物理の風景 数理物理学者の見た世界
堀 淳 一 著
まえがき
本書の大部分を構成する二ページ見開きの百篇の短文は、一九七〇年二月から一九七四年九月までの間、北海道新聞夕刊の「魚眼図」欄に掲載されたものである。
執筆をはじめたのは、大学紛争の嵐が終熄《しゆうそく》しておらず、何とはなしにすさんだ空気がまだ学園にただよっていたころだった。それがもうずいぶん昔のことだったような気がする。
移り変わりの速い今の時代では、足かけ五年というのはけっこう長い年月であり、時節とほとんどかかわりのない私の閑文字の中にも、ややタイミングがずれてしまったと思われるものがある。しかし、そういうものにもそれなりの意味があるかもしれないと考えて、大幅な書きかえは避け、構成上の都合で三篇ほどを書き下ろしのものと入れかえたほかは、若干の加筆・修正を行うのに止めた。
「魚眼図」というコラムの趣旨は、筆者の専門の世界と一般社会との間に架け橋を作るということなのだが、私が専攻している数理物理、固体物理、統計物理の場合には、わずか二ページの短文によって架け橋を作るのは至難のわざである。いきおい私の筆は、これらの数理的物理の世界のあちこちの寸景をごく大まかにスケッチしたり、この世界の住人が外をのぞいたときに眼に映じる風景を描写したり、また時には息ぬきに外の世界へ迷い出て、専門と関係のないおしゃべりをする、というようなことになった。しかしもし拙文が、読者に数理的物理の片鱗をうかがっていただいたり、数理物理屋の見た外界の姿に一興をおぼえていただくよすがとなるならば、筆者にとって大変うれしいことである。
末尾に集めたいくつかの文章は、「魚眼図」とは別個に新聞、雑誌に書いた随筆類のうち、前記の意味で「魚眼図」の短文を内容的に多少とも補い得ると思われるものである。これらが掲載された場所は次の通りである。
画家と物理屋 「底流」(北大理学部総合雑誌)第一〇号(一九七二年)
数学はあこがれの美女 「現代数学」第六巻第六号(一九七三年)
弱さと規格外れと文明と 「北海道新聞・夕刊」(一九七三年一一月)
紅茶・テープレコーダー・エントロピー 「蟻塔」第二〇巻第六号(一九七四年)
物理屋・汽車・トポロジー 「現代数学」第六巻第一一号(一九七三年)
刊行にあたって、「魚眼図」連載中終始筆者を鞭撻《べんたつ》された北海道新聞社の高崎信義、貝塚忠弘、山口理喜三、大沢哲夫、岡野修の諸氏、およびブルーバックスの一冊としてまとめることをすすめられた講談社の小枝一夫氏と、きれぎれの文章を本にするというやりにくい仕事を果たして下さった同社の堀越雅晴氏に、深謝の意を表したい。原稿の浄書その他については、「魚眼図」連載中森本裕子さん、貞方道子さんおよび川崎栄子さんに、また今回本にまとめるに際して中村秀子さんおよび朝山雅子さんにお世話になった。これらの方々にも厚くお礼申しあげる。
一九七四年秋
著者
目 次
T
ゆらぎ
ブラウン運動
酔歩の問題
揺動散逸定理
不可逆現象
エントロピー
エントロピー対エネルギー
熱 槽
粗さの効用
天気予報と統計力学
ベナール・セル
物性物理学
オンパレード
物理学と異常心理
モデル・オモチャ・マンガ
スペクトル
光学的音波
白い音
ホスト・ゲスト
個性と組織
表面波と稜線波
自由端と固定端
ソリトン
常 識
虚と実
負の温度・虚の温度
原点と目盛り
句読点・符号・遺伝子
射 影
切りすてごめん
数 式
思いなおし
無限次元のミステリー
数理のつくもの
暗箱理論
プラズマ振動
擬ポテンシャル
繰り返しの方法
無矛盾の方法
鞍点法
表空間と裏空間
初期条件
位相幾何と物理
群論と物理
相反性
リーマン面
連続と離散
つまらないこと
略 語
詩的術語
列車食堂にて
スケール
零 番
ノーベル賞・老人ホーム・床の間
プロとアマ
ミニ・ペスト・風邪
リンゴの御利益《ごりやく》
炭坑・洞穴学・物理
ファラデーの公式
理髪・芸術・科学者
大学人・物理人・趣味人
文科・理科・物理
水平思考
者・家・屋・徒
文士と物理屋
能 率
木と森
協同研究
目標型とプロセス型
音の色・粒子の色
神わざ
理論家の生態
研究の鬼
科学度
織機・電子計算機・SL
情報公害
タイム・シェアリング
読まない名人
魚眼図
物理学者
カメラ・テレビ・ソロバン
絵画・地図・物理法則
女中の子
消極的趣味と積極的趣味
ゴン族
歌謡曲
ムダの効用
デス調・デアル調
地図を眺めて
雰囲気
図書館
開発途上国の物理学者たち
レンヌにて
世界最北の大学
イタリーの汽車
「わかれ」と「ジャンクション」
原 書
山の本と講義と
U
画家と物理屋
数学はあこがれの美女
弱さと規格外れと文明と
紅茶・テープレコーダー・エントロピー
物理屋・汽車・トポロジー
物理の風景
数理物理学者の見た世界
T
ゆらぎ
――変化の際には大きくなる動揺
気体の状態は、温度と体積と分子の数がきまればきまる。気体は猛烈な速さでてんでに飛び交っている無数の分子からできているのだから、たまたま全部の分子が容器の片半分に集まり、他の半分はガラ空きになるような瞬間があってもよさそうだが、実際には気体の密度は容器のどこでも常に一定で、不均一になることはない。
これは分子の数が十の二十三乗という程度の莫大なものであるためである。サイコロを何万回も振ると、どの目が出る度数も振った回数の六分の一にほぼ等しくなり、ある目だけが他の目よりとびぬけて沢山出るということは、まず絶対に起こらない。気体の密度が不均一にならないのも、これと同じことなのである。
しかし、サイコロのおのおのの目の出る割合が決してキッチリ六分の一にはならないように、気体の密度も本当は厳密に一定なのではなく、「ゆらぎ」または「揺動」と呼ばれる極めてこまかい変動があるのである。
気体の密度に限らず、われわれが観測する物理量の多くは、一見きちんとした値をもつように見えても、実は微細なゆらぎを伴っていることが知られている。
通常このゆらぎは極めて小さくて普通の観測にはかからないが、いわゆる「相転移」が起こる温度では、いちじるしく大きくなって観測できるようになる。相転移とは、気体が液体に変わるとか強磁性体が温度を高くすると常磁性体になるような、ある温度を境にして物質の状態が不連続的に変わることをいう。状態が変わる境目では、たとえば光をあてるとそれがゆらぎによって異常に散乱されて、物質が輝いて見える、というような現象が起こるために、ゆらぎが観測にかかってくるのである。
社会状態が変化するさいには、必ず大きな動揺が起こる。かつて荒れ狂った大学紛争も、静かに勉強したいと願う者にとっては決して有難いことではなかったが、改革に伴って起こる避けられない「ゆらぎ」だったのかもしれない。
ブラウン運動
――花粉から物理学へ
イギリスの植物学者ブラウンが、一八二七年、水の上に浮かんだ花粉を顕微鏡で観察していて、花粉が酔っぱらいがよろめくような不規則な運動を活発に行っていることを発見した、といういい伝えはよく知られている。その後鉱物の微粒子なども同様な運動を行っていることがわかり、一般にこの種の運動を彼の名をとってブラウン運動と呼ぶようになった。
ブラウン運動は相対性理論で有名なアインシュタインを始め、ペラン、ランジュバンなどの物理学者によって研究され、熱運動をしている液体の分子が、粒子に時々刻々でたらめな方角からぶつかってくるために生じるものであることが明らかにされた。
最近液体に限らず、結晶を造っている原子の一つを非常に重い原子でおきかえると、それはブラウン運動とよく似た運動をすることが示されたが、これも結晶格子の熱運動のために生じるのである。また電気回路の中の電流のゆらぎや、その他の種々の物理量が示すゆらぎも、やはり熱運動によって生じるものであって、理論的にブラウン運動とまったく同様にとり扱えるものであることが認識されるようになった。この意味で、これらを一般のブラウン運動と呼ぶことがある。
温度が絶対零度でないかぎり、どんな物質の中の原子や分子も必ず熱運動を行っているから、ブラウン運動はきわめて普遍的な現象であり、このため一般のブラウン運動の研究は、物性物理学における重要なテーマの一つになっている。またブラウン運動は時間的に変化する確率現象、すなわちいわゆる「確率過程」の一種であるから、数学の確率過程論における研究対象にもなっている。サイバネティックスの創始者として有名なウィーナーとソ連の数学者ヒンチンが独立に導いたウィーナー‐ヒンチンの定理は、確率過程論の基本定理の一つであり、物理のブラウン運動理論でも中心的な役割を演じる。
植物学者ブラウンが一世紀半を経た今日、物理学や数学における重要な分野の一つに名を残しているのは面白いことである。
酔歩の問題
――酔っぱらいはどこへ行く
酔っぱらいが、ゴバンの目のように道路が造られている町の、とある町角から歩き出したとしよう。どちら向きに歩き出すかはまったく偶然にきまるとする。歩き出して次の四つ角についたら、どちらに曲がるか、あるいは逆もどりするかは、再びまったく偶然にきまるとする。一つの四つ角から次の四つ角までの距離を一○○メートルとすると、こうして酔っぱらいが一キロメートル歩いたら、平均して出発点からどれ位遠くまで行っているだろうか。また彼が一キロ歩いたときふたたびもとの場所にもどってきている確率はどれくらいだろうか。この種の問題を数学や物理では酔歩の問題とよんでいる。
鉄やニッケルやコバルトのような強磁性体は、常温で磁石の性質を示すが、温度をある温度(臨界温度とよばれ、物質によってちがう)以上にあげると、磁石の性質は消えてしまうことが知られている。また水銀や窒化ニオブなどの、超伝導体とよばれる物質では、絶対零度に近い極低温まで温度を下げていくと、その電気抵抗があるところで突然消失してゼロになってしまう。
このように、ある温度を境にして物質の性質が突然変化する現象を相転移現象とよんでいる。相転移現象は強磁性体に限らず、自然界に非常に広範囲に見られる現象であって、強誘電体でも同様なことが起こるし、また温度を低くすると液体が固体になるいわゆる凝縮現象もその一つである。
酔歩の問題は、一見ずいぶんふざけていて、数学者のオモチャにすぎないように見えるが、実はこの相転移現象と密接に関係があるのである。相転移現象は、統計力学とよばれる物理学の理論でとり扱われるが、その中に酔歩の問題が登場し、しかも本質的に重要な役割を演じるのであって、酔歩の問題だけをとり扱った統計力学の専門書もあるくらいである。
相転移の問題のほか、高分子物質の統計理論などでも酔歩の問題は中心的な役割を演じる。見た眼にふざけて見えるからといって、決して軽んじることはできないのである。
揺動散逸定理
――デパートの苦しみ・楽しみ
休日のデパートは私の最も苦手なものの一つである。ちょっと歩くと人にぶつかり、こっちの人を避けるとあっちの人にぶつかり、気ばかりいらだってなかなか先へ進めず、自分のペースで歩くことができないから。
液体の中で物を動かそうとしても、思うように動かすことができないのはよく経験するところである。これが液体の粘性であるが、つまりは液体分子によって運動が邪魔されるからであって、デパートの中を歩くのと似ている。休日のデパートは粘性が大きいのである。粘性のために、前へ進もうとするエネルギーが進むために全部使われず、他人または他分子との衝突によって無駄に使われ、熱エネルギーになって「散逸」してしまうのである。
人ごみの中では、進む速さがにぶくなるばかりでなくて、真直に進めず、どうしてもジグザグに歩くことになる。液体の中の物体も実は同じで、液体の分子が四方から絶え間なくぶつかってくるために、フラフラしながら進んでいるのである。物体が非常に小さくなると、このフラフラがケンビキョウで観察できるようになる。これがいわゆるブラウン運動にほかならない。
このように、エネルギーの散逸とブラウン運動とは必ず相ともなうものなのである。エネルギーの散逸は粘性ばかりでなく、マサツや電気抵抗など、広範囲の現象にともなうものであり、したがってブラウン運動もそれらの現象に関与する物理量のゆらぎ(揺動)となって必ず現れる。また、これらの大きさの間には、関与する物理量の種類によらない一定の関係がある。この関係を揺動散逸定理といい、物性物理学の基本法則の一つとなっている。デパートでも揺動散逸定理のようなものがなりたっているのではなかろうか。
私が苦手なのは結局この散逸なのだが、しかしデパートというところは元来散逸を楽しみにゆくべきところなのであり、売り場の廊下は楽しみの場であって、単なる通路と考えて自分のペースで歩けないといらだつ方が間違っているのかもしれない。
不可逆現象
――未解決のパラドックス
箱を隔壁によって二つの部分に分けておき、片方に気体を入れ、片方を真空にしておく。この隔壁を突然とり除くと、気体はたちまち箱全体に一様に拡がってしまう。いったん拡がってしまうと、気体がふたたび自然にもとの片半分の中にもどり、あとの半分が真空になる、ということは絶対に起こらない。つまりもとのプロセスのちょうど逆むきのプロセスは起こらないのである。このような、逆むきのプロセスが決して起こらないような現象を不可逆現象という。
摩擦によって熱が発生するという現象は、たとえばわれわれが物体を動かすために使った力学的なエネルギーが、熱の形になって逃げてゆくという現象であるが、これも不可逆現象の一つである。いったん熱の形になったエネルギーがまたもとの力学的なエネルギーにもどって、物体が自然に動き出すということは起こらないのである。
しかし一方、物質の構成粒子の運動を支配する法則は、時間のむきを逆にしても変わらない。したがってある現象が起こったならば、それと逆むきの現象も必ず起こることができる。この観点からすれば、不可逆現象というものは存在しないはずである。これは明らかにパラドックスである。
このパラドックスをどう解くかは、昔から沢山の研究者が懸命にとりくんできた根本的な問題であるが、現在でも完全に解決されてはいない。それにもかかわらず、理論はどんどん発達して、多くの不可逆現象を記述することができるようになった。雑多な不可逆現象を取り扱うのに欠かせないボルツマンの方程式とよばれる方程式や、非常に広い範囲の不可逆現象を統一的に記述することのできる不可逆現象の熱力学などはその代表的な例である。
このように、最も基礎的な点がはっきりしないまま理論ができあがって、けっこう役に立っていることはしばしばあることである。根本的な問題の研究ももちろん大切であるが、一方そればかりにこだわっていても、理論は前進しないのである。
エントロピー
――でたらめなほど可能性が多い
机の上をしばらく整理せずにいると、いろんなものが雑多に積み重なって、どこに何があるのかわからなくなる。物理学者はこれを、「机の上のエントロピーが大きくなった」、と表現する。
「エントロピー」は熱力学を学ぶとすぐに出てくる初学者を悩ませるので有名な概念であるが、統計的には、物質を構成している原子や分子の配列状態の「でたらめさ」あるいは「無秩序さ」を表す量にすぎない。たとえば、絶対零度では結晶を造っている原子は規則正しく並んで静止しているが、この状態のエントロピーは零である。温度を上げると原子がてんでに熱運動を始め、その配列が乱れてくるので、エントロピーは次第に大きくなる。まったく同じように、机の上の物の配置や、その他どんなものの配置の無秩序さも、エントロピーで測ることができるのである。
秩序正しい配列はただ一通りしかないが、互いに同じ程度に無秩序な配列は沢山ある。無秩序な状態ほど多くの可能性を秘めているのである。少数の可能性の中から一つを選び出すよりも、多数の可能性の中から一つを選びだす方が、選び出し甲斐がある。選び出すものが何かの情報であれば、情報源が多数の可能性を含んでいるほど、すなわち情報源のエントロピーが大きいほど、その中から選ばれた一つの情報は大きな価値をもつ。したがって、エントロピーは情報源から引き出される大きさを測る量ともなり得るのである。
同じエントロピーという量が、でたらめさの程度をはかると同時に情報量をもはかるというのは面白いことである。しかし、エントロピーが情報量の尺度にもなることにシャノンが気がつき、これにもとづいて情報の数学的理論を建設したのはようやく一九五〇年のことである。クラウジウスが熱力学にエントロピーを導入して熱機関の理論、すなわち熱的なエネルギーの利用の理論を確立した一八五〇年から、一〇〇年ものちのことであった。
エネルギー時代の始まりから情報時代の幕あきまでがちょうど一世紀だったというのも、ちょっと面白いことのような気がする。
エントロピー対エネルギー
――きままな生活おちついた生活
容器を隔壁で半分に分け、片側を真空にし、他の側に気体を入れておく。隔壁をとり除くと、気体はたちまち膨脹して容器いっぱいに拡がるが、一旦拡がってしまったら、外から手を加えない限り、気体がひとりでにまたもとの半分の部分にもどることはない。
容器全体に拡がったときの方が、気体分子はより広い空間を自由にとびまわれる。つまりそれの占める位置についての可能性がふえる。物理ではこの可能性の大きさすなわち自由さの程度をエントロピーという量ではかる。拡がったときの方がエントロピーが大きいのである。自然に生じる変化は常にエントロピーがふえる方向に向って起こる。つまりエントロピーというものはいつもふえようふえようとするのである。
気体が膨脹しようとする力は、エントロピーが大きくなろうとする力、すなわちエントロピー的な力である。ゴムが縮まろうとする力もそうである。なぜなら、ゴムがピンと伸びている状態では、ゴムを造っている分子が真直に整列しているから、その配列はただ一通りしかないが、縮まった状態では、分子の列は不規則に曲がりくねっていて、その曲がりくねり方にいろんな可能性があるからである。
これに対して、バネが縮まろうとする力は、外見は似ているが、全く違った種類の力である。これはバネを造っている原子が平衡位置にできるだけ近づいてポテンシャルエネルギーを小さくしようとするために生じる力であって、エネルギー的な力とよばれる。物質の平衡状態は、エントロピー的な力とエネルギー的な力のバランスによってきまるのである。
人間も、広い天地に羽を伸ばして、できるだけ自由に放浪したりあばれまわったりしたい、という欲求と、安定した位置におちつき、余分なエネルギーを使わずに静かに暮らそうという欲求の両方をもっている。社会の状態は人間の集まりのもつ、この二つの相反する傾向の均衡によってきまるのであろうか。
熱 槽
――無限抱擁
「熱槽」あるいは「熱溜《ねつだまり》」という概念が物理学ではよく用いられる。ある物質の状態を温度を一定に保ちながら変化させたときに、それがどのようなふるまいを示すかを論じるさいには、その物質が一定の温度をもつ無限に大きな他の物体(いわば無限に大きな恒温槽)の中に、エネルギーは自由に出入りできるが、物質は出入りできない隔壁をへだててスッポリ包まれていると考えて理論をたてる。この無限に大きな恒温槽を熱槽または熱溜とよぶのである。
熱槽でスッポリ包んでおけば、注目している物質の状態がどんなに変化しても、その温度は自動的に一定に保たれるから、一定温度下のふるまいを論じるのに都合がよい。ただし物質の状態といっしょに熱槽の状態まで変化してしまうと、そのことまで考慮して理論を作らなければならなくなって、せっかく熱槽を考えた功徳がなくなるので、熱槽と物質との間にエネルギーのやりとりがあっても、熱槽の中ではその影響は無限にうすめられてしまってその状態は変化しないように、大きさを無限大にしておくのである。
平たくいえば、熱槽は無限に大きな抱擁力をもち、ふところの中で注目している物質がどんなにあばれても悠然とそれを暖かく包んでいる広大無辺な宇宙のようなものである。
しかしながら、このような理想的な性質をもつ熱槽は、あくまでも物理学者が頭の中で考える仮想的なものであり、実際にはわれわれをとり囲んでいる天地は大きいとはいえ有限である。したがって考える物質が大きすぎたり、あるいは小さくても状態がはげしく変化すると、それ自身も変化し、それが物質のふるまいにハネ返ってくる。
われわれは母なる大自然の広大な抱擁力になれすぎて、それがたれ流しまでも熱槽と同様に無限にうすめてくれることを無意識に期待し、甘えていたようだ。公害問題はその甘えに対する有限な自然界の当然の報いであろう。
粗さの効用
――精密ばかりがよくはない!
ボイルの法則、といえば大ていの人はあああれか、とすぐ思い出すか、内容は思い出さないまでも、名前だけは覚えているであろう。温度が一定ならば気体の体積は圧力に反比例する、という法則である。この法則は厳密にはいわゆる理想気体とよばれる、現実には存在しない理想化された気体に対してしか成り立たない。理想気体というのは、互いに力を及ぼし合わない点状の原子からなる気体のことである。実在の気体を造っている原子は点ではなくて必ず大きさをもち、また弱いながら互いに力を及ぼし合っているから、その体積と圧力の関係はボイルの法則からずれている。しかしそのずれがわずかなので、実用上はこの法則が成り立つと考えてさし支えないことが多い。
そればかりでなく、このずれは気体が十分稀薄になった極限では例外なくゼロになるから、ボイルの法則は気体の種類によらない非常に広い一般性をもつ。このために、ボイルの法則は物質の熱的性質を記述する熱力学の理論体系を構築するさいに、基本的に重要な役割を演じるのである。これに比べると、実在の気体にあてはまる、より精密ではあるが気体によってちがう個別的な法則は、はるかに低い重要性しかもたないといってよい。
ボイルの時代には測定が不精密で、前記のわずかなずれが観測されなかったのだが、それだからこそかえってボイルの法則が発見されたのだともいえる。もし測定がはじめから非常に精密に行われていたら、この重要な法則の発見が数年または十数年おくれていたかもしれない。
このような状況は現在でもよく起こることである。実験技術があまり進歩しないうちに観測された広い範囲の物質が共有する性質をよく記述する理論の方が、進んだ実験技術によって見出された個々の物質のこまかいふるまいを説明する理論よりもはるかに現象の本質をえぐり出していることが多い。実験にしても理論にしても、精密なことが粗いことより無条件によいことだとは限らないのである。
天気予報と統計力学
――気の毒な天気予報官
天気予報がはずれると、天をうらむよりも予報官を責めるのがならいの昨今だが、私はいわれのない非難を受ける予報官が気の毒でならない。なぜなら、気象現象は多数の多少とも偶然的な要因が積み重なって生じる統計的な現象で、どんなに気象観測の精度をよくしても予測不可能な予測値からのハズレが必ず残るものだから。
観測設備や予報技術がいくら改善されても、高々当たる確率が若干大きくなるだけの話で、百発百中には決してならない。どれくらいのハズレの範囲内ならばマア当たったことにしよう、という許容誤差の大きさを小さくするほど当たる確率は小さくなり、許容誤差をゼロにすれば当たる確率もゼロになるから、極端ないい方をするなら、予報というものは当たらないのが当たり前で、当たったらよほど不思議なものなのである。
ところで、力学や電磁気学と並んで物理学の基礎的な分科の一つになっている統計力学は、われわれが日常直接見たり触れたりする普通の物体の性質を記述する理論体系である。このような物質は、多数の原子や分子からなっており、そのふるまいは、一つ一つの原子または分子の多少とも偶然的な運動が積み重なって生じる統計的な現象である。それゆえ統計力学の原理も、天気予報の原理と非常によく似たものなのである。
しかし、物質を構成する原子や分子の数がほぼ十の二十三乗個というケタはずれに莫大なものであるために、統計力学によって予測されるふるまいからのハズレは通常の観測装置の測定誤差よりもはるかに小さくなる。このために統計力学では、許容誤差をゼロにすると当たる確率もゼロになるという事情は天気予報の場合とまったく同じであるにもかかわらず、予測が事実上百発百中になるのである。
物理屋が予報官のような憂き目を見ずにすむのは、ひとえに物質を構成する粒子の数が莫大であるおかげであるといえよう。ありがたいことである。
ベナール・セル
――雲とレーザー光線
資源衛星アーツから観測された日本の姿が多数の見事なカラー写真で紹介されている『日本の衛星写真』というすばらしい本がある(一九七四年・朝倉書店刊)。その九九ページに、積丹半島北方海域を覆うおどろくほど規則正しく配列したツブツブの雲の塊の群の写真が出ており、次の一〇〇ページには、これが多分ベナール・セルであろうという説明文がある。
平たい容器に入った液体を下から熱すると、はじめは静止しているが、上と下の温度差がある値に達すると、対流が始まる。この実験を非常に注意深く行うと、液面が蜂の巣のように規則正しく並んだ正六角形の領域にわかれるのが観察できる。この六角形の領域がベナール・セルである。大気中でも同じことが起こってベナール・セルができ、おのおののセルの中心に上昇気流ができていて、そこに雲が発生しているのだろう、というわけである。
ベナール・セルが発生する理由は、最近発展してきた非線型現象の熱力学によって説明することができる。
話は変わるが、レーザー光線というものが近年物理や工学にはなばなしく登場してきたことは御存じの方もあろう。光は原子の中にある電子が高いエネルギーの状態から低いエネルギーの状態へ落ちるときに発生するのだが、電子を人工的に低い状態から高い状態に汲み上げてやると、汲み上げる強さがある一定の値を超したとたんに、普通の光と桁ちがいに強力でかつ位相のそろったレーザー光が発生するのである。
温度差または汲み上げの強さが一定の値を超えると突然として発生する点が似ているとはいえ、ベナール・セルとレーザー光とはまったくちがった現象のように思われる。しかし最近の研究によって、この二つは実はともに、非線型現象に特有な二つの定常状態の間の転移にほかならないことが明らかにされた。
一見まったく関連がないように見える現象の奥にひそむ本質的な共通点をさぐり出すという理論物理学の仕事がいちじるしい成功をおさめた一つの例である。
物性物理学
――電子と原子核の社会学
すべての物質は原子または分子からできている。その原子や分子はまた電子と原子核とからできているから、物質は結局電子と原子核とから構成されていることになる。実は原子核自身もまたこれ以上分割することのできない最小の粒子ではなく、陽子と中性子とからなっている。しかし、われわれが日常見ている普通の物質の性質を問題にする限りでは、これらが電子と原子核とからできていると考えて差し支えないのである。
ところが、それでは電子や原子核の性質がわかったならぱこれらが造っている物質の性質もすぐにわかるというと、そうは行かない。
実際、物質の性質は複雑多彩であって、到底それらが皆少数の同じ構成要素からできているとは考えられないほどであり、また一つ一つの粒子の性質からは容易に想像できないものである。ちょうど、人間が集団を作ると、一人々々を見ていたのでは思いもよらない行動をすることがあるようなものである。
このことは、数学的には、個々の電子と原子核の性質を記述する方程式がわかれば、これらが構成する物質を記述する方程式は容易に書き下せるが、書き下すのは簡単でも、それを解くことは非常に難しいという事情となって現れる。
この困難を克服し、電子や原子核の性質から出発して、なんとか物質の性質を説明したり予言したりしようとするのが物性物理学である。
多くの困難にもかかわらず、物性物理学は、さまざまな物質のふるまいをたくみに説明したり予測したりすることに成功してきた。その結果現在では、個々の粒子それ自身の性質や構造を研究する素粒子物理学と並んで、物理学の二大分野を作っている。
これは多数の人間の集団の行動を研究する社会学や社会心理学が、一人々々の人間の生理や性質を研究する生理学や心理学などと並んで発達したのとよく似ている。物性物理学はいわば電子と原子核の社会学なのである。
オンパレード
――繁栄するオン一族
金属が電気をよく伝えるのは、それを造っている原子の中の電子の一部分が、原子を離れて自由に走ることができるからである。温度が上がると電気の伝わり方は悪くなるが、これは原子の熱振動のために電子の走るのが邪魔されるからである。
原子の振動は波となって固体の中を伝わるが、一種の粒子と考えることもできる。このときこれをフォノンと呼ぶ。温度が上がるとフォノンが沢山飛び交って、電子がこれと頻繁に衝突するようになるのだ、と考えても、温度が上がると電気が伝わりにくくなる現象を説明することができる。
固体の中を走るのは電子とフォノンだけではない。磁性体の磁性は電子が持っている微小な磁石(スピンと呼ばれる)が皆同じ向きを向くために生じるのであるが、どれか一つのスピンの向きがたまたま変わると、その変わった状態が波となって伝わってゆく。これを粒子と考えて、マグノンと呼ぶことがある。
イオン結晶では、電子自身はイオンにくっついていて走り回れないが、どれか一つの電子がエネルギーの高い状態に移ると、その状態がやはり波となって伝わる。これをエキシトンと呼ぶ。またイオンが振動すると電磁波を発生するから、イオン結晶ではフォノンが純粋に存在できず、電磁波とまざり合ってポラリトンというものになる。
このほか、電子の集団的な振動が疎密波となって伝わるプラズモンや、温度を絶対零度に近づけると電気抵抗がゼロになる超伝導体の中を走るボゴロンなど、種々の奇妙な粒子が固体の理論には登場する。これらは英語で書くと皆語尾にonがつくから、ひっくるめて「オン族」と呼ぶことができよう。
最近の固体物理学の教科書は、これらオン族のオンパレードの観がある。これは、固体の多くの性質が、オン族があるいは単独で走り回ったり、あるいはぶつかり合ったり、またある時は結びつき合ったりするために生じるのであると考えることによって説明できるからである。
物理学と異常心理
――極低温物理学はなぜ盛んになったか
最近は毎年何十という物理学関係の国際会議が、世界のいたるところで開かれる。その規模はピンからキリまであるが、極低温物理学の国際会議は最も大きいものの一つである。一九七〇年秋に京都で開かれたときも、参加者約五〇〇名という盛況であった。
極低温物理学というのは、絶対零度に近い温度で物質がどんなふるまいを示すかを研究する物理学の分科である。戦前はそのような低温を作り出す装置が限られたところにしかなかったために、この分科の研究者の数は十指に余る程度であったが、現在では極低温発生装置がいたるところの研究所や大学にあって、研究者の数も桁ちがいに増えたのである。
しかし、極低温下の物性の研究が盛んになったわけはそれだけではなくて、それが物理学、とくに物性物理学において極めて重要な意味をもつからである。
普通の温度では、物質を造っている原子ははげしい熱運動をしており、これがいわば雑音の役割をして、原子が多数集まるとどういう行動を起こすかを純粋な形で観測することができない。しかし絶対零度に近い低温ではこの雑音がほとんどなくなるので、原子の集団のふるまいが非常にはっきりと見えてきて、その本質がよく掴まえられるのである。
極端な条件を人工的に作り出すことによって、物質の性質のある面が純粋に現れるようにして観測を行うことは、極低温物理学に限った話ではない。超高圧物理学や高温物理学もそうであるし、もっと一般に物理の実験というものは、つねにできるだけ極端な、または簡単な条件の下で観測を行って、物の性質の本質をえぐり出そうとする試みであるということができる。
極端な条件の下ではじめて表に現れてくる人間の深層心理のメカニズムを研究するのが異常心理学であるが、上のような意味で、物理学が他の物理的自然科学の中で占めている位置は、異常心理学が心理学の中で占めている位置に似ているということができよう。
モデル・オモチャ・マンガ
――本質をつかむためのモデル
物質の構造やそれを支配する運動法則をまず仮定し、仮定された構造をもち、仮定された法則に従う物質、すなわち現実の物質のモデルがどんなふるまいを示すかを理論的に計算して、その結果が実験事実と合うかどうかをしらべることによって真の構造と法則を見出す努力をするのが理論の役割である。計算結果がよく実験と合うほど、はじめに考えたモデルは実際の物質とよく似ているわけである。
しかし物質はお互いに複雑な相互作用をしているいく種類もの、またそれぞれが莫大な数の粒子からなっている。したがって何から何まで実際の物質に似ているモデルを作ろうとすると、そのふるまいを計算することがおそろしく困難になる。粗っぽい近似を使えばともかくも結果が出せるが、そうするとその結果が果たしてそのモデルの本当のふるまいを表すのかどうかがあやしくなるから何もならない。
そこで、物質のもつ性質のある一つの側面だけが強調されて現れるような、簡単化されたモデルを使うことがよく行われる。これはモデルというほど実在の物質には似ていないいわばオモチャのようなものである。また理論家が紙の上でもてあそんでたのしむ、という意味でも、しばしばオモチャとよばれる。しかし、うまく作られたオモチャが実物のある側面を実物以上に生き生きと見せてくれるように、上出来のモデルは物質のふるまいの少なくとも一つの側面を非常によく説明し、その底にひそむ法則を、手にとるように分からせてくれるのである。
モデルはまた漫画にも似ている。漫画は現実の人物や実際のできごとそっくりそのままでは決してなく、ずいぶんゆがんだものだが、よい漫画は実にまざまざと実在の人物やできごとの本質をするどくつかみ出して、浮きぼりにしてみせる。傑作な漫画を見るとかっさいしたくなったり、溜飲がさがったりするゆえんである。
理論家の最も大事な仕事の一つは現実の物質のよい漫画を描くことであるといってよいであろう。
スペクトル
――七色の光から数学理論まで
スペクトルという言葉を聞いて、誰もがすぐに思いうかべるのは、太陽の白色光がプリズムを通過したときに現れる七色のそれであろう。
白色光の中には、赤い光から紫色の光までのすべての可視単色光が含まれている。波長によって屈折率がちがうために、プリズムを通るとそれらが分解されて、スペクトルとして見えるようになるのである。太陽光線の中には赤外線や紫外線などの眼に見えない光も含まれているが、それらもやはりプリズムを通ったあとではスペクトルに分解される。
このことは白色光に限った話ではなく、どんな光も、いくつかの、あるいは沢山の単色光からなっていて、そのスペクトルを観測すると、どんな波長の光がその中に含まれているかを知ることができるのである。
物体から光が出るのは、物体がエネルギーの高い状態から低い状態に落ちるとき、あまったエネルギーが光となって放出されるからである。出てくる光の波長はそのエネルギー差によってきまるから、スペクトルを観測することによってどんな波長の光が出てくるかがわかると、光を出している物体がどういうエネルギーをもち得るかがわかる。物体のとり得るエネルギーの値の集まりを、やはりスペクトルとよぶ。
理論的には、物体のとり得るエネルギーは、その物体を支配する方程式に特有な、その方程式の固有値とよばれる数の集まりとして計算することができる。この固有値の集まりも、やはりスペクトルとよばれる。
これをさらに一般化して、別に物体を支配する方程式に限らず、どんな方程式でも、それが固有値をもつならば、その集まりをスペクトルとよぶようになった。こうしてプリズムによって生じる七色のスペクトルとはまったくかけはなれた抽象的な数学の理論に、スペクトルという言葉がしばしば登場するようになったのである。
光学的音波
――音と光のあいのこの話
音も光も波であるけれども、音は媒質の中をその密度の変化が波となって伝わるものであり、したがって真空中を伝わることはできない。それに対して、光は電場と磁場の波、すなわち電磁波であって、真空中でも伝わることができる。つまり、聴覚と視覚とがまったく質のちがった感覚であるように、この二つはまったくちがったたちのものなのである。
しかしながら、それなら音と光はいついかなる場合にもお互いに無関係にふるまうかというと、そうはいかない。
固体の中を伝わる原子の振動も、音波の一種である。イオン結晶のように、正の電荷をもつイオンと負の電荷をもつイオンとが交互に規則正しく並んでいる固体では、正のイオンと負のイオンがいつも互いに逆むきに動くような振動すなわち音の波が存在する。これを光学的音波という。
正の電荷と負の電荷が互いに逆むきに振動すると、電磁波、すなわち光の波が発生する。逆に電磁波がこのような結晶に入ると、正の電荷と負の電荷に逆むきの力が働いて、これらを逆むきに振動させようとするから、光学的音波が発生することになる。つまり光学的音波と光の波とは互いに無関係ではなくて、密接に相ともなうものなのである。このため、どちらかだけが単独に存在することができず、つねに両方がまざり合った、いわば音と光のあいのこの形でしか存在できないのである。
これは実は昔から知られていたことなのである。光学的音波という名もこの性質のゆえにつけられたものなのであるが、レーザー光という強力でしかも非常に純粋な光波が作り出せるようになってから、このあいのこが実際に観測されるようになって、改めて話題になってきたのである。
音や光のほかにも、自然界にはいろんな種類の波がある。それらが互いに混ざり合って生みだす多彩な現象を観測したり、理論的に予言したりするのは、物理学の研究の中でも、きわだって面白いものの一つとなっている。
白い音
――まったくでたらめな雑音
光をスペクトルに分けると、その中にどんな波長の単色光がどれくらいの強さで含まれているかがわかる。単色光とは、一定の波長で規則正しく無限に続く純粋の正弦波で表される光の波である。一般の光はもっと複雑な波の形をしているが、それをいろんな波長をもつ単色光につねに分解することができる。この分解の様子を示すのがスペクトルにほかならない。
光のもつ色あいは、そのスペクトル、すなわちその光がどういう単色光によって構成されているかできまる。太陽の光が白いのは、それがすべての眼に見える単色光を比較的一様な強さで含むからである。
音の波もまた、光の波と同じようにいろんな波長をもつ純粋な正弦波に分解することができる。この分解の様子をやはりスペクトルとよぶ。音の場合、おのおのの純粋な正弦波はいわゆる純音にほかならない。光の場合は波長のちがう単色光が異なる色をもつ光として識別されるのに対して、音の場合には波長のちがう純音は異なる高さの音として聞きわけられる。光の場合と同様に、音のもつ音色は、その音のスペクトル、すなわちその音がどういう純音から構成されているかできまるのである。
白い音というのは、一様なスペクトルをもつ音、すなわちすべての波長の純音を同じ強さで含む音のことで、白色光になぞらえてこうよばれているのである。耳できくと、まったくでたらめな雑音に聞こえるので、ふつう白色雑音とよばれ、これが正式の名前になっている。
音や光以外の波も、またスペクトルに分解することができるが、そのスペクトルが一様であるとき、その波をやはり白色雑音とよぶことがある。その典型的な例は、最も簡単な電気回路の中に自然に発生する電圧の熱的変動である。これを音に直すと、白色雑音を実際に聞くことができる。このほかにも、物理や工学では、いろいろな量の熱的変動に関連して、白色雑音がしばしばあらわれる。
ホスト・ゲスト
――「不純物」か「賓客」か?
結晶は原子が規則正しく並んでできているのだが、すべての原子が一つの例外もなく完全に整列しているようないわゆる完全結晶は自然界には存在しないし、また人工的に作るのもほとんど不可能といってよい。実際の結晶は必ず原子の並び方に乱れがあったり、よそものの原子が入りこんでいたりする。原子の並び方の乱れは格子欠陥、よそものの原子は普通不純物と呼ばれる。不純物に対して本来の結晶をホストという。
ちょっと考えると、少しぐらいの格子欠陥や不純物があっても、結晶全体としての性質はほとんど変わらないように思われる。しかし実は必ずしもそうではない。こういうものがごく僅かあるだけでガラリと変わってしまう性質もかなりあることが、多くの研究者の熱心な研究によって今ではわかっている。
そしてまた、意外なことに、不純物の存在によるこれらの性質の変化は、われわれにとって迷惑であることよりも、ありがたいことの方が多い。その最もよく知られている例は半導体であろう。電子工学の技術で大活躍をする半導体の特有な性質は、たいてい不純物によってひき起こされるのである。
不純物はこのように実際に役立つほか、研究者にとっては研究の題材を豊富に提供してくれる点で大変ありがたいものである。このありがたいものを不純物と呼んで邪魔もの扱いにするのはどうも具合の悪いことだとつねづね考えていたところ、つい最近化学のある分野では不純物のことをゲストと呼ぶことを知ってハタとひざをたたいたことであった。歓迎すべき貴重な存在にふさわしい名前、しかもホストに応じるにゲストとは、名づけ得て妙ではないか。
世界から不純物としてきらわれるもろもろの存在の中には、案外時がたってみればあれはゲストとして扱うべきだったということになるものも混っているのではなかろうか。
頭から不純物ときめつけずに、長い眼で見ることが大切と思われる。
個性と組織
――個性のある振動
なめらかな台の上で、オモリの両側にバネをつけて引っ張り、両端を固定する。オモリを静止位置から少しずらしてから離すと、それは一定の振動数で振動を始める。もしマサツがなければ、これは永久に続くはずである。
今同じ重さのオモリをバネで次々につないでオモリの鎖を作り、両端だけを固定する。この鎖の中では一つ一つのオモリはもはや単独に振動することはできない。鎖全体はいろいろな振動数で振動することができるが、どの振動においても、すべてのオモリが一斉に規則正しく波打ちながら振動するのであって、どれか一つのオモリだけが独立して振動することは不可能なのである。
この事情は重さのちがった二種類のオモリを交互に並べてつないだ鎖においても変わらない。この場合、軽いオモリまたは重いオモリのどちらかだけが一斉に動き、他は静止している振動は可能だが、どれか一つのオモリだけが単独に振動することはやはりできない。いわば、オモリが沢山集まって整然とした組織を作ると、一つ一つのオモリの「個性」が失われてしまうのである。
ところが、二種類のオモリを交互にではなくて多少とも不規則に並べて鎖を作ると事情はちがってくる。このとき、軽い方のオモリの重さが重い方のオモリの重さの半分以下ならば、どれか一つの軽いオモリだけがもっぱら動き、残りのオモリはほとんど静止しているような振動が再び可能になることが知られている。すなわち沢山のオモリが集まっても、その組織が完全な規則正しさから外れていると、十分に軽いオモリは依然として個性を発揮することができるのである。
バネでつながったオモリの集まりの代わりに、互いに引き合いながら結晶を造っている原子の集まりを考えても話は同じで、不規則な結晶の中にある軽い原子は、条件さえととのえば個性的に振動することができる。
人間の集まりに組織はつきものであろうが、あまりにも整然とした組織は願い下げにしたいと思うのである。
表面波と稜線波
――通信手段になる?「稜線波」
同一の原子が規則正しく並んでいる理想的な結晶の中では、どれか一つまたは少数個の原子の集まりだけが振動し続け、その他の原子はほとんど動かないままでいるということは起こり得ない。すべての原子が同じ種類でまたまったく同じ環境の中にいて、互いに完全に同格であるために、少数の原子だけが「抜けがけの功名」をすることは許されない。一つが動けばそれが波となって次々に伝わり、結局全部が動きだすのである。
実在の結晶はしかし、たとえば異種の原子が不純物としてまぎれこんでいるというような不規則性を必ずもっている。こういう結晶ではすべての原子が同格ではないから、特定の原子または原子の集団がまわりとちがったふるまいをすることがあり得る。たとえば、まわりの原子よりある程度以上軽い不純物原子が一つだけはまりこんでいる場合には、この原子だけが振動を続け、あとの原子はほとんど止まったままでいることが可能になる。身軽な不純物原子が一人で踊りだしても、まわりの原子はそれにひきずられずに、どっしりと落ちついているということが起こるのである。こういう振動は、もちろん波としては伝わらない。
規則正しい結晶でも、表面にある原子は片側だけにしか他の原子がないという、内部の原子とはちがった環境にあるから、不純物原子の場合と同じように、表面の原子だけがもっぱら動き、内部の原子はほとんど動かないような振動が起こり得る。ただし表面にある原子同士は互いにまったく同格であるから、そのうちの少数のものだけが振動し続けることはできず、いったん振動が始まると、それは表面上を波として伝わってゆく。これが表面波とよばれるものである。地震のさいに震源から遠いところで観測されるレーリー波はこれの同類である。
同じ理由で、結晶の稜に沿って伝わってゆく「稜線波」も存在することが容易に想像できる。最近実験・理論の両面からそれがたしかめられ、線状に伝わるので新しい通信手段として使えるかもしれないと、話題になっている。
自由端と固定端
――窓側の席か通路側の席か
バネをひっぱってから離すと、ある一定の振動数で規則正しい振動を始める。ただしふつうはマサツがあるから、振動の大きさは次第に小さくなっていって、しまいに止ってしまうが、もしマサツのない理想的な状況に置かれたとしたら、振動は永久に同じ大きさで続くはずである。こういう振動を固有振動という。
バネの場合は固有振動がただ一つしかないが、もっと複雑な物質系、たとえば結晶のような、互いに力を及ぼし合っている無数の原子の集まりなどでは、いろんな振動数で振動する無数の固有振動がある。その振動数がどういうふうに分布しているのかということや、一つ一つの固有振動において、どの原子がどれだけ振れているのか、ということは、物質の性質をきめる大きな因子の一つである。そのため、固有振動の問題は、比較的地味ではあるが、物性物理学の大きな課題として、多数の研究者がこれととりくんでいるのである。
振動数の分布は、結晶の端っこにある原子が何か他の堅い物体に固定されているか、または自由に動けるか、いいかえれば結晶が固定端をもつか自由端をもつかにはほとんど関係なくきまる。しかし、一つ一つの固有振動においてどの原子がどれだけ振れるかは、結晶の端の置かれている条件にかなり左右される。当然のことだが、固定端の場合には端に近い原子はきゅうくつで動きにくいのに対して、自由端の場合には逆で、端に近い原子だけがもっぱら動くような固有振動さえ存在することがある。
劇場や会議場で席につくとき、私はできるだけ片側にしか人のいない端っこの席を選ぶことにしている。こういう席はまさに自由端で、他人に気がねせずに休憩に立ったり中座したりできるからである。航空機や列車の場合には、窓側の席は固定端で、通路側の席は自由端だから、夜乗るときは同じ理由で通路側を選ぶ。しかし昼間は窓外の景色を楽しみたいから窓側に座る。景色を楽しむという立場からはむしろ窓側の方が自由端で、通路側の方が固定端だから。
ソリトン
――ウエットな自然界の現象
水面に小石を二つ投げると、それぞれの落ちた場所から波が円形に拡がって、やがてぶつかる。しかしぶつかってもそれらは邪魔し合わず、ただ単に重なり合うだけで、何事もなくすれちがってゆく。見知らぬ他人同士が街で出会っても、素知らぬ顔をしてすれちがってゆくようなものである。このような場合、波動現象は線型であるという。線型な現象の世界はドライであって、波と波が出会っても互いに我関せず焉《えん》で過ぎ去ってゆくのである。
これに対して、波と波が出会うと、互いに影響を及ぼし合って、まったく別の波を造ったり、すれちがったあとでは前とちがった波になったりするとき、その波動現象は非線型であるという。水面の波の場合にも、波の振幅がある程度以上大きいときには、その伝わり方は非線型になる。非線型な現象の世界はウエットであって、波と波が出会うと腕を組んで一緒になったり、いさかいを始めたりするのである。
自然界には非線型な現象が多いので、その研究は重要である。人間界でもウエットな感情がからむと問題の解決がややこしくなるように、非線型な現象はとり扱いが格段に面倒なので、理論物理学でもとかく厄介者にされがちである。
ところが最近非線型な場合にも、特別な形をもつ波は互いにかかわり合わずにあっさりすれちがうことがあるということが発見されて話題をよんでいる。これをソリトン(孤立波)という。ウエットな社会にも時たま孤立主義を標榜するドライな変わり者がいるようなものである。
ソリトンが伝わる様子をコンピュータで計算し、それを映画にしたものが一九六八年に京都で開かれた国際統計力学会議で上映されたが、この変わり者の行動がナマナマしく印象づけられ、極めて興味深いものであった。
この種の研究は困難な割に地味であり、ソリトンの発見も学界のごく一部で注目されているだけであるが、非線型現象の研究史上画期的な重要性をもつのである。
常 識
――危険な常識的予想
結晶にある特定の波長と進行方向をもつX線をあてると、結晶面によって強く反射される。これをブラッグ反射という。結晶面は鏡のような平らな面ではないが、規則正しく並んだ原子の一つ一つによって散乱されたX線のうち、特別な方角に向うものだけが干渉によって互いに強め合うためにこういうことが起こるのである。
ブラッグ反射は電子のような物質波や、結晶の中の振動の波などに対しても起こる。特定の波長と進行方向、したがって特定のエネルギーをもつ波は、ブラッグ反射のために、結晶の中を伝わることができない。このために、自由な空間を走る波はすきまなしにどんなエネルギーをももつことができるのに対して、結晶中を伝わる波のもつことのできるエネルギーには、いくつかの「すきま」ができることになる。
この現象は原子が規則正しく並んでいるために生じたものであるから、常識的に考えると、結晶が乱れて、原子の並び方がでたらめになると、エネルギーのすきまはなくなってしまうように思われる。理論的な計算も、この予想を裏書きするように見えた。
ところが、十五年ほど前にイギリスのディーンという学者が、電子計算機を使って、乱れた結晶の中の振動の波のエネルギーを計算してみたところ、予想に反してエネルギーのすきまは残り、しかも規則正しい場合よりはるかに多くのすきまができることさえあることがわかった。
この結果に刺激されて、幾人かの理論物理学者が、それまでにあった理論とまったくちがった新しい理論を創りだすことに努力しだした。その結果、ディーンの数値計算の方が正しいことが証明され、十五年前の常識は完全にくつがえされてしまったのである。
ディーンが常識的な予想で満足していたならば、またもしそれを疑っても電子計算機がなかったならば、我々は依然として古い常識にしがみついていたにちがいない。
虚と実
――職業生活と家庭生活
虚数とは自乗すると負になる奇妙な数で、その名は実在しないまぼろしの数を意味するが、実はまぼろしどころか、実数に劣らず役に立つ便利な数である。実数と虚数とを加え合わせて複素(コンプレックス――複雑な)数を作り、この複素数の関数で、それ自身また複素数であるいわゆる複素関数を使って理論を立てたり計算したりすると、実数関数の世界でそれをやるよりもはるかに簡単かつエレガントにできるということがしばしばあるのである。このため、実関数の理論というのは物理学でもめったに使われず、もっぱら複素関数の理論が非常に便利な道具として活用されている。
単に簡単かつ便利なばかりでなく、複素関数の実数部分も虚数部分も、そして複素関数自身もまた、物理的な実在を見事に表現することが多い。
その最も端的な一例をあげてみよう。一つの複素数は複素平面上の一点に対応する。平面の上の一点はまた、座標原点からその点までひいた矢印、つまり大きさと向きとをもったベクトルとよばれる量と対応する。つまり一つの複素数は平面上の一点を表すと同時に一つのベクトルを表す。複素関数は、一つの複素数を他の複素数に対応させるものであるから、はじめの複素数は平面上の点を表し、あとの複素数はベクトルを表すと考えると、それは平面上の一つのベクトル分布、たとえば川の表面における水の流速分布や、二次元的な電場などを表すことになる。一方この複素関数の実数部分と虚数部分は、それが表している流速分布または電場のポテンシャルおよび流線という、はっきりした物理的な意味をもつ量を表すことが知られている。複素関数がベクトル分布全体を、その実数部分と虚数部分が、その分布の重要な二つの側面を表しているというわけである。
人生でいえば、一人の人物全体は一つの複素関数、彼の公的な職業生活はその実数部分、私的な家庭生活または趣味生活はその虚数部分(それともその逆?)のようなものであろうか。
負の温度・虚の温度
――無限大の温度とは?
摂氏マイナス二七三度より低い温度は存在しないことが知られている。この温度が零度になるように、目盛りを摂氏目盛りより二七三度下にずらした温度を絶対温度という。
これに対して、高い温度の方は限度がない。絶対温度零度では物体は確実に最も低いエネルギーの状態にあるが、温度が上がると、より高いエネルギーの状態にある確率が大きくなって、平均のエネルギーが増える。しまいにどのエネルギーの状態にある確率も全部等しくなったとき、絶対温度は無限大になるのである。
高いエネルギーの方が低いエネルギーよりも大きい確率をもつようになった状態は、無限大よりも更に温度が高いはずであるが、不安定であるために、自然界には存在しない。しかし近年、巧妙な手段によって、人工的にそういう状態を作り出すことができるようになった。そのときの温度を理論的に求めると、マイナスの無限大から始まって零に至る負の値をとることになる。つまり負の温度の方が正の温度よりも高く、しかもプラス無限大からマイナス無限大へ突然飛ぶということになるのである。
この不都合をなくすためには、絶対温度の逆数に負号をつけたものを新しい温度にすればよい。すると絶対温度零度はマイナス無限大となり、絶対温度がプラス無限大からマイナス無限大へ飛ぶところは零度となって、その先が正になる。しかしこうすると今度はわれわれが日常出会う温度がマイナスになってしまう。そこで絶対温度の対数を新しい温度とすると、絶対零度がマイナス無限大、絶対温度一度が零度になるから、この不便は解消するが、今度はその代わり負の絶対温度に対応する温度が虚数を含むことになる。
あちらを立てればこちらが立たず、甚だ具合が悪いようだが、要は慣れであって、理論的にはどの温度目盛りを使っても少しも差し支えはおこらない。高々、どの温度目盛りを使うのが数学的なとり扱いをするさいに一番便利かということが問題になり得るだけなのである。
原点と目盛り
――旅行者泣かせだった英国通貨
今は十進法に切り変わったが、少し前までは英国の通貨は一二ペンスが一シリング、二〇シリングが一ポンド、そのほかに二一シリングが一ギニーという半端な単位もあるという複雑なもので、旅行者泣かせであった。私が英国に滞在していたころはまだ古い制度の時代であったが、当時の為替レートでは、たまたま一ポンドがちょうど一〇〇〇円、一シリングが五〇円というきりのよい換算率になっていて、おかげで慣れるのが早かった。しかし、帰ってきてからはポンドが切り下げになったりしたため、たちまちまたピンとこなくなってしまった。
英国では今でも華氏の温度が日常使われている。これが貨幣よりもっと困るものであった。貨幣の方はお金の値打ちをはかる原点がゼロにきまっていて、あとの目盛りのきざみ方がちがっているだけだからまだよいが、摂氏と華氏とでは原点と目盛りの両方がずれているから始末が悪く、暑い寒いの話のさいには、しょっちゅう戸惑わされたのであった。
物理屋は摂氏温度より二七三度だけ低い方にずれた、摂氏マイナス二七三度が零度になる絶対温度という温度目盛りをよく使う。これは摂氏マイナス二七三度より低い温度がこの世に存在しないことがわかっていて、したがってここが絶対的な温度の原点となるからであるが、これと日常使う摂氏温度とのきりかえは、原点がずれているだけだから簡単で、さして不便は感じない。
目盛りは同じで原点だけがちがう点ではこれと同じだが、その原点がたびたび変わるので具合がわるいのは元号を用いる年代の数え方である。その点西暦の方は原点が動かず、また世界中に通じるので便利である。私なども西暦を常用しているが、公式の文書などで昭和の年号を用いなければならないときはいつも戸惑って間違える。明治・大正にさかのぼるときはいちいち指を折って数えたり、対照表の厄介になったりしなければならない。元号にももちろん意義はあるであろうが、西暦の使用もそれと平行して公にみとめてほしいと思うのである。
句読点・符号・遺伝子
――コンマと符号に御注意!
句読点の打ちどころには気をつけよという警句を兼ねる笑い話のタネに、「フタエニマゲテクビニカケルジュズ」とか、「カネオクレタノム」というような電報文がよくもち出される。電報文では短い文章の中に沢山の意味を含ませようとする結果、いわゆる冗長度が小さくなって、ちょっと間違えたり点の打ちどころをちがえるだけでまったく別の意味になってしまうということが、ふつうの文章よりはるかに起こりやすいのである。
われわれ物理屋が使う数式も、コトバでいい表そうとすると千万言を必要とする内容を、一行か二行でいい表すための道具であるから、電報文と同じことがしばしばもっと極端な形で起こる。波動の伝播を記述するのは波動方程式とよばれる微分方程式であるが、この方程式のどこか一ヵ所でプラスかマイナスの符号を間違えると、とたんに波動を記述する方程式から、静的な力の釣り合いを記述する、まるで違った内容をもつ方程式になってしまう。また、すべての物質粒子はフェルミ粒子とボーズ粒子というふるまいのまったくちがう二種類の粒子に分類されるが、平衡状態でのこれらの粒子のエネルギー分布を表す式は、ただ一ヵ所符号がちがうだけである。それゆえ、これを間違うと大変なことになるのである。
分子生物学によると、一人々々の人間の性格のちがいは、基本的には遺伝子の中の分子の配列のちがいに帰着されるのだそうである。将来遺伝子が合成できるようになったら、遺伝子の中で分子が作っている「文章」におけるコンマの打ち方が、重大な意味をもつことになるかもしれない。
近頃は電報がめったに使われなくなり、これはまた冗長度がやたらに大きく、いい直しや繰り返しのきく電話にとって代わられたから、電報の笑い話ももうしばらくたつと意味が分からなくなって忘れられてしまい、その代わりに遺伝子の中の原子の配列が笑い話に登場するようになるかもしれない。それが人類にとって幸いなことかどうかはわからないが。
射 影
――フィルターの操作
旧東海道線の上り電車に乗ってボンヤリしていたら、「フジサワ、フジサワーでございます」という車内アナウンスとともに電車がホームに止まり、やがて発車した。ところが次の駅に近づくと、ふたたび「次はフジサワ、フジサワー」というアナウンスが聞こえてきて、一瞬耳を疑った。駅に着いてから駅名標を見たらそこが藤沢で、前が辻堂。前のアナウンスは「ツジドー」と言っているのが「フジサワ」と聞こえてたのだとわかった。茅ヶ崎の次は藤沢だとカンちがいをして考えていたので、アナウンスまでがそう聞こえたのである。
人間の感覚はまったくたよりないもので、自分がこうと思いこんでいると、まったく別のことを人が言ってもそう聞こえてしまうことがあるのである。少々ペダンティックにいえば、「ツジドー」という音声に含まれている周波数成分のうち、「フジサワ」という音声に含まれている成分と共通のものだけを拾い出し、あとは捨ててしまうというフィルターの操作が、脳ミソの中で無意識のうちに行われていたということであろう。数学や物理ではこういう操作を「射影」という。
地図は三次元の空間の中の物体の配置を二次元の平面の上に描いたものであって、地図を作るということは物体のもっている位置と高さという二つの成分のうち、高さという成分を捨ててしまう一つの射影操作にほかならない。ただ地図の場合には、実際には存在しない等高線という曲線、あるいはボカシとかケバとかを用いて土地の起伏を表現することができ、それによって、射影操作によって失われた情報を補っているから地図として役に立つのである。等高線もケバもない地図を見て、土地の様子が立派に描写されているとは誰もいわないであろう。
しかし地図以外の場合には、知らず知らずにひどい射影操作をやっていながら、それが真実そのもの、あるいはその忠実な反映であると主張していることが多いのではないかなと電車にゆられながら考えたのである。
切りすてごめん
――理論の宿命
学生の頃、ラジオ技術をマスターして実験物理をやろうと志したことがあったが、あっけなく挫折してしまった。
ベテランの先輩が、こういう回路を組めば、ここに電圧をかけるとここにこれだけ電流が流れ、したがってこういう働きをその回路はするはずだ、と考えながら設計しているのを見よう見まねでやってみた。しかし、私が考えると、一ヵ所にかけた電圧が回路の至るところにくまなく影響を及ぼし、それが最初加えた電圧にはねかえってきて、収拾がつかなくなるのが常だったのである。
くまなくゆきわたる影響を全部もれなく考えに入れようとするからいけないので、わずかな影響は切り捨て、主要なものだけをとり出して考えなければならないのである。
こまかい影響まで全部考慮に入れた電気回路の方程式をたてることはやさしいのだが、それをちゃんと解くのは極めて難しい。ベテランの頭はそういう難しい問題を、本質的でない部分を手ぎわよく切り捨てることによって簡単に解いてしまうことができるらしかったが、私にはそれがどうしてもできなかったのだ。
そんなわけでラジオ技術はあきらめて理論に転向したのだが、実は理論でもやはりうまく切り捨てる手腕がモノをいうのである。理由はまったく同じで、方程式をたてるのは比較的やさしいが、それを厳密に解くのは難しいからである。しかし場合によっては、うまく切り捨てたつもりでもおそろしく誤った結果が出ることがあるから、できるだけ切り捨ての少ない理論を作ることもまた重要である。それが結局私の主な仕事になった。
それにしても、まったく切り捨てのない理論を作ることはほとんど不可能に近い。小さいと思って切り捨てた部分が反逆する可能性は常に残っているのである。これは理論というものの宿命であり、理論を使うときには常に謙虚でなければならないゆえんであろう。
何れにせよ、切り捨てごめんは困るのである。
数 式
――数式アレルギー
吉田洋一氏の戦前の随筆に、こんな話が書いてあった。
ある役所で貯蓄組合を作ったとき、ある人が、月給x円の人はx2/10,000円を積み立てることにしたらどうか、と提案したところ、会計係が式をよく見もしないで猛烈に反対した。理由をきくと、式などというむずかしいものは困る。月給何円から何円までは何割何分というように、階級別に率をぎめてほしいという。そこで、実際にこの式を使って各人の積立額を算出してみせたら、またたく間にできてしまって、会計係もそんな簡単なこととは知らなかったと降参した、と。
今ではこんな極端なこともなかろうが、数式(数学)に対する一般のアレルギーは依然として解消にはほど遠いようである。自然科学の中では最も数学に近い物理をやっている人達の中にさえ、数学とは必要悪としての道具にすぎず、物理の真髄は数式とは別のどこかにあると考えている人がいる位である。
たしかに、新しい物理法則を見出すためには、数式を離れた奔放なイマジネーションと思考の飛躍が不可欠である。しかし、一たん法則をたててしまえば、それは数式としてしか表現のしようがないものであり、数式そのものが物理法則である。その内容を言葉でいい表そうとすれば、千万言を費やしてもなお足りないであろう。式によって物事が簡単になること、積立金の計算の比ではないのである。
一つ一つの物事が簡単になるばかりでない。あたかも地上にいたのでは分からない複雑な地物間の相互関係が、空から見下ろすと一目瞭然となるように、数学を使うと、雑多な現象の間の関連が、スッキリと見通せるようになるのである。
数学は物事を難しくするのではなく、むしろ易しくするのである。理論物理の主な仕事の一つも、数学によって自然現象の理解をできるだけ「易しい」、見通しのよいものにすることである。頭のかたい会計係を降参させてよろこぶのは人がわるいが、数学者や理論物理屋にはこたえられない誘惑なのである。
思いなおし
――無心と執着
ななめ上から階段を見下ろしたところだと思って眺めているうちに、突然ななめ下の裏側から階段を見上げた図に変わってオヤッと思う種類の絵が、パズルの本などによく描かれている。
同じ長さの線が、矢印のつけ方によって長く見えたり短く見えたりすることを示す絵もおなじみである。これが錯覚によるものであるのに対して、階段の絵が二様に見えるのはもちろん両方とも真実であって、錯覚ではない。しかし、これは階段を見下ろした絵だとはじめに思いこんで、それに執着していると、いつまで見つめていても裏から見た絵にそれが変わることはないであろう。無心に見てはじめて二通りに見ることができるのである。
同じものを二通りあるいはそれ以上に見ることができるという場合は、数学や物理でもしばしば出てくる。たとえば九個の数を横三列、縦三列のゴバンの目のように並べたものを三次元の行列というが、これは三つの数を縦に並べてできる柱を横に三本並べたものだと思うこともできるし、また三つの数を横に並べてできる梁を縦に三本並べたものだと思い直すこともできる。
そんなことはどっちだっていいではないかといわれそうだが、実はこのような思い直しをすることによって、一次方程式に関する基本的な定理を簡単に証明することができるのである。
このほかにも、同じことをいく通りかに「思い直す」ことによって、重要な定理が証明できたり、一歩進んだ理論的視野が開ける例は、枚挙にいとまがない。物理でも、一つの現象を今までと別の角度から眺め直すことによって、現象間のかくれた関連が見出され、思いもよらぬ新しい展望が開けることが多い。
物ごとを無心に眺めて、いろいろな思い直し方を発見する能力が、物理や数学の研究では大きくモノを言う。それと同時に、普通なら見すごしてしまう一見どうでもいいようなちがいに着目して、それの意味や使い方をねばり強く考える執着心も、また研究には不可欠である。無心と執着。この相反する資質が研究者には要求されるのである。
無限次元のミステリー
――皮ばかりのミカン
われわれが住んでいる世界は、その中のすべてのものが高さと幅と奥行きをもついわゆる三次元の空間である。平面の中に住んでいる人間がいるとしたら、その人間にとってはすべての物体は幅と奥行きしかないであろう。同様に、直線は一次元の空間であって、その中ではすべてのものは奥行きしかもたない。
数学者や物理学者は三次元よりもっと次元数の多い空間を自由に考えて、いろんな理論を作る。そのような高次元の空間を具体的に頭に描くことは難しいが、三次元空間からの類推と論理とにたよって抽象的に構成するのである。空間の次元数が多くなっても、大ていの物事は三次元空間におけるのと大して変わらないが、非常に奇妙なことも起こってくる。
半径五センチで皮の厚さが五ミリのミカンの皮の体積はミカン全体の体積の約二割七分である。これに相当する幅五ミリの皮(へり)をもつ半径五センチの二次元のミカンでは、皮の面積の全体の面積に対する割合は約一割九分である。一次元のミカンではこれが一割ちょうどとなる。
これからわかるように、次元数が多くなるほど皮の部分の占める比率が大きくなってゆき、無限次元の空間では遂に中身が皮に比べて無限に小さくなってしまうのである。無限次元の世界に人間が住んでいたとすれば、それは皮ばかりの無気味な人間なのである。
このような怪奇な空間を考えることは机上の遊戯、ないしは単なる仮構にすぎないと思われるかもしれない。しかし相対性理論が教えるところによると、われわれの住んでいる世界自体がすでに、空間の広がりのほかに時間の広がりをもった四次元の空間であると考えなければならないのである。
五次元以上の空間は、そのような直接的な実在ではないが、物理の理論を構成するには、多次元の空間を考えることが、ほとんど必然的に要求されるのであって、ある意味では実在ともいえるのである。
数理のつくもの
――さまざまな数学の応用
担当している講座の名前が数理物理学であるために、数理物理学者という肩書きをつけられることが時々ある。私がもっぱら研究しているのは固体の理論と統計力学であって、厳密な意味で数理物理学とはいえないのだが、これらの中では比較的数学的な面をつついているから、まあ当たらずといえども遠からずだろうと思っている。
それはさておき、昔は「数理」のつく学問分野は数理物理学と、地図の投影法をもっばら研究する数理地理学ぐらいしかなかった。戦後は、数理経済学という名をしばしばきくようになり、最近では数理生物学とか数理言語学とよばれる分野も誕生して、それぞれの専門雑誌が発行されるようになった。さらに、数理的なとり扱いが多少とも発達しているいろんな自然科学、社会科学の分野の総称として、「数理科学」という呼び方が人口に膾炙《かいしや》するようになってきた。
数学というものは、表面複雑にからみ合って手のつけられないように見える自然現象や社会現象の奥にひそむ法則性を抽出し、それを数式の形にして非常に簡潔に表現し、物ごとの本質がすっきり見通せるようにする点で有用なものである。数学が多くの分野に応用されるようになって、さまざまな現象の本質が明らかにされるのは非常に有意義なことであろう。
しかし反面、現象の奥にひそむ法則性を純粋な形でとり出すためには、余計な複雑な因子を切り捨てて、物ごとを単純化することがどうしても必要である。この切り捨てられた因子がモノをいう場合もまたしばしばあることを忘れてはならないであろう。さらに、きれいな理論を作ることがあまりにも魅力的であるために、ついつい単純化が行きすぎ、現実ばなれのしすぎた理論が、単に形式的に美しいというだけで大手をふって通用してしまう、という危険性もないわけではない。
何でも数理のまないたにのせることを無条件に讃美することはできないのである。
暗箱理論
――未知なるものへの打診的対話
はじめて会った人と話すとき、われわれはまずいろんな日常的会話から始め、相手がどういう話題にどういう反応を示すかを見て、その人の気心を知ろうとするのが普通である。組手の脳を分析してその構造をしらべることができない以上、これより他に方法はないであろう。
物質の性質を研究する場合にも、その原子的な構造がわからないとき、またはある程度わかっていても、それから理論的にその物質の性質を導き出すのが難しいときには、これと同じように、外からいろいろな力を加えてみて、その反応をしらべる、という方法が使われる。物質の内部構造を一応不問に付して、いわば中が真暗で何が入っているかわからない箱のようなものとしてとり扱うので、こういうやり方を「暗箱の方法」と呼ぶ。
外から加える力としては、力学的な力のほか、電磁気的な力すなわち電場や磁場、熱力学的な力すなわち温度差や濃度差など、種々のものを考えることができる。これらに対する物質の反応を一般に「応答」と呼ぶが、これも力学的な変位のほか、電気分極、磁化、熱の流れなど、いろいろの形のものが現れる。一種類の力に対して一種類の応答だけが現れるのではなく、たとえば力学的な力を加えると力学的な変位のほかに電気分極も現れる(ピエゾ電気)、というように、一般に一種類の力を加えても、多種類の応答が現れる。もちろん幾種類かの力を同時にはたらかせることもできる。一般の力と、それに対する一般的な応答との間の関係を系統的に論じて、暗箱の方法に理論的な基礎を与えるのが「暗箱理論」である。
暗箱理論は物質の原子的構造に直接は触れないいわゆる現象論である。とはいっても原子的構造を知る上に、または原子的構造とその物質の性質との結びつきを明らかにする上に重要な手ががりがこれから得られるので、未知の人との打診的対話と同じく、欠くことのできないものであり、物理学のいたるところで使われてその威力を発揮している。
プラズマ振動
――集団運動と遮蔽《しやへい》
金属の中には原子核から離れて自由に動くことのできる電子が多数存在しており、電場をかけると負の電荷をもつこれらの電子が動くために、電流が流れるのである。電子と電子との間にはクーロン力が働いている。クーロン力という力は、電子同士が遠ざかっていってもあまり急激には弱くならない力であるから、おのおのの電子の運動はそのすぐまわりの電子ばかりでなく、遠くにある電子からの影響をも強く受けて、いちじるしく制約されたものになるはずである。
しかし実際には、金属の中の電子は、すぐ近くにある電子以外の電子の影響はほとんど受けない。この理由は次のようである。電子同士は互いに反発し合うから、一個の電子があると、他の電子がそのまわりから遠ざかって、そこの電子密度を小さくしようとする傾向が生じる。金属は全体として電気的に中性であるから、電子の密度が小さくなったところは正に帯電する。電子のまわりのこの正の電荷が、電子の電荷を「遮蔽」して、他の電子に及ぼす力を小さくするのである。
もちろん正に帯電した場所ができれば、これが電子をひきよせて、電荷の分布をもとにもどそうとするが、力あまって余分の電子までひきよせてしまい、今度はそこが負に帯電してしまう。するとよその場所が正に帯電して、集まりすぎた電子を引きもどす力が働く。こうして電荷の密度の、プラズマ振動とよばれる振動が発生する。
プラズマ振動は多数の電子が一団となって行動する運動であって、いわゆる集団運動とよばれる運動様式の一つである。プラズマ振動のために、結局一つの電子のまわりが正に帯電するのと同じ効果が生じて、遮蔽がおこるのである。
言葉を変えて、遠くの電子の間に働く力は電子の集団的な運動を発生させるのに使われてしまって、個々の電子の間には、短い距離までしか届かない力だけが残るのである、といってもよいであろう。
擬ポテンシャル
――みかけは浅い落とし穴
野原の真中におとし穴があっても、走っていって穴の直前で気がつけば、はずみをつけてそれをとびこえることができよう。しかしはずみをつけても力が足りなければやはり穴に落ちるであろうし、とびこえることができても、向こう側に渡ってからの走り具合は、落とし穴にぶつかる前とはちがってくるであろう。
大勢の人が穴に向かって走って行ったとき、穴に落ちた人のことは問題にせず、穴をとびこえることができた人の走り具合が、穴にぶつかる前とどれだけちがったかということだけを見ていれば、穴ではなくて、高々浅い窪みぐらいしかないように多分見えるであろう。つまり穴をとびこえた人々だけを問題にするかぎり、落とし穴を浅い窪みにおきかえてもさしつかえない、ということになる。
落とし穴とは重力ポテンシャルが突然低くなるところ、すなわちポテンシャルの深い窪みであり、浅い窪みは文字通りポテンシャルの浅い窪みである。深い窪みをとびこえてきた人々の窪みの前後での走り方の変化、すなわち状態の変化だけを問題にする限り、深い窪みを浅い窪みで代用してもよいのである。
このような考え方は、理論物理学でよく用いられる。粒子が飛んで来て他の粒子の引力ポテンシャルの中に入ると、そこに捕獲されてしまうか、散乱されて進む方向や状態が変わる。ここで捕獲されてしまうものを問題にせずに、散乱されたものだけに着目するときには、本当のポテンシャルをそれよりずっと浅いポテンシャルで代用することができる。この代用ポテンシャルを真のポテンシャルに対して擬ポテンシャルという。
どういう擬ポテンシャルを用いればよいかは大きな問題であって、深い理論的考察を必要とするが、いったん擬ポテンシャルが求まれば、散乱による状態の変化の計算がいちじるしく簡単になるので、この考え方がしばしば用いられる。また無数の原子が集まってできている固体や液体の中の電子のエネルギー状態をしらべるのにも、擬ポテンシャルの考え方が有用である。
繰り返しの方法
――繰り返しも使い方次第
物理学でよく使われる近似計算法の一つに繰り返しの方法というのがある。求めたい未知関数を数ヵ所に含む方程式があるとしよう。それをまともに解いて厳密な解を求めるのは至難であるが、どこか一ヵ所の未知関数を既知関数でおきかえれば簡単に解けるという場合がよくある。このようなとき、まずこの既知関数として、未知関数に当たらずとも遠くはないと思われる関数を選んで方程式を解く。こうして得られた解で未知関数を置きかえた方程式を次に解き、得られた解をふたたび未知関数の代わりに用いて方程式を解く……という手続きを何回も繰り返せば、繰り返すたびに解は厳密な解に近づき、好きなだけ正しい解に近い解を求めることができるだろう。というのが繰り返しの方法の思想である。
天才が現れて、正しい解をいっぺんに求める方法を発明してくれない限り、われわれ凡庸な研究者は根気よく繰り返すというこの方法にたよらざるを得ない。またありがたいことに、実際上はせいぜい二、三回この手続きを繰り返せば十分役に立つ結果が得られる場合が多いのである。ただし、この方法が常にうまくゆくとは限らず、間違った結果や意味のない結果が出てくることもあることには注意しなければならない。それは、繰り返せば繰り返すほど正しい解に近づくことが、いつも保証されているわけではないからである。
講義ノートをほとんど見ずに、複雑な式を宙《そら》で黒板に書きながらどんどん講義を進める人を見ると、まったく感嘆してしまう。記憶力の悪い私には逆立ちしてもそんな天才的芸当はできそうもないから。しかしその私でも、同じ科目の講義を数年続けると、三分の一位の数式はけっこう宙で書けるようになる。凡庸でも繰り返せばそれだけのことはあるのである。しかし自分一人、または仲間うちのせまい考えをせまいサークルの中で反復して、ますますそれにこり固まってしまうのなどは、繰り返しが悪い結果をもたらす例であろう。
無矛盾の方法
――矛盾がないことは十分条件ではない
初めて会う人と、これからうまくつき合おうと思ったならば、その人がこちらがどう出た時にどう反応するかを見て、その反応が自分にとって快いものであるように、自分の出方を調節するように心がけなければならない。相手から見てもまったく同じことで、つまりお互いにお互いの言動が相手にとって快いものであるようにふるまわなければならない。いいかえれぱ、互いの行動とそれらが行きちがわない、または矛盾し合わないようにきめるのである。
互いに影響を及ぼし合いながら運動する沢山の粒子がある場合に、一つ一つの粒子がどのようにふるまうか、ということをきめる方程式をたてるさいに、これと同じ「無矛盾の方法」を用いることがよくある。すなわち、一つ一つの粒子のふるまいをまず仮定し、それが互いにどういう影響を与えあってその結果互いのどういうふるまいをひき起こすか、ということをしらべ、その結果がはじめに仮定したふるまいにちょうどならなければならない、ということを方程式で表すのである。これを解けば、互いに矛盾しない一つ一つの粒子の行動が求まることになる。
無矛盾の方法は理論物理学においてよく使われる有用な方法であるが、いつも正しい結果を与えるとは限らない。論理的には矛盾がなくても、前提に誤りがあれば正しい答えは当然得られないし、方程式をたてるときにどういう要因を考慮に入れ、どういう要因を小さいとして切り捨てるかによっても答えは変わってきて、切り捨て方を誤ればやはり正しい答えは得られない。人間の場合でも、関係者の間では意気投合して矛盾がなくても、協力して悪事を働いたり、無意識のうちに他人に迷惑を及ぼしたりすることがあるようなものである。
無矛盾であることは理論が正しいための必要条件ではあるが、決して十分条件ではないのである。極めて当然のことであるにもかかわらず、このことはしばしば忘れられがちであるから、用心に越したことはない。
鞍点法
――幽霊峠を登るなかれ
光のスペクトル、すなわちどんな波長の光がどれだけの割合でその中に混っているかを調べるのには、いろんな手段があるが、回折格子はその一つである。
これは、金属またはガラスの板に、一ミリの間に何百本というごくこまかい溝を引いたもので、回折現象によって、違った波長の光が違った方向に反射されるために、スペクトルが観測されるのである。
この溝を引く作業は非常に困難な仕事で、熟練した技術者がやっても完全に等間隔に線を引くことはむずかしく、どうしても狂いが生じる。そのために、実際には存在しない波長の光が、あたかも実在するかのように観測されてしまうことがある。これをゴースト、すなわち幽霊とよんでいる。
これは実験物理の話だが、理論物理でも似たようなことがときどき起こる。計算したい物理量がある種の関数の積分で表されるときによく用いられる鞍点法という方法がある。複素平面の上でのその関数の値の分布がちょうど馬の鞍あるいは峠のような形になるところをさがし、そのうちのいちばん険しい峠を上り下りする路に沿って積分すると、計算が非常に簡単になることを利用する方法である。
鞍点法は非常に有力な方法で、しばしば利用されるが、たとえば温度をいろいろ変えて同じ物理量を計算したい場合に、うまく峠がみつかったからと思って安心して、あとは機械的にただ温度を変えていると、いつの間にか使っている峠よりもっと険しい峠が全然別のところに出現しているのに気がつかないで計算を続けていたりすることがある。つまり相手にするべきでない幽霊をいつの間にか相手にしているわけで、もちろん間違った結果しか得られない。
行きつかむ峠は遠く途中にはお化けの出るかもしれぬ森あり
すぐれた数理物理学者であられる東北大学の桂重俊博士の作である。御用心、御用心。
表空間と裏空間
――ホンネとタテマエ
タテマエとホンネということがよく言われる。みんながホンネばかりむき出しにしたのでは社会生活を円満にいとなむことはできないからタテマエが必要だが、しかしタテマエにあまり忠実であっても人間関係が硬直するばかりでなく、第一自分自身がやり切れない。タテマエとホンネをほどよく使い分けることは難しいことだが、やはり大切なことであろう。
数理物理ではオモテの空間とウラの空間というものをよく使う。三次元空間の中の勝手な点は、ある座標軸に関するその三つの座標を与えればきまる。座標軸としては普通互いに垂直に交わるものをとるが、斜めに交わる座標軸をとることもできる。また座標を測る単位は通常どの軸に沿っても同じにとるが、これも軸ごとに単位を変えても差し支えない。わざわざそんな面倒なことをする必要はないではないか、と思われるかもしれないが、物理ではユークリッド空間のように素直でない、へしゃげた空間や曲がった空間をとり扱わなければならないことがしばしばある。たとえば結晶は、まったく同じ形をした小さな結晶細胞が規則正しくつみ重なってできたものであるが、結晶細胞は立方体とは限らず、直方体ですらないことが多い。そんなときには、細胞の稜に沿った、互いに直角に交わらない斜交座標軸を使う方が便利なのである。
ところで、斜交座標軸の場合には、普通の座標と、これと対をなすもう一組の別の座標を導入すると非常に具合がよい。たとえば、座標軸のとり方によって変わらない量を座標によって表す式は、これらの一対の座標を使うと、片方だけを使ったときに比べて、はるかに簡単になる。この場合、普通の座標を使ったときに、今考えている空間をオモテの空間といい、もう一組の座標を使ったときにそれをウラ空間というのである。
オモテの空間とウラの空間とはもともとまったく同じ空間なのだが、ちょうど社会生活におけるタテマエとホンネの使い分けのように、どちらの座標を使うかによって同じ空間を別々の空間であるかのように使い分けると話が非常にうまくいくのである。
初期条件
――第一印象がまず肝心
私が学生時代に指導を受けた故今堀克巳先生は、専門は音響学であったが、視野が広く、また本来実験家であったが、雑多な現象を統一的な立場から考察しようとする傾向の強い、むしろ理論家肌の方であった。指導者としては自由放任型で、直接こういうことをやってみよ、と具体的に指示されたことはほとんどなく、ずいぶん気ままな勉強をさせていただいたものである。
先生がなくなられてから、私はだんだんその専門からはなれていって、結局まったく思いもよらなかった分野を専門とするようになってしまった。しかし、時々静かに考えてみると、対象こそちがうけれども、それをとり扱う方法や、仕事をするときの発想には、先生の影響が驚くほど強く残っていることに気がついて愕然《がくぜん》とするのである。
物体の運動は、それが古典力学のニュートンの方程式にしたがうにせよ、量子力学のシュレーディンガー方程式にしたがうにせよ、最初の時刻におけるその状態を与えれば、途中でよそから妨害が入らないかぎり、遠い未来に至るまで、ピタリときまる。運動をきめる最初の状態のことを初期条件とよぶ。物体の状態が時間がたつにつれてどう変わってゆくかは、初期条件が与えられると、それによって完全にきまってしまうのである。
人間の行動は物体のそれよりもはるかに複雑であり、外界によって大きく左右されるし、また自分の行動が外界に与える効果を観測しながらそれによって行動を制御するという自動制御的な要素が強いから、ある時刻における初期条件によってその後の行動がきまってしまうということはない。しかしものの考え方などは若い時に与えられた初期条件によって大体きまってしまうことが多いように思われる。人に対する印象なども、初期条件で大体きまってしまって、あとからそれを変えるのは容易でない。
右に向かって走り出すような初期条件を与えておいて、あとから無理やりに向きを変えさせようとするような無駄なことを、われわれは案外しているのではないだろうか。
位相幾何と物理
――地図、天気図、状態図
昔、山のヒュッテに泊ると、山小屋日誌に必ずといっていいほど、「定理一、二つの峰の間には少なくとも一つの鞍部が存在する。定理二、……」という類の「数学」が書かれているのを発見したものだ。山の地図の等高線を眺めながら、退屈まぎれにひねり出したものにちがいない。こういうことを山で考えた人の中には、のちにホンモノの数学者になった人がいるかもしれない。実際、数学の一分科である位相幾何学の本をひもとくと、「ドーナツ面上の地図には山頂が少なくとも一個、窪地が少なくとも一個、また峠が少なくとも二個存在する」などという大変楽しい定理が出てくるのである。
地形図では山の高さの等しい点を連ねた曲線である等高線(コンター)によって、土地の高さという量の、地面という二次元の面上での分布が、表現されているのであるが、分布する量は別に土地の高さでなくてよいし、二次元の面も地表面に限ったことはない。勝手な量の、勝手な面の上における分布が、コンターによって表現できるはずである。天気図はよく知られた例で、地表面の上の気圧の分布をコンターで表したものである。物理でも、気体の状態の変化を、圧力と体積を二つの座標軸にとった平面の上の温度一定のコンターで表した「状態図」や、結晶の中の電子のエネルギーの分布を、エネルギー一定のコンターで描き表した図などがよく用いられる。
さきに述べた位相幾何学の定理を、これらの分布図にあてはめられないだろうか、と考えたくなるのは自然のなりゆきであろう。いつもうまくゆくとは限らないが、たとえば電子の場合には、この定理から電子のふるまいに関して重要な情報をひき出すことが実際にできるのである。また結晶の振動に対しても、同様な応用ができることが知られている。
一見、山小屋のつれづれの産物と同じような、数学者のあそびの産物にしかすぎないように見える定理にも、ちゃんと使い道があるというわけである。
群論と物理
――数学と物理の親しい関係
一様な空間の中を運動する物体を支配する法則は、空間のどこに座標軸をとっても変わらない。空間が一様なために、どの座標軸から見ても周囲の様子はまったく同じであるから。このことから、一様な空間の中を動く物体の運動量は一定に保たれるという運動量の保存則が導かれる。
地球の重力の場は地球の中心について球対称である。すなわち地球の中心を原点とした座標軸から見た重力場は、軸をどのように回転してもまったく変わらない。このことから、球対称な場の中を運動する物体に対する角運動量の保存則が導かれる。
どのような量が保存されるかは、このように、物体の置かれている場が、座標軸のどういう移動に対して不変であるかによって、すなわち場の「対称性」によってきまるのである。保存される量は人の名前のように、一旦きまってしまうと永久に変わらないから、物体の運動状態を指定する名前、あるいは分類番号として用いることができる。場の対称性がちがうと、必要な名前の種類がちがってくる。たとえば結晶の格子はそれぞれに特有な対称性をもつから、結晶中を走る電子の状態にどういう名前をつけるか、すなわち電子の状態の分類の仕方は結晶によってちがえなければならない。
結晶中の電子のふるまいは、こうして分類された状態のおのおのがどんなエネルギーをもつかによって定まる。結晶が同じ対称性をもっていて、したがって電子の状態の分類のされ方がまったく同じでも、個々の状態のエネルギーは結晶の内部構造によってちがってくるから、電子のふるまいは結晶の対称性だけからはきまらない。しかし、エネルギーを求めるのに先立って状態を合理的に分類しておくことは便利であり、また理論的に不可欠でもある。
この分類の仕事は群論という数学の理論を使って行われる。数学と物理とが密接に結びついていることの一つの典型的な例である。
相反性
――マジック・ミラーの不思議
玄関のドアの覗き窓に半透明の鏡がはまっていることがよくある。これだと中から覗いているのがわからなくて来客に不愉快な感じを与えないですむというのであろうが、鏡に自分のパッとしない顔が写ってギョッとするし、相手はこちらを見ているのにこちらからは相手が見えず、一方交通だというのがどうも気持ちがよくない。
一方交通といえば、土曜の午後や休日に学校にいる時、自室から学外へは電話がかかるが、外からかけてもらうことはできないというのも不便なものである。
自然界では一方交通ということは元来あまり起こらないようになっている。宇宙船から電波で信号を送って地球に届くならば、地球から同じ信号を送ればまったく同じように宇宙船に届くはずである。池の真ん中で石を落とすとある時間の後に波紋が岸に届くが、その届いた場所で石を落とすと、何じ時間の後に同じ波紋が池の中心に到達する。これは相反性の原理と呼ばれ、非常に広い範囲の現象に対してなりたつ物理学の重要な原理の一つである。
玄関の鏡の場合にも、実はこの原理がなりたっているのであって、ドアの外側から光を送ったときに内側からそれが見えたとすると、内側から同じ強さの光を送ればそれは外側からまったく同様に見えるはずである。しかし人間の眼は同じ明るさのものでもまわりが暗いほどよく見えるようにできている上に、ドアの外に立っている人物は外光に照らされて中にいる人物より遥かに明るいので、事実上一方交通になってしまうのである。
電話の場合にはこれと事情がまったくちがって、もともと二人の加入者があったとき、互いに同じ番号のダイヤルを回すことによって通じ合うようにはなっていない。電話のシステムははじめから相反性がなりたたないように人為的に作られているのである。
しかしいずれにしても、人間が一枚加わったために相反性が失われたのだと考えてよさそうである。
リーマン面
――日付の階段
東経一八〇度の子午線が日付変更線と呼ばれ、西側からこの線を越えるときは日付を一日おくらせ、東側から越えるときは一日進ませなければならないことはよく知られていることである。
もしこの約束がなく、日付変更線を越えても各人がそれぞれの日付をそのまま持って歩いたならば、同じ地帯に住む人たちが、テンデに異なる日付を持つことになって、不便極まりないであろう。
しかし、大変空想的な話だが、もし地表面を多層構造にし、東経一八○度の子午線のところに階段を設けて、西側からこの子午線を越える人は必ず一階下に降り、逆向きに越える人は必ず一階上に昇ることにすれば、いちいち日付の変更をしなくても、同じ階に居る人はつねに同じ日付を持つことになる。この子午線を越えない限り一つの階から他の階に移れないから、こうすれば異なる日付をもつ人が出会って混乱が起こることはなくなるはずである。
このような多層構造を考えることははなはだ人工的に見えるが、複素関数の数学では実はおなじみのことなのである。各人が持っている日時は地表面上の場所の関数だが、日付変更線を設けなければ同じ場所にいろいろな異なる日付をもつ人が居ることになる、すなわちこの関数は多価関数になる。日付変更線を設ければ関数は一価になるが、そのかわりここで日付が突然飛ぶ、すなわち不連続になる。しかし右に述べたような多層構造を考えれば、一つの層の上では関数が一価になり、しかも右に述べた階段の昇り降りの規則を守る限り、日付の不連続性は生じない。つまり多層構造を考えることによって、多価関数を一価関数に直し、しかも不連続性が生じないようにすることができるのである。
数学では、このような、階段のところでは一層上または一層下に移れるが、そのほかのところでは層から層へ乗り移ることができないようになっている多層構造をリーマン面、階段の設けられている子午線を枝線と呼んでいる。
連続と離散
――未発達な差分方程式の理論
一直線上の点はすき間なくつまっていて、一つ二つと数えあげることができないことはよく知られている。平面上の点や三次元の空間の中の点も同様である。このことを、直線や平面、あるいは三次元の空間は「連続的な」空間であるという。これに対して、空間の中にとびとびに規則正しく並んだ点は整数で番号づけられ、したがって数えることができる。このような点の集まりを「離散的な」空間という。
物理現象の多くは連続的な空間の中で起こる現象として記述される。この場合、現象を支配する法則は通常微分方程式の形に書き表される。電磁波の伝播はマックスウェルの微分方程式で、熱の伝導は拡散の微分方程式で、また量子力学的な現象はシュレーディンガーの微分方程式で記述されるという具合に。
これに対して、たとえば結晶格子の振動は連続的な空間の中で起こる現象と考えることができない。なぜなら振動しているのは結晶中に規則正しく並んで格子を造っている原子であって、振動の際の原子の変位は、とびとびの格子点の上の関数であり、連続的な空間の中の点の関数ではないから。すなわち現象は結晶格子という離散的な空間の中で起こっているのである。離散的な空間の中の現象を支配する法則は微分方程式でなく、差分方程式の形に書き表される。
一寸考えると、離散的な「数えられる」空間に対する差分方程式の方が、連続的な「数えられない」空間に対する微分方程式よりも理論的にとり扱いやすいように思われる。しかし事実は前者の理論が後者のそれに比べてはるかに未発達で、理論物理屋の苦労のタネの一つになっているのである。
電子計算機で微分方程式を解く場合、計算機が数えられるものしかとり扱えないために、わざわざそれを差分方程式におきかえなければならないのは皮肉であるが、差分方程式の理論の発達がこれによってうながされれば物理にとってはありがたいことである。
つまらないこと
――ネジまわし習熟のすすめ
物理の法則や数学の約束ごとを表現するのに、ネジをまわしたときにそれが進む方向がよくひきあいに出される。回転している物体は角運動量というものをもつが、この角運動量の向きは、物体の回転と同じようにネジをまわしたときにそれの進む向きである、というように。
ところが、最近は、こういう表現の仕方ではわからない若い人たちが増えてきているらしい。昔は二十にもなってドライバーを扱った経験がないというような人間は居なかったがなあ、というのが私にこの話をしてくれたある同僚教授のなげきであった。
ネジまわしをいじくるなどということは、教育ママにとってはもちろん、あるいは受験勉強に専念している若い人たち自身にとってもどうでもよいつまらないことなのであろう。それかあらぬか、物理学科に入って来た早々、基本的な訓練としてやらなければならない初歩的な物理実験のテクニックの習得や、物理に出てくる数学的な問題の解き方の練習を、つまらないことと感じて学習の意欲を失いかける学生が最近は現れるようになった。
初歩的な実験や演習がそれほど面白いものでないことはたしかである。物理の研究、あるいは研究とまで行かなくても物理を学ぶということはもっとずっと面白い、息をはずませるようなことであるはずなのに、という学生の気持ちはわからないでもない。しかし物理の面白さというものは、上っつらの面白さではない。一見つまらなく見えるテクニックを十分にこなし、それを駆使することによってはじめてその醍醐味を味わえるものである。それはあたかも日曜大工の妙味を十分に味わうには、ドライバーの使い方にぜひ習熟しなければならないようなものであろう。
何かをつまらないといってけなす人は、つまらないものを面白くする能力のない人だという寺田寅彦の言葉は、味わうべき言葉だと思うのである。
物理に限らず、「つまらないこと」を大切にして、精緻な生活や仕事を積み重ねるのが文化というものではあるまいか。
略 語
――リード、レーザー、ミープス
固体表面の国際会議という会議の組織委員をおおせつけられるハメになった。固体表面は私の専門ではないのだが、表面状態に関するささやかな仕事をしたことがあるばかりに、ひっぱり出されてしまったのである。
組織委員会に出てみると、しきりにリードという言葉が出てくる。専門でない悲しさで、何のことやらさっぱりわからない。帰ってからそっとしらべたらそれはLEEDであって、低エネルギー電子の回折という意味の英語の頭文字を並べたものだった。
この種の略語はNATOやUNESCOをはじめとして、マスコミのいたるところに氾濫しているが、物理の世界でも例外ではない。メーザー(MASER)やレーザー(LASER)は多分その最も有名なものであろう。これらは一見素性正しい単語のように見えるが、輻射の誘導放出による、前者はマイクロ波、後者は光の増幅、という意味の英語の頭文字を並べたものである。
私の専門の方でも、最近ミープス(MEAPS)なるものが登場した。これは乱れた結晶の中で起こり得る振動の振動数の分布を理論的に計算する一つの方法の名称で、周期系の集団の上で平均する方法という英語から作ったものである。
メーザーやレーザーは今では実体名前ともに物理の世界をはみだして広く普及しているし、いかにも名は体を表しているような感じのする傑作であるために、あまり抵抗を感じない。しかし、リードやミープスは発音をきいただけでは中身がとんと見当がつかないし、物理屋仲間でもごく特殊な分野の専門家以外にはチンプンカンプンなしろものだといってよいであろう。
組織委員会のようなところでは、わからないのは多分私一人だからかまわないが、非専門家の多数居るところでやたらにふりまわされては迷惑な略語が、リードやミープスのほかにも氾濫しているというのが残念ながら実情である。学問の専門分化にともなう必然的な現象なのかもしれないが、あまり望ましいこととは思えない。
詩的術語
――術語のつけ方いろいろ
数学のある分野の本を読むと、「星」だの、「流れ」だの、「木」だの、「先祖」だのという、詩にでも出て来そうな言葉が沢山出てくる。といっても、数学者が別に特にロマンティックだというわけではない。これらは術語であって、それによって表されるものは現実の流れや星などとは似ても似つかぬ抽象的な概念であり、ただ連想によってこういう名前がつけられたにすぎないのである。
物理の本にも、「涌き口」とか、「流線」とか、「仕事」とか、「能率」とかいう、平常よく使われる、ただしあまりロマンティックではない術語が沢山現れる。これらも抽象化され、数式によって明確に定義された概念であって、日常使われるときの意味とはかけはなれている場合が多い。
たとえば「涌き口」は流体力学では文字通り流体の涌き出している口のことであるが、電磁気学では正の点電荷を意味する。また「仕事」は物体に力を加えて移動させたとき、力の大きさと、力の方向に沿って測った移動量との積のことであって、我々が机の上でものを書く仕事や、仕事と家庭の両立などというときの仕事とはまったくちがうものである。しかし、数学の場合に比べると、それらの表す概念は具体的なものとより密接に結びついているといえよう。
ところが同じ物理学でも、数学が駆使される難しい理論になると、再び「泡」だの、「父母」だの、「牡蠣《かき》」だの、「娘」だの、「祖先」だの、はては「共犯者」だのという言葉が登場し、しかもそれらの指す概念はもとの実物とはまったくちがうアブストラクトなものになる。
現実からかけはなれたものほど感覚的な刺激の強い名前がつけられているのは面白いことである。極度に抽象的なものの方が、実体との結びつきにしばられずに自由に命名できる、ということもあろうが、乾いた抽象の世界に遊ぶ者が本能的にナマナマしい人間味を求めるためかもしれない。
列車食堂にて
――人間の人間的使用
特急列車に乗ると、窓があかない上に停車時間が短いので、駅弁がなかなか買えず、旅が味気なくなってしまった。
車内販売の弁当はあまりに事務的で風情がないから、つい食堂車へ行くことになる。この方が、車窓を流れる風景のかもし出す旅情と相まって、可憐なウエートレスたちをどんな運命が待っているのだろうなどとちょっぴり感傷的な気分にもひたれようというものだ。
しかし彼女たちの労働のはげしさは、そんな感傷など吹きとばすかのようだ。ゆれ動く車内でこぼれやすい食べ物を運ぶだけでも重労働と思われるのに、客の注文したものを調理室にとりつぎ、どのテーブルからの注文が何だったかを記憶しておかなければならない。この上さらに客につねに笑顔で接することを要求するのは無理だという気がする。注文の取りつぎと記憶ぐらいは簡単に機械化できるはずなのだが、と私などはいつも考えてしまうのである。
客からの注文をきいてウエートレスがテーブルの上のボタンを押せば調理室の表示板に何番のテーブルの注文は何、ということを示すランプがつき、料理ができたらウエートレスがそれを見て客席に運ぶと同時にボタンを押してランプを消すというようにしておけばよい。こうすれば注文を記憶する労力が省け、記憶ちがいによるトラブルもなくなって、ウエートレスたちは本来のサービスに力をそそぐことができるであろう。
機械化、合理化というと何でも人間性の無視につながると考えがちである。だが、これなどはウエートレスを記憶する機械として使うのをやめて、よりヒューマンなサービスが無理なくできるようにするのだから、ひかえ目にいっても旅というもののもつ人間的な味わいを少しでも濃くするよすがとなり、大げさにいうならばサイバネティックスの創始者ウィーナーのいうところの「人間の人間的使用」にかなう一つの例であると思うのだが、どんなものであろうか。
スケール
――一五インチのミニ鉄道
フランスからイギリスへ鉄道で行くときに連絡船が着く港として有名なドーバーの近くに、ハイスという小さな港町があるが、そこから南へ向かって軌間一五インチの鉄道が海岸を走っている。これはハーウェイという模型鉄道の愛好家が、小さな鉄道に実際にお客をのせて走らせたくなって、一九二七年に始めたものである。第二次世界大戦中にこの沿岸が要塞化された一時期を除き、現在も「世界最小の公共鉄道」をキャッチフレーズに、人の背よりも低い可愛らしい蒸気機関車が、これもまた断面積が普通の列車の座席の断面積くらいしかないオモチャのような客車をひいて走っているという、面白い鉄道である。
沿線は牧場と湿原と砂丘の間にサマーハウスのたち並ぶ明るい保養地帯で、避暑客や観光客がけっこう沢山乗って、蒸機列車の旅を楽しんでいた。
ミニ鉄道ではあるが、駅舎、ホーム、転車台、信号など、普通の鉄道にあるものはすべて揃っており、列車同士がすれちがう時の轟音などもいっぱし一人前である。シートの窮屈さもだんだん気にならなくなり、一五インチ幅の狭いレールも見なれるとそれが当たり前になってしまった。しばらくこの鉄道に乗ったあとで、途中のニュー・ロムニーという駅の近くにあるイギリス国鉄の廃駅の構内に敷かれた標準軌間のレールを見たときは、一瞬巨人国に迷いこんだような錯覚を起こしたものだった。慣れというものは恐ろしいもので、ミニ鉄道に乗っているうちに、鉄道というものがそもそもこういうスケールのものだったかのような気分になっていたのであった。
もし最初の鉄道が一五インチ軌間で始まっていたら、これが伝統となって、今の鉄道とすっかりちがった鉄道界ができ上がっていたであろうか。それともやはり人間のサイズにちょうど適合したスケールというものがあって、それに結局は落ち着き、現在の鉄道と変わらない姿になっていただろうか。帰りの列車にゆられながら、そんな妙なことをいつか考えていたのであった。
零 番
――零から始めよ
札幌駅には零番ホームというホームがある。ほかにも零番ホームのある駅は珍しくないが、どれも一番ホームよりさらに内側に、あとからできたホームである。
物理学の法則や現象にも零という番号をもったものがある。最も有名なのは熱力学の第零法則であろう。これは、物体Aと物体Bとが互いに熱平衡にあり、物体Bと物体Cも互いに熱平衡にあるときは、物体Aと物体Cも互いに熱平衡にある、というよく知られた経験事実に法則の名を与えたものである。有名な第一法則と第二法則よりもある意味ではより基本的なので、第零という名が付けられたのである。
現象では、最近第零音波ということがよくいわれる。音が物質の中を伝わる疎密波であることはよく知られている。温度の波、すなわち冷たいところと熱いところが波打ちながら伝わるということは通常は起こらないが、ある種の物質では、特定な条件の下でこのような波が伝わることがわかっている。これを第二音波といい、これに対して普通の音波を第一音波とよぶ。密度の疎密や温度の高低を作り出すのは物質粒子の変位であるが、これがそれ自身、いわばナマのままで伝わる波のことを第零音波というのである。
以上は何《いず》れも、零番という番号があとからつけられた例であるが、はじめから零番という番号をつけることも近頃は多くなってきた。たとえば第一章から始まらずに第零章から始まる本に最近時々おめにかかる。最初の章は全体の展望や概説にあてられることが多く、しかも本論が始まる手前にあるから、それが自然なのである。
手前にあるとか、基本的であるとかいう理屈がなくても、何でも零から始める方が自然であるとも考えられる。一日の時刻が零時から始まるように。いずれにしても、欧米では零から始まって九で終わる電話のダイアルが、日本ではなぜ一から始まって零で終わるのか、私にはどうも納得がいかない。
ノーベル賞・老人ホーム・床の間
――みてくれ優先の奇妙な国
江崎玲於奈氏がノーベル物理学賞を受けられた(編集注 一九七三年)というニュースは、どこか素直に受けとれないところのある平和賞のそれとちがって、掛け値なしにうれしいニュースであった。
これで物理学賞の日本人受賞者は三人になったわけだが、前の二人の場合は理論物理学の、しかも素粒子論における業績が対象だったのに対して、今回対象となった江崎氏の業績は物性物理学の実験的研究である。誰がどんな仕事で賞をもらおうと、おめでたいことに変わりはないのだが、日本でノーベル賞がとれるのは金のかからない理論の研究だけではないか、といわれずにすむようになったのは、いっそう喜ばしいことである。
福祉事業にたずさわっているある人が、こんなことを言っていた。日本は第一級の福祉施設が何でも揃っている世界有数の国なんですよ。たとえば老人ホームをとってみても、世界中の誰に見せてもはずかしくない立派なものがちゃんとある。しかし、それを利用できるのはごく少数の恵まれた、あるいは特別に運のよい人だけで、世間一般の人々が驚くほどそれらの恩恵を受けていない点でも、日本は世界有数の国なんです。日本という国は実に奇妙な国ですよ、と。
かつての日本の住宅には、お客が来た時にだけ使う床の間つきの客間が一番日当たりの良い場所にあって、年中住んでいる家族は日陰の部屋しか使えないという家が多かった。近頃のマイホームにはさすがにほとんどみられなくなったが、社会的なレベルでは、まだまだお客に対するみてくれを優先させる伝統が残っているらしい。
残念ながら、学問の世界も、必ずしもその例外ではないようである。ノーベル賞受賞者の方々はもちろんお客に見せるために仕事をされたのではない。しかし、まわりが寄ってたかってそれを見せもの的に利用、いや悪用するのに終始して、せっかくの受賞を日本の研究のレベルを高めるために生かすよりは、床の間の置き物に近いものにしてしまうことがないように願いたいものである。
プロとアマ
――大学は科学同好会にあらず
ピアニストでもバイオリニストでも、また指揮者でもよいが、ステージに立って、万人の鑑賞に耐える演奏をすることができるならば、その人はプロである。
さらに、単にプロであるだけでなく、音楽というもののあり方についてそれなりの見識をもち、それが演奏の深味となってにじみ出るならば、その人は立派な芸術家だといえる。
自分は演奏に関しては自分自身が楽しめるだけ、すなわちアマの域を脱しないが、しかし音楽全般にわたって広い知識をもち、音楽がいかにあるべきかという哲学をもっている。だから自分は芸術家である、と主張する人がいたら、それはもの笑いの種でしかないであろう。音楽について見識をもつことは芸術家であるために必要ではあるが、決してそれだけで十分ではないからである。
同じように、自然科学者として認められるためには、まず専門領域でその仕事が世界的な評価に耐えるプロでなければならない。この場合音楽家の演奏に相当するものは学術論文である。自然科学についていかに広い知識をもち、そのあり方に関して独自の見識をもっていても、専門の研究を行って論文を書く実力がなければ、その人は評論家ではあり得ても自然科学者とはいえない。
プロになるには少なくとも数年間の、他のすべてを投げうった習練と没入が必要である。またプロであり続けるためには、不断の勉強が要求される。これに耐えるためには音楽なり科学が好きでなければならないが、好きだからといって必ずしも耐え得るとは限らないのである。
音楽学校をアマの音楽同好会や評論家のたまり場と考える人はいないであろう。ところが自然科学の場合、大学の学部はともかく、大学院まで科学同好会のようなつもりでいる向きが絶無でないのは、困ったことである。プロのきびしさが音楽家の場合ほどでないためであろうか。それともきびしさは同じでも、それがあまり表立たないためであろうか。
ミニ・ペスト・風邪
――研究方法も流行する
私がロンドンに滞在していたのは、ちょうどミニスカートがはやり始めた頃で、日本からいきなり本場にとびこんだ眼にはすこぶる印象的であった。それから二年後の一九六九年の暮れあたりから、札幌のお嬢さんたちのミニも、ようやく私が居た当時のロンドンと同じレベルになった。ミニにとって、ロンドンからの道は遠かった、というところであろう。
学界でも、ある特定の研究のスタイルが世界的に流行することがある。昭和の初期に、「グルッペンペスト」が理論物理学界で猖獗《しようけつ》をきわめたことがあった。「グルッペ」というのはドイツ語で「群」を意味する。群論という数学の理論が物理現象の解析に非常に役立つというので、理論物理学者が争ってこれを使い出したのをひやかしてグルッペンペストと呼んだのである。群論を勉強しようとする者の必読書であったドイツ語の本の表紙がいささか毒々しい黄色であったことも、ペストという名を奉られるひとつの理由であったかもしれない。
戦後はグリーン関数という関数がいろいろな物理量を計算するのに便利であることが知られて、この方法が世界を風靡《ふうび》するようになった。こちらは黄色でなく緑だからペストほど悪性という感じはしないが、その代わり流行の範囲が広いから、グリーン風邪とでも呼んだらよいだろうか。
群論もグリーン関数も理論物理の道具として極めて有用であり、それだからこそ流行したのだが、しかし何《いず》れも万能ではないし、特に後者は使い方を誤るととんでもない結論を導くことがあるから、無批判に使うのは危険である。
ミニの美しさがそれをよそおう人いかんによるのと同じく単にはやっているというだけの理由で自分の柄に合わない研究方法を無理に使ってみても、よい仕事はできない。さらにまた、次の流行を作るのはカッコよく流行に乗っている人たちではなくて、それに巻きこまれずに我が道をコツコツと行く研究者である、というのが一般であろう。
リンゴの御利益《ごりやく》
――ニュートンのリンゴの木
ロンドン南郊の、リッチモンド、ブシーという二つの広大な公園とテムズの清流に囲まれたところに、英国国立物理学研究所がある。その中庭の一角に「ニュートンのリンゴの木」があった。
といってもニュートンが万有引力を発見したときに眺めていたというそのリンゴではなく、それから根分けしたものだということだったが、見学の客が来ると必ずそれを見せることになっていた。
一九六七年の春に私はこの研究所を訪れたが、当時頭を悩ましていた数理物理のある問題の解決のヒントを滞在中に得て、いくつかの論文をまとめることができた。間接的ながら、またまことにささやかながら、幸いにしてニュートンにあやかることができたわけである。
問題解決のヒントがひらめくためには、ここで持つことを許された他のあらゆる義務から解放された自由な時間と、のびのびとした雰囲気とがあずかって力があったが、その上に、ひと月ほどの間昼夜一つの問題に没頭し呻吟することが必要であった。さらに、その時にちょうどその問題をかかえていたのが幸運であった。リンゴの御利益《ごりやく》があったとすればこの点においてであろう。
独創的な仕事が生まれるためには、自由な時間とゆとりのある雰囲気が不可欠だが、当然のことながら、一つの物事への全精力の集中がその上に必要である。しかし自由な時間があり、それをフルに使って苦闘しても、いつもリンゴの女神が微笑みかけるとは限らない。研究というものはリスクに満ちたものであり、独創的な仕事をめざすならば、長時間の目立たぬ努力とリスクという、二つの十字架を背負わなければならないのである。
しかもこの十字架は、みずから進んで背負うのだから、当然その重さを訴える相手は自分自身しかない。リスクを嫌って他人に手をひいてもらいたがったり、つまずくと他人のせいにしたがるようでは、リンゴはほほえむどころか、はじめからソッポを向くであろう。
炭坑・洞穴学・物理
――危険をおかす心
高所恐怖症だという人はよくいるが、炭坑にいたことのある知人の話によると、低所恐怖ということもあるらしい。タテ坑を上下するエレベーターのうち、荷物用のものには天井も壁もない。それに乗ると、壁がないから不安なのはもちろん、天井がないのもまた不安で、上を見るのがおそろしいというわけである。
似たような話で、水平坑の中で石炭を掘っていた人が斜坑に移ると、しばらくの間不安で仕事の能率があがらないのはまあ当然だが、逆に斜坑の中で働いていた人が水平坑に移った場合にも、今度は頭が始終押さえつけられているという感じがして、やはり不安で仕方がないのだそうである。
炭坑よりもはるかに複雑でしかもうす気味のわるい洞穴をさぐる洞穴学という学問がある。大変面白い学問なのだが、私にやれといわれたら尻込みせざるを得ない。体力の点は別としても、生来臆病な私には、低所恐怖、水平恐怖、傾斜恐怖などというもろもろの恐怖はもちろん、先がどうなっているか皆目わからないという不安にうちかって、狭いまっ暗な穴にもぐり、手さぐりでどんどん先へ進むという勇気はありそうもないから。
しかしながら考えてみると、物理学でも事情はまったく同じことなのである。少なくとも、よく開拓されてかなり遠くまで見通しがきき、研究方法も整備された分野に安住せず、そこから脱出して、洞穴学と同じく物理学でもその本来の目的である未知の物や事の発見をなしとげようというのならば、肉体的不安こそあまりないかもしれないが、精神的な不安は同様につきまとうはずであって、これを乗りこえる冒険心を持つことが、やはり研究者として必要な資質の一つになる。
確実に先の見通しがつかないと仕事に手をつけなかったり、足場を一〇〇パーセント固めてからでなければ先へ進めないというのでは、研究というものはできない。無鉄砲は困りものだが、ある程度はあまり考えすぎないでとにかく手をつけてみることや、危険をおかすという態度も、研究には欠かせないのである。
ファラデーの公式
――発表することも研究のうち
ファラデーといえば、電磁誘導の現象を発見して、電磁気学の基本法則であるマックスウェルの方程式が導かれる基礎を作った十九世紀の大物理学者であることはよく知られている。電磁現象のほか、電気化学や磁気光学でも彼は大きな仕事を残しており、ファラデーの電気分解の法則、磁気光学におけるファラデー効果など、彼の名を冠した法則や現象は数多い。
「ファラデーの公式」というのはしかし聞いたことがない、と首をかしげる向きが多いかもしれない。これは物理現象でも物理法則でもなく、研究とは仕事をし、それをしめくくり、そして発表することであるという彼の考えのことなのである。
研究というものはある疑問を解決しても、あとからあとから新しい問題が出てきて、本当に完結することはない。しかしそれだからといって、興味にかられて際限なく研究を続けるだけでは、苦心して得られた貴重な結果も他人に知られることなしに埋もれるばかりで、せっかくの研究も自己満足に終わって、社会的に役立たずにしてしまう。またそのことはさておくとしても、記録なり文章なりにまとめるという作業は、自分の考えを系統だてて筋の通ったものにするのに、思いのほか役にたつものである。したがって適当な段階でしめくくって論文として発表することは研究者の仕事の不可欠な一部であり、発表しないということは研究しないということに等しいということを彼はいったのであった。
今ではこれは、研究を業とする者の当然の職業倫理となっている。しかし現在でも、研究に没頭するあまり、または筆不精のために、論文を書く労力を惜しむ研究者が間々あるから、この「公式」を時折り思い出すのも無意義ではあるまい。
ところで最近は、研究者の数が非常に増えて生存競争がはげしくなり、研究が十分に熟さないままやたらに書きまくって論文の数を競うという逆の弊害が生じている。これに迷わされずに自分のペースを守ることもまた容易でない。何事も中庸を得るのは難しいものである。
理髪・芸術・科学者
――プライドと科学者気取り
諸物価高騰の折柄だが、理髪代の値上がりは最もこたえるものの一つである。若い女性が黒髪をなびかせてわれわれ男性の眼をたのしませてくれるのはありがたいが、私などにとっては髪の毛が伸びることなどまったく余計なことで、従って理髪代もまったくムダな支出にすぎないから、値上げをひとしおぼやきたくもなろうというものである。
かてて加えて、理髪店で自分にピッタリした髪型を作ってくれることは絶無といってよい。私は理髪店を出るや否や最寄りの洗面所にとびこんで、いつもの自分の頭に直してしまうことにしている。しかし、せっかくていねいに仕上げた髪を台なしにされるのは、理髪師にしてみればさぞいやなことにちがいない。自分が仕上げた髪をくずされるのを極度にきらい、腕ききだが芸術家気取りの理髪師に、いつも前に仕上げた頭をメチャクチャにして現れる客が、遂に剃刀《かみそり》で殺されてしまうという筋の小説さえあるくらいだから。
自分の仕事にプライドをもつのは結構だが、それがゆきすぎて芸術家気取りになると困ったことになるのである。それと同じく、科学者気取りというのも困りものである。
指揮者の岩城宏之氏の、「我々は要するに芸人なのであり、サーカスや寄席《よせ》で仕事をしている人たちとクラシック音楽で働いているこっちとの間にどんなへだたりも感じたくない。こちらのやった仕事の内容について人様が感動してくれて、我々のことを芸術家といってくれるのはありがたいけれど、人からいわれる前に自分で芸術家だと思っている『ゲイジュツカ』で世の中一ぱいのような気がする」という言葉に私はまったく同感だ。岩城氏の言葉の中の「芸術家」を「科学者」に、「クラシック音楽」を「物理」におきかえさえすれば、この言葉はそのまま科学研究者に対して通用するものになる。ただ「芸人」や「サーカス」を何に置きかえたらよいか、ちょっと適切な文句が思いあたらないが。
大学人・物理人・趣味人
――火星人のイメージ
このごろは見かけないようだが、私が子供のころは、一般向きの科学雑誌によく、火星には人間のような高等な生物がいるかもしれないということを書いた記事といっしょに、「火星人」の想像画が出ていた。火星では重力が小さいから、身体を支えるのに硬い背骨などいらないだろうというわけで、四本だったか六本だったかのひょろ長い脚の上に、むやみと大きな頭がジカに乗っているタコをもっとグロテスクにしたような奇態な生物が描かれていたものである。
もう大分昔のことになってしまったが、大学紛争が吹き荒れた当時、教室の中で「物理人集会」と称する集まりがたびたび開かれた。しかし、それがどういう性質の集会であるかを云々する以前に、私は「物理人」という名前にすでにおぞましさを感じて、一度も出席しなかった。ブツリジンというひびきが、かの薄気味悪い火星人の画を、脳裡にまざまざと呼びおこしたのである。
「大学人集会」というものも、当時やはり盛んに催されたが、私は「大学人」という言葉にも抵抗を感じて、ついぞ出る気になれなかった。大学につとめる人間が、何か一般の人々とちがった、特別な識見をもつ人種であるといいたげな特権意識のにおいがふんぷんとするような気がしたから。
「物理人」という言葉には、さらに加えて、いかにも物理にこり固まった特殊集団を思わせるイジイジしたいやらしさがつきまとう。そのため、その裏返しとしての特権意識がいっそう鼻の先にぶら下がっているように感じられ、地球上の人間よりも知能が高いといわれた火星人を、いやが上にも連想させたのである。
「趣味人」といういい方も私はどうも好きになれない。何か世間に背を向けたすね者というイメージがあり、その裏に優越意識のようなニュアンスが、やはり感じられるからである。私は大学人でも物理人でも趣味人でもありたくない。たまたま大学に職を奉じ、たまたま物理を専攻し、たまたま邂逅《かいこう》したなにがしかの趣味を楽しんでいるというだけの、普通の人間でありたい。
文科・理科・物理
――文科と物理屋の相似性
理科の人は、よいことだと思うととにかくやってみる、まずければやり直せばよい、といった柔軟な考え方をする。これに対して文科の人はとかく原則にこだわり、議論で原則ができるとそれでエネルギーを使い果たして実行する興味を失ってしまう、とある本に書いてあった。
なるほどそうかもしれない。ところが私の感じでは、この文章は「文科」を「物理」におきかえ、「理科」を「物理をのぞく理科」に置きかえるとそっくりそのまま通用するように思われるから面白い。物理屋もその他の自然科学者も人さまざまだから、いちがいにいえないことはいうまでもないが、私がふだん接触している範囲ではこういう傾向が明らかにみとめられる。
自然科学の中では物理が最も数学に近くて、文科的学問と縁が遠そうだが、文科の人間と物理屋がものの考え方において相似た傾向を示すのはどういうわけだろうか。
物理は自然科学の中では最も比較的簡単な原理や法則が広い範囲に通用する分科である。それに慣れているために物理屋はとかく複雑な人間関係についてもある原則をたててそれで割り切りたがるくせがある。理屈っぽくて、筋を通したがるが、原則の議論にエネルギーをとられて実務が一向に進まないという傾向が強い。これに対して文科系の学問は原理や法則が立ちにくい複雑な人間性の諸相から何とか原則を見出そうとするのが仕事であるために、原則指向性が強く、結果として物理屋と同じく理論倒れになりがちなのではあるまいか。
かくいう私も自分ではそれほど原則にこだわらないつもりだが、物理以外の人から見ると、そうは見えないらしい。また自分でも、専門のちがう方々と話をしていて、発想のちがいを感じることがよくある。いやそれどころか、文科系の人との方が、理科系の専門のちがう人よりも、話のウマが合うという気がすることさえある。物理と文科の類似についてこんな屁理屈をこねたのも、物理屋のクセの一つのあらわれかもしれない。
水平思考
――自然科学者の発想法
「発想法」とか、「知的生産の技術」とか、「カンの構造」というような、ものの考え方に関する本がもてはやされる世の中である。「水平思考」というのもその種のものらしいがどういうことかな、と思って書店で立ち読みをしてみた。いろいろと書いてあるが、要するに垂直思考、すなわち型にはまったものの考え方からぬけ出し、見る角度をあちこち変えてみて、柔軟に思考せよ、ということらしい。
そうであるとすれば、何のことはない。自然科学者ならば日常やっているはずのことである。自然科学者の仕事は、新しい事実や、物事の間の今までに気づかれていない関連を見出すことであるから、既知の事実や既存の理論にこだわって型にはまった考え方をしていたのでは商売にならない。多少とも新しい意味のある問題を解こうとすれば、一つのことをあちらから眺めたりこちらから眺めたり、ああでもないこうでもないと四苦八苦しなければならない。つまり水平思考をしなければならないのである。
しかし反面、自然科学は少数の原理から出発してできるだけ多くの事実を説明するという任務をもっている。特に物理学などはその色彩が強く、物理学者はただ一つまたはせいぜい二つか三つの原理から出発して、恐ろしく広い範囲の種々雑多な現象がうまく説明できるということ、つまり少数の原則で非常に多くのことが割り切られることに慣れている。このため、水平思考に熟達しているはずでありながら、複雑多岐で互いに矛盾する側面をもち、少数の原理で統一的に説明することが極めてむつかしい複雑な現象、たとえば社会現象のようなものに対しても、垂直的な考え方をしがちで、状況に即した柔軟な対応をすることが下手な傾向が、とかくあるようだ。
自然界においてすら、とても一つや二つの原理で割り切れそうもない複雑な現象も多々あるのだから、いわんや人間界の現象を、少数の原則によって垂直的に分析するのは極めて危険なことであろう。物理屋の一人として自戒したいと思うのである。
者・家・屋・徒
――「物理屋」のニュアンス
われわれ物理学の研究を業とする者は、自分たちのことを呼ぶのに物理屋という言葉をよく使う。なぜ物理学者といわないのかは興味のある心理学的問題になり得ると思うが、私自身の感じでは、自分のことを物理学者と称するのはかなり面映ゆいことなのである。
多分、物理を研究することによってメシを食っているという意識と、一応人並の仕事はしているという自負はあっても、果たして物理学者と呼ばれるのにふさわしい業績をあげているのだろうかという自戒の念が、やや自嘲的なニュアンスを含む物理屋という言葉を使わせるのであろう。
実験物理をやっている者と理論物理をやっている者とを区別するときには、実験屋、理論屋というわけだが、このほかに実験家、理論家という呼び方も使われる。「家」というのは「学者」ほど面映ゆくもなく、「屋」ほど自嘲的でもなく、ちょうど中間のニュアンスをもっていて使いやすい。「物理家」という単語のないのが残念なくらいである。
もっとも長くなるのを我慢すれば「物理の研究家」というようないい方はあるにはあるが。そういえば同じ「者」がついても、「物理の研究者」というのなら面映ゆい感じはまったくしない。同様に、「科学の研究者」というのならよいが「科学者」というのはやはり少し口はばったい感じがする。
地理学のやや専門的な本や雑誌を読むと、多分物理屋という言葉と対応した使われ方をしていると思われる地理屋という言葉とならんで、地理学徒という言葉によくお目にかかる。これが地理屋あるいは地理学者とどうニュアンスがちがうのかは私にはわからないが、物理屋仲間で物理学徒という呼び方が絶対に使われないのと比べて興味深い。他の学問に比べると、地理学界では地理教育の占めるウエイトが非常に大きいことと何か関係がありそうであるが、一度地理学者にきいてみようと思いながら果たしていない。
文士と物理屋
――量を重ねて質を生み出す
太宰治が彼の作品の中でこんなことをいっているという話を聞いたことがある。小説家はつねに書き続けなければいけない。一生に一度傑作を書けばよい、それが出来たら死んでもよい、という考え方は文士として失格である、と。実は物理屋の仕事について同じようなことをつねづね考えていたので、太宰のこの言葉は大いに我が意を得てうれしかった。
物理の研究者の中にも、一生に一度、物理学に新しい展望を開くような画期的な論文を書けばよい、つまらぬ論文をやたらに生産するよりはその方がはるかに立派だ、と考える人が間々あるが、私はそれにはくみしない。例外中の例外である天才は別だが、凡庸な研究者にとっては平凡な、あるいは平凡に見える論文をうまずたゆまず書き続けることなしに非凡な仕事をまとめることは、よほどの幸運に恵まれない限り不可能なのが普通だからである。いいかえれば、量を積み重ねることによって、はじめて質を生み出すことができるのである。
論文を書かなくても、つねに積み重ねる努力をすればよいではないか、と反論されそうだが、これにも私はくみしない。その理由の一つは、いかによくねったつもりでも、思想というものは頭の中で考えているだけではおどろくほど漠としたものであり、筆をとって文章に表してみてはじめて明確且つ強固になるものであるということである。思考の一つ一つのステップを、論文の形でしっかりとふみ固めていって、はじめてそれが積み重なって非凡なものとなる素地ができるのである。もう一つの理由は、一見平凡に見えることでも、多少とも新しいものの見方や新しい方法が含まれていれば、思わぬところでそれが役立つ可能性がつねにあるのだから下手なひっこみ思案はしないほうがよい、ということである。
研究も職業とする以上、自分の考えたことで、他人に役立つ可能性のあることは、これを私有せずに発表することが、一つの義務であろう。
能 率
――忙しいイギリス人
英国の理論物理学者で、結晶格子の力学の大きな仕事をしたD博士といっしょにロンドンで研究していた頃、ある日招かれて研究所から博士の家へ国鉄電車で行ったことがあった。
ロンドンの国電は、古ぼけてはいるが深々としたシートが気持ちよく、ラッシュアワーでも必ず座れるほど空いているのに支線でも頻繁に運転されていて、なかなかサービスがよい。滞在中私はしばしばその乗り心地と、車窓を流れるいかにもロンドンらしい風景と、乗りかえの間にホームですごすひとときを、楽しんだものである。ところがD博士は、途中の乗りかえ駅で八分ほど待たされると、今日は妻が車を使っているので電車で来たらたちまちこれだ、としきりにぼやきはじめた。十分や十五分どうということはないでしょう、待っている間あたりの風景や人物をボンヤリ眺めているのもなかなか楽しいものですよ、といったら、とてもそんな気持ちは理解できない、多分あなたの性格はオレのとまったくちがっているのだろう、とケゲンな顔をしていた。
二日間の週末を公園のベンチで半日でも一日でも日向ぼっこを楽しむ悠揚せまらぬ英国人の一人であるはずの彼に向かって、あくせくと忙しいことを美徳とし、遊ぶことの下手な日本人が無為を礼讃しているのはいささか奇妙な光景であったにちがいない。
D博士がイギリス人ばなれのしたハイペースの仕事ぶりですぐれた業績をあげることができたのには、能率を尊び、ムダをきらう人柄があずかって力があったと思われる。しかし博士がその実力を認められて異常に早く昇進した結果、まだ若いのに研究より行政の方にエネルギーをとられてしまうようになったのは残念なことである。
駅で一時間くらい汽車を待つことは一向に苦にならない私も、日本に居るとついいつの間にかセカセカと歩いてしまい、時々ハッと気がついて、何のためにオレはこう急ぐのだろうと自問することがある。そしてそのたびに、ロンドンでの生活とD博士の面影とをこもごも思い出すのである。
木と森
――大局と部分のかねあい
物理の論文の内容を理解するためには、いうまでもなく、その中に出て来る数式の計算や、相続く叙述の間のこまかい論理関係を正確にたどることが必要である。しかしそれと同時に、個々の計算やこまかい論理のはこびが、全体の話の筋の中でどういう役割をしているのか、ということにつねに注意し、こういうことを言うためにこういう計算をしているのだな、ということを理解しながら進まなければならない。さらに、ある程度進んだならば、全体を見通して、要するにどういう話なのかを把握することも必要である。つまり、木を見ることと森を見ることの両方が必要である。
若い人たちといっしょに論文を読みながら議論していると、木を見る能力と森を見る能力とのバランスがちょうどよくとれている人はなかなかいないものだということに気がつく。もちろん両方の能力の間には強い関連があるから、片方だけがあって他方がゼロということはあり得ない。しかしたいていは、どちらかといえば木を見るのが得意であったり、その逆であったり、とかく片寄りがちである。
木を見ることの得意な人の書いたものは、部分々々は正確なのだが、枝葉が多すぎたり大局的なつながりがはっきりしなくて、結局何を言いたいのかよくわからないことが多い。森を見ることの得意な人の書いたものは、全体としては要領を得てもっともらしいが、細かい点が不正確だったりいい加減だったりして、結局信頼性に欠けることが多い。一人々々の個性ができるだけ発揮されるように留意しながら、これらの欠点を直すのはなかなか苦心のいるものである。
こういう事情は物理に限ったことではないであろう。くどくどと話は微に入り細をうがつが、一体何がいいたいのかさっぱりわからない口説《くぜつ》。大上段にふりかぶってお説ごもっともだが、しかし何となくマユにツバをつけたくなるお説教。どちらにも苦労させられることである。
――パイオニア型と拡幅整備型
ドカ雪が降る頃になると、子供の頃、毎日のように家の前の道路の雪かきをさせられたことを思い出す。当時は雪の量も今よりはるかに多かったし、機械力による除雪がほとんど行われなかったから、雪かきはとにかく大変な仕事で、学校の作文のネタにもよく使われたものである。
そういうとき、ある人は、さしあたって人一人が通れる道ができさえすればいいというふうに、多少曲がろうが、柔かい雪が底に残っていようがおかまいなく、やっと通れる幅だけさっさと雪をかき分けてゆく。それに対してある人は、もっとずっと幅の広い道を定規でひいたように真っ直に、そして底をきれいにふみ固めながら、ゆっくりときちょうめんに作ってゆく。手を休めてそのコントラストをしばし眺めるのは面白かった。
物理の研究者のタイプも、ごく大ざっぱに分けるとこの二通りがあるようである。大筋の見通しに確信をもてぱ、多少の論理的あいまいさや、誤りの危険をおかしても、どんどん進んでゆくいわばパイオニア型の人と、きちんと論理をととのえて、誤りの絶対ない理論を構築し、いわばパイオニアの作ったふみ分け道を拡幅整備することに力を注ぐ人と。
物理でも論理が重視されるべきことはいうまでもないが、しかし数学とちがって、論理の一貫性のみが生命でなく、直観や大局的洞察にたよった多少とも大胆な推論も不可欠である。あまりに論理的整合性にこだわると二進《につち》も三進《さつち》も行かなくなるのが普通である。ドカ雪をかき分けるとき、あまりにも広くきれいな道をはじめから作ろうと思うと一向にはかどらないように。
もちろんパイオニアが開拓した、人一人がやっと通れるだけのあぶなっかしい道を、誰でも安心して通れる大道に整備する役柄も大切にはちがいない。しかし、パイオニア型の人からみると、拡幅整備型の人の仕事はまだるっこくて、それが完成するまで次のステップをふみだすのを待つわけにはとうていいかないというのが普通である。
協同研究
――連名の順序に苦労する
近頃は数人またはかなり多人数の研究者が協同して一つの研究を行ういわゆる協同研究が盛んになり、連名で書かれる論文が増えてきた。
このようなときよく問題になるのは、その仕事に対する寄与の程度に甲乙をつけ難い場合、名前の順序をどうするかということである。不公平にならないように、でたらめに名前を並べておき、これをあらゆる順序に並べかえて、すべての並べ方の数で割れ、ということを示す記号をその前につけたらどうか、などという迷(?)案がマジメに議論されることさえあるぐらいである。これはさすがにまだ実行されたという話を聞かないが、協同研究者の名前の頭文字をたくみに綴りあわせて、あたかも一人の人間が書いたかのような形にした論文はすでに実在する。
協同研究をすれば、一人々々がバラバラに仕事をするよりも一般に能率が上がることはたしかである。とくに実験的研究では装置が大規模になってきたため、一人では到底仕事ができない場合もしばしばあるから、これはかなりの程度必然的でもある。
しかし協同研究ということがあまりにうたわれすぎて、多人数がいっしょになってやりさえすればよい研究ができる、あるいはもっと極端に、協同研究というものが無条件に個人的研究よりもよいことだ、と考える風潮が生じるとすれば、これは手放しで賛美するわけにはいかない。一人々々の自発的意志から出発して、自然発生的に協同研究が生まれてきた場合にはじめて、それが実り多いものになるのだと思うのである。
それはさておき、一つの協同研究に対する参加者の寄与がまったく甲乙つけ難いということは、実際にはあり得ないことではないだろうか。本当の独創性は必ず核心になるアイディアを生み出した誰か一人に帰すべきもので、他の人はその協力者にすぎない、というのが大方の実情ではないだろうか。大勢で活発な、そして批判的な議論をすることが研究を促進させることはたしかだが、創造ということは結局は個人の孤独な営みなのだから。
目標型とプロセス型
――旅の流儀・学問の流儀
近頃は旅行するとたいてい若い男女のグループといっしょになり、大勢の人たちが気軽に旅を楽しむことができるようになったのだなあ、と今昔の感を新たにする。列車の中でおしゃべりや勝負ごとに興じていて、せっかくの車窓のながめに眼もくれないグループをみると、一言何とかいいたくもなるが、それには眼をつぶって、若い人たちの話をだまってきいたり、時には話に加わらせてもらったりするのは、なかなか楽しいものである。
旅の楽しみ方には大体二いろあるようである。ひたすらに行く先をめざして、それまでの行程はどちらかといえば目的地に到達する単なる手段としか考えない目標型と、そこへ行きつくまでに出会う思いがけない風景や出来ごとなど、途中のプロセスをむしろ楽しむプロセス型と。山でいえば、特定の高峰を征服することに集中する型と、頂上に登るのはもちろん大きなよろこびだが、途中の沼や森や湿原もゆっくり味わいながら行く型、ということになろう。
学問の世界でも、ある問題を解決するという目標に向かってわきめもふらずに進んでゆく目標型の人と、解決する道程で眼に見えてくる、予期しなかった物事の間の関連や、思いがけない副産物などもゆっくり味わってゆくプロセス型の人とがあるようである。プロセス型はみたところよけいな暇つぶしをしているように見える。しかし、目標型の人が先を急ぐあまり見落としたり、捨ててかえりみないひろいものをすることがあり、このひろいものの方が意外に貴重である場合が、しばしばあるのである。
しかし目標型とプロセス型とはどちらがすぐれているというものではなくて、相補うものであろう。旅の楽しみ方もどちらでなければならないというきまりがあろうはずはない。ひたすら目的地を指向する旅の仕方も、それはそれでよいのかもしれない。ただ、どのみち同じ時間をついやすのなら、プロセスをもたのしんだ方が、はるかに充実した旅ができ、思わぬ収穫があるかもしれないのに、という老婆心がつい湧いてくるのである。
音の色・粒子の色
――電子は何色に感じられるか?
クラシック音楽はハ長調、イ短調、嬰へ長調、変ト短調というようないわゆる調性にもとづいて作曲されているのが原則であるが、音楽好きの仲間の間では、ときどきこの調性と色彩との関係が話題になる。たとえばある人にはイ長調の曲はだいだい色、ホ短調の曲はこげ茶色、ニ短調の曲は濃緑、ハ長調の曲は白の感じがする、というようなことである。
調性にこのように色の感覚がともなうのは面白い現象で、音楽の味わいの一つの無視できない要素に多分なっているにちがいないが、科学的にはどういうことなのか、まったくわからない。早い話が、調性と色の対応は人によってずいぶんちがっていて、たとえば私にはイ長調は浅緑に、ホ短調は濃いエンジ色に、ニ短調は金茶色に、ハ長調は代赭《たいしや》色に感じられる。おそらく個人々々の感覚や経験のちがいが、曲の受けとり方に大きな影響を与えるために、こういう相違が生じるので、極めて複雑な心理的現象なのであろう。
これとやや似たことで、われわれ物理屋の仲間でときどき雑談のタネになるのが、電子や陽子や中性子の色である。もとよりこれらの粒子は光、またはもっと一般に電磁波を発射するみなもとにはなり得るが、それ自身は色という属性はもっていないから、その色を論じることは物理的にはナンセンスである。けれども、物理屋がこれらの粒子のふるまいを論じるときに頭に描いているそれぞれの粒子のイメージに、多少ロマンチックな色がついていても一向に差し支えないし、それを茶のみ話の材料にするのをナンセンスときめつけるのはヤボというものであろう。
それはさておき、これらの粒子のイメージの色がまた人によって千差万別なのは面白い。私には電子が黄色で陽子が黒、中性子が白いように感じられるが、電子が黒くて陽子が赤いという人もいる。その心理を分析するのは興味のあることだと思うのだが、キマジメな物理屋さんにふざけているとおこられそうなので、こわくてまだ実行していない。
神わざ
――ノートなしの講義
昔、物理学科の学生だった頃、数学科の講義を二つ三つひやかしたことがある。
ひやかした、などというと叱られそうだが、はじめはマジメにしまいまで聴いて、ちゃんと身につけるつもりであった。ところが、物理屋の怠けグセがわざわいし、あまりにも論理の連鎖だけが延々と続くので(あるいは不明にしてそのようにしか思えなかったので)、途中でへたばってしまったわけなのである。
そんなことで、講義の中身の方はあらかた忘れてしまい、どの先生の口からも、ほとんどノートを見ることなしに、よどみなくそのとめどもない論理の連鎖が流れだし、黒板にもいささかのとどこおりもなく次々と式が書かれてゆく光景だけが、あざやかに思い出される。
幾何学序論を担当しておられたH博士の講義ぶりは、中でも水ぎわだっていた。博士は名刺ぐらいの大きさの小さなメモを一枚だけ持って教室に現れ、それをときどきチラリチラリと見るだけで、流れるように話を進められる。一片の紙切れから、一糸の乱れもない整然たる講義がとうとうとあふれ出してくる光景に、私はノートを取るのを忘れて見入るばかりであった。
私などは、同じ講義を三、四回繰り返しても、なかなか式が覚えられず、ノートを手から放せない有様である。H先生もほかの先生方も当時新進気鋭の助教授であられ、今の私よりもはるかに若かったはずだが、と考えると、一層これらの方々の名講義が人間わざではなかったように思われてくる。
物理学では論理の飛躍がしょっちゅう現れ、いわゆる物理的なものの考え方をしなければならないので、数学とは事情が違うのだと時々つぶやいてはみる。が、物理にもO教授などのように、ほとんどノートを見ずに見事な講義をされる方もおられるのだから、どうやらこれも負けおしみにすぎないらしい。
O教授のマネは逆立ちしてもできそうもないが、やはり一歩でも神わざに向かって近づきたいものだ、と思うのである。
理論家の生態
――怠けているときが働いているとき
ある実験科学者に、いったい理論家というのはどういうふうな生活をしているのか? ときかれて返事に窮したことがある。
理論家も人さまざまである。また同じ理論物理屋にも個々の実験事実をよく説明する理論を立てて、その現象の本質をつきとめることに情熱をもつ人もいるし、個々の実験事実と直接的には必ずしもつながらないが、いろんな現象の間の共通点を見出して一般的な理論を構築することに生きがいを感じる人もいる。また物理の理論の論理的な構造に最大の興味を見出す人もいる、という具合に千差万別である。
しかし何《いず》れにしても、日常の実験家との接触や理論家同士の討論、あるいは論文を通じて国内や国外の他の研究者から情報を得ることによって問題を見出し、それを解決するために四苦八苦するという点では、まったく同じである。
要するに議論したり、論文を読んだり、考えたり、計算したり、そう大して変わったことをやっているわけではない。
ただわれわれの仕事でちょっと困るのは、はたからみて一番怠けているように見える時間が、実は一番働いている時間だということである。というのは、上の四つの中でも、考えるという仕事が最も重要だからである。考えることに集中するためには、他のすべてのことから自分を解放し、また楽な姿勢になって、余分な緊張から自由にならなければならないから、どうしても両ひじをついて眼をつぶったり、ソファーにねころがったりすることになる。読んだり議論したり計算したりするのももちろん強度の精神力の集中を必要とするが、どちらかといえば前の二つは考えるための準備行動、あとの一つは考えたことのあと始末にすぎないのである。
しかし実験家も理論家も、仕事の目的は本来同じなのだから、その思考活動のあり方も同じはずで、高々理論家が計算する代わりに実験家は実験をするというだけのちがいであるはずだと思うのだが。
研究の鬼
――物理に生きる人々
あやふやな記憶なので、間違っていたらお許し願いたいが、細菌学者エーリッヒは、時たま珍しく推理小説を拾い読みしていることがあったほかは、研究以外のことには一切興味を示さなかったという話を読んだことがある。エーリッヒに限らず、昔から研究の鬼といわれ、逸話珍談を数多く残した学者は枚挙にいとまがない。
それほど極端ではないにしても、私の周辺にも、全生活をあげて物理に打ちこんでいる物理の鬼というべき方々が沢山おられる。
北大出身のすぐれた理論物理学者であるK博士は時々私の研究室にフラリと顔を出されるが、茶のみ話を始めても二分とたたないうちに物理の話になってしまう。御自身の研究の話に熱中されることはもちろん、畠ちがいの私の研究の話にも極めて熱心に耳を傾け、まだ目鼻もロクについていないあやふやな話でも、いったん口をすべらせたら最後、それはどういうことか、とどこまでもつっこんでくいさがられる。夏休みに骨休めのために帰札された時でさえも、研究室のゼミに、食事を一回ぬいてもききのがさじという意気ごみで欠かさず出てこられるのには、怠けものの私など、ただただ感嘆してしまう。
統計力学の大家であるM教授とは専門が近いのでよくおめにかかるが、人の顔をみたとたんに今こんなことを考えているのだがどう思うか、と議論をふきかけられるか、でなければ今どんなことをやっているか、と答えさせずにはおかぬという勢いで尋ねられるか、どちらかである。いっしょに食事をしている間も物理の話がとぎれないのには辟易《へきえき》すると同時に、よくこうも物理の鬼になれるものかな、と畏敬おくあたわずという気持ちになる。
一日二十四時間、全霊をあげて物理に集中できるとはなんと幸せなことだろうと羨ましい。私も物理が面白いからやっているのにはちがいないし、打ちこんでいるときは結構打ちこんでいるのだが、そのためには物理とはまったく別の世界に遊ぶ時間がどうしても要る、というのが実情である。
科学度
――「科学度」は知識では測れない
伊藤整がどこかに、寒い冬の日に東京である南国出身の作家に会ったとき、北国育ちの自分が厚いシャツを重ね着しているのに、その作家は夏と同じ薄い下着一枚だけの姿でいるのに驚いた、という思い出を書いていた。
ちょっと考えると、北国の人間の方が寒さに馴れているから寒くても薄着で耐えられそうであり、私なども冬に本州へ行くと、北海道の方なら寒くないでしょうね、とよく言われる。しかし、事実は逆で、本州の人たちはよくこの寒さをストーブなしで我慢できるものだとこちらが感心してしまうのである。これは伊藤氏が彼のその思い出によせて推定しているように、南国育ちの人は寒さのおそろしさを知らないが故に、かえって寒さに無頓着でいられるということなのだろう、と思っていた。
ところが大分前のことだが、私が購読しているある新聞の「あなたの科学度」という欄に、冬が近づいて人々がオーバーを着始める時期の気温は北国と南国のどちらが高いか、という質問に対する答えとして、北国の方が南国よりも低く、たとえば二割の人がオーバーを着るのは北海道では四度、仙台で六度、太平洋沿岸で八度、また八割が着るようになるのは北海道ではマイナス二度、仙台で二度、太平洋沿岸で四度以下になるころだ、という記事が出ていた。この数字は右の推定と矛盾するので、ハタと困ったのだが、今のところ私はこの矛盾を解けないままでいる。
それはさておき、たとえばこの矛盾を合理的に説明する能力が大きいほど、あるいは説明しようとする意欲が強いほど、その人の「科学度」が強い、ということは多分言えるかもしれないが、このような数字を知っている人が、知らない人よりも科学度が高い、というのはうなずけない。
単なる知識はどこまでも知識にすぎないのであって、それで科学度を測るのは危険だと思われる。「あなたの科学度」欄を読むたびに、いつもこの危惧が頭をかすめたのは、私の思いすごしにすぎなかったのだろうか。
織機・電子計算機・SL
――眼のあたりに見える面白さ
眼の底までしみわたるかと思われるあざやかな日本海の群青と、海岸の濃い松の緑を背にして、段丘のふちにへばりつくように細長く伸びた丹後の間人《たいざ》町は、日曜というのに道ゆく人もまばらだったが、ガチャンガチャンという機《はた》の音が、町じゅうにいたるところからあふれていて、ああ、ここは丹後ちりめんの町だったなあ、と思い起こさせた。
その音を聞きながら町を歩いているうちに、ふと機を織っているところを見たくなって、とある家の戸を叩いてたのんでみた。はじめは突然のちん入者におどろいて、警戒するようなまなざしだったその家の主婦も、話しているうちに頬をほころばせて、奥の工場に案内してくれた。
耳を聾する騒音をたてながらものものしく動くいかつい機械から、繊細この上ないような綾模様が見事に織り出されてくるそのコントラストは、少なからず心のおどる見ものであった。糸を制御するのに、パンチカードを大きくごつくしたような、穴の沢山あいた厚紙が使われているのを見て、おや電子計算機と同じじゃないかと思ったが、それにもかかわらず電子計算機を見るよりはるかに面白かった。
電子計算機は織機よりもはるかに複雑な仕事を行っているはずだが、制御も演算ももっぱら電子がやってしまうので、最も肝心なメカニズムが眼に見えないために、見ても一向に面白くないのであろう。計算機の専門家にとってそれが面白いのは、電子の動きが彼には「見える」からであって、一般人にとっては、それよりはるかに単純であっても、眼《ま》のあたりに見えるメカニズムの方が興奮をよぶということらしい。電子計算機の前にじっと坐ってそれを監視している人と、織機のまわりで忙しくたち働いている人と、どちらがより生き甲斐を感じるか、というのもわかるような気がしたのである。
電気機関車やディーゼル機関車よりもSLすなわち蒸気機関車の方に人気があるのも、多分これと同じことなのであろう。
――文明とは紙の浪費か?
紙の浪費時代である。書斎でも研究室でも大きなクズかごが二日もたつといっぱいになって、始末しなければならなくなる。手紙や論文別刷りの封筒などだけでもかなりの量だが、これらは中身があるいは楽しかったり、あるいは役に立つからまだよいとして、ダイレクト・メイルの大部分は封も切らずにクズかごに直行してしまう。
会議の席でくばられた資料類を几帳面に持って帰って机の上に置いておくと、一週間くらいで山積みになり、その大部分はこれまた整理の対象となる。買い物の包み紙は昔は一枚一枚ていねいに折りたたんで保存したものだが、今ではほどいたとたんに紙クズあつかいになるのが一般であろう。
などなど。石油危機の教訓も、どうやらのどもとすぎれば、ということに終わったようである。
コンピューターを使って仕事をするさいに、次から次へと吐き出されてくる数字を満載した紙の洪水は、なかでも印象的である。ふた昔くらい前ならば最上級の大学ノートに使われたような上質の紙が、またたく間にうずたかく積まれる。印刷されて出てきたデータを全部フルに利用するのならまだしも、普通は使うのはごく一部分で、実際に論文の中の図や表となって発表され、人の眼にふれるパーセンテージとなると、文字通り九牛の一毛にすぎないことが多い。まことに文明とは紙の浪費のことか、と感嘆させられるのである。
しかしながら、紙の消費量はたしかに文明のバロメーターであるとしても、それがすなわち人間の生活の高さの指標なのであろうか。コンピューターの発達によって、今までにとうてい手が届かなかった計算が可能になり、思いもおよばなかった面白い研究ができるようになったのは、研究者としてはありがたいことである。しかし一方では、社会全体として見たとき果たしてこのような紙の大量消費がペイしているのだろうか、という疑念がコンピューターとつきあっていると時折湧いてくるのである。
情報公害
――論文の洪水をどうさばく?
最近になってようやくやや下火になったとはいえ、物理学の論文の生産量の急増のために、論文をのせる専門雑誌が年々加速度的に厚くなってゆく傾向は、まだまだここ当分止みそうもない。雑誌を置くスペースがなくなったり、重さで床がぬけそうだという悲鳴をあげて、個人で購読するのをやめた人も多いし、大学でも図書室の収容能力のゆとりが急激になくなりつつあって、大問題になっている。
これはしかしスペースだけの問題だから、何とか解決できる見込みがないわけではない。これに対して、こうして増えてゆく論文を読み、それらに含まれている情報を消化して学問の進歩におくれないようにするにはどうしたらよいか、というなやみの方は論文の増加に比例して読む時間が増えるわけでないから、解決がはるかに困難な問題である。論文の過剰生産という「情報公害」にどう対処するかが深刻な話題になるのも無理からぬことである。
もっとも、論文の数が増えたといっても、自分の仕事にとって重要な意味をもち、真に読みごたえのある論文の数は、実はそれほど増えているわけではない。そのほかの論文は要旨だけ、あるいは表題だけに眼を通して、ああこういうこともやられているのだな、という程度に頭の片隅に止めておけば十分なことが多い。
論文の洪水の中から、自分にとって意味のあるものをかぎつけることができさえすれば、公害などといって騒ぎたてることもないと思われる。研究は流行にとびつくことでも、人のマネをすることでも、外国での研究を輸入することでもないのだから、自分自身の内発的な探求欲に根ざしたしっかりした問題意識をもっていれば、いたずらに外から与えられる情報にキョロキョロする必要はないであろう。
と大きなことを言ってみたが、これはしかし、他人の論文を読むことに至って不熱心な私の、不勉強のいいわけにすぎないのかもしれない。
タイム・シェアリング
――コンピュータと聖徳太子
一九七〇年に開店した北大の大型電子計算機センターは、はじめのうちこそすいていたが、今はなかなか繁昌しているようである。
電子計算機の偉力は、何といっても電子がやってくれる計算のスピードの並み外れた速さである。これに比べると、計算の命令やデータをととのえる仕事のスピードは、人間の手や普通の機械的なメカニズムにたよるために、桁ちがいにのろい。計算センターがフル操業していても、忙しいのは人間や機械的メカニズムだけであって、電子はヒマをもてあましているのが普通である。
このムダを省くには、電子のアキ時間を見すごさずに、スキさえあればいくつものちがった仕事を割りこませればよい。これがいわゆるタイム・シェアリングである。人間にもアキ時間があるとそれをムダに過ごさず、一つの仕事からパッと別の仕事に頭を切りかえて、有効に使うことのうまい人がいるが、計算機にそれをやらせるわけである。
このいわば「直列的」なタイム・シェアリングのほかに、二つ以上の仕事を同時に平行して遂行するいわぱ並列的なタイム・シェアリングというものもありそうである。さしずめ聖徳太子などは並列的なシェアリングの達人ということになろう。
処理すべき情報の密度が低いと、われわれ凡人でも似たようなことのできることがある。たとえば同じような議論がはてしなく堂々めぐりする小田原評定的な会議などは、別の仕事をやりながらでも結構つとまることが多い。
しかしよく考えると、これも同時に二つの仕事をしているのではなくて、ながら族的に会議を開いていて、必要なときにはすばやく会議の方に頭を切りかえてそちらの情報を処理し、それがすむとまた別の仕事の情報処理にたちもどるという直列的な仕事の切りかえをしているに過ぎないようである。聖徳太子は多分この切りかえを多種類の情報にわたって極めて敏速に行ったのであろう。
読まない名人
――将棋のプロと物理のプロ
私は将棋のシの字も知らないので、まったくまた聞きの話にすぎないのだが、将棋の名人というのは沢山の手を読むことがうまいのではなくて、むしろ少ししか手を読まないことのうまい人が名人になるのだそうである。
アマチュアのレベルでは、一手ごとに沢山の手を読むことができて、相手より常によい手を打つことのできる人が強いが、それでは疲れてしまって、とても長時間の対局に耐えることはできない。プロのレベルになると、誰が読んでも大してちがいが生じない時には手をほとんど読まずにエネルギーを温存し、ちょっとの打ち方のちがいが先へ行って大差を生じる急所急所でだけ手を読むことのできる人が結局は勝つというわけである。
この話をきいてハタと手を打った。というのは理論物理の研究でも似たようなことがあるからである。かけ出しのうちはできるだけ沢山の本や論文を綿密に読みこなして、基礎的な知識や計算技術を身につけ、それを駆使するウデをみがくことが必要である。だが、ある程度仕事ができるようになった段階で、さらに独創的な研究をしようとすると、読まなければならない――あるいは読まなければならないかのように見える文献の数もケタちがいに多くなる。しかし他方、研究のために使えるエネルギーや時間は年とともに減ってくるから、あまり沢山の文献をこまかく読んでいるとそれだけで時間がなくなってしまう、ということになりがちである。
それはさておいても、独創性の発揮にはがむしゃらにやるということが多少とも必要であって、あまりに沢山の他人の仕事を知りすぎるとかえって独創性がためられてしまうということもある。だから、むしろやたらに読まずに急所だけを押さえることが必要になってくるのである。
最近のような、莫大な量の本や論文が全世界で生産され、それが洪水のように押しよせてくるいわゆる情報公害の時代が続くと、「読まない」技術がますます重要になってくるであろう。
魚眼図
――マックスウェルの魚の眼
「マックスウェルの魚の眼」というものがある。
水という屈折率の大きい媒質の中で、網膜上にうまく像ができる、という事実を説明するためには、魚の眼のレンズの屈折率は一様でなく、場所的に変化していると考えなければならない。そのモデルの一つとして、電磁気学の基礎を築いたばかりでなく、物理学のあらゆる分野で偉大な仕事を残した大物理学者マックスウェルが考えたのが、この「魚の眼」である。
現実の魚の眼のモデルとしては簡単すぎるが、もしこの眼が無限に大きいとすれば、その中のどの点もやはりその中のどこかの点の像になるという面白い性質をもっているので、今でも幾何光学の例題としてよく持ち出される。
水の屈折率が大きいために、水の中から魚が見る景色は、地上の我々が見る景色とは大分ちがったものになる。ものの本によく出てくる、池のまわりの建物や樹木が、全部真中に向かって倒れかかるように傾斜して写っている歪んだ写真がそれである。このような「魚眼図」がとれるように作られたレンズが「魚眼レンズ」で、マックスウェルの魚の眼とはまったく別ものだが、魚の眼の作用を模したという意味では似たものである。
それはさておき、学問がいちじるしく専門に分化した今日では、マックスウェルのような行くところ可ならざるはなしという幅の広い学者はめったにいなくなってしまった。大方の研究者は狭い専門の池の中から、魚よろしく世の中をかいまみているにすぎない。
この短文を連載していたコラムの名前は「魚眼図」であった。私ももちろん池の中の魚の一匹だから、もしコラムの名が「鳥瞰図」ででもあったならば、決して筆をとらなかったにちがいない。
魚眼図とはいみじくも名づけたり、とたびごとに感嘆しながら、この名タイトルについついひきずられて、延々と書き続けてしまったわけなのである。
物理学者
――物理とピアノ
もうふた昔も前のことだが、小さな集まりで、ある女流ピアニストの演奏を聴いたことがあった。
中休みの雑談の折、ふと口がすべって、私も多少ピアノをたしなむともらしたら、彼女がこう言ったものである。「物理学者のピアノってどんなんでしょうね。きっと、ここは一秒間に幾つ音があるから音と音の間は何分の一秒……って計算してその通り弾くんでしょうね。」これには参って二の句がつげなかったことを未だに覚えている。
今ではこれほど極端なこともないかもしれないが、とかく物理学者などというものは四角四面、一日中机に向かってシカメツラをしながらわけのわからぬ計算をしているか、または実験装置とニラメッコをしている人種と思われがちなことは、大して変わっていないようである。
物理学者といえどもカスミを食っているわけではなく、普通の人間である。アイスホッケーならプロも一目おくというスポーツマンがいるかと思うと、落語に眼がなくて、落語に関する本なら一冊もらさず買い集めているという粋人もいる。バラ作りなら全道一という園芸学の大家がいると思うと、飛行機と飛行機の本には眼がないという御仁がいる、といった具合に、なみ以上の人間味をもった人がけっこう多い。こういうのは例外としても、大部分はもちろん、常識豊かでユーモアを解する方々である。
しかしながら、もともとが浮き世ばなれした商売であるから、大学などに残って長年研究生活を続け、話が容易に通じる狭い仲間うちだけと接触していると、自分ではそのつもりでなくても、ものの考え方が一面的になり、社会的な行動において首をかしげられるようになる危険性もまたあることは否めない。
筆者のピアノはもとより素人の下手の横好きだから、ブロークンなのは仕方がないが、彼女のいうところの、コンピュータに弾かせた方がよいような、「物理学者のピアノ」ではないことを願っている。
カメラ・テレビ・ソロバン
――テレビの修理は苦手です
カメラを買いたいのですが、あなたは写真がお好きだから、どんなカメラがよいか、推薦してくれませんか、といわれて困却することが時々ある。私は写真を撮ることは好きだが、カメラ自体の機構や品名などには一向に興味がなく、したがって不案内だから。
これと似たことだが、物理をやっています、といったばかりに、ちょうどいい、今ウチのテレビが故障しているのですが修理してくれませんか、とたのまれて困惑したという話を物理屋仲間ではよく聞く。数学をやっています、といったばかりに、それならさぞ計算がお得意でしょう、といわれて苦笑したことのある数学者も、また意外に多いようである。
物理学者の仕事は、物質界を支配する法則、あるいは原理を見出すことである。テレビのからくりはもちろん物理学の原理にもとづいているのであるが、しかしその原理は既知の原理であり、からくりも既知のからくりであって、物理屋の新しい興味をひくものではない。実験物理学のある分野ではテレビの技術を必要とするが、それはあくまで研究の手段にすぎないのであって、研究そのものとは別なものなのである。
数学者の場合も事情は似たようなものである。数学者の仕事は、公理から出発して論理的に一貫した定理の体系を構築することであって、既存の公理や定理を用いてただ計算することは、数学を使う者にとっては主要な仕事であり得るが、数学者自身にとっては高々理論体系を作ってゆくさいの手段として必要なことがあるにすぎず、本来の興味の対象ではもはやあり得ないのである。
写真の好きな人がカメラのことをよく知っているとは限らず、カメラの自慢をしたがる人の写真は概していただけないのと同じように、物理屋や数学者が人並み以上にテレビやソロバンに通じているとは限らず、テレビやソロバンの得意な人は大ていは物理や数学が不得手なのである。
絵画・地図・物理法則
――コピーのように美しいホンモノ?
絶景に接したとき、まるで絵のように美しいという嘆声をわれわれはよく発する。しかし美しいのは風景それ自身であって、絵はそれを手本にしたいわば写しなのだから、これはホンモノがコピーに似ているといってほめるようなもので、本末転倒なのではないかと時々首をかしげていた。
飛行機から下界を見下ろすとき、ウアー地図とおんなじだと嘆声をあげるのも同じことのように見えるが、実は大分ちがうようである。
地上にいるときはわれわれは自分のまわりのごく一部分しか見ることができず、極めて近視眼的にしかものを見ていない。だが、空から見下ろすと、一望のもとに非常に広い範囲がほぼ同じスケールで見渡され、また些末なものが見えなくなって本質的な様相だけがぬき出されるために、地表をぐんと客観化して眺めることになる。一方地図というものは、地表をありのままに描写したものではなく、こまかいものは省略し、重要な地物だけを抽出して描いたものである。空からみた地表が地図そっくりだと感心するのは、ふだんは見られないでいる地表の客観的な姿を発見し、地図の客観性とひき比べてそれを確認するよろこびの表現なのだと思われる。
物理の実験をやってみて、なるほど自然は物理学の法則通りにできていると感嘆するのも、あるがままの自然から余分な因子を取り去って、それを支配している根本法則を純粋な形でぬき出すことができたよろこびにほかならないから、やはり向じことである。
さて、絵画というものも、考えてみると、決して自然のコピーではなし、自然界がその奥底に秘めている美を画家がその鋭い感受性によってえぐり出したものにほかならない。してみると、絶景を見て絵のようだと嘆じるのは、少しも本末転倒ではなく、すぐれた風景に接して、画家には及ばずとも自分も自然の美を発見することができたというよろこびの表現なのであろう。
女中の子
――美女となった科学のはしため
女中の子お高くとまるようになりもとの主人をかえりみはせず
これは数理物理学者である東北大学の桂重俊教授が北大に特別講義に来られた折、学生に示された名吟である。といっても、これを教授の使っておられた女中さんのことと解釈したのでは、せっかくの名吟もただのグチにすぎなくなる。この女中は、数学は科学のはしためであるというときのはしためを指しているのだから。
幾何学を意味する英語のジェオメトリーは「土地を測る」という意味である。幾何学がもともと土地測量という極めて実用的な目的から生まれたものであることはよく知られている。微積分学にしても、もとを正せばニュートンが物体の運動法則を記述するために考え出したもので、物理で使うために作られたのである。
ところが最近の数学はひたすらに抽象化の道を歩んだ結果、こういう実用からかけはなれ、なかなかなみの物理屋が使いこなせるものではなくなった。現在普通の理論物理屋が使っているのは、数学者から見るとはなはだ危なっかしく怪しげな「物理的数学」にすぎない。
科学のはしためがあれよあれよという間に科学の女王とよばれる絶世の美女に成長して、生みの親である技術や物理の近づきがたいものになってしまったことよ、というのが冒頭の句の意味である。
絶世の美女も結構だが、実際にわれわれ物理屋などが使いこなせる、せいぜい十人並み程度の美女をもっと作ってほしいという注文をはしためになれとはけしからぬ、と数学者の方々に叱られるかなと思いながら、おそるおそるある雑誌に書いたところ、数学のT教授に同感だといわれて胸をなで下ろしたことがある。しかしそのT教授も十人並みの美女をなかなか紹介して下さりそうもない。
やはりグチになった。桂教授の作を今一つ。
数学は学問の婢《はしため》ということのいま女中なし通じたりしや
消極的趣味と積極的趣味
――能動的遊びのすすめ
何年に一度か、学生の就職の世話をする役目がまわってきて、入社試験の季節になると、推薦書を書いてほしいという学生が、陸続として部屋にやってくる。大変申しわけないことだが、ふだんは一人一人をよく知るほど学生諸君と十分接触できないでいるので、その機会に卒業研究でやっている実験とか、自分で見た自分の性格とか趣味などについて、しばらく話をきくことに私はしていた。
趣味なぞは仕事に関する本人の能力や将来性とは関係のないことだといえばそれもまことにその通りだが、何等かの意味で趣味にはその人の性格や適性が反映しているはずである。したがって将来性をうらなう一つのカギになり得るという考えもまったく否定はできないであろう。日本の社会では趣味で人をおしはかるという傾向が強いが、これをいちがいにナンセンスということはできないのではなかろうか。
キッパリと二つに分けられるわけではもちろんないが、趣味には音楽鑑賞、読書、スポーツ観戦などのような、どちらかというと他人の作品または他人の行動を受動的に楽しむ傾向の強い消極的趣味と、下手ながらも自分で演奏したり競技をしたりする能動的、積極的な趣味とがあるように思われる。学生諸君と話してみると、積極的趣味の持ち主が意外に少ないのが私にはどうもものたりない。これが、もっぱらつめこむことに熱心で、能動的にある一つのことに熱中するゆとりを与えない受験偏重の教育のせいでなければ幸いなのだが、と思うのである。
もっとも、能動的なことをするエネルギーはあげて仕事に集中するというのなら、それはそれで大いに結構なことではある。が、しかし、能動的に一つのことに熱中する機会をもたずにきて、仕事ということになったとたんにそれに能動的エネルギーをそそぐことができるものかどうかはやはり疑問である。とくに創造力を要求される仕事の場合は、能動的に遊ぶことのできる能力がモノをいうのではあるまいか。
ゴン族
――のし歩く怪獣たち
怪獣ばやりの世の中である。まだ小学校にも行かない可愛いざかりの女の子までが、これあたしの一番好きな本よ、といって「怪獣辞典」をもってきたりすると、私などはうた幻滅を感じるのだが、近ごろの子供たちにとってはあのグロテスクなしろものたちが身近な親しみやすい存在であるらしい。
怪獣辞典に出ていない怪獣もいろいろあるようだ。勉強勉強とガミガミ小言をいう母親も「ママゴン」という愛称(?)をたてまつられているし、それの苦手な人にとっては数学も「マセマゴン」という名の怪獣に見えるらしい。
ママゴンの「ゴン」には、何でも机に向かっていさえすれば勉強しているものと安心するお人よしぶりと、ラジオが消えている方が鳴っているときよりも必ず勉強の能率があがっているものと信じこむ頭の固さに対する揶揄《やゆ》のニュアンスが感じられる。マセマゴンの「ゴン」には、むずかしくて頭痛いばかりの存在だが、使う人が使えばおそろしい威力を発揮するものに対する畏怖の念と同時に、何でもかでも数学のマナイタにのせて、微妙な人間味を切り捨てがちな風潮に対する抵抗のニュアンスが感じられる。
せまい専門領域だけに通用する難解な術語がやたらと出てきて、ちょっとちがうとまったく手に負えない本や論文を評するジャーゴンという言葉――これは流行語でなく、昔からあるレッキとした英語の単語だが――のもつニュアンスにも、これと似たところがある。
学術論文というものは、それが独創的であればあるほど、今までになかった新しい概念や方法がもりこまれている。それゆえ、それに伴って新しい術語が使われるのは、ある程度やむを得ないことなのだが、万人を対象とし、誰にでもわかりやすくあるべき演説やPR文書にまで「ガクセイウンドウヨウゴン」や「クミアイヨウゴン」がはんらんするのはどういうことなのだろうか。
歌謡曲
――偶然を使ったイタズラ
歌謡曲集をもってきて、それをデタラメに開き、開かれたページの最初の単語をノートに記す。次に同じ単語が再び出てくるまでページをめくる。出てきたら、それに続く単語をノートに書く。次にまた今書いたのと同じ単語が出てくるまでぺージをめくり、出てきたらそれに続く単語を記す。これをどこまでも続けたら、ノートにはどんなものが記録されるだろうか? ある人が実際にやってみたら、結構意味の通じる新しい歌謡曲ができてしまった。同じことを普通の本を使ってやっても、まったく意味のわからない単語の列しかできないことは、すぐ想像がつくであろう。
このイタズラでは、一つの単語とその次の単語は意味がつながるように選ばれるが、次の次の単語ははじめの単語と無関係にデタラメに選ばれるようになっている。本に書かれているコトバが、単語と単語をかなり自由につないでも文章になるようなコトバならば、こうしてでき上がった単語の列は十分意味のある文章になるであろう。単語のつなぎ方が自由なほど、同じ数の単語でより多種類の文章を作り、したがって沢山の情報を伝えることができるから、そのようなコトバは能率のよいコトバである。もちろん単語の数が多ければ、それだけ多くの文章が作れるから、語彙《ごい》が豊かなほど、また単語のつなぎ方が自由なほど、そのコトバは能率がよいことになる。
歌謡曲は単語のつなぎ方が自由な点で能率がよいのである。これを利用して、コンピューターによって新しい歌謡曲をどんどん作ることができよう。しかし語彙の方は乏しく、きまりきった単語しか出てこないから、結局全体としてはごく少量の情報しか伝えることができない。いくら単語をつなぎ変えてみても、似たような類型的な歌しかできないのである。
同様なイタズラを、歌詞でなくてオタマジャクシの方でやってみたら、ちょっと面白いかもしれない。多分やはり、結構歌える曲ができ上がるのではなかろうか。
ムダの効用
――ミスに弱い能率的言葉
普通のコトバでは、単語と単語のつながり方にいろんな規則があるから、単語をデタラメに並べても、よほどの偶然にたまたまぶつからない限り意味のある文章はできない。すべての単語のあらゆる可能な順列を作ったら、その数は莫大なものになるであろうが、そのうち文章になっているのは九牛の一毛にすぎないはずである。
もし単語をまったく勝手に並べても常に意味のある文章になるようなコトバがあったならば、可能な単語の順列が全部文章になるのだから、同じ数の単語で普通のコトバに比べて恐ろしく多数の文章が作れることになる。逆に、普通のコトバと同じ数の文章を作るためには、はるかに少数の単語で間に合う。そのコトバはまことに能率のよいコトバなのである。
しかしながら、この能率のよいコトバを使う際には、言い間違いや誤植は絶対に許されない。なぜなら、すべての単語の列が意味をもつのだから、たった一つの単語を間違えただけでも、それはまったくちがった意味の文章になってしまうであろうから。また雑音のために文章の一部が聞きとれないと、その意味はまったくわからなくなってしまうにちがいない。このようなコトバは一見便利なように見えるが、実はミスや雑音に対して極端に弱く、使いものにならないのである。
普通のコトバでは少し位誤りや脱落があっても結構意味が通じるのは、続いている単語の間に強い関連があるためである。能率という点だけからはこのような関連はムダなのだが、まさにそのムダが、ミスや雑音のために文章がとんでもない意味になったり、またはまったく意味がわからなくなってしまう危険を防ぐ役割をしているのである。
それはさておいても、文章の面白さや味わいは微妙な単語のつながり方からかもし出されるのだから、ムダのまったくないコトバというものはさぞ無味乾燥なものであろう。ゆめゆめムダを軽蔑することはできないのである。
デス調・デアル調
――英語で考え、英語で書く
英語で論文を書くとき、先生は一度日本語で書いてからそれを英語に翻訳しますか、それともはじめから英語で書きますか、と学生に尋ねられることがときどきある。
ちょっと考えると、研究の内容を文章で表現するという厄介な仕事は、まずお手のものの日本語でやっておいてからそれを英語に移し変える方が楽なように思える。しかし事実はさにあらずで、はじめから英語で書く方がはるかに楽でもあり、速くもある。それは、日本語と英語では話の運び方、むずかしくいえば文章の論理構造がまったくちがっているからである。日本語から英語への翻訳は単なる機械的操作ではすまず、英語の論理に合うように話の運び自体から作りかえてかからなければならないから、結局二度手間になり、それくらいならはじめから「英語で考え」、英語で書いてしまった方が早いのである。英語に早く上達しようと思ったら英語で考える習慣をつけよ、といわれるのもまったく同じ理由からである。
話は少し変わるが、あちこちの雑誌に書いた雑文を集めて本にしたとき、デス調で書いたものとデアル調で書いたものとが混っていたのを、デアル調に統一しようと思ったことがある。
ところが、デスをデアルに直しさえすればよいと思って始めたところ、それでは極めて妙ちきりんな、筋の通らない文章になってしまい、ちゃんとしたデアル調の文章にしようと思うと、結局話の運びをまったく作り直さなければならないことに気がついて愕然とし、あまりのわずらわしさにとうとう統一するのをあきらめてしまった。
同じ日本語の文章同士でさえ、書き方のスタイルすなわち文体がちがうと論理構造がこれほどちがい、日本語を英語に直す場合に似たようなことが起こるとは、それまで夢にも考え及ばなかったのである。今更ながら、使うコトバによってものの考え方が如何に強く規定されるかということを身にしみて感じ、おそろしいものだとつくづく思ったことであった。
地図を眺めて
――地図に人間的味わいを!
寺田寅彦の随筆の名品の一つ「地図を眺めて」の中に、地図の値打ちを知らない人にとっては一枚の地図は包み紙くらいにしか値せず、その読み方を知らない人には作りだす図柄は梵語を知らない人にとってのサンスクリット文のようにわけのわからない模様にしかすぎない。しかし、地図の読み方に習熟した人にとっては、一枚の地図は無限の知識の宝庫であり、五万分の一の地図一枚がコーヒー一杯の代価で買えるのはまことに安いものだ、という意味のくだりがある。現在でも地図一枚の値段はまさにコーヒー一杯の値段に等しく、寅彦の言葉は今もそのまま通用するのである。
これに対して、もう一つ私が感銘をうけた、等高線のちょっとした曲がり具合も測量者の汗の結晶なのだ、というくだりは現代にはあてはまらなくなってしまった。最近では地図はすべて空中写真を用いて測量され、等高線も機械で自動的に描かれるようになって、人跡未踏の深山を粒々辛苦、一歩一歩歩きながら地図を描いていったいわゆる測板測量は過去のものとなったからである。
これによって、莫大な時間とエネルギーが節約されると同時に、地図が桁ちがいに精確になったのは、もちろん大変結構なことである。しかし、一面このために一枚一枚の地図のもつ芸術品的な深い味わいと美しさがなくなったのは残念なことである。
測量法の進歩ばかりでなく、製図法もまた近代化され多分に機械化されて、一本一本の線を烏口で克明に描く必要がなくなったこともまた、地図をメカニカルな味気ないものにする大きな要因になっている。しかしながら、同じく近代化の波にさらされているはずのイギリスやスイスなどのヨーロッパ諸国の地図が、昔に変わらず深い味わいを保っているのをみても、技術の進歩が必ず地図の美しさの低下をもたらすとは限らないことがわかる。
せっかく機械化によって節約された人手を、地図の人間的な味わいを回復するために人間的に使っていただきたい、というのが私の願いである。
雰囲気
――電車の中で読めるもの
理論をおやりなら、うちで仕事ができるからいいですね、といわれるたびに、十年ほど前に半年間、基礎物理学研究所の客員研究員として、宝塚の近くから京都大学に通勤していた時のことを思い出す。
往復四時間以上もかかるのを逆に利用して、ふだん読めないでいる専門書をじっくり読んでやろう、というのがはじめの目算であったが、いざ読みかけてみてもどうしても続かず、このもくろみは見事失敗に終わった。電車の中には、結局新聞か週刊誌を読むくらいの雰囲気しかなかったからである。
私は怠けもののせいか、ここは学問をするところだぞ、という雰囲気のある研究室に居ないと仕事ができない。それで、学校に行けばいろいろなことで妨げられることがわかっていながら、毎日ハンを押したように出かけているのである。
イタリーのトリエステにある国際理論物理学センターで、ベトナム、タイ、インドネシアから来ている気鋭の物理学者たちと雑談をしていて、どうも東南アジアの大学では、研究しなくても一生地位が保障されるため、仕事をまったくしない連中が多くて困る。日本ではどうか、ときかれたことがある。
日本のシステムもまったく同じで、したがってわれわれも同じ問題をかかえている。しかし一般的にいえば、日本では研究をしないと社会や周囲に対して恥ずかしいという気持ちを大ていの人が持っているから、身分保障に安住している人のパーセンテージは少ないといっていいだろう、と答えたのだったが、システムもさることながら、これもまた雰囲気が大きくものをいう場合であろう。
国際理論物理学センターの存在の最も大きな意義の一つは、これらの国の意欲的な学者に対して、研究の雰囲気を提供していることにあるのである。種々問題はあるにしても、ともかく大学が研究の場という雰囲気をもっていることは大変有難いことなのだということを、改めて教えられたのであった。
図書館
――生きのびにくい自由な図書館
図書館または図書室の運営というものは難しいものである。
とくに本の貸し出しのシステムをどうするかは難問であって、本の汚損や紛失をおそれるあまりにきびしい規則を励行すると、借りる側にはわずらわしくかつ不便になって利用価値が少なくなる。逆に、利用者の便をはかってできるだけ自由にすると、汚損や紛失がふえるだけでなく、特定の利用者が多数の本を長期間独占して他の利用者の不満を買う、というようなことが起こりがちになる。
生活の時間割が人によってマチマチだから、図書室を休日や夜間にも開いてほしいという要望が出るのはもっともである。しかし、それに見合うだけ図書室のスタッフをふやすのは困難であり、スタッフなしで開放したのでは何が起こるかわからないから責任がもてない、といわれれば、それも残念ながら至極もっともなことである。
イタリーのトリエステにある国際理論物理学センターの図書室は、理想的に運営されているように見えた。休日も夜間も常に開かれており、係員は居ないが、貸し出し票に日付と氏名を書いて係員の机の上に置いてきさえすれば自由に本を借りることができた。期間制限も別になかった。
さすがは、と感心していたところ、ある日事務局から、「最近図書室の本から二十ページも破りとられたという報告があった。またここ数ヵ月間に五十冊もの本が貸し出されたまま戻ってこない。図書室の本が公共のものであることは利用者の方々は十分御承知のはずであり、大多数の方々は正しく利用しておられると思うが、このままでは残念ながら現在の極端に自由な貸し出しシステムをやめなければならなくなるかもしれない」、という紙がまわってきた。
それぞれの国で相当の地位にあり、それ相応のプライドをもっているはずの物理学者たちが集まる所でさえやはりこういう悩みがあることを知って、ちょっと複雑な気持ちになったのである。
開発途上国の物理学者たち
――貧しい日本の受け入れ態勢
アロテイさんはエックス線の散乱の理論を研究しているガーナのクマシ大学の先生で、すでに専門の著書もある立派な理論物理学者である。黒い顔から真白な歯をのぞかせた彼の人なつこそうな笑顔と、廊下でだれかれをつかまえて熱心に議論する大きな太い声はセンターの名物の一つであった。
サマチヤカニットさんはタイのチュラロンコーン大学の先生で、日本人そっくりの容貌の持ち主。彼の髪がぼうぼうと伸ばし放題の、日本では学生にしか見られないスタイルでなかったら、うっかり日本語で話しかけてしまったかもしれない。固体の理論が専門で、経路積分という難しい計算に熱中しており、議論のさいの舌鋒はなかなか鋭かった。
スプラプトさんはインドネシアのバンドン大学の物理数学部長だが、まだ三十を半ば過ぎたばかりの若さ。小柄で腰が低く、あいさつの仕方などちょっと日本人に似ていて、穏和な親しみやすい人柄だった。専門は固体の電子論で、滞在中にひと仕事まとめるのだと毎日おそくまで計算に余念がなかったが、たまたまコーヒーラウンジで一緒になった折など、故国の話をよく聞かせてくれたものだった。
サーさんはインドのバナラス・ヒンズー大学から来た女性物理学者。筆者と最も専門が近く、よく議論をした。早口だがなまりのない英国式発音の英語と、あざやかな話の運び方のおかげで、ヒアリングが苦手の私も、日本語で議論しているときと同じぐらい物理の方に頭を集中させることができた。
これはイタリーのトリエステの国際理論物理学センターに滞在中私が最もよく接触した、アジア・アフリカの学者たちの点描である。彼等は皆、センターからの帰途欧米の各国に立ち寄ってゆくのだが、異口同音にぜひ一度日本で研究したいと言っていた。実際、これらのすぐれた人たちの議論の相手を欧米の学者にまかせておくのはまことに歯がゆいことで、彼等を迎える態勢の貧しさが惜しまれるのである。
レンヌにて
――独創性を生み出す力
なだらかに起伏する丘の上に果てしなく広がる牧場や、こんもりとした木立の多い畠を眺めながらパリから西へ列車で三時間ほど行くと、レンヌという町へ着く。
固体の中の原子の振動状態や、表面を伝わる音波をテーマとして開かれた国際会議に出席するためにこの町の大学を訪れたのは、一九七一年の七月末のことであった。レンヌは人口二十万ほど、町の中心部には長い歴史の香りがしみこんだ石造りの古びた家々が並ぶ情緒ゆたかな町であるが、そういう小都市にふさわしい小ぢんまりした大学を想像していた私は、着いて一望したとき、その広大さに圧倒される思いであった。見渡す限り続く芝生を、ポプラ並木がところどころ区切り、地平線までいっぱいに広がった青空の下にまばらに散在する建物は、一つ一つはかなり巨大であるはずなのに、ちょっとした大きな石ぐらいにしか見えない。真夏というのにさわやかな涼風が肌にしみて、まるで牧場のただ中に佇んでいるような、快い気分だった。
会議参加者のほとんどは、キャンパスの一隅に三棟ほど建っている学生宿舎の一棟に泊って、ちょっとしたホテルなみといってもよいほどのその設備を享受したのである。
フランス人は決して会議の運営など上手でなく、日本人ならもっとずっと要領よくやるのだがなあ、と思わせられる不手際がずいぶんあった。物理の研究においても、キュリーやド・ブロイを生んだ昔日の面影はないように見える。しかし、レンヌという地方の一小都市に、こういう雄大な大学を建設する構想力と実行力を依然として持っているのである。
会議をテキパキ運営する能力もあるに越したことはないが、どちらかといえば小手先のことであり、また真に独創的な研究を生み出す力とは別のことである。彼等の底力を過小評価することはできない。われわれは小手先の器用さに酔って、何かもっと大切なことを忘れていはしないだろうか、と青空に乱舞する美しい雲を仰ぎながら考えたのであった。
世界最北の大学
――オウルの思い出
フィンランド北部のオウル市を訪れたのは一九六七年十月のこと。ストックホルムから夜行急行列車に乗り、翌朝北極圏も間近いボーデン駅で二両編成のディーゼルカーにのりかえてから、さらに行けども行けども果てしない白樺の林の中を丸一日ゆられて、薄暮のオウル駅頭におりたのであった。
ここは北緯六五度、人口十万ほどの小さい町であるが、化学工業の中心地で、オウル大学という国立の小さい大学がある。ほんとうかどうかたしかめていないが、世界最北の大学なのだそうである。
この大学の物理学関係の研究室は、私がたずねたコスキーネン教授が主宰する数理物理学研究室のほかに、理論物理学と技術物理学の研究室が一つずつあるだけであったが、どの研究室の指導教授も三十歳台の気鋭の研究者で、清新な気分にあふれていた。技術物理学というのはテクニカルフィジックスの直訳で、実際に行われている研究は日本で物性物理学といわれているものに近かった。しかし数理物理、理論物理と並んでテクニカルフィジックスをもってきたところに、基礎を十分に重んじながら実際面とのつながりを忘れないという姿勢がうかがわれる。システム工学の研究室がテクニカルフィジックスの研究室ととなり合っているのも特徴的であった。
これらの研究室が互いに近い関係にあることはいうまでもないが、それぞれ独立の研究室であって、集まって物理学教室というようなものを作っているわけではないということだった。これはセクショナリズムを防ぐ一つのやり方であろう。
このようなゆき方にも、また学問的に決して恵まれているとはいえない北辺の地にありながら、スタッフが皆意欲にもえてよい業績をあげていることにも、深い感銘をうけたのであった。今でもスカンジナビアの地図を広げるたびに、白樺に囲まれた静かなオウルの町とコスキーネン教授の温容とがなつかしく思い出されるのである。
イタリーの汽車
――イタリーと日本・類似点と相違点
列車でスイスからイタリーへ入ると、車内が急に賑やかになるばかりでなく、欧州の他の国ではめったに聞くことのないホームのアイスクリーム売りの呼び声や、拡声器からの列車の発着の案内がけたたましく聞こえてくる。
車窓の景観もガラリと変わって、線路付近に紙くずのちらかっているのが眼につき出す。沿線の雑草の生え方も、スイスでは行き届いた管理の下でつつましやかに生えているのに対して、野放図におい茂っており、風景全体がどことなく雑然として日本に似てくるのである。
スイスの鉄道は機関車も客車も精巧かつ堅実であるのと同時に実にシックで、独仏両国のよいところが見事に融合しているのに感嘆する。反対に、イタリーの車両は外板もデコボコだし、スタイルも野暮でどうもいただけない。これはどちらかというと日本と反対である。もっと困るのは時間がルーズなことで、三十分ぐらいのおくれは普通のことだし、私があるときミラノ発十三時五十五分、トリエステ着二十時の列車に乗ったところ、出発が十分ほどおくれたのはともかく、途中おくれにおくれた上、ヴェニスでは止まったきり四時間も動かず、トリエステ着が翌日の午前三時になったのにはまったくあきれてしまった。やむなく駅の待合室で明け方まで仮眠したが、外国に来てこういう経験をしようとは夢にも思わなかった。
他の分野は知らないが、物理学では、イタリー人は着想はよいが、それを発展させてまとまったものに結実させることが不得手で、功績を他の国に持って行かれることが多いといわれる。日本の物理学は、最近は事情がずい分変わったが、まだこれと似た傾向をもっている。しかしこれと反対に、よその国で生まれたアイディアを輸入してそれを精密加工することを得意とする面をもあわせもっている。
この類似点と相違点、どこか前述の類似点相違点と関係がありそうな気がする。
「わかれ」と「ジャンクション」
――「分かれ」の哀愁
下北半島のむつ市から尻屋崎へバスで行くと、途中に「尻労《しつかり》分れ」、「野牛分れ」という停留所がある。下北半島の美しいがうらさびしい風景と相まって、何とはなく心ひかれる地名である。
京都大原の惟喬《これたか》親王の墓をたずねるときに降りるバス停留所の名前「野村分れ」も、似たような味わいをもっている。同じ意味でも「分岐点」というのはいかにも機械的で味気ないし、「追分」は歴史の手あかがつきすぎている感じだが、「分かれ」という呼び方は、哀愁を帯びながらも、さわやかでこころよいひびきをもっている。
鉄道の分岐点を「分岐点」といわずに「接合点」(ジャンクション)と呼ぶのが、英国を汽車で旅していて印象的なことの一つであった。日本でも、川が合流するところは、モーゼル川がライン川にそそぐ地点にあるドイツの町をコブレンツ(英語のコンフルエンスと同じで合流を意味する)と呼ぶのと同様に、川合とか出合とか呼ぶことが多い。ところが道路や鉄道のように流れが一方向きでない場合には、その合流点に必ず分岐を意味する名前がつけられていて、英国と対称的である。
素人考えだから間違っているかもしれないが、この相違は、ヨーロッパ人が、もともと一人々々ちがう独立した個人が互いに共通点を見出し合って集まるのが集団である、と考える傾向が強いのに対して、日本人は、理想として一心同体であるべき集団がまず先にあって、その理想からのはずれが個人間の差である、と考える傾向が強いことと関係がありそうである。もともと別のものが共通点を見出して作った集団は、一見ゆるいようだが、共通点で真に結びついているから意外に強い。これに対して元来一枚岩であるべき集団は、一見強そうだが、実はささいなちがいが分裂の原因となるから、案外もろい。「分かれ」という言葉のもつ哀愁はこのもろさに対する無意識的ななげきであると考えるのは少々こじつけにすぎるであろうか。
原 書
――恵まれた日本
近頃はまた紙が不足するという事態が時おり起こるようになったが、そんな時ですら、私が学生時代を過ごした敗戦後間もなくの紙不足・本不足にくらべれば、まだまだ天国のようなものである。
その頃はそのうえ、洋書にあらざれば読むに値せずという気分が濃厚に残っていたし、また事実日本語で書かれた物理学の良書がまだまだ少なかった。少なくとも標準的な教科書についてはほとんど全部洋書に頼らざるを得ず、それを手に入れるのに苦労したものである。何しろ、洋書を指していう「原書」という言葉が実感をともなって生きており、「原書を読む」ことに特殊なプライドさえ感じた時代だったのである。
一方では和文の物理学書も少しずつ出てきていて、洋書万能主義のかげがうすくなりつつある時代でもあったが、すぐれた教科書や参考書が日本語でどんどん書かれるようになり、外国語が読めなくても物理学のかなり進んだところまで学べるようになった今からかえりみると、まったく隔世の感がある。
イタリア、トリエステの国際理論物理学センターにしばらく居たとき、発展途上国の学者たちから、日本では何語で物理学を教えるか、とたびたび聞かれて戸惑ったことを思いだす。もちろん日本語で教える、と答えると、とても考えられない、という顔をされるのが常だった。もっともたとえばインドなどでは、おどろくほど多数の言語が群雄割拠していて、英語以外に共通語がないという困難があるから、必ずしも自国語で教えられないことがすなわちその国の物理学の程度が低いことを意味するわけではないが、とにかくこの点では日本は恵まれた国だという感を深くしたのであった。
学問の性質上、洋書を読むことが不可欠な学科では、今でも「原書講読」という科目がカリキュラムの中に残っているが、物理に関する限り、「原書」という言葉はもはや死語になったといってよいであろう。
山の本と講義と
――講議とはむずかしいもの
講義が下手で、時々学生諸君から「わかりにくい」といわれる。若気の至りで、新知識を自分よりもさらに若い人に伝えようと、やみくもにしゃべりまくったかけ出しの頃に比べれば、内容も整っているはずだし、スピードも半分以下に落としてていねいに話しているつもりなのだが、と言ってみるものの、あまりいいわけとして通用しないようである。
講義というものは山の本のようなものだ、というのが私の意見である。どんなにすぐれた山の本でも、それを読んだだけでは山のすばらしさは決してわからないように、いかに名講義であっても、聴いただけでは物理の面白さは本当にはわからない。山にしても物理にしても、自分で一歩々々汗を流さなければ真のだいご味はわからないものであろう。
しかしそれだからといって、山の本が無用だということにも、講義なぞ下手でもよいということにもならないのはもちろんである。ただ、講義にしても山の本にしても、あまりかゆい所に手の届くようなものは、みずから未知へいどもうという意欲をかえってそぐおそれがある。ことがらに関する情報は、大事なポイントだけが整理して書かれていれば十分であり、それよりもむしろ、山なり物理なりの面白さを生き生きと伝えて、探究心を鼓舞することの方が重要と思われる。
若い先生の講義は、体系としての整理が足りない代わりに、みずからが体得しつつある物理の面白さや新知識を学生に伝えてやりたい、という清新な息吹きにあふれていることが多い。しかし年がたつと、内容の方は借りものの知識の集まりでなくて、独自の体系が整えられてくるかわりに、清新さの方はとかく失われがちなものである。
整っていてポイントがよく押さえられており、しかも物理の面白さがにじみ出た講義をすることの何とむずかしいことよ、という嘆息がつい先に立つが、下手なりに少しでもましな話をしたいものだ、と思うのである。
U
画家と物理屋
うろ覚えではなはだ心もとないのだが、子供の頃読んだ本に、「テムズ川の夕景は昔からあったにちがいないが、その夕景の美はターナー以前には存在しなかった」というくだりがあったのを記憶している。ちなみにターナーとは、大方御存じのことと思うが、「戦艦テレメール」などの名画で知られた英国の水彩風景画家である。
その本は、日本児童文庫の一冊で、たしか山本鼎の「名画の話」だったと思う。今から考えるとそれは、歴史に残る名画の一枚一枚を解説しながら、絵画というものの本質をいつのまにか悟らせてくれる名著であった。私はそんなことには気がつかずに、一つの面白い読み物として読みふけっていたにすぎないのだが、上記のくだりを今でも覚えているところをみると、その意味するところがはっきりとは掴めなかったにもかかわらず、何となくその含蓄を感じとっていたのかもしれない。
美しい風景を見て、まるで絵のようだと感嘆するのはよくあることである。このまったく素朴な嘆声は、しかしちょっとひねくって考えると奇妙なようにも見える。よくできた絵がホンモノの風景に似ていると感心するのはごく自然だが、ホンモノの風景がそれを写したにすぎない絵とそっくりだといって感心するのはおかしなことではないか?
これは多分、次のようなことだと思われる。
知り合いの画家O氏は海と灯台の画が得意で、私もそれらが好きである。モデルとなった実在の灯台風景からは想像もできないような色をした灯台や海が描かれている。素人眼にはモデルなどなくても似たような画が描けそうに見えるのだが、しかし実物を見ずに頭だけで描いたのではとうてい出そうにない真にせまった味わいがあるのだ。
あるとき、あの色はかなり勝手に創り出すのか、それとも実物を凝視しているうちに必然的にきまってくるのかという愚問を発してみたことがある。いや、描いては見つめ、描いては見つめしているうちに、どうしてもこの色でなければならないという色がピタリときまってくるのですよ、というのが彼の返事であった。
またあるとき、ある風景画がどうもあまり気に入らない、と遠慮のないところを言ったら、実はそれは、こんな風景があればいいなあ、と思った風景を、まったく想像で描いたのです。技巧だけで描いた画だということを見ぬかれてしまいましたね、と彼が苦笑したこともあった。
これらのことは、よい絵画というものは単なる技巧の産物でもまた現実の風景の単なる模写でもなく、実在の風景にひそんではいるが普通人が発見できないような美をすぐれた画家が抽出し、画布の上に表現することによって、はじめて生まれることを教えている。冒頭に引用したターナーに関する言葉は、普通人が何の感情もなしに見すごすような風景からも、すばらしい美を才能のある画家は見出すことができるものだということを言っているのであろう。
しかし、特別に美しい風景に接したときは、平凡人でもかなりの程度そこから美を感じとることができる。そのようなとき、画家が行うような美の抽出に、自分も成功したというよろこびが、まるで絵のようだという嘆声となって現れるのであろう。こう考えれば、この素朴な嘆声は、決しておかしくはなく、むしろ極めてすなおな感情の表出であることがうなずけるのである。
物理の実験をやってみて、それがうまくいったとき、なるほど物理の法則がちゃんと成り立っているのだなあと感銘するのも、これと似たところがある。いや単に似ているだけでなくて、本質的に同じことではなかろうか。画家が現実世界からその奥にひそむ美を抽出するように、物理屋は現実世界からその底にひそむ物理法則を探し出す。自分もニュートンやマクスウェルのような大物理学者がなしとげた法則の抽出を、おそまきながらあとづけることができた、というよろこびが、上記の感銘の内容であろう。
物理法則は、複雑な自然現象をありのままに観察しただけでは発見できないのが普通である。現実の世界には多数の物体が雑居しており、また一つ一つの物体も多種類の属性を持っているので、あるがままの自然界に起こる現象は、多数の要因がからみあって、非常に複雑なものになるからである。そこで物理屋は、着目している属性と、それを支配する要因のみが観測にかかるように、できるだけ単純化した条件を人為的に作り出してから実験を行う。つまり現実の世界のある一面だけが純粋に現れてくるような、理想化された舞台をしつらえてやるのである。
たとえばあまり面白い例ではないが、重力場の中での物体の重心運動をしらべる場合には、物体の形や色やその弾性的な変形などのことは意識の外におき、また重力以外のたとえば風や摩擦などの外力の影響をできるだけ小さくした状況のもとで実験を行う。いいかえれば、ありのままの自然界から極めて特殊なその一局面だけを抽象化し、ぬき出して考えるわけである。
このような抽象化は、一見自然に背を向けて人工的な世界に閉じこもるように見える。しかし、複雑な現象の奥深くにかくれている基本的な法則を見出すためには、抽象化は避けられないのであり、これによって初めて、自然を支配する法則をその本質的な形でとり出すことができるのである。ちょうど絵画において、純粋な形で美を抽出するためには、余計な細部を省略したり、重要な部分を誇張したりして、いわゆるデフォルメを行うことが必要となるようなものである。
物体の原子的構造をきわめることを主な仕事とする現代の物理学では、さらに進んだ抽象化が必要になる。なぜなら、物質の原子的構造や一つ一つの原子は、直接眼に見えるわけではない。われわれが観測するのは、原子の運動全体の結果として現れる物質の巨視的な振る舞いや、物質にX線や中性子線をあてたときにそれらが物質を構成する電子や原子核と相互作用する結果現れる回折パターンなどである。これらの測定結果から物質の構造を推定して理論的な計算を行い、計算結果を実験と比べることによって初めの推定が的を射ていたかどうかを判定するという間接的な方法によって原子構造をきめざるを得ない。ところが、物質は一般に複雑な構造をもっている。そのため現実の物質に忠実であろうとするあまりに、構造を推定するさいに考え得るあらゆる要素をもれなくとり入れてしまうと、その性質を理論的に計算することが極めて困難になるという事情が生じる。そこで、今着目している現象にとって本質的だと思われる要素だけを残し、そうでない部分は切り捨ててしまうか、またはできるだけ単純化したモデルを考え、それについて計算を行う、こうして得られた結果が実験事実の本質的な部分をよく説明していれば、考えたモデルは実際の物質の本質をよく浮き彫りにしたよいモデルであるとするのである。このようなモデルは、単に物体からその色や形という属性をぬき去るという操作より、はるかに高度の抽象操作によって作られるのである。
簡単化されたモデルを考えることは、一方では上述のような計算の困難さのために、やむを得ず行うことであるが、他方ではむしろ望ましいことである。というのは、もし計算の困難がなくて、個々の物質について実際の物質に非常に近く、したがって注目している当の性質ばかりではなく、他の性質をもことごとくよく説明できるモデルを作ることができたとしても、それが物理法則という観点からみてどれだけの意味をもつかは疑問だからである。法則というからには、多少とも広い範囲の物質に対して共通になりたつものでなければならないであろう。個々の物質を正確に記述しようとすればするほど、いろいろな属性や、それらの相互のからみ合いを漏れなく考慮しなければならなくなるが、その結果それに対する法則を見出そうとしている属性についてみると、むしろ邪魔な要因までとり入れることになって、かえって法則性が見失われてしまう危険が大きくなる。
こういうわけで、できるだけ広い範囲にわたってなりたつ法則をみつけたいという物理的な問題意識からみると、個々の物質に対してはかなり大きな省略やデフォルメがあっても、着目している物性の、多数の物質に共通な本質をよく説明するモデルの方がすぐれているということになるのである。
このような場合に行われるデフォルメは、絵の中でもとくに漫画のそれに似ているといえそうである。よい漫画、すなわち対象となっている人物なら人物の本性をするどくえぐり出して、それをヴィヴィッドに描いてみせる漫画にするには、如何にして本質的でない部分を大胆に省略し、如何にして本質的な面を思いきって誇張するかがポイントになる。同様に、物質のよいモデルを作るのにも、省略と誇張を如何にうまく行うかがポイントになるというわけである。いずれにせよ、物理屋の仕事には、画家や漫画家の仕事と共通な面が多分にあるといってよいであろう。
しかしながら、美を抽出するために画家が現実の世界から切り捨てた部分が、美にとっては非本質的であり些細であっても、他の観点から見れば非常に重要であるかもしれないということを忘れてはならない。たとえば人家の庭にひるがえる洗濯ものや、路傍にちらばった紙くずなどは、美の立場からは多分切り捨てられるべきものにすぎないが、社会現象としては本質的な意味をもつであろう。同様に、ある物理モデルが物質の一つの属性を支配する法則の理解に有効であっても、そのモデルを作るさいに見捨てられた部分が、他の属性に関しては重要な役割を演じることがあり得る。もっとも個々の物質の原子構造は、複雑といっても気象現象、地質現象、生命現象、社会現象その他森羅万象の底にある物質構成や人間関係に比べれば、問題にならないほど単純である。それゆえ物理では高々指で数えられる程度の数の属性を考えて、そのそれぞれに対する漫画を描けばよく、また都合のよい場合にはこれらの漫画を再び統合してより統一的な物質像を作ることができるかもしれないという期待さえもてることがある。しかし科学のすべての分野に対してこのような期待をもつことは無理と思われる。同じ景色を描いても画家によってでき上がった画はずいぶんちがい得るのである。
物理屋は、少数の比較的単純な法則が、広い範囲にわたってなりたつのを見なれすぎている。このため一つまたはいくつかの属性の本質をよくついた、あるいはよくついているかのように見えるモデルないし漫画が一つ見出されると、その有効性に酔って、すべてがそれで割り切れると錯覚しがちだが、それはいささか傲慢というものであろう。
数学はあこがれの美女
どういう運命のいたずらか、理論物理屋の中でもどちらかといえば数学がかったことをやるように、いつの間にかなってしまった。
学生時代には数学は嫌いではなかったにしても、それほど魅力を感じる対象ではなかった。旧制高校で習った微積分学や初等的な微分方程式論などは、人なみ程度にはこなすことができたし、練習問題もけっこう解けたはずなのだが、数学の面白さというものがピンとこなかった。これは多分、この段階ではまだ数学がもっぱら技術的意味しかもたず、数学に特有の、多くのものに共通する構造を見出すよろこびがまったく感じられなかったためであろう。
そんなわけで、その頃は数学よりも物理、いや物理よりもっと具体的でモノの手ざわりがじかに味わえるような気がする化学や、目のあたりに見えるナマナマしい現象のいぶきに直接触れることができるように思われる気象学などの方に、より興味をもっていた。
物理というのも、数学に比べれば、たしかに具体的な手ざわりがあったが、やはり何となく無臭無味の世界という感じで、つめたく近寄り難いという印象が強かった。これは実験をほとんどやらなかった当時の――今でもそうかもしれない――旧制中学・高校の物理教育のせいかもしれない。しかし、何といっても自然科学の中では抽象化の程度がきわだって強いという物理学そのものの性格が、抽象の面白さがわかるにはあまりにも未熟だった私の頭脳に訴えなかったためであろう。
一方、モノをナマの姿でとり扱うことがさらに多いのにもかかわらず、生物学や地質鉱物学などには私はまったく興味がもてなかった。それはこれらの学問が、今度は私にとってはあまりにも記述的でありすぎたからである。抽象の面白さはわからなかったけれども、あまりにも即物的すぎ、理論的な系統だてのほとんどない――あるいはないように見える――博物学的記述の羅列もまた、私の興味をひかなかったのだ。
ところが、高校を終える頃には、その化学や気象学にも何となく記述的な面が強く感じられてきたのは妙であった。そのためこれらに対する興味も索漠としてき、次第に物理学の方に強くひきつけられて、結局物理学科を志望することになってしまったのである。
といっても私の興味は、依然抽象的な理論それ自身よりも直接手ごたえのあるモノの方に向いていた。もちろん力学、電磁気学、量子力学などの基礎理論は、私なりにその論理構造を系統づけて理解することに努力し、結構熱中したのだが、学校ではもっぱら実験にエネルギーをそそいだ。
物理学科の応用数学の講義は、高校の時の微積分の講義よりもはるかに味気ないものだった。その時の担当の先生が講義不熱心で有名な方だったことにもよるが、とにかく相互に脈絡のない、断片的なテクニックの寄せ集めという印象が強く、講義を補うために自分で独習する気も、演習問題に積極的にとりくむ気もほとんど起こらなかった。
一方、数学科の純粋数学の講義もはじめのうちは聴きに行き、部分的には魅力を感じるところもないではなかった。しかし、数学というものの本質的な面白さを悟るに至らないうちに、あまりにもすき間のない論理の連鎖が息苦しくなってやめてしまった。
こうしてすっかり実験家になるつもりでいた私に別な刺激を与えたのが、音響分析の大家であった故今堀克巳教授の、「振動・波動・統計」と題する特殊講義であった。これはラプラス変換およびフーリエ変換を軸として、線型な振動・波動現象と確率過程とを統一的な立場から眺めてみようという試みであった。この考え方は今でこそ常識的なこととなっているが、当時としては非常に斬新なものであった。それより何よりも、一見種々雑多に見える事象の奥にひそんでそれらを貫いている原理をえぐり出し、それにもとづいてこれらの事象をとり扱い、理解する一貫した方法論を打ちたてようという今堀先生の情熱が、私をすっかり魅惑したのだった。
こうして最終学年には今堀先生の研究室に入れていただいたのだが、先生はすぐれた実験家であったし、私も先生の講義によって物理の理論の数学的な側面にいたく心をひかれはじめたけれども、はじめは依然として実験を続けてゆくつもりだった。しかしこの頃からようやく、自分の実験家としての資質を少しずつ疑いはじめてもいたのである。今堀研究室に入る前にやっていた分光学の実験でよい結果が得られなかったということもあったが、ここで改めて始めた高分子溶液の実験がまたあまり成功せず、いや成功不成功以前に、あまりにも稚拙な実験装置しかどうしても作れないのに、我ながら愛想が尽きてきたのである。
一方、たまたまこの頃脚光をあびていた位相差顕微鏡の理論にフーリエ変換の立場から興味をもって、少しばかり計算してみたところ、いくらか話になる結果が得られたことに気をよくして、理論もやればできそうな気がしてきたのであった。と同時に、数学を勉強しなければ、という気がむらむらと起こってきて、次第に実験の方はサボって数学の本を読むのに熱中するようになったのである。
このころ最も熱心に読んだのは、ハルモスの「有限次元のベクトル空間」と、ヒルの「汎関数解析と半群」、レヴィの「確率変数の加算の理論」、ストルの「線型代数と行列の理論」などであった。ハルモスやストルの本は数学の素人にも読みやすく書かれていて、完全に理解することができた。それに対して、ヒルとレヴィの本は私には手ごわい難物だった。しかし半年ほどの間、これらに全力をあげて、何とか曲がりなりに読み終えたのであった。
数学に夢中になったため、研究の方はしばらく停滞してしまったが、これらの本によって得た知識がいくらか役にもたって、今から考えると到底論文というにははずかしいものだったが、長期予報の理論や薄膜層中の光の伝播に関する小論を活字にすることができた。それに眼をつけられて、皮肉にも学生時代怠け放しだった応用数学(物理数学と名が変わっていたが)の講義をもたされることになった。私はとるものもとりあえず、モースとフェシュバッハの「理論物理学の方法」を読みながら、講義の原稿を作ることに、半年ほどの間集中、専念した。
何分にも急な話で、あわてて準備したので、はじめのうちは十分自分流にこなした話はできず、聴いてくれた学生諸君には気の毒なことをしたと思っている。しかしその後少しずつ整備するうちに、物理数学というものも必ずしも断片的なテクニックの集まりではなく、一貫した考え方で体系づけることができるものであり、またそうしてみるとけっこう非常に面白いものだということがわかってきた。莫大な時間を費やして数学を勉強したことは決してムダではなく、こうして物理数学の自分なりの体系を作ってゆくための基礎となったのである。
さて一方、研究の方もようやくこの頃暗中模索の域を脱することができた。テーマは主として不完全結晶の理論であったが、これに興味をもった動機は、いろんな現象の底にひそむ共通の論理構造をあばいてみたいという、本質的には数学的な欲求であった。この研究にさいしても、かつてやった数学の勉強や、物理数学の講義の経験が大いに役立ったことはいうまでもない。
学生時代にどちらかというとナマナマしいモノの方に興味があって、数学には魅力を感じなかったというのは、どうやら無理な偽装だったらしい。結局私は、個々のモノの特殊な性質をくわしくしらべる仕事よりも、雑多な現象の間の相互関係や共通点を見出すことに、もともと興味があったようである。つまり生物学や鉱物学に興味がもてなかったのと同様に、個別的なモノに関する知識の単なる集積には興味がもてないようにできていたので、今堀先生の講義が私の偽装をはいで、本来の興味をひき出してくれたらしいのである。
今でも、いや年をとるにつれてますます、個別的なモノに関する微に入り細をうがった話には、私はどうも興味がもてない。それではいけないと思いながらも、なかなかその傾向にさからえないでいる。
もっと早く気がついて、すき間のない論理の連続にへこたれずに、数学をちゃんと勉強していたら、よけいなまわり道をせずにすんだのだが、と時折り口惜しく思うことがある。しかし一方では、まわり道をしたおかげで、戦後の理論物理ブームの時代に、それに背を向けて数学に熱中するめぐりあわせとなり、ブームにまきこまれて自分を失い、大家の亜流に甘んじてしまう危険からのがれて、ささやかながら独自の仕事をすることができたのではないかという気もする。とまれ今後も、数学は私にとってハシタメであると同時に、あこがれの美女でありつづけるであろう。
弱さと規格外れと文明と
ある未開民族の部落では、少年が一定の年齢に達すると、自分の背より高い石の塔を飛びこえるというテストを受けることになっていて、それが出来ないと殺されてしまうということだ。この話をきいたときはしばらく身震いが止まらず、文明社会に生まれたことをつくづく感謝したものである。私のような貧弱な体躯の持ち主でも一人前の面をして堂々と(?)生きていることができるのは、まことにありがたいことである。
少し前までは、喫茶店やレストランの通りに面した窓には必ずカーテンがかかっていて、食事をしているところが表から見えないようにしてあったが、最近はガラス張りの飲食店が増えてきた。後ろはガラス張り、前は一面の鏡というビュッフェさえ出現して、若い人たちにけっこうもてているそうである。
たしか柳田国男氏が戦前に、昔の小学校では、食事時間に弁当箱を一生懸命に手で覆いかくして食べる子供が多かったが、近頃はデパートの食堂のような、見ず知らずの人間同士がおおっぴらに食事をする場所が出てきたためか、そんな風景が見られなくなった、と書いておられたのを読んだことがあるが、その傾向がさらに進んできたらしい。
食事をしている状態というのは外敵に対して最もスキのある弱い状態の一つだが、近代になるほど、そういう弱さをさらけ出しても不安を感じないですむようになった、ということであろう。
いずれにしても、自分の責任で生じたのではない弱さに対してひけめを感じないですむ程度が、文明をはかる一つの尺度になる、といえそうである。もしそうならば、石の塔を飛び越えることができなくても生きていることにひけめを感じないですんだり、他人の眼前でおおっぴらに食事をすることができたりする点では、日本は立派な文明国であることになる。
だが、そのほかの点では、果たしてどうであろうか。
大分前サザエさんの漫画に、新調のワンピースに身を包んで意気揚々と街を歩いていたサザエさんが、まったく同じ柄のワンピースを着た女性とバッタリ出会って急にしおれてしまう、というのがあった。他人とあまりちがうのを嫌い、その時々の流行の規格から外れることを極度におそれるが、かといって他人とまったく同じなのも困る、という心理を見事に揶揄《やゆ》して、思わず笑いをそそられる図であった。
学界でも似たようなことがある。流行のテーマから著しく外れたことをやっていると、何となくとり残されたような気がして不安なので、流行に乗りながら、しかし他人とはちょっとちがったテーマをつかまえることに眼の色を変える、という風景をよくみかける。真に独創的な仕事をするためには、孤独に徹しながら、はやらないことをコツコツやることが必要な研究という仕事においてさえこういう傾向が見られるのは、日本では、体格が並みはずれて貧弱だという程度ならばともかく、規格からの外れ方のスケールがそれよりもいささか大きくなると、いかにたちまち生きにくくなるかを示しているといえよう。
観光バスというものに私は乗ったことがない。ガイドの指図通りに右を見、左を見るのが身震いするほどいやだからだ。ガイドののべつ幕なしのおしゃべりや歌、でなければ天井から絶え間なく流れてくるラジオの饒舌をいやおうなしに聞かされるというだけの理由からも、まったく乗る気にならない。観光バスには乗りたくなければ乗らないですむが、普通の路線バスでもなくもがなの観光案内やラジオの音にヘキエキさせられることが多いのは困ったものである。乗っている間をどう過ごすか、また風景をどう味わうかは人それぞれにまかせておけばよいので、おしきせの案内や放送は迷惑である。これもまた、人間というものはガイドされたがったりラジオを聞きたがったりするもの、と思いこんでガイドされたがらない、または静けさをたのしみたい規格外れの人間を大事にしないことのあらわれであろう。
規格外の者が生きにくい社会は、一見まとまりがよくて安定なようだが、規格の方がちょっと変わりだすと我も我もと新しい規格のバスに乗りこむから、規格を一方むきに止めどなく変化させてしまい、極端まで行かないと戻らないということになりやすく、むしろ非常に不安定なのではないかと思われる。
規格はずれを大切にしたいものである。
紅茶・テープレコーダー・エントロピー
紅茶中毒ですね、と人から言われるほど紅茶が好きである。一日に三杯は紅茶を飲まないと、どうも気分が落ち着かない。理論的にはそんなことはあり得ないはずなのだが、夕刻以後コーヒーを飲むと夜とかく眠れなくなるのに、紅茶だと就床直前に三杯飲んでも熟睡出来るのだから、救いがたい。
田舎を旅行していると、一日中全く紅茶を飲む機会がないことがしばしばあるが、そういうときには、大げさにいえばちょっとした禁断症状を呈してしまう。次に紅茶にありついたさいには、たとえそれが怪しげな喫茶店のインスタント・ティーであっても、何にもまして美味しく、腹の底からしみじみとした幸福感が湧いてくるような気分になる。
それほどの症状になくても、街をあちこち歩きまわって疲れたときなどは、喫茶店で一休みして味わう一杯の紅茶が、たいていの場合、文句なく気分を爽やかにし、次の行動に移るエネルギーをリクリエイトしてくれる。もっとも、札幌の街の場合には、疲れていても研究室に戻るまで我慢して、戻ってから自分でいれることもある。自分でいれた紅茶が、何といっても一番美味いからである。
近頃はバッグ・ティーで間に合わせる喫茶店が多くて幻滅である。喫茶店をやっている知人の話によると、そうでない場合も、同じ葉を二度使ったり、点滴のような面倒な手間を省く店が多いのだそうだ。喫茶店で飲むのは紅茶ではなくて雰囲気なのだ、と思っても、そう聞くと、金を払って紅茶を飲むのなど、お人好しのすることにも思えてくる。しかしやはり、自分でいれることができない旅先その他で、紅茶に飢えてくると喫茶店にとびこむという私の習性は変わりそうもない。
田舎には喫茶店というものがそもそも少ないが、それは止むを得ないとしても、コーヒーはあるが紅茶はないという店が多いのには閉口する。また紅茶はできるが、レモンティーだけで、ミルクティーはないという店も時々ある。それに、旅先でよく利用する、というよりも利用せざるを得ない列車の車内販売で、コーヒーは売りにくるが紅茶は決して売りにこない、というのも不思議な現象である。コーヒー党が紅茶党よりも数の上で圧倒的に多いのはたしかだが、だからといって紅茶愛好者を無視してよいことにはなるまい。
紅茶が飲みたいのにコーヒーでがまんさせられるという眼に会うたびに、イギリスに住んでいたときや、ヨーロッパ各国をまわったときはそんなことはなかったが、とヨーロッパが何でもかでもよいと思っているわけでは決してないのだけれども、つい考えてしまう。
紅茶のいれ方にしても、売り方にしても、もうかりさえすればよいという考えが露骨にあらわれているような気がしてならない。味の方はさておくとしても、コーヒーか紅茶かは言うに及ばず、ミルクかレモンかの選択ぐらいは、どこへ行っても自由にできるようにしてほしいものだと思う。
こういうことは、何も田舎や列車の中に限った話でも、また紅茶に限った話でもない。
四、五年前に、某社のオープンリール用の小型テープレコーダーを愛用していたことがある。重さ五キロぐらいで、持ち運びが手軽にでき、大変重宝していた。ところが、必要があって、同じ器械をもう一台買おうと思ったところ、その型はもう作っていない、といわれた。そのためより高級品ではあるが、はるかに重くて到底気軽には持って歩けないものを買わざるを得なかったことがある。
その頃はもう、カセットの質がかなり良くなっていたから、携帯用の録音器はカセットレコーダーにまかせるという方針になっていたらしい。音質にそれほど神経質になる必要のない私の使用目的に対してはカセットで十分だったのかもしれないが、私はどうしてもオープンリールに愛着があったし、今でもそうである。不合理な食わずぎらいといわれても、好みというものは理屈では割り切れないものだから仕方がない。それぞれの嗜好と目的にてらして一旦これだと思った製品をいつまでも愛用できるようにしてほしい、と思ったことである。
テープレコーダーに限らず、電機製品、カメラ、その他もろもろの器具のモデルチェンジが頻繁に行われて、一つのものを息長く愛用しにくいという状況は、まことに困ったものである。古いものを大切にして愛用しようとする人たちは少数派であるかもしれないが、少数派であるがゆえに、モデルチェンジという強制によって、いやおうなしに使いたくもない器械を使わされるのはかなわない。
その時代々々によって、最も需要の多い規格型の製品が変化してゆくのは当然であり、止むを得ないことである。しかし、規格から外れたものがまったく作られなくなるということ、いいかえれば、ごく少数の種類に製品が「規格化」されてしまい、少数派のほしいものがその規格の外にはみ出て無視されてしまうのが問題なのである。
製品がより精巧に、より便利になるのは結構なことだが、高級なものしか作られなくなり、それにひきずられて高級なレベルですべてが規格化されるのは少しも結構なことではない。使う目的によっては牛刀で鶏をさく愚に堕するにすぎない場合もあるのだから、それぞれの目的にとってちょうど手頃な製品がいつでも手に入るように、規格から外れたものもつねに用意しておくのいが、商売道というものではないだろうか。
このほかにも似たような例は枚挙にいとまがない。私が切実に感じている例を二、三あげてみよう。文房具は私のような商売にとっては伴侶のようなものだが、気に入ったデザインのものをずっと使い続けたいと思っても、頻繁すぎるモデルチェンジのためにそれがむずかしく、好きな伴侶と永年つれそうことがほとんど不可能である。また私は地図に大きな関心をもっており、とくに国土地理院の地形図を昔から集めているが、これの図式がやたらに改正されるのは困りものである。時代の変遷に応じて地物の表現法が次第に変わってくるのはある程度必然的なことだから止むを得ない。だが、変えなくてもよい記号まで変わり、しかも中には改正ではなくて改悪と思われるものもかなりある。そのために古い地図と新しい地図を比べて地物の変貌を客観的に追うことができにくくなってしまった。図名や隣接国名の記されている位置が変わるのも、地図を整理する上に大きな支障となる。
新幹線があちこちにできて、急ぐ場合に目的地へ速く着けるようになるのは、それはそれでありがたいことである。しかし、そのために、ゆっくり走る列車がどんどん減って、のんびりと旅情を楽しみたい人がワリを食うのは、少しもありがたくない。いやそれ以上に、単なる場所の移動でない本当の旅を味わいたいと本来思っている人たちまでが、周囲がやたらに急ぐために、何か急がなければ気がひけるような気持ちになってしまうのがおそろしい。スピードアップが悪いというのではなく、私自身もそれだけの値うちがあると考えたときは積極的に利用している。ただ私にとっては速く行くことが至上価値ではないから、アップしたスピードにすべてのスピードが規格化されてしまい、その規格から外れた人間が異端視されるような風潮が生じることが困るのである。ゆっくり旅をしたい人も、急ぐ用事を持つ人も、平等にそれぞれの目的に応じた乗りものを選ぶことができるようにしておいてほしいのだ。
消費生活が豊かであるということは、バラエティに富んだ好みや目的にこたえることのできる、多様な製品がつねに用意されていて、選択の可能性が大きいことだと私は思っている。高級品を作るのも悪くはないが、高級品ばかりしかなく、簡素な生活をしたいと思う人までが、不必要な性能まで、ムダな金を払って買わなければならないようでは、文化が高いとはいえないであろう。高級品を使うことと、心ゆたかな生活をすることとは別のことなのである。高級品を使いたい人が使うのはもちろんまったく差し支えないが、万人にそれを押しつけるのはコマーシャリズムのエゴだと思うのである。
モノを作るということはエントロピーを小さくすることであり、大ざっぱにいって、高級品ほどエントロピーが小さいといってよいと思われる。人間は自分の意志でエントロピーを小さくすることができることで他の動物にぬきん出ており、その能力によって文化、文明を創りだしてきたわけだから、エントロピーの小ささが文明の高さをはかる一つの尺度であることは間違いない。芸術作品にしても、すぐれた作品ほど、どこか一ヵ所を一寸変えるとまったく違ったものになってしまって、味わいがガタンと落ちてしまうものである。これは、その作品が表現しようとする内容に対して、ほとんどただ一つの表現の可能性しかないということだから、やはりエントロピーが小さいということに他ならず、したがってここでも、エントロピーの小ささが作品の質の高さをはかる尺度となるといえよう。
しかし、エントロピーの小ささは、あくまでも文化の高さの一つの尺度に過ぎない。ある製品がいかにすばらしい高級品であっても、すべてがそれに規格化されてしまって、世の中に存在するのがその一種類だけになったら困るのはわかりきっている。またどんなに洗練された芸術作品でも、それ以外の作品の存在が許されない社会がもしあったとしたら、それはおそるべき味気のない、おそらくどこかに重大な欠陥のある社会であることは間違いないであろう。
個々の作品なり製品なりについては、エントロピーが小さい方が、あるいは少なくともエントロピーの小さいものの存在する方が文化が高いことになるが、多くの作品や製品の集まりに対しては、極力規格化を排して、選択の可能性を大きくすることが文化を高めることになる、と考えられる。
熱力学の第二法則が正しい限り、エントロピーを小さくしようとすれば、どこか他の場所で必ずエントロピーが大きくなって、公害が発生する。石油危機のおかげで、やみくもにエントロピーを小さくすることにのみ逸ってきたことに反省の機会が与えられたのは、ありがたいことと思わなければならないであろう。規格化をできるだけ少なくし、選択の可能性を増やすことによってエントロピーを大きくすることが、直ちに公害の減少につながるとは性急に結論できないが、何等かの意味でその一助になると思われる。
それはさておいても、少数派が疎外されることをなくして、真の意味で豊かな社会を作るのに貢献することは間違いないと思うのである。
物理屋・汽車・トポロジー
国鉄の主な幹線の駅名をことごとく記憶しておられるという、鉄道好きで有名なT大学物理教室のT先生を囲んで一席設けたときのことである。
私も鉄道が好きなことでは人後におちないので、T先生と大いに意気投合して汽車の話に花を咲かせていたところ、同席の化学のO先生が見るに見かねて?、物理屋にはなぜこう汽車好きが多いのだろう、と慨嘆された。
汽車好きというのはもともと、どこかが少しおかしい変わり者扱いされていたのが実情で、最近のSLブームのおかげでようやく市民権を得た?人種にすぎない。いわんや、謹厳にしてきまじめな方の多い物理屋の仲間で、鉄道が好きだ、などとうっかり言おうものなら、ずいぶん子供っぽいやつだなあ、とケイベツの眼差しで見られかねないのだが、高名なT教授が同好の士であることについ気をゆるして、タワイのないおしゃべりをしていたわけである。だからO先生の言にハッと我にかえったものの、物理屋に汽車好きが多いなどというのにはにわかには賛同できなかった。
だがいささか落ち着いてふり返ってみると、O先生のいうこともまんざらでたらめというわけではなさそうだ。物理屋にはまじめ一方で、これもある化学の先生がひやかして、キマジメ、クソマジメ、バカマジメはマジメの一種じゃなくてバカの一種だよ、と大笑いされたのに大いに共鳴したくなるような御仁が多いことも事実である。しかし、私の身のまわりを見まわしても、落語の本と寄席には眼がないという粋人や、くろうとはだしのピアノの演奏家や、かつてアイスホッケーのホープとして全国に勇名をはせたというスポーツマンや、ひとたび筆をとればその風貌からはとても想像できない見事な風格をもつ文字が忽然と紙の上に流露するという書の大家など、五指を屈するのは容易だから、多彩な趣味、道楽、副業の持ち主が物理屋に多いこともまた事実のようである。従って物理屋の中の鉄道愛好家のパーセンテージが他の分野に比べて大きいとしても不思議ではないのかもしれない。だとすればもうちょっと胸を張って、オレは汽車が好きだ! と叫んでもよいのかもしれない。
話が脱線してしまった。物理屋に汽車好きが多いのはなぜか、というのがO先生の問題提起だった。さあて、と私が腕をこまねいていたところ、T先生が、それは物理屋は一次元的につながっていって、途中で分岐したり合流したりするものが好きだからだよ、と大変明快な答えを出されたのである。
なるほど、そういわれればそうかもしれない。たとえば物理屋が最も興味を持つのは、物質の状態の時間的変化である。時間というものはもともとが一次元的である上に、われわれが物事の時間的経過を見るさいには、一刻一刻と追いかけて見るほかはないから、当然といえば当然な話である。物理屋は時間的変化を考察する場合、とかく長い時間の間におこる変化全体をみわたすよりも先に、ある時刻における状態がすぐ次の瞬間にどう変化するかということを考え、それを次々とつないでゆきたがるのである。
もっとも、時間と空間を対等にとり扱い、両者をいっしょにして、状態の時間的変化の問題を四次元の空間の中の幾何学的な曲線の問題に還元してしまう相対性理論や、無数の粒子が集まってできた複雑な構造をもつ物質の状態の時間的変化を、やはり抽象的な多次元空間の中の幾何学的な経路としてつかもうとする理論なども存在することはする。しかし、これらを駆使できるのは少数の専門家だけで、大多数の物理屋にはそういう考え方はどうもやはり苦手のようである。
三次元的にひろがった物質の構造や、その状態の空間的な変化もまた物理屋の研究対象だが、この場合にはT先生の見解はちょっと眼にはあてはまらないように思える。しかしちょっと省みると、三次元的なものを扱うときも、一次元的なつながりが次々と積み重なってできたネットワークとしてそれを見るクセが物理屋にはあることに気がつく。
たとえば、原子が規則正しく並んだ結晶を考えるとき、物理屋の頭に浮かぶイメージは、三次元的なモノのひろがりというよりも、むしろ原子が次々とつながって行った結果出来たネットワークというおもむきが強いのではあるまいか。一つ一つの原子がとなりの原子とどういう風につながっているか、つまり一つの原子の近傍がどんな様子になっているかが物理屋の興味をひくのであって、つながって行った結果出来上がったものが何次元的にひろがるかは大した意味をもたないようである。論より証拠、一つの原子とその上下にある原子との結びつきが左右前後にある原子との結びつきに比べてひどく小さいと、物理屋は上下の結びつきを無視してしまって、前後左右の結びつきだけを考えてしまう。この結びつきによってでき上がるものは二次元の結晶である。そんなときに物理屋の意識に上っているのは、現実にあるものが厳として三次元的なモノであるにもかかわらず、原子の二次元的なネットワークなのである。
さらにいえば、一つの原子の近傍におけるそれと他の原子とのつながり方、つまり局所的な環境がもっぱら物質の性質をきめていて、次々とつながって行った結果全体がどんな恰好のものになるかは本質的でない場合がかなりある。そんなとき物理屋は、そのモノの性質をいちじるしく変えない限りにおいて、モノ全体の形を自由にねじ曲げることをよくやる。結晶のある種の性質を論じるさいに、結晶の上の面と下の面、右の面と左の面、前の面と後の面とが同一の原子からできていると考えて計算したりするのはその一例である。たとえば二次元の結晶ならば、上の縁と下の縁を張り合わせ、右の縁と左の縁とを張り合わせて、ドーナツ型の結晶にしてしまうわけである。こうしてみると、一見現実のモノにきびしくしばられているように見えながら、物理屋の頭は存外やわらかい、といえそうだ。
理論物理屋が考えるモデルになると、この融通性はさらに大きくなる。問題としているモノの本質的な性格を変えない限りで、思い切った単純化や、人工的な変形を行って、一見実物とは似ても似つかぬ、しかしそのものの本性をよく説明してみせるモデルを考えるのが、理論物理屋の仕事だといってもよい位なものである。
物理屋の頭の中にある物質像は、出っぱって邪魔な半島をひっこませ、直角に曲がっている陸地をムリヤリにまっすぐ引き伸ばして、日本列島を細長い絵巻物の中に押しこめる鉄道地図と似たところがある。そんな変形を加えても、鉄道線路のつながり方のネットワークが間違っていない限り立派に役に立つと同様に、一寸見には極めて人工的な原子のネットワークがモノの本質を見事に浮きぼりにすることがあるのである。
しかし物理屋がいくら融通性に富んでいるといっても、数学者の、とくにトポロジストの自由奔放さに比べると、残念ながら顔色がない。球体のあちこちから細長いツノを引っぱり出し、それを無限にからみ合わせて、蟹のバケモノのような薄気味の悪い怪異な空間を作ってみたり、玄関も裏口もなく、煙突からしか出入りのできない奇妙な家のような空間を考えてみたりする想像力と勇気をもつことのできる数学者がうらやましい。
とにかく、微分方程式によって記述される、局所的な場の性質から全体の場のふるまいがきまってしまうという性格の物理法則が多いせいか、物理屋は大域的な考え方が苦手なようである。トポロジーの大域的な定理が物理に応用された例もないではないが、物理屋にとってはあまりにも漠然とした結論しかひき出せないために、あまり大きな関心はもたれずに終わっている。下北半島を細長く引き伸ばして渡島半島のまわりに無限にからませた鉄道地図が存在しないように、しょせん物理屋にはあまりにも現実ばなれのしたイメージは描けないのかもしれないが、たまには奔放なトポロジストのマネをしてみたいものだ、という夢が、物理の思索にゆきづまって、ちょっと一休みするたびに、私をおそうのである。
●堀淳一(ほり・じゅんいち)
一九二六年、京都市生まれ、北海道大学理学部物理学科卒業。物性物理学・統計力学・数理物理学を専攻、北海道大学低温科学研究所助手、理学部教授を経て、一九八〇年退職し、現在、エッセイスト・地図研究家として活躍中。『ランジュバン方程式』などの専門書ほか、『旅あの日この日』、『ヨーロッパ軽鉄道の詩』、『地図――「遊び」からの発想』、『地図の風景』(共著)など、著書多数。『地図のたのしみ』で一九七二年日本エッセイストクラブ賞受賞。ブルーバックスには、『エントロピーとは何か』がある。
本書は、一九七四年一二月,講談社ブルーバックスB‐254として刊行されました。