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恋のあっちょんぶりけ
北川悦吏子
目 次
私なんてもてませんから
あの時代のあの空気
捨てた恋
竹野内くんと豊川さん
心の向きはマイナス
あのしあわせな時間
つんくに会いたい
信じる力
おかんの驚異
兄のこと
中居くん対談
青空カラオケ
明日、春が来たら
憧れるような青い空
男にもてる方法
口説き文句
初顔合わせ
頭が止まる
何で私なんか、の落とし穴
お風呂三昧
怒った!
おばさんセクハラ
ベッドシーンを書く
こわれてしまった中居くんと、弱気な私
誘導尋問な人
許してほしい
ささやかな恋
ビーチボーイズ考
海なんてどこにもない
手紙
恋に落ちる
休日ポテトサラダ
打つしかないようなトスを上げる
お化粧BGM
眠れぬ夜に、見知らぬ19歳の女の子の半年を考えた
親しい人がいなくなる
『最後の恋』その後
人が心の中に飼っているもの
変わっていく人間関係
結婚と恋愛は違う
幻の出演依頼
美人考
舞台裏
祝! 豊川悦司結婚
あの子のピエロ
SMAPの夜空ノムコウ
誰かが誰かをしあわせにしている
失恋の対処法
こわいもの見たさ
愛される理由
突然の家出
春の花束
カッコいい人
恋の終わり方
人は自分の絶頂期を背負う
真夜中のガードレール
タイタニック!
とどめを刺すのはいつも女
生活の中の不協和音
人生はいつまでも楽しい
あとがき ─時を生きる私─
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あっちょんぶりけ≠ニは、手塚治虫の『ブラック・ジャック』に登場するピノコの口癖です。『ロング バケーション』では、稲森いずみさんが演じた桃子が、留守番電話で使用していました。
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私なんてもてませんから[#「私なんてもてませんから」はゴシック体]
知り合いのプロデューサーが、フライデーされた。巻頭ぶちぬき3ページ! 相手は一流の女優さん! 今までただの汚いアンちゃんだと思ってたのに彼を見る目が変わったことよ。後光が差して見えた。やっぱ、人って、きっかけですね。
で、その話を別のプロデューサーと電話でしていたら、その人も「いやあ、実は僕もね……」と言いだして、私は彼のスクープも知ったのである。
まあ、それはガセだったんですが、やっぱ、いいよね。男の勲章でしょう。女優さんとスキャンダルになるっていうのは。
なんか悔しいざんす。フライデー、フォーカス、めくるめく芸能界。アンアンもいいけど。やっぱりフライデー、フォーカス。いつまでたっても、女流脚本家はその仲間に入れてもらえないのか。
そして、この間、件《くだん》のフライデーのプロデューサーも交えて仕事仲間の男の人たちと飲んでた時、「だれそれ《プロデューサー》とだれそれ(女流脚本家)があやしいらしいがどうか」という話題になった時、「でも、脚本家だろ」とA氏、「脚本家だもんなあ……」とB氏、「わざわざねえ……」と余裕のフライデーS氏、「まあねえ……」とC氏。その話題はそこで消え入るようにおしまい。興味があるのは私だけ。相手にされない女流脚本家。
てめえら、一体、誰と飲んでると思ってんだ! と心の中での叫びを飲み込んだ。
さて、電話で話していたプロデューサーも痛いところをついてきた。
「北川さんも、ここらで一発、スキャンダルでしょう」
「いや、でも、女はダメですよ。その手のこと勲章になりませんから。嫌われますから」
「そうですか? 聖子ちゃんもいるし、そんなことないでしょう」
「いや、女はダメです。マイナスです」という虚《むな》しいやりとりを続けながら、私はこういう時、ホントはどう言うのが、一番カッコいいか知っている。
「ダメですよ。私なんてもてませんから」
これがスラリと言える大人の女を目指してたんだが、私は言えない。何度か言おうと葛藤《かつとう》したが、結局言えなかった。言ったが最後、そうか、もてないか、と思われるのがこわいからだ。実際そんなもてないもん。脚本家であることのトラウマ。よくわかんないけど。
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あの時代のあの空気[#「あの時代のあの空気」はゴシック体]
煙るような雨が3日続いた朝に、なぜかぼんやりと大学時代に仲のよかった男の子のことを思い出した。
その人は、マンションの上の方に住んでいて、私はたまに遊びに行った。
今思うと、私はその子のことが少し好きで、その子も私のことが少し好きだったんだと思う。
でも、その頃は、もしかして私のこと好きなのかしら、などと思おうものなら、その自分の分析に過剰反応してしまって、いやいや、そんなことは……とか、私たちはそういう関係じゃないし、と堂々めぐりの泥沼に落ち込んで、ぐるぐる朝まで考えちゃうもんだから、そういうことは一切、考えなかった。
こういうことって、その時から、遠く離れると客観的に、スウッと本当のところが見えてくるもんだと思う。
普通、若い男女のちょっといいと思っている者同士というのは、恋、とかに発展しがちで、ふたりがちょっといいと思いながらもともだちでいた時代というのは、恋の序章だったということに時がたつと落ちつくのだが、私と彼の関係には、加速度というものがまるでつかず、はずみとかきっかけというものが来る予感もまるでなく、ずーっと、いいともだち(? とさえ呼べるかどうか。たまに会ってゴハンを食べたり、授業の空き時間にお茶を飲む程度)のままだった。
彼も私も、若いわりに老成した性格だったせいかもしれないが。
でも、もう何年もたつのに、私はその子のことをわりによく思い出す。大恋愛して死ぬの生きるのと騒いだ相手とか、つらい片思いをした相手とか、わりに思い出さない。
というのは、恋愛が自分につれてくる感情とか、片思いが自分につれてくる感情とか、確かにインパクトはあるが、相手が変わってもたいてい同じようなものなので(せつなく甘く苦しい)、やはり思い出の中で紛れる。
どこにも到達できなかった私とその男の子の関係は、今にして思うとあの頃ならではだな、という気がする。大学生という責任のない、出ても出なくてもいい授業に毎日を彩られていた時代の産物だな、と思うのだ。
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捨てた恋[#「捨てた恋」はゴシック体]
「一緒にいよう、30になっても、40になっても、50になっても一緒にいよう」
というのは、私があるドラマで書いた男の人のセリフである。
そんなふうに言われたことがあるんですか? とそのドラマを見た人から質問されたけど、言われたことがあるんではなくて、そんなふうに言ってほしかった、という話です。
でも、その人は絶対にそんなふうには言わなかった。そして、私もそんなふうに言ってほしい、とは言えなかった。なぜなら、彼は妻子持ちだったから。
離れていてもいつも心配してる、とか一番、大切に思ってる、とかそんな言葉、その時だけの言葉だ。いくら綺麗《きれい》な言葉でも。
宝石だったら、1回もらったらずっと輝き続けるけど、言葉は消えていく。
私は100の綺麗な言葉より、一日一緒にいてくれることの方を選ぶ。
不倫の恋は、消えていくことの羅列だ。
だから、私は一歩を踏み出さないで終わった。
でも、25を過ぎる頃から、周りでは不倫が増えた。ともだちでもチラホラ。
不倫の恋は元気な恋じゃないよね、そんな恋をしていると自分まで元気がなくなってしまう、というのが私の持論だったけれど、私のともだちたちが不倫をやめたきっかけは、奥さんにばれた、とか別に好きな人ができた、とか相手の人に別れよう、と言われたとかじゃなかった。
Aちゃんの場合は、夜中に酔っぱらって彼の家に無言電話を5回連続、かけてしまった時。
Bちゃんの場合は、彼の家の前まで会いに行って待ち伏せしてしまった時。
AちゃんもBちゃんも言った。ここまで来たらもうやめよう、と思った。
それが、私はすごくわかる気がした。自分がミジメだったからでも、相手に迷惑がかかると思ったからでもない、と思う。
そんなことをする自分に、うんざりだったんだと思う。自分の美意識に反するというか。
そして、私はそんなふたりが好きなんだけど。
こうして、彼女らは不倫の恋を捨てた。勇気のない私は、手に入れる前に捨てたわけだけど。
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竹野内くんと豊川さん[#「竹野内くんと豊川さん」はゴシック体]
この間TBSに新しいドラマの打合せで行った時のこと、プロデューサーの貴島さんが、「竹野内くん、いますけど、会ってきますか?」と言った。竹野内くんは、『理想の結婚』というドラマのロケをTBSのビルの中でやっている最中だった。私は、『ロング バケーション』の打ち上げ以来、彼に会ってなかったので(と言っても、打ち上げ含めて会ったのは3回くらい)、「はい、会います」と言った。
私は「ロンバケ」やってる時、一度でいいから「夕御飯どうする?」と彼に聞いて「東京」と答えてもらいたかったが(ほら、JRのコマーシャル)、それは叶《かな》わぬ夢だった。そんな冗談かませるほどの関係にはならないうちに終わったのだ。
竹野内くんは、マジメに仕事をしていた。
いえ、真面目に、お芝居をしていたということなんですが。
芝居が終わって、彼は初めて私に気がついた。
そして、「あれぇ」とびっくりしてパッと両手を広げた。芸能人の人たちは、表現がストレートで大げさなので、久々に出会った場合、たいてい、抱擁から始まるのである。そういう場面を私は、何度か見て知っていた。
が、竹野内くんの広げた両腕は、瞬時に縮小し、握手モードになった。そして、私たちはおとなしく握手をした。「久しぶり」と。
もしかして、私におじけづく感じがあったのかもしれないが、竹野内くんも恥ずかしがりやさんなのだ、きっと。貴島さんに、「腕、広げたからには行かないと」と突っ込まれて、困っていた。
「髪、切ったんですよ」と彼は言った。前髪が短く切りそろえられていた。今度はエリートで、坊ちゃんの役なのらしい。
竹野内くんのこの一言で、私は、この間久しぶりに豊川さんに会った時のことを思い出した。映画の試写会のパーティーで。
第一声、「髪、切ったんですね」と彼は言った。
私はロングからショートにしたので。
髪、切ったんですよ、と自分の新しい役柄の髪型のことを報告する竹野内くん。髪、切ったんだね、と私の髪型の変化に気がつく豊川さん。
年の功というか、キャリアの功かもしれないけど、私は、豊川さんも竹野内くんも、両方好きだ。
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心の向きはマイナス[#「心の向きはマイナス」はゴシック体]
ともだちから電話があって彼と別れることにしたと言う。
彼女は彼のことがずっと好きでつきあってきたのだが、2年前、彼は昔の彼女のところに、行ってしまった。彼の昔の彼女は妊娠して子供をひとりで堕《お》ろして、大変で大変で彼を頼ってきたのらしい。彼は、彼女のそばに一晩じゅういてあげた。
そして彼は私のともだちを裏切った。一度だけ。
私のともだちはそれを理解しようとしたが、やっぱり頭でわかっても、心が了解することはなかった。でも、彼が好きだから、別れないでそのままつきあった。しばらくは大変だった。
夕方、彼女から電話があって、「今から行くって言ったまま、20分たつけどまだ来ないの。また、昔の女ンとこ行ったんじゃないかな」。
「車が混んでんじゃないの?」と私は彼女の不安につきあった。
やっと落ちついたと思った今頃になって、結局別れる、という結論を出したのだった。
彼のことは今でも好き。もしかしたら、あのことがある前より2倍好きかもしれない。でも、心の向きはマイナス。
あのことがあった時に、それまでの私たちの大事な思い出が、オセロの角取るみたいに全て裏返っちゃったのね、と彼女は言った。
それまで、キラキラ輝いていたものが、すっかりくすんでしまって、あの時の輝きはない。
あの頃、あなたの笑顔があれば、私はいくらでも生きていける、と思えた、その気持ちが思い出せなくなった。
ひっくり返されたオセロの黒。
私は、今まで「好き」っていう気持ちはどんなことでも乗り越えると思っていた。だから、だれかが雑誌のインタビューなんかで、結婚する人は「尊敬できる人がいい」なんて言っているのを読むと、何言ってんだか、と思っていた。けれど、心の向きってそういうことかもしれない。
相手をただ「好き」なだけじゃなくて、相手をいたわる気持ちや、相手の未来を案ずる気持ちや、やさしい気持ちは安心という愛情の中からしか生まれてこないのかもしれない。
好きだけど、心の向きはマイナス。
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あのしあわせな時間[#「あのしあわせな時間」はゴシック体]
みなさん、お元気ですか? 私はボロボロです。
2週間前から謎の頭痛に悩まされ、時々微熱も出てて、もう、ほんとに泣きたいっす。
新しいドラマの書きは始まってるというのに。
だいたい、「みなさん」って、知らない人に呼びかけるあたり、もう心身共に弱ってる証拠だね。
今、ファンレターなんかもらって、大丈夫ですか? とか言われると絶対、泣いちゃうんだよ(私は、ファンレターで4回に1回は泣く)。
さて、そんなに具合が悪いんだから、病院に行きゃあいいのに、思わずエステに行ってしまいました。前々から予約が入れてあったし、この間、原稿書けなくてドタキャンしたばっかりだから、こわくて続けてキャンセルする勇気がなかった。
そこは昔から行ってるエステなんだけど、途中に休憩時間があって、コーヒーが出る。
バスローブ姿で、コーヒーを飲みながら、私はふとずーっと前にやっぱりここでエステをあせって受けた時のことを思い出した。
本当は予約は3時に入れてあったんだけど、仕事が押して、4時にしか入れなかった。6時からデートの約束。
私が、「ひーっ、どうしましょう。間に合わないですよね」と言うと、「わかりました。1時間でできるだけのことをしましょう」と言ってくれて、彼女はすたこらさっさと、短時間で一番、効果的なエステを施してくれたのだった(どんなのかは秘密)。
そん時私はすっげー元気で(まあ、たいていすっげー元気なんですが)、初デートとあって、とてもワクワクしていて、どうにか5時に終わらせてもらって、終わると同時にダッシュでそのエステを出て、最寄りの駅に向かう坂道を、風とともにハイスピードで駆け降りたのでした。
あのしあわせな時間。そんなことを、うっとりと思い出し、コーヒーをすすりました。結局、私がデートだと思っていたその会合(?)に、彼はともだちも来るって言ったから、と男ともだちをもうひとり連れてきて、デートではなくなってしまったんだけど、やっぱりあの元気にエステ前の坂道を駆け降りた瞬間は、しあわせだったんだなあと思います。デート前の時間が永遠に続けば、って思うことない?
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つんくに会いたい[#「つんくに会いたい」はゴシック体]
エステに行ってる場合じゃなかった。病院に行くべきだった。
先週からどうにも具合が悪くて、近くの病院に行ったら、やさしい女医さんが苦しむ私の手を握って、「入院しましょうね」と言った。
えっ。(思考停止)
で、そのまま入院。流行《はや》りのインフルエンザ。大事を取って入院ということになった。
それでも、入院生活を送っていると、日に日に気が弱くなっていった。
私は、走馬灯のように今までの綺羅星《きらぼし》のような出来事を思い出していた。
「今となっては、全てが幻のようだわ。思いおこせば、『素顔のままで』が当たった後は、いくらだって出続けるパチンコ台の前に座ったような人生だった。(木村)拓哉くんと筒井(道隆)くんが、『あすなろ白書』の中打ち上げの時に、カラオケで私のために『チャンス!』の主題歌を歌ってくれたっけ……。『愛していると言ってくれ』の打ち上げでは、箱根の温泉で豊川さんと卓球をしたわ……。わざと負けてくれたっけ。フグも一冬3回は食べられるようになったし、賞もたくさんもらったし、30パーセントも何度も取ったし……。恋愛特集ではアンアンの表紙もやった……」
傍らで聞いていたダー(*)が遠い目をしているので「どうしたの?」と聞くと、「いや、僕のことはいったいいつ出てくるのかと思って」と言うので、「大丈夫、ダーと出逢《であ》ったのは、156番目くらいにランキングされているわ」と言った。
「僕は、まるで出ないパチンコ台の前に座ったような人生だった。一つずつ大事に打っているのに……」とダーの長い話が始まりそうだったので、その話はそこで切り上げた。
入院3日目にして、まだ入院を知らせてないアンアン編集部からファックスが届いた。シャ乱Qのライブにみんなで行きませんか? というお誘い。
私は、ある雑誌でつんくと対談してバキバキに打たれたことがある。
それでも、つんくに会いたいなあ……と思った。
で、これは元気になった証拠だと思った。つんくなんて絶対、元気な時じゃないと会えない人だから。スピッツを聞きに行くより、シャ乱Q見に行く方が、10倍パワーいると思いませんか?
[#この行1字下げ]*ダー ダーリンの省略形を意味する。
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信じる力[#「信じる力」はゴシック体]
やっと退院した。外の空気が気持ちいい。
ああ、外に出られるしあわせ……。短い入院ではあったが、つらかった。入院中の私の楽しみといったらテレビに尽きる。
一度、『HEY!HEY!HEY!』を見てたら、久保田利伸さんが出ていて、知り合いが元気で歌う姿を見て、自分の子供とか孫が東京に出てがんばっていて、それを田舎から見ていてうれしい、というのはもしかしてこういう気分か、とも思った。
ところで、私はわりと入退院を繰り返す若者だった。若者だったって、どういうことかと言うと、子供の頃は丈夫だったんだけど、高校、大学、OL初期が、一番、体が弱かったのである。そして、今回は、およそ7年ぶりくらいの入院。
私は今回のことで、ガラリと趣味が変わった。女の理想形。今までは、綺麗《きれい》な人やかわいい人やスタイルのいい人がいいなあ……と思っていたけど、今は丈夫そうな人を見ると、心からいいなあ……と思う。目指したいと思う。時々、新聞の投書欄などで、オバサンたちが最近のタレントさんは、細いばっかりでぜんぜんよくない、ふっくらとした『ふたりっ子』のヒロインなど(将棋さす方)が、健康美でよい、などと言っているのを見ると、これは、本気でこう思ってるわけじゃなくて、世の中のダイエットに励む女の子たちへの説教なんだろう、と思ってたが、そうじゃないんだろう。本気で、丈夫そうなのがいいと思ってるのだ。今の病み上がりの私にならわかる。私は、今回、完全に元気になったら、その後は、橋田壽賀子先生を目指そうと思う。あのバイタリティ。元気。見習いたい。
ところで、もしかしたら、このエッセイを病院のベッドで読んでる人もいるかもしれない。どんな病気かわからないけど、自分の未来に希望を持ってほしいと思う。私は、大学卒業時には、就職もままならない、と言われた。脚本家なんて徹夜続きだから、絶対、無理だよ、と。でも、そんなことはなかった。いつか元気になるし、道は切り開かれるもんだよ。そして、もし通勤途中、地下鉄の中で、このエッセイを読んでる人がいたら、駅についたら、自分の足で階段を昇っていけて、外の空気を体じゅうで感じられるしあわせに、感謝してほしい。
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おかんの驚異[#「おかんの驚異」はゴシック体]
この間、ウルフルズを見に行った。相変わらず柴門《ふみ》さんと一緒に。最近、よく一緒に遊んでもらっていて申し訳ない。
ライブの途中で、ステージにスクリーンが出てきて、そこに、トータス松本のおかんが映し出された。ちゃんと、スクリーンの下の方に、トータスのおかん、と書いてあった。
客席からは、おかんコール。「おかん! おかん!」
おかんは、白の割烹着《かつぽうぎ》を着て、色白だったが、やっぱりちょっと太めで、いかにもおかんという感じだった。このおかんの作るカレーライスとか絶対、うまそうだ、と思った。
さて、このエッセイで何を書こうとしてるかというと、おかんの驚異である。
おかん……この響き。関西の人たちは、たいていお母さんのことを、こう言う。いや、知らないけど。関西出身のともだちに聞いたら、おかんはあんまりいい言葉じゃないから、お坊ちゃんは言わない、ということだったが。
ウルフルズもおかん、と言うし、シャ乱Qもおかん、と言う。ダウンタウンも言うんだろうな。
これを聞く時、私はいつも、太刀打ちできない! と強く強く思う。
冬彦さんは、ママーと言いながら、木馬に乗っていたが、あの野際陽子には、どうにかすれば、太刀打ちできるような気がする。
ママも、お母さまも、マミーも(こんな風に呼ぶやついないか)、おふくろ、でさえも、嫁は太刀打つ手だてがあると思う。
でも、おかんは駄目だ。無敵だ。男の子はやっぱりみんな、例外なくマザコンだろうか。
私は一昨年、母を亡くしたのだが、お葬式の時に弔問客に向かって、兄が「母は天使のような人でしたから」と言った時に、悲しみで充満していた私の頭が、一瞬|覚醒《かくせい》した。天使……?
ウチの母はサバサバした人だったので、母と兄もとてもサバサバした関係に見えていたのに、兄が天使と思っていたとは……。
おかんの話にもどろう。このように、無敵なおかんであるが、厄介なのは、関西出身の男の人が、おかん、と言う時、あ、かわいい、と恋心を刺激されてしまう、という点である。私だけ……?
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兄のこと[#「兄のこと」はゴシック体]
先日、インフルエンザで入院している時に、兄が2度ほど見舞いに来てくれた。
兄は、6つ年上で、大学の先生をしている。
最初に来た時は、メチャクチャ具合が悪かったので、ろくな応答もできず、ずっと寝ていて疲れた足と腰を、1時間程もませて帰ってもらった。
2度目に来た時は、ずいぶんと回復していたので、抗生物質の点滴を兄に持たせて、階下のレストランまで降りて、私はエビピラフを、兄は実は食べたばかりでまだお腹が空《す》いてなかったらしくミックスサンドを二つばかりつまんで、あとは私が残したエビピラフの横のキャベツのサラダを食べていた。
こう書くと、まるで兄が下僕のような気がするかもしれないが、そして、今はまさにその通りの位置関係だが、私が兄にいじめられた歴史は長い。
物心つかないうちから、私は兄の恰好《かつこう》の餌食《えじき》となった。その頃、アントニオ猪木とかジャイアント馬場が全盛で、私は、兄のコブラツイストの練習台となった。まだ、3つか4つだったと思う。
なので、私が一番、最初に覚えた英語は「ギブアップ」だった。ギブアップ=降参。
一度は、16文キック! とか言って、飛び蹴《げ》りをやられて、顎《あご》の下に真っ黒いアザを作って幼稚園に行くと、みんなにお習字の墨がついている、とはやしたてられたりした。
毎日泣いていたら、母も兄も私が泣くことに慣れっこになってしまって、放っておくようになり、いつも隣の隣のノリタケさんところのお手伝いさんが「お宅のエリちゃん、泣いてるけど、大丈夫?」と心配して訪ねてきてくれるのだった。
2軒先まで聞こえていた私の絶叫泣き声。思い出しても、悔しさで涙が出る。
だから今頃になって兄は、アンアン誌上で、彼女に車のワイパー折られた過去とかが暴露されるのである。いい気味。
ただ、兄は、よく遊んでもくれた。毎日、次々と新しい遊びやゲームを考えるので飽きなかった。
「ロンバケ」の第1話のスーパーボールを3階から投げて戻ってくる、というエピソードも、兄が昔、家の2階の窓から下のコンクリの道路に向かってスーパーボールを投げて戻ってくる、というよくやって見せてくれたことなのだった。
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中居くん対談[#「中居くん対談」はゴシック体]
中居(正広)くんと対談をした。見てしまった人もいると思うけど。読んでしまった人もいると思うけど。
私はアンアンで男の人と対談をするのが苦手だ。
いや、実を言えば、対談するのはいいんだけど、写真を撮られるのが苦手。
なぜかと言えば、必ずカメラマンが「寄って寄って、もっと近寄って」と言うからなのだ。
私は、今は巷《ちまた》でトレンディドラマと呼ばれるような、お洒落《しやれ》なドラマを書かせていただいてありがたいが、もともと岐阜の山奥の片田舎出身のお猿なので、写真を撮るからといって、サッと腕を組んで、ニコッと笑うなんてことはできないのである。小学校の体育の時間のフォークダンスなんて、男の子の指先をつまむのが精一杯だったんだから。
でも、なぜか、カメラマンさんは私と男の人を寄らせたがるのだ。
シュンシュン岩井俊二の時もそうだった。余談ですが、このあっちょんぶりけの顔写真(*)の向かって右横に、薄く暗い影が出てますよね。背後霊のように。これは、何を隠そう日本映画界のプリンス、シュンシュン岩井俊二様の影です。対談の時撮った写真を使い回ししているから。
私は、この写真を見る度に、アンアンの最初のページに岩井さんの影と一緒に出ている私、と思うのだった(んなこと思っても仕方ないんだけど)。
この時も相当近い。だから、私のこの顔はおすまししているのではなく緊張しているのだ。
なぜ、そんなに寄らせたがるのか。
あっ、でも秋元(康)さんと対談した時は、そういうことは一切なかった。秋元さんとだと寄らせたくならないのか。なぜだ。
しかし、中居くんは人間ができた大人なので、撮影の最中「写真、緊張するから、何か面白いことやって」と言ったら出川哲朗の真似と、とんねるずのタカさんの真似をやってくれた。工藤静香と歌うとこ。タカさんは似ていた。出川哲朗は私は知らないので、似てるかどうかわからなかった。
そして、彼は撮影の間じゅう呪文《じゆもん》のような言葉をずーっと唱えていて、何言ってるのかな、と思ったら、それはスマップの新曲だった。ダイナマイトなバディでもいいんじゃない♪ しかし、あれが歌だったとは……(中居くん、ゴメン)。
[#この行1字下げ]*編集部注/「アンアン」連載時にエッセイの右上に添えられていた著者ポートレート。
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青空カラオケ[#「青空カラオケ」はゴシック体]
みなさん、私は発明しました。聞いて下さい。
その名も「青空カラオケ」。
どんなのかと言うと、青空の下でカラオケができる、というものです。それも、止まっている青空ではない。動いている青空。あなたはそれに向かって、高らかと歌い上げる。そうすると周りの景色はパノラマで移り変わるわけです。風を切って歌う。
気持ちいいぞ、これは。
具体的にどうやってやるかと言うと、天気のいい日に、小型トラックの車の荷台にお酒と食料を積み込み、もちろんその荷台には、カラオケの機械が設置されていて、歌いたい放題。
ゆるやかな速度でトラックは走り、オープンエアの荷台で、風を受けながら歌うんです。
歌はマイラバの「Hello,Again」なんかがいいなあ。
まるで、自分がプロモーションビデオん中に出てくるアッコちゃんになったような気がしませんか? たいてい、ああいうミュージックビデオってアーチストが気持ちよさそうに、緑の中とか、青空の下とか、崖《がけ》っぷち(これは気持ちいいのか?)とかで歌ってるじゃないですか。ということは、カラオケの究極はカラオケボックスのような、あんな小さな狭い部屋ではなく、オープンカラオケ、青空カラオケだよ。
『スワロウテイル』という映画を見た時に、ヒロインがトラックの荷台にピアノを乗せて、走るトラックの上でピアノを弾くというシーンがあって、すごくいいなあ、と思った。
風を切りながら、ピアノを弾いてるシーン。
その話を監督の岩井俊二さんに会った時にしたら、あれは、見るより弾いた方がずっと気持ちいい、と言っていた。撮影の時、本当に気持ちがよかったらしい。
ピアノ弾くだけで気持ちいいんだもん。歌ったら、きっとすごく気持ちいいよ。
ということで、実は地下の暗い狭いカラオケボックスで女ともだちと3人で、順ぐりマイクを回しながら、そんなことを夢想する私でした。
私がインフルエンザで伏せっていた間に行くはずで行けなかったライブが全部で5本。米米クラブ解散コンサートに、シャ乱Qに、globeに、B’zにスピッツ。悔しいからみんな自分で歌った。
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明日、春が来たら[#「明日、春が来たら」はゴシック体]
マツタカが歌を出した。マツタカというのは、松たか子さんのことである。「ロンバケ」でご一緒してから、私は、松たか子さんのことを勝手に自分ひとりで、マツタカと呼んでいる。トヨエツやキムタクのように化けろ化けろという意味を込めて。
で、松さんは、本当に1年で超ビッグになってしまって、びっくりしてるんだが、今度出した歌が私はとても好きである。
あれは、「ロンバケ」の劇盤(ドラマの中に使われる曲のこと。瀬名のテーマとか)を作ってくれた日向大介さんが作曲して、やはり「ロンバケ」のディレクターだった永山耕三さんがプロデュースをした。
私はさっそく、永山さんの携帯に電話をして、松さんの曲、すごくいいね、と伝えた。
永山さんは、『ひとつ屋根の下2』を撮っている最中で、「いやいや、遊びだから」と謙遜《けんそん》していたが、やっぱ、いいもんはいい。
思うに、日向さんがデモテープを作ってくる。それを永山さんと作詞の坂元裕二さん(『東京ラブストーリー』など書いた人)が聞く。多分、日向さんはドキドキしている。どんなベテランでも天才でも初めて人に聞かせる時はそうだと思う。
へえ……いいだあねえ(いいじゃないか、という意味)と永山さんが言う。永山さんは、表に喜怒哀楽を出すタイプではなくいつもおっとりと穏やかで、それでも仕事は鋭く、的確である。
「ロンバケ」の行き詰まった打合せの時でも会議室に永山さんが入ってくると、ふっとその場の空気がゆるんで私は何度かホッとした。
日向さんは永山さんにいいと言われてホッとする。松さんは、一生懸命歌う。レコーディングスタジオで、何度かは多分、歌い直したろう。真面目な人だから、きっと何度でも一生懸命歌ったろう。やっとオッケーが出る。
私は、日向さんや永山さんと音楽の仕事をしたことはないけど、歌の作詞とかやったことがあるから、どういう過程を経るのかはだいたいわかる。
きっといい仕事だったんだろうなあ……と自分は関わってないのに、少ししあわせな気分になる。
「明日、春が来たら、君に会いに行こう♪」
外の桜はとっくに散ったけど、私も心に春が来たら会いに行きたい人がいるような気がしてくる。
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憧《あこが》れるような青い空[#「憧《あこが》れるような青い空」はゴシック体]
仕事で超落ち込むことがあって、心の中が冷凍庫になって、氷点下5度の北極の風がピューピュー吹き荒れたので、茜ちゃんに電話した。
茜ちゃんは、大学の時の同級生で吉祥寺《きちじようじ》に住んでいる。かわいいまん丸の顔の18歳だったのに、今はコンピューター会社の係長になってしまった。(しまったってことはないんだけど)
いつか、まだ脚本家として駆け出しの頃、フジテレビで深夜の3時まで打合せをやって、局の人たちに打たれまくって、心身ともにズタズタになってしまって、フジテレビの受け付けロビーの電話から泣きそうな声で茜ちゃんに電話すると、茜ちゃんは金曜の夜で起きていたので、そのまま吉祥寺まで行ってしまったこともあった。
今度も「来れば?」と言うので、行くことにした。井の頭線にゴトゴト乗って。
私たちは、吉祥寺のおいしい焼肉屋で、たらふくタン塩と上カルビを食べ、生ビールをガンガン飲んだ。
「泊まってけば?」と言うので、泊まることにした。
思えば、大学時代から何度、こうして茜ちゃんのベッドの下に布団を敷いてもらったかしれない。
次の日、私たちは、井の頭公園を散歩した。茜ちゃんは、突然、バドミントンをやろう! と言い出した。
私たちは、出店で本格的でない子供だましのバドミントンのセットをワリカンで買った。
しかし、これがあなた、なかなか面白い。シャトルが羽でなくプラスチックな分、遠くまで飛ぶ飛ぶ。私たちは、だんだんマジになった。
夢中になってシャトルを追いかけ、思いっきり打とうと天を仰ぐと、緑の木の枝の向こうに、憧れるような青空が広がっていた。
私は、神様と茜ちゃんに感謝した。
帰りは井の頭公園の駅の近くの甘味屋さんであんみつを食べて、別れた。
「面倒くさいからこのままスッピン帰り」と私が言うと、茜ちゃんは「大丈夫? キタガワエリコってばれない?」と聞くので、「大丈夫、スッピンだからばれない」と言うと、「スッピンだから心配なんだよ」と言われた。
どういう意味だよ。
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男にもてる方法[#「男にもてる方法」はゴシック体]
全米で100万部のベストセラー。なんだか日本でも売れてるらしい。『THE RULES』(エレン・ファイン+シェリー・シュナイダー著 田村明子訳 KKベストセラーズ刊)という本。
もう読みましたか? 読んでなかったら、買うことはない。私が読んだので内容を教えてあげる。
さて、この本は、みんなうすうす気づいているが、どれだけずるいことをしてもてるか、という本である。ずるいこと、というのは、実力以上にもてる、ということである。こういう本の前提として、ともだちの何子ちゃんは、決して美人でもなくプロポーションもよくなく、でも、なんでか知らないが男にもてるのである。その謎を探り、的確に分析するのがこういう本の使命である。
で、この本には、自分から殿方に電話をしてはいけない、だの、電話は10分以内に終わらせる、だの、たとえその用事が八百屋に大根を買いに行くだけでも、「私、ちょっと忙しいの」と言え、と、そのようなことが事細かに書いてある。
それは、一言で言えば「藤あや子」のようになることだ。おしとやかで、ミステリアスで、決して多くを喋《しやべ》ってはいけないのである。もう一つ、わかりやすい例をつけ加えれば『失楽園』の凛子《りんこ》のようになることである。
男の人の話を微笑んで感じよく聞く。過度の相槌《あいづち》はいけない。「受け答えはできる限り短く、そして思わせぶりに。柔らかく女性らしいしぐさを添えてください」(『THE RULES』の原文ママ)と書いてある。そして、決して面白い女に成り下がってはいけません、とも書いてある。
私は、いつかつきあってる男の人に言われたことがある。「お前はお笑い芸人と一緒だからな。つまらなくなったら終わりだ」。ガーン!
面白くなくなったら、きっと脚本家としては終わるだろうと思っていたが、女としても終わってしまうとは……。
かようにして、私は、ことごとくRULEから外れていた。しかし、このRULESは我慢に満ち溢《あふ》れている。もう少し話したいと思っても自分から電話を切ったり、抱かれたいと思ってもダメよ、ともったいつけたり、我慢に次ぐ我慢。
サウナに入っていても、暑いとすぐ出てきてしまう堪《こら》え性のない私には、遥《はる》か遠いルールだった。
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口説き文句[#「口説き文句」はゴシック体]
今度のドラマが一流大学の医大生と(これが中居正広くん)、孤児院で育った少女(これが常盤貴子《ときわたかこ》さん)の話なので、取材をすることにした。私もたまには真面目なのだ。設定だけ聞くと、まるで昔の泣ける少女漫画みたいな気がするかもしれないけどその通りです。ウソウソ。作りは洒落《しやれ》てます。
で、某一流大学の現役の医大生4人に会った。
私が大学時代には知り合うことのなかったエリートたちだ。
いや、みんなカッコよくて感じいいんで、びっくりしました。思ったけど、ステイタスのある人ほど、余裕があるのか育ちがいいのか、自分の今の地位を鼻にかけたりしないもんだ。
目を輝かせて、タレントさんの話とか、ドラマの話とか聞いてきて、かわいかった。
お礼に、『ロング バケーション』のベストダイアローグをあげた。「ロンバケ」の中の、面白いセリフとか、かけあいなど抜き出したてのひらサイズの本だ。
そうか、じゃあ、これを見て女の子を口説くセリフを盗めばいいんだな、とAくんが言うと、男の子4人して食い入るようにそれを読み始めた。
で、そのうちのひとりが言った。
「あの……これ、でも、男が言ってるセリフって『どうして?』とか、『何しに来たの?』とか、そんなんばっかりなんですけど……」
ハッ。
そうだったのか。
「どうして?」と真ちゃん(竹野内豊・演)に聞かれて「会いたくて」と答える涼子ちゃん(松たか子・演)、「何しに来たの?」と瀬名に言われて「キスしに来た」と答える南。
ホントだ……決めゼリフは全て、女が言っている。「どうして?」って言って「別に」って言われたらアウトですね。「何しに来たの?」って聞いて「忘れ物取りに」って言われたら最後ですね。
確かに。初めて気がつきましたね。自分の脚本家としての資質。
口説き文句は全て女が言っている。男は言いやすいようにトスを上げているだけ。プロデューサーに言ったら、そんなもの初めからわかってんじゃん、北川の脚本は。ということでした。ってこれ、どういうこと?
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初顔合わせ[#「初顔合わせ」はゴシック体]
7月からのドラマの顔合わせに行った。顔合わせというのは、キャストスタッフ勢ぞろいして、初めまして、よろしくお願いします、という意味を込めての紹介と、本読み、と言って台本を座ったままで読んでみたりするのだ。
いやあ、上がった、上がった。脚本家は最初に短いスピーチをしなくてはいけないのだが、前日にお風呂で3回も練習して完璧《かんぺき》を期したにもかかわらず、上がりまくって、声は震えて、だったらもうしゃべるのやめりゃあいいのに、考えたことはみんな言わなきゃ気が済まないものだから「震える声で……お聞き苦しいとは思いますが……」と自分の頭の中だけで但し書きをしながら、たっぷり5分くらいはしゃべった。
私は、貧乏性なのか何なのか、考えたことはみんな発表しないと気が済まないタチで、他の脚本家の方などは、書いた脚本の原稿を読み返して、1話まるごと捨ててしまった、とか半分書いて、またもう1回最初から書き直す、ということをしているらしいが、そんなもったいないことをしたことは一度もない。書いたらとりあえず出す。何も考えないで印刷所にファックスする。
そういえば、高校の時も、物理の試験で勉強していったところが1問も出なかったので、答案用紙の裏に、自分で問題を書いて、それに答えた(それでも合ってたら点をやろうと思ったがそれも間違っていたので、点はやれなかった、と先生に言われた。
ちなみに100点満点の8点だった)。
さて、今度のドラマにはテレビ、初めて、というまるっきり新人の男の子が出るんだが、この子がかわいかった。(川岡大次郎クンと言います)
新人なのに、本読みを聞いているとけっこうイケてる。どうやら1週間くらい自分ひとりでこっそり特訓したらしい。(みんなの推測)
本読みが終わったあと、「よかったよ。安心したよ」と言うと、大次郎くんは「ホントですか、僕、北川さんの……」と言ったきり、緊張でその先が止まった。「あ、いいよ、いいよ、そんなしゃべんないで」と私はフォローした。
初々しさっていいなあ……と思う。がんばりますって真っ直ぐ言える時代ってそんなに長くない。
キャリア長くなると自分の立場とか出てくるし、構えちゃうとこあるし、妙に照れたりね。
ガンバレ、大次郎クン!
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頭が止まる[#「頭が止まる」はゴシック体]
ドラマの打合せが白熱してきた。インが近づいてきたので(インというのは撮影に入る日のことです)。この時期、必ず聞かれることがある。場所のイメージである。
監督さん及びスタッフの人たちは、私の脚本に沿って、その脚本の舞台となるべき場所、要するに撮影場所を決めなくてはいけないのである。
たまに、ドラマが当たって、そのロケ場所が印象的だと名所になったりする。
『愛していると言ってくれ』の井の頭公園とか、『ロング バケーション』のあのロンバケビルのあるところとか。(あれは、もう壊された)
さて、今度のドラマ『最後の恋』でもメインの場所になる舞台をどこにしようか、という相談がディレクターの生野さんからあった。生野さんは、『愛して――』のディレクターでもあり、非常に素敵な人である。(ああ……本当のことを書いているのにこう書くと、まるでヨイショみたい……)
で、私はこの手の相談を受ける度に、頭が止まるのである。音楽のイメージ、言葉のイメージはいつだって、スラスラ出るんだけど、映像だけは浮かばない。場所に至っては、もう何が何だか……。
「ロンバケ」の時も、瀬名と南のマンションはどういう感じ……? と聞かれて、瞬時にして頭が止まってしまった。いや、あのその……なんちゅうか、マンションですね。
ふたりのマンションはどこにあるの?
「あっ、ええーっと。なんか石造りの洋風の建物がたくさん建っていて古い町並みで、向こうの方には夕方には綺麗《きれい》に夕焼けに映える大きな川が流れていて、スモーキーな感じですね」
「北川さん。それはもしかしてセーヌ川ですね。あなたの言っているのは、日本ではなくパリィですね」
「あっ、そうかもしれない……」
というような打合せを重ねて、監督が私に何を聞いても無駄だと見切って、勝手にあの建物を探してきたのだった。
今回の『最後の恋』も、メインになるロケ場所は病院なのだが、どんな病院? と聞かれて、「あの……穏やかな午後には、パッヘルベルのカノン(クラシックの名曲)に乗って、天使が舞い降りてきそうな病院」と答えた。
さて、どんな病院になりますことやら……。
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何で私なんか、の落とし穴[#「何で私なんか、の落とし穴」はゴシック体]
ともだちのノブりんに、ダーリンができた。
これはこれは喜ばしいと、私たち女ともだち仲間で集まってわいのわいのとお酒を飲んでいると、ノブりんがうつむいてポツンと言った。
「でも……何で私なんかって思って……彼だったらもっと素敵な人がいっぱいいるのに……」
この時、私たち女ともだち仲間はひとり残らず(と言っても全部で3人)、引いた。
サアーッと引いた。
うつむいたノブりんは、みんなが引いたのにも気がつかないくらいうつむいていたので、「何でだろう……」とまだ、自分の世界の中に入ったまま、セリフをリフレインさせた。
ノブりんの彼氏は、一流大学の大学院を出た建築家であった。エリートっちゅうやつやね、世に言う。
私は不思議だった。「何で私なんか……」というのは、ドラマを書く上では、せつないかわいそうな女の子の必須アイテムである。片思いがせつないのは「どうせ私なんか……」、両思いになってからも不安なのは「何で私なんか……」。
それなのに、何で生《ナマ》の「何で私なんか……」を聞いて、ぜんぜん胸がジンとせず、どちらかと言うとムカッとみんなして腹が立ったのだろう、不思議だ。しかし、やがて私は気づいた。
これは、遠回しな彼氏自慢だからである。まだ、自分がモテる自慢だったら許せる。でも、私の彼ったらすごく素敵なの、という自慢を遠回しにされた気がして、私たちは一瞬、鼻白んだのだ。
これが、たとえば、華原朋美が来て「小室さんったらホントに私でいいのかな。何で私なんかって思って……」と言われたら、事情は違う。
そうだろうそうだろう、朋ちゃんは超かわいくて、超歌も上手《うま》いが、小室哲哉は天才だもんね、と私たちは朋ちゃんに同情も共感もしたろう。
全国民の中でも納税額4位の小室哲哉を私たち女ともだち仲間はみんな、認めているから。
しかし、ノブりんの彼氏のことは、そんなに知らない。ものすごくかっこいいらしいが、本人を見たことはない。ものすごくエリートらしいが仕事ぶりを見たこともない。だから、その彼に小室哲哉ばりの価値をおけ、と言われてもにわかには無理なのである。
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お風呂|三昧《ざんまい》[#「お風呂|三昧《ざんまい》」はゴシック体]
この頃めっきり入浴剤にくわしい。というのも、原稿が大変になって、ほとんど外出というものができず、生きている間の唯一の楽しみといえば、その日の原稿のノルマを終えて、ゆったり入るお風呂だけなのである。地味でしょ。
最近はタラソテラピーに凝ってます。いつも行く(これも忙しくて最近行けてないが)エステで、「とても入浴剤とは思えないお値段ですが、とてもいい」とエステテクニシャンの林さんが言うので、ものすごく高かったけど、買った。でも、ホントにいい。「これを使うともう他の物は使えなくなる」と予言されたが、私はお金がもったいないのと、たまにポピュラーな物も味わいたくなって、バブとか登別の湯とかにも入っている。この間は、バラの花びらを散らした湯に入った(ポプリ状になっているもの)。思った通りあとから掃除が大変だった。
お風呂から上がるともう体じゅうポッカポカで、オロナミンCを片手に、ベランダの窓を開ける。
そしたら、冷たい、いい空気がスウッと来た。20年以上前に入ったお風呂のことをふと思い出した。
母の実家のお風呂。母の実家は岐阜の恵那《えな》という山と川に挟まれたところにあった。お風呂が母屋とは離れていて、お風呂に入るには道路を渡らなければならなかった。
そしてそのお風呂は五右衛門風呂だった。
五右衛門風呂って知ってます? お風呂に板が浮いていて、それを踏みしめて沈むの。その下の状態がどうなってるのか、幼心にこわくて(いや、幼いからこわいのか)確かめたことはなかったが、火が燃えさかってて、その板を踏み外すと自分は焼け死ぬと思っていた。だけど、母親とおばあちゃんと一緒なので、こわくなかった。
お風呂から上がって、母屋にもどる時にやはり道路を渡るわけである。夜の空気が気持ちいい。
私は東京の真ん中のマンションで夏の夜の風にあたりながら、あのおばあちゃん家《ち》のお風呂のことを思い出した。もうとっくになくなったけどね、そのお風呂も。そしておばあちゃんも母も。
道路渡って、帰る時、星がたくさん見えた。手が届くくらい近かった。
今は、星は見えないけど、その代わりベランダからは、ピカピカ光る東京タワーが見える。
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怒った![#「怒った!」はゴシック体]
久しぶりにやってしまった。怒りました、私。
「ロンバケ」1話以来。『最後の恋』3話にしてぶち切れました。ほんの20分くらいだけど。
何で、明日、撮る分の、直しを今日になって言ってくるのよ。もう1カ月以上も前に本(脚本)渡してあるじゃんかよ〜(泣いている)。しかも大直しじゃんかよ〜。
で、こういう場合、それが誰のせいであっても、私の怒りは全てプロデューサーに吸収されることになっている。
私は内弁慶なので、慣れた人にしか、トータル300時間以上おしゃべりしたことのある相手にしか、怒れないのである。
親戚《しんせき》のおばさんの作ってくれた夕御飯を不味《まず》いとは言えないが、自分の母親の作ってくれた夕御飯には、ちょっと美味《おい》しくないよ、これ、と言える感じに似ている。
で、プロデューサーは、サンドバッグ状態になる。その人の落ち度ではないのに、私が怒るのを延々聞いているハメになる。
でも、私も怒り続けているとハタと我に返る瞬間があって「あの……私、相当、怒ってますよね」と言うと、『最後の恋』のプロデューサーの貴島さんは「いいんじゃないですか、怒って」とうながしてくれたので、私は心おきなくまた電話口で怒り続けるのである。
あれ、怒ると不思議だけど、同じこと何回も言いますよね。20分も新たなボキャブラリーで文句を言い続けることってできないんだなあ……。
「ロンバケ」の時もあることで怒って(後に誤解が解けて和解)、その時、「ロンバケ」のプロデューサーの亀山さんに、「すみません」と言われた時はすごく悲しかったなあ……。大気圏の外まで突き飛ばされた気がしたものだ。
私が、怒るのは、その人への信頼と親しみの裏返しという部分が多分にある。謝ってほしいんじゃなくて、聞いてほしいんである。
だけど、こういうことやってると「北川悦吏子も難しくなった」とか言われて仕事こなくなるのかもしれない。
それでも、私は、やっぱり人に対して怒ったり泣いたり喜んだりをやめないと思う。それは人を信じることをやめないってことと少し似てると思う。
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おばさんセクハラ[#「おばさんセクハラ」はゴシック体]
『最後の恋』の4話の打合せを電話でしていた。
たまに、本が大変になってきて、局(テレビ局)に行く余裕がないと、電話で打合せをするのだ。
第4話を撮るディレクターの片山さんはまだ20代後半の眉目《みめ》麗しき青年である(ほら、私も一応、客商売? ですから、この辺でヨイショを)。
「僕、演出若葉マークなんで」と、彼は断ると、4話の本の確認と直しをいくつか言ってきた。
夏目(中居くん)とデートに出掛けたアキ(常盤さん)なんですけど……やっぱ、雑誌なんかで見た、流行の美味しいジュースを頼んだりするといいんじゃないでしょうか?
あ、いいですね。かわいいし、と私は即座にそんなシーンを足すことにした。
若葉マークの片山さんは、この前も、ヒロインがデート前に雑誌とか見ていろいろ行く場所を調べるという健気《けなげ》なシーンを足してくれ、と電話で言っていたので、私は、クククッと笑って、
「片山さんは、そういう女の子が好きなんですね」
と軽く言ってみた。
すると、一瞬の間の後、「そういうことではないんですが……」と真面目な声が返った。
あ、怒ったかな。いかん。いかん。これじゃ、セクハラだ。神聖な仕事の本直しの場なのに。
駆け出しの頃、自分がラブシーンを書いていくと「北川さんは、こういうことがあったの?」と、やらしそうに言うオヤジが一番嫌いだったはずなのに。
その昔は、自分と仕事をする人たちは、たいてい年上の男の人だった。40過ぎてたり、50過ぎてたりした。
それで、私はけっこう跳ねっ返りというか、かわいくウフフと笑って黙っているということができないもんだから、思ったことをズバッと言ったり、相手をからかうようなことを言ったりして、いやいや……あの子は、おとなしそうに見えてなかなか歯に衣《きぬ》着せないし、奔放で面白い、ということになってムードメーカーとして重宝がられたり、企画会議でも一目置かれたりした。
が、自分より年下の人と仕事をやるようになった今、これをやると、ただのおばさんセクハラになってしまうのだった。気をつけなきゃ。あげくにこうやってエッセイに書くし。
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ベッドシーンを書く[#「ベッドシーンを書く」はゴシック体]
時々、必要に迫られてベッドシーンというものを書く。『最後の恋』では、わりと濃いいのを書いた。ベッドシーンを書いてる最中の私というのは、ハタから見ていると、結構、異様だと思う。
いつもは、タタタンタタタンとまるで何も考えてないかのような速度で、ワープロを叩《たた》くのだが(ダーリン談)、ベッドシーンは止まる。
止まっては打ち、止まっては打ち、時に、頬に手をあてて、「いやーん、もう!」と言って、椅子ごとぐるぐる回っている。恥ずかしさのあまり、本当に回っている。
ほっぺたは火照《ほて》ってきて、脈拍が速くなって、顔はひとりで照れ隠しの誤魔化し笑いをしていて、ああ、私もやっぱり嫁姑《よめしゆうとめ》ものが書きたい、とこんな時ばかりは思う。(ベッドシーンがなさそうだ)
仕方ないから、音楽に助けてもらう。思いっきりそれふうなムード歌謡など聞いて気分を盛り上げる。ウソウソ。今回は、エリック・クラプトンに助けてもらった。(向こうは、私を助けたことなど知らないだろうが)
書いてる方がこんなに恥ずかしいのだから、演じる方もきっと恥ずかしいだろう、撮る人も恥ずかしいだろう、ひいてはテレビを見る人もきっと恥ずかしいだろう。でもそうしたら、みんなで恥ずかしいわけだから、もうこわくないんじゃないか、などと自分勝手な理屈を打ち立てて、勇気を奮い起こしたりする。
気分をそこに持ってくために、前のシーンを読み返す。ベッドシーンの前のシーンはたいてい愛のラブラブ告白シーンだ。
実は、それはそんなに恥ずかしくない。書いてしまったシーンは、過ぎてしまった過去と同じで、あんまり恥ずかしくない。
わりと、引いて俯瞰《ふかん》で冷静に読む。
夏目「……好きだよ。篠崎が好きだよ」
たまらず、(篠崎)アキを引き寄せて抱きしめる。(これはト書き)
ああ……いいなあ、アキは……。と一瞬、本気で思ってしまった自分がこわい。自分が作った人物(男)に、タイプだよなあ……と胸躍らせ、自分が書いてるヒロインの恋の成就を本気で羨《うらや》ましく思う。
まるでともだちの恋話を聞いた時のように。
私って何者?
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こわれてしまった中居くんと、弱気な私[#「こわれてしまった中居くんと、弱気な私」はゴシック体]
『最後の恋』の初回オンエア当日。中居くんは、朝からテレビに出ずっぱりで番宣(番組の宣伝)していた。
私は朝からテレビをつけっぱなしで、応援していた。
夕方の番組では、橋田壽賀子さんが出ていて、常盤さんと中居くんを褒《ほ》めると同時に、私の本のことを褒めてくれていた。うれしかった。この場を借りてお礼を言いたい。橋田壽賀子さんがアンアンを読むことがあるかどうかが、疑問だが。
やがて私は『最後の恋』についてのコメントをおっしゃる橋田さんのバックに目が釘《くぎ》づけになった。どうやら、緑の後ろに海らしきものが見える。
これは熱海《あたみ》のご自宅に相違ない。なんて素敵なお宅。私は、ちょうど遊びに来ていた、いとこと、「すごいね、すごい家だねえ。いいねえ」と言いあって興奮した。
オンエア前に電話が鳴った。誰かと思うと、中居くんだった。
中居くんから電話があるのは初めてで、話すのも久々だったので、「中居くんの夏目くんは、だんだんよくなるね」とか、「タイトルバック、すごいカッコイイね」とか今まで完パケ(ドラマの完成品のこと。放送前に関係者は見られる)を見たものの、感想を述べたのだが、彼は何を言っても「わかんない」「もう、何が何だかわかんない」「いいのかどうなのか、わかんない」と繰り返すばかりだった。
「常盤さんにいじめられてる?」と聞くと、「いじめられてるのか、からかわれてるのか、おちょくられてるのかわかんない」と言った。
私は、こわれてしまった中居くん、と思った。無理矢理、恋愛ドラマをやらせたせいだろうか。
どうにか、うまくリハビリしてほしい。私たちはお互い、オンエア初日、ドキドキするね、と言って電話を切った。
やがて、オンエアが始まって終わった。私は淋《さび》しくひとりでタオルケットにくるまって(冷房がこわれて効きすぎていた)見た。オンエア後、電話は1本も鳴らなかった。私は、遠く無人島に打ち捨てられた醜いカモメのような気分だった。
電話を揺さぶったりもしたが、無駄だった。
もう二度と仕事の発注もないような気がした。
次の日に、やっと何本か電話があって、ドラマよかったよ〜とか言われたりして私は心からホッとした。よかった。まだ見捨てられてない。実は意外に弱気。
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誘導尋問な人[#「誘導尋問な人」はゴシック体]
ふと、突然、どういう人が自分は苦手なのかということについて考えてみた。そんなこと考えるくらいなら、どういう人が好ましいか、を考えた方が健康的な気もするが、時々、人間は暗いところを分析したくなるものだから、仕方がない。
で、思いました。誘導尋問な人、が苦手なんだなあ……と。
誘導尋問な人というのは、どういう人か、というと、たとえば……。(そう、たとえを出すのが一番、わかりやすい)
ともだちのAちゃんが初めてお子を生み、産後の肥立ちも順調だというので、私たちは久々に一緒に食事することにしました。私とAちゃんと、BとC。(私たち4人はかつての仕事仲間で、私とAちゃん以外は独身)
すると、Cはしきりに、Aちゃんに、子供を生んで精神状態とか、生活とか、心持ちとかどう変わったかを、根掘り葉掘り聞き始めました。それが、Cの興味本位なのか、Aに気を遣って話を合わせようとしているのかは、よくわからないけど。
で、その食事会が終わって、Aちゃんが帰ってからCは、Aちゃんもすっかりお母さんだねえ……。私たちとは、もう住む世界が違う、というようなことを言ったのでした。
私は、おいおいおいおい、あんたが子供の話ばっかり聞くから、それに答えてただけだろ。と心ン中で突っ込みました。
時々、こういう人っていませんか? 相手と話をする前に、もう結論がおぼろげに自分の中で出ていて、そこに誘導していく人。
ああ、こういうのが私、苦手なんだ……とつくづく思いました。
この前、『恋のから騒ぎ』見ていたら、うつぶせに寝てるの、と言ったら、彼氏に「甘えん坊なんだなあ……」と言われて嫌になった、というエピソードが披露されてたが、これなども男の子の方が、甘えん坊な君を見守る僕、という関係性を押しつけているいい例だと思う。
人と人との関係っていうのを、決めつける人が苦手。そうすることによって、安心する、というのもわからないではないけど。
その時々、相手が本当に思って、言おうとしてることを柔軟に聞ける人が好き、だと思う。
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許してほしい[#「許してほしい」はゴシック体]
この間、ある雑誌の取材を受けた時、私は言葉を使うのが仕事なので、言葉を操るのはやっぱり得意で、それはスタイルのいい女の子がボディコンを着るようなものだ、と言ったところ、取材に来た人にえらく受けた。
が、実際にはそんなには自信があるわけでも、余裕があるわけでもない。でも、物を書く人は、そうとでも思わないとやってられないとこがある。
さて、私が今まで書いた秀逸なラブレターは、全て私の書いたドラマの中に収録済みだと言っても過言ではない。
プライベートなラブレターを公の電波にさらすのに、寝かせる時間はほぼ1年強である。
いきなりは、さすがに出さない。
こういうことをすると、さすがに最初は胸が痛んだ。お腹を痛めて生んだ我が子を、ドナドナのように荷馬車に乗せて売りに行くような気がしたものだった。それでも、そのうち慣れた。
もう今や、書いた瞬間から、これはいつの日か金になるかも、と思うことがある。
いや、こういうと人聞き悪いが、実はもっと切実だ。やっぱり脚本家の三谷幸喜さん(ご存じだと思うが『警部補・古畑任三郎』など書いた人)と対談した時に、「シナリオを書いていて、こんなことを書いて三谷幸喜ってやなやつだな、と思われたらどうしようって思ったりすることないですか?」と聞いたら、すごくあるが、明日締め切りだとそんなことは言ってられない、と彼は言った。
すごくわかる! と私は思った。「こんなことを書くなんて、北川悦吏子ってなんていやな女だろう」と思われるかもしれない、と思ってもセルフイメージより明日の締め切り、である。
スタッフやキャストが待っている。一日、本が遅れると何百万という単位で損失が出る。とにかく本を上げなきゃいけないのだ。
それは、強盗が来て、ナイフをつきつけられる感じに似ている。命の代わりには何でも出すでしょ。虎の子のへそくりでも、昔書いた涙の滲《にじ》んだラブレターでも。
こうして私は、過去のラブレターを何度か売ったが、実際にそれを渡した相手には、バッサリ切られる覚悟くらいはしている。
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ささやかな恋[#「ささやかな恋」はゴシック体]
私とその人は、電話の中でだけ、いくつかの場所にでかけた。たとえば、ドライブとか海外とか。
今、思えば無謀な計画で、とうてい実現不可能だった。
お互い忙しいし、ふたりで行く、というわけにはいかない。
なんでいかないのかわからないけど、常識的になんでもない男女は、ふたりで旅行に行ったりしないから。そして、私たちはどうにかなるわけにはいかないふたりだったし。それ以前に、彼にどうにかなる気があるのかないのか、私には永遠に判別不可能だった。(人の気持ちを読むことに関してはアマチュア。そして自分にそんなに自信があるわけでもなく)
だから、それらは、電話の中だけで話される戯《ざ》れ言で、「どうせ、こんなこと言ってても、忙しくて行けないだろうね」と私たちは言い合った。
でも、想像するだけでも楽しいし。と彼は言った。いや、私が言ったのかもしれない。今となっては忘れてしまった。
私はその人が言う言葉をいくつか、何度か大事にしようと、宝物にしようとしたけれど、自分に自信がないせいなのか、彼の言い方がどこか嘘っぽいせいなのか、どこか言い訳めいて、無理に言っているという感じがするせいなのか、どんなに素敵なことを言われてもあっという間に忘れてしまうのだった。
1週間たつともう思い出せない。思い出せても、その言葉はイミテーションの宝石みたいで、本物の光を放ちはしない。
大事に持ってる方がミジメな気分になるような代物で、私は捨てたくなるのだった。
このようにして、恋の兆しだけで消えていったいくつかの恋が、ほとんどの恋の結末だ。
ドラマみたいに、アクションを起こして、出会ってつきあって、会いたい、会いたい、とお互いのべつまくなし言い合って、喧嘩《けんか》して別れて、なんてそんなフルコース、いくつもやってない。
私の最後の恋は、多分、真夜中の電話の中で彼とでかけた、2つ3つの場所だったんだと思う。
その時、彼は確かに、私とどこそこへ行きたいと、それだけは、本気で思っていたように感じられたから。
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ビーチボーイズ考[#「ビーチボーイズ考」はゴシック体]
久々にフジテレビの亀山さんと電話で話していたら、「ちょっと代わりたい人がいるから代わるよ」と電話を代わられた。
誰かと思ったら、竹野内豊くんでした。おお、びっくりした。
亀山さんに電話すると、たまにこういういいことがある。以前は、拓哉くんが出たこともあった。
グリコのキャラメルを買ったら、本体よりおまけの方が立派で、得をした、という感じだ。(亀山さん、ごめんなさい)
竹野内くんには、この間、アンアンに書いたでしょ、とすごまれたので、もう何も書かない(書いてるか……)。そりゃ、みんなこのページに書かれることは嫌で嫌で仕方ないだろうが、ある程度は覚悟してほしい。そして、そのまま書けばネタになるような面白いことをたまにはやってほしい。週に1回、何かを書いて出していくというのは、大変なことなのだ。(いばってどうする)
さて、前置きが長くなったが、今日は、亀山千広プロデュース作品の『ビーチボーイズ』について、書こうと思った次第です。
私が、あのドラマを見て感じたこと。竹野内カッコイイ。嘘嘘。嘘じゃないけど、竹野内くん、山一証券のポスター、超カッコイイね。
話、それたけど、一流企業に勤めるビーチボーイズ竹野内くんは、ある日突然、会社をやめて、海辺に行く。あの感じって、こういうことかな。
この間、テレビ業界のパーティーがあった。華やかなテレビ業界。ブルガリの30万もする時計をするプロデューサー。流行《はや》りの総ガラスばりのレストラン。綺麗《きれい》な服。
金魚鉢。で、回っている私たち、と私は思う。
視聴率。ブーム。話題。主演。脚本。プロデューサー。枠(放送枠のこと)。次は何月?
同じ価値観の、同じルールの中で同じ水の流れに乗って泳ぐ私たち。
あの日、そんな金魚鉢で泳ぐことに疲れた竹野内くんは、海に行く。もう、自分が海に泳ぎ出せないことはわかっていても、金魚鉢の中じゃなくて、大きな海を見ながら時を過ごしたい、と思ったのかもしれない。綺麗な金魚は泳いでないけど、イキのいい魚はいるのかもしれない。でも、そこに本当に海はあったのか?
つづく。
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海なんてどこにもない[#「海なんてどこにもない」はゴシック体]
さて、つづきです。私が『ビーチボーイズ』を見て感じたことについて。
エリート商社マンの竹野内くんは、会社を辞めて海辺に行く。
金魚鉢の中で泳いでいることに疲れてしまって、広い海のそばに行きたくなった。
いつもと違う、広々とした価値観の中で泳いでみたくなった(これ、あくまで私が感じることです。ドラマが言おうとしてることは、違うかもしれない……というか、違う気がする)。
でも、本当にそこに海はあったのかい? と私は思う。
時々、私も仕事に疲れる。視聴率にも評判にも具体的に書く作業にも、人間関係にも、そして自分の負わされた責任に、押し潰《つぶ》されそうになる。
ぜんぜん違うところで暮らしてみたくなる。それで、違うところに顔を出してみました。
近所のアロマテラピー教室。
そこには、いつもつきあってる人たちとはぜんぜん違う人たちがいた。視聴率なんて知らない、雑誌なんてあんまり読まない人たち。
私のことを知ってる人もいない(ホントはひとりだけいたけど、彼女は私のことを黙っていてくれた)。それこそ、ぜんぜん違う価値観がそこにはあった。それで、楽しかったか、というと、いつもの仲間の中に戻りたくなった。いつもの刺激や人を怒らせるスレスレのスリリングな冗談や、そして何より、一緒に物を作る、という一蓮托生《いちれんたくしよう》的な目的意識みたいなものを懐かしく思った。
それでも、教室でできた友達の家にお邪魔して、ゆったりとした昼下がりに手作りのハーブティーなんか頂いてると、それはそれでしあわせな気分にもなったけど。
結局……と私は思う。
海なんてどこにもない。
どこにいても、何をやっていても、人は違う場所を探したり、その場を投げ出したくなってどこかに行きたくなるけれど、海なんてどこにもないんだと思う。
でも、たとえば仕事をしていて、すごく仕事がうまくいった時とか、自分の無限の可能性みたいなもの、感じる瞬間があると思う。羽がなくても空が飛べるように、心に海を感じる瞬間があるような気がする。どんな場所にいても。
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手紙[#「手紙」はゴシック体]
ドラマを書いていると、たまに、手紙をもらう。視聴者の人だったり、出演者の人だったり、スタッフの人だったりする。
私自身も、わりに手紙を書く人なので。
私は『最後の恋』の打ち上げには、体の不調により出られなかったのだが、その打ち上げで、貴島プロデューサーが、川岡大次郎くんからの手紙を預かってきてくれた。彼は、ドラマ『ビーチボーイズ』にも出ていた期待の新人。
つたない字で、お礼と自分の『最後の恋』に対する思いがつづられていた。
それは、彼が雑誌のインタビューなどで見せる大人びた言葉や、大人びた表情とはまるで違っていた。洋画が好きで、プライベートフィルムを撮ってる、なんて雑誌のインタビューで話す彼を、私はとても大人の男の子に感じていたので。
彼の手紙の中には、両親の反対を押し切って東京に出てきたいきさつや、その親御さんが一生懸命、『最後の恋』を見てくれていること。それでドラマを好きになってくれたこと。私の名前なんか知らなかったんだけど、『愛していると言ってくれ』まで近所のビデオ屋さんで借りてきて見てくだすったことまで書いてあった。
そして、自分自身のことでは、『最後の恋』の中で演じた潤くんを、おじいさんになっても忘れません、と書いてあった。私はうれしかった。
彼ひとりがこう思ってくれただけでも、『最後の恋』を書いたかいがあった、と私は思った。そんなことだけで、書いてちゃ許されない程の責任を背負うんだけど、ホントは。
たとえ、今後、川岡くんが売れに売れて、私のことなんかすっかり忘れて、ある時、テレビ局で会って、「だれだっけ? あのオバサンライター」なんて言っても、私はいいと思っている。
実際に、以前、自分が書いた単発ドラマに出ていただいた大御所の役者さんに会った時に「その節は……」とご挨拶《あいさつ》したら、ドラマ共々すっかり忘れられていたこともあった。まあ、お年も召されているので、仕方あるまいが……。
手紙って瞬間の気持ちを伝えるものだから、その気持ちだけで私は、うれしいと思う。その時の気持ちだけで十分だと思う。つたない言葉でも、心を込めた言葉は人の心を打つ。
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恋に落ちる[#「恋に落ちる」はゴシック体]
ともだちが恋に落ちた。ドブに落ちるよりはよかったと思う。なんてね。ちょっとひがんだだけ。
彼女は、恋に落ちるのが数年ぶりだったので、1週間くらい自分の家に帰ってこなかった。
彼の家に行きっきりで。ラブラブですね。
私は帰ってきたダーにさっそく、ともだちのEちゃんが恋に落ちたんだって、ラブラブで1週間も帰ってないんだって、と報告するとダーは、それはそれは楽しかろうねえ、と言った。
かつて恋に落ちた相手に、このように言われるとそこはかとなく淋《さび》しいというか、釈然としないものがあるが、確かに、それはそれは楽しかろうというのは、私も同感だった。
さて、それで私は思った。恋というのは、落ちるモンなんだろうなあ、と。
するもんじゃなくて。
相手に恋をする、というよりは、相手と一緒に恋に落ちる、という方がピッタリ来る気がする。
どんなに素敵な人に出会っても、相手も自分を憎からず思っていても、お互いが恋愛モードじゃないと恋にはならないような気がする。
仕事が忙しすぎたりとか、自分のことで精一杯だったりすると、なかなか、さて恋に落ちるか、ということにはならないんじゃないんだろうか。
その昔、私はすごくストイックだったので、男の人に何と言ってふられようと、私のことが嫌いなんだ、だからふられたんだ、と自分をいましめる癖があったが、今思うと、その人は、今まさに大企業をやめて転職しようか、というタイミングだったので、私がふられたのはそのせいかもしれないなあ、と思う。(3回デートして、4回目の電話はなかった)
そう考えると、お見合いとか合コンとかは理にかなっているわけである。
結婚しよう、とか恋に落ちよう、とかあらかじめそういうモードの人間同士が集まるわけだから。
でも、そういうのってドラマないしなあ……という気もするが。
ところで、恋に落ちたふたりが燃えるような時期を過ぎて、抜け殻のようになることを悲しむ人もいるけど、私はそういう時期を過ごしたふたりがなんとなく今も一緒にいる、というのはわりといいもんだ、と思っている。ああ、そんなこともあったね、と照れたりしながらね。
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休日ポテトサラダ[#「休日ポテトサラダ」はゴシック体]
よく晴れた日曜日に、朝起きると昼過ぎだった。よくあること。虚《むな》しさを打ち消して『もののけ姫』でも見に行こうと思い、映画館に電話をすると、ただ今お立ち見です、というつれない返事に、あきらめた。
どうしようかな〜と、新聞などを読んでるうちに時間が過ぎていく。うちはリビングの一面が全部窓なのだが、その前にこんもりと大きな木が生えていて、風に木の枝がそよいでいるのなど、見ていると一日でも飽きない。嵐の日など、木が踊るように揺れて、また一段と面白い。
チャイムが鳴った。ズタボロの恰好《かつこう》だけど、家には私しかいないので、仕方なくよっこらせ、とソファから立ち上がって、玄関に出た。
隣の須之内ですけど……と、上品そうな中年の女の人は言った。私は会うのは多分、引っ越しの挨拶をしに行って以来で、まるで記憶になかったけど、「ああ……どうも」とご挨拶した。
これ、北海道から送ってきたんですけど、食べきれないからおすそ分け、と須之内さんは袋に入ったじゃがいもをくれた。
私は、ちょっと待っててください、とキッチンに行って、きのう、編集者の人が来た時に差し入れに持ってきてくれた桃を二個、お返しにあげた。
すると、須之内さんは「あらあ、これじゃあまるでエビで鯛《たい》釣っちゃったみたいで」と言った。
私の住んでる所は、一応高級住宅として有名なところなので(しかも分譲。私は大家さんがいて借りているだけ)、そこに住む奥さまがこんなこと言うなんて意外な気がして、ちょっと笑ってしまった。
須之内さんは、じゃがいもで釣った桃を持って帰っていった。
私は、じゃがいもをじっとしばらく見つめていたが、これでポテトサラダを作ろうと思い立った。
母親直伝のポテトサラダ。
ポテトと卵をホクホクに茹《ゆ》でてつぶす。そこにロースハムと輪切りのきゅうりを入れマヨネーズであえる。それだけ。
タマネギ入れたりするのは、すっぱくなって好きじゃない。子供の味覚ですね。しかし、だいたい母親の味というのは、自分が子供の頃のものだから、子供好きする味、ということかもしれないね。
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打つしかないようなトスを上げる[#「打つしかないようなトスを上げる」はゴシック体]
『最後の恋』が脱稿してから、すっかり私は落ち込んでしまっていた。番組自体は好評だったんだけど、体の調子が思わしくなく、夏風邪で熱は下がらず、これは毎度のことだけど、連ドラ書くと必ずなる湿疹《しつしん》に見舞われて毎晩、眠れず。
そんな時、フジテレビのプロデューサーの亀山さんから※[#電話機]があった。次の仕事の話……。
私は、精神的にも肉体的にも参ってたので、とても次の仕事のことなど考えられず、うーん、とかすーんとか言うばかりだった。
すると、亀山さんは『ロング バケーション』のことを言いだした。「ロンバケ」は、最後に亀山さんとやった作品。再放送をやったところ、また手紙がたくさん来たし、数字もよかったし、と言った。
私は、どう言われても私はもう参ってるんだ、というグチをノート1ページ半くらい言うと共に「『ロンバケ』はみんな(スタッフ、キャスト、そして見てくれる人)の気持ちが重かった奇跡のようなドラマだから」と言った。
すると、亀山さんは「奇跡はもう一度、あると思うよ」と言った。
おっ、決めゼリフ。これじゃ、まるで南と瀬名じゃん。
「奇跡はもう一度、あると思うよ、と亀山さんは言った」。普通だったら、ここで綺麗《きれい》にいい話としてこのエッセイは終わるんだが、私もだてにもう何年もエッセイを書いてるわけではないので、ちょっと終わらせないでみる。
さて、亀山さんは一見、決めゼリフを言ってるように見えるが、実は言わされているのではないか。この会話の流れからいって、こう言うしかない。要するに、私は、前のセリフでスパイク打つしかないようなトスを上げているわけだ。
冷静に考えると、これはなかなかのテクニックだ。プロデューサーと脚本家でこんなことやってても仕方ないけど、ぜひ、若いお嬢さん方には恋愛でこれを実践してほしい。
攻撃は最大の防御、というが相手に向かって打ち込むと、相手は気合入れてブロックするか、下手すると回転レシーブだ。これは、きつい。
それよりも、相手が打つしかないようなトスを上手に上げる、というのがそのように(どのように、だ?)持ってくコツかもしれない。
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お化粧BGM[#「お化粧BGM」はゴシック体]
さて、みなさんがメイクアップにかける時間はいかほどでしょう。私は、長いです。
30分は優に。
というと、何かすごいことやって、いろんなズルイことやって、顔を作ってると思うかもしれないけど、そうではなくて、私は自営業なので家で仕事をする日が圧倒的に多く、たまに外出の予定がある時だけ化粧をするので、お化粧に不慣れで時間がかかってしまうというわけです。
料理と一緒ですね、化粧も。やり慣れないと手際が悪くなる。
さて、そんな私は、お化粧の時に、BGMを欠かしません。
手は動いてるし、目は鏡に集中してるけど、耳はその間お留守になるので、必ず何か選曲して流すようにしています。精神的に化粧のノリがよくなるような曲を。自分のことを「おお、私は綺麗だ、素敵だ」と思えるような曲を。
今年の夏は、ちょっと古いですがサザンの『ヤングラブ』というアルバムの中の「ドラマで始まる恋なのに」という曲をエンドレスに流してました。
この曲、いいよ。うっとり。何がいいって、
「ごめんよ♪ 本当は世界で一番好きなのに♪ それが言えなくて涙|溢《あふ》れるばかり」
というフレーズ。そうかそうか、ホントは私のことが世界で一番好きだったのに、言えなかったんだよね、と思えるから。
こうしてみると、男性アーチストの歌にはこの手の本当は好きだったのに言えなかった、という歌詞が多いです。小田和正さんの「君があんまり素敵だから、ただ素直に好きと言えなくて♪」とか。女の人に都合のいい歌。
誰がそんな風に自分のことを思うかと言うと、それは化粧する時の気分で自由に殿方を思い浮かべればオッケーです。
アイシャドウ塗る手が止まって、ホウッと鏡の中の自分にため息をついたりします。
さて、過去の化粧ソングの最高峰と言えば、やっぱりあれでしょ。因幡晃が歌ってた「きみはどこまで美しくなるのか〜♪」ってやつ。この曲に乗って渡部絵美(スケートの選手)がコマーシャルで滑ってたけど、若い人は知らないね。
このような化粧ソングの需要が、どれだけあるか知らないけど、結婚式ソングばっかりじゃなくて、これを聞いて化粧をすればあなたも気分は中山美穂というような曲を、ヒットメーカーには作ってほしいと思う。
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眠れぬ夜に、[#「眠れぬ夜に、」はゴシック体]
見知らぬ19歳の女の子の半年を考えた[#「見知らぬ19歳の女の子の半年を考えた」はゴシック体]
ずい分前に、「信じる力」というエッセイを書いた。『最後の恋』書いてる最中に、体を壊して入院してしまった話。実はもともと、体が弱くて脚本家なんて絶対無理だと言われていた、というような話。でも、あきらめなければ道は開けるよ、というようなエッセイ。
それを読んで、私をとても身近に感じた、という大学生の女の子から手紙をもらった。その子も、もともと体が弱かったけれど、そんなこと忘れて、大学1年、2年の前半と、部活にバイトに勉強にがんばった。将来の夢もあった。
でも、がんばりすぎて、2年生の後半に、半年間入院生活を余儀なくされた、というものだった。
とても自分の将来なんか信じる気になれず、どうせ私なんかと投げやりな気持ちになった。そんな時、病院で私の「信じる力」というエッセイを読んで励まされて、今では切り抜いて手帳にはさんである、と書いてあった。
私は、泣けた。私が、たかだか1時間か2時間で書いたエッセイをそんなに大事にしてくれる人がいることがうれしかった。
彼女は、入院している最中「死ぬよりはマシでしょ」と励まされた、と書いてあった。こんな励まし方ってあるかよ、と私は思った。ゴメンネ。大事な人にもらった言葉かもしれないけど。私は、昔から、自分が不幸な境遇に立たされた時、自分よりも不幸な人がいるから、その人を見てそれよりはマシだ、恵まれている、と考えて元気を出す、というやり方が、すごく嫌い。それは間違ってると思う。ああ、あの人よりマシだ、と思われたあの人は、自分よりもっと不幸な人を見つけて、ああ、でもあの人よりはマシと思うわけでしょ。不幸の烙印《らくいん》を他人に押しまくるような、自分のしあわせの確認の仕方は貧しいと思う。
大学2年で半年入院することは、やっぱりつらいと思う。私もその頃、入院してたからわかる。
そりゃ、健康で元気で学校行けてた方がいいに決まってる。でも、入院生活の中にも、ささやかかもしれないけど、しあわせなできごとって必ずあると思う。人のやさしさが心にしみたりね。
同封されていたプリクラの写真では、キュートな美人ちゃんである彼女の隣で、優しそうな彼が笑っていた。とりあえず、ほっとする。
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親しい人がいなくなる[#「親しい人がいなくなる」はゴシック体]
5年来、仲良くしているともだちが、結婚の都合で海外に行くことになった。
おめでたいことだとわかっていても、私は仕事のこともプライベートなことも、ほぼ何でも彼女に相談して、頼りにしていたのでしばらくショックが抜けなかった。
『ロング バケーション』の最終話を書いていた時は、籠《こ》もっていたホテルから真夜中に電話して、どう考えてもあと、一字も書けそうにないんだけど、もうオンエアは控えているし、ディレクターもプロデューサーも本を待っているし、どうしたもんだろう、と頭ン中、真っ白になるような相談をもちかけたりもした。相談というよりも、愚痴ですね、これは。
そんな時も彼女は、動じず、夜明けまで電話につきあってくれた。
田舎の母が病に倒れた時も、東京で働いているからずっと側についていられない私を、それでも北川さんが仕事がんばってることが、お母さんにとっては何よりうれしいことだよ、と言って励ましてくれた。
そのような彼女を失うことは、非常につらいことだった。
でも。結局、人はひとりなんだ、というところに行きついた。
どんなに心を許しても、信頼し合っても助け合っても、支え合っても、とどのつまり人は自分ひとりである。
恋人だって、親友だって、家族だっていついなくなるかわからないし、その人の意思でいなくならなくても不慮の事故で死んでしまうってことだってあるだろう。自分だってそうだけど。
確かに、今まで生きてきた中で、いろんな人に助けられたし、支えられたし、病気の時はお医者さんにかかる。でも、誰かのおかげ、のみで生きられたということは現実にはないんじゃないかと思う。やっぱり、その人はその人の力で生きてるんである。周りの人にできることは手助けのみ。
だから、誰かにしあわせにしてもらおう、というのは虫が良すぎるし、誰かをしあわせにできるというのも傲慢《ごうまん》だと思う。
人は人を頼りにはしても、結局は自分の力で生きていくんだと思う。
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『最後の恋』その後[#「『最後の恋』その後」はゴシック体]
私が98年の夏に書いたドラマ、『最後の恋』は売春をした女の子が、過去を乗り越えて本当の自分を取り戻すという話だった。夏目くん、という男の子に出会ったことによって。
ドラマが終わった後に、視聴者の方からもらった手紙の中に、こんなのがあった。
彼女は実際に売春をしていたという女の子で、源氏名まで書いてあった。
「ドラマを見ていて、アキ=体を売った者の気持ち、をこれほど表現できるということは本当にものすごい才能だと思います」と書いてあった。
私は、体を売ったことはない。だから、本当はそれがどういうことなのか、どんな気持ちになるのか、わからない。わからないまま書いていった。
想像しながら。
わからないのになんでそんな設定にしたかと言われれば、売春した女の子を描きたい、と思ったわけでも、売春がいけない、ということを世間に訴えようとしたわけでも、ぜんぜんない。
正直に白状してしまえば、医学生と売春婦、この取り合わせはきっとドラマチックだ、と考えただけだ。職業的判断。
だから、書きながら後悔した。ヤバイ物に手を出したんじゃないか、ただドラマを成立させるためだけに、そんなシリアスかつ、ナイーブな題材に手を出してしまった自分を、責めた。
だが、彼女の手紙はこう続いていた。
そんな自分にも好きな人ができた。つきあい出したが、でも、やっぱり自分は普通の女の子じゃないんだと卑屈になって、何度もその人を困らせた。ある時、その人は一緒に泣いてくれた。
「過去にとらわれないで生きていくっていうことは言葉で言うよりずっとずっと難しいことだと思います。でも北川さんのドラマを見て、困難であっても、不可能ではないと再確認することができました」と書いてあった。
胸が痛くなるような手紙だった。
ドラマチックにするために考えた設定ではあっても、登場人物をドラマを動かすコマにだけは、しない、といつも思っている。その人(登場人物)の人生を私はわかりたいと思うし、愛したいと思う。たとえ、それが売春をしたという過去であっても。
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人が心の中に飼っているもの[#「人が心の中に飼っているもの」はゴシック体]
仲良くしている編集者から、夜明け近くにファックスが流れてきた。
「人が心の中に飼っているもの」として、
少女を飼っている=岩井俊二、小林武史、宮崎駿、大林宣彦、草野マサムネ。
少年を飼っている=柴門ふみ。
オオカミ少年を飼っている=三谷幸喜(ウソつきってこと?)。
神様を飼っている=吉本ばなな、吉田美和、小沢健二。
などと、書いてある。校了明けのボーッとした頭で考えたんだろうか。でも、面白いや、これ。
私は昔『愛していると言ってくれ』というドラマを書いた時、豊川悦司演じる晃次のキャラクター表に「心の中に湖を持っている。ただ、その湖までの森は深く、なかなか他人は辿《たど》りつけない」と豊川悦司を口説くためにそんなキザなことを書いた覚えがあるが(口説くって、文字通りの口説くじゃないよ、ドラマに出てもらうってこと)、その生き物バージョンということか。
そうか、岩井俊二は少女を飼っていたか……。(例・『スワロウテイル』のアゲハ)
そういえば、昔、某プロデューサーが言った。
「日本の優秀な映画監督はみんなロリコンだ。大林宣彦にしても、宮崎駿にしても」と。
それを聞いた私は、膝《ひざ》を打ったもんだ。ホントだ。だから、日本の映画ってリリカルな少女を描いたものは多いが、大人の女をカッコよく描いたものって少ない。
しかし、こうして見ると、心に少女を飼うのは、ヒットメーカーになる重要な要素かもしれない。
少女の心が、世の中の少女たちを動かし、映画館に足を運ばせたり、CDを買わせたりする。
さて、そのファックスの、ある項に、私は自分の名前を見つけた。
心にオヤジを飼っている=北川悦吏子。
どういうことだ。私が実はオヤジなのが、どうしてばれたんだろう。こんなに内緒にしてたのに。
喫茶店に入って、おしぼりで顔を拭《ふ》くところを見られたか。ひとりでパチンコ屋に入るところを見られたか。納得すると、膝を打ってしまうところを見られたか。女らしいとまどいや気遣いがなく、物事を身も蓋《ふた》もない言い方を時々、するからだろうか。
心にオヤジを飼う女、私……。
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変わっていく人間関係[#「変わっていく人間関係」はゴシック体]
クリスマス用にお目当てにしていたポルトガル製の洋食器を買って(VISTAというところの、かわいい)、青山の街を地下鉄の方へブラブラ歩いていると、「北川!」と突然声をかけられた。
昔、仕事を一緒にした監督さんだった。
うわあ、久しぶり。もう何年ぶりかの再会である。
実を言えば、その人と私の間には、結構な年月をかけて、いろんな感情が行き来した。
最初のうちは気が合ってすごーく楽しかった。
ロケで私の家の近くまで来たからと突然の電話をもらって、勢いでドライブしたり、喫茶店で胃が痛くなるほどコーヒーのお代わりをしながら、何時間も映画のプランを話したりした。
けれども、ある時、一緒に仕事をして、意見が分かれてトラブッた。
ちょっとくらい年上だからと言って、いつもいつも私に「物を教えてやるモード」のその人のことが、私は、うっとうしくなっていった。
そんな空気を相手も察知したのか、説教にはより拍車がかかり、ふたりの空気も冷えた。最初、気が合っていた分、一度かみ合わなくなると、かみ合わなさもひときわだった。
そのまま、関係はなんとなくフェイドアウト。
そして、何年かぶりに偶然、青山の地下鉄で私たちは会ったわけだ。
「時間、ある? お茶でもどうですか?」と私は言っていた。
再会するまで、その人のことはしばらくすっかり忘れていた。でも、再会したら素直にお茶でも飲もう、と私は言えた。
その人とよく会っていた頃、その人に対して100cc分のいろんな思いがあったとする。あの人っていい人だけど、なんかおせっかいなのよね、とか押しつけがましいのよね、とか。
でも、ずーっと会わなくなってその人のことなどまるで考えなくなった時、10ccの思いが私に残っていたとすると、その10ccは、素直に、一緒にお茶を飲んでおしゃべりしたい、だった。彼も、屈託なく声をかけてくれた、ということは同じ10ccになってたんだと思う。
人間関係は変わっていく。100ccのシリンダーの水が10ccになった時、どんな思いが残るか。
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結婚と恋愛は違う[#「結婚と恋愛は違う」はゴシック体]
結婚と恋愛は違う、という人の話を聞くと、恋は短期間のものだが、結婚は現実、または日常だから一緒にいて楽な人とするべきだ、とか生活力のある人とするべきだ、という理由が多い。
が、最近、私が結婚と恋愛とは違うなあ……とつくづく思うのは、また別の理由である。
確かに結婚生活は日常かもしれないが、それとは別に、人が人生の大きな岐路に立たされるのは往々にして結婚後である。
恋愛をしている若い頃は、結婚そのものがゴールのような気がしているが、実は、その後の人生は長く、そして人生の一大事は結婚後に起きることが多い。
たとえば、親の死。自分の子供の誕生。男の人であれば、あまりに先の話だけど定年退職して、人生を見失うのも結婚後なわけである。
こういう人生の岐路に立たされた時、どんな人に横にいてほしいか、というとそれは恋しくて恋しくてたまらない人、というよりは、がっしりと自分を支えてくれる人であり、全面的に自分を受け入れて、的確に励ましてくれる人ではないか、と私は思う。
恋しい、という気持ちはその人に気持ちが全面的にいっている状態だから、他の問題に直面してそのことで心の中がいっぱいになってまいっている時、頼りになる人とはまた別だと思うのである。
だから、人間的に信頼できる人、頼れる人、心根のやさしい人、というのは結婚の必須《ひつす》条件だと思う。
しかしこれらは、恋人の必須条件ではない。
そして、もしかすると、恋心というのは波瀾《はらん》万丈の自分の人生の荒波をかいくぐっていく時には、必要ないのかもしれない、という気さえする。
ある時代には(青春時代、とか自分が輝くほど若く綺麗《きれい》な時代)、必要不可欠なのかもしれないけど。
ひとり乗った地下鉄で、ぼんやりと今別れた恋人のことを考え結婚を夢想するのはもちろん楽しいことだが、その先の人生は長く、そして時に厳しい、というのも一つの事実なわけです。
さて、じゃあ、私自身の結婚が成功だったか否かについては、また次の機会に……。
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幻の出演依頼[#「幻の出演依頼」はゴシック体]
私はミーハーなのだが、根が恥ずかしがりやさんなので、テレビなどはほとんど出ない。講演会もやらない。こんな私に出演依頼をしてくださる方々には申し訳ないんだけれど。
しかし、その電話がかかってきた時は違った。
「北川、テレビはほとんどお断りさせていただいているんですけれども……はい……はい……」と秘書の女の子が喋《しやべ》っている横で、その受話器をひったくって「やります、やります、絶対やります」と言いたいくらいだった。
何かと言えばコマーシャルの出演依頼だった。
クライアントは一流のお酒メーカー。
ライトガンガン照らされて、大勢の人がいる前でコメント言ったりするのは苦手だけど、きっとコマーシャルというのは、絵コンテがあって言われるままにしてればいいんでしょ。それで綺麗に綺麗に7割増しくらいで撮ってくれるんでしょ。
先日、某化粧品メーカーのCMをドラマの本が忙しいからと断念したばっかりだからなあ。
今回のCMはコンペということだった。
有名人の中にはコンペにかけられるなんてとんでもない、お話が決まってから連絡をください、と言う人も多いらしいが私は極力、協力するようにしている。というのも、テレビ番組の制作会社に勤めていた頃、原作物の企画を持っていく場合、まだ通るかどうかわからないような段階で、原作者である作家さんの了解を得なければならなかった。その時、決まってない話には乗れない、とけんもほろろに言われたら、営業しなければ仕事にならない私たちの道はなくなってしまうのである。
さて、待つこと数週間。待ちわびた電話が鳴った。
あの……先日のお話ですが、なくなりました。
あ……はい。
しょんぼり。
その電話を受けた秘書の南山さんが、もう必要はないですねと、電話のわきにセロテープではってあったFAXの出演依頼をビリッと取って、ポイッとゴミ箱に捨てた。
その間、わずか0・8秒。
自分では、なかなかこうはいかない。
人がいるっていいなと思った。
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美人考[#「美人考」はゴシック体]
ある日曜日、昼下がりに家を出て、万年クリスマスのようなイルミネーションのカフェ・デ・プレの前の坂を降りていくと、向こうから美人が歩いてきた。
ベロアのノースリーブのワンピースを着て、ショールを巻いて、しゃんなりしゃんなりと歩いてきた。
むむむっと思って顔を見ると、顔も類《たぐい》まれな美人だった。
「おおっ、美人」と思って、同行者である夫に「今の美人だったね」と言うと、夫もいつになく興奮気味に「ああっ」と言った。
私が今住んでいるのは広尾で、前住んでたのは青山である。広尾も青山も美人が多いが、広尾のすごいところはタレントでも何でもないのに一般人の美人が多い、という点である。青山の美人はモデルさんだったりするので、当たり前といえば当たり前だ。
しかし、美人とは、美人の雰囲気をかもしだしているもんだ。オーラと言ってもいい。
よく、美人なのに気取らない、などと江角マキコさんなどが言われて、みんなその真似をするが真似できるのは「気取らない」の部分だけで、「美人なのに」にポイントがあることに、なかなか気がつかない。ただ、普通の人が「気取らない」だと「気取らない」とさえ言われない。美人だからこそ、気取らないと言われるのであって、普通の人が気取らないのは当たり前なので、別にエラくもなんともないんである。
いつか村上春樹さんが自分の著書の中でホテルにいるとベルボーイに間違えられる、というようなことを書いていたが、それも村上春樹なのにベルボーイ、で成立している話である。
柴門さんが某高級ホテルのエステに行こうとしてタクシーに乗ったら従業員専用の入口につけられた、という話も柴門さんなのに従業員入口、で成立している話である。
ところで私は、新しいレストランに入ると必ずといっていいほど、トイレのわきか出入口近くに座らせられる。
見るからにひとかどの人になるのは、持って生まれたオーラとかが必要で非常に難しいことだろうが、それならせめておしゃれやお化粧に気を使おう、と久々に美人を見て思った次第である。
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舞台裏[#「舞台裏」はゴシック体]
小田和正さんのコンサートに行ってきた。私は、小田さんの大ファンだったので、夏のドラマの主題歌を作ってもらい、それをライブで聞きながら、これで一生分のわがままを果たしたなと、しみじみ思ったのであるが、その後がいけない。
何がいけないって、招待された関係者はライブを見に行くと必ずその楽屋に行って、アーチストに挨拶《あいさつ》するのが宿命なのだが、私はそれが苦手だ。
何せ上がる。小田さんとは、何度もお会いしているので、もうそろそろ上がらないですむだろう、と思うが、やはり上がる。舞台には、ライトを浴びる小田さん。その前には、人人人人人の波。ミュージシャンはカリスマである。
そんなものを見た後に、冷静にタメ口をきけ、というのが無理である。いいです、いいです、失礼しますので、よろしくお伝えください、とスタッフの人に言ったのだが、聞き入れられず、やはり楽屋まで連れていかれてしまった。
私は「すごくよかったです。感動しました。立って踊っちゃいました。ありがとうございました」。
この間、わずか3秒。
どうして、人は上がると早口になるんだろう。
小田さんの前で限りなく早口になる私。
早口でつまらない感想を言う私。まるで、3行、80字以内で感想を述べよ、の回答みたいに。へどもどへどもど。おかしいな、私もたまには、カッコいい私であるような気がするのだが、こういう場所ではとんとダメだ。
「あれ、何か感じ、変わったんじゃない?」
と言われて、
「太ったんです。それもあって今日は会わないで帰ろうと……」(これも、すごく早口)
「それもあって……」
と1フレーズのみ反復する小田さん。(これは、ゆっくり)
ああ、何を喋っているのか。
私の後には、私よりずっとえらいスポンサーの人とか小田さんにとって大事な人とかが待っていると思うと、もうますます早口で、でも何かこう、気の利いたことでも言おうとして余計錯乱してめちゃめちゃ。早々に引き上げて、地下鉄に乗ろうとして、改札でメトロカードの代わりにテレホンカードを入れて駅員さんに止められた。
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祝! 豊川悦司結婚[#「祝! 豊川悦司結婚」はゴシック体]
東京に初雪の降った日。昼過ぎに知り合いの編集者から興奮した声で電話があり、「ねえねえ知ってる? 豊川さん」という。
豊川悦司、入籍!……ぜんぜん知らなかった。
相手は、ヘアメイクさん。私は急いで、本棚の奥から『愛していると言ってくれ』の台本をひっぱり出した。台本には必ずスタッフ表がついている。もしかして、知ってる人かも……。その時のメイクさんとは違った。私の知らない人だ。
「相手はどんな人どんな人どんな人?」と聞くと仲良し編集者のKちゃんは、初詣《はつもうで》に行った時の映像がチラッと映っただけだからよくわからない、と言った。うううっ、知りたい。ワイドショーはもう時間的に終わってしまっている。こういう時は、スポーツ紙だ。でも、ウチの近くのスーパーには、英字新聞しか置いてない。
豊川さんに直接電話して、おめでとうと言いつつ、さぐってみようか、と思ったが、年賀状は出せても、電話をかける勇気は私にはない。
しかし、驚いたのはかねてから噂のあった女優さんとは相手が違ったことだ。
やっぱり長すぎた春は成就しないんだよ、とKちゃんは言った。
長すぎた春が終わりかけた頃に、ふわっと吹いてきたそよ風のような女の人と、男の人は結婚してしまうのだよ。
確かに。男ともだちから、結婚しました通知をもらって、ああ、あの人とやっと結婚したんだと思ってハガキを見ると、違う人だったりする。
結婚ってタイミングによるところが大きいと思う。あの時に[#「あの時に」に傍点]、あの人と出会ったから、結婚した、というような。この、あの時に[#「あの時に」に傍点]、という部分が結構大切な気がする。
それにしても……。ひどいじゃないの、豊川さん。あの『愛していると言ってくれ』の打ち上げで箱根の温泉旅館でやった卓球の時、わざと負けてくれたのは愛じゃなかったの? もしかしてあの下手っぴいな卓球が実力だったの?
全国の悲しんでいる豊川ファンの代わりに、そしてあの時、あの人に、出会えなかったために成就しなかった、ちまたに溢《あふ》れる未完成の恋のために墓標を作り、ここに、思いを遂げられなかった恋の御冥福《ごめいふく》をお祈りしたいと思います。アーメン。
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あの子のピエロ[#「あの子のピエロ」はゴシック体]
私がまだ映画の撮影所に勤めていた頃のこと。
エキストラが足りないと、よく監督に駆り出され、お手伝いをしていた。
その映画は文芸作品だったんだけど、ストリッパーの踊り子さんの話だった。私の役は、ヒロインのストリッパーの同僚役で(ま、役というほどのことはないんですが)「お疲れさまでした」というだけのセリフがあった。
同じストリッパーの同僚B役は、やはり、エキストラ程度の役なのだが脱ぐシーンがある。
すっぽんぽん。それはプロダクションに所属している二十歳くらいの女の子が呼ばれていた。
助監督さんは、その女優さんに、
「ほら、早く脱いで」
とけんもほろろに言った。
女の子は、銭湯の脱衣所で洋服を脱ぐようにサッサッと何の感情も込めずに脱いだ。
それでも、何だか痛々しかった。
真っ裸になったそのシーンが終わると、彼女の出番はもうなかった。
「上がっていいよ」
と、助監督は言った。その言い方は主役クラスの俳優さんに言う言い方とは、はっきりと違った。
「あの……どうやって帰ればいいんでしょうか」
と彼女が聞くと、助監督は、
「そんなのわかるでしょ。自分で帰ってよ」
と吐き捨てるように言った。もちろん、タクシーチケットなど彼女は切ってもらえない。
私は、彼女を撮影所近くのバス停まで送った。
彼女は、すごく恐縮し、何度も「ありがとう、ありがとう」と言った。
そして、別れ間際に、これ……と持っていたウォークマンを私に差し出した。私にくれる、というのだ。会ったばかりの人にそんな高価な物は貰《もら》えないというようなことを言うと、「じゃあ、これ!」と彼女は、もう片方の手で持っていたパステルカラーのかわいいピエロの人形を私に差し出した。
彼女は、最初から最後までずーっとそれを握りしめていたのだ。
私は、なんだか断れなくてそれを受け取った。
それから2回の引っ越しを繰り返したけれど、どうしても、私はその人形が捨てられなかった。
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SMAPの夜空ノムコウ[#「SMAPの夜空ノムコウ」はゴシック体]
『SMAP×SMAP』を見ていてつくづく思った。この人たち(この子たち?)楽しそうだ。
この時は遅刻ドキュメントをやっていて、拓哉くんが遅れて来て、みんなに責められていた。冗談を言ったり、ふざけあったり。そんななんでもない様子がとてつもなく楽しそうに見えた。
こういうの、いいなあ。
スマップは自分たちの個別のキャラクターや才能と共に友情を売っているんだと思う。売るっていうと言葉悪いけど、見ている人たちは5人の素のかけあいを、そしてその向こうに見える友情、というか仲間みたいなものが好きなんだと思う。
一度だけ、スマップ5人全員と食事をしたことがある。地方のコンサートをプロデューサーやディレクターと見に行ったその後。
彼らは、とても仲がよく(少なくとも私にはそう見えた)、ふざけあって、笑いあって、まるで、それは修学旅行の男子高校生の集団みたいだった。テレビで見るのと全く変わらない。
私は「楽しそう」なことに憧《あこが》れる。だから、『あすなろ白書』を書いた時は「あすなろ会」が、「ロンバケ」を書いた時は「瀬名と南」が、いかに楽しそうに見えるかに、心を砕いた。
しかしなぜだか、「しあわせそう」にはあまり憧れない。2LDKの小綺麗なマンション、明るい日差し、そのダイニングキッチンに子供用の背の高い椅子が置いてある。ベランダにはためく赤ちゃんのよだれかけ。というような風景は、「しあわせそう」の象徴だろうが、こういうものにはとんと、関心がいかない。
つい先日のアンアンの特集、結婚体質、恋愛体質に分けると「しあわせそう」に憧れるのが結婚体質で、「楽しそう」に憧れるのが恋愛体質なのかもしれない。「楽しそう」は過程という気がする。そして「しあわせそう」は行き着いた先。楽しそうな空間は長続きしないような気がする。いつか終わるような、そんな心もとない感じがまた、いいのかもしれない。
そして、スマップの「夜空ノムコウ」はとてもジンと来て、それは、ドラマに主題歌があるように、SMAPのプライベートにどんなドラマがあったか知らないけれど、今の彼らの主題歌のような気がするのである。
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誰かが誰かをしあわせにしている[#「誰かが誰かをしあわせにしている」はゴシック体]
どういうわけだか、しばらくの間私は弱スランプ状態だった。弱スランプとは、若干のスランプのこと。どんなテレビを見ても、映画を見ても心が動かない。ファンレターをもらっても、だいたい書いてあることはいつもと一緒よね、と覚めた思いで読み、そしてそのわりには、20通のうちに1通ほど混じっている、あんたのドラマなんかみんなが言うほど面白くない、などという手紙ばかりが心に影を落とした。
コンビニで、新しく始まる連続ドラマの脚本家特集が載っているテレビ雑誌に、がんばっている野島(伸司)さんを見ても、何も感じることができなかった。
もう、自分が書きたいドラマは何もないような気がしてきていた。もう、書きたいラブシーンは全て書いてしまったような気がしていた。
それでも、ある朝。中学校時代のともだちが遊びに来るというので、お化粧をしながら、何気なくCDプレーヤーのスイッチを入れた。(私は、前にも書いたけれど、お化粧する時、BGMを欠かさない)
ずっと、前に入れたままになっていたスピッツだった。「愛のことば」。
聞いていたら、固くなっていた心がほぐれていくように、冬眠していた動物が春が来て目を覚ますように、少しだけ動き出した。
まだ書いてないシーンがあるような気がしてきた。書きたいストーリーやドラマがある気がしてきた。
そうだった。私はいつも音楽に助けられるんだ。
globeの「DEPARTURES」を聞いて、大悲恋ドラマを考えたことがある。主役をあの人もいいかな、この人もいいかな、などと自分の中だけで楽しんだ。(まだ、実現していない)
「愛のことば」は青春ものかなあ。草野くんのようなナイーブな青年が主人公というのもいいかもしれない。
このように、人は何かによって助けられたり、しあわせになれたりするもんである。
少なくとも私は「愛の言葉」でホッと一息した。
音楽じゃなくて、誰かの言葉だったり、美味《おい》しい料理だったりすることもあるだろう。
そんなことを素直に信じられる自分でいたいと思う。いつもいつも、とはいかなくても。
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失恋の対処法[#「失恋の対処法」はゴシック体]
たまに読者の方からお手紙をいただくんだが、その中で、失恋したけれど、彼のことが忘れられない、というものが結構多い。
たとえば、婚約までしていたのに彼に別に好きな人ができて、泣く泣く別れた。それ以降、生きているのがつらくて、毎日毎日泣いている、どうしたらいいでしょう。
どうしたらいいか。私には、確かなビジョンがあるので、この場を借りて答えたいと思います。
彼とのことは、新しい恋を見つけるためのレッスンだったんだとか、悲しみを知ってから自分が磨かれていくんだ、というような精神論は速効性がないので、この際、割愛したい。
たいていの場合、時間がたてば苦しみは薄らいでいく。それは真実だと思う。でも、時間がたつのは遅い。3カ月たてば、いくらかマシになるだろう、と思っても3カ月は30×3でやっぱり90日。90日間、つらい。そこで、私が提案したいのは、場所を離れる、ということだ。
とりあえず、彼と暮らしていたならそのアパートを出る。彼が自分の部屋によく遊びに来てたならマンションを引っ越す。ふたりの思い出が溢《あふ》れる街を出る。生活環境を変える。
これ、結構効き目あると思います。たいてい、何かにつけてふっ、と思い出して泣けてくる、というものなんだから、思い出すきっかけとなる物は捨て、きっかけとなる街は離れ、きっかけとなる生活空間は捨てる。
と言っても、引っ越すにはお金がいるかもしれない。即座には無理かもしれない。
こういう時こそ、女ともだちの出番。
私は、昔ひどい失恋をした時、ともだちの家に1カ月もいそうろうをした。そして、極力、彼を思い出しそうなところには近づかなかった。
こうして、失恋を重ねる度に都内で行けない場所、乗れない電車が増えていったわけだが。
東西線に乗ると、彼の家に行ってた頃を思い出す。井の頭公園に行くとしあわせな散歩を思い出す、てな感じで。
時間は、各人平等にしか過ぎていかなくて、その時から離れるには時がたたなければ無理だけど、場所は、その場所から自分で離れようと思えば離れることができる。試してみて。
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こわいもの見たさ[#「こわいもの見たさ」はゴシック体]
こわかった。すごくこわかった。もう一生分の「こわい」を使い果たしてしまうくらいこわかった。何の話かと言えば、映画『リング』の話だ。
いや、もう恐ろしいの何のって。私は、見ている間、もっとキャーキャー言いたかったですね。
みんな、黙っているので言えなかった。できれば笑いたかった。不思議だけど、あんまりこわい時って笑いたくならないですか? このこわさを笑ってどうにかしたいっていうか。としまえんのフライングパイレーツに初めて乗った時、何だか知らないけど、自分たちが上に来るとみんな手を挙げてバンザーイみたいにして「ウオーッ!」って叫ぶんですよ。私は、何だ、あいつら、バカみたい、と思ってたんですが、自分の番になったらやっぱりバンザイみたいに手を挙げて「ウワーッ!!!」って叫びました。不思議ですね。あんまりにもこわいものに遭遇した時の群集心理なんでしょうか。
映画館で隣を見ると、ともだちで女編集者の松山さんがヒーヒー言いながら、顔を手で隠していたので、「ダメよ、見るのよ」とその手を無理矢理顔から引き剥《は》がした。
私って残酷。
しかし、何で、松山さんと。できれば、素敵な男の子と、行きたかった。
ろくな人生を送ってこなかった私が、アンアン世代にできるアドバイスは数少ないが、ここらへんで一発決めたい……と思っているあなたにぜひお勧め。彼氏と『リング』を見に行ってください。
『リング』のいいところは、横にいる者にとても触りたくなるこわさであるところ。
そして、こわい映画の利点は、ラブストーリーやシリアスな映画だと、感動したところや泣いたところが違ったりすると、私たち感性が違うのね、ということになってぎくしゃくするが、ましてコメディを見て笑うところが違うと、より感性の違いの溝は深まったような気がするが、こわい映画はこわいところを二人で言い合って、その場所がたとえ違っても、えーっ、あそこがこわいの? へーえ、なるほどね、と寛大でいられるところだと思う。なぜだろう。わかんないけど。
そして、こわいものを見ると気分が高揚するので、その後、食べすぎたり飲みすぎたりしてはずみもついて、彼との関係もここで一気にはじけるかもしれない、と思うんですが、どうでしょう。
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愛される理由[#「愛される理由」はゴシック体]
その昔『愛される理由』という本が、郷ひろみの元嫁、リーによって出された時、驚いたものだ。
愛される理由……自分で言うかな……。
先日、アンアンの「本当に好きな男から誰よりも愛される秘訣《ひけつ》」という特集で、岡本真夜さんと対談し、そして、考えた。どんな、女が愛されるのか。
よく、どんな男の人を好きか、という質問に、何か夢中になれる物を持っている人、と答える女の人がいるけど、女の人の場合も一緒じゃないだろうか。何か一生懸命になれる物を持っている女の人、が、いいと私は思う。そして、その才能に憧《あこが》れたりもするだろう。
岡本真夜さんは24歳。まだまだ私の年から見ると女の子ちゃんの年齢だ。それでもひとりでがんばっている。そして才能を開花させた。
そのためには、もちろん生まれついての才能もあっただろうが、努力もしただろうし決心もしただろうし覚悟もしただろう、と思う。大きな責任を負い、それはもちろん好きな道ではあったかもしれないけど、厳しい道を選んだ。でも、彼女はがんばっている。ひとりで。
私は、こういうのに弱い。よく、どんな女の子がもてるか、という話に出る、守ってあげたくなるような女の子。「ああん、私、わかんない」とか、「ああん、どうしよう」と泣いてしまう女の子が男の人は好きだと言うけれど、私が男だったらそういう子は好きにならないと思う。それらが本当に男の力を必要としてるのか、それとも男の気を引く計算なのか知らないけど、そういう守って守って光線を発射している女の子を助けるのは、横断歩道で困っているおばあさんに手を貸すのと一緒で、自分でミルクも飲めない赤ちゃんに手を貸すのと一緒で、その場では思わず面倒を見るけれど、それ以上、心に残らない。
そうではなくて、何かをあきらめても一人で立って歩こうとする女の子の生きる姿勢、のようなものに私は多分心を打たれるだろうと思う。そして、もし私が権力者のおじさんだったならば、裏で手を回して、彼女がうまくいくように細工をしたりして、それが彼女にばれたりして「何で、こんなことするの!」と本気で涙を浮かべながら怒られたりするんだろうと思う。そして、おじさんの私は本気で困ってしまうんだ。
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突然の家出[#「突然の家出」はゴシック体]
テレビ局のプロデューサーと食事をしていたら、こんな話をしてくれた。
ある晩、ドラマの収録を終えて、それはちょうど最終日だったので路上でシャンパンの乾杯をしてほろ酔い気分で家に帰ると、ベッドがなかった。
見渡してみるとベッド以外にも、いくつかの家具がない。
リビングのテーブルの上に、妻の置き手紙があった。7行ぽっきりの簡潔にして、言いたいことをきちんと全部伝えている手紙。
妻は出ていった。勝手に、自分の知らない間にマンションなりアパートを借りて、子供と出ていった。
ドラマの台本によくある、「呆然《ぼうぜん》……」というト書きは、こういう感じのことを言うんだな……とリビングの椅子にひとりぽつりと座って彼は思った。
この話を聞いた時、何か聞いたことある話だな、という気がして、数秒後に思い当たった。ウチの兄の話だ。
兄は、ある日帰ると、自分の家財道具だけ家になかった。兄の妻は、兄をあるワンルームマンションに連れていった。
「今日から、あなたはここに住んでね」
そこにはもう兄のわずかばかりの家財道具が運び入れてあった。
この話を聞いた時、「女は恐ろしい」と思うのが正しい物の感じ方だろうか。
私は、正直言うと「羨《うらや》ましい」と思った。こんな思い切ったことを、しかし、水面下で着々と準備を進めなくてはならないことを、やってしまうなんて。その日までおくびにも出さず。
女の人は、男の人に比べると、「シーン」に憧れる力が強いんだと思う。
夫が帰ってくると、自分も自分の痕跡《こんせき》もあとかたもなくきれいになくなっている。なんて鮮やかなシーン。男の人は、たとえ妻と別れようと思ってもこういうやり方をしないような気がする。
恋人と別れた後に、こんないい女を振って惜しかったってきっと思わせてやる、とエステに通うのも女である。いつか、どこかで再会した時に、すごくいい女になった自分がいて、悠然と微笑む。
そんなわずか一瞬のシーンのために、女は、がんばれる。男にはこういう発想はない。多分。
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春の花束[#「春の花束」はゴシック体]
この間、初めてトークショーなるものをやった。
これまでずっとやってなかったんだけど、春に浮足だったのか、何なのか、ついつい受けてしまった。
感想。けっこう、面白かった。「uno!」の花田紀凱編集長と、阿木燿子さんと喋《しやべ》ったのだが、ああいうのは卓球と似てると思った。チャンスボールが上がった時に、パシッと打ち込む。おっ、喋れそう、喋れそう、そのテーマ。その質問。それに対するリアクション。と思った瞬間に、いいことをバシッと言う(いいことと、自分が思ってるだけかもしれないけど)。
チャンスボールを逃すと、ああ、さっき打ち込めばよかった、と思いつつももう遅い。「さっきのあの話なんですけど……」と前置きして喋るのは、ダサイ。しかし、人の話に露骨に割って入るのもいかん。反射神経と頭の回転。いい、頭のスポーツになった。
やっと終わって、まだちょっと興奮したまま控室に戻ってくると、かわいい花束が届いていた。
メッセージカードがついている。開くと、中学校時代、1学年上だった××です、と書いてある。
名前に覚えがない。が、旧姓がカッコして書いてあって、ガーッと頭ン中が巻き戻しモードに入って、思い当たった。
卓球部で、1年先輩だった女の人だ。
その人は、勉強もできて、卓球もうまくて、ピンポン玉を追うと髪がサラサラして、ちょっと素敵だった。ここでちょっと、但し書き。みなさん、卓球というだけで、カッコ悪いと思ってませんか? まあ、普通はそうでしょう。が、私のいた中学校は、やたら卓球が強い中学で、卓球部といえばちょっとした花形だったんです。
その卓球部の中でも、その先輩は明らかに花形だったと思う。私は、内緒でちょっとだけその人の髪型を真似してみたりもしたんだ、実は。
しかし、部内では上下関係がとても厳しく、あの頃、言葉を交わしたことなんて一度もなかったと思う。挨拶するだけ。よく、ぜんぜん目立ちそうもない私のことを覚えてくれていたと思う。
あの頃、先輩は私のことを、どう思ってたんだろう。私の憧れは、20年後にオレンジと黄色のはなやかなチューリップになって返ってきた。
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カッコいい人[#「カッコいい人」はゴシック体]
行ってきました横浜アリーナ。踊ってきました、B’z。何を隠そう私はB’zのファンです。というと、たまに意外そうな顔をする人がいるけど、そういう人はB’zを誤解していると思う。熱い、魂が叫んでしまう歌をB’zが歌っていると。それはちょっと違います。B’zはテンションは高いけど、体温はわりと低いです。何言ってるかわかんないか。歌詞を聞いてみるとわかるけど、B’zには洗練されたユーモアと冷めた視点があります。その辺が好み。
しかし、稲葉さんはカッコいい。声もさることながら、MCで喋ることもいいし、何というかステージでのあの立ち振る舞いがカッコいい。私は常々思うんだけど、カッコいい人というのは、幼い頃からカッコいいという地位のもとに、カッコよく振る舞うことが許されてきたんだと思う。だから、筋金入りのカッコよさ。拓哉くんなんか見ててもそう思う。
私は、前に豊川さんと仕事をした時に、この人はこんなにカッコいいのに、どうしてカッコつけないんだろう、なんでカッコよく立ち振る舞ったりしないんだろう、どうしてこんなにいい人なんだろう、と不思議で不思議で仕方がなかったけれど、フライデーだっけ、フォーカスだっけ……、彼の中学校時代の写真がスッパ抜かれて出た時に、すべての謎が解けた気がしたものでした。(ああ……危ないよ、このエッセイ……。豊川さん読んだらゴメンなさい)
だから、逆に、ぜんぜんカッコよくないのに、立ち振る舞いだけカッコいい人というのは、昔は、カッコよかったんです、多分。ほら、30過ぎる頃に、学生時代と比べると10キロは優に太ったとかいう男の人ザラでしょ。だから、痩《や》せてる時はカッコよかったんです。で、カッコいい立ち振る舞いだけが、残ってしまったんですねえ。
そして、今、ぜんぜんカッコよくないし、昔もまるでカッコ悪いのに、なぜか、カッコつける人というのは、私の持論では、前世、カッコよかった、ということになるんですが、どうでしょうか?
そういえば、私の友人に、どうしても午前中の待ち合わせができない子がいて、「私が朝弱いのは、前世インド人だったせい。インドとの時差が現世に出るのよね」
と言っていた。
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恋の終わり方[#「恋の終わり方」はゴシック体]
つい先日、友人の男性が結婚した。相手は10も下の20歳になるかならないか、という年齢。
共通の知人が言った。「あいつは若い女の子好きだからなあ……」。周りがおじさんになるほど、この手の会話は増えた気がする。しかし、こういう若い子が好きな男の人というのは、自分が若い頃はどうなんだろう。高校生の時は小学生が好きなのか? それじゃ犯罪だ。
それにしても私は、若い頃、自分が若いということで得をしたことのまるでない人生だった。多分、それは自分がおじさんたちと関わることのない、まっとうな(?)人生を歩んできたからだろう。自分の周りはみんな同級生なので自分が18歳だったら、周りも18歳。自分が17の時は、周りも17歳。その年齢に何の希少価値もなかった。
21の頃、好きになったその人はもう50を過ぎていて大学の教授だった。私は、バレンタインのチョコレートを買うまではしたんだが、渡すことはできず、卒論指導してくれませんか、と言うのがやっとだった。(学部が違ったので、結局、それも叶《かな》わなかった)
私は思った。今の私ではダメだ。もっと大人の女になって仕事を持って、対等にしゃべれるようになったら、もう一度その先生に会いに来よう。きっといつかその先生に会えるような自分になるんだ、と卒業後も自己実現の道探しに励んでいた。
が、ある時、もう二度とその先生には会えなくなってしまった。先生は死んでしまったのだ。あっけない終わりだった。私の中で勝手に始まって、勝手に終わった恋だった。
今思えば、仕事のできる31の私より、ピチピチの大学生の21の私の方が、勝算はあったのかもしれない。でも、その頃、私は自分が若いということの威力をまるで考えることはなかった。
いつか、テレビでトップアイドルの女の子が「でもこういう仕事って若いうちだけじゃないですか? チヤホヤされるのは」と言っていた。
確かその頃彼女は17歳くらいだった。そんな若いうちから若いことの威力を知らなくてはならない環境にいるのは、ふしあわせだと思った。
こんな子供の私じゃ相手にされるわけない、と思っていた私は、結局、告白しそびれてしまったけど、ある意味、しあわせだったような気がする。
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人は自分の絶頂期を背負う[#「人は自分の絶頂期を背負う」はゴシック体]
女流脚本家のIさんは、業界で美人と評判だった。確かに美人である。しかし何かが……と思っていたら、プロデューサーのH氏が「あれは一昔前のいい女だよ」と彼女のことを言った。私は膝《ひざ》を叩《たた》いた。そうだ、その通りだ。いつまでもソバージュで顔をおおい、いつまでも赤い口紅で、彼女はメンソールライトをくゆらしているのだった。
アンニュイ。『もう頬づえはつかない』の桃井かおりが全盛だった時に青春時代を過ごしたに違いない。
そして、フリーライターのMさんは、やはり美人なのだが、これが二昔前の美人である。甲田益也子風というか小林麻美風というか。サラサラの長い髪。かきあげる透明感のある病弱な感じ。
そして、私は思った。美人は、時代を背負うのである。その人が青春時代、どういう美人が王道だったか。美人を見れば、その人がいつの時代の美人かわかる、ということだ。発見だ!
時代が移るとともに、それに反応して自分のおしゃれやたたずまいを変えていけば、今風のその年なりの美人になるのに、人はかたくなである。
やはり、自分がモテモテモテ子ちゃんだった絶頂期を抜け出せないんだと思う。意識的か無意識かは別にして。
さて、私の青春時代は聖子ちゃんだった。ぶりぶりかわい子ちゃんが、一世を風靡《ふうび》していたのである。
前髪はちょっと巻いて、ただひたすらロングで、毎日のブラッシングは欠かさず、夏に麦わら帽子は外せないアイテムだった。
ご多分にもれずそんな恰好《かつこう》をしていた私が、その絶頂期を背負わないで、どっこいしょと荷物を降ろして、思い切って、川に投げ捨てたのは、このアンアンのおかげだった。ほっとくと、平松愛理のようになってしまっていたかもしれない。(ウソ)
そんな私に、アンアンの編集者は言った。
「北川さん、もう男にモテようとしちゃダメ」
残酷な宣告だった。
「じゃあ、誰にモテたらいいの?」
「もうモテなくていいの!」
そして、私は髪を切った。黒アイライン、ばっちりもやめた。すっきりさっぱりした。モテなくなったかどうかについては、ここでは言及しない。
でも、これでよかった、と私は思っている。
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真夜中のガードレール[#「真夜中のガードレール」はゴシック体]
真夜中に私とその人は、大通りをファミリーレストランへと歩いていた。
小腹が空《す》いたので。
この時間に開いてる店といったら、ファミレスしかなかろう。
通りは、時折り車が行き過ぎる程度だった。
そんな夜中。
彼は、歩きながら、
「俺がトシちゃんで、そいつが野村って感じだろ」
と言った。
なんのことかと言えば、その頃『教師びんびん物語2』というドラマが大ヒットしていて、その主役が田原俊彦で、ヒロイン役、麻生祐未を挟んで野村宏伸と恋のさやあてが、多分行われていたんだと思う。
面白みはあるけれど、男として危険なトシちゃん。安心できるけど、面白みのない男、野村クンという、そんな図式だったと思う。
それで、彼は自分をトシちゃんにたとえて、自動的に私はヒロイン、麻生祐未にたとえられたわけである。そして、その時、私がつきあっていた恋人は、野村宏伸にたとえられてたのである。自分の知らないところで、つまらない男にたとえられた彼もかわいそうであるが。ああっ、今役名を突然思い出した。野村宏伸は確か、榎本《えのもと》という役だった。
トシちゃんは「先輩」と呼ばれていたっけ。
私のようなサエない女が、彼の中ではその時、ヒロインだったのである。
そして、まあ、自分自身を今をときめいていたトシちゃんにたとえたのも、おいおい、と突っ込みたくなるんだけど、夜中の散歩ではそれはそれで、なんとなく許される感じだった。
彼は、ガードレールを難なく飛び越えて、歩道に移った。
私は、スカートをはいていたので飛べなくて、それが途切れるところまで、ガードレールを挟んでふたり並んで歩いた。
ファミレスで彼はミネストローネを頼み、私は、確かココアかカフェオレを頼んだ。
覚えてるのはそれだけ。後の会話は一切がっさい忘れた。けれど、夜に白く浮かび上がるガードレールを、彼がひらりと飛び越えたのを、今も鮮やかに覚えている。
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タイタニック![#「タイタニック!」はゴシック体]
ある昼下がり。ダイエットの成果あってやっと目標体重に達した日。久しぶりにお洒落《しやれ》をしてでかけた。ズッカのブルーのスリップドレスもかわいいが、これはまだこれから着る機会がありそうだ。このままでは今シーズン、一度も手を通さず終わってしまいそうな、カルバン・クラインの茶色のワンピースにしよう。メイクは、メイクアップ・アーチストの宮森隆行さん直伝。ウソ。どうしたって、まるでシンデレラの魔法のような宮森さんメイクは再現できるわけなく、なんとなく、口紅の色とか、アイシャドウの色とか真似るだけ。
さて、どこに出掛けるかと言えば映画『タイタニック』。しかし。どうして。こんなに入念にお洒落をして。今世紀最高のラブストーリーであるあの『タイタニック』を。柴門ふみさんと……。なぜ、柴門さんと……見るんだろう。私の素敵なボーイフレンドはどこ?(疑問形)
このエッセイ、一度読んだことある、と思ったあなたは気のせいです。この間はなぜ、『リング』を女性編集者の松山さんと……というエッセイでした。趣旨は同じ。
さて、『タイタニック』ですが、あっという間の3時間半でした。柴門さんの感想。「いやあ、ローズは体格いいよね。斧《おの》振り降ろすにはあのくらいの体格じゃないとね」。私の感想。「タイタニックって感動するって言うけど、ものすごくこわい映画ですよね。ボロボロ、人、船の甲板から落ちるし。夢見ますよ」。ドライな感想の私たち。
少女の心をどこに置いてきてしまったんでしょう。
が、帰ってきたあと、なんとなくジーンとしている心に気がつく私でした。その1週間後くらいにコンビニに行って、タイタニックのサントラがかかっていても、それだけで雑誌売場の前に佇《たたず》んでしまうのでした。もう一度、見たいかもしれない……。
帰ると、柴門さんからファックスが届いていて、用件が書いてあるその最後にちょこっと、タイタニックもう一度、見てもいいと思っている、と書いてあった。なんだ、柴門さんも感動してたのか。映画を見て、すぐに「すっごいよかったよね。感動しちゃ
った、泣いちゃった」と言い合えなくて強がる私たちは、少女の心をどこかに置いてき
たんじゃなくて、より少女の心に敏感なんじゃないか、というようなことを少し思った。
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とどめを刺すのはいつも女[#「とどめを刺すのはいつも女」はゴシック体]
ずいぶん前の話だが、木村拓哉さんが『あすなろ白書』でゴールデンアロー賞というのを取った時、プレゼンテーターというのをやったことがある。受賞パーティーの会場で、順番が来るまで私たちあすなろ関係者は、同じテーブルに座って待っていた。すると、ワイドショーか何かのカメラが入っていて、拓哉くんを狙っていた。
拓哉くんの横に座っていた私に、『あすなろ白書』のプロデューサーであるところの亀山さんが言った。
「おっ、北川も映ってるよ。誰だと思われるかなあ、まあ、拓哉のマネージャーか何かのオバサンってとこかな」(その頃、私は今ほど売れてなかったし、面もわれていなかった)。
すると、亀山さんの横にいた杏樹ちゃん(鈴木杏樹)が「ひっどーい」と言った。
ガーン。不思議なことだが、私は亀山さんの冗談(本当?)よりも、杏樹(以下、いつも仲間うちで呼んでるように敬称略)の「ひっどーい」に打ちのめされた。もしかしたら、ただの冗談かもしれなかった亀山さんの言葉が、杏樹のひっどーいによって、揺るぎがたい真実になったような気がした。杏樹にまるで悪気がなかっただけに、なんだか滑稽《こつけい》で哀れで、このエピソードは私の胸に深く刻まれた。亀山さんも杏樹もとっくに忘れたろうが。
そして先日。『恋のから騒ぎ』を見ていたら、ひとり30歳の女の人が出ていて、その人をさんまさんが年齢のことでからかったら、やっぱり20代の女の子が「ひっどーい」と言った。その言い方には明らかに、私は若いのよ、と勝ち誇ったニュアンスが含まれていた。もしかしたら、さんまちゃんは年のことでからかいながら口説こうとしていたかもしれないのに、この若い子の一言によって「悲しい30女」のポジションを決定づけられてしまった。恐るべし。
そういえば……ずっと昔の、合コンの痛い記憶。
私はかわい子ちゃんのふりをして酔っぱらっちゃったの、とトイレに消えた。心配した男の子たち。トイレに行って戻ってきた私の親友のY子に聞いた。「エリコさん、大丈夫だった?」
「うん? トイレでお化粧直してたよ」
とどめを刺すのはいつも女。
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生活の中の不協和音[#「生活の中の不協和音」はゴシック体]
新しい美容院に髪を切りに行った。カットしてくれた女の子は感じのいい子で、初対面の人と話すのがおっくうな私も、ついつい饒舌《じようぜつ》になり、話が弾んだ。
が、カットが進むにつれ、仕上がりが近づくにしたがって、だんだん私は無口に、無愛想になっていった。
なぜなら……鏡の中に見慣れない私……、なんかちょっと変じゃない? やっぱり変だよこの髪型、絶対変、という風に不安がだんだん確信になっていったからだ。
どうぞ、と手鏡を渡された時は、もう遅い。切ってしまったもの、取り返しがつかない。ここで、私の考えていることは一つ。早く、どこか、トイレに入ってせめて、自分で髪を直したい。そんなことしてもしれてるのはわかってるけど。
ブーちゃんの顔のまま美容院を出る。
私は不機嫌である。そして、一生懸命髪を切った美容師さんも、内心不機嫌である。何が気に入らないのよ、と思ってみたり、やっぱり自分の技術が足りないのかなあ……などとちょっと落ち込んだりもするだろう。
切る方と、切られる方。お互い気まずい時間を過ごしたわけだ。
気に入らない髪型も嫌だが、せっかく切ってくれた美容師さんも気を悪くしただろうなあ、と思うと、私の気持ちはますます暗くなる。
このように、日常的に嫌なことはある。いたし方ないこともあれば、完全に相手に悪意があることもある。ナンパされてシカトしたとたん「ケッ、ブス」と言われたとかね。こういうのを一切、回避して生きていければ万々歳だけど、そういうわけにはいかない。
そういう時、どうするか。私は極力、思い出さないようにする。こういう嫌なことは音楽で言えば不協和音だと思う。ドミファソの和音。音が濁っていて、聞いたとたん嫌な感じ。でも、ほうっておけばやがて音は消える。そうそう、今日はあんな嫌なことがあったと、もう一度その不協和音を弾き直すことはない。
その代わり、いいことは何回思い出してもいい。
ドミソシのCメジャー7は何回弾いても綺麗《きれい》に響いて気持ちいいから。
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人生はいつまでも楽しい[#「人生はいつまでも楽しい」はゴシック体]
アンアンでこの連載が始まったのが、97年の2月。そして今日までで一番変わったことといえば、子供を生んだことでした。97年の秋に生まれました。
私は、子供を生んでも「やっぱり、女は子供を生んで一人前よね」とか「女のしあわせは子供を生むこと」というようなことは、絶対言わないぞ、と思ってました。
でも、生んだら確かに子供はかわいかったです。全面降伏。
今まで、自分の書いたドラマが、自分の子供。完パケ(出来上がった完成品のビデオ)が、愛《いと》しい我が子、と思っていたけど、やっぱり作品は動かないからね。子供は生きてるけど。
そして、子供の未来は、やっぱり楽しみです。すごい才能のある人になる、とか、美人になる(ちなみに女の子です)とか、じゃなくて、ただ歩くようになったり、喋《しやべ》れるようになったりすることを想像するだけで、ものすごい進歩なので、普通に育つだけで十分、私は感動するだろう、と思う。
もう今、ハイハイするだけで、感動しているし。これからの将来、自分自身がどれだけがんばっても、これだけ成長することってないから。
子供の成長はもう、進化に近いからね。古代、アウストラロピテクスから、進化する原始人を見ているようだ。
こういうことって、今、アンアンを読んでいる世代には遠い感情だと思う。私だって、その頃には、男の子のことと、お洒落のことと、自分の将来にしか関心がなかった。だけど、長い人生、生きてくうちには、そんな遠い感情がふっと近寄ってくることもあると思う。今まで知らない、しあわせや、ときめきや。それは苦しいこともあるだろうけど。
人は得たものはわかるけど、無くしたものは、なかなかわからないから、私も子供を生んで無くしたものもあるかもしれない。ひとりだった頃(そう、子供を生む前は、なぜか、「ひとり」という気がする)の危うさとか、もろさ、とか鋭敏さとか。
結局、どちらがいいってことはやっぱりないんだと思う。だけど、自分のこれまでを反省はしても、否定しないで、ちょっとその気さえあれば、人生はいつまでも楽しいと思う。いろんな風にね。
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あとがき[#「あとがき」はゴシック体] ─時を生きる私─[#「─時を生きる私─」はゴシック体]
「人生はいつまでも楽しい」と連載の最終回には書いた。
なかなかどうして、強気な最終回だ。
本当に楽しいか? 本当に人生はいつまでも、ということはこれまでも楽しかったし、これからも楽しいのか。
今までにも大変でつらくて嫌なことがあったように、これからも大変でつらくて嫌なことはありそうな気がする。
いや、もちろんいいこともあったけどさ。そして、これからも、いいこともあるだろうけどさ。
そうそう軽やかに楽しくばかりは生きていけない世の中だ。1999年、世紀末だしって、これは関係ないか、別に。私自身の問題か。
子供を生むと人は興奮して、人生のしあわせの大半を手に入れたような気がするが(それは、たとえば、初めて恋が成就した時のような感じでしょうか?)、やはり今、思ってみるとそれさえも万能ではなかった。
これがあったら、もうしあわせ。何が何でももうしあわせ、ということは、人生においてあり得ないような気がする。
私たちは、どうしたら、しあわせに辿《たど》りつけるんだろうか……。
と、思わず日記に書き記してしまうような、1999年1月18日です。
今日も昨日と同じように、東京タワーの灯《あか》りはついているけど(仕事部屋からすっぽり東京タワーが見えるのです)。
この間、家に遊びに来たともだちと「人は変われるか?」という話をした。
自分で変わろうと思って変わろうとすると、それは中華料理屋のくるくる回るテーブルの上で、一生懸命、自分で回ろうとするようなもので、うまく回れないんじゃないか、とその人は言った。
今、ドラマを一緒にやっているプロデューサーに「何で、人って嫌なことばっかり覚えていて忘れられないんだろう」と言ったら、彼は「それでも、やっぱり時がたてば、嫌なことが起きた時の嫌な感じは薄らいでいって、よかったこと、うれしかったことの方が色褪《いろあ》せないんじゃないかな」と言った。
こうして、私は人を巻き込みながら、時には甘えながら、喧嘩《けんか》しながら、そしてたまには一人で考え込みながら、生きていく。試行錯誤を繰り返しながら、ね。
本書は、マガジンハウスより一九九九年三月に単行本として刊行されたものを文庫化いたしました。
角川文庫『恋のあっちょんぶりけ』平成14年8月25日初版発行