不定期エスパー7[#7は□+7] 〈シェーラたちの正体〉[#〈〉は《》の置換]
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目次
ヘデヌエヌス
彷 徨
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ヘデヌエヌス
ぼくたちは、歩きつづけていた。前方に長く伸びた影が、踊っているのだった。
振り返ると太陽は、ぼくたちが越えてきた山の稜線に触れようとしているのである。
ぼくたちが歩いているのは街道であった。街道というのが正しいかどうか、ぼくにはわからないが、それがふさわしいような気がする。ボズトニ・カルカースの話によると、ここは旧道の由《よし》で、両側には背の高い並木もあるのだ。
道の外側は起伏する丘のつらなりであり、草におおわれていた。あちこちに家も見えるのである。すでにネプト第一市|迄《まで》あまり遠くないのに(事実、ぼくたちの行く手には建物の群列が浮かびあがり、ごく僅《わず》かずつではあるが、気がつくたびに近づいている感じなのだ)こんな風景があるというのは、驚きであった。ネイト=カイヤツのたとえばカイヤツ府ならば、中心部からずっと離れても町や工場が至るところにあるはずなのだ。なのにネプトーダ連邦の首都のネプト市近郊がこうだというのは……だが、ぼくのそんな疑問は、ボズトニ・カルカースの説明でたちまち氷解した。このあたりは保存区域なのだそうである。
もっとも、そんな眺めばかりではなかった。路傍には五十メートルか百メートルおきに、さまざまなスタイルの車が放置されており、道自体にも人々が捨てたらしいがらくたがころがっていたのだ。もはや誰も片づけたり掃除したりしないということなのだろうか。黄ばんだ陽を受けて、それらは、荒廃のはじまりを告げているようであった。
道を行くのは、ぼくたちだけではなかった。荷物を持ってネプトへ向かう家族連れらしいのが、ぼくたちのだいぶ先に、さらにその先にもいくつかのグループが歩いているようなのである。かれらがどこかからネプトへ逃げ込むのか、一度ネブトを出たけれども引き返すことにしたのか、ぼくには何もわからない。のみならず……ぼくたちは、こちらへ歩いてくる連中と何回か擦《す》れ違ったのだ。かれらがどういう存念なのか、これまたぼくには見当もつかないけれども、擦れ違うそうした人々はおしなべて無表情で疲れた印象であり、ぼくたちにちらりと視線を向けるだけで、通り過ぎて行ったのである。
こうして見てくると、これはたしかに平時のおだやかなたたずまいとはいえないであろう。ただごとではないとの気分があるのは否めないだろう。
しかし。
こんなことで良いものか――と、ぼくは思わずにはいられなかった。ボズトニ・カルカースやザコー・ニャクルの言によれば、旧道といってもここには、乗用浮上機や浮上貨物機がたえまなく往来するのが普通だった、というし、ほかにも外国人のぼくにはわからない異変がいくつもあるのかも知れないから、この景色が異様なのには違いないであろう。だが、今はネプトが敵に大きく包囲されており、その包囲網が絞られつつあるときなのである。ウスの艦とおぼしい巨大物体が上空をわがもの顔に移動しているのだ。味方の艦艇が粉砕され地上戦隊は大損害を受けつつネプトに追い込まれている。ネプトーダ連邦は降伏を迫られ、おそらくはろくに抵抗する力もなくなっているだろう。ネプトは後退してきた兵員や戻ってきた市民、流れ込んだ人々をかかえ込み、以前からいる市民と一緒になってふくれあがっているはずなのだ。要するに、ネプトーダ連邦、というよりネイト=ダンコールの、とりわけネプトにとっては最後のときが迫っているのである。かけねなしの非常時なのであった。
それが、この有様はどういうことだ?
あまりにも平和過ぎないか?
もちろんぼくは、ネプトやネプト周辺が地獄になり殺し合いや奪い合いが至るところで見られる――というようなことを期待してなどはいない。だがそうなっても仕方がないし、そうなるだろうと覚悟してはいたのだ。
それが……。
ここの人たちは、ぼくなどとは全く違う精神構造を持っているのか?
それとも、地理的なあるいは時間的な関係で、こういうことになっているのか? この道は旧道だとの話だから行き来する人間が少ないけれども、他の道ではごった返し騒ぎが渦を巻いているというのか? でなければ、すでにネプトに入るべき人間はみな入ってしまい、ぼくたちは遅れてしまった者として歩いているから、こういうことになっているのか?
とはいえ……ぼくはおのれのそんな気持ちを、ふたりのダンコール人に喋《しゃべ》ったり訊《き》いたりはしなかった。ネプトの人間にそんなことを喋るのは何だか非礼のような気がしたし、訊いたところでふたりにもわからないだろうと考えたからである。
歩きつづけるうちに、ぼくたちの影は薄くなって消え、並木の枝々やあちこちの丘の頂きに移った陽も、じりじりと上へせりあがって行った。そのぶんだけ、上半部を照らし出されたネプトのビル群は近くなり明確になってきたのだ。
そして。
その時分になってぼくは、多少ではあるものの、やはりそうか、そうだろうな――と、納得することになった。
道から外れた野に、ひとつ、またひとつと、テントやら、柱を打ち立て布を屋根代わりに張ったものが、見えるようになってきたのである。それらには、それぞれ十人以上の男女や子供が出入りしているようであった。野外での仮泊、というか、当座の生活をそこで営んでいるらしいのだ。その数はネプトに近づくにつれて、しだいに多くなったのである。乗り入れた車の周囲に集まっている連中もあった。
が。
そうした野営は、問もなく道の両側や傍に家々が出現するに及んで、見ることができなくなったのだ。
家々というのは、ネプトのすぐ外に居を構えることが可能だった人々の、その豊かさを証明するように、いずれもゆったりした敷地を持つ、しゃれたものばかりである。
それらの家々の、道に向かった境界線には、例外なく何本もの立て札が突っ立っていた。ダンコール語を話すのにはようやく馴《な》れかけてきたとはいえ、文字はまだろくに読めないぼくは、その立て札に何が書かれているのか、ふたりのダンコール人にたずねたのだ。ふたりの返事は簡単だった。住民共同防衛地区としるされているのだそうである。
「住民共同防衛地区?」
ぼくは、顔をしかめた。
いったいどれほどの武器と兵員で防衛≠キるつもりなのか知らないが、こんな、別に何の用意もしていない状態で、敵が殺到してきたときに寸秒でも支えられるとは思えなかったのだ。
そうではない、と訂正したのは、ボズトニ・カルカースである。ボズトニ・カルカースによれば、これは集団での暴行や掠奪《りゃくだつ》に備えての住民どうしの自警組織があることを示しているのだそうであった。つまり、敵に対してではなく、暴徒の侵入を防ぐためにこんなことをやっているらしい。これでいかほどの効果があるか、怪しいものだが、とも、ボズトニ・カルカースはつけ加えた。
ザコー・ニャクルは、自分のことしか考えない奴らが! と、吐き捨てるようにいった。
そういうことなのか、と、ぼくは思った。なるほど、だからこの近辺の、立派な家々のあるあたりには、野営の連中はいないのである。家を持つ人々が近づけようとしないのであろう。
そういう暴徒は、いつ、どこから出現するのだ? しだいに暮れようとする中、だがぼくの視野には、それとおぼしい姿はないのだった。夜になって横行するということだろうか? そうなれば、野営の人々はひとたまりもないはずである。いや……野営の人々が暴徒と化することだってあり得るのではないか?
いずれにせよ、これはぼくにはいかにも奇妙な感じであった。少しおかしくさえあったのだ。
だって、そうではないか。
敵に占領されこれ迄の社会組織や秩序が何の意味もなくなってしまえば、所有権だっていつ奪い取られるか知れないのである。へたに守ろうとすれば、生命さえ失うことになるかも知れない。そういうさいに、目の前の社会不安だけに気をとられて、家や土地を防衛≠オようなどとは、あまりにも馬鹿げている。これ迄に得たものを保持したいというのなら(国家存亡のときに、あまり賛成したいことではないけれども)いち早くすべてを携行し得る物品に換えて逃げ出すほうが賢明ではあるまいか? まあそれだって、どこへ逃げるのか、そんな真似をして結局は誰かに襲われて皆殺しにされすべてを奪われるかもわからないが……すくなくともこの場にしがみついているよりは、ましではないのか? 当人たちにとってはこれは笑いごとではなく、必死なのだろうが、かれらには、戦争に負けるということが、まだぴんときていないのではないか? 敵とたたかっているのは連邦軍団の兵員だけなので、自分たちは自分たちであって市民生活の延長線上にあり、一時的な混乱がおさまればまた元に戻ると錯覚しているのではないのか? 本当に大変なこと≠想像する力がないのではないか?
いや、これは、いい過ぎかも知れない。ずっと戦闘に従事し敗れつづけてきた、しかもよそのネイトの人間の、腹立ちと呆れをもろに露呈した意見なのかもわからない。
ともかく……かりにこの家々の住人たちがその財産を暴徒から守り抜いたとしても、それは何の意味もなかった――ということになるのではあるまいか。
それにひきかえ、こちらは気楽なものだ――と、ぼくは思った。失うべきものは、自分の生命以外には何もなく、その生命だっていずれそのうちになくなるのだと観念せざるを得ない立場なのだ。むしろ、ぼくたちのほうが自由だとはいえまいか? と、そんなことを考えたりすると、ぼくが笑いたい気分になったのは、おわかり頂けるだろう。
そして。
ぼくは、こういう自分自身の心理が、いささか妙であることも、自覚していたのだ。
ぼくは、もっと追いつめられた、もっと重い気持ちになっていて、しかるべきだったのに……そうではないのである。
くどいようだが、ぼくはどこへも逃げようのない立場に置かれていた。わが軍は潰滅し、しかも取り残された兵として、異郷のネブトへと味方を追って急いでいるのである。ネプトは敵に押し包まれ、早晩終末を迎えるであろう。つまりは死を約束されての行動をつづけているのだった。おまけに、きのう迄は生きていた超能力が消えている身なのだ。ぼくの超能力は何度もぼくを救ってくれた。その力がないというのは……いよいよ心細いのである。
そのはずだった。
実際に、そうなのだ。
なのに……今の、どこか明るい、何となく開き直ったようなこの感覚は、どういうことであろう。
前にもこれと似た状態は、ないわけではなかったが……今はそれよりもずっと軽いのだ。どうとでもなれ、どうにかなるという感じなのである。
これは、前と同様、ぎりぎり迄追いつめられたための開き直りだろうか? 絶体絶命になったがゆえの達観だろうか。
そんな気味もまじっているのは、否定できない。
だが、それだけではないのだ。
それよりも、もっと大きなものがある。
どうやらそれは、ぼくの例の――何か根拠があるのか全くの錯覚なのか、自分にも不明の……おのれが何とかして生きて行く限り、やがては自分を充足させるものが到来する……光る未来ともいうべきものが待っている、という、あの感覚らしかったのである。
たしかにそうなのだ。
しかも、どういうわけか、それはこれ迄にない強さだったのである。
なぜだか、わからない。
わからないけれども……ぼくにはそうとしか思えないのであった。
そのせいで……物事をこんな風に見ているようなのだ。
だったら、それでいいのではあるまいか。暗い気持ちでいるよりは、ぼく自身も楽だし自信も出てくるというものだ。そのために気をゆるめたりしない限り、このまま行けばいいのではないか?
ぼくは、そのつもりになった。
進むうちに家々は増え、同時にあたりは暗くなってきた。
ぼくにとって意外だったのは、日が暮れると、街灯がともったことである。
すべての街灯が、ではない。
そうなってから判明したのだけれども、半分かそれ以上は、破壊されたかどうかして、灯はつかなかった。だから、あちらにひとつ、こちらにひとつという具合に、ぽつん、ぽつんと光りはじめたのである。
これが、最後のときを迎えようとしている都市の近傍だというのか?
これで、人々は不自然だとは思わないのだろうか? これでいいと考えているのだろうか?
そしてまた、ネプトを取り囲んでいる敵が、ネプトに送られている電力をなぜ断とうとしないのか、ぼくには合点が行かなかった。電力の供給が断たれれば、ネプトはたちまち都市としての機能のあらかたを喪失するに違いないのである。
なぜだ?
なぜ敵は、ネプトの都市としての息の根を止めずにいるのだ?
わからない。
が……その疑念がとけぬうちに、ぼくたちはネプトの市境へたどりついていた。
市境――と呼ぶのは、正確さに欠けるのだろう。ぼくにははっきりと理解できなかったが、ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルが簡単に説明したところでは、一言でネプトといっても、ぼくたちが通って来たあたりをも含めた概念や、第一市〜第四市のそれぞれの境界のほかに、歴史的理由にもとづく区分けも別にあって、それぞれがそれぞれの呼び名を持っているらしいのである。そうした境界のひとつに来たというわけであった。
古い城壁の名残があり、そこを通ると、厳密な意味での第一市ということになるらしい。ぼくたちは、そこを抜けた。警備らしい警備もないのであった。
もう完全に夜である。
だが、どうだ。
ぼくたちの前に伸びる大通りには街灯がともっているではないか。よく見るとそれはすべてではなく、かなり間引かれているようだったが、とにかく、街灯がついているのである。
それだけではない。
大通りの両側のビルや、そこかしこにそびえる塔のいくつかは、ちゃんとあかりをともしているのだ。樹々の多さと相まって、それは、かつてぼくが来たときの第一市と、ほとんど変らなかった。たしかに灯の数は少ないけれども、街のたたずまいのその印象は、同じといって差し支えなかったのである。
ぼくはまたもや当惑せざるを得なかった。
ここの人々は、何を考えているのだ?
しかしながら、もっと注意して眺めると、通行人は少なかった。ぼくの記憶している第一市の夜は、もっと賑《にぎ》やかだったので、その記憶と比較すると、がらんとしていると形容してもいいのである。しかも人々は足早に歩いているし、眺めているうちにどういう隊なのか、道のだいぶ先を、列を組んで横切って行く。そういえば車の数も、あのときとは比較にならないほど減っていた。
「みんな、何を考えているのだ? これでたたかえると思っているのか?」
ザコー・ニャクルがいった。
ぼくたちは、いつの間にか足をとめていたのである。
「いやに静かではないか」
ボズトニ・カルカースも呟《つぶや》いた。
ボズトニ・カルカースがどういう気持ちでその言葉を口にしたのか、ぼくにはその真意はわからなかった。ためにぼくは、自分が非エスパーであるのをまた意識させられたのだが……いわれてみると、たしかに街がどことなくひっそりしているのは本当である。
このすぐあとで、そしてさらにもっとのちに、ぼくは、なぜ第一市がこんな状態だったのかを知ることになったのだが……もちろんそのときには、何もわからなかったのだ。第一市がこうであるのはどうしてか、また、それはどういうことであったか……そのときのぼくは、ろくに考えもしなかったのである。
「どうする?」
ザコー・ニャクルが、ぼくとボズトニ・カルカースに視線を投げながら問うた。「おれはひとまず学校へ行ってみる。行けば仲間がどうしているかわかるだろう。お前たちはどうする?」
「できるなら、とりあえず同行させて貰いたいな」
ボズトニ・カルカースが先に答えた。「私にはもう、家族も身寄りもない。帰るべき家だって、ないも同然だ。ついて行くだけ行って、それからは、また考えよう」
この言葉にしても、裏には深い事情があったはずだ。しかしザコー・ニャクルもぼくも、そんな事情をたずねようとはしなかった。たずねている場合でもないのであった。
「よかろう」
ザコー・ニャクルは頷《うなず》いて、ぼくに目を向けた。
「本隊を捜す」
ぼくはいった。
ザコー・ニャクルが自分の学校へ戻り、ボズトニ・カルカースが同行するというのなら……ぼくはかれらとここで別れ、自分の隊を捜さなければならない。それがぼくの義務なのであった。
「そうだったな」
ザコー・ニャクルが受けた。
「しかし、どこをどう捜す?」
ボズトニ・カルカースがいった。「ネプト第一市だけでも、相当な大きさなのだ。地理不案内の人間がやみくもに捜しても、どうにもなるまい」
「おれたちと一緒にたたかわないか」
ザコー・ニャクルは、ぼくをみつめた。
それは、ザコー・ニャクルがぼくという人間を信じ、ぼくの能力を買っていてくれる、ある意味では友情の証明であったろう。そのこと自体は、うれしかったが……そうは行かなかった。
「ぼくは、カイヤツ軍団の兵士だからな」
ぼくは、そう応じた。
「お前は、そういう男だ」
ザコー・ニャクルはにやりとし、それから口調を変えた。「だが、ボズトニ・カルカースのいう通りだ。捜すにしても、何か情報をつかんでからにしたほうがいい」
「一応、われわれと同行したらどうだ? ザコー・ニャクルは自分の学校へ行くのだから、そこで、本隊か、本隊でなくてもせめてカイヤツ軍団がネプトのどこにいそうか、教えて貰えるかも知れない」
ボズトニ・カルカースもいう。
「わかった。そうさせて貰う」
ぼくは返事をした。
そうするしかない、と、判断したのだ。
「こっちだ」
ザコー・ニャクルが前方を指し、ぼくたちは再び歩きだした。
「ウジュベ通りだったな」
ボズトニ・カルカースがいった。ザコー・ニャクルが籍を置くという(ただし現在は停学中だそうだが)学校のありかを知っているようだった。これは、ま、ネプトの市民としては当り前のことかもわからない。ネイト=カイヤツにおいても、カイヤツ府にずっと住んでいる者なら、ファイター訓練専門学校がどのあたりにあるのか、たいがい承知しているはずである。もっとも、ネプトの規模とカイヤツ府のそれとを比較すると、まるで違うのだから、ザコー・ニャクルの学校がそれだけ有名なのか、あるいはボズトニ・カルカースが詳しいのか……ぼくにはそのどちらとも見当がつかなかった。
「遠いのか?」
ぼくは訊いた。
「徒歩で二十分ほどだ」
ザコー・ニャクルが答えた。
ザコー・ニャクルと、それにボズトニ・カルカースの話によると、ウジュベ通りというのは、ネイトの官庁街の中心部近くにあるのだそうである。いわれてぼくは悟ったのだけれども、ここはネプトーダ連邦の首都であると同時に、ネイト=ダンコールの首都でもあるのだ。そして連邦総府の官庁街とネイト政府の官庁街は、全く別のものということなのであった。かつてエレン・エレスコブの護衛員としてネプトに来たときのぼくらは、第一市の官庁街を廻ったけれども、そして、連邦総府の高官やネイト=ダンコールの政府要人たちとエレンは会ったけれども、車であちこち走り廻っただけのぼくたち(というよりぼく)は、地理もさっぱり把握できず、そこ迄ちゃんと区別していなかったのである。
ぼくは、前に自分たちが泊ったデミュレニホテルはどのへんにあるのか、と、訊いてみた。ザコー・ニャクルの学校よりもまだずっと先の、歩けば優に四十分か五十分はかかる位置にあるとのことであった。そうと聞けばやはり、ネプトのそれも第一市だけでも、あてもなくさまよって本隊を探すなどという真似をしなくてよかった――という気にならざるを得なかったのだ。
しかしながらぼくは、そうした想念をあまり永くは追っていられなかったのである。
ぼくたちは、今しがた述べたような――間引きされた街灯が照らし出す大通りの、人の少ないその歩道を進んで行ったので……曲り角の横手とか大きな建物の前などには、五、六人とか十人位の制服(といっても一種類ではなく、いろいろある感じだった)の隊列が行進していたり立っていたりしていたのだが……ザコー・ニャクルに従ってとある建物の前で左に折れようとしたとたん、そこにいた四名の制服が声を掛けてきたのだ。
「どこへ行く?」
ザコー・ニャクルが自分のほうから進み出て、何かいった。のみならず、相手の身振りに応じて証明書らしいものを取り出して、見せたのである。
制服の連中はそれを建物の玄関の灯で検分し、通っていいとのしぐさをした。
ぼくたちは、かれらの視線を浴びながら通り過ぎた。
「検問だ」
ザコー・ニャクルは低い声を出した。
「検問?」
と、ボズトニ・カルカース。
「あいつらは、あの建物を警備しているらしい」
ザコー・ニャクルはいう。「だがおれが、学校へ行くということを説明し、身分証を出した上に、敵とたたかってきたのだというと、あっさりと引っ込んだ。あいつらには、あの建物におれたちが侵入するのではないことが判明すれば、それでいいらしいのだ」
「…………」
ぼくたちは、あと、黙って歩いた。
そういうことがあって初めて、ぼくには、街のこの様子がいささか理解できるようになったのである。ここは、街灯もともり一見それほどふだんと変らぬようでいて、結構、うるさくなっているのだった。といっても、街全体が戒厳令下に置かれているというようなものではなく、個々の、何らかの意味で重要な建物だけが警護されているようなのだ。今にして思えば、そうした状況ゆえの雰囲気が、街に漂っていたのである。
だが、正直にいわせて貰うならば、これはいかにも中途半端なやり方ではないか? ぼくなどの感覚では、敵に包囲されているとなれば、そしてたたかうつもりであるならば、徹底抗戦の構えをとり戦闘態勢をとるのが当り前なのである。もしもそうではなく、ウス帝国とボートリュート共和国の降伏勧告に、ネプトーダ連邦として態度をいまだ決めかねており(それでもやはり抗戦の構えをとるのが普通ではないかと思うけれども)和戦いずれになるのか不明だとしても、とにかく首都の治安を維持し秩序を保つというのなら、市民の自由を極度に制限してでも厳戒の体制をしぐのが常識というものではないだろうか? すくなくともネイト=カイヤツの首都カイヤツ府(ネイト=カイヤツは、カイヤツ府はどうなっているのだろう?)なら、そうしたのではあるまいか? ぼくには、こういうやり方をしているネプトが、どうも理解できないのであった。
だが、これはぼくの勝手な、ことの真相など知りようのない人間の、無責任な感懐に過ぎないのだろう。
それにしても、検問にひっかかりながら何ということもなかったのは、ザコー・ニャクルの説明もさることながら、身分証が大きくものをいったのではないかとの気がする。とすれば、ぼくがひとりでうろうろして咎《とが》められたりしたら、厄介《やっかい》なことになったのではないか? ぼくはネイト=ダンコールの人間ではなく、ネイト=ダンコールで何の地位も持っていないのだから……。
いや。
そんな考えをすべきではあるまい。
ぼくは、カイヤツ軍団の兵士なのだ。
ぼくは、ネプトーダ連邦のためにたたかってきた人間なのだ。
卑下《ひげ》することはない。
胸を張っていればいいのだ。
――と、いつの間にかおのれの想念の中に落ちていたぼくは、そのとき、道の反対側に立っていた十数名の黒い服のうちのひとりが、声をあげ、靴を響かせてこっちへ早足でやってくるのを認めて、ぎくりとした。
何だ?
が。
やって来た黒服は、片手を大きくあげて叫んだのだ。
「ザコー、ザコー・ニャクルじゃないか!」
「おう」
と、ザコー・ニャクルは叫び返した。叫び返しながら、やって来た黒服と、手を握り合ったのだ。
「無事だったのか!」
黒服は問いかけた。「義勇軍に入ったと聞いていたが」
「死んでたまるか」
ザコー・ニャクルは応じた。「それより、お前たちはここで何をしているんだ?」
「われわれは出動を命じられた。おれたちの一隊は、あの建物の警備に当たっている」
黒服は、背後のビルを指して答える。
「学校は?」
と、ザコー・ニャクル。
「学校には、誰もおらん。みな任務に就いている」
黒服はいうのだ。「こうなれば、停学も何もない。お前もすぐに任務に就け。ゲネント先生があの建物の中にいる。一緒に行って、話をつけよう」
「待て」
ザコー・ニャクルはさえぎり、ぼくとボズトニ・カルカースをかえりみた。
「聞いた通りだ」
と、ザコー・ニャクルはいった。「おれはこいつと中へ行く。お前たちのことも話す。しばらく待て」
それからザコー・ニャクルは、その黒服と肩を並べて道を渡って行ったのだ。建物の前にいた十数名の黒服が、手をあげたり声をかけたりするのがわかった。
ぼくは、ボズトニ・カルカースに視線を移した。
「どうなるかな」
ボズトニ・カルカースは、ぼそっと声を出した。その顔には、このところしばらく見せなかった皮肉っぽい表情が浮かんでいた。
「彼の学校は、誇り高いので有名だから、私たちのことなど、面倒をみようとはしないかも知れない」
「…………」
ぼくは、どう応じるべきか判断がつかなかった。だから、黙っていたのだ。
が……心の中では、それによって惹起《じゃっき》された感想が、次から次へと糸を引いて行ったのである。
ボズトニ・カルカースがそんなことをいうのは、ぼくには詳細は一切不明ながら、これ迄ひどい人生を送ってきたことで、意地の悪い見方をする癖がついているせいかもわからない。何もかもが不本意な結果になるということを重ねてくれば、人間、なかなか素直になれないのではあるまいか? その、ここしばらくは隠れていた性癖が、また頭をもたげたということだろう。ぼくよりずっと年長の人間の心など、しかとつかめるわけもないが、何となく、そう思えるのだ。
だが一方、ボズトニ・カルカースがそんな表現をするについては、ザコー・ニャクルの学校に、たしかにそうした面があるのに相違なかった。誇り高いことで有名、なのである。ぼくは、自分が卒業したネイト=カイヤツのカイヤツ府のファイター訓練専門学校を思わずにはいられなかった。ファイター訓練専門学校は、いわばネイトの番犬を育てるところである。士官学校ではないのだ。ファイターでは本来連邦軍に入っても、古手のベテラン下士官で終るのが相場で……優秀な卒業生とて、家の警備隊員になるのを望む程度なのである。ファイターとしてそれなりの自負は持っているものの、肩で風を切って歩けるようなエリートではないのだ。それにひきかえ、ザコー・ニャクルの学校は、ファイター訓練専門学校と似ているといっても、そういう存在なのだとしたら……あるいは軍学校のような性格を持った、えり抜きの連中の学校なのかもわからない。それとも、やはりファイター訓練専門学校生と同様、あまり社会的には良い待遇はされないが、気位だけは高いという、そういうことなのだろうか?
わからない。
けれどもそれはそれとして、ぼくは、建物の前に居る黒服の連中を、ひそかに採点していたようである。元は警備隊員でしかも護衛員を務めてきたぼくの目からすれば、かれらの警備のしかたやその規律は、やはりアマチュアというしかなかったのだ。あんなやり方では、本気で襲撃しようとする者を防ぎ止められるかどうか、怪しいものである。その点、かれらはたしかにまだ学生だということなのであろう。
ぼくがそんならちもないことを考えているうちに、ザコー・ニャクルと先刻の黒服は建物の玄関へ出てきた。今度はもうひとり、背の高い――これも制服の人物が一緒である。
ザコー・ニャクルはぼくたちを呼び、ぼくたちはそっちへ行った。
ぼくらをその背の高い人物に紹介してから、ザコー・ニャクルは、これは自分の学校のゲネントという先生だといった。ボズトニ・カルカースは頭を下げ、ぼくは反射的に敬礼したのだ。背の高い――ゲネント先生は、軽く答礼した。ぼくは、何だか、ファイター訓練専門学校の教官と会っているような気がしたのである。
「先生はわかってくれた」
ゲネント先生が頷くのを待って、ザコー・ニャクルはいいだしたのだ。「おれの停学はとけた。こんなさいだからな。そしてボズトニ・カルカース、お前の義勇軍でのことを話したら、先生は、どこかたたかえる場を世話しようという。その気があるか?」
「よろしく願いたい」
ポズトニ・カルカースは答えた。
「なかなか勇敢な人だと聞いた。ネイト危急のときなのだから、しっかりやって頂きたい」
ゲネント先生は、ボズトニ・カルカースと握手をした。
「イシター・ロウ」
ザコー・ニャクルは口を開いた。「先生の話では、カイヤツ軍団は、この第一市にはいないそうだ」
「…………」
ぼくば、ザコー・ニャクルを注視した。
「私から話そう」
ゲネント先生が引き取った。「奮戦したあなたがた連邦軍兵士には、心から敬意を払う。ネプトは、あなたがたをあたたかく迎えなければならぬとも思う。しかし、カイヤツのみならず、ダンコール以外の軍団は、第一市にはいないのだ」
ゲネント先生は、説明をつづけた。
それによると、もっとも古い、かつてダンコール府だった第一市は、連邦やネイトの政府が集まっているために、ダンコール軍団とネイト=ダンコールのネイト軍・警察その他の人員によって、固められることになっているというのだった。(そのほうが機能的だからそう決められたのだろう、と、ゲネント先生はいったけれども、ありていにいえば、第一市からは、信用しがたい他ネイトの兵員を締め出そうということではあるまいか)従って、連邦総府を守るダンコール軍団以外の連邦軍団は、第二市か第三市、ひょっとすると第四市へも行っているはずで……カイヤツ軍団がそのどこへ入ったのかは、よくわからないとのことなのである。
ぼく自身のかけねのない気持ちを言わせてもらうならば、これは、ネイト間の対立・競争意識があらわになったとの印象が強かったのだ。こんな状況だというのに……いや、こんな状況だからこそ、そういうものが鮮明に表面に出てきたのであろう。ぼくにとって愉快ではないのはたしかだった。
「わかりました」
その気分を押し殺して、ぼくはいった。「それだけ教えて頂ければ充分です。第二市からはじめて……順番に捜すことにします」
そんないいかたに、幾分嫌味がまじっていたと非難されても、ぼくは否定するつもりはない。
「待ちたまえ」
ゲネント先生が手を挙げた。「あなたは、何か身分証を持っているのか?」
「カイヤツ軍団のこの制服で充分だと考えます」
ぼくはいった。
「かも知れないが、これを持って行くほうがいい」
ゲネント先生は、ポケットから一枚の紙を出して、ぼくに渡した。「それは、ザコー・ニャクルから話を聞いて、私があなたの身元を保証したものだ。第一市では少なくともおまじない位にはなるだろう」
「有難うございます」
思いがけないことなので、ぼくは素直に礼を述べた。
「第二市へは、徒歩で行くのか?」
ザコー・ニャクルの仲間の黒服が問いかける。
どういうことかわからず、ぼくは相手を見やった。
「歩いていては、ひどく時間がかかる」
ゲネント先生がいった。「今のところ、まだ地下鉄道は動いている。地下鉄道に乗ったほうがいい」
「…………」
ぼくは、あっけにとられた。
街灯がついていることさえ信じられなかったのに、地下鉄道が動いているだと?
「地下鉄道に乗るには金が要る。失礼だが、あなたはダンコールの金を持っていないのではなしか?」
ゲネント先生はいいながら、財布らしいものを引っ張り出したのだ。「少ないけれども、私の志を受け取ってくれないか。私の気持ちとして」
「いえ、結構です!」
なかば憤然として、ぼくはことわった。
「われわれは、そうしたいのだ」
ザコー・ニャクルの仲間がいう。
ぼくは、首を横に振った。地下鉄道に乗るのが便利なのだろうし、それには金も必要なのだろうが……何となくぼくにも、意地というものがあったのである。カイヤツ軍団の兵士として……ネプトで第一市から締め出された存在としての、負けん気みたいなものがあったのだ。
「貰っておけ。おれはお前のことを思っていうのだ!」
突然、ザコー・ニャクルが大声を出した。
「そうしたほうがいいのではないか」
ボズトニ・カルカース迄が口添えしたのだ。ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースに迄そういわれては、ぼくにはことわり切れなかった。
しかし……。
その瞬間、ぼくの頭に閃《ひらめ》いたものがあったのだ。
「絵を買ってくれませんか」
ぼくは、ゲネント先生にいった。
「絵?」
「これです」
ぼくは、キコンのハイデン部隊陣地の小ユニットでラタックが描いてくれた(それがどんなに遠い昔に思えることか)ぼくの絵を出した。かなり傷んでいたとはいえ、それはまだ無事だったのだ。
このときのぼくの感情は、いささか複雑だったのを、白状する。ぼくはボズトニ・カルカースにレーザーガンを貸していて、もし別れるとなれば返して貰うつもりだった。こうなった以上、ボズトニ・カルカースは何らかの武器を貸与されるに違いないし、ぼくのほうはひとつでも武器が多いほうがいいから、お金と引き換えにするわけには行かない。伸縮電撃剣は、それ以上にぼくには大切であった。だから金を貰う代りに、とっさに何かを渡そうと思いつき、ラタックの絵にしたのだが……ラタックの記念になるべきその絵を手離すことに、ためらいがなかったわけではない。ひょっとしたらかたみになるかも知れないものなので……だが、かたみとしてだいじにすることは、本当にそうなりかねないようにも思えたのだ。ラタックは生きていて、また描いてくれるのだ、と、そう信じるのが良いと決めて、ポケットから出したのである。
「戦友が描いてくれたぼくの絵です。ぼくには大切なものです」
ぼくはいった。
ゲネント先生は、何秒間か絵をみつめていたが、ぼくにもう一度目を向け、絵に戻すと、突然笑いはじめたのだ。
手渡されて覗《のぞ》き込んだザコー・ニャクルも仲間の黒服も、ボズトニ・カルカースも吹き出した。
実際、それは、そうあっても不思議ではない代物《しろもの》だったのだ。顔の輪郭自体が歪《ゆが》んでおり、滅多やたらに線が引かれている中に、不ぞろいの目がこっちをにらんでいる――となれば、到底、肖像画などとはいえたものではない。
しかしながらそのとき、ぼくはラタックに感謝していた。絵が役に立ったからではなく、ぼくの絵を描いてくれたラタックの心情に、である。同時に、泣きたいほどの懐かしさも覚えたのだった。
「これはいい。有難う。安い買いものをした」
ゲネント先生は、絵を押し頂くようにしてから、懐にしまった。ぼくは代金≠ニしての金を受け取ったのである。
勿体《もったい》振ったやりとりだ、と、お思いだろうか?
そう思われても構わない。
だがぼくの心は、この一件でたしかに明るくなったのである。
その上、ゲネント先生は、地下鉄道の標識と最寄り駅のありか、地下鉄道の乗り方迄教えてくれたのだった。
「ああ、これはいっておいたほうがいいだろう」
おしまいにゲネント先生はぼくに告げたのである。「あなたは、こういう危急のさいだというのに、ネプトがこんな有様なのを不審がっているかも知れない。だから、いっておくべきなのだが、わが方の発表によっても、敵は依然として降伏勧告をつづけている。われわれが知り得る敵の放送や投下されたビラも同じだ。のみならず、そうした放送やビラによれば、ネプトに運び込まれるはずの食糧その他の物資は、きのうの朝から入らなくなっているという。そして、明後日には電力も断つと宣言しているようだ。敵は、性急な攻め方をせずに、われわれの気力が衰え挫《くじ》けるのを待つ作戦をとっているのだ、と、われわれは解釈している。いいかえれば、現在は敵がそんな出方をしているのをいいことに、これ迄の状態をつづけているけれども、間もなくそうは行かなくなるということだ。それに、第一市はとにもかくにもこれだけの秩序を保っているが、他の市はすでに混乱がはじまっているともいう。そうした事柄を心にとめておいて欲しい」
この長い忠告を、ぼくは、ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースによる言い直しや注釈の――助けを借りて聴き、自分の胸に畳《たた》み込んだのであった。そうしながら、物事の本質というのは、ちょっと見ただけではなかなかつかみがたいものだ、とも思ったのである。
ボズトニ・カルカースが、ぼくにレーザーガンを返してくれた。
「行くか」
と、ザコー・ニャクル。
「ああ」
ぼくは答えた。
「残念だが、仕方がない。みんなに会ったらよろしく伝えてくれ」
「そうする」
「元気で」
ゲネント先生がいった。
ザコー・ニャクルの仲間の黒服は頷いてみせた。
「私は何とかやって行くつもりだ。あなたもな」
ボズトニ・カルカースが声を掛けた。
「また会おう」
再び、ザコー・ニャクルがいう。
「また会おう」
ぼくもいった。
もはや会うことがあるとは思えなかったがそれが挨拶というものであろう。ここでは、そう挨拶すべきだったのだ。
ぼくは玄関をあとにし、道を横切った。一度振り返って手を挙げると、地下鉄道の駅へと歩きだした。もう一回振り向こうかとも思ったが、未練になるのでやめたのである。
歩きながらぼくは、何となくずっと前にもこんなことがあったような気持ちに襲われていた。むろんそれは錯覚に過ぎなかったはずだが、そうだったのだ。
いや。
こういう別れはともかくとして、この気分には記憶がある。こっちのほうは錯覚ではない。
そして、ぼくは思い当たった。今しがたの感じは……とりわけゲネント先生の雰囲気は、ファイター訓練専門学校にいた頃に共通する感覚を、ぼくに与えたのであった。
教えて貰った地下鉄道の駅の入口にたどりつくには、十分近くかかった。
途中、表通りばかりでなく、裏通りも抜けたのだ。
そうした裏通りは、街灯の数もぐっと少なく、古いビルが玄関だけぽうっと浮きあがっており、物蔭から何が出てくるやら、わからないのであった。事実、蔭になったあたりに数人の制服の連中がいたりして、ぎくりとしたりしたのである。
表通りや裏通りで、ぼくは三度ばかり誰何《すいか》され、検問を受けた。その都度ぼくは、ゲネント先生が呉れた紙を示したのだ。先生はおまじない位にはなるだろうといっただけで、ぼくには何が書かれているのか(いくつかの単語は覚えていたが、その程度では歯が立ちはしない)さっぱりわからなかったけれども、なかなか有効であった。相手は目を通すとぼくの服装を眺め、行ってよいという身振りをするのである。
ぼくは、迷うこともなしに、入口にやって来た。標識はすぐに見て取れた。もともと、ネプトの地下鉄道には、この前来たときに乗ったので、標識には覚えがあったのだ。
入口の階段には、ちゃんとあかりがついていた。
ぼくは階段をくだろうとし――立ちどまった。
声だ。
声が、頭の中で響いたのである。
(イシター・ロウ)
…………
それは、シェーラの声であった。
シェーラが?
これは?
今のは、本物の声なのか?
それとも、テレパシーなのか?
本物の声にしては、響き方が違う。ぼくにはテレパシーとしか思えなかったのだ。ぼくは経験を積み重ね馴れることによって、肉声とテレパシーを区別し得るようになっていたのである。
だが、現在のぼくは非エスパーだ。テレパシーを感知できない状態なのだ。
とはいえ……以前にもぼくは、非エスパーでありながらシェーラの呼びかけとおぼしきものを聞いたことがある。エクレーダの外へ出て宇宙空間にいたときにだ。あれはテレパシーに相違なかった。空気のない字宙空間にいたのだから、(距離から考えてもあり得ない話だが)肉声が届くわけはなく、かといって電波で送られてきたのなら、みんなのヘルメットを鳴らしていたはずである。そんなことは誰もいわなかったのだから、テレパシーなのであった。なぜそんなことが可能だったのかいまだに解明できずにいるが、とにかくシェーラのテレパシーを感知したのは事実である。
あのときと同じことなのか?
が。
ぼくは、目を大きく見開いていたに違いない。
(イシター・ロウ)
再び、シェーラのテレパシーが響いたのだった。(わたしが呼んでいるのは、わかるでしょう? 早く、こちらへ来るのよ。いよいよ肝心のときがこようとしているの。すぐに、会えるわ)
前にもいったように、普通、テレパシーでは相手に対する気持ちがそのまま伝わってしまう。だから、面と向かったときのシェーラは、もっと丁寧な言葉遣いをしたのかもしれないが、テレパシーそのものは、親しい者への呼びかけの感じであり……こうしるすのが正確であろう。そして、それは、はっきり呼びかけるというよりは、むしろささやきであった。シェーラがどこかから、非エスパーであるぼくにどうしてそんなことができるのかわからないが、ささやきかけているのであった。
「…………」
ぼくは、だいぶ長い間、その場に突っ立っていたと思う。
しかし、そのあとは、もう何も聞えなかった。それでおしまいであった。
これは……どういうことだ?
待て。
それはそれとして、シェーラは何をいおうとしていたのだ?
早くこちらへ来るのよ、とは、どういう意味だ?
肝心のときがこようとしているというのは、何を指しているのだ?
そして、すぐに会えるわ、とは……象徴的ないい廻しなのか?それとも現実のことなのか?
考えたが、どうしようもなかった。何のことやら不明であり、先方からの一方通行には応じるすべもないのであった。
まあいい。
いずれ、わかるのではないか?
そう考えるとしよう。
ぼくは気をとり直すと、階段をくだりにかかった。
カイヤツ府の地下鉄道への降り口にくらべればずっと幅の広いその階段は、しかし、人の気配もなく、がらんとしていた。こんな状況下でしかも夜だからなのか、それともこの駅がいつもこんな風なのか、ぼくには何ともいえない。ただ、階段は思ったよりも短く、ぼくはじきにエレベーターの扉の前に来た。扉の横のほうには、まだ下へ降りる細い階段がある。
ぼくは大きな扉の前に立って待った。
ここの地下鉄道が、カイヤツ府のものよりもずっと深いところを走っており、駅によっては乗客はエレベーターで昇降することを、以前にネプトに来たときに知り、実際にエレベーターに乗りもしたのだから、それでいいはずだったのだ。扉のわきにはボタンも何もないが、それは係員によって何分おきかの間隔で運転されており、ボタンを押して呼んだりしなくても、勝手にやって来るからなのである。たしかに、そんな大型のエレベーターが自動運転式で、利用者たちが他人の都合にお構いなく使ったりしたら、収拾がつかなくなるに違いない。
もっとも、前に来たときのぼくは、エレン・エレスコブの護衛だけに精神を集中していたし、自分で切符を買ったりもしなかった。そんなことはみな、大使館員なり案内人なりがしてくれたのだ。だからわかっているのはその程度で、今だってエレベーターの扉のあたりに切符の売り場があるのかどうか見て取ろうとしたが、ここにはないようであった。そういえば、下へ降りたところにあったような気もする。ともかく降りてみるしかなさそうだ。
だが、だいぶ待っても、エレベーターが上昇してくるらしい物音はせず、当然、扉も開きはしなかった。
エレベーターは運転されていないのだろうか?
といって、扉のむこうに口をあけている細い階段を降りるのは、正直、少々おっくうであった。ネプトの地下鉄道の駅は、エレベーターを設置していないところでも、結構階段が長かった覚えがある。エレベーターがある位なら、相当なものであろう。それはもちろん歩いて降りても構わないけれども……ぼくは元気一杯というわけではなかったのだ。エレベーターに乗れるものなら、そうしたかった。
が。
まだ来ない。
ぼくがしびれを切らしかけたとき、その階段のほうから何かが響いてきた。重なり合った靴音である。
靴音の主は、間もなく姿を現わした。
あがってきたのは、三人だった。これ迄にいろいろ見掛けた制服のひとつで、その格好や武器の帯びかたは、何となくネイト=カイヤツのネイト常備軍を連想させる。ネイト=ダンコールのネイト常備軍ではないかと思うが、断言する自信はない。それに、階級章などは下士官のようだけれども、これまた、単なる推測だ。三人共、髪を短くし長靴をはいているものの、その顔立ちや体形から察するに女らしかった。それも、いずれもぼくよりはあきらかに年上で、疲労している感じだったのだ。
三人は、ぼくにちらりと視線を走らせ、そのまま通り過ぎようとして――ひとりが振り向いて声をかけてきた。
「待っても無駄だよ、よほどでなければ動かさないんだから」
声は、太くてかすれていたが、まぎれもなく女のものであった。
「――それはどうも」
ご親切にとか。有難うとかつづけるのも妙な具合なので、ぼくはそれだけいい、ちょっと頭を下げた。
声をかけてくれた女は、ものうげににこりとし、それからあとのふたりと肩を並べてあがってゆく。
ぼくは、細い階段をくだりはじめた。
彼女たちが歩いてあがってきたのだから、今の言葉は事実なのに相違ない。
階段は、右へ右へと折れながら下へ伸びている。しかも暗いのだ。灯がうんと間引きされているからであった。
降り切る迄に、ぼくはまたふたりと擦れ違った。今度は別の制服の男たちで、かれらはろくにぼくに目を向けようとせず、しかしぼくと距離を置き反対側の壁に身を寄せるようにして、あがって行ったのだ。
下に来た。
下は、やはり照明は乏しいながら、それなりに広く、少し先に切符売り場らしいのと、こちらとプラットホーム側とを仕切る柵《さく》が見えている。
と。
そのあたり、あっちに数人、こっちに四、五人という感じで人々がむらがっていたのだが、中の、制服姿のふたりが大股で近づいてきたのだ。
検問らしい。
ふたりはぼくの前に立ち、ぼくの制服を眺めた。
「第一市を出るのか?」
ひとりが訊いた。
「そうです」
ぼくは答えた。
とはいえ、ぼくのダンコール語が(自分なりには出来るだけ注意していたものの)はたして、そうですというような丁寧な表現になるのか、もっとぞんざいな印象になったのか、しかとはわからない。ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースとあんなやりとりをしていたのだから、後者に近いのかも知れないが、まあ、ぼくの発音は、ダンコール語のつもりでもどうしてもカイヤツ語的になるのは避けられないし、ぼくの服装だって運邦軍団員としての基本的な共通性はあるものの、各軍団による特徴の差もかなりなものだったから、外国人であるのは即座に識別できるはずで……先方もとやかくいいはしないであろう。これ迄の検問でも、ぼくはその調子で通してきたのだ。
が……検問とあれば、またゲネント先生が呉れたあの紙を示さなければならぬ。
ぼくはポケットに手を突っ込んで、取り出そうとした。
相手は、手を振ってそれをとどめた。
「すぐに、次の列車が来る」
もうひとりがいった。「切符を買って乗るがいい。ダンコールの金がなくても、連邦軍団員なら、自分のネイトの金を両替できるという措置がとられている。だが少し時間がかかるようだから、急ぐんだな」
「わかりました」
ぼくは返事をした。自分がダンコールの金を所持しているのを喋る必要はないだろう。(多分そんなことはないだろうが)どうして入手したのかと問われれば、説明するのは厄介と思ったのだ。
「切符売り場はあっちだ。その並びの窓口で両替もしている」
はじめの制服が、先のほうを指した。
ぼくが礼を述べて切符売り場へと向かったけれども、内心は、やはりいささか複雑であった。
今の連中は、警察官かそのたぐいであろう。
そしてかれらがあんなことをいったというのは、ゲネント先生の話から窺《うかが》えたように、ダンコール軍団以外の連邦軍団は、第一市から締め出そうとの方針に沿っているのに違いない。だからぼくが第一市を出てゆくのだと知ると、何もいわずに済ませたのだ。自分のネイトの金を両替できるとの措置だって、同じ理由からであろう。しかしそのことを前に聞いてしまっていたからか、今更あまり腹は立たなかった。そんな通達か命令を受けていたにしては、今のふたりは親切だったというべきではないか――とさえ、考えたのである。
それにしても、そんな気分になるなんて……これも、未来が待っているという例の奇妙な感覚のせいだろうか? このところ以前よりも強くなっているあの気分が、依然として持続しているらしい。
だが、それはそれとして――。
ぼくは今しがたのことによって、何となく第一声がどうなっているのかを、あらためて確認したように思ったのだ。第一市の不思議ともいうべき静かさは、つまり、本来のダンコール、本来のネプト第一市以外の分子を排除し、動員されたもろもろの制服たちによって抑圧され制御されている、そのしずけさだったのではないか? そう見てくると、納得できるようだったのである。
これは、ただの推察だ。
それよりも、切符である。
切符売り場の前に来たぼくは、しかし戸惑わないわけには行かなかった。
自動券売機が並び、そのむこうに人間が応対する窓口がある。その窓口で両替もするらしい。
ぼくはダンコールの文字はろくに読めないとはいえ、数字なら一応わかる。従って行く先迄の金額を見て、自動券売機なり窓口なりで切符を買えばいいのだが――。
どこへ行けばいいというのだ?
地下鉄道の路線図は、入り組み交差して、何がどうなっているのやら、まるで不明なのであった。なるほど、全体には第一市から第四市にかけて、それぞれブロック別に色がかぶせられている。その外へ伸びる線は、宙港とかその他へ行くのであろう。ぼくが赴《おもむ》こうとしているのは第二市だった。だが第二市だけでも駅はやたらにたくさんあるのである。それも路線は一本や二本ではないのであった。その広さからしても、第二市のどこの駅で降りればいいというようなものではなさそうなのだ。
が、迷っていてもどうにもならない。
ぼくはそうと見て取るや、まっすぐに人間のいる窓口へ歩いて行った。
「第二市へ行きたい」
と、ぼくはいった。
「どこ?」
窓口の奥の係員が反問する。
ぼくは、用意していた言葉を出した。
「連邦軍、できればカイヤツ軍団のいるところを知らないか? その近くの駅へ行きたい」
「そんなことは、わからない」
係員は返事をした。
「何か知らないか?」
ぼくは重ねて問うた。
「わからない」
相手は繰り返し、ちょっと間を置いてつけ加えた。「むこうのことはどうなっているか知らないが、とにかく第二市の中心部へ行けば、何かわかるのではないか?」
「そうしよう」
ぼくはとっさに決めた。そうするほかに方法はなさそうだ。
係員はその駅名をいい、手元の小さな路線図で位置を示した。今度入ってくる列車なら乗り換えなしで行けるともいったのだ。
ぼくはダンコールの金を出して、その駅への切符を買った。ここでは今のような場合は別として、ネイト=カイヤツの金(それだって多くはなかったのだが)は通用しないと覚悟すべきだったし、折角のダンコールの金を減らすのは得策ではないとも考えたのだが……両替に暇がかかると聞いていた上に、両替の率も不明であり、足りるかどうかわからず、ためにネイト=カイヤツの金を持たなくなってしまうことにでもなったら、事ここに及んでから変な話だけれども、どうもおのれの拠りどころの一部を失うように思えたのである。それに、ダンコールの金だって、ネプトがいつどうなるか、それも近日中にどうなるかわからぬ運命にある以上、使えるうちに使うべきではなかろうか、との気もしたのだ。
切符代は、ぼくが貰った金の一部で足りた。ゲネント先生が呉れたのは、以外に多額だったのである。といっても、地下鉄道の運賃は公定だろうし、こんな状況ではネプトの物価ははねあがっていると考えるべきだろうから、実際はそう使いではないのかも知れない。だがそんなことをいうのは、ラタックの絵からしても(?)厚かましいであろう。
ぼくは窓口を離れ、掲示されている路線図をもう一度ちゃんと見て、行く先を銘記した。
改札口は、自動であった。
ところどころ開いた部分のある壁で中央を仕切られた島式のホームは薄暗い。
のみならず、ホームのそこかしこには、いくつも人の群がある。それらは改札口の外のようにあらかたが制服というのではなく、雑多なしかもくたびれた服装の者が多いのであった。歩いて行きながら見やると、荷物をわきに置いた老人や、子連れの夫婦、四、五人の若い男女のグループなどが、あるいは壁際にうずくまり、あるいはぼそぼそとささやき合っているのだ。長いホームのずっと先迄がそうで、その間を縫って制服の連中が動きながら、何か指示したりものをいったりしているようなのである。どういうことなのか、ぼくには判断がつかなかった。
とはいえ、そんな光景を永くは眺めているわけにはいかなかった。
押し殺した低く重い音と共に、連結されたやや扁平な地下鉄道の車両が、ホームに滑り込んで来たのである。
ドアが開き、ぼくは乗り込んだ。
車内は、いやに空いていた。それに到底明るいとはいえない。照明の三分の二は消えていたのである。
今の、ホームにいた人々も乗ってくるのだろうとぼくは思っていたが、誰もつづいて来る様子はない。窓から外を見ると、かれらは同じ場所にいるようだった。制服の連中がしきりに乗れというような身振りをしているのも目に映ったが、かれらは動こうとしないのである。
そのうちにドアがしまり、列車は走りはじめた。
あれはどういうことだったのだろう――と、ぼくはちょっとの間、立ったまま首をかしげた。制服の連中が促すのにかれらがこの第二市方面行きの列車に乗ろうとしないのは……行きたくないということだろうか? それとも、別の市から第一市の駅のホームへやって来たが、外へ出して貰えずにそのまま居すわっているのだろうか? 想像だけれども、それはありそうなことであった。第一市が、都合の良くない人間≠排除しにかかっているのだとすれば、そうだとしてもおかしくないのである。
しかし、ここでそんなことに思いをめぐらせていても何にもならず、事情がはっきりしたところで何もできるわけではないので……ぼくは、適当に、空いたシートに腰をおろした。
すわってみると、車内の汚れが目についた。以前にネプトに来て乗ったときとは比較にならない。至るところに落書きがあり、床にはごみが散乱している。シートが切り裂かれていたりするのだ。何だかいやに風が入ってくるなと思って顔を向けると、ガラスのなくなった窓から吹き込んでくるのであった。
列車は、しばらく走行しては次の駅で停車し、また発車する。そのつど、制服や非制服の人たちが乗ってきたり降りて行ったりしたが、数は多くなく、車内は空いたままなのだ。
ぼくは、列車がとまるたびに、駅の数を勘定していた。先程路線図をにらんで、降りるのは十五番めの駅であるのを確認しておいたのである。車内アナウンスもないので(この前乗ったときにはあったのだろうか? 思い出そうとしたけれども、記憶は定かでない)そうしておいたのは正しかったようだ。もっとも、そのためには注意をゆるめるわけには行かず、ともすれば湧《わ》きあがってくるいろんな想念を抑えなければならなかった。
十五番めの駅が近づくと、ぼくは立ちあがり、ドアの横で待った。駅名表示の字も覚えておいた通りなので、降りたのだ。
その駅のいくつか前から(ということは多分第二市に入ってからということではあるまいか)ぼくは、乗降する人々がしだいに増え、ホームにいる人数も多くなってきたのに気づいていたのだが……降りてみるとここは人間でごった返している感じだった。第一市の駅の窓口の係員は、第二市の中心部といったが、なるほどそのようである。ホームの照明はやはり乏しいけれども、ここでは制服姿の者の比率がずっと低いようで、しかも制服であろうと自由な服装であろうと、種類も多く変化に富んでいたのだ。
だがぼくは、そんな周囲の様子に気をとられてはいられない身であった。第二市に来たのだから、一刻も早くカイヤツ軍団の自分の隊を探し出し、合流しなければならないのだ。正直なところ、ぼくはそういうおのれに対しての意地悪い質問が存在するのを、心の片隅では承知していた。カイヤツ軍団とかぼくの本部とかがはたしていまだに健在なのか、合流してどうするのだ、こんな状況でまだ敵とたたかえるというのか――という質問を、である。しかしながらぼくはそれを、つとめて押し潰していた。何はともあれ、とにかく本隊に合流すべきなので、その余のことは考える必要はない、と、自分にいい聞かせていたのである。それでいいのだし、そうでなければならなかったのだ。
探すとすれば……まず地上へ出ることであろう。
出口がどっちか不明なので、ぼくは、これではないかと思った人の流れに入った。一方へ進む雑多な人々の群の一員になって歩いたのである。ぼくはその群の少し前方に、あきらかな連邦軍の兵士の制服を認めた。服がいたみ、焦げた箇所があったりするところからしても、ぼくと同様、戦闘をし敗れてここへたどりついたのではあるまいか。ぼくは追いついてその兵士を見定めようとしたが、人波の中ではうまく行かなかった。それでも、どうやらカイヤツ軍団ではなく別の軍団だということ迄は見届けたのだ。そしてそのうちに兵士の姿は、ぼくからは見えなくなってしまった。
これは、第二市にはたしかに、(ダンコール軍団以外の)連邦軍団員が来ているという証拠のようなものであり、ぼくは少しばかり心が落ち着くのを覚えた。
ただ、ぼくが見て取ったのは、それだけではない。
歩くうちにぼくは、壁に戦意高揚のポスターが、やたらに貼られているのを目にした。侵略者を撃退しよう、とか、ウスとボートリュートを倒せ、とか、たたかいのために心をひとつに! とかのたぐいの、勇ましいポスターなのだ。けれどもポスターには悪戯書きがされていたり汚されていたりするものが少なくなく、中には半分引きちぎられているものもあって、ここの人たちの気持ちが必ずしも戦争に対して一体となっていないのを窺わせた。どこか厭戦《えんせん》気分や無関心が反映されているようでもあった。
そのほかに、ぼくは、第一市で見掛けたような、だがそれよりも遥かに多数の、壁にもたれてすわり込んだり、むらがってしゃがんだりしている人々を目撃した。大きな荷物をかかえてうつろな目をしている者もいたし、人々が通りかかるのにも平気で寝ている者もあったのだ。
ここにはまぎれもなく荒廃の色がある、と、ぼくは思った。ここは第二市で、第一市とは様相がことなるのだ。いや……これは第一市では抑えつけられ表面に出なかったものが、露出しているだけなのかもしれない。
――といった事柄を頭の中でちらちらさせているうちに、勘は的中していたようで、ぼくは他の人たちと一緒に、集札口の柵に来ていた。集札口といっても係員が切符を回収するのではなく、箱に切符を投げ込むのである。
そこを抜けると、エレベーターに乗るための、ちょっとしたスペースがあった。エレベーターの大きな扉もあった。
だが人々は、扉の前では止まらずに、横にある階段をあがってゆく。エレベーターが動かないのはわかり切っているということらしい。ぼくもそうするしかなかった。細い階段は、第一市のあの駅と違って、上り下りする人で一杯で、降りてくる者と擦れ合うほどの状態である。
長い階段を経て、ぼくはやっと地上に出ることができた。
出て来たところに広場があって、ぽつんぽつんと背の高い街灯が光を放っていた。行き来する人間は多く、雑踏と形容してもおかしくない位だ。これで広場の街灯がすべてともされ、周囲に大きな間隔をおいてそびえる高層ビル群の窓に灯があり、そのあたりの電飾看板がきらめいていれば、つまりはかつてのネプト第二市の栄華なのだが、これだけでも結構都会の風景と呼べるので、うっかりすると今がどんな状況下にあるかを失念しかねない感じである。が……地下鉄道の駅の有様を見てきたぼくは、欺《だま》されなかった。通行人はみな用ありげに早足で歩み、表情も固いのである。ただごとではないというのが、感じ取れるのだった。通行人のほかに、そこいらにたむろしている連中も多いが、それはそれでただその場でたのしんでいるというようなものではなく、何かをもくろみ、いざとなれば集団で行動をおこしそうな印象なのだ。それにまわりのビル群の窓は、あっちにひとつ、こっちにひとつという具合にともっているばかりで、建物の形状さえ夜空に呑まれて判然としない。
これで、どこをどう探せばいいというのだ?
けれども、その場にぼんやりしているのは、不必要に人目を惹くのではないかと考えて、ぼくはあてもなく広場を横切り、大通りのひとつへと歩きだした。実際、噴水か何かの傍にたむろしていた二、三人が、こっちへやって来かけるのが見えたのである。そんな連中といざこざをおこしたくはなかった。争いにでもなれば、それは多分ぼくが勝つだろうが、群衆のただ中でそんな真似をすれば、あと、どうなるかわかったものではないのだ。とにかく……歩くことにしたのである。
だが、その大通りに来てみると、夜のこんな時刻のせいか、それとも昼間からこうなのか、商店はみな戸を閉じており、ものを尋ねようにも、入って行くところはないのであった。といって、通行人はみなせかせかと歩いていて、ぼくが声をかけても見向きもしそうにないのだ。ときには、こちらを眺めながら行き交う者もいないわけではないが、ぼくにはどうも、かれらの視線に敵意がこもっているように思えて、何もいわなかったのである。
さりとて、いつ迄もこうしたあてのない歩行をつづけているわけには行かない。
歩いているうちにぼくは、ひとつの高層ビルを背後にした小型ビル街の、飲食店らしいのが集まっているところへ来た。そして、さいわいにも、戸を閉じた店の前でふたりの中年男が立ち話をしているのを見つけたのである。
ぼくはゆっくりとそっちに近づき、会釈をした。
ふたりの男は、話を中断し、警戒の表情になった。
まずいかな、と、思ったものの、仕方がない。
「ご存じでしたら、教えて頂きたいんです」
ぼくは、精一杯丁重な(はずの)言い回しを使って訊いた。「連邦軍団の……できればカイヤツ軍団の、駐屯している場所を探しています。ご存じないでしょうか」
こんなやり方を、卑屈だとお思いなら思って下さって構わない。
ぼくだって、それは意識していたのだ。なるほどぼくの制服は汚れ、継ぎあてがされている。持ちものだって立派とはいえない。とてもまともな格好とは呼べないだろう。しかし……これはネプトーダ連邦の、連邦軍の制服なのである。こうなったのも、敵とたたかってきたのである。誇りを持ってしかるべきなのだ。
さりながら、相手は、おそらく戦闘経験はおろか、苛酷な訓練も受けたことのないであろう一般市民である。それも連邦第一のネイトのダンコールのネプトの市民だった。戦闘員というものに理解を示さないかも知れず、かつ、他のネイトの人間や田舎者を見下すかもわからない人間なのだ。そんな相手に教えを乞うのである。ぼくが知りたいのはカイヤツ軍団のありかであって、知ることが最優先なのだ。となれば、身を屈してでも教えて貰わなければならぬ。そう考えたからこその言動であった。
しかし。
「知らんな」
ひとりが言い放ったのだ。
それだけではなかった。
「あんた、連邦軍の人だな」
もうひとりがこっちをにらんだ。「連邦軍がだらしがないから、こんなざまになったんじゃないか。あんたらがもっとちゃんとたたかってくれていたら、ネプトだってこんなことにならなかったんだ。そうじゃないのか?」
「何を――」
ぼくがかっとなったのは、わかって頂けると思う。しかし……ぼくは歯を食いしばる感じで自己を抑制し、辛うじてそれ以上はいわずに済ませた。
だが、そいつは、ののしるのをやめなかった。
「品物はおろか、食糧だって入らなくなったというのに、あさってには電気も切られるというじゃないか!」
そいつは吠えた。「われわれの生活をどうしてくれるんだ! 一生かけて築いたものがふいになってしまうかも知れないんだぞ。何だ! 平素は連邦軍だといって威張っていたのに、そんなものだったのか? 恥ずかしくないのか?」
一言ごとに自分で興奮してゆくらしく、声がどんどん大きくなるのだ。
その声に、通行人たちが足をとめはじめた。近所の店から出てきた者もあった。
「ほう、殺そうというのか?」
はじめの男が、ぼくの腰を指した。
ぼくは、われ知らず伸縮電撃剣の柄に手をかけていたのである。レーザーガンではなく伸縮電撃剣を抜こうとしたのは、ぼくの心の底では本当に相手を殺すようなことはしたくない、と、そんな感覚があったのかもわからない。ぼくの本能的なためらいがそうさせたのだと信じる。
ぼくは反射的に、柄から手を離した。
「やって貰おうじゃないか!」
ののしった男のほうが叫んだ。まわりの人々を見渡し、両腕を開きながらである。「こいつは私を殺すというんだよ! 殺して貰おうじゃないか!」
「やってみろ! やらないのか!」
はじめの男も詰め寄った。
「どうしたんだ!」
野次が飛んだ。「殺し屋なら殺し屋らしくやれ! あとどうなるか覚悟して、な!」
その間にも、人は集まってくる。
こうなれば、とるべき道はひとつだった。たとえ武器を使わないにしても、喧唾を買うのは論外である。まわりの人々はみなこのふたりに味方するに違いない。それでかりに勝ったとしても、ただで済むはずがなかった。もっと大勢の群衆が殺到してくるか、警察に逮捕されるか……しかもそうなったら、こうした連中のみならず、それほどでもなかった人々迄が、連邦軍団への心証を一挙に悪化させ、憎むことになるのではないか? だからといって、平身低頭してあやまるのは、ぼくには耐えられなかった。ぼくには謝罪しなければならぬ理由など、何もないのだ。それに謝罪したってこの連中が受け入れるとは考えられないのである。
どうせ屈辱なら、逃げるしかない。
ぼくは寸秒のうちにそう判断し――くるりと向き直ると、野次馬の中へ突っ込んだ。かれらがあっと道を空けたのを、そのまま駈けだしたのだ。
駈けた。
駈けるしかなかった。
背後からどっと笑い声があがるのを、ぼくは聞いた。
それでも走り……ぼくはわき道へと駈け込んだのだ。
そこで速度を落とし、ついで普通の歩行に還ったのである。
くやしさに、ぼくは涙が出てくるのを覚え、こぶしでそれを拭《ぬぐ》った。
どうしてぼくが、こんな目に遭わなければならないのだ? 連邦のためにたたかい何度も死にかけた人間が、なぜこんな扱いを受けなければならないのだ?
残念だった。
こんな馬鹿なことがあっていいのか?
が。
ほとんどひと気のない細い道を歩くうちに、ぼくはしだいに冷静になり、落ち着いて行ったのだ。
あの連中には、わからないのだ。
かれらは、自分や自分のごく近い周囲のことしか、見ていないのである。日常の感覚ですべてを律し、その基準で何事をも裁断するのである。だから、日常というものが覆りつつある今も、どんな経緯で何がおこったか本当のことはわからず、理解しようともしないのだ。
これは、正確な判断ではないかも知れない。だが、自分をそう説得し納得させることで、ぼくは楽になったのだ。それでいいのであった。正確でなくても……こっちの気が済めばいいのだった。
ところで。
ここでぼくが、気をとり直すのにもっと時間がかかっていたら、次におこった事件に対処できていたであろうか? 油断をつかれていたであろうか?
自分でいうのも何だが、ぼくはそうではなかっただろうと信じる。ぼくの神経と肉体はこれ迄の戦闘によってきわめて敏感に反応するようになっていたから、涙を拭ったあの時点でそれがおこっても、実際のなりゆきとはいささかことなって、不利になっていたにせよ、それなりに対処し、かたをつけ、最終的には事態を収拾していたと思いたい。しかし、これは自己過信かも知れないのだ。それに、現実にはそれがおこったとき、ぼくは完全にいつものぼくに戻っていたのだから……論じてもあまり意味はなかろう。
そう。
おのれに立ち返り、軽い苦笑を浮かべたそのとき、ぼくは、背後から接近する者の気配を感知したのである。もちろん、今のぼくは超能力者ではないのだから、修練を経た者がしばしば発揮する、あの殺気探知力とでもいうべきものが働いたのであった。ぼくはつねにそんな能力を働かせられるほどの域には達していないけれども、とにかくその瞬間は、察知したのである。
そこはちょうど道が塀で行きどまりになり、左右に分れるあたりで、近くに灯もなく、暗かったのだ。そんな場所だから、こっちも鋭敏になっていたらしい。
が……ぼくはすぐには反応せず、全神経を張りつめいつでも反撃できるようにしながらであるが、なおも五歩、六歩と進んで行った。そして塀の前に来ると、くるりと向き直ったのだ。こういうとき、背後に何かを置いておけば、うしろから襲われることもなく防御し易いという定石に従ったのである。
視野に入ったのは、三つの黒い影であった。それは、ぼくが向き直って身構えるや否や、ぴたりと足をとめた。
殺気を察知したというものの、その実はかれらのかすかな足音を無意識のうちに聞きつけたということかも知れないな――と、ぼくはそんな想念が脳裏をかすめるのを感じつつ、静かにいった。
「何か……?」
「持っている武器をよこせ」
少しずつ間をあけて横一線になった黒い影の、中央の奴が低い声を出した。
「武器?」
ぼくは、相手の様子を見るための、時間稼ぎの反問をした。
「レーザーガンと、もうひとつ、その短剣みたいのをだ」
ぼくから見て右側のが、やや高い声でいった。
短剣みたいなのをというところから察するに、そいつは伸縮電撃剣を知らないようである。
「早く」
左側の奴が促し、じりっと一歩こちらへ進んだ。
三人共、腰を落とし……手にナイフを持っているのがわかった。
かれらが欲しがっているのは、レーザーガンなのだろう、と、ぼくは判断した。短剣みたいなの、というのは、かれらにとって、ついでに奪えばいいというのに違いない。
だが、ある程度本格的に剣技を学んだ人間なら、伸縮電撃剣を知らないはずはないのだ。すくなくともネイト=カイヤツではそうで、この点、ネイト=ダンコールでも事情は似ているとしか思えない。
とすると、この三人は剣技は素人ということになる。そしてたしかに、ナイフの構え方も喧嘩馴れはしているらしいが、粗雑であった。
が……油断は禁物である。
それにしてもぼくに解せないのは、ナイフを振り回しての喧嘩はお手のものかも知れないが、本格的な剣の使い手にかかれば抗すべくもない腕の持ち主が、ナイフで脅してレーザーガンを奪おうとしていることであった。こっちがレーザーガンを抜いて撃てば、それでおしまいなのである。
「出せ!」
中央のがまたいい、三人は同時に一歩前進した。
「こちらにはレーザーガンがあるんだぞ」
ぼくはいってやった。
そして、次の、右側の奴の言葉で、ぼくの疑問は氷解したのだった。
「それを使えるのなら使ってみろ。使えるんだったら、さっき使っているはずだ」
と、そいつはいったのである。
かれらは、先刻の一件を見ていたのだ。
ひょっとするとこの三人は、地下鉄道の駅を出た広場にたむろしていて、ぼくのほうへやって来ようとしたあの連中なのかもわからない。ぼくをつけて来て、あのやりとりを見聞きしたというのは、ありそうなことである。しかし、本当にそうなのかどうかは、どっちでもいいことだった。はっきりしているのは、この三人がぼくがあんな風に逃げたので、ろくに武器も使えない見掛け倒しの人間だと信じ込み、武器を奪うべくあとをついて来たということであった。
この三人はそんな風に思ったのか。だが、今となっては腹も立たない。さっき浮かべたのとはちょっと性質の違う苦笑が、ぼくの面上にあらわれたはずである。連邦軍の兵士に、そんな、格好だけの人間なんて、ひとりもいるわけがないのだ。
「ことわる。行け」
ぼくは、そっけなくいった。
「何を!」
誰かがわめき、三人はいっせいにナイフを手に飛びかかってきた。息はよく合っていた。
ぼくは、レーザーガンなど抜きはしなかった。伸縮電撃剣を、それも最短にして、応戦したのである。最初の奴の手首を打ち、次の奴のナイフを下からはねあげて宙に飛ばし、三人めがひるんだところをその懐に飛び込んで胸の中心部を突く迄に、十秒とはかからなかった。ナイフを取り落とした最初の奴は手首を押えてうずくまり、次の奴はナイフを拾いに走り、三人めはその場に倒れていた。ぼくはナイフを拾いに走った奴を追って三歩で追いつき、後頭部を強打した。そいつはうつ伏せに地に崩れ落ちた。
それから念のために、三人のナイフを拾いあげると、塀のむこうへ放り込み、その場を後にしたのだ。ひとりも追ってはこなかった。追ってこられるような状態ではなかったからだ。
ここで、前述の自己過信に戻らなければならない。
ぼくがもうしばらく気をとり直せないでいたら……あるいは三人の襲撃がもっと早かったら……ということである。
やはり危なかっただろうか。
そうは思えない。何とかなったはずなのである。
それに、かれらは、ぼくが、暗い、ああいう場所に来るのを待って襲おうとしたが、そのためにぼくはすでに立ち直っており、神経が鋭敏にもなったので……となれば、要するにぼくが不意をつかれるわけがなかったのであるまいか?
かれらが本気でぼくを襲い、殺すのも辞さないつもりだったのなら、あんなやり方をせずにナイフを投げるべきだったのだ。そうなれば、ぼくはやられるか、すくなくとも傷を負っていたであろう。かれらがそうしなかったのは、ナイフ投げに自信がなかったのかナイフを投げてしまっては得物がなくなるのをおそれたのか、でなければ殺すほどの気はなかったのか……いずれにしても、やはり素人である。
待て。
ぼくはそこで、ひやりとした。自分が情けなくもあった。
ぼくは何を考えているのだ?
それはぼくがあんな襲撃を軽くしりぞけ、そのことについて自分なりの分析をしているのは……やむを得ないかも知れない。
だが……それがどうしたというのだ。
というより……あんな三人をやっつけたことが、そんなに立派なことなのか? 素人相手に勝って、いい気になっていていいものか? ぼくはれっきとした連邦軍の兵士ではないか。赤ん坊の手をねじりあげるような真似をして、恥だとは思わないのか? 考えてみれば、これは別に同情する必要はないのだろうけれども、あいつらだってあんなことをしようとするからには、あいつらなりの理由や事情があったに相違ないのだ。それを、ああ迄打ち据え動けなくさせることは、なかったのではあるまいか? ぼくはそんな、腕力や剣技だけの人間なのか? それでいいのか?
反省してみれば、情けないのであった。
どうやら……これは、心の中で払拭《ふっしょく》したはずの、中年男たちや野次馬から受けた屈辱が、やっぱり尾を曳《ひ》いていたのではあるまいか。気をとり直しおのれを慰めたものの、くやしさや怒りは消えてしまったわけではなく、それを、あの三人を相手に叩きのめすことで鬱憤を晴らしたというのが、かけねのないところではなかろうか。
あまり認めたくはないが、そういうことだったのであろう。ぼくは、これで三度めの苦笑を浮かべたのであった。
しかし。
済んでしまった事柄を、とやかくいってもはじまらない。
それよりも……。
そうなのだ。
当初の目的に立ち返って、早くカイヤツ軍団のぼくの所属の隊を探し出さなければならない。ぐずぐずしてはいられないのだ。
何か良い方法はないだろうか。
教えを乞うてもあんな目に遭わないような相手を見つけ、訊くしかあるまい。
ぼくは、自分を励まして歩き、前のとは違うのかも知れないが、再び大通りに出たのであった。
大通りへ出るや否や、ぽくは本能的に、これが先刻の道なのかどうか、また、地下鉄道からあがったあの広場はどっちの方向になるのかを、たしかめたい衝動にかられた。見知らぬ土地に来れば誰だって、自分なりに基点を定め、基点との関係を把握しようとするはずである。
だがぼくは、たちまちその誘惑を斥《しりぞ》けた。おのれの位置を確認するためとあっても、あちこち見回しきょろきょろしたりすれば、周囲の視線を集めること必定である。ぼくをののしった例の中年男たちや野次馬の反応を考えても、連邦軍の兵士は好感を持たれていないと思っておくのが安全だろう。よそから来た軍団員となれば、なおさらに違いない。となれば、他人の注目を招き他人を刺激しそうな言動は、極力避けるべきである。それに、土地不案内でうろうろしているとの印象(事実、その通りなのだが)を与えれば、またそろ変な連中が近づいてくるかもわからない。無用のいざこざは、もう願い下げにしたかった。
そして……そもそも、ここではぼくにとっての基点など、設けても意味がないのだ。これがさっきの大通りであろうとなかろうと、自分が広場からどの方角に来ていようと、どうでもいいのであった。ぼくはカイヤツ軍団のぼくの隊を探しているのであって、どこかに帰るべき場所があるわけではないのだ。探し求めて、どんどん行けばいいのである。
だからぼくは、他の人々に合わせ、用ありげに早足で進んだ。
もっとも、目立つといえば、この制服自体にその要素があるのだけれども、どうしようもなかった。着替えを持っているのではなし……持っていたとしても、ぼくは制服を脱ぎはしなかっただろう。そこ迄譲る気はなかった。ぼくは自分が連邦軍のカイヤツ軍団の兵士であること迄は放棄したくなかったのだ。
それにしても、今しがたの一連の出来事を経験した身には、街を行く人の多さや表通りのそこそこの明るさが、当時の感じよりもずっと得体の知れぬ――汚泥を隠した沼の水面のように思えるのだった。
だが、どうやらぼくは最初の広場から遠ざかりつつあったらしく、表通りだというのに、歩くにつれて人間はたしかに少なくなり、街灯の数も減って行ったのである。
道はやがて、高層ビルのひとつにさしかかり、その階段の上の玄関に、数人の制服が立っているのが見えた。連邦軍の制服ではない。とすれば、ネイト常備軍か警察かその他の組織のメンバーなのであろうけれども、その姿や雰囲気は、何となくぼくに、ネイト=カイヤツの家の警備隊員たちを連想させた。実際にかれらは、それに似た存在だったのかもしれない。ぼくはネイト=ダンコールの社会について、ろくに知識らしい知識も持っていなかったが、ここにネイト=カイヤツの家々にあたるものがあるのなら……いや、そんなものがないとしても、正規の警察以外に、私的な傭兵《ようへい》、あるいはガードマンたちがいることは、充分に考えられるのだ。
ぼくのその想像が当たっていたのかどうかは、不明である。
ただ……そのときのぼくの気持ちとして、何かものを尋ねるとすれば、さっきみたいに一般市民に話しかけるより、制服の連中を相手にするほうが楽なのは、たしかであった。あんな目に遭ったあとでは、かりに追い払われるにしても、制服の連中につきものの、機械的で冷淡なやり方のほうが、ずっとましである。
ぼくは階段をあがった。
かれらがいっせいにこっちに目を向けるのに対して、やや離れた地点で停止し会釈すると、まぎれのない口調で訊いたのだ。
「連邦軍カイヤツ軍団の、自己の所属する隊を探しております。何かご存じでしたら、お教え頂けないでしょうか」
先方の返事は、率直で具体的だった。
「連邦軍については、われわれはよくは知らない」
ひとりが左腕を挙げて、先のほうを指したのだ。「しかし、ここから十分ほど行ったところの小さな広場に、連邦軍の一隊が駐屯している。そちらでお訊きになってはどうか」
「有難うございました」
ぼくは頭を下げ、かれらもちょっと会釈を返した。
無駄はないが無愛想な返答である。だがそんな乾いたやりとりに、むしろぼくは、どこかほっとするものを覚えたのだ。
階段を降りて、再び夜の大通りを進む。
その一隊というのは、どこの軍団なのであろう。
自分の隊なら幸運だが、その確率はきわめて低いはずだ。ぼくは湧きあがろうとする期待を努めて抑えながら歩きつづけた。
初めてネプトの第二市に来たときにも感じたことだが、高層のビル街というのはビルとビルとの間隔がひどく広く、しかも各ビルの基底部が大ぶりときている。ために、歩行が一向にはかどらない気がするのだ。しかも夜なのだから、余計にそうだった。ぼくは、かなりまばらになったとはいえ、前後を行く人々や擦れ違う相手に対しての緊張と警戒心を保ちつつ、さきほどの、十分という言葉を頼りに進んで行った。
そして、ぼくの感覚ではまだ十分も経たないうちに、前方に、赤くちらちらする火のようなものが三つか四つ、見えてきたのである。それが、そこかしこの空間に浮かぶ街灯の白い光とはいかにも異質だったから、すぐにわかったのだ。
近づいて行くと、そこは、なるほど小さな広場であった。正確には、ぼくがやってきた大通りがまだ前方に伸びる途中で、何条かのもっと細い道が放射状に出ている――分岐点というべきだろう。しかし分岐点としてはゆったりと場所を取り、樹々も植え込まれていて、広場と呼んでもおかしくないのであった。
その、大通りと細い道灯を放射するいわば島となった広場には、十近いテントが張られており、ところどころに哨兵《しょうへい》がいた。ぼくがそうと見て取ることができたのは、もちろん街灯の光に助けられもしたのであるが、それ以上に赤くちらちらする火が、照らし出していたからである。そう……そこには、焚火《たきび》があちこちで炎をあげていたのだ。
そして、こちらから窺ってみても、その場にいる人々、ことに哨兵の姿から、ぼくにはかれらがまぎれもなく連邦軍の兵士であるのがわかった。
しかし、どこの軍団か迄は識別できない。
ぼくは車道を横切って、そっちへ進んで行った。
広場に入ったところで、誰何《すいか》を受けた。声の調子では、あきらかに誰何である。が……ぼくの知らない言葉だ。
ぼくは停止した。
両手を挙げるべきだったかも知れない。そうすれば無抵抗の意思表示になるからだ。しかしぼくの身体は街灯と焚火で照らされている。その中で両手を垂らし直立の姿勢になるだけで充分だろう、と、判断したのだ。
樹の蔭から、兵士が出てきた。レーザーガンを構えてである。このことや、さらに今の誰何からも、ここに駐屯している連邦軍の一隊が警戒をおこたらずにいるのは明白であった。
兵士はぼくをみつめ、レーザーガンを左手に持ち換えると――さっと敬礼したのである。
ぼくも反射的に答礼した。答礼しながらぼくは、相手が準個兵の階級章をつけているのを認めたのだ。そういえばぼくは現在個兵長である。ぼくの軍服は汚れ継ぎがあてられていたけれども、上衣の二の腕にはまだちゃんと、個兵長の階級を示す二本の太い赤筋がくっついていたのだ。階級章は全連邦軍に共通で――相手は上級者に対してとるべき態度をとったということであった。
ここでこんな話を持ち出すのは適当ではないかも知れないが……実をいうとぼくはこの瞬間迄自分が個兵長であるのを、本当には意識したことがなかったのだ。大体が、エクレーダでの説明抜きのおそらくは決戦を前にしてみんなの覚悟を促すためのあの一斉昇進のさいにも、また、メネの陣地での現地における戦時任官のときにも、ぼくは依然として一番下っ端だったのである。補充が来たのではなく階級だけがあがったのだから、当然の話だ。任務もまた、従来と同じであった。従って個兵長になっても何も変りはしなかったのだ。(だがここの隊に準個兵がいるというのは、どこか知らないがこの軍団ではそんな措置が一度も行なわれなかったのか、それとも補充されたのか、ということになる。が……他の軍団の内情は、ぼくの関知するところではない)だから、不意に敬礼されたぼくが一瞬奇妙な気分になったのは否めない。それでも反射的に答礼していたのは、やはりぼくが軍隊の一員になり切っていたからであろう。
とはいえ、敬礼を交換したときには、ぼくは次に何をなすべきかを考えついていた。
ぼくは自分を指して、カイヤツ、といい、ついでダンコール語で問いかけたのだ。
「ダンコール語かカイヤツ語を話せる者と会いたい」
相手は首を振って何かいった。
わからない。
わからないが……気のせいか、全くの未知の言葉でもないように思える。
「ダンコール語かカイヤツ語」
ぼくは、口の前で五本の指を動かして、ダンコール語を繰り返した。
相手は、待てという身振りをし、そこにいるように手で示すと、くるりと向きを変えて近くのテントに入って行く。
ぼくは、たたずんだまま、そのあたりを観察した。街灯はこの広場にもひとつかふたつともっており、焚火の光も手伝って、それほど明るくはないものの、周囲の様子を見て取るのに不便はなかったのだ。
あちこちの焚火と、テントの群。
焚火の傍にもテントの近辺にも、兵たちがいる。
むろんテントの中やぼくの視野に入らぬところにも兵員はいるのだろうが……ぼくは、テントの数や兵たちの密度などから、ここにいるのは百人あまりではないか、と、見当をつけた。
多くても百二十人位であろう。百二十人といえば、ぼくたちの隊では二小隊になる。いや……これは本来の定員で、ぼくたちの隊自体、損害を受けた結果、隊の数こそ元の通りでも、兵員はぐっと減っていたのだから……ここも、一個中隊とかそれ以上の隊の生き残りということになるのかも知れない。が……それにしても、集結して駐屯しているにしては、意外に小人数であった。
そして……ぼくは、かれらがたしかにいつでも命令があればテントを畳んで動きだし得る構えのままでの休息の状態にありながら、そこにおおいようのない疲労の影が漂っているのも感じ取ったのだ。かれらもまた、たたかって敗れネプトに入ってきたのだから、それは当然であろう。ぼくはそこで気がついたのだが、かれらの中には制装らしいものを着用している者がひとりもいなかったのである。制装のあらかたを破壊されて隊全体としては使いにくくなったためか、重いので放棄したのか……ぼくにはわからなかったけれども、これはそれぞれの軍団、それぞれの隊のひとつひとつに、それなりの事情がある――ということが、ここでも示されているのであろう。
気がつくと、さっきの兵士が、もうひとりと共に、テントを出てこっちへやって来るところであった。
近づきながら、ふたりは何か話し合っている。はじめの兵の態度から見て、あとから出てきたのは、あきらかに上官らしい。
ふたりは、すぐにぼくの前に来た。
はじめの準個兵が連れてきたのは、主幹士だった。
ぼくは敬礼し、相手も応じた。
「ダンコール語が話せるのか?」
手を下ろすと、主幹士は口を開いた。正直いって、ぼくのよりもいささかたどたどしいダンコール語だった。「ダンコール語なら、おれは少々話せる。――カイヤツ軍団の者か?」
「そうであります」
ぼくは答えた。「戦闘中に本隊とはぐれ、あとを追ってここ迄来たのであります」
「――そうか」
主幹士は頷き、はじめの準個兵に、ふたこと、みこと、いった。
その言葉の調子には、やはり、どこか記憶がある。だが今は、そんな記憶の糸をたぐっている場合ではなかった。
「あっちで話そう」
準個兵が哨戒の姿勢をとるのを見定めて、主幹士は、道側寄りの暗い場所を指し、先に歩きだした。
ぼくは従った。
そこにベンチがある。
「すわれ」
腰を掛けながら、主幹士は促した。
「失礼します」
ぼくも腰を下ろした。
「おれたちは、スパ軍団の地上戦隊だ」
ややあって、主幹士はいう。
それでぼくには、なぜかれらの言葉に聞き覚えがあったのか、了解したのだ。
ネイト=スパなら、行ったことがある。
今となって思えば、遠い遠い昔のようだが……強制的に連邦軍カイヤツ軍団入りをさせられることになったぼくが、カイヤツVから降ろされたのが、ネイト=スパのスパ市であった。保安部員たちはそこがスパ市であるということすら教えなかったのだが、エスパー化していたぼくは、他人の思念を読むことでそうと知ったのである。スパ市の宙港で、ぼくは連邦軍の手に渡された。連邦軍といってもこのときはスパ軍団の人間が迎えに来て、カイヤツ軍団の連絡艦がネイト=スパに来る迄の間、ぼくを預かったのだ。ぼくはスパ市の郊外にあるスパ軍団の小さな基地で、二日と二晩を過ごした。待遇は良かったけれども、預かりものであるぼくは、外出は許されなかったのである。僅かそれだけの滞在ではあったが、その間、ぼくはスパ語をいろいろと耳にしたので……その響きがぼくの頭に残っていたということであろう。にもかかわらず当時のぼくがスパ語を覚えようとしなかったのは、エスパー化しており、テレパシーで相手の意志をとらえることができて、それで不便は感じなかったのと……その頃はまだ、おのれの超能力を活用して他ネイトの言語を学ぶという気持ちにはなれず、そんなやり方に習熟もしていなかったからだ。その時分のぼくには、まだ自分の超能力は厄介なだけの代物だったのである。それに、ほんのしばらく滞在するだけであろうスパの言葉とあれば……聞き流して済ませたのも、無理ないのではあるまいか?
が。
そんな、スパ滞在とそれに伴う想念は、高速で頭の隅をかすめたに過ぎない。ぼくは、相手の話に神経を集中した。
「これ迄のたたかいがどうであったか、喋っても仕方がないし、喋りたくもない。どうせ、どの軍団も似たようなものだったろうからな」
主幹士はつづけた。「ただ、おれたちの戦隊もばらばらになり、とにかくネプトに入れといわれて入ったのは事実だ。そして、おれたちの大隊はここにいる。これが大隊だ」
「…………」
ぼくは無言だった。
大隊が、これだけの人数になった。
それはあるいは、他の軍団も、当然ながらカイヤツ軍団も、そんなものなのかも知れないが……だから、問い返しても何にもならない、と、黙っているしかなかったのである。
「しかも、われわれの大隊以外の隊がどこにいるか、おれたちはまだつかめずにいる」
と、主幹士。「われわれ以外にまだスパ軍団の地上戦隊が存在しているのかどうかさえ怪しいのだ。負傷者をかかえ……おれたちは自分の戦隊を探しているが、いまだに見つからん。ネプトなんて、こんなだだっ広い都市の中では……不可能なのかも知れん。何かスパ軍団の他の隊についての情報を持っているか?」
「いいえ」
ぼくは、かぶりを振った。
「そうか。何もないか」
主幹士は呟いた。
「どうも、申し訳ありません」
ぼくは、そういうしかなかった。
「いや、いいんだ。期待していたわけではないからな。ネプトなんて……おれにとっては化けもののように広い――都市といっていいのかどうかわからん都市だ。スパ市とは違うんだ」
「…………」
「おれたちは、ネプトにいる」
主幹士は、自分にいい聞かせるようにいう。
「…………」
「ネプトに入ったおれたちに、軍は何をさせようというのだ?」
主幹士は、横顔を焚火の光に向けたまま、目を宙に向けた。「こんな状態で、たたかえるというのか? 他の隊と合流もできず……いや、合流できたとしても、どこ迄たたかえるというのだ?」
「…………」
ぼくは小さく頷いた。相手のいいたいことは理解できたのだ。
「おれたちは、ネプトを守れといわれれば、命令とあれば守りもしよう」
主幹士は、こぶしで自分の膝を叩いた。「だが、なぜそんなことをしなくちゃならないんだ? ここの――ネプトの市民たちは、戦争をどう思っているんだ? おれたちを邪魔者扱いにして……ここへ陣取るにさえ、文句をつけられた。夜になって、電気を使おうとしたが、認められんという。だから、焚火をはじめた。すると、広場での焚火は禁止されている、と、何とかいう市民団体から抗議が来る始末だ」
「それでも……頑張っているわけでありますか」
ぼくはいった。
「そうするしか、ないじゃないか」
主幹士は唸った。「うるさい連中は力ずくで追っ払って……とにかく今のところはこうして居すわっているんだ」
「…………」
「そんなネプトを、おれたちが生命を賭けて守るなんて、ひき合わん気がする。戦争がどうなるかは知らんが、おれたちにとっては、本心をいえばスパが大事だ。ネイト=スパを放っておいて……」
そこで主幹士は言葉を切った。
ぼくには、相手の心情がわかった。ネプトの市民たちにあんな目に遭わされた今では、痛いほどよくわかるのである。
それに、ここに駐屯しているスパの軍団が周囲の市民からそんな風に扱われているというのは……ネプトの市民の感覚への疑念と共に、これでいいのか、事態はここ迄来ているのか、と、嫌な気分になったのも本当である。
それだけではなかった。
主幹士は、思いがけないことを口にしたのである。
「これは噂《うわさ》だが」
と、主幹士はいったのだった。「ネプトの第一市はダンコール軍団が守っているが、ダンコール軍団ははじめからそうで、無傷だということだ」
「まさか」
ぼくは、相手を見た。
「噂だ。何なら忘れてくれ」
そこ迄いうと、主幹士はどうやら胸にあったものを吐き出してしまったようで、少し口調を変えた。「とにかく……そんなわけで、おれたちはスパ軍団の他の隊を探している。そちらが自分の隊を探している間にスパ軍団に出会ったら、おれたちがここにいるということを、知らせて欲しいのだ」
「わかりました」
ぼくは答えた。
「ところで、こっちが頼みごとをしておきながら、そちらの役に立つかどうか怪しい情報しか提供できないのは悪いが」
と、主幹士。「われわれは、ここへたどりついた兵隊から、そちらの細い道の方向をずっと行った先に、ライル軍団の大部隊が駐屯していたとの話を聞いている。一時間ほどの距離で、大きな寺院に入っているそうだ。その兵隊はあちこちと迷ってからここへ来たので、道順ははっきりしない。それにダンコール語が読めないので寺院の名前もわからないが、高い大きな塔がふたつある寺院だとのことだ。そこへ行けば、あるいはカイヤツ軍団についての消息なら、
何か聞けるかも知れない」
「わかりました」
ぼくはいった。
頼りない情報だけれども、何の手がかりも得られないよりはましである。
「では、な」
主幹士は立ちあがった。
「有難うございました」
ぼくもつづく。
「元気でな」
と、主幹士。
ぼくは敬礼をし、その広場をあとにした。
車道を駈け抜け、主幹士の指した方向の細い道に入る。
そこは、前にも述べた――大通りの中央に広場があり、高層ビル群の切れた間へ左右に放射状にもっと細い道が伸びている、そのひとつで、両側は四階とか五階の低いビルが並んでいるのであった。街灯は乏しく、行き来する人間も広場のへんの大通りと同様、少ないのである。ただ、入ってみるとその道は、たいぶむこう迄まっすぐにつづいているようで、当面、このまま進んで行けばよさそうであった。
ぼくは先刻迄の、他の人々なみの早足で歩きだす。
それにしても、今のスパ軍団の主幹士とのやりとりが、ぼくにさまざまなことを考えさせたのは、たしかであった。
あの主幹士が哨兵の連絡を受けてすぐにテントから出てきたのは、やはり少しでもスパ軍団の他の隊についての情報が欲しかったからであろう。ぼくはあの主幹士が、さっきの大隊≠フ中でどんな位置にあるか、知る由もない。だが大隊があれだけの人数になってしまっている以上、主幹士相応の分隊長などではなく、もっと上の、小隊長なり中隊長なりの仕事をしなければならなくなっているのではないか。ぼく自身の隊のことを思っても、それは充分にあり得ることなのだ。そんな状況で、あの主幹士は、期待していたわけではないといったけれども、本当はぼくという外来者から何かの情報を得られるのではないかと考えたのであろう。つまりは、スパ軍団はそこ迄ばらばらになっているのを意味する。これは、スパ軍団に限らないかもわからない。他の軍団……カイヤツ軍団だって、そうなっているおそれがあるのだった。
連邦軍は、すでにそんな状態になっているというのか? お互いにうまく連絡もとり合えず、軍隊としての集結さえなし得ないままに、それぞれが置かれた状況下で、それぞれのやり方でたたかいに備えるのを余儀なくされているというのか?
とても……希望の持てる情勢とはいえない。
そして。
それ以上に深刻なのは、あの主幹士が吐露した気持ちであった。ネプトの市民たちの連邦軍への反応や、戦争に対する感覚と、それらへの怒り……そんなネプトのためになぜ自分たちが生命を賭けてたたかわなければならないのか、どうせ死ぬなら自分のネイトのために死にたいとのあの言葉は……ぼくにも同感し得るものだっただけに、重いのであった。あの主幹士は、それでもかなり抑制して喋っていたようにぼくには思えるけれども……連邦軍の、それもれっきとした主幹士がそんな意識を持つというのは……他の兵隊の多くも当然そうであろうということを考え合わせると、深刻としかいえないのである。厭戦気分であった。厭戦気分といい切るのは行き過ぎであるとしても、ぼくには、連邦全体のためよりは自ネイトのために死にたいということが、連邦全体としての意識が解体しつつあるのを示唆《しさ》しているように思えたのである。
のみならず……これは噂だとの前置きつきであったものの、ダンコール軍団についてのあの話は、ぼくを暗い気分にさせた。もしもそれが事実なら、ダンコール軍団は自分のネイトの首都のために、他の軍団を犠牲にしたことになるではないか。ネプトーダ連邦の首都の機能を維持するという大義名分があるにしても……大義名分をふりかざされればされるほど、正直、汚いという感じがするのである。
どこか……末期症状なのであった。
が。
ぼくはぐいと頭を挙げた。
それはそれ、これはこれだ。
ぼくは、とにかく自分の隊に帰着しなければならぬ。
それが先決なのだ。
思考停止といわれようとも、まず、なすべきことをなさねばならない。
第一、ぼんやりとそんな想念を追っていては、油断が生じる。いつ何がおこるかわからないのだ。警戒心を張りつめていなければならない。
ぼくは、歩きつづけた。
両側のビルは、ほとんどが戸を閉じ、あかりも消している。それが、行くにつれてビルの割合が減り、木造の建物が多くなってきた。
行き来する人々も、さらに少なくなった。前方のぼくの視野に六、七人がいる。背後も同じようなものであろう。
ぼくは、道の中央を進んでいた。暗い軒下のほうが目立ちにくいかも知れないが、横合いから何かが飛び出してきたときに、不意をつかれるおそれがあり、それに備えて歩くのでは、速度が鈍ってしまうからである。道の中央なら、他人から見られやすい代りに、とっさの対応が楽なのだ。それに、変に身を隠して歩くよりも、堂々とまん中を行くほうが、かえって他人の注意を惹かずに済むとも考えたのである。
そのはずであった。
しかし。
さらに五分か六分行ったところで、ぼくは、自分が誰かにみつめられているような感じに襲われたのである。それも、どこかからひそかに監視されているというあれではなく、まともに見られているようなのであった。まともに、といったけれども、それが妙なことに前からでも前方からでも横からでもなく、何となく全体を、押し包むように(とはいささか奇妙な形容であるが)観察されているみたいなのだ。
誰がどこから眺めているのだ?
ぼくは歩調も変えず顔の向きも変えずに周囲を見やったが……それらしい相手はいなかった。
にもかかわらず、それは依然としてつづいている。
とにかく、誰かに狙われているとすれば、危険であった。ぼくはさりげなく斜めに進んで、軒下のコースをとった。速度は落ちたけれども、そうすれば自分を観察している者がどこにいるのかわかる――と、思ったのである。
見られている感じは消えなかった。
それどころか、軒下のコースをとって間もなく、一段と強くなったのである。
何だ?
これはどういうことだ?
このままにしておくのは、やはり不安であった。ぼくは停止して周囲を見極めようと決心し――次の瞬間、だしぬけにそれが消失したのを知ったのである。
何だ?
今のは何だったのだ?
ぼくは再び道の中央へ出た。もう、あの感じはなかった。一分経っても二分経っても襲ってはこなかったのである。
どういうことだ?
わからない。
歩きつづけるほかはなかった。
なおも進むうちに、しかしぼくは、前方で道がふたつに分れているらしいのに気がついた。斜め右へと斜め左へなのだ。
誰かに訊こうか、と、一歩ごとに分岐点に近づきながら、ぼくは考えた。視野には二、三人が前方へ歩いており、ひとりがこっちへやってくるのが映っている。
だが、ぼくは訊くのをやめた。相手が悪いと、またあんな騒ぎをひきおこすかもわからない。そんな厄介事に巻き込まれる位なら、自分でどっちかを選び、間違っていたら修正し正しい方向へ行けばいいのだ。
ぼくは速度を落とさずに分岐点にさしかかり、とっさに右へと道をとった。なぜ右にしたかと問われても、答えようがない。どちらも今迄の道にくらべると心持ち幅が狭いものの、似たようなものだったし、人通りがまばらなのも共通していたのだ。強いていえば、これ迄の道が僅かながら左方へずれて来たような印象があったので、右を選んだのである。もっとも、その左方へのずれというのも、はたしてそうだったのか否か、自信はなかった。
しばらく行くと、道は一段と暗くなった。街灯は遥かかなたにひとつ、そのずっと先にひとつという具合で、あかりをともしている家はなくなってしまったのだ。あの三人に襲われた道と変らぬ暗さであった。
これは道を間違ったのだろうか?
しかしぼくは、反転するよりも、そのまま進むことにした。もうひとつの道だって、こうなっていたのかも知れないのだ。進むうちには、また様子が違ってくるのではあるまいか。
もう、通行人の姿は見えない。
ぼくは全身を神経のようにして、歩きつづけた。
十字路に出た。
十字路といっても、道が直角に交差しているのではない。歪んだ十字で……左右へ伸びるのも前方へ行くのも、すべて斜めになっているのだ。その中でも、前方へ行くのだけがこれ迄の道と同じ幅で、ほかは細かった。
ぼくは前方への道に踏み入った。
踏み入ってしばらくすると、低い暗い街灯に照らされる石の階段が出現した。階段を下りなければ先へは行けないのだ。周囲を見渡すと、そのあたり、土地が一段低くなって、下のほうにも家々がひしめいているようなのであった。
やむを得ない。
ぼくは石段をくだった。
くだってみると、そこは小さな家々が並ぶ道で、しかも何かの商売をしているところも少なくないらしく、あちこちに看板が出ている。といっても、ほどんどの家のあかりは消えていて、さっきの石段の上の灯や、ずっとむこうの街灯でそれを見て取ることができたのだが……二軒か三軒、まだ戸を閉めず内部にあかりのついている店もあるのだった。
ぼくはそれらの前を通り……にわかに胃が欲求を訴えているのを自覚した。というのも……ちょうど通りかかった家から、何かを焼く、食べものの匂いがしてきたからである。そういえばぼくは、だいぶ長い間ものを食べていなかった。なるほど、ぼくはあのドゥニネたちが呉れた固形食品を、一個と三分の一ほど残していたが、貴重なそんなものを簡単に食べてしまうわけにはいかないので、温存していたのである。
ちらりとその店を窺うと、おばあさんがひとり、鉄板らしいものの上に何かを載せて焼いているのである。
何を焼いているのかはわからない。
だが、ダンコールの金を出せば売ってくれるのではあるまいか? そして、買いものをしたとなれば、ぼくが道を尋ねても何とか教えてくれるのではないか? しかも店の中にいるのは、おばあさんひとりだけなのだ。だったらぼくにとって危険はないと見倣《みな》していいだろう。むしろ先方のほうが危険を感じるかも知れない。
ぼくは足を止め、ゆっくりと引き返してその店の前に立った。
それから、相手を驚かさないように、小さな声を出したのだ。
「今晩は」
「…………」
おばあさんは、ぼくに目を向けた。その顔には深い皺《しわ》があった。
「それ、売ってくれませんか」
いいながら、ぼくはダンコールの金を出した。値段がわからないので、手持ちのを全部てのひらに載せて差し出したのだ。
「…………」
おばあさんは、ぼくをちょっと眺めていたが、やがて鉄板の上にある黒いかたまりのひとつに、わきにあった串を取って刺すと、ぼくのほうへ突き出した。
ぼくは受け取った。
おばあさんはぼくのてのひらから金をつかみ取った。よくはわからないが、ぼくのダンコールの金の半分以上を取ったようであった。
「このところ、急にものが高くなってな」
おばあさんは、呟くようにいった。しわがれた、疲れた声であった。「それに、今焼いているのは、わしのためのものでな。ひょっとするとじきに、食べものを持ってここから逃げ出さなくてはならなくなるかも知れんから」
「…………」
ぼくは、串に刺したその黒いものをかじった。
焼けた香《こうば》しさはあったものの、何とも変った味であった。いくつかの材料をまぜて練ったのであろうが、その材料の中には、ぼくがこれ迄に食べたことのなかったものが含まれていたのは確実である。が……それは見た目よりも食べでがあり、軍のパックされた食糧に馴れていたぼくには空腹をいやすに充分であった。
と。
「あんた、連邦軍の人だね?」
ぼくが食べ終るのを待っていたおばあさんが問うたのだ。
「そうです」
ぼくは答えた。
「連邦軍の人なら、わしの息子を知らんかね?」
おばあさんはいう。「ザネク・ディジュというんだが……会ったことはないかな?」
「…………」
ぼくは、返答につまった。
連邦軍だからといって、そんなことを訊かれても、どうしようもないのだ。しかも、このおばあさんの息子とあれば、ダンコール軍団であろう。自分の軍団の人間ですら知っているのは限られているのに、他の軍団の者など……わかるわけがないのである。
「知らんかな?」
おばあさんは繰り返す。「ザネク・ディジュというのを」
どう応じるべきであろうか。
このおばあさんにとっては、連邦軍は連邦軍で、その規模や人員の多さなど、念頭にもないのだ。だからぼくと知り合いかもわからないと思って、訊いているのである。そしてぼくはそこで悟ったのだが……このおばあさんが、元来は商品だったのだろうけれども、こんな情勢になってきて、逃げ出すときのために自分用に焼いていたのを売ってくれたというのは、ぼくが連邦軍兵士だと知って、そのことを尋ねようと思ったからに違いないのであった。そんな相手に、素っ気ない返事をしたくはない。それにぼくにはまだ、ライル軍団がいるという寺院への道を訊く用が残っていたのだ。
ただ、ダンコール軍団というのなら……。
「そういう人は、ぼくは知りません。連邦軍といっても、いろいろ軍団があって、ぼくはよそのネイトから来たのですから」
ぼくは、丁寧にいった。「でも、息子さんがここの――ネプトの出身なら、ダンコール軍団でしょうね。ダンコール軍団なら、ぼくは実際にたしかめたのではありませんが、ネプトの第一市にいるとも聞きました。あるいは今、第一市にいるのかもわかりません」
「第一市、な」
おばあさんは頷いた。「第一市へ行けば会えるかも知れんとな?」
「噂ですが」
ぼくはそう応じた。
「そうか。第一市、な」
おばあさんはまたいった。
このときのぼくの複雑な心象は理解して頂けよう。事実かどうか不明だが、ダンコール軍団が無傷で第一市にいるらしいと聞いて、嫌な感じがしたぼくが、そのことを相手への返答の材料にしていたからである。
「第一市へ行ったら、息子に会えるかな」
おばあさんは、鉄板の上のものを裏返しつつ、呟くのだ。「こんなことになってきたのだから、息子も早く連邦軍を辞めたらいいのに……それを話さなければならんわい」
「…………」
ぼくは、黙っていた。
おばあさんのいうようなことが簡単には出来ないのを……喋って何になろう。いっても詮のない話であった。
ともかく。
「ところで、教えてくれませんか?」
今度はぼくが問う番だった。「ここから……そう近くはないのかもわかりませんが、大きな寺院があるというんですが……」
「寺院? 何という寺院?」
おばあさんは反問した。
「知らないんですが、そこへ行かなければならないんです。高い大きな塔がふたつあるという寺院なんです」
ぼくはまたいった。
「高い、大きな塔が……ふたつ」
おばあさんは考えてから顔を挙げた。「それはきっと、ノヴェ寺院だろう。ノヴェ寺院なら」
手を、店の奥――道とは直角の方向に指した。「こっちへどんどん行けば、塔が見えてくる。道はややこしいが、塔が見つかる迄行って、見えたら、そっちへ行けば良い」
ぼくは礼を述べて、その店を出たのであった。
一時間後。
ぼくは、小さなビルが乱立する、街灯ばかりが空しい街角に立っていた。
おばあさんが教えてくれた方向へと来たのだが……道はたびたび分れ、そのうちにどちらをどう進んでいるのか、見当もつかなくなってしまったのである。
たしかにぼくは、歩いているうちに、また高層ビルの群列の見えるあたりに来ていた。しかしその高層ビル群が、最初の広場やその後の大通りに面したものなどと同じかどうか、識別のしようもなかったのだ。第二市が高層ビル群の都市であるのを思えば、あるいはとんでもない方角へやって来たのかも知れない。
ぼくは、第二市が高層ビル群の都市であるといった。
それは本当だ。
だが、高層ビル群の都市というのは、高層ビルだけで成立しているのではなかったのである。すでに出てきたように……ぼくが例の中年男たちや野次馬にののしられ走って、三人組に襲われようとしたような、あるいは、石段を下りてあのおばあさんに出会ったような、そんな場所がいくつもあるのだった。むしろ高層ビル群の都市だからこそ、そうしたビルとビルとの広い谷間や、ビル群から外れたところに、古い雑多なごちゃごちゃした地域が必然的に生じてきた――と考えていいのではあるまいか。
ぼくが迷い込んだのは、またもやそんな場所のようであった。しかし今度は、小さなビルの集まった、それなりのオフィス街らしかったところである。らしかった、というのは、そうした小型のビルの多くは使われていないようで、窓のガラスが破れたまま放置されたものもあり、道にはごみが散乱していたからだ。それだけならともかく、ぼろぼろの袋を背負った男や、何をしでかすかわからない感じの二、三人の若者といったのが、うろうろしていたのである。
ぼくは疲れていた。
随分歩いたのだ。
それに……夜は更けていた。そろそろ深夜に近くなろうとしていたのだ。
今夜はもうノヴェ寺院とやらを探すのを諦めて、どこかで眠ったほうがいいのかも知れない。
しかし……どこで眠るというのだ?
こんなところで眠れば、たちまち襲われるだろう。
とすれば、空っぽらしいビルの中に入って仮眠すべきであろうが……そこにも先客がいるかも知れなかった。
ここにこうして突っ立っているのはやめて、もう少し行こう。行けば、いい場所が見つかるかもわからない。
ぼくはそう思い直し、一息入れると、夜空に黒くそそり立つ遠い高層ビルの群をめざして、歩きだそうとした。
そこでぼくは、変なものを見掛けたのである。
ぼくは、汚れた壁と壁の間の小路から、もうちょっと広い道へ出ようとしていた。そのぼくの眼前を、ひとつの影が、何かをばらまきながら、右から左へと、駈け抜けて行ったのである。
あれは何だ?
ぼくはそっちへ行った。
目をやると、もうその影――男か女かも、ぼくにはわからなかったが、そいつは別の角に走り込もうとしており、あっという間に姿を消したのである。
何だ? あれ。
ぼくは視線を落とした。
そいつがまいていたらしい紙片が、あっちこっちに落ちている。
何だろう。
ぼくは拾いあげた。
字が何十行も書き込まれているようだが、街灯の光が遠いので、その場では読めなかった。
ダンコール語で書かれているとすれば、あかりの下でもぼくにはろくに読めないわけだが……好奇心にかられたぼくは、その紙片を手に、近くの街灯へと歩いて行った。
紙片をかざすと、それはどうやら黄色の紙らしい。
刷られている文字はやはりダンコール語で……。
いや。
そこには、何種類もの言葉が並んでいるのであった。
カイヤツ語もあった。
ぼくは読んだ。
わが軍は、完全にネプトを包囲しました。
あさってには電気もとまります。
ネプトは、じきに地獄になります。生きて行けなくなります。
なぜ、無駄なたたかいをつづけるのですか。ネプトーダ連邦の総府は、すでに降伏を決定しています。降伏を妨げようとする一部の勢力があって、みなさんにこれ以上の犠牲を強いようとしているのです。
生命は大切です。
わがウス帝国とボートリュート共和国の連合軍は、ネプトーダ連邦を解放し、これ迄の一部上層階級の支配から、人類の本来の正しい道、正統世界への実現に力を貸します。
この紙を持って、ネプトの外へ出て下さい。この紙があれば、降伏したとして、わが軍は保護します。あなたの生命は保障されます。
急いで下さい。
時間はないのです。
ぼくは茫然《ぼうぜん》とその文面を眺めていた。
ぼくが読んだのはカイヤツ語であるが、多分ほかの文字は、それぞれのネイトの言語なのであろう。
それにしても……これは、まぎれもなく降伏勧告のビラだ。それも、ひとりひとりに訴えようとするビラなのである。
ネプトーダ連邦の総府は降伏を決定した?
妨げているのは一部の勢力?
それが現実なのかどうか、ぼくにはわからない。
だが……こんなものがネプトでばらまかれているというのは、衝撃であった。
今の黒い影は、すると、潜入してきた敵の工作員なのか? それとも、敵に協力するこちら側の人間なのか?
それにしても……。
ぼくが首を振ったとき。
何人かの重い靴音が、入り乱れながら聞えてきたのだ。
制服姿であった。
五人か六人。
かれらは、道に落ちた紙片を拾いつつ、こちらに来るのだ。
そして、その先頭のは、ぼくを認めると走ってきた。
叫びながら、である。
「貴様、何を読んでおるのか! それが何だか、わかっているのか!」
その居丈高な調子の声を耳にする迄もなく、ぼくは事態を了解していた。
かれらは警察官か、でなくてもそのたぐいのメンバーで、敵のこの種のビラを人目につく前に回収し、ビラに興味を持ったり心を動かされたりする人間がいるとなると、容赦《ようしゃ》なく取り締まろうとしているのだ。
となると、こちらの態度|如何《いかん》では、どなられ詰問され、へたをすれば逮捕されるかも知れない。
そして、職務執行中のこうした連中は、相手がおとなしいと見て取ると、余計にかさにかかってくることが多いのである。
とっさにそう判断したぼくは、自分の立場を利用して高飛車に出ることにした。
「貴様――」
駈けつけて声を張り上げようとするその制服に、ぼくは手のビラを振り回してみせた。
「これは何だ!」
ぼくはわめいてやった。「われわれが命懸けでたたかっていた間に、ネプトではこんなものがばらまかれていたのか?」
「…………」
先方は、あっけにとられたようにぼくをみつめた。
「これは降伏勧告の……投降を呼びかけるビラではないか!」
ぼくはつづけた。「こんなものが出廻っていては、戦意も何もないではないか! 一体これはどうなっているのだ!」
「だからわれわれは――」
相手はいいかけたが、そのときには他の制服たちもぼくの傍へやって来ていた。
「連邦軍の人だな?」
あとから来たうちのひとりが問いかけた。
「そうだ。カイヤツ軍団だ」
ぼくはまだ怒りの姿勢を崩さずに返事をした。「自分の隊を追ってここ迄来たのだ。なのにこのネプトでは、臨戦態勢どころかみんな思い思いのことをして……おまけにこんなビラさえばらまかれている。これでいいのか? こんなことでいいのか?」
怒りの姿勢――と、ぼくは述べた。たしかにはじめはかれらの機先を制するためにそんな出方をしたのだが、喋るうちにこれ迄の不満や疑念がどっと奔出してきて、なかば本気になってしまったのだ。
「待て」
連邦軍の人だなとたずねた制服が、片手を挙げた。様子から察するに、それがこの五、六人の指揮者のようである。
「われわれは、われわれなりに最善をつくしているつもりだ」
指揮者らしい制服はいった。「敵の工作員が潜入してきているのか、通敵者がいるのか、ともかくこういう状況の中で、われわれは出来るだけのことをしようと努めている」
「…………」
ぼくは黙って聴いていた。
「こんないい方は失礼かもわからないが、連邦軍は大打撃を受け、ネプトに入った。そしてネプトは敵に包囲されている」
と、相手。「なぜネプトがこんな状態になったのかを、お互いに云々《うんぬん》してもはじまらない。あなたが多分そうであるように、われわれもまた既成事実の中で、それなりに努力するしかないのだろう。思うような成果を挙げられないとしても、だ。そこを理解して貰いたい」
「わかった。いい過ぎたかも知れない」
ぼくは率直にいった。
今の対応によって、かれらに追及されるのを免れたばかりか、逆に攻勢をとることになり無事に済んだのにほっとしながら……同時にぼくは、考えてみればこの連中だって、現在のような状況では、おのれの義務を果たそうとしながらも、どこか空しさを感じているのではないか――との気もしたのである。
そして、ぼくがそんな応じ方をしたせいか、先方も態度を軟化した。
「これ迄のたたかいはどうだった?」
と、指揮者らしいのは訊いたのだ。「われわれは詳しいことを知らされていないが……やはり敵は圧倒的なのか?」
「…………」
ぼくは苦笑と共に、相手の言葉を肯定する身振りをした。詳細に説明して……何になるだろう。また、簡単に喋れる事柄でもなかったのだ。
「――そうか」
相手は呟いた。
「どうなのだ?」
ぼくは思い切ってたずねてみた。「われわれは実際にたたかったが、全体的な戦況はわからない。このビラには妙なことが書いてあるが……本当なのか?」
「わからん。何もわからん」
相手は首を振った。
「もうひとつ、知っていたら教えて欲しい」
ぼくは、またいった。折角の質問の機会だと気がついたのである。「連邦軍のカイヤツ軍団はこの近く……でなくても第二市にいるのだろうか? それとも」
「わからない」
相手は再び首を振った。「連邦軍がどうなっているのかについて、われわれは何の説明も受けていないのだ。われわれの見るところ、この第二市では連邦軍はばらばらにあちこちに集まっている。他の市に入ったのもあるということだが、われわれは第二市のことしか知らない。何かの作戦に従っているのかそうでないのか……それも不明なのだ」
「ばらばらに、あちこちに?」
ぼくはひとり言のように繰り返した。
「正直いうと、そうした連邦軍が周囲の市民たちと悶着《もんちゃく》を起こしかけているのも事実なのだ」
相手はいう。「いったんネプトを出た市民が逆流してきたばかりか、近郊に住んでいた連中迄が流れ込んできた上に、さらに連邦軍が入ってきたのだから、ネプトはふだんよりも多い人数を抱え込んでいるはずだ。第一市では入市を制限しにかかっているとの話もあるが、はっきりしたことはわからない。ともかく、その連邦軍が市内の各所に居すわっているのだから、問題が起こるのも無理はないだろう。これがあちこちでの本格的な騒ぎにでもなれば、われわれの手ではどうしようもないだろうな」
「――そうなのか」
ぼくは、あの大通りの小さな広場に駐屯していたスパ軍団の一隊を想起しながら、呟いた。
「しかし……連邦軍はネプトを防衛するために入ってきたはずだ。それで悶着が起こるというのは……」
「…………」
相手はすぐには答えず、他の制服たちに手で合図した。
他の制服たちは、ぼくらを残し、まだ落ちているビラを拾うべく、行動を再開した。
「訊きたいのだが」
指揮者は、ぼくに向き直った。「連邦軍は本当にネプトを守るつもりなのか? そうなのか?」
「とは?」
ぼくは反問した。
相手が、連邦軍は本当にネプトを守り得るのか、それだけの自信があるのか――と、問いかけているように思えたのだ。ありていにいえばぼくの感覚では、まずそんな望みはなかった。が……それを口にするのはやはりはばかられたので、とりあえず反問したのである。
だが、相手はそんな意味でたずねたのではなかった。
「これはどこからともなく流れてきた噂だが」
と、指揮者はいいだしたのだ。「連邦軍のダンコール軍団はここが本拠だから別として、他の軍団では自分のネイトをなおざりにして何もネプトのために死ぬ必要はない、という空気が広がっているそうだ。ネプトからの脱出を内密に決めた軍団もあるという。実行にかかっているところもあるというのだ。そんな噂が、ネプト市民の不信感を呼び起こしているのだと私は思う。あなたは、そういう内命とか指示を受けているのか? このことについて何か聞いているのか? 知っていたら、これはこの場だけの個人的な話として、教えて欲しいのだ」
「…………」
ぼくは、ちょっとの間、相手の顔を注視していたはずだ。
ネプトからの脱出?
実行にかかっているところもあるという?
またもやぼくの心の中に、あのスパ軍団の……あの主幹士の言葉が起きあがってきた。
それは……あり得ることかも知れない。
いくら連邦の首都だといっても、他ネイトの軍団にとって、所詮ネプトは異郷なのである。戦争が絶望的な様相を呈してくれば、というより、絶望的な様相を呈してきたときだからこそ、ネプトのために生命を投げ出すよりは、何とかしてネプトを抜け出し自ネイトのために再起を期するほうがましだ――と考える者が、すくなくないはずであった。
「どうなのだ?」
相手が促した。
「私自身に関していえば、そのような内命も指示も受けてはいない」
ぼくは、ありのままをいった。「その噂の真偽についても、何も断言できる立場にはない」
「では、ただの噂に過ぎないというのか?」
相手は重ねて問うた。
「わからない」
別に今しがたの返事を真似たつもりはないが、ぼくは同じような答え方をしてから、しかし、つけ加えずにはいられなかったのだ。「ただ……そういうことがあり得るかと問われれば、個人的見解として、否定はし切れないと思う」
「だろうな」
相手は頷いた。やはり、と、いいたげであった。
一秒か二秒、何ということもない時間が流れ……ぼくは自分の手にまだ先刻のビラがあるのを認めた。
相手に渡す。
「いよいよ、ということか」
受け取りながら相手は、最後とかおしまいとかの決定的な単語を避けたそんな言い廻しをし、もう一度ぼくを見やった。「われわれも頑張れるだけ頑張るしかないが……あす、あさってと、状況はますます悪化するだろう。あなたも自分の隊を探すのなら、早いうちに……出来ることなら徹夜してでも探すほうがいいな」
「ご忠言に感謝する」
ぼくは答えた。
「では」
いうと、指揮者はぼくの前を離れ、大股に部下たちを追って行く。
街灯の直下、ぼくはその後ろ姿を眺めながら、二呼吸か三呼吸の間、たたずんでいた。
そのときぼくの心に浮かんでいたのは、何となく奇妙な話だけれども、随分長話をしたな、という意識であった。
それも、ダンコール語でなのだ。
ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースとずっと一緒だったせいで、ぼくはダンコール語での会話にそれほど不自由はしなくなっていた。とはいえ、あのゲネント先生の話を聴くには、ふたりの助けを借りなければならなかったのだ。が……その後もいろんな人たちと喋って、もっと楽になっている。スパ軍団の主幹士と相対したさいには、相手の話し方がたどたどしく感じられた位なのだ。そして今は、ダンコール人の初めて会った警察官(?)とあれだけ話したのである。あるいはそこにはいくつかの聞き違いや錯覚があったかも知れない。だが、一応会話は成立したのだ。先方がどの程度に受けとめたかはわからないが、ぼくはぼくなりにダンコール語での長いお喋りをやってのけた(または、やってしまった)のである。自分でも驚くほどの上達ぶりであった。
普通、他ネイトの言語による会話なんて、そう簡単に習得できないというのが常識である。
なのにぼくが急速にダンコール語の会話に馴れたのは、途中迄続いていた読心力のおかげであろう。言葉とイメージを同時に受け取り、こちらの言葉に対する相手の心理反応をそのつど確認し得たから、早く覚えたのに相違ない。
が、読心力が消えてしまった後も進歩しているというのは、どういうわけだ?
ひょっとしたらそれは、エスパー化しているさなかのぼくが、自分でも知らないうちにダンコール語の言葉とイメージの群を貯えていたからなのかもわからない、と、ぼくは考えたりした。それらが、超能力が消えたのちにも、喋りつづけるうちに起きあがって来て、ぼくを助けている――ということではあるまいか?
この推測が的中しているのかどうか、ぼくには何ともいえない。
何となく当たっているような気もするものの、別の理由があるのかも知れない。
いずれにせよ、ぼくには有難いことであるのはたしかである。
が。
ともあれ、と、ぼくはそこで街灯の下を出て歩きだした。想念を追っていたとはいえ、油断していたのではないし、その時間も今いったようにほんの二呼吸か三呼吸に過ぎなかったけれども……こんな場所で街灯の光に身を晒《さら》しているのは、みずから危険を求めるようなものである。あの制服の連中が傍にいたうちは、うかつに襲うわけには行かなかっただろうが、こうなるとぼくはひとりきりの――標的になりかねないのだ。周囲を見渡したその視野には、遠ざかるさっきの制服たちしか映らなかったけれども、そこかしこの物蔭には誰が潜んでいるか知れたものではないのであった。
歩きだしてぼくは、さりげない足取りで今の街灯から離れて行った。少し進むと、このあたりでは比較的大きなビルの、いくつかある出窓の下が、街灯の光も届かない暗がりになっているところがあった。ビルそのものも無人のようである。
ぼくはその出窓の下に入った。
ここなら他人から姿を見られないし、近寄る者があれば識別できる。
ぼくがそんなことをしたのは、今のあの指揮者がいった事柄をもとに、少し考えてみたかったからであった。考えるとなれば、歩きながらよりも、暗がりに身を置くほうが安全なのだ。
ぼくは壁に背中をもたせかけ(それがどんなに楽だったことか)しかし両腕はいつでも使えるようにだらんと垂らしたまま、さっき迄の想念を復活させた。
長話――だったな。
ダンコール語での長話。
だが、ダンコール語の会話能力の件は、それはそれ迄である。今はそのことは、さほど重要ではない。
ぼくが、随分長話をしたな、と思ったもっと主要な理由は、あの制服の指揮者がよくもあれだけ喋ったものだ、と、意外だったことにある。
あの指揮者は、一連邦軍兵士のぼくに、なぜああも長い話をしたのだろう。
前半はわかる。
前半は、ぼくの猛烈な逆襲をなだめるために自分たちの立場を説明し、ぼくが率直な態度をとると、今度は、実戦を経てきたぼくに敵が本当に強いかどうか聞こうとしたのだ。ま、それにしても言葉が多かったのは否めないが……理解できるのである。
けれどもぼくの質問に、何もわからないと答えてから後の、噂――連邦軍がネプトを守るつもりなのか、ネプトを出てゆくのではないか、との噂についてぼくに問うたのは、あれはどういう気持ちだったのであろう。それにおしまいに忠言迄してくれたのは……どういうことなのだろう。相手がもともと話好きの性格だったというのなら、そう不思議ではないのだが……どうも、そんな人物という印象ではない。かりにそうだったとしても、突然出会った見知らぬ連邦軍兵士に、そんなにぺらぺらと喋るものだろうか。
彼は、ダンコール軍団以外の軍団員であるぼくに、あなたはそういう内命とか指示を受けているのか、と、訊いたが……。そして、知っていたらこの場だけの個人的な話として教えて欲しいともいったのだが……。
ぼくはそこで、突然悟った。すくなくとも自分では悟った気になったのだ。
あの指揮者は、不安だったのではないか?
そう。
戦況がきわめて不利で、ネプトが敵に包囲され、これからどうなるかわからぬ中で、敵の投降勧誘ビラを回収しビラに影響を受けそうな人間を取り締まる――などという仕事をしていては、こんなことに大して意味はないのではないか、と、疑いたくもなるであろう。しかも敵の実体についてもその他の事柄についても情報をろくに与えられないとなれば……そこへ持ってきて連邦軍についてのそんな峰を耳にしたとあれば、不安にもなるではないか。不安だから、それをナマのかたちではなくても、何か知っていそうな人間に出くわせば、お喋りによって聞き出したかったのではないか? お喋りだけでも多少は気が楽になるだろうし、自分の知らない事実を聞き出せればもっといいのである。だからあんなに話したのだ。といっても、ダンコール軍団以外の連邦軍がネプト脱出をもくろんでいる云々の話は、さすがに部下たちの前ではいいだせず、だからぼくとふたりきりになってたずねようとしたのではなかったのか?
そう解釈すれば、なるほどという感じがする。
真実がどうなのか、知らない。
だがぼくは、そう解釈しておくことにした。
すると、次だ。
噂というのは、まことだろうか?
ネプトから脱出しようとしている運邦軍団があるのだろうか?
もしそうだとして……ではカイヤツ軍団はどうなのだ? やはりそうなのか?
それに……ネプトが包囲されてしまっているというのに、脱出なんて可能なのか? うっかりネプトを出たりしたら、敵によって全滅させられるのではないか?
待て、と、ぼくはおのれの想念の流れを断ち切った。
ここでそんなことを考えて何になる?
考えるだけでは、何もわかりはしないのだ。
そんなことは、いずれはっきりするときが来るはずである。それも、じきにだ。
今は……。
今は、これから自分がどうするかを考えるべきであった。
そもそもが、こんな場所にやって来たのは、それを考えるためだったのである。
あの指揮官は、ぼくが自分の隊を探そうというのなら、徹夜してでも探したほうがいいと忠告した。あす、あさってと、状況はますます悪くなるだろうからだ。
先程、ビラがばらまかれるのを目撃する前のぼくは、どこかで眠ったほうがいいのではないか、と、考えていた。しかしそのためには適当な場所を見つけなければ、とも思っていたのだ。
けれども事情がそうなら……しかも、嘘か本当か知らないがネプトを出ようとしている連邦軍団があるとして、カイヤツ軍団ももしそのひとつだとしたら……ぐずぐずしてはいられない。
探すべきなのだ。
だが……どこを探せばいい?
ぼくが得ている唯一の情報は、ライル軍団の大部隊がノヴェ寺院とやらで駐屯しているというものである。
そのノヴェ寺院への方向を、ぼくは見失ってしまった。
ノヴェ寺院には高い大きな塔がふたつあって、遠くからでもそれは見えるらしいが……こんな夜中では、とても発見は叶うまい。歩き廻っても徒労に終るのではあるまいか。
急ぐべきだろうが……本当なのだろうか? 連邦軍団でネプトを脱出しようとしているのがあるというのは……。
ぼくは、ぎくりとした。
ビルの壁に背中をもたせかけたまま、ぼくは眠りかけていたのだ。
全身がだるい。
疲れ切っているのだ。
こんな状態で深夜の町を歩き廻っては、いつ誰に襲われるか知れたものではないし、ぼく自身の戦闘力もあてにはならないだろう。やられてしまうおそれがある。
いや、気力で何とか撃退するとして……それでノヴェ寺院を発見できればよいが、できなかったらどうなる? へたばって、それで夜が明けたら……昼日中、どこかで眠らなければならないのだ。昼日中に安全に眠れる場所が確保できるだろうか?
しかも、うまくノヴェ寺院を発見し、ライル軍団の人々に会えたとしても、かれらがカイヤツ軍団の居所を知っているという保証は何もないのである。
ここ迄考えて……ぼくは、心を決めたのだ。
あの指揮者の忠言は正しいし、的を射ているのだろうが、現在のぼくには実行不可能だった。むしろ、今はどこかで眠って、体力を回復しておくべきであった。
そうするしかない。
だが、どこで眠る?
となると、空っぽのビルの中に入って仮眠するという――先刻の思案に従うことになるが……。
このビルはどうだ?
ここに誰もいないのなら、この中でもいいのではないか?
ぼくは、淡く街灯に照らし出されているビルの玄関を窺った。
ドアが開いているのか閉じているのか、ここからはわからない。
前迄行って確かめれば良いのだが、そのためには暗がりから出て、遠いとはいえ街灯の光を受けなければならないのだ。
といって、出窓の下に来る前にちらりと見た記憶を呼び起こすと、たしか、このビルと両隣りのビルとの間には、人間がやっとひとり通れる位の隙間があるだけだった。記憶の通りだとすれば、そんな中に入って行くのは考えものである。行動の自由が利かなくなる上に、壁に窓がなかったり裏へ廻ることができなかったりしたら、何をしていることかわからない。記憶違いでもっと広かったとしても……どのみち、これも街灯の光を浴びるのは同じなのだ。
どうせなら、玄関から入ろう。
ぼくは、伸縮電撃剣もレーザーガンもどちらもすぐに抜けるようにして、ゆっくりと暗がりから出た。こそこそと動けば、はた目にはおびえているように見えてそれだけ狙われ易いだろうから、背を伸ばし、来るものがあればいつでも来いという構えで、歩いて行ったのである。
玄関のドアは閉じていた。
背後に注意しながら、ぼくはドアを押した。
ドアは開いた。
ぼくは中へ踏み込みつつ、伸縮電撃剣を抜いた。レーザーガンにしなかったのは、外と違ってそんなに遠くからの攻撃や応射ということがないだろうし、暗い場所でレーザーを射出すればこちらの位置を教える結果になると思ったからである。
中は暗く、何の気配もない。
無人なのだろうか。
ぼくはドアからずれた位置で一分以上じっとしていた。
相変らず、何も起こらない。
耳をすましても、そうなのだ。
無人だ、と、ぼくは判断した。
となると、今度は外である。
ぼくはドアを少し開き、誰かこちらへ来ないか見定めようとした。ぼくが中に入ったのを認めてやって来る者があれば、それなりに(相手の出方しだいだが)挨拶しなければならない。
ぼくは伸縮電撃剣を構えて、今度は二分近く待った。
動くものは見えない。
よし。
ぼくはドアから離れ、ビルの内部へ入って行った。暗いので足元に気をつけながらである。
床には何だかよくわからないが、大小いろんな物品がころがっているようであった。だから蹴飛ばしたり踏みつけたりしないように摺足《すりあし》気味に進んだのだけれども、ときどき靴先にものがぶつかるのは防ぎようがない。奥へ行くほど暗くなったからだ。
そのうちにぼくは、横長の台にぶつかった。腰位の高さの、カウンターらしい代物である。ぼくは台に片手をかけて右へ右へと移動した。それが終ったところで、その先にぼんやりと階段が見えたのだ。
ぼくは階段をあがりにかかった。どうせ眠るのなら、一階よりは上の階のほうが無難だと思ったのである。とはいえ、靴音は殺さなければならなかった。ぼくと正に同じ理由で誰かが上のほうにあがっているかも知れないからである。
階段は踊り場で一度左へ折れていた。
二階へ来た。
白いものがいくつか浮かびあがっているのは、それぞれのドアに嵌《は》められたガラスらしい。もっともそうなっているのは片側だけで、反対側は壁のようである。
そこでぼくは、ちょっと思案した。
相変らずしんとしているのは、やはりこのビルが無人なのではあるまいか。いや、どこかで誰かが息を潜めているのかもわからないが……そこ迄心配していても仕方がない。それに、そういう隠れ方をしている人間なら、ビルの中を調べて廻り、人を襲うというような真似はしないのではないだろうか。楽観は禁物だけれども、一応そう考えていいような気がする。
ぼくが思案したというのは、もっと上へあがるべきか否か――についてであった。
たしかに二階よりは三階、三階よりは四階のほうが、もしも外から誰かが入ってきても発見されにくいであろう。すくなくとも発見されるのは遅くなる。その間に、ぼくがそのことに気づき対応の用意もできるわけだ。
が……そんな突発事故があったとし、ぼくが防戦しつつビルから走り出るとすれば、あまり上の階からでは、それだけ時間がかかるのだ。それに、退路を断たれて窓から飛び出さなければならなくなったら(ドアに嵌められたガラスがおぼろげにでも浮きあがっているというのは、ドアの中の部屋に窓があるのを意味しているはずだ。外から見てもこのビルには普通のかたちで窓があったのである)四階、五階はむろんのこと、三階からでもけがをするに違いない。その点、二階からなら何とか飛び降りられるはずなのだ。
二階でいい、と、ぼくは判断した。
廊下を進んだぼくは、それでも一番奥の部屋に入ることにした。侵入者がいれば、そいつはまず階段に近い部屋から見て行くだろうから、そのぶん奥にいたら時間が稼げるのである。
ぼくはその部屋のドアのノブに手をかけて廻した。
ドアを押し開ける。
下部を備品のシルエットで不規則に切られた窓が見えた。
じきに目が馴れてきて……ぼくはそこが、スクリーンを持った装置などの機器類を載せた机が、三つか四つずつ集められてであるが、三十かそれ以上もある――オフィスらしいのを知った。
この部屋でよかろう。
ぼくは中へ入ってドアを閉じ、こちら側のノブについている施錠ボタンを押した。そんなものはいざとなればドアを破られるか、破られない迄もガラスを割って外から手を伸ばすことで簡単に解錠されるだろう。が、その物音はぼくの目を覚まさせるには充分なはずで、その意味ではそこそこ心理的な支えになった。
それから窓際へ行った。最悪の場合、窓から飛び出さなければならないとすれば、窓から最短距離に身を置くのが便利である。窓は出窓だから、飛び降りるさいの足場にもなりそうだ。
ぼくは窓の下の、ドアからは机の蔭になって見えない位置にすわり、身を横たえた。
ここ迄のぼくのこうした判断と行動を、あまりにも神経質でびくびくしている、と、お笑いになるだろうか?
笑われたって構わない。
前にもいったように、ぼくはずっと緊張のし通しで、戦闘感覚を持続してきていた。さまざまな人間の生死を見てくるうちに、ほんの僅かな不注意や手抜かりがおのれの生命を左右するのを、身にしみて思い知らされもしていたのである。それゆえに、打てるだけの手を打ち警戒するだけ警戒しなくては気が済まなかったのだ。
横になったものの、ぼくはすぐには眠れなかった。さっき壁にもたれてうとうとしたというのにこれは奇妙なことのようだが、人間一度眠気がさめると、しばらくは眠れないものである。それに、これでいいのだろうか、これで眠ってしまっても手落ちはないのだろうか、との心配もあったのだ。
これでいい、これで眠ればいいのだ――と、ぼくは自分にいい聞かせた。かりに、これで寝ているうちに襲われて殺されたとしても、運命というものであり、仕方がないとしなければならない、とも考えようとしたのだ。
それからぼくは、例によって想念を追うことになった。
まず出てきたのは、嫌でもそっちへ心が向いてしまう、戦争の帰趨《きすう》である。
すでにネプトーダ連邦側が敗北しつつあるのはたしかなのだ。
ネプトーダ連邦の首都ネプトは包囲され、じわじわと締めつけられながら、降伏を勧告されている。
敵はなぜこんなやり方をするのだ?
今迄にもぼくは、たびたびそのことを考えたものである。そして、当たっているかどうかはともかく、ぼくはぼくなりに、いくつかその理由づけをしていた。
敵が一気にネプトを攻撃してこようとしないのは、そんなことを強行すれば自軍の損害も大きくなるからだ。
とか。
そんなことをしなくても、ネプトには多くの人々が入り込み、ネプトへの物資やエネルギーの供給が断たれれば自壊するであろうから、包囲だけにとどめているのだ。
とか。
敵は、われわれの気力が尽きるのを待っているのだ。
とか。
いろいろ考えられる。
おそらく、そのどれもがある程度は本当なのであろう。
しかしぼくは、それらに加えて、もうひとつデータを得たわけだ。
あのビラによってである。
ビラには、ネプトーダ連邦の総府はすでに降伏を決定している、と、あった。降伏を妨げようとする一部の勢力があって、たたかいを継続しているのだとの意味のこともしるされていた。
事実か否か、ぼくには知る由もない。
だが事実だとすれば……信じたくはないけれども事実だとすれば、敵は何も総攻撃など仕掛けてくる必要はないわけなのだ。待って……物資を止めたり電気を切ったりしながら、ネプトが疲れ果て混乱し、抗戦派がもはや自己の主張を通すのが不可能な情勢になるのを待っていればいいのであった。
そして。
たとえあのビラの記述が事実ではないにしても、ネプトが一日ごとに追いつめられて行くのは疑いないのである。
とすれば……降伏しかないのだろうか。降伏したらネプトーダ連邦はどうなるのだろう。ぼくにはまだそこ迄の想像はできないのである。
それとも、徹底抗戦するのだろうか。徹底抗戦となれば、すくなくとも連邦軍の将兵はみな死ぬか、あるいは捕虜にされるかではあるまいか。当然ながらぼくをも含めて、である。死ぬのなら仕方がないが、捕虜になったら……これまた、ぼくの想像の域を超えていた。というより、想像したくない事柄であった。
その位なら……と、そこでぼくの心の中に、あの指揮者のいったことがよみがえってきたのである。
あの噂だ。
ダンコール軍団以外の連邦軍団で、自分のネイトをなおざりにしてネプトのために死ぬ必要はない、との空気がひろがり、ネプトからの脱出をもくろんでいる軍団もあるという――あの噂なのだ。
そして、カイヤツ軍団の兵士であるぼくには、そういうことがあっても不思議ではないとの気がする。ぼく自身、そんな気持ちがないとはいえないからだ。自分の軍団がそうするのなら、ぼくもまた従うであろう。
とはいうものの……こんな包囲下で、ネプトからの脱出なんて可能だろうか? 脱出は敵にとっては包囲網への攻撃になるのではないか? とすれば、ネプトで全滅する代りにネプトの外で全滅するだけの話ではないのか?
今迄実戦を経験してきた各軍団が……本気でそんなことをするものであろうか? 噂とは、実戦を知らぬ連中が、臆測で流しているに過ぎないのではないか?
となれば……。
少し、ややこしくなってきた。
実際に、ぼくの思考はだいぶ混乱しはじめていたのだ。いい換えれば、ぼくは眠りに落ちようとしていたのである。
だが。
そうは行かなかった。
ぼくは目を見開いた。
銃声が聞えたのだった。
火薬式の、あの大きな銃声が、エコーを伴ってひびいたのである。
つづいて、どなる声がした。絶叫しているようであった。
また一発。
それから、走り去るらしい足音。
ひとりではない。
三人か四人の、乱れた足音である。
ここから遠いのか近いのか、ぼくには見当がつかなかった。
とはいえ、駈け去る足音がたちまち小さくなってしまった今、窓から外を眺めてもどうにもならないであろう。ここから現場が見られるかどうか疑問だし、第一、見たって、それがどうなるというのだ? ぼくがかかわり合いになるべき事柄ではないのである。
だからぼくは、立ちもしなかった。
再び目を閉じたのだ。
銃声に飛び去った睡魔は、しかしなかなか戻ってこない。
何か考えればいいのだ。
が……戦争の帰趨にまたもや想いをはせるのは、やめておくのが良さそうだった。どうしても暗い気分になるのだ。それに、と、ぼくはおのれに呟いた。どうせ事態はなるようにしかならないのだ。それも、時間が経つにつれてはっきりしてくるのである。とにかく当面は、というより今は、考えないようにしよう。
で、ぼくは、カイヤツ軍団はどうなっているのだろう、と、それを思うことにした。カイヤツ軍団は……しかし、そのための材料は何もないのである。
だったら、ぼくの隊はどうだ? ガリン・ガーバンをはじめとするぼくの隊の連中は……だが、これだって、現在はかれらの居所に関して何もわからないのだ。といって、ひとりひとりについてあれこれと思い浮かべるのは、つまりは回想であった。今は回想などしているときではないのである。
すると……またぼくは、これからネプトはどうなるのかという、さっき迄の想念のつづきが出てくるのを覚えた。
ネプトはあさってには、電気が来なくなるという。
あさってというが、今はもうとうに夜半を過ぎているのだ。あのビラのあさってとは、いつを基準にしているのだろう。夜半前なのか夜半過ぎなのか……いや、夜になってまだそれほど間がないうちに、あのゲネント先生が明後日といったのだから、やはりきのうから勘定してのあさってであろう。つまり、ぼくがここで眠り、朝目をさましてその日一杯は大丈夫だが、次の日には電力供給が断たれるというわけである。次の日といっても、そのいつ頃かはわからない。へたをすると朝のうち……それどころか夜明け前とか、日が変れば直ちに、ということだって考えられるのだ。すでに物資の供給はとまっているというのに……それも食糧さえ運び込まれなくなっているらしいというのに……これで送電が停止されたらどういうことになるのだ?
と。
…………。
ぼくは、異様な感覚に襲われたのであった。
これには……覚えがある。
道を歩いているときに経験した……誰かに見られているような、あれなのだ。あのときは通行人がいたから、その誰かがみつめているのかも知れないと思いながら、だがそれが変なことに前からでも後方からでも横からでもなく、何となく全体として押し包んでくるようなので、道の中央から軒下へとコースを変えたのである。にもかかわらずそれはすぐには消えなかった。少ししてから、不意に消失したのだった。
それが、またぼくを包み込んだのである。
ここには、ぼくを見ている人間はいないはずだ。
なのに、これは何だ?
どこか近くに、誰かいるのか?
ぼくは身を起こして、中腰になった。急にここへ誰かが闖入《ちんにゅう》してきても対処できるようにである。
そのときふっと脳裏をかすめたのは、これは何となく、エスパー化中の感じに似ている――ということであった。同じとはいえないけれども、どこか共通しているようだったのだ。
しかしながら、ぼくは現在エスパーではない。
他人の思念や感情や好奇心にもとづく観察やらを感知できる状態ではないのだ。
何だろう。
それは、数分間つづいた。その間ぼくは中腰のままでさまざまな可能性に思いをめぐらし、しかもひとつとして自分を納得させられるものは得られなかったのだ。
それから、それはふっと消えてしまったのである。
ぼくはその後もなおしばらくは、姿勢を崩さなかった。
何もない。
もう何も起こらなかった。
何だろう。
どういうことだろう。
疑問は解けなかったものの、だがとにかく寝なければならぬ、と、ぼくは思い直し、また横になった。
今のは何だ?
あれは、超能力と関係があるのだろうか。
超能力。
もしもぼくがエスパー化していたら、もっと何かちゃんとしたことをつかんでいたのであろう。
けれどもぼくは常時エスパーではない。不定期エスパーなのだ。不定期エスパーで……今はエスパーではないのである。
不定期エスパー。
ぼくは何となく、同様の不定期エスパーの――あのレイ・セキの顔を思い出した。レイ・セキのいった言葉の断片が、いくつか浮かんできたりした。
エスパーといえば……と、ぼくはなおも想念の流れに身を任せた。あのデヌイベやドゥニネ……そういえばエゼというのもあるという話だったな……そして、シェーラやらミスナー・ケイやら……。ああいう、普通の超能力者とはことなる超能力者も世の中にはいるようだが……ま、それだって、ぼくが常時エスパーだったら、あんな団体や彼女たちについて、もっと詳しい事柄を感知できていたのではあるまいか? それとも、それでもやっぱり本当のことはわからないのか?
それらに加えて、ぼくは唐突に、超能力にあこがれながら超能力者になれず、ために自分で努力して特技を身につけたというライゼラ・ゼイのことを想起していた。他人の表情や言動を注意して見ることでその心理を読み取るという技術で、本気で勉強すればなまなかな読心力者よりも的確に相手の心や考えを見抜けると信じて頑張ったというライゼラ・ゼイをである。なぜライゼラ・ゼイがそこで出てきたのか、奇妙ではあるが、いや……超能力者の対極にある存在とか技術として、それがぼくの連想を呼んだのであろう。
それから……。
が……もうその後は支離滅裂であった。関係のない事物やイメージが入りまじり、動きだして、それも長くは続かず……ぼくは眠っていたのである。
ぼくは突然目をさました。
そう表現するのが正しいと思う。ほんのひととき闇の中にいた感じだったのに、実は熟睡していて何時間も経っていた――というあの眠りだったのだ。夢も見なかったのである。
部屋は、明るくなっていた。
朝なのだ。
ぼくは起きあがった。
体力は回復している。完全にかどうかは知らないが、充分兵士といえる状態に戻っていた。気力もしっかりしている。難をいえば空腹感が強いことであった。しかしこれはやむを得まい。
立ちあがって見渡すと、部屋はかなり荒れている印象だった。机の天板も機器類も薄く埃《ほこり》をかぶっているのだ。すくなくともここ何日か放置されていたに違いない。
人声や、ざわざわした感じがあるので、ぼくは窓から外を眺めた。
外は……昨夜とはまるで違う場所のようであった。ここは大きな表通りというのではなく、道幅もそう広くないところだが、二階から見下ろすその道路は、袋を背負って歩く人や、手押し車に荷物を満載して行く家族連れなどで一杯だったのだ。夜は物騒だけれども昼間はそうでもないということなのであろうか。その昼間の道を、人はそれぞれの思惑に従って、どこかへ行こうとしているようであった。そういえば、行き来する人々の中には、昨夜半に出会ったのと同じ制服の警察官らしいのがまじっていて、そこかしこに視線を走らせている。
これだけの人出があるとすれば、夜が明けて間もなくというのではあるまい。建物の群を照らす太陽も、だいぶ高くなっているようだ。
外へ出て、自分の隊を探しにかからなければならない。
ぼくがそう思って窓に背を向けようとしたちょうどその瞬間に、下を行く人々の何人かが空を見上げるのが目に映ったのだ。何人かは、たちまち何十人かの……そして通行人のあらかたになってしまった。ほとんどの人間が上空を仰いだのである。
ぼくもまた窓を開いて(外がそんな風になっているとあれば、ぼくがここにいるのを見られても大したことはないはずなのだ。それにぼくは、少々の相手ならあっさり撃退できる迄に、体力をとり戻していたのである)上を仰いだ。
空がかげりかけていた。
雲によってではない。
黒い大きな物体が、建物と建物に区切られた空を占領しつつあったのだ。先の尖《とが》った、カーブを描いて太くなる巨大な物体である。建物によってはじめから限定されている空は、物体が移動するにつれておおわれて行くのだ。
ぼくは、前にもそれを目撃したことがある。ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと共に山を下ってネプトに向かおうとする途中、樹枝のかなたの空を隠すようにして動いて行ったのだ。ウス帝国の艦艇だと、ぼくはそのとき確信したのである。
だが今は、そのときよりもずっと低く飛んでいるようであった。やたらに大きく……みるみるうちに空はその物体にさえぎられてしまったのだ。
しかも。
それは、音を流しているのであった。空から呼びかけているのであった。ときどき風のせいかとぎれたり小さくなったり歪んだりしながら流れるその声が、ぼくの耳にも入ったのである。
ダンコール語だった。
「……は、このままではおしまいです。地獄になります。……はやめましょう……いつ迄無益なたたかいを……ウス帝国こそ正統な世界です……ネプトを出て、降伏して下さい。……して、悪いようには……このままでは……」
投降を呼びかけているのだ。
そのときにはすでに、白光が幾条も物体へと走っていた。何本か何十本か……味方の攻撃に違いない。だが、物体には何の効果もないようであった。
陽がかげって暗くなった道に、何かが舞い落ちて行く。ひらひらと、あとからあとから落ちてくるのだ。それは……紙片であった。ぼくの少し前のほうにも、横にすべって流されながら一枚が落ちて行った。
ビラだ。
あの降伏勧告ビラなのだ。降伏をすすめ、この紙を持ってネプトの外へ出ればわが軍は保護するとしるされた――あのビラなのであった。
随分永い時間が経過したと思ううちに、物体の尾部が見えてきた。相変らず地上からの攻撃を受けながら、ゆっくりと移動をつづけ……空が少しずつ現われてきたのである。
そして、物体がまだ全部行ってしまわないうちに、ぼくは下の道で騒ぎがはじまっているのを認めたのだ。
あの制服の連中が、棒か鞘《さや》のままの剣か、とにかく長いものを振り廻して叫んでいるのだった。上を見ずに歩け、そんなものを拾うな、と、わめいているのである。叩かれて倒れた者もいた。
物体は去り、制服の連中はビラを拾いにかかっている。通行人が落ちているビラに目をやっただけでもどなりつけるのだった。
ぼくはそっと窓を閉めた。
これ以上眺めていても仕方がない。それにあの制服の連中に何をしているのかと見咎められたら、うるさいことになるかも知れなかったのである。
ぼくは部屋を横切ってドアを開け、廊下に出た。
それにしても、と、ぼくは歩きながら思わないわけにはいかなかった。
これでは、もはや敵のなすがままとしかいえない。
それに、あんなことをしてビラを回収し、拾おうとする人物をなぐっても……現実には無意味に近いのではないか?
末期的だ。
末期症状だ。
とはいえ、それ以上そんなことを考えてもどうしようもないので、ぼくはこれから自分がなすべきことへと気持ちを転換し、階段をくだって、一階に来たのである。
そこでぼくは足をとめた。
ビルの玄関の、入ったところに、ドアを背にして三つの人影が佇立《ちょりつ》していたのである。
何者だ?
いつの間に来たのだ?
伸縮電撃剣の柄に反射的に手をかけてから、ぼくは、しかしその三人が、布切れをまとい頭巾《ずきん》をかぶった――ドゥニネたちであるのを知って、手を離した。
この三人のドゥニネは……何だ? 何のつもりでこんなところへ……。
ぼくが疑っているうちに、そのドゥニネの中央にいたのが、ゆっくりと頭巾を外して呼びかけてきたのだ。
「お久し振りです、イシター・ロウ」
その声は……いや声もさることながら、一階の窓からの光を受けて見えた顔は……シェーラだったのである。
「…………」
ぼくは、とっさには何もいえなかった。いや、それがシェーラであると認めたのはたしかだが、そのことが何を意味しているのか、何がおころうとしているか迄は到底頭が廻らず、ほとんど思考停止の状態だった。
意表をつかれたぼくの脳裏には、しかし、想念の大群が殺到していた。シェーラを含めての眼前の三人がドゥニネの格好であることから、あの夜の山の中でのドゥニネの一団との遭遇や、ぼくたちを助けることになった護符……シェーラの手紙(正確には便箋である)や、その手紙をバトワの基地で受け取ったときのことや、さらに、ずっと以前の、カイヤントでデヌイベの一員として行動していた彼女の姿やらの、さまざまな記憶が駈け抜けて行ったのだ。
それでいてぼくには、矛盾したいい方になるけれども、どこか、ああやはり――との感覚もあったのである。それは、第一市から地下鉄に乗ろうとして階段をくだりかけたさいの、テレパシー感知力を持たないはずのぼくへのシェーラのささやきかけとか、エクレーダを出て宇宙空間に漂っているときの、その場合もぼくは非エスパーだったのだが、かりにエスパーだったとしても感知しようのない遥かな距離からの彼女の呼びかけ、といったものを経験してきたがための、一種の符節合わせ、あるいは帰着感めいた心理なのであった。そういえばこれはシェーラとは何の関係もないのかもわからないが、二度にわたってのあの自分が誰かに見られているような気分にしたって、ぼくははっきりと意識したのではないものの、心の中のどこかでシェーラと結びつけようとしていたような気がするのだ。
だが、これらの、瞬間に重ね合わされそれぞれが動きを伴った映像は、たちまちのうちに去り、一秒とは保たなかった。
そして次にぼくが悟ったのは、今のシェーラの言葉がダンコール語だったことである。
なぜシェーラがダンコール語を?
疑問と同時に、ぼくは思わずそっちへ踏み出し、三人の少し手前で止まると、いった。
「きみは……ダンコール語を喋っている」
久方振りの出会いにしては、間の抜けた応じ方だ、と、ぼくは自分でもそう思った。
「ええ、そうです」
シェーラは答えた。「あなたがダンコール語を話せるようになったし、ここはダンコールだから、他のネイトの言語を使うよりも安全だと思ったものですから。もしおいやなら、カイヤツ語にします」
「どちらでも」
ぼくは返事をした。たしかに、ここはダンコールなのだからそれが当然だろう。よそのネイトの人間だと知られるよりは安全かも知れない。が……正直、そうはいったものの、入り組んだ複雑な会話になると、ぼくのダンコール語はいささか心もとないのも事実だった。
しかし、待て。
シェーラは、ぼくがダンコール語を話せるようになったと……何で知ったのだ?
ぼくの心を読んだのか?
シェーラは、エスパーなのか? というより、シェーラがエスパー、それもぼくなどには把握《はあく》しがたいところのある、一般のエスパーとは違う型のエスパーらしいのは、前々からわかりかけていたのだが……一方、エスパーだとすればつじつまの合わない面もあって……だから、今のシェーラが、と、ぼくにはそういうほかないのであった。
「わかりました。では、とにかくこの場ではカイヤツ語にします」
シェーラは、素直にカイヤツ語に変えていった。
わかりました?
わかりましたとは……ぼくの心中にあったものへの返答ではないのか?
シェーラは、少なくとも現在エスパーなのだ、と、ぼくは確信した。
それにしても、そのシェーラがダンコール語を操れるのは……エスパーだから(ぼく自身の例を考えてみても)短時日でマスターし得たということかも知れない。
なら……。
シェーラは、どんな方法でネプトへ来たのだ?
何のために来たのだ?
それもぼくのいるこんなビルへ――。
どっと押し寄せてくる疑念を、ぼくはそのまま言葉にしようとした。
「待って」
シェーラは両手をぼくの前で左右に振った。「話せば長くなります。話さないとはいいませんが、待って下さい。とにかく――」
「とにかく?」
ぼくは反問した。
「こちらは、ミヌエロっていうんです」
シェーラは、ふたりの連れを手で示して紹介した。「そして、こちらはワタセヤ」
「よろしく」
「お初にお目にかかります」
ふたりのドゥニネは、すでに頭巾を外していて、ぼくに会釈をした。どちらもダンコール語である。(ドゥニネとぼくはいったけれども、本当にそうなのかどうか確信はない。ぼくの知る限りでは、シェーラはデヌイベだったはずなのだ。なのにドゥニネのいでたちをしているのである。とすれば、あとのふたりだって、格好こそドゥニネでも、実際にはどうなのか、わからないではないか)
それに、頭巾をとったふたりは、シェーラよりも髪が長かった。髪の長短だけでは男か女か区別しがたいが……顔立ちとそれに声は、あきらかに女だったのだ。それも、シェーラとそう変らない年頃のように見えた。
と、すると、シェーラをはじめとするこの三人は、どこから来たのか知らないけれども、女三人だけで出向いてきたのだろうか。なるほど今は昼日中だから夜ほど物騒ではないし、ドゥニネの頭巾で顔をなかば隠しているにしても、こんな状況下で若い女ばかりで出歩くのは、不用心といわれても仕方がないのではないか?
しかし、ぼくはすぐに納得した。
シェーラは、ふたりの女にぼくを紹介しなかったのだ。目と目で軽く頷き合ったばかりである。テレパシーで会話をしているのだとしか思えなかった。しかも今しがたの、カイヤツ語によるシェーラのふたりの紹介に応じて、彼女らはダンコール語で挨拶し会釈したのだ。彼女たちがもしもダンコール人で、カイヤツ語を知らないのだとしたら、シェーラの思念を受けてそうしたのでなければならない。ま、ふたりが両方に通じていることも考えられるが……だとしても、ぼくにはその頷き合いだけでも充分であった。思念の読み合いの経験から、ぼくはそうと直感したのである。そう……あとのふたりもまたエスパーなのだ。彼女らがドゥニネだとしたら、エスパーであっても不思議はない。いや、ぼくたちは世間の習慣で超能力者のことを通常エスパーと呼んでいるけれども、エスパーとは厳密には精神感応力者を意味するのだとの文句があるならば、超能力者といい直そう。それに精神感応力者はぼくの体験では、たいていそのほかの力も持っているものなのだ。この女たちもそうではあるまいか。念力その他の力を持つ超能力者が、それも三人いるのなら、たとえ女であっても、身を守るのはそうむつかしくはないのである。
「わたし、あなたのお力になりたくて来たんです」
シェーラはぼくに向き直ると、いうのであった。「でも、わたしひとりでは危険だからと、このふたりがついて来てくれたんですよ」
すると、あとのふたりがにこりとし、シェーラがそっちをにらむような目をしたのだ。ぼくにはそれが何のことか理解できなかった。
理解できないといえば……ぼくの力になりたいとは、どういう意味だ?
「話に、少し時間がかかると思います」
再び向き直ると、シェーラはぼくをみつめた。「立ってではなく、もっと楽にできるところでお話ししたいのですけど」
「…………」
ぼくはそこでやっと自覚したのだが……ぼくと相手三人は、ビルの玄関を入った位置で出くわした状態のまま、突っ立っていたのである。
シェーラが何をいいだすつもりか知らないが、とにかく、こんなところで立ちっ放しでは、疲れるし、第一、外から誰かが入って来たらたちまち見つかるはずである。
どうせなら、外へ出るか? だが、そとは人通りが多いのだ。そんな中に立ちまじってうろうろ歩き廻り、喋るための場所を探すのは厄介だろう。
このビル内でいいのではないか?
二階では、と、ぼくは考えたものの……ぼくが二階で寝たのは、窓から飛び降りるのを計算してである。いざというとき、女三人にもそれができるかどうか、怪しいのではあるまいか。
それはまあ超能力者なら可能かもしれないが、今は白昼で、飛び降りるのは通行人で一杯の路上ということになる。
いざというときを考慮するなら、むしろ一階でいいのではないか? 一階なら、ドアがすぐなのだし、女三人を逃がして抗戦するのも難事ではないであろう。もっとも、その女三人のほうがみなぼくより強力なら、そんな真似をする必要もないわけだが……となると、いよいよ一階が適当だ。
ぼくは振り向き……一階の中程を仕切っている横長の台に目をとめた。昨夜ぐらがりの中でぶつかった腰位の高さの、あのカウンターである。玄関あたりから跳めるとその奥のかなりの部分が死角になっており、身を低くすれば大丈夫のようであった。
あの蔭にすわり込んで話すというのはどうだろう。
ぼくはシェーラの顔に視線を戻し、そういおうとした。
言葉にしなくても良かった。
シェーラは微笑と共に小さく頷くと、カウンターへと歩きだしたのだ。あとのふたりもそれにつづいて……ぼくは一番うしろになった。
そしてそのときには、ぼくはようやく不意打ちによる混乱から立ち直りつつあったようだ。話し合っているうちに思考はしだいに動きはじめ、シェーラたちの来訪がどういうことなのか、シェーラにまつわるいろんな謎がどこでどうからみ合っているのか、考えるためのとっかかりをつかみにかかろうとしていたのである。
のみならず、最初のショックが薄れ、混乱と懐しさのままにそんなやりとりをした後の今は、シェーラに対する警戒心さえ生れていたのだ。
シェーラは、ぼくがエレスコブ家の警備隊に入ったときからの知り合いである。
だが、ぼくはシェーラについて、ろくに何も知らないのだ。
シェーラがぼくに関心を持ち好意も抱いているらしいのはわかる。が……それがぼくにとってどういうことになるのかは、何ともいえないのであった。ぼくだってシェーラを憎からず思っていることは、これは認めてもいいけれども、こっちが先方に持っている感情は、先方のありようの何を保証するわけでもないのである。
シェーラは、謎だらけの人物なのだ。
そういえば、かつてヤスバ・ショローン(彼はどうしているのだろう?)がカイヤントでぼくによこした手紙にも、彼は、シェーラが何者かは依然わからん、気をつけろ、と、書いていたのである。ついでにいえばヤスバはデヌイベについて、かれらは今日レーザー光をねじ曲げたというが、それだけではなく、いろんな奇妙な力を持っているという話で、総指導者のデヌイバはネイト=カイヤツどころかネプトーダ連邦の人間でさえないという噂もある、ともしるしていたのだ。
シェーラはそのデヌイベで……しかも今はドゥニネの格好をしている。ドゥニネにしたって、ぼくにはよくつかめない不思議な力を持った連中なのだ。デヌイベとドゥニネ(それにそういえばエゼというのもあるらしかったが)は、どういう関係なのだろう? とにかくシェーラはその仲間なのである。どうも……得体が知れないのだ。
シェーラはぼくの味方のように見える。彼女自身そのように振る舞ってもいる。しかし本当にそうなのかどうか、疑いだすときりがないのであった。
となればここは、旧知と気安く話すというような心は抑制し、気を引き締めてかからなければならないのである。
もちろんぼくは、自分のそうした心理がシェーラたちに読まれているのは、百も承知であった。普通の人間がエスパーの居るところで気持ちを隠そうとしたって、隠しようがないのだ。それにぼくは、前にも述べた通り、何度かエスパー化を繰り返しているうちに、心を読んだり読まれたりということに対して、さほど抵抗を感じないようになっていた。だから読まれても仕方がないとの気分だったのだが……むしろこのときは、おのれの気持ちを相手に知らせることで、相手が謎のすべてではなくても一部でもあきらかにしてくれたらいい、たとえその内容がぼくにとって望ましくないものであったとしても、いっそそのほうが楽だ――という感覚が強かったようでもある。
ともあれ、カウンターの通り口を抜けたぼくたちは、その蔭へ廻り、床にころがった品々を押しのけてすわり込んだのだ。
「これで、ゆっくりお話しできますね」
シェーラがいった。
「…………」
ぼくは、シェーラに目を向けた。
シェーラはいかにも懐しそうである。
しかし、それは表面だけのことかも知れないのだ。いや、懐しいのには違いないとしても、その底にはどんな考えがあるのか、何をもくろんでいるのかは、ぼくには不明なのである。何しろ、わからぬところだらけの人間なのだ。
あとのふたりのうち――ミヌエロとシェーラが紹介した女が、シェーラを見た。
シェーラは真顔になり、口を開いた。
「わたし、あなたのお力になりたくて来ました。でも、信じて下さるところ迄は行かないようですね。それも無理はありませんけど」
今度は、ワタセヤという女が、ぼくに、ついでシェーラに視線を走らせた。
「そうね」
シェーラは声に出して呟き、ぼくを直視した。「イシター・ロウ、あなたにはわたしたち三人がエスパーであるのは、もうおわかりです。そして、わたしやわたしに関連した事柄について、たくさん疑問をお持ちです。――いいわ。ではまず、そこからはじめましょう。何から?」
いささか挑戦的な口調だった。
「――そう」
ぼくは挑戦を受けて、おのれの疑問をぶつけようとした。相手がエスパーなのだから、考えるだけでいいはずなのだ。が……思考だけではどっと一時にかぶさってくるものだから、ぼくは口に出すことにした。整理しながら喋れるからだ。
「何からでもいい」
ぼくはいいはじめた。「なぜきみがダンコール語を話せるのか……ダンコールへどういう方法で来たのか……」そこでぼくは、順不同でやっていては自分でも収拾がつかなくなるだろうと悟り、時間的順序を追うことにしたのだ。「いや、最初から行こう。きみはエレスコブ家で何をしていたのだ? きみはそのときからエスパーだったのか? 任命式のあの夜、きみの心は空白だった。あれは何だったのだ? 障壁だったのか? なのに手を握った瞬間に一度にきみの感情が伝わってきた。あれは何だったのだ? なぜその晩に辞めて出て行ったのだ?」
「――つづけて」
シェーラは微笑して促した。
「いいとも」
ぼくはつづけた。こうなればとまりそうになかったのだ。「きみはデヌイベの一員だったが……デヌイベとは何だ? レーザーをねじ曲げたのは……いや、そういえばその前に墜落しかけたぼくの車は奇跡的に立ち直ったが……あれはみなデヌイベの力だったのか? また、デヌイベとドゥニネ、それに話を聞いただけだけれども、エゼというのがあるそうだ。それらの関係は? それと、そう、ミスナー・ケイとは何者なのだ? きみとどういう間柄なのだ?」
そこでぼくは、息をついだ。
「つづけて下さい」
いったのは、シェーラではなくミヌエロである。
「もちろんだ」
ぼくは再開した。「宇宙空間でぼくはきみに呼びかけられた。あれはどういうことだ? 呼びかけといえば、ネプト市に入ってからもそうだ。それに、ぼくは二度ばかり自分が観察されているような感覚を味わった。しかし、そのどの場合にも、ぼくはエスパーではなかったのだ。これはどういうことだ? 待て……ぼくは一番だいじなことを忘れていた。シェーラ、そもそもきみは何者なのだ?」
ぼくはそれで一応口をとざした。考えればほかにもいろいろと出てくるだろうが、当面、それだけで充分だった。それだけでも、謎としては多過ぎるのであった。
「――そういうことでしょうね」
シェーラは静かに受けた。「お答えするとすれば、はじめにいった通り長くなります。いつかは話さなければならない、というよりあなたに話したいと思っていたのですから、お話しするつもりです。だけどその前に、あなたの心にひっかかっていることについて、申し上げておきたいんです」
「ぼくの心に?」
ぼくは問い返した。
「ええ」
シェーラは頷いた。「あなたはわたしに疑問をぶつけながら、心の底では、一刻も早く自分の隊を探し出して一緒にならなければ、と、考えています」
「…………」
シェーラの指摘は事実であった。ぼくはシェーラたち相手にまくし立てながら、本当はこんなことをしているときではないのではないか、自分の隊に合流すべくすぐにでも行動を開始すべきではないか、と、焦りを覚えていたのである。
にもかかわらずぼくが、そんなやりとりを打ち切って出て行こうとしなかったのは、ここで思いがけずシェーラに会ったと同時に、シェーラにまつわるこれ迄の謎が解明されるのではないか、との期待があったからだ。こんな機会は二度と訪れないだろう、という気もしたからであった。
だが、それだけではあるまい――と、ぼくの心の中でささやくものがあったのも、否定できない。ぼくはおのれの義務として自分の隊に合流する。そうしなければならないからだが、それによって、あと、最後のたたかいをしなければならないのかもわからない。カイヤツ軍団がネプトを脱出しようとするのならともかく、従来の作戦を継続するのならそうなるはずだ。となればぼくは戦士[#校正1]か捕虜か……しかし捕虜になったときのことは、敵がボートリュート共和国とあのウス帝国であるのを思えば、どんな目に遭うのか想像もつかないので、考えたくなかった。ぼくはおそらく戦死するのだろう。それに、カイヤツ軍団がネプトからの脱出を試みたとしても、成功するとは限らない。だったらこれだって運命は同じことなのだ。つまりぼくは、おのれが死ぬのを承知で自分の隊に戻るのである。むろんその覚悟はとうにできていた。できてはいたが……それを、口実を設けて少しでも遅らせようとする弱さが、ぼくの中にあったということではないのか?
「あなたは連邦軍兵士としての自分の義務を放棄はしないでしょう」
シェーラはいうのだ。「わたしたちが引きとめてもあなたは行きます。あなたはそういう人なのですから」
「だから?」
ぼくは、おのれの内部に存在する弱気あるいはためらいを覗かれたのであろう、と、意識しつつ、とにかく促した。
「カイヤツ軍団は、現在、第三市にいるようです」
シェーラは告げた。「駐屯している場所も大体突きとめました。道順をお教えします。やみくもに探せばずいぶんかかるはずの時間が、それで節約できるでしょう? それに、水と何回分かの食糧も用意しました。使って下さい。これが、お力になりたいということの内容なんですけど……お役に立ちます?」
それは、かけねなしに有難い話であった。たとえシェーラが何者であろうとも……いや相手がシェーラでないとしても、ぼくは先方の好意を受け入れていたであろう。それは正にぼくが欲していたものだったからである。ぼくは、感謝の意(だがそこに、自分が隊に戻るというごとへの複雑な気分が……たしかにあったのを……押し潰してであった)と共に、頭を下げた。
「おなか、空いているんでしょう?」
シェーラはまたいった。「ひとつ、食べて下さい。あなたが食べているうちに、わたし、今のことをお話しします」
ワタセヤが、持ってきていた包みを出した。五つか六つの携帯食糧と、それにひとつは保存食ではない普通の弁当である。その普通の弁当を、ぼくのほうへ押し出したのだ。
「どうぞ」
ワタセヤは例によってダンコール語でいう。
「有難う」
これはダンコール語で受けて、ぼくは弁当を受け取った。
起きたときから空腹を感じていたのである。ドゥニネの呉れた固形食品の残りを、ぼくはまだ持っていたけれども、食べ切ったあと、食物が入手できるか否か怪しいもので、だから辛抱していたのだ。そして、こうして目の前に固形食品ならぬ本物の弁当を出されたのだから、とびつきたい感じであった。ぼくは三人に会釈すると、遠慮なく弁当を開いた。三人の女に見られながらも、あまり気にはならなかったのだ。
ぼくは食べはじめた。
はたから眺めていたら、それは奇妙な光景だったのではあるまいか。がらくたのころがる床に女三人と男ひとりがすわり込んで、男は弁当を食っているのだ。それが、ネプトの終末が近づきつつあるなかの、ビルの中でなのである。異様といえば異様だったかも知れない。だが少なくともそのときのぼくは、そんなことは考えもしなかったのだ。状況がおかしくなれば、人間は、おかしいことも当り前に感じるという、その一例だったのであろう。
そして……シェーラはゆっくりと話しはじめたのだ。
「わたしはあなたが来る少し以前に、エレスコブ家に雇われたんです。その前はカイヤントに居ました。カイヤントでカイヤツ語を学んで、カイヤツに来たんです」
「…………」
ぼくは、食べながら聴いていた。聴きながら、はじめてシェーラが部屋係として来たとき、彼女にかすかな――カイヤツ府で育ったぼくだからわかる程度の、かすかななまりがあるのを聞きつけて、よその土地から来たのかと訊いたのを、想起したのだ。シェーラはカイヤントから来たと答え、ぼくは彼女がもともとカイヤントの人間なのかと納得したのであったが……そのカイヤントでカイヤツ語を学んだとは、では、さらに別の世界から来たということなのか?
どこから?
「順番に話させて下さい」
ぼくの疑問を早くも受けとめたシェーラはそういって制し、つづけた。「エレスコブ家に入ったのは、エレスコブ家のことやその他について知るためでした。何のためかについては、あとでいいます。おたずねだからお答えしますけど……ええ、わたしははじめからエスパーでした。でもそれを知られるのは具合が悪かったんです。だから、トリントス・トリントとあなたの対戦のときに、力で助太刀すればできたでしょうけど、しないで、声援だけにしたんです。任命式の晩、エレスコブ家を辞めて出て行ったのも同じ理由で……あなたがエスパー化してわたしの心を覗き、わたしの障壁に気づいたばかりかわたしの心の中にあるものを見てしまったから……あなたはそんなことを簡単に他人には喋らないでしょうけど、エスパーの特殊警備隊員があなたの心を読めば、わたしが見掛けと違う人間だと悟り、怪しまれるはずでしょう? その前にエレスコブ家を去らなければならなかったんです」
「しかし」
ぼくは、食べるのを中断して、問うた。「あとになって……ぼくはエスパーとしての経験を積むうちに余計に疑問になってきたんだが……きみは、普通のエスパーとはだいぶ違っていた。そうじゃないか?」
たとえば、と、ぼくはいうつもりだったのだが、シェーラはわかっているという風に手を動かした。
「ここから先は、少しややこしいことになるんです。すぐに理解してくれとはいいませんけど……話します」
シェーラはそこで一、二秒の間をとり、また喋りだした。「超能力というものは、一定の型に分類されておさまるものではありません。一般に……いってみればネイト=カイヤツとかネブトーダ連邦で知られているもの以外にも、いろいろあり得るんです。そんな力の中には、たとえばネイト=カイヤツの通常の超能力者とはかなりことなるものや、それよりもずっと上のものもあります」
「…………」
「あなたは任命式の晩、わたしの心の障壁に気がつきました。空白としての障壁に」
と、シェーラ。「本来ならわたしは、障壁の存在すら悟られないような、非エスパーとしての状態でいるべきだったんです。特殊警備隊員に心を読まれるおそれのあるときは、いつもそうしていたんですよ。でもあの晩は気を許していて、障壁を作るだけにしていたんです。障壁だけなら、それを消せばいつでも相手の心が読めますから。そんなときには接触によるテレパシーの交換という方法も使います。離れていたらお互い何もわからなくても、体を触れ合えば思念が通じるんです。それを、あなたに知られてしまったというわけ」
「待ってくれ」
ぼくは、またいった。
あの晩の、シェーラの手を握った瞬間に襲いかかってきた彼女の無数の感情は……そういうことだったのか、と、思い、同時に、ライカイヤツ地区の酒場で近づいてきたミスナー・ケイがぼくにあれこれと話しかけたあと、そのてのひらをぼくの手の甲に重ねてから、にわかに頬を赤くし微笑したのを……思い出したのである。
では、ミスナー・ケイのあれも、接触による思念の感知だったというのか? そのときのぼくが非エスパーだったから、わからなかったということなのか?
「ええ」
シェーラは、短く肯定した。
「では、ミスナー・ケイは……」
ぼくはたずね、シェーラはまた肯定した。
「ええ。わたしたちの一員。わたしよりあとで仕事についたんですけど」
一員?
仕事?
またわからなくなった。
「つづけさせて下さい。順番に行かなければなりません」
と、シェーラ。「今の、たとえばネイト=カイヤツではまだ知られていない型の超能力は、他にもあります。わたしはあの晩、贈りものをしたんですよ」
「贈りもの?」
「そうです。不定期エスパーのあなたは、あの晩エスパー化した。一般警備隊員としては、しかも護衛員としては、エスパー時には勤務につけない。出発点でそれでは大きなマイナスになるから……わたしは、起きあがってきたあなたの力を封じたんです」
「封じた?」
「はい」
シェーラはぼくをみつめた。ちょっと赤くなったようであった。「接触による思念交換は、もっと強くすることで、相手の能力を封じたり解放したり、何かを植えつけたりできるんです」
「…………」
そういえば、ぼくはあのとき、シェーラを抱きしめてキッスをしたのである。あれはシェーラがそのつもりで……。
「違います!」
シェーラは、小さく叫ぶようにいった。「わたし、それだけのつもりでそうしたんじゃありません! だけど、どうせならと思って――」
「…………」
「本当です!」
シェーラは抗弁する。
そうなのか。
あの晩のキッスには、そんな作用があったのか。
もっともそのおかげで、たしかにぼくは無事に第八隊入りを果たしたのである。礼をいうべきなのであろう。
だがキッスといえば、カイヤントでのあの絶望的な立ち往生から(デヌイベのおかげで時間を稼いで)救われたとき、シェーラはぼくに飛びついて首にぶらさがりキッスをしたのだ。あのときも彼女は、ぼくに何かを仕掛けたのか?
「違います!」
シェーラは叫んだ。「あのときはほんとうにうれしかったから……それだけです! それだけよ!」
「…………」
「信じて下さい!」
シェーラは真っ赤になっていた。
ぼくはミヌエロとワタセヤが、何となくにこにこ――というよりは、にやにやしているのに気がついた。考える迄もなくこのふたりには、ぼくと、シェーラの胸中に生起した感情や場面が、みなお見通しなのだ。そう思うと、やっぱりどうもばつが悪かった。
「食べて下さい」
シェーラは、少し怒ったようにいい、ぼくはまた食べだした。
「だから……あなたの質問とは順序が変ってきますけど、そういうまだ一般に知られていない超能力が、あなたを不思議がらせたり怪しませたりしたのは……当然かもしれません」
シェーラは、元の口調に戻ってつづけるのである。「わたしが連絡を受けたところによれば、ミスナー・ケイ……あなたにはそうでしたわね、彼女はわたしのことづけを伝えたとき、あなたの知らないような能力をいくつか見せてしまったようですけど……それらだって、そうなんです」
「…………」
そうなのだ、と、ぼくは思った。
ミスナー・ケイは(ぼくにとってはいまだにそうなのだ。当人は本名じゃないんですけどと最初にことわったのに、である。カイヤツVの中では彼女はプェリルだったが……ミスナー・ケイでいいではないか)シェーラそのものの声と口ぶりで、ことづけを伝えたのである。それだけでも一驚だったのに、一ブロックも離れたネイト警察官の心を雑踏の中から的確に読み取ったばかりか、腕を組んだり手を握ったりすることでサクガイ家の警備隊員たちを脱力状態にしてしまったのだ。こうしてシェーラにいわれれば、そういうことだったのかと肯《うなず》けないこともない。
しかし……。
が……シェーラはぼくの心の中の問いに答えずにいうのだ。
「宇宙空間でわたしが呼びかけたというのは、本当はそうじゃありません。わたしが自分のことを忘れて欲しくないためにあなたの心に植えつけたものが、あなたのふとした空白か気の弱りの中で起きあがって、声になったんだと思います」
「ぼくに、植えつけた?」
「ごめんなさい」
シェーラはいった。「でも、昨日の、第一市から地下鉄道に乗ろうとして聞いたのは、本当にわたしが呼びかけたんです。あなたの思念らしいのをとらえるのに成功して、あなただとわかったから……話しかけたんです。その位の距離なら……わたしには何とかなります」
「…………」
「自分が観察されているような感覚というのは、その通りです。わたし、あなたの様子を把握しようとして、二度ばかり試みたんです」
その時分には、ぼくは弁当を食べ終り水を飲んでいた。
水がのどを通過するのを待って、ぼくは、しかし、いわずにはいられなかった。
「今のどの場合にも、ぼくは非エスパーだった。現在もそうだが……非エスパーのぼくがなぜそんなものを耳にしたり感知したりできるんだ?」
「それは、こちらからの働きかけが強かったから。そしてあなたが不定期エスパーだから」
シェーラは答える。
「……?」
どういうことか、よくわからない。
「正しくは、あなたは不定期エスパーだから、精神波感知機では検出できないような非エスパー時にも、エスパーとしての能力を内在させている……その検出不能の能力が呼応し得るほど、わたしの働きかけが強かったというべきでしょうね」
と、シェーラは説明したのだ。
そんなことは、考えられない。
「そんなことは、考えられないでしょうね、常識では」
シェーラはぼくの思考を受けた。「だけどそれは一般常識で、これは今迄いったようなまだたとえばネイト=カイヤツでは知られていない――常識を超えた能力の話だと考えて欲しいのです」
「…………」
ぼくは、考え込まざるを得なかった。そういう超能力が存在するというのは……これ迄実際にその例に出会いながら、やはりにわかには信じられなかったのである。ぼくの超能力についての知識からは、大きくはみ出しているのであった。
しかも。
その一般常識を超えた超能力を……シェーラは駆使しているようなのだ。
シェーラとは、では、何者なのだ。
怪物なのか?
シェーラは、わたしたちの一員とか、仕事とかの言葉を使った。
一員とは?
仕事とは?
そんな怪物の組織があるのか? それがデヌイベであり、ひょっとしたらドゥニネであり、またはエゼだとういうのか?
仕事とは何なのだ? 超能力、それも常識を超えた超能力をひっさげて、何をしようというのだ?
そういえば、ぼくはまだ、そこの――肝心な事柄について、何も聴いていないのであった。
ぼくは、その問いを心の中に高くかかげる感じで、まともにシェーラを見つめた。
シェーラとミヌエロとワタセヤは、ちらちらと視線を交わし合った。そこに彼女たちのテレパシーでのあわただしい会話が飛び廻っているのを、ぼくは直感した。
「いいです」
シェーラが向き直った。「これも、いずれはお話しするつもりでしたけど……そこ迄お話しできるかどうか迷ってもいました。でも、あなただから、わたしの責任で話すことにします。わたしは、あなたがたにとっては未知の星域から来た人間です」
「…………」
ぼくは、一瞬、あっけにとられた。
未知の星域?
とは……?
だが……それには記憶のどこかに、何かひっかかるものがある。
待て。
そうだ、と、ぼくは思い当たった。
シェーラがいっているのとは違うのかも知れないが……あれは、ヘベ地方で……戦闘興行をハボニエたちと見て、イサス・オーノに会ったとき……イサス・オーノの口から聞いたのではなかったか?
ぼくは記憶の糸をたぐった。
イサス・オーノはいったのだ。
ウス帝国が版図《はんと》内に動員令をかけ、大軍が集結しつつあるとの噂につづいて、こういったのだ。――とにかく星間勢力はたくさんあって、ぼくらが聞いたことのないところも存在する……ウス帝国がそれ迄内政固めに努めていたのは、そうした星間勢力の何かが関係していたのかもわからないし、ウス帝国自体に何か問題があったのかも知れない、と……その通りのいい廻しではないにしても、たしか、そういう意味のことを喋ったのである。
それからイサス・オーノは、ぼくに問いかけたのだ。
何とかいう名前を聞いたことがあるか、と。それはわれわれの知らなかった星間勢力らしいので……その勢力が、どういう手段で何のためにかははっきりしないけれども、われわれの星域内へ浸透して来て、工作しているらしいという、ともいったのである。
何という名前だったかな。
そう。
ヘデヌエヌス。
そんな名であった。
ヘデヌエヌス。
それが、シェーラのいうことと関係があるのか。
ぼくはシェーラへと視線をあげて……はっとした。
シェーラの目は大きくなり、ぼくをまじまじとみつめているのだ。
「どうしてご存じ?」
シェーラはいった。「そう……ファイター訓練専門学校の同期生から? なぜその人が聞きつけたのかわからないけど……そこ迄噂は広がっているんですね」
「では、きみは……」
ぼくは中途でやめ、シェーラはゆっくりと答えたのだ。
「そうです。わたしはヘデヌエヌスの人間です」
「…………」
ぼくは、茫然とシェーラの顔をみつめていたはずである。
シェーラが、ヘデヌエヌスとやらの人間? ぼくの知らない星域の、未知の星間勢力の人間?
そんな人間がぼくの前に居て、それがシェーラだと?
ヘデヌエヌスという言葉を先に持ちだしたのは、ぼくのほうである。でありながら……相手に肯定されてみると、どうにも信じられないのだった。思いがけない返事に出会ったというより、むしろ、そうではないかとの予感が胸中に起きあがりつつあるのを意識しながら尋ねたにもかかわらず……そうだったのである。
知らぬ星域?
ぼくは、ウス帝国やボートリュート共和国について、それらを敵としてたたかってきた一員でありながら、ほとんど何も知らないに等しい。敵はむろんのこと、ネプトーダ連邦に関しても、限られたいくつかの地点しか知らないのだ。いや……そんなことをいうなら自分のネイト=カイヤツさえ、ろくにわかっていないのではないか?
そんなぼくにとって、知らぬ星域とは……想像のしようもないのである。
その想像のしようのないところから来たのが、ほかならぬシェーラだとなれば……混乱するのが当然ではないか。
が……そうした状態にありながらも、ぼくはシェーラの声を、聞くともなしに聞いていた。
「その同期生は、イサス・オーノというのね?」
と、シェーラは呟くようにいったのだ。「だけど、その人が誰からヘデヌエヌスの名を聞いたのか……あなたもご存じないのですね」
それは、ぼくの心を読んだシェーラの、なかば独り言だったのだろう。
――と、気がついた時分には、ぼくはだいぶ立ち直っていた。
「そのヘデヌエヌスというのは、どのあたりにあるんだ?」
ぼくは訊いたのだ。「どういう星間勢力なんだ?」
「詳しい説明をしようとすれば、時間がかかり過ぎます」
シェーラはかぶりを振った。「それに、あなたの頭にしまい込まれた知識が他の人に読み取られて、具合の悪いことになるかもわかりません」
「…………」
どう具合が悪くなるのか、ぼくには明確には推測できなかったが、そういうことがあり得るのは理解できた。だから、黙って次の言葉を待ったのだ。
「もちろん状況が変れば、いずれお話しする機会があるかも知れませんけど」
シェーラは、ぼくをなだめるようにつけ加えてから、つづけた。「でも、これだけはいっておいてもいいと思うんです。ヘデヌエヌスが、すべての人間がエスパー……正確には超能力者である世界だ、と、いうことだけは」
「すべての人間が?」
ぼくは相手の言葉をそのまま使って、反問した。
これまた、シェーラが未知の星域の人間であるというのと別の意味で、ぼくには信じられない話であった。
そんなことが、あるものだろうか?
「本当なんですよ」
シェーラは微笑含みで、ぼくの問いに答えた。その微笑は、シェーラが自分にとっては当り前で不思議でも何でもないことなのに――との気持ちを示しているように、ぼくには感じられたのだ。
しかし。
それではヘデヌエヌスとやらには、非エスパーはいないのか? 生れてくる者はみな超能力を持っているというのか?
そして……すぺての人々が超能力を有している世界なんて、収拾がつかなくなるのではないか? 秘密というものが不可能になり、いつ誰に念力で襲われるかわからぬ社会なんて……ぼくには想像もつかないのだ。
「生れてくる子供が、みなはじめから超能力を発現するわけではないんですよ」
シェーラは、ぼくの疑問に対する説明を開始した。「そういう子供もいますけど、普通は訓練と本人の努力で、超能力者になってゆくんです。人間には、本来それだけの能力が備わっているんですから……。こちらの世界で普通人とされている人々だって、小さいうちから力を伸ばすように育てれば、超能力者になれるんです。いえ、おとなになってからでも決して遅くないわ。それなりの力を持つようになれるんだもの」
それは、ぼくを複雑な気分にさせるに充分であった。
事実だろうか?
普通人もすべてエスパーになり得るというのは……。
たぶん、事実なのだろう。
だが、エスパーと普通人の間を行ったり来たりしてきた不定期エスパーのぼくには、何とも皮肉な話ではなかったか? 両者の懸隔《けんかく》の大きさ……エスパーとしての生き方、適応のしかたと、普通人としてのそれとは、ぼくにとって、まるで違ったものだったのである。そのエスパーと普通人が、別種の存在などではなく、いわばつながっているのだといわれると……この感覚をどう表現したらいいのか、ぼくにはわからないのだ。
でも、そうなのだろうか?
たしかにそうなのか?
「ヘデヌエヌスでは、基礎教育の一環として、超能力修得の課程が設けられています」
シェーラはいう。「だけど、組織的訓練だけでは、可能性の半分も出てこないんだそうです。本人のやる気と努力――自己修練があってはじめて、超能力……わたしたちにとっては超能力ではなく、ただの心理能力ですけど……超能力者らしい超能力者になれるとされていますわ。でもとにかく、こんないい方はちょっといけないでしょうが、ネイト=カイヤツの常時エスパー程度には、誰だってなっています」
「…………」
ぼくには考えられないことであった。
だが。
「ヘデヌエヌスがそういう世界だとして……きみがそこから来たとして……しかし、そんなところからなぜ来たんだ? 何をしに来たんだ?」
ぼくは、問いかけずにはいられなかった。
「待って」
シェーラは息を吸い込み、そのシェーラをミヌエロとワタセヤが見た。テレパシーのやりとりがあった印象であった。
シェーラは微笑した。
それから口を開いたのだ。
「今の問いにお答えする前に、すべての人がエスパーである世界についてお話ししたいんですけど……構いません?」
「いいよ」
ぼくは応じた。
それだって、訊きたい事柄のひとつだったのだ。順序が違ったって、何ということはない。
「イシター・ロウ、あなた、さっき、すべての人が超能力を有している世界なんて、収拾がつかなくなるんじゃないか、と、考えたでしょう? 秘密というものがなくなり、いつ誰に念力で襲われるかも知れない社会ってどういうものなのか、とも、考えたでしょう?」
シェーラはいうのだ。
ぼくは思念で肯定した。
「でも、それは超能力者とそうでない人が混在している社会の考え方ではないかしら」
とシェーラ。「たとえばネイト=カイヤツでは、超能力者は一定の管理下におかれている……超能力は特別な、一般的ではないものだから制限を受ける……超能力者が何をするか知れないという恐怖が、そうでない人々の心の中にあるから……。そうでしょう?」
ぼくは頷いた。
「その超能力が、特別のものでなくなったら、どうなりますか?」
シェーラは目を向けた。「誰もかれもがお互いに心を読み合い、誰が何のために念力を使ったかすぐにわかるようになれば……どうなります?」
「混乱、でなければすべてが憎み合う世界――といいたいところだが、違うんだろうね」
ぼくは言葉に出していった。
「そう考えるのが、混在社会の人にとっては自然なのでしょうね」
シェーラは、やわらかく受けた。「でも、それでも生きて行かなければならない、みんなと一緒に暮らして行かなければならないとしたら……どうかしら」
「見当がつかないな」
正直にぼくは応じた。
「秘密は一切なくなるでしょう? 愛し合っていることも憎んでいることも、変心も……ありとあらゆることが誰にもあきらかになれば……それを認め、そのままで行くしかないんじゃありません?」
シェーラはいうのである。「心の中にあるものを全部知られるのが当り前になったら、それを平気で受けとめ正直にやって行くしかないんです。本心どうしの、本心だけの触れ合いということになるんですよ。そうなれば逆に、他人を疑うこと、他人をおそれることによる争いは、なくなるんです。念力で乱暴しようとしても、相手も同様の力を持っており、周囲やもっと離れた場所にいる者もそれを感知し力を使えるとなれば、たちまち制止され罰を受けます。いえ、そういうことをしようと考えた時点で、他からテレパシーで警告されるほうが多いのです。こういうことに馴れてしまえば、何ということはないでしょう?」
「…………」
いわれてみれば、そうなのかも知れなかった。そんなにうまく行くものかなとの感じがあるのは否定できないけれども……ぼくはそんな風に考えたことはなかったのだ。不思議に新鮮な気もしたのである。
「こういう社会、こういう世界は……ある意味では最終的な平和の世界だといえません?」
と、シェーラ。「少なくともこれ迄の……ネプトーダ連邦やウス帝国やボートリュート共和国といった世界にとっては、新しい局面を迎えることになり、新しい時代に入るはずです。もちろん、ヘデヌエヌスでも、すべてが超能力を持つことに馴れ、考え方や気持ちや利害のことなる人たちが共存して行くことを学び切る迄には、いろんな混乱やたたかいがあったと聞いています。それと同じようなことが、またおこるかも知れません。でも、それは試練で、最終的には平和の世界に至るのではないでしょうか。とにかく、これ迄のような形の疑惑と憎しみ合い、戦争といったものはなくなるのです。そうではないでしょうか?」
「…………」
聴きながら、ぼくは、これに似た――というよりほとんどそっくりのことを告げられたことがあるのを、想起していた。
そう。
それは、ほんの二日ばかり前でありながらずっと以前のようにも思えるが……ネプトに行こうとしてザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと山の中を進んでいたときの、あのドゥニネたちのまとめ役の男がいったことでもあるのだった。そのときには、相手が何をいおうとしているのか、まるきり理解できなかったが……こうなってみると、そういうことだったのか、と、思い当たるのである。とはいっても、ぼくはまだ完全に納得し共感したわけではなかったが……。
そういう社会は、窮屈ではないのか? でなければ開き直りを余儀なくされるのではないのか? それとも、そうでもなく、心を開けば平気になるというのだろうか?
ともあれ、シェーラのそうした説明は、ぼくがその前に発した質問――シェーラがなぜ来たのか、何をしに来たのか、という問いに対しても、同時に答えていることになる、と、ぼくは悟った。
シェーラは、つまり、ネイト=カイヤツやネイト=カイヤツを含むネプトーダ連邦、そしてそれ以外の星間勢力をも、すべてが超能力者である世界にしようとの目的のもとに、やって来たのではないのか? 話の流れから行けば、そうとしか解釈できないのだが……しかし……。
「その通りですわ。イシター・ロウ」
シェーラは静かに答えた。
やはり、そうだったのか。
だが、そんなことが簡単に実現されるとは考えられない。
「たとえいくら時間がかかっても……そうすべきではないのでしょうか」
再び、シェーラがいった。
ぼくは、今一度、これ迄のシェーラの話を反芻《はんすう》し、自分に呑み込ませようとした。これは、そうあっさりと受け入れられる性質の事柄ではなかったのだ。
そのとき。
外のほうで叫ぶ声がした。
つづいて、二、三人の怒号。
と、思ううちに、騒然となり、人々が走りはじめたようである。
ぼくは緊張した。
何かおこったらしい。
ここへも、だれかが入ってくるのではあるまいか。
表を、人々が走って行く気配。
ぼくは、シェーラたちに視線を戻した。
彼女たちは、しかし、落ち着いていた。超能力で、外の状況をとらえつつあるのであった。
「ここへは、入ってきそうもありませんね」
ワタセヤが、頷いてみせた。「ちょっとしたいざこざのようです」
ぼくがおやと思ったのは、ワタセヤのその言葉がカイヤツ語だったことである。ワタセヤは(そしてたぶんミヌエロも)話そうとすればカイヤツ語を話せるのであろう。が……それならそれで、どうということもない――とぼくはすぐに考え直した。
そして、たしかに、そのうちに人々の走る足音は遠ざかり、外の物音は以前と同様、通行人が行き来するだけのものに還ってしまったのである。
が。
そういうしだいで緊張をといた時点で、ぼくは、今のシェーラの話の中に、問題点があるのを発見していたのであった。
「きみは、ヘデヌエヌスでは秘密というものが一切なくなり、あらゆることが誰にもあきらかになるといったね?」
ぼくはいいかけ……しかしながらそのあとは、言葉として順番に出すのがもどかしかったので、おのれの思考を向けたのである。
シェーラは、超能力者どうし……特にこの場合にはテレパシーの交換能力ということになるが……そういう人間ばかりの世界では、秘密がすべてなくなるといった。
だが、ぼくの経験によっても、必ずしもエスパーどうし、お互いにお見通しというわけではないのである。
エスパーは、相手に自分の心を知られたくなければ、障壁を作ることができるのだ。そういうことのできるエスパーは結構多いのである。その障壁は、ときには空白であったり濁ったわけのわからないものであったりするが……そして障壁を設けると自分も相手の心を読めなくなるようだが……心を読み取られずに済むのは事実なのである。いや、と、ぼくは、ずっと前の、カイヤツVでの査問会を思い出した。あのときにいた特殊警備隊員は、ひょっとすると障壁を設けぼくの読心力を妨害しつつ、なお、ぼくの心を読んでいたのではないか? そうだったのか否か、ぼくには何ともいえないけれども……どちらにせよ、エスパーが障壁を作って相手の読心力を防ぎ得ることに変りはないのだ。
しかも、これはまだ、障壁があるのが相手にもわかる、という段階なのだ。
カイヤツVといえば、あのミスナー・ケイを考えてみるがいい。ミスナー・ケイ、あのときのプェリルは、おそるべき超能力者であるはずだったにもかかわらず、特殊警備隊員による調査では、超能力のいわば一部の除去手術をして念力しか使えなくなった人間だ、との結果が出たというのである。ミスナー・ケイがそんな手術などしたのだろうか?
ミスナー・ケイでは、その後の彼女が読心力を使ったかどうか疑問だから、本当に読心力だけの除去手術を受けたのではないか(そんなことは、どうもぼくには信じられないけれども)というのなら、そう、このシェーラならどうだ? シェーラがはじめからエスパーであり、今もエスパーだというのは、シェーラ自身の口から聞いたし、ぼくにもそうとしか思えない。そのシェーラが、エレスコブ家に雇われたときには、当然超能力の有無の検査があっただろう。それはまあ警備隊員の世話係というような仕事なのだから、検査といっても簡単なものだった可能性はある。あるが……シェーラはその後、姿を消す迄、エレスコブ家の特殊警備隊員に、エスパーである事実を知られることなく勤めていたのだ。障壁など作っていたら、作っているというそのこと自体が、エスパーであるのを告白するようなものである。だからシェーラは、障壁を作らない状態で、それでいて普通人で通してきたのだ。こんな離れ業があり得るということ自体、ぼくには信じがたいのだけれども、そうでなければつじつまが合わないのである。
それに……テレパシー遮断材というものもあるのだ。ぼくは詳しいことは知らないが、ロッソー板とかカッソー板とか不定形のラヌだとか……ほかにも、テレパシー以外の超能力をも遮る高級材があるということを、耳にしていた。
――と、こうしたいろんな事例を挙げてくるならば、すべての人間がエスパーである世界といえども、依然として秘密保持はできるということになりはしないか? 本心だけの触れ合いとは、行かないのではないか?
これが、ぼくのいいたい問題点なのであった。
シェーラは、そうしたぼくの思考が一段落するのを待っていたのだ。
「きっと、そのことが出てくるだろうと思っていました」
シェーラは、うなずきながら答えた。「もちろんヘデヌエヌスでも、ひとりひとりの素質や訓練のしかたによって、超能力者としての到達段階に差は出てきます。でも、わたしたちのような工作員でないにしても――」
「工作員?」
ぼくは思わず質問をはさんだ。
「ええ」
シェーラは、目をしばたたいた。「ヘデヌエヌスからは、わたしが今しがたいった目的のために、何十万人という工作員が送り出されています」
「何十……万人?」
ぼくはまた、繰り返さずにはいられなかった。
「そうなんですよ」
と、シェーラ。「ネプトーダ連邦の各ネイトにも、ウス帝国にもボートリュート共和国にも、その他の星間勢力にも……。でも当面は現在戦争をしているところを優先させ、そうしたところに重点を置いています。だって、あらゆる人間たちの平和が、わたしたちの願いなんですから」
「…………」
ネプトーダ連邦の各ネイトというのは、ぼくにも漠然と想像がつきかけていたが……ウス帝国やボートリュート共和国や、さらに他の星間勢力へもとなると……だがぼくも、もうそれ以上は反問せず、相手の次の言葉を待った。
「ヘデヌエヌスでは、わたしたちのような工作員ではなくても、ある程度のクラスに達すれば、あなたがおっしゃったような事柄は関係なくなるのです」
シェーラは、話を元に戻した。「人々は、もちろん障壁を設けることはできますが、他人がそれを破るのも、容易なんですよ。超能力が強ければそれだけ障壁も強くなるわけでそれをまた力で破るというのでは、きりがありませんけれど、障壁というものにははじめから分解されるためのいわば鍵があって、そのためのちょっとした技術があればすぐに除去できるんです。人間は集団の生物だから、他人に対しておのれの心をとざすよりも、他人とつながるほうが自然にかなっている――ということなんでしょうね。でもわたしたちは、障壁を分解するその技術を、乱用はしません。障壁を作るというそのことが、すでにひとつの意思表示なのですから。他の人々のためとか当人のためにどうしてもそうしなければならない場合にしか、障壁を破らないというのが、マナーになっているんです。それからあなたがいったテレパシーその他の力の遮断材は――そこそこの力があれば、遮断材でも何でもありませんわ。遮断材として有効なのは、力がごく弱い人間にとってだけのことで……元来、本当の遮断材なんて存在しない、とされているんです」
「なるほどね」
ぼくは呟いた。
そうなってくると、あまり認めたくないことだが……ネイト=カイヤツにおけるエスパーなど、ずいぶん中途半端なエスパーということになってくるではないか。
「それは、訓練のしかたや自己修練のやり方が未発達だからですわ。だって……ヘデヌエヌスにはそのための永い年月にわたっての研究の積み重ねがあるのに反し、ネイト=カイヤツでは超能力を育てるどころか、超能力者を抑圧しているんでしょう? 超能力者の個々のばらばらなやり方の訓練では、進歩は遅々としたものにしかなりませんわ。だから、ネイト=カイヤツの人たちが、超能力者としての素質が劣っているわけじゃないんです」
シェーラは、ぼくの内心の自嘲《じちょう》を、真面目にそう慰めた。
そういうことなのかも知れない。
そういうことなら、仕方がないとしなければならない。
ところで、と、ぼくはそこでふと考えたのだ。
シェーラは、わたしたちのような工作員でなくても、ある程度の力があれば、と、いった。そのある程度≠ナ、ネイト=カイヤツのエスパーを超えているのである。とすれば……それ以上であるらしい工作員とは、一体どんな力を持っているのだ? どういう超能力者だというのだ?
ぼくはシェーラに視線を当てた。
「わたし、何も工作員だけがもっとも優れているというつもりではなかったんです」
シェーラは、ちょっと当惑したようにいいだしたのだ。「まずまずと認められる超能力者のうち、特別の能力を併せ持つ者がたくさんいます。そのたくさんの中から、工作員は選ばれる、ということなんです。――馴れたはずですけど、言葉でだけのやりとりというのは、うっかりすると正確さに欠けやすいものですね」
「特別な能力、というと?」
ぼくは尋ねた。
「随意《ずいい》エスパーであるということ」
と、シェーラ。
「随意エスパー?」
何のことやら、よくわからない。
「自分の意思ひとつで、エスパー化したり非エスパーになったりできるのを、随意エスパーと呼んでいるんです」
シェーラは説明する。「非エスパーになるというのは、もちろん障壁を作ったりするのではなく、障壁も何もない――精神波感知機によってもエスパーであることが検出できない状態になれる、ということです。誰がどう探ろうとしても、本当の非エスパーになっているんですよ。当人もその間は能力を失っています。接触によるテレパシーの交換もできません」
「それはおかしいんじゃないか?」
ぼくは反論した。「それは、なろうとすれば非エスパーになり切れるかも知れない。例えばきみは、エレスコブ家ではそれで通したんだろうからね。しかし……自分がエスパーである、本来超能力者だという自覚は、消えないんじゃないか? その心を読まれたら、たちまち相手に見破られるんじゃないのか?」
「そう思う?」
シェーラは、にこりとした。
「思うとも」
ぼくはいった。
「自己暗示で、その自覚は消せるんですよ」
シェーラは、首をかしげた。「どう説明したらいいのかしら。つまり――ある種の精神操作なんです。浮かびあがってこようとするものを、自己暗示の作用で沈めておくわけ。実際にあなたにできるようになれば、すぐにわかるんですけど……自分が超能力者であるということはむろんのこと、そうであった記憶も消失させることができるんです」
「待ってくれ」
ぼくは手を挙げた。「そんなことができるとは……いや、できるとしよう。できるとして……だったら、その後ずっと非エスパーのままということになるじゃないか。自分が超能力者であり、あったという事実迄忘却したら、元へ戻ることも失念する理屈だ。そうじゃないのか?」
「鋭いんですね」
シェーラは、また笑った。「たしかに、わたしの今の説明では、そうなりますわね。でも、非エスパーになるときは、エスパー化するきっかけをセットしておくんですよ」
「セット?」
「ええ。一時間なら一時間後に……自分の生理感覚としての時間でも、時計を見ての時刻でも……あるいは、自分の家に帰ったらとか、恐怖を覚えたらとか……エスパー化するきっかけをあらかじめ心理作用で叩き込んでおくのです。方法はいろいろありますわ。だから、眠っているときに心を探られるのが嫌なら、寝ている間非エスパーでいることも可能なんです」
そのシェーラの話は、ぼくにある程度の説得力を持っていたようだ。それはぼくに、催眠術にかけられたさいの覚醒や、後暗示というものを連想させ……何となくわかる気がしたのである。
しかし、まだ疑問はあった。
あらかじめきっかけを決めておいて、そのきっかけによってエスパー化したとき、そこにエスパーがいたら、たちまち見破られるのではないか?
ぼくがそう考えるのとほとんど同時に、シェーラたちは視線を交わし合ったのだ。
「そこなんです」
シェーラが声を出した。「そういうときには、直ちに次のきっかけを決めて、再び非エスパーになるしかありません。きっかけをどんなものにするか、それが本人のいわば腕であり直感なので、見破られるようなときにエスパー化するのは、失敗なのです。工作員たちは気をつけていますけど……失敗した者も少なくはありません」
「なるほど」
ぼくは、了解した。
随意エスパーというものにしても、なおかつそんな弱点があると知って……何だかうれしくなるというか、気が楽になるのを覚えたのである。
「それで……そんな注意力、あるいは適性が求められるから、随意エスパーであるというだけでは工作員になれない……選抜されるということなのだな?」
ぼくはいった。
「その通りです」
シェーラは同意した。「自分自身を守れないようでは、工作員の仕事は務まりませんから。でもほかに、人間としての、人格的な基準などもあるので、一概にはいえませんけど……。むしろわたしたちにとって大変なのは、テレパシー抜きの、言語とか身振りなどによってしか意思を交換できない状況に馴れ、適応することでしょうね。テレパシーが当り前の手段だったわたしたちには、努力が必要なんです」
「…………」
そういうことになるのかも知れない、と、ぼくは思った。
そのぼくの脳裏をかすめたのは……またもやミスナー・ケイのことである。シェーラは、(ぼくにとっての)ミスナー・ケイが、自分たちの一員であり、しかし自分より後で仕事についたといった。
ぼくはカイヤツ府のライカイヤツ地区の酒場でミスナー・ケイと出会って以後、彼女に会うたびに、しばしばこの女は自分の身の危険とか他人の気持ちといったものについて、どうも鈍感なところがあるのではないか、どこか異邦人めいたところがある――との印象を受けたのであるが……今にして思えば、彼女はまぎれもなく異邦人だったのだ。身の危険に鈍感と見えたのは、彼女自身が超能力者だったから、危険と感じなかったのであろう。そして……カイヤツVでハボニエと話し合ったのだけれども、ある人間が、読心力だけの会話を習慣にしていたとして、その力をみずから封じなければならなくなったら、他人の気持ちを推し量るのはきわめて不得手ということになるのではないか……あの女にはそんなところがある――としたのは、真相をいい当てていたのだ。
ミスナー・ケイは、それだけまだ、テレパシーの会話というものがない社会になじんでいなかった、ということではないのか?
というぼくの想念に対して、しかし眼前のシェーラは、特にこれといった反応は示さなかった。自分の仲間への友情が、ミスナー・ケイの工作員としての至らなさを肯定するのを、ためらわせたのかも知れない、と、ぼくは考えたりしたのである。
ともかく。
そんな随意エスパーというようなものが存在するとなれば……ぼく自身は不定期エスパーで不随意のエスパーであるけれども、ぼくがこれ迄本物のエスパーとして眺めてきた常時エスパーですら、不随意エスパーということになる。シェーラの話が本当だとすれば、中途半端な力しか持たない不随意エスパーなのだ。
そういう随意エスパーたちが、ぼくたちの世界をもすべての人間が超能力者であるような世界にしようとの目的のもとに、そのことによって新しい時代、新しい平和を招来させようともくろんで、やって来た……。
やって来た?
どういう手段で?
どんな方法で?
まさか、超能力でではあるまい?
ぼくは、空想物語などで、ある地点から別の地点へと瞬間に移動する超能力というのを読んだことがある。しかしそんな瞬間移動などは、もちろん空想の産物であった。ぼくの知る限り、そんな超能力が実際に行使されたという例はない。超能力者たちもそう認めていたのだ。
だが、このシェーラたちなら?
ヘデヌエヌスの高度の超能力者たちなら可能なのか。
そんなはずはない。と、ぼくは自分で打ち消した。
もしもそんなことができるのなら、シェーラにしろミスナー・ケイにしろ、車に乗ったり宇宙船に乗ったりせず、瞬間移動の力を使うであろう。そういう真似をしては怪しまれるからわざと控えているのだと仮定しても……やはり無理があるのだった。彼女らの行動を考えてみても、しないのではなくできないのだと解釈せざるを得ないことが、いろいろあるのだった。ぼくには、そうとしか思えないのだ。
だが……しかし。
「考え過ぎですわ」
口を開いたのは、シェーラではなく、ミヌエロであった。ダンコール語にカイヤツ語をまじえてである。「瞬間移動なんて、物語の中だけのことですよ。ヘデヌエヌスでも、まだ瞬間移動の例はありません。少なくとも、ヘデヌエヌス程度の超能力の開発段階では、瞬間移動は空想のものにしか過ぎません」
「――では」
ぼくは短くいった。
では……どんな手段で来たのだ、ヘデヌエヌスからぼくたちの星域へ……さらにはネイト=カイヤツにいたシェーラが今ここに来ているように、ぼくたちの星域の中を、どんなやり方で移動しているのだ――と、問いかけたかったのである。
三人の女は、ぼくを見やった。
今度は、たしかに、答えるのをためらっている感じであった。
それからシェーラが頷いた。
「わたしたちには、船があります」
シェーラはいったのである。
「船? どんな船?」
ぼくは追及しようとした。
「船があると……今はそれだけにさせて下さい」
シェーラは視線を外した。「それに、わたしたちは偽装による一般の船への乗り込みもできますし、デヌイベとかドゥニネとかの姿でなら旅は自由ですし……また、潜入して探知されないやり方だってあります。そのときどきによって、さまざまな方法があるんです。それをいちいち説明していては、説明し切れません。それに、わたしたちのそのやり方をあなたにお教えすることは、これも、あなたの頭の中から、誰かが読み取ることになるかも知れませんし、それは困るのです。ですから、これだけにとどめさせてくれませんか」
そういわれては、ぼくにもそれ以上は押せなかった。
「これで、わたしたちのことは、あらまし理解して頂けたと思うんです」
シェーラは、目をぼくに向けた。「もうあなたにも大体推察はついているようですけど、そういう目的でわたしたちは、まず、赴《おもむ》いた先の世界について勉強し、そこの言葉を覚えることからはじめました。わたし自身はネイト=カイヤツのカイヤントの住民になり切り、それからカイヤツのエレスコブ家に入って、家のしくみやその他のことを、いろいろ調べたわけ。このことは、もうおわかりですわね」
「…………」
ぼくは肯定の思念を送った。
シェーラはつづける。
「そんなことをする一方、わたしたちはすでに先に来ている工作員が作った団体……ネイト=カイヤツならデヌイベ、ネイト=ダンコールならドゥニネ、それに、ええ、ネイト=バトワならエゼですわ。他のネイトにもみなあります。そうした教団のメンバーとして、仲間を増やして行く活動をしたんです。デヌイベの場合、ウス帝国との全面対決を避けようとしているエレン・エレスコブとその支持者たちに加担することもありました。出来ることなら、戦争がこれ以上大きくならないようにしたかったんです。他の教団も同様で……でも、わたしたちの力は、まだまだ、というより、ほとんど無力でした。仲間の増やし方が足らなかったんです。でも、諦めたわけじゃありません。仲間を増やすことをつづけるしかないのです。わたしは、別の任務も与えられていましたから、ネイト=カイヤツからこのネイト=ダンコールのネプトへ来たりしましたけど、それぞれの教団では仲間を増やし、エスパーになれそうな人をエスパーにしていくようにも努めています。わたしの経験では、随意エスパーになれそうな人とは滅多に会わなかったけれども、でもわたしたちがエスパーに迄持って行った人々の中には、普通の一般のエスパーよりはずっと高度の力を身につけた者も、多いのです。ヘデヌエヌスの人でなくても、わたしたちの目的のために協力してくれる人が増えて行き、エスパーが増えて行くことで、いつかは……何十年先になろうとも、いつかは……わたしたちの願うすべての人のエスパー化が実現する……そうでなければならない、と、わたしは信じています」
「…………」
ぼくは、シェーラの長い説明を聴きながら、これ迄よくわからなかった、あるいは漠然とつかみかけていた事柄の多くが、しだいに輪郭をなしてゆくのを感じていた。
そしてまた、ぼくの心には、デヌイベたちが集まって合唱し、レーザー光がねじ曲げられる場面がよみがえっていたのだ。
あれは……デヌイベの、ヘデヌエヌスからの工作員と、デヌイベに加わってネイト=カイヤツでの常識的な超能力以上の力を持った人々の、なせるわざだったのであろう。
常識を超えた超能力といえば、山の中でのドゥニネたちが、ぼくらに加えた治療もそうであった。あれもまた、かれらが持っていた力のせいだったのである。
そこでぼくは、突然、思いおこしたのだ。
山の中でのドゥニネたちは、ぼくがシェーラから貰った手紙……正確には便箋の存在を知って、さらに親切になったのである。シェーラはそれを護符といい、ドゥニネのまとめ役の男は、あなたはその手紙をくれた人に、いわば身元と可能性を保証されているのだ、といったのであった。
身元と可能性の保証。
それが、デヌイベやドゥニネなどの、ヘデヌエヌスから来た工作員どうしの、一種の連絡方式だったらしいのは、ぼくにも推察がつく。
しかし、なぜシェーラは、そんなものをぼくによこしたのだ?
友人、あるいは好意を持つ対象としてなのか?
ぼくがそこ迄考えたとき、不意に三人の女が目配せを交わしたのだ。
「今度は、あなた自身について、です」
ワタセヤがいった。ワタセヤもまた、ダンコール語にカイヤツ語をまじえてで……彼女もミヌエロも、ダンコール語でぼくが理解しにくいであろうときにはカイヤツ語にしている感じであり……ぼくはその喋り方にだんだん馴れてきていたのだ。
ぼく自身について?
「そうです」
今度はミヌエロが頷き、やはりふたつの言語をまじえて話す。「もちろん、この……あなたにとってのシェーラが、あなたにそういうものを送ったのは、あなたが考えた理由によってであるのもたしかです。この人は、あなたが好きだったし、今も好きなんですよ」
シェーラが、ミヌエロを制止しようとしたが、ミヌエロは肩をすくめただけで……またいったのだ。
「でも、それだけではないのです。それはあなたに可能性があったから、と、いうことなのです」
「可能性?」
ぼくは問い返した。
ミヌエロがシェーラを、あなたにとってのシェーラといったのが、少し気にはなっていたし……シェーラもまたミスナー・ケイと同じく、そのときどきで違う名前を使っているのであろうとは、それが当然であろうとは思うのだが……僅かな違和感が残ったのも事実である。しかしそれは、ぼくの気持ちの問題であった。ぼくがどうこういうべき事柄ではないのだろう。
だから、それはぼくの胸中におさめたままで(もっとも、相手三人にはお見通しだったはずである)ぼくは、自分についていわれたそのことを、問い返したのである。
可能性だとは……随意エスパーどころか、常時エスパーでさえないぼくに、一体どんな可能性があるというのだ?
すると、ミヌエロはぼくをみつめていったのであった。
「それこそが、正にあなたの可能性ではありませんか」
「…………」
ぼくは、眉をひそめてミヌエロを見返した。相手が何をいおうとしているのか、見当もつかなかったのだ。正直、からかうのもいい加減にしてくれと迄いいたい気分だったのである。
「あなたは、不定期エスパーです」
ミヌエロに代って、ワタセヤが喋りはじめた。「それが、あなた自身の可能性につながっているのです。――もっとも、不定期エスパーでありさえすればいいという単純なことではありませんが」
「…………」
ぼくはワタセヤに視線を移し、とにかく聞くだけは聞こうとの心の構えをとった。
「不定期エスパーというのは、持っている力が出現したり消失したりの、いいかえれば生まれつき能力が変化する素質の持ち主でしょう?」
と、ワタセヤ。「そんな人は、ずっと一定の状態でいる者よりも、はるかに随意エスパーになり易いんです。だって、乱暴ないい方をすれば、それで自由に力を制御できるようになったら、随意エスパーとほとんど同じなんですから」
ぼくはそこで、シェーラとミヌエロがワタセヤを見るのを認めた。
ワタセヤは、苦笑を浮かべた。
「今のは、たしかにちょっと乱暴ないい方でした」
ワタセヤはつづける。「本当は、力の出現水準規制とか自己暗示の型の修得とかいろいろあって、そう簡単に随意エスパーになれるわけではないんです。でも、今のような説明が、一番わかり易いだろうと思ったんです」
「…………」
ぼくは黙っていた。
今の、シェーラとミヌエロがワタセヤに目をやったのは、どうやらふたりがワタセヤの言い過ぎを思念で咎《とが》めたのであり、それでワタセヤが修正したのだろう、と、ぼくは悟っていた。そして、読心力者どうしの会話の微妙さをかいま見た気になったのも、事実である。
が……それはそれで、面白いとはいうものの、ぼくにとっては枝葉末節、でないとしてもあとで考えれば良い事柄であった。
それよりも、ワタセヤの話の内容のほうが重要だったのである。
ワタセヤにそういわれてみると……ぼくには(これ迄は夢にも思わなかったことだけれども)不定期エスパーと随意エスパーとの、およそ対極にあった概念が、たしかに結びつく――共通性がありそうだとの感じがしてきたのであった。いや、どこ迄信じていいのか不明にしろ、相手のいったことが何となく理解出来るという程度には、受け入れていたのである。
そして、ひょっとすると三人は、ぼくがそんな心理になるのを、待っていたのかも知れない。
数秒間置いて、再びミヌエロが口を開いたのだ。
「この人がいったのは、素質としての不定期エスパーの有利さです。不定期エスパーは、いわば自分の能力の起伏に平気な体質を持っているわけですから。でもその他にも有利な点があります」
「…………」
「不定期エスパー、それも経験を積んだ不定期エスパーは、両方を使い分けることが出来ます」
ミヌエロはいう。「常時エスパーは、つねにエスパーであるために、そうでない人と接するさいにも、エスパーであることを免れるわけには行きません。自分の能力が自分の一部になっているせいで、こちらの世界でいう普通の人の一員にはなり切れないのです。また逆に普通の人は、当然ながらエスパーの仲間には入れません。しかし不定期エスパーの場合、能力が出現したり消失したりしながら生きていかなければならない以上、どちらの仲間にもなれなければ駄目なのです。不定期エスパーの中には、両方に適応することが困難で、エスパー時、あるいは非エスパー時のどちらかのときにだけ有能で、そうでないときにはうまくやって行けない者もいるようですが……そしてこれは、不定期エスパーの置かれた立場を考えると、無理のないことと同情もしますが……でも、自分がどちらの状態であっても、そのときどきの自分に徹底して、ちゃんと身を立てて行く人だっているのです。そういう――両方の状態でやって行ける能力を持つのは、いってみれば不定期エスパーの特権みたいなものなのです。嫌でも、そうした訓練をしなければならないから、そんな二面性を備えることになるんでしょう。随意エスパーとして行動するとなれば……この二面性がどんなに大切か、わかって頂けるのではないでしょうか」
この長い説明を……ぼくはそれほどの抵抗もなしに聴いていたのだ。
というのも、ミヌエロのいったことには、たしかに思い当たるふしがあったからである。
そう。
ぼくは不定期エスパーだが……そして五歳になったある日、父と母の心を読んでいる自分を発見して専門家のところへ連れて行かれ、そのことを知ったのだが……それが一過性のもので、あと一生、エスパーとしての能力は発現しないで終るかもわからないといわれ、普通人として育ったのだ。が……予備技術学校で再び能力が起きあがってきたために、不正行為をしたとの嫌疑をかけられ、退校になったのである。その直後に父母が事故死し、自活の道を考えなければならなくなったぼくは、学費無料で給料も支給される、しかも超能力者であろうとなかろうと受け入れてくれるファイター訓練専門学校に入ったのだ。これをまた繰り返すのはくどいだろうが、体力と反射神経と技がものをいうファイターには、本人がエスパーであろうとなかろうと、ほとんど関係がないのであった。ぼくは、だから、ときどきエスパー化しながらも、普通人として鍛えられ、普通人として有能であろうと努めたのだ。
そんなぼくにとって、思い出したように到来する超能力は、むしろ迷惑であった。自分の力に戸惑い、持て余しながら、自分では普通人としてやって来たのである。
だが、何度も何度も超能力が起きあがってくるうちに、ぼくはしだいに力の使い方に馴れてきた。教えて貰ったり自分で工夫したりして、優秀な超能力者たちには及びもつかないにせよ、とにかく力を利用し活用するすべを身につけたのだ。ために最近では、自分の力が消えると、喪失感を覚え無力になった気さえするようになっている。
とはいうものの、非エスパーになれば非エスパーで生きて行くしかないのだ。現に今のぼくは、おのれの普通人としての能力で行動しているのである。
いや……これは、とうにご承知の事柄を述べてしまった。
とにかく、ミヌエロの説明の間、ぼくの頭に去来していたのは、そうしたぼくの体験なのだ。
そんなぼくにしてみれば……それを二面性と呼ぶのなら呼ばれても結構、との気持ちがあり、相手が話していることにも、そこそこ首肯できるのであった。
しかし。
不定期エスパーにそんな可能性があるというのは……どこ迄が本当で、どこ迄信じていいのか、ぼくには何もいう資格はないが……だからシェーラは、護符を呉れたというのか? 身元と可能性の保証をしてくれたというのか?
好きだったから?
可能性があったから?
どうも、もうひとつ、はっきりわからないではないか。
待て、と、ぼくは脳裏に何かが閃《ひらめ》くのを感じた。
シェーラがなぜそんなことをしたのかといえば……それだけではないのではないか? シェーラとこのふたりは、ぼくに可能性があるという。もっと突っ込んでいえば、不定期エスパーであるぼくは、随意エスパーになり易いのだそうである。むろんそうなるためには、さまざまな訓練や何やかやをしなければならないのに相違ないが……ともかく、これ迄の話を聞いてくると、ぼくを随意エスパーにさせようとしているのではないのか? どうもそうとしか考えられないのだ。
しかし、ぼくを随意エスパーにしてどうするのだ?
第一、そんな時間的余裕はないであろう。
時間的余裕。
そこでぼくは、ぎくりとした。
われに返ったといっていい。
ぼくはこんなところで何をしているのだ?
ぼくは、自分の隊を探し出して合流しなければならないのである。
合流出来るかどうか……合流してその後はどうなるのか……それは何ともいえない。むしろ、考えたくない位であった。だがそうするのはぼくの義務なのだ。
しかも事態は切迫している。ネプトは最後のときを迎えようとしている。それどころか例のビラによれば、ネプトーダ連邦の総府はすでに降伏を決定しているというのだ。それを一部の勢力が妨害しているともあった。真偽の程はぼくには何も分らない。分らないけれども、これから何がおこるか見当もつかない――非常のときなのだ。
そんな状況下で、こんなところにすわって三人の女とお喋りをし、不定期エスパーは随意エスパーになり易い、などといっていて、いいものか?
ぼくは、焦りがどっと胸の中に湧きあがり沸騰するのを覚えた。
行かなければ。
だがそこでぼくが想起したのは、先程のシェーラの言葉であった。
シェーラは、カイヤツ軍団が現在第三市にいるようだといった。駐屯している場所もあらまし突きとめたから、道順を教えるともいったのだ。それに水と何回分かの食糧も用意したとのことである。
自分の隊に合流するには、シェーラにそれを訊《き》かなければならない。水や食糧も、あったほうが有難い。自分でやみくもに探し廻り、水も食べものもない状態になるよりは、ずっと良いのだ。
しかし、それらを相手に求め、知るだけのことを知り貰うだけのものを貰ってさっさと出て行くのは……やはり非礼であろう。
ぼくは自分の苛立《いらだ》ちを押えつけた。
「ごめんなさい」
不意に、シェーラがいった。「これではまるでわたしたち、知識とものを餌にして、あなたを引きとめているみたいですね」
「いや……いいんだよ」
ぼくは答えた。
シェーラにそういわれてみると、(内心の焦りが消えたわけではないけれども)おのれの手前勝手さを意識せずにはいられなかったのである。
「もう少し、お話ししたいんです」
シェーラはぼくをみつめた。「わたしには、まだ、白状しなければいけないことがあるし……それに、このまま行ってしまっては、あなたの中に依然としてまだ疑問が残るでしょう? もうちょっと時間を下さい」
「そうだね」
ぼくは応じた。
奇妙な感覚の中で、である。
ぼくはカイヤツ軍団の兵士であるのを忘れてはいないつもりだった。義務を果たすべきだとおのれを励ましていた。でありながらさきにもいったように、その自分の最期に対するためらいもあって、それを少しでも遅らせようと(あまり認めたくないが)していた気味がある。
一方、シェーラないしシェーラにまつわるもろもろの謎や、ヘデヌエヌスやらについての話は、ぼくを捉えていたのだ。シェーラの白状とやらも気になるし……どうせここ迄話を聴いてきたのであるから、おしまい迄聴きたかったのである。でなければ、釈然としないであろう。釈然としないままで戦死するのは……未練であろうが、残念に相違なかったのだ。
――といった、すでに何度も述べたそうした気持ちのほかに、ぼくは、不思議な気分にもなっていたのである。
ぼくの目の前にいる三人は、これ迄の常識では考えられない高度の超能力者なのだ。ぼくの心を読み取り、やろうとすれば念力でぼくを押えつけて無理矢理話を聴かせたり、ひょっとすると思念によってぼくの思考をかき乱したり操作できるかもしれない人々なのである。その三人がおとなしく、おだやかにすわり、シェーラはぼくにもう少し話を聴いてくれと頼んでいるのだ。それだけぼくの考え方や立場を尊重していてくれるということであろう。そう思うと……ここはシェーラのいう通りにすべきではないか、との気がするのであった。
「これから話すことに対して、あなたはお怒りになるかもわかりません。でも、一応最後迄聴いて下さい」
シェーラは話しだした。「わたしたちがしようとしていることについて、いろいろお話ししましたけど……さきほどわたしは、わたしには別の任務も与えられていた、と、いいました。覚えていらっしゃる?」
「…………」
ぼくは、無言で肯定した。
「わたしたちは、自分の赴《おもむ》いた世界で仲間を増やすばかりでなく、そこで一流の工作員になれそうな潜在能力を持っている人を見つけたら、そして信頼できると見極めたら、ヘデヌエヌスに連れて行くことを求められています」
シェーラのこの発言は、ぼくの目を大きく見開かせるに充分であった。
「ヘデヌエヌスに?」
ぼくは反問した。
「そうなのです。わたしはそういう任務を別に与えられた工作員のひとりです」
シェーラはいった。「そうした人々をヘデヌエヌスで能力を高め鍛えて、また元の世界に送り返すのです」
「ヘデヌエヌスの工作員としてか?」
ぼくは問うた。「ヘデヌエヌスのために働く人間としてか?」
「そう考える人がいるかも知れませんね」
シェーラは応じた。
「しかし……そうじゃないか。それでは」
ぼくが途中でやめたのは、自分のネイトなり連邦を裏切って――との台詞《せりふ》がつづくところであり、そこ迄はあからさまにいえなかったからだ。
が……当然ながらシェーラは、ぼくの心を読んだ。
「わたしは、違うと思います」
シェーラはいうのだった。「ヘデヌエヌスは、他の星間勢力に侵入したり支配したりすることなど、考えていません。人間の住むすべての世界が、すべて超能力者である世界になって欲しいと願っているだけです。ひとつにはすでに申し上げた通り、新しい時代、最終的な平和を招来するために……またひとつには、ヘデヌエヌス自体が、猜疑《さいぎ》と不信を持つ星間勢力の知るところとなりたたかいを仕掛けられないために。それにまた、わたしたちは、高度の能力を持って元の世界に帰った人々に、何の注文もしませんし、仕事も頼みません。そうした人々は元の自分のところの人間として、自由に好きなように生きるんですわ。必ずといっていいほど、わたしたちの願う方向へと努力し、わたしたちに協力してくれます。それが裏切りになるでしょうか? むしろ、自分のネイトなり星間勢力を新しい時代へ持って行く、忠実なメンバーとはいえないでしょうか」
「即答はできないな」
ぼくは、返事した。
シェーラがいっていることは、わかる。言葉としては、なるほどその通りかも知れない。すべての人間がエスパーになり、猜疑や不信による争いがなくなり……次々と世界がそうなって行けば……新しい時代が到来するのかもわからない。それが大きな夢であるのも認めよう。
しかし、心が狭く古いといわれても仕方ないが、ぼくはカイヤツ軍団の兵士であり、ネイト=カイヤツの人間なのである。シェーラのいう事柄は事柄として、気持ちの上ではどうしてもすぐには同化はできないのであった。ヘデヌエヌスとやらへ行き、そこで高度の能力を身につけて戻るということ自体、何となく秘密めいた匂い、あいまいでうしろぐらいものを感じるのである。そう……ぼくはおのれの心が狭く古いといわれるのを承知で、そういっているのだ。
それと、ぼくにはまだ、すべての人間がエスパー、いや超能力者である世界が、何もかもがお互いに知られるがゆえに開放され、平和であり得る――とは、心の底迄信じることはできなかったのだ。そんなにうまく行くものであろうか……事実、ヘデヌエヌスはそうなのか? ヘデヌエヌスがそうだったとしても、他の世界もそうなるとは限らないのではないか、との疑いが、そうあっさりとは消えないのであった。
突き放した目で眺めるならば、そんな感覚になるそのことが、ぼくの内に存在する猜疑や不信を証拠立てていたのかもわからない。おのれのこれ迄、おのれの意識にとらえられていたからだ、と、いえるかも知れぬ。
だがぼくの正直な気持ちは、そうだったのだ。だから、そんな返事をしたのである。
「そうでしょうね。すぐには……とても無理だと思います」
シェーラはいった。
どんな気持ちで彼女がそういったのか、ぼくには不明である。ぼくは今、シェーラの心を読めないのだ。
それよりも――。
それよりも、ぼく自身のことだ。
シェーラが護符をよこしたのは……身元と可能性の保証をしたというのは……それにミヌエロとワタセヤが、ぼくが不定期エスパーであるがゆえに随意エスパーになり易いなどといったのは……。
シェーラは、ぼくをヘデヌエヌスに連れて行く対象にしたというのか?
ぼくを?
「お怒りになるかも、といったのは、それです」
シェーラは口を開いた。「ええ、そうですわ。わたし、あなたならと思ったんです」
「そんな――」
ぼくは、それだけしかいえなかった。あまりにもあっさりと相手が認めたために、また、いつ頃からどんな理由でという疑問もあって……そう、たしかに怒りもまじっていた。ぼくを……そんなヘデヌエヌスなどに連れて行こうなどと……と、しかしありていにいえば混乱と呆《あき》れた気分のほうが強かったのではあるまいか。
シェーラは、はげしくかぶりを左右に振った。
「お願いですから、一応最後まで聞いて下さい!」
シェーラはぼくを正面からみつめて、話しだしたのだ。「そうです。白状するといったのはそのことです。わたし、エレスコブ家の警備隊に不定期エスパーの方が入ってくると聞いたときから、興味を持っていました。そしてあなたにお会いしたときに、良い人だとわかったんです。――いやね!」
その最後の言葉は、ミヌエロとワタセヤに向けられたものである。ふたりは、妙に面白そうに、シェーラとぼくを眺めていたのだ。
ぼくは黙っていた。
「あなたの能力の可能性については、占いにかこつけて……ごめんなさい。占いにかこつけて接触によるテレパシーでわかりました」
シェーラはつづける。「可能性だけでなく、あなたが信頼できる人で、いかにも青年らしい青年だということも知りました。だから、いつかそうした機会があったら、少しずつでもわたしのことや、わたしがやろうとし、ていることをあなたに悟らせ、お話もして、出来ればヘデヌエヌスへと考えていたんです。でも、あの頃のあなたも、カイヤントでお会いしたあなたも、職務に熱心だったから、ほとんど何もいえませんでした。せいぜいデヌイベの力を見て頂いただけでしたものね」
「…………」
ぼくはやはり黙って聴いていた。そうするしかなかったのだ。
「だけど、わたしは諦めませんでした」
と、シェーラ。「いろんなことをしたのもそのためです。そして、このネプトでやっとこうしてお話しすることができた、と、いうわけです」
「すると、きみははじめからそのつもりでぼくに近づいたのか?」
ぼくは、ぼんやりと尋ねた。
「そうでもあり、そうでもなし、というところでしょうね」
シェーラはいう。「身近に潜在能力の大きそうな人、それも不定期エスパーがいたら、とりあえず当人がどんな人間でどの位の可能性を持っているかをたしかめるのが、仕事なんですから」
そこでシェーラは、目を宙に向けた。
「――待って。あなたはファイター訓練専門学校の同期生の、イサス・オーノという人から、ヘデヌエヌスの名を聞いたんでしたね。とすると、そのイサス・オーノという人は、不定期エスパーだったのではないでしょうか?」
「イサス・オーノが?」
ぼくは、首をかしげた。
イサス・オーノこそ、ぼくの印象ではエスパーと無縁の人間だったのだ。イサスはときどき、ぼくや他の常時エスパーに対して、意識で攻撃型を作りつつ、身体は全く別の動きに出る――という戦法をとったのである。これが普通人の自衛策でなくて何であろう。
「でも、そんな人もいるんですよ」
シェーラは、ぼくの内心の問いに返事をした。「普通人と呼ばれる者でも、実は超能力者になり得るといいましたけど、それよりずっと大きな潜在能力を有しながら、しかもいつエスパー化するかわからぬ人間でありながら、生まれてから何十年も、あるいは一生、普通人のままの人もいるんです。それだってある意味では不定期エスパーで……わたしたちにはわかるんです」
「…………」
「もしイサス・オーノという人がそうだったとしたら、わたしのような役目を持った工作員の誰かが接近して、ヘデヌエヌスのことを話し、誘おうとしたのかもわかりません。だけど何かの理由でその工作員が接近を中止し、またはイサス・オーノ自身がそれ以上のつき合いに応じなかったために、それだけになってしまったのかも知れません」
「そんな工作員がいたとして……誰だかわからないのか?」
ぼくは、ファイター訓練専門学校でイサス・オーノと親しかった連中の顔をあれこれとよみがえらせながら、訊いた。
「わかりません」
というのが、シェーラの返事だった。「わたしたちの全部が、お互いに知り合いなのではないんです。同じグループの十人あるいは二十人、ときには三十人位しか知らないのが普通です。わたしのグループにしたって、ここのふたりや、それにあなたにとってのミスナー・ケイのほかに十人ほどいて、それ以外は、何かの拍子でそうと判明することはあっても、原則として知らないんです」
「そんな仕組みなのかね」
ぼくは、何となくいった。
「そうしなければ、危険でしょう?」
と、シェーラ。「ネプトーダ連邦ではまだ耳にしていませんが、エスパーを道具や武器として使用しているウス帝国などでは、エスパーの動向に敏感で、わたしたちの中には発見され捕えられた者もたくさん居るとのことです。そして処刑される前には、強引な手段で仲間のことを喋らされるのが常だそうです。でも、知らないことはどんな手段をとられても喋れませんものね。――さっきからわたしが、あなたに説明しなかったことがいくつかあるのも、そのためです」
「…………」
それはそうだろうな、と、ぼくは思った。
「話を元に戻します」
と、シェーラ。「わたしは、ですからその目的であなたに近づきましたけど、しだいに、というより急速に、あなたを信用するようになって……わたしは任務を与えられていながら、まだひとりもヘデヌエヌスへ連れて行っていませんが、もしもそうするのならあなたひとりでいい、少なくともわたしが出会った中では、可能性から見ても人となりからいっても、あなたに優る人はいない――と、信じるようになったんです。今でももちろん、そう思っています」
「それはどうも」
ぼくはいった。
返事としては、変であろう。
名誉であり光栄であるには違いないし、そのことにはシェーラに礼をいうべき場面ではあったのだが……それが、ヘデヌエヌスへ連れて行かれる対象としてであると考えると滅多なこともいえなかったのだ。
「でも、わたしにはあなたの気持ちがわかっています」
シェーラは語をついだ。「あなたは連邦軍兵士としての義務をやりとげるつもりですから、わたしは諦めます。今は……そうするのが、あなたの心に添うはずです。ヘデヌエヌスへ行くといっても……ヘデヌエヌスはわたしの故郷であっても、あなたには未知の得体の知れぬ世界でしょうし、一方、あなたはネプトーダ連邦のネイト=カイヤツの人間であり兵士なので、連邦やネイトに対する感情は、それだけ強いでしょう。ですから、もう止めません」
「…………」
ぼくは何もいわなかった。シェーラの心遣いに感謝し、感謝しながらもどこか何かがそぐわない、そんな気分だったのだ。
「最後にひとつ、いわせて頂けますか」
シェーラがいったので、ぼくは相手の顔に視線を戻した。
「わたしはあなたを止めないけれど、でも、あなたには大きな未来があります」
シェーラは、ゆっくりと言葉を出す。
大きな未来。
その台詞を、ぼくは何度聞いただろう。直接シェーラから、あるいはミスナー・ケイを通じて、たびたび聞かされたのだ。
そしてぼくにはずっと、それがシェーラの予知にもとつくものなのか、励ましなのか、それともただの気休めなのか判断がつかなかったのである。
何なのだ?
「わたしの予知の部分もあります」
シェーラは静かに答えた。
「予知の……部分?」
ぼくは問い返した。
「わたしの予知もありましたけど、それはあなたの中にも潜在的にあったのです」
と、シェーラ。「わたしは自分の予知というだけではなく、むしろ、そう……占いにかこつけて、あなたの中のその予知を強めたんです。悪かったでしょうか?」
「――いや」
と、ぼくは呟《つぶや》いた。
その気持ち……自分に何かいいことが待っているというのが、ぼくを何となく支えてきたのは事実であった。文句をいう筋合いはなかったのである。
では、と、ぼくは思った。
ぼくはそう簡単には死なないのか?
まだまだ先があるというのか?
「申し上げたいのは、そこです」
シェーラはいうのだ。「でも予知というのは、必ずそうなるとは限りません」
「限らない?」
ぼくは反問した。
それでは予知にならないではないか。
「未来は確定などしていないんです」
と、シェーラ。「方向を示しており、その方向をつかむのが予知に過ぎません。だから予知は必然ではなく、本人の行動やそのときどきの運で変化もします。そこで方向が変ると、予知そのものも変り将来も変ってしまうんです。だから、予知に全面的に頼るのは、危険なんです」
「…………」
「むしろ大切なのは、おのれの未来を予知としてではなく、気分として信じることではないでしょうか。そのほうが強いんではないでしょうか。そのおつもりで……元気でやって下さい」
シェーラが喋り終り、ぼくは一、二度頷いた。
そういうものかも知れない。
予知とは、その程度のものなのかも知れない。
自分を励ますこと、自分の行き先を信じることのほうが、強いのかも知れぬ。
そして。
ぼくは時計を覗《のぞ》き、シェーラたちが来てから二時間半近くが経過しているのを悟った。
行かねばならない。
自分の隊に合流しなければならない。
「ええ」
今度はシェーラが頷いた。
ミヌエロもワタセヤも、顔を見合わせて頷き合った。
だが、次の瞬間、ぼくは、最初にミヌエロが、つづいてシェーラとワタセヤが、表のほうへ顔を向けるのを認めたのである。
「入って来そうです」
シェ…ラが、低く短くいった。
外を行き来している足音や人声の中、数秒後に二、三人のものらしい靴音が大きくなってきた。
靴音は表でとまり、ドアの開く音がした。ぼくたちが緊張し息を殺していたから、そんな小さな音でも聞えたのだ。
誰が入って来たのか、カウンターの蔭にいるぼくたちには見えなかった。いや……見えなかったのはぼくひとりで、女三人はすでに持ち前の能力で見て取っているようだったのだ。
「誰もおらんのかな」
無遠慮な、男の声が聞えた。むろんダンコール語である。
「ここも放置か」
別の男の声がした。「しかし、そうすると何かいいものが残っているかもわからんぞ。調べてみるか」
「そうしよう。まずそっちの奥からだ」
第三の、これも男の声があって、靴音がこっちへやって来る。
掠奪《りゃくだつ》者か、と、ぼくは思った。
こんな、人が行き来している日中に、掠奪が行なわれるようになっているというのか?
だが、そんなことをあれこれと考えていられる場合ではなかった。一歩、一歩と、靴音は乱れながら近づいてくるのだ。カウンターごしにぼくたちの姿が見えるようになる迄に、何がおこってもいいような態勢を作らなければならぬ。ぼくはそのときには、もうレーザーガンを抜き出して構えていた。とはいっても、すわったままで、である。女たち三人もまた、腰をおろしているその姿勢を変えようとはしなかった。
たちまち――まずひとりが、それからふたりの顔と上半身が、カウンターのむこうに現われた。
それが、いかにも掠奪者らしい風体《ふうてい》で、しかも武器を持っていたのなら、ぼくは、かれらの動きと武器の種類に応じて、その場から横っ飛びに飛ぶなりレーザーを発射するなりしかるべき反応をしていたであろう。
だが、出現した三人の男は、そうではなかったのだ。
かれらは、制服をまとった――警察官だったのである。
巡回か?
ぼくは、レーザーの銃口を、下ろさない迄も、構えを崩した。
制服の警察官なら……ぼくたちがここで何をしているのかと質問するかも知れないが、無茶はしないだろうと、ふと気をゆるめたのである。
が。
「何だ、貴様ら!」
ひとりがわめいた。
ついで、三人は、カウンターの通り口からこっちへ歩いて来たのである。
かれらの胸から下が見えるようになったとき、ぼくは気がついた。
三人は、腰のあたりに、短銃を構えていたのだ。
「貴様ら、不法侵入だな!」
先頭の警察官がどなった。「それにそこの男、武器を携行しておるではないか。不法所持だぞ!」
「それを渡せ!」
別の奴がいった。
「それからそこの……ドゥニネだな? こんなところで男ひとりを相手に、何をやっていた? いちゃついていたのか?」
三番目の奴が大声を出す。
その時分には、ぼくたちは立ちあがっていた。立って、銃口こそ下に向けたが、ぼくはレーザーガンを手にしたままで、おもむろにいってやった。
「私は連邦軍のカイヤツ軍団の兵士だ。これは私の兵士としての正式の武器である。いいがかりはよして貰いたい」
「何が兵士だ!」
先頭の男が鼻を鳴らし、唾《つば》をぺっと床に吐いた。「ひとりでうろうろしやがって! 脱走兵だろう?」
「脱走兵は、撃ち殺しても構わんのだ!」
別の奴がどなった。
「そいつを渡せ! それから女たちは……」
もうひとりはいいかけ、急ににやにやしたのだ。「折角そうしてお楽しみだったのなら、われわれにだっておこぼれがあってもいいんじゃないか。え?」
「おう」
最初の奴が頷く。
「とにかく、それを渡せ」
二番目の男が、空いたほうの手でぼくのレーザーガンを指した。「早く渡さんと、脱走兵として射殺するぞ!」
「…………」
へたに抵抗すれば、いや抵抗しなくても、相手の言葉に従わなければ射殺されるであろう。
そうとわかっていながら、やはりぼくは何分の一秒かの間、動けなくなったまま、時間を稼ごうとしたのだ。その何分の一秒かが過ぎれば、嫌でもレーザーガンを渡すほかないと知りながら、何とかならないものかと必死で思考をめぐらしたのである。
こいつらは、多分本物の警察官なのであろう。ぼくは、制服族が持っている一種の嗅覚でそう信じたのだ。
昨夜出会った警察官たちは、とにもかくにも、まだ職務を果たそうとしていた。しかしこいつらは違う。警察官であることを利用して、掠奪・暴行を働いているのだ。こんな連中だけがそうなのか、それともあれから一夜経って全体がそんな風になりかけているのか、ぼくには知る由もないが……現実にぼくたちは制服の警察官らに短銃を向けられ、脅されているのである。
そして、相手が訓練を受けた本物の警察官なら、しかも三人もいる今、とてもぼくに勝ちめはない。
――という想念が脳裏をかすめるうちに、時は過ぎた。これ以上ためらえば相手が引き金を引く、と、ぼくは感じ、銃口こそ下に向けていたものの曲げていた腕を、だらりと垂らしたのだ。
「左手に持ち換えろ。銃口をそっちに向けて渡せ」
ぼくを射殺するぞといった奴が、低い声を出す。
そのときだった。
シェーラの思念が、ぼくの中に滑り込んできたのである。
(かれらの注意を惹《ひ》きつけて!)
たしかに、思念だった。
耳で聴いたのでも、錯覚でもない。
なぜ非エスパーのぼくに、そんなものが感知できたのか……ぼくが感知できるのなら警察官たちにも感知できるのではないか……そういえばぼくは前にも、非エスパーであるにもかかわらずシェーラにテレパシーで語りかけられたことがあって、シェーラはそれを、自分からの働きかけが強かったからといったのだが……その位強ければ警察官たちの中にも感知し得る者がいるのではないか――との疑問は、しかし、ことが一段落してからの話であった。いや、正確には、そんな疑念が生じなかったわけではないけれども、生じたと同時にぼくが追い払い、あとになってからちゃんと起きあがってきたのである。
そう。
そのときのぼくは、ほんのいっとき失念していたシェーラたちが超能力者だという事実を心中によみがえらせ、その超能力者らが何かをしようとしており、ぼくに、そのために相手の注意を惹きつけさせようとしているのだ――と、瞬時にして理解したのだった。
ぼくは相手をみつめたまま、ゆっくりと左手で、右手のレーザーガンを、銃口のほうからつかもうとし、つかみ損なった体《てい》を装って……床に落とした。
「動くな!」
相手が、拾おうとするぼくを制し、にやりとした。「手がしびれたか、腰抜け」
「…………」
「こっちへ蹴れ」
あいては促す。
ぼくは、靴先でレーザーガンをそっちへと蹴った。
相手は身をかがめて拾おうとする。あとのふたりは油断なくぼくを狙っていた。油断なくといったが、かれらの常識ではそのはずだったのだ。戦闘力のありそうな男はぼくだけで、残りは女三人である。女どもが何をしようといつでも対処できると信じるのが、普通であろう。
とたんに、ぼくの前にいた奴がうっとうめいて短銃を放し、持っていた手の甲をもう一方の手で押えたのだ。激しい痛みか衝撃で短銃を取り落としたのだとしか思えなかった。
そいつだけではない。
あとのふたりもほとんど一緒に、短銃を落とし、銃を握っていた手をもうひとつの手で押えたのである。
三人の女が、そうしたのだ。
それも、いつの間に合意ができていたのか、ひとりひとりが受け持つ相手を決め、いっせいにそうしたのだ――と、ぼくは直感した。
つづいてぼくの目に映ったのは、それでも警察官たちは自分の武器を拾おうとし、その武器が床を滑って、持ち主の手から逃げる場面であった。三つの短銃は思い思いの方向へ、床に物品がころがっていれば物品をはねのけて走り、そのまま浮かびあがると、ぶんと宙を切って、壁や階段のあたりにぶつかり、床に落下したのである。そのひとつなどは、だいぶ離れていたとはいえ、ぼくの左方横手に飛んできたから、ぼくは反射的に首を縮めたものだ。とにかく……それで警察官たちの武器は、それぞれ別の方向の、かれらが何歩かそれ以上行かなければ拾えない場所にころがったことになる。
それでも、ぼくにレーザーガンを渡せといった奴は、たちまちわれに返ったように、床のレーザーガンへと手と体を動かした。
超能力のほうが速かった。
レーザーガンは舞いあがり、弧を描いてぼくのほうへ飛んできたのだ。ぼくはそれを受けとめ、手のうちにおさめると構え直した。
「エスパーか、貴様ら!」
警察官のひとりがわめいた。
かれらはあきらかに狼狽《ろうばい》していた。短銃を取りに走ったものか逃げ出したものか、見当がつかないらしく、その場にばらばらに突っ立ち、ぼくと三人の女にあわただしく視線を移しながら……やっとひとりがそうわめいたのだ。
ぼくにしたって、あっけにとられていなかったといえば、嘘になる。
三人の超能力者のチームプレーとはいうものの、これはあまりにも呼吸が合っており、鮮やかだったのだ。
その三人が、ぼくからそう離れていない、元の位置に立っている。
しかし、かたまり合っていた。
かたまり合って、警察官たちに目を向けているのだ。
「やめろ!」
別の警察官が、両手を突き出した。「超能力をやたらに使うのは、禁止されているぞ! やめろ!」
が。
その警察官は、胸を突き飛ばされたかのように、仰向けに倒れた。
それが、次の攻撃の合図になったのかも知れない。そしてぼくは、それ迄の彼女らの超能力の使用が、ほんの序幕に過ぎなかったのを悟ることになったのだ。
仰向けに倒れた奴は、立ちあがる余裕を与えられなかった。そのまま床から浮きあがり、足だけ何かに支えられた格好で、後頭部を何度も何度も床に叩きつけられたのである。どういうわけか、そんな目に遭いながらそいつは、手で頭をかばおうとはしなかった。それどころか両方の手のひらを自分の喉《のど》に巻きつけ、身をよじっていたのだ。
もうひとりは、それよりずっと上に引き上げられ、宙で回転を開姶していた。一回ごとに速度が大きくなり、上下に水平に斜めにぐるぐると廻るのだ。スピードがあがるにつれて、ぼくの目はそいつの姿をきちんと捉えることができなくなって行ったが……それでもよく見ると、そいつは足をばたばたさせているだけで、両手はやはり自分の喉に巻きつけているのだった。
三番目のは……逃げようとしていた。外へではない。四方から次々と飛来する棒切れや備品の片割れやらの――そこらにあった物品に打たれまいと、やみくもにあっちへ走りこっちへ走りしているのだ。しかし、ぶつからなかった飛来物がまた反転して戻ってくることもあって、結局どこへも行けず、同じようなところでうろうろしているばかりである。そのうちにもひとつ、またひとつとそいつの頭や背中や腹に当たり、当たっても一度離れてさらに攻撃を繰り返すのだ。なのにそいつは頭をかかえて防ぐ代りに、これも両手を喉に巻いているので……打撃の数が重なるうちに膝をつき、その横顔や胸にさらに何かが飛んできて、ついには床にうつぶせに倒れてしまったのだ。
ぼくはそうした異様な光景を、無意識に壁側へと後退して、茫然と眺めていたのである。
異様、と、ぼくはいった。
そうは考えない人がいるかも知れない。
悪い連中が痛めつけられているのだから愉快だし、また、その痛めつけられ方が突飛だから面白い……それどころか、滑稽と感じる人がいるかもわからない。
あるいは、馬鹿馬鹿しいと思う人だって、いないとは限るまい。
そうした感覚を、ぼくは否定するものではない。そう……これが物語や、良く出来た映像としてぼくの前に展開されていたのなら、ぼくだってそんな受けとめ方をしたのではあるまいか。げらげら笑って見ていたのではあるまいか。
だが。
それは、実際ぼくの眼前でおこっていたのだ。
ぼくはその三人の警察官に撃たれていたかも知れないのである。窮地に陥っていたのである。現実にそれだけの戦闘力のある男たちが、玩具さながらに扱われているのを目にするのは……異様としかいいようがなかったのだ。しかもそれが、一見おそろしくも何ともない、それどころか魅力的な三人の女によってなされているのだとなれば……他に適当な表現があるだろうか。
そしてそのうちにぼくは、自分が異様と感じたのには、もうひとつ理由があったのを知った。
三人の警察官の誰ひとりとして、悲鳴をあげている者がいないのだ。悲鳴のみならず、声ひとつ出していないのである。聞えるのは、かれらが打撃を受けている音ばかりなのだ。そうと気がついたとき、ぼくにはわかったのであった。
かれらが両手を喉に巻きつけているのは、呼吸を止められているからである。息ができず、むろん声も出せず、苦しいから喉に手をやり悶えているのだ。
どの位、そんなことが続いたであろう。永いようだったが……本当は二分間にもならなかったのではあるまいか。
警察官らは、すでに三人共、床に倒れていた。顔や頭や露出した皮膚には血がついており、外傷のなさそうなひとりは鼻血を出している。みんな、ようやく喉から手を離したものの、まだ意識ははっきりしない風で、床を爪で掻《か》いたり、体を痙攣《けいれん》させたりしながら、ひいひいと荒い息をついていたのだ。
そのときのぼくの心にあったのは、何だろう。
助かったという思い。
三人の超能力者への驚歎《きょうたん》の念。
不思議に彼女らに対して恐怖は覚えなかった。彼女たちが味方であるのがわかっていたから……。
いや。
やはり恐怖もあったはずだ。こんな能力を持った人々がいるとすれば……こんな人々を敵にすれば……との気味が、たしかに底にあったはずである。
そういえばぼくは、超能力者が力を使うところを何度も見た。ぼく自身もたびたび力を使った。
だがここにいるのは、そんな水準の超能力者ではない。ぼくなどの既成概念を遥かに超えた連中なのだ。そういう超能力者の力を、例えば、そう、ぼくはミスナー・ケイと一緒に居たときに思い知らされたことがある。が……今度のこれは、三人なのだ。三人のチームプレーで……このようなものは、ぼくが初めて目撃したのであった。
おそれがあっても、当然だろう。
「これでしばらくは大丈夫でしょう」
シェーラがいった。「でも、もうあまりここに長居をしないほうがいいようですね」
ぼくは無言で頷いた。
頷きながら、何となく思念を送りもしたのである。
(随分、手荒くやっつけたものだね)
「この人たちは、はじめからあなたを殺す気でした。邪魔だから」
シェーラは声に出していった。「でも銃声を立てると外に聞えるし、それで誰か他の警察官でも入って来れば面倒でしょう? あなたが脱走兵だとの確信も証拠もないんですから……だからレーザーガンを奪ってあなたを殺し、それからわたしたちを好きなようにする気だったんです」
「そのあとは、後腐れのないようにわたしたちも殺してしまおうと考えていましたよ」
これはミヌエロである。「すでに昨晩、そういうことをしたという記憶を持っている者もいましたしね」
「…………」
女たちがいうのは、嘘ではなかろう。何も嘘をつく必要はないからだ。
そして、そうと聞けば、この連中が今のような痛めつけられ方をしたのも、仕方がないとの感じがした。もともとぼくは、この警察官に同情したのではない。ぼくはかれらを憎んでいた。というより、こんな状況下であんな真似をしようとしたかれらを、軽蔑さえしていたのだ。それが、そんなことを聞かされると、自業自得だと思ったのである。
が……とすれば三人の女は、ぼくをも含めて自分たちを守るというのもさることながら、警察官らが自分たちに抱いた欲望や想像が許せなかったのではあるまいか? これには、それゆえの復讐、罰という意味合いもあるのか?
「いいじゃありませんか」
いったのは、ワタセヤだった。「あなたの考えるような面がなかったとはいいません。でもわたしたちは、感情にまかせてやり過ぎたりはしませんでしたよ。声をあげさせずに戦意と意識を喪失させるためには、あれが一番手っとり早かったんです。この人たちは死にやしません。そのうちに意識を取り戻すでしょうから……もういいでしょう?」
「もうひとつ、いわせて頂けるなら」
ミヌエロが、また口を開いた。「あなたにとってはまだ、女が大の男を手玉にとるということについて、違和感があるようですけど……こと、力に関していえば、個人差はあっても男女の差というものはないんです、そのことも、考慮に入れて欲しいんです」
「…………」
そういうことか。
たしかに、そうなのかも知れない。
これが、男どうしの争いだったなら、ぼくはもっと無理なく事態を容認していたかも知れない。
いわれてみると……ぼくは、まだまだ常識的感覚から抜け出していないということになるのだろう。
ともあれそれで、ぼくは、完全にとは行かないにしろ、一応納得したのである。
そうなってぼくは、先刻の疑問が起きあがってくるのを自覚した。今しがたの、シェーラの思念による呼びかけについての疑問である。
床で三人の警察官があがき喘《あえ》いでいるこんな状況で、もしも誰かが入ってきたり、あるいはかれらのひとりであろうと複数であろうと意識を取り戻して起きあがったりということになれば、またもや何らかの対処をしなければならぬそんなときに、こんな疑問を持ち出すべきではないのであろう。それがわかっていたから、ぼくはおのれのその気持ちを、心による質問に迄はしなかったのだ。
が。
シェーラは外の様子に耳を傾けるようなしぐさをしたと思うと、あとのふたりと頷き合ったのだ。
「まだもう少し、外も、あの人たちも、気にしないで良さそうです」
シェーラはいった。「出掛ける用意をする前に、お答えしておきますわ」
「…………」
「簡単なことです」
シエーラは、ぼくの返事を待たずに喋りだした。「わたしは昨夜の、あなたが第一市から地下鉄に乗ろうとしたときに呼びかけたことについて、それはあなたの思念らしいのをとらえるのに成功して話しかけた、と、いいました。そして、それは今は非エスパーであるとしても、不定期エスパーであり、エスパーとしての能力を内在させているあなたに呼応し得るほど、わたしの働きかけが強かったからだ、ともいいました。そうでしょう?」
「ああ」
ぼくは応じた。
「別のいい方をすれば、わたしにとって、自分が把握している特定の人物の思念は捉えやすく、しかもあなたが潜在的能力を持っているから、連絡が出来たということです」
と、シェーラ。「それが、こんな近くにいるとなれば、あなたが今非エスパーであったとしても、何でもないことじゃありません? それにあの三人の警察官は、探ったところエスパーではなく、エスパーとしての自意識も持っていませんでした。とはいえ、本人は知らなくても、三人の中には、あなたと同様、能力を内在させている者もいるかも知れません。だからわたしは、自分の思念の指向性を絞ってあなたにぶつけたんです。とっさの場合だしどうしても感知して貰わなければならないので、働きかけはうんと強くしたんですが、あなたの方向の延長線上に警察官のひとりでもいたら、そしてそれが潜在的能力を有する人間だったら、悟られたかも知れません。ま、そのときにはわたしが位置をずらして、あなたにだけ届くようにすればそれで済みますけど……そんなことをする必要もなかった、ということです」
それから、シェーラは軽く肩をすくめた。「簡単だといいましたが……思念でではなく言葉にすると、結構長くなってしまいましたね」
「なるほど」
ぼくは呟いた。
その説明で(実のところ、彼女らの能力についてどこ迄具体的にわかったのか、自信はないが)ぼくは、そんなものなのかなとの気持ちになったのである。
シェーラはにこりとし……すぐに表情を引き締めると、いった。
「そろそろ出掛ける用意をしなければ――カイヤツ軍団のいるところへ……行くんでしょう?」
「そう。そうしなければならない」
ぼくは答えた。
そうするのが、ぼくの義務なのだ。行く手に何があるにせよ……ぼくはカイヤツ軍団の兵士なのである。正直、ふっと気をゆるめれば、たちまちためらいの念が顔を出すであろう、と、ぼくはおそれており、おのれを励ますためにも、義務に従って行動をおこさねばならないのであった。
「わかりました」
シェーラは頷いたが、真顔のままで……エスパーではないぼくには、彼女の感情を読み取る方法はないのであった。
三人の女は、携えて来た荷物をほどきにかかった。
「さっきもいいましたけど、カイヤツ軍団は、現在、第三市にいるようです」
紙片を取り出しながら、シェーラはいいだした。「ここに道順と地名をしるしたものがありますが……駐屯していると思われるのは、第三市の東北部にある第六区の、中央あたりのミヌェブロックの、エミンニビルの地上庭園です。第三市は歩いているうちにいつの間にか階数が違っていたりしますが、それを見ながら行けば、大丈夫でしょう」
舌を噛みそうなそれらの名前は、ちゃんと紙片の図にも記入されており、暗記しないでも済むのは有難いことであった。
「わたしたちは自分らの居る場所へ帰りますから、途中迄ご一緒しますが……第二市から第三市に入るには、車か自走路が普通です」
シェーラはつづける。「でも車は簡単には手に入らないし、自走路が動いているかどうか、今では怪しいものです。徒歩での最短距離ということになると、中間の公園――というより森を抜けるしかないようですね」
「森を抜けよう」
ぼくはいった。そうするしかなさそうである。
「森を抜けるとしたら磁石を……ああ、それはお持ちなのね」
いい直してから、シェーラはぼくの顔を見やった。「だけど、申し上げておかなければなりません。わたしたちは、カイヤツ軍団が駐屯しているであろうという場所を探り当てただけで、実際にそこへ行ったわけではないのです。だからそこに、あなたが属する隊がいるかどうか迄は、約束できないんです」
「いいさ」
ぼくは答えた。
シェーラたちが教えてくれた場所にカイヤツ軍団がいるとすれば、それが別の隊、いや別の地上戦隊であろうとも、ぼくの隊の消息位は聞けるはずなのだ。何も知らないということはあるまい。かりに知らないとしても……そこはカイヤツ軍団なのである。ぼくが何をすべきかの指示は貰えるわけであった。
「わたしたちは、自分たちがカイヤツ軍団であるとの意識を捉え、場所を突きとめたのです」
と、シェーラ。「そしてイシター・ロウ、わたしはあなたの属する隊の人々を知りません。だからあなたの隊がそこにいるかどうかは、つかめなかったんです。ごめんなさい」
「いいんだよ」
ぼくはまた答えた。
そういえば、シェーラは、ぼくの隊の人々――いまだに生きているかどうかは不明だが、ガリン・ガーバンやその他の連中とは面識もなく、その名も知らないはずなのである。ぼくの隊がそこにいるか否か、つかみようがなかったのは、やむを得ないことであった。カイヤツ軍団の人々の意識を捉えてくれただけでも、有難いとしなければならないのだ。
ミヌエロとワタセヤは、水と何回分かの食糧を渡してくれた。
それから彼女らは、布切れと頭巾を差し出したのである。
「これを……?」
問うぼくに、ミヌエロが笑ってみせた。
「ドゥニネの服装です」
「ドゥニネの?」
「連邦軍兵士の姿で行くよりも、ドゥニネの格好のほうが、安全でしょう」
とワタセヤ。「それは近くで見られたら軍服が覗くし、そのうちに捨てることになるでしょうが……使える間は使ったほうがいいです。ドゥニネなら、誰もろくに注意も警戒もしませんものね」
「あとの話は、歩きながらでも出来ます。それをまとって……もうここを出たほうがいいと思います」
シェーラもいうのだ。
で……ぼくは、荷物を持ち、連邦軍の制服の上に布切れをまとい、頭巾をかぶった。
女たちも頭巾をかぶり直し……ぼくたちは、いろんな物品と共にまだ警察官たちがころがっている床を通って、一夜を過したその建物を出たのであった。
陽は、あきらかに午後の色を帯びている。
あまり大きくないビルにはさまれた(ぼくたちがいたのが、このあたりでは比較的大きなほうだったといえば、その感じはわかって頂けるはずである)そう広くない道は、ぼくが起きて窓の下を眺めたときよりは、だいぶ行き来する人数が少なくなっているようであった。そういう時間帯なのか、それとも人々がどんどん逃げ出しているためなのか……ぼくにはどうも後者のような印象があったけれども、そして、逃げ出すとして、ネプトが包囲されている現在、どこへ逃げるつもりなのか、ぼくにはよくわからなかったけれども……いずれにせよ、あまり立派な服装の者はいなかった。例によって袋を負って行く者、手押し車に荷を積んだ家族連れといったところで、それに起きあがった頃にはやたらに目についた制服の連中が、めっきり減っているようなのである。ぼくたちはたしかに、かなり永い間話し合っていたが、時間としては二時間半か、せいぜい三時間足らずというところであった。ぼくたちにしては永かったが……しかし、制服の連中の数がこんなに少なくなるには……執務の態勢ややり方が変ったか本気で職務を遂行しようとする者が減ってしまったかということだとしたら……そうなるには、あまりにも短時間だという気がしないでもない。だがまあ、これはネイト=ダンコールの制服の連中だ。かれらがどうであろうと、ぼくには直接関係はない。ぼくは自分で自分を守り、自分のやりたいようにするだけのことであった。
ぼくたちは、四人が並んでは通行の妨げになるので、いつか前後にふたりずつのかたちになって、道を進んでいた。前を行くのがぼくとシェーラ、すぐうしろにミヌエロとワタセヤで……みんな、頭巾で顔を隠すようにして歩いていたのだ。
「第三市へは……入ってからも、だいぶ遠いのだろうね」
ぼくは、横のシェーラに小さな声で問うてみた。
「かなりあります。いろんな支障があるかも知れないし……ここから森、森を抜けて第六区のミヌェブロックに着くのは、早くても夜になってからじゃないかしら」
というのが、シエーラの返事だった。
こんなさいに妙なことをいうようだけれども、ぼくはそのとき、こんな歩き方でも四人の会話が成立するというのが、いかにも不思議で便利だと感じていたのである。ぼくとシェーラの会話は、後方のふたりに筒抜けであり、後方の誰かの意見は、すぐにシェーラによってぼくに伝えられるからだ。これではなるほど、そんなに長い複雑な会話でなければ、歩きながらでも充分やれるのであった。
が。
ぼくのそんな気分には別段何の反応も見せず、シェーラは意外な事実を持ち出したのである。
「お教えした場所にカイヤツ軍団がいるとわたしが信じるのは、ほかにも理由があるんですよ」
と、シェーラはいいだしたのだ。「イシター・ロウ、あなた、ヤスバ・ショローンさんを覚えてらっしゃるでしょう?」
「もちろん」
ぼくは答えた。
「わたし、ヤスバさんがカイヤツ軍団に入ったことを聞きました」
と、シェーラ。「どうして知ったかをお話しすると、長くなります。ただ、わたしがあなたの連邦軍入りを知ったように、方法はいろいろありますし、わたしたちの情報網もそれなりに働いていることですから……それに、あなたの心の中にもそのことがありましたから、間違いありません」
「…………」
ぼくは、シェーラたちと話し合ったはじめのときに、ヤスバが手紙でシェーラに気をつけろといってきたのを想起したが……そのぼくの意識から、彼女が読み取ったのではないかと想像した。
しかし、そうであろうとなかろうと、これはさして重大な事柄ではない。
「わたしは、エレスコブ家で世話係をしていたときに、あなたに対してと同様、安全な機会を見て、いろんな人の思念の型を覚えました。ヤスバさんもそのひとりです」
シェーラはつづける。「そうして覚えた人の思念は、多くの人々にまじっていても、比較的楽に感知出来ます。そのヤスバさんの思念が、カイヤツ軍団らしい意識群の中にあったんです。ヤスバさんがいるとなれば、そこはたしかにカイヤツ軍団だと考えていいんじゃないでしょうか」
「…………」
ぼくは、すぐには何もいえなかった。
あのヤスバが、ネプトにいる?
それも、これからぼくが行こうとしている場所にいる?
シェーラがどんな方法で、ヤスバの連邦軍入りを知ったのか、ぼくにはわからない。そういえばシェーラはまずカイヤントに住み、エレスコブ家を辞めたあと、またカイヤントに帰ったのだ。そしてヤスバはヤスバで、ぼくの記憶によればカイヤントに二年余り住み、カイヤントで選抜されてカイヤツ府での訓練を受け、カイヤントに戻ったのである。とすれば、シェーラがヤスバの消息を耳に入れることがあっても、おかしくはないのだ。
だが、それよりも、どんな経緯でこうなったのか知らないが、ヤスバがまだ生きていて、これから行こうとする場所にいるというのは、ぼくにはうれしいことであった。そう……これはたしかに、自分の隊に復帰し合流しようとするぼくの、(何度もいう。自分では認めたくないのだが)心の底にあった重さ、暗さを、少しは軽く明るくしてくれたのである。
「そうか。ヤスバがいるのか」
ぼくは、やっと呟いた。
シェーラは、ちらりとぼくに、頭巾の蔭から視線を向けたようであった。
それから、いったのだ。
「このことをお話しすれば……ますます、引きとめてもとまらなくなるのが、わかっていたんですけど」
そういうことか、と、ぼくは了解した。
とめないとはいったものの、シェーラはやはりぼくを行かせたくなかったのであろう。みすみす死地に赴くような自分の隊への合流を、思いとどまらせたかったのではあるまいか。ぼくがそんなことをするわけがないにしても、かりに思いとどまったら、どうなったのか……いや……そこから先の、シェーラのいった随意エスパーへの道とかヘデヌエヌス行きとかが、胸中に湧きあがってくるのを覚えながらも、ぼくはあえて消し去ろうとした。考えたって、これから自分の隊に戻る人間には、無縁の事柄なのだ。そうしなければならないのだ。
そしてまたぼくは、そうしたシェーラの心理の中に、ぼくの運命への予感があるのかどうか……自分の隊に合流するぼくには死が待っているのかどうか……それを知ろうとも思わなかった。どっちにせよ、知っても仕方のないことなのだ。それにシェーラ自身、未来は変化し得るものであり、予知はその方向をつかむに過ぎない――ともいったのである。
また、それ以上そんなことに思いをめぐらすのは、どうも気が進まない。
それに、自分に関連した話ばかりしているのはどうかとの気持ちもあって、ぼくは話題を変えようと、尋ねてみたのだ。
「で……きみたちは、どこ迄?」
「三角地帯」
シェーラは返事をした。
「三角地帯?」
「通称です」
と、シェーラ。「わたしたちはここしばらく、第一市と第二市と第三市にはさまれた、ニダ河べりの、通称三角地帯と呼ばれるところで暮らしているんです。ごみごみした、掃きだめみたいな場所ですけど、身を隠すにはちょうどいいんで……そこへ帰ります」
「――へえ」
と、ぼくはいうしかなかった。
シェーラたちには、シェーラたちの、そうしなければならぬ都合があるのだろう。ここでせんさくしても、仕方のないことである。
「万一、ですけど」
シェーラは語を継いだ。「万一、何かの事情でネプトで迷うことになったり、わたしたちの協力が必要なときがあったら、三角地帯に来て下さい。そうすればわたしたちは、あなたの思念を捉えて、迎えに出ます。――もし、そうなったらですけど」
「そうしよう」
ぼくは答えた。
そんなことになるとは、今のところ思えないが……あるいはそんな可能性があるのかも知れない。とにかくそれは、シェーラの挨拶であり厚意であるとぼくは受けとめ、そう答えたのである。
話し合っているうちに、ぼくたちはいつか、斜めに陽がビル群にかかる大きな通りの、歩道に出ていた。
歩道を往来する人々は、さっきよりも多くなっている。車道をほとんど車が通らないために、それらの人たちの一部は、車道を歩いていた。気のせいか、きのうの夕方とくらべても、人々の表情は険しく、さらに急ぎ足になっているようだ。
ぼくたちはそうした中を、うつむき加減に、ときたまぼくとシェーラが言葉を交わすだけで、ぼそぼそと歩いて行った。変に早足になったりするより、そのほうが自然でドゥニネらしいから――と、シェーラはいったが、ドゥニネ姿の布切れをまとっていると、大股で元気良く行くというのはやりにくく、その位の速度が頃合いだったのである。
そして、ドゥニネ姿のぼくたちには、通行人たちはろくに注意を払わなかった。以前、ザコー・ニャクルが、ドゥニネの一団がメネに入ってきたときに、つまらぬ奴らだと吐き捨てるようにいい、その心中にも、軽蔑といまいましさがあったのを、ぼくは覚えているけれども(もっともザコー・ニャクルは、その意見を、のちになって変えたのであるが)それがネプトの人々にとっての一般的印象だということだったのかも知れない。とるに足らぬ存在――なのである。もっとも、今のぼくにしてみれば、こんな状況下で連邦軍兵士の制服|剥《む》き出《だ》しで行くよりは、たしかにこのほうが無難であったし、シェーラたちにもそれでいいのであろう。もしもドゥニネの実体が人々に広く知られるようにでもなれば、事情は一変するに相違ないが(そのときにどんなことになるか……ぼくは想像がつかなかった)現在のところは、そういうことなのである。
かなり歩いた。
やがて道の前方に、小さな広場が見えてきた。大通りの車道の中に、島のようになっている広場である。それは……そう、ぼくがスパ軍団の隊と出会ったあの広場に似ていた。この第二市にはこういうところがたくさんあるのかも知れない。ただ、スパ軍団の隊が駐屯していたあの広場は、大通りが一本伸びている途中に広場があり、そこから何条かのもっと細い道が放射状に出ているものだったが、ここは大通りが終りになっていて、あと、何方向かに細い放射路が伸びているのであった。
そしてそこで、シェーラは足をとめたのである。
ぼくもあとのふたりの女もとまり……ぼくたちは歩道の街路樹の横に集まった。そんな場所にドゥニネたちが集まっても、通る人々はちらりと目をやるだけで、何ということもなく過ぎて行くのである。
「わたしたちは、これから西北ヘ――あの道を行きます」
シェーラは手を伸ばして左方の細い放射路のひとつを指し、腕をめぐらせてもっと右手の別の放射路を示した。「第三市との境界の森に通じているのは、あの道です。あそこをまっすぐ行けば、森の仕切りにでます。ふだんは警備員がいますが……今はどうかわかりません。でも警備員の数は少ないから、森の中へ入るのは、そう難しくはないと思います」
「いろいろと、有難う」
ぼくは礼を述べた。
すると、ミヌエロとワタセヤが、シェーラに何か促すような目つきをしたのだ。
シェーラは、わかっているという風に頷き、ぼくに向き直った。
「わたし、あなたに贈りものをしたいと思います」
シェーラはいった。
「贈りもの?」
ぼくは反問した。
「本当は、あなた自身が持っているものを呼び起こすだけですけど――いえ、ちょっと待って」
シェーラは、ふたりの女からまた思念で何かをいわれたかのように、ひとり頷いた。
「その前に、これはわたしの義務として……そして贈りものを使ってではなしに言葉で聞いて貰うかたちで、あなたが知りたいと思ってらっしゃるに違いない事柄についての、わたしが知り得てお伝えすべきだと判断した情報を、お伝えします」
「情報? 何を……?」
いやにものものしいいい方をするんだな、と、思いながら、ぼくはまた問い返した。
「ひとつは、ネイト=カイヤツについてです」
シェーラは、ゆっくりと口を開いた。「わたしたちが知ったところでは、ウス帝国とボートリュートの連合軍は、ネプトのみならず、ネプトーダ連邦の各ネイトの首都へも降下し、包囲して降伏を呼びかけており、いくつかのネイトが、たたかいの結果、あるいはほとんど抵抗もせずに、降伏したそうです。全ネイトがそうなるのは、時間の問題だともされているようです」
「ではネイト=カイヤツも……?」
ぼくはいいかけ、相手の言葉を待った。
「ネイト=カイヤツは激しく応戦したけれども、カイヤツ府が攻撃を受けて破壊され、包囲ののち、降伏したそうです」
シェーラは、いったのだ。
「そんな――」
ぼくは絶句した。
ネイト=カイヤツが降伏?
カイヤツ府が破壊された?
「嘘だ!」
ぼくは、われ知らず声をあげていた。「そんな……ネイト=カイヤツが……」
信じられなかった。
そんなことがあっていいのか?
そして……それならぼくたちは、何のためにネプト迄来てたたかったのだ?
「ごめんなさい。わたし、このことはいいたくなかったんです」
シェーラは、ぽつんと声を洩《も》らした。「でも……いわないわけには行きませんでした」
「…………」
ぼくは、まだ茫然としていた。
ぼくは、そうなるのをおそれていた。
しかも、彼我《ひが》の力の差を思えば、そうなるのが当然だとも承知していた。
承知していたが……にわかには……信じがたい、いや、信じたくないことであった。
「ごめんなさい」
もう一度いうと、だがシェーラは、つづけたのだ。「もうひとつは……エレン・エレスコブのことです」
「エレン・エレスコブ?」
ぼくは虚をつかれた感じだった。
ネイト=カイヤツのことで頭が一杯になっていたものの、それはそれで、ぼくをぎくりとさせるに充分だったのである。
「エレスコブ家にいた者として、わたしはエレン様と呼ぶべきなのかも知れません」
と、シェーラ。「でもエレスコブ家を離れた今は、自分の主人のようにそんな呼び方をするのは、あの方にまだ仕えている人たちには許せないでしょうし、安易にさんづけで呼ぶのは、もっと失礼なような気がしますから……有名人とか歴史的な人物に対するように、名前だけにさせて頂きます。お嫌なら、あなたのよろしいように呼びます」
「それでいいさ」
ぼくは、ぼそっと応じた。
シェーラのその言葉や気の遣い方は……ぼくにはわかる。シェーラは、ぼくがエレン・エレスコブに好意を抱き、あこがれに近い気持ちで心服していたのを、見抜いていたのだ。知っていたのだ。だから……そんないい方をしたのであろう。
「エレン・エレスコブは、あなたが元いた第八隊の人たちと共に、ネプトに身を隠しました」
シェーラは告げた。「そして、今もネプトにいます。第一市でかくまわれていましたけど、今は和平工作をしている人々と共に動きだしているとのことです」
「…………」
そうなのか、と、ぼくは思った。
言葉にすると簡単だけれども、実のところはいくつもの念のまじった、そうなのか、である。
エレンたちがいったんカイヤントに赴いた後、ネイト=カイヤツから姿を消したこと、そして、どうやらネプトにいるのではないかと噂されていること――を、ぼくはあのライゼラ・ゼイから聞いていた。ありそうな話だとも考えていた。
だからそこ迄は、今あらためてシェーラに教えられても、ああやはりという気がしたのである。
しかし、そのエレンが和平工作をしているといわれると、半ば肯定の気分、半ばこれはどういうことだとの気分にならざるを得なかったのだ。
肯定の気分とは……エレンなら多分そうだろうな、というものである。エレンは以前から戦争に反対していた。正確には、全面戦争は回避すべきだと説いていたのだ。それは、ただ戦争が嫌だというのではなく、たたかって潰滅的打撃を受け再起不能になるよりは、たとえ不利な条件でも余力のあるうちに平和を実現し、力を蓄えなければならないというものだったと、ぼくは解釈している。その目的のために他の家々と結びついたり対抗したり遊説《ゆうぜい》に出たりということをしていたのだ。これがエレンの真意だったのかエレスコブ家の都合によるものだったのか……ぼくにはわからない。ただエレンが戦争、それもとことん迄やり抜く戦争よりは平和を選ぶ人間なのはたしかだとぼくは信じる。だからネプトにあっても和平工作に従事しているというのは、少しも不自然ではないのだ。
だが一方、ぼくの脳裏には、昨夜見たあのビラの文面がちらついていた。そう……ネプトーダ連邦の総府はすでに降伏を決定しているのに、降伏を妨げようとする一部の勢力があって云々の、あのくだりだ。それは敵の宣伝に過ぎないのかも知れない。あるいは真実かも知れない。さらにはどちらでもなく適当に両者をくっつけ修飾したものということもあり得る。ぼくには不明だ。不明だが……何か混沌《こんとん》としたしかも政治的な動きが反映されているように感じるのは……間違いであろうか? 単純には割り切れぬ複雑な様相があるように思えるのは、考え過ぎだろうか? とすれば、そんな得体の知れぬ動きの中へ、ネプトにあっては要人でも何でもないはずのエレン・エレスコブが入って行って、どうなるというのだ? どれほどの力になるというのだ? 力になり得ないというのならまだいい。身を滅ぼすだけの話ではないのか? エレンはそんなことをしているのか?
――というのを全部一緒にすると、そうなのかという言葉でまとめるしかないのであった。
が。
ぼくはすぐにわれに返った。
ぼくがエレンのことを心配したって、何になる?
それにエレスコブ家は、ぼくを追放したところではないか。職務を遂行しようとしたのを逆手にとり、査問にかけ、見放したのはエレスコブ家ではないか。
待て。
エレスコブ家へのおのれの気持ちを、こんなところでよみがえらせても仕方がない。そんなものはもう振り捨てたのだ。そう自分を納得させたのではなかったか?
何にしても、これからカイヤツ軍団の、自分の隊に合流しようとしているぼくには、もはや関係のないことだ。
それでいいではないか。
それでいい。
そう思い切ってしまうと、かえって軽くなった気分で、ぼくはシェーラを見た。微笑さえしていたかも知れない。
「…………」
シェーラも、ぼくをみつめていた。
ぼくの今の心の動きを、いちいち話していたら、うんと時間がかかったに相違ない。それでも的確に伝えられたかどうか……怪《あや》しいものである。だがシェーラは、そのぼくの心を直接読んだのだ。読んで了解したのであろう。その頬には、たしかに微笑らしいものが浮かんでいたのだ。
「お伝えすることは、それだけです」
シェーラは、ロを開いた。「では、贈りものです。――てのひらを上に向けて、両手を差し出して下さい」
「こう?」
これでは本当に、何か貰うみたいだなと思いながら、ぼくはいわれた通りにした。
ミヌエロとワタセヤも傍に寄って来た。ぼくにはわからないけれども、何となく、手伝おうかといいたげな雰囲気であり……しかしシェーラは微笑を濃くすることで酬《むく》いただけであった。
「これは、もう一度いいますが、本当はあなた自身が持っているものを呼び起こすだけのことです」
いいながら、シェーラは下方からぼくの両手を握った。「あなたは現在非エスパーですけど、本格的なやり方で精神を集中すればエスパー化します。これは随意エスパーとしての初歩の初歩ですが、今のあなたには無理です。だから潜在的な力を増強して、短時間エスパー化が出来るようにさせて貰います」
「短時間……エスパー化?」
ぼくは反問したが、シェーラは答えず、ぼくの手を下からつかんだまま、両方の親指をぼくのてのひらに押しつけた。
「腕の力を抜いて」
シェーラがいい、ぼくは従った。
シェーラの親指に力が入った。骨にこたえるほど強くだ。だが、それ以外にぼくのてのひらが熱くなったり身体に何かが感じられたりしたわけではない。圧迫感があるばかりであった。
十数秒で、シェーラは手を離した。
「これでいいです」
と、シェーラ。
「これは――」
問いかけるぼくに、シェーラは頷いてみせた。
「あなたはこれから、精神を集中すれば一時的にエスパーになります」
と、シェーラ。「その精神集中は、エスパー時に全力を傾注するのと同じ位強いものでなければなりませんが、エスパー化は二十秒かそこら、つづくはずです。それから急速に力は衰えて消えてしまうでしょう。次にエスパー化するためには、ある程度力が貯えられなければなりません、そう……少なくとも五分間はかかるでしょうね。でも、これだけでもあなたにとっては、お役に立つと思うんですけど」
「それは……有難い」
ぼくは呟いた。
てらいやお世辞を抜きにしての本音であった。
短時間のエスパー化など、ぼくはこれ迄聞いたことがない。そんなことがあり得ると考えたこともなかった。しかし、そういう短時間のエスパー化であっても、ぼくにそんな力が与えられるとなれば、望外のことである。すでにエスパー化と自己の超能力を使うことにある程度馴れてきていたぼくは、おのれの超能力が消えれば喪失感を味わうようになってしまっており、ま、超能力がなければないで、非エスパーとしての自分の実力でやって行くことに努めていたし、それなりにそのときどきを切り抜けてもきていたが、やはり、超能力を持つほうがいいか持たないほうがいいかと問われれば、答えははっきりしていたのだ。持っているほうが有利に決まっている(エスパーとしての経験の積み重ねがもたらした結果ながら、この点ぼくは、過去の自分とは違っているのを認めるにやぶさかではない)。今のような立場に置かれていれば、なおさらのことであった。
「シェーラは贈りものなんていいますけど、あなた自身の潜在能力があってのことなんですよ」
口を出したのは、ミヌエロである。
「わたし、ちゃんといったわ」
シェーラがミヌエロをにらむようにし、言葉にした。
「そうそう、そうだったわね」
ミヌエロがまたいい、シェーラはつんとしてぼくに向き直り、真顔になった。
「短時間エスパー化を繰り返しているうちに、あなたの能力は少しずつ鍛えられることになるはずです」
シェーラはいう。「それが、あなたのエスパー化――常時エスパー化を惹起《じゃっき》することになるかも知れません。もっとも……そうでなくても、その時期はそう遠くなかったとわたしは判断しますけど……頑張って下さいね」
「いろいろと、有難う」
ぼくは答えた。
やはり……そう答えるのが、一番ふさわしかったのではあるまいか。
「では、ここでお別れします」
シェーラは手を差し出し、繰り返した。「頑張って下さいね」
「ああ」
ぼくは、シェーラの手を握り返した。
普通の握手のはずであった。
「もちろん、そうですよ」
シェーラが笑った。
「お元気で」
「もし、どうしようもないというようなことに……もしもかりにそうなったら、ぜひ、三角地帯に来て下さい」
ミヌエロとワタセヤがいい、ぼくはふたりとも握手をした。
「もう一度いいますが、第三市との境界の森に通じているのは、あの道ですから」
シェーラが右手寄りの放射路を指し……それから彼女たちは会釈をして、左のほうの放射路へと歩きだした。
ぼくはその場に立ったまま、彼女たちが去って行くのを見ていたのだ。
シェーラが、ちらりと振り返った。
そのとき。
ぽくは試みていたのである。
妙ないい方になるだろうか。
ぼくがエスパーであれば、当然そのシェーラの思念を読もうとしていたであろう。言葉の届かぬ距離にある相手の気持ちを知ろうとすれば、そうするのが自然だからである。読心力で相手の心を読み、こちらからも送念で挨拶するところだったのだ。
それを、ぼくは、どこか本能的に、今しがた自分に与えられたという短時間エスパー化の力を使って、やろうとしたのだった。
精神集中は……本当にエスパー化しているときよりも、ずっとエネルギーが必要であった。瞬間的に、形容としてはやや違う感じがあるが、念力で思い切り相手に打撃を与える位のあの感覚で――ぼくは、おのれがエスパー化しているのを知った。
(ほんとに……追いつめられた状況になったら、三角地帯に来て下さいね)
と、シェーラは、思念を送ってきた。
(もしもそうなったら……そうするよ)
ぼくも応じた。
が、それ以上の読心は……無理だったのである。
ぼくの力が弱かったというのではない。
シェーラは、自分のメッセージを送り出し、ぼくの送念を受け取るだけの、いわばそれだけの窓しか開いていなかったのだ。ぼくにはわかる。全面的に開放された意識ではなく、必要な部分しか開いていないという感じだったのだ。ぼくはこれ迄、障害や障壁のある思念に何度かぶつかった経験がある。どうやらどこかの部分のみを制限しているとおぼしい思念を感知したこともある。が……こんなに画然《かくぜん》と窓のようになったのに出会ったのは、初めてであった。もしもシェーラから、ヘデヌエヌスの話やら、従来の常識では考えられない超能力の話やらを聞かされていなければ、あっけにとられ、信じられなかったかも知れない。あるいはぼくの読心力が乏しかったり不慣れだったりしたら、それがシェーラの心のすべてだと考えていたかも知れない。しかし今は……そういう思念交換のやり方もあるのか、と、当惑のうちに感心さえしていたのである。
けれども、シェーラはたちまち、同じ窓から次の思念を送ってきていたのだ。
(ごめんなさい。これだけ開いた距離では指向性も落ちるから、どこで誰に感知されるかわかりません。わたしの内面を全部開放したりしたくないんです)
そういうことか、と、ぼくは納得したのである。
それと共に、ぼくがミヌエロとワタセヤの思念を受け取ったことも、しるしておかなければなるまい。
(シェーラが、しきりにあなたのことをいうわけがわかりましたよ。いい男ですものね)
(どんな人か見てやろうと思ってついて来てよかった。お元気でね)
と、ふたりは送念してきたのだ。
ここでひとつ、注釈しておかなければならない。
ぼくは、シェーラが、と、しるした。
それは間違いではない。
だが思い出して欲しい。先刻のあの建物の中でそのミヌエロはシェーラのことを、あなたにとってのシェーラといったのだ。例のミスナー・ケイが、自分でミスナー・ケイは本名ではないといい、カイヤツVでは、別の名前であったのと同様、シェーラもまた、そのときどきで違う名を使っているのであって、本名は別なのだろう、と、ぼくがいささか違和感を覚えたということも、すでに述べた。
ミヌエロにとっては、そしてワタセヤやその他の仲間にとっては、シェーラはシェーラではない……厳密には、シェーラだけではないということになる。
なのにそのミヌエロが思念でシェーラといったのはおかしいではないか――といわれても不思議ではない。
が、違うのだ。
言葉と思念とは、違うのだ。
ミヌエロは、名前の代りに、シェーラのイメージを描いてみせたのである。その顔かたちや全体のイメージを主語(?)にして、あとをつづけたのだ。
それは、ぼくにとって新しい発見であった。なるほど読心によれば言葉に要約しなくてもイメージを伝達することが可能だ。また、これは超能力と関係ないけれども、人間は、ある概念を漠然とではあってもイメージを作ることができる。実体が何だかはっきりしなくてもそこに存在するものを感じることができる。それを押し進めれば……ある人物に名前があろうとなかろうと、イメージを示すだけで相手にも誰とわかるわけではないか? 名前があればもちろん便利だが、なくても当人だということを知らせることは、何でもないことではないか? ミヌエロは正にそれをやってくれたのであり……ぼくは、ひょっとすると全員がエスパーであるヘデヌエヌスとやらでは、そんなやり方が日常茶飯事になっているのではないか――と思ったのであった。
注釈というより、これはただの道草だったかも知れないが……ぼくはちょっと考えさせられたのである。
それはともかく。
それよりもミヌエロとワタセヤのその送念は、あの建物でぼくたちが出会って以来の、ふたりの言動につきまとっていた、どうも変というか何となく妙な具合だという感じが、何に由来していたのかをぼくに了解させることになり……かつ、苦笑にもつながったのである。
ぼくに出会ったあと、シェーラはミヌエロとワタセヤを紹介し、わたしひとりでは危険だからとこのふたりがついて来てくれたのだ、と、説明した。が……そこでたちまちふたりがにこりとし、シェーラがにらむような目をしたので……以後、似たような場面が何度もあったのだ。
たしかにふたりは、シェーラの身を案じてついて来たのであろう。それは間違いではあるまい。シェーラが超能力者であるとしても、ひとりでは手に負えないことがあるかもわからないから、同様の能力を有する人間が同行したのだ。また、それは同じ工作員としての義務でもあったのかも知れない。彼女らは分担してぼくのための荷物を持ってきてくれたのだ。そして、それは結果としてまさしく有効でもあった。入って来た警察官たちを、ほとんど弄《もてあそ》ぶようにして痛めつけたからである。
けれども、ふたりがシェーラについてきた主たる動機は……いや、主たるときめつけるのは独断になるから、動機のひとつは、でも構わないけれども……動機のひとつは、ぼくを見ることにあったようである。シェーラが口にするイシター・ロウなる人物がどんな男なのか、見てやろうというわけだ。ぼくは品評の対象にされたのであった。しかもふたりは、ぼくはもうこれは疑いもないことだが、会話をしながらも、テレパシーでたびたびシェーラを冷やかしていたようだ。シェーラがむきになればなるほど、面白がっていたみたいである。ふたりはあきらかに、たのしんでいたのに違いない。
悪い女たちだ。
難儀な連中だ。
――と思えば、腹が立つというより、苦笑が浮かんでしまうではないか。苦笑……ではなく、やっぱりぼくも本当に笑ってしまうところであった。
しかし。
話が前後してしまったようである。
ぼくがシェーラと、そしてミヌエロやワタセヤと思念を交換し、挨拶をし合って――それからすっと霧か何かがかかったかのように、ぼくの能力は消えて行ったのであった。あとは視野に、街路樹に見え隠れしながら左方の細い道へと入って行く三人の姿が残っただけであり、それもすぐに見えなくなったのである。
今の、名前の代りにイメージで特定の人物を指すとか、ミヌエロとワタセヤのこんたんとかについて考えをめぐらしたのは、それからのことであった。
ぼくは、ゆるみかけた自分の頬を引き締めた。
おたのしみの時間は、終りなのだ。
シェーラたちと話し合っていた時間、あんな常識を超えた事柄を聞かされ、警官たちの闖入《ちんにゅう》というようなこともあって今迄の間を、おたのしみの時間というのは、そぐわないかも知れない。もっと別の表現のほうが適当なのかも知れない。
しかし、これからの道のりを思い、自分の隊を探すことを思い、合流してからのおのれの運命といったことを思うと……どうもそんな気がするのであった。束の間、ぼくが天から与えられた休息だったような感じがするのであった。
ぼくは弱気になっていたのであろうか。
弱気はいけない。
それに、シェーラからの贈りものもあることだし。
進まなければならぬ。
自分の隊に合流しなければならぬ。
ぼくはあごを引き、右手寄りの放射路に入るにはどうすべきか、見定めた。
大通りを突っ切って行くのは、かりに、島のようになっている小さな広場を経由するとしても、無謀に近いだろう。それに広場に妙な連中でもいたら厄介だ。たたかえば何とかなると思うものの、それでは時間と体力の浪費になるし……そこでぼくは、自分がドゥニネの姿なのを想起した。
ドゥニネは、そんな真似はしないだろう。
ドゥニネなら、もっと安全で地道な方法をとるはずだ。ドゥニネについてはそれほど知識があるわけではないが、これ迄の経験からぼくには、何となくそんな風に思えた。
とすれば、ここから細い道を横切り……つまり放射路の入り口から次の放射路の入り口へと迂回《うかい》するかたちで進むしかあるまい。
ぼくは、連邦軍の制服がなるべく見えないように布切れをまとい直し、頭巾もおろすと、歩きだした。気持ちこそ決然としていたが、布切れが足にまといつくのでどうしてもぼそぼそした足取りになるし、ドゥニネを真似てうつむき加減で行くのでは、お世辞にも颯爽《さっそう》とした歩行とはいえなかった。
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彷 徨
シェーラが教えてくれたその放射路は、車道と歩道の区別もない比較的細い道で、右側は街路樹もなく高い塀がつづいており、左側にこれは公園か何かに接しているらしく、樹々や茂みの連続でそれ自体が目隠しの役も果たしているらしかった。
人通りはほとんどない。
たまに出会うのは、荷を負った人たちとか、疲れた様子の家族連れといった――ここしばらくぼくには馴染みになった姿の人々である。それも、ぼくと同じ方向へ行く者はひとりも見かけなかった。みな、あっちからこっちへやって来る者ばかりである。第三市から第二市へと逃げて来るのだろうか、と、ぼくは想像したけれども、もちろんはっきりしたことはいえない。
ぼくは、右側の塀に沿って進んで行った。塀の内側に何があるのかは知らないが、この高さではそう簡単に乗り越えるわけにはいかず、従って不意に誰かが出てくるということはなさそうだったからである。少なくとも左側の、誰がどこに潜んでいるかわからない樹々や茂みの横を歩くよりは、遥かに安全なはずだ。
とはいっても、道を物騒な連中がやって来て、ぼくにいいがかりをつけたり咎《とが》め立てしたりするおそれはつねにあるわけだから、ぼくはドゥニネそのもののようにとぼとぼと足を運びながらも、警戒は怠らなかった。
物騒な連中、と、ぼくはいった。
だが、その物騒な連中の中に、今では警察官とか、あるいは軍人とかの――本来なら取り締まる側の制服のメンバーも含めておかなければならないのである。あの建物に入ってきた警察官たちのことを思うと、すでに治安はどうなっているのか怪しいものであり、相手がいかにきちんとした格好をしていても、うかつに信用などしてはならないのだ。
しかしさいわい、今のところぼくの目に入るのは、はじめにいった人々ばかりであった。かれらは、こちらがドゥニネ姿のせいかも知れないが、ろくにぼくに注意を払おうともせずに道を急いでいた。他人になど構っていられないのかもわからなかった。
日はやや傾き、左側から照りつけてくる。布切れをまとっているために暑いのだが、それでも日蔭を求めて樹々の側を行くことは、ぼくは考えなかった。それにこの程度の暑さは、これ迄《まで》の行軍のことを思い出せば何ともないはずなのだ。ぼくは黙々と、雑草の生えた塀の横を進んだ。
第二市と第三市の中間にある公園――シェーラの説明を借りれば森というべきらしいが……森はまだずっと先のようであった。道がゆるやかに左へとカーブしているせいで、ずっと先のほうは見えないのだが、とにかく見える範囲内では、それらしいものはまだ影もかたちもない。白い道に茶褐色の塀。それに樹々とその影ばかりがずっと先迄伸びているばかりだ。動くものといえば、ぽつんぽつんと、こっちへやってくる人々だけであった。標識さえないのである。シェーラは第二市から第三市に入るには車か自走路が普通だといったけれども(ぼくがネプトに初めて来たときも、たしかにそうだった)この道はその車のための道というのではないのだろう。この終点が森だとすれば、当然そういうことになる。ここは、公園という名の森、でなければもっと別の場所へ行くための、とにかく直接第三市との行き来には関係のない道ではあるまいか。森を抜けて第三市に行くなどというのは、元来、一般的なコースではないのであろう。
だが、ネプトの事情を知らぬぼくが、こんなことをあれこれ臆測したって、仕方がないのだ。
ぼくは歩きつづけるしかない。
そして別にこの道のことなど考えなくても、ぼくには考えなければならない事柄がふんだんにあるのだった。
戦争がどうなるのか。
ぼくたちはどうなるのか。
ネイト=カイヤツは本当に降伏したというのか?
待て。
ぼくは意識してブレーキをかけた。
戦争の帰趨《きすう》とか、ネイト=カイヤツの運命とか、ぼくたち自身の行く末とか……そういった重大な、自分自身にもかかわりのある問題について、ぼくはこのところ、なるべく考えないようにしてきていた。状況を思えば思うほど絶望的になるからである。考えたところで仕方がないのに、ますます深く考えて、自分を暗くしそうだからであった。目をそむけていたといわれてもいい。目を向ければ何が見えるかわかっていたから、そうしなかっただけの話なのだ。
けれども、ネイト=カイヤツが降伏したとなれば……。
待て待て。
真実、そうだとすれば、今更どうしようもないではないか。
考えるとも。もちろんそのことは考えるとも――と、ぼくは、おのれに呟《つぶや》いた。ゆっくりと考える。考えないわけには行かないからだ。
しかし、それから先に考えては、あと、他のことは何も考えられなくなるだろう、との気もするのである。圧倒されて、他の事柄は吹っ飛んでしまうに相違ない。気持ちも重くなるであろうし、いよいよというときの覚悟もあらためて固めなければならないはずだ。
あとに廻そう、と、ぼくは思った。
道はこんなに長いのだ。
考える時間はたっぷりある。
どうせ、嫌でもそこへ行きつくことになるのであれば、それでいいではないか。
別のことからはじめよう。
別のこと。
そう。
ヘデヌエヌスだ。
これが今のぼくにとって、最も遠い、最もかかわりのない事柄なのだ。
ヘデヌエヌスは、すべてがエスパーの世界であり、そこからはあらゆる世界を同様にすべく工作員を送り出しているという。
ぼくにとって信じがたかったことのひとつに、シェーラが工作員だったという事実がある。
普通、工作員といえば……まあこれはぼくが物語や常識のとりこになっているせいかもわからないが、それこそ海千山千の、人の心を自在に操れるような人間だというのが相場である。なまなかな者にはとても務まらないのだ。ぼくなど……それこそぼくなど、どんなにしても務まるわけがないし、なるつもりもない。
シェーラがそんな奸智《かんち》にたけた人間だというのか?
むしろ、純情といったほうがぴったりするのではないか。
いや。
イシター・ロウ、お前は欺されているのかも知れないぞ、と、ぼくは自分に毒づいた。シェーラはああ見えても、一筋縄ではいかない、きわめて悪辣《あくらつ》な女かも知れない。世の中には、そういう見掛けと本質がまるきり違う人間がままいるものだ。そうシェーラに信じ込まされているのだ。
だろうか?
工作員といえば……ミヌエロもワタセヤもそうらしい。あのミスナー・ケイも仲間らしい。ほかにも居るのだろうが、ぼくにわかっているのはそれだけだ。
ミヌエロもワタセヤも、奸智にたけたおそろしい女だというのか? ミスナー・ケイが人の心を手玉にとる狡智《こうち》の女だというのか?
ぼくは、首をひねった。何となくおかしくもあった。
ミヌエロやワタセヤについては、ぼくはろくに知らない。が……あんな動機でシェーラについてきたふたりが、おそるべき奸智の人物とは……どうもぴんとこないのである。ミスナー・ケイに至っては、なおさらであった。あんな人づき合いの下手な人間が狡智の女とは……とても考えられない。
でも、彼女らは工作員だそうなのだ。
シェーラがそういったのだ。
すべての成員がエスパーである世界になれば世界が変る……それを推進するための工作員だというのである。
あんな女たちが。
工作員とあれば、もっとそれらしくていいような気がするが……そう見えないから工作員なのか?
考えてみれば、そのほうが理屈に合っているようだ。一見して工作員か何かのたぐいとわかるというのは論外としても、初めから相手に警戒心を抱かせるような人間では、仕事になるまい。
となると、とても工作員などとは思えないような者のほうが適役ということになる。ぼくにはそんな世界のことはろくに想像も出来ないけれども、いかにも何かを企んでいそうな人物が工作員とか諜報員になり、かつ成功するというのは、例外に属するのではあるまいか。やはり、相手が気を許しそうな人間のほうがいいのではないだろうか。
つまり、シェーラやミスナー・ケイのように……。
ぼくはそこで、顔をしかめた。
シェーラが警戒しなければならぬ人物には見えなかったとしても、では、ミスナー・ケイの場合はどうなのだ? 彼女は、出会ったときから変った女というのが、ぼくの印象だった。おまけに家の警備隊のことを尋ねてきたり、こちらを喧嘩に巻き込みながらさっさと逃げてしまったりして……そもそもから怪しい女だったのだ。いや、シェーラにしたって、何度かぼくの疑惑を呼び起こしたのである。例えば、エレスコブ家の内情に詳し過ぎたりして、だ。
ふたりとも、騒しかったとはいえないか?
待て。
ぼくは、たった今、シェーラが純情っぽいとか、ミスナー・ケイが人づき合いが下手だとか、考えたところだったのである。
矛盾しないか?
それとも、この両面を合わせれば、なるほど彼女たちがみごとな工作員だということになるのか? 相手を安心させておいてさまざまに謀略をめぐらす巧者だというのか?
どうも違う気がする。
ぼくの直感など当てにはならぬといってしまえばそれ迄だが、直感ではそうは思えないのだ。
それに、直感だけではないのだった。ぼくは少なくともシェーラやミヌエロやワタセヤの心を読んだのだ。それだって、先方が見せたいものだけを見せた――きわめて高度の超能力でそうしたのだ、と、いわれれば仕方がないが……ぼく自身の体験もそこには加味されているのである。まあ、これは逆かも知れない。ぼくは体験によって直感の裏付けをした、と、信じたところがあるからだ。
どうも、余計にややこしくなったみたいであった。
何しろ、ことが超能力の、読心力に関したものであるし……。
それに、読心力にかかわる工作となれば、相手がエスパーであるときには、露見してしかるべきである。そんな中で狡智の限りをつくすなんて、おそるべき高等技術といわなければならない。たしかにシェーラは、随意エスパーが非エスパーになり切るという話をしたり、自分の内面を全部は見せずに思念を交換するということを実際にやったりもした。以前の、カイヤツVでのミスナー・ケイの(そのときはプェリルだったが)超能力手術をしたとおぼしい痕跡というのも、そのたぐいだろうと、今のぼくは思う。特殊警備隊員は調査の結果、彼女は念力しか使えない人物としたようだが、ぼくには、彼女がその他の能力を捨てたとは、到底信じられないのだ。そんなことをしては、工作員としての任務を果たせないはずだからである。しかし一方ではシェーラは、随意エスパーでも失敗をすることがあると話したし、ウス帝国などでは仲間が発見され捕えられたりもしたと喋ったのだ。つまりは、完全万能ではないのであった。完全万能でないとすれば、それこそ緻密《ちみつ》に計算し慎重に行動しないと命取りになるであろう。
シェーラたちもそうしているというわけか?
だが、依然としてぴったりこないのだ。
ぼくが、シェーラたちの正体、あるいは本性について、こんなにいろいろ述べるのは、くどい感じだろうか?
けれどもぼくにとって、これは重要事だったのだ。自分の聞かされたヘデヌエヌスや随意エスパーやその他もろもろの話が、どこ迄真実でどこ迄信じるべきなのかは、彼女らがどういう人間かにかかっている、ともいえるのである。それらは、ぼく自身にたしかに衝撃を与えぼくを考えさせただけに、いい加減には出来ないのだった。だから、こんなにもこだわるのだ。
それにしても、と、ぼくは、袋小路に見切りをつけて他の道を捜す感覚で、観点を変えた。
彼女たちが工作員であるということを、まず認めよう。
彼女らは、それぞれ単数の、または複数の任務を持っている。
そしてその任務のためには、協力者が必要なのだ。デヌイベとかドゥニネとかエゼとかの集団によって仲間を増やし、エスパーになれそうな者をエスパーにし、さらにはもっと可能性を有する人間がおり信頼も出来るとなればヘデヌエヌスへ連れて行き、能力を高め鍛えて、元の世界へ送り返すという。
そのためには、もちろん当人の理解が前提になるだろう。真の目的を知らせなければそんなことは出来ないはずである。そこに嘘がまじっていては致命的であろう。能力を高められ鍛えられた本人が、嫌でも看破《かんぱ》することになるからだ。つまりは、初めから終り迄真実でなければならないのだ。
そうなのだ。
ぼくはその瞬間、悟ったのであった。
そんな仕事をするとなれば、他人に取り入り他人を惑わせ他人をたぶらかす――巧者では、物の役に立たないのである。当初こそうまく行ったとしても、結局は不信を買うだけなのだ。うまく行けば行くほどマイナスが大きくなるばかりだろう。となれば、素直でおのれの使命感に燃えている者のほうが、遥かに有用なのである。それはむろん頭の回転が速く優れた超能力を持っていなければ任務は遂行出来ないだろうが、人間としてはむしろ正直で綺麗《きれい》な心の持ち主であることが必須条件になるのではないか?
不思議な話だけれども、そうはならないか?
そうなのかも知れない。
そうだとすれば……ぼくはここに至って、ヘデヌエヌスの工作員や工作というものの特殊性に気がついたのであった。
もしもそうだとすれば、これはぼくの想像だが、シェーラがぼくになぜあんなに長々と喋ったのか、わかるように思える。シェーラたちは仲間うちではそれこそ思念の交換によって、いくらでも語り合えるに相違ないが、仲間以外の者に対しては身を守らなければならないから、テレパシーはおろか、心の中にあるものを口に出すことにも気をつけなければならないのだろう。その意味では抑圧を強《し》いられているのだ。その抑圧されたものが、信じられる相手に出会ったとき、噴出してくるのではあるまいか? シェーラのあの言動は、そういうことだったのではないか?
そんなところなのかもわからない。
というより、そう解釈するほうが、ぼくには楽しかったのだ。彼女がぼくを、信じられる相手と考えたことになるからである。
そして。
こうした経路をたどったぼくの想念は、なおもひとりでに突っ走ったのだ。
すべての人間が超能力者である世界の住人が、そうでない世界に入ってくると、そんな抑圧に耐えなければならないというのは、何とも皮肉な感じではないか。
そういえば、と、ぼくはあらためて確信した。あのミスナー・ケイの、言葉や態度での対応の拙《つたな》さこそ、他人がことごとくエスパーでありお互いに読心し合うのが普通で誤解など起こり得ない世界から来た……そうでない世界に慣れていない者の、典型的な反応だったのである。
ぼくはそこで何となく、全員が超能力者である社会と、超能力者でない人間が混在している社会の質的相違、または断絶をかいま見た気がしたのだった。
さらに、かつての、モーリス・ウシェスタの言を想起していたのだ。読心力者というものは、読心した時点の前後の断片を切り取っただけで相手を知りつくしたと錯覚しがちであるが、それではむしろ読心という方法を持たぬ普通の人間が長いつき合いのうちに悟って行く相手の人間像に太刀打ち出来ない。自分が知悉《ちしつ》したと信じた対象が次に会ったときにはことなっているために、その都度人間不信におちいり、ますます短時間の断片集めに熱中して、いよいよ大局がわからなくなるのだ――と、モーリス・ウシェスタは、そんな意味のことをいったのである。そしてまたモーリス・ウシェスタは、超能力者が自分自身超能力者であることに自負心を持ち、そのことに溺《おぼ》れてしまうと、しばしば普通人に見えることが見えなくなり、特殊な存在として、大きな仕事が出来なくなることが多い、とも話したのだ。他にもモーリス・ウシェスタはいろんな理由を挙げて、強制はしないが超能力除去手術を受けることを考えろ、と、説《と》いたのだった。
だが。
そうした論理が説得力を持つとしても、それはあく迄もぼくたちの混在社会の論理ではなかったか? あらゆる人間が超能力者である世界では、雲散霧消してしまうものだとはいえないだろうか?
とはいえ……これまたさっきからの一連の事象考察と同様、ぼくの想像であり推測であるに過ぎないのは、事実であった。
そして、ヘデヌエヌスからはじめようとしたぼくの考えごと、シェーラたちにまつわる想念の流れは、どうやらこのあたりで一段落したのである。
ただ、ここでぼくはふとあることに思い当たり、納得したのだ。
シェーラは、あんなにもよく喋った。そのシェーラや他のふたりも含めての話は、ぼくに、彼女らと別れてからも今のような事柄を考えさせた。
ぼくに読心力があったら、彼女らとの会話は思念で行なわれ、もっと短い時間で済んだろう。
ところがシェーラは別れぎわになって、贈りものと称し、ぼくに短時間エスパー化なる能力を植えつけたのだ。いや、植えつけたというのは正確ではなく、ぼく自身が持っているものを呼び起こしただけだそうだが、そのつもりになれば超能力者になれるようにしてくれたのである。最初からそうしてくれていたら、会話はああ長くはならなかったのではないか――と、ぼくは、自分では意識しないながら頭のどこかで考えていたふしがある。
けれども、その感覚を引き出して向き合うと同時に、そんなことは無理だった、と、納得したというわけだ。
ぼくの得た、二十秒やそこらしかつづかない超能力、それも次にエスパー化する迄には力を貯えなければならないので、少なくとも五分間は待たなければならないという力では、思念で話し合ってもすぐにとぎれ、次のエスパー化を待つことになっただろう。そんな面倒な真似をするよりは、言葉でのやりとりのほうが確実だったに違いない。なまじ最初にぼくにそんな力を与えていたら、かえって混乱していたに相違ないのだ。それよりも、出会った直後のぼくが、シェーラにそんなことをさせたかどうか……ぼくはシェーラとの再会をよろこんではいたが、警戒もしていたのである。
シェーラには、そういったことがわかっていて、だから別れるとなってから贈りもの≠したのではあるまいか。
それでよし、と。
ぼくは目をあげて、道を見た。
道は今は、やはりゆるやかにではあるが、右のほうヘカーブしている。茶褐色の古ぼけた塀は依然としてつづき、左手の樹々も先刻の印象と変らない。道自体は埃《ほこり》のせいか白っぼく、でこぼこであった。ろくに手入れされていないのであろう。行く手からは三、四人の家族連れらしいのが一組やってくるだけなのだ。日はまた心持ち低くなったようであった。
そしてぼくは、ドゥニネ姿の、ドゥニネ風の歩行である。
あたりの様子を観察して、当面は危険はなさそうだと思ったぼくは、それでもいざとなれば対処出来るように緊張を保ちつつ、しかしまたもや考えを追うことになった。
エレンたちのことが、よみがえってきたのである。
繰り返しになるが、ぼくは、エレンたちがネプトにいるのではないかとの噂を、ライゼラ・ゼイから聞いていたので、シェーラにそういわれても、驚きはしなかった。それよりも、そのエレンが和平工作をしているということに、肯定と疑問半々の気分になったのである。エレンならそうかも知れないな、というのと、そんなことをしてどうするのだ、身を滅ぼすだけのことではないのか、と、思ったのだ。
そして、シェーラからそうと告げられたときには、エレスコブ家のことなど思い出しても仕方がないではないか、もう過去の話なのであって、自分の隊に合流しようとしているぼくには関係ないのだ――と、頭から振り払ったのである。
その気持ちに嘘はなかった。
何も、シェーラの前だからそんな風に考えようとしたわけではない。(そんな真似をしても彼女にはお見通しだったろうが)そのときはそうだったのだ。
しかしながら、こうしてまたもや想念を追うようになると、別の感情が湧《わ》きあがってくるのを、とどめることは出来なかった。
エレン・エレスコブやハボニエ・イルクサ、第八隊隊長のヤド・パイナン、それにノザー・マイアンや他の隊員たちの顔やしぐさが、順不同にというより一度にわっとぼくの胸中に起きあがり……懐かしさがこみあげてきたのである。
ハボニエは死んだ。
ノザー・マイアンはその前に死んだ。
だがふたりとも、ぼくの心の中では消えていない。もう二度と会えないけれども、ぼくはいつでも想起出来る。
ましてまだ生きている(であろう)人々となれば……ぼくは、エレスコブ家に対する複雑な心情はひとまずおいて、会えるものならもう一度会いたかった。かつて自分が護衛していた対象であり仲間であった人々に、ゆっくりとではなくても会って喋りたかったのだ。喋ることが叶《かな》わなければ、元気な姿をちらりと見るだけでもいい。
感傷的だろうか。
感傷的なのは認める。
しかし、以前の仲間に対しての、それが正直な気持ちだったのだから、笑われてもやむを得ない。
…………。
ぼくは、ほんのいっときながら、その想念の中に浸っていたようだ。
そして、そういう懐旧の情というのは、僅《わず》かな暇を見つけて断片的に味わおうとすば、そのたびに光を帯びるものだが、そこに全面的に浸ろうとすると、意外に早く甘さを吸いつくし色|褪《あ》せて行くものである。ぼくは、ちょっとの間とはいいながらも、そこにおのれの心をゆだねてしまったために、嫌でもじきに現実に帰らざるを得なかった。
そう……考えたって、詮《せん》のないことなのである。
エレンたちにまた会う運命にあるならば会うだろうし、会わないようになっているのなら会わないという、それだけのことなのだ。運命などという言葉をここで持ち出すのは、いつものぼくにそぐわないかも知れないが、自分自身にいい聞かせるには、それが一番適当なのであった。ぼくはそういう状況に置かれているのであった。
状況。
ぼくは、あごをあげた。
状況といえば……。
ぼくはとうとう、あと廻しにしていた問題に直面することになった。
戦争である。
戦争は、どうなったのだ?
こうなれば、考えるしかなかった。いつ迄も目をそむけ耳をふさいでいるわけには行かない。
それにぼく自身、あとで考えると自分に約束したのだ。
戦争。
ネプトーダ連邦総府は、本当に降伏を決定したのか?
それを一部の勢力が妨《さまた》げているというのは事実なのか?
あるいは、そんなものは敵のビラに書かれているだけのデマで、連邦は最後の最後迄たたかうつもりなのか?
ぼくには、真相のすべてどころか、一部を知る手がかりさえないのだ。
いや。
手がかりというにはあまりに薄弱ではあるが、考える材料がないわけではない。
ネプトーダ連邦軍団は宇宙空間での決戦でほぼ潰滅状態になったという。残存艦艇はダンコールの衛星軌道に集まって敵を迎え撃ち、粉砕されたらしい。これは、エクレーダの中での放送と、ネプトに降りて陣をしいたわれわれ地上戦隊のぼくたちの隊の将校たちの心から読んだのとで知った――たしかなことなのだ。
ぼくたちの隊は、ネプトの外にあって降下した敵とたたかい、損害を受けつつ後退して、(ぼくやアベ・デルボやふたりのダンコール人、そして機兵のコンドンは、はぐれてしまったのだが)ネプトに入った。これはぼくたちの隊に限った話ではないであろう。他のネプトに降下した軍団の大方、いや、ひょっとすると全部がそうなのかも知れない。
そして敵は完全にネプトを包囲したという。敵のビラの文面によればそうなのだ。このことが本当なのかどうかの確証をぼくは持たないけれども、本当だとして不思議はない。むしろそのほうが一番ありそうな話なのだ。
いったんは外へ逃げ出そうとして戻ったネプトの市民や、流れ込んだ連邦軍団をかかえ込んで、ネプトは包囲されたのである。
敵とすれば、いつでもネプトを総攻撃出来るのだ。力ずくでやろうとすれば、ネプトを完全に破壊することだって可能なはずなのだ。
なのに、ここにはまだ敵の弾は飛んでこない。ぼくの見聞きした範囲だけでそうなのかもわからないが、敵が攻め込んできたとの噂さえ耳にしていないのだ。
敵は、強引に攻めかかれば損害が大きくなると考えて、そうしないのだろうか? こちらの死にものぐるいの抵抗を予想して、すぐには手を出そうとしないのだろうか?
しかしそれにしては、まず食糧その他の物資がネプトに運び込まれるのを止め、日をおいてから電力を断つというような、悠長なことをしているのはなぜだ? そうした作戦を一度にやれば、もっと効果的ではないのか? 第一市で会ったあのゲネント先生は、敵は性急な攻め方をせずに、われわれの気力が衰え挫《くじ》けるのを待っているのだ、と、みんなが考えているといったし、なるほどそんな作戦もあるのだろうが……それだけだろうか? ほかにも理由があるのではないか?
――という、いくつもの事例を総合すると、これは、連邦総府内部では降伏が決定されたか、少なくとも降伏に傾きつつあるにかかわらず、何かの勢力がそれを妨げ敵に通告させないようにしている……そして、そのことを敵は諜報網か何かによって知っている、そんな事情も働いているとの解釈が、充分成立するのであった。むしろ、そんな状況だからこそ、敵はあえて直接攻めかかったりせずに、情勢が変るのを待ち、また情勢が変るように、ネプトに必要な物資やエネルギーをひとつひとつ止め、ネプトをじわじわと絞めあげにかかっているのかも知れない。
よろしい。
一応、そういうことだとしよう。
いずれ連邦が正式に降伏するのか、なかなかそうならないのに業《ごう》を煮やして攻撃してくることになるのか、どちらともぼくにはいえないけれども、連邦が負けるのは必至ではあるまいか。というより……連邦の最強の武力であった連邦軍団が、もはや本来の意味での軍団ではなくなっているらしいのだから、すでに敗戦といわれたって仕方がないのである。どう考えても、奇跡でもおこらぬ限り、これからウス帝国軍とボートリュート共和国軍を撃滅するなんてことは、起こるわけがないのだ。奇跡とぼくはいったが……それは言葉のあやというものであって、(それはぼくだって奇跡を望みたいけれども)起こる要素は何ひとつないのだった。
ただ、戦争の終り方しだいで、ぼくたちがどうなるかは、違ってくるだろう。
降伏なら、武装解除、捕虜、それから裁判にかけられて刑を執行されることになるのか……戦闘要員ならその位は覚悟するしかないのである。いや、敵はウス帝国とボートリュート共和国だ。そしてその主体は、ぼくにはろくに何の知識もないものの残虐非道な強権体制といわれるウス帝国である。そんなことでは済まないかも知れない。なぶり殺し、拷問《ごうもん》、ウス帝国へ連行されての強制労役、奴隷、人体実験用材料……何をされるかわかったものではないのだ。いい気分ではない。考えるだけで顔をしかめたくなるが、そうなるかもわからないのであった。
徹底抗戦なら、こちらはずっとすっきりしている。たたかって死ぬだけだ。戦死だ。このほうがずっとさばさばしている。とはいうものの、死ぬのには違いないのであった。そのはずだが……ぼくはそこで、昨夜の警察官らしい制服の指揮者の言葉を思い出したのである。彼は、ダンコール軍団以外の連邦軍団は、自分のネイトをなおざりにしてネプトのために死ぬ必要はないとしており、ネブトからの脱出を内密に決めた軍団もあるというが、そんな内命か指示を受けているのかと、ぼくに問うたのだ。となれば、ネプトで死ぬのではなく、自分のネイトであるネイト=カイヤツでか、ネイト=カイヤツへの帰途に死ぬことになるのかもわからない。が……ネプトを包囲している敵が、そんなことをさせるわけがないという気もする。となれば、ネプトの外で全滅――。
ぼくは、苦笑まじりに唇を歪めた。
つまりは、どうであろうと、死ぬか、死ぬよりもっと悪い目に遭うだけのことではないか。
それに、こんなことをいくら考えても、ぼくにはどうしようもないのである。ぼくがカイヤツ軍団の残存部隊、あわよくば自分の隊に合流したら、あとはなるようになるだけの話であった。
いいとも。
死ぬことを覚悟すれば、それでいいのだろう。
それだけだ。
それしかないのだ。
そのつもりになるしかない。
今更そんな決心をしなくても、とうにそのつもりになっているのだ。
それでいいではないか。
が。
ぼくがここで他の事柄を考えるのは自由である。今はまだ死んではいないのだから……自分が死ぬと決まっていても、自分と直接関係のないことを考えたって……誰も文句はいうまい。
ぼくは、ひょっとすると(あく迄もひょっとするとである。そんな確率はごく低いはずなのだ)自分はネイト=カイヤツへ帰り、ネイト=カイヤツで死ぬかも、と、思ったりした。
しかしながらそのネイト=カイヤツは……。
シェーラは、降伏したと告げた。
激しく応戦はしたけれども、カイヤツ府が攻撃を受けて破壊され、包囲されたのちに降伏したどいうのだ。
信じられることではない。
ぼくはそのとき、嘘だと叫んだのだ。
この瞬間でも叫びたい。
だが、シエーラがわざわざぼくに嘘をいうものだろうか?
嘘をいって何になる?
ではシェーラは、何でそのことを知ったのだ?
正規の、いや正規でなくても、そんな連絡手段が、まだあるというのか? そんなことが簡単にわかるのか?
ぼくはそのことを疑ってみた。疑ってみたが……ぼくには見当がつかないのであった。それにシェーラは、ヘデヌエヌスとやらから来た人間なのだ。かれら工作員は、ぼくたちの知らぬ輸送手段を持っている……少なくとも船を所有していると、そうシェーラはいったのだ。それ以上の詳しいことは洩《も》らさなかったが、だったら、かれら独自の通信手段もあるのかもわからない。そして、そんな独自の通信手段などなくても……あるいは、ネイト=カイヤツ降伏の情報は、他の、例えば(出来るのかどうか何ともいえないが)ウス帝国軍やボートリュート共和国軍の通信を傍受し解読することなどによって、得られるのかも知れない。
この詮索はやめよう。
ぼくの手には負えない。
ネイト=カイヤツが降伏したと、そう仮定しよう。
それにしても首肯《しゅこう》しがたいのは、ネイト=カイヤツがどうしてそんなに短時日で降伏したかということである。
短時日なのだ。
エクレーダを出て降下する迄に、ぼくはネイト=カイヤツがどうこうしたという話は聞いたことがない。とすれば、降下直前迄、ネイト=カイヤツが敵の攻撃を受けるには至っていなかったのではあるまいか。そこから勘定《かんじよう》しても、早過ぎるのである。
ぼくは、指を折って数えてみた。
降下して陣地を作りあげたのが第一夜として、次の日の夕方に敵が大挙して降下。いろんな
ことがあったものの、夜襲を受けてわが中隊が潰滅したのが第二夜。部隊本部が置かれたメネに入っての第三夜。同じくメネでの、しかしまたもやの夜襲でぼくたちがはぐれ、山中をさまようことになった第四夜。ふたりのダンコール人とネプト第一市に入り、第二市に来て無人のビルで眠った昨夜が第五夜。
永い永い感じだったが、降下してからそれだけにしかならないのである。
そんな五日か六日のうちに、ネイト=カイヤツが攻められ、降伏したというのか?
エクレーダの中でぼくたちが教えられたところによれば、ぼくたちがダンコールの衛星軌道へ向かったとき、ウス帝国軍はその前の決戦の行なわれた宙域に静止しているとのことであった。そしてぼくたちはその決戦の前に、ウス帝国軍は全体が一戦団となってネプトーダ連邦に接近しつつあるとの説明も受けたのだ。だとしたらウス帝国軍がネイト=カイヤツや、そして当然ながら他のネイトへと軍を分けたのは、決戦以後にしかならないから、どうしても五日か六日のうちに攻められ降伏したということになるのである。
いくらネイト=カイヤツにはそのときカイヤツ軍団がおらず、装備や練度では格段に落ちるネイト常備軍しかいなかったにしても、あまりにもあっけないのではないか?
ネイト=カイヤツとは、そんなものだったのか?
もっとも、ぼくのこの計算は、どこかで根本的に間違っているのかもわからなかった。ウス帝国軍は全体が一戦団となって来たというのは実はこちらの誤認で、むこうには決戦に来たのと別に同程度かそれ以上の大軍があったのかも知れない。それらが別行動で各ネイトへと進攻したというのなら、もっと前からということになる。あるいは、ひとつひとつのネイトに進攻して来たのはウス帝国軍ではなく、ボートリュート共和国軍だった可能性も考えられるのだ。そして、ウス帝国軍だったにせよボートリュート共和国軍だったにせよ、その進攻はもっと早くからなされていたにかかわらず、カイヤツ軍団がこの情報を入手していなかったか、入手していたとしてもネプトーダ連邦軍最上層からの作戦命令で、自ネイト防衛よりも連邦全体を優先させる目的で、また戦術的に全軍団を集結して敵に当たるほうが有利としたために、カイヤツ軍団でもネイト=カイヤツが攻められているのを放置して作戦行動に移り、この事実を一般兵員に知らせては士気が低下するからと、秘密にしておいた――ということだって、あり得るのであった。考え過ぎかもわからないが、軍というものを思えば、その位のことだってあるのではないか?
ということであれば、ネイト=カイヤツは降伏する迄に、もっと長くたたかっていたわけである。
だが、だ。
だが、かりにそうだったとしても、カイヤツ府が攻撃を受けて破壊され、ネイト=カイヤツが降伏したのに変りはないではないか。
カイヤツ府は、どの位破壊されたのだろう。
人々は、たくさん死んだのだろうか。その中にはぼくの知人もいるのであろうか。
降伏したネイト=カイヤツはどうなる? どんな扱いを受けるのだ?
わからない。
ぼくには見当もつかなかった。
そんなことがあると期待してはいけないのだが、ぼくがかりにネイト=カイヤツのカイヤツ府に帰ることがあったとしても……そこにはもうぼくの場などないかも知れない。それどころか、帰ってももはやたたかうことさえ出来ないのではあるまいか? たたかおうとする以前に、占領軍に捕えられるのではあるまいか。
しかし、それを考えたところで仕方がないのであった。自分がどうこうされるどころか、今いったように、ぼくがネイト=カイヤツに帰れるなど、まず絶望的と思わなければならないのである。
要するに、どう転んでも大した将来などはないのだ。
そうおのれに呟いていながら、ぼくがそれほど打ちのめされた気分にならなかったのは、どうしたわけだろう。
こうしてまともにじっくりと、戦争の帰趨《きすう》やネイト=カイヤツの運命や自分を待っているものなどを考える迄、ぼくは、そんな真似をしたら押し潰された気になり、暗く沈んでしまうのではあるまいか、と、予期していたのだ。これ迄にも何度かこのことを考えかけたことはあるものの、そんな予感があったために結局突っ込んでは思考を追わず、何となく避けていたのである。
それが……案外であった。
どうにでもなれ、自分は全力挙げてやるだけのことをやるしかない――との感覚があるばかりなのだ。
別に、自棄《やけ》になったのではない。
それに、格好をつけるわけではないが、ぼくは自分の隊に合流するのをやめて、何とか生きのびようとの念を抱いたのでもない。それはたしかに何度もいった通り、自分の隊に合流することには、その後におのれがどうなるか大体わかっていることで、なるべく先にしたいとか、あまり考えないようにしたいとか、そんな心理状態になったのは否定しない。が……これはぼくという人間の、いわば衿持《きょうじ》の問題であった。自分にその義務があり義務を守るとおのれに約束したからには、それを裏切るのはぼくがぼくでなくなるように感じられるのである。一種の意地なのかもわからなかった。
なのにこの気分は……。
そんなことを突きつめて考えたりしたら、圧倒され気持ちが重くなるだろうとの予感は、あれは何だったのだ?
ぼくの予感なんて、あてにはならない。
今は非エスパーだから当然関係はないにしろ、元来、予知能力も無いに等しいのではあるまいか。
というよりそれは……予知とか予感とかではなくて、昔からしばしば予感のような顔をして出現した思い過ごしであり、嫌なことを避けようとする人間の本能みたいなものだったのかも知れない。
そして。
ぼくは思い出した。
この気分は、そう、前からの、このまま頑張ればいつかはきっと良いことがあるはずだという、例のぼくの奇妙な信念にほかならなかったようである。シェーラが、自分の予知もあったけれどもあなたの中にもあった予知だといった、あれだったのだ。
だがシェーラは、未来は確定などしていないともいい切ったのだ。そんな予知を予知としてではなく、気分として信じるほうが強いというのが、彼女の話であった。
気分として信じる、か。
それで結構。
先に何があるとしても……暗く沈むよりはずっとましであろう。第一、現実的な見方をしても、そんな重い心理状態では活動力や戦闘力が落ちるというものである。
ぼくはそこで、このながながとした想念追いをやめることにした。いつ迄もそんなことをしてはいられなかったし、ある程度気も済んだからである。
それに、ぼくの注意を惹《ひ》くものがあったのだ。
眼前の風景は、本質的には変わっていないようである。
しかし、そのときぼくの視線は、右手の高い塀のその前方に、何かが突き出ているのを捉えたのであった。
塀の上に首だけ出している感じの、小さな塔なのだ、
僅かにとがった屋根の下には、どうやら六面の窓があるらしい。
傾いた日の黄色っぽい光を受けて、そのずんぐりした塔は、窓のほかは黒かった。
何だろう。
それが塀の内部から出て塀とつながっているらしいことから、その塔が何だかわかれば、塀の内側についても何らかの推測が出来るかも知れない。
ぼくはとぼとぼと足を動かし、そちらへと進んで行った。塔をずっと見たりせずうつむき加減にしていたのは、前方から粗末な、あちこち破れた服を着た若い男がひとり、疲れた足取りでやって来るからであった。その若い男の後からも、荷をかついだのと長い棒みたいなのを持ったふたり連れの男が来ているのだ。ドゥニネの姿をしているものの、ぼくはその下に連邦軍の制服をまとっているのである。かれらにそんなものを見られたら、疑惑を招くだろう。制服でなくても、ぼくの顔つき自体がドゥニネにふさわしいかどうか、自信はない。そんなことでつまらぬ悶着《もんちゃく》を起こしたくなかったから、ぼくは布切れを引き寄せ顔を隠すようにしたのであった。
どうやら、塔にかなり近づいたはずである。
ぼくは疲れた体を装って塀にもたれ、今の人々をやりすごした。またむこうから五、六人が来るようだが、距離が遠いので顔つきを見て取られるおそれはなさそうだ。
仰いだ。
窓のひとつが陽を反射しているが、それは何となく陰鬱《いんうつ》な印象だった。六角になったその塔の中には、人間がひとりかふたり入れるのではあるまいか。それからぼくは、低いとがった屋根の下に、照明装置とおぼしいものを認めた。
断言は出来ないが、それは監視塔ではなかっただろうか。
そうと解釈するのが、もっとも妥当なようである。
窓で囲まれたその中に人間が居るのかどうかは、ぼくの位置からでは見て取れない。読心力を使えば判明するだろうし、人がいたら何の目的でここに居るのかも読み取れるだろうけれども、ぼくはやめておくことにした。肉眼で眺めた印象でもそこは無人の感じだったし、そんなことでエスパー化して、あと五分以内に超能力を行使したほうがいいような事態が突発でもしたら、困るからである。
それに、行く手の五、六人の一団は、もうだいぶ接近していた。
ぼくは頭にかかった布切れをまた下ろし、歩きはじめた。
一団とすれ違った。
そっちに目を向けないようにしていたので、かれらがどんな人々だかは不明だったが、ぼくには何の関心も抱かなかったようである。
歩きながら、ぼくは今の塔について思いをめぐらした。
あれが監視塔だとしたら、この塀の内側は何なのだろう。
ああいうものは、このあたりを行き来する人間を監視するために作られているのだろうが……窓が内側にも外側にも向けられ六面もあるのを考えれば……ひょっとすると、塀を越えようとする者を発見しようというのではあるまいか。
そこでぼくの頭に浮かんできたのは、拘置《こうち》所とか刑務所のイメージであった。
こんなところにそんなものがあるとはやや意外だが……しかし、ネイト=ダンコールにだって、拘置所や刑務所があってもおかしくはない。それがネプトの第二市の、第三市との境界寄りにあるというのも、それらしいとはいえないか?
もしそうだとしたら、他にもまだいくつか監視塔はあるはずで……あまり上方に目をやらないようにしていたぼくは、今の塔の前にもあったのを見逃したのかも知れなかった。
だが、と、ぼくはまた思う。
この塀が拘置所とか刑務所とかであるとすれば、ひとたび塀を乗り越えて逃げたら、道を隔てた樹々の中へ逃げ込めるわけで、そんな配置をするのは理に合わないのではないだろうか。
しかも、確認したのではないがあの監視塔が無人の感じだったのは、どういうわけだろう。
ここが拘置所とか刑務所だとしたら、監視塔を空っぽにしておくなんて、やはり変である。
それとも、人が居たのか?
そんなことを思いながら歩いていたぼくは、左方の樹々がその頃からややまばらになってきたのに気がついた。
のみならず、樹々の間にちらちらと、家らしいものが見えるようになったのである。
そして、それらはいずれも、屋根や壁が崩れた――廃屋だったのだ。
もっとも、建物がいかにぼろぼろであろうとも、中に人が住んでいる例はいくらでもあるので、ぼくはドゥニネ姿のために余儀なくされているのろい歩みをさらに遅くして、もう少し観察したりもしたけれども(本来急がなければならぬこんなときに何を悠長なといわれそうだが、さっきの監視塔らしいのを足を止めて仰いだことも含めて、未知の行程をひとりでたどるとなれば、自分の身を守るためにも周囲の状況を把握しなければ気が済まなかったのである。先を急ぐあまりにその他の事柄がお留守になり、不意をつかれたあげく目的の場所迄行きつけないで終っては、何をしているかわからないではないか)干し物が出ているわけでもなく生活用品が置かれているわけでもなく、人間の気配というものが皆無で……たしかに見捨てられているようであった。
そんな廃屋が樹々に隠れるようにして一軒また一軒と立っているのだ。
とすればこのあたり、かつては人々が住んでいて……それが何かの事情で出て行ったことになる。何があったのかは知らないが、家々の崩れ方から考えて、放棄されたのは最近とは思えない。数年か十数年、ひょっとしたらもっと前のことではあるまいか。
そして人々が居た頃には、この道もこんなにさびれてはいなかったのであろう。車が行き来し、道自体も整備されていたに違いない。
待てよ。
かりに整備されていたとしても、この道はそれほど有用とはいえないのではないか――と、ぼくは気がついたのだ。
車といってもネイト=ダンコールの、ことにネプトでは、ネイト=カイヤツなどより遥かに飛行車の比率が高かったはずである。それはカイヤツ府でも、重要人物とか緊急用にはしょっちゅう飛行車が使われていた。だがそれは全体としてはあく迄も少数派で、地上走行だけの車のほうがずっと多かったのだ。
だから飛行車専用の道とかコースなどというものはなかった。飛行車は道の上空かあるいは車に関係なく空中を行くかで……場合によっては他の車とまじって地上走行することもよくあったのである。しかしネプトではだいぶ様子がことなっていたようだ。あのボズトニ・カルカースやザコー・ニャクルと共にネプトに入ってきたとき、ふたりは、その道を旧道であり旧道といっても乗用浮上機や浮上貨物機がたえまなく往来するのが普通だった、と、説明したのである。ここでは飛行車が主流か、主流でなくてもごく一般的なものになっていたのだろう。であれば、道幅がかなり広くなければ具合が悪いに違いない。それに、飛行車といってもネプトの飛行車は、ぼくたちがネイト=カイヤツで知っていたそれとは違っていたようである。ま、ぼくたちの知っているタイプのものもあることはあったが、地面からそう高くないところを高速で飛ぶ――浮上機が多かったのだ。前にネプトに来たときぼくは、あんな飛び方をしたらたちまち衝突するのではないかと考えたけれども、そうならないらしいのは、高度も自在に変換でき、衝突回避のシステムも備えているということだったのだろう。飛行車といってもそれは、ぼくたちの知っていた飛行車よりはもう一段進んだ、新型あるいは別種に属するものと解釈するほうが妥当なのかもわからない。ま、ぼくには詳しいことは不明だが……とにかくそんなものが高速で行き来し、上下左右で擦れ違うとすれば、いよいよもって道がゆったりしているにこしたことはないのだ。事実、ボズトニ・カルカースやザコー・ニャクルが旧道といった道も、結構幅が広かったのである。
と、したら、ぼくが今歩いているこんな道の幅では、とても浮上機などが往来するわけには行かないのではあるまいか。
いい換えればこの道は、浮上機をも含めた飛行車が一般的になる前に建設されたか……そうでないとすれば、飛行車があまり利用されることはないとの前提のもとに、補助的道路として作られたということになる。
ぼくのこの推察が当たっているかどうかは知らない。
しかし、もしもそうだとしたら、この道は時代の経過と共にだんだん不便に感じられあまり使われなくなって……結果、今のようになってしまったとも考えられるのだ。
拘置所か刑務所か、とにかくこんなものが横にあることでもあるし……。
こんなものがあるから、道路の拡幅も無理だったというわけだろうか?
だがそれにしては、この拘置所か刑務所かは、どうもひっそりしている。まあ、そんなものが賑《にぎや》かだというのは、あまりあり得ない話だろうが……それが現在も使われているのだとしたら、塀の外に樹々があるのは変であり、家々があったというのはもっと変である。さっきもいったように脱走者にとっては身を隠す場所があるだけでなく、家の人々を人質にとって立てこもることだって可能になるからだ。一方、それが今ではもう使われていないのであれば、さっさと取り壊して道を広げればいいのであって、これはこれで理屈に合わない。
拘置所(あるいは刑務所)と家々と、どっちが先だったのだろう。
その中にあって、道はどういう役割をしていたのであろう。
考えれば、余計にややこしくなるのだ。
しかし、と、ぼくは気をとり直し、苦笑いした。
よそのネイトの首都の、その特定部分の歴史など、簡単に推測できるわけがないではないか。
また、今のぼくがそんなことまでする必要はない。ぼくは、おのれの身の安全を期する範囲での状況把握にとどめればいいのだ。
その意味ではぼくはもう、ある程度目的を達成した。
この道は現在ほとんど放置の状態にあり、当面道の左右には危険がなさそうだと判明したのである。
どうやらこの道自体、今はネプト第二市から第三市に通じる――それも決して主要とはいえないコースとして存在しているだけのようだ。
そのことは、依然としてぽつりぽつりとこっちへやって来る人々がいることからも、判断がつく。
ただ、こちらからむこうへ行く者がおらず、こっちへ来る者しか目に入らないというのが奇妙といえば奇妙であった。第三市から第二市へ行こうとする人間がいても、逆をする人間がいないということになるからであった。
これは、第三市のほうが、第二市よりもひどい状態にあるのを示しているのか?
もっとも、むこうから来る人々の、それぞれの間隔は結構開いているので、かりにぼくと同方向へ行く者がいたとしても、似たようなことになっている可能性があった。ぼくはほとんど振り返ったりはしなかったし、振り返ったときでも後から来る人影を認めることはできなかったけれども……本当はいるのかもわからない。
だから、しかとしたことは何もいえないのだ。
それに、歩いているうちには、事情もおいおいはっきりしてくるに違いない。
歩くしかなかった。
もはや廃屋のことは済んだとして足を動かしながら、しかしぼくは、地図によればちょうどそれらの奥の――ずっと先のほうに、シェーラのいった三角地帯なるものがあるはずなのを、想定していた。距離とすればかなりなものになるのだろうが、第一市と第二市と第三市にはさまれたニダ河べりといえば、ちょうどそのあたりの方角になるのだ。
シェーラはぼくに、追いつめられた状況になったら、自分たちの住むその三角地帯に来てくれといった。
ぼくは、追いつめられることになるのだろうか? シェーラはそう予見しているのだろうか?
いや……今更そんなことを考えなくても、ぼくはすでに充分追いつめられている。なのにまだこれ以上追いつめられるというのだろうか?
そして、ぼくは三角地帯に行くことになるのだろうか? 今のぼくにはありそうにもないと思えるが、そうなるのだろうか?
シェーラには、それがわかっているのか?
しかし、である。
それがシェーラの予知だったとしても……シェーラ自身が口にした通り、未来とは確定してなどいないのではなかったか? 予知は未来の方向をつかむだけであって、必然ではなく、本人の行動やそのときどきの運で変化もするということではなかったか?
だったら、ぼくが三角地帯へ行くかどうかだって、はっきりしてはいないのだ。
どうなるかは、わからない。
なるようにしか、ならないのである。
三角地帯のことも念頭から追い払って……ぼくは進んだ。
相変らず、間を置いて、ふたり連れとか数人のグループとかが、こっちへ歩いてくる。たまにはひとりの場合もあるが……例によって疲れた足取りで……ぼくがドゥニネ姿をしているせいもあるのだろう、こっちにはろくに関心も払わずに通り過ぎて行くのであった。
しかし。
なおもしばらく行ったところで、ぼくは、樹々のある側の道端に、茶褐色の小さな盛り上がりがあるのを認めたのだ。
近づくと、それは人間らしいのがわかった。
背を曲げ、うずくまるようにして……動かない。
死んでいるのだろうか。
塀のすぐ横を通りながら、ぼくはそっちに目をやった。広い道ではないから、反対側からであってもよく見えたのだ。
破れ、汚れた服で、横には包みらしいのが転がっている。包みは開かれて、中から鍵束《かぎたば》とかノートのようなものがはみ出、散乱していた。髪が伸びているけれども、男のようである。身を折り、ねじり、地面につけた顔をこちらに向けていた。顔は苦痛に満ち、目はうつろに開いて……死んでいた。
ぼくはもちろんその傍《そば》に駈け寄りはしなかった。駈けるどころか傍へ行くこともしなかった。
死んだ人間に何をしてやれるというのだろう。それにあかの他人でもあるし……ぼくはそのまま通り過ぎたのだ。
今の男は、何かの病気かけがかで、動けなくなり、苦しみながら死んだのであろう。
だがその包みが開かれて中身が散らばっていたのは……男が自分で開いたとも考えられるが、それよりも、後から来た者が包みを探《さぐ》り、おのれの役に立ちそうなものを持ち去ったのかも知れない。残っているのが鍵束とかノートとかの、本人以外には使い道のない物品だったことを思えば、そのほうが当たっているような気がする。
もしもそうだとしたら……ぼくは、ぼくの心の中にある漠としたネプトのイメージ、それも無秩序化が進み荒廃しつつあるであろうネプトのイメージが、さらにひどくなるのを覚えた。
しかしながら、進むしかなかった。
太陽はさらに低くなり、道はいよいよ黄色味を増している。
また一組か二組と擦れ違った。
それから何百メートルか行って……ぼくは再び道端に人影を見て取ったのだ。
今度はふたりだった。
しかも樹々の側ではなく、塀にもたれて、ひとりは横たわり、ひとりはすわり込んでいた。
横たわっているのは女のようで、上から布をかけられているものの、顔色は青ざめて……ぼくには死んでいるとしか思えなかったのだ。
もうひとりは男で、背中を壁につけて放心の様子である。
しかしぼくが歩いて行くと、男は、目をぎらりと光らせて、手にした短刀らしいものを振りかざし、わめいたのだ。こっちへ来るなといっているのだった。
ぼくはふたりの手前で迂回《うかい》し、樹々のほうを通って行った。
振り向くと、男は女の首を抱いて何か喋っているようだ。
おそらく、ここ迄来るうちに、女が死に、男はまだ本当には信じ切れないで、ぼんやりしながらも近付く者がいると威嚇《いかく》して追い払っているのであろう。
気の毒な話である。
だが、ぼくにはどうしようもないことであった。
そして。
間もなくぼくは、ひとりの青年の死体に出くわしたのだ。
その青年の死体は……病死などではなさそうだった。服のあちこちに血がつき、地面にも流れ出ていたのだ。それも、もう乾いて黒くなっていたのである。
血は、ぼくの行く手のほうへ、点々と落ちていた。これまた黒く乾いて、すでに埃の中で消えかけていたのだ。
多分青年は、傷を負い血を垂らしながら、それでも歩きつづけたのに違いない。それからついに力尽きて、死んで行ったということであろう。
傷を負ったのは、どこかで争った結果としか思えない。喧嘩か、それとも襲われたのか……
ぼくは知る由《よし》もなかった。
歩く。
ぼくはかれらに何もしてやれなかった。
いや。
してやらなかった、と、いうべきではあるまいか。
ぼくには何もできなかったかも知れない。しかし白状するならば、ぼくに何かしてやれることはないか――という気持ちにさえならなかったのだ。ぼくは、こういう状況下なのだから、これも仕方のないことだ、しかも自分には関係のないことだ、と、おのれに何となくいい聞かせていたところがあり、それでいいのだとして、通り過ぎたのであった。ぼくの心は、すでにそうしたことに親身になれるほど柔かくはなくなっていたのである。
ただ……弁解じみるのを承知でつけ加えるならば、それはぼくひとりの話ではなかったのだ。むこうからこっちへやって来る人々の誰も、道端のそうした人々にろくに注意を向けようとせず、歩くだけなのであった。自分たちのことだけで精一杯で、他人のことなどに構ってはいられない、という態度だったのである。
だったら、ぼくだって仕方がないのではないか?
いや。
こんな自己弁解みたいなことを並べようというのが、そもそも偽善《ぎぜん》であろう。
ぼくは、かれらに構うつもりはなかった。
そんなことはしていられないのだ。
したって、どうにもならないのだ。
だから、心を動かしもしなかったのだ。
――と、それでいいではないか。それが本心でいいではないか。ぼくはそういう人間になっていたのだ。格好をつけることはない。
ぼくはそう決めた。
が。
しばらくしてぼくは、またふたりの男を目撃することになったのだ。
そのふたりの男も道に倒れていた。ただこちらはふたりともまだ動いており、ひとりのほうが通りかかる人々に呼びかけていたのである。
「助けてくれ。誰か……助けてくれ」
ぼくがそっちへ近づくうちに、むこうから来た四、五人の男女がその前を通り過ぎた。
かれらはふたりの男に目をやることはしたがすぐに顔をそむけて……ぼくと行き違ったのだ。
今度はぼくがその場にさしかかる番であった。
「助けてくれ。医者を呼んでくれ」
ひとりが、弱々しく手を伸ばしていった。一見してぼくには、ふたりがもう駄目だとわかった。声を出している男は腹に大きな傷口があって内臓が出ているし、もうひとりは大腿部《だいたいぶ》をぱっくり裂かれてのおびただしい出血のためであろう、顔面蒼白でぐったりしていたのだ。
「医者を」
腹をやられているのが、ぼくに訴えた。
ぼくに何ができただろう。
医者を呼べといわれても……ぼくにはどうにもならなかった。
気休めに手当てをするにしても、ぼくは薬など持ってはいない。
水をやるということは、できるかも知れないが……聞いたところでは瀕死《ひんし》の人間に水を飲ませればすぐに死ぬとのことである。それでも与えるべきであろうか。いや……かれらは水を全部飲んでしまうかも知れない。全部飲まれては、ぼくが困るのであった。相手の死を早めるばかりか、ぼくが生きて行けなくなるのであった。
ぼくは黙って通り過ぎようとした。
もしもぼくが、あの山の中で出会ったドゥニネたちのように、常識では考えられないような超能力を持っていたら、かれらを治すことは可能だったかもわからない。だがぼくはそうではないのだ。たしかにぼくは、短時間エスパー化の能力は有している。だがその能力は、ぼくがエスパー時に使える程度の普通の£エ能力なのであって、とても人の傷や病気を治せるようなものではないのだ。
つい先程おのれがそんな優しい人間ではなく自分のためには他人を見殺しにしても仕方がないと決めた――その心のままで、ぼくは通り過ぎようとしたのだ。
けれどもそのとき、またもや前方から三人の男が接近してくるのが、ぼくの視野に入ったのである。
かれらを意識して……ぼくは自分がどんな格好をしているのかを思い出した。
今ぼくは、自分があの山中で出会ったようなドゥニネだったら、と、考えたところだったのである。
ぼくは、そのドゥニネの姿をしているのだ。
ぼくは他人の傷や病気を治せるようなドゥニネではないが……よそ目にはドゥニネに相違ないのだった。
とすれば、前方から来る連中にとってもぼくはドゥニネなので……ドゥニネらしい言動を見せなければ変に思われるのではないか――と、思ったのである、
こんな場合、ドゥニネは通常どういうことをするのだろう。
さっきからぼくは何人もの死者に出会い、通り過ぎてきた。それをむこうから来る人たちも見ていたのだ。だったら今回も同じでいいのかも知れないが……今度は、死者ではなく近づく者を追い払おうとしているのでもないのである。死にかけて、救いを求めているのだ。事情は別ということになるのではないか?
前方からの三人は、ますます近くなってくる。すでにふたりの瀕死の男にも気づき、ぼくにも視線を向けているようであった。
祈ろう、と、ぼくは思った。
祈るポーズをしよう。
それが正解なのかどうかはわからないが、ドゥニネとか、そう、デヌイベとかならやりそうなことではないか?
間違っているかも知れない。
だが何もせずに疑惑を招くよりは、ドゥニネらしい行為をしたほうが……あとで何かいわれるにしても釈明しやすいのではないか? もっともこういうことはしばしば逆になる場合があるので、何もしないほうが妙な真似をするより安全なのかもわからないのだが……ぼくは、ドゥニネたちのあのどこか押しつけがましい(いい過ぎだろうか? でもそんな風にもぼくには感じられるのである)印象を利用するほうに賭けたのだ。
ぼくはふたりの男とは反対側の塀のほうに寄って、来る人々に道をあけ……そこにうずくまって祈る姿勢をとった。
短時間エスパー化は、しなかった。
したってぼくの力では、前述の通り何の役にも立たないし、やって来た連中が変なことをすれば……それがぼくのこんな行為を怪しんでの結果という可能性もあるのだが……ぼくにいいがかりをつけて手を出してでもきたら、力を使わなければならなくなるからだ。
ぼくは、ドゥニネたちの合唱を思い出しながら、真似て低い声を出した。
やってくる連中からは手が届かない距離を置き警戒もしていたものの、うつむいていたので、かれらの顔は見えず……足音がぼくの前を通過して行くのだけがわかったのだ。
と。
通過するひとりが、鼻を鳴らしたのである。
「無駄なことをする。こいつら、もう助からんのにな」
別のひとりが、吐き捨てるようにいった。
「お祈りか。そんなもの役に立つわけなかろう?――ドゥニネめ!」
それから、足音は遠くなって行ったのである。
ぼくはそれでも、すぐに身を起こしはしなかった。もうちょっと待つほうがいいと判断したからだ。
ぼくのとっさの行動は、どうやら正解だったらしい。こんなときに実際ドゥニネたちが何をするのか、ぼくには何も断言できないけれども、少なくとも今の連中にはドゥニネらしいやり方だと映ったのであろう。
「頼む……助けてくれ」
道をはさんだむこうから、男の割れた声が流れてきた。
そしてぼくは……馬鹿馬鹿しいと感じる人が多いと思うし、自分でも奇妙だったのであるが……ほとんど衝動的に、祈っていたのである。
どうか……この男たちがあまり苦しみませんように。安らかに死ねますように。
それを一度ならず、二度、三度迄繰り返したのであった。
ぼくは、誰に祈っていたのであろう。
わからない。
そんな祈りが聞き届けられるとも、考えはしなかった。自分だけの勝手な希望でありそれを口にしているだけだとも知っていた。しかし、祈ってしまったのは本当なのである。
それからぼくは立ちあがった。
男のひとりはまだ苦しみながら声を洩らし、もうひとりは全身の力が抜けてしまっているようであったが……ぼくにはそれ以上何もできず、立ち去ったのである。
歩行を再開しながら……だが、ぼくの心がどこか楽になっていたのはなぜであろう。あんな祈りなど、おのれの気持ちを慰めるだけのことだったとわかっていながら、そうだったのはどういうことであろう。
ぼくには、説明できない。
これ迄たくさんの死者や負傷者を目にし、しかもこれは自分で認めなければならないのだが、ぼく自身が戦闘ややむを得ざる仕儀《しぎ》からたくさんの人を倒し傷つけてきたというのに、ここで出くわしたいろんな死人や動けなくなった人々に対して、なぜそんな受けとめ方をしたのか、おのれを心が乾いた自分のことしか頭にない人間になっている――と、きめつけなければならないほど、自己の感情と立場にこだわったのか……不思議に思う人がいるかも知れない。ぼく自身にも意外だったといえないことはないのだ。
だがそれは多分……そうした人々があらかじめ死を覚悟していた戦闘員でもなく、ぼくに襲いかかってきた人間でもないからということだったのではあるまいか。本来、そんな死に方や倒れ方をするはずでなかった人々を見たから、そんな風になったのではあるまいか。その意味では……そう、エレイ河の流入点での陣地、部隊本部の置かれたメネの人々だって、同じことだったとはいえよう。メネの集落は敵の攻撃で潰滅し住民の多数が死傷したはずである。かれらは一般市民であり非戦闘員であった。そんなかれらに対してぼくが今のような感じ方をしなかったというのはおかしい――との見方だってあってしかるべきである。が……メネの住民に関していえば、ぼくはその状態をよく見てはいないのだ。というより、見ている余裕はなかったのである。死体やけが人があったとしても……近くでまじまじとみつめるということはなかったのだ。人間、目にしなかったものについてはさほどの意識はないという、これは本性、自衛本能、あるいはエゴイズムのなせるわざかも知れない。勝手なものだと……自分でも思う。
――と、まあ、こんな感慨は、ぼくの内部の問題である。
ぼくは歩きつづけた。
また一、二の死体を見たことも、いっておかなければなるまい。
このあたり、ぼくが目にした死者やけが人や病人、行き倒れといった人々が、それだけだったのか、もっと他にもあったが樹々の蔭にあったとか片づけられたかで、ぼくにはわからなかったのか……その点は不明である。
ただ、そうしたことが度重なり、しかもそのうちの何人かは血の跡からもあきらかにむこうから来たとわかることや、やって来る人たちもみなそうだという事実を考え合わせると、ぼくは、当初ちょっと想像した事柄が事実なのではないか――と、思わずにはいられなかったのだ。
つまり……第三市から第二市に行こうとする人間はいても、逆のコースをたどる者はいないらしい……となると、第三市のほうが第二市よりもひどい状態にあるのではないか、との想像である。
そうなのかも知れぬ。
そうであってもおかしくはない。
なぜなら、ぼくがかつてネプトに来たときに思い知らされたのだが、ネプトは四つの市から成る複合都市で、第一市のあと第二市が出来、という具合にふくらんで行ったというが、それだけに、第一市よりは第二市、第二市よりは第三市となるに従って、ビル群は高層化し人工化が進み、それだけ先端的な設備や施設も多くなって、大がかりな装置や巨大なエネルギーが必要になっているというのである。裏を返せば、それだけ複雑になっていればいるほど、いざというときにはもろく、機能がたちまち麻痺《まひ》し、騒ぎやパニックがおこりやすく――秩序維持が困難になるに相違ないはずであった。
とはいえ……ぼくやシェーラたちのいるあの建物にれっきとした警察官が掠奪の目的で入ってきてからも、だいぶ時間が経《た》っているのだ。第二市だって、さらに混乱と無秩序化は進んでいるだろう。
とすれば、第三市は……?
もっとひどいだろう。
あまりいい予感はしない。
しかし、それでも行くしかないのだ。そこにカイヤツ軍団がいる以上、第三市に入るほかはないのである。
…………。
ぼくはそこで、歩調をゆるめ、停止した。
長い高い塀は、ようやく終ろうとしていた。
こんなに塀が長いとなれば、ただの拘置所とか刑務所ではないのかも知れない。もっと大規模な何かの施設ということも考えられるのだが……ぼくには、今となってはもうあまり考えることはないのであった。
塀のおしまいのところには、さきに見たのよりも、もうひと廻りかふた廻り大きな、だが同じような形の監視塔が突き出ている。
その先にはまた塀だが、これはそう長くなかった。内部から煙突らしいものが見えているところから推せば、工場のたぐいではあるまいか。
左の樹々は、密集している。その奥に廃屋があるとしても、とても見て取ることはできまい。
そして正面。
工場らしい塀と密集の樹にはさまれた奥に、樹々の群があるのだった。
つまりは道はこれでおしまいで……正面に見えているのは、シェーラがいった第二市と第三市の中間にある公園(彼女は森と表現したが)の入口ではなかろうか。
目をこらすと、そちらの下のほうに、たしかに門か何からしいものもある。
ぼくはまた歩きだした。
ここ何分間か、ぼくは、むこうから来る人々と会っていない。
太陽はまた低くなり、ぼくの背の高さではもう陽は当たらなかった。左手の樹々の影が伸びてきて、塀にかかっているのである。塀の上部だけが、まだ照らされていた。
歩きながらぼくは、森を抜けるのにどの位かかるのだろう、と、思った。
話し合ったあの建物を出た直後、シェーラは、順調に行ったとしても第三市第六区のミヌェブロックに行き着くのは、早くても夜になってからではないか、といったのだ。
今は、もうしばらくすると夕方、というところである。
ここ迄来るのに、ぼくは、だいぶ時間を食ったような気がする。ドゥニネ姿のとぼとぼ歩きの上に、歩調をゆるめたり立ちどまったり、すわって祈りをしたりもしたのだ。だからシェーラが考えていたよりは、少し遅くなっているのではあるまいか。
急いで森を抜けなければならない。
まごまごしていると、夜になってしまいそうだ。
が。
その森だって、と、ぼくは考えたのだ。
森とは、どんなものなのか知らないが……ぼくと道で出会った人々、やって来て倒れたり死んだりした人々は、みなその森を通ってきたのに違いない。道に出るにはそれしかないからだ。
とすると……倒れていた人々のあの傷は、森の中で誰かと争うか、襲われるかしたためではないのか?
確証はないが、ありそうな話だ。
これが本当なら、森の中はこの道よりもずっと危険ということになる。これ迄もぼくは、ぼくなりに緊張もし警戒もしてきたけれども、それをさらに強化しなければなるまい。
正面の門が、はっきり見えてきた。
門といっても、高さ二メートルばかりの細い石柱が二本あるきりで、その右手に警備員の詰所か何からしい小屋がひとつ。両側には木柱を組み合わせたぼくの胸位の柵がひろがっているのだ。
門には戸があるが、半開きになったままのようである。
門の前に来た。
そこ迄来ると、右の塀は折れてずっと右方へ伸び、左の樹々はそのまま柵を越えて内部へとつづいているのだ。
門の前は、小さな空地になっているが、雑草が生え放題に茂っていた。
遠くから眺めた時点ですでにそうではないかと感じたのだけれども、詰所には誰も居ない。
ぼくは、半開きになった戸を手で押し分けながら踏み入った。
入ったときの印象は、あきらかに公園である。すぐ先に噴水があり、ベンチもいくつか置かれていた。やや離れて便所らしいものもある。
樹々は、そこでは割合にまばらで、森というよりは林の感じであった。もっとも、それでも樹々のせいで吹いてくる風は幾分つめたくなったし、さらに奥のほうにはもっと樹が多いようなのだ。
ぼくはとぼとぼと噴水に歩み寄りながら、布の下から周囲を素早く観察した。
この近辺に限っていえば、鳥の声がするばかりで、無人の感じなのだ。
噴水は、しかし水は出ていなかった。噴出孔は錆《さ》びつき、小さな丸い池にも水はなく代りにごみが堆積している。ベンチも同様で、傾いたり一部がなくなったりしていた。
とりあえず地図と磁石を出して、方向を見定めなければならない。
すわることが可能なベンチがないわけではなかったが、そこはあまりにも見通しが良く不用心なので……ぼくは便所のほうに歩いて行った。
便所の中を窺《うかが》い、誰もいそうにないのをたしかめると、ぼくは、蔭になる場所にたたずんで地図と磁石を出した。
ぼくのやって来た道の方向とこの。森≠フ入り口の位置から判断すると、第三市の第六区をめざすには、ここからとりあえず斜め左へ入り、池に出くわすとその周囲をたどって右へ廻ったのち、まっすぐ前方の――北へと行けばいいようだ。
それだけ確認したぼくは、物蔭から出ようとして、ふと、ここの手洗い場の水が出ているのを認めた。
異郷の、それもこんなところの水をうかつに飲むわけには行かないが、水は水だ。ぼくは便所の中に入って用を足し、出てくると手だけでなく、顔も洗った。それから出て行ったのだ。
ぼくがとったのは、樹々の間に伸びている幅三メートルばかりの道である。便所のわきから二方向に分れていて、その右のほうがちょうど良さそうだったのだ。
しかしその道にしても、手入れなどされていないようで、草が茂っていた。両側が盛りあがっているので、道とわかるのである。
進んで行くうちに、ときどき道はふたつに分れたり、もっと細いわき道があったりした。樹々も少しずつ密度を増し、たしかに森という雰囲気になってきたのだ。ぼくは道が分岐するたびにそっと磁石を出して方向を見定め、適当なほうを選んだのである。
十五分ばかりも歩いただろうか。
樹々のかたまり合うかなたに、きらりと何かが光ったのだ。
水面だろうか。
そのようだ。
とすると、この先に池がある。
池に行き着きさえすれば、あとは地図によればかなり大きなその池の縁《ふち》を三分の一ばかり巡って、それから北に向かえばいい。
ぼくは進んだ。
相変らずドゥニネ姿の歩行ははかどらない。できるものなら、また使うつもりで丸めて抱え込むとしても、布切れを外して行動の楽な連邦軍の制服に戻りたいところであった。が……何が出てくるかわからぬこんなところではそれもならず、とぼとぼ進むしかなかったのである。
とにかく池へ――。
また七分か八分行ったところで……しかしぼくは、道の行く手に綱が張られ、そこに字を書いた札《ふだ》がぶらさがっているのに遭遇したのだ。
ぼくは、ダンコール語をある程度話せるようになっていたものの、ご存じのように文字はろくに読めなかったから、その札にどういう事柄がしるされているのか、知ることはできなかった。できなかったが……札が手作りらしいやや歪《ゆが》んだ形の板で、文字自体も乱雑で大きいところから察すると、行政機構の正式の表示ではないのであろう。誰かが勝手につるしたものに相違ない。
そして、こういう勝手に出された札というのは、しばしば危険な意味合いを持つのだ。綱が張られて道を仕切ってあることを考え合わせると、通行を禁止しているのではあるまいか。へたに通ろうとすると……。
ぼくはそこで、ひやりとした。
札の出ている道のむこう、樹々の蔭で人間が動いたように見えたのである。
それも、ひとりではない。
二、三人が、樹々の蔭に身を潜《ひそ》めてこちらを窺っている気配なのだ。
どうも、尋常ではない。
どういうことになっているかわからないが、このぶんではこのまま先へ行くのは止したほうがいいだろう。
ぼくは、きびすを返した。
だいぶ戻って……わき道のあるところ迄来た。
そこから、ぼくは細いわき道に入った。
廻り道になるけれども、適当に新しい道を選んで行けば、池に出られるだろう、と、考えたのである。
途中でぼくは、元のような幅の道を見つけ、そっちを行くことにした。
が。
しばらくして、池の水面らしいのが光った頃に、またもや張り渡した綱と札が出現したのだ。
しかとはわからないものの、その先にもさっきのような連中が潜んでいるのではあるまいか。
ぼくは引き返し……一番手前のわき道に入った。
磁石を出して方角をたしかめると、どんどん左へとずれていることになる。
これでは、池へはとても行き着けない。
あの連中は何だろう。
何のために綱を張り札をぶらさげて、道をふさいでいるのだろう。
ひょっとするとかれらは、森の中のどこかを占拠しているのかも知れない。もちろん不法占拠だろうが……今のネプトではそんな連中を追い払う余裕も力もその気もないということではあるまいか。
それに、と、ぼくは思った。
そういう不法占拠をするのなら、水のある場所がいいはずだ。つまり……池を押えれば好都合ということになるだろう。だから仲間以外の人間を池に近づけまいとしているのではないか。
だが、それではぼくは池に行き着けないのである。
別のコースを考えなければならないことになる。
しかし。
ぼくはそのとき、気づいていたのだ。
足音がついてくるのである。
後方から、間を置いてつけているのだ。
後方だけではない。
右手の樹々のかなたにも……そして左手のほうでも……何者かが、ぼくの歩みに合わせてついてくるのだった。
ぼくが歩きつづけるうちに、右手の足音はぼくを追い越し、右斜め前方に移った。移って……次には遠慮のない大きな足音を立てて、ぼくの前方へと廻り――姿を現わしたのである。
手に、ザコー・ニャクルが使っていたような幅の広い刀を持ち、ぼくの行く手六メートル位のところに立つと、わめいたのだ。
「食べるものを持っているだろう。出せ!」
前方の男がわめくのとほとんど同時に、左手からも短剣を握った男が出てきて、二メートルほどの距離を保ちながら、のっそりと突っ立った。そして後方の足音がとだえたのは、そいつが何を持っているのかは知らないけれども、退路を扼《やく》したということであろう。
ぼくは足を止めた。
頭巾を深くかぶり布切れをまとってたたずみながら、ぼくは顔をしかめていたと思う。
こっちは急いでいるのだ。
ここで争いなんかして、時間をとられたくない。
――というような念が湧《わ》きあがってきたのも、実はその裏に、自分はレーザーガンと伸縮電撃剣を携行しており、使おうとすれば超能力迄使えるのに、相手は三人きりで、しかもこっちがドゥニネ姿のせいか、威嚇すればすぐいうことを聞くだろうといいたげなゆるんだ構え方をしている、との意識が余裕をもたらしていたせいだろう。
だが、見くびってはいけない。油断が命取りになるかもわからないのだ。
なろうことなら争いなどしたくないが……自分の食べものを渡すのは困る。
また、ぼくは別にこんなところでおのれの名誉にこだわる気はなかったから、逃げ出してもいいのだが……逃げ出すとすれば、まず身にまつわるこの布切れを外さねばならず、そんなことをしている暇があるかどうか怪しいものである。それに、相手の今の配置では、逃げるとしたら右手の樹々の中へということにならざるを得ない。そちらには池があるのだから望むところに相違ないものの、道のあちこちに綱が張られ札がさがり、得体《えたい》の知れぬ連中が潜んでいるはずなのだ。
とすると、この三人は、さっき見かけたそんな連中の仲間で、ぼくをそっちへ追い込もうというのか? それとも別のグループで、たまたまこんな格好で道をふさぐことになったのか?
わからない。
が……ともかく、逃げ出すのもあまり得策ではなさそうだった。
「出さんか! ぐずぐずするな! 殺されたいのか?」
前方の男が幅の広い刀を突き出しつつ、無造作に歩み寄ってくる。
ぼくは左へと半旋回しながら一歩、二歩と後退した。後方に居る奴を確認し、かつ、おのれの背後に誰もいないかたちにするためである。
後方の奴が視野に入った。
男で……初めに行く手をさえぎった奴と同じような、幅の広い刀を持っている。
そのことを見て取ると共に、ぼくは忙しく思考をめぐらしていたのだ。
こうなっては、応戦するしかない。
たたかうとしても、レーザーか剣か。
レーザーなら確実に相手を倒せるが、そこ迄する必要があるだろうか?
それに、エネルギー倉のエネルギーには限りがあるのだ。できるものなら消費したくない。
のみならず……ひとたびレーザーガンを使えば、相手はたちまち警戒するだろう。この三人を倒したとしても、もし仲間がどこかから見ているとしたら、その連中が大勢で慎重に遠巻きにして襲ってくることになるかも知れない。そんな連中はまた、レーザーガンというような武器は何としてでも手に入れたいと考えているかもわからないのだ。
といって、伸縮電撃剣を使うには、布切れをつけていては自由がきかない。布切れをとれば連邦軍の制服丸出しになってしまう。こっちが連邦軍の兵士だとわかれば、相手は本気になり死に物狂いになって打ちかかってくるか、応援を呼ぶとかするのではあるまいか。
ぼくは、こんなことを考えなくても良かったのかも知れない。何も思わずに布切れをかなぐり捨て、レーザーガンででも伸縮電撃剣ででも応戦していれば、それで良かったのかも知れない。なのに……なまじ余裕の感覚があったから……おのれがドゥニネ姿だとの自意識もあった
から……そんなためらいが生じたのである。
ぼくのそのためらいのうちに、三人はぼくに近づいてきた。初めに行く手をさえぎった男が、さらに踏み込みながら、刀を振り上げてどなった。
「出さんか!」
ぼくは反射的に、刃の下になるはずの位置から跳びのこうとして――足がもつれた。
しりもちをついた。
初めの男が、ぼくの顔に刃先を突きつけた。
「さあ、出せ。食べものをよこしたら、命は助けてやる」
ぼくは、精神を集中した。
念力で目の前の刃を外し、刀を持っている手首に高速で重い衝撃を与え、ほとんど自分で考えないままに、そいつを思い切りむこうへ突き――間髪《かんぱつ》を入れずその両脚の後方に障害を作ったのだ。そいつがあおむけに倒れるのを見届ける間もなく、ぼくは、短刀を持った奴の眉間《みけん》へ、つづいてもうひとりのみぞおちへ、激しい突きを入れた。
ぼくが立ちあがったとき、後頭部を打った初めの男は頭を振りながら斜めに上半身を起こそうとしていたし、あとのふたりはその場に悶絶《もんぜつ》していた。悶絶したふたりには何がおこったのか見当もつかなかったに違いない。
が。
上半身を起こした男が、ぼくに目の焦点を合わせると叫んだのだ。
「貴様、エスパーか!」
声と思念が一緒になった叫びだった。叫ぶや否や男は、取り落とした刀を拾おうと動きだしたのだ。
ぼくはそいつのみぞおちに、決定的な念力の突きを食わせた。
男はうつぶせに倒れた。
ぼくはその場を離れ、道の左方の樹々の中に入った。左へ行くのは大廻りになりそうだったけれども、右方の道々に綱が張られ札が吊られ、そのあたりに怪しい連中が潜んでいることを思えば、そうするのが賢明だと判断したのである。
樹々の間に踏み込んだぼくは、しばらく歩いてから周囲を見回し、どうやらひと気がなさそうだと見定めると、それでも用心のために大きな樹の蔭に行った。そして、たしかに暗くなりはじめている光の中で目をこらし、地図と磁石を見くらべたのだ。
自分の位置自体がはっきりしないので、しかとしたことはいえないが、このまま北へ行けば、当初そのつもりだった第三市第六区からはだいぶ西になるけれども、ともかく第三市に入ることは入れそうである。
ぼくはまた歩きだした。
急こうと努めるものの、しかし、道ではない樹間をドゥニネ姿で進むのは、予期した以上に厄介なのだ。
それに耐えて足を動かしながら、ぼくはやはり、今しがたの仕儀を反省せずにはいられなかった。
仕儀というよりは、失態であろう。
ためらったあげく、足をもつれさせてしりもちをついて、刀を突きつけられて……ぼくが超能力を使えない身だったら、殺されるか、殺されないとしても食べものに荷物、武器迄奪われていたに違いないのだ。
もちろんそうなったのは、ぼくが、自分がいざとなれば超能力が使えると知っていたからであるが……ぶざまな話であった。おのれの優位を過信していたのであった。
それに、ドゥニネのこの布切れと頭巾にもとらわれ過ぎていたようだ。
気を引き締めよう。
それにしても……歩きにくいのである。しかも急がねばならないのに、このとぼとぼ歩きではどうにもならない。
いっそのこと、裾《すそ》を持ち上げたらどうだろう。
ぼくは、そうしてみた。
歩き易くなったのは本当である。
が。
当然ながらこれでは、制服の膝から下が見えてしまうのだ。となれば、何のためにドゥニネの頭巾と布切れを身につけているのかわからない。
それだけではなかった。
もっと重大なのは、これでは両手が使えないということである。ぼくは肩から掛けたバッグのほかにも荷物を持っているのだから、似たようなものではないかといわれるところだが、荷物はいつでも放り出せるのだ。しかしこれで襲われたら、裾を落として手を空けねばならず、そうするとまた行動の自由がきかなくなってしまう。
襲われたら……。
ぼくはつい今しがた超能力を行使したばかりである。短時間エスパー化して、だ。次にエスパー化するためには、力が貯えられるのを待たねばならない。少なくとも五分間はかかるだろうとシェーラはいったが……とするとまだ今はエスパー化不能かも知れない。かりに力が使えるようになっていたとしても、本来行使できるほどの力は発揮し得ないかも知れないのだ。
そのぼくがこの瞬間襲われたら……。
超能力抜きでたたかうしかないのである。
超能力抜きでは……このままではきわめて不利なのだ。
では――。
そこでぼくは、簡単なことに気がついた。
ドゥニネ姿をやめればいいのである。
ぼくはたしかにここ迄、ドゥニネ姿であることによって、巻き込まれたかもわからないいろんなごたごたから免れることができた、と、思う。
その意味では有難かった。
これからも、効用があるのではないか。
が。
そのプラスよりもマイナスのほうが大きくなっている現在、ドゥニネ姿をつづけるのは考えものであろう。ぼくは急がなければならない。いつ襲われてたたかうことになるかもわからない。それも超能力を使えないときを含めてである。となれば、連邦軍の制服のほうがずっと便利で機能的なのだ。連邦軍の制服を着ていることによって目をつけられようとも……それは仕方がないのであった。何もかも良いというわけには行かないのだ。
ぼくは頭巾をとり、布切れを外した。
それから考えたのは、これをどうするかである。このドゥニネ姿の服装一式を……また必要になるかも知れないので、丸めるか畳《たた》むかして持って行くべきであろうか?
だがそれは、着用していたときはさほどには思わなかったのに、まとめようとすると意外にかさばるのであった。シェーラたちが他の荷物と共に持って来てくれたのだから、そんなはずはないといわれても……ぼくには大き過ぎる感じなのである。ドゥニネたちは特有の畳み方を会得《えとく》しているが、ぼくにはそれができないということだろうか? それにシェーラたちは手など使わなくても、いつでも相手をやっつけられるのである。ぼくとは事情がことなるのだ。ともあれ……それはいくら小さく畳もうとしてもうまく行かず……これからおそらくは危ない渡り合いや素早い行動をしなければならないであろうぼくには、どうにも負担になりそうだったのである。
ぼくは諦めた。
折角持って来てくれたシェーラたちには悪いが、ぼくはそのドゥニネの服装一式を、その場に置いて行くことにしたのだ。そしてこれはひとりよがりかもわからないが、ぼくには何となく、彼女らがこのことを知っても理解してくれるのではないか、と、思えたのである。
それからぼくは、前よりは、かなり速く歩きはじめた。
といっても、大股の早足と迄はいかなかったのは……周囲を警戒しつつ進まなければならなかったのと、下生えに足をひっかけるおそれがあったからだ。
また何分間か行くうちに、ぼくは、細いがちゃんとした道に出た。
その道をたどれば歩行そのものは、うんと速くなっただろう。
だがぼくは、道を越えて再び樹林に踏み入った。道を歩くということは、それだけ他人に見つかり易いはずだ。その結果さっきのようなことになったら、時間と体力を無駄遣いしなければならない。いや、行く手をさえぎられたり包囲されたりする位ならいいが、どこかから狙いをつけられ撃たれでもしたら、厄介千万である。また、そんなことがないとは断言できないのだ。今のぼくはもうドゥニネ姿ではなく、戦闘能力を有するのを意味する連邦軍の制服姿なのだから……ぼくを襲うとしても、直接たたかうことは避けて、離れた場所から仕留めようとする者があってもおかしくないのである。――といった懸念《けねん》も懸念だが……そもそもその道が第三市に通じているかどうか不明(シェーラの呉れた比較的大まかな地図には、そんな小道迄は記載されていなかったのだ)である以上、歩行が楽というだけでそこを行くのは、安易に過ぎるといわなければなるまい。少々歩きづらくとも磁石が示す方向へ進むべきだ、と考えたからである。
歩くうちに、頭上に樹葉が茂っているのを割り引いても、すでに黄昏《たそがれ》どきになりつつあるようであった。薄暗さが少しずつ重なりはじめ、視界も小さくなってきたのだ。
だが、進むほかはない。
ぼくは、ともすれば頭をもたげてこようとする焦りを抑えながら、歩きつづけた。
と。
どこか……どうやら斜め右の方角の遠くから、叫び声が流れてきたのだ。女の悲鳴のようであった。
ぼくは立ちどまり、耳を澄ませた。
つづいて、あきらかにひとりではなく何人もの声があった。男と女の両方が入り交じっているようで、怒号や哄笑《こうしょう》、それに悲鳴と思われたのだ。
が、十数秒のうちに、それはやんだ。
今のは……何があったのかは知る由もないが……何かの争いか騒ぎであろう。そんなことがおこっても不思議はないのである。さっきはぼく自身が襲われかけたのだ。
そして、そうしてたたずんでいると、風の音や葉ずれにまじって、いろんな声が聞えてくるようであった。あちこちにいる人々の不穏の気配――とでも形容すべきであろうか。歩いているうちは自分の足音のせいもあって、よくわからなかったが……そうなのである。
ともあれ。
ぼくは歩行を再開した。
今のが、ぼくの進行方向でなかったのはたしかであるが……だからといって、行く手に何が出てくるか、わかったものではないのだ。
もうまぎれもない夕闇だ。
そのとき、ぼくはまたもや声を聞いた。
とぎれとぎれの……気のせいか樹葉の上の天から降ってくるような声である。
それが、だんだん近くなってくるのだ。
小さくなったり切れたりするその声が、しだいにつながってくるうちに、意味を持ちはじめていた。
ダンコール語である。
「……持って来て下さい。われわれの撒《ま》いたビラを持って……。……がなければ、なくても構いません。わが軍は保護します。あなたの生命は保障され……」
それは……。
ぼくには、それが何であるかわかった。
あの物体だ。
ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと共に山を下ってネプトに向かおうとする途中に見た、そして、睡眠をとった無人のビルの窓から仰いだ、あれなのである。空を占拠するようにして移動して行くあの黒い物体、ぼくがウス帝国の艦艇と確信している、あの飛行体なのである。
「なぜ、無益なたたかいをつづけるのですか……ネプトはこのままでは……」
声は近づいてきた。「あすは電気もとまります。……はやめましょう……。ウス帝国こそ正統な世界です……」
ぼくは頭上を仰いだ。
茂る樹枝や樹葉がくろぐうとひろがる頭上には、空はほとんど見えない。いや、樹枝や樹葉がなかったとしても、暮れた濃青色の空の中では、ろくに見てとることはできないのではあるまいか。
だが。
そうではなかった。
樹枝や樹葉の間から晃えるきれぎれの空には、いくつものあかりが点滅していたのだ。白と赤と緑と、それに黄色もあった。ぼくが仰いでいるうちにもそれらは移り……何百というあかりが、それぞれはだいぶ隔たっているにせよ、明滅しているのであった。
飛行体は、あかりをともしているのだ!
それがどの位の高さにあるのか、ぼくには見当もつかないが……自己の所在をあきらかにし、それも派手な色灯を何百も点滅させて動いているのである。
そういえば、あのビルの窓からぼくが飛行体を眺めたとき、飛行体に対して何十本という白光が射出されていたが、飛行体には何の効果もないようだったのだ。
こちらの攻撃が無効だとすれば……飛行体が夜でも所在をあきらかにしているのはおかしくない。
むしろ飛行体は、そのことを見せつけようどして、あんなあかりを点滅させているのではあるまいか。圧倒的優位であることを示そうとしているのではあるまいか。
そうとしか思えない。
その飛行体からの声は、今はもう明瞭にぼくの耳に届いていた。
「ネプトは、完全な包囲下にあります。あすは電気もとまります。あすの朝からは電気は送られてこなくなります。ネプトはじきに地獄になります。いや、もう地獄は始まっているのです。無駄な抵抗はやめましょう。ネプトーダ連邦の総府は、すでに降伏を決定しています。降伏を妨げようとする一部の勢力があって、みなさんにこれ以上の犠牲を強いようとしているのです。生命は大切です。平和のために、ひとりひとりが降伏の意志を示してくれればいいのです。われわれの撒いたビラを持って来て下さい。ビラがなければ、なくても構いません。わが軍は保護します。あなたの生命は保障されます。あなたの命を守るのはあなた自身なのです。あなたがネプト市民であろうとなかろうと、ダンコール人であろうとなかろうと、軍人や警察官であろうとなかろうと、降伏すればわれわれは保護します」
ゆっくりしたやわらかな調子のその声は、また遠くなりはじめ、声も小さくなったり歪んだり切れたりしはじめていた。
「……をつづけるのですか。ネプトは……では……あすは電気も……ウス帝国こそ……です……」
明滅する色とりどりの灯も、ほとんど見えなくなった。
身の安全のために本能的に太い樹の幹に寄りかかるようにして立っていたぼくは、樹から離れた。
あの飛行体は、ああしてときどき投降を呼びかけているのであろう。それも、自分たちが完全な優位にあるのを誇示し、戦争が事実上終結したと地上の人々に信じ込ませるために飛んでいるのであろう。そして、今のぼくは落ちてくるのを見ることはできなかったが、あのビルの窓から眺めたときのように、降伏勧告ビラを撒いているのに違いない。
だが。
ぼくにはかかわりのないことであった。かかわりがないとしなければならないのであった。ぼくは自分の隊に合流しなければならぬ。それからどうなって、どんな命令を受けるのか……ぼくには何もわからないが、当面のぼくの義務はそうなのだ。
ぼくは歩いた。
歩きながらも、ことに頭にひっかかっていたのは、あの飛行体から流れてきた、あすは電気もとまるとの言葉である。それはたしかに、昨夜ぼくが読んだ投降勧告文には、あさってには電気もとまります、と、あった。そのもう少し前の、ネプト第一市に入ったとき、ザコー・ニャクルの学校のゲネント先生も、敵は明後日には電力も断つと宣言しているようだ――といったのである。それから第二市に入ったぼくは、あのビルの中で横になりながら、そのことを考えたのだ。
が……こうして夜に入り、次の朝には電気が来なくなるのだと思うと、いよいよ切迫した気分になるのであった。おそらく第三市は現在でも混乱し、秩序は乱れているであろう。第二市でもあんな風になってきていたのだから、第二市よりも人工化が進み複雑になっている第三市は、もっとひどいに違いない。それがさらに電気もとまってしまうとなると……先端的な設備や施設、大がかりな装置はどうなるのだ? 滅茶《め ちゃ》苦茶《く ちゃ》になるのではないか?
いっておくが、ぼくはこのとき、ネプト第四市のことを考えなかったわけではない。第三市よりもさらに高度化した都市である第四市は、さらにさんたんたる状態になるはずなのだ。が……ぼくが当面めざしているのは第三市であった。第三市にいるはずのカイヤツ軍団なのであった。そこでうまく軍団に合流できるかどうかが、ぼくにとっても最重要事なのである。
電力が断たれた第三市は……? そこに駐屯しているというカイヤツ軍団は……? どういうことになるのだろう。
そして、朝とは、何時頃なのであろう。
しかし。考えてもせんのないことであった。ぼくは、そう、第三市へと急ぐしかないのであった。
ぼくは進んだ。
すでに夜である。
警戒し、足元に気をつけるばかりでなく、樹々をさぐるようにして行くのだから……速度はむしろ落ちた。
こんな状態で、もしもぼくが磁石盤を持っていなかったら、とうに道に迷ってしまっていたに相違ない。ぼくはときどき足を止めては、方向を確認した。しかしそのためには細心の注意を払ったのも事実である。磁石を覗《のぞ》こうとするときには、まず自分の動きをとめて周囲の様子をさぐり、近くに人の気配がないのをたしかめ(それでも森の中には、風や葉ずれにまじりながら、どこかで何かが動いている感じがあったのだ。前にも聞いたような叫び声や悲鳴を耳にしたことも一再ではなかった。疑いもなく森の中にはいろんな人間がおり、危険に満ちていたのである。ぼくがさぐったのは、自分の周囲のごく小さな空間だけであり、その範囲内に限っての安全を期したに過ぎない)それから、不意に襲いかかられる心配のない場所を選んでしゃがみこみ、脱いだ上衣で光が外に洩れないようにしながら、点火具で磁石の針を見たのだった。そんな具合だったから、ぼくがまっすぐ北をめざしていたのは幸運だったといえる。これが東北東とか、南南西とか、あるいはもっと微妙な方角だったら、方向を見定めてそっちへ進むのは、きわめて困難だったろう。
そして。
このようなやり方で、いわば強引に森を突っ切ろうとしていたぼくが、はじめの三人の男以後、いずれ述べることになる一群の連中に出会う迄、誰にも出くわさなかったのは……ぼく自身にも、なぜなのかよくわからないのだ。
ぼくが、ときどき道を横切ったとはいえ、三人の男との争いがあったあとは、ずっと樹間の道のないところを歩いていたためか?
それとも、ぼくが通ったコースというのが、この森の中に入り込みたむろしている連中もあまり来ない地域であり、かつ、森を抜けようとする人々の道筋とも離れていたということなのか?
あるいは、黄昏どき迄はともかく、それ以後は夜蔭の中だったので、ぼくが誰も見掛けなかったと同様、近くを通る者にもぼくが見えなかったのか?
さらにまた、誰かがぼくの存在に気がついたとしても、先方がぼくを避けたというわけか?
でなければ、全く偶然、そうなっただけなのか?
わからない。
それにひょっとすると、ぼくの通ったあたりには、死体か何かあったのにもかかわらず、ぼくが知らなかったということだってあり得る。
とにかく、理由は不明ながら、ぼくは誰にも出くわすことなく、夜の前進をつづけたのだ。
さて。
これはだいぶ前にいったはずであり、しかも繰り返すほどの事柄でもないのだけれども……物事というものは、まだかまだかといった気分でいる間はなかなか終らず、耐えることに慣れてあまり感じなくなったときに、待っていたものがふわりと到来する例が多い。
このときも、そうであった。
ふと気がつくと、何となく樹々の間隔がまばらになっていたのである。
どうやら、第三市にはもうすぐなのではあるまいか。
さらに進むうちに、樹間は一層まばらになったようだ。
しかしぼくはそこで、思いがけないものを目にしたのである。
樹々の間のかなたに……ということは、樹々がシルエットになって見えてきたことでもあるが……赤、というよりオレンジ色に近い光が、揺れているのであった。
あれは……火ではあるまいか。
火とすれば……焚火《たきび》だろうか?
昨夜第二市で見たスパ軍団の一隊の焚火と同じ感じなのだ。
焚火とはまた、大胆なことだ――と、ぼくは思った。
こんな、誰が何をしているかわからぬような森の中(というより、そのはずれにさしかかっているのかも知れなかったが、それでも事情は変らないであろう)で焚火をするなんて、みずから所在をあきらかにし、標的になっているようなものである。
それともあれは、襲われる側の人々などではなく、襲う側の連中なのかもわからない。だったら、そんな真似も平気でできるわけなのだ。
とすると、うかつにその傍へ行くのは危険であろう。
だがその光は、ぼくが進んで行く北の方向にあるのだ。
迂回すべきだろうか?
できることなら、これ以上の廻り道はしたくなかった。
とにかく、様子を窺うべきだろう。それからどうするかを決めればいい。
ぼくは、用心しながらそっちへと進みつづけた。
そのうちに、樹間はいよいよまばらになり……ぼくは、むこうから発見されないように姿勢を低くし、樹の蔭から樹の蔭へと身を移して近づいて行ったのだ。
あと五十メートルほどというところ迄来ると、そのやり方ではそれ以上の接近ができないのがわかった。なぜなら、そこから先にも樹々があることはあるが、基本的には広場になっていて、もはや林ではなくなっていたからである。
たしかに広場であった。
中央あたりに建物があり、石像らしいものもあちこちにいくつか浮かびあがっている。
焚火は、その建物からそれほど遠くない場所でなされているのだ。
大きな焚火だった。
下から下から新しい炎が湧きおこりからみ合い、火の粉が舞いあがって行くのである。
焚火の光を浴びながら、五、六人が建物を背にして、何か喋っているようだ。居るのはそれだけではなかった。建物から出てきたり、そのあたりを歩いたりしている者もいて……どう見ても十人以下ということはなさそうである。
が。
ぼくは、そちらをみつめていた目に、さらに力を入れた。
あの服装は……連邦軍の制服ではないのか?
ここからでは、どこの軍団か識別できないが……いや、例え傍に行ったところで、それがどこの軍団なのかということは、自分のカイヤツ軍を除いては、すぐには識別できない。ぼくは一応ネプトーダ連邦各軍団のしるしを教えられたけれども、戦闘用の制服では各隊ごとのマークが優先し軍団のしるしはついていないか、ついていたとしても目立たぬところにあるので……旗でも立っていない限り、なかなかわからないのだ。だからぼくは、焚火をしているのがどこの軍団か、自分の目でたしかめることなど、はじめから念頭になかったので……ともかくかれらが連邦軍らしいという、そのことだけで充分だったのである。
連邦軍なら……。
連邦軍なら、ぼく自身もその一員なのだから、無茶なことはしないだろう。それどころか、第三市への道や、うまくすれば第三市に入ってからの第六区への近道を教えて貰えるかも知れないのだ。ぼくはシェーラたちが呉れた地図を持っており、地図には道順が示されていたものの、ぼくはその道順を大きく外れて来たのである。
とはいえ、気安く近づいて行くのは、やめたほうがいい。先方だって警戒しているだろうし、どんな命令を受けているかもわからないのだ。近寄る者はすべて射殺せよといわれていることだって、あり得ないとはいえない。それに……かれらが脱走兵だということも考えられる(ぼくがそんな疑念を持ったについては、これ迄のぼくの見聞がそうさせるに至ったのだということで、納得して頂けるのではあるまいか)。脱走兵だとしたら、ぼくに対して敵意を抱くかも知れないのだ。
とすると……。
ぼくは思案し、事態がどっちへ転んでも対応できる方法をとることにした。
つまり、広場の中へあっさりと入っては行かず、いつでも林に逃げ込めるように、少し林を出たところで、両手を上げて突っ立ったのである。その両手も、肱《ひじ》を半分曲げたやや中途半端な上げ方でだ。その格好で、先方がこちらを認めるのを待ったのだった。
焚火からちょっと離れた場所にいたひとりが、こっちを指さし仲間に呼びかける迄五秒もかからなかったのは……かれらが見掛けほど気楽にしていたのではなく、ちゃんと周囲を警戒していたのを示しているのであろう。もっとも、焚火のすぐ前に居た連中がぼくに気づくのが遅れたのは、やはり、明るい火を眺めている人間には、くらがりにいる者がなかなか見えないということだったのに違いない。
ぼくを指した人物は、焚火の前から出てきたもうひとりと一緒になり、レーザーガンを抜いて構えながら、こっちへやって来た。だがそれは十メートルかそこいらで、ふたりはそこで立ちどまり、ぼくを観察したのだ。
それからふたりは何事かささやき合い、ひとりがぼくを手招きしたのである。
「こっちへ来いよ!」
もうひとりがどなった。ダンコール語だった。
ぼくは両手を半分上げたまま、ゆっくりと出て行った。
かれらと六、七メートルの距離迄来たとき、ふたりはレーザーガンをホルスターにしまい、ぼくに手を下ろすようにと身振りで合図をした。
ぼくは手を下ろした。
すると、ひとりがくるりと背を向けて、焚火のほうへ歩きだしたのだ。
もうひとりも、もう一度ぼくを手招きしてから、これも背を向けて歩いて行く。
ぼくは、その後をついて行った。
ふたりが簡単にぼくに背中を見せて歩きはじめたというのは、いかにも不用意で無防備なやり方だと思う人がいるかも知れない。
だが、相手にとっては、それでいいのであった。他の連邦軍の制服たちは、ぼくに視線を集めていたのである。ぼくが妙な行動をおこしたりしたら、その連中がいっせいに反応し、ぼくを撃ち倒したであろう。
ぼくは、焚火の傍に来た。
初めのふたりと、それに焚火の前にいた連中が、ぼくの両横に立った。とはいっても、ぼくを監視する風ではなく、並んで焚火をみつめる態度だったのである。
「ひとりか?」
ぼくの右にいた男が、焚火に視線を向けたまま、これもダンコール語で問いかけてきた。準幹士の階級章をつけていた。
「そうであります」
ぼくは、上級者に対する礼儀を守って、やはりダンコール語で、きちんと答えた。
「どこへ行く?」
と、相手。
「第三市へ行くつもりであります」
ぼくは返事をした。
「第三市?」
左側にいたのが、妙な顔をしてぼくを見やった。「今頃から第三市へ行って、どうするつもりなんだ?」
ぼくは説明しようとして……だが、すぐには言葉が出てこなかった。そいつはぼくより下の主個兵だったのだ。なのに対等な口のきき方をしたので、一瞬|戸惑《とまど》ったのである。かちんときたといってもいいかも知れない。そんなことにいちいちこだわるのはおとなげないといわれそうだが、それだけぼくには軍隊の階級の感覚が身にしみついていた――ということである。
「用があるのか?」
準幹士がまた問うた。
「自分の隊に合流するつもりであります」
ぼくは答えた。「私は自分の隊とはぐれました。自分の隊のあるカイヤツ軍団が第三市にいると知ったので、そちらへ行くのであります」
「よせよ、そんな言葉遣いは」
準幹士はいった。「ここでは何も階級にこだわることはない。そんなことはもういいんだ。なぜなら、われわれは脱走兵で、降伏するつもりなんだからな」
「…………」
ぼくは沈黙した。
見よう見まねで覚えてきたダンコール語での、ぼくの上官に対するいい方が、本当に上官用のものになっていたかどうか、自信はない。が……先方がそういう位だから、一応格好がついているか、ついていないにしても非礼にはなっていないのであろう。
だが、まあ、そのことはいい。
大したことではないのだ。
それよりも……ぼくは今の準幹士の言葉に半ばはぎくりとし、半ばはやっぱりそうなのか――との気がしたのである。
ぎくりとしたというのは……ぼくはそういうことがあると以前から話を聞いていたし、現在の情勢を考えればそうする者も少なくないだろうと想像していたものの……現実に脱走兵が存在し、しかもそれが眼前にいると知ったからである。
同時にぼくは、最初に手招きされたときや、その後の何となくしまりのないかれらの様子、なかんずく左にいる主個兵が個兵長であるぼくにあんな喋り方をしたことから……うすうすと、そうではないかとの印象を受けはじめていたのだ。いわれてみると、やはり、と思ってしまったのであった。
脱走兵。
それは軍隊にあっては、許されざる存在である。死刑にされても文句はいえないのだ。また、ぼく自身の気持ちとしても、そういう人間には軽蔑と憎悪を向けないではいられないのである。
そのはずであった。
そうでなければならないのだ。
にもかかわらず、ぼくがそのとき意外に平静で、そういうこともあるのかという気分になったのは……腹立ちや軽蔑も、ないわけではなかったが、それほど強くなかったのは……奇妙なことであった。相手を罵倒してしかるべきところなのに、そこ迄することはないという気分もあったのは……おかしな話である。これ迄のさまざまな経験や思考のうちに、ぼくの中では何かが変っていたのかも知れないが……しかし今は、それを追求するときではないのであろう。
「脱走兵などというと、きみは嫌悪の念を抱くだろう」
準幹士のむこうにいたのが口を開いた。驚いたことにそれは将校――主率軍だったのだ。
「何なら、われわれをどなりつけてくれても構わない。だが手は出さないでくれ。われわれは自分たちを守るためにきみを殺すことも辞さないからな」
「…………」
「しかし、考えてもみるがいい」
主率軍はつづける。「すでに連邦軍というものは実質的には存在しなくなっているんだ。どの軍団もばらばらで、戦力もなく、勝手に動いている。そんなときに、脱走兵とかそうでないとかが、それほどの問題だろうか? いずれにしろ、この上抵抗をつづけるのは犠牲者を増やすことになるだけだ。われわれは諦めたんだよ」
「きみがどう考えようと、それは自由だ」
準幹士がいった。「しかしわれわれは……どこの軍団だかはいえないが、自分たちのネイトに帰りたい。帰るためには、降伏しかないのだ。われわれは敵のビラを集め、それぞれが持っている。それだけのことだ」
「きみに情報を与えよう」
主率軍がまた喋りだした。「聴いてくれるだけでいい。信じようと信じまいときみの自由だが」
「…………」
「われわれはウス帝国について、いろいろと教えられた」
と、主率軍。「だが実は何も教えられなかったに等しいのではないか? ただもう残虐非道な、他の星間勢力を徹底的に支配する大帝国、というだけではなかったか? 敵についてそう信じさせるのはよくあることで、ネプトーダ連邦もそれを踏襲していただけだとは思わないか?」
「…………」
「私が得た情報によれば……いや、情報源は話すわけにはいかないけれども……ウス帝国というのは、そんなものではないらしいのだ。秩序ある社会を守り、平和で豊かで、それなりに人々は自由を楽しんでいるらしい。ネブトーダ連邦とは社会の基本概念がことなるところもあるが、まるで違うというわけではない。それにウス帝国の基本は、人類文明の主流を継ぐ、つまり正統派の文明なのだ。だからこそ、しだいに他の星間勢力にも理解され、影響力を与えているわけだ」
「われわれは、欺《だま》されていたらしいよ」
主個兵が、言葉をはさんだ。
「彼のいう通りだと私も思う」
準幹士が引き取った。「だとしたら、むしろウス帝国と手を握り、正統派文明の社会を築くのが、われわれの義務であり権利ではないかな。われわれはそう考えて降伏するのだ」
「…………」
ぼくは黙っていた。
傾聴していたとはいわないが、一応、聴くことは聴いていたのである。
そして、かれらの言い分も一理あるのは否定できなかった。ネプトーダ連邦の人間であり連邦軍の戦闘員だとの感覚を捨て、見方を変えれば、そういう論も成立するのだ。
だが。
話のそんな内容とは別に、ぼくはしだいに疑念が生じてくるのを覚えていた。
連邦軍のメンバーたる者が、そうあっさりと考え方を変えられるものか?
それに主率軍の得た情報とは何だ? どこから得たのだ?
まだある。
準幹士は、自分たちがどこの軍団かはいえないが、自分のネイトに帰りたいといった。とすればかれらはネイト=ダンコールの人間ではないことになるが……そのかれらがみなぼくよりも達者にダンコール語を操るのは、どういうわけだ?
どうも変なのである。
どうも、ふに落ちない。
「きみも考え直したらどうだ?」
準幹士がいい……建物から出てきたひとりが持って来た紙片を受け取って、ぼくに差し出した。「何かの役に立つかも知れないから、持っていないのなら、進呈しよう」
ぼくは手にした。
ビラであった。
投降勧告文をしるしたあのビラなのだ。
内容は、同じではなかったかも知れない。字の配置が昨夜読んだものとことなっていたからである。電気があしたとまるとあるのを見ると、きょうのためのビラであろう。
「持って行けよ」
主個兵が笑ってみせた。
こんなもの――と、ぼくは突き返すべきところであったろう。だがそうするとこの連中がどう出るかわからない。
それよりも……とっさにぼくが考えたのは、これがきょうのビラらしいということであった。
こんなものを……建物から持ってきたというのは、かれらがそれをたくさん集めていることではないか……集めようとしてそう簡単に集まるものであろうか? そこに思いをめぐらすと……ぼくは、かれらが何者なのかを知らなければ、対応をあやまると感じたのだ。
ぼくは、紙片を読むふりをしつつ、精神を集中した。
にわかに波がかぶさるように、かれらの思念が重なり合いながら、どっと流れこんできた。
受けとめた。
分解して、読もうとした。
…………。
ぼくの顔色は変っていたに違いない。
そこにあるのは、そう、何か違うものだったのだ。むろん、人間の思考であり感覚であるから、その意味では思念に相違ないものの……根底にあるものが、ぼく自身や、ぼくがこれ迄読んだ他人の意識とは、あきらかに異質だったのである。社会についての感覚、戦争やネプトーダ連邦についての見方が……構造も把握のしかたも別物だったのだ。ぼくには何のことかわからぬ概念や、異様な物体があり、そうしたもろもろの表層に、使命感ともいうべきものや、ぼくに対する警戒の念があった。ある者は、こいつは受け取るだろうか、受け取らなければ殺したほうがいいのではないかと考え、ある者は、この敗残の敵兵が、と、思っていたのである。
そうなのだ。
これは、ネプトーダ連邦の人間の意識などではない。
かれらの頭の中にあるのは……ウス帝国なのだ。
こいつらは、ウス帝国の人間なのである。
そう悟ったぼくは、しかしそこで、ビラを手に何度か頷《うなず》いてみせたのだ。
ぼくの顔色が変ったのは事実のようで……だがかれらは、それをぼくが投降勧告文の中の何かによって、動揺した……と、解釈したようである。ビラを読んでいるときにエスパー化したのは、僥倖《ぎょうこう》だったというべきだろう。そして……こうなったら、こういう場に置かれているとあれば、とにかく先方の望むような言動を示すのが安全だ、と、考えたのである。
「そうなのかも知れないな。考えてみよう」
と、ぼくはいった。「しかし、ぼくは自分の隊の仲間に、だいじなものを預けてあるんだ。合流する本当の目的はそれなんで……やっぱり行かなくちゃならない。それさえ返して貰えば……逃げ出すさ。話のわかる奴がいたら、そいつも誘ってね」
何を預けてあるんだと問われたら、ぼくは金とか女の手紙とか、適当に答えるつもりだった。肩をすくめるか何かして、である。そして、ちらりとそれを問おうという思念も感知したのだが、そいつは口には出さなかった。準幹士(を装っている奴、というべきであろう)が、かれらにとってもっと重要なことをいったからである。
「仲間を誘うなら、もう何枚かやろうか?」
「そうしてくれるか?」
ぼくは受け、さっき顔色が変っての先方の解釈を裏づけるべく、つけ加えた。「初めて読んだが……本当はこういうことだったんだな。読んだ奴はみな考え直すと思うよ」
さっき建物から出て来て紙片を準幹士(!)に渡したのが、予備も持ってきていたらしく、ポケットから四、五枚を出した。ぼくはそれを初めのと合わせて畳み、こっちのポケットに入れた。
エスパーの状態は、まだつづいている。二十秒やそこらはとうに過ぎたのに、なぜか消えていないのだ。だがもう終りだろう。ぼくは間に合うかどうか知らないが、その能力を使うことにした。
「第三市へはどう行けばいい?」
と、訊いたのだ。
「あっちだ」
二、三人が、ぼくのめざしていた方向を指した。
そしてその思念の中に、ぼくは、もっと詳細な道順をつかんだのである。それらの意識によれば、もう十分もかからないのだった。
この広場はどうやら、第三市から来る人々のためのものだったようである。そうと知ったときには、ぼくの能力は急速に衰え、消えて行ったのだ。
「有難う」
ぼくは礼を述べ、片手を振った。
「元気でな」
「しっかりやれよ」
何人かが声をかける中、焚火をあとにする。
だいぶ進んで……焚火は遠くなり、ぼくはまたもやくらがりを行くことになった。
あたりを警戒しながら、しかし、どうしても想念が浮かんでくる。
ひとつは、ぼくのエスパー化の問題だ。今回の短時間エスパー化が、二十秒どころではなく、少なくとも四十秒か五十秒つづいたのは、どういうわけだ? そのときどきによって幅があるということなのか? それともシェーラがいったように、短時間エスパー化を繰り返しているうちにぼくの能力は少しずつ鍛えられるという、そのあらわれなのか?
わからないが、当面は、最低二十秒位はつづくという、そのつもりでいれば無難なのであろう。
それよりも、今の連中だ。
かれらは、ウス帝国のメンバーで……ネプトに送り込まれてきたのか? ネプトの人々の士気を弱め降伏へと動かすために来ている工作員の、その一隊なのか? そうとしか思えない。ビラを空から撒くだけでなく、かれらはそこ迄やっているのだ。あの連中はネプトーダ連邦軍のいでたちをしていたが、それは、連邦軍の兵士たち迄が降伏しようとしている――との効果を、人々に与えるためなのだろうか? 念入りな、無気味でもあるやり方であった。こんなことがあちこちで行なわれているとあれば……たしかにネプトの内部崩壊は加速されるに違いない。
ぼくはそこで立ちどまった。
石垣だ。
石垣の上には柵があり、柵のはるか上方の空にはところどころ灯をともした巨大な、どこか歪んだビルがいくつもそびえているようだ。
ぼくは石垣に沿って歩き、上へ出られる階段が斜めに伸びているのを見つけた。
登る。
登り切ると、柵はぼくの胸位の高さで、階段に面した部分が切れており、左右に広い大きな通りが横たわっていたのだ。
やっと第三市に来たか――と思ったものの、ぼくは、それほどのよろこびは感じなかった。
道は、まだ遠いのだ。
ぼくが向かおうとしているのは、第三市の東北部にある第六区とかの、その中央あたりなのである。
第三市がどんな状態になっているか、これから嫌でも見ることになるが……混乱や騒ぎはひどくなって行く一方なのではないか? 第二市が時と共に無秩序化するのを、ぼくは目にしてきた。第二市よりもさらに人工化が進み複雑な構成になっている第三市は、もっと物騒な状況になっているはずだ。今後の時間の経過を考えれば、なおさらである。
その中を、ろくに第三市のことも知らないままに行かねばならないのだ。
たしかにぼくは以前、第三市を行き来はした。だがそれは、エレン・エレスコブの護衛員として、いわば引きずり廻されただけである。護衛が任務のぼくは、第三市をじっくり観察する余裕などなかった。だからぼくの頭に残っている第三市とは、さまざまな、ときには異様な形状の大きなビルが、互いに連結し合い、ごっちゃになり、立体化され、自走路が縦横に伸びていて、各階の整合性もないところから、うっかりすると自分がどこの何階にいるかもわからなくなる複雑怪奇な都市――という、雑駁《ざっぱく》な印象に過ぎなかったのだ。しかもそれは、第三市がちゃんと機能していたときの話である。今ではそんな記憶は第三市が複雑怪奇だという一点を除いては何の役にも立つまい。
しかし、泣き言をいっている場合ではないのだ。
進むしかない。
ぼくは姿勢を低くして、前方の様子を窺った。
夜空を領してそそり立つビル群、というよりビルたちの集合体は、案外と表現してもいい位、多くの灯をともしている。だがそれはかつてぼくの目を奪ったあの夜景――ちりばめられた無数の灯、壁面全部を占めて動く映像、遠近の極彩色の看板などによる妖美さとはほど遠いものであった。そして、その程度のあかりでは、およその輪郭も把握するのは無理で、ましてビル間の連絡橋やチューブなどは、どうなっているのか見て取るのは不可能だったのだ。
視線を、左右に伸びる広い通りに落とす。
その大通りが浮かびあがっているのは、左手の割合に近いところと、右手のずっとむこうのほうに外灯がともっているためであったが……先刻から車は一台も通っていない。ネプト市への物資補給が断たれているのだから、車を走らせる燃料・エネルギーも極度に不足しているはずで、車など走らないのがむしろ当り前なのだが、そういう広い通りががらんとしているのは、異様な感じであった。
いや。
ぼくは目をこらした。
左手の外灯からそう遠くない場所に、一台の車が駐車している。ライトをつけていないので、すぐにはわからなかったのだ。よく見るとそのかなたにも一台、さらに一台が駐《と》まっている。それがただの平和な駐車だとは、ぼくにはとても信じられなかった。こんな状況下なのだ。何らかの理由で放置されているのではあるまいか。
右に視線を転じて、ぼくは妙なものを認めた。遥かな外灯の光で、何かが盛りあがっているのが目に映ったのだ。何かを積みあげて道をふさいでいるのである。バリケードであった。のみならず、ぼくがみつめているうちにも、二、三人がそのバリケードの前を横切り、また反対の方向へと行くのである。あきらかに何かの目的で道をふさいでいるのだが、それが何のための警戒か、あるいは通りかかる者を止めて掠奪でもするつもりなのか、ぼくには見当もつかなかった。
とりあえずは、この大通りをまっすぐ渡るしかない、と、ぼくは判断した。あの第二市と第三市の間の森を、ぼくはシェーラが示してくれたコースよりもずっと左の、西寄りのところから北上して突っ切ったのである。第三市に来たとなれば、東北をめざして進むか、でなければいったん東へ東へと行き、それから北に向かうとしなければならないのだ。こういう東西に伸びる大通りがあれば、身をさらして道を歩くというような危ない真似は論外だが、大通りに沿うようにすれば比較的楽に東へ行けるわけである。が……あんなバリケードがあるからには、通りの近辺も見張られているだろう。この大通りを利用するのは当面諦めるべきであった。
左右に目を走らせてから、ぼくは低い姿勢で飛び出した。身を隠すものとてないそんな通りを渡るのは、できるだけ短時間にすべきだからだ。
それでもぼくは、例のバリケードの方角から、誰かがどなるのを聞いた。ぼくの動きに気がついた者がいたのだ。何をいっているのかはわからなかった。ぼくはたちまち大通りを渡り切り、飛び出した側にもあった胸位の高さの柵にたどりつくと、片手で体を支えて跳び越え――ひとまずその場にしゃがみ込んだ。
バリケードのほうから人が走ってくる気配はない。
といって、その連中が何者であるのか考えている場合ではなかった。ぼくはしゃがんだままで、自分の居る場所とあたりの様子を見定めにかかったのだ。
ぼくは歩道にいた。柵はどうやら、大通りと歩道とを仕切るためのものらしい。
歩道は、壁に面していた。最初は塀かと思ったのだが、見上げるとずっと上までつづいており、下部こそ遠い外灯にぼうと見えていて、大きな窓がいくつもあるようだが、どの位の高さかとなると、闇に呑まれていてしかとはわからないのである。そしてその壁は、歩道に沿って右手にも左手にも伸びているのであった。つまりはこれは巨大なビルなので……しかし下部には店も何もないのだ。こんな大通りに面していながらそうなのは、こちらが元来裏側であり、何かの事情で壁面のままにしているということだろうか?
だが、そんな詮索はこのさい無用である。
ぼくは自分の道を捜さなければならない。
壁沿いに東へ行けば、例のバリケードの連中にひっかかるだろう。
では――。
待て。
いくらこんな壁面だとしても、どこかに出入口とか連絡口があるのではないか?
ぼくは目を挙げ、バリケードのある方向の、だがバリケードよりは少し手前の壁面が、四角形に黒くなっているのを発見した。
あれは、ビルへの入口ではないのか?
だが、ぼくの姿を認めたはずの連中のいるそっちに進めば、かれらに見つかり声を掛けられ、ごたごたに巻き込まれるであろう。こんな状況下でバリケードを作っているかれらが親切で善良な人々だと期待するのは、甘過ぎる。面倒はなるだけ避けたかった。
振り返ると……これは今のよりも遠いけれども、やはり同様の、入口らしいものが見えたのだ。
その先にもひとつ。
ぼくは立ちあがり、警戒しながらそちらへと歩きだした。
とりあえずは逆方向になるが、やむを得ない。
手前のほうにあったその黒い四角形のところに来ると、やはりそれは入口だった。両側に開く形式の大きな金属製のドアが、どういうわけか開けっぱなしになっており、中は暗かったのだ。それでもじっとみつめているうちに、ぼくは、そこが天井の高い、ところどころに柱のある広い空間だということを見て取った。暗いのにそんな識別が可能だったのは、ずっと奥のほうから光――僅かに開いたドアとおぼしいその隙間から、ぼうと光が入って来ていたからである。
ここは……倉庫ではあるまいか。
そんな印象なのだ。
だが内部にほとんど物資らしいものがないようなのは……持ち出されたか、または奪われたということではあるまいか。必要なものを持ち出してしまったから、ああして表のドアを開けっぱなしにしているのかも知れない。
ぼくは一瞬思案してから、中に踏み込んだ。あの奥のドアの先の様子を探り、そちらからむこうへ行けるかもわからない、と、考えたのだ。もしも奥のドアのかなたが物騒な状況だったら、それはそのときで、引き返してバリケードのあたりを突破すればいいのであった。
ぼくはしかし、奥のドアへまっすぐ向かうというようなことはしなかった。柱の蔭を利用しつつ迂回のかたちで近づこうとしたのである。
靴が、何かに当たった。
身をかがめると……死体らしい。はっきりとは見えないものの、腕を伸ばし身をよじっているのは、殺されたか、苦悶のうちに死んだのであろう。
また、靴が当たった。
進むうちに、死体はひとつやふたつではないのを、ぼくは悟った。
ここでは、おそらく何かのそれもはげしい争いがあったのだ。
ぼくは一層警戒しながら、ようやく奥のドアに来て、隙間からむこうを覗いた。
幅の広い廊下があった。
照明はともっているが無人の廊下が、左右と前方につづいているのだ。
ぼくはそっとドアを引き開け、廊下へと滑り出た。
コースを右にとる。
両側にぼくが出てきたようなドアが間隔をおいて並ぶ無人のその廊下を、ぼくは緊張して進んだ。
ときどき左方への廊下が出現するが、長い長い廊下だった。
あの大通りのバリケードのあたりも、とうに通り過ぎたであろう。
歩くうちにだがぼくは、行く手に、人間の声とおぼしいものやがやがやとした気配を感じ取るようになったのだ。
何だろう。
わからぬままに、ぼくはとうとう廊下の突き当りに来た。
左には上へと下への階段、そして正面にはドアがある。
がやがやした気配は、正面のドアのほうから聞えてくるのだ。
しかし、左方の階段を上るか下るかするのでは、このビルのさらに中へ入ることになる。
ぼくは正面のドアを開いた。
明るい光に、ぼくは反射的に手で目をおおった。
大勢の人々の、入りまじった声。
ドアを開いたときのぼくは、無意識のうちに、これでビルの外へ出られると予期していたのだ。
しかし、そうではなかったのである。
建物がどうつながり、どんな配置になっているのか、ぼくには皆目《かいもく》わからないが……ぼくの眼下には、樹々や噴水を中央に持つ広場があったのだ。その広場のあちこちに、何人あるいは何十人という人々がむらがっているのだった。
高い、ドーム形の天井から、光が降りそそいでいるのだ。
ぼくの前には、その広場へ降りる階段があった。眺めると、広場はいくつものビルに囲まれており……それでいてそれ自体がドームを有する構築物なのである。
ぼくは、いつの間にこんな高いところに来たのだろう?
それともあの広場は、地下にあるのか?
先刻の大通りはどうなったのだ?
突然、音楽が聞えてきた。
目をやると、噴水のあたりにいる一群の人々が、ひとりの楽器の演奏に合わせて、踊りだしたのだ。
そのうちに、他のグループも踊りはじめた。
歌声が湧きあがった。
ぼくには何の歌かわからないけれども、陽気な、むしろどうなってもいいという感じの自堕落なメロディとリズムである。
何だ?
これは、どうなっているのだ?
あの人々は、どういうつもりなのだ? ネプトが包囲され、どうなるかわからないというこんなときに、何をしているのだ? こんな場所に集まって、踊って、歌って……。
踊ったり歌ったりしているだけではなかった。
そこかしこで抱き合っている男女もいるのだ。そして誰もそんなことを気にもかけていないようなのであった。
これは、享楽か?
あすをも知れぬ状況だから、こうして刹那《せつな》の享楽に耽《ふけ》っているのか?
それはもちろん、この人たちが何をしようと勝手だ。
ぼくには何もいう権利はない。
ぼくには関係ないことだ。
だが……ネプトの人々の中には、自暴自棄になって他人を襲う者もたくさんいるであろう。そんな連中が襲って来るかも知れないのに……この人々は何も考えていないのか?
しかしながら、ぼくはすぐにわれに返った。
かれらはかれら、ぼくはぼくだ。
ぼくは、第六区へ行かねばならない。
その第六区へはどう行けばいいのかも知らないのだから、今はとにかく東北の方向をめざすしかないのであり……そのためにはまず階段を下って――あの人々の中を通り抜けるのが手っ取り早いのではあるまいか。
そこでぼくは気がついた。
下の広場のあの人々……刹那の享楽に耽っているとしても、踊ったり歌ったりしているような人たちなら、尋ねれば道を教えてくれるのではないだろうか。
そうしよう。
ぼくはそれでも一応念のため、磁石を出して方角をたしかめてから、階段を下りにかかった。
けれどもぼくは、広場の人々について、錯覚していたのだ。錯覚というのが適当でなければ、一面しか見ていなかったのである。ぼくはじきにそのことを思い知らされたのであった。
階段を下り切ったぼくは、何気ない足取りで、歌ったり踊ったりしている人々の間に入って行った。とはいっても、それぞれのグループにはあまり接近せずそれらの間を通りながら、道を教えてくれそうな人はいないかと物色したのである。
人々は、ぼくにろくに注意を向けようとしなかった。みんな、自分のしていることに夢中だったのだ。
「失礼します」
ぼくは、叫びながら踊っている数人のグループの、その中でも動きの鈍い、本当にその気になっているかどうかはっきりしない、ひとりの男に声を掛けてみた。
男は、返事もしなかった。ぼくは相手の顔を見て、表情がうつろなのを認めた。
他の人間を捜そう。
ぼくがそう思って男から離れたとき。
だしぬけに怒声があがり、歌と踊りがたちまち静かになって行ったのだ。
またののしり合う声があり、人々はぞろぞろとそっちへ移動して、人垣を作りはじめた。
何かあったのか?
ぼくは近づき、人々にまじって、見た。
ふたりの青年が、向き合っている。
ひとりは長い棒を持ち、もうひとりは短剣を構えていた。
「殺してやる!」
ひとりがどなった。
「殺してやる!」
もうひとりがどなり返した。
喧嘩《けんか》だ。
人垣の内側に、破れた服をまとった若い女がすわり込んでいる。その女が喧嘩の原因だったのかどうか、ぼくには何ともいえない。
ぼくがぎくりとしたのは、次の瞬間にはじまった人々の反応だった。
「殺せ!」
誰かがわめくと、みんながいっせいに、声をそろえて叫びだしたのだ。
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
すでにふたりの間隔は縮まりつつある。
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
周囲の人たちは、調子を合わせて叫ぶのだ。その何人かが、短剣や棒、中には長い剣を持ったものもいて、差し上げ、振り廻しているのである。
その頃になってぼくは悟ったのだが、人々の大半は何かの武器を手に持つか、腰に差すかしているのであった。
棒を持った青年が、突進した。
もうひとりは、飛びのいた。
棒のほうはさらに追いすがり、はげしく打ち下ろす。
その下をかいくぐって、短剣を持った青年が飛び込んだ。
棒の青年が蹴《け》り上げた。
短剣のほうが、ととと、と、後退する。
棒の青年がまた突進した。
棒は、短剣の青年の胸に当たった。短剣の青年が胸を押えて膝をつくのを、棒の青年は一回、二回、と、上から打ちのめす。
勝負はついたのに、棒の青年は打ちやめない。
人々も、殺せ、殺せを繰り返すのだ。
短剣の青年は血を吐いて、動かなくなった。
「殺した」
「殺した」
「殺した」
人々は、歓呼した。
「もっと殺せ!」
誰かが叫ぶと、今度は合唱は、もっと殺せ、もっと殺せに変った。
棒をだらりと垂らした青年は、血走った目を周囲に向ける。
その視線が、ぼくのところで止まったのだ。
「連邦軍だ! 殺してやる」
青年はわめいた。
わめいたときにはぼくは、きびすを返して走りだしていたのだ。
あんな相手と殺し合いをして、何になろう。
「連邦軍、待て!」
青年の声が流れてくる中、ぼくは、人々をかき分けるようにして走りつづけた。
「わあ」
という声があがった。
つづいて、みんなが高い声や低い声を出しはじめた。
泣いているのだ。
みんながいっせいに泣き出したのだ。
ぼくは走るのをやめはしなかった。とにかくさっき下りてきた階段とは反対の方向の、磁石でたしかめた東北の方角だけを念頭に置いて、逃げたのだ。
階段があった。
駈けあがった。
十数段あがったところで足を止め、振り返ると――広場の人々はまだ泣いているようであった。
が。
にわかに楽器のひびきがおこり……数秒のうちに、人々はまたもや歌い、踊りはじめたのだ。
ぼくには、やっとその人々のことが……全部ではないだろうけれども……わかったのである。
かれらは刹那的享楽に耽っているという、それだけではないのだ。追いつめられ、しかも居ても立ってもいられないために、何かをせずにはいられず、だからそうした人々がいつの間にかああして集まって、集団で反応しているのに違いない。ぼくは初めかれらが襲われたらどうなるのかなどと考えたが、余計な心配であった。ちょっとした暴徒の群などよりは、大方が武器を携行し、突然何を始めるか見当もつかないあの人々のほうが、よっぽど無気味だといわなければならないのだ。ぼくは、きわめて危険な集団の中へ、何も知らずにのこのこと入り込んで行ったのである。そう思うと、いい気分ではなかった。
ぼくはかれらに背を向けると、階段を上りつづけた。
上り切ってみると、ドアはなかった。壁が切り取られた格好の出入口になっているだけだ。
広い通路が、ずっと先までつづいている。
両側は商店街になっているようだが、すべて表戸をとざしているのだ。
その表戸のあちこちに、ひとりで、あるいは数人が、もたれるようにしてうずくまったり、横になったりしていた。
通行人は、いない。
ぼくは進んだ。通路はときどき交差した。
商店と商店の間のところどころには、エスカレーターがあったり、自走路の乗り場が設けられたりしている。だが、エスカレーターも自走路も動いてはいなかった。
こんなに照明をつけながら(それもあすには電力が断たれるのだから消えるはずなのだが)エスカレーターや自走路が動いていないのは変な気がするが……送電の系統がことなるのかも知れないし、他に何か事情があるのかもわからない。ただバランスとしては何となく妙な感じだったというだけのことだ。しかしバランスなどといわなくても、こんなぎりぎりのときになってさえ、こうあかあかと照明をともしていること自体、ぼくには異様だったのである。
それよりも、第六区だ。
方角としてはこれでいいはずなのだが、こう建物が交錯しているのでは、いつどこで方向転換を強《し》いられるかわからないし、ビルの壁とか何かにさえぎられることだってあり得る。
本来は、方向標示板を見るべきなのだ。
その方向標示板は、通路を交差したところや自走路の乗り場などに、ちゃんとあったのだが……ダンコール語の会話は何とかできるようになっても文字がろくに読めないぼくには、役に立たなかった。シェーラが呉れた手書きの地図にダンコール語の文字も併記してあれば、標示板と見くらべることも可能なのだが、それにはカイヤツ語での記入しかなかったのである。それでもシェーラのいった通りのコースをとっていれば、目印に出会っただろうし、道順もわかり易そうだったから、そう苦労せずに済んだのだろうが……いっても詮のないことだった。
自力で何とかするほかはない。
そして、そんな風におのれの進む方向に疑念など抱いていると、どうしても足は遅くなるのだ。
とにかく急がなければ。
――と、足を速めようとしたぼくは、行く手の通路の交差点の右方から、奇妙な隊列が出現したために、立ち止まった。
隊列。
そうなのだ。
武装した男たちが列を組んで、ぼくの前を通り過ぎようとしたのである。
ぼくが立ち止まったのは、むろん、かれらをやりすごすためであった。
が。
列の横を歩いていたひとりが、ぼくをちらりと見ると、号令したのだ。
「全隊、止まれ!」
進んでいた男たちは、ざざっと停止した。
全部で二十五、六人というところだろうか。
ぼくは、武装した男たちといった。
たしかに武装には違いない。
だが、着用しているものや携行している武器は、まちまちだったのだ。
隊列を停止させた男は、制服……どうやらネイト常備軍らしい制服である。隊の中にも同様の制服の、ただし階級はもっと下と思われるのが四、五人いたが、あとは雑多であった。あのザコー・ニャクルの学校の制服に似たのをまとった、老人と呼んでもいい年配の者や、とにかく何かの制服らしいものを着た中年男、制服などではなく私服の腰をベルトで締めた青年たち、と、まことに雑多で、携《たずさ》えているのも、レーザーガンや長剣、短銃もあれば短剣もあり、というわけで……奇妙な隊列というしかなかったのである。
号令をかけた指揮者らしいそのネイト常備軍のような制服の男は、靴を鳴らしながらぼくの前に来た。
「何者だ? どこへ何しに行く?」
男はいった。
ぼくは、すぐには返事をしなかった。答えようとすれば答えられないのではないが、得体の知れぬ相手に、うかつにものをいうべきではないと思ったのだ。
「いわんか!」
相手は、靴で床を叩いた。
いかにも身についたやり方である。たしかに軍人なのに相違なかった。
それでも、ぼくは、問うことからはじめた。もっとも、どうやら将校らしい相手の肩章に敬意を払って、ていねいにいったのだ。
「そちらこそ、何者でありますか?」
「われわれは、徹底抗戦のために自発的に組織した新ネプト防衛軍だ!」
相手は答えた。「そちらは何者だ! どこへ何をしに行く?」
そういわれれば、返事をしないわけには行かなかった。それに先方の連中は、雑多といっても二十数名おり、武装しているのだ。敵意を持たれてたたかうはめになっては、厄介至極である。しかも先方が、自分たちが徹底抗戦をすると宣言したのだから、こちらも本当のことをいって、不都合はなかろう。
「私は、連邦軍カイヤツ軍団第四地上戦隊の者であります。戦闘で自分の隊とはぐれたので、復帰するために第六区へ急いでいるところであります」
ぼくはいった。
「第六区?」
相手は顔をしかめた。「あっちのほうは、ひどく混乱しているという話だぞ。その……カイヤツ軍団がそこにまだいるのはたしかなのか?」
「教えてくれた人があったのであります」
ぼくは答えた。それ以上説明する必要があるとは思えなかった。
「そうか」
相手は頷いた。「今では噂によると、連邦軍もばらばらで、ネプトを離脱しようとしている軍団もあるらしいし、脱走者迄出ているというが……お前は脱走兵ではないだろうな?」
「脱走兵なら、こうして連邦軍の制服をつけてはおりません」
ぼくはいった。その脳裏に、森の中にいた偽者の連邦軍のことがよぎったが……あれは別だ。あれはウス帝国の工作員である。少なくとも眼前の相手には、それで充分な根拠になると考えたのだ。
「それはそうだな。いや、見上げたものだ」
相手は、今度は大きく頷いた。
ぼくは返事の代りに、靴のかかとを合わせて鳴らした。
「われわれは、ネプトや自分に親しい者たちのために、どんなにしても最後迄たたかい抜く」
相手はいい、姿勢を崩した。「ネプト本来の秩序が崩れてしまった今は、私のような退役軍人が中心になって、こういう組織を作るほかないのだ。われわれのような小隊は、この第一区だけでも二百あまりあって……そのすべてが徹底抗戦する覚悟である。われわれは、だから、敵に投降しようとする者は許すわけには行かない。それでこうして見回っているのだ。時間をとらせて悪かったな」
「あなたは、義務を果たされただけであります」
ぼくは応じた。
それ以外に返事のしようがないではないか。
「うむ、うむ」
相手はいった、
その表情の中に、ぼくは、軍務を離れて久しい――普通の生活者の顔を垣間見たような気がしたのである。
「では、お互いに武運を祈ろう」
相手は、ぼくの肩を叩いた。「お前はカイヤツ軍団といったが、ここで何か困っていることはないか?」
そこでとっさにぼくの頭に閃《ひらめ》いたのは、自分の行く先のことである。
「お願いがあります」
ぼくはいいながら、シェーラの呉れた地図をポケットから引っ張り出した。「私にはこの第六区の、カイヤツ軍団が駐屯しているという場所へ、どう行ったらいいか、わからないのであります。教えて頂けるでしょうか」
「む?」
相手は地図を覗き込んで、首をかしげた。相手にはカイヤツ語が読めないのである。ぼくは場所を指でさして読み上げなければならなかった。
「第六区のミヌェブロックか」
相手は唸った。「自走路が動いていればそうむつかしくないのだが、停まっていることだしな。自走路以外のコースをとるとすると、言葉ではちょっと簡単には説明できん。しかし、標示板を見れば、行きつけるはずだ」
「ダンコールの文字が読めないのであります」
ぼくはいった。
「そんなに喋っていてか?」
相手は変な顔をしたが……筆記用具を取り出すと、シェーラの地図にダンコール語の文字を記入してくれた。「この字を見ながら行けば、何とかなるだろう」
「ありがとうございました!」
ぼくは敬礼した。
相手――奇妙な隊列の指揮者は、かれら流にであるが、軽く答礼すると、待たせてあった連中のほうへ戻り、号令をかけた。
「前へ――進め!」
隊列は動きだし、去って行く。
ぼくは、地図に書き込まれた文字を検分した。
これを方向標示板と照合すればいいのだ。いや……ぼくが隊列と出くわしたその通路の交差点の標示板に、ちゃんと第六区への標示がダンコールの文字で出ていたのである。それは今のところ、ぼくが進んできた方向に合致していたのだ。
歩きだす。
親切な男だった、と、ぼくは今の指揮者のことを想起した。
だが、と、同時にぼくは考える。
あの人物は、退役軍人で、ネプトや自分の親しい者たちのために、最後迄徹底抗戦するといった。そのために自発的に組織を作り、あのような小隊がこの一区だけでも二百以上あるともいった。
けれども、その程度の人数とあの装備で、そしておそらくは練度も高くはあるまいそんな新ネプト防衛軍≠ェ、どれだけの戦力になるというのかと、ぼくは思う。へたに徹底抗戦などしたりすれば、かえって悲惨な結果になるのではないか? 事態がここ迄来たからには、そんな、やらずもがなのことはしないほうがいいのではあるまいか?
ぼくはそこで苦笑した。
これは……敗戦肯定の考え方。
事実がある程度わかって来ていながら、まだ何とかそれを認めてしまいたくないという気持ちのぼくが、そんなことを考えていいのだろうか?
いや。
これは、あの退役ネイト常備軍人や、あの隊列の人々に対しての、それだけの感情なのだ――と、ぼくは自分自身にいい聞かせたのである。
広い通路を進んでいるうちに、ぼくは、商店の閉じられた表戸にうずくまったり寝たりしている人の数が、だんだん多くなってくるのに気づいていた。かれらはぼくに顔を向けようとしないか、せいぜいじろりと一瞥《いちぺつ》をくれる位で……どうやら体力も気力も喪失している印象だったが、油断をするわけには行かなかった。いつ何かのはずみで、どっとぼくに襲いかかってくるのではないか、という気分が抜けなかったのである。
その広い通路から、ぼくはしかし、途中で外れなければならなかった。
商店と商店の間にある自走路の乗り場に、第六区の文字があったのだ。
ぼくは乗り場に出、動いていない自走路をみつめた。
本当なら、ここから自走路に乗ればいいのであろう。
しかし自走路は動いていない。
とすれば、自走路の上を歩くか、でなければ自走路を見失わないようにしながら、その近くの道とかビルの中とかを進むしかないのだ。
停止しているその自走路は、こっちへ流れてくるのとむこうへ流れるのとの両方を有する型ではなく、一方向だけのようであった。第六区の文字が出ているのだから、こっちからむこうへ行くのだろうが、とすると、むこうからこっちへ来るのは別のところに降り場があるのか、それとも、方向を時問帯などで逆にする方式なのか……ぼくにはさっぱりわからない。が、ともかくそれは、商店街の裏を、ずっと先迄伸びている。もう一方は壁なのだ。これでは自走路を見失わないようなコースを捜すのは、不可能ではあるまいか。
やむを得ない。
ぼくはレーザーガンを抜き出して構え、低速帯と高速帯を低い手すりで仕切っている自走路に降り立って、低速帯のほうの上を歩きだした。
これ迄の広い通路にくらべれば、低速帯と高速帯とを合わせても、幅はずっと狭く、照明も少ないのだ。
ぼくは前方のみならず、後方にもときどき振り向いて注意しながら進んで行った。
と。
前方から来る人影が目に映ったのだ。
男と女である。
ふたりとも一般市民らしいいでたちで、荷物をかついでいる。
ぼくがそうと見て取ったときには、先方は足をとめたらしい。
近づくにつれてぼくは、かれらが高速帯のほうへ移り、壁に背中をつけて、おびえた目を向けているのを知った。
ぼくはレーザーガンの銃口を下ろし、無言でその横を通過したが、かれらは視線でぼくを追いながら、身じろぎひとつしなかったのだ。
ぼくが撃つと思ったのだろうか。
だがそれは、相手しだいでいつでも立場が逆転するということでもある。ぼくはまたレーザーガンを構えて歩きつづけた。
壁が尽きた。
両側は高い手すりになって――自走路はカーブしながら空中に伸びているのだ。
そこ迄来ると、風が吹きつけてきた。
外の、夜風である。
柱の列に支えられた自走路は、夜の闇の中をややせりあがりつつ、その先の、乗り換え点の塔状の構築物につづいていた。その塔からは、やはり柱の列に支えられた数本の自走路が出ているのが、塔から洩れる光によってわかった。
だが、ぼくが進んできたのも含めて、どの自走路にもあかりはないのである。
といって、ここで引き返すわけには行かない。
ぼくは夜風を受けて、踏み出した。
せりあがっているので、歩くのは楽ではないのである。
ぼくはやっと、乗り換え点にたどりついた。
標示板が、塔内の灯に浮かびあがっている。
第六区へは、斜め右に伸びている自走路に乗ることになっているようだ。
が。
そっちへ行こうとしたぼくは、断念せざるを得なかった。
なぜなら、自走路への乗り場の底が、抜けていたのである。何かの道具を使って破壊したらしく、乗り換え点からその自走路へ行く方法はなくなっていたのだ。それはまあ、残っている枠の上を綱渡りさながらに五、六メートルも行けば自走路に達し得るであろうが、乗り換え点である塔の上部は、地上から二十メートルもありそうだった。そんな冒険はすべきではあるまい。
ぼくは塔を降りて、その自走路の下を行くことにした。
らせん状になった階段を下る。
地上に来た。
舗装された正方形の、周囲よりは心持ち高くなった、台座のようなところだ。実際、塔の台座なのであろう。そこから四方へ道が突き出ている。
ぼくは、第六区への自走路の方角に一番近そうな道を選んで、歩きだした。
このあたり一帯はささやかな公園か緑地になっているようで、道は樹々や築山《つきやま》の間を通っているのであった。ところどころに粗末な土産《みやげ》物店らしい建物があり、外灯がまばらにともっているのだ。
しかし、進むにつれて道はしだいに下降しはじめたばかりか、めあての自走路を支えている柱の列からも離れて行くのだった。ぼくは樹々の中へ入り、柱の列の下を行こうとしていたが、柱の列は大きくカーブを描いて、左手に立ちはだかる巨大なビルのほうに行ってしまうのがわかった。自走路はそのビルに吸い込まれているらしいのである。
ぼくはそれでも何とかそっちへ行こうとしたけれども……そこでぼくの背丈の倍はある塀にぶつかったのだ。
塀沿いに横に移動すると、塀はいよいよ高くなった。
こうなれば、自走路が吸い込まれているであろうビルに近づくには、塀にあるかも知れぬ通り道を捜すしかなかった。ぼくはそのまま移動をつづけ……そこで自分が急斜面の上に来たのを知った。
急斜面。
そうなのだ。
斜面の下は、大きな通りである。その通りは、地形がどうなっているのかさっぱりつかめないが、ぼくが塀だと信じて移動してきた――その高い壁面にうがたれたトンネルに入っているのであった。壁面はいつの間にか山の切断面の観を呈していたのである。
トンネルを抜けるしかあるまい。
だが急斜面は結構高く、簡単には滑り降りられそうにないのだ、ぼくは今度は急斜面の上を道路沿いに左へ動いて行き、そこに下へ通じる階段があるのを見つけた。
降りた。
道には歩道がなかった。車専用の道なのであろう。
ぼくは(車は通っていなかったが)斜面にくっつくようにしてトンネルへと歩き、中に入った。
トンネルの中は、壁に暗い灯がかなりの間隔を持ってともっているだけで、壁の真下は溝になっている。溝に落ちないように気をつけて進まねばならなかった。
通り抜けた。
抜けたところでぼくは、道の上方に標示板が灯に照らし出されているのを見た。この通りはやがてY字状に分岐するらしく、その右側には第六区という文字もあったのだ。
ぼくは登り坂になった道を歩いた。
歩くうちに、左右にそびえるビルの群が見えてきた。
振り向くと……トンネルを出て来た――山であったはずのところが、ビルの壁面になっている。
道の分岐点に来た。
船のへさきを思わせるビルによって分れているのである。
ぼくは右の道の、その右端を歩きつづけた。
そこで……ぼくは、前方から来る一群の人影を目にしたのだ。
二十人はいたであろう。
ぼくと反対側の端を、かたまってやって来るのだ。背の高いのや低いのや……たいていが背に荷物を負っていたのである。
が。
その一群の先頭にいたのが、つと走り出てくると、ぼくに何か構えたのだった。
ぼくは、反射的に伏せた。
銃声。
一発……二発……。
短銃なのだ。
ぼくが伏せているうちに、発砲したその人間は、しきりに手を振り廻し、他の人々を急がせている。
ぼくは、かれらが遠ざかってから身を起こした。
今のは何だろう? 避難民のようだったが……あんな発砲をするところを見ると、あれはリーダーか護衛役だろうか? とすればこれは、状況がいよいよ悪化し、避難するにしても集団で、しかも武器を持たなければ危ないようになっているのを、意味しているのではあるまいか。
右手はまだ、この大通りよりも三メートル近く上にあって、仰ぐと何本かの自走路があるらしく柱の列がつづいていたが、ぼくは今の通りを行くのを、ここでやめることにした。さいわい斜面はかなりゆるやかになっているので……ぼくは、斜面を這《は》いあがった。
あがってみるとそこは、細い、遊歩道のような道であった。柱の列のかなたにそそり立つビルの灯や、下の大通りの道路灯の光が届くことは届くけれども、薄暗いのである。ぼくにはそのほうが好都合で、そこを進むことにした。
そうしたぼくの判断は、適切だったようである。
しばらくしてぼくは、また二、三十人の、荷をかついだ人々が、通りをこっちの方向へやって来るのを目撃したのだ。その先頭と最後尾には、荷物は持たず手に武器とおぼしきものを構えた者がいて、周囲を警戒しているようであった。
やがて、また一群。
かれらがどこからどこへ行こうとしているのか、ぼくにはわからない。が……とにかくここが、しだいしだいに緊迫の度を増していることだけは確実であった。
そして。
ぼくは、大通りのかなたにあるねじくれた形のビルの窓が、つらなりあって異常に赤く光っているのをも目にしたのである、赤いのは……火であった。炎が窓から噴き出ているのであった。
ぼくは進むしかなかった。
そのうちに、下の大通りはまた低くなって行き、大きく右へ曲りはじめたのである。もっとも、ぼくが歩いている細い道も、それに沿ってカープしているのだから、その点では心配することはなかった。
その大通りの上を、ぼくの右手から一本の自走路が分れて、むこうへとつながっているところに来た。
だが、ぼくはそこで目をみはり、身を低くしたのである。
下の大通りを、大勢の人間がやってくるのだ。
二十人や三十人ではない。
それも列を組んで……二隊また一隊と進んでくるのだった。
制服だ。
武装した制服の、行進なのである。
ぼくは道に伏せて、その人々を見守った。
先頭の一隊から、すぐ次の隊、そしてまた次と……少なくとも千人は下らないであろう。しかし、隊列を組んでの行進といっても、横の者の肩によりかかっている者や、歩行が乱れがちな者もかなりまじっていて、よくそろっているとは、お世辞にもいえない。
けれどもその制服は、まぎれもなく連邦軍のものだったのだ。それは、どこの軍団かはわからないが、間違いなく連邦軍団だったのである。
そうと見て取ったときの、ぼくの気持ちを、どう説明したらいいだろう。
それだけの数の、しかも、歩武《ほぶ》堂々たる分列行進とはお世辞にもいえないにしても、一応の統制と規律を保って進む連邦軍というものは、もう二度と目にすることがないのではないか――と、ぼくは何となくそんな気になっていたのだ、ぼく自身が連邦軍の兵士だったからであろうが、それはたしかに感動的な光景であった。
が。
その連邦軍が、どこへ、何のために進んでいるのかとなると、ぼくには見当もつかないのである。このことが何を意味しているのかつかめないというのは、ぼくの孤立感を呼び起こさずにはいなかったのだ。
そして。
あれはどこの軍団だろう、あれはカイヤツ軍団ではないのか、と、ぼくは眸《め》をこらしつづけた。あれがカイヤツ軍団なら、折角第六区のミヌェブロックの、エミンニビルの地上庭園にたどりついたところで、手遅れになる。ぼくは眼下のあの隊列を追わなければならないのだ。焦りの中で、ぼくはかれらがどこの軍団なのかを見定めようとした。
前にもいった通り、どこの軍団かの識別はそう簡単ではない。ぼくは各軍団のしるしについては基本的なことを教えられたけれども、それだけでは充分とはいえないのだ。戦闘用の制服にあっては、軍団のしるしより各隊ごとのマークが重視されるからである。旗でもあれば話は別なのだが……。
旗。
ぼくは、いくつにも分れた隊列の、その最後尾の隊が、旗を立てているのを認めた。といってもその旗は、風に勇ましくひるがえっているのではなく、支持棒にまつわりつくようにして垂れ下っているのだ。大体が、自軍の旗を最前列にではなく最後尾に持ってくること自体が、攻撃とか示威行進とかではない他の何かの状況を示しているともいえるのだが……それでもぼくは、大通りの道路灯に照らし出されたり暗くなったりするその旗の、濃色の地と染め抜かれたしるしの一部を見ることができた。その旗が軍団そのものを表わしているという保証はないので、単に軍団内の組織を区別するだけのものかも知れなかったが……軍団を表わしているのなら、カイヤツ軍団ではなかった。デザインが全く違うのだ。ぼくには、レスムス軍団か、でないとしてもバトーシュ軍団ではないかと思えたのである。
他の軍団か。
どうやら、そのようだ。
そのぼくの脳裏に、ちらりと、下の大通りへ降りて行って、かれらの誰かをつかまえ、どこの軍団なのかをたしかめたらどうだろう、カイヤツ軍団でないとはっきりしたとしても、ひょっとするとカイヤツ軍団の現在の居どころを聞き出せるのではないか――という考えがかすめたのも事実である。
だが、かれらがレスムス軍団かバトーシュ軍団らしいとわかっているというのに、そこ迄のことをするのは無駄な努力ではあるまいか、と、ぼくはたちまち思い直したのだ。それに行進中のかれらが、ぼくの問いに気安く答えてくれるかどうかも疑問であり(ぼくにはなぜかかれらが、自軍以外の何者をも受け付けず相手にしないのではないか、という気がしたのだ)また、そんな真似をしたら、あと、またここへあがってくるうちに、別の避難民の群から撃たれたり、他の誰かの注意を惹きごたごたに巻きこまれたりしかねないであろう。第一……カイヤツ軍団の所在といっても、ぼくは一応教えられているのだ。あんな風に連邦軍のどこかの軍団が移動しているのだからカイヤツ軍団もそうかも知れないにしても……とりあえずは当初の目的地迄行くのが先である。かりにカイヤツ軍団もまた動きだしていたとしたら、何らかの手段で(といってもどんな方法でかは、具体的にはぼくの頭に浮かばなかった。それはそのときのことなのだとしなければならないものの)行く先をつかみ、あらためて追えばいいのである。
道に伏せたぼくが、かれらをみつめながらそんなことを考えているうちに、隊列はしだいに遠ざかって行った。
それからまた、連邦軍とはだいぶ距離を置いてだが、二十人ばかりの荷をかついだ避難民たちが、例によって武器を持った者たちと共にやって来る。
ぼくは起きあがった。
遊歩道とおぼしいその細い道を歩きはじめる。
先刻見かけた標示によれば、第六区はたしかにこの方向なのだ。
進むしかなかった。
下に大通りに沿って大きくカーブしていた道は、やがてまたほとんど直線になった。右側は相変らず自走路の柱の列であり、大通りを越えたいわば対岸の左側は、あちこちの窓がともる大きなねじくれた感じのビルの群列であって……柱の列の奥のビル群からの遠い光や、下の大通りの通路灯の光芒のおすそ分けによって、ぼんやりと照らし出されているのだけれども、そんなわけで行く手のずっと先迄見て取れるようになったのだ。
その行く手。
ずっと先に、下の大通りをまたぐ格好で橋があるのだった。
あかりがついているので、そこに橋があるとわかったのである。
ぼくは、歩きつづけた。
歩くうちに、右手の柱の列は、柱ではなく壁になった。そしてその壁は、ぼくの行く道からしだいに離れ、壁と道との間は、廃材とか不要物らしいものがそこかしこに積み上げられた空地のようなところになってきたのだ。とはいっても、柱の列が壁になったために、右側のビル群からの光がさえぎられ、足元はさらに暗くなったのである。
と。
ぼくは、がらくたがあちこちに小さな山を作っているそのくらがりの中、少し前方に人の気配があるのを悟って、足を止めた。
たしかに、人がいる。
だが、それだけで、むこうからは何もしようとしていない様子だ。
ぼくは、いつでも立ち向かえるように、両腕を体から離して肱を少し曲げ、今度は前よりもさらに慎重に、歩行を再開した。レーザーガンを構えたり伸縮電撃剣を抜いたりしなかったのは、そうしなければならぬほどの危険は感じなかったのと、やたらにそんなことをして、もし先方に何の害意もなくただそこにいるだけだったら、反感と敵意を買う結果になるだろうと思ったからだ。
いた。
石材らしいものを積み上げた、その間に、大小とりまぜて五つか六つのかたまった影があったのだ。
すわり込んだまま、動きもせずにこっちを見ている。ひとりひとりの目が、遠くからの乏しい光を受けて光っていた。そしてぼくは、かれらの横にいくつかの荷物らしいものがあるのも認めたのだ。
かれらは、ここで休んでいるか居すわっているか、とにかく避難民の家族連れに違いない――と、ぼくは判断した。
それでもぼくは、かれらに対する警戒をゆるめず、その前を通り過ぎた。
かれらがどんな気持ちでぼくを眺めていたのか……ぼくにはわからない。
また少し行ったところで、ぼくは、同じような数人がくらがりの中にすわっているのを知った。その連中も、ぼくを目で追うだけで動こうとはしなかったのだ。
前方に見えている橋が近くなるにつれて、そうしたグループは増えてきた。何組もがお互いに距離を保ちつつかたまっているのもあった。
おそらくかれらは、疲れ切って休んでいるか、行くあてもない人々なのではあるまいか。ぼくはそういう印象を受けたのである。
そうした人々であるからには、やたらにぼくを襲おうとはしないであろう、と、思ったものの、油断は禁物である。絶望のあまりどうにでもなれとの気分で行動をおこす者だって、いないとは限らないのだ。いや……なまじぼくがこれで武器を出して構えでもしていたら、かれらを刺激していたかも知れない。自分たちがぼくにやられると勘違いして、あるいはその武器を奪ってやろうとして、飛びかかってきたかもわからないのである。ぼくが武器を出して手に持たなかったのは、正解のようであった。
しかし、そうした人々にだけ気をつけていればよかったのは、しばらくの間である。
行くうちに、橋のほうから、人々の声らしいものが聞えてくるようになったのだ。何か、騒ぎでもおきているような、そんなざわめきなのである。
それだけではない。
今度は、道を、こちらへ来るグループも、目に入るようになってきたのだ。かれらはどうやらみな家族連れのようで、例外なく荷物をかついでいた。
もっとも、そうした人々は、ぼくがやってきた方向へ行くというよりも、いろんなものを積み上げてある右側の空地の、そのどこか空いたところへ入り込もうとしているようであった。そうした場所が先に来た連中によってふさがれているために、こっちへこっちへと流れてきて、適当なところを探しているらしいのである。
たびたびぼくと擦れ違うそうした人々は、必ずといっていいほど、ぼくとできるだけ離れて通ろうとした。淡い光に浮かぶかれらの表情には、ぼくに対する強い警戒の念と、たしかに敵意とおぼしいものが浮かんでいたのだ。ためにぼくのほうもまた、緊張をゆるめるわけには行かなかったのである。
下の大通りにかかる橋の手前五十メートルばかりの地点迄来ると、そっちの喧騒《けんそう》はもうはっきりと聞きとれるようになり……、ぼくは、そっちが人でごった返しているのを知った。
結構幅の広いその橋は、数メートルおきにともる灯のせいでくっきりと浮きあがっているのだが、欄干《らんかん》はそう高くはなく、人の首ほどの高さで頭が見え、人々がこちらの側へとひしめいてやって来るのが、よくわかったのだ。
そして橋のすぐ先の対岸側、下の大通りに面したビルからは、けむりが噴出しているのであった。
人々は、火事に追われて橋をこっちへと押し渡っているのか?
それほど大規模な火事とは思えないのだが……。
ぼくは進んで行った。
擦れ違う人々の数はさらに増えた。
橋のたもとにたどりついたぼくは、橋を渡って来た人々の流れにぶつかった。
つまり……橋をひしめき渡ってきた雑多な人々は、ほとんどが、ぼくのやって来た道へでなく、ぼくから見て右手の、橋からまっすぐに伸びる広い道へと、押し進んで行くのだ。怒号や悲鳴、金切り声や赤ん坊の泣き声、それに人惣の足音やその他の音が一体となって、耳に飛び込んでくるのであった。
「どけ! どけ!」
流れからはみ出たひとりの男が、わめきながらこちらに近づき、そこで向き直って、ぼくから見て右への、広い通りへの群衆の中に再び入って行く。
どうやら、人々はみな、そっちの方向をめざしているらしい。これ迄にぼくが目にした家族連れらしい多くのグループは、その流れの中を行くのを諦めて、細い道に入り、休むかどうかしていたのではあるまいか。
ぼくは、人々がひしめきやって来る橋の、その対岸を眺めた。
対岸の、むこうの橋のたもとの先にあるビルからは、はげしくけむりが出ており、風のせいでか、ときどき橋にもかかるのであった。火が舌のようにちらちらと動いているのも認められた。だが実際にはその火事は、さほど橋に近いわけではなさそうである。
視線を移したぼくは、対岸の橋のたもとに標示板が高く掲げられているのをとらえた。橋のあかりに照らされたダンコール語の文字は……。ここからでは明確にはわからないが、どうも、第六区とあるようなのだ。
とすると、この橋を渡れば第六区なのか?
そういうことになる。
そして……橋のあっちもやはり広い通りになっているらしいのである。
橋を渡ればいいのだ。
しかし、群衆がひしめきやって来るこの橋を逆流して進むのは、到底不可能であった。そんな真似をやろうとすれば、たちまち押し戻され、それどころかなりゆきによっては踏み潰されてしまうだろう。
とすると……。
ぼくは、下の大通りのずっとかなたに目をやって、そっちにもひとつ橋が架かっているのに気がついた。
あちらの橋はどうだろう。
むろん、そっちの橋にしたって、渡れるとは限らない。ここと同様かもわからないのだ。が……現実にここを逆流するのが無理とあれば、むこうの橋がどんな具合か見に行くしかないではないか。
そのためには、この、左から右へと流れる人の大群を、むこうへ突っ切らねばならないが……逆流することにくらべれば、いくらかましで、やってやれないことはなさそうであった。
ぼくは、人の流れの中に入り込んだ。
「何だ!」
「何をするんだ!」
叫ぶ声の中、ぼくは両手を動かし、身をぶつけながら、前へ前へと進んだのだ。
これ迄はそれなりに注意し、慎重にやってきたぼくが、なぜ、こういう、群衆のまっただ中へ割って入るというような強引な行為に出たのかと、首をかしげる人があるかも知れない。まるきり一貫性というものがないではないかといわれても、仕方がないのである。実のところ、ぼく自身にしたって、つじつまが合わない感じであった。
が……もっとずっと早く到着していてしかるべき目的地へ、夜になってだいぶ時間が経つのにまだたどりつけず、しかも先刻、カイヤツ軍団ではなさそうだったとしても、連邦軍が隊列を組んでどこかへ行くのを目撃したぼくとしては、カイヤツ軍団もまたそうなのではないかとのおそれや焦りが胸中に湧きあがってくるのをどうすることもできず……急がなければとの意識がのしかかってくる中で、ようやく第六区の標識を発見し、あとはしゃにむに進むしかないとの念に、とらえられていたのである。そんな心理状態で、とにかく目の前に第六区に行けそうな――多分現実的に可能な唯一の方法を見出したのであるから……そうせざるを得なかったのだ。ほかに何かやり方があっただろうか? ぼくにはそうするしかないと思えたのだ。
わめき声や金切り声、顔と顔がぶつかりそうになったり、腹や背中を押されたり突かれたり、足を蹴られたりしながら、ぼくは一歩また一歩と、しばしばよろめきつつ進んで行った。進むうちにもぼくは右へ右へと流されそれでもとにかくあちら側へ行かなければならないとの、ただそれだけで人々をかき分けて行ったのだ。もしも群衆の中に武器を持った者がいて、腹立ちまぎれにそれをぼくに対して使ったりすれば、ひとたまりもなかったであろう。が……押しひしめいて進む群衆の中でそんなことをする人間がいたら、まずまちがいなく周囲の連中によって、突き飛ばされ押し倒され、人々の足に踏み潰されるに違いない。そんな挙に出る者は、みんなの共通した――同じ流れを行こうとの目的を妨げる人間であり、みんなの敵だからである。ぼくとしては、理屈ではそうでもこういう状態の中では何が起こるかわからず、従ってろくに頼りになりそうもないそんな論拠を信じて進むしかなかったのだ。
あがきにも似た努力の後に、しかし、ぼくはどうやら、圧倒的な人の流れを突っ切るのに成功した。服を破られもせず、レーザーガンや伸縮電撃剣がなくなったりもしていなかったのは、幸運のきわみというべきかもわからない。
それでも……ぼくはかなり右の方向へと押し流されていた。シャッターを下ろした商店らしい建物の前に来て、どうやら人の波から脱け出たぼくは、橋の方向を見やり、六、七十メートルは遠くに来ているのを悟ったのだ。
とはいえ、橋のある――下の大通りに面した地点迄行くのは、もうそれほど困難な作業ではなかった。人々がこっちへと押しこぞってくるとはいっても、軒下に身を擦るようにして進めば、そんなに人にぶつからなくても済んだからである。
ぼくは、下の大通りが見えるあたりへと引き返して行った。
が。
戻ってきてみると、そのへんは人のむらがるちょっとした広場になっていたのだ。そういえばそこは、さっき橋をめざしてきたさいに、自走路を支えているらしい壁がだんだん離れて行くにつれて出来た空地の、その幅もまた大きくなっていたのに連続していたはずなのである。というより、本来はこっちが主で、先刻迄のはその端の部分なのであって、そっちはいつの間にか廃材や石材などの置き場にされるようになっていた――ということなのかもわからなかった。
そして、橋の灯から来る光は、ビルの外壁に仕切られたむしろ空地といったほうが適当なその広場を、案外な明るさで照らし出しており、そこには二、三人、あるいは十人以上、またはひとりきりといった、それも青年や老人や家族連れや、男女とりまぜたグループやらの、さまざまな人々が、突っ立ったりすわったり、歩き廻ったりしていたのだ。
ぼくはその中を通り抜け、下の大通りの見える例の細い道へ出ようとした。
だしぬけに叫び声がし、ぼくの前をひとりの少年が駈け抜けた。少年は何かをわきにかか
え、さえぎろうとする者を手で突き飛ばして走って行く。あとを、二、三人の男女が追ってきた。
ひったくりであろうか。
「もういいじゃないか!」
右の、ビルの外壁のあたりで大声を出す者があった。「もうたくさんだ! 戦争なんかさっさとやめろ! 降伏すればいいんだ! 降伏したほうがいいのに、おえら方は何をやっているんだ!」
「連邦総府は、もう降伏してるってよ! なのに反対の奴らがいて、まだ戦争をしようというんだ!」
別の声が応じた。
「そんな奴ら、殺してしまえ!」
また別の声があがった。
「何だよ! 今迄さんざん威張ってやがって、偉い連中は何をしてるのさ!」
これは、女の声である。
ぼくは、なるべく目立たないような足取りで、歩きつづけた。
「何? お前ら、おれたちをどうしようってんだよ!」
わめき声と共に、ぼくの左手の数人のグループが、その横の数人へと動いた。もみ合いになった。
ぼくは、かれらとぶつからないように方向を転じた。
下の大通りの見える位置に来た。
細い道を、先ほど見定めたむこうの橋へと歩きだす。
ぱらぱらと、人がやって来てはぼくと擦れ違うのだ。荷物をかついだ者もいれば、そうでない者もあり、ひとりきりの者やグループを作っている連中もいた。
右側は、もう切り立った感じの高い壁なので、ぼくは、やって来る人々があるとそっちへ寄って、擦れ違った。下の大通りに面したほうを行って、何かのはずみで突き落とされでもしては敵《かな》わないとの、本能的な行動であった。
しかし、人々が来るといっても、その数はさっきの橋の群衆とは比較にならぬほど少なかったのは……人々がどこへ行こうとしているのかは知らないが、あの橋を渡って広い通りを行くのが、かれらにとって本道というか、しかるべきコースとされているのかも知れない。
ふたつ目の橋が近くなってきた。
先程の橋よりは、ずっと幅が狭い。あかりも橋の中程の両側にふたつともっているばかりであった。
橋を通る者は、いやに少ない。こっちから見たところ、せいぜい十人かそこらの姿しか目に映らないのである。
だが、待てよ。
ぼくは眉をひそめた。
その人々は、橋を渡っているのではないのだ。
今度の橋の欄干は、前のものよりさらに低く、普通の男の胸位しかないようだが……十人ほどの人影は、その欄干に背をもたせかけるようにして、立っているらしいのであった。
あんなところに立って、かれらは何をしているのだ。
ぼくは、事情不明のままに近づいて行った。
またむこうから、人がやって来た。老人と青年のふたり連れだ。
すでに橋の手前三十メートルばかりのところに来ていたから、ぼくにはわかったのだが、ふたりは橋を渡って来たのではなかった。ぼくの歩く細い道を、ずっとむこうからやって来たのである。
ふたりはぼくに接近し……ぼくが例によって壁側へと道をあけると、老人のほうが青年を制して、足をとめた。
ぼくは緊張した。
しかし意外なことに、老人は小声でぼくに話しかけてきたのだ。
「差し出がましいかも知れないが……どこへ行かれる?」
「…………」
ぼくは一瞬、老人と青年を観察した。
悪い人たちではなさそうだった。老人のもののいい方もごくおだやかで……ぼくは危険はないと判断した。とはいっても、いつでも対応できるような心の準備と態勢は保持していたが……返答しても、何ということもあるまい。
「第六区。ミヌェブロック」
ぼくは答えた。
「みんなが第三市を出ようとしているこんなときに?」
老人はいう。
「どうしても行かねばならぬ用がありまして」
ぼくはまた返事をした。返事としてはそれで充分なはずだ。
「そうか」
老人はまたいい、ちょっと間を置いてからつづけたのだ。「ミヌェブロックなら、なるほどあの橋を渡るのが早いだろうが……あそこはよしなされ」
「…………」
ぼくは、不審の目を相手に向けた。
「あそこにいる、あの連中だよ」
老人がぼくに話しかけたのを、どこか、おせっかいなことだといいたげに、それでも仕様がないなという表情で眺めていた青年が、橋のほうへと、あごをしゃくってみせた。「あいつら、通りかかる者から、金や品物を巻きあげているんだ」
「通りかかる者から?」
ぼくは反問した。
「おかげで、わしら、大廻りをしなきゃならんかった」
と、老人。「むこうの橋は押し合いへし合いで、わしみたいな老人にはとても渡れん。で、あの橋へ来てみたらそんな具合で……やむを得ずずっとむこうの橋から大廻りをしてこっちへ渡って来たというわけでな」
「――そうだったんですか」
ぼくは呟いた。
「そんなことが、至るところで行なわれておる」
老人は首を振った。「ネプトも、もうおしまいだな。――ま、そういうわけだから、気をつけなされ」
そういうことか、と、ぼくは思い……となれば、やはり訊くしかなかったのだ。
「あの橋を渡らないとすると、ミヌェブロックへの道は、うんと遠くなるのでしょうか?」
「この先、ずっと橋はないからね」
青年が説明した。「自走路が動いていたら何ということもないが……かなりむこう迄行くことになるな」
「それでも、そうなさったほうがいい。安全じゃ」
老人も、頷いてみせる。
「わかりました」
ぼくは答えた。
「それじゃ、な」
老人はまた頷き……青年と歩きだそうとする。
「有難うございました」
ぼくは、ふたりにいった。「でも……どうしてこんなにご親切に――」
それは、ぼくのかけねなしの疑問であった。ふたりは……ことにこの老人は、なぜこんなにわざわざ親切に教えてくれたのだろう。
「別に」
老人は手を振った。「気紛《きまぐ》れ、ただの気紛れでな」
「有難うございました]
ぼくはもう一度いい、頭を下げた。思いもかけなかったことだけに、厚意が身にしみたのだ。こういう人だってちゃんといるのだ、と、ぼくは、それ迄の重い心が、一部ではあるにしても明るくなった気がした。
が。
ぼくは、ふたりが去って行きもうほとんど見えなくなると、その橋に向かったのである。
ふたりの厚意は厚意として……しかし、その橋を通らなければミヌェブロックへは大廻りになるとすれば、少々は無理をしてでも渡らなければならないのだ。あの老人の言葉では、ぼくは偶然ながらミヌェブロックに行き着き易いコースをたどって来たようである。この幸運を活用しなければ損であろう。すでに、当初考えていたよりも、ぼくは大幅に遅くなっているのである。これ以上、時間を費したくはなかった。
橋のすぐ手前で、ぼくは伸縮電撃剣とレーザーガンを抜き出した。
伸縮電撃剣を右手に、レーザーガンを左手に、まぎれもない戦闘態勢で、橋にさしかかったのだ。
橋にいた連中が、二手に分れて左右の欄干を背にした。初めから道をふさごうとしなかったのは、そうすればこっちがきびすを返して逃げるかも知れないので、ひとまず橋の途中まで行かせ、そこで取り囲もうというつもりだったのではあるまいか。
だがかれらは、ぼくの姿を見て、ぎくりとしたようである。ぼくの連邦軍の制服にも何かの効き目があったのかどうか、それは何ともいえないが、ぼくの手のふたつの武器にひるんだのだ。
そのときにはぼくは、かれらの様子を見て取っていた。
相手は十人か十一人。
半数以上が短剣を握りしめていた。あとの者は棒を持っている。人数はともかくとして、武器の点ではこちらがはっきりと優位であった。
ただ、予期しなかったのは、かれらがみなぼろぼろの服装で、髭を生やし放題に生やした男たちだったことである。しかも頬がこけ、目をぎょろぎょろさせた――殺人者や戦闘員というよりは、むしろ物乞いをして生きている感じの連中だったのだ。
ぼくは橋の中央を、ゆっくりと進んだ。
男たちは欄干に背中を貼りつけるようにして、ぼくを目で追っている。
「レーザーガンだ」
ひとりがうめくようにいった。
「そうだ」
別の奴が、かすれた声を出した。
ぼくが進むうちに、しかしかれらは、じり、じり、と、背中を欄干につけたままで移動する。とはいってもその速度はぼくの歩行よりも遅く、ぼくが橋を渡り切ろうとするときには、ぼくの後方になっていた。
ここでぼくはうしろ向きになって、武器を構えながら後退すべきだっただろうか? ぼくはそうは思わなかった。橋を渡り切ったところで何が待っているか、わかったものではないからである。ぼくはそのまま、背中を見せて進んだ。
どっ、と、かれらが動きだしたのはそのときである。
ぼくは向き直った。
そういうことになるであろうと、ぼくは予測していたのだ。かれらがレーザーガンだと口走ったときに、それは確信に変っていたのである。かれらとすれば、レーザーガンなどという強力な武器は、喉《のど》から手が出るほど欲しいに違いない。となれば無茶をしてでも奪い取ろうとするはずなのだ。それを承知でかれらに背中を見せたのは、もしも襲ってきてもちゃんと対処できるだろうという気があったのと、もうひとつ、いざとなればエスパー化という奥の手があるのを、勘定に入れていたからである。
向き直ったぼくは、殺到してくる男たちに伸縮電撃剣を中間の長さにして振り廻し、身をひねって攻撃をかわしながら、すぐに剣の穂先を伸ばして、右、左、また左、次に正面の男――と、やつぎばやに、かれらの顔や首筋、手首や手の甲に電撃を与えた。それは計算とか作戦というものではなく、ぼくの身についた剣技がさせたのである。それでも防ぎ切れず誰かが突っ込んできたりしたら、ぼくはレーザーガンを発射していたであろう。だがそんなことになる前に、五人の男が悶絶し、あとの者は後退していた。
その間、十秒そこそこだったのではないだろうか。後退した男たちは、それでもまだこちらを向いて構えていたが、ぼくがレーザーガンの銃口を動かしてみせると、叫びをあげて逃げ出したのだ。悶絶した連中を放り出したままで、である。
ぼくは、橋のむこうの道へと、歩きだした。橋のたもとには、さっきの幅の広い橋にあったのと同じ標示板がある。字も間違いなかった。第六区の標示なのである。ここから先は第六区なのだ。
歩きながら、ぼくはつい考えていた。
電撃を受けた連中は、死ぬかも知れない。よみがえるかも知れない。電撃の強さと電撃を受けた部位によって、一概にはいえないのだ。生きるか死ぬかは、かれらひとりひとりの運である。それで仕方がない。かれらはぼくに襲いかかってきたのであり、ぼくはおのれの身を守ったのである。それにかれらが今迄してきたことを思えば……自業自得ではないか。ぼくは、そうふんぎりをつけることにした。
どうせそうなら、なぜレーザーガンを使わなかったのか、エネルギーが惜しかったのかという人も、いるかもわからない。レーザーガンでなら、簡単に全員を殺していたはずなのである。
だがぼくは、とっさには、やはりレーザーガンを使えなかったのだ。伸縮電撃剣で事足りると判断したせいもあるが……きっとぼくの頭の中に、かれらがぼろぼろの格好でやつれていたことがあったのだろう。かれらは生活に困り追いつめられたからあんなことをしていたのに違いない――との意識が心にひっかかっていて……それを自分でも自覚しないままに、ああした防戦のかたちをとったのではあるまいか。
いや。
いちいちそんなことを考えていては、身が保《も》たないぞ。
ぼくは頭をひとつ振ると、行く手を見た。
前方は、戸を閉め切った店々にはさまれ、外灯がぽつんぽつんとともる、あまり広くない暗い道である。そのずっと奥に夜空ではない黒いものがそびえているのは、ビルなのであろう。
窓あかりひとつない大きなビルであった。
橋を渡ってくると、その道しかないのである。
その道を行くしかなかった。
進むうちに、店々の間には、細い路地めいた道が左右にあったが……どの道も真っ暗であり、そんな細道に入れば迷うだけだったから、まっすぐ歩きつづけたのだ。
黒い大きな行く手のビルは、案外な迄に遠かった。それだけビルが大きいということだろう。
それでも歩きつづけるうちに、ビルはだいぶ近くなってきた。外灯の光を下から受けるビルの壁面はやたらに高く、どうも窓はないようである。ただ、ぼくの進んで行く正面には、入口らしいぽっかりと開いた黒い口があるのだった。
そこ迄来て、ぼくはまた人間を見掛けるようになった。何組かの、荷物を背負ったグループや、手押し車に何かを山のように載せて進む家族連れらしいのが、ビルの前を左から右へと、横切って行くのである。そのうちの一組は、左から右へではなく、ビルの前からこちらへ曲ってきた。ぼくとかれらはお互いに道の端に寄って、離れて擦れ違ったのである。
ビルの前に到達したぼくは、あたりを見廻した。
道は、ビルの中へ入るのと、左右とに分れている。ビルの中は暗く、誰も出て来そうにないけれども、左右に伸びる道はぼくが橋を渡ってきたのと同じ位の道幅、同じ位の明るさであり、人々はその道を、左から右へと進んで行くのだった。ぼくには、かれらもまたあの下の大通りを越えて行くつもりであり、しかし、人で一杯になった例の橋や、今ぼくが渡って来た橋を(悪い連中がいると聞いて)避け、迂回しているのではないかと思えたのだ。
ともあれ、ここでどっちへ行けばミヌェブロックへは早いのか、考えなければならない。が……視線をめぐらしてもそのあたりに標示板らしいものはない。
尋ねるしかない、と、ぼくは決心した。
ちょうどそこに、四人連れの――夫婦と子供たちらしい一行が来たので、ぼくはできるだけおだやかに歩み寄り、ていねいに訊いたのだ。
「恐れ入りますが、ミヌェブロックへはどう行けばよろしいでしょうか」
かれらは、凍りついたようになって停止し、ぼくをにらみつけた。
「教えて頂けませんか。ミヌェブロックへ行きたいのです」
ぼくは、またいった。
「…………」
四人は黙っていたが、唐突に、父親らしい男が手を上げて背後を指した。怒ったような顔で、一語も言葉を発しなかった。
「有難うございます」
ぼくは礼をいったが、もうかれらは後も見ずに歩きだしていたのだ。
かれらは、ぼくに何かされると思ったのか?
それとも、ぼくの連邦軍の制服に敵意を抱いているのか?
けれども、とにかく方角が判明したのは事実である。今の四人が嘘をついたのでなければだが。
ぼくは、だがともかくかれらを信じることにして、かれらのやって来た方向をめざした。
今迄正面にあった巨大なビルを右手にして進むのである。
左手もすぐビルになり……道は両側の壁面と共に、外灯にぼうと照らし出される谷間の観を呈するようになった。いや、仰ぐと両方のビルとビルの間には、何本もブリッジが渡されており、夜空の部分よりもそのほうが大きい位なのだ。これでは谷間というより、地下溝であろう。
その道も長かった。両側のビルがずっと連続しているのか、途中から別のビルになっているのか、ぼくには判別がつかなかったのだ。
何度となく、こっちへ来る人々と擦れ違いながら、ぼくは足を動かしつづけた。
地下溝さながらのその道は、右側へとゆるやかにカーブして行く。
とうとうそれが尽きて、ぼくは大通りへ出た。
歩道を持つ、広い、登りになった大道なのだ。
街路灯も、三分の一ほどともっている。
その大通りを、大勢の人間がぞろぞろと歩いていた。斜めに今の道を出てきたぼくとは逆の方向の、下へ下へと流れて行く。車道と歩道の区別などないのであった。見ると、車道の歩道寄りの部分のみならず、車道の中央やそのへんの至るところに車が駐まっており、人々はそれらの車を、水が川の中の岩や石を残して流れるように、その横を擦り抜けて進んでいるのだ。
その人々の行くのは……ぼくが来た道の方向や、この大通りの広さなどから推して、あの橋へではあるまいか。ぼくは振り返ってそっちを見たが、街路樹にさえぎられているせいもあって、よくはわからなかった。
かりにそうだとすると、人々の流れと一緒になったら、第六区を出ることになる。
なら、反対の方向をめざすべきだ。少なくともそうすれば、第六区の中へ中へと入って行くことになるはずである。
ぼくは、坂になった大通りの、その歩道をあがりにかかった。
ぼくと行き交いながら降りて行く人ばかりなのだ。逆行しているぼくのような人間は、ひとりも居ないようであった。
だがこの逆行は、初めに出くわした幅の広い橋を逆行するのとは、まるで違う。あの橋での逆行は到底不可能だったのだ。なのにここではあまり無理をすることなく、みんなと反対の方向に行けるのはなぜだろう。
わからぬままに、ぼくは進んだ。
大通りとぼくはいったが、それはただの大通りではなかった。異様な、あるいは奇妙な形状の巨大ビルがひしめくその上空には、さっきの地下溝さながらの道など問題にならないほど、やたらにブリッジやチューブや自走路が、それも水平にばかりでなく、斜め前後左右に走っているのだ。そしてそれらが歩道へと降りてきているのも、少なくないのである。歩いていても平衡感覚がおかしくなりそうであった。
その大通りからは、あっちこっちへ道が分れている。あるものはきつい登り坂、あるものは旋回しつつ下方へと、それも広い道や細い道がいろいろあって、つながり合ったビルの間に入ったり、ビルそのものに通じていたりする。どのあたりが地上でどのあだりが何階なのか、ビルによって基準がみなことなっているみたいなのだ。ぼくが以前に来て、神経がおかしくなりかけたのも当然だった。
が……それらの道の至るところから人々が出てきて、大通りの流れに加わるのを見ているうちに、ぼくにはわかったのである。この大通りはいってみれば大河なので、あちこちの支流の水――この場合は人々を集めているのだ。だから橋のところでは人々が押し合いへし合いしていても、やや上流にあたるこのへんでは、逆行するのもそうむつかしくないということではないだろうか。
そんな想念を追いながら、頭上にやたらに構築物のある大通りの歩道を登って行くうちに、たしかに、人々の密度は小さくなってきた。これは、行くべき人がどんどん行ってしまい、残りが数少なくなってきたということかも知れないが、それだけ、人の流れの上流に来たということになるのではないか、と、ぼくは思ったりしたのだ。
前方に、大きな橋が見えてきた。橋といっても今度は、ぼくが行く大通りの上をまたぐ橋なので、その橋自体の照明と、こちらの街灯の光とで、宙に懸かっているように見えるのだった。そして有難いことに、橋のすぐ下の、大通りの中央に大きな標示板が立てられており、そこにしるしてある文字は、あの退役軍人が書いてくれたミヌェブロックの字と合致しているようだったのだ。ぼくは地図を出してそのことを確認した。
では、あの橋の下を抜けると、ミヌェブロックなのだ。
ぼくは急いだ。
しかしながら、そこでぼくは、事件に遭遇したのだった。
橋のやや手前で、ぼくは、大勢のののしる声を聞きつけた。
前方――車道のまん中で、なぐり合いがおこっている。いや、なぐり合いなどというものではなかった。何十人かが、数名の人間を袋叩きにしているらしいのだ。
「死ね! 死ね!」
近づくにつれて、かれらの叫びがぼくの耳に入ってきた。
「こんな奴!」
「お前たちのおかげで、おれたちはひどい目に会わなきゃならんのだ!」
「殺してよ! こいつら、殺すのよ!」
男や女の声が入りまじった、怒号の交錯である。
その人々のかたまりの中から、ひとりが這って逃げ出し、ぼくの前方へ走ってこようとした。
だがたちまち数人が追いついて、その人間を突き倒し、蹴り、立ちあがろうとするのをなぐりつける。
ぼくは進むこともままならず、街路樹の蔭に隠れるようにして、その有様を見守っていた。
なぐられながらその人間は、しかし旗竿《はたざお》らしいものを持っていた。ぼくには読めないが文字をしるした布をつけた旗竿なのだ。それを横に振り廻して、何とかまた逃げ出し、構えながら後退する。もうその顔も手足も血だらけになっていた。
「殺せ!」
「こいつらは、生かしておけんのだ!」
わめきつつ、数人が迫る。
旗竿を構えた人間は、また後退した。
車道の中央での乱闘はかたがついたのか、そこにいた連中が、倒れ伏した数人を捨てて、こっちへ走ってくる。
「思い知らせてやれ!」
走ってくる連中の先頭の男が絶叫した。
「降伏せずに戦争を最後迄やろうという馬鹿は、皆殺しにするんだ!」
「何が徹底抗戦だ! いい格好するな!」
「そんな運動をする奴らは、抹殺だ! それがネプトのためなんだ!」
つづいてくる二、三人もわめいた。
ぼくの顔色は、変っていたかも知れない。
これは……徹底抗戦を叫び立て、旗を立ててそのことを説こうとするグループが、他の数十人に袋叩きにされ、殺されようとしているのだ。
ぼくのこれ迄の感覚では、いくらネプトが追いつめられようとも、徹底抗戦派のほうが声が高いのではないか、勇ましく人々の目に映るのではないか――との気がしていた。
それが、少なくともここでは逆なのだ。
徹底抗戦派を叩き潰そうとする連中のほうが優勢なのだ。
ぼくがそう悟った次の瞬間、旗竿を持った人間は、何十人かの男女に押し包まれていた。人々の怒号と、目茶苦茶な迄の殴打と蹴りとが一段落ついて、その連中が離れると、そこには血まみれの――おそらくは死体になった抗戦派の人間がころがっていたのである。
おう、おう! と、数十人の男女は勝ちどきをあげた。
だが。
「そこに」
ひとりが、ぼくを鋭く指したのだ。「そこに連邦軍の奴が居るぞ!」
人々は、いっせいにこちらを向いた。走ってきた。
きびすを返して逃げるには、もう遅かった。あれだけいれば、ぼくに追いつく者も何人かいるかも知れない。それに、ミヌェブロック入りを目前にしたぼくは、今来た道を引き返したくはなかったのだ。といって、伸縮電撃剣ではあれだけの人数を相手にはできないだろうし、レーザーガンはおとなげない。
ぼくは、精神を集中した。
念力の刃――大きな鋭い刃をぐいと突き出し、かれらの中へと突っこんで行ったのである。
正面から来た数人が、わめきながら横に倒れた。血を出した者もいるようだったが、ぼくは突き進んだ。さらに二、三人が、ぼくの前に来ようとして、悲鳴と共に倒れた。
「エスパーだ!」
誰かが叫んだ。「エスパーだ! へたに手を出すな!」
ぼくは全力疾走で、かれらの間を駈け抜けたのだ。
それでもまだ走りつづけた。超能力が切れてから追いつかれては、レーザーガンを使うしかない。できるならそれはしたくなかった。今度の場合こそ、ぼくにはそれがエネルギーの浪費としか思えなかったのだ。
駈けた。
ついには息を乱しながら、それでもぼくは足を動かすのを止めなかった。
やがて。
ついにたまりかねてぼくは速度を落とし、停止し、後方へと振り返ったのだ。
さっきは頭上にあった大きな橋が、坂の下のほうにぼんやりと見えているばかりで、誰も追ってはこないようである。そのときになって悟ったのだが、あの連中はぼくが短い間しかエスパー化しないのを知っているわけがなく、常時エスパーだと信じ、勝ちめのない喧嘩をするのはやめたに違いなかった。
乱れた息がおさまるのを待って、ぼくはまた歩きだした。
依然として登りである。
ぼくは、ミヌェブロックに入ったはずであった。
けれども、ミヌェブロックの中にあるというエミンニビルへは、どう行けばいいのだ? あの退役軍人は、シェーラが呉れた地図にダンコールの文字を書き入れてくれたが、それは第六区とミヌェブロック迄であった。ぼくはそのとき相手に、第六区のミヌェブロックといっただけであり、相手はそれだけ書いてくれたのだ。そのときのぼくにはそれで充分で、またそれ以上のことはいえなかったのである。だから、エミンニビルの文字を目にしたとしても、ぼくにはそうとわからないのだ。
エミンニビルは、どこにある?
エミンニビルに行き着きさえすれば、あとはそのビルの地上庭園とやらを探し当てればいいのである。いくらビルが巨大だとしても、何とかなるに違いない。いや、何とかしなければならないのだが……それにはエミンニビルなるものを見つけるのが先決であった。
誰かに訊くか。
しかし、橋を渡ってあの大きなビルの前で尋ねたときの、あの相手の反応を思うと、どうもあまり気が進まなかった。
となれば……。
これ迄に知ったいくつかのダンコールの文字の、一字一字の発音を類推して、どういう文字なちエミンニと読めるかを考え、捜すか? だがそんなことは、ぼくの得た知識程度では出来っこないのではあるまいか。
考えながら……そして、ぼくと擦れ違う人々に視線を向けて、この人なら答えてくれるかも知れぬと思い、先方の表情や様子を窺って、やはり駄目だろうと諦めながら……ぼくはどの位歩いただろう。歩きつづけたって、何にもならないのがわかっていて、それでもじっとしているのには耐えられないために、歩くことしかできなかったのだ。
だが。
ぼくは、自分の登ってきた大通りが、もう少し先でふたつに分れているらしいのを知った。街路灯のつらなり具合で、一方はまだ上へとあがっており、もう一方は下方へ降りて行くようなのだ。これ以上進むとしたら、そのどちらかを選ばなければならない。
ぼくはとうとう、こうなればいくら恥をかいてもいいではないか、いくら馬鹿にされどなりつけられ拒否されても、誰かが教えてくれる迄頼みつづけるしかないではないか、と、心を決めざるを得なかった。
よろしい。
あのふたり連れから始めよう。
ぼくは、前方から降りてくる人々の中に、まだ少年らしい面影を残した若者と、その母親らしい中年の女がいるのを認めた。若者のほうは大きな荷物をかつぎ、母親らしいのは手に小さな包みを下げていたのだ。
ぼくは、さっきやったのよりも、もっと礼儀正しく、もっといんぎんに、エミンニビルへはどう行けばいいか、と、尋ねた。
「エミンニビル?」
母親らしい中年女は、若者と共に足を止めると、ぼくを上から下迄見て、問い返したのだ。
「エミンニビルの、地上庭園です」
ぼくはいった。
「そうか。あそこへ行くのか」
中年女は上目づかいになった。その頬に、奇妙な笑いが浮かんでいた。「教えてやってもいいが……あんた、何か持っていないかね?」
「何か、とは?」
ぼくは、反問した。
女の奇妙な笑いは、一段と濃くなった。
「何でもいいんだよ。食べものでも他の品物でも……何かないかね?」
女はいう。「こんなときなんだから、わたしたちゃ何でも欲しいんだ。誰が、ただで人にものを教えるものかね」
「…………」
一瞬ためらったぼくは、固形食品のことを思い出した。ドゥニネの呉れた固形食品は、まだひとつと三分の二が残っている。ぼくはそのほかにシェーラたちが持って来てくれた五つか六つの携帯食糧も所持していた。食べるものがなくなってはどうしようもないので、ぼくはそれらを大切にしまっていたのだが(現にぼくはひどい空腹を覚えていた。シエーラたちを前に弁当を食べてからこっち、ぼくはずっと辛抱し、節約していたのである)こうなればやむを得なかった。
ぼくは、固形食品を取り出した。ひとつと、それに三分の二残ったものである。そういう食べかけのものがあるほうが、有り合わせの品を全部出したという印象を与えるだろう、と、とっさに計算したのだ。
「これは……?」
中年女は、顔をしかめた。
「固形食品です。食べかけのもありますが、これで全部です」
ぼくは嘘をついた。相手がそういう態度なら、こっちもそうすることが許されてしかるべきだという気がしたのである。それからつけ加えた。「見た目は良くないけど、それにあまりうまくはないけれど、生命をつなぐには充分です」
それはドゥニネのまとめ役の男のせりふの受け売りであるが、ぼくは実際にそうなのを知っていた。
「…………」
中年女は、ぼくの手からそれを引ったくるようにして取ると、ちょっと検分し、口を開いた。
「ま、これでいいとするか。見たところ、大したものも持っていないようだからね」
「…………」
ぼくは、相手の関心がレーザーガンや伸縮電撃剣といった武器類にはなかったらしいことを、心の中で感謝した。
「エミンニビルは、あっちだよ」
女は、大通りの先の、分岐点のあたりを指した。「あの右側の通りの、もうひとつ右側に、アーチ形の門がある。それがエミンニビルの入口のひとつで……どんどんあがって行けば地上庭園に出られる」
「どうも……有難うございました」
ぼくは礼を述べた。述べながら、きょうは礼ばかりいっているような気がしたのだ。
「何。お安いご用だよ」
女は肩をすくめると、若者を促して歩いて行く。
ぼくは、すぐに歩き出した。
あまりいい気分ではなかったのは、たしかである。教えて貰った代償に、ものを渡さなければならなかったのだ。しかもそのエミンニビルがすぐそこだったとあれば、余計である。ひどい女だ、と、ぼくは舌打ちでもしたいところだったが……こういうさいだからあこぎな真似もしなければ生きて行けないのだろうと思い直し……。
そこで、ふと妙なことに考えが及んだのだ。
偶然ながらぼくは、歩いているうちに第六区に近いコースをたどっていた。そしてまた偶然にもエミンニビルの傍で道を尋ねたのだ。しかし……それは本当は偶然ではなかったのではないか? ぼくの中には、そういう探知力とでもいうべき、いってみれば超能力が潜在して生きており、それがぼくを導いたのではないか――ということに、思い至ったのである。
女のいったアーチ形の門は、すぐに見つかった。灯がアーチ形に沿って光っていたのである。
ぼくは、その門をくぐった。
左右に分れる道があり、前方は登りの石段になっている。
左右は壁。
登りつづけると、また左右へと道が分れており、石段はさらに上へとつらなっている。
そしてまた。
やがて石段の左右は、樹々になった。樹々の中にぽつんぽつんとともる灯を頼りに、ぼくは登って行った。何も知らなかったら、これがビルだとはとても信じられなかったろう。
ついに石段の上が見えた。そこには外灯が輝き……旗が立っていたのだ。その旗は、まぎれもなくカイヤツ軍団のものであった。そうと見届けるや否や、ぼくは足を速めて駈けあがって行ったのである。
[#地付き]〈不定期エスパー7[#7は□+7] 了〉
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[#地から2字上げ]この作品は1989年10月徳間書店より刊行されました。
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底本:「不定期《ふていき》エスパー7」[#7は□+7]徳間文庫 徳間書店
1992年9月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第7巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 41,745 2264b3c3b1b9b907cc0ef7575bb10820
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
1325行目
(p141-15) 戦士
戦死では?
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