久 作 論
[#地から2字上げ]唐 十 郎
浦塩《ウラジオ》に行ってみたいと僕は思う。
それも夢野久作の書いた浦塩の町である。
振りかえって考えれば、僕らにとって他国とは、パリやニューヨークであるよりも、先ず上海《シヤンハイ》や満州、氷の凍てつく黒龍江辺りの町が、蠱惑《こ わく》的な面持ちを持っているのはなぜだろう。
喰いつめ者がゴロゴロしていたと言うそんな他国の風情は、僕らの親が関わった悪夢のおぞましさを垣間見るようで、なにやら胸の内がビリビリふるえてくるのだ。
それはつまり、オイディプスが自らの前身を知りたいというあの欲望に似ているのかもしれない。
満鉄に勤めていたと言う僕の叔父の話を聞けば、支那の奥地へ踏み込むほど、この世の者とは思えない美女に出くわしたと言うではないか。一体、その女はどれくらい美しいのかと聞けば、ポーッと一人ごちて、言葉も返さず宙を見つめているので、僕は益々、彼の遊んだ他国は、黄泉《よ み 》の世界に近いことを確信したものである。
『死後の恋』に現われる浦塩という町も甘い恋の生まれるメッカだが、その裏には屠殺場の光景が秘められている。久作の描く町には常にこうした奈洛が用意されている。恐らく、他国に関わるということ、あるいは他者に触れるということの、直感が、ペンを握った時に、屠殺場の匂いを呼び起こさせるのだろう。
そして、急転直下、そこに至る手法として、久作はよく小道具を使う。
『死後の恋』ではガソリンマッチは、読者を奈落に案内する。このガソリンマッチに込められた作者の狡猜さは、外科医のようだ。
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「けれどもガソリンマッチは地に落ちたまま、消えませんでした。そこいらの枯れ葉と一緒にポッポッと燃えているうちに、ケースの中からガソリンが洩れ出したと見えて、見る見る大きく、ユラユラと油煙をあげて燃えたちはじめました。けれども私はそれを消すことも、どうする事も出来ずに、尻餅をついたまま、ガタガタと慄えているばかりでした。
私のいる凹地をとり巻いた巨大な樹の幹に一人ずつ、丸裸の人間の死骸が……」
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ガソリンマッチという名の物体が、彼の手から離れて、屠殺場の世界を伴《つ》れてくる。
夢野久作は物持ちである。
それもおぞましい物ばかりをポケットに詰め込んでいる。
恐らく、ガソリンマッチの蓋の中に『死後の恋』が隠されているのだ。九鬼周造の『いきの構造』に依れば、物の中に物の時間が流れていると言う。バラの中にバラにまつわる彼の恋があるように、ここでは、ガソリンマッチの中にアナスタアシヤとの妄恋が血まみれの光景と一緒にはめこまれている。
この生理的に不快を及ぼす小道具とそれによって展けてくる惨たる物、久作のペンは必ず、ここにたどりつき、くぐり抜けようとする。
それは久作独特の秩序である。
彼のイメジァリイには、この暗いマナイタが底辺に置かれてあり、これから遊離する上部に、休息の時が浮いている。
例えば、女であることに気づかず、行軍する隊の一人として、彼女が彼を振りかえる様に、ホッと一息、甘い風にたゆとうている姿がある。
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「間もなく、私たちのうしろの方から、涼しい風がスースーと吹きはじめまして、何だか遠足でもしているような、悠々とした気持になってしまいました。先頭の将校のすぐうしろについているリヤトニコフが帽子を横っちょに冠りながら、ニコニコと私を振り返ってゆく赤い頬や、白い歯が今でも私の眼の底にチラついております」
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『氷の涯』ではナシを喰うロシァ女の姿にそれがあり、足元を見詰めれば、亀裂を生じる氷の上という危なみの構図が用意されている。
それが『ドグラ・マグラ』になると終始、あの冒頭の柱時計の「ブゥーン」という音が響き渡っていて、恋も甘言も、暗い夢にひきずりおろさずにはおかない。
故に彼は読み手の嗅覚と聴覚を束縛する作家である。僕らは酸っぱい匂いのする倉庫かなにかに入ってゆくような心構えで彼の本を開くのだ。
彼は、読み手に対して、何故、このような風情で立ちはだからなければならなかったのだろう?
このメフィストフェレスはどうして屠殺場をその手にひっさげて現われるのだろうか?
僕はそこでこう思う。
彼の創意の主軸は、「下降願望」であり、書き手と読み手が、この「下降願望」の産物を媒介にすることによって、もうひとつリアルな地平にゆこうとしていたのだと。
そんな地平は実在しないものであることは知っている。しかし、このリアリストは、その不可能の領域を指針する浮標《ブ イ 》として、幾つかの作品をものにしていったのだ。
恐らく、彼がペンを持たなかったならば、彼は気が狂っていただろう。
ガソリンマッチの蓋が開いて、油がこぼれだすのは、頁の上ではなく、彼のポケットの中で起るからだ。
病院の柱時計が鳴り響くのは、『ドグラ・マグラ』の中ではなく、九大医学部にせっせと通う彼の周辺に響き渡るとしたら、彼は一人で二千年の夢を処理しなければならないだろう。
これだけの不穏な物持ちならば、とび交う悪夢の淵にはまって、陥没するのは目に見えている。
そこで作家の必然的に起る行為は、「移行」という動詞を持つ。
彼は彼の抱いた物《イマージュ》を他者の前に「移行」して見せる。そもそも、彼が作者であった前に読者であったように、内なるその読者に彼は彼の抱いた物を「移行」する。
書く前には、思ってもいけないと恐れた物を、逆に彼は量産することになる。
まるで、ボタ山の斜坑から掘りだされた黒い物塊のように止めどなく、彼の意識下から掘り起こされるところのもの、それは敢えて焙《あぶ》りなおされた暗い夢ということになるのだろう。
トロッコの代りにペンが、ほど良い斜角を逆さにのぼりつめ、読者という他者の目に這いあがる。
僕が彼の作品の中に「下降願望」を見るというのは、そんな「斜坑」を思いだすからなのかもしれない。
それにしても、夢野久作の周辺には、何故、このような斜坑がポッカリと口を開け、彼をとりこにしなければならなかったのだろう。
ざっと見渡したところ、彼の作品は常にこの斜坑とのにらみ合いと言って言いすぎではないように思われる。
彼と彼の時代を徹底的にあらえば、そこには九州という名の縁《へり》が色濃く浮かび上ってくるのだろうが屠殺場風な光景は、久作の作品よりも更にナマで、玄洋社社史一冊を開いただけで、僕の胸はささくれだってくる。
本当を言えば、僕は玄洋社社史を最後まで読むことができなかった。
血と硝煙と黄土に包まれるその本は、志士の宣言として綴られたのだろうが、僕には異化効果のズレ[#「ズレ」に傍点]た感じしか与えなかった。
例えば、それは『犬神博士』の後半にヤバイ感じで顔をだす。
あの大物、頭山満らしい男の影だ。
玄洋社社長とは思えないホオっ冠りの男が少年に、時代の黒幕らしい風情を見せる。こういうところに至っては、僕らは本当のところ、つんぼさじきに置かれるというものだ。
頭山満に対する久作の思い入れなど、時政書ならともかくも、一本の文学として見た限り、知りたくもないし、知らされたくもない。
文学に実在の人物を介入させることは結構だが、実在に対する実在的な評価にあぶみをとられることは避けるべきであろう。
何故ならば、文学は実在の先を走ることがあるからである。
この頭山満らしきキャラクターが何故|闖入《ちんにゅう》したのか、そこら周辺の筆のタッチを調べて見ると、どうやら、博多ドンタクの、あの浮かれ調子のせいだと思う。
九州男子の持っているあのやや泥臭いおふざけ、そこで久作のペンはやや踊りすぎたのだろう、しかし、これらのディテールは、あの着実に用意してある屠殺場的な|現 実《イリュージョン》によってたちどころに醒まされる。
この意識の中の段差は、逆に久作を驚嘆させたに違いない。彼は政治の有効性から斜坑のほの暗さにはまっている。斜坑を思い出したというよりも、斜坑に見られている自分を思い出したというべきだ。
この意識の底で行なわれる転回作用[#「転回作用」に傍点]はリアリストである証拠なのだろう。
そして、この転回を支える物を、彼はうんざりするほど所有している。
それはガソリンマッチ。手から転げて一人でに燃えだす鬼火のような物たち。
このガソリンマッチの突出状態とイメージの固さに比べれば、頭山満など物の数ではない。
枯れ草に燃え移り、そこだけポッポッと明るくなる。そして、その光の案内人によってさしだされる光景に、国士がなにをできるだろう。久作は、ただ、この悪夢を良く飼いならすことでしか生きられないのだ。
そこで、僕らが久作の作品にある甘美な思いと、高貴な狩人としての誉れを感じるのは、必然的に抱かされる暗い夢に、内なるリアリストとして、彼がいかに耐え、優しかったかという、作家の物腰に依るものなのだろう。それは、いくつかある処方箋の中の選択などではなく、彼の、のっぴきならない遠征であったと言ってもよい。
絵解きに明けくれるミステリー作家に比べて、夢野久作が孤高に思われるのは、こうした彼の底意地の強さであるように思われる。
一つの作品ともう一つの作品の間にはびこる根は相当深いところにあるために、『ドグラ・マグラ』一本とりあげても、それを今日|流行《はやり》の「消費文化」の一環として紛らすには手に余るというものだ。『ドグラ・マグラ』という幻獣が、一般化の中でのみ有効性を保つ「エンターテイメント」という名のイリュミネーションを喰い荒し、必中、斜坑を坦間見せることになる。そして、その斜坑を抱きつづけることに作家が耐えたように、今日の読者も、かくなる夢野久作を飼育することに耐えられるかどうか。
──僕はここで肯《ウイ》と言おう。
読者の目の欲望は斜坑そのものだから。
……さて、僕に夢野久作を紹介してくれたのは、足立正生という映画監督であった。
今や、パレスチナに行ったまま、杳として行方が分らぬが、「銀河系」の作者である彼が何故、僕に久作を教えてくれたのかいろいろ考えてみると、彼もまた九州人であったということに気がついた。
小林秀雄風な言い方をすると、足立正生にとって、久作は巨大な通行人であったということになる。そして、この僕は、彼の紹介してくれた通行人と別れるきっかけを見つけられずに、ずいぶん長い間、ひきとめてしまっている。そして、今、この通行人の解説までやっているかと思うとなにやらおかしくて仕方がない。
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夢野久作年譜
明治二二年(一八八九)
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一月四日、杉山茂丸と高橋ホトリの長男として、福岡市小姓町に生まれた。幼名直樹。同市住吉町の祖父三郎平、継祖母友子の許に引き取られて育てられた。
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明治二四年(一八九一) 二歳
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祖父の寵愛が深く、四書の素読を習った。実母は離別されて高橋家に嫁した。父茂丸は戸田幾茂と結婚した。
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明治二五年(一八九二) 三歳
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黒田藩の能楽師範をつとめた喜多流の梅津只圓に入門し、能楽を習った。四書の素読にすぐれていたため神童と称された。
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明治二八年(一八九五) 六歳
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小学校に入学したが、身体虚弱で運動に堪えられない蒼白い少年だった。祖父から教えられていたため、学校で新たに学ぶものがなかった。それでも勉学心は旺盛で、図画がもっとも得意だった。
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明治三二年(一八九九) 一〇歳
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大名尋常小学校を卒業。いったん東京の父の家に、祖父、継祖母らと移り住んだが、この頃は福岡市に戻っていた。尋常高等小学校に入学。
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明治三五年(一九〇二) 一三歳
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三月二〇日、中風に肺炎を併発して祖父死去。
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明治三六年(一九〇三) 一四歳
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三月、高等小学校を卒業し、四月、福岡県立修猷館中学校に入学。スポーツに熱中し、成績は振わなかった。
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明治四一年(一九〇八) 一九歳
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三月、修猷館中学校を卒業。一二月一日、一年志願兵として近衛歩兵第一連隊に入隊。強健な身体を養成する目的で、父に無理に願って志願の許可を得た。入隊後は実兵指揮をもっとも好み、温順篤厚な小隊長として兵卒の信頼をえた。
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明治四三年(一九一〇) 二一歳
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前年、除隊したので上京し、中央大学予備校に入り、入学試験に備え勉学した。
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明治四四年(一九二) 二二歳
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慶応義塾大学文科に入学。
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明治四五・大正元年(一九一二)二三歳
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一月一日、異母弟五郎死去。二月二六日、陸軍歩兵少尉を拝命。一一月八日、継祖母死去。
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大正二年(一九一三) 二四歳
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父は亡弟の死を勉学のせいとし、学業廃止の厳命があったので慶応大学を退学。三月、身体養成のため、父の厳命により福岡県糟屋郡香椎村唐原で農園を経営した。農業は不得手であったから、損得を超越する経営方法であった。
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大正四年(一九一五) 二六歳
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思索的反省的な性格は農夫生活におちつけず、六月二一日、東京本郷の喜福寺で剃髪、禅僧となる。直樹を泰道と改めた。
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大正五年(一九一六) 二七歳
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雲水となって京都から吉野山などを歩く。
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大正六年(一九一七) 二八歳
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僧名泰道のまま還俗し、杉山家をつぐことになり、唐原の農園に戻った。3月〜8月、沙門萠円名義で「謡曲黒白談」を『黒白』に、9月〜12月、同じく「謡曲談」を同誌に連載。
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大正七年(一九一八) 二九歳
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二月二五日、鎌田昌一の娘クラと結婚。この頃、喜多流教授となる。
2月〜7月、「日本の青年に望む」などを『黒白』に連載。
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大正八年(一九一九) 三〇歳
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長男龍丸生まる。1月、杉山萠円名義で「三等哲学」を『黒白』に発表。
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大正九年(一九二〇) 三一歳
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九州日報記者となる。
5月〜8月、萠円泰道名義で「呉井嬢次」を、9月〜10年12月、前者を改題した「蝋人形」を共に『黒白』に連載。
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大正一〇年(一九一二) 三二歳
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福岡市荒戸町に移る。次男鉄児生まる。
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大正一一年(一九二二) 三三歳
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社会部から家庭欄担当に転じ、同欄に童話を発表しはじめた。11月、杉山萠円名義で「白髪小僧」を誠文堂より刊行。11月から梅若藍平名義や無署名で、「犬のいたずら」以下の童話を『九州日報』に発表。
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大正一二年(一九二三) 三四歳
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関東大震災のため、台華社、父茂丸宅炎上。久作は九州日報社震災取材特派記者として、多くのスケッチを残した。この年、杉山萠円名義で「傀儡師」を『黒白』に連載。前記梅若の他に香倶土三鳥、土原耕作の筆名を用いて、「雨ふり坊主」以下二十数篇の童話を『九州日報』に発表。
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大正一三年(一九二四) 三五歳
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三月一日、九州日報退社。一〇月、博文館募集の探偵小説に、杉山泰道名義で「侏儒」を応募し、選外佳作となる。
2月、「先生の眼玉」以下童話を『九州日報』に発表。
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大正一四年(一九二五) 三六歳
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四月一日、九州日報社再入社。8月、「がちゃがちゃ」以下の童話を『九州日報』に発表。
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大正一五・昭和元年(一九二六) 三七歳
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五月、九州日報社退社。同月、『新青年』の創作探偵小説募集に応募し、「あやかしの鼓」が二等に入選した通知を受け取る。はじめて夢野久作の筆名を使用した。また「ドグラ・マグラ」の初稿「狂人の解放治療」を執筆し続けていた。一一月、三男参緑生まれる。
1月、三鳥山人名義で童話「人が喰べたい」を『九州日報』に、10月、小説「あやかしの鼓」を『新青年』に、「所感」を同誌に、12月、「印象に残れる作品」を同誌に、「ドタ福クタバレ」を『探偵趣味』に発表。
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昭和二年(一九二七) 三八歳
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二月九日、「狂人」の初稿を脱稿したが、一五日から再校をはじめた。
1月、「線路」を『探偵趣味』に、3月、小説「夫人探索」を同誌に、6月、「ざんげの塔」を同誌に、8月、「チャンバラ」を『探偵映画』に、12月、小説「いなか、の、じけん」(続篇)を『探偵趣味』に発表。
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昭和三年(一九二八) 三九歳
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3月、小説「人の顔」を『新青年』に、慮見鈍太郎名義で「『生活』+『戦争』+『競技』÷0=能」を『喜多』に、6月、小説「いなか、の、じけん」(続篇)を『探偵趣味』に、「猟奇歌」を『猟奇』に、8月、「猟奇歌」を同誌に、10月、小説「死後の恋」を『新青年』に、小説「瓶詰の地獄」を『猟奇』に、「猟奇歌」を同誌に、11月、「手先表情映画脚本」(「涙のアリバイ」と改題)を同誌に、「猟奇歌」を同誌に発表。
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つらい……
昭和四年(一九二九) 四〇歳
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1月、小説「押絵の奇蹟」を『新青年』に、2月、コント「微笑」を『猟奇』に、3月、小説「模範兵士ーいなか、の、じけん」を同誌に、「みのる君の悪口」を『喜多』に、4月、小説「支那米の袋」を『新青年』に、杉山萠円名義で「遅蒔ながら」を『喜多』に、小説「.兄貴の骨ーいなか、の、じけん」を『猟奇』に、5月、小説州、X光線ーいなか、の、じけんLを同誌に、6月、「あらべすく」を同誌に、「猟奇歌」を同誌に、7月、小説「鉄鎚行進山」(「鉄鎚」と改題)を『新青年』に、小説「赤い鳥iいなか、の、じけん」を`猟奇』に、「猟奇歌」を同誌に、8月、「ナンセンス」を同誌に、9月、「猟奇歌」を同誌に、10月、小説「空を飛ぷパラソル」を『新青年』に、小説「.卵」を『猟奇』に、「猟奇歌」を同誌に、11月、「猟奇歌」を同誌に発表。
12月、「夢野久作集」(日本探偵小説全集11)を改造社より刊行。
昭和五年(一九三〇) 四一歳
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一月六日、「狂人」原稿一千枚校正終る。
五月一日、妻の実家の福岡市黒門郵便局長を拝命。
1月、小説「八幡まいりーいなか、の、じけん」を『猟奇』に、2月、小説「復讐」を『新青年』に、4月、「江戸川乱歩論」を『猟奇』に、「猟奇歌」を同誌に、6月、「猟奇歌」を同誌に、8月、小説「童貞」を『新青年』に、9月〜11月、「能とは何か」を『喜多』に発表。
昭和六年(一九三一) 四二歳
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1月、小説「悪魔以上」(連作「江川蘭子」の五)を『新艶ー4年』に、「猟奇歌」を『猟奇』に、2月、「涙香、ボー、それから」を同誌に、2月〜4月、小説「一足お先に」を『文学時代』に、3月〜4月、小説「霊感」を『猟奇』に、4月、小説「ココナットの実」を『新背年』に、5月、「怪青年モセィ」を舗猟奇』に、6月、「猟奇歌」を同誌に、9月〜7年1月、小説「犬神博士」を『福岡日日新聞』に、10月、小説「自白心理」を『新青年』に、小説「怪夢」を『文学時代』に発表。
昭和七年(一九三二) 四三歳
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1月、「猟奇歌」を『猟奇』に、3月、「猟奇歌」を同誌に、4月、小説「斜坑」を『新青年』に、「本格小説の常道」を『探偵クラブ』に、「旧稿の中から」を『猟奇』に、「猟奇歌」を同誌に、小説「焦点を合わせる」を『文学時代』に、5月、「猟奇歌」を『猟奇』に、6月、小説「怪夢」を『探偵クラブ』に、7月、小説「狂人は笑う」を『文学時代』に、9月、「実さんの精神分析」を『喜多』に、10月、小説「幽霊と推進機」を『新青年』に、小説「ビルジング」を『探偵クラブ』に、11月、小説「キチガイ地獄」を『改造』に、12月、小説「,老巡査」を『オール読物』に、小説「意外な夢遊探偵」(連作「殺人迷路」の七)を『探偵クラブ』に発表。
12月、「押絵の奇蹟」(日本小説文庫)を春陽堂より刊行。
昭和八年(一九三三) 四四歳
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1月、小説「けむりを吐かぬ煙突」を『新青年』に、小説「総死体」を『探偵クラブ』に発表。
「暗黒公使」(新作探偵小説全集9)を新潮社より刊行。
2月、小説「氷の涯」を『新青年』に、3月、蝋,塵Lを『新潮』に発表。
4月、「氷の涯」(日本小説文庫)を春陽堂より、5月、「瓶詰地獄」(同前)を同社より、「冗談に殺す」(同前)を同社より刊行。
6月〜7月、小説「爆弾太平記」を『オール読物』に、11月、小説「白菊」を『新青年』に、12月、「うごく窓」(猟奇歌)を『ぶろふいる』に発表。
昭和九年(一九三四) 四五歳
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八月八日、願いに依り黒門郵便局長を免ぜられた。
1月、小説「斬られたさに」を『大衆倶楽部』に、小説「名君忠之」を『福岡日日新聞』に、2月〜5月、小説「山羊漿編輯長」を『オール読物』に、2月、「三四年問答録」を『新青年』に、「乞食の叫び」を『オール読物』に、「うごく窓」(猟奇歌)を『ぶろふいる』に、3月、小説「難船小僧」を『新青年』に、4月、「地獄の花」(猟奇歌)を『ぶろふいる』に、5月、小説「衝突心理.一を『モダン日本』に、小説「木魂」を『ぶろふいる』に、小説「無系統虎列刺」を『衆文』に、6月、「死」(猟奇歌)を『ぶろふいる』に、7月、哨,見世物師の夢L(同上)を同誌に、8月、「ひでり」を『九州文化』に、「『金色藻』読後感」を『ぶろふいる』に、「猟奇歌」を同誌に、9月、「路傍の木乃伊」を『衆文』に、「白骨譜」(猟奇歌)を『ぶろふいる』に、10月、小説「殺人リレー」を『新育年』に、小説「近眼芸妓と迷宮事件」を『富士』に、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、11月、小説「白くれない」を同誌に、「書けない探偵小説」を同誌に、「猟奇歌」を同誌に、12月、小説「骸骨の黒穂」を『オール読物』に、「我もし我なりせば」を『ぶろふいる』に、「猟奇歌」を同誌に発表。
昭和一〇年(一九三五) 四六歳
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一月二六日、「ドグラ・マグラ」出版記念をレインボー・グリルで開催。
五月四日、福岡市中洲中華園で同じく出版記念会を開催。
七月一九日、父茂丸脳盗血のため、麹町三年町の自宅で死去。
一〇月、父の葬儀の礼を兼ねて、妻と久留米、日田、油布院、別府へ旅行。
1月、小説「笑う唖女」を『文芸』に、「探偵小説の正体」を『ぶろふいる』に発表。
1月、「ドグラ・マグラ」を松柏館君店より刊行。
2月、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、「呑仙十」を『モダン日本』に、3月、「スランプ}を『ぶろふいる』に、「日本人と能楽」を『喜多』に発表。
「梅津只圓翁伝」を春秋社より刊行。
4月〜10月、「近世快人伝」を『斬青年』に、4月、「お茶漬満腹談」は『文芸通信』に、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、5月、「猟奇歌」を同誌に発表。
「氷の涯」を春秋社より刊行。
6月〜11月、小説「超人髪野博士」を『講談雑誌』に、6月、「世界の三聖」を『九州文化』に、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、「道成寺不見記」を『喜多』に、7月、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、能界万華鏡Lを『喜多』に、8月〜11月、小説「二重心臓」を『オール読物』に、8月、小説「S岬西洋婦人絞殺事件」を『文芸春秋』に、「やっつけられる」を『ぶろふいる』に、「探偵小説の真使命」を『文芸通信』に、「ビール会社征伐」を『モダン日本』に、9月、「父・杉山茂丸」を『中央公論』に、「父杉山茂丸を語る」を『文芸春秋』に、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、10月、小説「眼を開く」を『逓信協会雑誌』に、「甲賀三郎氏に答う」を『ぶろふいる』に、「猟奇歌」を同誌に、11月〜12月、小説「巡査辞職しを『新苛年』に、11月、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に、12月、「古い日記」を兄九州文化』に、「猟奇歌」を『ぶろふいる』に発表。
「近世快人伝」を黒白書房より刊行。
昭和二年(一九三六) 四七歳
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二月、父の没後の後始末のため上京したところ、二●二六童7件に遭・り。
三月一一日、来客と対談中急死。
法名は悟真院吟園泰道居士。
四月二八日、「夢野久作全集」刊行記念祝賀会を中央亭で開催。
1月、小説「人間レコ!ド」を『現代』に、小説「髪切虫」を『ぶろふいる』に、小説「継子」を『令女界』に、小説「黄金の滝」を『近代人』に、「私の好きな読みもの」を『月刊探偵』に、「古い日記の中から」(短歌)を『日本文芸』に、2月、「頭山満先生」を『日本少年』に、3月〜4月、「自己を公有せよ」を『九州日報』?に、3月、小説「人間腸詰」を『新青年』に、小説「悪魔祈薦書」をサンデー毎日』増刊に発表。
「少女地獄」(かきおろし探偵傑作叢書1)を黒白書房より刊行。
4月、小説「名娼満月」を『富士』に、小説「女坑主」を『週刊朝日』に、「探偵小説漫想」を『探偵文学』に、「創作人物の名前に就て」を『月刊探偵』に、5月、小説「戦場」を『改造』に、「良心第一義」を『ぶろふいる』に発表。
「夢野久作全集4」を黒白書房より刊行。
6月、小説「冥土行進曲」を『新青年Lに、小説「芝居狂冒険」を『ぶろふいる』に、「雪子さんの泥棒よけ」を『月刊探偵』に発表。
7月、「夢野久作全集6」を、8月、同全集8を黒白書房より刊行。
11月、小説「オンチ」を講談社より刊行。
昭和一二年(一九三七)没後一歳三月一一日、一周忌追悼会。
2月、「恐ろしい東京」を『探偵春秋』に発表。
4月、「山羊漿編輯長」を春秋社より刊行。
昭和四四年(一九六九)没後三一二歳六月から「夢野久作全集」全七巻を三一書房より刊行。
昭和五一年(一九七六)没後四〇歳七月、夢野久作を語る会発足。
(中島河太郎編)著者略歴夢野久作(ゆめのきゅうさく)本名・杉山泰道1889年福岡市に生まる1936年逝去〈著書〉「白髪小僧」「あやかしの鼓」(『新青年』創作探偵小説・当選作)「押絵の奇蹟」1犬神博上」「キチガイ地獄」「暗黒公使」「氷の涯」「難船小僧」「木魂」「人間腸結」「ドグラ・マグラ」「近世快人伝」他執籔。
四十四年『夢野久作全集』(三一欝房)刊行。
〈連絡先♪福岡市東区大字唐原654杉山龍丸