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聖女の招喚 プラパ・ゼータ1
[#地から2字上げ]流 星香
目 次
登場人物紹介
第一章 予感
第二章 |修《しゅ》|羅《ら》
第三章 |魔《ま》|道《どう》|士《し》
第四章 具現
第五章 強襲
第六章 群星
第七章 |邂《かい》|逅《こう》
第八章 |虜《とりこ》
第九章 聖選
第十章 |是《ぜ》|認《にん》
あとがき
登場人物紹介
●ファラ・ハン
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世界を滅亡の危機から救うために具現した、伝説の翼ある|乙《おと》|女《め》。透きとおるような白い|肌《はだ》と|漆《しっ》|黒《こく》の髪に|彩《いろど》られた|麗《うるわ》しく愛らしいその姿形には、誰もが|見《み》|惚《ほ》れずにはいられない輝きがある。はかなく優しげなイメージだが、正義感が強く自己犠牲も|厭《いと》わない大胆な性格をあわせ持つ。|邪《じゃ》|悪《あく》な力により記憶を失っていたため、使命|全《まっと》うには相当な困難が予想されるが……。
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●ディーノ
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|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》と呼ばれ、人々から恐れられている、華麗で凶悪な|蛮《ばん》|族《ぞく》。彫像のような素晴らしい|体《たい》|躯《く》を持つ。自己中心的で、自分の欲求――破壊行為と|略奪《りゃくだつ》――のおもむくままに生きる男である。|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》エル・コレンティによって塔に|幽《ゆう》|閉《へい》され、外界では生きていけない体となっていたが、邪悪な黒魔道師バリル・キハノの力で、ファラ・ハンの具現間もない聖地に解き放たれる。
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●レイム
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歌と|竪《たて》|琴《ごと》が得意な、心優しき見習い魔道士。一見軟弱だが、武術は相当の腕前。
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●シルヴィン
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|竜《りゅう》使い一族の娘。優雅さには欠けるが、活発で行動的。短剣を巧みに|操《あやつ》る。
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●トーラス・スカーレン
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気品と威厳を兼ね備えた麗しの女王。夫を持たず、ただ一人で世界を|統《とう》|率《そつ》する。
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●エル・コレンティ
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世界を代表する偉大な魔道師。乙女|招喚《しょうかん》の|祭司長《さいしちょう》を務める。女王の心強き片腕。
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●バリル・キハノ
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|闇《やみ》と盟約を結ぶ黒魔道師。エル・コレンティによって塔に幽閉されているが……。
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●バルドザック
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女王の|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》|団《だん》隊長。トーラス・スカーレンに報われぬ愛を注ぐ実直な男。
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●マリエ
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女王の|乳母《う ば》で、王都の|女官頭《にょかんがしら》を務める宮廷白魔道士。|肝《きも》っ|玉《たま》母さん的な女傑。
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●イグネシウス
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ディーノやキハノと同じく塔に幽閉されていた|盗《とう》|賊《ぞく》。人殺しをなんとも思わない。
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『プラパ・ゼータ』は世界である。
時の|宝《ほう》|珠《しゅ》に支えられたはかないうたかたの世界である。
|魔《ま》|法《ほう》が息づき、|呪《のろ》いが|紫色《むらさきいろ》の香の煙に揺れ、龍が飛ぶ。
あやかしくなまめかしく、時はうつろい流れる。
そしてひとはその流れの中にたゆとい、もて遊ばれて、愛し、|慈《いつく》しみ、|哀《かな》しみ、激怒する。
風を追ってさすらう|吟《ぎん》|遊《ゆう》|詩《し》|人《じん》よ、物語を|爪《つま》|弾《び》く|竪《たて》|琴《ごと》の調べに乗せよ。
汗に濡れて輝き舞う踊り子よ、熱き想いを溢れさせ、|憑《つ》かれて舞え。
その|息《い》|吹《ぶき》こそが、時の輪を回す大いなる力となる。
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〈ゾーラ・レトキア|創《そう》|世《せい》|紀《き》 カラバム・イリルの予言書 第二章二・六〜二・十三より〉
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その|乙《おと》|女《め》は、いにしえなる神々の系譜に名を連ねる聖者の一人である。
古き伝承に詳しい幾人かの|賢《けん》|者《じゃ》たちは、彼女のことを太陽の神の末娘だとか、月の女神の妹であるとか、|精《せい》|霊《れい》を率いる男神の姉であるとこたえる。そして吟遊詩人は、創世の女神の一人であるとも|謳《うた》う。優しく、|気《け》|高《だか》く、正しき心をもつ、永遠の|淑女《しゅくじょ》。
語り継がれる、長い|艶《つや》やかなる黒髪と透明に澄んだ深き|群青《ぐんじょう》の|瞳《ひとみ》をもつ|類稀《たぐいまれ》なる|美《び》|貌《ぼう》の乙女の幻影は、そのなよやかなる|麗《うるわ》しい姿形で、ひとびとの夢を|掻《か》きたてる。涼しく清らに透きとおった|声《こわ》|音《ね》は甘くしっとりと|耳《じ》|朶《だ》を打ち、心の奥底にまで言葉を染み入らせるという。
世界が金と銀と呼ばれる、豊かに恵まれた時代を終えたとき、|敬《うやま》う心をなくしはじめた人間を見捨て、偉大なる神々は、一人ずつ地上を去った。
銅の時代を迎えたひとびとは、|憎《にく》しみという感情を|芽《め》|生《ば》えさせ、|種《しゅ》を同じくする仲間同士で、戦い争い、傷つけ殺し合うことを覚えた。やがて訪れた鉄の時代は、世界に血の歴史をもたらせた。ひとびとは、神がこの世に実在していたことさえも、|忘却《ぼうきゃく》した。
そうして、神々の中で一番最後まで地上に残っていた乙女も、ついに|天《てん》|空《くう》へと旅立った。
世界が滅びるとき、ひとびとの声をいち早く聞きつけるのは、かの乙女に違いない。ひとびとの|愚《おろ》かさを知りながら、見返りも望まず救いの手をさし出すのは、かの乙女に違いない。
神々の王は、背に白き翼をもつこの聖なる|乙《おと》|女《め》を、ファラ・ハンと呼んだという。
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〈ゾーラ・レトキア|創《そう》|世《せい》|紀《き》 |賢《けん》|者《じゃ》ユリム・アウレウスの予言書より |抜《ばっ》|粋《すい》〉
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第一章 予感
女王トーラス・スカーレンは、聖者の塔の最上階に設けられた|物《もの》|見《み》の小部屋の窓辺に手を置き、深い|溜《た》め|息《いき》を|洩《も》らした。
眼下を見おろすために、顔を少しばかりうつむけて。
|冠《かんむり》代わりに頭に回す細い金の飾環から、|艶《つや》やかな|亜《あ》|麻《ま》|色《いろ》の髪が数本はらりと|額《ひたい》に|零《こぼ》れる。
優美な弧を描く細い|眉《まゆ》はひそめられ、白い額に|憂《うれ》いの|皺《しわ》が刻まれていた。
神秘の光を|湛《たた》えた透きとおる|紫色《むらさきいろ》の|瞳《ひとみ》は閉ざされ、長い|睫《まつげ》が|頬《ほお》に優雅な影を落としている。
|凍《こご》えるほどに冷たい風が、暴風にも似た勢いで物見の小部屋に流れこむ。女王の|深《しん》|紅《く》の長衣の|裾《すそ》が吹きなぐられ、風を|孕《はら》んで大きく、|瑠《る》|璃《り》|色《いろ》に輝きひらめいた。長衣は白い脚をいまにも人目に|晒《さら》しそうでありながら、かろうじて|金《きん》|糸《し》で織られた太い|腰《こし》|帯《おび》に押さえられている。
風に熱をさらわれたせいばかりではなく、女王の顔は、青白く血の気をなくしていた。
もともと細身であった体は連日の心労のためにやつれ、痛々しく肉の厚みを欠いている。
|憂《うれ》える|麗《れい》|人《じん》の姿が格別に美しく見えるのも、今日のこの状態が限界ではないだろうか。
「続けなさい……」
女王は固い|声《こわ》|音《ね》で静かに命じた。
よく通る高いその声は、そうであるがゆえにひどく冷たく無感情に聞こえた。
一度は行きたい場所を五つあげてくれと言ったなら、その中に誰もが聖地クラシュケスの名を出すに違いない。
国じゅうの|叡《えい》|知《ち》と|高尚《こうしょう》たるものの集まる場所。
祝福と|惜《せき》|別《べつ》、新たなる出発のための最高の儀式が、ひろく行われる場所。
胸に|抱《いだ》いたどんな夢でも希望でも、恥ずかしがらず大きな声で言ってもいい場所。
誰もが触れることを許された|贅《ぜい》と富とに溢れ、豊かさの象徴である|憧《あこが》れの場所。
そこは年間を通じて過ごしやすく気温が安定している。
やわらかな|陽《ひ》|射《ざ》しと|穏《おだ》やかな降雨。うららかな気持ちいい気候に恵まれている。
そのため様々な花の咲き誇る新鮮な色彩の|賑《にぎ》わいが、ふんだんに溢れている。
|萌《も》え|出《い》づる緑の|息《い》|吹《ぶき》に浄化され、空気は|清《すが》|々《すが》しくどこまでも透明に澄みわたっている。
|心《ここ》|地《ち》|好《よ》く甘くかぐわしい草木や花の自然の芳香が、そこかしこで|弾《はじ》けている。
きちんと管理され、手入れの行き届いたそれらは、まるで音楽でも|奏《かな》でているように、楽しげに風の|愛《あい》|撫《ぶ》に揺れている。
輝くクリスタルと|白《はく》|亜《あ》と大理石とでつくられた、美しき聖地クラシュケス。
移動していく陽によって、効果的に配置されたクリスタルの柱や|尖《せん》|塔《とう》を通り抜けた光は、まばゆく|煌《きらめ》きながら位置を変える。
反射され|屈《くっ》|折《せつ》し、虹色に分かれて散る光。|刹《せつ》|那《な》という絶対的な美の産物。|瞳《ひとみ》を|魅了《みりょう》するきららかな光は、華麗な彫刻で飾られた純白の神殿や祭事場に静かに降り注ぐ。
聖地クラシュケスの中心に高くそびえ建つのは、聖地で最も美しいといわれる聖者の塔。巨大な仕掛け時計が、オルゴールの|綺《き》|麗《れい》な音色を響かせて時刻を告げる。
各地から集まった物売りたちは、|籠《かご》いっぱいに品物を詰めて売り歩く。また他の者は、広場の一角に設けられた市場で珍しい品物を広げる。|賑《にぎ》やかな談笑の交わされる商いの賑わい。
人込みを縫い|脇《わき》|目《め》も振らず歩くのは、王立学問所や|魔《ま》|道《どう》研究所で学ぶ学生たちだ。|真《しん》|摯《し》な瞳を輝かせ熱心に口論しながら、|幾《き》|何《か》|学《がく》模様に敷きつめられた|石畳《いしだたみ》を踏んで行き過ぎる。
願い事や儀式を持つ大勢の旅行者たちは、自分たちと同じように|縁《えん》|起《ぎ》を|担《かつ》いで訪れた様々の武官たちのきらびやかな衣装を間近く見て立ち止まり、物珍しげに|微笑《ほ ほ え》み交わしている。
晴れ着に身を包み、普段とはすっかり見違える立派な格好をした子供たちが、あたりかまわず歓声をあげて駆け回る。|田舎《い な か》|者《もの》の親たちは、それまで隠していた|訛《なまり》丸出しで怒り、追いまわす。
明るく|華《はな》やかなりし、夢の都。
聖地クラシュケス。
だが。
今年、七番目の|青宝玉《せいほうぎょく》の年。
|物《もの》|見《み》の小部屋にいたもう一人の人物が、先をうながす女王の言葉にうやうやしく|頭《こうべ》を垂れる。
五メートル四方ほどの広さのこの部屋でただ一人、背を向ける女王に|跪《ひざまず》いて控えるその者は、高級魔道士を示す|紫《むらさき》の|法《ほう》|衣《え》を着る|痩《や》せた老人であった。
若い頃にはさぞかし大きな男であったのだろうと想像できるほどに、肩幅が広い。
骨と皮ばかりのような体で、だぶついた重い法衣を支えていた。
深く引き被ったフードで、下を向いているだろう顔は見えない。
枯れ枝のように細い指を持つ大きな手の先だけが、|袖《そで》|口《ぐち》から|覗《のぞ》いている。
老人は、ひとしきり吹きすさぶ風の行き過ぎるのを待ち、ゆっくりと口を開く。
「季節はずれの豪雨のために、西のニバダの村では、マノカ麦を全滅させたそうでございます。ワギスの牧草地では、|霜《しも》にやられた草を食べたカヤック|羊《ひつじ》に伝染病が広まりつつあります。シファカでは花畑が全滅し、|蜜《みつ》|虫《むし》の成虫が死に絶えたと聞き及びます。北のポラーレとの情報交換は激しい|吹雪《ふ ぶ き》に|阻《はば》まれ、今のところ我々の魔道をもってしても困難であります」
響きの低い、肉の深みに染みいるかのような老人の声は、事実のみを淡々と告げた。
耳の痛い報告は、尽きることがないかに思われた。
女王はそれらを胸に刻みこむよう、一つ一つの事柄に小さくうなずく。
遠く地鳴りが響き、|微《かす》かに塔が揺れた。
老人は顔もあげぬまま、女王の心のわずかな動きを敏感に感じとり、ふと口をつぐんだ。
驚きもせず、女王は|物《もの》|憂《う》げに|瞳《ひとみ》を見開く。
聖者の塔の外には|鉛色《なまりいろ》の雲に埋め尽くされた空が、どんよりと波打ちながら、果てしなく広がっていた。
垂れ込める|雲《くも》|間《ま》を切り裂いて、あちらこちらで|雷《らい》|光《こう》が|閃《ひらめ》き、|雷《らい》|鳴《めい》で空気が震えている。
昼間であるのに、日暮れ前のように暗い。
乾いた風に|晒《さら》されて、白く浮かびあがる建物が、|閑《かん》|散《さん》として見えた。
光を宿さぬクリスタルの柱は、地表から突きだした骨のようにうら寂しい。
かつて溢ていたはずの|鮮《あざ》やかな色彩の|面《おも》|影《かげ》はなかった。
|腐《くさ》った土に草木は根本から|朽《く》ちた。花の|蕾《つぼみ》は|膨《ふく》らむ前に|崩《くず》れ落ち実を結ぶこともない。
聖地の地下から|湧《わ》きだす清流が陽を受けてきらきらと輝いていた光の川のような人工水路も、水の|乏《とぼ》しい今は動きを止め、青黒い|汚《お》|泥《でい》の|澱《おり》を沈めた淀みをなして腐敗している。
慌ただしく聖地を|右《う》|往《おう》|左《さ》|往《おう》しているのは、地味な|装束《しょうぞく》に身を包んだ|魔《ま》|道《どう》|士《し》や|虚飾《きょしょく》を排した武官たち。各地から必要に駆られてかき集められた者たちのみ。
誰も皆厳しく表情をひきしめて|己《おのれ》の対処すべき事柄の|収拾《しゅうしゅう》に懸命である。
|賑《にぎ》やかな女子供や、おっとりとした老人の姿はどこにもない。
夢や希望に胸ふくらませ聖地を訪れる者もない。
今、世界は確実に破滅に向かっている。
そうでなければ。
この正体の知れぬ天候異変は|何故《な ぜ》なのであろう。
力を生命を欠いてゆく自然はどうしてなのであろう。
|眩《まぶ》しく|天《てん》|空《くう》に輝く太陽の姿を最後に見たのは、半年ほど前だったか。
世界は何気なく訪れたある日を境に、まるで時空を構成する歯車の一つが、かたんと音をたてて欠け落ちたかのように、それまでの|秩《ちつ》|序《じょ》を失い滅亡への坂道を転がりはじめた。
自然という恵みのすべてを取りあげられ、ひとびとは|窮《きゅう》している。人目をはばかり堅く|門《もん》|戸《こ》を閉ざして、細々と|僅《わず》かな|蓄《たくわ》えを削っている。
生き物は肩を寄せ合って不安に震えていることしかできない。
生き長らえるだけの条件を持っていなければ、ただ黙って死を待つしかない。
女王トーラス・スカーレンが、彼女の治める|民《たみ》にしてやれるのは、それらの状況を|把《は》|握《あく》し、王宮に|備《び》|蓄《ちく》していたものを平等に分け与えてやることしかない。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちを各地に|派《は》|遣《けん》し、その|不《ふ》|可《か》|思《し》|議《ぎ》なる力を|駆《く》|使《し》させることしかない。
魔道の力の協力を得て、女王と民を、ひととひとを、この世に生きる命あるすべてのものたちを、以前よりもしっかりと|繋《つな》ぎ、精いっぱいの救いの手を差し出してやるしか、ない。
そして。
もしもひとの力で。
それができうることならば。
世界を破滅から、救うことを目指したい。
|暗《あん》|雲《うん》に|覆《おお》われた空を刺すようにそびえ建つ聖者の塔に女王が訪れるようになったのは、聖地を|不《ふ》|吉《きつ》な黒雲が覆い隠し、初めての|落《らく》|雷《らい》があった運命の境日からだ。
以来女王は、|創《そう》|世《せい》の神々に祈りを捧げるため、聖地に|赴《おもむ》くことがすっかり日課となってしまっている。
あらゆる事態を想定して、女王は各方面の|賢《けん》|者《じゃ》を集め原因究明に努めた。
持てる限りの神秘と科学で状況の解決を進めた。
だが。
誰もなんら意味のある解答を得ることはできなかった。
聖地クラシュケスの|魔道宮《まどうきゅう》で行われた未来予知の儀式は、|垣《かい》|間《ま》|見《み》の|銀《ぎん》|水《すい》|盤《ばん》の|粉《ふん》|砕《さい》という|惨《さん》|憺《たん》たる結果を残し失敗に終わった。
|神《しん》|託《たく》を得ようとした神々の像は、|黙《もく》したままそのすべてが血の涙を流した。
誰の目にも、未来に|光明《こうみょう》が存在するようには見えなかった。
|万《ばん》|策《さく》尽き果てたかに見えたとき。
聖地を代表する偉大なる魔道師であり聖なる|祭司長《さいしちょう》エル・コレンティ老は、いにしえの|賢《けん》|者《じゃ》の書き残した予言書や|福《ふく》|音《いん》|書《しょ》、|黙《もく》|示《し》|録《ろく》など、文字の記された書物を世界じゅうから集め、一篇たりとも残らず|繙《ひもと》き一つの提案をした。
伝説を信じ実行してみてはと。
翼ある|乙《おと》|女《め》を魔道をもってこの世界に|招喚《しょうかん》し、世界救済を|嘆《たん》|願《がん》してみてはと。
年代や出典場所を|隔《へだ》てたいくつかの書物には、まるで古くから言い習わされてきたかのように、世界|崩《ほう》|壊《かい》の危機が訪れた時に頼みとする者のことが書かれていたのである。
|藁《わら》をも|掴《つか》む思いで、女王はこの提案を受けいれた。
魔道士たちに乙女の招喚の儀式を許可した。
老魔道師エル・コレンティは、女王の側近として|仕《つか》え各地に|派《は》|遣《けん》した魔道士たちを指示する|傍《かたわ》ら、招喚の儀式の指導にあたった。
聖地の中心に設けられた中央祭事場に招喚のための|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》を描かせ、大勢の魔道士を|募《つの》って、昼夜を通し招喚の祈りを捧げさせる|手《て》|筈《はず》をとった。
それら書物によれば、翼ある乙女が世界を救うというのは、この世界の|鍵《かぎ》となる『時の|宝《ほう》|珠《しゅ》』というものを安定した形に『正す』ことである。
時の宝珠があるべき形にないから、世界崩壊という事態が起こったのだという。
時の宝珠に近づき、触れることができるのは、|天《てん》|空《くう》の住人である翼ある乙女だけである。
そして、それがいかなる物であり、どうすれば正すことになるのかも、彼女だけが知っているのだ。
時の宝珠を探し求めて旅立つ翼ある乙女には、|無《む》|論《ろん》危険もつきまとう。
そのために、書物には翼ある乙女と行動を共にすべき、選ばれた三人の人物が挙げられていた。
その三人とはすなわち。
神秘の術を用いて乙女を時の|宝《ほう》|珠《しゅ》のありかまで|導《みちび》く|魔《ま》|道《どう》|士《し》「スティーブ」。
世界のすべての生命と心を通わせ|猛《たけ》き|飛龍《ひりゅう》をも自在に|操《あやつ》る龍使い「ドラウド」。
眠れる|聖《きよ》き|銀《ぎん》|斧《ふ》レプラ・ザンを使いこなすことのできる無敵の勇者「ラオウ」。
彼らは聖なる光を受けて、その資格を得るのだという。
王宮の|宝《ほう》|物《もつ》|殿《でん》に大切にしまいこまれていた伝説の銀斧レプラ・ザンが祭事場に運ばれた。
スティーブ、ドラウド、ラオウの各人に|相応《ふ さ わ》しい資格を持つ、|選《え》りすぐられた候補者たちが聖地に集まり、|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の|側《そば》で控え、翼ある乙女の具現を待ち受けた。
聖なる光に選ばれる瞬間を待ち受けた。
あとは|肝《かん》|心《じん》の乙女さえ現れでればよいだけなのだ。
しかし、それも。
いっこうにそれらしい|気《け》|配《はい》を感じさせぬままに日が経過している。
半年にも及ぶ長い儀式の成果は、なんら感じられない。
昼夜をおして|招喚《しょうかん》に当たっている魔道士たちのあいだに疲労の色が濃く見えはじめ、ひとびとは胸に|抱《いだ》いた不安の|塊《かたまり》を着実に大きくしている。
王宮の|備《び》|蓄《ちく》も残りを数えるばかりになり、各地で起こっている|天《てん》|変《ぺん》|地《ち》|異《い》は、留まることを知らぬように激しさを増す一方だ。
連絡が|途《と》|絶《だ》え、どうなっているのかわからぬ場所も増えた。
大の男であっても|音《ね》を上げる状況下で、あらゆる方面に気を配り事細かな指示を与え続けるたおやかなる女王の姿は|感《かん》|銘《めい》に|値《あたい》した。
休まることのない気苦労のため、細身の体はますますほっそりとなってはいたが、|凜《りん》|然《ぜん》とした気品と威厳は少しも|損《そこ》なわれることはない。
いたずらに動じない姿勢を|崩《くず》さず、そこに存在している。
まだ十分に若さを保った賢き|麗《うるわ》しの女王トーラス・スカーレン。
国の象徴たるべき力ある確かさをもつ|唯《ゆい》|一《いつ》の人物。前王、王妃が彼女にすべてを与え、|流行病《はやりやまい》で死去したのは、彼女がまだ十五歳の少女であった時であると記録されている。
以来十数年。女王となったトーラス・スカーレンは、か弱き女性の身でもって、ただ一人で国をまとめてきた。
優しく美しい彼女は、国民の誰からも愛され慕われた。
個人的に想いを寄せる若者も大勢いたが、彼女の持って生まれた「王としての星」に値する者はいなかった。
トーラス・スカーレンは、女王として生きねばならないために、一人の女性としての幸福を選ぶことはできなかった。
女王が夫を持てず国の直系の|世《よ》|継《つ》ぎを欠くというそれこそが、すでにして世界|崩《ほう》|壊《かい》の序章を告げていたのかも知れない。
「報告書を作成して、食糧管理にあたっているハルチェス将軍のもとに届けなさい。折り返し、将軍からの現状報告と提案を待って指示を与えます。病気にかかって死んだ動物や、腐敗の可能性のあるものは、即刻焼却処分にするように。どれ一つをとっても、貴重な資源にほかなりません、木や布などを用いずに燃やせるよう、火の|呪《じゅ》|文《もん》を持つ|魔《ま》|道《どう》|士《し》を忘れずに向かわせなさい。魔道による連絡のとれぬところには、武人と魔道士を乗せた|飛龍《ひりゅう》を飛ばしなさい。正確な現状を|把《は》|握《あく》し、その上で対処します」
女王は静かな口調で、聞き及んだ事柄に指示を与えた。
「|御《ぎょ》|意《い》に」
老魔道師は深々と|頭《こうべ》を垂れる。
女王は透明に澄んだ|紫色《むらさきいろ》の|瞳《ひとみ》を開き、真下の祭事場を見おろした。
ひとびとの願いを集めて描かれた|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》には、大勢の魔道士たちの懸命の努力にも関わらず、なんの変化も見られない。
|溜《た》め|息《いき》混じりに漏れ出そうになった言葉を、すんでのところで女王は飲みくだす。
(本当に伝説の|乙《おと》|女《め》は現れるのか)
いかに心強き女王トーラス・スカーレンであっても、一片の迷いや疑いの心を持たないわけではない。
女王であるから、それを言葉にしないというだけのことだ。
苦しげに|眉《まゆ》をひそめた女王の心情を察し、老魔道師はわずかに顔をあげる。
「全身全霊を傾けまして|招喚《しょうかん》を行っております。今しばらくお待ちくださいませ」
|気《き》|遣《づか》う言葉を耳にし、女王は老魔道師に振り返る。寂しい表情で淡く|微《ほほ》|笑《え》んで見せた。
「努力は評価しています。ただわたくしが胸を痛めているのは、それ|故《ゆえ》なのですよ。招喚の儀式は、大変に|消耗《しょうもう》すると聞いています。多くの魔道士たちが入れ替わりに懸命に力を尽くしてくれています。けれど……」
女王は軽く口をつぐみ、一度ふわりと目を閉じた。
「事態はもう、なるようにしかならぬのではないか、そんな気もするのです。いかに願おうとも、滅亡せねばならない世界も存在するのではないかと」
すべては時の輪の|導《みちび》くままに。
「わたくしたち全部が、罪深き|業《ごう》を負ってしまった|呪《のろ》われ人であるなどとはけっして思っていません、|滅《めっ》して|然《しか》るべきであるとは考えたくもありませんが、それもまた一つの現実ではないかとも思えるのですよ」
食事はおろか、眠る暇、座ることさえ忘れて、聖地を慌ただしく行き来する者たち。その|一《いち》|途《ず》な行動が、女王の目には|哀《あわ》れで仕方ない。どうせ|朽《く》ちてしまう命なら、あえて苦しみを増やさなくてもいいのではないか、そんな気さえしてしまう。
|諦《あきら》めの陰りを見せる女王を、|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》はまっすぐ見返した。
「それも、さほどの日をかけず、なんらかの結果を得ることでございましょう」
予言のような言葉に、女王は少しばかり驚いたように目を見開く。
未来予知の方法は、まったく役に立たなかったはずである。
「ただの老いた魔道師の、|戯《ざ》れ|事《ごと》やも知れません」
言葉と裏腹に声は確信を持っている。
|歳《とし》|経《へ》た彼であったからこその予感だった。本当にそう感じるだけのただの予感に過ぎぬから、それは他人に広めて信じるようにうながすほどの確証を欠いている。
女王は、薄く|儚《はかな》く|微《ほほ》|笑《え》んだ。
久々に見せる、くつろいだ笑顔だった。
どんな結果が待ち受けていようとも、受け入れるしか道が残されていない現実があった。
垂れこめる|雲《くも》|間《ま》を切り裂き|雷《らい》|光《こう》が|奔《はし》った。
一秒と間を置かず耳をつんざく|雷《らい》|鳴《めい》が|轟《とどろ》く。
|蝋《ろう》で固められたかのように視界が一瞬真っ白に輝いた。
ぐらぐらと地面が揺れた。
聖地にある何かの建物に|落《らく》|雷《らい》したのか。
巨大な何かが|崩《くず》れ落ちる音と悲鳴が聞こえる。
地面の振動の|余《よ》|韻《いん》で細かく震え続ける塔の上、|閃《せん》|光《こう》に目がくらんだか、女王トーラス・スカーレンは姿勢を崩し、足元頼りなくたたらを踏んだ。
手を伸ばし、窓辺に|掴《つか》まって体勢を立て直そうとする女王に、老魔道師は、影のように音もなく、素早く近寄った。
重ささえ感じさせぬ|滑《なめ》らかな|所《しょ》|作《さ》で、そっと女王に添い支える。
女王は普段の彼女からは予想もしえない形で老魔道師に支えられながら、その場にがくりと|膝《ひざ》をつき、腰を落とした。
気が遠のいたのか、体から力が抜け顔が伏せられる。
手の上に乗せられた白い手首から、生命反応になんら異常を感知しえない状態であることを確認し、老魔道師は|安《あん》|堵《ど》する。
ややあって、慌ただしく靴音を響かせ一人の武人が|物《もの》|見《み》の小部屋に駆け上がってきた。
「女王様! 先ほどの地鳴りでこの塔の東の一角にもひびが入りました! 危険が予想されますので即刻|待《たい》|避《ひ》願いますよう……」
|赤銅色《しゃくどういろ》の髪を振り乱し大声で叫びながら階段を上りつめた青年は、すべての言葉を声にすることができなかった。
くたりと力なく腰を落とし老魔道師に支えられている女王の姿に、ぎょっと息を飲んだ。
絶対の信頼をおいて|崇《すう》|拝《はい》し、敬愛する女王に、あってはならないことだった。
そして、彼、|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》|団《だん》の隊長たる将軍バルドザックの個人的な問題では。
そこで|頽《くずお》れている女性こそ、幼い日からずっと、報われることない無償の愛を注いできた最愛のひとであるのだ。
バルドザックは、少し|目《め》|尻《じり》が下がる茶色の|瞳《ひとみ》を張り裂けんばかりに見開いた。
色をなし、さらなる大声で女王の名を呼ぼうとした彼を、エル・コレンティ老魔道師は手をあげて制する。
広げられた、|節《ふし》ばかりの目立つ枯れ枝のような手のひらに圧せられたバルドザックは、一瞬動きを凍らせて、その場に立ち尽くした。
|微《かす》かに女王が身じろぎする。
老魔道師の迫力に圧倒されていたバルドザックが我を取り戻す。
駆け寄るバルドザックの姿を視界に入れながら顔をあげた女王は、正面から老魔道師を見据えた。
神秘の色を宿した|紫《むらさき》の瞳の奥が|深《しん》|紅《く》の輝きを帯びている。
それは聖王家の血を継承する者にのみ与えられた、不思議の力が発揮されている|証《あかし》。
「|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》が動きます! 早く祭事場へ……!」
女王は上ずった声で老魔道師をうながした。
もうじきなんらかの結果が出るだろうと感じていた老魔道師の感覚と、それはぴたりと一致している。
老魔道師は|頭《こうべ》を垂れて|承諾《しょうだく》の意を示し、ゆらりと立ち上がる。
マントにも似た|法《ほう》|衣《え》の|袖《そで》が、巨大な鳥の翼のように大きくばさりと広げられた。
窓から吹き込む風を受け、激しくはためいた法衣の色が、影そのものに変化する。
女王の|側《そば》に駆け寄ったバルドザックは、手を貸し女王を助け起こす。
広がった老魔道師の法衣の影が倍以上の大きさに|膨《ふく》れ、女王とバルドザックの二人をもすっぽりと巻き込むように包んだ。
顔を伏せ、そうっと身を沈ませた老魔道師の影が、|日《ひ》|溜《だ》まりに置かれた|氷塊《ひょうかい》が溶けて蒸発していくように、みるみる小さくなる。
音もなく|床《ゆか》に染みこむように消える。
|物《もの》|見《み》の塔には、もはや誰もいない。
第二章 |修《しゅ》|羅《ら》
聖地クラシュケス。
そこはあらゆる繁栄の象徴でもある反面、生まれ出たあらゆる『汚いもの』を浄化せしめるところでもあった。
特にクラシュケスの最北部、なだらかな|中原《ちゅうげん》の終わりを告げる|大《だい》|渓《けい》|谷《こく》の巨大な谷間を臨む|断《だん》|崖《がい》に位置する場所は、聖地の明るさや|華《はな》やかさとは無縁の一画である。
そこには陽を受けて七色の光を|弾《はじ》けさせるクリスタルの柱も、巧みな彫刻を|施《ほどこ》された|瀟洒《しょうしゃ》な建物もない。
あるのはただ、真北を指し示し|墓標《ぼひょう》のように|屹《きつ》|立《りつ》する、|丈《たけ》|高《だか》い巨大な石の塔だけである。
明かり取りの窓穴一つ外壁に|穿《うが》たれていない、一つきりの出入り口しか持たぬその塔を、アル・ディ・フラの塔と呼ぶ。
日に三度、割り当てられた役人が、食糧を大きな荷車に積んで運びこむ。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》や神官が何事か語りに訪れる。
閉ざされた空間に大勢の人間が|蠢《うご》めく、暗く|荒《すさ》んだ陰湿な|気《け》|配《はい》に満ちた塔。
|終身刑《しゅうしんけい》を定められた重犯罪者たちを集めた|獄《ごく》|舎《しゃ》である。
|悪行三昧《あくぎょうざんまい》の|挙《あ》げ|句《く》に捕らえられここに|幽《ゆう》|閉《へい》された|極《ごく》|悪《あく》|人《にん》たちが、塔の真上から地の底まで狭い|独《どく》|房《ぼう》の中にひしめきあっていた。
体に魔道による|封《ふう》|印《いん》を|記《しる》されているため、塔から出ることはできない。
脱出かなわぬ石の塔の中で耳をそばだて、|囚人《しゅうじん》たちは不安な|面《おも》|持《も》ちで様子をうかがっていた。
太陽の光すら与えられない、外で何が起こっているのか知る|術《すべ》のない彼らであったが、世界を|脅《おびや》かしているこの激しい異変に無関心でいられるわけはなかった。
聖地で|雷《らい》|鳴《めい》を聞くようなことは、これまでなかった。
ましてや大地が|鳴《めい》|動《どう》したり波打ったりなど、世界のどこでも体験したことはない。
ただの悪天候と呼べるほどに気楽なものではない。
閉ざされた空間に|幽《ゆう》|閉《へい》され時間の感覚はとうの昔になくしていたものの、それがいかに長きに渡っているものなのか容易に推測することができる。
訪れる役人の様子も以前とは違う。
申し訳程度に|配《はい》|膳《ぜん》されている食事の質も、あからさまに悪くなってきている。
汚れ物の交換や|排《はい》|泄《せつ》|物《ぶつ》の処理さえされなくなってきている。
|囚人《しゅうじん》の監視に当たる役人の態度もどこか落ち着きがなく、|巡回《じゅんかい》してこないことや、食事が供給されないことすら最近では|頻《ひん》|繁《ぱん》にある。
はじめは|恐慌《きょうこう》状態で騒然としていた囚人たちも、身をさいなむ飢えと渇きに屈し、役人の関心を向けさせようと声を出したり騒いだりする元気すら失った。
呼びかけや|哀《あい》|願《がん》の|声《こわ》|音《ね》が塔の中に|谺《こだま》していた頃は、まだ比較的ましな状態であった。
どのような|極《ごく》|悪《あく》|人《にん》であれ、手を下して命を奪う死刑制度はない。
各地で起こっている災害などにより、恐怖し死にかけているひとびとと比べるなら、むしろ、この|監《かん》|獄《ごく》|塔《とう》で幽閉されている彼らのほうが恵まれているとも言えなくはない。
必死の努力の|甲《か》|斐《い》なく飢えている者たちにこそ食糧を優先的にまわしたい。なんの働きもしない囚人であり、ただの|穀《ごく》|潰《つぶ》しである彼らが切り捨てられるのは、もう時間の問題だ。
あらゆる意味での|汚《お》|濁《だく》の|塊《かたまり》、|嘆《なげ》きの塔となりつつあるアル・ディ・フラの塔の最下層。
もっとも凶悪であると判断された罪人の特別な獄舎であるそこには今、四人の男たちが幽閉されていた。
|終身刑《しゅうしんけい》から見て見ぬふりの飢え殺しに処置が変わったのか、近頃は役人の足も遠のき、食事すら満足に|配《はい》|膳《ぜん》されない。
もともと顔を見ることさえいやがられる、近寄りたくない重犯罪者たちであったので、見捨てるほうも気楽であったのかもしれない。
独房であるはずのその一部屋に、四人の男たちが集まっていた。
いや、身動きかなわぬ一人の部屋に三人が集まったといったほうが正確か。
彼らの中央に座しているのは、|痩《や》せ衰えたうさんくさい|不《ぶ》|気《き》|味《み》な|雰《ふん》|囲《い》|気《き》を漂わせた老人。
そして、顔を斜めに二分する大きな刀傷のある岩のように大きな男。
背の高い、浅黒く日焼けした、ぎょろぎょろとよく動く大きな|隻《せき》|眼《がん》の男。
険しい|瞳《ひとみ》に野獣の凶暴さを宿した若い男。
枯れ木のような老人を除き、男たちの体格は皆一様に鍛えぬかれたもので、がっしりとした骨格に|逞《たくま》しい|縄《なわ》のような筋肉がついている。
それぞれ生まれも育ちも関わりのない連中ではあるが、発散されているどろどろとした雰囲気には共通の|凄《せい》|惨《さん》さがあった。
四角く石を切り取って積み上げられただけの塔の中は、壁の内側に|光苔《ひかりごけ》を塗りこめてあるおかげで、光源なしでもほのかに明るい。
青白い光を受け、|幽《ゆう》|鬼《き》のようにおぼろげに姿を見せるこの四人の男たちを知らぬのは、おそらく今生まれ落ちたばかりの赤ん坊くらいのものだろう。
彼らはそれぞれにいた場所で語り草となるような、けっして記憶から抜け落ちることのない、|鮮《せん》|烈《れつ》な恐怖を与えた凶悪な|族《やから》だった。
二百年前、|邪《じゃ》|悪《あく》なる黒の|魔《ま》|道《どう》をひとびとのあいだに広めようとした黒魔道師バリル・キハノ。
白の街道を血に染めた、|紅《くれない》の|盗《とう》|賊《ぞく》イグネシウス。
|幽《ゆう》|霊《れい》|船《せん》の|海《かい》|賊《ぞく》、海の悪魔オーパ。
|修《しゅ》|羅《ら》の|現《うつ》し|身《み》、|孤《こ》|高《こう》|王《おう》を名乗る|蛮《ばん》|族《ぞく》ディーノ。
聖地クラシュケスの心正しき大勢の聖魔道士の手によって、|額《ひたい》の中央に厳重な|封《ふう》|印《いん》を|施《ほどこ》され|幽《ゆう》|閉《へい》された者たちだ。
しかしその|証《あかし》たる封印・|聖《せい》|痕《こん》も、黒魔道師キハノの与えた|魔《ま》|痕《こん》に|相《そう》|殺《さい》されて消え失せ、今は|跡《あと》|形《かた》もない。
獄舎アル・ディ・フラの塔の中でしか生きられぬという|呪《じゅ》|縛《ばく》は絶ち切られている。
たとえ誰の協力を得ることがなくても、好き勝手にいつでもアル・ディ・フラの塔を抜け出せる状態にありながら、しかし彼らはそうしなかった。
白き魔道師エル・コレンティ老によって腰から下を地に封じられ、身動きかなわぬ姿となり果てたキハノの周りに集まり、成り行きを見守っている。
「その、時期ってやつはまだなのかよ、じいさん」
むさくるしい|無精髭《ぶしょうひげ》に汚れた|顎《あご》を突き出しながら、イグネシウスがざびざびに割れた蛮声で問いかけ、|黙《もく》|想《そう》するキハノを|覗《のぞ》きこんだ。
使い古しの|干《ひ》からびた|羊《よう》|皮《ひ》|紙《し》に|酷《こく》|似《じ》した、老人の|皺《しわ》くしゃの顔に表情はない。
じっくりと|検《けん》|分《ぶん》しないことには、息をしていることさえも疑わしい。
「こっちはいい加減待ちくたびれちまったぜ。早くお|天《てん》|道《とう》|様《さま》が拝みてぇ」
ぶつぶつと口の中で言葉を|噛《か》み|潰《つぶ》し、オーパは|床《ゆか》に|胡座《あ ぐ ら》をかく。
うるさそうに、ターバンからはみ出た硬い|暗褐色《あんかっしょく》の髪を|掻《か》きあげた。
ごつごつした指のあいだを踊って、|蚤《のみ》や|虱《しらみ》がオーパの周りに|零《こぼ》れ落ちた。
様子を見てとるまでもなく、慣れた|仕《し》|草《ぐさ》であからさまに距離をとって、ディーノはキハノの後ろに立つ。
周囲が薄暗くてはっきりしないし一番新入りだからなのであるが、ディーノの姿が、この中ではもっともさっぱりとし、|小《こ》|綺《ぎ》|麗《れい》であるように見えた。
おそらくオーパやイグネシウスのように虫がわいてもいるまい。
|乾《ひ》|物《もの》に似たキハノとの比較に至っては論外である。
ディーノはふんと鼻を鳴らして目を細めた。
冷ややかなあざけるような笑みが、オーパに向けられていた。
自分を見つめる視線に気づき、オーパはむっと|眉《まゆ》をひそめる。
「なんだ?」
一つきりの緑色の目で、ぞろりと下から|睨《ね》め上げ、低い声で問いかけた。
その声の響きには、背筋がぞっと寒くなる迫力がある。
気の弱い者なら、それだけで、すくみあがってしまうだろう。
険悪な|雰《ふん》|囲《い》|気《き》に興味をそそられ、イグネシウスは顔を突き出し彼ら二人を交互に見比べた。
「いや」
ディーノは涼しい顔で応じ、刺すようなオーパの視線を受け流す。
「知らぬということは、|哀《あわ》れなものだと思っただけだ」
「なんだと!?」
いきりたつオーパを無視し、ディーノは堂々とした仕草で胸の前で腕を組んだ。
衣服をまとっていながらも|裸《ら》|身《しん》の見事さを想像させるディーノの姿は、|己《おのれ》を|誇《こ》|示《じ》するかのような姿勢をとると、生きた|彫像《ちょうぞう》を思わせる|雄《ゆう》|姿《し》となる。
「キハノ、|招喚《しょうかん》の儀式はいよいよ成功しそうなのだな」
自分を眼中に入れず|黒《くろ》|魔《ま》|道《どう》|師《し》にかけたディーノの言葉の意味を|掴《つか》みそこね、オーパは気をそがれた。
何かしら自分の知らぬことの進行している様子に、|隻《せき》|眼《がん》を|瞬《またた》く。
キハノは皮と筋ばかりになった|咽《のど》を鳴らして、くっくっと笑う。
何かしら、よからぬことを|企《たくら》んでいる陰湿な楽しさが、笑い声に重く染みている。
ディーノの問いに言葉を返さなくとも、その笑いだけで十分な答えになっていた。
招喚の瞬間には、おそらく、天界と世界を|繋《つな》ぐ時空の|扉《とびら》が開かれる。
|魔《ま》|道《どう》の根源をなす力も、ほんの一瞬ではあるが増大されるはずなのだ。
下半身を地に封じられたが|故《ゆえ》に、今はほんの子供|騙《だま》しの範囲でしか自由にならぬキハノの魔道力も、その瞬間だけ、本来あるべき大きさを取り戻すはずである。
|憎《にく》んでもなお余りあるエル・コレンティ老魔道師の鼻を明かしてやるのに、|千《せん》|載《ざい》|一《いち》|遇《ぐう》の機会なのだ。
これに乗じぬ手はない。
「招喚の儀式って、なんだ?」
|波《は》|止《と》|場《ば》の捨て子であり、|文《もん》|盲《もう》であることに少なからぬ|劣《れっ》|等《とう》|感《かん》を持っている無学なオーパは、おずおずとディーノに尋ねた。
ディーノは横目でオーパを|一《いち》|瞥《べつ》する。
「世界の|終焉《しゅうえん》の時が来たらしい。太陽は厚い雲に|遮《さえぎ》られ、大地は凍えている。風は荒れ、水は腐りはじめた。植物は立ち枯れ、動物は次々と死んでいる」
「翼ある|乙《おと》|女《め》か!」
昔、読み憶えさせられたことのある聖書の一文を思い出し、イグネシウスが叫んだ。
ディーノは|唇《くちびる》を笑みの形に|歪《ゆが》め、うなずく。
「世界の救世主となる女神を招き寄せようという招喚の儀式が、聖地の中心、このすぐ|側《そば》の祭事場で行われている」
耳慣れない地鳴りも|雷《らい》|鳴《めい》も、その世界|崩《ほう》|壊《かい》の|予兆《よちょう》であるのだ。
今、世界を救うための|唯《ゆい》|一《いつ》の手段を得るための儀式が行われている。
そしてそれを|邪《じゃ》|魔《ま》せんとして、キハノは機をうかがっている。
「ちょっと待て、キハノ! それではいくら俺たちがここを抜け出たとしてもなんにもならん!」
オーパは色をなして|怒《ど》|鳴《な》った。世界が滅びてしまえば|脱《だつ》|獄《ごく》もなにもない。
声をあげてディーノが笑う。
「何がおかしい!?」
顔を真っ赤にし、オーパは笑うディーノを|睨《にら》みつけた。
笑いを|噛《か》み殺したディーノが、|蔑《さげす》む|眼《まな》|差《ざ》しでオーパを見おろす。
「世界が滅びようと滅びまいと、|終身刑《しゅうしんけい》の身にはなんら関わりない。ここでのたれ死ぬのも表でひと暴れして死ぬのも同じことだろう。招喚がどうのと言ってみたところで、あてのない言い伝えに過ぎぬ。|得《え》|体《たい》の知れぬ女を一人呼び出したところで、本当に世界が救えるのかどうか疑わしいものだ」
オーパは言葉を飲んだ。
イグネシウスは考えこむように目を伏せた。
「仮に世界が救われたとしても、俺たちに|恩《おん》|赦《しゃ》などない。ここで飼われたまま死ぬか、それとも外で自由に死ぬか、二つに一つだ」
冷たい声で、ディーノは選択を迫った。
絶対にキハノに従って行動を起こさねばならないという決まりはない。
彼らなら一人でも、なんの苦もなく|脱《だつ》|獄《ごく》できる。
だが、たとえ一人で脱獄したとしても、ここは聖地クラシュケスである。
腰に剣を帯びた武人はそこいらじゅうにうろうろしているし、|高等魔術《こうとうまじゅつ》を|駆《く》|使《し》することのできる上級の|魔《ま》|道《どう》|士《し》が、うようよいる。
|瞬《またた》く間に捕らえられ、再び|額《ひたい》に|封《ふう》|印《いん》を|施《ほどこ》されて、塔に逆戻りするだろうことは明らかだった。
ディーノは世界|崩《ほう》|壊《かい》が感じられるようになってから捕らえられた者の一人だ。
国にとって有害な者を|一《いっ》|掃《そう》して塔に閉じこめ、混乱を少しでも小さく済ませようと気を回した魔道士たちの|一《いっ》|斉《せい》|探《たん》|査《さ》により捜し出され、老魔道師エル・コレンティ自らの手によって封印を受けた。
「俺は王だ。俺を|跪《ひざまず》かせ見おろした者、俺の体に|卑《いや》しい手で触れた者は、一人たりとも生かしてはおかぬ……!」
激しい|憤《いきどお》りに、ディーノは青ざめ、|微《かす》かに声を震わせた。
物心ついたときには親と呼べる者もなく、|盗《とう》|賊《ぞく》まがいのことをしながら、ただ一人生き延びてきた|蛮《ばん》|人《じん》である。
しかも彼のように、|闇《やみ》のような黒い髪と高い空を映す深い海に似た青い|瞳《ひとみ》を持つ種族は、文明圏であるこのあたりには存在しない。
身寄りなく姿形から|異《い》|端《たん》であった彼は、どこに行こうと好奇の視線を受け|虐《しいた》げられてきた。
自分が世界に|君《くん》|臨《りん》する王であると名乗るようになったのは、幾つのときからであったか。
強い思いこみか単なる|戯《ざ》れ|事《ごと》にしか聞こえぬそれだったが、いつしかそれは誰の目にも、彼にひどく似つかわしいものとして受け入れられるようになっていた。
自らを王と呼ぶディーノには、|芋《いも》|虫《むし》のように|縛《しば》りあげられて聖地の広場に投げ出され、女王や老魔道師、大勢のひとびとの前に|惨《みじ》めな姿を|晒《さら》したあのことは、今も|克《こく》|明《めい》に思い出せる|屈辱《くつじょく》だ。
|憤《ふん》|慨《がい》で|腸《はらわた》が煮えくりかえる。
|額《ひたい》に指を押しつける老いた魔道師の安らかな表情、すぐ後ろで見ていた女王の澄ました|綺《き》|麗《れい》な顔。劇的に|網《もう》|膜《まく》に焼きついたそのどれもが、忘れられない。
あの場にいた全員をずたずたに切り刻み、恐怖に|歪《ゆが》む顔を見て、踏みにじらぬことには、どうにも気持ちがおさまらない。
老魔道師から、魔道などという|得《え》|体《たい》の知れぬ不思議を取りあげ、その無力さを思い知らせたい。
ただの無力な女として泣き叫び、あられもない格好で逃げまどい、救いを求める女王の姿を眺めてなぶり殺さぬことには、すっきりとしない。
滅びるものなら、世界など滅びてしまえばいいと、ディーノは考えている。
力なきものはけっして正義に成り得ぬのだ。
それがすべてにおけるディーノの法則だった。
彼にとって最も重要なのは世界ではない。
「|招喚《しょうかん》の|成就《じょうじゅ》とともに、世界救済のために集められたものを打ち砕いて散らせ、この塔をも解放する。飢え|渇《かつ》えた|囚人《しゅうじん》どもは聖地いっぱいに|雪崩《な だ れ》だすであろう」
|淡《たん》|々《たん》とキハノは語った。
「そなたたち三人の望みを聞こうぞ。どこに送り届けるのがよいか」
キハノが自在に力及ぶのは、この聖地の中。
三人は誰をとっても、暴動の|首《しゅ》|謀《ぼう》|者《しゃ》たるに|相応《ふ さ わ》しい。
考えて、まずイグネシウスが顔をあげた。
「俺は腹が減った。人殺しをする前には力をつけておかねばいかん」
死人には食糧など不必要になるのだから、その分先にいただいても変わらない。
キハノは|承諾《しょうだく》の意をもって、深くうなずいた。
次にオーパが口を開く。
「俺は水が恋しい。浴びるほどの水のある場所へ行きたい」
聖地には、腐った水に困り、清い水を待つすべてのひとびとに分け与えるための、聖者の泉から|湧《わ》き出た水を溜めた池がある。
何万人の|咽《のど》を|潤《うるお》すのに足りる水は、男一人が浴びるのに余りある。
そして最後にディーノが言った。
「招喚の儀式を行っている祭事場の近くへ。|魔《ま》|道《どう》|士《し》も女王も皆殺しにする」
待ちに待った言葉に、にいいっとキハノが笑った。
「我が王よ、|甘《かん》|美《び》なる|紅《くれない》の|宴《うたげ》を存分に楽しまれよ」
第三章 |魔《ま》|道《どう》|士《し》
風にあおられ、ころりと足元に転がり出てきたものに、魔道士見習いの若者は歩みを止めた。
|精《せい》|巧《こう》な|硝子《ガ ラ ス》|細《ざい》|工《く》のようなそれを、そっと取りあげ、顔をあげる。
儀式に用いる|香《こう》|木《ぼく》を運んでいた彼が拾いあげたそれは、|透《す》きとおった、角のない|甲虫《かぶとむし》のようなものだった。
生き物であることを証明するかのように、透明な体の中に、|薄《うす》|黄《き》|色《いろ》に透ける卵を六つ抱いている。
聖地クラシュケスの夜を明るく照らしていた|光虫《ひかりむし》だ。
死んでしまった虫を持って、若者は首を巡らせた。
今、彼のいる広場のすぐ向こう、|枯《か》れ|崩《くず》れて|名《な》|残《ごり》のみとなったポプル樹の並木道を越えた場所に、透明な骨のようにそびえ建つクリスタルの柱がある。
光虫は、|鈴《すず》|蘭《らん》に似た|金《きん》|鈴《れい》|花《か》の木の樹液を吸って生きる夜行性の虫である。
全身が金色に光輝く。
そのため、金鈴花をクリスタルの柱の周りに植えておけばそこに光虫が集まり、柱は夜になれば根本に光源を抱いて照り|映《は》えることとなるのだ。
しかし、この天候異変によって土は腐り、金鈴花も他の植物同様すっかり枯れ果てていた。
樹液を得られなくなった光虫もまた、生きて行くことなどできない。
聖地の夜は朽ちてゆく金鈴花の木とともに光を失い、|暗《くら》|闇《やみ》に沈んだ。
|麗《うるわ》しの聖地の幻想的な夜景は、文字どおりの|幻《まぼろし》となって、消失した。
自然が滅びるときには、生命もまた生きてはいけない。
一刻も早い|復《ふっ》|興《こう》が成されなければ、動植物は死に絶えてしまう。
上級の実力を持つ高級魔道士ならば、一通りの|種《しゅ》を集め、眠らせて生命活動の一時休止をし種の保存をすることができる。
|魔道宮《まどうきゅう》には今も各地から運びこまれた様々な生物がその術を|施《ほどこ》され、ひとときの眠りについているはずである。
そしてまた、死んで間もないものならば、復活の|魔《ま》|法《ほう》を使って|蘇《よみがえ》らせることもできる。
異変に強い卵の形で子孫を残していくものならば、親が死んでいても、卵だけ生かしてやることもできる。
だが彼には。
それほどの実力はない。
|崩《くず》れぬ完全な形の|死《し》|骸《がい》を手にしていても、何をしてやることもできない。
|唇《くちびる》を|噛《か》みしめ、手にした|光虫《ひかりむし》を見つめた若者の|翠色《みどりいろ》の|瞳《ひとみ》が、|滲《にじ》んだ涙で揺れた。
深緑色の|法《ほう》|衣《え》をまとうところから見ると、彼は、ごく|新《しん》|米《まい》の見習い魔道士であるようだ。
本来なら、聖地の中心にいるような魔道士たちの中に混じり、作業できる|分《ぶん》|際《ざい》ではない。
なんらかの理由があってつい最近になって魔道士となる道を選んだのだろう若者は、幼い日から修行を積む子供ばかりの見習い仲間のうちでは、少しばかり異質な存在である。
術の|拙《つたな》さという点では誰と比較もできぬほどに|御《お》|粗《そ》|末《まつ》だったが、成長期を経て出来上がった体と基礎体力は、この混乱の時代における彼の存在価値を高めた。
彼は|乙《おと》|女《め》の|招喚《しょうかん》のために人手の不足する聖地クラシュケスの魔道宮に呼ばれ、儀式の手伝いや補助、そして様々な雑用を言いつかり立ち働いた。
力仕事などそれまで|無《む》|縁《えん》であったと見える若者は、同じくらいの背格好の若者と比べると|遥《はる》かに無力であったが、彼は彼なりに、薄い手の皮を幾度も切り裂き、|綺《き》|麗《れい》に整えられていた白い指先を赤く|腫《は》らせながら、懸命に|頑《がん》|張《ば》っていた。
「レイム!」
立ち止まり、うつむく彼の名を、先を歩いていた|藍《あい》|色《いろ》の法衣を着た中級魔道士が呼んだ。
彼は自分が何を成すべきであったのかを思い出し、そっと光虫を法衣のポケットの中に落としこむと、小脇に|香《こう》|木《ぼく》を抱え直し慌てて魔道士の後を追った。
少し目を離すとすぐに|道《みち》|草《くさ》を食う、薄ぼんやりした見習い魔道士の若者の毎度の|仕《し》|草《ぐさ》に、半ば|諦《あきら》めの気持ちを持ちながら、魔道士は彼を祭事場へとうながした。
レイムは少し頭を下げただけで、魔道士の後ろに付き従った。
一言添えて謝るのが普通ではあるが、レイムには、それはできない。
レイムは|魔《ま》|道《どう》を学びはじめたその日から、老魔道師エル・コレンティの術によって声を封じられている。
魔道を志す誰もがそうしなければならないのではなく、レイムはごく個人的な理由をもって、自ら声を封じることを願い出たのだ。
声を失うことは、彼にとって命を奪われるのと同じくらい|過《か》|酷《こく》なことであったが、それもまた仕方なかった。
自殺という手段を思いとどまったレイムは、|己《おのれ》という存在を捨てて、他人のために尽くして生きる道を選び、魔道士を目指しているのだから。
声、音というものは、本質的に魔道に必要不可欠なものではない。
高級術者であれば、声なくとも複雑な術を自在に|操《あやつ》ることができる。
耳で聞き、己の内で|反《はん》|芻《すう》するという行為が行えないのにすぎない。
初心者には不利な条件だったが、その分、同じ術を使っても、レイムはきちんと基本を押さえた、他人より高等な術を使うことを覚えていた。
修得速度が遅く多くの術こそ知らないが、根本的な実力の点ではけっして|卑《ひ》|屈《くつ》になるものではない。
|招喚《しょうかん》の儀式の行われている中央の祭事場。
一段高くなった大理石の広場の上に、|黒《くろ》|蓮《はす》の花びらから|抽出《ちゅうしゅつ》した|顔料《がんりょう》により|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》が描かれている。
一辺が優に二メートルはあるだろう巨大な|五《ご》|芒《ぼう》|星《せい》を二重円で囲み、円と円とのあいだに、古代ゼルジア文字で太古の神々の名が書き記されている。
|乙《おと》|女《め》の名を知る神々の王と王妃の名、乙女の父である太陽の神の名、姉である月の女神の名、弟である|精《せい》|霊《れい》の神の名。
そして円の外には|創《そう》|世《せい》の神々の名。
レイムの運んだ|香《こう》|木《ぼく》は、その魔法陣の少し外、描かれた五芒星の五つの頂点の延長線上にあたる場所にしつらえられた|護《ご》|摩《ま》|台《だい》の|焔《ほのお》をなすものである。
招喚を行う高級術を|駆《く》|使《し》することのできる十人の魔道士は、この魔法陣、外側の円の所から、それぞれ五芒星の角となる十の場所に向かい祈りを捧げている。
体力の|消耗《しょうもう》の度合いによって、合図を送り、次なる者たちと素早く交代しながら、片時も途切れることなく招喚が続けられている。
周りに控えた大勢の魔道士たちは、ときおり吹きくる氷の|息《い》|吹《ぶき》を含むかのような冷たく激しい風から|護《ご》|摩《ま》の|焔《ほのお》を必死で守り、燃え落ちた灰が魔法陣に|被《かぶ》ることのないよう細心の注意をはらっている。
鮮やかなオレンジ色の焔を天高く上げ、黒煙をなびかせながら|弾《はじ》け燃える護摩の光を受けて、祈りを捧げる魔道士の|藍《あい》|色《いろ》の|法《ほう》|衣《え》がくっきりと見える。
魔法陣に彼ら十人の影が幾つも重なり合いながら揺れている。
|焚《た》かれる|香《こう》|木《ぼく》の神秘な甘い臭いが、とろりと淀みながら一帯に満ちている。
重さがあるかのような濃厚な香木の臭いは、激しい風にも吹き飛ぶことがないかのようだ。
耳を打つのは今はもう知る者とて特別な一部の者に限られてしまった、古代ゼルジア語の|呪《じゅ》|文《もん》。
目に映るのはオレンジの焔に照り映える不思議な|招喚《しょうかん》の儀式。
|鼻《び》|孔《こう》を浸すのは頭の|芯《しん》をぼうっととろかす神秘の|薫《くん》|香《こう》。
香木を運び終え、|去《さ》り|際《ぎわ》なにげなく遠のいた祭事場を振り返ったレイムは、自分の立場を忘れて立ち尽くし、それらの光景をうっとりと見つめた。
「ちょっとそこの人! 動かないで!」
頭上から声が降った。
夢破られ現実に立ち返ったレイムは、ぱちぱち|瞬《まばた》きしながらゆるりと上を見あげる。
見あげた視界が、黒い影に|覆《おお》われた。
何が起こったのか即座に|把《は》|握《あく》できなかったレイムは、うろたえて足をもつれさせ、|石畳《いしだたみ》の上に|尻《しり》|餅《もち》をついて転んだ。
ばさばさと巨大な翼が空気を切り、一頭の|飛龍《ひりゅう》がレイムの頭上を越えて舞い降りる。
翼の起こした風に半分フードを吹き飛ばされ、ぺたんと座りこんだままの|無《ぶ》|様《ざま》な格好で、レイムはそれを|呆《ぼう》|然《ぜん》と見つめる。
尾の長い、|蝙《こう》|蝠《もり》に似た翼を持つ首長の飛龍は、凶暴な|肉食獣《にくしょくじゅう》のそれである。
しかも目の前にいるもののように、全身が|青《せい》|銅《どう》|色《いろ》に輝く大きさの揃った|鱗《うろこ》で覆われているものは、より飛龍の純粋種に近い。
|種《しゅ》の改良がなされていないものは、なかなか|馴《な》れない扱いにくい龍だが、一度主人を認めると、これ以上頼りになる心強い仲間はいない。
飛行移動のための乗り物であり、賢く|獰《どう》|猛《もう》な|相《あい》|棒《ぼう》だ。
今|目《ま》の当たりにしているそれは、誰の手でも扱いやすいように、口輪の奥に|爬虫類《はちゅうるい》に|鎮《ちん》|静《せい》|剤《ざい》的効果を与えるナラカ|蔦《つた》を絡ませ、言うことをきかせている。
|鋭《するど》い切れ長の赤い目は、夢見るように|焦点《しょうてん》が定かでない。
これは、翼ある|乙《おと》|女《め》の一行のために集められた特別の飛龍に違いない。
立派な|鞍《くら》をつけた上等の飛龍の背からひらりと降り立った人物は、|石畳《いしだたみ》に硬い靴音を響かせてレイムの前にやってきた。
「驚かせて悪かったわ。|不《ぶ》|作《さ》|法《ほう》でごめんなさい」
腰帯に宝石飾りのついた立派な短剣を差した、男身なりの若い女は、歯切れのいい口調で言った。
|骨《ほね》|太《ぶと》ながっしりとした長身や、肩口で切り揃えた大きく波打つ|亜《あ》|麻《ま》|色《いろ》の髪。よく日焼けした|肌《はだ》の色と薄い水色の|瞳《ひとみ》。
気性の激しさを物語る、きっぱりとした顔形。
紹介をされなくとも、彼女が|紛《まぎ》れもない龍使いの一族の娘であることがわかった。
若さと溢れる生命力で、レイムの目には彼女が、太陽の一部を受け継いだ娘であるように見えた。
娘は半分口を開け間抜けな格好で自分を見あげる若い見習い|魔《ま》|道《どう》|士《し》を見返して、|眉《まゆ》をひそめ、ふんと鼻を鳴らす。
どうやら彼女は見当違いをしたらしい。
広場一帯にいた魔道士を上から眺め下ろし、一人違う色の|法《ほう》|衣《え》を着た者を見つけたので、てっきり彼こそが高位の者に違いないと思いこんでいたのだ。
だが、今娘の前にいるのは、高位とはほど遠い、魔道士の|威《い》|厳《げん》に乏しい軟弱な若者だった。
|龍《りゅう》を制する一族として、まず力あることが第一条件である娘の目からは、彼になんの魅力も見いだせない。
彼女は、ずり落ちたフードからはみ出た長い金色の巻き毛も、長い|睫《まつげ》に囲まれたおっとりと星を浮かべた|翠色《みどりいろ》の大きな|瞳《ひとみ》も、すんなりと通った細い鼻筋も、この若者の|腑《ふ》|抜《ぬ》け具合を象徴する典型的な姿形であると思った。
出会った相手があまりにも|不《ふ》|甲《が》|斐《い》ない、|新《しん》|参《ざん》|者《もの》の見習い魔道士の男であったことに半ば失望しながら、娘は口を開く。
「頼まれていた|飛龍《ひりゅう》を届けに来たの。特設の|龍舎《りゅうしゃ》がどこにあるか教えてくれないかしら」
願いを聞き、圧倒されたまま、レイムはがくがくと首を縦に振る。
娘は手を差しだし、立ち上がる動作をうながした。
レイムは差しだされた娘の手を借りて、よたよたと腰を上げた。
柔らかくほっそりと指の細い白いレイムの手を握った娘の手は、|藁《わら》と土の臭いが染みた、皮膚の厚いごつごつと荒れた手だった。
底の薄いサンダル履きで立ち上がったレイムと、|踵《かかと》のある長靴を履いた娘とは、ほとんど目の高さが変わらなかった。
正面からぶしつけな娘の目線を受けてレイムは|頬《ほお》を赤らめ、少しばつが悪そうに乱れたフードを直し、|砂埃《すなぼこり》で白く汚れた法衣の|裾《すそ》を払った。
娘の問いに答えようとしたレイムは、口をぱくぱくさせてから、自分の置かれていた状況を思い出す。
|喋《しゃべ》ることのできないことを、改めて認識した。
そうして、娘から少し離れ|会釈《えしゃく》して、レイムは彼女を|龍舎《りゅうしゃ》に案内すべく歩きだす。
声を封じられているレイムには、場所を尋ねられても、こうするしか方法はないのだ。
誰もが文字を読める教育を受けているとは限らない。失礼になりそうなことは、できるだけ避けて通りたいと、いつでもレイムは思っている。
娘は、無口な見習い|魔《ま》|道《どう》|士《し》の若者を、果たしてあてになるものなのかどうなのかと疑りながら、とりあえず|飛龍《ひりゅう》の|手《た》|綱《づな》を引いて付き従った。
レイムが娘を案内した龍舎は、|乙《おと》|女《め》の|招喚《しょうかん》のために特設された建物の一つである。
もとは中央祭事場のための二階建ての物置小屋であったところを、|急遽《きゅうきょ》改装した。
一階を飛龍のために、二階を龍使いたちの仮泊まり場にしてある。
龍舎が近くなることは、目で見るよりも、血でできた甘い大粒の|葡萄《ぶ ど う》のような、独特の龍の臭気でわかった。
龍舎の周囲に山をなし、あるいは運びこまれた大量の|藁《わら》と、飛龍の吐く息と|排《はい》|泄《せつ》|物《ぶつ》の臭いが、そこで|蒸《む》れてわだかまっている。
龍舎の建物そのものは、クラシュケスのあちこちで見かける|白《はく》|亜《あ》の|小《こ》|綺《ぎ》|麗《れい》な建築物の一つなのだろうが、我が物顔で|野《や》|蛮《ばん》な龍使いが|闊《かっ》|歩《ぽ》し、獣の汚れと臭いに染まり、今はすっかり龍舎と化してしまって見る影もない。
龍舎には、招喚が成功し彼らがいつでも出発できるように、世界救済の人数に合わせて四頭が常時揃えられている。
飛龍は純粋種であればあるほどひとに|馴《な》れにくく、小屋に閉じこめて飼うことが困難な動物だ。
特定の主人を持たぬ今は、完全に制する権限を持つ者がいないので、凶暴さを抑えておくために仕方なく、龍種に幻覚作用を起こさせるナラカ|蔦《つた》で半分|催《さい》|眠《みん》状態にしてある。
あまり長いあいだ、この状態でいることは、飛龍の健康上望ましくはない。
そこでそれを補う手段として、一日に何度か、|頻《ひん》|繁《ぱん》に飛龍の交換がされている。
娘は里からいつでも使い物になる一番いい状態に仕上げた飛龍を運び、状態の|劣《れっ》|化《か》しているものと交換する作業を言いつかってきたらしい。
龍舎では交代する飛龍の到着を待ちわび、龍使いの男たちが里に戻す飛龍を表に出して、用意を整えていた。
飛龍のほうでも、男たちの様子からなんとなく空に放され里に戻れることを感じとって、すっかり落ち着きをなくしている。
龍舎の中に留めておくだけでもなかなかの重労働であったため、表に出して|騙《だま》し騙しなだめた形になっている。
里の者たちの姿を見つけ、娘は大声で自分たちの到着を告げた。
青年の何人かが、ばたばたと娘に駆け寄る。
男たちや龍、土と|藁《わら》の臭いが、彼らの移動にうながされ波のような勢いをもってレイムと娘の|嗅覚《きゅうかく》に届いた。
慣れないそれに、レイムは|微《かす》かに鼻を鳴らして|眉《まゆ》をひそめた。
逆に、祭事場一帯に立ちこめていた香の臭いに|居《い》|心《ごこ》|地《ち》の悪さを感じていた娘は、本来の元気を取り戻し、生き生きと表情をくつろげる。
顔見知りの仲間と見知らぬ土地で再会した、それだけの理由で緊張がほぐれたのではない。
靴裏についた土を|石畳《いしだたみ》に大量にばらまきながら駆け寄る彼らに道を開けて、レイムは横にしりぞいた。
蹴散らされそうな|雰《ふん》|囲《い》|気《き》に恐怖しなかったとも、あながち言いきれない。
男たちは最下位の|魔《ま》|道《どう》|士《し》に目もくれず、一直線に娘と飛龍を出迎えに|馳《は》せ参じた。
「遅いぞシルヴィン!」
娘と顔立ちの|似《に》|通《かよ》った青年が、娘の手から飛龍の|手《た》|綱《づな》を受け取る。
青年と年格好の似た他の若者たちが、飛龍の翼を|撫《な》でさすりなだめながら龍舎に追い立てる。
出発できるのを今や遅しと待ち受けていた飛龍が、ばさばさと翼を振って乗り手を|急《せ》かし、入れ替わりももどかしく空に飛び立つ。
娘は名を呼んだ青年と肩を並べた。
「ごめんなさい兄様。|蔦《つた》をはませるのに失敗して、ロペス|叔《お》|父《じ》|様《さま》たちが飛龍に|怪《け》|我《が》させられたのよ。大事にはならなかったけど、他の飛龍たちまで興奮して、大騒ぎになってしまって、|後《あと》|始《し》|末《まつ》に時間がかかっているの。仕方なくわたしが来たのだけれど、わたしではこの飛龍は少し荷が重かったわ」
確かに、彼女の乗ってきた|飛龍《ひりゅう》は、|素《しろ》|人《うと》のレイムの目で判断しても、かなり立派なものだった。
遠目で見ても、龍舎にいる飛龍よりこっちのほうが物がいい。
王候貴族や武人といえど、これだけの飛龍を持つ者はいるまい。それだけ特別|誂《あつら》えの、飛龍なのだろう。
ひょっとすると、わざわざ世界救済のこのために、野性種のものを捕らえて調教したのかもしれない。
半年もの時間があれば、たぶんどうにか形になるはずだ。
シルヴィンと呼ばれた娘は、届けた飛龍と一緒に囲まれ、兄たちに連れられていきながら、ちらりとレイムに視線を投げ簡単な礼をした。
緊張していた表情が余裕をもって|緩《ゆる》むと、さっきレイムが見たよりも、彼女はやや幼い輝きを持つ|瞳《ひとみ》をしていた。
レイムとは種族が違い根本的に全体の骨格が大きいので、実際の年齢よりもやや上の歳を見当していたようだ。
娘盛りということに誤りはないが、レイムよりは五つくらい年下だろう。
嫁入り前の微妙な年頃だ。
|気《き》|遣《づか》った兄が、妹の周りに近付くかもしれない若者に対して壁を作って、それとなく|阻《はば》んでいる格好が|微《ほほ》|笑《え》ましい。
レイムはシルヴィンの礼を受け頭を下げる。
彼の役目は終わった。
龍舎に去っていく龍使いたちの後ろ姿を見送りながら、もしも自分があの中の一人であったならと、ぼんやりと思いを巡らせたレイムは、そのあまりの馬鹿らしさに薄く微笑んだ。
どんなに楽しそうで|憧《あこが》れても、あれはけっしてレイムのような者に適した生活ではない。
レイムは、あの娘や青年たちのように、がっしりとした骨格を持ってはいない。
盛り上がった固い筋肉もない。
綱を握り引く力も、分厚い手のひらの皮膚もない。
だがそれよりも。
レイムは、彼らのように健全に太陽を仰ぎ、生きていく資格がないのだと思った。
自分にはそのようなことは許されないのだと。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》となる道を選び声を封じることを願ってから、レイムは生きていながら自分のためには死んでいるのだ。
(…………)
小さく|溜《た》め|息《いき》をつき、レイムは顔を上げた。
そして自分が用事を言いつかっていたことを、はっと思い出す。
物思いに沈んでいる場合ではない。
レイムは|魔道宮《まどうきゅう》のほうに足を向け変えた。
小走りに歩を踏み出そうとしたレイムの|脳《のう》|裏《り》に。
やわらかな輝きを帯びた真っ白な光が|弾《はじ》けた。
ふらりとよろめいてレイムはその場に|膝《ひざ》を折る。
目の前に突然、色濃い自分の影が生まれた。
ぎくりと首を巡らせたレイムの背後にあるのは、中央祭事場。
|招喚《しょうかん》の儀式の行われているだろうそこに。
天まで届く光の柱がそびえ立っていた。
暗い雲間に突き立つ、一条の|清浄《せいじょう》なる聖光。
光柱に目を奪われ、|憑《つ》かれたようにレイムは立ちあがる。
きゅんと胸が鳴った。
切なく、|哀《かな》しく、喜ばしい、初恋にも似た感覚で体の|芯《しん》が震えた。
うるんと視界が揺れた。
そして。
耳をつんざく|轟《ごう》|音《おん》が鳴り響き幾筋もの電光が空を切り裂いた。
大地が|鳴《めい》|動《どう》し同時に|落《らく》|雷《らい》の直撃を受けた幾つもの建物が豪快な音を立てて|崩《くず》れ落ちる。
あちこちで悲鳴があがった。
|獣《けもの》の|咆《ほう》|哮《こう》に似た、荒れ狂い歓喜した男たちの叫び声が、離れた場所から|怒《ど》|濤《とう》のように溢れきた。
足元をすくわれ、|尻《しり》|餅《もち》をついて|無《ぶ》|様《ざま》に座りこんだレイムは、|呆《ぼう》|然《ぜん》とする。
次々と|閃《ひらめ》く|雷《らい》|光《こう》で、視界は休まることを知らない。
|鼓《こ》|膜《まく》を震わせ続ける|雷《らい》|鳴《めい》で、頭がじーんとしびれている。
地面を揺るがす激しい落雷は、留まる|気《け》|配《はい》もない。
聖光はある。
あるが……。
|困《こん》|惑《わく》して心細い表情でレイムは|眉《まゆ》を寄せた。
いったい何が目の前で起こっているのかわからなかった。
伝説の|乙《おと》|女《め》の|招喚《しょうかん》、聖なる奇跡の儀式の成功の瞬間であったのか。
世界滅亡の瞬間であるのか。
ふっと聖光が消えた。
同時に激しい落雷も、ぴたりと止んだ。
|崩《くず》れ落ちる聖地の|壊《かい》|滅《めつ》の音と、|鬨《とき》の声に似た男たちの|怒《ど》|号《ごう》と、悲鳴だけが聞こえている。
光を失った|天《てん》|空《くう》では、黒雲が生き物のようにごばごばと|蠢《うごめ》いている。
空を見あげるレイムの上に。
ぽつりと。
雨粒が降り落ちた。
何気なく手で受けたその手のひらを見、レイムは張り裂けんばかりに目を見開く。
|温《あたた》かな感触を残すその|雫《しずく》は。
|紛《まぎ》れもなく。
真新しい血であった。
|愕《がく》|然《ぜん》とするレイムのゆっくりとした反応を待たず、雨はばらばらと地に落ちはじめた。
フードに包んだ頭を強く打ちだしたそれに慌てて、レイムは街路樹の脇に設けられていた休息の|日《ひ》|陰《かげ》|場《ば》の簡易テラスに逃げこんだ。
|湯《ゆ》|気《げ》さえあげる、|生《なま》|臭《ぐさ》い血の雨は、|瞬《またた》く間に集中豪雨となって降り注いだ。
内臓を|鷲《わし》|掴《づか》みにし、胃液を逆流させるほどの生々しい臭気に|吐《は》き|気《け》を|催《もよお》したレイムは、ぐうっと|咽《のど》を鳴らし、鼻と口を押さえてベンチに腰を落とした。
紅色の通り雨はすぐに上がった。
しかし、それが夢や|幻《まぼろし》ではない証拠に、|石畳《いしだたみ》はどろりと|粘《ねん》|液《えき》|質《しつ》な輝きを|湛《たた》えた赤い液体で濡れ、ところどころで|血《ち》|溜《だ》まりを成していた。
氷の|息《い》|吹《ぶき》を含んだ風は、|生《なま》|臭《ぐさ》く|温《あたた》まって、血に濡れた聖地を|奔《はし》り抜けた。
第四章 具現
|招喚《しょうかん》の儀式、|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちの懸命の努力にも関わらずなんら変化の見られない祭事場。
|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》に向かう魔道士の古代語における祈りの声だけが、激しく押し寄せる波のように唱和されている祭事場の|側《そば》。
|石畳《いしだたみ》の上に、ぽつりと黒い点が生まれたかに見えた。
目を止め、|眉《まゆ》をひそめてふと足を止めた魔道士の見守る中、わずかな点のように見えたそれは、みるみるうちに大きく広がり、影の|溜《た》まりとなった。
石畳のあいだから染みでた影の溜まりは、|膨《ふく》れあがり、影の小山と化す。
実体を消失した暗黒のわだかまりのようなそれは、見あげるほどの大きさとなったとき、ふいに質量を持つものとなった。
|漆《しっ》|黒《こく》のそれは、黒く輝く|紫《むらさき》の|法《ほう》|衣《え》の色と変化する。
紫の法衣をまとったその者は、全身を|覆《おお》い隠すために上げていた腕を解いた。
|招喚《しょうかん》成功の|予兆《よちょう》を感じた女王トーラス・スカーレン、そして|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》隊長バルドザックを連れ、|魔道力《まどうりょく》を用いて祭事場に移動を行った魔道師エル・コレンティ老である。
高貴なる|麗《れい》|人《じん》を|伴《ともな》い突然に現れた師に驚いて、|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の周囲にいた魔道士たちが何事かあらんと集まる。
「衣装をこれへ!」
枯れた巨木のように背の高い老魔道師は、|朗《ろう》|々《ろう》と響く声で魔道士に命じた。
|命《めい》を受けて、小物の係に当たっていた者が進み出、翼ある|乙《おと》|女《め》のために用意した一揃えの衣装を持ち捧げる。
上等の絹織物で作った純白の長衣と|金《きん》|糸《し》の腰帯を、女王自らが手に取った。
そして、状況の進行を予感している女王と老魔道士が魔法陣に向きなおり、いずまいを正すと同時に。
招喚の魔法陣に。
光が|炸《さく》|裂《れつ》した。
光は爆発的に|弾《はじ》け、|天《てん》|空《くう》を刺す光の柱が魔法陣いっぱいに突き立つ。
瞬間に溢れ|迸《ほとばし》った光の圧力を受け、招喚に当たっていた魔道士たちは|紙《かみ》|屑《くず》のようにあっけなく吹き飛ばされた。
|焔《ほのお》をあげていた|護《ご》|摩《ま》の|香《こう》|木《ぼく》が、一瞬にして吹き消された。
身構えてはいたものの、|微《かす》かに揺らいだ女王の背を、バルドザックが腕を伸ばして支える。
だぶついた重い|法《ほう》|衣《え》を光の力で激しくはためかせながら、老魔道師は静かに腰を落とした。
不意打ちを食らった魔道士たちが、光に|薙《な》ぎ倒されて転倒する。
この、天界への|扉《とびら》が開かれた奇跡の時、瞬時に|己《おのれ》の内で増大した魔道力を感じ、体じゅうの細胞が爆発したかの|錯《さっ》|覚《かく》を起こした魔道士が大半だっただろう。
魔法陣に現れたのは、視界を真っ白に変えるほどの絶対的な明るさを持つ光であったが、それはけっして|瞳《ひとみ》を射るものではなかった。
太古の昔から、伝説となりひとびとに伝えられてきた、|紛《まぎ》れもない聖光だ。
暗き|混《こん》|沌《とん》とした淀みを浮かべる空の一点を|貫《つらぬ》いて、一条の神聖なる光が存在していた。
そして。
その|清浄《せいじょう》なる光の柱を誰もが認識したかに見えた時。
耳をつんざく|轟《ごう》|音《おん》が鳴り響いた。
幾筋もの電光が空を切り裂いた。
大地が|鳴《めい》|動《どう》し、同時に|落《らく》|雷《らい》の直撃を受けた幾つもの建物が音を立てて|崩《くず》れ落ちた。
聖地のあちこちで、悲鳴があがった。
|獣《けもの》の|咆《ほう》|哮《こう》に似た、荒れ狂い歓喜した男たちの叫び声が、聖地の中、|怒《ど》|濤《とう》のように溢れた。
|招喚《しょうかん》の儀式に当たっていた|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちが、倒れた者のうちではいち早く身を起こし、顔を上げた。何事が起こったのかと首を巡らせ、一番の頼りとする者のほうを振り仰ぐ。
|紫《むらさき》の|法《ほう》|衣《え》をまとう老魔道師は、魔法陣に輝く聖光に向かってひざまずき、厳しい表情で黙し、|印《いん》を結んでいた。
圧倒的な力を持って出現した光によって、はからずも祈りを中断してしまった十人の高級魔道士に成り代わり、ただ一人儀式を続行しているのだ。
エル・コレンティの祈りにより光なす魔法陣の中央に。
虹色に輝く|靄《もや》が生じていた。
靄はふわりと膨れあがり、ほっそりとしたしなやかな人型を作るように集まる。
なよやかにまろい曲線を描くそれは、確かに|乙《おと》|女《め》のものらしく凝りはじめた。
奇跡の招喚は、現実となろうとしている。
祭事場に集う者たちは、|驚愕《きょうがく》しながら、|固《かた》|唾《ず》を飲み成り行きを見守った。
だがしかし。
その一方で。
次々と|閃《ひらめ》く|雷《らい》|光《こう》は休まることを知らない。
|轟《とどろ》く|雷《らい》|鳴《めい》は体の|芯《しん》を揺する。
地面を揺るがす激しい|落《らく》|雷《らい》はとどまる|気《け》|配《はい》もない。
明らかに、天と地を|繋《つな》ぐ光の柱と空を切り裂く雷とは、性質を|違《たが》えている。
聖と邪のように、|相《あい》|反《はん》するもののように、感じられる。
まるでこの天界と世界が繋がった一瞬を目がけて、両者の力が放出したかのように。
聖なるものは、無論老魔道師エル・コレンティその人である。正しき心持つ偉大なる魔道師は、世界救済の願いをこめて伝説の|乙《おと》|女《め》の|招喚《しょうかん》を行っているのだ。
では。
今、激しさを増して荒れ狂う|天《てん》|空《くう》と大地は、果たしてなんなのだろう。
|困《こん》|惑《わく》の|面《おも》|持《も》ちで、成り行きを見守る|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちは空を振り仰いだ。
祈りを捧げる老魔道師の真後ろに|雷《かみなり》が落ちた。
|石畳《いしだたみ》が割れ砕け|轟《ごう》|音《おん》を発して大地が裂ける。
|落《らく》|雷《らい》の直撃や被害を受けた魔道士たちが死傷して倒れた。
老魔道師になりかわり指揮の義務を|担《にな》う高級魔道士が、慌てて混乱する者たちの騒ぎを|鎮《しず》めるため腰をあげた。死傷者を|魔道宮《まどうきゅう》に運ばせ、老魔道師が招喚に集中できるよう、魔道による|結《けっ》|界《かい》を張り巡らせる。
|不《ふ》|穏《おん》に|鳴《めい》|動《どう》する大地で、エル・コレンティは顔色一つ変えず儀式を行い、女王は|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》を|側《そば》に置いて立ち、|毅《き》|然《ぜん》と聖光の柱が|屹《きつ》|立《りつ》する|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》を見つめている。
誰もが祈りをこめて見守る中。
虹色に輝いていた人型が、少しずつ、明確さを帯びはじめた。
豊かに波打つかげりとなって見えるのは、確かに長き黒髪。
なだらかにくびれ、やわらかく盛り上がるのは、白い|裸《ら》|身《しん》。
神々の持つ完璧な形状。
|黄《おう》|金《ごん》|律《りつ》と|謳《うた》われる至上の肉体。
|瞳《ひとみ》を吸い寄せられるように、我を忘れ、|呆《ぼう》|然《ぜん》としてひとびとは乙女の影を見つめた。
はっと、エル・コレンティの瞳が、一瞬頭上に向けられた。
ひとびとの視線を集める、その真上。
黒雲|渦《うず》|巻《ま》く天空。
聖なる光刺すその周囲に、|大《だい》|蛇《じゃ》に似た|禍《まが》|々《まが》しい|雷《らい》|光《こう》が生じた。
雷光は激しく|瞬《またた》きながら、生あるもののように聖なる光柱の表面を這いまわるようにして。
爆烈するかのごとくに。
落ちた。
大地を根本から分断するに足りる力を持つ、|落《らく》|雷《らい》があった。
爆心地となったのは、|招喚《しょうかん》の|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》、そのものだった。
聖地クラシュケスそのものを|粉《ふん》|砕《さい》することができるほどの、威力が込められた一撃だった。
だが、皆がそれをはっきりと知ることはなかった。
エル・コレンティが、あらん限りの|魔道力《まどうりょく》を持って、そのエネルギーを|天《てん》|空《くう》へと跳ね飛ばしたからである。
招喚の儀式の片手間にそれを行えるほどの余裕はなかった。
エル・コレンティは|咄《とっ》|嗟《さ》に、儀式の続行よりも現時点の状況維持を選んだ。
儀式は世界を救うためのものだ。
しかし、この|邪《じゃ》|悪《あく》なる|落《らく》|雷《らい》を|阻《そ》|止《し》できねば、世界は|壊《かい》|滅《めつ》|的《てき》な打撃をこうむることになる。
聖地、この魔法陣を描いた場所こそが、特別な地点なのだ。
ここが|滅《め》|茶《ちゃ》|苦《く》|茶《ちゃ》に|粉《ふん》|砕《さい》されてしまっては、儀式を再びやり直す可能性や、希望までも打ち砕かれてしまう。
邪悪なる|雷《らい》|蛇《じゃ》の存在に気づいたのは、老魔道師ただ一人だけだった。
邪なる者の|介入《かいにゅう》を受け、むりやり儀式を打ち切らされたエル・コレンティは、|額《ひたい》に|脂汗《あぶらあせ》を浮かべ、ようやくの形で体勢を保っていた。
きわどい一瞬であったが、招喚の儀式そのものが一応の終結を迎えていることを、老魔道師は知った。
成功にしろ失敗にしろ。
完全にしろ不完全にしろ。
雷蛇の強襲の直後。
聖光は消えた。
光の中に閉じこめられていた|可《か》|憐《れん》な肉体は、支えをなくしくたりと|頽《くずお》れた。
同時に、天空を騒がせていた激しい落雷も、ぴたりと|止《や》んだ。
暗雲垂れこめる空は、つい先までと変わらぬ状態に戻った。
|名《な》|残《ごり》だけが|僅《わず》かに残った。
何も存在しなかった魔法陣の上には。
確かに。
一人の美女が出現していた。
人影をみとめ、女王と|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》が魔法陣の中に踏み込んだ。一足遅れ、バルドザックがその後を追う。
|乙《おと》|女《め》を見、|微《かす》かに女王は|戸《と》|惑《まど》いの表情を浮かべた。
老魔道師は、|穏《おだ》やかな|眉《まゆ》を少し寄せた。
バルドザックは、意外な展開に|驚愕《きょうがく》し目を見開く。
「こ、これは……?」
素早く視線を投げかけられた老魔道師は、それ以上|微《み》|塵《じん》も表情を変えなかった。
魔法陣の中にうつ伏せて倒れているのは、黒髪を長く広げた、美しい乙女の|裸《ら》|身《しん》。
|焦《こ》がれ、祈りをこめて懸命に行った|招喚《しょうかん》により、現れいでたる者。
だが。
その乙女の背には。
翼がなかった。
一度軽く|唇《くちびる》を|噛《か》んで|瞬《まばた》きし、女王は乙女に歩み寄った。
乙女を助け起こすため、|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は、そっと乙女の|傍《かたわ》らに|跪《ひざまず》いた。
女王は手に持つ衣装を老魔道師に差しだした。
老魔道師は大きくそれを|翻《ひるがえ》し、広げて乙女の体に|被《かぶ》せる。
いったいどういう手順を取ったのか、それらは乙女の上に舞い降りるかと見えたときには、腰帯を回し、すでにきちんと着付けられていた。
うやうやしく手を伸ばし、老魔道師は乙女を抱き起こす。
押し黙った彼らの上に。
ぽつりと。
赤い雨粒が落ちた。
|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》を濡らし落ちたものが何かと見定めて、バルドザックが色をなした。
|側《そば》に残っていた魔道士たちもまた、降り出したそれに驚く。師と女王を守るため、一度退いた|結《けっ》|界《かい》を復活させようと、再びぐるりと祭事場を取り囲む。
真新しい血液そのものにほかならない|深《しん》|紅《く》の雨は、魔道士たちが作りだした結界、目に見えぬ半球状の力場に|阻《はば》まれながら、聖地に降り注いだ。
透明な|天《てん》|蓋《がい》に当たり、湯気をあげながら降る|生《なま》|臭《ぐさ》い雨は、血流の滝をつくってよれながら、|石畳《いしだたみ》の上に流れ下っていった。
赤い豪雨は、ほんの数十秒ほどで降り止んだ。
「エル・コレンティ様、これは失敗ではないのですか!?」
バルドザックは、悲鳴のような声で老魔道師に問いかけた。
彼にはこの|招喚《しょうかん》の瞬間そのものが、|凶兆《きょうちょう》であるように思えた。
聖光の出現と荒れ狂った天地。
そして今しがたのこの血の雨。
これは何か自分たちにとって不都合な展開が起こっている|証《あかし》なのではないだろうか。
招喚そのものが、行うべきでないことであったのではないだろうか。
だいいち。
具現した乙女は、伝説の翼ある乙女ではない。
魔法陣をぐるりと囲み、血の雨に対する結界を作っていた魔道士たちは、役目を終え師を見つめる。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は、バルドザックに答えない。
いきさつはどうであれ、彼女こそが、|招喚《しょうかん》した乙女であることに間違いはないのだ。
人違いであろうとなかろうと。
招喚した本人であるエル・コレンティには責任がある。
この世界に訪れた客人として扱わねばならない。
そっと抱き起こすエル・コレンティの枯れ木に似た長い腕を背に回され、乙女はその|麗《うるわ》しい|容《よう》|貌《ぼう》を見せた。
白くなるほど固く|拳《こぶし》を握りしめたバルドザックをそのままに、女王は老魔道師の横に腰を落とした。
その女王の|仕《し》|草《ぐさ》に、バルドザックは、むっと|眉《まゆ》を寄せる。
女王トーラス・スカーレンのように高貴なる者が、正体定かでない乙女のために|膝《ひざ》を折るのは、喜ばしい行為ではない。
「トーラス様!」
|咎《とが》めるようにバルドザックは女王の名を|怒《ど》|鳴《な》った。
女王は、|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》隊長の荒らげた声にまったく動じる様子を見せなかった。
大声を耳にし、ぴくりと乙女の長い|睫《まつげ》が震える。
|微《かす》かに、ふっくらとしたやわらかそうな|薔《ば》|薇《ら》|色《いろ》の|唇《くちびる》が|喘《あえ》いだ。
目覚めの|気《け》|配《はい》を見てとって、間近く見つめるために、バルドザックは慌てて|屈《かが》みこむ。
表情こそ変えないが胸深くに暗い|危《き》|惧《ぐ》を抱く老魔道師と、聖女の出現を信じて疑わない女王と、|好《こう》|奇《き》|心《しん》に駆られた青年の、三人が食い入るように見守る中で。
乙女は静かに目を開いた。
星を浮かべきらきらと輝く、|瑞《みず》|々《みず》しく|潤《うる》んだ|群青《ぐんじょう》の|瞳《ひとみ》が、うっとりと見開かれる。
見つめる者の心を吸い込み|心《ここ》|地《ち》|好《よ》く酔わせるような、どこまでも透明に澄んだ神秘的で|無《む》|垢《く》な瞳だった。
内から|滲《にじ》み出る聖なるものの確固たる存在を感じとり、エル・コレンティは一人|安《あん》|堵《ど》する。
邪なる者を呼び寄せてしまったのではない。
彼女によって世界が救われなくとも、これ以上悪くなることはない。
女王は心から安らいだ|微《ほほ》|笑《え》みを|頬《ほお》に浮かべ、優しく乙女を見つめた。
乙女の|類稀《たぐいまれ》なる美しさに魅せられ、バルドザックは、ぼーっとなる。
たとえ我が身の血肉を捧げねばならない魔物であっても、|許《きょ》|諾《だく》してしまいそうなほどに、衝撃的な魅力があった。
それは、バルドザックのような若い男性だけでなく、トーラス・スカーレンやエル・コレンティの心でさえ揺さぶり動かす、本物の|魅《み》|惑《わく》である。
|乙《おと》|女《め》は|瞳《ひとみ》を巡らせ、自分の置かれている状況を認識する。
倒れ伏した自分を助け起こし、見守ってくれていた優しい瞳をしたひとたちに、|微《ほほ》|笑《え》んでみせる。
「ありがとう。だいじょうぶですわ」
|可《か》|憐《れん》な金の鈴を鳴らす声で、乙女は三人に語りかけた。
細く高く甘く響く、なんとも|心《ここ》|地《ち》のいい|声《こわ》|音《ね》だった。
耳だけでなく、やんわりと体に染みこむような声だ。
自力で起きあがろうとする乙女の動きに、|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は手を貸す。
大きな手を支えにして、乙女は一人少しばかり頼りなげに体をふらつかせながら、ゆっくりと立ちあがった。
立ちあがり。
血に濡れた|廃《はい》|虚《きょ》の|有《あ》り|様《さま》を目にし|驚愕《きょうがく》する。
廃虚。
少なくとも、ついさっき荒れ狂った|落《らく》|雷《らい》によって激しく打ち|崩《くず》されたばかりのそれは、何も知らない彼女の目にはそう映った。
どこか遠くで、|獣《けもの》じみた声をあげて歓喜している男たちの、毒々しい叫び声も聞こえる。
|呆《ぼう》|然《ぜん》とした彼女は、次に自分の立っている図形を描く大理石の広場と、それを取り囲んで控える|法《ほう》|衣《え》をまとった大勢の者たち、そして足元で|膝《ひざ》を折って控える三人の様子に気がついた。
誰もが自分にまっすぐに投げかけてくる、すがるようなひた向きな視線に気がついた。
「ようこそファラ・ハン。わたくしたちのプラパ・ゼータへ」
うやうやしく|頭《こうべ》を垂れ、女王は言った。
ハンとは、古代ザルジア語で神とも等しい高貴なる|美《び》|姫《き》を表す特別の称号。
呼びかけられ、乙女は瞳を|瞬《まばた》き、|困《こん》|惑《わく》するように、両手を胸の前で握りしめた。
美しい花の顔を、心細げに|歪《ゆが》める。
「わたしの知らないあいだに何が起こったのか、教えてください」
世界救済の望みを持つ者たちは、乙女の問いかけに|兆《きざ》しを感じとり、はっと表情を輝かせた。
しかし乙女はそれらの|眼《まな》|差《ざ》しを受けながら、|憂《うれ》えるように|麗《うるわ》しい表情を曇らせる。
「わたしは、どうしてここにいるのですか? そして先ほどの名は、わたしのことなのですか? わたしは……、いったい、誰なのでしょう……?」
ジグソーパズルの一片が消失したかのように。
彼女の記憶の一部が抜け落ちていた。
|乙《おと》|女《め》は両手を|頬《ほお》に当て|悲《ひ》|嘆《たん》に暮れる。
|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の上に立つのは、あまりにもか弱い一人の異国の|姫《ひめ》|君《ぎみ》であった。
エル・コレンティは|微《かす》かに|唇《くちびる》を|噛《か》んだ。
もっとも重要であるものが、乙女から奪い去られていることを確証した。
おそらくは、さきほど|招喚《しょうかん》に|邪《じゃ》|魔《ま》が入ったためだ。|雷《らい》|蛇《じゃ》を|操《あやつ》った者によって、持ち去られたか何かされたのに違いない。
乙女の言葉を耳にし周囲で動揺する者たちを感じとり、女王は|穏《おだ》やかな笑みを浮かべて乙女に言った。
「お疲れのようですね。少しわたくしのところでお休みくださいませ。落ち着かれましたなら、気分も優れることでしょう」
第五章 強襲
|幽《ゆう》|閉《へい》の身の|黒《くろ》|魔《ま》|道《どう》|師《し》、バリル・キハノの待ちに待った瞬間は。
訪れた。
腕組みをして|彫像《ちょうぞう》のように|屹《きつ》|立《りつ》していたディーノが、はっと顔を上げた。
まったく同時に。
|瞑《めい》|想《そう》していた人間の|乾《ひ》|物《もの》のような老人が、かっと|瞳《ひとみ》を見開く。
ただなんとなく時間を持てあましていた二人は、ディーノの動きにぎくりとして首を巡らす。
中空を見つめ、にいいっと唇の端を|吊《つ》りあげた老魔道師の|禍《まが》|々《まが》しい表情をみとめ、イグネシウスとオーパの背筋に冷たいものが走った。
ディーノは|悠《ゆう》|々《ゆう》とした動作で、キハノの前、イグネシウスやオーパの|側《そば》に近づいた。
塔の地下にいてさえはっきりと聞こえる|雷《らい》|鳴《めい》が|突《とつ》|如《じょ》鳴り響き、激しく|鼓《こ》|膜《まく》を揺する。
|雷《らい》|神《じん》がこの世に存在するのなら、彼の持てる限りの|雷《かみなり》の矢を天空から投げ落としてでもいるかのような連続的な|落《らく》|雷《らい》の|饗宴《きょうえん》だった。
雷の直撃を受けたらしい建物が|崩《ほう》|壊《かい》する|轟《ごう》|音《おん》が、地鳴りのように響く。
風もないのに、キハノのまとった|法《ほう》|衣《え》の|裾《すそ》が、ぶわりと|緩《ゆる》やかに|膨《ふく》れあがった。
下半身を地に|繋《つな》がれていた|呪《じゅ》|縛《ばく》が断ち切られたことを示すように、|痩《や》せ|衰《おとろ》えた体が、座した格好のまますうっと浮きあがる。
キハノは静かに二百年の長きに渡った|結《けっ》|跏《か》|趺《ふ》|坐《ざ》を解いて足を伸ばし、組んでいた指を解いて腕を広げる。
左手の甲に。
|逆《さか》さまに描かれた黒い|五《ご》|芒《ぼう》|星《せい》と、それを囲む|紅《くれない》の輪がくっきりと浮き出ていた。
それこそが。
暗黒に住まう|邪《じゃ》|神《しん》と|盟《めい》|約《やく》を結んだ|黒《くろ》|魔《ま》|道《どう》|師《し》、バリル・キハノが本来の力を取り戻した|証《あかし》。
恐るべき伝説の人物が復活した。
見開かれたキハノの|瞳《ひとみ》が、血のように赤く燃えあがった。
宙に浮かび、くわあっと口を開き笑うキハノの体から、影に似た|陽炎《かげろう》のようなものが立ちのぼるかに見えた。
吹けば簡単に飛びそうな|痩《や》せこけた体が、魔道という質量を含んでそこにあった。
ついさっきまでとまったく形を変えぬはずのそれの本質が。
明らかに変わっていた。
「今こそ行かれよ、望みの場所へ。欲望の|赴《おもむ》くまま進むがよい。|汝《なんじ》らに|香《かんば》しき血の祝福あらんことを」
|己《おのれ》の前に立つ三人の男に、|朗《ろう》|々《ろう》と|謳《うた》うようにキハノは言った。
次の瞬間。
雲で|闇《やみ》なす暗き|天《てん》|空《くう》を切り裂いた激しい雷光が、アル・ディ・フラの塔を直撃した。
塔は真っ二つに裂け砕けて、|崩《くず》れ落ちた。
だがしかし。
そこにいるはずの|囚人《しゅうじん》たちの姿は、一人としてなかった。
|鬱《うっ》|積《せき》した不満を抱く、飢え|渇《かつ》えた凶暴な野獣のような千余名もの罪人たちは、暗い|瞳《ひとみ》に狂気の|焔《ほのお》さえ宿らせて、自由の身を得た。
黒き邪なる|魔《ま》|道《どう》|師《し》バリル・キハノの魔道力によって、|突《とつ》|如《じょ》場所を移され聖地に放たれた|獰《どう》|猛《もう》な|輩《やから》は、自らに起こった奇跡に|雄《お》|叫《たけ》びを上げて歓喜しながら、破壊と|殺《さつ》|戮《りく》に向かう欲望のままに|猛《たけ》り狂った。
雲間を|割《さ》いて聖地の中心に突き立つ、清き光に輝く聖光に見いるものは、彼らの誰一人としていなかった。
暴徒と化した罪人たちの奇襲を、いったい誰が予想しえたであろうか。
清浄なる奇跡の聖光が天を刺す、黒雲|渦《うず》|巻《ま》く|天《てん》|空《くう》は、激しい|雷《かみなり》を|閃《ひらめ》かせ|怒《いか》り狂っている、その状況下で。
現実味に満ちた悪夢のような、男たちの出現である。
なんの前触れもなく、突然眼前に現れでた汚れ|荒《すさ》んだ男たちの姿を、武人や神官、魔道士たちは、一瞬|呆《ぼう》|然《ぜん》として見つめた。
そしてそれは。
破壊と殺戮の衝動に駆る者たちの手に、すべての正しきものを|蹂躪《じゅうりん》するに足る得物を余すところなく行き渡らせるのに、十分な暇があった。
武人の腰にあった剣が奪われた。神官の|杖《つえ》も魔道士の|錫杖《しゃくじょう》も、壁に立てかけられていた|槍《やり》と同じ使用法により打ち振るわれ、鮮血と|脳漿《のうしょう》に濡れた。
最初の一撃こそは|唖《あ》|然《ぜん》としてなすがままになっていた武人たちも、目の前にいる輩が悪魔でもなんでもない、ただの人間であることを確信し反撃に移った。
だが暗い|牢《ろう》|獄《ごく》に|幽《ゆう》|閉《へい》され続け、ようやくここに切望する自由を得た男たちの勢いには、正気を|逸《いつ》|脱《だつ》した|尋常《じんじょう》でないものが含まれていた。
人殺しも何も|厭《いと》わぬ、世界じゅうの最も凶悪であり|残《ざん》|忍《にん》で|卑《ひ》|劣《れつ》な罪人たちを収容していた、アル・ディ・フラの塔。
そんな我が身のことしか考えぬ放たれた野獣のような相手に、上品で心優しい武人たちが立ち向かえるはずもなかった。
実戦というにはあまりにも|低《てい》|俗《ぞく》で|残虐極《ざんぎゃくきわ》まりない|惨《ざん》|殺《さつ》|行《こう》|為《い》が繰りひろげられ、たまたま見落とされとどめを刺されることを|免《まぬが》れた者も、けっしてまともな形状を留めてはいなかった。
暴力のみに頼り|迸《ほとばし》る|血《ち》|潮《しお》に酔いしれる輩に武力では、圧倒的に囚人たちのほうが有利だった。
かろうじて互角かそれ以上に渡り合えたのは、大勢の高級|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちの集まっていた魔道宮、その一画だけである。
いかに神秘にほど近い奇跡を|操《あやつ》る魔道士といえど、小人数や|恐慌《きょうこう》に駆られた中級程度の術者では、この|騒《そう》|然《ぜん》と混乱した最中にまともに術を駆使することなどできなかったのだ。
聖地の北、アル・ディ・フラの塔に近い位置にいた一人の魔道士は。
|落《らく》|雷《らい》の直撃を受け、|粉《こな》|々《ごな》に|崩《くず》れ落ちゆく獄舎の塔を目撃した。
塔を|粉《ふん》|砕《さい》せしめるほどの威力を持つ落雷を食らったのだから、人の命などひとたまりもないことは明らかだった。
だがもしも、彼らのうち一人でも生き残り脱走する者がいたとするならば。
見逃すわけにはいかない。
人目を忍ぶ|隠《いん》|者《じゃ》の|印《いん》を結び、魔道士は恐る恐る獄舎の塔の様子を確かめにいった。
|瓦《が》|礫《れき》の山と化した塔の|残《ざん》|骸《がい》の上に。
黒い影が凝った。
ぞっと体の|芯《しん》の|戦《おおの》く、邪なる気を発散する影だ。
その影以外に動くものは何もない。
大勢の人間が、|死《し》|骸《がい》が転がっているはずのそこには、なんの反応も感じられなかった。
影はふわりと|闇《やみ》の色をした|法《ほう》|衣《え》を、存在しないはずの逆風を|孕《はら》んで広げる。
影の|瘴気《しょうき》にあてられ、歯の根の合わぬほどに|震《しん》|撼《かん》する体を抱きしめ、魔道士はそのものを見つめた。
発散されている確かな邪の波動。
そして|微《かす》かに|垣《かい》|間《ま》見えるその左手の甲には。
血の|飾輪《しょくりん》に囲まれた黒き闇の|邪《じゃ》|星《せい》が描かれていた。
闇と|盟《めい》|約《やく》を結んだ|証《あかし》のそれ。
そんな|禍《まが》|々《まが》しいものを持つ者。
|呪《のろ》われた力を持つ魔道師。
思い当たる|唯《ゆい》|一《いつ》の人物に、魔道士は、ぎょっと目を|剥《む》いた。
それは。
その魔道士が生まれる遥かに前、聞き及ぶところによれば二百年もの昔、若き日の聖魔道師エル・コレンティの手によってアル・ディ・フラの塔に封じられた黒魔道師。
名前をバリル・キハノ。
伝説と化し、清き|魔《ま》|道《どう》を学ぶ者のあいだで恐れられている、|唯《ゆい》|一《いつ》の敵対者。
そのキハノが。
生きていた。
捕らわれの塔から解き放たれ、復活していた。
魔道士は青ざめ、がくがくと震えわななく|膝《ひざ》を|叱《しっ》|咤《た》し、抜けかけた腰を無理やり持ち上げて、まろぶように聖地の中心地めがけて駆け戻った。
聖地の中心地、|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の近くには、大いなる魔道師エル・コレンティ老がいるはずだ。
このことを報告し、そのうえで事態の収拾を計れるのは、偉大なる魔道力を持つ、かの人しかいない。
|隠《いん》|者《じゃ》の|印《いん》を結んだまま、よたよたと駆け去っていく魔道士を。
横目で、ぞろりと、キハノは|睨《にら》んだ。
どんな|巧妙《こうみょう》な印を結んだところで、|深《しん》|淵《えん》の|闇《やみ》の奥底まで見通すキハノの目を|逃《のが》れられる者は存在しない。
たまらない|愉《ゆ》|悦《えつ》に|咽《のど》を鳴らし、キハノは笑った。
自由の身を得た今、彼に恐れるものなどない。
しかもただ一人、彼に|匹《ひっ》|敵《てき》するだろう術者であるエル・コレンティは、|招喚《しょうかん》に忙しい。
そのコレンティでさえ。
キハノが解き放った|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》によって、無残なる|骸《むくろ》を|晒《さら》し、|葬《ほうむ》り去られるはずである。
笑うキハノの姿が。
すうっと空間に溶け。
消え失せた。
キハノを発見した魔道士は、招喚の広場に向かう途中、あのアル・ディ・フラの塔からいなくなっていた罪人たちがどこに行ったのかを知った。
今、物陰に身を潜めた魔道士の目の前で、彼らは|獣《けもの》のような|咆《ほう》|哮《こう》をあげながら、|己《おのれ》の手を|紅《くれない》に染めて生暖かいしぶきを|撒《ま》き散らし、|耳《じ》|朶《だ》に響く|断《だん》|末《まつ》|魔《ま》の悲鳴と|殺《さつ》|戮《りく》の快感に酔いしれている。
魔道士はこそこそと腰を低くして移動し、魔道士のみが行き来することを許された魔道|結《けっ》|界《かい》を張り巡らせた『魔道の|径《こみち》』へと、|呪《じゅ》|文《もん》を|唱《とな》えて逃げこんだ。低級であれ、まともな師について魔道を学んだことのある者にしか侵入することの|適《かな》わぬ、一種の|封《ふう》|陣《じん》である。径は|蜘《く》|蛛《も》の巣のように、聖地を|縦横《じゅうおう》に走っている。存在しないはずの道だ。
|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》に入りこみ|隠《いん》|者《じゃ》の|印《いん》を解いた魔道士は、大慌てで|招喚《しょうかん》の広場を目指して駆けた。
|紗《しゃ》|幕《まく》を隔てたように|微《かす》かに外界の様子がうかがい見える、|薄《はく》|明《めい》に満たされ|乳白色《にゅうはくしょく》の|靄《もや》がかかる径の中。
彼の前に、同じく招喚の広場を目指す三名の高級魔道士がいた。
荷物を|抱《かか》え急ぎ足に先を行く高級魔道士に追いすがった彼は、息を切らせた|喘《あえ》ぎ声で彼らを呼び止め、目撃した状況を話し聞かせる。
|乙《おと》|女《め》の招喚の|兆《きざ》しを見てとって、彼女らのために用意した小物を抱えて|馳《は》せ参じる途中であった高級魔道士たちは、|掠《かす》れ声で|紡《つむ》ぎだされた報告に色をなくした。
小物の運搬どころの騒ぎではない。
「一刻も早く師に……!」
険しい表情で駆けだそうとした彼らの横手の径に。
|法《ほう》|衣《え》をまとわぬ人影があった。
自分たちしか侵入できぬと|安《あん》|堵《ど》しきっていた彼らは、思いがけない人物の出現に、ぎょっと目を見開く。
白く煙る径をゆったりとした足取りで進んだ人物は、ひと固まりに群れて目を|凝《こ》らしている魔道士たちに近づきながら言った。
「その務め、引き受けよう」
雄々しく響く、きっぱりとした|声《こわ》|音《ね》だった。
形よく|逞《たくま》しく盛りあがった筋肉を持つ、武人として非のうちどころもない見事な肉体が、幅の広い落ち着いた歩を運ぶ。
聞き覚えのある声。
見覚えのある体型。
|物《もの》|怖《お》じせぬ|威《い》|風《ふう》|堂《どう》|々《どう》とした、その態度。
魔道士たちは、おぼろげに|輪《りん》|郭《かく》を結ぶその者に、|瞳《ひとみ》を凝らす。
白い|靄《もや》の中。
|漆《しっ》|黒《こく》の髪が、青く煙る瞳が、|垣《かい》|間《ま》見えた。
そのような色彩の遺伝を受けた人種は、ここには、この聖地の中には、唯一人しかいない。
真っ先にそれを思い出したのは、ついさっきまでアル・ディ・フラの塔の近くにいた魔道士だった。
「ディーノっ……!」
震えわななく|唇《くちびる》で、|忌《い》みし名前を呼ばわる。
聞こえるか聞こえないかの|掠《かす》れ声が|紡《つむ》ぎ出した名に、魔道士たちはびくりと体を震わせた。
ディーノ。
|修《しゅ》|羅《ら》の|現《うつ》し|身《み》とも|謳《うた》われた、王を名乗る|不《ふ》|遜《そん》の|輩《やから》。
十指に満たない少数の部下を率いてワイマール|侯爵領《こうしゃくりょう》を一面の火の海に変え、女、子供、老人の一人も残さず|惨《ざん》|殺《さつ》し、緑溢れる豊かな領地を一晩で赤紫の|焦土《しょうど》に変えた悪魔。
一口の水を欲したがために立ち寄ったタルソスの沼地で、恐れられていた巨大な人喰い|水《すい》|蛇《じゃ》を、剣の一撃のもとに首を|跳《は》ね、退治したという|猛《も》|者《さ》。
|鋭《するど》い|牙《きば》を研ぎ澄まし、自らの国を求めて|流《る》|浪《ろう》する|孤《こ》|高《こう》|王《おう》。
危険な、|獣《けもの》の美しさを持つ男。
その男は。
半年近く前に聖地クラシュケスを代表する魔道士の総がかりで捕らえ、偉大なる聖魔道師エル・コレンティ老直々の手によって|額《ひたい》に|封《ふう》|印《いん》を|記《しる》され、|監《かん》|獄《ごく》|塔《とう》に|幽《ゆう》|閉《へい》したはずの男だった。
封印を記したまま塔から抜けだしては、生きて一歩たりとも地を踏めぬはずの男だった。
だが。
今、現実に目の前に彼はいる。
額の封印を|拭《ぬぐ》い去り塔の|呪《じゅ》|縛《ばく》から解き放たれている。
魔道士たちは信じられぬものを見る|面《おも》|持《も》ちで、がくがくと震えながら、上から下まで、近づきくるディーノの姿を眺めまわした。
ここは魔道を知る者しか入ることの|適《かな》わぬ魔道の|径《こみち》。ここに魔道の者でない、しかも幽閉されていたはずのディーノが封印の呪縛を断ち切り、入りこめたということは。
すなわち。
|邪《じゃ》|悪《あく》なる黒魔道師、バリル・キハノがなんらかの手引きをしたのに間違いはない。
「エル・コレンティとトーラス・スカーレンには借りがある。貴様たちは、ゆるりと休むがいい」
|穏《おだ》やかに言い、|惚《ほ》れ|惚《ぼ》れとするほどの笑みを|唇《くちびる》に浮かべたディーノは。
背に負った|竿《さお》のような長剣を、やにわに抜き放った。
銀の光が|奔《はし》った。
ひょうと風の凍る音が空を|薙《な》いだ。
何事が起こったのか、目を見開いたままの|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちの首が。
鮮血を|迸《ほとばし》らせながら|跳《は》ね飛んだ。
噴水のように血を吹き出す四つの胴体が、糸の切れた|操《あやつ》り人形のそれのように|頽《くずお》れた。
血煙に赤くかすむ光景を、目を細め|蔑《さげす》むようにディーノは見おろす。
切れ味が|鈍《にぶ》らぬように、長剣を血振りして|鞘《さや》に収めたディーノは、行き過ぎようとして、ふと足を止めた。
一瞬、ディーノの青い瞳の端を射た、銀色の光。
|死《し》|骸《がい》の一つが|掻《か》き|抱《いだ》いていた|紅《くれない》のビロードの布に包まれていた物だ。
ディーノは、きらりと輝く鏡のような物を間近く見るため、軽く|屈《かが》みこんだ。
布を指先で|摘《つ》まみ、そっと払いのける。
鮮やかな紅の布に大切に包まれていたそれは。
銀の|斧《おの》だった。
精巧に細工を|施《ほどこ》された、美麗なる純銀の|手《て》|斧《おの》だった。
ディーノの瞳を射た光は、その|滑《なめ》らかな|刃《やいば》の一部に|跳《は》ね返ったものだ。
|脆《もろ》い銀でできた、|華《きゃ》|奢《しゃ》にさえ見える|銀《ぎん》|斧《ふ》は。
しかし。
けっして力なき物ではなかった。
何かこう|得《え》|体《たい》の知れない|凄《すご》みというのか、一点の曇りさえない美しさの奥に、|灼熱《しゃくねつ》を思わせる激しさのようなものを帯びた|斧《おの》だった。
ためらうことなく伸ばされた手が、斧の銀の|柄《つか》を握る。
柄を|掴《つか》んだ右手のひらから。
かっと、体内に白い|焔《ほのお》が|奔《はし》り抜ける感覚があった。
体じゅうの細胞が煮えたぎり、爆発する衝撃があった。
目を見開き、柄を掴んだ格好のまま、瞬間、ディーノは凝固した。
反射的に、柄を握った手の握力が増していた。
それが中身を空洞とする金属杯のような物であったなら、思わず握り|潰《つぶ》していただろう力。
|正真正銘《しょうしんしょうめい》の確固たる力が斧を締めあげていた。
かくんと。
中腰になっていたディーノの|膝《ひざ》が落ちた。
|傾《かし》いだ視界に、ディーノは我を取り戻す。
何が起こったのかわからずに、ぱちぱちと目をしばたたく。
湯気をあげる|血《ち》|潮《しお》は、変わらず、どくどくと|死《し》|骸《がい》の首の切り口から溢れでている。
|惚《ほう》けていたのは、ほんの|瞬《まばた》きをするほどのあいだだったようだ。
ディーノは立ちあがって、取りあげた斧をひっくり返したりしながら検分する。
刃をそっと二の腕に|這《は》わせた。
じりっと音を立てて腕の皮がそぎ落とされる。
切れ味に申し分はない。
打ち振るってみる。
重さも、中心に|歪《ゆが》みのない厚みをきちんと整えられた刃が風を|斬《き》る感じも、よい。
道行きの途中の拾い物としては上等だ。
背負った長剣の|鞘《さや》に銀斧の刃が触れないようにして、腰帯のあいだに斧の柄を突っ込み、ディーノは横たわる|死《し》|骸《がい》を悠々と踏み越えて先に進んだ。
|愚《ぐ》|弄《ろう》を働いた者たちを|葬《ほうむ》り去るための、|粛正《しゅくせい》の|刃《やいば》は手に入れた。
周囲は祭り騒ぎのような、|血腥《ちなまぐさ》い大混乱の状態だ。
しかも|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》を通れば、|邪《じゃ》|魔《ま》されることなくすぐ|側《そば》まで近づくこともできる。
だが。
それで果たして気が済むか。
できうる限りの方法を用いて奴らを|震《しん》|撼《かん》させるには。
恐怖に引きつる顔を踏みにじるには。
一人では役不足かも知れない。
たとえそれは、この|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》ディーノであろうとも。
ディーノは道すがらなにげなく目に飛びこんだ建物がなんであったのかを|反《はん》|芻《すう》し、素早く振り返る。
それはこの|招喚《しょうかん》の儀式が行われるようになってから|趣《おもむき》を変えた建物。
特設された畜舎。
|凶暴《きょうぼう》であり、なおかつこれ以上ないほどに心強い、危険で|獰《どう》|猛《もう》な|相《あい》|棒《ぼう》。
|飛龍《ひりゅう》の畜舎。
龍舎では厳選された特上の献上物である飛龍を奪われまいと、魔道宮からの魔道士の応援や事態に気づいた武官たちが加わり、歓声と|怒《ど》|号《ごう》をあげ攻め入らんとする荒くれ男たちと戦っている。龍使いは、武器となりそうな物をあるだけ寄せ集め、龍舎を即席の布陣に仕立てあげる。
龍舎となっている建物のなかには、|極上《ごくじょう》の飛龍だけでなく、大勢の龍使いたちを養うのに足る食糧や水も豊富にある。
|略奪者《りゃくだつしゃ》を満足させられるだけの物が、ある程度きちんと揃っているのだ。
龍舎を見つめ、すうっと目を細めたディーノは、龍舎に向かうため魔道の径を少しばかり引き返した。
|跳《は》ね飛びごろりと転がった四つの|生《なま》|首《くび》は、|舌《した》を|吐《は》きだし、|零《こぼ》れ落ちそうなほどにぎょろりと|剥《む》いた目で、|虚《うつ》ろに、行き来した男の足を見送った。
龍舎は攻防戦の|様《よう》|相《そう》を|呈《てい》し|騒《そう》|然《ぜん》としていた。
武器を扱い慣れ戦い慣れている武官たちは建物の外に立ち、積極的に剣を振るっている。龍使いたちは、|飛龍《ひりゅう》を駆り上空から弓矢による攻撃をかける者、使い慣れた刃物を使う者、建物の守りを強固にする者などに、要領よく役割に分かれて散っている。|魔《ま》|道《どう》|士《し》は二階の窓から身を乗りだすようにして、|結《けっ》|界《かい》を張ろうと懸命になっている。
|怒《ど》|涛《とう》のように押し寄せた男たちは、|獣《けもの》のように龍舎目がけて襲いかかる。
龍舎、隔ての壁を持たぬ二階。
そこに。
ディーノは現れでた。
自分の身に何が起こったのか知ることのできた魔道士は、幸運であったといえる。
建物内の物音は、外の|喧《けん》|噪《そう》に|紛《まぎ》れ|掻《か》き消えていた。
長剣を抜きはなったディーノは、外に気を取られ無防備に背を向けていた魔道士の首のことごとくを|跳《は》ね飛ばした。
龍舎に迫りくる侵入者を|阻《そ》|止《し》していた、魔道力による不思議の壁が消失した。
いっきに勢いを得た|蛮《ばん》|人《じん》どもは、どうと|雪崩《な だ れ》|込《こ》むように武官たちを|薙《な》ぎ|倒《たお》し、包囲を縮める。
それまで五分か、もしくは優位であった龍舎側は、前触れもなく|突《とつ》|如《じょ》|劣《れっ》|勢《せい》となった。
偶然であるのか。
時を同じくして遥かな|天《てん》|空《くう》から、鮮血の雨が降りはじめた。
何事が起こったかと、龍使いの若者が二階へと階段を駆けあがる。
龍使いの若者が見たのは、振り返り恐怖に顔を引きつらせた魔道士の、その最後の一人の首を跳ねている|逞《たくま》しい男の姿だった。
|床《ゆか》一面が、溢れ出た|血《ち》|潮《しお》でずっぷりと|深《しん》|紅《く》に濡れ浸っている。
外に降り注ぐ血の雨と、内にしぶきあげている血の|雫《しずく》。
返り血を浴びながら|刃《やいば》を|一《いっ》|閃《せん》させた|鬼《き》|神《しん》のような男が、顔をあげる。
龍使いの若者は、その男が誰であるのか知っていた。
知っていたから。
|咄《とっ》|嗟《さ》に振り返りもせず、真後ろについて階段を上っていた者の胸を突き落とした。
見当で、そうしたことによってどこに落下するのかわかっていた。
真後ろにいた者は肩口で切り揃えた|亜《あ》|麻《ま》|色《いろ》の髪を振り乱し、薄い水色の|瞳《ひとみ》を持つ目をいっぱいに見開いたまま、声をたてるより早くまっさかさまに落ちた。
|龍舎《りゅうしゃ》の隅に高く積みあげた|藁《わら》の山の真上に、一人の人間がどさりと落ちこみ|埋《まい》|没《ぼつ》する。
落ちこむ寸前。
その者は、胴から|斬《き》り離された一個の首を、みとめていた。
ついいましがた、|温《あたた》かい手で自分を突き落とした龍使いの若者の、首を。
二階から階段を下ってきた者を発見し、窓や開口部に|樽《たる》や|土《ど》|嚢《のう》などを積みあげて、守りを固めていた龍使いが|愕《がく》|然《ぜん》とする。
「ディーノ!」
悲鳴のような声で名前を叫んだ。
ディーノは、すうっと目を細める。
「貴様などに呼び捨てにされる覚えはない」
いわれなき|無《ぶ》|礼《れい》を働いた者は、その命をもって|償《つぐな》わなければならない。
ディーノは|滑《なめ》らかな動きで腕を上げると、女性なら持ちあげることすら|適《かな》わないだろう重い長剣を、まるで|玩《おも》|具《ちゃ》のそれでもあるように|無《む》|雑《ぞう》|作《さ》に振るった。
返り血を浴び|微《かす》かな笑みさえ浮かべるディーノは、群がり寄った龍使いたちをひと思いに|惨《ざん》|殺《さつ》しなかった。
横腹を割られたり腕や足を斬り飛ばされた者たちは、身をさいなむ激痛に|獣《けもの》じみた悲鳴をあげながら、駆け寄ったその場所で狂ったようにのた打ちまわった。
負傷者たちの|凄《せい》|惨《さん》|極《きわ》まりない姿に、それをなだめることも乗り越えることもできない。
血しぶきの|紗《しゃ》|幕《まく》を隔てて、|後《あと》の者はうろたえ立ち|往生《おうじょう》する。
瞬時にして大勢の負傷者の体で壁を作ったディーノは、悠々と一番奥まった場所に|繋《つな》がれていた|飛龍《ひりゅう》のもとに近寄る。
隠し置かれた四頭の飛龍。
世界じゅうでこれ以上のものはいないだろう、それ。
一目で品定めしたディーノは、一頭の飛龍に歩み寄る。
それはつい今さっき、一人の|勇《ゆう》|敢《かん》なる娘によって、ここに運ばれた飛龍だ。
ディーノは飛龍の|額《ひたい》に左手を当てた。目と目を結ぶちょうど真ん中。
右手ではませていたナラカ|蔦《つた》を勢いよく引き抜く。
|紅《くれない》の|瞳《ひとみ》に、はっと正気の色を宿した飛龍を正面から|睨《にら》みつけ、ディーノは左手の指に力を加えた。
骨をも砕きそうな力が飛龍の|頭《ず》|蓋《がい》をきしませた。
飛龍は痛みに身をよじり、翼を打ち振って暴れた。
懸命に逃れようとする飛龍に対し、ディーノの手は|頑《がん》として|緩《ゆる》む|兆《きざ》しもなかった。
遥かに重さと|体《たい》|躯《く》のある飛龍相手に、その|彫像《ちょうぞう》のような格好はびくともしない。
他の三頭の飛龍は、苦しがり暴れる仲間の様子を、ちょっと身を引きこわごわと眺める。
飛龍は、くたりと長い首をうなだれた。
ややあって、ディーノは手を|退《の》けた。
|惚《ほ》れ|惚《ぼ》れするような笑みを浮かべて、飛龍を見る。
首をもたげた飛龍は、ディーノの|瞳《ひとみ》を見返した。
飛龍の|深《しん》|紅《く》の瞳には、この青い瞳の若者に対する|畏《い》|怖《ふ》が宿っていた。
腕を伸ばし飛龍の|手《た》|綱《づな》を|掴《つか》んだディーノは、背に置かれたままの|豪《ごう》|奢《しゃ》な|鞍《くら》の上に腰を落ち着けた。
第六章 群星
|猛《たけ》り狂う|獣《けもの》じみた男たちを避けて、こっそりと|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》に逃げこもうとしていたレイムは、耳を打った|凄《すさ》まじい悲鳴に、ぎくりとして首を巡らせた。
あちこちで暴動を起こしている男たちのそれとは、明らかに違う。
|雄《お》|叫《たけ》びをいっさい含まない、純粋な悲鳴。
|断《だん》|末《まつ》|魔《ま》。
そこにいたすべてのひとと、飛龍の|咽《のど》を震わせて、|幾《いく》|重《え》にも重なり響く|悲《ひ》|惨《さん》な叫び。
クリスタルの柱を取り巻く枯れた植え込みの|枝《えだ》|陰《かげ》に身を沈めた中腰のまま、振り返ったレイムが見たのはついいましがた彼の去ってきた方向。
ごうごうと渦巻く炎に包まれ燃えあがる、龍舎。
傷つき、火に襲われ、逃げ|惑《まど》う男たち。
魔道士も龍使いも兵士も武官も、見るからに荒くれた者も、すべてがいた。
男たちには、敵味方などなかった。ほんの少し前までの|遺《い》|恨《こん》も何もかも、関係なかった。
今はただ等しく、|恐慌《きょうこう》に駆られ落ち延びることしか頭にない。
いったい何があったのか。
レイムは|眉《まゆ》をひそめて、その情景を見つめる。
龍舎に|雪崩《な だ れ》|込《こ》んだ|蛮《ばん》|人《じん》らの手によるものではない。
|略奪行為《りゃくだつこうい》も十分に行わぬうちから、火をかけようとするはずがない。
誰もが自滅するような、|無《む》|謀《ぼう》なことをするはずはない。
灰にしてでも死守したいような、大それた秘密を隠した場所ではないのだ。
レイムの見守る中。
龍使いに|操《あやつ》られ、この場から安全な自分たちの村に逃げ帰ろうとした|飛龍《ひりゅう》が一頭、高く舞いあがった。
ぐんと高度を増し、飛び去ろうとした飛龍に。
勢いよく放射された火炎が、襲いかかった。
火炎に射落とされ、飛龍は龍使いもろとも|火《ひ》|達《だる》|磨《ま》になって空から転げ落ちる。
龍舎を|焦《こ》がし燃え盛っている炎よりも、矢のように素早く鮮やかに飛龍を捕らえた火炎のほうが、ひときわ|豪《ごう》|奢《しゃ》な炎であったとレイムには見えた。
炎の飲んでいる温度が高い。
その確固たる|証《あかし》に。
炎を|被《かぶ》り逃げ|惑《まど》う男たちが必死の|奮《ふん》|闘《とう》もむなしく、あっけないほど簡単に燃え|崩《くず》れているではないか。
|足《あし》|萎《な》えて、炎の|塊《かたまり》となって倒れ伏す。
|石畳《いしだたみ》にできていた赤い雨の|血《ち》|溜《だ》まりが塊となった炎に|焦《こ》がされる。
蒸発した血溜まりが瞬時にして水蒸気になった。
揺らめきたった赤い霧に周囲はもうもうと煙る。
おびただしい血で濡れた場所にも、炎はまったく|怯《ひる》む|気《け》|配《はい》もなかった。
まるで|紙《かみ》|屑《くず》のように、ひとの体も剣も何もかも、炎に|舐《な》められ燃え尽きてゆく。
|魔《ま》|道《どう》による炎ではない。
このような|壮《そう》|絶《ぜつ》な炎を扱える『火』の魔道士を、レイムは知らない。
しかもこの炎からは聖の魔道の|気《け》|配《はい》も邪の気配も、全然感じられない。
魔道人格が臭わない。
これは。
この炎は。
もっとこの世界に深く根づいた自然なもの。
「ケシャァァアッ!」
|鋭《するど》い|飛龍《ひりゅう》の|哭《な》き声が、空間を切り裂いた。
びくんと身をすくめレイムは反射的に固く目を閉じる。
|轟《ごう》! と音を立てて、頭上を一直線に火炎が|奔《はし》った。
身を寄せていたクリスタルの柱が火炎に射られて燃えあがった。
火柱そのものとなったそれから飛びのくようにして、大慌てで|呪《じゅ》|文《もん》を|唱《とな》えレイムは|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》に逃げこむ。
魔道の径に入り現実とは|隔《かく》|離《り》された状態に身を置いたレイムは、燃え盛る龍舎のほうから|緩《ゆる》やかに翼を打ち振り飛びくる一頭の飛龍の姿を見た。
それこそがこの|紅《ぐ》|蓮《れん》|地《じ》|獄《ごく》の現況をつくったもの。
遠目でも鮮やかな|青《せい》|銅《どう》|色《いろ》に輝く|鱗《うろこ》に覆われた見事な飛龍。
つい今しがた目にしたそれ。
間違いなく一人の娘が運びきた飛龍。
驚きの眼でレイムは頭上を飛び越えいく飛龍を見送った。
飛龍の背に乗っていたのは。
しかし。
あの|亜《あ》|麻《ま》|色《いろ》の髪をした娘ではなかった。
|蔦《つた》をはませることなく片手で|悠《ゆう》|然《ぜん》と飛龍を駆っていたのは。
黒い髪の|逞《たくま》しい若者である。
若者の意に従い飛龍は辺りを火炎地獄に変えながら、嬉々として空を舞っている。
その情景のあまりの見事さに思わずうっとりとしてしまうほどの、|華《か》|麗《れい》な|修《しゅ》|羅《ら》。
|孤《こ》|高《こう》の修羅王を名乗るその|不《ふ》|遜《そん》な若者を、レイムは知っていた。
思い出し、ぞくりと|肌《はだ》が|粟《あわ》|立《だ》った。
あのディーノが飛龍を駆り、祭事場に向かっている。
音を立ててレイムの全身から血が引いた。
飛龍が口を開くたびに、その行く手は火の海となる。
そして、ディーノは女王と|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》を|憎《ぞう》|悪《お》し、|恨《うら》みを|抱《いだ》いていると|噂《うわさ》に聞く。
これは……。
ただ血をみるだけでは済まされない。
レイムは|蒼《そう》|然《ぜん》となって、ディーノの先回りをしようと魔道の|径《こみち》の中、緊急用の近道を探して首を巡らせた。
うろたえておろおろと視線をさ迷わせるレイムの横を。
|石《いし》|綿《わた》の袋を裂いて引き|被《かぶ》った人影が駆け抜けた。
一瞬、正対して|擦《す》れ違った、その者。
燃え盛る龍舎のほうから駆けきた者。
急ごしらえの石綿の|外《がい》|套《とう》の陰からちらりと見えたのは、火のような激しさを帯びた光を放つ薄い水色の|瞳《ひとみ》。肩口で切り揃えた大きく波打つ亜麻色の髪。
レイムと擦れ違った娘は。
シルヴィンは。
剣を|携《たずさ》え、血が|滲《にじ》むほど強く|唇《くちびる》を|噛《か》みしめて、空行くディーノの後を追っていた。
彼女が、あの龍舎での|唯《ゆい》|一《いつ》の生き残りだった。
兄があの首を|跳《は》ねられる寸前、彼女を|藁《わら》の山の中に突き落としてくれたお陰で、ディーノの目を逃れることができたのだ。
数頭の|飛龍《ひりゅう》を間に|挟《はさ》んで、一番ディーノに近い位置にいながら、身の危険に|晒《さら》されることなく、冷静に成り行きを見守り状況を判断することができたのだ。
動物的な勘で、シルヴィンはディーノがこの場にいる者たちを皆殺しにすることを|悟《さと》った。
飛龍の吐き出す火炎を用いるだろうと思った。
だから|咄《とっ》|嗟《さ》に、|藁《わら》|山《やま》の下に敷いていた、飛龍の背に|括《くく》りつけ荷物を入れて運ぶ|石《いし》|綿《わた》の袋を引きだした。シルヴィンのたてる少々の物音は、|脅《おび》えて動く飛龍のそれに|紛《まぎ》れた。
シルヴィンは藁の|透《す》き|間《ま》から|飼料樽《しりょうだる》を積み重ねて|急遽《きゅうきょ》作った壁の位置を確かめ、手近にあった物のうち一番大きな|空袋《からぶくろ》の中に足から潜りこんだ。
大きく息を吸いこんだ。
袋の口を中に引きこみ、固く手で握り、閉めた。
準備ができて間もなく。
ディーノの乗った飛龍が火を吐いた。
飛龍の吐く火炎はあらゆる物を焼きつくす。
唯一の例外である、石綿を除いて。
石綿の袋の中で息を殺したシルヴィンを残し、そこにあったものは間近い火炎放射をまともに食らい、一瞬にして燃えあがった。
|選《え》り抜きの飛龍の吐く火炎である。
金属も人体も石も仲間の飛龍も、何もひとたまりもなかった。
|阿鼻叫喚《あびきょうかん》と燃え盛る炎の|轟《ごう》|音《おん》の中、|天井《てんじょう》を炎で射抜き、ディーノは楽々と飛龍を|操《あやつ》って、火炎|渦《うず》|巻《ま》く龍舎を後にした。
シルヴィンは、それを確かめ、ある程度の物が燃え|崩《くず》れるのを待った。
待ってから。
確かめておいた出入り口のほうに転がった。
|翻《ほん》|弄《ろう》される|芋《いも》|虫《むし》のように進んだ。
あの飛龍の火炎を受けたなら、木でできた単純な作りの飼料樽なんかは、簡単に燃えて、跡形も残さずなくなってしまうはずだ。
袋の中からは周囲がどうなっているのか、まったく見えない。
音を頼りに行動するしかない。
シルヴィンは必死で燃え盛る建物からの脱出を試みた。
転がり、あるいは|這《は》い進む彼女を、|崩《ほう》|壊《かい》する|龍舎《りゅうしゃ》の|梁《はり》や柱などの重い構築物が襲わなかったのは、奇跡にも近い幸運だった。
通りのはずれまで転がりでたシルヴィンは、そこでやっと袋の口を握っていた手を解いた。
きつく握りしめていた手は、かちかちにこわばり、|蝋《ろう》のように白くなっていた。
そうっと|覗《のぞ》き見た外の様子は、シルヴィンの想像していたものよりも、数段|凄《せい》|惨《さん》だった。
火を避けるなどとてもできない火炎地獄だ。
シルヴィンは袋の内側から繊維に沿って剣の|刃《やいば》を当て、袋を|外《がい》|套《とう》となるように切り裂いた。
靴底に防火耐熱処理をしておくことは、火山地帯に近い場所に居を構える彼女たちの種族の常識となっている。炎に熱く|焦《こ》げる地面に触れる時間を短くするように、素早く走れば足はどうにか問題ないだろうが、頭や服が|心許《こころもと》ないのだ。
間に合わせだが|強靭《きょうじん》な身支度はすぐに整った。
|瞳《ひとみ》に|復讐《ふくしゅう》の炎を燃えあがらせたシルヴィンは、彼女から兄と|同《どう》|胞《ほう》たちを奪い去った|仇敵《きゅうてき》を追った。
苦労してここまで運びきた|飛龍《ひりゅう》を奪われて黙っていられるわけもなかった。
あれは、あの飛龍は、あんな悪党にくれてやるために運んできたのではない。
取り返せないなら。
殺してもかまわないとシルヴィンは思った。
飛龍には罪はない。
ないが。
優れた飛龍だからこそこんな形で生かしてはおけない。
ディーノもろとも|葬《ほうむ》り去る。
気の荒い|男勝《おとこまさ》りなシルヴィンだからこその。
|無《む》|謀《ぼう》な考えだった。
シルヴィンの瞳に浮かんだ決意はレイムに伝わった。
あまりにも大胆なそれにレイムは|愕《がく》|然《ぜん》とする。
自分より年下の、まだどこかあどけない笑みの似合う娘の内に爆発した激しさに|困《こん》|惑《わく》する。
自らの死を恐れてもいない、いや、命を|顧《かえり》みることも忘れた行動そのものが驚異だった。
|戸《と》|惑《まど》うこともなく|闇《やみ》|雲《くも》に突っ走ることなど、レイムにはできない。
だから。
レイムは今にも泣きだしそうに表情を|歪《ゆが》め、シルヴィンを振り返った。
シルヴィンは|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》にいたレイムの存在など夢にも知らず、真新しい炎|渦《うず》|巻《ま》く|廃《はい》|虚《きょ》の中を矢のように駆けていく。
生まれて初めて聖地に|赴《おもむ》くからと、精いっぱいのお|洒《しゃ》|落《れ》をしたいと母親に頼んで選んでもらった服は、|外《がい》|套《とう》のあいだから飛び入った火の粉で、あちこち小さく焼けていた。炎を吹く柱の横の通り際に火にかすめられ、きちんと切り揃えたばかりの毛先も|焦《こ》げていた。自慢の美しい髪だったが、そんなものにかまけている場合ではなかった。
上空を行くディーノの姿だけをひたと|睨《にら》み|据《す》え、必死に追いかけるシルヴィン。
シルヴィンを振り返ったレイム。
シルヴィンを無分別だと判断できる分だけ、レイムのほうが冷静に状況に対処していた。
怒りなどという激しい熱情に突き動かされていないだけ、視野が広かった。
広かったからこそ。
シルヴィンが、ディーノが目指す祭事場の方角、広がりいく火の手を見つけて何ごとかあらんと群がり寄る|物《もの》|見《み》高い|暴《ぼう》|徒《と》たちの姿を発見することができた。
他人の|血《ち》|潮《しお》に濡れ生暖かく汚れた武器をかざす|野《や》|蛮《ばん》|人《じん》たちは、|飛龍《ひりゅう》を|操《あやつ》り火炎という絶対的な破壊手段を持って聖地の中心に向かおうとする男の姿を目にし、歓喜する。
行く先々で伝説的なる力を|誇《こ》|示《じ》し、|己《おのれ》の欲望の|赴《おもむ》くままに生きる雄々しき若者を、知らぬ者はなかった。
|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》ディーノ。
彼の行く先には|恍《こう》|惚《こつ》たる血の|祝宴《しゅくえん》が繰り広げられるはずである。
彼が|側《そば》にいれば恐れるものなどない。
彼の味方につけばどんな物でも手に入る。
今まで自分を|虐《しいた》げてきたものを、好き放題に|蹂躪《じゅうりん》しつくすことができる。
財宝も何もかも思いのままに|弄《もてあそ》ぶことができる。
|機《き》|嫌《げん》を|損《そこ》ねれば即座に首の跳ぶ、しかしそれでいてたまらなく魅力的で|華《か》|麗《れい》な男。
内心には|恟々《きょうきょう》としたものを抱いていながらも、どうしても|惹《ひ》かれてやまないものがある。
文字どおり炎に近寄り身を焦がす|蛾《が》のように。
大勢の荒くれた男たちはディーノの姿を仰ぎ、彼の側に群がり集まらんとしていた。
地獄の英雄ディーノの堂々とした出現によって、|悪虐非道《あくぎゃくひどう》の申し子たちはにわかに活気づいた。
|颯《さっ》|爽《そう》としたディーノに続けといわんばかりに、先を争うようにして彼の目指す場所に向かった。
それが|己《おのれ》の|手《て》|柄《がら》だと自慢したいかのように、激しさを増した|殺《さつ》|戮《りく》を楽しんだ。
|残虐《ざんぎゃく》さを競った。
口々にディーノの名を叫んだ。
その中には、あのイグネシウスもいた。
オーパもいた。
祭事場に押し寄せようとする|賊《ぞく》|徒《と》を食い止めようと、警護に当たっていた武人たちが素早く陣営を築き応じる。
しかし応援を呼ぶことすらできない状況下での|多《た》|勢《ぜい》に|無《ぶ》|勢《ぜい》は、あまりにも分が悪かった。
もしものときのために訓練されていたそれも、たいした時間をかけず、あっけなく突き|崩《くず》されて無差別乱闘になった。
|装束《しょうぞく》が統一されていたり周知のそれであった正規の武人たちは自分の役割に忠実に戦ったが、|烏《う》|合《ごう》の|衆《しゅう》にしか過ぎぬ乱暴者たちは、ただ自分のためだけに戦い進んでいた。
行く手を|阻《はば》もう、自分より先んじようとする者を見つけては、ただそれを|排《はい》|斥《せき》しているにすぎない暴徒そのものなのだ。
混乱を極める中に。
|果《か》|敢《かん》にシルヴィンが分け入る。
ディーノの後を追う自分の前に立ちはだかる者を、|容《よう》|赦《しゃ》なく剣で|薙《な》ぎ払った。
薙ぎ払い突き進んだ。
役人を手にかけたわけではないが、彼女もまた本質的な意味において、自己本位な|殺《さつ》|戮《りく》|者《しゃ》の一人であったのかもしれない。
守りを突き崩される武人たちにつけこんで、シルヴィンは着実に祭事場への距離を縮める。
荒くれた|無《ぶ》|骨《こつ》な男たちから比べると、遥かに身軽ですばしこいシルヴィンが、押し寄せ攻めいろうとする男たちに|紛《まぎ》れ、その波に乗るのは|造《ぞう》|作《さ》もないことだった。
シルヴィンから目を離せず、|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》からレイムも祭事場に向かう。
地面に降り注いで溜まりを成した|血臭《ちしゅう》にあてられ、ファラ・ハンは苦しそうに|咽《のど》を鳴らした。
気分を害し、よろめいたファラ・ハンに慌てて、女王たちが立ちあがる。
高貴なる|麗《れい》|人《じん》に|仕《つか》える|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》であるバルドザックが、いち早く腕を伸ばし、ファラ・ハンを助ける。
具現間もないファラ・ハンにとって、眼前に広がるこの光景はあまりにも|壮《そう》|絶《ぜつ》であり、|過《か》|酷《こく》であったかもしれない。
見るからにか弱いこの|乙《おと》|女《め》には、|惨《むご》いとしか言いようもない。
どう、と。
ひときわ大きな|鬨《とき》の声があがった。
この、美しい客人を迎えた祭事場に、近づきつつある|怒《ど》|号《ごう》。
四方八方から取り囲むようにいっせいに。
何が起こったのかと、ぎょっとして、女王や|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちが周囲を見回す。
何者かの計略かと老魔道師は気を探る。
魔道の|気《け》|配《はい》は|微《み》|塵《じん》もなかった。
そう。
すべてはこうなるべく仕組まれたのだ。
上空から炎をまき散らし、一直線に向かってくるものの姿を見つけ、女王は|驚愕《きょうがく》して|瞳《ひとみ》を見開いた。
巨大な翼で|空《くう》を切り|悠《ゆう》|然《ぜん》と飛来するのは、これまで目にしたこともない立派な|飛龍《ひりゅう》。
そしてその背にいるのは。
|幽《ゆう》|閉《へい》の塔に封じられているはずの男だった。
|幾《いく》|重《え》にも重なる小波のように、その名を叫ぶ|粗《そ》|野《や》なる者たちの声が耳を打つ。
女王は|震《しん》|撼《かん》して胸の前で固く手を握りしめた。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちは大慌てで、何か対処をと|右《う》|往《おう》|左《さ》|往《おう》した。
何をしでかすかわからない。
何が彼に味方するのかわからない。
途方もなく危険な男。
生まれも定かでないくせに、自らを王と称する不届き者。
仲間を持たぬ黒き髪、青い瞳の|蛮《ばん》|族《ぞく》。
神々に祝福されたと思しき美なる容姿肉体を持つ男。
雄々しき力を与えられた男。
|孤《こ》|高《こう》の|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》。
ディーノ。
女王が自分をみとめたことをディーノは確信した。
身動き|適《かな》わず恐れ|戦《おのの》いている様がわかった。
逃げ場はどこにもない。
老魔道師の力を借りて魔道の|径《こみち》に逃げこもうにも、|招喚《しょうかん》の|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》から降りねばならない。
魔法陣の上で立ち|往生《おうじょう》している限り逃がすことはない。
状況はディーノの望む方向に動いている。
ディーノは飛龍の|手《た》|綱《づな》を引き、猛然と女王に向けて降下した。
炎を吐き散らしながら、飛龍が招喚の魔法陣に迫る。
あまりに自然の力に近しいそれに、高級魔道士でさえ、防御の術破れて火炎に飲まれる者が大勢でた。
状況に慌てず乱れず、冷静に完璧な|印《いん》を結べた者は|僅《わず》かである。|咄《とっ》|嗟《さ》に観念し、魔道の径に逃げこんだ者のほうが賢明だった。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》の力を確かめるよう襲いかかった火炎は、予想されたとおり、見事なる火炎防御の|結《けっ》|界《かい》によって|阻《はば》まれた。
|渦《うず》|巻《ま》いて襲いかかった火炎は、目に見えぬ強固なる壁に|阻《はば》まれて|弾《はじ》け|跳《と》ぶ。
エル・コレンティをまともに敵に回すとなれば、いかに|獰《どう》|猛《もう》な飛龍を駆って強襲したとしても、たいして有利な立場を得たわけではない。
魔道士でないディーノには、この世界最高の尊大なる魔道師の力を無効にする手段を思いつくはずもない。
いまいましげに顔をしかめたディーノの腰の後ろで。
かあっと何かが熱を帯びた。
存在を|誇《こ》|示《じ》するような火のような熱さ。
いったい何が、とディーノは、右手を|手《た》|綱《づな》から離し後ろ手にそこをまさぐる。
一瞬の後に|嘘《うそ》のように|灼熱感《しゃくねつかん》を失ったそこには。
硬い金属の手応えがあった。
魔道の|径《こみち》で行きがけの|駄《だ》|賃《ちん》にいただいてきた|銀《ぎん》|斧《ふ》だ。
ディーノは|無《む》|造《ぞう》|作《さ》に銀斧を|掴《つか》んでそれを帯のあいだから引き抜いた。
そして。
エル・コレンティの張り巡らせた結界に向かって、それを振り下ろした。
第七章 |邂《かい》|逅《こう》
それが振りかざされた一瞬。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は、はっと息を飲んだ。
それが|己《おのれ》の作る|結《けっ》|界《かい》を打ち砕く|意《い》|図《と》で取りだされたものであることはわかっていた。
わかっていたが。
それが。
そこにあり。
その者の手に握られていることが。
信じられなかった。
足元の|覚《おぼ》|束《つか》ないファラ・ハンを抱きかばうようにして左腕で支え、剣を抜いたバルドザックは、油断なく身構えながら上空から迫りくる|飛龍《ひりゅう》を|睨《にら》み|据《す》えていた。
|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》たるバルドザックには、二人の女性の命を守らねばならない使命があった。
正義に尽くし、か弱い女性を守ることを何よりの美徳と誇る、|生《きっ》|粋《すい》の貴公子であるバルドザックは、今のこの場における自分の使命の重さを感じた。体の|芯《しん》が熱を帯び|頬《ほお》が上気するほどの、感情の|昂《たか》ぶりがあった。
愛する女性を守るというそのこと。
|麗《うるわ》しい客人を守るというそのこと。
確かに彼の後ろにはトーラス・スカーレンがいる。
そして腕の中にはファラ・ハンがいる。
離れていてもいつも感じていた彼にとって絶対の存在。
腕にほのかな|温《ぬく》もりを伝える|雛《ひな》|鳥《どり》のように柔らかな身体。
魔道という形なき力は、偉大なる老魔道師エル・コレンティが|担《にな》う。
そして、剣をかざし肉体を頼る力は、バルドザックの領分だ。
相手は|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》の名を欲しいままにし、誰をも|震《しん》|撼《かん》させたあのディーノである。
あまりにも見事に設定された状況は、ロマンチストで繊細な感性を持つバルドザックを酔わせ、奮起させるのに十分なものだった。
具現したばかりのファラ・ハンは、めまぐるしい早さで、しかも|凄《せい》|惨《さん》に繰り広げられる情景に対応しきれるはずもなかった。ただ不安に|脅《おび》え、バルドザックの腕にすがって震えていた。気を失わないでいられたことが、不思議なくらいだった。
バルドザックの剣の後ろに守られて、女王は未知数の危険性を|孕《はら》むディーノの出現に、立ちつくし身動きすることすら忘れ|驚愕《きょうがく》していた。恐怖から逃れるために失神するという行為も、その後のことを|危《き》|惧《ぐ》した本能が拒絶した。どんなに|心《しん》|身《しん》|喪《そう》|失《しつ》の状態に近くとも、ただの女性の一人にはなりきれない、女王としての尊厳が全身に染みついていた。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》はディーノの手の物を見つめ、中腰の姿勢のまま、|凝固《ぎょうこ》していた。
その一|刹《せつ》|那《な》こそ。
魔道師エル・コレンティ老の、一世一代の|不《ふ》|覚《かく》としか、言いようがなかった。
|呆《ぼう》|然《ぜん》としたエル・コレンティの|結《けっ》|界《かい》は。
あっけなく。
ディーノの手に握られた聖なる|銀《ぎん》|斧《ふ》レプラ・ザンの一振りによって。
|雲散霧消《うんさんむしょう》した。
魔道力を破られたエル・コレンティは、がくりと|膝《ひざ》を突きながら、信じられぬという|面《おも》|持《も》ちでディーノを見あげる。
ディーノは、かき消えた|障壁《しょうへき》に、なぜそうなったのかの自覚こそなかった。
だが、それをしたのが自分であることだけは、ほぞを|噛《か》む老魔道師の|眼《まな》|差《ざ》しからわかった。
ディーノは|己《おのれ》の得た奇跡に笑み|崩《くず》れる。
迫りくる|修《しゅ》|羅《ら》の|微《ほほ》|笑《え》みを捕らえたトーラス・スカーレンは、はっと我を取り戻した。
|招喚《しょうかん》は成功しているのである。
ならば世界崩壊を|免《まぬが》れるかもしれないという希望はある。
希望の形がここに、彼女の目の前に具現している。
|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》隊長の若者の腕に守られ、震え|戦《おのの》いている、|見目麗《みめうるわ》しき|乙《おと》|女《め》。
ファラ・ハン。
女王は|柳眉《りゅうび》を|逆《さか》|立《だ》ててきっとディーノを|睨《にら》み|据《す》えると、一歩前に踏み出した。
震えている|乙《おと》|女《め》をかばうように、腕をあげて身をもって|盾《たて》になる。
ファラ・ハンがいれば。
世界は必ず救われる。
トーラス・スカーレンは、この力ないか弱い乙女をファラ・ハンそのひとであると信じて疑わなかった。
翼を持つ乙女でなくても、トーラス・スカーレンにとっては、彼女こそがファラ・ハンなのだ。
乙女は。
迫りくる者の激しさと|残《ざん》|忍《にん》さを、本能的に|悟《さと》っていた。彼が繰り広げるであろう|残虐《ざんぎゃく》な光景の予想がついていた。だから歯の根が合わないほど、震えているのだ。
もちろんそれは|新《しん》|参《ざん》|者《もの》の乙女以外の、ディーノそのひとを知る、ここにいる誰もが常識の一部として容易に想像できることだ。
それなのに。
高貴な品格を漂わせる女性までが、体を張ってまで、自分を守ろうとすることに驚いた。
皆が一丸となって、ここにいる誰よりも、自分のことを守ろうとしていることに驚いた。
そうまでされなければならない自分とはいったい何者なのであろうかと、目をしばたたいた。
ディーノは女王と|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》が|憎《にく》らしかった。
肉体を引き裂くだけでは飽き足らない。
身を起こした老魔道師と我を取り戻した女王。
その二人ともが我が身を|厭《いと》わず守ろうとするものが。
そこに存在していた。
|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》隊長バルドザックが腕に抱き支える一人の乙女。
急降下した|飛龍《ひりゅう》の翼が大きく羽ばたき、|轟《ごう》と空気が吹き荒れた。
身構えていても吹き飛ばされるのが必至の暴風だった。
老魔道師は防御の|印《いん》を結んだが、聖なる|銀《ぎん》|斧《ふ》を敵に回し魔道力は半減していた。
なんとかその場に留まれたことだけでも、幸運であったと思うほかない。
飛龍の|牙《きば》に掛けられ、|果《か》|敢《かん》に剣で立ち向かったバルドザックが跳ね飛ばされた。
|尻《しり》|餅《もち》をつき女王が転んだ。髪を束ねていた|飾《かざ》り|紐《ひも》が切れ、髪がざんばらに乱れた。
だぶついた|法《ほう》|衣《え》に風を受けた老魔道師は、反射的にそこに四つん這いになり、うつ伏した。
巨大な黒い影を伴い行きすぎた暴風。
|無《ぶ》|様《ざま》に転がり地に伏した彼らは、素早く目線を投げ合ってお互いを確認した。
そこには。
いなければならないはずの人間が一人足りなかった。
「ディーノっ!!」
髪を振り乱し女王は叫んだ。
通りすぎ再び上昇する|飛龍《ひりゅう》。それを駆る若者の名を。
してやったりという顔で、ディーノは女王を振り返る。
|銀《ぎん》|斧《ふ》を握るディーノの腕に。
|略奪《りゃくだつ》された|乙《おと》|女《め》の姿があった。
声をあげることさえできず、|蛮《ばん》|人《じん》の手に|拉《ら》|致《ち》されたファラ・ハン。
腰に巻きついたディーノの腕は、一人の人間の体重を支えていても、びくとも動かない。
熱く脈打つすべやかな|鋼《はがね》のような腕は、とてもファラ・ハンのかなうものではない。
見あげる者たちの表情を見てとったディーノは|哄笑《こうしょう》し、ファラ・ハンは自分の無力さを思い知りながら、それでも|逃《のが》れようと身をよじる。
小柄なファラ・ハンの細くくびれた胴は、がっちりとディーノに抱えこまれている。全体的に検分してみたところで、ファラ・ハンの骨の太さなどはディーノのそれの半分もない。
抱いた腕にディーノが軽く力を加えれば、|肋《ろっ》|骨《こつ》ごと砕けてしまう。
ディーノの|目《もく》|論《ろ》|見《み》は、|的《まと》を射ていたようだ。
判断の正しさに、ディーノはほくそえむ。
女王のあの取り乱しようからすると、この|乙《おと》|女《め》に悲鳴をあげさせるだけでもかなりの効果がありそうだ。
ああいうお高くとまった連中は、自分を|陵辱《りょうじょく》されるより他人をさいなまれるほうが、より|辛《つら》い思いをするのだから、ディーノには不思議でしかたない。
見あげる者をあざ笑い|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の上空を|旋《せん》|回《かい》するように、ぐるりと|飛龍《ひりゅう》が首を回して向きを変えた。
その飛龍に。
翼の付け根、飛龍の急所目がけて。
一振りの剣が投げつけられた。
その一瞬だけ急所を|晒《さら》す、翼の上がり際を狙った、絶妙の間合いだった。
よほど飛龍の生態に精通していなければ、知りえない瞬間だ。
暴徒と役人たちの入り乱れる場所から仕かけられた、それ。
龍使いならではの攻撃。
ようやくディーノに追いついたシルヴィンである。
|焦《あせ》りに焦って追いかけシルヴィンは大きく肩で息をついている。乾いた|唇《くちびる》から吐きだされる|呼《こ》|気《き》は火のように熱い。
水色の|瞳《ひとみ》の奥に激した炎を燃えあがらせ、ディーノと飛龍を|射《い》|殺《ころ》すような目で|睨《にら》みつけている。
シルヴィンの仕掛けた攻撃は完璧だった。
しかし。
相手は|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》ディーノであり、シルヴィンたち龍使いにとっても自慢の飛龍だった。
|蛮《ばん》|族《ぞく》特有の勘で、|手《た》|綱《づな》を握ったディーノの腕が動いていた。
野性種そのものともいえる|飛龍《ひりゅう》も、同じく何かを察知していた。
|間《かん》|一《いっ》|髪《ぱつ》。
翼を上げかけた飛龍は、すんでのところで思い止まり、|晒《さら》しそうになった急所を死守した。
投げつけられた剣は、青銅色の硬い|鱗《うろこ》にぶち当たり、|掻《か》き傷一つ負わせることも|適《かな》わず、跳ね返された。
跳ね返ったそれが、今度は一直線にシルヴィンを襲う。
シルヴィンは日々|鍛《きた》えた抜群の反射神経を用い、そこから飛びすさった。
急ごしらえの|外《がい》|套《とう》だけが大きさを|把《は》|握《あく》されきっていなかった。
剣の切っ先は外套を引っかけて、シルヴィンからそれを引き剥がし、勢いよく|石畳《いしだたみ》を割って突き刺さった。
暴徒たちの乱戦場から仕掛けられた大胆な攻撃とその結末に、驚きの視線が集中する。
薄汚い|石《いし》|綿《わた》の外套に覆い隠していたシルヴィンの姿が、万人の目に|晒《さら》された。
役人の数など圧倒的に少ない、殺しあいに明け暮れることを何よりも好む|獰《どう》|猛《もう》な男たちの中での、ただ一人の女性だった。
世界の滅亡を|噂《うわさ》されるこの混乱の時代。聖地のどこにも若い女がいるはずもない。
捕らわれの身であった者たちが、ひさびさに目にする女の姿だった。
男たちの目がシルヴィンをみとめて、ぎらりと輝いた。
同じ女でも、女王まで|辿《たど》り着くには、かなり厳しい。
だがこの娘であれば。
シルヴィンは一見して、一人で戦い進んできたことがわかった。
|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》や武人などの警護は、好意でなければない。
味方となるべき人間は近くにいない。
欲情に突き動かされた|獣《けもの》のような男たちが、シルヴィンに襲いかかった。
石畳に突き立った剣を引き抜いている間はないと判断したシルヴィンは、腰帯に差していた宝石つきの短剣を|鞘《さや》から引き抜いた。
飛龍を飼い慣らし、自分の手足のように自在に|操《あやつ》ることを特技とする龍使いの一族。飛龍として優れた素質を持つものほど、純粋種に近く、|獰《どう》|猛《もう》で心の奥底からはなかなか馴れない。ずる賢い奴になれば、馴らされたふりをして、龍使いを食い殺すことさえある。|凄《せい》|惨《さん》な事故は|日常茶飯事《にちじょうさはんじ》という|覚《かく》|悟《ご》が必要なのだ。そのために彼らは、飛龍とただ一人ででも立ち向かえるように、幼い頃から刃物の扱い方を|叩《たた》きこまれている。小型の刃物を専門に扱って戦う|傭《よう》|兵《へい》ほどの実力を持っている。
シルヴィンの抜いた短剣も、そのような理由から片時も離さず持ち歩いている、彼女の一番使い慣れた武器だ。
これで実際に飛龍と戦い|仕《し》|留《と》めたこともある。
体格こそ女性としてはしっかりとしているが、|所《しょ》|詮《せん》はただの小娘。年格好からシルヴィンをみくびった男たちは、鮮やかに|空《くう》を|薙《な》いだ短剣の切っ先に|喉《のど》|笛《ぶえ》を切り裂かれた。
悪夢にも近い見事な|手《て》|際《ぎわ》だった。
血煙をあげて絶命した先人を目にしたことにより、シルヴィンに対する警戒が生まれた。
残っていく者は、より相手にするのに難しい連中ばかりとなる。
奇襲にも似た最初の一撃に傷つかなかった者たちは、シルヴィンに正当な評価を与えた。
いかにシルヴィンが刃物を扱う名手といえど、ただ一人で戦い抜くことができるはずもなかった。
結果どうなるのかは、たいした時間もかけずに明らかになる。
無謀な娘の鉄砲玉のような行動を、はらはらしながら見守っていたレイムは。
男たちに|挑《いど》まれる娘の窮地を目にし、ついに|魔《ま》|道《どう》の|径《こみち》から飛びだしていた。
駆け寄りながら、|石畳《いしだたみ》に深々と突き刺さっていた剣を一息で引き抜く。
男としては整えられた、|綺《き》|麗《れい》すぎるレイムの手が握った剣は。
鮮やかな|軌《き》|跡《せき》を描いて振るわれた。
濡れた|紅《くれない》の花びらが散る。
剣をかざし突然乱入してきた魔道士|装束《しょうぞく》の若者は、恐ろしく腕の立つ剣の使い手だった。
包囲を突破し、|瞬《またた》く間に苦戦するシルヴィンの真横に入りこんだ。
見覚えのある深緑色の|法《ほう》|衣《え》と背格好の味方の出現に、シルヴィンは目を丸くする。
それを確信づけるように、首を狙って繰り出された|槍《やり》を避けた魔道士の、頭部を覆っていたフードが後ろに跳ね飛んだ。
長い金色の巻き毛が|零《こぼ》れでる。
「あなた……」
信じられないものを見る目つきで、シルヴィンは剣を振るう魔道士を見つめた。
軟弱者の象徴のように思っていた若者によって、たやすく形勢を逆転し助けられることになろうとは夢にも思わなかった。
よそ見するシルヴィンに素早く振り返ったレイムは、|鋭《するど》い視線で彼女を|睨《にら》みつけ、今まさに彼女に手を掛けようとした男の腕に切りつけた。
自分の脇に勢いよく突き出されたレイムの剣に、シルヴィンはびくんと身を震わせる。
レイムの|一《ひと》|太《た》|刀《ち》で分断された上腕部が、シルヴィンの前を飛ぶ。
シルヴィンは自分の|迂《う》|闊《かつ》さに気づき、身を置いていた状況の予断のなさを思い知る。
無口な|魔《ま》|道《どう》|士《し》は、大声で|怒《ど》|鳴《な》り、シルヴィンを|咎《とが》めるようなまねをしなかった。
ただ目で訴えていた。
あいかわらずの、星を浮かべたようにきらきらと|潤《うる》む、|綺《き》|麗《れい》な|翠色《みどりいろ》の|瞳《ひとみ》だった。
瞳を囲む長い|睫《まつげ》を近くで見直すと、ばさばさと乱れがちなシルヴィンのそれよりも、長く整然としている。
女であるシルヴィンよりも、この青年のほうが優しげで美しい顔、姿形をしている。
しかも強い。
|居《い》|心《ごこ》|地《ち》悪くむすっとしてシルヴィンは魔道士から顔を|背《そむ》ける。
加勢されることを拒絶するかのような激しい勢いで、戦った。
|飛龍《ひりゅう》を向き変えたディーノは、再び|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の上の者たちを見おろした。
したたかに右肩を打ちつけたバルドザックは、左腕に剣を持ちかえながらよろめき立つ。
女王は立つことすら忘れ、ぶざまに着衣の|裾《すそ》を乱して座りこんだままディーノを見あげている。振り乱れた髪を直すことすら思いつかず、美しい顔が悲痛に|歪《ゆが》んでいた。
かろうじて姿勢を整えた|片《かた》|膝《ひざ》つきの格好で、老魔道師はディーノを見つめる。
このときほど。
誰もが自分の無力さを感じたことはなかった。
たかが|蛮《ばん》|族《ぞく》の一人と、ディーノを軽んじることなど、できないことだったのだ。
武人としてどれほどの|鍛《たん》|練《れん》をしようとも、ディーノに与えられた力という天分にはかなわない。
力弱き支配者の治める国は滅びるのだ。
ディーノという最高の資質を持つ男には、世界最高の不思議すら無力となるというのか。
勇者ラオウのものとなるべき聖なる|銀《ぎん》|斧《ふ》レプラ・ザンが、なぜディーノの手に握られているのか。
聖なる銀斧としての奇跡の力を|駆《く》|使《し》することができるのか。
エル・コレンティにはわからない。
三人の顔を見おろしながら、にやっと|唇《くちびる》を|歪《ゆが》めたディーノは、|乙《おと》|女《め》を|抱《かか》えた腕をほんの少し締めつけた。
腹部を|万《まん》|力《りき》のような力で圧迫され、ファラ・ハンの|咽《のど》から|甲《かん》|高《だか》い悲鳴が|迸《ほとばし》った。
内臓が|轢《ひ》き|潰《つぶ》されるかと思える激痛が、たおやかな肉体を|苛《さいな》んだ。
|魂《たま》|切《ぎ》る悲鳴をあげ身をよじるファラ・ハンの姿に、女王たちの体から音をたてて血が引いた。
この世の終わりに直面した悲痛な|面《おも》|持《も》ちで、ファラ・ハンとディーノを見あげていた。
ファラ・ハンを締めつけた腕を元に戻したディーノは、|飛龍《ひりゅう》の|手《た》|綱《づな》を引く。
飛龍が火を吐く。
苦痛から解放されたファラ・ハンは、次なる光景に目を見張る。
|渦《うず》|巻《ま》く火炎が踊りかかったそこに、ファラ・ハンの青い|瞳《ひとみ》は女王たちの姿をみとめていた。
声をあげることもできず、息を飲み手で口を押さえる。
|猛《たけ》り狂った火炎は。
しかし。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》の術による障壁によって|阻《はば》まれた。
激しく飛び散った炎のあいだから無事なる三人の姿を|垣《かい》|間《ま》見、ファラ・ハンは|安《あん》|堵《ど》して息を吐く。
そうだ。
老魔道師がいた。
彼らがどういう者たちかファラ・ハンは知らなかったが、それぞれの存在を|推《お》し|量《はか》ることはできた。
ディーノが|銀《ぎん》|斧《ふ》を用いない限り、老魔道師と渡りあえることはない。
片腕で手綱を握り、もう一方の腕にはファラ・ハンを抱くディーノには、銀斧を使うことはできない。
奇跡は銀斧が用いられない限り二度と起こらない。
ファラ・ハンがこの状態で、彼らにエル・コレンティがいる限り、ディーノは彼らを傷つけることはできない。
ディーノは|舌《した》|打《う》ちし|微《かす》かに|眉《まゆ》を寄せた。
そのディーノの視界に、女を中心にし乱戦する一画が入った。
一目でそれとわかる龍使いの一族の娘だった。
彼女のほかには龍使いらしき人間はいない。
あの狙い定めた剣の一撃は、龍使い以外には考えられない。
ついさっき|飛龍《ひりゅう》に剣を投げつけたのは、龍使いの娘に違いない。
たかが龍使い、|卑《ひ》|賎《せん》の身にありながらこともあろうにこのディーノに|盾《たて》|突《つ》いたのだ。
敵対するものは虫けら一匹であろうと許さない。
ディーノは飛龍の首を巡らせた。
一瞬の間と、彼の見ていたもの、そして飛龍の首の向かう先から素早く先を読み、ファラ・ハンは色をなす。
刃物のみで|果《か》|敢《かん》に大勢の男たちを相手に戦っている二人。
彼らの戦う姿からは、あの|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》にファラ・ハンが感じたような、強大なる不思議の力を想像することは難しい。
金髪の青年は|法《ほう》|衣《え》をまとっていたが、魔道士だから火炎から身を守れるというわけでもないのだ。
事実、|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》の周囲では、炎を防御しきれなかった魔道士たちが大勢負傷し、あるいは焼け死んでいる。
「やめてっ!!」
ファラ・ハンが金切り声で叫んだ。
飛龍が火を吐いた。
二つが同時に起こった。
耳の|側《そば》の突然の大声に驚き、わずかにディーノの姿勢が|崩《くず》れた。
打ちかかる相手の剣を、同じく剣で受けたレイムは。
|刃《やいば》のあいだで|弾《はじ》けた火花を眼前に散らせながら、はっと顔を上げて上空を望んだ。
おりしも。
飛龍の口からこちらに向かい、火炎が|迸《ほとばし》る瞬間だった。
修行により|研《と》ぎ|澄《す》まされた勘が、身に降りかかる危険を察知したのだ。
かすかに遅れをとって、龍使いのシルヴィンが同じく顔を上げた。
炎を防御するために用意していた|外《がい》|套《とう》は、今は彼女の上にない。
あっと息を飲んだシルヴィンの腕をレイムが|掴《つか》んで引きよせた。
横ざまに勢いよく引っ張られたシルヴィンがレイムの足元に倒れこむ。
素早く移動したシルヴィンを狙った|刃《やいば》は|空《くう》を切った。
仁王立ちに足場を構えたレイムの左腕には、かわしそびれた剣の切っ先が浅く食いこみ、|法《ほう》|衣《え》の|袖《そで》ごと肉を切り裂いていた。
|躍《おど》りかかる火炎に対し、血に染まったレイムの剣が法具のようにかざされる。
音なき声が防御|結《けっ》|界《かい》の|呪《じゅ》|文《もん》を|唱《とな》えた。
第八章 |虜《とりこ》
|紅《ぐ》|蓮《れん》の炎が|石畳《いしだたみ》の上で乱戦する者たちの上に降り注いだ。
木の葉のように|他《た》|愛《あい》なく、|屈強《くっきょう》な男たちの体が火をまとう。
石畳でさえ火を吹くほどの激しい火力に、炎の散った一帯が火の海となって燃えあがる。
|龍使《りゅうつか》いの娘に群がり寄っていた男たちは、炎を被って燃え|崩《くず》れた。
近くにいながら直撃を|免《まぬが》れた者たちは、火炎|渦《うず》|巻《ま》くそこから、|蜘《く》|蛛《も》の子を散らすように逃げ去る。
眼下で繰り広げられた光景に悲鳴をあげて、ファラ・ハンは顔を覆った。
ディーノは声をあげ、高らかに笑った。
征服者たる|愉《ゆ》|悦《えつ》に酔いしれるディーノを、ファラ・ハンは、きっと|睨《にら》みつける。
「|野《や》|蛮《ばん》|人《じん》!」
|辛《しん》|辣《らつ》な口調でディーノに言葉を|叩《たた》きつけた。
甘く透明に澄んだ|罵《ののし》り声に、ディーノはむっと|眉《まゆ》をひそめそちらを見やる。
鉄の腕に抱えられたか弱い捕らわれ人は、ディーノをまっすぐに|睨《ね》めつけていた。
命を落とす高みで、ただ一本の腕に身を預けていながら。
|委《ゆだ》ねた命に恐れもなく、まっこうからディーノを非難していた。
このとき初めて。
ディーノは自分が|略奪《りゃくだつ》した|乙《おと》|女《め》を見た。
小脇に|抱《かか》えたただの|捕《ほ》|虜《りょ》にしかすぎなかったそれは。
この瞬間から。
存在価値を|違《たが》えた。
どくんと胸が高鳴った。
口の中がからからに|干《ひ》|上《あ》がった。
頭を強打されたかのような衝撃があった。
じんと体の|芯《しん》が|痺《しび》れた。
血管が、筋肉が、ありとあらゆる細胞が、脈打ち|膨《ふく》れあがったかと思った。
恐怖や|屈辱《くつじょく》、怒り以外で、体が熱く|震《しん》|撼《かん》した。
美しい。
そしてひどく愛らしい。
|麗《うるわ》しく生命に溢れて|瑞《みず》|々《みず》しい。
腕に感じる|儚《はかな》い重みと|心《ここ》|地《ち》|好《よ》いほのかな|温《あたた》かさ、しなやかさ柔らかさ。
|鼻《び》|孔《こう》をくすぐる体臭も、|爽《さわ》やかに甘い。
どれ一つをとっても非の打ちどころのない、完璧ともいえる美を欲しいままにした乙女だった。
世界のどこにいようとも、名を|馳《は》せて不思議はない美女である。
|綺《き》|麗《れい》な顔は怒りをもって厳しくディーノに向かっていたが、それが彼女の魅力を|損《そこ》なうことはなかった。
美しいからこそ、なお|壮《そう》|絶《ぜつ》に|冴《さ》えている。
ディーノは、今。
彼女を腕に抱いている。
お互いだけを|瞳《ひとみ》に映し、間近く見つめあっている。
薄物を|挟《はさ》んで|肌《はだ》を触れあわせている。
二人とも|袖《そで》なしの服を着ているため、|剥《む》きだしの腕と腕の肌が直接触れている。
腕に重さを伝えるたおやかな体の、ふわりとした肉に包まれた細い|肋《ろっ》|骨《こつ》や|腰《こし》|骨《ぼね》を、感じている。
彼女を除く現実が色|褪《あ》せた。
ディーノの内に流れる時間が停止した。
急激に変調をきたした精神の内的|葛《かっ》|藤《とう》についてゆけず、肉体のリズムが狂った。
|眩暈《め ま い》がした。
「きゃあ!」
ふっと|緩《ゆる》んだディーノの腕から、ずるりと抜け落ちかけ、ファラ・ハンは悲鳴をあげた。
悲鳴に驚いて、ディーノは我を取り戻す。
何が起こったのかは、すぐに理解できた。
反射的に、ファラ・ハンは落ちまいと、ディーノの体にすがりつこうと腕を伸ばした。
慌てたディーノは引き寄せるようにしてファラ・ハンを|抱《かか》え直す。
ファラ・ハンは思わずすがりつこうとした勢いそのままで、ディーノに抱きついた。
危ういところで、さっきよりもさらにしっかりとした体勢に、ディーノはファラ・ハンを抱きしめる。
お互いの鼻先が触れあうかのような距離で、ディーノとファラ・ハンは見つめあった。
優しい、天上界の花のような顔が見つめていた。
りりしい、|研《けん》|磨《ま》されたばかりの宝石のような顔が見つめていた。
ディーノには、同じ種族の仲間のいない、国持たぬ|孤《こ》|高《こう》の王の|哀愁《あいしゅう》と寂しさがあった。
ファラ・ハンには、記憶を失い、知らぬ世界に|招喚《しょうかん》された|乙《おと》|女《め》の心細さがあった。
誰かを求めようとする心があった。
そして。
それぞれに|魅《み》|惑《わく》してやまぬ。
男と女だった。
上空を渡る風にさらわれて、二人の|唇《くちびる》から漏れた|吐《と》|息《いき》が|絡《から》み合う。
ファラ・ハンの長い髪が風に吹かれてふわりと舞った。
舞った髪の先がディーノの|頬《ほお》の上に流れた。
そよと|頬《ほお》を|撫《な》でたそれに、ディーノは|微《かす》かに首を横向け、|眩《まぶ》しいものを避けるように目を閉じる。
結び合った視線の|呪《じゅ》|縛《ばく》が絶ち切れた。
はからずも自分からディーノの胸に飛びこみ、抱きしめられることを望んだ形になったファラ・ハンは、落下を|免《まぬが》れ|安《あん》|堵《ど》していたことを知ると同時に、|激《げき》|昂《こう》した。
頬を真っ赤に染めて、ディーノの胸に手を突き、密着していた体を引き|剥《は》がす。
わざとこのようにされたのだと思った。
他愛ない無力な女として、身のほどを思い知らされるために、はめられたのだと。
|卑《ひ》|劣《れつ》な手段に訴えるこの男が許せなかった。
簡単にひっかかってしまった自分が恥ずかしかった。
非難していた人物を頼ってしまったことが腹立たしかった。
|逞《たくま》しい腕に抱かれ安らいだことが、かえって胸の|動《どう》|悸《き》を落ち着かなくさせていた。
目の前の男を感じ自分の女を感じたことが、我慢ならなかった。
こんな男に一瞬でも気持ちを奪われてしまうことになるなら。
あのまま落ちていたほうがましだった。
ディーノは。
彼が少しばかり力を入れていたなら、おそらくファラ・ハンは抱きすくめられたまま、身動きかなわない状態であったに違いない。
ファラ・ハンの力で、ディーノに引きよせられ、寄り添っていた体を引き|剥《は》がすなどということは不可能だったはずだ。
それなのに。
ディーノはそれを許していた。
|華《きゃ》|奢《しゃ》な白い腕が|渾《こん》|心《しん》の力を込めた、彼にとって|儚《はかな》いまでの抵抗に|逆《さか》らうことができなかった。
自分で自分がどうなっているのかわからなかった。
|夢《ゆめ》|見《み》|心《ごこ》|地《ち》で、なんとなく幸福なような、そんな気さえしていた。
ファラ・ハンは恥じらいをもって顔を|背《そむ》けたまま、厳しい口調でディーノに言った。
「今すぐやめさせなさい! 暴力や破壊行動をしていったい何が楽しいの!?」
会話を|導《みちび》く涼しい声に、ディーノの意識が眼下の現実に立ち戻る。
ディーノは問いかけを受け止め、ふてぶてしく目を細めてにやりと笑う。
「さぁな」
はぐらかすような答えに、むっとファラ・ハンは|不《ふ》|機《き》|嫌《げん》になる。
「あなたが首謀者なんでしょう!?」
「俺か?」
「そうよ!」
「知らぬな」
ディーノはふんと鼻をならす。
「俺はあんな|下《げ》|衆《す》どもの手下など持たぬ。|屑《くず》どもが勝手に暴れているだけだ」
横顔を向けたまま半信半疑の|眼《まな》|差《ざ》しを送るファラ・ハンに、ディーノは、にいっと笑った。
「|証《あかし》をたてれば気が済むのか」
言うが早いか。
|飛龍《ひりゅう》の|手《た》|綱《づな》を引き、動かした。
一度上を向いた飛龍が、次に火炎を吐きながら首を下に向けて巡らせる。
眼下を埋めつくした|紅《ぐ》|蓮《れん》の炎に、ファラ・ハンが悲鳴をあげた。
「やめてぇっ!」
|阿鼻叫喚渦巻《あびきょうかんうずま》く炎の地獄絵図を直視できず、両手で顔を覆う。
身を反らし、高らかにディーノは笑った。
「かまわぬさ。俺一人が何をしようと、世界は滅びることになっているのだからな」
「どういう、ことなの?」
「|終焉《しゅうえん》の時が来たのだよ。知っているだろう。あの|愚《おろ》か|者《もの》たちは、|黴《かび》の生えた伝説を信じて、救世主とやらになる羽の生えた女を呼び出そうとしているのだ」
「呼び、出す……?」
「そうだ。真下にあるのが、|招喚《しょうかん》の儀式の|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》だ」
ディーノが|顎《あご》で|促《うなが》した、そこ。
女王やエル・コレンティ|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》、|近《この》|衛《え》|騎《き》|士《し》隊長バルドザックのいる、その場所。
彼女が、この世界で初めて踏みしめたところ。
「ファラ・ハン……?」
「夢物語の姫君だな!」
ディーノは笑い飛ばす。
ファラ・ハンと呼ばれた当事者は。
固く|唇《くちびる》を引き結んだ。
記憶が定かでないので自覚こそ|皆《かい》|無《む》だったが。
おおよその事情は|把《は》|握《あく》できた。
女王の身のこなしや正義なる騎士バルドザックの振る舞いなどから、彼らがこの廃虚そのものに見える|荒《すさ》んだ文明に|相応《ふ さ わ》しいとは思えない。
おそらくは。
終焉の時とやらで、ここは滅亡の淵にあるのだろう。
|雷《らい》|光《こう》が|閃《ひらめ》き黒雲の垂れこめる、|不《ふ》|穏《おん》ないたたまれない何か|嫌《いや》な|雰《ふん》|囲《い》|気《き》も、そうであればなるほど、納得がいく。
救世主。
羽の生えた姫君。
しかし彼女の背には。
翼などない。
「その、ファラ・ハンなら……、この混乱も、おさめられますか?」
「む?」
問いの意味を捕らえそこね、ディーノは困惑する。
「おさめられますか!?」
澄んだ甘やかな|声《こわ》|音《ね》は、畳みこむように繰り返した。
ディーノは目をぱちぱちと|瞬《またた》きながら、首を縦にふる。
「不可能ではないかも知れぬ」
「そう……」
|乙《おと》|女《め》はきりりと表情を引きしめた。
そうした過程を経てここにいるとなれば。
果たさねばならない役目を、数多く|担《にな》っていることになる。
切なる願いを、希望に変えていかねばならない。
乙女の横顔を見つめながら。
ディーノは何かがひっかかることをしきりに感じていた。
この乙女と世界じゅうの女とは。
何かが違う。
そしてそれは、彼女にとって正しい。
自分にとっても、もちろん、正しい。
心|惹《ひ》かれてやまないのは、この美しさだけではない。
全身から|爽《さわ》やかに|薫《かお》りたつ、清らかさだけではない。
それがなんなのか思い当たって。
ディーノは、はっと息を飲んだ。
それは。
一筋の癖もない、しなやかな長い黒髪だ。
どこまでも透明に澄みきった、深い神秘の海のような青い|瞳《ひとみ》だ。
ディーノのそれと、同じ色。
その色彩ゆえに、|異《い》|端《たん》|児《じ》と扱われてきた遺伝形質。
この世界で、ただ一人と思われていた、色。
同族を示す色。
「お前は……」
ディーノは、ぐいと|乙《おと》|女《め》を引き寄せた。
不意をつかれたファラ・ハンは、ディーノの胸元に、ぴたりと抱き寄せられる。
圧倒的な力の差を感じた身動きできない形で、それでもなんとかファラ・ハンは顔をあげて、ディーノを|睨《にら》みつける。
こんな男に、いつまでも捕らわれているわけにはいかない。
ディーノは、間近く見ようとして|故《こ》|意《い》に抱き寄せた柔らかな肉体に、どきりと胸を高鳴らせた。
薄い衣服を通して、ほのかな|温《あたた》かみが伝わりくる。
ディーノの厚い|胸《むな》|板《いた》に圧迫されて、ファラ・ハンのまろやかな|膨《ふく》らみを持つ二つの胸が確かな質量を感じさせて|潰《つぶ》れていた。
|華《きゃ》|奢《しゃ》で小柄なくせに、たっぷりと|熟《う》れた果実を連想させる、肉感のある身体だった。
豊かですべやかで、引きしまっている。
全身から発せられている女香がしっとりと|潤《うる》んでいる。
ぞくりと|怖《おぞ》|気《け》が走るほどの女の|蠱《こ》|惑《わく》に満ちている。
ファラ・ハンの名に|違《たが》わない完璧なプロポーション。
古来より数々の戦乱の引き金となった美女にあたえられていたもの。
|黄《おう》|金《ごん》|律《りつ》と|謳《うた》われる、至高のバランスを持つ肉体なのだ。
男たちに究極の快楽を与えることを可能とする、世界最高の女。
奪い去らずにはいられない女。
愛さずにはいられない女。
愛されるために生まれてきた女。
男の本能に突き動かされたように。
ほとんど無意識に。
ディーノはファラ・ハンの|唇《くちびる》を求めていた。
力で女の身を服従させようとする卑劣な|輩《やから》に。
ファラ・ハンの怒りは爆発した。
自分さえ良ければ、何をやってもかまわない。
その利己的な|蛮《ばん》|人《じん》の|所《しょ》|作《さ》に|激《げき》|昂《こう》した。
「離しなさい!!」
いまにも触れあうかと見えた唇は。
|憤《いきどお》った高い声によって接近を|妨《さまた》げられた。
白い|繊《せん》|手《しゅ》が勢いよく振りあげられ。
ディーノの|頬《ほお》が|小《こ》|気《き》|味《み》よい音を立てて張られた。
第九章 聖選
レイムは無我夢中で|己《おのれ》の持てる|魔道力《まどうりょく》のすべてを解放することを選んだ。
見習いというにも恥ずかしいほどの、本当の初心者である自分の力量を、レイムは|嫌《いや》というほど知っている。
遥かに高等な魔道を自在に使いこなす上級の魔道士さえ、あのディーノの|飛龍《ひりゅう》の吐き出す火炎の威力に|敵《かな》わなかったことを知っている。
聖なる儀式を|経《へ》た清浄なる法具も、|護《ご》|符《ふ》も、何も持ってはいない。
文字どおりの、身一つである。
上等な魔道など使えるはずがない。
だが、それでも。
レイムは魔道を知る者として、不思議を|操《あやつ》ることを許された自分の存在を信じ、手を尽くすしかなかった。
乱暴に引き寄せ、足元に倒れこんできた一人の|勇《ゆう》|敢《かん》なる娘を。
自分の命を賭けてでも。
守らねばならなかった。
手に握っていた剣は、存分に武器としての威力を発していた。肉を切り裂き、骨を断ち、命を奪って、|温《あたた》かく濡れていた。銀に輝いていた|刃《やいば》は、体液と血と肉片の混じった液体で、でろりと汚れ、|濁《にご》り曇っている。よれて集まった|粘《ねば》い液体が、重く|滴《したた》り落ちている。
|腐《ふ》|敗《はい》する|汚《お》|濁《だく》を含むもので、べったりと|穢《けが》れている。
とうてい清らかな法具には及びもつかぬ、剣。
生々しい汚れをまとう剣を、レイムはためらうことなく、頭上に掲げた。
自らの命を守ってきた一振りの剣も、実際に刃として用いられることのない法具の剣も、今のレイムにとっては価値が同じだった。
だから、レイムには悪びれる理由はないのだ。
レイムは音を持たない声で高らかに、炎に対する絶対の|防《ぼう》|御《ぎょ》|結《けっ》|界《かい》の|呪《じゅ》|文《もん》を|唱《とな》えた。
何かが、レイムの中で、|緩《ゆる》やかに噛み合った。
ひとに許された領域を示す、固く閉ざされていた|扉《とびら》の|鍵《かぎ》が|弾《はじ》け散った。
とめどもなく体の|深《しん》|淵《えん》を通じて溢れくる力を感じた。
|魔《ま》|道《どう》というこの世で最大の不思議が、レイムという一人の男を|媒《ばい》|介《かい》として形を成した。
レイムの足元に倒れこんだシルヴィンは。
腕を突いて顔を起こし、迫りくる火炎を目にして|魂《たま》|消《ぎ》る悲鳴をあげた。
|石《いし》|綿《わた》の袋に身を隠して、浅い|火傷《や け ど》を負いながら、同じ炎から|逃《のが》れてきたばかりだ。
あの火炎がどのくらい|凄《すさ》まじい威力を持っているのかは、熟知している。
炎の直撃を受けた者の|逃《のが》れようもない末路を、間近く見て知っている。
思わず顔を|背《そむ》けてうつむいたシルヴィンに、吹きつけられる火炎の圧力が襲いかかった。
骨をも残さず身を|焦《こ》がす炎を浴びて、シルヴィンたちの周囲にいた男たちが火柱となって燃えあがった。火を吹き、音を立てながら|崩《くず》れ落ちた。
ぼたぼたと、炭化し、それがなんであったのか定かでなくなった|塊《かたまり》が地に落ちた。
固く|拳《こぶし》を握りしめ、下を向いていたシルヴィン。
彼女は、燃え崩れるものを感じ、いまだに優雅に恐怖している自分に不意に気がついた。
周囲はあまねく火の海となり、|火《か》|炎《えん》|地《じ》|獄《ごく》の|様《よう》|相《そう》を|呈《てい》している。
それなのに。
それを観察していられる自分に、気がついた。
(もしかすると、もう死んでしまっているのかもしれない)
恐ろしい疑惑に襲われ、シルヴィンはぎくりと顔をあげる。
炎に飲まれていない、深緑色の|法《ほう》|衣《え》が見えた。
|紅《ぐ》|蓮《れん》の炎の色に染まる中に|屹《きつ》|立《りつ》する揺るぎない色。
一人の青年。
信じられないものを見る|面《おも》|持《も》ちで、シルヴィンは目をしばたたく。
第一印象で軟弱者と|侮《あなど》られていた彼は、今シルヴィンの及びもつかない不思議を|駆《く》|使《し》して、|渦《うず》|巻《ま》く炎と戦っていた。
目を|凝《こ》らしてよく見ると、彼とシルヴィンの体を、薄い光の膜のような物が覆っている。
圧力を感じているのは、この光の保護膜が炎を受けているからだ。
成す|術《すべ》もなく炎に巻かれ死に絶えていく者たちの中で、二人だけが無傷でいる。
場所そのものを区切って封陣とする|魔《ま》|道《どう》を、レイムはまだ知らなかった。
選出した特定のものに働きかける、規模として小さなそれを使えるだけだ。
|微《かす》かに首を背けた|飛龍《ひりゅう》によって、完全な直撃を避けていたことが幸運だった。
ごく|僅《わず》かではあったが、対処するレイムにかかる負担が軽減されている。
剣をかざし不動の姿勢で、レイムは|結《けっ》|界《かい》を張っている。
ややあって、火力の弱まりはじめたことを見てとったシルヴィンは、そっと首を巡らせた。
ぐるりと周りを取り囲んでいた火の壁に|透《す》き|間《ま》が開きはじめ、遠くの様子が見えるようになってきた。
火に焼かれていない場所もある。
「ねぇ|魔《ま》|法《ほう》|使《つか》い!」
シルヴィンは、ぺたんと座りこんだまま、レイムに呼びかけた。
「ここから移動できる? 少し動ければ火のないところに出られるわ」
聞き覚えのある|声《こわ》|音《ね》を耳にし、レイムは、ぱちぱちと|瞬《まばた》きした。
生まれて初めて、|魔道力《まどうりょく》を意のままに|駆《く》|使《し》し、|恍《こう》|惚《こつ》となっていた意識が現実に引き戻る。
一度結界を張ることができれば、いつまでも剣をかざす必要はない。
|正真正銘《しょうしんしょうめい》の魔道士たる力を感じていたレイムが、動けなかっただけだ。
レイムは剣を下ろしシルヴィンにうなずく。
シルヴィンは、そろりと腰をあげ立ちあがった。
先導して|促《うなが》すように、注意深く振り返りながらシルヴィンは歩を進めた。
一面の火の海となった祭事場。
老魔道師の結界の内。
火炎から身を守られている女王に、バルドザックが寄り添う。
放心状態で、腰を落とし髪を乱している女王は、かつてないほど無力でか弱く見えた。
痛々しいほどに|痩《や》せ|衰《おとろ》えた、一人の|佳《か》|人《じん》にすぎない。
トーラス・スカーレン、そのひとを愛し、|仕《つか》えてきたバルドザックは。
女という一個の存在に|還《かん》|元《げん》されるトーラス・スカーレンを、見つめるのが|辛《つら》かった。
ごく普通の一人の女性として巡り合えたならと幾度も夢にみたバルドザックだったが、今のこのトーラス・スカーレンを望んでいたわけではなかった。
やはり彼の愛していたのは、女王である彼女なのだ。
現実の|苛《か》|酷《こく》さに打ちひしがれ、屈しようとしている彼女ではない。
女王としての星をいただく彼女の愛を受けることができなくても、それは彼女のせいではない。
時と、そして彼自身に与えられた資質が、及ばなかっただけなのだ。
バルドザックは女王を直視することに耐えられず、目を伏せ少し顔を横向ける。
細い肩を|掴《つか》んだバルドザックの右手を。
トーラス・スカーレンは、両手で握った。
重みと力強さを感じさせるバルドザックの手は、肩と一緒に自尊心まで掴み止めていた。
誰かに女王たる自分の誇りを支えていてもらわなければ、なりふりかまわぬ金切り声を張りあげて口汚くディーノを|罵《ののし》りそうだった。
わからない。
意味はなかったが。
すべての元凶が。
ディーノにあると。
思った。
かねてから感じていた、正体不明の不安なものを|抱《いだ》くディーノの存在。
予言者たる女王トーラス・スカーレンの心の隅を騒がせていたもの。
世界最高の|魔《ま》|道《どう》|師《し》たるエル・コレンティを|煩《わずら》わせていたもの。
ひとびとを|震《しん》|撼《かん》させた、その行動の|奇《き》|抜《ばつ》さや|残《ざん》|忍《にん》さが、問題なだけではない。
何かが。
どこかで。
狂っているのだ。
この滅亡する世界と同じに。
だから捕らえ、アル・ディ・フラの塔に|幽《ゆう》|閉《へい》した。
危ない|輩《やから》ではあったが、|所《しょ》|詮《せん》はただの|蛮《ばん》|族《ぞく》でしかない一人の男を、探しださずにはいられなかった。
しかし、ディーノは。
|額《ひたい》に与えられた聖なる|封《ふう》|印《いん》を消し去り、苦もなく塔から|逃《のが》れでた。
殺し壊し|強《ごう》|奪《だつ》し。
世界じゅうから|選《え》りすぐった|飛龍《ひりゅう》の一頭を我がものとした。
そうして最後の希望であった|招喚《しょうかん》の儀式で得た|乙《おと》|女《め》までも、奪い去ってしまった。
あまりにも、簡単に。
|唯《ゆい》|一《いつ》の頼りであったエル・コレンティ老魔道師は、聖なる|銀《ぎん》|斧《ふ》を持つディーノに対する力を持たない。
ディーノから乙女を奪い返すことはできない。
乙女が。
自らの力で逃れでもせぬ限りは。
|呆《ぼう》|然《ぜん》|自《じ》|失《しつ》の女王たちが見あげる|飛龍《ひりゅう》の上で。
ディーノに抱き寄せられた乙女の白い手が。
思いきりよく振りあげられた。
誰もが目を見開き、はっと息を飲んだその瞬間。
|小《こ》|気《き》|味《み》よく。
ディーノの|頬《ほお》が鳴った。
|容《よう》|赦《しゃ》のない、強烈な一撃だった。
耳に届いたその音に、びくんと女王は肩を震わせた。
そして。
まだ何も終わってはいないのだということを、思い出した。
|壊滅状態《かいめつじょうたい》になっているのは自分のいるこのあたりだけなのだということを、思い出した。
女王たる自分を待っている多くのひとびとが、この聖地の外にいることを、思い出した。
自分を捕らえた|蛮《ばん》|人《じん》を恐れることなく、|果《か》|敢《かん》に立ち向かおうとする|可《か》|憐《れん》な乙女を見つめた。
抵抗して殺されるのも世界と一緒に滅びるのも、本質的な意味において変わらない。
無に帰するだけだ。
誰を敵に回そうと、諦めるにはまだ早い。
希望は、存在するものではない。
|抱《いだ》き続けてゆくものなのだ。
信じる心の強さ、自分から負けを認めないことが、|光明《こうみょう》となるのだ。
理屈や理由は裏付けにすぎない。
何においても。
可能性だけは常に無限大となりうるのだ。
諦めなければ。
必ず道は開かれる。
自分から行動を起こさなければ、何も始まらない。
女王は顔の前に乱れ落ちた髪を掻きあげ、握っていたバルドザックの手を一度ぎゅっと握りしめてから離した。
肩に片手を置き、|側《そば》にいると存在を主張するだけで、胸の中に逃げこみたくなるほどに優しくしなかったバルドザックに感謝した。
あくまで女王としてのトーラス・スカーレンを支えようとしてくれたことが、嬉しかった。
まず事態の|収拾《しゅうしゅう》に努めなければならない。
この火炎|渦《うず》|巻《ま》く祭事場の混乱をどうにかせねばならない。
|乙《おと》|女《め》を|蛮《ばん》|族《ぞく》の手から奪い返さねばならない。
立ちあがった女王の見あげる中。
|手《て》|加《か》|減《げん》なしの平手打ちをまともに受けたディーノは、|頬《ほお》に|炸《さく》|裂《れつ》した痛みに一瞬思考が停止した。
何が起こったのかわからなかった。
|修《しゅ》|羅《ら》と呼ばれた男にあるまじき|醜態《しゅうたい》だった。
ファラ・ハンは腰に回された腕に無理に手をねじこみ、|略奪者《りゃくだつしゃ》の|戒《いまし》めを振りほどいた。
離せと叫んだそれを、いち早く行動に移していた。
遥かな高みに羽ばたく|飛龍《ひりゅう》の背。眼下の祭事場は燃え盛る火の海である。
しかし。
ファラ・ハンは、ディーノの腕から|逃《のが》れ、ためらうことなく。
空に、身を踊らせた。
夢か一枚の絵のように。
長い黒髪が広がり白い衣装がふわりと|裾《すそ》を|翻《ひるがえ》した。
「エル・コレンティ|祭司長《さいしちょう》!」
悲鳴のような声で女王が叫んだ。
バルドザックは、乙女の思いきった行動に、|愕《がく》|然《ぜん》と目を見開いた。
名を呼ばれた|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は、乙女を受け止めるために、招喚の魔法陣から素早く移動した。
魔法陣の上は、女王たちのために炎の侵入を|阻《はば》んだ絶対防御の|封《ふう》|陣《じん》の魔道を|施《ほどこ》したままだ。
大きな|魔《ま》|道《どう》を幾度も|駆《く》|使《し》しているために、老魔道師の|消耗《しょうもう》も激しい。落下する乙女を炎から守りながら引き寄せて招喚の魔法陣に|導《みちび》くより、防護膜を使いお互いの身を炎から守りながら自分が動いて受け止めることのほうが楽な行動だった。
いかに|高名《こうみょう》な大魔道師エル・コレンティであっても、限界はある。
レイムとともに炎から|逃《のが》れ、振り返って|仇敵《きゅうてき》とするディーノを見あげたシルヴィンは。
|飛龍《ひりゅう》から飛び降りた乙女の姿に悲鳴をあげた。
視線を追ったレイムも、死に急ぐかに見えるそれに|驚愕《きょうがく》する。
我を取り戻したディーノは色をなして腕を伸ばした。
飛龍の|手《た》|綱《づな》を引いた。
追いすがった。
全身の血が凍るかと思える恐怖を感じた。
自分以外の。
ただ一人の女が。
自ら命を投げ捨てようとしているのを|阻《そ》|止《し》しようとした。
|捕《ほ》|虜《りょ》だからではなかった。
乙女を追って飛龍がまっさかさまに降下した。
飛龍の動きを見たシルヴィンは、それがかなり低く降下するだろうことを予測した。
飛龍との距離が四メートルを切れば、短剣の|柄《つか》に仕込んである龍笛で、一時的に飛龍の動きを封じることができる。同じ龍笛では、一頭に一度しか使えぬ特殊な方法だが、これが成功すれば、ディーノから飛龍を取り戻すことができるかもしれない。
シルヴィンは一直線に飛龍を求めて駆けた。
シルヴィンの後をレイムが追った。
顔を上向けて駆けていくシルヴィンは、足元など全然見ていない。
シルヴィンの行く手には、先の招喚のとき、天から落ちた雷で大きく|亀《き》|裂《れつ》を走らせた|石畳《いしだたみ》があった。
ところによっては、奥がどこまで続いているのかわからない、ひとを飲みこむのに十分な裂け目が口を開けて待っている。
けっして飛び越せないものばかりではなかったが、今のシルヴィンが、それを回避できるようには思えなかった。
レイムの|危《き》|惧《ぐ》を裏切ることなく。
数歩後に、地割れ目がけて、まともにシルヴィンの足が踏みこんでいた。
シルヴィンの後ろからレイムが|覗《のぞ》き見たそれは、ずいぶんな深さをもつものだった。
落ちこめば|怪《け》|我《が》をするだけでは済みそうもない。
|空《くう》を切った足元に、あっとシルヴィンが声をあげる。
引き戻そうとシルヴィンの腕をレイムの手が|掴《つか》んだ。
シルヴィンの全体重が前方にかかってしまった後だった。
男と女と性別を|違《たが》えてはいたが、シルヴィンは身長においてレイムと大差ない。
人種が異なるため、どちらかといえばシルヴィンのほうが、がっちりとした太い骨格さえ持っている。
男としては|華《きゃ》|奢《しゃ》な部類に入るレイムが、簡単に支えきれるものではなかった。
勢い余ったシルヴィンと彼女の体重に引っ張られるようにして、レイムの足も宙に浮いた。
こうなるとわかっていながら、危ないと声をかけられなかったことが|致《ち》|命《めい》|的《てき》だった。
レイムは、声を封じてある自分がいけないのだと思った。
罪を|償《つぐな》いたいがゆえにしたことが、かえって新たなる悔いを残す結果となった。
どうにかしてシルヴィンを助けたいと思った。
レイムの|脳《のう》|裏《り》を、教えられたばかりの|魔《ま》|道《どう》の|呪《じゅ》|文《もん》が横切った。
術者の命を用いるという“最後”の呪文。
誰かを救うことを可能にする、|哀《かな》しいまでに優しい、この世で最高の魔道。
成功すれば術者は必ず死ぬ。
このままで失敗しても二人とも無事には済まない。
ディーノが叫んだ。
知らない名前だった。
なんと叫んだのかわからなかった。
一度も耳にしたことのない名だった。
口を突いて出た後は、自分がそれを叫んだことさえ忘れていた。
まったく同時に。
レイムも叫んでいた。
シルヴィンを|掴《つか》んだもう一方の手で、|印《いん》を結びながら。
ディーノのそれと、同じ名前を。
|呪《じゅ》|文《もん》に名前を織りこみ。
祈り叫んでいた。
ファラ・ハンは。
自分を呼んだと思しきそれらの声に、ぴくんと背をのけ反らせた。
|自《じ》|暴《ぼう》|自《じ》|棄《き》とも考えられた行動を支えていたものが、彼女の中で確かなものに変化した。
ディーノの指が|乙《おと》|女《め》の腕に触れるかと見えた、その時。
シルヴィンとレイムが|亀《き》|裂《れつ》のあいだに激突するかと見えた、その時。
乙女を中心に、光が|炸《さく》|裂《れつ》した。
周りから色を奪い真っ白に染めあげた光。
目もくらむほどに|眩《まぶ》しいはずのそれは。
しかし。
けっして|瞳《ひとみ》を射るものではなかった。
|招喚《しょうかん》の|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》に突き立ったのと同じ。
|紛《まぎ》れもない聖光である。
聖光に照らされて。
|轟《ごう》|々《ごう》と|渦《うず》|巻《ま》いていた火の海が消失した。
|血腥《ちなまぐさ》い争いを続けている者たちの動きが|凍《い》てついた。
ほんの一瞬の出来事。
|迸《ほとばし》った聖なる|閃《せん》|光《こう》。
光の消失したその後には。
燃え盛る炎は悪夢ででもあったかのようになくなっていた。
争っていた者たちは戦意と意識を失ってその場に|頽《くずお》れた。
成り行きをただ見守っていた女王たちは、瞬時にして起こった奇跡を前に驚くばかりである。
偉大なる|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》エル・コレンティですら、何が起こったのか、即座に理解できなかった。
すべての奇跡の|証《あかし》として。
切望していた一つの形が具現していた。
中空に舞う|乙《おと》|女《め》の姿が。
清らかな光球に包まれて浮かんでいた。
そして乙女の背では。
純白に輝く翼が広げられていた。
|猛《たけ》き者|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》ディーノは。
乙女の腕に指が触れるかというところで。
眼前で爆発した光に驚き動きを止めていた。
思考がぷつりと途切れていた。
|銀《ぎん》|斧《ふ》と|手《た》|綱《づな》を握っていた手から力が抜けていた。
|飛龍《ひりゅう》はディーノの支配下から離れ、今まさに地面に激突していこうとする体勢を正した。
主人もそれを望んでいるはずだと思った。
だがその背にはもう、あの重みはなかった。
手綱を落としたディーノは、投げだされた形で落下していた。
全身をまばゆい光の|塊《かたまり》と変えながら。
静かに落ちていた。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》レイムと|龍使《りゅうつか》いシルヴィンは。
激突するかという寸前で動きを止めていた。
最後の魔道を用いたレイムの体から、すべての力が抜けていた。
魔道の|衝撃《しょうげき》で意識が|弾《はじ》け飛んでいた。
死んだようにぐたりと|弛《し》|緩《かん》していた。
シルヴィンは激突するかと思ったときすでに気を失っていた。
二人は全身を光そのもののように輝かせながら。
静かに浮かびあがってきた。
背に白き翼を持つ聖なる|乙《おと》|女《め》ファラ・ハンは。
光球に包まれながら、|緩《ゆる》やかに地に降り立った。
地を踏みしめたファラ・ハンを包んでいた光球が、ふいと消滅した。
ファラ・ハンは翼と|麗《うるわ》しい青い|瞳《ひとみ》を閉じ、くたりとその場に|頽《くずお》れた。
倒れたファラ・ハンの白い背中に、するりと翼がしまいこまれた。
少し離れた場所に。
光の|塊《かたまり》となったディーノが降りた。
そしてその|側《そば》にレイムが、シルヴィンが、現れた。
ディーノの脇に落ちた|銀《ぎん》|斧《ふ》が、きらきらと|煌《きら》めき消えてなくなった。
ファラ・ハンを取り巻くように集まりきた光は、三つ揃ってから消えた。
すべての混乱から静寂を取り戻した聖地。
|招喚《しょうかん》の|魔《ま》|法《ほう》|陣《じん》を降り、ファラ・ハンを迎えようと控えきていた|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》の側に、女王とバルドザックが近寄る。
争いを好まなかった魔道士や武人たちが、よろよろと集まりくる。
上空を旋回した|飛龍《ひりゅう》は、主人を恋い一声|啼《な》いて、ディーノの横に舞い降りた。
うなだれて、|気《き》|遣《づか》わしげにじっと見つめ、倒れ伏すディーノに寄り添う。
老魔道師は女王に|膝《ひざ》を折り、うやうやしく|頭《こうべ》を垂れた。
「聖女招喚の予言は|成就《じょうじゅ》され、すべての者が集まりました」
第十章 |是《ぜ》|認《にん》
翼ある伝説の|乙《おと》|女《め》ファラ・ハンは、|魔《ま》|道《どう》|士《し》たちの|招喚《しょうかん》に|応《こた》えて具現した。
世界救済のため時の|宝《ほう》|珠《しゅ》を正す旅に出かける彼女に同行する三人の人物も、聖光によって選出された。
|崩《くず》れ落ちた獄舎、アル・ディ・フラの塔から解き放たれた|利《り》|己《こ》|的《てき》な乱暴者たちも|鎮《しず》められ、血煙あげた混乱も|終止符《しゅうしふ》を打った。
何もかもが原形を留めぬ、|壊《かい》|滅《めつ》状態に|陥《おちい》った聖地クラシュケス。
湯気をあげるほど真新しい血の通り雨に打たれ、腐敗する|穢《けが》れきった聖地。
|残虐《ざんぎゃく》な手で命を奪われた者たちが、方々で|無《む》|残《ざん》な|骸《むくろ》を|晒《さら》している。焼け|焦《こ》げた|得《え》|体《たい》の知れぬ|塊《かたまり》となって、うらめしげに転がっている。
女王トーラス・スカーレンはこの聖地クラシュケスを|放《ほう》|棄《き》することを命じた。
|復《ふっ》|興《こう》は望めない。
それだけの人員を|割《さ》くこともできなければ、資材も何もないのだ。
地盤さえ|崩《ほう》|壊《かい》寸前にあるこの|汚《お》|濁《だく》に満ちた土地は、世界滅亡の危機に直面するひとびとにとって、もはや希望の象徴とはなりえない。
生き残ったひとびとのすべてを伴って、女王は王都へと戻った。
世界じゅうの天地を騒がせた、あの騒動の中心となった聖地から女王が無事に帰還したという知らせは、すぐさま魔道の伝令によって各地に行き渡った。
伝え聞いた聖女招喚の予言|成就《じょうじゅ》の報は、絶望の淵で|喘《あえ》ぐひとびとの胸に一筋の光を投げかけた。
そして、また。
「勇者ラオウに、あのディーノとは、やはりどう考えても納得できません!」
宮殿の高い|天井《てんじょう》に、激したバルドザックの声が反響した。
「遠く離れた地で話を伝え聞いた者たちから、多くの疑問と抗議の言葉が寄せられています! |噂《うわさ》だけでディーノの乱暴|狼《ろう》|藉《ぜき》を知る者はまだいいでしょう。しかし、現に奴によって肉親を殺害されたり一生を台なしにされた者たちが、世界じゅうに、それこそ星の数ほどいるのです! |恨《うら》みや|憎《にく》しみを|抱《いだ》いてもなんの不思議もありません。奴を一行に加えることによる|弊《へい》|害《がい》は計り知れません。ことによると、ファラ・ハンの行動の|妨《さまた》げになるかも知れません」
掃き出し窓に続くテラスの前に置かれた|椅《い》|子《す》に腰かけるトーラス・スカーレンは、興奮し顔を赤らめながら|怒《ど》|鳴《な》るように|喋《しゃべ》るバルドザックに、ゆるりと首を巡らせた。
すうっと吹き込む冷たい風を受けて、そよそよと女王の衣服が揺れる。
静かな|面《おも》|持《も》ちでバルドザックを見たトーラス・スカーレンは。
気負っていたせっぱつまったものから解放され、安らいだ表情をしていた。
痛々しいまでに肉を欠く、|痩《や》せ細ってしまった体はそのままだが、|憑《つ》きものが落ちたように、|穏《おだ》やかさを取り戻している。
|物《もの》|憂《う》げな光を神秘の|紫色《むらさきいろ》の|瞳《ひとみ》に宿し、女王は問い返した。
「問題を|抱《かか》えているのは、ラオウだけですか?」
指摘され、ぐっとバルドザックは息を飲んだ。
|魔《ま》|道《どう》|士《し》スティーブに選ばれたレイムという若者も。
|龍使《りゅうつか》いドラウドに選ばれたシルヴィンという娘も。
けちをつければ切りがない。
レイムなどほんの一年前弟子入りしたばかりの、|新《しん》|参《ざん》|者《もの》の見習い魔道士だ。魔道などろくに知らない。魔道を使うほんの基礎的な項目の修練に明け暮れている修行中の身だ。
本来なら、魔道士として聖地に|赴《おもむ》くことも許されず、あの場にいるはずではなかった。
シルヴィンも、龍使いの一族に生まれただけの、小娘である。特別に龍使いとして|秀《ひい》でた者ではない。あの状況の中で生き残っていたことこそ、奇跡に等しい。
彼女が聖戦士に選ばれたことを知って一番驚いたのは、彼女の一族であり肉親たちだった。誰より彼女を知る者が、|難色《なんしょく》を示したのである。
ディーノは、彼が世界じゅうに|轟《とどろ》かせた悪名と実績で、広く知られている。それによって反感をかい、世界救済にいちるの望みをかけるひとびとの心に暗い影を落としている。
ディーノとレイム、シルヴィンとの違いは、知られているかいないか、悪い|噂《うわさ》の有無、その点にしかない。
世界救済という大仕事を|任《まか》せて大丈夫なのだろうかという不安は尽きない。
歌声が風に乗って流れこむ。
愛らしい子供たちの歌声。
次の世代を|担《にな》う子供たちが、歌という文化を美しく正確に継承していくために、厳しい訓練を受けている。
剣術の|稽《けい》|古《こ》に励む者たちの、ぶつかり合う|鋼《はがね》の音もする。
|拙《つたな》い腕で|奏《かな》でられる楽器の|音《ね》|色《いろ》も、|微《かす》かに遠く聞こえる。
|人《ひと》|気《け》の乏しい王都の中で、宮殿のこの一画だけが、|僅《わず》かに|賑《にぎ》わっている。
滅びようとする時代に、何かを残そうと懸命になっている。
「ファラ・ハンはこの世界に現れました。ラオウたち三人を選び直す必要があるのなら、彼女が行うことでしょう。わたくしたちの関与すべきことではありません。すべては、聖なる光の|導《みちび》くままに。世界救済をファラ・ハンの手に|委《ゆだ》ねると決めたときから、わたくしたちは|民《たみ》をまとめる者として、ひとびとにそのことを認めさせねばならないのですよ」
「しかし……」
バルドザックは、|唇《くちびる》を|噛《か》んで表情を曇らせた。
ディーノにはさんざんにこけにされ、|恨《うら》み重なるバルドザックである。
教養のない|蛮《ばん》|族《ぞく》であり|氏素性《うじすじょう》すら定かでない男に、格式ある|由《ゆい》|緒《しょ》正しい家柄に生まれた貴族であるバルドザックが、何をやってもかなわないのだ。
どんなにいい師について訓練を積もうと、ディーノに与えられた天分には手も足も出ない。
同じ男としても|羨《うらや》むほど、見事な|体《たい》|躯《く》に恵まれたディーノ。
強く雄々しく|猛《たけ》|々《だけ》しい、王者の素質を持つ男。
|孤《こ》|高《こう》の身であっても、王を名乗って誰はばかることのない男。
|否《いや》|応《おう》のない|劣《れっ》|等《とう》|感《かん》を引きだす、|不《ふ》|遜《そん》の|輩《やから》。
誰かを|嫉《ねた》む自分を、|醜《みにく》いとバルドザックは思う。|陥《おとしい》れたいと願うことに、|嫌《いや》|気《け》がさす。
そしてまた。
ファラ・ハンを奪い去ったディーノを、力任せの有無をいわせぬ状況だけでなく、許してしまったことを、|厭《いと》わしく思っていた。
|芳《かんば》しい|美《び》|姫《き》を腕に抱くディーノを、また美しいと感じたことを、悔いていた。
激しい一枚の絵のような光景に、|不《ふ》|覚《かく》にも見とれてしまった。
自分ではとうてい及びもつかない|卑《ひ》|劣《れつ》な|野《や》|蛮《ばん》|人《じん》を認めねばならないことが、耐えられなかった。
あのディーノを、ファラ・ハンと同行させねばならないことが、たまらない。
「もしも、ディーノが……、ファラ・ハンの身に、何かがあれば……」
トーラス・スカーレンを前に、バルドザックは、それをはっきり言うことを渋った。
言いかけ、うつむいて、トーラス・スカーレンから顔を|逸《そ》らせる。
気に入った女を腕ずくで自分のものにすることを、ディーノはけっしてためらいはしない。
その|噂話《うわさばなし》は|嫌《いや》というほど聞いている。
純情にも|頬《ほお》を染めて|危《き》|惧《ぐ》するバルドザックの|意《い》|図《と》を見抜いて、くすくすと少女のように可愛らしい|仕《し》|草《ぐさ》でトーラス・スカーレンが笑った。
「心配には及びません。ファラ・ハンは心正しき聖女です。|拒《こば》むべきことは拒みます」
|容《よう》|赦《しゃ》のない平手打ちを浴びせかけたときのように。
ファラ・ハンはあの鉄の腕を振りほどくことができたのだ。
力などには屈することはない。
見るからにか弱く|可《か》|憐《れん》で|華《きゃ》|奢《しゃ》でありながら、その実、遥かに強い。
世界の希望を、細い両肩に預けられるほどに。
たとえ背中にあの純白の翼がなくても、トーラス・スカーレンは彼女を信頼していた。
そして|乙《おと》|女《め》もまた、翼などなくてもその気持ちに|応《こた》えていた。
予言書にない余計な人員を同行させることは、かえってファラ・ハンの行動を|拘《こう》|束《そく》することにも|繋《つな》がる。
「もう事態は、わたくしたちの手の届かない場所で進行しているのですよ」
染みこむような|声《こわ》|音《ね》で、トーラス・スカーレンは言った。
神頼みも、もう終わった。
気持ちを荒らげたり、いらいらと気を|揉《も》むようなことはない。
打つべき手を打ち終えた今は、世界救済が成し遂げられるその日まで、女王としてしっかりと|民《たみ》を|導《みちび》いていけば、それだけでいい。
希望の象徴たる存在は、ファラ・ハンが引き継いでくれる。
|漆《しっ》|黒《こく》の影が|床《ゆか》に広がった。
現れでるひとの|気《け》|配《はい》を感じ、女王とバルドザックが首を巡らす。
凝り盛りあがった影は、|紫《むらさき》に輝く黒い|法《ほう》|衣《え》と化す。
ひざまずいた大柄な人影が顔をあげた。
エル・コレンティ|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》である。
「予知が終わりました」
低くよく響く声音が、|心《ここ》|地《ち》|好《よ》く二人の耳を打つ。
ファラ・ハン、ディーノ、そしてレイムとシルヴィンは、一週間前のあの日以来、眠り続けたままである。
四人はそれぞれに|離宮《りきゅう》の|一《ひと》|棟《むね》を与えられ、|混《こん》|沌《とん》と静かに眠っている。
いつ目覚めるかもわからない、眠りの淵に沈んでいる。
ファラ・ハンの世界救済は、彼らのすべてが目覚めたときから始まる。
|魔《ま》|道《どう》|師《し》は準備を確実に進めるため、彼らの目覚めの時期を知ろうと、予知をしたのだ。
ファラ・ハンの具現により、見えなかった未来予知が、再び可能になっていた。
彼女が世界に現れでたことによって、確かに何かが変わったのだ。
世界じゅうを見通したり、一月後とかを予見するには、|垣《かい》|間《ま》|見《み》の|銀《ぎん》|水《すい》|盤《ばん》のような大きな物が必要になるが、これは先に破損してしまっている。
今、王都の|魔道宮《まどうきゅう》にあるのは、聖地の聖者の塔のオルゴールから取りだした部品による、小さな間にあわせの予知盤だ。垣間見の銀水盤に|匹《ひっ》|敵《てき》するような、予知盤になる大きな部品もないわけではなかったが、それをいっぱいに満たすほどの大量の聖水がないのだ。
聖地にあった大量の清らかな水は、一週間前の暴徒の襲撃によって汚されてしまった。
|濾《ろ》|過《か》すれば飲料水としては十分に使えるようになったが、聖水にはならない。
ここ数日のことを|占《うらな》い見ることが、精いっぱいである。
「明日にも目覚めるであろう|予兆《よちょう》が見えました。すべての準備は|滞《とどこお》りなく進んでおります」
「そうですか」
ふわりと淡く優しく|微《ほほ》|笑《え》んで、女王は|椅《い》|子《す》から静かに腰をあげた。
女王が立ちあがり、掃き出し窓から凍った突風が吹きこんだ。
風にあおられて、女王はよろりと力なく体を傾ける。
慌てて|側《そば》に寄ったバルドザックが、女王をしっかりと支えた。
女王は|微《かす》かに青ざめた顔に、|儚《はかな》い笑みを浮かべる。
たおやかなる|麗《れい》|人《じん》は、彼女が女王であるが|故《ゆえ》に、なんとか|余《よ》|喘《ぜん》を保っているのに過ぎない。
使命感と誇りがトーラス・スカーレンのすべてなのだ。
自分を支えてくれる|温《あたた》かな腕がいつでも待っていることを知りながら、トーラス・スカーレンは、それに甘えることはできない。
「『眠り』ますか? このままでは、あなたも持ちません」
バルドザックは|気《き》|遣《づか》わしげにトーラス・スカーレンの耳元で|囁《ささや》いた。
大きな茶色の|瞳《ひとみ》がトーラス・スカーレンを映している。
囁きに、トーラス・スカーレンは|緩《ゆる》く首を振った。
「わたくしは、世界を見届けなければなりません。女王としての務めを果たさなければ」
だから、『眠る』わけにはいかない。
バルドザックは悲しげに|眉《まゆ》を寄せ、|諦《あきら》めたようにうなずいた。
手を貸して椅子に座らせる。
バルドザックはうやうやしい|所《しょ》|作《さ》で退き、トーラス・スカーレンは|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》に顔を向ける。
「『眠らず』王都に残っている者すべてに、その|旨《むね》を伝えなさい。そして明日、正装し王宮に出向くよう」
王都に残る者、魔道によって王宮の|地下廟《ちかびょう》に『眠らず』にいる者。
乏しい食料や水を切りつめ細々と生き長らえるために、多くの者が志願し、生命活動を停止させて眠っている。
死に絶えていく多くの動植物と同じに。
目覚める日がいつ来るのかわからないままに。
魔道を|操《あやつ》る不思議の者たちが生き残る、そのことを信じて。
かつて聖地クラシュケスと並び称された美しい王都。
しかしそこに今残っているのは、生き物の姿が消えた|街《まち》であり、|腐《ふ》|敗《はい》することのない石材と大理石による建物だけである。
溢れる色彩を与え輝き萌えていた明るい緑は、その|痕《こん》|跡《せき》もない。
土から根腐り、枯れた草木は、早々に王都から|撤《てっ》|去《きょ》されてしまった。
王都は飾り気のない、冷たく|閑《かん》|散《さん》とした都になっている。
|唯《ゆい》|一《いつ》の慰めのように、『眠る』ことよりも何かを修得することを切望された子供たちが、こんな時代であろうとも、|華《はな》やかな笑い声と生への希望を振りまいている。
|老《ろう》|魔《ま》|道《どう》|師《し》は女王の命を受け立ち去った。
気をきかせた|女《にょ》|官《かん》がお茶を用意して女王に運びきた。
バルドザックは女王をエスコートしてティーテーブルへと向かった。
女王とバルドザックにお茶が|煎《い》れられているとき、ゆったりと肥え太った白い衣装の女官が部屋に訪れた。
魔道士のそれとまったく形は同じだが、フードを|被《かぶ》ってはいない。
高く結いあげた赤い髪が、陽気な性格そのままに、華やいでいる。
トーラス・スカーレンの|乳母《う ば》であり、バルドザックの|叔母《お ば》、宮廷白魔道士の、マリエだ。
豪快な足音を立てて歩ききた|女《じょ》|傑《けつ》を目にし、バルドザックはばつが悪そうに|眉《まゆ》を寄せ、トーラス・スカーレンは幼女のように|微《ほほ》|笑《え》んだ。
マリエは|居《い》|心《ごこ》|地《ち》悪そうに首をすくめる|甥《おい》に、ちらりと流し目をくれる。
毎度のことなので、|嫌《いや》|味《み》を言うのにも飽きている。
報われることのない片恋を、あくまでも捨て切れずにいる、大馬鹿者。
同じような年頃の貴族の若者たちは、婚約や結婚と、嬉しい報告を持って祝福を受けに、宮廷白魔道士のもとにやってくるというのに。
いつまでたっても少年のままの、純真で純粋な愛情を抱き続ける甥に、マリエは|呆《あき》れ、そして、反面、そのようなひた向きさに好感を持ってもいる。
世渡りが|下手《へ た》だが、あまりに可愛らしすぎて、|憎《にく》むに憎めないのだ。
マリエは、湯気のあがる|琥《こ》|珀《はく》|色《いろ》の液体の入ったカップを口に運ぶトーラス・スカーレンを見て、にっこりと笑った。
「お|菓《か》|子《し》もちゃんとお食べください。食が細いままでは体がまいってしまいますよ」
「ええ。いただいております」
トーラス・スカーレンは、|皿《さら》に取り分けたシフォン・ケーキに、軽く視線を送る。
連日聖地に|赴《おもむ》き、気苦労が|祟《たた》って、女王はほとんど食事らしいものを口にしていなかった。
これまでは、|乳母《う ば》であり王都の|女官頭《にょかんがしら》をも兼任する宮廷白魔道士のマリエといえど、とても声をかけたりできるような|雰《ふん》|囲《い》|気《き》ではなかったので、心配しながらも、女王のするままになっていたのだ。
しかし、いざ|招喚《しょうかん》が終わり、なんとか|光明《こうみょう》が見いだせるようになった今。
マリエは、お|節《せっ》|介《かい》と思われようと、トーラス・スカーレンを見守る義務がある。
せっぱつまった部分がなくなって、肩の荷を軽くしたトーラス・スカーレンの|頬《ほお》には、以前のような、ちょっとしたときに子供時代のそれが思い出される、マリエの知るあの笑顔が戻っていた。
マリエは小さく身を縮めたバルドザックを押し|退《の》けるように割り込んで、ティーテーブルにつく。
女王がしっかり物を食しているかどうか、マリエには監視するという務めがあった。
「エル・コレンティ様から話を|伺《うかが》いましたわ、いよいよでございますね」
お茶を召しあがれと|促《うなが》しながら、マリエは、にこにこと大声で話しかける。
くつろいだ笑みを浮かべ、トーラス・スカーレンはうなずく。
「もしかすると、本当に大変なのは明日なのかもしれませんわ。目覚めた三人の反応を知るのが、怖いような気さえします」
「特に、あの悪たれのディーノでございますね」
マリエは名を口にし、思い出した顔を|懲《こ》らしめるように、ばきばきと指を鳴らした。
この|女《じょ》|傑《けつ》にかかっては、|修《しゅ》|羅《ら》|王《おう》と呼ばれた男ですら、|悪《わる》|餓《が》|鬼《き》扱いだ。
もしもマリエが、あの男の母親であったならと想像して、バルドザックが吹きだした。
何がおかしいのかと、マリエはバルドザックを横目で|睨《にら》む。
トーラス・スカーレンは、小さく|溜《た》め|息《いき》をついた。
「あの男に関しては少し気が重いですわ。わたくしには、どうにもできませんもの」
「まぁ! 気弱ですこと!」
心外だと言いたげに、|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》にマリエは驚いてみせた。
トーラス・スカーレンは、|曖《あい》|昧《まい》な笑みを|頬《ほお》に浮かべる。
ぱたぱたと、たくさんの小さな足音がし、ゆっくりと大きな|扉《とびら》が押し開けられた。
重たい扉を少しばかり開き、五人の子供たちが、満面に笑みを|湛《たた》えて女王にまろび寄る。
腰かけた女王を取り巻き見あげた子供たちは、きゃあきゃあと笑いさざめきながら口々に話しかけた。
「明日ですのね!」
「姫様がお目覚めになられるんですね!」
「|綺《き》|麗《れい》な姫様!」
「わたしたちのファラ・ハンが!」
「あぁ、なんて素敵なんでしょう!」
高く丸い声で、小鳥のようにかしましく騒ぐ。
笑み|崩《くず》れながら女王にまとわりつく子供たちに、マリエがぱんぱんと手を|叩《たた》いた。
「ほらほらお前たち、お歌のお|稽《けい》|古《こ》はどうしたの? まだ遊び時間ではないでしょう? さぼっていてはいけませんよ」
一目置く|女官頭《にょかんがしら》に厳しい声で指摘され、子供たちはきゅっと首をすくめる。
「だって」
「だって」
「ねぇ」
「あんまり嬉しかったんですもの」
「女王様のお顔が見たかったんだもの」
小さな体をさらに小さくして、ぼそぼそと子供たちは言う。
トーラス・スカーレンは優しい笑い声を立てた。
「エル・コレンティのお話は本当ですよ。|魔《ま》|道《どう》|師《し》の予知がはずれたことなど、今まで一度もありませんでしたものね。明日、ファラ・ハンたち四人が目覚められます。あなたたちのお歌を聞いていただけるように、練習しててくださいね」
子供たちは大声で|揃《そろ》って返事すると、礼儀正しく|御《お》|辞《じ》|儀《ぎ》して、来たときと同じに|騒《そう》|々《ぞう》しく走りながら引きあげていった。
マリエは苦笑し、トーラス・スカーレンは、くすくす笑う。バルドザックは|微《ほほ》|笑《え》む。
王宮にいる|好《こう》|奇《き》|心《しん》|旺《おう》|盛《せい》な子供たちは、眠りについているファラ・ハンの|離宮《りきゅう》にそーっと潜りこみ、彼女の寝顔を|飽《あ》くことなく、にこにこと見つめるのが好きだった。
花のように美しい姫君の海のように青い|瞳《ひとみ》が、いつ見開かれるのだろうかと、どきどきわくわくしながら見つめていた。
ファラ・ハンの美しさ|麗《うるわ》しさ、シーツの上に|零《こぼ》れ見ることのできた指先一つに至るまで、どんなに素敵であるかなど、子供たちはこと細かいことまでも皆に広めて回った。
ファラ・ハンの確かな存在は、|無《む》|邪《じゃ》|気《き》な声で話される夢のような|華《か》|美《び》な|噂《うわさ》とともに、ひとびとの心を|潤《うるお》した。
彼女がいれば。
何も心配することはないのかもしれない。
トーラス・スカーレンは|抱《いだ》いていた|危《き》|惧《ぐ》を、無用のものかもしれないと思った。
ファラ・ハンの出現により、ひとびとは心を救われた。
彼女はそこに存在するだけで、希望と|光明《こうみょう》とをもたらした。
伝説を馬鹿にしそれを信じなかったひとびと、彼女が具現した後もそれが|虚《きょ》|構《こう》に過ぎないとそっぽを向くひとびとでさえ、吹きくる風に乗る|爽《さわ》やかで微妙な甘みを感じていた。
行動が始まらない今、まだ現実的に何も変えられたわけではなかったが。
張りつめていた空気は。
軽い。
[#地から2字上げ]『プラパ・ゼータ2』に続く
あとがき
あとがき
客寄せパンダなのよ。
大勢で移動してても一人でうろうろしてても、みょうに行く先々、初めは|閑《かん》|散《さん》としてるのに急激に満員御礼になるのね。喫茶店とか姿が見えるような場所に陣取っちゃったら、もう大変。
ちょっといいかなーってお店で、ゆっくり食事して|喋《しゃべ》り疲れて出ようかなって思ったら、外のベンチで店内に入れなかったお客がメニュー|睨《にら》んでたりする。店員も水取り替えるなり、お皿片づけるなり、態度でそれとなく|急《せ》かせばいいのに。わたしったら、悪者じゃないのさ。
|京都《きょうと》でショッピングするのは、最近やめてる。アクセサリー売り場で、品定めしてたとき、友達が声かけてくれなかったから。ねーねー、これとこれどっちがいーい? って顔あげたとき、わたしの視界は真っ黒だった。|闇《やみ》じゃないの。影じゃないの。黒なの、黒。黒色の学ラン集団の真っ只中に|埋《まい》|没《ぼつ》してたのよ、わたし一人で。修学旅行生の買い物集団に取り巻かれていたのね。てっきり真横にいるものと思いこんでいた友達は、遥か遠くで手を振ってる。声かけようとしたときには、手遅れだったんですって。そりゃー、あんたたちはいいわよ。何十人という、自分よりガタイのでかい中坊|掻《か》き分けて出てくる、わたしの身にもなってよ。一度や二度じゃないの。友達は変わっても同じことが起こるの。誰と行っても、毎度の話よ。行かなくなって、当然よね。だから、誘わないでちょうだいよ。どーせ、あんたもわたしを置いて遠くで見てるんでしょ。行かなくてもわかるわよ。すねちゃうよ、本当にさ。
外人にも好かれる。東京では|顕《けん》|著《ちょ》に出るわ。なにせ、数いるから。
こっちは、なんとなく理由がわかる気もする。典型的日本女性っぽく見えるんだと思う。小柄だし髪長いし|醤油《しょうゆ》顔だし。旅行の|土産話《みやげばなし》にぴったりの、|市松人形《いちまつにんぎょう》っぽいルックスよね。
でもね。やっぱりうっとうしいわけよ。ガイドブックじゃないのよ。わかってほしいのよ。お願いだから、信号待ちしてる真横に嬉しそうに並んで向こうから写真撮らないでくれる? 大勢で、ぞろぞろ金魚のフンみたいに後をついてきて、同じ店でお茶しないでちょうだい。何かの|拍子《ひょうし》に目があうのよ。視線が、ぐさぐさ来るの。こう、後頭や横顔に感じるのよ。
ちくしょー、東京はあなどれねぇ。経験からくる、実感。油断も、|欠伸《あ く び》もできやしない。
「そーんなことは、ないと思うよぉ」くすくす。
小林さんは東京の人だし、男の人だし、そーゆー目にあってないから笑えるんですよ。
わたしってば、そんなひとです。
待望の第一巻、遂に発刊H[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
わっははいっ! おめでとーっ! スパンパンパンパンッ! のクラッカーったら大連射。
きゃーっほらんらんきゃっほらんらん♪ スキップスキップ♪ らんららんっ♪
浮かれまくっております。
話の筋は固いし、登場人物はみーんな気取ってて|阿《あ》|呆《ほ》の一人もいないので、お元気主義のわたしとしては、逆に疲れて仕方ない。頭の中がゆんゆんしてみたり、らりぱっぱになってしまうのも、反作用ね。当然の成り行きってやつですか。うーんむ。|哀《かな》しい性格だなー。
物語とのギャップが、いよーに大きい『あとがき』になってしまうわ。
まぁね。取り澄ましてる話読んでてさ、こいつぁいつもの|星《せい》|香《か》さんではない、きっと私生活で何かあったに違いないなどと、いらんことを勘繰ってくれるありがたい読者の皆様がたは、これで、ちぇっなんでぇつまんねぇとばかりに安心なさったことでしょう。
相変わらず、元気でありますH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"] 本っ当に、変わんねー。
えーと。つい今し方、これを書きだしはじめた直後ですね、突風が吹きまして。ゴミ箱に入れようとして台所の調理台の上に放置していた飲み終わりの牛乳パックが、吹っ飛んでしまったわけですね。一滴残らずコップに移し、きれいさっぱり飲み干したと思っていたのに、あなた、|床《ゆか》に盛大に牛乳がぶちまけられてるじゃありませんか。きょわーっ! 慌てて近くにあった|雑《ぞう》|巾《きん》で、そいつを拭き取ったわけですが。あうう。牛乳ってばさ。乾くと臭いのよ。もーれつに臭いのよ。は、早いとこ、こいつを書きあげて、洗わねば。うう。しくしく。
『プラパ・ゼータ』は、『時空界の聖戦士・異世界編』と長いサブタイトルがつき、おまけに各巻タイトルまである、非常にめんどっちい物語であります。よーするに「時の|宝《ほう》|珠《しゅ》を正そう、世界を救おう」ってファンタジーなんだけどね。わたしの書く話の中では、とぉっても珍しいことに、ラブ・ストーリーなのであります、実は。おぉ、こっぱずかしいH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
主要キャラの、ファラ・ハン、ディーノ、レイム、シルヴィンの四人は、それぞれに気になる、素敵な連中です。個性的に『|綺《き》|麗《れい》』なの。お互いに|憧《あこが》れたり|牽《けん》|制《せい》したり|嫉《しっ》|妬《と》したり|喧《けん》|嘩《か》したり、どきどきしたりしながら、世界救済の旅は進みます。四人が、ちゃんと顔あわせてからのお楽しみかな。まぁだまだ、物語は始まったばっかり。
少しばかり長くなるかもしれませんが、しっかりおつきあいくださいねH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
ヒロイック・ファンタジー、剣と魔法の世界って、どんなイメージをもってますか?
わたしのそれっていうのは、ちょっとセクシーかな。光にしても|闇《やみ》にしても、色っぽい、|艶《つや》っぽい要素があるような。存在するあらゆるものが、どこか粘液質で、生物的なんですH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
青白い月の夜。本物の表情をなくした|道《どう》|化《け》|師《し》は、派手な化粧で描かれた毒々しい笑顔のまま、まるで重さを持たないように、音もなく|憑《つ》かれて踊ります。時間は凍え、地に落ちた道化師の影は、ところどころで留まって、|密《ひそ》やかな|哀《かな》しみを|噛《か》みしめます。途切れ途切れに響くのは、体だけ先に|大人《お と な》になってしまった、狂える子供の笑い声。彼が投げだし忘れ去った絵本から、物語が溶けだして、混ざりあいながら、部屋の隅、闇の中へと逃げこみます。風に乗り、|微《かす》かに甘く|薫《かお》るのは、花の匂いかしら。それとも、ゆるやかに|腐《くさ》り|崩《くず》れてゆくものたちの匂いかしら。さわさわと|肌《はだ》が|粟《あわ》|立《だ》つほどに薄寒く、そしてねっとりと見えない糸を引きながら|絡《から》みつくほどに|温《あたた》かい、そんな温度と湿度を抱いた空気。
病んでいて、それでいて清浄な世界。染みている不思議たち。
そんな|得《え》|体《たい》の知れない|雰《ふん》|囲《い》|気《き》。
わたしの見ているそれを、感じとっていただけたなら素敵なんだけどなーH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
うふ。
さて、次の二巻目では、主要キャラの過去など紹介し、しっかりどんな連中かを知っていただいたうえで、彼らの出発という段取りになっております。ファラ・ハンがらみでレイムの声を取り戻そうとして、ディーノとレイムはさっそく、|一悶着《ひともんちゃく》ある予定です。きゃっH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
最後になってしまいましたけれども。
この作品を出版してくださいました、講談社様。
いろいろな助言をくださいました、担当の小林様(ごめんなさい。この後も、きっとまだまだ、手を|煩《わずら》わせることだと思います。ここまできたら、身の不運だと思って観念してお付き合いください)。
偉大なる印刷屋さんと|校《こう》|閲《えつ》の皆様。
私好みの素敵なイラストを描いてくださった|片山愁《かたやましゅう》大先生H[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"](コミックス最新刊の『クリスタルEYES』買いました。当然ですH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"] ファンだもの)。
そして、読んでくださった方々に。
心から。
ありがとうございます。
素敵な作品たくさん書けるように|頑《がん》|張《ば》るから、見ててねH[#「H」はハートマーク Unicode="#2661"]
一九九一年七月二十一日
[#地から2字上げ]|流《ながれ》 |星《せい》|香《か》
本電子文庫は、講談社X文庫ホワイトハート(一九九一年九月刊)を底本といたしました。
|聖《せい》|女《じょ》の|招喚《しょうかん》 プラパ・ゼータ1
*電子文庫パブリ版
|流《ながれ》 |星《せい》|香《か》 著
(C) Seika Nagare 1991
二〇〇一年一一月九日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
東京都文京区音羽二‐一二‐二一
〒112-8001
e-mail: paburi@kodansha.co.jp
製 作 大日本印刷株式会社