不定期エスパー8[#8は□+8] 〈新しい道〉[#〈〉は《》の置換]
[#地付き]眉村 卓
[#地付き]カバーイラスト=黒江湖月
[#地付き]カバーデザイン=秋山法子
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ぼくはこれ迄《まで》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)何|艘《そう》かの船
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
-------------------------------------------------------
[#改ページ]
目次
三角地帯
救 出
旅立ち
解説 鏡 明
[#改ページ]
三角地帯
ぼくがシェーラから教えられ探していたのは、エミンニビルの――地上庭園である。そもそもがビルの地上庭園という言葉自体、変といえば変であろう。地上と称するからには、常識的には地面と等しい高さにあるわけで、それがビルの中に存在するのなら、中庭と表現してしかるべきである。庭園よりもビルが高ければ、そうならざるを得ないではないか。もしも逆に庭がビルの頂部に設けられていれば、屋上庭園と呼ぶのが普通だ。探している間はあまりそんなことを深くは考えなかったのだが、石段を登るうちにぼくは、そのことが頭をよぎり、しかもどこか奇妙な気分で、そんなものが現実にあるのだと悟りはじめていたのである。
石段をあがるぼくの実感は、丘、それもかなり高い丘であった。なるほど途中には左右に分れる道が何度も現われたし、そのどこへ入って行ってもビルの内部に通じていたのかも知れないが、ぼく自身は、間隔をおいてともる灯に照らされた樹々の中、ひたすら石段を登っていたのだから、それが当然であろう。が……これがビルだとすれば、丘のかたちをした、むしろ丘をくり抜いたと形容してもいいビルだとすれば、その上に庭園があってもおかしくはないし、庭園というのがこの第三市の、どこに高さの基準があるのか見当もつかぬ基準によれば、地面と同じかそれに準じた高さにあたり、地上庭園と名付けられることもあり得るだろう――との気になったのだ。
そして。
カイヤツ軍団の旗を認めて駈けあがりつつ、僕は脳裏をいささか苦い想念がかすめ過ぎるのを覚えていた。ぼくはこれ迄《まで》、やむを得ずの面もかなりあったというものの、ともかく全力で、しゃにむに突っ走って来たが……それは自分でこうと信じていた中をではなく、どこかに錯誤があったのではないか……ここが本当の丘ではなくビルなのに、丘と思い込んでしまったような、そんなことをやって来たのではあるまいか、という、ある意味では根本的な懐疑がふっと湧《わ》いて、泡さながらに消えて行ったのだ。
だが。
だが、それはいい。
そんな感覚をよみがえらせるゆとりもないままに、ぼくは石段の最上部にたどりついていた。
目に入ったのは、石段をあがり切った左、外灯を受ける急造の小さな詰所である。ぼくがさっき仰ぎ見たカイヤツ軍団の旗は、詰所の反対側の右手の、高い柱にとりつけられていたのだ。
しかし、その瞬間、詰所から姿を現わした兵が、レーザーガンを構えて叫んだ。
「誰だ!」
「カイヤツ軍団第四地上戦隊、第二部隊一―二―一のイシター・ロウであります!」
ぼくは足を止めて、叫び返した。
とうとうカイヤツ軍団が駐屯しているところにたどりついたのだ――という安堵《あんど》とよろこびがぼくをとらえていたのは、事実である。だが、たどりつけばぼくはカイヤツ軍団の兵士であった。兵士としての言動が先でなければならなかったのだ。
それにぼくは、軽い不審をも覚えていたのである。
こうした哨番《しょうばん》は、詰所の外に佇立《ちょりつ》しているのが定めなのに……相手は、ぼくの足音を聞きつけてか姿を認めてか知らないが、中から出て来たのだ。
なぜだ?
が……そのときに相手は、レーザーガンの銃口を下ろし、敬礼していた。
ぼくは答礼した。
答礼しながらぼくは、その兵がぼくよりひとつ階級が下の主個兵であるのを見て取っていた。
所属も、第四地上戦隊ながら別の部隊――部隊長名がつけられる迄は第四部隊だったデイゼン部隊である。
ぼくは自分の隊では最下級であった。エクレーダでのあの一斉昇進と、メネの陣地でのこれもみんなと一緒の戦時任官によって個兵長になっていたものの、兵員の補充があったわけではなし、それで当然だったのだ。他の部隊もぼくたちと似た状況だったとすれば、一番下でも個兵長のはずなのだが……そうではなかったのだろうか。あるいは何か、ぼくにはわからぬ事情があったのかも知れない。
ぼくが答礼を終えたとき、詰所からもうひとりが出て来た。
ぼくは再び敬礼した。
相手も応じた。
それは個兵長だった。
「どうしたんだ?」
その個兵長は尋ねたのだ。「どうして今頃――」
「戦闘中にはぐれて、あとを追って来たんだ」
ぼくは、相手も個兵長なので、先方と同様の言葉遣いで応じた。
「――そうか」
相手は頷《うなず》き……ぼくの顔をみつめて何かいいたげだったが、気をとり直したように、ぼくから見て行く手の方向を指した。「あっちの、左斜め奥に本部がある。あそこへ行ったらどうだ?」
「本部へ?」
ぼくは問い返した。本部なんて、おえらがたばかりのいわば中枢部なのだ。なるほど兵隊もいないわけではないが、それは下働きとしてである。ぼくなどには直接関係のない場所なのだ。そんなところへ行かなくても……ぼくの話を聞き、ぼくがどうすればいいか指示してくれる部門へ赴《おらむ》けばいいのではないか? それとも、本部にその部門があるというのか?
「そうだ。とりあえず本部へ行ったほうがいいんじゃないかと思うな。正しくは、元本部というべきかも知れない」
「わかった」
本部ではなく元本部という相手の言葉もふに落ちなかったけれども、とにかくぼくはそう答え、奥へと歩きだした。
奥へといったが、ぼくの眼前にあるのは、外灯があちこちに立っているだけなので全貌《ぜんぼう》をとらえるのは困難とはいえ、意外な迄に広大な庭園のようであった。
入ったすぐ先に、いくつかの噴水がばらばらに立っている。それも、ちゃんと水を噴きあげているのだ。
右手のだいぶ先には、池があるようだった。その鈍い水面から視線を左に移すと、正面にあたるところに低いが幅の広い建物がある。が……ここから眺めてもそれは、詰所と同じく急造の間に合わせのもののようで、張り出した屋根と柱がいやに目立つのだ。外灯を浴びて見える壁、あるいは仕切りは、どうも板か何からしい。そのお粗末な建物のかなたにもまだ何か構築物がありひとつの窓に灯がついているようだが、全体像はここからはっきりとはわからなかった。
そしてその左、詰所の個兵長のいった方向に、これはちゃんとした――初めからこの庭園にあったに相違ない、どうやら事務所か会館らしいものが位置を占めていた。玄関のドアの上にはあかりがついている。あれが本部(個兵長のいう元本部?)とやらなのであろう。ぼくはそっちへと進んで行った。
今もいったように、ぼくが入った庭園は広く、それぞれの建物はかなり離れている。あちこちには彫像や何かの柱らしいものも立っていて、その薄くらがりの中を二、三人、そしてむこうには三、四人と、あきらかに連邦軍の制服姿が何か話し合いながら歩いているのだ。
だが……遠目にではあったけれども、そうした連中の様子に、ぼくが馴れ親しみ自分のものともしてきた軍隊特有の張りつめた雰囲気が、ないとはいわないが稀薄であるように感じたのは、ぼくの気のせいだったろうか? そういえば、先刻の詰所のふたりの兵にも、たしかに厳しさが欠けている印象があった。なぜかはわからない。だがぼくにはそう思えたのだ。
とにかく、本部だ。
ぼくはその建物の前に釆た。哨番の兵らしい者がいないので(これまた、普通なら考えられないことである)ドアを一応ノックし、入れという声を聞いてから入ったのである。
中は、たしかに元は事務所か何かだったらしい。奥へとつづく廊下があり、左側は壁で、右側には受付の窓があった。そしてその窓からひとりの将校――主率軍が顔を覗《のぞ》かせていた。どうやら入れといったのは、その主率軍らしい。
「何だ?」
主率軍はぼくの敬礼に答えてから尋ねた。
ぼくは、自分が所属する隊と離れ離れになってしまい、後を追ってここ迄来た旨《むね》を告げた。もちろん、ごくかいつまんで要点だけをいったのである。詳しく話せばきりがないからだ。先方が質問すれば、それに答えるつもりであった。
「――ふむ」
主率軍は眉をひそめた。ぼくが自分の隊を見失ったことを咎《とが》めるわけでもなく、さりとてよく帰ってきたともいわずにだ。それよりも、むしろどこか当惑している気配すらあったのである。
「ちょっと待て」
主率軍はいうと、受付の窓を離れた。窓のむこうはだいぶ大きな部屋で、机や椅子が並んでおり、そこに思い思いという感じで将校たちがすわっている。全部で十七、八名というところだろうか、部屋が比較的広く、照明も行き渡っているために、何かがらんとした印象があった。
主率軍はその将校たちのところへ行き、何か話しかけたのだ。受付の窓からみているぼくの目に、将校たちが首を横に振るのが映った。
が。
やっとひとりの将校が何かを主率軍にいい、席を立つと、ぼくから見て奥のほうのドアを開き、廊下のむこうへと去って行ったのである。
主率軍が戻ってきた、
「ハイデン部隊の将校はこの部屋にはおらん。居るとしても病院の中だ」
主率軍はいった。「しかし、ハイデン部隊に関係のあった人間が残っているから、その者がお前に事情を話すだろう。そこで待て」
「わかりました!」
ぼくは答えた。
どうなっているのか、どうもよくわからない。
ハイデン部隊の将校はこの部屋におらず、いるとしても病院の中というのは……病院がどこにあるのか知らないが、みんなやられてしまったということだろうか? しかし軍隊であるからには、たとえそうだったとしても当然新しい指揮官が任命されてしかるべきなのである。それを……ハイデン部隊に関係のあった人間とは……どういう関係なのだろう。指揮官ではないのか? しかも、事情を話すとはどういう意味なのだ?
ほどなく、先程の将校がもうひとりを伴って引き返してきた。
ぼくは、あぶなく声を出すところだった。
それは、汚れ果ててはいるものの、まぎれもない観察要員の服をまとった――ライゼラ・ゼイだったのである。
「イシター・ロウ!」
ライゼラ・ゼイは叫んだ。
ぼくは敬礼した。彼女が率軍待遇者である以上、上級者に対する礼をとるのがぼくの義務というものなのである。
ライゼラ・ゼイは答礼し、しかし、自分を連れてきた将校にふたことみことささやいてから、ぼくに歩み寄って来た。
「外で話しましょう」
ライゼラ・ゼイはいう。
ドアを押し開いて行くライゼラ・ゼイにぼくは従った。
「あなた、今、エスパー?」
出るや否や、ライゼラ・ゼイは問いかけ、ぼくはかぶりを振った。
「そうではありません。観察要員」
ぼくは答えた。
「そう」
ライゼラ・ゼイは小さく頷くと、歩きつづける。
外といっても、そう遠くへではない。
ライゼラ・ゼイは、噴水のひとつを指して、そのわきの石に腰を下ろし、ぼくにも並んですわるように身振りで示した。
上級者とそんな真似をしていいものかどうか、ぼくはちょっと迷ったけれども、彼女がもう一度強く手で促すに及んで、そうせざるを得なかったのだ。
「馬鹿ね」
薄くらがりの中でライゼラ・ゼイが最初に発したのは、その言葉だった。
ぼくは当惑した。
「自分の隊に合流するために、追って来たんだって?」
ライゼラ・ゼイはいう。「いかにもあなたらしいわ。真面目なのね。でもわたし、あなたに文句をいっているんじゃないのよ。それどころか尊敬している。それに……あなたが自分の隊を追って来るかも知れないと思ってもいたのは否定しない」
「…………」
ぼくは、相手の次の言葉を待った。
しかし。
「だけど、遅かったわ、イシター・ロウ」
と、ライゼラ・ゼイはいったのだ。
「遅かったとは、どういうことでありますか?」
ぼくは訊《き》いた。
するとライゼラ・ゼイは、ぼくの肩を軽く叩いて笑ったのだ。
「誰も聞いていないんだから、もうそんないい方はやめて。対等に話しましょう」
ライゼラ・ゼイはいった。「そう……第四地上戦隊の生き残りは、どうやらここにたどりついて、ここを占拠したわ。他の地上戦隊もそれぞれどこかに居るか、居たかしたんでしょうけど、こっちにはよくわからない、ここには第四地上戦隊だけ。でも、四分の三は出て行ったんだ」
「出て行った、のですか?」
ぎくりとし、しかしやはり相手に対等にといわれても、身についた習性でそうは行かず、ぼくはそんないい方で反問した。
「ええ、三時間余り前にね」
と、ライゼラ・ゼイ。
三時間余り……。
では、やはりぼくは間に合わなかったのか? ここへ来るのに時間がかかり過ぎたというのか?
「どこへ行ったのです?」
ぼくは問うた。
「さあ、わからない」
ライゼラ・ゼイは宙に目を向けた。「血路を開くために……敵の包囲網を突破してネプトを出るために、ということだった。しかしそんなことが可能かどうか……わたしは悲観的なんだ」
「とすると……」
ぼくはライゼラ・ゼイを見た。
ライゼラ・ゼイはここにいた四分の三が出て行ったという。包囲網を突破しネプトを脱出するためにそうしたという。だが、ではなぜここにあの将校たちやライゼラ・ゼイやその他の兵たちが残っているのだ? 何かの作戦なのか?
「わたしたちは残るほうを選んだのよ」
ライゼラ・ゼイはいう。「全くの異例のことだけど、敵中突破はわが軍がこんな状態になっているのだから、ほとんど絶望的な行為だということで、個人個人で自分の身のふり方を決めたい者は残れ、ということになったの。負傷者もいることだしね。今ここに居るのは四、五百というところかしら。順次思い思いに出て行くはずだけど、それ迄は占拠したこの場所を確保するために、一応の統制がとられているわけ。何かあったら防戦しなきゃならないから」
「…………」
ぼくは沈黙した。
こんなことは、考えもしなかったのだ。
これは、いってみれば軍の解体ではないか。出て行った者はともかく(ぼくはそのとき、ぼくが目撃したあの連邦軍もまた、同じような目的で動きだしたのであろう、と、悟《さと》ったのである)ここに残っているのは、もはや正しい意味での軍ではない。武装した一団という程度のものに過ぎないのではないか?
そうなのだ。
それゆえの……ぼくがこの地上庭園に来てからの不審、違和感は、ここに居る者たちがそんな状態であるのを感知した――ということであろう。
こんな措置、こんなやり方を、第四地上戦隊はなぜ選んだのだ?
いや。
そんなことは、この場ですぐには……しかもぼくに得られる情報位では……わかりっこないのだろう。上層部にはそうすべきだとの理由と状況判断があったのだろう。
事実を……ぼくは何とか受け入れようとした。
成功したとは、とてもいえない。
まだ納得しかねるのだ。
「ここに残っている者も、ひとりひとりでかグループでか、とにかくあと半日か一日のうちに出て行くことになると思う」
ライゼラ・ゼイはつづけた。「敵はどうやら、もっとも高度化され複雑になっているネプト第四市から侵入を開始しようとしているらしい。はっきりとはわからないけど……第四市の人々がどんどん第三市に流れて来ているから、そうなのでしょうね。敵が来る前にここにそんな人たちが殺到してくるかも知れないし、明朝、といってもいつかわからない。ひょっとするとこの夜半には送電も切られるというから……少しでも早く出て行くほうがいいと、みんな考えているようなんだ」
「…………」
ぼくはそのライゼラ・ゼイの話を、きちんと聴いていたとはいえない。
第四地上戦隊がそんなことになったということに、まだショックを受けていたのだ。
ぼくは、ではどうすればいいのだ?
出て行った人々を追うか? 三時間余りも前に出たというのを、この騒ぎの中で、方向もよくわからずに追えるのか?
それとも、残った人々と共に、何かをすべきなのか?
わからなかった。
どこか……目的喪失の空しさがあるのだった。
だが待てよ。
残っている者の中に、自分の隊の人間がいることだって考えられるのだ。それに、そう、ぼくはシェーラの言を想起した。出て行っていないとすれば……ヤスバがいるかも知れないではないか。彼の気性からすればその可能性はきわめて小さかったが……そういうことがあり得ないではない。
もしもそうした知っている誰かがいれば、そいつと話し合ってみるべきではないか?
「聞いてるの?」
ライゼラ・ゼイがいったので、ぼくはわれに返った。
「失礼しました」
「やはり、ショックだったようね」
ライゼラ・ゼイは、口調をやわらげた。
「お伺いして、いいでしょうか」
ぼくは口を開いた。「私の隊の人間は、みな出て行ったのでしょうか?」
「よくは知らない」
というのがライゼラ・ゼイの返事であった。「ハイデン部隊にいたといっても、わたしが知っている人は限られているし、その多くは死ぬか出て行くかしたから……自分で探してみることね」
「…………」
そうしよう、と、ぼくは思った。
「わたしも、あすの早朝迄には出て行くつもり」
ライゼラ・ゼイは語を継いだ。「だからひょっとすると、もうあなたに会えないかも知れないわ」
「…………」
ぼくは、相手をみつめた。
「以前あなたは、わたしの心を読んだことがあるわね」
ライゼラ・ゼイは呟《つぶや》くようにいいだす。「以前といっても、つい何日か前の話だけど、遠い昔のような気がするなあ。とにかく……わたしは、わが軍の秩序や組織が崩壊して軍としての力が持てなくなったら、自分としては逃亡してでも生きのびたい、生きていなければできないことをしたいと……あなたに軽蔑されるのを承知で、読んでもらったわね。覚えている?」
「もちろん、よく覚えています」
ぼくは肯定した。
「状況はごらんの通りよ」
と、ライゼラ・ゼイ。「しかも、ネイト=カイヤツは、これは正確な情報じゃないけど、ただわたしはおそらくそうだと思うけど、降伏し敵に占領されたというの。つまりは、もうおしまいというわけね。驚かないの? こんなことを聞いて」
「かも知れませんね」
すでにシェーラからその話を聞かされていたぼくは、動じることなく答えた。
「そう?」
ライゼラ・ゼイはいう。「とにかく、そうとあれば……わたしはこれからひとりで、ネイト=ダンコールにとどまるかネイト=カイヤツに帰るかまだわからないものの、ひとりで何とかして生きて行くつもり。卑怯《ひきょう》でも、それがわたしの道と信じるんだ」
「…………」
ぼくは何もいわなかった。ライゼラ・ゼイは自分自身の信じる生き方をしようというので、ぼくがとやかく意見を述べるべきではないのだ。
「あなたはどうするの?」
ライゼラ・ゼイは尋ねた。
「まだ考えていません」
ぼくは答えた。
「でしょうね」
ライゼラ・ゼイは沈黙した。十秒近い、長い沈黙だった。それからまた喋りはじめたのだ。
「こういうことは、本当はいってはならないのだし、あなたも聞きたくないかも知れないけど……とにかく、話しておきたいんだ。聞いてくれない?」
「何でしょう?」
「こうなってしまったからには、ネプトーダ連邦は、ウスとボートリュート、実質的にはウス帝国の支配下に置かれると思う。そうならざるを得ないし、それも、ネプトーダ連邦がもう一度独立を取り戻せるかどうか、取り戻せるとしてもいつになるか……きびしいと思うのよ」
ライゼラ・ゼイはいうのだ。「そしてわたしたちはウス帝国について、恐怖と圧制の極致のように教えられてきた。少なくとも一般的にはね。だけど、わたしたちにはわたしたちなりにウス帝国に関しての情報を入手する方法があった。口外は厳禁されていたけれども、わたしはそれなりのことを知っていたんだ」
「…………」
「あなたにはとても信じられないでしょう。でも、一応おしまい迄聴いてほしい。今度の長い戦争、今われわれが負けつつあるこの戦争は、必ずしもウスとボートリュートが一方的に侵略してきたのではなく、ネプトーダ連邦がボートリュートに圧力をかけ、しばしばボートリュートの版図《はんと》を侵したりその商船を襲ったりしたのも原因になっているらしいのよ。まあこれは、どちらにも非があるようだけれど……ネプトーダ連邦の正義が、宣伝されているような正義ではないということかしら」
「そんな……」
ぼくはいいかけ、絶句した。
話が違う。
違うが……しかし、そうでないとはいえないのかも知れない。
だが……。
「ウス帝国が乗り出してきたのは、ボートリュートの要請のためだとされているようね」
ライゼラ・ゼイはつづけた。「もっともウス帝国は、ボートリュートを助けるというためだけではなく、自己の正統世界を広めたいとの動機もあって、そうしたらしいけど」
「自己の、何ですって?」
ぼくが問うた。
ウス帝国が正統世界だと?
なるほどぼくは、敵のビラを読み、飛行体から流される声も聴いた。敵はしきりに自分たちが正しいのだと説いていたようだ。あの自称脱走兵――敵の工作員の連中もそういった。しかしそれは宣伝であり、謀略である。ぼくにはそうとしか解釈できなかったのだ。
それと同じようなことを、ライゼラ・ゼイの口から聞かされるとは……信じがたかったのである。
「それは当然、ネプトーダ連邦としても、いえわたしたちとしても、異論があるでしょう。そんなことは信じられるわけがないと思うでしょう」
と、ライゼラ・ゼイ。「しかし、ネプトーダ連邦よりもウス帝国が古い歴史を持つのは本当らしいんだ。そしてウス帝国は、かつて遥かな昔にひとたび築きあげられた広大な人類の統一支配圏、強力な版図を有しながら内部崩壊してばらばらになって行った大世界の中核星域が滅んだ後に後継者として発展し生き延びてきた――つまりは正統世界だというのよね。正統かどうかは話は別としても、歴史としてはそうだったらしいのは、ある程度立証もされているというんだ」
「…………」
ぼくは、なかば 茫然《ぼうぜん》として聴いていた。
そんなことは、想像もしなかったのだ。
「とにかく、ま、ウス帝国はそのことに誇りを持っているらしいよ」
ライゼラ・ゼイはいうのである。「自分たちが人類文明を受け継いで、人類本来の可能性を追っているのだというわけで、そのために自分たちにとって正しいルールづくりをしようとしているのが、他の星間勢力から見ると圧制に映るのだ、と、ウス帝国側はそう信じているらしいわね」
「しかし……他の星聞勢力からすれば、たしかにそうではないんですか?」
ぼくは訊いた。
「かもね」
ライゼラ・ゼイは頷いた。「ただ、少なくともそういう自分たちなりの理想や目的を持っている世界であれば、それほどの無茶は行なわれ得ないでしょう。あやまちや行き過ぎがあれば、それを正す勢力が出てくるんじゃないかしら。希望は、だから、ないわけじゃないと思うの」
「でしょうか」
ぼくは呟いた。
ライゼラ・ゼイの見方は……かりにウス帝国がこれ迄ぼくが信じてきたものと違うそんな存在だとしても……やはりぼくには甘過ぎる感じだったのだ。
「とにかくわたしはそのことに望みをつないで、何とかやって行くわ」
ライゼラ・ゼイは自分にいい聞かせるように低い声を出し、それからまともにぼくに向き直ったのだ。
「わたしはそうする」
と、ライゼラ・ゼイはいった。「あなたは、あなたの道を行くのね?」
「そのつもりです」
ぼくは答えた。
「――そうよね」
ライゼラ・ゼイはひとり頷き、ついで唐突に手を差し伸べたのだ。「じゃ、これでお別れなんだ。握手」
ぼくはその手を握りしめた。
ライゼラ・ゼイは強く握り返した。
お互いの手が離れると、ライゼラ・ゼイは自分から先に立ちあがり、何もいわずにくるりと背を向け、あごをやや上げたまま大股に本部のほうへと、行ってしまったのである。
ぼくは何秒間か、その場に立ちつくしていた。
ライゼラ・ゼイが本部の中へ姿を消したとき、ぼくは自分が上級者に対してあるまじき言動をしたのを自覚したが……それはそれで仕方がないと思ったのだ。
それよりもぼくの頭には、ライゼラ・ゼイが話した事柄……ぼくの到着が遅かったに始まる第四地上戦隊の動向や、ウス帝国のこと、彼女がその支配下の世界にもどうやら希望をつなごうとしているらしいこと迄のすべてが、重く、うねるような感じで残っていた。めまいに似た気分さえもあるようだったのだ。
しかし。
ぼくは頭を振ってそれを追い払おうとした。完全に追い払った自信はないものの……とにかく現実の、目の前を見、なすべきことをしなければならないのである。
知っている人間がいるかどうか、探しにかかろう。
せっかくライゼラ・ゼイと顔を合わせ、彼女から事情を聞きながら、ぼくは、今ここに残っているという兵員が、どこにどうしているかを教えてもらわなかったのに思い至って苦笑した。ああいう、予想もしなかった話を次々とぶつけられて、そっちには気が廻らなかったのである。
といって、もう一度本部に入って行くのも奇妙な具合である。ぼくは自分でそれをやることにした。
とりあえず、さっき正面にあった低いが幅の広い建物から始めるとしよう。
近づいてみると、それはまぎれもなく急造の、間に合わせそのものの建物であった。だいぶ離れた外灯の光を受ける隙間だらけの木の壁には、薄っぺらい板を蝶番《ちょうつがい》で留めただけの戸がある。錠などはむろんなく、押しても引いても開く代物《しろもの》なのだ。
ぼくは入った。
左右と前方への廊下があり、廊下の天井にできるだけ数を少なくして済ませるような感じでとりつけられたいくつかの灯が、それらを鈍く照らしている。とはいうものの、廊下の両側には戸(これも表のと似たような、お粗末なものだが)が並び、左右の廊下を行けばまたそこから廊下が奥へ伸びているようなのだ。俄《にわか》づくりの平屋には相違ないが、これだけのものを建てるとすれば、とても半日や一日では出来ないだろう。それとも第四地上戦隊の生き残りの連中は、寄ってたかって材料を集め、なんとか建てたというのか? しかしそんな詮索は後回しで……ぼくはまず中央の廊下に歩み入った。
有難いことにそれらの安物の戸には、所属の隊名と氏名をしるした紙片が留められていたのだ。ドアによっては十四、五人の名前が書かれたりもしている。
ぼくは手早くそれらの紙片を見て取りながら進んだ。考えていたよりも進む速度が大きくなったのは、ぼくが隊名だけを読んで、自分に関係のないのは飛ばして行ったからであるが、紙片が取り去られている戸のほうが数としては多かったからである。ぼくは試みに紙片のないドアを二、三度押しあけてみたが、かなりの広さのあるそれらの部屋は、みな空っぽであった。つまりは紙片を取り去っているのは、そこに居た者が出て行ったということではあるまいか。紙片が留められている戸にしても、中に人がいるかどうかわからぬものが少なくなく、それに、もうこんなそろそろ深夜に近い時刻だから寝ている者もたくさん居るのであろう、いやに静かな感じなのであった。
こんな探索をするよりは、内部で話し声のする戸を開いて、ぼくの隊の人間を知らないかと訊くほうが早いのではないかその考えが浮かばなかったではないが、ぼくはやめることにした。ドアの紙片の隊名は全くの順不同であり、これでは尋ねても答を得るのはむつかしいだろうと判断したのである。大体がぼく自身、自分の小隊以外の人間は一部の例外を除いてろくに知らなかったのだ。他人だって同様に違いないのであった。
自分の隊名を発見できぬままに中央通路の奥迄来てしまうと、そこにも左右に分かれる廊下があった。どちらから行っても大差はないので、ぼくは左へ曲り、また左へ入る廊下の前に来たところでちょうど手前の戸から出てきたふたりの兵――別の部隊の個兵長と主個兵に出くわした。
「もう出て行くのか?」
個兵長のほうが、ぼくが荷物を持っていたせいであろう、声を掛けてきた。敬礼も何もなしに、である。まあ同じ隊の者どうし、ことに同階級とあれば(非公式にだけれども)敬礼などしないのが通常だが、違う隊の見知らぬ者が相手なのに先方がそうしたこと、おまけに主個兵も敬礼しなかったことからも、軍規がゆるんでいるのはたしかであった。しかし今は、そんなことをいっても詮ないであろう。ぼくも敬礼などせずに応じた。
「いや、今しがた来たんだ」
「今しがた?」
その個兵長は、変な顔をした。
ぼくはやむなく、自分のことを説明した。
「物好きな奴だな」
個兵長は呆《あき》れたような表情になった。「早く出て行ったほうがいいぞ。ま、それ迄部屋を使うというのなら、空いているところをどこでも使え。食べものは病院の横の小さな倉庫にあるから、持って行きたいだけ持って行けばいいんだ。まだ随分残っているぞ」
「病院?」
ぼくは訊いた。
「この仮兵舎の奥にある」
個兵長は返事をした。「いや、あっちはちゃんとした建物だから、こちらが病院の前にあるというべきかな」
いうと個兵長は、声を立てて笑った。主個兵も笑った。ぼくは相手に合わせて笑顔を見せたが……ちっともおかしくなんかなかったのだ。
が……話がそんなところへ行ったので、ぼくは尋ねてみた。
「この……仮兵舎か。これはここへ来てからみんなで建てたのか?」
「おれたちが来たときには、もうあったんだよ」
個兵長は肩をすくめた。「何に使うためにこんなものを作ったのか知らんが、どうせならもっと立派なものを建ててくれときゃ良かったよ。ま、そうはいってもこんなところとはじきにおさらばだがな」
「…………」
「あ、それから」
ぼくは擦れ違って行こうとし、個兵長は足を止めて振り返った。「何のためにわざわざ後から来たのか知らんが、後から来たのなら教えておこう。こうなっていても、われわれは軍は軍なので、何かがあったら命令一下集結してたたかうことになっている。これ迄はそんなことはなかったが……人数がごっそり減っているんだから、そんなことになる前に出て行ったほうがいいぜ」
「わかった」
まぎれもない軍規のたるみと士気の低下を感じ取り、これがかつてのカイヤツ軍団第四地上戦隊かと思いながら、ともかくぼくはそう答え、ふたりと別れた。
軍規のたるみと士気の低下。
だがぼくはさっき、ライゼラ・ゼイと話し合っているさいに、それではここに残っているのは正しい意味の軍隊などではないと考えたのではなかったか? そんなものに軍規や士気を期待すること自体、ないものねだりなのかも知れなかった。
その廊下に入る。
見て行った。
そこにもぼくの隊名をしるした紙片はなかったのだ。
そして、次の廊下も同じであった。
ぼくは、反対側の廊下へと廻った。
ない。
ぼくの隊の名は、小隊はむろんのこと、中隊すらもないのであった。ああそれは、ハイデン部隊の名迄なかったわけではない。ハイデン部隊としるされた紙片のある戸はいくつかあり、中にはぼくの属する第一大隊さえあったのだ。ぼくはそれらの、なかんずく第一大隊と書かれた紙片の戸を開けて訊いたらよかったのかもわからない。だが思い出して欲しいのだが、ぼくたちが訓練を受けたのは主として分隊単位、小隊単位であり、ときどき行なわれたのも中隊単位であった。ぼくにとっては、だから枠を大きくするとしてもせいぜい中隊迄が仲間で、知り合いもその範囲内に限られていたといえるのである。むろん部隊本部へはぼくはしばしば用で行ったから、そこに――例えば特任率軍候補生のゲスノッチのような顔見知り(ゲスノッチについていえば、顔見知りの程度では済まされない、ぼくにいろいろなことを考えさせてくれたファイター訓練専門学校の先輩なのであるが)がいないわけではなかった。しかしかれらはみな将校か準将校であり……ここに居るとしたら本部であろう。こちらの仮兵舎にいるとは思えなかったのだ。ここに居るとしても……ぼくはやはりハイデン部隊とか第一大隊というだけでそこに居る人間に訊くのは最後でいいのではあるまいか、それよりも先に、うまくぼくのよく知っている者をつかまえることができたら、そのほうが手っとり早いのではあるまいか――との念にとらえられていたのである。
しかしながら、徒労であった。
こうなれば第一大隊というだけの相手に尋ねるしかないのかも知れぬ、と、心を決めかけたぼくは、そこでまだ探すべき場所があるのを想起した。
病院である。
さっきの個兵長は、その病院が仮兵舎の裏側にあるといったのだ。彼はこちらが病院の前になるともいって笑ったが、ぼくにはどちらでも同じことだ。そのありかさえわかっていればいいのだった。
ぼくは仮兵舎の奥から、裏口の戸を開けて外に出た。
周囲をあちこちと見廻す必要はなかった。
前方五十メートルばかりのところに、二階建のがっちりした構えの建物が淡く浮かびあがっており、その一階の横に並んだ窓にはみな灯がともっていたのだ。一階だけではなく二階の左寄りのところにもひとつ、灯の入った窓があった。
どうやらそれは、ぼくがこの庭園に来たときに仮兵舎のかなたに見た構築物に違いない。そのときは一階部分が仮兵舎にさえぎられて二階の窓の灯しか認めることができなかったのだろう。
あれが病院ではあるまいか。
あの個兵長が、あっちはちゃんとした建物だからといったのを考え合わせても、そのようだ。
ぼくはそちらに向かった。
仮兵舎の表口の側よりもこちらのほうが外灯がずっと少なく、そのぶんあたりの暗さも増している。
仮兵舎の中がどこかがらんとした感じだったので、外へ出てもぼくが何となく予期していたように静寂が身を包み込むという趣はなかった。
待てよ。
ぼくは立ちどまった。
静寂が身を包むどころではない。
押し殺した轟《とどろ》きとでも形容すべきものが、どこかから聞えてくるのだ。
低い、僅かに起伏を伴った響き。
それも、遠くからである。
ぼくは視線を、行く手の構築物から右手の樹々へと移した。そのあたり、樹が一群をなしており、視界をふさいでいるのだが……重い響きはその先や、さらに右手の芝生のずっとむこう、このエミンニビルか他のビルかはわからないけれども夜空に巨大なシルエットをなす建物の、それらの方向から響いてくるようなのである。
何だろう。
群衆か?
それとも何かの機械の行進か?
あるいはもっと別のものか?
わからなかった。
わからないが、それにはどこか不吉な無気味さがあったのだ。
おそらく、何かの騒ぎがあの方向で起きているのであろう。
が。
聞いていても、どうなるものでもなかった。とにかく今はネプトそのものが混乱し崩壊に瀕《ひん》しているときなのだ。騒ぎが何かは知らないけれども、それが今後大きくなりこそすれ、終息するとは考えられないのである。そしてぼくはその中で、そう、これから自分がどうするか決め、行動するしかないのだ。その判断材料をつかむために、ぼくは目の前の病院らしい建物に行こうとしているのである。
ぼくは歩行を再会し、足を早めた。
構築物は石造りの古典的なスタイルで、数段の階段を持つ玄関がある。もっともその玄関には灯はなかった。
ぼくは階段をあがり、両開きになった重厚な扉を押し開いた。
多分ここは、何かの会館なのではあるまいか。少し広くなった玄関内部の両側からは、上で一度折れる階段が伸びており、正面にはガラスのはめられたこれも両開きのドアがあった。
ドアの奥は明るい。
ぼくはドアを開いた。
ホールだった。
いや……本来はホールとして使用されていたのだろうが、そこにはずらりと何列ものベッドが並んでいたのである。それも十や二十ではなく、ざっと眺めたところ二百かそれ以上のベッドが、ホール一杯になっているのであった。
そしてそれらのベッドには、人々があるいは横たわり、あるいは仰向けになって寝ていたのだ。ベッドの端に腰を掛けているのもいた。頭や腕などに包帯を巻きつけている者もあれば脚を吊りさげられている者もあり、顔を白布でおおわれた、すでに死亡しているらしい者もあった。
ただ……すべてのベッドに人間がいるのではなかったことも、いっておかなければなるまい。高い天井の明かりの下、半分以上のベッドは空だったのである。
半分開けたドアを手で支えて立っているぼくの耳に、人々の呻《うめ》き声が流れ込んできた。
ぼくは中に入った。
そのぼくを制止したり咎《とが》め立てたりする者はなかった。そういえば、病室と化したホールには、医師や看護人らしいものの姿が見えないのである。こんな時間だから休息しているということだろうか。
ぼくはベッドの列の間に歩み入った。知り合いがいないかひとりひとり見て行こうとしたのだ。
ぼくが近づくと、顔や目だけをこちらに向ける者もいたが、動こうとしない人間もあった。
ひとりめ……ふたりめ……と、ぼくはベッドの人間の顔を覗き込んで行った。
そんなぼくの行為は、指弾されても仕方のないものだったろう。ぼくは自分ひとりの目的のために勝手に病室に入り、負傷者たち(だけでなく病気の者もいたに違いないが)がどんな状態にあるかにお構いなく、ただもう知った顔がないかと見て廻っていたのである。そんなことがろくに何も考えずにできたのは、たしかにぼく自身もいつものぼくとことなっていたからではあるまいか。ようやくカイヤツ軍団の駐屯地に来てみれば、そこで思いもかけない事柄をいくつも見聞きしなければならなかったのであり、その見聞ゆえに自分がこれからどうすべきかよくわからなくなり、何とかしなければと焦《あせ》りに駆り立てられていたのだ。が……こんなことをいくらつらねても、結局は弁解になるばかりだから、やめる。
十人めか十一人めだったろうか……ぼくは、視線を感じて首をめぐらし……次のベッドの上にすわってぼくを凝視している顔があるのを知った。目を大きく見開いたその顔は……ラタックだったのである。
「イシター・ロウ!」
ぼくが声を出すより早く、ラタックのほうが叫んでいた。顔が歪《ゆが》んだ。「お前、生きていたのか。本当にお前なのか!」
「ラタック!」
ぼくも叫んだ。
本当はラタック幹士見習と呼ばなければならないところだったのだ。ラタックはつねにぼくより一階級上だったから、幹士見習になっていたのである。が、ラダックの名の後に幹士見習という言葉をつづけるはずが、ぼくは息がつまって、何もいえなくなってしまったのであった。
ぼくはラタックのベッドに駈け寄った。
「お前、死んだとばかり思っていたぞ。どこへ行っていたんだ!」
ラタックは、またいった。
「けがは、どうなのでありますか?」
ぼくは問うた。ラタックは右腕を肩から吊り左肩に斜めに包帯を巻いていたが、ベッドの上にすわっている位だから、傷はそれほどひどくはないと見当がつく。見当はつくけれども、訊かずにはいられなかったのだ。
「おれは大したことはない。おれは――」
ラタックは答えた。あとまだ何かいいたそうなので、ぼくは黙って待った。
「おれはな、いいんだ」
一度元に戻っていたラタックの顔が、またひきつったように歪んだ。「しかし……おれ以外の奴は――」
「…………」
ラタックは、歯の間から声を押し出すようにしていったのだ。「ケイニボも……ガリン分隊長も……コリク・マイスンも……みんな死んだ」
「…………」
ぼくは、ぼんやりとラタックの顔をみつめていたように思うが……自分でもよくはわからない。
死んだ?
みんな?
ひょっとするとそんなことが、と、ぼくが何度か考えたことがあるのは、事実である。しかし、ぼくはそのたびにそうした想像を押し潰してきたのだ。それが……ラタックの口からその言葉を聞いて……やっぱりすぐには信じられなかったのである。
そしてぼくは、こんなときに奇妙な話だが、ラタックがガリン・ガーバンのことを分隊長と呼んだのに気づいてもいたのだ。エレイ河の流入点近くのあのメネの陣地で、ガリン・ガーバンは準率軍第二中隊長に任じられていたのに……だがラタックの心の中ではガリン・ガーバンは依然として自分たちの分隊長だったのだろう。それが言葉となって出て来たのだ。その気持ちは、正直、ぼくも同じだったのである。
「おれたちは、あのとき乱戦の中でいったんばらばらになったが、何とかして再集結した、お前が行方不明になったあのときだ」
ラタックは、ややあってからゆっくりと喋りだした。「ネプトへということで撤退を開始したが、途中、何度か敵の襲来を受けて、仲間はひとりまたひとりと、やられたり行方不明になったりした。コリク・マイスンも、アベ・デルボもだ」
「…………」
ぼくは聴いていた。アベ・デルボのことは後でいえばいいと思ったのだ。
「おれたちは急いで移動するために、通り易い道を選んだんだが……とうとう、かなりの敵と遭遇し、しかもはさみ打ちにされてしまった。ガリン分隊長は、いや中隊長だったな、ガリン中隊長はおれたちを指揮して山の奥へと退却しようとした。中隊全部がだ」
ラタックは周囲をちらりと見て、声を低めた。「こんなことはいいたくないが、他の連中の逃げ足は早かったな。ガリン中隊長を放り出してわれ先にと逃げたよ。中隊長の周囲に踏みとどまって、応射しつつ後退しようとしたのは、おれたち――ガリン分隊長の元の直属部下だった第二分隊だけだったよ。次から次へとみんな倒れていった。ついに、中隊長がやられた。即死だったと思う。そうなっておれもやむなく、やられた者を置いて逃げたんだ。中隊長は壮烈な戦死だった」
そこでラタックはさらに声を小さくして呟いたのだ。「なにが壮烈だ……壮烈でも戦死は戦死だぜ」
「…………」
ぼくは何もいえなかった。
口を閉ざしたまま、だがぼくは、ラタックが天井の灯を仰いでいるのを、眺めていたのである。上を向いたラタックの目からにわかに涙がどっと盗れてきて、だらだらと頬を伝うのを……それをラタックが拭きもせずに唇を結んでいるのを……そしてついには耐え切れず、ぼくはラタックから視線をそらしたのであった。
それからぼくたちは……ぼく自身にも、どの位かわからないが、だいぶ長い間黙っていたのである。
が。
ようやく気をとり直したように、ラタックが尋ねたのだ。
「で……お前は?」
ぼくは、自分がどうしてここへたどりついたのかを、かいつまんで話し始めた。機兵のコンドンやふたりのダンコール人と共に隊からはぐれたこと……アベ・デルボの言によってネプトをめざしつつ彷徨《ほうこう》したこと……へたをすると感情の大波に負けそうだったのでぼくはアベ・デルボの死をさりげなく告げようとしたのだが、やはり少し声が震えるのを抑制することはできなかった。
ラタックは、何もいわずに聴いていた。
そこ迄だけではちゃんとした説明にならないから、ぼくは、その後のことも喋った。といっても、すべてをではない。メネにやって来たあのドゥニネたちと山の中で再会して傷の手当てをしてもらったりし、ネプトでふたりのダンコール人と別れ、第一市から第二市、第三市へと、カイヤツ軍団がどこに居るかを訊《き》きながら来た――と、話したのである。シェーラのあの護符としての手紙や、ドゥニネたちの合唱による治療や、ましてシェーラがふたりの女と一緒にぼくを訪ねてきて、ヘデヌエヌスのことを語った、などという事柄を口にすれば、ややこしくなるばかりで、かつそうあっさりと納得してくれるとは、到底思えなかったのだ。
そして、その場の会話としては、それで充分だった。
「よく来たもんだ」
と、ラタックは首を振ったのだ。「しかし……遅かったな。お前、ここがどうなっているのか、誰かに聞いたか?」
ぼくは、本部で出会った人間に事情を聞いたと答えた。それが誰かと問われれば、観察要員のライゼラ・ゼイだと返事したであろうが、こちらからそれをいうのは、観察要員がどうのこうのと、話がわき道に入りかねない気がしたのである。
「そういうことなんだ」
ラタックは鼻を鳴らした。「状況はどんどん悪くなるばかりで……おれはこのネプトのことなどろくに何も知らんが、第四市から第三市へ市民たちが流れ込んでいるらしいし、混乱はますますひどくなっていて……このままじゃ敵とたたかう前に、市民と衝突するだろうというんだ」
「そうかも知れませんね」
ぼくはいった。
ぼくのこれ迄の経験からも、そうなるのは時間の問題という感じがある。
「そこで軍は、包囲網の強行突破しか道はないと判断したんだろう」
と、ラタック。「何でも、第三市と第四市の間の東方だけが、包囲網が薄くなっているんで、そちらへ突っ込もうというわけだ。包囲っていうのは、囲まれたほうが死にもの狂いになれば攻める側の損害も大きくなるんで一方だけ脱出可能なように空けておくのが一般的なやり方だろうが、そこから出ようということだった。しかし……それは罠《わな》かも知れん。となれば、打って出たって全滅するかもわからないし、ネプトの外へ出たとしても、ネイト=カイヤツへ帰る船なんてないんだからな。それで、敵中突破をするほうに入るか、ここに残って自分で身のふり方を考えるか、どちらかを選べという――異例の命令が出たってことさ。そんな変な命令が出るとは、おれは夢にも思わなかったが、そうだったんだ。で……出て行く連中は、もう出て行った」
「…………」
「おれの場合は、選択の余地がなかった」
ラタックはつづける。「右手は利かないし、左肩もやられていて、とても戦闘なんてできないんだからな。そりゃ歩けることは歩けるが……逃げるためだけにみんなについて行っても、撃ち殺されるだけの話だろう。そんなことになる位なら、ここでなりゆきまかせにするほうがましだ。といってもここにはろくに医師も看護人もいないし、薬だってあまり残っていないんだがね。適当な時期を見て、誰かに殺される前に、ここを出て行くしかあるまい。どこへ行くあてもないが……そうするほか、なさそうだ」
「…………」
ぼくは、何もいわなかった。
こんな風にラタックがせきを切ったように喋ったのは……話す相手がこれ迄なかったからであろう。ぼくと会ったために、心中にあったものがどっと溢れてきたのに違いない。
「お前、どうするんだ?」
ややあって、ラタックはぼくに問うた。
ぼくには、すぐに返事ができなかった。
どうするかといわれても、どうしようもないではないか。
「出て行った連中を追うか? とても間に合わんとおれは思うがね」
ラタックが、またいった。
そうなのだ。
三時間以上も前に出て行った人々を追うのは……それは方向がはっきりしており、こちらが急げば、追いつけるかも知れない。追いついて、みんなと共に、かりに敵の包囲網を突破しネプトを出たとして、すでに自分たちの艦艇もなく戦力もないからには、ダンコールの山野をさまようだけになり、さまよううちに敵の掃滅作戦の餌食になるか降服するか……それは後の話だとして、とにかく合流できるかもわからない。だが、その方向が第三市と第四市の間の東方というだけでは、どうにもならないのである。しかも、出て行った第四地上戦隊の人々も、多分、ぼくが目撃した他の連邦軍団のように隊列を組んで行進したのであろうし、そういう行進をうかつにさえぎろうとする者なんていないはずだから、一定の速度を維持し得るに違いないのに反し、後を追うぼくのほうは単身なので、どこでいざこざに巻き込まれて時間を空費するか知れたものではないのだ。追いつける確率は、きわめて小さい。いや、ほとんどないというべきであろう。
それでも追うか?
追うべきなのか?
これ迄ぼくがやってきたことを考えるならば、ぼくは追うべきだったのかも知れない。それが筋が通っているのかもわからない。
しかし、ぼくの気持ちは、変化をきたしていたのだ。
追ったところで、ぼくの――自分の知っている人々は、もうそこにはいないのだ。ガリン・ガーバンをはじめとする元の自分の隊の連中は、死んでしまった。ぼくの心の中にあったおのれの隊は、事実上消滅してしまったのだ。
それでも追うぺきか?
何のために?
ネイト=カイヤツのために、連邦軍団のためにか? ネイト=カイヤツは降服したらしいと聞かされ、連邦軍団も壊滅した今となってもか?
さらに、第四地上戦隊では、敵中突破に加わるかここに残るかの選択をひとりひとりにさせ、それはすでに決定され行動に移されているのである。
そして……繰り返しになるが、追いつくことは現実にはほとんど不可能なのだ。
しかし。
追わないとしたら、ぼくはどうすればいいのだ? 何をすればいいのだ?
目的喪失であった。
どうしようもないのであった。
目的喪失。
「わかりません」
ぼくは、やっと言葉を発した。「これから……考えます」
「――そうだろうな」
ラタックは、ぼくをみつめてから、いった。「しかし、どうするかは、早く決めたほうがいいぞ。ここだって、いつ迄無事かわからんのだから」
「幹士見習は、どうされるつもりですか?」
ぼくは訊いてみた。
「おれか」
ラタックは、薄く笑った。「ここがあぶなくなりそうになったら、食いものと私物を持って出て行くさ。それからはおれにもわからんが、どうにかなるだろう」
「…………」
「おれのことなんか、気にするなよ」
ラタックは、頷いてみせた。「おれはごらんの通りけが人で、足手まといだから、何かするにも役に立たん。それでも何とかやって行くつもりだ。ひとりでやって行くのは慣れている。お前はお前のことだけ考えて、好きに行動しろ」
「…………」
それが相手の心遣いだとわかっているだけに、ぼくはとても、そうしますとはいえなかった。
「とにかく、久し振りにこれだけ喋っては……疲れた」
ラタックは、吊った右腕と包帯を掛けた左の肩を庇《かば》いながら、ゆっくりと横になった。横たわると、大きく息をついてから、呟くようにいったのだ。「もうちょっと……いつでも出て行けるように体力をつけんとな。おれは眠たくなった。寝させてくれ」
そして、目をつむったのだ。
「おだいじに」
ぼくは小さな声を出し、それでもしばらくラタックのベッドの傍にたたずんでいた。
奇妙な気分だった。
先程までの、何かが自分のうちから脱落した感じが、今はもうはっきりと空しさになっている。
何となく……ぼくは一体これ迄何をやってきたのだろう、とも思った。
そうか。
ラタックを除いて、元のぼくの分隊の連中は、みんな死んでしまったのか。
そうなのか。
そのぼくの頭の中を、ちらとレイ・セキのことがよぎった。レイ・セキはどうしただろう? が……それもすぐに消えて行く。
とにかく……これからぼくは、どうすればいいのだ?
考えよう。
考えなければならない。
ぼくは、ラタックのベッドを離れた。
ベッドの列の間を歩く。
考えなければ。
しかし、それでもぼくは、ラタックと出会う迄やっていた、ベッドの人々を見て行くという行為を、無意識のうちに再開していたのだ。半分は自分の立場や今後に心を奪われながらも、あとの半分で、ほかに知り合いがいないかどうか、見定めようとしていたのである。
…………。
ぼくは、ぼんやりと立ちどまった。
はじめは、なぜ自分が足を止めたのか、わからなかった。
が……次の瞬間、悟ったのだ。
そのベッドに、布でおおわれ顔だけ出して仰向けになっているのは……。
ヤスバだった。
ヤスバ・ショローン。
ぼくはそうと見て取りつつ、なおも数秒間は、自分の目にしているのが現実だとは信じられなかった。叫びそうになるのを辛うじてこらえ、その顔を凝視していたのだ。
そう。
それはヤスバだった。
目を閉じて動かぬその顔は、ヤスバ・ショローンだったのである。
そこでぼくは、ぎくりとした。
ヤスバの顔には、生気がないように思われたのだ。
死んでいるのか?
いや。
ぼくは、布のかかったヤスバの胸が、かすかに起伏しているのを認め、安堵《あんど》の吐息を洩《も》らした。呼吸をしているのだから、死んだわけではない。
とはいえ、眠ったままのヤスバは、すぐには目をさましそうになかった。
よほどの重傷なのか、それとも重い病気なのか。
ぼく自身でそれを見極めることができたら――との考えが、脳裏を走ったのは事実である。ぼくは短時間エスパー化の能力を持っている。それを使って見届けられるものならば、と、思ったのだ。
が……ぼくはそうしなかった。エスパー化したところで、ぼくには透視力など無いはずである。あったとしてもうまく駆使できるとは思えない。ならば、ヤスバの心を読めば彼の具合を知る手がかりを得られるのではないか、と、いわれそうだが、眠っている人間の心を読んでそこ迄わかるものだろうか? そして、そんな理由づけ以前に、ぼくにはそういう真似はできなかったのだ。たしかにぼくは超能力を利用しての心と心の話し合いには慣れてきていた。だがそれは相手も承知の上か、でなければそうせざるを得ない場合に限られていたのだ。無防備に眠っている人間それもヤスバの状態や心理を超能力でつかむというのは、ぼくには許されないことのような気がしたのであった。
突っ立ったまま、ぼくは、ヤスバのベッドの端に視線を向けた。
そこには、ヤスバの制服とおぼしいものが掛けられている。
ところどころ破れ、黒くなった血がこびりついている――幹士見習の制服。
ずっと前に貰った手紙によれば(本当に、遥かな昔という気がする。あのときのぼくは、まだエレスコブ家警備隊の護衛員だったのである)ヤスバは、連邦軍カイヤツ軍団に志願するのを命じられ、離隊するとき一階級昇進し中級隊員として軍団に入ったという。とすればぼくと同条件だが、ヤスバはぼくより前に連邦軍の兵士になったのだ。だから今、彼が幹士見習であっても不思議はない。
それよりも、ぼくにとって、そうあるべきだったのかも知れないとも思わせ、意外でもあったのは、その制服についているのがショカーナ部隊のしるしだったことである。
ショカーナ部隊は、元の第一部隊だ。
ヤスバは、ぼくと同じ第四地上戦隊の、違う部隊にいたのだった。
考えてみれば、家の警備隊員としてすでにベテランだったヤスバが、宇宙空間で艦艇を操ってたたかうのが専門の宙戦隊でなく、身についた能力がすぐに役に立つ地上戦隊に配属されるのは当然のなりゆきであったろう。それがどこの地上戦隊だったのか、ぼくにはわからない。が……それが新規に第四地上戦隊を編成するときに、引き抜かれ組み込まれた――ということに違いない。
しかし、部隊はぼくと別だった。
部隊が違えば、ぼくがヤスバとバトワの基地で出くわさなかったのも、頷ける。
それにしても同じ第四地上戦隊だったとは……ぼくは、自分たちの第四地上戦隊が新規編成だったせいで、そんなことを考えもしなかったのであった。
――と、そうした想念を追いながら立っていたぼくは、そのとき、ヤスバが薄く目を開いたのを知った。
「ヤスバ」
ぼくは、ヤスバの枕元近くへ歩み寄って、静かに呼びかけた。叫ぶよりはそのほうが、ぼくの気持ちにも周囲の雰囲気にも合っていたのだ。
ヤスバはこっちに目を向けた。
「ぼくだ。イシター・ロウだ」
ぼくはいった。
「――貴公か」
ヤスバは、青白いと形容すべき微笑をみせた。
「久し振りだな」
ぼくは、またいった。
それが、上級者に対する言葉遣いではないことは、ぼくにはわかっていた。わかっていたけれども、ひとりでに以前の調子になったのである。相手が友人とあれば……ぼくにはそうしかできなかったのだ。それに、先刻のライゼラ・ゼイとのやりとりや、哨番の兵、仮兵舎で出会った連中の軍規のゆるみぶりもぼくの頭にあったのは否定しない。ああいうことがまかり通るのなら、ぼくが自分の気持ちに忠実になるのに、何をためらうことがあろう。いや……たとえ軍規が厳正であったとしても、一対一の、誰も他人が聞いていないときなら、ぼくは同じように話しかけていたに違いない。ヤスバがどう感じるかだけが問題だったが……ぼくが下級者としてのものいいをしたら、ヤスバはかえって嫌な顔をしたのではあるまいか。ぼくはそう信じる。
「貴公がカイヤツ軍団に入っているとは知らなかった」
ヤスバもまた、以前の口調で答えた。「だが、そうなっていてもちっともおかしくはない」
「具合はどうなんだ?」
かがみこんで、ぼくは尋ねた。
ヤスバは再び微笑を浮かべ、何でもないことのように答えた。
「いかんな。とても助かりそうにない」
「まさか」
ぼくはいいかけたが、ヤスバはつづけるのだ。
「だいぶあちこちやられて、どうにもならんのだそうだ。薬で痛みを止めて貰っているが、おかげで下半身は感覚がない。おそらく、きょうかあすの命だろうと、おれは思う」
「そんな――」
ぼくは絶句した。
ぼくは、どういえばいいというのだ? 何がいえたというのだ?
「死ぬ前に、貴公に会えてよかったよ」
ヤスバは低い声を出した。「おれは近頃よく、エレスコブ家の屋敷での、基礎研修のことを思い出すんだ。きっと……あのときがおれにとって、やっと未来が開けてきたように感じられた時期だったからだろう。実際はそうでもなかったが……ま、つらいけれどもたのしかったな」
「…………」
「とりわけ、あの試合だ」
と、ヤスバ。「先輩相手のあの試合を覚えているか?」
「もちろん」
ぼくは頷いた。
「おれたち、結構無茶をやったな」
ヤスバはいう。「判定が不公平だと腹を立てて……貴公のあの伸縮剣の使いっぷりは、まだ頭に残っているよ。随分前のことだが……」
「…………」
いわれて、ぼくの脳裏にも、あの時のことがまざまざとよみがえってきたのだ。今から思えば、当時はひたむきで苦しみに耐えていたつもりだが……何と牧歌的であったことだろう。
「ヤスバ」
ヤスバが目を閉じたので、ぼくは不安になって声を掛けた。
ヤスバは、また目を開いた。
「貴公と喋って、何だか気が済んだようだ」
ヤスバは、微笑と共にいった。「おれの気持ちも楽になった。またしばらく休みたいから……そっとしておいてくれ」
「…………」
ぼくは、何かいわなければならなかった。
ヤスバに、何か……ヤスバのためになることを、いわなければならないのだ。
ヤスバは、このまま死んで行くというのか? もういけないというのか?
待て。
それ迄しびれたようになっていたぼくの頭の中に、起きあがってきたものがある。
ドゥニネだ。
ドゥニネのあの合唱。
ぼくやふたりのダンコール人を手当てしてくれたかれらの超能力を、想起したのであった。
本当なら、もっと早くそのことを思い出していてしかるべきだったのだが……この地上庭園に来てから思いがけない事柄に次々と直面して、どこかへ押しやってしまっていたのである。
ドゥニネたちなら、このヤスバでも治せるのではないか?
いや、あのドゥニネの一団でなくとも……そう、シェーラやシェーラの仲間なら、その位のことは可能ではないのか?
シェーラに頼もう。
シェーラはヤスバを知っている。頼めばヤスバを治してくれるのではないか?
ただ、そのシェーラとどうして連絡するかだが……それは後で考えるとして――。
「聞いてくれ」
ぼくは、目を閉じようとするヤスバに顔を寄せて話しかけた。「きみは助かるかも知れない。そういう超能力を持った連中が、このネプトにいるんだ」
「超能力?」
ヤスバが反問する。
「きみは、デヌイベを覚えているか?」
ぼくはいった。「かれらの奇妙な力について、きみは手紙を呉れたりした。そのメンバーのシェーラについても……覚えているだろう?」
「ああ」
ヤスバは肯定した。
「あのデヌイベと同類の、ドゥニネというのが、ここには居るんだ」
ぼくは告げ、ドゥニネの一団がぼくとふたりのダンコール人を手当てし合唱で治したことを話した。
それから、シェーラがネプトに来ていることもいったのだ。彼女がここではドゥニネの仲間でもあること……だから彼女なら、ぼくを治したドゥニネの一団と同様の能力を持っているだろうから、彼女の力を借りれば何とかなるはずだ――ということも、喋ったのである。
ただ、シェーラがぼくに告白した、あのヘデヌエヌスとその工作員たちに関しては、ぼくはヤスバに何もいわなかった。そんなものは、にわかに信じられる事柄ではないし、信じたとすればそれはそれで、ヘデヌエヌスやその工作員であるシェーラたちへの疑惑と不信を招き寄せかねないであろう。シェーラの話をぼくが何とかある程度理解したのは、ぼくが不定期エスパーとして、たびたび超能力を行使した経験があったから、ともいえるのである。超能力者ではないヤスバには、到底すんなりと受け入れられる話ではないのであった。
「かれらにどの位の力があるのか、おれにはわからんが」
ぼくの話が一段落つくと、ヤスバはぼそっといった。「しかし、おれの体が治せるとは思えん。それに……シェーラかその仲間かが、ここへ来ることなど、無理だろう。こんな混乱と騒ぎの中なんだからな」
「だったら、こっちから行けばいい」
ぼくは説いた。
「このおれの体を、どう運ぶんだ?」
ヤスバは苦笑した。あまり乗り気ではなく、自分の運命を甘受しようとしている風であった。
「どうするにせよ、そううまく行くとは、おれには思えない。変にばたばたして死ぬよりも、静かにこの世からおさらばするほうが、おれの性に合っているしな。まあ貴公の気持ちには礼をいうが」
「何とかするよ。すべきなんだ。ぼくにまかせてくれ」
ぼくはいった。
「貴公がそうしたいのなら、それでもいい」
ヤスバは答え、ぼくを見やった。「とにかく、貴公と会い、話し合ってさっぱりしたよ。どうも疲れた。しばらく、ひとりにさせてくれないか」
「わかった」
ぼくは返事をし、ヤスバが目をつむるのを見届けると、身を起こしたのだ。
ぼくはなおもベッドの間を歩き……その後は知った者を見ないままに、ホールを出たのである。
何とかして、ヤスバを助けなければならぬ――と、ぼくは心を決めていた。
ある意味では、それがぼくの新しい支えになっていたのかも知れない。おのれの目的を喪失し、これから自分が何をなすべきかわからなくなっていたぼくにとって、これは当面の、ただちに着手しなければならない仕事だったのだ。
そのためには、とりあえずシェーラに連絡し、事情を告げなければならない。
しかし、どういう手段で?
常識的には、ぼくがこれからシェーラのいった三角地帯なる場所へ赴き、シェーラを探すことであろう。三角地帯といってもそのどこかは知らないので、テレパシーで彼女を呼びながらの探索になるが……そこ迄行くのにどの位の時間がかかるのか、ぼくが無事にいきつけるような状況なのか、ぼくは何も知らないのである。それでもぼくが何とかシェーラと連絡がつき、シェーラかシェーラの代りができる者を伴ってここへ戻って来るとして……そのときにここがまだ無事なのかどうか、何ともいえないのであった。
可能なものなら、ここからシェーラと連絡をつけたい。そしてそれ自体は、あり得ないことではないのだ。現にシェーラは、自分の居る場所から第一市で地下鉄道に乗ろうとしているぼくに、テレパシーで話しかけた。その位の距離ならわたしには何とかなる、とも後でいったのだ。それに彼女は、これはどこからか知らないけれども、第三市にいたカイヤツ軍団の、その駐屯地を探り当てたばかりか、ヤスバの思念迄とらえたという。シェーラなら、どういうやり方をしているのかは見当もつかないが、それができるのだ。遠くにいる人間の心に話しかけたり、遠くの人間の思念をつかんだりできるのだ。
しかし、ぼくはシェーラではない。
ほくは、短時間エスパー化したところで、遠くに居る者の心をつかんだり、まして直接話しかけたりはできないのだ。できるとしたら、先方がこちらを探ろうとしているとき、こちらの働きかけを待っているときだけなのである。
そう。
それをやるしかないのだ。
全力をあげてシェーラにテレパシーを送り、彼女が受けとめてくれるのを期待するしかないであろう。成功するかどうかは何ともいえないものの、そうするしかないようであった。
そうしよう。
が。
そんなことをするには、精神を思い切り集中しなければならない。周囲を気にしたりほかに注意を奪われたりして、送出するテレパシーがそれだけ弱くなるはずである。
ならば……こんな戸外では、まずいのではあるまいか。
仮兵舎の、空いた部屋でやろう。
ぼくは病院になっている建物を後にし、仮兵舎へと歩いて行った。
途中、樹々のかたまるあたりのかなたからは、依然として押し殺した轟きが流れてきていた。
一度は、あきらかに爆発音とおぼしいものが聞えたのだ。
事態は、時と共に切迫の度を増しているのに違いない。
急がなければ。
ぼくは仮兵舎の裏口の戸を押しあけて入り、廊下を通って、紙片が取り去られているドアがいくつも並ぶあたりの、その中央に位置する部屋に足を踏み入れた。
空っぽの、がらんとした部屋に、荷物を置いてすわる。
目がくらくらとした。
疲労なのだ。
それに空腹でもある。
だがそれより先に、と、ぼくはただそれだけに精神を集中し――仮兵舎のあちこちやもっと遠くからのざわざわとしたテレパシーを感知して、エスパー化したと悟った瞬間に、どちらの方向にいるかわからぬシェーラに、心で呼びかけをはじめたのだ。
(シェーラ、聞えたら答えてくれ)
反応はなかったが、ぼくはつづけた。
(こちらはイシター・ロウ。こちらはイシター・ロウ。聞いていたら答えて欲しい。ぼくは今、エミンニビルの地上庭園に居る。ぼくは今、エミンニビルの地上庭園に居る。きみはもう知っているかもわからないが、ヤスバが死にかけているんだ。ヤスバが死のうとしているんだ。きみたちなら治せるだろう。ヤスバを助けてやってくれないか。――シェーラ、聞えたら答えてくれ)
はたから眺めていたら滑稽《こっけい》だろうし、そんなことをしても実効があるのかどうか不明だったが、ぼくは、一回ごとに少しずつ自分の向きを変え、その正面の遠い宙を意識しながら、訴えを繰り返したのである。雑念がともすれば忍び込みそうになるのを懸命に排除し、自分のエネルギーを注ぎ込んで、訴えたのであった。
気がつくと、ぼくのエスパー化は終っていた。ふっと息を抜いたとき、もう他人のテレパシーのざわめきが消えているので、そうと知ったのである。
ぼくのエスパー化がどれほどつづいていたのか、確信はないが、どうも一分か、ひょっとすると二分近くは保っていたのではあるまいか? 本当にそうだとすれば、シェーラがいったように、短時間エスパー化を繰り返しているうちに、ぼくの能力は少しずつ鍛えられてきた――ということになるが……。
しかし、肝腎《かんじん》のシェーラの反応は、何ひとつとして得られなかったのだ。
失敗か?
それとも、シェーラには一応届いたのだろうか? 届いたけれども彼女はすぐには返事しなかったということだろうか?
わからない。
駄目なら、またもう一度、そしてもう一度と試みるほかはないのだ。
が……次にぼくがエスパー化するためには、力が貯えられるのを待たなければならない。ぼくは短時間エスパー化の力を与えられてから(くどいのを承知でいうならば、その力はぼく自身の潜在能力があってのことなのだそうだが)一度も、つづけてエスパー化しようとしたことはなく、従ってはっきりとたしかめたわけではないが、シェーラは五分間はかかるといっていたのである。
待とう。
待って、また呼びかけるのだ。
そのぼくの視野に、しきりに何かが降っている。ぼくはそれが何であるか承知していた。体がへたばり果てたときに、そんな状態になるのだ。
食事をすれば、ちょっとはましになるであろうか。
いや……ものを食べて腹が張れば、この状態ではたちまち眠くなるに違いない。ものを食べなくても、床に横になるだけで寝てしまうかも知れないのだ。
外の空気を吸おう。
ぼくは立ちあがった。
部屋を出るときに、荷物は置いて行こうかと考え、やはり身から離さないのが無難だろうと思い直して携行することにしたのだが……これが正解になろうとは、そのときのぼくはむろん想像もしなかったのである。
外へ出るにしても、今度も裏口からにしたのは、ぼくの心の中に、例の樹々のかなたの遠いあたりからの押し殺した響き、得体の知れない騒ぎらしいあの音が、ひっかかっていたからだ。どうせなら、もっと様子を見てみよう、と、思ったのであった。
出たときには、外は、今しがたと変らぬようであった。起伏するごうごうという轟きに、またもや遠い爆発音。
だが、気のせいか、視界をふさぐ樹々のその隙が、何だか明るくなっているようである。
ぼくは、樹々のほうへと進んで行った。
樹と樹の間に入り、樹幹に手をかけて先を窺《うかが》うと、そっちはずっと土地が低くなっているらしく、……その一角に、ちらちらする炎と、炎に下から照らされた煙が盛りあがろうとしているのであった。
火事のようだ。
まだこれから、火事は増えるばかりなのではあるまいか。
ぼくはきびすを返した。
十歩ばかり行ったとき。
視野が、暗くなったのである。
外灯が全部消え、病院になっている建物の窓も見えず、仮兵舎もただの幅の広いシルエットになってしまったのだ。
これは――。
ぼくは、振り返った。
どこにも灯はない。
樹間の火事の煙が、そのために余計に明るく大きく、まがまがしく目に映るのである。
停電だ。
では、これが……敵の予告した送電停止なのか?
そういえばたしかに、もうとうに夜半は過ぎて午前になっているはずだ。
敵は、予告した日の、しかし夜が明ける前に、ネプトの電力を断ったのである。
とうとう来たか!
すでに食糧その他の物資が入らなくなっているネプトの、その電力の供給が断たれては……混乱や騒ぎは一挙に加速されひろがって行くはずだ。
いよいよ終末か。
だがそれはそれとして、というより、こうなればなおのこと、ぼくはシェーラに呼びかけなければならないのであった。
仮兵舎に戻る。
廊下には、足音が入り乱れ、点火具の火と、火に浮かびあがった顔や手が、あっちへ行ったりこっちへ来たりしていた。みんな、荷物を携えているようであった。今の停電で、事態が急速にさらに悪化するであろうことを見越して、出て行こうとしているのに相違ない。
行き来するそんな連中の中にあって、ぼくは無意識に元の部屋を捜そうとし、その必要はないのだ、どこでも空いたところへ入ればいいのだ、と、気がついた。
これで、荷物を置いて出て行ったのなら、何としてでも元の部屋を捜さなければならなかっただろう。
ぼくは点火具をともし、紙片のないドアのひとつを開いて、中に入った。
それから何分間か、廊下が静かになるまで時間を置いたのだ。エスパー化してシェーラに呼びかけているときに、不意に踏み込みでもされたら、ぼくのテレパシーが乱れるばかりでなく、入って来た者に反射的に念力をぶつけて、相手にけがをさせるかもわからなかったからである。
仮兵舎の中は、だんだん静かになって行った。
出て行くべき人間は、みな出て行ったのであろう。まだ残っている者もいるだろうが、その連中は自分の存念に従って、電気が止まっても残っているので……予告もなしに他人の部屋に闖入《ちんにゅう》したりはしないのではあるまいか。
部屋の中央に来たぼくは、点火具の火を消した。部屋を真っ暗にしたほうが精神集中し易いし、ドアの外にあかりが洩れていなければ無人の部屋のように見られ、邪魔されることもないだろう、と、考えたのだ。
床に膝をついたぼくは、全神経を集めてエスパー化し、先刻したのと同じ呼びかけを開始した。
(シェーラ、聞えたら答えてくれ。こちらはイシター・ロウ。こちらはイシター・ロウ)
突然――そのぼくの心にかぶさるようにして、明瞭な思念が入って来たのである。
(聞いております)
(シェーラ?)
ぼくは問うた。
というのも、その思念は、どうやら女らしいものの、ぼくがこれ迄のテレパシーのやりとりで知っているシェーラのものではないようだったからである。
(いいえ)
相手は否定した。(でも、あなたがシェーラと呼んでいるその人が誰かは、あなたの中にあるイメージでわかります。そのシェーラに私たちが伝え、返事もお伝えします)
(…………)
これは、どういうことだ? ぼくはその疑念をそのまま送っていた。
(これは、テレパシーの中継網です)
相手は答えた。(いくら有能な超能力者でも、置かれている場所や状況によって、意思交換が不可能か、いちじるしく困難な場合があります。そのために私たちは中継網を作っているのです。あなたの先程の呼びかけを私たちは捕捉しましたが、終りの部分だけでよくはわかりませんでした。それで私がそちらへ注意を向けていたのです。あなたがシェーラと呼んでいる人への思念は、私たちがひとり、あるいは何人かで中継してお送りします。返事も同様です。中継ですからそっくりそのままとは行きませんが、復元力はかなり忠実です。なお、この中継網でのやりとりは、他に傍受されたり妨害されたりすることがあるので、その点、内容に気をつけて思考をコントロールして下さい)
言葉にするとこうして長くなるけれども、思念として送られて来たそれは、まとめられており何かのリストのように要約されて入ってくるので、肉声で聞くよりは遥かに迅速に感知できたのだ。
テレパシー中継網?
そんなものが、存在したのか?
シェーラたちは、こういうものを使っているのか?
だからシェーラやその仲間たちは、普通なら届きそうもない距離でも、意思の伝達が可能だったというのか? それはたしかに、ぼくに対してあるときは直接呼びかけたり、自分自身で、ぼくの存在を感知したようだけれども……例えばカイヤツ軍団のありかを探るために、こんな中継網を利用したということも考えられるのだ。そして、カイヤツ軍団らしいものが感知されたとなると、彼女は自分自身でその位置へと探りを入れ、ヤスバの思念型をとらえたと――事実かどうかは不明にしても、そうであったとしておかしくはない。いや、そう解釈するのがむしろ自然だし、納得もできるのだ。
だが、そんな思念が脳裏を駆けめぐった一秒かそこらの間、ぼくは、時間を空費したのだろう。
(どうぞ)
相手の思念は促したのだ。
ぼくは、なるべく要領よく整理するようにしながら、自分のこと、ヤスバのことを告げた。その意識の中で、病院のイメージを送るさいに、ちらりとラタックのこともまじえてしまったのも、いっておかなければなるまい。
二秒か三秒の空白があった。
つづいてぼくの頭の中に飛び込んできたのは、ややフィルターにかかった感じはあるものの、たしかにシェーラのテレパシーであった。中継網は、思念の内容を伝達するのではなく、テレパシーをそのままの姿で中継しようとしているらしいのを、ぼくは悟った。
これは後で思い当たったのだけれども、そういうことのできる者であれば、他人からの伝言を同じような声と調子で伝えるのも、そうむつかしいことではないのではあるまいか。かつてミスナー・ケイは、シェーラの声でシェーラのことづけをぼくに喋った。あれはそうだったのではないか? それはたしかにミスナー・ケイには、誰もかれもが読心力を持っている社会に住んでいればそうなるかも知れないような、言葉と言葉のやりとりではぎごちないところがあったが、他人の声と調子を復元するのは、ひとつの技術として学べばそう困難ではないかも知れないのだ。それも、ことづけを託した人間の心理をそのまま自己の中に保存しておき、それと重ね合わせて行なえば、案外簡単なのではあるまいか。だが……これは今もいった通り、後でぼくが考えてそうかと思った事柄であって、このときのテレパシーのやりとりに介在したわけではない。
(わかりました。しばらく忙しかったんで、そちらに注意している余裕がなかったんです)
シェーラの思念はそこから始まった。(でも今の第三市の状況では、そちらへ行くとしたら人々の大群の中を逆流しなければなりません。わたしたちがいくら能力を持っていても、至難のわざでしょう。だけど、やってみます。ただ、そちらの……エミンニビルの地上庭園は、そろそろあぶなくなりそう。わたしたちの情勢分析と、それに、はっきりいえば予知とで……この予知が確実かどうかは、前にもお話しした通り、方向を示しているだけだから絶対的にそうなるとは断言できないけれど、きょうの夕方迄には群衆か敵かがなだれ込んで来ることになるんじゃないかしら。だから、わたしたちがそちらに到着するのを待っていたりしないで、なるたけ早くそちらを出て、三角地帯に向かって欲しいんです。地上庭園を出て少しのところへでも構いません。そしてわたしか、あるいはミヌエロかワタセヤでもいいから、誰かにテレパシーで呼びかけて下さい。わたしたちはそれをめあてに探します。ヤスバさんと……それからあとの、もうひとりの人もけがをしているのならその人も一緒に……そこを出て、移ってください)
中継網とはいうものの、そこは直接のテレパシーのやりとりではないので、むこうが思念を送ってきている間、こっちはただ感知しているだけなのが、いかにももどかしかったのだ。
だが、シェーラの思念を感知しつつ、ぼくは中継網やシェーラの読心力に内心舌を巻いてもいたのである。ぼくはヤスバのことを告げるにあたって、同じ分隊の、こちらはそんなにひどくはないがやはり負傷しているラタックのことを意識したのだ。それがちゃんととらえられていたのであった。
もっとも、シェーラがそういってくれるのなら、ラタックも連れ出そう。できるならばそうしたかったところなのだ。
(まだありましたら、どうぞ)
シェーラでない思念が、ぼくをまた促した。
(有難う)
ぼくは気持ちを送った。(ヤスバを動かせるかどうかわからないが、やるだけのことはやってみよう。よろしく頼むよ)
空白があって……シェーラでない思念が、終了の意思を伝えてきた。
それでもまだ、ぼくはエスパー化したままだったのだ。
今回も、これで二分近くは保ったのではないだろうか。測っていたわけではないのでこれも確言できないが、そんな感じなのである。ぼくは、ぼくの能力が短時間エスパー化で鍛えられるうちに、常時エスパー化を惹起《じゃっき》することになるかも知れない――と、シェーラがいったことも思い出し、ひょっとしたらこれがその始まりではないかとの期待も持ったのだけれど……そのとたんにぼくの能力は消えて行ったのであった。
ともあれ、シェーラがああいう思念を送ってくれたことを、ぼくは感謝すべきであろう。工作員であるからには彼女は、彼女自身もいったように他のことででも忙しく、ぼくのことばかりに構ってはいられない、と、そう考えるべきなのだ。その彼女が、何とかこちらへ来られるようにやってみるといってくれたのである。
――と、そこ迄思いをめぐらしてきて、ぼくはめまいを覚えた。
胃が鳴っている。
体がだるくもあった。
腹にものを入れて、少し眠ろう、と、ぼくは思った。シェーラは、この地上庭園がそろそろあぶなくなるといい、きょうの夕方迄には群衆か敵かがなだれ込んで釆ることになるのではないかと警告したが……夜はまだ明けてはいないのだ。タ方迄には、まだ時間はたっぷりある。
それ迄に、体力をつけておかなければ。
ヤスバを何らかの方法で動かして連れ出し、ラタックを伴って地上庭園の外へ出るとしたら、そうしなければならない。こんな状態では、何もできないのだ。
ぼくは点火具をつけ、そのあかりで、シェーラたちが持って来てくれた携帯食糧のひとつを開けた。
食べはじめると、体が口に入ったものを吸い込むようであった。腹は空き切っていたのだ。ぼくは途中で喉《のど》をつまらせ、胸を叩いたりして……仮兵舎の裏口の内側に水道の蛇口があったのを思い出し、携帯食糧の箱の蓋にくんで来た。その水を飲んでは、携帯食糧を口の中にほうり込んだのだ。
食べ終ってちょっとすると、殺人的な眠気が襲ってきた。ぼくはもうどうにもたまらず、その場に横になって、たちまち眠り落ちたのである。それが、くやんでもくやみ切れないことにつながったのであった。
日暮れとか夜明けとかにかかわりのない薄明の霧の中、ぼくはしきりに呼ばれていた。肉声でなのか思念でなのかも不明である。呼んでいるのはシェーラであった、しかしそのシェーラはどこにも見えず、霧が渦巻くばかりである。ぼくは霧の奥を見定めようとし――右から左へと動いて行く数人のシルエットを捉えた。それはエレン・エレスコブと、エレンを護衛する第八隊である。パイナン隊長がいた。ハボニエもいた。そしてぼく自身もいるのだ。
重い、鈍い音が響いた。敵が攻撃してきたのだ。ウスのあの飛行体がどこかから声を流している。ダンコール語での、例によってみずからの正統性を宣伝し、かれらが圧倒的優位にあることを告げ、投降を勧告するあの放送なのだ。
またもや敵の弾着音が轟《とどろ》いて、シェーラの呼びかけが途絶えた。霧はさらに濃くなって、ぼくをも含めた一群の人々を呑んでしまうと、宇宙空間になった。ぼくは灰色の宇宙空間を漂っているのだ。遠くを、エクレーダが去って行く。いやエクレーダではなく、カイヤツVだった。ぼくは制装を操作して追おうとしたが、制装を着用していないのである。これでは呼吸ができない。少し離れたところに浮いていた機兵のコンドンが、声を立てて笑った。コンドンは呼吸をしなくてもいいから平気なのだ。でもその声が聞えたのはテレパシーだからなのか? 何が何やらわからなくなって――覚醒が到釆した。
目を開いた瞬間、ぼくは自分がどこに居るのか、すぐには思い出せなかった。ただ、一刻も早くカイヤツ軍団のおのれの隊に追いつかなければならぬとの焦りがあり……それから意識がはっきりしたのである。
ここは仮兵舎の一室。
窓もないのに部屋の中がぼうと明るいのは、ドアの上部の枠と天井の問に仕切りがないので、そこから光が入って来ているせいであった。
そして、自分の居場所と置かれた状態を悟ったとたん、ぼくは、心中の焦りがたちまち変質して、怒りさえ伴った喪失感と化するのを自覚したのだ。
ぼくはカイヤツ軍団の駐屯地に来た。
来たが、手遅れだったのである。四分の三は、出て行ったのだ。
しかも、ガリン・ガーバンをはじめとするぼくの知っている人々は、死んでしまった。
おしまいだ、
――と、そこ迄想起するのに二秒か三秒、ついでぼくは、それでもまだたしかに残っている焦りが何であるか、気がついたのであった。
ヤスバ。
ヤスバを助けなければならない。三角地帯にいるというシェーラたちのところへ彼を連れて行かなければならない。
それに、ラタックも。
おまけに、ここもじきに危険になるに違いないのだ。
ぐずぐずしてはいられない。
ぼくははね起き、薄明りの中で時計に目をやって、ぎくりとした。
もう昼前なのだ。
体力と気力が戻ってきていることからも、ぼくが充分睡眠をとったのはたしかだが……また、ぼくの身体がそれを求めてもいたのだろうが……いかにも時間を取り過ぎた感があった。
ヤスバは大丈夫だろうか。
ぼくは荷物をひっつかんで立ちあがり、ドアを開こうとして、足を止めた。
あきらかに爆発音らしい重い響きが伝わってきたのだ。
あれは――と思ったものの、ぼくはすぐに廊下に出た。早足で歩くうちにも、仮兵舎ががらんとしているのがわかった。
裏口から外へ出る。
とたんに呟《まぶ》しい日光がかぶさってきたので、ぼくは小手をかざし目を細くして、立ちどまった。
仮兵舎があんなにもがらんとしていて、部屋の中も薄暗かったから、ぼくは眠りつづけたのであろう。
しかし。
明るさに慣れたぼくの視野。
広い庭園の外側にそそり立つ、巨大で異様な形状のビル群の、そこかしこの窓から、炎とけむりが噴出している。元来が奇妙なかたちには相違ないとしても、どう考えても頂部を破壊されたとしか思えないものもあった。そして、前方五十メートルほどのところにある病院にあてられた建物の右手、樹々にさえぎられているが低地になっている方向には、火事とおぼしい十数本のけむりが立ちのぼっているのである。
けむりが並んで立ちのぼる空に、黒いしみが現われた。それはたちまち上昇し大きくなると落下し、樹々のかなたのぼくには見えないところで爆発したらしい。重い轟きが聞え、かすかな震動が感じられた。と思う間にまたひとつ……もっと遠くで落下して行く。ぼくたちが嫌というほど経験した敵弾の飛来が、まだあれほど激しくはないものの、いよいよここでもはじまっているのだった。
それに……ビル群の背後をゆっくりと移動しているものがある。あの飛行体なのだ。騒がしさの中、それでもきれぎれに声を流しつつ、飛んでいるのである。
騒がしさ。
そうなのだ。
ごうごうと何かが鳴っていた。遠近とりまぜ、人々の怒号もまじえて、聞えてくるのであった。眠る前に耳にしたよりも、さらに不穏で危険な感じで、もはや押し殺した響きだけでなく、高い不協和音も加わっているのだ。
とはいえ、そうした光景を眺めていても仕方がないし、そんな場合でもない。ぼくはそれらをざっと見て取るや否や、病院になっている建物へと駈けだした。
だが、そのぼくの頭の中を一連の想念が風のように通り過ぎていたのは事実である。
事態はさらに悪化。
敵は投降勧告と併せて、人々にふんぎりをつけさせるための攻撃を開始。
それだけこっちは急がねばならない。
敵の投降勧告の放送や敵弾の落下音は、夢にも入って来ていたのだ。夢は、現実を取り込んでいたのである。
とすると、夢でのシェーラの呼びかけも本当にあったのではないか? 眠っているぼくはそれを感知しながら、夢にも転化していたのであろうか。
その夢に、エレン・エレスコブや第八隊が出てきたのはどういうことだ? あれはただの夢に過ぎなかったのか?
そんなぼくの想念は、そのとき建物の玄関の階段を降りてくる男女と遭遇することで、どこかへ行ってしまった。
頭に包帯を巻き片足をひきずるようにした男が、ぐったりとなった女の腕を自分の肩に廻し、一歩一歩足を踏みしめながら降りてくるのだ。ふたりともこれ迄病院にいて、一緒に税出しようというのだろうが、どちらも白衣やまして下着姿ではなく、汚れ破れてはいるものの連邦軍の制服を着込み武装していた。男のほうは空いた手で、いつでもレーザーガンを抜き出せるようにしていたのである。
ふたりはぼくに一瞥《いちべつ》をくれたが、それだけだった。
ぼくもまたふたりに構わず擦れ違い、階段を駈けあがって扉を押し開いたのだ。
入ってその奥のガラスのはめられた両開きのドアを、もどかしく開く。
ホール一杯に並んだベッドは、あらかた空っぽになっていた。残っているのは二十名かそこいらではあるまいか。
ぼくはベッドの列の中に歩み入り、ちらと目をやって、ラタックも居ないのを認めた。出て行ったのであろうか? だがそのベッドの上には、荷物らしいものが置かれている。荷物を置いてちょっとどこかへ行っているのか、それともそれを捨てて行ったのか、ぼくにはわからなかった。
しかしそれも瞬時のことで、ぼくは大股にヤスバのベッドに近づいて行った。ヤスバはまだそこに居たのだ。
近づくうちにも、ぼくは不吉なものを感じ取っていた。これをどう表現したらいいかぼくは適当な言葉を知らないが……仰向けになったヤスバは、あまりにも静かだったのである。
傍らに来たぼくに、目を閉じたヤスバの顔を覗《のぞ》き込んだ。
生気がない。
全く生気というものがない。
ぼくは衝動的に手を伸ばして、ヤスバの頬に触れてみた。
つめたかった。
まさか
ぼくは布の下のヤスバの手首をさぐり、脈搏《みゃくはく》を調べた。つめたい手首に脈はなかった。
次にぼくがやったのは、精神集中である。エスパー化して、ヤスバの意識を受けとめようとしたのだ。
ヤスバからは、何の意識も流れてはこなかった。何の意識もだ。
エスパー化したまま、ぼくは茫然と突っ立っていた。
ではヤスバは――。
ヤスバは死んだのか?
昨夜半に会ったときヤスバは、きょうかあすの命だろうと思うといっていたが……ぼくが眠っているうちに、死んだというのか?
なぜぼくは、眠ってしまったのだ?
こうなるのなら、ここで眠り落ちてもいいからヤスバの横にいて……彼が目を覚ましたらまた話をして……おしまい迄つき添っているべきだったのに……。
ぼくが眠っているうちに、ヤスバは死んでしまった。
ぼくは何という馬鹿だ。
何という間抜けだ。
いや。
ぼくは、なかば錯乱のうちに考えたのである。
ヤスバは、まだ生き返るのではないか?
ドゥニネたちが、あの超能力と合唱でぼくやザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースを治したのなら、超能力者には、死者をよみがえらせる力もあるのではないか?
ぼくは依然としてエスパーなのだ。
祈ろう。
ぼくは、ベッドのわきに膝をついた。膝をついて頭を垂れ、生き返れ、ヤスバ・ショローンよ生き返れ、と、念じはじめたのだ。ドゥニネたちのあの合唱の調子を思い出し、何とか真似ようとして、唱えつづけたのである。
生き返れ。
生き返ってくれ、ヤスバ。
ぼくは夢中だった。ただもう祈ることだけに意識を集中したのだ。
どの位、そんなことをやっていただろう。
気がつくと、ぼくはすでにエスパーではないのであった。短時間エスパー化とはいえ、今度も夜半過ぎのときのように、いやそれ以上に長くつづいたのだが……やはり非エスパーに戻っていたのである。
そして、ヤスバは死んだままであった。
駄目か。
ぼくは、のろのろと立ちあがった。考えてみれば、ドゥニネたちがぼくたちを治したのは、ぼくらが生きていたから出来たことではあるまいか? あのときドゥニネのまとめ役の男は、死んだアベ・デルボのことを、お友達については運命だったと諦めて貰うしかありませんといったのだが……あれは、アベ・デルボの遺体が目の前にあったとしても、そうだったのではあるまいか? あのドゥニネたちにしたって、死者をよみがえらせること迄は不可能なのではあるまいか? そうだとしたら、ヤスバの場合だってもうどうにもならないのだ。大体がぼくは、あのドゥニネたちや、ましてシェーラたちのような超能力は、いくらエスパー化しても使えないのだ。ぼくには傷を治すこともできない。そんなぼくがいくら祈っても……。
どうしようもないのであった。
ヤスバは死んだのだ。
ここにあるのはヤスバの遺体なのだ。
ぼくはその場に立って、ヤスバの死に顔を見下ろしていた。
静かな死に顔だった。
ぼくの心と耳に、ぼくが最後に聴いたヤスバの言葉と調子が起きあがってきた。――とにかく、貴公と会い、話し合ってさっぱりしたよ。どうも疲れた。しばらく、ひとりにさせてくれないか、という、あの声がだ。
そしてその前に、ヤスバはこうもいったのだ。
変にばたばたして死ぬよりも、静かにこの世からおさらばするほうが、おれの性に合っているしな。
そうなのであった。
とすると、ヤスバは彼なりに自分の死を受け入れたのか? だから死に顔がこんなに平穏なのか?
たとえそうだったとしても、しかし、ぼくには無念であった。
こんなことになっていいのか?
ぼくの脳裏に、昨夜半と同様、いやそれ以上に濃密に急速度に、あの頃のことがよみがえり、走りはじめていた。エレスコブ家、警備隊、訓練、それからエレン・エレスコブ、第八隊、カイヤント――と、意識はあっという間に拡散し、経過をたどって行き、ハボニエやカイヤツ軍団や、さらにヤスバとは直接関係のないガリン・ガーバンやエクレーダや仲間の隊員たち、敗走のシーンなどが、どっと一体となって、交錯しながらぼくに襲いかかってきたのだ。ぼくには止めようがなかった。衝動を食い止めようとすれば、自分自身がどこかへ吹っ飛んでしまいそうな不安があったのだ。しかも、そんな状態であるにもかかわらず、ぼくが必死で何人かの人間……トリントス・トリントやハイトー・ゼスやイスナット・ノウセンやのもろもろの、考えたくない連中、さらにはゼイダ・キリーといった人間を排除しようとしていたのは……ぼくがそうした洪水、あるいはパノラマの中に、そんな人々が加わるのを許せなかったからであろうか? ぼくはそのとき、過去のさまざまな情景や心情の渦の中に立ちながら、せめて自分の自主性を保ち、ヤスバへの気持ちを濁したくないとしていたのかも知れない。
大波は、だがしばらくのうちに泡立つ水面となっておさまってゆき、ぼくは何とかおのれを取り戻すのに成功した。
それと入れ替わって今度は足元から水位が上がるように湧きおこってきたのが、どうにもやり場のない怒りである。
こんなことになったのは、なぜだ?
ヤスバの死のみならず……他のありとあらゆるぼくにとって納得しがたい事柄……ハボニエの死やあのぼくへの査問や追放や、エレスコブ家の崩壊や敗戦やアベ・デルボの死やガリン・ガーバンその他の人々の戦死や、ネイト=カイヤツのありようや、戦争そのものや、ウス帝国やボートリュート共和国の存在などの、いっさいを、ぼくは憎んだ。それぞれの関連も論理も順序もなく、でたらめに起きあがってくるあらゆるものに、ぼくは憎悪を覚えた。ぼく自身がこんな状況でこんなところに居ることをも含めて、怒りで顔から血の気が引いてゆくのを感じたのだ。
何がどうなったのか何をいいたいのか理解しかねるといわれても結構。
はじめの記憶の大波にせよ、それにひきつづいての怒りにせよ、ぼく自身にも解明不能なのである。整理する気も理由づけする気もないのだ。ぼくはただ、自分がそうなったと述べているのに過ぎない。理解して貰おうとも思わないのだ。
そして、怒りも灼熱から赤熱へ、さらに余熱と化して行った後には、脱力感のみがあった。
ぼくは、おのれが立っていることだけを自覚していた。
これから何をするか。
何をしなければならないのか。
何をしたいのか。
すべて、無であった。
ぼんやりとヤスバの死に顔を見ているばかりだったのだ。
何かがぼくに近寄ってきて、声をかけたようである。
だがぼくは、それが何のことか、考えてもいなかった。
「イシター・ロウ!」
再び、今度は大声で呼ばれたので、ぼくは焦点の合わない目を、そちらに向けた。
「どうしたんだ? しっかりしろ。何があったんだ?」
相手はまたいう。
ぼくは、ようやくそれがラタックだと気がついたものの、その顔を眺めているだけだった。
「え?」
と、ラタック。
「死んだのです」
ぼくは、相手がラタックだとの意識から、ひとりでに上級者への言葉遣いになっていたようである。「エレスコブ家にいたときからの友人ですが……ゆうべやっと会ったのに……死んでしまいました」
「…………」
ラタックは、ぼくからヤスバに目を転じ、またぼくに視線を戻したものの、少し眉をひそめて黙っていた。
「…………」
ぼくも、何もいわなかった。自分からものをいう気分ではなかったのだ。
「そうか」
不意にラタックは大きく頷《うなず》いた。「それがお前の友人で、死んでしまったというわけだな?」
「はい」
ぼくは、ほとんど機械的に答えた。
「気の毒なことだ」
ラタックは、一語一語区切るようにしていう。「だが、亡くなってしまったのだから、お前はこの男に、お前にできる限りのことをしてやらねばならん。そうだろう?」
その通りだ。
「そうです」
ぼくは返事をした。
「この建物の横の倉庫の裏が、臨時ではあるが埋葬地になっている。ここで亡くなった者は、みなそこに埋められた。火葬する設備も燃料もないからな」
ラタックは、ぼくをみつめてつづける。「お前、この男をそこへ埋葬してやれよ。お前がそうしてくれることを、本人もよろこぶだろう。そうしてやったらどうだ?」
いいことを教えてくれた、と、ぼくは思った。そうするのが、ぼくのヤスバに対する義務だろう。
「そうです。そうします」
ぼくは頷いた。
「こんな状態だから手伝いはできんが、おれも一緒に行こう」
ラタックはいう。「ここへ戻ってくるかどうかわからんから、荷物も持って行くほうがいいだろう。おれは今倉庫から食糧を取ってきたところで、他の荷物と合わせて持ち、ここを出て行くつもりだったんだが……おれも一緒に埋葬に立ち会うほうが良さそうなので、そうさせて貰う。ベッドに置いてある他の荷物を取ってくるから、ちょっと待っていてくれ」
「わかりました」
ぼくがなかば機械的に返事をすると、ラタックは(それ迄ぼくには気がつくゆとりがなかったのだ)吊った右腕に三、四個の携帯食糧の箱を載せたまま、自分のベッドへと歩いて行った。
そこで何かやっていたのは、ベッドに置いてあった荷物と合わせてひとつにしたのだろう、左腕を通してひっかけた上衣の上に、右肩から斜めに左の腰へかけるように包みを下げた格好で戻って来た。
「行こうか」
ラタックに促されて、ぼくは自分の荷物を左の肩にひっかけ、ヤスバの首から下をおおっている布を引きはがして、その体を持ち上げにかかった。
ヤスバは重くつめたく、首や肩のあたりはすでに硬直がはじまっていたけれども、ぼくは両手で持ち上げ――歩きだした。
ラタックが先に立って、ホールのドアを、ついで外への扉を体で押し開けてくれた。
病院にあてられていた建物を出て、右へと進む。
建物のはずれに、あまり大きくない倉庫があった。食糧を貯えてあるという倉庫であろう。
ドアは開いたままだ。
ラタックは、病院にあてられていた建物とその倉庫にはさまれた道を、あごで示す。
ぼくはヤスバの体を支え、ラタックについて建物と倉庫の間に入った。
背の高い樹々を背後に持つ、ささやかな広場があった。元来は芝生が植え込まれていたようだが、そこには四十か五十の土の盛りあがりが出来ており、それぞれの盛りあがりの上に、棒とか木の枝、いくつかの石などがある。
ぼくは、盛りあがりと盛りあがりの間の土の上に、ヤスバの体を横たえた。
目をやると、近くにシャベルがひとつ、放り出されている。
ぼくはシャベルをつかみ上げ、土を掘りはじめた。棺もなしに埋めるのだから、せめてヤスバの体を土が厚くおおうようにと、深い長い穴を掘ったのだ。昼の日光を浴びての作業に、汗が出てきて、ぼくの頬や首筋をだらだらと流れ落ちた。視野がときどきかすんだのは、汗と一緒になって涙も出てきていたからだ。
ラタックは無言で、ぼくからやや離れた位置に立っていた。
穴を掘り終えると、ぼくはヤスバの体をそっとその底に置き、土をかけた。かけるうちにヤスバの顔や手足が少しずつ見えなくなり……とうとう土だけになり、それでもぼくは作業をつづけて、小さな盛りあがりを作り上げた。
何を墓標にしようか。
ぼくは周囲を見渡した。
ヤスバにふさわしいものは、何も見当たらない。
ベッドになら、とぼくは思った。
ぼくはラタックには何もいわず、その場を反転して走りだし、さっきの、病院にあてられていた建物の中へと駈け込んだ。
ヤスバのベッド。
ベッドの端には、まだ制服が掛けられている。幹士見習の制服だ。
しかし、これが墓標になるだろうか? 彼がこれをよろこぶだろうか? もっと良いものはないのか。
ぼくはベッドの下を覗き……そこに一般電撃剣があるのを認めた。長剣系統が得意だったヤスバは降下にさいして、かさばるのを承知で一般電撃剣を携行したのに相違ない。
ぼくはその剣をつかんで、取って返した。
先刻の場所に来る。
ラタックは立ったままで、ぼくに目をやったが、何もいわなかった。
ぼくは一般電撃剣を、ヤスバを埋めた盛り土の上に突き立てた。
それから後退して、頭を垂れたのだ。
どの位、そうしていただろう。
頭を垂れてじっとしているうちに、少し、少しずつ、ぼくはおのれを取り戻しつつあった。
ヤスバを埋めるという肉体的作業が、ぼくを楽にさせ、なすべきことを済ませた感じにさせ、一種のふんぎりをつけさせたのかも知れない。ぼくの現実的感覚も思考も(それはこれ迄とどこか何かが違っていたようであるが)よみがえってきたのである。
ぼくは頭を挙げた。
後方にラタックがたたずんでいる。
「大丈夫か?」
ラタックが尋ねた。
「大丈夫です」
ぼくは答えた。
「残った者は、残った者として生きて行くしかないんだからな」
ラタックは、またいった。
「そうですね」
ぼくも肯定した。
「これからどうする?」
と、ラタック。
「…………」
ぼくは、どう返事をしたらいいか、わからなかった。自分でも、しかとしたことは考えていなかったのだ。
が。
それ迄にも当然聞えていたはずの、あの敵の弾着音、外部の騒がしさ、さらに例の飛行体から流れてくるきれぎれの投降勧告放送やらが、再び意味を持ち切迫したものとして、ぼくの耳に入ってきたのである。
このままこうしてはいられない。
「ここを出るしかありませんね」
ぼくはいった。
「そうだ。それでどうする?」
ラタックが問うた。
右腕を吊り、左腕を通した上衣に、荷物を斜めにかけて、だ。
やはりとりあえずは、シェーラのところへ行くしかないな、と、ぼくは思った。シェーラたちのいるという三角地帯へ……あのテレパシーの中継網での連絡によれば、迎えに来てくれるのかもわからないが、とにかくそっちへ向かって、そこでラタックの傷を治してくれるように頼むのだ。ヤスバについてはもう仕方がないけれども、ラタックだけでも何とかして貰おう。こうして自分を取り戻した今となっては、ひとりで出て行くつもりだったラタックがぼくにつき合ってくれるのは、ぼくを心配してのことだったのがあきらかなのである。そのラタックを放っておくことはできない。それから何をするかは後で考えるとして、まずはシェーラたちのところへ行くべきであろう。
「あてがないわけではありません」
ぼくはいった。「一緒に行きましょう」
「一緒に?」
ラタックは鼻を鳴らした。「おれはおれで何とかやって行く。おれは足手まといになりたくないからな。お前は自分でやって行けばいいんだ。お前にあてがあるなら何もいうことはない。ここで別れようじゃないか」
「待って下さい」
ぼくは事情を説明しようとし――口を閉ざした。
音。
入り乱れ起伏しながらつづいていたさまざまな音の中に、新しい、しかもあきらかにこっちへ近づいてくる音を聞きつけたのだ。
ここからは見えないが、仮兵舎や本部のそのかなたの、ぼくがゆうべあがって来たあの石段の方向のようである。
ラタックも、すでに気づいていた。
「…………」
ぼくたちは顔を見合わせ、ついで、どちらからともなく、倉庫と病院にあてられた建物の間を走りだした。今の場所ではそこから誰かがやってくれば、応戦するしかないからである。
倉庫の端迄来たときには、物音はさらに接近していた。
足音と、怒号と、喚声。
ぼくは倉庫の蔭から、前方を窺《うかが》った。そのときにはもうぼくは、レーザーガンを抜き出して手にしていたし、ラタックもまた包みから同様にレーザーガンを出して持っていたのである。
前方の、樹々が並ぶ先に本部の建物。
左斜め前には、これは本部よりだいぶ近い仮兵舎。
陽を浴びたその空問には、まだ人影は見えていない。
突然、短銃の発射音があり、人々がどっと叫ぷのが聞えた。
「とうとう来たな」
ラタックが、低くいう。
「敵――?」
ぼくは声を出す。
「いや……市民の、暴徒じゃないか」
ラタックは、短く応じた。
「あっちから来たとすると、あの石段は人で一杯でしょう」
ぼくは、本部の方向を顔で示した。「反対側に出口か何か、ないんでしょうか」
「いくつかあると聞いたが、おれはよく知らん」
ラタックがいう。
と。
また叫び声があがり、人々が動きだした気配だ。
「そっちへ」
ラタックが、仮兵舎のほうへ目を向け、ぼくたちは走りだした。
とりあえず仮兵舎の裏口へ行こうというのだ。
ぼくとラタックは駈けたが……仮兵舎迄行きつかぬうちに、本部のあたりから人々がやって来るのが目に映った。
十人……二十人……いや、三十人か、四十人はいるだろう。
みな、手に棒や刀らしいものを持ち、五人か六人ずつが一組となって、こっちへ走ってくるのだ。
ぼくの視野に入っただけでもそれだけいたのだから、本部や樹々にさえぎられたむこうには、ずっと多くの人間がいたのに違いない。しかも怒号や叫び声などから察して、まだたくさんの人々が、石段をあがって来るようであった。
ぼくたちはとっさに向きを変え、仮兵舎へのコースから左へと外れて、池のほうへと駈けた。
それでも……仮兵舎のむこうから、十人以上の雑多な服装の男や女が走り出て来て、ぼくたちの行く手をふさごうとしたのだ。
むこうの誰かが短銃を撃った。ぼくにもラタックにも当たらなかったが、次の射撃でやられるかも知れない。ぼくはかれらの方向ヘレーザーのパルスを掃射した。ラタックもまた手に持ったレーザーガンを発射したのだ。
体のどこに命中したのか知る由もないが、男と女のふたりが倒れた。
しかし、かれらはひるまなかった。怒りの声をあげると、そのままぼくたちの正面に走ってくるのだ。
ぼくは精神を集中した。
念力の棒で左から右へと、迫ってくる連中をなぎ払ったのだ。
かれらは、ばたばたと倒れた。
が……すぐに立ちあがろうとする。
ぼくは、一番近い奴から順に、その頭や腹や膝など、ところ構わず念力の刃を突っ込んだ。
「エスパーだ! こいつ、エスパーだ!」
ひとりが絶叫した。
もがいているかれらを捨てて、ぼくたちはさらに左の、池のふちへと走った。
そのぼくの頭の中に、倒れた連中の思念が流れ込んできた。肉声もまじっていたようだが、ぼくにはいちいちそれらを判別しているような心理的余裕はなかったのだ。
それは憎悪であった。
恨みであった。
連邦軍の奴ら!
こんな奴らが戦争などするから……負けたりするから、われわれはひどい目に遭っているのだ!
今迄、散々勝手な真似をしてきやがって!
殺してやる!
殺してやる!
こいつらをみんな殺して、持っているものを全部取るんだ。
こいつら、いろんなものを持っているんだ。奪ってやる!
連邦軍め!
ぼくを追ってくるそれらの思念に、新手の連中のものらしい思念が加わってきた。
逃がすな!
どうせなら、あいつらも殺せ!
われわれのネプトを滅茶苦茶にしやがって!
許せぬ!
殺せ!
ぼくたちは池に沿って迂回《うかい》し、その先の茂みにたどりついていた。
茂みのむこうに、低い石造の仕切りがつらなっている。その下は樹々におおわれた斜面だ。
ぼくたちは仕切りの横を走り、ゆうべぼくが登って来たのと同様の石段があるのを見つけた。
下方には、人影はない。
ぼくたちは石段を下った。
庭園に乱入した連中の思念も遠くなって行く。それがふっと消えたのは、ぼくの短時間エスパー化が終ったからであろう。
ぼくとラタックは、石段を降りつづけた。
今の、乱入した連中の憎悪や怒りの思念について、だがぼくは、もう何も考えたくはなかった。あんな風に思われるのはぼくには納得しがたいし理不尽との気もするが……かれらがそう信じているのは、どうしようもないのだ。かれらにとってはそれが真実なのであろう。とすれば、考えても詮無《せんな》いのであった。
カーブする石段を下り切ったぼくたちは、左右に分れるあまり広くない道に出た。道の両側にはけばけばしい色彩の看板を出した店が並んでいる。看板に女性の裸体画が多いのは、このあたりがいかがわしい一角ということのようで……だがその看板の中にはずり落ちかけているものもあり、すべての店があるいは戸を閉じあるいは開いたまま放置されているところから見て、だいぶ前に営業をやめてしまっているらしかった。
ぼくとラタックは、それらの中の、放置された店のひとつに入った。もう誰も追って来ないようだったので、少し休むことにしたのである。
「ひどいものだな」
ぽつんと、ラタックが呟いた。暴徒のことをいっているのだと、ぼくにはわかった。
「そうですね」
ぼくは応じた。
「しかし、お前がまたエスパーになっていたんで助かったわい」
ラタックはいう。「ゆうべ会ったときにはそうではなかったみたいだが、あの後で能力が出てきたのか?」
「そうではないんです。さっきのは、短時間エスパー化でした」
ぼくは答え、ラタックは顔をしかめた。
「短時間エスパー化?」
で……ぼくは、さっき、人々が庭園に乱入する直前に説明しようとしていた事柄を、話しはじめたのだ。ドゥニネの不思議な能力のこと、旧知で同じような力を持つ女――シェーラとその仲間に会って、短時間エスパー化の力を与えられたこと……ドゥニネたちの本当の目的とかヘデヌエヌスがらみの、ラタックがとても納得しそうにないことは除外せざるを得なかったものの、あらましを喋ったのである。
「なるほど。それで、その女たちのいる場所におれを連れて行って、おれの傷を治して貰おうというわけか」
ぼくが語り終えると、ラタックは左手であごを撫《な》でながらいった。「どうも……信じられないような話だが、お前がそういうのなら同行しよう。そのテレパシー連絡網とやらを頼りにな。いや、有難いというべきなんだろう」
それからラタックはぼくを見た。「それにしても、おれたちのこの連邦軍の制服は、さっきような連中の憎しみの的らしいな。おれには見当違いという気がするが、これではまた標的にされかねん」
「…………」
その点は、ぼくも同感だった。
ネプト市民らしいいでたちにすべきだろうか? この店の奥か、でなければどこかでそんな服を見つけて、着替えるのがいいだろうか?
だが、そこでぼくは思い直したのだ。
いくらネプトの市民らしい格好をしていても、ぼくたちはネプトについてろくに何も知らないのである。本物のネプト市民たちには考えられないような間違いをするかも知れないのだ。
それにぼくたちにはわからないけれども、かれらの服装にだって実はそれなりにややこしい制約とか判別法があるのではないか? だったら、それで他のネイトの人間であるのはたちまち見破られるだろうし、それが余計に先方の憎しみを買う結果になるおそれがあった。決定的なのは、ぼくはある程度ダンコール語を喋れるとしても、ラタックはそうではないのである。へたな工作をしたりするより、連邦軍兵士と知られてもこのままのほうがましかも知れないのだ。
そしてぼくは、あの病院になっていた建物から出て来た男女が、なぜ連邦軍の制服を着込んでいたか、突然了解したのであった。あのふたりが、連邦軍の兵士がネプト市民に憎まれているのを悟っていたかどうか、ぼくには何ともいえないけれども、もし悟っていたとしても、ダンコール語を話せないなら、連邦軍の兵士――それも武装した兵士で通すのがむしろやり易いと判断したのではないだろうか。
だったら、ぼくたちもこのままでいいではないか。連邦軍の兵士であるのをあきらかにするのは、武装している兵士であるのを明確にすることで、先方にうかつに手を出せないと思わせることになるのではないか? こっちがそれなりに警戒し用心すればいいのだ。
しかもぼくには、短時間エスパー化という能力もある。
このままで行くマイナスを承知の上で行動するほうが、自分たちの気持ちに素直に従えるし、無理をすることにもならず、はっきりしていて、いいのではないか?
ぼくはその旨を、ラタックにいった。
「考えてみれば、そうかも知れんな」
ラタックは頷いた。「イシター・ロウ、相変らずお前は頭のよく廻る奴だよ。さっきはどうなることかと思ったがな。――ま、おれとしても正直、わざわざ上衣をひっかけてきたのは、制服を捨て切れん気持ちがあったからで……その覚悟で行くか」
それで決まりだった。
「さて、どっちへ行くんだ?」
ラタックがいい、ぼくは、エスパー化してシェーラと連絡を取ることにした。
ラタックに表を警戒しておいて貰い、奥に入って片膝をつき、意識を集める。
呼びかけを開始するや否や、ぼくの心に強い思念が飛び込んできた。
(イシター・ロウさんですね?)
シェーラではない……テレパシー連絡網の相手は告げた。(呼びかけをお待ちしておりました。あなたに伝言があります)
相手はちょっと間を置いた。ぼくが聴こうとしているのを確認したらしく、すぐに、フィルターにかかった感じの思念が送られてきたのだ。
シェーラの思念は、伝えていた。
朝がたから、時間をおいて呼びかけているが、ぼくの返答が得られないこと。
ヤスバの意識をどうしてもとらえることができなくなったが、何かあったのかと心配していること。
それからシェーラは、告げたのだ。
(とにかくエミンニビルから見て、西南へ西南へと進んで下さい。わたしか、わたしの仲間がそっちへ向かいますから、少々の方向のずれがあっても、探知できるはずです。ときどき呼びかけて下されば、こちらにはあなたの位置がわかりますので、方向を修正します。それに、この連絡網では傍受されたり妨害されたりするおそれがあるために、詳しいことはいえませんが、エレン・エレスコブとその一行について、重大な情報があります。お会いしたときに詳細はお話しします。急いで下さい。時間はかかるでしょうが、あなたがそっちへ行くときに人々の大群の中を逆流したのと違って、移動する人の数自体が減って方向もまちまちになっているようですから、前よりは早くなるはずです。気をつけて身を守りながら急いで下さい)
そこでフィルターにかかったシェーラの思念は終りになり、中継網の相手の思念になった。
(この思念を託した者は、現在連絡不能の状態にありますが、告げたいことがあれば、その者との連絡が可能になれば直ちにお伝えします。何かありますか)
ぼくは、ヤスバが死んだこと、ラタックを伴って庭園を出、そのときに人々が乱入してきたことなどを、送念した。
(わかりました。それでよろしいのですか?)
相手の思念があり、ぼくは答えた。
(それだけでいいです。有難う)
相手は終了の意志を伝え、連絡はおしまいになった。
それでもまだぼくのエスパー化は持続している。
疑いもなく、ぼくの短時間エスパー化のその持続時間は、多少の揺れを伴いながらも、少しずつ延びているのだ。
ぼくは今のやりとりを心の中で反芻《はんすう》し、確認した。
今のは、テレパシー中継といっても、シェーラとのその場での交信ではなかった。いわば録音されたのを聞かされるような、そんなかたちだったのであるが……内容はぼくには充分だった。
西南へ、西南へ……ときどき呼びかければ方向を修正して貰えるのだ。
そしてぼくが悟ったのは、仮兵舎で見た夢は、やはりシェーラに関係があったということである、ぼくはぐっすり眠っていたから、シェーラの呼びかけをあんな風に夢に転じ、エレンとその一行をも夢に見たのに相違ないのだ。その後もずっとぼくは、シェーラの呼びかけを感知できるような心理状態ではなかったのである。非エスパーであってもぼくの場合、以前にも経験したように、こちらが受けとめられる状態であったなら、感知していたであろうが、それどころではなかったのだ。いや、エスパー化して乱入した連中を食い止めたあのときだって、とてもほかに気を向けテレパシーを交信していられるような状況ではなかったのである。
ぼくはそこで一息つき、自己の能力が消えようとする寸前に、店の表のほうに気持ちを転じ――待っているラタックが、退屈しかけているのを知った。ぼくは何となく心が明るくなったのだが……ラタックは現在のぼくたちの立場や今後のなりゆきについて、大して心配もせず不安にもなっていないようだったのである。どうせなるようになるので、それでいいんだ――という、どこか楽天的な気分でいるのだった。
ぼくは立ちあがり、そっちへ行った。
「連絡、ついたのか?」
ラタックが顔を向ける。
「つきました」
ぼくは答え、その内容を告げた。
「便利なものだな」
ラタックは素直に感心した。「おれだって、ときどき自分が超能力者だったらと思うことがあるよ。しかし、ま、聞くところによると、超能力者は超能力者で、いろいろ問題があるともいうが……」
ぼくは磁石を出して、方向を見定めた。
「こっちが、西南に近いかな」
覗きこんだラタックが、店の内部から見て右のほうの道を指す。
ぼくたちは、勝手に占拠していたその店を出た。
エミンニビルの地上庭園を捜しながら進んでいたときと違って、今度は早くなるはずだと、シェーラがいったこと自体には、間違いはなかった。
あのときのぼくは、はじめはドゥニネの姿でとぼとぼ歩き、第二市と第三市の間の森を抜けるのにごたごたを避けるため大廻りをし、第三市に入った後は方向がわからなくなって、ほとんど試行錯誤に似たやり方で、やっと第六区にたどりつき、ミヌェブロック・エミンニビルの地上庭園に入ったのだ。そのことだけから考えても、方角がちゃんとわかっている今回が楽なのは、自明の理なのである。
しかも今度は、人々の大波の中を逆流するのではない。
早くなって当然だ。
ではあるものの、それがきわめて容易な行程であったとはいえない。
ぼくたちは、西南をめざして進んだけれども、道は必ずしもその方向にあるとは限らなかった。細道にせよ大通りにせよ、ぼくたちはしばらく違う方向へと歩くのを余儀なくされ、これはかなりずれたのではないかと不安になるたびに、ぼくが短時間エスパー化することでテレパシー中継網と連絡を取って、修正しなければならなかったのだ。そのつど、誰かぼくにはわからぬ思念の持ち主が、中継網を経て、教えてくれたわけであるが……まるででたらめといっていい高低差のある第三市の、あの道この道を登り下りするのは、それだけでもくたびれる上に、短時間エスパー化をするとなると、その間ぼくが無防備の状態でも大丈夫なような場所を見つけなければならないのである。
それに、人々の流れや、物騒な連中というものがあった。
なるほど、ぼくがエミンニビルを捜していたときとくらべると、行き来する人間の数はめっきり減っていた。が……あのときは主として人々は、一番ひどく混乱しているという第四市と反対の方向をめざしていたようであったのに、様相はかなり変っていたのだ。たしかに南へ行く者も少なくなかったが、東方へと流れて行く人々や、逆に第四市へと北上する人たちも、かなりいたのである。そうした、東とか北へ行く人々の中には、あの投降勧告のビラを手にしている者がいるのを、一再ならず見掛けたのだ。かれらは敵から逃げるよりも、敵に降服し保護して貰う道を選んだのに違いない。
そうした、ひとりひとりがそれぞれの存念で思い思いの方向へ行く中、携行している荷を奪おうとする集団が、至るところにいるようであった。ぼくたちは何度か、そうした連中が人々に襲いかかり掠奪《りゃくだつ》し殺傷するのを目撃したが……すでに、いちいちそうした中に飛び込んで襲われている者を救出しようというつもりはなくなっていた。きりがないし、ぼくたち自身が連邦軍の制服を着用しているせいもあって、攻撃の標的にされるおそれがあったからだ。そう……ぼくたちは、なるべく目立たないように、人の少ない道を選んで進んだのである。人通りが少なければ、襲ってくるのも小人数だろうから、ふたりで充分防戦できるのだ。やむを得ず大通りを行くときには、いつでもたたかえるように気を張りつめ、ぼくはすぐさまエスパー化できるように精神を緊張させて、必要以上に他人に接近しないようにしたのであった。
それでもときにはぼくたちは、襲われかかったり、連邦軍だと叫ぶ者がいて人々に取り囲まれそうになったりした。たいていの場合は走って逃げ、どうにもならなくなると、ときには念力で、ときにはレーザーガンを振り廻し撃ったりもすることで、相手の攻撃を食い止め、その場を離脱したのであった。
その間にも、敵の弾の飛来する音や爆発音が聞え、例の飛行体は空を動きつつ放送するのである。
簡単には行かなかったのだ。
が……そんな具合で五時間余りも歩いてきて、ぼくたちが、敵弾によって上部を砕かれ誰も居なくなっている比較的小さなビルの中にもぐり込み、またもや方向修正のための連絡をとったときである。
(お待ち下さい)
と、テレパシー中継網の相手は送念してきたのだ。(すでにその近くに、あなたがたを迎えに行っている者があり、その者から直接連絡したいといってきています。そのままでお待ち下さい)
ぼくは待った。
待つうちに、ぼくの短時間エスパー化は終り……もう少し経ってからまたエスパー化しようと考えたとき。
(そこですね? 今行きます)
非エスパーのぽくの頭に、声が響いたのである。
これは?
不定期エスパーであるぼくの、非エスパー時にも内在させている能力に呼応させるほどの強い働きかけは……?
そんなに永く疑っている必要もなかった。
「女がここへ来るぞ! 頭巾《ずきん》をかぶり布切れをつけた女だ!」
戸口で外を見張っていたラタックが、こっちを向いて低く叫んだのだ。
片膝を立てた姿勢だったぼくは立ちあがり、戸口に出た。
ドゥニネがひとり、やって来る。
近寄ってきながら、そのドゥニネは頭巾を外した。
シェーラではない。
ワタセヤであった。
「ご機嫌、いかが?」
ワタセヤは、にっこりした。
「わざわざ、有難う」
ぼくがそんな受け方をしたのは、やはり、ほっとしていたからだ。
ワタセヤは、中へ入っていいかという身振りをし、ぼくたちは後退して道をあけた。
「あなたがたを、わたしたちのところへ案内するために、やって来ました」
中に入ったワタセヤは、ラタックのほうに目をやった。「そちらがお連れの人ですね? ラタックさんというのですか?」
ぼくは頷いた。
「これが、お前の話した前からの女友達なのか?」
ラタックが、ぼくに尋ねる。
「ではなく、その仲間です」
ぼくは返事をした。
「でもエスパーなんだろう? おれの名をいったものな」
いうとラタックは、ぺこんと頭を下げた。
「ラタックです。よろしく」
「ワタセヤといいます。こちらこそよろしく」
ワタセヤも会釈を返し……わきにかかえていたものを差し出した。「出掛ける前に、これを着て下さい」
それは、ドゥニネの頭巾と布切れだった、
しかも、二組ある。
「道の途中もそうだけど、これから行くところを考えると、この格好が無難だと思うんです。――いえ、連邦軍の制服を脱がなくても、その上に掛けて下さればいいんですわ」
ワタセヤがそうつけ加えたのは、ぼくたちの連邦軍の制服に対する気持ち、とりわけラタックのそれを読み取っての気遣いだったのであろう。
気遣いといえば……ぼくはそこで突然、ワタセヤがカイヤツ語だけで喋っているのを悟った。きのう会ったときにはワタセヤもミヌエロも、まずダンコール語でぼくに挨拶し、そのうちにカイヤツ語を適当にまじえて話していたのである。あのときにはシェーラだって最初はダンコール語で喋り、あなたがダンコール語を話せるようになったしここはダンコールだから、他のネイトの言語を使うより安全だと思ったのだけれども、もしもいやならカイヤツ語にするといい……ぼくがまだ入り組んだ複雑な会話になるとダンコール語ではいささか心もとないのを知って、カイヤツ語に切り換えたのだ。とすればワタセヤもミヌエロも、両方の言語に通じていたものの、そういう安全のための意識が働いて、あんな喋り方をしたのか? ぼくにはよくわからない。わからないが……今のこの場では、ダンコール語を解さないラタックがいるので、カイヤツ語で通しているということかも知れなかった。
ぼくたちは、布切れをまとい、頭巾をかぶりにかかった。といっても右腕を吊ったラタックには簡単な作業ではないので、ワタセヤは、すでに一度ドゥニネ姿になって要領がわかっているぼくには勝手にそうさせ、自分はラタックを手伝ったのである。
「きのう貰ったのを捨ててしまって、悪かったね」
着ながら、ぼくは詫《わ》びた。
「仕方ないです」
と、ワタセヤ。
「なのに、また二組も持って来てくれたのは、ぼくがそうしたのを知っていたのかい?」
ぼくは問うた。
「いいえ」
ラタックに頭巾をかぶせる手を止めず、ワタセヤは答える。「あなたの立場と状況を考えると、どうせそういうことになっているだろうと思ったんです」
「なるほど」
いわれてみれば、その通りである。
「それじゃ」
ぼくたちの用意が整うと、ワタセヤはいいかけ――ふと気がついたように動きをとめたのだ。
「待って。どうせなら、あまり時間もかからないことだし、イシター・ロウさんにだけでも、これから行く場所その他について、お伝えしておくほうがいいんじゃないかと思います。ラタックさんには悪いけどちょっと待って貰って……イシター・ロウさん、ここでエスパー化して頂けませんか?」
「…………」
今ここではと、唐突な要請だ。
ワタセヤがそういうからには、その必要があるのだろう。
短時間エスパー化するというだけなら、テレパシー連絡網に呼びかけるのと違って、周囲に無防備にならなくても済む。
が……短時間エスパー化すれば、次にまたそうなる迄、ある程度の時間がかかる。力が貯えられる前にエスパー化しなければならないような事態になったら、困るのではないか?
けれどもそこでぼくは、そんな必要は無用であるのに思い至った。ワタセヤがそういうのは、それなりの成算があってのことに相違ないし……第一、彼女は、ぼくがエスパー化したとしても到底及ばない超能力者なのである。何かあっても彼女ひとりで処理できるはずだ。ぼくの力なんて、あろうとなかろうとほとんど関係ないのではあるまいか。
……と、判断したぼくは、すぐに頷いて、精神を集中した。
(きのうわたしがダンコール語も使っていたことについて、疑問をお持ちでしたね)
たちまちワタセヤの思念が流れ込んできた。(でもあなたはあのとき、覚えつつあったダンコール語に、もっと馴れて上達しようと心の底で考えていたではありませんか。わたしとミヌエロは、その気持ちに応じていただけなんですよ)
それが前置きで、ワタセヤは、これからぼくたちが行くことになる三角地帯の風景を、彼女の中に描いてみせたのである。
そこは、家と呼ぶのもためらわれるような粗末で小さな建物が、かたまり合っている一帯であった。シェーラが、ごみごみした掃きだめみたいな場所と表現したけれども、正にその通りだったのだ。
同時にワタセヤは、だからこそ自分たちが身を隠すには好適だ、との念も送ってきた。
つづいて彼女は、三角地帯を取り囲むネプトの第一市、第二市、第三市と、第三市の東北に位置する第四市についての、聞き知っている現況を、ぼくに伝えた。
第一市は、入ってこようとする者をきびしく阻止し、ダンコール軍団を主力として、第一市だけでの秩序を維持しようとしていたが、内部で反乱が起こり不穏の形勢だという。
第二市は、他の市から流入してきた人々で溢《あふ》れ、混乱の巷《ちまた》となりつつ、その東部からネプトの外へと、脱出あるいは投降を図って流れ出る人々が増えているらしい。
そして、ぼくたちがその南端にいる第三市は、ぼくとラタックが実際に見たように、逃げ出そうとする人たちは、あらかた出てしまったか出つつあるところで……その行く先は第二市か、でなければ投降のために市の北や東の境界の外ということのようなのだ。むろん、そうした人々を襲うために、または諦《あきら》めて居残っている者も少なくないらしいし第四市からはなおも人々がやってきているのだそうであった。
第四市はとなると……ワタセヤにもろくに情報は入っていないようであった、ただ、最も高度に機能化され大がかりな装置や大エネルギーの供給がなければ即座に麻痺《まひ》する、いわばひとつの巨大ビルである市だけに、潰滅的な状況にあるのはたしかだったようである。人々は外へ外へと逃げ出しており、その中で第三市へと流れる人たちが多いとのことだ。それにこれはまだ確認されていないものの、ネプト全体としても一番外側にあたる東北部から敵が侵入を開始しつつあるとの話もあるのだった。
その間もネプトを包囲した敵は、威嚇《いかく》か投降へのふんぎりをつけさせる目的でか、無差別に弾を撃ち込んで来ているのである。
連邦軍のどの軍団も、ダンコールのネイト常備軍も、もはや本格的抗戦などはしていないようだ。ダンコール以外のネイトの、脱出、強行突破を試みた軍団がどうなっているかも不明。警察ほかの秩序維持機能にしても(第一市では別の様相を呈しているらしいが)ほとんど働いていない。少なくとも統一された全体的組織ではなくなっているという。
ワタセヤがぼくにそう伝えたそうした状況は、あるいは情報としては粗雑に過ぎると思う人がいるかも知れない。
だが、それだけでもぼくには、ひどいことになっているのはわかったのだ。
いや、それだけというが……今のような情勢下でこれだけのことを把握するというのは……ワタセヤやらシェーラやらの、ヘデヌエヌスの工作員たちの情報網が優秀だということではあるまいか。
ネプトがそんな風になっているとして……しかし、ぼくの頭に軽い疑念が浮かんできたことは、いっておかなければなるまい。
第四市から第三市へ、第三市から第二市へ、第二市からも外へと人々が流れているのだとしたら、それに第一市は他の市からの人間を入れないとしても、出て行く者は出て行かせるとしたら……それらの一部でも、三角地帯に流れ込んでくるのではないか? 三角地帯だつて人々でふくれあがりつつあるのではないのか?
(誰がそんなことをします?)
返ってきたワタセヤの思念は、微笑さえ含んでいた。(通称三角地帯は、落ちこぼれの吹きだまりとされているんですよ。そこの人たちの仲間と見倣《みな》されない者が大きな荷物をかついで入ってきたら……うまく潜り込めない限り荷を盗まれて裸同然になるのがおちでしょう。ネプトのちゃんとした℃s民たちには、そんな意識があるんです。ま、当面生きて行くためのもの以外の何もかを失うのを覚悟なら、入って行くことはできますし、事実、そんな人たちもかなりいますが……三角地帯からネプトの外へ出ようとして住居を捨てて行った人もいますから、今のところ人々でふくれあがるところ迄は行っていません。それに……三角地帯は第一市と第二市と第三市に囲まれたネプトのいわば一番内側にあるわけでしょう? 逃げるのに、内側をめざす人はそうたくさんは居ないとは思いませんか?)
そんなものかも知れない、と、ぼくは考えた。
(これだけです)
ワタセヤは、告げた。(ところで……お連れのラタックさん、悪い人じゃなさそうですね)
彼女はラタックの意識や思考を読み取ってそう感想を送ったのであろう。それはそれでいいので、ぼくは自分の気持ちにもとついて肯定した。
もっとも、ワタセヤがそんな送念をしたというのは、そのことでぼくがラタックについての記憶その他を呼び起こすのを、もくろんだのかもわからない。事実ぼくは、ごく自然にラタックに関しての、あれこれやを心中によみがえらせたのだ。
(そうですか。ご両親が離籍者で……画を描くのが好きなんですね)
ワタセヤは思念を流し……その思念がふっと消えて空白になるとすぐ、声を出したのである。
「では、行きましょう」
ぼくは、自分の短時問エスパー化が終了したのかと思ったが……そうではなかった。
ラタックの意識が入ってきたのである。
ラタックは、不思議そうな表情で、ぼくとワタセヤを眺めていた。あんな風に向き合って立ったままでテレパシーの交換をするなんて、便利なものだな、便利だが、どうも妙な具合だわいという気分が、そこにあったのだ。
そのラタックの意識と、ぼく自身の感覚とを総合すれば……ぼくとワタセヤが思念でのやりとりをしていたのは、一分少々ではなかったろうか。前にも述べたが思念による話し合いというのは、うまくやれば、声に出しての会話よりも遥かに高速で能率が良いのである。その点、ワタセヤのおかげがあったにしても、ぼくが、以前のぼくからは考えられない位、おのれの能力の使い方に習熟してきたということであろう。
ドゥニネ姿のぼくたちは、ビルを出て歩きだした。
先頭がワタセヤ、三、四歩置いてぼくとラタックが肩を並べるかたちになって、である。
まだエスパーの状態にあるぼくに、ラタックの意識が伝わってくる。そこには前にぼくがラタックから感知した、どうせなるようになるのでそれでいいんだ――との気分が依然として存在していた。のみならず、何となく面白くなってきたなという念さえまじっていたのだ。それからラタックは、自分の気持ちとほとんど同時に、横のぼくに小さい声でいったのである。
「それにしても、なかなかすてきな女じゃないか」
次の瞬間ラタックは、彼女が超能力者であり、声が届かなくてもテレパシーで聴きつけるはずだと気がついて、しまったと感じたのだ。
ワタセヤが、ちらりと振り返った。ぼくには彼女の含み笑いの感情をとらえることができた。
つづいて。
前方に向き直ったワタセヤは、背を見せて歩みながら、ぼくに送念してきたのであった。
(シェーラは今、用があってちょっと遠く迄出掛けています。わたしたちが三角地帯の住まいに着いた頃には、戻って来るでしょう。あなたに伝えなければならぬ情報と、相談があるそうです)
これも繰り返しじみるけれども、ワタセヤはシェーラという名前の代りに、シェーラのイメージをぼくに感じさせたのである。
情報と、相談?
何だろう。
情報とは、テレパシー連絡網で伝言を聞いた、エレン・エレスコブとその一行についての件だろうか?
それに、相談とは?
ぼくは別にこのことを、ワタセヤに問うたのではない。ひとりでにそんな想念が湧きあがって来ただけの話だが……ワタセヤに対しての質問として作用したようだ。
(それは、シェーラが自分でお伝えするでしょう)
ワタセヤの思念が流れてきて、それから何も感知できなくなった。
ワタセヤが心を空白にして遮断したのではない。
今度は本当に、ぼくの短時間エスパー化が終ったのだ。
それにしても、今回のエスパー化がさらに長くなったのは、事実である。
が。
ぼくは、なぜワタセヤがぼくにエスパー化を求めたのかを、考えはじめていた。ぼくひとりだったら、いや、ラタックがいたとしても、ぼくは想念を追うというような真似はうかうかとしていなかったに違いない。油断なく周囲を警戒していたであろう。なのに、むろん想念を追うことに浸り切ったわけではなく、そこそこ緊張もしていたが、そういうことをしたのは……正直、そこにぼくなどよりはずっと上の超能力者のワタセヤがいたので、自分では意識するには至らなかったものの、少し気が楽になっていたのだと思う。
ワタセヤはぼくに、これから行く場所その他について伝えておきたいからエスパー化しろといった。
たしかにそれは嘘ではなかった。ワタセヤは三角地帯の様子を示し、ネプトが現在どうなっているのかを告げてもくれたのだ。
けれども、そうした事柄は、何もわざわざぼくをエスパー化させなくても済むことではあるまいか。どうせぼくはこの目で三角地帯を見るのだし、ネプトの現況はテレパシーで伝えるより時間がかかるとしても、言葉で事足りるはずである。
にもかかわらず彼女がぼくにエスパー化を求めたのは……ほかに理由があったのではないか?
他の理由。
もしもそういうものがあるとすれば……まず考えられるのは、カイヤツ語をらくらくと話せるワタセヤが、どうしてきのうはダンコール語をまじえていたか――の、ぼくの疑問に答えるためとか、三角地帯へ人々が流れ込まないわけを説明するためとか……であるが、これだって何もあの場で行なわなければならぬ必然性はないのである。後からでもいいことなのだ。
では、彼女はラタックについての感想をぼくに伝え、併《あわ》せてラタックのことをもっと知ろうとしたのか? それはあり得るかも知れないが、ぼくにエスパー化を求める主たる理由と迄は行かないのではあるまいか。
それと……これは彼女がぼくたちに見せた気遣いから、そういうことがあってもおかしくないと思われるのだけれど、彼女は、これからシェーラとかミヌエロとかの、エスパーの集まる場にぼくらを連れて行けば、エスパーどうしの無言での意思交換というような、ラタックがおそらく実見したことがないであろう場面がしょっちゅうあるだろうから、その前にぼくというラタックがよく知っている人間にそれをやらせて、ラタックを慣れさせておこうと考えたのかもわからない。
待て。
もうひとつ、充分説得力を持つ理由があった。
ワタセヤは、ぼくに情報を与える目的もあったが、それとは別に、シェーラがぼくに植えつけた、というよりぼくの潜在的な力を増強し可能にした……短時間エスパー化を確認しテストしようとしたのではないだろうか? その後ぼくがうまくその力を活用し、力そのものや持続性がどうなっているかを、見て取ろうとしたのではなかったか? 何のためにかは、いくつか考えられる。例えば、自分たちのぼくに対する試みがどの程度成功したかをたしかめたかったとか、ぼくの能力が鍛えられつつあるか否かを判断するためとか、さらにかりに三角地帯への道で何かおこったときにぼくの超能力者としての戦闘力がどの位のものかをあらかじめ計算に入れておきたかったからとか……いろいろ推測できるのだが、とにかくそういうもくろみがあって、ぼくにエスパー化するようにといったのであるまいか。
これらのどれかが、あるいは二つ以上が当たっているのかどうか、定かではない。
そして、ぼくのこんな想念を当然感知しているであろうワタセヤが、振り向いてぼくの疑問に答えてくれるということも、なかったのだ。
こうした間にもぼくたちは、巨大なビルの外壁や塀や樹を持つ柵などにはさまれた、人影もあまりない、荒廃した感じの道を進んでいた。投降を勧告するあの飛行体からの声らしいのがどこかから聞えてきたり、ときどき敵弾が爆発したとおぼしい響きがしたりした。その他にも何か騒然とした物音が唸りのように鳴っていたのである。午後ももううんと遅く、あたりはしだいに明るさを減じつつあった。
ぼくたちは、無言のまま、ドゥニネ姿でとぼとぼと歩きつづけた。
いつか、道の両側のビルも、小型のものばかりになり、道そのものも、だんだん細くなる。
日が暮れはじめた。
ビルよりも木造の建物のほうがずっと多くなった家並みで切り取られた空はまだはっきりしているものの、外灯もともらない細い道は、足元から暗さが這《は》い上ってくるのだ。その空さえ、急速に夜のものとなってゆく。
それでもワタセヤは、同じ速度で進んでいた。透視力や読心力であたりを警戒しているから、そんなことが可能なのであろう。
「こんなところで襲われたら厄介だな」
ラダックが、ぽつんと声を洩《も》らす。
ワタセヤがこちらへ顔を向けた。もうぼくにはその白さしか見てとることができなかったのだ。
「行く手や周囲は、わたしが注意しています。わたしたちがろくに金も持っていないであろうドゥニネと知れば、たいていの者は襲うのをやめるでしょう。でも、油断はできません。わたしが何かいったら、すぐにその通りにして下さい」
ワタセヤはそういうと、また前へと向き直った。
「そうか、エスパーなら、そういうことも出来る理屈だな」
ラタックが呟く。
とうとう、日はとっぷりと暮れてしまった。昨夜半から電力の供給が断たれているために何の照明もない道は、本当なら真っ暗で、超能力者のワタセヤはともかく、ぼくやラタックは手探りで進まなければならないところだったろう。だが空は、完全に暗くはならなかったのだ。皮肉なことに、あちこちの火事の炎が雲をぼんやりと赤く浮かびあがらせていたのである。
人影を見掛けることは滅多になくなっていたが、しかし、ぼくたちと擦れ違ったり行く手にちらちらしたりということが、なかったわけではない。そんなとき、ワタセヤが何もいわなければぼくたちは同じ調子での歩行をつづけたけれども、ときには彼女の低い制止と指示によって三人共道端の軒下《のきした》に身をひそめ、来る者をやりすごしたり、むこうを横切って行くのを待ったりしたのだ。彼女がそうした相手はいつも何人かのグループだった。もしもそうした連中に見つかって争いになっても、ワタセヤがひとりで片づけただろうとぼくは信じるが、彼女はそんな無駄な時間や手間をかけたくなかったのに違いない。
そのうちに、道は少しずつ下っているようにぼくには思われた。低地へと向かっているのであろう。ぼくにははっきりとはわからず、ワタセヤも何もいわなかったが、そのときにはもう第三市を出て、三角地帯に入ろうとしていたのではあるまいか。
ワタセヤが来てくれたあのビルを出てから一時間余り歩き……ぼくたちは、家ももうない、草が茂り樹が生えた土手のようなところに来て、その斜面を下った。草が深くなったあたりをしばらく行くと、そこに小さな――掘っ立て小屋らしいのが並ぶシルエットが目に映ったのだ。
ワタセヤは、ぼくとラタックの先に立って、その小屋の群の前を通り過ぎる。くらがりでよくは見えないが、たしかに掘っ立て小屋のようで、ひとつひとつは小さく、かたちも雑多であり、屋根は平たく上にごちゃごちゃしたものを載せているらしかった。そしてそのいくつかは、小さな窓や壁の隙間から茫《ぼう》と光を洩らしている。それが揺れているのは、ろうそくか何かをともしているのだろう。
その小屋の群の先には、また小屋の群があり、しだいに密集してきた。
ぼくは歩きながら、しかしそのとき、奇妙な既視感を味わっていたのだ。正しい意味での既視感とはいえないだろうが……その風景は、ワタセヤが心の中で描いてみせたものと重なり合ったのである。彼女が見せたのは昼間の景色であり、ぼくの眼前にあったのは夜のそれだったが、基本的な構成や雰囲気は同じだったのだ。
そしてぼくは、三角地帯についてワタセヤがいったことは事実だと悟りもしたのである。ここはたしかに、落ちこぼれの吹きだまり、底辺のうらぶれた人々が住みついている場所なのだ。
ここの人たちにとっては、戦争も無縁ということなのだろうか? 例えネイト=ダンコールが降伏しネプトが占領されたところで、自分たちには関係ない、どうせこれ以上悪くはならないと諦観しているのだろうか?
いや。
ぼくはじきに、そんな考え方を修正しなければならなかった。
密集してひろがる掘っ立て小屋の大群の中に、あきらかに敵弾の爆発があったと思われる跡が見えたのである。そのあたりはぽっかりと大きな穴があき、小屋などひとつもないのだ。
それに……ひしめく小屋の群の横や前を通りかかりながら、それらの小屋のどれにも人間が住んでいるのではないことを、ぼくは知った。小屋によっては屋根がずり落ちたり壁がめくれていたりして、放置されているものが少なくなかったのだ。そこに居た人々が死亡したのか離散したのか、あるいは三角地帯を出てネプトの外へ逃げて行こうとしたのか、ぼくは知らない。
いずれにせよ、ここだって戦争と無縁のわけはなかったのである。
ぼくたちは、小屋と小屋の間に自然発生的に出来た感じの、狭い道を歩いていた。人間が三人並んで行くのがやっとの幅で、まがりくねっており、ぼくらはいつか縦一列になっていたのだ。
時折、小屋から表に出て立っている者がいたりした。男や女のこともあり、老人だったりもした。かれらは、ドゥニネ姿のぼくたちを、ぼんやり突っ立って見ているだけで、何もいおうとはしなかったのである。
依然として下っている感覚がつづき、ぼくは前方に、空の雲の微光を受けて何かが浮かびあがっているのを認めた。
河である。
幅の広い河なのだ。
とすればあれが――と、ぼくは、降下前に貰った地図を想起しながら思った。あれが、北から南へ、ネプトの第三市の下を通り、第一市と第二市にはさまれ、三角地帯の西を流れる……たしか、ニダ河というのではなかろうか。
「そうです。ニダ河です」
振り向いた気配と共に、ワタセヤがいう。彼女がわざわざ返事をしたのは、ラタックもぼくと同じことを考えたので、まとめて答えたのではないかという気がするが……何ともいえない。また、そんなに重要なことでもないだろう。
ぼくたちは、そのニダ河の、だがだいぶ手前の、小屋の密集個所に入った。
細い、ところどころあかりの洩れる道を行くと、路上の先に火が見えた。
ワタセヤにつづいて、ぼくとラタックもそっちへ近づく。
うまそうな匂いが流れてきた。
見ると、頭巾は外しているがドゥニネの布切れをまとった女が、路上に土か粘土で造ったらしい道具を置いてしゃがみ込み、火に網をかけて何かを焼いているのだ。火に照らし出されたその顔は……ミヌエロだった。
ミヌエロは、しゃがんだままこっちに顔を向け、ワタセヤと数秒間目を合わせてから、ほとんど同時に頷いた。それがふたりの交信・連絡で、それだけの間に必要な事柄を伝え合ったのだろう。
それからミヌエロは、やはり何かを焼きながら、ぼくたちに声を掛けた。
「いらっしゃい、イシター・ロウさん。ラタックさんも、どうぞ中へ」
「こちらへ」
ワタセヤが促《うなが》す。
ぼくとラタックは、ミヌエロを残し、ワタセヤについて、そこの小屋に入った。
真っ暗だ。
炎が閃《ひらめ》いた。
ワタセヤが点火具を使ったのだ。彼女がその火を入ってすぐ右の壁にあった燭台《しょくだい》のろうそくに移すと、内部が淡い黄色に浮かびあがった。
入ったところにちょっとしたスペースがあり、そこではきものを脱いで上の床へあがるようになっている。ぼくとラタックはワタセヤにならって靴を脱ぎ、十センチかそこらの高さの板張りの床にあがった。
部屋自体としてはかなり広いといえるけれども、どうやら一間きりの住居のようである。入口近くの燭台をかけた壁のむこうには流し台と水道があり、床には小型の敷物がいくつか置かれ、すわって喋ったり食べたりする形式の足のついた台があった。床の奥には物入れの戸らしいものがあり、そのあたりにはいろんな荷物が積み上げられているのだ。
「こちらへ、どうぞ」
流し台と反対側に据えられた足のついた台の上に、もうひとつろうそくに火をつけて置くと、ワタセヤはいった。
ぼくとラタックは、台に向かってあぐらをかいた。
「これがわたしたちの住まいなんですよ」
ワタセヤは、台をはさんでぼくたちと向き合い、微笑しながら口を開いた。「ここにはわたしと、今表に居たミヌエロと、それにシェーラというイシター・ロウさんの前からのお友達と、三人が一緒に住んでいます。粗末な住居で驚かれたでしょうけど、でも、ラタックさんの傷は、わたしたちの力で治しますわ」
それが、ぼくとラタックのふたりに対して話しているようでありながら、実のところは主としてラタックに向けてなされたものであるのを、ぼくは感じ取っていた。ぼくはシェーラたちからヘデヌエヌスのことや、彼女らがそこからの工作員であるのを聞いて承知しており、ここへ一歩入ったときから、任務のためにはこういう暮らしもやむを得ないのだろうな、と、ぼくなりに考えたのだが……ラタックのほうはそこ迄知らないのだ。ワタセヤはすでにそうした事情を読み取っており、しかも、エスパーとしての経験など当然皆無のラタックに、自分たちの素性や任務を語っても理解して貰えるかどうかわからず、ために、とりあえずはそんな喋り方をしたのであろう。
そしてラタックの返事は、意外、というより、いかにもラタックらしいものであった。
「おれの傷が、あなたたちの超能力で治るなんて、おれにはやはり本当にそんなことがあるのかという気がするんですがね。ま……イシター・ロウを信じてついて来たんで、治ればそれにこしたことはありませんが。――しかし、こういう暮らしも、なかなか良いんじゃないですか? 気楽そうだ」
と、ラタックはいったのである。
ワタセヤは、にっこりした。ぼくは思うのだが、ラタックは自分の気持ちを素直に口にしたのだろう。それがワタセヤにはそのまま伝わり……彼女はそんな表情を見せたのではあるまいか。
そのとき、ミヌエロがさっきの道具や網や焼いていたものを持って、中へ戻ってきた。
「シェーラも間もなく帰って来ますから、食事にしましょう」
ミヌエロはそういい、用意をはじめる。
四人での食事になった。
焼いていたものについては、ミヌエロはこれはニズネメとか何とかを、エブネとどうとかして作ったのだと説明したが、ぼくにはダンコール語のそんな固有名詞はさっぱりわからず、また、詳しいことを尋ねる気にもならなった。そのほかにもミヌエロは、変ったかたちのパンを出してくれたのだが、ぼくにはパンはパンでいいのであった。ともあれ、それがうまかったのは事実である。ラタックはしきりにうまいうまいといいながら食べたのだ。
途中で、シェーラが帰ってきた。
ミヌエロがあのようにシェーラの帰宅を断定的にいったのだから、三人の女たちはぼくには感知できないけれども離れた地点で連絡を取り合い、シェーラにしたってぼくたちが来たのを事前に知っていたのだろう。帰って来ても驚いた顔はせず、笑顔を見せて挨拶《おいさつ》したのである。
「来てくれたんですね」
それから表情を引き締めて、つけ加えたのだ。「ヤスバさんは、残念なことをしました。間に合わなかったんですね。ごめんなさい」
「仕様がないさ」
ぼくはいった。
思い出すと無念だが……ほかにどんないい方があっただろう。
シェーラたちにしたって、どうしようもなかったはずだ。
今となっては……それは簡単に諦められるものではないが、諦めるしかないのである。
それに正直にいえば、ぼくはたしかにヤスバについて、ふんぎりをつけかけていた。あの静かな死に顔のせいか……埋葬の作業をしたせいか……ラタックのいった通り、残った者は残った者として生きて行くしかないのだ、と、自分にいい聞かせていたのである。
かつてハボニエに対してそうしたように……。
また、ガリン・ガーバン以下の同じ隊の連中に対してもそうせざるを得ないように……。
そうするしかないのだ。
そうなのだ。
が……。
…………。
ラタックも黙っていたのは、彼は彼で、やはりガリン・ガーバンや仲間のことを考えたのであろう。
そうしたぼくとラタックの気持ちが手にとるようにわかるはずの三人の女もまた、しばらく何もいわず、身じろぎもしなかった。
「止そう」
突然、台に両方の手の平を載せて叫んだのは、ラタックである。「思い出すだけで、くやしくて……腹が立つ。止そう止そう止そう!」
「――そうですね」
ぼくも、やっといった。
「そうなんだよ」
ラタックは呟いた。「そうなんだよ、そうなんだ」
「そうです」
ぼくも、低い声を出した。
女たちは、ぼくらの感情がおさまるを待っていたようである。
「――どうも」
ようやく、ぼくは、女たちにいった。感情をたかぶらせて悪かった――というつもりだったのだが、そんないい方しかできなかったのだ。
「いいえ」
シェーラが受け、あとのふたりは首を横に振った。
ぼくたちは食事を再開した。
シェーラも食べはじめたのだ。
足のついた台上と、壁に掛けられたのと、離れた位置にある二本のろうそくの炎がちらちらと揺れる中、間もなくみんなは食べ終えた。
三人の女は跡片付けをし……それから目配せを交わして……ワタセヤがいったのである。
「では、ラタックさんの傷を治しにかかりましょう」
「治療は、下で行ないます」
ミヌエロが補足した。
下?
下とは、どういうことだ?
するとシェーラが、ぼくとラタックがまだすわっていたのと反対の側の、流し台があるほうの床へ歩いて行き、床に手をかけたのだ。床には金属の環が仕込まれていたので、シェーラはそれをつかむと、上へ引いた。床の一部が持ち上がった。
立ってそっちへ行き覗き込むと、そこには階段がある。
地下室なのだ。
しかもそこは、ろうそくの光で照らされた部屋よりもずっと明るい白い光に満ちていた。
「直接治療にあたる人間はひとりで充分なのですが、治療の効果をあげるためには何人かで声を出して念じなければなりません」
ワタセヤがいう。「シェーラはイシター・ロウさんと話があるので、わたしがまず手をつけ、ミヌエロと一緒に念じることになります。その声をあまり外から聞きつけられたくないので、地下室でやりたいんです」
「これは、びっくりだな。こんな地下室があるのか」
ラタックが、首を振った。
まずワタセヤが、ついでミヌエロに押されるようにしてラタックが……階段を下った。ぼくも、シェーラに促されて、あとにつづいたのだ。
降りるときにふと気づいたのだけれども、床の揚蓋の裏には、床の材料とはことなる茶色の板が貼られていた。下からの明るい光でよく見えたのだ。
下ってみると、地下室はそれほど大きくはなかった。上の部屋の四分の一位の広さだろうか。天井もぼくの頭上三十センチほどで、決して高くはない。だがその天井には円形の光源がひとつ取り付けられていて、どこからエネルギーを供給されているのか、白く明るく輝いているのだった。
そして壁も天井も床もみんな茶色――揚蓋の裏に貼られていたのと同じ材質の板なのである。
やや長方形になった地下室の床の奥のほうには、大きさやかたちもまちまちな金属製の箱が十数個、置かれているのだ。
ラタックは、感心したように地下室の中を眺め廻している。
しかしぼくのほうは、もうちょっと違う心理状態になっていた。
これは……ぼくにとって、何となく異質だ。
少なくともこれは、三角地帯の掘っ立て小屋(かどうか、ぼくには自信が持てなくなっていた)の地下にあっていいような……そんなものではなかった。地下室があるということ自体がすでにそうなのだが、それ以上にこれは、こんな場所にふさわしくなかったのだ。いや、ここが三角地帯ではなかったとしても、ぼくはこの地下室に、どこか現実離れした印象を受けたであろう。
もちろんぼくには、これがシェーラたち――ヘデヌエヌスから来た工作員にとって必要なのであろうとは、わかる。シェーラがぼくを随意エスパーにさせ、ぼくの知っている世界をヘデヌエヌスと同様のすべてがエスパーである世界にするための先兵に仕立てるべくヘデヌエヌスに連れて行こうとしている――ということを、ぼく自身が受け入れるかどうかは別として……彼女たちがしようとしていることを、一応は聴いて知っているから、こういうこともしなければならないのだろうと考える余地はある。
しかしながら、こういうものがシェーラたちにとって必要であり、彼女らにはこういう感じの地下室が使い易いのだとしたら……ぼくは、自分自身がなじんできた、あるいは知っているつもりの世界と、彼女らのヘデヌエヌスとの間に横たわっているもの、その質的相違を、どうしても意識してしまうのであった。シェーラたちの、ぼくには窺い知れなかった未知の面を見せつけられたような、そんな気分になってしまうのであった。
ぼくのいい方は、ひょっとしたら大げさと受けとめられるかも知れない。だが……たしかにいい過ぎのところはあるかもわからないが、それがぼくの実感だったのである。
けれども、ぼくがそんなことを心中で反芻《はんすう》しているうちに、ワタセヤとミヌエロはラタックに横になるようにいい、ラタックが素直に指示に従う(ラタックは毒気を抜かれていたのではないだろうか)のを待って、その横にすわり込んだのだ。
「治療はあのふたりに任せておいて……上でお話ししたいんですけど」
シェーラがいった。「あなたのためにも、どうしてもお話ししておかなければならないことがあるんです」
「ぼくのためにも?」
ぼくは反問した。
白い光の中で見返したシェーラの顔は、ぼくにとって、かつて彼女が謎の存在であり、得体の知れぬ部分があると何度か思った。あのイメージを復活させているようであった。
「そうです。イシター・ロウ、あなたのためにも」
シェーラは繰り返す。
「…………」
もしもシェーラが、ぼくのためにもというそんな条件づけをしていなかったら、ぼくは、何の話をしようというんだ――と、問いただしていたかも知れない。
だがそういうことなら……。
それにここにいたら、ラタックを治療する邪魔になるかもわからない。現にワタセヤとミヌエロは、こちらに目を向け……ぼくとシェーラが出て行くのを待っている風情であった。
ぼくは階段をあがった。
後からあがってきたシェーラは、揚蓋を閉じ、先程食事をした台の前に行って、すわった。
「こちらで、話しません?」
シェーラがいう。
「…………」
ぼくは、シェーラの向いに腰を落とし、あぐらを組んだ。
「わたしを、また信じられなくなったみたいですね」
シェーラは、ぼくをみつめる。
ぼくは黙っていた。相手がこちらの心を読み取っている以上、言葉で中途半端な返答をすることはないと思ったのだ。
「でも考えて下さい。今の地下室のどこがおかしいんです?」
シェーラはいいだした。「あの地下室の光源は、ネプトではどこでも売っているものだし、エネルギーは別に埋め込んだ貯電槽から供給されているんです。それも、あそこを使わないときには自動的に切れるようになっています。変ですか? 異世界的ですか?」
「いや」
そういわれると、ぼくは否定せざるを得なかった。
「あそこに貼りめぐらしてある板は、カッソー板です」
と、シェーラ。「ご存じでしょう? テレパシー遮断材で、他の超能力もある程度さえぎることができる――この世界で生産されたものですわ」
「…………」
ぼくは、心の中で頷いた。
テレパシーを遮断する材料というのが何種類もあり、ロッソー板とかカッソー板、不定形ラヌなどというのが有名だということ、その中には他の超能力もさえぎる高級材も含まれているといったことは、ぼくも知っていた。ただ、実際に使われるとなると、そういうものをこれ見よがしに露出しておいては、ここはテレパシーで探られたら困るということを、非エスパーにも宣伝するようなものだから、他の材料に埋め込んだり着色したりして、わからぬように貼りめぐらすのだとも聞いたことがある。カイヤツ府にはそうした材料を販売している店も何軒かあるとのことで、その気になればそれらがどんなものかを、店内に入って眺めることができたのだが、当時のぼくはそんなものに興味はなかったのだ。だから今の茶色い板がカッソー板だとは、認識できなかったのである。
そうなのか。あれがカッソー板なのか。
「ただ、はっきりいいますけど、前にも申し上げたように、本当の遮断材なんて存在しません。わたしたちにとっては遮断材でも何でもないけれども……この世界の超能力者にとっては充分有効だというだけです」
シェーラはつづける。「だけど、それでいいんですわ。近くにエスパーがいて、わたしたちが超能力者であることを知られる危険がありながら、どうしても仲間どうしでテレパシー交信をしなければならないときや、今のように祈りをするときに、その精神波や声を感知されたり聞きつけられたりしないためには……ああいう設備が必要なんです」
「…………」
「それはたしかにあそこには、わたしたちの仕事のための道具や材料が置いてあります。その容器があることで、異様な感じがなさったかも知れません。でも、そんなに変かしら、あなたは全体として地下室をそんな風にごらんになったけど、こうして説明したら、ちっともおかしくないんじゃありませんか? 地下室なんていうものがあること自体に不信感を抱かれたんでしょうが、そしてそれがこんな三角地帯の一見掘っ立て小屋の中にあるのが奇異に映ったんでしょうが……そうするしかないんです。わたしたちは自分の身を守りたいし、住むとしたら身を隠すのにはここがちょうどいいと考えたんですよ」
「…………」
ひとつひとつ説破されて行く感じであった。大体が、今の、地下室を見ての気分そのものが、確とした根拠のない感覚的なものだったのだから、そうなっても仕方のないところであろう。といって、シェーラに対して持ったあらたな距離感が完全に消えたわけではないが……ともかくぼくは、そういうことならまあ良いとしなければならないのだろうな、との心理になってきていたのである。
シェーラには、それがわかっていたのだ。
「済みません。わたし、結局はヘデヌエヌスの工作員なんですから……そう思われてもやむを得ないんでしょうね」
シェーラは、うつむいて小さな声を出した。
「いいさ」
ぼくはいった。
だが、そのことはそのこととして……。
「ええ」
シェーラはぼくの気持ちを受けとめ、顔を上げて口を開いた。「お話ししなければなりません。それも、急いだほうがいいのです」
「…………」
「出来ることならテレパシーでお伝えするのが早くて的確なんですけど……ワタセヤによれば、エスパー化の時間、随分延びたようですわね。でも、中途で切れて次のエスパー化を待ったりするよりは、言葉でいうのがいいと思います」
「…………」
やはりあのときワタセヤがぼくにエスパー化を求めたのは、そういう意図があったのだ……他の意図もあったのかも知れないが、ぼくの短時間エスパー化を確認しテストしようとのつもりが含まれていたのはたしかだったのだ――と考えながら、ぼくは相手の次の言葉を待った。
「わたしが話したいことは、ふたつです」
と、シェーラ。「それをお聞きになってから、あなたが自分でどうするかを、決めて下さい。こんなことをいうのは失礼だし、いって欲しくないかもわかりませんが、もう、自分の隊に合流し行を共にするというのは、事実上出来なくなってしまったんでしょう? となれば、これからのあなたの道は、あなた自身で見つけるほか、ありませんもの」
「かもね」
ぼくは、喪失感がよみがえるのを覚えつつ、苦笑と共に応じた。
そう。
束《つか》の間忘れていた、あの喪失感がである。
ぼくは、もう自分の隊を追っている身ではない。追って合流するつもりで全力をあげてきたが……ガリン・ガーバンほかの信じるに足る仲間はあらかた死に、残存軍団の四分の三はとうに出て行き、あとの者はばらばらになってしまっては、どうしようもなかったのだ。
目的を失ったぼくは、ヤスバを助けることを、次の目的に選んだ。
そのヤスバは死に、ぼくはさらに当面の目的として、ラタックを治療のためにシェーラたちのところへ連れてくることを決めた。
ラタックはこの瞬間、地下室で治療を受けている。
となれば……ぼくにはもう何も残ってはいないのだ。ぼくは何をすればいい? 何を目的にして頑張ればいい?
――という、宙を浮遊するにも似た空しさが、シェーラの言によって、よみがえってきたのである。
ともあれ、シェーラの話を聴こう。
それしか、ぼくにはすることがないのだ。
「事柄そのものは、この前お伝えしたのと同じです」
ややあって、シェーラは告げた。「ひとつはネイト=カイヤツに関してで、はっきりした情報が入りました。ネイト=カイヤツは降伏し、ウスとボートリュートの連合軍によって占領され、カイヤツ府では現在きびしい軍政が始まっているということです」
「…………」
ぼくは、もう叫びはしなかった。
きのうシェーラからそのことを聞いたときには、ぼくは絶句し、それから声をあげた。信じられなかったのだ。いずれそうなるかもわからないと覚悟はしていたものの、実際にそうなったといわれては、茫然とならざるを得なかったのである。
そしてぼくはそのことを、あと、何度も胸の中で繰り返したのだ。そのうちに、ぼくの心の中には事実を受け入れるしかないとの念が定着したのである。
それを、今またはっきりした情報として知らされても、どうなるものでもない。
「ついでですが、ネイト=カイヤツに関する情報を送ってくるわたしたちの仲間のうちには、あなたにとってのミスナー・ケイがいます」
シェーラはいうのだ。「あなたが関心をお持ちですからお知らせしますが、そのミスナー・ケイが、イサス・オーノの消息を伝えてきました」
「イサス・オーノ?」
ぼくはシェーラを注視した。
その名前が出てくるとは、全く予期していなかったのだ。
「ええ、イサス・オーノという人は、今、デヌイベの一員になり、わたしたちの仲間に協力しているとのことです」
と、シェーラ。
イサス・オーノが……デヌイベ?
「どういうことだ?」
ぼくは、あっけにとられながら、はげしく訊いた。
シェーラは話した。
それによると、イサス・オーノが籍を置いていたタブト戦闘興行団は、戦争が激化しネイト=カイヤツの非常体制が強化されるに及んで、解散に追い込まれたらしい。そういう興行団の存在にいい顔をしない行政当局の圧力と、観客動員力の低下によって、戦闘興行団は次から次へと潰《つぶ》れて行ったようだ。
仕事を失ったイサス・オーノは、あれこれと職を変えるうちに、早晩カイヤツ軍団の志願を強制されることを悟り、行方をくらましてデヌイベへ入ったというのだ。
どうしてそんなこと迄わかったのか、なぜ彼がデヌイベの一員になったかについては……ぼくは、昨日のシェーラの想像が当たっていたのを知ったのだ。
イサス・オーノは、シェーラが推測したように、大きな潜在能力を有しながら本来いつエスパー化するかわからぬ――いまだエスパー化したことのない不定期エスパーだったのだそうである。それを見抜いたヘデヌエヌス工作員のひとりが彼に接近し、あなたには強力なエスパーになれる素質があるとだけいって、ヘデヌエヌスのことを話し、誘おうとしたのだ(彼がぼくにヘデヌエヌスという名を洩らし、その後も未知の星間勢力の工作員たちがわれわれの星域内へ浸透しつつあるらしいという話をぼくに対してことづけで録音したのには、そういう事情があったからだろう)。戦闘興行団のスターの道を駆け登りつつあったそのときのイサス・オーノは、そんな怪しげな誘いをにべもなく断り、以後、その工作員を近づけようとしなかったのだが……タブト戦闘興行団が解散した後、その工作員は今度は自分ではなく別の女性工作員に頼んで、彼女がイサス・オーノと知り合いになるように仕組んだらしい。そして、その女性工作員はイサス・オーノと親しくなって、彼の潜在能力を顕在化させるのに成功したのだ。そこ迄来ると話は早く……追いつめられた状態のイサス・オーノは、すべての人々をエスパー化させるのを最終目的とする教団デヌイベに入って、他の工作員たちともつき合うようになったのだそうである。その、他の工作員の中にミスナー・ケイがおり、彼女はイサス・オーノとぼくとの間柄を知って……そのことを、ネプトの仲間にネイト=カイヤツの情報を送るさいに、シェーラへの連絡事項に加えた――ということだったのである。
イサス・オーノが……デヌイベか。
そして彼も、ヘデヌエヌスの工作員の手で能力を顕在化させられる迄は超能力などとはおよそ関係がなかったのに、ぼくと同様、不定期エスパーだったとは……考えもしなかったのである。
彼が今後、ウス帝国とボートリュートの連合軍の占領下でどんな道をたどることになるのか、何ともいえないが……ぼくはその話を胸に畳み込んだ。
それにしても、ヘデヌエヌスの工作員というのは、ぼくが何となく考えていたよりも遥かに深く、ぼくたちの世界に入り込み浸透しつつあるのだ――と、ぼくは、奇妙な気分にならずにはいられなかった。
ぼくが問い、シェーラが返答したところでは、シェーラたちのようにグループを組んで生活し行動している工作員は、この三角地帯にもいくつかあり、ネプトの他の地区や、ネイト=ダンコールにも数多く存在しているらしい。もっとも、シェーラはそれ以上の詳しいことはいわなかった。
詳しいことをいわなかった点では、ネイト=カイヤツとネイト=ダンコール間のような連絡が、どのような手段でなされているかについても、同じである。さらにヘデヌエヌスからぼくたちの星域へどうして来たのか、ぼくたちの星域の中をヘデヌエヌスの工作員たちがどのような手段で移動しているのかについても、そうであった。きのうシェーラは、わたしたちには船がありますと洩らし、ほかにもいろいろ方法があるともいったのだが、そこから先は何も語らなかったし、今度もそうであった。
シェーラにいわせると、これもきのう聞いたように、ぼくがそういう知識を得て、それを誰かがぼくの頭から読み取るかも知れないから、喋るわけには行かないのだそうである。シェーラたちのようにいつでも非エスパーを装うことができないぼくは、そういわれると、もう何も訊けなかったのだ。
ネイト=カイヤツの現状と、イサス・オーノやヘデヌエヌスの工作員がらみの話はそこ迄にして……しかし、このやりとりがきのうの会話と同じかたちを踏んでいるとすれば……ぼくは、シェーラを正面から見ながら尋ねた。
「では、ふたつめは、エレン・エレスコブとその一行についてなんだな?」
「そうです」
シェーラは肯定した。「エレン・エレスコブとあなたが元いた第八隊の人々は、第一市にかくまわれていたけれど、和平工作をしている人々と共に動きだしている――とは、申し上げましたね?」
「覚えているよ」
ぼくは頷いた。
「第一市は、ワタセヤがあなたにお知らせした通り、厄介な状況になり、しかも事態はますます深刻になっています」
シェーラはつづける。「ウスの飛行体が放送しビラにもしるしているように、ネプトーダ連邦総府は、すでに降伏を決定しているようです。しかし、それを認めようとしないダンコール軍団の大部分が、反乱をおこし、第一市を制圧しているんですわ。反乱軍のほうが圧倒的に優勢で、かれらは総府ほか主要な官庁を包囲し、そのいくつかを占拠しています。一応の小兵力を掌握して守っている総府は今のところ包囲されたままで、占拠されるには至っていませんが、それは総府の要人たちに翻意を促し、徹底抗戦の命令を出させるために、まだ実力による突入をしていないんでしょう。最高命令を出す人々が生きているほうが、かれらにとっては便利ですからね。ネプトを取り囲んで、すでに第四市から侵入を開始しているらしい敵が、まだ第一市には手を出さず、成り行きを見守っているのはそのためのようです。でも、反乱軍にせよ敵にせよ、いつしびれを切らして動きだすかわかりません。最悪の場合、反乱軍が総府に突入して要人たちを殺害し、それを知った敵が第一市に踏み込んで来ることになれば、第一市は地獄と化するでしょう」
「それは、そうだな」
ぼくはいった。
しかし、そうした状況がなぜエレンたちの話につながるのだ?
「エレン・エレスコブとその一行は、和平工作につながる一派として、反乱軍に目をつけられているんです」
ぼくの疑念に応じて、シェーラは話を再開した。「これ迄はそれほどでもなかったようですけど、事態が緊迫の度を加えるにつれて、反乱軍はそうした都合の悪い分子を探索し、見つけ出しては拘禁するということを、始めました。情勢しだいでは、みな処刑するつもりのようです」
「エレン・エレスコブと第八隊も、その対象になっているというのか?」
ぼくは問うた。
「そのようです」
シェーラは答えた。
「それで、エレンたちは、捕えられたのか?」
ぼくはまた訊き、今度はシェーラはかぶりを振った。
「まだです。潜伏中で発見されるには至っていませんが、反乱軍の探索はますます厳しくなっているし、エレン・エレスコブとその一行は外へ出ると危険なので動けない状態ですから、見つかって捕えられるのは時間の問題でしょう」
というのが、シェーラの返答だった。
「きみがそこ迄知っているというのは、エレンたちの居場所を突きとめているのか?」
ぼくは尋ねた。
「大体は」
と、シェーラ。
「大体?」
ぼくは、相手の言葉をそのまま質問にした。
「わたしは仲間の手をかりて、今朝やっと、それらしい思念を感知することができました。あの人の思念の型は覚えていますから、間違いありません。第一市南部の、ある連邦官の別荘の中のようです」
シェーラはいうのだ。
「連邦官の……別荘?」
ぼくは、顔をしかめた。
「エレン・エレスコブとその一行が、なぜそんな場所にいるのかわかりませんが……調べて貰ったところでは、別荘の持ち主の連邦官自身は総府内にいて、包囲されているので外へ出ることはできないようです」
と、シェーラ。「でもその連邦官の別荘ということで、そのあたりは反乱軍によって家捜しもされ、監視の兵たちもいるとのことで……今はうまく隠れていても、いつ発見されるか知れず、外へ逃げ出すのはとても無理だろうとのことです」
そこでシェーラは、静かな目をぼくに向けたのだ。
「どうします?」
シェーラはいった。
「…………」
ぼくは彼女の真意をつかみかねて、その目を見返した。
どうするかとは、どういう意味だ?
たしかにシェーラは、エレンたちがどんな状況にあるかを語ってくれた。それによってぼくは、エレンたちが今窮地に陥っていることも知った。
それをどうするかというのは……。
「救出にいきます?」
シェーラは再び問う。
救出。
出来るものなら、そうしたいところだ。
ぼくがエレンたちに恩義を感じるべきか否かは、ぼく自身にも判然としない。いや、そうと認めるには、ぼくの心に抵抗がある。ぼくはかつてエレスコブ家に所属し、エレン・エレスコブを護衛する第八隊のメンバーであった。だから道義的にはその危急を救うべきだということは出来るが……一方、エレスコブ家は、エレンを守ろうとしたぼくを、エスパー化していたからとの理由で追放(としかいえないではないか)し、カイヤツ軍団に送り込んだのである。エレンや第八隊の人々は、手を尽くしてくれたのかも知れないが、ぼくがそうされるのを阻止し得なかった。その時点で糸は切られたのだ。そんなエレスコブ家に対して、ぼくはもはや何の愛着もなく何の義務感も持ってはいない。エレンや第八隊の人々との関係も断たれた――との気持ちになったとしても、非難される筋合いはないはずである。エレスコブ家が潰滅し、エレンたちが流浪《るろう》の境遇になったとしても、それで仕方がないのではあるまいか? まして現在は、エレスコブ家どころかネイト=カイヤツそのものが、敵に降伏しその支配下にあるのだ。それどころではないではないか。
道義の観点からはそうなる。少なくともぼくはそうとしたい。
しかしながら他面、エレンたちへの個人的心情というものが、ぼくの中に残っているのも事実であった。エレンに対する一種のあこがれや敬意はいまだに存在していたし(だからこそ、エレンたちのことを考えるとなると、ぼくは複雑な気分になるのかもわからないが)、パイナン隊長に象徴される第八隊との連帯感も喪失するには至っていなかったのである。
そうなのだ。
恩義とか道義とかのためではなく、ぼくは個人的な感情から、エレンたちを救えるものなら救い出したいのであった。
とはいえ……ぼくひとりでそんなことが可能だろうか?
エレンたちは、第一市の、ある連邦高官の別荘に潜んでいるという。
地理不案内のそんな場所へ赴き、しかも反乱軍の兵たちが監視している中で、ぼくが独力でそんな救出が出来るとは思えない。ぼくには連邦軍兵士としての戦闘力と武器があり、その上短時間エスパー化という手段も有しているが……先方もまた同様の訓練と装備を身につけた連邦軍団員で……多数なのだ。かりにエスパー化中は何とか渡り合えたとしても、能力が消失したとたんにやられてしまうのではあるまいか。それはまあ、きわめて巧妙に立ち回れば何とかやってのけられるかも知れないけれども、客観的に見ればやはり成功率は低いとしなければなるまい。
それでもなおかつ決行すべきだ、との考え方もあるが……。
だがいずれにせよ、これはぼくが自分で決意すべき問題であろう。シェーラがエレンたちの状況を告げてくれたのには相違ないとしても、彼女のほうからばくを促すようにしてそんなことを尋ねたのは、なぜだ?
――というぼくの疑問に、シェーラは悪びれず答えた。
「わたしが状況をお話ししたのは、もしもあなたがエレン・エレスコブとその一行を救出したいのなら、お手伝いするつもりだからなんです」
「お手伝い?」
ぼくは思わず声に出して反問していた。
それはたしかに、シェーラ(単独でか他の女も加わるのかは知らないが)のような高度の超能力者が同行するとなれば、作業はうんと楽になるに違いない。彼女らが、少なくともぼくよりは第一市の地理に詳しいであろうことを考え合わせると、なおさらだ。
しかし、なぜシェーラがそんなことをしなければならない? エレスコブ家に世話係として雇われていた位では、そんな義理はないはずである。
なのに、ぼく自身の問題であるべきこのことに力を貸そうというのは……いささかお節介の気味さえあるではないか。
もっともシェーラは、かつてデヌイベの一員として、デヌイベの一団と共に、エレンやぼくらの危急を救ってくれたことがあった。デヌイベたちはその理由を、エレンがいくさをおさめるために働く大切な人であり、そういうエレンに敬意を表して、出来るだけのことをしたい――と、説明したのだ。それがまだ生きているというわけだろうか?
「おしまいの疑問からお答えすると、ええ、たしかにそれもあります」
シェーラは頷《うなず》いた。「前に申し上げたように、あらゆる人間たちの平和がわたしたちの願いなんですから、ネプトに来ても和平工作に従事し、多分今後もこの世界の最終的平和に貢献すると思われるエレン・エレスコブを救出するのは、わたしたちにとっても望ましいことです。でも、それだけじゃありませんわ」
「…………」
「正直にいうと、わたしはあなたに協力してあなたの好意を得たいんです」
シェーラはいう。「こんなあけすけな説明は、あなたの気に入らないかも知れませんが、本当のことだからいいます。あなたはきっと……いいえ、きっとなんて持って回ったいい方は良くありませんわね。あなたの心の中には、エレン・エレスコブや第八隊の人々に対する複雑な気持ちがあります。あなたはそれを、エレン・エレスコブとその一行を救出することで消せる……ある意味では借り、というのも変でしょうけど、それを返せるのではありませんか? そのことであなたの気が済むとしたら……わたしは、あなたがそうなるように協力したことで、好意を得られるのではないかと、そう期待しているんです」
「…………」
ぼくは黙っていた。
シェーラ自身があけすけと表現した通り、その言葉はぼくの心理の底にあるものを衝《つ》いていたのだ。
たしかにそうなれば、ぼくはシェーラに好意と感謝の念を抱くのではあるまいか。
シェーラはそうしたぼくの気持ちをとっかかりにして――。
だが、ぼくがそれ以上想念をつづける前に、シェーラはまた口を開いた。
「今のこと以外にも、これはむしろつけたしですけど……一緒に出掛ければ、わたしたちの能力、あなたが持ち得るかもしれない能力というものを、見て貰えるはずです。関心がおありでしたら……おありでしょう?」
「…………」
ぼくは無言のまま、しかし頷いた。
関心はある。
他のさまざまな事柄とは別に、ぼくは、シェーラたちヘデヌエヌスの工作員の、その超能力について、興味を持っていた。自分の身や今後の事柄とは関係なく、ほとんど好奇心に近い気分で、それがどんなものかもっと見てみたい、との気があったのは、否定できない。こちらの心を読んでいるシェーラにそれを隠しだてしたって仕方がないから、肯定したのである。
「行きましょうよ」
シェーラはいった。
「成功の見込みは?」
と、ぼくが訊いたのは……すでにぼくが、そういうことなら決行してもいいではないか、いや、出来るものならやるべきだ、と、心を決めかけていたからだ。
「失敗はないと思います」
シェーラは返事をした。「エレン・エレスコブとその一行の救出位なら……必ず成功するでしょう」
ぼくは、それがシェーラの計算にもとつく確信なのか、予知なのか、問いはしなかった。そういわれれば、それで良いとすべきであろう。
だったら、やろう。
やるべきなのだ。
そこでぼくは、ふと考えついて、尋ねたのだ。
「救出した後のエレンたちは……どうなるんだろう?」
「それは後のことにしましょうよ」
というのが、シェーラの返事だった。「考えていることがないわけじゃありませんけど……エレン・エレスコブとその一行の気持ちしだいなんですから」
それはそうだ、とぼくは思った。それはエレンたちが自分で決める事柄なのである。
ともあれ、ぼくは決心した。
エレンたちを救おう。
シェーラらの手を借りて……というより実際には、事情にも通じ高度の超能力を有する彼女たちのほうが主体になるであろうが……そうしよう。
その結果、シェーラがいうようにぼくが彼女をこれ迄以上の好意を抱いたとして……それが彼女のもくろむぼくの仲間入り、ヘデヌエヌスへ行っての超能力の鍛練――といったものにつながり得るのか、ぼくにそのつもりがあるのか、というところ迄は、まだぼくは考えていなかった。考えていないというより、あえて保留にしていたのだ。とにかく今は、エレンたちを救出しようという、それだけにしておきたかったのである。
ぼくのそんな思考を、もちろんシェーラはちゃんと見抜いていたであろう。
が……シェーラは、救出行についてのぼくの結論だけを受けたのだ。
「その気になりました?」
シェーラはにっこりした。それは、いっとき硬化していたぼくの心がほぐれてきたのを知ったいい方でもあった。
それからシェーラは、表情を引き締めていったのである。
「――行動をおこすとしたら、なるたけ早いほうがいいと思います。反乱軍がいつ過激な動きに出るかわからないし、ウスとボートリュートもいつ迄もは待たないでしょうから、夜のうちに……急ぐべきです」
「そうだね」
ぼくは賛成した。
たしかに、その通りである。
そして、ちょっと間を置いてから、シェーラはいいだしたのだ。
「こんなことをいうと、イシター・ロウ、あなたは違う風に受け取って怒るかもわからないけど、わたし、きっとあなたは救出に踏み切るだろうと信じていましたわ」
「ほう、どうして」
ぼくは問うた。何となく、エレスコブ家やエレンや第八隊に対する、自分の複雑で簡単には説明し切れない感情の……心の深部に触れられたようで、あまりいい気分ではなかったのである。
「誤解しないで」
シェーラは手を振った。「やはりそんな受け取り方をしたんですね。そうじゃありません。わたしがいいたいのは、あなたという人は自己の目的なり目標なりを持ったとき、障害をはねのけてでもそちらへ進む……自分で納得しているときにはなおさらそうで……そうしたあなたであるからには、つねに自分の進むべき道をつかもうとするでしょうし、しなければいられないんでしょう。だから自分の隊に合流し行を共にするのが不可能になってしまった今、エレン・エレスコブとその一行の危急を聞き、救出し得るとなれば必ずそうするだろうと……そう思ったということなんです」
「なるほど」
ぼくは肩をすくめた。そういわれると当たっていなくもないが……何だか自分が、すぐに目的意識に捉えられがちな、頑固で融通のきかない人間のように感じたのだ。そういえばぼくは、ハボニエをはじめいろんな人々に、そんなことをいわれた覚えがある。
「しかし、もしもそうとぼくが決めなかったら?」
ぼくは、やや反発《はんぱつ》をまじえて質問した。
「その場合にはエレンたちは、なりゆきまかせで放置されたわけかい?」
「いいえ」
シェーラはかぶりを振った。「かりにあなたがここへ来なかったり、それにこれは考えられないことですが、あなたが救出に赴《おらむ》く気なんてないといったとしても……白状しますが、わたしたちは一応の救出作戦を樹《た》てていたんです。なぜそうするかについては、さっき、いいましたけど……あなた抜きでも実行していたでしょう」
「何だ」
いささか気抜けした感じで、ぼくは呟《つぶや》いた。
そういうことだったのか。
そして……彼女らが自分たちの手でそれをやるのなら、中途半端な短時聞エスパー化の能力しかないぼくなどが加わるより、ずっと手際《てぎわ》よくやってのけるのではなかろうか。
しかし、
「そんな問題ではないと思います」
シェーラはいったのだ。「あなたが救出のメンバーになっているのといないのとでは、エレン・エレスコブとその一行の、こちらに対する印象や信用がまるで違います。へたをするとむこうは、救出されるのを拒否するかもわかりません。それでは何をしているのか意味がなくなるでしょう? それに、あなたが自分でエレン・エレスコブとその一行の救出に赴いたことでの、あなた自身の気持ちを考えても……わたしは、どうしてもあなたに行って欲しかったんです」
いわれてみると、そうなのかも知れない。
そのとき。
ぼくたちと反対側の、流し台のあるほうの、地下室の揚蓋が持ち上げられて、ラタックとふたりの女が出てきたのだ。
シェーラとふたりの女が視線を合わせ、ワタセヤが揚蓋を閉じる間に、ろうそくの光の中、ラタックは腕を上下に動かしながらやって来た。
「こんなことが、あるものかね」
ラタックは声をあげる。「まだちょっと不便な感じは残っているが、嘘みたいに治ってしまったぞ。驚いたなあ」
「よかったですね」
ぼくはいった。
ミヌエロやワタセヤも来て、全員が、今迄ぼくとシェーラが向き合って喋っていたテーブルを囲み、ろうそくを中心にしてすわった。
「全く、奇跡だよ」
ラタックは首を振り、にわかにぼくの顔を見た。「おいイシター・ロウ、お前、おれが描いてやった絵をまだ持っているか?」
「いや、申しわけないですが、あれは第一市でお世話になった人に、売りました」
なぜ突然、絵の話が出てくるのだろうと思い、併《あわ》せて、あのひどいぼくの画像を想起しながら、ぼくは答えた。
「何? 売った? 残念だな」
と、ラタック。「ここにあればみんなに観て貰えるのに。おれが今下で描いた絵は、この人たちに褒《ほ》められたんだぞ」
「ラタックさん、傷を治してくれたお礼に絵を描くというんで……わたしの顔を描いてくれたんですよ」
ワタセヤがいいながら、紙を取り出す。
「それはそれは」
ぼくはやむなく調子を合わせた。どうせラタックが描いたのなら、例の歪んだ異様な代物だろう。しかし折角描いてくれたものをくさすわけにはいかないから、ワタセヤもミヌエロも褒めたに違いないのだ。
ワタセヤはその絵を、ろうそくのすぐ傍に置いた。
ぼくは表情を変えないように苦労しなければならなかった。
おそるべき絵だ。
顔は歪み目は不ぞろいで、やたらに曲線が入った――ワタセヤとは似ても似つかぬ異様な顔である。
シェーラがそれを手に取って眺めた。
ぼくは、次の瞬間シェーラが笑いだすのではないかと思ったのだが、二秒経っても三秒経っても、彼女はそうしなかった。それどころか、しばらくしてシェーラはそれを元の位置に戻し、ラタックを見やっていったのである。
「よくつかんでいますね」
お世辞とは到底思えない口調だった。お世辞とすれば、まことにあざやかな演技といわねばならない。
「そうですか」
ラタックは、あごをなでる。
「イシター・ロウ」
シェーラはぼくに目を向けた。「あなたはこの絵を、ひどいものだと考えているけど……わたしはみごとだと思います。だって……ワタセヤの感性や性格が、はっきり出ているんですもの」
「本当ですよ。ミヌエロもわたしも、感心しました」
ワタセヤがいう。
「ラタックさんは、描く対象の本質を、直感的に見て取る才能があるんですね」
これはミヌエロだ。
「…………」
ぼくには、信じられなかった。
三人の女は、お芝居ではなく、本気でラタックの絵に感嘆しているようなのだ。化物のようなそのスケッチを見て、である。
「イシター・ロウさんは感じない?」
ワタセヤが問うた。
ぼくは(ラタックには悪いけれども、三人の女の前で嘘は通用しないので)首を横に振った。
「あなたは、常識と自分の感覚にとらわれているんですよ」
シェーラが口を開く。「わたしたちは人間を、顔かたちや言動以外に、心のあり方やその型やその他のあらゆる様子をひっくるめて認識する習慣がついているから……これがすぐにわかるんです。今よりずっと高度の超能力者になってそんな見方をするようになれば、あなたもこの絵の良さを感じ取るようになると思いますわ」
「ラタックさんは今のところ超能力者ではないのにそれをつかみ取るなんて、そういう感性があるんでしょうね」
ワタセヤがいった。
「どうだ。お前たちはおれの絵を評価しなかったけど、これでわかったろう」
ラタックは胸を張る。
「…………」
ぼくは絵をみつめていた。
どうしても、良いとは思えない。
不思議なことであった。
超能力者として……それもぼくの従来の常識では考えられなかったレベルの超能力者として認識すれば、これがそんな風に見えるのだろうか?
同時にぼくにとっては、ラタックにそんな感性ないし眼力があったということも、すぐには本気にできなかった。ぼくの考え及ばなかったところに未知の世界があったのかという……奇妙な感覚に襲われもしたのである。
顔を挙げると……ぼくがそんなことを思っていた間に、三人の女はテレパシーによる交話を行なっていたようであり……絵を畳んだワタセヤが、おもむろにラタックに話しかけたのだ。
「これから、どうします?」
「これから?」
ラタックは首をひねった。「傷を治して貰って元気にはなったが……どうしたものですかね。出ていった軍団はどこにいるかわからず、残りはちりぢりで……ネイト=カイヤツへ帰る方法も当面はなさそうだし……。そういえば、ネイト=カイヤツはどうなっているんだろう」
僅《わず》かな沈黙があり、それから女たちの合意がなされたのだろう。
「わたしたちの聞いたところでは、ネイト=カイヤツは他のネイト同様、降伏して、敵の支配下に入ったようです」
シェーラが、静かに告げた。
「――そうですか」
ラタックは低くいった。ぼくがそのことを初めて耳にしたときのように叫び出したりしなかったのは……カイヤツ軍団員としてみんなと行を共にし、さらにあの病院にいるうちに、うすうすとその話を聞いたのか、自分たちを取り巻く情勢の推移やあのウスの飛行体の放送などによって、すでにそうと覚悟していたのか、それとも自制力が強かったのか……ぼくにはわからない。
「そうとなれば、かりにカイヤツに帰っても、事態は余り変らないわけか」
ラタックは、薄笑いをしていた。その薄笑いがどんな気分の反映なのか、これまたぼくには知る由もなかったが……つづけたのである。「それにどのみち、おれの両親は死んだけれども離籍者で、おれは軍隊に入ってやっと楽になった人間ですからね。カイヤツに戻ったって良いことなんてないんですよ。ネプトにいても似たようなもので、自分なりに何とかやって行くしかないでしょう」
いうとラタックは、ぼくに目を向けた。
「おれはむしろそんな自分のことよりも、お前がどうするつもりなのか、気がかりだよ。どうするんだ?」
「この人は、以前エレスコブ家にいたときの知り合いが窮地に立っているので、救いに行くことになります」
ぼくが返事をする前に、シェーラが受けていった。「わたしともうひとりが協力するはずなんです」
「そうか。エレスコブ家でのしがらみがいろいろあるんだな。それにしても相変らず物好きで頑固な奴だ」
ラタックはぼくを見ながら鼻を鳴らす。「だがそういうことなら、傷も治ったんだし、おれも一緒に行こう」
「有難いのですが」
ぼくは、これは自分の問題だからといおうとしたのだが、ミヌエロがぼくの言葉にかぶせるようにして、つづけたのだ。
「折角ですけど、これは多少とも超能力を使える者でなければ出来ない作業なので……悪いけれどもラタックさんには無理なんです。ごめんなさい」
「そうですか。残念だな」
ラタックは、自分の片頬を手の平でぱしんと叩いた。
と。
このことも、もう申し合わせが出来ているという感じで、ワタセヤがいいだしたのである。
「ラタックさん、ここにしばらく残りませんか? 近くには空いた住居もあります。残って、エスパーになる気はありませんか?」
「エスパー?」
ラタックは変な声を出した。「おれは超能力なんかとは、まるきり縁のない人間ですよ。それを簡単に、エスパーになる気はないかなんて……そりゃ、ここでしばらく暮らすのも悪くないですがね」
「すべての人間は、超能力者になれる素質を持っているんです」
ワタセヤはいう。「それは素質の程度と、訓練と本人の努力、それに訓練を始めた時期などによって、どの位の超能力者になれるか違ってきますが……そうなんですよ。わたしが描いて貰った絵から見ても、ラタックさんは今から訓練しても超能力者になるのは間違いないでしょう。やってみるつもりはありませんか? 私が訓練します。それとも超能力者にはなりたくないですか?」
「むつかしい質問ですな。おれはまだ超能力者になったことがないから……でも、超能力者にはそれなりの厄介事があるというが……便利で、良いこともあるようだし……」
そんなラタックのいい方の中には、ぼくの短時間エスパー化しての言動が、いい意味でラタックの気持ちに影響しているのではないか、と、ぼくに思わせるふしがあった。いや、それよりも、自分の絵がこの三人の女――超能力者たちに称賛されたことのほうが、ラタックにはもっと大きなプラスとして働いたかも知れない。
そして、ここでこんな話を持ち出すのはそぐわないのだろうが、ぼくは、今のワタセヤの台詞《せりふ》、すべての人間は超能力者になれる素質を有しており、その訓練は自分がやるという言葉を、もしレイ・セキやライゼラ・ゼイが聞いたらどう感じたであろう、と、考えていたのだ。常時エスパーになれない不定期エスパーとして、おのれの能力の使い方を磨き、エスパー時には喧嘩を売っていたレイ・セキや、超能力にあこがれながら叶《かな》わず、他人の表情や言動を注意して観察することでその心理を読む技術を身につけたというライゼラ・ゼイ……ふたりがそんな言葉を聞いたらどうなっていただろう。運命が変っていたかも知れない。が……もはやレイ・セキもライゼラ・ゼイも、ぼくにはその消息とて知り得ない存在になっているのである。
しかし、ぼくがそんな想念をめぐらすのと同時進行で、ラタックの心中には疑念が湧きあがってきていたようである。というより、ここへ来て間もなくその疑念はあったのだが、それがいよいよ強くなって、とうとう口にせずにはいられないところ迄浮上したということであろう。
「でも、誰でもエスパーになれるなんて、そんな話は初耳ですよ」
ラタックはいった。「おれの受けたあんな治療も聞いたことがないし……あんたがたは、何者ですか?」
「わたしたちは、すべての人間がエスパーである世界を実現するために、働いています」
ミヌエロが、ずばりと答えた。
「すべての人間が……エスパー?」
ラタックは、口をぽかんとあけ、やっと語を継いだ。「しかし、そんなことは――」
「いろいろと訊きたいことがあるでしょうが、説明は長くなります」
ワタセヤがさえぎった。「イシター・ロウさんたちの出発は少しでも早いほうがいいので、その打ち合わせを先にさせてくれないでしょうか。出て行くのはイシター・ロウさんとミヌエロとシェーラの三人で、わたしは残ります。仕事や連絡のための人間が必要ですから。残ったわたしが、ゆっくりと説明します。今は少し待ってください。イシター・ロウさんのためにも……。それでよろしいですか?」
「イシター・ロウのためなら、仕様がないでしょうな」
ラタックはいった。
「済みません」
ワタセヤは詫び、シェーラに目を向ける。
「では」
シェーラはぼくを見た。「打ち合わせは、地下室でするのがいいと思います」
なぜそうするのがいいかわからぬままに、ぼくは了解の念を送った。
「申しわけありませんが、しばらく待って下さい」
立ち上がりながら、シェーラはラタックにいう。
「待っていて下さいね」
「お願いします」
腰を上げつつワタセヤとミヌエロも声を掛ける。
ラタックは、片手を挙げて応じた。
ぼくも立ち――女たちにつづいて揚蓋のところに来た。
蓋を上げて、下へ降りる。
蓋を中から閉じると、シェーラは奥に置かれている金属製の箱のひとつを開き、一枚の紙を持って来た。
地図である。
シェーラの身振りに応じて、地下室の白い光の下、ぼくたちは向き合ってすわり込んだ。
「打ち合わせは、あなたが短時間エスパー化するのを待って、始めたいと思います」
シェーラは、ぼくにいった。「全員でテレパシー交換するのが能率が良いですし、あなたのエスパー化の時間は、この打ち合わせ程度なら充分持続するほど長くなっているようですから、そうさせて下さい。それに今度の作戦には、わたしとミヌエロが同行するため、あなたのエスパー時には、一対一のテレパシー交換ではなく、三人のテレパシーの行き来になります。そのためにも、また今後のためにも、あなたにそうしたテレパシーのやりとりに慣れておいて欲しい――ということもあるんです」
ぼくは、心の中で頷いた。
「それでは」
ぼくは精神を集中した。
三人の女の思念が、交錯しつつぼくの中に飛び込んで来た。
それは、複数の思念とはいっても、群衆などの雑然とした、思い思いの考えがまじり合った騒音さながらのあれとは、まるで異質だったのだ。
三人の思念は、察するにひとりひとりがみずからを制限しているのであろう、明確で明晰《めいせき》で、速かった。そしてそれらはぼくだけに向けられたのではなく、お互いの、四人全体のために出され、受けとめられているのである。ひとつひとつの思念が誰のものだか、直観的にはわかるけれども、いちいち確認している余裕はない感じなのだ。僅かに色合いの違った光が、増幅されたり消えたりしながらあわただしく飛び交っているとでも形容したらいいのだろうか……とにかくぼくには、初めての体験であった。
そして。
実質的な打ち合わせが始まる寸前の短い時間のうちに、ぼくの心にあった一、二のちょっとした疑念は、たちまち回答を与えられ、ぼくは納得したのである。
なぜラタックを残して、地下室で打ち合わせをしなければならなかったのか。
理由その一。目の前でぼくたち四人がテレパシー交換するのを、何もせずに眺めているラタックに、疎外された気分が生じないとはいえない。それを避けた。
理由その二。その場にラタックがいれば、ぼくは嫌でもラタックの思念をも感知するであろう。こういうことに慣れている三人の女はともかく、ぼくがその影響を受けるのは免れないだろうから、カッソー板で遮られた地下室の中にした。
第二市のビルに居たぼくに会いに来たのは、シェーラをはじめとする三人だった。なのに今度はシェーラとミヌエロのふたりしか出掛けないのは、なぜだ。
その理由。最初のときは、シェーラだけでも用は足りただろう。ワタセヤがひとりでぼくとラタックを三角地帯へ案内したように、彼女たちはそれぞれが自分で自分の身を守る力を持っているからだ。それを、ひとりでは危険だからふたりがついて来てくれた、と、シェーラがいったのは、まだそのときにはシェーラたちの素性や能力を知らなかったぼくを納得させるための挨拶に過ぎない。実際には、シェーラが可能性を買っているぼくという人間にまだ会っていなかったミヌエロとワタセヤが、本当にぼくにそういう可能性があるのかを見極めるために(併せて、シェーラが好きという人物を品定めする目的もあって)三人一緒に来たのである。
だから……今回のエレンたちの救出には、必要なだけの人数――シェーラとミヌエロだけでいいので、ワタセヤは、仕事や連絡、それにラタックの面倒も見るために残るのが、むしろ当然なのである。
というこれらの問答を、ぼくは、特定の誰かと順を追って交したのではない。ぼくの心に泡のように浮かんで来たものに対し、ときには重複しときには概念のかたまりとなって、集中攻撃さながらに三人の思念が飛び込んで来たのだ。このことでほとんど時間らしい時間を要さなかったのは、そのためであった。
つづいてシェーラは、地図をひろげていた。
第一市の地図。
三人の思念の示唆もあって、ぼくはたちまち大略を把握した。
第一市の北部には官庁街。
反乱軍があちこちを占拠している。
ぼくがかつて泊まったデミュレニホテルはそのだいぶ東南。
エレンたちが居るという連邦高官の別荘は――。
(高官?)
ぼくはちらりと思い起こしていた。エレンのあのときの話によれば、エレンの父を助けてエレスコブ家をのしあげた人物のひとり息子が、エレスコブ家の血族でないために居づらくなり、ネプトーダ連邦の連邦官の道を選んだ……連邦総府の中でそこそこの地位にあり、昔からの約束に従ってエレンに何かと力を貸した……キューバイ・トウという名前をだ。その脳裏をかすめた記憶に――。
(そういえば、その名、聞いた)
(きっとそれで)
(エレン・エレスコブのために)
(別荘を提供)
(でしょう)
三人の思念が交錯したのだ。
だがこれだって瞬間のことで……その別荘は、第一市のかなり南、大きな屋敷が散在するあたりの中。
第一市の東を南へと流れるニダ河の岸辺から二キロかそこらの地点だった。
連邦官の別荘というのは、それひとつだけでなく――。
(いくつもの別荘を)
(反乱軍、一隊、監視)
(駐屯)
人数。
(五十とも八十とも、連絡網はそこ迄)
(少し古い情報)
(現在は)
(大した変化なし?)
(どのあたり)
(一応は、このあたりと見当)
誰かの指が地図を指す。
その別荘へ――。
ぼくたちは、三角地帯のニダ河べりから船で出るのだった。
(船?)
(土砂運搬船)
ニダ河を斜めにくだり、第一市側の、目的の別荘に近い船着き場で降りて、船をその場に残して進む。
具体的な救出のしかたは。
(その場に近づいてから)
(あらかじめ決めてしまうのは、危険)
ぼくのエスパー化は?
(シェーラ)
(言葉か、指を鳴らして合図)
(前との間隔が短過ぎてエスパー化不能のときは感知、待つ)
で?
後は?
三角地帯へか?
(船には動力があるけれど、さかのぼって戻るよりは下流へ)
(左岸の、第二市の南のずっとはずれへ)
(とりあえずは反乱軍の手から、エレン・エレスコブたちを脱出させれば)
(第二市の南のはずれに、拠点)
拠点?
(ドゥニネの宿泊所)
(他にも、理由)
(それはまだ)
(ともかく宿泊所)
とすると、三角地帯へは?
(じきに戻るか)
(戻らないことになるか)
(誰がどうなるのか)
(不明)
(とにかくは、そこでエレン・エレスコブたちと話)
(以前でも)
(可能なら)
(余裕、おそらくなし)
…………。
こんな風にしるしてくると、一対一のかたちではないこのテレパシーの交換があたかも断片的な思念の投げつけ合いのように受け取られるかも知れない。
だが、違うのだ。
言葉にしてみるとこうとしか表現出来ないけれども、ひとつひとつの思念には、もっとこまかい事柄や具体像やイメージ、それに疑念や強調、制止といった感情が随伴していたのである。それをあえて表わすとすれば、その中の突出したものをいわば見出しとして示す――こんなやり方しかなかったのだ。
しかも、それらのひとつひとつを誰の思念かちゃんとつかむのは、困難だった。速い進行のうちに似たものが重なり合ったり途中から別の者の思念に移ったりして……その意味では共同思考に近かったといえる。ぼくはそれらを感知し、ぼくなりに参加していたのであるが、すべてを細部にわたって迄理解し把握したという自信はない。が……彼女らにすれば、ぼくにそこ迄求めるつもりはなく、必要な部分をぼくが悟りさえすればそれでいいとしたのではあるまいか。
ともあれ、一通りの打ち合わせが終って、あとは先程のテーブルで話をつづけよう(その残された問題というのが、出掛けるさいの服装についであることは、ぼくにもわかっていた。が、彼女らはそれがラタックにも関係した問題なので、ラタックの前で話し合うべきだと判断したのだ)という段階に至ったとき、まだばくのエスパーとしての能力は消えていなかった。それだけぼくの短時間エスパー化の持続力が延びたともいえようが、同時にこのことは、テレパシー交換による打ち合わせが、言葉のやりとりによるよりも遥かに能率的であるのを、ぼくに実感させたのである。
地下室を出たぼくたちは、先程のテーブルへと戻って行った。
こっちに顔を向けながら、ラタックは妙な顔をしていた。その表情も思念も、打ち合わせとやらが予期したよりもずっと早く終ったのに呆れているのを示していた。
「済んだのですか?」
ラタックが、一番先にテーブルについたシェーラに訊く。
「大体のところは」
シェーラは返事をし、少し遅れてすわったぼくをちらと見やってからいった。「でも、これから出掛けるにさいして、服装のことを決めなければなりません」
「…………」
何のことだ、と、ラタックはいぶかっている。
「この人たちは、船でニダ河をくだり、河のむこうの南側に着き、第一市へ入っていきます」
ワタセヤが説明を引きついだ。「三角地帯を出る迄はドゥニネ姿で行きますが、船に乗ってから、さらには上陸してからは、ドゥニネ姿では活動しにくいので、[#校正1]便利な服装にしなければなりません。それも、この人たち三人共が同じ格好のほうが良いと思われます。わたしたちには連邦軍の制服の用意はありませんから……イシター・ロウさんにも、わたしたちが持っている普通の作業衣をつけて貰いたいのです」
「お前、連邦軍の制服を脱ぐか?」
ラタックが、ぼくに尋ねた。
「やむを得ないでしょうね。それに、いつかは脱がなければならないのなら……今脱ぐのも同じことかも知れません」
ぼくは答えた。
ぼくは、打ち合わせのときにこのことを読み取っていた。そして女たちが、連邦軍の兵士であり制服に愛着を持つラタックとぼくが納得ずくでこのことを決めるのがいいと判断したのも、承知していたのだ。
ぼくとしては、制服を脱ぐしかなかったろう。これから行く相手はダンコール軍団の――反乱軍なのだ。こちらが連邦軍の制服をまとっていても、何の示威効果もない。それどころかかれらに味方と認識させるしるしがなければ、有無をいわせず標的にされるはずである。
ただ、女たちもそれにぼくも、ラタックの了解なしにぼくが勝手に制服を捨てた、という事態にはしたくなかったのだ。ラタックの心を大きく傷つけるのは必定だったからである。
「…………」
ラタックは、ぼくをみつめた。その心には、これ迄自分を支えてきた連邦軍兵士としての自負と、未練があった。
が……ぼくはラタックが、投げ捨てるようにしてそれらの気持ちを放り出したのを感知した。
と共に、ラタックは大声で笑いだしたのだ。笑いつつ、ラタックの胸に苦いものがこみあげて来ているのを、ぼくは知った。
「そういうことだろうな」
笑いをおさめると、ラタックはゆっくりといった。「いずれは、そうしなきゃならないんだ。おれにしたって……これからなりゆきにまかせて気楽にやって行こうと自分にいい聞かせているのに……未練はよくない。よくないんだ」
ラタックが本当に自分の言葉の通り吹っ切れたのかどうか、ぼくにはわからない。なぜならそのとき、まだ残存していたエスパーとしてのぼくの能力は、すっと消えていったからだ。
女たちは、目を見合わせた。
「それともうひとつ」
ミヌエロがいう。「こととしだいでは、イシター・ロウさんもわたしたちも、もうここに戻って来られないかも知れません。戻って来るとしても、すぐにではなく、だいぶ先になるかも知れないんです」
ラタックは顔をぼくに向けた。
「そんなに危険なことをやるのか?」
ラタックは問うた。
ぼくは微笑した。
ミヌエロのいったのが、ぼくたちがエレン一行を救出すればとりあえず第二市の南のはずれのドゥニネの宿泊所とやらへ行くために、事情によっては簡単に戻れなくなるか、戻るのが無理になるかも知れない――ということをふまえての言であるのは、わかっていた。だが、シェーラは必ず成功するだろうといったけれども、へまをすればやられてしまうことだってあり得るはずなのだ。となれば……ラタックにそうしてみせるより仕方がないではないか。
「気をつけろよ」
ラタックは、ぼくに手を伸ばした。「気をつけて、きっと帰って来いよ」
「そうありたいと思います」
ぼくはその手を握り返した。
「では、用意にかかりましょう」
シェーラがいう。
「作業衣をだします」
ミヌエロが、立ちあがった。
エレンたちの救出、なのだ。
これがぼくの、今の目的なのである。
目的。
唐突にぼくは、ぼくたちがこんなことをやろうとしているのを、当のエレンや第八隊の連中が知ったらどう思うだろう――と、考えた。先方はそんなことを期待も望みもせず、覚悟を固めているのではないだろうか。それとも感謝するのだろうか。
「…………」
気がつくと、シェーラがぼくを見ていた。
その目の奥にある感情を、しかしぼくは窺い知ることは出来なかったのだ。
[#改ページ]
救 出
周囲がしんとしているのは、どこも寝静まっているからだろう。
作業衣の上からドゥニネの頭巾と布切れをまとったぼくたちは、ワタセヤとラタックを残して小屋を出た。この後ワタセヤは、ラタックを空いている住居というのへ連れて行くはずである。
小屋の密集する狭い道は暗く、肉眼では急ぎ足で進むのは困難だった。が……ぼくはシェーラとミヌエロの後を歩いていたし、それに例のドゥニネ姿でのとぼとぼした歩行なので、格別支障を感じずに済んだ。
小屋の数が減り、前方にニダ河の水面がぼうと見えて来る。
対岸は遠く黒く――目をこらしてもよくわからない。大きく曲りながらネプト第三市の下を通り、第一市と第二市にはさまれて流れる幅の広い河なのだから、それも当然であろう。
ぼくたちは無言で、下りになった道を降りて行った。行くうちに潮の匂いが強くなってくるのだ。
川べりの船着き場には、低く黒い盛りあがりとなって、何|艘《そう》かの船がつながれていた。
シェーラは、その中のやや大きい、土砂を半分ほど積み込み、船尾に屋根のある船の前に立って、あとの者を待っている。
たしかに土砂運搬船だが……それがシェーラたちの持ち船なのか、借りているのか、無断で使うのか、ぼくにはもとよりわからなかった。
けれどもそのぼくの思考は、ちゃんとふたりの女に感知されていたのだ。シェーラにつづいてミヌエロ、それからぼくの順で船に乗り込んだとき、屋根の下に立っていたシェーラが、ちょっと怒ったような声で、ぼくにささやいたのである。
「買い取ったんです。わたしたちの資金で」
ぼくは黙って、頭を下げるのに相当する思念を返した。
乗り込むとすぐぼくたちは、ドゥニネの頭巾と布切れを取り、あらかじめ着込んでいた作業衣姿になった。土砂運搬船の乗員に見合った作業衣である。
ぼくはその作業衣のベルトに、上衣によって隠されるようにして、伸縮電撃剣を吊っていた。シェーラたちはぼくに、くらがりで発射すればこちらの居所がわかるばかりでなく、こちらが連邦軍の兵士であるのを宣伝するようなレーザーの携行は許さなかったけれども、縮めれば目立たずぼくが非エスパーのときには重要な武器になるであろう伸縮電撃剣を持って行くことには、積極的に賛意を表したのである。また、そういう武器がなかったら、エスパーでない状態のぼくは、戦闘力がないに等しいのだ。
ぼくたちは、また必要になるときのために、脱いだドゥニネの衣装を、まとめて船の中に置いた。
手はず通りである。
ミヌエロがともつなを解き、シェーラがエンジンをかけた。
ぼくがぎくりとしたのは、思いがけない位エンジンが大きな音を立てはじめたからである。
船が動きだした。
ニダ河の対岸をめざして、斜めに下りながら進んで行くのだ。
船が水を切る音もまじってきた。
こんなに大きな音を出して大丈夫なのだろうか、と、ぼくは思ったが……奇妙なもので、規則正しいその響きは、しばらくのうちに日常的な感じになり、それ自体はそう気にならないようになってきたのだ。もっともこれはぼくの印象に過ぎないので、安心してはいられないのかも知れない。
くらがりの中、船は進みつづける。
ぼくたち三人は、柱が屋根を支える船尾に居た。
シェーラが運転し、ミヌエロは何かを念じているようである。テレパシー連絡網に呼びかけているのだと、ぼくは察した。
何もすることがないので、ぼくはその場に腰を下ろし、考えるともなく自分の想念を追った。ふたりの同行者に読まれるのを承知で、である。ぼくは、他人に心を読まれることも、それも相手がシェーラやその仲間とあれば、ほとんど抵抗を覚えないようになっていたようだ。
それにしても、奇妙な気分である。
この気分は、何に由来するのだろう。
この、どこか漂っているような、解放感と心細さをないまぜにした感覚は――。
どうやらそれは、今のぼくがもはやどんな組織や集団にも属さず、何の強制もされない立場にあるせいらしかった。なるほどぼくは、もちろんいまだにネイト=カイヤツの成員であり、身分的にはカイヤツ軍団の兵士である。が……ここはネイト=カイヤツから遥かに隔たったネイト=ダンコールのネプトなので、そのネイト=カイヤツもネイト=ダンコールも、敵に降伏したか降伏しようとしているのだ。現実にぼくを規制しぼくに何かを命じるものはないのだった。それはまあ、敵がネプトを完全に圧伏し占領すれば、ぼくはその下に隷従せざるを得なくなるであろうけれども、現在のこの瞬間は、まだそうではない。そしてカイヤツ軍団はあんなことになったのだから、事実上ぼくは何の拘束も受けていないのだ。
もっとも、そういいながらぼくは、こうしてシェーラたちと手を組み、エレンと第八隊のメンバーを救出する目的に行動しているわけだが……これは、今迄のぼくが置かれていた状況とは本質的にことなるのだった。ぼくは自分の意志でシェーラたちの協力を受け、自分で決めてエレンと第八隊のメンバーを救い出そうとしているのである。ぼく自身がやめようとすれば、いつでもやめられることなのだ。
考えてみると、こんな立場になったのは、ぼくにはほとんど最初といえるのではないか?
ぼくが自分の意志で自分の行き方を決めたことは、これ迄に何度かある。
たとえばファイター訓練専門学校だ。ぼくは自分で決めてファイター訓練専門学校の試験を受けたのだ。しかしこれは、両親を喪《うしな》って自活の道を考えなければならなかったぼくが、数少ない選択|肢《し》の中から選んだことに過ぎないのである。完全に自由な自分の意志でとは、いい切れないのではないか?
そういえばぼくは、エレスコブ家に入ることも、自分で決断した。だがその背景には、不定期エスパーのままでどこかの家の傘下に入れるのなら、ぼくを求めたエレスコブ家でいいのではないか、このへんがしおどきではないか――というぼくの計算があったのを認めなければならない。そのときエレン・エレスコブに惹《ひ》かれていたのを認めるとしても……ある意味では追いつめられての選択だったのだ。
選択となれば、ぼくがモーリス・ウシェスタに超能力除去手術を受けるようにすすめられてことわったこともある。だが……かりにそのときのぼくにはお荷物だったにしろ、持っている能力を捨てるか否かの決断が、それほど自分の自由な意志による選択といえるだろうか?
ぼくのそうした見方には、異論が出るかも知れない。
けれどもぼくは、おのれの今の奇妙な気分、漂っているような感覚が何から来ているのかを考え、おのれを納得させるためには、そんな風な比較でもしなければ、どうしようもなかったのである。これなら自分の現在の気持ちの由来が説明出来る、と、そう信じたかったのだ。
ぼくはそこで、想念を追うのを止めた。
視野が、これ迄よりもさらに暗くなったからである。
目を挙げると、船は流れをくだりながらも、もうかなり対岸に近づいているようであった。
その対岸というのが、船よりずっと上まである高い岸壁なのだ。岸壁は黒く、ために視界が暗くなったのであった。
船は依然としてエンジン音を響かせつつ、その対岸に平行するように向きを変えた。
高い岸壁のさらにその上部には、建物らしいシルエットが見える。とすれば岸壁と思ったのも、塀の役目もしているのかもわからない。
船が流れをくだるうちに、しかし、その岸壁は少しずつ低くなって、目位の高さになると、しばらくつづいた。
と。
岸壁の上が明るくなっているところがある。
火だ。
焚火《たきび》なのだ。
そしてぼくは、その焚火を背にして哨戒《しようかい》しているらしい人影を認めた。ひとり……そしてまたひとり。ここからははっきりと見て取れないものの、どうやら連邦軍の制服のようだ。おそらく、反乱軍の兵士たちなのであろう。
その焚火が後方へ遠ざかると、また前方に別の焚火が、そして哨戒の兵たちのシルエットが見えてきた。
いくつ位、そうした焚火を目にしたであろう。
ともあれ、対岸は静かであった。敵弾の飛来もなく例の声を流す飛行体も見えず、夜を保っているのは事実なのである。これが第一市といっても南方のこのあたりだけのことなのか、それとも第一市全体がそうなのか、ぼくにはわからない。が……反乱軍が第一声を制圧しながらもまだ突入を強行しておらず、敵軍も様子を見守っている――というのが続いているのなら、第一市全体がこうか、これに似た状態というのは、充分あり得ることであろう。ひょっとしたらぼくが初めてネプトの第一市にザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと共に入ったとき、あのときにはもう実は反乱軍が市内を制していたのではあるまいか? とすれば、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは反乱軍側の兵員に組み込まれたことになるが……しかしぼくは、想像が想像を呼びそうなそんな想念を、考えても所詮わからないしどうしようもないのだ、との感覚で、打ち切るしかなかったのである。
そのうちに岸壁はさらに低くなり、上に樹々の茂る個所が多くなった。第一市でもかなり南に来て、様子が変ってきたのである。
テレパシーで連絡し合ったらしく、ミヌエロがすっとシェーラの傍に行き、運転を代った。
シェーラはぼくの横に来ると、並んで腰を下ろしたのだ。
「もうすぐ、上陸地点の船着き場です」
シェーラはいった。「わたしたちが連絡網で知ったところでは、その船着き場には監視の人員は居ないとのことですが、何時間か前の情報ですから、油断は出来ません。もし船着き場かその近くに反乱軍の人員がいるようだったら、わたしとミヌエロが念力で攻撃し、突っ切れるとなったら上陸することにします。他の船着き場では、めざす別荘にはうんと遠くなりますから」
「わかった」
ぼくは答えた。
それから、ふと気になったのだ。
ぼくたちは、ふたりの高度の超能力者と、それに短時間しかエスパー化できないが、とにかく超能力を使おうとすれば使えるぼくとの三人である。だから滅多なことではやられないだろうが……もしも先方にもエスパーがいたらどうなるのだ? ウス帝国では超能力者をいわば道具として利用し酷使しているというが、ネプトーダ連邦の軍団にも、そこそこエスパーはひそかに配置されているはずなのだ。現にカイヤツ軍団がそうだったのである。そんなエスパーが立ち向かって来たら……シェーラやミヌエロにとっては何でもないかもわからないが、中途半端な短時間エスパー化しか出来ないぼくは、たちまち倒されてしまうだろう。いや、相手が多ければ、シェーラやミヌエロだって、危ないのではないだろうか。
「そうですね。むこうにエスパーがいたら、わたしとミヌエロは今、非エスパーになる用意をしていないし、あなたはまだちゃんとした障壁を作ることが出来ないから、わたしたちの存在はすぐにわかってしまうでしょうね」
シェーラはそう肯定し、つづけた。「でもわたしの経験では、ネプトーダ連邦の軍団では、エスパーをあまり前面にだそうとしないし、出しても配置する人数は僅かでしょうから……そのときは、倒してしまうほかはないし、わたしたちには倒す力があります。――だけどむこうが本気でエスパーを使っていれば、エレン・エレスコブとその一行は、すでに発見されているはずで……そんな連絡をわたしたちが受けていないのは、少なくともこっちの方面にはエスパーが出て来ていないということじゃないでしょうか」
「だったらいいがね。しかし――」
ウス帝国の超能力者と遭遇したら、と、ぼくはいおうとしたのだが……シェーラはあっさりといってのけた。
「ウスやボートリュートの工作員や諜報員は、すでにたくさんネプトに入っていて、中にはエスパーもかなりいるようです。連邦総府の動向や反乱軍のことなどがむこうに筒抜けになっているのはそのためでしょう。でも、わたしたちはそんな人々は構いはしませんわ。だって、わたしたちは反乱軍に敵対する――つまりはそんな人々と同じ側の人間なんですもの」
「…………」
思ってもいなかったことをいわれて、ぼくは虚をつかれた気分だった。
が……そういわれれば、そういうことになるのであろう。
「ミヌエロが、船を寄せます」
シェーラが告げた。
見やると、低くなった岸壁が近づいて来るのだ。
いや。
岸壁ではない。
それが白いので夜目にも識別し得たのだが……岸壁はそのあたりがぐっと低くなって水面近くまで下っており、船を着けて上陸出来るようになっているのだった。
シェーラは中腰になってそちらを探っている。
「近くには、見張っている者はいません」
いうとシェーラは、立ってともつなを投げた。ぼくにはよく見えなかったが、うまく船繋《ふながか》りにひっかかったようで、すぐにミヌエロがエンジンを切った。
見張っている者はいないとしても、それでもぼくは緊張を保ちつつ、シェーラを追って船を下りる。ややあってミヌエロが後からあがって来た。
足元は、石畳になっている。
そのかなり広い船着き場の正面は石の壁で、左右に石段が上に伸びているのだ。
シェーラが右手の石段を腕で示し、ぼくたちはそちらの石段をあがった。
あがり切ると、あまり大きくない倉庫らしい建物が並ぶ広い通りである。ところどころ、建物と建物の間に細い道が入り込んでいるようであった。
「通りを駈け抜けて、あの道をまっすぐ行きましょう」
シェーラが、前方の細い道を指して、ぼくにささやいた。
ぼくは頷《うなず》き……ミヌエロにはもちろんシェーラの意向はわかっていたので、三人は前後して走りだしたのだ。
あかりも何もなく、ぼんやりと浮きあがるだけの広い通りを全速で横切り――入った細い道は石を敷きつめた登り坂であった。
ぼくたちは、行く手をときどき探りながら、警戒して坂を登った。
誰にも会わなかった。
家々の壁にはさまれた登り坂は、間もなく終りになり、進むうちに両側は、樹々や塀や金属の柵などで仕切られた大邸宅街の様相を呈してきた。
暗いのだ。
シェーラやミヌエロが先に立っていなかったら、ぼくは難渋していたことだろう。
それでも二十分ばかり歩いた頃。
シェーラが足を止め、ぼくの前にいたミヌエロも停止したのだ。
「この道の先に、五、六人います」
ミヌエロが低くいった。「反乱軍の兵士のようです」
五、六人?
五、六人とは、何となく中途半端な人数だが、何をしているのだろう?
「三叉路《さんさろ》になったところで、見張っているようです。そこからだいぶむこうに大勢居る気配だけど、まだ詳しくはわかりません」
またミヌエロがささやく。
ぼくが了解の思念を返すと、ふたりはこれ迄よりさらに慎重に、足音を忍ばせながら歩行を再開した。
ぼくもつづく。
ぼくにはむろん、前方の闇を通してのその先は見えなかった。エスパー化すれば多少は様子をつかむことが出来るだろうし、見張っているという兵士たちの意識は間違いなく感知し得るだろうが、出発前の打ち合わせでぼくの短時間エスパー化は、シェーラの、言葉でか指を鳴らしての合図かで行なわれることになっていたから、勝手にそんな真似はすべきではない。それにどうせ近づけば、もっとはっきりすることで、必要とあれば直ちにシェーラがぼくのエスパー化を求めるはずなのだ。が……一応ぼくは、最短にして吊っている伸縮電撃剣の柄に手をかけ、いつでも抜き出せるようにはしていた。
間もなく、シェーラが道のわきに寄って身をかがめ、こちらへ白く顔を向けるのが見えた。
ミヌエロとぼくは、その横へ行ってやはり姿勢を低くする。
二十メートルほど先が、ぼうと明るくなっており、数人のシルエットが動いていた。
正確にいえば、明るくなっているのはもっと向こうで、その光がこっちへ流れて来ているために、そんな具合になっているのだ。そして、その光というのは、どうやら焚火などではないらしい。火の、あの赤系統の色ではなく、白っぽいのである。第一市もネプトの他の市と同様、すでに電力の供給は断たれているはずで、事実、ニダ河を下ってきたぼくたちが目にした光は焚火ばかりだったというのに……どうも電気による照明としか思えないのであった。
だがぼくはそのことを、頭の隅に追いやった。
浮かびあがった前方の三叉路に、あるいはたたずみあるいは歩いている影は、たしかに連邦軍の制服である。
「目的の別荘へは、右の道」
シェーラが言葉を、節約してであろう、擦り合わせるような小声で、そんないい方をした。
「騒がれるとむこうの大勢に聞きつけられるから、あの兵士たちの呼吸を止めて通過します」
わかった、と、ぼくは心で答えた。
しかし、相手は五人、いや六人居るのだ。シェーラとミヌエロが手分けしてそうするとしても、全員が動けなくなるには、時間がかかるのではないか?それに人間、一分や一分半の間なら、息が出来なくても、手にあるものを投げたり暴れたりすることで、物音を立てるのは可能なのである。その音を耳にして他の連中がどっと駈けつけでもしたら厄介だ。
だったら、と、ぼくは自分の伸縮電撃剣を意識した。呼吸を止められた者に電撃を与えたらどうだろう。そうすれば、叫ぼうとしても叫べぬまま、即座に悶絶するのではないか? そのほうが僅かな時間で片がつくし、かりに回復する人間がいるとしても、だいぶ経ってからのことになるはずだ。
「それ」
シェーラが短く肯定の声を出しつつ、ミヌエロと一緒にぼくに顔を向けて、頷いてみせた。
三人が、三叉路に視線を戻す。
と。
女たちが念力を使う素振りなど微塵《みじん》も示さないうちに、ぼくたちから一番遠い地点に立っていた人影が、にわかに自分の喉《のど》に手を当てて、身をよじり始めたのだ。
他の兵士たちは、はっとそっちに顔や上半身を向け――しかしそのときには、かれらもまた同様の状態に陥っていた。叫び声を発する余裕を与えられた者は、ひとりとしていなかったのである。
シェーラとミヌエロとの間には、どちらがどの人間を受け持つかの合意が、すでになされていたのだろう。その内容は、もとよりぼくの知るところではなかった。また、彼女らのそれぞれが、同時に三人まとめて呼吸を止めたのか、あるいは連続的に対象を移しながらそうしていたのかも、ぼくには定かではない。ぼくが念力を使おうとしたら、相手がひとりで精一杯のところだ。彼女らのようなことはとても出来ない。
だがこれは、瞬間的にぼくの脳裏をかすめた想念にすぎなかった。
ぼくは、兵士らがそうなったと見て取るや否や、伸縮電撃剣を抜き出し最長にし、身を低くして飛び出していたのだ。
走りながら剣の穂先をかれらの首筋に叩きつけて行く。
時間らしい時間は、かからなかった。
六人全部に電撃を加え、その少し先の三叉路の交点にしゃがみ込んで振り返ると――倒れてゆく最初のひとりでさえ、まだ地面にころがるところ迄行っていなかったのである。
いや。
倒れ方が、遅すぎる。
自分の時問感覚が、加速されたままなのであろうか、と、疑ってから、ぼくはたちまち悟った。
シェーラとミヌエロが、そうしているのだ。
急激に地面に体がぶつかっては、それなりの音がするだろうから、倒れ落ちるのを支えるようにして、速度をゆるめているのであった。
その最後の兵士が、横ざまにゆっくりと地に接し――シェーラとミヌエロがこっちへ駈けてきた。
ひとかたまりになってうずくまり、頷き合って前方を窺《うかが》う。
明るくなっているのは、残念ながらぼくたちが進むべき右のほうの道であった。それはまあ、反乱軍の一隊がこのへんのいくつもの別荘を監視しており、あのキューバイ・トウのものと推察されるその目的の別荘も対象のひとつになっているとすれば、そうであるのも致し方のないなりゆきかも知れない。ともかく、少し先から道がやや右ヘカーブしているので、そちらがどうなっているのか、ぼくの目では確認出来ないけれども、光に向かって進まなければならないのは、たしかであった。
「ほかに道は?」
ぼくは訊ね、シェーラとミヌエロはかぶりを振った。
「近寄ってから」
シェーラがいい、ぼくたちは、道の右側の、石を土台にした金属柵に背をこすりつけるようにして、進みだした。
むこうの人声が聞えるようになってきた。話し声そのものはせいぜい三、四人か五、六人というところであるが、もっと多くの人間が集まっているがやがやした感じも伝わってきたのだ。
そして、そのあたりでぼくたちは、いったん停止しなければならなかった。それ迄は道がカーブしていたので、どうやらまともに光を受けずに済んだけれども、そこから先は直線コースで、道はもろに、電気の照明らしい白い光を浴びているのだ。
「今、といったら、様子を素早く見て下さい」
シェーラがささやいた。
ぼくは、その言葉の意味を理解し、了承の念を返した。
今のところ肉眼でしか見られないぼくのために、先方が誰もこちらに注意していないときを狙って、そっちを覗《のぞ》かせようというのだ。
ぼくは待った。
三秒……四秒……。
七秒……八秒……。
十数秒めに、シェーラがいった。
「今」
ぼくはさっと光のなかに顔を出し、すぐに引っ込めた。それだけで、あらましの状況はわかったのだ。
行く手、ほぼ三十メートルのあたりで、十字路になっていて、そのこちら側の左手が空地か何からしく、テントのようなものが張られているのだった。テントの前から道へ、四人か五人が出ており、別に任務に就いているのでもない感じで、立ち話をしているようなのだ。
光は、テントの上に吊《つ》られた照明から出ているのである。テントの中にもあかりがともっているようだが、こちらはやや黄色っぽい。
それらは、疑いもなく電気を使った灯であった。ことにテントの上に吊られたのは、ぎらぎらと白い光を周囲に放っているのであった。
テントを張って駐屯するのに、そんな風にどこからでも見えるように光源を露出するとは、不用心なことだ。標的にして下さいというようなものである。
だが、先方とすれば、それで問題はないのかも知れない。むしろ、そうしなければならないのかもわからない、と、ぼくは推測した。なぜなら……反乱軍は現在、ネプト第一市を制圧しており、市内ではかれらに対する本格的な抵抗勢力もなく、包囲している敵のウス、あるいはボートリュートか、両者の連合軍か(このあたり、敵の配置や構成については何も知らぬぼくには、第一市の外に居る敵がどうなっているのか、何ともいいようがないのである)は、当面攻め入って来る気配がなさそうなのだ。となれば、少なくとも今は、あの一隊にしたって、安心して自己の所在の告げるような行為も出来るということであろう。かりに何か情勢の変化が生じて具合が悪くなれば、灯を消せばそれでいいのである。だったら……反乱軍にとって都合の悪い分子を探索し、そんな連中の居そうな一帯を監視するための隊としては、怪しい人間を発見し易いように、かつ、威嚇《いかく》をも兼ねて、あのように煌々《こうこう》と光をまき散らすのが、理にかなっているわけだ。
それにしても、この電源は何だろう――と疑ったぼくは、すぐに答えを得た。
貯電槽に違いない。
かれらがネプトーダ連邦のダンコール軍団(というより、ダンコール軍団の大部分からなる反乱軍と称するべきであるが)である以上、あの隊だって、潰滅する前のぼくたちの隊と同様、レーザーガンのエネルギー倉に充電するための大きな貯電槽を持って来ているはずなのだ。そいつを活用しているのであろう。照明に費やされる電力なんて、高が知れている。だから……ネプトへの電力供給がとまった今、貯電槽が空っぽになってしまった後の問題をどう考えているのかは別として、惜しげもなくああしてあかりをともしているのではあるまいか。
ひょっとしたら、ここからずっと北の第一市の官庁街の、反乱軍の主力がいるであろうあたりも、この調子でふんだんに照明が用いられているのかも知れない。ニダ河を下って来たぼくたちは焚火しか目にしなかったが、それは河べりに来ている連中が何らかの指令を受けてそうしていたのか、貯電槽を携えないような小規模の兵力だったから、ということも考えられる。もしそうだとすれば、まだ第一市に居残っている、あるいは居残らざるを得なかった一般市民が、電力を断たれて不自由し、次に何が起こるかわからず不安になっている中で、軍の連中だけがそんなことをしているとすれば……もっとも、反乱軍に制されている連邦総府やその他の官庁にしたって、やはり貯電槽なり自家発電なりで、ある程度の電力を確保しているのかもわからないが……そうであればなおのこと、一般市民の不信を深め憤怒をあおることになるであろう。すでにそれ以前にぼくは、ネプトの市民たちの、軍やおえら方に対する敵意・反感を、散々見せつけられてきたのだ。
道の行く手を覗いてひっ込み、あっという間にそこ迄つづいたぼくの連想は、多分三、四秒位に過ぎなかったはずである。ぼくはおのれを制御して心を元に戻し、ミヌエロが無言でぼくの手の甲をそっと押えて頷いてみせたときには、頷き返すことが出来た。
「で?」
ぼくはいった。
あの光の中を、どうして進むのか、どう突っ切るのか、問うたのだ。
ミヌエロのむこうに居たシェーラは、ミヌエロが話すというしぐさをした。
ミヌエロは、ぼくの耳に口を寄せる。
「まず、あかりを消します」
ミヌエロは告げた。「テントの上のと、テントの中のとの、光源の配線を切り、大もとのスイッチも切ります。それが一番簡単だし、何分間かは元通りにはならないでしょう」
ぼくは心の内で肯定した。それなら手っとり早い上に、光源と大もとのスイッチの両者には、すぐには気が回らないだろうから、効果的だ。
「シェーラが小さく指を鳴らしたら、エスパー化して下さい」
と、ミヌエロ。「それから三人一緒に出て行きます。走らず、普通の足取りで」
(走らずに?)
ぼくは、眉をひそめた。
「そのほうが、落ち着いて能力を使えるでしょ?」
ミヌエロはいう「剣はしまって……レーザーで撃ってくる者がいたら、そっちへ力を使ってレーザーガンを叩き落とし、当人にも打撃を与えて下さい。直接かかってくる者は、もちろん倒します。わたしもやります。でも、ひとりひとりにあまり手間をかけないで」
「…………」
「待って」
ぼくは疑念を口にしようとしたのだが、ミヌエロはさえぎって、つづけた。「十字路の右むこう、テントの斜めむかいが、めざす別荘敷地の角になります。わたしたちは十字路を突っ切り、そのまま直進して、別荘の左側から中に入ります。十字路を突っ切った後は、走ることになるかも知れません」
それはわかった。
しかし。
あかりを消して、兵士たちがたくさん居るであろうテントの前を通過するとしても……いくら超能力を駆使するとしても、その前にレーザーでやられては、何もならないのではないか? それがぼくの疑念だったのである。
「そちらはシェーラの役目」
ミヌエロは、ぼくの耳元でささやいた。「だから、心配しないで」
だが、そういわれても、理由もわからずに安心など出来ないのだ。
すると、ミヌエロはいった。
「撃たれても、即死でなければ、わたしたちが治しますわよ。――任務と思えば、その位の危険は、やむを得ないんじゃありません?」
その言葉でぼくは、踏ん切りがついた。
こんなさいに注釈を挿入するのはふさわしくないのだろうが、それは、思いがけない発想の転換を伴った踏ん切りだったのだ。
ミヌエロは、任務という語を使った。
けれどもぼくにとって任務とは、何となく、自己の属する組織がぼくに課したもの――とのイメージがあったのだ。例えばカイヤツ軍団の自分の隊の一員として、何々をしろと命じられたのが任務、という感覚であり、それを遂行するためには生命の危険を伴っても仕方がない、との受けとめ方があったのである。
ぼくが今していることは、そういうものではない。
ぼくはおのれの決断に従って、エレンたちを救出する作戦に加わっているのだ。これは与えられた命令ではなく、そして、任務というようなものでもない、との気がしていたのだ。
しかしながら考えてみれば、別に強制されたのでもなく、自分の気持ちで自主的にやっている事柄だって、置かれている場の中で行なうことは、任務なのではないか? いやむしろこれは、与えられたのではない自分の、自分のためのものだからこそ、余計、任務であって良いのではないか?
任務でいいのだ。
ぼく自身の、任務。
それに危険が伴うことだって、あって不思議ではない。
ぼくの頭の中には、おのれの所属する組織のために危険をおかすのは当然、でなければやむを得ないとの感覚は、充分すぎるほどあったのに、自己の気持ちや目的をつらぬくためのいわば私的な動機の行為に関しては、そういう意識が欠落していたみたいなのだ。
それが、任務といわれれば……。
任務を遂行するときの感覚であればいい、と、悟ったのである。
同時にぼくのうちには、白状するが、ミヌエロやまたシェーラに対して、にもかかわらず撃たれるのを恐れていると思われたくない、との、強がり、あるいは虚栄心らしきものも湧きあがっていたのは否定しない。
長い注釈だったが、こうしたぼくの心の動きは、ミヌエロにもシェーラにも、読み取られていたであろう。
――と、この件もさることながら、ふたりの女にしてみれば、ぼくが非エスパーであるばかりに、言葉で作戦を伝えなければならないのは、まことにもどかしかったのではあるまいか。先刻三叉路で電撃を与えた六人のうち、意識を回復する者があるとしても、それはまだだいぶ先のことになるはずで、その点では気にする必要はなかったものの、かれらから何の連絡もないのをこちらの連中が不審がり、調べに行こうとして出て来たら、ぼくたちはまず間違いなく発見されるのだ。別に三叉路を調べに行くつもりでなくても、何かの拍子でこっちへやって来たら、そうなってしまう。のんびり構えていられる状況ではないのであった。それならいっそ、ぼくにエスパー化を求めて、思念による打ち合わせをすれば、ほんの短な間で済んだのではないかともいえるが……ぼくが今更説明する迄もなく、それでは都合が悪いのだった。ぼくの短時間エスパー化は、名前の通り限られた時間だけのものであり、いつおしまいになるか、彼女らにもぼく自身にも見当がつかないのである。しかもいったん能力が消失したら、次にエスパー化が可能になる迄、なにがしかの間隔を置かなければならない。出て行くべきタイミングを見計らう必要があり、かつ、十字路を通り抜けるのにどの位かかるか正確には予測出来ないとあれば、ぼくをエスパー化させて打ち合わせをするのは、見合わせるのが当然であったろう。へたをすると十字路通過中にぼくが非エスパーに戻ってしまうかも知れないのだ。だから、そうするしかなかったのだと、ぼくにはよくわかるのだが……シェーラやミヌエロにすれば、まだるっこかったに違いない。けれどもまあ、言い訳じみるが、ミヌエロとぼくのやりとりは、ぼくがものをいわなかったこともあって、言葉での打ち合わせとしては、きわめて迅速なほうだったと思う。
とにかく、ミヌエロが今のおしまいの言葉をいい、シェーラがどうするのかは知らないが先方のレーザーについては受け持つというのを信じることにしてぼくが腹をくくったときには、そのシェーラはすでに半分腰を浮かして、前方を探っているようだった。
ミヌエロもぼくも、中腰になる。
何呼吸かが、経過した。
ふっ、と、眼前の路を照らしていた光が消えて、闇になった。なまじそれ迄その光に馴れていたので、瞬間、ぼくには何も見えなくなったのだ。
前方で、何人かのどなる声がした。
がやがやとした騒ぎが、大きくなってゆく。その騒ぎから察して、道に出ていた連中は数名に過ぎなかったけれども、テントの中などのぼくの視野に入らなかったところには、たしかに多くの――四十名や五十名はいると、ぼくにも感じられたのである。
シェーラが、ぱちんと指を鳴らした。
ぼくは精神を集中する。
波がかぶさるように、前方のテントのあたりにいる人々の思念が、交差し乱れつつ、ぼくに押し寄せて来た。急にあかりが消えて暗くなったことに対して、腹を立てているのや困惑しているのや、何がおこったのかといぶかっているのや、どうせこんなものだといいたげな投げやりの気分や、ほとんど無関心なのや……中には、早く復旧しなければ、とか、誰々はどこに居るのだ、といったものもあったが、それらが、肉声ともまじり合って沸き返っていたのだ。それらのうちに、恐怖とかおびえの感情が感知出来なかったのは、ぼくがそうした思念の群れをちゃんと把握しようとしていなかったし、それどころではなかったから、とらえそこねたのかもわからないが、かれらが自分たちの立場の優位性や安全を信じ切っており、これがただの事故だと信じていたせいもあるのではないかと思う。
(行きます)
シェーラの明確な思念が、ぼくの中に飛び込んで来た。(三人ぴったり一緒になって、離れずに)
先頭がシェーラ、その背中にくっつくようにして左右にミヌエロとぼくがつづき――ぼくたちは暗い道に出て、十字路に向かった。
暗いといっても、エスパー化しているからであろう、肉眼でよりは随分楽に、いってみれば濃い黄昏《たそがれ》どき位には、ぼくは周囲や行く手を識別することが出来た。
先頭のシェーラは、だが前方をみつめるのではなく、頭を垂れて進んでいる。ドゥニネの衣装ではなく作業衣をきているから、あのとぼとぼ歩きではないけれども、普通のゆったりした――ぼくの気持ちではゆっくりし過ぎているような歩行速度なのだ。が……シェーラがそうなので、ミヌエロもぼくも同じ速度であった。
シェーラの思念は、ぼくには不可解な、異様なものと化していた。それを思念とよんでいいのかどうかさえ、ぼくには判断がつかない。起伏しながら渦巻く、それでいて、変な形容だがいくつもの色を帯びた光が同心円となって、次々と外へ広がって行くようなのである。円は大きく広がってしまうと消えて行くものの、あとからあとから次のものがやって来るので、つねに一定の範囲を保持しているのだ。いや、円というより球なのかも知れない。円は感知出来るがそれ以上はぼくにははっきりとは捉えられないので……ともあれその範囲は、ぼくたち三人の外側に迄及んでいた。ぼくの表現が的確かどうか、まるで自信はないけれども、ぼくが自分の能力によって受けた印象を、何とかいい表わそうとすると、こうなってしまうのである。
そしてシェーラは、声を出していた。ぼくにはその調子に覚えがあった。それは……ドゥニネたちや、ずっと以前のデヌイベたちの低い合唱と同質のものだったのだ。何度か耳にしたドゥニネのそれや、遠い日のカイヤントの湿原でのデヌイベのそれが、いつも同じだったのか、そのときどきで差異があったのか、ぼくにはわからない。だが疑いもなくそれらは共通していたのだ。
しかし、そのことの意味を考えているゆとりなど、ぼくにはなかった。
前方、小さな光があちこちでやたらに走っているのは、テントのあたりに居た反乱軍の兵士たちが、ポケットライトや点火具をともして、そこらを照らし出したり何かを捜したりしているのであろう。
その小さな細い光が一条、ついで何条か、ぼくたちを照らし出し、ぼくたちの歩行と共について来はじめていた。
「何だ! お前たち!」
前方に、ふたりの兵士が飛び出し、ひとりがわめいた。
両方とも、レーザーガンの銃口を向けている。
(あなたは左ね。わたしは右!)
ミヌエロの思念があった。
同時にぼくは、左側の兵士のレーザーガンに握った手もろとも、念力の刃を突き立てていた。そいつは驚きの声をあげてレーザーガンを落とし、衝撃を受けた手の甲をもう一方の手で押えたが、そのときには右のほうの兵士は、ガンを宙に舞わせつつ、仰向けに二メートルもむこうへ突き飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
(何だ?)
(どうした?)
「エスパーだ!」
「変な、エスパー三人だ!」
(何だと?)
(馬鹿な)
声と思念がこっちゃになって、爆発したようであった。怒りと恐怖の感情が拡散して行くのも感じられた。
テントから、何十人という兵士が走り出て来て、まだ十字路に達していないぼくたちをさえぎろうとした。将校も何人かまじっていた。
「何者だ!」
将校のひとりが、居丈高《いたけだか》に叫ぶ。
ぼくたちは、黙ってそっちへと、同じ速度で進んで行った。
ぼくたちの前には、兵士の壁が出来ていた。レーザーガンを構えた兵士の壁だ。
「答えんか! 怪しい奴らだ」
その将校はわめき、ぼくたちが相手にしようとしないのを知ると、腕を振り回して号令した。
「撃て! 撃て撃て! こいつらはエスパーらしい。殺しても構わん! 撃て!」
何十本かの光条が、どっとぼくたちへと伸びて――曲った。
レーザーの光条は、すべてぼくたちから外れたのだ。
驚愕《きょうがく》の波紋が、相手の中に広がった。
「化物だ!」
誰かが叫んだ。「殺せ! 殺しちまえ!」
シェーラの声がやや高くなった。ぼくの感知する彼女の異様な思念(?)の輪は、ぼくたちをおおっていた。
再び、今度は十数本の光条がぼくたちに集まり、ぼくたちの前で曲った軌跡を残して、消えた。
ぼくたちは、同じ速度で進んでいた。
もっとも、ぼくはただ歩いていただけではない。レーザーガンを撃った者、発射しようとする者が目につくと、片っ端から念力でその手の甲に痛撃を与え、体を突き飛ばしていたのだ。
ミヌエロもそうだった。だがミヌエロは、ぼくよりずっと徹底していた。レーザーガンをどこかへ飛ばし、その持ち主を地に叩きつけていたのだ。ぼくが感知する反乱軍兵士の思念には、恐怖に加えて狼狽《ろうばい》がまじってきている。
十数名が、すでに地に倒れていた。
ぼくたちは、テントを左に見て進む。
行く手にいた、残った連中は、左右に分れて道をあけた。
「貴様ら!」
突然わめきながら、テントの中からひとりの将校が剣を抜いて、突進してきた。それに勢いを得て、何人かの兵士がつづいて来た。かれらにとっては足元もおぼつかない闇のはずだったが、それでもまだ何本かのライトが、しつっこくぼくたちを捉えており、ライトに捉えられたままぼくたちが平然として通り過ぎて行くのに、怒りをこらえ切れずに突っかかって来たのだ。
ぼくはその将校の足元に障害をつくり、頭を引き落とした。あとから来る者も相手にしなければならないので、簡単な方法でまず倒しておこうとしたのだ。そいつはばさっと前方に倒れたが……ちょうどその瞬間にミヌエロが強烈な衝撃を与えたものだから、その将校は頭を地に打ちつける前に後頭部を突き飛ばされた格好になり、宙で高速で一回転し二回転めに猛烈な勢いで地面にぶつかり、動かなくなった。
ぼくとミヌエロは、苦笑の思念を交し、それからはミヌエロの意志に従って、走って来るのは彼女にまかせ、ぼくは他の方面を警戒して、何かあればそっちをやっつけることにした。合図は寸秒の間になされたのだ。が……ミヌエロが、例の将校につづいて来た兵士たちを倒すと、あとはもう誰も突進して来ようとせず、結果としてぼくは、離れた位置からなおもレーザーで撃って来ようとする者のガンを叩き落として行くだけのことになった。もちろんその全部迄には手は回らず、光条はたびたびぼくたちに伸びたが、ねじ曲げられてぼくたちを外れたのだ。
その間もぼくたちは歩きつづけ……十字路を越えた。
右手に、高い石塀が見える。
ぼくたちは進んだ。
背後となった反乱軍の連中の意識は、だいぶ変化していた。怒りとか攻撃の気分とかが薄らいで、肉声とまじっての制止、それから集結しようとの意志、それに従う感覚――といったものになりつつあった。
その中にぼくは、銀色に光る針が弧を描くように、ひとつの思念が舞いあがるのを捉えたのだ。
(エスパーは居ないのか! われわれのエスパーはどこに居るんだ!)
だがその思念も、たちまち他の思念の群に埋没する。
あえて追って来ようとする者がいないので、ぼくたちとかれらの距離は、一歩ごとに開いて行く。
レーザーを撃ちかけて来る者も、いなくなった。
ちらと振り向くと、エスパー化しているぼくの目にも、かれらをしかと見て取るのは困難になっていた。ポケットライトや点火具の光がしきりに動いているものの、かれらは全体としてすでに一塊の印象だった。もう四十メートルは離れていたであろう。かれらの肉眼では、ぼくたちは闇に呑まれたことになるのではあるまいか。
(走って!)
自分も駈けだしながら、ミヌエロがぼくに思念を投げる。反射的にぼくは走りはじめていた。シェーラもそうだ。シェーラはもうあの異様な思念の輪を放出しておらず、声を出してもいなかった。
とはいえ、十秒も走ったわけではない。
まずシェーラが速度をゆるめ、停止した。
ミヌエロもぼくも、それに従う。
(このへん?)
(このへん)
高い石塀を見上げながら、女たちは思念を交換し、ミヌエロが塀に両手を当て、背中を向けた。
シェーラがその肩に飛び乗り、石塀に手をかけて上へあがる。
(イシター・ロウさん)
ミヌエロの思念と共に、ぼくは彼女の肩に足を掛けて、塀に飛びつき、あがった。塀の上は平らで、幅は三十センチはあったから、位置を保つのはそうむつかしくない。
それからシェーラと協力し、ミヌエロに手を伸ばす。
ミヌエロが跳躍してぼくたちの手首をつかみ、軽々と身を持ち上げて、塀の上に来た。
ぼくは視線を、塀の内側に向けた。
暗いが……それは広大な屋敷であった。ぼくの眼前には芝生を主体とし、ところどころに刈り込まれた樹々の茂みのようなものが広がっている。これが裏の庭園らしく、右前方には、ぼくたちになかば横を向けた格好で、連続した長い建物があった。中央に三階建とおぼしい本館、その左右が二階建の翼館である。それらの建物がそんな方向にあるというのは、あの十字路を右へ曲ると別荘の正面に来るので、ぼくたちはミヌエロがいった通り左側から中へ入ろうとしているわけであろう。これが別荘≠ネのだとすれば、所有者の連邦高官(多分キューバイ・トウ)は、ぼくなどが漠然と考えていたよりも、遥かに大きな力を持っている、あるいは持っていたのではあるまいか。
だが、そんな観察をつづけている余裕はなかった。
塀の外側の、ぼくたちが過ぎて来た十字路のあたりが、ぱっと明るくなったのだ。
反乱軍の連中は、大もとのスイッチをいれ、光源の配線を修復するか、でなければ別の光源をともすかしたに違いない。そしてぼくはすぐに、その後者だと悟った。新しい光は動き、こっちの道を強く照らし出したのである。さっきのテントの上のやテントの中のやらがもう修復されたのか修復中なのかは知らないが、今度のはサーチライトで、ぼくたちの行った方向を探りにかかっているのだった。
もっとも、ぼくがそうと悟ったのは、塀の上から下の芝生へと飛び降りてからである。ぼくもふたりの女も、新しいその光が動いたと見て取った瞬間に、中へと飛んでいたのだ。ぼくたちの姿を先方が認めたかどうか、何ともいえない。直接光を浴びたのではないから、十中八、九、かれらは気づかなかったと思うが……しかし、ぼくたちが今の道をこっちへ入って行方をくらまし、しかもこの大邸宅がその前から監視の対象のひとつになっていたのだとすれば、この中へかれらの捜索の手が伸びてくるのは、まず必至と覚悟しなければなるまい。
「こっち」
塀に身をつけるようにして、シェーラが手招きした。
ミヌエロもぼくも、シェーラに従う。
「こっち側の翼館の、どこかから入りましょう」
ミヌエロがいう。
思念でではなく、言葉でであった。
そういえば、その前のシェーラにしても、言葉で呼んだのだ。
もう、ふたりの思念は感じ取れない。
そう。
ぼくの短時間エスパー化は、終了していたのである。
あの十字路突破から塀の上に来るまで保ったのを考えれば、たしかにぼくのエスパー化の時間は長くなったといえるのであろう。先回よりもまただいぶ延びたのではあるまいか。いや……十字路突破から塀の上迄、ぼくには随分暇がかかったように感じられたが、実はそんなに時間は経っていないのかも知れない。だったら、それほど持続力が延びたのではないことになるけれども……そのあたりは、わからない。いずれにせよ、ぼくは非エスパーに戻ったのだ。
シェーラもミヌエロも、即座にそうと知り、言葉による伝達に切り替えたのである。
例によってぼくが、能力の消失に伴う空しさを覚えたのは、ご理解頂けるだろう。ことに、持てる戦闘力が高ければ高いほど良いというこんな状況下では、それは不安にさえつながりかねない。非エスパーに戻ったのなら、持ち前の自分の実力でやって行くだけだ、と、ぼくはおのれを励まさねばならなかった。
が。
シェーラやミヌエロと、塀の内側に集まりながら、ぼくが、エスパー化中は考えなかった事柄に思い至ったのは事実であった。短時間エスパー化中は、それがいつ終了するか、終了前に超能力を使うだけ使わなければならぬとの切迫した気持ちがあったために、そんなことに迄気が回らなかったのだが、非エスパーに戻って時間の制限がなくなったとたん、起き上がって来たことがあったのだ。
十字路に向かって歩き出す前、ミヌエロはレーザーにやられたらどうするのだとのぼくの疑念に対し、それはシェーラの役目だといった。そして、撃たれても即死でなければわたしたちが治す、任務と思えばその位の危険はやむを得ないのではないか、と、ぼくに覚悟を促したのだ。
ミヌェロには、シェーラがレーザーの光条をねじ曲げるのが、わかっていたのであろう。
ぼくだって……かつてデヌイベの一団がやってみせたあれを……さらにこれはレーザーではなく敵弾が相手で、敵弾が自分たちに落下しないようにしていたのだとぼくは確信するが、メネでのドゥニネの振る舞いを……想起すべきだったに違いない。今度もそういうことが起こるのではないか、と想像しても良かったのだ。それだけの材料は、ぼくの記憶のうちにあったのである。が……ぼくはそこ迄考えなかった。考えなかった理由のひとつには、以前にぼくが見聞きしたのは、デヌイベなりドゥニネなりが、つねに一団となっていたために、ひとりでそういう力を発揮するというような事態を想定できなかったこともあるが……そうだったのである。
ぼくは、エスパー化してはじめて、シェーラがそれをやり、かつ、シェーラがああいう不思議な思念を放出するのを感知したのだ。過去のそうした現場で、もしもぼくがエスパー化していたらすでにそういうものを感知していたのであろう。いや……通常のエスパー化ではそうは行かず、今のような、不定期エスパーであるのを利用しての短時間エスパー、ひょっとしたらシェーラが何かをぼくに加えたかも知れないこんなエスパー化だから感知出来たのか……それはぼくにはわからない。わからないが、ともかくそんな異様で奇妙な思念の放出はぼくには初めて感知するものであった。同時に、それがレーザー光をねじ曲げているのも知ったのだ。
それを、なぜ前|以《もっ》てミヌエロがいってくれなかったのか――ということである。
ぼくが気づかなければ、そういってくれてもよかったのではないか? そうすればぼくは安心していただろう。
なのに、あんなことをいったのは、ぼくの勇気を試してみたのか?
ぼくが恐れて出て行こうとしないようだったら、そこでシェーラの力のことをいうつもりで、まずはあんな促し方をしたというのか?
ぼくのこの想念は、当然ながらふたりの女には、言葉で問いかけているのと同じことだったろう。
塀の内側に集まる迄の、ほんの二、三秒の間のぼくのそんな疑念に対し、集まったとき、シェーラはちらとぼくの顔を見やり、ミヌエロはあっさりいってのけたのだ。
「わたし、意地悪なんです」
「ミヌエロ!」
シェーラが制した。
やはりミヌエロは、ぼくに本当に勇気があるのかどうか……でなければ、ぼくがシェーラの力を信じているのか否かを、試してみたのだ。
悪い女だ――と、しかしぼくは心の中で思った。
ミヌエロが、肱《ひじ》でぼくを突いた。
「行きます」
と、シェーラ。
少し怒った口調だとぼくは感じたが、真実のところはわからない。
こんなときに、何をやっているんだ、と、お思いの方もいるであろう。
実際はもっと緊迫した中での、はずみのようなものだったのだが……ただ、こうしたことがぼくに、彼女らにしてみればこのエレンら救出作戦が、それほどの難事とは映っていないらしい、と、思わせたのは、否定できない。むしろぼくは、そんなに甘く見ていいのだろうかと心配にさえなったのだ。
しかし、三人一緒に動きだしかけながら、女たちはぼくのその懸念に、打てば響くように返事をした。
「今は、まだ」
「問題は、一行を見つけてから」
ミヌエロと、ついでシェーラが、ほとんど間を置かずにいったのだ。
ぼくは了解した。
それはそうに違いない。
これだけのレベルの超能力者ふたりと、ま、付属物のようなものだが一応短時間エスパー化出来る人間とが、エレンたち一行を見つけ出すのは、彼女らの感覚では、それほどむつかしくはないのであろう。レーザーの光条さえ無効にするとあれば、心理にその位のゆとりも生じるというものだ。
けれども、エレンたちの所在を突きとめた後は、そこがどんな状況なのかまだ不明であり、エレンや第八隊の連中がどうなっているのか、救出されるのを肯《がえ》んじるかどうか――ということもあり、それよりも、救出して第一市を脱出するとなれば、今度は多人数になるわけで、しかも今の三人以外には超能力者はいないのである。ことは、それ迄よりずっとやりにくくなるはずであった。
そのつもりでいなければなるまい。
ぼくたちは、しばらく塀沿いに小走りで移動した。塀の近くには樹々が並んでいるので、気分としてはそこそこ身を隠しているような錯覚に陥ってしまう。
しかし、そのぼくの脳裏に、先程のかれらの中にあった思念がよみがえったのだ。エスパーは居ないのか、われわれのエスパーはどこに居るんだ、という、あれである。
先方にエスパーが居たら、いくら物蔭にいたって、お見通しなのだ。
「いたら倒すだけ」
すぐ前を行くミヌエロが、ぼくの思考に対して、短く応じた。
「なのに、一行が発見されなかった理由を考えなければ」
ミヌエロの先のシェーラが、こっちに振り向きざま、これも短くいった。
たしかに、そうなのだ。
ニダ河を下っていたとき、シェーラは、むこうが本気でエスパーを使っていれば、エレン・エレスコブとその一行は、すでに発見されているはずであり、そんな連絡をわたしたちが受けていないのは、少なくともこっちの方面にはエスパーが出て来ていないということではないか――との推測を述べた。が……あの一隊の中に、公然と、か、秘密のうちにかはわからないが、エスパーがまじっているとしたら、話は変ってくるのだ。つまり、かれらがこれ迄本気でエスパーを活用しようとしなかったのか、活用しようとしたけれどもエレンたちを発見出来なかったのか、どちらがということになる。ま、ネプトーダ連邦においてはエスパーの地位は、どのネイトでも似たような、あまり恵まれない立場にあると聞いているから、カイヤツ軍団の場合を、ダンコール軍団の大部分から成る反乱軍にあてはめてみるならば、エスパーはあまり表に出されず、配置されている数も少ないだろうが……それでもエスパーはエスパーである。あの一隊が今までエスパーを本気で使おうとしなかったのだとしても、もしもその気になって活用することになれば、当然ぼくたちを追跡する先導役を命じるであろう。超能力による攻撃もしろというかも知れない。それはまあ、ぼくたちは、先方のエスパーがそうたくさんでない限り、超能力どうしの争いではまず負けはしないはずだけれども、そのエスパー(かエスパーたち)を完全に倒してしまわないと、エレンたちを救出したって、どこ迄も追ってこられることになる。何かの事情で先方が作戦や方針の変更をするということがなければ、そうならざるを得ないのだ。一方、あの一隊がすでにエスパーを本格的に使っているとして、それでもなおかつ現在の時点迄エレンたちを発見するに至っていないのだとすれば……エレンたちがどこに居るかをぼくたちが突き止めるのもまた困難ということに、なりはしないか? シェーラは仲間の手を借りて、エレンらしい思念を感知するのに成功したといったが、それが(シェーラはエレンの思念の型を覚えているから間違いないというけれども)錯誤であり別人のものであったとのおそれもあるのではないか? ひょっとしたらエレンたちはもうこのあたりにはおらず、ために反乱軍側のエスパーには、エレンらの存在を感知出来ないでいる、ということではないのか?
しかし、実際に探す前からそんなことを考えても仕方がない。
まずは、実行なのだ。
ぼくたちは、塀から翼館に一番近いところ迄来ていた。正面からは左側にあたる翼館の、その端を、芝生を距《へだ》てて見る位置であった。
「あそこ迄と、その周囲、誰も居ません」
シェーラがいった。
ぼくたちは頷き合い、飛び出した。
翼館へと、走ったのだ。
監視されているうちの、それも多分主要な対象となっているであろう邸宅とあれば、このあたりにも兵たちが配置されていてしかるべきではないか、と、ぼくは最初思ったのだが、次の瞬間、むこうの立場になってみればそんなことはしていられないだろう、と、気づいたのだ。
だって、そうではないか。
ダンコール軍団の大部分が反乱をおこしたという。他にも、反乱軍にくみする勢力があるかも知れない。ネイト常備軍やネイト警察などの多く、あるいは一部が加わっているのかもわからない。かれらは第一市を制圧している。
が……それだけの人数で、第一市を完壁に制圧出来るものだろうか? あらゆる場所、あらゆる家々に監視・統制のための兵を置けるものであろうか? そんなことは到底不可能だ。かれらが第一市を制圧しているというのは、主要な官庁・機関を包囲し占拠しているということで、それでもまだ連邦総府には直接手を出してはいないのだそうである。これだけで兵力の大半をつぎ込まなければならないのではないか? 少なくとも主力は、第一市中央部より北の、そうした地域に集中していると考えるべきではないか? 兵力をやたらに分散するのは良くないという(ぼくが聞きかじった)常識からしても、そのはずなのだ。
でありながら反乱軍は、自分たちに都合の悪い分子を探索し捕えるために、兵をだした。反乱軍にはそれが必要な事情があったのだろうが、だからといって大人数をさくわけには行くまい。この別荘のあたりにしても、ひとつひとつではなく、いくつかを監視する格好でテントを張り駐屯していることからわかるように、こういうことに回す兵力は最小限にしているのだ。主力のほうが大切だからである。そんな、この方面に配置された一隊――それも、あの三叉路や十字路のテントに居た人数を思えば、とても大兵力とはいえないが、そんな隊が、邸宅のひとつひとつの至るところに兵を配置する余裕なんて、あるわけがないのだ。
だから、これがむしろ現実であり当然なのだ、と、ぼくは判断したのである。
ぼくたちは、翼館の端にきた。
暗くて、よくは見えないものの、翼館は幅の厚い、大きな煉瓦造りの二階建で、縦長の窓がつらなる形式のようであった。
ぼくたちは、裏の庭園の側に回った。
木の扉がある。
扉を打ち破るか、窓のひとつを破るか窓枠を外すなりして中にはいることになるだろう、と、ぼくは予想していたのだ。
扉に近づいてぼくたちは、それが細めに開いているのを知った。
錠が壊されて、そのままになっているのだ。
何か理由があってそうなったのを、使用人たちが放ってあるのか、でなければ、このほうがずっとありそうなことだけれども、あの一隊がここを探索するさいに、錠を壊して開け、あと、別に閉める必要もないままに、そうしているのではあるまいか。
シェーラが扉に手をかけ、その場にちょっとの間、たたずんだ。
内部を探っているのだ。
「誰か……?」
ぼくはささやいた。
シェーラは首を横に振る。
それからシェーラは、扉を手前に引いた。
開いた。
シェーラ、ぼく、ミヌエロの順で入る。
外よりも、なお暗い。
廊下が前方に伸びているようだが、左側に規則正しく窓が並び……しかしそれも、窓があるということがわかるに過ぎない。
右側は、何も見えない。部屋がつらなっているのであろう。
それと共にぼくの鼻を衝《う》ったのは、湿っぽい埃《ほこり》の匂いであった。
ぼくたちは、そろそろと奥へ進んだ。
がらんとして、少なくともぼくには、人の気配というものは感じられない。
こんな邸宅には使用人たちがいてしかるべきなのに、誰も居ないというのか?
風が流れてきたので気がついた。
窓のひとつのガラスが割れている。
また少し進んだところで、ぼくは何かにつまずいた。
身をかがめて触れてみると、大きな花瓶らしかった。
割れている。
ぼくが蹴って割ったのではなく、台ごと廊下に倒れて、割れているのであった。
花瓶だけではない。
何かの像とおぼしいものが、これも台座ごと倒れて、廊下に盛りあがっているのだ。ぼくはそれを越えて進んだ。
他にも、床にはさまざまな物品が転がっている。
これは――。
ここには、使用人たちが居たのであろう。が……出て行ったのではないか? それも、戦争がはげしくなりネプトが危なくなって来たので、逃亡したのではないか?
ネプトを出て、どこへ行ったのだ?
ネプトの中でも、この第一市が今のところはもっとも平穏なのに――。
あるいは、ここへやってきた反乱軍のあの一隊によって、追い出されたのかも知れない。
本当のところどうなのか、ぼくには見当もつかない。
しかし、こうして荒らされているのは、使用人たちがやったのではなく、反乱軍のあの連中ではあるまいか? かれらはすでに、いや、一度とはいわず何度もここを探索し、探索ついでに片っ端からそのへんにあるものを引き倒したのではないだろうか?
わからない。
ぼくの想像のどれが、どこ迄当たっているか、たしかめようもないのだ。
ただ……この翼館の端近い扉の錠が壊されていることや、中がこんな風になっていることから考えて、シェーラのいったように反乱軍の連中はここへも踏み込み、調べて回ったのはたしかであろう。
それだけ調べて……まだかれらはエレンとその一行を発見出来ずにいるのだ。
エレンたちは、本当に居るのか? シェーラが感知したという思念は、別人のものだったのではないのか?
――と、一歩一歩たしかめるようにして前進しながら、ぼくがそんなことに思いをめぐらしている間、シェーラとミヌエロはぼくと並んで歩きつつ、自分たちの能力でしきりに周囲をさぐっているようであった。
そして、ほぼ同時に足を止めたのだ。
「…………」
ぼくが内心の疑惑を彼女らに向けると、ミヌエロが低く答えた。
「次のドアを開くと階段があって、地下室につづいているようです」
地下室?
「それに、それらしい思念が」
シェーラがいう。
それらしい?
それらしいとは……エレンの……?
シェーラは小さく頷いた。
「ほかにも、居ます」
と、ミヌエロ。
ぼくたちは、廊下の右手、そのドアの前に立った。
「鍵は、かかっていません」
シェーラがぼくに告げた。
そのとき。
廊下のずっと奥……そのあたりから本館につながっているらしいのだが……そっちが不意に明るくなったのだ。
光。
サーチライトの光が、本館の、多分玄関か何かを正面から照らしだしたらしい。
反乱軍の連中は、サーチライトを門の前迄持って来て、建物の中が見えるようにしたのだ。
となれば、次にかれらがとる行動は、建物に入って来ての探索と思わなければならない。しかも今、かれらが探しているのは、エレンたちではなく、奇妙な超能力を使ってその目の前を通過していったぼくたちのはずなのである。
疑いもなく、そのようだ。
というのも、かたちがわかる程度に過ぎなかった窓が、すっと明るくなったからであった。かれらは、ぼくたちが越えた塀のあたりへもあかりを運んで、裏の庭園を塀の上から照らし出したのに違いなかった。
こんなところに突っ立っていては、たちまち見つかってしまう。サーチライトの光はずっとむこう、ぼくたちが居る廊下とは直角に投射されているが、そのために廊下全体が鈍く浮かびあがっていた。おまけに、裏の庭園に面した窓も明るくなっているのだ。
シェーラが、ドアを押しあけた。
ぼくたちは入った。
廊下からの光によれば、そこは一見、物置のようであった。椅子とか箱とか何かの機械らしいものが転がっている。
ドアをしめると、真っ暗になった。
何もわからない。
シェーラとミヌエロはそれでも不自由しないのだろうが、ぼくは困る。
「点火具、どうぞ」
シェーラの声がした。
いわれてみれば、ぼくが点火具を使おうと使うまいと、今のドアが開かれれば発見されるのは同じなのだ。
ぼくは、点火具をつけた。
シェーラとミヌエロは、正面にあった引き違いの戸を開こうとしていた。その戸は別に目立たぬようにしているわけではなく、引き手もちゃんとついているのだ。秘密の出入り口というのではないのであろう。それに、その引き違い戸の前に何も置かれていないのは、しょっちゅうそこが使われていたのを示しており、反乱軍の連中も捜索のためにここを通ったということではあるまいか。
ふたりは、戸を開いた。
ぼくは点火具を手に、今しがた入ってきたドアを顧みた。
ドアには、内側から掛け金が利くようになっている。
掛けるかどうか。
しかし、掛け金をしたところで、時間を稼げるわけではないだろう。反乱軍の連中が打ち破ろうとすれば簡単だ。それになまじそんな真似をしては、自分たちの行く先を教えるようなものである。
そうとっさに思い直して、ぼくは、戸のむこうへと降りて行くシェーラとミヌエロにつづき、階段を下った。
下るうちにも、地下室特有の臭気がぼくを包む。
二十段はあっただろうか。
降り切ったところは、幅七、八メートル、奥行き十四、五メートルほどの、地下室にしては天井の高い、石の床の部屋であった。
その床に、石の棺が五つ、並んで置かれていたのだ。
ネイト=ダンコールでは、死者をこうして棺に入れて置いておくのが普通なのかどうか、ぼくは知らない。ネイト=カイヤツでは火葬が一般的な習慣であった。が……ネイト=カイヤツでも、古い家柄とかそうしなければならぬとの信念を持つ人々は、棺に入れて土葬にしたり棺をどこかに安置したりするという。そんな物語や映画は、ぼくも何度も読んだり観たりした。だからそれほどびっくりはしなかったが……あるいはそれらの石棺は、実際に死者のために使われたのではなく、美術品としての収集対象だったのかも知れない。なぜなら、それぞれの棺にはこまかく彫刻が施されていたからだ。しかし、それぞれの蓋は、ずらされたり、床に落とされて割れたりしていた。そして棺の中には、何もなかったのである。おそらく、反乱軍の連中が中を検分しようとしたものの、徒労だった――ということだろう。
美術的といえば、壁もまたそうだった。いや、壁そのものではなく、さまざまなかたちで紋章楯と刀を組み合わせたものが、ずらりと壁にかかっていたのである。むしろこちらのほうが、金属に彩色されているだけに、点火具の光をきらきらとはね返して、華麗であった。
しかしぼくは、そうした品々をゆっくりと鑑賞してはいられなかった。そんな立場でもなく、そんな心理的ゆとりもなかったのだ。
エレンたちは、どこなのだ?
そんな石棺や紋章楯と刀といったものを別にすれば、ここはただの地下室である。
このどこに、エレンがいるというのだ?
が。
「そこです」
シェーラが、左側の壁をみつめたのだ。
「その壁のむこう」
「壁の……?」
ぼくは、反問した。
「五人、います」
いったのは、ミヌエロだ。「わたしはエレン・エレスコブの思念の型を、直接会って覚えたのではないけれど、それらしいのも感知出来ます。五人共、わたしたちの足音を聞きつけて、警戒しているわ」
「…………」
壁のむこうとは……そちらに隠し部屋があるということか?
としたら、どこかに出入口がなければならない。
それは、どこにあるのだ?
「このあたり」
シェーラが、花模様の紋章楯と大きく湾曲した二本の刀を組み合わせたものがかかっている部分を指した。「でも、中からかんぬきを掛けているので、念力を使わなければ開けられないでしょう」
ミヌエロも、その言葉に頷いた。
「じゃ」
ミヌエロがいう。
「待ってくれ」
ぼくは制止した。
違う。
どこか違うのだ。
そんなやり方では、間違いが起こりそうな気がする。
エレン・エレスコブの気性や、パイナン隊長の性格、第八隊の気風といったものを考えると、そんな風に、ろくに予告もせずに隠れがの出入口を力ずくで開けるのは、賢明とはいえないのではないか?
もしもエレンたちが、死に物狂いの抵抗に出て来たらどうなる? レーザーを乱射し、剣を振り回して突進して来たら……それはまあ、シェーラかあるいはミヌエロが例のやり方でレーザー光をねじ曲げ、かつ、ぼくをも含めての三人が、むこうの剣を叩き落としたりかわしたりすれば、そして、誰もけがをしないうちに先方が事態を呑み込めば、ことはうまくおさまるかも知れない。だが、絶対に間違いがないとはいい切れないのであり、どんな間違いがあっても、具合が悪いのである。それに、そういうたたかいをしたということが、変にしこりとなって、あと、第一市を脱出する間も、悪影響を残さないとは限らないのだ。第一、予告もなしにこちらがそんな挙に出たということ自体、先方の気持ちを傷つけるのではあるまいか。
ふたりの女は、ぼくを見ていた。ぼくの考えていることを、納得したようであった。
「では?」
ミヌエロが訊《き》いた。
では――。
どうする?
どういう方法をとる?
そのためには、エレンたちがなぜこれ迄無事でいられたのか、その理由を知ってからにしたい、と、ぼくは思った。反乱軍の連中は、今迄ここへ来なかったのか? 来たのか? 来てもわからなかったのか? そこにはエスパーはいなかったのか? 今度エスパーが来たら、発見されるのか? それとも前にも来たけれども、エレンたちを見つけることが出来なかったのか? としたら、それはなぜなのだ?――といった事柄についての材料さえあれば、それなりに方法を考えられるのではあるまいか。
そんな意識を頭の中に走らせながら、しかしぼくは焦ってもいた。いつ、あの兵士たちがここへやって来るかわからないのだ。早くしなければならぬ、へたをするとここ迄来ながらすべてが水の泡だ、と、時間が刻々と経過するのが、たまらなかったのだ。
それはしかし、女たちにしても同様だったろう。彼女らにしてみれば、ここへ反乱軍の連中が乱入して来ても、楽に対応し得る――との自信はあるだろうが、エレンたちを救出するという本来の目的から見ると、やりにくくなるのはたしかなのである。シェーラもミヌエロも緊張した表情で、ぼくの心理を読んでいたようだが、突然、早口でシェーラがいいだしたのだ。
「ごめんなさい。あなたが現在非エスパーなのをつい失念して、言葉にしませんでしたけど……ええ、むこうの人たちの思考では、ここには何度も反乱軍の兵士らしいのが来たようです。音は、向こうには聞えるんです。でも、発見されませんでした。反乱軍のほうにエスパーはいたかも知れません。それでも発見されなかったのは、壁のむこうの、あの人たちのいる場所の内壁には、強力とされるテレパシー遮断材が張りめぐらされているんです。それも、遮断材にさえぎられる程度の力の持ち主には、奥に人間がいることはおろか、そこに空間があることも感知出来ないように、巧妙に張ってあります」
「え?」
ぼくは、シェーラをみつめた。
「ついでにいえば、地下室への階段の戸にも、テレパシー遮断材が、これはあまり高級でないのを、わざわざ目につき易いように、しかも中途半端なやり方で張ってありました」
シェーラはつけ加えた。
「…………」
ぼくには、それで充分だった。
三角地帯のあの小屋で、シェーラは、本当の遮断材なんて存在しない、自分たちにとってはそうだが、この世界の超能力者にとっては立派に有効だ、という意味のことをぼくに話したのである。
そういうものが隠れがの内壁に張りめぐらされていれば、反乱軍の連中のエスパーが来ても、感知出来ないわけだ。一方、シェーラの仲間の、シェーラに匹敵するクラスの超能力者たちなら、テレパシー遮断材によって、弱くなっているかも知れないが、ちゃんとエレンたちの思念をとらえるであろう。それをテレパシー連絡網で伝えれば……シェーラにはエレンの思念とわかるはずであった。
そういう隠れがを、キューバイ・トウは(それだけの用意をあらかじめ整えていて、いざというときにエレンたちをかくまったのだとすれば……ぼくはもうそれが、かつてエレンが話したキューバイ・トウ、昔の結び付きゆえに、エレスコブ家を出てもエレン・エレスコブのために出来るだけのことをして来たという、あのキューバイ・トウであることを疑わなかった)作り上げ、しかもエスパーが地下室へ行って探りを入れる場合のために、まがいもののお粗末なテレパシー遮断用の戸迄、設けていたのである。お粗末なそんな仕掛けを認めたエスパーが、それでここのすべてを調べたと考えてしまうのを狙ったのであった。
そしてぼくは、今自分がどうすればいいのかも悟った。
むこうには、こっちの音が聞えるのだ。
だったらと、ぼくが来たことをはっきりと告げれば、それで良いではないか。ぼくの声が外へ洩れようとも、それがここへ探索に入って来る兵士たちを引き寄せることになろうとも、まずエレンたちを信じさせるのが先決であった。ぼくの声は、エレンやパイナン隊長や一緒だった隊員らにはわかるだろう。かれらはまた、ぼくが敵方へ寝返って以前の仲間を欺くような人間でないことを、承知しているはずなのだ。
そうするしかない。
ぼくは、右手に点火具を掲げたまま、シェーラとミヌエロに同意を求めた。
ふたりは、無言で肯定した。
ぼくは、その紋章楯と刀のすぐ前へ歩み寄り、叫んだのである。
「聞えますか? ぼくです! イシター・ロウです! ここを開けて下さい!」
返事はなかった。
「疑っていますわ」
ミヌエロがいった。
「わかりますか?」
ぼくは、声を張り上げた。「ぼくはイシター・ロウです! 元第八隊員のイシター・ロウです! 救出に来ました!」
依然、応答はない。
「エレン様! パイナン隊長! それに第八隊のみんな!」
ぼくは声を励ました。エレスコブ家から追い出され、第八隊のメンバーからも除かれたぼくが、そんな呼び方をするのは変だったかも知れない。だが、ここではそう呼ぶべきであったろうし、ぼく自身の気持ちの中には、いまだにその感覚が根強く残っていたのだ。「ぼくです! イシター・ロウです! 開けて下さい!」
ぼくはつづけた。
「かんぬきが、外されました」
ミヌエロが告げる。
後からふと思ったりもし、しかも結局はシェーラに問うたりもせず、問う迄もないこととして、そのこと自体は持ち出さずに終ったのだけれども……このとき、シェーラが何の説明もしようとしなかったのには、彼女なりの心情が働いていたからに相違ない。ヘデヌエヌスの工作員として、ひとたびはエレスコブ家に雇われ、下っ端の世話係として、エレン・エレスコブを仰ぎ見、エレン様と呼ぶ身であったのに、次にはカイヤントの湿原でエレンやぼくたちを救けたデヌイベのひとりとして姿を現わし、今またエレンを救出する者となって来ていることに、奇妙な気分にならないとしたら、そのほうがおかしいといわねばならない。のみならず……彼女はぼくに好意を抱き、(彼女の言によれば)ぼくがエレン・エレスコブとその一行を救出することでその複雑な気持ちを消せれば、ぼくが彼女により強い好意を持ち、(多分)ひいてはぼくが彼女たちの仲間となり、ヘデヌエヌスに赴《おもむ》くのも同意するだろう――と、期待しているのである。でありながらシェーラは同時に、ぼくがエレンにあこがれに似たものを持っているのも、知っていたのだ。入り組んだものがそこにあったと解しても、不自然ではないであろう。だから、必ずしもしなくていい石壁のむこうの動きの説明を、ミヌエロがやってくれたので、自分では黙っていて、ミヌエロのなすがままにしていた――ということではあるまいか。だがここには、自分に都合の良い事柄を信じたいとの、ぼくのひとりよがりの感覚が介入していることも認めなければならず、従ってぼくの口から述べるべきではない話かもわからない。が……いずれにせよ、これは後になってのぼくの感想であり、このときのこの場のなりゆきとは直接のかかわりはないのだ。
壁が動いた。
その紋章楯と刀のかかったあたりが後退して、隙間が出来たのだ。
点火具の光で、ぼくは、隙間の奥に顔が覗《のぞ》いたのを認めた。
「わかりますか? ぼくです! イシター・ロウです」
ぼくはいった。
石壁は、今度はぐいと後退した。右方を軸とした片側開きの扉になっていたのだ。
「イシター・ロウか!」
声は……ぼくはむろん覚えていた。それはパイナン隊長のものであった。
「そうです!」
ぼくは、どなり返した。
半開きになった扉から、抜き身を提げた男が出て来た。ヤド・パイナンだった。顔はやつれ、制服(エレスコブ家警備隊の制服だ)は汚れてあちこち破れていたけれども、目は光っていた。
パイナン隊長の目であった。
その瞬間ぼくが、点火具を左手に持ち換え、肱《ひじ》を前に出して指先を目尻に当てる――あのエレスコブ家の敬礼をしていたのは、なぜであろう。
ぼく自身にも、わからない。
ぼくは、とうに第八隊の隊員ではないのだ。エレスコブ家の人間ですらない。
しかもそのエレスコブ家は、破滅し、家としての実体を喪失しているのだ。
ぼくは自分の身分として、たとえ作業衣姿であったとしても、連邦軍兵士としての敬礼をすべきだったのかも知れぬ。
しかし、ネイト=カイヤツそのものがすでに降伏し、ネプトーダ連邦全体が崩壊しつつあるのである。
連邦軍兵士としての敬礼ですら、するとすればおのれの意地を示すだけに過ぎないといえる。
なのに、エレスコブ家の敬礼とは……。
だが、ヤド・パイナンと顔を合わせ、その制服を見たとたん、反射的にぼくはそうしていたのだ。笑いたい人は、笑ってくれて構わない。
そして、パイナン隊長も剣を持ち換え、答礼したのであった。
が。
パイナン隊長は、手を下ろすと、苦笑に似た表情になって、いったのだ。
「きみはもう、第八隊の隊員ではない。われわれには何の義理もないのだ。なのに、何のつもりでこんなところへ来た?」
「ここから、エレン様をはじめみんなを救出するために来ました」
かつてぼくをお前と呼んでいたパイナン隊長が、きみという、部下に対してではないいい方をしているのを意識しつつ、ぼくは答えた。「そこに居る、友人の超能力者ふたりと協力して、そうしたいのです」
ミヌエロを簡単に友人としては、ミヌエロは怒るのだろうか? しかし、シェーラはたしかに友人であり、そのシェーラの友人というよりも、ふたりともそう呼ぶほうが、相手に対してすっきりした説明になると、ぼくは思ったのだ。それに、ぼくが告げたかったのは、一緒に来たふたりの女が超能力者であり、頼りになる存在だということだったのである。
その間にも、扉からは、ふたりの男が出てきた。ふたりともパイナン隊長同様、面《おも》やつれして制服もぼろに近くなっていたが、ぼくが第八隊に居たときの仲間である。やはり抜き身を提げたまま……しかし、素早くその場の様子に視線を走らせると、ぼくに目で挨拶しただけで、敬礼などはせず、パイナン隊長の両横に立った。ぼくがすでに隊員ではなかったし、元の隊員だとしてもそうしたほうがいいかどうかむつかしい場面だったせいもあるが、通常、護衛員どうしというものは、しかるべき状況でなければ目礼で済ますのが習慣なのである。だからぼくのほうも、目礼を送っただけであった。
「なぜ、そんなことをする?」
パイナン隊長が、ぼくに尋ねた。
「そうせずには、いられないからです」
ぼくは、そう答えた。
パイナン隊長はまた何かいおうとし……だがそこで、扉の内側から声があったので、口をつぐんで、顔をそちらへ向けた。
「イシター・ロウ、本当にイシター・ロウなのですね?」
それは、エレンだった。扉の奥で影が動き――エレンはこちらへ出て来ようとしていたのだ。
「お待ち下さい、エレン様」
パイナン隊長は制止し、ぼくを半分見ながらつづけた。「この男は、隊員ではありません。事情が判明する迄は、こちらにお寄りにならないで下さい」
けれどもエレンは、扉から姿を現わそうとしており……しかしそこで動きを止めて、いったのである。
「イシター・ロウは、わたしたちを救出に来たといっているのですね?」
「そうです。エレン様」
と、パイナン隊長。「でも、信じてもいいのかどうか、また、そんなことが可能なのかどうか、まだ何ともいえません。それにこの男が、そのような危険なことを買って出てくれているとしても、われわれに気安く受ける資格があるでしょうか?」
ぼくがその言葉に、はっと胸をつかれた感じになったのは、事実である。パイナン隊長が、すでに隊員ではないぼくの話をすぐには信用出来ないし、そんなことが可能とも思えないとしているのは、隊長の本心ではないだろう、と、ぼくは推察していた。そしてその隊長の心の底に、なりゆきではありながらぼくを見捨てざるを得なかったことに対して、隊長なりのくやしさとぼくへの同情があったと知ったのは……繰り返すが、胸をつかれた感じだったのだ。
だが一方でぼくは、それだけ余計にことが面倒になった、と、考えてもいたのである。
あの三角地帯の小屋でシェーラは、自分たちだけでも実行出来たであろうエレン・エレスコブとその一行の救出作戦にぼくを加えたかった理由として、(例の、ぼくの複雑な気持ちを消させることでの、シェーラへの好意|云々《うんぬん》とは別に)ぼくが救出のメンバーになっているのといないのとでは、エレン・エレスコブとその一行の、こちらに対する印象や信用がまるで違う、へたをするとむこうが救出されるのを拒否するかもわからない、と、説明した。それはそうであろう。しばらくエレスコブ家の世話係をしていたというシェーラと、その友人が、自分らはあなたがたを救出に来た、超能力も持っているといっても、エレンたちがそうあっさりと話に乗るかどうか、怪しいものである。超能力者だといえばなおさら警戒したのではあるまいか。だから、エレンたちがよく知っているぼくも加われば信じて貰えるであろうということだったのだが……逆に、そのぼくに関して、パイナン隊長なり他の人なりが、結果としてエレスコブ家を追放したことについての申しわけなさみたいな感覚を抱いており、そんなぼくに、危険をおかして迄の救出をさせるのは、自分たちの気持ちが許さない――という風になるおそれは、なかったわけではないので……それが今、現実と化そうとしているのであった。
こうなると、説得は厄介だ。相手に、救出に応じるための名分を与えなければならないからである。
だが、説得しなければならぬ。
説得して、相手を納得させなければ、救出ができないのだ。
しかもぼくは、再び焦りはじめていた。さっき、壁のかなたのエレンたちに対してどう行動をおこすかを考えていたときに覚えたいつ反乱軍の連中がここへやって来るかわからない、早くしなければならない、との懸念《けねん》が、またかっと炎になって来たのである。なるほど時間そのものとしては、あれから今迄、そんなに経過しているとはいえない。ぼくが何度か呼びかけ、パイナン隊長が出て来てのやりとりがあり、エレンも声を出して、というだけの時間なのだ。が……今は一刻一刻が貴重な状況なのであった。サーチライトで本館を照らし出したかれらが、中に入り、翼館に来て、地下室に降りてくる迄に、そんなに暇がかかるとは思えないのだ、急がなければ。
しかし、何を以て訴えよう。
エレンの使命か? エレンが大切な存在であり身体であるから、とにもかくにもここを脱出しなければ、と、説くか?
それもいいだろう。正論だろう。
けれどもエレンのして来たこと、その和平工作とかいった事柄について、具体的には何も知らないに等しいぼくが、目の前のパイナン隊長を、短時間で説得出来るのか? 言葉の選択をひとつ間違えれば、論争まがいのことになってしまうのではないか?
「来ます」
シェーラが口を開いた。「上の、廊下のドアを開いて……来ます」
「ぼくを信じて下さい」
ぼくはパイナン隊長に、そういうしかなかった。「そのために、ぼくはここ迄来たのです。ここを出ましょう」
「階段を降りて来ます」
ミヌエロが、いやに落ち着いて(と、ぼくにはそう感じられたのだ)告げた。いわれなくても、もうぼくの耳は、反乱軍の連中の足音を捉えていた。
そこでぼくは、とっさに決心したのであった。
こうなれば、やむを得ない。
後のことは、後で考えよう。
「あの連中が探しているのは、ぼくたちです」
ぼくは、早口でパイナン隊長にいった。「みんな、もう一度中に入って、壁を閉じて下さい。そうすれば、発見されずに済みます。ここは、ぼくたちだけでたたかいます」
「…………」
パイナン隊長は、一瞬、沈黙した。
それから、叫んだのだ。
「第八隊、入って来る敵を迎え撃て!」
扉から、抜き身をひっさげた男と女が走り出て来た。ふたりとも知らない顔だが、エレスコブ家警備隊の制服をまとっていたのだ。ぼくが抜けた後に補充された隊員であろう。
「エレン様、奥へ入って下さい! エッター、扉をしめろ!」
パイナン隊長がまた叫ぶ。
知らない顔の男のほうの隊員が、たちまち後方へ向き直った。
「失礼します、エレン様」
いいながら、扉を両手で閉じにかかった。すぐに、そこに扉があったとはわからなくなったのだ。
これで、隠れがのあることや、ましてその中にエレンが居ることは、反乱軍の連中に知られずに済む、と、ぼくは思った。ただし、先方にエスパーが居て、ぼくたちの頭の中からその事実を読み取れば話は別だが……。
間一髪というところだった。
階段を下りてきた反乱軍の兵士たちの先頭が、次の瞬間に姿を見せたのである。
「壁際について! まずレーザーだ!」
自分もそうしながらの、パイナン隊長の命令が飛ぶ。
第八隊のメンバーは、二手に分れて壁に背をつけ、四、五人がどどっと降りてきたのに、一斉にレーザーパルスを浴びせかけた。
反乱軍の連中は、階段わきに身を引き、はげしく応射してきた。
そのときにはぼくも、そしてシェーラやミヌエロも、壁際にくっついて、相手の攻撃を避けていたのだ。
シェーラが、指を鳴らした。
ぼくの短時間エスパー化を求めたのである。
ぼくはそれを待ち構えていたのだ。さっき、十字路を通り抜けるときにエスパー化してからだいぶ時間が経っているから、もう力が貯えられていていいはずであり……しかも、携行しているのは伸縮電撃剣のみでレーザーガンのないぼくは、こんな場面で非エスパーのままでは、戦力ゼロに等しいのだ。
ぼくは全身に力を入れる感じで精神を集中し、エスパー化した。
(点火具!)
ミヌエロの思念が飛び込んできた。
その思念に附随した意識を読み取る迄もなく、ぼくは気がついた。ぼくはまだ火のついた点火具を手にしているのである。その手が使えなくても念力の行使には影響はないけれども、あかりがむこうの目標になるのは避けられないのだ。
目をやると、反乱軍の連中(つづいて降りて来るので、もう七、八人は居るようであった。その後からもやって来るかなりの人数の思念が感知出来たのだ)の何人かは、ポケットライトや点火具をともしていた。ここへ降りてくるためには、あかりが必要だったからだ。
となると、こっちが火のついた点火具を保持していることはない。が……先方のあかりしかなければ、むこうの都合の良いものだけが照らし出されることになりかねない。
――と、状況を分析し、どうすべきかを判断するのに、ミヌエロの思念を受けてから一秒もかからなかった。
それでもむこうの兵士たちは、レーザーパルスでの撃ち合いのうちに、ぼくの点火具のあたりを目当てにして、こっちへの射出の比率を高めていたのだ。こちらも先方も、壁に背を当て身を隠しての撃ち合いだから、少なくとも今のところ、こっちが身を乗り出したりしない限り、正面から撃ち抜かれることはなかろうが、こう集中してくると身動きもままならない。
ぼくは、点火具の火を固定して、地下室の中央部へと投げた。
それは、石棺のひとつの、ずれた蓋の上に載った。
載って、まだ火は燃えている。
いっとき、むこうのレーザーパルスがそこに集中したが、すぐにやんだ。
数秒間、交戦が途絶えた。ちょっとした膠着《こうちゃく》状態になった。
だが、と、ぼくは思った。
撃ち合いが再開され、長くつづいたりしたら、こちらの不利は免れないのだ。家の警備隊のレーザーガンと連邦軍団のそれとでは、大きさも性能も段違いである。戦闘そのものが目的である連邦軍のもののほうが上なのだ。おまけに相手の人数が圧倒的に多い。ガンのエネルギーにしたって、こちらにはエネルギー倉の予備がないか、あったとしても限られたものであろう。それに反して先方は、貯電槽があるとすればいくらでもエネルギーを補充出来るのだ。
(そう)
シェーラの思念が、味方や敵の渦巻く感情や思考の中から、はっきりとぼくに向けられてきた。(とにかくむこうのガンを片っ端から叩き落とすんです)
(居たわ)
これはミヌエロだった。(双方不能の障壁を作っているけど、分解する? 動くのを待つ?)
(ひとり……のようね)
(他、居ない)
(動くのを待って、どうするつもりか見定めてから)
(了解)
飛び交ったシェーラとミヌエロのその思念は――ぼくにもそれが、むこうの兵士たちの中にエスパーが居たのだと、わかった。
(まずは、あっちのレーザーガン)
シェーラが伝えた。(その間に、そのエスパーの動向を)
(いいわ)
と、ミヌエロ。
(イシター・ロウ、レーザーガンのほう、お願いします)
シェーラが、ぼくに確認し、ぼくは了承の思念を返す。
シェーラの随伴想念を捉えることによって、そのときにはぼくも、彼女がどんな手順でむこうのレーザーガンを叩き落とすのか、了解していた。
そして、その通りにことは運んだのだ。
今もいったように、レーザーパルスの交換は数秒間途絶え、それがさらに数秒間つづくうちに、ぼくたちは思念によるその打ち合わせをしたのである。
が、たまりかねたのか、先方の何人かが、射撃を再開したのだ。
地下室中央の、一番奥にあった石棺が、ゆらりと起きあがった。その棺の蓋は、ここへ来たときから床に落ちて割れていたから、本体だけが、それも縦に立ちあがって、他の棺を避けるようにしながら、階段のほうへ滑りはじめたのである。
むこうは、猛然とレーザーパルスを放ちにかかった。棺のうしろに誰かいるのではないかと思ったのだろう。
シェーラは(石棺の異様な動きがシェーラによるものであることは、ぼくには感知出来ていたのだ)その石棺を中途で止めた。
むこうの何人かが、階段わきからレーザーガンだけを出して、撃って来る。
(!)
シェーラだったかミヌエロだったか、どっちの思念かはぼくには不明だった。が、それが合図で、ぼくは、レーザーパルスを放ちつつあるガンとその手首あたりに、念力の痛撃を与えたのだ。あるいはシェーラなりミヌエロなりが狙ったものと重なったのかも知れないが……そのレーザーガンは床に落ち、ぼくに相手の痛みの感覚が伝わって来た。それをゆっくり感知するいとまもなく、次から次へと、念力でガンと手首に重い打撃を加えて行く。床に落ちたガンは、床を滑ってこっちへ走って来るのだ。シェーラかミヌエロがやっているのであろうが、それが誰であろうと構わなかった。ぼくは、突き出されたレーザーガンと、その手首をやっつけさえすれば、いいのであった。
前方の感情は乱れていた。狼狽と怒りがまじっていた。
床を滑ったガンは、第八隊の人々の前に来て停止し、隊員たちは自分のところに来たのを拾い上げる。
むこうの、別の連中が、はげしく撃って来た。ひとりなどは身を低くして姿を現わし、パルスではなく連続射出で、立っている石棺を、ついでまだ燃えているぼくの点火具を撃ったのだ。こっち側が暗くなり、その中で、ひびが入って割れた石棺の上部が床に落ちた音がひびいた。
ぼくはそいつのレーザーガンを叩き落とした。
シェーラは、そういう兵士が出てくるのを待っていたのだ。
そいつは、目に見えない手で引きずられるように(事実、引きずられていたのであるが)床に引き倒され、手足をばたばたさせながら、こっちへ動き出していた。
が、その動きが始まると同時に、ミヌエロが叫んだのだ。
「撃たないで下さい!」
カイヤツ語でだ。
さもなければ第八隊の人々は、当然、そいつをレーザーで射殺していたに違いない。いや、そうしようとする意志を、ぼくは感じ取っていたのだ。第八隊の人々は、不審も織り込みながら、はっと撃つのを止めた。ミヌエロのその言葉が問に合い、第八隊の人々がともかくも従ったのは、それ迄にぼくたちがむこうのレーザーガンを手から叩き落とし、こっちへ滑って来させているために、こちらの超能力者の力を認め、ぼくたちのしようとすることに信を置きはじめていたからのようである。
だが先方の連中とすれば、その兵士が撃たれもせずに床を引きずられて行くことに、耐えられなくなったのだろう。
ばらばらっと、何人かが、レーザーガンを構え、低い姿勢で飛び出してきた。かれらの心中には、戦友を奪還するのだとの決意があった。
ぼくは、そいつらのレーザーガンを、またもや次々と叩き落とした。シェーラなりミヌエロなりもそうしているからかも知れないが、ぼくはしだいにその作業に慣れて、手際が良くなっている感じなのだ。
出てきたのは、七人か八人。
レーザーガンを落とされ、飛ばされたその連中は、さすがに連邦軍の兵士らしく、決死の面持ちで剣を抜いた。
撃たれるのを覚悟で、剣でかかって来ようというのだ。
階段のほうから、援護しようとして、身を出しレーザーガンをこちらに向ける者が、これも何人か居る。ぼくはそのガンも落としたり、はね飛ばしたりした。
そしてその時分になると、むこうがレーザーで撃ってくるのは、無理になっていた。出て来ようとすればすぐさまレーザーガンを叩き落とされるかはね飛ばされるかし、それが落ちた位置から逃げて行くために、もうあまりレーザーガンを使おうとする人間が居なくなっていたせいもあるが……そのときには、ガンを落とされ剣を抜いた連中に、第八隊の人々がこれも剣で打ちかかって行き、両者入り乱れてのはげしい攻防が始まっていたのである。しかもぼくたちに近いほうは、点火具が撃たれ吹っ飛んで火が消えたために、むこうからのライトや点火具の火でどうやら見える程度の明るさになっているのだ。そんな中へ、へたにレーザーパルスを撃ち込めば、味方にも命中しかねないのであった。
剣での打ち合いとなった仄暗《ほのぐら》い地下室は、刃のぶつかる音がこだまし、交錯した。
こうなればぼくだって、第八隊の人々だけにたたかわせているわけには行かない。ぼくは時分の伸縮電撃剣の柄をつかみ、伸ばしつつ、飛びだそうとした。もちろん、超能力も併用するつもりで、である。今は、誰からもそれを禁じられるいわれはないのだ。
瞬間。
ぼくの頭の中に、まともに、知らない思念がぶつかって来たのだった。
(どこだ?)
その思念は、ぼくの意識にのしかかるようにして、詰問して来た。(お前たちは、カイヤツから来て平和工作をしていた女を、救いに来たのだろう? その女はどこだ?)
(誰だ?)
ぼくは、圧力をはね返そうとしたが、重かった。締めつけられるようであった。
(エレン何とかいう女は、どこだ? 護衛がいるのだから、この近辺に潜んでいるのはわかっている。どこに隠れているんだ?)
思念は、ぼくを押し潰そうとしていた。
教えてはならない。
エレンの居所を、知られてはならない。
ぼくは必死でおのれの心を空白にしようとした。
だが、相手はそのぼくから、必要なことを引き出したらしい。ぼくがおおい隠そうとした正にそのことが、相手にそれと感知される原因になったのだ。
ぼくは、相手の思念のうちに、壁の奥、テレパシー遮断材を張りめぐらした隠れが、という想念が浮かびあがったのを感じた。ぼくはそれを奪い返そうと、抵抗した。抑え込んでいる力をはね返し、むこうへ行ってしまったものをつかみ取ろうとあがいたのだ。
相手の力が、すっと弱くなった。
(まかせて)
(知って、喋るつもりだから……死んで貰うしかないわ)
シェーラと、ミヌエロの思念であった。
ぼくは、自分を抑えていた力が、別の方向に転じたのを知った。
(始末はこっち)
シェーラが告げた。(あなたは剣と、それに能力でたたかって下さい。みんなに信用されるためにも)
解放されたぼくは、半分伸ばした伸縮電撃剣を手に、斬り合いのまっただ中へと走り出て行った。
今のがどういうことだったのか、ぴんとこない方もいるのではないだろうか?
ぼくだって、そのときには正確には把握出来なかったのだ。
しかし、後になって、いろんな事柄を総合し分析したぼくには、はっきりと呑み込めたのであった。
ぼくにのしかかり詰問した思念は、反乱軍のうちにいたエスパーである。そのエスパーがかれらの隊の中でどんな立場にあったのか、ぼくは知らぬ。だが、エレンたちの所在をつかむ役目を命じられていたのは、疑いないであろう。その上このときは、奇妙な超能力を駆使して目の前を通り抜けたぼくたちを追跡し、ぼくたちがおそらくはエレンら一行の救出に来たのではないかとの推察もして……ぼくたちを捕え、エレンら一行についての情報を入手するつもりだったのだろう。
しかし、そいつを含む反乱軍の連中は、ぼくたちが超能力者――ひとりかふたりか三人みなかは不明にしろ、超能力者なのを知っていた。超能力者でなければ、あんな具合にして兵士たちの眼前を通過することは、出来ないからである。その場にあのエスパーがいて、ぼくたちの行動を眺めていたのか否かは、何ともいえない。が、ぼくはそのときはそこではなく、もっとむこうか離れた場所に居たのではないかという気がする。その場に居たのなら、ぼくたちがその存在を感知するなり、先方が思念や念力で働きかけて来ていたであろうからだ。それに、これはすぐあとで述べることから推測されるように、そいつがぼくら三人全部が超能力者とは考えていなかったふしがあることからもいえるのだ。その場にいたら、そのときのぼくらがみなエスパーだったのを知っていなければならないのである。もしも、かりにあのテントに居たのだとすれば、そいつは自分で障壁を作るか何かして、ぼくたちの心を読み取らなかったのではあるまいか。
しかし、そのエスパーにとって、多分、レーザーの光条をねじ曲げるというのは、未知の能力か、聞いていたとしても自分には出来ないものだったのであろう。だから、他の兵士たちにまじって階段を降りてきたとき、そいつは警戒し、障壁を作って、とりあえずはぼくたちの力が及ばないか、及んだにしても弱まるようにしていたのではないか。その障壁についてミヌエロは、双方不能と表現した。これは、相手の思念をさえぎる代りに、自分も相手の思念を読み取れないというかたちの、本人にとっては最も強力な障壁なのではないか? シェーラやミヌエロにしてみれば、それでも分解は可能らしいが、ネプトーダ連邦やその周辺にあっては、ほとんど絶対的な障壁なのに相違ない。
そいつは、その障壁を作ったまま、やって来た。そして味方とぼくたちの動きを肉眼で観察し、誰が超能力者なのかの見当をつけてから、自己の障壁を消し、その対象(つまりぼく)に、一挙に働きかけて来た――ということなのであろう。そのエスパーが、なぜシェーラやミヌエロではなく、ぼくを超能力者と判断したのかは、ぼくにはよく説明出来ない。ぼくが男であとのふたりが女だったからか……ぼくが不用意なほど自分がエスパーである意識に捉えられていたからか……シェーラやミヌエロが、相手には探知し得ないがこちらからは心を読めるかたちの壁を作っていたのか……彼女らに先方の思念のさぐりを外らす力があったのか……それとも全くの偶然なのか……いくつも考えられるのだ。ともあれそいつが、ぼくら三人共が超能力者であると知っていたら、なりゆきはいささか変っていたはずである。もっとも、そいつがそうと知っていたところで、シェーラやミヌエロは楽に対応していたであろうが……。結果としてそいつは、ぼくにこだわったためにシェーラとミヌエロにつかまり、ぼくからエレンの所在を知ったために、始末≠ウれることになったのだった。
だが、このことにしたって、このところたびたび出ている(あるいは出過ぎている)無用の注釈の、そのひとつということになるかも知れない。ぼくは何も、話を中断するつもりはなかったのだが……もしもそんな印象をお持ちになったのだったら、お詫《わ》びする。
走り出たぼくは、ちょうど、長剣を横にぶうんと振って、こちらの隊員がとび退いたのを追おうとしている兵士の斜め前に、たちはだかるかたちになった。
「こっちだ!」
ぼくは、ダンコール語でどなった。
その兵士は向き直り、剣をふりかざすと、走りながら打ち下ろしてきた。
ぼくはかわし、相手の手首に半分伸ばした伸縮電撃剣の切っ先を当てようとしたが、そいつはくるりと振り返りざま、下から剣を払った。ぼくの剣ははね上げられ、ぼくはその剣を手にしたまま、後方へ跳躍した。
今とび退いた隊員(ぼくのしらない顔の、女のほうである)が、剣を構えて前進する。
そいつは、斜めから斬り下ろした。
隊員は、剣を当てて外した。鋭い音が宙に残った。
女の隊員は、剣の向きを横に変えると、相手の横腹を斬るべく、低くなって相手の右ふところへと突進した。剣技としては、みごとな動きである。
しかし相手は、腰をひねりつつその剣を思い切り叩きのけたのだ。
隊員の剣が宙に飛んだ。
相手の兵士の剣さばきは、あきらかに腕力ずくの野戦のものであった。巧みな、華麗で素早い剣技にくらべると、粗野で荒っぽいのは事実だけれども、それだけにすさまじかった。斬るというより、叩き割る勢いなのだ。
剣を飛ばされた隊員が、拾うこともならずだだっと後退するのを追って、その兵士が長剣を振りかぶる。
打ち下ろされる寸前――ぼくはそいつの胸部に、思うさまとがらせた念力の刃を突っ込んでいた。
そいつは、剣を持ったまま、背中を丸めた。
その手元に飛びこんだぼくは、最短にした剣で相手の顔を打ちつつ前を走り過ぎ、振り向くや否や、最長にした切っ先を、相手の首筋に当てていた。すでにぐらりと前に傾いていたその兵士は、悶絶してうずくまり、剣を取り落とした。
「有難う!」
女の隊員が叫ぶ。
ぼくはにやりとしてみせ、次の相手を探そうと周囲を見渡した。打ち合いは、つづいている。
反乱軍の連中は、レーザーガンを使用するのを、今のところは見合わせているようだ。階段のあたりには点火具の火が揺れていて、それがこちらをぼうっと照らし出しており、ポケットライトの光が打ち合いをしている人々に当たったりかすめたりして、間断なく幾条も走っているけれども、これではレーザーの狙いをつけても、味方を撃ってしまいかねないからであろう。
(レーザーガンは、まかせて下さい)
シェーラの思念が、ぼくに届いた。(みんなわたしたちが叩き落とします)
(さっきのエスパーは、もう死んだから、安心して)
ミヌエロの思念もあった。
ぼくは、ふたりが奥に近い壁際にたたずんでいるのを認めた。そんな格好の女ふたりが、そういう力を発揮し、あるいは発揮したというのは、どこか嘘のような気がしたのだ。
次の一瞥《いちぺつ》でぼくは、反乱軍の連中が振り回しているのが、みな重そうな長剣であるのに気がついた。
のみならず、戦闘に加わるべくまたこっちへやって来る二、三人も、そのむこうに出番を待ち構えている連中も……すべてが、そうした長剣のようである。
エクレーダから降下のさい、ぼくたちは、レーザーガンとは別に、至近距離とか格闘時に使える武器を持つようにといわれた。ぼくは短いものより長い刀剣が得手だったのだが、かさばれば行動に差し支えるだろうから、縮めたら短剣位の長さになる伸縮電撃剣を選んだのである。
あの連中は、かさばるのを承知で、長剣を持って来たのか?
いや。
第二市での、スパ軍団の主幹士がいったのではなかったか? これは噂だが、ネプト第一市はダンコール軍団がはじめから守っていて、軍団は無傷だと、そういったのではなかったか?
だとしたらダンコール軍団では、荷物がかさばるとかそんなことは関係なく、好きな武器を持って降下したのか? 待て……ひょっとしたら、ずっとその前からネプト第一市に居たので、あんな重い長い剣を持っていても何の支障もなかったのではないか?
それなのにダンコール軍団の大部分は、反乱に踏み切ったのだ。というより、兵力が温存されていて敵に痛めつけられもしなかったために、降伏を肯《がえ》んぜず、反乱に至ったのであろう。
ダンコール軍団め!
が。
あんな長剣相手に、しかもあんな強引な剣の使い方をする連中相手に、伸ばし切れば、電撃を与えることは出来ても、簡単に折れたり曲ったりする伸縮電撃剣で渡り合えば、走り回り動き回っての、技巧の連続で対抗しなければならない。こんな狭い、人々が入りまじった場所では、それは難事である。同時にふたりを相手にでもすれば、力ずくで叩き斬られてしまうだろう。
今しがた、最初の兵士に電撃を与え、女の隊員に礼をいわれてから、周囲を見回し、シェーラとミヌエロの思念を受け、そこ迄思考がめぐってくる迄に、ぼくは三秒か四秒もかけたのではあるまいか。現にその女隊員は、別の相手と渡り合っているのだ。この間に斬りかけられなかったのは幸運であった。もちろんそうなったらぼくは、即座に反応してたたかっていたであろうが、防戦のかたちになっていたのはたしかである。
ぼくは、電撃で悶絶した兵士が落とした長剣を見た。
伸縮電撃剣を短くして腰に戻し、その長剣を拾いあげた。
ふだんのぼくだったら、そんな、振り回すうちに疲れてしまいそうな長剣を手にしたかどうか、疑問である。ぼくが長いほうが好きにしても、細身が楽なのである。
しかしそのぼくの頭には、かつてカイヤツ府でラスクール家の警備隊員たちと剣を交えた記憶があったのだ。そしてあのときのぼくは、きっとエスパー化していたのだと思う。そしてあのときのぼくは、体力気力充実し、剣をかるがると操ったのである。
今のぼくは、エスパー化中だ。
エスパーとして、長剣を使えばいい。
非エスパーに戻ったら、伸縮電撃剣にすればいいのだった。
ぼくは、長剣を構え、斬り結んでいる人々の中へ走って行った。
ひとり……ぼくの元の仲間の隊員が、首筋を斬られ、血を噴き出しながら倒れてゆくのが目に映った。
ぼくはわめきながら、長剣を横なぐりに払い、また振りかざして進んだ。
元の仲間を斬った奴が、こっちへ向き返った。
ぼくは打ち下ろした。
そいつは辛うじて受けとめ、膝をつきかけて、体勢を立て直そうとする。
仲間を斬った、そいつがだ。
ぼくはその胸板にふかぶかと剣を突き刺した。
連邦軍団、それもネプトーダ連邦筆頭ネイトのダンコールの軍団でありながら、敵とたたかわなかった奴らなのだ。
ぼくたちのように、潰滅的打撃を受けたのではないのだ。
ぼくたちのように、生死を賭けてたたかったのではないのだ。
剣を引き抜く。
横から来たのを、その刃をはね上げた。
こいつらは、ぼくのように自軍からはぐれて彷徨《ほうこう》したのではないのだ。
余勢でのめって行くそいつを、後頭部から斬りさげた。首が前へ飛んだ。
こいつらは、自分の軍に置き去りにされたわけではない。自分の目的を喪失したのではない。
次の、正面から来た奴に、ぼくは真向微塵と斬り下ろした。相手は剣を構えたまま、斜めに体がふたつに裂けつつ、仰向けに倒れて行った。血がほとばしり、ぼくの顔や服にも降りかかった。
こいつらは、反乱軍なのだ。
ネプトーダ連邦が降伏しようとしているのに、反乱をしているのだ。自分たちだけが電気をふんだんに使って、気楽にやって――。
長剣は、ぼくに軽かった。
細い棒を振っているようだった。
背後から突きを入れて来るのを、読心力と気配で知ったぼくは、半回転して相手をやりすごし、そいつが反転して構えようとするのに、細身の剣を扱うように、そう、abcdで追いつめ、cdc'dab'でさらに追いつめ、相手が恐怖の表情になり惑乱する思念を放つのに構わず、心臓を一突きにした。そいつの思念がたちまち薄くなって行く。もう一突きで思念は消えた。苦しませずに殺したのを慈悲だと思え!
こいつらは!
こいつらは!
ハボニエよ!
ヤスバよ!
ガリン・ガーバン、どこに居ますか?
コリク・マイスン……ペストー・ヘイチ……アベ・デルボ。
そんなぼくの気持ちや怒りや悲哀が、何の脈絡もなく論理にもなっていないのを、ぼくは頭の隅の遠い遠いところでは自覚していた。そういう心は存在していたのだ、が……ぼくはやめることが出来なかった。ただもう、熱いものがぼくをしっかりと捉えていたのである。
ぼくの前に、ひとりが来て、剣を構えた。
もうひとりが来て、横に並んだ。
そいつらが剣を振り上げる前に、ぼくは自分の剣を突き出して動きを制し、一歩進んだ。
ふたりは、一歩後退した。
怯《おび》えの思念。
怯えろ。
もっと怯えろ。
ぼくたちがたたかっている間、お前たちは何をした?
「おーう」
ぼくは吠え、剣を大上段に振りかぶる。
ふたりはまた後退し――まずひとりが、ついでもうひとりが、くるりと背を向けて走りだした。
何人かの反乱軍の連中が、階段のほうへ走って行くのだ。
「待て!」
ぼくが前進すると、階段のところに集まっていた連中が、われがちに上へと逃げて行くのだ。
が、
ひとり……ふたりが、レーザーガンをこちらに向けた。殺意だった。殺されてもいい、と、ぼくは思った。殺すなら殺せ、死んでやる。お前たちを怯えさせながら、死んでやるのだ。
そのふたりの手から、レーザーガンが離れて飛んだ。
一斉に、こちらの人々がレーザーのパルスを放ちはじめた。
階段のあたりに、人影が見えなくなった。
「今です」
シェーラの声がした。思念ではない。みんなにいっているのだ。「とにかく、今のうちに中へ……かれらがもう一度やって来る前に隠れてしまえば、発見されません」
みんなは、壁の扉へと走る。パイナン隊長でさえ、異議を唱えなかった。それが最善の策だと判断したのだろう。
ぼくは、まだ突っ立っていた。
茫然《ぼうぜん》と……血刀を提げ血だらけになって……その場の様子を見聞きしているのに、意味がわからず、どうすればいいのか考えることも出来なかったのだ。
(イシター・ロウさん!)
ミヌエロだ。
「イシター・ロウ!」
シェーラが駈け寄って、ぼくの身体をかかえるようにしながら、半開きになって、みんながもう入りつつある扉のほうへ連れて行った。シェーラは泣いていた。
背後で扉がしまる音をぼくは聞いたが、まだシェーラに身体を支えられているようであった。
視野に腰位の高さの何かの箱の上に据えられたろうそくの炎が揺れている。
みんな、その光に照らされて、ぼくに顔を向けていた。
「まだ、地下室へは誰も戻って来ていません」
ミヌエロが、外のほうをみつめていった。
「イシター・ロウ!」
シェーラが、ぼくを揺すぶった。「しっかりして下さい!」
「…………」
ぼくは、少しずつ、われに返ろうとしていた。興奮はしだいにおさまり、あたりの様子や人々の顔を見て取ることが、出来るようになってきたのだ。
そこは、幅は先程の地下室よりも狭く五メートル位しかなく、天井も低いが、長い奥行きを持つ場所であった。ぼくたちが居るのはその端のほうで、位置からいえばたしか本館の方向へ、ずっと伸びているようだ。ろうそくは一本だけともされているので、その光ではとても奥迄見て取ることは出来ない。
今もいったように、人々はろうそくを囲んで立っている。いや……全部ではなかった。ひとりが床に横たわっている。ぼくの知っていた、斬られた隊員だ。隊員というより、遺体であろう。首がなかば取れかけていて……もうどうしようもないのがひと目でわかったのだ。ぼくは唇を噛《か》みしめ、ろうそくを囲む人たちに視線を戻した。そして、ぼくは、そこに居る人々の間に、シェーラとミヌエロを除いて、ぼくに対する驚歎の念と、そこに含まれる良くいえば畏怖《いふ》、いい方を変えればうかつには近づけない危険な人物だとの気持ちや、あれはやり過ぎではなかったかとの、かすかな疑問や嫌悪の感情が流れているのを、感知したのだ。ぼくのエスパー化は、まだ終ってはいなかったのである。
いや、ぼくが感知したのは、それだけではない。
賞讃の気分と不審感の入りまじったものが、強くなって来たのだ。
それは、ろうそくを距てて立っている――エレンであった。
エレンは、パイナンから小声での話を聴いており、話を聴くうちに、そうなって来たのである。よくやってくれました、イシター・ロウ、といいたげな気分と、イシター・ロウがそのような殺し方をするのか、と、不審であり、すぐには納得出来ないとの感覚が、生じつつあったのだ。
「どうか、この人を責めないで下さい」
シェーラがいった。シェーラはすでにぼくから離れていたが、服にはぼくをかかえたときの血がまだべったりとついており、顔にはまだ泣いた痕《あと》がのこっている。「この人は……」と彼女はつづけようとしたけれども、声にならなかったのだ。
「イシター・ロウさんは、錯乱したんです」
代って、ミヌエロが口を開いた。「錯乱というより、爆発とすべきかも知れません。これ迄のいろんなつらかったことが、剣を使っているうちにどっと出て来て、自分でもわけがわからないほど興奮し、敵を倒すだけになってしまったんですわ。わたしや、こちらのシェーラは、その心を読んでいましたから、わかります」
「…………」
ちょっとの間、沈黙があった。完全というわけではないにしろ、みんなの心がほぐれるのが、ぼくには感じられた。
「あるいは、そういったことではないか、と、私も思った。仲間の隊員がやられたということもあるが、人間業ではなかったぞ。私の知っているイシター・ロウのたたかいぶりではなかったからな」
いったのは、パイナン隊長である。「しかし私は自分の部下に、任務遂行のためには殺人機械になるのもやむを得ないといってきた。言葉は違うかも知れないが、イシター・ロウ、きみにもその意味のことをいったはずだ。私はきみに、よくやったというべきだろう」
「よくやってくれました」
エレンが、ろうそくに一歩近づいて、ぼくに声を掛けた。
それでよく見て取れるようになったので、わかったのだが……エレンが身につけているのは、かつてのような華麗な、ときには簡素ながら驚くべきセンスを見せた、そんな衣装ではなかった。ところどころ汚れた、服といわれれば服に相違ない――といった布切れだったのである。が、それにもかかわらず、エレンの顔には依然として、気品と誇りがみなぎっていた。着ているものがどうであろうと、エレンはまぎれもなくエレン・エレスコブだったのだ。
そしてそのエレンの心に、再会をよろこぶ懐かしさと、弟に対するに似た感情があるのをぼくは知った。
だが皮肉なことに、ぼくがエレンのそうした気持ちを感じ取り、そこから先を読んでもいいものだろうか、これは非礼ではないだろうか、ぼくははたしてそれを知りたいのだろうか、と、ためらっているさなかに……ぼくの力は薄らぎ、消えて行き、もう何も感知出来なくなっていたのである。今回のエスパー化は、あれだけの間つづいたことから考えて、あきらかにずっと持続力がつき時間が延びたといえるのだが……つまりぼくは、非エスパーに還ったのであった。
「わたしは見ていなかったけれど、そして今その人がいったようなことがあったかも知れないけれど」
エレンは、ミヌエロに顔を向けてからつづけた。「でも、あなたがそんなに戦闘的になったのには、以前の仲間が殺されたということもあったのだという気がします」
「…………」
そこでみんなは、床に横たわっている隊員を見て、しばらく黙った。うなだれて鼻をすする者もいた。
そういえば、それもあるかも知れない、と、ぼくは思った。
ぼくが逆上したのは、彼が斬られたのを目撃してからである。むろんそれは、ぼくの内部に鬱積《うつせき》していたものが、どっと噴出するそのきっかけとなったということに過ぎないとはいえ、きっかけであったには相違ないのだ。
が……そう考えたとたん、ぼくはおのれの、なかば無我夢中であったにしても、あの殺人鬼めいたたたかいぶりを想起し、自分でも信じられなかったのだ。同時にぼくは、自己嫌悪と軽い吐き気に襲われたのである。ぼくは口に手をあてて辛抱し……ようやく深呼吸して、立ち直った。
みんな、何もいわなかった。
「それで?」
ややあって、エレンがパイナン隊長に問いかけたのだ。「イシター・ロウやこの人たちが救出に来てくれたのを、わたしたちは拒否するのですか?」
「エレン様に、おまかせいたします」
パイナン隊長は、頭を下げる。
「わたしは、ヤド・パイナン、あなたと同じ気持ちですよ」
エレンは澄んだ声を出した。「せっかくこうしてイシター・ロウが、超能力者を連れて来てくれているんです。そしてわたしたちは一刻も早くここから脱出したい。この人たちの厚意にすがれるものならすがりたい、ということでしょう? いいですね?」
「…………」
パイナン隊長は、うやうやしく、また頭を下げた。
「そうと決まれば、始める前に、お互いの紹介をしたらどうです?」
エレンは頷いてみせた。「ここには知らない者どうしも、いるみたいだし」
で……ぼくは、まず自分たちのほうから、ぼくが紹介することにした。礼儀からいえばむこうに目上の人間(正確には現在はそんな関係はないことになるが、ぼくにしてみればそうなのだ)がいる以上、それが順序であろう。ただぼくは、ふたりの女について、むこうも知っているであろうことは、いわなければならなかったが、必要以上の事柄は喋らないようにした。話が長くなるばかりか、余計な疑問をエレンたちに抱かせ、ややこしくなるのが目に見えていたからである。いずれ話さなければならないにしても、心理的・時間的にゆとりのあるときにすべきであった。つまり……シェーラは以前エレスコブ家で世話係をしており、デヌイベという団体に入っていたが、今は事情があって(というしか、ないではないか)ネプトに来ている、デヌイベに似たドゥニネという団体の一員で、すぐれた超能力者であり、ミヌエロはドゥニネでのその友人の、やはり優秀な超能力者だ、という風に話したのだ。旧友のシェーラは、ぼくとはかり、ミヌエロをメンバーに加えて、救出作戦を実行したというわけである。
エレンは、シェーラを覚えていた。あのときのデヌイベの人たちには、あらためてお礼をいいます、ともいった。シェーラがちょっと顔を赤らめたのは……いや、ぼくの気のせいだったかもわからない。そしてエレンは、エレスコブ家に居たときからあなたは超能力者だったのですか、デヌイベに入ってからそうなったのか――というようなことは、そこ迄気が回らなかったのか、あえて尋ねなかったのか……何もいわなかったのだ。
ミヌエロのほうは、ぼくの説明に加えるかたちで、わたしたちはとにかくみなさんを、第二市の南のはずれのドゥニネの宿泊所へお連れするつもりだと語り、ドゥニネたちは信頼して下さっても大丈夫です、といったのである。
それからエレンは、不意にぼくに問いかけたのだ。
「ふたりの超能力者と行動を共にしているのなら……イシター・ロウ、あなたは普通のエスパーになったのですか? それともやはり不定期エスパーのままなのですか?」
ぼくは、ちらりとシェーラとミヌエロに目を向けた。話していいか否か、ふたりの意見も聞かなければならないと考えたのだ。彼女らが頷いたので、ぼくは答えた。
「不定期エスパーのままですが、自分で精神を集中することで、短時間だけエスパー化する力を持つに至りました。でも、たてつづけには出来ません」
ぼくが答えると、エレンはさらに訊いた。
「で……今はエスパーなのですか? ネプトへ来てからのあれこれのうちに、わたしは精神波感知機をなくしてしまったのです」
「先程迄は、エスパーでした」
ぼくは正直に返事をした。「あの連中がやって来てから、斬り合いの間と、ここへ入ってちょっとの間迄は……。でも、今はエスパーではありません」
「やはり、エスパー化していたのか」
いったのは、パイナン隊長だった。「あんな重い長剣をかるがると振り回すのなら、そのはずだな」
エレンは、微笑しただけで、何もいわなかった。
それで、こっち側の紹介は終ったのだ。
今度はエレンはもういいとして、第八隊の人々の紹介だった。ここで説明しておかなければならないが、第八隊はぼくが入った当初はパイナン隊長以下の六名で、それがノザー・マイアンとハボニエの死、ぼくがエレスコブ家から追い出されたことで三名になってしまったのだ。
パイナン隊長とあと二名に、である。ぼくが居なくなった後、第八隊はふたりの隊員を補充して、五名になった。が……今また、ぼくが知っていた元の仲間が殺されたために、四名に減っていたのだ。
ぼくは、パイナン隊長とあとふたりの元の仲間(遺体となったひとりのことも、名前と簡単な事柄を告げたのだ。馬鹿馬鹿しいとお思いだろうか? だが死んだその隊員についても、そうしたっていいのではあるまいか)のことを、ふたりの女にいった。
あとのふたりの知らない隊員の紹介は、パイナン隊長がした。男のほうはエッター・ゼクドナルであり、女はセト・ミューアンというのだそうである。ぼくの後から入った新人――という意味では、ぼくはかれらがどの位の腕前で、どんな人間なのかを、気にするところであったろう。が……そのふたりは、流浪の身となったエレン・エレスコブに忠実に従い、護衛を務めて来たのだ。それだけで充分だった。かれらはれっきとしたエレンの護衛員であり、第八隊の人間なのである。ぼくがいまだにエレン・エレスコブの護衛員とか第八隊とかいっているのは、おかしいかも知れない。エレスコブ家が崩壊し、エレンがネイト=カイヤツを去って流浪の立場となった今では、正式にはそんなものは存在していないわけだが……ほかに、どんな呼びようがあるというのだ? それでいいではないか。
ふたりの隊員は、ぼくのことを聞き知っていた。エレンやパイナン隊長や前から居た隊員たちが、いろいろ話したらしい。それは当然ながらハボニエがらみであり、ぼくがエスパー化しながら勤務したとの理由で、エレスコブ家から連邦軍団に強制的に志願することを命じられたのも、耳にしていたに違いない。しかしふたりはそのことについて、個人的な感想や意見は、何もいわなかった。これが逆の立場だったら……そう、ぼくにしたって、先方から求められない限り、発言は控えたであろう。なりゆきがどうであろうと、それはエレスコブ家の名のもとに行なわれた決定であり、ふたりは、エレスコブ家が崩壊してエレンの公的身分が消滅し、第八隊というものも名目的には存在しなくなった今でも、その規律の下にあるのだ。規律からすれば、それが礼儀というものであった。
が。
ぼくたちは、それほどのんびりとはしていられなかった。
壁の内側でぼくたちがそんなことをしていたのは、二十五、六分というところだったのではあるまいか。その時分になると反乱軍の連中が、再び地下室へ降りて来た足音があり、何事か話し合っているのが聞えてきたのだ。いったん引き揚げてからまたやって来るにしては、随分時間がかかったもので、軍隊の普通の動きとしては、ちょっと考えられない遅さだ。が……かれらにしてみれば、レーザーガンを念力ではね飛ばす超能力者がおり、自分たちのほうのエスパーは殺されてしまった上、こちらの戦意旺盛となれば……しかも地下室は行きどまりで、上への階段はひとつしかないのだから、へたに手出しをせず、階段に通じるドアの前を固めておいて上の指示を待つ――との作戦が妥当と判断したのだろう。そう解釈すれば、理解出来る。
そのうちに外の連中は、しきりに壁を叩きはじめた。
「壁の中に、隠れる場所があるのではないかと、調べているようです」
ミヌエロがいった。「そちらの――亡くなった隊員を引きずった跡や、滴《したた》った血が、壁の出入口につづいていますから。でも、一緒に来たエスパーには、こちらが空洞になっているのは、わからないようですわ」
「キューバイ・トウが、エスパーにもわからないように、強力なテレパシー遮断材をここに張りめぐらしてくれましたからね」
エレンが微笑した。「いつかはこんなことがあるのではないかと考えて、キューバイ・トウは、こういう場所を別荘の中に用意してくれていたのです。やはりテレパシー遮断材を組み込んだいくつもの空気流通孔は、屋敷の裏庭に迄伸びていますし、水道の設備や保存用食糧など、生活にこと欠かないようにしてくれていました。今は包囲された連邦総府にいるキューバイ・トウに、礼をいわなければなりません」
それからエレンは真顔になって、ミヌエロに問うたのだ。
「でも、あなたには、ここのテレパシー遮断材も無効なようですね?」
パイナン隊長以下の隊員たちがぎくりとしたらしいのを、ぼくは見て取った。そのことに最初に思い至ったのは、エレンだったのである。
「はい。わたしもシェーラもそうです」
ミヌエロは落ち着いて答え、シェーラに視線を走らせてから、つづけたのだ。「だけど、わたしたちの能力やその出自については、もっと落ち着いてからお話ししたいと思います」
「ぜひ、聞かせて下さい」
エレンはいった。
そのうちにも、壁を叩く音はだんだん強くなる。かんぬきを掛けてあるので、そうあっさりと扉は開かないだろうが、外のエスパーがこちらを感知することが出来ないとしても、テレパシー遮断材というものがあるのを知っている以上、ここに張られているのではないかとの疑念を抱くのは避けられず、多分そうなのだと推測したのであろう。
「むこうの出口から出ては、どうでしょうか」
口を開いたのは、シェーラだった。
むこうの出口?
「そう。この場所は反対側の翼館の下迄つづいていて、そちらにも出入口がある。こちらのほうが広いから、ふだんはこっちに集まっていたが……よくわかるものだな」
パイナン隊長が、シェーラを見ながらいう。
シェーラはにこりとしただけだ。
だとしたら、ぼくたちがこちらの翼館から探そうとしたのは幸運だったのだな、と、ぼくは思った。エレンたちがたまたまそっちへ行っていたら、その思念も弱くなるだろうし、そこはまあシェーラとミヌエロのことだから感知するとしても、地下室へ降りて呼びかけたって、みんなには聞えなかったのではないか――と、考えてから、ぼくは自分で訂正した。そのときには、シェーラとミヌエロははじめにやろうとしたように、念力でかんぬきを外していたに違いないのだ。
ミヌエロがぼくに目を向けて、頷いてみせた。
「あちらから、出ましょう」
エレンがいった。「しかしその前に、亡くなった仲間に、せめて黙祷《もくとう》位したいのです。――その位の余裕はありますね?」
おしまいの言葉は、ぼくの傍にいたシェーラと、やや離れて立っていたミヌエロに向けられたものだった。
「はい」
「まだ大丈夫です」
シェーラとミヌエロは、同時に答えた。
ぼくたちは、死者を囲んで頭を垂れた。しばらくそうしてから、顔を挙げる。
「さよなら。こんなところ迄ついて来てくれて……有難う」
エレンが、呟くようにいった。
ぼくたちは、ろうそくを手にしたパイナン隊長を先頭に、隠れがを、むこうへと進みはじめた。
途中から、幅が少し細くなり、通路の観を呈してくる。
こちらの翼館から、本館の下、むこうの翼館へと行くのだ。通路のところどころには、いくつかのドアや棚や長椅子などがあって、正直、見捨ててゆくのが惜しいほど、設備が整っていたのである。
やがて、行き止まりになった。
前のよりはやや小さな扉があり、やはりかんぬきが掛かっている。
「外は?」
と、エレン。
「誰も居ません」
シェーラが返事をした。「さっきの地下室のあたりと本館の玄関に大勢、それと、建物の外の、塀の内側を見て回っている者もだいぶありますが、この上は、本館から見られさえしなければ、庭へは出られそうです」
「よし。行くぞ」
パイナン隊長が、かんぬきを外した。
ぼくたちは、パイナン隊長につづいて、扉を出る。
そこも地下室になっていたが……棺や壁の飾りもなく、がらんどうだ。
上へと、階段がある。
ぼくたちは、足音を忍ばせてあがった。
あがった突き当りは、ドアである。さっきのような物置まがいの小部屋はなく、そこからじかに廊下へ出るようになっているらしい。左右の翼館といっても、必ずしも対称形ではないのだった。
パイナン隊長がろうそくを消す。
暗くなった。
ミヌエロが、そっとドアを引き開ける。それほど明るくはないものの、光が流れ込んで来た。
ちらりと外を覗いてから、ドアをしめ、ミヌエロはいった。
「本館の玄関を照らしているサーチライトの余光が、こっちへも届いています。そっちに兵士たちが居ますが、今のところ、むこうの翼館のほうに気をとられています」
「廊下を走って、裏の庭園側の扉から出るしかないでしょうね」
これはシェーラだ。
「窓が明るくなっているから、裏の庭園も照らされているんでしょう。そのあかりは、わたしたちが消します」
ミヌエロはいう。「そうしたら走って、庭園の茂みに隠れ、少しずつ移りながら、庭園の奥にたどりつき、塀を越えて、屋敷の裏へ出るのがいいと思います」
「何なら……もう一度隠れがへ戻ってもいいんですけど」
と、シェーラ。
くらがりの中で、パイナン隊長はかぶりを振ったようである。
「いや、あそこにはもう食糧もないし、一方の出入口が見つかるのも時間の問題だ。出て行くほかはない」
パイナン隊長は断言し、エレンに伺《うかが》いを立てた。「危険はありますが、よろしいでしょうか?」
「わたしは平気ですよ」
エレンの声があった。
「わかりました」
パイナンは受け、命を発した。「よし。ではこのふたりのエスパーの意見に従って、まず裏の庭園に出る。あかりが消えたら手近の樹の茂みへと走るんだ」
「隊長さんとわたしが一緒に、まず出ましょう。あかりを消さねばなりませんから」
と、ミヌエロ。
「わたしは一番後になります。本館玄関の兵士たちが、わたしたちをみつけて来るようだったら、何とかしなければなりません」
シェーラがいい、つけ加えた。「イシター・ロウ、出来るなら走りだしたときにエスパー化してくれませんか」
「わかった」
ふたりの女だけが相手なら、心で答えればいいのだが、他の人々も居る手前、ぼくは言葉で応じた。
パイナン隊長がドアを一杯に引き開ける。
ぼうと明るくなった。
パイナン隊長とミヌエロは、すべるように廊下へ出た。
つづいて、エレンとエレンの周囲を固めた三人の隊員。
それからぼく。
出てわかったのだが、やはり本館玄関を照らし出したサーチライトによって、廊下にはかなりのところ迄光が伸びて来ていたのである。それに窓からも弱く光が入って来るのだ。
ぼくは前の人々につづいて、廊下を本館とは反対側の――外へ出られる扉へと進んで行った。
シェーラはぼくから二メートルほど後を来る。
先頭のふたりが扉に(それはちょうどあっちの翼館にあったのと同様、こちらの翼館の端近くに位置していた)到達し、開いて外へ出た。
それからエレンたち。
ぼくが扉に来たとき、外の庭園の明るさが半分になった。こっちの翼館に近い方向の灯が消えたのだ。
開かれたままの扉を出ると、反対側の、ぼくたちが越えて来たあたりの塀の上に、ぎらぎらしたあかりがまだひとつついているのが見え――それも次の瞬間に、消えてしまった。
ミヌエロがやったのだ。
わあわあと兵士たちがいっているのが、風に流れてくる。
シェーラも出て来て、扉を閉じた。
「まだむこうは、気がついていません」
ひとかたまりになったぼくたちに、シェーラはいう。
振り向くと、本館とふたつの翼館とから成る建物は、正面から照らすサーチライトによって、大きなシルエットになっていた。サーチライトそのものは、建物の蔭になっているので目には入らない。
が、それでも、ぼくたちの前に広がる庭園は、暗いけれども暗いなりに、浮きあがっているのであった。その気になってみつめれば、人間が走るのを見て取れるかもわからないのである。
「待って下さい」
シェーラが小声でいった。
「そうね。やってみましょう」
ミヌエロが応じる。
と。
門の、正面からのサーチライトの光が、消えてしまったのだ。
庭園を、闇がおおった。
本館玄関や門の方向から、怒声が聞えてくる。
「走れ!」
パイナン隊長が、低く鋭く声を出す。
全員が、くらがりの芝生を走りだした。
ぼくは精神を集中した。
だが……エスパー化は出来なかったのである。さっきエスパー化してから、ある程度時間が経っているのに……うまく行かなかったのは、それが短時間エスパー化の気まぐれさなのか、ぼく自身が今度はそれほど切迫した気分ではなかったので精神集中が足りなかったのか、さっき力をあまりにも使い過ぎたので回復に暇がかかるのか……とにかく、駄目だったのだ。
だが仕方がない。
ぼくは走りつづけた。
暗いのは、こっちの姿を認められないので有利だが、そのぶん、走りづらいのだ。
つまずいて、ぼくは前方へのめり――何かがぼくを支えた。
走りつづける。
シェーラがぼくに追いついた。
今のは……シェーラだったのか? だったら……有難う、と、ぼくは心の中で呟いた。
「いいえ」
シェーラはささやき返す。
ぼくたちは、翼館から一番近い、十数本の低い樹が半球形に刈り込まれた、その下に潜り込んだ。
門のほうや建物の中では、騒ぎがつづいているようである。
「次はあそこだ」
パイナン隊長が前方を指した。
大きな黒い盛りあがりは、ここよりずっとたくさん樹がむらがっているようだ。
ぼくたちは、また立ちあがって走った。
ひとりかふたりが転倒したようだが、よくはわからない。
全員が、前後して到着した。
そこは、まわりに低い樹々、中央にやや高い樹々のある、中に入ればすわって身を隠せる絶好の茂みだった。
とはいえ。
次に移らなければならない。
けれども……ぼくは、建物のほうに、いくつも小さな灯がともり、数が増えて五十以上もの横並びになるのを認めたのだ。
ポケットライトらしい。
灯が、揺れはじめた。
横一列になって、庭園を捜索しようというのだろう。
「まずいな」
パイナン隊長が低くいった。「早くむこうの端に着かなければ」
しかし、横一列になったポケットライトは、そのすぐ前方だけでなく、ときどきもっと先のほう迄光の棒を伸ばして、そのへんを照らし出すのである。うかつにここを出れば、誰かがその光の輪につかまるかも知れないのだ。
「時間を稼ぎます」
シェーラがいった。
とたんに、横一列の灯が、右のほうから順番に消えはじめたのである。右からだけではなかった。左からもぱたぱたという感じで消えて、もう残ってはいなかったのだ。
その方向から、わめき声やふてくされたような声がしばらくあり……かれらは引き返したらしい。
ミヌエロがくすくすと笑ったのは、彼女も手を貸して(多分左のほうから)ライトを消したのだろう。
「あざやかなものですね」
エレンが感想を述べた。
「だって、ポケットライトって、壊れやすいんです」
シェーラがいった。
ぼくたちは、次の茂みへと移動を開始し、無事にたどりついた。
そんな具合だったから、このままの状態がつづいたとしても、時間はかかったかも知れないが、ぼくたちは、広い庭園のその奥の塀へ行っていたと思う。塀を越えたら越えたで、そこには反乱軍の兵士たちが居り、ぼくたちは何らかの手段を用いて通り抜けたであろうし、後、兵士たちと出くわさないように大回りのコースをとっていたのかもわからない。さらに何か、もっとうるさいことにひっかかっていた可能性もある。が……キューバイ・トウの別荘を含めての、その周辺を監視し探索していた一隊程度が相手なら、シェーラとミヌエロというようなおそるべき超能力者が加わっている限り、それほどの苦労もせずにはじめの船着き場に帰っていたのではないだろうか? ぼくにはどうもそんな気がするのだ。もっとも……もしもあの連中が制装を着用していたら、との仮定が、ぼくの心になかったわけではない。制装といっても、地上の大気中なのだからむろん軽制装だが、ぼくたちはネプトの近くに降下するにさいして、制装に身を包んだのだ。ぼくたちが連邦軍団員でありこれから戦闘に参加するとなれば、それが当然というものであろう。しかし、キューバイ・トウの別荘周辺にいたあの反乱軍の兵士たちは、制装姿などではなかった。もしも制装を着用していたら、それだけこっちにとって手ごわいわけで、その場合、ぼくたちは難儀していたのではあるまいか、と、考えたりもしたものである。かれらがなぜ制装を着用していなかったのか……理由はいくつか想定出来よう。元来制装は操作するのに修錬を要し、脱げば脱いだで荷物になる。なろうことなら制装など使いたくないが、戦力や身の安全という点では、着ていると着ていないとでは大違いなのだ。その制装を……反乱軍にとって都合の悪い分子を探索し捕え、あるいはそんな人間のいそうな場所を監視するという任務のために、わざわざ着用するのは馬鹿げている、ということだったのではあるまいか? 相手は組織された軍隊などではないのだから、制装などしなくても充分だ、と、考えたのかも知れない。あるいは、自分たちの故郷であるダンコールのそれもネプトに居て、たまには制装から解放されたいとの心理も働いたのだろうか? いずれにせよかれらは制装を着用していなかった。していたならば……いや、レーザーの撃ち合いだけならともかく、剣を持ってのたたかいとなれば、そう簡単にやられない代り彼らも小回りが利かないからこの場合、有利とは限らない。おまけに超能力者相手では、制装も何のご利益もないわけだ。とすれば、かれらが制装を着用していたとしても、結果は似たようなものだったのかもわからない。ま、これはそう安直に決めてはならないことだろうが、そうだったのではあるまいか。
これは……このままの状態がつづいたとしても、との、ぼくの推測ないしは想像を語るつもりが、つい、枝葉のほう迄行ってしまった。
とにかく……ぼくたちのそんな状況は、事態の意外な急変によって、予期したのとはだいぶ違うなりゆきをとることになったのである。
意外な急変とはいったが、実はそれは、いつそうなるかわからないとされていたことであり……たまたまそれのおこった時点が、ぼくたちに関係してくることになったのだ。
くらがりの庭園を、みんなと共に次の茂みをめざしていたぼくは、そのとき、もうすでにおなじみになったあの音を聞いたのだ。
爆発音。
そう。
敵弾が飛来して爆発した――その音だった。
遠い。
だが、爆発音は爆発音であった。
敵弾だった。
そら耳ではない。
これは――。
ニダ河を下っているときにも考えたのだが、第一市はこれ迄静かであった。ぼくの知る限り、敵弾の飛来などはなかったのだ。内部では反乱が起こっているとはいえ、反乱軍は一応第一市を制圧し、それなりの秩序が保たれている……降伏を決めた連邦総府の翻意を促し徹底抗戦の命令を出させようとしているのだそうで……しかし、いまのところ連邦総府への実力による突入はしておらず、ために敵も諜報員を送り込んで様子を探りながら、まだ手出しをしていない……と、ワタセヤやシェーラはぼくに告げたのである。
その第一市に?
思っているうちに、またひとつ、今度はだいぶ近い爆発音が響いてきた。
方角は……この別荘の正面から見て右手の北なのだ。
北。
第一市の、官庁街の方向である。
「敵弾だな」
パイナン隊長が呟いた。
「敵が、この第一市に攻撃を仕掛けてきたんでしょうか?」
エッター・ゼクドナルがいった。
「連邦総府は、降伏を決定しているのに」
エレンも、低い声を出す。
そして、つづいてまた一弾。
これは、割合に遠かった。
ぼくたちは、何分間かその茂みに潜んだまま、弾着音を聞いていた。
さらに一発。
そしてまた。
威嚇だろうか?
第一市の人々……ひょっとしたら反乱軍を威嚇しているのだろうか。
だが、単なる威嚇にしては、数が多過ぎるのではないか?
と。
「待て」
パイナン隊長が、背後の建物のほうに顔を向けて、いったのだ。
声と、音。
何事かを叫んでいる声。
兵たちが動きだした音。
その靴音が入り乱れ、そのうちに一種のリズムを作りはじめた。
「ここから去ろうとしています」
シェーラが告げた。
「ここから?」
訊いたのは、ぼくである。
「ええ」
シェーラは答えた。「ここから撤退しようとしています」
「…………」
みんな、黙った。
「何がおこったんでしょうか」
女性隊員のセト・ミューアンがいう。
靴音にまじって、別の物音もしはじめていた。何かの作業をしているらしく、ときどき、鋭い、命令らしい声も流れてくるのだ。
やがて、車のエンジン音がした。
動きだしたようである。
一台……二台……三台……。
三台きりであった。
それが、ぼくたちが越えた側の塀の方向へと移り、ずんずん遠くなって行ったのである。
「もう、ひとりも居ません」
ミヌエロが、静かに告げた。
「どういうことなのでしょうね」
エレンも静かな声を出した。「何かが起こったのは間違いないでしょうが……知りたいものです」
「尋ねてみましょう」
シェーラだった。
「尋ねる?」
パイナン隊長が問う。
「ええ。テレパシー中継網で」
答えたのは、ミヌエロである。「わたしか……いえ、シェーラが自分でやるといっていますから」
「…………」
人々の沈黙のうちに、シェーラはぼくたちのいる茂みを離れ、別に急ぐ歩調でもなく別の茂みをめざし、そこに入って行った。ここに居た兵士たちがみな行ってしまったとなれば、何の心配もなく芝生を歩けるわけで……シェーラはやはりテレパシー中継網と接触するためには、ひとりきりの場が欲しかったのであろう。
「テレパシーで連絡を取り合うのですか?」
エレンが、ミヌエロに質問する。
「はい。わたしたちには、そういう組織がありますので」
ミヌエロが返事をした。
それきり、あとエレンも他の人々も、ミヌエロに何も訊かなかったのは……ミヌエロのいったことがよくわからなかったのか、逆にそれでわかってしまった気になり、そんな超能力の使い方もあるのかと納得したのか……ぼくには、どちらともいえない。
ぼくたちは待った。
「長いね」
だいぶ経って、ぼくはミヌエロにいった。
ミヌエロがびっくりしたように顔を向けたのは……彼女もシェーラのテレパシー中継網とのやりとりを傍受していたのではあるまいか。
「ええ」
短く怒ったようにいって、ミヌエロはまた黙ってしまった。
やっと、シェーラが戻って来た。
「なかなか、連絡が取れませんでした」
シェーラはそういってから、話しはじめた。「わたしが聞いたところでは、第一市の反乱軍は、とうとう辛抱し切れなくなって、連邦総府へ突入したそうです」
「突入したのですか? で?」
エレンが反問する。
「突入して、要人たちを殺傷し、徹底抗戦の指令を出したそうです。要人たちひとりひとりについては、申しわけありませんが、わかりません」
シェーラはエレンに軽く頭を下げ、つづけた。「そのことは、第一市各所に入っている諜報員たちによって、すぐに敵の知るところとなったようです。敵は直ちに第一市への攻撃を開始しました。弾を撃ち込む一方、大軍が第一市の西に集結し、侵入する構えをとっているそうです」
「…………」
ぼくたちは黙った。
とうとう、こういうことになったか、と、ぼくは思った。
その間も、敵弾の落下爆発音は、間断なく響いてくるのだ。
「きみたちは、われわれを第二市の南のはずれに連れて行くといったな?」
パイナン隊長は尋ねる。
「そうです。ドゥニネの宿泊所へ」
ミヌエロが答えた。
「そこなら、安全なのだな?」
と、パイナン隊長。
「はっきりとはいえませんが、少なくとも四、五日なら。農場と加工場しかない淋しいところで、ドゥニネ以外は、よほどの物好きでなければ来ません。敵がネプトを占領しても、そこへやって来るのはその位後だろうということです」
ミヌエロはいう。
「それから、どうなるのです?」
エレンが問うた。
「エレン様と第八隊の方々がそれからどうなさるかは、そこでご自分でお決めになって下さい」
今度はシェーラが返事をした。「そして、必要なことがあったら、わたしたちに出来るだけのことをさせて頂きます。案外……お役に立てると思います」
「わかりました」
エレンはいった。
それが決定で……ぼくたちは、急いで転ぶ必要もなく、暗い庭園の芝生を踏みしめて、建物のほうへと引き返しにかかったのだ。
絶え間なく響く弾着音は、かなり近い感じのものもあったが、反乱軍の主力がいるためか総じて北方で、ぼくたちが直撃弾や至近弾を受けるおそれはなさそうであった。が、それでも気持ちの良いものではない。
もうあの兵士たちが居ないのがシェーラとミヌエロによって確認されているので、ぼくたちは何の心配もなく建物の表側へ回り、門へと歩いた。
これが普通の場合だったら、何人かの兵を残して行くところだろうが、かれらは反乱軍であり、その反乱軍が敵をまともに迎え撃つとなれば、一兵残らず引き揚げるしかなかったのだろう。
それにしてもあの反乱軍の一隊が、戦意満々というのではなかったのは、たしかである。中には勇猛なのも居たけれども、全体としてはとても死力を尽すというものではなかった。反乱軍というものの、多くの兵士たちは命令に従って動いており、本気で徹底抗戦する気のある者は少ないのではないか、ひょっとしたらかれらの中からも脱走兵が大勢出たり、出つつあるのではないか、と、ぼくは思ったりしたのだ。
門を出て、例のテントのあった十字路迄来た。テントはむろんなかった。
あの三叉路も通過し、来たときのコースで戻る。
その途中だった。
「あれは――」
元の仲間の隊員が、北の空を指したのである。
そちらの空は、赤くなっていた。けむりも出ていた。
火事なのだ。
ちょっとの間、ぼくたちはその夜空を眺めていたが、パイナン隊長が、だしぬけにいったのだ。
「そういえば、先程から弾着音がしなくなっているな」
「…………」
いわれてみれば、そうだった。
「攻撃の場合、弾を撃ち込んで相手に打撃を与えてから突っ込むのが常道だと、私は聞いている。突っ込んだ後、砲撃をつづけては、味方にも損害が出るからな」
パイナン隊長はいうのだ。「とすると、敵弾の飛来がなくなったのは、敵がいよいよ侵攻を始めたということになるのではないか。――急いだほうがいい」
もっともな意見であった。ぼくたちは(シェーラやミヌエロには何でもなかったろうが)闇の中を、気をつけながら急ぎ足になったのだ。
そうしながらもぼくは、想念が動き出すのを止めることが出来なかった。
あれだけ敵弾が飛来し、あちこちで火事が発生し、そこへ敵軍が攻め入ってくるとなれば、第一市も他の市と同様、混乱と破壊の巷《ちまた》と化するに違いない。いや、第一市では、武装した反乱軍が抗戦するのだ。反乱軍がどの位持ちこたえるか知らないが、その戦闘がはげしく、かつ長引けば長引くほど、第一市の惨禍は大きくなり――地獄の様相を帯びてくるはずである。そして、これ迄の連邦軍団のたたかいぶりや敵の力を考え合わせれば、反乱軍が叩き潰されるのは、所詮時間の問題ではあるまいか。
ぼくは、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースを思い出した。あのふたりは今、どうしているのだろう? 連邦総府の側なのだろうか。それとも反乱軍に加わっているのだろうか。
ザコー・ニャクルの性格を考えれば、徹底抗戦を叫ぶ反乱軍の中に居そうな気がするが……いずれにせよ第一市のどこかでかれらなりに頑張っているのであろう。第一市のこれからのことを思えば、ふたりに再会するのは、もう望めないか、ゼロに等しくなったといわなければなるまい。
道は、下りにさしかかった。
石を敷き詰めた何のあかりもない坂を、みんなと共に降りて行く。
人っ子ひとりいないのだ。
それ迄は道の両側は、ほとんどが大邸宅だったから、人の姿を見掛けないのはむしろ当り前の感じであったが、戸口に看板やランプ(といっても、もちろんともってはいなかった)を掲げた家々が並ぶあたりへ来ても、そうなのである。
逃げ出そうとした人々は、もうみなとうに家を捨てて出て行き、かりに居残っている者がいるとしても、そんな人たちは腹をくくって居すわり、もはや外へ出たり何かしたりというような、じたばたした真似はしないでいる、ということだろうか?
それに、時刻も時刻なのだ。この時期になってからどこかへ行くことにした者がいたところで、夜明けにまだ少し間があるというこんなときに、出歩くものであろうか? それはまあ、こうした時刻だからこそ行動し易いとの考え方もないではないが、獲物を探している連中に見つけられでもしたら、おしまいである。荷物すべてを奪われて殺されるのがおちなのだ。
そういうことなのだろう、と、ぼくは解釈した。
が。
静まり返った中、上のほうから、音が聞えてきたのである。
はじめは切れ切れだったその音は、声であるのがわかってきた。
「……は、保護します。あなたの生命は保障されます。……は……」
ダンコール語だった。
あれだ。
あの飛行体だ。
下り坂の途中の、ちょうど不規則な四つ辻にさしかかっていたぼくたちは、それぞれ歩みをゆるめて、ついで停止し、家々の屋根に区切られた夜空を仰いだ。
「――ネプトーダ連邦総府は、すでに降伏を決定していたのです。しかし第一市の反乱軍は、とうとう連邦総府に実力で押し入り、みなさんの本当の指導者たちを殺害しました」
声は流れてくる。「……われわれは、反乱軍を鎮圧するために、第一市に入るのです。一般市民のみなさんは、安心して下さい。われわれの敵は……」
いっている内容は、あきらかに、これ迄ぼくが耳にしたものとは違っていた。最新の情報だった。
みんな、空を見上げていた。
エレンやパイナン隊長などは、ダンコール語がわかるようで、立って聴いている。よく理解出来ないらしい隊員のために、シェーラとミヌエロが通訳してやっていた。
「われわれの撒いたビラを持って来て下さい。ビラがなくても構いません。投降だといってくれれば、われわれはみなさんを保護します……」
声は、近づいてくる。
空に、あかりが見えはじめた。
白や赤や、黄色や緑……何十、何百という小さな、色とりどりの灯が、点滅しつつ動いてくる。
飛行体のあかりだった。
飛行体は、ぼくたちが見ている仕切られた空のすべてを占めた。
「……ウス帝国こそ、人類文明の正統な後継者なのです。正統世界なのです」
声は、はっきりと聞えるのだ。「ボートリュート共和国も、その他の星間勢力も、ウス帝国の理念を正しいものだと理解したからこそ、われわれの世界の盟邦になったのです。われわれは、一部上層階級の勝手な支配に委ねられていたネプトーダ連邦を、ネイト=ダンコールを、みなさんの手に戻し、正しい世の中にし、みなさんのための、あるべき正義にのっとった世界にするために、やって来たのです」
飛行体の灯が切れ、夜空が大きくなりつつあった。
「――みなさん、ネプト第一市のみなさん、第二市、第三市、第四市のみなさんも聞いて下さい……」
灯が見えなくなった。
声も遠くなってゆく。
「行こう」
歩き出しながら、パイナン隊長がいった。
「あの宣伝は何度か聞いたが……今のはだいぶ中身が違っていたな」
「格好の良いことを、いっていますね」
いったのは、セト・ミューアンだ。
「むこうには、むこうの正義があるのでしょう」
エレンが受けた。「ウス帝国のほうは、あれで本気なのだと、わたしは思いますよ」
それで会話は終了だった。ぼくたちは歩きつづけた。
「もうすぐです」
シェーラがいう。
ぼくの感じでも、そのはずだった。もうじき、河に面した広い通りで、そこから石段を降りれば船着き場なのだ。
船は、まだあるのだろうか。
「と、思いますよ」
いつかぼくと並んでいたミヌエロが、小声でいってくれた。「船からあがるときに、部品をふたつ三つ外して隠しておいたから、勝手に動かそうとしても、無理でしょう。ま、流されるのを覚悟で乗り込む者がいたら別ですが……そんなことをしたら、海へ出てしまって、簡単には戻れません」
用意周到なんだね、と、ぼくは心の中でいい、ミヌエロは白い歯を見せた。
曲った細い坂を下ってきたぼくたちは、しかし、そこで足を止めた。
地響きだった。
遠くから、何か……それも圧倒的な感じで、近づいて来るようである。
何だ?
坂の、下のほうが明るくなって来た。このまま降りて行けば、そこが、倉庫らしい建物の並ぶ、河に面した広い通りなのである。
「道を、やって来ます」
ミヌエロがいった。
「敵のようです」
シェーラもいった。
「敵?」
パイナン隊長が、声をあげる。
前方は、ますます明るくなって来た。右手のほうから、強い光が近づいて来るのである。轟音《ごうおん》はさらに高くなっていた。
光が、ばっとぼくたちの前で閃《ひらめ》き、暗くなったと思うと、次の閃きがあった。
何かが、下の大通りを右から左へ――北へと、通過して行くのだ。
ひとつ。
またひとつ。
光の明暗の繰り返し。
ぼくは、走りはじめていた。下へと……通過して行くものは、ぼくたちに何の関係もなく、何の危害も加えそうもなく、と、悟ると同時に、それらがどんなものなのか、見に行かずにはいられなかったのである。
ぼくだけではない。
みんなが、駈けていた。
たちまち、ぼくたちは、広い通りのすぐ手前に来て、やや上方から、通りを眺めたのだ。
ぼくは見た。
長い砲身を持つ物体……くろぐろとした大きな物体が、地面から浮き上がりながら、煌々《こうこう》とライトを放ち、高速で過ぎて行くのであった。ぼくたちがメネで出くわした、そいつと悪戦苦闘したあの物体が、重い轟きと共に、次から次へと、通って行くのである。
十台。
二十台。
三十台。
それは、どうしようもない、圧倒的な威容であった。
その後に、これもぎらぎらとライトを輝かせながら、大型の運搬車か何からしいのがつづいた。みな、地から浮いていた。浮いていながら、駆動機関の音かそれとも別の何かか、地をゆする響きがつづいている。空気も鳴っているようであった。勘定するゆとりもなかったが、三十台や四十台はあったのではなかろうか。
さらに、兵を満載した荷台が来た。ぼくたちでいえば制装にあたるのであろう、怪物さながらに身を固めた兵たちを詰め込み、運転台が前方に小さく据えられているだけの荷台が、浮上して、通って行く。その数は、百をくだらなかった。
最後に、これは何の用途に使われるのかわからない大きなずんぐりした、しかし車輪で走るのが、十台……二十台。
その最後尾が、眼前から去った。
音が、少しずつ小さくなって行く。
静寂が、戻って来た。くらがりも戻って来た。ぼくたちは、ひと気のない大通りと、その先の暗い河を前にして、突っ立っていたのだ。
「北、だな」
パイナン隊長が、ぽつんといった。「第一市の西から入った敵は、そこで分れ、一部は南のほうへ回って来て、それから北上したのだ。そうに違いない」
その通りなのだろう、と、ぼくも思った。西から入った敵は、全隊がそのまま北部の官庁街へ向かうのではなく、多分何隊かがもっと東へと迂回し、南のほうからも一斉に北上したのではあるまいか。
その、一隊≠ェ、今の規模なのだとしたら……ぼくは反乱軍の運命を思わずにはいられなかった。
しかし、今更それを考えて、何になろう。
「あの石段の下です。船も無事です」
ミヌエロがいい、手を挙げた。「待って下さい。石段を降りたそのわきに、誰か居ます」
「避難民のようです。ナイフのほか、武器は持っていません。女、子供を入れて、六人です」
シェーラが補足する。
「何をしているんだ?」
と、パイナン隊長。
「船に乗って、ここから逃げたいようですね」
ミヌエロが答えた。「でも、船を盗もうとしたら動かせないんで、どうしようかと迷っているようです。ひょっとしたらそのうち持ち主が戻って来るだろうし、それが弱そうだったら、おどかして、運転させようとも考えているんですわ」
「図々しい連中ですね」
エッター・々クドナルがいった。
「とにかく、降りてみましょう」
エレンの一言で、ぼくたちは広い通りを横切り、石段を下った。
くらがりを透かすようにしても、人影は見えない。
「あっちの石段のわきの植え込みに隠れていますけど、わたしたちの姿を見て、船は諦めたようです」
ミヌエロが、低く告げた。
それはそうであろう。
闇の中とはいえこの船着き場は白い石畳であり、かれらにもぼくたちのぼうとしたシルエット位は識別し得るだろうが……それが男女とりまぜて八人もおり、うち四人は剣を吊っている(ぼくはあの長剣を捨てたので、伸縮電撃剣しか携行していないし、最短にしている今の状態では、すぐには剣とはわからないはずだ)となれば、とてもおどかして船を運転させることなど出来っこない、と、判断したのであろう。
ぼくたちは、船に乗り移った。
ミヌエロが、外して隠しておいたという部品を出して、元にもどす。
するとふと、エレンが尋ねたのだ。
「あと六人、でしたか。それだけ、乗れますか?」
一瞬置いて、シェーラが答えた。
「その位でしたら」
「船を盗もうとした人たちです」
ミヌエロがいう。
「いいではありませんか」
と、エレン。「もちろん、誰かが反対すれば別ですが」
「そうおっしゃるなら、異存はありません」
ミヌエロが受けた。他には誰も反対はしなかった。
「こっちへいらっしゃい!」
エレンは、石段のほうへ、ダンコール語で柔らかく呼びかけた、「河を渡って第二市の南のはずれへ行きますが、それで良ければ乗せてあげます」
ぼくは、エレンの優しさに、やはりこういうところもある人なのだな、と、たしかに少しはうれしくなりながらも、同時に、こんな不用意なことをしてもいいのか、と思った。かれらを乗せるのが物騒だという意味ではない。そんな避難民の五人や六人なら、たとえむこうが剣を持っていても、ぼくたちで充分対応出来るであろう。それよりも、自分たちの行く先を、こうあっさりと見ず知らずの人間に喋っていいものか、あと、かれらの口からそのことが洩れたりしたら、厄介な結果になるのではないか、と、その無鉄砲さに呆れもしたのである。だが……シェーラやミヌエロには、エレンがかれらに呼びかけるとしたらどういうかの察しもついていた、あるいは読み取っていてわかっていたはずで、そうなったとしても問題はないと思ったから、それだけの計画があるから、反対しなかったのであろう。
ややあって、ぞろぞろと、植え込みの蔭から荷物を持った人影が現われた。船に来てみると、中年の男がふたり、中年の女がふたり、それに男の子と女の子という構成であるのがわかった。かれらはぼくたちを見て、あらためてひやりとしたようである。今もいったように、武装した人間が何人かいる上に、服が血に染まっている者が少なくなかったからだろう。ことにぼくなどは、返り血がべったりとついていて、それが乾きかけていたのである。ぼくはもう慣れて感じなくなっていたけれども、かれらには血の匂いがしたに相違ないのだ。六人はおびえたようにひとかたまりになっていた。
船が動きだした。
船には、ドゥニネの衣装があるのだから、上からまとったほうがいいのではないか、と、ぼくは思った。
が、シェーラが傍へ来て、首をわずかに横に振り、ぼくにしか聞き取れない声でささやいたのである。
「後で。わたしたちがドゥニネと関係があると、知られないほうがいいです」
で……ぼくは返り血のついた作業衣のままですわりつづけたのだ。
全員が、ほとんど無言であった。
ニダ河を下り、左岸の、第二市のはずれ――といってもずっと南の、西から来たイヨン河と合流する地点に近い場所に船が着いたとき、空はようやく白みはじめていた。
小さな、十数隻の漁船らしいのが停泊しているだけの港である。
ミヌエロは、そこのささやかな岸壁に船を寄せ、船繋りにともつなをひっかけた。
ぼくたちは、先に六人連れを上陸させた。
「ここで、よろしいのですね?」
エレンが、かれらにいう。
「どうも……有難うございました」
男のひとりが礼を述べると、かれらは一斉に頭を下げ、後も見ずに岸壁をどんどん去って行った。途中から小走りになったのは、一刻も早くぼくたちから離れようというつもりだったに違いない。ここに来てから身ぐるみ剥《は》がされ殺されるのかと、不安だったのかもわからないが(エレンの声が柔らかだったので誘われて乗ったものの、かれらは後悔していたのではないかという気がする)その姿はじきに夜明けの濃い青さの中に消えてしまったのだ。
「少し待って下さい。迎えの者が来ますから」
シェーラが言った。
迎えとは……ドゥニネの宿泊所とやらから来るのであろう。ここへ船が下ってくる間にシェーラかミヌエロかが、連絡を取ったのに違いない。船の中ではみなろくに口をきかなかったから、精神集中もし易かったのかも知れない。
夜が明けつつある。
ぼくたちの前にあるのは、二、三十軒の粗末な家であった。ところどころに魚を干したりしている。漁村なのだ。第二市からだいぶ南だとはいえ、こんな場所に、まるきり昔ながらの感じの漁村があるとは、不思議な感じである。ぼくがザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと西方からネプト第一市に入るとき、そのあたりがちっとも都市周辺らしくないので訊いたら、ボズトニ・カルカースが、保存区域だといったことがあるけれども……ここもその類なのだろうか? それとも格別保存とかいうのではなく、ネプトというような四つの大都市の集合体が出来るような世界では、都市化は内へ内へと進められ、外側はむしろ昔のままに残されがち、あるいは意識してそうされている――ということだろうか? だが、ネプトというようなところは、知れば知るほど、ぼくにはよくわからなくなるのだ。要するに……ぼくにとっては異郷なのである。
そのうちに、港に何隻かの漁船が帰って来た。漁に出ていたのだ。こんな状況だというのに、ここでは出漁する者は出漁しているのである。こういう生活形態は、何が起こっても変らないということだろうか。ま、ぼくたちが来たときにすでに港にあった漁船が、帰港したのではなくきょうははじめから出港しなかったのだとすれば、多少は戦争のなりゆきが影響していることになるが……とにかく陸揚げの作業にかかった漁船員たちは、ぼくたちの船をちらと見やったきりで、何の関心もないらしかった。しょっちゅう目にはしているものの、自分たちとは関係のない存在といいたげな態度なのであった。
間もなく、明るくなりはじめた家々の間を通って、ふたりのドゥニネがやって来た。ふたりとも、荷物をかかえている。
そのふたりのドゥニネは、働く漁船員たちと、簡単におざなりの朝の挨拶をしてから、ぼくたちの船に入って来た。頭巾を取らなかったのではっきりしないが、ひとりはかなり年配の男で、もうひとりはシェーラたちと同じ位の年と思われる女である。
ふたりは、シェーラとミヌエロと向き合った。それで思念の交流があったのだろう。
シェーラとミヌエロは荷物を受け取り、エレンや第八隊の人たちに、服の上にまとうようにといった。荷物というのは、五人分のドゥニネの衣装だったのだ。
ぼくとシェーラとミヌエロは、船に置いてあったドゥニネの衣装をまとった。本当のところは返り血のついた作業衣を脱ぎたかったのだが、また洗って使うから捨てないようにと、シェーラにいわれたのである。とにかく、そうしてしまうと、布切れをめくったり走ったりしない限り、みな、ドゥニネで通用しそうだった。
ぼくたちは船を出て、迎えに来た男女のドゥニネに従い、歩きだした。
漁船員たちは、こちらが頭を下げると軽く手を挙げるだけで、それ以上のことはしようとしない。村の家々には子を背負った女がいたりしたけれども、ぼくたちが通りかかっても軽く点頭するか、知らない顔をしているかであった。どうやらここでもドゥニネは、ここの住長とは遊離した――別種の人々というところらしい。
家々は、すぐになくなり、ぼくたちは、草がところどころにかたまって生えている荒れた地を進むことになった。といっても樹は多いので……進むうちにぼくは、土地がだいぶ低くなり、水が光っている場所が少なくないのに気がついたのだ。どうやらここは、カイヤントでのあの湿原に似ている。が……あれよりも植物が乏しい印象なのは、きっと海が近いので、水が塩分を帯びているからではあるまいか。ぼくたちが歩いているのは、そうした地の上に盛りあげるようにした、人間がやっと擦れ違える位の幅の道だったのである。
日が昇ってくると、あたりの様子はさらに判然としてきた。ぼくたちの右手は、黄色い草が生えた、水もきらきらする湿地帯で、そのずっと先には海が光っている。後方はかなり高く、先刻通過した村の家々がかたまっているのだ。左の方向は……しだいにこれもせりあがっているらしく、その涯《はて》に大きなビル群の――第二市が見えるのだった。第二市の空には、黒いけむりが何条もあがっている。
そして行く手には、ひとかたまりの構築物が見えているのだった。
断言はできないけれども、ぼくは、もともとは第二市の少し南迄がちゃんとした陸地で、そこからこっちは海だったのではないかと思う。そして多分、あの漁村は大昔は島だったのではなかろうか。それが今はニダ河やイヨン河から流れ出る土砂で、あたり一帯が低湿地となり、第二市とあの漁村のあるかつての島と地つづきになったのではないだろうか。
ぼくたちが歩きつづけるうちに、だが、地面は少し高くなったようだ。水たまりもあまりなくなった。
前方の構築物の群も、近くなってきた。
三角屋根の大きな家が二軒。
透明な材料でおおわれた栽培場らしいのが三つか四つ。
工場とおぼしいのが一棟。
それに、収穫したものを納めておくのだと思われる、屋根のついた大きな円筒形の建物が四つである。
ドゥニネの宿泊所というので、ぼくはもっと小規模なものを想像していたが、これではれっきとした農場だ。
もっとも、こういうものをいくつも持っているのだとすれば、ドゥニネたちの生活基盤の、その全部ではないにしても、ある程度の支えにはなるに違いない、と、ぼくは納得もしたのである。
その三角屋根の家のひとつの前へたどりついたのが、船を降りてから四十分ほど経ってからであろうか。
家の前面の戸口に来ると、ぼくたちを迎えに来たドゥニネの男のほうが、初めて口を開いた。
「お疲れでしょう。身体を洗って、用意している服をお召し下さい。それから食堂で食事をして頂きます」
ぼくたちは、中に入った。
入ったところは、ロビーである。ロビーといっても木製の長椅子が十ばかり、あちこちを向いて置かれてあるだけだ。正面が一段高くなり小さな台があるところを見ると、ときにはここは集会場として使われるのではあるまいか。長椅子のひとつにはドゥニネがふたりすわって、何か話し合っていた。
ロビーの両側には、ドアやら階段やらがある。
シェーラとミヌエロは、迎えに来た男女のドゥニネに頷きかけ、男女のドゥニネはドアのひとつから中に入って姿を消した。
それでもうちゃんと打ち合わせが済んでいるらしく、ふたりの女は、ぼくたちを、二階の、小部屋のドアが並ぶ廊下へと案内した。シェーラによれば、ドゥニネたちは普通はここを利用するとき、もうひとつの家のほうにある幾つかの大部屋で、組み立てベッドを並べて寝るのだそうであり、こっちは夫婦とか家族連れ、あるいは特別な個室を必要とする人のための設備なのだということであった。つまりはぼくたちは特別扱いされたわけで……しかしシェーラたちは、使う部屋の配列について、彼女らなりに気を遣ったらしい。廊下の突き当りの部屋がエレンで、それからこっちがパイナン隊長、次に古い隊員、あとのふたつが新しい隊員という具合にである。ぼくは廊下の手前の、一番階段に近い部屋であった。だが文句をいう筋合いはないであろう。ぼくは第八隊の隊員ではないのである。それどころかぼくには、シェーラたちが依然としてエレンや第八隊というものの本来のありかたを尊重しているのが、うれしかったのだ。
シェーラたちは、もうひとつの家のほうへ行くという。となると、大部屋ということになるが……それが彼女らには自然なのであろう。
シェーラたちが階段を降りて行った後、ぼくたちは渡された鍵を手に、それぞれの部屋に入った。もっとも、パイナン隊長だけは別で、自分の部屋の前の、エレンの部屋へ行く者をさえぎる位置で、みずから立哨についたのであるが……。
部屋に入ってみると、ちゃんとベッドが据えつけられ、シャワーの設備もあった。
今はまだ、朝になったばかりである。
やっとここにたどりついたのだとはいえ、こんな個室をあてがわれるとは、宿泊客ではあるまいし、望外のことであった。
それとも、シェーラたちは、ぼくらをここに何日か滞在させる予定なのか?
わからない。
が……こうした個室をあてがわれ、不安もなしに、自分だけの空間、自分だけの思考を持てるのは、かけねなしに有難いことであった。
ベッドの端に腰を下ろす。
軽いめまいがした。
きつい一夜だったな、と、思う。
エレンたちを救出と決まってからの、あの打ち合わせと、河下り……それからの道のり……三叉路からあの十字路、キューバイ・トウの別荘。エレンたちとの再会。別荘からの脱出と、敵の第一市攻撃・侵攻。
いや、昨夜はその前からつづいているのだ。
そうではないか。
ぼくは昨夜は眠っていないのである。きのうの昼前に起きて以来、寝てなどいないのだ。
きのうの昼前。
不意に、ヤスバのことがよみがえってきた。
ヤスバ。
彼を埋め、頭を垂れ、ラタックと共にエミンニビルの、元の(というべきだろう)カイヤツ軍団の駐屯地を、乱入した市民たちに追われて逃げ出したのは……テレパシー中継網と連絡を取りながら第三市を行き、ワタセヤに出迎えられて三角地帯に入り……ラタックの傷を治して貰い、シェーラの話を聴き、エレンたちを救出することになったのは……あれはまだ、昨日のことなのだ。ひどく昔のように感じられるが……きのうのことなのである。
そういえば、と、ぼくは記憶をたどった。
その前の日は?
その前の日は……第二市の無人のビルで寝ていたぼくが起きたあと、シェーラとミヌエロとワタセヤがやって来たのだ。そしてヘデヌエヌスの話をした。シェーラが自分たちの素性を明かした。
ずっと前のことのような気がする。
それからぼくは、何とか第三市に入り……彷徨をつづけて、ようやくエミンニビルの地上庭園に入った。
あれが、まだおとといのことだというのか?
信じられない。
信じられないが、事実なのだ。
さらにその前の日は?
あの日は、まだザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと一緒だった。あのふたりと歩いてネプト第一市に入り……。
その前は?
あのときは、ぼくは自分の隊にいたのだ。それが夜襲を受けて隊とはぐれ……メネを出て……機兵のコンドンをやられ、アベ・デルボが死に、ドゥニネの一団と会って手当てをして貰い……。
その時分に、ぼくの隊はラタックを残して全滅したのだ。ペストー・ヘイチはもうその前に戦死していたが、コリク・マイスンも、ガリン・ガーバンも……死んだのだ。
その前は。
止そう。
こんなにめまぐるしく、ぼくにとってはすべてが引っくり返ったような事柄の連続が……ほんの何日かの間だとは……信じられないし、今ここでは、もう考えたくない。
ぼくは、それらのことを考えるには、疲れ過ぎているのだ。
ノックの音がした。
われに返ると……ぼくはベッドの端にすわったまま、茫然と想念を追っていたのだ。
立ってドアを開くと、船迄迎えに来てくれたふたりの、女のドゥニネが、包みをぼくに渡してくれた。
「着替えです。前のは、ベッドの下の袋に入れておいて下さい」
女のドゥニネはいう。
ぼくは礼を述べて部屋に戻った。
新しい下着と、それにこれは新品ではないが、綺麗に洗濯したドゥニネの衣装だ。
ぼくは、シャワーを浴びた。
湯も出るのだ。
全身を洗ったぼくは、嘘のようにさっぱりして、持って来てくれた下着とドゥニネの衣装を着た。
気が滅入りかけていたのが、元気一杯とは行かないにしても、随分楽になり、物事に立ち向かえるようになった感じだった。
しばらくすると、シェーラがぼくたちを呼びに来た。
食事だというのである。
ぼくたちはシェーラに連れられて、階下の、例のロビーの横にある食堂に入った。
大きなテーブルをみなでとり囲む形式の小食堂なのだ。
シェーラがすすめ、エレンが上座についた。その横はパイナン隊長だが、隊長はまだ着替えてもいず、シャワーを浴びたようでもなかった。ずっとエレンの部屋のための立哨をしていたのであろう。
「ここでは立哨はいいのではありませんか?」
他の人々と同様、ドゥニネ姿のエレンが、済まなさそうな、また、おかしそうな表情でいった。「どうしてもというのなら、次の機会に他の者に代って貰って、身綺麗にしたほうがいいです。せっかくの男前なのですから」
「そういたします」
パイナン隊長が、頭を下げる。
着替えを持って来てくれた女のドゥニネとミヌエロが、料理を運んできた。料理といっても簡素なものだが、本物の料理である。並べ終えると、着替えを持って来てくれたドゥニネは行ってしまい、ミヌエロもシェーラも席についた。
ぼくたちは、食べ始めた。
ゆっくりと思ったものの、やはり、がつがつと食べてしまったのだ。この点、みんなも似たようなものである。エレンは……いやエレンにしても、他の者よりはたしかに優雅だが、本格的な晩餐会では、食べるのがやや早すぎると見倣《みな》されたのではあるまいか。
食事が済み、果物をさっきのドゥニネが運んで来てくれたところで、シェーラとミヌエロが何事か頷き合い……シェーラが口を開いた。
「少し……申し上げてもよろしいでしょうか」
みんなは、シェーラに視線を集めた。
「途中ででもご説明したように、ここなら、四日や五日は安心して居て頂けると思います。でもエレン様と第八隊の方々は、これからどうなさいますか? お役に立てるかどうかわかりませんが、どうなさりたいか、お聞かせ下さい」
パイナン隊長はじめ第八隊の面々は、お互いに顔を見合わせ、それからエレンを注目した。
「わたしは、ここ迄ついて来てくれたあなたがたに、まずお礼をいいます」
エレンは話し始めた。「どうやらこうして一応安全な場所に来た今、これからわたしがどうしたいかの存念を、あなたがたに告げるべきでしょう。わたしは、今迄してきたことを、やめるつもりはありません。戦争がこうなってしまった現在、やり方は違っても、平和のために働きたいと考えます」
「…………」
みんな、聴いていた。
「これからは、ネプトーダ連邦は、ウス帝国とボートリュート共和国に占領され支配されるでしょう。ネイト=カイヤツも含めて」
エレンはいう。「占領軍がどんなことをするかは、まだよくわたしにはわかりません。でもわたしは、かれらの出方を見定め、あまりにひどいものであったら、抵抗もやむなしと思いますが……当面は何とか折り合いをつけて、こちらの望む方向へ少しでも近づけさせるように仕向けるしかないでしょう」
「…………」
「これはわたしの勝手な予測ですが、ウス帝国にはウス帝国の正義と理念があり、かれらはそれを以て、わたしたちを律しようとするのではないでしょうか。でもわたしたちにはわたしたちの伝統があり文化があります。わたしたちは、まずはとにかく平和のために、忍べるだけ辛抱して、少しずつ力を養うしかないと思うのです。ネプトーダ連邦全体では手に余るというのなら、せめてネイト=カイヤツが、悪しき平和であろうとも平和を維持し、占領者たちにわたしたちの良き点を知らせ、ネイトの力をつけて対等にものがいえるように、持って行きたいのです」
「…………」
「でも、それは軍事力ではありませんよ」
エレンはつづける。「本当の力のないものが、軍事力に対抗するに軍事力を強めるのは、ネイトの成員のためにはなりますまい。わたしたちは考え方で、道徳で、文化で、さらには技術で、占領者たちと対等になれるようにしなければなりません。つらい長い道でしょうが、今となってはそれしかないと思うのです」
「…………」
「かりにウス帝国が過去の正統世界の後継者であるとしても……かりにですよ、そうだとしても、人間にとっての本来あるべき世界は、過去の正統世界の延長線上にあるとは限りません。過去になかったものを取り入れて、新しい人間のための世界を作るべきであり、わたしたちはネイト=カイヤツの、ネプトーダ連邦の者として、ウス帝国に、進歩のための要素を加えたいのです。これがわたしの考え方です」
「…………」
みんなは、しばらく黙っていた。
「もしも賛成しがたいという人がいたら、それでも構いません」
エレンは微笑した。「あなた方は、もう充分にわたしに尽してくれました。これ以上は無理をさせたくありません。わたしは……ひとりででもいいのです」
「エレン様」
パイナン隊長がいったが、あとはつづけられなかった。
「わかります」
「ぼくは、どこ迄もお供をします」
「信じて下さい」
他の三人が、一斉にいった。
「有難う」
エレンは頭を下げた。
「で……具体的には、ネイト=カイヤツに戻られるのですか? それともこのネイト=ダンコールで……?」
これはパイナン隊長だ。
「当面は、どこにいても、ある程度状況がはっきりする迄は、似たようなものでしょう。でも――」
エレンがいいかけたとき、シェーラが遠慮がちに身を乗り出したのだ。
「失礼ですが……それならしばらく、別の星間勢力の中で様子をごらんになったらどうでしょうか?」
「別の……星間勢力?」
と、エレン。
ぼくはシェーラが、ヘデヌエヌスのことをいうのかと思った。今ここでそんな話をしても、よくはわかって貰えないのではないか――という気がしたのだ。
しかし、シェーラは違うことをいいだしたのである。
「そうです。今度の戦争の第三者の……ロジザクセン同盟とかケイナン教邦とか……そういうあまりにネプトーダ連邦と理念のことなるところが困るなら、もっと弱小勢力ですが、ライコミヤとかエトレリシュ、クライトバーシュ、カイドスといったところもあります」
シェーラはいう。「そういった勢力のどこかの惑星に身を潜め、ネプトーダ連邦なりネイト=カイヤツなりの状況の推移を見て、方策を練り次の行動をお考えになるというのは……どうでしょうか」
エレンはまた微笑した。
「一案ですね」
エレンは頷いた。「いっときの混乱がどう落ち着いて行くかを見るには……ええ、最善策かも知れません。でも……わたしとしては何のとっかかりもないそんなところへ、何で行くのですか? どんな方法で住みつけるのですか?」
「わたしたちは、つながりを持っています」
シェーラは、ゆっくりといった。
「つながり? あなたがたが?」
エレンは反問した。
「はい。そのためにはわたしたちのことを、お約束したように、お話ししなければなりませんが」
シェーラは答えた。「でも、それは午後……わたしたちがそれなりのことを用意してからにしたいと思います。みなさま方にもこれからしばらく休んで頂いて……失礼ですが回復されてから……その後でお話ししたいのですが」
エレンは何秒間か、シェーラの顔をみつめていた。
それからいった。
「わかりました。みんな、疲れているようですし、たしかにわたしも眠いのです。――そうでしたね、あなたがたには、それがわかるのでした」
「どうぞ、ここは安全ですから、ゆっくりお休み下さい」
ミヌエロが口を添えた。
エレンは頷き、パイナン隊長に目配せをする。
エレンと第八隊は立ちあがった。
ぼくも立った。
「隊長」
ぼくはいおうとした。
ぼくは第八隊の隊員ではない。
しかし……隊員であったのは事実なのだ。
この中途半端な立場で……ぼくはどうしようとしていたのだろうか? エレンたちについて行きたかったのか? そうではなかったのか? 自分でもはっきりしない。
というよりぼくは、自分が第八隊にとって何なのかを、まず知りたかったのではあるまいか。それがパイナン隊長への、そんな呼びかけになったのではないか?
「…………」
パイナン隊長はぼくを見た。見て……ぼくのいいたいことを、感じたのだろう。
「私がきみに隊長と呼ばれていいのかどうか、自分でもわからない」
パイナン隊長は、静かにいった。「きみが私を隊長と呼ぶかどうかも、きみの自由だ。これは、私かきみのどちらかが、いや、私ときみとだけで決める問題でもない。エレン様にも……むつかしい問題だろう」
「では――」
「時間が決めることかも知れんな。あるいは状況が」
パイナン隊長は首を振った。「とりあえずは眠って、また考えるとしようではないか」
「…………」
ぼくが黙っているうちに、エレンもパイナン隊長も、第八隊の連中も出て行った。
エレンは、何かいいたかったのかも知れない。だが……どういうべきか、わからなかったのだろう。
そう。
エレスコブ家の規律をかたくなに守ることで維持されているエレンと第八隊の結びつき、第八隊のありようを認めようとすれば、ぼくを追放したエレスコブ家の査問をも認めなければならないのだ。もちろん、それだけではないにしても……ぼくの扱いは、エレンや第八隊にとっても、難問だったのである。ぼくに復帰を許す権限は、すでに存在しないに等しいエレスコブ家にあるのだった。
公式的だろうか? その通りだ。しかしその公式が、エレスコブ家のエレン・エレスコブや第八隊を拘束しているのだった。
そう考えたかったのだ。
「イシター・ロウ」
シェーラが、声を掛けた。
ぼくは、そっちに目を向けた。
「いわなくてもいいかも知れないけど、パイナン隊長は、あなた迄を自分たちのような流浪の身にしたくない、と、考えていました」
シェーラは低くいった。「自分たちは自分たちの気持ちでエレン様について行っているが、あなたには自分の道を選ぶ権利がある、とも、思っていました」
「自分の道?」
ぼくは問い返した。
「パイナン隊長のお考えです」
シェーラは、二、三度かぶりを振った。
「もう、お休み下さい。あなたは疲れています。体も、心も、疲れ切っています」
「ゆっくり寝て下さい」
ミヌエロもいったのだ。
ぼくは食堂を出ようとした。
「ひとつ、いいたいんですけど」
後から、シェーラが声を掛けたのである。
「え?」
振り向くと、シェーラはひどく真面目な顔になっていた。
「寝ていらっしゃるときに、わたし、この前エミンニビルの地上庭園におられたときのように、思念で呼びかけたりはしません。ご自分の眠りをとって頂けると思います。――誓います」
「…………」
それがどういうことを意味しているかわからぬままに、ぼくは食堂を出て、二階にあがったのであった。
自分の部屋に入ったぼくは、下着姿でベッドに入ったものの、頭の中がぐるぐる回っているようで、とてもすぐには寝つけなかった。疲れも度が過ぎると、妙に興奮するという、あれだった。
第八隊は、と、ぼくは思った。第八隊はぼくを別に必要としていないのか?
そうかも知れぬ。
だったら……。
待て。
ぼくは、第八隊にとっての自分は、と考えていた。
だが、ぼくにとっての第八隊は……?
そのとき、ぼくは悟ったのである。
ぼくの、複雑な気分……エレン・エレスコブへのあこがれや、第八隊との仲間意識、それと表裏を成すエレスコブ家への怒りやぼくを見捨てたエレン及び第八隊への、ないまぜになった感情は……奇妙な迄に薄らいでいたのだ。
なぜ?
なぜだ?
それが、こんなおだやかな、こんなに遠いものに思えるのは、なぜだ?
あるいはそれは、エレンや第八隊の人々に再会したからかもわからない。隔てられていたものが、間仕切りがなくなったあと、かえって何とも思わなくなるような、そんな現象なのかも知れない。エレンへの気持ちや第八隊との仲間意識は、断ち切られていたときよりは、ずっと日常的で、それほどのものと感じられなくなっていたのだ。
いや、だからこそぼくは、かえって、それをつとめて励起しようとして……パイナン隊長に迄、あんなことをいったのではあるまいか。
それに……ぼくがシェーラやミヌエロとエレンたちを救出に行き成功したことも、作用していたのではあるまいか。そう……そのことをやりとげたためにぼくは何か、心のどこかで借りていたものを返したような、かつ、胸奥のあちこちにこびりついていたものが溶け落ちたような、そんな心境になっていたのである。
そこでぼくは、ぎくりとした。
では……これでは……シェーラがいった通りの結果をもたらしたのではないか?
そしてそのことで、ぼくはシェーラに対しての好意を――。
好意はある。
だが、それが極端に強くなったとは思えない。思いたくない。しいていえば、シェーラやミヌエロなどに対しての、超能力者としての信頼が高まった――というところであろう。彼女らは、信じてもいい、有能で魅力的な女たちなのだ。シェーラは自分の気持ちから、その先頭に立ったのである。
待て。
これでは、シェーラへの好意を強めたのと同じではないか。
エレンと第八隊のことは止そう。
シェーラがいったこと……それにつながりそうなこと(ヘデヌエヌスだ)も止そう。
それよりも……。
ぼくは、先程のエレンの話を想起した。
エレンのいいたいことは、理解出来ないわけではない。そういう考え方は、立派に成立すると思う。
その意味ではエレン・エレスコブにはたしかに、かつてデヌイベたちがいったように、また、三角地帯でシェーラから聞かされもしたように、(それがずっと同一線上を来たのか、途中で方向を転じることになったのか……予知なるものにシェーラの語るような不確定要素があるとし、かつ、これ迄のなりゆきを考えるならば、後者としなければならないだろうし、さらには、エレンのとろうとする道が、必ずしもヘデヌエヌスの工作員たちの行き方とは重ならず、むしろ違いが大きくて、最終的には平和という点で目的が合致しているに過ぎないとしても)将来というものがあり、何かをなすはずの人なのであって……シェーラたちが彼女たち一行を救出しようとしたのは、ぼくにも頷けるのであった。
だが……ぼくはそこに、あのライゼラ・ゼイがいったのと重なる部分が少なくないのに気づいてもいたのだ。ライゼラ・ゼイにいわせれば、ウス帝国にはウス帝国の正義があり、自分たちが正統世界と称しているが、少なくともそういう自分たちの理想や目的を持っている世界なら、それほどの無茶は行なわれ得ないだろう、あやまちや行き過ぎがあれば、それを正す勢力が出てくるのではないか、希望は、だからないわけじゃない、というわけなのだ。
エレンは、そのウス帝国の正統世界なるものを、ネイト=カイヤツなりネプトーダ連邦なりの良き部分を加えることで、より良い世界が作れる、と、その部分だけを要約すれば、そうした意味のことをいった。
だが、そうだろうか?
ウス帝国などに、そこ迄期待出来るものだろうか?
ネイト=カイヤツやネプトーダ連邦の、われわれの感覚や文化や伝統が、どこ迄通用するものだろうか? 疑問ではないのか? ウス帝国とは、それ自体の正義を有していても、所詮、そうでない世界に生れ育ち、そうでない世界の文明の人間だったぼくなどにとっては、圧政の典型ではないのか? そんなものが変り得るというのか?
エレンは、長い道のりだといった。
長過ぎはしないか? いや、本当にその道の涯《はて》に、エレンのいうような世界が待っているのか?
ま、それでも実現したとして……それがぼくたちが求めた世界なのか?
何となく、不確実で、迂遠なのであった。
もっとも、そういうものなのかも知れない。すっぱり割り切れる正義なんて、かえって無理を生じるし、狭く、人間にとって現実的ではないのだから……。
迂遠といえば、ヘデヌエヌスの工作員たちがしていることもそうだ。
すべての人間がエスパーになるなど、あり得るのか?
あり得るかも知れない。エスパーが増え、人存の能力を掘り起こし能力を発現させるエスパーが多くなれば、加速度的に増えて行くかも知れない。いや、ある程度から先は存外速いのではないか? これは後退することがないのだ。いつかは、実現するのではないか?
では、すべての人間がエスパーであるという世界は?
例えば、ヘデヌエヌス。
シェーラは、秘密は一切なくなるといった。愛も憎しみも何もかもひっくるめて、それを認め、そのままで行くしかないといった。誰かが害を加えようとしても、相手も超能力を有しているから、他の者も周知するから、何も出来ないという。障壁で隠そうとしてもすぐ分解されるが、障壁を作ったことが意思表示になるという。だから、相手の心がわからないことによる疑いがもたらす争いは消滅し、ある意味では最終的な平和の世界になるというのだ。
そうだろうか?
そんなにうまく行くものだろうか?
ぼくには何ともいえぬ。
ぼくには、エレンのいうような道も本当には信じられず、シェーラのいうような方向も完全とは思えない。
ぼくにはわからん。
エレンもシェーラも、自由にやればいいのだ。
ぼくは眠いだけで、何もわからんのだ。
と……その時分には、ぼくは寝入っていたのである。
父母が笑っている。
ぼくを愛しているから、ぼくがエスパー化しても何ともないのだ。
不定期エスパーですよ、ご存じですか?
卒業直前に、予備技術学校を放り出されましてね。
ファイターですよ。ファイター。うまく行けば家の警備隊組織の上部メンバーに食い込めるでしょう。
超能力除去手術をするのがよろしい。
モーリス・ウシェスタは、はじめからぼくを憎んでいたのだ。
エスパー化したのを承知で勤務をつづけたら、どうなるかわかっているのか。
不定期エスパーですよ、ご存じですか?
不定期エスパーだと? お前は今、エスパーの状態にあるのか?
なぜだ?
なぜエスパーではいけない?
おい、敬語を組み込むのはよせ。うるさくてかなわん。テレパシーではそんな飾りをつけなくても、相手を馬鹿にしているかそうでないかは、嫌でもわかるんだ。
なのに、なぜエスパーではいけない?
それにもかかわらず読心力者たちは、往々にして錯覚する。自分は、現象を把握したと信じてしまうのだ。自負心のお蔭でかえって大局が見えなくなるのだ。
しかし……そうした常時エスパーの社会のルールを身につけたところで、どうなるというのだ? なまじそんなものを得たら、非エスパーのときには、主要な感覚のひとつを喪失した感じになって、適応しにくくなるかもわからんぞ。
いろんな顔が出て来て、いろんなことをいうのだ。
同時に、さまざまな場面が出て来た。イサス・オーノとの試合や、サングラスつきの紗《しゃ》のベールをかぶってきたエレン・エレスコブ。そしてシェーラ。トリントス・トリントとの試合。ハボニエとヤスバと三人での会話。カイヤントの湿原で祈っていたデヌイベ。シェーラ。カイヤツVにいたミスナー・ケイ。ネプト宙港でのたたかい。ハボニエの死のシーン。査問。バトワの基地。ガリン・ガーバン。レイ・セキとの喧嘩。ゲスノッチとの剣合わせ。取材するライゼラ・ゼイ。エクレーダからの降下……戦闘……戦闘……戦闘……。
シェーラが笑った。
「みんな、エスパーだったらよかったのにね!」
…………
ぼくは、ぐっしょりと汗をかいて目をさました。
夢か。
今のパノラマは、夢だったのか。
ぼくは起きあがって、身体のあちこちの汗を拭いた。
それでもまだぼんやりと、ベッドの端にすわっていたのだ。
完全には覚め切らぬままに……そして、このまま茫然としていても危険はない、そういう稀有《けう》な状況にあるのだとの意識の中で、想念に身をゆだねていたのである。
あらゆる事象が重なり合った今の夢は、ぼくに、これ迄の、時間的順序を追っての経験や思いの集積を、一度ばらばらにし、別のかたちで再構築させつつあるようだった。ぼくの内部での要約となり……そのうちに、少しずつ頭がはっきりしてきたようなのだ。
そういえば、この数年間は、ぼくにとって何だったのだろう。いってみれば翻弄《ほんろう》されつづけだったのではないか? いや、考えてみれば、自分が不定期エスパーであることを知ったその日から、運命はおかしくなっていたのだ。
ぼくが不定期エスパーなどではなく普通の人間なら、普通の人生の道をたどっていただろう。
また、不定期エスパーなどでなく常時エスパーだったら、常時エスパーとして生きていただろう。だがぼくは、両者を往復した。往復して両方の世界を覗き適応しようとしたのだ。どちらの世界に常住している者も、もうひとつの世界の一員にはなり切れないことも知った。両者の確執があるのも当然である。確執が消えるためには、どちらかの世界がなくなるしかないのだが……。
どちらかが?
ぼくは、目を見開いた。
エスパーを絶滅しようとしても、不可能だろう。それこそ、その素質のある者を、生れたときに殺すしかないのである。それが、人間のやることとは思えない。
普通人をなくしてエスパーにするのは……それこそ、シェーラたちのやろうとしていることなのだ。このほうが人間的であり、可能でもあるのである。
人類は、超能力というものを得た。それが人間の新しい能力なら、すべての人間が入手すればいいのではないか? よしんば、ヘデヌエヌスのようにうまく行かなかったとしても、人間が一度は越えねばならないことではないのか? 越えて、問題をひとつひとつ片づけて行くしかないのだ。
ぼくは気づいた。
文字を読めない者がいて、読める者とお互いに疑い憎み合っているとしたら、すべての者が文字を読めるようにすればいいのである。これはたとえとして適当ではないかも知れないが……似てはいないか? 人間社会のステップとして、全人間がエスパー化し得るなら、そうなって行くしかないのではないか? とすれば、シェーラたちがやらなくても、いつかはそうなるのではないか? 現在のネイト=カイヤツなりネプトーダ連邦なりでは、エスパーが少数派だから迫害され損をしているけれども、長い年月のうちには逆転するときが来て、非エスパーは少数者となり滅びてしまうのではないか? だったら、非エスパーをも高度の技術で訓練しエスパーとして、エスパーが普通になる世の中を作ろうとしているシェーラたちは、非エスパーを迫害し滅ぼすよりも、より人間的なのだ。
ぼくは、そのために自分の能力を鍛え、彼女らの目的に合致するように努めて、いいのではないか?
ぼくは、どっちつかずの不定期エスパーとして、ずっと生きて来た。そのことを甘受するのが自分の宿命なのだ、と、おのれにいい聞かせて来た。
だが、こうして、人間の世界のあるべき方向をさぐり当てた今は……しかも、どうやら常時エスパーになれるかも知れず随意エスパーへの可能性も開けそうな今となってはと、みずから求めてその方向へ進むのが、ぼくのなすべきことではないのか?
みずから求めて。
おのれの信じる方向へ。
そう。
これは、ぼくが自己の信念に従って、従来の不定期エスパーとしての人生を越え、別の人生を作り上げるということではないのか?
自分自身の責任による別の人生。
そこには、ぼくが知らなかった苦しみや悩み、困難や障害があるかも知れない。ひょっとすると既知の不定期エスパーとしての人生よりも、もっと厳しいものが待ち受けているかもわからない。ヘデヌエヌスが真にシェーラのいったようなものかどうか、ぼくにはまだ確言は出来ないし、また、シェーラが何でもないように感じているヘデヌエヌスのような世界が、ぼくにもそのように思えるか否か怪しいのであり、さらには、ネイト=カイヤツやネプトーダ連邦が全員エスパーの世界になる日がいつ来るのか、来たとしてもヘデヌエヌスのようになるのかならないのか……はっきりしたことは何もいえないのだ。
しかし、ともかくこれは、ぼくが誰に強制されることもなく、みずから模索し信じた方向なのである。とすれば、そちらへ進むのは、むしろ、ぼくの義務ではないのか? ぼくの、人間たちの一員としての義務だとはいえないか? たとえ未知の部分が多かろうと、思いがけない壁があろうと、ぼくは、そうすべきなのだ。
それでいいのだ。
それでいいではないか。
が。
そこでふっとぼくの頭によみがえってきたのは……食堂でのシェーラの言葉であった。
シェーラは、ぼくが寝ているときに、この前エミンニビルの地上庭園にいたぼくに対してのように、思念で呼びかけたりはしない……自分の眠りをとって貰える、そのことを誓うといったのだ。
従ってこの、今のぼくの気持ちは、シェーラに影響されてのものなどではなく、ぼく自身の、ぼくの内部から出た信念であるはずなのだが……。
シェーラの言葉を信じれば、である。
だが、本当にそうだったのか?
シェーラは、眠っているぼくに、実は思念で働きかけたのではないのか?
こんな風にシェーラを疑うのは、慎重過ぎるという人も、いるかも知れない。が……疑念は疑念で、止めようがないのであった。
シェーラは、ぼくの心理に影響を与えたのか?
待て。
ぼくは、唇を結んだ。
かりに、である。
かりにそうだとしても……構いはしないではないか。
ぼくには、ぼくなりに自分の在りかたについての自信がある。
眠っているうちに働きかけられたとしても、根本的にこのぼくが変化したりはしない。ぼくはそれほど弱くはないと思うのだ。
だから、今のこの感覚は、ぼく自身のもののはずだ。
それに、である。
シェーラが何を吹き込もうと……それがシェーラの望む方向であったとしても……ぼくが自分で決めた道と結果として合致しているのなら……何もつまらぬことを考える必要はないのだ。
ぼくは、自分の道を選ぼうとしているのだ。
よろしい。
常時エスパーへの道を、随意エスパーへの道を……ヘデヌエヌスでの能力訓練というのを……その後のネイト=カイヤツへの帰還と工作従事を、みずから進んでやってのけようではないか。
それが、ぼくのこれからの生であっていい。
だが……白状すると、まだぼくは、エレンや第八隊のほうにも、多少心が残ってはいたのである。
感情としては、だ。
人間、自己の進むべき新しい道を目の前にしていたとしても、過去や、過去に持っていたものに思いをはせないということは、あり得ない。むしろ、そういう状態であればあるほど(肯定的にであれ否定的にであれ)振り返り、何らかの意味でこだわろうとするものだ。
ぼくにとっては、エレンや第八隊が正にそうであった。
ネイト=カイヤツが降伏し、ネプトーダ連邦が崩壊し、カイヤツ軍団も実体を失いガリン・ガーバン以下のほとんどの戦友、知人が死んだり行方知れずになった今(ああ、それはラタックは残っているが、ラタック自体が現在は、シェーラの仲間であるワタセヤと三角地帯に残り、これからどうするかを考えなければならぬ立場なのだ)ぼくにとっての過去、それも連帯感のある過去とは、エレンと第八隊しかなかったのである。
だがそのエレンや第八隊は、皮肉な話だがエレスコブ家が潰滅したがゆえに、ぼくの処遇を決められないのであった。
というより、そうした――どちらかといえばぼくがその外に置かれざるを得ない状況にあったからこそ、ぼくの心の中にエレンや第八隊のことが、ひっかかっているのではあるまいか。
けれどもこれは、繰り返しになるが、感情としての問題なのであった。
その時分になると、ぼくはどうやらおのれに立ち返っていたようである。いつ迄もこんな風に想念を追っているわけには行かない。
これほど迄身体が楽になりすっきりしているのは、よほどよく寝たのであろう。
どの位、経過したのだろうか。
時計を見て、ぼくはぎくりとした。
信じられない。
ぼくは、十時間近くも眠っていたのだ。
誰も起こしに来なかったのは……何も起こらなかったということか? ぼくがよく寝ているので、そのままにしておいたということか? ぼくはあわててドゥニネの衣装をつけ、階下へ降りた。
そして……階下の食堂で、心を決める結果になったのだ。
食堂には、エレンとパイナン隊長、それにシェーラとミヌエロがいた。
「よく寝ましたね。よほど疲れていたんでしょう」
エレンが笑った。ぼくには眩《まぶ》しかった。
「他の人たちは?」
ぼくは、シェーラに訊いた。
「みんな食事が終って、出発の準備をしている」
パイナン隊長が答える。
「出発?」
ぼくは、パイナン隊長に顔を向けた。
「わたしたちは、クライトバーシュへ行って、そこでしばらく暮らします」
エレンはいう。
クライトバーシュ?
クライトバーシュは、ネプトーダ連邦から見て、ボートリュート共和国の反対側にある、比較的小さな星間勢力だ。
「この人たちが、クライトバーシュの人間としての証明書と、船便、それに先方での当座の頼って行く場を、手当てしてくれました」
エレンはいう。「わたしたちはそこで、この人たちの仲間から、ネイト=カイヤツやネプトーダ連邦の情報を貰い、戻る機会を待ちます。ま、むこうでもこのドゥニネですか、これと似たような教団のメンバーになるそうですが」
「パヌリュ、というんです」
ミヌエロがいった。「あっちでは、そこそこダンコール語も通じるようです。ネプトーダ連邦とは交流がありましたから」
「今度の戦争で中立していた勢力の籍の人たちを送還する船が、五日後にネプト宙港から出ます」
シェーラが、ぼくにいった。「こんな時期にちょっとおかしな話のようですが、すでにネプト宙港を占領している敵は、中立だった勢力の人々にそんなかたちで恩恵を施し、自分たちの正義や優しさを内外に示したいのか、それを認めたんです。船籍はケイナン教邦で……海路でネプト宙港の近くの港へ行く便船が、あす朝、ここの沖合いを通りますから、わたしたちが乗ったあの土砂運搬船で、ミヌエロにそこ迄送って貰うんです。今度は土砂はみな捨てますから……大丈夫でしょう」
「あれは元来、土砂運搬船じゃなく、もっと外迄行けるように作られていたんですからね」
ミヌエロが、ぼくを見た。
そうなのか。
エレンたちは、クライトバーシュなどへ行ってしまうのか。
しかし、そうするとぼくは……。
「イシター・ロウ」
シェーラがぼくに注意を促した。
「あなたに、お話ししたいのです」
エレンが、テーブルに両手を置いていいだしたのだ。「あなたが眠っている間、この人たちは、自分たちのヘデヌエヌスについて、話してくれました。それも、世界を良い方向に導く方法だと思いますが……しかも、たしかに根本的な方法という気もしますが……わたしには、わたしのやり方しか出来ません。今からエスパーになる修業をするなんて、わたしも第八隊の人たちも、無理でしょう。正直、それだけの時間が惜しいですから」
「…………」
かも知れない、と、ぼくは思った。所詮《しょせん》、エスパーの世界はエスパーの世界で、そうでない人には、わかって貰えないことも多いのだ。
「でもイシター・ロウ、このシェーラの話では、あなたは有望なようですね。もっとも、本格的な訓練を受けるかどうかは、あなたしだいだそうですけど。そうしたら?」
エレンの言葉につづけたのは、パイナン隊長だった。
「きみは、そうすべきだと、私も思う」
パイナン隊長は、頷いた。「きみはわれわれにとって惜しい人間だが、隊に戻って貰うのは、定めとして出来ないし、われわれの気持ちも許さない。きみがカイヤツ軍入りを志願させられるのを、止められなかったのだからな。――シェーラたちと共に仕事をするほうが、きみにはふさわしいだろう。きみがエレスコブ家を出なければならなかった正にその能力が、今度は可能性となるわけだしな」
「…………」
ぼくは、テーブルをみつめながら、黙って聴いていた。
残念ではあった。
しかし、それで明確に心を決めたのも、事実だったのだ。
[#改ページ]
旅 立 ち
早朝の若々しい日光が、ぼくたちの影をずっと前方へ投げている。
宿泊所を出たぼくたちは、乗って来た船を停泊させている漁港へと、歩きだした。
一行は、八人。
エレン・エレスコブと、パイナン隊長以下四名の第八隊は、灰色の布をまとい灰色の頭巾をかぶった上に、黒い帯を巻きつけていた。それが、クライトバーシュにおいての、デヌイベやドゥニネやエゼにあたる――パヌリュの衣装なのだそうだ。そういったものは、ぼくたちが出て来たドゥニネの宿泊所に、しまわれてあったらしい。ヘデヌエヌスがらみのそれらの教団は、それほどうまく連絡を取り合っているということだろう。
エレンはむろんのこと、パイナン隊長も隊員も、パヌリュの衣装の下には、もはやエレスコブ家の警備隊の制服を着ておらず、剣もレーザーガンも携行していなかった。ネプト宙港で乗船のさい、検査があるのはたしかだろうということだったからだ。第八隊の人々は残念そうだったが、その気持ちはぼくにはよく理解できる。ぼくもまた、ただし連邦軍団員の制服を脱ぎ捨てなければならなかった人間だからだ。もっとも、シェーラとミヌエロは、汚れ、傷んだ制服はともかく、レーザーガンと剣は、宿泊所の倉庫の奥深くにしまってくれるように、宿泊所を運営するドゥニネたち(きのうぼくらを迎えに来てくれたふたりも、そうなのであった)に頼んだとのことである。
ぼくとシェーラとミヌエロは、これ迄通りのドゥニネ姿だった。
行くほどに、土地がやや低くなり、草の間に水が光っているのがよく見えた。
道が細いので、ふたりずつ位しか並んで歩けないのだ。
やがて、漁村である。
村に入ると、女や子供たちが、家々の表にいたが、きのうと同じように、そうした人々は、ぼくらにろくに注意を払おうとはしなかった。
船は、つないであった岸壁で揺れている。土砂は、もうなかった。これも宿泊所の人たちが、きのうのうちに一旦船を出して、どこかで捨てて来てくれたのだそうだ。
この船に、エレンたちを乗せ、ミヌエロが運転して沖へ行くのだそうである。便船と出会ったら停泊して貰い、エレンたちを乗せてくれるように、連絡がついているとのことであった。
といっても、エレンたちを便船に移乗させた後、ミヌエロはこっちへ帰ってはこない。そのままニダ河をさかのぼって、三角地帯へ戻る予定なのだが……第二市の様子しだいでは、他の場所に船を着けるか、あるいはやむなくこの漁港に帰着するか、なりゆきしだいということなのだ。
シェーラとぼくは、また宿泊所へ引き返す。ぼくが決心するに至ったヘデヌエヌス行きについての打ち合わせをしなければならないからだそうで……ぼくは、三角地帯ではなぜいけないのかと訊いたけれども、こっちのほうが何かと便利だから、というのが答えだったのだ。
自分の道を選んだ今、ぼくは、あるいはこれでラタックとは会えなくなるかも知れないと、覚悟していた。会わないままでヘデヌエヌス行きになりそうだ、と、シェーラもいったのである。
ラタックは怒るだろうか? 失望するだろうか?
いや、あのラタックのことだから、そして多分ワタセヤから事情を聞くことだから、仕方がないとしてくれるのではあるまいか。そう考えるしかないのだ。
会わないといえば、これから別れることになるエレンや第八隊の連中ともそうであった。その他の人々とも……そういうことになるに違いないのであった。
だが。
ぼくはそれらが、二度と会えない別れだとは思いたくない。また、そうであってはならないのだとも信じる。
なぜなら、ぼくはいずれネイト=カイヤツに戻って来るはずだからだ。シェーラとはどこで別れるのか知らないけれども、ひょっとしたらずっと一緒ということになるかもわからないし、いずれは顔を合わせるに違いないのであり、すべての人間がエスパーである世界を実現すべく頑張っているうちには、ラタックにも、ワタセヤやミヌエロにも、そしてきっと何かの機会でエレンや第八隊の連中とも再会するとそう考えたいのであった。可能性はきわめて低いだろうが、ひょっとするともっと他の人々とも……希望はゼロではないのである。
これはそれ迄の、ぼくがぼくの新しい人生をつかみ取るために必要な別れに過ぎない。
そうなのだ。
そうでなければならないのだ。
そんなわけで、ぼくは歩きながらミヌエロと並んだとき、ラタックとワタセヤによろしく伝えてくれるように、といった。
「もちろん、そうしますわよ」
ミヌエロは頷《うなず》いてみせた。「でも、わたしが三角地帯へまっすぐ戻れるかどうか、わからないんだから、伝言は少し先になるかも知れませんね」
「そうなったら、ワタセヤはひとりで仕事をしなければならないんだから、大変だね」
ぼくがいうと、ミヌエロは笑ったのだ。
「今じゃ、ラタックさんもそれなりに、ワタセヤを手伝っているみたいです」
と、ミヌエロは肩をすくめた。「あのふたり、だいぶ仲良くなったみたいだし、ラタックさんもそのうちには、エスパーとしての初歩の域に達するんじゃないかしら」
「それは結構だね」
ぼくも笑ったのである。
そのミヌエロが一番先に船に入って、出港の用意にかかった。
エレンと第八隊の人々は、ぼくとシェーラに向き直る。
「それじゃ」
「お元気で」
声を掛け合った。
「頑張ってな」
とパイナン隊長がいい、ぼくは有難うございますと受けた。
「イシター・ロウ」
エレンが呼んだので、ぼくはその前に行った。
「あなたにはいろいろ迷惑をかけましたね。しっかりやって下さい」
いうとエレンは、ぼくの顔を両手ではさみ、ぼくの額に軽くキッスをしたのであった。
ぼくは頭を下げ……みんなは船に乗り込んで行った。
船が動きだした。
シェーラとふたりで宿泊所への道をたどりながら、ぼくはいささかつまらぬことを考えていた。シェーラが読んでいるのはわかっていたが、考えてしまうのは、仕方がないのだ。
エレンたちとは、当分……いや、ひょっとしたらもう会えないかも知れない、そのときになってエレンは、ぼくの額にキッスをしたのだ。
それに反してシェーラとの関係は、いってみればあの任命式の晩の、警備隊本部ビルの食堂の階段わきでのキッスから、本格的にはじまったといえるのではないか。
ひとりの女とはキッスで終り、ひとりの女とはキッスで始まった……。
「イシター・ロウ」
横のシェーラが、ちょっとこわい顔でいった。
「わかった」
ぼくは肩をすくめ、ふと気がついて訊いたのだ。「きみ……エレンたちに、ヘデヌエヌスやら何か、随分話したみたいだが、そんなことをしても、大丈夫なのか?」
「と、思います」
シェーラは答えた。「わたしは必要最小限のことしか、いいませんでした。それにあの人たちはクライトバーシュでパヌリュになるのですから、その位のことは、知っていたほうがいいんじゃないでしょうか」
「――なるほど」
ぼくは呟いた。
「きっと無事にクライトバーシュに着くでしょう。書類は完全ですし、旅もそう長くはありませんから」
シェーラは、なぐさめるように、そんないい方をした。
ぼくたちは、それからまた口を閉ざして歩きつづけたのだ。
が。
ぼくにとっては沈黙でも、シェーラにしてみれば、ぼくの意識は手に取るようにわかるのである。それがちょっとくやしくもあり、もどかしくもあった。短時間エスパー化をすれば、こんな一方通行ではなくなるのだが……といって、何となく、そんなことをする状況ではないような気もするのだ。
「あなたの場合、そんなに暇はかからないと思います」
突然、シェーラがいった。
突然ではあるが、たしかにぼくの思考には連続しているのである。
「あなたの素質と、これ迄の修練で、進歩は早いと思うんです。今の短時間エスパーでも随分長くなっているんだから……じきに常時エスパーになるでしょうし、訓練で、障壁を作ったり消したりも、そのうち出来るようになりますわ。多分、というより間違いなく随意エスパーになれるでしょう」
「そうあって欲しいね」
ぼくは応じ……また無言での歩行になった。
太陽がだいぶ昇って、近くなりつつある宿泊所の建物群の輪郭がくっきりとなり、その縁が輝いているのだ。
これでいいのだ、と、ぼくは思った。
ぼくの胸中に、占領されたというネイト=カイヤツ、降伏するネプトーダ連邦、地獄と化したであろう第一市、その他のネプトの都市のことがなかったとはいえない。しかし……ぼくに何が出来よう。ぼくひとりがその中に飛び込んで何が出来るというのだ? 思い切れ、今は思い切って、もっと先を考えるのだ。
カイヤツ軍団を抜けたと非難されようとも、ネイト=カイヤツへまっすぐ帰ろうとしないで責められようとも……これでいいのである。ヘデヌエヌスで高度の超能力者になる訓練を受け、それから戻って、すべての人間がエスパーになるための仕事をはじめる……そのほうが、本当の意味でのネイト=カイヤツやネプトーダ連邦や、もっと大きな世界の、その人々のためになるのではないか? 同時に、それはぼくが新しいぼくとして、真の自分になることでもあるのではないか?
これでいいのだ。
「ぼくの出発は、いつ頃になる?」
ぼくは訊いた。
「きょうか、あすか、十日後か……わかりません」
と、シェーラ。
「ヘデヌエヌスはどこにあるんだ? どの位の規模なんだ?」
ぼくは、また問うた。
「遠いので、簡単にはいえません。そのうち、把握して頂けると思いますけど」
シェーラはいう。「規模は……ネプトーダ連邦の三分の一もないでしょうが、周囲の、すべての人がここでいう超能力者になっている世界を合わせると、連邦の三倍位でしょうか」
「…………」
「ここは、随分遠い星域なんです。ヘデヌエヌスが力を入れて工作員を送り込んでいるところとしては」
シェーラはつづける。「でも、わたし、あなたに会えて良かったです」
光栄だね、とぼくはいおうとしたが、冗談めかせる雰囲気ではなかった。
宿泊所に来た。
が。
「こっちへ行きましょう」
シェーラは、二軒の三角屋根の家の右のほうへ外れて行くのだ。
どういうつもりか知らないが、ともかくぼくは並んで歩いた。
シェーラは、屋根のついた大きな円筒形の建物が四つ並ぶあたりに向かいながら、また喋りだした。
「わたし、この前、わたしたちには船があります、と、いいましたね?」
「たしかに」
ぼくは応じた。
「いろんな偽装による乗り込みや、潜入して探知されないやり方だってある――ともいいました」
と、シェーラ。「でも、説明してもし切れないし、あなたが知ったら、あなたの頭から誰かが読み取るかもわからないので、そのときは、それ以上のことはお話ししませんでした」
歩きつつ、シェーラは円筒形の建物のひとつに近づいて行く。
「でも、あなたがヘデヌエヌスへ行くと決心なさった今は、いってもいいです」
シェーラは、建物の入口に歩み寄って戸を開き、ぼくに入るように促してから、つづけた。
「ネプトーダ連邦では一般に、宇宙船にはレンセブラ複合駆動装置が使われています。推力・反重力・跳航のどれもが可能な、効率の良いものとされていますが……そして、ウス帝国やボートリュート共和国、その他の星間勢力にしても、基本原理は相似たものを使っています」
建物の中には、穀物の袋らしいものが、高く積み上げられている。シェーラはその内壁にとりつけられた階段を上りはじめた。
ぼくは何もいわずついていった。話が面白いせいもあったのだ。
「でも、その種の装置には、それ自体の限界があるんです」
あがりながら、シェーラはいう。「より大型化し、より強力になり、多人数大量輸送のために、装置はどんどん改善されました。ために宇宙船自体も大きくなり……最低でも二十人ほどの乗務員が必要です。この種の駆動装置は大きくなければ効率が悪いので、そうならざるを得ません。跳航するとしても、大きな歪曲《わいきょく》空間を利用し……そういうところを経るために、ルートはおのずから限定されてしまいます」
もう、天井近くの、手すりを持つ内壁の通路迄来ていた。
「だけど、こうは思いませんか? 空間の歪みは無数にあって、その中には大きいのも小さいのもあります。河が大河だけでなく細い流れもあるように、あるいは毛細血管のように、ごく小さな空間の歪曲を利用する、そんな種類の駆動装置があれば、他の大型船では通れない、というよりみなが知らないコースを通れるでしょう?」
「…………」
「そういう船は、ごく小型で済みます。駆動装置が小さいわりに強力ですから。歪曲空間のいわば網の目を移りつつ飛び……通常航行時には高速で逃走し、あるいは立体像による隕石偽装も可能で、最悪の場合のために念力増幅装置も持つ船があるとしたら、自由に、他の大型船にも見つかりにくく、見つかってもどうにでもなる航行ができるのではないでしょうか」
「それは、そうだね」
ぼくはいった。そんな船があればだが。
「それが、わたしたちの船なのです。小さいし、隠し易いから、たくさんあるのです」
シェーラは、天井を見上げた。音もなく天井の一部が開いて、吊られた円型の金属板が降りて来たのだ。
ぼくとシェーラは乗って、吊っている棒をつかんだ。
円板は、引き上げられて行く。すべてが念力作動のようであった。
上へ来た。
天井の上には、もうひとつ、空間があったのだ。
そこに、直径十メートルほどの、中央部がふくらんだ円盤状の物体が、浮いていたのである。
薄い緑色の、半透明の外板でおおわれていた。
「これがそうです」
シェーラは、静かにいった。
これが?
こんなところに……シェーラたちの宇宙船があったのか!
こんな小さなものが、大型の宇宙船に匹敵する性能を有するのみならず、歪曲空間の網の目を移り飛ぶというのか?
「そうです。いつかはわかりませんが、もうじき、乗って頂きます」
シェーラは、その円盤を見ながら、ささやくようにいうのだった。「これは四人乗りです。わたしとあなたと、あと用のある者がふたり……わたしは、ヘデヌエヌス迄お供します」
ヘデヌエヌス迄か、とのぼくの心の問いにシェーラは、返事をした。
「ヘデヌエヌスで、あなたの訓練のお手伝いが出来たらいいんですけど……それは、どうなるかまだわからないんです。訓練を受ける人に信頼されている人間が手伝えば、進歩は早いとされていますから……ご一緒出来るのではないか、と、思っているんですけど」
「…………」
ぼくは、黙っていた。
これが、ぼくをヘデヌエヌスへ連れて行く……。
ぼくは、そこで不定期エスパーでなくなるのか。
常時エスパーから、障壁を自由自在に使い分けるエスパーになり、さらに随意エスパーになる、というのか。
「そうです」
シェーラは、ぼくの顔をみつめた。「わたし、あなたに、あなたには大きな未来があります、と、そう申し上げましたね? どんなことがあってもくじけず、辛抱して頑張れば、きっと何とかなると、申し上げたでしょう? あなたには、そういう運がついていると、申し上げたでしょう?」
その通りだった。
シェーラには、わかっていたのか?
「方向だけです」
シェーラは答えた。「あなたという人、そのものは、最初から信じました。あなたの可能性も、そのうちにわかってきました。だけどもともとは方向があっただけです。必然的にこうなったのではありませんわ。あなたが頑張ったからです」
そうなのだろうか?
そうとすべきなのだろうか。
「下ります?」
シェーラがいい、ぼくたちは円板を吊っている棒をつかんだ、円板は下降を開始した。
階段をくだる。
くだりながら……ぼくは思った。では……これらがぼくが心を決めてからずっと考えていたように、本当のぼくの新しい出発なのか? 不定期エスパーの宿命を負ってきたぼくが、不定期エスパーであったがゆえに、エスパーと非エスパーの両方を行き来し、両方で生きる苦しみを味わってきたぼくが、それゆえに、不定期エスパーであることから解放されるのか? そしてやっと、自分の信じる目的に向かって行けるのか? これが……ぼくの新しい旅立ちなのか? そう信じてもいいのか?
「そうだと信じて下さい、イシター・ロウ」
シェーラがいった。「あなたは、あなたの信じる道を歩きはじめたのだと、わたしは思います」
「そうでありたい」
ぼくは呟いた。
そうでなければならなかった。
下に来た。
ぼくが先になっていたので、ぼくがドアに手をかける。
だしぬけに、シェーラがいった。
「わたし、しつこかったでしょうか?」
さあ、どうかな――と答えようとして、ぼくは不意に、シェーラがいまだに最初に会ったときと同じ言葉遣いをしているのを、強く意識した。
だから、返事の代りにいったのだ。
「そろそろ、変えてくれてもいいんじゃないのかな」
シェーラは、ちらっとぼくを見た。
それから口を開いた。
「そうする。――これで、いいの?」
「うん」
ぼくはシェーラと並んで戸をあける。
光がぼくの目を射た。
ぼくには、明る過ぎるんじゃないか。
「ううん」
シェーラは首を振った。「これからは、これでいいんじゃない?」
これでいいんだ、と、ぼくはまた思った。そうおのれにいい聞かせたのだ。
ぼくたちは、光の中へ踏み出して行った。
[#改ページ]
解 説 [#地から2字上げ]鏡 明
全部で八巻。枚数にすれば、四三八〇枚。時間で言えば、ほぼ十年。一九八一年から八九年まで、つまりは八〇年代という一つの時代の間、書き続けられていたことになる。
八〇年代の日本のSFを代表する作品であるのは、確かだ。が、それは、八〇年代の日本のSFの典型という意味ではない。八〇年代の日本のSFの多くに見られる傾向、たとえば、過剰なアクションやヴァイオレンス、そしてセックス、あるいはまた伝奇的な要素といったものに、ほとんど背を向けているような作品であるし、多くの作品がスーパーヒーローを造り出そうとしていたのに、主人公は、普通の人間であるように形造られている。八〇年代の日本のSFとしては、典型であるよりも、特異な型であろうとしていることになる。
そして、エスパーという超能力を中心に置きながら、八〇年代から現在にかけて数多く見られる超能力ものとは異なって、超能力がプラスに働くのではなく、マイナスに働くような社会のシステムを用意している。何よりも「不定期エスパー」というタイトルそのものが、主人公における超能力から、絶対的な意味を取り去っている。
そしてまた、眉村卓の作品として考えてみれば、この作家の作品中で、最も長い作品であり、同時に、眉村卓が常に抱えていたテーマ、つまり、組織と組織内の人間、社会というシステムとその中の人間の関りというテーマに、新たな変化が生まれてきているのを感じさせる作品でもある。個人を支配するシステムが、絶対的なものではなく、相対的なものであり、個人もまた、相対的な存在であることが、ここでは示されている。
この作品を語るとすれば、八〇年代の日本のSFとの関連で語ってみたり、眉村卓の作品の中で最良のものの一つであることを語るのが、常識的であるだろうし、正解でもあるだろう。が、残念なことに、それを語っていくことは、すでに何人もの評者が語ってきたことと同じことを語ることになるだろうし、何よりも、私自身、それに近いことを何度か述べてきてしまっている。
だから、私は、ここでは、まったく別の形で語ってみようと思う。つまり、八〇年代の作品でもなく、眉村卓の作品でもないように語ってみたいのだ。それが、この作品に対する一人の読者からの正しい返礼だと、思うのだ。
この作品は、成長物語である。これが、私のこの作品に対する讃辞であるし、結論でもある。
そんなことは、この作品を読みはじめて、すぐにわかることではないか。取りたてて語ることでも、特別なことでもない。
いや、そのとおりである。が、私にとっては、取りたてて語りたいことであり、特別なことであるのだ。そして、自明のことでさえ、ない。
この作品が成長物語であるというとき、たとえば、作者の自伝的な要素が入っていることを感じてみたり、私たち自身の歴史、体験を重ねることになるだろう。つまり、学校を出て、社会に出て、何人もの人々と出会い、幾つかの体験をするという成長の過程を、予供が大人になっていく過程を、SFに投影した作品ということになる。
眉村卓という作家のSF作法に慣れている読者であれば、一層、そのように感じるかもしれない。眉村卓は、しばしば、自分の体験を作品の中に、まぎれ込ませてくるからだ。が、それが、はたして、この作品の中にあって、有効に機能しているか。それを成長物語として語るとき、魅力的に感じられるか。SFとして機能しているのか。それを考えたい。
予供が大人になっていくという形で、成長物語をとらえていくならば、それは表面的な成長物語と呼びたいが、そのような「成長物語」と、この作品は、明らかに異なっている。
そして、私が、この物語を再読したときに浮かんできたのは、SFの傑作が、しばしば、「成長物語」のかたちをとって、あらわれるのは、なぜなのか、という疑問だった。
「成長物語」としてのSF、その例をクラシックから探せば、そうだな、アーサー・C・クラークの「都市と星」は、その良い例の一つだろうし、おそらくはクラシックとして残っていくであろう作品の例としては、ジーン・ウルフの「新しい太陽の書」シリーズを挙げてもかまわないだろう。そして、最近の例としてならロイス・マクマスター・ビジョルドの「マイルズ・ヴォルコシガン」を主人公としたシリーズ、その中でも、翻訳のある「戦士志願」は、典型的な「成長物語」の形をとっている。
ここで挙げてみた三つの作品は、単純に、私の頭に浮かんできたものを並べただけのことだが、こう並べてみただけでも「成長物語」というパターンのあいまいさが、浮かび出てくる。「都市と星」と「新しい太陽の書」シリーズならば、まだ、並べる意味があるように見えるが、そこに「戦士志願」が加わってしまうと、これは、難かしい判じもののようになってしまう。
「都市と星」「新しい太陽の書」シリーズは、すでに確固とした評価を得ている。それに対して、ビジョルドのシリーズは、その最新作「BARRAYAR」で、一九九二年度のローカス賞を受けていたり、人気も評価も高まってきているけれども、たとえば、今、この時点でSFのオール・タイムベストが選ばれるとしたら、クラークやウルフの作品と同列に並ぶことは、ありえないだろう。言ってみれば、そこには、純文学とエンタテインメントとの差のようなものがある。
それは、考える必要のない当り前のことのように思える。けれども、それにも関らず、これらの作品を「成長物語」として考えるとき、どこかに共通するものがあるように思えてくるわけだ。
もちろん、それは私の個人的な感覚でしかないかもしれない。何しろ、SFであろうとなかろうと「成長物語」というパターンは、私の頭の中で、いつも特別のものであった。このパターンのどこが、これほど魅力的なのか。
私が、最初に読んだ「成長物語」は、何であったのか、それは覚えていない。記憶にある最初のものは「デヴィッド・コパフィールド」だ。奇術師ではないよ、ディケンズ。
中学一年、もしかすると二年だったかもしれない。家の本棚に並んでいた変色した岩波文庫で七冊。夏休みだった。何気なく読みはじめたのが、昼食前、十一時過ぎだった筈だ。読み終えたのが、夕食の前。うーん、その頃の私は、食事で時間をはかっていたのかもしれないな。
何を読んでも、とにかく面白く読めてしまうような読書の黄金時代であったわけだが、それでも、ほとんど半日もかけずに七冊もの本をよんだのは、これが初めてだった。もう、面白くて、面白くて、暑さも、空腹も気にならなかった。
どうして、そんなに、のめり込んでしまったのか。「デヴィッド・コパフィールド」の一般的な評価は、たとえばヴィクトリア朝のロンドンの社会や人々の描写に優れているというようなことになるわけで、主人公の少年の「成長物語」という形で、評価が成されているわけではない。けれども、それを読んだときの私にとっては、少年が大人になっていく、そのことが、たまらなく面白かったわけだ。
ただし、矛盾しているようだが、大人になることに、私が憧れていたわけではない。大人が、すばらしいと思ったことなんてなかったし、逆に、それは最悪のことだとさえ、思っていた。あるいは主人公に、自分を投影していたわけでもない。幾つものシチュエーションで、デヴィッド・コパフィールドの行動に対して、何度も、何度も、いらついたことを覚えている。
それでも、面白かったことには変りがなかったわけで、それから何年もしない内に、モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズまで、全巻、読み終えてしまっていたりした。要するに「成長物語」であれば、主人公は、男でも女でも、かまわなかった。あれ以来、もう四半世紀以上の時間が過ぎているのに、まだ、「成長物語」となると、つい、夢中になってしまう。まったく成長していないわけだ、本人は。
「成長物語」というのは、いったい何なのか。そこに戻って考えてみると、先程、述べたように、子供が大人になっていく物語ということが、まず、浮かんでくる。けれども、それだけのことなら、たいしたものではない。時間さえあれば、誰だって、勝手に子供から大人になっていってしまう。
「成長物語」は、たしかに素朴なものではあるけれども、そこまで、即物的ではない。「成長物語」の書き手の多くは、みんなが勝手に大人になっていくことが許せないらしく、教訓めいたことを大量に物語の中に注入してくる。
その良い例は、十九世紀のアメリカの作家、ホレイショー・アルジャーだろう。この作家の作品は、アメリカだけで二億五千万部以上を売ったと言われているが、その大量の作品のストーリーは、ほとんど一つのパターンで造られている。貧しい少年が、誠実に、努力していくことで、社会の階段を登っていくというサクセス・ストーリーが、そのパターンだ。そして、成長物語としての側面を、そこに重ねてみると、子供が大人になっていくという意味が、より具体的な形をとっていることがわかる。
つまり、子供は野蛮人であり、大人は文明人であるわけだ。あるいは、社会の外にある者が、社会的な存在になっていくことが、大人になるということの意味だ。
おそろしく退屈な道徳的な教訓に満ち満ちているにも関らず、実に奇妙なことだが、彼の物語は、面白い。私は、たかだか数冊の作品を読んだだけだが、それが充分に楽しめることを経験している。すなわち、道徳的なことは、実はどうでもいいのであって、主人公が社会的に認められていくこと、そして、成功していくことが心地良く感じられるわけだ。
このホレイショー・アルジャーを例に考えれば、「成長物語」は、成功物語であるのかもしれない。子供が大人になっていく、社会的な存在になっていくことが、成功そのものであるわけだが、それが、「成長物語」の本質であるのか。当然のことだが、そういう形ではない「成長物語」は、幾つでも思いつく。
子供とか、大人ということ、そのことが、どうもちがうのではないか。
つまり、子供が大人になっていく物語を「成長物語」とするとしても、そこでは子供や大人が重要ではなく、「なっていく」という運動こそが重要なのではないか。
子供であったり、大人であることを捨てて、「成長物語」というものが成立するのか。「なっていく」ことで、語られる物語があるか。こう考えてみると、SFにおける「成長物語」の多くが、そこに当てはまることに気付くだろう。
たとえば「都市と星」。主人公のアルヴィンは、最初に一つの世界で唯一の子供であるとして、読者に紹介される。物語が進むにつれて、他にも子供がいることが明らかにされるが、物語が終っても、主人公は子供のままでいる。にも関らず、この物語が「成長物語」の感覚を持ち続けているのは、明らかだ。では、この物語のどこに「なっていく」運動があるのか。それは、主人公が、自分の可能性を発見し、それを満たしていくプロセスの中に見出すことができる。
主人公の可能性は、もともと、彼自身の中にあるものであり、他から与えられたのでも、教育によって生み出されたものでもない。これと同じようなことが、先に挙げた「新しい太陽の書」にも、「戦士志願」の中でも起きている。これだけのことから、結論を導き出すことは無茶だが、主人公が自分の中に存在する可能性を満たしていくことが、SFにおける成長物語のパターンであるという仮説はたてられる。
では「不定期エスパー」では、どうなっているのか。すでに、全巻を読み終えた人には、わかっているだろうが、この物語は、主人公が可能性を満たしていくことで成立している。
主人公のイシター・ロウは様々なレベルの可能性を持っている。たとえば、剣士であり、エレスコブ家の警備隊員であり、愛される人間であり、友としてふきわしい人間であるわけだ。それは、私たち自身と同じだ。イシター・ロウは、そうした可能性をそれぞれに満たしていくが、最も重要であり、象徴的なのは、エスパーという可能性を満たしていくことだ。
当然のことながら、エスパーとしての能力は、他から与えられたものでも、学んだものでもなく、主人公の中に、すでに存在しているものだ。
そして「不定期エスパー」という設定が巧みであるのは、通常の人間から、エスパーに変化していく、そして再び通常の人間に戻るという部分だ。その過程で、主人公の満たすべき可能性の最終的な形を示していることになる。成長物語の目的を、何度となく、読者に確認していることになる。
私が、この作品を成長物語と呼ぶのは、そういう理由からであるし、SFにおける成長物語として、代表的な作品だとしてかまわないと思うのも、それと同じ理由からだ。
この作品の中で、主人公は、子供から大人になっていくのではない。自分の可能性を、最大に満たしていくことが、この作品の中で、語られていることだ。この作品の連載が終ったときに、何人もの人が、意外な終り方だと思った。私も、その一人であったけれども、再読してみると、この終り方は、意外でも何でもないと感じる。
まだ、読み終えてない読者のために、具体的な指摘は避けるが、主人公の抱える可能性が開かれた状態で、終っているわけだ。つまり「なっていく」ことだけが、残っていくことになる。
物語の中で、主人公が達成し、自分のものとしてきたもののほとんどが、失われていき、残ったものが「エスパー」の可能性だけということは、この物語が、私の言う意味で、「成長物語」であるということだ。社会的な成功も、愛する人を得るというような結果もここには、ない。そこにあるのは、私が心を魅かれてきた成長物語である。そして、それは、SFとして書かれることによって、SFであることによって、可能になっているのだ。
「SFにおける」という限定を付けたけれども、この作品が良い例であるように、SFであることが、成長物語の本質をクリアーに切り出してくれているわけだ。そして、成長物語を語り、SFを語ることが、この作品を語ることでもある。
「不定期エスパー」は、可能性を満たしていく物語であり、成長物語であり、成長し続ける物語である。それを可能にした眉村卓という作家に、感謝をしておきたい。
一九九二年九月
[#改ページ]
[#地から2字上げ]この作品は1990年2月徳間書店より刊行されました。
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー8」[#8は□+8]徳間文庫 徳間書店
1992年10月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第8巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 35,536 d9ce6b1a287cbbc610e3e17d8318a635
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
※ 本文中一部縦書き横並び表示が表現し切れていないところが有ります。
(剣技の型のところ等)
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
1712行目
(p179-12) 、が1個余分w
****************************************