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[#裏表紙(表紙2.jpg)]
米原万里
ガセネッタ&シモネッタ
目 次
Un Saluto dallo Chef シェフからのご挨拶
ガセネッタ・ダジャーレとシモネッタ・ドッジ
Aperitivo 食前酒
三つのお願い
Antipasti 前菜
出会い頭の挨拶にはご用心
シリーズ化という病
偶然か必然か当然か
なぜ、よりによって外出時に
フンドシチラリ
Primi Piatti 第一の皿
開け、胡麻!
京のぶぶづけとイタリア男
メゾフォルテが一番簡単
覚悟できてますか?
寡黙と雄弁の狭間で
フィクションが許されるのは作家だけか?
性格は関係ない
誤訳と嘘、プロセスは同じ
誤訳のバレ具合
身内ほど厄介なものはない
中庸と中途半端のあいだ
比喩の力
棚から牡丹餅、脛に傷
目くそ鼻くそ
ピアニッシモの威力
理想は透明人間
花と通訳にはお水を!
深謀遠慮か浅知恵か
墓場まで持っていけるかな
女人禁制の領域にも
戦場が喜劇の舞台か
同時通訳の故郷は?
Vino Bianco 白ワイン
英文学者・柳瀬尚紀さんとの対談
翻訳と通訳と辞書
あるいは言葉に対する愛情について
Secondi Piatti 第二の皿
田作の歯ぎしり
「地理的概念」にご用心
反日感情解消法
届かない言葉
懺悔せずにはいられない
うつつと夢を行き来する旅
漢字かな混じり文は日本の宝
省略癖
単数か複数か、それが問題だ
浮気のすすめ
鎖国癖
一コマ漫画にはかなわない
腰肩行く末
Insalata Russa ロシア風サラダ
空恐ロシヤ!
全ロシア愛猫家協会
スタニスラフスキー・システムに立脚して演技する猫たち
腐ってもボリショイか
極上の聴衆
命の恩人は寡黙だった
蘆花がトルストイに逢った場所
モテる作家は短い!
Vino Rosso 赤ワイン
劇作家・永井愛さんとの対談
変わる日本語、変わるか日本
Formaggi チーズ
禁句なんて怖くないけれど
取り越し苦労
蚤を殺すのに猫まで殺す愚
美しい言葉
Dessert デザート
自前のフィルム・ライブラリー
ダルタニヤンとミレディーの濡れ場にゾクゾク
芋蔓式読書
絶滅寸前恐竜の心境
Caffe コーヒー
ピオニール・キャンプの収穫
懐かしい恩師に褒めてもらったような……
チボー少年と人魚姫
Digestivo 食後酒
楽天家になろう
【***** キリル文字(ロシア語)の表記を省略しました】
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Un Saluto dallo Chef
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シェフからのご挨拶
[#見出し] ガセネッタ・ダジャーレと[#「ガセネッタ・ダジャーレと」は太字]
[#見出し]       シモネッタ・ドッジ[#「シモネッタ・ドッジ」は太字]
このあいだ字幕翻訳の戸田奈津子さんが、一番苦労するのがユーモアの翻訳だとおっしゃっていた。現代版ファウストといった趣の『ディアボロス』という映画で悪魔役のアル・パチーノが、主人公と初対面の際、「ジョン・ミルトンです」と名乗る場面で、アメリカの映画館ではワッと客席がわくのに、日本ではいたって静か。元祖『失楽園』の著者の名前が常識になっている文化圏とそうでない文化圏の差がモロに出る。それが笑いなのだ。「渡辺淳一です」とでも翻訳したら、かなり受けるのかもしれない。
実は、わたしも『失楽園』には泣かされた。とある国際会議で、広告業界のオーソリティーのスピーチがあった。
「いま日本では、五〇代以降の男性が一番モノを買わない。要するに購買意欲が低い。この消費者群を対象にして成功したら、業界では名を成せると言われているんです。ぼくの同僚でこの難しい課題に挑もうという男がいましてね、そこで注目したのが、例の『失楽園』なんです」
ここで、同時通訳ブースにいるわたしは少々あわてる。本のタイトルをそのまま訳したらJ・ミルトン作の方と混同される確率の方が高い。同時通訳は時間との勝負だから、「婚外恋愛の末、心中にいたる中年男女を描いた濡れ場の多い『失楽園』という名のベストセラー小説」なんていう長たらしい説明訳は間に合わない。せいぜい傍線部ぐらいの訳でお茶を濁して、話の続きを必死で追いかける。
「ご存じのように、日本経済新聞という主に五〇代以上の男性を読者層とする新聞紙上に連載中から評判で、おかげで新聞の売り上げが伸びたらしい。次に講談社で単行本化されるや、発行部数二七〇万に迫る勢いです。そして、映画化されますと、これまたどの映画館も満席。しかも、普段映画鑑賞などに無縁なお父さんたちまでがけっこう足を運んでいるらしい。それでわが同僚は、市場視察という名目で映画館をのぞいてみたんですね。そうしたら、中年男が多いなんて、ガセネタもいいところ。どこも四〇代から六〇代までの女性ばかりだったんです」
話に無理がなくて、文章が短い。通訳者にとっては理想的なスピーカーだと心の中で壇上の人に感謝しつつ訳出していたわたしは、次の瞬間、同じ相手を呪《のろ》っていた。
「シツラクエンなんて、とんでもない。そこは、トシマエンだったのですね」
日本人聴衆が過半数を占める会場は抱腹絶倒。でも、ロシア人もふくめ外国人のみなさんは爆笑の理由がわからず、怪訝《けげん》な顔をして同時通訳ブースの方を一斉に振り返る。豊島園が東京にある有名な遊園地で、しかも「年増」という言葉と掛詞《かけことば》になっていて、そのうえ語末の「エン」が韻を踏んでいるなんてこと説明するヒマ、スピーカーから三〜四秒以上遅れられない同時通訳者にはないのだ! それに、クドクドと説明しおおせたとしても、それを聞いた外国人には、せいぜい日本人聴衆が爆笑した理由がのみ込めるぐらいで、自分たちも腹を抱えて笑い転げてくれる確率は、ほぼゼロに等しい。
ことほどさように、笑いほど時代や国情や身分や立場など文脈依存度の高い、つまり他言語に転換するのが難しい代物はない。なかでも、絶望的になるのが、言葉遊び、掛詞《かけことば》や駄洒落《だじやれ》の類である。通訳者が訳すことができるのは、言葉の意味だけで、言葉の響きや文字面に依拠する遊びは訳された言語では失われてしまうのだから当然ではある。なのに、同音異義語が多い日本語は、この言葉遊びに由来する笑いが多い。多すぎる。
というわけで、駄洒落には恨み骨髄のはずの同時通訳者たちのはずなのだが、病気じゃないかと思われるほどの駄洒落好きがむやみやたらと多いのが、この業界なのである。一種の職業病なのじゃないか。
このあいだ、ドイツ語同時通訳の中山純さんに呼びとめられた。
「通訳者ってみな一匹狼だから、こうして元気なうちはいいけれど、働けなくなったときのこと考えると不安だよね。それでいまから共済会を結成して基金を募って、将来的には通訳者たち共同の老人ホームを創れたらいいと思うんだけど、米原さんものらない? 老人ホームの名前はもう決まっているんだ」
「へーっ、気が早いこと」
「アルツハイムって言うの」
同時通訳者たちの中では真面目で律儀なドイツ語族にしてからがこういう調子なのである。生真面目度においては、優劣つけがたい韓国語族も負けてはいない。
「米原さん、金正日総書記の好物、知ってますか?」
なんて尋ねてくるのは、南北対話の進展で最近景気のいい韓国語同時通訳の長友英子さん。
「サンドイッチなんですって。サンドイッチのこと韓国語で何と言うか、知ってますか?」
「エッ、あれは韓国にとっても朝鮮にとっても外来品だから、サンドイッチって言うんじゃないの?」
「ハムハサムニダって言うんです」
わが敬愛してやまない師匠の徳永晴美さんなど、不可能なはずの駄洒落の同時通訳までやってのける人である。もちろん、ご本人も駄洒落を吐かない日は一日とてないような毎日を送っておいでだ。フランス語の単語一〇個覚えたところで、もう駄洒落が口をついて出てくるような人なのだから。
「万里ちゃん、お客さんに『ああ、ドージ通訳の米原さんですね』なんて初対面で言われたら、なるべくド≠ニジ≠フあいだを詰めて、『はい、ドジ通訳の米原です』と聞こえるように受け答えした方がいいよ。なにしろ、同時通訳に失敗はつきものだからね。とくに米原さんはね」
なんていう貴重な処世訓を駄洒落に託して垂れてくださったのも師匠。実を言うと、わたしに「シモネッタ・ドッジ(Simonetta d'Oggi)」なる命名をしたのは、ほかならぬ師匠なのである。
もっともわたしを下ネタに開眼させたのは、師匠その人であって、わたしは単に師匠が次から次へと連発する下ネタに腹を抱えて笑い転げていたにすぎない。それでも、敬愛してやまない師匠から授かった屋号、ありがたく襲名しようと張り切っていた矢先、出会ったのが、田丸公美子さんだった。
イタリア語通訳界の大横綱(後に続く大関、関脇、小結なし)と賞賛されるだけのことはあって、頭と舌の回転がわたしの一〇倍は速い田丸さんは、まるで機関銃のように下ネタを連発する。それも「下手な鉄砲、数撃ちゃ……」タイプではなくて、どれも粒ぞろいの傑作ばかり(その一端は、本書の中でもチラリチラリ紹介していくつもりだが、ご本人のエッセイ集『パーネ・アモーレ』文藝春秋刊を読んで下さった方が手っとり早い。もっとも生《なま》の田丸さんは、もっとすごいとだけは申し上げておこう)。
ああ、負けた。「シモネッタ・ドッジ」を名乗るなんて、とてもおこがましくてできない。この栄《は》えある屋号、潔く田丸公美子さんに献上しようと決心したのだった。
田丸さんの下ネタはどれも駄洒落絡みになっていて、これに絶妙な駄洒落の茶々を入れるのを得意とするのが、スペイン語通訳の大御所、横田佐知子さんである。これはもう比類なき閃《ひらめ》きの持ち主で、アッと唸《うな》らされることたびたび。冴えた駄洒落を吐くためには、真実や事実を誇張したり、無視したり、歪《ゆが》めたりするのも辞さない天晴《あつぱ》れな求道者なのである。わたしの頭に「ガセネッタ・ダジャーレ(Gasenetta d'Aggiare)」なる芸名が浮かんだのは、ごく自然な成り行きであった。
二人の傑作なやりとりを活字にしようと悪戦苦闘したが、わたしごときの筆力では面白さが一〇〇分の一以下になってしまう。二人の才能を通訳同士の仲間内だけで堪能していたのでは勿体《もつたい》ない。是非とも「ガセネッタとシモネッタ」なる漫才コンビを発足させて一儲けできないものかと夢見る今日この頃である。
名通訳者には、駄洒落の達人が多い。この業界に身を置いて二〇年を越えるわたしの偽らざる印象である。
それにしても、なぜ本来天敵のはずの駄洒落を愛してやまない通訳者が多いのだろうか。
通訳者に下ネタ好きが多いのは、理解できる。これほどいかなる言語、文化をも楽々と飛び越えて万人に通じる概念はないからだ。いまはやりのグローバリズムに最も合致するのが下ネタ。
しかし、駄洒落はその逆。狭く排他的で、言語の壁を乗り越えられない偏狭なナショナリズムそのものって感じの営み。なのに、何を好きこのんで通訳者たちは駄洒落に淫するのだろう。
「憎さあまって可愛さ一〇〇倍」という面もあるかもしれない。
異言語、異文化と日々格闘する通訳者は、ナショナリストになりがち。日本だからこそ、日本語だからこその笑いに「よくぞ日本人に生まれたり」と喜びがこみ上げてくるから、という面もあるだろう。
でも、最大の原因は、次の点にあるような気がする。
意味には言葉が指し示す事物に対する常識や伝統的観点が染み着いている。駄洒落によって、それがズレる快感こそが、笑いのもとなのだが、おそらく、通訳者は、仕事の上では常に意味のみを訳すことに縛られているため、意味から解き放される解放感にたまらなく惹《ひ》かれるのではないだろうか。
通訳者は、誰しも多少の差はあれ、ガセネッタ・ダジャーレでありシモネッタ・ドッジなのかもしれない。
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Aperitivo
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食前酒
[#見出し] 三つのお願い[#「三つのお願い」は太字]
むかしむかし働き者だが貧しい夫婦が仲睦まじく暮らしておりました。ある夜パン一切れしかない寂しい食卓につきながら、それでも食事にありつけた感謝を込めて熱心にお祈りをしていると、感謝された方も若干気詰まりだったのでしょうか、それとも律儀な夫婦を憐れに思われたのかもしれません。上の方から神々しい声が聞こえてきました。
「どんな願い事でも三つだけかなえてあげよう」
「ああ、まさかそら耳ではないか、空腹のあまりの幻聴ではないか」
夢のようなお言葉に耳を疑い、顔を見合わせる二人。
「信じられないことね。でも、もし本当なら、ゆでたてのソーセージがここにあったらどんなに幸せなことか」
おかみさんが言い終わらないうちに、どこからともなく湯気をたてた太めのソーセージが一皿テーブルの上に登場、親切に辛子までついているではありませんか。腰を抜かすほどビックリしつつも、うまそうな匂いに誘われるようにいつのまにかフォークを握りしめ、ソーセージに突き刺そうとするおかみさんの手をバシッと叩いていきり立ったのは、おやじさんの方でした。さも憎々しげに、
「アホ、間抜けにもほどがある。たった三つしかない大切なお願いの一つを、そんなものに使いやがって、ソーセージなんかお前の鼻先にくっついちまえばいいんだ!」
と口走ったとたんに、おやじさんの希望通りになってしまいました。どんなに引っ張ろうとも、立派なソーセージはおかみさんの顔の一部になってしまって離れてくれない。引っ張るたびに、
「痛い、痛い、どうしてくれる!」
とおかみさんは泣きわめきます。ついに二人はひざまずき、
「どうか元通りにしてやってください」
と哀願するしかありません。たちまちソーセージは消え失せ、いつもの貧しい食卓を前にして夫婦は安堵《あんど》のため息をついたのでした。
子供の頃どこかで読んだり、聞かされたおとぎ話。これは、ソーセージが出てくることから判断しても、たしかドイツ・バージョンだったと思います。ロシア版だと小道具がキャビアになるんですね。顔中に出来物のようにキャビアがこびりついて離れないという、これも怖い話。
とにかく世界各地似たような「三つのお願い」という教訓話があるようです。「あわてる乞食はもらいが少ない」とか、「他力本願は所詮《しよせん》身につかない」とか、さまざまな戒めを汲むことができますが、わたしなど通訳という職業柄か、つい考え込んでしまいます。
「はたして、並の人が神様と直接言葉でもって誤解なく交信することが可能なのか」
言葉は物事やイメージそのものではなくて、あくまでもそれを表す記号にすぎない。その記号からイメージするものが、人間同士だって千差万別だというのに。
たとえば、いまあなたの前に突然神様が現れて、
「どんな願い事でも、三つだけかなえてあげよう」
とおっしゃったら、どうお答えなさいますか。わたしだったら、まず、
「もっと美人にしてください」
と頼むでしょう。でも次の瞬間心配になってしまいます。わたしのイメージする「美人」と神様のそれとはぜんぜん違うかもしれない。浮世絵の美人画みたいになったらどうしよう。モナリザ風にもミロのビーナス風にもなりたくない。一番恐ろしいのは、神様がピカソかダリみたいな美意識と創造力の持ち主でないという保証はどこにもないということです。
それで、もう少し具体的にお願いしてみることにします。
「顔をもっと小さく、眼をもっと大きく、鼻をもっと高く、足をもっと……」
いや、これで三つのお願いは使い果たしてしまいました。ところがまたまた怖くなってきます。美容整形外科医にさえうまく自分の希望を伝えられなくて、何十回と手術を繰り返している人がいるではありませんか。だのにこちらに許された機会は三回こっきり。しかも三カ所いじったら、それぞれ一回だけ。アラジンの魔法のランプとはわけが違うのです。顔を小さくと言ったって米粒みたいに小さくなったら困るし、眼を大きくと言っても西瓜みたいに大きくなっては化け物だし、鼻だって東京タワーみたいになってしまったら……。
どうやら、昔の人たちも当然そういう心配をしていたのでしょう。神様との交信には「通訳」を使っていたらしいのです。ギリシア神話では、人間と神々との交信を受け持っていたのは、ヘルメス(Hermes)神で、その証拠にギリシア語では通訳のことを「hermeneuties」と呼ぶそうです。中国の史書に初めて固有名詞付きで登場する倭人の卑弥呼《ひみこ》さんだって、そういう役まわりを演じていらしたみたいだし。神社の巫女《みこ》さんたちもそう。相手は神様ではなくて死者たちだけれども、恐山《おそれざん》の霊媒も同業者です。
神様との意思疎通には是非とも通訳を使うべきです。そんなことをわたしが申しますと、どうせ通訳者の雇用拡大をはかりたいのだろうと勘ぐられてしまいそうですが、これだけは、少し事情が違います。
というのも、ニューヨークはハーレムで数年前、例の恐ろしい事件があったからです。すでにお聞きおよびかと思いますが、ある黒人のホームレスの前に、神様が立ち現れ、三つの願いをかなえてあげようとおっしゃったらしい。ホームレスは迷うことなく、叫んだと伝えられています。
「白くなりたい! 女たちの話題の的になりたい! いつも女の股ぐらにいたい!」
たちまち男の姿は跡形もなく消え失せ、路上には小指大の白いタンポンが転がっていたのだそうです。
どうです? それでもあなたは神様と通訳なしで直接交信なさる自信がおありですか?
もっとも、ひとつだけ重大な問題点があります。どのように通訳を調達するかという点です。どの分野にも自分の能力を過信している人間が少なく見積もって二〇パーセント強はいるという統計数字がありますが、どうやら神様との交信能力について自負する人たちについては、九九・八パーセント以上がそうらしいのです。
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Antipasti
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前菜
[#見出し] 出会い頭の挨拶にはご用心[#「出会い頭の挨拶にはご用心」は太字]
ロシアのモイセーエフ・バレエ団がスペイン公演に出かけたときのこと。座長のモイセーエフは、世界各地の民族舞踊を超一級の見せ物にアレンジする腕前では並ぶ者ない天才振り付け師である。マドリード空港に到着するや、花束や横断幕を持った人々に取り巻かれてしまった。
横断幕に大書された「*** * ****!」(あえて英訳するならば、Go to the ass!)というロシア語を読んで、ダンサーたちの顔が曇った。初対面でいきなり「ケツに行け=とっとと消え失せろ」と言われて喜ぶ人はそういるものではない。そのうち、このフレーズを大声で合唱し始めた。舞踊団員の中にはいまにも泣き出しそうな子がチラホラ出てくる始末だ。
ただ奇妙なことにスペイン人たちは、物騒な言葉とは裏腹に好意あふれる笑みを湛《たた》えている。モイセーエフ座長は思い当たることあって、スペイン側にたずねた。
「いやあ、マドリードでロシア語の歓迎を受けるとは望外の幸せ。ところで、ロシア語のフレーズは、先週までこちらで公演していたロストロポービッチ君から教わったのでは」
「エッ、よくおわかりで」
「そりゃこんな気の利いた文句、彼でなくては、なかなか……」
とモイセーエフはお茶を濁して、世界的チェロ奏者のせっかくのイタズラをバラさないでおいた。だからいまもスペインのファンたちは、「心からヨウコソ」のつもりでロシアのアーティストをこの横断幕と合唱で歓迎しているかもしれない。
「こんにちは」ってロシア語で何て言うんですか? そうたずねられることが、わたしにも時々ある。イタズラしたい心を懸命に抑えて、真面目にお教えする。
「************(zdravstvuite)です」
相手は何度も何度も発音を真似して顔ゆがめ唾飛ばし舌と唇を噛みちぎらんばかりだ。わたしはサディストではないから、人品骨柄卑しからぬ紳士がそんなふうに見苦しく悶《もだ》える姿を楽しむ趣味はない。
「実は『ズロース一丁』というのと発音がそっくりなんです」
ととっておきの秘訣を伝授申し上げるのは、もちろん、あくまでも老婆心からであって、悪意は微塵《みじん》もない。念のため。本番になってロシアの要人相手に紳士が、
「パンツ一丁」
と言い間違えるのは、連想という人間の脳のやっかいな習性による。ああそれに「ズロース」がすでに死語であるせいかもしれない。なおこの確率は〇・二五、すなわち四人に一人の割合である。
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[#見出し] シリーズ化という病[#「シリーズ化という病」は太字]
いまから四年前の秋の夕暮れ時、雄雌二匹の仔猫を拾った。通訳のため訪れた御殿場の会議場兼宿舎の庭先に捨てられていたのだ。生後一カ月半ぐらいだろうか、お腹をすかせてミャオミャオと必死に鳴きわめく声は、聞く者の心を掻きむしる。折からの雨もあって、ハード・ネゴシエイター揃いの各国要人も、慇懃《いんぎん》冷静な会議場職員も小動物の行く末を案じて落ち着きを失っていたところへ、「わたしが引き受けましょう」と名乗り出たものだから、一同安堵のあまり完全に常軌を逸したらしい。会議主催者は東京までのハイヤー代を、会議場は上等バスタオル三枚とミルクをたっぷり注いだ金縁のお皿を恵んでくれる気前の良さだった。
そんな経緯で被保護者となった二匹を命名する段になって、シリーズ化癖とも言うべき強迫観念がムクムク頭をもたげてきたのである。
歴代飼い猫中ずば抜けて聡明で美貌のメスは「ビリ」という名だった。母が当時高校二年の妹の担任に呼び出され、「お嬢さんは四八人中四六番、後の二人は長期病気欠席。こんな調子で大学受験はとうてい無理」とさんざん絞られた日にわが家に住み着いたからだ。
長女のわたしをマリ、次女の妹をユリと名づけた両親が始めた語末を「リ」とするシリーズを、奇《く》しくも継承する結果となり、これが新顔の命名に当たっての不文律になったようなのである。玄関先に捨てられていた身障者で生涯仔猫サイズだったメスは「チビリ」、夜店の縁日で買ったカブトムシは「ウリ&キュウリ」、親戚からもらったボクサー犬は「アリ」と、しっかり伝統に則《のつと》った名前がつけられていった。
はたして新入り二匹の名前は、スンナリ決まった。野良の悲しき習性で、餌に喰らいつく獰猛《どうもう》さにおいて勝っていた方が無理《ムリ》、無理に気圧《けお》されて引っ込む方が道理《ドリ》となった。
その二年後、モスクワの地下鉄出口で女の人がかかえる生後二カ月という銀色の猫の愛くるしさにクラクラッとして、言い値の二匹三〇〇ドルで買ってしまった。帰国して行きつけの獣医さんに診《み》てもらうと、「これは、上等のブルー・ペルシャで、日本だったら一匹二〇万円出しても手に入らない」と絶賛されたのはいいが、肝心の名前がなかなか思い浮かばない。逆引き辞典片手に「アタリ、サワリでもない」、「チリ、ホコリでもない」と唸っていた。といって、いつまでも「ねえ」とか「ちょっと」などで済ませるわけにいかず、適当なところで妥協して「ヤリ、クリ」と呼びかけると、無理と道理まで駆け寄ってくるではないか。名づけ親のわたしにしてから混乱して、クリを呼ぶつもりでムリと言い、ムリのつもりでヤリと口走る始末。いかんいかん、呼ばれる側はおろか呼ぶ側にも区別できないようでは名前の機能を果たさない。かくして語末を「リ」とするシリーズはあえなく頓挫《とんざ》。ロシア生まれの二匹はターニャ&ソーニャに落ち着いた。それでも「ーニャ」と脚韻を踏んでしまうあたり、病は重篤である。
これがどうやら、命名という営みにやたら取り付きやすい病らしく、症例は、見渡す限りウヨウヨゴロゴロある。一昔前の子沢山《こだくさん》家庭の名づけ親など、ほとんどパラノイアだ。友人の父は一二人兄弟の末っ子で、上の兄さんたちは生まれた順に、穣、悟、徹、守、薫、至、卓、勝、登、渉とつけていかれたが、あとが続かなくて末の二人は邦佑、典佑。邦佑さんは幼時に亡くなったため、典佑さんは還暦をすぎたいまも自分は妾腹の子だったのではと疑っている。
チンパンジーやオランウータンの祖先から人類の祖が枝分かれしてすでに四、五〇〇万年も経ってしまった時代に生きるわれわれには、事物に名前を与える興奮と喜びが、ほとんど固有名詞分野にしか残されていない。世の中の森羅万象を言い表し、いま現在の自分の思いや考えを展開し伝えるのに用いる語彙《ごい》や文型の圧倒的多数は、気も遠くなるほど昔に生まれたものだ。手垢《てあか》にまみれた表現を刷新したくて、いつの時代にも若者や詩人が新語づくりに躍起になるけれど、多数の人々に理解され記憶され用いられることが言葉の必要十分条件であるから、やはり既製品に頼らざるを得ない。「チョベリバ」だって、「超 very bad」と馴染みの要素からなっているし、紀元前にはなかったはずの電話を現代人は「tele(遠い)phon(音)」と古代ギリシア語から造語した。
だから、万有万物に初めて音を持つまっさらな名を与えた人々の創作プロセスは追体験しにくい。他人の褌《ふんどし》で相撲を取る人に、綿花を栽培し、綿を収穫し、糸を紡ぎ、布を織り、褌を縫い上げた人の気持ちがわかりづらいのと同じ。しかしあまたの変遷を経てわれわれの手元に届いたその創作結果を見る限り、同じグループや種類に属するものの名前はシリーズ化しようという傾向が、どの言語にも歴然とある。命名とシリーズ化は猫に蚤《のみ》のような寄生関係ではなく、鰐《わに》と鰐千鳥みたいな共生関係にあるのではないか。
そういえばふた昔ほど前だったか、テレビのコマーシャルで盛んにロシア語もどきが登場した。使い捨てカイロ「ドント」の宣伝で、雪の降りしきる街頭に買い物に並ぶ長蛇の列がある。そこに並ぶ人々が、次々に、「ああ、コゴエンコ、コゴエンコ」「おててもあんよもシビレンコ」と呟《つぶや》いていると、元プロレスラーのタレントがドスの利いた声で怒鳴りつける。「ドント、イレンコ」
人工雪でできた万年スキー場のテレビ・コマーシャルで「テブラデスキーさん」という、面白くもなんともない駄洒落を使っていたこともある。
駄洒落としてはお粗末だが、感動を禁じ得ないのは、不特定多数を相手にするテレビCMで、もう圧倒的大多数はロシア語のアルファベットさえ見たこともない視聴者相手に、これが駄洒落として通用するということ。つまりロシア人の苗字の終わり方は〜エンコとか〜スキーというのが多いということが、なんとすでに日本国民の常識になっているのである。
これこそがロシア語の大きな特徴で、ロシア語の単語は、その意味をまったく知らなくとも、その品詞を言い当てられる。その単語の形状、より正確にいうと、語末を見ただけで、動詞なのか、形容詞なのか、名詞なのか、それもご丁寧に何格かまで一目瞭然。
もちろん、こういう特徴は、どの言語にも多少の差はあるものの、存在する。たとえば、日本語ならば「あかい」「さむい」「うつくしい」という具合に形容詞の原形は〈i〉で終わるし、「歌う」「踊る」「問う」などのように動詞の原形は〈u〉で終わる。ただし、名詞にも〈i〉や〈u〉を語末とするものがゴマンとあるので、見分けにくい。
そこのところが、わが商売道具のロシア語は、とくにその痕跡が強くて、三〇分足らずの講義を受ければ、誰しも意味も知らないロシア語の単語の品詞をその形状から言い当てられるという徹底ぶりだ。
要するに、文法学者などが登場して、語を品詞という概念で範疇《はんちゆう》分けし始めるはるか昔から、日本語にも、ロシア語にも、いや世界中の多くの言語に動詞や名詞や形容詞はあった。きっと、同じ役割グループに属する事物の名称は、形の上でも類似させようという、最初は無意識の、そしてすぐさま意識化されていったプロセスがあったに違いない。これをシリーズ化癖(学者はパターン化という言い方を好むが)と、わたしは呼んでいる。
駄洒落癖を病んでいるのは、もしかして、こういう言葉を駆使する猿としての人間の遺伝子の染色体の一部がちょっぴり変形したものを持つ人なのではないか、と最近思うようになった。
というのも、わたしの同業者にその重症患者がいる。シモネッタ・ドッジことイタリア語同時通訳の田丸公美子さんとガセネッタ・ダジャーレことスペイン語同時通訳の横田佐知子さん。さる自治体に依頼されて仕事することがあり、そこの担当職員の服装がド派手なのにぶったまげて、つい、
「まあ、公僕にはとても見えないお方」
と口走ってしまったまではいい。相手は、誉め言葉と受け取り、
「えっ、それで何に見えます?」
と身を乗り出して嬉しそう。ここで、デザイナーとか建築家とでも言っておけば、次にまた仕事依頼のお声がかかろうというものを、病気が出た。まずシモネッタが叫んだ。
「唐変木」
間髪入れずにガセネッタがトドメを刺した。
「ウドの大木」
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[#見出し] 偶然か必然か当然か[#「偶然か必然か当然か」は太字]
さるロシアの要人が、引退後二週間ほど日本に滞在したおり、全日程に付き添って通訳をつとめたことがある。噂以上の恐妻家だったその要人の当の奥方が、無類の靴好きで、銀座の某靴屋から一〇〇足をこえる婦人靴を取り寄せて、選ぶことになった。公の席では目一杯エレガントな良妻賢母を気取って、歯の浮くような台詞を振りまいている彼女。最初のうちこそ、「これはイマイチね」とか「色がちょっと」とか一応品よく振る舞っていた。しかし見上げるような靴の山を相手に格闘するうちに、声の調子はいつもより二オクターブぐらい下がったドスの利いたものになり、気に入らない靴は一言で片づけるようになった。「|*****《ガヴノー》(クソ)!」と。
その言葉はまるで呪文のように、たちまちわたしをプラハのソビエト学校時代にワープさせてくれた。春休み、林間学校の二階建ての屋根から飛び降りるという肝だめし遊びをやったときのこと。屋根によじ登りながら雨どいにズボンのポケットを引っかけて破いてしまったイタリア人の少年エンリコが、「|Merda《メールダ》!」と悔しそうに叫んだのである。実は同級生で大の仲良しのフランス人、クロジーヌが何かしくじるたびに「|Merde《メールド》!」とつぶやくものだから、ひそかに母の辞書を引いて意味を知っていた。それからの類推で「ああ、これはクソと言ったな」とすぐさま直感した。そしてその瞬間目の前がボーッと霞み、あらゆる感覚がゆるんで、つかまっていた窓枠を手放して地面に落っこちそうになった。それぐらい途轍《とてつ》もない感動の波に包まれたのである。
日本人も、ロシア人も、フランス人も、イタリア人も、腹立ち紛れの瞬間に口をついて出る文句(立派な慣用句だ)が、音こそ違え、同じ意味の言葉であるとは! 固形排泄物をさすこの言葉が、異なる文明圏で寸分違わぬ比喩的用いられ方をしているというこの実態をどう説明すればよいのか。
たとえば、日本人が文字や製紙法を中国から借用したように、「クソ」の罵倒《ばとう》語としての用法は、民族から民族へ伝播《でんぱ》されていったのか。それとも、偶然の符合なのか。いずれにせよ、人類の普遍性を物語るようで鳥肌が立つほどワクワクするではないか。
ついこのあいだもワルシャワでタクシーに乗ったら、別な車に追い越された瞬間、運ちゃんが口走った。
「|Hovno《ホーヴノ》!」
意味をたちどころに了解したのは、ポーランド語がロシア語と同じスラブ語族の言葉で、響きが似通っていたからだけではない。
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[#見出し] なぜ、よりによって外出時に[#「なぜ、よりによって外出時に」は太字]
「ったくもう、また日本人だぜ……見ろよ、ゾロゾロゾロゾロそろいもそろって……」
年格好五〇歳前後の小太りベルギー人ガイドは、観光バスの運転手相手に小声でブツクサ愚痴《ぐち》っている。
「なんであの連中は、外に出た途端に、必ずトイレトイレと騒ぎ出すのかねえ。何で、出かける前に自分の部屋でちゃんと済ませてこないのか? これは世界七不思議の一つですよ。これで、全員が帰ってくるまで待たされるから、観光の時間が二〇分は損してしまう。他国からのお客さんは、いい迷惑だよなあ。地球上にはいろんな民族がいるが、わざわざ外出時にやたらオシッコしたがる民族ナンバー・ワンは、間違いなく日本人だと思うよ」
そこまでフランス語で言ってから、わたしに気づいて、決まり悪そうに口をつぐんだ。しかし、次の瞬間、わたしがフランス語を解すはずはないと気を取り直して、英語で話しかけてきた。
「おや、お嬢さんは日本人じゃないのかい?」
「いえ、日本人ですけど。トイレには行きませんよ」
(ガイドの睨《にら》んだとおり、わたしのフランス語は初級教科書二〇頁どまりなのだが、なぜかこういうテーマになると自分でも驚くほど聴き取り能力が上がるのである)
「あららららら、参ったな、こりゃ。いまのぼくの独り言、聞いちゃった? やー、まずいまずい。ごめんなさいね。誓って言っとくけど、悪気はまったくありませんからね。許してくださいね」
ガイドは見るからに焦りまくっている。人はいたって良さそうなこの中年男を安心させなくてはならない。
「ぜんぜん、気にしてないわよ。おっしゃったこと、実は、わたしも常々そう思ってたから、興味深く拝聴していたの。ガイドさんのように、いろいろな国から来た人たちに毎日接している人の口から言われると、真実に迫力が出てくるというものだわ」
「そうかい? そう言ってくれて一安心だ。でも、ほら、他の国から来たお客さんたちは、誰もトイレに行かなかっただろう。ホテル出発してからわずか四〇分足らずでトイレに行きたがるの、お嬢さんの同胞ぐらいなんだよ。お隣の韓国や中国からのお客さんたちだって、そんなことないのにさあ。何かい? いや、こんなこと聞いちゃまずいかなあ」
「遠慮せずに聞いて」
「そうか。じゃ、単刀直入に聞くけど、日本の家屋には、トイレってもんがなくて、外でするものとでも決まってるのかねえ?」
「………」
「いやね、うちの犬なんかは、家の中ではしないようにしつけてあって、散歩のときにするもんだから、その連想なんだけどさあ」
「いいえ、ちゃんと屋内にトイレがあるわよ」
「そうか……だけど、珍しいよ、お嬢さん。このグループの日本人で公衆便所に立ち寄らないの、お嬢さんだけじゃないの」
「そう言えば、そうですねえ。わたしは膀胱《ぼうこう》のキャパが大きくて、締まりがいいのかもね」
それを聞くと、ガイドは大きく頷《うなず》き、すっかり納得してしまった様子。
「なるほど。日本人の平均的膀胱の容積は小さいうえに締まりが悪い、と」
長年の疑問が解けて晴れ晴れとした顔をしている。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いまのは冗談だってば」
と言いかけたわたしは、しかし、かかる現象を合理的に説明できる理由が思い当たらずに絶句してしまった。
それにしても、なぜなんだろう。
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[#見出し] フンドシチラリ[#「フンドシチラリ」は太字]
まさかS社ともあろう超一流の出版社が児童福祉法に違反するはずもないだろうに、だがしかし……そんな思いが頭をかすめたのは、担当編集者のMさんに初めてお目にかかったときである。肌は赤ちゃんのようにスベスベで、頬はほんのり桜色、まつげの長い目もとが柔らかく愛くるしい。もしかして童話の中から抜け出てきた白雪姫なのかもしれないという疑いはいまもある。バラの花びらのような唇には、まだあどけなさが残っていて、その口もとからこぼれ落ちる声の可愛らしいこと。ああ「鈴を転がすような声」とは、こういう声をさしていたのだなあとついウットリしてしまったものだ。そのあま〜い音色にのせた言葉は、しかしつねに簡にして要を得ていて、有無を言わさぬ迫力を持っていた。今回もそうだった。
「本の宣伝になるような文章にしてください。中身をチョッピリ紹介して、本を買って読む気にさせるようなのがいいですね」
「ええ、ええ、ストリップティーズの要領ですね。チラッと見せてじらすという」
そう応じてから、ああこんなこと白雪姫に申し上げてよかったかしら、つい調子に乗ってしまったなと心の中で一瞬反省しかかったところ、姫は美しい眉を微動だにさせることなくあくまでも冷静に答えるのだった。
「まっ、パンツをチラリとやってくだされば結構です」
「パ、パ、パ、パ、パンチラですね」
こちらの方が平常心を失ってしまったではないか。焦ったついでになし崩し的に引き受けてしまった。
やや落ち着きを取り戻して、はてどうしたものかと考え込んだ。通訳を論じた学術的趣さえある真摯《しんし》にしていささか理屈っぽい拙著『不実な美女か貞淑な醜女《ブス》か』のチラリと見せるべき「パンツ」に当たる部分はいったいどこだったのか。そのおおよその見通しも持たないままホイホイと原稿を引き受けてしまう浅はかさは我ながら情けなくなる。しかししかししかし。チラリズムこそが、つまりは見せているようで見せないことこそが、人の気を惹く安易にして効果的な手段であることだけは、まことに正しいのである。と自らを励ますわたしの脳裏に敬愛してやまないわが通訳術の師匠、徳永晴美氏のありがたいお言葉がまるで天啓のように甦《よみがえ》ってくるのだった。
同書にも記したことだが、師匠が要人随行という職務上「やむを得ず」か「役得」でか、トップレス・バーを訪れた翌日、その時の大発見を次のように披露したのだった。
「こう、みんなオッパイ丸出しでまわりに侍《はべ》っているとね、オッパイに対していつも抱いていたはずの関心がきれいサッパリどこかになくなっちゃうのよ。そして、意識の方はもっぱら三角形の布切れで隠された部分に否応《いやおう》なくどんどん集中していくんだなあ、これが」
師匠はまた別の機会に、次のような珠玉の戒めを垂れたこともあった。わたしがまだロシア文学の研究者の卵をやっていた(ごらんのように結局|孵化《ふか》しなかったが)頃、「現代ロシア語」という売れない月刊誌の編集委員をしていて、当時としては画期的な通訳論の名著『ロシア語通訳読本』を上梓《じようし》されたばかりの未来の師匠にお会いしたときのことである。周囲にいた研究者タイプの男たちとはずいぶん違う、知的ではあるが、けたはずれに豪快で生き生きした男ぶりにすっかり圧倒されたものだ。わたし自身が通訳者になってみようと思いたったのは、ひとえにこの徳永氏との出会いがあったおかげなのである。さて徳永氏は『ロシア語通訳読本』の続編を連載してくださることになり、『通訳者のフィールドノート』と銘打ったそれは面白くて、刺激的で大好評だった。
「ロシア語学やロシア文学の研究者のあいだでも、形式・内容とも論文として実に理想的だ、あんな論文を一度は書いてみたいと羨望《せんぼう》の的になってますけれど、その奥義は?」
とたずねるわたしに、師匠はまんざらでもない顔をしながら重々しく語り始めた。
「そうねえ、池を造るようなものなのよ。池の向こう岸を論文のたどり着く最終結論としてだねえ、池のこちら側から対岸にいたる道筋に沿って池の中に飛び石を置いていく。真《ま》っ直《す》ぐで等距離なんてつまらないから、遊びを取り入れることを忘れちゃいけないよ。蛇行させたり行きつ戻りつさせたり、間隔もさまざまにしてね。この飛び石が、いわば他人の論文の引用や、具体例。そして男がね、長めのスカートはいてパンツははかないで、ここが肝心なんだよ、パンツはあくまでも脱いでだねえ、池のこちら側から向こう岸へ向けて飛び石の上をヒョイヒョイと渡っていくわけ。そうすると、水面にチラリチラリと男の本音が映るでしょう。ちゃんとは見えないから、ついよく見ようと身を乗り出してしまうじゃない。そうやって、最後まで読者を引っ張っていく。これが秘訣といえば秘訣かなあ」
そういえば、その後わたしの書くエッセイは、どれもこれも結局この師匠の極意に忠実に従おうとつとめてきた挙げ句の果ての代物ばかりである。ありがたいお言葉の数々を思い起こしながら、わが通訳術の四十八手も、結局は徳永氏のワザを盗み盗みして獲得してきたのだったことを再確認したのだった。これも同書に著したことだが、ある国際会議で日本人が、
「社会民主主義と民主社会主義がどう違うのか、わたしにはよくわかりません。つまりカレーライスとライスカレーがどう違うのか、あるいはクソと味噌がどう違うのかという感じでありまして……」
と発言したことがあった。そのときの同時通訳は幸いにもわたしではなく、徳永晴美氏で、わが師は、心の中で、
「クソッ、カレーも味噌もソ連にはない。あるのはクソだけだ」
と呻《うめ》きつつ、
「カレーライスかライスカレーか」
のところは、
「ハム&エッグか、エッグ&ハムか」
と訳し、
「味噌かクソか」
の部分は、
「発酵性大豆ペーストかクソか」
というふうに転換した。もっともこういうふうにうまくいくのは希《まれ》で、こんな慣用句にわれわれ通訳者は絶えず悩まされている。以下はそれにまつわるわたしの失敗談。
日本の某テレビ局がソ連のバレーボール試合を衛星中継するため、ソ連国家テレビラジオ委員会から放映権を買った。ところがバレーボール会場を管轄するソ連国家スポーツ委員会が試合中のコートの周りに看板を置く権利を広告代理店を通じて日本の企業に売ってしまった。その結果、この中継番組のスポンサーのライバル会社の名前が試合中でかでかと映像として流れてしまったのである。当然のことながら番組プロデューサーは怒り狂い、国家スポーツ委員会に直談判に及んだ。相手に会うなり、このプロデューサー、
「そういうのを日本ではね、『他人のフンドシで相撲を取る』ってんだ」
と喧嘩腰。わたしは、これをとっさに、
「他人のパンツでレスリングする」
と訳してしまった。相手は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたのだが、その場はその場で、くだんのプロデューサーが次々と言葉の機関銃式発射を続けるので、わたしはその弾をおおわらわで処理していくのが、精いっぱいであった。しかし、一段落してから、よくよく考えてみると、フンドシとはこの場合、力とか権威とか権益とかのたとえであるから、明らかに誤訳であった。わたしの訳では不潔感しか残らないのである。
つい最近、とある経済政策に関する会議で、ロシア側が今後の財政・金融行政について、次のように抱負を述べた。
「ベルトをキッチリ締めていかねばならない」
わたしは、なぜかこれを、
「フンドシを締めてかからねば」
と訳してしまい、その途端、日本側会議参加者一同が一斉に同時通訳ブースに陣取るわたしの方を振り返り、ギロリと睨みつけたのである。
「ああ、フンドシはすでに死語であったのだなあ」
その場ではそんなふうに自分を慰めたものの、あとで落ち着いて反省するに、あれはやはり誤訳であった。ロシア語版は、「贅肉《ぜいにく》を落とすべきだ」という比喩《ひゆ》であり、日本語版は「気を引き締めて」という意味なのだから。
フンドシがらみで、二度も失態が続くと、二度あることは三度あるというではないか。次は「義理とフンドシは欠かせない」だろう、と手ぐすねひいて待ち受けている。これは、
「男たるもの常にフンドシを身につけているように、義理は一時たりとも欠いてはならない」
という意味らしい。とにかく日本男子には並々ならぬ思い入れがあるようだから、フンドシがらみで通訳も苦労が絶えないのである。いささかの悲壮感を漂わせながらそう長いあいだ思い込んできたのだが、あるとき、わが同業者の面々から厳しいご指摘があった。
「フンドシフンドシって、むやみにこだわっているのは、米原さんぐらいでしょ」
うーん、そうかもしれない。たしかに並々ならぬ愛着のようなものがある。明治四二年生まれの父は、フンドシを常用していた。さらしの一方の端を一センチ半ほど折り返して縫いつけ、筒状にした部分に紐を通すという単純明快なもので、母が時々まとめて製作していた。
小学生の頃、家の庭で同級生の子供たちと鬼ごっこをしていて、洗濯物の陰にかくれた男の子が、干してあった父のフンドシに気づいてたずねてきた。
「ねえねえ、これなーにー」
なんとそこにいた七、八人の少年少女の誰一人として、これがフンドシであることを知らないのである。ゲームそっちのけで謎解きになってしまった。これはちょっとしたカルチャーショックでありましたね。得意になって着用方法などを説明してやったものだ。その日は父の帰りが待ち遠しくて、顔を見るなりたずねてしまった。
「おとうちゃんはなんでパンツをはかないんですか」
「サルマタはムズムズしていかん。ありゃ風通しが悪いからなあ」
サルマタ(猿股)という言い方になにか軽蔑めいた響きが感じられた。
しばらくして父が初めて洋行することになったとき、叔母たちが「フンドシ」問題で軽いパニックに陥った。洗濯したフンドシをホテルのバスルームに干したとき、メイドさんに怪訝に思われ気味悪がられはしまいかというのである。
「紐を抜いてしまえばただの長方形の布切れになるわ」
「でも、旅先でもう一度紐を通すのは大変でしょう」
ああでもないこうでもないと取り越し苦労は際限ない。わが同級生たちにも正体がわからなかったフンドシ、紐がついていようといまいと外国人にはバレるはずないのに。それにバレたとしてもそれが何だというのだ。猿股なんかよりずっとかっこいいではないか。父にも父のフンドシにも限りない誇りを抱くわたしに、叔母たちの対パンツ・コンプレックスが理解できるはずもなかった。
フンドシに寄せる愛着は、毎晩父が寝る前に語って聞かせてくれるおとぎ話によってもいや増すばかりであった。
「ねえ、お話してよ」
とせがむわたしたち姉妹の要望に応《こた》えるために、虎の巻に父独自の脚色を加えた物語には、しばしばフンドシが登場したのである。あるとき、小学校で皆の前に出てお話をするという時間があり、父のフンドシ・シリーズのうちのひとつを話して聞かせると、教室中抱腹絶倒のバカ受けで、以後、
「今日は誰にお話してもらいましょう」
と先生がたずねるたびに、
「米原さーん」
と一斉に声がかかりイソイソと黒板の前へ向かったものだ。
その後小学校三年から中学二年に相当する時期、父の赴任先だったチェコのプラハで過ごしたわたしは、ヨーロッパの男たちも、つい最近までは猿股などはかないできたという厳然たる歴史的事実を確認することになった。ワイシャツがいまも必要以上に(膝に届くほどに)長くて側面にスリットが入っているのは、その名残だ。ワイシャツの前身頃《まえみごろ》の下端と後ろ身頃の下端で股を覆う。彼らのズボンの中はそうなっていたらしいのである。もちろん直《じか》に見たことはないが。念のため。父が猿股を嫌ってフンドシで通したように、古風なヨーロッパ男はいまもワイシャツの下端で股を覆っているのだ。
猿股やズボンは、そもそもヨーロッパ起源ではない。ギリシア、ローマの彫像を見ても、ズボンをはいた男はいないではないか。
ももの付け根、股、尻、腹部を一つながりの生地で覆うズボン、猿股など、世界服飾史上の革命的画期的大発明を成し遂げた民族をご存じだろうか。
ヒント@ ああいう衣服は、馬上で過ごすことの多い民族こそが発明しうる。
ヒントA 紀元前七世紀頃からアジアとヨーロッパにまたがって棲息した。
ヒントB 元寇の役で「神風」が吹かなかったならば、日本人はもっと早くパンツをはいていたのかもしれない。
もう、おわかりだろう。スキタイの黄金人間も、フン族のアッチラ王も、ジンギス汗も馬か羊の皮でできたパンツをはいて馬にまたがり、ユーラシアの大地を駆けめぐったに違いない。きっと。
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Primi Piatti
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第一の皿
[#見出し] 開け、胡麻![#「開け、胡麻!」は太字]
『アラビアンナイト』の『アリババと四十人の盗賊たち』に出てくるこのおまじないは、素晴らしく魅力的だ。子供心を、たちまちとらえる。昔は、電車に乗ると、扉が開く前に、
「開け、胡麻!」
なんて叫んでる子供が時々いた。
おとぎ話は、こうでなくちゃいけない、と思っていたのだが、最近は、あちこちに自動開閉式のドアが取り付けられているせいなのか、このおとぎ話の名文句に心奪われる子供は、ずいぶん減ってしまった。
もっとも、扉そのものは勝手に開いたとしても、では、簡単に中に入れるかというと、必ずしもそうでもない。時と場合によっては、さまざまな障壁が立ちはだかる。
たとえば、わたしのような同時通訳者に頻繁にお声をかけてくれる放送局であれ、官庁であれ、いずれもテロ行為の対象にされやすい機関であるから、建物への出入りは日常的に管理されている。オウム騒動のときなど大変だった。いずれも、制服姿の警備員がいて、身分証明書の提示を義務づけているものだ。
それに、物々しい警戒態勢を何重にもしいて行われる国際会議というのは、実に頻繁に開かれる。この稼業に従事していると、首脳会談やら、超VIPの会合やらの会場に足を運ばなくてはならないことも、たびたびだ。
こういうときは、主催者があらかじめ、こちらの顔写真入りの通行証を発行してくれることになっている。この通行証さえ見せれば、十重二十重《とえはたえ》の機動隊の隊列も、慇懃に道を開いてくれるし、一様に個性を押し殺した感じのガードマンたちも、サッと敬礼して通してくれる。まあ、水戸黄門の印籠《いんろう》、一種の文書化された「開け、胡麻!」みたいなものだ。だから、
「辞書は、忘れても、通行証は忘れるな!」
と肝に銘じている通訳者は多い。
ところが、こういう強迫観念は、得《え》てして逆効果になりやすい。受験のときには受験票を、飛行機に乗るときにはチケットを、海外旅行に出かけるときにはパスポートを忘れ、大慌てで自宅に引き返したり、家人に電話で頼んで持ってきてもらった実績のあるわたしは、もちろん、迎賓館で行われたいままでで最も警戒の厳重な会議に、通行証を忘れていったのだった。
あらゆるポケットを裏返し、カバンの中身をことごとくぶちまけて、書類を一枚一枚めくるものの、通行証は出てこない。
「わたし、この会議の通訳なんです。もうすぐ会議が始まってしまいます」
泣きそうになりながらいくら訴えても、制服男たちは、表情一つ変えずに、
「規則ですから」
の一点張りで、壁のように立ちはだかる。ビクともしない。ああ、ここは、イタリアではないのだな、と思い知らされるのは、こんなときだ。前に、ローマの空港で、入国審査も税関も、満面笑みをたたえて、
「ボンジョールノ」
と挨拶しさえすれば、制服姿とはいえ、イタリア男たちは、愛想の良いほほえみを返しながら、フリーパスで通してくれたものだ。
しかし、ここは、日本なのだ。女に範疇分けされることが通行証の役割を果たしてしまうなんてことは、自民党政府がアメリカにNOと言うくらいに可能性が低い。どうしよう。家に引き返したら、会議の時間に遅れてしまう。仕方ないので、門衛のところで電話を借りて、会議事務局に連絡をとり、担当者に迎えにきてもらった。担当者に平身低頭し、ようやく、中に入れてもらい、冷や汗脂汗をぬぐっていると、息せき切って田中祥子さんが飛び込んできた。わが国屈指の英語同時通訳者である。
「あたし、また通行証、忘れてしまったわ、ハハハハ」
とよく響く声で高笑いする。
「わたしも。事務局の人にご足労かけちゃいましたよ」
挨拶がわりに、そう言うと、祥子さんは、びっくりしたように、駆け寄ってきた。
「えっ、万里さん、ご存じなかったの?」
「な、な、何のことですか?」
「通行証なんかなくても、いつでもどこでも通してもらえる方法」
「まさか。事務局の人によけいな借りを作らなくて済むんですね。教えて、教えて」
「ただで?」
結局、その日のランチと引き替えに、祥子さんが教えてくれたおまじないは、「ご苦労様です」。ガードマンの前を威厳を保って通り抜けながら、この台詞を口ずさむと、たちまち敬礼して通してくれるというのだ。このフレーズを耳にしたとたんに、警備員にとって、目の前の人間は、取り締まる対象から、雇い主に変貌するのだという。
さっそく、通産省(現経済産業省)と自治省(現総務省)に入るときにやってみたら、十分に「開け、胡麻!」の役割を果たした。是非、お試しあれ。
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[#見出し] 京のぶぶづけとイタリア男[#「京のぶぶづけとイタリア男」は太字]
通訳として実に多分野の意思疎通を取り持ってきたが、未踏の聖域がある。男が女を、あるいは女が男を口説く場面もその一つ。そこはそこ、以心伝心、興醒めなこと言いなさんなと釘をさされそうだが、いや男女関係ほどそれぞれの国や民族の歴史、伝統、風俗……要するに文化的背景が微妙に緊密に絡んだものはない。やはり通訳を介したほうが……。
日本に来て三年目のまあまあハンサムなイタリア人青年がいる。
「モテるでしょう」
こちらはお世辞半分に言うと、まんざらでもない顔をして、
「エエ、ニッポンジョセイハチョットムボービデス。オトコニタイスルケイカイシンガフソクシテイマス」
と受け答えするものだから、ピカピカッと閃いてしまった。
たしかに日本女性があっけないほど簡単に陥落するという伝説は日本人の海外旅行が飛躍的に増え続ける昨今、世界の常識となりつつある。風紀が乱れとると年配者は眉をひそめる。が愚見では口説き文句貧困文化圏の女が、雨あられと歯の浮くような台詞を降り注ぐ口説き文句過剰文化圏の男の口先三寸を、字句通りまともに受けとめてしまうために起こる現象なのだ。
そう、イタリア男の口説き文句は、「京のぶぶづけ」だったのである。
「おぶづけでもどうどす。食べていきよす」
とどんなに優しげに京女に誘われても、決しておいそれと上がり込んだりしてはいけない。そんなことしたら、
「この田舎者が」
と顰蹙《ひんしゆく》を買うのがオチ。あれは、
「もう遅いから帰ってください」
という意味の体《てい》のよい切り出し方。ゆめゆめ字句通りに受け取ってはならない、と京都に他の地域から赴任する人はあらかじめ啓蒙される。
執拗で情熱的なイタリア男の口説きは、身持ちの固いイタリア女とセットになっている。
「ああ、こんな絶世の美女、生まれて初めてだ」
「明日にでも結婚してくれなきゃ身の破滅だ」
過激で大げさな台詞も女の意識に届く頃には、
「やあ、こんにちは」程度の挨拶言葉に「自動翻訳」されて受けとめられる。まあ、だからこそ、安心して口説くってこともある。それを日本女はイソイソと応じてしまうのだから、口説いた方も内心焦りまくってたりして。
「援助交際」なんてのが流行《はや》るようでは、当事者同士の口説きの文化はやせ細るばかり。外国男の口説きの威力は今後も続くことでしょう。
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[#見出し] メゾフォルテが一番簡単[#「メゾフォルテが一番簡単」は太字]
通訳仲間でおしゃべりをしながら、共通項に気づいて大笑いしたことがある。
「どうもお互い話を大げさにする傾向があるわね。これ職業病じゃないかしら」
友人の名通訳、田中祥子さんは、それを次のように自己分析する。
「わたしの誇張癖に慣れている相手は、三〇分の一にして受け取るでしょ。それを見越して、あたしは三〇〇倍にして話すの」
誇張はとめどなくエスカレートするシロモノなのだ。
突然話は変わるが、ヤマハ音楽教育システムには、最優秀な子供たちの才能をさらに伸ばすためのマスター・クラスがある。設立後まだ日は浅いのだが、国際コンクールで次々と優勝者を輩出している。世界的チェロ奏者で指揮者のロストロポービッチさんは、来日のおりに立ち寄り、子供たちの演奏を診断している。
あるとき子供たちの演奏を一通り聴き終えると、彼は壇上に上がった。
「リヒテル君といっしょにショスタコービッチ先生の指導のもと、先生の作品の演奏の練習をしてたときのことだ。ぼくたちの演奏を聴き終わると先生はこうしたんだ」
ロストロポービッチさんはグランドピアノに向かうと、耳が張り裂けんばかりの大音響を響かせ、次に聞こえるか聞こえないかスレスレの音を響かせた。
「演奏家は、この二つの両極端のあいだのすべての音階を弾き分けられなくてはいけないよ」
そう、ショスタコービッチ先生はさとしたそうだ。
「ディミヌエンド(徐々に音を小さくしていく演奏)もクレッシェンド(徐々に音を大きくしていく演奏)もこの幅があってこそ生きてくるんだ。ところが、君たちの演奏は、ぼくの若い頃ソックリだ。大きい音を出せば効果的と思い込んでる。せいぜいフォルテとメゾフォルテとフォルテッシモしか弾けないのだね」
さらに、ショスタコービッチ先生は、こうも言ったそうだ。
「世の中にはピアニストを名乗る輩《やから》が掃いて捨てるほどいるが、そのうちの大多数は、ピアノ(小さな音)が弾けた例《ためし》がない。世の中に蔓延《はびこ》る自称ピアニストたちは、ぼくに言わせりゃ、メゾフォルティストだね。メゾフォルティストになるのが、一番簡単だってことだ」
そんな戒めは、わたしの耳にも痛かった。おそらく音楽家のみならず、通訳も、いや情報伝達にたずさわる人々の多くが陥りやすい悪循環を見事に言い当てている。受け手に確実にメッセージを届かせたい。その手応えが欲しい。そういう職業的使命感が高じると、ついつい誇張という安易な手段に頼ってしまう。
「あなたの評価はいつだって絶賛するか罵倒するかね」
日常会話においてさえ、しじゅう表現の幅の貧しさを指摘されているわたしである。
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[#見出し] 覚悟できてますか?[#「覚悟できてますか?」は太字]
何年か前、来日したイタリアの映画俳優マルチェロ・マストロヤンニが、人気ニュース番組にゲスト出演した。粋で話題が豊富で下ネタすれすれのジョークを次から次へと飛ばしてくれる。キャスターと視聴者を大いに笑わせてくれたのにすっかり味をしめて、翌日トーク番組にも出演するのを知るやビデオに録画予約したものだ。
ところが、こちらの方のマストロヤンニは、まるで別人。「クソ」がつくほど真面目で退屈このうえない。
今日は気分がのらないのか、風邪気味なのか、食あたりでもしたのか、それとも、さすが名優、器用に演じ分けているのかと、さまざまな疑問が頭をかすめたものの、ふと思い当たることがあった。
そうだ! 前回と今回とまるで別人なのは、出演者ではなく、通訳者なのだ! ニュース番組の方の通訳者はシモネッタ・ドッジこと田丸公美子さんだったけれど、トーク番組の方はそうじゃなかった。マストロヤンニの実像がどちらに近いのか、いまだに謎だが、視聴者の印象が通訳に左右されるのだけは疑いない。
そういえば、力作『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)以来大ファンになってしまった辻由美氏の近著『世界の翻訳家たち』(新評論)の中に興味深い指摘があった。
「私たちが世界の名作と呼んでいるのは、たいていの場合、翻訳書のことではないか。シェイクスピアの『ハムレット』を読んだと言うとき、それはふつう、中国人なら中国語に翻訳されたものを、イタリア人ならイタリア語訳を、日本人なら日本語訳を読んだという意味だ。そうした翻訳をすべてふくめたものが、名作『ハムレット』なのである」
この伝でいくと、
「ゴルバチョフの演説を聞いたと言うとき、それはふつう、中国人なら中国語に通訳されたものを、イタリア人ならイタリア語訳を、日本人なら日本語訳を聞いたという意味だ。そうした通訳をすべてふくめたものが、ゴルバチョフの演説なのである」
ということになる。
ああ、怖い。他人の話を訳すなどという商売、よくぞいままでやってきたものだ。もっとも、通訳される側は、もっと恐ろしいのでしょうね。
広告批評家の天野祐吉氏があるラジオ番組で話されていたが、氏のあの軽妙洒脱な文章が英訳され、それを読んだアメリカ人が謹厳実直な書き手をイメージしたという。
通訳される側、翻訳される側には、それなりの覚悟が必要ということです。
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[#見出し] 寡黙と雄弁の狭間で[#「寡黙と雄弁の狭間で」は太字]
昔あるテレビ局に「ゴルバチョフの演説が一〇分ほどありますので、同時通訳を」と頼まれ、一〇分なら一人で対応できると高をくくって引き受けたら、延々三時間二〇分もしゃべられて往生したことがある。
「国際会議でインド人を黙らせ、日本人に語らせることができたら、議長として大成功」という真理は、インド人のところをそのままロシア人に差し換えても真理だ。長広舌《ちようこうぜつ》はロシア人の風土病みたいなもの。「縄は長いほど良い、スピーチは短いほど良い」と諺《ことわざ》にあること自体、ロシア人が昔からいかに長い演説に辟易《へきえき》させられてきたかを物語る。
日露の対談や会議でも、一対五ぐらいの割合でロシア側の方がたくさんしゃべっている。主観的にならないために三度ほど時間を計った結果の平均値だ。愚見では、日本側が寡黙であることが、「不満なのでは、理解していないのでは」という不安をロシア側にかきたて、いっそう多弁にするという悪循環を生んでいる。
もっとも日本人に較べれば、フランス人もアメリカ人も公の席で実によくしゃべる。言葉によって人々を魅了しようという情熱を、より強烈に宿している。一方日本では政治家でさえ能弁はプラス・イメージにつながらない。
アメリカ大リーグで一躍|寵児《ちようじ》となった野茂英雄投手も、これまでずっと無口だった。それが、オールスター戦でテキサスに赴いたとたん、にわかに雄弁になった。
「自分は日本からの最良の輸出品と言われているが、そのとおりだ」「ぼくの野球哲学では……」「自分の人生をかけて……」などという歯の浮くような文句を堂々と言う。
これは変だと感じたロサンゼルス・タイムス紙の調査によると、いつもの奥村氏にかわってオールスター戦用に雇われた通訳のケント・ブラウン氏が勝手に付け加えていたらしい。
原発言者が言ってもいないことを通訳が捏造《ねつぞう》するのは、御法度《ごはつと》。同紙がブラウン氏の通訳倫理にクレームをつけたのは、当然ではある。
だが、しかし少ない言葉を補いたくなる気持ちはよくわかる。わたし自身、何度そういう誘惑に負けそうになったことか。
俳優も政治家も大リーガーも気の利いた台詞で聴衆を唸らせるのが常識となっている文化圏で、野茂の訥弁《とつべん》が無愛想にもサービス不足にも映ることを歯痒《はがゆ》いと思ったのではなかろうか。
「野茂をより良く見せたい」という老婆心がブラウン氏に通訳としての一線を越えさせたに違いない。それほど野茂は、イイヤツなのだ。
一方で、ロサンゼルス・タイムス紙のクレームからも見てとれるように、野茂の寡黙を、ひとつの得がたい個性として愛しむ心をアメリカ人が持ちあわせていることも嬉しい発見だ。
というわけで、日本人の寡黙と外国人の雄弁の狭間で骨身を削るのは、国際会議の議長ばかりではない。
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[#見出し] フィクションが許されるのは作家だけか?[#「フィクションが許されるのは作家だけか?」は太字]
『権力と栄光』や『情事の終わり』などの代表作で知られるグレアム・グリーン。一九九一年に亡くなった二〇世紀イギリス文学を代表するこの作家がジャーナリスト出身であることは有名な話だが、実は超優秀な同時通訳者だったことは、案外知られていない。戦時中、軍の情報局に勤めた頃のことで、英語とフランス語、スペイン語を取り持つ達人だったと伝えられている。
後年、たしか七〇年代初頭に書かれた『創造力について』というタイトルのエッセイのなかで、
「作家としての才能と通訳者としての技能は基本的に同じ根っこのものだ」
とまで書いているのだ。その才能とは、
「大量の情報に接しながら、瞬時にそのなかから本質をつかみ、言葉でもって伝える能力だ」
と言い切っている。自画自賛していると言ってもいい。
これを読んだ夢多き二〇代当時のわたしの人生設計図には通訳になる予定などまったく書き込まれておらず。だから、気にもとめずに読み流してしまって、記憶の川底に沈殿させていた。川底で苔生《こけむ》していた記憶が突如浮き上がってきたのは、その後通訳稼業で食いつなぐようになり、その辛《つら》さと魅力を知り、この最高に面白い職業のひとつについてあれこれ雑文を書くようになってからのことである。
畏《おそ》れ多くもグレアム・グリーンと張り合うつもりは毛頭ないのだが、通訳と物書き、この両業種に二股かけてみての嘘偽りのない実感として、第一次産業(物書き)と第二次産業(通訳)の差は、やはり大きい。何しろ「最終製品」の出来不出来については後者は前者のせいにして言い逃れできるけど、前者は一切の責任を一人でかぶらなくてはならないのだもの。これほど素材やその加工法についてヤキモキし、受け手の反応に一喜一憂する不安な商売はない。
そのかわり、作家にはフィクションが許される。許されるどころか、針小棒大、火のないところに煙をつくる、要するに首尾良く嘘をつけることがこれほど評判と収入に直結する合法的な職業はほかにない。
一方、通訳に虚言癖があってはならない。話し手の言うことを勝手にフィクションで脚色して聞き手に伝えるタイプは、この職業には不向き……と思われがちだが、それは通訳者にまんまと騙《だま》されているのです。異なる文化、発想法の話し手と聞き手のあいだに意思疎通の架け橋を建設するには、誇張や意訳という名の異訳は欠かせぬ接着剤。通訳不可能な駄洒落でスピーカーの言語を理解する聴衆の一部が笑い転げていたら、別なジョークをでっちあげて残りの聴衆も笑わせてあげるのも通訳の腕次第。それに聞き落としたフレーズを何とか取り繕うのは想像力と創造力のたまもの。
わが友にして日本で屈指のイタリア語同時通訳者のシモネッタ・ドッジこと田丸公美子さんも、よく息子を叱るときに言うそうだ。
「お前、嘘つきは通訳の始まりだよ」
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[#見出し] 性格は関係ない[#「性格は関係ない」は太字]
二二年間も毛沢東の主治医だった李志綏の『毛沢東の私生活』(文藝春秋)を、あまりの面白さに寝食忘れて一気に読了した。
最高権力者の主治医ともなれば不注意な言動一つで命が吹っ飛ぶ立場だから、スリルと緊張が全二巻を貫いている。素顔の毛沢東に日々接触し続けられる立場、医者らしい透明で緻密な眼差《まなざ》し、西側の教育を受けた人間の、同時代の中国人の中では相対的に自由な人間観と視野の広さ。そういう理想的な著者を得たおかげで、権謀術数と漁色に明け暮れる毛の日常生活、独裁者に翻弄される側近や錚々《そうそう》たる要人たちの悲喜劇が、まるで目前の光景のように生き生きと描き出される。
誇大妄想的に暗殺とクーデターを恐れる毛は、特別列車を仕立てて絶え間なく中国各地を移動する。著者も一時、毛の不信を買い、下放されて、過酷な肉体労働を科されたり、文革時は集会などに動員される。全体として激動の現代中国史がパノラマのように迫ってくる。
毛は毎晩のように若い女をとっかえひっかえ寝室に引っ張り込んでいたが、晩年は張玉鳳という女が絶大な権力をふるい始める。周恩来や華国鋒級の要人や側近も、エキセントリックな正妻の江青も、張玉鳳を通さなければ毛との面会もかなわないのである。彼女の権力はどこから生じたのか。筋萎縮性側索硬化症を患い、ろれつがまわらなくなった毛の言葉を理解できるのが張玉鳳ひとりだったためである。
虫の居所が悪いと要人の面会を取り次がなかったり、勝手に怪しげな治療法を施したり、張玉鳳は神格化された毛の威光を笠にきて次第に手がつけられなくなってくる。ところが興味深いことに、こと毛とのやりとりを「通訳」する際には、この実に性悪な女が、どうやら正確に忠実に伝えているようなのだ。ごまかしたり、虚偽を伝えてはいないみたいなのである。
実は英語のわかる人がゴマンといる日本で仕事をする英語通訳者は、下手にごまかしたり、誤訳をするとすぐ顧客にバレてしまうが、ロシア語通訳者は極端な話、嘘を言ってもお客様は気づかない場合が多い。
では、嘘をつきまくっているかというと、違う。忠実に訳そうと皆必死である。別にロシア語通訳者がとりわけ良心的で誠実であるからではない。一度嘘をつくと、やりとりの中で、その嘘を糊塗《こと》するためにさらに嘘をつかざるを得なくなり、あれよあれよという間に嘘は雪だるま式に膨れ上がっていき、破綻してしまうのである。ベテラン通訳ならば一度や二度そんな苦い経験をなめているはずだ。忠実に訳していた方が楽なのである。
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[#見出し] 誤訳と嘘、プロセスは同じ[#「誤訳と嘘、プロセスは同じ」は太字]
はるか遠い遠い昔、日本向けモスクワ放送を聴いていて、突然生真面目な女性アナウンサーの口から「ソレンシバサントウ」なる単語が頻繁に発せられるものだから首を傾げた。しばらくして「ソレンシバサントウ書記長ブレジネフ同志」と出てきて納得。おそらく、翻訳者が「ソ連共産党」と走り書きした「共」の字が、アナウンサーには「芝」に見えたのではないだろうか。
アラ・プガチョワの「百万本のバラ」の歌詞をK女史が翻訳したものを読んだときもぶったまげた。美しい女優に恋した画家が、全財産を投じて女優にバラを買い贈る物語なのだが、「彼は家を売り屋根を失い」というロマンチックな原文が、訳文では「家を売り、血を売り」とずいぶん悲惨な話になっている。ロシア語で血は「*****」、屋根は「****」の一文字違い。ちらりとでも辞書をのぞけばよかったのに。
もっとも、訳を確かめたり、辞書を引いたりするのは、「ちょっと変だな」と疑問がかすめたときのこと。思い込みの激しい人は、その一字違いが目に入らないものだ。
通訳や翻訳のプロセスを、原文を読み取ったり聞き取ったりするインプットと、それを別な言語に転換して伝えるアウトプットに分けると、この両者のあいだの矛盾は、自覚しやすい。「大根」と受信し、訳語をど忘れして仕方なく「白色の根菜」と訳出の際ごまかしたことは、しっかりと訳者は覚えているものだ。しかし、インプット段階で「男根」と聞き違えると、いかに正確無比に訳して伝えても結果的には誤訳になる。しかも訳者本人が自力で気づくのは至難の業だ。頼みの綱は、文脈と他人からの指摘。だが、これにも限界がある。
これは嘘をつくプロセスに似ている。世の中には時々嘘をついているという自覚まったくなしに大ボラを吹きまくる場合がある。
外界の情報をわれわれは脳味噌にインプットし、この記憶をよみがえらせてアウトプットする過程で、脚色したり、誇張したり、まったく逆のことを言ったりすることがある。この方式だと、当人は十二分に嘘をついていることを自覚しているものだ。
ところが、すでにインプット段階で無意識に虚構を築いて記憶のひだにしまい込む場合もある。そうなると自己検索は前途多難。某テレビ|局(*)はどちらなのだろうか。
[#この行2字下げ]*オウム裁判の過程でTBSのディレクターが坂本弁護士のビデオをオウム教団側に見せたことが、教団が弁護士一家殺害に踏み切る原因となったことが明らかになったが、TBS当局は、当初その事実を認めず、次に知らなかったと弁明した。
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[#見出し] 誤訳のバレ具合[#「誤訳のバレ具合」は太字]
ついこのあいだ、「偶然と必然」というテーマで雑談風議論にふけっていた最中のこと、生物学者の池田清彦さんがつぶやいた。彼は、いつも一見、素っ頓狂なのに、よく考えてみるとハッとさせられる真実をポロポロ吐いてくれる人だ。
「偶然とか必然とかを考えるのは、自分の頭の中でのことでしょ。この二つは、すごく乖離《かいり》しているように見えて、実はどっちも自分の頭の中にある。それもおそらく非常に近いところにあると思うんだ。だいたい、右と左とか、善と悪とか、正反対の概念と思われていることって、脳の中では、すぐそばにあるんじゃないかなあ。だって、反対の概念て、すぐ頭の中で交換できるでしょう。ぼく、『長い』って言うつもりで『短い』って言ってたりするのよ、よく。こないだも、女房と娘乗せてぼくが車の運転してるとき、娘が『右』って言ったのに、ぼくは左に曲がっちゃって、それ結局正しかったんだけど、娘もぼくも言い間違い、聞き間違いにぜんぜん気づいてなかったの。女房に言われて、初めて気づいたんだけどね。ハハハハハ」
つられて大笑いしながら、わたしも本業の同時通訳でのいくつもの苦い経験を思い出してしまった。誤訳のことである。
スピーカーが「南」と言ったのに、訳者が「北」と誤って伝えてしまうような、明らかに正反対に訳してしまう誤訳の方が致命的であると思われがちだが、実は、そういうわかりやすい間違いは聞き手にもすぐバレるから、通訳に対する信頼は損ねるかもしれないが、情報伝達の確実性という観点から眺めると、誤訳のレベルとしては罪が軽いのである。むしろ、通訳者にも、聞き手にも認識されにくい、大方最後までバレない微妙な概念のズレの方が、罪は深刻なのだ。
ちなみに、通訳するときは、通訳者本人の意見をスピーカーの発言に紛れ込ませたり、通訳者の主観でねじ曲げたりするのは、御法度だ。できる限り忠実にあるがままにスピーカーの言葉を聞き手に伝えなくてはならない。そう言うと、多くの人々から同情される。
「自分と正反対の立場を通訳するのはさぞ苦痛でしょうね」
ところが、逆なのである。面白いことに、その方がはるかにやりやすいのだ。俳優さんたちも、よくインタビューなどで白状しているではないか。
「悪役の方が役作りが楽だ。素の自分に近い役は難しい」
通訳も同じなのだ。むしろ、自分の見解に近い人の方が、知らず知らずのうちにこちらの立場に引き寄せそうで気が抜けない。だから、通訳の最中は、そのわずかな違いに凄《すさ》まじい敵意を覚えたりするのだ。まるで近親憎悪みたいに。
ということは、もしかして、大嫌いな事物や、自分の対極にあると思い込んでいるものに、われわれは実は結構惹かれているのかもしれない。そう言えば、ユングだったか、フロイトだったか、
「愛の反対語は憎悪ではない。無関心だ」
と言っていたような気がする。
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[#見出し] 身内ほど厄介なものはない[#「身内ほど厄介なものはない」は太字]
「さて、次にこの上なく魅力的なうら若きすこぶる付きの美女をご紹介申し上げます」
壇上のアメリカ人スピーカーが言い終わるや、舞台の袖の方から、ヨボヨボの(少なくとも七〇歳はゆうに超えた)ご婦人が登場。スピーカーは双手《もろて》をひろげてこの年配のご婦人を迎え入れると、親しげにその肩に手をかけ、得意満面で白状した。
「わが最愛の妻であります」
こんな場面を通訳すること一度ならずある英語同時通訳の達人、田中祥子さんは、そのつど、
「ああ、これを本当に字句通り訳していいものか」
と迷い悩む。というのも、右のようなシーンで、老婆が登場するや、日本側聴衆は決まって爆笑する。当然、田中祥子さんは、生きた心地がしない。だって、ここで笑ってはならないのだ。
自己と自己の近親者を口を極めて絶賛する傾向は、欧米人とりわけ、アメリカ人の言語習慣に根づいており、一種の枕詞や挨拶のようなもの。要するに字句通りの意味をすでに失っている。
このあいだも料理研究家の愚妹が来日したイタリア人に腕を振るってご馳走したというのに、
「あんたの料理は世界で二番目にうまい。一番はオレの女房だ」
なんて「お世辞」を言われてムカッとしたという。しかし、落ち着いて考えてみれば「女房|云々《うんぬん》」の部分は枕詞だからカットして聞けばいいのである。
たとえば、日本文化においては、自己と自己の近親者に関する表現においては限りなく自己卑下に近い謙譲の美徳路線を堅持することが求められている。教養と常識を身につけた大人とは、「愚妻」とか「豚児」とか「ふつつかな娘」とかいう表現をよどみなく言える人のことである。だからといって、その人が、自分の妻を「愚鈍」で、息子を「豚のように意地きたなく」て、娘のことを「無能で行き届かない」と考えているとは限らない。むしろ内心は逆かもしれないのだ。ところが、これを「my stupid wife」とか「my piglike son」とか「my very unperfect daughter」などと字句通りに置き換えてしまうと、欧米人は自己の近親者を公然と侮辱する話し手に対して眉をひそめるに違いない。人間性を疑われる可能性だってある。
日本語内コミュニケーションではすでに失われてしまっていた本来の意味が訳によってよみがえってしまうようだ。先のアメリカ人スピーカーの場合も、原発言ではすでに消失していた意味が訳文においてはよみがえり、それが喚起するイメージと実物との落差が笑いを呼んだのだ。
「字句ではなく、意味を訳せ」
というわが師匠徳永晴美氏の戒めに従えば、これは、立派な誤訳である。
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[#見出し] 中庸と中途半端のあいだ[#「中庸と中途半端のあいだ」は太字]
通訳の最中、日本人の政治家が「中庸」とか「中道」とかいう言葉を頻繁に発したので、どう訳したものか、困ったことがあった。
そういう概念がロシア語にないからではない。英語でも「幸せな真ん中(happy medium)」という言い方をするように、ロシア語でも「黄金の真ん中(******* ********)」という言い方で、まさに「中庸」に相当する概念を言い当てている。語源辞典を引くと、紀元前一世紀に活躍した古代ローマ随一の詩人ホラティウスの「頌詩集第二巻」に出てくる「黄金の真ん中(aurea mediocritas)」が初出ではないかと記してある。「偏らない、ほどよくバランスのとれた」というようなプラス・イメージの言葉だ。
では、なぜ訳に際して窮したのか? 発言者自身は、明らかに右の意味のつもりで「中庸」とか「中道」という言葉を用いて我田引水しているのだが、発言内容そのものからうかがい知れる内実は、じれったくなるほど中途半端でどっちつかずのあやふやなものだからだ。単に臆病なせいで、大勢に迎合し、といってその先頭を切る能力も勇気も視野もないから、ちょうど風当たりの少ない居心地のいい場所を確保して無難な行動に終始しているだけって感じが見え見えなのである。
こんなみっともない有様を「黄金の真ん中」なんていうふうにわたしが訳したら、きっと聞き手のロシア人は悪い冗談かと思うに決まっていると、わたしは気を揉《も》む。
ところで、ロシア人は、「黄金の真ん中」の最良の見本として、よくジプシー・ダンスを例にあげる。ジプシー・ダンスを見たことがありますか? 世界に数ある踊りの中で、最も魅力的な踊りだと、わたしは思っている。一度見た人は必ず取り憑《つ》かれる。
かつてはなかなか定住先を持てず、己の芸で食い扶持《ぶち》を稼ぐしかなかったこの民は、行く先々の民衆の歌や踊りを鑑賞に堪える、つまり金の取れる魅力ある見せ物に換骨奪胎した。こうして生まれたのが、スペインのフラメンコやハンガリーのチャルダシュ、その他の名舞踊だ。
初めてジプシー・ダンスを見た人は、一見、ほとんど動きがないことに驚く。というのは、動きの派手で激しい踊りよりもはるかに動きを感じ取るからだ。それに、ずいぶん着込んでいるのに、露出度の高い踊りよりゾクゾクするほど色っぽい。
それは、なぜか? おそらく、九〇度しか足を上げられない人が目一杯九〇度上げるのと、一八〇度足を上げられる人が三〇度しか上げない違いではないだろうか。前者の方が見た目は派手だが、後者の方が、なぜか、かもしだすエネルギーとか色気とか奥行きに迫力があるのだ。つまり、一八〇度まで足を上げたうえで、さらに一五〇度下げるに等しいから三三〇度の運動量が秘められていることになる。九〇度しか上げられない人の実に四倍弱だ。
「中庸」とか「中道」と言うと、まず何はさておき、「極端を排し」と思われがちだが、本来は、むしろ極限の偏りをことごとく取り込んだ過酷にして懐の深いスケールの大きいものではないだろうか。それが、「中途半端」との本質的な違いだと思う……。つらつらと同時通訳ブースの中でそんなことを考えつつ、発言者のスピーチを校閲する権利を持たないわたしは、「中庸」を、やはり「黄金の真ん中」と訳出していくのであった。
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[#見出し] 比喩の力[#「比喩の力」は太字]
学生時代、ロシア語同時通訳の草分け的達人が、気前のいいことに、ご自分のとっておきの勉強法を披露してくれたことがある。
「朝起きてから寝るまで目に入るもの、耳に入るもの、心に浮かんだ思い、とにかく片っ端からロシア語にしていくんです。電車の吊革広告も、昼食で出た料理も、テレビのコマーシャルのキャッチコピーも」
その後、同時通訳で口を糊《のり》するようになって、この先輩のアドバイスに何度感謝したことか。というのも、こちらが通訳して差し上げる方々が、何をどんな単語を駆使して表現するのかは、実際にしゃべりだしてみないとわからないからだ。こういう方面の語彙は使わないでくださいなんて、あらかじめコントロールできるはずもないのだから仕方ない。理論物理学者がいきなり恋愛論を展開することもあるし、経済政策の専門家が愛猫のエサの話をすることもある。まったく何が飛び出してくるか予測不可能。油断も隙もないとはこのことである。
なのに、通訳者には、沈黙することが許されない。そんなことしたら、次回からお声がかからなくなってしまう。つまり、失業の恐怖が待ち受けているわけだ。だから、怠け心にむち打って、常日頃、世の中の森羅万象を商売道具の日本語とロシア語に置き換える訓練をせざるを得ないのである。
辞書に網羅されていない語彙がいかに多いかを思い知らされるのは、こんな時だ。たとえば、もともと日本にしかない事物は、当然のことながら、ロシア語を含め他の言語には該当する単語がない。仕方がない。言葉を尽くして説明訳をする。ただし、なるべく簡略にして要を得た訳が理想的なのは、言うまでもない。
そして、こういう場合、とても頼りになるのが、比喩という方法なのだ。異なる言語圏にある似通った事物を喩《たと》えに用いて説明してしまうのだ。
豆腐を大豆ミルクから作るカッテージチーズ、蒲鉾《かまぼこ》を魚肉ソーセージと訳すのは、素材は異なるものの製法が似通っているからだ。このあいだ料理本を読んでいて、「ポトフ」という料理を「洋風おでん」と紹介しているのに感心したが、これも比喩に頼った訳し方の成功例である。
あるとき、ロシアの要人を生まれて初めてという寿司屋にご案内申し上げた。事前に、
「お酢を混ぜたご飯を小さな団子状にして、その上に新鮮な魚介類などをのせる」
と、握り鮨についてくどくど説明申し上げておいたうえでのことだ。
店に入り、興味津々のロシア人は、最初のひとつ目は恐る恐る、次にうまそうに二、三個平らげると、こう言った。
「いやあ、美味いなあ。こりゃあご飯のオープン・サンドだね」
脂の乗りきったうまそうな中トロを口に運ぼうとしていたわたしは、感動のあまり、握り鮨をとり落としそうになってしまった。期せずして出てきた名訳に、しばし唸ったのである。
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[#見出し] 棚から牡丹餅、脛に傷[#「棚から牡丹餅、脛に傷」は太字]
通訳する立場になってつくづく思うのだが、人は無意識のうちに実にたくさんの成句を口にする。「足が出た」とか、「火の車」とか、「カモネギ」とか、「油を売る」とか、話し手の方は、こちらの苦労も知らないで次から次とポンポン言ってくれる。
慣用句の通訳が難しいことの第一の原因は、単語を、とくにキーポイントとなる表現を構成する単語を、通常の(つまり辞書で示してあるような)意味だけでとらえてもサッパリ理解できないからである。比喩的な用いられ方をしていて、各国各民族固有の風俗習慣故事などに由来するものが多いから、歴史を異にする文化圏の人間にはわかりにくくて当たり前なのだ。
しかも、辞書にも成句辞典にも載っていない慣用句は山ほどある。その言語の主な担い手、日本語なら日本人、スペイン語ならスペインや中南米のスペイン語圏の人々に意識されているより、その数ははるかに多い(だからこそ、それぞれの国の慣用句辞典を血眼になって引いても出てこなくて、そのたびに骨折り損のくたびれ儲けをやってしまうのだ)。
その発見者が、通訳者や翻訳者である場合が多いのも、思えば、当然ではある。訳の対象となって初めて、その表現が通常の語の意味や文法のみで解釈可能かどうか試されるのであるから。
たとえば、「棚から牡丹餅《ぼたもち》」とか、「ほっぺたが落ちる」なんて表現をそのまま字句通り訳したりしたら、聞き手に真意が伝わるどころか、話し手の気が変になったんじゃないかと疑われるか、せいぜい通訳のレベルの低さに呆《あき》れられるかである。
だから、ジタバタせずに意味訳に徹すること。「タナボタ」は、「予想外の幸運」とか、「ほっぺたが落ちる」は、「とびきり美味しい」とか。
「贈られた馬の歯を見るな」と字句通り訳しても伝わらないと思えば、「贈り物にケチをつけるな」と野暮に説明訳する。
でも、対応する成句がある場合は、それに置き換えるのが鉄則である。もっとも、「猫に小判」「覆水盆に返らず」に対してそれぞれ、"Cast not pearls before swine."(豚にビーズを投げ与えるな=豚に真珠)とか、"It is no use crying over spilt milk."(こぼれたミルクを嘆いても仕方ない)のように、ドンピシャリと対応する成句が見つかることは、そうおいそれとあるものではない(だから発見したときはメチャ嬉しい)。
あるいは、"Too many cooks spoil the broth."(料理人が多すぎるとスープをダメにする)と出てきたら、これに該当する「船頭多くして船山に登る」という日本語の成句が自動的に口をついて出てこなくてはならない。中学の英語の時間によくやらされましたね。これが、鉄則。
しかし、鉄則つねに万能ならず、というのが通訳の現場なのである。
まず、必ずしもすべてのスピーカーが慣用句を正しく用いるとは限らない。
「昨日は日本側が先に発言しましたので、今日はどうぞロシア側からクチビルを切ってください」
なんて言われれば、文脈からして「口火」のことだと察しがつく(もっとも、笑いを噛み殺すのにこちらのクチビルが切れてしまいそうになるが)。でも、
「百見は一聞にしかず」
なんて言われると、もしかして、
「来ない方が良かった」
と皮肉っているのかもしれないと、通訳としては余計な老婆心を働かせてしまうのだ。
あるパーティーでのこと。
「妻へのみやげは何がお勧めでしょうか」
と尋ねるロシア極東のある州からいらした知事さんに、姉妹提携した日本側某県の知事さんが、
「ずいぶん奥様思いで」
と社交辞令を交えて応ずる。
「いや良心に汚点のある身ですから」
としきりにテレながら答えるので、わたしとしては例の鉄則に従ってここを、
「脛《すね》に傷持つ身ですから」
と訳出したのだった。ところが、その場にいあわせた日本側一同は、感心感動に堪えないという面持ちでおっしゃった。
「へぇー、ロシアでも、『脛に傷持つ』なんて言うんですねえー」
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[#見出し] 目くそ鼻くそ[#「目くそ鼻くそ」は太字]
先日、日本とロシアの政治学者がテレビ回線を通して討論するという番組の同時通訳を受け持ったときのこと。日本側から参加されたお二人、ここにお名前を記せば、「ああ、あの」と誰もがうなずくような、斯界《しかい》の第一人者として認められた方たちだ。そのお二人が、本番直前、やはりテレビ映りが気になるのだろう。しきりにネクタイの結び具合、髪の整え具合を気にしつつ、お互い励ましあっておられた。
「先生はいつものことながら男前ですな」
「いや先生こそ女学生の人気ナンバー・ワンとかいう噂を耳にしたばかりですよ」
同時通訳室のイヤホンを通して入ってくる、そんなやりとりを聞き流していたわたしの脳裏に、ふと浮かび上がったフレーズがあった。
「目くそ鼻くそを誉める」
無意識に成句をもじっていたのである。
原形の方の「目くそ鼻くそを笑う」の英語版 "The pot calls the kettle black."(鍋はやかんを煤だらけと言う)は、よく知られているが、これにぴったり相応するロシア語版がなかなか見あたらない。在ウクライナ大使の末澤昌二氏がこれを、「屑が埃を笑う」という自家製慣用句で切り抜けられていて、いたく感心したことがある。
ところで、とわたしは思った。では、「目くそ鼻くそを誉める」という慣用句のもじりを、「屑が埃を誉める」で切り抜けられるかというと、当然できない。「屑が埃を笑う」という諺がロシアにはなく、従って、「笑う」が「誉める」に入れ替わったことによって生じるズレの感覚からくるおかしさを共有できないからだ。
もちろん、おそらく英語の方は、"The pot admires the kettle black." とでもすれば、このズレの感じが伝わるのかもしれない。
このあいだ、コンピュータ翻訳の研究開発にたずさわっておられる辻潤一東大教授にお会いしたときに、開口一番、わたしがうかがったのも、この点だった。こういう慣用句のズレを、コンピュータは、翻訳できるようになるのか?
答えは、否だった。
「エッ、こんな簡単なこともできないのですか?」
びっくりするわたしに向かって、辻教授は、自信満々に言い切った。
「絶対に不可能です」
自分が良く知っている決まり文句が少しズレたことによる違和感、これは、言語能力プラス人間特有の知的能力によるものだ。だから、機械には、未来永劫できないだろうと。
ということは、通訳・翻訳者が機械翻訳のために失業するなんてことは、当分ないということではないか。もちろん、ロボットみたいな翻訳者は別だけれど。
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[#見出し] ピアニッシモの威力[#「ピアニッシモの威力」は太字]
通訳者には声の大きい、よく通る人が多い。
同時通訳の際は、通訳すべき原発言、つまり耳から入ってくるスピーカーの音声がかき消えてしまわないように、自分の声のボリュームを調整する。ところが、逐次通訳の際は、必ずしも音響効果の優れた会場、性能のいいマイクがいつも保証されるわけではないから、地声が大きいことは強力な武器であり、一種のセールスポイントにさえなる。わが師匠の徳永晴美氏などマイク内蔵通訳と賞嘆されたものだ。逆に訳そのものは非の打ち所がないのに、会場の端っこの席にいた人たちから何を言っているのかまったく聞こえないとクレームがつき、以後同じ主催者からは声がかからなくなった超優秀な同僚もいる。
さて、旧社会主義諸国の首脳が多数参加する会議があり、そのレセプション会場でのこと。芋を洗うようなごった返しようで、あちこちで挨拶あり、談笑あり、写真撮影あり。五〇センチの距離でもお互いの言っていることがよく聞き取れないようなざわめきの中、檜舞台《ひのきぶたい》の方の司会者もその通訳も思いっきり声を張り上げていた。次々に挨拶に立つ各国首脳も、その通訳もフォルテ、フォルテッシモ、フォルテティシモと順を追ってどんどんクレッシェンドしていく。すると、会場のあちこちの会話もまるでイタチゴッコのようにボリュームを上げていく。ワンワンと耳鳴りがしてくるような喧噪地獄。もうこうなったら、自分の声さえ聞こえない。
ホスト国の赤ら顔の大統領が壇上に上がったのは、その時である。影のように寄り添う銀髪の品の良い女性通訳は、まさに消え入るような声でささやくのだった。すると、どうだろう。とたんに、会場は水を打ったように静かになった。聞こえるか聞こえないかスレスレのその声に皆一斉に耳をそばだててしまったのだ。その日の会場で響いた数多くのスピーチの中で、おそらく唯一、人々の意識に達したスピーチだった。
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[#見出し] 理想は透明人間[#「理想は透明人間」は太字]
日本でも最大手のある通訳派遣会社が、通訳に対する顧客のクレームをまとめた。ブッチギリの苦情ナンバー・ワンは、通訳技術とか接客態度などではなく、なんと服装だった。「アクセサリー過多」「宴席に汗くさいポロシャツで現れた」「派手で主賓より目立った」etc……。
芸術と学問すなわちリベラル・アーツを司るパルテノン神殿の九人のムーサについてはよく知られている。実は通訳業の守護神は、その一〇人目の姉妹。自由業のはしくれ。基本的に自分自身の技能だけに頼って生きるしかない一匹狼。それは、よく蟻や蜂にたとえられる、組織や集団に対する帰属意識の強い日本人のステレオタイプにはほど遠い精神のあり方につながる。わたしの周囲の通訳仲間を見回しても、普通の会社で一カ月以上やっていけるとは到底信じられないタイプばかり。当然放っておけば、服装も勝手気ままになるはずだ。
おまけに他の九人のムーサがゼウス(最高神)とムネモシュネ(記憶)のあいだに生まれた娘であったのに、通訳の女神の父親はヘルメスらしい。ゼウスに神々の人間に対する使者に任命された神。要するに仲介者。他の九人の女神たちが司る学者や芸術家が思いっきり自分の個性を押し出すのに対して、あくまでも話し手と聞き手という二人の御主人を立てて、自己を極力押し殺さねばならない通訳稼業を暗示しているようだ。
その点で外務省の通訳官の方々には頭が下がる。衣服は黒か灰色か紺。
「透明人間になるよう努めてます」
とつい先日の日米首脳会談で活躍されたM女史はおっしゃる。存在するのに、しない約束事になっている文楽の黒子を思い起こさせる。
その強烈な個性とユーモア精神に惹かれてわたしが通訳稼業に踏み込むきっかけとなった徳永晴美氏の服装があまりにも没個性的であるのに愕然《がくぜん》として、
「どぶネズミね」
と皮肉ったことがある。まだ通訳業のイロハをわきまえない頃のことだ。
「通訳って仕事は失敗がつきものだ。派手な格好していると、間違ったときに余計目立っちまうからね」
と師匠は片目をつぶった。
もっともどんな格好をしようと、派手な間違いをすると目立つ。やはり存在を忘れさせるほど巧《うま》い技術が肝要。文楽の人形遣いも達人になると顔を出すではないか。
[#改ページ]
[#見出し] 花と通訳にはお水を![#「花と通訳にはお水を!」は太字]
今現在、地球上には一五〇〇から六〇〇〇の言語が使われている。数字に開きがありすぎるのは、学者によって、どこまでが方言で、どこからが独立した言語と規定するのか、線引きの原則が異なるからである。
しかし、面白いことに、歩んできた歴史も、はぐくまれてきた自然環境も、従って文化的背景も異なるはずの千差万別多岐多様な地球上の各民族の言語には、どうしようもない共通の属性がある。文字をまだ持たない言語にも通じる普遍的な特徴である。
それは、人間の発声器官が発することのできるさまざまな音の組み合わせによって単語を形成し、この単語の組み合わせによってメッセージを伝えるという形をとっていることだ。肺から発せられる呼気が声帯、喉、舌、歯、歯茎、鼻腔、口蓋などを通過しながら調整されてさまざまな音になっていく。
ラテン語で言語を意味する「lingua」の第一義は「舌」であり、舌を意味する英語の「tongue」もロシア語の「*****」も、その第二義は「言語」であり、言葉を意味する漢字には「口」や「舌」が含まれるものが多い(たとえば、「吟唱」「饒舌」「通辞」などのように)のは、周知の通り。
以上、冒頭の大げさな物言いのせいで、少々身構えてしまった方には、申し訳ないほど拍子抜けするような単純明快な真実を書き連ねたのは、二つの言語間を行き来することが仕事の通訳者にとって、発声器官は、大切な大切な商売道具であるのだと言いたいがためである。
歌手や俳優、アナウンサーと同様、喉の不調は、即作業不能を意味する。どんなに優秀で非の打ち所のない訳も、声となって聞き手に届かなくては、輸送便の欠航で届かない小包と同じ。
だから、同時通訳ブースに入った通訳者は、まず何はさておき喉を潤すための水が用意されているか確認するものだ。心優しい通訳派遣会社の中には、のど飴まで添えてくださるところもある。
ところが、困るのは、表敬訪問やインタビューなど、要人に随行して通訳をつとめる場合だ。
旧ソ連から枝分かれした新興独立国の元首が表敬した、とある政府系金融機関の総裁室。緑茶が運ばれてくる。客人である元首と随員の全員に、そしてホスト側全員に配られる。イヤな予感が当たって通訳はパス。
外国人など生まれて初めて見るという僻地の村役場ではない。数カ国語を自在に操るエキスパートを幾人も抱える大組織の国際局である。その場にいる人々の中で喉元への水分補給をもっとも必要としているのは通訳だ、ということに思い至らないのだろうか。
ロシアのパサパサに乾いて固いサンドイッチを二人前飲み物なしに平らげて以来、「つばき姫」というあだ名がついたほど、唾液の豊かさでは右に出るもののないわたしでさえ、通訳し続けていると喉がヒリヒリしてくるというのに。
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[#見出し] 深謀遠慮か浅知恵か[#「深謀遠慮か浅知恵か」は太字]
現代ロシア文学の父と言われるプーシキンの韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』の中で女主人公のタチヤーナがオネーギンに一目惚れして恋文を送ったあと、悶々とする場面がある。そこへオネーギンが訪ねてくる。タチヤーナは顔をあわせるのが恥ずかしくて、一目散に家を飛び出し庭を駆け抜け領地のイチゴ畑までやってきて、ようやく立ち止まって、あたりを見やる。そこでは、農奴娘たちが歌を唄いながらイチゴを取り入れている。
いかにも、牧歌的風景と思えるこのくだりで、さすがロシア・リアリズム文学の出発点と言われ、のちの批評家ベリンスキーに「ロシアの現実に関する百科事典」と絶賛された作品だけのことはある、プーシキンは括弧《かつこ》をもうけて、次のような注を付けている。
その魂胆というのは
旦那のイチゴをこっそりと
こずるい口がくわえぬように
歌唄わせとくというわけ
これぞ田舎地主の深謀遠慮
実は食卓を囲んだ会談の通訳を依頼されるたびに、ロシア一九世紀のこの韻文小説の一節を思い出してしまう。
地球に最初の生命が生まれて人類が誕生するまで気の遠くなるような長い時間が費やされている。進化のバージョンはいろいろあったはずだろうのに、なぜ言葉をアウトプットする器官と食べ物をインプットする器官は同一という具合になってしまったのだろうか。不要な器官は退化し、よく使う器官は発達するという進化論の常識に従えば、食べながらのべつまくなしに話すことを何世代にもわたって実行したら、話すための口と食べるための口と、二つ口のある人間ができないだろうか。同じ哺乳類仲間の牛には胃が四つもあるのだから、可能性ゼロとは言い切れない気がするのだ。
こんなことを書くと、食事中の通訳が苦手みたいに受け取られるかもしれないが、えーい、白状しよう。数ある通訳技術の中で、食べながら訳すというスーパー高等技術にかけてだけは、誰にも負けないと自負しているのだ。もともと食べるのが極めて速いという素質に加えて、秘訣が必要。それは、実はまさに言葉を発する器官と食べ物を摂取する器官が同じであるという点にある。話し手も食べてるあいだは、しゃべれないのだ。ただし、訳すべき時点で通訳の口が食べ物から解放されていなければならないので、話し手とのあ・うんの呼吸というか、リズムが噛み合うようにしなくてはならない。さもないと、次のような取り返しのつかない失敗をする場合もある。
スターリンがとある外国の要人と昼食をとりながら会談。外国の要人が語り、ところが、それに続くべき訳が聞こえてこない。見ると、通訳はくわえたビフテキを必死に飲み込んでいる。
「やあ君はここに昼飯を喰いにきたのかね」
と口ひげの独裁者は微笑みかけた……なんてことがあったかどうかわからないけれど、想像するだけで怖いですね。
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[#見出し] 墓場まで持っていけるかな[#「墓場まで持っていけるかな」は太字]
アウシュビッツの生き残りで八六年度ノーベル平和賞受賞の作家エリ・ヴィーゼルの自伝『そしてすべての川は海へ』(朝日新聞社)を読んでいて、ジャーナリスト時代の彼に同時通訳の経験があることを知った。当時月収五〇ドルのヴィーゼルにとって破格の日当二〇〇ドルに惹かれてジュネーブで開かれる世界ユダヤ人会議のフランス語→イディッシュ語の同時通訳を引き受ける。
ところが閉会前々日、秘密会議の通訳をしながら聞き捨てならないことを耳にする。会議の創設者でもあるゴールドマン議長が、西独政府がイスラエルおよびナチス迫害の生き残りに支払う補償金と賠償金に関するアデナウアー首相との交渉結果について報告し、西独を刺激しないように犠牲者慰霊のための記念行事は取りやめた方がいいと発言したのだ。
「通訳としては、わたしは秘密を誓った。しかし新聞記者としてのわたしに、今聞いたばかりのけしからぬ言辞を、イスラエルおよびユダヤの公衆に明かさずにおく権利があるだろうか」
さんざん迷い悩んだあげくヴィーゼルは、魅力的な通訳料をフイにして後者を選ぶ。興奮しながら憤慨に満ちた電文を新聞社に送りつける。もちろん、一面スクープとなり、イスラエルとジュネーブにセンセーションを巻き起こすが、ヴィーゼルとしては、だまし討ちにしたような後味の悪さをのちのちまで引きずることになる。
実にさまざまな分野に頭を突っ込むという点でも、事前にその分野の事情を学習していくという点でも、得た情報を他者に最大限正確に言葉によって伝えるという点でも、記者と通訳者には共通するところが多々ある。
しかし、二つの営みには相反する職業倫理が付随している。知らしむ義務と守秘義務と。義務というよりも、違反は失職につながるから条件反射のようなものができている。A社で知った秘密をライバルB社に知らせたら、A社だけでなくB社からも信用されなくなるからだ。
それでも年に一、二度、飛び上がるような特ダネ級の機密を耳にすることがある。胸に秘めているのが辛くてたまらなくなる。通訳料が高いのは、口止め料も含まれているからに違いない。
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[#見出し] 女人禁制の領域にも[#「女人禁制の領域にも」は太字]
通訳とは一種の必要悪なのではと思うことがある。
「本来なら余人を交えずサシで忌憚《きたん》ないところを探り合いたい」
「これは高度な機密に属することだから社員にさえ知られたくない、ましてや第三者には」
と思っているのに、言葉が通じないのではやむを得ない。というわけで、通訳者はもともとガードマンか側近しか近づけないような王侯貴族や首脳級の要人に接することにもなるし、部外者立ち入り厳禁の領域にも踏み込むことになる。
英語会議通訳の田中祥子さんは、ある朝イラン大使館に重要な交渉通訳のため駆けつけた。ところが、田中さんの姿を認めるや大使は、
「ウーン、女か」
とつぶやき頭を抱え込んでしまう。女はイラン! というわけ。しばし大使館員たちはアチコチに電話をかけまくったものの、即刻参上できる、しかも男の通訳など手配できるはずもない。急遽《きゆうきよ》館員が近くのデパートに走り、買ってきたアルマーニのスカーフを田中祥子さんに差し出し、
「どうかこれで頭髪を隠して」
と懇願された。こうして彼女は無事通訳をつとめあげ、ブランドもののスカーフまでせしめてしまったのだった。
さて、日本のトンネル掘削技術は世界一なのだそうで、その山梨の掘削現場を視察するイタリア国有鉄道の総裁にシモネッタ・ドッジこと田丸公美子さんが随行したときのこと。案内する日本側JRの幹部たちは恐縮しきって、シモネッタに訴えた。
「女の方が立ち入るのは、どうかご勘弁を。工事現場の人間が騒ぎますので」
シモネッタは眉一つ動かすことなく落ち着き払って答えたそうだ。
「ええ、どうせわたくしはフジョー(不浄)の身でございますから」
「………」
「まあ、でもこのトンネルはリニアモーターカー用でございましたよねえ。かえって、フジョー(浮上)してよろしいんじゃございませんこと」
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[#見出し] 戦場か喜劇の舞台か[#「戦場か喜劇の舞台か」は太字]
長いあいだ国際会議の裏方として異言語間の意思疎通に地味に健気に貢献してきた同時通訳という職業が、いわゆるグローバリゼーションという名の多国籍資本の地球的展開や交通運輸や通信技術の発達にともなって突如スポット・ライトを浴びるようになった。わたしなどのところへも、
「どうしたら同時通訳になれるか」
という問い合わせがしばしばある。
そんなとき、次のように答えるようにしている。
この職業には向き不向きがある。時間のストレスに耐えられる図太い神経系と頑丈な心臓。一般に平時の心拍数は六〇〜七〇、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる瞬間、それが一四〇まで上がるといわれているが、同時通訳者は、作業中の一〇分なら一〇分、二〇分なら二〇分ずーっと心拍数は一六〇を記録し続けるのだから。
それから、完璧主義者には向かない。時間的制約ゆえに最高最良の訳の代わりに次善の訳で我慢する妥協の精神が必要。「尿」という単語が出てこなかったら、黙り込むよりも「小便」「オシッコ」あるいは「液体排泄物」と言ってしまう機転といささかの勇気が求められる。失敗を恥じる自尊心と同時に、落ち込まずにすぐに立ち直る、自分を励ます能力が求められる。失敗を恥じる気持ちがないと入念に準備しないし、かといって通訳に失敗はつきものだから、落ち込んだままじゃ続かない。それから、どんな分野にもどんどん挑んでいく好奇心と、それを可能にする基本的教養。もっとも、いま言ったことはいずれも、通訳をしながら身についていくものでもある。現役の通訳者をごらん。みな心臓のまわりにゴワゴワの剛毛を生やしたようなのばかりだ。
しかし、何が苦しいって、話し手の口となり、聞き手の耳となって、自分というものを押し殺していかなくてはならないこと。本来自分の思想や自分の感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあるものの、他人様に従属させなくてはならない。これは、キツイ、シンドイ。
そんなシンドイ仕事、なんでやめないのか。
それは、笑い。
通訳という仕事には喜劇の条件が全部揃っている。時間的に極度に圧縮されていること。お仕えするご主人様(顧客、テーマ)が毎回めまぐるしく変わること。主な登場人物である話し手も聞き手も、それに通訳者も非常に真剣に役を演じていること。この緊張に満ちた通訳の現場では異なる文化を背にさまざまな意見や立場が絶えず火花を散らしている。素っ頓狂な出来事や耳目を疑うような話がゴロゴロ転がっている。
これを通訳仲間だけで抱腹絶倒しているだけじゃあもったいない。これをぜひとも公共財にしなくては。そういう素材そのものの突き上げるような力に押され押されして物を書くようになった気がする。そんなふうにエバッていたら、
「あーら、米原さんて、最近はもっぱら通訳業の産業廃棄物をチョコチョコッとリサイクルして出版部門へ流し、甘い汁を吸っているっていう評判だわよ」
とシモネッタとガセネッタに言われてしまった。
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[#見出し] 同時通訳の故郷は?[#「同時通訳の故郷は?」は太字]
英国のチャールズ皇太子が来日したおり、国会でのスピーチの冒頭に、「自分は(王族という)世界で二番目に古い職業に就いている」と述べたが、このあいだ、ジャーナリストの会議で通訳していたら、議長が会議冒頭「ジャーナリズムという、人類最古の稼業に次いで二番目に古い稼業を代表して云々」と挨拶していた。
時々、「日本で二番目に安い店」を名乗る食堂やガソリンスタンドを見かけるが、それと似ていて、「世界で二番目に古い職業」は、自薦他薦ふくめてやたらに多い。もちろん、通訳業も例外ではなく、なぜか、古さにおいてナンバー2である職業なのだと威張る通訳者が結構いる。どうせなら、ナンバー1を名乗ればいいのだが、そこはそれ、世界で最も古い職業は売春であるという説が共通認識というか、常識になっているので遠慮がある。よっぽどの根拠を示さない限り、この常識は覆せない。
本文では、そのよっぽどのことを試みる。というのも、調べていくと、人類最古の職業は、どうやら売春ではなく実は通訳業だったのではないかと思えてきたのである。
ほとんどの百科事典でも「売春」の項目を引くと、その起源として引き合いに出されているのは、神殿売春である。男が貢ぎ物を神に捧げる代償に共同体の女がその男に春を捧げる。これは、平凡社の百科事典の受け売りであるが、ヘロドトスの『歴史』第一巻一九九節によると、バビロニアのミュリタ(愛と豊饒の女神)神殿は、どうやらそういう場であったらしいし、前四九〇年アテネはアクロポリスの丘に建立されたパルテノン(「乙女の部屋」の意)神殿の巫女たちも、神々に貢ぎ物をする男に対する返礼にそういう営みをしていた。
神様抜きで営むようになるのにさして時間はかからなかったのだろう。
しかし、このように売春業が巫女さんたちの副業として発祥したとする説を是とするならば、通訳業の方が古いということになる。そもそも巫女さんたちは神々と人間とのコミュニケーションを取り持つことを主な生業としていたわけだから、これは一種の通訳業ではないか。
それにパルテノンに祭られた神の一人に「Hermes」がいるが、これはオリンポスの親玉ゼウスに神々と人間のあいだの交信を仲介するよう任ぜられたわけだから、同業者ってことになる。ギリシア語で通訳のことを「hermeneuties」というぐらいだもの。
もっともパルテノンみたいな立派な神殿ができる社会には、すでにプロの大工や彫刻家がいたに相違ないから、神殿の巫女さんに最古の職業という栄冠は無理な気がする。いや、時代をさらに遡《さかのぼ》って、誰もが農民兼職人だった太古の社会にもシャーマンや霊媒のような彼我の交信を取り持つ「通訳的存在」はいたわけで……。
その頃は父権制はまだ確立せず、母権制が支配的であったらしい。つまりモノに対する所有の観念も曖昧模糊《あいまいもこ》としていただろうし、女はかなり威張っていたみたいだから、もっと本能に素直に生きていて、おのれの春を物々交換の対象にするような、ややこしいことはしなかったのではなかろうか。
一方で部族間の交流、交渉はあっただろうから、運命のいたずらかなんかでたまたま両部族の言葉を解するようになった人は通訳をつとめる羽目になったことだろう。要するに、売春業がまだ発生してない時期に通訳業の萌芽はすでに日の目を見ていたのではないか。
フムフム、これは通訳=人類最古の職業説のなかなか説得力のある論拠だわい、とここ一年間ほど身体の芯のあたりからホクホクしてくるような、いわくいいがたい満足感を覚えていた(これは職業ナショナリズムとでも名づけるべき症候群)。
ところが、先日NHKの教育チャンネルをつけっぱなしにしていたら、アフリカ大陸の奥地で世界各国の学者がゴリラの長期観察研究をしているところを伝えていた。そしてある研究者が驚くべきことを報告したのである。美味しそうな食い物を手に入れたオスから、その食い物を分けてもらおうとして、メスのゴリラが目いっぱい色っぽくお尻をオスの鼻先に突きだし扇情的に震わせたというのだ。研究者の話が法螺《ほら》でない証拠に、その場面が映像でも紹介された。
「参った、負けたーっ」
それを見た瞬間、思った。
「俗に人類最古の職業という栄誉を冠されている売春業は、すでに人類誕生前に芽ばえていたんだ! 俗説は真実に限りなく近かったんだ!」
しかし、次の瞬間、
「いや待てよ」
とほくそ笑んだ。
「となると、人類誕生後の栄えある最初の職業は通訳業だった可能性が出てきたではないか!」
聖書・創世記の逸話を信ずるならば、天まで届かせようなんていうバベルの塔の建設に挑んだ人間の傲岸不遜《ごうがんふそん》に怒り狂った神様が、それまで一つの言葉で通じ合っていた人類の言葉をバラバラにしてしまったところから通訳業の必要性が生じたことになる。
一九六二年にミュンヘンで刊行されたH・ヴァンフーフ著『通訳の理論と実践』には、通訳に関する故事来歴が満載。これを読んでいると、通訳の歴史は人類の歴史と同じほど長いのではと思えてくる。
いったい、いつどこで通訳業が芽ばえたのかということになると、人類の歴史と同じくらい長い歴史を誇る以上、人類誕生に関してと同じように定かでないのは致し方ない。
ところが、通訳の最高峰と思われている同時通訳の誕生については場所も時間もかなり特定されている。ちょっと気の利いた会議通訳の理論書や実践書の前書きには、ほとんど必ず記されているほどだ。職業としての同時通訳が産声をあげたのは、ナチスの戦争犯罪を裁くために一九四五年一一月から翌四六年一〇月までニュルンベルグにて開かれた国際法廷であったと。
これは、結構恐ろしい話だ。同時ではない通訳プロセスでさえ、情報が抜け落ちたり誤情報とすり替わる危険が常につきまとうものだ。同時通訳ではその確率がさらに高まる。いくら戦犯とはいえ、人の生死を決するような重大な審理プロセスを、初心者ばかりの同時通訳者たちに委《ゆだ》ねるなんて乱暴なことを本当にしたのだろうか。それに、たとえ初心者だったとしても、突如降ってわいたように同時通訳者の大群が出現するはずもない。
そんな素朴な疑問に駆られて調べてみたら、やはり前史があった。
そもそも同時通訳装置の特許を世界で初めて取得したのは、一九二六年、アメリカのIBM(International Business Machine)社で、名義は同社の無線技師だったゴードン・フィンリー。この人はボストンの実業家エドワード・フィレン氏の頭に閃いた同時通訳装置のアイディアを、前世紀後半にA・G・ベルによって発明開発された電話技術を応用して現実のものとしたのだった。
しかし、仏作って魂入れず、いくら立派な装置ができても、実際に複数の言語で行われる会議と同時通訳者がいなくては同時通訳は成立しない。その世界初の試みが実施されたのが、一九二七年ジュネーブの国際連盟の会議。しかし、国際連盟は一回試みただけで、その後同時通訳装置を採用しなかった。
続いて試用されたのは、一九二八年ソビエト連邦モスクワ、コミンテルン(共産主義インターナショナル)第六回大会でのことだった。その時の様子を、ソ連同時通訳の草分けE・A・ゴフマンは次のように記している。
「その年の『赤い畑』誌には、演壇前の座席に陣取る通訳者たちの写真が掲載されている。各々の首にはマイクを支えるための巨大な器具がぶら下がっている。電話機《イヤホンのこと》はない。音声は演壇から直接聴取された」
一九三三年のコミンテルン第八回執行委員会総会では、すでに会場から音響的に隔離されたブースや電話機が設置されるようになっている。
思えば、当時常設の国際機関は国際連盟とこのコミンテルンだった。そして前者が英語とフランス語の二カ国語のみを公用語にしていたのに対して、「万国のプロレタリア団結せよ」を体現せんとする後者は、実にマルチリンガルな機関だった。二カ国語間の通訳ならば、同時通訳による時間の短縮よりも、それによる伝達の不完全さの方を排除するのは理にかなっている。いままで通りの逐次通訳で、発言時間とほぼ同じ長さの通訳時間を見込めば十分だったからだ。しかし、使用言語が増えるほど会議時間は長くなる。三カ国語なら三倍、六カ国語なら六倍。というわけで、多言語な国際機関コミンテルンが同時通訳の採用に踏み切ったのもまた理にかなっているのである。
そんな好条件を背に同時通訳のハード&ソフトを発展させたソ連では、一九三五年には、レニングラードで開催された国際生理学会で本格的な同時通訳装置を導入。例の条件反射で有名なアカデミー会員I・P・パヴロフが会議の冒頭おこなった挨拶は、フランス語、英語、ドイツ語、イタリア語に同時通訳されたと伝えられている。
なお翌三六年にはオランダ語とフランス語とドイツ語を公用語とするベルギーの議会に同時通訳が導入されている。
ニュルンベルグ裁判、続いて東京裁判で世界的デビューを飾った同時通訳陣は、以上のような「修羅場」を経験したなかなか強力なソ連チームと米英仏の混成チームからなっていた。国連をはじめとする国際舞台の黒子としての彼らのその後の輝かしい歩みについては、いろいろなところで語られている。
むしろ、あまり知られることがないものの、興味深いのは、戦後コミンテルンが解散した後のソ連でも、「万国のプロレタリア団結せよ」の多言語な伝統は脈々と受け継がれていた事実だ。戦後最初に開かれた共産党第一九回大会以降、海外からの代表団用に同時通訳を導入しており、フルシチョフが秘密報告でスターリン批判を行ったことで有名な一九五六年の第二〇回大会では中国語を含む七カ国語、六〇年の第二一回大会では一八カ国語の同時通訳が行われている。同年完成したクレムリン大会宮殿には二九カ国語の同時通訳が可能な設備が施されている。
人材育成の面でも、利潤追求度外視の計画経済の面目躍如、いわゆる国際語ばかりでなく、世界各国の言語を網羅するかのように、大多数の人々には名前さえ知られていないマイナー言語の専門家をも、質量ともに充実した養成をしていた。
ある言語の同時通訳者は偶然に生まれるわけではない。背景には、何千、何万のその言語を学習する人々がおり、教える人々がいて、体系だった教科書と辞書と教授法がなくてはならない。そこには、ある言語共同体が別の言語共同体を知り抜こうとする並々ならぬ情熱がある。
この情熱はどこから発していたのか。世界革命を目指したせいなのか、それとも、ロシア民族が好奇心旺盛な時期にさしかかっていたのか。言い定めることは難しいが、多言語を極めようとするベクトルは途方もなく広範囲、かつ途轍もなく深いものであった。
日本語の場合を例にとるならば、万葉集から源氏、大宝律令にいたるまで翻訳してしまっていたのだから、その奥行きたるや目も眩《くら》むほどで、イデオロギーの流布やKGBによる盗聴などというプラグマチズム(?)をはるかに超えていた。
現在、NHKの海外向け発信は二二カ国語、英国のBBCは五六カ国語で行われているが、最盛期のモスクワ放送は、驚くなかれ八五カ国語で放送されていたのである。
在日ロシア大使館や通商代表部の職員も特派員も、大使以下ほぼ全員が驚くほど達者に日本語をものする。日本だけでなく、どんなに弱小な国であれ、その国の言葉を解し、その国の人々と直にコミュニケートできる人間を派遣していたのは、まことにアッパレ。
かつて覇を競い合った超大国のアメリカがどこへ行っても英語で通しているのとは好対照だ。会議通訳をも含む通訳者の九割強が英語で、世界からの情報入手も日本からの発信も英語一辺倒な日本とは歴然たる違いだ。
いま冷戦に敗北した旧ソ連については、共産主義の負の遺産ばかりが強調されるきらいがあるが、ゆめゆめ侮《あなど》ってはいけない。プラスの遺産が輝く日は、そう遠くない。
そう思いたいのは、同時通訳のゆりかごだった国に対する職業ナショナリズムから発する思い入れかもしれないが。
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Vino Bianco
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白ワイン
英文学者・柳瀬尚紀さんとの対談
[#見出し] 翻訳と通訳と辞書[#「翻訳と通訳と辞書」は太字]
あるいは言葉に対する愛情について
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 米原さんは、母国語はロシア語ですか。
米原[#「米原」はゴシック体] 母語は日本語です。小学校三年の途中まで日本でしたから。九歳でチェコのプラハヘ行って、帰ってきたのは中学二年のときです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうか、向こうでも日本語を読んでいたわけですね。
米原[#「米原」はゴシック体] かなり読んでました。でも、読むだけで書かないから、いまでも漢字がなかなか正確に書けないんです。アクティブな知識じゃなかったんですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] なるほど。漢字以外では、日本に帰ってきたときにあまり違和感というものはなかったですか。
米原[#「米原」はゴシック体] 聞き取りのスピードが、最初ついていけなかったですね。読むときは自分のスピードで読みますから、帰ってきて授業に出ると、かなり速く感じました。中学二年の三学期に転入したんですけれど。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ぼくなんか、自分の日本語はちょっとでたらめじゃないかなという意識がずっとあるんですね。北海道の東のはずれ、根室で生まれて高校三年まで根室なわけで、窓を開けると、まあ天気のいい日には対岸の島のロシア兵が見えるというような国境の町です。
北海道というところは、方言が東北ほど強くはないように思います。ただ、アクセントがまるで違う。いまならぼくは「やなせです」と、平板に言うわけですが、北海道では誰一人そうはいわない。「や|な《ヽ》せ」と「な」に力点がくるんです。あるいは東京では「|お《ヽ》やじ」ですが、北海道では「お|や《ヽ》じ」なんですよ。そうすると、東京に出てきたときに、自分の固有名詞が拉致されるという経験をしたんですね。
米原[#「米原」はゴシック体] 自分じゃないみたいですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 自分じゃないんです。それがあって、どうも自分は東京の日本語とはちょっとはずれたところにいるんだなという意識があるんです。それから、外国文学でジョイスとか、エリカ・ジョングとか、バーセルミとかやってますけど、ステテコはいて、豆腐食って、日本酒飲んで、そば屋でジョイスなんか話してる。そうすると、やっぱり、あくまでも外国人として英語に接しているわけですよ。あくまでも外国人なんです。そういうところがあって、ぼくの場合、それを埋めてくれるのが辞書なんです。
米原[#「米原」はゴシック体] その辞書は「英英辞典」ですか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いや、「英英」と「英和」と両方ですね。ただぼくはほとんどの英和辞典に不満で、つまりやや厳しくなるけれど、日本の英和辞典を作っている人たちは英語の実例を知らないんですね。読んでない。読んでない人たちが、いかに多数集まっても、これは編集部に迷惑をかけるだけで、これぞっていう訳語は浮かび上がってこない。これぞという例文は選ばれないでしょうね。
米原[#「米原」はゴシック体] わたし、日本の大学で驚いたのは、言語学をやる人が文学を読んでいないんですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうです。
米原[#「米原」はゴシック体] まあ、言語学だけでなく、他の学問分野の人々もそうだけど。言葉を愛するのなら、言葉の博物館である文学も愛してほしい。もちろん方法論は違うのですが、でも基本的にそれが根幹にないと、お話にならないと思うんです。そういうことが、日本の辞書の欠点なのかもしれないなという気がしますね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] まさしくその通りです。だいたい大学で英語学をやってるといえば、これはナントカの代名詞みたいなものでね(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] ロシア語でもそうでした。ロシア語学をやる人とロシア文学をやる人はぜんぜん違うんですよ、人種が。語学の人は文学をやらない。文学の人は語学をやらない。ロシア文学なんていうと、日本語でチェーホフ読んで、ドストエフスキー読んで、ニヒリズムとはとか虚無はとか言ってるの多いですからね(笑)。もっとも、いまはそれも読まなくなっちゃった。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] たとえば英文科なりロシア語科へ入ったけど、あまり文学に興味ない。そうすると、そこでしがみつくようにというか、飛びつくように英語学やロシア語学に行っちゃうんですね。それに、頭の悪い人が「虚無」なんて考えても駄目なんです、ちゃんと哲学者がやるんだから。ぼくみたいに頭の悪いのは考えなくていいんで、文学ってやっぱり、遊びでやらなくちゃ駄目じゃないかなと思いますけどね。
米原[#「米原」はゴシック体] チョムスキーにしてもヤコブソンにしても、文学を大量に読んでますでしょ。その限りなく豊かな言葉の土壌の上に言語学をやるから面白いんで、それがないと骸骨《がいこつ》に皮がひっついているような無味乾燥なものになってしまう。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] それで吉田健一という人は、だいぶ昔ですが、英語学というものをケチョンケチョンにやっつけ、からかったことがあります。
米原[#「米原」はゴシック体] 基本的には、人間がいろいろ表現したいことがあって、それは自分の頭の中で考えることだったり、感情のあやだったり、あるいは世の中の森羅万象、なんとか言葉で表現しようとする、その試みが文学というものに反映されてくるんですね。この積み重ねによって、言葉というものが成熟していくわけです。文学は、その足どりなんですよ。だから、日本文学なら日本人の精神史の足どりでもあるし、日本語でもって、あらゆることを表現しようとしてきた、その戦いというか、そういうことの足跡が文学には残ってるんですよね。
ですから、子供に自分の国の文学をたくさん読ませるということが、結局、わたしは愛国心を育てることだと思う。日の丸、君が代じゃないんです。言葉というときに、文学を抜きにして言葉の問題はないと思うんですね。もちろん、数学であれ、物理であれ、すべて言葉を使いますから、そこにもたくさんの言葉の可能性を広げている側面はあると思いますが、いちばんそれを一生懸命やってるのは文学だと、わたしは思いますね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そこで辞書の話につなげますと、どの辞書も、なんか非常に場当たり的な言葉を載せて、それを競い合っているような部分がある。全体からみればほんのわずかな語なんですけど、そこばかり広告で取り上げられたり、週刊誌で取り上げられたりする。しかし、大事なのはそういうことじゃないんですね。たとえば、国語辞書をやる人だったら、漱石を暗記しているかどうか、鴎外を全部読めるのかどうか。そういう人が編者に入っているのかどうか、それが問われるべきなんです。ぼくなんか、鴎外を全巻読もうとノートとってやりながら、でも挫折しましたし、露伴を全部読めない。読めないから、そういう辞書がほしいわけです。
だけど、文学はほんとに読まれなくなっちまったんでしょうね、現実に。
米原[#「米原」はゴシック体] ある意味では、資本主義の宿命かもしれない。やはり資本主義社会においては、いちばん優秀な学生は会社の営業部へ配属されるんですね。ものをたくさん売る人が偉いんです。文学でも、いちばん売れる作家が偉い。それで編集者も、わかりやすく、やさしく書けっていうんですよ。そうすればたくさん売れるからです。市場原理というのはそういうものだから、これはしようがないんですね。だけど、文学というものはある意味では非市場的な要素がかなりあって、市場原理にばかりとらわれていると駄目になっちゃうと思いますけど、どうなんでしょうね。
大衆化社会と辞書[#「大衆化社会と辞書」はゴシック体]
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] やっぱり人間が文字を発明したところまで遡っちゃうんでしょうか、あるいは文字を読める人間が必要以上にふえたとか。たとえばホメロスがあって、口承のものであった。それが文字に定着することによって、より多くの人が読むようになる。それからグーテンベルクの印刷術があって、さらにドーンと下って義務教育だのになっちゃうと、やっぱり大衆化というか市場原理というのは、言ってもしようがないんでしょうかね。
米原[#「米原」はゴシック体] わたしはそれはプラス、マイナス両方あって、プラスのほうが多いと思うんですけどね。たくさんの人が読めるようになるということは、その中ですごく理解する人もいるし、あまり理解できない人もいるし、いろんな解釈が出てくるわけだけど、それだけ機会が多くなるということですから。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いや、でもどうなのかな。ぼく程度のものがなんでジョイスの翻訳をやらなくちゃならないのかという「機会」に疑問を感じることもあります。ぼくの父親は早く死んで、母親は若くして未亡人。いつか七〇の母親に、「どうして若いうちに二号かなんかにならなかったの。そうしていたら、いい暮らしができて」って言ったら、「わたしが二号さんになっていたら、お前はばくち打ちになったろう」って言われたけど(笑)。ぼくはジョイスも何も知らずに、ノホホンとばくち打っちゃっていたかもしれない。
米原[#「米原」はゴシック体] ジョイスを訳すのもばくちだと思いますけどね(笑)。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ははは……。テレビというものが、あれだけの力をもちながら、ろくなことやらないでしょ。「お前ら馬鹿になれ、馬鹿になれ」っていう番組が九〇パーセント以上じゃないですか。
米原[#「米原」はゴシック体] あれも視聴率を追求していると、ああならざるを得ないんですよ。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうなんです。
米原[#「米原」はゴシック体] 楽なほうに楽なほうに流れないと視聴率を稼げないから、そっちへ行くんです。質を問わなくなる。だけど、みんなが見るかというと、そうじゃないんですけどね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 要するに、下種《げす》なほうへ、下種なほうへ媚《こ》びるというか。
米原[#「米原」はゴシック体] そうです。末梢神経を刺激して。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 仮に、幻想でもいいから、少し世の中を高めましょうよというのはないんですね。
米原[#「米原」はゴシック体] ただ、そういう中で抜きんでようと思ったら、大勢とは別な方向をさぐらないと、抜きんでられないんでしょうね。時々すごくいい番組、あるじゃないですか、ドラマにせよ、ドキュメンタリーにせよ。そういうのを見ると、やはりちゃんと作ってます。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうですか。ぼくなんか辞書について漠然と不満を抱いていることっていうのは、そういう大きな社会現象なんかの流れに乗ってるのかなという気がしますね。辞書に「ドタキャン」が載ったとか載らないとかいうようなことは、辞書とは関係がない。ほとんど爪のあかみたいなことですよ。
米原[#「米原」はゴシック体] あれ、どういう基準で載せるんでしょう。たとえばちょっと昔のはやり言葉って、いま使えばすごくダサイでしょ。逆に、あるときのはやり言葉で、そのまま日常語というか、ふつうの日本語になっているものもある。だから、ある程度年月を経ても使われるか、あるいは死滅していく言葉か、どのあたりで見極めているんでしょう。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 専門家に尋ねるということですが、たとえばファッションの専門家がどのファッション用語を入れるか、決められるでしょうか。専門が分かれていけばいくほど、基準なんてなくなってしまうと思う。つまり問題は、日本で大型辞書といわれている辞書一冊、一人で全部、「あ」から最後の項目まで目を光らせてる人がいないということです。
米原[#「米原」はゴシック体] それは大変ですね。全部目を光らせるのは大変だと思いますよ。あまりにも非人間的で、そんなことさせるの可哀想だ。一種の奴隷労働じゃないですか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 日本語なんだもの、それぐらいやってほしいね。辞書には独裁者がいないと駄目だと思うんです。もちろん、不備があっていいんですよ。その人の好みで、猫が好きだから「愛猫」という言葉は載せる、しかし犬は嫌いだから「愛犬」は載せないと、極端な話ですが、そういう辞書のほうが読んで面白いものになるという気がしますね。
米原さんはどんなときに辞書を引きますか。
米原[#「米原」はゴシック体] 漢字を書くときによく辞書を使います。それから、百科事典ですね。『広辞苑』『大辞林』タイプは結構引くんです。たとえば「鉄のカーテン」という言葉があります。これ『広辞苑』『大辞林』では、チャーチルが使ったというところまでしか出ていない。小学館の『大百科事典』をみると、ナチスの宣伝相ゲッベルスが最初に使ったと書かれています。つまり一九四六年三月、チャーチルがアメリカで「鉄のカーテン」と演説する一年前、敗戦濃厚な時期になんとか連合軍を分断させようと「ドイツが負けたあかつきには、東欧諸国が鉄のカーテンによって遮られることであろう」と、ゲッベルスが書いている。
日本の辞書はここまでなんです。ロシアの辞書をみますと、それよりもさらに一五年前の一九三〇年にニクーリンという作家が「文学新聞」に書いているとあります。「舞台で火の手があがったときに、それが広がらないように鉄のカーテンを下ろすことがある。西側諸国では、いまソ連があたかも火事であるかのように考えている。だから、革命の炎が燃え広がっては困るというので大急ぎで鉄のカーテンを下ろしている」ということを書いている。ですから、一九三〇年のソ連では、鉄のカーテンはソ連側ではなくて、西側が引くんだという考え方だった。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 面白いですね。
米原[#「米原」はゴシック体] その記述がすごく気になったので、「鉄のカーテン」を『ロベール』で調べてみたら、第一義が「防火幕」です。第二義が「防犯シャッター」、そして第三義がチャーチルの使った意味になる。第一義というのは一八世紀かな、リヨン市にできた劇場で初めて防火の目的で鉄のカーテンを用いるようになったんですって。これは昔は舞台でろうそくを使っていましたからね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 『ロベール』って、どの『ロベール』ですか。
米原[#「米原」はゴシック体] 『プチ・ロベール』です。二冊もの。わたし、ロシア語の通訳だから、「鉄のカーテン」って言葉はしょっちゅう登場するわけです。あるとき、興味をもって引きだしたらずっと遡って、でも日本のほとんどの辞書はチャーチル止まりでした。現在では日本のすべての劇場には、火災防止のために舞台と客席のあいだに防火シャッターを設けることが消防法で義務づけられているのに、です。
あと、最近で面白かったのは、一九九九年五月二四日「周辺事態安全確保法」が成立するのに先立って国会で問題になったときに、外務省の高官が更迭されましたね。周辺というのは「地理的概念」ではないと言って更迭された。この「地理的概念」を調べていったんですね。これも日本の辞書や百科事典には一切載ってないんですけど、「地理的概念」って最初に言いだしたのは誰だと思います。メッテルニヒなんですよ。メッテルニヒが「イタリアは地理的概念にすぎない」と言った。つまり、国ではないと。だから、オーストリアが分捕ってもいいという意味だったんですね。それでイタリアが反撥《はんぱつ》して、リソルジメント(イタリア統一運動)が活発になったのはそのせいでもあると出てました。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] それは何を引いたんですか。
米原[#「米原」はゴシック体] ロシアの『名言名句大事典』です。百科事典は面白いですよ、本当に。辞書を引いてるだけで一編ずつエッセイが書けるんですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] すごい読み手だな。ぼくはある大辞典について、新書を一冊書いているとこですが、これがなかなかほめるところがない。
米原[#「米原」はゴシック体] わたしはずいぶんお世話になってます。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] どんなお世話になりますか。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですね、故事来歴なんか、結構お世話になりますよ。たとえば「一三」という数字が、西欧では嫌な数字だけど、中国や日本ではいい意味だと。何かそんなテーマをもって調べていくと。これをヒントに、わたしは『魔女の1ダース』(新潮文庫)という本を一冊書き上げましたから。結構、原石の宝庫ですよ、大きな辞書は。『広辞苑』であれ、『大辞林』であれ。
完璧な訳はありうるか[#「完璧な訳はありうるか」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] わたしは辞書の面白いと思ったことだけ覚えて、先生のように悪いところを覚えてないんでしょうね、どちらかというと。通訳をやっていると、知らない単語が出てくると焦りまくります。ですから、事前になるべく資料を取り寄せて調べるんです。ある単語がわからなくて、一つの辞書に当たってなくて、二つ目当たってもなくて、三つ目に当たって語根の同じような単語がある、もう一つ別の用法があったら突き合わせて、多分この意味だろうと類推していくわけです。だから辞書には、ちょっと載っているだけでも、中途半端でも、ありがたいという感じなんですね。辞書はそういうものだと思う。現時点での達成点ですから、まだ完成途上だと思えばいいのではないですか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうそう、完成途上だ。辞書というのは常に若書きであるというか、そういう部分はありますね。
米原[#「米原」はゴシック体] だから、使っている人が気のついたことをどんどん編集部に寄せるような、そういうものであるといいんです、日本国民全体の財産としてね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 編集部も、都合の悪いことも隠さないで公表するといいんですけどね。ミスプリントとか。
米原[#「米原」はゴシック体] 普通の本だってミスプリは大量にあるんですから、もう辞書は当然でしょう。面白いのは、間違いというのは、他人の間違いでも自分の間違いでも、正反対に間違うのは絶対気づくんです。ところが、微妙な違いだと気づかないんですよ。通訳をやっているときも、明らかな誤訳は、ある意味では誤訳じゃないんです、みんなわかりますから。ところが、微妙な違いになると、誰にもわからないんですね、誤訳だということが。
多分ミスプリもそうですよ。みんなが気づくのはそれだけ派手なもので、おそらくいちばん微妙なところが難しいんだと思います。誤訳ということでいえば、たとえば銀行業務やコンピュータ用語であれば一対一の対訳が可能な世界ですけれども、文学についていえば、最終的な完全な訳なんてあり得ないと思うんですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いや、ぼくは一つしかないと思うんです。やっぱり完璧なものはありうると思うんです。
米原[#「米原」はゴシック体] ありうると思いますか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そう。可能なかぎり、そこへ近づいていく。
米原[#「米原」はゴシック体] 近づいていくことは可能だけど、そこに到達することは不可能でしょ。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 到達は多分できないでしょう。でもね、そういうものがありうるとして、そういうものへ近づいていく行為として翻訳をやらないと駄目じゃないかなと思うんです。
米原[#「米原」はゴシック体] それはそうですよね。いい加減でもいいということではない。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] つまり、平たいところで、こういう訳もある、こういう訳もあると考えてしまったら、そんなことはやらない方がいいと思うんですよ。自分の訳は、それまでのものをずっと見下ろしてやるんだと、少なくともそういう意識でやっていかないといけない。ということは、どこか上にちゃんと一つ、いいものがあるんだと。まあ、理想ということかもしれませんけどね。そういうものに向かっていくということでなければならないと思ってます。
平たいレベルでこういう訳もある、こういう訳もあるというのでは、これは原作に対してものすごく不遜ですよ。原作はそんなことで書いているはずがない。必ず、一つなんです。a whole なんです。ジョイスの『ユリシーズ』の新訳が出ていますけど、ほんとに英語が読めていないという形跡がたくさんある。いかに英語ができないかということを不様にさらけ出したものですね、あれは。
米原[#「米原」はゴシック体] それはロシア語からの翻訳でも、たとえばトルストイの和訳でも明らかに変だと思うのはたくさんあるんです。それでもわたしは訳した人は偉いと思うの。少なくとも、全体の物語の流れは伝わって、間違ったものであれ、感動させるわけですから。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いや、昔はいいですよ、何十年も前は。いまは駄目です。原文がCD─ROMになる時代ですもの。それはやっぱり、ちゃんとやってもらわないといけません。
米原[#「米原」はゴシック体] 辻由美さんという人は『世界の翻訳者たち』という著書の中で、いわゆる世界的名作というものはみんな翻訳で読まれているといいます。聖書もしかり、シェイクスピアしかり、世界の圧倒的多数の人たちは原書で読んでない。みんな翻訳で読んで、そして名作だと思ってるわけですね。だから、どんな誤訳でも、翻訳した人は偉いと思うんです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 聖書のロシア語訳はどうなんですか。いいんですか。
米原[#「米原」はゴシック体] いや、わたしはいいか悪いか判定できないけれど、絶対誤訳はあると思いますよ。どの聖書も。日本語の聖書だってそうでしょ、何種類も訳があるんだもの。つまり、元がどういう意味で使われたかということは、いまの段階ではもう類推でしか判断できないでしょう。原作者にどういう意味で書いたのか問い合わせできるのだから。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 聖書もそうですし、日本の『古事記』もそうだけど、名前のつけ方などをみると駄洒落の世界ですよね。名前一つ一つ、駄洒落的につけられていくのが、聖書の訳はうまくやってないですね。
米原[#「米原」はゴシック体] 今度は聖書に挑戦ですか(笑)。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] とんでもない。しかし、たとえば「ヤコブ」だって「くるぶし」なんですね。「やー、こぶがある」っていうんで「ヤコブ」になるんですよ(笑)。そんなのがゴロゴロしてるんです。
米原[#「米原」はゴシック体] マリアが処女で懐妊したというのも、これは誤訳の問題だとどこかで読みました。ヘブライ語では、単に結婚をしないで、いわゆる正式な結婚をしないで子供を産んだという意味なんだそうです。それをラテン語に訳すときに、そういう概念がなかったんで、処女になったという。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ありましたね。どこかで読んだ記憶がある。
米原[#「米原」はゴシック体] だから、聖書でもいっぱい誤訳があると思うし、これだけたくさん訳があるということは訳の数だけ誤訳がある。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] でも、『ユリシーズ』のロシア語訳はいいと、米原さんと同じようにロシア語で育った人から聞いたことがあるんです。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 英語がよくわかってる訳者だと。それはロシア語が、そういうことが可能だからですか。
米原[#「米原」はゴシック体] いや、わたしは翻訳者の質だと思いますけどね。ある意味では、農奴制時代もそうでしたし、ソ連時代もそうでしたけど、ロシアというのは長いあいだ、市場原理の支配下になかった。だからあまり気が散らないで、あることに集中できる。ものすごい集中力を発揮して仕事ができるんです。凝り性じゃないといけませんでしょ、よき翻訳者は。それができる環境にあったんですね。
かつては金儲けのことを心配しなくてもいい貴族だったり、あるいは共産主義時代は、ある能力があれば、それだけで保障されますからね、その本が売れようと売れまいと。そういう環境、市場原理ではないところが芯にないと、文化はなかなか発展しにくいと思うんですよ。もちろん市場原理の刺激も必要ですけど。
市場原理にからめとられると、やはり英語がいちばん効率的になっちゃうんですね。いちばん多くの人が話すし、辞書にしても本にしても、英語であればいちばん売れます。ところが、市場原理を離れると、実はどの民族にも価値がある。どの民族にも面白い歴史と文化があるわけで、それを知るためには、それぞれの言語をやらなくちゃいけないんですね。市場経済はこれを省略しているんですよ、効率一辺倒ですから。
ところがソビエト時代のロシアは、世界中あらゆる国の言語を、それこそ計画経済で、国民に学習させたんです。東京外語大にいたときのことですが、ヒンドゥー科の学生で、ヒンドゥー語よりもさらに少数民族の言語を勉強しようと思って、その教科書を探したらぜんぜんない。英語圏にもなくて、ロシア語をあたったら初めて、その少数民族の教科書と辞書があったそうです。それで、その言語を勉強するためにロシア語をやったっていう学生がいたんですね。日本というのは、英語経由で発信し英語経由で世界の情報を入れているわけですが、ロシアはそういうやり方をやった。
ですから、ロシアに行って「外国文学」という雑誌を読むと、もうほんとに名前も知らないような、アフリカの小国やアジアの小国の文学作品が読めるんです。わたしの知っている文学とはぜんぜん違う感受性とか、もののとらえ方に新鮮な衝撃を受けることがあるんですが、そういう言語からでもロシア語に翻訳する人がいるっていうことなんです。ロシア語をやっていると、そういう情報地図が出来てくるんですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] それは米原さんの財産でもある。いいね、うらやましいな。
辞書は一長一長[#「辞書は一長一長」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] 翻訳でも通訳の場合でも、辞書がないと職業として成り立っていかない、そういう面がありますね。ただ、翻訳者の場合は作業中に辞書をのぞけるんですけど、通訳の場合にはこれができない。ですから、事前に調べて頭の中にインプットしておくか、さもなければ作業のすんだ後で反省しながら、しばしば忸怩《じくじ》たる思いをしながらのぞくことになります。ということは、ナポレオンが「わが辞書に不可能の文字はない」と言ったときの辞書、つまり自分のボキャブラリーをなるべく豊富にしておく、ということを心がけているわけですね。そのためか、辞書、事典というとついつい買ってしまう癖がついてしまいました。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 本当に、辞書がなければ成り立たないというのはその通りで、たとえばここに灰皿があって、これが英語で ash tray であり、それを「灰皿」という日本語に最初に訳した人がいるわけですよね。そういうものが厖大《ぼうだい》にあって、それが辞書に載っかっている。それを見ながら仕事をするというか、本当にお世話になっています。だからぼくは、辞書はすべて「一長一長」であると言うんですね、「一長一短」じゃなくて。そんなくらいに辞書を敬ってます。一つの辞書は三回ぐらい役に立てば、つまり教えてもらえれば、もういいんだと。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですね。だいたい日本語でも、われわれは八〇パーセントくらいしかわからなくても、内容は理解できちゃうんです。知らない単語があったとしてもあまり気にならない。文脈とか、語根といいますか、そういうものでほとんどの意味は類推できてしまう。ところが外国語の場合、おそらく二割くらいわかって、八割わからないというところでお手上げになると思うんです。
そうすると、辞書で調べるのは、文脈とか語根をもってしてもどうしてもわからないという言葉です。しかも、その言葉がキーになっていて、それがわからなければ全体が通じないというときに、どうしても必要になる。つまり、一つそれがわかれば全部がわかるわけだから、その一語を調べるために二万円の辞書を買ったとしても、元はとれるんです。同時通訳の日当は一日一二万円なんです、七時間以内で。だから、まあ一語当たっただけでも元はとれちゃう。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 一日一二万円!
米原[#「米原」はゴシック体] 半日すなわち三時間以内で八万円です。国際通訳連盟《AIIC》というギルドがありまして、通訳条件の規準をつくっている。通訳をする相手が誰であろうと、つまり身分や貧富の差などまったく関係がないんですね。あらゆる顧客を平等に扱う。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ギルドっていうのは面白いな。
米原[#「米原」はゴシック体] いや、本当ですよ。ちょっと排他的な組織で、自分たちの権益を守らないといけないから新参者を排除するんです。それが気に入らなくて、わたしは入らないんですけど。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ぼくなんか、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』訳して、一日いくらになったかなあ(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] 文芸書の翻訳は金銭的には元とれないでしょうね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 元とれないというか、ほとんど道楽ですね。道楽で飯がかろうじて食えるというかな。
いま「語根」という面白い言葉をお使いになったけど、この概念を、もう少し教えていただけますか。
米原[#「米原」はゴシック体] 先生、よくご存じなのに。口頭試問を受けているみたい(笑)。まあ、意味の根幹みたいなものですね。言葉のもっている意味の基本要素。味の素ではなくて、意味の素。おそらく日本語であるならば、漢字の旁《つくり》や偏で表される部分が意味の根幹を成す基本要素の役割を果たしていることが多いと思うんです。言葉は、意味を担う部分と、もう一つ、ほかの言葉との関係を表すための部分の、両方で成り立っているじゃないですか。後者は「てにをは」とか、あるいは屈折語系の言語だと語尾とかになります。前者、すなわち意味を担う部分の意味は、たしかに文脈に応じて変転しますが、それでも一番基本的な意味はある。その基本要素を語根と考えるのです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] なるほどね。もしかすると、そういう考え方は日本語で育ったというより、ロシア語から来てませんか。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですね、ロシア語文法を習ったときに初めて出会った概念ではありますが。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 英語からでもないですね。
米原[#「米原」はゴシック体] でも、英語で roots といいませんか。「語根」って言い方は、英語の学校文法では習わなかったけれど、言語学の教科書を学んだときには、ロシア語だけでなく、広く言語一般に用いられる概念として登場しましたよ。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうでしたか。ぼくはロシア語、全然わかりませんけれども、語尾の変化が六格もあるというようなことで怯《おび》えちゃうんですが、ついこのあいだも、四年ほどロシアに駐留していた男が帰ってきて、そんな話になって「英語ってほんとでたらめだ」って言うんですね。ロシア語というのは何か、ある根本のところがわかってしまうと、そういう変化は……。
米原[#「米原」はゴシック体] あまり気にならないでしょう。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] らしいですね。
米原[#「米原」はゴシック体] それが聞き取れちゃうんですね、慣れてくると。だから、ロシア語の親戚語がありますでしょ、チェコ語とか、ポーランド語とか、セルビア語とか、ブルガリア語とか。慣れてくると、その語根のところが同じか、ひどく似ているものだから、大よそのところ何を言ってるのか、わかるんですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] しかし、英語はそうはいかない。
米原[#「米原」はゴシック体] でも英語も、どちらかというとゲルマン系の語根の言葉と、ラテン系のロマンス語系の語根の言葉が合金のように溶け合ってますよね。実はイギリスに行ったドイツ人の友人が大ショックを受けたんです。というのは、ふつうわれわれの習った外国語が通じる本国の人というのは、インテリ階級が多いわけです。われわれはその国の標準語を話すからですね。ところが彼がイギリスに行くと、いわゆる下層階級の人が話す言葉のほうがよくわかったというんです。下層階級の人の言葉は、ほとんどゲルマン系の語根なんですね。それが教会の説教を聞きにいくと、これは全部、ロマンス系の語根だって言ってました。この語根に、接頭辞や接尾辞がついて意味のニュアンスを変えますね。たとえば、intend とか extend とか、意味が変わってくるけど、語根の tend のところは変わらない。この語根の部分は多分かなり昔に決まった、一番基本的な概念です。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] それで、米原さんの場合、辞書に求めるものはその変化しない部分ですか。
米原[#「米原」はゴシック体] 両方ですね。というのは、面白いことに機械的にいかないんですよね。ロシア語で「nepe-」という接頭辞がつけば、「繰り返す」という意味ですが、でも「nepe-」が必ずしも「繰り返す」という意味にならないときもあるんです。まあ、そういうふうに機械的にいかないからこそ、われわれ人間の通訳が重宝されるわけですが。
とにかく、語根の由来がちゃんと出ている辞書には、非常に親しみを感じますね。面白いのは、語根がギリシア語の語根とか、ラテン語の語根とか、ドイツ語の語根とか、つまり純粋な言葉って結局ないんです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いろんなところから来ている。
米原[#「米原」はゴシック体] いろんなところから、借りてきて作ってるんですね。まあ、日本語もそうだけれど。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] だから、elephant(象)なんて、OED(Oxford English Dictionary)でも語源が長々と書かれているんだけど、結局わからない。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですか。語根の来歴までちゃんと載せてくれる辞書は、作る人は大変だろうけど、読み物として面白いですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうなんですよ。たとえば「娘」は「産《む》す女」から来ているということが辞書に書かれてますと、ほうと思いますね。読んで面白い辞書というと、なかなかないでしょ。
米原[#「米原」はゴシック体] まず例文が面白いということですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そういう辞書で、何かあげられますか。
米原[#「米原」はゴシック体] ロシア語の辞書は『ダーリ』であれ、『オージェコフ』であれ、基本的に文学作品からの例文を原則としています。だから、読み物として面白いですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] それはいいなあ。日本にはないんですよね、そういうものが。
博士と狂人とOED[#「博士と狂人とOED」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] 辞書の例文というのは、六法全書の判例みたいなものですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうそう。
米原[#「米原」はゴシック体] つまり、実際にこういう意味だと、誰も決める権利はないんですね、言葉の意味というのは。こういう使われ方をしているからこういう意味だ、というしかない。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] その通りなんです。
米原[#「米原」はゴシック体] 意味は判例から浮かび上がってくるんですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] まさしくその通りなんです。それだけ言ってしまえば、もう話すことがない(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] 誰か偉い人がいて、こういう意味だと言っても、そうならないんです。それが言葉の面白いところで、間違った意味でも、みんなが使っていれば、それが通用するようになるんですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] だから、辞書のあるべき姿っていうのは、意味を編者が決めることではなくて、できるだけ多くの実際の例文を集めて、そこから意味を浮かび上がらせるというものでしょう。これはやっぱりOEDしかやってないんですね、多分。いまおっしゃったロシア語の辞典もそうかもしれないけど。
米原[#「米原」はゴシック体] 方法論としてはそうですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] OEDの編者(ジェイムズ・マレー博士)とその協力者(用例収集者)を主人公にした、『博士と狂人』という本の翻訳(早川書房)が出ましたが、お読みになりました。
米原[#「米原」はゴシック体] まだです。積んであります。駄目なんですね、送ってもらった本って。自分で買った本はすぐ読むのに(笑)。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ぼくは書評を書く都合で、まあ三、四〇分もあれば読める本ですけど。その協力者のマイナーという人はアメリカ人で、もともと東部の上流階級の出ですが、南北戦争に軍医として出征する。前線で、脱走兵に刑罰として焼き鏝《ごて》を顔に当てるようなことをしたらしいんですが、新任の軍医の彼はその役目を命令されて、やむなく実行する。で、脱走兵がアイルランド人だったことから、アイルランド人から報復を受けるのではないかと、そういう妄想をもったらしい。まあ、ほかにもいろいろあって、精神障害者として軍隊を退役し、療養にと訪れたロンドンで殺人を犯してしまいます。
結局、裁判で無罪となりロンドン近郊の精神病院に入りますが、面白いのは当時、金持ちが精神病院に入りますと、監禁はされているんだけど、特別扱いされていた。二部屋のマンションみたいな住まいで、他の患者に金を渡して身の回りの世話をしてもらったり、自分の費用で書棚をつくって、蔵書をためて一室を書斎にしてしまうんですね。そうして七、八年たったときに、ジェイムズ・マレーが用例収集者(篤志文献閲覧者)を募集していると知るわけです。それからは、マイナーはマレーに厖大な数の用例を送ることになる。これは理想的な情報提供者ですよ。監禁されていて、やることがない。用例を集めることで、とにかくその間は精神的な発作がおさまっていたそうです。ぼくも、それで、『フィネガンズ・ウェイク』やったのかな(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] そうかもしれない、なんて(笑)。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 狂ってたかなあ、やっぱり(笑)。マイナーの例は特殊でしょうが、OEDには世界中に情報提供者がいて、そしてあれだけの作業を七〇年以上かけてやるわけですね。OEDの第二版からはCD─ROMができましたから、ぼくは自宅にいてOEDを開かない日はないんです。パソコン入れれば、自動的に立ち上がるようになってます。それでますますOEDのすごさというのを感ずるんですね。辞書というのは、ああいう形になるべきです。
米原[#「米原」はゴシック体] アナトール・フランスが辞書のことを「アルファベット順に置かれた宇宙」と言ってます。ところが、電子辞書ができたらアルファベット順じゃなくて、人間の脳味噌に近くなったんですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 紙になるとアルファベット順ですけどね。たしかに電子辞書は、これは革命ですよ。
米原[#「米原」はゴシック体] 通訳にとってはありがたいですね。出張先とかいろんなところに持っていけますから。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] これは、ロシア語関係はどうなんですか。
米原[#「米原」はゴシック体] 露和・和露辞典の電子化はまだ夢の夢です。英露・露英は電子化が進んでいますが。露和・和露については、電子辞書どころか、専門分野ごとの辞書が一切ありません。わたしたちが雇われるのは、金融とかコンピュータとか放射線医学とか、そういうところで雇われますでしょ。ところが、それについて辞書がないんですね。もう一つ、言葉の意味っていうのは、実際には辞書にカバーされきれないほど、いろんな使い方をするんですよ。わたしたち通訳の場合、まだ文字にされていない言葉の意味に出会う場面がすごく多いんです。市販の辞書には絶対に記されていない例がたくさん出てくるわけですね。
だから、みんな自分で辞書というか、用語集を作るしかないんです。事前になるべく調べておく。それで、時々そうした用語集を持ち寄って、学習会で発表するわけです。昔の通訳者は、それは自分の財産だから、他人にやるのはもったいないと、それを抱えて死んでいったんですね。われわれはそんなケチなことしてもしようがないと思って、交換してるんです。渡せば相手もくれるし、自分がした苦労をまた別の人がすることないじゃないですか。
それで手持ちの用語集、「軍事用語集」とか「医学用語集」、辞書ではまだカバーされていない言葉の意味とか、新しい言葉をどんどん集めて作ったんですよ。これはロシア語の通訳協会でやりました。だいたい一年に三、四回、そういう会を開いて、一回に発表する人が二、三人いるから、一年に最低一〇冊ぐらいの豆単語集ができます。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 一年で一〇冊くらい。そうですか。
米原[#「米原」はゴシック体] それで、その分野の仕事で出かけるとき、豆単語集をパッと頭に入れておくだけでぜんぜん違うんですね。人間の脳味噌って、わからないものが多すぎると全部入ってこない。情報としてわからないものが二割くらいだと印象に残って入ってくるんだけれど、もう五割以上わからないと、ほとんどそれ全部灰色で、何もわからない。なかったことと同じになっちゃいます。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] gray matter といいますね、脳味噌のことを。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですね、面白いですね。先生は翻訳されていると、目で追いますでしょ。目っていうのは欲張りなんです。欲張りだから、翻訳者的な訳の仕方というのは、書いてあることをことごとく全部訳す。ところが、耳で聞くときには、わからないことは聞こえないんです。聞こえたとしても、脳髄まで入ってこない。わかったことだけしか訳さない。自然に淘汰されちゃうわけですね。でも、これではプロの通訳者は成り立たないから、事前にわかることを多くしておかなくてはいけないんです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 通訳の秘密厳守の話をどこかに書いてらしたけど、あれはかなり厳しいんでしょ。
米原[#「米原」はゴシック体] どうなんでしょう、外務省で通訳をするときにはサインさせられます。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] いつも思うんだけど、酔っぱらってしゃべっちゃったとか、そういうのってどうなるの。かなりのところまで聞く場合もある、きわめて重要なことまで耳に入る、ということはありませんか。
米原[#「米原」はゴシック体] キャーって叫びたくなるときもありますよ、こりゃスゴイ話だ、みんなに教えたいなって。でも、首脳同士の会談は外務省の通訳がやって、われわれは雇われないんです。記者会見、つまり一般に知らしめてもいいことについてはわれわれを雇うことになる。記者会見のときに、マル秘と書いた文書で事前学習させてくれるんです。すぐそれを返さなくちゃいけないんですけど、ところがこのマル秘ってのが、外務省だけが秘密だと思ってて、世の中の人、みんな知ってることばかりなんですね(笑)。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] そうですか。ぼくはまた、そういうこと、いろんな秘密情報が自分の中に入っちゃったら大変じゃないかなと思ったんですね。ものすごくプレッシャーになって、精神的に大変なことじゃないかなと。たとえば裁判官って、おかしくなる人が多いですよね、やっぱり知りすぎちゃうから。通訳の人はどういうふうにして発散してるのかと思ったんだけど、それほどでもないんだ。
米原[#「米原」はゴシック体] 守秘義務を言われるのは、商談とか企業なんかの通訳のときですね。ただ、圧倒的多数の商談は自社の通訳を使います。わたしたちが雇われるのはほとんど学会とか記者会見ですから、むしろ情報を隠すより、広めたい立場の顧客が多いんですね。
同時通訳の歴史[#「同時通訳の歴史」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] 同時通訳の入門書を読むと、だいたい序文かなんかに同時通訳の歴史が書いてあります。一九四五年一一月から翌年の一〇月までのニュルンベルグ裁判、つまりナチスの戦犯に対する裁判が、世界で同時通訳の行われた最初であると言われている。だけど、いきなりそこに突然、しかもそんなにたくさん同時通訳者が現れるはずないんですね。
それで調べてみたら、同時通訳には機械が必要なんですけれど、一九二六年にIBMが作ってるんです。これは、一九世紀にベルが電話を発明しますが、その電話の無線技術を応用してIBM社の技術者が作るんですね。で、特許をとる。でも、機械はできても、同時通訳者がいなくちゃいけないし、複数の言語でする会議がないと機械が生きない。それを最初に使ったのが、一九二七年にスイスのジュネーブで行われた、当時の国連、国際連盟の会議です。
ただし、これは一回限りで終わっちゃったんです。それは当然なので、国際連盟の共通語は英語とフランス語の二言語だけだった。どこの国の人間も、フランス語か英語でなければ発言できないんです。だから、英語をフランス語にするか、フランス語を英語にするだけですんだわけですね。小村寿太郎も、英語かフランス語か、どっちかで演説したんですよね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] なるほど。
米原[#「米原」はゴシック体] それで翌二八年、IBMの機械はコミンテルンで使われます。これは六カ国語でした。当時、常設の国際機関というのは国際連盟とコミンテルンしかなかったんですね。コミンテルンでは二八年以降もずっと使われて、言語の数も増えるし、同時通訳者もどんどん育ってくる。それで、一九三五年にペテルブルグ、当時のレニングラードで国際生理学会が開かれると、例の犬の条件反射の実験をしたパヴロフさんが冒頭演説をやって、これは英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語に同時通訳されています。
つまり、実際に会議があって、同時通訳に使われた機械の方も改良されていくし、同時通訳技術も向上していくわけです。それで結局、八五カ国語の同時通訳ができる人間を養成しちゃってるんですよ、ソ連時代に。まさに「万国の労働者よ団結せよ」というわけです。
アメリカはどこの国へ行っても英語で通すけれど、ロシアは世界を征服するために、あらゆる国の言語を勉強したんですね。国家計画に従って毎年一定の学生を選んで、世界中の言語を学習させてしまうんです。日本にもタイにも、アフリカ諸国にも、その国の言語のできる外交官と特派員を送る。これは大変なことです。だいたい、一人の同時通訳者を育てるためには、背後に二〇〇〇人くらい学習者がいるわけです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ほんとだねえ。
米原[#「米原」はゴシック体] で、辞書が必要なわけでしょ。辞書といっても、たとえばチベット語の辞書となると日本ではまず出ませんね。ところが、市場原理が働かなかったソ連ではちゃんと出したわけです。もう、われわれが名前を知らない国の言語をやっている人が必ずいるんですよ。
日本語についていえば、『源氏物語』や『平家物語』は当然のことながら、『大宝律令』の訳まで出ています。日本人だって読まないのに、ロシア語訳があるんですよ。
こういう、ある国について知るという情熱というか、エネルギーというか、それを背景に同時通訳者が生まれるわけです。で、さっきのニュルンベルグの裁判には、この強力なソ連チームが来たわけですね。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 二〇年も前になりますか、ベルマンというピアニストが出たときに、ロシアにはこんなすごいのがいるのかと思ったものですが、その天才が出る背後にものすごい数があるわけですね。
米原[#「米原」はゴシック体] そうですね。天才というのは一万人とか、二万人に一人という感じで出てくるそうです。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 天才教育をやるわけですね。
米原[#「米原」はゴシック体] 天才教育もさることながら、才能に対する考え方がちょっと違いますね。結局、西側に来ると、その才能がみんな商品になっちゃうんです。消費物資になって媚びてしまう。ところが、市場原理がないところでは媚びなくていいんです。そのなかで、気が散らなくていいというか、あの才能の育て方のシステムも生きてくる。
辞書がなくては生きていけない[#「辞書がなくては生きていけない」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] 辞書の話からずいぶん離れてしまいましたけど。先生は辞書をお作りだとか。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] 英和辞典の小さいのを単独で作ってるんです。もちろん全部実例で、いまのところむちゃくちゃ面白い辞書ができつつあります。でもまだまだ、頂上ははるか彼方に。
米原[#「米原」はゴシック体] では、せっかくですから最後にとっておきの辞書にまつわる話をさせてください。通訳として目の前が真っ暗になるのが医学関係の通訳なんです。ご存じのように医学用語は一般人にはわからないようにするためか、ことごとく難しい言葉を使っていて、漢字を見てもなんて読むのかわからないんですよ。読みがわからないと辞書を引けないから、虫眼鏡でこうやって、まず漢和辞典を引くんです。まず読み方を調べて、それで次に日本語の医学辞典で意味を調べるんです。
その意味を調べると、ロシア語と日本語の医学辞典というのは三〇年前に一本出たきりで使いものにならないから、日英の医学辞典、そして次に英露を引いて、両方突き合わせる。突き合わせてほんとにその意味かどうかわからないときは、ロシア語の医学辞典も引いて日本語の医学辞典と同じ意味かどうか確認していくわけです。
だから、事前に論文を手に入れて、もう真っ青になって調べていくんですね。ここでやっかいなのは、なぜか医者は医学用語を日本語で、といっても漢語なんですけど、日本語で言うこともある、英語で言うこともある、ドイツ語を使うこともある、ラテン語を使うこともあるんです。そのどれを言うかわからない。これはロシア人の医者もそうなんですね。だから、医学関係の会議というと、前日から眠れなくなるくらい緊張するんですよ。あるとき、ロシアから宇宙医学の専門家が日本に来て、名古屋に日本の宇宙医学の権威がいらっしゃるというので、そのお弟子さんとか研究者たちを前に講演することになったんです。もちろん、準備をして、調ベていったんですけど、講演中いきなり知らない単語が出てきた。ラテン語なんですね。なんだかわからないし、しようがないからラテン語のまま言ってみたんです。たしか「ヴェヌス・ウンブリクス」だったかな。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] ヴィーナスのへそみたいなもの。
米原[#「米原」はゴシック体] 近いですね。それでわたし、そのままラテン語で言ったら、先生方みんな領いているわけです。ああよかった、通じたわと安心して先へ進んだものです。まあ、それは無事に終わって、その宇宙医学の権威が、「米原さん、お疲れでしょう。何か問題点ありましたら、いまのうちに聞いておいてください。二部が始まりますから」というありがたいご配慮がありました。
お言葉に甘えて、「先生、ラテン語でヴェヌス・ウンブリクスっていうのは、どういう意味ですか」とお聞きしたんです。その温厚な紳士がパッと青ざめて、うしろから医学辞典を引っ張り出してきて机の下で引いてるんですよ。上に出して引けばいいのにね(笑)。そして、「そうですね、なんかへっこんだものですね。あ、へそだ。へその下に静脈が通ってるんですな」って。
柳瀬[#「柳瀬」はゴシック体] なるほどね。
米原[#「米原」はゴシック体] ラテン語っていい手だなと思いましたね(笑)。みんな虚栄心があるから、わからなくても知ったかぶりしますからね(笑)。それを変に日本語にすると、「あいつ、医学用語を知らないくせに、高い通訳料とりやがって」と思われるだけですから。ということはともかく、そういう第一人者でも辞書なしでは生きていけないということですね。
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Secondi Piatti
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第二の皿
[#見出し] 田作の歯ぎしり[#「田作の歯ぎしり」は太字]
うだるような暑さに労働意欲を完全に失っていた頃、
「九月初旬に札幌での医学シンポジウムを」
などと依頼されて、
「ああ、残暑に北海道はいいな」
と飛びついたのが、運の尽き。その日が近づくほどに恐怖に震えおののき、どれほど己の浅はかさを悔いたことか。
荷造りしながら最近の辞書が電子化していることにせめてもの感謝。内外六〇冊の医学辞典を集大成した二五万語収録の英和・和英医学用語辞典が一〇センチ四方厚さ五ミリのCD─ROMに収まってるのだから出張が楽になった。
もっともロシア語関係は電子化されてないどころか和露医学辞典は存在だにしない。露和は三〇年前に一冊出ただけ。だから露英・英露医学辞典、日本語医学百科、露語医学百科、羅和辞典など荷物の五分の四は紙の辞書事典類になってしまう。それに、医学用語は漢字が読みにくいから漢和辞典も必携だ。重い!
事前に入手した発表論文や参考文献の用語がわからないとき、われわれロシア語通訳は和英を引いた上で、英露を引き、二重に引いたために起こるかもしれない意味のズレを防止するため日本語の医学百科とロシア語の医学百科で、もとの日本語の語と引いたロシア語の語の意味を突き合わせ、合致した場合にのみ訳語として採用するという手続きを踏む。合致しないものはリストアップしておいて、会議直前に発表者との打ち合わせの際お聞きして、意味訳をするか、医師の共通語ラテン語での表現を調べて切り抜ける。
とまあ書きながらもウンザリするほどむやみに時間を食う作業なのだ。もっとも作業の真っ最中は未知の密林をかき分けて進むような快感があるにはある。時間が迫ってくると、悲壮感に近くなるが。
こういう事情は別に医学に限ったことではなく、金融、電子工学、とにかくあらゆる分野がそうなのだ。しかも、ほとんどの業種の日本企業には英語のパンフレットがあり、実に多くの日本人スピーカーは原稿の英訳をも用意する。
その昔、国連鉄鋼部会の視察に同行して、英語、フランス語の通訳の方と組んで日本の某自動車メーカーを訪れたときのこと。前日の夕刻、現地に到着して、地元のホテルに宿泊し、翌日工場見学という手はずになっていた。
メーカー側は、会社概要のパンフレット、明日案内をつとめる人の説明文を和文、英文両方用意している。さらに、日・英・仏自動車用語集なるものを無料で通訳一同に恵んでくださった。英語の通訳者は、とりわけ喜んだふうもなく、当たり前のようにそれを受け取り、フランス語の同僚は、「ワーッ、助かる! ありがとうございます」と嬉しそうにはしゃいだ。
「明日の準備が、ほとんどしなくて良くなったから、今夜は飲もうよ! 飲も、飲も」
解放感にひたる二人を、恨めしげに送り出したうえで、わたしは一人ホテルの部屋にこもり、明日の説明文テキストの専門用語を拾っては、いちいちいくつもの辞書事典に当たりながら、意味と単語を確認していった。
たとえば、自動車の部品を指す「クランク・シャフト」という単語がある。英語の対応語は、先ほど会社から手渡された英文テキストにも用語集にも出ている。和露辞典を引いても、英露辞典を引いても、当然のことながら、そこまで専門的な訳語は出ていない。そこで、わたしは会社案内パンフレットにある自動車構造図のなかに「クランク・シャフト」なる部品をさがし当て、分厚いロシア語版製造業図説事典を開き、自動車構造図をにらんで、同じ部品のロシア語名をさがす。両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある。この快感は、英語通訳にはわかるまいと、密《ひそ》かにほくそ笑むのも、こんな時だ。
翌日の仕事で、英語とフランス語の両同僚にたずねる。
「ねえ、クランク・シャフトって知ってる?」
それぞれ訳語はスラスラ出てくるが、その言葉がいったいどんな部品を指すのか、二人は知らない。
「フフフ、苦労しただけのことはあった。言葉を音のみで捉えて転換していくのでは機械みたいなものではないか。言葉の意味の根幹のところを掴《つか》まえて訳すことこそ人間の営みにふさわしい」
とここでまた日頃の鬱憤《うつぷん》を晴らすように、心の中でニンマリする。
というわけで、同じ通訳といっても、ロシア語と英語の通訳は同じ職種に属するのだろうか、と思うことがよくある。こちらは旧石器時代後期、あちらはもう二一世紀初頭あたりなのでは。そのかわり、英語ともなると、どの企業にも官庁にも我こそはと自負する方々がいて、
「どれどれ、お手並み拝見。通訳が間違ったら指摘して、こちらの教養のほどをみせつけてやろう」
と手ぐすねひいて待ちかまえていたりする。
それをされて、ショックのあまり、一週間、失語症におちいった英語の駆けだし通訳者を、わたしは知っている。
ロシア語は、その点、とても恵まれている。極端な話、嘘を言ってもバレないのだ。自分のことは棚に上げていうと、時々、本当にひどいのがいる。このあいだなど、スピーカーの言っているストーリーと通訳者の訳がまったく別のストーリーになっていて感心感嘆してしまった。最後まで破綻せずに話を完結させた腕前は、見事の一言に尽きる。
ああいうタイプ、英語だったらとっくに淘汰されてしまっているだろうなあ。ついこのあいだ、商社の方も嘆いておられた。
「何しろ、ロシア語の通訳は、英語と違って、数が限られていますからね。値段は上げ放題、質は下げ放題ですよ」
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[#見出し] 「地理的概念」にご用心[#「「地理的概念」にご用心」は太字]
三カ月ほど前のことだが、突如「地理的概念」という言葉に脚光があたった。例の外務省の高野北米局長が、国会での答弁の責任を問われて更迭されたという事件である。閣僚の更迭というと、すぐさま業者との癒着→収賄と連鎖反応する脳内回路ができてしまった頭には、このニュース、なかなか鮮烈であった。それにしてもだ。「地理的概念」なる語句、何度新聞を読み返しても、要領を得ない。
日米防衛協力のための新しいガイドラインをめぐる国会論戦の中で、対象となる「周辺事態」とは、いかなる地理的範囲を指すのかという点が問題になった。そりゃあ当然だ。拡大解釈されて中東まで含まれたらたまったものじゃない。それに対していままで政府は、次のような答弁を繰り返すばかりであった。
「地理的概念ではなく、事態の性質に着目したもの」
これでは、まるでメビウスの帯だ。ところが、くだんの高野氏は、安保条約での「極東」と新ガイドラインでの「周辺」のあいだに整合性を持たせようとして「踏み込んだ」答え方をした。
〈極東ないし、その周辺を概念的に超えることはない〉
ちょっと待って。これどういう意味? どこがどう踏み込んでるの? と頭をひねっていたら、新華社が至極明快な訳をつけてくれた。
「日本政府高官が周辺事態に台湾海峡が含まれると表明」
中国外務省スポークスマンは、これを、
「公然たる中国への内政干渉」
として、強い怒りを表明した。
それにしても、すごい飛躍だ。わたしも一応通訳業で口を糊しているが、こんな大胆なチョー訳は、とてもできない。
そう言えば、一世紀半も前に、やはり「地理的概念」なる語句を用いて相手を激怒させた政治家がいた。実は彼こそが、この語句を最初に発した人物だと言われている。
時は、一九世紀初頭、新興勢力を背景にのし上がってきたナポレオンの攻勢に、ヨーロッパ列強の君主たちは震え上がった。彼は、そのヨーロッパ旧体制の諸勢力を結集させ、ナポレオンを壊滅させることに成功した辣腕《らつわん》の政治家である。オーストリアの外相、宰相を歴任し、かのウィーン会議の議長をつとめたことで、映画の登場人物にもなり、日本の高校の教科書にも載るような有名人だ。そう、彼の名は、メッテルニヒ。
一八四一年八月二日付けで列強首脳に書き送った覚え書きの中でメッテルニヒは、
「イタリアは地理的概念である」
という言い方をした。そして、その六年後の一八四七年、イタリアの国家としての統一とオーストリア支配からの脱却の機運が日増しに強まってきた頃、メッテルニヒは、再びこの台詞を繰り返したのだった。
「一八四七年夏、イタリア問題についてパリメルストン卿と論争した際に、わたしは次のような言い方をした。『イタリア』という概念は、地理的概念にすぎない、と。"L'Italie est un nom geographique." というわたしの言い方は、パリメルストン卿をひどく怒らせてしまったものだが、言い方そのものは、どうやら市民権を獲得したようだ」
これは、オーストリアの外交官、オステン・プロケシュに宛てた、一八四九年一一月一九日付けの手紙の中で、メッテルニヒ自身が得々と自慢しているくだりだ。
それにしても、なぜ、パリメルストン卿は激怒したのだろうか。
「イタリアは地理的概念である」
ということは、すなわち、
「国家としてのイタリアは存在しない」
ということだからだ。わかりやすく言えば、
「オーストリア政府は、イタリア諸州に対する支配権を有する」
と表明しているに等しい。
ひるがえって二〇世紀末の極東の島国の外務省北米局長の発言に立ち戻ると、周辺とは極東を指す、てことは、地理的概念ってことを言っていたわけだ。中国が身構えるのも無理はない。
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[#見出し] 反日感情解消法[#「反日感情解消法」は太字]
最近の通信手段の進歩は著しい。人間の音声だけでなく姿形や背景までをも、瞬時に、しかもまるであるがままに伝達できるようになってきている。それでも、人々は、直接出会い、同じ空気を吸い、肌ふれあうことを求めてやまない。
朝鮮半島南北首脳の歴史的会談の例を引くまでもなく、生身の人間としての指導者が直接出会うことによって、官僚同士の下交渉や、その他の手段では決して得ることのできなかった貴重な情報を仕入れ、忌憚のない意見交換を行い、無用な誤解を解き、人間同士のつながりを確立したりする。そういう期待があるからこそ、厖大な時間と人員とエネルギーと資金を動員して、国際会合が開かれるのだろう。
もっとも、指導者に限らず、基本的には誰でも、ある国の実情や人々に直接触れることによって、その国に対する偏見や敵意を解消し、好意を抱くようになるはずだ、と考える人は多い。おそらく、そういうナイーブな信念に基づいてのことであろう、わが国の外務省には、外国のオピニオン・リーダー(主に、その国の世論形成に影響力のある有力報道機関の幹部)を日本に二週間ほど招いて、日本各地を案内し、親日家にしていくというプロジェクトがある。わたしの知っているのは、旧ソ連関係だけであるが、すでに少なくないマスコミ人が、これで来日している。
たまたま、そのうちのお二人に、それぞれ別の時期にお会いする機会があった。一人は有力文芸誌の編集長で、もう一人は人気政治経済評論誌の編集長。前者は女で後者は男。同じ雑誌といっても扱う分野も手法も対象読者も異なる二人は、当然、ものの感じ方も、話しっぷりもずいぶん違った。ところが、ある一点についてのみ、寸分違わぬ反応をしたのである。
「ああ、日本滞在最終日の今日、あなたに会えて本当に良かった。あなたに会えなかったら、日本と日本人を大嫌いになって帰国するところでしたよ」
「エッ、何でまた?」
「日本人って感情を極力抑えて皆ロボットみたいに同じ考えしか口にしない。何て薄気味悪い連中だろうって思ったんですよ」
「日本滞在中、いったいどんな日本人と接触していたんですか?」
「ほとんどが、外務省の人たちでしたがね」
この答えでたちまち疑問が解けた。外務省のお役人にも、個人的には魅力的な人が何人もいるのをわたしは知っている。しかし、職務となると裃《かみしも》を着込んでしまう。個人の顔を抹消し、四角四面な公式見解を繰り返すのが使命と思って健気《けなげ》に懸命に努めているのだろう。
しかし、ロシア人だけでなく、日本人にとっても、そんな姿は決して心惹かれるものではない。人間は、己の経験をすぐに一般化したがる動物だ。自分が出会ったわずか二、三人の日本人に関する印象から、日本人全体、さらには日本という国そのものに関する見方を構築してしまうものだ。理不尽なことだが、わたしたちもまた外国や外国人に対して無意識のうちにそういう観念操作をやっている。
だから、外国人と直接出会うのは、優れて魅力的な人々に限るべきだなどというつもりは毛頭ない。だいたい、どんな人に魅力を感じるのかは人によって千差万別。むしろ、なるべく多様な日本人のサンプルが外国人に知られることこそが肝心である。
というのも、最近数年間で韓国人の対日感情が飛躍的に良くなっている。金大中大統領による政策のおかげもあるが、背景にはNHKの衛星放送が韓国で視聴でき、実質視聴率一位であることが大きいのではないかと指摘されている。テレビの画面を通して伝わってくる、裃を着ない普通の日本人、その喜怒哀楽に満ちた日常。何だ、日本人は、われわれと少しも変わらない同じ人間ではないか。この感覚こそが、異なる国の人々がお互いの偏見や敵意を乗り越えるベースとなるのではないか。
だから、防衛費を増額するより、日本からの海外向け発信を拡充していくことの方が、日本の安全保障にとって威力があると思う。核の傘などよりよほど頼りがいがあるし、憲法の精神にも則っている。といって別に日本政府の広報をしろというのではない。むしろ逆だ。肩肘張らない普段着の日本人の姿を、モノの見方や問題意識や季節感や生活を、多様さを損なうことなく伝えてほしい。そうやって「経済一辺倒で没個性的」という薄気味悪い日本人像の固定観念をうち破ってほしい。人が他国に愛着を抱く最大の理由は、その国の偉大な歴史でも経済力でもない。その国の人々の魅力に尽きるのだから。そして、人の魅力とは、結局、自分たちとさして変わらないということなのだから。
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[#見出し] 届かない言葉[#「届かない言葉」は太字]
ここ五、六年というもの、ニュース番組で偉い人が頭を下げる場面を数限りなく見ている。最低でも週に二度は見ているような気がする。大臣や、中央官庁の高官、警察の幹部、大会社の会長や社長、中には役員一同が揃って土下座までしているのもある。
そこまでする以上、深く反省し心の底から詫びているのだろうと思いたいのだが、お決まり謝罪ポーズに先立って発せられる彼らの言葉を聞く限り、ひどく嘘っぽくて心が籠《こ》もっていない。謝る気なんかさらさらないんだけれど、社会的に謝らなくてはならない立場に追い込まれたものだから、仕方なく謝罪の形式を踏んでいるという感じが見え見え。こんな謝られ方して納得する者がいるんだろうかと思うぐらい空々しい。
その証拠に、彼らが発した謝罪の言葉で、いまだに忘れられないほど印象に残っている言葉がまったく見当たらない……。と書いたところで、思い出した。
「悪いのは、わたしです。社員ではありません」
と言って泣きじゃくった、倒産した山一證券の社長の言葉と、もう一つ、こちらは謝罪ではないが、食中毒事件を起こした雪印乳業の社長が、群がる報道陣を非難して顰蹙を買った一言。
「もう何日も寝ていないんだ」
両社長とも、いま引用した言葉に先立って、正式の謝罪を行っているのだが、そちらの方は聞かなかったも同然ぐらいに印象がないのと好対照なのである。
何でこんなことを問題にするのかというと、通訳を生業とするわたしは、音声として発せられた言葉を耳で聞き取って別の言語の音声に置き換えて伝えるということをやっているのだが、同じ音声ながら聞き取りやすく理解しやすく、従って訳しやすい発言と、非の打ち所のない整った文章がまさに立て板に水のごとくよどみなく流れているのに、恐ろしく意味がつかまえにくく、従って訳しづらい発言があるのに常々悩まされているからだ。この違いは何なのだ!? と。
そして、山一と雪印両社長の印象に残った言葉、要するに、聞く者の意識に達する浸透力を持つ言葉は、一個人から、つまり一人の人間から発せられた言葉であることに気づかされたのである。
個人が発する言葉というものは、その内容の是非正邪に関係なく、次のようなプロセスを経て生成するものと思われる。まず話し手には、何か言いたい感情や考えが芽生え(概念@)、それを表現するに相応《ふさわ》しい語や言い回しを探し当て(信号化)、発声器官に乗せる(表現)。この音声は聞き手によって聞き取られ(認知)、意味が解読され(信号解読)、話し手の言いたいことはおそらくこうだろう(概念A)と推測する。概念@が概念Aに近ければ近いほど、コミュニケーションは成立したということになる。話し手における言葉の生成過程は、聞き手におけるその解読過程と驚くべき対称形を成している。
ところが、謝罪会見する責任者たちは、揃いも揃って、文章を読み上げる。それも、自分で書き綴った文章ではなく、部下たちの作文を。部下たちは、部下たちで、心の底から反省し、申し訳ない気持ちの中から絞り出すようにして相応しい語を探り当て、文章を組み立てていくというよりも、職務上やむを得ず、こういう場合の紋切り型を寄せ集めてきて謝罪文をでっち上げる。責任者は、この謝罪文を、一語一語、再び己の感情と思考を通過させて、自分の言葉として発する(良き俳優は、このようにして台詞を生きた人間の言葉に変えるのだが)のではなく、これ見よがしに棒読みする。要するに、彼らが発する言葉は、一人前の言葉がたどる生成過程を経ていないのだ。そして、それは、もののみごとに言葉の聞き手における解読過程に反映される。何しろ、両者は対称関係にある。わかりやすく言うと、心から発せられない言葉は心に届かないということなのだが。
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[#見出し] 懺悔せずにはいられない[#「懺悔せずにはいられない」は太字]
このあいだ、新幹線に乗ったら、隣席の紳士の目つきがあまりにも鋭く曰《いわ》くありげで、こちらも俄然《がぜん》好奇心にとらわれてあれこれ尋ねるうちに職業を明かしてくれた。経済犯罪や詐欺師など、いわゆる知能犯を専門にしている刑事さん。根は話好きの人らしく時が経つほどに重い口が滑《なめ》らかになっていった。
「九九パーセントこいつが犯人だという心証があるのに、最後の一パーセントのところで確実な決め手がなくて踏み込めないってことありますよねえ。そんなときには、どうするんです?」
「粘りですよ。刑事は、何と言っても粘りです」
「粘りってったって、納豆じゃあるまいし、ただただ粘りがあればいいってもんじゃないでしょうに。いったいどんなふうに粘るんです?」
「人間てのは、悪いことするとね、それを必ず誰かに言わずにはいられなくなる生き物なんだなあ。黙り通して秘密を墓場まで抱えていくなんて人、オレの担当した事件じゃあ一人もいなかったね。必ず誰か身近な人に話してるもんなんだ。まだ話してなくても、そう長いあいだ黙ってられるもんじゃない。必ずそのうちに誰かにしゃべる。だから粘り強く丹念に容疑者の近辺の人間に当たっていくんだ。そして待つ。一昨日、逮捕にこぎ着けた事件なんて、五年も待ったからねえ」
この話を聞きながら、二〇〇〇年ほど前の古代世界では胡散《うさん》臭い新興宗教の一つにすぎなかったキリスト教が、とくにその一脈カトリックが、中世から現代にかけて急速に発展拡大し、五大陸に多数の信者を擁する有力宗教になりおおせた理由の一つをつかんだような気がした。それは、懺悔《ざんげ》(正式には告解という言い方をするらしいが)という名の卓抜なる儀式を発明したおかげもあるのではないかと。
仏教や、キリスト教でもカトリック以外の宗派が行う懺悔は、神仏の前で罪を告白し赦《ゆる》しを請うものである。ところが、カトリックでは、司祭の前で、要するに人前で懺悔する形をとる。
凶悪な犯罪までいくのは希《まれ》としても、ちょっとした悪事からたあいのない脱線まで、人間、生きていれば非の打ち所のない聖人君子であり続けるはずがない。犯した罪の程度と、その人の性格によって罪悪感や良心の呵責《かしやく》に苦しむ度合いはさまざまだろう。そして、心の重荷を少しでも楽にしたいと思う人間がとりたがる最もポピュラーな方法が、おのれが犯した悪事について別な人間に打ち明けてしまうことなのだ。もっとも、内容によっては、他人はおろか肉親にさえ言えないことがある。いや、そんな場合の方が多いはずだ。絶対に打ち明けた秘密を他に漏らさないような聞き役を多くの人が求めている。そういうことを、カトリック教会は、おそらく、ある日、発見したのだ。
そして、司祭にこの聞き役をさせることにした。厳格に守秘義務を課せられた司祭には、神の代理人として信者の告白に耳を傾け、神の名において赦す権限が与えられる。ありがたみも浄化作用も増すというもの。
プロテスタントは、これに対してあくまでも個人の内面的な悔い改めを求めた。しかし、どうしてもそれでは心の平安が得られないという信者が続出して、結局、牧師への告白を認めたらしい。カトリックの人心掌握術の方に軍配が上がった形になった。自分一人で抱えきれないからこそ聞き手を求めているのに、神や仏に告解せよ、つまりはおのれの良心と向き合えと説くのは、大多数の人々には無理な話だったのである。
つい先日世間を騒がせた一七歳のバスジャック少年の場合は、インターネットのメッセージ・ボードが、懺悔を聞いてくれる司祭の役割を演じていたみたいだ。いや、そこを訪れる匿名の人々が、と言い換えるべきかもしれない。人間を恐れ、嫌悪し、憎みながらも、人間に聞きとられることを求めているのが哀しい。
そう言えば、インターネットが人々を取り込んでいく勢いも、どこか宗教に似ている。
[#改ページ]
[#見出し] うつつと夢を行き来する旅[#「うつつと夢を行き来する旅」は太字]
ウクライナの都キーエフにたどり着いたのは、五月八日から九日にかけての真夜中のことだった。自宅を出てから合計二四時間に及ぶであろう旅の疲れと六時間の時差に翻弄されたわたしたちは、ほとんど睡魔の支配下にあったので、街の様子をうかがい知るどころではなかった。
しかし、翌朝目覚めてみると、溢《あふ》れんばかりの陽の光に川面をキラめかせるドニェプル河を見おろす丘の上のこの都市は、森の中かと見まごうばかりの豊かな緑が爽やかな春風にざわめく、まさに麗しき季節の真っただ中にあった。
そんな外の心騒ぐ気配を感じながら二日間の会議のあいだ、わずか畳半分ほどの箱の中で同時通訳をせねばならぬわが身を恨めしく思った。それがいつの間にか歌になった。
緑囁《みどりささや》き
光溢《ひかりあふ》れる この都市《まち》で
日がな一日 通訳の
音響|隔離箱《ブース》で過ごす 悲哀《かなしさ》よ
とりとめもない出来事が、忠実ではないものの一応伝統的形式を踏んだとたんに、非日常的な時空にワープしたような心のときめきを覚えた。こうなると、もう病みつきだ。退屈な会議の散文的やりとりも、たちまち創作の魅力に狂った者にとっては標的になる。
それは、燃料エネルギーに関する会議だったのだが、日本のガス会社の研究員M氏が、ウクライナ代表にガスの料金はどうなっているのか、と尋ねた。答えは、
「いまお答えする瞬間に、現実の価格は変わっているかもしれません」
そこで、浮かんだのが、次のくだり。
きみ知るや 露西亜《おろしあ》の西
インフレの 華咲き乱れるこの国で
瓦斯《ガス》の値 尋ねる 虚しさを
お察しの通り、ゲーテ作・竹山道雄訳『ミニヨン』の「きみ知るや南の国、シトロンの花咲き」のもじりである。
会議が終了したのは午後六時であったが、日本よりも緯度が北に位置するキーエフのこと、真昼時のような明るさであった。坂道の多いキーエフの石畳の敷き詰められた街路を縁取るマロニエ並木は、白い花を咲き誇らせていた。そこで一句。
マロニエの 木漏《こも》れ陽《び》遊ぶ 石畳
会議を終えぐったりと疲れ果ててバスで宿へ向かう面々に愚作を披露するや、一同たちまち和歌や俳句の虜《とりこ》になってしまった。五七五や五七五七七のリズムは日本人の血液に染み込んでいるのかもしれないし、おそらく、わたしの歌は、彼らの優越感を擽《くすぐ》ったのだ。「あれなら、オレの方が巧いぞ」と。
伝統的調べに乗せたとたんに目前の散文的事象が何か普遍的なものに飛躍する。その発見に皆が興奮した。誰もが会議や視察の合間に指を折って呻吟《しんぎん》するようになり、移動中のバスや食事時間は、句会や歌会になってしまった。
○○銀行のロシア・東欧部長さんなど、あまりにも夢中になって次々と自作を発表するのはいいが、どれも次のようなタイプばかり。
マロニエの 白花に映える ××さん
会議を終えて ご苦労さん
しまいには、
「ああいうのを、悪歌(貨)が良歌(貨)を駆逐するっていうんだよなあ。大丈夫かねえ、○○銀行は?」
と眉を顰《ひそ》められたほどである。
さて、帰国後一月ほどして、その○○銀行の部長さんから電話があった。
「そろそろボーナスのシーズンですよねえ」
ときた。ピカピカッと閃いて、浮かんできたのは、次の一首だった。
銀行員《バンカー》の 心根哀《こころねあは》れ
梅雨空《つゆぞら》に 旅の友にも 預金のお願い
なお○○銀行は、その後××銀行に吸収合併された。
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[#見出し] 漢字かな混じり文は日本の宝[#「漢字かな混じり文は日本の宝」は太字]
「ロシア語は取っ付きにくい、難しそう、つい敬遠してしまう」
そういう人たちが一番にあげる理由が例のロシア文字。英語、フランス語、ドイツ語など圧倒的多数のヨーロッパ諸語が採用しているラテン文字、いわゆるローマ字ではなく、同じギリシア文字をお手本につくられたものの、なじみのない形状のも混じったキリール文字である。西ローマ教会《カトリック》圏に組み込まれた地域がラテン文字を採用したのに対し、東ローマ教会(正教)圏に入った国々(ロシア、ブルガリアやセルビアなど)はキリール文字を使う。
それにしても、ロシア語の場合、その数わずか三三。大文字小文字両方あわせても、たかだか六三である。ひらがな、カタカナ四八字ずつに加えて、三〇〇〇字前後の漢字を書けて、五〇〇〇字以上の漢字を読めることになっている日本人が、|怖気じ《おけ》づき、覚えるのを億劫《おつくう》がるような数ではない。その気になりさえすれば一時間で覚えられる量だろう。それを思えば、むしろ同情と敬服に値するのは、日本語を学ぶ非漢字圏の外国人ではないだろうか。
アルファベット圏の人々は小学校第一学年の最初の一週間ですべての文字を習得してしまう。ところが、わたしたちは、義務教育九年間にひらがな、カタカナ四八字ずつに加えて、三〇〇〇字前後の漢字を書けて、五〇〇〇字以上の漢字を読めるようになったとしても、まだ未知の漢字が無数にあり、漢和辞典のお世話になることたびたびなのである。
小学校三年からの五年間をチェコスロバキアで過ごし、中学二年の三学期に帰国して地元の区立中学に編入したわたしは、何はさておき、大わらわで教育漢字、当用漢字を詰め込んでいかなければならず、その厖大な数を前にして愕然とした。幸い、チェコでの五年間は、両親が日本から持ち込んだ日本語の書籍を、しつこく何度も読み続けてきたおかげで、受け身の、いわゆる消極的知識としての漢字読解力はわずかながら持ち合わせていた。しかし、積極的知識としての漢字を書く能力の方は実にみすぼらしいありさまだった。
自分は永遠に日本の社会と文化にアクセスできなくなるのではないか。そんな焦りと不安に苛《さいな》まれていたわたしは、まもなくそのマイナスの感情を無意識的に「義憤」に転じることによって、精神的安定をはかっていたみたいである。
「日本人が全国民的に文字習得に費やす厖大な時間とエネルギーと記憶容量を考えると、何たる非効率、何たる無駄。同じ時間を何かもっと意味あることの習得に使えないものか」
この思い込みは、ついこのあいだまでわたしに取り付いていた。実際、明治以降ヨーロッパの言語を習得した知識人の一部からも、日本語ローマ字化の声が何度かあがっている。
ところが、同時通訳稼業に就いてサイトラ、すなわち「sight translation(黙読通訳)」をするようになって、この考えがコペルニクス的転回をとげた。
サイトラとは、スピーカーが文章を読み上げるような場合、その原文テキストを事前に入手して、目は文章を追い耳はスピーカーの発言を確認しながら訳出していくやり方のことである。あらかじめ翻訳しておいて、訳文を読み上げるのではなく、耳と目からインプットする情報を瞬時に訳出言語に転換してアウトプットしていくやり方である。神経を三方向に分散させるため、一定の訓練を経なければ身につかない、通訳技術のなかでも難度の高い部類にはいる。意外に思われるかもしれないが、純粋に耳だけで聞き取り、口頭で訳出していく普通の同時通訳よりも、かなり、そう、三倍ぐらい難しい技術なのだ。
このサイトラを何度もやっているうちに、日本語のテキストからロシア語へサイトラする方が、その逆よりはるかに楽なことに気づいた。ロシア人の露日同時通訳者に確かめると、
「われわれは、もともと日本語からロシア語に訳していく方が楽なんですよ」
たしかに、一般的に母語への、つまりわたしの場合ならば、日本語への通訳の方が楽なはずだ。なのに、サイトラに限ってロシア語にする方が格段に容易なのはなぜなのか。念のため、わが日本人の同僚たちにたずねてみると、みな異口同音に、
「あら、そう言えばそうねえ」
と嬉しいことに、わたしの発見の正しさを再確認してくれるではないか。
ということは、アウトプットの問題ではなくて、インプットのプロセスにこそ謎が隠されている。そのようにしてわたしは、時間単位当たり最も大量かつ容易に読解可能なのが日本語テキストなのに気づかされたのである。
表音文字だけの英語やロシア語のテキスト、あるいは漢字のみの中国語テキストと違って、日本語テキストは基本的には意味の中心を成す語根に当たる部分が漢字で、意味と意味の関係を表す部分がかなで表されるため、一瞬にして文章全体を目で捉えることが可能なのだ。
アメリカ生まれの速読術なんて表音文字対応だから、ほとんど日本語には役に立たない。しかし日本語のかな漢字混合文それ自体が実にみごとに速読に適していたのである。
すっかりこの発見に有頂天になったわたしは、さまざまな種類の文章の、日本語版とロシア語版を時間を計りながら黙読してみた。会議の同時通訳という仕事は、先週の前半は遺伝子工学のセミナー、後半は歴史学者のシンポジウム、今日は大統領の釈明演説、明日からは環境会議、という具合に日々くるくる顧客とテーマが変転していく。そのたびに一テーマあたり一〜三冊の電話帳に匹敵する資料と格闘し、その専門分野の入門書を事前に読んでおくものだから、千差万別さまざまな分野のテキストに日露両語で接するのは日常茶飯なのだ。それを実験対象にしたのである。それに、日本語の小説とそのロシア語訳、ロシア語の小説とその日本語訳をいくつか時間を計りながら読み比べてみた。
そして、活字にして断言できるほどの十全な確信を持つにいたった。黙読する限り、日本語の方が圧倒的に速く読める。わたしの場合平均六、七倍強の速さで、わたしの母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ。
子供の頃から文字習得に費やした時間とエネルギーが、こんな形で報われているとは。世の中の帳尻って、不思議と合うようになっているんですね。
いや、これからは収支を黒字に転ずるために、どんどん読まなくては損てことだろう、と意地汚く本を貪《むさぼ》る今日この頃である。
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[#見出し] 省略癖[#「省略癖」は太字]
「日本語は曖昧である」
そう思い込んでいる人はことのほか多い。圧倒的大多数の場合には、日本語で発言した人間の表現が曖昧なのであって、日本語はそのとばっちりを受けているにすぎないのだが。まあ、人を貶《おとし》めるよりも日本語を貶めた方が無難なのだろう。日本屈指の英語同時通訳者のHさんなど、しじゅう愚痴っている。
「何、いまのスピーカーの日本語!? 悪夢のように意味不明だわよ」
そして、口癖のように言い添える。
「そこへいくと、英語は」
Hさんが問題にするのは、次のような発言だ。
「お話のなかで、日本企業の進出の展望なのですが、私は自動車なのですが……」
しかし、文脈から意味はくみとれる。
「(あなたは)日本企業の(貴国への)進出の展望(について話されたわけ)なのですが、私は自動車(メーカーの者)なのですが……」
典型的な、勝手にどんどん省略というタイプの発言である。もっとも、聞き手に省略部分が了解されている限り、コミュニケーションは立派に成立しているし、時間の節約にもなるのだ。
こういう省略癖はどの言語にもある。言語によって省略されがちな箇所が異なるだけだ。同一言語内で意思疎通しているあいだは、気にもとめないが、省略エリアの異なる言語との往復になったとたんに、
「何だかわかりにくいんだけど、多分何か省略されてんのかもしれないし、されてないのかもしれないし。それもわかんないのよねえ」
と突然慌てたりするのだ。Hさんご贔屓《ひいき》の英語だって、同じヨーロッパでも大陸のフランス語やロシア語に較べると、省略エリアが多いし、大きい。
たとえば、「space development」という語句。「宇宙開発」という意味で使っているが、宇宙はいまも拡大発展し続けているという説があるから、「宇宙そのものの発達」という意味にもとれてしまうではないか。ロシア語の場合、「******** ******* *********(人間による宇宙開発)」となっていて、必ず「人間による」という語を添えて二義性(つまり曖昧さ)を排除するようになっている。だから、ロシア語の方が優れていると言いたいのでは、もちろんない。「宇宙開発」にせよ、「space development」にせよ、「人間による宇宙開発」のことだという了解がすでに世間にあるのなら、わざわざ「by mankind」とか、「人間による」を添えなくても良いと思う。
ところで、突然、話が変わって恐縮だが、最近、老人性痴呆症が進行中の母のことで、「高齢者支援センター」なる公共施設に関わることが多くなった。母がベッドから落ちないように高価な手すり付きのベッドを買えと勧められる。そうすれば、補助金が出ますよ、と。いまのベッドで十分です。手すりだけ取り付けたいんです。たちまち相手は無愛想になって、勝手におやりなさい。補助金は出ませんよ、と言う。
鳴り物入りの介護保険制度開始にともない、いままで福祉など見向きもしなかった企業が砂糖に群がる蟻のように参入してきて、やはり、「高齢者支援」、「高齢者介護サービス」をうたっている。そんな企業に依頼して、車椅子の母を病院から自宅まで、タクシーなら六六〇円の距離を運んでもらったら、気味悪いほど愛想がいいので不吉な予感がした。案の定、六五〇〇円取られた。その「福祉企業」には自治体からさらに同額の補助金が下りるということだ。もう一社は、段差解消スロープを粘着テープでチョコチョコッと取り付けて一万一〇〇〇円を請求してきた。
ああ、わたしとしたことが、重大な省略を見過ごしていたのだ。「高齢者支援センター」とは、「高齢者(を対象に業務展開する企業を)支援するセンター」のことだったのだ。
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[#見出し] 単数か複数か、それが問題だ[#「単数か複数か、それが問題だ」は太字]
ロシアからやってくる日本語使いがそろいもそろって「はなしばなし」という奇妙な日本語を口走る。ロシア要人に同行する名通訳と評判のK氏も、駐日ロシア大使館の流暢《りゆうちよう》な日本語を操る高官も、通商代表部のやり手の職員も、堪能な日本語を武器に取材に飛び回る特派員も、みな判で押したように、しかも堂々と言うものだから、
「はて、もしかして、そんな言い方あるのかも」
と一瞬ではあるが、惑わされてしまったほど。
そんな発言をした某氏に思いきってたずねてみて、この日本語もどきの版元が判明した。日本語学の第一人者として名高いモスクワ大学某教授。
「日本語の名詞にはヨーロッパ諸語によくある複数形はない。しかし一部の名詞にはインドネシア語などと同様、反復することによって複数であることを示すルールが適応される。たとえば、花々、山々、はなしばなし……」
と教えたのだという。
そういえば、われわれはかなり無自覚にこのルール適応の是非を判断している。なぜ「国々、日々」と言えるのに「本々、手々」とは言えないのか説明できないくせに間違うことはほとんどない。どの言語にも、母語とする者には難なくわかるのに、そうでない者にはいつまで経ってもわからない要素が必ずある。
だから外国語学習に際して、その外国語を母語とする人の助力は不可欠なのだ。最近日本の中学や高校で英語教諭の助手という名目でネイティブ・スピーカーを雇い入れる制度が根づいてきた。とくに発音やイントネーションの指導に期待がかかっているそうだ。
高校で英語教師をしている友人によると、外国人助手もはじめのうちは本格的な発話で通そうとするらしい。だが通じない。聞き取ってもらえない。するとどうなるか。生徒の耳がネイティブの発音とイントネーションに慣れるのではなく、ネイティブ・スピーカーの方が無意識のうちに、日本人教師や生徒の耳に合わせた発話をするようになってしまうらしい。来日後半年もして故国に電話したら、
「お前の英語、かなり変になったな」
と親や友人に言われる外国人助手が結構いるのだそうである。
これはこれで「言語の究極の目的は意思疎通」という真理を突いていて、なかなかいい話ではある。
それはさておき、ロシア語のように単数と複数の違いを語形で示す言語から、日本語のような単複同形の言語に転換するとき、単数か複数かに関する情報を切り捨てなくてはならなくなるのが忍びない、という気持ちはよくわかる。「はなしばなし」だって、複数であることを是非とも伝えたいという未練のあらわれ。わたしも通訳の最中、「諸〜」とか「〜類」とか「さまざまな〜」とか「いくつかの〜」など、複数であることを匂わせる表現を滑り込ませて急場をしのぐことがよくある。
以上は単複区別する言語から単複同形に通訳するときの苦労だが、逆もまた辛いものがある。
生まれて初めて通訳として雇われたその日に大失敗をしでかしたことがある。それも、日本側主催者が発した初級会話なみの何の変哲もない文言でだ。
「これから映画をごらんにいれます」
ロシア側来賓は一本目が終わったところで、皆ゾロゾロと立ち上がり会場から出ていってしまった。わたしが、「映画」を単数形にして訳していたせいだ。主催者が大慌てで引きとめたものの、すっかり通訳としての信用を失墜してしまった。
以後は、怪訝な顔をされるのを承知で、必ず話し手に確認するようになった。
「その映画ですが、一本ですか、二本以上ですか」
もっとも同時通訳のときは、この聞き返すということができないから往生する。
「日本語の名詞はヨーロッパ語のように単数と複数を語形で区別しません。ですから、定語や文脈で判断しかねるときは訳出の際、単数形にしますが、複数である可能性もあります。その時は悪しからず」
とでも事前に聞き手にお会いしたときに啓蒙しておくべきだったと、いつも同時通訳ブースの中で慌てふためく。そして***** *** *******(英語の「film or films」に相当)なんて言い方で煙に巻いている。
つまり日本語においては名詞によって表現されるものが単数なのか複数なのかは、聞き手の理解力と想像力と感受性に一任されることが多いのだ。
最近ヨーロッパ各国で俳諧が静かなブームを呼んでいて、「日本風三行詩」と銘打って、それぞれの言語で「俳句」をひねる人々が増えている。当然、芭蕉をはじめとする代表的俳人たちの古典的名作は続々と翻訳されている。たとえば、
古池や蛙飛び込む水の音
ただし、英語訳もロシア語訳もイタリア語訳もフランス語訳もドイツ語訳も、翻訳者によって、「蛙」が複数形だったり単数形だったりする。たとえば、ラフカディオ・ハーンは『異国情趣と回想』のなかで、この句を翻訳紹介しているが、「蛙」を複数形にしている。
枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮
この「烏」も複数形にしている訳がある。まるでヒッチコックですね。
もっとも、そもそも芭蕉自身が複数の蛙を想定してこの句をひねったと解釈する研究者もいるぐらいだから、正解は未だ不明である。直接芭蕉に真意を尋ねる機会は永遠に無い以上、単複同系の宿命、解釈する側の想像力に委ねられている、と考えてもいいのではないか。
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[#見出し] 浮気のすすめ[#「浮気のすすめ」は太字]
豊かな言語と貧しい言語[#「豊かな言語と貧しい言語」はゴシック体]
「英語って、なんて貧しいんでしょ。イワン雷帝 **** ******** のことを、こともあろうに Ivan Terrible ですって。******** ってのは、『雷』という語から発した『恐ろしくもあり威厳もある』という意味の形容詞。Terrible なんかじゃ到底言い表せないのよ。やっぱりロシア語って、世界一豊かな言葉なのねえ」
元ファースト・レディはいつもの通り有無を言わさぬ調子で周囲の人々に同意を促すのだった。インテリ揃いの元大統領の側近たちも、ここはやり過ごすしかないと諦め顔で頷くばかり。しかしこうまで、無反応だと、彼女だって面白くない。グルリと周囲を見回して歯ごたえのある受け答えを求めている。あっ、まずい! 目が合ってしまった。黙殺するわけにはいかないし。思ってもいないことを言って調子を合わせるほど人格者ではないわたしは、つい本音を言ってしまったのだった。もちろん、
「貧しいのは、英語じゃなくて、英語に関するあなたの知識の方でしょう」
と言いたいのは山々だったけれど、そこは抑えて、無難な言い方をしたつもりだ。
「でもその豊かなはずのロシア語には、最近英語からの借用が溢れ返らんばかりに流入しているじゃありませんか。金融やコンピュータ関係は、いまやロシア語化した英語なしには五分とて話が続きませんよ。わたしの友人のロシア人で日本語も英語も堪能な男がいるんですが、彼も言っています。ビジネスは英語に限るって。交渉や契約を日本語やロシア語でやると、どうしても曖昧模糊とした部分が残ってしまうけれど、その点ビジネス英語には二義性を排した明快さがあるから、商売には打ってつけだって」
「フン、商売にはあたし、関心ないわ」
旗色が悪くなったときのおきまりの反応だ。ということは、シメシメ彼女もこちらの言い分をある程度認めたということ。
それにしても、いま地球上で使われている一五〇〇〜六〇〇〇語の言葉すべてを知りもせずによくも「世界一豊かな言葉」などと軽々と言い切るものだ。もっとも一つの外国語もかじる程度以上に身につけていない人に限って、こういう独りよがりを堂々と言い放つ。彼女ほど有名人ではなくとも、自国語は世界一豊かだと思い込む幸せな人はどこの国にもいる。単に当人の母国語の知識が外国語の知識よりも豊かであるにすぎないのだが。
外国語をめぐる二種類の病気[#「外国語をめぐる二種類の病気」はゴシック体]
でも実はさらに深刻なのが、習得した外国語を絶対化する患者たちだ。わが国屈指の英語同時通訳者のHさんが、
「中国語は『白髪三千丈』などと厳密でない表現を平気で使う。そこへいくと英語は曖昧さを極力排している」
と断言したのには唖然《あぜん》とした。彼女は中国語を身につけているわけではなく、「白髪三千丈」はもともと大げさな表現の比喩に使われる成句だし。それに英語は必ずしも常に明快とは限らない。むしろ外山滋比古氏も指摘するように、日本語と同じく島国言語の特徴を宿していてフランス語やロシア語のような大陸言語に較べて曖昧なところもある。
外国語や外国文化に接したときの病的反応には、それに夢中になって絶対化するか、逆に自国語と自国文化を絶対化するかの二通りある。明治以降の日本の文化人たちの足跡をたどっても、このどちらかに偏っている場合が多い。
そして不思議なことに絶対化の危険にさらされる度合いは、母国語より外国語の方が強い。外国語をひとつしか学習しない場合はとくにそうだ。もちろん母国語との比較において相対化する契機はあるものの、弱い。母国語はふつう無意識のうちに、とりたてて努力もせずに身につけるのに対して、外国語は意識的な努力を積み重ねて習得するためかと思われる。第一外国語からできるだけ言語的に離れた、もうひとつの外国語を学習することによって、初めて本格的に第一外国語は突き放され、鳥瞰できる。男女の仲と同じで、純情一途もいいけれど、時々クールに突き放した方が相手の心をつかめるもの。
何かを征服するには、これが肝要。回り道なようでいて、実は最短距離というオイシイ秘訣なのである。
Too much English ![#「Too much English !」はゴシック体]
会議通訳を生業としていると、同じロシア語だけでなく、中国語、朝鮮・韓国語、フランス語、ドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語など、さまざまな言語の通訳者と仕事でいっしょになる。これでも自由業の端くれだから、闊達《かつたつ》で個性豊かな人が多く、休み時間も退屈しない。拙著『不実な美女か貞淑な醜女《ブス》か』でも書いたことだが、通訳者ひとりひとりが、それぞれの言語を母語にする本国の国民性を、もう驚くほど色濃く染み着かせている。
中国語や朝鮮・韓国語の通訳者の話は、律儀でクソまじめ、ゆめ間違っても冗談などとばしはしない。服装は地味め。フランス語は服装もしゃべる内容もちょっとキザっぽく気取っている。真面目さを正面から押し出すのを極度に嫌う。英語圏のピューリタン的な発想でいうと、セクシャルハラスメントに該当するような物言いも結構する。それもなかなかスマートに。カトリック圏の人々はもっと鷹揚《おうよう》だというのがさらに露骨に出てくるのがスペイン語、それにイタリア語。おおらかで明るくユーモア感覚が抜群になってくる。他の言語の通訳者たちの印象では、ロシア語の通訳者は物事に動じない肝っ玉の太さを共通して持っているとのこと。英語は、羽目をはずさない程度のユーモアを備えた常識人タイプ……。
と記したのだが、実は……いや、やはり言ってしまおう。よく言えばクセとあくがない、悪く言えば、最もクソ面白くないのが英語通訳という人種なのである。もちろん、例外はあるが。何が面白く、何がつまらないかは個人差が激しいので、こんな言い方をすると、傲岸不遜で嫌な感じをお受けになるかもしれないので、何がクソ面白くないのかを述べよう。
ものの見方が通り一遍の常識の枠を出ないのである。マスコミや権威筋の見解がそのまま自分の意見になってしまうような、単に英語も日本語もペラペラの機械であるにすぎない、つまり人間を感じさせないタイプがめったやたらに多いのである。
言語は意思疎通のみならず思考の具でもあるから外国語習得は、常日頃空気のような存在だった母語による常識や思考形式を客観視する契機になるはずで、だからこそ本来外国語習得者の属性ともいうべき批判精神や複眼思考といった特徴は、他の言語の通訳にはふんだんに見られる。なぜそれが英語通訳には感じられないのであろうか。
一つには日本において、留学や帰国子女も含めて英語習得の機会が他の言語と較べてもけた違いに多く、従って熾烈《しれつ》な競争を勝ち抜いて会議通訳として生き残っていくのは、日本の社会に受け入れられやすい優等生タイプが多いのかもしれない。
二つめに考えられるのは、日本において英語があまりにも支配的な言語であるという現実だ。たしかに、英語はリンガ・フランカ(国際共通語)として世界で最も普及している言語かもしれない。しかし、日本における英語偏重は度を越している。
職業を問われて、「通訳です」と答えるたびに、返ってくる反応は九割方、
「へぇー、するってえと、お姉さん、英語がペラペラなんだねえ」
である。かなり学歴、見識が高そうな人でも、
「英語がご堪能でいらっしゃるんですね」
と言葉づかいこそ違うが、言っていることは同じ。
「何語の通訳なんですか」
なんて聞いてくれる人は、同業者ぐらいだ。
大方の日本人にとって、いまだに「世界」とは何はさておきアメリカであり、「外国語」とは何はさておき英語、「国際化」とはアメリカの意向に従うことを意味する場合が多いみたいなのである。
「国際人になるために英語を身につけたい」
と真面目に夢見る善男善女はあとをたたないし、
「子供を国際人に育てたいので、アメリカン・スクールに通わせ、家庭での会話も英語に限ることにします」
と言い切った某人気美人アナウンサーもいる。数年前、自分のつとめるテレビ局の所属する企業グループ総裁の跡取り息子と結婚することになり、それを発表する記者会見の場だったと思う。日本市場に入ってくる外国映画の九割はアメリカ映画。翻訳される書籍、放映されるニュース、とにかく日本人の脳味噌がインプットする外来情報の、もう圧倒的絶対的多数が英語経由なのである。
日本の通訳業界も如実にこういう事情を反映していて、プロの通訳者の九〇パーセントを英語、残りの一〇パーセントを中、露、韓・朝、仏、独、西など他の言語の通訳者が占めている。
そして、日本に学ぶ圧倒的大多数の青少年にとって最初の、そして多くの場合、唯一の外国語学習の対象となるのは、英語。
"Too much English !"
日本を訪れる非英語圏からの会議参加者が、等しく口にする言葉だ。
ひと頃『「NO」と言える日本』という本が話題をさらったが、そんな書名が成り立つほどの日本の異常な対米一辺倒ぶりと、英語至上主義は一脈通じているという気がしてならない(こんなことを書くわたしは、もちろん英語が苦手なのだが)。
つまり、外国語を学んだことによる恩恵として普通手に入れることのできる、異なる情報、新奇の知識、それに違った角度からの見方、いままで視野になかった発想法などが、英語の場合、あまりにも支配的な外国語であるため、少なすぎるのではないだろうか。
そして、三つめ。ここで冒頭の話に戻るのだが、英語以外の言語の通訳者は英語もできる。日本の義務教育ではほぼ必須であるから、少なくともかじったことはある。ところが圧倒的多数の英語通訳者は英語しかできない。
実はここに見落としがちな大きな落とし穴があったのである。外国語を一つしか学習しない場合、えてしてその外国語を絶対化しがちになってしまう、と先ほどしつこく述べたとおり。同時通訳者Hさんの発言も、英語以外の通訳者では到底考えられない内容だ。
こと外国語学習に関しては、「二兎を追うものは一兎をも得ず」なんて諺は当てはまらない。「英語命」なんてこだわらずに大いに浮気をしてみては?
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[#見出し] 鎖国癖[#「鎖国癖」は太字]
「日本人はどうも良くわからん。神秘的すぎる。ふつう母国語でもない外国語を公用語にしようなんてのは、植民地になった国が宗主国に押しつけられて嫌で嫌で仕方ないのを泣く泣くってのが筋でしょうに。それを、自ら進んでなんて、定石外しもいいとこだ。何考えてんだか」
例の故小渕首相の私的諮問機関だった「二一世紀日本の構想」懇談会が提言を発表するや、外国の友人たちから矢継ぎ早に電話があった。話題の中心は、「社会人になるまでに日本人全員が実用英語を習得。刊行物はすべて和英併記。将来的には英語を第二公用語へ」のくだり。
外国語を公用語にしようとする論議は、日本では昔から寄せては返す波のように何度も出てきている。
中でも代表的なものを取り上げるとすると、まず明治時代の政治家、森有礼がアメリカ公使時代の一八七一年、ワシントン・スター紙に掲載した「日本語廃止・英語採用論」がある。世界との通商を発展拡大するためには、日本語では不便不十分だから英語を採用しなくては、日本の文明的進歩も望めないというものだった。
大正時代に入ると、国家社会主義者の北一輝が『国家改造案原理大綱』の中で、イギリスの植民地ではないのだから英語ではなく国際語のエスペラント語を第二の国語とすべきだと主張している。さしあたってエスペラント語を第二の国語としておけば、不便極まりない日本語はそのうち淘汰され、半世紀もしないうちに日本人全体がより便利なエスペラント語を使うようになって、それが結局、日本語から第一の国語の地位を奪ってしまうだろうと述べている。
昭和時代の代表格は、日本を代表する小説家の志賀直哉による、フランス語を国語にすべきだという提案だろう。敗戦直後の一九四六年、雑誌「改造」に連載した「国語問題」と題した文章の中で、日本が戦争を起こして負けたのも、日本語のせいであるから、これからは日本語を捨てて、世界で最も美しい優れた言語であるフランス語を国語にしたらいいと述べている。
もちろん、言語は、たとえ圧倒的な強権をもってしても、ドレスやネクタイのように簡単に身につけたり、取り外したり出来るものではない。でも、そんなふうに考えてしまう日本人というのは、ある意味で非常にユニークな、世界中探してもなかなか見当たらない民族なのではないか。
そして、平成時代になって、またまた日本人の奇妙な性癖が出てきた。その時々、世界最強の(と勝手に思い込んだ)国イコール世界、そこの文化を世界一として一心不乱にそれを摂取するという性癖のことだ。
実に長いあいだ、それは中国だった。いま、日本語の中に欧米語がカタカナ語化して氾濫していると問題になっているが、日本語が漢語に浸食された割合は、いまのカタカナ語の比ではない。新石器時代にちょっと毛が生えたような時期に、いきなりあの中国文明に出会ったショックは、明治維新を促したペリーの黒船どころではなかったことだろう。他の国は地続きだから、じわじわと浸透してくるのが、日本の場合、ある日いきなり出会って、ショックを受け、無節操なまでに門戸を開いて文字から言葉から制度からファッションから何から何までありがたく取り入れてしまった。
江戸末期になると、今度はオランダが中国にとって代わり、日本のインテリたちは、せっせせっせとオランダ語を学んでいった。蘭学なんていう学問分野までできた。実際のところ、鎖国政策を布《し》いていた江戸時代の日本で、日本との直接の通商を許されていた唯一のヨーロッパの国がオランダだったから、ヨーロッパの学問、技術をオランダとオランダ語を経由して摂取していくしかなかった。当時の日本で、最新の知識と情報を仕入れる手段がオランダ語だったのだ。
日本に対する特権的地位を確保した一七世紀初頭のオランダは、たしかに黄金時代を謳歌してはいたけれど、その後、坂道を転げ落ちるように衰退する。イギリスやフランスに軒並み植民地を奪われて、ヨーロッパ列強内の地位もどんどん地盤沈下し、経済力や軍事力の落ち込みにスライドするように技術や自然科学部門でも立ち遅れていった。なのに、ずーっと日本の知識層はオランダ語一辺倒だった。それも時には命がけで。外国からの情報は、長崎の出島一カ所に限定され、オランダとしても、自分たちにとって不都合な事情を極力隠していたせいでもあるが。
明治以降、それを知るや、日本は大慌てで軌道修正して欧米先進国へと師匠の鞍替えをやってのけた。
そして戦後はアメリカ一辺倒。義務教育で英語は必須となり、「国際人」になることを目指して英語を学ぶ善男善女はあとを絶たない。日本語に翻訳される映画、書籍の九割強が英語からの、あるいは英語経由である。圧倒的多数の日本人の情報地図は、アメリカを中心とする大国から成っている。実に単純明快。今回の第二公用語化への動きは、この流れの一環であろう。始末の悪いことに、それこそが「国際化」だと錯覚している。
要するに、出入国を長崎の出島に限定し、オランダ語のみを経由して世界を知ろうとしていた鎖国時代と少しも国際交流のパターンは変わっていないのだ。
しかし、どの言語においても、他言語に訳される情報は、その言語によって担われている情報の数百分の、いや数千分の一にも満たない。つまり、ひとつの言語を知るか知らないかによって、その人の情報地図はまったく異なる様相を呈する。その上、どの言語も、その言語特有の発想法とか、世界観を内包しているものだ。だから、たった一つの言語経由ではなく、日本語と世界中のさまざまな言語との直接的な交流こそが、日本人と日本語をより豊かにするものであるし、日本が特定の超大国経由ではなく、直接世界の国々と対等な関係を築くことこそが、本物の国際化なのだ。英語第二公用語化は、その豊かな可能性を閉じる鎖国政策にほかならない。
それに、わが世の春を謳歌するパックス・アメリカーナとて、いつまでもつことやらわからぬではないか。かつての師匠、中国やオランダのように。
面白いのは、毎年どこかで開かれ、今(二〇〇〇)年に九州・沖縄で開かれた先進国首脳会議でも、このパターンが踏襲されていることだ。
参加諸国を言語別に分類すると、日本語(日本)、英語(米、英、加)、フランス語(仏、加)、ドイツ語(独)、イタリア語(伊)、ロシア語(露)という六カ国語になる。会議は同時通訳方式で行われ、日本語以外の各言語での発言は、直接それぞれの言語に転換される。
たとえば、フランス首脳の発言は、直接ドイツ語、英語、イタリア語、ロシア語に同時通訳されるのだが、日本語へは、フランス語から直接にではなく英語経由で転換される。また、日本語での発言は、まず英語に訳され、その上で他の言語に訳される。この異常なコミュニケーション形式が、先進国首脳会議が発足した一九七五年以来続いているのだ。
同時通訳だから、時間差はあまり生じない。しかし、二カ国語間の直接の、しかも同時ではない通訳でさえ、微妙なニュアンスや感情の機微が通訳のプロセスで抜け落ちたり誤情報とすり替わったりしてしまうものだ。同時で別な言語を経由した場合、その確率は数倍になる。それに、どの言語にも特有の発想法や世界観が内包されているものだから、この方式でいくと、日本首脳の発言は、常に英語的解釈のフィルターを経て他の言語に伝わるということになる。これを四半世紀も良しとしてきたということは、日本独自の見解など期待されていないのだろう。
それにしてもである。サミットの通訳方式を図にすると、緊密な双方向の線で繋がった英独仏露伊各語が作りだす円の外に英語にぶら下がる盲腸のように突き出た日本語は、ちょうど長崎の出島を彷彿《ほうふつ》とさせる。
[#挿絵(201.jpg)、横252×縦274]
この驚くべき英語一辺倒主義は日本を貧しくするだけではない。世界を豊かにする可能性をも閉じることになる。
おととい、政策大学院の学長さんにお会いしたら、今年は各国、主に開発途上国から九〇余名もの留学生を受け容れているとおっしゃる。
「へえーっ、それだけ日本語で講義を聴きとるだけの能力がある外国人が増えてきたなんて感慨深いなあ」
と、わたしとしては、ひたすら感心感嘆していたら、なんと、
「いやあ、うちの教官たちは、もともと講義はぜーんぶ英語でやるんです」
と得意気でいらっしゃる。
そういえば、「経済のグローバル化」とか、「ビッグ・バン」とかが叫ばれ始めた一〇年ほど前から、学問と教育の国際交流を促進するためには、日本語が障壁になっている、少なくとも東大など日本の一流国立大学の講義が英語でなされていないのは、けしからん、著しい欠陥である、これが、外国からの留学生の流れを滞らせ、日本の閉鎖性を助長している、なんてことを大真面目に論議している人たちが増え始めていた。こんな滅茶苦茶な話、まともに取り合うところなどあるまいと高をくくっていたのに。いつのまにか、それを実行しはじめた大学が出てきたとは……。
しばし呆れ返って言葉を失ったわたしだが、学長先生は鼻腔を膨らませてぴくぴくさせておられる。「国際化」の最先端を行ってるんだという誇りと気概のようなものが身体全体に漲《みなぎ》っているようだ。当然のことながら、
「えっ、勿体なーい!」
というわたしの反応に怪訝な顔をされた。学長さんにしてみれば、元々そういう構想に基づいて設立された大学なのだから、最初から相応しい人材を揃えているし、予算も確保してあるということなのだろう。
しかし、わたしが勿体ないと叫んでしまったのには、全講義英語化にともなう教材づくり等厖大な支出を強いられる大学や国の財政を心配してのことではない。もちろん、それもあるが、多数の優れた知日家づくりにつながるならば、そういう支出はいずれ日本国民に還元される。問題は、そういう形での支出や努力が、無駄どころか、知日家づくりの大きな障害になってしまうことだ。いらぬ老婆心によって、せっかく日本にやってくる留学生たちが日本から吸収する知識や情報を狭めてしまうことを、心の底から勿体ないと言っているのだ。
研修者に日本での経験や情報を吸収してもらうという目的を考えると、このやり方は完全に逆効果。さほど努力をせずに与えられた知識はありがたみもなく、身につかない。瞬く間に忘れてしまう。
自分たちに身を置き換えて考えてみてほしい。外国に勉強に行ったのに、講義も教材もすべて日本語だったらどうだろうかと。その外国の国の言葉で過去から現在までのあいだに蓄積された厖大な知識と情報、いま現在交わされている情報のうちの、日本語にされるのは、数百億分の一にも満たないのだ。
明治維新の前後や敗戦後の復興期に欧米の先進国へ赴いて貴重な知識、技術だけでなく新しい思想や新奇な文化を持ち帰った日本の先人たちのことを思い出してほしい。彼らは皆、留学先の言語を一から学んで、その言語を手段に貪欲《どんよく》に知識や情報を吸収してきたのだ。
要するに、外国からの留学生や研修生に英語の教材や講義を用意する余裕があるのなら、彼らのために合理的で質の高い日本語教育を授けるために頭とお金を使った方が、どれだけ効果的か。日本語を身につけることによって得られる情報は質量ともに飛躍的に拡大し、彼らは一生日本について知り続けるだろう。日本の国際化の障壁になっているのは、日本語ではなく、英語である、というよりも、日本語を学ばせようとしない偏見だろう。
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[#見出し] 一コマ漫画にはかなわない[#「一コマ漫画にはかなわない」は太字]
そもそも、同時通訳という、過酷にして本質的に無理のある営みが生まれたのは、時間の節約の必要性もさることながら、同じ話を聴いている人々が抱く、皆と同時に喜怒哀楽を共有したいという至極当然な願望に突き動かされてのことではないだろうか。とくに笑うときは、いっしょに笑いたいという欲求が強いものだ。笑いほど表に現れやすい反応はないからだろう。
たとえば、次のような光景を想像してみてほしい。話し手がひどく面白いことを言って、話し手の言葉がわかる人々だけは腹を抱えて笑い惚《ほう》けているというのに、聴衆の大半を占めるその言葉が理解できない人々は置いてきぼりにされて、寂しそうである。ようやく通訳の訳を聞き終えてから彼らは笑うのだか、この笑いには、最初のグループの笑いほどの力はない。おかしな話を聴かされるとは露ほども疑っていない人々が突如笑わされたときのインパクトは、これから笑わされるぞと身構えている人々には、もうないからだ。時間差をつけて笑う人々を見やりながら、先に笑い終えた人々は何となく白けてしまい、会場には寒々とした空気が流れる……。ああ、やはり笑いだけは同時がいい。
というわけで、笑いの同時性のためにこそ、同時通訳はあると言って過言ではないくらいなのだが、異なる文化圏の人々に笑いを通訳するほど難しいことはない。駄洒落は論外としても、言葉から立ち上るイメージや連想は、文化によってかなり食い違うからだ。
だから、わたしが常日頃悩まされているこのバリアを軽々と飛び越えてしまえる一コマ漫画には、羨望を禁じ得ない。
もちろん、それは容易ではない。多くの笑いは、常識で凝り固まった脳味噌が、思いも寄らなかった新たな視点によってショックを受け、揉みほぐされる快感から生ずるものが多いのだが、この常識からして国によって異なる。
それに、笑いは、実にデリケートな代物だ。
「絞首刑になった者がいる家で縄の話をするな」
というように、同じテーマに立場によって笑える者と怒る者と悲しむ者がいる。人種差別的なジョークなど、その最たる例だろう。
それでも人類には相違点より共通点が多いはずだ。そういう楽天的な確信が、根幹にあってこそ、通訳など介さずに、世界中の人々を同時に抱腹絶倒させようという一コマ漫画の野心的傑作が生まれるのだろう。
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[#見出し] 腰肩行く末[#「腰肩行く末」は太字]
六年前の春、開いたばかりの桜の花びらが激しい雨に濡れそぼつ昼下がり、同年輩の女友達とともに句会を開いたことがある。季語は、もちろん、桜。
枯れるまでソメイヨシノと呼ばれたい
うまい。さすが俳句の世界では、すでに名をなしている高澤晶子さんの一句である。
すかさず、シモネッタ・ドッジこと田丸公美子さんがひねり出した。
姥桜さくらと気づく人も無し
限りなく川柳に近いけれど、思い出すたびにクスクス笑える傑作だ。
さて、わたしの番。
花ひらく四十路の肩に滲みる雨
そう、このときわたしは、四十肩に苦しめられていた。鍼《はり》、灸《きゆう》、指圧、マッサージ、整体、カイロ・プラクティクス、漢方薬に部分麻酔。ありとあらゆる療法にすがりついたが、一向に効き目はない。寝ても覚めてものたうち回るような痛みに疲れ果てていた。
ところが、同時通訳をやっている最中だけ、痛みが完全に消えている。
一般に平時の心拍数は、六〇〜七〇、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる一瞬、それが一四〇まで跳ね上がるものだが、同時通訳者は、作業中の一〇分なら一〇分、二〇分なら二〇分、ずーっと心拍数が一六〇を記録し続ける。そう言われてきた。たしかにウブな駆け出し時代は、そうだった。でも、わたしのようなすれっからしになってくると、むしろ心拍数が下がってるんじゃないか。周囲のベテラン連中も実に落ち着き払ったものだ。ところが、どうやら、やはりずいぶん集中しているらしい、とこの時初めて納得もし、妙に感心してしまった。
こりゃ、ヤバイな。麻薬中毒患者が、ヤクなしでは生きていけなくなるようなことになりはしまいか。懸念が脳裏をかすめたものの、いままでにも増して仕事を受けるようになっていった。
そして、その報いがやってきた。
年が巡り、また桜が花開いたとたんに、腰の激痛に襲われ動けなくなってしまったのだ。一〇日間、床を這って暮らした挙げ句、入院し、桜が散り椿が咲きそろう頃までそれは続いた。
入院して三日目、驚くべき出来事があった。一〇代から肩こりに悩まされ続け、「これさえなければ、どんなに幸せ」と夢見るものの、相手は勝手な片思いでしつこくついてまわり、「肩こりはわが属性」と諦めきっていたのが、嘘のように雲散霧消してしまったのである。
思えば、こんなにグッスリ安らかに眠り、目覚めたときの心地よい熟睡感を満喫したのは、二十数年ぶりだった。三月末から四月いっぱいの仕事をことごとくキャンセルせざるを得なくなったが、これほどの解放感を味わったのも初めてだった。いつも何かに追い立てられるようにあくせく生きてきたのだなあ、といまさらながら気づかされた。遅れに遅れて編集者に顔向けできなかった原稿の筆も進み、心の重石が取れた清々しさにウットリしながら、手帳を開いて、ゾーッとした。
朝五時〜テレビニュース番組の同時通訳。八時〜政治家の朝食会で講演するロシア人経済学者の通訳。帰宅して荷物をまとめ、成田から外相に同行してモスクワへ。モスクワに二泊して帰りは機中で一泊。朝九時成田着。空港から原子力安全セミナー会場へ直行、一三時〜一七時、同時通訳。一七時〜一九時、レセプション通訳。翌早朝、テレビ局、一〇時〜一二時、宇宙開発に関するシンポジウム、午後一時〜音楽家の記者会見。……腰痛に倒れる前、数日のスケジュールだった。
自分が一種の空白恐怖症に罹《かか》っていたことに、この時初めて気づいた。「腰・肩」は、来し方行く末について、つくづく考えさせてくれたのである。
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Insalata Russa
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ロシア風サラダ
[#見出し] 空恐ロシヤ![#「空恐ロシヤ!」は太字]
「ここに、つい最近わが研究所が入手した不気味な数字があります。ひとつは、閉鎖都市Kに所在する第××工場から昨年度出荷した核弾頭の数を示す出荷伝票の写し。もうひとつは、納入先の極東軍管区○○基地の納品確認伝票の写しです」
その道では著名な軍事問題専門家だという壇上のアメリカ人は、かなり興奮した様子で一気にここまでしゃべると、口をつぐんで聴衆の反応を確かめるように会場全体に目を走らせた。それから、ことさらゆっくりと、一つ一つの言葉を噛みしめるように言った。
「いいですか。工場の出荷伝票に記された核弾頭の数は三六。基地の納品伝票に記された核弾頭の数は三二なんです」
ここでまたスピーカーは、小休止。会場の人々が、「ハーッ」と息を呑む音が、壇上のマイクを通して、同時通訳ブースに陣取るわたしの耳にも入ってくる。まさか。嘘は大きいほど信用される、とヒットラーの宣伝相ゲッベルスは言ったそうだが、真実は大きすぎると信じられなくなる。
「三六マイナス三二は四。そうです。四つもの核弾頭が、跡形もなく消えているんです!」
横流し、盗難……聞き手の頭の中で次々と物騒な連想が広がっていく効果を計算したかのように、スピーカーはここで突然話を打ち切り、着席した。
一九九三年の夏、モスクワで開かれた会議でのことだ。日本、ロシア、米国の研究者が参加する核軍縮に関する意見交換を目的とする。主催者が英→露、日→英、日→露と、三つのブースを設けてくれたおかげで、重訳のリスクがない。日英通訳が和訳したものをロシア語に転換する必要がなくて、本当によかった。こういうヤバイ話をリレーするのは、心臓に悪い。文字どおり命が縮む。賢明なる主催者よ、ありがとう。と呑気に構えていたら、
「いやあ、そんなこと、心配するにおよびません」
いきなりロシア人研究者がしゃべりだしたのだった。
「アメリカや日本の方にとっては、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、社会主義計画経済の現実を知る者にとっては、ごく当たり前のことなんです。どの工場も計画達成のノルマってのを課せられてます。達成できないと、減給、左遷処分など嫌な目にあう代わり、超過達成すると、ボーナスや昇給などいいことずくめ。ソ連邦が崩壊して、はや二年となりますが、この計画経済の慣性はまだ続いとるんですなあ」
ここで、スピーカーは得意気に先ほどのアメリカ人の方を見やると、結論した。
「だから、当然の成り行きとして、わが国では冷蔵庫も、車も、テレビ受像器も、生産工場はどこも出荷数量を水増しして届けるんですよ。核弾頭だって、同じことです」
あわてて訳しながらも、耳から入ってくるロシア語、自分の口から出ていく日本語の内容が信じられなくて、何だか夢の中にいるような気がした。同僚のSさんに確かめ、露→英ブースの通訳者に確かめ、会議終了後、発言者自身に確かめたので、そういう発言があったのは間違いない。
でも、これを聞いて余計心配になってしまったわたしは、やはりまだロシア修業が足りないのかもしれない。
あれから五年。民需転換しなかった軍需工場は、国営のままだから、きっとまだ……いや、まさか。
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[#見出し] 全ロシア愛猫家協会[#「全ロシア愛猫家協会」は太字]
あらゆる動物の言葉が理解できた「ドリトル先生」や人間の言葉が話せた「長靴をはいた猫」など、多くのおとぎ話に、動物たちとの対話という人間の夢が託されてきた。ところがおとぎ話でも、夢でもなく、どうやら猫は、少なくとも一部の猫たちは実際に人間の言葉が理解できているのではないか。その疑問が最初に生じたのは、二〇年ほど前のこと。
「猫は虫が好かないけど、うちのはネズミをとるから、それだけは評価しているの」
と猫嫌いの母が客にもらしたキッカリ二時間後、二階の書斎で机に向かっていた母が悲鳴をあげた。飼い猫が、その母の机の上にポーンとくわえてきたネズミを放り出したのである。いままでとったネズミを見せにくるのは、一階の台所と決まっていたし、その後もそうだった。わざわざ二階の母の机の上に持っていったのは、空前絶後のその時一回限り。あれは、偶然だったのだろうか。
疑問は、この頃確信に近づいてきた。
群ようこの『トラちゃん』や『ネコの住所録』に始まり、早坂暁の『公園通りの猫』やドクター・ヘリオットの『猫物語』にいたるまで、猫に関する感動的な実話を読むと、いずれも猫たちは、信じられないほど正確に人間の言うことを理解している。
それにひきかえ人間の方は、と猫たちに対して何となく申し訳なく思っていたら、先週ロシアで猫語のできる女性にお会いした。
「わが協会の当面の活動目標ですが、二一世紀にはすべての家庭に最低一匹の猫を」
という全ロシア愛猫家協会の会長さん。本業は人間相手の腕のいい皮膚科医で、
「猫は人間を幸せにしてくれる」
と確信し、人間を愛するゆえに猫を愛すると言う。自宅の猫だけでなく、他家の猫とも、街を歩きながら出会ったノラ猫とも、実に気軽に楽しそうにやりとりしている。
彼女を紹介してくれた友人は、彼女が来日したおりも、行く先々で猫たちと対話を交わしていたと証言する。そのことをたずねると、
「あーら、猫語は万国共通なのよ」
そんな当たり前のこと聞きなさんなという口振りで、なんだか納得してしまった。
猫の世界では、通訳業は成り立たないのだ。
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[#見出し] スタニスラフスキー・システムに立脚して演技する猫たち[#「スタニスラフスキー・システムに立脚して演技する猫たち」は太字]
「あの気まぐれで自分勝手な猫に芸をさせるなんて至難の業。赤道地帯で暖房器具を売りつけるより大変だ」
などとよく言われる。
五匹の猫、二匹の犬と暮らすわたしのごく乏しい経験からしても、それは真理である。大好物のご馳走を目の前に置いて、
「お預け!」
と命ずると、犬の方は、わたしが見ていようといまいと、痛々しいほど忠実に命令を守ってくれる。このあいだ、お預けの最中に電話がかかってきて書斎へ行き、そのまま仕事を思い出して夢中になってしまった。三、四時間して元の場所に戻ってきたら、二匹の犬がまだ皿に口を付けずにいた。
「ごめん、ごめん、お食べ」
と謝ったとたんに、ペロリと平らげたから、恐ろしく食べたかったろうのに、命令を忘れずにいてくれたのである。
ところが、猫ときたら、
「ダメよ、食べちゃダメ!」
と言う目の前では、言いつけを守るが、わたしが席を外したとたんに皿の中身をかすめ取る。
犬の忠誠心と記憶力の良さにも、猫の要領のよさと状況に応じた柔軟性にも敬意と愛着を覚えるわたしだが、芸を仕込むとなると、犬の方が一〇〇万倍は楽だろうと思う。
だから、一〇年ほど前だったか、ボリショイ・サーカスで芸達者な猫たちを見たときは、自分の目を疑った。カバやミンクの芸を見たときに負けず劣らず驚いた。犬たちの背を跳び箱に見立てて宙返りしながら飛び越えていったり、スケートをしたり、縄跳びをしたり。
こうして、
「蚤のサーカスはあっても、猫のサーカスはない」
という世界の常識を覆してくれた調教師のアンドレイ・クズネツォフの名は、しっかりとわが「今世紀の偉人ベストテン」のリストに刻まれたのだった。
そのクズネツォフ本人とクズネツォフ・ファミリーの猫たちが大挙出演すると知って、見逃すわけにはいかないと駆けつけたのが、映画『こねこ』。そして、サーカスで彼らの芸を初めて見たときよりもさらに大きな衝撃を受けてしまったのだ。
映画の中で、猫たちは奇想天外な曲芸を演じてみせるわけではない。飛びきりセクシーな美猫とか、縫いぐるみみたいに可愛い猫とかが出てくるわけでもない。ついでに言えば、出演する人間も猫も犬も、美男美女は一人とて一匹とて登場しない。一見どこにでもいるようなごく普通の人々や猫たちである。
では、いったい何に衝撃を受けたのか。
これが作り物であることを忘れさせてくれるほどに、猫たちの演技がのびのびと自然なことにである。もしかして、カメラをまわしたのも猫なのではと疑いたくなるほどに、猫の目線で捉えられたモスクワの街の風景、人々、猫や犬や鳥たちにである。
音楽家一家に飼われることになった仔猫のチグラーシャが、小鳥たちに興味を持って窓によじ登り木に飛び移ろうとして停車していたトラックの屋根に落下、トラックが発車してしまう。交通の激しい冬のモスクワの街をトラックはどんどん移動していく。屋根の上で身動きできずに運ばれていくしかないチグラーシャは、目をショボショボさせて時々声にならない声をあげて鳴く。チグラーシャの恐怖と心細さが迫ってきて、思わず客席で身をよじる。そんなことが何度もあった。
そして出演猫たちが、
「俳優は役を演じるのではなく、役を生きなくてはならない」
と説いた現代リアリズム演劇の父、スタニスラフスキーの国の猫であることを思い出した。
大都会モスクワで、しかも真冬にトラックで遠くへ運ばれた仔猫が、他の猫たちに助けられながら生き延びて元の飼い主の元に戻ってくるというおとぎ話が、それに地上げ屋に立ち退きを迫られる飼い主を猫たちが力を合わせて救うという虚構が、真実味を持って胸を打つのは、猫たちの、リアルな演技力に支えられてこそなのだろう。
もう一つ、この映画は大事なことを教えてくれた。それは、ごく普通の人などいないように、ごく普通の猫なんていないということ。どんな猫にも捨てがたい個性と魅力があり、人生が、じゃなくて猫生があり、したがってドラマがあるということを。
[#改ページ]
[#見出し] 腐ってもボリショイか[#「腐ってもボリショイか」は太字]
築二〇〇年を記念して大々的な修復が完了したボリショイ劇場をのぞいたのは、六年前の秋だったか。金箔《きんぱく》をふんだんにちりばめた内装は、往年の美しさを取り戻していた。出し物は、バレエ「ジゼル」。準主役にR、日本出身のバレリーナとある。にわかにナショナリズムを刺激されて周囲を見やると、前後左右、アメリカ人、ドイツ人、台湾人などなど外国人観光客の団体さんばっかり。
「やめなさい、ガッカリするだけだから。あそこへ行くのは、いまでは外国人観光客だけよ」
ブランドをたよりに見る目のない人が行くところだと、何人もの友人知人から警告されてはいた。それでも、「腐っても鯛、落ちぶれてもボリショイ」という未練のようなものがまだあって、足を運んでしまった。
幕が開いて、舞台の精彩のなさに愕然とした。踊り子たちに、やる気がない。表情には生気が欠けていて、決められた動きを機械的にこなしているという感じ。
割れるような拍手とともに登場したRは、ダメオシだった。やる気のないコーラスダンサーよりも、スタイルも才能も技術も劣っている。それが無惨なほどに一目瞭然だった。手足が付け根のところに取り付けられた棒っきれのようで、まるで出来の悪い操り人形。これでは、コーラスがやる気をなくして当然だ。
突然、母親が金にあかせてかなり強引に娘をいい役に突っ込んでいるという日本人母娘の噂を思い出した。いくらなんでも才能ひしめくボリショイの誇り高いプロデューサーが、一定レベルに達していない踊り子に、役を割り振るなど考えられなかったが、Rが噂の主だとすると辻褄があう。
Rがぶざまにポーズを決めるたびに、桟敷席のあちこちから、「ブラボー」の大合唱と拍手喝采がおきる。わたしの右隣の、いかにも善良で素朴なカナダ人夫妻など、
「何だかわかんないけど、本場の人たちがこれだけ感動してんだから、きっとこりゃうまいに違いない」
という感じで、おくれまいとあわてて拍手している。
主役ジゼルを踊る名バレリーナは、Rに雲泥の差をつけた技倆を発揮しているというのに、客席はほとんど無反応。何なんだ、これは。趣味のわるい冗談にもほどがある。
そうか。これが最近流行のブラボー屋か。一ステージにつき一〇ドルぐらいの料金と引き替えに、金をくれたダンサーに対してだけ派手な絶賛と拍手を浴びせる商売。おそらく、Rのステージママは、ブラボー屋を大勢雇った。すると、事情を知らぬ純情無垢な外国人観光客は、ついつられて拍手喝采してしまう。
猿芝居のクライマックスは一幕目がはねてから起こった。ここは、ブラボー屋のガンバリどころらしい。Rのカーテンコールのときだけ、「ブラボー」の声を張り上げ、熱烈拍手し、これでもかこれでもかと花束を投げ入れる。
劇場が豪華絢爛であればあるほど、踊りのお粗末さとブラボー屋が繰り広げるちゃちなペテンが妙に浮き立つ。さながら客席巻き込み型の風刺劇を見ている気分だった。演目は、さしずめ「拝金主義に席巻されるロシアの劇場」。
バレエ、オペラ、演劇など、社会主義時代は、一〇〇パーセント国の財政で賄われていた。それが、ソ連邦崩壊と同時に次々に国からの支援がカットされて、どの一座も自力でお金を稼いでいかなくてはならなくなる。
ボリショイのように世界的名声を誇る劇場は、それでもかなり恵まれている方だ。バレエやオペラは言葉がわからなくても理解可能であることも幸いして、裕福な国々への巡業は引きもきらずにあるし、先進国の放送局へのビデオ化権の譲渡やスター・アーティストの肖像権などの売却も順調だ。
金持ち外国人に無縁な芝居が、もっとも困窮するのでは、と当初誰もが考えた。たしかに、資金調達のために一部の劇団は、セックスや暴力の場面をエスカレートさせ、チケットを高額にしたりして、一時は隆盛を謳歌した。しかし、結局は観客から見放されて消滅していった。
ところが、圧倒的多数の芝居小屋は、どこも毎晩満席、質の高いパフォーマンスで観客たちに愛され続けている。健闘する劇団の俳優や演出家にたずねたところ、その秘訣は、意外にシンプルだった。
劇場の建物の一部を事務所や店舗に賃貸したり、奇特なパトロンや新興成り金向けに特等席を設けて、そこだけ極端に高い価格設定にしたりと、涙ぐましい努力をしているが、一般チケットは極力値上げしない。芝居を愛する普通の人たちにずっと来てほしいから。普通の市民の共感をかち得ることこそ、演劇人の本業であり、存在価値であり、その厳しい批評眼に常に晒されていることこそ、芝居の質を維持する最良の方法で、結局これが、一番大切なことだからというのだ。そして、市場化、自由化という耳に快いスローガンのもとに弱肉強食化が急速に進む社会で生き残るための一番確実な方法でもあると。
皮肉なことに、最も資金的に恵まれているはずのボリショイが、外国資金依存症にかかって自国の市民に依拠するのをやめ、本来の存在価値を見失って崩壊寸前なのとは、まことに好対照である。
[#改ページ]
[#見出し] 極上の聴衆[#「極上の聴衆」は太字]
「指揮者のロジェストヴェンスキーが、『ウラル・フィルは間違いなくロシア五大オーケストラの一つだ』って言ってるけど、ぼくは半信半疑だったの。でも、最初の音聴いたとたん震えが止まらなくなって。あれなら、ペテルブルグやモスクワのブランド楽団抜いて、ベスト5どころかベスト3だと思った」
四年前のこと。赴任先のモスクワから帰国したK氏は、いまだ興奮醒めやらぬ様子でウラル・フィルハーモニー管弦楽団を知った喜びを語る。否が応でも好奇心がそそられるのだが、日本ではまったく無名な存在でCDなど入手できるはずもなく、今度ロシアへ行く機会があったらと虎視眈々としていたら、向こうからやってきた。というか、秋の日本公演にむけ、プロモーションのため来日したウラル・フィル芸術監督兼首席指揮者のドミトリー・リスの通訳を興行会社から依頼されたのだ。二日間にわたってのべ三〇件あまりのメディアのインタビューをこなした中で、とても面白いやりとりがあった。
「リヒテルにギレリス、コーガン、オイストラフ、ムラビンスキー、キタエンコ等々、実に錚々たるソリストや指揮者たちが、ウラル・フィルを絶賛してますよね」
リスは、嬉しそうに付け加える。
「作曲家のグバイドゥーリナやシュニトケからも絶大なる信頼をいただいてますよ」
「耳の肥えた彼らが、ウラル・フィルがいいとする決め手は何ですか?」
「ロストロポービッチは、この楽団の素晴らしさは、エカテリンブルグ市の極上の聴衆に育てられ、支えられてると見抜きましたよ」
「ロストロポービッチは、何を根拠に聴衆が極上であると察知したのですか?」
「それは、わがウラル・フィルのホーム・タウンまでいらして、ご自分で確認してください」
インタビューは六月中旬に行われたのだが、これで、日本公演の一〇月まで待てと言うのは酷というもの。それにウラル・フィルは、その肝心の聴衆を日本まで伴ってくるわけではない。ちょうど九月半ばにモスクワ出張が入り、迷うことなく、帰国する前にモスクワから東へ一〇〇〇キロ離れたウラル山脈の麓の都市を訪れることに決めた。
実は、エカテリンブルグにはずいぶん昔から行きたかった。エカテリーナ一世の名を冠すこの都市はさまざまな歴史的事件に関係している。ウラルの鉱山開発とシベリア開拓の基地として古くから工業が栄え、幹線鉄道が七本も交差する一〇〇万都市。一〇月革命直後、皇帝一家はこの町外れに幽閉され惨殺された。エリツィン元大統領の出身地でもある。しかし、ソ連邦が崩壊するまでは、軍需産業が集中しているため、外国人の立ち入りを禁止していた。
物騒なイメージは、空港に着地する前に覆された。森林と草原がなだらかな起伏をなして広がり、そこかしこに大小の湖が銀器のようにきらめく。銀器のあいだをすり抜けるように蛇行するイセチ河の畔にたたずむ都市は、緑に埋もれていた。
ワサワサと気ぜわしいモスクワから直行したせいか、一九世紀の建物群としっくり調和する街並みや人々の悠揚迫らぬ様子が新鮮で心地よい。
街の中心部にイセチ河が湖のように幅広くなった所がある。「湖」を縁取るように公園があり、一日の仕事を終えたらしい人々がそぞろ歩く。ウラル・フィルのホールは湖畔から二区画先にあった。なんと、そぞろ歩きしていた大多数の人々が、いつのまにかホールを満席にしているではないか。地味で質素な身なりのその人たちの目にも、交わすおしゃべりにもウキウキとした華やぎがある。
最初の演目は、チャイコフスキーの交響曲第四番ヘ短調。そうだ、チャイコフスキーの生まれ故郷は、この辺りだったなと思い出したところで、指揮者が入場し、拍手が鳴り響いた。指揮者が棒を振り上げた瞬間、
「あっ、これだ!」
わたしは大声で叫びそうになった。この、演奏が始まる直前の一瞬。この刹那の圧倒的絶対的な静寂。聴衆がことごとく耳となった瞬間の宇宙のような静けさ。突然真空管の中に紛れ込んだような錯覚を覚えて身震いした。こんなのは初めてだ。きっと、これだ。これこそが、極上の聴衆の証なのではないだろうか。
[#改ページ]
[#見出し] 命の恩人は寡黙だった[#「命の恩人は寡黙だった」は太字]
シベリアの密林で凍死しそうになったことがある。
一六年前の一月、北半球の寒極オイミャコンを取材するテレビ・クルーの通訳として、わたしはロシア連邦サハ共和国に滞在していた。気温が氷点下五九度になった朝、プロデューサーが宣言した。
「よーし、今日は、密林の中で撮影だ!」
とはいうものの、すぐに出発というわけにはいかない。零下五〇度以下で郊外へ車を出すときは、町当局に時間、場所、人数など詳しく届け出て特別許可をもらわなくてはならない。役所の担当者は、何度もしつこく念を押した。
「必ず二台以上の車で行くこと。一台目が故障したら、二台目が救援車を呼びにいかなくてはならないからね。ガソリンも、必ず満タンにしていくこと」
言われたとおり、準備万端整えて、バスと小型ジープの二台で密林へと繰り出したのは、未明《ヽヽ》の午前一〇時。目的地に到着したのは、ようやくボヤーッと黄色くふやけた太陽が地平線の彼方から顔をのぞかせ始めた一一時半。それから三時間余の取材中、もちろん車のエンジンはつけっ放しだった。一度凍ってしまったら、元に戻すのは春先まで不可能だからだ。
午後三時には、暮れゆく森の風景を撮り終えて宿舎に戻ることになった。ところが、出発する段になってバスが動かない。森の中の道は交通量が少ないため雪がやわらかく、停車しているあいだにタイヤが深く食い込んでしまったのだ。前から鎖を付けて小型ジープで引っ張り、後ろから一〇人全員で押してもビクともしない。しかも森は、またたくまに漆黒の闇に包まれていく。小型ジープが救援車を呼びにいく。一時間後、大型ジープが到着。二台のジープで引っ張るが、三〇分頑張っても結局駄目で、さらに馬力のある車を求めて両ジープが出発。二時間待っても戻ってこない。もしやジープも途中で頓挫か。いまエンジン付けっ放しのバス内の気温は零下四度。ガソリンが切れれば、たちどころに零下五九度の外気に侵されるだろう。全員凍死か……。
三時間後にようやくジープに先導されて一六トントラック登場。ものすごい馬力で、あっという間にわれわれを窮地から引っぱり出してくれた。そして、われらが命の恩人たる大型ジープと大型トラックの運転手さんたちは、こちらの名前も尋ねず、自らも名乗らず、事態が解決するや惚れ惚れするような笑顔を見せると、われわれに感謝を表明するスキも与えずに、引き揚げてしまった。二台とも、たまたま通りかかった車で、われわれの小型ジープの運転手から路上で呼び止められ、事情を聞くと即座に駆けつけてくれたらしい。
「なに、目|剥《む》いてんだい。当たり前なことだよ。これが極寒に生きる運転手の仁義なのさ。いつ自分も同じ目に遭うかもしれないからね」
それだけ一気にしゃべると、その日初めてわれわれに口をきいた運転手は、しゃべりすぎたのを恥じらうように口をつぐんだ。
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[#見出し] 蘆花がトルストイに逢った場所[#「蘆花がトルストイに逢った場所」は太字]
「米原さん、明日はトゥーラへ行こう」
モスクワ空港に到着したわたしを出迎えたK氏は、顔を見るなり、そう言った。いまからちょうど二〇年前の秋のことである。
「トゥーラって、もしかして、あの有名な諺のトゥーラ?」
「そうそう、『トゥーラに自前のサモワール(卓上湯沸かし器)を持参するものではない』というあのトゥーラだよ」
いやしくもロシア人ならば、トゥーラがどこにあるのか知らない人でも、この諺は知っている。モスクワから南へ二〇〇キロほど下ったところにあるトゥーラには、すでに一八世紀初頭から製鉄所があって、ロシア中に鉄製品を供給していた。だから、諺の真意は、「サモワールの産地にサモワールを持っていくな」、さしずめ「静岡県にお茶など持っていくな」とか、「南極に冷蔵庫を持っていくな」というようなニュアンスだろうか。
「腕のいい運転手を見つけたから、片道四時間で大丈夫だろう。朝八時に出発して、夜八時には帰ってこれる」
「えっ、ということは日帰りにするつもり? なんでまた、到着早々そんな無理な日程を」と喉元まで出かかった文句を何とか飲み込んだ。こちらは、招かれた側で、日程はあらかじめK氏に任せてあったからだ。強行軍の日程をくんだK氏の真意をはかりかねたまま、翌朝トゥーラ行きの車に乗った。トゥーラ州の州境にさしかかったところで、K氏がいきなりプーッと吹き出した。
「どうしたの?」
「いや、このあいだ、作家同盟の会議でね、トゥーラ州支部の支部長が、こんな演説したんだよ。『政府の優れた文化政策が目にみえる形でわが州でも実を結んでおります。一〇月社会主義革命以前は、トゥーラ州にはわずか一名しか作家がおりませんでしたが、革命後半世紀を経たいま、その数は三〇〇以上にのぼっております』ってね」
「ハハハハ」
わたしも堪《こら》えきれずに笑い出した。革命前のトゥーラ出身作家といえば、あのレフ・トルストイのことだからだ。そして、現在にいたるも、トゥーラ州からは、トルストイを超える作家は出ていない。
「そうか、今日の目的地は、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイの家ね。いまは博物館になっているという……」
そのとき、初めてわたしは、ヤースナヤ・ポリャーナがトゥーラ州の州都からほど近いところに所在することを思い出し、同時に前日から持ち越した謎が解けた。
一九七九年のことだから、まだブレジネフの時代、冷戦のまっただ中である。ソ連邦が崩壊するなんて、ましてやゴルバチョフのペレストロイカが始まるなんて想像だにできなかった頃である。作家が外国人と接触するとなると、必ずお目付役らしい人が影のように寄り添っていたものだ。当然、話の内容は無難な、従って退屈なものになった。
おそらく、K氏は、久しぶりに逢う日本人と心おきなくおしゃべりがしたかったのだ。だから、信頼できる運転手を見つけ、ヤースナヤ・ポリャーナ往復という日程を組んだ。八時間もの車中は誰の耳をも気にすることなく、たっぷりおしゃべりを満喫できる。一九〇六年、徳冨蘆花という日本の作家が、敬愛するトルストイ翁を訪ねて、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイ伯爵家の地所まで足を運んだという話は有名だから、日本人をそこへ案内するといえば、当局は二つ返事で許可をくれる。そんなところではなかったのかと思う。
というのも、当日博物館は休館日で、入館かなわず、K氏とわたしは、文字通りモスクワとヤースナヤ・ポリャーナを往復しただけにとどまったからである。
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[#見出し] モテる作家は短い![#「モテる作家は短い!」は太字]
|写真写りがいい《フオトジエニツク》などという言い方があるように、写真がどれほど実像を伝えているのかは疑わしいものだ。一八四〇年代から二〇世紀初頭にかけて活躍したロシアの文豪たちの写真だって、写真技術がデビューを果たしたのは一八三九年にすぎないことを考えれば、あまり信用しない方が無難だろう。同時代人の観察の方が、ずっと確かなのではないかしら。
写真で見る限り、ツルゲーネフはダサくて不細工にしか写っていないのだが、同時代人たちは異口同音に、
「非の打ち所のない美丈夫」
とか、
「どんな女をも夢中にさせる美形」
とその容貌を羨ましがっている。
男が男を褒めるのは、当てにならないので、女の証言を探してみたら、ありました。女流作家のパナエワが『回想記』に書いている。「なぜ、あれほど教養豊かで頭脳明晰でハンサムなツルゲーネフが、醜くケチで性悪なヴィアルドー(イタリア・オペラの歌姫)に入れあげるのか解せない」。同『回想記』によると、ツルゲーネフが他の作家たちと、「バカな美女」か「聡明なブス」かという論争をして、頑強に後者を支持した経緯が綴られている。
彼の母親は大地主で、息子が年頃になると美貌の農奴娘を次々にあてがった。「女に美貌を求めない」と公言するツルゲーネフの女性観は、そんなところから培われたのかも。ともあれ、こういう男がモテないはずがない。だからこそ、『アーシャ』の「私」のように魅力的な女の愛を無情にも退けたり、『春の水』のサーニンのように成り行きで女を捨てるモテ男の心の機微を描かせたら、ツルゲーネフの独壇場である。
さて、パナエワは元女優。当代随一の総合文芸雑誌「現代人」の社主パナエフの夫人にして、共同社主兼編集長兼詩人ネクラソフの愛人でもあった。写真も同時代の人々の証言も、彼女が黒目黒髪のエキゾチックな美女だったことを伝えている。「現代人」は、いまで言えば「文藝春秋」と「世界」と「群像」と「オール讀物」を足して四で割ったようなインパクトと影響力と人気のある雑誌だったから、パナエフ家のサロンは文壇そのものだった。美しい女主人は、感受性の鋭い文士たちにとって、さぞや眩《まぶ》しい存在だったに違いない。『貧しき人々』を引っ提げてデビューしたドストエフスキーは、たちまち彼女に一目惚れ。一方パナエワ女史がドストエフスキーに注ぐ眼差しは容赦ない。
「やせっぽちでチビで病的な顔色をした風采の上がらない男。灰色の目はキョロキョロと落ち着きがなく、青ざめた唇は神経質にひきつっていた」
このくだりを読みながら、ドストエフスキーの写真をながめて、思わずうなずく。たしかに、絶対に女にモテないタイプだわい。だからこそ、モテない男の魂の叫びを描かせたら、ドストエフスキーの筆は冴えわたる。処女作『貧しき人々』の若い女に片思いする五十男デーヴシキンや、『永遠の夫』の寝取られ男トルソーツキーの屈辱と忍耐、愛と憎しみ、希望と絶望のあいだを揺れ動く心理描写のリアリティは圧巻だ。
翁と呼ばれる年齢になってからの写真では、かなり迫力のある醜男のトルストイも、青年時代の写真を見る限り、結構いい男に写っている。でもツルゲーネフが、
「あの顔でドンファン願望を持つとは」
と呆れているほどだから、ずいぶん写真写りが良かったのだろう。トルストイが人一倍強い性欲の持ち主だったことは有名で、生まれ故郷の領地ヤースナヤ・ポリャーナからモスクワまでの道筋に、トルストイの子供が二〇〇名ほども産み落とされたと、いまでも語り草になっている。伯爵家の御曹司のトルストイを拒める農奴女はいなかったからと。その罪悪感が、貴族の男にもてあそばれ捨てられて娼婦に身をやつす女を同情を込めて描いた『復活』や、享楽のためのセックスを罪悪視する『性欲論』を生んだのかもしれない。醜く野暮ったいトルストイは、自分と同じ階級の女には、絶望的にモテなかった。
『アンナ・カレーニナ』の人妻アンナの愛人ヴロンスキーや『戦争と平和』の女主人公ナターシャの許嫁ボルコンスキーなど、女にモテる美形男が、彼の小説では決して幸せな結末を迎えられないのに対して、同じ『アンナ・カレーニナ』でも、キティにふられるレービンや『戦争と平和』の不細工なピエールには、最後に穏やかな幸福が用意されているのは、偶然だろうか。
ロシア文学史上、ツルゲーネフを凌《しの》ぐ美男作家といえば、チェーホフだろう。青年時代の写真は、ドキッとするほどセクシーだ。一九〇センチを超える長身で、若くして結核を患ったチェーホフは、半分人生を諦めたようなところがあって、そこがまた女心をそそった。信じられないぐらいモテたらしい。『小犬を連れた奥さん』を読むと、さもありなんと思う。物語も登場人物も、作者の分身らしいモテ男グーロフの視点で捉えられていく。グーロフが裏切る年上妻や、「奥さん」の寝取られ夫の描かれ方が、浮気されて当然というふうに、可哀想になるくらい残酷だ。
同じ素材を、トルストイやドストエフスキーならどう料理しただろう、などと想像する。話が長くなるのだろうなあ。そこで、ふと気づいてしまった。醜男でモテなかった二人には、大長編がむやみに多い。逆に、美男で女にモテたツルゲーネフもチェーホフも短編、中編を得意とした。
作品の長さと作家のモテ度は反比例する。そういえば、誰かが、
「作品の長さは、作家が女を口説き落とすまでにかかる時間に比例する」
とか言っていたような。
この仮説を是とするならば、一〇年に一作の割で超大作しかものさなかったゴンチャロフは、ひどくモテない醜男だったはずである。
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Vino Rosso
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赤ワイン
劇作家・永井愛さんとの対談
[#見出し] 変わる日本語、変わるか日本[#「変わる日本語、変わるか日本」は太字]
米原[#「米原」はゴシック体] 永井さんの戯曲『ら抜きの殺意』には、抱腹しながら感心しました。変わりつつある日本語のさまざまな問題をほぼ網羅されておられるでしょう。最初に問題点を抽出してから粗筋を作られたのですか。
永井[#「永井」はゴシック体] いえ、ある日妙な夢を見たんです。植木等さんが、なんで植木さんなのか不思議なんですけれども、若い男の人に包丁を突きつけて「らを入れろ」と脅迫しているんです。「金をよこせ」ならわかるんですが、その光景がとてもおかしくって。わたしも「ら抜き言葉」に関しては非常に気になっていましたから、これを軸にして現代の日本の話し言葉の状況が舞台になったら面白いだろうなと思ったんです。
米原[#「米原」はゴシック体] これはまさに小説じゃなくて、舞台向きだと思ったのは、音だと「ら抜き」で話している人も、文章にすると「ら」を補うでしょう。書き言葉だと規範意識が働いて、自主規制する。
永井[#「永井」はゴシック体] そうなんです。でも芝居にすると、日頃は不快に感じて、やれ「言葉が乱れている」と怒るお客様ほど喜んで笑うようですよ。
米原[#「米原」はゴシック体] 登場人物の海老名俊彦が、「正しい日本語はこうでなくてはいけない」と偉そうにいちいち人の話し言葉を直して、彼より年少ではあるけれど上司である伴篤男に、「いつも上から見下ろしているようでいやらしい」と言われますね。それで思い出したんです。最近、週刊誌などで学識をひけらかしながら、「日本語のここが乱れとる、けしからん」という論調の連載があるでしょう。
永井[#「永井」はゴシック体] ご指摘はごもっともで……。
米原[#「米原」はゴシック体] ごもっともだけれども、でも何か読んでて不愉快なんですね。それが永井さんの作品に指摘されていて膝をたたきました。結局、みんなが使っている言葉が、正しくなくても言葉として認められていくんですね。フランス語やスペイン語などもそうです。ローマ帝国に支配されていた地域の人々が、しかたなくラテン語を学ばされて、正確に発音しようとは思わないからそれぞれに訛《なま》っていった結果、それぞれの言語ができあがったということです。言葉は結局、それを使う人たちみんなの財産なんですものね。だから、少しばかり教養があるからといって「こうあるべきだ」と自信満々に言われると、カチンとくる。
永井[#「永井」はゴシック体] ある新人戯曲賞の選考で六〇本もの応募作品を読んでわかったのですが、「ら抜き」はもうはっきりと若い人の言葉の中に入り込んでいます。むしろ、「ら」を入れている人を探すほうが難しいくらい。昔だったらわたしも、言葉の基礎を間違えているような人は戯曲賞の対象じゃない、まず「てにをは」を勉強しなさい、と偉そうなことを言ったのでしょうが、でもいまでは、言葉の力がイキイキしている方がいいと自然に思えるようになりました。それに、「ら抜き言葉」を使っているのは若い人だけではないんですよ。舌の回りの悪くなった人が、わたしくらいの年齢から率先してやっています(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] 実際に永井さんご自身が意識されたのはいつ頃ですか。
永井[#「永井」はゴシック体] ある時「眠れない」って言ったら、父に指摘されたんです。それは「ら抜き言葉」だって。ヒルティの『眠られぬ夜のために』って本があるじゃないかと。たしかに本の題名は「眠られぬ」になっている。後でわかったんですが、これは「ら抜き言葉」ではなく、「眠り得ぬ」の「り」と「え」の部分がつながって、「れ」になり、「眠れない」という言い方が出てきたようですね。でも、そのときには、わたしも知らずに「ら抜き言葉」をつかっていたんだとあわててしまって、妙に「ら抜き」への理解を深めたといいますか……。やはり、合理的で機能的だから「ら抜き」になってきたわけで、これはもう止めようもない現象なんだと思い始めました。
米原[#「米原」はゴシック体] 世界的にどの言語も、口語では単語が短くなってきている傾向がありますよね。なるべく短時間に多くの意味を伝える、一方で二義性を排すという方向で、どの言語も発展していきますからね。そのプロセスに立ち会えるなんて幸せ。日本語が元気な証拠ですよ。そのうちNHKのアナウンサーも言い出すんじゃないですか。というか、もう言い出してますね(笑)。
女言葉はサバイバルできるか[#「女言葉はサバイバルできるか」はゴシック体]
米原[#「米原」はゴシック体] 『ら抜きの殺意』では副社長の堀田八重子が、結婚前はしとやかな女言葉だったのに、結婚後には男勝りの男言葉を使うようになる。
永井[#「永井」はゴシック体] いま、いちばん関心のあるのが、女言葉ですね。文明国で、日本ほど男性の言葉と女性の言葉が分かれている国は珍しいんだそうです。そういえば、学校の英語でもこれは女性の言い方とか、男性の言い方とか習いませんでしたよね。
米原[#「米原」はゴシック体] ていねいな言い方では、男女の差はあるようですよ。ヨーロッパの言葉も性差《ジェンダー》には非常にこだわりますね。まず名詞に性差があるでしょう。たとえばフランスでは自動車が発明されて初めて登場したときに、これを女性名詞にするか男性名詞にするかで延々と議論してなかなか決まらなかった、ということがあったとか。
永井[#「永井」はゴシック体] 日本語の場合、女性が自然に女言葉を話すようになったというよりは、男性よりもていねいでやさしく上品にしなければ女らしくない、という考え方のもとに押しつけられてきたんだと思うのです。
ある女性の言語学者が男言葉・女言葉の起源についてこんなことを言っています。もともと方言の中には性差はなく、ほとんど同じ言葉をしゃべっていた。それが、儒教の男尊女卑思想が浸透してきたことで、江戸時代になると、女性の言葉づかいがうるさく言われ、明治維新以後の良妻賢母教育で締めつけはいっそう厳しくなったと。どこの国でも女性は少なからずそういう立場に置かれていたと思うのですが、海外では女言葉という形で現代に残っているものはありますか?
米原[#「米原」はゴシック体] ロシア語にもやはり女性言葉、男性言葉はあります。過去形の場合に、性差に応じて語尾が変わってきますから。それに英語やフランス語は、女性が結婚しているかどうかで、ミセス&マダムとミス&マドモワゼルを使い分けるでしょう。
ジェンダーが言葉の表現として表れるか、あるいは言語外の様式や習慣として表れるかは、民族や国によってそれぞれ異なると思います。ヨーロッパの習慣にレディファーストがありますが、必ずしも女性が尊敬されているわけではないし、また最近の日本では夫婦別姓が話題になってるけれども、それですべてが平等になるかというとそうではない。中国や韓国は伝統的に夫婦別姓だけど、では日本より女性の社会進出や権利拡大が進んでいるかというと、そうは言い切れないでしょう。形に表れないからといって差別がないということではないと思うんです。
永井[#「永井」はゴシック体] わたしたちは、ですます体で話していれば、男と女に言葉の差はそれほどありませんから、職場で丁寧語を話している限りはいいんですが、恋人や夫婦など親しい間柄では別でしょう。たとえば二人で出かけようとするとき、「おい、早くしろよ」という男性の言葉に対して女性が「ちょっと待ってろよ」と答えたら違和感がある。男性が命令形を使っているのに、女性は「待ってよ」とお願いの形で応えないといけない。わたしたちは、「早くしろよ」「待ってよ」で対等な男女関係だと思ってしまいがちですが、実はここに言語構造に入り込んでしまった差別があるんだと思うんです。こういう言葉を使いながら、男性と対等になろうとしているんだから現代の女性はたいへんですよ。だいたい現代の女言葉の基本は、昔の遊女の言葉のようですね。つまり、遊女がお客さんを待遇するときに使った尊敬語。これが日本の伝統だと言える言葉なのか、わたしは疑問に思ってしまうのです。
米原[#「米原」はゴシック体] わたしは、それも含めて日本が背負ってきた歴史なのだから、日本語に女言葉もあっていいと思うんです。逆に考えれば、使う言葉によって反対の性を演じられるというのは面白いですよね。たとえば、女になりたい男性が女言葉を使うことから入れる。逆に女の人が男言葉を使うことによって非常に荒々しく決断力に富んだ人格を演じられる。言葉で性を乗り越えられるということは、生物的な性よりも社会的な性の方が強いということでしょう。日本語はそれだけ幅の広い言葉だと思うんです。
永井[#「永井」はゴシック体] 男性も最近「〜なの」「〜かしら」と言ったりしますね。環境ホルモンのせいだけではないと思いますが(笑)、男性がある意味で女性化し、やさしくなってきているでしょう。それは、むしろ男性のいい変化だとわたしは思うんです。逆に女の子が「からだぞ」とか「〜しようぜ」と言う。これは、女言葉だけでは現代女性の心情を言い表せなくなっていることの一つの表れだと思います。それに男が使う命令形は、威張る場合だけではありませんよね。「どうしたんだ、元気出せ」「くよくよするな。オレの胸で泣け」と熱血先生は言う。そういうことが言える先生は生徒と直接的に繋がることができて、言葉の温度がまったく違ってきますよね。男言葉の方が優れているとあえて言ってしまえば、それは率直で自由自在だから。
米原[#「米原」はゴシック体] でも女言葉は、真綿にくるんで針を刺すような表現ができるじゃないですか(笑)。
永井[#「永井」はゴシック体] たしかにそうですが、言葉には感情を発散させるという大切な役目もあります。女が「バカヤロウ」と言っても驚かない社会になってもらいたい気もしますね。
米原[#「米原」はゴシック体] いや、かえって、バカヤロウにインパクトがあっていいかもしれない。もう一つ、日本語の特徴としてカタカナ言葉がありますね。本来は外来語とか擬音語とか、言葉として一人前でないものがカタカナで表された。その半人前がいま、巷《ちまた》に溢れている。
永井[#「永井」はゴシック体] 広告用語にはとくに多いですね。肉や魚を凍らすときに使う冷凍シートのTVコマーシャルで、「放っておくとこのようにドリップが出てしまいます」と言っていました。要するに血の混じった水分が出るということです。「このように水分が出ます」で十分わかるのに、「ドリップ」などと言う。思わず「ドリップなんて言うなよ、黙れ」ってテレビに向かって男言葉で罵ってしまいました(笑)。おそらくドリップの方がおしゃれで、そこから生臭さを閉め出せると思ったのでしょう。こうして造られた言葉を世の若奥様が気に入って使い、スーパーの店員に「ちょっと、おたくのお魚、こんなにドリップが出てるわよ。お値段安くならないの」と言ったりするようになるんでしょうか。いまほど若い世代が商品のターゲットにされている時代はありませんから、若者受けしそうなカタカナ言葉がどんどん造り出される。
米原[#「米原」はゴシック体] わたしも通訳の現場では、カタカナに非常に悩まされています。英日同時通訳が、英語の単語をそのままカタカナ読みするんですよ。そういうカタカナを「てにをは」でつないだだけのような日本語を、ロシア語に訳さなければならないときには、絶句してしまうことが多い。おそらく英語通訳は音として入ってきた言葉の意味を解読することなく、カタカナに転換してしまうのでしょう。ところが通訳は本来、音ではなく、意味を捉えて訳すのです。だから半人前言葉だけがワーッと並ぶと通訳不能に陥る。英語の通訳は立て板に水でも、こちらは横板にお餅(笑)。
永井[#「永井」はゴシック体] 日本語だとすんなりカタカナ読みして、名詞形に「する」をつけて動詞にしてしまいますよね。でも、こういう外来語の入り方は他の国にはできないんじゃないですか。たとえば中国語で「コカ・コーラ」を言い表すのはとても大変でしょう。
米原[#「米原」はゴシック体] 言語構造的に無理でしょうね。中国語ではラブホテルが「色情旅館」なんですって。『危険な情事(Fatal Attraction)』という映画は『致命的吸着』と訳されていましたよ。中国語の漢字はすべて意味を持っていますから、咀嚼《そしやく》して訳さなければならないのです。あるいは、万葉仮名のように似通った音を持つ漢字を当てる。ですから、中国には日本のように簡単には外来語が入っていきませんね。
永井[#「永井」はゴシック体] 日本語にない新しい概念や新しく発見されたものがカタカナ語として日本に入ってくるのであればわかります。でも、いままで日本語として存在しているものをあえて英語で言うのは、わたしは嫌ですね。「この洋服はウォッシャブルです」ではなくて、「洗えます」でいいのに。
明治時代の二葉亭四迷が書いた手紙を見ると、「オープンハーテッド」なんて言葉が登場します。二葉亭四迷だけではなくて、あの当時の詩人や作家は普通に使っていたのかもしれませんが、死語になったということは、誰もその後を引き継いで使わなかったからなんでしょうね。その時に新鮮に感じられる言葉でも、あとで消えてしまうということもある。
米原[#「米原」はゴシック体] みんなが使うようになって初めて言葉として成立するわけですから、内輪で使っているあいだはまだ一人前の言葉ではないのでしょう。日本でこれだけカタカナ言葉が氾濫している一つの原因は、おそらく日本が中国から一番最初に受けた衝撃にあると思います。日本は島国ですから、他の地続きの国々が徐々に影響を受けていったのに対して、いきなりドカーンと中国の文化、文明に出会ったときのショックは大きかったと思うんです。驚きのあまり言葉をはじめとして無節操にすべて採り入れてしまった。それで、日本語が外来語をどんどん吸収できるような構造になってしまったのでしょう。
わたしは、日本語はまるで蟒蛇《うわばみ》のようだと思うんですね。『星の王子さま』では蟒蛇が象を呑み込んで象の形になってしまったでしょう。それが徐々に消化されて蟒蛇そのものの血となり肉となっていく。だから漢語が奈良時代に大量に入ってきたときには、蟒蛇が象を呑み込んだかのようにぎくしゃくしていたと思うんです。でも、次第に日本人が自然に使うようになった。そして今度はヨーロッパの言葉が大量にカタカナとして入ってきたので、現代はちょうどまだ蟒蛇が形を整えている状態だと思うんです。不要なものは徐々に排泄物となって出ていき、日本語そのものとして定着していくものもあるんではないでしょうか。
永井[#「永井」はゴシック体] 結局、いっときはおしゃれな感覚を楽しむのでしょうけど、そういう言葉が増える一方で死語もたくさん生まれていますよね。蟒蛇はどんどん大きくなっていくのか、それとも、ある一定量になったら大きさは変わらないのか。
米原[#「米原」はゴシック体] 漢語が入ってきたときには知識人のあいだだけで使われたから、地方の方言などはほとんど影響を受けなかったと思うのですが、いまはテレビやラジオ放送があるから、この広まり方はすごいですね。
永井[#「永井」はゴシック体] それだけに、死語になったカタカナ言葉は、その残骸が悲しい(笑)。とくに、当時最先端だったものほど、悲しいですよね。たとえば、「ハッスル」なんか。
米原[#「米原」はゴシック体] そうね。ちょっといまは使えないわね(笑)。
曖昧こそ防衛なり?[#「曖昧こそ防衛なり?」はゴシック体]
──国際化が声高に叫ばれていた頃、日本語の曖昧さが指摘され、日本人はもっとはっきりと表現しなければならないと言われていたように記憶しています。ところが、最近は、逆にますますその曖昧さが増しているような気がするのですが。
永井[#「永井」はゴシック体] 全体的にそうなっていますね、衝突を避け、はっきりさせることを避ける。日常語で「〜とか」「〜のほう」という言葉がよく聞かれるようになりましたよね。女子高生がよく使う「ってゆうか」も断定を避ける言葉でしょ。外国語でも「ぼかし表現」が増えてきているそうですね。
米原[#「米原」はゴシック体] わたしは、曖昧な表現ができるということは、実はとても文化が発達している証拠だと思うんです。ヨーロッパ社会では人間関係が攻撃的で、「あなた、こうじゃなきゃダメじゃないの」と言えば、相手も「そういうあなたもここがダメじゃない」と言い合えることが前提になっています。ところが日本人の場合は、自分の言葉が相手にどう受けとめられるかということを考えて言葉を選びますね。曖昧ですが、相手を傷つけずに言いたいことが表現できるのは日本語の非常に優れた財産で、素晴らしいことだと思うんです。
それに、明快に言うよりも曖昧に言った方が実は正確なんだということがたくさんありますよ。たとえば、わたしの最近の著書ですが、『ロシアは今日も荒れ模様』(日本経済新聞社・講談社文庫)というタイトルにしたんです。荒れているところもあれば、静かなところもあるし、もうすぐ荒れそうだというところもあれば、もう荒れ終わったところもある。つまり、模様という言葉でそれらをすべて表せるんですね。もし「ロシアはいま荒れている」と言ってしまうと、それ以外の要素が排除されてしまうでしょう。きっと国際関係においても同じじゃないですか。明快であることによって切り捨てられてしまうことがたくさん出てくることがあり、これは逆に現実を正しく表していないことになる。
永井[#「永井」はゴシック体] 捉え難きものを捉えるという言葉の伝達力は必要だと思います。問題なのは、よく言われる言葉のすり替えですね。援助交際という言葉を使うことによって、実体が何であるか、その意味合いが軽くなることがある。日本語はそういったすり抜け方をしてきたし、それがしやすい言語構造なのかもしれませんね。買い物をしたときにレジでお金を払うと、「お預かりします」と言われますが、なんだか「取ったんじゃないよ」という振りをしているようで。そのうち「預かる」という言葉の意味が変わっていくだろうと思います。
米原[#「米原」はゴシック体] そしてその変化した意味が、辞書に載ってくるでしょうね。さらに、やわらかい言い回しを使ってそれなりに定着してくると、今度はその言葉がまたきつい印象を与えるようになって、またそれを避けて別のやわらかい言い方に変える。こうやって、言葉はどんどん変化していくんでしょうね。つまり、使うことで言葉が概念に近づいていくんですね。
永井[#「永井」はゴシック体] 若い人のあいだで「一応」や「とりあえず」という言葉がよく使われますよね。「とりあえずぼくから」とか「一応東大です」とか。何かをすっきり言うと、非常に直接的な感じがして腰が引けてしまう。
米原[#「米原」はゴシック体] 言いたいことが何かよりも、人間関係を重視していますよね。一九六〇年代に日本に滞在したソ連の特派員が、「明快かつ正確に、ましてやズバリ直線的に自分の意見を表す能力と、礼儀正しさについての日本的イメージとは両立しない。日本人の発言は、煮え切らない態度や、自分の正しさを疑う気持ちや、相手の反駁《はんばく》に妥協する用意などを込めた注釈によって、わざと意味が曖昧にされる」と書いています。
永井[#「永井」はゴシック体] ある意味でそれは実体を見せないための防衛かもしれません。言葉は思考の表現ですが、実は思考そのものにも逆に影響を及ぼしてくるものです。「ぼかし表現」ばかりを使っていれば、思考が影響されてしまうんじゃないでしょうか。深層意識の中に入り込んで思想そのものをぼやかしていくような作業が、気づかぬうちに行われる恐ろしさがあります。心の中でも「ぼくは一応〜だから、とりあえず〜」なんて考えるようになってしまったら困りますよね。
米原[#「米原」はゴシック体] ほんとですね。ロストロポービッチというロシアのチェロ奏者はかつて記者会見で、「子供たちが美しい音楽を聴き分けられるようにするためにはどんな教育をしたらいいのか」と質問されてこう答えたんです。「音楽においては美しい音も汚い音もない。大切なのは伝えたいメッセージを最も的確に伝えられる音だ。そのメッセージにふさわしい音、それがいい音だ」と。まさに言葉もそうで、言葉にとっていちばん大事なことは、美しいことよりも、最も的確に伝えたいメッセージを表しているかどうかです。この通訳をしながらわたしはそう思いました。
永井[#「永井」はゴシック体] そうですね。言葉とは、思想の道具であるだけではなく、思想そのものなのですから。ぼかし表現ばかりの日本語になって、何も核心的なことを表現できなくなったらどうなるでしょう。溜め込んだぼかしのために、日本人がみんなある日突然キレちゃうと困るなあ(笑)。
米原[#「米原」はゴシック体] やっぱり、人間には明確に表現したいという欲求がありますから、あまり曖昧表現が多すぎると、今度は日本語にも直接的表現が復活してくるかもしれませんよ。ぜひとも、ナイフではなくて、言葉の表現力という形でそれが出てきてほしいですね。
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Formaggi
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チーズ
[#見出し] 禁句なんて怖くないけれど[#「禁句なんて怖くないけれど」は太字]
四年前の秋、横浜で世界エイズ会議が開かれたのを覚えておいでだろうか。いくつもの分科会があり、多数の英語通訳者たちが動員された。わが親友の田中祥子さんもその一人だ。大会の何日目かに各国から馳せ参じた現役の売春婦たちによる分科会というのがあって、田中さんはその分科会を担当することになった。
分科会開始間際になって、突如、同時通訳ブースに主催者が入ってきた。会議開始直前の同時通訳ブースの中は、気が弱い人なら決して近づかないほど殺気立っているものだ。いくら百戦錬磨、神経系も心臓血管系も頑丈な通訳者たちといっても、初めて挑戦するテーマとなれば、目一杯緊張する。必死で詰め込んだ専門用語や概念が的確に滞りなく口をついて出てくれるか、未知の概念をスピーカーが言い出さないか、毎回気を揉むものなのだ。だから、よっぽどのことがない限り、主催者といえども会議開始直前のブースなんぞに入ってきたりしない。それが、入ってくるなり、告げたのである。
「売春婦、商売女なんて言葉、絶対に使ってはなりません。もちろん娼婦、女郎は禁句、淫売なんてもってのほかです」
「えっ、いくら何でもご冗談でしょ! 嘘でしょ! そりゃ殺生だわよ。せっかく、その関係の語彙詰め込んだばかりなのに!」
「お気持ちはわかりますが、大変デリケートな問題でございますから、そこは何とか」
「じゃあ、いったい何て言えばいいんです?」
「コマーシャル・セックス・ワーカーで統一してください」
同時通訳は時間が命、そんな長たらしい用語発していたら重要な情報が抜け落ちてしまう。それに本番直前に語彙を切り替えろとは、なんたる無理難題。ブース内の通訳者たちはひとしきり文句を並べ、愚痴をこぼしたものの、会議が始まるや五人のうち誰一人として主催者の要請をたがえる者はいなかった。さすがプロと一同わがことながら感心しているところへ、突如「brothel」なる単語が会場のスピーカーから発せられるではないか。咄嗟《とつさ》に浮かぶ訳語は「淫売宿、女郎屋」しかない。「ど、ど、どうしよう!」とブース内の面々慌てふためくなか、田中祥子さんは落ち着き払って訳出した。
「コマーシャル・セックス・ワーカーの職場」
自分にも同業者にも厳しいはずの英語通訳者たちから、田中祥子さんが一目も二目も置かれているのは、以前から知ってはいたが、この逸話を聞かされたときほど彼女の実力のほどを思い知ったことはない。
実はここに通訳という営みの基本中の基本が見事に映し出されている。主催者がどんなに言葉の字句にこだわろうとも、通訳者はひとまずその言葉の外皮ともいうべき字句をはぎ取り、字句の裏に潜む言葉の実の部分をとらえようと必死になる。つまり右の例ならば、売春婦、商売女、娼婦、女郎、淫売、コマーシャル・セックス・ワーカー等の語が共通して指し示している中心概念をとらえたうえで、主催者なり、社会常識なり、時間的制約なり、あるいは通訳者自身の記憶力なりの許容範囲にある語彙の持ち駒を駆使して、その表現につとめる。
もっとも、こういう人為的な語彙の操作は、ある会議とか、ある団体とか極めて限られた範囲内であるから何とか貫徹されるのであって、社会全体すなわち丸々一つの言語共同体相手にこれを試みるとほぼ確実に失敗する。コマーシャル・セックス・ワーカーなる用語は社会一般ではまったく通用しない。
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[#見出し] 取り越し苦労[#「取り越し苦労」は太字]
同じ「林檎」という単語を耳にしても、人によって、心に想い描く林檎は実にさまざまだ。甘いの酸っぱいの、真っ赤なの萎《しぼ》んだの、紅玉だったり、ふじだったり、白雪姫の毒林檎もあれば、アップルパイを想像してよだれを垂らす人もいる。国や民族が異なれば、言葉が喚起するイメージは辞書に羅列された訳ではカバーしきれないほどに広がっていく。
昨年、ロシア語初級の教科書を書いたとき、そんな一筋縄ではいかない言葉の面白さを伝えたくて、ヨーロッパ人、わけてもロシア人が、鉄、さらにはそれを鍛錬してでき上がる鋼鉄という語に込めるイメージについて記した。本来の金属の名称としてよりは、しばしば「強固にしてゆるぎない」ものを表す比喩として用いている例を紹介したのだ。
たとえば、ソビエト文学の古典となったニコライ・オストロフスキーの『鋼鉄はいかに鍛えられたか』は、一切を革命の大義にささげた主人公の英雄的生涯を鋼の製錬プロセスに喩えたタイトルになっている。
周知のとおり、三〇年間にわたってソ連邦に君臨し、悪名高い粛清によって数百万の自国民を抹殺した独裁者は、「鋼鉄の人」を意味するスターリンという偽名を公式名にしていた。
最近では、イギリスのサッチャー女史が「鉄の女」の異名をとった。女史は、世界的デビューをはたす直前のゴルバチョフに会い、たちまち魅了されて太鼓判を押した。
「あれは、話の通じる男だわよ」
G7諸国の首脳に触れ回ったのだ。
ゴルバチョフについては、もう一つの太鼓判の方も有名だ。こちらは、一九八五年三月、ソ連共産党政治局の会議で、次期書記長としてゴルバチョフを推薦した長老グロムイコが押したことになっている。当時外相。国連安保理ソ連代表時代、拒否権を行使すること多く、ミスター・ニェット(ロシア語でNO≠フ意味)と呼ばれた人である。
「ゴルバチョフ同志は、見てのとおり、人を魅了してやまない笑顔の持ち主だ。しかし、この素晴らしい笑顔の背後には鋼鉄の歯が控えている」
グロムイコは、ゴルバチョフは強固な意志の持ち主だと称えたのである。
もっとも、ゴルバチョフご本人に直接うかがったところ、吹き出した。
「ハハハハ、そんなの初耳だね」
どうやら、完全なフィクションだったようで、一種の伝説だろう。
以上見てきたように、鉄や鋼鉄に対するロシア人のイメージはおおむね肯定的である。そのきわめつけをご紹介しよう。
日本において、男が女にモテるには、「三高」、要するに収入と学歴と身長が高いことが条件らしいが、ロシアにおける必須三条件は、次の通り。
・頭に銀(ロマンス・グレー、要するに、禿げないということ)。
・ポケットに金(やはりお金持ちがよろしい)。
・股ぐらに鋼鉄……
ここまで書いたところで、出版社からクレームがついた。
「教科書ですから、やはり品位を疑われるような表現は……」
結局、わたしも妥協した。この三カ条は教科書という手前、ロシア語の原文に和文の対訳を付けていたのだが、「股ぐらに鋼鉄」のところだけ露文のみとし、
「ご自分で辞書を引いて意味を調べてください」
という注釈で逃げたのだ。
逃げたつもりだった。ところが、教科書が店頭に出回ってから二週間もしないうちに、五通ものお便りが編集部や著者のわたし宛てに届いたのだった。どれも、似たような内容の問い合わせで、要約すると、次のような文面になる。
「ご指示どおりに辞書を引き、ようやく『股ぐらに鋼鉄』という訳文をひねり出したのですが、言わんとしているところを、どうもつかみかねてます。いったい、どういう意味なんでしょうか?」
つまるところ、言葉からどんな意味を読み取り、どんなイメージを立ち上らせるかは読み手次第なのだ。逆に、言葉を制限したり、禁句にしたりしても、人間の想像力には、タガをはめられないということ。そんな次第で、編集部の老婆心は無駄に終わった。
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[#見出し] 蚤を殺すのに猫まで殺す愚[#「蚤を殺すのに猫まで殺す愚」は太字]
現在のロシアでも実施されているのかどうか確認してはいないが、ソビエト時代は徴兵制に基づいて入隊した新兵は必ず精神鑑定を受けたものだ。専門の医師が検査に当たる。たとえば、こんなテストがあった。
「目の前にレンガがあると想像してくれたまえ。このレンガから何を連想するか、嘘偽りなく言ってごらん」
「田舎のばあちゃんちのペチカ」「共産主義建設の槌音《つちおと》」「三匹の子豚の末っ子が建てた家」
妥当な回答が次々と発せられる中、奇抜なのがあった。
「女のおケツ」
試験官はハテナと首を傾げ、マニュアルを覗いたものの、いずれの心理カテゴリーにも当てはまらない異常な連想だ。病的といってもよい。思いきってたずねてみた。
「何でまた君は、そんなものを連想するのかね」
「ハイ、自分はいつも女のおケツのことばかり思い描いているからであります」
このように同じひとつの単語とて、一人一人の常識や教養によって喚起するイメージや意味がズレてくる。時には唖然呆然愕然とするほど奇想天外なこともある。話し手の言葉をなるべく正確かつ素早く聞き手に伝えるのが、通訳者の業務上の使命だから、話し手が言葉に込めた意味やイメージに聞き手のそれが最大限近づくことをめざす。だから聞き手の常識と教養のほどを手探りしながら訳語を選ぶ。「四肢」と原発言者が述べても、幼稚園児相手なら「おててとあんよ」、中学生相手なら「手足」と伝えるだろう。こういう聞き手に対する配慮は、もちろん通訳者の専売特許ではなく、ものを書いたり話したりするときに意識的無意識的に誰もが行っている操作だ。情報伝達を商売とする人々にとくにその意識が強いのは、当然ではある。
たとえば、イタリアでは、どのテレビ局も報道番組であれドラマであれ、主語が「わたし」とか「ぼく」のような一人称である場合は、「来る」という意味を表すのに、一般的な「venire」(英語の come に相当)を絶対に使わない。超A級の禁句である。代わりに、「arrivare」(英語の arrive に相当)を用いるそうだ。同胞の視聴者は先のソ連の新兵さんタイプの連想パターンの持ち主が圧倒的多数を占めるというイタリア各テレビ局の老婆心ゆえである。
「venire」には英語の「come」同様、日本語の「行く」の転義に相当する意味がある(川端香男里先生にうかがったところ、フランス語では、「arriver」の方が、この転義を担っているそうだ)。米大統領が「わたしは貴国に参ります」というのを「venire」を用いると「米大統領いわく、『ぼくはイクからね』」と受け取ってしまうというのだ(まぁ、クリントンだと、それもリアリティがあるのが始末に悪い)。にわかに信じがたい話だが、視聴者がそう受け取るのを危惧して、放送用語から一人称の「venire」を完全に排除しているというのだ、イタリアの放送界は。
これは他国ごとだし、笑える。でも第三者からみた喜劇は当事者にとっては悲劇であることを最近イヤというほど思い知らされている。今年四月から、ある番組のレギュラーになり、番組用のテキストや会話の台本も書くようになって、言葉の端々に対する放送者の過剰な自己規制に、驚きあきれ、同情を禁じ得ないでいる。
たとえば、ヨーロッパの音楽と舞踊に占めるジプシーの位置は想像以上に大きい。たまたま出演予定のロシア女性がジプシー・ダンスの名手だったこともあって、ジプシーの男女が登場する台本を書いた。街角で見事なダンスと歌に感激した日本人青年が「住まいはどこ」とたずねると、「橋の下や駅舎の軒下」と答え、「何丁目何番地なんかじゃなくて、この青空の下の大地のすべてが住所なんだ」と誇らしげにつけ加える。
この「ジプシー」という単語がタブーであるから書き直せと言われてしまった。
数年前、阪神タイガースのことを「ジプシー球団」と書いて激しい抗議を受けたスポーツ新聞があった。これは、見方によっては、蔑視が込められていると取れるから抗議の意味がわかる。しかし、「ジプシー・キング」という名の人気ロックバンドの公演日程をテレビ局は放映しないというところまでいくと、明らかに過剰規制だ。
最近ヨーロッパでジプシーやジタンという語をひかえるようになったのは、その言葉に蔑視していた歴史が染み着いていたからで、言葉そのものには(この民族がインド起源なのをエジプト起源と誤解した語ではあるが)侮蔑的意味はない。かわりに用いられるロマニという呼称をヨーロッパ人は理解できるからいい。ところが、日本ではジプシーという言葉にそもそも蔑視が込められた歴史がない。そしてこの言葉を用いなければ、ヨーロッパで異彩をはなったこの素晴らしくユニークな文明の担い手について語る言葉がない。『ノートルダム・ド・パリ』に登場するエスメラルダやカルメンや、フラメンコやチャルダシュの創造者につながる人たちだということが一瞬にしてわかる言葉がない。チゴイネルワイゼンについては言うに及ばず、ブラームスの「ハンガリー舞曲」やリストの「ハンガリー狂詩曲」がほぼジプシー音楽の借用であることも語れなくなる。差別の歴史どころかジプシーそのものについて十分に知らないところに、言葉だけを問題にして排除していくと、残るのは、完全なる情報の空白。それを、抗議する側が望んでいるとは到底考えられない。
それでも百歩譲って「ロマニ」とし、実はジプシーのことだと説明したとしても、彼らがホームレスの印象を与える語句はいっさい駄目だという。そんな規制にこそ、定住民の方が漂流民よりも高級で進んでいるという拭いがたい差別感に縛られているのではないだろうか。ジプシーたちの清々しいほど高潔な倫理観や死生観は、定住せず私有財産を持たなかったからこそ生まれたのではないだろうか。定住できなかったからこそ、行く先々の民衆の踊りを、鑑賞に堪える、要するに「カネのとれる」舞踊に換骨奪胎することができたのではないか。フラメンコやチャルダシュは、こうして生まれた。
排除すべきはジプシーという言葉ではなくジプシーに対する偏見と蔑視のはずだ。事勿《ことなか》れ主義的な対応で表現の可能性や自由の幅を自ら狭めないでほしい。ましてやジプシーについては、知れば知るほど愛着を覚えずにはいられなくなるし、差別の不当さを切実に感じとれるというものだ。
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[#見出し] 美しい言葉[#「美しい言葉」は太字]
職業柄か、大きな書店に入ると、言語関係の書籍を取り揃えたコーナーに立ち寄ってしまう性癖がある。そこには必ず「美しい日本語のために」とか「日本語の危機」といったタイトルの背表紙が何冊か並んでいるものだ。どうやら世の中には、「美しい言葉」と「醜い言葉」がある、かくあるべき理想的日本語が存在すると思っている人が結構いるらしい。
試みに、そんな一冊を手にとって、パラパラとめくってみると、それは、ベテランアナウンサーが正しい発声法や発話法を伝授する本であったり、作法の達人であると自他ともに認める著者が礼儀にかなった話し方について薀蓄《うんちく》を傾けたりしている。あるいは、自分こそは正統的な日本語の使い手であり、守り手でもあるという使命感に燃える教養人が、日本語の乱れに危機感を覚え、警鐘を鳴らすという趣のものが多い。
このタイプの読み物は、週刊誌の連載にも何点かある。筆者はこれ見よがしに学識を駆使して自信満々に言い張る。
「日本語のここが乱れとる。こりゃ、けしからん。間違っとる。かくかくしかじか正しくはこう言うべきだ云々」
ごもっとも。そう思いつつ、何か腑に落ちない。はっきり言って、不快感を覚える。上から見下すようにものを言われたときにカチンとくるあの気分だ。
「ふん、エッラソーに! 少しばかり教養があるからって、何様のつもり? 日本語は、あなただけのものじゃないの!」
不快感の要因は、つまるところ、そこにある。言葉は、その言語を共有する共同体全員のもの、日本語は、日本語で生活するすべての人々の共有財産なのだ。
どんなに時の為政者が、強大な権力にものを言わせて強要しようと、正義をふりかざす団体が当然とばかりに圧力をかけようと、どんなに権威ある学者や専門家が高邁《こうまい》な学識を動員して啓蒙しようと、圧倒的多数の人々が、その言葉を使うようにならない限り、その言葉は言葉になれないのである。このあたりは、小気味良いほど単純民主主義なのだ。
だからこそ、己の美意識を露ほども疑うことなく、
「日本語はこうあるべきだ」
と悲憤慷慨する人の姿は、何だかひどく哀れでおかしい。
もちろん、他人の発言を聞き文章を読んで、「美しい」と感動したり、逆に不快感を覚えたりするのは、おそらく誰もが経験する心の反応でもある。誰もが、程度の差はあれ、言葉に対する独自の審美眼を持ち、聞き取った言葉を「美しい」とか「汚い」とか「醜い」と判断し、使い分けてもいる。
これは、音楽家が楽器を奏でるときの感覚に似ていなくもない。だから、チェリストのロストロポービッチの記者会見を通訳したおり、ある記者の質問にわたしは身を乗り出してしまった。
子供の音楽教育にも、非常に熱心にとりくんでいる彼に、新聞記者がたずねたのである。
「子供たちが、美しい音を出せるようにするには、どんな点に留意すべきなのでしょうか」
「やあ、実によい質問をありがとう!」
ロストロポービッチは、待ってましたとばかりにとうとうと語りはじめた。
「プロコフィエフの『ピーターと狼』を聴いたことあるでしょう。あの狼の音、あれは、一般的に、必ずしも美しい音ではない。むしろ醜く汚い音だ。あれが清らかな音なんかじゃ困るんだ。自然界にも世の中にも人間の感覚にとって心地よい音、耳障りな音がある。でもね、音楽そのものには美しい音も醜い音もないんだ。
要は、伝えようとするメッセージを、それが美しいものであれ、醜いものであれ、最も的確に表現すること、これが音楽も含めすべての芸術に求められていることなんだからね」
通訳しながら、心の中で何度も膝を叩いた。そうそう、言葉だってそうだ。そうなのだと。言葉は、絵を描くときの絵の具の色、曲を奏でるときの音色。世の中の森羅万象、それに複雑怪奇な人の精神を描きつくし、伝え、分析し、解釈し、称え、批判し、呪い、祝福するためには、美しく正しい言葉と言葉遣いだけでは到底まにあわないというものだ。
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Dessert
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デザート
[#見出し] 自前のフィルム・ライブラリー[#「自前のフィルム・ライブラリー」は太字]
映画は、原作ものより、もともと映画として製作されたものに軍配をあげる。
ジョン・アービングだって、いままで自分の作品が映画化されたものに不満で不満で、ついに自ら乗り出して一三年もの歳月を費やし、『サイダーハウス・ルール』の映画用シナリオを書いてしまったではないか。
もちろん、例外はある。
松本清張の『砂の器』を野村芳太郎監督が映画化したものとか、スタニスワフ・レムの原作をアンドレイ・タルコフスキー監督が映画化した『惑星ソラリス』など、
「エッエッエッエッ、この作品、こんな感動的な傑作だったっけ!?」
とあわてて原作を読み返し、やはり映画の方が桁違いに面白い、出来がいいと再発見することがある。
もっとも、右の二作は、換骨奪胎というか、原作に触発されて別な作品を創造したと評した方が妥当な気もする。
ところが、原作を忠実にたどっているようなのに、自分が原作を読んだときよりも、はるかに心が揺さぶられる映画がある。映画監督の方が読み手としては、一枚も二枚もどころか、何百枚も上手であることを思い知らされるのだ。
ミハイル・シュバイツェル監督が映画化したレフ・トルストイの『復活』は、まさにそれで、いまもわたしが心に描く売春婦カチューシャの面影は、主役のショーミナ演ずるカチューシャ以外に考えられなくなってしまっている。
アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督の手によるアントン・チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』も、原作の魅力を最大限引き出すことに成功している。というよりも、わたしがチェーホフ四大戯曲の中で、『ワーニャ伯父さん』が一番好きになったのは、この映画のおかげ。以来、『ワーニャ伯父さん』が舞台にのぼると知ると、民芸であれ、俳優座であれ、モスクワ芸術座であれ、レニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場であれ、必ず見にいくのだが、いまもって、アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督の『ワーニャ伯父さん』を超える舞台を見たことがない。
しかし、以上のような幸運は、極めて極めて希なことなのである。
レフ・トルストイの『戦争と平和』であれ、チャールズ・ディケンズの『二都物語』であれ、ビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』であれ、おおよそ名著の誉れ高い文芸作品は一度ならず映画化されたものが多いが、見るたびに、思いっきりガッカリさせられる。二〇世紀ロシアの抱腹絶倒最高傑作と賞讃されるイリヤ・イリフとエフゲーニイ・ペトロフのピカレスク小説『一二の椅子』など、ロシアで四回、アメリカで一回(メル・ブルックスの主演兼監督で)映画化されているが、いずれ劣らぬ駄作だ。スタンリー・キューブリックの出世作『スパルタカス』だって、原作のハワード・ファストの種本であるジョヴアニオリの『スパルタカス』には、遠く及ばない。
なぜ、ガッカリさせられるのか。自分が作品を読んで文字から立ち上げていた作品のイメージや面白さが、映画には一〇分の一も反映されていないからだ。
「ああ、損した。時間と金、返せー!」
そう言って愚痴りまくる人が、わたしのまわりにも、結構いる。
「でも、考えようによっては、それはとりもなおさず、自分の方がいかに優れた映画監督であるかを確認しているってことだから、喜んでもいいんじゃないの」
と慰めることにしている。
まあ、考えてみれば、実際の映画製作には、俳優の演技力とか、スタッフの技術力とか、財政的、時間的、その他諸々の制約があるから、そんなものに一切縛られない頭の中の映像喚起力にかなうはずないのだ。
そんなわけで、若い頃、文字から映像を立ち上げて、自分の頭の中のスクリーンに映し出す筋肉を作ってしまった人には(わたしも、どちらかというと、そうなのだが)、活字の方を好む者が多い。テレビやテレビ・ゲームが提供してくれる出来合いの映像だけでは、物足りない身体になってしまっているのだ。
映画だってそうだ、と思いかけたところで、自分が活字から映像を立ち上げるときに、無意識にお世話になっているのが、子供の頃から現在にいたるまでに見てきた映画から蓄えた素材だったことに気づかされて愕然とした。小説の登場人物の顔や声音をいつの間にか、映画俳優たちのそれになぞらえているし、風景描写の筆致から、いつか見た映画の場面を想起していたりするのだ。
要するに、いくら自前で映像を立ち上げると言ったって、素材の蓄えがいる。自分自身のわずかな人生と行動半径の範囲で仕入れた映像素材では、とうてい間に合わない。しかし、活字によるフィクションやノンフィクションを堪能するには、この宇宙の過去に生息した、あるいは現在生息する、あるいは未来に生息するかもしれないさまざまな人種や民族の老若男女の人相風体、立ち居振る舞い、衣服、食べ物、風俗習慣、動物、植物、景色、建造物、その他諸々の映像の脳内「図書館」が豊かであればあるほどいいのだ。そういう映像収集作業をわたしたちの脳味噌は、どうやら自動的にやっているらしい。つまり、見た当時は駄作と貶《けな》した映画からも、たくさんの素材をちゃっかり「図書館」に入れていたりするのだ。
というわけで、冒頭のフレーズを若干修正すべきかもしれない。
映画は、もともと映画として製作されたものにも、原作ものにも、傑作にも駄作にもそれぞれ見所があるものだ、と。
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[#見出し] ダルタニヤンとミレディーの濡れ場にゾクゾク[#「ダルタニヤンとミレディーの濡れ場にゾクゾク」は太字]
「外が慌ただしくなり、ミレディーがチキュウでもってダルタニヤンを突き上げて、『どけ』と合図する。うーんチキュウって何だろう……あったあった、恥丘」
百科事典の項目を読む。ミレディーとダルタニヤンの絡み合っている場面を想像して生唾を飲み込んだ。傍らのクラスメイトが急かす。
「早く読み終えてね。順番待ちが多いのよ」
学校付属図書館には、『三銃士』は五セットしか置いてなかったから、早い者勝ち。出遅れた者は、今か今かと待ち遠しくて仕方ない。
在プラハ・ロシア語学校の四年生。その頃わがクラスには空前の読書ブームがおき、みな先を争って文芸大作を読破していった。しかも何やら熱心に辞書事典類を引くものだから、担任教師は狂喜した。もっとも先生は、自分の文学の授業の輝かしい成果だと思い込んでいたようで、我々を読書へと駆り立てる動機が、実はただただセックスに対する矢も楯もたまらない関心であったと知ったら卒倒したに違いない。
女の子はそろそろ初潮がはじまり、男の子は陰毛の生え出してくる季節。身体の奥底から突き上げてくるように性に対する興味に捕らわれる頃だ。知りたい、知りたい。でも、親や教師にたずねるのは死ぬほど恥ずかしい。社会主義体制下ポルノ漫画など手に入らない世界にいた我々にとって、文芸作品は、求める情報を与えてくれるほとんど唯一の指南書だった。
しかも、親や教師に大威張りで堂々と読めるというのも好都合。こうして、一二歳ぐらいまでに世界的古典とされる文学作品は軒並み平らげていった。ベッド・シーンを最初に見つけた生徒は、クラスメートたちにふれ回った。こうして、『三銃士』の続編『二〇年後』や『ブラジュロンヌ子爵』はじめ、『マルゴ王妃』や『黒いチューリップ』などデュマの他の全作品、『赤と黒』などスタンダール全作品、モーパッサンの『女の一生』、『ベラミ』はいうまでもなく、フロベールの『ボヴァリー夫人』や、「寝室の悲劇」を描いたトルストイの『アンナ・カレーニナ』、『復活』など推薦必読文献リストが出来ていき、クラスの全員がまたたくまに読了していった。夏休みには、ドギマギしながら『アラビアン・ナイト』全一二巻を読破したものだ。
日本では世界的名作を子供用に改ざんしたバージョンを売っているが、わたしが九歳から一四歳まで滞在したプラハには、おそらく当時のソビエト文化圏全体がそうだったのだろう、ダイジェストなど存在しなかった。すべてオリジナルのまま。小学校三年まで日本で過ごしたわたしは、もちろん子供版の『レ・ミゼラブル』や『三銃士』を読んでいた。でも、そこには、コゼットの母親が売春婦をしていたことや、ダルタニヤンとミレディーの濡れ場などセックスに関することは、ことごとくカットされている。ダイジェスト版でそれを読んだ日本の子供たちの圧倒的多数は、それで読んだ気になってオリジナル版は読むことなく一生を終えるだろう。
しかし性に対する興味は、「雄しべと雌しべ」の話では、満たされない。男が女に女が男に惹かれる感情の流れが、そこには欠落しているからだ。AVやポルノ漫画もまた物足りない。登場する男や女に魅力がないからだ。というよりも、描き方があまりにも性のみに限定されているため、経験不足の子供の想像力では、性的魅力さえも乏しく思えて説得力がないのだ。
子供用、性教育用、性欲処理用と目的別に情報を切り刻み、手軽に吸収できるよう噛み砕いた(ダイジェスト)商品にして与える。しかし、柔らかく食べやすいものばかり摂取していると、歯と顎と消化器系が退化するように、情報を消化する能力も退化するのではないか。
ダイジェストのさらなる罪は、本来多面体で複雑怪奇な存在である人間をバラバラに腑分けして単純化してしまうことだ。性の魅力と危うい破壊力、肉欲と愛との微妙なズレ、容貌と性格の矛盾など男と女を丸々全体として、社会的歴史的背景をも含めて多面的に捉えようとするところが文学の本領だというのに。
ダイジェストではなくオリジナルを子供に与えよう。難しすぎる、なんてことは断じてない。種はその存続を使命とする。少年少女時代に芽ばえる性に対する好奇心は、その種としての人間の本源的な欲求から発しているから、これほど強烈なものはない。分厚い古典本も、難解な表現も破竹の勢いで読み進ませる力を、それは持っている。そして、性に対する好奇心が薄れた後も、その頃知らず知らずのうちに身につけた読書癖と速読術は、一生の道連れとなる。
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[#見出し] 芋蔓式読書[#「芋蔓式読書」は太字]
最近、たかが多国籍資本の世界的展開をやりやすくするための方便だと思うんですけど、グローバリズムとかの大合唱で、日本人は何となく萎縮してると思いませんか。世界の中で異質な民族だから、世界標準《グローバル・スタンダード》に合わせなくては、というような強迫観念に駆られている。でも、他と同じになったら必要なくなる。違うからこそ存在価値があるのではないか。歴史も地理も日本とかけ離れているユーゴスラヴィアについて日本人の書いた本を何冊か読んで、その意を強くしているところです。
最初に手にしたのが、『石の花』(坂口尚、講談社漫画文庫)。次に岩田昌征さんの『ユーゴスラヴィア──衝突する歴史と抗争する文明』(NTT出版)で、両方とも圧倒的に面白くて、これをきっかけにユーゴオタクになったわたしは、『バルカンをフィールドワークする』(中島由美著、大修館書店)、『ユーゴスラヴィア現代史』(柴宣弘著、岩波新書)など、次々に読み進んでいきました。それが、どれも頭と心を根底から揺さぶられるように面白いんですね。
ご存じのように、旧ユーゴ連邦は多数の隣国と陸続きで、連邦内にもいろんな宗教と民族がごった煮状態。お互いに被害者と加害者の関係を複雑怪奇に絡み合わせている。一方、日本は島国で地続きの国境を持たないし、かつて某首相が「日本は単一民族」と発言して物議をかもしたほど、かなりホモジニアスな国民です。いわば、ユーゴスラヴィアが抱えている問題を最も理解し難いはずなんですね。にもかかわらず、いや、むしろ「違う」からこそ、根源的なところから疑問を解き明かそうとする。だから、かえって斬新な見方ができて、いい本が書けるんだなと感心したんです。
『石の花』は、第二次大戦中のユーゴスラヴィアを舞台にした内戦と対独レジスタンスを物語る漫画です。初版は一九八八年ですが、その二年後に勃発した民族戦争を予言するような終わり方をしています。島国のわれわれには何度聞いてもわかりづらい入り組んだ多民族国家の歴史が、手に汗握る波瀾万丈の物語と激動期を生きる人間たちの姿を通して、心と頭にしっかりと刻み込まれるんですね。
あまりに感動したので、二〇セットくらい買い込んで、友人たちに配ったんです(笑)。感動した心は共鳴効果を求めてやまないんですね。わたしが送りつけた人たちが、またアチコチに配るという現象が起きた。しばらくして、その中の一人から電話がかかってきたんです。地方紙の政治部の記者で、『石の花』を、当時、外務大臣だった某政治家(仮にAさんとしましょう)に送ったそうです。外務大臣になった以上、『石の花』を読んで、ユーゴスラヴィア情勢を勉強したら、というつもりで。すると、まもなくAさんから、あの本のおかげで助かったよ、とお礼の電話がかかってきたそうです。
ちょうどユーゴスラヴィアで戦争が勃発して半年後くらいで、外務大臣のAさんは天皇陛下にお会いする機会があった。その時、陛下に、ユーゴ情勢は、セルビアとかクロアチアとかボスニアとかわかり難い、ちょっと解説してほしい、と言われたAさんは、『石の花』で仕入れた知識を総動員して、すべて説明しきった(笑)。陛下はすっかり感心して、その該博《がいはく》なる知識はどこで身につけたのかとお尋ねになった。Aさんは正直に、実は『石の花』という漫画がありまして、とお答えしたわけです。早速、陛下もすぐに取り寄せて、お読みになった……とか。
これ、伝聞の伝聞なので、どこまで本当の話か、はなはだ心許《こころもと》ないのですが。良い本が、あれよあれよという間に自ら読者を開拓していくいい例です。
旧ユーゴ連邦は、アドリア海沿いの温暖な気候と肥沃な大地に恵まれた美しい国。そこでなぜ、「民族浄化」などというおぞましい考えに人々がとりつかれたのか。多民族戦争が泥沼化していった時期、わたしは片っ端からユーゴ本を読んでいったんです。当然、『民族はなぜ殺し合うのか』(M・イグナティエフ著、河出書房新社)という背表紙は看過できない。即買うという具合です。
イグナティエフは、世界各地で勃発する民族間の殺戮《さつりく》の現場(ユーゴ、北アイルランドなど六カ国)に足を運び、当事者たちに直接取材するなかで、排他的な民族主義は人間の本性に根ざすと考えるに至る。それを克服し、国民の安寧秩序を確保するには市民ナショナリズムが必要であると説くんです。筆致は誠実だけど、欧米圏内各地に両親の出身地や自分の生地、育った場所が散在するからとコスモポリタン(世界市民!)を自称してしまう著者の狭さゆえか、自分の持つ善悪の図式に現実を当てはめていくようで、観察は皮相かつ観念的、論旨も大雑把《おおざつぱ》すぎると思いました。
実は、ユーゴに隣接する国々の著者が書いたものは、これ以外にもずいぶん目を通したのですが、意外にも、近視眼なくせに抽象的で余計わかり難くなる。
それで、岩田昌征さんの『ユーゴスラヴィア──衝突する歴史と抗争する文明』を読んで、いきなり目の前がパーッと開けて興奮したんです。本書は、旧ユーゴの内戦について書かれたものの中で、実状を熟知し、斬新な見方を随所に光らせ、従って群を抜いて面白い。スターリン型ではない社会主義を模索していたユーゴ連邦がなぜ崩壊し相互殺戮地獄に陥っていったのか、その謎を岩田氏は実に丁寧にそして大胆に解きあかしてくれます。
国際通貨基金はじめ先進国が押しつけたショック療法的体制転換方式によって階級形成抗争が激化し、いままで社会的所有とされていた資産をめぐる民族や個人のあいだの物取り合戦が不信と憎悪を増幅させていったこと。また、そのため失業が恒常化し、無為徒食の青年たちが野心的民族主義者たちの私兵として銃を持つに至りやすくなったこと。チトー時代に民族間の怨念《おんねん》が凍結されていたゆえに逆に先鋭化していったこと……。
なかでも、衝撃的だったのは、われわれが日々インプットしてきたユーゴ情報、それに基づいてわれわれは思考を構築し、イメージを立ち上げ、正邪の判断をするわけですが、その情報が形成されていくプロセスを丹念に暴いてみせるくだりです。
セルビアの蛮行は世界中に知らされるのに、それに勝るとも劣らないクロアチアの残虐行為はほとんど報道されない。それが、NATOや国連によるセルビア勢制裁の根拠にもなるわけですが、実は、同じようなことが第二次大戦中にもあって、そこにはカトリックのクロアチアを擁護し、東方正教のセルビアやイスラムのボスニアを悪者にしようというバチカンのあからさまな情報操作があったことを詳細に証明している。今回の戦争の解決を遅らせることになった主な原因も、情報のミスリードとそれに基づく介入だったことが、空恐ろしくなるような迫力でわかってきます。
ユーゴは、スターリン型とは違う、もう少しまともな社会主義を作っていた、という思いがわたしにはあったんです。その象徴が、「自主管理労組」。労働者自身が経営の主人公になっていくという形です。それが、崩壊寸前の八〇年代に入ると、各企業で「同僚殺し」が起こっているという話が出てきて、びっくりしました。「自主管理労組」が、資本対労働の矛盾を解消するどころか内在化させた結果、対立は目に見えなくなった分、逆に陰湿になり先鋭化する、という指摘は新鮮でしたね。
思えば、日本も労使協調路線で、表面的には対立を極力避けますが、矛盾そのものは永遠にあり続けるわけで、その分かなり陰湿で深刻になっているという気がするんです。それは必ずどこかで爆発するか人間関係を歪める。矛盾や対立は、隠すのではなく皆に見える形で顕在化させた方が社会は健全になる。当たり前ですが、重みのある真実です。
日本人はどうも、国際化とか世界に興奮するんですね。W杯サッカーでも、岡田監督が「世界の壁は高かった」とか言ったけど、戦った相手は、アルゼンチンとクロアチアとジャマイカじゃないですか(笑)。それが「世界」になってしまう。
日本語に「国際化」という単語はあっても、英語ではインターナショナリゼーションという単語を使わない。彼らはグローバリゼーションと言う。これは、「自分たちの規準で地球を覆い尽くそう」という意味で、日本人の考える「世界に合わせよう」という意味での国際化とは正反対。
問題は、その世界なんですが、どうもこれも日本人の伝統的習性で、その時々、世界最強と思える国イコール世界になる。実に長いあいだ、それは中国だったし、江戸時代末期はオランダ、明治以降は欧米先進国、戦後はアメリカ一辺倒。圧倒的多数の日本人の情報地図は、アメリカを中心とする大国から成っている。
こういう国で、それ以外の国や民族について語ると、ほぼ無条件に面白くなる。実に容易に頭角をあらわすことができるんです。日本人として初めて未知の世界に分け入って日本語でもって伝えようとするわけですから、まず全体像と本質を掴もうとする。物語であれ、歴史であれ、その国や民族の一番オイシイところを掴まえる。これ、パイオニアの役得ですね。日本人の書いたユーゴスラヴィア本には、このパイオニア特有のスケールの大きさ、未知の世界を切り開き、それを同胞に伝える喜びに満ちています。
『ユーゴスラヴィア現代史』も、まさにそういう幸せな本です。わずか二百十数ページの中にこれだけの情報を盛り込みながら単なる情報の羅列にしないという著者は、実に希有な才能の持ち主です。複雑な歴史を単純化することなく鳥瞰してみせてくれる腕前も脱帽もの。旧ユーゴ、それに先の戦争に介入した米国やNATO諸国の人たちに翻訳してぜひとも読ませたいですね。
『バルカンをフィールドワークする』は、「言語地理学」という耳慣れない学問をやっている女性が書いた本です。もし二〇歳くらい若かったら、わたしも言語地理学者になりたいと思ってしまいました。
世界の言語は大きく分けると三種類あります。日本語やトルコ語のように、「てにをは」のような助詞を付けて語の文中の役割を示す「膠着《こうちやく》語」。ロシア語やドイツ語のように、語尾変化によって文中の語の役割が定まる「屈折語」。それに、中国語や英語のように、語順によって語の文中の役割が決まる「孤立語」です。著者の中島さんの専門はスラブ語なんですが、彼女はその中のマケドニア語に目をつけたんですね。なぜか。スラブ語は語尾変化を特徴としますが、マケドニア語はスラブ語なのに語尾変化しない。わずかに人称代名詞に語尾変化が残っていて、それが膠着語の「てにをは」に似た役割をしている。つまり、本来屈折語のスラブ系民族が、トルコの支配下にあったため、トルコ語という膠着語から影響を受けて現在のマケドニア語になっていったのではないか、というように、言葉が発展してきた歴史が見えてくるんですね。
国境のように目には見えないその言語の境界線を探るため、連邦崩壊前のユーゴの僻地の山村に入り、現地の人々に直接面談しながら発音を聞き分けていく。面白いことに、現地の学者より、日本人である彼女の方がその聞き分け能力が高いんですね。それに、視野が広いし、研究対象の捉え方のスケールも大きい。一方で、現地の人々によそゆきでない本来のしゃべり方で話してもらうには、小手先の技術では無理で、全人間的とも言うべきコミュニケーション能力が試されるんですね。それに微妙な差異を聞き取り、的確に解釈する細やかな感受性にも驚嘆します。あるがままの現実を受け入れるしなやかで謙虚な精神、それから現地の生活と文化に対する上っ面ではない理解が感じられます。これを読むと、言語学の話だけでなく、その地域の人々の暮らしが見えてきて、多民族戦争があったということが、大きな悲劇として迫ってきます。
わたしは、もともと文学少女で、ある作家が気に入ると、その作家をずっと読むというタイプでした。それが、通訳の仕事を始めてからは、まったく興味のない分野、核燃料とか金融とか、仕事でなければ絶対に一ページも開かないだろう本を、読まなければならなくなった。しかも、通訳して恥をかくのも、報酬をもらうのもわたしなので、おざなりには読めません。
ところが、そういう分野の本を読み出してみると、意外にどれもこれも面白いんですよ。極めて単純に、人間がやることはどれも面白い、という真理なんですが、異なる分野の通訳をやるたびに、新しい角度で物が見られるようになるのは役得ですかねえ。
そして、面白い本に出会うと、芋蔓《いもづる》式にそのテーマの本を読んでいくことが多いですね。ただ、最近は通訳以外の原稿執筆の仕事が増えて、本を読む時間がガクッと減ってしまいました。ひどく損をしている気がします。いま、月に一〇〜二〇冊くらいですか。それに、他人の文章を読む方が、自分で書くよりもずっと面白いから、書くのがいやになってしまう、ということもありますし(笑)。
本はいつも近所の本屋さんに注文して買ってます。最近、地元の本屋さんは参考書と雑誌と漫画しか置いていなくて、気味が悪いの。まともな本を置いている本屋さんが一軒だけあるので、急ぎでない限り、そこに注文しています。書評などを読んで面白そうな本を見つけると、印をつけておいてね。そういう本が買える本屋さんが、近くに一軒もなくなったら寂しいなあ、と思いますから……。
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[#見出し] 絶滅寸前恐竜の心境[#「絶滅寸前恐竜の心境」は太字]
東京・神田は神保町の近くに「ナウカ」という名のロシア語図書専門店がある。ソ連時代、来日するロシア人は、著名な音楽家や作家も、無名な技師やお役人も、ここに立ち寄ることが多かった。決まって、「オオーッ」と雄叫《おたけ》びをあげながら書棚に突進すると、これもこれもと目一杯抱え込んで目を輝かせる。
「読みたかったんですよ。なかなか手に入らなくて」
と言いながら、喜びがこみ上げてくるらしく、顔をほころばせる。ところが、日本円での販売価格は、本の裏表紙に印刷されたルーブル表示の、日本人の感覚からするとただ同然の定価の一〇〇倍から二〇〇倍はして、彼らの手持ちの外貨ではとうてい手が届かず、四、五冊ほどで我慢することになる。愁嘆場である。
「これは、今回は出会わなかったことにしよう。いや、やはり、捨て難いなあ。でも、そういうわけには……」
未練を引きずりながら一冊、また一冊とあきらめていく様子は、身を引きちぎられるように辛そうである。なお、ナウカ書店の名誉のために言っておくと、書籍の卸値は、ソ連国際図書公団によって一方的、独裁的に決められていて、ソ連の国内価格体系とは、まったく異なる価格決定原理を採用していたようである。
それにしても、なぜ、外国にまでやってきて自国で刊行されている書籍を買いあさるのか。この不思議な情景の謎は、ソ連本国の書店を覗けば、たちどころに解明できた。本屋に本がないのである。マルクス、エンゲルス、レーニンの著作や教科書、辞書の類は、いつでもあった。共産党書記長ブレジネフの演説集や自伝も、目障りなほどあちこちに積んであった。もちろん、誰も見向きもしないから、書店は閑散としている。活気づくのは、文学書の新刊が販売される初日。朝から長蛇の列ができて、その日のうちに完売する。
「めぼしい本は、一瞬にして売り切れてしまうんですよ」
と店員。
「こないだ、大江の新訳が出たときなんか、客同士、つかみ合いの喧嘩になっちまいましたよ。別の店では耳たぶ引きちぎられた客がいました。発売開始三〇分で売り切れでしたね」
「ああ、最近出た作品集ですね、長編『洪水はわが魂に及び』と『芽むしり仔撃ち』他短編を三つ収めた。ロシア語版、日本でわたしも買いましたけど、奥付け見たら、初版三〇万部でしたよ。それでも、売り切れですか」
「三〇万部なんて、瞬きする間もありませんよ。大江健三郎や安部公房は人気ありますからねえ。もっとも、文学書は一〇〇万部単位で発行されるものだって、どれも三日と持ちません」
「日本では純文学に範疇わけされる作品ばかりですね。本好きの国民なんですねえ」
「ていうか、ここにある本に較べたら、どれも震いつきたくなるように魅力的なんですよ。もっと魅力的なのは、発禁本です。ここに決して並ばないような。バレたら手が後ろに回るような。エロフェーエフの『モスクワ発ペトゥシキ行』なんて、みな競うようにタイプで筆写してまわし読みしてますよ」
「でも、面白いわね。日本なら、売れる本は、どんどん増刷するのが当たり前なのに」
「それが、社会主義計画経済というものです」
以上の会話を暇そうな店員と交わしたのが一九七八年の暮れ、ブレジネフ時代の真っ最中である。
この話を聞かせると、日本の出版社の編集者はよだれを垂らして羨ましがったものだ。
そしていま、民主化を推し進め、市場経済に移行しつつあるロシアの書店を覗くと、たしかに劇的画期的変化が起こっていた。発禁本はなくなり、売れる本が手に入りやすくなっていた。というか、置いてあるのは、売れる本ばかりになってしまっていた。一目でそれとわかるペーパーバックのハーレクインロマンスに、「猫の飼い方」「女の愛し方」という類のハウツー本、セックス、バイオレンスてんこ盛りのB級推理小説、それに有名人ゴシップ満載の雑誌の氾濫。
「ああ、ドストエフスキー、チェーホフをこよなく愛し、純文学に夢中だったあのロシア人はどこへ行ってしまったの!?」
「純文学だって? そんなの、いまのロシアじゃ、ほとんど見向きもされないよ。発行部数だって、どれも一万部切ってる。もちろん、そんな売れない本、ここには置いてないよ」
ついに、来るものが来たと思った。実は、ここ一五年ほど、日本の書店に入ったとたんに背筋がゾーッとして後ずさりするように引き揚げてくることが多くなった。夏ならば冷房の効きすぎのせいかもしれないが、もちろん、それだけではない。もしかして、氷河期に向かってだんだん地球が寒くなるなか、なす術なく絶滅へ向かってひた走る恐竜の心境に近いかもしれない。喰える食いもんがみるみる減っていく。凍土に生える苔なんて、あんな無味乾燥なもん、喰えるわけないし。でもジューシーな果実も、養分たっぷりの小動物も、いつのまにか見当たらなくなってしまった。ああ、このまま自分と自分の属する種は滅んでいくのだなあ……なんて感じだろうか。とにかく、本屋に本を置いてない。置いてあるのは、雑誌と受験参考書と漫画だけという店が、ものすごい勢いで増えているのだ。これには、言いしれぬ薄気味悪さをおぼえる。おみくじで大凶が当たったときよりももっと不吉な予感に身がすくむ。自分と自分の同類がどうやら絶滅へ向かっているらしいという予感。限りなく恐怖に近い感覚である。
そして、ついにロシアでも、市場経済という名の氷河期が始まったというわけだ。ああ。
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Caffe
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コーヒー
[#見出し] ピオニール・キャンプの収穫[#「ピオニール・キャンプの収穫」は太字]
五月が終わると、夏休みが始まる。六月一日から八月三一日までの丸々三カ月、宿題一切なし。えっ、嘘じゃないの。本気にしていいの。
両親の仕事の都合でチェコスロバキア(当時)の首都プラハに移り住み、その三カ月目の一九六〇年一月、ソビエト学校に編入したわたしは、ようやく何とか言葉がわかりかけた四月頃、はじめて夏休みの予定を知らされて、まず自分の聞き取り能力を疑った。だって、つい半年前まで日本の普通の小学校に通っていたわたしには、哀しいかな、夏休みと言えば、宿題、冬休みといえば、宿題という連想がすでに頭の中にできあがっていたのだ。
当初、両親はわたしを地元のチェコの学校に編入させるつもりでいたのだが、すべての授業をロシア語で行うこの学校の存在を知って方針を変えた。三〜五年したら、日本に帰る。その時に、チェコ語では、書物も入手困難だし教師に巡り会うのも難しい。ロシア語なら、帰国後も勉強していける。当時、ソビエトの衛星国だったチェコスロバキアには、ソ連人の技師、軍人などが多数駐在していて、その師弟のために、ソビエト政府が、本国のカリキュラムに基づき、本国の教師を派遣してつくった八年制の小中学校だった。わたしの両親と同じ考え方をする在プラハ外国人は多かったらしく、ソビエト学校は、五〇カ国以上の子供たちが学ぶインターナショナル・スクールになっていた。
五月にはいると、級友たちは、夏休みをどう過ごすかという話題で持ちきりになった。クラスの半分は、夏休みには帰国し、残りの半分は、ピオニール・キャンプに行くらしい。
ピオニールというのは、ロシア革命の父レーニンが創設した少年団のことで、一〇歳以上の少年少女は、ほぼ自動的に入団することになっているボーイ・スカウトに似た団体だった。わたしは、まだ九歳で、ピオニールではなかったけれど、ピオニール・キャンプは、希望すれば、それに代金を支払えば、誰でも参加できることになっている、林間学校のようなものだ。
両親が申し込んでくれて、その林間学校で三カ月の夏休みのうちの二カ月を過ごすことになった。場所は、プラハからバスで一時間ほどの距離にある一〇〇名ぐらい収容の郊外のホテル。森と湖と川に囲まれた、この別荘地で、二週間に一度の親族参観日以外は、ほとんど子供たちだけで過ごすのである。
学校の教師たちの大半は、本国に休暇をとりに引き揚げてしまい、林間学校に同行するのは、七人未満である。あとは、生徒の親で医師の免許を持つ者、それに、チェコの大学に留学しているロシア人学生などがアルバイトで付き添ってくれた。
でも、キャンプの主人公は、あくまでも子供たちである。そのことをキャンプ地に到着した当日に思い知った。まずは、食堂に子供たちが集まって、むこう二カ月間のキャンプのスケジュールづくりから始めるのである。
「一〇キロほど離れたところに、農場があって、サクランボの収穫を手伝うと、サクランボが食べ放題です」とか、「近くでチェコの学校がキャンプをしているので、サッカーやバレーの試合を申し込んでは」などと、大人たちは、適当にアドバイスしてくれるけれど、最終的にそれを取り入れるかどうかは、子供たちの侃々諤々《かんかんがくがく》の議論で決まっていく。
もちろん、起床、就寝、昼寝の時間や食事の時間には、あらかじめ枠があったが、基本的には、ただただいかに楽しく遊び、充実した時間を過ごすかということだった。
イチゴ採り、キノコ採りや、魚釣り、ボートで川上りをし、広大な森林を舞台に二日がかりのかくれんぼをしたり、親たちの参観日に向けて、毎日の生活を紹介する数え歌をつくる子もいれば、刺繍に夢中な子もいる。
「ねえねえ、ここのところいいでしょう」
詩や小説を読んで感動すると、先生であれ、生徒であれ、周りの者に読んで聞かせる。自然に毎日のように輪読会が催されるようになった。わたしも、皆にせがまれるように日本の面白い物語を語り聞かせることになった。古事記とギリシア神話の驚くべき相似に、彼らとともに気づかされたのも、その時だったし、物語の魅力には、国や民族を超えた力があることも、その頃知った。
「すごい、信じられない」
九月一日の新学期、担任教師は、わたしのロシア語が飛躍的な上達をとげたことに飛び上がるほど驚き、自分のことのように喜んでくれた。
「キャンプのおかげです」
一〇〇パーセントの確信を持って、わたしはそう答えていた。
いま、ピオニール・キャンプの写真を眺めながら思い返すと、二カ月間の学友たちとの共同生活は、さらに大きな収穫をわたしに与えてくれた気がする。
それは、学友たちや先生を見る目が、というよりも人間そのものを見る物差しの蓄えが豊かになったことである。勉強が抜群にできる非の打ち所のない感じのいい優等生が、実は気が弱いマザコンだったり、二年続けて落第している劣等生が森の中で道に迷ったとき、樹木や草の茂り具合から方角を正確に言い当てて、皆を窮地から救い出したり、厳しいだけの数学教師が、魚釣りと木登りの名手だったり。人間というのは、実に多面的で神秘的な生き物だ。どんな人にも長所があり、短所がある。当たり前かもしれないそんな真実を、多感な少女期に実感できたのは、幸運だったと思う。
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[#見出し] 懐かしい恩師に褒めてもらったような……[#「懐かしい恩師に褒めてもらったような……」は太字]
一九五九年から六四年までの五年間、ちょうど小学校三年から中学二年までに相当する時期を、親の赴任先であるチェコスロバキア(当時)の都プラハで過ごしたわたしにとって、日本語は、九五パーセントほど母国語で、五パーセントは外国語であるような気がしている。日本語で書いたり語ったりすることは、いまでも試験を受けている最中のような一定の緊張と興奮をともなう。それに、前々からぜひとも使ってみたかった言葉や言い回しを駆使するときの胸のときめきは、自転車に初めて乗れるようになった遠い昔の日に味わった、乗ること自体が嬉しくて楽しくてたまらなかった気分にソックリだ。「むやみに漢字を使いすぎる」「手垢にまみれたマスコミの常套句を好んで使うクセがある」とことあるごとに遠慮のない近親者が浴びせる批判は、実に的を射ている。帰国後、中学二年の三学期に編入してから必死で叩き込んだ漢字だもの、使わなくては損だ、という成り金根性がたしかにある。それに、人口に膾炙《かいしや》した紋切り型を用いると、ようやく一人前の日本人の仲間入りができたような達成感に浸れるのだから、これを禁欲するのは、辛い。
帰国当初は、母国語度は六〇パーセントぐらいだったかもしれない。わが卒論を読んだ指導教官が、
「こんな誤字あて字の多い論文は、東京外国語大学|開闢《かいびやく》以来」
と感嘆を禁じえなかったほどだ。それでも、日本語に対する愛着と学習欲を強烈に持ち続けてこられたのはなぜか。それを思うとき、真っ先に浮かび上がるのが「講談社」の三文字なのである。
一家がプラハに移り住んだのは、羽田からアンカレッジとハンブルグ経由でパリまでプロペラ機で二二時間、さらにパリに四泊してプラハ行きの便に乗り換え、七時間かかった時代である。当時かの地に日本人学校などあるはずもなく、日本語によるコミュニケーションは、両親と二歳年下の妹との会話に限られることとなった。どんなに知的水準の高い家庭であれ、日常茶飯のやりとりに用いられる語彙や文型は限られているものだ。ましてやわが家においてをや。そのうち両親は、他の国々に出張していることの方が多くなっていった。習得する言語が帰国後も続けやすいことを考慮して、地元のチェコの学校ではなく、すべての科目をロシア語で教えるソビエト大使館付属学校に通わされるようになったわたしと妹は、いつのまにかロシア語で喧嘩をすることの方が自然になっていった。その方が罵り言葉が豊富という事情もあるにはあるが。
それでも日本語との絶縁状態に陥らなかったのは、半年遅れて船便で届いた荷物の中にあった『少年少女世界文学全集』全五〇巻のおかげである。講談社が創立五〇周年を記念して、五八年に刊行したもので、いまでも目を瞑《つむ》ると、プラハの自宅の本棚に並ぶ小豆色の背表紙に手が届くような気がする。それほど親しんだ。日本と世界の選りすぐりの名作が収められていて、少なく見積もって二〇回以上、文字どおりボロボロになるまで読んで読んで読み尽くした。
たびたび電話口で相手に母親と間違われることから判断しても、わたしの日本語話し言葉の発声法と発音とイントネーションの教師は、母親だろう。でも書き言葉初級の教師は、まちがいなく『少年少女世界文学全集』全五〇巻だった。この物語上手な先生は、多様な語彙と文型と文体に、面白く自然な形で数限りなく出会う機会を与えてくれた。教科書的退屈や押しつけがましさを微塵も感じさせることなく、いつも魅力的な語り口で広大で奥深い日本語の世界に誘い込んでくれたのである。帰国する際に、名残惜しいものの、あとからいらした日本人子弟のために譲り置いてきた。その後も代々愛読されたようだから、本としてこの世に生まれ出て、きっと本冥利に尽きるのではないかと思っている。
宇宙飛行士は、生命維持装置を通して地球を覆う大気と同じ組成の気体、それに地球産の養分を補給されてこそ、生きながらえる。はるか彼方の地球をいとおしいとも思う。五〇巻は、母なる日本語とのつながりを保つ生命維持装置だった。大げさな言い方になるが、これなしには、日本人としてのわたしは死んでいたと思う。
その五〇巻の生みの親である講談社から、わたしにとって四〇パーセントは獲得言語である日本語で書いた本『魔女の1ダース──正義と常識に冷や水を浴びせる13章──』に対して賞をいただくことは、昔一方ならぬお世話になった懐かしい恩師に、「たいへんよくできました」と頭を撫《な》でられるような、感慨深いものがある。バランスシートの借り方勘定ばかりが増えていく焦りもあるが。
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[#見出し] チボー少年と人魚姫[#「チボー少年と人魚姫」は太字]
チボーという名を聞いて、わたしがまず思い浮かべるのは、マルタン・デュ・ガールの名作ではなく、小学校四年のときに転校してきた、手のつけようのない悪餓鬼のことである。在プラハ、ソビエト学校。転校当日の最初の授業で前に座っていた女の子のお下げ髪を切り取ってしまい、翌日には教材の地球儀をサッカーボールにして遊んでいた。この破壊魔の名をアラン・チボーといった。
母親がフランス人で父親がカナダ人。この父親は先生でもないのに職員室でしじゅう息子と鬼ごっこをしていた。アランが不始末をしでかすたびに学校に呼び出され、誠意を示すつもりか、教師たちの面前でお仕置きをしようと努めるものの、そう簡単につかまるような相手ではないからだ。しかも逃げながら息子の方は手当たり次第インク壷やらファイルやらペン先やらを投げつけるので、学校側にしてみればこのチボー・パパの「小さな誠意」は「大きな迷惑」だったに違いない。
教師たちの呪いも虚しく、チボーは毎日欠かさず登校してくる。授業潰しを生き甲斐にでもしているかのようだった。教室に入るなりチボーを認めると、教師の顔は青ざめ引きつったものだ。そんな無敵の疫病神が数学のガリーナ・セミョーノブナ先生に敗れたのは、教師たちがホトホト疲れはて、諦めの境地に達した頃だった。
幾何の時間のことである。この日チボーは泡立器を持ち込んで机に当ててけたたましい音をたてたり、女の子に押し当てようとしてキャッキャッ言わせていた。こんな時、他の先生方のようにヒステリックにわめきたてたりしたら、この確信犯の思うつぼ。あくまで落ち着き払ったガリーナ先生は拳を握り締めると女とは思えぬドスの利いた声で言い放った。
「これ以上つけ上がると、その芋面、対称形にしてやっからな!」
一瞬の間をおいて教室は爆笑した。当のチボーまでが堪え切れずに吹き出した。その右頬にはついこのあいだの喧嘩の跡が大きな痣《あざ》となって赤紫色に輝いていたのだ。それに前回の授業で習いたての「対称形」という言葉はわれわれ生徒にとって実に新鮮で刺激的な響きを持っていた。
「左頬に右とお揃いのを一発かましたる」なんて月並みな表現をせずに、日頃の授業の敵をたちどころに復習用教材にしてしまった先生の詩的閃きに、教材化された当人もろとも感服したのである。
以後チボーは授業中だけは静かになり「ガリーナの奇跡」などと話題になった。もっとも食堂のフォークがごっそり消え失せていると思ったら、チボーが屋上から校庭の花壇めがけて投げていたという類の事件はその後も続き、授業外では悪童の面目を保って、妙に皆を安心させたりしていた。
何故チボーは対称形事件以後授業潰しをピタリと止めたのか。たしかにガリーナ先生の言葉には迫力があった。何しろ恋人がひとかどのボクサーだった。フライ級かせいぜいバンタム級の彼と並ぶと先生の方がはるかに肩幅も広く胸板も厚く逞《たくま》しげに見えた。
しかし、それなら何故、肉体も舌鋒もヘビー級の先生は、もっと早く「弾圧」能力を発揮しなかったのだろうか。
この長年の謎が何となく解けてきたのは、チボー少年の心中を自分の体験に引きつけてみたときだった。チボーよりも二年ほど前に親の仕事の都合で日本からプラハへ移り住み、すべての授業をロシア語で教えるこのソビエト学校へ編入させられた当初は、わたしもアンデルセンの人魚姫の悲哀と落ちこぼれ生徒の苦痛を存分に味わった。毎日四時間から六時間、何もかもチンプンカンプンな授業に出席し続けることがどれほど耐え難いことか。不当な仕打ちを受けたとき、それを詰《なじ》ったり訴えたりできないのがどれほど悔しいことか。皆が笑っているときにいっしょに笑えないのがどれほど寂しく切ないことか。多分大人であったら、つまり自己の運命の決定権を持つ者ならば、とっくに逃げ出していたと思う。しかし被保護者の身であったわたしは、毎日悲痛な覚悟で登校し続けなければならなかった。その結果、一〇歳に満たないのに肩凝りと偏頭痛に悩まされることになった。
チボーの授業潰しは、わたしの肩凝りや偏頭痛と同じ根っこから発していたのだろう。いや、そうに違いない。そして、あの時初めてチボーは、皆と同時に先生の言葉が理解でき、皆といっしょに笑えたのである。それがどれほど嬉しいことか、わたしにはよくわかる。
人間は、他者との意思疎通を求めてやまない動物なのだ。少女期のこんな体験ゆえにわたしはいまの職業を選んだのかもしれない。
「両者の意思疎通は、わたしがいて初めて成立している」と実感しつつ仕事をするのは、なかなか気分のいいものなのだ。
もっとも通訳の最中、「キチンと訳しているのだろうか」という疑いの眼差しで冷たく見つめる顧客もいる。とても居心地が悪い。
「そんな時は」とわたしの尊敬する通訳術の師、徳永晴美氏は言う。「オシッコに行きなさい。ちょっと長めにトイレにいて、出ていってごらん。君を見る顧客の眼はすっかり変わっている。君はなくてはならない人になっているはずだよ」
これなどさしずめミニ人魚姫体験を通して、顧客の方に、どんなにまどろっこしく、間違いだらけであろうとも、意思疎通はないよりあった方がましという境地に達観していただくための、いささか姑息かつ安易ながらも、かなり確実な方法なのである。まあ、そんなおかげもあって、わたしの職業は成り立っている。
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Digestivo
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食後酒
[#見出し] 楽天家になろう[#「楽天家になろう」は太字]
まったく同じ症状の患者でも、悲観的で絶望しがちな人より、必ず治ると無邪気に信じていて何でも良い方に解釈するタイプの方が完治する確率が高いものらしい。もっとも、病気の治りばかりでなく、その方が幸せな人生がおくれるだろうし、長生きもするだろう。
というわけで、楽天家になりましょう。たとえば、次のB氏のような思考回路の男など、理想的な楽天家なのではないだろうか。
B氏は、とある人妻とそのマンションで情熱的な一夜をともに過ごした。人妻の夫は出張中なので安心し切っていたら、朝方、玄関のインターホンが鳴り、扉のレンズ越しには、なんと夫の姿。B氏はあわてたものの、人妻の方は落ち着き払ったもので、台所からゴミ袋を抱えてきて玄関の扉を開けると、
「まあ、お帰りなさい、あなた。ちょうど良かったわ。わたしまだネグリジェだから、これ出してきてくれない」
夫がゴミ袋を抱えて階下へ降りていった隙に、B氏は部屋を抜け出し上階へ登っていき、そこでゴミ置き場から戻った夫が部屋に入ったのを確かめてから階段を降りて無事建物の外に出た。歩きながらも、ひたすら人妻の機転に感心するばかり。
「いやあ、たいしたもんだ! なんて頭のいい女なんだ。それにしても間抜けな亭主がいたもんだ。フフフフ」
ついつい顔がほころぶ。時計を見ると、まだ朝七時なので、職場へ直行せずに、ひとまず自宅へ立ち寄ることにした。玄関のインターホンを押すと、しばらくして寝間着姿の妻が寝ぼけ眼をこすりつつ、ドアを開けてゴミ袋を押しつけてきた。
「あら、あーた、ちょうど良かったわ。わたしまだパジャマなのよね。悪いけど、お願い」
ゴミ袋を抱えて階段を降りながらB氏は愚痴ることしきりだった。
「まったくどうしようもないグータラな女だな。困ったもんだ、一日中家にいて、ゴミも出しとかないなんて……」
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初出一覧
●ガセネッタ・ダジャーレとシモネッタ・ドッジ(〈駄洒落好きの同時通訳の聖書〉を改題)/芋蔓式読書(〈私の読書術〉を改題)*以上「アイ・フィール」(紀伊國屋書店)98年春号、99年冬号
●三つのお願い*「文學界」(文藝春秋)95年4月号
●出会い頭の挨拶にはご用心/偶然か必然か当然か/深謀遠慮か浅知恵か/単数か複数か、それが問題だ*以上「NHKテレビ ロシア語会話」(NHK出版)97年4〜9月号
●シリーズ化という病*「すばる」(集英社)97年10月号
●なぜ、よりによって外出時に*「JR東海」(JR東海)00年10月号
●フンドシチラリ*「波」(新潮社)98年1月号
●開け、胡麻!*「One on One」(兼松エレクトロニクス)99年6月号
●京のぶぶづけとイタリア男(〈イタリア男と京のぶぶづけ〉を改題)/メゾフォルテが一番簡単(〈あらゆる音階を〉を改題)/覚悟できてますか?(〈訳し手の数だけ印象が〉を改題)/寡黙と雄弁の狭間で/フィクションが許されるのは作家だけか?(〈作家と通訳の共通点とは〉を改題)/性格は関係ない(〈楽をするには忠実な訳を〉を改題)/誤訳と嘘、プロセスは同じ/身内ほど厄介なものはない(〈字句通りには訳せない〉を改題)/ピアニッシモの威力(〈ピアニッシモの意外な威力〉を改題)/理想は透明人間/墓場まで持っていけるかな(〈特ダネを秘める倫理〉を改題)/女人禁制の領域にも/全ロシア愛猫家協会/禁句なんて怖くないけれど(〈手持ちの駒で勝負する〉を改題)*以上「日本経済新聞」通訳奮戦記95年4月〜97年9月
●誤訳のバレ具合(〈「正反対」の立場の通訳〉を改題)/中庸と中途半端のあいだ/比喩の力*以上「夕刊フジ」土曜トーク00年5月28日、6月5日、6月11日
●棚から牡丹餅、脛に傷(〈棚から牡丹餅〉を改題)/目くそ鼻くそ*以上「The New English Classroom」(三友社出版)98年9月〜10月号
●花と通訳にはお水を!!*「Cat」(アルク)00年9月号
●戦場か喜劇の舞台か(〈異文化の交差点から〉を改題)*「すみとも」(住友グループ広報委員会)99年Winter
●同時通訳の故郷は?*「月刊言語」(大修館書店)97年8月号
●翻訳と通訳と辞書/届かない言葉/懺悔せずにはいられない/省略癖*以上「三省堂ぶっくれっと」(三省堂)99年9〜11月号、00年5〜9月号
●田作の歯ぎしり*「銀座百点」(銀座百店会)98年6月号
●「地理的概念」にご用心*「21世紀フォーラム」(政策科学研究所)No.66 98年10月号
●反日感情解消法*「熊本日日新聞」論壇00年7月23日
●うつつと夢を行き来する旅(〈うつつと夢を往復する方法〉を改題)*「winds」(JAL機内誌)00年9月号
●漢字かな混じり文は日本の宝*「本の話」(文藝春秋)98年3月号
●浮気のすすめ*「ばせんでら」(YMCA)96年秋号
●鎖国癖*〈鎖国癖〉「婦人公論」月夜の独り言=i中央公論新社)00年3月7日号/〈留学生が日本を知る方法〉〈国際化、いまだ「出島」並み〉「熊本日日新聞」論壇00年5月28日、6月25日、以上三つのエッセイをもとに再構成
●一コマ漫画にはかなわない(〈世界中を同時に笑わせる〉を改題)*「読売新聞」00年1月1日
●腰肩行く末*「笑顔」(保健同人社)99年3月号
●空恐ロシヤ!/変わる日本語、変わるか日本*以上「外交フォーラム」(都市出版)98年4月号、7月号
●スタニスラフスキー・システムに立脚して演技する猫たち*映画「こねこ」プログラム(ロシア映画社)99年
●腐ってもボリショイか/チボー少年と人魚姫*以上「文藝春秋」(文藝春秋)98年9月号、91年9月号
●極上の聴衆(〈エカテリンブルグの刹那の静寂〉を改題)*「MUSE」(サントリーホール)99年9月号
●命の恩人は寡黙だった*「マリ・クレール」(角川書店)00年1月号
●蘆花がトルストイに逢った場所*「徳富蘆花記念文学館館報」(徳富蘆花記念文学館)99年3月号
●モテる作家は短い!(〈容貌は作品を決定づける!?〉を改題)*「週刊朝日百科「世界の文学」15」(朝日新聞社)99年10月24日号
●取り越し苦労(〈無駄な老婆心〉を改題)/美しい言葉*以上「婦人公論」月夜の独り言=i中央公論新社)98年11月7日号、12月7日号
●蚤を殺すのに猫まで殺す愚(〈ノミを殺すのに猫までころさないで―言葉に対する過剰な自己規制〉を改題)*「月刊民放」(日本民間放送連盟)97年6月号
●自前のフィルム・ライブラリー(〈映画と私〉を改題)*「キネマ旬報」(キネマ旬報社)00年10月上旬号
●ダルダニヤンとミレディーの濡れ場にゾクゾク*「本の花束」(生活クラブ生協)96年5月号
●絶滅寸前恐竜の心境(〈絶滅寸前の恐竜の心境〉を改題)*「本の旅人」(角川書店)99年9月号
●ビオニール・キャンプの収穫*「PHP」(PHP研究所)99年4月号
●懐かしい恩師に褒めてもらったような……*「本」(講談社)97年12月号
●楽天家になろう*「月刊健康」(協栄生命健康財団)00年11月号
単行本 二〇〇〇年十二月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成十五年六月十日刊