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おんぶにだっこ
北川悦吏子
目 次
発 覚
母性の目覚め
女 心
かゆい
やっぱりかゆい
生まれる!
続・生まれる!
生まれた!
女の子
お詫《わ》び
マタニティ・ブルー
続・マタニティ・ブルー
ともだち
おばさんの説教魂
名 前
泣く子に泣く母
スキヤキが食べたい
取り戻しに行く青春
ハリハリヘリヘリ
子育てを語る
ノッカ内蔵型キャリアウーマン探知機
子供を生んで、いいこと
子供の使いで
エライ人
寂しさ
子供の考え
ウエルカムのんのん
修 行
基 本
ベビーカーのデッドヒート
母親失格
女の人ということ
のんちゃんの趣味
悪魔のささやき
母親と女
おばさんの定義
子育て
子育ての風景
淋《さび》しがり屋
のんちゃん、ホテルに泊まる
のんちゃん初体験!
夜中に人を呼ぶ
赤ちゃんと猫や犬の関係
のんちゃんの行く末
夫の敗北
はるか二十年後、青春を迎える君に…
掌《てのひら》サイズの東京タワー
これからのこと
あとがき
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発 覚
かゆい! いきなり大変な出だしになってしまったが、とにかく体じゅうがかゆい。
今、もしかゆみと格闘しながらこれを読んでいる人がいたら、ぜひともだちになりたい。キンカンが効くのかムヒソフトが効くのか、町医者がいいのか慶應義塾大学病院皮膚科がいいのか。
そう、私のこの一週間は皮膚科をさまよう旅でした。全身に出来たこのジンマシンとも湿疹《しつしん》ともつかぬものを治してくれるところはないか……。
でも、どこでも言われることは一緒で、「かわいそうだけど、飲み薬は出してあげられない」でした。気休め程度の塗り薬は出せるが……。
今、私のかき傷だらけの、血まみれの足を見て、かわいそうと思わない人はいない。
さて、それではなぜ、飲み薬が出せないのか。飲めば一発で効くというステロイドホルモン剤が投与できないのはなぜか。
それは……それは、お腹の中に子供がいるせいです。
恋愛の神様と言われた私ですが、何の因果か子宝に恵まれて、ご懐妊してしまいました。
ご懐妊……。
妊娠してしまった私は、今妊娠性湿疹と戦っているところです。
戦いつつ、ワープロを打ってるところです。
今、妊娠九カ月です。もうすぐ生まれてしまうので、生まれてしまう前のことは、生まれてしまう前しか書けないということで、産休を押してワープロに向かいました。
思えば、妊娠が判明してからのこの九カ月は、連続ドラマを一本書くのの五倍くらい大変な九カ月でした。そして、未知との遭遇の連続でした。
おめでたですよ、ゲッ!
あら、心臓が動いてますよ、ゲゲッ!
産婦人科で何か言われた時の、私の正直な感想は、いつもゲッ! か、ゲゲッ! か、ゲゲゲッ! だった。
初めて、体長三センチくらいの超音波の赤ん坊をN病院で見せられて、「ほら、ここが頭でこっちがシッポ」じゃない「こっちが足」と言われた時も、思わず、本当に声に出して「ゲゲゲッ!」と言ってしまい、先生に、「ゲゲゲッ! とは何ですか」と怒られたのが忘れられません。それで病院を替えた。
そもそも最初に病院を訪れたのは、胃の不調のためでした。それは世に言う「つわり」だったわけですが、私の場合、テレビなどで見る、突然、ウッとなってトイレに駆け込んで、ゲゲゲッと吐くというのとは、少し違いました。
もっと、ジワジワ、ジワジワと胃が気持ちわるーくなる。日に日にひどく。『家庭の医学』をひもとくと、その症状はどうみても胃炎、または胃ガン。私は、祖母と母をガンで亡くしている……絶望。
羽生《はぶ》名人の奥さんも、最初「胃炎」だと思って病院に行ったとテレビで言っていた。
たいていの人は物を食べる時の感じしか知らないだろうが、私はたいていの物の吐く時の感じもわかる。フルコースなどを食べた時には、食べた順序と逆にきちんとデザートから吐いていく、ということを知ったのもこの頃だ。
このように、つわりに始まって、かゆみに至るまで、私はまるで修行僧のように数々の苦難をくぐり抜けて行くのである。
そして、その先には、出産という光り輝く感動が……あるのかどうかまだ生んでないからわからない。
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母性の目覚め
妊娠三カ月のある土曜日、ご飯作るのも面倒くさいし、と近くのお寿司《すし》屋さんにちらし寿司を頼んで、それを待っている間。
私は、出血した。
ゲゲゲゲゲッ、なんじゃこりゃ、と思って夫に言うと、病院に電話しよう、とあわてた。もう、夜の十一時だ。
あさってまで待って病院行けばいいでしょう、と私は言った。ちょうど、土曜日だったので。
が、夫はもう救急で診てくれる病院の電話番号を回していた。
すると、すぐ来てください、ということになった。
私はしぶしぶ夫と出掛けた。
診てもらうと、流産しかかっていると言う。
子供の問題ではなく、私自身の体の問題で、風邪か何かのために感染症を起こし、お腹の中が嵐《あらし》のように炎症を起こし、それにともなって子供も流れかかっているということだった。超音波では、もう子供の姿を認識することもできない状態だった。
私は、実はその時点で、まだ生むかどうか決めていなかったので、このまま流産してしまうならしてしまってもいいなあ、と思った。
というのも、私には腎臓《じんぞう》の持病があり、一生、子供は生むまいと決めていたからである。
自分の体がかわいいし、仕事も楽しいし、夫もそれを了承済みで結婚したので、今さら子供と言われてもピンと来ないのだ。
「子供が無事な確率はどのくらいでしょう?」
とズバリ聞くと四十代半ばくらいのバリバリやり手そうな産婦人科部長のその医師は「五分五分ですね」と答えた。それでも私は、ふうんと思っただけで、
「あの、堕《お》ろすんだったら早い方がいいんですよね」
と聞くと「何でそんなこと思うの!」と声を荒らげられた。
「何でそんなこと言うの」じゃなくて、「思うの」。思ったこと自体を否定されてしまう人格の全否定。
今回の妊娠で、子供を生むのはいいことだ、と世間は思っているということを、ヒシヒシと感じさせられた。選択の余地はないってくらい。仕事が大変なのでやめます、なんていうのは言語道断。命かけて生んでも普通なくらいだ。
まあ、ちょっとそのことについては釈然としないものを感じないわけではなかったが……。
先生は、あっさり入院を私に言い渡した。
連続ドラマの仕事が入っている。「あの、いつまででしょうか?」と聞くと、そんなものはいつまでかわからない、お腹の中が落ちつくまでだ、と言われた。
それは困る。私は内緒で病室にワープロを持ち込んだ。一度受けた仕事を下りるわけにはいかない。
このように、この時点で私は完全に子供よりも仕事だったのだ。母性、ゼロ。
が、入院して抗生物質の点滴を打ちつづけて一週間。再び、先生の診察があった。まだ五分五分です、安静にしてください、と言われたその夜、私は夢を見た。
小さな小さなピンクの子豚を川から引き上げる夢だった。
子豚は、まだ毛が生えてないピンクのつるつるで、両手で軽々と持ち上げられるくらいの大きさで、その目は子犬のように黒目がちでつぶらで、私を、すがるように見つめているのだった。
その目で見つめられたら、手を差し伸べるしかない。まるで、松たか子に涙された男の人のようなものだ。
夢の中で私は、川の中から子豚を引き上げ、よしよししてあげた。かわいそうにかわいそうに。
ああ、今でもあのせつない感じを鮮明に覚えている。
思えば、あれが私の母性の目覚めだったのかもしれない。
その後、抗生物質と安静のおかげでお腹の炎症はおさまり、どうにかお腹の子供は助かった。
しかしなぜ子豚……。
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女 心
つわりがやっとおさまった。六カ月の頃から、私のお腹はだんだんと、というより、ぐんぐん[#「ぐんぐん」に傍点]と大きくなっていった。
自分では毎日見ているせいでさほど感じないのだが、久々に会った人などが言うには、目を見張る成長ぶりらしい。
一度、TBSに打合せに行った時に、マタニティでない普通のジャンパースカートを着て行って、プロデューサーに、
「あの、妊娠のことなんですけど、もうしばらく伏せていてくれませんでしょうか?」
と言うと、
「あの……その恰好《かつこう》で、制作一部を突っ切ってくれば、とりあえずこの部屋にいる人には丸分かりだと思うんですけど……」
と、言われた。
「えっ、そんな目立ってます?」
「いや、だから目立つも何も丸分かりです」
そうだったのか……。自分ではこのジャンスカでしっかり隠し通せたつもりだったのに……。
ところで、妊娠、三カ月から五カ月の頃、会う人会う人が、私に「あれ、そんなに目立たないじゃない、わかんないよ」と言いました。
それは、褒めているというニュアンスで。
「大きくなりましたね、よかったですねえ」と大きいお腹を真っ正面から受け止めたのは、私の主治医だけだった。
ということで、世間一般には妊娠中のお腹は目立たない方がいいのだ、と思われているのだ、と知りました。
みんな、そのことについてちゃんと考えたことがあるわけもないのに、決まってそう言う。
脳に行く前に、反射的にそう言ってあげることがいいことだ、と判断してしまう、という感じでした。
私は少しあまのじゃくになって、なんで目立たないといいんだ、子供がいるんだから、別にお腹目立ったっていいじゃないか、なんてことを心ン中で思いました。
で、ある時、親しい友人にその話をすると、「それはさ、北川のキャラクターのせいなんじゃない」と言われた。要するに、私はそう言った方が喜ぶ人間だと、周りの人は思っている、と。
いくら妊娠とはいえ、お腹が太ったことを気にする、器のちっちゃい人間だと思っている、というそういう……。
なるほど、まあねえ……。そんなこともあるかもねえ。
確かに、洋服を買いに行って店員さんに、「今、六カ月くらいですか?」と実際よりも月数《つきすう》を多く言われると、ちょっとムッとしていたのも事実だし、年齢と一緒ってこと? 実際よりも少し下に見られたいという。
そういえば、妊娠後期に入った頃「わあ、すごい、何メートル? そのお腹」と友人のひとりに言われて、思い切りカチンと来ました。これが、不思議なんだけど、子供を生んだことのある人に言われると何とも思わないんだけど、生んでない女の人に言われると、なんかむかつくのでした。
というようなことを、母親学級のともだちに話したら「わかるわかる」と共感してくれた。彼女は、保育園の保母さんをしていて、五カ月になるのだが、「わあ、大きいお腹! 先生、さわらせて」
と、園児がみんなで触りにくるらしい。
これなんかは、微笑《ほほえ》ましい感じだし、女心は複雑ですね。
さて、九カ月に入った今、私の腹囲は八十三センチ。ムーミンの三倍くらいある。もう、誰がどう見たって、わかる。
この間、掃除をしていて落っこちているベルトを拾いながら、ああ、この世には、ベルトというようなものがあったんだよなあ……としばし感慨にふけった。
しかし、やさしい青年もいて、電車で席を譲られた。ふと、女子大生の時に男の子が席を譲ってくれたことなどを思い出し、身重でやさしくされるのは、若い時にチヤホヤされる感じとぜんぜん違うな、などと思った。
ホームに下りた私は、でかいお腹を抱えて、行き過ぎた青春を思うのだった。
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かゆい
九カ月末の健診。病院に行くと、野末先生が「お変わりありませんか?」といつもの穏やかなおがみたくなるような表情で聞いた。
「全身が……」と私がつぶやくように言うと、「全身が?」といぶかしげに聞き返した。
「いえ、全身がやっぱりかゆくて仕方ないんです」
と私は言った。言ったが、全身がかゆいということは、ほとんどそんなに重要なことではないらしく、まるで相手にはされなかった。もっと大変なことが妊娠後期にはたくさん起こっているのだ。病院では、きっと。
だから、かゆいのはかゆいこととして、ありのままに受け入れるしかない、というのを私は、先生とのやりとりの空気の中で感じ取るのであった。妊婦はつらい。
しかし、妊娠後期(妊娠八カ月から臨月、十カ月までをこう呼びます)に入ってから、私の全身のかゆみは尋常じゃない。
夜になると特にひどく、眠れない日が続く。平均睡眠時間三時間。どうにかしてほしい。ついつい、妊娠末期と言ってしまう。
こんなんで自分は予定日まで、生きてられるんだろうか、という気分である。
聞くところによると、陣痛というのは死ぬほど痛いらしい。
死ぬほど痛いのが四、五分おきに来るらしい。その時、私のこのかゆみはどうなるんだろう。
多分、死ぬほど痛い間は、かゆみのことは二の次になるだろう。しかし、痛みが引いた陣痛と陣痛との間の何分間か、普通の人ならフウッと一休みのところを私はかゆみと戦うのか。
そんな中で、呼吸法(ヒッヒッフーというやつ)などやれるだろうか。不安だ。痛い痛いかゆい、痛い痛いかゆい、の繰り返しだったらどうしよう。
掻《か》いてはいけないと言われるが、掻かずにはいられない。体の皮膚の上に、ムカデのような足がたくさんある虫が無数にサワサワサワサワと這《は》って歩いているような感じである。と言ったら、夫に「わかったから、そんなことはわざわざ形容しないでくれ」と言われた。
私の右手の人差し指は、体の掻き過ぎで腱鞘炎《けんしようえん》を起こしてしまった。
夜中に、気がつくとボリボリボリボリと掻いてて、おお、掻きすぎて随分と皮膚の皮が硬くなってしまったなあ……と夢うつつで思い、目覚めるとベッドのへりの木の部分を掻いていたこともあった。自分の話ながら泣けて来る。
私は、自分の周りに妊娠時代かゆかった、という人をひとりも見たことがない。たまに、かゆいよね、と言う人がいるが、それは違う! そんな軽い言い方で乗り切れる程のかゆさではないのだ。
もう見た瞬間に、ギョギョギョッという程の全身掻き傷だらけになっている人の言うことしか信用しない。
ひとりだけ、見つけた。ぜんぜん身近ではない、さくらももこさんだ。
「掻きすぎて血がでてもまだ掻き続けた。背中がかゆくて踊り出しそうな時には孫の手などといった軟弱なものでは事足りず、夫の手を使わせてもらった」とある。これはかなり近いかもしれない。このような記述をさくらももこさんのエッセイ集『そういうふうにできている』で見つけた時、私はなめるようにそのページを何回も読み、そしてさくらさんの主治医の言葉「十カ月に入る頃には嘘《うそ》のように止まりますから」を何十回も声に出して復唱した。そして、お守りのように枕元《まくらもと》に置いて寝た。
ホントだな。ホントだな。ホントにホントだな。十カ月といえばあと一週間。
天から女神が降りて来て、魔法の杖《つえ》を振って、はい、もうおしまい、かゆくないわよ、というような、そんな嘘のような瞬間が来るのか。
私は祈るように、時が過ぎるのを待った。
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やっぱりかゆい
十カ月に入った。やっぱりかゆい。
世に言う臨月に入ったのに、私は先週から引き続き、いやもうずーっと前から妊娠性|湿疹《しつしん》と戦っています。
敵は次第に場所を変えて広範囲になっていき、今一番、かゆいのは足の裏。
私は、もう一度さくらももこさんの本を熟読した。十カ月に入ると止まると、先生に言われたと書いてある。
実際に止まったかどうかについては、書いてない。あまりのかゆさに自制心と常識を失った私は、知り合いの編集者に頼んで、さくらさんに直々に聞いてもらった。本当に十カ月に入ったらかゆみは止まったか。
止まらなかったそうだ。生んだら止まったということだった。
駄目だ。辛抱たまらん。生むまでなんて待てない。
そんな時、ふと、さくらさんの別のエッセイに興味深い記述を見つけた。
それは、水虫の民間治療について書かれていたページだ。さくらさんは、水虫をお茶っ葉で治した過去の持主だった。
私は、そのページを何回も読んだ。そして、スックと立ち上がると、近くの本屋で水虫の本を購入してきて、ザッと目を通した。
「水虫かもしれない……」
今まで妊娠性湿疹と信じてきたが、この足の裏のかゆみは、水虫かもしれない。
普通、うら若き乙女が水虫だと言われれば、ショックなのだろうが、私は暗闇《くらやみ》に一条の光を見た気がした。
ホルモンの関係ではなく水虫なら治療法があるかもしれない。妊娠中ゆえ強い飲み薬はもらえないが、水虫の薬ならもらえるかもしれない。
皮膚科の病院に行くと、そうですね、これは水虫ですね、と女医さんは言った。
やっぱり!!
妊婦は体温が上がるので、水虫になることがあるのだと、そのお医者さんは言った。
やった。これで、かゆみとおさらばできる! 私は、さっそく病院でもらって来た薬を塗ってみた。が、一向に効かない。
私は、麻薬患者がクスリに吸い込まれるように、民間療法であるお茶っ葉療法というのに手を出した。
それはお湯で開いたお茶の葉を布にくるんで足に巻いて寝るというものだ。
布団はお茶のシミだらけになり、ついでに買ったばかりの三十万のソファにもシミを作ったが、そんなことはこの際どうでもいいのだ。
やってみると、どうも具合がよさそうだ。エスカレートした私は、お茶っ葉を家の前のスーパーで十袋も買って来た。そして、ガーゼにくるんで巻いて効くんだから、ダイレクトにやればもっと強烈に効くに違いない、と思った。
もう誰も止められない。できれば誰かに止めてほしかった。
私は、お茶っ葉一袋百八十グラム全部をボウルに入れお湯を注いでしめらし、ソファに座ってそこにグイッと足を突っ込んだ。
おおっ、スースーしてなんとなく効きそうだ。そして、そのままテレビを見ていた。五分くらいたっただろうか……、どうも足の調子がおかしい。なんとなくピリピリする。
いても立ってもいられないくらいピリピリする。ひーっ痛い! 痛い、というやつだよ、これは。私は足の裏を痛めた。
かくして、私の足の裏は、かゆい&痛いになってしまった。
産婦人科の主治医が、あまりの私の様子を見るに見かねて大学病院の皮膚科を紹介してくれることになった。
教授先生のご診察。
「水虫なんかじゃありませんよ、これは。全身に出ている湿疹の類《たぐい》です」
えっ……。頭、真っ白。
実は、大学病院に行く前に私は町の皮膚科四軒にかかっていた。その四軒中三軒が水虫という診断を下していた。
大学病院でもらった薬をつけると足の裏は徐々にであるが確実によくなっていった。
信用ならない。町の皮膚科……。
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生まれる!
朝から何か変だった。予定日、一日前。ずーんとお腹が重い。ともだちから、お産の時のお腹の痛みは、生理の時に似ていると教えられていた。
病院の助産婦さんもこの間、お産のレクチャーの時に、陣痛の時点で、生理の時の五十倍くらいの痛みが来ます、とあっさり言った。五十倍というのがどこから割り出された数字かわからないが、彼女はそう言った。
これは……まさか、陣痛というやつの前ぶれ、ではなかろうか。私はでっかいお腹をさすりながら思った。
しかし、その日のスケジュールを変更することはなかった。
病院の梯子《はしご》。午前中、皮膚科に行ってかねてから苦しんでいる妊娠性湿疹の薬をもらい、午後は友人に紹介された安産の鍼《はり》の先生のところに行くことになっていた。
皮膚科でも、鍼の先生のところでも「予定日、一日前です」と言うと、びびられた。
ここで生むんじゃないだろうね、それは困るよ、という感じだった。
鍼から帰って来ると、バタンキューと眠ってしまった。妊娠性湿疹のかゆみのため、ここのところ、ずっと平均睡眠時間、三時間なのだ。
起きるともう夜だった。
やっぱりお腹が重い。
ダンナさんが仕事から帰って来ていた。
「何だか、お腹が痛いよ」
と言うと、ダンナさんは、病院に電話しようとした。
陣痛が来たら病院に電話するように言われている。
が、私は「ちょっと待って」と待ったをかけた。
本当に陣痛なのだろうか。
そのような気もするが、そうじゃないような気もする。
もしかして、まさか。もしかして、まさか。その間を行ったり来たりする気持ち。
何せ、生まれて初めてのことだから、どれが陣痛なのか、今一つ、わからない。
これは、古今東西、初産《ういざん》の妊婦の共通の不安であり疑問だと思う。
「火事を見つけた時さあ、一一九番しなきゃ、と思うんだけどもしかして焚《た》き火かもしれないし、間違ったら恥ずかしいし、とか思ってなかなか一一九番できなくて、きっかけ無くす感じと似てるね」と夫に言うと、
「何を言ってるのかぜんぜんわからない」と言われてカチンと来た。こんなにも感性が違う夫と結婚したことを後悔した。
やがて、痛みの間隔がせばまってきた。
痛みが来る、痛みが引く、痛みが来る、痛みが引く。これが陣痛の黄金パターンなのだ。
この間隔が十分になったところで病院に行くというのが、大方の産婦人科医の指示である。
私は、医者に言われた通り、痛みの来る間隔を夫にメモしてもらった。カチンと来ていたが、夫しか頼るものがないので仕方がない。
夫は、痛みが来る度に、その時刻をメモし、そして私の腰をさすったり押したりしてくれていた。しかし、やがて、その順序に腹が立って来た。
「メモするのは後でいいから、先に私の腰を押してよ!」
「はいはい」と、夫は腰を押した。
それでもまだ明日着て行くワイシャツにアイロンをかけようとするので、私はますます頭に来た。
「痛い、痛い、痛いよお」
痛みにちょっと下駄《げた》を履かせて、絶叫してみた。
これは、もう、どう見たって陣痛だろう、ということで夫は病院に電話を入れた。
「そうですか、十分間隔ですか。そうですねえ……あと一時間、様子を見て、もう一度、電話をください」と病院の看護婦さんは言った。
ウソ……。マジ……? こんなに痛いのにまだ一時間も家にいるの? 今、こんなに痛いってことは生む時、どうなっちゃうの? 私は、底知れぬ恐怖におののいたのだった。
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続・生まれる!
病院へはタクシーで向かった。
タクシーの運転手さんのうち、何割の人が、出産間際の妊婦を乗せたことがあるだろうか。けっこう、ありそうな気がする。
タクシーの中で、私の陣痛はもうとってもとっても痛かった。うめいていた。うめいているお腹の大きな女を乗せた運転手さんを私は気の毒だと思った。思ったので、ダンナさんに「一言謝って。私の状況を(妊婦で、今まさに子供が生まれようとしているんだと)説明して」と言ったが、ダンナさんは何も言わなかった。
ただ、下りる時にお釣りはいいです、と言っていた。
今思えば、状況なんか説明しなくてもお腹が大きくて苦しんでれば、どんな人だってわかる。
そんなことにも頭が回らないくらい私は、取り乱していた。
なんたって、痛い&不安。
病院に着くと、看護婦さんが車椅子《くるまいす》を用意して待っていてくれた。少しはホッとする。これからはプロがついてるんだ。
病室に通された。S病院は全室個室なので、陣痛室というのがなく、みんな自分の部屋で陣痛と戦う。
私も戦った。マタニティ雑誌などでは、陣痛は痛みが来て、引く。痛みが来て引く。その繰り返しで、痛いことは痛いが、痛みが引いてる間は、休める。なので、その間に本など読んでリラックスしましょう、と書いてある。
私は、軽く読める物ということで室井滋《むろいしげる》さんの『すっぴん魂《コン》』を持って病院に入ったのだが、とてもじゃないが、本など読めない。内容が軽かろうが重かろうが、一字も読めない。
陣痛が、痛い痛い、痛くない、痛い痛い、痛くない、の繰り返しだというのは、真っ赤な嘘《うそ》だ。
ものすごく痛いものすごく痛い、すごく痛い、ものすごく痛いものすごく痛い、すごく痛い、の繰り返しだ。要は痛みに若干の強弱があるだけで、のべつまくなしずーっとすごく痛いのだ。
病院に入って一時間くらいの頃か、助産婦さんが来て、赤ちゃんの心電図計らせてくださいね、と私のお腹に器具を巻いた。
すると、私の赤ちゃんは……私の赤ちゃんは……眠っていたのだ! 信じられない。私がこんなに苦しんでいるのに、眠っているのだ。
「あーら、ぐっすりと眠ってますねえ。赤ちゃんはお母さん苦しくても関係ないですからね」
と助産婦さんは言った。なんちゅうやつだ。ううっくくく。
私は、涙を飲んだ。子供の方がエライのだ。敗北を感じた。
私はこの痛みの中、何の役にも立たない呼吸法をやらされた。
「あれ、どうしたのかな? 呼吸法はぁ?」と若い看護婦さんに促され、お願いだからその子供に言うような物の言い方をやめてくれ、私はおババになって入院しても「おばあちゃん、具合はどうかな?」ではなく「北川さん、具合どうですか?」と言われたい人間なのだ、などと思いながらも、彼女に従った。
でも、気分は少しはまぎれる。
何もやることがないよりはマシだ。ずっと、口で呼吸しているので、唇がガサガサになって喉《のど》がかわく。痛みで脂汗ダラダラ。しかし「お水ちょうだい」が言えない。言葉をしゃべる元気がもうない。しゃべるくらいだったら、水をあきらめた方がマシだ。そんな状態だ。
「世の中にこんなつらいことがあったのか」というのが、友人が肉親を亡くした時の感想で、私も母を亡くした時に、同感だ、と思ったが「世の中にこんな痛いことがあったのか」というのが、大多数の妊婦の感想だと思う。そして「世の中にこんなかわいいものがあったのか」というのが、自分の赤ん坊を見た時の感想だろうが、そんなことは苦しんでいる最中はわからない。
私はシーツをつかんでうめき倒し、夫に「助けてくれ」だの「もういやだ」だの、いろいろ言った。「死にたい」と言おうとした瞬間もあったが、これはちょっと違うな、と思ってやめた。「お願い、替わって」と言った時の夫の困った顔は忘れられない。
夜が明けかけた頃、やっと分娩《ぶんべん》室に行くお許しが出た。
しかし、それからが本当の修羅場なのだった。
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生まれた!
「そうですねえ、ちょっと早いですが分娩室に行きましょう」
と助産婦さんに言われた時、私は彼女が天使に見えた。
とにかく、何でもいいからこの状況を早く、早く抜け出したい。分娩室に入れば、いやがおうでも状況は変わる。
もはやS病院に入ってから、十時間以上が過ぎようとしている。もちろん、その時の私には時間の概念などなく、痛くて痛くてたまらなくて、こんなのがいつまで続くの? ホントに終わるの、という感じなのだが。
それでも、窓から光が差し込んでいて、ああ、夜ではなく今は朝。朝になった、とそれくらいの認識はあった。分娩室は、分娩室だった。当たり前か。
私の出産は、女ばかりで行われた。ボーイッシュな男顔負けの女医さんの内海さん、気のいい助産婦さんの平城《ひらき》さん、おとなしい物静かな感じの看護婦さんの戸高さん。
今だからこそ、彼女らを形容する余裕もあるというもんだが、その時は、もう何が何だか。早く早く早く早く。それだけ。
早く、私を楽にして。それだけ。
それでも、なかなか子供は生まれて来なかった。
内海先生が、うーんしょうがないわね。よし、次の陣痛が来た時行くわよ、とか何とか、助産婦さんと打合せしている声がしていた。私は、その時、行くわよ、と言われても何が来るのかまるで予感していなかった。
次の陣痛が来た瞬間、ものすごいことが起こった。
なんと。その女医さんが。私のお腹の上に。飛び乗ったのだ!
そして、お腹を踏んだのだ。
「えっえっえええええ?!」
と私は心で思い、「ぐえええええぇぇぇっ!!」と断末魔のとても人間とは思えないような叫び声をあげたのだった(夫、談。私はその時の声を、自分の叫び声だと思ってなかった。誰かが何かを叫んでいる、と遠のく意識の中で思った)。
そして次の瞬間「おぎゃああああぁぁぁぁ!」とまるで、それはドラマで子供が生まれた瞬間みたいに、綺麗《きれい》に子供の泣き声が聞こえて来た。
生まれた……生まれた、生まれたんだ!!!!
はっきりとわかった。
はっきりと覚えている。生まれた瞬間。
赤ちゃんは、その場ですぐお湯で洗われて、私の顔のそばに助産婦さんが持って来てくれた。
女の子だということは、超音波でわかっていた。
うへえぇぇぇ、ブス〜、と私は思って、思ったことは口に出さずにはいられない、生来の性格が顔を出し「ブス〜」と言ってしまった。
女医さんや、助産婦さんが笑った。そんなことないわよ、かわいいわよ、と言った。
「ええ? ブス〜、頭くらいよければいいけど」
と、とてもとても、感動の瞬間にそぐわないことを言っていた。冷静といえば、冷静な感想。
病室に戻った私は、疲れからかぐっすりと眠った。
目を覚ますと、私は改めてあの女医さんに感謝した。
赤ちゃんがなかなか生まれなかったのは、ヘソの緒が体に二重に巻きついていたからだそうだ。
あの女医さんが私のお腹に飛び乗って、足で踏んでくれなかったら、赤ちゃんはまだ出て来なかったろう。分娩室に入ってからの時間が比較的短くてすんだのは、女医さんが思い切って私のお腹に飛び乗って、ドスンと踏んでくれたおかげだ。
そして、助産婦の平城さんが来た時に、お礼の言葉を述べると、彼女はあわてて「北川さん、勘違いしてますよ。先生、足で踏んでなんかいませんよ」と言った。分娩台の上に乗って、お腹をギューギュー手で押してくださったとのことだった。
なんだ、足で踏んだんじゃなかったのか。私はてっきり、香港《ホンコン》マッサージのように、台の上に上がって、足で踏んでたのかと思った。このように、出産時、相当、錯乱していたわけであった。ふむ。
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女の子
つわりに始まって、切迫流産で入院し、その後妊娠性|湿疹《しつしん》で眠れない日々を過ごし、臨月の頃、毎週月曜日に「最後の恋(*)」の視聴率を知らされるというストレスにさらされ、この世の終わりかと思うほど痛い出産を経て、無事女児出産。
今回の妊娠出産という経験の中で、私は何度も覚悟をした。
もともと身体《からだ》が弱く腎臓《じんぞう》が悪かった私にとって、出産は自分の身体を賭《か》けた、生涯最大の賭けだった。
二十歳の頃に子供はあきらめてください、と言われていた。自分の健康が損なわれるようなことがあるかもしれない。もう二度と、ドラマは書けなくなるかもしれない。
切迫流産で入院している時に、病院のベッドの上で「最後の恋」のプロットを書いていた私は、最終回の決定稿を渡した時に、これで責任は終えたのだ、と思った。
とりあえず、受けた仕事はちゃんとこなした。手だって抜いてない。今まで何本かいいドラマを書かせてもらった。
ありがたい。いい仕事人生だった。思い残すことはない。
それでも、妊娠中期にお腹が痛くなって、病院に行き薬をもらった帰り道、このままドラマが書けなくなるかもしれないんだなあ……と思うと、大きなお腹をさすりながら涙がポロポロと流れた。まだまだ、書きたいドラマがあったような気がする。まだまだ書いてないシーンがあったような気がする。
でも、今は、もう日に日に大きくなっていく超音波の赤ちゃんの方が、大事だ。
ある時、超音波で初めて、お腹の赤ちゃんが女の子だということがわかった。
私は、その時、おととし亡くなった母のことを思わないわけにはいかなかった。こんなことを思う、自分は変わってるんだろうか。別に生まれ代わりだと信じたわけではないけど、肉親を亡くしていつまでも淋《さび》しい私に、神様の采配《さいはい》だという気がした。その時、私はなんとなく女の子を生む、決心というようなものをしたんだと思う。多分。
[#この行1字下げ]*「最後の恋」は、TBSの金曜ドラマで、金曜日のドラマは次の週の月曜日に視聴率が出るのです。
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お詫《わ》び
少し前のこのエッセイで、妊娠性湿疹と戦っていて、「信用ならない。町の皮膚科」という文章を書いたら、「私は信用ならない町の皮膚科です」というお便りを何通もいただいた。
しまった。……実は書いたそばからしまった、とは思っていたんだ。すみません。謝ります。
私だって、信用ならない、トレンディドラマの脚本家って言われたら嫌……じゃないな、あんまり。どうしてだろう。そのようなことは、言われ慣れてるからだろうか。
しかしとにかく、町の皮膚科の待合室であのエッセイを読んだ患者さんたちは、さぞかし不安になったことだろう。ましてや、町の皮膚科のお医者さんが、診療を終えてやれやれ……今日も疲れたな、と待合室のソファにドンと座って、おっ……新しい文春か……などと、ページを開いてふと「信用ならない。町の皮膚科」なんてフレーズが目に入ったら、一日が台無しになるくらい嫌な気分になったろう。
ごめんなさい。たまたま、私は大学病院の薬が合っただけで、一概に町の皮膚科がダメで大学病院がいい、というわけではない。私の友人は、主婦湿疹で大学病院にかかっていたが、あまりにも遠かったので、近所の皮膚科に替えたとたんに治ったそうだ。
以前に一度行った大学病院では、若い医師が出て来て「ふうん、どうしたの?」と顔も見ないで聞かれて、薬を出す段になると彼は「えっと、どうしよっかな〜」とのたまった。私は一瞬、耳を疑った。けれど、こういう医者の出してくれた薬が効いたりするので、なかなか一筋縄ではいかない。
ただ、今回の妊娠性湿疹騒動で思ったことは、いくつかの医者にかかってみる、というのも一つの手かな、ということである。もしも、お医者さんの腕が、街のイタリア料理屋のシェフくらい、行く病院によって違ったらこわいですよね。
思えば、私も産院難民だった。一時は道端で生むしかないのかとまで思ったものだ。信頼できるお医者さんを求めて、世間に産院難民は多い。
結局、人の紹介でとてもいい病院とお医者さんに巡り会えたのだが、その際、金に糸目はつけなかった。私はこのために、何年もドラマを書いてきたのかってなくらい高い病院だったのだが、人生の中の一点豪華主義、結婚式にかけなかった分、出産にかけました、お金。
さて、皮膚科のお医者さんの抗議のお便り以外に多かったのは、私もかゆかった! というお便りである。
日本中に広がる妊娠性湿疹妊婦の輪! という感じである。
これは、もしや私よりひどいのでは……と思った手紙があったので紹介します。ある娘さんからのお手紙。
私の母は、私を身ごもった時、かゆくてかゆくて仕方なかった。あまりのかゆさに亀の子タワシを買ってきて掻《か》いていた。そして、出産。赤ちゃんを見るなり助産婦さんが「ギャッ!」と悲鳴を上げた。産婦人科医が「まれにこんなこともあるんだ、慌てるな」と助産婦さんをたしなめた。もしかして、五体満足な子じゃなかったのかしら、と母は不安になった。
いや、そんなことはなく、元気な赤ちゃんだったんだが、なんと全身がラードまみれでぬるぬるだったそうだ。母体の脂を赤ちゃんが全部吸収してしまい、母はかゆかったわけだ。
そして、この赤ちゃん、すなわちこのお手紙をくれた張本人は、今でも脂足、手も脂性だということでした。
なんちゅうか。壮絶ですね。人それぞれ。お母さんに歴史あり。全国のかゆい妊婦さん、がんばってください。あなたの仲間はたくさんいます。すぐ隣にはいないかもしれませんが、全国津々浦々の文春読者の中には、何人もいらっしゃいました。そして、私は生んですぐには治りませんでしたが、一月《ひとつき》を過ぎる頃から劇的に軽減しました。ほとんどのお便りも生んだら治ってます。がんばりましょう。母は強しってこういうことかな。
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マタニティ・ブルー
子供を生んで一週間。私はしあわせな気分に包まれていた。
毎度、連続ドラマが終わると海外に行くことにしているのだが、うーん、南の島に二週間行くよりいいかもしれない……などと、ともだちに吹聴《ふいちよう》し、私は生まれたてのほよほよのわが子のほっぺをつついたりしながら、しあわせだった。
隣の病室はモッくんだった。
モッくんのお嫁さん、也哉子《ややこ》さんは、とても若く元気なので、お子を生んだその日に、おやつを、すっかり食べていた。
S病院は三時におやつが出るのです。ちょうど、お見舞いに来たともだちが、廊下に出ていた隣のお菓子の皿をすかさずチェックして報告してくれた。
若いということは、素晴らしいことだ。私は生んだその日など、水しか飲めなかった。
ところで、モッくんはカッコよかった。一度、廊下ですれ違って、思わず挨拶《あいさつ》しそうになったが、別に知り合いでも何でもない。お仕事ご一緒したこともないし。ついつい、テレビで見知った顔というのは、知り合いの気がして、挨拶しそうになる。
ワイドショーでは、モッくんが赤ちゃんをお風呂《ふろ》に入れる練習に、病院に通っている、と報道をしていたが、ウチのダンナさんは、忙しくてお風呂の練習にも来てくれなかったので「ほうっ、モッくんより忙しい。大河ドラマの収録の合間を縫ってやって来る、モッくんよりも忙しい!! 私の夫は大河の主役のモッくんよりも忙しい!!!」と厭味《いやみ》を言ってやった。
しかし、看護婦さんも私の子供をお風呂に入れるより、モッくんのかたわらで、モッくんの赤ちゃんをお風呂に入れる方がさぞかし楽しかろう、胸も、ときめくってもんだ、と卑屈な気分になるのだった。
窓からは、写真週刊誌の記者が也哉子さんを狙《ねら》うんじゃないか、と思うと、ついつい関係ない私もカーテンを閉めるのだった。
也哉子さんは撮れなかったけど、仕方ない、北川悦吏子でも撮っていくか、なんてことになるかもしれない、と少しだけ思ったのだ。そんなことにはならなかったけど。でも、報知新聞には記事が出たらしいけど。
私は、まだ名前のついてない赤ちゃんを抱いて、メドレーで自分の書いたドラマの主題歌を子守歌として歌っていた。どうもアップテンポすぎていけない、と思い、途中から「赤鼻のトナカイ」に変えた。お腹にいた頃からそれを歌っていたし。
しかし、このようなしあわせは長くは続かなかった。ある日。ガタン、と私は崩れた。ものすごい情緒不安定が突然、襲って来たのだ。
これが世に言うマタニティ・ブルーというやつか。
今、冷静に考えると、一つはやはり、湿疹《しつしん》のせいだと思う。
かねてから書いている妊娠性の湿疹。生んだら治ると言われていた湿疹。これが、生んでも治らなかったのである。出産後一日、二日は肉体の疲労でそれどころではなかったのだが、体が回復の兆しを見せた三日目くらいから、またもかゆくなってきたのである。それも、以前よりかゆみが増したような気がする。
筆舌に尽くしがたい絶望が私を襲った。もしかして、このまま、ずっと、永遠に、果てしなく、かゆいんじゃないだろうか……。
こういう時、ドラマを書くと、苦渋に満ちたものすごく重い物が書けそうだ。暗く重く出口がなく。しかし、私はそういうのが嫌いなので、そういう時に物を書いたりはしない。
なぜ、私は生まれてしまったのだろう、こんなにかゆいのに。
私はこれからも生き続けなければならない、このかゆさと共に。
ちょっと書いてみた。あれ、どうしてだ。なんとなく、笑ってしまう。
笑い事ではなく、私はこのかゆみが引きがねになり、沼よりも深いマタニティ・ブルーに陥ってしまったのである。
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続・マタニティ・ブルー
子供を生んでから、人生観が変わったか、と何人かの人に聞かれたが、そうそう人生観というものは変わらない。インドに行って人生観が変わる人は、子供を生んでも人生観が変わるかもしれない。
何かにつけ、人生観が変わりたい変わりたい、と願っている人は、変わるんだろうし、私なんかは、かわいげないかもしれないが、子供を生んだくらいで今まで何年も培ってきた人生観が変わってたまるか、とどっか思っているので、やっぱり変わらない。
だけど、もし子供を生んでその後、人生観が変わったとすればそれはあの、地獄のようなマタニティ・ブルーを経験したことだと思う。マタニティ・ブルー、一般に、子供を生んだ直後に陥る情緒不安定、のようなことを指して言う。
自分の中でどうにもこうにも抗《あらが》いがたい、虚無感やマイナーでブルーな気分が広がっていって爪《つめ》の先まで、占領されてしまう感じ。
多分、神戸の震災にあった人はそれから、感じ方や考え方や自分の基本になる物が変わってしまったかもしれないが、私のマタニティ・ブルーはたとえて言えば、自分の中に大地震が起きたようなものだった。今までの自分が木《こ》っ端《ぱ》みじんに崩れる感じ。それほどひどかった。とにかく、生きているのがつらかった。ただ、生き長らえていることがこんなにつらいとは……という感じだった。夕方になるとわけもなく、水道の蛇口をひねるよりも簡単にボロボロボロボロ泣けて来て、いつスマスマの涙対決に出ても勝てるという状態だった。いや、今でこそこんな冗談を言う余裕がありますが……。
一説によれば、マタニティ・ブルーというのは、妊娠直後から十カ月かかって変動したホルモンのバランスが、産後一カ月で急激にもとに戻るために起こる、と言われている。
そうか……。ホルモンのせいか。ホルモン。無敵なホルモン。
妊娠中の激しいかゆみもこいつが原因だ。
私は、ホルモンの前に為《な》す術《すべ》もなく、単なる弱虫になった。
起きてる間じゅう泣いていて、つらくてつらくて仕方なくて胸のあたりがドーンと暗く重く不安で、一人ではいられない状態になってしまった。
自信喪失も甚だしく、このまま自分はこの子を育てていけるだろうか……と思うと、病院は母子同室だったのだが、子供といることがこわく、じゃあ、こちらで見ましょう、と看護婦さんが新生児室に連れて行くと、今度は子供がいなくなったのが淋《さび》しく、いきなり号泣してしまうのだった。
こわい。今書いてたら、あんまりにもこわいですね。私。
おお、こんなこわい壊れた女の面倒をよくみてくれたことよ。
身内と病院とともだち。今、ここで改めて、ありがとうを言おう。ありがとう。
あの時、私は初めて精神にも病気があるんだ、ということを実感として知った。私は精神を病んだ状態だったと思う。頭痛のように心が痛くなるのだ。いろんな人が励ましてくれたが、そんなものより精神安定剤(それでも、ごく弱い物だと先生は言った)が効くことに、自分の心は体の臓器の一部なんだな……と思い、そうすると、なるだけ見ている人が、書いている自分が元気になれるような物を書こうとがんばってきた自分や、今まで書いてきたドラマはなんだったんだろう、と虚《むな》しかった。
本物の病気の前では、人の気持ちや力なんて無力なのか。薬ばかりがえらいのか。所詮《しよせん》、そんなモンなのか。
そうこうしているうちに、私は母乳をあきらめなくてはならなくなってしまった。とてもじゃないが、落ち込みがひどくておっぱいタイムをパスし続けている間に、いつの間にか母乳が出なくなってしまったのだ。
そしてそのでき事は、マタニティ・ブルーにより拍車をかけ、私は天下無敵のマタニティ・ブルーに突入したのであった。
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ともだち
S病院の婦長さんは、私を人気《ひとけ》のない授乳室に連れていって声をひそめた。
「三十過ぎた、お仕事を持っているバリバリやっている方に多いんです」
何の話かといえば、マタニティ・ブルーの話だ。私のマタニティ・ブルーは、母乳をあきらめなければならない、という新しい局面を迎え、悪化の一方だった。
私は、赤ちゃんに申し訳なく、そして、自信もなく、たまらない気分だった。
なんで、こんなことが出来ないんだ、と思った。自分が落ち込んだりしなければ、マタニティ・ブルーなんてのにならなきゃ、母乳で育てられたんだ。
その時の私の頭の中は、母乳のことしかなかった。人工乳《ミルクのこと》は「悪」だと思っていた。まだ、赤ちゃんが生まれてすぐの頃、私がまだマタニティ・ブルーに突入してない頃のこと。母乳を飲ませる前と後で、赤ちゃんの体重を計ると、どれだけ飲んだかがわかる。たいてい、最初は微々たるもので八ccだったり五ccだったりする。
それを、授乳の度に看護婦さんが教えてくれるのだが、初めて二十ccを超えた時は、飛び上がって喜んだ。
「やった、二十超えた! あっ、今一瞬、視聴率かと思っちゃいました、職業病だね」
そんな冗談を言って看護婦さんと笑い合った日は遠く、今、私は母乳を断念せざるを得ない状況に追い込まれていた。それも、マタニティ・ブルーという自分の体《てい》たらくのために。私は、自分を責めた。
「いえ、母乳じゃないからといっても、母親失格というわけではないですから」と言ってくれた看護婦さんの励ましの言葉も、「母親失格」が、まるで「人間失格」のように響く。やっぱりそんなワードが出て来る程の大事件なのだ。
私は、沈んだ。沈んで沈んで沈み切った。沈没する心。
ごはんもろくに食べられなくなり、まだ引かない妊娠性|湿疹《しつしん》のかゆみも重なり、眠れない夜が続き、頼みの綱は先生が出してくれる、安定剤のような薬だけ。いろんな人の励ましの言葉も、その場ではもっともだと思っても、次の瞬間には落ち込んでしまう自分が見えるのだった。
ある晩、やはり脚本を書いているともだちが、病院に来てくれた。
ちょうど連続ドラマを書いている最中で、忙しいのに、私の様子があんまりひどいので、わざわざ来てくれたのだ。
彼女は、まだ私が脚本家になる前からの、そして彼女もまだ脚本家になる前からの、お互い貧乏暮らしをしていた頃からの気のおけないともだちだから、顔を見たとたん、私は泣いてしまった。
そして、ぜんぜんダメだよ、自信がない。私は今までずっとがんばって、百点取ってきたんだ。子育ては、百点取れない、と言った。もう、母乳をあきらめたんだ。
彼女は、黙って私の話を聞いていたが、「何言ってるの。かわいい子じゃない」と子供の感想を言い、そして「何が百点かわかんないでしょ」と言った。
彼女の目もうるんでいた。
母乳育児が百点ってわけじゃない。そうだ。私はいつしか○×方式で、箇条書きチェック方式で、子供との関係を採点していた。
子供は試験じゃない。テストじゃない。人間なのに。私と赤ちゃんだって、人と人とのつきあいなのに。母乳だから百点でミルクだから三十点、なんてことじゃなくて、そういうことじゃないんだってドラマをずっと書いて来たはずだったのに……。
三回に亘《わた》って書いてしまったが、私がこの凄《すさ》まじいマタニティ・ブルーを抜け出したのは産後一月が過ぎた頃だった。
今、生後五カ月の我が子は、ミルクですくすくと育っている。
私は、あの頃処方されていた安定剤の名前はすっかり忘れてしまったけど、忙しい連続ドラマを書いている最中に来てくれた、彼女の言葉だけは、はっきりと、きのうの言葉のように覚えている。
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おばさんの説教魂
ある日曜日、子供をベビーカーに乗せて外に出た。
すると、雨。風も少々、強そうだ。
どうしようかと迷ったけれど、このままでは一日じゅう外に出ないことになっちゃうもんな、と、傘を差して強行突破で、五百メートルくらい先の本屋さんまで行くことにした。
エッチラオッチラガラガラ。
赤ん坊はご機嫌とも不機嫌ともつかぬ顔をしている。
すると、向こうからおばさん。
見ず知らずのおばさん。
すれ違いざまに「寒いから……」とおっしゃった。
寒いから……。寒いから何なのか。その先は何なのか。
文面だけではわからないだろうが、その言い方のニュアンスで、私には、はっきりおばさんがどう言いたいか、わかった。「寒いから気をつけてね」ではなく「あらまあ、こんな寒い日に、外に出して……」である。
ホントは「寒いのに……」と言いたいところを、それではあまりに見ず知らずの人におせっかいすぎると思って咄嗟《とつさ》に「寒いから……」と言ったのだ。きっと。
ちゃんと、エスキモーみたいな上着を着せているから、寒くないのだ。大丈夫なのだ。と思わず天才バカボン口調になってしまうが、こういう通りすがりの非難は、一瞬のでき事なので、反論の余地はない。
赤ちゃんといると、知らない人が気軽に話しかけて来る。主におばさん。というか百パーセントおばさんですね。
一番多いのは「あら、かわいいわね」。
二番目に多いのは「何カ月?」。
一番、二番、パックになったのも多い。
そして、三番目に多いのは、なんと、説教だった。
メイク魂に火をつけるのはB'zだが、子連れの新米お母さんというのは、ことごとくおばさんの説教魂に火をつけてしまうものなのだ。
ついこの間も、子供を連れて、花屋に行ったら、
「あーら、こんなに薄着で。今の子は平気なのかしらね」
と言われた。
あきらかに説教だ。
いたるところに姑《しゆうとめ》あり、だ。
巧妙な非難も多い。ストレートに私に向かって言わないでしゃべれない赤ちゃんに向かって言う。
「寒くないでちゅか? うーっ、寒い寒いでちゅね」
むっかー。そんなことは言っとらんだろ。勝手に翻訳するな、勝手に。
しゃべれない子供に自分の言いたいことをたくす、というのは夫婦間でもよくやる手である。
「今日は、パパがお風呂《ふろ》入れてくれますよ。いいでちゅねえ。もっともっとパパにお風呂入れてほちいでちゅねえ」
とか、
「おーっ、ママこわいこわいでちゅねえ。いつも、ニコニコしてるともっと、ママのこと好きでちゅねえ」
とか、応用範囲は広い。
私はこれが苦手である。文句があるならストレートに言ってほしい。子供の言いたいことを、勝手に決めないでほしい。
私は、赤ちゃんのあやし方にこそ、その人の人柄が出る、ということを子を持って初めて発見したのであるが、一番|癇《かん》に障るのは、やはりしゃべれない子供の言いたいことを代弁する人である。
たとえば、子供が泣いている。
「そうだねえ。悲しいこといっぱいあるよねえ。あれもいやでこれもいやだよねえ。ママ、お仕事大変かもしれないけど、もうちょっと家にいてくれるといいよね」
なっに〜?!
誰が、いつ、そんなことを、言ったんだ。ただ、ミルクが欲しくて泣いてるだけかもしれないじゃないか。いいかげんにしてよ、と思う。
好ましく思うのは、赤ちゃんと対等にコミュニケーションを取ろうとする人。「おお、やるねえ。君も」などと言いながら、ウチの兄など遊んであげてるのか遊んでもらってるのかわからない感じ、あるもんな。
……いろいろうるさい? 私?
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名 前
「赤ちゃんの名前なんていうの?」と聞かれる度に、私は自分のセンスが試されているような気がして、ドキドキするのだった。
私が名前を言うと、相手は、ふうん……と言う。
あっ、いい名前だとは思ってないな! 私は、仕事がら人々のリアクションには敏感だ。
いつも、ドラマの企画のプレゼンをするせいなのだ。プロデューサーが私の企画に心底ノッているか、お世辞でノッているか、処世術でノッているか、すぐ見分けられるようになってしまった私は、相手が名前を聞いた瞬間にどう思ったかが、手に取るようにわかる。
露骨に「ふうん……」と言ったきり黙ってしまう人もいるので、そういう場合は、やり場のない間《ま》を埋めるためにしゃべり続けるのだった。「いやあ、私が子がつく名前で、昔、子がつかない名前の子がうらやましくって、ついつい。いえいえ、親戚《しんせき》じゅうも大反対なんですけどね、何ていうか、その。力関係っていうか。私もほら、北川悦吏子だから、ちょっとは凝った名前をつけてやりたいっていうのもあるし、でもってつい肩に力が入っちゃった部分もあるかもしれないけど、まあ、子供って私が生んだんですからね。私のお腹ン中に十カ月いたんですから、かゆかったし、ああ、そうそうかゆみっていえば、私、文春の連載のせいで、いたるところで『かゆみは、もう大丈夫ですか?』って聞かれるんですよお……」
などと、さんざん言い訳をしたあげく、さり気なく話題を変えるのが常である。
ちなみに、TBSのプロデューサーには露骨に黙られました。
フジテレビもノーリアクションだったな。ますますもって、私が変な名前をつけてしまったんだろうか、と思ったけれど、「anan」の編集長は褒めてくれて、この人は業界でもお洒落《しやれ》なカリスマだから、一人で五点、というところですね(普通の人は一人一点)。でも、次会った時、「子供の名前、なんだっけ?」と忘れられてたけど。
超音波で女の子というのがわかってから、なんとなく名前を考えるでもなく考え始めましたが、女の人って小さい頃から、女の子が生まれたら、こういう名前をつけたいっと思っている名前があるような気がします。
中学生の時とか、そんな話を女ともだちとしたような気がするんですが、どうでしょう。そして私が、かねてから考えてたその名前は「彩」だったんだけど、大学の時に、拾った猫につけてしまっていたのでした。猫と同じ名前もなんだなあ……そして、マタニティ雑誌の子供の名前ランキングを見ても、彩というのは一位なんですよ。あんまり人と同じ名前はなあ……と思って、やめました。あと、自分の書いたドラマのヒロインと同じ名前、というのだけは死んでもやめようと思ってました。
なんか、それはそれ。これはこれ、だから。
そしてある朝、起きるとぽっかりとある名前が音《おん》で浮かんで、うんなかなかいい、と思い、字はワープロの漢字辞書というのでポンポン変換を押していって、出て来た中にかわいい字があったので、それにしました。
こういうと、いい加減だけど。
画数とか一切、気にしてません。
けれど、名前をつけてやる、というのは、親が子供にしてやる、最初の一番大きなことですよね。それは、おしめ替えたり、ミルクあげたりはしますけど、私は「名前をつけてやる」というのは、特別なことだという気がしてました。確か、スピッツの歌にそんなタイトルのものがあったような気がするし、岩井《いわい》さん(岩井|俊二《しゆんじ》)の『スワロウテイル』という映画の中にも、CHARAが自分のとこにやって来た名前のない女の子に名前をつけてやるというエピソードがあって、そういうの、私は胸に響いてました。
だから、私は、どうしても自分で子供に名前をつけてやりたかったんです。
ちなみに、名前は埜々花《ののか》、と言います。
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泣く子に泣く母
朝起きて、顔を洗おうと洗面台の前に立ったら、まるでお岩さんのように目が腫《は》れていた。
昨晩、半端じゃなく泣いたせいだ。今日何もないと思ったから。外に出掛ける用事などある時は、人様に見せられぬ顔になってはいけない、と少しはセーブするんだが、きのうはエンジン全開で泣いた。それもこれものっちゃん(赤ん坊の愛称)のせいだ。
のっちゃんは、きのう、夕方から夜にかけて謎《なぞ》の号泣をした。
火がついたように、この世の終わりというくらい絶叫泣きした。今までがいい子ちゃんで来た赤ん坊だったので、私は驚いた。しかし、泣きだしたら最後、抱いてあやしても、ミルクをあげても、着ている物が気に入らないのかと着替えさせてもまるでダメ。
焼け石に水、というよりは火に油状態で、声の限り、泣く泣く泣く泣く。
何がそんなに悲しいのか、お気に召さないのか、私にはまるでわからない。
あんまり泣くので、私は、わが子がこわくなってしまった。
ああ、エクソシストのリンダ・ブレアーの母親の気持ちがわかる。わが子なのに、まるでわけのわからない者になってしまったような感じ。
悪魔つき。そうだ、これは悪魔つきに似ている。このまま、のっちゃんの首が百八十度回ってもびっくりしないぞ、というくらいすごい泣き方。
途方に暮れた私は、夫の携帯に電話をして絶叫マシンと化したのっちゃんの声を聞かせたが、携帯越しでは今一つ、伝わらないのか、夫は冗談など言って余裕をかましている。
これは、現物を見せるしかないと待つこと三時間。しかし、のっちゃん、夫が帰って来る五分前に泣き止《や》んでしまったのである。
なぜだ。なぜだ。なぜなんだ。ほら、泣け、さっきみたいに泣いてよ。と心の中で信号を送ってもすっかり、スヤスヤと天使の寝顔なのである。
ますますこれでは、怪奇小説だ。たいてい、ああいうのって主人公一人がこわい目にあって、周りの人は信用してくれない、というのが常なのだ。
私は何か釈然としないものを胸に抱きながらも、夫の与えるミルクを全て飲み干したご機嫌ののっちゃんと、床についた。
電気を消すと同時に私の心の中のわだかまりが、ドッと波になって押し寄せた。辛抱たまらん! 私は、うわーんっと泣いた。ホントにうわーんと。久しぶりに。いや、妊娠期間中はけっこう、うわーん! と泣いてましたが。
それを聞いた夫を置いて一つ向こうのお布団でスヤスヤとお眠りになっていたののか様[#「ののか様」に傍点]も、私の泣き声に起きたのか、うわーん! と泣きだした。
間に挟まれて、途方に暮れる夫。
しかし、それでもその時の、のっちゃんの泣き方は、やはりまだまだあのエクソシスト泣きには及ばない、かわいいものである。敵もなかなかやる。どうしても私以外の人の前では正体を現さないのだ。
次の日、名古屋の叔母とそのことについて話していたら、それは「コリックよ」と言われた。
育児書にも載っていた。
コリック……急に火がついたように泣き出して二十〜三十分激しく泣く。ひどい時はそれが二時間にも及ぶこともある。抱いてもミルクを飲ませてもダメ。
よくある病気なのに、原因はわかっていない。時機がくれば嘘《うそ》のように治る(『育児の百科』松田道雄著)。
ふうむ。要は赤ちゃんがわけもなく泣くことに、無理矢理名前をつけたような気がするが。
やはり人は、名前がついているとホッとするものだ。そうか……コリックか。よくあるのか。時機がくれば治るのか……と。しかしコリック……コックリさんに似てなくもない。やっぱりキツネつきかも……。
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スキヤキが食べたい
中居くんの声もとんねるずのタカさんの声も聞こえない。ノッカ(ウチの子の愛称)の泣き声のせいで。
火曜日の午後九時、やはり私はノッカと格闘している。
テレビには「うたばん」がついているのだが、泣き声にかき消されて、ふたりが何をしゃべってるのかぜんぜんわからない。ぜひとも、子育て中の主婦のために、字幕スーパーを出してほしい。とにかく子供は泣くのだ。赤ちゃんは常に泣いている。
スキヤキも食べられなくなった。
夫と私、ふたりが同時に物を食べるのは無理なのだ。温かいうちに物を食べるのも無理なのだ。放っておくとすぐ泣くから。
やっと、向こうの部屋に寝かせ、そろりそろりとドアを閉め、さて、スキヤキを食べようとしても、幻聴のように子供の泣き声が聞こえて来るのである。そして、やがてキッチンのドアが開いて「食べたな〜、スキヤキ」と我が子がやって来るような気がするのだ。いえ、歩けるはずないんですが。
「赤ちゃんが来た」という石坂啓さんの著書のタイトルが、何かホラーのタイトルのように思われて来るのだった。
このようにして、私はろくにテレビも見られなくなった。
抱いてあやして寝かしつける。
泣きなさる。
抱いてあやして寝かしつける。
また泣きなさる。
もう一回、抱いてあやして寝かしつける。
やっぱりもう一度泣きなさる。
いやあ、泣きなさる、泣きなさる。何がそんなに悲しいのか不満なのか頭に来るのか、私にはわからない。
が、赤ん坊が泣くのには理由があるんだそうだ。暑いとか、湿度が高いとか、ミルクがぬるいだとか、哺乳瓶《ほにゆうびん》の乳首に飽きただとか。
でも、赤ん坊はしゃべれない。しゃべれないので、泣いて訴える。
しかし私は赤ん坊が泣く理由に関しては一切考えないことにした。
お腹すいた、おしめ濡《ぬ》れた、眠い、以外の理由については目をつむることにした。
違うな。目をつむるんじゃなくて目を逸《そ》らすことにした。
だって、正解は絶対にわからないんだから。赤ん坊はしゃべらないから。
今日は夜泣きがひどい、なぜだろう、新しく下ろしたバスタオルが気に入らなかったのか……、それとも夕方遊びに来た私の兄の顔が気に入らなかったのか……、昼間、人がいっぱいいる渋谷《しぶや》に行ったのがいけなかったのか……考え出すときりがないのである。
対症療法あるのみ。
泣いたらあやす。たまには泣かせておく。
それでいいんじゃないんだろうか。
人はうまくいかない時、常々その理由をさぐる傾向があると思う。そのままにしておいてもじきに好転するだろう、と楽観的に物を見ることがなかなかできない。
あれって不思議だ。たとえばもてない人は、なぜ私はもてないんだろう、と理由を探すけど、もてる人は、なぜ私はもてるんだろう、とあんまり考えない。
まあ、それが必要は発明の母、ということになっていくのかもしれないが、子育てに関しては、こうしたからああなった、ああだからこう、とかいうのはあまり考えない方がいいと思う。
子供は泣く。泣いたらあやす。たまにほっておく。これでいいんじゃないだろうか。
それよりも、自分が楽しいあやし方を考えた方がいい。私は少しでも自分が楽しく寝かしつけることができるように、寝かしつけるさいのBGMを決めた。
そのBGMに乗って抱っこして踊りながら、揺らして寝かせる。曲目はパッヘルベルのカノン。そのうち、うまくすれば、抱っこしないでもこの曲を聞くだけで眠ってくれるかもしれない。パブロフの犬のように。カノンのメロディに乗って、リビングと寝室の間を何往復もステップ踏みながら、うーん、去年までは、B'zのライブ行って踊ってたのになあ……と、しみじみと思うのであった。
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取り戻しに行く青春
あれはバレンタインのことだった。ノッカをベビーカーに乗せて、近所のイグレックというお洒落《しやれ》な洋菓子屋さんに、夫用のチョコレートを買いに行った。
すると、店員さん。私の前にチョコを買った、女の子ちゃんには「カードつけますか?」と聞いたのに、私には聞いてくれなかったのである。
確かに私は、ベビーカーを引いて、近所なのでスッピンで、そして部屋着のジーパンという出《い》で立ちであったが、私だって、チョコレートにメッセージカードくらいつけるかもしれないじゃないか。それとも、何かい? ベビーカーを引く女は、チョコレートにメッセージカードなんてつけるラブラブ世界とはもう決別したと思われてるんだろうか。
悲しい。そこはかとなく悲しい。ただ、たまたま私には聞くのを忘れただけかもしれないが、やっぱり悲しい。
私は、ノッカを連れて包装してもらったチョコレートと共にデパートの中の本屋さんに移動した。
ノッカが不機嫌になったので、もしかしておしょんしょんをして、おしめを替えてもらいたいのかもしれない、と思い、トイレに行くことにした。
バレンタインのトイレは、デート前らしき女の人たちで混んでいて、並んでいた。私も並ぶ。
トイレの個室は三つ。一番、奥の一つだけ、赤ちゃんがおしめを替えられるようなスペースをもうけてある。これが、なかなか空かない。他の二つはどんどん空くのに。
私は自分の番が来ているにもかかわらず、奥の一つが空かないので、入れない。
後ろに並んでいる人に、「お先にどうぞ」と声をかける。また、手前の二つが空くので、その後ろの人にも声をかける。
「どうぞ」
トイレで、どうぞ、どうぞと待っている人を誘導する私は、エレベーターガールならず、トイレガール。
いや、だから何ってことはないですが。
人生において女の人が女を捨てるポイントは、いくつかあると思う。
一つは、結婚。これで相手も見つかったし、もういいや、と気を抜く。
二つ目が出産と育児。はっきり言ってそれどころではなくなる。
三つ目が、多分仕事を辞める時ではないだろうか。
子供を生んでも職場に戻る気があると、どこか緊張を引きずると思う。仕事というのは、どっか顔が名刺になるようなところがあり、自分が他人の目にさらされる。
ということで、私もがんばって緊張を引きずることにした。
まずは、ダイエットから。産後、何もしないで体型が元に戻る人は、神様に選ばれたほんの一握りだ。私は、選ばれなかった。駅などで、子供連れのウエストのくびれたお母さんを見ると、私は、誰彼かまわず、声をかけたくなった。「あなたは、いかにしてそのように痩《や》せたのですか?」と。
柴門《さいもん》ふみさんに聞いたら、彼女は産後太りを、ゆで卵キャベツダイエットで克服したらしい。
刻んだたっぷりのキャベツの上にゆで卵をのっけて三食食べたそうだ。聞いただけでまずそうだ。パス。
林檎《りんご》ダイエットといって三日間林檎だけ食べる、という人もいた。すぐに効きそうだ。
さっそくやってみた。三日どころか二食で挫折《ざせつ》した。
こうして、私は独自のダイエットをあみだした。楽なダイエット。外食の時以外は食べすぎない。生クリーム系の甘い物を控える。そして、毎日四十回程の腹筋とストレッチ。それだけ。
私は、妊娠中にこの連載の中で、大きくなったお腹を抱えて行き過ぎた青春を思うのだった、という文章を書いたが、お腹から子供が出た以上、青春を取り戻しに行く覚悟である。
気合十分。
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ハリハリヘリヘリ
久しぶりに風邪をひいた。けっこうひどい。
感染《うつ》るといけないので、今はノッカと寝室を別にして、少し淋《さび》しい。
さて、私は脚本家だが、こうして文春にエッセイも書けば、時には、歌の作詞もするのであった。けっこう、手広くやっている。子供服のブランド「|NOKKA《ノツカ》」の準備も着々と進んでいる。大嘘《おおうそ》です。そんなことしませんてば。
今回の仕事は、ロンバケでご一緒した久保田(利伸)さんから作詞のリクエストがあったので、ありがたく受けさせて頂くことにした。
久保田さんは、今はもうほとんど、ニューヨークなので、打合せは国際電話だ。
カッコいいなあ。ニューヨークと国際電話で歌詞の打合せ。
しかし、私はあいにくの風邪でもうなんちゅうか物凄《ものすご》い声だ。
お聞き苦しくて申し訳ない、と思いながら電話で、まあ、だいたいこんな感じで……と久保田さんの曲に持っているイメージを伺い、そして雑談をしていた。
のっちゃんが、生まれて何か変わったか? とか、私はのっちゃんが生まれた時、久保田さんからお祝いに、曲をもらったので(この世に一曲しかない子守歌!)、そのお礼を言ったり、ニューヨークの様子を聞いたりした。久保田さんはきっと外国暮らしで日本人と話すのが久しぶりだったのか、いろいろ話し、私は風邪で人と会う予定を全てキャンセルして家に籠《こ》もっていた最中だったので、咳《せ》き込みながらもついつい長電話になってしまった。これじゃ、まるで孤独なジイ様とバア様の縁側の茶飲み話のようだが、いえ、久保田さんはミュージシャンだから、それはきっと、ホントは色々派手でしょう(何が?)。
久保田さんが作った曲は、ノリノリで気持ちよく、歌詞もすぐに浮かびそうな気がした。
もう、まかしといて、という勢いで電話を切った。
が、それは気のせいだった。
なかなか、歌詞は出て来ない。
マズイ。締切りは来週の頭。
私は、昼も夜もベビーシッターさんをフルで頼むことにした。
それでも、今日。ちょっとした手違いで空白の三時間ができてしまった。お昼来ていてくれた人が帰り、夜までの三時間の間、私はノッカを見なければならない。ううっ、締切りはもう目前。時間がない。
私は、ノッカのおしめを替え、お尻《しり》を洗いながら、そのかたわらに作詞用のノートとペンを放さなかった。
久保田さんは、きっとニューヨークのコンクリート打ちっぱなしの、ナオミ・キャンベルも住んでいるというお洒落《しやれ》なマンションでシガーなどくゆらしながら、お酒などちょっと飲みながら、たまに自分で歌ってみたりしながら、曲を作ったに違いない。出来上がった頃には窓からニューヨークの朝の光が差し込んだことだろう。ニューヨーク産のメロディ。
そのメロディに、私は、のっちゃんのウンチョスくんの匂《にお》いに涙ちょちょ切れながら、歌詞をつけていくのである。何かとても申し訳ない。
のっちゃん。わかって。ママはお仕事をしているの。
ベビーシッターさんのお金は人件費といって、この間まで人のお腹の中にタダでいたあなたにはわからないかもしれないけれど、この世では一番、お金がかかる部門なのよ。温泉旅館のテレビのように一時間ごとにガチャコンガチャコンとコインが落ちて行くのよ。
このまま、歌詞が書けないと先行投資したシッターさん代は回収できなくなってしまうのよ。
相手が言葉が理解できないのをいいことに、私は、何だって本当のことをノッカにしゃべる。今、一番、心情吐露している相手といっていい。そのかわり彼女も、私が理解できない自分の言葉で、うーっとかあーっとか、うにゃあ、とかしゃべり続けるので、五分五分だと思う。
ところで、久保田さんの曲のタイトル「ハリハリヘリヘリ」にしようと思うんですが、さてOKが出ますでしょうか?
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子育てを語る
子供を持つようになって、育児雑誌からの取材依頼が増えた。
今までは、没交渉だった子育て雑誌から依頼が来るのはありがたいことだが、しかし、冷静に考えると、どうして私に子供の育て方を聞くのか、と思う。
これ、ちょっと不思議だと思いませんか?
私は、ただ普通に子供を生んだだけで、特別に子育ての専門家でもなければ、小児科の先生でもなければ、八人子供を生みました、というような特殊なケースでもない。
たとえば、私に恋愛のことを聞く。これはわかるような気がする。恋愛ドラマ、いっぱい書いたから。恋愛に造詣《ぞうけい》が深いと思われても仕方がない。
たとえば、私に仕事のことを聞く。これも、わかる。私は一応、脚本家という仕事をしているプロなので、そうなったいきさつとかしゃべれ、と言われたら何かしゃべれそうだ。
たとえば、私に女の人生について聞く。まあ、別にいばれるような人生ではないが、とりあえず何年か生きて来たので、何かしゃべることがあるかもしれない。
さて、しかし、子育て。私は子供を生んだだけだ。そして、その成果はまだ出ていない。
恋愛の成果は、ドラマで語られ、仕事の成果も一応、もう連ドラを何本も書いているので、それを見て評価する人はしてくれる。
しかし、子供の成果は……ウチの子はまだ半年なので、ジャッジ不可能だ。こんな半年の子になりました、と見せて、おおっ! そんな半年の子にするには、どういう子育てをしたかぜひ聞きたい、という人はこの世にひとりもいないような気がする。我が子は、他の子と比べてもいばれるところは今のところ、何一つない。離乳食も遅れを取っている。この間、区の予防接種に連れていったら、一番大きな声で泣いた。恥ずかしかった。
じゃあ、どういう人に「子育て論」を聞くべきかといえば、それは子供が大成した親だろう。
子供が大成したかどうかがわかるのは、子供が社会に出た後だ。たとえばUA《ウーア》の母親に、どう育てればあんな、綺麗《きれい》な声になるのかを聞く、とかたとえば、村上春樹の母親に、どう育てればあんな文章を書く息子に育つのか聞く、とか小室哲哉の母親に、どう育てればあんなヒットメーカーになるか、聞くとか。
しかし、そういう企画はほとんどない。なぜか。なぜなんだろうか。本気で考えてみました。
聞く気がしないからだと思う。
なぜ、聞く気がしないか、と言えば、それは親の育て方ではなく、本人の育ち方だからではなかろうか。
本人が、もともとユニークだったのだ。こういうと身も蓋《ふた》もないけど。これじゃ、まるで一生懸命、情操教育やってもたかが知れてると言ってるようなもんだが、言ってるんだな、これが。
ここまで書いて思ったんですが、本当に才能のあるユニークな人って親からフリーである。解放されてる、という感じが強いですね。だから、余計、その家族にインタビューするより、本人がどういう子であったか、本人から聞いた方が面白い気がする。
しかし、もし子供が小室哲哉ではなく、村上春樹ではなく、犯罪を犯した中学生になったなら。
私たちは、親の顔を見たい、と思う。それは、子供だけのせいじゃなくて、確実に親のせいがあるような気がするから。
本人がもともとユニークだった、ではすまされない。
私が今、子供と一緒にいながら思うことは、どうかまともに育って欲しい、とそれだけである。
時々、あまりに泣かれてこっちもキレて、二十分くらい放っておくことがあるんだが、そんな時、私は「ああ……今、この時の親の忍耐の無さがこの子のトラウマになって、キレる子になったらどうしよう……」などと、不安が頭をかすめるのである。
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ノッカ内蔵型キャリアウーマン探知機
この間、広尾《ひろお》のとあるフランス料理屋さんで食事をしていた。
子育てに追われる私もたまには優雅だ。このような外食はたいてい、仕事関係のおつきあいの人と、という場合が多い。
この時は、「anan」の編集長と、今をときめくSMAPのマネージャーの飯島さんといっしょだった。
テレビの話などひとしきりした後に、子供の話になり、飯島さんは、ノッカの写真を見たいと言った。
えっ……。持って来なかった。
たいてい、子供の写真を見てくれる人は、おつきあい、という感じなのだが、飯島さんは私が写真を持ってないのを本当に残念がっているように見えた。
そして、赤ちゃんが大好きなの、と言うので、よかったら近いし帰りに寄りますか? と誘った。
ハイハイを始めたノッカが荒らし放題の、家に来て頂いた。
そう、最近、ノッカはハイハイというものをするようになった。そして、それと同時に人見知りもするようになった。
実は私は、心の中でおがんでいた。泣くなよ、泣くなよ、泣くんじゃないぞ。飯島さんは、大事な大事な大事なお客さんなのよ。今の私があるのもSMAPのおかげ(木村くんと、中居くんにドラマでお世話になっている)、そして、きっとこれからもお世話になることだろう。あなたも、私の子なら、誰が母にとって大切なお客さんか、直感でわかるのよ。
が、しかし。ノッカは泣いた。泣きなさった。またやってくれた。というのも、二日前にもある出版社のとってもとってもエライ女の人が、わざわざウチまで来てくださったのに、ワーンと思いっきり泣いたのだ。家の兄とかどうでもいい相手にはニコニコしているのに。
しかし、飯島さんのすごいところは、ノッカが泣いても抱っこしたままなのだ。普通、泣くとたいていの人はオロオロして「ゴメンゴメン」とか言いながら母親の私に手渡すのが常だが、飯島さんは、いくらノッカが泣いてもノッカを手放そうとしないのだった。自分で乗り越えようとする。
抱き方を変えたり、あやしたりしながら。
すごい。本当に好きなのだ。赤ちゃんが。そして、この粘り強さが、今のSMAPを作ったのかもしれない、とふと思った。
やがて、ノッカが飯島さんに慣れてきた頃、彼女はノッカを見ながら、しみじみ言った。
「のんちゃん、お母さん、好きだけどね。のんちゃんのお母さんのドラマをね、みんなが楽しみに待ってるの。だから、のんちゃん、いい子でいてあげてね」
おおおお。泣けるではないかい。いい話じゃないか。誰も言ってくれなかった。誰かに言ってほしかった。
飯島さんは、赤ちゃんを満喫して帰って行った。
働くキャリアウーマンには、エステで一時間フットマッサージもいいけど、赤ちゃんと一時間いる、というのもなかなかいいリフレッシュになるんじゃないか、なんて話をした。まあ、赤ちゃん好きに限りますが。
さて、ノッカの人見知りなんですが、そこに私はある法則を発見しました。
ノッカが泣く相手は、決まってキャリアです。仕事のできる女。何か、独特のオーラを発しているんでしょうか。
私の女ともだちの課長が来た時も泣いたしな。
なので、私たち、仲間うちではノッカ内蔵型キャリアウーマン探知機、と呼ばれています。
たまに、バリバリ風の編集者など来ても、ノッカが泣かないことがある。
そんな時は、ふうむ、あの人もまだまだなのだな、と私は納得します。
本物のキャリアウーマンの時だけ泣きます(キャリアウーマンってフレーズ古くてすみません。他に思い浮かばない)。
しかし、この間。テレビのショムニを見ていたら、江角マキコに泣いた。あれは、キャリアウーマンじゃないのに。ただこわかったんだろうな、多分。
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子供を生んで、いいこと
ずっと前、このページに、子供を生んだからといって、人生観が変わるような人は、インドに行って人生観が変わる人たちだ。生まれてこれまで培ってきた人生観が、子供を生んだくらいで変わってたまるか、というようなかわいげのない文章を書いたのは、この私だが、冷静に考えてみると、やっぱりじゃっかん、変わったようだ。
たとえば、ベージュのバッグを持った女の人を遠くから見た場合。おっ、彼女が抱いているのは何カ月くらいの赤ちゃんかしら……と思うようになった。
そして、近寄って初めて、なんだ、赤ちゃんじゃなくて、バッグを抱えてたのか……、ちぇっと思うわけだ。
こんなことは、子供を生む前はなかった。
何度も言うようだが、私は子供が嫌いだったのだ(あれっ、初めての告白でしょうか?)。
伊武雅刀《いぶまさと》が昔歌っていた「私は子供が嫌いだ」は、私の気持ちを見事に代弁してくれていて、心のベストテンにランクインする曲だったかもしれない。
でも、猫とか犬とか動物系は好きだったので、いつかカメラマンのお兄さんが道路に置いていた黒いカメラバッグを遠くから見た時に、シャム猫かしら、わくわく、と思いつつ近寄ったことはあった。
このように、人は、遠くから何かを見る時、思わず好きな物に見立ててしまうわけである。
そして、この間《あいだ》うち、ある雑誌に載っていた『子供に先立たれる特集』は、とてもじゃないが電車の中では読めなかった。すぐ泣けてくるから。
これは、進歩だろうか。後退だろうか。わからないけど、変化であることは確かだ。
あんなに子供が苦手だったのに、自分の子じゃなくてもかわいい、と思えるようになり、脚本家になってなかったら、保母さんか、小さい子に教えるピアノの先生もよかったな……なんてことまで思い始め、とどまるところを知りません。
さて、これは私が周りの世界を見て、思うこととか、物事に対してのリアクションとかがこのように変わって来たという話ですが、私自身が、人から見て、どのように変わったか、ということもあります。
わりと言われるんですよね、子供生んで変わったね、ということを。
その中で、一番、うれしいのが「子供生んで綺麗《きれい》になった」。
これです。
何だよ、自慢話かよ、と引いた方もいらっしゃると思いますが、私としましても、妊娠中、とてもかゆかったわけだし、|※[#○に高]《まるこう》の難産だったわけだし、今もまだたまにお酒など飲むとかゆくて眠れない絶望的な夜もあるので、ここは一つ、大目に見てもらって、これから妊娠出産を控えている若いお嬢さんたちのためにも、子供を生むとこんないいこともある、という景気のいい、自慢話なぞ、書かせてもらおうと思います。
子供を生んで綺麗になる、というとまるで女性誌の特集のようですが(いや、いくらなんでも、そんな不謹慎な特集はないか……)、実は、それは密《ひそ》かに私が期待していたことでした。
なぜなら、昔いた会社の先輩が、出産後、非常に綺麗になったのを目の当たりに見ていたので。
しかし、子供を生んで綺麗になったね、と言われるのは、エステに行って綺麗になったり、化粧が変わって綺麗になったりするより、いい感じですね。
そこには、何か物語が感じられるから。人は、やっぱり物語を求めてるんだなあ、と思う。
あと、思うのは、やっぱり一日何時間も赤ちゃんとつきあってると、心の底からニコニコ笑うから、そういう時間を持っていると、自然と顔って変わってくるのかもしれません。
以前、学校の先生をやっていたともだちが、お見合いの時に、学校の先生とかは嫌われる。なぜなら、普段のおしゃべりまで命令口調(生徒を諭すような)になるからだ、と言ってたけど、それと同じようなことですね。
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子供の使いで
聖子ちゃんが結婚した。正しくは再婚。松田聖子は自分と同い年である。この間の「ホリイのずんずん調査(*)」で自分と同い年の有名人は? というのがあったけど、やっぱり自分と同い年の有名人って、知ってますよね。名前挙げろって言われたらすぐ挙げられる。特に同性は。松田聖子。斉藤慶子。
松田聖子は、子供の歯医者の先生と再婚したけど、やっぱりな……と私は、ほくそえんだ。
何がやっぱりな、なのかと言うと、子供だ。子連れの再婚において、子供は鍵《かぎ》だ。良くも悪くもキィポイントになる。そして、私は、それがマイナスではなく、プラスに働くんではないか、と最近思い始めたのだ。
子供は使いでがある。
大竹しのぶも、子連れで再婚した。誰かが言っていたけれど、男の人というのは、空いているポジションを埋めたくなるんだそうだ。
やさしいお母さんがいる。かわいい子供がいる。いないのは誰? お父さん。そうか、俺がお父さんになれば、うまく収まる、と思うんだそうだ。
この間「101回目のプロポーズ」の再放送を見ていたら、浅野温子は男の人のデートの申し出を断っているのに、その男の人には女の子がいて(バツイチ。子持ち、という設定)、その女の子が、ピアノの先生であるところの浅野温子に向かって「先生! 行こうよ」と遊園地にしきりに誘い、二人は(正しくは子連れで三人だけど)遊園地に行くことになるのだった。
ドラマ見てるとこういうくだりってよくありますよね。自分じゃなくて自分の子供が相手の男の人に言いだす。
「イヤダ。××お兄ちゃんも一緒じゃなきゃ、ユキ、行かない」
「あらあら、何言ってんの? ユキちゃん。ダメでしょ、わがまま言っちゃ。××さんは忙しいのよ」
「いや、いいですよ。行きましょう」とカッコいい、××さんは言うのだった。
そうか。これだよ。頼むよ、ノッカ。
と私は、我が子に期待するのだが、当分、我が家は離婚の予定はないので、まだ、彼女に活躍の場はないのだった。
それにしても、聖子ちゃんは会見で、会った瞬間にビビビッと来て、二週間かそこいらで結婚を決めてしまった、と言っていたが、ビビビッ……か。すごいな。そんなことあるんかな。まだ、これからでも。三十六でも。
そうしたらほんの二週間で人生、夢のように変わったりするわけだ……と思い、秘書の南山さんに「ビビビッだって。二週間だって。すごいね」と言ったら「なんだかねえ……」と言われた。やれやれ、というニュアンスで。……大人のリアクション。
達観している。彼女はまだ二十五歳で、来月に結婚を控えているというのに、この大人なリアクション。二週間で、人生が変わることを一瞬でも、信じた私をあざ笑うかのような。
しかし、子連れの離婚や再婚というのは、実際にはナイーブな問題だと思う。自分が夫と別れたくても、子供はお父さんが大好きかもしれないし。
そして、世間はやはり両方の親がそろっていることにこだわったりもするだろう(就職の時とか)。
けれど、私が思うのは、子供のしあわせ、というのは結局、親がしあわせでいることではないだろうか、ということだ。
子供をしあわせにしてやりたいって、人は言うけど、自分がしあわせでいなくて、人を(子供を)しあわせにすることなんて、やっぱりできないような気がする。
だから、離婚した方が自分が生き生きとしていられるなら、再婚した方が自分がしあわせな時間を持てると思うなら、私はやっぱりそうすべきだと思うし、子供はそれを祝福すると思う。
私が子供だったら祝福するよ。
ノッカはどうですか? あ……ウチはまだ、離婚もしていないんだった。今のところ家族円満なんだった(ちょっと、つまらない)。
[#この行1字下げ]*お茶の間の話題をテーマにコラムニストの堀井憲一郎氏が独自のデータ分析をする「週刊文春」の人気連載。
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エライ人
先日、「笑っていいとも!」に出た。岡本真夜《おかもとまよ》さんからの紹介で。
テレビは雑誌と違って、出ると顔がわれるよ、と柴門さんから言われていたのだが、その夜、近所を歩いていたら、さっそく知らない女の人に声をかけられた。
「すみません」と呼び止められたので、「北川悦吏子さんですか?」と言われるのかと思って構えたら、「六本木美容室はどこですか?」と聞かれた。知っていたので、丁寧に教えてあげた。
そういえば、私はよく道を聞かれる。そして、道を教える。
さて、「テレホンショッキング」は誰か、おともだちを紹介しなければならない。
私は、有名人のおともだちはあまりいないのだが、脚本家の三谷幸喜《みたにこうき》さんを紹介させていただいた。
三谷さんはエライ。時々、そういうことを忘れそうになるけど、やっぱりエライ。
いつか、用事があって電話で話していた時、三谷さんが撮った映画の話をしていたのだが、三谷さんが「もう、次はないと思ってください」と言った。
私は、自分がインタビュアーになったような気がした。
「次はないと思ってください」
エライ人のフレーズだと思う。
こういうことってたまにある。
ウチの子が生まれた時、小田和正《おだかずまさ》さんに報告したら、ウチの子は九月二十一日生まれで、九月二十日生まれの小田さんと一日違いだったのだが、「残念だったね」と言われた。もちろん、私が小田さんの大ファンだから言われたのだけれど、これも、エライ人のフレーズだ。
あの……これ、断っておきますが、悪口を書いてるわけじゃぜんぜん、ないです。人の習性みたいなことだと思う。
この間、歌詞の打合せで久保田利伸さんと電話でしゃべっていて、最近、ウチの子は電話で相手に「のんちゃ〜ん」と言われると、相手が誰彼かまわず、とても喜ぶので「ちょっと、やってもらえます?」と言って、久保田さんに「のんちゃ〜ん」と国際電話で三回くらいやらせたのだが、のんちゃんは寝てしまっていたのだった。
「太っ腹ですね」と久保田さんはのんちゃんのことを言った。
おっ、いかんいかん。
やっぱり、代々木アリーナをいっぱいにする人を、こんなリカちゃん電話のように使ってはいけないんだ。
と我に返るのである。
武道館を連日いっぱいにする小田さんも、代々木アリーナをいっぱいにする久保田さんも、パルコ劇場のチケットをソールドアウトさせる三谷さんもエライんだった。しゃべってると普通にいい人たちなので、忘れてしまっているが。
そして、私も、たまに母親学級仲間の人たちなどと一緒にいると、知らないうちに、荷物を持ってもらってたり、私のスケジュール優先で集まる日を決めてもらったりして、イカンイカン、仕事じゃなかった、甘えてはイカン、と思うのだった。
ま、だから、こういうのっていつもの癖で、エラそうなこと言っちゃったり、細い道などでは、自分が先に歩こうとしちゃったりしますが、別に大したことじゃないんだと思う。
よく芸能人など、エラそうか、エラそうでないか、ということで、いい人かどうか語られることが多いけど、こういうのって、外見の一つに過ぎないくらい何でもないことじゃないんでしょうかね、実は。癖みたいなもので。本質とはそんなに関係ない。いや、見るからに俺はエライぞ、お前らとは違うぞ、みたいなやつは、論外ですけどね。
ところで、「笑っていいとも!」に出た日、ともだちが来て、ノッカを見ていてくれたんだけど、ノッカはテレビに出ている私を見て、号泣したそうです。
ちゃんと、ママだ、とわかって近寄っていったそうですが、テレビにさわってそれから号泣。
そこにいるのにさわれないから泣いたのか、箱の中にママが入ってしまった、と思ったのか。
それとも、テレビに出ている私はキャリアウーマンに見えて怖かったのか……。
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寂しさ
ウチの子供は、私よりダンナさんの方が好きだ。まだしゃべれないから、本人に聞いたわけじゃないけど、多分そうだ。
きのう、ダンナが帰って来ると、彼女はハイハイで私を乗り越えて、父のところへ直行した。障害物として扱われる母。
父が会社に出掛けると後を追って泣く。私の時は泣かない。
うすうす、気がついてはいたことだったが、かなりショックだった。
私が生んだのに……。私が育てているのに……。ダンナの五倍くらいは、私の方が手間《てま》隙ひまかけて、彼女の面倒を見ているのに。
のにのにのに。
これを読んでる人は笑うかもしれないけど、昨晩は、ショックで眠れなかった。
私は子供を生んで、とてもとても満たされていた。本当は心の奥底で、やっぱり子供よねえ……女は子供生んで、初めてパーフェクトにしあわせ、なんてことをちらっと思っていた。だけど、絶対、メディアには書かないぞ。子供生んでない人、敵に回すから、と思っていた。
しかし、きのう、眠れぬ夜につらつらと考えた。子供を生んで、子供といてこんなにも、しあわせ、と思ったのは、何のせいか……、そんな風に思った心の奥底にあるものは何か……といえば、「寂しさ」だったんじゃないかと。人間は寂しい。いつまでも寂しい。
ここで、白状してしまうと私はノッカとふたりでお昼寝の時、彼女を寝かしつけたりしながら、思い出すのは、大学時代の恋のことだった。
あの頃、私たちはパーフェクトな恋をしていたと思う。二限と三限のわずかな間を惜しんで彼と会い、そして三限の時間が来るのが、とてもせつなかった。ずっとずっとこうしてこのまま彼といたかった。
今、ノッカと昼寝をしながら彼女が寝ついたのを見届けて、ああ、私は仕事に戻らねば……と思うのだが、いやこのままずっとずっとこうして、ノッカといたい……と思う、その感覚は、あの頃の恋に非常に近い。
あの頃の恋とは百パーセント寂しさを埋めてくれるものだった気がする。
でも、やがて、時が経《た》ち、彼の言動にがっかりしたり不安になったり、自分の心や相手の心が変わったりすることを目の当たりにして、私たちは恋をあきらめた。それは百パーセント寂しさを埋めてくれる物ではなく、単なる若さゆえの幻想だと知る。
そして、ああ……人間ってひとりだなあ……と思ってて、やがて子供が生まれた時、ひとりじゃなくてふたりだ、と感動する。少なくとも私はそう思った。
ドラマが当たっても、業界にともだちがたくさんできても、結婚しても、やっぱり私は寂しかったんだと思う。
そして、子供を抱いた時、初めて、寂しさがなくなるのを実感したんだと思う。
だけど。ノッカは私よりダーの方が好きだった。
そして、そのうち、私よりクラスメイトの何々ちゃんの方が好きになり、やがてそのうち、××くんの方が好きになり、結婚して子供を生んで、親が体悪くして入院したりしても、自分のことが忙しくて一月に一度くらいしか、見舞ってくれなかったりするんだろう。
子供は親を離れる。というか、本当は今、現在も、子供は親とは独立した存在なんだ。結局、人間はひとりなんだと思う。
いつしか、私は、自分の子供を自分の寂しさを埋めるためのペット……というか、生きがいのような物に見立てて、やっぱり子供よねえ……と悦に入ってたんじゃないかと思う。
子供生んだくらいで、人生変わった、人生、わかったぞ、といい気になってたんじゃないかと思う。
結局、人間は経験で成長したり大人になったりするもんではない、と思った。何かを経験した時に、何を思い、どう考えるか、というところで成長していくんだと思う。
そして、経験に優劣はない。子供を生んだことがエライ、ということはやっぱりぜんぜん、ないんだと思う。
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子供の考え
先日、夫が出張に行った週末。
三日間、私は赤ん坊とふたりっきりでいた。
そして、気がついた。口数が少なくなっている。育児において無口になっている。
「ほーら、のっちゃん、おしめを替えますよ」とか「ミルク飲みまちゅか?」とか、お愛想なしのいきなりだ。さっさとおしめを替えて、さっさとミルクを飲ませている。
それは、コミュニケーションではなく処置、かもしれない。
病床の数の多いところを受け持った看護婦さんが、ニコリともせずもくもくと仕事をこなしていく気持ちが、今ならわかる。
こうして、私は不機嫌になっていくのである。そして、こうした殺伐とした空気を、赤ん坊もすかさず嗅《か》ぎ取るのだった。
むすっとした私。むすっとした赤ん坊。
ここに、第三者が現れる。夫だったり、私の友人だったり。
ふたりの膠着《こうちやく》した関係に風穴が開く。すると、露骨にニコニコするノッカ。母は複雑な気持ちになるのだった。
子供は敏感に人々の関係や雰囲気を感じ取る。この間、ある人と話していて「子供は、正直ですからね。お愛想笑いとかしないですもん。大人は、お愛想笑いをして、ウソばっかりついてて、嫌になりますよ、あの子供の澄んだ瞳《ひとみ》!」というような話をした。だが、帰って来て、ノッカを見て、私は、はて? と思った。
この子は本当に愛想笑いをしないのか……。たまに、しているような気がする。
たとえば。「いないいないばあ」をやる。ニカッと笑う。もう一度、やる。ニカッと笑う。もう一度、やる。笑うまでに間ができる。そして、その後、面倒臭そうに笑う。
この、面倒臭そうに笑う、というのがどういうことか、と言うと、笑わなきゃ悪いと思って笑ってるような気がするのである。
子供を持つ親ならわかると思うが、あなたはまだ一つにならない我が子に愛想笑いをされたことがないですか?
私はね、ありますよ。露骨に仕方ない笑ってやるか、的な笑顔。
やはり、子供は子供なりに考えているんだと思う。ここは、笑った方がいいんじゃないか……というようなことを。
赤ん坊には、まだ言葉はない。
しかし、考えることはあるような気がする。
人は、言葉で考える前に考えていると思う。言葉がなくても、考えることができるような気がするのだ。
たとえば……。
表に出て、タクシーを拾う。
渋谷方向に行こうとしているのに、そっち向きのタクシーがなかなか来ない。
いつもだったら、反対側を走っている車を止めて、すぐ近くの道でUターンしてもらうんだが、なぜか、その日は私はそれをしなかった。
なぜだろう。と五秒くらい考えて、そしてわかった。目的地が凄《すご》く近いからだ。凄く近いのに、わざわざ方向転換させるのが、申し訳ない、と思っているせいなのである。
頭でそれを考える前に、もう行動している。
こういうことって、たまにある。寒い冬。夫と歩いていて、ふと「探検隊みたいだ」と私は言った。何が探検隊みたいなのか、というと、夫の後ろについて一列になって歩いていたから。普通は、横に並んで歩く。なぜだろう……と思った、そして、思い当たった。わかった、夫を風よけに使っていたのである。このように、人は頭で考える前に、思わず行動していて、後から考えるとちゃんと理屈があるのだ。
ということは、言葉がなくても、ちゃんと頭は瞬時に考えているような気がするのである。
そして、子供は言葉がないから、このような思考を繰り返しているような気がするんだが、そんなことはないんでしょうか? そんな、頭、よくないか……。
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ウエルカムのんのん
やった。とうとうママと言ったぞ。私がトイレに行くと、後追いして(あとおい=赤ちゃんがママを追うことを、専門用語でこう言うらしいです)、トイレのドアをバンバン叩《たた》くようになったぞ。
長い長い片思いが成就したような気持ちだった。
しかし、ママと言ったことをうちのダンナさんは認めようとしない。気のせいだと言う。それどころかパパと言わせようとしている。
これだけ読むと微笑《ほほえ》ましいが、けっこうマジで熾烈《しれつ》な戦いが繰り広げられている。
この間の原稿で、のんちゃんは私よりパパの方が好きだ、と書いたが、敵が一週間出張に行っている間に形勢は逆転した。
一週間ぶりに帰って来たパパを見て彼女は泣いた。ふぉーっふぉっふぉっふぉっ。勝ち誇った笑い。
なんて次元の低い子育て……と思われるかもしれないが、人間というのは、シンプルなものだと思う。
結局、好かれれば嬉《うれ》しいし、嫌われれば、ケッと思って面倒なんか見ないのだ。
我が子はかわいい。私は、この連載の話を頂いたとき、こんなにかわいいと思う、その気持ちを瞬間冷凍して、たまには冷蔵庫から出して解凍して楽しみたい、と思って(俵万智《たわらまち》の歌みたい)、引き受けたのだが、子供を生んでメロメロ親馬鹿になってる姿はみっともないと思うあまり、ブレーキをかけすぎて、気がついてみると、瞬間冷凍されたのは、かゆかった話とか、散歩してて説教された話とか、なんだか、解凍しても楽しみようもない話ばっかりになってしまっている。そこで今日はブレーキを踏まないで、私の子供かわいい! という趣旨で、暴走しようか、と思っています。
たとえば、きのうの彼女のかわいさ。のんちゃんは、まだしゃべれないけれど、私とコミュニケーションすることはできる。
ふたりで寝ていて私が足でポンポンとお布団|蹴《け》ると、彼女もポンポンと蹴る。
ポンポンポンと三回私が蹴ると、彼女はウキャウキャと喜びながら、やっぱりポンポンポンと三回蹴る、というように。
……くだらないですか? くだらないですよね、すみません。
このように主観的にはとてもかわいい娘であるが、客観的|容貌《ようぼう》について、触れるとすれば、それは相当変化してきた。
七変化《しちへんげ》。赤ちゃんというものは生まれた時からどんどん顔が変わっていくのである。
うちの子は特に、母親学級仲間に会うたびに「のんちゃん、顔変わった〜!」と言われる。
どのように変わったか、あえて聞かない。
まだ新生児(生後四週間までのこと)の頃、初めて会った時、かわいい! と驚嘆されたような記憶があるので。
のんちゃんは、顔が太ったり個性的になったりしているような気がする。そして声がバカでかい。街に出て、「あ〜ら、かわいい赤ちゃんね」と言われる回数は、圧倒的に減った。
今ならわかる。街に出るたびに「かわいい赤ちゃんね」と言われたり、男の人に会うたびに「君ってかわいいね」とか「綺麗《きれい》だね」と言われてるうちに、こんなに言われるなんて、きっとこれって、ただのお世辞なんだわ、と人は謙遜《けんそん》モードに入るがそんなことはない。
容色が衰えた時、賛辞も比例して減っていく。私が今までの短い人生で学んだ事実です。
ということで、のんちゃんはどんどん大助・花子の花子のようになっていくのだった。そういえば、私は昔、ボーイフレンドに前髪上げると、大助・花子の大助に似てるよ、と言われたことがあるので、ふたりで、大助・花子ができるのだった。
そんな花子でも親はかわいく、両親で争奪戦が行われるわけですが、外から帰って来た時、ものすごく喜んで出迎えるのんのんだが、あれはあてにならない。ホテルのウエルカムフルーツと一緒で、来た人を出迎えるサービスのようなもん。ウエルカムのんのん。
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修 行
先週のこのページで、子供がママと言う、という意味のことを書いたら、九カ月でママと呼ぶなんてすごい、と人から言われたが、ママと言うことは言うが、実はママと私との間に相関関係はないです。私のことをママとわかって呼んでいるわけではなく、パパもママなら、食べ物もママ、飲物もママ、です。
彼女にとって「ママ」の意味は、WANTとかNEEDって感じですね。何かを激しく要求する時や、訴える時に「ママ、マンママママママ!」などと言います。
その時、すかさず頭の「ママ」二文字だけ抜き取って、「ママと言った! ママと言った!」と喜んでいるだけのことです。
さて、彼女は、最近、私のお腹の上で寝ます。
眠くなると私のお腹の上に乗って来て、そのままスーッと眠りに入るのです。
ダンナは「かわいいでしょう。あなたの妊娠出産を経てお肉をつけたそのお腹も、こうして役に立つんだねえ」と言いました。
冗談じゃない。ちゃんとダイエットで痩《や》せたんだ。でも、胃のあたり、若干のお肉がまだ残っているかも。ピタTはちょっときつくなりましたね、確かに。
で、夕方などノッカは私のお腹でスースー眠るわけです。
そりゃ、かわいいといえば、かわいいです。我が子がお腹で眠るとは、動物園のカバのようではありませんか(実際は知らない。イメージとして)。哺乳類《ほにゆうるい》の母としての喜び。私も哺乳類の一員で良かった、とこんな時は思います。人間としての母としての喜びは、母の日にもみじのような手からカーネーションをもらうことかもしれないが、哺乳類としての母としての喜びは多分、母乳育児と腹寝(ハラネ・造語)でしょう。ところで、母乳育児はとっくにリタイアです。
さて、このようにノッカがお腹で寝ている間、私はどうしているかといえば、ただ、カバのようにボーッとしているしかない。
これが、本当に動物園のカバだったら、親子で一緒に眠っている姿など、お客さんに喜んでもらって、ゴハンがもらえるわけですが、私たちは観賞用の哺乳類ではないので(考えてみれば、そんな哺乳類っていないのか)、こんなことをしてても、食べ物はもらえないわけです。
そして、貧乏性の私は焦ってくるわけです。
こんなことをしている間に、洗濯物も畳めるわ、部屋の掃除もできるわ、文春のエッセイも書けるかもしれない、次のドラマのキャスティングだって考えられる……ああっ、さっきからもう三十分もたった(時計をチラチラと見ている)。「渡る世間」の再放送が終わってしまう……とか思っているのだった。
頃合いを見計らって、彼女の体から自分の体をずらして起き上がろうとすると、彼女はすかさず私の雑念を察知して、ぎゃあと泣くのだった。
雑念。この間、休刊になるという「uno!」を読んでいたら、ミャンマーの寺で尼さんの体験修行六日間という記事があったのだが、修行の内容は瞑想《めいそう》を繰り返すことで、「座り瞑想」といって、どんな形でもいいから体勢を整えたらもう動かず、あとはただ、呼吸にあわせて上下しているお腹のふくらみとへこみに意識を集中して「ふくらんでいる」「へっこんでいる」と声に出さずに念じる、のだそうだ。ただ、それだけ。
うーん、ノッカにお腹で寝られた私は、これはミャンマーの修行に近いな、などと思うのだった。
私は自分のお腹がへっこんでいる、ふくらんでいる、とノッカが乗っているお腹を見て思っていた。これで解脱《げだつ》できるかも。
乗っかっているノッカが上下するから、これはミャンマーの瞑想よりもわかりやすいぞ。
それにしても、世の中の子育て中のお母さんは、こういう忍耐の時間を過ごしているんだと思うよ。大変なことだよ。
それでも、生まれてすぐの頃の抱いてなきゃ泣いちゃう状態よりは、ずっと楽になったけどね。
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基 本
先週末に、突然発病した。と書くと、何かこわい病気のようだが、ただの風邪。
しかし、熱は三十八度を超し、私はもともとの持病の腎臓《じんぞう》があるので、大事を取って、救急病院へ行った。
すると、若い女のお医者さんが(救急に出てるお医者さんって若い人が多いですよね)、木で鼻をくくったような(夫・談)診察をしてくれた。
「喉《のど》の痛みを取る薬が欲しいんですけど」
「そういう薬はありません」
「……。子育てなどしているので、そして、明日どうしても行かなきゃいけない仕事があるので(結局、パスした)、できれば、点滴などしてもらうと、楽になるかなと……」
「その必要はありません」
などという感じ。
熱は三日くらいで落ちついたけど、喉は痛いし、のんちゃんは泣くしで、本当につらかった。
入っていた予定も次々にキャンセルした。
予定をキャンセルすると、本当にやることがなく、その予定といっても、ともだちに会う、とか、ともだちが来る、とか、母親学級の同窓会、とか、雑誌の対談、とか取材、とかで、予定を外してしまえば、書くべき原稿とかほとんどなく(正直、この文春だけ)、要は私ってつくづく最近、仕事してないんじゃない? とちょっと蒼《あお》くなるのだった。去年からこっち、貯金を食いつぶしている没落貴族のようだ。
「ねえねえ、私さあ、最近思うんだけど、パチンコやっててすっごい出るじゃない。出たのがおととしまで。去年、のんちゃん生んでから、その出た玉をどんどんスッてる気がするんだよね。早く、早く、現金に換えなきゃって思いつつもさあ」
と、病の床で考えたことを発表したら、会社に出るところのダンナさんに、朝から嫌な話はやめてくれ、と言われた。
一週間、ほとんど寝たきりだったです。私。
こういう時、私は自分の基本に立ち戻る。
「体が弱い」という基本。
一昨年、書いてた連続ドラマ「ロンバケ」が終わってからフジテレビの人たちとニューヨークに遊びに行ったのだが、その時、あまりにも私の睡眠時間が長いのと、行動時間が短いことで、同行者に驚かれた。
「北川ってホントに本、早いのな」としみじみ言われた。
毎日、あれだけ休息を取っていて、よく脚本を書く時間があるなあ、という意味。
世の中には二通りの人間があって、点滴を見てホッとするタイプと、ゲッいやだ、と思うタイプ。私は、点滴見ると、とりあえずホッとします。これで楽になれるって。
最後はスタミナだ。ビビアン・スーじゃないけど。
こういう時、やっぱり自分は橋田壽賀子《はしだすがこ》さんにはなれないんだなあ、と思う。毎日二キロ泳いで、金曜日のたびに「笑っていいとも!」に出て、そして一年の連続ドラマを書いてしまう、橋田さんって凄《すご》い。尊敬する。
私は、一生、NHKの朝ドラ(ものすご〜く長い。原稿の量が多い)とか書けないんだろうなあ、としみじみ思う。
さて、そして私は大事に大事を取って、これは一週間、いや下手すると二週間くらい寝込むことになるだろう、とベビーシッター協会に電話して、ドドドドドドドッと向こう一週間の、朝の十時から夜の十一時まで、ベビーシッターさんを手配した。
そして、発病、一週間後の今日。
実は、もうほとんど治ったんだけど、頼んでしまったシッターさんが来てくれているので、出番がない。
隣の部屋ではシッターさんとのんちゃんが遊んでいる。ウキャキャと笑う声が何だか恨めしい。いいなあ……。
同じマンションに住むイラストレーターの安座上《あざがみ》さん(いつも、このページを立ち読みしてくれている)チに遊びに行こうにも、今日は土曜日で家族の日だろうし……。ウチのダンナさんは出張だし。
そして、こうして、文春のエッセイを書く私……。
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ベビーカーのデッドヒート
久しぶりにA川公園に、ベビーカーを引いて行ったら、夏が来ていた。あまりにもの暑さだったので、冷房を求めてとりあえず手前のNマーケットに入った。
黄色い西瓜《すいか》が置いてあって、外国人ばかりいるハイカラなこのマーケットは、きっと高いに違いないので、見てるだけ〜見てるだけ〜と、一昔前のコマーシャルのフレーズを心の中で繰り返しながら、涼んでいた。
すると、向こうからカッコいい青い目の少年がやってきて、おっ、ノッカ、ナンパしなよ、ナンパと思ったけど、彼女はまだ九カ月なので、ナンパはしないのだった。
ところでこのNマーケットでは週末の度に、ベビーカーのデッドヒートが繰り広げられている。
私も、少しはうまくなったよ。向かって来るベビーカーをかわしながら、ベビーカーを押すのが。
何も買わずに外に出るつもりだったのに、外国製のベビーフードが目に入ってしまい、それを幾つか手に取り、何やらパッケージのかわいいお尻拭《しりふ》きにも目が行き、それも手に取り、レジ近くではいつものタイ料理屋さんで飲むシンハービールが目に入り、おっ、さすがシンハービールが置いてあるよ、と手に取ってしまい、Nマーケットを出た時には、大した荷物になってしまっていた。
その荷物を持ってA川公園に行くと、どうしたって順番を間違えたな。公園へ行って、その帰りに買物をすべきだった、と思うのだけど、もう遅い。
私と同じように順番を間違えて先に買物をしてしまった、Nマーケットのでっかくて重そうな袋を持った女の子たちが、何人か散歩していた。
この公園は、近所で一番大きな公園なので、よくノッカを連れて散歩に来るのだが、観光名所としても使用されているらしく、ゴールデンウイークなどは人でごったがえしていた。
ゴールデンウイークに遊びに来ていたともだちが、ノッカを公園に連れて行ってくれたのだが、そこで今井美樹《いまいみき》と布袋《ほてい》さんのカップルを見たよ! サングラスして手つないでた! と感激していた。
そういえば、私はあまり有名人を見ない。ちょっと、悔しい。
いつものように、公園の入口のところで止まっている車のお店でオレンジジュースを買って、ノッカと飲んだ。
のんちゃんは、まだストローが使えない。吸う、ことはできるんだろうが、吸うと飲める、ということが彼女にはわからないので、使えない。ウチに来てくれているベビーシッターさんによると、九カ月児はネコくらいの知能なんだそうだ、二、三歳児で頭のいい犬と同じくらい、ということですが、これ、みなさんはどう思いますか?
私は、犬って頭いいんだな、というか子供ってバカなんだな、と思います。のんちゃんは、何回、耳掻《みみか》きをしてあげても、左耳がすんだら右耳を自分から差し出す、頭をクリンと反転させる、というようなこともしないので、おおお、バカよのお……と母は耳掻きの度に思っています。
三十分くらい鳩と戯れたりして、汗だくになって帰って来て、アイスノンのようにカンカンに冷やした部屋で一時間くらいノッカと昼寝をした。
私は思うんですが、子供を生んでしみじみよかった、と思うポイントは、公園の散歩中、木漏れ日の下、というのが、結構多いと思います。
面倒くさい離乳食を台所で作りながら、子供を生んでしみじみ良かったと思う人は、あまりいないと思う。
今日は暑さで辟易《へきえき》したA川公園の木の下のベンチでしたが、私は何度もここで、じい〜んとしあわせを実感しましたね。
ところで私はベビーカーにベルをつけたら便利だと思うのですが、チリンチリンと音がして、おっと振り返ると、それが自転車でなく、ベビーカーだと腹が立ちますか?
どうでしょう。
それと、全国の赤ちゃんのいるお母さんのために、代弁して言いますが、街の中でのくわえ煙草。あれ、やめて下さい。手でぶらぶらさせている煙草が、ちょうどベビーカーの赤ちゃんの顔のあたりに来て、散歩中のお母さんがたは、とてもびびっています。
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母親失格
「生まれて来てすみません」が「人間失格」の名フレーズなら、母親失格という場合は、「生んでしまってすみません」か「私なんかが母ですみません」って感じでしょうか。
つい、先日のことです。文春の方たちとお食事をして家に戻って来ると、夜の十一時。
ベビーシッターさんからのんちゃんを受け取ったのはいいが、彼女の機嫌がすこぶる悪い。抱っこしても泣く。あやしても泣く。添い寝してやっても泣く。とうとう切れた私は「一体、何が不満なの?! どうしたらいいの?!」
と本気で怒ると、黙ってしまったのんちゃん。
そこに、ダンナさんが帰って来ました。
おおっ、救世主だ。
ダンナさんが彼女を抱き上げたとたん、言いました。
「この子、熱いよ」
えっ?
熱を計ると三十八度九分。
えええええええっ?!
生まれてこのかた、こんな高熱を出すのは初めてで、ギョッとした私たちは、日赤の救急に電話しました。
すると、すぐ診てくれると言う。私がのんちゃんを抱っこしようとすると、さっき私が怒ったことを彼女は根に持っているようで、手を振り払われました。
落ち込んだ私を残して、夫はひとりで抱っこして、のんちゃんを日赤に連れて行った。
自己嫌悪。母親失格。三十九度の熱がある九カ月の娘に怒鳴ってしまった。熱があることに気がつかなかった。
いや、ホントは夕方出掛ける時に、ちょっと熱いかなと思って熱を計ると三十七度ちょっとだったのだが、まあ、そんな心配することもないだろう、と出掛けたわけです。帰って来ると、シッターさんが「お熱、大丈夫でしたよ」と言ったので、「計って頂いたんでしょうか?」と聞くと「いえ、抱いてた感じで……」と言われたので、それを真《ま》に受けて、安心しきっていたら、しっかり熱は上がってたわけです。
ずっと何十分も抱っこしてると、体温の上昇って気がつかなくなるんですよね。
なんて、言い訳です。このように私は、母に向かないわけです。キメ細やかなとこがないというかザツというか。周りの変化になかなか気がつきません。
その昔、見ていた不倫ドラマで、妻が夫の浮気に気がつくシーンがあったんですが、「あ……ネクタイの結び目…」と言うんです。
どういうことかというと、朝、夫が出て行った時のネクタイの結び目と、帰って来た時のネクタイの結び目の模様が違う。
ということは、夫がどこかでネクタイを外して、もう一度締め直した……ということがばれる。要するに、どこかで服を脱いだことがわかる……という描写があって、私はうなりましたね。私は、一生書けないですよ、こういうエピソード。
それどころか、実生活において、ネクタイの結び目が変わったことどころか、朝とネクタイが変わっても気がつかない自信があります。あ……今、思ったけど、これって奥さんが結んであげるから、気がつくってことなのかな。私、ネクタイ、結べません。自慢じゃないけど。
このように、私は一事が万事、気がつかなくて終わっていく性格なのです。夫の浮気に気がつかないのはいいことだけど(自分にとってはね)、娘の発熱に気がつかないのは、娘がかわいそうですよね。
そういえば、昔、傘を忘れるのと男を忘れるのは同じか、ということを考えたことがあって、私は、いたるところで傘を忘れて来るんですが、忘れられない男の人とか、皆無なので、やっぱり、それはイコールじゃないか、なんてことも思ったことがありました。
しばらくして、日赤からダンナさんとのんちゃんが帰って来ると、罪ほろぼしの意味も込めて、私は朝までのんちゃん抱っこして、額を冷やしました。
おかげで、次の日には七度五分に下がりました。ほっ……。
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女の人ということ
某週刊誌のある記事では、柴門《ふみ》さんと私は、スピッツのおっかけである、と書かれていたらしいが、別におっかけではありません。スピッツ好きですが。草野《くさの》さんの声は、なんというか夏のソーダ味のアイスキャンディーという感じがしますね。噛《か》んだ時、ちょっとキーンとして、でもさわやかで、甘くて懐かしい。過去に向かって、遠く遥《はる》かな感じがします。
で、この間、柴門さんと一緒にスピッツのライブに行ったんですが、開演時間ギリギリになって柴門さんが駆け込んで来て、いつも私より早く来る柴門さんが珍しいな……と思ってると、実は、今、家が大変なのよ、と彼女は言った。
おばあちゃんが庭で転んで足折っちゃってね、ということだった。おばあちゃんというのは、ダンナさん(弘兼憲史《ひろかねけんし》さんのこと)のお母さん。
柴門さんは一週間、おばあちゃんの病院に通いつつ仕事と家事をしている、ということだった。
柴門さんは柴門ふみだけど、「嫁」なんだな、と思った。
ちょうど、その日の前日、ウチではのんちゃんが三十九度の高熱を出した。ギリギリまでどうしよう、と迷ってたライブだけど、平熱に下がったので、私は出掛けて来た。しかし、やっぱりのんちゃんのことが気になっていた。
私は「母」だ。九カ月の娘の。
柴門さんは「嫁」で私は「母」。
それを引きずりながら、スピッツのライブを見ていたと思う。
少なくとも前半三十分は。
よく、男の人で「いつまでも少年のような人」と言われる人がいるが、女の人で「いつまでも少女のような人」と言われる人って稀《まれ》な気がする。
女の人は、男の人より、いつまでも少女のようでいることが難しいんじゃないか、と思う。
よくも悪くも「女」というのは、相対的な生き物で……というか相手があっての「女」で、たとえば、若い頃は好きな人がいてその人に対して「女」。結婚すると夫に対して「妻」。家の中で「嫁」。子供を生むと「母」。
その役割は男の人の「父」とか「夫」とかより、ずっと自分の中の領分を支配しそうな気がする。
「男」はもっと絶対的に「男」だから、生まれて死ぬまで「男」として生きていきそうな気がするが、「女」は「妻」になったり「母」になったり「嫁」になったりして生きていくわけである。
これは、世間のせいだけではなく、よく女の人は恋愛が全てになるけど、男はそうはならない、と言われるようなことともつながっている気がする。
たとえば、仕事を持つ女の人、というのがいて、自分の仕事のために、親の死に目にあえないと「なんちゅう娘だ」と言われそうだが、これが男だと「なんちゅう息子だ」ということにはならなくて、いや、男として仕事は大切だ、という哲学のもとに尊敬さえされそうだ。
子供が熱を出した時に、男が仕事をしていると「当たり前だ」ということになりそうだが、子供が熱を出した時に女が仕事をしていると「何をやってるんだ、母親のくせに」と言われそうな気がする。
これは単純に男女の差別、ということでは解決できないようなもっと潜在的な普遍的な問題のような気がする。
柴門さんは、今、新しい連載でディカプリオをイメージした少年の青春物の執筆に入っていると言っていた。
おばあちゃんの病院に顔を出しながら、それを書くことは男の人がおばあちゃんの病院に顔を出しながらそれを書くことより、大変なような気がする。
男の人はいつまでも少年でいられるけれど、女の人はほっとくとすぐ「妻」になったり「母」になったりしそうだ。
男の人は、自分の中の「男」の領分が大きいから。
私も子供を生んだ。それでも、次のドラマはやはりラブストーリーだ。大丈夫か?
スピッツの「楓《かえで》」に感動しているうちは、まだ大丈夫だと思う私である。
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のんちゃんの趣味
昨晩、夫とのんちゃんと私と三人で近所のちゃんこ鍋《なべ》屋に行った時のこと。
ちょっと顔のかわいい店員さんの男の子がいたんだが、なんと、のんちゃんは、ダダダダダッとハイハイで彼に近づいて行き、ニコニコニコと笑いかけるのである。
もう、こっちが恥ずかしいくらい露骨にニコニコ。
シャイな店員さんは、困ってしまってちょっと笑い返したあとは、うつむいてせっせとテーブルを拭《ふ》いていたのだが、それでものんちゃんは彼の側を離れようとしないのだった。
おい……頼むよ、ノッカ。
厨房《ちゆうぼう》まで追いかけて行きそうな勢いの彼女を、夫が抱いて連れ戻した。
そして、彼はショックを受けたのだった。ほっほっほっ、かわいそうに。
こうしてみると、私は、ダンナがショックを受けるのを生きがいにして生きている印象を受けるかもしれないが、そんなことはないです。
ちょっと、面白かったけど。
のんちゃんは、若くて顔がかわいくて、やさしくおとなしそうな(恥ずかしがり屋さん風)男性が好きなようです。
その、ちゃんこ鍋屋さんに来ていたお客さんの男の人にも、そのような風貌《ふうぼう》の人に興味を示し、近づいてキャキャキャと笑いかけていた。おい、ノッカ、その人は彼女連れだよ、気をつけるように。
ナンパ……。九カ月でナンパ。
末恐ろしい。
帰りがけに太ったお店のオヤジさん風の男の人が笑いかけたのに、彼女は見向きもしなかった。花火までもらったのに。
さて、こうしてみると、血は争えない、ということでしょうか。いえ、私はさすがにもうちょっと奥ゆかしいので、そんなすぐに、ニコニコ殿方に笑いかけたりはしませんが、趣味は共通している。
私も少年ぽいシャイな人が好きです。
スピッツの草野さんとか、B'zの稲葉《いなば》さんとか。あれ? ぜんぜん違いますか、ふたり。でも、私の中では共通してます。いつまでも青春の中にいて、青春を歌いつづける。ずっと年取らない感じがいいですね。若い男が好きってことでしょうか。
悲しいですね。
家へ帰って来たら、夫はあきらかにのんちゃんに対して心が冷めたらしく、仕方なくダッコをしながら小声でぶつぶつ何か言っている。
「悪かったねぇ〜、パパはちょっとのんちゃんの趣味とは違ったねえ……。まず、年が二分の一くらいだとよかったねえ……」
のんちゃんの趣味の人と結婚できなかったことを思うと、私もいささか申し訳ないような気もするが、そういえば、ウチに来た男の人の中にも、のんちゃんの趣味の人はいなかったんだろうなあ、と思った。ウチの兄。私の男ともだち。どれもこれも趣味ではなかったのだ。だから、あのちゃんこ鍋屋のような、のんちゃんのキラキラした笑顔は今まで見たことがなかった。
しかし、きのうは初めて娘と同性だということを実感しましたね。
このまま、彼女が育っていくとたとえば、SMAPの中では誰が好きというのでしょう。
私のカンでは中居くんだと思う。いえ、別に母の趣味を受け継いでいる、というわけではありませんが。拓哉くんはこわくて泣くと思うなあ……。
遊びに来たともだちに、その、ちゃんこ鍋屋の話をすると、「クレヨンしんちゃん」のひまわりちゃんみたい、ということだった。私は見たことないのだが、ひまわりちゃんもやはり、高速ハイハイでいい男のところに寄ってくんだそうだ。今度見てみよ。
「この子、絶対、ディカプリオ好きだよ」
と言ったら、ともだちは笑っていた。ウチのダンナはいやな顔をしていた。
でも、好きだと思うな、ディカプリオ。
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悪魔のささやき
一歳未満の赤ちゃんの事故死は年間で四百人位なんだそうだ。
育児雑誌に書いてあった。これを読んだ時、私はふと思った。
ホントかい……もしや、この中に二、三件は事故のふりをした他殺というのが混ざってんじゃないか……と刑事コロンボのようなことを考えてしまった。
他殺というのは、育児に疲れ切った母親が思い余って……という意味です。
危ないですね。危ない発想。こんな発想をするということは、そう、私は相当、育児に疲れていたのです。
私は、おととい、またもやキレました。「もう、どうしたらいいの?! いったい!!」とのんちゃんに対して怒ったら、ただでさえ泣いていた彼女は火に油とはこのことだ、というくらい絶叫マシンと化しました。
ジェットコースター続けて十回乗ってるくらいのテンションでずっとずっと泣きつづけた。
そして、私はずっとずっと放っておき続けた。
すると、救世主、夫がやっと帰って来て(だいたい、この人が悪い。いつも帰りは午前様)、彼女の絶叫は止《や》んだ。
このような文章を読むと、北川悦吏子ってどんな母親?! 母親以前に、いったいどんな人間? 人間として許せない、と思う人が多数、いるんじゃないかと思う。
いや、いないかもしれない。そう、育児って大変なのね、と同情的に読んでくれるのかもしれない。しかし、私は思ってしまうのだ。「こんなこと書くと、人でなしだと思われる」と強く強くびくびくする。
赤ちゃんは聖なるものだ(とみんな少なからず思っていると思う)。その、何にもわからない赤ん坊に対して、この仕打ちは何だ? 母親だったら泣いたら抱いてやるだろう、抱かなくてはいられないだろう、と思ってるのが世間様だと思う。
でも、母親だって母親の前は蝶《ちよう》よ花よの箱入り娘だったり、殿方にチヤホヤされた、若い今時の女の子、だったりしたわけだから、そうそう人(赤ん坊)の言うなりにはなれませんて。
その辺をわかって欲しい。
よく、結婚前の女の子が「私、結婚しないかもしれない。だって、結婚してしあわせそうな人って周りであんまり見たことないもん」と言うのを聞くことがある。
が「私、子供って生まないかもしれない。だって、周りで子供生んでしあわせそうな人ってあんまり見たことないもん」と言っているのは聞いたことがない。
結婚については「いやあ……結婚なんてしない方がいいわよ。いいことなんかなんもないわよ。ダンナなんて邪魔なだけだし……」なんてぐちるけれど子供のことを「いやあ、子供なんて生まない方がいいわよ。体型は崩れるし、ぎゃあぎゃあ泣いてうるさいだけだし……」と言っている人は見たことがない。
そんな風に子供のことを言っちゃいけない、という無言の抑圧があるんだと思う。実際のところは、結婚だってそんなに悪いわけじゃないけど、まあ、ぐちってみるかって軽い感じで言っているだけだったりもするだろう。しかし、こと子供に関しては、軽い感じでぐちれない何かがあるのだ。
子供を生むのはいいこと。子供はかわいいもの。女は誰でも子供にとっては世界一の母親であるはず。こういう意識は未《いま》だ根強いと思う。そして、世の中の赤ちゃんを持つお母さんたちはたまに、息苦しくなるんじゃないかと思う。
そりゃ、子供はかわいいさ。かわいいけど、二十四時間だよ。ノンストップだよ。
だから、たとえば、幼い子を持つお母さんが子供に対してすごくひどいことを一瞬、思ってしまったとしても、そんなにそれで自分を責めるのはやめてほしいと思う。
そんなことも思うよ、たまには。生んで、育ててあげてるだけで、オールオッケー、お母さんえらい、と私は思う……。
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母親と女
最近、のんちゃんは物を落とすのが好きだ。
テーブルの上の物をご丁寧にポトチョンポトチョンと一つ一つ、床に落とす。
ティッシュペーパーも箱から一枚ずつ全部、抜き出すし、シールが大好きで、いたるところにペタペタくっつけて回る。
拾うのは私。はがすのは私。
彼女が散らかす。私がしまう。
彼女が散らかす。私がしまう。
なんて、無意味な。なんて時間の無駄。
もしかして、私はOLというものをやったことがないのでよくわからないが、無能な上司についたOLの不満というのはこういうことかもしれない。
来る日も来る日もコピー。
しょうもない書類のコピー。
来る日も来る日も、のんちゃんが落とした物を拾う私。
のんちゃんが壁にくっつけたシールをはがす私。
のんちゃんがペッと吐き出して床に落ちた離乳食を拭《ふ》く私。
限りない、繰り返し。
こうしたところで形作られるのは、忍耐という母性であろうか。何だろうか。
私が、子供を持つ前よくドラマで、見たり聞いたり書いていたりしたあのセリフ。
「あの人は、母親になれない人なのよ。いつまでも女なの」
なんの疑いもなく、こういうセリフを受け入れていたが、今子供を持った私ははて? と思う。母親の対極にある物って「女」なのだろうか。
母親と女は両立できないのか。
そんなことはないと思う。母親が、綺麗《きれい》に口紅つけて出掛けて行くことは、時間的余裕があればできることだし、恋だってできると思う。
母親が愛《いとお》しく子供を見る目は、恋をする目とぜんぜん違うか、というと私は結構近いと思う。愛しい者を見る目。
母親と両立できないのは、女、ではなく子供な性格だと思う。
母は子供といる時、子供でいることは許されない。
私だって、物を拾うよりは落としたい。
しまうよりは、散らかしたい。
抱っこするよりは、抱っこされたい、と思っても圧倒的に赤ちゃんが有利である。
母は為《な》す術《すべ》もなく、物分かりのいい母親になるしかない。
だから、正確には、
「あの人は母親になれない人なのよ。いつまでも子供なのよ」
というフレーズが正しい。
人は、役割を演じていくうちに、だんだんその役割になっていくと思う。よく、専業主婦になった人が、私は××ちゃんのママ、とか××さんの奥さんと言われて、名前を呼ばれることがなくて悲しい、と言うが、その年で○○さん、と自分の名前だけ呼ばれることの方が、実はずっと厳しい状況だと思う。
役割をふられなくなった時、人は、立ち位置(立ち位置、というのは業界用語で、ドラマの時、カメラの前で役者さんが立つ場所のことを言います)が決まらなくて、不安になると思う。
私はまだまだ、キャリア十カ月足らずなので、母親という場所で右往左往しているが、仕事をする人としては仮にも十年はやっているので(脚本家になったのは数年前ですが、ドラマの仕事を始めてからはもう十年です)、そっちの方が、迷いはない気がします。
で、この間、仕事に出掛けた時、そうだ、仕事先に差し入れでも持って行くか、と近くのケーキ屋さんに入り、ケーキを買ったのですが、店員さんが新入りの女の子だったらしく、ものすごく包むのが遅い。私は、同じ働く者として、プロがプロらしくない、動きをすることにわりと厳しい。
打合せの時間に遅れそうになってることもあって「すみません…急いでるんですが…」とちょっとキツイ口調になってしまったんですが、バッグから取り出した革のサイフを開けると、そこにヒヨコのシールが……。
のんちゃんが貼《は》ったに違いない。思わず、心がなごみました。
こういうハプニングって、数少ない、母になっていいことの、一つですね。
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おばさんの定義
子供を生んでから、取材依頼のある女性誌のテーマが変わった。いや、相変わらず脚本家というお仕事、とか恋愛特集の取材は多いので、正確に言うとバリエーションが増えた、ということなんだが。
前はただの美容特集であったのが(どんな化粧品を使っている、とかそんなやつ)、結婚しても、子供を生んでも、綺麗でいるには……? とか、いくつになっても女でいよう、などという特集の取材が舞い込むようになった。このような取材を受けると自分が一気にオバサンの仲間入りをしたような気になるから不思議だ。
そうか。結婚して子供を生むと、綺麗でいることは至難の業らしい。これこれしても、あれあれしても、と逆接形が続く。
石狩《いしかり》川を逆に上っていく鮭のようなものだ。大変だ。
特集の定番として、いくつになっても恋がしたい、というのもある。さて。たいてい、こういう雑誌には、自分のことをおばさんと思った時に、おばさんになる、というようなことが書いてある。いつまでも若いと思っていれば、あなたは若くいられると。
ちょっと前に対談をした男性作家が「今は三十代がギャルって感じでしょう」と言っていて、なるほどな……とすると、今のこの時代、おばさんとは四十代からのことなのか……などとも思ったけど。ところで、私は自分のことをおばさんと思っている人がおばさんだとは思わない。
自分のことをいつまでも若いと思ってはりきる人の方がおばさんぽく見えることもあると思う。若いのにおばさんぽい思考回路の人もいると思うし。
私は、なんとなく恥、というか羞恥心《しゆうちしん》を無くした人がおばさんではないか、と思う。
たとえば、もういい年齢で、家庭もあるのに、自分の現在進行形の恋のことをとうとうと得意気に語るのは、やってることはそれこそ、いくつになっても恋なんだろうが、逆におばさん臭い気がする。「いえいえ、私なんか……」と言いながら、人知れず恋をしているのがいい。
ドラマに書いている恋愛は、自分の恋のことなんですか?
なんて聞かれても「いえいえ、まさか」と言ってるのが素敵だ。でも、デビューしたてのKiroroが、これは誰々にあてた曲です、なんて素直に語るのは感じがいいが。
私は、はりきるおばさんがこわい。はりきる若い子ももちろんこわいけど。
この間、安西水丸《あんざいみずまる》さんのエッセイを読んでいたら、水丸さんには、若い女の子がヒョロヒョロと寄って来るらしいのだが、二言、三言、水丸さんについての話をした後、「ところで村上春樹さんってどんな人なんですか?」と、必ず聞くらしい。お嬢様方はホントは村上春樹さんのファンなのだ。
これを読んだ時、私はこの女の子たち、オバサン臭い! と思った。こういうことって、なんとなくオバサン的だと思う。
というのは、実は、私も村上春樹さんのファンで、水丸さんとは、御仕事をご一緒させていただき、お食事したこともあるけれど、結局一度も村上春樹さんのことについては聞けなかった。自分が村上春樹のファンであることを悟られてはいけない、それは失礼だ、とストイックに自制してしまうのだ。
帰って来て、キィ、悔しい。今回も聞けなかった、と思うのだが、私はそういう自分がちょっと好きだ(と言いつつ、こんなとこに書いては意味がないが。いえ、でも水丸さんはとても素敵な方でした)。
ところで、子供を生んでから、変わったね、と男の人に言われることがよくある。ほら、前にも書いたけど、人はストーリーを求めていて、男の人はよりロマンチックだから、よりそういうことを言う。その中で「いやあ、若い子と張り合おうという気がすっかりなくなった感じが、その引いた感じがいいですね」と、言われたことがあって、なるほど、不思議な褒め方だと思った。
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子育て
つい先日、お化粧品のCM出演依頼と洋酒メーカーのCM出演依頼が続けて来た時、私は少々いい気になって、帰って来た夫に「ねえ、家に帰って来ると素敵で優秀な妻がいるのってどんな感じ?」と聞いてみた。
すると夫は「僕には素敵で優秀な妻はいない」と言ったので、私は「じゃあ、家に帰って来ると優秀な妻がいるってどんな感じ?」と謙遜《けんそん》して形容詞を一つ抜かして聞いてみた。
すると彼は「家へ帰って来るとお猿がうるさい」と言った。
お猿とは私のことである。
私は岐阜の山猿として彼のところにお嫁に来たので、今さらどんな素敵なコマーシャルの出演依頼が来ようとも、家の中ではひっそりとお猿として生息していくしかないのである。
で、コマーシャルですが、ああいうのはたいていコンペで、コンペというのは競合のことで、競合というのは文字通り競合なので、勝ったり負けたりするんです。
それで負けることの方が圧倒的に多い、ということを私は知りました。だから、打診が来た時点でコマーシャルの依頼があった、と人に自慢すると、実現しなかった時にカッコ悪いわけです。が、逆に言うと、たいてい落ちるのでコンペにかかってる間に自慢するしかない! ということになり、最近は、打診があった時点で、どんどん人に自慢しています(主に夫)。
いえ、そんなことはどうでもいいんですが。のんちゃんと一緒にパンパースのCMというのはちょっと心動いたな。夫に反対されてやめたけど。
さて、その、のんちゃんですが、もうすぐ一年です。ここで白状しますが、私はこの一年というもの、のんちゃんの世話と仕事にあけくれ、ハタッと気がつくと、しつけ、というものをぜんぜんしていませんでした。
しつけ……。しつけって、あの……必要なんでしょうか?
だいたい、この「おんぶにだっこ」のことを「子育てエッセイ」とどこかで言われる度に、違和感を覚え、正直に白状すると、私はのんちゃんを育てている気さえなかったのです。
一緒にいる。一緒に住んでいる。彼女はまだ小さいのでできないことを世話をしてやる。このくらいの認識でした。
どうも、何か自分が物……じゃないか、人を育てるというのがおこがましいというか。ピンと来ないということもあって(私は脚本も、弟子など取らず、人を育てる気は毛頭ない)、ただ、一緒に仲良く暮らしていければいい、と思っていました。
が、ある日「あんた……もしや、狼《おおかみ》のようにのんちゃんを育ててるわけじゃないだろうねえ」と夫に言われ、ハッとしました。
そういえば、その通り。このままではのんちゃんは狼に育てられた狼娘になってしまうのかもしれない。
ベビーシッターさんに「お母さん、のんちゃんはお食事、どこに座ってするのでしょう」と聞かれると、えっ、食事ってこんなちっちゃいうちから座ってするの? と蒼《あお》くなりました。
ちなみに、キッチンを這《は》いながらとか、廊下の片隅でだとか、気のむくまま、好きな物を食べているのんちゃんでした。
いかんのか。こんなことでは。いかんのか。
私は、二十歳を過ぎた娘さんで、イタリア料理屋さんなどで、ブバブバ言いながら、椅子《いす》にも座らないで床に座りこんで物を食べている人を見たことがなかったので、大丈夫だ、大人になったら必ず直る。どうせ大人になったら椅子に座ってナイフとフォークで食事せにゃならんのだ、小さいうちくらいいいか、と思ってたんですが、いけなかったのか……。
大人になっても直らない、そうだな、箸《はし》の持ち方くらいは来る時が来たら教えよう、と思ってたのですが。
そういえば、のんちゃんは靴を履くのも、よだれかけも嫌いだ。束縛に通じるものを嫌う。
私が無理強いしなかったからだ(公園では裸足《はだし》で歩かせてた)。
野生なのか。
このままでは、本当に狼娘になってしまうのか、のんちゃん。
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子育ての風景
さんまの「恋のから騒ぎ」見ていたら、耐えられなくなって二十分で消した。
ああ、心が弱っている証拠だと思った。私は、あれを心の健康のバロメーターにしている。
心の調子がいい時は、最後まで見られるのだが、精神が参ったり疲れたりしていると、半分くらいで持ちこたえられなくなってやめる。夫が聞くクラシック同様。
とうとう私は鶴の機織《はたお》り状態に突入した。
鶴の恩返しの鶴が、部屋で自分の羽で機を織るように私は私の仕事部屋で、原稿を書くのだ。
連続ドラマの執筆に入ったのである。連続ドラマを書くのは大変です。ぐわあ、と神経を集中させて架空のお話を頭の中に繰り広げるので、その間の私というのは、殺気立っていて、とても人が声をかけられるものではない。
でも、時々、コンコンとノックの音がして「すみません、のんちゃんのよだれかけはどこでしょう」とベビーシッターさんは聞き、時々、気まぐれに母追いをするようになったのんちゃんが狂ったように仕事部屋のドアをドコドコ叩《たた》き、絶叫するのである。
たまんない。
で、この文春にも弱気なエッセイが増えて来た昨今、母親学級の友人が電話をくれた。
そう……私は、母親学級というものに通ったんだよ。去年。
区がやっている母親学級。あれはなかなか新鮮だった。大人になると物を習うということがないので、そして私はカルチャーセンターなど、行ったことがないので(続かない)、今さら人に何かを教えてもらう、ということがとてつもなく新鮮だった。
ちゃんと、四回全部通った。
ノートも取った。人形を使って、赤ちゃんのお風呂《ふろ》の入れ方、というのもやった。
その時、受講生のひとりが前に出て実習したのだが、茶髪で綺麗《きれい》なオネエさんが、こわごわと人形をお風呂に入れていたのが忘れられない。
バリバリイケイケだった彼女も、子供を生んで育てるという未知の経験の前では、従順な少女になる。
本物の赤ん坊でもないのに、ただのお人形なのに、おそるおそる慎重に、教えられるままにお湯をはったたらいに入れていた。なかなか、感動する図だ。
私たちは、母親学級でいろんなことを教わり、ほとんどのことは有意義だったが、ドーナッツ枕、あれは使わない方がいいと言われたけど、使った方がいいと思います。
おかげで、今、のんちゃんの頭は新生児期の寝癖のせいで三角形だ。もう直らないかもしれない。ごめんよぉ。
あと、何を買って何を買うべきでないか、ということも学んだ。
無駄にお金を使わないためだ。
たとえば、生まれてすぐに使うヨーランという物がある。要はゆり籠《かご》だ。実用的ではない。ベビーベッドがあれば十分だ、という先輩(子供を生んだことのある友人)たちのアドバイスもあって、私は買わなかった。
実際、必要ない。が、ある作家のエッセイを読んでいたら、ゆり籠の白いレースのフリルから、もみじのような小さい手がのぞいて、そしてまた消えた。というフレーズがあり、羨《うらや》ましかった。
それは、どう考えても無機質なベビーベッドの上に手が覗《のぞ》くよりも、景色として美しいだろう。
ゆり籠とか、白いレースのおくるみとかは、赤ちゃんのためにあるんじゃなくて、母親に残る、綺麗な記憶のためにあるのかもしれない。
こういうことって実はけっこうあって、雛人形《ひなにんぎよう》なんてのも半分は親の満足なんだと思う。
その昔、二十歳になった頃、私たちは成人式の振袖《ふりそで》を買ってもらったが、同級生の女の子で、私はそんな物必要ないから、グランドピアノ(ピアノが凄《すご》いうまい子だった)を買ってもらった、という子がいて、それはいいアイデアだ、と思っていたが、成人式の振袖も、半分は親のためのもんだったんですね。
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淋《さび》しがり屋
きのう、渋谷のパルコブックセンターで自分の本をチェックして(そう、私は本屋に行く度に自分の本が置いてあるかどうかチェックする)、東急ハンズでマレーシア製のポップでかわいい目覚まし時計を買い、夕方の渋谷を歩きながら、ハッ、私、渋谷の街をひとりで歩いてるのにナンパされない、と思ったが、おいっ、何言ってんだ、もう三十六だよ、と自分にツッコミを入れた。
そうか、三十六か……仕方ないな。
こう書くとまるで若い頃はナンパされまくってたみたいだけど、いや、たまに稀《まれ》にあったというだけです。
さて、子育てと連続ドラマの執筆で忙しい私が、なぜ渋谷の街を歩いていたかというと、渋谷ビデオスタジオで打合せがあったからだ。三時から始まった打合せは六時二十分くらいに終わった。このまま、ゴハンに流れるのかな、と私は少し期待したが、みなさん忙しいらしく、私はとっとと帰された。
ベビーシッターさんを夜までお願いしてあったので、久しぶりに渋谷の街をひとりでふらふらした、というわけです。
ところで、私は子供ができるまでは、毎日といっていいほど、夜は外で誰かと食事をしていた。これでは、夫婦|団欒《だんらん》の時間が持てん! ということで、土日はなるべく家にいるようには心がけてましたが。まるでゴルフや接待で忙しい会社のオヤジみたいだが、それくらい毎日、食べたり飲んだりしていたわけだ。
淋しがり屋。スケジュール帳の空白は孤独の印のような気がしていた。
しかし。子供を生んで、連ドラ執筆に入った今は、ほとんど、家でごはんを食べる。ダンナさんは遅いのでひとりで。人にも前ほど会わない。それでも、別に苦痛でも何でもなくなった。私の淋しがり屋は直ったわけだ。
人は生活にも慣れていくもんだね。
ところで、子供はみな淋しがり屋である。ウチの、のんちゃんはひとりでなんかいられない。
私の姿が見えなくなると泣く。
ベビーシッターさんがいなくなっても泣く。ダンナがいなくなっても泣く。
ひとりが嫌いだ。
よく、赤ちゃんは泣きながら生まれて来る、笑いながら生まれてきた赤ちゃんはいない、と言いますが、それを言うなら、赤ちゃんはみんな淋しがり屋だ。
ひとりぼっちが嫌いだ。いくらハードボイルドの孤独を気取った男性でも、生まれて半年の頃、俺はひとりでいるのが好きだった、とは言わせないぞ。
ということは、人間はホントはみんな淋しんぼうなのかもしれないね。
そんな、のんちゃんの、甘えたい攻撃を上手にかわしながら、私は日々、仕事にいそしんでいます。
夜、仕事が終わってからのんちゃんタイムとなり、彼女とウォーターベッドの上でプロレスごっこをやるのが、最近の私の息抜きです。もうすぐ一つでヨチヨチ歩きをするのんちゃんは、最近めっきり女の子らしく、バッグを持って歩いたり、持ってる物を「ハイ」ってな感じで、人に渡すようになった。
乳児の頃、最初の赤ちゃんの好意の示し方は「笑顔」だったかもしれないがその次は「人にものをあげる」だ、きっと。
そういえば、E.T.も人間と会ったファーストシーン、チョコあげてたよね。
人の初めてのコミュニケーションは、赤ちゃん同士を見てるとわかるんだけど、人に物をあげる、人の物を取る、そのどちらかですね。赤ちゃん同士の喧嘩《けんか》の発端は、人の物を取る。これがほとんど。
人生で大事なことは全て砂場で学んだ、というが、本当に三歳までに、性格が決まってしまうとすれば、のんちゃんももう一歳。三分の一は決まってしまったか。
だとしたら、これから三歳までものすごい勢いで取り戻さなくては。手遅れか?
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のんちゃん、ホテルに泊まる
のんちゃんには今年、夏休みがなかった。
お母さんは(注・私のこと)、ドラマの執筆に入り忙しく、お父さんは貧乏暇なしで忙しく、よって自《おの》ずと、自動的にのんちゃんにも夏休みがなかった。
彼女がした夏休みらしいことといえば、同じマンションに住むイラストレーターの安座上さん家のベランダでやったビニールプールの水浴びと、マンションの一角にある小さな公園でやっぱり安座上さんとその息子、楓《かえで》くん(一つ)とやった花火だけだった(その花火でさえ、いつかちゃんこ鍋《なべ》屋でもらったもらい物だ)。
そんな、のんちゃんにも、初めてのお泊まりの日がやって来たわけだ。のんちゃんは今まで、生まれたS病院と、育った広尾のマンション以外で、お泊まりしたことがなかった。
それが、今回、引っ越しするにあたって、引っ越し屋さんが二日かけてやるというので、寝るとこがなくなった私たち家族は、引っ越し先の近くのホテルの和室を取ったのだ。
のんちゃん、もう、生まれて初めての畳が嬉《うれ》しいのかなんなのか、ホテルについてすぐは、ぐるぐるぐるぐる六畳間(そう、意外と狭かった)をトテトテトテトテ狂ったように走り回っていた。トータル十五周、くらい。(あっ、報告が遅れましたが、ウチの子はあんよするようになりました。祝・あんよ!)
で、しかし、夜が来てその六畳間にお布団がぎっしり敷きつめられた頃から、ものすごく機嫌が悪くなった。
ギョーギョーギョーギョー泣きなさる。泣きなさる、泣きなさる。
抱いても、すかしても、歌っても何しても。
そして、ドアを自分で開けたがる。どうやら、外に出たいらしい。もしかして、お家に帰りたいのかい? 君は。
と母は思う。
私は、仕事道具を持って入ったにもかかわらず、ぜんぜん仕事にならなかった。
のんちゃんが泣きわめくので、夜に、彼女をベビーカーに乗せて、ホテルの庭園を散歩したのだが、そのライトアップされた庭園は、ホテルの割烹《かつぽう》やレストランや素敵なバーの窓に面していて、散歩するためのもの、というよりは、ビールを飲みながらホッとする人々の目を喜ばせるためのものだった。
こわかったろうな……。お酒を飲みながら、ふと優美な日本庭園に目をやると、そこには髪を振り乱した女が(筆者注・この私)、右手には赤子を、左手にはベビーカーを抱えて、ふらふらと散歩しているのである。側には、滝も池も。
真夜中。泣き叫ぶ赤子を手に、滝のわきに佇《たたず》む私。
なんか、犬神家の世界である。
いえ、雰囲気ですが。
普通さ。夜さ。そんなとこにさ、人はいないのさ。
それも、子供抱えた女が。
ベビーカーになぜ子供を乗せないか、というと、のんちゃんはベビーカーに乗せても、五分でお飽きになるのだ。そして、荷物は二倍になり(のんちゃん&ベビーカー)体の弱い私は、ますますふらふらするのだ。
ご機嫌取りのために買った、ハーゲンダッツのバニラアイスもペッと吐き出された。
もし、私があの小《こ》洒落《じやれ》たバーでカクテルを飲んでいて、ふとライトアップされた庭に目をやり、そのような光景に出会ったなら、とても恐ろしいと思う。
ここで、彼女を口説くぞ、と思っていた青年などは「きゃーっ何?! 私、今、こわい物見ちゃった」と彼女などに言われて台無しになったことだろう。
ごめんなさい。
次の日、やっと新居についたのんちゃんは、新しい家が不安だったのかお布団の中で、母を後ろ足で確かめながら寝た。
後ろ足とは、向こう向きで寝てるくせに、足は後ろに軽く折り曲げられ、こちらにいる母をすりすり触っているということだ。かわいいけど、少し小馬鹿にしてない? 私のこと。
なんで、全面的にこっちを向いて寝ない?!
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のんちゃん初体験!
つい先日のこと。
ベビーシッターさんが「のんちゃん、冷蔵庫に入っていたプリン、あげたら、キャッキャッ言って食べました!」と興奮した声で報告してくれた。
私は「そうですかぁ、どうもぉ」と平静を装いながら、顔は思い切りひきつっていた。
そのプリンは、のんちゃん初体験プリンなのだ。生まれて初めてプリンを食べるのだ。わざわざ恵比寿《えびす》のパステルまで行って、買って冷蔵庫に冷やして置いたのだ。
こうして、のんちゃん初プリンはベビーシッターさんの手によってなされた。
どなたのだったか忘れたが、子育てエッセイで、近所の子供にチョコレートをあげてしまって、はっ、マズイ、この喜びようは、もしや初では。と、その子のお母さんに申し訳ないことをした、というのがあった。
この前、のんちゃんはブランコに乗った、初ブランコ。やはりそれも、ベビーシッターさんの手によって、なされた。
「のんちゃん、もうキャッキャ喜んで」
ガーン! ブランコは、初ブランコは、私が乗せようと思ってたのに……。
ウソ。うそだけど。そんなことわざわざ思ってたわけじゃないけど、初めてで喜んだ、と言われると突然、ああっ、それは私がやるはずだったのにぃっと、母はすねるわけである。
初滑り台。
初いないいないばあ。
初バナナ。
初|甲斐路《かいじ》(なぜか、ぶどうといえば甲斐路が大好き、のんちゃん)。
私は、いろいろな初○○をあきらめてきたことになる。結果的に。仕事をしながら子供を育てる、というのはそういうことである。
悲しいよ。ママは。
いろいろな決定的瞬間を見逃し、他人《ヒト》が、それを見ていて教えてくれるわけだよ、くすん。
キャッキャッ言って、滑り台で滑った、という話を聞いた私は、ドラマの本を書きながらいても立ってもいられなくなって、もう凄《すご》い勢いで親の仇《かたき》のようにワープロを打ち、脚本を上げ、プロデューサーに褒められ、暮れかかった夕方、のんちゃんをベビーカーに乗っけて、近くの公園まで連れて行った。
それは、まるで暮れかけた夕方にディズニーランドに辿《たど》りついたカップルのようで、ものすごいスピードで、いろいろなアトラクションを乗り回す私たちであった。
ほら、のんちゃん、あれもやるよ、これもやるよ。
滑り台もやった。
あんまり、キャッキャ言わなかった。
ブランコもやった。ぜんぜんキャッキャ言わなかった。
やっぱり、初めてじゃないせいだろうか。
そして、彼女のマイブームが去るのは恐ろしく早い。
赤ちゃんのマイブームは一週間で変わる。気まぐれなB型の私よりずっと早い。
私は暮れなずむ公園にのんちゃんを抱いて佇《たたず》んだ。
今はのんちゃん、見時《みどき》かもしれない。一歳になるのんちゃんは日々、すごい勢いで成長、変化していて、きっとずっと一緒にいると決定的瞬間にいっぱい出会えることだろう。
そうしたら、きっとこのエッセイにももっと面白いことがたくさん書けるかもしれない。
しかし。私はそれだけで生きていくわけにはいかない。
山があるから登るように、この世にテレビドラマというものがある以上、私はドラマを書くのだ。
いや、正確には発注があるからだけど(ありがとう。フジテレビ)。
そして、正確には文春の原稿料だけでは、家のローンが払えないからだけど。
そういえば、自分の子供に海を初めて見せる瞬間のために、テレビとか本とかで海を一切、見せず、三つになった時、本物の海に連れて行った、という話もあったなあ……。しかし、親ってほとほと子供の喜ぶ顔、驚く顔が見たいんだなあ……。
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夜中に人を呼ぶ
仕事でちょっと嫌なことがあって、その夜、私はのんちゃんと入った布団の中で、砂を噛《か》むような気持ちだった。
「それはどうせ今日の気持ち。明日にはもう違う今日の気持ち。だから、大丈夫」とか何とか私は一人、布団の中で韻を踏みながら(踏んでない?)詩を詠んでいた。
どうしようかな、ノート書き留めようかな、書き留めるまでもないかな、今一つかな、などと思いながら。
私には、近い将来、詩集を出して一発当てよう、という野望があるので。
そんな詩じゃ一発当たらん!
と思った読者の方々も多いと思うが、思い浮かんだのはもっといいやつだったのだ。睡魔に負けて書き留めなかったので、正確に思い出せないのだ。
時々、忘れてしまうようなことは大したモノではなかった、と物書きは自分を慰めるが、私はそんなことはないと思う。睡魔に負けた名文や名アイデアが、この世にはたくさん存在すると思う。
で、次の日の夜。
ホントに、ものの見事に昨日の夜とはまるで違う気分の私だった。一日待ってみるもんだ、世界はこんなに変わる、ということではなくて、実はもっともっとひどい状況が私を襲っていた。
お昼過ぎ、取材を兼ねた食事から帰って来ると頭がズキズキと痛み出した。
夕方、痛みはもっとひどくなり、吐き気がしてきて、食べたものをみんな戻した。
夜、なんかもう寝ても、立ってもいられない。うめき声を出さなくてはやってられない、というくらい、頭痛、吐き気共にひどくなる。体が震える。
やばい。これはもう、なんちゅうか、ちょっと普通じゃない。
もしや、明日の朝には脳溢血《のういつけつ》か何かでこの世の人ではなくなってしまうかもしれない。
夫を、夫を呼ぼう……。会社に電話。出ない。行方不明。
そうだ、ともだちだ。確か、すごく近くに住んでいるともだちがいた。彼を、呼ぼう。携帯の番号、聞いてたはずだ。
こうして、私は夜中に人を呼び、救急病院に連れて行ってもらった。
私は三田《みた》に住んでいて、彼は飯倉《いいぐら》なのですごく近いと思ったが、彼は新宿で人と会っていて、そして、そこから駆けつけてくれた。ちょうど、今度一緒にドラマをやるプロデューサーもその場にいて(私が呼んだ人はフジテレビの人なのだ)、プロデューサーまで来てしまった。
申し訳ない。夜中に。救急病院に連れて行ってもらって。
しかし。どうしたわけだか。救急病院についたとたん、安心したのか何なのか、痛みがガタンと止《や》んだのだ。どうしよう。もうちょっと、なんとか痛いふりをしないと恰好《かつこう》がつかない。
いくら何でも夜中に人を呼んで、救急病院来といて……。
結局、診察の結果、私は胃薬を出され帰された。胃薬……あの……胃薬……?
救急病院、必須《ひつす》アイテム、点滴は、やってもらえなかった。
私を病院まで連れて来てくれた、彼らは笑っていたけど、もしかして心では怒っていたかもしれない。
そして、第三者に言われて気がついたが、私はともだちのつもりで呼んだが、彼はフジテレビの編成として、お仕事として来てくれたのかもしれない(私は、次、フジのドラマを書くので)。
それは、ちょっと悲しい感じだが、まあ、いいか。
とにかく、誰か来てくれただけでも。
帰りの車の中で、「でも『男女七人』で、大竹しのぶが、お腹痛くて、橋の向こうに住んでるさんまちゃん呼ぶの、わかるよね。やっぱり、近い人、呼ぶよ」と言うと、なるほど、という話になったんだが、普通、大人は人、呼ばないって……頭、痛いくらいで。
以前、子供といると子供でいられなくなる、という話をこのページで書いたけど、子供といない時、こうして従来の子供的性格が爆発するのだった。
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赤ちゃんと猫や犬の関係
散歩の帰り道。ベビーカーに飽きたノッカを抱きかかえて、家路に向かっていると、向こうから小型犬を抱いた男の人がやって来た。あっ、軽そう、いいなあ……換えてもらえないだろうか、と私は思った。
小型犬は重くても三キロ。のんちゃんはもう今や、十キロ近い。
スーパーで5キロ入りの米袋、2つ買って担いで散歩しているようなものだ。私、力こぶできたよ。
私は、独身の頃、ホントは小型犬か猫を飼いたいと思っていた。が、嫁に行ってない三十女が小型犬や猫を飼う、ということが示す世間的な意味を考えると、どうしても思い切れなかった。淋《さび》しい三十女というレッテルが貼《は》られるのは目に見えている。
で、結婚したのでそろそろ念願の犬でも……と思っていたら、子供ができた。すると、めっきり犬や猫が欲しいという欲求は薄らいでしまった。
ウチの子は今、一つですが、たとえば、寝る時。
私と一緒の布団で寝る。夜中にトイレで目が覚める私。布団を見渡すが、のんちゃんどこにもいない。どこで寝てるか一瞬ではわからない。
部屋のスミの方の、もはや、お布団ないところ(床)で、丸くなって寝ている。
この感じは、大学時代、飼っていた猫に近い。
甘えん坊ちゃんな時は、私の首にくるまって寝る。
ものすごく暑い。これも猫といっしょ。
だから、私の猫や犬を飼いたい、小さい物をかわいがりたい、という欲求は全て、彼女で満たされたわけである。
まあ、赤ちゃんと小動物は近い、という話です。
しかし、自分の子供のことを子犬みたいなもんよ、とは言えますが、他人の子供をそういう風に言うのは、何か失礼なのでこの手のことは気をつけて発言しないといけないですね。もう、誰か怒ってますか? これ読んで。
しかし、たとえば、スーパーなどに行って、おむつやミルクを探す時、思わずドッグフードや、猫のトイレの砂、近辺を探している自分に気がついて、ハッとすることはありませんか? お子さまのいるお母さま(呼びかけ)。
私は昨日、そうでした。そして、結構、その近辺で見つかるんだな、これが。どういうことだ。その近辺で見つかったら見つかったで、このスーパーはどういう了見だい、人間の子供はペットと同じ扱いかい、人権を認めてないんじゃないのか、とか思うんだけど。いや、思わないか……別に。
しかし、人権(?)というものはいつから認められるんでしょう。やっぱり、赤ちゃんは人とは違う扱いだと思うんです。
たとえば、赤ちゃん連れで道を歩いている。
「あ〜ら、かわいい赤ちゃんね」と人は声をかけます。
しかし、たとえば、綺麗《きれい》な奥さんを連れて歩いている男の人がいるとして、
「あ〜ら、美人な奥さんですね」
とは、誰も言わない。
美人だな、と思ってもみな心の中で思っているだけ。
赤ちゃんは、かわいいと思ったら「かわいい」と見ず知らずの赤ちゃんだけど、言うのが許される。
これ、やっぱ、犬や猫と同じだと思う。
「かわいい、ワンちゃんですね」
ってオッケーですもんね。
いきなり、「かわいいね、君」って、成人した女の子に言ったらあやしい変態なのに。
赤ちゃんはいつから人間になるんでしょうか?
そして、人間になったら、かわいくないんだろうな。
娘や息子が小学校四、五年になって可愛《かわい》げがなくなる頃、犬を飼い始めるご家庭って多いらしいです。
ところで、ウチののんちゃんは芸を仕込んでないので、お座りもお手もバイバイもできません。あれ……しかしなんでバイバイをする犬っていないんでしょう。教えればやるような気が……。
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のんちゃんの行く末
きのう、『踊る大捜査線』の映画を観に行ったら、結構、感動した。
『踊る大捜査線』というのは織田裕二《おだゆうじ》さん主演のテレビドラマで、今では人気シリーズになり、季節の変わり目、改編期には、スペシャル版を放送している。
それが今度、映画になったわけだ。完成披露試写会を観に行ったので、映画が終わってから、織田裕二さんらキャストとそしてメインスタッフの舞台|挨拶《あいさつ》があった。
『踊る大捜査線』のプロデューサーの亀山《かめやま》さんは、私がフジテレビで仕事をする時、いつも一緒に仕事をしている人で、私は今まで彼と「ロング バケーション」や「あすなろ白書」などを作って来た。
亀山さんは私なんかよりもずっとキャリアが長く、業界では私が脚本を書き始める前からのビッグネームで、その昔には「教師びんびん物語」などというヒット作もある。年もいくつも上だ。
今でこそ、そのようにエライ人だが、彼にも名もない青年時代というのがあったわけだ。いや、知らないけど、多分。
まだ大学に通う頃から、映画大好きの映画青年で、何だか有名な映画監督のところに、弟子入りさせてくれと玄関に座り込み、そこの犬のエサを作っていた、というような話を聞いたことがあった。
だから、大勢の人の前でスポットライトを浴びて、舞台挨拶をする亀山さんを見ていたら、ああ……夢が叶《かな》ったんだなあ……よかったね、と思った。
映画を観ている観客と、舞台に立っている人では、当たり前のことだけど、断然、舞台の上の人の方が数が少なく、「映画を作りたい」という夢を持っても、きっとそんな夢を忘れてしまったり、果たせなくて終わってしまう人がほとんどだろうに、その夢を叶えた……その夢が叶ってしまった亀山さんは、冷静に考えれば何万人に一人の人なのかもしれない、と思った。
そして、それを傍らで見ているのは、スーッと夜空に真っ直ぐ上がった花火が、ぱあっと綺麗に広がったのを見ているように気持ちのいいものだった。
人の夢が叶うのを見るのもいいもんだな、と思った。
帰って来て、しかし、もしこれが同性だったり、大学時代の同級生だったり、自分がうまくいってなかったりしたら、嫉妬《しつと》なんて感情を持ったりするのかとふと思い、ダンナに言うと、そういう気持ちをまるで抱かないのは、あなたが映画をやりたいと思ってないからじゃない? と言われた。
その辺はよくわからないけど、確かに、私は脚本家になってから、やはり物を創《つく》ろうとしていた友人や、野心家の友人など、何人かの人と疎遠になった(なぜか、どれも同性)。露骨に対抗意識を剥《む》き出しにされ、疲れて、こんな思いをするんだったらもうゴハン一緒に食べなくていいや、と私からフェイドアウトしてしまった人もいる。
人はつきあいたい人とつきあってけばいいや、とどっかで思っているので。
ところで、人が脚光を浴びた時、それを一番喜ぶのはきっと両親だと思う。たいてい、レコード大賞なんかでも家族が出てきて、泣いてるもんね(古いか)。
赤ちゃんの頃から知ってて、自分が育てたっていうのは、感無量なのかも。
のんちゃんはまだしゃべらないけど、その言葉のない頭で何を夢見てるだろう。
将来、何になりたい、と思うんだろう。私は、脚本家という仕事をしていて、とてもやりがいがあるし、しあわせな職業だと思うんだけど、娘が出来た時、脚本家だけにはならせたくない、と強く強く思った。
そう思った時、初めて、内心、自分がこの仕事をどれだけ大変と思ってるか、ということに自分自身で気づいて愕然《がくぜん》としたわけだけど。
母の希望としては、ぜひとも玉の輿《こし》に乗って欲しい。自分の努力や才能じゃなくて、人の努力や才能で食べて行く美貌《びぼう》を……ないか、そんなの。
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夫の敗北
近頃、すっかり息を潜めていた夫だが、私と夫の、のんちゃんを巡る確執は終わったわけではない。
前から読んでくれてる人たちには、すっかりお馴染《なじ》みのことだが、私たち夫婦は、のんちゃんを取り合っていて大変なのだ。
よく、赤ちゃんが生まれたら奥さんがそっちに夢中になってしまって、夫が淋《さび》しがるとか、その逆とか、生まれた子供に配偶者を取られて淋しい、という趣旨の話を聞くが、ウチの夫婦に限っては、そういうことは一切ない。
いつも、愛の対象はのんちゃんだ。この間、私は夫にはっきり言われた。もし、大地震が来て、あなたかのんちゃんかどっちかひとりしか救えない、としたらのんちゃんを救うけど、恨んで出て来ないでね。
私は寂しかった。結果的にはそれでいいから、できればがれきの下の「……いいから。私はいいから、のんちゃんを……」と言う私のセリフを聞いてから、そういう決断を下して欲しかった。
もともと私は、そろそろ結婚でもしとかないとヤバイなと思った矢先、彼と出会ったので、かわい子ちゃんのふりをして、だまして結婚したのだが、夫はのんちゃんが生まれた時に言った。
「そうか……これだったのか。かわいい。かわいい。あんたより小さいし、あんたよりかわいい……。僕が求めていたのはこれだったのか」
スリスリスリ(頬《ほお》ずり)。
こうしてかわい子ちゃん風母は、娘に負けていく、ということを思い知ったわけである。
私が言い返せることと言えば、
「でも、お金は私の方が稼ぐ《のんちゃんよりも》」
これしかない。
せつない。負けに、太鼓判を捺《お》したようなものだ。
さて、夫ののんちゃんに対する愛の深さは、その細やかさとなって、表れた。
まだ、彼女が生まれる前。私たちは、出産準備品をデパートに買いに行ったのだが、たかだか哺乳瓶《ほにゆうびん》一本買うのに、三十分迷ったのは、夫である。
彼が哺乳瓶の何に悩んだか。
色である。「生まれてすぐに見る色がこの配色では、彼女の今後の感性の発育に悪い影響を及ぼすのではないか……」
みなさん。結婚する時は、気をつけて結婚しましょう。
そして、彼はまだ生まれたてののんちゃんにパッヘルベルのカノン。その他、バッハ、ヴェルディ(ああ、これはサッカー)、モーツァルト、ショパン……数々のCDを聞かせた。
でも。彼が会社に出掛けた隙《すき》に、私は別種の物を聞かせていた。スピッツ。SMAP。B'z。T.M.レボリューション。ハンソン。
余談だが、家で唯一にして最大の贅沢《ぜいたく》は、のんちゃんに自由にCDで遊ばせることである。
子供は、丸くてピカピカ光るCD盤が大好きである。私は傷がつこうが、よだれだらけになろうが、平気でそれをさせる。
私のCDはほとんど、自腹を切って買った物でなく、送って来られたサンプルなので、あまり、CDにその手の執着はないのだ。傷ついたら、傷ついた時。
でも、夫は鬼のようになって怒るので(しかし、どうも世間一般ではこれが普通)、夫のCDは大切に保管される。
この間も、のんちゃんがCD盤で遊んでいて、ジャケットがチラリと見え、髪に巻きが入ったオジサンがジャケットだったので、「ああ、だめ。その髪に巻きが入ったオジサンは、きっと夫のCD」と言ったら、遊びに来ていた友人に「北川さん、髪に巻き入ったオジサンって、これバッハよ」と言われた。
さて、そののんちゃんが初めて歌った曲は。
バッハでも、モーツァルトでもなくT.M.レボリューションだった! ある夜、のんは突然、「レベル4」を歌い出したのだ。
「♪欲望のレベル上げれば、ちょっとやそっとじゃ満たせないけれど、是が非でもお願いしたい〜♪」という、あれ。
フォッフォッフォッ。勝ったね。
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はるか二十年後、青春を迎える君に…
その昔「愛していると言ってくれ」というドラマで、豊川悦司演じる耳の聞こえない主人公を書いた時、第一話でヒロインの常盤貴子が「耳が聞こえないのってどんな感じ?」と聞くと、豊川悦司は「夜の海の底にいるみたいな感じ」と答えるのだった。
で、次の次の回では、「(耳が聞こえないのは)暗い[#「暗い」に傍点]海の底にいるみたいな感じ」と言っていて、これは意図があったわけではなく、うっかり私がワープロを、「暗い」と、「夜の」と打ち間違えたのだった。
打ち間違ったまま、台本に印刷され、オンエアされ、ビデオに収まってしまった。今ではそれはそれでよかったような気がするのが、不思議ですが。
そして、今、一月からの連続ドラマの脚本を書き始めた私に「子供がいながら脚本を書くのってどんな感じ?」と常盤貴子が聞いたならば、私は「海の底の深海魚が食べても食べても食べたりなくて、ずーっと物を食べ続けている感じ」と答えるだろう。
何ででしょう。文春のエッセイの分量くらいだと、人間的な生活を送りながら書けるのですが、連ドラに入ると何か知らないけど、人間が食べる量という常識をまるで無視して、ケーキをホールごと食べたりしてしまう私です。そして、その五分後には後悔の波が押し寄せ、気持ちが沈み、ああ、また太ってしまう……と海の底の深海魚のような暗澹《あんたん》たる気分になるのです。
この間、やはりシナリオライターの男ともだちと飲んでいたら、彼も、書いていると夜中に突然、甘い物が食べたくて食べたくて仕方なくなって、コンビニに走り、そして八つパック入りのシュークリームを買って一気に食べてしまうんだ、と言うのを聞いて、心底、ホッとしました。私だけじゃない。
みんな、甘い物をバカ食いする瞬間があるのだ。
さて、そんな夜中に深海魚と化している母のことなど、どこ吹く風という感じでマイペースなのんちゃんです。
毎日十二時には寝て朝の十時に起きます。
私は彼女が寝てから、明け方の四時くらいまでワープロに向かうのが常です。
あーあっ、「最後の恋」は一緒に書いたのになあ……。一緒に書いたというのは、あの頃、のんちゃんは私のお腹の中にいたので、私としては一緒にやってる感じだったのです。
それが今では……。それが今では。私が母だということもわかっているのかどうか。一番、シッティング時間の長いベビーシッターさんだと思ってないだろうな。そして、今やその地位も崩れつつあるが。
ところで、私は子供ができても絶対にやらないと思っていたことがあった。
自分の書くドラマとか本とかの冒頭に「娘に捧《ささ》げる」というのを入れる、あれだ。
あれは、やっちゃいけない。娘に捧げるなら、ひとりでわら半紙に書いて綴《と》じて、「ハイ、のんちゃん」って渡せばいいじゃないか。なぜ、それを何万部も刷って書店に並べる?!
でも、たまにやっている人によっては、カッコいいような気もする。洋画なんか見てて、あのテロップ流れるとカッコいいもんね。
縁起でもないけどもし私が早死にしたら。役者さんは死ぬ役をやると長生きする、というから私も敢《あ》えてこういうシミュレーションを書くけど。
私が早死にして、娘が成人になった時、その時、見てほしいママの書いたドラマ、なんてのがあったらそれは素敵だ。
二十年後に青春を迎えるだろう君へ、なんつって。古ーい、なんて言われたら草葉の陰で泣くけどね。遺影は、anan撮影時のモード系ではなく、ノンノ撮影時の、やさしいママ系の顔にしよう(のんちゃん仕様)。
そして、夫とのんちゃんの間で、私は永遠にやさしく美しい母として、語り継がれるのだよ。
再婚などしようものなら、新しいママなどもらおうものなら、即座に化けて出るのだよ。
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掌《てのひら》サイズの東京タワー
サリバン先生とヘレン・ケラーのような毎日を過ごしている私ですが、みなさん、お元気でしょうか?
サリバン先生とヘレン・ケラーというのは、もちろん、野獣、のんちゃんの餌《え》づけのことです(離乳食も卒業。大人と同じ物を食べ始めた)。つらい毎日です。いつか、彼女が「WATER!」と叫び、人間になる日を信じて、日々これ精進する私です。
以前に、のんちゃんにしつけというものをぜんぜんしてない、このままでは狼少女になってしまうかも……という戦慄《せんりつ》のエッセイを書きましたが、よくしたもんで、彼女は、ある日突然、自分で靴を履く、と言いだし、食卓イスにも自分から座りたがり、フォークも自分から持ちたがるようになりました。
まだ言葉をしゃべるわけではないので、全て、身振り手振りですが。
玄関の靴を指さして「あっあっ」と言い、食べ物を指さし「あっあっ」と言います。
驚きの「あっ」ではなく、たいていの場合、それは指図です。
あれが欲しい、あれを取れ、という意味です。
たまに、私が人差し指で何かを指さし「あっ」と言って、要求のポーズを示しても、それはあっさり無視します。
人にやらせるだけやらせて、何かをしてくれることはない。
たまに何かを指さすのんちゃんの人差し指の先に、自分の人差し指を合わせて、E.T.ごっこをやる私だが、これは子供を持つお母さんの定番みたいです。
E.T.PHONE HOMEの世代……おばさんですかね。
さて、最近、私は引っ越しをしたのですが、そこから東京タワーが、掌サイズに綺麗《きれい》に見えます。
うっそうと繁る森の向こうに三分の二ほど見える。
夕方近くに、灯がつき始め、晴れた日の夜などは、本当にくっきりすっきり綺麗に見え、家に来た誰もが感動します。
のんちゃんも東京タワーが好きなようで、たまに、指さしてあっあっ、と言います。
これは、もしや……あれを取ってくれ、と言っているのでは。
まだ一つの、犬の頭のような頭脳には、東京タワーと私ン家《ち》との距離感という概念は存在しないのでは……。
私は、考えた。
たとえば。
東京タワーは十二時に消えます。
最近の私のテーマは東京タワーの灯が消える前に就寝する、ということなんだけど。まあ、それは関係ないんだけど。
その十二時に消える時に、のんちゃんを窓ンところに連れて来る。
ウチから見える東京タワーは掌サイズ。ちょうどその大きさの、東京タワーの置物を買って来ておく。
ちょうど、十二時になった瞬間、私は夜の空に手を伸ばす。そして東京タワーの灯が消えた瞬間、東京タワーをつかんだふりをする。そして、買ってきた東京タワーの置物をサッと差し出す。
「はい、のんちゃん。まあちゃん(私のこと)、東京タワー取ったよ。のんちゃんにあげる」
さて、これを、のんは本気にするでしょうか?
薄幸の美女である私は(どこがだ?)早死にする。のんの中には、やさしいお母さんの面影が。
小学校に通い出した、のんはおともだちに言う。
「私ね、お母さんに東京タワー取ってもらったことあるよ!」
ウソつけ、とクラスメイトにいじめられる。
「そんなことないもん! 本当だもん」
涙を滲《にじ》ませるのん。まあちゃんはもう死んでしまったので、どういうことか(どういうからくりか)一生、わからない(父も知らない)。
でも、のんは、ずーっとまあちゃんに、東京タワーを取ってもらった、と信じている。そしてそれをひとりだけ信じてくれる、カッコいい少年がいた。
おおっ、いいなあ。宮崎駿《みやざきはやお》の映画みたいだ。
誰か買わない? この企画。
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これからのこと
好きな人が亡くなった。朝刊に訃報《ふほう》が出ていた。
その人とは、私が脚本家になる前、にっかつ撮影所というところで、テレビドラマの企画営業をしている頃、出会い、お世話になった。
人を外見やその人の地位で判断するようなところがまるでなくて、まるっきり新人のペイペイの、私の企画をちゃんと聞いてくれたし、また、たまにあるんだけど、私がシナリオライターとして売れだしたとたん、「先生、うちでもぜひ一つ」なんてことは一切なかった。
そんなことを言うんだったら死んだ方がマシ、みたいな感じのすごくカッコいい人だった。
そのなんていうか……生き方とかたたずまいとかが。
いつもジーパンとブランドだったらパパスとか似合いそうで(実際、何を着てるか、聞いたことはない)、お洒落《しやれ》で、局内には女の子たちが作った、その人のファンクラブみたいなものがあった。
人を見る眼差《まなざ》しは、いつも穏やかで優しく、そしてやわらかく純粋だった。
だから、私がある時、局の人たちと飲むとごちそうになってばかりだから、何かお返しをしようと、持って行ったマンガの本(マンガ!!)を、ちゃんと読んでくれて、そしてそれの大ファンになってしまった。
「ぼのぼの」というコミック。
息子がね、シマリスの真似《まね》をして「いじめる?」ってチャイム鳴らすんです。そして、「いじめないよお」って僕が出てあげるんです、と真顔で言っていて、このオッさんおかしいな、と普通だったら思うかもしれないけど、その人のたたずまいは全然それを変と感じさせないで、私は楽しく聞いていた。
だから、訃報の六十歳という年齢を見た時、驚いた。私がお会いしていた頃は、もう十年近く前なんだけど、それでも私はその時、四十くらいなんだと漠然と思っていた。
お通夜の席で奥さんが、主人は北川さんの活躍を本当に喜んでいたのよ、文春もいつも読んでいて、面白い子だろ、って言ってたの。
と言った。私は、涙が出た。
人が亡くなっていくのは悲しいことではなくて、いや、悲しいかもしれないけど当たり前のことだと思う。
生まれて来て死んでいく。私たちは、人の誕生の場に居合わせることもあれば、人がいなくなることに居合わせることもある。そして、もちろん自分も生まれて、生きて、死んでいく。
私は母が死んで、そして、のんちゃんが生まれて、そのことをなんとか、当たり前に受け入れようとがんばったけど、やっぱりまだ、無理ですね。
ずっと前に書いた「あすなろ白書」というドラマの拓哉くんのセリフで「どうせ百年たったらこの世は総入れかえ。同じ時代に生まれて、出会えて、同じ時を過ごせて、ラッキーだったよ」というような物を書いた記憶があるんだけど、ホントにそうだな、と思う。基本的にはそう思う。亡くした時、悲しくてもね。
シマリスの真似をして「いじめる?」と言って帰って来た男の子は、もう立派な青年になっていて、お嬢さんももう高校生になっていた。私の頭の中で、お子さんたちは、小さい印象しかなかった。
でも、綺麗《きれい》で上品な奥さんとお父さん似のハンサムな息子さんと、お母さん似のかわいい娘さんを見ていたら、お通夜にこんなことを思う私は不謹慎かもしれないけど、素敵な一家に見えた。
きちんと愛されてきた一家に見えた。藤原さんは、きちんと人を愛する人だったように思う。
激しく愛す、とか情熱の恋とかは、ある種の偶然みたいなモンで誰でもやれることだけど、きちんと人を愛し育《はぐく》むということは、誰にでもやれることじゃないと私は、思った。
帰って来て、のんちゃんを抱きしめた私は、この子をきちんと愛してあげたい、と思った。
私にできるかどうかわからないけど。
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あとがき
ノノンガも、もう二歳になります。
元気に育っております。
そして、おかげ様で、今現在は、父より母の方が好きなようです。
やったー。勝ったね。今後、また逆転することがあるかもしれないけど。
久しぶりに、読み返すと不思議なエッセイです。
生む前と生んだ後で、とても変わっている自分に気がつくからです。
たとえば、今だったら、切迫流産して五分五分だ、と言われたら、きっと仕事を降りるという選択をするでしょう。
と書き切りましたが、う〜ん、わからないな。その時にならないと。
自分の仕事に対する、常軌を逸した熱意というか執念というか、たまに自分でもびっくりすることがあるので。
もしかしたら、したたかに、とても強く、両立させようとするかもしれない。
あの頃は、流産してもいいから、仕事を成立させたい、と思っていたけど。
今、生きているノノンガを見ると、とてもとてもそんなことを思えません。
はっきり言って、この子が一番、大切、と思います。
生きてるからね。
仕事は生きてないけど。物だけど(作り上げられたドラマって、やっぱり物です)。
と言いつつ、また、今も、連続ドラマの仕事を抱えて、ヒーヒー言っているのが、現実です。
ノノンガは、保育園に行き始めました。
今、読み返してみると、あの頃より(生まれたて、赤ちゃんの頃)、ずっと楽になったみたいです。
でも、忘れちゃうんですよね……。いろんなこと。
しかし、忘れてもいいから、一緒にいるといいと思います。
いろんなことが、変わるから。いろんな景色を見て、今まで知らないいろんな感情が押し寄せました。
かわいい、と思ったり、しあわせと思ったり、いくら、相手の笑顔に微笑《ほほえ》んで返しても、微笑み足りないと思ったり。
人は、人をこんなに好きになるんだなあ……と思います。
男の人を好きになるのとは、また違う感じだし。
街で、お腹の大きな女の人を見ると、昔は、なーんにも思わなかったのに、却《かえ》って、ああ、大変そうだなあ……と思っていたけど、今は、反射的に「いいなあ、うらやましい……」と思うようになりました。
四年前に母を亡くした時に、持っていた連載のエッセイで、自分のことをこんなに思ってくれる同性には、もうめぐり会うことはないわけです、というのを書いたけど、自分がこんなに愛する同性を持つ、なんてことが、起こったわけで、人生は、なかなか捨てたもんじゃないと思っています。
でも、まあ、大変なことももちろん、これからも起きるだろうけど。
本文中で、「子豚を救う夢」を見ていますが、この間、ノノンガの前髪を切りすぎた私に、パパちんが怒って怒って(いつもは、パパが上手に切っている)、「ブスになっちゃったじゃないか。これじゃあ、宇宙人が見たら、ブタと区別がつかない」と言いましたが、やっぱり、あの子豚は、ノノンガだったかなあ……と思う、今日この頃です。
1999年11月14日
[#地付き]てのひらサイズに東京タワーが見える自宅にて。
[#地付き]北川悦吏子
本書は、平成十二年二月に小社より刊行された単行本を文庫化したものです。
角川文庫『おんぶにだっこ』平成13年10月25日初版発行
平成14年2月5日3版発行