ようこと啓太の一日
「あうやんてぷい!」
突然、犬神のようこがそんなことを叫びだしたのでベッドの上に横たわって時代小説を読んでいた啓太は、
「んあ? なんだ、それ?」
と、上の空で返事を返した。目は相変わらず文章を追っている。
「ぎあなこうちのね!」
テレビに目を近づけながらようこが片言で説明した。
「てーぶるまうんてんだって! しょくちゅ〜しょくぶつ一杯だって!」
ドキュメンタリー番組でアマゾンの奥のギアナ高地を特集していた。
「あはは、おもしろい名前だね。あうやんてぷい♪」
ようこは無邪気にすらりとした足をぱたぱたさせた。何が気に入ったのか、
「あうやんてぷい! あうやんてぷい!」
を連呼。啓太の大きなトレーナーに下は下着のみ、というかなり際どい姿だった。実は雨に濡れてしまったモノの替えの服を全て洗濯してしまっていたのである。ちなみに啓太も同様で辛うじて押し入れの奥にあったスエットを引っ張り出してきて、上下着込んでいた。
「そ〜だな〜」
啓太は腹ばいになりまたページを捲った。
ようこはぷくうと頬を膨らませた。時代劇が大好きな啓太は一度、本を読み出すとなかなか相手してくれないのでキライだった。
仕方がないのでチャンネルをかたかちゃ動かして、別の番組を見てみる。
「あ」
プロレスをやっていた。ようこはそこでアヒル座りになると、どろんと出した尻尾をぱたぱた振りながら観戦を始めた。
なかなかの名勝負だった。バックドロップにラリアットの応酬。最後は華麗なトップロープからのムーンサルトで決着がついた。
ようこはうずうずしてくる。
身体を動かすのは好きだった。やおら立ち上がると啓太の上にまたがり、
「えい!」
と、足を逆関節で引っ張ってみた。
「いてててててて!」
啓太が悲鳴を上げた。ようこがけたけた笑った。
「な、なにしやがる!?」
と、啓太。ようこは啓太の首に手を回し、ぐっと胸を押しつけて、
「ねえ、ケイタ。わたしとぷろれすごっこしよ〜」
と、甘える。露骨にイヤな顔をする啓太。
「はあ?」
「やろ〜よ。あのさ、わたしに勝ったらケイタの言うことなんでも聞いてあげるから」
ちょっと考える表情の啓太。ようこはさらに啓太の方を揺すり、
「ねえ〜、ケイタってばあ」
せがむ。ケイタは腕を組んで考えた。そして、
「”しゅくち”とか”じゃえん”しないか?」
「え? うん。もちろんだよ。あくまで遊びだもん」
「噛んだり引っ掻いたりもナシだぞ?」
「しないよ〜」
唇を尖らせるようこ。啓太はにやっと笑って、
「じゃあ、三秒間フォールした方が勝ちだ! はい、スタート!」
言うやいなや覆い被さってきた。ようこが歓声を上げた。
「えい!」
啓太の動きは速い。だが、ようこもまた敏捷だった。くるっと一回転すると啓太の腕を取り、逆十字固めに持って行く。
むちっとま白い太ももが啓太の肩に絡んだ。
「うおおおおおお!!!」
啓太は力を振り絞り、強引に立ち上がった。そしてベッドの上でようこを押しつぶしていく。必然的にようこが太ももで啓太の頭を挟むことになる。
「ちょ、ちょっとちょっと!」
ようこが赤くなった。着ていたトレーナーの裾がめくれ、青と白のストライプ模様のパンツが露わになった。啓太の顔面を足と足の付け根の間で挟む形になる。
あたふたと裾を直すようこ。
ふごふごとようこの布地の付近で息をする啓太。
「あ!」
突然、羞じらいの声を上げるようこ。その締め付けが緩んだ。そのすきに啓太が動く。ようこが回転して逃げようとする。
その細い胴回りを後ろから抱え込んだ。だが、
「え〜い! 尻尾返し!」
ようこは尻尾で啓太の顔面を擦ってその技から逃れた。思わず怯む啓太。
「ぷは! 尻尾は反則だぞ、ようこ!」
「反則じゃないもんねえ〜身体の一部だもんえい!」
今度はようこが胸で啓太の顔面を押さえ込む。だが、
「あまい!」
にっと笑って啓太が体を入れ替えした。
「え?」
ようこは次の瞬間、綺麗な弧を描いてベッドの上にぱふんと背中から落下していた。ちゃんと啓太が背中に手を当てていたので痛くも痒くもない。
「ほれ」
啓太はようこがびっくりしている間に、
「わんつうすり!」
と、覆い被さり、カウントを取った。啓太が得意とする中国拳法の応用だった。ようこは下になったまま突然、笑い出した。
「あははははは! やっぱりケイタつよ〜い!」
「まあ、体力勝負だったからな」
そう言って啓太はずずいと顔を近づけてきた。彼がにやあっと笑った。ようこはどきどきした。ちょうど胸と胸が密着している状態。ようこの胸が変形して押しつぶされている。素足が一度シーツを擦る。心臓の鼓動が啓太にも伝わっているのだろうか?
「なんでも言うこと聞くんだよな?」
啓太はいったい何を要求してくるのだろうか?
ようこは真っ赤になる。実を言えばこれはもう覚悟の上だった。
「うん……」
ようこは恥ずかしそうに。
小声で。
「なんでもいいよ。なんでもいうこと聞くよ」
ついでなぜかうっすら目をつむる。
「ふ〜ん。そうか」
で、啓太が要求したことは……。
「ふふふ〜ん♪」
啓太は鼻歌を歌いながら読書に戻っていた。啓太が要求したこと。
それは……。
『俺の邪魔をするな』
だった。横に放られ、なんとなく正座していたようこが怒りで小刻みに震えだした。なんというか。
乙女の覚悟を踏みにじられた気分だった。
「も〜ケイタのばかあ〜〜〜!」
そう言って涙目で飛びかかっていき啓太の腕をかぷっと噛む。
「なんでだあ〜〜〜!?」
ケイタの悲鳴が木霊した。
いつも通りの一日だった。
なでしこと啓太の一日
「啓太様。またダルイのですか?」
そう言って風呂敷包みを担いだなでしこが部屋に入って来た。ベッドの上で啓太は弱々しそうに咳き込んだ。
「あ、うん。ごめん」
「それはいけませんね……」
なでしこは心配そうにそっと白い手を啓太の額にあてがった。
「熱はそんなにないようですが……おかわいそうに」
本当に気の毒そうな顔になる。啓太は布団の中から捨てられた小犬のような眼差しで、
「来てくれてありがとう、なでしこちゃん。俺、すっかり風邪引いちゃってさ」
そう言う。なでしこは笑顔で首を振った。
「い〜え。こういう時はお互い様ですから……ところでようこさんは?」
辺りを見回す。啓太はけぷんけぷんとまた咳き込みながら、
「おいはら」
「え?」
「あ、いやいや。薬を取りに行ってくれてるよ。天地開闢医局まで」
「え? 天地開闢医局? あそこはその」
「ニンゲン用の良い薬もあるんだって」
「なるほど。そうですか」
なでしこは大きく頷いた。
「では、ようこさんがお薬を取りに行っている間、早速ですが栄養のつくおかゆを作らせていただきますね。お台所お借りしてよいでしょうか?」
啓太はこくこく頷く。
なでしこはさっと立ち上がると決然と台所に向かって歩いていった。刹那、啓太がもの凄い早さで毛布の下から何か取り出した。
目のところにあて。
立ち去り際のなでしこの後ろ姿を前のめりでじっと食い入るように見つめる。
「くは!」
すぐになでしこは壁の向こうに消えてしまったが、一瞬だけ確かに見えた。
「うう」
啓太がたら〜と鼻血を流す。
鼻の下が完全に伸びていた。
それは赤道斉の失われた遺品の一つ。
『服が透けて見える眼鏡』
だった。
その木枠の古ぼけた眼鏡は確かな効力があった。
なでしこの白い背中と丸いお尻を包んだ下着がちらっとだけだが確かに見えたのである。仮名史郎との仕事中、偶然手に入れたこの啓太にとってはいわば究極といっても良い魔道具だが、実は『身体が弱っていれば弱っているほどより鮮明に見える』という妙な条件が付いていたので、啓太は真夜中、素っ裸で水浴びを繰り返したのである。
念願の風邪を引くまでに三日もかかったのだから、丈夫すぎるのも考え物だった。
だが、こうして今、なでしこと二人きり。
チャンスはいくらでもあった。
「啓太様。梅干しはお好きですか?」
台所をぱたぱたと行ったり来たりしながらなでしこが聞いてきている。啓太はほとんどベッドから落ちんばかりに身を乗り出し、
「え? うん。大好きだよ。かたくり粉と混ぜると爆発して良いね」
と、上の空で返事を返す。
向こうでくすっとなでしこが笑った。彼女は歌うように、
「そうそう。啓太様。食後にメロンもありますよ。おうちでいまりとさよかが栽培しているのを持ってきたのです。甘くて美味しいですよ」
と、言う。
その瞬間、ノーブラ主義の彼女の胸元がたゆんと揺れているのが分かって、
「うふ!」
啓太がまた鼻を押さえた。
その音を聞きつけて、
「え? どうかしましたか?」
なでしこが御簾を上げてこちらを見てきた。啓太、慌てて眼鏡を布団の中に隠した。
「な、なんでもないよ、なでしこちゃん!」
なでしこはぱたぱたと駆け寄ってくる。
「そんな! 鼻血が出てるじゃないですか!」
「あ、いひゃあ、これは」
鼻を押さえている啓太をてきぱき介抱してくれ、上向きに寝かせる。とりあえず鼻の穴にティッシュの詰め物をすることまで手ずからしてくれた。
それから彼の盆の窪に優しく手を当て、
「ほら、ちゃんと大人しく寝てないとダメですよ」
優しくそう言う。
慈母のような、楚々とした笑みである。啓太は思わず自分の下心を恥じる。こんな良い子を騙そうとしている自分を恥じる。
だが、彼はそれ以上に図々しかった。
「だいじょ〜ぶ。だいじょ〜ぶ。それよりほら、ぴ〜ってお湯が鳴ってるよ」
と、なでしこを促す。なでしこは、
「あ、いけない!」
口元を手で押さえ、慌てて反転する。その隙に啓太は眼鏡を取り出し、ぱっとかけた。なでしこの華奢で白い背中。
下着が見える。随分とレトロな。
ひらひらの多い清楚な白。むっちりと肉づきの良い足。弱り方が足りないのか全部は見えない。
「!」
啓太がさらに前のめりになる。その時。
「あ! そうそう! 啓太様」
と、なでしこがぽんと手を打って反転した。
その瞬間。
ば〜んと豊かな胸が丸ごと見えてしまった。大きな。
実に大きな。
「ぶは!」
メロン。
啓太は盛大に鼻血を吹き上げ、後ろ向きになって倒れる。同時になでしこが気がついてしまう。
「啓太様?」
声が瞬時に凍った。
「……それ、なんですか?」
目が笑ってない。
それなのに顔は笑っている。怖い!
もの凄く怖い!
啓太がしどろもどろと、
「あ、いや、これは、その!」
だが、なでしこは一歩一歩、近づいてくる。笑顔のまま。
「その眼鏡みたいなの、なんです?」
そして啓太の手から眼鏡を取り上げ、検分する。そしておおよその機能を把握した後、なでしこはすうっと息を大きく吸い込んだ。
また笑顔。くりっと振り向く。
「なるほど」
「な、なでしこちゃん?」
啓太は震えを抑えきれない。
「これは少し」
「あ、あの」
「お仕置きが必要ですね?」
ずいっと笑顔を寄せるなでしこ。影になる。
啓太の絶叫。
しばらくしてようこが帰ってきた時、啓太はただ震えているばかりで全く何が起こったか語ろうとしなかった。
外傷はなかったがよほど怖い目に遭わされたらしい。
ただ風邪は快方に向かっており、台所には作り置きのおかゆがあった。他には置き手紙が一枚。
『啓太様。あんまりえっちなのはダメですよ!』
そんないつも通りの一日。
ともはねと啓太の一日
「啓太様! あうやんてぷい!」
そう言ってともはねが元気よく部屋に入ってくる。
「う〜す。あうやんてぷい」
啓太も軽く片手を上げて挨拶を返した。ようこが気に入った『あうやんてぷい』という単語がなんとなく超ローカルな挨拶言葉として流行っていた。
「えへへ〜」
ともはねは嬉しそうにちょこちょこと近寄ってくると啓太の膝にちょこんと乗った。ついで啓太の腕と腕をまるでシートベルトのようにロックして、
「啓太様。遊びに来ました! 今日はお話してください」
そう言って後頭部で啓太の胸をすりすりする。
「あん? お話?」
胡座を組んでテレビを見ていた啓太はともはねを見下ろした。
「はい。なんでもいいです。あたし、今日はお話聞きたい気分なんです!」
「さよけ」
啓太は考え込む。
「じゃあ、みみなしホウイチの話でもしようかね?」
「なんですか? ソレ」
ともはねが興味津々で顔を上げる。啓太はちょっと不気味に笑って、
「これはとっても怖い話なんだぞ?」
「こ、怖い話ですか?」
「そうだ。止めようか?」
「や、やってください!」
ともはねは覚悟を決めた顔で頷く。
「あたし、平気です!」
啓太は返事の代わりにひひひと不気味に喉の奥で笑った。
「むか〜し、むかし。あるところにホウイチという男がいて」
「も、もう始まってるんですか?」
「始まってます。これが琵琶法師というのをやっていたのだ」
「琵琶法師……ってなんですか?」
「琵琶を語って昔話を聞かせる職業の人だな。まあ、とにかくこのホウイチは語りが上手かったわけだ」
「ふんふん」
「その名声は広く世間に知られていた。ある夜、ホウイチの元に琵琶を聞かせてくれっていうお願いが来る。ホウイチは出かける。立派なお屋敷に沢山の人たちが集まっていた。みんな、ホウイチの琵琶と語りに喝采を送ってくれて、帰りがけには報酬もたんまり貰えた」
「ふ〜ん」
「ところがその依頼は一日では終わらなかった。翌日も、また翌日もホウイチは頼まれた。沢山の人だ。みんなどこか時代がかった服装をしている。裕福そうな、でも、青白い顔をした人たち。それが毎日、毎日。ホウイチはどんどんとやつれていった」
「……ホウイチさん。病気だったんですか?」
「病気じゃなかった。ある日、旅の坊主がやってきた。坊主が言うには『あんた取り憑かれてるぞ。このままでは死んでしまう』と」
「へ?」
「その、ホウイチを呼んでいる人たち。実はこの世の人じゃなかったんだ。ホウイチが通っていた立派なお屋敷も実は墓場だった。幽霊だ。死霊だだったんだ」
「い〜」
ともはねは小さく身体を丸めて震える。啓太は語る。
「ホウイチは事実を知って怯えた。坊主にすがる。坊主が言うには『きっとまた今夜もまたやってくるだろう。だが、身体中にありがたいお経を書いておけば免れるかも知れない』」
ともはねは小刻みに震える。啓太は淡々と、
「ホウイチは身体中にお経を書いて貰った。墨で。その晩」
「ま、また来たんですか? 幽霊さんたち」
「来た。ホウイチを呼びにやってきた。だけど、ホウイチの身体中に記されたお経のせいでホウイチの身体が見えないみたいだ。『どこだ〜? ホウイチどこだ〜?』辺りをうろつく声。ホウイチを探す声」
「見つかりませんように。見つかりませんように」
と、手を組み合わせて祈るともはね。暗鬱と笑う啓太。
「ところが旅の坊主は一つだけミスをしてしまったんだ。身体の一カ所だけお経を書き忘れてしまった」
「へえ?」
「そう。それは幽霊たちにも見えた。その一カ所だけは宙に浮かんで見えた」
「ど、どこですか? どこに書き忘れてたんですか?」
「『ホウイチがどこにも見あたらない。仕方ない』」
「ねえ、啓太様! どこ? どこなんですか?」
「『代わりに』」
啓太は言葉を句切る。数瞬の間。ともはねはごくりとつばを飲み込む。
次の瞬間。
「『この耳を貰っていってやるううう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!』」
啓太はそう叫びながら膝の上に乗っているともはねの耳をむんずと掴んだ。
「うひゃあああああああああああああああああ!!!!」
奇想天外な悲鳴を上げるともはね。
大笑いする啓太。
「もう啓太様ひどいです!」
ぷんぷん怒るともはね。啓太の胸板をぽかぽか叩く。笑いながら詫び、なんとかともはねの機嫌を取ろうとする啓太。
お詫びに別の楽しい話をする。
そんないつも通りの一日。
啓太とせんだんの一日
その日、非常に珍しいことに啓太の家にはせんだんと啓太しかいなかった。啓太はベッドの上でやや困惑した顔をし、せんだんは床の上で丁寧にお辞儀をしていた。
「これは粗品ですが、いつもともはねがご迷惑をおかけしているお詫びの品です」
そう言ってせんだんはつうっと黒塗りの重箱を差し出した。
啓太はそれを受け取りながら、
「いや、あのな」
困ったように、
「ほんとそんな気にしなくて良いから」
噛んで含めるように言い聞かせる。
「俺も楽しく遊んでいるしさ、全然、迷惑なんかじゃないって」
「そう言っていただけるお心遣い、ありがとうございます」
せんだんは笑う。真っ直ぐにベッドの上の啓太を見上げ、
「では、どうかともはねがお世話になっている御礼と言うことでお受け取りくださいませ。本当に大した物ではございませんので気持ちばかりのものなのです」
啓太も苦笑しながらそれを受け取った。
「わっかったよ。ほんとはけもそうだけど、おまえらって義理堅いよな」
お重の蓋をそっと開けてみる。
中には美味しそうな料理がぎっしりと詰まっていた。大正海老の唐揚げ、白アスパラのサラダ、栗きんとん、牛肉のスペアリブ、アワビの煮物などなど。
彩りにも工夫が加えられ、上品な盛りつけがされている。
「ほえ〜。すげえ、美味しそうな料理だな。これなでしこちゃんが」
作ったの?
と、言いかけ啓太は思い直した。なでしこの手料理は何度か食べたことがあるが、それとはやや違っていた。
なんというか、もっと華やかな印象がある。
しかももっと高級食材をふんだんに使っていた。
「もしかして」
啓太はせんだんを見遣った。
「これ、お前が作ったのか?」
その問いにせんだんは微笑んだ。
「はい。仲間がお世話になってる御礼ですわ。長である私自ら作らないと失礼に当たります。啓太様、確かになでしこは私たちの中で一番、料理上手ですが、ともはねを除いてみんなそれなりに料理は作れるのですわよ」
「ほう」
「私のもそうお口に合わないことはないと思います」
「いやいや」
啓太は手を振る。
「いやいやいや。ほんと美味そうだよ! さんきゅ〜なせんだん」
せんだんは少し頬を赤らめた。
「では、お夕食の時にでもようこと召し上がってくださいね」
そう言ってせんだんはふと思い出したように周囲を見回した。
「そういえばようこはどうしたのですか?」
その問いに重箱の蓋を又閉め、ちゃぶ台の上に置いていた啓太が声を上げた。
「あ、そ〜そ〜。それなんだけどさ、訳が分からなくて。ほら」
そう言って彼はルーズリーフの切れ端をせんだんに見せた。
「俺が帰ったらこんな置き手紙を残していなくなってたんだ」
そこには殴り書きで、
『のみちゅう!』
と、辛うじて判読できる文字で書いてある。
「どういう意味なんだろうな、これ?」
それを読んでせんだんが口元に手を当て、幾度かその言葉をぶつぶっと口にする。
「のみちゅう……のみちゅう、のみちゅう、い。ノミに注意?」
そのとたん彼女が電撃のように立ち上がって、背筋を伸ばした。
「い!」
啓太、びっくりしている。
「や」
もぞもぞと身体をくねらせ、やや官能的に、
「や! あ!」
声を上げる。
「ど、どうした? せんだん?」
せんだんは両手で身体を抱え込み、しゃがみ込む。
「あ、あう」
ふるふると小刻みに震えている。
「くあ!」
また白い喉を仰け反らして声を上げた。唖然としていた啓太が急にはっとした顔になって、
「もしかしてノミか?!」
以前、ようこは猫と遊んでいてノミを家に持ち込んだことがあった。それをまたやってしまったのかもしれない。
「は、はい」
苦しそうな、真っ赤な顔で答えるせんだん。表情を歪め、服の布地を順番に抑えていく。
「ど、どうやら……かなり」
息も絶え絶えに、
「大物で」
スカートの裾を抑え、内股をしめる。
「う」
どうやら上に上がってきているようだ。
啓太の判断は速かった。
「せんだん。ちょっと我慢しろよ!」
「あ、何を!」
せんだんの背中から手を突っ込む。
「な、なにを! 啓太様、なにを!」
じたばた暴れるせんだん。
「ええい! あとでいくらでもぶん殴られてやるから! 今は大人しくしろ!」
啓太はそう言って手を動かす。手をせんだんの胸元の方に持って行く。
「や! ひゃ!」
あまりの自体に怒ることも忘れ、ただ悲鳴を上げるせんだん。
「や」
関係ないところをちょっと刺激され、眉をひそめ、
「そ、そこは違っ!」
「こ、この!」
とうとう啓太が捕まえた。ゆっくりと手を引き抜く啓太。
「はあ〜」
そのままへたんとへたり込み、放心するせんだん。啓太はぷちっとノミを潰しておく。かなりの大物だった。
それから、
「い、いや、悪かったな。断りなくやって」
ようやく自分がしでかしたことに気がつき、ばつが悪そうにせんだんを見遣った。いくら非常時とはいえ、乙女の服に手を突っ込むのはさすがに反則だろう。
だが、せんだんは、
「いえ」
と、答え、羞恥に目元を染め、涙目で、
「きっと薫様でも」
それから彼女は首を振り、
「ううう」
気丈に泣き笑いの表情になり、
「助かりました。どうぞお気になさらないでくださいまし。私も忘れますので」
礼を述べた。啓太はちょっとどぎまぎ。
その後、せんだんはよろよろと帰って行き、後日、さらに上等な料理がまた御礼として届けられた。
でも、せんだんも啓太もこのことは絶対、口外しなかった。
啓太はようこが怖かったから。
せんだんは外聞上。
代わりに啓太の家にのみ取り剤が死ぬほどぶちまけられたのはまた別の話。
そんないつも通りのある日。
啓太とたゆねの一日
「ううう」
たゆねが頬を朱に染めながら呻く。
「啓太様! 行きますよ! 絶対、絶対、約束守って貰いますからね!」
彼女はミニスカートの裾を抑え、叫ぶ。要所要所が発達したムチムチした体つきなのにやや小さめのミニスカート、シャツを着ているため、身体のラインが妖しいまでに浮かび上がってしまっている。
だが、たゆねはテニスラケットを握りしめ、
「啓太様! 行きますよ! 覚悟してください!」
ボールをぽ〜んと頭上に放り、身体を大きく反らすと、思いっきりサーブした。対して反対側のコートで啓太が思いっきりにまあっと笑っていた。
ことの起こりはとても簡単だった。
本当に珍しく、その日、啓太の家には啓太とお使いに来たたゆねしかいなかった。薫からの贈り物を持ってきていたのである。
たゆねは啓太を警戒しているから挨拶もそこそこに立ち去ろうとしたが、たまたま啓太が見ていたテレビでテニスの中継をやっていたため、つい足を止めてしまった。「や!」とか「は!」というかけ声と共に高速のラリーを応酬する女子プロテニスは見ていて迫力があった。
スポーツ全般が大好きなたゆねはいつしか膝を突き、ついつい四つんばいで身を乗り出して見入ってしまっている。
啓太はそんなたゆねを見て、ちょっとおかしそうに笑いながら、
「なんだ? おまえ、テニス見たことないのか?」
そう尋ねた。
たゆねが頬を膨らませて答える。
「見たことくらいは当然ありますよ。ただやったことはないですけどね」
「ふ〜ん。そういうや、お前、運動は得意だったんだよな」
「ええ」
啓太は無言で勝負の行方を見守っているたゆねを見てしばし考えた。
それから、
「なあ、たゆね」
出来るだけさりげなく尋ねた。
「おまえさ、テニスのことどれくらい知ってる?」
「え? なんでですか?」
「例えばさ、ラケットでボールを打ち合うくらいは知ってるよな?」
「知ってますよ〜」
たゆねが不満そうに答えた。啓太はあえて挑発するように、
「ま、でも、あの線の枠内にボールを入れなきゃいけないってことは知らないよな?」
「だから、それくらい知ってますってば!」
「じゃあ、じゃあ、テニス発祥の地であるフランスに敬意を表してフランス語で点数を数えることは?」
ちょうど画面の中で、
『フィフティーンラブ!』
という声が聞こえた。たゆねはちょっとまごついてから、
「じょ、常識ですよ、それくらい!」
啓太はにまっと笑いかけたが、慌てて横を向いた。やっぱりたゆねは重度の負けず嫌いだった。特に啓太相手にはそれが顕著になる。
「そっかあ。おまえ、意外にモノを知ってるんだな〜」
啓太はあえて感心したようにそう言った。
「あ、あったりまえですよ!」
たゆねがちょっと頬を上気させていった。啓太は続けて、
「じゃあ、女の子がテニスをやる場合、ミニスカートでなきゃいけないってのも当然知ってるよな?」
たゆねはちらっとテレビ画面に目をやった。
それからさも当然そうに、
「みんなそうやってるじゃないですか」
かかった、と啓太は思った。だが、それ以上は本心を見せず、たゆねを巧みに怒らせたり、自尊心をくすぐったりしていく。
そして気がつけばたゆねは啓太とテニスの試合をすることになっていた。
スポーツ全般に自信を抱くたゆねとしては啓太に勝負を挑まれては引くわけにはいかなかった。おまけに勝った方が負けた方の言うことをなんでも聞く、という条件が加わっていた。そのことがより一層たゆねの闘争心を掻き立てていた。
今、こうして啓太とたゆねはコートで相対している。
全ての手配は啓太がもの凄い早さでやった。コートを予約するのも、たゆね用のテニスウエアを入手するのも。
そして。
当然、女子テニスではアンダースコートというものをスカートの下に履くなどとは教えなかった。
だから、
「や!」
たゆねが見よう見まねにしてはかなり力のこもったサーブを打ってきた時、彼女のスカートの裾がはらいと舞い、
「や!」
真っ白い生パンがちらっと見えかけて思わず彼女はそれを手で抑える。
「や。やあ〜」
「むふ!」
啓太はじっくりその姿を堪能してから、いきなり初動を開始し、瞬時に飛んできたボールに追いつくと対角線上に叩き返した。
「わ! わ!」
たゆねが一生懸命、駆ける。たゆんたゆんと揺れる胸元。
「えい!」
またバックハンドで球を返してくる。
絶対的な自信を持っているだけ合って、かなりの運動神経である。だが、啓太も負けていない。別に彼もテニス経験は格別ないが、
「うひょひょひょ!」
抜群の身体能力と類い希なスケベ心があった。
右に左に打ち返し、充分な時間的余裕を作るとラケットを肩に担いで、たゆねが走り回る様をじっくりとにやけながら観察する。健康的な太ももが躍動する様を。シャツがはだけきゅっと締まったウエストが覗くのを。
ちらちらと閃くミニスカートを。
その奥の純白のパンツを。
恥ずかしがるたゆねのさまを。それでも必死に打ち返してくる彼女の朱に染まった頬を!
そして。
「うう」
たゆねはとうとうへたり込んだ。
啓太の放った必殺のショットがとうとうコートのぎりぎりに入ったのだ。追いつけなかった。もちろん、正式な点数などカウントしていなかったが、啓太とたゆねにとってそれで充分だった。たゆねは負けた。
羞恥心が足を引っ張って能力を全開できなかったとか、スカートがひらひらしすぎて気になったとか、そんな言い訳はしなかった。
「い、いいですよ。啓太様、なんでもご命令ください……」
負けた悔しさに唇を噛みしめながらもそう言う。
だが、啓太は紳士だった。
うずくまったたゆねにそっと手を伸ばし、
「バカだな。そんな賭なんかもうどうでもいいさ。俺たちの勝負。そんなに安いモノじゃないだろう? お前と戦えたのが俺のなにより誇りさ。さあ、立てよ」
たゆねを立ち上がらせた。
たゆねはびっくりして次に、
「啓太様……」
少し頬を赤らめて啓太の手を取り立ち上がった。
「あ、ありがとうございます」
啓太が『も〜充分、たゆねの若々しい肢体を堪能したからもういいや〜』などと考えているなどつゆ知らず、
「また、戦っていただけますか?」
恥ずかしそうにそう尋ねた。えせ爽やかな顔で微笑む啓太。
二人の間になにがしかの相互理解が出来上がった。
かに見えた。
後日、『アンダースコートの存在』を知ったたゆねが大激怒して、啓太をむちゃくちゃにぶっ飛ばしたのはまた別の話である。
そんないつも通りの一日。
啓太といぐさの一日
その日、川平薫の序列三位、いぐさは啓太の前でもじもじと居心地悪そうにしていた。
「あ、あの啓太様。それであの、お願いした件は、その」
上目遣い。
床の上にぺたんと座り、困ったような、羞じらい満ちた視線で、頬を赤く染めている。
逆に啓太の方は牢名主のように一段高いベッドの上に座り、あぐらを掻いてふんぞり返っていた。
「んふふ〜」
彼は得意そうに背中から一体の木彫りのニワトリを取り出す。
「じゃん! ほ〜れ、ソクラテス! お前のお願い通りちゃんとこいつを赤道斉から借りてきてやったぜ?」
「こけ〜」
と、胡乱な目の木彫りのニワトリが翼を広げてる。いぐさがぱあっと顔を輝かせた。
「あ、け、啓太様、ありがとうございます!」
こけ〜こけえ〜と暴れてるニワトリを「こいつおとなしくしろ!」と啓太が押さえ込んでいる。それから彼は怪訝そうにいぐさに向かって尋ねた。
「しかし、ま、借りるのは別に手間じゃないんだけどさ。なんだってこんな変な奴が必要なんだ? こいつ人の服を勝手に変えるくらいしか役に立たないぞ?」
「あ、え〜とそれは」
いぐさは瞳を泳がせた。それから急に早口で、
「じ、じつはですね、はい。せんだんがど〜しても必要らしいんです。なんでも、新しい服を縫製するのにイメージ造りがタイヘンだとかでそれの助けになればと」
「じ〜」
「え? な、なんですか? なんですか?」
「いぐさ」
「は、はい! なんでしょう?」
「分かってるよな?」
「あ、はい。分かってます、御礼としてうちでただでインターネットをお使いになりたいんですよね?」
「そいうこと。うち、ネット環境ないしな。ネットのえっち写真って見てみたいし」
いぐさがかあっと赤くなる。
啓太はにっと笑った。彼はそれからちょっと意地悪く、
「だから、別にそんな見え見えの嘘を俺につかなくったっていいんだぜ?」
「え? う、うそ? い、いったいなんのことでしょうか?」
いぐさの声が甲高く跳ねた。
ひょっとして好きなアニメキャラのコスプレをただしたいだけなのがばれてしまってるのだろうか?
いぐさは狼狽える。だが、啓太はそれ以上は苛めることなく「ほい」と木彫りに人形を手渡してきてくれた。いぐさはほっとする。
「あ、ありがとうございます!」
だが。
その瞬間。
「こけええええええええええええええええええええええええ!!!!」
早速、木彫りの人形ソクラテスが思いっきり反応を示した。かつて河原崎、という立派なオタクの念によって無差別に人をコスプレさせた魔道具。その力は健在だった。
「あ、あ、いやあああああああああああああああ!!!!」
いぐさは跳ねた。
即座に気がついた。自分が魔法少女のコスプレをしてしまっていることに。
「ほ〜!」
啓太が思わず感嘆の声を上げている。ふりふりのワンピースに世にも恥ずかしい猫耳。おまけに金色のステッキまで持っている。
「あ、いや! これはダメ! これはちょっと放送時期的にダメ!」
いぐさはパニックを起こしてぱたぱた手を振っているばかりだ。啓太が叫んだ。
「落ち着け、こら! だいじょ〜ぶ! 違う服を頭に思い浮かべればちゃんと服は変わるから!」
だが、いぐさは聞いてなかった。啓太は舌打ちをするとソクラテスを奪い取り、
「え〜い、俺がやったる!」
完全に親切心でいぐさの服を変えようとしてやる。
だが、そこはスケベ心の帝王、啓太の話。彼の無意識は全く別のことを考えていた。
「こけええええええええええ!!!」
木彫りの人形が鳴き、白い煙が晴れてみると、
「あ」
いぐさがさらに固まった。
「ちょ、ちょっと! 啓太様、これ」
先ほどと衣装は全く変わっていなかった。ただ、スカートの丈が思いっきり短くなっていたのだ。いぐさは普段、街中では滅多にお目にかかれないくらいのロングスカートを好んで履いている。つまり足のほとんどを布で覆い隠していた。
だが、今、彼女のスカートはミニに変じ、すらりと白い太ももが剥き出しになっていた。ピンヒールから啓太の片手で握れそうなくらい細い足首のラインが実に被虐的な色気を放っている。
「かえて! 早く変えてください!」
啓太は慌てて頷いた。
「お、おう!」
どろん。
だが、事態はひどくなっただけだった。
「け、けいたさまああああああああああああああ!!!!」
いぐさが思いっきりスカートの前を押さえ、抗議の声を上げた。スカートは前よりさらに短くなっていた。
太ももの真ん中くらい。風が吹けばめくれてしまう。
「あ、あれ? もういちどえい!」
啓太が再びいぐさの衣装を替える。さらに短くなるスカート。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
いぐさはもう声にならない悲鳴しか上げられない。顔が真っ赤になっている。スカートはもうほとんどパンツを隠す役割を果たしていなかった。
いぐさがちょっと身動きすればそれだけで白い布地が見えてしまう。
完璧に露出してしまった足。
「だ、だめ! だめ!」
いぐさはアヒルみたいにお尻を突き出しかけたが、今度はそれだと後ろが見えてしまうことに気がつき、慌てて前と後ろ両方から布地を引っ張る。
バランス悪くぐらぐら。その度にちらちら見えるパンツ。
「ご、ごめん。いぐさ! 今度こそちゃんと」
「も、もういい! もういいですから、啓太様!!」
いぐさが必死で止めようとする。だが、啓太はあくまで木彫りのニワトリに念を送った。
そして。
それから一月。啓太はいぐさに口を利いて貰えなかったという。二人だけの秘密。