僕はアイドル? 2
風野 潮・作/葉夕・絵
一、ミキとヨシキ A
「いってぇーなぁ」
両手を後ろについて尻もちついたまま顔をしかめているのは、同学年くらいの男だ。顔立ちは中学生に見える幼さなのに、髪を金色に近い茶髪にしている。カンペキな校則違反。
僕の友達に茶髪の奴(やつ)は一人もいないはずなんだけど、なぜかそいつの顔には見覚えがあった。
転んだ痛さも忘れて思い出そうとしていたとき、そいつが大声で言った。
「前もちゃんと見ないで走ってんじゃねえよ。顔に傷でもついたら、どうしてくれるんだ」
何を言ってんだ、こいつ。
そういうのって普通、女のほうが言うセリフだろ。――いや、ほんとは僕も男なんだけどさ、今は(外見的には)あっちが男でこっちは女なんだから、そんなふうに言われるとめちゃくちゃ腹が立つ。
「だって……」
そっちも曲がり角から飛び出してきたじゃないか――と言おうとしたら、僕の顔をまじまじを見たそいつが、突然態度を変えた。
「よく見たらかないかわいいじゃん。きみ、どこの事務所の子?」
そう尋ねる奴の顔に浮かんだ、カッコつけたさわやか笑顔を見た瞬間、思い出した。
確か、少年アイドルがたくさんいるタレント事務所『サニーズ』ってとこにいる奴だ。フルネームは忘れたけど『たっくん』とか呼ばれてて、けっこう女の子に人気があって……でも歌はもんのすごくヘタな奴。
じぃっと考え込んでいると、自分に見とれているんだとカン違いしたらしく、たっくんは満面の笑みを浮かべて僕の目の前に手をさしのべた。
「ごめんね。ケガはなかった?」
あまりの変わりように目まいがしそうだ。ほんと、男ってどんな年代のどんな外見の奴でも、かわいい女の子には甘いんだよな。ふだん男の姿でいるときには、かわいいから得したことなんて全然ないのに、この姿だと誰もかれもがやさしくて気味が悪くなる。
振り払うのもかわいそうだから、たっくんの手につかまって起き上がった。手をぎゅっと握ると、かすかに頬(ほお)を赤らめているのがおもしろくて、ちょっとからかってみたくなる。
「大丈夫です。あの……急いでたから、前ちゃんと見てなくて、ごめんなさい。でも、ぶつかったのが、たっくんだったなんて、ちょっと感激しちゃった」
えへっ、って感じで首をかしげながらそう言うと、たっくんの目がキラキラと輝いた。
「きみ、良かったらメルアド教えてくんない?あとで連絡するからさ」
うわ、こんな軽い奴をメル友になるなんて絶対イヤだよ。どうやって断ろうか困っていたら、うまいぐあいに邪魔が入ってくれた。
「あ、こんなところにいた。」
走ってきたのは、顔なじみのヘアメーク係、香代ちゃんだった。その後ろにいた背広姿の太ったおじさんが、暑くもないのに流れる汗をぬぐいながら言った。
「藤沢くん、そろそろ出番だよ。控室に戻って髪整えてもらわないと」
「すみません。すぐ戻ります。」
マネジャーさんの前では急に礼儀正しいしゃべり方になってる。芸能界は挨拶(あいさつ)とか礼儀作法に厳しいってよく聞くのは、ほんとなんだな。マネジャーのあとについて控室に戻ろうとした、たっくんこと藤沢拓海は、一瞬ふりむいて僕の手のひらに紙切れをすべりこませた。片目をつむり口の形だけで、『メールして』と言いながら。
パソコンで作ったらしい写真入り名刺には、住所は書いてなくて携帯のナンバーとメルアドだけが書いてある。
「あらぁ、今をときめくアイドルくんにナンパされるなんて、すごいじゃないミキちゃん」
いっしょに行ったと思ってた香代ちゃんがニヤニヤしながら名刺をのぞきこんできた。
「べつにぃ、全然興味ないしぃ」
ちょっと赤くなりそうな頬を気にしながら、ギャル口調で答える。
「あいかわらず『男ぎらい』なんだねえ、ミキちゃんは。もったいなーい」
じゃあ、またね、と言って片手を振ると、香代ちゃんはあわてて二人の後を追って走っていった。
ほんとは香代ちゃんみたいな、小柄でかわいくて性格のさっぱりした女の子が好きなんだけど。今のままじゃ絶対に告白なんてできないよなぁ。
マジに考えたら十歳近くも年上の人なんて、もし告白したってまともに聞いてもらえないに決まってるけど。
フロアの端っこにある自分の控室に戻って、椅子(いす)にだらっと腰かけてタメ息ついた。
茶髪ロングヘアのカツラをはずし、ぺったり顔に貼(は)りついてる自分の髪の毛を両手でかき乱す。なんとか一息ついたけど、まだくっきりメークのままなのが落ちつかない。ウエットティッシュで顔じゅうの異物をゴシゴシこすりとって、鏡を見てみた。
やっといつもの『僕』だ。
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僕はアイドル? 3
風野 潮・作/葉夕・絵
一、ミキとヨシキB
初めてテレビに出たのは、小学五年のときだ。
ずっとイベント司会やワイドショーのリポーターの仕事をしていた母さんが、夏休み特別番組『子ども手作り教室』のメーン司会をすることになった。今ワイドショーの司会をしている、同じ東日テレビの製作だった。
収録当日、僕は母さんについてきて観覧席にいた。
僕が生まれてすぐ父さんを亡くしたので、僕たちはその年まで手芸店を経営しているじいちゃんの家に同居していた。編み物が得意なじいちゃんの影響で、僕はテレビゲームやブロック遊びと同じように、なんの抵抗もなく毛糸と編み針で遊ぶことを覚えた。学校に通いだしてからは、からかわれたくなくて、編み物が得意だなんて友達に言うこともなくなっていたが、テレビの手芸番組は欠かさず見ていた。
『子ども手作り教室』には、一番好きな編み物作家の小松原先生が出る予定だったので、母さんに無理を言って観覧席に入れてもらったのだ。
その日、アシスタント役で出演することになっていた有名子役が突然出演をキャンセルした。「趣味は編み物」というプロフィルを見て出演依頼していたのだが、実際はほとんど何も編んだことがなく、おじけづいて仮病を使ったらしい。
代役をどうするか困っていた母さんが思いついたのが『僕』だった。
「小松原先生のアシスタントでテレビに出てみない?」
母さんにそう尋ねられたとき、もしその後、自分のみに何が起こるのか知っていたら、笑顔でうなずいたりしなかっただろう。
控室でドタキャンした子役のために用意されていた『毛糸の妖精』のコスプレ衣装に着替えさせられた自分の姿を見て、僕は気を失いそうになった。こんな姿、もしクラスの奴(やつ)らに見られたら、明日から学校に行けない。
「こんなの斬れないよ」
勝手に脱ぎ始めたら母さんは厳しい声でピシリと言った。
「なにしてるの! もうあと十分で収録が始まるのよ」
「なんでこんな女の子の格好しなきゃいけないんだよ。恥ずかしすぎるよ」泣きそうになりながらそう言うと、母さんは、ほほえんで静かに言った。
「母さんは、その格好のほうが恥ずかしくないと思うけどなぁ。大丈夫、誰もヨシキだなんて気がつかないわよ。名前も……そうね、ミキちゃんってことにすれば、学校のみんなにもわからないわ」
なだめすかされて、僕はしぶしぶ番組に出演することになった。真っ白はフェイクファー付きのワンピースに茶髪ロングヘアのカツラをつけた姿は、いつもの自分とは全く別人のかわいい女の子で、ちょっと見とれてしまうほどだった。いったん出てしまえば、開き直って思いっきりブリッ子ギャルを演じるのも、なかなか楽しかったし。教えがいがある子ね、って小松原先生にもほめられたし。
その日一日だけのことだったら、ちょっと変わったおもしろい思い出で終わっていたはずだった。
絶対に一回だけ――と何度も念を押して出演したはずなのに、気がついたら母さんが司会するワイドショーの手作りコーナーに週一回出演するように なっていたのだ。もちろん、女の子の格好で。
それにしても父さんはどこに行ったんだろう。
父さんといっても死んだ人が生き返ってきたわけじゃなくて、母さんの再婚相手のこと。
小五になってすぐ、母さんの仕事仲間だった三歳年下の放送作家、坂口さんが突然うちにやってきて、
「娘さんをお孫さんの将来を俺(おれ)に任せてください。お願いします」
と、じいちゃんの前に両手をついて言ったんだ。
ドラマでしか見たことなかったシーンに、当事者だってことも忘れてわくわくしていたら、じいちゃんの答えにずっこけた。
「いやあ、僕にそう言われても、返事に困りますなあ。美帆さんは僕の娘じゃありませんから」
「へ?」
坂口さんも目を丸くしている。
「美帆さんは死んだ息子の嫁でしてね。もういいかげんあいつのことは忘れて、幸せになってほしいと常々思っていたんです。美帆さんの気持ちを訊(き)いてみるのが先ですが、僕としてはあなたのお気持ちは大変うれしい」
じいちゃんに、しっかと手を握られ坂口さんは感激して涙ぐんだ。
僕のほうは、母さんが再婚するってことよりも、じいちゃんを母さんが他人だったってことを初めて知って衝撃を受けた。ずっと実の親子だとばかり思い込んでいたから。
それからすぐ母さんと坂口さんは結婚して、僕たちは隣町に引っ越した。
今は小説家をめざしての執筆活動に専念していたが、局への送り迎えは父さんにとっても大事な仕事のはずだった。
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僕はアイドル? 4
風野 潮・作/葉夕・絵
一、ミキとヨシキC
いったい、どこへ行っちゃったのかな、父さんは。僕が出演している間は、勝手知ったるテレビ局の中をウロウロしてることも多いのだが、いつも出番が終わるまでには控室に戻ってくれていたのに。父さんの車がないと帰れないこと、わかってるはずなのに、何やってるんだろう。
急に誰かが入ってきたときに備えて、着替え終わった後またカツラをかぶる。着替えといってもエプロンを脱いでスカートをジーンズにはきかえたぐらいで、基本的には女装のままだ。
テレビ局の中にいる間は『ヨシキ』じゃなくて『ミキ』のままでいないといけないからだ。
出番が終わってから二十分も待っているのに、まだ来ない。局の中に長くいればいるほど、正体がバレる可能性が高くなるわけなので、ただのんびり待ってるのは精神衛生上よくない。
通学用リュックと着替えの入ったバッグを抱え、一人で控室を出た。駐車場の車のそばで待っているほうが、控室より人に合う確率は低いはずだ。
『照屋ミキ』(照屋はじいちゃんの名字)と書かれた顔写真入り入館証を首からかけて、通用口に立つ顔なじみの警備員さんの前を通りすぎると、きょうも笑顔で声をかけられた。
「お疲れ様、ミキちゃん」
「お疲れ様でーす」
軽く会釈しながら、こちらも笑顔であいさつを返す。あいさつするだけで男だとバレるようなことはないと思うけれど、いつもは父さんの影にかくれているので、一人だと緊張する。
薄暗い地下駐車場のスミにとめてある父さんの車が見えた。あれっ、車のドアが少し開いてる。もしかして、車上荒らし?
と思ったら、大きくドアが開いて中から父さんが出てきた。いや、父さんだけじゃなくて、もう一人いる。なんと白いワンピース姿の清楚(せいそ)な美人! まさか、三年目の浮気ってやつ?
実は半月ほど前、父さんは(何が原因なのかは知らないけど)母さんの怒りを買って家から追い出されてしまい、現在うちの両親は別居状態にある。もしかしたら、この女の人が別居の原因なのかも。
びっくりしすぎて通路に立ちすくんでいたら、車から出てきた二人とバッチリ目が合ってしまった。
父さんのほうは少しうろたえていたが、女の人のほうは落ち着いたほほえみを浮かべていった。
「きみがヨシキくんね。また改めて、ゆっくり会いましょうね」
何? いったいどういう意味?
わけがわからずにいるうちに、女の人はほほえんだまま僕に頭を下げた。僕もあわてて会釈した。
女の人が通用口のほうに消えたとたん、父さんは赤くなって言い訳した。
「いや、その、あいつはただの高校時代の同級生で、さっき局のロビーで偶然会ったんだ」
同級生の女子を『あいつ』っていってる段階でただの友達じゃないし、あんな若奥様風の女性がテレビ局に何しに来たっていうんだろう。言い訳にしても苦しすぎる。
「で、今の彼女が別居の原因?」
そういうと、父さんは頭をかいてテレ笑いした。
「相変わらず鋭いなあヨシキは。その通り。あいつが俺(おれ)たちの別居の原因だよ。でも彼女じゃあない」
「なにそれ。原因なのに彼女じゃないって、わけわかんないよ」
「詳しい話は車の中で。さあ、乗った乗った」
浮気相手との密会現場を見つかったわりには気楽な口調で、父さんは僕を車の後部座席へ押し込んだ。
後部座席の窓には、全(すべ)て黒いシートが貼(は)られていて外からはのぞけないようになっている。ちょっと窮屈だけど、ここが本当の僕の控室。ここでヨシキからミキに、ミキからヨシキに変身するわけなんだ。
カツラをはずし、女物のブラウスからポロシャツに着替えていると、父さんが話しはじめた。
「さっきの奴(やつ)、カオルっていうんだけど、高校時代のダチでな、この前、新宿の店で偶然再会してさ。驚いたの、懐かしいのなんので、家につれて帰って飲み直してたところへ美帆が帰ってきて、いきなり叩(たた)き出されたわけなんだ。いやー、参ったよ」
「そりゃ、留守中にあんな美人を連れ込んでるなんて、母さんが怒るのも無理ないって。しかもさっきもコソコソ会ってたし、カンペキ浮気じゃん」
浮気したくせに反省の色もないなんて、母さんがかわいそうだ。
「いや、浮気じゃないんだ、ホントに。もともと『彼女』じゃなくて『彼』だったんだから、カオルは」
「え?」
「オカマ、じゃ言葉が悪いか……。いわゆるニューハーフ。女装してるんだ」
「僕みたいに無理やり女装させられてるわけ?」
「いや、ヨシキとは違って、カオルは自分の意思で女装してるんだ。つまり『性同一性障害』ってやつなんだよ」
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僕はアイドル? 5
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ=僕)は中二。普段はフツーの男子だが、ワイドショーにミキという女の子として出ていたりする。司会者の母と作家の父は現在別居中だが、その原因は……?
一、ミキとヨシキD
「性同一性障害って?」
なんだか聞いたことはあるけど、ちゃんとした意味を知らなかったので尋ねてみた。
「外見的な性別と、心の中の性別とが逆になって生まれてくる人が稀(まれ)にいるんだ。身体(からだ)は男なのに心は女とか、その逆とか。そういうのを『性同一性障害』っていうんだよ」
「病気なの?」
「そうらしい。いろいろ難しいらしいけれど今んとこ、治療法は心と同じ性別に身体を手術で変えることしかないそうだ」
「へぇーそうなんだ」
あまり興味なさそうな返事をしたけれど、内心では『超痛そう〜』と顔をしかめていた。
痛そう、というだけじゃなく、ちょっとした嫌悪感も感じていた。僕みたいに仕方なく女装してるんじゃなくて、すすんで女になりたがっている人がいるなんて信じられない。
「カオルは『性同一性障害』の特集番組に出るために東日テレビに来てたらしくて、ほんと、偶然会ったんだ。家から叩(たた)き出されたとき、うっかり連絡先もきかずに別れてしまったから、あとでどれだけ『あいつ、ほんとは男なんだ』と言っても信じてもらえなくてさ。今日、カオルとばったり出会って話ができたことで、別居解消に大きな一歩を踏み出せそうだ」
父さんはもう家に帰れることを確信してるみたいに上機嫌で言う。
「できるだけ早く、うちに来てもらって、直接カオルから美帆さんに事情を説明してもらうつもりだよ」
そうか、それでさっき彼女……いや、彼は『また改めて、ゆっくり会いましょうね』と言ったんだ。
そう言ってほほえんだカオルさんの優しげな顔を思い出して、僕はちょっと不安になった。
「でも、それでほんとに母さんの機嫌が直るのかなぁ」
「え、なんでだ?」
「もともとは男でも、心は女の人と同じなんだろ。外見だって平均的は女の人よりよっぽどキレイだし……あのまま家に連れて来たんじゃ逆効果だと思うよ。せめて男の格好させてからでないと、話も聞いてもらえないよ」
「なるほど、そうかもしてないな。手術のほうはまだらしいから、できるだけ男っぽい格好で来てもらうことにしよう」
父さんはハンドルから片手を離して「よし」と小さくガッツポーズすると、その話は打ち切って運転に集中した。
「きょうはまっすぐ家でよかったんだよな」
もう家の近所にさしかかってから父さんがきいた。
「うん。あしたからテストだから。じいちゃんには、しあさってぐらいに寄るって言っといて」
「了〜解」
そう答えながら父さんがブレーキを踏むと、ちょうど家の玄関ポーチのまん前に停車した。
車から降りて後部座席のドアを閉めると、父さんは窓から顔を出して笑顔で手を振りながら言った。
「じゃあ、また来週放課後、例の路地裏でな」
すぐ車を発進させようとしているのを思わず呼び止める。
「ちょっとだけ家に寄っていかない?母さんが帰ってくるまでに帰れば怒られないよ」
一瞬だけ、ぱっと明るくなった表情が、苦笑いに飲み込まれた。
「いや、遠慮しとくよ。美帆さん、あれでなかなか鋭いからなぁ。タバコの匂(にお)いがするとか、ジュースの減り方が多いとか、ささいなことで見破っちゃうんだよ。……気をつかってくれて、ありがとな、ヨシキ」
もう一度笑顔で手を振ると、父さんは窓から頭を引っ込めて走り去った。
はぁ……。いつになったら帰ってくるつもりなんだろう。いや、この場合、母さんがいつになったら許してあげるかって問題だよな。
母さんの帰りは毎日遅いし、朝も出かける間際まで寝てるから、父さんが帰ってきてくれないと、家事の負担がぜんぶ僕にかかってきちゃうんだよね。母子(+祖父)家庭時代から家事はやり慣れてるとはいえ、中二にもなると勉強も忙しくなるのに、主婦業までこなさなきゃならないのはツライよ。
しかし、父さんも勇気ないよなぁ。ほんの一時間くらいのことなんだから、自宅でゆっくりくつろげばいいのに。本当に『なかなか鋭い』んだったら、本物の女の人とオカマさんの区別くらいつきそうなもんだと思うけど。
あしたはテストだから、きょうの夕食は手抜きしてコンビニ弁当でも買って来ようかな、と二階の部屋に向かいながら考えた。料理も上手なじいちゃんちに居候している父さんが、つくづくうらやましいと思った。
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僕はアイドル? 6
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ=僕)は中二。ごく普通の男子だが、ワイドショーにミキという女の子として出て、結構人気があったりする。司会者の母と作家の父は、父の浮気疑惑で現在別居中だ。
二、転校生は幼なじみ@
授業開始のベルが鳴り、教室に入ってきた先生の隣には、見慣れない女子がいた。
化粧はしていないはずなのに眉もまつげもくっきりしていて、きりっと閉じた口元といい意志が強そうに見える。耳が少し見えるくらいのショートカットが顔立ちにとても似合っていて、男子の間から控えめに「おぉー」という歓声があがった。
新学期が始まってからひと月以上たって、文化祭も体育祭も終わってからの転校生なんてめずらしい。そのうえ、きょうからテストだっていう日に来るなんて、めちゃくちゃ不運だ。
じっと観察するように見つめていたら、少し緊張したような顔で教室を見回していた転校生と、視線がバチッと合ってしまった。
うわっ、にらまれるかも……と思ったら、意外なことに転校生は一瞬目を丸くしてから、僕に向かって笑顔で手を振った。転校生に注目していたクラスのみんなもざわついて、僕のほうを振り返った。
「えー、新しいお友達を紹介します。隣のN区から引っ越してきた伊藤さんですぅ」
勤めはじめてまだ半年ちょっとの新米女教師、鈴木久子先生がみんなの私語の間を突っ切って叫んだ。
「伊藤有紗です。よろしくお願いします」
見かけどおりの鋭くよくとおる声に、教室のざわめきがすっとおさまった。
え? 有紗……ってまさか、じいちゃんちの三軒隣の古いアパートに住んでいて――幼稚園から小五までずっと同じクラスだった――あのアリサか?
いや、そんなはずない。あのチビで内気で泣き虫だった有紗が、こんなボーイッシュな美人になるなんて信じられない。偶然、同じ名前なだけかも。名字だって違うし。
でも、さっき確かに僕に向かって手を振ったように見えたのは、なんだったんだろう。
久子先生が一番後ろの空席(僕の隣)をゆびさすと、有紗はにっこり笑いながら歩いてきて僕の横に立って言った。
「ミキっち、久しぶりー」
思わず椅子(いす)からズリ落ちそうになった。前の席の上原が振りむいてたずねてくる。
「おい、坂口お前、あの子と知り合いかよ?」
「いや、まあ」
上原の顔は見ずに適当に返事した。今はそれどころじゃない。幼なじみだってだけでもヤバいのに、小学時代の僕のあだ名をおぼえているなんて。
美樹――と書いて本当は「ヨシキ」と読むのだが、小五のクラス替えがあってすぐ、クラスのガキ大将だった奴(やつ)に「『ミキ』なんて女みたいな名前だな」と言われ、僕が転校するまでの半年くらいの間だけ、ミキちゃん・ミキっちという呼び名が定着してしまったことがあった。
こっちの小学校では誰もそんなふうに呼ばなかったし、もちろん中学になってもそう呼ばれたことなんてない。
長髪カツラとメークのせいでまずバレることはないと思ってたけど、もし僕の昔のあだ名が『ミキ』だと今の友達が知ったら、『夕暮れワイドのミキ』=僕だということに気づく奴が現れるかもしれない。
そうなる前になんとかしないと。
「ちょっと話があるんだけど」
一時間目のテストが終わった瞬間、隣にいた有紗の肩をたたいた。
「なに?」
有紗は席に座ったまま、きょとんと僕の顔を見ている。緊張のとけた表情には、少し小学時代の面影がある。
「ここじゃ話せないから、ちょっと」
廊下のほうにあごをしゃくると、有紗はおとなしくついてきた。
「なんだなんだぁー、いきなり転校生一人じめかよ」
上原が小型犬みたいにキャンキャンわめいてるけど、無視して後ろの扉から出て行く。
廊下の真ん中にある階段をのぼっていき、屋上に通じるドアを前で立ち止まった。
「なに、ミキっち、こんな所に連れてきて。まさか三年越しの告白とか?」
思いがけないことを言われて、心臓が跳ねあがった。今の有紗になら告ってもいいかな、なんてちらっと思う。
「いや、ち、ちがうけど……あ、そうだ、その『ミキっち』っていうのやめてくれないかな」
「どうして?」
「女の子みたいでいやなんだ」
「ふうん」
有紗はちょっと口をとがらせて僕をにらむように見た。
「ミキ……じゃなくてヨシキさぁ、なんだか無理に男っぽくしようとしてるんだね。髪の毛も、ツンツンに短くしちゃってるけど、似合わないよ。前みたいにさらさらストレートのほうがカワイイのにさ」
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僕はアイドル? 7
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ=僕)は普通の中二男子だが、ミキという名で(女装して)母の司会するテレビ番組に出ている。二学期のある日、転校してきた女の子は幼なじみの有紗だった。
二、転校生は幼なじみA
小学時代のサラサラおかっぱヘアが良かったなんて言われても、中二にもなってそんな髪型してどうするんだよ。それでなくても幼く見られて困ってるのに。
小柄なことも、女の子っぽい顔も、編み物好きなことも、母親がタレントだってことも、何もかも『いじめ』のターゲットになりこそすれ、長所になることなんて全然ないんだから。
ちょっとムッとして言い返した。
「男っぽくしようとして、何が悪い。『ミキ』なんて女の子の名前で呼ばれてうれしいわけないだろ。今の友達に変なあだ名教えないでくれよな」
有紗は少し口をゆがめたまま黙っている。僕は返事を待たずに続けた。
「あと、編み物や料理がうまいことも、母さんがテレビに出てることも、今のクラスでは秘密にしてるから。勝手にしゃべったりするなよ」
キツイ口調で言いすぎたかな、とちょっと後悔した。口をへの字にしたまま目を伏せている有紗は、小学時代の内気で泣き虫な女の子に戻ったように見えたから。
でも、それは一瞬だけで、やっぱり有紗は昔とは違っていた。
「ま、ヨシキの言うとおりにしてあげてもいいけどさ。じゃあ、そのかわり、頼みたいことがあるんだ」
両手を胸の前で組み、いたずらっぽく目を輝かせて有紗は言った。
「おばさんに頼んで『夕暮れワイド』のスタジオを見学させてほしいの」
「え? でも、あのワイドショー、確か未成年は観覧できないはずだぜ」
「そこをなんとか、司会者のコネで入れてくれないかなぁ。客席で見るんじゃなくて、おばさんの控室にでも入れてもらえるとうれしいな。おばさんには局の方に話つけてもらうだけでいいから迷惑かけない。案内はヨシキにしてもらうから。ヨシキだって入ったことぐらいあるでしょ、控室」
もちろんあるけど。……つーか、自分用の控室も持ってるけどさ。
自分の出番じゃない日まで、スタジオに行かなきゃなんないなんて、いやなんだよな。母さんとプロデューサー以外のスタッフは、照屋ミキの正体を知らない。だから、わざわざ素顔の時に顔をあわせたくないんだ。
「できれば水曜日がいいな。どうせ行くなら『手作りコーナー』のミキちゃんにも会いたいから、紹介してよ。知り合いなんでしょ」
「え〜? それは絶対ダメッ!」
思わず大声で叫んでしまった。有紗は驚いて目を丸くしている。
「なに? どうしてだめなの」
どうしてって言われても――僕が僕を紹介できるわけないじゃないか。
でも、ほんとの理由を言うわけにはいかないし、どうやって断ればいいんだろう。
「いや、別に母さんを同じ番組に出てるタレントさんと全員知り合いってわけじゃないしさ。それに、来週の水曜は用事があるから案内できないよ。ほかの曜日じゃダメなの?」
「ダメだよ」
有紗は情け容赦なくそう言った。
「おばさんのお仕事を見たいのもあるけど、今一番会いたいのはミキちゃんなんだ。私もアイドルになってテレビにでてみたいの。それも、普通のアイドル歌手みたいなのじゃなくて、ミキちゃんみたいに自分の特技で世間に認めてもらうような、そういうアイドルになりたいの」
「え? ミキがアイドルだって? いったいどのへんが?」
思わず聞き返してしまった。だって、テレビに出てるといっても、手芸や料理のノウハウをちょこっと教えてるだけで、CD出してるわけどもなきゃドラマにでてるわけでもないのに。どこがアイドルなんだよ。
「なに失礼なこと言ってんのよ。ミキちゃんはアイドルだよ。幼稚園から小学低学年くらいの女の子に、すっごい人気があるんだから。ちっちゃい子向けの手芸絵本だってだしてるし」
「へえ〜」
い、いつのまに本なんて出したんだ。全然知らなかったぞ。そういうのって本人に無断で出してもいいのか? いくら未成年だといっても、肖像権とかいろいろ許可がいるだろ。それに本の印税の話も全然聞いたことないぞ。
「ちょっと、なにボサーッとしてんの。スタジオに連れてってくれるか、これからも『ミキっち』って呼ばれるか、どっちにしたい?」
考え込んでいたら、有紗は僕をにらみつけてキツイ口調で言った。
昔のあだ名で呼ばれるのは嫌だけど、ミキに紹介するのは物理的に不可能だし、どうすりゃいいんだ。
「えーと、それは……」
答えを口ごもっていたら、二時間目が始まるチャイムが鳴った。
「やべっ、次、数学のテストじゃん!」
「えぇ〜、また試験なのぉ」
ブツブツ言ってる有紗を引っぱって、全速力で階段を駆け下りた。
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僕はアイドル? 8
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ=僕)は普通の中二男子だが、ミキという名で(女装して)母の司会するテレビ番組に出ている。幼なじみの有紗によると、ミキは小学生に結構人気があるらしかった。
二、転校生は幼なじみB
有紗の言葉に動揺したせいか、数学のテストはいつにもまして散々な出来だった。
家に帰ってから明日のためのテスト勉強をしていても、どうもイマイチ気分が乗らない。
今日も店屋物でも取ることにしてテスト勉強に集中しようと思っていたのだが、無理に勉強を続けても頭に入りそうもなかったので、夕飯は自分で作ることにした。突然の来客にも平気はように冷凍庫には余分の食材が保存してあるので、急に予定を変更しても大丈夫。火を通してから保存してあったミンチを解凍しながら、玉ネギをみじん切りにし、ドライカレーを作る。家事の腕前は全部じいちゃん仕込みだ。
ご飯も炊きあがりドライカレーも煮あがったところで、先に自分だけ食事にする。同居人の帰りを待つより、生活のリズムを大切にするのが、うちの家風だ。
「いただきまーす」
一人でもちゃんと食卓にむかって手を合わせてから食べ始める。
と、スプーンにカレーをつける直前に「ピンポーン」と玄関チャイムが鳴った。
ドアスコープからのぞいてみると、疲れた顔した母さんが猫背で立っていた。やばい。こんなふうに背中が丸まってるときは、機嫌が悪いんだ。
「おかえりなさい」
ドアのロックをはずすと、倒れこむように母さんが入ってきた。
「ちょっと風邪気味で熱があるみたいだから、打ち合わせを切り上げて帰ってきたの。かわりに明日の朝、早く行くから、もう寝るわ」
僕の顔はほとんど見ないまま、母さんは洗面所に行き『うがい』を始めた。声が商売道具だけに、どんなに疲れていても、これだけは欠かさないのだ。
「あのー、夕飯はどうする?」
廊下の端までついて行って尋ねると、首だけ振り返って訊(き)いてきた。
「夕飯、何?」
「ドライカレーだけど」
「やだ、辛そう。ノドに悪いからいらないわ」
「じゃあ、カレーやめてお茶漬けでも作ろうか?」
「電話は留守電にしといて。大事な用のある人はメッセージ入れてくれるだろうから、いちいち起こしに来なくていいからね」
僕の提案は無視して、自分の言いたいことだけ言ってしまうと、大きくタメ息をついて、重い足取りで二階の寝室へ引きあげていく。
あ、そうだ。母さんに訊くつもりのことがあったんだった。
有紗が言ってた『ミキの手芸絵本が出ている』って話、本当なんだろうか。
僕は、階段を這(は)うように上っていく母さんを呼び止めた。
「母さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」
「悪い。マジで今つらいのよ。話があるんだったら明日の朝にして」
にらむように眉をひそめながら母さんは言った。一瞬ムッとしたけれど、熱があるんだったら仕方ない。
「ごめん。……おやすみなさい」
気を使って謝ってるのに「おやすみ」のひとことも返さずにタメ息だけついて上っていったのには、さすがの僕もムカついた。
まったく、いくら仕事が忙しいからって息子に家事いっさいを任せっきりにして、感謝の言葉ひとつないなんて。今日のところは風邪で熱があるから仕方ないとしても、せっかくテスト中のハードスケジュールを押して作った夕飯メニューに「やだ、辛そう、いらないわ」は、あんまりだ。
ちきしょー、グレてやるぅ!
なーんて、今まで何回思ったかわからないけど、結局プチ家出のひとつもしたことないんだよな。ちょっと母さんに甘すぎるかもしれないなと、自分でも思う。
だけど、ある程度母さんのわがまま聞いてあげるのも、仕方ないかもしれない。結局、我が家の生活費の大半は、母さんが稼いでいるわけだから。
ほんとは、母さんと父さんの収入が同じくらいで、僕はテレビに出ることもなくマジメに学校の勉強さえしてれば良くて、家事は三人平等に当番制でやるっていうのが理想なんだけどな。
気を取り直して夕飯を食べ、再びテスト勉強に集中する。
睡眠不足にならない程度と時間で勉強を切り上げたおかげで、翌日は、スッキリ晴ればれした気分で目覚めることができた。母さんと一緒に暮らしてるうちに、落ち込みからすぐに回復する技みたいなのが身についたらしい。
朝食用のベーコンエッグを作っていたら、母さんが軽やかな足取りで二階から下りてきた。
「おはよう! さあ、今日も一日、元気にがんばろうー!」
ひと晩寝たらなんでも回復してしまうところは、家系なのかもしれない。
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僕はアイドル? 9
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ)は普通の中二男子だが、ミキという名で(女装して)母の司会するテレビ番組に出ている。友達の有紗に「ミキの本が出ている」と聞いて母に確かめようとしたが……。
二、転校生は幼なじみC
ひと晩寝ただけなのに母さんはヒットポイント満タンに回復している。
トーストをちぎって、皿についたベーコンエッグの黄身をこそげて食べながら、母さんは笑顔で言った。
「ゆうべはごめんねぇ。頭痛くってさ、ちゃんと話聞かなくて悪かった。こっちも実は話があったんだけどね」
「え、どんな話?」
尋ねると、母さんはあいまいに笑った。
「ヨシキから先にどうぞ」
「じゃあ聞くけど、僕…じゃなくてミキの手芸絵本なんてのが出てるって話、聞いたんだけど、ほんと?」
「ああ、小学生向けのテレビ絵本のことね。出てるわよ。ほんとに」
「えーっ? 僕に何の連絡もなく、なんでそんなの勝手に作るんだよ」
「ごめんごめん、出たらすぐ言おうと思ってたんだけど、ついうっかり忘れちゃっててさー」
反省のカケラもないへらへらした言い方にムッとした。
「出たらすぐ、じゃなくて出る前に言って欲しかったんだけど!」
「そんなに怒ることないじゃない。局の広報部の人が、番組用にミキが書いた手順表を元にちゃんと作ってくれたから間違いないわよ。写真だってとっても可愛いのを使ってくれてるし。そうだ、確か控室を引き出しに入れたままだったから、今日持って来るわ」
「別にいいよ、もう」
使ってる写真が可愛いかどうかなんて、そういう問題じゃないっての。むしろ、自分の『可愛い女装姿』の写真満載の本なんて見たくもない。
でも、まだ子供向けの手芸本で良かったよな。がめつい東日テレビのやることだから、そのうち「オタクな男子向け写真集」を出す、なんて言い出しかねない気がして怖い。
「そうだ、ゆうべしようと思ってたのも似たような感じの話なんだけど……『ミキちゃん写真集』出してみない?」
ぶーっ! と派手な音を立てて、飲んでたコーヒーを吹いてしまった。
「あーあ、汚いわねぇ」
自分を皿の所まで飛んで来てないか確かめながら、母さんはテーブルに飛び散ったコーヒーをティッシュで拭(ふ)きとった。
「そっちが、びっくりするようなこと言うからだよ」
「そんなに変な話じゃないと思うけどなぁ。ミキって、ヨシキが思ってるよりかなり人気があんのよ。最近、海賊版のビデオが出回ってるのがわかってね、局の広報部やグッズ販売部の方から『そんなに人気があるのならうちでグッズを出すべきだ』って意見が出てきたらしいの」
「海賊版って何?」
「許可なしで勝手に作って売られてるグッズのことよ。『夕暮れワイド』のミキの出番を集めて編集しただけみたいなチープなビデオが千九百八十円で売られてるんだって」
「千九百八十円って……」
なんだよ、その『スーパーの特売品』みたいな値段設定は。微妙すぎるぞ。
「勝手に売り物にされてるなんてヨシキだって嫌でしょう。この際、ちゃんと撮影して作った写真集出してもらったほうがスッキリするわよ」
「絶対、嫌だっ!」
もともと編み物や手芸のコーナーを作るっていうから出演を引き受けたのに、いつのまにか(ニーズが多いからって)料理コーナーのほうが多くなってるし。声変わりするか母さんより背が高くなるまでの間、って約束で始めたら、予想では小学卒業頃にはやめられるはずが、いまだに条件クリアできずにコーナー続いちゃってるし。
そのうえ写真集なんて冗談じゃない。僕は、じいちゃんの跡を継ぐ『編み物作家』を目指してるだけで、アイドルになるつもりなんて全然ないんだ。第一、小さい女の子やオタッキーな男に人気があっても嬉(うれ)しくもなんともない。どうせなら、ちゃんを同年代の女子にモテたいよ。背さえもう少し高けりゃ、あの藤沢拓海よりも人気のアイドルになれる自信あるんだけどなぁ。
「ほんとは、これまでにもミキには、雑誌の取材依頼とかCM出演依頼なんかは結構たくさん来てたのよ。正体がバレちゃ困るから、東日テレビ以外の仕事は全部断ってきたの」
母さんは、テーブルの上で腕を組み、少し真剣な顔で話しはじめた。
「でもね、あまり隠しすぎてもかえって怪しまれると思うのよ。ね、ミキで居られるのもあと少しだと思うし、一冊作っておいたらどう?」
そんな『女装の思い出作り』みたいなことしたくねえよ。
「撮影OKしてくれたら、ヨシキの言うこと、どんなことでも聞いてあげるからさ」
別に母さんに聞いてほしいお願いなんか無いから却下。――と一瞬、思ったのだが、あることを思いついた。
「じゃあ、聞いてほしいこと、二つあるんだけど、いいかな」
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僕はアイドル? 10
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 坂口美樹(ヨシキ)は普通の中二男子だが、ミキという名で(女装して)母の司会するテレビ番組に出ている。無断で本が出たことに怒っていると、母は「写真集を作る」と言い出した。
二、転校生は幼なじみD
「写真集の撮影OKしたら、どんなことでも聞いてくれるんだよね」
念を押すと母さんは笑って言った。
「ま、私にできる範囲で、だけどね」
「じゃあ、一つ目だけど『夕暮れワイド』を見学したいって友達がいるんだ。連れてってもいい?」
「いいけど……見学したいんだったら番組あてにハガキで申し込んでもらってくれないかしら。でも、見学者は大半が主婦で、未成年は募集してないから来ても『浮く』わよ」
「あの、普通の見学じゃなくって、母さんの控室に入れてあげてほしいんだけど……」
僕がそう言うと、母さんは少し眉(まゆ)をひそめた。
「ヨシキ、学校じゃ私と親子だっていうことは隠しておくんじゃなかったの。どうして急に方針を変えたの?私、コネを使うのってあんまり好きじゃないのよね」
「僕が言ったんじゃないよ。前の小学校で一緒だった奴(やつ)が転校して来たんだ。覚えてないかな、旭ハイツに住んでた有紗って女の子」
「ああ、覚えてる、おとなしくてかわいい子だったわよね」
「そんな、おとなしい面影なんてなくなってたよ。あいつ、母さんのことをみんなに黙ってるかわりに『夕暮れワイド』を見学させてくれって脅すんだ」
事情を聞いて、母さんは笑いながらうなずいた。
「脅す、だなんてちょっと穏やかじゃないけど、まあいいわ、有紗ちゃんだったら。連れてくる日が決まったら言って。ADさんに話通しとくから」
良かった。これで有紗との交換条件はクリアできた。あとは曜日の問題だけど、それは後でゆっくり考えることにして――。
「あと、もう一つ聞いてほしいのは…」
母さんは「何かしら?」とでも問うように、目を見開いて僕のほうを見た。
「父さんを家に帰らせてあげてほしいんだ」
僕がそう言って、一秒もしないうちに母さんはキッパリと言い放った。
「それは聞けないわ」
表情も険しくなって、『取り付く島もない』という感じだ。
「なんでだよ。……今すぐ許すっていうんじゃなくてもさ、話し合うだけでもいいから、父さんを会ってあげてよ」
問題の根本が誤解なんだって知ってるから、思わず必死になってしまう。そのせいで、僕が父さんの味方してるように見えたのかもしれない。母さんの態度はますます冷たくなった。
「ヨシキ。父さんに何て言って頼まれたのか知らないけど、そんな簡単に許せるようなことじゃないのよ。大人の問題に口出さないでちょうだい」
母さんは本当に冷たい目をして、そう言うなり席を立った。
「写真集の撮影日のことは携帯にメールで入れとくから。じゃあね」
もう外出用のスーツに着替えていた母さんは、『ごちそうさま』も言わずに出かけて行った。昨日やり残した仕事があるといっても、こんな朝早く行っても他のスタッフはまだ来てないから、意味ないと思うのにな。父さんのこと話すのがそんなに嫌なんだろうか。
こんなに簡単に信頼が崩れてしまうくらいだったら、なんで結婚なんかしたんだろう。『大人の問題』ってよくわからない。
写真集の撮影スケジュールは、あっという間に決まった。
翌日、テストが終わったばかりの土曜日でせっかく学校が休みだっていうのに、東日テレビの古い社屋に朝から行くことになった。
土日は『夕暮れワイド』が休みなので、母さんが自分の車(自分の運転)で送り迎えしてくれたんだけど、窓に黒シートを貼(は)ってなくて、日除(よ)け用のカーテンで中を隠しているのがちょっと心もとない。
それでもいつもどおり『乗る時はヨシキで降りる時はミキ』の変身はカンペキにこなして、車から降りる。
今はラジオ収録ぐらいしか使われていない旧社屋は、かない都心から離れていることもあって、縁に囲まれた人通りの少ない場所にあった。ここなら人目につかずに撮影できるって魂胆らしい。
受付に立っている警備員さん以外、人の気配もない寂しい館内を、母さんの後について歩いていく。まだ午前中なのに薄暗くてちょっと気味が悪い。
「古いスタジオに霊が出る」なんて話もよく聞くけど、ここなら何か出てもたぶん驚かないだろう。
なんて思っていたら、二階への階段を上っている僕らの背後から、パタパタパタ……と足早に歩く足音みたいなのが聞こえた気がした。
「母さん、何か変な音が……」
そう言って母さんの肩を叩(たた)こうとしたとき、僕の肩を誰かの冷たい手がぎゅっとつかんだ。
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僕はアイドル? 11
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 美樹(ヨシキ=僕)は普通の中二男子だが、ミキという名で(女装して)母の司会するテレビ番組に出ている。予想外の人気に写真集を作ることになり、ミキと母は古いスタジオに行く。
三、恐怖の写真週刊誌@
「ひえぇーっ!」
思わず大声をあげながら前を歩いていた母さんの腰のあたりにしがみつく。母さんはあわてて前につんのめり階段をふみはずして、逆に下にいる僕のほうにあお向けに倒れかかってきた。
「きゃあーっ!」
かん高い悲鳴とともに、後ろにいた冷たい手のぬしをクッションのように敷いた状態で、僕と母さんは階段の踊り場に落っこちていた。
「いってぇなぁ」
すぐ耳元でどこかできいたような声がした。
「ちょっとうれしい気もするけど、できればどいて欲しいな」
「え? うわあっ!」
フレアスカート全開状態で後ろの誰かの脚の上に座り込んでいたことに気づき、思わず大声をあげてしまった。母さんを助け起こしながら急いで立ち上がり振りむくと、初対面の時と同じようなしかめっつらで藤沢拓海が尻もちついていた。
いったい、なんでたっくんがここに? 状況がよくわからないけど、とりあえず謝っといたほうがいいか。
「ご、ごめんなさい」
そう言うと、たっくんはにっこり笑いながら僕のほうに右手をのばした。
「謝ることないさ、ちょっとした事故なんだし。ミキちゃんに起こしてもらえるなら、倒されたぶんはチャラにしていいよ」
あれっ、この前あった時、確かこっちの名前は名乗ってなかったよな?ちょっと不気味に思いながらも、助け起こすために僕も右手をさしだした。
藤沢拓海は東日テレビ系列のラジオ局が長年放送しれいる土曜お昼の生番組にゲスト出演するために、たまたま旧社屋に来ていたらしい。
ミキがなぜこんな所にいるのか興味しんしんに尋ねてくるのを、母さんがうまくごまかした。
「夕暮れワイドの新企画のために秘密の作戦会議を開くの。ほかのレギュラー陣も、もうすぐ来るはずよ」
母さんがそう言うと、たっくんは意外と素直に引き下がった。いつのまにか後ろに立っていた、マネジャーさんの渋い顔のせいだと思うけど。
写真集の撮影は思った以上にハードな仕事だった。
無理やり笑わされるのも、不自然なポーズを取らされるのも、ワイドショーのときとはケタ違い。編み物をするわけでも料理をするわけでもなく、手持ちぶさたなのもおちつかない。
話に聞いていた『カメラマンはアイドルの写真取る時やたらほめちぎる』っていうのがホントだってわかったのが唯一の収穫かな。
「はいー、ミキちゃん笑顔いいよ〜……いいねぇ、いいよ〜、その調子」
何が『その調子』なんだか全然わからないんですけど……。
テキトーな愛想笑いを続けていると、頬(ほお)が引きつってくる。目にも留まらぬ速さでシャッター切りまくっていたカメラマンさんが、手を止めた。
「疲れたのかな、ミキちゃん。ちょっと休憩しようか」
「あ、はい、すみません」
謝りながらも内心ホッとひと安心。
このまま黙って帰っちゃおうかなー、なんて思いながらスタジオから出ようとしたとき、母さんが言った。
「敷地内から出ないようにね!」
うっ、完全に読まれてる。
敷地内から出るなとは言われたけど、建物から出るなとは言われてないよね。
僕は玄関から入って来るときに見えていた、緑の木々に取り囲まれた前庭に出て、両手を上げて深呼吸した。
「すわぁ〜」
ついでにアクビもしていた最中に、またトンと肩をたたかれビクッとした。今回は後ろに誰がいるのか予測できたので、悲鳴はあげなかったけれど。
予想どうり、超さわやか笑顔のたっくんが木漏れ日の中に立っていた。
「会議終わったの?」
「会議? あ、ああ、まだ途中だけど、ちょっと休憩中なんです」
笑顔で答えると、たっくんは手に持っていたコンビニの袋を目の前に持ち上げてみせた。
「おにぎり買って来たんだけど、一緒に食べない? ほら、そこちょうどいい具合にベンチあるし」
ホント、なんで、そんなちょうどいい具合にベンチがそこにあるんだ。
うざったい相手をさけたい気持ちと、おなかがすき過ぎて誰と一緒でもいいからおにぎりが食べたい気持ちが戦って……おにぎり軍が勝利した。
「ありがとう。ちょうどおなかペコペコだったの」
たっくんがキザなポーズでほこりを払ってくれたベンチ腰かけて、明太子おにぎりを受け取った。そのとき、道路沿いの生垣(いけがき)で何かが光った。
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僕はアイドル? 12
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(よしき=僕)は、アイドルみたいに写真集を作ることになった。撮影に出かけた古いスタジオで、以前テレビ局でナンパされた藤沢拓海を出会う。
三、恐怖の写真週刊誌A
なんだろう、いま光ったのは?
その方向を指さそうと上げかけた右手に、たっくんの何か冷たいものをすべりこませた。
「ハイ、ウーロン茶」
「え? あ、ありがと」
よく冷えた五〇〇_リットルのペットボトル。こいつ、案外気が利くじゃないか。と思いつつ、先に自分のボトルを空けて飲み始めた藤沢拓海の横顔をながめる。
いったんキャップをとじて、たっくんは僕のほうに向き直った。
「どうしてメールくれなかったの?ずっと待ってたのにさ」
どうして 、 って言われても、アンタのことなんかすっかり忘れてたんだよ。――とは言いにくいよな、さすがに。
「そんな……まだ、お互いによく知らないし」
「どうして? 俺(おれ)のことはテレビで見て知ってるだろ? 僕もミキちゃんのこと『夕暮れワイド』のビデオ見せてもらってよくわかったぜ。料理も裁縫もなんでもできるなんて最高じゃん」
別に真剣に話し合う必要もないわけなのに、たっくんのその言葉に思わず言い返してしまった。
「テレビの中のミキを見て、いったい何がわかるっていうんだ。あんなのムリヤリ作られた虚像なのに。……たっくんは、テレビの中の自分が本物だって思ってるのか? ふだんどんなこと考えてどんなふうに生きてるのか、全然わかんない奴(やつ)と付き合えるほど、こっちはミーハーじゃないんだ」
言ってしまってからヤバイと思った。完全に男口調だったよな。今のは。
いつでも逃げ出せる体勢で身がまえていたら、たっくんは感心したように目を見開いて言った。
「すっげぇ、しっかりした考え持ってんだなぁ、ミキちゃんは。ますます興味持っちゃったなぁ」
「え…え〜、マジ?」
「やっぱ、まずメル友から始めよう。すぐ『ふだんの、本物の、俺』のこと、わかるようになるからさ」
たっくんは、ボトルとおにぎりをベンチに置いて僕の両手を握ろうとした。右手にボトル、左手におにぎりを持ったままだったので、手首のところをぎゅっとつかまれた。
「なっ……ちょ、ちょっと、なにすんだよ!」
たっくんをふりほどこうと体をよじった時、また何かが光った。今度は
『カシャ…カシャ…カシャ…』とかすかな連続音も聞こえた。
「たっくん……あれ、なんだ?」
手首をつかまれたままの右手で、生垣(いけがき)のほうをゆびさす。(正確にはペットボトルの口を向けたことになるが。)
そっちに目を向けたたっくんは、血相を変えて駆けだした。すると、生垣が大きくガサリと揺れて、葉っぱの中にいた黒い影が道路側に飛び出した。
「てめぇ、また狙ってやがったのか!」
そう叫びながらたっくんは低めの生垣をヒラリと飛びこえた。
黒い影は、黒シャツ黒ズボンのやせた男で、がっしりしたカメラを大事そうに抱えて、よろめきながら道路を逃げていく。たっくんはいっそうスピードをあげて追いかけたが、あと一歩というところで取り逃がしてしまった。路肩に停車していた黒いワゴン車のドアが開き、男を中に入れると急発進して走り去ってしまったのである。
「ちっきしょ〜」
生垣を乗り越えるのに手間どっていた僕が追いついた時、たっくんは地面をけっとばして悔しがっていた。
「今の誰?」
「写真週刊誌のカメラマン。いつも俺たちサニーズのタレントをつけまわしてるクソ野朗だ」
「サニーズの……ってことはみんな中高生だよね。子どものプライバシーまでのぞこうっていうわけ?」
「相手が子どもだろうが奴らには関係ない。ファンが知りたがってるプライベートの写真が撮れればいいのさ」
さっき撮られた『たっくんのプライベート写真』って、もしかしたら、かなり、いやものすごく、ヤバくない?
あの状況だと、どう見ても僕の存在は『たっくんに交際を迫られている女の子』じゃないか。(実際そうだが)
スタジオに引き返しながら、たっくんは腕組みして言った。
「しかし、なんでここがわかったんだろう。今日のラジオ番組、いつも使ってるスタジオが改装中で、臨時で旧スタジオを使うことになったから、外部の人間は知らないはずなのに」
かなりショックを受けつつも、たっくんは別れ際にまた名刺を押し付けてきた。一度くらいメールしてやらないと、会うたびに渡されそうだ。
しかし、世の中にはたっくんよりもしつこいものがあるってことを、帰りの車の中で僕は思い知ることになる。
「あの黒い車、さっきからずっとついて来てるみたいで黄身が悪いわ」
バックミラーを見て母さんが言った。
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僕はアイドル? 13
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名で女の子としてテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、スタジオでアイドルの藤沢拓海と出会い、一緒にベンチに座っているところを怪しいカメラマンに撮られてしまう。
三、恐怖の写真週刊誌B
「黒い車だって!」
カツラをはずそうとしていた手をとめて、日除(よ)けカーテンを寄せて窓を開け、後ろを振り返った。
そのとたん、後ろにいたワゴン車の窓も開きカメラのレンズがのぞいた。
「ヤバっ!」
とっさに頭を中に引っ込めて窓を閉める。
「どうしたの、ヨシキ」
「後ろの車、サニーズタレント狙いのカメラマンが乗ってるんだ」
「サニーズ狙いのカメラマンが、なんでミキを追いかけてくるわけよ」
「ごめん……休憩中に、たっくんと二人でいるところを、撮られた」
そう言うと、母さんは動揺して思わずクラクションを鳴らした。
「なんてこった! ただでさえ『秘密だらけのミキちゃん』なのに、写真週刊誌に狙われてどーすんのよ」
あーあもう厄介な…とブツブツ言いながら、母さんは家とは違う方向に車を走らせた。
「どこ行くの?」
「とりあえず、父さんの店に逃げ込むわ。そのうちに撒(ま)くつもりだけど、もし万が一最後までついて来られたら、照屋ミキが坂口美帆の家に帰っちゃマズイでしょ」
そりゃそうだ。ミキはただの出演者で、司会者とは何の関係もないことになってる。二人が同じ家に帰ったらおかしいし、乗った時は女の子だったのに降りる時男の子になってたら、おかしいどころの騒ぎじゃない。
僕らは、もし万が一ついて来られた時に備えて、ミキの格好のままじいちゃんの家に向かうことにした。
できるだけ裏道を通り、遠回りしてじいちゃんの町に向かう。今住んでいる家に比べるとかなりテレビ局から遠い、郊外の町だ。この町に住んでいた時間のほうが圧倒的に長かったせいか、ゴミゴミした町並みにもなんだかホッとする。
各駅停車しかとまらない小さな駅の駅前にある商店街の、そのまた端っこに、じいちゃんの店『照屋手芸店』がある。店先に置いてある陶器製テリア犬の置物とレジ前にちょこんと座っている編みぐるみテリアのせいで『テリア手芸店』と呼ばれている店だ。
店の前に車を止め辺りを見回しながら店に入る。どうやらうまく撒けたらしく、黒いワゴン車はどこにもいない。
「じいちゃん、こんちわ」
やっとひと息つける……と笑顔で店に入っていった僕は、じいちゃんと一緒に店の中にいた人の顔を見て固まってしまった。小物を飾ったカウンター越しに、じいちゃんに編み物を教わっていたのは、この前テレビ局で会ったカオルさんって人だった。
僕らの姿を見たカオルさんは、立ち上がって「こんにちは」と挨拶(あいさつ)した。今日も一段と清楚(せいそ)な白ブラウスとグレーのスカート
姿で、どう見ても女性にしか見えない。
後ろを振り向くと、母さんが目を見開いて立ちすくんでいた。固まってるどころじゃなく、凍りついてる感じ。
じいちゃんが僕らに向かって何か言おうとしたとき、店から住居に続いている扉が開いた。
「お父さん、一段落ついたので、店番かわりましょう……か…」
なんと、父さんが湯のみを二つのせたお盆を持って現れた。父さんも、入ってきてすぐの所で、口をあんぐり開けたまま固まっている。
視線は母さんのほうからはずさないまま、父さんはロボットみたいにぎくしゃくした動きでお盆をカウンターに置いた。そのまま、ぎくしゃくと右手を上げて引きつった笑みを浮かべた。
「やあ……」
「やあ、じゃないでしょ! いったい何なの、この状況は。ちゃんと説明してちょうだい!」
さっきまで氷の彫像みたいだった母さんが、背後に炎が見えるような勢いで怒り狂っていた。
無理ないよな。家を出た父さんがここに来てることはわかってたけど、父さんの浮気相手だと思い込んでる女の人も一緒にいるなんて夢にも思わないだろう。僕だってこの展開は予想外だ。
「いや、あの…これは……」
アタフタしている父さんのかわりに、カオルさんが口を開いた。
「小沼薫と申します。直人さんとは、高校時代の同級生でした。どうか、よろしくお願いします」
軽く会釈してカオルさんを、母さんは思いっきりにらみつけた。
「よろしくなんて、するつもりありません。この間は私の留守中、家に上がりこんでたと思ったら、今度はお父さんの家にまで入り込んで、アンタみたいに厚かましい女、初めて見るわ!」
僕の前に一歩進み出て、母さんはカオルさんと向かい合った。その間に、父さんが割って入った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。全部、美帆の誤解なんだ」
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僕はアイドル? 14
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという女の子としてテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、写真週刊誌に狙われて祖父の店に逃げ込んだ。そこには別居中の父と、父の友人のカオル(女装の男性)が居て……。
三、恐怖の写真週刊誌C
母さんは眉(まゆ)をつりあげて怒った。
「こんな言い逃れしようもない状況で、よくも誤解だなんて言えるわね」
「だって本当に誤解なんだよ。美帆はカオルのことを浮気相手だと思ってるようだけど、こいつは高校時代からの親友で……男なんだ」
二人をにらみつけていた母さんの目が、驚きに見開かれた。
「う…うそよ、そんなの。だって……どう見たって女じゃないの」
「俺(おれ)もこの前再開した時、すぐにはわからなかったよ。高校時代は女子にモテモテの男前だったのに、こんな変わり様だもんな」
あっけに取られたままの母さんに、カオルさんがにっこりほほえみかける。そして、後ずさりしそうな母さんに向かって一枚の写真を差し出した。
「高校時代の私です」
母さんの肩ごしに、のぞきこんでみると、そこには学生服姿の少年が二人、肩を組んで写っていた。二人とも髪を短く刈ったさわやかスポーツ少年って感じで。背が高くて眉毛の濃い方には、父さんの面影がある。
小柄できゃしゃだけどキリッと整った美少年の方の、楽しげに細められた目元あたりがカオルさんに似ていた。
「これ……が?」
小柄な方を母さんが指さすと、カオルさんは写真の少年とそっくりに目を細めて「ええ」と答えた。
「ほおぉ、変わるもんだのう」
いつのまにか、じいちゃんまで寄ってきて写真をのぞきこんでいた。
何度も写真と実物を見比べてから、母さんはタメ息をついた。
「わかったわ。男だっていうのは本当みたいね」
「な、言ったとおりだろ」
父さんが笑顔で言うと、母さんはピシッとさえぎった。
「直人はちょっと黙ってて。直人が、昔の男友達のつもりで家に入れたっていうのは信じてあげてもいいわ。でも……」
母さんの目が鋭く光った。
「好きこのんでそんな格好をしてらっしゃるってことは、普通の男性とは内面も違うってことなのよね? 直人はともかく、あなたが直人のこと、どう思ってらっしゃるのか知りたいわ」
母さんにそう訊(き)かれて、カオルさんは頬(ほお)を赤らめた。
少し首をかしげ頬に手を当てて考え込む姿は、たいていの女の人より女っぽく見える。
でも、母さんはいったい何を訊きたいんだろう。カオルさんが父さんをどう思ってるか、なんて「高校の同級生だと思ってます」で決まりだろう。
「直人さんのことは、高校に入った時から、ずっと好きでした」
カオルさんの後ろにいた父さんが「うえぇえ〜!」と大声をあげた。目を白黒させている父さんの方に振り向いて、カオルさんは言った。
「本当は、言うつもりなんかなかったけど、今でも……好きです」
今度は母さんの方に向き直った。
「でも、それは私が勝手に思ってるだけで、直人さんの家庭を壊してまで一緒になりたいなんて、決して思ってません。だから……」
言葉につまって、目をうるませて母さんを見つめているカオルさんは、ドキドキするくらいきれいだった。
だけど、言ってる内容をよく考えてみたら、今ってかなりヤバイ状況のような気がした。
父さんは『母さんに無断で家に入れたのは悪かったけど、男友達のつもりだったんだから許してくれるだろう』って心づもりだったのに、カオルさんが『ずっと好きでした』なんて言ってしまったら収まる事も収まらなくなる。
案の定、母さんは鋭い目でカオルさんをにらんだまま冷たくいった。
「だから…なんだっていうの?」
「直人さんは何も悪くないです。私、もう二度と直人さんと会わないようにしますから……だから、家に帰らせてあげてほしいんです」
両手を胸の前で組み、うつむきながら、カオルさんは震える声でそう言った。必死さが伝わってきて、僕は思わず母さんの味方じゃなくカオルさんの味方になりたくなってしまった。実際、もう会わないんだったら、別にカオルさんが父さんのこと好きでも構わないと思うし。
でも母さんの怒りは収まるどころか、なぜかさっきより激しくなっていた。
「嫌よ! 二度と会わないから…なんて言われても、この状況で信用できると思う? あなただってほんとは、家を出てる方が直人に会いに来られるって思ってるんでしょう。だったら、このまま一緒に店番でもしてたらどう?」
「あの、ここは僕の店……」
異議を唱えかけたじいちゃんは、カンペキに無視された。
「相手が男だったなんて余計に不愉快だわ。もう、しばらく帰って来ないで。一人にしてちょうだい!」
ってことは僕も追い出されるわけ?
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僕はアイドル? 15
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、カメラマンから逃げて祖父の店に立ち寄った。そこで別居中の父と、女性よりも美しい男性のカオルに会って、母は怒りだした。
三、恐怖の写真週刊誌D
怒りにまかせて母さんは本当に一人で帰ってしまい、僕は一晩じいちゃんの家に泊めてもらった。
写真週刊誌の記者たちが万が一つけてきてた時のことを思ったら、母さんと別々に帰った方が良かったんだけど、なんだか割り切れない気分だ。
「ひさしぶりに泊まりに来たんだと思えばいいさ。もうそろそろサンプルも必要だっただろ?」
じいちゃんはムクれている僕にそう言った。
確かに、手芸を教える回はほとんど僕とじいちゃんで考えたオリジナル作品を扱っていて、サンプルはじいちゃんに作ってもらっていた。このところ料理の回が続いていたけど、そろそろ編み物の新作が必要な頃だった。
「うん。次は簡単なパターンで編める帽子とかどうかな」
「それならちょうどオシャレで良いのがあるぞ」
じいちゃんはハゲ隠しにかぶっているニット帽(そういえば今日は新作)を指さして笑った。
若者がかぶればそれなりに流行(はやり)のものに見えそうは帽子は、編み方としては比較的カンタンなかぎ針編みでできていた。
店の在庫の中から好きな色の毛糸を選んで、さっきカオルさんが座っていた椅子(いす)に腰かけてじいちゃんに帽子の編み方を教えてもらった。わかりにくいところは図に描いてみながら、自分で難しさを点検する。たぶん、普通に編み物のできる主婦ならカンタンにできる程度のものだろう。
「じいちゃん、ありがとう。来週はこれでいってみるよ」
「おう、役に立てて何よりだ」
「あの……ついでにお願いがあるんだけど、いいかな」
「なんだ、編み物以外のことか」
「うん。友達でさ『夕暮れワイド』を見学したいって奴(やつ)がいるんだけど、どうしても水曜がいいって言うから僕がついてくことができないんだ。じいちゃんに案内頼みたいんだけど」
「じいちゃんは構わないが、友達はそれでもいいのかな?」
「大丈夫。昔、ここに住んでた頃に友達だった有紗って子だから、たぶんじいちゃんのことも知ってるよ」
「おお、そうか、あの子なら覚えておる。なかなか可愛(かわい)い子だったな」
ちょっと鼻の下をのばし気味のじいちゃんに、水曜の放課後の予定を説明しながら、なんとか一つ問題が片付いてホッとしていた。
水曜の放課後。
ずっと追いかけてくる有紗を振り切ろうと、僕は必死で廊下を走っていた。
「なんで、一緒に、行けないのよぉ」
「別の、用事が、あるんだよ!」
「どんな、用事、なのぉ?」
「どうでも、いいだろっ!」
家に帰ってからも母さんの機嫌は最悪で、身も心も疲れきってるってのに、これ以上疲れさせないでくれよ。
「テレビ局の、玄関で、じいちゃんが待ってるから!」
大声でそう言うと後ろでけたたましく響いていた足音が止まった。ちらっと振り返ると、有紗がふくれっつらでじっと僕を見送っていた。
学校前の坂を下り、小さな郵便局の角の細い路地を入ったところに、いつもどおり父さんの車がとまっていた。
「遅かったじゃないか」
声と共に開いたドアにすべりこむ。
急発進した車の中で、父さんが用意してくれていた『ミキの私服』に着替えようとしたのだが、紙袋の中にはとんでもない服が入っていた。
「なんだぁ? これってこの前、写真集撮影に使った衣装じゃん」
「え、そうなのか」
それは某外国アイドルデュオが着ている衣装にそっくりな、超ミニスカートの制服もどき。ミキの私服のはずなのに、ふだん『夕暮れワイド』で着てる衣装よりも格段に派手だ。
ミラーで後ろを見て父さんが、すまなそうに言った。
「ごめん、父さん、服のことはわからなくってな」
「これしかないんなら、しかたないよ」
タメ息つきながらしぶしぶ着替えていると、身支度が終わる頃にはもうほとんどテレビ局についていた。
いつものように駐車場に車をとめて……ドアを開けようとした時、あっという間に回りを人垣に囲まれていた。
みんな手にはマイクを持って、口々に何か叫んでいる。僕をかばおうとして父さんが大きく広げた腕の間から、たくさんのマイクが突き出される。
なんなんだこれ。よくワイドショーで見かける光景だけど、なんで僕がこんな目にあわなきゃいけないんだ?
その理由はすぐにわかった。近くにいた男が手に持っていた今日発売写真週刊誌の表紙に、僕とたっくんのツーショットが写っていた。
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僕はアイドル? 16
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、母と離れて祖父の家に泊まり、有紗のスタジオ見学の件を祖父に頼んだ。ミキはテレビ局の駐車場でレポーターに囲まれた。
四、秘密を守れ!@
警備員さんに助けられてなんとか局内に入ることができたけど、中にいたスタッフのみんなも僕の顔を見てヒソヒソ何か話し合っている。
いったい、あの写真週刊誌にはどんな記事が出ていたんだろう。
番組開始時間ぎりぎりに到着した僕には打ち合わせに割く以外の時間がほとんどなくて、あの週刊誌を見ている暇などなく番組セット裏にスタンバイすることになった。
いつも僕が着いた時にはもうセットに入ってるはずの母さんの姿が見えない。辺りを見回していると、ヒステリックな怒鳴り声が聞こえた。控室から出てきた母さんがディレクターの森田さんに大声で食ってかかっている。
「代役なんてとんでもない! このくらいのことで動揺したりなんかしませんから。……それより、今日のゲストはさすがにマズイと思うんです。わざわざ渦中の人物を呼ぶことはないと思うんですが」
なんだろう。代役を立てる……ってミキの代役のことかな。母さんの言うとおり、僕は別に動揺なんかしてない。帰りもまた駐車場で囲まれるのかな、それから車何台もで尾行されたら嫌だな――とは思うけど、仕事ができないほどショックなわけじゃない。ミキとたっくんが何の関係もないことは、調べればすぐわかることだ。
それより『今日のゲスト』って誰だろう。森田さんが「いま断ったら問題が大きくなる。あっちから断ってくるならいいが、あの事務所には逆らわないほうがいいから」とかなんとか必死で説得している。母さんもしぶしぶ納得したようだ」
渦中の人……って言葉に、まさかと思っていたら、その『まさか』な人物がスタジオに姿を現した。
藤沢拓海=ミキと一緒に写真週刊誌の表紙を飾っているお調子者アイドル。
いったい何考えてんだ、あいつ。事実無根だとはいえ、なぜ今、ミキと一緒の番組に出る必要があるんだ? アイドルだったら世間体考えて断れよ。
スタジオ内は世間に出回っている写真師のことなんか無かったことのように、いつもどおりの段取りで番組が進んでいく。
が、いつもどおりじゃないところに気がついた。ミキの担当する手作りコーナーのセットに、椅子(いす)が二つ置かれている。ミキのと……もうひとつは誰のだ?
ADさんがスタンバイしていた僕のところに飛んできて言った。
「ごめん、ミキちゃん。ゲストがぜひ間近で見たいというので、生徒役として座ってもらうことになったんだ」
「生徒って…どうしたらいいの?」
「別に気にしなくていいんだ。ミキちゃんはいつもどおり客席に向かって教える態度でいいんだから」
そんな『気にしなくていい』って言われても、そばでじぃっと見てられたら気になるわい!
せっかく、かなりイケてると思ってたじいちゃん作のニット帽なのに、隣に座ってニコニコしてる奴(やつ)が気になってうまく説明できない。
説明はしどろもどろでも手は自然と動いていて、なんとか時間どおりに手作りコーナーは終わった。(編み方がわかった人は少ないだろうけど。)
隣に座っていただけで全くミキに無視されていたのに、たっくんは相変わらずの笑顔で拍手している。
すかさず母さんのフォローが入る。
「ミキちゃん、お疲れ様。……今回、たっての希望で生徒役になってくれた藤沢くん、そばで見てどうだった?編み方ちゃんとわかったかしら」
客席からクスクスと笑いが起こった。ずっとこのコーナー見ている人なら、今日のミキの説明がドヘタだったことはすぐわかる。
「いやあ、やっぱ生で見るとすごいですねぇ。編み針の動きが魔法みたいで感動しちゃいました」
さすがバラエティーやトークもこなすマルチタレントだけあって、そつのないコメントだ。でも僕としては変にフォローされていたたまれない気分だ。
「どうも…ありがとうございました」
うなだれて小さな声でそう言ったとき、突然たっくんが肩をたたいた。
「ミキちゃんは何も気にすることないんだからね」
……え?
「なんて言われようが、僕らには何もやましいことはないんだから、堂々としてたらいいんだよ」
あれ? これって、さっきのニット帽の話じゃないよな。
スタジオ内がざわつきはじめて、唐突にCMに行く前の音楽が鳴り響いた。
「拓海! 何やってるんだ」
マネジャーさんが叫んだ。が、たっくんの暴走は止まらなかった。
「たとえミキちゃんがどんな素性の子でも、僕の気持ちは変わらないよ。真剣に付き合いたいと思ってるんだ」
突然、何言い出すんだよっ!
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僕はアイドル? 17
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、人気アイドルとのツーショットを写真週刊誌に撮られてしまう。なんと、その渦中のたっくんが番組に現れ、爆弾発言をした。
四、秘密を守れ!A
――たとえミキちゃんがどんな素性の子でも――っていったいどういう意味? たっくんに訊(き)きたかったけど、事態はそれどころじゃなくなっていった。
手作りコーナー以降、メーン司会の坂口美帆(=僕の母さん)の様子がおかしくなったのだ。
コーナーが変わる時の段取りはもたつくし、芸能ニュースにはうわの空だし、画面のテロップは読み間違えるし。
写真週刊誌にスクープされたのも、人気アイドルからの告白をオンエアされたのも僕なのに、まるで代わりに動揺してくれているように、母さんの方がボロボロになってしまっている。
番組が終わって控室に戻ると、モニターで見ていた父さんがコーヒーをいれて待っていてくれた。
「大変なことになったなぁ。明日から……いや、きっと局を出る時から、マスコミに追いかけ回されるぞ」
甘めのコーヒーを一口飲んで、肩をすくめて答える。
「父さんはマスコミに追い回されたことないの?母さんと結婚した時とかさ」
「まさか。母さんだってそれほどメジャーなタレントじゃないし、俺(おれ)なんかマイナー作家だからな。取材なんて一つもなかったよ」
「ふうん、母さん名字も変えたのに、全然反響なかったんだね。それもちょっと寂しいかも――」
父さんとの話をさえぎるように、バン! と音を立てて扉が開いて、ふだんめったにミキの部屋には来ない母さんが怖い顔で立っていた。手には例の写真週刊誌が握られている。
「あんたたち、のん気に笑ってくつろいでるけど、この中に何が書かれているか知ってるの?」
週刊誌をつきつけられて、父さんは口ごもりながら答えた。
「い、いや。まだ読んでない」
「じゃあ、読みなさい」
めずらしく年上口調で母さんが言う。
僕も父さんの肩ごしにのぞきこんで写真週刊誌の記事を見ていた。
たっくんとの写真以外にも数枚写真が掲載されていたが、その大半はじいちゃんの店での僕らの様子だった。母さんと車から降りるミキ・じいちゃんの店先にいるミキ・父さんとカオルさんを怒鳴りつける母さん……などなど。
尾行は撒(ま)けていなかったのだ。
それに、表紙こそミキとたっくんのツーショットだけど、中に載っている記事は、正確には母さんに関するゴシップ記事だった。
「――『夕暮れワイド』などでおなじみの司会者、坂口美帆が結婚していたことが明らかになった。お相手は三歳年下の作家・坂口直人氏であるが、取材時には結婚三年目の二人はすでに別居中の状態にあった。
当社カメラマンは『夕暮れワイド』の共演者ミキを伴って実家を訪れた坂口美帆が、別居中の夫とその愛人と鉢合わせした場面と遭遇し、その一部始終をカメラにおさめた。
さらに、番組のマスコットガール的存在であるミキは、本名、住所などすべて極秘であるが、取材当日そのまま坂口美帆の実家に泊まったという事実などから、取材班ではミキが坂口美帆の隠し子ではないかと推測し、継続して調査を進めている――」
声に出して読んでいた父さんは、記事から目を上げ、母さんを見つめた。
母さんは眉間(みけん)にシワを寄せ、タメ息をついた。さっき『代役を…』という話が出ていたのは、ミキじゃなくて母さんの方だったのか。
しかし、本当に『継続して調査』なんかされたら厄介なことになるぞ。別居のことも、カオルさんのことも、ミキのことも、微妙に間違ってはいるけど、まるっきりハズレというわけでもないんだから。
「ミキはとうぶんお休みするように、会社の上の方から言われたらしいわ。ほとぼりがさめるまでだって森田さんは言ってるけど、こんなことになっちゃったらもうおしまいよね」
「もう…おしまい……?」
ミキの格好でテレビに出るなんてもう嫌だ、早くやめたい…って、ずっと思っていたはずなのに、終わりなんだと聞いても全然うれしい気持ちがわいてこない。やめたかったのは確かだけど、こんな形でやめたくはなかった。
「そう、おしまいよ。ミキだけじゃなく、私も一緒に降ろされるわ、きっと」
母さんは両手で顔をおおい泣きそうな声で言った。
「そんな深刻になるなよ。こんなことぐらいで降ろされたりしないって」
優しくそう言いながら肩にのばしてきた父さんの手を、母さんは激しく振り払った。
「何言ってんのよ! 誰のせいでこんな状態になってると思ってるの?」
「いや、それは……」
「あなたがあのオカマを家に連れてきたのがすべての元凶じゃないの!」
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僕はアイドル? 18
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、写真週刊誌にスクープされてしまった。番組終了後、その週刊誌を読んでみると、母に関するゴシップ記事が書かれていた。
四、秘密を守れ!B
母さんの、カオルさんを侮辱するような言葉に、父さんは眉(まゆ)をひそめた。
「そういう言い方はないだろう。もともとカオルにはなんの落ち度もないんだ。俺(おれ)が昔の友達を家に呼んでいたのをキミが勝手に誤解しただけじゃないか」
「なんですって。あっちには落ち度がなくて、私が誤解したのが悪いって言うのね、あなたは!」
真っ赤になって怒鳴る母さんを、父さんはなだめようとしたが遅かった。
「あの人のほうが若くて綺麗(きれい)ですもんね。庇(かば)いたくもなるわよね」
「べつに庇ってなんかない」
「あら、そうかしら。あんな美人があなたのこと、せっかく好きだって言ってくれてるんだから、私と別れて結婚してあげればいいじゃない」
皮肉めいたまなざしで母さんがそう言ったとき、父さんも爆発した。
「何言ってんだ! 男と結婚できるわけないだろ」
「あら、知らないの。男同士でも一緒に暮らしてるカップルは居るわよ。養子縁組で戸籍を入れて。……仮にも作家の端くれだったら、そのくらい調べておきなさいよ」
「なんだとォ! 作家の端くれとはなんだ! 結局おまえは、俺の稼ぎが少ないのをバカにしてるんじゃないか」
大変だ。話の展開がヤバい方向にズレれる。このままじゃエスカレートしていくばかりに思えたので、必死で二人の間に割って入った。
「二人とも落ち着いてよ。今はケンカしてる場合じゃないだろ。マスコミの取材をどうやってかわしていくか、みんなで話し合わなきゃ……」
僕が一番正論を言ってるはずなのに、同士に両方からにらみつけられてしまった。
「ヨシキはちょっと黙ってなさい。今、大事は話をしてるの」
「その話し合いはまた後でするから、大人の話の邪魔しないでくれ」
二人ほとんど同じことを同時に言ってる。なんだよ、そんな幼稚なののしり合いが大人の大事な話なのかよ。
「じゃあ勝手にすれば! 僕はもう関係ないからね。もし母さんたちが離婚するんだったら、僕はじいちゃんちの子供になるから!」
勢いで熱くなっちゃうのは親ゆずりなのかもしれない。そう怒鳴りつけてから、後先考えずに控室を飛び出してしまったんだから。
全速力で廊下を走りぬける。
すぐに背後で父さんたちが呼び止める声がしたけど、振り返らない。
駐車場へ出る通用口に向かって走っていることに気づいて、途中で方向転換した。駐車場はダメだ。まだリポーターたちが見張ってるに違いない。
スタジオ見学者が出入りする正面玄関のほうがまだマシかもしれない。
そう思ったのは正解で、入館証を見せながら玄関受付を駆け抜けた時、あたりにリポーターやカメラマンの姿は無かった。
ホッとして普通の速度でテレビ局前の歩道を歩き始めたとき、後ろから女の子数人の歓声が聞こえた。
「見て見て、あの子『夕暮れワイド』に出てる子じゃない?」
「ほんとだー。さっきたっくんにコクられてた子だよねー」
「えぇ〜、やだぁ、どの子よぉ?」
キャラキャラとよく響く声にヤバイと思ったとたん、局の裏手から大勢の人が駆けてくる音がした。
「ミキちゃんが見つかったぞー!」
何がどうなったのか、もう後ろを振り向かなくてもわかる。駐車場の方にいた取材陣が、女の子たちの歓声を聞いて駆けつけてきたのだ。
「待ってぇーミキちゃーん。話を聞かせてくださーい!」
テレビでよく見かける女性リポーターのかん高い声が追いかけてくる。ちょっと待てよ。あの人の出ている芸能情報番組って確か東日テレビじゃなかったっけ。ダメじゃん、身内のくせにミキの秘密を暴こうなんて。
そんなことを考えながら走っていたら、歩道の敷石のスキマにつまづいて転んでしまった。
「いってぇ〜」
ミキの私服、ミニスカート姿だったので、見事にひざ小僧をすりむいてしまった。ただでさえかかとの高い靴がうっとうしかったところに、ひざの痛みが加わって、うまく走れない。
顔をしかめながら必死で走っていた僕の目の前に、一台の自転車が急停車した。
「ミキっち、後ろに乗りな!」
地獄に仏ってことわざは、こういう時のためにあったんだ。
番組中には姿を見かけなかったけど、今日スタジオ見学に来ていた伊藤有紗が、学校の制服姿のままで、さっそうと自転車にまたがっていた。
「助かったよ、有紗」
「気にしないでいいよ。ひとつ貸しってことにしとくから」
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僕はアイドル? 19
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 ミキという名でテレビに出ている美樹(よしき=僕)と母(タレント)は写真週刊誌にスクープされてしまう。記事のことで言い争う両親に嫌気がさし、ミキの姿のままテレビ局の外に飛び出した。
四、秘密を守れ!C
有紗は僕を後ろに乗せ、全速力で自転車をこぎだした。
後ろからはまだ、追いかけてくるリポーターの声が聞こえる。が、有紗のこぐペダルの回転音が速くなるにつれ、わーわー騒ぐ声は遠ざかっていった。
とにかく、やみくもに細い路地に入って行き続けるうちに、だんだん辺りが静かになってきた。ホッとひと安心したとき、必死で有紗の腰に手を回してしがみついていたことに気づいて、思わず手をはなしそうになった。
「ちゃんとつかまってないと、振り落とすよ、ミキっち!」
鋭い声で叱(しか)られて、あわててまたしがみつく。
え? ちょっと待て。今、有紗「ミキっち」って言ったよな。――ということは、ミキの正体が僕=ヨシキだってこと、わかってるわけなのか?
そういえばさっきも確か、ミキとは初対面のはずなのに、慣れた口調で「ミキっち、乗りな!」って言ってた。それに答えて僕も、当然のように「助かったよ、有紗」なんて言ってしまっていた。どうしよう。ミキは有紗のことなんか知ってるはずがないのに。
どういって確かめようか迷っていた時、頬(ほお)にポツッと冷たいしずくが落ちてきた。
「やばっ、降ってきたみたい」
有紗は不機嫌な口調でそう言うと、あたりを見回して急にUターンした。さっきまで追っ手をまくためだけに、行き先も考えずに走っていたのだが、雨が降ってきたので僕らの住んでいる街の方に向かい始めたらしい。
それほど遠くないといっても、電車で五駅、車でスムーズに来て十五分のテレビ局まで自転車で来たなんて、有紗って思った以上にパワフルな奴(やつ)だ。
でも、いくらも行かないうちに、雨は土砂降りになって自転車の二人乗りは難しくなってきた。
「あ、ちょうどいい所があった」
有紗は路線バスの停留所に自転車を停(と)めて、ベンチをおおっている簡単なトタン屋根の下に駆け込んだ。
あっという間にぐしょぬれになってしまったスカートを軽くしぼって、有紗はベンチに腰かけた。僕も、脚に気持ち悪くまとわりついているスカートを広げながら腰かける。父さんが選び間違えたミキの私服は超ミニスカートの制服風ツーピースだったから、パッと見には、雨宿りしている二人の女子中学生に見えるだろう。が、ぬれてぴったり胸にはりついた二人のブラウスを見てみると、実はそうじゃないことがはっきりとわかった。
「あ、あの……」
口ごもりながら尋ねようとすると、有紗はいきなり僕の背中をバシッとたたいた。
「緊張することないって、ヨシキ」
「な…なんだって?」
「だからぁ〜、ミキってヨシキなんでしょ? そんなことわかってるよ、最初っから」
目を丸くして有紗の顔を見つめると、ニィッと口を大きく広げて笑った。
「なんか……おまえって、めちゃくちゃ明るいよなぁ」
「そう? 今じゃこれが普通なんだけどな。でも、三年ぶりに会うヨシキには、すっごく変わって見えるかもね」
無邪気に笑ったあと、有紗は少し真顔に戻って言った。
「暗かった私が明るく変われたのは、お母さんが変わったからなの」
有紗のお母さんってそんなに暗かったっけ? 何度か会ったことはあるけど、地味だけどいつもきちんとした身なりをしたきれいな人ってイメージしかない。少し首をかしげた僕に向かって、有紗は話しはじめた。
「近所の人の目には、たぶん普通の平和な家族に見えてたと思うけど、うちの中の雰囲気って、ずっと最悪だった。うちのお父さん、お酒飲むと人格変わっちゃう人で、ほとんど毎晩のように酔っ払って怒鳴り散らしては、お母さんを殴ってた。文句言ったら私のことも蹴(け)ろうとして……いつも、お母さん、私をかばって私の分まで殴られてた。だから、家の中、いつも暗くて……」
有紗は少し目をうるませて、うつむいた。
「全然知らなかった」
そう言うと有紗は首を振った。
「ヨシキたちには知られたくなかったもん。人に同情されるのはイヤだったから。それに、あの頃の私は、お父さんだけじゃなくて、少しの抵抗もできないお母さんのことも大嫌いで、自分自身もすごくイヤな性格になってたから、他人を信用してなかったし」
「そんなことないよ。昔の有紗っておとなしかったけど、全然イヤな性格なんかじゃなかった」
「……ありがとう」
うつむいていた有紗が、視線を上げて笑顔を見せた。
「中学に上がる前、お母さん『離婚して働きに出ようと思う』って言ったの。あの時はほんと、うれしかったな」
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僕はアイドル? 20
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 女の子としてテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、両親と言い争いになりテレビ局の外に飛び出した。リポーターに追われるミキを助けてくれた友人の有紗は、昔自分が暗かった理由を語る。
四、秘密を守れ!D
「離婚が成立したあと、お母さん必死で正社員になれる勤め先をさがして、今はバリバリ働いてる。最初はおじいちゃんちに置いてもらってたんだけど、最近なんとか余裕ができてきたから親子二人だけで住むようにこの近くのアパートに引っ越してきたの」
ぐっしょりぬれた髪の毛を軽くしぼりながら、有紗は話した。
僕も水分をふくんだロングのかつらが重たくてホントは取りたかったんだけど、やっぱり人目が気になる。雨で人通りは少なくなったとはいえ、バス通りだし。
「そっか。だから転校してきたとき、昔の名字と違ってたんだ」
僕も髪の毛先をしぼりながらそう言うと、有紗は笑顔で答えた。
「離婚してお母さんの旧姓になったからね。ヨシキもあの頃と名字変わったよね?」
「うん。前の小学校から転校する時には、ホントはもう母さんの再婚が決まってて新しい名字もわかってたんだけど、照れくさくってクラスのみんなには言ってなかったんだ」
「へえー。ヨシキんちは再婚して幸せになって、うちは離婚して幸せになって……世の中いろいろだね」
自分ひとり納得して笑顔でうなずいていた有紗は、僕が浮かない顔をしているのを見て、首をかしげた。
「どうかしたの? あ、表紙しか見てないけど、たっくんとのスクープ写真を撮られたのがショックなんだ?」
首を横に振って答える。
「そんなの別にどうってことないよ。それより、あの写真週刊誌に母さんと父さんが別居中で、その原因が父さんの浮気だなんて記事が載せられてて……そのせいで本当に二人の仲が悪くなっちゃって、大変なんだ」
「え、マジで仲悪くなっちゃったの?」
「ほんと、もう疲れたよ。最初は母さんの誤解から始まったことなのに、全然父さんの話聞こうともしなくてさ。ずるずる別居続けてるうちにこんなことになっちゃって……もう離婚しかないかもな」
控室を飛び出す前の、二人の険悪な雰囲気を思い出し、ため息をついた。
隣に座っている有紗も、はぁっと息をついて首をコキコキ左右に動かした。
「ほんとにもう、子供は親に振り回されてばっかりで疲れるわよねぇ。……さっき、二人で住む余裕ができたから引っ越して来たって言ったけど、ホントは違うんだ。ちょっと前、おじいちゃんの家にお父さんが訪ねてきてさ、今さら『もう一度やり直してくれないか』なんてうざったいこと言うのよね。そんなの絶対ありえないと思ってたのに、お母さん、お酒飲んでないまじめモードのお父さんに弱くて、ハッキリ断れなくって、なんか今にもヨリを戻しそうでさ……きっぱり別れさせるために、おじいちゃんたちに協力してもらって、お父さんの知らない所に急いで引っ越したの」
そういうことだったのか。だから新学期でもなに中途半端な時期に転校してきたわけなんだ。
「お前も苦労してんだな」
そう言うと、有紗は僕の服装を頭の先からつま先まで見回して、皮肉っぽい笑顔を浮かべた。
「ヨシキのほうが、私よりもっと悲惨だと思うけど」
「ほっといてくれ!」
ふくれっつらで睨(にら)みつけたのに、有紗はなんだか楽しそうに笑った。
「ミキの格好で怒ってもなぁ」
確かに。こんな女子中学生のコスプレみたいな格好じゃ、どなりつけてもサマにならない。また思わずため息ついて、ベンチにもたれかかった。
「そんな状況じゃ『夕暮れワイド』に紹介してもらうのはムリみたいだけど、私、本気でアイドルになりたいんだ」
有紗が唐突に話を変えた。
「ちょっと誤解してるみたいだけど、『夕暮れワイド』はアイドル番組じゃないぜ」
思い違いを訂正しようとしたら、有紗は首を振って話を続けた。
「わかってる。でも、私もミキみたいに、自分の特技で番組に出たいの」
「特技って何?」
「武術。おじいちゃんちに居た頃から近所の空手道場に通い始めて、まだ三年目だけど結構筋がいいって師範にもほめられてるんだ。空手やり始めてから、猫背だって姿勢も良くなったし、声も大きくなったし、なんだか自然に笑えるようになって……だから、ミキちゃんが料理や編み物でテレビのアイドルになったように、私は武術を生かしたアイドルになりたいの」
ワイドショーからデビューするのはお勧めできないけど、特技を生かしたアイドルっていうのはいいかも、と僕も思った。有紗の容姿だったら、可愛いだけのアイドルより強いアイドルっていうのも似合うかもしれない。
そう思いながらバス通りにふと視線を向けたとき、目の前を見たことのある女の人が通り過ぎた。
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僕はアイドル? 21
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 女装してテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、両親と言い争いになりテレビ局の外に飛び出した。追って来るリポーターから助けてくれた友人の有紗と、お互い親に苦労させられた話を語り合う。
五、ほんとうの自分って?@
「カオルさん!」
思わずベンチから立ち上がって声をかけてしまった。
二、三歩行き過ぎた所で立ち止まり、振り向いたカオルさんの頬(ほお)には光る筋がついていた。僕らと違ってちゃんと傘をさしていたから、それは雨のせいじゃないはずだった。
ちょっと目を細めて睨(にら)むようにじっと見つめていたカオルさんは、突然目を見開いて「あっ」と声をあげた。
「ヨシキくん?」
「あ、はい、そうです」
そうだよな。僕が女装することを知ってる人でも、スタジオ以外の所で、こんな雨の中、制服姿で女友達といっしょにいたんじゃ気づかなくても無理はない。
あわてて頬の涙をぬぐい、カオルさんは言った。
「どうしたの、そんな格好のまま外に出ちゃいけないんじゃない? それにびしょぬれだわ」
自分だって女装したまま白昼堂々を外を歩いてるくせに……って一瞬ムッとしそうになったが、その言葉はのみ込んだ。
「両親とケンカしてスタジオ飛び出して来ちゃったんです」
さらっと事実だけを言った。
「あら、どうしたの。ヨシキくんって御両親とケンカしたりするようには見えないのに」
本当に優しげに心配そうに尋ねるその顔に、急に怒りがわいた。
「両親と……いや、両親がケンカしてる理由、わかんないのかよ、あんた」
みるみるうちにカオルさんの表情が曇った。思わずこっちの胸がしめつけられるような、切なげな顔でうつむく姿を見ていると、自分が吐き捨てた言葉が後悔された。
「うっ!」
突然、脇腹を思いっきり肘(ひじ)で突かれて、僕はうめいた。有紗がなぜだかふくれっつらで睨んでいた。
「事情はよく知らないけど、今のヨシキの言い方、なんかヤな感じだったよ。わざとこの人に嫌な思いさせてやろうとしてる感じでさぁ」
図星さされたけど、有紗に言われると不思議にムカついたりはしなかった。
「そんなのヨシキらしくないじゃん。このお姉さん、それでなくてもすごく悲しそうな顔してたのに」
有紗が心配そうに見上げると、ゆがんでいたカオルさんの眉が優しい曲線に戻った。
「ありがとう」
有紗に軽く会釈してから、僕のほうにもいつもどうりの笑顔を向けたカオルさんは、思いがけない提案をした。
「私の家、この近くなのよ。良かったら雨宿りしていかない? 濡(ぬ)れた服も脱いで乾かしたほうがいいし」
広くはないけれど小ぎれいなマンションの一室に、僕と有紗は通された。
交代でシャワーを浴びさせてもらったあと、ふだん絶対着ないようなフリフリの服を貸してもらって、有紗は喜んでいる。僕の方は、まあ慣れているとはいえ、やっぱり女物より男の服が良かったんだけど――。
着替えて部屋に戻ってくると、さっき着ていた黒っぽいフォーマルなスーツを、カオルさんがクローゼットにしまおうとしていた。落ち着いてみると、会ったときにカオルさんが流していた涙のわけが気になる。
じっと見つめていた僕の視線に気づいたのか、カオルさんはスーツを手にしたまま話だした。
「今日ね、妹の結婚祝いに行ってたの。結婚式は、もうだいぶ前のことだったんだけど……私には知らせてもらえなくて、今まで知らなくって……。家族には、もう…縁を切られてるんだけどね。私がこんなになったあとも変わらずに付き合ってくれてる叔母が一人いて、教えてくれたんだ」
部屋についてから少し説明はしたけれど、まだカオルさんの境遇についてすっかり理解したとはいえない有紗は、口をあんぐり開けたまま、必死で話の内容についてこようとしている。そんな有紗にほほ笑みかけながら、カオルさんは話を続けた。
「まあ、知ってても式に出る気はなかったんだけどね。もう落ち着いた頃だろうし、ひとこと妹にもお祝いが言いたくって、実家に寄ったのよ。ほら、私がこんなだから、妹が婿をとって両親と同居してるの。……だから、ひさしぶりに実家に行ってみたら……」
カオルさんの眉が、また悲しげな角度にゆがめられた。
「ドアも開けてもらえなかった……。『どちら様ですか』って、冷たい声が聞こえてくるだけで。『カオルです。ただいま、お久しぶりです、母さん』って言ったのに、母さん……」
もう涙は流さなかったけど、カオルさんは一瞬声を詰まらせた。
「あなたのような女(ひと)は知りません。うちにカオルという名の息子はいましたが、死にました……って」
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僕はアイドル? 22
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 テレビ局を飛び出した美樹(ヨシキ=僕)は、友人の有紗の自転車でリポーターから逃げた。雨やどりをしていた二人の前に通りかかったカオルの家に行く。
五、ほんとうの自分って? A
「そんな言い方ってひどい! カオルさんって、女の格好をしてるだけで、別に何も悪いことしてないじゃん。どうして家族から縁を切られたりしなきゃいけないのよ」
有紗が眉をひそめて言った。
素直に怒りを感じている有紗の気持ちはよくわかるが、カオルさんの家族がとりたててひどい人たちというわけじゃない。世間に対して良識ある人物を演じている人の心の中にも、偏見はひそんでいるのだ。『あのオカマ』なんて言葉を、憎々しげに口にした母さんのように。
「ありがとう、有紗ちゃん」
カオルさんは少しほほ笑んで、自分のかわりに怒ってくれている有紗にお礼を言った。
「でもね、しかたないのよ。うちは両親とも教師をしてるから、こんな息子がいるなんて、世間体が悪くておおっぴらには言えないのよね。今回『死んだ』って言われたのにはちょっと驚いたけど、普段からずっと『海外で働いてて帰って来ない』ことになってたのは知ってたから。……今日のことも、帰って来ないはずなのに突然帰っちゃった私が悪かったのよ」
そう言ったカオルさんの表情は、どこかあきらめているようにも見えた。その穏やかな顔を見た時、僕の心の中にも怒りがわいてきた。
「でも……世間体が悪いから帰って来てほしくないなんて、やっぱそんなの、おかしいよ。テレビで見たんだけどさ、カオルさんみたいな人たちって、生まれつき体と心が逆になっちゃってるんだろ。それを無理しようともしないで縁を切るなんて……」
『最低の親じゃん』と言いそうになって、僕は口ごもった。こんなひどい仕打ちをされても『私が悪かったのよ』と自分のせいにしているカオルさんが、他人に親をあざけられて喜ぶわけないじゃないか。
話の収拾をどうつけようか困っていると、有紗が明るい声で言った。
「そうだ。これからは、実家に帰る時、ちゃんと男の服着てけばいいんだよ。親とか、他にも世間体気にする人に会う時だけ、元の男に戻ればいいじゃん」
年のわりに苦労してきただけあって、いいこと考えるじゃないか。そうだよ、今日みたいなつらい目にあうくらいなら、ちょっとくらい『男のフリ』してもいいじゃん。元々男なんだし。
無邪気にうなずいている有紗に向かって、カオルさんは穏やかな笑顔のまま首を横に振った。
「昔は私もそうすればいいと思ってた。けど、やっぱりそれじゃダメだったの。自分を偽っていれば嫌な思いはせずにすんだけど、本当の意味での幸せにはなれなかった。高校卒業するまでずっと『いい息子』を演じてきて、確かに家の中は平穏だった。だけど、本当の自分はずっと心の奥で殻の中に閉じこもったままで……息ができないみたいで、苦しくてたまらなかったの」
少し眉間(みけん)にシワを寄せて遠い目をしていたカオルさんは、また僕らに笑顔を見せた。
「女として生きることにしてからは、確かに嫌な思いすることも多くなったけど、それでも私、後悔はしてないのよ。だって、今の私が『ほんとうの私』だし、なんだかすごく楽に呼吸できるようになった気がするから」
カオルさんの話を聞いているうちに、思わず僕は深呼吸をしていた。僕は最近『ほんとうの自分』として自由に呼吸したことがあるだろうか…ってそう考えてしまうと、なんだか息が苦しくなってきたんだ。
選択乾燥機に入れた僕らの制服が乾いた頃には、もうすっかり夜も更けてしまっていた。
僕らは同じマンションに住むカオルさんの友達(職場も同じオカマバー)の車を借りて、家まで送ってもらった。有紗の自転車は車の屋根にくくりつけてある。
テレビ局からずっと着て来た服は紙袋に入れ、両手で抱えていた。今僕が着ているのは、カオルさんが父さんとの思い出のためにとってあったという高校時代の学生服。もちろんカツラも取って、髪もツンツンに戻してある。
家の周りには写真週刊誌のカメラマンやテレビのリポーターがいるかもしれなかったので、二つほど手前の大通りで降ろしてもらった。
「家の前まで送らなくて大丈夫?」
心配そうにカオルさんが尋ねる。
「大丈夫です。もしカメラマンが家の近くにいるとしたら、カオルさんが一緒のほうがややこしくなると思うし」
そう答えると、カオルさんは苦笑いしながら「気をつけてね」と言った。
また有紗のこぐ自転車の後ろに乗って、家へと向かった。夜中なのに、なんだかザワザワと空気が揺れている。やっぱりうちの周りには人だかりがしていた。「どうする?」と訊(き)く有紗に、「強行突破だ」と小声で答えた。
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僕はアイドル? 23
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 テレビ局を飛び出し、友人の有紗と雨やどりしていた美樹(ヨシキ=僕)は、偶然知り合いのニューハーフ・カオルと出会った。カオルの家で着がえを借り、二人は家のそばまで送ってもらった。
五、ほんとうの自分って?B
テレビ局の外と同じく、カメラマンだけでなく記者やリポーターらしきマイクを持った人たちもいた。その数は一人や二人ではなくて、とても普通に走って突破できる人数ではなかった。
が、有紗はためらいもせず、自転車のベルを連打しながら突き進んだ。
「わっ」と声をあげながら、人垣が左右に開いた。
自転車がとまると、また散っていた人並みが寄せてきて、中の一人が僕にマイクを突きつけた。
「キミ、坂口美帆さんの息子さん?」
無視したまま自転車の荷台から降りて、有佐に「ありがと、助かったよ」と普段どおりの調子で言った。
「その子は坂口くんの彼女? こんな遅くまで二人でどこ行ってたのかな」
母さんのスキャンダル記事のために張り込んでたはずの記者たちが、全然関係ないはずの有紗にまでマイクを向けた。それには僕もさすがにムカついて、そいつの顔をにらみつけた。
すると申し合わせたようにいっせいに、パシャッパシャッとカメラのシャッター音がした。
「何、勝手に撮ってんだよ! 僕たちは普通の中学生なんだぞ」
有紗にもカメラが向けられていることに気づいて、両手を広げて記者たちの前に立ちはだかった。
すると、今度は家の玄関の方からカチャッという音が聞こえた。わずかに開いたドアの隙間(すきま)から母さんの顔がのぞいたとたん、カメラの列が今度はいっせいに母さんの方を向いた。
と、そのとき、
「セイヤーッ!」
いきなりの大声と同時に、ブンという音がして背後で風が舞った。とめた自転車の前に立ち、有紗が空手の形の体勢で取材陣をにらみつけている。
カメラマンもリポーターもみんな一瞬手を止めた隙に、有紗は叫んだ。
「ヨシキ、今だっ!」
有紗の意図を察して、鍵の開けられた玄関めがけて突進した。また僕に向けてマイクを差し出そうとしたリポーターの邪魔をするように、有紗は見事に寸止めの『回しとび蹴(け)り』をくらわした。
「うわあっ」
風圧で尻もちをついたリポーターの横で、両手で力強く突きの形を見せてから、有紗は僕に向かっていたずらっぽく目配せすると、自転車に飛び乗って走り去った。
それを見届けた僕は、玄関のドアをピシャリと閉じて鍵をしめた。
「ヨシキ! こんな時間までとこに行ってたの」
振り向くとすぐ後ろに母さんが立っていた。口調はキツかったけど、表情は意外とおだやかで目には涙がたまっているように見えた。
「無事に帰ってきてよかったよ」
母さんの後ろから父さんが顔を出して僕を見おろした。前にいる母さんの肩に手を置いていたが、母さんは別に払いのけもせず、二人同じように心配そうな顔で僕を見つめていた。
「とにかく、中に入りなさい。雨に濡(ぬ)れたんじゃないか心配したけど、どこかで雨やどりしてたの?」
「うん……」
言葉をにごしたまま、とりあえずリビングに入って、ヒーターのそばのソファに座りこんだ。雨はやんでいたけど、冬の夜中、自転車で走ってきたのはさすがに寒かったから。
「制服、着がいておきなさい。明日の朝クリーニングに出すから」
えっ? と思ってふりかえると、母さんがフリース地のトレーナーのジーパンを持って立っていた。
「自分の制服は控室に置いたまま飛び出したじゃない。それ、誰かに借りたんでしょ?」
いつまでも秘密にしておけるもんじゃないと観念して、僕は真相と話すことにした。
「有紗と一緒にリポーターたちから逃げてたら雨が降ってきて困ってたとき、偶然、カオルさんに会って……濡れた服を着がえたほうがいいって言って呼ばれたんだ……家がその近くにあるからって」
カオルさんの家に行ったことを正直に話しても、母さんは意外と冷静に聞いていた。リビングのドアのところから様子をうかがっている父さんのほうが、不安げに目をしばたかせている。
あんまり見方をするとかえって、また母さんを怒らせてしまうんじゃないかと思いながらも、僕はなぜだか必死で今日見たカオルさんの様子を説明せずにはいられなかった。嫌な目にあっても親のことは決して悪く言おうとしなかったやさしいカオルさんのこと、母さんに誤解したままでいてほしくない。ほんおちょっとでもいいから理解してほしかったんだ。
少し息を切らしながら話し終わった時、母さんは無表情に僕を見つめていた。怒ってはいないようだけど、わかってくれたようにも見えなかった。
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僕はアイドル? 24
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 両親と言い争ってテレビ局を飛び出した美樹(ヨシキ=僕)は、有紗とカオルの協力で無事に家に戻れた。母親の前でヨシキは、カオルに助けられたことを話し彼女に対する誤解を解こうとした。
五、ほんとうの自分って?C
気まずい沈黙が続いていた中、父さんが口を開いた。
「ヨシキも無事に帰ってきたことだし、俺(おれ)、そろそろ帰るよ」
それを聞いたとたん、能面みたいに白くこわばっていた母さんの顔が、急に赤くそまった。
「なに言ってんの! 今外に出ていくなんて、写真週刊誌に狙われに行くようなもんじゃない。ピラニアの泳いでる川に飛び込むようなバカなこと、よく考えつくわね。それに……」
胸にためていた言葉を吐き出すように、母さんは怒鳴った。
「そろそろ帰る、なんておかしな言い方しないでよ。ここがあなたの家でしょうが。ここ以外の、どこに『帰る』っていうの!」
父さんをにらみつけていた母さんの目から、涙がつーっとこぼれ落ちた。
父さんのほうはあんぐりと口を開けたまま、突っ立っている。
「美帆、それじゃぁ……」
家に戻って来てもいいのかい?――と、たぶん訊(き)こうとした父さんの言葉をさえぎって、母さんはまたヒステリックに言った。
「完全に許したわけじゃないから、誤解しないでちょうだいね。今は外に出てっちゃいけないって忠告しただけ……それだけなんですからね」
口ではそんな言い方してても、結局母さんは父さんのことをほとんど許しているみたいだった。だってそうじゃなきゃ、僕が自分の部屋に戻ったあと、二人、リビングで今後のこと話し合ったりしないと思う。壁ごしに必死で耳をすましても断片的にしか聞こえなかったけれど、家の周りに群がっている取材陣をどうするかとか、『夕暮れワイド』への母さんと僕の出演をどうするかとか、いろんな問題を長々と話し合っていたから、たぶんもう離婚は考えてないんじゃないかな。
翌朝。
さすがに人数は減っていたけれど、まだ張り込んでいるカメラマンもいた。
普通に学校行かなくちゃいけないのに、これじゃまだ外に出られない。
玄関から外をうかがっていると、父さんに肩をたたかれた。
「普通ならこんな過保護は良くないんだが、今朝は緊急事態だからな。車で送ってやるよ」
父さんはガレージから車を急発進させて、油断していた取材陣の間を走りぬけた。あわててカメラのシャッターを切っていたけど、窓ガラスに遮光シートを貼(は)っているので中の僕の顔は撮れていないはずだ。
学校に到着すると、昨日までとはみんなの僕を見る目が違っていた。教室にたどりつくまでにも、知らない他の学年の生徒からもジロジロ見られ、背後でヒソヒソ話されているのがわかる。
教室に入って席についたとたん、前の席の上原が振り返って尋ねた。
「昨日さ、お前んちのまわりにいっぱいテレビのリポーターとか群がってるの見たけど、もしかして、お前のお袋さんって坂口美帆?」
「もしかしなくてもそうだけど」
僕がそう言うと「へぇ〜っ!」と驚きの声をあげた上原のまわれに、ほかの男子たちも集まってきた。
「お前、なんで隠してたんだよォ。今までそんなこと、ひとことも言ってなかったじゃん」
お調子者の上原は目を丸くしながら、かん高い声で言った。
「誰も訊かなかったから言わなかっただけで、隠してたわけじゃない」
「それじゃあ、訊いたら答えてくれるわけか? お前の母さんのことは別にいいけどさ、一緒に出てる若くてきれいな今井アナとかミキちゃんとか、知り合いなんだろ?」
「まあな」
ちょっと苦笑しながら答えると、上原以外の男子たちも口々にいろいろ尋ねだした。まあ、知り合いは知り合いなわけだから、答えられることには答えておいた。盛り上がっている奴(やつ)らの輪の外で、冷ややかに僕のことをながめている奴らがいることはわかっていたが、気にしないようにした。
午前中の授業が終わってトイレに経った時、女子が寄り集まって編み物をしているのが見えた。マフラーを編んでるようだけど、一人、間違った編み方をしてる子が目にとまった。
「この段は、表編みじゃなくて裏編みにしないと」
指摘するとその子は言われた所を確かめて、驚いた顔で僕を見上げた。
「坂口くんって編み物できるんだ?」
「まあね」
軽く笑いながら答える。親がタレントだってことも編み物や家事全般が得意だってことも、いじめの原因になるだけだと思い、ずっと隠してきた。でも、そういう面を隠していくらみんなに溶け込んでいても、それは、『ほんとうの自分』を受け入れてもらったことにはならないと思うんだ。
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僕はアイドル? 25
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 女の子としてテレビに出ている美樹(ヨシキ=僕)は、両親と言い争いになり街へ飛び出した時、有紗とカオルのやさしさに触れ、これからは『ほんとうの自分』を出していこうと思ったのだった。
五、ほんとうの自分って?D
近所からの苦情もあって警察が見回りを強化してくれたおかげで、翌日からは、張り込んでいる報道陣もめっきり少なくなった。
『夕暮れワイド』の本番前にちょっとした記者会見をして、離婚疑惑・隠し子疑惑を否定したあと、母さんは何事もなかったかのようにいつもどおりの司会ぶりに戻った。ただ、ミキだけは翌週もその翌週もお休みしたため、週刊誌やワイドショーでは「謎の美少女」として、かえって興味本位に取り上げられることになってしまった。ある女性週刊誌なんか、ミキの正体を探り当てた人に賞金を出そうとする始末。
こんな状態じゃ、とても番組に復帰するなんて無理だ。やっぱり、このまま「ミキをやめる」ことになっちゃうんだろうか。ずっとやめたかったはずなのに、なんだか全然うれしくない。
いろいろあったけど、だいたい落ち着いてきた、ある日曜日。
平日は休みなく『夕暮れワイド』のために拘束されている母さんも、日曜は休み。本当の誕生日は月曜だったのだけど、一日くりあげて僕の誕生日パーティーをじいちゃんちでやることになった。じいちゃんちの座敷よりうちのリビングのほうが広いのに、どうしてそうなったかというと、料理の大半をじいちゃんに頼ろうという魂胆なのだ。
パーティーといっても家族四人(じいちゃんも入れて)だけでやるのが例年のことだったけれど、今年は有紗のことも招待した。いろいろ世話になったお礼も兼ねて。
生クリームと芸術的に飾ったケーキ、ハンバーグにひと手間かけたミートローフ、千切り大根とスモークサーモンをあえた和風のサラダ。じいちゃんの手料理は、どれもお店に出せるくらいおいしくて見た目もいいんだ。もちろん、僕も手伝ってるから今年は一段と手早くできるんだけどさ。
じいちゃんちに着いたとたん、有紗も手伝うと言い出して、エプロン姿で奮闘していた。かなり邪魔せれてる気がしないでもないけど、じいちゃんはつまらない質問にも笑顔で答えながら、有紗に料理を教えてやっている。
台所から料理と座敷に運んで、そろそろ席につこうかと思った時、玄関のブザーが鳴った。今日、手芸店は臨時休業にしてあるから、照屋の家の方へのお客さんらしい。
「はーい」
玄関に駆けていった母さんの声が、急に聞こえなくなった。ドアを開ける音のあと、あたりはシーンとしている。
「どうしたんだ?」
様子を見にいった父さんも「あっ」と言ったまま立ち止まった。背中ごしにのぞきこんで、僕も思わず動けなくなった。母さんとカオルさんがドアノブを両方から握った格好のまま、開きかけた扉のあっちとこっちで固まっていたのだ。
「すみませんっ。今日、いらっしゃってると、思わなかったもので……」
カオルさんは、はじかれたように手をひっこめると、頭を下げた。
「じゃあ、お父さんに用事なの?」
母さんもさっと手を引いて、無愛想にそう尋ねた。
「あ、いえ……あの……」
カオルさんはうなだれながら、持っていた紙包みを胸にだきしめた。
「用事が無いなら、ここ閉めるわよ」
そう冷たく言われて、カオルさんは意を決したように頭を上げると、包みを母さんの手に押しつけた。
「すみません! これ、直人さんに……あの、ほんとは、後で照屋さんから渡してもらおうと思ってたんですけど、でもやっぱり、今渡したくって……」
母さんは何も言わずに、振り向きもせずに、紙包みを後ろにいた父さんの目の前につきつけた。
「ほら。あんたにだって」
「え、あ……どうも」
父さんがマヌケな答えを返している間に、カオルさんはまた頭を下げた。
「すみません。それ、ただ受け取ってくれるだけでいいんです。使ってくれなくても、捨ててもいいんです。ただ、今だけ受け取ってくだされば……もう、これ以上、迷惑はかけませんから!」
そう言うと、カオルさんは身をひるがえして駆けだしていってしまった。
なんだったんだ、今の。なんだかすっごーく気まずい雰囲気が漂ってる。
苦い顔をしたまま振り向いた母さんは、無言で父さんの持っている包みを破いた。中身は、ふかふかの手編みのマフラー。しばらくじっと見つめた後、フンと鼻をならして、ぽつりと言った。
「今日一日だけだからね」
「え?」
目を丸くしている父さんの首にマフラーを巻きつけ、母さんは思いっきり両側をひっぱって締めあげた。
「巻いていいのは今日だけで、明日からはタンスの奥の奥にしまっとくのよ。わかったわね!」
声はキツかったけど目は笑っていた。
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僕はアイドル? 26
風野 潮・作/葉夕・絵
【あらすじ】 女の子としてテレビに出ていた美樹(ヨシキ=僕)は、両親と言い争いになり街へ飛び出した時、有紗とカオルのやさしさに触れ、これからは『ほんとうの自分』を出していこうと思ったのだった。
五、ほんとうの自分って?E
翌週の水曜日。
久々にミキのコーナーが復活した。会社の上の方から「なんでミキを出さないんだ!」という催促があったらしい。これだけ世間で話題沸騰なんだから、今出せば視聴率上がるじゃないか、ということなんだそうだが、理由はどうあれ、もう一度ミキになれるのは、なんだか嬉(うれ)しかった。
あのまま、自然消滅みたいに終わってしまうのは嫌だったんだ。
なにごともなかったような顔をして、いつものようにコーナーを始めた。
ちょっと客席がざわついたけど、気にしないで段取りどおりに作業を進める。復帰第一弾ってことで、お客さんにも毛糸を配って実際にその場で作ってもらう、という特別企画だ。時間は限られているけど、超極太の毛糸を使った『指あみのマフラー』なら簡単だから、なんとか出来るはず。
思ったとおり、糸を手にして編み始めると、みんな結構集中してしまって、ミキのゴシップ記事のことなど忘れてしまったようだった。
説明がひととおり終わり客席の八割がたが無事に編み終わった頃、いつものようにメーン司会者の坂口美帆(僕の母さん)が、コーナー終わりのアナウンスを入れる。
「ミキちゃん、ご苦労様。ひさしぶりだったけど、あいかわらず手際がよかったわねぇ。さあ、次の……」
次のコーナーに行こうとした言葉をさえぎるように、立ち上がって言った。
「あの……最後にちょっとだけ、話したいことがあるんですけど」
今度はスタッフのほうがざわついた。番組前の打ち合わせでは最後にひとことあるなんて言ってなかったから。
母さんだけは、なんだか落ち着いたまなざしで僕のほうを見て、うなずいている。
「どうぞ、ミキちゃん」
そううながされて、僕は思わず民呼吸した。今日は、この最後のひとことを言うために来たようなものなんだから、ちゃんと言えるようにしなきゃ。
「復帰したばかりで、心苦しいんですが……今日で『ミキの手作りコーナー』は終わります」
そう言うと、スタッフからも客席からも「えーっ?」という声があがった。
「あの、コーナーが終わるというより、僕はもう今日限りで『ミキをやめる』つもりなんです」
フリルつきエプロンを脱ぐと、今日はふだんと変わらない私服のトレーナーとジーパン姿だ。
頭のつむじ辺りをつかんで、一気に茶髪のカツラを取り去った。
悲鳴に近いような驚きの声がスタジオを揺るがせた。番組スタッフもあまりのことに一瞬固まってしまっているみたいで、誰も止めに来ない。
「ずっとウソついてて、すみませんでした。僕は、見てのとおり、男の子です。名前もミキじゃなくてヨシキっていいます。……なんでこんなことになっちゃったのか、全部話すと長くなるんだけど……最初、小学生の頃、テレビの手芸番組に出てるなんて学校の友達に知られたら恥ずかしいから、ちょっと変装する感じで女装して……そのまま今まで来てしまいました」
きっとみんな今頃、テレビの前で驚いてるだろうな。たっくんなんかショックで寝込んじゃうかもしれない。
明日、学校に行ったらどうなっちゃうんだろう。いじめられるのかな。それとも無視されるかな。
でも不思議なことに、なんだか行くのが楽しみな気もしていた。
「僕は今まで、男なのに編み物や料理が得意だなんて人前で言うのは恥ずかしいことだと思ってて……言ったらいじめられると思ってました。でも、そんなのおかしいって気がついたんだ。編み物が得意なのは全然変なことなんかじゃないし、自分の個性なんだから……からかわれたとしても、もう気にしない。……これからは、ほんとうの自分に正直に生きていきたいんです」
ふうっとひと息ついてから、客席とカメラに向かって深々と頭を下げた。
パン、パン、パン……、と手を叩(たた)く音がした。頭を上げると、少し苦笑いみたいな笑顔を浮かべた母さんが、うなずきながら拍手していた。
それにつられて客席にも拍手の波が広がっていく。大波が押し寄せてくるような拍手に包まれて、なかなか顔を上げられずにいた。目の前が、プリズムごしに見える景色みたいにキラキラとにじんでいる。まつ毛にたまった涙のせいだ。
こぼれかけた涙を手の甲でぬぐい、顔を上げる。突拍子もない告白を聞いても、怒らずに温かく見守ってくれているお客さんやスタッフのみんなに、「さよなら」の手を振った。
ミキという名前で、ちょっとだけアイドルだった僕には「さよなら」だ。少しさびしい気もしたけど、ほんとうの自分として大きく深呼吸すると、自然に笑顔がこぼれてくるのだった。
(おわり)