼死体と判明。
身元確認は困難かに思われたが、その直後に××県警興宮署から歯型照合の依頼があり、照合の結果、鷹野三四と確認された。
死因はまだ特定されていないが、下着姿で、周囲に衣服がないことから、他殺の可能性が濃厚だという。
「…灯油缶が転がってたそうなんで、焼身自殺の線もあるそうです。」
「じ、自殺なわけ、あるものか!! 同じ死ぬならもっと楽な方法がいくらでもあるだろ?! こんなの…絶対に自殺なものか!!」
「私だってそう思ってます! 富竹さんのだって、自殺だなんて考えられない!」
互いにまくし立てあい、肩で息をするような沈黙が訪れる。
…興奮が覚めてくるに従い…、たった今、詩音から聞かされた話の意味がわかってきた…。
「……オヤシロさまの祟り、ってことになると思います。私たち、祟られるのに充分な資格がありますから。」
「し、資格って…、じょ、冗談じゃないぞッ!! 別に俺は…!!」
詩音が一緒に見ようと言うから、付き合いで入っただけじゃないか!! ……そう言おうとして、口をつぐんだ。
……人のせいにしたってしょうがなのだ。
…いくらみんなに勧められたからと言ったって、…強く拒否することは出来たのだ。
中途半端な好奇心に負けて、一緒に中に入ることに同意したのは……他の誰でもない、自分自身なのだから…。
「…………詩音。…お前は昨夜、祭具殿の中に忍び込んだら、こうなるかもしれないと予想はついてたのか…?」
「…まさか。そりゃあ、多少はヤバイとは思いましたけど…こんなことになるなんて夢にも思いませんでした。」
詩音の言っていることは、多分、本音だ。
…見つかったらヤバイとは思いつつも、それをスリルにした、ちょっとした冒険のつもりだったはず。…それは俺だって同じだ。
「それよりも圭ちゃん。…ちょっとよく考えて下さい。
…今年のオヤシロさまの祟りはおかしくないですか?」
……富竹さんも鷹野さんも、あんな死に方をした時点で充分におかしいさ。
それを踏まえた上で、これ以上、何がおかしいって言うんだ…?
「死体が2つ見つかったってことです。…言いましたよね? 例年は、1人が死んで、1人が消えるんです。…2人の死亡が確認されたのは今年が始めてです。」
「……確かにそうかもしれないけど…そんなのは大した問題じゃないだろ。」
「いいえ、圭ちゃん。…もっと真剣に考えてください。いいですか? 2人の死がオヤシロさまの祟りということになってるなら、オヤシロさまの怒りを鎮めるための生贄もまた、2人分必要なはずなんです。」
「…そういう理屈になるのか…? じゃあ何だよ。富竹さんと鷹野さんが死んだ影で、今年は2人が行方不明になってるってのか…?」
……理由はわからない。
…なのに、…自分で言っていて、背筋が凍った。
「…まだ誰も行方不明になってないと思います。…多分、2人が失踪するのは、…これからじゃないかと思うんです…。」
詩音もまた、…俺と同じように、背筋を登る悪寒を感じているに違いない。
「これから…2人が、……失踪する……?」
詩音は答えない。
俺も、それ以上を言えない。
……寒さが、衣服の隙間から忍び込み、俺の心臓を握ろうと…その冷たい手で胸をまさぐってくるのがわかる…。
「………………………………。」
それでも互いに何も言えない。
錠前を開けた富竹さんが死に、祭具殿を暴いた鷹野さんも死んだ。
……さらに2人が犠牲になるのなら……。
それは…一緒に祭具殿に踏み入った…、俺たちに…他ならないじゃないか…。
「…………まさか。……冗談、…だろ?」
今からでも冗談だったことにしてほしい…。…でも、それはとても難しいわがままだった。
富竹さんと鷹野さんの死が、例えば、ドライブ中の事故とか、ありがちなものなら、偶然だと決め付けることもできる。
…でも…喉を掻き破って自殺とか…、山中で灯油を浴びせられて焼死とか…。…これだけ異常な死が並べられると……とても偶然だと決め付けることはできない。
まるで…、祭具殿に忍び込んだことに対し、見せしめにするような……そんな残酷な意思が働いているとしか思えない。
…それでも…この恐ろしい現実を受け入れたくはなかった。
…受け入れれば、自分と詩音に、恐ろしい危機が迫っていることを認めることになってしまうから……。
…だから反論した。…逃避と知りつつ反論した。
「だ、…第一そんなの…新聞に出てないぞ?! そんなに奇ッ怪な事件なら絶対に新聞やテレビで報道するはずだろ?! 雑誌記者とかだって、面白がって大勢来るに決まってる…!!」
「マスコミに報道されないのは当然なんです。…過去にそうだったから。」
連続怪死が3年も続いた頃になると、一部の三流雑誌が嗅ぎ付け、雛見沢をゴシップ満載で報道した。
雛見沢のマイナスイメージを恐れ、地域と警察で協議。
……なんと去年より、事件が起こっても、マスコミには漏らさない、秘密処理になったのだと言う…。
「村長とか、あと園崎家出身の金バッヂが警察に思いっきり圧力をかけたんだって聞いてます。」
「じゃあつまり…2人の死は、…秘密裏に処理されてしまったということか?!」
「そういうことです。…もちろん、警察は捜査をしてますよ? でも、秘匿捜査ということなので、捜査活動にはかなりの制限が加えられているそうです。これは、事実上の捜査妨害と言えるでしょうね。」
……信じられない話だった。
…人が死んだのに、…それが公にされず、密やかに処理されるなんて…。
「もっと噛み砕いて言うと。…綿流しの夜に誰が死んでも、公にはならない、ということです。」
「……そ、そんな馬鹿な話があってたまるか…!」
「圭ちゃん。…私、以前に、オヤシロさまの祟りは村人が起こしてるかもしれないって言いましたよね。……つまりそういうことなんです。…この雛見沢では、毎年、綿流しの夜に、オヤシロさまの祟りということにして誰かを殺してもいい土壌が、……いつの間にか作り上げられているんです。」
綿流しの晩に人が死ぬと、…それはオヤシロさまの祟りということになる。
祟りは連続怪死事件になる。
…その事件は、雛見沢のマイナスイメージを助長させないためにも…隠密で処理される…。
「馬鹿な!! 毎年、死者と行方不明者が出るんだろ?! いくらマイナスイメージって言ったって、警察にも限度があるだろ?!」
「…毎年の事件が不可解って言うなら、警察も本腰を入れられるんでしょうけど。
何しろ、毎年の事件は個別に解決してますので。…「連続事件」という形にならないんですよ。たまたま毎年、綿流しの晩に不幸なことが起こる。…それだけのことに。」
最初のバラバラ殺人は犯人が特定され、ほとんどは逮捕された。
最後の1人は依然逃亡中だが、…事件の全容は解明され、一応、解決したと言っていい。
2年目の誘致派夫婦の事故死は、純粋な事故死。
…他殺の可能性はいくつも模索されたが、見つからなかった。事故で決着。解決している。
3年目は神主の病死。
それを看取った病院の医師がいるし、信頼できる診断書もある。
検死だってした。
その結果、他殺じゃないと結論付けた。…これも解決している。
4年目は誘致派夫婦の弟夫婦の妻の殺害。
犯人は覚醒剤の常習暦もある異常な男だった。
雛見沢の祟りを面白がって再現したと自供している。
犯人は獄中で事故死したが、この事件も、事実上、解決したと言っていい。
……そう。
全ての事件には因果関係がなく、そして全てが個別に解決している…。
「なのになぜか、毎年、綿流しの晩に不幸な「偶然」が起こる。…連続事件にしたくても、連続にならないんです。
…それでも毎年、必ず誰かが死んで、誰かが消えていく!」
お祭りの前日準備の日、鷹野さんに聞かされた話だが…、現にこうして、今年の「祟り」が起こった今、それを笑い飛ばすことなどとてもできない。
「……じゃあ……俺たちも…、…狙われるって言うのか…? 毎年、1人死ぬと1人が消えるように…、富竹さんや鷹野さんの道連れに…消えさせられるって言うのかよ…?!」
…唇がいつの間にかすっかり乾き、…たったそれだけのことをしゃべるのが…辛い。
詩音は答えなかった。
…だが、これ以上ないくらいの明白な肯定だった。
「…俺たち、……そりゃあ確かに入っちゃいけない所だったかもしれないが…。…見ただけだぜ? 何かを盗んだり、持ち出したり、…見たことを誰かにしゃべったわけじゃないんだぜ…?」
悪いことをしたと、もう充分に後悔している…。
だけど……富竹さんや鷹野さんが、あんな無惨な死に方をさせられるほど…あれはいけない事だったのか?!
「…第一、俺はあんなの見ても全然、面白くなかったし!!
鷹野さんが見てひとりで大喜びしてただけだろ?! 悪いのは鷹野さんだけだよッ!! 俺は全然関係ないぜ!! 興味もないし関係ないし、あの中にあった物だって知った事じゃないッ!!!」
言ってて、何の解決にもならないとわかっていた。
心の奥底の冷めた自分が、無駄な遠吠えだと呆れているのがわかった。……でも、…堰を切った感情は、もう止められなかった。
「俺は元々、興味なんか全然なかったんだッ!!! 梨花ちゃんの演舞を見ていたかっただけなんだ!! それを詩音が勝手に連れ出したんじゃないか?!?! あの2人が泥棒しようが逢引きしようが知ったことじゃないッ!!! そうだよ、そもそも詩音が中に入ろうって言い出したんだ!!
圭ちゃんは見ておく必要があるとか何とか、思わせぶりなことを言って中に引き込んだんだッ!!! どうしてくれるんだよ?!?! 俺は全然関係ないんだぞ?!?! どうすんだよ! どうすんだよ?! どうやって責任を取ってくれるんだよッ?!?! えぇ?! おいッ、聞いて………あぁッ、」
ブツン。
何の前触れもなく、受話器を叩き付けるわずかな音を残して電話は切れた。
…恐ろしいのは詩音も同じはずなのに……俺は何て一方的なことを言ってしまったんだ…。
興奮した感情が嘘のように消え、変わりに、勢いに任せて口走った無責任な発言への後悔が潮のように押し寄せてきた。
切れた受話器の向こうに、いくら詩音の名を呼んでも……もう、遅い。
………なんて、……ことだ。
……詩音は、俺たちに降りかかろうとしている「何か」について、知り得る限りを知らせてくれただけなのに…。
……俺は…すっかり甘えたような泣き言を……。
こちらから電話をかけようとして、詩音は興宮の家に住んでいることを思い出す。
……電話番号は知らない。
………昨夜は詩音に会ってないと言い切った俺が、魅音に電話して詩音の電話番号を聞くなんて、…恐ろしくて出来ない。
…こちらから電話をかけ直すこともできないなんて…!
絶望的な後悔に打ちひしがれる…。
……受話器を戻し、詩音がもう一度電話をかけ直してくれることを…ただひたすらに祈った。
頼む、詩音……。
……機嫌を直して…、もう一度電話を……!
プルルルルルル…。
「も、もしもし前原ですッ!!」
まるで、この一瞬で受話器を取らなかったらつながらないような、そんな気持ちで受話器を引っ掴んだ。
「前原さんの御宅でしょうか。夜分遅くに失礼いたします…。公由と申します。ご主人でいらっしゃいますか?」
中年の男性の声。……一気に失望する。
「いえ、違いますけど。…親父に用なら呼んで来ます。」
そう言って、受話器を置こうとすると、先方は慌てた声で言った。
「あ、いえいえ、お忙しければ結構なんです。…実は恐縮なんですが…ウチのお爺ちゃんがお邪魔してませんでしょうか。」
「…いえ、誰も来てませんけど。」
「そうですか! 夜分遅くに申し訳ありませんでした。失礼いたします……。」
ガチャン。
…誰だか知らないが、今の電話のせいで詩音の電話がつながらなかったらどうするんだよ?!…そういう自己中心的な怒りに囚われる。
おいおい……。いい加減にしろよ前原圭一。
…その自己中心な激情で、詩音を怒らせてしまったんじゃないか…。
でも…そう思えば思うほどに、今のわずかな時間に詩音が電話をし、話中であることに落胆して電話をかけるのをやめてしまったのではないかと思ってしまう…。
心を落ち着けろ前原圭一…。
…詩音がもう一度かけてくれたなら、落ち着いた声でまず謝罪しよう…。
……そうすれば詩音だってわかってくれるはず…。
…………………………………………。
だが……俺がいくら待てども…。
……その晩、再び電話が鳴ることはなかった…。
■9日目幕間 TIPS入手
9■スクラップ帳よりY
<綿流しの意義について>
犠牲者を狩り、それを食す宴、綿流し。
それ自体は異常なものでありながらも、同時に娯楽性を伴うものだと考えられてきた。
(異常な行為に娯楽性を感じるという「無理」によって、自分たちが人間を超越した存在だと信じこもうとしたのかもしれない。)
だが、その説に一石を投じる興味深い文献を見つけた。
口伝らしく、鵜呑みにできるものではなさそうだが、その内容は少し興味を惹く。
それによると、鬼ヶ淵村の住人にも、この儀式を「恐れる」感情があったと言うのだ。
女子供は蒼白になりながら震え、血に弱い者は嘔吐しながらも、それでもなお、宴(解体作業)を見ることを強要されたのだと言う。
これは非常に面白い異聞だ。
私はこれまで、鬼ヶ淵村の住人は綿流しの儀式にある種の陶酔を得ていると考えてきた。
自分たちが見下す「卑しい人間風情」を魚を下ろすように解体し、それを食すことによって自分たちの神聖性を確認してきた、…そう考えてきた。
だが、この儀式によって村人が得ていたものが陶酔でなく恐怖だったとすると、儀式の意味するところは大きく変わってしまう。
つまり、有力者たちが自分たちの都合のいいように組み上げた戒律を厳守させるために催した、見せしめ処刑だった可能性が出てくる。
鬼ヶ淵村を実効支配してきたのは御三家と呼ばれる3つの旧家だ。
この御三家の研究なくして、鬼ヶ淵村の真実には迫れまい。
9■スクラップ帳よりZ
<御三家について>
御三家は鬼ヶ淵村を実効支配してきた3つの旧家を指す。
内訳は公由家、古手家、園崎家で、いずれも現存している。
(古代ほどの支配力はないにせよ、今日でも強い影響力を堅持しているようである。)
御三家は、鬼ヶ淵沼より現れた鬼の血を最も濃く残すと伝えられている。
<公由(キミヨシ)家>
公由家は御三家の筆頭家として大きな力を持っていたらしいが、今日にあっては御三家をリードするほどではない。
現村長(公由喜一郎)はこの家の出身である。
公選制が導入されるまで、自動的に公由家が代々村長に就任してきたのは、古い体制の名残だと思われる。
もっとも対抗馬が出ないため、戦後の公選制導入後も公由家が村長に就くことは変わっていない。
<古手(フルデ)家>
古代から信仰の中心となり、オヤシロさまを祀る唯一の神社を守ってきた一族である。
オヤシロさまの声を代弁する唯一の存在として、長く崇められてきたが、戦争で分家筋がほとんど絶え、今では本家のみとなっている。
その本家も、現在では一人娘(古手梨花)を残すのみなので、この代で潰えるかもしれない。
古手家の女子を尊ぶ古い習慣があるらしく、一人娘の梨花は、年寄り連中に崇められている様子だ。
<園崎(ソノザキ)家>
鬼ヶ淵村の戒律を守るある種の警察官的な役割を担ったと伝えられている。
御三家の中では比較的、弱い立場であったことが、御三家の末番に数えられることから見てとれる。
もっとも、今日の園崎家は隆盛を極め、御三家内における立場は完全に逆転している。
今や雛見沢を牛耳っているとまで言えるだろう。
御三家で合議することが名残となっているだけで、村内の取り決めは事実上、現当主の園崎お魎がひとりで決めていると言っていい。
9■深夜の電話
「夜分遅くに失礼いたします…。公由と申しますが、ご主人でいらっしゃいますか? ……はい! いえいえ、その節は本当にありがとうございます。えぇ。…………それでですね、…こんな時間に大変恐縮なのですが、…ウチのお爺ちゃんがお邪魔してないかと思いまして。………ですよねぇ! はい! こんな時間に申し訳ありませんでした。それでは失礼いたします。ごめんください……。」
チン。
「どうだい? ダメ?」
「参ったなぁ…。…どんなに熱中しても、電話くらいはしてくれる人なんだけれどなぁ!」
「囲碁の人の家は全部、電話したんでしょ?」
ジリリリリリリ…ン!!
「はい! 公由です。」
「園崎です。どうです? 村長さんは見つかりましたか?」
「あぁ、魅音ちゃんか。…片っ端から電話をかけてみたけど、だめだよ。見つからないんだ…。参ったなぁ…! どこで油を売ってるのかなぁ…!」
「こっちでも心当たりにいろいろと問い合わせましたけど、…全然。」
「……………………………。」
「婆っちゃにも相談したんですが、青年団を召集して探し回った方がいいだろうということです。」
「こ、こんな時間にかい…? それに、別に行方不明になったと決まったわけでもないし…、」
「綿流しの直後ですから。少し慎重に扱った方がいいとのことです。それでも見つからないなら、明朝、警察に通報しましょう。見つかる見つからないは別にして、痛くない腹を探られない方がいいでしょうから。」
「…お魎さんがそう言ったのかい?」
「はい。直接、声を聞かないと信用できないなら、電話先に出させますよ?」
「い、いえ…! わかりました。青年団を集めて探しましょう。それで見つからなければ…翌朝に警察に通報します。」
「青年団の連絡網、よろしくお願いしますね。私も婆っちゃの代行ということでそちらに参ります。」
「あ、ありがとう。すぐにみんなを集めます…。」
「えぇ。では。」
■10日目
……眠れるわけもなかった。
ああして電話が切れてしまって初めて、俺の境遇を理解し、かつ共有してくれる唯一の仲間だと気付いたからだ。
詩音が機嫌を直して、もう一度電話をしてくれるのをひたすらに待っていた。
熟睡している間に電話があったらどうしよう…。
でもいくら待てども電話はなく。
……疲れきり、意識が薄れだすと、決まって電話が鳴ったような気がして跳ね起きた。
しまいには子機を布団の中に持ち込み、抱きながら寝た。
……だからと言って、何の解決にもならなかったのだが……。
こうして朝になり、さすがにもう電話はないだろうと確信する。
…その頃になって、ようやく猛烈な睡魔が襲い掛かってくるのだった。
「くそ…! 寝ぼけてる場合じゃないぞ前原圭一!」
顔面をピシャ!ピシャ!と何回か叩く。
洗面所へ行き、普段はやらない洗顔をする。
…それでもシャッキリしなかったので歯まで磨いた。
そこまでして、ようやく目が冴えてくる。
お袋が俺の奇行に気付き、目を丸くしていた…。
「どうしたの、圭一。今日はどこかにお出掛けでもするの?」
「…お出掛け? ……うん。…学校に。」
「圭一くん、何だか今日も調子悪そう。…やっぱり風邪かな?」
「……風邪じゃなくて寝不足なんだ。寝ぼけてワケのわかんないことを言い出したらフォローをよろしくな…。」
「あははははは! 圭一くん、寝ぼけたらどんなことしゃべりだすのかな! かな! …ちょっと楽しみかも。はぅ。」
徹底的に打ちのめされ、まだ立ち直れないこんな朝だからこそ、レナの表裏のない笑顔がとてもありがたかった。
「よ。……圭ちゃんにレナ。おっはよ。」
「あれれ? 魅ぃちゃんも何だか寝不足な感じだよ? だよ?」
…昨日、二日酔いで早退した魅音だが、今朝も具合は優れないのだろうか。
いつもの明るい雰囲気は、すっかり影を潜めていた。
「…うん。寝たの3時くらいだからね。……眠い。」
「さ、3時ぃ?! おいおい、…夜更かしにも限度ってもんがあるぞ?! 大方、漫画の単行本が面白くなっちゃって、1巻から読破してしまったんだろう。うんうん、俺にも経験があるぞ。」
眠気覚ましに茶化してやろうと、気を利かせたつもりだった。
…だが、魅音もレナも笑いもしないし構いもしなかった。
レナの表情が一気に暗くなる。
「……………あれ、……ひょっとして、…村長さんのこと? まだ見つかってないの?」
「………うん。」
「おい、ちょっと待ってくれ。村長さんが見つかってないって、…何の話だ?」
いつもなら陽気にふざけあう声が満ちている教室も、何だか今日は違うざわめきで満たされていた。
「おはようございます、圭一さん。
…聞きました? 何だか大変なことになりましたわね。」
「…俺はその村長さんって人をよく知らないんだが、…ジジイなんだろ? ボケて徘徊してるだけじゃないのか?」
「村長さんはボケてなんかいませんですわ。お習字も教えるし剣道も教える、はつらつな方でございますの。」
「……ボクと同じで、きっとどこかで迷子なのですよ。」
「…ま、迷子いいね☆ はぅ〜〜〜! お持ち帰り〜〜!!」
…迷子ってのは、梨花ちゃんみたいな子がやるからかぁいいんだぞ。…ヨレヨレのジジイが迷子になっても萌えにはならん!
…なんて馬鹿なことを考えてる内に先生がやってきた。
みんな慌てて着席する。
「皆さん。おはようございます。」
おはよぅございます!
いつもの合唱。……だが雰囲気は重い。
「すでに聞いてる方もいるかもしれませんが…。…昨日の夜、村長さんが夜遅くになってもお家に帰ってこなかったのだそうです。皆さんの中で、昨日、村長さんを見た人はいますか?」
……沈黙の中、ひとりふたりが挙手し、見た時の状況を話した。
…だが、どうやら大した情報ではないらしく、みんなはヒソヒソと何かを囁きあっていた…。
「もしも村長さんを見かけた人は、大人の人に教えてあげて下さいね。…それでは授業を始めます。」
そして、いつもどおりの授業が始まった。
■昼時の噂話
ヒソヒソとした噂話は、お昼になってもあちこちで花を咲かせていた。
…あちこちでいろんな話が聞こえる。
ほとんどが村長さんの失踪に絡むものだった。
…それらの話から総合すると、つまりこういうことになる。
昨日の夕方、村長さんは会合で、神社の集会所に出掛けた。
そして、とっぷりと日が落ちた頃に会合を終え、お開きになった。
村長さんの家は、雛見沢のちょっと外れにある。
…時間も遅かったし、ほとんど外灯のない雛見沢でのこと。…村長さんが帰る途中を見た者は誰もいない。
でも、お腹の空く時間だから、村長さんは寄り道などせずに、まっすぐ自宅を目指したはずだ。
……だが、家族がいつまで待っても。……村長さんは帰ってこなかった。
事故の可能性も考えられた。
…あらゆる可能性を考えて、用水路から井戸、泥田の中まで探したが見つからなかった。
もっとも…深夜の捜索では限界もある。
警察は明るくなるのを待って、青年団と合同で捜索するそうだ。それでも見つからなければ、山狩りも行なうらしい。
今、こうしてる間にも、大人たちは村長さんを探しているのだろう…。
……見つからなければ見つからないほど。
…時間が経てば時間が経つほど。
……頭をもたげて来るのが…、……祟り。「鬼隠し」の噂だ。
…近年、毎年起こるオヤシロさまの祟りの、今年の犠牲になったのではないか……。
誰もが思いつつも口にできない恐ろしい可能性が、少しずつ村中に広がっている…。
「鬼隠し」に遭い、…オヤシロさまの怒りを鎮めるための生贄に捧げられたのだろうか…?
クラスメートたちは、今年は「祟り」が起きてないから、「生贄」は必要ないはず、と囁きあう。
……だが、俺は…知っているのだ。
今年も祟りがあり、そして2人も死んだことを知っている。
…でも…こう言っては何だが、…村長さんが「失踪」するとはちょっと思えなかった。
その理由はひとつ。
…俺と詩音の方が、その優先度が高いはずだからだ。
神聖なる祭具殿に、禁を破って土足で踏み荒らした4人の賊だ。
富竹さんと鷹野さんが怪死した以上…、次は俺と詩音の番で当然のはずなのに……。
「……今度こそ、俺か詩音の番なのに、…な。」
…ちょっぴり苦笑した。
そんな恐ろしい目に遭うのはごめんだと、電話越しに詩音に怒鳴りつけておきながら…、自分以外の人間が失踪した時の感想が「失踪するなら自分が先のはず」…なのだから。
……大昔、生贄を沈めたという底無し沼「鬼ヶ淵」。
…俺に思いつくように、きっと村の人もそこを疑っているだろう。
警察のダイバーが、今頃は沼の底をさらっているのだろうか…。
…何も見つかりはしないだろう。
…過去の失踪者だって、誰一人見つかっていないのだから。
いつも鬼ヶ淵を怪しんだが、一度だって鬼ヶ淵から死体が見つかったことはない。
…あそこは魔性の、沈んだら誰も帰って来れない、底無しの沼なんだよ…。
…教室の誰かが、友人にそう話しているのが聞こえた…。
「…そう言えば、悟史さんがいなくなったのも、…去年の今頃だったね。」
え? 悟史?
……聞き覚えのある名前だぞ。…確か……そう、去年の祟りの失踪者だ。
その会話はすぐ近くの席でしているらしく、はっきりと聞き取ることが出来た。
「…悟史さんの時も確か、こんな風に村中で探したんじゃなかったっけ。」
「あれも見つからなかったんだよねー。…あれって、…結局どうなったんだっけ。…確か、鬼隠しじゃなかったんだよね?」
「うん。貯金を全部下ろして、家出しちゃったんだって聞いたよ。警察の人が、名古屋駅で新幹線に乗るところを見た人がいるとか言ってたもん。」
………家出、か。
もっともらしい理由にはそんなに興味はなかった。
過去の失踪者だって、みんなそれなりの理由はある。
犯人だから逃走中とか、死体がみつかならないだけとか。
…どれも忽然と、理由なく姿が掻き消えたわけじゃない。
でも、…消える。
…祟りで人が死ぬと、まるで機械的に定められてるように、誰かが消える。
もっともらしい理由がいろいろありながらも、消える。
…………そういう意味では、今回が本当の鬼隠しなのかもしれない。
今回の村長さんの失踪には、過去の事件で初めて「失踪する理由がない」。
…もっとも、そんな下らないことに気付いても、事件の解決には何の役にも立たないのだろうけど…。
「……今日は、味の加減を間違えちゃったみたいだね。えへへ…ごめん。」
いつもなら真っ先になくなるはずのレナの弁当が、丸々と残っていた。
…でもそれは、レナの弁当がおいしくないからじゃない…。
「そ、そんなことありませんのよ? レナのお弁当は今日もとっても美味でしてよ!」
沙都子がレナの弁当箱に箸を伸ばし、次々とおかずを頬張りだす。
「えぇ、おいしいおいしい! 今日も格別でしてよ! もしゃもしゃ!!」
「あははは…、あれ、それ、カボチャのコロッケだよ? 大丈夫?」
「……んぐぐ……、…え、…えぇ!
レナさんのカボチャならとってもおいしいですわー!」
…沙都子はカボチャが嫌いなのか。
でも無理やりの作り笑いでガツガツと頬張って見せた。
…みんなわかってるんだ。
今日は誰の弁当だっておいしくない日だ。
…それを頬張って、おいしいおいしいと連呼する沙都子。
「…そんなにうまいなら、俺も頂かないとな。このままじゃ全部、沙都子に食われちまう。」
「あ、あんまりにもおいしいので、ぜひ圭一さんにも召し上がってほしいですわね…!」
「たまには俺も年上らしい寛大さんを見せないとな。よし、遠慮するな! 今日は俺の分まで食ってよし!」
「ふ、…ふわぁあぁあああぁ……!!」
…心の底からカボチャが嫌いらしいな。
だからこそ、そんな沙都子なりの精一杯の心遣いに心を打たれた。
……その頭を鷲掴みにして、ぐしゃぐしゃと撫でてやる。
…沙都子は何だか大袈裟に、ぼろぼろと涙をこぼしながら泣いていた。
「嘘だよ。…そんなにうまいものを譲るほど大人にゃなれないよ。レナも食え。俺のは昨夜のおでんの残りものだが、おでんは一晩経ってからがうまいんだぜ。」
「…うん! お大根が、きれいな色に透き通ってておいしそう。じゃ、いただこうかな〜。」
レナも箸を伸ばし、…ようやくいつものお昼の雰囲気が戻ってくる。
でも、それは俺たちの食卓だけのこと。
……5年連続で起こったオヤシロさまの祟りの、暗い噂話は尽きることはない。教室全体が、薄暗い雰囲気に包まれたままだった…。
…5年連続で起こった、オヤシロさまの祟り。
誰もが、去年で終わりだと思いたかったオヤシロさまの祟り。
……オヤシロさまの祟りって、何なんだ?
雛見沢にダムが出来る。
作るヤツは悪いヤツだ。
だから祟る。
…ここまでは認めてやる。
…だが、ダムの計画はもう何年も前に凍結されたはずだ。なのに、なんでこうもしつこく続くんだ…?
はっとし、自分の頬をピタピタと叩いた。
少しでも明るくしようとみんなが頑張ってるのに、俺が真っ先に祟りの話に戻ってどうするんだよ…!
頭から暗い話を無理やり追い出そうとした。
…オヤシロさまの祟りの話を頭から追い出すのは、実はとても都合が良かった。
…それは結局、自分が祟りの対象になり得るという最も恐ろしい想像を追い出すことにもつながるからだ…。
「…しかし、魅音は遅いな。あいつのお手洗いってこんなに長いのか?」
魅音はお手洗いに行って来るといって席を外したまま帰ってこなかった。
「…あははは。多分、どっかでお昼寝してるんだと思う。
…昨夜はきっと遅くまで村長さんを探すお手伝いをしてたんだと思うから。」
…苦笑いしながら、ため息を漏らしてしまう。
…今日はだめだ。
どんなに明るくしようと頑張っても、村長さんの話になってしまう。…だめな日なのだ。
…転校して来たばかりの俺には想像もつかないくらい、…5年にも及ぶ祟りのショックは大きいのだ。
……それを、俺は理解する必要があるのかもしれない。
「……村長さんはね、小ちゃかった頃、魅ぃちゃんのことをすごく可愛がってくれたんだって。いたずら盛りの魅ぃちゃんを…すごく可愛がってくれたって。…よく、話してたな。」
……そうか。…ショックだったのは、魅音も同じだったのだ。
祟りで人が消えるのはとても恐ろしいこと。
…だけど、…その犠牲者が自分に縁ある者だったら…そのショックは何倍にもなるのだろう。
沙都子もそれを察してか、下唇を噛むようにして俯いた…。
「そう言えば、梨花ちゃんも遅いな。ひょっとして梨花ちゃんも仲良くお昼寝か?」
「…梨花はそんなに遅くまではお付き合いしませんでしたわ。…梨花があくびをしたら、皆さんみんなして、お休みなさいませお休みなさいませーって。」
そう言えばお祭りの時にも、梨花ちゃんの姿をやたらとありがたがって数珠を揉む年寄り連中がたくさんいたな…。
年寄りがちやほやする様子が目に浮かぶ。
……梨花ちゃんって、ちやほやされるコツを心得ているのでは…???
「…梨花ちゃんって、何気に年寄りのアイドルだな。理想の孫娘像ってヤツなのか?」
「あはははは! そんなの知らない〜! で、でででも、梨花ちゃんのあくびなら見てみたい〜〜〜!!
…きっとね、ぷわぁ〜…って☆
…はぅ〜〜〜!! お持ち帰り〜〜〜!!!」
「……そんなに可愛いものとは思いませんけど。…ぐわぁーって、喉の奥まで覗けるくらいの大あくびでしてよ…?」
「ののののの、のどちん、ゆらゆら〜〜〜! はぅ〜〜〜〜!!!!」
こういう時、レナって重宝なヤツだ…。やっと、俺も心の底から笑うことができた。
…あ、そうだ。
俺、今日は日直なんだよな。花壇の水やりに行かないと。
花壇は職員室の正面にもあるから、ちゃんとやらないとすぐバレる。
「りりり梨花ちゃんのだけじゃなく、沙都子ちゃんのもかぁいいと思うぉ〜!! の〜ど〜ち〜んん〜〜!!!」
「ぎぎぎ、ぎぇええぇええ〜〜〜…!! ち、窒息……、」
「は、はぅ〜〜!! ちらっと見えた、かぁいいの見えた!! 沙都子ちゃんのもかぁいい、お持ち帰り〜〜!!!!」
…レナが沙都子の首根っこを締め上げて、喉の奥を覗き込もうとしている…。
…レナって……口に出しては言えないが…札付きの…○○○○だよな…(汗)
沙都子の鶏を締め上げるようなヘンな声が、何だか滑稽で笑ってしまう。
いつの間にか、教室はそんなやりとりを笑う声で満たされていた。
…レナも、わざとやってくれてるのかもしれない。
例えそんな気がないにせよ、今はこの馬鹿騒ぎがとてもありがたかった。
さて。
…俺は今のうちに花壇の水やりに行って来よう。
俺は和みかけた場を崩さないように、そろりそろりと教室を出た。
■校舎裏の魅音と梨花
ジョーロは給湯室脇に干してあった。
もともと男所帯だったこの営林署の建物には、花壇なんて気の利いたものはなかったそうだ。
この建物を学校が間借りさせてもらうと決まった時、ささやかなお礼のひとつとして作られたらしい。
で、花壇なのだが…これが意外に…長い。
ぐるーっとある。
あちこちにある。
ジョーロの水を途中で5〜6回は補給しなくてはならないくらいいっぱいある。
俺と一緒に日直になってくれた子も一緒にやることになっているのだが…、何しろ梨花ちゃんよりもさらに一回り小さい、最下級生の小ちゃな女の子だ。
水が満載したジョーロを持ち上げるにも奮闘するような子に、これをやらせるわけにはいかないよな…。
……こういうのが好きな子と日直を組めれば、勝手にやってくれるからとても気楽なのだが。
「悪態をついても仕方ないな。…諦めて、仕事を始めるか。」
ジョーロを持って、昇降口から出ようとしたところで、営林署のおじさんに声をかけられた。
「兄ちゃん、倉庫裏に菜園があるだろ。だいぶ、くたびれかけてたぞ。あそこにも水をやってあげな。」
「あー、あのカレー菜園ですか? ジャガイモとかニンジンとか、カレーの具しか栽培してないってゆー。」
あれは絶対、カレー狂の先生の私物菜園だと思うがな…。
それを生徒に維持させるのは公私混同だと思うぞ…。
でもそれを面と向かって言えないので、諦めて日直の義務を果たすことにする。
表の日差しは強い。
…セミの大合唱が、今日という日が昨日までと何ら変わりない一日であることを強く主張していた。
教室の脇を通りかかると、…どういう経緯なのか、レナと沙都子が大乱闘を繰り広げていた。
いつの間にか机がリングサイドのようにぐるっと取り囲み、それをみんなが応援している。
……うん。これでいい。
学校が終われば、また村長さんの失踪の話で溢れかえった、現実に戻らなければならないのだ。
せめて学校にいる間だけは、全部忘れて、昨日までがそうだったように、にぎやかに過ごして欲しい。
そう思えば、沙都子のえぐり込むようなヒジも、レナの跳び後ろ回し蹴りも微笑ましい光景だ。
……例え、その余波で俺の机がひっくり返ろうとも…。あー、俺の筆箱がーー!! …ぐ……今日は許す。
早く終わらせたい一心で、手際よくパリパリと仕事をこなした。
これで終わり! と思った瞬間に、先生のカレー菜園の水やりも思い出す。
「……面倒くさいが…やらないと後でいろいろと不利益なことがありそうな気がする。」
諦め、再び水を汲み、倉庫裏に向かった。
いつも湿気があり、ナメクジや団子虫がいるとかいないとかで、あまり生徒が好まない場所のひとつだ。
そんな場所で、ばったりと出会ったのでかなりびっくりした。
「ぉわッ!! り、…梨花ちゃんか。…驚かせるなよ…。」
梨花ちゃんは、何だか生気を感じさせず…まるで人形のように、ぼーっと立っていた…。
…驚いたのは俺ひとり。
梨花ちゃんは俺の出現など、意にも介さないようだった。
「……………梨花ちゃん…?」
…ようやく気付いていくれた。
…その表情は明らかに普通じゃない。
…目元が真っ赤になり…涙と土汚れで汚れていた。
…髪にも草が付き、衣服も転んだかのように汚れていた。
「梨花ちゃん…?! ひょっとして…怪我したのか? 転んだとか…!」
「……ぅっく、…ち、違うのですよ。…違うのです。」
梨花ちゃんは目元を拭いながら、努めて明るそうな声で言った…。
だが、どう見ても普通になんか見えない。
「何があったんだ? まさか倉庫の屋根の上で昼寝とかしてて…落ちたとか…!」
「……ボクのことはいいのです。それよりも、圭一に聞きたいことがあるのです。」
…梨花ちゃんが俺の胴にしがみ付いてきた。
初め、それはふざけてやっていることだと思った。
…だがやがて、…それが俺をこの質問から逃がさないためのものであることに気付き…
ぞっとする。
「俺に…、……な、何だよ。」
俺の瞳を覗きこんでくる。
上目遣いに、…じっと覗き込んでくる。
……それは問いかけずして、俺の瞳から答えを引き出すかのようだった。
それが恐ろしくて、…梨花ちゃんの瞳から目を逸らす…。
「……圭一。お祭りの晩に、…何か悪いことをしましたか…?」
体の芯が、びくりと震える。
…その震えは、俺にしがみ付いてる梨花ちゃんにははっきりと感じ取れたかもしれない。
足元から悪寒がぞわぞわと登り…、背中全体をまんべんなく凍らせてから…、それは俺の脳にまでやってきた…。
「……圭一。本当に覚えはありませんか?」
「………………………………。」
頭が…ぼぅっと痺れてくる…。…何が何だか…わからなくなる。
魅音に聞かれ、
大石さんに聞かれ、
詩音に聞かれ、
……そして今度は梨花ちゃんに聞かれる……。
あの晩の出来事は…誰にも知られていないどころか……、誰もが知っている…?!
知ってて…みんなが俺に聞いてくる。
俺が認めるまで…何度も何度も。
……考えてみれば…知られているのは明白なんだ。
…だって、…富竹さんと鷹野さんが死んだのが何よりもの証拠じゃないか。
「…………圭一?」
……俺は……何て答えるべきなんだろう。
禁断の祭具殿に入ったのはいけないことだったと…これほどに後悔しても、まだし足りないと言うのか…。
…だが…俺の口から出る答えは半ば、決まっていた。
「お、……俺も素行が悪いからな。…悪い事の覚えが多過ぎて見当が付かないよ。」
みんなにそうして来たように、……また、はぐらかす。
梨花ちゃんは…その無垢な瞳でじーっと俺を見上げていた。
…その瞳があまりに痛く、目を逸らしてしまう。
しばらくの間、互いに沈黙を守りあった後、梨花ちゃんは俺を解放した。
「…変な事を聞いて、ごめんなさいなのです。忘れて下さいなのですよ…。」
いつもの笑顔で、にっこりと笑いながら言った。
…そして、てててて…と何事もなかったかのように走り去っていく。
……その後姿が無言で、俺を責めているようだった…。
………………………………………。
……………………………。
「……り、……梨花ちゃん…!」
その声が梨花ちゃんに届かなければ、諦めるつもりだった。
……だが、梨花ちゃんには届いたようだった。
…梨花ちゃんはくるりと振り返り、俺の続く言葉を待った。
……聞きたいのは俺の方だった。
でも…それを聞くことは…半ば認めるのと同じことなのかもしれない…。
「…なぁ、……梨花ちゃん。」
「……はいなのです。」
…どうせバレてるなら……、これくらい…聞いたっていいのだろうか……。
どうして、みんなして、祭りの夜のことを聞くんだ? って。
……あの晩、…俺はそんなに…悪いことをしたのか…?
充分に反省してるし…、それに見ただけだ…。
何も壊してないし、何も持ち出してない。…本当に!
…でも……富竹さんも…鷹野さんも、…あんな惨たらしい死に方をした。
…あの2人があんな死に方をさせられた以上、……俺だけ許してもらえる道理なんて、あるわけがない…。
「……………………………………………。」
梨花ちゃんが可愛らしく小首を傾げながら…、俺の言葉を待っている。
……でも……、俺があの晩のことを認めたら…、手のひらを返したように豹変するかもしれない。
…そうだ。
…梨花ちゃんは…あの神社の巫女さんなんだぞ…。
禁忌を破ったことを一番許さない立場にあるはずじゃないか…。
それは考えてみれば、魅音に言うより、大石さんに言うより…、遥かに恐ろしいことなんじゃないのか…?
「…………………………………………。」
…梨花ちゃんには、呆れて行ってしまうという選択もあったはずだ。
…だが、梨花ちゃんは去らなかった。
……ただ、ただ、……俺が自らそれを口にするのを…静かに静かに……待っていた。
……言ってしまおう、前原圭一。
…悪いことをしたと反省してるなら…それを口に出して、謝るべきだ。
確かに…鷹野さんたちのあの異常な死は、それを躊躇わせるのに有り余る。
………葛藤という破砕機が、脳みそをぐちゃぐちゃにすり潰す……。
その絞り汁が、…全身から汗となって…ぼろぼろとこぼれていった…。
「……圭一。」
梨花ちゃんが、俺の頭を撫でようと…ぐっと背伸びをしていた。
「……圭一が何を悩んでいるのか、ボクにはよくわからないのです。」
…返す言葉もない。……少し頭を下げてあげると、梨花ちゃんの手のひらが頭に届く。
……何だか猫でも撫でるみたいに、なでなでしてくれた。
「……境内の裏を、少し行ったところに、大きな倉庫があるのをご存知ですか? 祭具殿と言いますです。」
……文字通り、息の根が止まる。
……だが、梨花ちゃんには威圧するような素振りはまったくなかった。
「……お祭りの晩、その祭具殿に、猫さんが入り込んだのだそうです。」
「ね……猫……?」
「……はい。猫さんです。にゃーにゃーなのです。」
梨花ちゃんはわかっていた。
…俺が怖がっているのを気付いていた。
……だから、俺を怖がらせないように、必死に言葉を選んでいるのがよくわかった。
「……猫さんは、前から祭具殿の中を探検してみたいと思っていました。…でも、ボクが意地悪をして、中を見せてあげなかったのです。……なので、祭りの夜。…猫さんは我慢できなくなって、中に入ってみましたのです。」
猫…。
…鷹野さんのことを指しているのは明白だ。
…いや、……それとも…俺のことを指しているのか…。
「……実は中には、…猫さんが怖がるものがたくさんあったのです。」
梨花ちゃんは可愛らしい仕草で、オバケが脅かすような真似をした。
「……猫さんはびっくり仰天。……一目散に逃げ出して、がたがたぶるぶる、にゃーにゃーで大変なのです。」
「そ、……その猫が……誰だって言うんだ…?」
「……猫さんは猫さんです。にゃーにゃー。」
梨花ちゃんはあくまで明言を避ける。
……だが、その猫は間違いなく…俺のことだ。
「梨花ちゃん…。…頼む、…教えてくれ。その、猫さんは……これからどうしたらいい?」
…自暴自棄な質問かもしれない。
…それは半ば、その猫を自分だと認めるようなものだ。
「……猫さんは猫さんですから、にゃーにゃー鳴いてるだけで大丈夫ですよ。」
「だ、大丈夫って……そんないい加減な…!」
「……にゃーにゃー鳴いてるだけではだめなのですか?」
もう…梨花ちゃんと俺の間では、猫という隠語を通じて…完全に会話が成立していた。
俺は口に出さないだけで…もう、…認めてしまっているのだ。
あの2人のようになりたくない。
…詩音が言うように、…生贄なんかにされたくない。
……そう思うから…頑なにだんまりを決め込んできた。…でも……もう………。
「……鳴いてるだけじゃ…だめなんだ。……猫さんが悪戯心で忍び込んだのを…犬さんが見てたんだよ。」
「……犬さん。」
「…そうだ。…犬さんなんだ。…猫さんのところへ代わる代わるやってきて、…忍び込んだだろうって問いただしてくるんだ。」
「………………………………………。」
梨花ちゃんは、そこで初めて表情を曇らせた。
…悟られまいとしているようだったが、瞳が陰るのがすぐにわかってしまった。
「……梨花ちゃん………。」
沈黙が怖くて…その先を促す。…すると梨花ちゃんはにっこりと笑った。
「……大丈夫ですよ。猫さんはボクが守ってあげます。」
…え?
…あまりの頼もしい言葉に、…一瞬聞き間違いかと耳を疑った。
「……猫さんは、とても怖がっていますが、…本当はそんなに大変なことではないのです。何匹かの犬さんが、きっと勘違いしてるだけなのだと思います。」
「え……、そ、そんなに大変なことじゃない、…って?」
「……猫さんの心配し過ぎなのです。ボクがきっと、何とかしてあげますですよ。」
何とかするって…梨花ちゃんが…?
だが、…右も左もわからない今の俺にとって、…梨花ちゃんがこれほど頼もしく見えることはなかった。
「……ちょっと大変ですけど、頑張りますですよ。
ファイト、おーなのです。」
ぐっと握り拳を作り、それを空に突き立てて見せた。
…梨花ちゃんは、猫は鳴いているだけでいい。
…全て自分に任せろと言ってくれた。
……ほ、本当に……それで…一件落着なのか…?!
「本当に…梨花ちゃんで……大丈夫なのか…?」
「……ボクが頑張らないと、犬さんも大変なことになってしまうかもしれないのです。」
……………もう、梨花ちゃんが何を言っているのかはさっぱりわからなかった。
梨花ちゃんは、俺がある程度を知っていることを前提に話をしてくれた。
…だから話の最初の部分はわかった。
…だが途中からがよくわからなくなった。
…でもひとつだけわかるのは……、心配ない、自分に任せろ…ということだ。
梨花ちゃんはもう一度背伸びをして、俺の頭を撫でた後、にっこりと笑ってくれた。
………あまりの心強さに……不覚にも…涙がこぼれそうになった…。
「…ごめん…な…。……猫さんも……本当に…ちょっとした悪戯のつもりだったんだ。……こんなことになるなんて……全然………、」
「……猫さんは臆病過ぎです。…だから見せたくなかったのです。」
…梨花ちゃんの言うとおりだ。
……興味本位で見るには余りに刺激が強い…。
…だからこそ、ああして簡単に見られないようにしていたんじゃないか…。
「梨花ちゃん。……その猫さんは…どうなるだろう。……忍び込んだ2匹の猫さんが…その……あの晩に………、」
言葉に詰まる。
……富竹さんと鷹野さんの死は、伏せられていると聞いた。
…梨花ちゃんが知っているとは限らない。
「…………富竹と鷹野ですか?」
突然の実名に、ぎくりと体が反応する。…今さらだった。
「……忘れると良いのです。」
ぞ、………背筋が…再び凍えた。
「わ、……忘れる……?」
「……はい。あの2人のことを思い出すことは、圭一にとって良くないことなのです。……考えれば考えるほど、怖くなるだけです。だから早く忘れた方がいいのです。」
とてつもなく恐ろしいことを…梨花ちゃんは、さっきまでの笑顔を崩さずに言った。
「……どこで聞いたかわかりませんが、綺麗さっぱり、お風呂でゴシゴシするみたいに、忘れちゃうと良いのですよ。」
「わ、忘れるって言ったって……、梨花ちゃんは…知ってるんだろ?! あの…2人がどういう死に方を……!!!」
「……どんな死に方をしても、それは圭一とは関係のないことなのです。」
ぴしゃりと言い切られた。
…関係ない。
…だから忘れろ。
……目の前の…無垢で健気で…ついさっきまで頼もしいとすら思った少女の影が…突然深みを増す。
……あの2人の死に関わるな。……でも、圭一は助けてあげましょう。
その相反する2つの言葉が…目の前の少女の姿を、ぐにゃりと歪ませる。
「……し、…詩音は? …あいつは…どうなるんだ……?」
詩音の名前を出すことは危険なことだったかもしれない。
…だが…聞かずに入られなかった。
…どうせ梨花ちゃんは全てお見通しなのだ。……今さら伏せたって誤魔化しきれるものか…。
「……姉妹猫の妹ですか? にゃーにゃー。」
「そ、そうだ。…妹猫だ。」
梨花ちゃんは少し思案を巡らせているようだった。
…そのしばしの沈黙すら、俺には耐えがたい…。
「……姉猫は怒ってます。妹猫が悪いことをしたので、とても怒ってます。」
「姉猫って……、」
……魅音のことに違いない…。…昨日、魅音に詰問されたことを思い出す。
「……圭一。…姉猫はとても機嫌が悪いです。…しばらくの間、そっとしてあげて欲しいなのです。」
機嫌が悪い…という言葉にちょっとした寒気を感じる…。
…魅音が、…怒っている。
俺たちが祭具殿を暴いたことを…怒っている…。
「……今日から、部活はなしにしましょう。」
「えぇ? …な、何でだよ…!」
「……そっとしてあげて欲しいからなのです。」
梨花ちゃんは、有無を言わせないような語尾の強さで言った。
…おい、前原圭一。
…今は梨花ちゃんに逆らうな。
……梨花ちゃんだけが…今の自分を助けてくれると言ってくれたんだぞ…。
梨花ちゃんの言うとおり、梨花ちゃんに任せろ。
……猫さんはにゃーにゃー鳴いてるだけでいいって、…言ったじゃないか…。
…梨花ちゃんの言うとおり、…全部忘れよう。全部任せよう。
……鷹野さんたちのことも、自分があの晩にしたことも全て忘れよう…!
その時、遠くから昼休みの終わりを告げる振鈴が聞こえてきた。
「じゃ、…じゃあ、校舎に戻ろうか…。」
「……圭一。」
全て梨花ちゃんに任せ、逃げるようにこの場を去ろうと思った俺の浅ましさを見通すかのように…梨花ちゃんが呼び止めた。
「………勘違いの犬さんが、猫さんに噛み付こうとしたら、知らせて下さいね。」
勘違いの犬さん…。
……これほどまでに可愛らしい言い方をしているのに…その言葉の持つ真意が……薄気味悪い。
「……勘違いの犬さんって……何だ?」
「……村長を噛んだ犬さんです。……どうして村長を噛んだのか、ボクにはわかりません。噛むなら、いたずら猫さんを先に噛むはずなのにです。」
…体内の血流が…一瞬にして全て凝固する。
……梨花ちゃんは認めた。
…恐ろしい凶事の犠牲者が、…次に現れるなら俺か詩音であることを認めたのだ。
この…目の前の少女の正体がわからない……。
……不審が恐怖にすりかわり…怒りにすら転化しそうな気配を感じる……。
彼女は……俺を助けてくれる救世主なのか、…俺を恐ろしい因習に取り込んで殺そうとする…奇怪な存在なのか。……わからない………。
「……ごめんなさいなのです。……猫さんが怖がっているのに…また怖がるようなことを言ってしまいました。…ごめんなさいなのです。」
梨花ちゃんは取って付けたように頭を下げる。
…だが…彼女の言うとおり、俺は畏縮しきっていた。……体がカタカタと震えるのがよくわかっていた。
だから、梨花ちゃんが俺の頭を撫でようと手を伸ばしたとき、…思わず後退ってしまった…。
「…………………………。」
「……あ、……ごめ……、」
梨花ちゃんはとても悲しい顔をしたが…、…彼女のために再び頭を差し出す気にはならなかった…。
その日、梨花ちゃんは何となく気乗りしないと言って、部活をやめようと言った。
気乗りしない時は拒否もある。……レナたちはとても残念そうだった…。
…姉猫はとても機嫌が悪いのです。
梨花ちゃんの言葉を思い出し、…そっと魅音の表情を伺う。
だが、昨日の詰問された時の事さえ忘れることができるなら、魅音の振る舞いはいつもと何ら変わりないように見えるのだった…。
■10日目アイキャッチ
■詩音の電話
食後はテレビを見る気力もなく、…部屋で布団に潜りながら…陰鬱な考えに頭をめぐらせていた…。
梨花ちゃんに洗いざらいの全てを話した。
……あの瞬間は頼もしいと思ったが……本当にあれは正しい選択だったのだろうか…。
思い返せば思い返すほど…梨花ちゃんの話は不可解だった。
……鷹野さんたちの死について知っているどころか…当事者のようにすら感じられた。
……今さらながら……布団の中にいながら…震えが襲い掛かる…。
俺は……梨花ちゃんの甘い笑顔に誘い出されて……大変なことを言ってしまったのではないだろうか…。
……しらを切り通せばよかった…。
気の弱いところなんか見せるんじゃなかった…。
後悔と恐怖の入り混じった感情が…夜の闇を一層恐ろしく引き立てる。
突然のノック!!
……悲鳴を上げてしまったかもしれない。それくらい驚いた。
「圭一! さっきから呼んでるぞ! 電話だ。……園崎さんから。」
親父だった。
電話の子機を、扉の隙間から差し出してくる。
「そ、園崎さんって……どっち? 姉? 妹…?」
「…そんなのは知らん。自分で出て聞きなさい。」
……受話器を受け取り…布団の中に潜り込む。
「………も、……もしもし。……魅音か? …詩音か?」
「私です。…詩音です。こんばんは。」
がばっと跳ね起きる。
…昨夜、あれほどまでにもう一度の電話を望んだ、詩音だった。
「詩音!……その、……昨夜は……すまなかった。…つい興奮して……。」
「……………………………。」
受話器の向こうから深いため息のようなものが聞こえた…。
「…俺も詩音も、同じ立場なんだよな。…一方的に責めるような言い方をして悪かった。…もうしない。謝るから機嫌を直してくれ…。」
「機嫌を直したから電話したんです。…後悔したなら許してあげますから、もう謝るの止めて下さい。」
詩音はまだちょっと怒ってるような口調だったが、取り合えず、許すという言葉を口にしてくれた。
「……圭ちゃんの言うように、私たちは運命共同体なんです。互いの無事の確認が、自分たちの安全の唯一の保証なんです。」
「…あぁ、…それについては同感だ。」
「……だから、私たちは互いの知っている情報を共有する必要があります。……鷹野さんたちみたいな死に方をしないために。」
…ごくり。……固い唾を無理やり飲み込む。
「では……昨日の続きを話します。……もう怒らないで聞いてくれますよね?」
「……あぁ。…大丈夫だ。」
「まず。………私たちが思っている以上に、…祭具殿に忍び込んだことは禁忌、…タブーだったみたいです。」
………………………鷹野さんたちの…見せしめとすら呼べるくらいの惨たらしい最期は、それを思わせるに充分だ…。
「……犯人たちは、祭具殿を穢した主謀格のあの2人を殺し、…次に私たちを狙います。……否定したいでしょうが、…これを認めてください。…失踪してから認めても、もう遅いんですよ?!」
「わ、わかってるって。…用心に越したことはないからな。」
「私も…本当は認めたくありません。…あんな拷問道具の博覧会を覗き見したことが、あんな殺され方をする理由になるなんて…絶対に信じたくない…!」
………禁忌とは、そういうものなんだ。
…それを尊ぶ者から見て、禁忌を破ったことになるならば、……俺たちがどんなにささやかないたずら心で犯したにせよ……きっと許されない。
「……互いに、何か気になることがあったら報告し合いましょう。…互いの持つ小さな断片を合わせていけば、…ひょっとすると、鷹野さんたちを殺した、…いえ、今年の事件に限らない。過去の連続事件を解決するカギが見つかるかもしれません。」
「……ん、……そうだな。…確かにそうだ。」
俺がただただ怯えているだけなのに、…詩音はこんなにも前向きに考えていたのか…。
……頼もしいと思うと同時に、消極的な自分が恥ずかしくなる…。
「……では、まずは言い出した私から行きます。
…最近、誰かに監視されているような気がします。」
「えぇ…ッ?!?!」
「……と言っても、気のせいかもしれません。…でも一応、報告します。
……今は気のせいだと思っていますけど、…もしも圭ちゃんも同じように、誰かに監視されているように感じるなら……。……これは気のせいじゃないのかもしれませんから…。」
「そ、…そういうことなら安心しろ。……少なくとも…俺の方は大丈夫だ。」
…と、思う。
……詩音と話しながら、今日一日をなぞり返す。
……大丈夫だなどと言える根拠はどこにもなかった…。
「……そうですか。…では気のせいということにしますが、…圭ちゃんも注意して下さい。特に、1人で表を歩く時は細心の注意を払ってください。…私は興宮ですから、1人きりになることはそうそうありませんが、圭ちゃんは雛見沢です。…1人ぼっちになることも多いはずです。…特に注意して下さい。」
「……そうだな。あぁ、…気をつけるよ。」
「……それから…お姉なんですが、……何か変わった様子はありませんか?」
「お姉、って…魅音のことか。……変わった様子って…どういうことだ…?」
「…先日、…私、…お姉に、綿流しの夜の所在について問い質されました。」
「えぇ?! そ、それは……俺もだよ。…おとといかな、……魅音に聞かれた…。」
「………やっぱりですか。………私は行ってないと答えました。…圭ちゃんは?」
「同じだよ。……誤魔化した。」
……互いに安堵するような軽いため息をつきあう。
「…綿流しの晩以降、…お姉の様子はおかしいです。……用心に越したことはありませんので、…注意して下さいね。」
………魅音の様子、か…。
…………あの日、綿流しの晩のことを詰問された以外では……そんなに変わった印象は受けない。…俺が見る限りでは。
…だが、双子の妹がおかしいと言うのだ。
…他人の俺にはわからない、小さな違和感を感じ取れるのかもしれない…。
「……わかった。…少し用心するよ。…帰り道は必ずレナも一緒だから、2人っきりになるってこともそうそうないしな…。」
「用心して下さい。…気になることがあったら、教えて下さいね。」
「わかった。」
「…では、圭ちゃんの方では何か私に話すことはありませんか?」
………俺の方か。
………そうだ、図書館で大石さんにも同じことを聞かれたのは報告すべきか。
「…あぁ、圭ちゃんが逃げ遅れた、あの時の話ですね。」
「あぁ。大石さんに、かなり強い口調で聞かれたよ。…あの晩、鷹野さんたちと一緒にいなかったか、詩音に会わなかったかって。…大石さんは、俺たちが4人一緒にいたところを見ていたようだった。」
「……警察にしてみれば、鷹野さんたちが最後に会った人間ということになりますからね。私たちに興味を持つのはある意味、当然でしょうね。」
「…こっちも誤魔化したけど、…かえって興味を持たれたかもしれない。」
あの海千山千の大石さんを騙し切れるはずがない。
……俺の困惑した姿から、むしろ確信を強めたはずだ…。
「なぁ詩音。……警察なら、……言っちゃってもいいんじゃないのか…? むしろ、俺たちの状況を思えば、警察を味方に付けるのはプラスだと思うぞ…。」
詩音はすぐには答えなかった。
……しばらくの間、長考のため息が聞こえた。
「……そう言えば大石さんは、魅音に何らかの嫌疑がある…なんて言ってたような気がする。………うん。…確かにそう言ってた。」
「…昨日も話しました通り、園崎家は雛見沢に強い影響力を持っています。
……大石は、一連の連続怪死事件を、園崎本家が中心になった村ぐるみの犯行だと疑っていますから。」
「…園崎家が中心になった……村ぐるみの犯行…?!」
……今日は昨日みたいに興奮しないで聞いてくださいよ。
先に釘を刺される。
「……雛見沢のダム闘争の時、リーダーシップを期待された神主が、あまりに日和見だったので、園崎本家が主謀格になって決起したんです。…戦いの歴史についてはお姉から聞いてますよね?」
「……あぁ。雛見沢全体で一丸となって戦ったんだろ? デモをしたり、裁判に訴えたり、テレビに出たり…。」
「実際は…もっともっと過激なこともたくさん行なわれたんです。園崎本家が水面下で、…さまざまな違法な抵抗活動を行なったと言われてます。」
「……違法な抵抗活動…?」
「例えば、夜中に建設現場に忍び込み、機材を盗んだり、壊したり、建設重機のガソリンタンクに角砂糖を入れたりとか。」
「…ガソリンタンクに砂糖?? 何でそんなことを…。」
「知らないんですか?! 戦争中にフランスの地下組織なんかがやった典型的なゲリラ活動ですよ。砂糖を入れると、エンジンが焦げ付いて壊れちゃうんですよ。」
……それって…かなりまずいことじゃないのか…?
完全な器物破損…。
「建設現場への監視が強化されると、今度は工事の重要な立場にある人間への攻撃に変更されました。
…例えば、工事を認可した役人たちには様々な脅迫が行なわれました。それは県庁の役人だけでなく、建設省の偉い役人にまで及んだそうです。
…聞いた話では…子供の誘拐までやったとか。」
「ゆ、…誘拐ッ?!?!」
「えぇ。建設省の雛見沢ダムを担当する偉い人の子供が、神隠しにあったんですよ。……で、ある日、突然、雛見沢のもっと上流の、高津戸の山中で保護されまして。
…犯行声明はなかったって言われてるんですけど、…ダム工事を中止するようにとの脅迫があったのではないかと囁かれています。……他にも他にも、枚挙に暇がないほどの脅迫の話があります。」
「……それは…確かに……ちょっとヤバイな……。」
「そんな最中だったんですよ。…第一の事件。…現場監督のバラバラ殺人があったのは。…園崎家が主犯格の男を買収したのではと囁かれてますが、…何しろ今日も逃走中ですからね。」
……そうやって言われると……確かに園崎家が怪しいようにも見える。
「犯人も、口封じで「消した」んじゃないかって、大石は思ってるみたいです。…当然ですね。……身内である私ですら。……園崎本家の暗躍があったのではないかと思ってるくらいですから。」
「………それを…俺に信じろってのか…? …魅音の園崎本家が、そんな悪いことをやってきたと…信じろと言うのか…?」
「圭ちゃんが信じなくても、村人たちは信じてます。…自分たちがキレイな抵抗運動をする影で、園崎家が汚い抵抗運動をしてくれた。…自分たちの矢面に立って戦ってくれたんだってみんな思ってます。…ですから、ちょっとしたダークヒーローとして崇められているんですよね。」
「……………………………。」
「私が知っているのは本当に一部だけだと思います。…例えば、誘拐なんかの特にヤバイ話は、当主の婆っちゃを含め、ほんの数人しか知らされてないと思います。…園崎家は秘密主義ですから。」
「………秘密主義、か…。」
……身内の詩音ですら底の見えない一族。
園崎家。
……その詩音の双子の姉の魅音が、詩音とは逆に、全ての渦中にいる…というのが何だか気味の悪いな話だった…。
「そういった、違法な抵抗運動の中心として、年少ながら活躍したのがお姉でした。」
「魅音が……?! ど、どういうことだよ…?」
「うちのお父さん、ヤクザの大物ですから。…年少のお姉でも、若いガラの悪いのを何人も従えることができました。で、様々な嫌がらせや妨害をやってのけたんです。」
「………あの…魅音が…?」
「…今は何だかのんびりした雰囲気だから想像も付かないでしょうが。器物破損から脅迫、暴行まで一通りこなして、何度も補導されたんですよ。…子供ですから、すぐに釈放してもらえたみたいですけどね。…お姉は、自分の年齢が武器になることを知ってたみたいです。」
…不謹慎だが…ちょっと苦笑した。
…小さい頃とは言え…さすがは魅音だな。
ずる賢さはすでに頭角を現していると見える…。
「笑い事じゃないです!! 真剣になってください!!」
「ぁ、…悪い、……そんなつもりじゃ…。」
詩音にざっくりと怒られる。
「…ま、そんな不良娘だったお姉も、いつの間にか園崎本家の重鎮。…大石がバラバラ殺人以降の事件を疑いたくなるのも、まぁ無理ないことです。」
…………………魅音の昔話を聞かされ…しばし放心する。
俺の持つ魅音のイメージとは、どれも合わない。
……あらゆる犯罪に手を染め、ダム計画に妨害を加えた幼き日の魅音。
…そして、園崎本家の跡継ぎとして、…毎年起こる奇怪な事件の渦の中心に常に鎮座する魅音…。
……それは…本当に俺の知っている魅音なのか…?
俺が知らない…本当の魅音なのか…?
わからない。
……他人に聞かされる魅音像が、どうしても受け入れられない。
「ま、話を戻します。……お姉が注意に値する存在であることは理解してもらえたと思います。…注意して下さい。」
…………理解したくなかった。
………魅音は俺の素晴らしい友人だ。
…その魅音が、俺を追い詰めるようなことをするわけがない…。
……確かに綿流しの晩のことを詰問はされたが……あれだって…そんなに強い口調で言ったわけじゃ……。
……………。
「………わかった。…気をつけるようにするよ。」
「私とお姉は血のつながった姉妹ですが、…園崎家にあっては、まるで格が違うんです。
……私とは、とても遠い存在だということを認識して下さい。…お願いします。」
……詩音に魅音の話を聞かされれば聞かされるほど…魅音がわからなくなる。
…俺の知っている魅音は…そんな物騒なヤツじゃない…。
…もっとひょうきんで、…笑える…熱いヤツで……………………。
俺が魅音に対してそういう認識があるのを知った上で、…詩音は認識を改めろと言ってきた。
…………最高の友人を、注意する。…疑う。
……それはとても悲しく、…辛いことだった…。
「で、大石の件ですが。……圭ちゃんがいいと判断するなら、必要な情報を与えてもいいと思います。…やはり警察を味方に付けるのは、私たちに有利に働くと思います。」
「……やっぱり詩音もそう思うか…!」
「…ただ、…今、説明した通り、園崎の人間はそもそも警察に睨まれているんです。
特に大石は、園崎家がまるごと連続事件の黒幕だと決めてかかってますからね。…それはもちろん私も含めてです。……ですから、…私はあまり大石には関わりたくないんです。」
……そうだな。
……園崎家の暗闘の歴史を大石さんが知るなら、…詩音にあまり小気味のいい挨拶をするとは思えない。
…ここに来てようやく、魅音が大石さんのことを毛嫌いしていたことを理解する。
「…どうせバレてはいるんですが、一応、私の名前を伏せておいて下さい。…それだけ守ってくれれば大石には何を話しても問題ないと思います。」
「わかった。…伏せるようにするよ。」
「…警察の捜査力は、今の私たちにはとても心強い武器になると思います。……大石が興味深い話をしたら、私にも聞かせてくださいね。」
「あぁ、もちろんだ。情報は互いに交換し、研究し合おう。………鷹野さんたちを殺したのは誰なのか。……そして俺たちを狙うのは誰なのか。……それが分かるまで…俺たちは自衛しなくてはならない…。」
「…あとはありますか? 大石に聞かれたこと以外は。……身に起こったことは、どんな些細なことでも教えてください。」
……大石さんの話以外にか。
……あ、……梨花ちゃんに打ち明けた話は……するべきだろうか。
…何かを知っていそうな梨花ちゃんの素振り。
………任せておけと言われたが……一体……………。
そうだ…。
梨花ちゃんには…詩音の名前も出してしまったんだった。
……まずくないだろうか…?
………詩音に怒られそうな気がする……。
「…何もないんですか? …圭ちゃん?」
俺があまりに長く沈黙していたので、詩音がたまりかねて先を促した。
「……あ、……えー…と……、」
言い淀んでいると、詩音が逆に話しかけてきた。
「ないようでしたら私から聞きたいんですけど。…私もついさっき聞いたんですが………、公由(きみよし)のお爺ちゃんが行方不明になったって…本当ですか?」
…キミヨシのお爺ちゃん? …村長さんの名前だと直感する。
「村長さんのことか…? …何だ、詩音、…聞いてないのか?」
「何も知らないです!……お父さんが電話でそう話してるのを、また盗み聞いただけですから。」
言って失言だったことを悟る。
……この雛見沢では…オヤシロさまの祟りの起こるこの時期の出来事は…隠蔽されてしまうのだった。
「…あぁ。実はな、…昨夜、会合のあと、家に帰ってこないとかで雛見沢中で大騒ぎになったんだ。村中で探したみたいだけど、まだ見つかったって話は聞かないな…。警察も捜してるはずなんだけど………。」
「な、なんでそんな大事な話を先にしてくれなかったんですかッ!!!!!」
感情を剥き出しにした大声で怒鳴りつけられる…!
「わ、悪ぃ…、…もう知ってると思ってたんだよ…。隠す気なんかなかった…!」
受話器が沈黙する。
……まさか詩音、……また怒って、電話を切る気じゃ…?!
「おい、詩音! もしもし!!」
「…………………………………圭ちゃん、……私、……………どうしよう……。」
詩音のか細い、困惑した声は、直前の怒鳴りつけた声とは、まるで別人のようだった。
「…どうした。……話せよ。俺たちの間で隠し事はなしだろ…?」
詩音はだいぶ長いことためらった後、……白状するように言った。
「……ごめん。…あの、……隠すつもりはなかったんです。…ちょっとその、言うのが前後したって言うか、………。」
「…俺たちは仲間だろ?! 怒ったりしないから正直に話せよ…。」
…それでもしばらくのとまどいがあった。…そして、観念した様子で言った。
「私、…………公由のお爺ちゃんに……打ち明けたんです。」
詩音は、その直後に俺に怒鳴られると思ったらしく、息の呑む音が聞こえた。
……だが俺は、詩音が思うのとは逆に、…ちょっとほっとした。
…詩音もまた、俺が梨花ちゃんに打ち明けたのと同じことをしていたのだ。
…だから、…なるべく詩音を刺激しないように…やさしく言ってやった。
「……公由の爺さんってのは、…詩音にとって、相談できる心安い人なんだろ…?」
「…………はい。……私のこと、………小さい頃から本当に可愛がってくれて…。」
………村長さんの失踪に心を痛めているのは詩音も同じだったのだ。
……魅音とはまた違った強さを持つ詩音も、…本当に悲しそうな、辛そうな声を出していた。
「……私、いっつも意地悪なことをしてたのに……いつもにこにこと笑って…。……私の言うことは何でも聞いてくれて……。……本当にやさしい人だったのに………。」
「…お、落ち着けよ詩音。…別に死んでしまったわけじゃないだろ? そんな簡単に諦めるなよ…。」
………詩音は返事をしなかった。
…俺も、…自分で言っておきながら…、消えた村長さんは、もう二度と見つからないだろうと思った。
……きっと、…生死すらもわかるまい。
……詩音も、同じことを考えてるに違いなかった…。
「……村長さんに、……私、あの晩、祭具殿に忍び込んだこと……打ち明けたんです。…誰かにそれを見られてて、……私たちを狙っている人がいるって。」
「…村長さんは、鷹野さんたちがまともじゃない死に方をしたのを知ってるのか…?」
「………はい。…知っていました。……あの2人がオヤシロさまの祟りで死んだから、…私はその怒りを鎮める生贄にされるんじゃないか、って。…本当に率直に言いました。」
「………あぁ。…それで?」
「……公由のお爺ちゃん、…怒らなかった。……そして、にっこり笑って、詩音ちゃんがちゃんと反省してるなら、鬼隠しになんかなるものか、…って。…本当に……笑いながら……任せなさい…って………。……ぅぅ…ッ!!」
詩音の嗚咽が落ち着くまで、…俺はかける言葉を見つけられずにいた。
村長さんがどんな感じの人で、詩音とどういう関係だったのかを想像することはできない。
……だが、不安に押しつぶされそうな俺たちが、どれだけ「大丈夫」という言葉に励まされるか…。それを俺も、今日、梨花ちゃんに教えてもらっている…。
そんな心強さをくれた人が、消えてしまったら……。
……詩音がどれほどのショックを受けたのか、察するべきだろう……。
「…………………私のせいです。…私が、…打ち明けてしまったから……。」
「…よせよ詩音…。…詩音のせいじゃないよ。」
「いいえッ!! 私のせいなんです!! 私が…打ち明けてしまったから…! 公由のお爺ちゃんが…知ってしまったから…! だから……殺されてしまったに違いないんです!! だって、…打ち明けてすぐなんですよ?! 打ち明けて、…大丈夫って言ってくれたその晩に消えてしまった!!!」
知ッテシマッタラ、
……巻キ込マレル。
「話すんじゃなかったッ!!!
これは全部、…私たち4人の咎だったはず!! 他人に話してはいけないことだったんです!! 話したから殺されてしまった! 知ったから殺されてしまった!
打ち明けたから……殺されてしまったッ!!!!」
「おい待てよ!! そんなヤツなら、…打ち明けた村長を殺す前に、お前からさきに殺すに決まってるじゃないか! 順番が違うよ!! 殺されるなら俺か詩音が先!! 他のヤツらが先に死んだりするものか!!!」
「順番はあります!! 私たちを、一番最後に殺すつもりに違いないんです!!」
「…は…? な、…なんだって?!」
「…ひと思いに殺さないで…、親しい人たちから順々に殺していって…、散々悲しい思いをさせた後に殺す、……そういう狙いに違いないんです!!」
「落ち着けって!! 詩音は今、ショックを受けてパニックを起こしてるだけなんだよ!! 村長の失踪は詩音とは関係ない! 無関係だ! 鷹野さんたちの死ともまったく関係ないんだ!!」
…それはまるで、自分に言い聞かせるような…悲鳴だった。
「うぅん!! 関係あります!! 絶対にそうなんです!! 私が話したから殺されてしまった! 知ったから殺されてしまった! 打ち明けたから……殺されてしまったッ!!!!」
さっきと同じ言葉を、うわ言のように繰り返した。
……錯乱する詩音に同情する一方で、……どういうわけか、自分の足元の影が凍てつきだす……。
その影の中から…触れられただけで、心臓までも凍らすような冷たい腕が突き出し、俺の足を掴む。………体の熱という熱が、…その腕に吸い取られていく……。
それはぞっとするような…寒さ。…凍えるような、痺れるような。…そんな絶対的な…怯えという寒さだった。
……詩音のことを同情しながらも、どこか対岸の火事だと思っている甘えた自分…。
…頭の中で、詩音がさっきの薄気味悪い言葉を何度も繰り返す。
話シタカラ殺サレテシマッタ。
知ッタカラ殺サレテシマッタ。
打チ明ケタカラ、……殺サレテシマッタ。
その祝詞のような呪文のような、…平坦な繰り返しが意味を持った時。
……さっきから止まらない震えが…戦慄となって背中を駆け上るッ!!
「…り、………梨花ちゃんッ!! 梨花ちゃんだッ!!!!」
「………え? ……今、何て言ったんですか…?!」
「お、…俺も……実は…、…う、…打ち明けたんだ。…梨花ちゃんに、……今日ッ!!」
「梨花ちゃんって、…梨花ちゃまのことですか? 古手神社の梨花ちゃま?」
「そうだよ、梨花ちゃんだよ!! ……俺も、…どうしようもなく不安で……打ち明けたんだ。…梨花ちゃんに。」
「………そうしたら、………梨花ちゃまはなんて…?」
……猫さんの心配し過ぎなのです。ボクがきっと、何とかしてあげますですよ。
梨花ちゃんはそう言って、…にっこりと笑った。
……失踪した村長さんが、詩音を励ますために笑ったみたいに、にっこりと笑った…。
「……ご、ごめん詩音! お、俺…俺、…ちょっと…梨花ちゃんのことが心配になっちゃって…!!」
「あ、はい! …そんなに心配でしたら、ぜひ電話を。安否を確認してみて下さい。」
「…あ、あぁ!! そうさせてもらう!」
「また明日も、このくらいの時間に連絡します。それを以て、私の安否確認として下さい。」
「…わかった。待ってる。じゃあな! すまん! 切るぞ!!」
詩音の別れの言葉を待たずに受話器を置く。
……もう自分や詩音に迫っている危機なんか二の次だった。
………第六感的な本能が、ガンガンと警鐘を鳴らす。
……この感覚はまずい。本当にまずい。…掛け値なしに…まずいッ!!!
「…くそ…、無事でいてくれ…。……梨花ちゃんッ!!!」
■10日目幕間 TIPS入手
10■スクラップ帳より[
<現代の御三家について>
前述したように、今日では御三家の合議は形骸化し、事実上、園崎家の独裁となっている。
公由家にしても古手家にしても、過去の威光とは程遠く、古式ゆかしい伝統を維持しているとは到底思えない。
その中にあって園崎家だけは古代からの威光を維持し、鬼ヶ淵村と呼ばれた時代からの数々の伝統を色濃く受け継いでいる。
確認されている中でもっとも新しい「綿流し」だと思われる明治末期の事件も、園崎家主導で行なわれたと考えられる。(明治末期の御三家の家系図参照)
明治以降、園崎家は雛見沢村を牽引すべく、強いリーダーシップを発揮している。
数年前のダム闘争では、反対同盟の会長職に公由家が就いたが、これはあくまでも名目上で、実際には園崎家が影のリーダーとして君臨していた。
公に出来る抵抗運動は公由家主導で行い、公に出来ない抵抗運動を園崎家が行なったのではないかと囁かれている。
ダム騒動中に報じられた不穏な事件の数々(有名な建設省幹部の子息誘拐事件他)も園崎家が行なったと、雛見沢ですら囁かれているくらいだ。
加えて、近年続発している連続怪死事件についても、園崎家の暗躍があったのではないかと言われている。
連続怪死事件は、紛れもなく、古式ゆかしい「綿流し」の再来である。
本来の「綿流し」を、ただの村祭りに落ちぶれた「綿流し」の当日に行なうことで、村人たちに、鬼ヶ淵村の戒律を思い出させようとでもしているに違いない。
園崎家を探ることが、今日における研究の一番の近道であると断言できるだろう。
古手神社の祭具殿を暴くことが出来たなら、次は園崎家に研究対象を絞ろうと思う。
園崎家周辺は監視カメラで守られるほどの厳重ぶりだが、幸い、私は当主跡継ぎの魅音・詩音の姉妹とは面識がある。
次なる研究への突破口として繋げていきたい。
10■4人だけの罪に終わらない?
(おでん屋の屋台で情報屋と接触してた感じで)
「いえいえ、気にしないで下さいよ。この店でおでんを食べるとですね。なぜか、年契のガソリンスタンドの請求書に化けちゃうんですよ。だから遠慮しないでもう一杯飲んでいけばいいのに。」
男は、これでもう充分と赤ら顔で手を振り、駅前の華やかなネオンの中に消えていった。
「……熊ちゃんも勉強しといて下さいよ。謙虚な人が結局、一番長生きするんです。んっふっふっふ!」
「さっきの話、…本当っすかね。」
「さぁて、それはわからないですけどね。真偽はともかく、そういう話がまことしやかに流れてるということには意味があると思いますよ。」
「…そんなのが村長を狙う動機になりうるんすかね…?」
「熊ちゃん、いつも言ってるでしょ。動機ってのは、その本人に充分でありさえすれば足りるんです。価値観の違いをよく考えなくちゃ。…お母さん、もう一杯ください。」
情報を伏せているにも関わらず、すでに雛見沢中で知られている、富竹と鷹野の死。
その死は、禁断の神殿「祭具殿」に踏み入ったためにオヤシロさまの怒りに触れた、というのがもっぱらの噂だ。
その噂によれば、踏み入った人間はまだ2人いる。…園崎詩音と、前原圭一。
この2人にも「オヤシロさまの祟り」があるかもしれないと、影で囁く声があるという。
だが、責任は祭具殿に踏み入った4人だけに留まらないらしいのだ。
昨年までは厳重な施錠だったのだが、今年からは簡単な施錠になったため、簡単に賊の侵入を許してしまったのではないか。
…そういう噂が流れているのだ。
「熊ちゃんは見たことありませんか? 私はずいぶん前に何かの用で行った時に見たことをよく覚えてますよ。」
「すみません、ちょっと思い出せないっす。」
「それはもう、おっかないくらいに厳重に施錠してありましてね。重そうなカンヌキでどっかりと塞がれていて。まるで大金庫みたいに厳重な蔵だったんですよ。」
それが今年から、本当に簡単な、安っぽい南京錠ひとつだけになった。
……神社を守る一人娘、古手梨花が重い施錠を嫌い、村長に相談。…簡単な南京錠に付け替えたというのだ。
「…だから、村長と古手梨花も同罪、ってことなんすか…? だとしたら、…村長に続いて、古手梨花もまずいじゃないっすか?!」
「その可能性は大ですねぇ。……熊ちゃん。雛見沢を巡回してる覆面車に至急連絡。古手神社近辺に張り付かせてください。」
「りょ、了解っす!!!」
■10日目深夜<一日たったわけではないけれど、事実上、新たな一日扱い。
詩音との電話を切り、学校の連絡網から梨花ちゃんの電話番号を探す。
…あった!
焦って指が震え、たった5桁の番号を打つのに何度も失敗してしまう。
「圭一…。こんな時間に電話? 夜遅くは先方に失礼だからよしなさい…。」
「い、今はそれどころじゃないんだよッ!!」
お袋を怒鳴りつけ、コール音に耳を傾ける。……出ろ…、…出てくれ…!!
時間は…午後11時前。
確かに早い時間ではない。深夜と呼ばれるべき時間帯だ。
…梨花ちゃんはもう寝てしまっているんだろうか…?
でも、これだけ鳴らしてるんだから…起きてはくれないだろうか?!
梨花ちゃんは…出ない。
……出ない。
…………出ないッ!!
たまたま聞こえないだけなのかもしれない。
…寝床が電話から離れていて…、…そんなわけあるものか…。
…寝ていれば寝ているほど、電話の呼び出し音ははっきりと聞こえるものだ。
……じゃあ、…お手洗いとか…、…そうだ、お風呂だ!
入浴中だったら、電話が鳴っているのが聞こえたとしても、取りようがないもんな…。
…お風呂に入る時間にはちょっと遅いが…、梨花ちゃんは寝る前に入浴する習慣の可能性だって考えられる。
…………………30分くらい待って、もう一度かけ直してみよう……。
そう思っている間にも、何度も何度も梨花ちゃんの家に電話をかけた。
かけ続けた。
繰り返し繰り返し、何度も何度も電話をかけた。
……だが出ない。
もう30分くらいはかけ続けたと思う。…なのに出ない。
あまりにもしつこい電話だから、怖くなってしまって受話器を取れないのか?!
……いや、そんなはずは………。
……………………………。
もうこんなことをしていてもしょうがない。
…直接行って確認する方が確実で絶対だ…!
でも…梨花ちゃんの家ってどこにあるんだろう…。
くそ、…俺、場所を聞いたこともない…!!
…連絡網には住所も載っているが、番地標記なので、見てもそれがどこの事だかわからない。
……地図か何かに載っていないだろうか?!
古手梨花。…苗字は古手。
かわった苗字だ。結構簡単に見つかるかもしれない…!!
そう思い、電話帳の引き出しを漁るが、出前のメニューとか、公共機関の電話番号とかそんなものしか出てこない…!
くそ、くそ…、くそ…!!
引き出しの中身を次々にぶちまけて行くが…梨花ちゃんの家の場所を知れる手がかりは見つからなかった。
落ち着け前原圭一…!
知らないなら…聞けばいいじゃないか! 知っている人に!
「…そうだ、……レナなら知ってるに違いない!」
連絡網からレナの電話番号を探し出す。
…竜宮、レナ。……あった。
「…もしもし。竜宮です。」
不機嫌そうなおっさんの声。
…レナの親父さんだな。深夜の電話だからな、腰を低くしないと……。
「や、…夜分遅くに申し訳ありません。前原と申しますが、レナさんはいらっしゃいますか…?」
「礼奈は風呂に入っていますが、……あ、出たかな? ……礼奈。友達から電話だぞ。」
そうだった、竜宮礼奈が本名だったな。
…レナですっかり馴染んでしまったので、本名の礼奈という方がむしろ違和感がある。
「もしもし。お電話かわりました。」
「あ、…お、俺だよ、圭一だ。夜遅くにすまん…!」
「あれ? 圭一くん? こんな時間に何かな? かな?」
「…実は、その………梨花ちゃんの家がどこにあるのか知りたいんだ。」
レナは、こんな時間にかけてくる電話だから何かと思えば…とちょっと呆れたようだった。
でも逆に緊急性を感じてくれたのか、口調はぐっと真剣になった。
「う、うん。いいよ。古手神社の境内に集会所があるよね。その裏手に2階建ての倉庫小屋があるのを知ってるかな? そこに住んでるんだよ。」
…咄嗟に場所のイメージは沸かないが、神社の敷地内に住んでいることさえわかれば、あとは何とか探せるだろう。
「わ、わかった! ありがとう。こんな遅くに済まなかったな。親父さんに謝っといてくれ。」
「そんなのはいいよ圭一くん。それより、どうして梨花ちゃんの家を聞くのかな?」
レナが普段は見せない鋭さで、俺が電話を切るよりも早く食いついてくる。
……レナに話すことを一瞬、ためらう。
話シタカラ殺サレテシマッタ。
「……圭一くん? 聞こえてるなら答えて欲しいな。どうして梨花ちゃんの家の場所を、こんな時間に聞きたいのかな?」
レナはいつもの口調を装っているが、…言葉の裏に非常時を敏感に察した緊迫感がこもっていた。
………どうする、圭一。
レナになら…話してもいいのではないか…?
知ッタカラ殺サレテシマッタ。
打チ明ケタカラ、……殺サレテシマッタ。
「…圭一くん?! レナは真剣に聞いてるんだけどな。答えて欲しいよ!」
レナが、普段からは想像もつかないような強い口調で再び聞いてきた。…その気迫に驚かされる。
………レナもまた、梨花ちゃんの友人なのだ。
……梨花ちゃんの失踪を心配する権利は、……ある。
…話せばレナもまた…。
………その恐ろしい想像を、……今だけねじ伏せる!
「…レナ、……その、………理由を聞かれると困るんだが、……………。」
「うん。」
レナの声は真剣そのものだった。
…圭一くんが何を言っても、ちゃんと信じるよ。そう言っているようにも聞こえた。
……そんな、ちょっとした心強さが、俺に打ち明ける勇気を与える…。
「梨花ちゃんが、……………危ない気がするんだ。」
「…それは虫の知らせ、かな? …それとも、梨花ちゃんに危険が迫っている何か確信がある…?」
……本当はこうしてレナと議論する時間も惜しい。
…だが、レナの冷静な声を聞いていると、無駄な焦りが抜けていく気がした。
「……確信は……ないけど、………………。」
それでも言いよどむ。
…俺たちが祭具殿に忍び込んだことを梨花ちゃんに打ち明けた。
先に打ち明けられた村長さんが昨夜、失踪した。
だから…次は梨花ちゃんの可能性も………。
……レナに何て説明すればいいのかわからなかった。
…そうして口ごもっている内にレナが言った。
「ヘンなこと聞いてごめんね。考えたら、確信なんか必要なかった。」
レナはあっけらかんとした様子で軽く笑った。
…とても笑えるような心境でなかったので、こっちこそ呆気に取られる。
レナは明るい声で、だけれどもしっかりとした口調で続けた。
「友達のことが心配になって。それを確かめるのに理由なんかいらないと思う。
…仮に、梨花ちゃんが寝てて、それを起こしてしまったとしても、それが理由なら私たちは誰も怒らないと思うよ。」
……レナ、……ありがとう…。
「じゃあまずは圭一くんに確認するね。…梨花ちゃんの家に電話はしたんだよね? それでどうしてもつながらないから、家の場所を聞いてきたんだね?」
「あ、…あぁ! 10分以上は鳴らし続けたと思う。…ひょっとしたら気付かなくて寝てるだけなのかも…。」
「梨花ちゃんの家はとても狭いの。だから電話が鳴ったら、例え寝ていても気付かないわけはないよ。沙都子ちゃんもいるんだから、2人揃って気付かないわけはない。」
「…え? 沙都子って、梨花ちゃんと一緒に住んでるのか…?」
「うん。知らなかったの? ……今はその話は後ね! …とにかく、電話をそれだけ鳴らして誰も出ないのは絶対におかしいよ。」
レナは想像していたよりもはるかに迅速に、事態が異常であることを理解してくれた。
それを頼もしくも思ったが…、
異常であることをレナも認めたということが、自分の杞憂だったという最上最良の可能性を打ち消すことも同時に意味した。
「私も今からすぐに梨花ちゃんの家に行くね。一緒に行く? なら迎えに行くよ。」
「わかった。じゃあいつもの待ち合わせ場所で合流しよう! 待ってるぞ!!」
「うぅん! 私、圭一くんの家に迎えに行くから。だからお家で待ってていいよ。それからご家族に、私と一緒に梨花ちゃんの家に行って来るって伝えておいてね!」
「……家でいいのか? 時間のロスのような…。」
「あと、魅ぃちゃんには電話した? 魅ぃちゃんはこういう時、すっごく頼もしいの! まだなら私から電話しておくね!!」
一瞬だけ思考が凍った。
……ついさっきまでしていた詩音との電話で、魅音には用心した方がいいと言われたばかりだからだ。
……毎年起こる連続怪死事件の裏に、…園崎本家の暗躍があるなら…。
…それは当主跡継ぎである魅音にも無関係ではないはず…。
なら……今年の事件である鷹野さんたちの怪死や、村長さんの失踪も無関係ではない……?
「じゃあね! すぐに行くからね! 待っててね!!」
レナはそれだけを伝えると、慌しく電話を切った。
……今、必要なのは魅音を怪しむことじゃない。
梨花ちゃんの無事を確認することだ。
着替えて、自転車のカギを用意する。
登校の時の待ち合わせ場所で合流した方がスムーズに行けるんじゃないかな、と思った。
…レナに家まで来てもらうことはないよな。
外出を告げると両親がうるさそうだったので、無言で表に出る。
いつもの涼しさのない、…何だか嫌な湿気のある晩だった。
……梨花ちゃんと沙都子は一緒に住んでるって言ってたな。
……?!
では、……梨花ちゃんだけでなく……
沙都子もいないということか?!
2人が同居していることの意味が、一気に最悪の想像に転化する。
そんな……沙都子は、……本当に無関係だぞ?!
梨花ちゃんには失踪する理由はあっても……沙都子にはないはず……!!
「け、…圭一くーん…!!!」
レナは本当に早かった。
すごい速度で自転車でやって来た。
…荒い息が、レナがいかに急いでいたかを如実に物語る。
「おうレナ! さぁ行こうぜ!!」
「…圭一くん。私、お家で待っててって言ったはずだよ。」
レナが真剣な顔で言った。
……怒っている? 身に覚えがなく、一瞬困惑する…。
「い、いや…、ここで合流した方が早く出発できると思ってさ…。」
「…圭一くんは……本当にわかってるのッ?!」
レナが怒りをあらわにして叫んだ。…こんなレナを見るのは初めてだった。
「わ、…わかってるのかって、……何がだよ…。」
レナは自分が俺を怖がらせていることに気付いたらしく、1〜2度大きく深呼吸をしてから、…諭すように言った。…だが決して表情を和やかにすることはなかった。
「圭一くん。…昨日、村長さんがいなくなって村中で大騒ぎになったよね?」
「あぁ………。」
「そんな中で、圭一くんは梨花ちゃんと沙都子ちゃんがいなくなった、って言ってるんだよ。」
「…あぁ…。そ…そういうことになるな……。」
「じゃあもっと用心しなくちゃ駄目だよッ!!! こんな夜中に、たった1人でこんなところで突っ立ってるなんて無用心にも程があるんだから!!」
…レナの怒りの意味が徐々にわかってくる…。
「ご家族には、ちゃんと私と梨花ちゃんの家に行くって伝えたよね? ……万が一。…私と圭一くんが揃って失踪しちゃうようなことがあっても、…いつ、どの辺でいなくなったのかを残すことができる。」
………レナは…この緊急事態に冴え渡るくらいに冷静だったのだ。
あの綿流しの夜以降…。
毎夜、誰かが死んだり消えたりしているのだ。
綿流しの晩、鷹野さんたちが異常な死を遂げ。
…その次の晩、村長さんが姿を消し。
…さらに次の晩、梨花ちゃんと沙都子が姿を消した…。
……俺は自分のことしか考えていなかったが…、今、この雛見沢では、異常という言葉で表現するのが妥当かどうかも怪しいような「極限の異常状態」に置かれているのだ…。
レナはそこまで、自分たちの失踪までも見越して、家族に行き先を言い残すように言ったのだ。
……自分の無用心を恥じ、…それを恥じなければならない、今夜を恐れた。
「……ごめん。……まだ言ってなかった。」
「うん。じゃあ一緒に言いに行こ!」
レナと共に自宅へとんぼ返りする。
…月が異様に高い。
……空が無駄に広々と、寒々としていて、
……何があっても、決して夢だと思わせない…そんな残酷さをすでに突きつけていた。
こんな…狂った夜に、普段からは想像もつかないくらいにしっかりしたレナが頼もしく、
……レナに無用心を注意されるほどの、………雛見沢の変貌が、何よりも恐ろしかった……。
月が、異様に高い。
■魅音と合流
途中で合流した魅音は、当然だが、梨花ちゃんたちの失踪に半信半疑だった。
「……圭ちゃん、本気で言ってんの? もし冗談だったら、かなり怒るよ?」
魅音は明らかに不機嫌そうだった。…冗談なら、あまりに笑えないからだ。
…確かに、自分がどれだけ不謹慎なことを言っているかわかっていた。
一昨日の綿流し以降、夜毎に人が死んだり消えたりする。
…そしてそれに続いて、梨花ちゃんと沙都子までもが消えたなんて、冗談でも絶対に言えない。
「魅ぃちゃん。本当に冗談だったなら、怒るんじゃなく、笑おうよ。だって冗談なんだから。
……私たちはそれが冗談であることを確かめなくちゃいけない。」
「………そうだね。…機嫌の悪そうなことを言ってごめん。」
どんな不謹慎な冗談にしろ、結果、仲間の無事が確認できるなら笑い話に過ぎない…。レナにそれを諭され、魅音は少し緊張を解いて苦笑いして見せた。
魅音も自転車にまたがった。
ほとんど外灯もない真っ暗な夜道の暗闇を、俺たち3人の自転車のライトが切り裂いて行く。
「圭ちゃんはなぜ急に、こんな時間に梨花ちゃんの家に電話なんかする気になったわけ? 」
…レナにも上手に説明できなかったことを、再び魅音が聞いてきた。
「……虫が知らせた、…じゃおかしいか?」
暗くてよくわからないが、魅音はとても曖昧そうな顔で笑っていた。
……納得しきれないらしい様子は、この暗闇でもよくわかった。
「俺さ、うたた寝してる時に悪い夢を見ると、どうしても気になっちゃうんだよ。」
「圭一くんは、…それで梨花ちゃんがさらわれる夢を見たわけかな…?」
「……いや、…その…。…もっと漠然とした、…予感みたいなものだよ。…梨花ちゃんが電話に出てくれたなら、レナや魅音にも続けて電話するつもりだったよ。」
さらさらっと、間に合わせにしては滑らかにウソが飛び出る。
詩音と俺に縁があることを話すのは、…あの晩、一緒に祭具殿に忍び込んだことを遠巻きに認めることになると思ったからだ…。
それ以上は魅音も聞かなかった。
…納得してくれたのかはわからない。
あるいは、そんなことよりも、梨花ちゃんと沙都子の無事を確かめる方が手っ取り早いと思ったのかもしれない。
それをほっとする自分が、何だか後ろめたかった…。
……ここ何日か、魅音はそんなに振る舞いを変えたわけでもないのに、…なぜか距離を置こうとしてしまう。
詩音や大石さんに、…何だか魅音が大仰な一族の跡取りだと聞かされただけなのに…。
………いや。
………無理に忘れようとしているだけだろうか。
思い出せ前原圭一。
…綿流しの晩のことを、一番最初に聞いてきたのは…魅音じゃないか。
…それも、とてもきつい口調で。あの時、すくみ上がったことをもう忘れたのか…。
……あの魅音は…、確かに俺が普段知っている魅音とは異なって見えた。
……あの魅音に限って言えば、…………詩音や大石さんの言う魅音像と、ほんの少しだけ重ならなくもない…。
そうなのだ。
…あの日の魅音さえなければ、……俺は魅音に対して、こんな感情を持つことはないのだ。
…あの日の魅音は一体、…何だったんだろう。
……あの後に起こった様々な出来事で都合よく頭を満たし、……一番最初の、一番無視してはいけないことから目を逸らしているのではないだろうか…。
俺の前を、長い髪をなびかせながら自転車をこぐ魅音。
…その背中をいくら見つめても、それらの疑問への答えが浮かぶことは決してなかった…。
■梨花ちゃんの家
神社の境内へ続く石段前までやってきた。
さすがに自転車を担いであがるつもりはないらしい。みんな、石段脇に自転車を停める
「……古手神社、か。」
「みんな公園みたいな感覚で勝手に出入りしてるけど、本当はここは古手家の立派な私有地なんだよ。」
神社がまるごと私有地か。
…この神社は結構、時代を感じさせるよな。
…10年や20年なんてものでは済まないくらい、昔からあるように見える。
「…だとすると、…古手家って結構な旧家なんじゃないのか? 代々続いた、由緒ある…。」
「………………うん。ない。おかしいよ。」
レナが明らかに不穏なことを言ったので、そこへ駆け寄る。
「どうしたレナ。」
「……梨花ちゃんと沙都子ちゃんは、いつもここに自転車を止めてるはずなの。
…ほら。どこにもない。」
ぐるっと回りを見渡す。
………確かに自分たちが乗ってきたもの以外の自転車は見つからない。
「他の場所に停めてる可能性もあるんじゃない?」
「……例えば、担いで石段を上がったとか。」
「女の子には無理だよ圭一くん。」
確かにこの石段を、梨花ちゃんや沙都子が自転車を担いで上がるなんて、とても思えない。
…梨花ちゃんの家の戸を叩く前に、もう嫌な想像を掻き立てる現実を突きつけられる。
……俺たちの気付かない木陰に停めてあるだけかもしれない。
今、この場で自転車が見つからないことが、失踪の証拠になんかなってたまるか…。
「行こうぜ…! 家に行った方がはるかに確実だろ!」
3人で頷きあい、石段を駆け上がる。
鳥居をくぐり、きれいに砂利の敷かれた境内に入る。
……綿流しのお祭りがここであったのがウソのように静まり返っていた。
「…で、梨花ちゃんたちが住んでいる家ってのはどこにあるんだ?」
「こっち。付いてきて。」
レナが先陣を切って走り出す。…境内脇の集会所の方へ行き、その裏手へ回る。
真っ暗な中に資材倉庫みたいな、2階建てのプレハブ小屋があった。
「……灯り、消えてるね。
…寝てるんじゃない?」
「ノックしてみよ。」
レナと魅音が、とても人の住まいには見えなかったそのプレハブ小屋に近付いていった。
……こんな立派な神社を持ってるくらいなんだから…もっと立派な家に住んでいると思っていた。……すごく意外だった。
「梨花ちゃーーん!!! 沙都子ちゃーーーん!! いるぅーー?!」
レナが2階へ向けて声をかけた。始めは遠慮がちに、徐々に大きな声で。
……………返事はない。
…ないどころか人の気配すらしない。
「…寝てるのかも知れない。起こしてみよう。」
魅音がシャッターを両手でバンバンと叩くと、騒々しい音が当たりに響き渡った。
…これだけ賑やかにされれば、絶対に気付くはずだ。
…部屋の灯りをつけ、窓をガラリと開けて…今、何時だと思ってるんだー!って。
………だが、そうはならない。…………まったく何の反応もない。
魅音がシャッターを叩くのをやめると、急激に静寂が押し寄せた。
……その静寂が、……最悪の想像を掻き立てる…。
…顔面の血が、さーっと音を立てて引いていくのが自分でわかった…。
「カギかかってる…。…どこかから中に入れないかな…。」
レナはめげなかった。
中に入って不在を確認しない限り、認めないらしい。
……そんなレナの足掻きに勇気付けられる。
「2階の窓とか、カギをかけ忘れてないかな。…俺、ちょっと試してみる!」
「圭ちゃん、ハシゴ。」
魅音が立て掛けてあったハシゴを用意してくれた。
ハシゴをかけるには少し不安定な足場だったが、魅音がしっかり押えて固定してくれた。
ハシゴなんてそんなに上ったことない。
…不慣れを丸出しにしながら、1段1段登り、…2階の窓が開かないかひとつひとつ試す。
「魅ぃちゃん、私、念のため、本宅の方も見てくるね! すぐ戻るから!」
レナが駆け出して行った。……本宅って何だ?
「古手家の本当の家だよ。両親が亡くなって以来、ずっと放置してあるそうだけど。」
「………あ、…そうか。……梨花ちゃんのご両親って、…亡くなってるんだよな。」
そこで改めて思い出す。……そう言えば、沙都子も一緒に住んでるんだよな?
「沙都子も親なしだよ。………オヤシロさまの祟りってことで、両親が崖から落っこちてね。……お兄さんだった悟史くんも……いなくなっちゃって…。」
「…悟史って、……前に聞いた名前だな。」
思い出した。…去年の祟りで失踪したヤツだ。
「それ以来、沙都子は梨花ちゃんと一緒にこの小屋で暮らしてるんだよ。互いに身寄りのないひとりぼっち同士。…助け合ってね。」
「……本宅って言ったか? そっちで暮らした方が楽だろうに…。」
カーテンがかかっているので、部屋の中をうかがい知ることは出来ないが…。…小さな女の子が二人で暮らすには、…ちょっと厳しそうに見えた。
「始めはそうしてたみたい。……でも、両親を思い出すから辛いって言って。」
「…………………………………………。」
…そんな、不憫な身上とは……知らなかった。
……普段の、学校での元気な姿からは微塵もそんな気配は感じさせなかった…。
「…梨花ちゃんも…………沙都子も、……大変なんだな。」
「呪われてるんだよ。」
「……え?」
魅音が急に…、本当に呪うような低い声でそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
ハシゴの下の魅音に振り返り、聞きなおす。
「…魅音、…お前、今、…何て言った?」
「呪われてるって言ったの。」
…ハシゴを押えていた魅音が、俺に目線を合わせるように顔を上に上げる。
……その目があった途端、全身に絶対零度の電流が走った。
魅音の目は…どろりと濁り、…瞳の中には…混沌と言う名のシチューがぐつぐつと煮えくり返っていた。
それらがぐるりぐるりと渦を巻き…ぼこりぼこりと泡を浮かせる…。
…俺は、……ハシゴと言う名の袋小路に…いつの間にか追い詰められていた。
「……み、…魅音、お前………何てカオしてんだよ…?」
冗談が過ぎるぜ…と、苦笑いを交えながら軽く言うつもりだった。
…だが、…不安定な足場の上で…こみ上げる感情に呑まれまいと必死に足掻く俺の口からは、しわがれた声しか出なかった。
「北条沙都子はね。……オヤシロさまの祟りを一身に受けた、呪われた子なの。」
…魅音は…俺以外の誰かの問いかけに答えるように、…聞いてもいないのにそう答えた。
「公園の展望台から転落死したのは両親だけ。
あの子を味噌っかす扱いしてた冷たい両親だけが死んで、あの子は1人だけ助かった。
…引き取り先で、あの子を虐めた叔母は、綿流しの夜に異常者に、脳みそがぐっちゃぐちゃに飛び散って、頭が原形を留めないくらいに滅多打ちにされて殺された。
…いつもあの子をかばってた悟史くんも、…あの子の誕生日に突然消えてしまった。
あの子を虐めていなかったのに消されてしまった。
…警察は家出したんだって決め付けたけど、悟史くんは逃げ出すような人じゃなかった。いつも一生懸命。誰の力も借りずにこつこつと、一人懸命に努力する人だった。たった1人の妹のために身を粉にして頑張ってたのに、消されてしまった。
あの子のためにだけに生きていたのに消されてしまった。可哀想な悟史くん。なんて報われない悟史くん。なんて恩知らずなあの子なの。
……あの子は呪われた子。あの子に近付けば、それが誰でも末路は同じ。祟りで死ぬか、祟りで消えるか。あの子に安らぎなんてあるものか、あの子に安らぎなんてあるものか。……梨花ちゃんが消えたのもきっと沙都子のせいだよ違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いな違違違違違違…」
魅音はうわ言のように…もはや聞き取れない言葉を繰り返していた。
…わなわなと肩を震わせ、その震えがハシゴを伝って俺にも直接伝わってくる。
足場がぐらぐらと振るえ…、地面がいかに遠いものかを気付かされる。
「お、…落ち着けよ魅音…!! な、何のことを言ってるのかわからないよ!!」
それが魅音の耳に届いたかは怪しい。
……魅音が揺らす、ガクガクという揺れはもっと大きいものになろうとしていた…。
た、……助けて……。
ハシゴを……た、倒される……、助けて…、…助け……!!
その時、大勢の人が駆けて来る足音が聞こえてきた。
「ぅお、……ぉ、おおーーいい!! こ、ここ、ここだーー!!!!」
助けてくれ、とまで言いそうになった。
レナを先頭に、4〜5人の大人たちが懐中電灯を手に駆けつけてくる。
「圭一くん、魅ぃちゃん、遅れてごめんね! カギ、借りてきたよ!」
「お、助かったね。どうも窓も戸締りは完璧らしくてね。困ってた。」
……魅音がけろっとした様子でそう言うのを聞き、…改めてぞっとするものを感じた。
今、そこでハシゴを押えているのは間違いなく魅音だ。
園崎魅音本人だ。
………じゃあ、……ついさっきまで、…うわ言のように言っていたのは…、…あれは誰だったんだよ…?
呪われているなんて物騒なことを…ぶつぶつと言い続けていたのは……誰だったんだよ…?
…魅音がもう一度魅音でない魅音になる前に、俺は逃げるようにハシゴから飛び降りた。
大人がカギ束をいくつか試しながら、1階の大きなシャッターを開けようとしていた。
「梨花ちゃんの家はね、元々は町会の防災倉庫だったの。だからシャッターのカギを今でも村長さんの家が預かってるの。」
「今では梨花ちゃんと沙都子の私邸だけど。
…まぁ、元々梨花ちゃんの家の敷地内だし。誰も文句は言わないけどね。」
魅音がそう言いながら俺に笑いかける。
……だが俺は蒼白な表情を返すだけだ。
…あまりにいつもの様子の魅音が、かえってさっきの魅音でない魅音の気味悪さを浮き彫りにしていた……。
ガチャン、……ガシャ、ガララララララララ……ガシャーン!!
長いこと開けられることのなかったシャッターが開けられた。
レナが、灯りのスイッチを探り当て、中に飛び込んでいく。俺もそれに続いた。
「梨花ちゃーん!! 沙都子ちゃーん!! いるなら返事をしてー!!」
狭い階段を登る。
…外から見たときは倉庫にしか見えなかったが、こうして中に入ると、生活感にあふれた人家であることがよくわかった。
……何となく、あの2人を感じさせる匂いが満ちている。
間違いなくここは、梨花ちゃんと沙都子の家なのだ。
1階が町会の倉庫を兼ねているのに対し、2階は完全に居住のための空間だった。
ワンルームマンションのように、台所を通り抜けた先が8畳くらいの居間になっていた。
タンスや戸棚がぎっしりと置かれ、隅には取り込んだらしい洗濯物が山になっていた。
居間の中央には折り畳みテーブルが置かれ、その上には醤油やドレッシングの小瓶があり、…質素な生活感を漂わせていた。
こんな深夜に2人がいないなんておかしい。
…次々と階段を登ってくる大人たちが口々に騒ぎ始める。
「……どう? やっぱりいない?!」
「うん。………いない。絶対おかしい。」
つい昨日、村長が失踪して大騒ぎになったばかり。
…そして今日は、梨花ちゃんに沙都子までが…。
…2人して夜遊びに?
そんなはずはない。
でも自転車はなかった。
こんな深夜にどこへ?!
行ったまま帰ってこないのか? どこへ行ったんだ?!
大人たちが様々な可能性を口にし、場は一気に騒然とする。
…やがて魅音がそれを制した。
「……信じたくないけど、…公由の村長さんが消えたのが昨日の今日。……無関係とは言い切れないね。」
…魅音の断言に、大人たちは顔を青ざめさせる…。それは俺とレナも同じだ…。
「例えば…ご近所に行って、お茶でもご馳走になって眠っちゃって。起こすに起こせなくなってるなんて可能性ももちろんあるよね。……その可能性をまず潰そう。牧野さんは裏手から沢の辺りの家を回って下さい。慶太郎さんは御蛇ヶ池の方を。岡村さんは…、」
魅音は村人たちにてきぱきと指示を出した。
……大人たちは年下であるはずの魅音の指示に躊躇なく従っていた。
「私はここに残って、電話で片っ端から心当たりに問い合わせてみます。じゃ、皆さん、そういうことで!」
おぉう!
大人たちは唸って返事をすると、どかどかと階下へ降りて行った。
「…さすが魅ぃちゃんだね。魅ぃちゃんは学校だけじゃなく、雛見沢の委員長さんみたいだよね!」
「茶化さない茶化さない! ほらどいて。おじさんは電話を使うんだから。」
魅音は得意げに笑ってみせると、受話器を取り、電話を始めた。
レナは頼りになる魅音をとても頼もしそうに見つめていた。
だが俺は、……魅音のリーダーシップが、むしろ詩音や大石さんの言う、園崎家の跡継ぎとしての魅音像を肯定するようで複雑な気持ちだった…。
……おいおい、前原圭一。
今はそんなことはどうでもいいだろ。今は梨花ちゃんと沙都子の安否の方が大事だ!
例えば…この部屋に二人の行き先を示す手がかりがあるかもしれないじゃないか!
「……とは言え…、……そんなのわかるはずもないよな。」
この部屋が荒らされたり、以前と極端に違っている部分とかがあるならいろいろと推理もできるのだろうが、……こうも何の異常もない室内では、何の手がかりも目に付かない。
第一…、俺は初めて訪れる部屋なんだ。
…正常な状態の部屋を知らない以上、何もわかるわけがない…。
…おいおい、諦めるな前原圭一!
いいから探せ! 何かを!
その何かを求めて、タンスを開けたり窓を開けたりしてみる。
…だが何も気になるものは見つからなかった。
レナも、居ても立ってもいられないのか、俺と同じように室内に手がかりがないかきょろきょろしているようだった。
「…でもレナ。冷蔵庫や流しの下の棚とかを開いても梨花ちゃんは見つからないと思うぞ。」
「隠れてるかな、って思って…。は、…はぅ〜…。」
そうしてる内に外がにぎやかになった。
…騒ぎを聞きつけて村人たちがどんどん集まってきているのだ。
もちろん、魅音が電話で呼び出した人たちもたくさんいるだろう。
「私、みんなに話をしてくる。…遅かれ、警察も来るだろうしね。大石のヤツにも事情を説明しなきゃ。」
魅音が階段を降り始めたので、俺たちもそれに付いて階段を降り表へ出た。
外にはもう10人くらいの大人たちが集まっていた。…みんな不安そうだ。
気付くと、社の方には老人たちが集まり、数珠を揉みながら梨花ちゃんの無事を祈っていた。
………大変なことになった…。
これはもう俺たち友人同士だけの問題じゃない。
「魅音ちゃん、梨花ちゃまと沙都子ちゃんがいなくなったってのは本当かい!!」
村人たちが魅音に群がり輪を作る。
魅音は落ち着けと言うように右手を上げてそれらを制した。
「誰かの家にお邪魔していないか、町会の回覧区分に沿って全戸をまず調べよう。
…本人たちが、こっちの気も知らずに、誰かの家ですやすやとお泊りしている可能性もあるわけだからね。」
……寝入った猫の子のように、満腹になって気持ち良さそうに眠ってしまった梨花ちゃんを起こすのは確かに心苦しいだろう。…そうだったらどんなにいいか。
「……こんなことは考えたくないけど、もちろん悪いことが起こった可能性もある。」
魅音が一際表情を険しくしてそう告げると、大人たちもシンとなった…。
「我々も手分けしよう。昨夜の村長探しで回ったところをもう一度回る。」
「…俺たちはダム現場をよく念入りに探してみる。お前さんたちは学校の辺りを探してみてくれ。」
「おぅ! すったら早ぅ回らんと!! 行こ行こ!!」
「…みんな、昨日も村長さん探しで徹夜だったからね。…寝不足で辛いだろうけど、どうかよろしく!」
「「「おぉうッ!!!」」」
それを合図に、大人たちは四方へ散っていった。
自分もどこかへ散るべきだと思い…、誰も向かわなかった方向へふらふらと歩き出す。
どんどんひと気がなくなる。
…でも別に怖いとは思わなかった。
……消されるなら俺か詩音が先のはず。
だから俺はもっと暗闇を怖がってもいいはずなのに。
……でも怖いとは思わなかった。……どうして?
今夜はもう、…人が消えたから。
…だから、これ以上、今夜に人が消えることはない…。
そんな自分勝手な安心感の根拠に罪悪感を覚えるには、…今の焦燥して疲れ果てた俺にはしばらく時間が必要だった…………。
■アイキャッチ
……突然、視界が開け、冷たい風が全身を撫でた。
…そこは…村が見下ろせる高台だった…。
この高台から見下ろすと、村のあちこちで灯りがつき、…村全体が眠りから起こされていくのがよくわかる。
…鷹野さんたちに続き、村長に続き、…今度は梨花ちゃんと沙都子までが犠牲になったことが…村中に伝わっていくのがよくわかる…。
がくりと、膝の力が抜けた。……もう…冗談では済まない。
あっさりと2人が見つかり、魅音に、圭ちゃんは心配性だなぁとなじられ、レナに、でも本当に良かったね! と苦笑いされる…。
……一番望みだった結果が、冷めるように消えていく。…それを思い知らせる光景だった。
…膝だけでなく、前屈して両手もべたりと付き…地面に爪を立てた。
……悲しいのか悔しいのか、わからなかった……。
「……………ぅう…っ。……俺の……せいなのか…!!」
…俺が…、自分の罪に耐えかねて…梨花ちゃんにそれをしゃべってしまったばかりに……!
何の関係もない、梨花ちゃんや…沙都子まで…犠牲に…ッ!!
…俺も詩音も、…各々、自分が消されるまで、ぐっと背負い続けなければならない十字架だったのだ。
……いや、…それを言ったら、問題なのはもっともっとそれ以前のこと。…そもそもの罪は、…祭具殿に土足で踏み入り…禁を破ってしまったことにあるのだ。
入ってはいけないところであるということは、あの時にだってわかっていたじゃないか!
……それを…安っぽい好奇心に負けて……。
今この瞬間ほど、自分を悔しいと思うことはなかった……。
ジャリ、と音がした。
…すっかり気落ちした俺には、その気配の主に興味は湧かなかった。
「……圭一くん? ………圭一くん! 大丈夫?!」
レナだった。
…俺が地面を掻き毟っているのが、腹でも痛いかのように見えたのかもしれない。
…駆け寄り、介抱するように背中を撫でてくれた。
「…………俺が、……全部、悪いんだ。……俺のせいで…。…俺のせいで…。」
「…圭一くんが? 何も悪いわけはないよ。自分をどうか責めないでね…。」
レナは俺を気遣って、精一杯言葉を選んでいるのがよくわかった。
…だからこそ、レナの言葉の裏も感じ取ることが出来た。
梨花ちゃんと沙都子ちゃんがいなくなった原因を、圭一くんは知っているんだね? ……と。
……緊急事態だということで、レナは俺が「突然、梨花ちゃんの安否が確認したくなった理由」を無視してくれたが…。
……こうして現実に梨花ちゃんたちの失踪が確認された今、その理由に興味が湧くのは当然のことだった。
……でも、……こうなってしまった今、…もう、レナにだって言えない…。
梨花ちゃんと沙都子が消えたことを認めたくないが、…これ以上、レナまでも消えるなんてことを…許せるはずがない。
「……圭一くん。こんな風通しのいい所にずっと居たら、風邪ひいちゃう…。」
「……………………………………。」
レナも、俺と同じ目線の高さになるように、地面に座り込んだ。
「…子供たちはね、もう解散して家で寝ろって。」
そう言ってレナは腕時計を見せてくれた。……午前1時をとっくに過ぎていた。
…時間の経ち方が早すぎる…。
……俺は…そんなにも長い時間、ここに這いつくばっていたのか…。
「もう寝ないと、…明日の学校に差し支えるよ。大人たちだって、昨夜も一晩中、村長さんを探したからみんなくたくた。……今夜は少し早めに解散するって。」
……昨日の村長を探すのと同じ時間が割かれないことに、少しの怒りを感じたが…、元凶たる俺にそれを非難する資格はまったくない…。
「大丈夫。さっきね、警察の人も来たの。今、どんどん町から応援のパトカーが来てるよ。」
言われて村を見下ろすと、確かに山向こうの闇から、この時間には不似合いな数の車が何台もやってくるのが見えた。
…だが、赤い回転灯は付けていない。もちろんサイレンだって鳴らしていない。
……そう。
……この綿流しの直後の、オヤシロ様の祟りだと目される事件は全て…隠密に片付けられるのだ。
梨花ちゃんや沙都子もまた…過去の連続事件と同じように、……密やかに、未解決に、…そして謎に包まれたまま……終わって、…消え去ってしまうのだ。
梨花ちゃんの…西洋人形のような愛くるしい顔が、…消えていく。
…沙都子の、八重歯の似合う元気な笑顔が、…消えていく。
……それらが、思い出そうとすれば思い出そうとするほど、よくわからなくなり……、馬鹿を七つ重ねても言い足りぬ、自分の脳みその愚かさに、涙せずにはいられなかった………。
「……圭一くんが、何を自分に責めているかわからないけれど…、もうやめよ?」
否定なんかできない。
だけど肯定だってできない。
……せめてレナを、巻き込みたくない。
……知レバ、…巻キ込マレテシマウ…。
「……頼む、レナ。………放っておいてくれないか。……俺、きっと、……家に帰ったって、眠れない。」
…どうせ眠れないなら、…せめて倒れるまで梨花ちゃんたちを探したい。
……村中が総出で探しているのにまだ見つからないのだ。
…今さら俺一人が探したところで、見つかるなんて………思えない。
…だけれど、…探さなければならないんだ……。
「……俺のせいで……消えてしまったんだ。……他の探してくれてる人たちよりも…先になんか……眠れるものか…。」
自嘲気味に言った独り言のつもりだったが……、レナが無言で、今の独り言の意味するところを探っているのにすぐ気付く。
……失言だったと悟る。
「………圭一くんのせいなの? どうしてそう思うのかな? かな?」
そんなはずないよ。
圭一くんは悪くないよ。
…そうレナが言ってくれるのは嬉しかったが…、それは事情を知らないからだ。
…レナだって、綿流しの晩に犯した禁忌によって全てが引き起こされたとしれば、俺を罵り倒すだろう…。
…だが…俺にはレナに罵られることもできない。
…それは、レナに自分の罪を告白することを意味するからだ。
俺が一言、綿流しの夜に祭具殿に忍び込んだことを明かせば…、レナだって…次の夜には消えてしまうかもしれない。
……この、やさしく、甲斐甲斐しく、…いつもふざけていて、はぅはぅしていて、……だけれども、こんな時にこれ以上ないくらい頼もしい……そんなレナが…消えてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。…絶対に嫌だ!
今度こそ…俺は十字架をひとりで背負わなければならないのだ。ひとりで。
「…………………圭一くんが、とても仲間思いだって知ってるから。自分を傷つけたくなる気持ちもよくわかるよ。…だけど、レナは圭一くんのせいじゃないって知ってる。圭一くんが悪くないって、知ってるから。」
「し、…知ってるって…?!」
血の震えが、…ぞわぞわと背中を駆け上り、…心の中の悲しみを戦慄に塗り替える。
俺は…何も話していないぞ?!
それとも…何か、レナに気取られるような失言を重ねてしまっただろうか?!
まずい…まずい…!!
これでは…レナが消えてしまう、レナが消えてしまう、レナが消えてしまう…!!
…それをレナが、いつも俺がするように、…俺の頭を鷲掴みにして、わしわしと撫でてくれた。
「…………圭一くん。ひょっとして、…レナも消えちゃうかもしれないって、思ってるのかな? ………オヤシロさまの祟りで。」
俺の頭を、なおも力強く撫で続ける。
「だったら安心して。レナは消えたりしないよ。絶対に。」
「…ど、……どうして消えないなんて……自信を持って言えるんだよ…?!」
こうして…夜毎に誰かが犠牲になっているんだぞ?!
それが、明日の晩にも起こらない保証なんてあるものか!
…そして…その犠牲にレナがならない保証なんて…もっとないんだぞ…!!
………犯人が誰だって構わない。
……頼む、消すなら早く俺を消してくれ…!
詩音にとって村長が、俺にとって梨花ちゃんや沙都子がそうであるように…親しい人から消すなんて残酷なことはやめてくれ…!!
…詩音がヒステリックに叫んだ言葉が脳裏に蘇る…。
私たちを、一番最後に殺すつもりに違いないんです。
…ひと思いに殺さないで、親しい人たちから順々に殺していって…、散々悲しい思いをさせた後に殺す。……そういう狙いに違いないんです。
「………………レ、……レナ……、」
頼むから…消えないでくれ…。…俺が……消えるまで…どうか……消えないで……。
こみ上げる嗚咽を、もう隠すことなんかできなかった。
「……ほぉら、圭一くんに涙なんか似合わないよ。みんなのところに行こ。…婦人会の人たちがね、お味噌汁の炊き出しをしてくれてるの。飲むと暖まって落ち着くよ。」
レナが俺に立つように促す。
…それに抗う気力もなく、促されるままに立ち上がった。
境内に戻ると、ガスコンロがいくつか出され大きな鍋に味噌汁が作られていた。
大勢の村人たちが、死んだように押し黙りながら、振舞われた味噌汁を啜っていた。
疲れきった表情…。
皆、ついさっきまで、村中を駆け巡っていたに違いない。
…だが、その陰鬱な様子から、手がかりがまったくないことも伺える…。
「…圭ちゃん、どこ行ってたんだよ。圭ちゃんまでいなくなったのかと心配したよ?」
「……………すまん…。」
魅音が味噌汁を差し出すが、食欲もなく、それを断った。
「……魅ぃちゃん。どう? …何か手がかりはあった?」
淡白な表情を浮かべながら…魅音は味噌汁をひと啜りした。
「………全然ない。学校が終わってから家に帰って。2人で自転車に乗ってどこかに行ったらしい。…しかも、2人が自転車に乗った姿はまったく目撃されていないし…。」
雛見沢は暗くなるとあっという間にひと気がなくなる。
…町から帰ってくる大人たちが、車やバイクで家路を急ぐ以外に、表を出歩く人影はまったくなくなるのが普通だ。
…梨花ちゃんと沙都子が自転車で走るところを誰も見ていないとしても、それは何の不思議もない。
「……昨日の村長の時と同じ。……お手上げだよ。」
魅音の、まるで他人事のような言い方にカチンと来たが、……すぐにその怒りは引っ込んだ。
魅音はたった今まで梨花ちゃんを探すために、様々な努力をしていたのだ。
…聞けば、魅音は昨夜も夜を徹して村長を探していたそうじゃないか。
…俺よりもはるかに疲労困憊のはず。
……それに対して俺は何だ?
……うじうじとひとりしゃがみ込んでいただけだ。…魅音に何を言う資格もない。
「…圭ちゃんも、辛いだろうけど今夜はこれで休もう。…さっき、今夜は解散しようってなったところだよ。これを飲んだら、もう終わりにしよう。」
「……………終わり、……なのか…?」
「…あ、もちろん終わりじゃないよ。明るくなったら、警察も増援を入れて徹底的に捜すってさ。興宮の方に行ってる可能性もあるからね。村長の件も含めて、鹿骨市全体で目撃情報がないか洗うって言ってる。」
「……………………………………。」
「それよりも圭ちゃんだよ! どこに行ってたんだい?! …いつの間にかいなくなっちゃうから…心配したんだよ?!」
急にお鉢が俺に回ってきたが、言い返す気力などあるわけもない。
「……………すまん…。……気をつけるよ…。」
「何もなかった? 怪しい人に監視されてるとか、付け狙われてるとか、…そういうのはなかった…?!」
魅音が真剣な眼差しで問い詰める。
…無神経だったことを非難されているようだった。
……これほどまでに心を痛めているのに、
…無神経さを非難されるのは悔しかったが……、これは俺の罪なんだ。
…俺がひとりで背負わなければならない、罪なんだ。
「……何もないよ。…でも気をつける…。………すまん。」
魅音は何事もなかったことを知ると、肩で大きく息を吐き出し、安堵を表現した。
■大石登場
「…おんやおやおや…! おいしい匂いが漂ってくると思ったら。これはぜひご相伴に預かりたいですねぇ。」
野太い親父の、いやらしい声が聞こえてきた。
警官を何人も従えた大石さんだった。
…この場には不似合いなくらい、元気そうに振る舞っている。
「……大して残ってないですよ。それでも良ければ勝手にどうぞ。」
…魅音は大石さんとは相性が悪いんだよな。
だが、冷たい素振りにも大石さんは全然動じない。まさにカエルの面に水だった。
「ありゃりゃ…。味噌汁のお残りってちょっと塩分高めなんですよねぇ。…まいったなぁ、なっはっはっは…! 君たちは頂きます?」
部下の警官たちに勧めるが、みな苦笑いしながら辞退しているようだった。
「…どうですか、警察の方では何か手がかりは掴めましたか?」
味噌汁の代わりに、レナが暖かい笑顔で迎えた。
「大丈夫ですよお嬢さん。ご安心ご安心! ちゃーんと捜してるんですから。んっふっふっふ!」
一言も新しい手がかりが見つかったとは言っていない。
つまりは進展なしだ。…遠回しな嫌らしい言い方だと思った。
「それよりも。もう本当に遅い時間です。…どうぞ若い皆さんはお帰りなってお休みになって下さい。体に障りますよ。」
「………そうだよ。圭ちゃんもレナも、今日はもう休みな。あとは税金で働いてるおっさんたちがやってくれるから。」
「私たちだって税金払ってるんですけどねぇ。…自分のおしっこを自分で飲んでるみたいな気分ですよ。なっはっはっは…!」
…とても笑える気分ではなかった。馬鹿笑いしたのは大石さんだけだ。
「じゃあ…本当によろしくお願いしますね。…帰ろ、圭一くん。明日が辛くなるよ。」
「そうですそうです。なんならお二人をお送りしてもいいですよ。熊ちゃん、車を回して上げてください。」
「あ、…結構です。…俺たち、自転車で来てるんで…。」
「ご安心を。私たちワゴン車で来てますから。自転車も積めますよ。」
眠くなってきたとは言え、家に自転車で帰るだけだ。…警察の世話になんかなりたくない。
……でもレナは頷いた。
「せっかくだから、お世話になろうよ。…私たちだけで帰るより、きっと安全だよ。」
用心深く考えるなら、レナの考えはこの上なく合理的だ。
「そうと決まれば、行きましょう行きましょう。」
「じゃあね。おやすみ。…レナも圭ちゃんも。」
「うん。魅ぃちゃんも早めに休んでね。……おやすみ。」
俺も手を振って別れの挨拶をする…。
……梨花ちゃんと沙都子は…未だ見つからない。
…だが、その不安は…徐々に押し寄せる眠気の波に押し流されていった。
レナが俺たちの自転車を示すと、大石さんが警察のワゴン車にひょいひょいと積んでくれた。
後部座席に座るように促される。
スプリングがギシギシ言う、おしりの痛くなる座席だったが……今だけはそれがとても柔らかく、眠りに誘うには充分な心地よさだった。
「ではレディーファーストで。お嬢さんの家から行きましょう。住所はどちらです?」
「あ、ありがとうございます。私の家はですね、…えっと……、」
……レナの声がゆっくりと遠くなる。
…眠りの世界に吸い込まれていくのを感じた。
■御三家の話…
「……もしもーし。…前原さーん、…完全に眠っちゃってますかー?」
…ん、……。
……気付くと辺りは静かになっていた。車は停車していた。
大石さんがぴたぴたと頬を叩いている。
…全然気持ちよくなかったので、すぐに目が覚めた。
「…あ、…………んん、…すみません、…すっかり寝込んじゃって……。」
ぬっと鼻の先に何かを突き出された。
…鉄の塊? ………コーヒー缶だった。
「ぬるいですがね。甘いカフェオレなら、常温でも結構飲めますよ。」
「………あ、………どうも……。」
機械的にそれを受け取り、プルトップを開ける。
……ぬるくて甘いコーヒー飲料の喉越しが、…寝ぼけていた頭を覚醒させていった…。
…眠気が晴れると…、どうして車が停まっていて、コーヒーを差し出されたのか…その理由が知りたくなった。
運転席にいたはずの大石さんは、いつの間にか後部座席に移ってきている。
………何だか急に嫌な予感がした。
先日の、図書館での詰問が思い出される。
……しまったと思ったときには、もう遅かった。
…今日という今日は、逃げ出すことはできそうにない。
…大石さんの納得する答えを聞けるまで…俺を解放する気はないようだ…。
「なっはっは…、そんなに構えられても困ります。別に取って食おうってわけじゃないんですから。…前原さん。」
大石さんはコーヒーをぐっと飲み干してから大きく伸びをし、リラックスを演出して見せた。
…だが俺の緊張は高まっていくばかりだ。
「………お、……俺に、…また何の用ですか。」
「用? …いえいえ、別に別に。」
この期に及んではぐらかすか…。つくづく腹の底の読めない男だと思った。
「私からは用はないんですが。…前原さんから私に用があるんじゃないかと思いましてね。」
「……別に、……用なんかないです。」
「ありゃあ…。本当に? あるんじゃないですかぁ? んっふっふっふ…!」
このワゴン車の後部扉は片側にしかなかった。…つまり、大石さんが塞いでいる側にしか扉がない。
………逃げられないってことだ…。
…………力なく俯き、…だんまりを決め込むしかなかった。
大石さんはその沈黙をものともせず、のんびりとタバコをふかせ始める…。
…虫の声が、無限とも思える時間をもっともっと長く感じさせていた。
「……前原さんから相談したいことが、きっとあったと思ってたんですけどねぇ。」
大石さんが、ぷかーっと煙を噴き出す。
…窓を開けても、紫煙は車内にこもるばかりだった。
大石さんは…どこまで知っているんだろう。
…何を知っていて、俺から何を聞きたいんだろう。
………知れば消されてしまうなら、……俺が話せば、やはり大石さんも消えてしまう…?
……大石さんに限っては、別にその心配をする必要はない気がした。
「……どうしてこんなことになっちゃったんでしょうねぇ。」
大石さんが独り言っぽく、俺に語りかける。
…どうしてこんなことになったかって…?
そんなの知るものか…。むしろ…俺が知りたいくらいだ。
「……富竹ジロウさんと鷹野三四さん、ご存知ですよね。お祭りの時、園崎詩音さんを含めて4人で一緒におられたのを、…私がこの目で拝見してますから。」
「……………………………………。」
「その富竹さんと鷹野さん、…今どうしておられるかご存知ですか?」
「………………………………。」
「実は、…お亡くなりになってましてねぇ。気の毒な死に方でした。」
………それは、きっと大石さんにとっては、俺を驚かすための切り札のつもりだったのだろう。
…だがすでに知っている俺は、過敏な反応は示さない。
「……おんやぁ? ひょっとして……ご存知でした?」
…この問いかけに関してだけは、無言でいることが肯定の答えとなった。
「じゃあ…こっちもご存知かなぁ。…富竹さんと鷹野さんが「タタリ」に遭われた理由の方です。
………何でもですね、入っちゃいけない、禁断の建物に入ったからだって言われてるんですよ。」
……祭具殿。
……雛見沢の血塗れの過去を封印した、禁断の倉庫。
…すべての誤りの始まった場所…。
「村長さんや古手梨花さんも、…そのせいで祟りに遭われたんだという噂はご存知で?」
……………俺と詩音のせいで、…ということなのだろうか…。
…確かにそうだ。…俺と詩音が…打ち明けたばかりに……。
「祭具殿って言いましたっけ。…あそこの鍵を簡易なものに付け替えたから賊に入られたんだって言うケチがついてるらしいんですよ。」
…………………え?
初耳な話に耳が動く。
「一昨年くらいまでは、祭具殿にはでっかいカンヌキとでっかい錠前がいくつも付けられてたらしいんですよ。
ところがほら、神主夫妻がお亡くなりになられて、今は古手梨花さんが切り盛りされているでしょう?
カンヌキが重くて大変だから、もっと軽い簡単な錠前に付け替えて欲しいと村長さんに相談したらしいんですよ。」
………そのでっかいカンヌキの話は知らないが、…確かに簡単な錠前だった。
…そんなに大事な祭具殿のカギには似合わないくらい安っぽい錠前だった。
「…梨花さんはあの通り、小柄な女の子ですからねぇ。錆付いて重くなったカンヌキはしんどかったんでしょうなぁ。…で、村長さんが職人を手配して簡単な南京錠でカギができるように付け替えたんだそうです。」
「……それが……どうしてケチがつくことになるんですか…?」
「つまりですね。…前の厳重な錠前なら賊には忍び込まれなかった、…村長さんと梨花さんが、勝手に安っぽいカギに替えたから賊に破られたんだ、と……こういう話らしいんですよ。」
「………そんな話……、」
「…そういう話がまかり通ってて、一部の村人たちが祭具殿に忍び込んだ賊と、賊に破られるようなカギに替えた村長と梨花さんを罰したんだ…。…なーんて話があったりなかったりしてるんですよ。…前原さん。……どう思います?」
「…ど、どう思うって、……その一部の村人ってのもよくわからないし…、」
「御三家ってご存知ですかな? 綿流しのお祭りの開会式典で、各家の代表がそれぞれ挨拶をなさっているでしょう。見ていません?」
「……祭りには…途中から来たから…よくは…。」
「御三家ってのは雛見沢の旧家の3つの家のことなんです。具体的に言うと、公由家、園崎家、古手家の3つのことです。…本当に古い家筋らしくてね。
大昔から、村の決め事は御三家が合議して決めるんだといわれてます。」
公由家ってのは……公由のお爺ちゃん、…つまり、村長の一家か。
園崎家は…魅音の家。
…で古手家ってのは……梨花ちゃんの家か?
「園崎家が戦後に一気に勢力を拡大しましてね。例のダム闘争で反ダムの旗頭になってからは事実上、雛見沢を牛耳るトップに躍り出ました。
でもですね、古いしきたりに従い、今でも重要な村の方針は御三家で合議して決めているんだそうです。
だから、綿流しの開会挨拶も、御三家の党首がそれぞれなさるんですよ。…つまり、村長と園崎家の現当主のお婆さま、そして古手家の最後の1人、梨花さんです。」
「……………園崎家が大した家柄だという話は聞かされてたけど、…梨花ちゃんの家も…そういう旧家だったのか。」
「…まぁご存知の通り、親族はまったくおられませんから。古手家は事実上、まったく勢力を持ちませんがね。ただ、梨花さん個人には求心力があるようで、村のお年寄りには妄信する方が多いと聞いています。」
……確かに、梨花ちゃんが年寄り連中に妙なカリスマがあるのは間違いない。
「…で、……その御三家ってのが何だって言うんですか。」
そこで大石さんはもったいぶるように間を作り、新しいタバコに火をつけた。
「ここまで説明しても、まだ説明が足りませんかねぇ…。」
「……わからないから聞いてるんです。」
大石さんは意味深な苦笑いを浮かべてから、ふーー…っと、煙を大きく吐き出した。
「……御三家の人間が相次いで消されてるんです。どういうわけね。…雛見沢の内側の、古い因習か何かに基づいてるんじゃないかと読んでるんですが、それ以上のことはさっぱり。」
「そんなの、俺にとってだってさっぱりです。」
「ですからですから。…公由家、古手家の当主が消えたんですから、次は園崎家の当主が消えるんじゃないかな、
…なーんて思ったり思わなかったりしたりする今日この頃、いかがお過ごしでしょうか……なっはっはっは! なんちゃって…。」
「そ、…園崎家の当主って…だだ、誰だよ…?!」
「当主は園崎本家のお婆ちゃんなんですが、実質上の当主権限はもう孫娘の魅音さんに移行していると見て間違いないでしょうねぇ。」
昨夜、はきはきと大人たちに指示を下して梨花ちゃんを探させていた魅音の姿が蘇る…。
「み、…魅音が…?!
消える?!」
…思っても見なかった展開に…全身の毛が逆立つ。…そんな馬鹿な事って!!
「嫌でしょ。」
「あ、当り前だ…!!! そんなの…許せるものか!!!」
がっちりと。…大石さんが両手で俺の肩を掴み寄せた。
「では協力を、前原さん。」
「……………ぅ、」
「……園崎魅音さんについて、最近気付いたことを、何でもいいから話して下さい。」
乗せられた…?
そう思った時にはもう遅かった。
大石さんは鼻がぶつかるくらい間近に顔を寄せ…、俺の続く言葉を待っていた。
……気圧される…。この男の瞳から目が…離せない…。
…その時、ピーピーという音が聞こえた。…運転席からだった。
始めは無視していたが、しつこく何度も鳴るので、とうとう大石さんは俺を解放し、運転席に身を乗り出した。
「……もしもーし。ハイハイ、感度良好。」
助かった…。
もっとも、この隙に逃げ出せるわけではないのだが…。
「………そうですねぇ。ハイハイ。…では戻りましょう。ハイハイ。ハイハイ。」
…どうも、戻って来いという内容らしい。
…開放されるとわかり、全身の力が抜けるのがわかった。
「そろそろ戻らないといけないみたいです。んー、これからがいい所だったんですが…残念ですねぇ。」
大石さんはガラリと扉を開けると、一度表に出てから運転席に回った。
扉は開け放たれたままだ。……出てもいいということなのか…。
「前原さんは友達思いの、今どき感心な若者です。友人のことを警察にしゃべると、なんだか裏切っているような気持ちになるの、よくわかっていますよ。」
「…………………………。」
「前原さん。一晩差し上げますから、ゆっくりお休みになってよく考えて下さいね。…前原さんのほんのちょっとの勇気が、結局、大勢の友人を救うことにつながるかもしれないのです。」
……犠牲が梨花ちゃんや沙都子だけに留まらない、と言いたいのか。
「わかってると思いますが、綿流し以降、毎晩何かが起こります。…これまでは毎年1回だった祟りが、今年は連日。本当に景気のいい年です。」
「…そんなの、景気がいいなんて言いません。」
「一昨日、昨日、そして今日。明日の晩も起こらないなんて保証、どこにもありませんよ。それを未然に防ぐのが私たちの仕事ですが、それには前原さんの協力が不可欠なんです。」
開け放たれた扉から表を伺うと…なんとそこは自分の家の真正面だった。
…この男に、自分の名前と住所を知られているのはいい気がしなかったが、…今は眠い。…もうそんなことはどうでもよかった。
「……ま、今日はもう眠いでしょう。もう3時になりますからね。どうぞごゆっくりお休みになって下さい。」
「…はい。では……失礼します…。」
ワゴン車から降りようとした時、まるで追い討ちのように、大石さんが語気を強めて言った。
「私、前原さんが話す気になってくれるまで、毎日来ちゃいますからね? ……取調室で自白を強要っての、もう時代じゃないと思いますんで。」
何も言い返せなかったが、扉をバタンと強く閉じることが、ひとつの返事になったようではあった。
クラクションを軽く鳴らした後、大石さんの車は去って行った…。
それを見送らず、俺は玄関へ向かう。
……カギはかかっていたがチェーンはかかっていなかった。
カギを開き、玄関へ。
…階段へ。
……………意識はここで途切れた。
■10日目深夜幕間 TIPS入手
10深■スクラップ帳より\
<園崎家について>
戦後、急激に勢力を広げたのが園崎家である。
その時の当主が、今日でもその座にある園崎お魎(おりょう)である。
園崎お魎も高齢で、今日では当時の片鱗を見ることもかなわない。
だが、伝え聞く話では歴代当主の中で最高と讃えられる名当主だったらしい。
すでに高齢で、週に何回かの習い事に出掛ける以外は自宅で静かに過ごしており、セレモニー的なものは跡継ぎである魅音に委ねることが多いようである。
(なぜ当主の跡継ぎが娘でなく、孫娘である魅音なのかは諸説があるが、娘夫婦の勘当騒ぎが絡んでいると噂されている。)
園崎魅音という奔放な娘に、まだ次代当主としての貫禄は見られない。
だが、園崎家の血を引き、鬼の名を許される以上、恐らくは巧みに爪と牙を隠す、(過去の当主たちと同様)油断ならぬ人物であるに違いあるまい。
10深■園崎家の老当主は?
(深夜の車中のイメージ)
「はい。郵便局員も目撃してないそうです。…園崎本家は、郵便受けにハンコが吊るしてあるそうで、書留も宅急便も勝手にハンコを押して投函していい事になってるんだそうっす。」
「なっはっは、そりゃ無用心ですねぇ。…ってことは、最後の目撃はいつになるんです?」
「綿流しの開会式でした挨拶が最後です。その後すぐに帰宅したらしいっすから。」
「高齢ですからねぇ。…話じゃ、週に何回かお稽古事で外出してるそうじゃないですか。そっちはどうです?」
「毎週月曜に集会所で大正琴を習ってるんですが、今週は休んだそうです。」
「欠席の電話とかは? それを誰かが確認したとかは?」
「いえ、誰も。ただ、たまに休むことがあったらしいので誰も不審には思わなかったようです。」
「明日さ、10時くらいになったら市役所のふりして電話してみましょうかね。在宅を確認してみて下さい。」
「10時ですね。了解っす!」
雛見沢の古い因習が関わっている気配が濃厚になった頃から、御三家をこっそりと監視していた。
今日までに御三家の公由家の当主と、古手家の当主が消えた。
残る当主は1人。
園崎家当主の園崎お魎。(そのざきおりょう)
高齢の婆さまらしい。
威厳は衰えないものの、人前に姿を現すことは稀だそうで、確認がなかなか取れなかった。
…その最後の当主も、綿流しの日に目撃されたのを最後に、誰からも目撃されていない。
園崎本家の中にいて今も健在なのか? …それとも……もう?
「園崎魅音が言うには、体調を崩して寝込んでるんだそうです。」
「本当に寝込んでるのかなぁ。顔と脈を見てみたいですねぇ…。」
「………………まったくっす。」
2人してタバコの煙を大きく吐き出す…。
「大石さん、…園崎本家と古手神社の捜査令状。申請、通ると思います?」
大石は特に答えず、再び紫煙を吐き出して、文字通り煙に巻いていた…。
10深■スクラップ帳より]
<秘められた「鬼」ついて>
自らに鬼の血が流れると信じている雛見沢において、「鬼」という字はとても神聖に扱われている。
例えば、名前に「鬼」の字を使うことは、公由家と園崎家の当主だけに許された特権だったらしい。
例えば園崎家の現当主、園崎お魎の名の「魎」の字にも「鬼」が加えられていることが見て取れる。
これこそが正当な園崎家の当主であることの証なのである。
これは跡継ぎである園崎魅音についても同じで、「魅」の字に「鬼」の混入が見て取れる。
後を継げなかったお魎の実の娘で、魅音の実母である園崎茜(あかね)も、勘当前は「蒐(あかね)」という名であったことが知られている。
ちなみに村長の名の「喜一郎」だが、この「キ」も、本来は「鬼(キ)」を意味するものであると考えられる。
ちなみに、「鬼」を使った名は、園崎家の跡継ぎの名だけに留まらない。
御三家の苗字にも、「鬼」をこめたものが見つかる。
例えば、公由家の「公由」は、「鬼」の一字を分解して作ったものだろう。由・公の順に書き出せば、見事「鬼」の字を書き出すことができる。
続く古手家は、代々神職で、吉凶を占う「占い師(占い手)」だったことから「占手」の名に、鬼の角を加え「占」→「古」として「古手」としたと考えられる。
園崎家には、名前に鬼がこめられているせいか、苗字には鬼の字が見つからない。
綿流しの儀式を取り仕切る一族だったので、儀式の内容をそのまま苗字にしたものと思われる。
「崎」は「裂き」の読み替えで、「園」は、その形状から複雑な内容(内臓)を四角で包んだもの、「人体」の暗示であろう。
つまり「腹を裂く者」」→「園崎」となったのではないかと考えられる。
10深■請求却下
(早朝のイメージで)
「あ、お疲れさまです!!」
「どうです? 何か手掛かりはありました?」
…署員たちが残念そうに首を振る。
皆、疲労が色濃く出ている。
無理もない。綿流しの日から一睡もしていない者ばかりだ。
「課長。若い子から交替で仮眠取らせてあげて下さい。ここからは長丁場になりますからねぇ。無理せず、体を休めながらのんびり行きましょ。」
「みんなには交代で休めって言ってるんだけどね。みんな遠慮してなかなか休んでくれないんだよ。…大石さんからも言ってくれないか。」
「ありゃありゃ。みんな、遠慮しないでいいんですよ? 小宮山くん。若い子から順に交代で休ませてあげて下さい。」
「小宮山さん。そうしてあげてください。」
課長に重ねて言われ、小宮山くんは席を立った。
「で、課長。例の請求なんですけど、まだ駄目そうです?」
「…第一、村人の噂だけなんでしょう? もっと具体的な証拠がなければ難しいよ。」
「その証拠があの中に詰まってるかも知れないんですよ?」
「その証拠が中に詰まっているという証拠が必要なんだよ…!」
「課長〜。ナゾナゾやってるんじゃないですよ? 死んだ2人を含む4人が綿流しの晩に祭具殿と呼ばれる禁断の蔵に無断で入り込み、それを何者かが見ていた! ここまでは信頼できる情報なんです。」
「情報と言ったって、あくまでも噂だよ。証拠があるわけじゃない。」
「そりゃまぁ、4人が頬かむりして忍び込む写真はありませんがねぇ。
とにかく、4人は祭具殿の中で何かを見たんです! 消されるくらいの何かを!」
「消されるくらいの何か? それは何だい。」
…だから〜…それを調べるために令状を請求してるんじゃあないですか…!
「園崎家絡みの暴力団関係が有力候補ですなぁ。トカレフの山か、ケシの密造工場か。園崎家の隠し資産ってのも捨てがたい辺りです。」
「…大石さん、気持ちはわかるけど! あの祭具殿ってのは古手神社にある神聖な建物で、地元の人間への相当の配慮が必要な建物なんだよ。」
園崎議員から署長に延々1時間に及ぶ電話があったって聞いたけど。…課長、ひょっとして署長に釘を刺されたかな?
「とにかく! 相当の証拠がない限り、祭具殿の捜査令状は取れないよ。園崎本家への令状も同じだ! 特に園崎本家への捜査は四課と県警の暴対が絡んでる。入念な事前調整がいるんだ!」
「……調整がいるってんなら、私、直接乗り込んで付けてきてもいいですよ? 四課長はシゲちゃんでしょ? 暴対は山海さん。隣の雀荘で話した方が早そうな面子ですねぇ。」
「か、課長にお客様です…! えっと、…ぅわ!」
案内してきた署員を弾き飛ばして、紋付袴でヤクザの親分みたいな格好のジジイが入ってきた。……電話だけじゃ飽き足らなくなったかな?
「わしは議員の園崎じゃ!! 責任者を出さんかッ!!! 早ぅせいッ!!」
「ど、どうも…! 私が課長の高杉でございます!!」
「お前の名刺なぞ要らんわ!! お前なんぞ、いつだって閑職に飛ばせるんじゃぞ! それにお前だけでは足らん! 大石とか言う男も呼ばんか!! 神聖な古手神社に捜査令状なんぞを請求しおったバチ当たり者じゃッ!!!」
「も、申し訳ございません…! お、大石はただいま捜査に出ておりまして、なかなか連絡が付き難く…私が代わって承りますので…! ど、どうぞ、おかけください!」
課長が今のうちに消えろと目で合図する。
…ここはひとつ、厚意をありがたく頂戴しますかね…。仮眠室でちょっと横になるかなぁ。
「良いかッ?! 古手神社はそもそも皇暦2600年に継ぐ2500年の歴史を有する、神聖にして侵すべからずの聖地なのじゃ!! 八百万の神々とオヤシロさまと先祖の霊を祀り、日が昇りてから沈むまで。月が昇りてから沈むまで雛見沢を見守る尊い神社なのじゃ。それを土足で踏みにじろうという馬鹿がいるッッ!!!
そもそも信仰の自由は憲法で定められた国民の最も尊い権利であろうが!!! それを自らの捜査の怠慢を口実に汚そうという魂胆ッ!!! こんなものは断じて許せんぞッ!!! 聞いておるのか大虚けがッ!!! わしを怒らせてただで済むと思わん方がいいぞぉおおぉッ!!!」
■11日目
……見慣れた天井。
…はっきりしない意識の中だが、自分がいつもの朝のように布団の中にいるのだけはわかった。
時計を見ると、…あんなにも遅くに床に就いたにも関わらず、いつもの目を覚ます時間びったりだった。
これだけ寝不足でも…、毎日の決められた時間に起きられるものなのか。
……人体の神秘に驚くと言うか、呆れるほかない…。
このまま寝直せば、絶対に目を覚まさないだろう。……自らの体に鞭打って、布団を抜け出す。
朝食の場でお袋に昨夜のことを聞かれた。
……うちにも梨花ちゃんたちの所在を尋ねる電話が来たらしく、お袋もただならぬ事態をうすうす理解しているようだった。
「…じゃあ、昨夜はお友達とみんなで、夜遅くまで探してたの?」
「………………3時くらいまでかな。…………うん。」
「……結局、見つかったの? その、梨花ちゃんと沙都子ちゃんは。」
シャク。
…………味気なくトーストを噛む。…本当に味なんかしなかった。
その時、ぴんぽーんというチャイムの音が聞こえてきた。
時計を見上げると、レナとの待ち合わせ時間を5分くらい過ぎたところだった。……レナだ。
「……おはよ。…少しは眠れたかな? かな?」
「…何時間寝れたんだろな。…多分、ニワトリの足でも数えられるくらいだと思う。」
「あはははは。」
レナもやはり寝不足のようだ。…いつもの元気が、少し足りなかった。
「……学校、…行くか?」
「うん…。……その方がね、きっといいと思うの。」
硬いながらも笑顔で、そう言った。
…レナだってあの2人のことが心配で心配でたまらないはずなのだ。
…だけど学校へ行こうという。
「……今日をお休みしたら、きっと圭一くんは病んで病んで、寝込んじゃうと思う。…私、そんなの嫌だから。…だから一緒に学校に行こ。」
「…………わかった。ちょっと待っててくれ。すぐ支度するから。」
レナの精一杯の気配りが、…ほんの少しだけうれしかった。
魅音との待ち合わせ場所に来たが、魅音の姿はなかった。
…今日は少し遅れ気味なくらいだから、先に待ってると思っていたのだが…。
「……魅ぃちゃん、さすがに今日は起きられないかもね。」
「あ、…そうか。……あいつにとっては昨日だけじゃないんだよな。…一昨日の晩も、村長さんを探して徹夜してるんだよな…。」
ほんのしばらく待った。…もう行ってもいい時間になり、二人して顔を見合わせる。
「どうする…? もう少し待つか?」
その時、ようやく朝の空気で起き出してきた脳が、…昨夜、大石さんに言われた不吉な言葉を思い出させる。
……御三家の当主が次々と消えている。…次は…園崎家の当主が消えるかもしれない。
まさか魅音、……………………そんなはずは……。
「………行こ。今日は寝かせておいてあげようよ。」
レナが軽く背中を叩く。
「……魅音、……本当にいるよな。」
「ん? 何か言ったかな?」
「あ、…いや、独り言。……行こうぜ。」
俺たちは2人だけで学校へ向かう。
途中で、親と一緒に登校するクラスメートを何人も見かけた。
…車で学校まで送ってもらっているクラスメートもいるみたいだ。
校門にはなんと、校長先生が立ち番をしていた。初めてみる光景だ。
「おはようございます。おはようございます。」
保護者たちに頭を下げる校長。…その脇に立てかけられた木刀が、何だか不気味だった。
「前原君、おはよう。竜宮君、おはよう。」
「…お、おはようございます。」
「すぐに先生から大切なお話があるから、すぐに教室に入るように。…いいかね。」
俺もレナも、何も言わなかった。
………夜だけの狂気が、ついに日の下にも滲み出してきた…。…そんな感じだった。
「皆さん、おはようございます。」
ついさっきまで蔓延していたヒソヒソ話は、先生が来た途端にウソのように掻き消えた。……シンとした静寂のみが支配する。
先生と一緒に校長先生までもが入ってくる。……明らかに普通ではない朝だった。
「…まず、校長先生から大切なお話があります。…校長先生、どうぞ。」
咳払いをしてから、校長が壇上に上がった。
「………もう知っている生徒もおるだろう。」
……シンとした教室。
……梨花ちゃんと沙都子の、空いた席にみんなの視線が注がれていた。
校長は短く簡素に、…梨花ちゃんと沙都子が行方不明になったことを告げた。
…知らない者は教室には誰一人いなかった。……だが、それを事実として受け入れられない者は、……かなりいるようだった。
それが、校長の言葉により、事実として認識されたのだ。
……教室のあちこちからすすり泣く声、…嗚咽が聞こえだす。
…それらは少しずつ教室全体に染み渡っていった…。
…豪放な校長も、いたたまれない様子だった。
「はい、皆さん、注目注目! 今日から当分の間、登下校は保護者の方と一緒に行ないます。保護者の方の都合が付き難い生徒は集団での登下校とします。プリントを作りましたのでよく読み、保護者の方にも必ず見せて下さい。いいですね!」
先生の口調もどこか角があった。
……先生だって、未曾有の異常事態に緊張を隠せないのだ…。
いっそ休校にすればいいのにと思った。
だがレナに言わせると、学校は両親が共働きしている生徒の託児所のような一面もあるので、休校を望まない保護者もいるとのことだった。
「では、授業を始めます。……委員長、…はお休みですね。では日直、号令!」
「きりーーーーつ、」
こんな狂った日常になってしまったからこそ、学校という空間だけでもいつのも日常を保とうという気持ちには、……今だけは賛成だった。
■レナの推理
いつもは職員室でお昼を取る先生も、今日は教室で食事をしていた。
……噂どおりのカレー弁当に苦笑するが、共に笑ってくれるクラスメートはいなかった。
レナが自分のイスと弁当箱を持って俺の席へやって来る。
…今日は…仲間は俺たち2人しかいないのだ。…机を寄せる必要がないことが…悲しかった。
「…眠いね。」
「…あぁ。…でも、もうそんなに気にならなくなったよ。…むしろ、今、寝れるくらいの図太い神経がうらやましい。」
「あははは、そうかもね。」
朝こそ眠かったが、…登校してからずっと張り詰めている緊張の空気で、すっかり眠気は散ってしまった。
レナの弁当箱にはいつもの精彩がない。
…当然だ。
昨夜はレナだって相当遅くまで起きていた。
…弁当の下準備をする時間なんかなかったのだろう。朝、早く起きられたわけでもなかったろうし…。
「…遠慮なく突っつけよ。今日は素直に俺の弁当の方が立派なのを認めろ。」
「じゃ、じゃあ…遠慮なく頂くね。…わ、しそチーズのちくわ巻きなんて面白いな。」
「レナのだって、今日のはレトルトだろうけどなかなかうまいぞ。」
……互いに、少しでもいつものお昼の雰囲気を盛り上げようと必死になっているのがわかった。
……教室を見渡すと、…そんな努力をしているのは俺たちだけで、回りは相変わらず暗い雰囲気そのままだった。
「……うふふ! こうして2人だけでお弁当を突っつき合ってると…何だか…、その、…………何だかだよね! …はぅ〜。」
「ははは、……はは……。」
「………………あははは。」
俺たちの笑い声が…小さくなる。…先につまづいたのは俺だった…。
「ごめん。……その、……悪かった。」
「………うぅん、いいよ。……仕方ないよ。」
二人して…、…箸が止まる。……これ以上はもう無理だった。
「……梨花ちゃんと沙都子、……どこに行ったんだろうな。」
あまりに惨い言葉だったかもしれない。
…誰もが思いつつも、遠回しに言っていた言葉を…あまりに直接に言ってしまった。レナが息を呑むのがわかる…。
「………………昨日ね、圭一くんがいなくなってる間にいろいろと話を聞いてたから、…レナの知ってる限りを話すね。」
「………………昨夜はすまなかった。……頼む。」
レナは俺がいなくなっている間、応援に来た婦人会の人たちと一緒に味噌汁の炊き出しを手伝っていた。
村人たちが集めてきた情報が逐一報告されてきたので、レナはそれを聞いていたのだと言う。
「……でも、結局何もわからなかったんだろ? 学校が終わってから家に帰って、2人で自転車に乗ってどこかへ行ったらしいということ以外はまったく…。」
昨日、魅音もそう言っていた。…手がかりは皆無だと。
「…うん。……警察の人も、家に帰ってからすぐに自転車で遊びに行ったんだろうって言ってる。
…家に帰ってからすぐに自転車で遊びに行くところといったら、…町かもしれないでしょ。
……だから、興宮の町でいなくなったんじゃないかって結論になってるみたい。警察は明るくなってから捜査範囲を興宮にも広げるって言ってた。」
町でか…。
……それなら、雛見沢中を探しても見つからないのには納得がいく。
…でも…違和感がある。
……理由はないが、…何となくだ。
俺はあの日、恐らくとても重要なことを梨花ちゃんに打ち明けた。
…梨花ちゃんはそれに対して、自分に任せろと言った。…それから…えぇと、何て言ったっけ…。
そうそう、自分が頑張らないと、犬さんも大変なことになってしまうと言ったような気がする。
犬だの猫だの、……言葉の真意は今となってはさっぱりわからないが…、…梨花ちゃんなりに、一刻を争う表現だったように思う。
……くそッ!!!
あの時の俺は…不安なことを梨花ちゃんに一方的に押し付けて…逃げようとしてしまった!
よく考えれば…あの場は逃げるべきじゃない。犬や猫の話を…もっともっと詳しく聞くべきだったんだ。
…思い出せば思い出すほど…何たる失態ッ!!
……とにかく、…梨花ちゃんはとてものんびりと遊びに行けるような状態ではなかったと思うのだ。
……もちろん、証拠も確信に足りる根拠もない。ただの勘だ。
「……………町なんかに、…行くわけないと思うんだ。」
「圭一くんもそう思う? レナもそう思うよ。梨花ちゃんも沙都子ちゃんも、雛見沢でいなくなったに違いないの。」
ぎょっとしてレナに振り返る。
…今のレナの言葉には確信めいた響きが含まれていたからだ。
レナは応えず、弁当箱を持って廊下へ向かった。
「…お弁当箱を洗ってくるね。」
話を打ち切るようなタイミング。
…咄嗟に、教室では話しにくい内容なのではないかと直感する。
俺も慌てて弁当箱を持ち、レナの後を追う。
…レナは給湯室ではなく、あまり生徒の来ない裏の水飲み場へ向かって行った。
…じょぼじょぼと弁当箱を洗う。
…その間、レナは一言もしゃべらなかった。
そして、他の生徒の気配がないことを確認してから、ようやく口を開いた。
「…梨花ちゃんと沙都子ちゃんが町に遊びに行っていなくなったなんて、なんだか腑に落ちなくて………私なりにいろいろ、聞いたり、調べたりしたの。」
「…聞いた? 何を?」
「婦人会のおばさんたちにいろいろ。……昨日のお味噌汁、お豆腐がいっぱい入ってたでしょ。…富田豆腐店のお婆ちゃんも来てたの。」
……富田豆腐店。
…あぁ思い出した。
病院へ行く道の途中にある商店の並びのひとつだ。
風呂桶みたいな水槽の中に踊る、でっかい豆腐の塊がいつも涼しそうだった。
「お婆ちゃんね、昨日、学校の帰り道に沙都子ちゃんがお店に寄って、お豆腐を買っていったのを覚えてたの。」
「……豆腐? 学校の帰り道にだろ? それが何か手がかりになるのか?」
「いいから聞いて。…梨花ちゃんの家に行った時のこと、覚えてるかな?」
レナが水飲み場から離れ、梨花ちゃんの部屋を再現するように、両手を広げて空間を再現してみせた。
「……ガス台にお鍋がかけてあって、その中にお味噌汁が入ってたの。中にはお豆腐が多分、一丁の半分くらい入ってたと思う。残りの半分は冷蔵庫の中にあったの。
冷やっこにするつもりだったんだね。お皿に開けてサランラップがかけてあった。」
そう言いながら、まるでそこに梨花ちゃんの部屋があるように、歩き回りながら説明する。
「でもレナ、…それが何だって言うんだ。」
「圭一くん。お味噌汁のお豆腐って、本当に最後の最後に入れるんだよ。
つまり、お料理してた梨花ちゃんかもしくは沙都子ちゃんは、お夕飯の時間の直前まであそこに立って料理をしていたことになるの。」
「夕食の時間の…直前まで…?!」
確か…昨日は、2人の自転車が見当たらないから、2人してどこかへ遊びに行ったに違いないという事になったんじゃなかったっけ…?!
「三角コーナーのゴミを見たら、すごくぶきっちょだった。…食事やお弁当はほとんど梨花ちゃんが作ってるんだけど、たまにね、沙都子ちゃんがすることもあるの。だからその晩は沙都子ちゃんがお料理したんだね。」
「……それってつまり、……沙都子に関しては、遊びに行かず、…夕食の準備をしてたってことなのか…?!」
「うん。それで私、炊飯釜も見てみたの。…炊飯釜には2人分のご飯が炊けていた。」
「……ってことは、2人分の夕飯は作ったけど、2人とも夕飯は食べなかった。…そういうことか?」
レナが頷く。
「それで次に冷蔵庫の中も見てみたの。そうしたら、残り半分のお豆腐で作った冷やっこがあったの。それだけじゃない。お夕飯用に作ったおかずも何皿かあって、それらにはみんなサランラップがされていた。」
……残り物を翌日に取っておく時なんかに、よくサランラップをするよな。
…うちのお袋もよくそうして、朝飯にしたり弁当のおかずにしたりしている。
「そう。サランラップって、食べ残しとかを取っておくためにするものだよね。……冷蔵庫に入れたということは、少なくともその晩の内には食べないつもりだったということ。」
「………えっと……そういうことになるのか…?」
「圭一くん。もっとよく考えて。…お夕飯をまったく手付けずでサランラップしてあったんだよ? どういうことだと思う?」
「……えっと…じゃあ、……夕食を食べる必要がなくなったわけだ。…外食とか、出前とかで。」
「それも突然にね。前もって決まっていたらお料理なんかしない。…そして、お夕食は2人分用意されていた。
つまり、沙都子ちゃんは、2人で食事が出来ると、本当に直前までそう思って料理をしていたということなの。」
「……じゃ、じゃあ……、2人で遊びに行っていなくなったというのは…
間違いじゃないか…!!」
「そう。…つまり、いなくなったのはお夕飯が出来て、夕食に至るまでの本当にわずかな時間。…多分、7時頃くらい。」
「………そんな時間に、食事もせずに2人はどこへ行ったんだ…。」
「当然、そこに行き着くよね。…圭一くん、覚えてるかな? 折り畳み机が置いてあって、その上にお醤油や箸立てなんかが置いてあったのを。」
…そんなのもあったかもしれない。…覚えてない。
「お醤油の小瓶ね。空っぽだったの。もう一滴も入ってなかった。これじゃあ冷やっこは美味しくないよね。だから私、流しの下にある醤油の大瓶を探してみたの。」
「…よくそんなところにあるって知ってるな。」
「あははは、私も梨花ちゃんの家に行ってお料理したことあったから。」
レナは咳払いをしてからまた真面目な表情に戻る。
「でね、流しの下を開けてみたら、醤油の大瓶が瓶ごとなかったの。」
「……醤油の大瓶がない…と、どういう意味になるんだ…?」
「ここから先は全部、レナの想像だからね。……だから最後まで口を挟まずに聞いていてね。」
…昨日の夜。
沙都子はいつものように夕食の準備をしていた。
梨花ちゃんは食事ができるまでテレビを見ているのが普通だそうだから、きっとごろんと横になりながらバラエティ番組でも見ていたのだろう。
味噌汁に豆腐を入れ、もうすぐ夕食というところで、醤油が切れていることに気がついた。
そこで手の空いている梨花ちゃんが、醤油の大瓶を持って、ご近所に醤油を分けてもらいに行ったのではないか。
「…俺、ご近所付き合いってよくわからないんだが、…醤油なんかって分けてもらえるものなのか?」
「うん。雛見沢ではそんなに珍しいことじゃないよ。」
そして梨花ちゃんは、自転車に乗って醤油を分けてもらいに出掛けた。
だが、いつまで経っても梨花ちゃんが帰ってこない。
そこで沙都子は、梨花ちゃんが醤油を分けてもらいに行った家へ電話をかけた。
…うちの梨花がお邪魔してませんこと? こんな感じだろう。
相手は、きっとこんな感じで返事をしたに違いない。
「…うちに食事の用意があるから、沙都子ちゃんもいらっしゃい。梨花ちゃんはもう食べてるよって。…きっとそんな感じで呼び出したんだと思う。」
沙都子は悪態をつきながら、自分の作った夕飯にサランラップをかけた。
冷蔵庫に入れたのは明日の朝食や弁当のおかずに流用するためだ。
そして沙都子も自転車に乗った。梨花ちゃんのいる家に向かって。
「でも、…すでにこの時点でおかしいの。食事ってね、突然やってきた人に振舞えるほど、多めに作るものじゃないんだよ。」
百戦錬磨の主婦が、2人分も余るくらいに食事を作りすぎるなんて、普通じゃ考えられない。
「…たまたま、偶然作りすぎたことだって考えられるだろ…?」
「それでも、絶対に考えられない。」
レナはきっぱりと一蹴した。
「だって、…梨花ちゃんは、沙都子ちゃんががんばって作ったお夕飯がもう出来てることを知ってるんだよ?! どんなにお夕飯を勧められたって、沙都子ちゃんのお夕飯を無駄にするようなことをするわけがない。」
……状況証拠とレナの想像だけ。
…だがその説得力は…あまりにも力強かった。
今の、手がかりが一切ないこの状況を打破できる唯一の光明だったからだ。
「……じゃあレナ。…梨花ちゃんは…どこへ醤油をもらいに行ったんだ?!」
それこそが核心…!!
醤油をもらいに行くくらい心安くて、…沙都子が食事に招待されても不審に思わない。……それは誰だッ?!
レナはゆるく首を横に振った…。
「………レナの推理はここまで。…あくまでも想像だからね。警察の人とかには内緒にしておいてね。」
「隠すことはないんじゃないか…? 仮に半分しか合ってないとしても、きっとヒントにはなると思うぞ…。」
「圭一くん。……これって雛見沢の人を疑うって意味だよ。…確信もないのに村の人を疑えない。」
………………………。
何人かの女の子たちが弁当箱を洗いにこっちへ来るのが見えた。
…レナはそれで話を打ち切り、教室へ戻っていった…。
俺はひとり残り、にぎやかなセミの声に身を浸してみた…。
…整理してみよう。
…俺なりに。
…あれしか情報のないレナが、あれだけの推理をしてみせたのだ。
……なら、レナよりもはるかに多くのことを知る俺にしかできない推理があるはずだ…。
昨夜、大石さんも言っていたが、この事件は間違いなく雛見沢の内側で起こっていることだ。
……レナは信じたくないだろうが、犯人は雛見沢の誰かだとほぼ確実に決まっている。
まず事の発端は、俺たち4人が禁忌の祭具殿に忍び込んだことから始まった。
そして、その祭具殿への侵入は何者かに見られていた。
犯人たちにとって、祭具殿の禁忌を犯すことは、万死に値することだった。
……そしてその晩の内に、富竹さんと鷹野さんは犠牲になった。
残るは2人。
…俺と詩音。
だが、犯人たちの牙は俺と詩音に向く前に、…まず、詩音が打ち明けた村長に向けられた。
そして、次の牙は…俺が打ち明けた梨花ちゃんに…。…じゃあ沙都子は? …とばっちりか…?
打ち明けられて犠牲になった梨花ちゃんも悔しいが、…訳もわからずに犠牲になった沙都子は…さぞや無念だったろう…。
……全て…俺のせい…!!
次に消えるのは誰だろう。
今度こそ…俺と詩音なのか…?
…だが…どうして犯人たちは、俺と詩音へはさっさと手を下さないのだろう。
村長や梨花ちゃんたちを消すほどの行動力があるならば、どうして俺と詩音をさっさと消さないのだろう。
俺や詩音を襲うなら、…嫌な話ではあるが、まだ許せる。
……許せないのは、打ち明けられた人間を消す点だ。
…そう言えば、…昨日、詩音が、誰かに監視されている気がする、なんて物騒なことを言っていた気がする。
………じゃあ、…俺も誰かに監視されている…?
だが…不思議と今日までそう感じることはなかった。
…自らが元凶でありながらも、今日までそういう印象を抱いたことはない。
それは単に、俺が詩音よりも注意力が散漫で、無用心なだけかもしれないのだが。
………話が脱線した。…戻そう。
犯人たちが、なぜ俺や詩音を襲わないのか。
……ここにカギがあるような気がする。
…ひょっとして……、何か大前提が間違っているのだろうか…?
…………………………いくら考えても答えは出ない。
ただひとつ、わかることは、…俺はこの事件の当事者で、…全てが解決するまで見守る義務があるということだけだ。
昼休みの終わりを告げる振鈴の音が聞こえてくる……。
今夜も誰か消えるのだろうか。
……もしも誰かが消えなければならないのなら。…今夜こそ俺を消してほしい。…そして全てを終わりにしてほしい。
脳裏に昨夜の電話で叫んだ、詩音のヒステリックな声が蘇る。
…親しい者から順に殺していって、さんざん悲しい思いをさせてから殺すつもり…。
「前原くん、昼休みは終わりであるぞ。教室に戻りなさい。」
校長先生に促され、俺はお通夜のように静かな教室に戻っていった…。
■大石再び
下校時間には、たくさんの保護者が迎えに来ていた。…さながら幼稚園のようだった。
親の来ない生徒は集団下校。
決められた順路に従い、みんなで下校する。
下校中も、みんなは面白おかしいおしゃべりなどしなかった。
……まるで黙々と山中を歩く、疲れ切った登山者みたいだった。
……そうして、ひとり、またひとりといなくなり、最後には俺とレナだけになった。
レナを自宅まで送っていくことになっていたが、レナはそれを辞退すると言った。
「…本当にいいのか? ひとりじゃ無用心だぞ…。」
「レナを送った後、ひとりで帰る圭一くんだって同じくらい無用心だよ。…まだ明るいんだもの。大丈夫。」
「そうか。……じゃあ、気をつけてな。」
「うん。……あれ? …あれ、警察の人じゃないかな?」
レナが俺の家の方を指差す。
…家の前に車が停めてあった。
そこから降りてきたのは大石さんだった。……俺の帰宅を待ち伏せていたに違いない。
嫌らしくにやにやと笑いながらこちらにやってくる。
「…レナはもう行きな。あいつに絡まれると長い。」
「で、でも、どうして警察の人が圭一くんに用があるんだろ。…だろ。」
……………レナはいいヤツだと思った。
梨花ちゃんの失踪を騒ぎ出した時にも、俺になぜとは聞かなかった。
…あの時点から、レナは俺を疑ってもよかったのだ。
でも、今日までレナはあえて聞かないでくれた。……俺が打ち明けるまで、急かさないでくれた。
「…………俺は犯人じゃない。」
「そんなの知ってるよ。」
「…………でも、……事件に、……何の関わりもないとは…言い切れない。」
レナはいつもの笑顔で聞いてくれた。
…事件への関係を臭わせる俺にも、汚いものを見るような目を向けなかった。
「……今度、話すよ。」
「うん。……待ってるね。」
「…じゃ、早く行きな。」
レナは会釈してから小走りで駆けて行った。
…残される俺。その眼前にやってくる大石さん。
「どうもどうも。お帰りなさい。前原さん。」
「……どうも。」
「ご家族はお留守みたいですねぇ。いやはや、困っていたんですよ。」
…家にまで来たのか…。…両親不在の幸運に感謝するしかない。
…この時間に2人揃っていないということは、きっと帰りは遅くなるだろう。
「…親父の仕事の関係で出掛けてるんだと思います。帰りは遅いと思いますよ。」
「そうですか。それはそれは好都合です。…親御さんに変な思いをさせずに済みます。」
大石さんが俺の背中を押し、歩くよう促す。…どうも自分の車に乗せる気のようだった。
「……警察に連行するんですか。」
…俺は犯人じゃないが、……全ての元凶だ。
取調べられてもおかしくない。
そういう意味ではある種の諦めに似た感情もあった…。
「いえいえ、立ち話も何ですから、車の中でお話しようってだけですよ。さぁさ、どうぞどうぞ。」
後部座席を開け、入るように勧める。
……これに乗ってしまったら、簡単には開放されないだろう。
…だが、……嫌だと言えばこの男のこと、本当に手錠をかけて連れて行くかもしれない。
……断っても駄目なら、潔くするしかなかった。
車内は効き過ぎたクーラーと、あまり掃除をしていないフィルターのかび臭い匂いで満ちていた。
「ありゃ、冷えすぎます? 切りましょうか。」
エンジンを切ると、急に静かになり、涼しさと寂しさを持ったヒグラシの声が忍び込んできた。
……カナカナカナカナカナ。
それは、自分の浅はかな好奇心が招いてしまった、あまりに大きすぎる代償を嘆く声の合唱に聞こえた。
しばらくの間、……その声を聞きながら、俺もまた、あの晩から狂い始めてしまった日々を…嘆く。
大石さんも、俺が自発的に話すのを待っているつもりなのか、タバコに火をつけ、ひぐらしの声に耳を傾けている…。
沈黙が耳に痛くなり…先に折れたのは俺の方だった。
「……捜査の方はどうなってるんですか。」
「捜査? 何のですか?
最近はいっぱいあり過ぎて、どれのことやら。んっふっふ!」
「全部です。」
「……いいですよ。本当は報道管制の敷かれた秘密捜査なんですが、あなたには特別に聞かせてあげましょう。…じゃあ最初の事件から行きます?」
…綿流しの晩の、富竹さんと鷹野さんの怪死。
「……こっちはお恥ずかしいかな、…さっぱり進展なしです。
まずは富竹さん。集団で暴行を受けた形跡はあるのですが、自分の喉を掻き破るなんて異常な死に方の説明がつかないんです。
…覚醒剤なんかの薬物中毒を疑っているんですが検出はされませんでした。」
「鷹野さんはどんな感じなんです…?」
「同じくさっぱりです。焼死死体は検死が非常〜に困難でして。首を絞められた後にガソリンをかけられたんじゃないかと見ています。
…管轄が岐阜県さんでね。あちらさん、自分たちの縄張りの事件だからって、あんまり協力的じゃないんですよ。
…おっと、これは関係ない話ですね。」
……不可解な死だという以上のことは、何もわかっていないということか。
「ですが、犯行時間は概ね、お祭りが終わった直後だろうと見ています。……鷹野さんの方はちょっとあやふやですが、富竹さんとほぼ同じ時刻に殺害され、岐阜の山中に遺棄されたと考えるのが妥当でしょうなぁ。」
「……どうして、わざわざ遠くの山まで死体を運んだんでしょう。…富竹さんも同じように遠くへ運べばよかったのに…。」
「ありゃ、…前原さん、あなた、なかなかどうして鋭いですねぇ! もちろん私もそこは注目すべき点だと思ってますよ。…他にもいくつか不審点はありますが、…まぁ現時点でお話できるのはこのくらいです。」
「……村長さんの方はどうですか? 何か手がかりはありましたか?」
話題が尽きると、次は自分にお鉢が回ってくるかもしれないと思い、次の話題を向ける…。
「失踪された一日の足取りを調べました。…手がかりになるようなものは見つかりませんでしたが、一応、お話しましょうか。」
村長、公由喜一郎。
…彼は重度の痔を患っていたという。
「古い生まれの方って非常にプライドが高いんですよね。…それで村長さん、誰にも内緒で鹿骨市内の某大学病院の肛門科に通われていたんです。失踪当日、村長さんは診察の予約が取ってあったんで朝一で出掛けられました。」
大学病院みたいな大きい病院は、待ち時間がとても長いことは俺だって知ってる。
…予約があっても何時間も前から順番待ちをするのは当り前らしい。
「診察が終わったのは午後1時頃です。その後、病院内のレストランで軽食を取られ、雑誌を読みながら時間をつぶされました。…この辺りのことは自宅にあったお財布の中のレシートでわかってます。」
……不審な点はまったくない。
「その日は夕方から神社の集会所で会合の予定があったんです。
…それで余裕を持ってお帰りになるはずだったんですが、途中、電車で人身事故がありましてね。どうも、それで足止めを食ってしまったらしく、家についたのは会合の時間の直前でした。
ご家族が、大慌てで神社の集会所に出かけていく村長さんを目撃しています。」
「…会合ってのは何だったんですか。確か、その会合の帰り道に失踪してるんですよね。」
「会合は御三家と町会の主要役員が集まってのものでした。
今年も起こってしまった連続怪死事件の対応について協議したものと思われます。」
……それで……その帰り道に………。
詩音を可愛がってくれた爺さん。
…不安に押しつぶされそうな詩音を励ましてくれた、頼もしい人だったろうに。
……詩音の痛ましい声が胸に刺さる…。
「え?
……………………あれ……?」
「どうなさいました?」
自分で、自分の出した素っ頓狂な声に驚いた。……今、俺は、…何に驚いたんだ…?
今、一瞬気がついたことを頭からもう一度引き出すため、両手で頭を締め付ける。
……思い出せ前原圭一!!
今、気付いたじゃないか!! …大切なこと…!!!
綿流しの晩。
これが全ての始まり。
…その夜、鷹野さんたちが死んだ。
……翌朝、事件が雛見沢中に広がった。
夕方からの会合でそれを話し合うことになった。
だが村長さんは病院に予約があったので、予定通り、家族にも内緒の病院へ向かった。
病院で診察を受け、
食事をし、
帰りの電車で思わぬ足止めを受け。
…帰宅した時にはもう会合の始まる時間だった。
村長さんは上着を着替え、自転車にまたがり、大急ぎで神社の集会所に走っていった…。
綿流しの晩の事件が耳に入ってから、…集会所に姿を現すまで。……村長さんの一日の行動は全て秘密だったことになる。
その間は誰にも知られることなく、
ひとりで病院で過ごし、
ひとりで食事をし、
ひとりで電車に乗ってきた。
……それは外部から一切接触できなかったことを示す。
電話ですら呼び出せない状態だった。
……でもそれが何だってんだ前原圭一…。
それがどうしたって言うんだ前原圭一…。
………………………………あ。
「…………………………………圭ちゃん、……私、……………どうしよう……。」
「…どうした。……話せよ。俺たちの間で隠し事はなしだろ…?」
「私、…………公由のお爺ちゃんに……打ち明けたんです。」
打チ明ケタンデス。公由ノオ爺チャンニ。
「……村長さんに、……私、あの晩、祭具殿に忍び込んだこと……打ち明けたんです。…誰かにそれを見られてて、……私たちを狙っている人がいるって。」
「………あぁ。…それで?」
「……公由のお爺ちゃん、…怒らなかった。
……そして、にっこり笑って、詩音ちゃんがちゃんと反省してるなら、鬼隠しになんかなるものか、…って。…本当に……笑いながら……任せなさい…って………。……ぅぅ…ッ!!」
全身に、玉のように汗が浮き出ていた。
……それらが一筋の汗となって、……つーっと…額から鼻筋へ、……伝い落ちていく。
………だからつまり、………何だってんだ……?
おい、…もうとぼけるのはよせよ前原圭一…………。
イツ、打チ明ケルンダ?
詩音は事件を知ったのを、朝、父親がしていた電話で聞いたと言った。
その頃、村長は病院の予約があったから朝一で家を出ていた。
行き先は誰にも告げてない。
……村長が大学病院へ行ったのは、誰も知らないことだ。
そして電車の事故で帰宅が遅れ、帰ってきたらすぐに集会所に飛び出して行った。
そして集会所で会合が始まり、…それは暗くなるまで続いた。
…そして解散。
…解散のあとは、もう目撃はない。…失踪するのみ。
つまり、…つまり、……つまり、………………えぇと………。
「前原さん? 大丈夫ですか? やっぱり熱いならクーラー入れますよ?」
「………………………………………………………。」
その先を考えることを、もうひとりの自分がやめろと脳を撹乱させる。
頭がカタカタと痙攣し…中に詰まったジュースを、わけわからなく…めちゃくちゃになるようにミキサーをかける。
やっと沈殿しかけたそれは、あっというまに粉々にぐちゃぐちゃになって形をなさなくなった…。
「…前原さん? もしもし?」
「…………………あ、……………はい。」
大石さんは何本目かのタバコに火をつける。
…吸殻入れにはもう何本もの吸殻が詰まっていた。
……それは時間の経過を示すものなのか。
…俺は、…そんなにも長い時間、思考を凍らせていたのか………。
「私、知ってる限りのことを話したつもりです。…お返しに、今度は前原さんの話を聞かせてもらってもいいですよね。」
「……………………………。」
俺の頭の中は…もう、ぐちゃぐちゃのジュースになっていた。
…脳みそだったものはミキサーの刃ですっかり摩り下ろされてしまっていて、……何も考えることなんてできない。
「ほらほら、また黙り込む。…もし誤解があるような先に解いておきたいんですがね。…私ゃ別に、あなたが犯人だなんて思っちゃいないんです。」
大石さんは、本人なりの精一杯のスマイルをして見せた。
「…あの晩、あなたたち4人が祭具殿に忍び込んだことは知っています。次の日にはもう村の、知る人は誰でも知る噂になってましたからね。…それ自体は不法侵入として問われるべきことですが、問題はそれじゃない。……そこで何があったかなんです。…忍び込んだ人間が次々と犠牲になるような、何があったのか。」
「……………何も、……なかったです。」
言ってしまってから、認めたことを後悔したが、…もう今さらだと思った。
「…本当に何もなかったんですか?
だって、現にこうして中に入った人たちが次々と犠牲になってるんですよ? しかも、扉のカギを付け替えた村長や梨花さんまで犠牲に。…それだけの事態を引き起こす、何があの中になったんです?」
もう黙っているのにも疲れ果てた…。
…これこそが大石の狙いなのだろうが、…もう今さらどうでもよかった。
「………大昔に使った拷問道具がたくさんしまってありました。…それを鷹野さんたちと見て回りました。」
「本当にそれだけ?」
「…本当にそれだけです。」
「口封じをされるような、とんでもない物が隠してあったんじゃないですか? …例えば、覚醒剤の山とか。ケシの秘密工場があったとか。あるいはソ連か中国辺りの拳銃が山ほど積まれていたと。不審な木箱やコンテナが山積みされてませんでしたか?」
大石さんが期待するような、…そんな大仰なものは一切なかったが。
……ある意味、充分にとんでもない物が隠してあったと思う。
それに、祭具殿を神聖だと思う側の人間から見れば、…俺が見て大した物だと思おうが思うまいが、どうでもいいことに違いない。
……あの4人は禁忌を破った。罰せよ。………そうなるはずだ。
「…あの祭具殿に、何か秘密があるんじゃないかと思って、捜査令状を請求したんですがね、……もーー、空前絶後の妨害工作がありまして。信仰の対象に対する侮辱であり、憲法で定めた信仰の自由を何たらかんたら…。いやぁもう! …だから実際に入ったあなたに聞くほかなかったんですよ。」
「……本当に、…古い、錆びて埃を被った拷問道具しかなかったです。……他に目立つものなんて何もなかったです。」
「…ふ〜む。……では、富竹さんたちが殺されたのは、禁忌を破ったからという、制裁だけなんですかね?」
……だけなんですかね、なんて言われたら返事のしようがない。
「……もういちいち隠しませんけどね。…あなただけが今日まで被害を免れてるんです。
あなた以外は全員が消えたのに、
あなただけが無事なんです。
…あなたが無事で、あなた以外が被害に遭う、どんな違いがあったのか? それが知りたいんです。」
…大石さんの言い方にどこか違和感がある。
…あなただけが、あなただけが。…何だって…?
「ちょ、…ちょっと待ってください。あなただけがって、…どういう意味ですか?」
「なははは、…ですから、あなただけが、最後の生き残りなんじゃないですか。
祭具殿に忍び込んだコソ泥4人組の。」
………最後の生き残り?
…ちょっと待って、…まだ詩音が…、
「あの晩に、富竹ジロウさんと鷹野三四さんが死に、翌日、園崎詩音さんが失踪しました。…あなただけが、無事に今日までを過ごしてるんです。…なぜあなただけなのか? 私はそれが知りたいと言ってるんです。」
「し、詩音が失踪したって?! そんな馬鹿なッ!!!」
思わず声を荒げてしまう。…でもそんなことはどうでもよかった。
富竹さんが死に、鷹野さんが死に、
…詩音が消えた?!
いつ消えたって…?!?!
この男は、何の話をしているんだッ?!?!
「…ありゃ、……とっくにご存知だったとばかり。」
「…そ、そんなのは初めて聞いたッ! 詩音が失踪した? いつッ!!!」
「えー、遡ると綿流しの次の日に失踪していたことになります。」
…遡ると、だって?! わけのわからない言い方を…!!
「園崎詩音さんは、その日の気分で親類の家を泊まり歩いたりしますので、所在不明が当り前なんですよ。学校も気分ひとつでよく休みますしね。先生も困り果ててました。」
「そんなことは聞いてないッ!! 詩音はいつ失踪したかって聞いてるんだ!!」
「ですから、綿流しの次の日です。」
…全身の体液が逆流していく…。
…平衡感覚がなくなり、…視界の全てのものがぐにゃりと歪み出す。
……とても自分を保っていられなかった…。
ちょっと待て、ちょっと待て。
……詩音がもう失踪してたって…?
じゃあじゃあ……、
俺ニ毎晩、掛カッテキタ、アノ電話ハ、…誰ガ掛ケテタンダヨ…。
毎晩かけてくれた。
励ましてくれた。
…消されてなるものかって、二人で頑張って生き抜こうと誓い合った。
……そう、あれは詩音からの電話のはず、詩音からの電話のはず、詩音からの電話のはず…。
「学校は平気で休むし、それを自宅に知らせても取り合ってもらえないから、学校もいちいち電話しない。…そんなこんなで、彼女が失踪したことに気付くのにだいぶ時間がかかったんですよ。」
全身の毛穴に針を突き立てたような刺激痛。
……それが背中から始まり、…全身に広がっていく。
…それは皮膚の表面を全て覆い尽くすと、…今度はお腹の内側にも広がっていった……。
「ほら、覚えてませんか? 綿流しの次の日に、私たち図書館でお会いしたでしょう。
あの時、詩音さんも居ましたよね。…あれが最後の目撃なんです。あの後、彼女の所在は確認されてないんです。」
「………そんな馬鹿な…。…………そんな馬鹿な……。」
あの日は、俺だけ大石さんに捕まって、…詩音はバイトを口実にひょうひょうと逃げた。
……そして夜、電話をかけてきてくれたじゃないか…!
「エンジェルモートっていうファミレスのバイトですよね。あの日から無断欠勤です。…今日に至るまで全てを無断欠勤しているんです。お店の人も連絡を取ろうにも取れず、困りきってましたよ。」
「………そんな馬鹿な…。…………そんな馬鹿な……。」
「状況証拠だけですがね。図書館でお別れしてから、バイト先に向かうまで。…この間に失踪したと考えるのが妥当でしょうね。」
……詩音が、……俺を置いて逃げ出した、…直後…?!
「ご存じなかったみたいですね。…なら、先に話せばもっと話が早かったかなぁ。もうこれでご理解いただけたでしょ。…あとはあなただけなんです。あなただけが、祭具殿に忍び込んだ4人の生き残りなんです。」
………そんな馬鹿な…。…………そんな馬鹿な……。
「次に何か起こるとすれば、それはあなたなんです。前原さん、どうかご理解を。」
……そんな馬鹿な、そんな馬鹿な、そんな馬鹿な…。
…詩音がもう、すでに、失踪してたって…?!?!
そんなはずはない、そんなはずはない。
…詩音とは一昨日も電話した。
昨夜も電話した。
そして今夜も掛かってくるはず。
それは詩音の電話、詩音の電話。…詩音から詩音から。
「詩音さんはとっくに失踪してるんです。…次は、あなたなんですよ。」
じゃあ…夜毎に掛かってきた電話は誰からなんだ。
夜毎に掛かってきた電話は誰からなんだ。
夜毎に掛かってきた電話は誰からなんだ…!!!
「そんな、………馬鹿ぁあぁあぁああぁあぁぁあぁあぁああぁあぁぁあぁあぁああぁあぁぁああぁあッ!!!」
■11日目アイキャッチ
■自宅にひとり
……ソファーに横になり、…ぼんやりと時間を過ごした。
すっかり頭の中が空っぽになり、……何を考えても形にまとまらなかった。
家には書置きがあり、親父とお袋は帰りが深夜になるから、ラーメンでも作って食べててくれ、とのことだった。
食べる気ならいつでも作れるし、…それに食欲も湧かなかったので、…何も口にせず、ただぼーっと天井を眺めて過ごした。
時計の針が…もうじき夜の10時を指す。
……今日も、…あの電話は掛かってくるのだろうか。
……すでに詩音は失踪しているのに。
……それでも詩音から電話は掛かってくるのだろうか。
その電話はどこから……誰から……。
考えれば考えるほどに……体が震え出す…。
電話線をいっそ引っこ抜いてしまおうかとまで考えた。
……自分に理性があとちょっと足りなかったなら、本当にそうしたに違いない。
…でも待てよ、前原圭一。
…大石さんも自分で認めたじゃないか。
詩音は所在不明なことが多いって。
大石さんの知らない親類の家で今日まで過ごしてたってのは考えられることじゃないのか?
俺も詩音も、何者かに狙われる身なんだから…、普段とは違う場所に身を隠そうと思ったって何の不思議もないはず…。
…だから大石さんは詩音の所在を見つけられず、失踪と決め付けてしまったに違いないのだ。
…そうだ、そうに違いない! 詩音は失踪なんかしてはいないのだ…!!
その時、自分の意志とは無関係に右手が動き、ピシャリと頬を叩いてくれた。
そのひんやりとした手の感触が、わずかな冷静さを取り戻させてくれた…。
「……………都合良く考えすぎるなよ、前原圭一……。」
……失踪を認めたくないのはわかる。
…それを認めるのは、…きっととてつもなく恐ろしいことに違いないからだ。
……電話の相手に、…詩音かどうか確かめればいい。
………詩音に、お前は本当に詩音かって確かめるのか…?
……それはとんでもなく滑稽な話に思えた。
「……でも、…逃げるな圭一。」
向こうが、自分が詩音だと思われているとまだ信じているなら、…それは俺にとってほんのちょっとの優位だ。
さり気なく…本当にさり気なく、…会話を聞き、受け、流す。…化けの皮を剥いでやるんだ…。
確かにそれはとても恐ろしいことだ…。
でも、……あの晩、祭具殿に忍び込んだ人間の、…最後の生き残りとして……俺がやらねばならない責務なのだ。
でも、……なら誰が……詩音のふりをして電話をしているんだ……?
電話の声とは言え…、そんな簡単に似せられるものじゃない。
…あの声は確かに詩音だ。…詩音にそっくり。…詩音そのものとしか思えない……。
……………………………いるじゃないか。
……詩音とそっくりに喋れるヤツが。
……魅音だ。
……………………魅音。………他に、…誰ができる……………?
この時になって…、本当に今さらのように……。
…今日まで魅音に感じてきた数々の違和感が…心の中にあふれ出す…。
祭具殿に忍び込んだことを詰問し、……呪いの言葉を吐きながらハシゴを揺らした。……他にも、…他にも、……………。
でも、……どうして魅音が……?
大石さんや詩音に聞いた、園崎家の話を思い出す…。
……魅音はいつも、事件の渦中にいて……全てを知り得る立場に居て……。
……その情報の中には、失踪後の「詩音」に聞かされたものも混じっていた。頭をガリガリと掻き毟る…!
勇気を…どうか勇気を…。
……今夜も掛かってくるに違いない電話を取る、ほんの少しの勇気を…!
逃げるのはあまりに簡単…。
でもそれでは…自分が消されるまでの準備期間を相手にのんびりと与えることと何も変わらない…。
逃げてはいけない…。
立ち向かわなくてはいけない…。
次に犠牲になるのは間違いなく……俺なのだから。
……「詩音」は言葉巧みに俺をワナにかけようとしているに違いない。
……用心せよ用心せよ…。…怖い怖い怖い…。…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……。
……………………その時、…鳴った。
どこから掛かってきているかもわからない、…電話が鳴った。
…詩音は消えていた。
…とっくに消えていた。
…綿流しの次の夜には消えていた。
なのに……、今日まで、…さも当り前のように電話がかかってきた。
…そしてそれは今夜も……。
………消された人たちは、…死体が見つからないだけで、…生きているとは到底思えない。
…なら、この電話の主が本当の詩音なら、……それはこの世ならざる場所から掛かってくる電話なのか…?
もちろん、そんなわけはない。
……生きている誰かが、詩音のふりをして電話をかけているのだ。
……詩音はもうとっくにいないのに、……詩音はさも健在であるように…。
諦めることなく、…電話は鳴り続けている。
電話に…出なくて済むなら出たくはない。
…だけど、それは何の解決にもならないとさっき自ら結論したばかりだ。
では……出てどうする…?
お前は詩音じゃない、お前は何者だ、と問い詰めてみるか…?
それとも、騙され続けているふりをしながら、……相手の尻尾を探ってみるか…?
「………………それが、…一番、安全かもしれないよな…。」
電話の相手が、自分が詩音でないことを見破られたと知った時、どんな行動に出てくるかが一番、怖かった。
…だが、騙され続けているように見せる限り、相手は極端な行動には出ないのでは…?
用心さえすれば、きっとそれが一番安全………。
……心に決める。
…電話を取ろう。
…そして、…さもいつものように話をしよう。
だが、…今日はそれだけじゃない。
…相手を探るんだ。
何者で、…何を考えていて、…何が目的なのか。
……何でこんなことをするのか。
富竹さんたちを殺したのは本当にお前なのか。
村長さんはどうなったのか。
……梨花ちゃんと沙都子をどうしたのか…!
受話器を取ろうとする腕が震える…。
聞きたいことが多過ぎて…、問い詰めたいことが多過ぎて…、…怖い。
とにかく電話を取ろう。…取るぞ圭一。取るぞ圭一!!
「……も、…もしもし。」
……詩音からの電話でなければ、どんなに心安らかなことか………。
「あ、圭ちゃんですか? 私です。詩音です。」
一瞬だけでも期待した、都合のいい淡い予感は、これ以上ない形で引き裂かれる。
…もう震えてもしょうがない…。覚悟を決めるんだ……………。
「電話、なかなか出なかったんで、お留守かと思って切ろうとしてたんですよ。」
「あ、…あぁ、ごめん…。ちょっとその…お風呂に入っててさ。」
「…それでもご家族の方が電話を取りませんか? ひょっとして……圭ちゃんの家、今、ご両親はお留守なんですか?」
失態だ…。
自宅に自分が1人しかいないという致命的な情報が伝わったことを悟る…。
「いや別に…留守ってわけじゃ……、そ、そそ、そんな事より!! 聞いたか?! 梨花ちゃんと沙都子の件。」
「いえ。…結局、あの後、どうなったんですか? 見つかったんですか?」
「…………………あぁ。…見つからなかった。」
「……圭ちゃん、どうか気を落とさないで…。」
………………………………。
……もしも、…俺が大石さんに何も知らされていなかったなら。
……俺はこの、詩音の気遣ってくれる言葉に薄い涙を浮かべることもできたかもしれない。
……だが、今となっては…その言葉をそのまま受け入れることは出来ない……。
…受話器の向こうのこいつが、…完璧に詩音であればあるほど、…恐ろしさが募っていく…。
「………………梨花ちゃんと沙都子は、………さらわれたんだよな…。」
「……はい。それは間違いないでしょうね…。」
………それがどれほど重要で、残酷な意味を持つのか…。
その言葉の重みに…愕然とし、…そして遅れて…意識が遠のきそうになる痺れが襲ってきた。
…梨花ちゃんたちはさらわれたのか、と問いかけた。
…それに「詩音」は「間違いない」と答えたのだ。
……それが意味する……残酷さ………。
「……………梨花ちゃんと、沙都子は、……あ、いや…ッ、えぇと……、あ、ごめん。…その………村長さんは、…さらわれて…どうなったと思う…? まだ……生きてるんだろうか…?」
梨花ちゃんと沙都子はさらわれてどうなった…?
そう聞きそうになり、慌てて口をつぐんだ。
その問いに、もしもあまりに恐ろしい答えが、…まるで他人事のように告げられたら…?
…それが怖くて、咄嗟に村長を引き合いに出してしまった。
…だが、結局のところ、村長にしたって梨、
「殺されちゃったんだと思います。」
「………お、………おいおい、………そんなにあっさり……。」
「…人間をさらって、その状態を維持するのってとても大変なことだと思います。…人質にするんでもない限り、用が済んだら殺しちゃうのが一番合理的じゃないかと。」
……………足元がぐらつくくらいに世界がたわみだす。
……目に映る世界が、時計回りにぐるりぐるりと渦を巻き、…俺を足元から飲み込もうとした。
…慌てて壁に手を付き体を支える。
…少し遅れて、激しい嘔吐感がこみ上げてきた。
今こいつは……何てことを……あっさりと言ったんだ…?!?!
「こ、ここ、殺しちゃうって、…そんなにあっさり…。ひ、人の命を何だと思ってやがるんだ…ッ?!?!」
「………恐ろしいことだとは思いますが。…多分、そうではないかと。」
村長が殺されたということは…、梨花ちゃんや沙都子も……同じ様に殺されたかもしれないということなのか…?!?!
…い、…いや、…そんなはずは……、どっかのジジイとはわけが違うぞ?!
梨花ちゃんだぞ?!
沙都子だぞ?!
そ…そんなにあっさりと……殺すはずは………!
「梨花ちゃんと沙都子ちゃんも、…同じだと思ったほうがいいでしょうね。」
「うわああぁああぁああぁあぁぁああぁああぁあぁああぁああああぁあああぁああぁああぁああぁあああぁああぁああぁあぁああぁぁああぁああぁああぁあぁああぁあああぁああぁあぁああぁああ…ッ!!!!」
一番聞きたくない言葉を…自らの絶叫で押し潰す。
…なかったことになんか、できないのに…それでも…、それでも、…俺は叫ばずにはいられなかった。
「ぁああぁあぁ…ぁあぁあ……ぁ………ぁ………。」
今度こそ、……涙がこぼれた。
昨夜からずっと避けてきた…もっとも恐ろしい結末を突きつけられ、…泣いた。
……それが…俺のせいであることは…もう疑う余地もなかった。
……俺が殺した。
……俺が梨花ちゃんと沙都子を殺した。
……俺が……、心の弱さに負け…、打ち明けてしまった。
…だから殺されてしまった。
…それは俺が殺したということ。
……あの時、梨花ちゃんの無垢な瞳に見つめられても…俺が屈することなかったなら!!
俺が、……俺が……俺が…!!!
………ぁぁ……ぁ……ぁ………………………。
声すら枯れ果てて、……それでも、………泣いた。……………………泣いた。
「……圭ちゃん。…………どうか気を確かに…。」
…………………………梨花ちゃんと沙都子は、…………殺された。
………もう遺体すらも見つからない。
……その死に顔に、……謝ることすら、…永遠に許されない。
…………それが俺への罰ならば……なんて……惨い……。
……詩音が慰めの言葉をかけているようだったが、…それらはほとんど俺の耳には入らなかった…。
「そんなことでどうするんですか…! 次に狙われるのは確実に…私か圭ちゃんなんですよ?! お願いですから…しっかりして下さい!! …お願いします。…お願いしますから……!」
詩音もまた、目に涙を溜めるような声で懇願するように叫んだ。
だが…次第にその声に、憎しみを感じるようになってくる…。
この「詩音」が殺した…。
…こいつが殺したに違いないのだ。
……どうして。…どうして?!
「どうしてだよ?! どうして……人をさらったり、殺したりするんだよッ?!?! 祟りだか何だか知らないが、人の命ってのはそんなに安いのかよ?! あっさり消したり殺したり!!」
「………えぇ。…まったくです。…悪魔ですよね…。」
受話器を握りつぶしそうになる。
……こいつは……いつまで他人事のつもりで…!!
腹の底のマグマが、今にも腹を焼ききってあふれ出しそうだった。
「なぁ詩音。…教えてくれ。…どうしてこの雛見沢では、綿流しの夜に人が死ななければならないことになってしまったんだ?」
「………それは私が知りたいです。」
「もうダム計画との戦いは終わったんだぞ?! なのに…どうしてまだ祟り足りないんだ?! どうしてだよ、どうしてッ!!! 理由があるなら言ってみろよ!!!」
…もう滅茶苦茶だった。…感情が堰を破ってあふれ出すのを止められない。
それは問いかけでなく、詰問だった。
…それに当の「詩音」が気付いていないのが、あまりに滑稽だった。
…滑稽でおかしくて、…涙が止まらなかった。
「……圭ちゃんの気持ち、私もよくわかります。…ダム闘争はとっくの昔に終わったんです。なのに毎年、オヤシロさまの祟りと言う名の殺人と失踪が繰り返されている。……なぜ?! どうしてなんですか?! 全然関係ない人もいた、祟られるのに不相応な人だっていたのに、どうして? …どうしてッ?!?!」
「それを俺が聞いてるんだぁあああぁーーッ!!!!」
「それを私だって知りたいんですよぉおおぉおおぉッ!!!!!」
はぁはぁ…!! 電話越しに互いの荒い息が聞こえた。
「いいですか。…オヤシロさまの祟りなんて非現実的なものは初めから存在しません。
圭ちゃんの言うとおり、村の何者かが、オヤシロさまの祟りというもっともらしい大義名分を利用して、綿流しの度に殺しと失踪を繰り返しているんです!!!
…ヤツらは狡猾でした。祟りを都合よく利用して、村の仇敵を毎年2人ずつ消し去るシステムを構築していったんです。…そしてこのシステムで、今年は鷹野さんたちが殺された!!」
「じゃあ2人で充分じゃねぇかよ!! どうして村長や梨花ちゃんや沙都子まで殺されなくちゃならないんだよッ!! それに俺は過去のことは今さらどうでもいいんだ!!
梨花ちゃんと沙都子がなぜ殺されなくちゃならなかったのか、その一点にしか興味はないんだ!! どうしてなんだ?! 沙都子には打ち明けてすらないんだぞ?!?! どうして沙都子まで……。どうしてなんだぁああぁあぁあぁあ?!?!」
………沈黙が訪れる。
……詩音はしばらく、答えなかった。
「…………圭ちゃん、………もう……いじめないで下さい……。……ぅっく…。」
…嗚咽。……泣いている…?
「…………………私だって何が何だかわからないんです…。祭具殿に忍び込んだあの晩から……全てが変わってしまった……。」
「………………………………。」
…それは俺も同じだった。
……詩音のさめざめと泣く嗚咽を聞くうちに…興奮が冷めていくのがわかった…。
「…………あの晩、…鷹野さんたちが死んだと聞き、耳を疑いました。……そして……すぐに気付いたんです。……今度は、……自分が狙われる立場になったんだ、って……。
忍び込んだのは私たち4人。…私と圭ちゃんだけが都合よく許してもらえるわけがない…。…そう思った時、それがどれだけ心細くて……恐ろしいことだったか、…圭ちゃんにはわかりますよね……?」
………………その言葉には表裏はなかった。
……そして、そのまま俺の気持ちの代弁ですらあった。
「………だから私、……公由のお爺ちゃんに打ち明けたんです…。」
……私は、みんなが入ってはいけないという祭具殿に、面白半分な気持ちで踏み入ってしまいました。
…いけないことだとはわかっていましたが、……本当に面白半分な気持ち、……ちょっとした探検気分のつもりだったんです……。
…一緒に入った鷹野さんたちは、その後すぐに殺されてしまいました…。それも…あんな惨い最期を……。
あの日から、…いつ私も襲われるのではないかと…怯えています…。
……公由のお爺ちゃんしか助けてくれる人がいません…。……だからお爺ちゃん、……助けて、って………。
「……公由のお爺ちゃん、…怒らなかった。……そして、にっこり笑って、詩音ちゃんがちゃんと反省してるなら、鬼隠しになんかなるものか、…って。…本当に……笑いながら……任せなさい…って………。……ぅぅ…ッ!!」
詩音は…大好きだった村長の死を思い出し、悲痛な声で泣いた。
……聞く者の胸を締め付けずにはおかない、あまりに悲しい声だった……。
……ま、また俺は……自分の感情に流されるままに…好き放題なことを言ってしまったのだろうか…。
……詩音は、俺と同じ境遇を持つ、…唯一の仲間のはず……。
…ドクン。
鼓動がひとつ。
………心の奥底の、…もうひとりの自分が、…囁く。
…思い出せ前原圭一。
……村長は、綿流しの次の朝。
電話で鷹野さんたちの死を知らされ、夕方の会合の約束をした。
…そして予約した病院に出掛けた。
家族にも内緒の病院へ。
そして…会合の時間ぎりぎりに戻ってきた。
…そのまま集会所へ向かっていった。……そう大石さんは言った……………。
「…………………いつ、……村長に打ち明けたんだよ…。」
「……ぅっく……、……え……?」
「…………ごめんな、…詩音。……悲しい気持ちのところに追い討ちをかけるようで。……詩音は、…打ち明けたんだよな。公由のお爺ちゃん、つまり村長に。」
「……はい……。…………ひっく……………。」
「…………いつ、…打ち明けたんだよ。」
「……………え…、」
…詩音の…悲しい声を聞いていると自分が口にしようとしていることが怖くなる。
……だが、……俺は矛盾したことは言ってない……。
……もし矛盾があるなら……むしろ詩音にそれを証明してもらいたいんだ……。
「…村長さんは重い痔を患ってて、病院にかかっていたという話は知ってるか…?」
「……………あの、…………圭ちゃん…? ……それが…何か…?」
「……答えてくれ。知らないなら知らないと答えればいい。」
しばしの沈黙。
……やがて、何度かどもりながらの回答。
「…………痔だったのは、…知ってます…。……座る時とか、辛そうでしたから…。」
「病院に通ってたんだ。…どこの病院かは知ってるよな?」
「……………………………………ごめんなさい、それはちょっと知りませんけど…。………でも、圭ちゃん、……それが一体、何の……、」
詩音は、…村長が行った病院を知らない。
…ということは、病院まで押しかけて行って打ち明けるなんてことは不可能だ。
……行き先の病院を知らないなら、もちろん電車で出会うなんてことも、ちょっと考えられない。
…あと接触する可能性があったら、それは雛見沢に帰ってきてからだ。
しかし…電車は遅れて、こっちについたのは会合の時間も押し迫ったぎりぎりの時刻だった。
……ぎりぎりの時間。
…とても、詩音の打ち明け話に付き合っている時間はないはず…。
「………単刀直入に聞きたいんだ。…詩音は、……いつ、村長に打ち明けたんだ。どこで、いつ。……大雑把でいいから、…教えて欲しいんだ。」
「………………………………圭ちゃん…、…何でそんなことを……。……ぅっく…。」
嗚咽が耳に刺さる。
…自分が詩音をいじめているような錯覚に捕らわれる…。
だが…言おう。
俺に間違いがあるなら正してくれ…。
…俺に、本当の詩音であることを……証明してくれ…………。
「…ありえないんだよ。…村長が失踪した日。朝から消えるまで。……詩音には接触できる機会はありえないんだ。」
「……………………………ぇ、……そ…、………そんな……、」
「村長は朝一で、誰にも内緒の大学病院へひとりで診察に出掛けた。…詩音は今、この病院を知らないと言った。…だから帰ってくるまで、村長と接触することはできないはずだ。……そうだろ…。」
「…………………………ぅっく……、」
「帰りの電車が事故で遅れたので、自宅に帰ってきたのは会合の始まる直前だった。…つまり、会合が始まるまでの時間にも打ち明ける時間的余裕はないんだ。」
…詩音の弱々しい嗚咽が…繰り返し聞こえる。
……女の子のこういう声には…機械的に胸が掻き毟られる……。
…言っていて、……辛い………。
「詩音も一緒に会合に出たのか……? そして会合の席上で、…打ち明けたのか…?
ここで打ち明けなきゃ……もう時間がないもんな。……会合が終わった後、村長は帰宅途中で失踪するんだから。」
…詩音は会合に出たんだよな…?
出たか出ないか。
そのあまりに簡単な問いの答えが……すぐに跳ね返ってこない。
「……………えっと、………実は会合に出…、」
「あの日、詩音が行くと言ったバイトすら、君は欠勤してるんだ。……もっと端的に言おう。……君は、…俺と一緒に行った図書館以降、誰にも目撃されていない。」
「…………………………圭ちゃん、………あの、………、」
「……園崎詩音は……。……綿流しの翌日に、失踪したんだ。」
電話の向こうが…静まりかえる。
……まるで、電話線が切れてしまったかのように何の気配もなく、…沈黙する…。
「…大石さんは君がすでに失踪していると言っているんだ。…でも、…詩音はこうして毎晩、俺に電話をかけてきてくれただろ…?」
「……ぅっく……、……えっく……、…っく…、……ぅっく……、」
詩音の嗚咽が苛む。
…だが、…俺は間違ったことは言っていないはず…!
「………頼む詩音。……俺が言ったことが間違ってるなら、…そうだと言ってくれ。詩音、頼むから……。」
「………ぅっく、……っく……っく……、」
「詩音、お前は村長に会ってなんかないんだ。…もし会ったとしたなら……、」
……もし、詩音に村長と会う機会が、…あの日、あるとしたらそれは…、
「村長が会合を終えた後。…すなわち! …失踪する直前、もしくは…失踪してからしかありえないんだッ!!!!」
「……っく、……っく、……。…
くけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
<音全て停止の上、画像「目玉(暗闇に目だけがあるような画像)」を一瞬瞬間表示
……ツー、ツー、というトーン音。
電話が一方的に切られたと気付くまで、しばらくの間、呆然としていた…。
■11日目幕間 TIPS入手
11■スクラップ帳より]T
<双子の忌避について>
雛見沢に限ったことではないのだろうが、とりわけ、鬼ヶ淵村の御三家は当主跡継ぎに双子が生まれることを嫌った。
御三家の微妙なバランスの上に成り立った長期独裁体制が、お家騒動などの内紛で瓦解することを恐れたのだろう。
文献には、双子が生まれたなら直ちに間引くべしとまで記されている。
それを思うと、園崎家の当主跡継ぎである園崎魅音と詩音の双子がこの世に生を受けていること自体、興味深いと言わざるを得ない。(現当主お魎の情けだろうか?)
もっとも、この双子は公平には扱われず、跡継ぎの魅音は別格の扱いを受けているそうだ。
(聞くところでは、魅音と詩音は酷似した外見を持ちながらも、才能のほとんどは魅音が持つと聞く。…私の知る両者のイメージではそんな偏りは感じられない。)
伝承では、園崎家の当主は「鬼を継ぐ」と称して、背中に立派な鬼の刺青を彫るという。しきたりに従い、魅音にはこの刺青が入れられている可能性が極めて高い。
伝え聞く話では、現当主お魎の背中にも、それはそれは立派な鬼の刺青が入れられているそうである。
では…跡継ぎの魅音には一体、どんな刺青が彫られているのだろう。
……魅音の背中に興味が湧く。
11■雀荘「鈴」
『本日は貸切です。〜雀荘「鈴」〜』
カランカラ〜ン。
「あんりゃ、蔵ちゃん。あんたが一番遅いよ〜? 若い人はみんな揃ってる。」
「なっはっはっは…。じゃあお母さん、すみませんね。」
大石が、タバコが1カートン入ったコンビニの袋を渡すと、雀荘の主である婆さんは要領よく姿を消した。…もう慣れっこなのだ。
「大石さん! お疲れさまっす!!」
「なんだ、みんな真面目に待ってたんですか? サンマでもやってりゃ良かったのに。」
狭い店内に並べられた雀卓には皆、大石の部下たちが座っているが、どの卓にも麻雀牌は出ていない。
「皆さん、連日の不眠不休の捜査、本当にお疲れさまです。」
「「「ぅおおっす!!」」」
威勢のいい返事が雀荘を満たす。…そこはすでに娯楽場の雰囲気ではない。
「状況は芳しくありません。署長が園崎系議員の恫喝に屈したそうです。
近日中に鷹野殺しは岐阜県警に譲り、村長たちの失踪は行方不明扱いで生活課に委ねるようです。」
…あの若造署長が。ベテランたちが吐き捨てる。
「請求した令状も全て却下されました。課長からは園崎家界隈には近付くなとまで言われてます。…いやいや、困ったモンです。
ちなみに、私には来週から警視庁への研修命令が出るそうです。その後は余った有給を伊豆で消化しろとまで言われてます。…いやぁ、そういうのも悪くないですねぇ〜。」
苦笑が漏れる。…笑い事ではないが、笑うしかなかった。
「いつもそうですが、事件と車のキーの閉じ込めはよく似てます。開けるためのカギはいつもその中に閉じ込められているんです。車ならJAFを呼んで扉をこじ開ける。事件なら? 熊ちゃん、図面を。」
熊谷がホワイトボードをひっくり返す。裏には磁石で邸内の図面が貼られていた。
「私もずーーっとこの商売をやってます。勘には自信があるつもりですがね、今回ばかりはハズレるかもしれませんよ? 退職金が惜しい方は私が10数える間に席を外してください。」
大石が10を数え始めると、皆も同じように数え始める。
……大石たちの名物、覚悟の10カウントだ。
「9、10!! あ〜あ〜、誰も出てかないよ。皆さん、ご家族はもっと大切にして下さいよ? んっふっふっふ!」
「「「わっはっはっはっはっは…!!」」」
一同も豪快に笑って景気付けをする。
「各自、手元の資料を確認。監視カメラの所在と死角を叩き込んでください。熊ちゃんは指揮車で待機。非常時は私に代わって指揮をお願いしますよ。小宮山くんは突入A班。敦くんは突入B班を指揮。監視班は1から8まで所定の位置で監視を。盆地くんはタイムテーブルを厳守。署に怪しまれないようローテを管理して下さい。さて、待機中の班が一番大仕事ですよ? 課長に私の所在を聞かれたらとぼけて下さい。」
「「「わっはっはっはっはっは!!」」」
「ゲストのエスコート役は私がやります。きっと会場へ連れて行きますので皆さん、気長に待ってください。」
「………落ちるっすかね。前原圭一は。」
「私の見たとこじゃあ、明日明後日にはイケそうですよ。もうコロっとね。んっふっふっふ!」
■12日目
「…………………圭一。………圭一…?」
「…放っておいてやれ。…友達が行方不明になったんだ。…気の毒にな。」
普段、気なんか遣わない親父が…俺に気を遣う。
「うちの圭一も、しばらくの間、学校を控えた方がいいんじゃないのか。警察が何とかするまで、外出を控えた方が安全だと思うぞ。」
「…そうねぇ。…もしもってことに比べたら、学校を何日かお休みにするくらい…。」
「それよりも、こんな物騒な事態になったら、学校なんか休校にするのが筋じゃないのか?! まったく、学校の先生方は人の子を何だと思ってるんだ!」
親父とお袋が勝手に盛り上がっていたが、…本当に今さら興味のないことだった。
……興味がないのはそれだけじゃない。
…朝の食卓も、並べられている食事も、今の時間も、自分自身も…本当に興味がなかった。
その感覚は、……頭からぼーっとした霧が抜けず、……病気の時、強い薬を飲まされてフラフラになる、…そんな感じに似ていた。
「圭一。学校の勉強はどうなんだ? 圭一の方が進んでるくらいじゃないのか? もしそうなら…、しばらくお休みしてもいいんだぞ…?」
………………答える気にもならなかった。
……今日は、木曜日。
…綿流しのお祭りから、…たったの4日しか経っていない。
それしか経っていないのに、……変わってしまった。…全てが変わってしまった。
うららかな、小春日和のようなのどかな村の風景は一変し…。
夜毎に人間が消され…日中に表をのんびりと歩くことすらためらう、…そんな恐ろしい世界に様変わりしてしまった。
それを呪う資格はない。……その全ての元凶は、…自分にあるからだ。
あの夜。
…本当にささやかな、下らない好奇心に負け、…禁忌を犯した。
…ここは入ってはいけないところなんだろ?! やめようぜ! カギが掛かっているのを勝手に開けて押し入るなんて、例え物を盗まなくったって犯罪なんだぞ!! 詩音だって、これが逢引現場じゃないとわかったなら充分だろ?! 俺はこんなのには全然興味はないんだ! こんなところにいる間に梨花ちゃんの演舞が終わっちゃったらどうするんだよ?!
……そうまくし立てて、富竹さんの手から錠前を取り返し、…掛け直す。
ここで見たことは全部忘れるから、ささ! 行こう行こう!!
…ぐずる鷹野さんを無理やり押して。富竹さんは苦笑い。
詩音は俺のことを、小馬鹿にするように肩をすくめる。…でもそれでいいんだ。
みんなをぐんぐん押していく。
…まだ梨花ちゃんの演舞は続いてる。
……やがてその演舞は盛大な拍手で締めくくられるんだ。
…俺も、…両手が真っ赤になるまで…拍手して、……拍手して…………………。
…ぴんぽーーん。
「レナちゃんじゃない? いつもの時間だから、迎えに来たんじゃない?」
時計を見上げる。……レナとの待ち合わせ時間を5分ほど過ぎていた。
「圭一。しばらく学校を休んだほうがいいんじゃないのか。」
「………………………そうだね。………気を遣ってくれてありがと。」
席を立つ。
……レナを迎えるために玄関へ向かった。
「おはよ。……今日から集団登校だから。…遅れちゃだめだよ。」
…あ、…そうだったな。
…一番遠くの俺たちが遅れちゃ、途中で待ってる下級生たちは待ちぼうけだな。
「…………………俺さ。…今日からしばらく休むことにするよ。…学校。」
「………………………………………………。
…うん。」
レナは短く答え、頷いた。
「…圭一くんが、自分の体に一番優しい過ごし方を選ぶべきだと思う。…だから別に引け目を感じることなんかないと思うな。」
「………………………………………。」
「あ、それから、…これ。……回覧板。…お母様に渡しておいてくれるかな。いろいろ大事なお知らせがあるみたいだから。」
回覧板を受け取る。
……いつも以上にたくさんの紙面が綴じられていた。
…そのトップの、…村長と梨花ちゃんと沙都子の失踪を告げ、情報を求める内容が……胸をえぐった。
「…………………警察も必死に探してくれてる。…きっと、……見つかるから。待ってよ。…ね。」
……レナはそう言って、勇気付けるように微笑んで見せた。
…だがその笑みは、俺を勇気付けるよりも、…レナ自身が無事を信じたくてしているようにも見えた…。
「…………レナは、……………俺を問い詰めないんだな。」
「……………………うん。」
「……レナは、……知ってるんだろ? ……俺があの晩…、」
「祭具殿に忍び込んだこと、……かな。」
……一瞬言葉に詰まったが、…唇を噛み、…覚悟を決めてから小さく頷いた。
「筒抜けなんだな…。……まったく、……悪いことはするもんじゃないよ……。」
「…魅ぃちゃんはすごく怒ってたよ。」
……………怒ってた、か。
………そういうことに、……なるんだろうな。
「でもね、きっと魅ぃちゃんが怒ってたのは…忍び込んだことよりも。……それを隠していたことだと思うの。」
「………………………………………。」
「圭ちゃんは…、……自分から言い出して、謝らなくちゃいけなかったんじゃないかな。」
……俺から言い出して、…謝らなくちゃいけなかった。……心に引っ掛かった。
…ほんの一週間前、
……俺はやはり、…自分から魅音に謝らなくてはいけないことがあった…………。
魅音をひどく傷つけて…。
だけど俺はそれに全然気が付かなくて。
………しかも、それは詩音の乱入のごたごたで、…未だ魅音に伝えることも出来ていなくて………。
「…………………………レナの、……言うとおりだな。……俺はいつも、……レナに教えられるまで、………何も気付かなくて……………。」
「圭一くん。…………もしもだよ。……もしも圭一くんが、悪いことをしたことをすぐに認めて、……魅ぃちゃんに謝っていたら。………梨花ちゃんと沙都子ちゃんはいなくならずに済んだのかな。」
「…………………………………………。」
即答なんかできなかった。
……それを認めるなんて………。
…だが、……今、レナが俺に教えてくれているじゃないか。
…俺が…早く罪を認めていれば良かったんだ。
…もっと早く認めて、謝っていれば…、こんなにも恐ろしいことには発展しなかったんじゃないのか…?!
…レナは瞳にやさしさをたたえたまま、だけれど、黙る俺を許す甘さを見せず、…俺の瞳をじっと凝視していた。
「……………………………あぁ。…そうだ。」
……俺が罪をもっと早くに認めていれば、……梨花ちゃんも沙都子も………、…死なずに消えずに済んだんだ……。
…バシンッ!!!!
レナの平手が、……俺の頬を叩いた。
…俺はそのまま、叩かれた方に首を向けたまま…身じろぎひとつできない。
痛みなんか、…なかった。
「誰も、…圭一くんのことを叱らなかったと思う。……だから私が代わりに圭一くんを叱るね。」
熱を持つ頬を押えながら…、レナの足元を黙って見下ろす…。
「入ってはいけないところに勝手に入るのはとても悪いこと!! …それはわかる?!」
「…あぁ。」
「返事はハイだよ…。圭一くん。」
「……はい。」
「そして、…もっと悪いのは、自分が悪いことをしたのを認めないこと!! 悪いことをするのはとてもいけないことだけど、…それを認めて謝らないことは、もっともっと悪いことなんだよ!!!」
「…………………はい。……僕が、…………悪かったです…。」
レナはしばらくの間、…俺の悔悟を確かめるように、…じっと沈黙の眼差しで睨みつけていた。
……そして、ふっと緊張を和らげ、…笑ってくれた。
「……………じゃ、…もう時間だから。私は行くよ。」
「……あぁ…。」
「回覧板、…お母様に渡しておいてね。あと、回覧板は暗くなったら持って行かないようにって注意付きだから。」
さっき、平手で打たれた時に落としてしまった回覧板を拾う。
…留め金から外れた紙面が散乱していた。それを1枚1枚集める。
……平和な文章が踊る、のんびりとした1枚で手が止まった。
…………本場仕込みのお醤油、まだまだたくさんあります。お気軽に園崎までどうぞ。
「………………………なんだ、……これ…。」
その1枚を拾い上げ、細々とした時に目を走らせた。
…遠縁の親類が秋田で高級醤油の仕込みをしているという。
それを最近、たくさん送ってきたという。
…とても使い切れないので、お裾分けを希望する人はお気軽にお越し下さい、…とある。
追伸として、樽で送られてきたので一升瓶などの容器をお持ちになって下さい。…そう結んでいた。
「…………醤油をもらいに行くなら、……園崎家へ、か。……レナ。…お前、ひょっとして……知ってたんじゃ…。」
「うん。……知ってた。」
…レナは、…醤油の大瓶がないということに気付いた時点で、…もう魅音を疑っていたのだ。
……梨花ちゃんは、醤油の大瓶を持って…魅音の家に行った。……そして、…消された。
いつまでも梨花ちゃんが戻らないので、…予め魅音の家に行くことを知っていた沙都子は電話をかけた。…そして、…沙都子は呼び出されたんだ…。
村長の失踪した日の会合だって、…大石さんは言ったじゃないか。御三家が参加したって。
…御三家ってのは魅音の園崎家を含む。
…そしてその当主は高齢なので、跡継ぎの魅音が公の場に登場することが多いとも、言っていたじゃないか。
神社から村長が帰る途中、…魅音は呼び止めたのだ。
……話をしようと自宅へ誘ったのだ。…そして、……消した。
詩音を消すのは…もっと簡単だろう。
……詩音は…園崎家の内側にいる人間なんだ。…その行動は逐一、筒抜けになっていると言ってもいい。…バイトの日程だって知られているだろう。
思い出せば、…あのエンジェルモートという店は、園崎一族の経営する店だったじゃないか。……そこを待ち伏せするなんて…きっと造作もないこと……。
「俺、………魅音のところへ行く。……謝ってくるよ。」
「…………………………。」
「もう全部、…終わりにしてもらう。……魅音はきっと、簡単には許してくれないだろうけど、……もうこれ以上、誰も犠牲にならないように…頼んでくる。」
そうと決まれば、……俺はここでぼーっとしている必要は何もなかった。
靴を履き、レナの脇を抜け玄関を出る…。
…それをレナが制した。
「私も行くよ。」
「…………レナ、……学校はいいのかよ…。」
「学校なんかより、もっと大切な用事だよ。」
「………………レナは来るな。…この上、レナまで巻き込まれたら…俺は、頭がどうにかなってしまうかもしれない。」
…レナは行く手を遮る腕をどかさなかった。
「………圭一くんまでいなくなったら。…私も頭がどうにかなってしまうかもしれない。……だから、圭一くんだけを行かせない。」
レナの強い口調に反して、…目元に溜まる涙…。それを見て、決意の強さを知る…。
「……………わかった。行こう。…………ありがとう、…レナ。」
レナは小さくだけど、力強く頷き…、ようやく遮る腕を下げてくれた。
………行こう。…魅音の家へ。
謝ろう。
…俺が犯した罪を。
……そして終わらせよう。
…この狂った日々を。
そして…願おう…。
…もう一度、…あの賑やかで楽しかった…あの日々に戻れることを。
レナに伴われ、…表へ出る。
…表には車が待っていた。…大石さんだ。
「やぁ、おはようございます。前原さん。それから竜宮さんも。朝から羨ましいですねぇ。んっふっふっふっふ…!」
俺にプレッシャーを与えるだけのつもりで、こんな朝から張り込んでたのだとしたら、なんとも殊勝な男だった。……だが、今朝はかえって都合が良かったかもしれない。
「警察の方ですよね…。」
「ありゃ、竜宮さんには名乗ってませんでしたっけ。これはこれは失礼しました。私、興宮署の大石と申します。どうぞよろしく。」
「………大石さんに、…しゃべるのか。」
「…うん。……圭一くんの罪は、私の平手だけで贖えるけど。…魅ぃちゃんの罪は、この人たちに贖ってもらわなくちゃいけない。」
……………………………痛みと悲しみ。入り混じった感情を抱きながら…俯く。
「…大石さんにお話があります。」
「はてはて。どんなお話でしょうか。…ここで立ち話します? それとも車の中でしますか?」
「車の中でします。」
…俺は弱々しく俯いているだけ…。……レナの頼もしさに…ただただ感謝するしかなかった…。
■大石の車にて
………レナに促され、俺が打ち明ける。
それに大石さんが大仰に相槌を打ちながらメモを取る。…そんなやり取りが続けられた…。
「…………………どうです。話したら、何だか胸がすっきりしたんじゃないですか?」
大石さんはボールペンで頭を掻きながらそう言った。
…すっきりなんかするはずがない。
…俺が今日まで、罪を認めなかったことで…どれだけの大きな代償が支払われたことか……。
その代償が取り戻されない限り、…俺の胸の支えは一生取れることはない…。
無線がザーザー鳴り出す。
「…ザ、ザ、熊谷です。大石さんどーぞー!」
「はい、もしもし。大石です。」
「学校に先ほど、欠席するとの連絡があったそうです。園崎家前は動きなし。標的はまだ邸内です。」
「はいはい。引き続き見張りをお願いします。」
「了解しましたー。3号、7号は先ほど応援が到着、帰投しました。…あと、課長が大石さん探してるみたいっす。私のとこにも、連絡がつき次第ってさっきから何回もうるさいんすけど…どうします?」
「なっはっはっは…。答えに窮したら、実は居眠りしてて起こさないように言われてるとか誤魔化しといて下さい。」
「了解っす。」
ザザ! 無線が切れる。
「いや、失礼。仕事の連絡でした。」
「……今、園崎家前は動きなし、って言ってましたよね。」
「ありゃ、…そんな風に聞こえちゃいました? そりゃ困ったな。秘密にして下さいよ? 課長から内偵の許可はもらってないんですから。」
……大石さんは、…もうとっくに魅音を疑っていたのだ。
「…事情聴取も家宅捜査も、とにかく、なーんにも許可が下りないんですよ。園崎本家を守ろうという、園崎家の防衛機能がガキガキに作用しちゃってるらしくて。令状がなくっちゃ、私たち、現行犯以外はなーんにも手出しできませんからね。んっふっふっふ!」
「…………大石さんって、…ひょっとして。」
レナが口調だけでも充分にわかるくらいの悪意を向けて、大石さんを睨み付けた。
「園崎家に踏み込めないものだから。……圭一くんに踏み込ませようとしてたんじゃないですか?」
「…レナ、それは、…どういう意味だ…?」
「この人は…私の想像通りなら、とても卑劣な人。」
「………人聞きが悪いですねぇ。でもお説は拝聴しますよ?」
大石さんは、タバコをひとふかししながら、レナを受け流すような余裕の表情で応えた。
「あなたは令状が取れないけれど、魅ぃちゃんが怪しいとずっと狙いを付けていた。」
「……………ふむふむ?」
「…圭一くんを焚きつけて、園崎家へ向かわせようと企んだ。……そして圭一くんに何かがあれば、それを口実に踏み込むつもりだった。…そうでしょう。」
………………レナが何を言っているのか、半分くらいしか意味がわからなかったが…。
…大石さんが、俺を利用しようとしていたことだけはわかった。
「……その結果、圭一くんが襲われるかもしれないのに。…恥知らず!! これが警察のやり方なの?!」
「……………いやいや、……こりゃあ、とんだところに名探偵がいたもんです。…いやはやいやはや。…あなた、うちの試験受ける気ありません? 刑事課配属の推薦状、書いてあげてもいいですよ。んっふっふっふっふ…!!」
「卑劣漢。」
レナは敵意を込めて、静かにそう言った。
「……私もいろーんな悪口を言われたもんですが、若いお嬢さんの短い一言が、一番こたえますよ。」
「でも…結果として、今日まで魅ぃちゃんを逮捕しなかったことには感謝しておきますね。」
「そりゃどうも。」
大石さんはレナとのやり取りを楽しんでいるかのようだった。
……この男の考えてることは、まるで沼みたいで…底が読みきれない。
…改めて、…嫌な男だと思った。
「……さて。その園崎魅音さんの親友であらせられるお二人は、これからどうするつもりです? 私が証拠固めを終えて、令状が請求できるまで、のんびり待っててくれるわけですかな?」
「うぅん。そんなの待ちません。……私たちが行って、…魅ぃちゃんを自首させます。」
…そうだ。
…警察が逮捕するのと、自首するのじゃ、全然罪の重さが違うはず…。
この時点で、魅音に施せる唯一の情けが…これかもしれない。
「さてさて。そんなにうまく行くでしょうかねぇ。…下手すりゃ、あなたたちも無事では済まないかも知れませんよ?」
……大石さんが俺たちの覚悟の程を測る。…だから、俺は力強く言った。
「そんなのは…覚悟の上です!」
……大石さんはいやらしく、だけれども満足そうにニヤリと笑った。
……今こそ、この男は俺たちを都合よく利用しようとしていることに気付く。
「もし私たちに何かあったなら、それを口実に踏み込んで下さい。…犯人を取り逃がさないように、ぐるりと取り囲んで下さるのが一番の希望なんですが。」
「……なっはっはっはっは! 竜宮さんは交渉も上手です。参りましたよ。降参です。」
「……ど、どういうことだよ…?」
「警察の人が、魅ぃちゃんの家を包囲しておいてくれるなら。………これが万が一の時の保険になるの。……万が一の時の。」
そして、それは魅音に自首を促す一押しにもなる、ということなのか…。
「あー…、大石より熊ちゃんへ。大石より熊ちゃんへー。」
「ザザ、…ザ、熊谷です。どうぞー。」
「お友達が二人、園崎家へ遊びに行きます。…増援をかけられるよう準備だけよろしく願います。」
「了解っす! ザザ!」
…あまりに短い会話が、…俺たちの訪問がすでに組み込まれたシナリオであることをうかがわせる。
「では…参りましょうか。お茶菓子でも買って行きます?」
レナも俺も、大石さんのつまらない冗談に付き合ったりはしなかった。
■園崎家
車は、いつも魅音と待ち合わせる場所で停まった。
そう言えば…魅音の家には一度も行ったことはない。
…この先をいくとすぐにあるとだけしか聞いたことがない。
「……お送りできるのはここまでです。情報では、園崎本家は自宅周囲に監視カメラをかなり配置してるらしいんですよ。
でもご安心を。何とか死角を突いて、突入できる位置に若いのが何人か待機してます。指向性マイクで中をうかがってますから、お二人が大きな悲鳴をあげてくだされば、すぐにわかりますよ。」
「……絶対に説得しますから、自首を認めてくださいね。」
…俺とレナの目に…決意が宿る。……親友の罪をわずかでも軽くする唯一の方法なのだ。
「くれぐれも注意して下さい。今さら信じないでしょうが、…できることならあなたたちに犠牲になって欲しくないんですから。」
「……本当に今さらだな。」
悪態を残し、車外へ出た。
むわっとした熱気とセミの声が迎える。
……昨日までと何らかわらないはずの日中だった。
「……行こ。圭一くん。」
レナが先頭を切って歩き出す。…それは初めて歩く道だった。
「レナは、…魅音の家には行ったことがあるんだよな。」
「うん。何度もあるよ。……とても大きな家でね。お庭なんか、山がまるごと入るくらいあるんだよ。…松茸が取れるとか何とかで、いつもは柵がしてあるんだけどね。」
………山がまるごと入るくらい…とは…何ともすごい。
雛見沢を牛耳る御三家のひとつで、…園崎一族をまとめるその総本家。…そのくらいのことはあるのかもしれない。
道はたんたんと続く。
路肩には金網がされ、その向こうはうっそうと木々が茂る森になっていた。
金網は高い。
…そしてその上で手前側に折り返し、槍のように鋭く伸びていた。さらに、その槍には物騒な有刺鉄線がまき付けてある。
……見る者を威嚇せずにはいられない。
また、金網にはところどころに看板がくくり付けてあった。
「園崎家私有地につき立入厳禁!」
「毒ヘビ注意!」
「監視カメラ作動中。
侵入者は入山料として金百万円の証文に押印していただきます。」
「……この森、…いや、山か。…まるまる庭なのか。」
「庭というか…領地だね。見ての通り、私有地ではあるけど、手入れも何もしてないから。散策ができるような気持ちいい森というわけでもないし…。」
確かに。本当にほったらかしの荒れた森という感じだった。
薄暗くてジメッとしていて…確かにあまり好き好んで踏み入りたくなる森じゃない。
…土地持ちの余らせた土地ってのは、そういうもんなのかもしれないな。
大石さんの言うとおり、ところどころに監視カメラらしいものがくくりつけてあった。
…風雨で薄汚れ、機能しているのかは怪しいが。
「……俺たちが来るの、…魅音はあれを通して見てるんだろうか。」
「見てないと思うな。…だって魅ぃちゃんの家は、基本的にお婆ちゃんと魅ぃちゃん本人の2人しか住んでないんだもの。カメラを見張ってる人がいないし。」
……そりゃ、何とも無駄な防犯設備だな。
「…………魅ぃちゃんのお父さんが、…いろいろ大変な人みたいでね。だから一族がみんなで集まる時にはちゃんと機能しているらしいよ。」
…そうだ。魅音の親父って…確かヤクザの大物なんだよな。
レナは上手にお茶を濁しながら説明してくれた。
やがて……、想像を裏切らない、大きな門が現れた。
こんな立派な門構えの家に…あいつは婆さんと二人きりで住んでいるのか…。
「……いるかな。」
ビーーーーーーーー。
古い作りのブザーが鈍い音を立てる。
…途中で断線してて、家の中には伝わってないのでは…?
そう思うくらい、しばらくの間、何の反応もなかった。
……やがて、門の向こうから砂利を踏みしめる足音が聞こえてきた。
…緊張に、……手のひらに浮いた汗を握りつぶす。
ゴトリとカンヌキの開けられる音がして、門が細く開かれた。
……その隙間から覗く人影は……、紛れもなく、…魅音だった。
「…こんな時間に珍しいね。…2人とも学校は?」
魅音は、午前中という普通じゃない時間の来訪にもそんなに驚いた様子は見せなかった。……むしろ、やって来ることを前もって知っているような余裕さえ感じられた。
「……学校は、…休んだよ。」
「…ふぅん。
……圭ちゃんはともかく、レナも? …二人とも不良なんだからなぁ。」
魅音は…俺たちがよく知る魅音がよくそうするように、…軽く笑って見せた。
「…………立ち話もなんでしょ。入りなよ。」
俺たちに付いてくるように身振りで促す。……少しだけ躊躇し、レナの目を見た。
「行こ。」
親しい友人の家も門をくぐるように、レナは気さくに笑って門をくぐって見せた。
…俺も意を決し、門をくぐる。
門を抜けると…あまり手入れはされていなかったが、とにかく広い立派な敷地であることがよくわかった。
……豪邸というイメージではないが、…とにかく規模が大きいのはわかる。
「圭ちゃんは家に来るの、初めてだったっけ?」
「あ、……あぁ。…でけぇ家じゃねぇか…。」
「今どき合掌造りなんて流行らないよ。観光資源にはなるかもしれないけどね。私は早く、ごくごく平均的な鉄筋コンクリートに建て替えて欲しいと思ってるよ。」
魅音は苦笑いしながらそう言うと、門を閉め、重いカンヌキをした。
「気にしないで。最近は物騒だからね。日中でもこれくらいはしておかないと。」
「…あぁ、……そうだな…。」
笑いに、わずかな影が差しているように感じるのは、俺が過敏なだけなのか。
「ではご案内申し上げます。…どうぞこちらへ。」
そう言って、魅音は高級ホテルの従業員のようにうやうやしく一礼すると、踵を返し歩き始めた。
強張りがちな俺の腕を、レナがそっと握る。
「……圭一くん、硬くなり過ぎかな。…私たちは魅ぃちゃんに会いに来たんだよ? そんなに緊張することはないんだから。」
…そうだ。
俺は緊張すると考えてることが全部表に出てしまうタイプらしいからな。
……変に構えるのはやめよう。
…何かあったってこっちは2人。…それに大石さんの部下が門の外で待っていてくれるんだ。……何も心配はいらない…。
そういう考えの時点で、すでに緊張し切っていることに気付き、自分に苦笑した。
「なんだこりゃ。…魅音、この新聞紙の上においてある漬物石は何だ? 邪魔だぞ?」
玄関に新聞紙が敷いてあって、その上に大きな石が乗せてあった。
…何のためにここに置いてあるのか理解できない。
…俺が怪訝な顔をしていると、レナがそれに気付き、くすくすと笑った。
「レナは知ってるのか? こりゃ何だ。何かのおまじないか?」
「あはははは! 圭ちゃんがよくわからないなら、それをどかしてそこに靴を脱いでもいいんだけど? あっははははははは!」
「圭一くん、その石の真上にね、ツバメの巣があるの。」
「え? あ、……本当だ。」
「人様の家なのに、ツバメが勝手に入ってきて巣を作ってるってわけ。代々語り継いでるのか、季節になると決まってここに巣を作るんだよ。迷惑してるんだけどねぇ。」
「つまりね、そこはツバメのフンとかが落ちてきて危ないから靴を脱がないようにって言う、目印なの。」
…何だか滑稽な工夫に思わず笑ってしまう。その笑いは自然に三人に広がった。
「園崎家も大昔、養蚕とかやってたことがあるらしくてね。ご先祖様はツバメ退治にやっきになったそうだけどね。…それを思うと、これはちょっとバチ当りなのかな。あははははは! ま、上がって上がって。」
家の中は決して明るくはなかった。
…むしろ薄暗いくらいだったが、かえって風情が感じられるから不思議だった。
…魅音は近代的な建物を望んでるようだけど、…こういう伝統的な住居も悪くはないよなぁ…。
「冗談でしょ。隙間風は入るし、冬場は寒いし! 人の家を勝手に文化財にして改築を妨害しないでもらいたいねー。
…一番の理想は圭ちゃんの家でしょ。あれはうらやましいよなぁ。冬場は暖かそうだし。あ、でも雪下ろしは大変かもね〜。」
「雪下ろしは大変って。…そんなに雪が降るのか、雛見沢は。…緯度は関東より南なくらいだろ? ここいらって暖かい土地なんじゃないのか?」
「あははははは、圭一くん、知らないの? 雛見沢は豪雪地帯なんだよ。大雪が降ると、みーんな埋まっちゃうの。玄関なんか埋まっちゃう時もあるんだよ。」
「停めた車が完全に埋まっちゃって、見つからないことだってあるんだから。」
き、聞いてないぞ!!
雛見沢って…そんなに冬は厳しい土地だったのか?!?!
確かに親父…、
雪がちゃんと降るところだから、冬場はかまくらとかが作れて楽しいぞー…なんて言ってたけど。…玄関が埋まって車が見つからなくなる?? 降り過ぎだー!!!
「あっははははは。地理の授業で習ったでしょ? 日本海側は大陸からの寒風がその流れてくるからね。山脈で遮られてぬくぬくしてるような軟弱な太平洋側とは訳が違うんだから!」
「俺、…軟弱でもぬくぬくでもなんでもいい。寒いのは嫌だ〜〜!!」
「わっははははははは! これは今年の冬は圭ちゃんを寒さに慣らすための強化合宿が必要だねぇ!」
「嫌だ嫌だ全力で嫌だ!! 寒いのは嫌いだ、強化合宿も嫌いだ、両方合わさったらもっと嫌いだーーーッ!!!」
魅音はこれ以上ないくらいにゲラゲラと笑うと、お茶を持ってくると言い残して、一旦席を外す。
「でもね。冬は冬で楽しいことがいっぱいあるんだよ! 冬の部活もね、きっと楽しいんだよ!」
「……冬の部活か、実に嫌な響きのある部活だぞ…。…寒中水泳やら雪中行軍やら! ここはいつから八甲田山になったんだー!!!」
「…うん。確かに冬場の罰ゲームは辛いのが多いね…。雪が振ってる校庭で、リオのカーニバルをさせられたことあるー。」
……我が部の恐ろしさは季節を問わないようだな…。
…冬季限定の種目にどこまで対応できるかが勝負を分けそうだ…。
「雪合戦もやるし、かき氷の大食いとか、雪中宝探しとか…。」
「…だから何で外で遊ぶんだよ。雪が降ってんだから、ぬくぬくとお部屋でテーブルゲームで遊べばいいじゃないかよー!!」
「わ、わ、圭一くん、そんなこと言ってると冬場はいっぱい負けちゃうかもね。
…圭一くん、罰ゲームいっぱいでレナは負けない。……はぅ!」
「はぅ!じゃねーー!!!!」
とりあえずクロスチョップをブチかましておく。
「あははははは! 盛り上がってるなぁ。壁が薄いんだからブチ抜かないようにしてよねー。」
ふすまが開き、ポットとお茶の道具を一式持った魅音が戻ってきた。
「お茶請けはゴマ煎でいい? ようかんとか、気の利いたものがなくて申し訳ないね。」
「いいよいいよ、別にお茶を飲みに来たわけじゃないし……、」
その一言で、レナの表情から笑みが消えた。
…………あ、…しまった…。
…自分で言った不用意な一言が、…自分がせっかく忘れようとしていたことを思い出させる。
……和やかな時間を、もう少し楽しみたいと思っていたはずなのに、……本当に不用意な言葉で、それに終止符を打ってしまった。
レナの表情から笑みが消えたことに気付くと、魅音もまた、…表情を変えた。
……さっきまでの小春日和のような…うららかな空気が、…まるでふすまの隙間から漏れていってしまうように……。全てなくなってしまった。
……後悔したが、…今さら仕方がない。
…俺たちは今日、ここに………楽しく話しをするために来たんじゃないのだから。
魅音が無言でお茶を入れる。
…その間、俺もレナも一言も発せず、正座したままだった。
「どうぞ。召し上がれ。」
そんな、当り前な社交儀礼の言葉にも、俺たちは相槌を打ちかねていた…。
「………………毒なんか入ってないよ。……そこまで信用ないかな。心外だね。」
魅音はそれに少し苦笑いし、肩をすくめて見せた。
「……………………。」
「……………………。」
「……………………。」
全員が押し黙っている。……誰かが口火を切ることを期待し、…黙っている。
それはこの上もなく嫌で……、長い時間だった。
やがて魅音が小馬鹿にしたように笑いながら口を開いた。
「…おいおい、圭ちゃんもレナも。客はそっちなんだよ。用があって来たんじゃないの? そっちから切り出してくれなきゃ、おじさんも困っちゃうんだけどなぁ。」
レナと顔を見合わせる。……そして互いに観念した。
…レナが先に口を開こうとしたので、それを制する。
「……圭一くん……、」
「いいんだ。………俺は来るべくして来たんだ。…俺からしゃべらせてくれ。」
「…………………………うん。わかった…。」
「圭ちゃんが私に、……何の話かな?
お宅のお嬢さんを私に下さい?
あっははははは! 駄目だよ! ウチのレナは圭ちゃんとは釣り合わないね〜! 味噌汁で顔を洗って出直しておいで〜!!」
……その憎まれ口は、ひょっとすると魅音なりの心遣いなのではないかと後に思った。
…魅音があまりにもいつもの口調で憎まれ口を叩いてくれたから、…肩の力を抜くことができたのだ…。
■鬼を継ぐ者との対談
「………………魅音。……まず、……………謝ることがある。」
「……………圭ちゃんが? …何を。」
魅音は何のことかわからないように装ったが、明らかにその意味は伝わっているようだった…。
「……あの、綿流しの晩。………俺は、神社の…祭具殿に、…入ったんだ。」
「……………………………。」
魅音の表情が急激に乾いていくのがわかる…。
「……………入ってはいけない場所だったのは知ってた。…でもほんのちょっとした探検のつもりで…悪気はなかったんだよ。……でも、…いけないことだったんだよな…。………謝る。……この通り……。」
自分なりの誠意を示すため、…机に額を押し付けた。…俺なりの土下座のつもりだった。
……すぐに額を上げるのは、なんだか誠意が足りないように思い…、長いこと、机に伏せったまま時間が経つのに任せた。
魅音は何も言わない。
……面を伏せた自分には、今、魅音がどんな表情をしているか伺うことはできなかった。
………セミの声だけが部屋を満たす。
……それに混じって聞こえるのは置時計の針の音。……それだけ。
伏せることに息苦しさを感じ始めた頃、魅音がもういいよ、と言った。
「…参ったな。…いきなり直球勝負で来るとは思わなかったよ。……参った参った。」
見上げると、魅音は冷めた顔をしていたが、それでも薄く笑って見せていた。
「……圭ちゃんにとっては面白半分の探検でも、…それが笑い事では済まないと思ってる人たちも大勢いるってことを、ちょっとでも理解してくれたなら。…それでいいよ。郷に入りては郷に従えって、…昔から言うもんね。」
「………あれからもう……何日も経ってる。…今さらだとは思うが、謝る。……悪かった。…許してくれ………。」
……情けなくも涙がこみ上げるのを感じた。
…もっと早い内にこうしておけば…恐ろしいことは何も起こらなかったかもしれないのに……。
「………いいよ。圭ちゃんが悪いことをしたと思ったならそれでいいんじゃない?」
魅音がどこか他人事のように言うのが愉快ではなかった。
「…魅ぃちゃん。圭一くんはちゃんと真面目に謝ってるんだよ。…魅ぃちゃんも真剣に応えてあげるべきじゃないのかな。…かな。」
「…………私は真剣だよ? レナには私が不真面目そうに見える?」
「見えるよ。」
レナが売り言葉に買い言葉を返したので、…場は急に鋭さを増していく。
確かに魅音は、俺がこうして腹を割って話しに来たのに…さっきから真剣に構えていないように感じられた。
……それをレナが、不快に思っているのは間違いなかった。
「……圭一くん。もういいよ。全部話そう。……魅ぃちゃんもそれを望んでいるようだし。」
「………………………………………………。」
初めから、…こうなることはわかっていた。
…その覚悟があってここに来たはずじゃないか…。……覚悟を決め、唇を噛んだ。
「……魅音。…一昨日、梨花ちゃんと沙都子を呼んだろ。」
「…………………………………………覚えはないけど。そう思うに足る根拠があるなら聞かせてもらえる…?」
「夕方過ぎのお夕食前の時間。…梨花ちゃんが来たはずだよ。お醤油の大瓶を持って。お裾分けしてもらいに。」
魅音は無反応を装ったが、…まぶたがわずかに歪むのを見逃さない。
「……………………どうしてそう思う?」
「…そんなに難しい話じゃない。魅ぃちゃんも見たでしょ。梨花ちゃんの部屋。」
魅音が額に指を当て考えるような仕草をして見せた。
「……冷やっこがあるのにお醤油がなかった。そして流しの下にあるはずの醤油の大瓶も、瓶ごとなかった。」
「………あははははは。何それ。それが私のとこへ来る理由になるわけ?」
「魅音、いい加減にしろ。……お前が自分で回覧板に書いたんじゃないか。醤油をお裾分けするって。」
…ガリガリと頭を掻く魅音。
小さく、ちっと舌打ちするのが聞こえた。
それは…まるでお使いのつり銭を誤魔化したのがバレた…。それくらいにしか感じられなかった。
「……そして魅ぃちゃんは、……梨花ちゃんを………、……………消、………………隠してしまった。」
レナは一度言いよどんだ。
…消すという言葉を嫌い、…言葉を探すのに苦労したのがよくわかった…。
「そして、………本当はそれで終わりのはずだったんだよね。…魅ぃちゃんにとっては。」
「………そりゃどういう意味かな。」
「……梨花ちゃんが、魅ぃちゃんの家に行くことを沙都子ちゃんに言い残していたのは誤算だったんじゃないかな。」
「…………………………………………。」
「そして、…沙都子ちゃんは魅ぃちゃんの家に電話をした。…うちの梨花がお邪魔してませんこと?
…うん。きっとこんな感じ。」
「……………あははははは! 似てる似てる。」
「………魅ぃちゃんは、…ちょっとまずいと思ったんだよね。梨花ちゃんがここに来たことを知る人間がいたから。
…だから沙都子ちゃんも誘い出そうと思った。」
「……誘い出す? ……へぇ。…どんな感じでかな。」
魅音は、まるで面白い話の先を促すように、レナの話の先を促す。
……だが、魅音の変化をずっと見ている俺にはわかっていた。
世話しなく指先がくるくると遊び、…落ち着きがなくなっていくのがわかる。
…もちろんそれは本当に微細なもので、…ずっと見ている俺にしかわからないものだ。
魅音は、…狼狽している。
…レナの言うそれは、……間違いなく…図星なのだ。
「きっとこんな感じだよ。…沙都子。実は今日、食事を作り過ぎちゃったんだけど、食べに来ない? 梨花ちゃんは先に来てもう食べてるよ。………こんな感じ。」
ガリ。
………魅音が膝に爪を立てる。
「…………へぇぇ……。………電話の内容の記録テープがあるわけでもないのに、どうしてそこまで……?」
「……冷蔵庫に、沙都子ちゃんの作った2人分のお夕食が、丸々手付かずでサランラップに包まれて入ってたから。」
………しばらくの間、魅音は唖然としたような顔で固まっていた。
……目の前のレナという人間の存在が、…信じられないような顔だった。
「……………………そんなことで、………どうやったら電話でしゃべった内容まで察しが付いちゃうわけ……?」
「………長くなるから説明は省くけど、……冷蔵庫の中身が、…魅ぃちゃんの呼び出した話の内容まで、如実に物語っちゃってるの。」
開いた口が塞がらない…。
魅音の顔を一言で言い表すならそれだった…。
「………………………………これは、……あははははは。
…とんだ名探偵が身近にいたもんだよ。…まさか、冷蔵庫の中身だけで……電話の内容まで見破るとは…。………あははははははは。…参ったな。……参った参った、あっははははははははははははは!!!」
…堰が切れたように、…魅音は笑い転げた。
…でもその笑いはつられて笑い出したくなるものでは、決してなかった。
「はははははははははははははははは……はは、……は。……はぁ。」
魅音は馬鹿笑いに飽きると、大きなため息を漏らし、バリバリと頭を掻き毟る。
……まるで、部活の推理ゲームか何かで、…魅音の罰ゲームが決まったような…、そんな錯覚すらした。
…そうだったらどんなに楽しかったことか…。
「……とんだ名探偵、か。…魅ぃちゃんこそ、大石さんがした会話の内容までよく察しが付くね。大石さんも私のこと、とんだ名探偵って言ったもの。」
「…………………………………………。」
大石さんの名が出た途端、魅音が誰の眼にもわかる形で、狼狽の表情を見せた。
「……魅音。………警察はもうとっくにお前を疑ってるんだ。…この家も、大石さんの部下が踏み込もうと今も様子を伺ってる。」
魅音は平静を装おうとしていたが…それは難しいようだった。
警察が囲んでいるという話が半ば信じられず、レナの表情を見る。
だが、レナの表情にも一片の曇りはない。
……ようやく魅音は、自分が警察に包囲されていることを信じたようだった…。
「村長さんも……魅ぃちゃんが…?」
「富竹さんと鷹野さんも……魅音なのか…?」
俺たちの矢継ぎ早の質問に、魅音は答えない。
…平静を装う瞳に、焦りが浮かんでいるのがよくわかった。
やがて、…だらしない格好で座っていた魅音は、座布団を直すと、その上にきれいに姿勢を正して正座し直した…。
その途端、…部屋の空気が一変する。
………魅音の表情が、…変わる。
表情から焦りや戸惑いが消え、………まるで茶事に臨むような厳かさをたたえていた。
……直感する。
…今、この瞬間。
…魅音は魅音でなく、…園崎本家の当主跡継ぎとしての園崎魅音に変わったのだ。
その厳かな雰囲気は…明らかに異質なもので、…俺がよく知る魅音の雰囲気とはまったく異なるものだった。
今なら……信じられる。
……今なら、…園崎一族を統率する若き当主である魅音を、…信じられる。
…魅音は静々と畳みに両手を付くと……、まるで茶道を彷彿させるような美しい仕草でお辞儀をし、……名乗った。
「……初めてご挨拶申し上げます。…園崎本家当主跡継ぎ。…魅音でございます。」
…魅音の鋭利なまでに美しい仕草に、…返事をすることもできない。
俺もレナも…、あまりに普段からは想像も付かない振る舞いに、呆然とするしかなかった…。
「…本日はようこそ園崎本家においで下さいました。当主、お魎に代わりまして、皆さまにご挨拶申し上げます…。
…皆さまに置かれましては、いろいろお尋ねになりたいことがおありの様子…。私にお話できることでしたら、包み隠さずお話したいと存じます…。」
え? ……今、……魅音は何て言ったんだ…?
……魅音は聞けば何でも話すと言う。
……目には覚悟を決めた強い光があった。
「………………本当に、………何を尋ねてもいいんだな…。」
「…知る限りをお話いたしましょう…。皆さまもそれを望んでここにいらしたのでしょうから。」
レナと顔を見合わせる。
……魅音に聞きたいことは山ほどあった。
だが、どれを最初に尋ねるべきか…その順番にしばし迷った。
……そして、レナが発した最初の問いは、…あまりに抽象的だけれども、……誰もが真っ先にぶつけたい問いだった。
「…どうして、…………こんなことを…ッ?!?!」
……俺だって言いたかった一言だ。…どうして…こんなことを?!
それは梨花ちゃんたちのことだけに限らない。
…村長も、鷹野さんたちも。
…いや、もっと遡って、毎年起こった全ての事件を指した。
……しばらくの間、魅音は答えられなかった。
…あまりに抽象的な質問だったことに気付き、質問をもっと具体的にし直そうとした時。
……魅音がようやく口を開いた。
「その問いに対する答えは…少し長いものになります…。…それでもよろしければ、どうかご清聴をいただきたく存じます…。」
…涼やかだった。
……まるで、親戚の叔母さんが昔語りでも聞かせてくれるような、……そんな涼やかさがあった。
■昔語り
「……雛見沢村が、かつて鬼ヶ淵村と呼ばれていたことをご存知ですか?」
レナが軽く頷き、圭一くんは知ってる?といった感じで顔を向ける。…俺はそれに頷き返す。
…雛見沢が、かつて鬼ヶ淵村と呼ばれていたことは、…そう。あの夜、祭具殿の中で鷹野さんにたっぷりと聞かされた。
自分たちに鬼の血が混じっていると固く信じ、下界との交流を絶っていた。
…彼らは麓の村の人々に崇められ…仙人のような扱いを受けていたという。
「……そうです。鬼ヶ淵村のご先祖様たちは…鬼の血を引く誇り高き仙人たちでした。……麓の村々の人たちは崇め、そして敬いました。…ですが、そういう空気も、徳川の世が終わると共に廃れていきました。」
黒船が来航し、武士の時代が終わり、鎖国の時代が終わり、…そして鬼ヶ淵村を崇める風潮も急になくなっていった。
……古くから残るものは全て忌々しい。…そういう時代になったのだ…。
「明治になり、古い歴史を持つ鬼ヶ淵村の名称は、一方的に雛見沢村に改められてしまいました。……古い因習を一掃しようとする、明治政府の思惑が強く働いたのだと聞かされています…。」
廃藩置県。
…日本が世界の列強と肩を並べようと、分不相応な階段を駆け足で上り始める時代の幕開けだった。
西洋式のものが何でも持てはやされ、…古い伝統的なものが何でも蔑まされる。…そんな時代になったのだ。
「…そういう時代の激変の中で、…滝つぼに落ちていく花びらのように。…あっという間に鬼ヶ淵村は消えてしまったのです…。」
やがて、アジアを次々植民地化する欧米列強に触発され、日本もまた列強に居並ぼうと富国強兵政策が始まる…。
兵役が始まり、日清、日露、と戦争と勝利を重ね、…太平洋戦争が勃発するまで、…ただがむしゃらに近代化の階段を上り続けた……。
「この頃には、…もう鬼ヶ淵村の不可侵性は失われていました。……かつて仙人と崇められた村人たちは、非人扱いを受け…。
…神聖な鬼ヶ淵村は、いつの間にか、業病患者の隔離集落の成れの果てであるという根も葉もないレッテルを貼られ、…苦難の時代を迎えることになったのでした。」
……鬼ヶ淵村の出身であるとわかるだけで、不当な差別を受ける過酷な日々の始まりだった。
麓の村の子供たちは、雛見沢には不潔なばい菌が蔓延しているから近付くなと教えられた。
…雛見沢の子供に触られたという子供は泣き叫び、親は子の触られた場所を塩でもんで清めた。
ある大人は子供に、…雛見沢に迷い込めば鬼隠しにされ、バラバラにされて肉を食われてしまう。
…恐ろしい人食い鬼の村に近付くな近付くな…。そう教えた。
ある大人は、…雛見沢の村人は大昔の飢饉の時、河原に捨てられていた死体を集め、焼いて食べて生き延びたなどという何の根拠もない話を、大真面目に教えた。
根も葉もない中傷が次々と重ねられ、それに歴史的事実である鬼ヶ淵村の刺激の強い歴史が信憑性を煽った。
不当な差別の連鎖は、そのまま先の見えない時代への不安感の表れだったのかもしれない。
……もちろん、これは子供の世界だけの話では終わらなかった。
鬼ヶ淵村の出身とわかれば、全ての就職先で断られた。
…結納を済ませた縁談ですら反故になった。
…出身を偽り果たした結婚も、出身がバレた時点で離縁させられた。
「……裁判も起こしました。…出身の問題は離婚する重要な理由にはなりえないと訴えて。…でも敗訴しました。……出身の虚偽は、結婚の上での重大な詐称行為にあたるのだそうで……。」
「………………ひどいね。…そんなの。」
………公民の授業か何かで、部落差別というのを聞いたことがある。
…部落の出身であると知られるだけで、社会的にあらゆる不利益を被るという、現代のイジメだ。
…試験の出題範囲だからと、丸暗記はしたが。
…現代日本にそんな差別があるとは信じきれず、半信半疑だったことを思い出す…。
「……まぁ…、…自業自得と言えないこともないのかもしれません…。…私たちのご先祖さまは、自分たちに鬼の血が流れていることを誇りに思い、自慢し、麓の人々を蔑んで暮らしてきたのですからね…。その神秘性で麓の村人たちを怖がらせ、畏怖と貢物の献上を要求してきたのですから…。」
そこで魅音は初めて、自嘲気味とは言え、笑みを浮かべた…。
「……太平洋戦争中は、国民一丸のスローガンが流れながらも、…雛見沢村の人々はさまざまな差別を受け続けました。……数えだしたらキリがないくらい。……夫や息子を戦場に送り出し、…銃後の女たちも心が荒んでいたのでしょうね…。
……当時をよく覚えている祖母は、……それは苦しい時代だったと回想しています…。」
そんな辛く長い戦争の時代も…、昭和20年。
…とうとう終戦する。
「…多数の男手を失った雛見沢にも、ようやく父や夫、息子たちが戻ってまいりました。…もちろん、帰らぬ者も多かった。それでも、男手がなく、村を維持することにすら限界を来たしていた雛見沢にとって、それはとても喜ばしいことでした…。」
マッカーサーのGHQは、抜本的な意識改造にも着手し、不当差別の撤廃にも尽力してくれた。
陰鬱な被差別の時代の夜明けを感じさせた…。
「…廃村寸前だった雛見沢をもう一度建て直そう。そういう気運が高まり、村人たちは村を少しでも豊かにするために働き始めました。」
…その中で、闇市で大きな活躍をして富を築き上げた者が現れた。
それが、魅音の祖父。高齢の現当主の夫の園崎宗平だった。
「宗平は中国大陸に出兵し、ハルピンで食料倉庫の管理をしていたと言い、撤退時に上官や仲間たちと共謀して、軍の缶詰をごっそりと盗み出していたのでした。……それを瀬戸内海某所に隠し、闇市で高値で売りさばいて大きな富を得たのです。」
宗平はその富を自分の快楽のために消費したりはしなかった。
全額を園崎本家当主である妻に託したのだ。
「…廃れた雛見沢を復興させよう。村人全ては家族であり、この富は共有の財産である…。現当主である祖母はそう宣言しました。…この大きな富は、その後の雛見沢の復興の大きな力となったのです。」
……………なるほどな。それで、雛見沢は復興を遂げ、園崎家は今日の隆盛を確立するわけだ…。
「…もちろん、闇市で財を成したことを妬む人たちも大勢いましたが、もう村人は気にしなかった…。」
次々と事業を成功させ。成功した者は後を追う者を惜しみなく援助した。
雛見沢という固い結束で結ばれた巨大な家族が、次々と勢力を拡大していったのだ。
その中心となった園崎家は、雛見沢復興の名士として、長く讃えられることになる…。
「…その活躍の中心人物が、魅ぃちゃんのお婆ちゃんなんだね。……すごいよね。大活躍!」
魅音は素直に、褒められてうれしいような表情を浮かべた…。
「…ですが、…昭和30年頃に、またしても逆風が吹き始めます。…それが「人肉缶詰疑惑」でした。」
人肉缶詰……。
…聞いただけでもおぞましくなる、…嫌な響きがあった。
「祖父、園崎宗平の上官だったと名乗る男が告白したのです。…あの缶詰は人肉の缶詰だったと。」
人肉を食らう鬼の住む村、雛見沢。
……ようやく呪われた烙印が払拭されようとする矢先だった…。
ようやく見えた、平和な生活への光が……かすむように消えていった。
元上官が明かした…衝撃の事実…。
…雛見沢復興の大きな礎となった、旧日本軍からの略奪食料の缶詰…。それは…人の肉の缶詰だった。
なぜそんな缶詰が?
宗平は食料倉庫のただの管理人だったのでは…?
上官が明かすには、園崎宗平は食料管理の仕事をしていたのではないという…。
「…実は宗平は戦時中、ハルピンでペスト鼠の駆除や、伝染病患者の死体運搬の仕事をさせられていたのでした…。」
……出身の卑しさを理由にした不当な扱いだった。
…だが、結果として最前線には送られず、抑留されることもなく帰還できたことだけは幸運だったと言えるだろう…。
宗平はやがて、軍の医療機関の下働きとして召抱えられる。
…だがそこは、…彼らが卑しいと蔑む鬼ヶ淵村の陰鬱な風習よりもさらに劣る、…恐ろしい研究がなされていた………。
「……………ひょっとして、…それって、あれか? 旧日本軍の細菌部隊とか言う、」
「……圭一くん、知ってるの? 何かな…?」
731部隊であってただろうか…。
…戦局を打開するため、恐ろしい細菌兵器の研究に明け暮れていた悪魔の部隊があったと言う。
彼らは罪もない人々を次々と恐ろしい人体実験の餌食にしていった。
…新型の細菌が何日で犠牲者を殺すかを克明に観察した。
注射では何日で。
経口では何日で。
…それを調べるためにいくらでも解剖した。
死ぬのなんか待たずに、時には生きたまま解剖したりもした…。
…生きたまま遠心分離機にかけたり、生きたまま減圧室で潰してみたり。
……人間を生きたまま減圧すると、…体の穴と言う穴から中身がブリブリと押し出されてきて、…肛門から腸が、まるで蛇がくねり出してくるように押し出されてきた…。
…なんて話を…俺もドキュメント番組で見たような気がする……。
「………胸くそが悪くなるぜ。……それでも、雛見沢の人間を蔑むのかよな…。」
「……本当に。」
悲しげに薄っすらと笑いながら相槌を打ってくれた。
……それだけのコミュニケーションだったが、今はなぜかうれしかった…。
「宗平がいた部隊は、それよりはもっと温情的な研究をしていました。…それは、戦地での困難な食料調達に関する具体的な手法の研究でした。」
…開戦当初の軍部の目論見は大きく崩れ、戦線全域で慢性的な食糧不足が発生していた。
食糧不足は栄養失調を誘発し、抵抗力を失った体は次々と様々な病気に蝕まれていった。
士気もモラルも低下し、このままでは軍隊を維持できない。そこで始められた研究だったと言う。
始めは戦場での食料調達の手法の研究だった。
…それは住人からの略奪と言った暴力的なものから、見慣れぬ昆虫動植物の料理方法と言ったサバイバル的なものまでとても広義だった。
研究は細部を詰めながら、迷走、暴走を繰り返し、……やがて禁忌の扉を叩くに至る。
「…戦場で一番入手しやすいタンパク源は何だと思います…?」
「………………………………………………。」
俺もレナも。……何となく答えがわかっていた。…だから答えなかった。
「……そう。…彼らは、人間を食材として扱う方法を研究していたのです。…彼らは、時には敵の、時には戦友の血肉を食んででも戦い抜くことが、国に報いる究極の奉仕になる。…そういう教義を大真面目に組み上げて行ったのです。……滑稽な話ですね。祖父を人肉食いと蔑んでおきながら、自分たちはさらにその上を行っていたのですから。祖父はいつも思っていたそうです。例え自分が卑しい食人鬼だとしても、彼らはそれよりも遥かに醜い鬼なんだと。だからいくら蔑まれたって、ちっとも堪えないと。」
…やがて、試作品がいくつも作られた。…だが、人肉であることを知る彼らは誰も食さなかった。
……だからそれらは前線に振舞われたという。
それらの缶詰は代用肉と称され、間違って自分たちが口にすることがないよう、底にマル代と刻印した…。
「……お腹を空かせた前線の兵隊さんにはどの試作品もとても好評だったそうです。中でも醤油で煮たすき焼き風のものが一番好評だったそうで…。」
「も、…もうやめてよ魅ぃちゃん…。………気分が悪くなってきた……。」
レナは本当に真っ青で、正座しているのも辛いようだった…。
魅音はまだまだしゃべり足りないようだったが、軽いため息と共に、話を打ち切った。
「…じゃあ、……その、魅音の爺さんが持ち帰ったという缶詰は……、」
「……真偽はわかりません。晩年まで宗平は人肉であることを否定し続けました。
ですが、雛見沢の急激な復興を妬む人々は、人肉を売って財を成した鬼畜と呼び、…村人をまたしても蔑み始めたのです。……また、子供たちがはやし立てられ、石を投げつけられる時代に戻ってしまったのです。」
……………重苦しい沈黙が再び訪れる。
…本当にどこまでも救いようのない、……悲しい物語だった。
……差別したりされたり、したりされたり。
どうして優劣や等級をつけたがるのか。
どうして人間は見下さないと生きていないのか。
どうして、………みんなで楽しく暮らせないのか。……わからなかった。
「…当主である祖母は、ある時、村の子供たちにこう言いました…。」
一人に石を投げられたら、二人で石を投げ返しなさいと。
…子供が聞き返す。
二人に石を投げられたら、と。もちろん答えは簡潔だった。
「…二人に石を投げられたら、四人で石を。八人に棒で追われたら、十六人で追い返し。三十人に中傷されたなら、六十人で怒鳴り返せと。」
子供が最後に聞く。
千人に襲われたら…? その答えすらも簡潔だった。
「…千人に襲われたなら、雛見沢の全員で立ち向かいなさいと。…それは決起を促す檄のようですらありました。…祖母は園崎本家当主としてだけでなく、雛見沢の母たろうとして立ち上がったのです。」
時代は昭和30年の半ば。
日米安保条約を巡る騒動が世間をにぎわす、戦いと運動の時代だった。
雛見沢の人々は連帯し、一人が受けた不当な差別を全員が受けたものとして戦った。
子供も大人も関係なかった。
子供がなじられたと聞けば、一団になって相手宅へ詰め掛けた。
大人が不当な扱いを受けたと聞けば、老若男女の区別なく徒党を組んで立ち向かった。
……雛見沢の人間にちょっかいを出すと大変なことになる…。そう思わせれば勝ちだ、ということだったのだろう。
「……………………圭ちゃんも、町で不良に絡まれた時、たくさんの人たちに助けられたのを思い出しませんか…?」
「……………………………………………………。」
俺を助けるために果敢に集まってくれた雛見沢の人々と、…巻き込まれまいと目をそむける興宮の人々の対比が印象的だったことを思い出す。
「…祖母が戦い、両親がそれを引き継ぎ。…ようやく…雛見沢にも平和が戻った。……もっとも、その平和もとても薄い皮の上に乗ったものです。…この百年の歴史を見れば、今の平穏など、揺れ返す天秤のたまたまの狭間としか言えないでしょう。」
「…………どうして、」
長く辛い歴史の前に、引っ越してきて1年にも満たない俺が何を意見できるのか。
…でも、…言ってしまった。
「どうして、…みんなで仲良く暮らしあえないんだよ…。…鷹野さんに聞いたオヤシロさまの昔話は、どうなったんだよ。」
人と鬼は手を取り合って仲良く暮らしたって。
…それを見守るためにオヤシロさまは地上に留まったのではなかったか。
「……おとぎ話です。…人と鬼は実在しても、それを調停するオヤシロさまは実在しなかった、…ということです。」
「………………………それで、……オヤシロさまの祟りを起こすことになったの…?」
…外からすーっと、涼しい風が一陣入り込み、魅音の長く透き通るように美しい髪を揺らした。
魅音は涼やかに笑ったまま、何も答えず、表情すらかえなかったのに、…それが無言の答えとなってしまっていた。
「……雛見沢村を、再び鬼ヶ淵村のように。崇められるに足る神聖な存在に。…それが我ら鬼ヶ淵村の末裔の悲願であり、…園崎本家の「鬼」を継ぐ者の宿命なのです。」
「………………「鬼」を、…継ぐ者?」
「……我が園崎本家は代々、当主の名に「鬼」の一字を加える習慣があるのです。……私の名前を手のひらにでも書いていただければ、一目瞭然かと…。」
手のひらに「魅音」となぞる。…あ、…本当だ。鬼という文字が含まれてる…。
「……名前だけではありませんよ。…この体にも、鬼が刻まれているのです。」
そういい、静かに魅音が立ち上がる。…そして着衣に手をかけ始めた。
「いいよ魅ぃちゃん。………見せる必要なんて全然ない。」
「…………ありがとう。」
…そのやり取りだけで、…何となく察してしまった。
……恐らく、…魅音の体にも、……鬼を継いだことを示す、刺青や刻印のような…消せない印があるのだ。
魅音は腰を下ろさず、縁側への障子をするすると開けた。
……部屋にこもった、じっとりとした湿気が、涼やかな風で清められていく。
魅音は広い庭に目をやりながら、いつまでも静かに……そうしていた。
…あの両肩には、……普段の魅音からは想像もつかないような…。
…重い、重い、…本当に重い……雛見沢の、いや、鬼ヶ淵村の歴史が背負われているのだ。
……そんな魅音に、……一体どんな言葉がかけられるんだ…?
レナもまた、その背中に何も言葉をかけられずにいる。
セミの声だけが沈黙を埋めてくれていた…………。
■最後のわがまま
やがて、……長い空白の時間を経て、魅音がぼそりと言った。
「……この5年間の連続事件ね。
…私が直接関わったものもあるし、間接的に関わったものもある。いくつかは園崎家だけでなく、他の御三家の、公由家や古手家が関わっているものもあるけど、……その全ての中心に私がいたと思う。」
振り返らずに、…背中を向けたままでそう言った。
…その口調はいつのまにか、……俺たちのよく知る魅音の声に戻っていた。
「……私は自分のしたことには信念を持ってるし、罪の意識などまるでない。
……あるとすれば、私の跡継ぎも決まらない内に舞台を退かなければならないこと……くらいかな。」
………………………………………。
「……私を捕まえて、それで法治国家の体裁が整うなら。……それも時代の流れかなぁって。
……この百年で、一番平和な雛見沢を見ながら引退できるのは、……ひょっとすると歴代の園崎家の当主で、一番の幸せなのかもしれないし。」
…………障子に肩を寄りかからせた魅音が、ずるずると滑りながら、ぺたりとその場に座り込む。
……見ているだけで胸が痛くなる、そんな諦めの仕草だった。
………魅音が関わってきた恐ろしい罪の数々が、急に薄れだす…。
……なぁ魅音、……あとのことはどうでもいい。
……足掻くだけ足掻いて…逃げてみるのもいいんじゃないか……?
……そんな風に考えかけた時、凛としたレナの声が響き渡った。
「でも、…魅ぃちゃんは梨花ちゃんと沙都子ちゃんを、…………………………………殺したんだよね。」
……あまりに鋭さに、俺に向けられた言葉でないにもかかわらず、胸がえぐられた。
「他の人のことは殺してもいいとも言わないよ。……でも、とにかく魅ぃちゃんは。……梨花ちゃんと沙都子ちゃんを、殺した。」
レナの言葉は…これ以上ないくらいに痛烈だった。
……魅音の肩に圧し掛かるあまりに重い歴史を全て知った上で、……仲間殺しを批判したのだ。
「…………………私が園崎家の役目を負うように、梨花ちゃんだって古手家の役目を負っていた。…その役目が、……祭具殿を守ることだった。」
……心臓がぎゅっと締め付けられる。
「……去年辺りから、…梨花ちゃんが言ってたのは知ってたんだよ。…祭具殿のカンヌキが重くて辛い、…もっと簡単なカギに付け替えたいって。……先代の神主さんでも重いと嘆いてた代物だからね。…梨花ちゃんに辛いのは重々承知だった。」
<画面真っ暗、立ち絵不要モード>
…ボクがちゃんと番をしますですから、もっと軽いカギに替えてほしいなのです。
私は園崎家の当主代行として言った。
…連続怪死事件以降、オヤシロさまに不埒な関心を持つ者がいるようだから、カギを簡易にすべきではないと。
……でも、…公由家の当主の、……公由のおじいちゃんが……。
梨花ちゃんがそんなに大変なら、もっと軽いカギに替えてもいいんじゃないか、って。
カギが掛かっているということは、入ってはいけないという意思表示。
…それをわざわざ破って中に入ろうとする悪い人なんて、そうそういるもんか、…って。
……当主としての格は同じでも、…私にとっても大恩ある公由のおじいちゃんがそう言うのを、反対できるわけもない…。
結局、祭具殿のカギの付け替えを決め、……本当に安っぽくて軽い南京錠に付け替えた。
「…おじいちゃん。本当に大丈夫なんですか? 婆っちゃも、できることならカギは前のままの方がよかったと言ってます。」
「大丈夫だよ。心配性だなぁ。…何かあったらおじいちゃんがちゃんと責任を取ってあげるから。」
「…本当ですね。…公由家の当主として、責任を取られるという意味ですね。…おじいちゃんも、…この中に納められている物がどれだけ神聖な物か、よくご存知のはず…。」
「……大丈夫なのですよ。この雛見沢に、カギを開けて勝手に入ってしまう悪い猫さんはいませんなのです。……にゃーにゃー。」
<明るい窓の背景>
「ぅ、……ぅううぅ……ッ!!!」
嗚咽が…俺の口からあふれ出す。
…熱いものがぼろぼろとこぼれ出し、畳にぼたぼたと落ちた。
<魅音左に登場。神妙>
「……祭具殿に賊が忍び込んだという話は、綿流しの祭りの最中にもう私の耳に入っていました。…賊は4人。その日の内に、手が下されることになりました。……同時に、…祭具殿に賊を許した、古手家の梨花ちゃんと、公由家のおじいちゃんも責任を問わなければなくなってしまった…。」
涙が…ぼたぼた。ぼたぼた…。
俺はさっきまで……梨花ちゃんたちを殺したのを…魅音のせいだと決め込んでいた。
…違うッ!!!
殺したのは魅音じゃない、…俺だッ!!
「……俺が……殺したも…同然なんだ……!!」
<右側にレナ。困るね困るねのレナ。>
「け、……圭一くん………。」
俺には…この悲劇を止める機会があった。
なのに…止めなかった。
……安っぽい好奇心に負けて……それをしなかった。
あの時、…祭具殿に忍び込むことを踏みとどまっていれば………梨花ちゃんたちは死なずに済んだんだ…!
そうすれば…何も起こることはなかった。
楽しく…これまでのような日常を過ごしていたはず……!!
「…俺…が………馬鹿だった………ッ!!!」
流す涙で、なかったことにできるなら。……この部屋を涙で満たしてだってみせる。
…だが、……犯した罪は、…それしきのことでは贖えないのだ。
<魅音、デフォ>
「圭ちゃんは、……何も悪くないよ。」
魅音が、まるで諭すように…やさしく語りかけてくれた。
<魅音、神妙>
「私は園崎家の当主として、手を下さなければならなかったけど…。園崎家の歴史なんか、…今にして思えば、大したものじゃない。……そんなもの全部投げ出しても、…私は仲間を救うべきだったのかもしれない。……私がそんなものに屈したから、…あの2人を殺してしまった。……それは他でもない、私、園崎魅音が殺したということ。…私には踏みとどまる百億の瞬間があった。……でも踏みとどまらなかった。安易に自らの役割に屈し、…………仲間のために戦うことを放棄してしまった。だからこれは私の罪。私が殺した。園崎魅音が、…この手で。殺してしまった。それは何ら変わらない。何も! ……あははははははははははははははは…。」
自虐的な笑い声が、……悲しい。
…部活で、どんな苦境も跳ね返すと豪語した魅音だからこそ。……痛々しい。
「…でも、…魅ぃちゃんは自分の意思で、ひとりだけ救ったんだね。」
「え…?」
驚いた顔を向ける俺の額を、レナはつんと突っついた。
「…圭一くんだけを、殺さなかった。……こんなにも強い力を持つ魅ぃちゃんなら造作もなかったろうに。…でも殺さなかったんだよね。」
そうだ。
……部活ですら歯が立たないくらいに狡猾な魅音が、本気で俺の命を狙ったなら、……俺なんか最初の夜だって越せなかったはず。
これだけ多くの人が犠牲になったのに、……俺だけがいつも蚊帳の外だった。
…俺はそれを、いつから自覚していだんだろうか。
…次々と人が消えていくのに、…なぜか自分たけは犠牲にならないという、漠然とした確信を持っていたように思う。
「…………………………さぁて。…どうして殺さなかったのかねぇ。……鬼の私にゃ見当もつかないわ。……魅音の方に、殺したくない都合でもあったんじゃないの。」
「…そりゃ、どういう意味だよ、」
しーー…と。
レナがしゃべらなくていいよと、口元に指を立てて見せた…。
「……大石は外で待ってんの?」
「うん。」
「逃げ場は?」
「ない。…ぐるっと囲んでるって言ってた。無線でたくさんの車が来てるみたいだったよ。魅ぃちゃん家の広い敷地を全部囲んでると思う。」
魅音は押し黙る。
……レナの容赦ない言葉が残酷に感じたが、……それは残酷なんじゃなく、………親友の痛みを、少しでも小さなものにしようとする、介錯にも似た心遣いだったのかもしれない。
「自首、…しよ。」
…………………魅音は口を開かなかったが、…ちょっとだけ笑って見せてくれた。
「私たちも一緒に行くよ。…親友をひとりきりになんか、絶対にしない。」
「…………………泣く子とレナにゃ勝てないわー。あはははは…。」
頭を掻きながら、立ち上がる。…もうすっかりいつもの魅音の顔に戻っていた。
「自分で自分の罪、…どのくらいになるかよくわかってる。……例え自首が認められても、……多分、もうここに帰ってくることもないと思う。」
「…………………………………………。」
………何も言えない。
……魅音が関わった死の数が、……多過ぎた。
……それでも自首を勧めるのは、………ある意味、これ以上なく酷なのかもしれない。
「だから、最後にわがままを聞いて欲しいな。」
「何かな?」
「30分でいいから。……圭ちゃんと二人きりにしてほしい。」
…………え、
自分の名前が突然出て…、びっくりたのは俺だけのようだった…。
「……圭一くん。…どうかな。……圭一くんが嫌なら、無理にとは言えない。」
「………………………そうだね。嫌なら、それでもいいよ。……私は、鬼だもの。…圭ちゃんはよそから引っ越してきた、正真正銘の人間。……相容れることなんて、…オヤシロさまが実在して、仲介してくれない限り、…絶対にない。」
…………俺に、躊躇する理由なんかなかった。
魅音が、…重い、抗うことのできない因習に飲まれ、…仲間をその手にかけなければならなくしてしまったのは………他でもない、俺自身なのだ。
むしろ魅音は、……追い込んだ俺を責めてもいいくらいなのだ。
…だが、……魅音は俺を一言も責めなかった。
…それどころか、……同罪であるはずの俺を、……見逃した。
抗えない宿命の中で、…俺ひとり、救ってくれた。
……それが俺にとって、感謝すべきものなのかはわからない。
今にして思えば、……梨花ちゃんたちがそうされたように、…俺にも同じ報いを与えてくれた方が…どれだけ気が楽かわからない。
ひとつだけ…わかることは、………魅音の背負う罪は、……俺にも等しく背負う義務があるということなのだ。
だから……そんな魅音の最後のわがままに、躊躇する理由なんて、……どこにもない。
「あぁ。……いいぜ。」
「…………………………ありがとう。」
「……私からもありがとうを言うよ。圭一くん。」
レナが立ち上がる。
…魅音との約束どおり、この場を去るつもりらしい。
「あ、いいよレナ。ここで待っててくれれば。……圭ちゃんとは、庭をぐるりとまわりたいだけだから。…退屈だったら私の部屋へ行けばいい。漫画とか好きに読んでていいよ。…………あぁ、何だったらお気に入りの単行本、丸ごと持ってってもいい。」
「いやだよ。魅ぃちゃんの本は魅ぃちゃんのものだもの。勝手にレナの家に持って帰れない。」
「……………あんたは、こんな時に限っていい子なんだから。」
魅音がレナの頭を掴んで、まるで俺がするみたいにわしわしと乱暴に撫でた。
「じゃ、…行こう。圭ちゃん。」
廊下へ向かう魅音を追って歩き出す俺を、…レナが無言で引き止めた。
「…………魅ぃちゃんを、…よろしくね。」
「あぁ。」
「…………魅ぃちゃん、…もう二度と帰ってこれないって、確信してる。」
……法律なんかよく知らないけれど、……これだけの死に関わって、重罪を免れるなんて…到底思えない。
「…………魅ぃちゃんが短気を起こさないように、…見張ってね。」
魅音は司法なんかに身を委ねずに、…自らの手で幕を下ろすかもしれない。
……レナは、すでにそこまで読んでいた。
「あぁ。……そんなこと、絶対にさせないから。」
レナがいつの間にか溜めていた涙を、擦る。
「じゃあ…行ってあげて。」
頷き、玄関へ消えた魅音を追う。
……ふすまの向こうから聞こえるレナの嗚咽が、はっきりと聞こえた。
………どうして魅ぃちゃんは、……鬼なんか継がされちゃったんだろうね。
…それは仕方のないことだったんだろうね…。
………でも、……あんまりにも………可哀想だよね…………………。
頬を熱いものがぼろりと流れ落ちる。………俺の涙だった。
俺はそれを乱暴に拭う。
……魅音に捧げられる最後の時間に、涙なんか絶対に見せたくなかったから。
もう魅音は玄関の外で待っていた…………。
■12日目<後半部>
靴を履き、つま先を蹴りながら出てきた俺に、魅音がおずおずとやってくる。
…何を今さら、こいつは赤くなっているんだか…。
「腕、……組んでもいいかな。」
……………それはあまりに慎ましやかな要求だった。
「…別に構わないぞ。」
……俺の許可が出ると、まるで玩具を買ってもらえた子供のようなほくほく顔で、俺の腕を取った。
「……私に腕を組まれたら、…何だか緊張しちゃわない? 例えば、急に関節技を極められちゃんじゃないかな…なんて思ったりとか…。」
「…姉妹そろって同じことを言うんだな。思わないよ。全然。」
まだ、…何も狂いださなかった頃。
…エンジェルモートでの賑やかな大騒ぎが懐かしいあの日々。
……指を折って愕然とする。それは、なんとたった1週間前のことだったからだ。
あの時もこうして、詩音と腕を組んだ。
こうして魅音とも腕を組んでいると、……本当に双子なんだなと実感する。
…力加減や、腕の感触、…温かさや、血の流れる…生きた感触が、まったく同じであることがよくわかった。
「…………………詩音も圭ちゃんのことが好きだったみたい。」
「……そうなんだ。」
これが平常な会話だったら、…赤面して飛びのいたのかもしれない。
でも今は、…何を聞かされても心は穏やかなままだった。
「……魅音と詩音は、…仲はよかったんだろ…?」
「さぁ、…………どうかな。…圭ちゃんは、自分の右手と左手は仲が良いと思う?」
「え? 右手と左手? …それは仲がいいとか悪いとか、そういう言い方で例えるものじゃないなぁ…。」
「そういう関係だから。仲が良いとか悪いとか、そういう尺度では測れない関係。」
……それはとても仲が良い、という意味だけではないように聞こえた。
「例えば利き腕というものがあるように、右手と左手には間違いなく優劣の違いがある。
……もしも鍋掴みが片方しかなかったら、迷うことなく利き腕にするでしょ? そういう差はあったんじゃないかと思う。」
「…………………………。」
「だからと言って、左手がなくなったっていいなんて思う人は誰もいないはず。……そんな、よくわからない関係だね。」
「………多分、…それは近くに居過ぎるから見えなくなっているだけで…。…きっととても仲のいいことなんだと思う。……俺は一人っ子だから、…祭りの前日。魅音と詩音が二人してじゃれ合っているのを、すごく羨ましいと思った。」
「…………………ないものねだりじゃないの? 双子なんて、昔は人をからかったりしてそこそこに面白かったけど。…こうして互いがはっきりと異なる個性を持った今では、かえって邪魔なだけ。」
呪っているのか、照れているのか。…傍目にはわかりにくい姉妹の仲だった。
それは俺如きが立ち入るべき問題ではないのかもしれない。
…ただ黙って、やさしく頷くのが一番の相槌なのだ。
魅音は広い庭を通り抜け、…来る途中に見た、大きな荒れ果てた森へと俺を誘っていく。
…こんな大きな森も敷地の一部なのだから…恐れ入る。
「…………でかい森だな。子供の頃はいい遊び場だったんじゃないのか?」
「…………………………………………。」
魅音は無言で、記憶を辿っているようだった。
……俺にそれをうかがい知る事はできないが、…きっと、姉妹が何の確執もなくじゃれ合っていた、楽しい子供時代の思い出なんだと思った。
風が吹く度に、梢や葉がやさしく擦れ、サラサラというせせらぎのような音を立てた。
…魅音はずっと黙っていた。
自らの手で、……消してしまった妹の思い出を、…辿っている。
それに俺は言葉をかける必要はない。
…こうして腕を組み、…並んで歩くだけで、…充分だった。
…魅音がふと足を止め、向きを変えた。
「……………………詩音は、まだ生きてる。」
「……本当か。」
魅音は俺の目をじっと見てから、静かに頷いた。
「…………………うん。……誰よりも惨たらしい死に方をさせてやろうと、ずっと考えて閉じ込めておいたけど。………今日まで、その方法はとうとう思いつかなかった。」
……魅音は詩音のことを、口では嫌っているようだったけど、……心の奥底では嫌いきっていないのだ。
…だから、もう片方の手でわしわしと魅音の頭を撫でてやった。
魅音は俺だけじゃない。詩音も、救っていたんだ。
……確かに魅音は鬼となって、多くの人を死に導いたかもしれないけれど。……こうして鬼に抗い、…救った命が…2つもあったじゃないか。
魅音は俺に撫でられるままに、…うっとりと目を細めていた。……そして、組んでいた腕をほどく。
そして…静かに言った。
「…………来て。…私の罪の全てを、見て欲しいから。……でもそれは圭ちゃんにとって、…この上なく辛い光景かもしれない。」
「……………………………………。」
直感する。
……そこにはきっと…これまでの犠牲者が並べられているのだろう。
…それを見るということは、…梨花ちゃんや沙都子の死を受け入れるということ。
そして…それを最高の親友が犯したことを……受け入れるということ。
「……………すでに起こり、終わってしまった事実だけれども。……圭ちゃんは見ないことを選んでもいい。そうならば、ここで待っていて。…私の手で全て終わらせるから。」
不吉な響きにぎょっとする。
……レナに言われた言葉が蘇る。
魅音は自分の身を司法に委ねず…自ら幕を引くつもりかもしれない。
…魅音をひとりにしてはいけない。
……それに、最後のわがままとして、魅音に付き合っているんじゃないか。
……例え俺にとって受け入れがたい事でも、…それを受け入れよう。
……見ることを避けたって、……それはもう、……終わってしまった、……事実なのだから。
「…………………何を見たって。」
「うん。」
「…………………俺にとっての園崎魅音は、…最高の親友だ。それは変わらない。一生。」
ざぁ…と梢を揺らす風が吹く…。
「……………あんたもレナも。………どうしてこんな時ばかりカッコ良くなるんだろうね。」
いつもなら憎まれ口を叩いてお茶を濁すところだが、…今日はそうしない。…ただ笑って応えた。
やがて魅音は歩き出す。…深い森の…ずっと奥へ。
けもの道のような細い道をずっと行くと、……やがて急な斜面に炭鉱か防空壕を思わせるようなトンネルがあった。
まわりは緩やかな斜面に囲まれ、外からでは死角になるように作られていた。
……あちらこちらの木々に、たくさんのカラスの影がある。
……それに、さっきから鼻を突く異臭は…間違いなくこの中から漏れてきていた。
「……………………………引き返すなら今だよ。圭ちゃんの中の園崎魅音がどんな人かは知らないけれど。……中に入れば、……その魅音はきっと………、……………………………………。」
「変わらない。何度だって言う。…園崎魅音は、俺の最高の親友だ。」
両拳をぐっと握る。
……きっとこの中には、…想像を絶する光景が広がっているだろう。
それは…ちょっと気を許せば、嘔吐しかねないものかもしれない。
でも耐えよう。…この痛みと苦しみを乗り越えよう。…それでも変わらず、…魅音は俺の最高の友人なんだから。
「………………私はただの鬼だから、…もう人間の気持ちはわからないけれど。……魅音があんたを好きになったの、…よくわかる気がする。」
「…他人事のように言うな。お前は魅音だ。鬼じゃない。…血の通った人間で、俺の仲間なんだ。」
…魅音は目元を拭うような仕草をしてから、トンネルの入口の大扉に手をかけた。
厳重なカギが威圧している。
…それは祭具殿と同じように、中に踏み入る者に相当の覚悟を促しているようだった。
扉が観音開きで開き、…もわっとした生臭い空気とたくさんの羽虫が飛び出してきた。
昔、飼っていたカニの水槽をそのままベランダに放置して殺してしまい、…すごい臭いをさせてしまったのを思い出す。
……あれを死臭というのなら、…この臭いはまさにそれだった…。
中は真っ暗だったが、魅音がスイッチを入れると電球が灯り、照らし出される。
通路は木造のトンネル状になっていて、入り組んでいた。
途中には土蔵のような空間があったり、
住まいのようになったものがあったり、
…戦時中には防空壕や備蓄倉庫にも使われていたことをうかがわせる。
…だが防空壕のような、掘りっぱなしというイメージはなく、さながら、地下に作ったもうひとつの園崎家のような貫禄を漂わせている。
そんな真っ暗な地下を歩いているのに、どこかの通気孔から入ってくるセミの声がとても不思議な感じだった。
「…祭具殿の中、見たよね。あの拷問道具の山を。……あれは全て、鬼ヶ淵村の厳しい戒律を守るために作られたものだった。戒律を破った者を見せしめに惨たらしく殺してみせる、そういう道具だった。」
「……………………大昔の話だろ。」
「……本来は見せしめの儀式、綿流しは御三家が取り仕切る儀式だったんだけど、…公由家と古手家の衰退、そして時代の変化によって、行なうことはとても難しくなった。」
「……そりゃそうだな。…この現代日本で、犠牲者をのんびりと沢でバラして殺せるなんて思えない。」
「だから、……園崎家は作ったの。…現代でも綿流しの儀が行なえるように、……秘密の場所を。」
魅音が一際異質な大扉を開く……。
………その中は
…………紛れもなく、……現代の祭具殿だった………。
「…いろいろ、……あるでしょ。一部のものは実際に祭具殿から運び込まれたものなんだよ。」
………………祭具殿にあったものは、どれも錆びて埃を被っていたので、どこか現実的でなかったが、……ここにあるものは違う。
どれもよく手入れされ、…今すぐ使用できる状態に維持されていた。
刃を持つものは刃先を光らせ、棘を持つものはその先端を尖らせている。
血が飛び散ることを予見しているのか…、壁も床もまるでお風呂場のようにタイル張りになっていて、……ゆるい傾斜の先には排水溝まで設けられていた。
飛び散った血を洗い流すためなのか、壁際にはとぐろをまいたゴムホースが蛇口に取り付けられていた。
「…大昔の当主の書き物によるとね。…血の飛沫ってのは、犠牲者に負担をかけない割にはインパクトがあるんだってさ。……綿流しは見せしめのショーだったから。私のご先祖さまたちは様々なショーを考案してたんだよ。」
魅音がそう言って、暗がりに広がる拷問室の奥を指差す。
そこは…なんと畳敷きの座敷になっていて、……隅には座布団の山があった。
「……鑑賞席なんだよ。綿流しは見せしめのショーだから。客がいなきゃ意味がない。」
「……………………………………………………。」
何も言えないし、…また何も言う言葉は思いつかなかった。
…ただ、魅音がこれらを俺に明かすことによって、心が軽くなるなら、俺はいくらでも聞く覚悟があった。
「みんなここで、………………私が殺した。…見てくれている観客はいなかったけど、…私は綿流しを上手にやって見せた。……いや、観客はひとりだけいたかな。」
「…え? 観客…?」
「……私。私という鬼が、魅音の執り行う綿流しをずっと見てたから。」
魅音は自嘲気味にケタケタと笑う。
…気持ちのいい笑いではなかった。
「向こうが牢屋。」
「……詩音はそこにいるのか…?」
小さく頷く。
………もう、魅音の綿流しは…今日で終わりなのだ。
…俺は一刻も早く、詩音に身の安全を伝えなくてはならない。
……詩音は今この瞬間も、いつ自分が殺されるのかと震えているに違いないのだから。
物々しい扉が開き、残響からとてつもなく広い空間が広がっていることを知る。
魅音が暗闇を探ると、あちらこちらでいくつかの裸電球が灯った。
…目が闇に慣れるに従い。おぼろげな灯りの中に大空洞が姿を現す…。
ここは剥き出しの岩肌で、防空壕という言葉が一番似合う、殺伐とした雰囲気だ…。
そして、まるで巨大な果実を食い破った虫の穴が点在するかのように、あちこちに格子の入った小部屋が設けられていた。…それらのひとつひとつが牢屋であるとすぐにわかる。
「…………みんなは…どこにいるんだ。梨花ちゃんや沙都子は…、」
「…死体?」
……あまりに単刀直入過ぎる言葉に顔をしかめてしまう。
「……あぁ。…そうだ。…いつまでも暗い中じゃ可哀想だろ。」
「……………虫が湧くと嫌だったから、井戸に捨てちゃったよ。…………ごめん。」
「……………………………………………………。」
死に顔すらも見られないのか…。
…改めて、……梨花ちゃんに打ち明けた後悔の念が沸き起こる。
魅音が語尾にごめんをつけなかったら、殴りかかっていたかもしれない。
……落ち着け前原圭一…。
……自分で言ったんだぞ、何があろうとも、園崎魅音は最高の友人だ、って!
「…………あぁ、……言ったさ…。」
自分を言い聞かせるように、…そう言った。
その時、奥のひとつの牢屋が、ガチャリと格子を鳴らせた。
それに気付き、俺も顔をあげる。
「…………………詩音?! ……………詩音かッ?!?!」
「け、……圭ちゃん?! 圭ちゃんなの?!」
牢屋のひとつに駆け寄る。
……格子の隙間から白い手が覗く。…詩音だった。
「大丈夫か、詩音! 怪我はしていないのか…?!」
「…ぃ………ぃや………いや、…………ぁああぁああぁあぁああぁあッ!!!!」
詩音が顔をくしゃくしゃにして絶叫する。
……俺のすぐ後ろに、魅音の姿が現れたからだ。……そう。…詩音は全て終わったことをまだ知らないのだ。
「落ち着け詩音。…もう全部、終わったんだ。…全部。」
興奮した詩音を鎮めようと、なるべく落ち着いた声で語りかける。
…だが詩音の叫びにかき消され、それはなかなか伝わらないようだった…。
「詩音。…ご機嫌はいかがだった…?」
「もう嫌…、嫌…! 嫌ぁ!! もう誰の死を見るのも嫌!!! 私が憎いなら……早く私を殺してよッ!!! 憎いのは私なんでしょう!? 早く殺して、殺して!! お姉ぇえぇッ!!!!」
「お、…落ち着けって詩音! もう終わったんだよ。…大丈夫なんだ。だから落ち着け…。」
ガシャガシャと鉄格子を揺らしながら叫ぶ詩音は、…まさに半狂乱だった。
……俺は小さく肩をすくめ、魅音に譲る。
…ここに閉じ込めたのが魅音で、…詩音をここまで怖がらせたのも魅音なら、……この日々を終わらせることができるのも魅音だけなのだと悟ったからだ…。
魅音は俺の肩越しに、告げた。静かに。
「安心しなよ。あんたは殺さない。…まだまだ殺さないんだから。……くっくっくっくっくっくっくっくっくっくっくっく…!!」
詩音の錯乱をさらに煽るような…奇怪な声で笑い出す。
その笑いにつられるように…詩音がガタガタと震えだし、…わめきながら鉄格子をガシャガシャさせる…。
「もうやめてぇえぇえぇえッ!!! 圭ちゃんを殺さないでぇええぇえ!! 圭ちゃんは何の関係もないでしょ?! 殺すなら早く私を…、私を殺してよ!!! もう誰が死ぬのも…嫌ぁああぁあぁぁああああぁッ!!!!」
「あっはははははははははははははははははははははッ!!!
そんなに死にたければ、この男を殺した後に、ゆっくりとひき肉にしてやるよ。…古式に則り、四肢の先端から少しずつ。ガリゴリと削ってミンチにしてやる。…あの肉挽き機はあんたのためにとっておいてあるんだからね。
…それとも、それで圭ちゃんをミンチにして見せた方が、あんたには面白いかなぁ?」
「…お、おい、いい加減にしろ! 今さら怖がらせてどうするんだよ…ッ?!」
「だめぇえぇえッ! 圭ちゃん、逃げてええぇぇえぇええええッ!!!」
詩音にこの期に及んでとんでもない言葉を投げかける魅音を、叱り付けようとして。……後ろを振り向く俺。
魅音が三日月をさらに切り込んだような…信じられないくらい残酷に口元を歪ませて…笑っていた。
…電気的に直感する。
……ここにいるこいつは、…俺の親友の魅音でもなく。
園崎本家を継ぎ、重い宿命に翻弄された園崎魅音でもない。……じゃあ、……こいつは……誰…?
バヅンッッ!!!!
後頭部をぶつけた時に見るような、チカチカとした火花がいっぱいに広がった気がした。
■拷問
…全身の力が一瞬にして抜け、頭が急に重くなる。
…誘われるままに膝を折り、床に叩き付ける。
…それから、全身をばったりと倒す。
顔面をそのまま床に叩きつけたはずなのに、まるで羽毛布団の上に倒れこむような心地よさがあった…。
……意識がふらふらと遠のく。
まるで、車の中で居眠りをしていて…、半分だけ起きて両親の会話を遠くに聞いているような、……そんな意識の遠さ。
いや、聞いているというよりは聞こえているだけ。
……どこか遠くの出来事で、その内容は自分とは遠く無縁で無興味…。
……だから耳元で詩音が叫ぼうと魅音が下品に大笑いしようと、うるさくも思わなかったし、興味もわかなかった。
「さぁて…どんな方法で料理してやろうかねぇ! そうだ。釘台なんかどうかなぁ? あのチビガキ二人組に試したかったんだけど、手が小さくて拘束台にサイズが合わなかったからねぇ!! あれにしようあれにしよう、あっはははははははははははは!!」
魅音が俺を後ろから抱き上げ、ずるずると引きずり出す。…踵が擦れて、靴が片方脱げる。
「駄目ぇええぇええぇ!!! もうやめてよお姉ぇえぇえ……!! …もう………やめて…………………ぅあぁぁぁ…ぁぁ…ぁ…。」
詩音の感情がはじけて…号泣した。
…その泣き声は魅音の興味をいたくそそったらしく、俺を放り出して再び牢屋の前に戻った。
「…あんたもかわいい声で泣けるじゃない?
あんたのワザとらしい空威張りには虫唾が走ってたんだけど、やっぱりそういうあんたが一番似合ってるよ。くっくっくっく!」
「…………魅音姉さま。お願いです。…私をどういう風に殺しても構いませんから。…どうか圭ちゃんだけは見逃して上げてください。…お願いです…………………。」
……姉よりも一枚上手に見えていた詩音。
…その詩音は、…あの平和だった頃からは想像もつかないような哀れな声で…、…かつて小馬鹿にしていた姉に、平伏し、許しを請うていた。
それを冷淡に見下ろす魅音の顔には、…明らかに愉悦の笑みが浮かんでいた。
「…あんたの希望なんか聞くつもりは全然なかったんだけど。あんたがあまりにも面白い声で泣くものだから。…何だか聞いててやってもいいような気がしてきたかな。
……思えばあんたには姉らしいこと、何にもしてやれなかったからね。」
「……はい。……はい。……ありがとうございます、ありがとうございます…。」
「じゃあさ。これまでのことを謝ってみせてよ。そうしたら私も、これまでのことをすっかり水に流してあげてもいいかな。…そうしたら圭ちゃんだけは見逃してあげなくもないよ。」
……俺を見逃さないこともないとは言うが、…詩音を見逃すとは一言も言わない。
やがて、…格子の向こうに詩音が土下座するように這いつくばり、……弱々しい声で謝罪の言葉を口にし始めた。
……それはか細く聞き取ることはできないが、…その意思だけは伝わってくる。
魅音はこれ以上ないくらい愉快な顔をして聞いていたにも関わらず、格子を蹴飛ばして不服だと告げた。
「…そんなので私の積年の怨み辛みが償えると思ってるわけ? こんなんじゃ駄目だね。
……やっぱり圭ちゃんから挽き肉だぁあぁ!!!!」
「嫌ぁあぁぁあぁあぁああああッ!!! 待って姉さまぁあ!!!! もう一度!! もう一度だけ…!!」
……魅音はやれやれと言った感じで足を止めもう一度振り返る。
…だがそれは仕方なくといった感じでなく、……詩音を虐めて楽しむ以外の何ものでもない。
「……ろくろく満足に謝れないあんただからね。…特別にお姉が心に届く謝罪の仕方ってのを教えてあげるよ。……一度しか教えないし、一言一句でも間違えたらアウト。……いいね?」
「……はい。…はひ…。…ありぁとうぉざいますぉ姉さま……。ぅぅ……。」
泣き叫び…すっかり喉を潰してしまった…詩音の哀れな声。
…胸を掻き毟られる感触が…少しずつ戻ってくる。……それは湧き上がる怒りの感情。
……悟る。
俺は少しずつ…体に自由を取り戻しつつある…!
だが、それは肌の感触や血流を感じることができるようになっただけのこと。
…自分の意思で指を動かすには…まだまだ至らない………!
「…ちゃんと覚えられたかなぁ。ではやってごらん。誠心誠意徹頭徹尾、心をこめてね。…………………ちゃぁんと出来たなら、あんただけを殺してあげるから。」
「…はぃ…、ありがとうございます……ありがとうございます…!」
……何かがおかしい…。いつの間にかおかしい…。
…ついさっきまで……こいつは確かに魅音だったのに…、……いつの間にかいつの間にか……魅音じゃない誰かになっている…!!
俺のよく知る魅音は…こんな、人間の尊厳を踏みにじって楽しむような卑劣なことは絶対にしない…ッ!!!
「さ。やってごらん。お姉ちゃんはちゃんと聞いててあげるから。」
「………………………そ、……園崎詩音は……、」
さっき、詩音の牢屋に駆け寄った時、俺のすぐ後ろで、本物と偽者が入れ替わったんじゃないのか…?!
とにかく…こんなのは断じて、……魅音なんかじゃない!!
「……園崎詩音は………魅音姉さまの足元にも及ばない、下賤で卑しい雌豚でございます…。…身の程をわきまえず…お姉さまに働いた…か、数々の無礼を、お、思えば……、ぅっく……、」
「ほらほらその調子。…少しは許してあげようかなって気になってきたよ〜?」
……全身に血が巡る…。
痺れた感覚が戻ってくる…。
まだ…もう少し…!!
…魅音が、…いや、魅音に似たあいつが詩音に気をとられている間に……早く…ッ!!
「……生意気だったこれまでを…反省し、……一生、…み、魅音姉さまに忠誠を誓います…。…ですから……ぅぅ………、」
「あっはははははははははははははははははははははははははは……ッ!!」
魅音の大笑いが、大空洞に響き渡りものすごい声になって響き渡る。
……それは、この世に生ける者の笑いではない。…紛れもなく、…地の底の、…鬼の笑い。
飽きるまで腹の底から笑うと、突然ぷっつりと切れるように笑うのをやめた。
「いいよ、もう。…充分面白かったわ。あんたがそこまでプライドを捨てられるとは思わなかったから。うんうん。充分に愉快。」
魅音は…、ようやく全身に感覚が戻りかけてきた俺を再び引きずり、…拷問室へ引っ張っていく。
「…ね、…姉さま…!! …殺すのは……わ、私だけ……。その人は……許してあげ………、」
「安心しなって。ちゃあんとあんたは殺してあげるよ。……圭ちゃんの悲鳴をたぁっぷりと聞かせた後にね…!」
「……………………………………ぃ、……嫌ァああぁぁあああぁあああああああぁぁあぁああッ!!」
拷問室に引きずられてきた俺は、手際よく拘束台に縛り付けられていった。あっという間に大の字に拘束されてしまう…。
握り拳すらも満足に作れない両手を無理やり開き、手を広げ、指の一本一本まで厳重に拘束する…。
……手ばかり、それも指ばかりが厳重に、蝶番でぎりぎりと締め付けられ固定される。
「……お姉ぇえっぇぇぇえぇ…、殺さないでぇえぇぇえええ……、お姉ぇええええぇえぇ……!!」
牢屋のある大空洞への扉は開け放たれていたので、詩音の無念の叫びはずっと聞こえてきていた。
「聞こえるかい詩音! これから始めるよぉ!! 圭ちゃんの若い悲鳴をたっぷりと楽しみなぁ!!」
「………………………………いい加減にしろ……。」
体に感覚が戻り、初めに俺が起こした行動は魅音に似たそいつに吐きかける呪いの言葉だった。
「ようやくお目覚め? 私、さっき嘘をついたね。…詩音を、一番惨たらしく殺してやろうと思って閉じ込めておいたけど、まだ思いつかないって言ったヤツ。あれが嘘。」
魅音は工具箱のようなものを持ってくる。
…そして、大金槌と先端が銛のようにかぎ状になった、見るからに歪な五寸釘を並べ始めた。
「あの子に、自分のせいで死ぬ大勢の人の悲鳴をたっぷりと聞かせて、体の芯まで染み透らせてから殺すの。……なかなかセンスいいでしょ。くっくっくっく!!」
「………………………お前は……誰だ。」
「はぁ? 魅音でしょ。園崎魅音。…恐怖で頭が変になっちゃった? くっくっく!」
「……………違うな。…お前が、……園崎魅音であるはずがない…!」
魅音は鼻で笑いながら…、恐ろしい拷問の準備をちゃくちゃくと進めていく…。
「………へぇ。じゃあ私が魅音じゃなかったら、私ゃ誰なわけぇ?」
「……………………………鬼だ。」
「へ?」
「……………………お前は魅音じゃない。……さっきまで一緒だった魅音を返せ。」
「……圭ちゃん、本当に頭は大丈夫? 恐怖で頭がどうかなっちゃった?」
「触るなッ!!! …この鬼め……!!! 返せッ!! 魅音を返せよ!!! 俺の最高の友人だった…魅音を返せぇえぇえええッ!!!」
……魅音は俺が何を言い出すのかと、しばらくの間、ぽかんとして聞いていた。
俺自身、…自分が錯乱しかけていることはわかっていた。
…魅音を目の前にして、魅音を返せなどと…世迷言であることはわかってる。でも……でも…! 目の前の今のこいつは…断じて魅音ではありえないッ!!! 認めるわけには…いかないのだ…!!
だから…俺は思った。
魅音には…本当に鬼が取り憑いていて……、二重人格のような状態にして魅音を操っているのだ…!!!
魅音はそれに操られたただの被害者で……本当の悪いやつは…こいつ!
この取り憑いた鬼の仕業に違いない…ッ!!!
「あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!! あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
それを聞いた魅音は…げらげらと大笑いし、むせ返って咳き込むくらいに笑い転げた。
「……………あんたって、…本当におめでたい人だね。園崎魅音に殺されようとしているこの瞬間に、目の前の私を否定するわけ? ……こんな面白い人が世の中にいるなんて始めて知ったわ。」
「……………………笑いたければ好きなだけ笑え。…だがお前が何を言おうと、俺はお前が魅音だなんて認めない。…魅音を返せ。退け、鬼めッ!!!!」
「わーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!! …圭ちゃん、…私を笑い涙で溺れ殺すつもり…? わーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
だが…俺はそんな笑い声に負けたりしない。大声で叫ぶ。
…目の前の魅音の内側に閉じ込められてしまった…本当の魅音に聞こえるように、…心の底から………。
「がんばれ魅音…! こんな…鬼畜生に負けるな…!!! 本当に強い…お前の力を見せてくれぇえぇえ!!!」
「わっはっはっはっはっはっはっは! わーっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
涙がこみ上げてぼろぼろと溢れ出す…。
両手が拘束されているから、それを拭うこともできず、流れるに任せた。
「頼むよ……魅音…!!! 魅音!! どこで…お前はこんな鬼に負けちまったんだ?! お前はこんな弱いヤツじゃないだろ?! 負けるな…、戦え、…戦えぇえぇえ!!!」
魅音は笑いをぐっとこらえながら、五寸釘を、俺の左手の小指の先端に当てた。
…右手には金槌。…小脇には何十本もの釘がある。
……これから何が行なわれようとしているのか…嫌でもわかる。
…でも…怖がってなんかいられなかった。…だから叫んだ!!
「わーっはっはっはっはっはっはっは……。はぁ、……お腹の筋肉がよじれて痛いよ。
………もういい? そろそろ始めるよ? いい声を出してね。これは圭ちゃんへの拷問である以上に、詩音への拷問なんだからさ。」
「………………どうして、……………………どうして、……こんなことに…。………………………魅音…ッ!!!」
あとは…男泣き。……嗚咽しか出なかった。
…それはこれから行なわれる拷問への観念なんかじゃない。
………魅音が…鬼に負けてしまった何かへの、無念だった。
……だが、目の前の魅音に小さな変化が起こった。
……高まった興奮が…少しずつ引いていっているのだ。
…俺が気付いた時、……目の前のそいつは、……魅音は取り戻していた。
「……………圭ちゃん。…冥土の土産、…なんて気の利いたものじゃないけれど。…………どうしても知りたがっているようだから、ひとつだけ教えてあげるよ。」
…………それが魅音なのか、……鬼が取り戻したつかの間の人心なのかは、…わからない。
「………私の中に鬼が宿ったのはずいぶん前。…その鬼は私を蝕み凶行に駆り立てようとした。……だけれど、私はそれを理性で抑えつけた。……鬼はそれで治まり、…私は、その鬼はどこかへ行ってしまったんだと思い込んでいた。……でも、本当は違った。…………私の中から出て行ったんじゃなく、…私の中で眠っていただけだったの。」
…………魅音の目元に…涙が溜まっているのに、気付く。
「……その鬼は、…ある小さなことをきっかけにまた目覚めてしまった。………それは…何に原因があったと思う…?」
………………………………………魅音の瞳に、悲しい、でも責めるような光。
「………わかる?」
………………………わからない……。
魅音が鬼に負けてしまったきっかけが…わからない。
「…………………………………。鬼の私が教えるのも変だけれど。……あんたが全てを狂わせてしまった元凶。」
……魅音の目から…溜まった涙がすーっと、…こぼれる。
「……………………あの時、…あんたがもらった人形を、躊躇なく私に渡していたなら、…………全ては狂いださなかったかもしれない。」
もらった人形…。
……あの、……日曜日におもちゃ屋で部活をした時にもらった……人形……。
「………圭ちゃんには理解できないだろうね。理解できなくて当然。………だけどね、そこからドミノ倒しみたいにパタパタパタといろんなものが倒れ始めて、…収拾がつかなくなってしまった。……初めの小さなひとつを倒したあなたに自覚がないのは当然だろうけど、………あなたが元凶なの。」
「……………………そんな………俺が………………、」
「……………あんたが「魅音」を泣かさなかったら、……私は起きなくて済んだのにね。
………………………これで充分? 冥土の土産は…。」
………俺の、………あの日の間違いが…………全てを狂わせてしまった……?
「……そんな、……うそ…だろ……?」
「………………自覚がないのは当然。でも、紛れもなく元凶なのは圭ちゃん。…………あの時、あんたがさりげなく人形を私にあげていたら、………多分こんなことにはならなかったと思う。」
………その時、……あ、…と声を上げそうになる……。
…俺はそのことをレナに教えられて……謝ったつもりでいた。
……でも、俺が謝ったのは魅音じゃない。あれは…詩音だった。
……つまり、……何てこと…。
……俺は………今日まで……魅音に一言も謝っていなかったのだ……。
俺は今日、この家に来て、謝ることがあると言っておきながら……、このことを一言も謝らなかった。
…思えば、…祭具殿に入ったことを謝った時、…魅音が落胆したような寂しさをみせていたように思う。
……どうして今頃…俺は気付くんだ……!
あの時はレナに教えられ、…今度は本人に、…いや、…鬼に教えられ…。
……俺って言う鈍感野郎は…いっぺん死ななきゃ…治らないっていうのか……!!!
「……………ぅぅぅ…………ぅぅ……!!」
もう…あふれ出す熱い涙をこらえることなんか出来なかった。
ただただ、…ぼろぼろと涙を流し、……涙の味を、…後悔の味を…淡々と噛み締めるしかなかった…。
「……じゃあそろそろいい? この拷問はね、とてもシンプル。左手の小指の先端の節に釘を打つ。順に親指まで打ったらまた小指に戻って、今度は真ん中の節に釘を打つ。…この調子で15本の釘で左手を打ちつける。それが終わったら次は右手。……それが終わったら次は、…………まだ意識があったら教えるね。指先って、たくさんの神経が集まってるから、圭ちゃんが想像するよりもはるかに痛いよ。…両手30本を打ち終える前に、失神しちゃう人もいるそうだから…。」
魅音が釘の先端を俺の、左手の小指に当てる。
……痛いくらいに手首も腕も、全ての指の関節も締め付けられ…痙攣ひとつできない。
「…………他の人を拷問する時にはなんのためらいもなかったけど。……なぜかあんたにはためらいがあるよ。」
「………………………………それで魅音の鬼が治まるなら…、」
それで魅音の鬼が治まるなら、気の済むようにやってくれ…。
「……………あんた、……本気で言ってるの…?」
「……俺が傷つけた魅音の痛みに比べれば…こんなの大したことないんだろ?」
「……………………………………………………。」
「……気の済むようにするといい。……そのかわり、…二つ約束しろ。」
魅音は無言。…だが、…俺の言葉を待ってくれた。
「…………俺を気が済むまで痛めつけたら、……詩音は許してやれ。……祭具殿に忍び込んだ罪には、それで充分見合う仕打ちをしたはずだ。」
「あんた、………この期に及んで…自分より詩音の心配ができるわけ…?」
「…もう一つは、……気が済んだら、…もうお前は消えろ。………その体を、……魅音に返してやってくれ。…………………それだけだ。」
「……………。……………あんたって人には、……命乞いをするとか、そういう考えは思い浮かばないの?」
「…………約束、二つじゃなくて三つにしていいか。…三つ目は、俺を殺すなにしてくれ。」
「…あははははは。最初に二つって言ったでしょ。…だからもう駄目。」
「……………そいつぁ残念……。」
こんな…普通じゃない状況下で、…俺と魅音は二人して、…つまらない冗談を笑い合うように…穏やかに笑い合った…。
「……多分、私は約束を守らないよ? 鬼だから。」
「その時は仕方がないさ…。」
………歯医者で痛みに耐える時、両手をぐっと握ってこらえたのを思い出す。
…だが、今は指先まで開かれてしまったので握ることもかなわない。
…だから代わりに両足の指をぐっと握った。
…さぁ……やれ。
覚悟はもう終わっていた。
だから。…こうしていつまでも釘を打たれない方がかえって怖かった。
…その覚悟が挫けてしまいそうで…。
魅音は金槌を置くと、俺の頬を……やさしく撫でた。
「……圭ちゃん。今の、……三つ目の願いだけは、聞いてもいいよ。」
「…………………え。」
三つ目の願い。
……俺を助けてくれ。………を、聞いてもいいって…?
「一つ目の願い。詩音を救うこと。…これはもう無理。……詩音は鬼が殺してしまう。…それはもう決められたことだから止められない。だから諦めて。」
華奢な指が…頬から…顎にかかる。
「そして二つ目の願い。この体を魅音に返すこと。…これももう無理。……今日を境に魅音が戻ってくることはもうない。……今日以降、もし私の姿があったとしても、それは姿だけ。…私の姿をした鬼だから。」
「…………そんなことはない。……魅音は…魅音だ…! もう戻ってこないなんて…悲しいことを言うな…!」
「…………………………………………………………聞こえる? あの音。」
魅音が軽く目を閉じ、耳を澄ます…。
…それは確かに俺にも聞こえた。
……ドォォ…ン…。………………ドォォン…。
一定の間隔で繰り返される鈍い音。……振動を伴う重い音。
この地下祭具殿の鉄扉に大勢が体当たりをしているのだ…。
「帰りが遅いから、レナが大石を呼んだんでしょ。………あのぼやーっとした感じの子が、こんなに頭が回るのだけは計算外だったな。」
「………………それについては同感だよ。」
魅音はしてやられたようにニヤっと笑うと、ポケットから電気髭剃りのようなものを取り出す。
……スイッチを押すと青白い火花がバチバチ!と散った。
「…………見たことないでしょ。本物のスタンガンだよ。…違法品なんでかなり出力が上げられるようになってるけどね。」
「…さっき、俺に喰らわせたのはそれか。………子供の玩具には向かねぇぞ。」
「くっくっく。…そうだね。」
スタンガンを俺に当てるつもりらしい。
…身動きできない俺の首元に、その冷たい塊を押し付ける。
ドォォ…ン!
最初の大扉を破ったらしい轟音が聞こえてくる。
通路は多少入り組んでいるけど、…この拷問室の扉以外に、もう遮るものはない。
「……殺さないけど、しばらく圭ちゃんにはお休みしててもらうね。すぐに大石が来てくれるから。ちょっとの我慢。」
……さっきと同じ刺激がもう一度か…。
歯を食いしばったってどうにもならないだろうが、…ぐっと食いしばる。
だが、釘を打とうとした時と同じ様に、少しの躊躇があった。
……ぐっと綴じていたまぶたを少しだけ開ける…。
「……………………………………ごめんね。……魅音を汚して。」
「………ここに入る前に約束した。何があっても、俺の中の魅音は変わらない。」
「…………………でも忘れて。今日以降、もしも私を見かけても、…近寄らないでね。……それは私の屍に取り憑いた…鬼なんだから。」
何を言ってるんだよ。…そう言おうとした瞬間、…さっきよりもはるかに強い光が瞬いて……テレビのスイッチが切れるように、…俺の意識を真っ暗にしてしまった…。
■エピローグ…
昭和58年6月。
XX県鹿骨市雛見沢村で、連続失踪事件が発生した。
容疑者は、園崎魅音(1X歳)
容疑者は6月19日から21日までの間に雛見沢村住民5人(園崎お魎・園崎詩音・公由喜一郎・古手梨花・北条沙都子)を拉致、監禁して殺害した疑い。
事件は当初、情報不足のため初動捜査で遅れをとったが、偶然的、電撃的に解決した。
23日午前中、園崎邸前を巡回していた警邏車両は邸内よりの悲鳴を聞き、緊急措置として邸内へ突入。
失踪中の容疑者の妹(園崎詩音)とクラスメート2名(前原圭一・竜宮礼奈)を保護した。
容疑者は現場より逃走する。
失踪者たちを殺害したと思われる園崎邸内の離れ地下奥、拷問室からは、失踪者4人(園崎お魎・公由喜一郎・古手梨花・北条沙都子)の毛髪、皮膚片、血液などを発見。
拷問室内で失踪者たちが拷問を受けたものと断定した。
ただし、その遺体は依然、発見されていない。
監禁されていたクラスメートの証言から、監禁現場となった、園崎邸内の離れ地下にあるものと見て捜索を続けているが、容疑者の逃亡ルート共々、発見には未だ至っていない。
また、ほのめかしたとされる近年の連続怪死事件への関与も捜査が続けられているが、
園崎魅音が直接、または間接的に関わったという証拠は発見されていない。
事件の動機には今もなお不明な点が多く、また、園崎家、雛見沢村住民の極度の非協力もあり、その解明には膨大な時間を要することが予想される。
地域に詳しい地元警察の見解では、雛見沢村内の信仰に対する冒涜行為を巡る、内部懲罰、リンチ事件ではないかと見ている。
地域性に根ざした特殊な事件であることは間違いなく、県警本部は慎重な捜査を命じた。
容疑者の妹で、もっとも監禁期間の長いと思われる失踪者(園崎詩音)から重要な手掛かりを得られるのではないかと期待したが、
事件後、精神に重度の後遺症を患い、今日まで正常な事情聴取に応じられる精神状態にない。
精神科医は、ショックによる一過性のものと診断したが、その回復の目処は今日でも立っていない。
■エピローグ…
…………………………………………あれから、…ほんの何日かが過ぎた。
俺はあの後、レナが呼んでくれた大石さんたちに救い出された。
真っ白になってしまった俺の意識以外には、何の外傷もない。
あると言えば、スタンガンを受けた時に出来た小さな火傷の痕くらいだ。
……俺は病院で検査を受けながら、…大石さんにあれやこれやと質問を受けたが、
……何を聞かれて、どう答えたかはあまり記憶に残っていない。
聞いた話では、……なんと魅音はまだ捕まっていないのだと言う。
奥の牢屋のある大空洞からは無数の通路や小部屋が広がっていたらしい。
……そのどこかに外へ逃れる隠し通路があったとしても何の不思議もない。
不幸中の幸いとしては……詩音は無事、警察に保護された点だった。
魅音の別れ際の様子では…道連れに殺しかねない雰囲気だったが…。
…きっと大石さんが予想以上に早く駆けつけてくれたので、殺す充分な時間がなかったのだろう。
……それだけが…本当に幸運な出来事だった。
もっとも、…救助された詩音は……外傷こそないものの…、心にはざっくりと大きな傷を負ってしまっていた。
……救出時には重度の錯乱状態で、警官たちに噛み付いて抵抗したという。
聞いた話では、見る影見る影がみんな魅音に見えてしまうらしく、病院は愚か、自宅すらも嫌がり、住所を伏せ、鹿骨市内の某所に引き篭もっているという…。
……また、魅音がやって来ると恐れて日々、所在を転々と変えているらしく、その正確な所在は実家ですら知りかねていた。
どこに住んでいるにせよ、……今も詩音は、魅音の影に怯えながら日々を過ごしている……。
警察は今もあの園崎家の地下祭具殿を調べている。
なぜなら…他の犠牲者たちの遺体が見つからないからだ。
……確か魅音は、…死体を井戸に捨てた…と言っていたように思う。
それは井戸状の垂直な隠しトンネルがあの地下道のどこかにあるということだ。
地図も建築図面もない秘密の地下は……、
梨花ちゃんや沙都子、その他大勢の犠牲者の遺体を飲み込んだまま、……まだ真相を語る気はないらしい…。
俺も現場検証とやらで、もう一度あの地下に連れ戻されたが、……。何も役に立つことは思い出せなかった。
…………もう二度とあそこへ戻りたいとは思わない。
自宅には連日、興宮の園崎家、つまりヤクザの大幹部でもある魅音と詩音の両親が、大勢の子分を連れて謝罪にやって来た。
両親がいくら断っても、毎日、慰謝料と称して百万円の札束をいくつも積んでいった。
その額が日々積み重なり、二千万を超えた時、今度は手紙の入った封筒も渡された。
……その手紙に何が書かれていたのかはわからない。
両親は俺を抜きにして二晩も話し込み……………………、引越しを決めた。
「……そっか。……引っ越しちゃうんだね。……いつ?」
「来月の終わり。…………雛見沢には結局、半年もいつかなかったことになるな。」
「………………………………………寂しくなるね。…私一人しか、…残らない。」
レナは寂しそうに笑った…。
それに相槌を打つと…もっと寂しくなる気がしたので、俺は話題を変えた。
「………………こう考えることがあるんだ。」
そう切り出す。
実は魅音は逃げているのではなく、
……本当の意味での鬼隠しにあって消えてしまったのではないか、…と。
消えてどこへ行ったのか、……それはわからない。
消えた先には…何があるのだろう。
…………魅音が喜ぶような輸入物を取り扱ったホビーショップがあればいい…。
そこは…煩わしい一族のしがらみなど何もなくて、…園崎魅音じゃない、ただの魅音として楽しく過ごせる場所に違いない…。
…もう沙都子や梨花ちゃんも合流してるかもしれない。
そして…いつの日か俺とレナが合流するのを待ちながら、……今日もにぎやかに、…部活に明け暮れているに違いないのだ…。
それをレナに話したら、笑いながら頷いてくれた…。
園崎家が必死に隠していた事件も、わずかなほころびから雑誌社にすっぱ抜かれることになった。
芋づる的に近年の連続怪死事件が取り上げられ、…テレビのワイドショーは連日、このニュースを取り上げた。
面白おかしく、いい加減なことを言うワイドショーは、決して魅音が背負っていた重く、…険しい歴史について触れようとはしない。
……そんな面白半分な取り上げ方に腹を立てたが、…もうどうしようもないことだった。
俺の人生にとって、
…この雛見沢で過ごしたわずか数週間は、…どれだけの印象を残すのだろう。
……この数週間の間に、最高の友人たちと出会い、最高の経験をした。
……多分、…一生忘れない。
マスコミが作り上げていく歪曲した魅音像。
……それは大衆が飽きるまで慰み者にされた後、くしゃっと丸めてゴミ箱に捨てられるように、……やがて忘れ去られるだろう。
俺は、……本当の魅音を知る数少ないひとりとして、……それをずっと覚えていなくてはならない。
……それがきっと、……魅音への手向けになると信じているから。
……空はどこまでも高く、…そびえるような入道雲が浮いている。
本当の夏が、…すぐそこまで来ていた。
■深夜
今でも、……夜の10時になると…詩音、いや魅音から電話が掛かってくる気がする。
全てが終わった今、電話が掛かってくるはずなど、ない。
……だが、掛かってくるはずがないからこそ、…今度こそ、……その電話がどこから、誰が掛けているのか、……恐ろしい。
…それに……魅音はまだ捕まっていないのだ。
……全てが完全に終わったなどとは、…言い切れない。
でも、それを恐ろしく思う気持ちは、…魅音の無事を祈る気持ちの裏返しでもあるのだ。
……そう思えば、その恐ろしいという気持ちも、一緒に抱いて寝ることができた。
消灯する。
…かつては消灯すると襲ってくるのは…恐怖の感情だった。
…だが、それは二日と経たない内に、後悔へと転じた。
カーテンの隙間からの月明かりが、机の上に置かれた…人形を照らす。
………そう。
………あの日、魅音に渡すべきだった、………あの人形。
イギリスだかの輸入物で、流行ってるとか何とか言ってたっけ。
………詩音が言うには、その中で一番人気があるのが、あのフワフワのドレスを来たヤツらしい。
事件から解放されて、…俺が最初に行ったのが、あのおもちゃ屋だった。
店頭ディスプレイの物以外は全て売り切れてしまったそうだった。
…展示品は売らないと一度は断られたのだが、…俺が、例の事件の生存者Aだとわかると、すぐに承諾してくれた。
…だが、買っても渡す機会は、……もう永遠に訪れないかもしれない。
それを知りつつも、……俺は渡せる機会を待っている。
こうして、…いつでも渡せるように机の上に置いて、…その機会を待っている。
<夜の間を示す、そんな時間の間を演出して下さいにゃ〜♪
コツン。
……変な音がした。
…聞きなれない音だった。
雨の降り始めにしては…大きすぎる音だったし、…迷い込んだ昆虫が蛍光灯にぶつかる音ともまったく違った。
何かの聞き間違えかと思い、布団をかぶり直す……。
コツン。
…もう一度、音がした。
聞き間違えなんかじゃない。…間違いなく聞こえた。
どこから?
起き上がり、灯りをつける。
…二度あったことなら三度目もあるはず。……一体どこから…。耳を澄ます……。
コツン。
窓だ。…窓に、…何か小石がぶつけられているのだ。
それが風などで飛んでくるものでなく、人の手で投げられていることに気付き、ぎょっとする。
時計を見ると……深夜2時。
…こんな時間に…誰が…。
…カーテンの隙間から…そっと表を伺う。
門の灯りのところに……こんな時間なのに、人影があった。
それは砂利を拾い上げると、…この窓に向けて投げつけていた。…それが窓に当たり、コツンという音を立てる。
誰なんだ………………。
「…………あ、……………………ッ!」
はっと息を呑む…。
その人影が…見間違いでないなら……、…魅音だった。
窓をガラリと開けて、人影を改めて見直す。
み…見間違いなんかじゃない。
…魅音だ! ……魅音だ!! 生きて…いたんだ!!
魅音は大声を出さないようにと、人差し指を口元に当てて、シーーっとして見せた。
それがなかったら、…危うく俺も大声を出すところだった。
……魅音は今、…とても微妙な立場だ。
…例え深夜と言えども、その名を呼ばない方がいい。
俺はすぐにそこへ行くと手を振り、寝巻きの上に上着を羽織って部屋を飛び出る。
…………階段を降りる直前に急ブレーキ。
……うれしい気持ちが芽生えたのと同時に、……これが多分、最後の別れになるだろうという悲しい予感もした。
だから部屋へ一度戻り、………あの人形を手に取った。
神さまがいるなら……今日ほど感謝することはない。
…たとえこれが…今生の別れだとしても……、…この唯一の機会を与えてくれたことを……感謝する…!!
サンダルを履き、カギを開け、チェーンを開け…、表へ飛び出る。
「……はぁ、……はぁ、……魅音…!」
「あはははは、お久しぶり〜。…どう? 元気にしてた?」
まるで…いつもの朝に出会うみたいに、…魅音はいつものように手を振って応えてくれた。
紛れもなく…魅音だった。…本物の魅音だった…。
「……お前、……こんなところをうろついてて……大丈夫なのか…?!」
「…………本当はいけないよ。…えへへへ。」
…こいつ、…警察に追われてるって自覚、足りないんじゃないのかぁ…?
何だかまるで、…入院した患者が、飽きて病院を抜け出しているような、…そんな錯覚になるのんびりした会話に…思わず呆れてしまった。
…だけど、そんな余裕がむしろ魅音らしくて、…うれしかった。
「それより……どうしたんだよ。こんな時間に。」
「…最後にお話したかったから。」
その時、気付く。
……魅音の額に、玉のような汗がいくつも浮いていることを。
……満面の笑顔だと思っていた表情も…よく見ると小さく震え、……無理に装っているものであることがわかった。
「………私ね、……えへへへ、……もう、……ここにはいられない…。」
言葉にも辛そうな響きがこもり始める…。笑顔を作るのも…やっとのような。
「だ、大丈夫か…。どこか具合でも…、」
「…今日まで……がが、……がんばってきたけど…、あははは、…自分でわかるの。
……もうだめ…もう限界…。私のお迎えは……もう、すぐ後ろまで来てる…。あははは………。」
魅音の笑顔が…崩れ、…強張ったものに変わりはじめる。
……こいつは……こんなにも無理をして、…俺のところへ来てくれたのか……?
「あ…はははは、…はは……は、……はぁ………はぁ………はぁ…!」
笑いが途切れ…それは荒い息に代わる。
背中をさすろうと手を伸ばすが、それは叩かれた。
「大丈夫かよ…! もう無理するな…。あ、…そうだ。…俺、魅音に、」
渡すものがあったんだよ。…この人形……。
…俺は魅音の限られた時間の短さを知り、…自分が済ませたかった最後の用事を、……済ませるつもりだった。
………だがその最後の用事は、
…………………おぶ……、
……………………………ぐ、……ぅ、
…………………。
……お腹が、……熱い。
………魅音が……肉厚の…ナイフのような包丁のような…刃物を、…突き立てて……、
…それをぎゅうっと…押し付けて、…ねじるように…ぐいぃ…っと…。
魅…音…?
…おい、……ちょ、…っと…痛い………よ……。
「け、……けけけ…けけけけけけけけけけけけけけけけけ…! 間に合った…。…間に合った…! …くけけけけけけけけけけけけけけけけけけ!!!」
地面にそのまま…うずくまる。
…お腹が火を噴いたように……熱い……。
魅音はそれを見届けると数歩後ずってから、…ケタケタと笑った。
「げげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげ!! 出来た、全部出来た! 私が殺したいヤツは…これで全員…!!! げげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげ!!」
…あの日、魅音が俺に残した最後の言葉が…蘇る
「……今日を境に魅音が戻ってくることはもうない。」
今日以降、もし私の姿があったとしても、それは姿だけ。
…私の姿をした鬼だから。
鬼だから。…鬼だから。………鬼だから。
「…み、………魅、…………………音………………、」
…そんな、…………会えたと、………思ったのに……。
……こんな、…ことって、…………………魅音………。
……自らの作る血溜まりに……、魅音のために買っておいた人形が……赤く、…赤く、……染められて……………。
………………………………魅音………………………。
もう一度だけ魅音に会わせてくれた幸運と、……それを目の前で引き裂いてくれた不運と。……感謝すればいいのか、呪えばいいのか。
……どちらとも付かない感情のまま、…俺は意識を真っ暗な沼の底へ沈めて行く……。
魅音のために買った人形が、………血で……汚れてしまって………。
こすってもこすっても……余計に……汚…れて……しま……って……………、
悲しい月が、凍えそうなくらいに、白い。
■タイプライター2
昭和58年6月28日。
XX県鹿骨市雛見沢村で、傷害事件が発生。
被害者は先の連続失踪事件の被害者でもある、前原圭一。
午前2時ごろ、自宅を訪れた、先の事件の容疑者(園崎魅音)に腹部を刃物のようなもので刺され重傷。
起き出して来た家人に発見され、診療所へ搬送。
一命を取り留めた。
犯人は逃走。
同日推定同時刻。
XX県鹿骨市上一色のマンションで、転落事故が発生。
被害者は先の連続失踪事件の被害者でもある、園崎詩音。
同日深夜、被害者が何者かと大喧嘩をするような騒動を隣人が聞き管理人に通報。
管理人が合鍵を使って室内に入り、8階のベランダから転落死した被害者を発見した。
室内は荒れはて、争った形跡のようにも見えた。
隣人は園崎家に古くから出入りのある人間で、当時の騒動を姉妹喧嘩にそっくりで、互いに罵りあう声を聞いたと証言する。
先の事件の容疑者による、同日に発生した雛見沢村での傷害事件との関連性があると見て、
室内を徹底的に捜索したが、被害者以外の人間がいたことを示す痕跡は発見することができなかった。
被害者は真下にある植樹帯の植え込みに落下。
首の骨を折り即死。
着衣には乱れがあり、取っ組み合いをした形跡も見られた。
…だが、事件後の被害者の特殊な精神状態から、錯乱による自殺ではないかとも見られている。
自殺と事件の両面から、慎重な捜査が行なわれている…。
■17日目・病院にて…
「………本当に5分だけですからね。刺激しないようにして下さい。」
「えぇえぇ。心得ていますよ。」
ガチャリ。
扉が開き、…思ったとおり、大石さんが入ってきた。
「どうもどうも前原さん。ご無沙汰しておりますね。その後、お加減はいかがですか。」
「……医者が言うには術後の回復は順調だそうですが、…あんたの顔を見たらまた傷が悪くなりそうです。」
「なっはっはっはっはっは! こりゃあ手厳しい。」
大石さんは汗臭い声で笑いながら、病院の1階のおみやげコーナーで買ってきたらしい菓子の詰め合わせをお袋に渡した。
「すみません、お母さん。ほんのしばらく圭一くんとお話する時間をいただいてもよろしいですか?」
お袋は、警察が親抜きで息子と話をすることに不快感をあらわにした。
……だが、俺からも言う。
「……母さん。悪いけど、ほんのちょっとだけ。5分でいいから。」
お袋は渋々とだけど、退出してくれた。
扉がしまると、大石さんはにやーっと笑って病室内を見渡した。
「個室なんていい身分ですねぇ! うちの婆さまなんか、いっつも相部屋ですよ? そりゃーもう賑やかなことで。ああいうところじゃ、病気の重さがひとつのステータスになるらしいんですよ。より重病な患者ほど偉いというか威張っているというか…。」
「…大石さん、5分ですよ。できればこれが本当に最後の5分にしてほしいものです。
……俺はもう雛見沢とは関係ないし、…ここももう雛見沢じゃない。」
「……興宮には総合病院はありませんからねぇ。…椅子、よろしいですかな? よっこらしょっと。」
ここは鹿骨市内の大きな大学病院だ。
さすがに雛見沢や興宮なんかとは全然違って、立派な都会。
あの雛見沢と、同じ市内にあるとはにわかには信じがたい。
「転院はいつ頃になりそうですか?」
「さぁ。…俺的にはいつでもOKなんですけどね。」
俺の大怪我のせいで引越しは少し遅れることになってしまった。
だが、すでに両親は雛見沢の家を出、新しい引越し先で生活しているという。
俺も、搬送が可能な状態にまで回復したら、引越し先の病院に転院する予定だ。
「…転院先にまで来ないで下さいよ。本当に具合が悪くなりますからね。」
「いやぁ…すっかり嫌われちゃいました。仕事柄とは言え、心苦しいですよ。なので、今日はこれまでの罪滅ぼしに素敵なおみやげをいろいろお持ちしましたので。」
「………別にクッキーの詰め合わせなんか持ってこなくっても。」
「それがねぇ〜。実は中身はクッキーじゃないんですよ。ほぅら〜。」
大石さんがガパンとクッキーの缶を開けると……のわ?! 痛てて、手術跡が突っ張る…。
「前原さんの好みがわからなかったので、いろいろと持ってきましたよ〜。ほぅら、洋物に劇画からかわいらしいのまで色々! 最近はこんな女の子向けみたいなHマンガもあるんですねぇ〜。」
「エエエエ、エロ本なんか持ってこないで下さい〜!!! 持って帰って持って帰って!! 痛ててててて…!!」
「んっふっふっふ! 健全な若者がこんな所にずーーーっと閉じ込められてたら、さぞや御入用だと思ったんですけどねぇ。こんなところにいると看護婦フェチにしかなりませんよぅ?
世の中には看護婦さん以外にも素晴らしいものがいっぱいあるんですからねぇ! 今から専門を決めないで、幅広く! オールラウンドに行かなくちゃ。んっふっふっふっふっふ!!」
大石さんの下品な笑いに合わせて、俺も苦笑いを返す。
…でも、何となくわかっていた。
大石さんが、こんな切り出し方をするということは、……何か重要な話があるに違いないのだ。
「……………詩音さんの件は本当にお気の毒でした。」
「…………………………………………………。」
俺が魅音に刺されたあの夜。
詩音はベランダから落ちて死んだ。
…警察は事故、自殺、他殺の全ての可能性で調べる、なんて言っていたが、…魅音の仕業以外にはありえないのだ…。
魅音が、詩音の隠れ家を探り当て、……突き落として殺した。それ以外に考えられない。
「……………事故のわけない。……魅音です。…絶対に。」
「………鑑識の連中は自殺だとしか思えないなんて言ってるんですが、私も前原さんと同じ意見です。…詩音さんを突き落とし、さらにあなたを刺した。…一晩の内にね。」
「…………………………魅音は、…まだ見つからないんですか。」
「そうそう。それを今日はお伝えしたくて来たんですよ。…はい。
実は見つかったんです。」
「えぇ?! ………痛てててて…、」
…それは…何だか不思議な気持ちだった。
事件が本当の意味で終わったという安堵感と、…親友がついに捕まったと言う気の毒な気持ちと。……他にも他にも…。……複雑な胸中だった。
「それだけじゃない。園崎家の例の地下。…隠し井戸も見つかったんですよ。
前原さんが仰られてた通り、失踪者全員の遺体をその底で発見しました。」
「………………………そう、……ですか…。」
…遺体が見つからないということだけを心の拠り所に、…今日まで信じてきた梨花ちゃんや沙都子の、……生きている可能性は、…潰えた。
「あの地下に、実に巧妙に隠されてましてね。いやいや、まさに死角中の死角でした。
井戸状に掘られた垂直トンネルでして。…ハシゴが設けてあって、下へずーーっと行ったところに今度は横へ抜けるトンネルが作られていました。…そこを数百メートルも這って進むと、何と山中の古井戸に抜けられましてね。」
「………過去の園崎家の当主が作らせた、秘密の逃げ道だったんでしょうね。」
「でしょうなぁ。…明治以降に作ったものでしょうが。いやいや、…よくもあんなものを作ったもんです。」
「……………みんなの遺体は、………その底に…?」
「はい。…逃げ道の通路よりもさらに下に、コールタール状の泥水が溜まってまして。そこに無造作に投げ込まれていました。
相当の高さから落としたわけですから、遺体はどっぷりと埋まってしまってましてね。…遺体の引き上げにはだいぶ苦労させられました。」
「………………………………全員、見つかりましたか。」
梨花ちゃんと沙都子だけは、…見つからないでほしい。
…そんな願いをこめたつもりだったが、その淡い願いはあっという間に打ち砕かれた。
「はい。全員。……それどころか、死後10年以上経過したと思われる人骨も見つかりました。最低でも3人分はあると思われます。……雛見沢の歴史の暗部というわけでしょうなぁ。泥を全部吸い出したら、…一体何人分の骨が出てくるやら。……怖い話です。」
………………その重さは、そのまま魅音の肩に圧し掛かっていた重さなのだ。
………魅音。………………………………。
「…今、鹿骨市内の過去数十年の失踪者を洗いなおしているところです。…諦められてた失踪事件も、これを機にぜーんぶ解決するんじゃないかなんて言われてますよ。」
「………………………………。」
深い沈黙に……重いため息を漏らす…。
大石さんがタバコで間を持たそうとしたが、禁煙場所であることに気付き、諦めて胸ポケにしまった。
「そうそう。…これは寄り道なんですが、………古手梨花さん、ご存知ですよね?」
「もちろん。……仲間ですから。」
「彼女、例えば糖尿病でインスリンの注射を常用していたとか、そんな話はありました?」
……………?? 梨花ちゃんが糖尿病??? 何の話だかわからない。
「実は、彼女のスカートのポッケからですね。
注射器が見つかりまして。破損していたので、薬物は特定できなかったのですが。……少々不似合いだったので、興味を持ちまして。……本当にご存知ありません?」
……梨花ちゃんが注射器を持ち歩いていたなんて話は知らない。
「園崎家は本業の方、…あぁ、ヤクザ屋さんのことです。…で、覚醒剤を扱ってるとの噂がありましてね。…その可能性もあるかなんて思ってたのですが。」
「………梨花ちゃんが、…覚醒剤の常用者だって言うのか…?!」
「いえいえ…そうは申してませんよ。
…ただ、お醤油をもらいに行くついでに注射器を持っていくってのは、…どう考えても変ですからねぇ。」
……………………何が何やら……わけがわからない。
目が回る…。…吐き気が……………。
「大丈夫ですか? 看護婦さんを呼びましょうか?」
「だ、……大丈夫ですから。……話の続きを…。」
「まぁ、注射器の話はそれだけです。それだけが個人的に気になったもので。」
……………梨花ちゃん…。
「…梨花さん、村のマスコットみたいなところがありましたからね。…今、村は騒然としてるみたいですよ。…妄信してた年寄り方と殺してしまった園崎家とで。
…実効支配していた御三家もほぼ全滅状態。
…………こんなタイミングでまたダムの話が出てきたりしたら、今度こそ間違いなく廃村でしょうなぁ。」
「………もう俺、…雛見沢とは関係ありませんから。」
本当は関係なくない。
…雛見沢が廃れていく話を聞いて不愉快になるから、…早くこの話を打ち切って欲しくて言っただけだ。
扉がノックされる。
細く開き、お袋が、まだ話は続くのかと聞いてきた。
「ありゃぁ! 無駄話が過ぎましたか。…まいったなぁ!」
…………………時計を見る。…とっくに5分は過ぎていた。
まだ、どうしても聞きたいことがあったので、お袋にもう少しだけと言った。
「……そう? 手短にね。」
お袋は警察が息子と何を話しているのか、気になって仕方ないようだった。
「…………日を改めた方が良さそうですねぇ。」
「…あの、…大石さん。…………魅音は今、…どうしてるんです?」
それだけを聞いたら、もう追い返すつもりだ。
「…………………それを話す前に、前原さんに一個だけ。…本当に正直に答えてもらいたいことがあります。」
「……何ですか。」
「…………………本当に真面目に答えて下さいよ。…これ、いい加減なこと言っちゃうと、場合によっては捜査撹乱と見られて告発される場合もありますからね。」
…大石さんが、最後の最後で凄む。
……一体、何だってんだ。
「……前原さん。…詩音さんを突き落とした犯人は誰だと思います?」
「……………………………魅音しか、考えられないじゃないですか。」
「では、あなたを刺したの、誰です?」
「……………………………何度も言わせないで下さい。……魅音ですよ。……園崎魅音。」
……大石さんは苦笑いしながら、汗拭きのハンカチで額をぺたぺたと拭う。
予想通りの答えのはずなのに、どこか釈然としない様子が見て取れる。
「詩音を突き落として、俺を刺して。…魅音の犯行だって、さっき大石さんも認めたじゃないですか。」
「……詩音殺しの犯人が魅音だという根拠は、隣人の男の証言によるものなんです。
……この隣人ってのは実は暴力団組員、つまり詩音さんのボディーガードだったんですよ。この内のリーダー格が古参で、園崎姉妹が幼い内から親身になってた男なんだそうで。」
…この男はこう証言した。
隣の部屋から聞こえてきた騒ぎは、まだ姉妹が同居してた頃によく聞いた姉妹喧嘩の騒ぎにそっくり。……いや、間違いなかったと。
魅音と詩音が罵りあう声が聞こえ、取っ組み合いをする大騒ぎが聞こえたと。
でも初めは錯乱による幻覚だと思って放っておいた。
……このような大騒ぎは、…当時は毎晩あることだったからだ。
だがその晩は…いつになく長いので、鎮静剤を与えようと思い部屋を訪れたのだと言う。
管理人にカギを持ってこさせるまでの間に騒ぎは収まった。
だが一応、様子だけでもと思い、呼び出しに反応がないのを確認の上、開錠に踏み切ったという。
それで部屋がぐちゃぐちゃ。
…ベランダの下には詩音が突き落とされていたので、魅音の犯行に違いないと、…こうなったらしい。
「…つまり、壁越しに聞いたというだけなんです。しかもこのマンション、組の関係で住人がほとんどいないんです。ですからこの騒ぎを聞いてたのも彼らだけ。……重ねて言えば、園崎魅音を目撃した者は誰一人いないんです。」
「見なくったって……そんなの、…魅音の犯行だって、わかるじゃないですか…!」
「まぁまぁ。…だからつまりですね。…あなただけがあの晩、確かに園崎魅音を目撃した唯一の人間ってことになるんです。もう一人の目撃者の詩音さんは生きておられませんからね。」
「…………大石さんが何を言いたいのか、…よくわからないんですけど…。」
そこで大石さんは間を置く。
禁煙であることをすっかり忘れて、再びタバコの箱を取り出した。
カチリと、ライターでタバコに火を付ける。……そして紫煙をふーっと吐き出す…。
「………あなた、本当に園崎魅音に刺されたんですか?」
「はい。……………間違いなく。」
「…………………………………………………………………。」
大石さんの吐き出す紫煙が、風に流される入道雲のように…流れていく。
「…………大石さん、ここ禁煙です。…看護婦さんに怒られますよ。」
「実は園崎魅音も、
…井戸の底から見つかったんですよ。」
「…………………え、」
「転落死です。あの井戸の隠し通路から逃げ出そうとしてハシゴを降りる途中に足を踏み外し、…底まで転落し、首の骨を折って死亡したと見られます。…はい。詩音さんと同じにね。首の骨を折って。」
「……え、と……、……………え……?」
「あの日、前原さんを気絶させた後、園崎魅音は隠し井戸から外へ逃れようとして…。……足を踏み外して死んだのです。
…まるで、底に突き落とした他の犠牲者の死体に呼び寄せられるようにね。」
「………………………………それじゃ、……おかしいじゃないですか…。」
「検死の結果、間違いなくあの日に死亡したものと確認されました。
…あなたと詩音さんを襲ってからあそこに戻ったんじゃない。
……あの日にすでに死んでいたんです。」
開いた口が……塞がらない。
……そんなはずは……絶対にない。
……俺を刺した魅音は、……間違いなく魅音だった。
……それ以外の、……誰でもなかったはず…………。
「じゃ、……じゃあ、……だ、誰が俺と詩音を襲ったんですか…! 誰が…!!」
「あなたを襲った、……園崎魅音なのに園崎魅音じゃない、何者かですよ。」
………すっかり頭の中はぐちゃぐちゃになって、…考えがまとまらなくなる…。
「……鷹野三四さんの死、覚えてますか?」
「え? ……鷹野さん? あ、……はい。
……確か、遠くの山の中で、…焼け死んだって聞いたような…。」
「あれは絞殺された後に焼かれたことがわかってます。……検死したのは岐阜県警さんなんですけどね。これがちょっとおかしいんですよ。
……初期の検死結果では死後24時間経過って出ちゃったんです。つじつまが合わないってことで、大慌てで当日死亡って改ざんしたらしいんですが。」
……魅音のことだけでもぐちゃぐちゃになっているというのに、…この上、……まだ何かあると言うのか……。
…………大石さんが言う、複雑な話が何を言っているのかわからない…。
「この死後24時間って検死結果、うちの鑑識のジジイが言うにはですね。かなり信頼できるものらしいんです。……つまりどういうことか?
……これは何度も聞いた質問になりますが、……あなた綿流しの晩、…鷹野三四さんに会ってますよねぇ?」
「………会ってます。」
「その前日、お祭りの準備の日にも会ってますよねぇ? 私もその時お会いしてますし。」
「……えぇ。…会ってますよ。」
「死後24時間ってことは、…お祭りの前日の晩にはもう死んでるってことになるんですよ。」
「……………はは、…そんなはず…、」
「……お祭りの準備の時には生きていた。
でも、…あなたたちと一緒に祭具殿に忍び込んだ時、…鷹野さんはもうお亡くなりになっていたのです。」
事の発端。全ての始まり。
…何度も後悔することになった、…祭具殿への侵入。
それをそそのかした………………………………鷹野さん。
俺たちを、……祭具殿に誘った時にはもう………この世の人では、……なかった…。
「今回の事件、死人が歩き回り過ぎなんですよ。…なっはっは…。」
…………………死人が引き起こし、……死人が幕を下ろす、…事件。
「…園崎魅音の死亡時間を、事件当日ではなく、あなたを刺した直後に改ざんせよとの圧力も来てるみたいです。……この事件をとっとと終わらせようとする外圧でしょうねぇ。…ですので、今の話はどうか他言無用に願いますよ。」
大石さんが、椅子にかけていた上着を取るとタバコを靴の裏で消し、漂う煙をぱたぱたと扇いでごまかしだす。
「長居しました。
…あなたにとっての事件を、せめて終わらせてあげようと思って来たつもりだったんですがね。……かえって煙に巻いちゃったようで。」
放心したまま、…言葉も返せない俺を尻目に…扉へ歩いていく。
「………もしも、…今後、お話したいことが出来たら、いつでもお電話下さい。さっきのおみやげの中に私の名刺が入ってますんで。
…その時はまた素敵なおみやげを持ってお見舞いに来ますよ。んっふっふっふ!」
大石さんは……俺がまだ何か隠してると思ってるみたいだ。
俺が…この期に及んで、…何を隠してるって…?
隠されているのは俺の方だ。…知りたいのは俺の方だ。
「では、またいつかお会いしましょう。お大事に。」
バタン。
廊下を…大石さんがコツコツと…歩み去っていく音を聞きながら。…なおも放心状態から戻れないでいる。
俺にとっての事件を終わらせようと思って…?
何が終わりなものか。
何も終わってなんかいない。
…事件は…まだまだ…続いている…。
………その時、ぬぅっと、…鮮血をこびり付かせた腕が、…ベッドの下から生えてきた。
…そんなには驚かない。
……これは、…恐怖に囚われた俺が見ている幻……。
……圭チャン、……ダカラ言ッタデショウ……。
ベッドの下から、…しわがれた声が聞こえる。……それでも魅音の声だとわかった。
「…なんだ魅音。……何を言ったって…?」
……私、……アノ日ニ警告シタヨ…。
……今日以降、……私ノ姿ヲ見タトシテモ……ソレハ私ノ屍ニ取リ憑イタ……鬼ナンダヨッテ………。
「……あはははは、……そうだな、……言ってたよな。……ごめん。…ちょっと注意が足らなかったな。……だから刺されちゃったんだな。…あははははは……。」
ハシゴから落ちた時に怪我をしたのか、…何本かの指の爪は…ばっくりと開いて剥けかけていた…。
その腕が…ゆっくりとベッドの上をまさぐり、…俺の腕を探す。
「あ、……あのさ、…魅音。……俺、今、こんな冗談を考えたんだ。…聞いてくれるか?」
……………………………ベッドの下の魅音は、答えない。
「た…例えばさ、………俺が今日、……ここで死んじゃうんだよ。……だけども、…明日以降もここにいて、普通に生活して見せるんだよ。……で、……あとでそれが大石のヤツにわかって、…またしても、死亡日時が合わない。死んだはずの人間が生活していた…って言って泡を食って大騒ぎするんだよ…。鷹野さんに魅音、そして俺で3人目。…な?! 面白いだろ? 笑えるだろ? ははははははははははははは……!」
…………圭チャン……………。
「…笑えよ。…それとも、あ、あんまり面白くなかったか…?」
魅音の血塗れの手が……俺の手首を…探り当てる。
そして、爪の剥がれた指だけど、…爪を立てるように…ぎゅうっと握り締めて……、
「い、…いてててて、……か、加減しろよ……、いた、…痛いって…、」
……圭チャン、………………迎エニ来タヨ………。
手首を振りほどこうにも…信じられないくらいの力で締め付けられ、振りほどくことができない。
握られているのは片方の手首だけのはずなのに…なぜか全身が動かない。
…ぴくりとも動けない。
指先は開き、…握り拳を作ることもできない……。
………あの、……握り拳を作ることすら許さない…拘束台の記憶が蘇る………………!
<眩い光。まるで手術台の上に固定され、眩しい光を当てられているかのよう!
………………………………ッ!!!!
左手の小指の先端に、…歪な釘の手触り。
…額を割った魅音が…血をこびり付かせた顔で…にやりと笑いながら…、鼻がぶつかるくらいの…目の前に…。
……何も終わってない。……何も終わってない。
この事件は何も終わってなんかない。
…まだ続いてる。
まだまだ続いてる。
誰かこの事件を終わらせてください。
この残酷で無惨で気の毒で悲しい、……この事件を終わらせてください。
「それだけが……俺の望みです…。」
「あの時、一つかなえてあげたでしょ? 今度はダメぇ。……あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
魅音が、俺の小指の先端に当てられた釘をぐっと抑えつけた。
…もう片手に握られた金槌がゆっくり大きく振り上げられ……………………、
<どーーーーーん!『ひぐらしのなく頃に』の表示。
■お疲れさま会2
「ひぐらしのなく頃に〜綿流し編〜を、最後までお楽しみいただき、誠にありがとうございました! この度のシナリオはいかがだったでしょうか? ちょっぴりでもお楽しみいただければ幸いです。」
<レナ
「ちょっぴりも何もー! また! 大々バッドエンドですわー?! ぷんぷんでございますのことよー?!」
「……ぷんぷんなのです。」
「いやぁ〜、みんなお疲れ〜!! まぁその、何? 終わり方こそアレだったけど、今回のシナリオは事実上「魅音編」みたいなモンだったんじゃない? 私、大活躍で大満足! にゃっはっはっは!!」
<魅音
「あ、あ、あんなの大活躍とは言いませんですわー!! 私も梨花も殺されちゃったですのよーッ?!」
「……しかも沙都子はただのとばっちりなのですよ。」
「わぁああぁあぁああああぁああぁあんッ!!! あんな死に方、嫌なのですの〜!!」
「ほーら、泣かないで! 魅ぃちゃんメインのお話だったように、きっと沙都子ちゃんメインのお話もあるよ。今から楽しみだね!」
「きっと、沙都子がおかしな人たちによってたかって襲われて、虐め殺されちゃう話に違いないね〜。」
「わぁああぁあぁあぁあぁあぁあん!! そんなの嫌ぁあぁあぁあ〜!!! わあぁあぁああぁあぁぁあん!!」」
>>>ブォン、…ドグシャッ!!!の効果音
「魅ぃ〜ちゃん。悪ふざけが過ぎると私も怒るよ〜?」
<レナ笑顔☆
「……魅ぃがぺったんこなのです。…なでなでしたくても頭がわからないのです。」
「あ、膨らんできましたわ。
…無節操な体ですのね…。」
「やぁ、みんな! お疲れさん!」
「また遅れて申し訳ありませんね。んっふっふっふ!」
「富竹さんに大石さん! どうもお疲れさまでした。あれ? 鷹野さんと詩音ちゃんはまだですか?」
<レナ
「もちろん来てますよ。今日はお招きいただき、ありがとうございますね。…ここ、座ってもいい?」
<詩音
「えぇ、どうぞですわよー!」
「これだけ一同に集まると圧巻ね。どうかお手柔らかに。」
<鷹野
「じゃ、始めても大丈夫かな? これで全員かな?」
<レナ
「……圭一を除けば全員なのです。」
<梨花
「ってことは…前原くんは相変わらず立ち絵がなくて、早々に次回シナリオの台本読みなんですか…?」
<大石
「気の毒な話ねぇ。私たちだけで盛り上がっちゃ悪い気がするわ。」
<鷹野・悪笑
「三四さん、そんなの気にしなくていいんですよ。こういう時は思いっきり盛り上がった方がかえって気を遣わせないもんなんです。」
<詩音
「それもそうですわね〜!! せっかくこれだけ集まったのに、お通夜じゃつまらないですわ〜!!」
<沙都子
「たははは…。じゃあ…圭一くんには悪いけど、…僕たちでやらせてもらおうか!」
<富竹
「と、なれば決まりだね!! じゃあみんな、コップコップ! 炭酸が嫌いな人いる〜?」
<魅音
「アダルトな方々にはアルコールもありますよ。んっふっふっふ!」
<大石
「梨花ちゃんは何を飲むかい? コーラ? ジュース?」
<富竹
「……みぃー。富竹のと同じ泡麦茶がいいのです。」
「こぉら! 梨花ちゃんはお酒は、だぁめ!」
<レナ
「みんなコップ持ちましたですの〜? 早く乾杯しないとジュースがぬるくなってしまいますわ〜!」
<沙都子
「お姉、音頭は誰が取るの?」
<詩音
「レナでいいでしょ。じゃあレナ、よろしく!」
<魅音
「では…こほん! みんな、『綿流し編』終了、お疲れさまでした〜!!」
<レナ
「「「お疲れさまでした〜〜〜ッ!!!!」」」
わ〜〜〜〜!!! ぱちぱちぱちぱち!!!!
「じゃあ、みんな揃ったんだしね! また、今回のシナリオを議論してみないかい?」
<富竹
「そうですね。じゃあ自由意見で行きましょうか。誰か意見のある人はいますか〜?!」
<レナ
「意見も何も…、今回のシナリオで解明編なのではありませんことー? 犯人は魅音さん! 諸悪の根源はぜ〜んぶ園崎家! それで決着でございませんの。」
<沙都子
「う〜ん…、そうだね。魅ぃちゃんは犯人じゃないって…信じてたんだけどなぁ…。」
<レナ
「大甘ですよー! こんなのは前回の「鬼隠し編」から充分、予想できたことじゃないですか。むしろ、予想通り過ぎて呆れちゃうくらいですよ?」
<詩音
「そうですねぇ。前回のシナリオをプレイされた方の予想の、大多数と合致するんじゃないでしょうかねぇ。」
<大石
「……みんなの期待通りの展開になったみたいなのです。」
<梨花
「じゃあ…、…これで『ひぐらしのなく頃に』のメインシナリオはほとんど終わり…なのかな…? 全ての元凶は魅ぃちゃんの園崎家で…決まり…?」
<レナ
「そうかしら? 私はむしろ、…これで『園崎家犯人説』はなくなったと思ってるくらいだけれど?」
<鷹野
「あ、三四さんと意見が合いましたね。私も同じ意見。…私は祟りなんか信じないけど。でも少なくとも、園崎家が真犯人である確率は薄くなったと思ってるね。」
<魅音
「え? どうしてなの? …だって魅ぃちゃんがみんなを殺したって、自供したじゃない…?」
<レナ
「そうですわ。私と梨花を殺しておいて、今さら犯人じゃないなんて、どういう意味なんですの??」
<沙都子
「別に煙に巻くつもりはないよ。たださ、私、魅音が全ての犯人だとするにはいろいろと無理が多いんだよ。ちょっと考えればすぐわかるよ。」
<魅音
「へぇ。僕は園崎家犯人説の近からず遠からずに真相があると確信してるんだけど…。…ぜひ魅音ちゃんの説が聞きたいね!」
<富竹
「ではご拝聴を。
…ラストで私がさ、過去の事件に自分は全て関与しているって白状するでしょ。あそこで感じた大きな違和感が根拠かな。だって考えてみなよ。過去の事件が園崎家の起こしたものなら、すごいことだよ?! だってどれもほぼ完全犯罪でしょ? 園崎家以外の犯人や事故で決着するという究極の犯罪だもの。」
<魅音
「そりゃそうでしょ。だって、大きな力を持つ園崎家が暗躍してるんだもの。完全犯罪なんてお茶の子さいさいでしょ?」
<詩音
「そこそこ。そこが違和感なんだよ! 過去4年間、園崎本家の気配をまったく感じさせずに、あれだけ上手に人を殺したり消したりしてきたんだよ?
そこへ行くと5年目の事件はすごくチープなんだよ。手当たり次第に片っ端から消して、殺して。しかも園崎家とのつながりは簡単に看破できちゃうしさ。」
<魅音
「そう言われてみればそうね。過去の事件は祟りとも犯罪ともつかない、不思議な連続事件だったけど。…今回の5年目の事件だけはすごく乱暴だったもんね。」
<レナ
「何を言ってるのかよくわかりませんわ。…梨花にはわかります?」
<沙都子
「……つまり、園崎家が本当に犯人なら、5年目の事件ももっともっと上手にやったと言ってるのですよ。」
<梨花
「じゃあ…つまり何ですの? 私と梨花を殺したのは魅音さんではなく、魅音さんに取り憑いた鬼の仕業だったってことですの?
ほらほら!! やっぱり前回の私の予想通り、魅音さんは悪い人じゃなかったのですわ〜!!」
<沙都子
「そうそう。私も沙都子ちゃんも、何かが取り憑いて悪いことをしてるって意見だったもんね。じゃあ…やっぱり私たちの説は正しかったのかな?!」
<レナ
「私も前回から引き続き祟り説ですが、今回のシナリオでさらに確信を深めましたよ。……ラストのラストで私が明かす、目撃されていたにも関わらずその数日前に死んでいたという、鷹野さんや魅音さんの情報はまさにそれを裏付けると思います。」
<大石
「あらあら…。前回は弱かった祟り派が今回はずいぶん強気ね。人間犯人説のみなさんには反論はないのかしら?」
<鷹野
「前回、人間犯人説だったのは確か、魅ぃちゃんに梨花ちゃん。それから富竹さんでしたよね。でははりきって反論をお願いします!」
<レナ
「う〜ん、まいったな。うまい言葉が思いつかないなぁ…。」
<富竹
「祟り派の根拠のひとつが、合わない死亡時刻なんですよね。じゃあ、そのトリックを崩せれば人間犯人説は立証できるわけですね?」
<詩音
「お、詩音には何かいい反論があるの?」
<魅音
「まぁ一応。でも私、人間犯人説ではお姉と同じ意見ですけど…、園崎家が主犯だと思ってる点ではお姉とは違いますよ。それでもよければ反論してみせますけど?」
<詩音
「をっほっほっほ! 何でも結構ですわ! これが祟りじゃないと言うなら、その証拠を示してごらんなさいませ〜!!」
<沙都子
「じゃあ詩音ちゃん。さっきから話題になってる、ラストのトリック。魅音ちゃんは事件当日に井戸に落ちて死んでいたにも関わらず、数日後に現れて圭一くんとあなたを殺したのはどうやってなのかしら?」
<鷹野
「ずばり、園崎姉妹共犯説です。理由は簡単。だってお姉はあの時点でもう死んでるんですから、圭ちゃんを刺せるのは私しかいないんです。私がお姉の変装をして圭ちゃんを刺す! そして自室へ戻り幽霊との取っ組み合いの狂言をして飛び降り自殺。」
<詩音
「強いて言えば、この場合の魅音ちゃんは泥を被る役だね。村長さんたちに直接手を下し、詩音ちゃんはただの被害者の形にする。そして、井戸の中に姿を隠していれば、変装した詩音ちゃんが神出鬼没にいくらでも殺人を犯せるって寸法さ。」
<富竹
「なるほどね。…だとすると、魅音さんにとっての誤算は2つ。
自分(死体)が見つかってしまったことと、隠れているだけのつもりが死んでしまったこと。ってことになるわけですね。」
<大石
「…あれれれ……。……確かに…何となくつじつまが合うような…。」
<レナ
「でも…やっぱり納得できないでしょ! 過去の完全犯罪の華麗さと違いすぎるもの。…その計画、例えうまく行っても「魅音」は悪役でしょ? 一生隠れて、あるいは詩音のフリをしたりして生きていかなきゃならないんでしょ? 窮屈過ぎ! こんなの完全犯罪とは言わないって!」
<魅音
「……つまり、死ぬにせよ消えるにせよ、魅ぃはいなくなってしまうわけなのです。」
<梨花
「梨花ちゃん、それいい意見。つまり、園崎魅音が表舞台からいなくなるのは彼女らのシナリオの一部だと思うわけです。だからラストで、魅音はポンポンと過去の事件の罪を被るんですよ。全部の事件の責任を一身に引き受けて退場!」
<詩音
「そうすることで、過去の事件の真犯人を隠蔽できる。…つまり、今年の事件は、チープなんじゃなく、…過去の事件を丸ごと「完全犯罪」にするための締めくくりの事件。…そういう位置づけになるのかな…?」
<魅音
「一番疑われてる園崎家の若き当主が全てを自白して失踪。……彼女、もしくは園崎家以外の真犯人にとってこれほどおいしい結末はないってことになるのかしらね。」
<鷹野
「……………話がぜーんぜん、わかりませんのよ。魅音さんが罪を被るってどういう意味ですの? 犯人なんじゃないんですの…??」
<沙都子
「つまりね。連続怪死事件の真犯人が別にいるの。その人を守るために、魅ぃちゃんが「過去の事件も全て、自分が起こした」とウソの告白をした…ってみんなは言ってるの。」
<レナ
「これはこれは……、劇中のセリフになりますが…とんだ名探偵さんがいたもんです! 確かに…ちょっと説得力を感じますよ!」
<大石
「真の犯人を誤魔化すために起こした事件。それが私の推理。さらに言えば、その真の犯人は園崎家以外の存在だと思ってるんだけどね。」
<魅音
「4年連続で完全犯罪に成功した謎の人物を、さらに守るために魅音ちゃんが起こした「捜査撹乱の事件」ということかしら?」
<鷹野
「そういうことです。前回のシナリオに名前だけ登場した「監督」ってのがかなり怪しいかな!」
<魅音
「……すごいです。実につじつまが合いますですよ。」ぱちぱちぱち。
<梨花
「私はそれでも園崎家+姉妹が犯人だと思ってますけどね。御三家による古いしがらみを断ち切るために姉妹が起こした「過去の清算のための事件」。それが私の推理です。」
<詩音
「過去の清算ってのはつまり…、暗躍の歴史に終止符を打つため、御三家の罪を最後の当主の魅音が全て被り、姉妹そろって退場したってことだね。」
<富竹
「そういうことです。私たち姉妹が悩みに悩みぬいた末に選んだ、悲しい物語だったというわけです。
あは、出来すぎですね!」
<詩音
「……すごいです。実につじつまが合いますですよ。」ぱちぱちぱち。
<梨花
「あれあれ? 何だか梨花ちゃんにも意見がありそうね。梨花ちゃんもどうぞ!」
<レナ
「……では皆さんに質問なのです。…圭一はどうして刺されなければいけないなのですか?」
「…梨花、そんなのは決まってますわよ。入っちゃいけない祭具殿に勝手に入ったからに決まってますわ。」
<沙都子
「こうして思い返すと、前回のシナリオでも死んだ富竹くんと鷹野さんの死も、きっと祭具殿に忍び込んだせいなんでしょうなぁ。…………………ありゃ?」
<大石
「……くすくす。おかしなことになってきたわねぇ。」
<鷹野
「え? おかしなことって…何がですか?」
<レナ
「…あッ!! レナさん、そうですわ! 思い出して下さいませ?!」
<沙都子
「……そうなのです。…前回のシナリオでは、圭一は祭具殿には忍び込んでいないのに命を狙われているのです。」
<梨花
…ざわざわざわざわ!
「それはきっと……、ほら! 雛見沢はよそ者を嫌うんだろ? だから圭一くんも命を狙われたんだよ…!」
<富竹
「それはおかしいでしょ。…だったら圭ちゃんの両親だって襲われていいはず。どう見ても、両親に危機が迫っていたようには見えないね。今回も前回も。」
<魅音
「さぁさぁ人間犯人説の皆さま方〜?! 圭一さんが狙われる理由がちゃんと説明できませんと、人間が犯人とは立証できませんでしてよ〜?!?!」
<沙都子
「なっはっはっは。でも、祟り説だとしても、やはり前原さんが前回も今回も襲われる理由がわかりませんけどねぇ。」
<大石
「もう一息で解明できそうだったけど…、やっぱり謎はたくさん残ってるみたいね…。」
<レナ
「くすくす……。圭一くん以外の人の死には何かしら理由が見つけられるんだけど、…圭一くんだけなぜかいつも曖昧。…前回と今回。祭具殿に踏み入るのとは無関係に狙われてる。」
<鷹野
「……では、前回も今回も、殺されるようなことをしちゃってるんじゃありませんこと…?」
<沙都子
「…なるほど…。前回と今回の前原くんの行動に共通項が見つけられれば…それが全体の事件の謎を解くカギになりそうですねぇ…。」
<大石
「ざっとシナリオを読み比べたけど…、圭一くんなりに日々を送ってると思うよ。…祭具殿の一件さえ除けば、圭一くんの日々の暮らしに不審な点は見当たらないけどなぁ!」
<富竹
「う〜ん…。…圭一くん、…前回や今回に何をやったのかな…? 殺されるような悪いこと!」
<レナ
「……迷った時には本人に聞いてみるのが一番なのですよ。」
<梨花
「……ほほぅ。…俺がひとり寂しく次回の台本読みをしている間に、みんなはそーゆう話題で盛り上がっていたわけか。ほー…。」
<圭一
「と、言うわけなの。だからね、圭一くんの自分の胸に聞いてみてほしいんだけど……。」
<レナ
「圭ちゃん、殺されるような、どんな悪いことをやったわけぇ?」
<魅音
「私にいつも働いている狼藉のせいに違いないですわ〜!!」
<沙都子
「ボクのお胸をぎゅーっとやったのが犯罪に違いないのです。」
<梨花
「そうそう! 年頃の女の子たちに囲まれて毎日幸せってのが、そもそもの罪のような気がするなぁ。」
<富竹
「なっはっはっはっは!! それは確かに重罪ですねぇ! 前原さん、実にうらやましい主人公役ですよぅ? たまには代わって下さい。」
<大石
「くっくっく…! まぁ確かに、あれだけ役得がいろいろあれば、最後にちょっと刺されるくらい、お安い御用よねぇ。」
<鷹野
「というわけで圭一さん。あなたの犯した罪を思い出しましてー?」
<沙都子
「むがーーーーーッ!!!!
今回も前回も!! 清く正しく生きてる俺がいつもラストは酷い目にー!! その上さらに自分の胸に聞いてみろだとー?!
聞きたいのは俺の方だぞ、これはイジメだーーーーーーッ!!!!」
<圭一
「………かわいそかわいそです。今度、頭をなでなでしてあげますですよ。」
<梨花
「今回のシナリオを読んだ上で、改めて「鬼隠し編」を読むべきかな…?」
<詩音
「私は、魅音の立場になって「綿流し編」を読み返してみるよ。圭ちゃんの立場で読んだ時とは違う発見があるかもね。」
<魅音
「私は『鬼』の仕業だとずーっと思ってますのよ!! 全ての現象とトリックは、全て『鬼』で説明がつきますのよー!!!」
<沙都子
「……何だかプラズマみたいなのです。」
<梨花
「プレイしてくださった皆さんはどうお感じになりましたか? ぜひ皆さんのご意見ご感想を聞かせてくださいね!」
「ご感想はメールで? アドレスとかはあるの?」
<魅音
「はい! 竜騎士7のメールアドレスへ直接どうぞ!
fujix@acn.ne.jp になります。」
<レナ
「……サークル、07th ExpansionのHPへもどうぞなのです。
http://www.tk3.speed.co.jp/foryou/ …なのですよ。」
<梨花
「『ひぐらしのなく頃に』のジャケットの裏側にも書いてありますわね。」
<沙都子
「皆さんのご意見、お待ちしてま〜す!!!」
<魅音
「それでは引き続き、『ひぐらしのなく頃に〜祟殺し編〜』をお楽しみ下さい。」