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兎とよばれた女
矢川澄子
目 次
序章 翼
いまはむかし神さまと兎の住む小さな島国の物語
起の巻
承の巻
転の巻
〈かぐや姫に関するノート〉
転の巻つづき
さらに転ずるの巻
結の巻 もしくは 幽界にての対話
終章 兎とよばれた女
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兎とよばれた女
彼に
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序章 翼
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この一文はかつて「美しき屍の告白」と題する未完の長篇小説の序章として構想された。
作者はそれをいま、終章「兎とよばれた女」にいたるための序奏として転用せんとする。
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[#地付き]All my sword was my Child-heart.
[#地付き]――Elizabeth Browning
一九六×年秋のことであった。男は権田原から外苑の並木道にそって車をはしらせていた。
夜更けであった。この秋はいつになくいそぎ足で、まだ十一月のはじめというのに、木立の銀杏やプラタナスは早くも凋落のきざしをおび、夜空にくっきりとそそり立ちながら、しのびよる冬のけはいに葉末をふるわせていた。
どこへ行くというあてもなかった。男はただ、つかれていたのだ、とだけいっておこう。終日こもりきりだった孤独な仕事場をしばらく後にして、大きなそとの自然にひたってみたかったのだ。心は何かをはげしくもとめていた。女を? そう。そう名づけてもよい。わずかばかりのぬくもりと、やすらぎを。しいていえば、けだもののやさしさを。
フロントのガラスが、冷気のためか、ぼうっとくもった。男はハンカチをとりだして、それをぬぐった。と、そのとき、行く手のヘッドライトのあかるみのなかに、あるおぼろな影がうかびあがった。男のひそかなねがいが、ひとつのかたちとなって結ばれたのだった。
そのひとはこちらに背を向け、絵画館をまえにして、銀杏並木のほぼまんなかにいた。立ちどまるでもなく、すすむでもなく、ただひっそりと、そのままのすがたで、かすかにゆらいでいた。スウェーターもスラックスも白ずくめの、おさなく見える小さな後《うしろ》すがただった。
男はできるだけスピードをおとして、ゆっくりと近づいていった。妖精めいたその後かげは、それでも見る見る目のあたりに迫ってきた。女であろうか。なるべくならば女であってほしかった。けれども、ふしぎなことに、まばゆいライトをもろに身に浴びながら、相手はすこしも気づかないのか、あいかわらずかすかにゆらめくばかりで、一向にふりむきもしなければ、よけようともしないのだった。
男はクラクションに手をかけた。そして、かけながらふと気がついて、あやうく声をたてるところだった。なぜなら、相手は宙にうかんでいたのだ。相手の足は、たしかに、地についているとは思えなかったのだ。男はあわただしく目をこすって見定めようとした。
だがこのとき、行く手はにわかに濃い乳色の霧にさえぎられた。車はおのずととまり、人影はそのまま白い闇にのまれた。フロントも、両わきの窓ガラスも、いちめんにおびただしい雫《しずく》をしたたらせ、ぬぐいとるそばからまた、たちまちあらたな露をおびた。
男はハンカチをぐっしょり濡らして正面をきよめながら、あの姿をだいじなときに見失ったことをくやんだ。わずかのずれで、あの放れわざの真偽のほどをたしかめられなかったことが、いまはもう取りかえしのつかぬことのように感じられたのだ。このまやかしの霧め。それともおれは、はじめから夢をみていたとでもいうのか? 男はむなしくまぼろしのあとを追いもとめ、いたずらにフロントをぬぐいつづけた。
こうして正面にばかり気をとられ、心をうばわれているまに、はたしてどれほどの時がたったことであろう。ふいに静寂をやぶって、右側の窓ガラスが、こつこつと二三度、かるくそとから叩かれた。男はわれに返って、音のする方を見た。ガラスのむこうに白いものがうごき、求めるひとのすがたはついそこにあった。
女であった。さほど若くもなければ、かといって年よりでもない女であった。窓ガラスをあけると、その女はかすかにわらった。その顔立ちもごくあたりまえで、目といい鼻といい、これといってとくに秀でたところもなければ欠けたところもなかった。ただ、顔ばかりでなくからだ全体が、いかにも小づくりにまとまっていて、ある子供じみたひたむきなものが、見るからにその端々にまでにじみでていた。目立たぬ化粧、何気ないそのよそおいも、もしかすると、もちまえの潔癖をあくまでつらぬくための、入念な細工によるものかもしれなかった。
「みつけたわ、やっと」いかにもほっとしたような声だった。
「乗りたきゃお乗りなさい」
「そうさせていただければ。わたし、すこしつかれてしまって」
「こちらもつかれてないわけではないが」
女は左手にまわって、とびらをあけ、助手席にすべりこもうとして、さすがにすこしためらったふうに立ちどまった。
「あなたは人間? それとも男?」女はいたずらっぽくささやいた。
「下らぬことをきくなよ」
「そうね、ごめんなさい」女はあらためて席について、おもむろにドアをしめながらいった、「でも、それではわたしは何? わたしを何だとお思いになって?」
「大かた、大都会の夜の谷間にさまよい出た精霊《ガイスト》とでも、いってほしいんだろう」
「あたり! って申しあげたいんですけれどね。まあ、そこまでかるくつきあっていただけるとわかれば、けっこうよ。でもね」女の声はにわかに熱をおびた、「ごまかさないでください。あなたはわたしを目でごらんになったのでしょう。精霊ならば、ひとの目に見えるはずはないのよ。あなたの目にうつるかぎりの、このすがた、あなたの耳にひびくかぎりの、この声は、まぎれもないわたしの、うつせみの、女としてのそれなのではありませんか」
「そうだね、そういえばたしかに、おれの目にうつったのは女だったと思うよ」
「それではいま一度、あらためてきかせていただきたいのよ。いったいわたしは人間なの、それとも人間ではないの? このわたしという女は?」
「つまらぬことを、いつまでもくどくどと、くりかえさないでくれよ。だいたいきみはすこし幼稚すぎるんだな」男はいらいらして、そっけなく答えた。
「でも、そのつまらないことに、わたしは生涯こだわらずにはいられないのですもの」
女が急に涙声になったような気がして、男はいささか呆気にとられ、たじろいだ。
「ごめんなさいね、ついのぼせたりして」女ははにかみながら、弱々しくわらった。
「いいよ、その方が、いっそ女らしくて。ほかの女のことは知らないが、まあ、きみの場合にかぎっていおう。たしかにきみは女だ。そうしてここに、こうしている。けれども、もしかすると人間ではないらしいな。なぜなら、人間はふつうとべないものだ。それなのに、いましがたきみは……」
「いいわ、もうおっしゃらないで。では、見ていてくださったのね、やっぱり」
「ああ、まぼろしではなかったと思うが」
「ええ、たぶんね。でも、とぶこと、それはわたしのばあい、奇蹟でも何でもないのよ。その証拠に、これをごらんになれば」
衿もとにさっきから、ほそい金鎖がのぞいていた。女はするするとそれをたぐって、胸の谷間から、スウェーターの下の小さな金色のものをとりだした。それは、さしわたし二センチばかりの、かわいらしいハート型をしたロケットだった。女は爪の先でぱちんとその蓋をひらいた。なかはあざやかな深紅の絹張りで、そのふくよかな褥の上に、白いV字型をした奇妙な骨のようなものが、ハートの両肩ほぼいっぱいにおさめられていた。
「プラスチックか」
「ええ、つくりものです。人工の翼。そう、これはウィングというのよ」
「それで、とぶんだって?」
「そう、わたしのばあいは。人間は、ありのままではとべないものでしょ。自然をあざむいて天翔けるには、この翼の助けをかりなくてはなりませんでした」
「どうもわからんな、きみのいうこと」
男は手をのばし、その小さな白いものをつまみあげた。なるほど、翼であった。重さはほとんど無きにひとしかった。
「精巧なものだな、何だか知らないが。こんなもの、どこで手に入れた? どうせ人形の天使かなんぞの翼にちがいあるまい」
「そう、人形、そして、天使。そうよ、そのことばをだいじにおぼえておいていただかなくては。
これはね、じつはあのひとからの贈りものなのです。このあいだまで、わたしはずうっと、あのひとのもとでいっしょにすごしていました。ところがある日、あのひとはわたしをつかまえて、これをわたしにくれて、いったのです。――さあ、これでとうとうおまえは、完全にぼくの思いどおりの女になった。ぼくはおまえを、ほんものの天使にしてやりたかったのさ。とべるよ、いまこそ。そうら、ためしてごらん。人間やっぱり、信念だけではとべないものだからな。
そういって、あのひとはわたしを祝福してくれました。そのときからというもの、わたしのからだは……」
「ちょっとまて。あのひとって、つまり、きみのご主人のことか」
「主人! またすばらしいことばを思い出させてくださったのね。うれしいこと。そう、あのひとは文字どおりわたしの主、わたしはそれに従うものでした。あのひとが夫とよばれるならば、わたしは妻だったわけです。
わたしたちは理想的な夫婦、またとない組合わせだとひとにもいわれ、みずからもそう思っていました。なぜって、わたしとあのひととは正反対でしたもの。あのひとに具わるものはぜんぶわたしにないもの。あのひとに欠けたものはぜんぶわたしにあるものでした。二人で一人前、そうです、二人でひとつ分なのでした。まるで貝合せの貝か、両手でもっておまんじゅうを二つにわったみたいに、あのひとの側のこまかな凹凸をぴったり埋めるだけの凸凹が、のこらずわたしの側にそなわっていたのですもの」
「プラトンだな。うらやましいかぎりではないか、そんな分身にめぐりあえたとは」
女は大きくうなずいた。
「たしかに、エロースこそは神にほかならないのね。そう思いたくもなってしまうほどよ。十三年まえのある日、わたしたちがめぐりあったということ。これほどの神秘、不可思議がこの地上にまたとあろうなんて、とうてい考えることもできませんもの。
わたしたちは、まさしく一心同体でした。片時も離ればなれではいられませんでした。うつそみは二つにわかれているようにみえても、心はまさにひとつしかないのでした。あのギリシア神話のなかの、ひとつの眼をかわりばんこに貸しあう妖婆たちみたいに、ひとつの精神をわたしたちは二人でなかよく共有していたのです。
――おまえは動物だね。あのひとはよくそう申しました。それはそうです。あのひとが神経を集中させて知的作業にたずさわっているとき、わたしにはただ、食べて眠るだけの力しかのこされていなかったのですもの。そのかわり、逆にあのひとが自然そのものに還り、赤裸のいとなみにふけっているあいだ、わたしは精神そのもので、不自然のきわみにいなくてはなりませんでした。
意志? それはもう、はじめからあのひとのものでした。あのひとは、だって、しんから男らしくって、ほとんど意志そのものだったんですもの。だからこそ、まえもって申しあげたのよ、あのひとは主人で、わたしは従者だって。いま精神を半々わけにしようか、いま五分の四ぐらい動物にかたむいてみようか。そのわりふりを決めるのは、ですからつねにあのひとの役目でした。
何かをしたくなると、あのひとはいつもこういいました、――ぼく、こうすることにしたよ。
わたしはいつも答えました、――じゃあ、そうなさって。
しながら、あのひとのいうことはいつもきまっていました、――ね、いいだろ?
わたしの答えも、いつもきまっていました、――ええ、いいわ。
わたしたちは喧嘩のできない夫婦でした。
わたしたちが対等でなかったなんて、月並みなことをおっしゃらないでね。つねにみちびくものと、つねに従うもの。つねにもとめるものと、つねにこたえるもの。この、つねに[#「つねに」に傍点]とつねに[#「つねに」に傍点]、というところで、わたしたちは、世にもみごとな対等性をもちつづけてきたのです」
「ますます理想的じゃないか」男はふうと溜息ともつかぬものをもらしながら、さきほどから指で弄びつづけていた例の白いものを、そっと女の膝においた。
「的[#「的」に傍点]、というのもよけいなほどよ。これはもう、理想そのものではなくって?」女は両の指先で、小さくひろがった翼の両端をつまみあげ、まなかいにかざすようにして、目をほそめた。
「さればこそ、翼ある身ともなれたのではないかしら。わたしたちの結合はもともと天使的な結合、わたしたちの生活はいわば天上の生活で、世間並みのくらしをするため、子孫を生みそだてるために結ばれたばあいとは、まるきりちがっていましたもの。
あのひとははじめからいっていました、――年とってからでなければ、結婚なんてするものか。
わたしは答えました、――わたしだって。
それから半年ほどすると、あのひとはいいだしました。――おまえ、ぼくのつれあいになれよ。ぼくを信じて、どこまでもついておいで。
わたしは答えました、――なるわよ、ついてゆくわよ、どこまでだって。
できるだけかるく生きること。それがあのひとの信条でした。歴史の重みはいっさいごめんでした。
つきあいが深まるにつれ、あのひとは幾度念をおしたことでしょう、――人並みの幸福を追いもとめるのはやめようね。
わたしの答えはきまっていました、――もとめませんとも。
それでも、執拗に人並みに芽ばえてしまう愛の結晶を、わたしたちは幾度むりやり摘みとって、闇に葬りすてたことでしょう。
こうして三四年たつうちに、二人は、でもとうとう、はた目だけは世間並みに、ひとつ家にくらす破目になってしまいました。するとあのひとは、こう宣言したのです。
――こうなると、おまえはやっぱり月並みに子供をほしがることになりそうだな。でも、そうなったらもうおしまいだ。ぼくはぜったい、おまえをひとり占めにしておくからな。子供なんぞに奪られてたまるものか。とはいうものの、おまえの母性本能とかいうやつ。こいつをまるきり無視するわけにはいかない。よし、いっそのこと、ぼくが子供になってしまおう。おまえは母親だよ。べんりじゃないか、ぼくはもともと大人にならないことにしてるんだもの。どう、この思いつき、すてきだろ?
わたしは答えました、――すてきだわ。
二人は熱心にそれぞれの役割を演じはじめました。そのときからは、どこへ行くのも、何をするのもいっしょでした。子供はたえず、つきっきりで面倒をみてやらなくてはなりませんでしたもの。いっしょに床にはいるのも、そうなると、ただもうむずかる子供のための添寝でした」
「…………」
男がなにかいいかけたのをみて、女は口をつぐみ、シートから身をおこしかかった。けれどもそれがことばにならないと知ると、ふたたび後にもたれ、宙をみつめながら、したたるばかりなつかしさのこもった声で語りはじめた。
「こうしてわたしたちは、架空の庭で、おうちごっこをはじめたのです。足かけ十年にわたるその月日、お芝居に酔っていられたあいだはたのしかった。それこそは、またとない幸せの明け暮れでした。人並みでない幸福。それはたしかに、幸福というよりも、むしろつかのまの恍惚の連続で、ほとんど快楽というにふさわしいものだったのです。
醒めてはなりませんでした。あそび呆けること、あくまでも酔い痴れることがだいじでした。醒めたらさいご、われに返ったらさいご、迷いが生じ、足もとに狂いが生じて、この楽園から追放の身となることはわかっていました。ですからわたしは、一瞬だって、ぼんやりなんぞしてはいられませんでした。理性的に、あくまで理性的に。綿密な計算と周到な配慮がなければ、どうしてこの命がけのおあそびを、あそこまで持ちこたえることができたでしょう。この十年、わたしは全力をあげて、ただひたすら、このお遊戯を生涯つづけおおせるために、わき目もふらずにうちこんでいたのです。
それでも、地上的なものときれいさっぱり縁を切るためには、はっきりいって二つの強制措置が必要でした。ひとつは、わたしが生ま身のもつ重みをまったく感じなくなること。もうひとつは、わたしのからだが現実に子供をみごもらなくなること。
まず、感じなくなるため、こころが天使の界にはばたきはじめるためには、わたしのからだがいったん完全に無にされなければなりませんでした。その機会は、わりあい早くめぐってきました。
まえにも申しあげたとおり、べんりなことに、わたしたちは一心同体でした。そしてその、こころとからだとの受持ちのわりふりを決めるのは、いつもあのひとまかせだったのですけれど、あるときそれが、こんなふうにきめられたのです。
――今回にかぎり、ぼくは自然を独占する。つまり、百パーセントけだものになる。おまえは、からだなし、こころだけ。
いままでのためしによると、この二つのわりあいは、たとえ九分九厘にまでバランスがかたむいたにしても、きまってこころとからだとの双方が、すこしだけはのこるようになっていました。完全に一方ずつをまるごと分け持つというのは、これがはじめてでした。
わたしはさすがに、ちょっと不安でした。でも、あえてうなずきました。目をつむって、――どうぞ、いいわよ。だって、いつも従うことにきまっていたからです。
このとたんに、わたしのこころは、重力の束縛から解き放たれて、宙に舞う天使となり、あのひとのからだは、そのかわりに、獣となって地上にとりのこされたのでした。
このときを境として、わたしは、じぶんの肉の重みにすこしも煩わされなくなりました。わたしは天使になれたのよ。ひとにもそういい、じぶんでもそう信じました。
第二の措置は、これにくらべれば、きわめて表面的なものです。わたしたちはただ、ほんとに子供をつくらずにすむための、かたちの裏付けがほしかっただけです。こころの翼はよそ目には見えませんもの。それがすなわち、これです。このプラスチックのウィング。これをからだに植えつけてもらうことによって、わたしはみごと、名実ともに天使になりおおせました。自然にさからって、地に足をつけず、人工の翼によって、ふわふわと、上《うわ》の空《そら》でとびまわる、つくりものの天使に」
女は口をつぐんだ。
翼はいま、ふたたび金色のハートにふちどられて、深紅の褥の上にあった。
「植えつけるって、どういうことだ?」男はもどかしさにかりたてられて、おそるおそる問うた、「そんなちっぽけな翼で、とぶのなんのと」
「ちっぽけでなくてはこまるのよ。だってこれは、子宮のなかにおさめて、子供をできなくするための道具ですもの」女はいいはなつと、ためすように男の顔に目をくれた。
「それはまた、不自然なことを」
「不自然」女はひくくわらった、「理想はつねに不自然なものときまっているではありませんか。わたしたちはまさしく理想の夫婦であって、夫婦としてあることがそのまま一つの芸術行為になっていたのかもしれないのですもの」
「なるほど、それもまた、なみの人間のしわざではないな」
「そう、とうとう使ってくださったのね、その、人間ということばを」女の横顔がかすかにほこらしげにほころびかけた、「ただし、ここはやっぱり、こういいかえておいたほうがあたっているかもしれませんわ。――わたしはまさしく、あのひとにとっての理想の妻であり、妻としてあることをそのまま、ひとつの芸術にしてしまったのだ、と。
いかが、わたしのしてきたことは、やっぱり人間わざではないの? わたしという女は、なみの人間とはちがうの? いまこそはっきりさせていただきたいのよ。
それで思い出しました、あのひとのよく口にしたことばを。――女は人間じゃないね。わたしはそのたびに、うなずいたものです。――そうね。
でも、ほんとうのところは、よくわかっていなかったのです。ただ、いつも従うことにわたしはきまっていましたし、あのひとはまた、すばらしく頭がよくって、いうことに間違いのあったためしはめったにないものですから、いそいで考えてもまにあわないようなときは、ともかくのみこんだふりをしてうなずいておいて、あとから反芻《はんすう》してみることにしていたのです。
女は人間でない、とすれば非人間。神様。もの。畜生。名前なんぞどうでもよいけれど、わたしははたして、そうしたもののお仲間だったのでしょうか。でも、それだって、かりにわたしが女だとして、はじめてなりたつことですものね。そこのところを一度、あのひとに問いただしてみればよかったのでしょうけれど、つねに答える側のわたしには、それもかないませんでした。
わたしは何なの? いったい、このわたしは? じぶんではわかりませんけれど、なぜかわたしは、だれよりも女らしいとはたからいわれたり、まるで女らしさの権化みたいに人目にうつったりすることがままあるようです。さればこそ、あのきわめて男らしいひとの相手として、まことにお似合いだったのでしょうけれど。でも、考えてみると、それもおかしいのです。それならわたしは人間ではなかったのかしら。まさか、そんなはずはありませんものね。
あのひとが男ならば、わたしは女。
あのひとが動物ならば、わたしは天使。
あのひとが人間ならば、わたしは、……わたしは人形?
人形、天使、……これでは、わたしがもし女だとすれば、やっぱり人間ではないことになってしまうかもしれません。でも、
あのひとが子供ならば、わたしは母親。
母親は、なんといっても、人間ですものね。その母親にだって、わたしはりっぱになりおおせていたつもりだったのです……」
「……つもり[#「つもり」に傍点]か」
男はゆっくりとつぶやきかけたが、そのことばをしかし、そっとおしとどめるように、女はうつむいたままかすかに手をあげ、大きくひとつうなずいて、ふたたび口をひらいた。その声には、いましがたのうわずりがちなひびきは、もはやみじんもなかった。
「つもりだったの。そう、なにもかもそのつもりだったの。つもりだけで満足してしまえる女。いわばかのように[#「かのように」に傍点]の世界にひたりきっていられる女。それがわたしだったのです。これはいったいどういうこと。おわかりになって? ほかの女のひとたちがほんものの子供をつくり、母になり、やがては祖母になってゆくひまに、だれよりも女らしいと思われたはずのそのわたしは、うその子供、にせの子供を相手に、母親になったつもりの夢にふけったまま、この年まですごしてきてしまったのです。それも、なぜかといえば、きわめて男らしいはずのあのひとにあやつられればこそ……
ね、これはほんとにどういうことなのでしょうね。はた目に女らしいとうつったのは、はたしてわたし自身だったのでしょうか。それとも、わたしという女の、そのあやつられぶりだったのでしょうか。たしかなはなし、そのようなわたしをつねにかたわらにおくことによって、あのひとのあらゆる志向にはあきらかに加速度がつき、世のつねの数倍とはいわないまでも、かなり人並みをぬきんでた速さで、ほとんど神を蔑する域にまでつっ走ってゆくことができていたのです。よい妻がいればよろこびは二倍になり、かなしみは半分になるという、エスキモーの素朴なことわざそのままに。
わたしがよい妻であったかどうか。そんなことはもちろん、本人にはわかりっこないことね。もしかすると、わたしはあのひとのあらゆるマイナスをさえも、二倍に助長していたかもしれませんもの。でも、良し悪しなんて、そんなことをかえりみるゆとりがあったでしょうか。わたしはいつも、めくら滅法、やみくもにそうせずにはいられないことをしてきたまでですもの。
そうです、そもそものはじめから、何ひとつ考えなかったのです。あのひとのそばにいるかぎり、わたしはそれで押し通すことができました。あらゆることに目をつむり、耳をふさいで。あれでほんとに、どうして間違いがおきなかったものか、いま思ってもふしぎなほどです。ただひとつ、わかっていることは……」
「そうだ、わかっていることは、ただひとつだ」男はしずかにくりかえした、「きみはそのひとが……」
「好きだったの! そうです、よくわかってくださいました。おお、好き、好き、好き! 好きって、いったい、どういうことなのでしょう。わたしはあのひとが好きだったのです。じぶんよりもよっぽど、あのひとのほうが好きだったのです。好きで、好きで、好きで、好きで、大好きで、大々好きで、気も狂うほど好き、どうしていいかわからなくなるほど好きで、ただもう……」女の声にふたたび熱いものがまじりかけた。
「そうして、おそらくはいまも……」男は、絶句した女の手をそっとひきよせながら、ささやいた。
「いま? さあ、それはわかりませんわ」女は、やわらかい手を男にまかせたまま、おだやかな表情にかえりながら、つぶやいた。「好きならばいまごろ、こんなところをひとりで歩いたりはしていないはずですもの。好きならばしないはずのことを、わたしはしてしまったのですもの。わたしは堕天使なのよ、おわかりになって?
なんだかこうなることは、はじめからきまっていたような気もするのよ。わたしをとばせてくれたはずのあのひとは、どこまでその点を見通していてくれたのでしょうか。ゆえあって、知りながら知らんふりしていたわけなのでしょうか。わたしたち、という一人称はもうやめにしましょうね。すくなくともある日、ある偶然のめぐりあわせから、わたしは迷い、うたがいはじめてしまったのです。
ひとつの声がきこえてきたのでした。
――おまえの翼、まがいもの、にせものの翼。血もかよわぬ人工の、そんなちゃちな翼で、とんだつもりになっているおまえがかわいらしいねえ、と。そんなわざとらしさにもとづくかぎり、おまえのいとなみは、神のまえにはおろか、世のつねの人の目にとってすらも、いわば笑止の茶番でしかないものを、おこがましくも冒険者づらだけはするなよ、とぶとはもっと命がけのことなのだよ[#「とぶとはもっと命がけのことなのだよ」に傍点]、と。
わたしは思わず、声のする方をふり仰ぎました。そう、仰いだのでした。なぜって、その声はたしか上から、ある高みから舞いくだってきたとしか思えなかったのです。わたしのとんでいるあたりなんぞ、とうていくらべものにもならない、まぶしい上天のかなた、はるかな光かがよう虚空から。
それはもう、声というよりひびき、いなむしろ、ひかりそのものだったかもしれません。そのあまりなまぶしさに、わたしは一瞬、思わず目がくらんで……
われに返ったときは、すでにあとのまつりでした。翼はもはやものの役にはたたず、わたしは地上の身だったのです……」
ことばはとぎれた。
女はうなだれたまま、ゆっくりとロケットの蓋をとじると、ふたたび金鎖を首にかけた。
男はいたわるように、そのうなじにそっと手をふれかけた。
「それでもきみは、たしか……」
「とんでいたようだとおっしゃるの?」女は、男の手をふりはらうように、さっと面をおこし、相手をひたと見た、「ね、ほんとにそう見えました? はっきりおっしゃって。それこそ、わたしの、ぜひともうかがいたいことなのよ。わたしはいま、こうして日毎夜毎、なんとかしてふたたび舞いあがれないものかと、地をけって懸命のおけいこをくりかえしているところなのですもの。
とぶこと。天翔《あまか》けること。死すべき人の身をもちながら、天上にあこがれ、彼方の、不滅の生命を夢みること。それは畢竟《ひつきよう》、わが身のほどもわきまえぬイカロスの、あさはかな思いあがりにすぎないかもしれません。けれども、それにともなうあの恍惚、なにものもおよびがたいあの爽やかさを、ひとたび骨身にしみて味わい知ってしまった以上、わたしはもはや、この世の幸ではついにみたされぬ、タンタロスの渇きを負うたもおなじなのです。
でもね、女がひとりでとぶということは、どうしてこれほどにもむずかしいのでしょう。いたずらに気張ってみたところで、せいぜいが、むなしい足掻《あが》きのはてにわずかに宙にうきあがるくらい。わたしの直観に狂いがなければ、女はおそらくひとりぽっちではとべないものなのよ。だれかの目、だれかのきびしいまなざしに、たえずくまなく見張られ、支えられているのでないかぎり。
はっきり申し上げましょうね。ほかでもない、そのことをたったいま、わたしは身をもってたしかめたばかりなのよ。そう、あなたが近よってきてくださったとたんに、このからだは、いつになくかろやかに、すうっともちあげられるのを感じたのですもの。
ゆるしてね、わたしはあなたにおねがいすることにきめてしまったの。あなたに見ていただく、知っていただく。あなたの容赦ないまなざしのまえに、いままでのあやふやな迷いのあとをのこらずさらけだして、きびしく鍛えあげ、叩き直していただく。この低迷の淵をぜひともぬけだし、この身がいま一度よみがえり舞いたつため、それもこんどこそはほんものの翼をもつ、ほがらかな、あかぬけたものとして、生あるかぎりどこまでもはろばろと天翔けるためには、もうそれしか、道はのこされていないような気さえするのです。
身勝手ばかり申しあげてごめんなさい。でも、ごめいわくでなければ、いまからすこし話をきいていただいてもよくって?」
「いいよ、よろこんできかせてもらおう、きみさえさしつかえなければ」
「わたしはかまいませんとも。ただ、そちらこそお疲れのところではないかと思って」
女はちらと窓の外に目をやった。あたりはふたたび、あやめもわかぬ白い霧につつまれていた。
「ゆっくりお話できるように、ゆっくりなさってね」女はすこしドアの方へからだをずらし、おもむろに席をととのえると、組み合せたじぶんの膝を指さして、ささやいた、「こちらへおよりになれば?」
男はすすめられるままに、そこを頭にして、身を横たえた。小さく、たよりなく見えるけれど、ふれればあたたかく、けなげな膝枕だった。
「やさしいんだね、きみは」
「そうでしょうか、ほんとにそう思ってくださって?」
「ああ、こうして生ま身のきみにふれてみたかぎりでは」
「それ、……その、やさしい[#「やさしい」に傍点]ということ……」女はくりかえして、ひとりうなずくけはいであった、「そう、やさしいはずですものね、わたしという女は。もしかすると、やさしさだけが、わたしのとりえだったかもしれないのよ。わたしが迷いはじめてしまったのも、じつはほかでもない、そのやさしさをどこまで全うできるかということだったの」
男はしかし、そのことばをききながすふうに目をつむり、ゆったりとくつろぐ姿勢になった。二人を中心に、夜のしじまは深々と、はてしもなくひろがっていた。
「ふしぎな夜だな、今宵は。このぬくもり、このやすらぎ。おれだっておなじことだ、心ひそかにもとめてきたものと、うつつにめぐりあえたのは。いったいおれは、どこに、どうしているんだ?」
「わたしのそばに、こうしてわたしといっしょに」女のたしかな声がこたえた、「ほんとに、しずかなこと…… どうしましょうか、つづきをはじめてもよくって?」
「はじめてください。あとはきみの声に耳かたむけるばかりだ」
「でも……」女はいいかけて、いま一度口ごもった、「大丈夫かしら。やさしさなんて、こうしてこのまま、おたがいに黙ってよりそっているうちだけのものなんだとは、思わなくって? ことばが未来をつくるなんてことが、ほんとにあってよいものなの? やすらぎとロゴスとは、永遠にうらはらのもの。天からのよびかけがきこえてきたということさえも、わたしは、あのひとにいうにしのびない気がして、だまって知らんふりしていたの。おそろしいことね。はたして、ひとたびわたしが沈黙をやぶったがさいご、あのひととの至福の園は、あっけないほどはかなく、音たてて崩れさって……」
「がたがたしたせりふだけは、きかせるなよ」男は目をとじたまま、語気あららかに相手をさえぎった、「この期におよんで怯《ひる》みためらうような女が、どうしてふたたび天翔けることなんぞゆるされるものか。さあ、おれが話せといっているんだ」
「命令してくださる?」
「ああ、命令する」
「は、はい、それでは」
「いいか」
「よろこんで」
うなずいたひょうしに、女の目から、はらりと熱いしずくがこぼれおちて、男の頬にふりかかった。
男は目をあげ、身をおこすと、ぐっと相手の顔をのぞきこんだ。
「あぶなかしいやつだな。そんなことでどうする。わらってごらん」
女は、いわれるままに、たちまち晴れやかないろをとりもどし、あどけなく泣き笑いするかたちになった。
「よし、見どころがなくはない。それでよい。では、はじめるんだな。
ただ、ひとつだけのぞみたいのは、できれば語り口ももっと生ま生ましく、ということだ。せっかくこうして肌身のふれあいになってきたんだ。きみのことばは、まだまだ頑《かたく》なで、肉づけが足りないような気がする」
「待っていたのよ、そのお叱りを。そうなの、つまり話しかたももっとやさしく、やわらかに、それこそ女らしくしなければね。
さあ、はたしてどんなことばづかいがいちばんふさわしいのでしょうか。見当もつかず、心ぼそいかぎりだけれど、しかたがないわね。ともかくわたしの好きなようにやってみるしかないのね。
でも、どんなにつたなく、たどたどしくきこえようとも、これだけはわすれずにいらしてね。いまからわたしの口にのぼせることば、もどかしさをこらえ、必死でつかいこなそうとするそのことばは、どこまでも、母たちの国のことば[#「母たちの国のことば」に傍点]だということを。
これはまさしく身のほど知らずの、無謀にひとしい企て、ほとんど成功のあてもないむずかしい試みでしょうね。ことばのない国のことばを語ろうなんて。にもかかわらず、わたしはあえて、気も遠くなるようなこの冒険にとりくむことにしたの。なぜって、……そう、わたしの国籍はそこにしかないのですもの」
「母たちの国[#「母たちの国」に傍点]か……そうだ、おれのたずねるのもおなじ、その国なのだ」
男は目をとざし、こんどこそ思うさまのびのびと女のふところに身をゆだねた。
女はにっこりした。そして、語りはじめた、片手を男の頭にそっとおき、片手は翼をひめた金のハートをまさぐりながら。はるかな海のひびき、とこしえの子守唄のしらべにも似た、ひそやかな、よどみない声で。なべての力という力が色あせ、光をうしない、ただむきだしのあえかな生命だけが、ひとしくいとおしまれる、うるおいゆたかな大地の、うちなることばを。
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いまはむかし 神さまと兎の住む小さな島国の物語
起の巻
いまはむかし、この世の片隅に小さな島国があって、神さまと兎とが住んでいました。島の名はもともとあったのかどうか、いまはそれすらも定かではありませんが、この世のほんの片隅ということで、仮りにスミの国とでも申し上げておきましょうか。なにしろそれはそれはちっぽけな島で、せいぜいが家一戸分ほどの広さでしたから、二人はさながらこの天《あま》が屋根の下の、ひとつ家のうちに、共存しているといっても同棲しているといってもよかったのです。
それでも、いかにささやかな、とるにも足らぬ一片の地とはいえ、少くともここがこの世のなか[#「なか」に傍点]であったということは、作者のわたくしにとっては何よりの大きななぐさめにほかなりません。なぜなら、この国のことを語りつづけるかぎり、わたくしにはまだ当分することがあるからです。
人間、生きているかぎり、何かをしなくてはなりません。することがなくなったならば、そのときこそおしまいです。これでもし、この国がもっとほかのところ、あさはかな人の子の思惟の及びもつかぬ彼方、この世ならぬ境にあったとすれば――そう思うと、しんじつつめたいものが心をよぎります。そこではもはやこの世のことばは通用しません。少くともこの世でことばとよばれているものは、そこでは意味を失い、全くの無に帰するのです。そうなったらさいご、人はただ黙すしかありません。
さいわいこの国はこの世のなかにあり、そのかぎりでこうして甘んじて作者の筆舌にも委ねられ、あわせて当面みなさまのおなぐさみに供することもできるのでした。
そうです、スミの国のことをおきかせするのでした。この国に、兎は神さまと二人して住んでいました。
二人、と申し上げました、すなわち神さまひとり、ではなかった、一柱。兎もひとり、ではいけません、一ぴき、いえ一羽? いずれにせよこの絶海の孤島に、神さまと兎とはおのおの一個体ずつ、それぞれにひとりきりでした。
ひとりきり――
兎はこのことばの意味を、時折ふっと考えこんでしまうのでした。なぜなら、こうしていつの頃からかこの島に共々暮してはいるものの、兎はまだ神さまのおすがたを一度もほんとに見たことがなかったからです。むりもありません、神さまというものは、もともと目に見えないものだからです。
見えない相手と共にあることの心細さを、あなたは考えてみたことがおありですか。これではまるで神さまなんぞはじめからいなくって、まるきりひとりぽっちみたいだ。兎は時々そう思いました。兎がそう思ったばかりではありません。世の中の人々はどうやらみんなそう思っているらしいのでした。
世の中の人々というものは、大むね目に見えるものをしか信じようとしません。見えないものは存在しないものと、はじめからきめてかかっているらしく、多くのばあいそれ以上深くは考えようともしません。
むりもありませんでした。さきほども申し上げたように、なにしろここはほんの小さな一隅で、大きなひろい世の中全体からすれば、地理的にも辺境とよばれるにふさわしいほどの離れ小島ですし、そんな辺鄙な境にまでわざわざ立ち入って神さまの所在をたしかめようなどと思うのは、よほどの暇人かもしくは奇特な志の持主のすることか、酔狂というよりはむしろほんものの気違い沙汰にかぎられていたからです。
兎のそばにそのひと、すなわち神さまのおすがたが見えないこと。それはこの世の中の人々にしてみれば、とりもなおさず兎がひとりぽっちであることの証しでもありました。そして兎が時折ひとりぽっちみたいだなどと、自分でも考えこんでしまうのは、そのようなこの世的なものの見方に知らず知らずおちいったばあいに限られていました。いけない、と兎はそのたびにはっとして、心をひきしめるのでした。失礼だ、申しわけない、とも思いました。なぜならこのスミの国の、一国一島一城のあるじである兎自身は、すがたかたちこそ見えね神さまがつねに偕《とも》にあることを知っていたからです。
その存在を知る唯一の者として、兎はもっと神さまを大事にしてあげなくてはならないのでした。たしかに存在するものを存在しないなどという、あらゆるこの世的な無視軽蔑に耐えて、断乎として神さまの側につかなくてはならないのでした。
これはとても大切なことのように兎には思われました。なぜなら、兎にまでないがしろにされたならば、神さまはそれこそどこにも立つ瀬がなくて、これっきり死んでしまうかもしれません。そうなったら兎もおしまいでした。神さまと共にあってこその兎です。神さまがいなくなれば、兎も死ぬか、少くとも兎であることをやめ、いままでとは全くべつのものになるにきまっていました。
それもまた一興ではなかろうか。正直いって時折は、そんな気もしなかったわけではありません。兎が兎ではなくなって全くべつのものに生れ変るなんて、それこそいまの兎の身にはわかるはずもない、未知の領域に属する事柄だったからです。けれどもさしあたっては、それほどの冒険に踏みきるだけのいわれもなさそうでした。
冒険? そうです、未知の領域へ赴くということは、まかり間違えばひょっとしてふたたび生きて還れぬことにもなりかねませんし、万が一そんなところへ乗りだすとなれば、やはりそれなりの覚悟がなくてはなりますまい。
冒険も覚悟も、いまの兎にとっては何がなしそらぞらしい感じでした。それよりはいまのままがいい。少くとも兎はそう思っていました。兎はやはり何といっても神さまが好きなのでした。好きなればこそ、こうして知らず知らずのうちに神さまと二人して暮すことをえらんだのでした。えらんだ、というよりむしろここは、えらばれた、といった方があたっているかもしれません。そのあたりがどうもよく思い出せないのですけれど、なにしろ神さまといえば兎とは段違いにえらいお方ですし、いくら好きだからといって、そんなえらいお方を、ちっぽけな兎ごときの意志でここまでひっぱってきて二人で暮しはじめるなどということは、もとより不可能であったにきまっています。兎にしてもそんなご無理をこちらからお願いした覚えはさらになく、とすればここにはあきらかに兎以外の何者かの意志が働いているにちがいなかったのです。
いまの状態を捨てて未知の領域へ赴くということは、ですから兎にしてみれば好きなひとと偕にあることの喜びと、えらばれてあることの倖せとを二つながらに捨てることであり、同時にまた、兎をここに招きよせた何者かの意図にそむくことかもしれないのでした。兎はそれを畏れました。まさしくそれは、畏れとしか名づけようのない感情でした。なぜってその何者かは、ちっぽけな兎からすれば桁違いに大きく大きく、途方もなく、たとえようもなく、比べようもなく大きなものにきまっていたからです。
それにしてもその何者かとは、ほんとのはなし、はたして何者でしょうか。いやまてよ、ひょっとするとその何者かとは、もしかしてほかならぬ神さまご自身なのではなかろうか。時折はふっとそんな考えも兎の頭をかすめなかったとはいいきれません。
そうでしょうか。まさか、そんなことがあってたまるか、とお思いになるかもしれません。とはいえ神さまというものは、途方もなくえらいお方であるだけに、その反面おそろしく照れやで、さびしがりやで、おのれが兎を求めていることをすら容易には口に出せず、あたかもそれが他の何者かの意志によるかのように見せかけて、兎を巧みにおびきよせ、引攫《ひつさら》ってきて、ここに住まわせたのではなかろうか、と。これはなかなかに捨てがたい興味のある問題ではありましたけれど、兎は強いてそのさきを突きとめようとはせず、あるところまで行くとつとめて頭を他にふりむけて、推理を打切るようにしていました。兎はもともとそれほど詮索好きではありませんし、また、そんなことにいくらこだわってみても今更はじまらないように思われたからです。
兎がいまここにこうして在り、そのことにひそかな愉悦を見出している以上、それが神さまの思し召しによるものか、それともさらに大きな何者かの意志によることかは、結局のところどうでもいいことでした。兎は兎なりにつつましくこの喜びにひたっていればいいのでした。
ひとにはそれぞれ分相応ということがあります。何者かの存在についてたずねることは、未知の境に探険にのりだすのとおなじくらい、不遜なことのように兎には思われるのでした。不遜というより不毛といった方があたっているかもしれません。じっさい、何者かにしても未知の境にしても、いったんそちらへ赴いてそこから引返し、その消息をつぶさに伝えてくれた者がない以上、もしかするとそれは死とか虚とか、空とか無とかいわれるものとおなじように、生きていのちあるうちはわかるはずもなく、とすれば世にあるかぎり、そちらへ思いを馳せたところで、徒《いたず》らに空しさがつのるばかりではありませんか。兎はそう思いました。少くとも、まずしい兎あたまのかぎりではそのようにしか考えられませんでした。
それにひきかえ、神さまはたしかでした。まちがいなく兎と共にあり、兎の日々を充たし、その喜びの基となってくれるもの。それが神さまでした。目にこそ見えね神さまはこの島に遍在し、日夜兎をはげまし力づけてくれていました。ですから兎は、さびしくはありませんでした。
そうです、さきほどの話とも重なってきますけれど、この世的なものの見方に従えばこのひとり居ということに、ともすればさびしさなる意味がつきまとうことを、兎は知らなかったわけではありません。けれども幸いそのような世俗並みのニュアンスをこのことばに盛りこむことからだけは、兎は免かれているつもりでした。なぜって、いくらすがたが見えないからといって、それでは神さまに対してあまりにも失礼ではないかと思われたからです。
この世的なものの見方というものは、おそろしいことにせっかくの兎の日々の充実を知らず知らずのうちに犯し、蝕《むしば》んで、いつしかうつろな張りのないものに掏《す》りかえてしまうだけの力をもっています。そして、いくら片隅とはいっても、考えてみればここはやはり大きくいってこの世の内側、少くともこの世の外とはいえないところに位置していたのです。この世のうちにありながら、しかもなおこの世的な見方に抗して神さまをまもりつづけるということは、ずいぶんむずかしいことだったにちがいありません。とはいえ、繰返し申し上げるとおり、このばあいも好きの一言がすべてを解決してくれていました。
好きな神さまのためには、この世のすべてを敵に回すこともいとわない兎でした。その神さまが、兎の一見ひとりぽっちな状態をさびしいと呼ぶことをおのぞみでない以上、兎は唯々としてこの世のあらゆる常識を斥《しりぞ》け、慣習を裏切ってでも、alone とか lonely とか solitude とかいったことばから、もろもろのさびしげな色合いをことごとく払いのけ、ひとりあることの充実とよろこびとを讃えつづけていればそれでよかったのです。
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承の巻
神さまはまさしく兎のすべてでした。途方もなく大きくゆたかにひろがって、兎の全身をあたたかくすっぽり包みこんでくれることもあれば、また無限にこまやかに小さく小さくなって、兎の心の微細なひだの隅々にまでわけ入ってきてくれることもありました。
目に見えるきまったすがたかたちを有《も》たない神さまの、それは何よりの特権だったかもしれません。その場その場に応じて神さまは如何様にも変幻自在でした。まちがっても形式に囚われることはありませんでした。
あるときはけもののように荒々しく、あるときは赤んぼのようにいたいけに、あるときは鳥のようにかろやかに、またときには巌《いわ》のようにゆるぎなく―― 少くとも神さまを見ているかぎり、兎はたいくつということを知りませんでした。
あるときの神さまは、たとえばおだやかな漣《さざなみ》でした。ひたひたとくりかえし打寄せてきては、渚にいる兎とたわむれるのでした。波が兎にたわむれかかるのか。兎が波にたわむれかかるのか。それとももしかして兎自身がたわむれの場の渚そのものなのか。いずれにせよそれは果てしもない睦言《むつごと》の問いと答えのくりかえしにも似て、まことに和《なご》やかなみちたりた浄福のひとときでした。
時には海原を背にしてうずくまる兎に、神さまが怒濤のしぶきとなってうしろから襲いかかることもありました。
いまかかるか。いまかかるか。兎は全身を耳にして、予感にふるえおののきながらその瞬間をまちうけました。どよもす潮騒がしだいにたかまりながら近づいてきて、うなじに肩にどうっと浴せかかる瞬間。その瞬間はいくら期待していてもしすぎるということはなく、文字通り戦慄の歓喜そのものでした。
歓びというものはつねにこのようにして、背後から不意打ちに襲いかかるものなのでしょうか。そうかもしれません。大手をふって堂々と真向から歩みよってくる、非の打ちどころない美人のようなまぶしい存在とは、それははじめから次元を異にして、どこかいかがわしく隠微なものをたえずただよわせ、また己れがそのような恥かしい人目をしのぶ身の上であることを重々知りつくしてもいるらしいのです。ですから歓びとつきあうには、裏切りへの不安や落胆や、懸念その他のもろもろの微妙なスパイスの混入をおそれてはなりません。何度くり返されてもそのたびにあらたに味わわねばならぬ、ほとんど恐怖と紙一重のそうしたスパイスがたがいに牽制しあって、あるときふっとあやうい均衡をつくりだす。それはけしてこの世の時計では測り知ることのできぬ天与のタイミングであり、そのときひとははじめてしみじみとわが身の倖せを悟るのです。
たちこめる潮の香をのこして大波がはるかに遠のいていったあともなお、兎の背すじを去りやらぬその戦慄は、しかしもしかして、そうした歓びひとすじよりももっと奥深い、もっと根源的ななつかしさに通じていたのかもしれません。もしかしてそれは、兎がまだこの世に生を享《う》ける以前、いまこうして渚にうずくまったとおなじ前屈みに身をまるめたまま、まだ毛も生えぬ赤はだかの背中いちめんからじかに感じとっていた、あのなまあたたかいやわらかい空間の、薔薇いろの息吹きそのものにも擬《まが》うものだったかもしれません。
水ばかりではありませんでした。火にも風にも、兎は神さまを見ました。
そうです、あるときの神さまは、いうなれば火の柱でした。轟然《ごうぜん》と地底から噴きあげ、垂直にそそりたち、白熱の火花をはげしく吹きこぼれさせる、大いなる火の柱でした。
兎のもっとも慕わしく思う神さまのすがたがこれだったかもしれません。その火柱が有無をいわせず押迫ってきて兎の全身をつらぬくとき、そのはげしさに兎は爾余《じよ》のすべてをわすれ、ただわけもなくわななくばかりでした。傍目《はため》もはばからず、いつしか泣きじゃくっていることさえありました。
歓喜に打拉《うちひし》がれて泣きじゃくるなどということが、大人の身にとってそうめったに起ってよいわけはありません。そのめったにないことが、神さまさえおいでならば現実におこるのでした。
神さまはしかし、そのような歓びだけを兎にもたらしてくれたわけではありません。すべてと申し上げました、兎のあらゆる感情の起伏がとどのつまり神さまに基づくとすれば、当然そこには悲しみも痛みも、苛立ちも怒りも含まれてよいはずでした。
そうです、神さまはかぎりなくやさしく、あたたかい反面、またあきれるほど厳しく、いかめしく、意地悪でもあったのです。これほどにもつめたい相手を兎は他に知りませんでした。
おまえをためしてやる……
冷ややかにそういいきった神さまのお声を、兎はありありとこの耳できいたような気さえします。
そんなときの神さまはさながら非情の吹雪でした。しんしんと、小止みなく、音もなく、とめどなく、いつ果てるとも知れずふりつづき、ふりしきり、兎の視野を狂わせ、餌をうばい、死の寂寞へと駆りたてる白い魔の手先でした。時には風を伴って猛り狂い、兎を息づまらせ、凍てつかせ、生きながらに氷の柱に変えようと荒々しく挑みかかってくる死の使いでした。
どうだ。これでもか。これでもか。
吹きすさぶ風の音は、すなわち神さまそのひとの無情なせせら笑いだったかもしれません。
もうだめだ。もう死ぬ。兎はそのたびにそう思いました。抗い難い吹雪に兎はすでに身の丈よりも深く埋めつくされ、もはや身動きひとつかなわなかったのです。寒気はじわじわと毛皮の下にまでしみ通ってきました。四肢は痺れ、からだはさながら氷詰めの亡骸《むくろ》でした。あらゆる温もりから見放されたその五体のなかで、ただ兎の魂だけが辛うじて炎えつづけていました。風前の灯とはこのことかもしれません。とはいえこの一抹の火が細々とでも炎えつづけているかぎり、兎はまだけして死んではいなかったのです。
これでもか。これでもか。
もうだめです。もうやめて。
これでもか。これでもか。
もうだめ。もうゆるして。
いいながらもしかし、兎は苦痛とはうらはらに、こうした応答そのもののうちにあるひそかな慰めのようなものを見出していたかもしれません。なぜならこの声がきこえているかぎり、またこうして音《ね》をあげるだけの力がこちらにのこされているかぎり、神さまと兎との間はまだけして終ってはいなかったからです。
そうです、兎はまだ生きているのでした。もうだめだなどと思うのは、すなわち兎が生きて感じていることの証しでもありました。ほんとに力つきてだめになってしまったあとでは、もはやそれすらも感じられなくなるはずでした。
それにしても、このしんどさは骨身にこたえます。ああ、やすみたい。兎は切実にそう思いました。でも、それにはまず感覚が麻痺し、意識が鈍り、醒めた頭が朦朧と眠りこんでくれるのでなくてはなりません。事実、甘美な眠りはついそこまでやってきて、やさしく腕をひろげてまちかまえており、兎がそのつもりになりさえすればいつでもその胸にとびこんでゆけそうでした。そうです、考えるまでもないことでした。こんなに辛い苦しい思いをしながらわがままな神さまの試みにつきあっているよりは、いっそのことすべてを抛《ほう》りだしてさっさと眠りに身をゆだねてしまった方がはるかに楽なことは、はじめからわかりきっているようなものだったのです。
雪中で遭難したときには、眠るか眠らないかが生死の分れ目だといいます。生きたければ眠らぬことです。とすれば兎はまだまだ生に執着し、われ知らず未練をのこしてもいたのでしょうか。
答えはイエスでもあり、ノウでもありました。早い話が、生死などもはやどうでもよいことなのでした。神さまがあくまでも神さまであって、ほんものの雪ではないことの悲しさは、皮肉なことにこうした事態が長びけば長びくほど、その寒さ冷たさゆえに兎の頭は醒め、目はますます冴えに冴えて、その結果あたりのあらゆるものの真実のすがたをいよいよはっきりと見究められるようになっていってくれたことです。
甘美な安らぎであるはずの眠りの真相とても、その例外ではありませんでした。眠り。ついそこまでしのびよってきて、いかにもやさしげに手をさしのべ招きかけている眠り。それは、使い古されたものの喩えをかりれば、すなわち誘惑者でした。神さまと兎との間の離反をもくろみ、神さまなんていないよ、もしくは神さまの名に値しないよと、この世のわけ知り女さながらにしたり顔してささやきかける悪魔でした。眠りに身をゆだねることは、すなわちこの暗黙の口車にのせられて神さまを否み、神さまの目から雲隠れして、ひとりだけ遠くへ行ってしまうことを意味していました。
いけない、それだけは断じてできない、と兎は思いました。行手がいかに昏《くら》く、のぞみなく、苦しみがいかにはてしなく見受けられようとも、だからといってこちらから先立って神さまを裏切り、さっさと眠りこんでしまうようなことだけは、どうみてもまちがったことのように思われるのでした。
なぜってそんなことをしたら、神さまはさぞや拍子抜けしてがっかりなさるにちがいありません。兎をこれほどにもいたぶってつめたい厳しい試練にさらすのは、おそらく神さまにだってそれなりのやむにやまれぬ事情があってのことにきまっています。たとえそれがむら気とか気まぐれとかいった、傍目には窺い知れぬ微妙な心の去就《きよしゆう》だとしても、兎にたいしてやさしく素直にふるまうことを妨げるという点では、神さま自身さぞかしつらく心苦しく思っていらっしゃるにちがいありませんし、またそれを無意識にもせよどこかで思い悩まず、相手の痛みを平然と無視していられるような、ただ荒っぽいだけの神さまであったならば、まちがっても兎にとっての神さまにはなり得なかったでしょう。兎にしても、そのくらいの見究めははじめからついているつもりでした。神さまの名に値しないものを神さまとして崇め奉るような、おろかな思い違いからだけは免れているつもりでした。
そうです。兎の苦しいときは、神さまも苦しんでいらっしゃるにちがいなかったのです。
おれはひねくれ者だから……
いつぞや神さまの口をふとついて出たことばを、兎はわすれてはいませんでした。どのような状況のもとにどのような意味合いでいわれたせりふかはくわしく触れるまでもありませんけれど、いずれにせよ兎にしてみればそのようなことはあらためていわずとも、先刻覚悟の上のことだったのです。
じっさい、これがもしやさしく、あたたかく、大らかな、己れのゆたかさに自足しているだけの単純な神さまであったなら、一時ののぼせ上りや漠とした憧れの対象にはなり得ても、兎の心をこれほどにも十全に魅了するまでにはいたらなかったかもしれません。そうしたものは、いっときの安逸《あんいつ》のよりどころとはなり得ても、人間、えてして飽きやすいもので、長続きするためには当然何らかの発展や変化がなくてはなりません。とすれば、このようにして神さまがかならずしもプラスの面ばかりでなく、明暗両相を兼ね具えておられること、この世のあらゆるものがそうであるように、表裏、清濁、陰陽その他もろもろの両極を併せ有《も》っていてくださることは、兎にとってはむしろ望外の、勿怪《もつけ》の幸いといってよかったかもしれません。
事実、長い苦しいこころみの季節がすぎ、一陽来復、神さまがふたたびほほえみを取戻し、兎のために何くれとなく心を砕いてくださるときのたのしさは、たとえようもありませんでした。苦しみが長びけば長びいたほど、そのあとのたのしさも一入《ひとしお》ふかく、その振幅のはげしさに兎はそのたびにほとんど戸惑うばかりでした。
もしかして神さまは、こうしてその都度のよろこびをあらたに倍加させるためにこそ、わざと冷酷をよそおい、非情を演じてみせてくれたのではなかろうか。もちろん、神さまともあろうお方がそんなくだらぬ小細工を弄するはずはさらになく、すべては天衣無縫のふるまいであり無意識のなせるわざでしかないことは、もとより兎も承知していましたけれど、時としてふとそんな疑いさえ生じかねぬほど、その変転ぶりはあざやかに水際立って見えたのです。
よかった、と兎はそのたびにしみじみと思うのでした。神さまのせっかくのこころみを避け、さっさと戦いを放棄してしまっていたならば、今日のこれほどのよろこびは到底生きて味わえなかったにちがいありませんし、また神さまだって何のために兎をこころみ苦しめたのか、自分でもわけがわからなくなってしまったにちがいありません。そうです、神さまは明らかに兎を必要としていらっしゃるのでした。兎が生きているかぎり神さまがいてくださるのでなくてはならないように、神さまが世にあるかぎり兎はけして神さまをすっぽかし、おさきに失礼するようなことがあってはならないのでした。
ねえ、そうではありませんか、神さま。
兎は天をふり仰ぎ、神さまの口から直接その答えをたしかめようとでもするかのように、見えないはずのそのお顔を空にもとめましたが、他のことならばいざ知らずこんな愚かな問いかけに、もちろん答えてくださるような神さまではありませんでした。
それでいいのでした。たずねるまでもないことでした。ただ二人だけで交すまなざし、声にならないことばの端々に、兎は紛うかたないその事実のたしかな証しを見ました。神さまはまちがいなく兎を必要としていらっしゃるのでした。その証しを見たときのうれしさは何物にも譬えがたく、それが世に通用するかどうかなどは、すでにして二の次の問題でした。
白玉は人に知らえず知らずともよし吾れし知れらば知らずともよし
どこかでききおぼえたそんな歌がふっと兎の胸にうかびました。ことわっておきますけれど、兎はけしてわが身を白玉になぞらえていたわけではありません。まさか。みずから恃《たの》むところの大きかった安国寺の僧とやらの嘆きはいざ知らず、兎にしてみればわが身はもとより禽獣の、とるにも足らぬちっぽけな存在であることを、片時もわすれたことはありませんでした。とはいえ、問題は神さまでした。兎は兎だけではないのでした。兎にあって単なる兎一ぴきにはとどまらぬその部分、ほかでもない神さまと偕《とも》にあるというその一事こそ重要であり、それによって、この砂粒のごときささやかな身にも、白玉のかがやきがおのずから添わぬとはいいきれません。少くとも兎にとっては神さまの存在が、いなむしろ神さまと己れとの縁《えにし》そのものが、すなわち白玉にもなぞらえられるのでした。それほどにも尊く、美しく、かけがえなく、時にはこのまま人知れずあることがもったいなくさえ思われるほどのこの縁でした。
人間、美しいものがなくては生きてゆけません。美しいものにあやかることのよろこびを、兎は神さまによって教わりました。わが身に美が欠けている以上、それは当然の成行きでしたろう。兎が兎どうしの狎《な》れあいに甘んじず、相手もあろうに神さまなどという至高のお方と関りあうように仕向けたのは、いかなる運命のいたずらか。もちろんそれはもともと兎自身のなかに、そのような美をもとめるひたすらな心があってのことにちがいありませんけれど、たとえそれが単なる運命の一時の気まぐれであったとしても、いまはその気まぐれにすら感謝したいほどの思いでした。
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転の巻
にもかかわらず――
にもかかわらず、兎はなぜかこのところ、われにもあらずぼんやりと考えこむようなことが多くなっていました。
おかしなことです。いまさら何を考えこむ必要があったでしょう。神さまとの関係に関するかぎり、兎はこれ以上何も思い煩ういわれはなかったはずです。しかし――
しかし、と兎はやはり時として思うのでした。――これでいいのか。これで、ほんとにこれっきりなのだろうか、と。このまま続いていって、その果ては、いったいどうなるのだろうか、と。
生ま身の兎にとって、永遠などということはもとより考えられません。いつかはこのいのちの火も尽きて、塵に還る日があるはずですけれど、それにしても、いつかはわからぬその日、その時まで、兎はこうして神さまと二人、ただひたすら純粋にありつづけていればそれですむのでしょうか。
純粋――
とうとうこのことばが出てきてしまいました。このことばは曲者です。この世にあって、有機物である肉体の不条理からのがれられぬ生物にとって、純粋などということははなはだもっていかがわしい概念ですし、理念、願望としてならばまだしも、現実にそのようなことがおいそれと成立するわけもないことは、もとよりわかりきっているはずです。
純粋。それはきわめて危険な一筋道、というよりもっときわどい綱渡りのようなものです。道ならばまだしもひろがりがあり、道草もゆるされます。おなじ野面をあるいてゆく人びととことばを交しあい、それによってなぐさめられ、ゆたかな明日への糧とすることもできれば、逆に直情径行の空しさを思い知らされ、途中から道を外れたり、すすんで傍道《わきみち》にまぎれこんでゆくことだってありえます。
綱渡りにはそれがありません。右も左もないかわりに、あるのは奈落です。踏み外せば落ちるのです。落ちれば死ぬのです。およそゆとりというもののみとめられないこの世界では、ためらいさえもそのまま死に通じます。
自分がそんな危険な軽業に知らず知らずのめりこんでいたなんて。まさか。そんなことがあってよいものでしょうか。あるとしてもほんの行きがかり上の、せめてことばの上だけにとどめたいものです。そもそもどういうはずみでか、純粋などということにこだわりはじめたのが間違いのもとだったのです。
神さまと二人きりのこの島での明け暮れが、いくら第三者の介入をゆるさぬ純一無雑《じゆんいつむざつ》なものであったにしても、もしくは世人の目にそのように映ったにしても、兎が悦びを以て、みずからすすんでそのようにしているかぎり、危険などということは考えられませんし、少くともよけいなおせっかいであることだけはたしかではありませんか。
にもかかわらず――
わたしとしたことが、どうしてこのていたらくなのか。兎は首をかしげました。そもそもこんなふうにやくたいもないことにこだわって、何時間もおなじ姿勢でうずくまっていられること自体、どうかしています。少くとも一頃までの兎なら、傍目《はため》にはいくら物静かであれ、頭の中では次々に活溌な想念がわいてきて、とてもじっとしてなどいられなかったはずです。それがいま、立居振舞のすべてがすこしずつ億劫になり、餌をさがすのさえ大儀に思われるようになってきたとすれば――
兎 兎、どうしたの?
そんな童謡がたしかありました。ドイツのごくおさない子供たちに昔から親しまれているうたです。
兎が穴にこもってる
まあかわいそう お病気で
もうぴょんぴょんとべないの?
おとび 兎 ぴょんぴょんと
なるほど、もしかしてこの身は知らぬまにどこか体でもこわしているのでは?
けれども、まさか子供でもあるまいし、人間、兎ほどの年にもなれば、自分がほんとうに病んでいるかどうかぐらいはある程度見当がつくものです。
病気とはいかないまでも、このところ少々疲れていることだけはたしかだ、と兎は思いました。疲れてあたりまえでした。兎ももう、一頃のように若くはないのでした。肉体は老いるものです。生ま身の獣にとってこれだけはどうしようもない均《ひと》しなみの運命であり、おのれだけがそれを免かれていてよいわけはありません。さらでだに非力でちっぽけなこの身が、こともあろうに神さまなどというえたいの知れぬ大きな存在をかかえこんでいる、それだけでもたいしたお荷物なのに、それがもうこうして長年月、いつからとも知れずえんえんとつづいてきているとすれば……
兎は目のまえのうっとうしい薄雲でも払いのけるように、ぶるんとひとつ頭をふるわせました。いつの日からか? いや、正直いって何年、何十年であろうとある意味ではおなじです。相手が神さまであるかぎり、時空の枠ははじめからのりこえられているようなものだったからです。とすれば肉体の老化など、ものの数でもありませんでした。事実、軽やかさこそ身上のこの界域にあって、兎はただひたすら、御意《ぎよい》のままにもてあそばれるたのしいピンポン玉のように、刹那刹那を右往左往しながら過してもこられたのでした。純粋の一筋道はその意味ではお世辞にも、意図的につらぬかれた一直線とはいえず、それどころか好きにまかせて拾いあつめた珠玉のたまゆらの、気ままな数珠つなぎにすぎなかったのです。
数珠ならばほうっておいてもいつかはふたたび振出しに戻っていてくれるのに、と兎は思いました。それならば幸いでした。とはいえそのような円環的な時間などというものが、死すべきさだめの身に現実に体験すべくもないことは、これも兎ほどの年にもなればだれだって承知していることです。過去と未来とがひとつに連なる次元。それはやはり、あったとしてもそれこそこの世ならぬ境での話であり、少くともいま兎の辿りつつある一本道のかぎりでは、来《こ》し方《かた》と行《ゆ》く末《すえ》とはそれこそ百八十度、完全にさかしまの方向にむかってのびていっているとしか思われなかったのです。
行手が見はるかせないのとおなじように、通り過ぎてきたあたりも漠としてかすんでいました。それでも、未来よりはすでに経てきた時間の方が、未知よりは既知のなじみあるものたちの方が、まだしも安んじてながめられるような気がするのは人の子の浅はかさでしょうか。
ヤヌスの神は正面と背面とにそれぞれ一つずつ顔をもち、過去と未来を共々見通すといわれます。これもしかし、神さまならではの話であって、人間がもしそのように二つの顔を具えることをゆるされたとしても、未来に向けた正面の眼はつねにめしいでしかないのでしょう。
そうです、一寸先は闇。明日のことを思い煩ってみたところではじまりません。それよりは後にしてきた道程をふりかえり、汲むべきものは汲み上げて今後に資する方がまだしも有益というものです。
兎の物思いの大半も、じつはほかでもないヤヌスの二つめの顔、すなわち背後の眼の見通すかぎりにかかわっていたのです。そうです、いまはこれでいいとして、そのまえ、兎はどこにどうしていたのでしょう。ここにいたるまでに、はたして何があったのでしょう。じつはこのところ、何かにつけてそのことが気になってしかたないのでした。いままで気にもとめずに過していたことが、こんなふうに気にかかりはじめたこと自体、ある種の衰弱の徴《きざ》しでもありましょうが、それにしても兎のばあい、顧りみる来し方も行く末とおなじように、あまりにも暗すぎました。
過ぎ去ればすべては思い出か、無だ。誰やらそんなふうに記していました。なるほど、思い出せるかぎり、兎は兎としてここにいました。小さな一国一島一城のあるじとして、神さまと偕《とも》に。とすれば、それ以外は悉《ことごと》く無か? もしくは無であるとはっきり言いきれるか?
言いきれるとすれば、まことに以て瞑すべし。いまさら何を考えることがあったでしょう。事実、神さまとの明け暮れは、ふり返れば苦しみも悲しみも悉く時空の距《へだた》りによって浄化され、美しい仄明《ほのあ》かりの中にとけいって、ひたすらになつかしさをそそるものでしかなくなっていたのです。こんなにゆたかな思い出にめぐまれるなんて、兎はやはりよっぽどの果報者だったにちがいありません。
ならば、無か。神さまとの甘美な思い出以外は、まったくの無か。兎は声に出してわれとわが身に問いかけました。できればこんなときにこそ、神さまにお答えを仰ぎたいところでしたが、あいにく神さまはどこか遠くへでもお出かけか、しわぶきひとつ返ってはきませんでした。ここはやはり凡庸な兎あたまの限りで、みずから納得のゆく答えをさぐりあてるしかないのでしょう。それとも神さまはもしかして、兎をこうして啓発し、真面目に努力、思考させるためにこそ、わざと知らぬ顔の半兵衛をきめこんでおいでなのかもしれません。
兎はあらためて頭をひとつ、ぶるんとふるわせました。こうすれば思いがけないさいころが、淀んだ記憶の底からころがり出てくるとでもいいたげに。
さきほども申し上げましたとおり、思い出せるかぎり兎は兎としてここにいました。ということは、いまとおなじ大きさで、年恰好もほぼ、いまそっくりに。
おかしなことです。こちらも神であるならばいざ知らず、生成、衰滅をさだめづけられた獣の分際で、生涯変らぬままなどということは考えられません。とすればいまの成年の兎にいたるまでには、やはり幾許《いくばく》かの成長の段階を経てきているはずであり、誕生早々はさて措き、少くともものごころついてからの幾星霜には、当然それにまつわる思い出がのこされていてよいはずでした。
思い出せない。そこがどうしても思い出せない。兎はためいきをついて目をつむりました。何かがありそうでいて、どうしても出てきてくれない。この苛立たしさをどうすればいいのでしょう。それにまた、なぜこの無を無としていままでどおり、そっとしておいてやれなくなったのでしょう。
記憶喪失? そんなことばが兎の脳裡にひらめきました。たとえば何かおそろしい大事故にでもあって、一瞬にしてそれまでの一切をわすれてしまう、――そんなひとの話を昔どこかで読んだことがあります。ひょっとしてそんなこともないとはいいきれません。
兎はあらためて自分の体をたんねんに見まわしました。日頃から見馴れているこの五体です。毛並はしかしいつもながら一応なめらかにととのっていて、これといって見落していた古傷のようなものも、いまさら見あたりませんでした。
それにしても、と兎はふたたび過去の方へ漠とした目をさまよわせながら考えこみました。人間の心はひどく複雑なもので、おなじ思い出せぬにしてももっとべつの理由によることだってありえます。ある種の自衛本能がはたらいて、いやなこと、辛かったことはできるだけわすれるのです。痛み、苦しみ、不幸―― 不幸には顔がない、とシモーヌ・ヴェイユは申しました。直面するにしのびないもの。ただただ痛ましく惨《むご》たらしいばかりのこと。今後を生きてゆく上で何の足しにもならないようなそうした深傷の数々は、できるだけわすれ、つとめてその生ま生ましさをぼやかすようにして、みずから己れを救うよりしか手がありません。
とすれば、これもたとえばの話ですけれど、兎にとってその昔の思い出はかならずしもたのしいことばかりではなかったのか、まあそこまでいかずとも、神さまとのこの年月の思い出があまりにも甘美なものであるだけに、それにひき比べ――
よわい頭で、とつおいつ考えあぐねるうちに、兎はいつしか眠ってしまったようです。かわいそうに、疲れはてて?
いえ、あながちそうとばかりもいいきれません。もしかして、どこかにかくれてこのありさまを見守っていた神さまが、見かねてそろそろ兎を救ってやろうとして、機械じかけで眠りのヴェールを投げかけてくださったということだって、ないとはかぎりませんしね。
目をさました兎の、巣穴のまえに、一冊のうすっぺらな本みたいなものがころがっていました。本というよりスクラップか、雑誌の抜刷りを綴り合せたような仮綴じのものです。兎は目をこすりました。どこから風に運ばれてきたものか。それとももしかして、前々から手許にしまいわすれていたものが、寝返りでもうったはずみにこぼれ出てきたのでしょうか。それとも、ひょっとして? そうです、それこそ聡明な神さまのやさしいご配慮によるのかもしれませんでした。
『かぐや姫に関するノート』―― 仮綴じ本の表紙には手書きでそう書かれていました。
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〈かぐや姫に関するノート〉
其ノ一
かぐや姫について、一度はお話させていただくお約束でしたっけね。遠い空の彼方からこの世にやってきて、竹のなかに宿ったところを見出され、人の子としてはぐくまれ、美しく生いたちながら、ある夜にわかにふたたび飛び去っていった、ひとりの娘の魂についての物語です。
かぐや、とこのさい呼び捨てにさせていただきます。この娘については古来さまざまな伝説が語りつがれてきています。とはいえ、一九八一年七月七日現在、少くともわたくしの知るかぎりにおいて、真にかぐやの心を心とし、その苦しみをわがものとしてつぶさに後づけてくれたらしい文献は、いままでのところひとつも見あたりません。
とすればやはり誰かがその役を引受けなくてはなりますまい。せっかくこの地上に生きて、人の子として見るべきほどのことは見つくしながら、一日として心なぐさまず、心底から打笑うこともゆるされなかった一女性の悲しみを、このまま闇に葬らせてしまってよいものでしょうか。かくいうわたくしだって、所詮は明日をも知れぬ人の身です。とすればこのさい、今夕のうちにせめてメモ程度のことなりと書き留めておかなければ、ひょっとして永遠の悔いをのこすことにもなりかねません。
1 かぐやの出生のすがたについて。
桃から生まれた桃太郎ならば、当然はだかんぼでとびだしてきたものと相場がきまっています。しかし、かぐやのばあいははたしてどうだったのでしょう。
「竹取物語」には、三寸ばかりなるひと、とあるだけで、装束については何もふれていません。そのため絵巻物などではかえってはじめから着衣の少女として、神々しいひかりにつつまれ、人形のように取澄まして描かれたりもしています。けれども考えてみれば当然この子だって、はじめはむきだしのいのちそのものとして、一糸もまとわぬ赤んぼのすがたで見出されたはずなのです。
他界――というと語弊があります、異星、もしくは別世界に生を享け、ゆえあってこの地上に放逐されたひとつの魂です。そのような異[#「異」に傍点]なる存在が、世の人びとにすみやかに受け入れられるためには、せめてこの地上の個体発生の、それもなるべく初歩的な段階からを順次真似してみせるのがいちばんでしょう。翁にせよ媼にせよ、この子にある畏怖をおぼえつつもなおかつ親身のいとおしみをそそぐにいたるためには、やはり相手がのっけから全きすがたではなく、いかにもいたいけな稚さで、手塩にかけてやる余地を十分にのこしていてくれることが必要でした。
かぐやの地上での出現のすがたは、そのようにして決定されました。見つけるのはやはり、実際にわが子の誕生の場に立会ったこともなく、世の栄達の道からも、地元の百姓の野卑健康からもいささか縁遠い、世間知らずのご老人でなくてはなりませんでした。
2 かぐやのすみやかな成長ぶりについて。
はじめはわずか三寸ばかりであったかぐやは、それからしかし三月ほどのまに、早くも成人の域に達してしまいます。一月が並みのひとの五六年分にもあたりましょうか。いずれにしても異常なまでの速さです。
最初のうちは一日がほとんど一年分にもおよびました。かぐやが赤んぼだったのは、ですからたった一昼夜のことでした。
翁と媼がせっかく見つけてきた乳母を、その日かぎりでかぐやは斥《しりぞ》けました。むつきの世話もはっきりとことわり、自分ひとりで始末するようになりました。
なぜそのようなことになったのか。理由はかんたんです。かぐやがそのように願ったからです。大きくなりたい、人手のかからぬまでに大きくならせてくださいと、切に祈りをこらしたからなのです。
清涼の気圏に住みならわし、自ら満ち足ろうてきた魂にとって、この地上の他人の肌とのふれあいのおぞましさ。これだけは思いがけませんでした。
かぐやのやむなく触れさせられた人肌で、それほど違和感をおぼえずにすんだのは、もしかしてはじめに竹のなかからこの身をとりあげ、わが家へそうっと運んできてくれた翁の枯れきった指としなびた掌だけだったかもしれません。
最初にして最後に終ったあの授乳という営みの恐怖を、かぐやは後々までもわすれられませんでした。目のまえでいきなり女の胸がはだけられ、汗と襟垢との饐《す》えたような匂いとともに、こちらの顔よりも大きな熟れきった乳房が有無をいわせず迫ってきたのでした。はじめて間近に見るひとの肌でした。息苦しさにかぐやは思わずおびえおののき、懸命に小さな手足をつっぱりましたが、相手はかえってそれをよろこびのしるしと受取ったようです。
「おお、いい子いい子、さ、おあがり、たんとおあがり」
つづいて口もとに小豆色の乳頭がおしつけられ、生まぬるいべとべとした液汁がほとばしり出て頬やあごにつたわりました。かぐやははげしくむせて、混乱はそのきわみに達しました。
「ほうら、いい子、そんなにあわてないで。さ、おあがり」
女は抱き具合をかえ、執拗に乳首をふくませようとします。とすれば、これが人の子の習いなのか。いままで漠然と聞き流していた乳ということばでしたが、この世の者としてながらえるには、これが欠かせぬ営みでもあるのか。それでも、わたしにかぎってこのようなものはいっさい不要ですのに。口がきけるものなら声をあげて叫びだしたいところでした。
かぐやのかつてあったその地では、人びとは、といってわるければ霊たちは、べつに何を食べずとも生きてゆけるのでした。飲み食いと生存とはまったく別のことでした。霊たちだって食べたければ食べ、飲みたければもちろん飲んだことでしょう。けれどもそもそもが満ち足りていたあの世界では、そうした欲求にしてからが、めったに起るものではなかったのです。
かぐやは観念して目をつむり、あてがわれたものを唇にふくみました。ちっぽけな赤子の身ではこのうえ拒みつづけるだけのゆとりもなく、除けそこねれば鼻をふさがれて窒息することにもなりかねませんでした。
女はようやくほっとしたように腕をゆるめました。
ふところにたちこめる人肌の香は相変らず耐えがたく、さらでだにほとばしり出る乳汁の生まぐささに、かぐやはむかつき、幾度も吐き戻しかけましたが、つつしみゆえに懸命にこらえて二口、三口吸いつづけました。
ひたいにふりかかるものを感じて、かぐやは唇をはなし、目をあげました。乳母のうるんだ瞳がこちらを見下していました。
この農家の嫁はつい先頃、産後三日目に赤んぼをなくしたばかりでした。これ以上口がふえてはかなわないと言い言いしていた姑が、もしかして自分の知らないまに闇に委ねてくれたのかもしれないと思ってはいましたが、のこされた母にとってはさしあたり心の傷よりも、主を失った乳房の痛みの方がいっそ耐えがたかったのです。それがいま、こうしてこの子のおかげで少しは楽になってみると、あらためて亡児にたいするいとおしさがこみあげてきたのでした。
やさしいひとたちなのだ。鈍重に見えるこの嫁御も、なぐさめる翁、媼も。
語りあう声をききながら、かぐやはふたたび目をつむりました。寝足りてはいましたが、しかしこの人びとの胸をいためずにおぞましい乳房の強迫からのがれるには、これが早道でしょう。かぐやにとって必要なものは、このような無形のやさしさだけであって、この世の人並みの食べものではないことをわかってもらうには、どうすればよいのか。
かぐやがまんじりともせずに祈ったのは、その夜のことです。
大きくなりたい、大きくならせてください、と、夜をこめて一念をこらしたのです。
当分、と人びとはいっていましたが、授乳の煩わしさとは何としても即刻おさらばしなくてはなりませんでした。そのためにはどうやら大きくなる必要があるらしいのでした。
この世で貸し与えられた仮りの身を、いまだに扱いかねているかぐやではありました。けれども一念の通じること、祈ればかならず道のひらけることだけは、なぜかはじめから心得ていたもののようです。生得の知恵、というよりこれはもしかして、遠い空の彼方のふるさとにあるうちにすでにして習いおぼえた技だったかもしれませんでした。
かぐやのかつてあったその国では、そのとおり、霊たちはのぞみのままに、いかようにもすがたかたちを変えることができました。彼らがおおむねひかりかがやく白っぽい薄衣をまとい、天人ともよばれるような人間に似たすがたをとっていたのは、ただたまたまそれが快適であったからにすぎません。必要とあらばすがたを消してただの影になってしまうことだってできるのでした。後年、帝のひたぶるなお誘いをふりきろうとして、かぐやが「きと影にな」ってしまったというのも、おそらくはその昔の習慣が瞬間的に甦ったからだったのです。
其ノ二
それにしても、とわたくしはここでしばらく筆を措いて考えこみます。
かぐやのかつてあったその地、などとしたり顔に記しました。けれどもわたくし自身、行ったこともないその地について、はたしてどれほどのことがわかっているでしょうか。そもそも限りあるこの世のことばで、そこをいったい何と名づければよいか。書きだしからこの胸にわだかまっていた危惧がようやく頭をもたげてきたのです。わたくしがこのメモを記し遺すのを長らくためらっていたのも、半ばはそのためです。
でも、しかたありません。今宵たまたま七夕の空を見上げながら、こうしてすでにペンをとりあげてしまった以上、無茶を覚悟で知ったかぶりをつづけるしかありません。いずれにせよ、問題はかぐやです。かぐやはやはり、人の子として生まれる以前、たしかにその地に所属していたのです。それにしても、折にふれてかぐやの心によみがえるその国とは、はたしてどのようなところだったのでしょう。
3 かぐやにおける前世の記憶について。
人間にはふつう三世、もしくは三界といわれるものがあって、生と死とのあわいの短い現世での寿命の外に、おのおの前世と来世とが用意されているとのことです。来世はさておき、前世は万人のすでに経てきた世界のはずなのに、なぜかその時代のことをつぶさに憶えておくことは、少くとも常人にはゆるされていません。いかなる仕組かはわかりませんけれど、おそらくは現世に人の子として生まれおちたとたん、その煩わしさや騒々しさに心みだされ、もしくはその面白おかしさに心うばわれて、それまでのすべてをあっけなく忘れ去ってしまうもののようです。
かぐやのばあい、この前世ということばがあたっているかどうか。これもまたすこぶる疑問ではありますが、この世に現われる以前にあった世界ということで、とりあえずそうよんでおくことにいたしましょう。
そうです、この娘は前世を記憶していたのです。ただし、憶えているといってもそれは、昔住みなれた家とか楽しかった旅の回想かなんぞのように、思い出そうとして思い出せるといった筋合いのものではありませんでした。むしろ、何かのはずみに、ふとしたきっかけから、やむなく思い出させられたという方があたっています。そして、そのきっかけとは、きまってこの娘の魂が何らかの不快をおぼえたときにかぎられていたのです。
じっさい、かぐやにとってこの世の人の子としての生活がしんじつ好ましく快適なことずくめであったならば、この娘もまたわれわれ凡俗の徒とおなじく、前世のことを思い出す手がかりを完全に失っていたかもしれません。けれども幸か不幸か、現実はあまりにも矛盾と不如意とにみちみちていました。かぐやが虚心にほほえむことのできたためしは、ですから生涯を通じてほんの数えるほどのことでした。
名実共に幼女として過したわずか数週間のひまにも、かぐやは多くの矛盾と悲惨とを見ました。こうではない、こんなはずはない、と事あるたびにかぐやは思うのでした。これではいけない、これとはちがうもっとのぞましい状態や解決のしかたがあるはずだ、と。なぜならこのような愚劣な悲しみや苦しみを味わわなくてもすむ世界に、自分はかつてたしかに棲息していたことがあるという、動かしがたい思いがたえずつきまとうていたのです。
そのような世界がしかし現実に存在するかどうかは、誰にも証明してみせるわけにはまいりません。とはいえ、「いま」の「これ」が不愉快であり、劣っているという判断の成り立つためには、やはり何らかの比較の対象が前以て与えられていなくてはなりますまい。いうなればそれがかぐやにとっての前世でした。
あの世界のことを、ここの人びとは誰も知らないのだ、とかぐやは思いました。知らなければこそこんな状態に満足していられるのだ、と。小さな娘の身で誰も知らないことを知り、頒《わか》ちあえない秘密を胸に秘めて過すのはずいぶん気骨の折れることでした。でも、かぐやにはそれができました。もともと口数の少い子ではありましたが、長ずるにつれますますその傾向はつよまってゆきました。それがまた天成《てんせい》の美貌とむすびついて、犯しがたい気品を偲ばせる一端ともなったのでした。
4 かぐやをおどろかせたこの世のもろもろの矛盾について。
そうです、大事なことをお話するのをわすれていました。かぐやは、当時の常識によれば並外れて美しかったのです。いかなる神霊の配慮によってかは存じませんけれど、月日とともにまさしくこの世ならぬ美しさに匂いだすように宿命づけられていたのです。かぐやを最もおどろかせた矛盾のひとつも、またこの点にかかわっていました。
この世では、美しいひととそれほど美しくないひと、醜いひとがいるらしいのでした。とりわけ女は美しいひとの方が明らかにもてはやされるらしいのでした。
あなたはちがう。生まれからしてただの御仁ではございませぬ。かぐやはたえずそう言われつけて育ちました。周囲はこの娘の美貌を当然のこととして受取っているようでしたけれど、それもまた、いわれる本人にとってはおどろきの種でした。なぜってかぐや自身、大きくなりたいとは願ったものの、美しくなりたいなどとは一度も思ったことがなかったからです。
かぐや自身にとってはまったく関わりのないはずの、この肉体という仮衣のデザイン如何に、人びとはなぜこれほどにまでこだわるのでしょうか。もしくはこだわらずにいられぬように宿命づけられているのでしょうか。このちょっとした意匠の違いが人びとの魂の目を曇らせ、狂わせて、よけいな悲劇へとまっしぐらにつっこんでゆくさまを、後年かぐやは求婚者たちによっていやというほど見せつけられたものですが、それはまださきの話です。
稚《いとけな》いかぐやをおどろかせたこの世の不条理は、美醜のほかにもまだまだ山のようにありました。貧富、貴賤、優劣、大小、高低――この世はまさに千差万別であり、多種多様であり、それだけならばまだいいものを、その多様性を縫ってあらずもがなの位階序列が分ちがたく絡みあっていました。
昔はこんなことをまるで知らなかった、とかぐやは思いました、そう、少くとも人の子としてこの世に送りだされるまでは。
たとえば、現《うつ》し身《み》のかぐやの世話になっているこの家の翁と媼は、もとは貧しかったけれどもいまでは近在随一の裕福な身上らしいのでした。日を追うて暮し向きが豊かになってゆくさまはかぐやにもわかりましたが、それとともに近隣のそねみや嫉み、やっかみも、一家にはいたいほど伝わってきていました。かぐやの来臨が老夫婦の幸運のきっかけともなったことは、本人も知らないわけではありませんでしたが、それにしても、とかぐやはやはり考えこんでしまうのでした。これがもし、まったくさかしまの方向に、すなわち自分は日ごとに二目と見られぬ醜い形相に近づき、翁・媼もまたこの娘を得たことで余沢どころか日ごとに財を費い果たし路頭にでも迷うような運命に見舞われていたならば、はたしてどのようなことになっていたろうか、と。
かぐやは思い余っては、たびたび空を見上げました。
いかなる神霊の配慮によってか、かぐやは美しく、そして竹取の一家は何不自由ない恵まれた暮しではありました。もしもこの世が竹取の翁・媼とかぐやの三人だけで成り立っていたならば、かぐやもまたかつての地でとおなじく、あらゆる比較対照からはきれいに救われて、無邪気に満ち足りた日々を過してもいられたでしょう。そのかつての在所とは、はたしてどこか。この天空の彼方にもしかして、かぐやの同族たちがいまもそのようにして憂いを知らず、安らかに過している星があるのかもしれません。その星はどこか。少くともこの地上の、地続きでないことだけはたしかでした。目を地上に転ずれば、いずこもおなじ貧しい家々や虐げられた人びとや、栄華の巷やその他もろもろがちらばっていました。それでいてひとつとして、またひとりとして、この世の位階序列から完全に免れているものは見当りませんでした。
其ノ三
物語とはいったいどのようにして成立するものなのでしょう。
物語の出《い》で来《き》はじめの祖《おや》、とは紫式部の竹取物語をさしていったことです。以来千有余年。源氏が竹取の直系の子孫だとすれば、いまではこの祖の末裔はそれこそおびただしい数にのぼることでしょう。
物語の始祖。このことばは、深くわたくしを考えこませます。そもそも物語とはほっといて出来上るものではありません。だれかが生んでやらないかぎり、この世には存在しなかったはずのものです。とすれば、始祖としての栄光は、物語そのものよりもむしろ作り手にこそ帰せられるでしょうに、その語りはじめの祖ともいうべきひとの名を、式部がいまひとつ明らかにしておいてくれなかったことがあらためて惜しまれます。
だがそれにしても、とわたくしはひるがえって思いなおします。たとえ語り手があったとしても、物語はそれだけで生まれるというものではありません。無からは何も生じません。必要なのは種子です。すなわち語るべきこと、語り手をして語らしめるもの、というより語られねばやまぬ何物かが存在しなければ……
わたくしは何を申し上げたかったのでしょう。
おわかりでしょうか。じつはこうしてこのメモを重ねるにつれて、ある私《ひそ》かな悔いのようなもの、――物語に対するある種の憧れにも似たものがこの胸のうちにしだいにこみあげてくるのを、どうにも払いのけかねているのです。古典的な、完結した作品としての物語に対する一種の郷愁めいたもの……
変転常ないこの地上に生きる者にとって、そのような完璧な物語世界に遊ぶことの悦びは何物にも換えがたいものです。その静かな法悦をも含めて、わたくしはいま、どうやらとんでもない冒涜をしでかしつつあるのでは?
夜空を仰ぎすぎたのがよくなかったのかもしれません。かぐやのことはやはり、ひとつの物語として物語ればよかったのでした。語り手のことはすでに申しました。物語そのものがあらゆる物語の祖なら、その種子もまた始祖、およそあらゆる物語の種子中の種子でなくてはなりますまい。この娘の話はやはりそれだけの大きさをたしかに具えているのです。いずれにせよ、このような性急なノートではおさまりきらぬ何物かが、余白のいたるところから徐ろに声にはならぬ声をあげはじめ、拙い筆はますます乱れるばかりです。
さて、どうしたものか。いっそひと思いにここまでのすべてを白紙に戻し、かねてのお約束通り、「今は昔」の物語らしい物語の完成に精進するか。それとも、どうせ貧しい才能とわりきって、支離滅裂でもこうして記したいだけのことをとりあえず記してしまうか。
迷いながらもいますこし、先をつづけさせていただきましょう。
5 この世でかぐやにゆるされた唯一の友情について。
かぐやは友人というものをいっさい持たずに育ちました。あたりまえでした。常人ならば成熟までに十数年かかるところを、わずか三月ですませたとすれば、おない年ということさえもこの子のばあいには成り立たなかったのです。その日その日の遊び友達にはめぐまれたとしても、五日もたてば相手はきまってある恐怖の目でまじまじとかぐやを見つめ、それきり遠ざかっていってしまうのでした。
あとからきた者に自分がみすみす追抜かれ、おいてけぼりにされるのは、子供にとっていかにもつらいことです。相手にそうした屈辱を味わわせまいがために、かぐやのことです、のぞみさえすれば己れの成長を遅らせることも当然できたでしょう。事実、たまたま摘草をきっかけに知り合った里の子らと遊ぶのがたのしくって、半月ほどを連日共に過し、このままずっと子供でいられたら、などと本気で思案したこともあります。
けれども結局のところ、それも長続きはしませんでした。子供ばかりの群れはあまりにもあからさまに労《いたわ》りを欠いた社会でありすぎました。ぬきんでて美しいかぐやが加わったことで餓鬼大将の寵を失うことをおそれたひとりの娘が、心のたかぶるままに死んだとかげをかぐやの襟元にすべりこませたとき、かぐやは自分からこの仲間に別れをつげました。
かぐやは大人を好きでした。乱暴でききわけのない子供たちを、かぐやはつねに奇異の思いで見つめました。おのれの未熟さを恥じぬ、そのこと自体がむしろふしぎでした。なぜならかぐやの見たところ、ほんとうの大人というものは、それほど理不尽なことを押しつけてくるはずはなく、ただ世慣れぬ稚い者たちの上を案ずればこそ、とかく口をはさみたがるだけだったからです。
少くともかぐやの最初に知った大人はそうでした。いかなる神霊の導きで――と、またしてもくり返したくなりますけれど、かぐやはたしかにねがってもない保護の手に委ねられていたのです。竹取の翁と媼は、世間知にこそ疎かったかもしれませんが、その意味ではまことによくできた人びとであり、慈悲と思いやりの深さとにかけては抜群でした。この二人の傍らにあるかぎり、かぐやは無理解ということを知らずにすみました。
わからずやの子供たちの争いや傷つけあいを見ているよりは、この人びとと共にあることの方をかぐやは択びました。この世における自分の出生からのすべてを知りつくしているひとたち。それでいて変化の性を怪しみもせず、わが子同様に養い、庇《かば》い、その行末をまでも案じていてくれるひとたち。それが竹取の老夫婦でした。
子供社会からはみだしてしまったかぐやにとって、友情の絆がわずかでも見出せたとすれば、それはこの夫婦に対してだったかもしれません。彼らは口数少く、つつましく、わが子同様とはいいながら終始ある距《へだた》りを以てこの娘に接し、必要以上に身のまわりの世話をやくこともありませんでした。
湯浴も更衣もはじめからひとりで済ませたがるかぐやでした。生身の肌にふれられるのをこの子が意識的に避けようとしているらしいことも、二人は無言のうちに悟っていました。あっというまに成人をとげてしまった娘に対し、その月ごとの生理のありようを問うこともあえていたしませんでした。
かぐやの美しさがそうさせたのだともいえましょう。いずれにせよ、かぐやの側からいえば、こうしたこまやかな配慮にはただただ感謝以外の何物でもありませんでした。友情というより恩愛といった方がここではふさわしいかもしれませんけれど、いつかはこの恩愛に報いたいものとかぐやは思いました。けれどもそれがそう容易《たやす》くはいかないらしいことも薄々は感じはじめている、この日頃でした。
6 うつそみの寿命に対するかぐやの考えについて。
年をとったりとらなかったりすること。これもまた、かぐやの地上にきてはじめて知ったことでした。かの地ではいったいどうなっていたのか。そういわれてもよく思い出せないのですが、それほど無自覚でいられたということは、霊たちにとってそんなことは全く起らなかったか、起ってもまるきり関心の外だったか、のどちらかだったのでしょう。
おかしなことでした。この世では、子供はただ大人になればよいというだけのものではなく、まだまだその先が控えていたのです。
肉体は伸び、そだつばかりではありませんでした。そのようにしてあるところまで行きつくと、今度は逆に年とともに老い、古びて、ついには土に埋められるのでした。
古くなったからといって、これはまた、あっさり脱ぎ捨ててほかの衣に更《か》えればよいというわけのものでもありませんでした。それが叶うのならば、人びとはもっと気軽に仮衣とおさらばしていたことでしょう。そうはいかないからこそ、この世の人びとは、着たきり雀のこの仮衣に執着し、少しでも長保ちさせようとつとめ、それを失う日を戦々兢々《せんせんきようきよう》と待ち暮しているのでした。
はじめのうちはやたら大人の落着きばかりが目について羨ましく、早々と一足とびに大人の世界へ仲間入りしてみたかぐやでしたが、いざこうしてしばらくそこに腰をすえてみると、いままで思いもかけなかったような多くの問題がさまざまな方角から次々におしよせてくることに、いやでも気がつかないわけにはゆきませんでした。
老いの問題ばかりではありませんでした。年老いて、ほろびるまえに、この肉の身はもうひとつ、また別のさだめを負うて生まれているのでした。
この世では、次代にいのちを伝えるために、ふつう大人になると、男は女と、女は男と婚合《まぐわ》って子供を設けるのでした。子供は女の股から生まれました。まぐわう相手は男と女ならばだれでもよいというわけでもなさそうでした。また、まぐわっても子供のできないこともあり、竹取の夫婦がそのように見受けられました。
それもこれもわが身には関わりのないこと、と初めのうちこそかぐやも思ってはいました。少くともこの身は生まれからして異っていたからです。けれどもそうとばかりもいっていられないことに気づくまでに長くはかかりませんでした。このような美しい娘を世間がほうっておくはずのないことを、いやでも悟らないわけにはいかなかったのです。
かぐやは不安でした。かぎりなく不安でした。翁と媼はもちろんかぐやの味方として、娘を門外不出にかくまってくれていました。このままいつまでも三人でひっそり過していたい。それは三者共通のねがいでした。とはいえ、このところのわが家の垣の外の賑《にぎわ》いはいったい何を物語るのでしょう。
ある日、翁と媼がいつになくあらたまった様子で娘の部屋を訪れ、ひとつ折入って話があるのだが、と口ごもりながら切り出したとき、うなずいて目をあげたかぐやは、そのとたんに自分が譲らないわけにいかないことを悟りました。媼の背はいつのまにかすっかり丸くなり、気づかぬうちに翁の髪もめっきり白さをましているのでした。
其ノ四
あなたははたしてこのノートをどのように受けとっていてくださるのでしょうか。わたくしにとって唯一の心ゆるせる聴き手である、あなたは。
巷間の説話ではこのあと長々と、かぐやと求婚者たちとの交渉がくりひろげられることになっています。その一半《いつぱん》はおそらく事実であり、また一半は後世の潤色でもありましょう。そのくだくだしい詳細はあらためてここにくり返すにも及びますまい。流布本のその条りをひもといてくださればそれですむこと、とこちらは勝手にきめてかかっているのですが、さて、それでよいのかどうか?
たずねても、もちろんお答えは返ってきはしません。わたくしの声はむなしく虚空に谺《こだま》するばかり。わたくしは仕方なくふたたび筆をとりあげます。
なぜそのように答えをいそぐのか。他者の意見でどうにでもなってしまうような物語など、はじめから聞く気はなかった、とつっぱねられるのが落ちかもしれません。それでよいのでしょう。そうです、もしかしてそのお叱りをこそ、わたくしはひそかに心待ちにしていたのかもしれません。
わたくしの耳にひびくその声は、あなたの男らしい、まぎれもない異性の声です。その異性の立場からする叱咤激励を、語り手が無意識のうちに望んでいた、ということは、考えようによってはもしかしてこのノートがいよいよ序論の域を脱し、核心にさしかかってきたということの証しかもしれません。
核心? そうです、話自体が異性の介在を要求しはじめているのです。いままでお話してきたところは、たとえ竹から生まれた変化のひとが男の子であったとしても、おなじように目に映じたにちがいないこの世のありさまであり、おなじように感じたであろうその心の動きでした。けれどもここからは話がちがってきます。かぐやはすでに成人をとげたのです。子供時代は終りました。単に人の子としてばかりではありません。以後は女として[#「女として」に傍点]この世をわたってゆかなくてはならないという、二重にむずかしいところへ、かぐやはさしかかったのです。
7 女人としてあることのかぐやの悲しみについて。
この世に女としてあることの切なさを、男であるあなたはどこまでわかっていてくださるでしょうか。このようなことをいいだせば、いや、こちらにも男としてあることの悲しみが当然あるはずだ、とのお答えがはね返ってくることでしょう。それはそれでかまいません。肉体の牢獄とは使い古された言い回しですが、人間だれしもその桎梏《しつこく》に甘んじて生きてゆかねばならぬという点では、本質的におなじ悲しみを背負わされているのでしょうから。
とはいえ、この世に、とりわけこの時代のこの国に女人としてあることの制約を、あなたは一度でも考えてみたことがおありですか。この時代、女はみずからの運命を積極的に紡ぎ出してゆく自由をほとんど持ち合せませんでした。かぐやの属する中流上層階級の子女がことにそうでした。彼女らは男たちによって取沙汰される単なるモノにすぎず、結婚も離別もすべては受身のしきたりでした。
自由にのびのびと虚空に羽搏《はばた》いていた魂が生ま身の肉の軛《くびき》につなぎとめられる。さらでだにつらいこの虜囚《りよしゆう》の身に、女であることはもうひとつ別の足枷《あしかせ》をくくりつけられたも同じでした。
竹取の翁と媼にしても、この子がもし男ならば、自分らのなきあとを気遣う必要もなく、安んじてほうっておくか、またはその変化のひととしての行動を純粋な興味の目で追うだけでこと足れりとしたでしょう。しかしこの子は女でした。生まれは如何にせよ、目のまえにいるかぐやはいまや娘ざかりの、かがやくばかりに美しい、しかもかよわいひとりの女人でした。そして女は強力な庇護の手をもたないかぎり、この世ではまず生きていけないものなのでした。夫婦が目に見えるものにしか信を置かなかったからといって、どうして二人を責めることができましょう。美しいものがこわれやすいことを老人たちは知っていました。ここはやはり自分たちに代る保護者を、いまのうちにぜひとも見つけておいてやらなくてはなりませんでした。
それにしても滑稽なはなしでした。そもそもかぐや自身、この結婚ということについては何の欲求をも感じないどころか、最初の授乳の記憶からしても迷惑千万の営みでしかないことは、はじめからわかりきっているようなものだったのです。
考えてみればかぐやにとって欲望とはつねに魂の、こころの次元にのみ関わるものでした。いわゆる生理的欲求というものを、この娘はついぞおぼえたこともなく、それがともかくもまともに人並みの暮しをしてこられたのは、ただただ与えられた環境の習俗に見様見真似《みようみまね》で従っていたからにすぎません。
かぐやは迷いました。もちろんこの愚かしい申し出をふりきって、親をも家をも否み、こころの清々しさをわがままに保ちつづけることも、そのつもりになればゆるされたかもしれません。事実、そのような瘋狂《ふうきよう》の道をあゆむ娘もまれには見かけられました。
そのようにして我を通すことをかぐやがなぜ択ばなかったか。ひとつには、それはみずからの変化の性に対する懼《おそ》れからであったとも申されましょう。そうです、この娘にはいまひとつ、生まれからして暗黙の軛がすでにして課せられていたのです。美しさも異常ならば成長のすみやかさも異常であり、あらゆる点で尋常を出外れていることを自他共にみとめざるをえないわが身でした。同類をもたぬことの不安を、この子は幼時から知りつくしてもいました。ただのお仁《ひと》ではないということばに、他人はどのようなニュアンスをこめていたにせよ、いわれる本人にとってはむしろひけ目でした。とすればこの上変り者扱いされるよりはいっそ平凡につくことの方をかぐやが願ったとしても、すこしもふしぎではありません。
まことにむずかしいところでした。この身が仮りの宿りでしかないことは、かぐやも重々自覚してはいましたが、かといっていつ釈放されるというあてどもなく、未来はまったく闇にとざされていたのです。生が異常であったとすれば、死とてこの身には尋常に訪れくれるかどうかもわかりませんでした。ただこうして流謫《るたく》の地に当面おかれているかぎり、与えられたこの世のもろもろの条件のなかで少しでも聡明に生きのびるすべを、かぐやは自分なりに手さぐりで探しあてていかなければならなかったのです。
8 かぐやの途方もないやさしさについて。
とはいえ、かぐやが竹取の夫婦のすすめに応じ、人並みにまぐわいをなすことをつい肯《がえ》んじてしまったのは、じつはそれほどの深い思慮があってのことではなく、さきにも申し上げたようにただただみずからのやさしさに押し流されてしまったのだといった方があたっています。そうです、かぐやは並々ならずやさしかったのです。身内ならばともかく、他人であり恩人である翁と媼との真情に、やさしさゆえについつい応えずにはいられなくなったのです。つづく十数年間、かぐやはこのやさしさの後始末にどれだけ苦しんだかはわかりません。かぐやのために幾人かのひとが生命をおとし、多くの者が財を失いました。不可能を承知で難題にとりくむ愚かなやつらよ、とわらってすませることもできました。しかしかぐやにはそれができませんでした。かぐやが女であることの切なさをいちばん身にしみて思い知ったのも、この己れのとめどもないやさしさがかえって他人を不幸に陥れるばあいもあるという一事でした。
それにしてもやさしさ。これは男女の魂に共通の問題なのでしょうか。それともたまたまかぐやに貸し与えられた女体にひそむ属性でしょうか。
性別とはそもそも魂の次元にまで及ぶものなのでしょうか。それともあくまでもうわべの形式上のことで、本質とは何ら関りのないものなのでしょうか。
考えようによっては、魂とはもともと両性具有的なもので、あたかも水の器に従うように、たまたま入りこんだ現身の構造に即し、男女いずれにも変幻可能なのだという解釈もなりたちます。
いずれにしてもかぐやの無節操なまでのやさしさに、わたくしは首をかしげずにはいられません。かぐやははたして、女=だから=やさしかった、のか。
いったいわたしはもともと性というものをもちあわせているのか。これはかぐやを終始とらえて離さなかったひとつの疑問でした。女の魂だからこそ、仮りの栖《すみか》にも女体がえらばれたのか。それとも?
古代アレクサンドリアの哲学者たちは、天使の性について果てしもなく議論を重ねたときいています。かぐやはそれとは知らずおなじ問いをみずからに向けて発していたのです。なぜならこの流謫の地で、こうして年月を重ねるにつれ、かぐやの魂とからだとはいつしかふしぎに狎《な》れ親しみ、時としてはどこまでが本体でどこまでが仮り衣なのか、ふと見当のつかなくなるようなこともでてきていたからでした。
其ノ五
ひとりの世にもまれな美しい女をめあてに、われこそは得てしがな見てしがなとつめかけていっかな去りやらぬ求婚者たちのむれ。それに対して心ならずもいったんは肯《うべな》うとみせながら、懸命の知恵をしぼって引延しをたくらむ女―― 考えてみればこの構図は、何もかぐやひとりのためにのみ用意されていたわけではありません。
わたくしの脳裏に一幅の情景がおもむろにうかびあがってきます。ところはギリシア、かぐやよりはさらに二千年をさかのぼる昔、イタケーの領主の邸の奥で、ものみな寝静まる夜更け、仄暗《ほのぐら》い松明をたよりに機に向い、織りさしの反物をしきりにほどいている女人のすがたです。
その日に織りあげた分はその夜のうちにほどかれました。くる夜もくる夜もおなじことが繰返されました。
なぜほどく? そう、織りつづけるために。永遠に織り終えぬために。
終えてはなりませんでした。終えたらさいご、ペネロペイアはこの家を出て、待ちあぐねる求婚者共のうちのだれかに嫁がねばならないのでした。
『オデュッセイア』のその条《くだ》りを読むたびにはっとさせられるのは、たとえばテレマコスの次のようなせりふです。
「神々はさらにほかの苦労をわたくしにつくり出された。ドゥーリキオンにサメーに、それから森深いザキュントスの島々や、岩のイタケーの殿ばらすべてが、のこらずわが母に求婚し、わが家を荒らしている。母はこのいまわしい求婚を拒みもせず、さりとて結着をつけることもできず、このまま行けばかれらはわたくしの家を食いつぶし、いまにわたくしまでどうにかしてしまうだろう」
また――
「アンティノオスよ、父はよその地で生きているのか死んでいるのかもわからぬのに、わたくしを生み、育ててくれた女《ひと》を無理矢理に家から追い出すことはできない。その上、わたくしの方から母を送り帰せば、イカリオスに莫大なものを返さなくてはならず、これは容易なことではない。母上の父からひどい目にあう上に、家から出がけに母上はいとわしい報復の女神を呼び下すであろうから、神はそれに輪をかけた禍いを下し給うであろう」
テレマコスは思慮深く%嘯ヲた―― ホメロスの形容詞はいつもきまっています。けれどもこれが真に思慮深い若者のはたしていうことでしょうか。
ペネロペイアが復讐の女神をよびだす? まさか。ここにも、ひとつ、何千年の誤解にうずもれてきた女人の悲しみを見出してしまうのは、あながちわたくしひとりの思いすごしではありますまい。
テレマコスよ、母上を見損なってはなりますまい。たとえあそこであれっきりオデュッセウスが戻らず、事態の収拾のためにあなたが母上を実家へ帰らせたとしても、報復ということだけはまちがっても母上の胸に兆すはずがないことを、聡明なあなたがどうしてわかってはあげられませんでしたか。
ペネロペイアはただただ悲しんでいただけです。万一テレマコスに対して報復などということが企てられたにしても、それはたんに娘を不当に軽んじられた外祖父イカリオスの勝手になせるわざであり、すでにして男と男、家と家とのあいだのできごとでした。そのあわいにあって、ペネロペイアは心細さになすところを知らず、出まかせにたよっていたまでです。
なぜって、自分にとって唯一の存在理由であった、その夫が失われたのでした。とすれば、己れは無でした。これでもし、目のまえにむらがる求婚者共のうちに、オデュッセウスに優るとも劣らぬ光で王妃の心を明るませてくれる男がひとりでも見出せたならば、事態はまるで異なってきていたことでしょう。残念ながらそうはゆきませんでした。ペネロペイアは暗がりにとりのこされたまま、空ろな望みをかきたてるしかありませんでした。
貞節ということは、そのようにしてこそ成立するものなのでしょう。ペネロペイアは日夜、そのひとのことを思いました。そのひとと共にあった日々のわが身の充実を思いました。わすれるべくもない確かなすがたかたちを具《そな》えて、そのひとはたえず王妃のまなかいにありました。
9 かぐやとペネロペイアとの奇妙な類縁について。
それでも、オデュッセウスほどの男を前以て与えられていたペネロペイアは、かぐやにくらべればまだしも救われていたことでしょう。
突拍子もない対比とお思いでしょうが、二人はしかし、それぞれに衆人環視のさなかにあって、世の男たちを苛立たせていた点ではおなじことです。
ひたぶるにひとりのひとを恋う人妻と、だれを待つのかさえもさだかならぬ未通女と。彼女らはいずれもせめて己れの心に納得できる相手、というより納得そのものを見出すことをのぞんでいたにすぎません。こんなささやかなねがいをつらぬくだけでも、女の身には過ぎたことだったのでしょうか。
きつねはいつも手の届かぬ葡萄にけちをつけるものです。ことわりかたによっては小野小町のように不具の評判で片付けられてしまった女さえいます。高慢。狡智。冷酷。優柔不断。あきらめきれぬ男たちの口からは、くやしまぎれのありとあらゆる中傷や誣言《ふげん》がこぼれ出ましたが、それらはちかって当の娘たちの与り知らぬところでした。それどころか彼女らは彼女らなりにできるだけ周囲を傷つけまいと、せいいっぱい涙ぐましい才覚をかたむけてもいたのです。その得心にいたるまでの道のりはたしかに長すぎたかもしれません。けれどもそのために焦《じ》れたり怒ったりするのはまさに男たちの身勝手であり、被害者はむしろ天成の美貌という負目を課せられた彼女ら自身でした。
10 かぐやのはじめて味わったふしぎな心の動きについて。
それはもう、長年にわたるこうした求婚者たちとの交渉にかぐやが真実くたびれはて、いつまでとも知れぬこの肉の軛の煩わしさに心まで暗くめいりがちな日々をすごしていた頃でした。
考えてみればかぐやの地上にあった二十年近い歳月のうち、結婚の問題にまるきり係りなくいられたのは、はじめのたった三月ほどにすぎません。成人をとげたとたんに受難がはじまりました。どのような故あっての追放か、理由はともかく、結果からいえばかぐやはこの問題を苦しむためにこそ人間界に堕されたようなものだったのです。
そうです。いかなる神霊の配慮によるものか、かぐやはほとんどむきだしの女そのものとしてこの世に存在すべく定めづけられていたのです。竹からとりだされたときのすがたがそうであったように、この変化のひとは、漠とした記憶のほかは前世から何ひとつ携えてきてはいませんでした。成長の異常なすみやかさはべつとして、たとえばとくべつ管絃の才に秀でるとか、飛翔の術をこころえるとかいった、世の娘たち一般から彼女をはっきり区別するような才能もとりたてて授けられていたわけではありません。かぐやにあって際立っていたものは、ただただ仮衣であるはずの容姿の美しさに尽きました。
また、これでもしかぐやの身柄を預ったものが竹取の家でなく、この娘が兄とも師とも仰げるような碩学か名僧知識が日夜身近にあって、そのような異性との心打ちとけた対話により、彼女のおかれた境遇や宇宙の森羅万象についての深遠な哲学的思索にでも導かれていたならば、それなりにまた別の慰めを見出すこともできていたでしょう。竹取の老夫婦には残念ながらそこまでの器量や蘊蓄《うんちく》はのぞむべくもありませんでした。かぐやはですから孤独でした。繰返し申し上げるように、何の見通しもなく、だれの道連れもなしにこのお先まっくらな荊《いばら》の道を手さぐりで歩きつづけるしかなかったのです。
最近はその上にもうひとつ、宮仕えの話ももちあがってきていました。これはもう、娘を差出せば父親の官爵も授けられるといったいかにも理不尽きわまる仕組で、竹取の翁ですらこの話を娘に持出すにあたっては、さもさも言いにくそうにしていたものです。位官よりはかぐやの気持を大事にしてくれる翁であることがせめてもの救いでした。それを楯に固辞してはみたものの、相手は他のひととちがい、いやしくも一国を統べる帝王であるとのことです。このまま拒みつづければ一家の運命はどうなるかもしれませんでした。
その日もかぐやはこうしたもろもろの思いに心囚われ、ぼんやり縁先に立ちいでたのでした。いぶせき胸のうちとはうらはらに、あかるい静かな秋の午後でした。庭先の築地のわきに植込まれた萩の花がおりから美しく咲きこぼれていました。あそこまで行ってみればすこしは気がまぎれるかもしれません。
かぐやはもう何年ということ、ほとんど外出さえしていませんでした。垣の外には相変らず物好きな男共が、折あらば一目でもとたえずうろついているからでした。このせまい庭のうちだけがかぐやの歩きまわれる天地でした。
庭に下りたったかぐやは、十歩ほど行きかけたところでいきなり袂《たもと》をとらえられ、あやうくころびかけたところを背後から抱きすくめられました。
あっというまの出来事でした。目のまえにひとの顔がせまっていました。他人の顔、それも男の顔をこれほど間近に見たのははじめてでした。かぐやは思わず片手で顔を蔽《おお》いましたが、そのときはじめて自分の胸がはげしく波打っているのに気がついたのです。不意を打たれた狼狽といってしまえばそれまでかもしれません。けれどもそれだけではありませんでした。それ以上の何か、いままでついぞ知らぬふしぎな動揺がかぐやの裡《うち》に起っていました。
考えてみれば、かぐやの身には人の手がふれたこともこの年月たえてなく、あのいまわしい授乳の儀式以来、ほとんどこれがはじめてだったかもしれません。さながら光暈《こううん》のまつわるように、この娘のまわりにはあたかも厚さ一尺ほどの透明な不可視の保護カプセルがたえずはりつめていて、それより内側には何人もあえて近寄らずに打過ぎていたのです。その不文の閾《しきい》をいとも易々とのりこえて、この肌に手をかけた男は、はたして何者か。
お放し下さい。かぐやはもがきました。
放すまいぞ。男はかすかにわらったようでした。
しかたありませんでした。是非ともいったんこの手をのがれ、いまのこの自分の心のふしぎな動きをたしかめなくてはなりませんでした。それでは。かぐやは目をつむりました。とたんにかぐやのすがたは消えうせました。男は空をつかみ、茫然として立ちつくしていました。
其ノ六
帝のご名代、内侍|中臣房子《なかとみのふさこ》とかぐやとの対話。
「そろそろ御殿に戻らねばならぬ頃合でございますが、帝には何と申しあげましょうか」
「このところ気分すぐれず、ふせりがちでございますので、いずれまた本復の折にでもと」
「それでは、文のお返しもなさらない?」
「わがままをおゆるし下さいませ」
「以前はそのようなことございませんでしたのに。何かとくべつのわけでもおありなのでは。わたくしはもとよりただのお使いにすぎず、おことばをそのままお伝えするしかありませんけれど、それにしてもお待ちかねの方のご落胆ぶりがいまから目に見えるようでございます」
「………」
「つらいのは帝ご自身ばかりではありません。おそばにお仕えするわたくしどもとておなじことです。内裏全体が帝のご気分ひとつで明るくもなれば暗くもなるのです。このところの垂れこめたような毎日をご想像下さい。その鍵を握っておいでなのは、かぐやさま、あなただけです。まわりがどうしてさしあげることもできません」
「…………」
「せめて一頃のように、御歌の一首なりとお土産に持ち帰れますならば、お使いの甲斐もあろうというものでございますが、それではいたしかたありません。お庭の連翹《れんぎよう》の一枝でもいただいて帰りましょう。せっかくここへ伺ったことの証しにもなりましょうし、あなたのお目のそそがれたものをひとしくごらんになるのだと思えば、すこしはあの方のお気もまぎれるかもしれません」
「でしたら、いいこと、わたくしに手折らせて下さいまし。だまってお渡しいただくだけでけっこうでございます。むなしい夢をみるまに生い茂らせてしまううつろな言の葉よりは、物静かな草木の方が千層倍も心あるものかもしれません」
「さあ、そこはどちらが優っておりますことか。いずれにしても、このところの何かに囚われたようなあなたのご様子。中臣、妙に気にかかってなりません。
差し出がましいことをおゆるし下さい。いままでつとめて私情を耐《こら》えてまいりましたが、あまりの歯痒さにそろそろ居ても立ってもいられなくなりました。
かぐやさま、あなたはこのさきどうなさるおつもりなのでしょう。帝のためばかりではございません。ほかならぬあなたご自身のためにも、この中臣、お二人がこのまま結ばれずに終ることが真実惜しまれてならないのですのよ」
「わたくしのために?」
「この身もそれほど徒《いたず》らに齢を重ねてきたわけではございません。長年この職にあるうちには、ずいぶんいろいろなお宅へも伺候いたし、のぞいてはならぬ御簾《みす》のうちものぞかせていただきました。代々おなじ職をつとめた同族の女たちの話もきかされております。それがこの二年はもっぱらこちらへばかり、こうして事あるごとにお使いに立ち、ご名代どころか帝の目代り耳代りとして親しくお会いしますうちに、わたくしとしたことが何かこうあなたに対し、親身の妹の上でも気遣うようなしみじみとした思いが根づいてしまったのですよ。
大それたことをとおっしゃるかもしれませんけれど、まあ、ご両親よりは少しは世の中を見てきた者のいうこととしてお耳をお藉《か》しください」
「どうぞ、ぜひおっしゃって下さいませ。わたくし自身、真実どうしていいかわからないのですもの」
「そう伺ってすこしは安心いたしました。やはりそうだったのですね。
かぐやさま、あなたは何かを惧《おそ》れていらっしゃる。なぜあの方にいま一度会おうとはなさらないのです。少くともいまのお苦しみからはそれで救われるはずです。もしくは何らかのべつの手がかりが見出されるはずです。なぜならそれは恋の苦しみなのですもの。
帝とあなたとは烈しく恋しあっておいでです。
いわれるようにあなたは変化の性であられるらしい。そのただならぬ美しさがすでにしてその証しなのでしょう。けれどもそれ以上に、現身のあなたは紛れもない女性でいらっしゃる。その美しいお顔を曇らせふさぎこんでいらっしゃるさまは、どうみても恋の苦しみに苛《さいな》まれる女人のいたましいそれと少しも異なりません。
なぜそのおなじ恋を頒ちあうべき方とひとつに結ばれ、苦しみを昇華させてしまおうとはなさらないのでしょう。それを妨げているものは察するところただあなたのお胸のうちにあるのみ。肉の負目に繋がれた魂ならまだしも、心の牢獄にとらわれた女人。それがあなたです。
そんなにまでして何にこだわっていらっしゃるのか。恐れることは何もございません。あなたはおそらく自らを変化の者と見做すことに狎れ、この地上での肉の重みをあまりにも軽んずる癖がついてしまったのでしょう。でなければいまのあなたが、わたくしの目にこんなに痛々しく映るわけがありません。
それに比べれば帝ははるかに真当《まつとう》です。一世一代の恋を真当に生き、真当に苦しんでいらっしゃいます。このばあい恋の行手を堰《せ》きとめているものはたしかに他者なのですから。
二とせまえのあの午後、強引にしのびこまれたこのお庭で、お二人のあいだにどのようなことがおありだったのか。詳しくは存じ上げません。ともかくあの日を境に、帝はすっかり変ってしまわれました。それまでは帝も半信半疑、半ばはお戯れのおつもりで、それほどの美女に自分も悩殺されてみたいものだとばかり、あのような思い切った挙にも気安く出られたのでした。
きくところによりますと、あなたは瞬時にしてかき失せられたとか。それにしても罪作りなことをして下さったものです。消えるなら消えるで、いっそあの方のお目にふれるまえにこの世からきれいさっぱり消えうせていて下さればよかったのでした。帝のおどろきをも察してさしあげて下さいまし。この世ならぬ美しいものをいったんはしかと見届け、わが手にとらえながら、一瞬のうちにそれが跡かたもなく失われてゆくさまを見る。しかもその場に居合せたものは己れただひとり。そのような体験は夢物語の中にこそあれ、現実にはそうめったに起ってよいわけがありません。これをだれに信ぜよと申せましょう。そのような目にあわされて、狂わずにいられることの方がいっそふしぎです。
あの日から地上のすべての女はかすんでしまいました。お慰み、お戯れに夜のお相手をお召しになることもいつしか絶えてしまいました。この二年、帝はただひたすら斎宮のようにあの瞬時の美の面影だけを守りつづけていらっしゃいます。あのような地位にあられる方として、これは並大抵のことではございませぬ。
もうひとつ、さらにいけないことには、あなたはそのまま消えうせてしまうかと思いのほか、たちまち舞い戻って、何事もなかったようにしてここにいらっしゃるのです。帝はそれにも耐えていて下さるのですよ。あなたの使われる変化のわざがどのようなものかはぞんじませんが、ある意味では帝はただひとり、ゆるされて、あなたの秘密、あなたの不可思議をすでに頒《わ》け有《も》っていて下さるもおなじではありませんか。この縁を無視することはできますまい。
思わず帝のことばかり申し上げました。それでもかぐやさま、この日頃あなたのお心のなかにそうした帝の影が些《いささ》かでもみとめられないのであれば、この中臣、はじめからこのようなことを口にする気にもなれませんでしたろう。
いかがでございましょう。無理にとは申し上げません。いつかお気の向いたときにでも一度、ためしにご入内《じゆだい》なさってみては。ただお会いになるだけでよいのです。このたびは帝も性急に手を出されるようなふるまいはなさいませんでしょう。お二人はすでにしてお心を通わせあっていらっしゃる。その意味ではお友だちなのですから。
そうです、少くともこの世、この国に女人としていましばらく長らえられるかぎり、あの方をおいてほかにあなたの同類は求められません。幸か不幸か、お二人はそれぞれに世のひとの常とは断然ちがう孤独の星のもとに生まれていらしたのです。お二人とも、おそらくは今後とも、同性のうちにまことの友人は見出されますまい。とすれば男女それぞれに、みずから望まずして位階の絶頂に生まれ落ちてしまわれた身のご不幸を、一刻も早く偕《とも》に分かちあわれることが、憂世をしのぐひとつの手だてではございませんか」
どうぞよくお考えおき下さいませ。言いのこして立ち去ってゆく内侍、中臣房子の後すがたを見送りながら、かぐやの裡には一種いいようもない悲しみが渦巻いていました。
半年もまえならば、こうしたことばがどれほどありがたく、力づよく身にしみてひびいたことでしょう。でももう、遅すぎました。このときすでにかぐやは自分の地上での日々にそろそろ限りをつけることを私かに覚悟してしまっていたのです。
それにしてもいまこの胸にこうしてこみあげる侘しさは何でしょう。あろうことか、かぐやは自分でも気づかぬうちに、この流謫の地での運命を知らず知らず愛してしまっているのかもしれませんでした。
其ノ七
さあ、これでもうノートをいつ閉じても思いのこすことはないか。わたくしはあわてていままでのところに目を走らせます。
大げさなとお思いかもしれません。それでもわたくしのかぐやはいつのまにか最後の段階にまできてしまっているのです。余命はもはやいくばくものこされてはいません。
かぐやの地上との訣別がどのようにしておこなわれたか。その模様をつまびらかに物語るのは、これまた伝説の作者の手に委ねてしまいましょう。満月|皎々《こうこう》たる夜半のひとりの美女の昇天。それに伴う集団憑依の実態。などといったさかしらの近代科学的脚色を、わたくし如きがいくら頑張ってまことしやかに付加えてみても、物語の祖なるひとの描きあげた妖しいパノラマの美しさにはとうてい及びますまい。
とすればわたくしの任はほぼ終ったようなものです。万一書き洩らしていることがあれば、いまのうちに大いそぎで拾っておかなくてはなりません。
補1
昇天、とつい記しましたけれど、他意はありません。召天、それとも帰天? 他界、入寂、逝去、永眠――いずれにしても生物学的にはおなじ、現実世界でのヒト科の個体としての生活の終焉を意味するものです。
そう、かぐやは死んだのでした。どぎついことを、とお思いかもしれませんけれど、現世もしくはこの地上での生存の終結が死でなくて何でしょう。
ただ、この娘の死にかたに少しでも特殊なところがあったとすれば、それがひとつの予定された行動であり、みずから択びとったひとつの結果であったということくらいなものです。
幽明境《ゆうめいさかい》を異《こと》にする彼方へ、みずから求め、宣言して立ち去ってゆく―― これをこの世のありきたりのことばで自殺と名づけてよいものかどうか。ともかく予告されたその夜をかぎりに、かぐやという女人は世上からきれいに消えうせたのでした。
補2
かぐやはなぜ死をのぞんだのか。
中臣内侍のわけ知りな進言を俟《ま》つまでもなく、かぐやは帝とのめぐりあいが、ひとつの決定的な邂逅にちがいないことを十分自覚していました。こころとからだとが渾然とひとつになって共々揺らぎだすたまゆら。そのようなたまゆらが不如意な人の子の身にも現実に起りうることを、かぐやはあの瞬時の抱擁によりはじめて教えられたのでした。喜びとも戦きともつかぬ、それはまさしくひとつの動揺そのものでした。
このあたりを多少とも理解するためには、時の帝がのちの光源氏とも並び称せられるほどのすぐれた美丈夫であったことを思い出しておいた方がよさそうです。
ふたりは互角でした。ピラミッドなどというものを当時の人びとがもちろん知るよしもありませんけれど、仮りにもしこの極東のせせこましい島国の社会の裡に、もろもろの既成概念によってかたちづくられた男女双方の幻のピラミッドを想定したとすれば、その二つの頂きの、たがいに頭上には天を仰ぎみるしかない孤高の石どうしがあるときふと見つけあって、おなじ寒々としたひかりに思わずくしゃみしたのでした。
まぢかに見たその男の顔は、いままでにかぐやのこの世で出会った顔のどれとも異っていました。にも拘らずこの顔にはどこかで見憶えがありました。限りないなつかしさとともにかぐやは思い出しました。そうです。この顔にはかぐやの出生以前、さきの世で共にあった人びとの面影をどこかで彷彿させるものがあったのです。
あのときとっさに身を消したくなったのも、宿世の縁《えにし》のささやきだったのでしょうか。いずれにせよ相手の素姓をあとから聞き知るにおよび、かぐやはこんどこそ救いのない深淵に身ぐるみ陥っていることをあらためて悟りました。
前世でのおのが同族とも見擬《みまが》われたそのひとは、すなわち時の帝ということでした。せせこましい保身の煩いとは一切縁のない、みじんの翳《かげ》りもささぬ、その面ざし。なるほど、とかぐやは思いました。滑稽なことにこの世にあっては、そのように優雅な相貌をおびること自体、すでにしてある特権のあかしに他ならなかったのです。序列の水準をたまたまぬきんでて競争の辛さから例外的に解放されたわずか一握りの人びとだけがこの贅を恣《ほしいまま》にしていました。その足下には幾百幾千万の下積みの人びとが忍従の日々を送っているのでした。
三年のあいだ、かぐやは迷いに迷いました。帝と文を通わせ、心を通わせながら、やはりこのひとと二人だけの喜びを喜びとすることにはどうしてもふみきれませんでした。はじめのうちは自分こそどこかで何か思いがけない錯覚に囚われているのではないかと繰返しいぶかしみもしたものです。けれども、いいえ、そんなはずはありませんでした。ここではやはり何かがまちがっているのでした。なぜならかぐやのかつてあったその地では、万人がさながらこの天子様のように――そう、天子とはよくぞいったものです――少くとも他を羨むということを知らず、恵まれ充ちたりて過していたのでした。
世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない―― 後世の詩人はそう書きつけました。ぜんたいが幸福な世界。それをかぐやはたしかに目のあたりに見てきていました。但しそこは文字通りこの世ならぬ境であり、こうして現実に人の子として肉の裡にとじこめられてあるかぎり二度と戻れぬであろうことは明らかでした。
死への思いはこうして徐々に目ざめていったもののようです。そしてある日。いかなる神霊の導きか、求婚者のひとりであったある若殿が世をはかなんで入水したという話をきいて、かぐやは卒然として思いあたったのでした。
なるほど、とかぐやは思いました。自分もいのちを絶ってしまえばよいのでした。こんな容易なことをいままでなぜ思いつかなかったのでしょう。生まれこそこの身は変化の性であり、只者ではない特質にもたしかに恵まれてはいました。けれどもいま、こうして憂世に女人としてのすがたかたちを具えているかぎり、煩悩は世の常の人びとと少しも異らず、とすれば成否はともかく、お迎えを俟たずに自分からこの身を投捨てることも不可能ではないはずでした。それもただ昔とった杵づかで一時的に身をかき消すのではなく、二度と再生できないようなかたちで、来世といわれる境にみずからすすんで赴く――
そうです。それでよいのですね。かぐやはわが心に自問自答しました。わたしはもうここで十分に苦しみました。この世に放逐されただけでも、それまでの罪を償うて余りあるものでしたのに、いまはもうこの肉の軛をわが手で外させていただいても、どなたもお咎めにはなりますまい。
そのとき、何かが応えてくれたような気がします。少くとも答えはノウではありませんでした。さればこそそれにつづく知恵も次々に面白いようにわいてきたのでしょう。あとはただ、長年こまやかな情愛を交してしまった人びとに、この別れを納得させられるだけの周到な口実を用意する必要があります。そのためには、それこそ変化の烙印を存分に利用しさえすればよいのでした。
めざすはいずこ、来世、それとも彼岸? ――厭離穢土《おんりえど》、欣求浄土《ごんぐじようど》という御教えをかぐやがどこまで知っていたかはわかりません。ともかく行先を月世界とし、実行にあたっては仲秋、冴えわたる望月の夜をえらぶこと。
こうした卓抜な着想の数々も、はたしてどれだけがかぐや自身のものであり、どれだけが神霊のささやきによるものか。ここまでくるとわたくしはもはや沈黙するしかありません。そうです、あとは物語にまかせるとさきほども申し上げましたっけ。正直いって爾余《じよ》のことはわたくしにはお手上げです。わたくしのかぐやはどこまでもこの地上にあるかぎりでのかぐやであり、彼女の前世について記し尽せなかったとおなじく、ここでもまた筆を控えるにこしたことはありません。
補3
わたくしのかぐや、と思わず繰返しました。これもまたいつのまにか筆先からこぼれでたことです。とはいえ偶然をあなどるわけにはまいりますまい。そして、読み返してみればこれはまさしくわたくし[#「わたくし」に傍点]のかぐやであり、それ以上のものでも以下のものでもなかったようです。
実在のかぐや。『竹取物語』のかぐや。『今昔物語』のかぐや。そして、わたくしのかぐや――
おかしなことです。かぐやについて一度は話させて、といつぞやあなたに申し上げたとき、わたくし自身はたしてこのようなことを予測していたでしょうか。かぐやのために、だれかが真実を語らなくてはならない。それだけはたしかであり、動かし難い要請とも思われたのでした。けれども、そのだれか[#「だれか」に傍点]が他ならぬこのわたくしであろうとは。まさか。このわたくしはあくまでも、悼《いた》ましいかぐやの鎮魂のために、やむなく語り手を買って出たつもりです。でもいまこうして考えてみると、もしかしてかぐやこそわたくしのために存在していてくれたのではないか――
やめましょう。それにしても、かぐやはいま、いったいどこにいるのでしょう。総じて現し世の束縛から解き放たれた女人の魂は、いったいどこへ飛び去ってゆくのでしょう。
いづくへか帰る日近きここちしてこの世のもののなつかしきころ
[#地付き]晶子
いづくへか?
そうです、肉体は土へ還れても、そこに仮の宿りを見出していた魂はふたたびどこかへ舞戻ってゆくしかないはずなのですが、しかし、女は三界に家無しということもある――
わたくしはふたたび夜空を見上げます。七夕の空はいつしかいちめんの薄雲に覆われ、今宵逢瀬をたのしむという恋星たちのありかさえも定かではありません。
それでも年に一度の逢瀬は約束されているしあわせな恋人たちのことは、まだ当面神話世界に安んじてまかせておきましょう。問題はかぐやです。かぐやの名ざした月はいまや近代科学の土足にふみにじられ、地所さえ売りに出されるという、このようなご時世に至ってもなお、アナタハカグヤヒメヲシンジマスカ?
信じるひとはかぐやのために手をたたいてやってください、とならばまっさきに拍手するにちがいないひとりの女が、かつて地上にあり、いつまたどこに現れるかもしれないおなじようなひとつの魂のために、今宵とりあえず……
[#地付き](ノートはここで途切れていました)
[#改ページ]
転の巻つづき
いまはむかし、この世の片隅の小さな島国で、うたたねからふと目ざめた兎のかたわらに、一冊のノートがぱらぱらと風にめくれていた――
兎は思わずひとつくしゃみして草の上におきなおり、それからあわただしく目をこすると、一気にそのノートを読んでしまった――
目はとりあえず鏡か水面のように表層の文字を逐一写しとり、脳髄はしかしいまだ眠りの呪縛とけやらぬまま、ひとつひとつの意味が毛細管をじわじわと伝っていって全ての回路がつながるにはまだだいぶ暇がかかる――、そんな状態で一気に読んでしまったことが、兎のためにはたしてよかったかどうか。でもまあ、一応よかったという方に軍配をあげておきましょう。かくされた深い意味はいずれゆっくり反芻《はんすう》するとして、ともかくもこれで字面だけは一通り脳裏に収まってしまったわけですから。とすれば今後、万一このノートをふたたび見失ったとしても、大丈夫、ひまつぶしの思索や考察の種がこれで少しはふえたというものです。
だいたい、いくら手近にあったとはいえ、だれの持物とも知れないノートを虚心に拾いあげるなんて、夢うつつでなくてはとてもできなかったことでしょう。もっと醒めて、冴えてしまってからだったならば、かならずや何らかのためらいが生じていたはずです。
眠気がふっきれるにつれて、事実、頭のなかではさまざまな想念がいっせいに動きだし、それにつれてひとつ、ぎぎ、ぎぎ、と、いままで気のつかなかった、何かの軋むような耳障りな物音もかすかにまじってきていました。何の予兆か。空耳ならば幸いですが。一見まえと変りない平和なこの島宇宙の書割《かきわり》の裏で、何か思いがけない大きな番狂わせでも生じ、時空のからくりがうまく作動してくれなくなったのだとすれば、少々厄介です。
兎はこめかみのあたりをかるく抑えるようにして、いったん瞼をとじ、またあけなおし、巣穴のまえの一冊にあらためて慎重な目をくれました。公けにされた刊行物というよりは、造りからしていかにも私的な感じのする、まさしく表書きどおりのノートそのものです。それがまたどうしてこんなところへふいに現われたのでしょう。単なる風の吹きまわしによって、たまたまここに舞い落ちたにすぎないのか。もしくはこの世のどこか他の片隅から遠い汐路をさすらってきて、偶然この岸に流れついたのか。ノートはひっそりと、あくまでもつつましく、まるで兎自身みたいに己れの来し方をいっさい語らず、いきなりこの島の生活に加わってしまったのです。
そうしてここにこうしている。気の毒な、馬鹿なわたし。そして、気の毒な、馬鹿なノート――
兎の頬がかすかな苦笑にゆがみました。それにしても誰の、何のためのノートか。「男であるあなた」という限定がある以上、ここで名指されている相手が兎自身でないことだけはたしかでした。とすればやはり妄《みだ》りにひもとくべきではなかったのかもしれません。それでも考えてみればはじめから、他人のために書かれたノートを神さまが兎のために読ませてやろうと企らんだということだって、ないとはいいきれません。このばあいはどうやらその気配が濃厚、というより、これは兎のこの島に住みならわすうちにおのずと身につけた知恵かもしれませんが、総じてわりきれぬこと、間尺に合わぬことはなべて神意によるものとあきらめて、深くはこだわらぬ方が結局は身のためだとするくせがいつしか具わってしまっていたのです。
もっとも、神さまの思し召しとして片付けるまえに、考えられる可能性はこのばあいまだありました。というのは、どうやら思い出をなくしてしまったらしい兎のことです。いまでこそ身に覚えがないけれど、もしかしてその、すでに無に帰してしまったらしい遠い遠い昔に、兎自身みずからの手でこうしたものを書き綴り、わざと蔵《しま》いこんでいたということだって――?
まさか。兎はあわてて首を横にふり、かすかに頬をあからめました。穿《うが》ちすぎといおうか、この推理はいくらなんでもあまりに自分を出し抜きすぎているようで、前々からの疑惑があらためてこみあげてきたのです。まてよ、どうも胡散臭い話だ、と兎は思いました。だいたいこの筆者は言いわけばかり徒《いたず》らに多く、当のかぐやなる女人についてもどこまで真相を伝えてくれているかも怪しいものです。いま、ようやくすっきりしてきた頭で厳正に判断するに、これでは報告なのか創作なのかそのけじめもさだかではなく、さいごの昇天のありさまだっていま一息、作家みずからの手ではっきりさせてくれるべきでしょう。言ってしまえばまことに狡猾な、逃げの多い作品で、いくらわすれていたにしても、こんなものが自分の筆になるものであってほしくはありません。
そうです、これはおそらく兎とは縁もゆかりもない話です。そもそも物など書いたかどうか、そんな近い過去さえ忘じ果てて神さまとのしあわせな団欒にのめりこんでいる兎と、前世の記憶ゆえにこの世の矛盾、悲惨に苦しめられつづけたというかぐやと。極端にかけ離れたかに見えるこの二つの生を、どこでどう重ね合せよというのでしょう。もうひとつ、兎はまちがっても美女とよばれるような、万人の憧れの対象とは程遠い――
と、そこまで考えると頭のなかでふたたびかすかに軋むような、時空の歯車に喰違いでもできたような、好ましからざる物音がしはじめたみたいでした。その音で兎はようやくわれに返り、思い出すべきことを思い出したといってよいかもしれません。
そう、もちろん読んで損はなかったけれど、いまのところこれはやはりわたし自身とは関わりなかったことにしておきたい。兎は思いました。それよりはいっそ、さっきの夢のお告げの方が、己れを明るませるにはよっぽど多くの手がかりを与えてくれそうだ、と。
兎も全くのんきで、うっかりしていたものです。じつはさきほど、目ざめたとたんにこのノートが視野にとびこんできたもので、思わぬ道草をくってしまいましたが、ほんとは眠っているまにもっと大切な、早急に考えなくてはならない問題をいくつか抱えこみ、醒めてもわすれませんようにと、半ばは祈るような心持ちで目ざめたのでした。これが解ければ己れの来《こ》し方《かた》行末《ゆくすえ》がいままでの何層倍も明るく照らしだされるにちがいない、ついぞ見たこともないふしぎな夢です。
夢の中で、兎はひとりの人妻として、夫とともにいました。
兎も夫も、まだ若く、貧しく、ただ一つ部屋にとじこもって暮していました。
そこはどこか、この世の外れとも只中《ただなか》ともつかぬ、海辺の町の川っぷちの、古びた一軒家でした。軒は破れ、羽目板は朽ちかかり、階段は傾いて、上り下りのたびに吊橋のようにぐらぐら揺れ動きました。
階段をのぼりつめたところのたった一間が兎たち二人の領分で、部屋そのものが歩いただけでもゆらゆら揺らいでいました。
川端ぎりぎりに建った家でした。石垣を洗うかすかな水の音がたえずきこえていました。
川縁には屋根より高いけやきの大木が立ちならび、その大枝に窓はいちめんに蔽《おお》われて、青葉どきには真昼でもうすぐらく、部屋そのものがさながら緑の波に漂う小舟でした。
その漂う部屋に、兎は人妻として夫とともにあり、こよなく倖せなおうちごっこに明け暮れていました。
おうちごっこ?
そうです、ごっこです。なぜってここに住む一組の男女は、もともと世間並みの家庭を築くつもりは毫もなかったのでしたから。すべては遊びでした。遊びでなくてはなりませんでした。世間の目をくらますためには、二人して、あるときは夫と妻を演じ、あるときは子と母を、あるときは兄と妹を演じていさえすればそれですみました。
それはまことに甘美な一場の夢でした。そうです、それはもしかしていまの兎と神さまとのこの島の暮らしにも匹敵するほどの、それはそれは甘美な、つかのまの夢でした。
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さらに転ずるの巻
その夢のひきあけに、兎はなぜか、われにもあらず声あげて泣きながら目をさましたように覚えています。まさしく号泣というにそれはあたっていました。これほどの大声が出せるなんて自分でも思いがけませんでした。
おかしなことです。なぜっていままでの生涯にただの一度だって、兎はそんなふうに泣いたことがなかったからです。その兎が、このときばかりは思いきり声をあげ、身をよじらんばかりにして泣いたのです。
かれ甚《いた》く泣けり。Bitterlich er weinetete. 鶏のなくまえに三たび主を否んでしまったというペテロも、つまりはそんなふうに泣いたわけでしょうか。受難曲でききおぼえたドイツ語の、発音からしてはげしいビッタァリッヒなる形容が、このばあいにいちばんふさわしかったかもしれません。
それにしても、ふしぎとは思いませんか。兎はそのとき、いったいどんな声をたてていたのでしょう。兎のなき声なんて、少くとも古今東西、物語にさえ記されてはいません。だいたい兎という獣には声帯だってどこまで具わっていることか。どなたかご存じでしたら教えていただきたいものです。世の大方の禽獣がそれぞれに自分なりの声をもち、白鳥ですら最後には一声あげて果てるとかいうのに、かわいそうに兎ばかりは生涯音をしのび、いかなる喜怒哀楽にあたっても終始無言で通さなくてはならないなんて、まことにもって不公平きわまる運命ですが。
だとすればそのとき、その夢のなかで、兎はすでにして兎ではなかったのです。人妻と申しあげましたが、おそらくその夢のなかの仮りの姿にすぎない人間になりきってしまっていたのです。でなければあんな大声が、このちっぽけな身から出せるわけがありませんでしたもの。
それにしても兎はなぜそんなに泣いたのでしょう。甘美なはずの夢のひきあけに、なぜそんなに泣かなければならなかったのか。よろこびからか悲しみからか。失われようとする夢を惜しむあまりの泪《なみだ》か。とすれば夢が夢にすぎないことをどうして悟ったのか。いずれにせよ夢のなかの人妻はあそこで泣いて泣いて、ついには泣き死にしてしまったといっても間違いではありません。
ふしぎなことはまだありました。そのようにして泣いているとき、兎はひとりではなかったのです。素裸の小さな兎が、そのようにして全身を打慄《うちふる》わせて泣きじゃくるのを終始じっと見守っていてくれた、だれかの目、だれかのまなざしがたしかにあったのでした。
だれかはわかりません。なぜってそこは漂う部屋でもなければ、その場には夫はたしか居合せなかったのですから。いきなりそんな場面につづくなんて、夢ってこれだから困ります。ともかくそこは、だれかの大きな胸の中だったような気がしてならないのです。それにしてもなぜまた兎は、漂う部屋をあとにして、そんなところへとびこむことになったのでしょう。
目だけではありません、声もいっしょだったように思います。
よくきたね。
そのひとことがどうやら番狂わせのはじまりでした。あれからすべてがおかしくなって行ったのです。
夢のひきあけ、急速にうすれてゆく意識のなかで、兎はいまひとこと、だれかの静かなしかし力づよい声がささやきかけるのをぼんやりときいていました。
もう、返さない。
たとえ十年がかりであろうと、最終的に
いっしょに暮らせる体制へもって行く。
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結の巻もしくは幽界にての対話
a 祖考
b 祖妣
その他 読者大勢
a どうだな、相変らず飽きもせず
あちらに目をこらしているようだが、
その後は何か変ったことでも起ったろうか。
b さあ、このところ曾孫のふえるけはいもなし、
とりたててお話するほどのこともありませんけれど、
ただ気になるのは例の二番目の孫娘です。
子孫繁栄にはついに協力してくれなかったあの子も
ここ十年ごしかかえこんでいたものに
ようやくかたをつける気になったのか、
さいごの仕上げに余念ないようすなのです。
a それはよかった。赤んぼにせよ、うたにせよ、
何物も生み出さぬよりは生んでくれた方がいい。
あちらにいる連中の、それが特権でもあるし、
われわれ死者に対する礼儀ともいえるのだからね。
それにしても、おかしなものだ、
医者としてのわたしの生前の立場からしても
子孫の増加のことがもっと気にかかりそうなものだが、
いまではどうも、その孫娘の著作とやらの方が
この気圏できくにふさわしいニュースのような気がする。
わたし自身、すでにしてあまりにもこの世離れした
軽みの境地にきてしまっているからだろうか。
赤んぼの方は、ざんねんながらこの腕にしかと抱いて
せっかくの生命の重みをたしかめることも
もはや叶わぬとわかっているからかもしれないが。
b わたくしもなぜかそんなふうに思われてなりません。
血は水よりも濃いといいますが、
いまではその血も通わぬ、ばかりか水よりも
捉えどころのない影にすぎないわたくしどもですものね。
それに、考えてみれば曾孫や玄孫は
これからも追々ふえるでしょうけれど、
彼らはもはや、わたくしどもにとっては縁なき衆生、
といってわるければ、お互いに見知らぬ族。
それよりは、あちらでの限りある日々に
おなじ空の下でともに息づき、肌身でふれあい
紛うかたない縁《えにし》をこの目でたしかめた
ごく少数のもののことだけが親しく思いやられる、
それがあたりまえではありますまいか。
a だがそれにしても、男のわたしとしては
どうもいまひとつ腑に落ちないことがあるのだ。
だいたいあの子はなぜ、詩文だなんぞといった
孤独な処女生殖の産物のみならず、
赤んぼも詩集もどちらでもござれ式の
したたかな生命力を発揮してくれなかったのかということだ。
ことばはなるほど、幽明のあわいを自在に往き交い、
それによって、われわれもあの子も
いながらにして相手の面影を彷彿させることもできる。
われわれはそれでよい、むしろその方がありがたい。
詩はたしかに世界に対する接吻でもあるのだからね。
しかし、接吻だけでは子供は生まれぬという事実を
あの子自身の問題としては、どう考えているのかな。
b 偶然の積み重ねでしょう、赤んぼなんて
ほっとけば月満ちてひり出されるもの、
けものの営みに、ことわりもことばも要りはしません。
あの子がついに身二つにならなかったことは、
むしろあなたがたにとってはまたとない幸い、
仕事に賭け詩に生きるしかない人々のよき友として、
いうところの殿方の根源的なさびしさや
身の毛もよだつ母たちの国への怖れをば、
少くともわたくしなんぞよりは身に徹して
わかってさしあげられるということですもの。
a それはそうだ。もちろんわたしだとて
ことばによって未来を拓こうとするあの子の努力を
みとめる点にかけては吝《やぶさ》かでない。しかし……
b それとも、まさかあなたは、あの子が空しさに徹して
さっさとあちらの世界に見切りをつけ、
わたくしどもの側へきてしまえばよいとでも?
a 口をつつしみなさい。そのような非生命思想だけは
あの子の魂にはけして書きこまれていないはずだ。
われわれも、あの子の親たちも、そのためにこそ
万全の注意を払ってきたのではなかったか。
b ごめんなさい、もちろん冗談のつもりですのに。
大丈夫、あの子のことです、そこはほとんど不死身です。
ひと一倍小さく弱く生まれついた子供、
瀕死の日々を辛くも切り抜けてきた魂には、
愛を信ずる力もそれだけつよいのです。
なぜって、それなしでは彼らは早晩死の手に
委ねられていたはずですもの。
無意識のうちから周囲の愛を、いやおうなしに
存分に食い、それだけをいのちの糧として生い立ってきた、
弱ければこそ強い、しあわせな子供たち――
あの子もおそらくそうした種族のひとりなのでしょう。
a それならいい。それならあなただって、
そのように始終あの子のことばかり気遣っては
浮かない顔であちらを眺めやる必要もあるまいに。
b お気づきでしたか。そうです、もう言うことなしと
ほっておけそうなところを、いまひとつ気がもめる、
というのは、あの子はどうやら
図にのって書いているうちに、収拾がつかなくなって、
さいごの仕上げのところで弱っている様子なのです。
これでようやく言いたいことも言いつくしたようですし、
そろそろドクター・ストップをかける汐時かもしれません。
a できればそうしてやりたいところだが、
ただ、いくら生前、医者を職業としたわたしだとて、
いまの声が、現世にあるあの子の耳に、
はたしてそのようなものとして届くかどうか。
b ともかく、ためしにやってみて下さっては。
このうえほうっておくのも考えものです。
夢を現実と、現実を夢と見違えるくせが
最近ではますます昂じてきたようで、先日はついに実生活を
夢のまた夢ということに置き換えてしまいました。
あの子もそう馬鹿ではございませんし、
醜い見苦しいざまを人前にさらすまいという
美意識だけは相変らず旺盛なようですのに、
そろそろ自分で気がついてやめてくれてもよかりそうなものです。
a それにしても、そんなことをいまさらあなたが心配するなんて、
おかしなことだね。あの子はもともと、虚構の分野にしか
己れを生かすすべはないと観念して、
語り手ひとすじに徹する道をえらんだのだろう。
とすれば夢と現実との転換は、自覚的に、
醒めた理性の統率のもとにおこなわれているはずだが。
b そのくらいはわたくしももちろん承知しています。
ただその計算のしかたが問題なのです。
どういう思惑からでしょう。あの子はせっかく
現実をひっくり返して虚構の物語世界を築き上げておきながら、
生来の天邪鬼からか、それを、またしても
裏返しにひっくり返してみせずにはいられないのですよ。
おかげで一見何事もなかったかのような秩序が回復し、
ほうっておけば、読者にはそれがそのまま
生まの現実そのものとも受取られかねません。
ひとつの実《プラス》がそもそものはじめからのまっとうな実か、
それとも虚《マイナス》と虚をかけあわせた上で生まれた実か、
そこを看破れるほど、世間は読者として成熟していないのですもの。
a さあ、そこまで気を回す必要はないんではないかな。
物語と現実との関係は、たとえば貨幣の裏表のように、
二度裏返せばふたたび表へもどるといったものではあるまい。
変奏曲からさらに変奏曲をつくれば、
もとの主題とはおよそ似ても似つかぬものになるよ。
わたしの心配しているのはもっとべつのことだ。
あの子はやはりどこかでまちがっているような気がしてならない。
もしも真に己れの魂の浄化と救済を希うのなら、
作者はもっと率直に苦しみをぶちまけるべきだったのだ。
架空の庭のおうちごっこ、などと
気の利いたふうなことを口走るまえに、
剔抉《てつけつ》すべき病根がまだまだあったはずだ。
b そうです、揺らぐ階段をひとたびおりれば、その下には
昔ながらの家父長制が胡座をかいていたことも、
にも拘らず階上での理想を全うするために
あの子が通わなければならなかった手術台の数も、
それら一切を胸中に畳みこんで
晴れやかにふるまいつづけた日々の恍惚と不安も、
それがまた、いつ、どうして破綻へと導かれたかということも、
ここには何ひとつ、具体的には語られませんでした。
ほかでもない、作者自身がそれをのぞまなかったからです。
a それはそれで見上げた志とも受取れるが。
b というより、時です。むりもありません、
あれからもう一昔も二昔もたっているのですものね。
a おそらくはすべてを癒す時の手が
もろもろの想念や哀歓をひっくるめ、
あの子の好きな美しい遠景《デイスタンス》にとけこませつつあるのだろう。
とすれば、まことに以て瞑すべしということか。
b なるほど、そうも考えられますね。
とはいえ、ほんとうの深傷というものは
そんなことで簡単にごまかされはしません。
あの子もすでに人生の半ばをすぎました。
これから辿る下り坂の旅路では、
いつ、どこで、どう転んで、ひょんなはずみから
古傷が血をふきださないともかぎりません。
あの子はすでにそうした先人の例を
まのあたりにいくつとなく見聞きした上で、
あのような変則なカタルシスのかたちを編みだしたのです。
a あなたのいうことはだいぶ混乱しているようだね。
しかし、このまま続けさせたばあいはどうなる。
あの子の倒錯にますます拍車をかけるか――
b ――もしくは劇中劇、中の劇、中の劇と
はてしない自己増殖を繰返すばかりかもしれませんし。
a いずれにしてもあの子の口をつぐませ、
物語を終らせるに如くはないということで、
われわれの結論はどうやら一致しているようだな。
では、どのようにして結末をつけさせようか。
b たとえば、こんなふうにでも語らせてみては。
(作者の声音を藉りて物語りはじめる)
いまはむかし、この世の片隅の小さな島国で、ある日にわかに大爆発がおこりました。いかなる神霊の配慮によるものか、もしくは時ならぬ地殻の変動によるものか。轟然と噴き上げたマグマは、折から夢占いにふけっていた小さな兎の体を、目のまえのノートもろとも一瞬にして小さな石ころほどの燃えがらに変えたばかりか、あたりの海を島ぐるみぼこぼこ沸きたたせ、夜空をあかあかと染め上げたあげく、茫洋たる大海原にすべてをあとかたもなく没し去ってしまいました。兎の生涯はもちろん、スミの国の歴史はこれで終りです。わたくしの物語もこれを以て打切らせていただきます。
a まあ、そんなところだろうね
いまひとつ、蛇足をつけ加えるとすれば――
(おなじく作者の声色をまねて物語りつづける)
神さまのその後については何もわかっていません。いまでもそのあたりの気圏を無辺際《むへんざい》に漂っておいでなのか、それともひょっとして知らぬまにあなたの小宇宙にでも紛れこんでおられるか。もともと見えないこと、測り知れないことが神さまの身上だとすれば、この突然の大爆発にしてからが、それこそ神さまの御意《みこころ》から出たのかもしれないのです。以上。
(下手からがやがやと立上ってくる声あり)
読者1 ま、まって下さい。何ですって。これで打切りだなんて、いくらなんでもひどすぎやしませんか。
読者2 わたしたちをどうしてくれるんです。女のもの書きはこれだから困る。
読者3 近頃の作家なんてまったくいいかげんなものです。せっかく気を惹くようなことを仄めかしたり、これみよがしに並べたてたりしておきながら、肝腎のところまでくるとあっけらかんとして万事を投げだしてしまう。それもただ、手前の不手際でどうにも収拾がつかなくなったという、ただそれだけの理由で。のこされた読者こそいい迷惑です。
読者4 作家一般がわるいのではない。こいつです、この作者です。こいつは昔から韜晦《とうかい》とはぐらかしの名手で、実人生でもさんざん周囲に苦汁をなめさせてきたとか。
読者5 だいたい約束不履行ですよ。このひとはたしか十年以上もまえから、自伝を書いてみせると大見得をきっていたんです。
読者6 わたしもそうききました。ひとりの女の心の歩みを語りつくす、いわば「|美しき魂《シエーネ・ゼーレ》の告白」にも匹敵するものだとか。
読者7 魂ですって? いえ、屍《しかばね》でしょう。わたしのきいたときは、たしか「|美しき屍《カダブル・エクスキ》の告白」という触れこみでした。まあ正統派の教養小説よりは、ちゃちなシュルレアリストもどきの戯れ絵の方が、いっそお似合いかもしれませんが。
b だいぶさわがしくなってきたようですこと。
魂と屍。どちらもあの子のお気に入りの単語じゃありませんか。
人間とは屍をひっさげた魂にすぎない、というのが口癖でしたから。
それを了解もなしに読者の眼前で置き換えるなんて、
あの子も罪作りなことをしてくれたものです。
a 作者ひとりが責められてばかりいるのも何だな。
そろそろわたしたちが顔を出して、
責任の所在をはっきりさせておこうか。
b わたくしもそう思います、どうぞ早急に
何とかしてやって下さいませ。
a いや、こういう話はやはりあなたの領分だよ。
男が出て行っては事が荒立つ。
b 左様でしょうか。あまり自信がありませんけれど、
ともかくやってみましょう。
でもまあ、わたくしの声があそこまで届くかどうか。
はじめの呼びかけだけは手伝って下さいませ。
a 手を打って、こちらに注意を向けさせてみよう。
(立上り、拍手し、咳払いす)
読者1 なんだか遠雷のとどろくような音がしましたね。
読者2 天上からでしょうか。
読者3 地鳴りじゃありませんか。わたしには草葉の蔭からのようにきこえましたが。
読者4 だれかがわたしたちの邪魔をしようとしてるみたいだ。
読者5 いずれにしても穏かならぬ感じです。
読者6 しいっ、また音がしましたよ。
読者7 声ですね。音というより。
b もうし、みなさま、しばらくお耳をお藉《か》し下さいませ。
物語が突如打切られましたのは、
作者ひとりの意志にのみよるものではございません。
おゆるし下さい、じつは
わたくしどもがそのように取計らったのです。
読者1 何ですって。
読者2 あなたは何者か。いったいどこから語りかけているのです。
読者3 声音だけはまるで作者そっくりだが。
b そのとおり。あの子の祖霊とでも申しますか。
不束者《ふつつかもの》のすることをかねてから他人事ならず見守っていた、
親のまた親、どもでございます。
身内ですもの、声の似ているのもやむをえません。
読者4 それでは骨肉のささやきに唆《そその》かされて、作者はわれわれに不義理を働いたというわけか。
読者5 あの年になっていまだに親のいいなりだなんて、信じられますか。
読者6 呆れた話だ。めちゃめちゃもいいとこだ。
読者7 こんな話、見たこともきいたこともない。
b よくぞおっしゃって下さいました。まさしくこれは前代未聞の話、こうした新機軸に慣れない方々の当惑やお怒りを買うのも尤もです。その点はひらにご容赦ねがうとして、憎まれついでにいま一言、作者の代弁を買って出ることをおゆるし下さい。
この話には、あらかじめ用意された結末というものははじめからございませんでした。さながら人生そのもののように、あらゆる約束事を取払い、不測の事態のいつ起るかわからぬままにすすめられたのでした。
作者は自分の筆に素直にしたがってみたまでです。というより、自分の筆をはこばせる何者かに。運命の手にあやつられるままに、いつのまにか織り上げられた小説、それがこの一篇です。暇もかかっています。
なぜそのような書き方をあえてしたのか。なぜそのように従順にふるまったのか。ほかでもない、待つこと、従うことこそが己れの本性にちがいないという、作者のささやかな悟りがあったからにちがいありません。この作者は女です。そして女を、己れそのものを描き出し、ロゴスの明るみにさらけだしてみたかったのです。女であることのよろこびもおかしさも、その滑稽も悲惨ももろともに。
あの子の試みが成功しているかどうか。それは今後のみなさまのご裁量に俟つしかないとして、少くともわたくし自身は、あの子のしたことに諾《ウイ》をいってやれるつもりです。なぜって、あの子の声ばかりではありません。このいかにも不細工な物語からは、じつはわたくし自身、地上での限りある生の日々に言うべくして言えなかったことの数々が、不細工なりにその破れかぶれの端々からきこえてくるからです。その意味でこの小説は生きているのです。よくお聞き下さい。耳をすませて。
(このあたりから声は二重、三重にかさなりはじめ、いつしか大勢の女たちの声となる)
そう、生かされたのはひとり、わたくしばかりではありません。ども[#「ども」に傍点]です。大勢です。あの子の同族、わたくしどもの同類は、昔から数知れず、また今後ともあとを絶ちませんでしょう。わたくしどもは女です。この世に生まれおちるとからおとなしく、運命に、時の流れに、自然にしたがって、女としてあり、女としてあることを求められてきた、弱き者よと名ざされた者共のすべて。男ではなく、またあなたでもなく、わたくしであり、あの子であり、兎であり、かぐやであり、祖妣であり、母であり娘であり、姉であり妹であり、妻であり、姥であり、媼であり、イヴであり、イシスであり……
a おやめなさい、終りがまた終りにならなくなってきた。それよりちょっと、あちらをごらん。あの子が何か、手をふって合図しているよ。
b (われに返って)まあ、わたくしとしたことが。おや、きこえますか。そんなエピローグを無理矢理でっちあげていただかなくても、まえに書いたものがあるはずだ、といっていますよ。
a そういえばわすれていたが、たしか作者からの預り物があったんだ。
b まあ、それはそれは。あなたとしたことが……。それにしてもあの子は何でまた、わたくしに直接それを委ねてくれなかったんでしょう。
a さあ、やはりわれわれ異性にこそ、まず第一に読んでもらいたかったんではないかな。
読者1、2、3、4、5、6、7…… それではわたしたちもいっしょに、その本当の終章とやらを読ませていただきましょう。
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終章 兎とよばれた女
泉にいたる径《こみち》は細々と、丈なす夏草になかば埋もれかけている。車をのりすてた人々はかまわずその茂みにわけ入って、木下蔭《このしたかげ》をこちらへ歩きだしたけはいだった。
その足音が男ひとりのものではないと悟ったとき、兎はなぜか耳のさきまで熱くなった。
おかしなことであった。いま一度、一目でもいいそのひとをうつつに仰ぎ見たいという長年の思いを、いまさら誰に愧《は》じるいわれがあろう。もともと人一倍多忙なはずの男が、このように昼日中はるばる車を駆ってこんなところまで出かけてくる以上、お伴のひとりや二人切捨てられなかったとしてもすこしもふしぎではない。どうして、何をうろたえることがある。
兎の頬にかすかな苦笑いがうかんだ。世の中のことはやはりその場に臨んでみなければわからないものなのか。これならいっそもとのままの透明なすがたでいればよかった。逃げるにしてもいまからでは遅すぎる。距《へだた》りはわずか十間ほど。いまここから跳ねだせば、草むらのそよぎがかえって人目を惹き、よけいな混乱を生ずることにもなりかねない。
不乱の一心がいつかは報いられること。それを兎はほとんど生得の知恵として、若年から会得していたような気がする。ただし生前は邪念に妨げられてめったに果さなかった。現実の桎梏《しつこく》を解き放たれたいまは、まえよりそれがよほどたやすいものになった。このたびもそうであった。男の夢にとびこむこと。それだけは、一昨夜もたしかに成し了《おお》せたのだった。
問題はそこが相手の心の奥底の、最もひそやかな深みであることであった。ひかりも、他者のまなざしもここまでは届かなかった。ただ赤裸の魂だけが久々にぶつかりあって、燃えた。その甘美なたまゆら、兎はただうつけたように無言のまま、いつになくはげしい相手の求めに身をまかせており、いま[#「いま」に傍点]をあらためるようなことは何もしなかったのだ。
醒めてあるときのそのひとの処世のありさまを問い糺《ただ》すことは、さすがに兎にはためらわれた。それをはじめたら相手もまた、おなじ問いをこちらにさしむけてくることであろう。両界を自在に往き来するいまの身軽さを、いまだに地上のひとでしかない男にわからせるのは、もとより至難のわざだ。ここはやはりこれまで通り、あくまでも夢まぼろしと思わせておいて、今日の訪れを暗にうながすよりほかはなかった。
はたして相手はゆかりのこの地に、日ならずして夢のあとを追って立ち現われたのだが。
「ほんとに泉なんてあるのかな。地図からも消された幻の泉だなんて」
若い女の声がする。
「ほんとだよ。たしかこの先のはずだ。あの櫟林《くぬぎばやし》が目じるしだったんだから」
紛うかたない男の声であった。
「そうかしら。二昔もまえの記憶なんて、わたしだったら自分でも信用できない」
木の下道を、声はもうそこまで来ているらしい。
早く去就《きよしゆう》をきめなくてはならなかった。あせるにつれて胸の動悸はすこしずつ高まってゆく。ほんとにどうして、けだものなどに身をやつしたのだろう。たしかに生前、兎と綽名されてはいたし、男にこちらの存在をみとめさせるにしても、これがいちばん確実にはちがいなかった。とはいえ久方ぶりに借着した血あり肉あるものの皮衣は、ひとたび気圏のさわやかさに慣れた身には不便で息づまることおびただしく、不測の事態の続出にほとんど草臥《くたび》れ果てるばかりだった。
たった一昼夜のことでこのざまだ。かつて人間のむすめとして世にあった頃の、わが身にたいするかぎりない苛立ちがあらためて思い出された。しかしこれも、こうして兎としてあることが相手の腕に抱きあげられるためにすこしでも役立つものならば、多少のことはもちろん目をつむってもすませたであろう。その前提すらもあやふやになってきたいま、畜生のからだはどうみてもよけいな重荷でしかなかった。
跫音《あしおと》はまぢかに迫っている。この期に及んでいま一たびの変身が可能であろうか。せめてこの胸が何も感じなくなってくれたならば。せめていつもの無辺際《むへんざい》を漂うすがたに戻れたならば。そうすればふたたびゆとりと落着きとを得、相手のいまのありようを白日のもとで、とくとたしかめることもできる……
兎はひたに念じた。かつて人の子として世にあった頃、事あるごとに懸命にくりかえしたとおなじように。またつい先夜、兎として相手の夢に迎え入れられるためにひたすら祈りを凝らしたとおなじように。
応えはあった。とたんに兎のからだは消え失せ、ぬけだした魂は、水際の楡《にれ》の下草にちらちらとたわむれる木洩れ陽にまぎれこんでいた。
「ね、やっぱりここだったろう」
「ほんとだ。でも、もすこし大きいのかと思った。道からは全然めだたないのね」
「だから、知るひとぞ知るっていったでしょう。いや、このあたり、ずいぶん変ったなあ。木も鬱蒼としてきたし、途中でこれはまちがえたかなと思った」
「静かな水。泉というより沼ね」
二人はならんで草むらの朽木に腰をおろした。
男は煙草をとりだす。ややあって女が問いかけた。
「さっき、車のなかで、モトメヅカがどうのっておっしゃりかけたわね」
「そうだよ。どうせ知らないだろうと思ったら、やっぱり知らなかった。謡曲にあるんだよ。昔、二人の男から一どきに慕われて、板挟みで苦しんだあげくにとうとう身投げして果てたむすめがあったんだとさ」
「それとここと、どういう関係があって?」
「この泉のわきにも、むかしそんな名前の塚があったとかでね。もとは土地の名所案内にものっかってたんだが」
「こんなとこで身投げしたひとがあったんだなんて」
「いや、べつにここがその発祥の地というわけじゃないよ。真間手児奈《ままのてこな》だってそうだし、源氏にもあるし、おそらく似たような伝説は大昔から日本中にいくらもあって、いたるところに求《もとめ》塚とか処女《おとめ》塚とかいうのがちらばってるんだ」
「ということは、日本の女のひとって、そういうとき決めかねて、困って自殺しちゃうことが多かったってこと?」
「そうかもしれん。きみだったらどうする」
「わからない。そりゃ困ることは困るだろうけど」
むすめは立ち上って水辺に近づき、足もとの小石をひとつ拾いあげてほうりこんだ。投げたはずみで後《うしろ》すがたがたよりなくぐらつく。
「あぶないよ。けっこう深いんだから、気をつけなさい」
「はい……。でもその話ね、ほんとかしら。その女のひと、決めかねて苦しんだの? それより、決まってたからこそ苦しんだんじゃないの?」
「さあ。ともかく謡では、思い侘びわが身捨ててん、てことになってるよ」
「オモイワビって、きれいなことばだけれど、いったいどういうことをさしてるのかしらん」むすめは男に背を向けたままいいだした。
「わたしの年上の従姉に、やはりそんなことがあったの。生きてれば、いまいくつかしら。おとなしい、静かな感じのひとで、わたしも小さい頃とてもかわいがってもらってたの。
その従姉は、初恋のひとが病身で、結婚も考えられないまま、十年ごしやさしくつくしてあげていたのね。それがあるとき不意にいなくなっちゃったの。その少しまえから、男の方の友人でやはり従姉を好きになってしまったひとがあって、そちらへ走ったのかと思ったらそうではなくて、両方の男のまえから完全に姿を消してしまったのね。
うちの母はまえからその従姉のいちばんの打明け相手で、失踪まえにさいごに会ったのも母だったようよ。
わたしはまだ何もわからない年頃だったけれど、大人たちのただならぬ気配におびえて、お姉ちゃんどこへ行っちゃったの、とだれかにききたくてもきけないのね。だいぶたってから、母が問わず語りに話してくれたのだけれど、それによると従姉はもう、絶望して、死ぬしかなかったんですって。子供のわたしに、母はそうはっきりいったのよ。おかしいかもしれないけれど、絶望ということばを幼なごころに具体的に納得した最初だから、よく覚えているわ。
従姉はね、迷うどころか、あとから近づいてきたお友だちの方に、一目見たとたんからすっかり惹かれていたんですって。ただ、心がそちらへ移れば移るほど、いままでの恋人に対する責任感に雁字《がんじ》がらめになって、しかたがない、あたらしい恋はあきらめて、死んでもひとに気取られまいとひた隠しにして相手を避けてたんだって。……きいてるの?」
「きいてるよ。だが、よくある話なんだよ」
男が気のない声でようやく口をはさむ。
「そうね」むすめはちょっと口ごもったが、ふたたび淡々と語りだした。相変らず男に背を向けたままで、表情のほどはわからない。
「そうこうするうちに、ある晩たまたま従姉とその男たち二人と、ひょんなことから三人きりで朝まで過さなければならないことがとうとう起ってしまったんですって。
三人はね、その晩、一見和気あいあいと、まるで何のわだかまりもないように、徹夜でトランプをして過したんだそうよ。そして、その夜の明ける頃、従姉の心にはそれまでのすべてをひっくり返させるような何物かが芽生えてしまっていたのね。
二人の男は、一見さりげなくカードと点数を競うように見せかけながら、その実ほかでもない従姉を、間におかれた唯ひとりの女を、死物狂いで張りあっていたのよ。
お酒も入っていたろうし、文字通り勝負ごとをしながらですものね。カードにかこつければ何をいったってゆるされる、その煙幕の下で、相手の急所を突くきわどいせりふが立て続けにとびかって……
刺戟ということが恋には欠かせぬ要素であるならば、これほど刺戟的な一夜はまたとなかったでしょうね。でもやがて、白々明けに遊び疲れて打臥《うちふ》した男たちの寝顔をひとり醒めてまんじりともせず眺めやるうちに、従姉の胸には曰くいいようもない、おそろしい淋しさがこみあげてきたんですって。この二人のどちらにも自分をほんとうに解ってはもらえない。自分はまるきりべつの人間だ。たとえいま旧きをすててあたらしい彼についていったとしても、彼が彼らの一員であるかぎり、破綻は早晩くり返されるだろう。従姉はそのときはっきりそう悟ったそうよ。
彼らはたしかによくぞ闘った。互いの手のうちを知りつくした男同士ですものね、共通の武器、共通のことばでいたぶり傷つけあって……。でもまあ、二人ともなんて無駄なことをしてしまったんでしょう。なぜってそのことばは、少なくとも従姉にはまったく通じなかったんだもの。従姉はちがったの。従姉の心打たれるものは、つねに、敗ける側、弱い側、とりのこされる側。だから従姉の心をほんとに勝ちえようと思ったら、男たちは争って勝つどころか、いのちがけで敗けを競うしかなかったはずなのに…… でも、考えてみれば敗けるために闘うなんて、そんなこと、どうしたって不可能ですものね。従姉が行方知れずになったのは、それからまもなくのことだったの」
「遺体は発見されたの?」男のかわいた声がした。
「見つからなかったらしいわ」
「のこされた男たちはどうなった?」
「知らない」
「じゃ、演説は終りだ。よくできました。はい、こっちへいらっしゃい」
むすめはしかたなくふり返り、困ったような微笑をうかべながら、しかし足は確実に男の方へひきよせられてゆく。
「意地悪ね」
「いいから、だまりなさい。その口を封印してやる」
「ずるいひと」
それきり、声は絶えた。
男はズボンの汚れをはらって立ち上がった。
「さあ、行くとするか。そろそろ迎えがくる」
「ええ、……でも」
「でも、何?」
「やっぱり、いうのやめた」
「ああ、その方がよさそうだね」
a'
魂が涙を流すなどということがありうるだろうか。それもいったん現《うつ》し身《み》の宿《やど》りをはなれ、宙に漂いだした霊魂が?
まあいい。そんなことが現実に起りうるかどうかは、この際どうでもいい。しかしいま、かつて兎とよばれた女は、いな彼女の魂魄《こんぱく》は、世にあった頃の経験になぞらえていうならば、まさしく涙としか名づけようのないものが快く頬を洗うのを感じていた。
悲しみではなかった。それはあかるい、冴え冴えとしたよろこびの涙、すべてを拭いきよめ、あるあたらしいものに赴かせるためのカタルシスのそれにほかならなかった。
二人は去り、男と女の日々はかくてまた何事もなかったかのようにつづけられてゆくであろう。それでいい。それがこの世というものなのだから。しかし、男の心のうちはいざ知らず、少なくともいま見たむすめは、そうした日々のなかで、このさき兎とおなじような事態に直面したならば、おそらくは兎とおなじように考え、おなじように苦しんでくれることであろう。そのあかしを、いま立聞きしたむすめの稚《いとけ》ないことばの端々から兎は得たのだった。
かつて兎がおのれひとりの苦難と思いこんで苦しみ、迷いぬき、あげくの果てに現実を断念せざるをえなかったこと。それは、いまにして思えばけして兎ひとりの身にかぎられたものではなかったのだ。この世にはまだ兎とおなじ苦しみをわけもってくれるつつましいけなげな同類たちがいまでもたくさんおり、これからもまた後を絶たぬであろう。そればかりか、おなじことを苦しんでくれた女は、いままでにだって数限りなくあったはずである。
自分はあのように男にむかって語ることすらもできなかった。それをあの若いむすめは現にしてくれている。
わたしはいまこそ救われる、と兎は思った。いままでわが身ひとりのものと信じこんできたその苦しみが、大いなる普《あま》ねきものの一端にすぎないことを悟ったとき、兎のこころにひとすじの光明がさしそめたのだった。妄執はすでにあとかたもなかった。これでもう兎は安んじて無に還れるのであった。
ひかりか。それともよろこびの涙か。その冴え冴えと、しみじみとしたものは、いま、かつて兎とよばれた女の魂の隅々にまで、くまなくみちわたった。
草むらをわけてうつむきがちに歩いていた男は、そのときある気配を感じてふと目をあげた。そして、先をゆく連れのむすめの頭上に、あるはりつめた透明なシャボン玉のごときものが一瞬ただよい、ちりん、というあるかなきかの玲瓏たるひびきとともに、こまかな光塵となって虚空に砕け散るさまを、しかと見届けた。
矢川澄子(やがわ・すみこ)
(一九三〇−二〇〇二)東京生まれ。作家・詩人・翻訳家。東京女子大学英文科を卒業後、学習院大学独文科在学中に同人誌『未定』に参加。五九年、仏文学者で作家の澁澤龍彦と結婚し、仕事の協力者として活躍するが六八年には離婚。以後も、文学活動に従事。小説に『架空の庭』『失われた庭』、詩集に『ことばの国のアリス』、エッセイに『わたしのメルヘン散歩』、翻訳に『不思議の国のアリス』『ほんものの魔法使』など多数。
本作品は一九八三年十月、筑摩書房より刊行され、二〇〇八年五月、ちくま文庫の一冊として刊行された。