不定期エスパー6[#6は□に6] 〈激闘!首都ネプト〉[#〈〉は《》の置換]
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目次
激 闘
ドゥニネ
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激 闘
ぼくたちは、そう長く待つ必要はなかった。
レイス河の川べりから北上し、森の中に陣地ともいえぬような陣地を作りあげたのが夜明け前。二時間ばかりの眠りをむさぼって起きた――その日のタ方には、敵が降下してきたのである。
ぼくは、そう長く待つ必要はなかった、と述べた。
本来なら、こんな表現はおかしいはずである。戦闘が開始される迄《まで》の間は、まだ直接的な生命の危険はないのだから、長ければ長いほど有難いので……平穏な時間はそう長くは与えられなかったというべきかも知れない。
だがそれは、ひっきょう、平時の感覚からの発想であろう。
ぼくたちは、そんな風な感じ方のできる状況にはいなかったのだ。
そう。
戦争全体が敗北への最終的段階(としか、いいようがないではないか)にあり、自分たちにとっては異郷である連邦の首都ネプトのはずれで防衛線をしき、それも勝利の望みはない――となれば、あとは、まだ気持ちが張りつめているうちに死力を尽してたたかうしかない。どうせ終末が到来するなら、早いうちにやって来てくれ、との気分になるのが自然ではあるまいか? 心の糸がぷつんと切れたら自分が何をしでかすかわからない、というおそれを、ぼくのみならず、多くの兵たちが持っていたようである。
そうでなくても、ぼくたちの気持ちに影響を与えかねない出来事が、いくつか耳に入ってきていたのだ。
すでに、森に入って掘っ建ての粗末な中隊本部を組みあげレーザー砲台を据え自分たちのための塹壕《ざんごう》掘りをやっている夜半のうちに、避難民についての噂《うわさ》が、ぼくたちの間に流れはじめていた。ネプトから避難民の列がつづいているというのだ。ただ、それは森の中のぼくたちの陣地からはもとより、最初の降下地点からもずっと離れた、ネプトに通じる道路でのことらしかった。しかも、あかりもできるだけ使わず静かに移動しているとあれば、降下時にぼくたちの目に見えなかったのも当然であろう。
この噂をもたらしたのは、どうやら、わが第二中隊に連絡をとりに来た者のようであった。低空飛行をしながらその情景を目撃したのに違いない。その話が口づてにぼくたちに広がったのである。――と、ぼくが、噂だけを聞いたにしてはいささか詳《くわ》しいことをいうのは、話と同時に相手の、あるいは通りすがりの誰かれのテレパシーによっても、断片的にあれこれを知ったからである。
しかし、ぼくはそのときはまだ、自分がエスパー化したことを、他人に洩《も》らしてはいなかった。自分の口から喧伝《けんでん》すべきことではないし、いつでもいえることだったからでもあるけれども、とにかく作業に追われて噂話もきれぎれに素早く行なわれる状態では、そんな余裕はとてもなかったのだ。
夜明け前に塹壕で背中をもたせかけたまま、ぼくたちは眠り落ち、目をさましたときはもう朝であった。そしてぼくは、依然としてエスパーのままだった。
もうひとつの出来事というのは、義勇軍である。
命令が出て塹壕の中で朝食をとったすぐあとに、ガリン分隊長がぼくたちのところへ来て、集まれといった。
「お前たちに、ちょっと注意しておく」
と、ガリン・ガーバンは口を開いた。「もしも武器を持った一般市民を見掛けたら、撃ってはならん。それどころか、無用の関係も持たないようにしろ。あたりさわりのないようにあしらうのだ」
「それは、どういうことなのでありますか?」
コリク・マイスンが訊く。
「義勇軍というのが、近くに来て居すわったんだ」
と、ガリン・ガーバン。
ぼくは、ガリン分隊長の心中に苦笑の気分があるのを感じ取った。
「義勇軍、ですか?」
ラタックが、また問うた。
「うむ」
ガリン・ガーバンは、苦笑をはっきり表情にした。「ネブトの市民たちの、防衛のために立ちあがったという連中が、義勇軍を組織したらしい。その一隊が、わが中隊陣地からあまり遠くない場所に陣取って、協力したいといってきたんだ」
「…………」
ぼくたちは、あっけにとられて、分隊長をみつめた。
「そうなんだ」
ガリン・ガーバンはいう。「お前たちも噂を聞いたかも知れんが、ネプトからのどの道も、避難民で一杯らしい。そんな中でネプトを防衛しようという連中も、いるというわけだ」
そこで、ガリン・ガーバンは黙った。
避難民に関して、ぼくはやっぱりそうかと思った。それ迄の噂では、ネプトに通じる道路のひとつがそうだ、というものだったが……どの道も同じとは……考えてみると、当り前のことである。
にもかかわらず、一部の市民は義勇軍を組織した?
が。
ぼくには、分隊長の気持ちが読めたのだ。
分隊長は、困惑しているのである。
だって、そうではないか。
分隊長の思念によれば、かれらは義勇軍といっても、有り合わせの武器を手に集まったに過ぎず、むろん、訓練らしい訓練も受けていないようなのである。しかも、自然発生的に群をなしたのがそれぞれ勝手に隊を作り、思い思いに動きだしたらしい。義勇軍全体としての秩序も系統も何もないようであった。
それで自分たちの都市を守ろうというのである。
心ばえとしては立派というべきだろう。
だが正直、そんなものが戦力になるとは、ぼくには思えない。思いあがりといわれればそれ迄だが、そんな、何の訓練も受けず命令系統もなく、有り合わせの武器を持っただけでは、どうしようもないではないか。へたをすれば足手まといになるだけである。軍隊とは、即席に、その場でできるものではないのだ。
そしてその感覚は、ガリン・ガーバンにはより濃厚であった。だから、困惑しているのだ。
しかもガリン分隊長の思念によれば、かれらははじめ、わが中隊と共に陣をしきたいと申し入れてきたようだ。中隊長は娩曲《えんきょく》に辞退し、かれらは百メートルばかり離れたやはり森の中に位置を占めたらしい。
「その連中、武装しているのですか?」
コリク・マイスンが質問する。
「火薬を使う小銃や短銃、それに刃物類でな」
ガリン・ガーバンは短く答えた。
その内容と口調だけで、ぼくたちには充分だったといえる。何も読心力などなくても、みんなにも事情は飲み込めたのだ。
「参ったな」
呟《つぶや》いたのは、ラタックだ。
「しかしながら、かれらは、自分たちが本物のネプト市民でありネイト=ダンコールの人間だとの誇りを持っている。持ち過ぎている位だ」
ガリン・ガーバンはいった。「だから、かれらと出会っても、妙に刺激したり威張ったりするなよ。もちろん、かれらのいうことを聞いて従うのは論外だ」
「わかりました!」
コリク・マイスンが、ぼくたちを代表して答えた。
「それだけだ」
いうと、ガリン・ガーバンは塹壕づたいに去って行った。
ちょっとの間みんなは黙っていたが、やがてケイニボが低い声を出した。
「分隊長がわざわざあんなことをいいに来るなんて、その義勇軍とやらは相当な難物らしいな」
「かれらは最初、われわれと一緒に布陣したいといって来たようですよ」
ぼくは、思い切って口を開いた。
みんな、ぼくに顔を向けた。
「知っているのか?」
と、コリク・マイスン。
「その……分隊長の心には、そうあったのであります」
ぼくは返答した。
自分がエスパー化したことを、何も今ここで告白しておく必要はなかったのかも知れない。しかし、いずれはみなにもわかることなのだ。そのときになって、ずっと黙っていたのか、いやな奴だといわれるよりは、早いうちに知っておいてもらうほうがいい、こっちもそのほうが気が楽だ――と思ったのである。
「お前、またエスパーになったのか?」
ケイニボがたずねた。
「どうも、そのようであります」
ぼくは答えた。
そのいい方では、つい今しがたエスパー化したと受け取られても仕様がなかったろう。ぼくにもそのほうが良かったのだ。いい出す機会がなかったとはいえ、エスパー化してからずっと知らん顔をしていた、という印象を与えたくはなかったのだ。そしてみんなは、大体がそのように受けとめたようであった。というより、そこ迄気を回してせんさくしようとする者がいなかった、というのが事実に近い。
しかも、ぼくが何となく抵っとしたのは、ぼくがエスパー化したと知っても、誰もがろくに気をとめようとしなかったことである。以前にぼくがエスパーであったときに馴《な》れていたせいもあるだろうが、それ以上に、ぼくがエスパーであろうとなかろうとみんなの一員であるのに変りはない、ということだったようだ。みんな、平気だったのである。
ただ、コリク・マイスンが、僅《わず》かながら期待の念と共にいったのだった。
「お前、エスパーとしておれたちを助けられそうなときがあったら、頼むぜ」
「自信はありませんが、やれるだけやらせて頂きます」
ぼくは返事をした。もちろんそのつもりはあったものの、大きな顔をして引き受けるわけにはいかないし、何もできないというのも変であろう。それが挨拶というものであった。
ぼくは、ぼくたちの心理に影響を与えかねない出来事というのを述べるについて、おのれのエスパー化に関する事柄をからませ過ぎたかもわからない。
だが、これをいっておかなければ、三つめの、もうひとつの出来事に対するぼく自身の気持ちを理解して頂けないに違いないのだ。
もうひとつの出来事というのは、耳に入ったのではなく、読心で知り得た事柄である。
ガリン分隊長が義勇軍についての注意をして行ったしばらくののちに、中隊長がキリー小隊長などの将校たちを連れて、ぼくたちの塹壕へも視察に来たのだ。
ぼくたちは壕の中で直立し、敬礼した。
そのとき、ぼくは知ったのである。
中隊長以下の将校たちの胸中には、ひとつの事実、早晩そうなる運命だったとしても、なって欲しくなかったことが、揺れていたのだ。
つまり……われわれとエクレーダとの連絡が途絶したという事実である。
交信不能になったのは、エクレーダだけではないのであった。ダンコールの衛星軌道をとってウス帝国軍に抵抗しようとしていたネプトーダ連邦軍の艦艇が、やつぎばやに戦闘状態に入ったのを報じてきて間もなく、次から次へと連絡がなくなり、その時点ではすでにまともな通信は不可能になっていたようである。
生き残りのネプトーダ連邦軍の艦艇は、全部破壊されたか、全部でない迄もほとんどがやられて、もはや戦力を喪失しているということなのだ。
いいかえれば、敵はダンコールの制宙権を掌握し、ぼくたちダンコールの地表に降り立った地上戦隊は、どこからも救援は期待できないということである。
たたかいは、いよいよ最終的様相を呈そうとしているのだった。
ぼくはそのことを知った。
けれども……読心力で知ったこのことを、ぼくは仲間には喋《しゃべ》らなかった。喋ったところで何になろう。どうせ今でも絶望的情勢なのである。この上に絶望的な気分にさせるそんなことを告げて、どうなるというのだ? どのみち敵の、先方がいった通りだとすればボートリュート共和国軍がダンコールに降下してきたとき、わが連邦軍はダンコール宙域において無力化したことは、誰にもわかるのである。
だからぼくは黙っていた。
刻一刻とぼくたちが追いつめられつつあるのを悟りながら、黙っていた。
となれば、自分自身の、うっかり緊張をゆるめればたちまち挫《くじ》けそうになるに相違ない心を励ますためにも、気を張りつめ、精神を高揚させるように努めるしか、ないではないか。そして、それがいつ迄持続できるものなのか、ぼくには何ともいえなかった。
その意味で、ぼくは、長く待つ必要はなかった、と、表現したのである。
樹々の枝葉のかなたの空が、赤く染まりはじめていた。
夕焼けである。
ぼくはみんなと共に、塹壕に背をもたせかけながら、何となくその有様を仰いでいた。
放心、とはいわない。
ぼくたちは緊張していたはずであった。自分自身を支えるために、そうしていなければならなかったのだ。しかし、持続する緊張はやがてしびれに似た感覚となり、しびれはときおり空白を生む。そんなときのぼくやぼくの仲間は、あるいははた目には放心と映ったのではあるまいか。
「敵襲!」
突然、声がひびき渡ったのは、そのときだ。
「敵襲!」
「敵襲!」
あちこちから同様の叫びがあがり、だがそれはすぐ、もっと正確ないい方に訂正された。
「敵、降下中!」
「敵、降下!」
ぼくたちは、夕焼けに染まった空へと、目の焦点を合わせた。樹枝や葉々の隙間の空をみつめるのは、結構厄介だった。
が。
ぼくは見たのだ。
赤い空に、金属片をまき散らしたような、きらりきらりと光るものが、ゆっくりと移動している。
銀色の物体だった。
ひとつ認めると、あと、同じようなのがすぐ横に、きらに少し離れて横にと、いくつも見つけることができた。
群をなしている。
銀色の物体の群れ。
それが全体として、ゆるやかに空を押し流れているのである。
その物体のひとつひとつの大きさがどの位なのかは、ぼくには見当がつかなかった。
しかし、それがみな、降下用艇だとしたら――。
突然ぼくの頭の中に、それらがおそるべき多数の、ぼくたちを攻撃するであろう存在だとの意識が襲ってきた。
一方で、ぼくは誰かの声をとらえていた。
「敵、降下中! 敵、降下中!」
「来やがった! とうとう来やがった!」
ぼくの隣りにいたペストー・ヘイチがどなった。
いや、どなったのではなく、思念だったのかも知れない。
「味方の艦は、やられたのか?」
アベ・デルボだった。「エクレーダもほかの艦も、やられたのか?」
「攻撃部署につけ!」
キリー小隊長の声が聞えた。「第一小隊は、全員、攻撃部署につけ!」
ぼくたちは、塹壕の中を走り、自分たちの受け持つレーザー砲台にとりついた。
あっちこっちで、兵たちが行き来し、どなり合う声。
いや、それもまた肉声だけではなく、テレパシーも交錯していたのかもわからない。ぼくは、落ち着いていちいちそんな仕分けをしているひまも、心理的なゆとりもなかったのだ。
「降下中の敵に照準を合わせよ! 用意!」
再び、小隊長の命令。
ぼくたちは反射的に命令に従った。といっても、樹枝や葉々の間の空を移ってゆく遠い物体を狙うのは、楽ではなかった。
「お待ち下さい。小隊長」
そのとき叫んだのは、いつの間にかぼくたちの近くに来ていたガリン・ガーバンである。
「何だ」
やや離れた、ぼくの視野には入らないところから、小隊長の声が返ってきた。
「この状態からの攻撃は、あまり効果はないと思いますが」
ガリン・ガーバンはいった。
同時にぼくは、ガリン分隊長の思念が流れ込んでくるのを覚えたのだ。近くにいたせいか、思念そのものが強かったせいか、どっと入ってくる感じであった。
それは、連続的な、かつ、整理された判断であった。
ここからこんな状態で撃っても、命中は難しい。
それに、敵にこちらの位置を教えることにもなる。
今は敵の降下地点を見定めて、それから攻撃法を考えるべきだ。
――という思考が、飛び込んできたのである。
かけねなしにいうと、ぼくはそれに同感だった。当然の判断と思えた。
「何をいうか。敵をみすみす降下させていいというのか!」
小隊長はどなった。
そのときにはぼくは、自分の読心力をそっちに向けていたのだ。
しかしぼくは、はっきりと小隊長の思考をとらえることはできなかった。精神集中もできていなかったのであろう。それでも、敵を目の前にしてガリン・ガーバンは何をいっているのだとの疑念や、速すぎてぼくにはついて行けなかったけれども、将校としての指揮法や戦術理論公式とおぼしい一連の事象が、強烈な自負心と共に、小隊長の脳裏を駈け抜けるのは、感知したのである。
しかも。
そのやりとりの間に、夕焼け空には他の陣地から射出されたらしい光条が、細い針のように出現しては消えはじめていたのだ。のみならず、ぼくたちの陣地の他の小隊からの攻撃も開始されていた。
遅れをとってはならぬ――という小隊長の感情をぼくが受けたとき、キリー小隊長は叫んでいた。
「撃て! 撃て撃て! 撃ちまくれ!」
ぼくたちは従った。
従いながらもぼくは、ガリン分隊長の失望というか違和感というか、さまざまな気持ちの入りまじった思念を感じ取っていたのである。
ぼくたちは光条を発射しつづけ……いよいよ濃く染まった空を押し移る降下物体の何個かに命中させた。命中したはずである。だが焔《ほのお》をほとばしらせて爆発したのはただひとつで、あとは気のせいか少し揺れをきたしたに過ぎない。その行方を追おうにも、たちまち樹々の枝と葉にさえぎられて、見えなくなってしまう。
その間にも、降下物体それぞれの大きさには差が生じはじめていた。つまり離れて行くのである。遥か遠くへと降下してゆくのや、比較的近い地点に降りようとしているのや……どうやら、一個一個が与えられた降下点をめざしている印象なのだ。近いといってもぼくたちとは相当距離があったが、そういうのもいたお蔭で、いくつかに命中させ、ひとつは爆破し得たといえよう。
もちろん、光条を命中させたのはぼくたちだけではなかった。ぼくが目撃したのだけでも十個はくだらなかった。光条の中には随分遠くから射出されるのもあるようで、ネプトを取り巻くわれわれの防衛戦がそれだけ広範なのを、そのことは示していたといえるが……敵の降下物体は圧倒的に多く、その程度の損害では打撃になるとは、ぼくにはとても信じられなかったのだ。
やがてぼくたちの位置からは、もう、降下物体は見えなくなり、夕焼けもどんどん褪《あ》せて行った。
夜である。
ぼくたちはまた塹壕の、自分たちにあてがわれた場所へ戻れと命じられた。
それは多分、敵情が判明する迄の待機だったのだと、ぼくは想像する。というのも、ぼくたちが身をひそめている塹壕の上の地上の闇を、いろんな人たちがあわただしく行き来し、連絡し合っている気配があって、中には将校や下士官もいたのだが、他の陣地との連絡の結果得られた情報の思念もまじっており、少しずつ様子がわかってくるのを……ぼくは感じ取っていたからだ。
「おれたち、どうなっているんだ? 何か読心力でつかんだか?」
まっくらな中、すぐ横手にうずくまっているアベ・デルボが、小さな声でたずねてきた。
ぼくは、上を通る人たちの思念から読んだことの大要を喋《しゃべ》った。その時分にはぼくには、敵の降下点は案外まばららしいことや、ぼくたちの陣地からもっとも近いのでも十キロ以上、それもネプトとは反対の山側だといったことを、知るに至っていたのだ。
「そうか。あんなにたくさんやって来たみたいでも……降下してみると、そうでもないんだな」
アベ・デルボが、幾分ほっとしたようないい方をした。
「一番近いので、十キロ以上か。まだしばらくは息をつけるのかも知れんな」
声を出したのは、アベ・デルボのむこうにいたコリク・マイスンだった。コリク・マイスンの声にも、いくらか楽になったといいたげなひびきがあった。
そのふたりのみならず、他の仲間も、当のぼく自身も、いささか気をゆるめていたのは事実である。
おかしいだろうか?
いくら当面はひと息つけそうだといっても、こんな、すでに敵が降下したあとだというのにそんな気分になるのは、おかしいだろうか?
だが、夕方の敵の降下と応射によって、ぼくたちがそれ迄の息づまる緊張を、具体的行動をしたせいでやわらげていたことはわかって頂けるだろう。人間は、何かに備えて身を固くしているときよりも、実際に体を動かしたほうが楽なのである。そういう過程を経て何となく一段落という気分になり……しかも敵が降下したとはいえ、近いものでも十キロも離れているとなれば……何となく、ゆっくりしたくなって当然ではあるまいか? おかしいといわれても、そのときのぼくたちはそうだったのだから、仕方がない。しいて格好をつけるならば、それは、やがてすぐに到来するものに備えての、あらたな準備の段階だった――ということになるのかも知れない。
「と、すると、まだちょっとの間は待機か。おれ、眠くなったよ」
アベ・デルポと逆の隣りにいるペストー・ヘイチが、小さなあくびの音を立てた。
「眠れるうちに眠っておけ。どうせ、何かおこったら叩き起こされるんだ」
コリク・マイスンが応じ、これもまたあくびをした様子だった。
無理もない。
ゆうべから今朝にかけて、二時間しか睡眠時間を与えられなかったのである。
ほどなく、ペストー・ヘイチの寝息が聞えてきた。
他の連中もいやに静かになったのは……うたた寝をはじめたのかも知れない。
ぼくは何となく、笑いだしそうになった。
いくらひと息ついたといっても……たしかに気がゆるんでいるといっても……あまりに平和過ぎる。
いや。
ぼくのそのときの心理は、実はかなり屈折していたのだろう。
ぼくは、自分自身に、これはつかの間ではあっても平安であり平和なのだと、おのれにいい聞かせていたのに違いない。そうすることで、何どか自分をなぐさめようとしていたのに相違ないのだ。
雑談がとぎれ……地上を行く足音やその人々の思念もいつの間にかすくなくなったせいで、ぼくは例の癖――ひとりで想念を追う癖を、よみがえらせていた。
降下してきた敵について、考えはじめたのである。
エクレーダで聞いた話によれば、その話にあった敵のいいかたを信じるならば……降下してきたのは、ボートリュート共和国軍のはずである。
ぼくには、なぜボートリュート共和国軍だけがダンコールに降りてきたのか、見当もつかない。以前に考えたように、ウス帝国の外周勢力であるボートリュート共和国は、ここでウス帝国に対していいところを見せ、忠誠心を示そうというのかも知れない。それによって、ネプトーダ連邦が降伏するか潰滅するかしたのちに、分け前にあずかろうというのかもわからない。それとも……この位の作戦ならボートリュート共和国軍で充分だということになったのか?
しかし、そんなことを追求しても仕方がないだろう。これは、ぼく自身の運命とは全然、あるいはほとんど関係のない事柄だ。やめたほうがいい。
それよりも……。
それよりも、あのおびただしい降下物体は何だったのだろうか。
あれが、ネプトーダ連邦軍における降下用艇にあたるものなのは、たしかだ。
だがその大きさは?
機能は?
われわれのものと比較してどうなのだ?
考えようとしても、ぼくには無理な話であった。何しろぼくは、きょう夕焼け空の中を降下するのに初めてお目にかかったのである。攻撃もしたけれども、それだけのことであった。近くへ寄って観察したわけではない。
これ迄にボートリュート軍とたたかった経験のある者なら、知っているかもわからないが……たとえばガリン・ガーバンなら教えてくれるかも知れないが、そんなことをたずねる余裕もなかったし、状況でもなかった。そして今は訊く相手もないのだから、これ以上考えたって、どうにもならぬ。それに、ガリン・ガーバンやその他の経験者でも知らないということもあり得る。そんな戦況に遭遇していなければ、知りようがないだろうし、大体あの降下物体が新兵器かもわからないではないか。戦争が長びけば、次から次と新兵器が出てくるのは、過去の歴史が示している。
ともかく、あれがどんなものなのかのせんさくはよそう。
では……。
では、あれはなぜあんなにたくさんやって来たのだ?
あれだけの多数で、どうしようというのだ?
ネプトーダ連邦軍の抵抗が大きいと予想されるので、一挙にあれだけを降下させたのか?
しかし、ぼくの常識では(またこんな、素人のしかも古めかしい知識としての常識を持ち出すのは間が抜けているであろうが)いくらおびただしい数であろうと、あんなにあちこちにばらばらに降下させては、戦闘らしい戦闘もできないのではないか? 後方|撹乱《かくらん》とか内応があるとかならともかく、すくなくとも防衛線を破ろうというのなら、兵力を結集して攻めてくるのが本当であろう。
敵は、何か別の作戦を考えているのか?
――と、ひとりではいくら考えてもみのりのなさそうな想念を追っているうちに、ぼくもまた、うつらうつらしはじめていたようである。敵がいつ来るかわからず、塹壕深く身を沈めた窮屈な姿勢でいたというのにそうなったのは、やはり、当面は何もおこりそうもなく周囲が闇で静かだったからであろう。
だが、それは完全な錯覚であり、ひとりよがりだったのだ。
どの位の時間、うとうとしていたのであろう。
突然――何の前ぶれもなしに、ぼくの身体は、はねあげられた。実際にそうだったのか否か何ともいえないが、感じはその通りだったのだ。その衝撃と共に、耳がわんと鳴った。すさまじい音を、ぼくの耳は収容し切れなかったのだ。
何かが、ぼくにのしかかってきた。重い、ぼくを押し潰そうとするものだ。両手ではねのけようとすると、それは割れたようである。
目を開くと、ぼくは塹壕の底に仰向けになっており、崩れた土がおおいかぶさっているのだった。
地面は、まだ揺れている。
一、二秒で、やんだ。
視野は真っ赤である。その中を黄色がかったひろがりが流れて、また赤色に戻った。
そして、熱気。
制装に入っていても感じられる熱気なのだ。
敵の攻撃か――と、ぼくはそのときにはすでにそう考えはじめていた。こんなことは、敵の攻撃でしかあり得ないはずだ。
「大丈夫か?」
声がした。
コリク・マイスンの声だ。
「何だ? 何事ですか?」
叫んだのは、ペストー・ヘイチである。
「動くな!」
コリク・マイスンがわめいた。「頭を出すな! 伏せていろ!」
その通りだ、と、ぼくはとっさに悟り、起こしかけていた身を、もう一度塹壕の底へと投げて、伏せた。
ひいいいいい、と、空気を裂く音がした。
つづいて、どん、と、地が持ちあがる。塹壕のふちの、さっき落ちなかった土が、どさっとかぶさってきた。
ばあっという、何かが燃えあがるような音が聞える。
それでもぼくは、じっと伏せたままでいた。うかつに外へ身を乗り出したりするのは、自殺行為である。
五秒。
十秒。
十五秒……二十秒。
ぼくは、おのれを落ち着かせるため、頭の中で秒数をかぞえていた。それは本物の秒数などではなくぼくなりのペースでだったが、すくなくとも三十になる迄は動いてはならないと、自分にいい聞かせていた。
またもや、空気を裂いて飛来する音があった。
ぼくは頭をかかえた。
地面が動き、轟音がひびいた。だが今しがたのよりは遠かったようだ。
そしてまた、五秒、十秒……。
三十になった。
何もない。
あと、何もなさそうだ。
ぼくは、おもむろに顔を挙げ、両腕で上半身を持ちあげた。
誰かが、身を低くしてしゃがんでいる。
別の影が起きあがってきた。
ぼくも、頭をあげないようにしながら、うずくまった。
横にいたアベ・デルボも身をもたげた。
つい先刻迄は暗くて何もわからなかったのに、そうして仲間の姿を認めることができたのは、塹壕の外が、だいぶ暗くなったとはいえまだ赤色に浮きあがっていたからである。
熱気も、残っていた。
「もう少し、様子を見たほうがいい」
コリク・マイスンがいった。「だが、このぶんじゃ、相当やられたな」
誰も、何もいわなかった。
ぼくたちは、なおもそのままじっとしていた。
が。
「もういいかも知れん」
ややあって、コリク・マイスンがぼくの方向へ手を伸ばしながら声を出した。「そっちのほうが暗いようだ。暫壕づたいに移動して、外へ出よう」
ぼくたちは、這うようにして動きはじめた。壕が崩れてなかば埋っているところもすくなくないので、進むのは簡単ではなかった。
カーブを描いて掘られている塹壕の中を行くうちに、熱気もあまり感じられなくなり、行く手も割合に暗くなった。
「よし。出るぞ。だがまたあのひゅうひゅういう音を聞いたら、すぐに塹壕に飛び込むんだ」
コリク・マイスンがいい、まっさきに身体をのばして、壕の外へ出る。
ぼくたちもつづいた。
出たぼくの目に映ったのは、焔とそれにけむりであった。
樹々が燃えている。
けむりがカーテンのように斜めに流れている。
そのかなた、けむりの間を透かしてみると森の一部が、そっくりなくなっていたのだ。
誇張ではない。
樹々が生い茂っているはずのそのあたりに、ぽかりと空間ができているのだ。
風で、けむりに間隙が生じた。
一瞬、地表が見えた。
露出した土や石……掘り返されたようにでこぼこになった地面。
再びけむりが視界をさえぎり、ついで風向きが変ったらしく目の前が開けた。
根こそぎ吹っ飛ばされたらしい樹や、ちぎれた枝。
樹や枝だけでなく、金属柱や焦げたおおいも散乱している。
その間にまじって、制装姿があった。土砂をかぶって、あっちこっちに、あるいは仰向けにあるいは横にねじれて倒れている。
揺れる焔が、それらを照らし出しているのだ。
そのときにぼくは、何人もの苦痛の意識を感じとり、同時に、気づいていた。
このへんは、たしか、中隊本部ではなかったか?
中隊本部?
中隊本部が潰滅したのか?
しかし呆然としたのは、いっときである。それに、すでにぼくたち以外の兵も、走り出てきていた。ぼくも駈け寄り、手近のひとりを抱き起こした。
うめき声が聞え、痛みの感覚がぼくに伝わってきた。このままでは死ねないという気持ち……だが、それは潮が急速に引くように細くなり、消えた。あと、ぼくの腕の中にある制装のその人間からは、何の思念も流れてこなかった。
死んだのだ。
――と知って、ぼくはあらためてその制装を見直した。
指揮官章がついている。
小隊長だった。
小隊長といっても、ぼくたち第一小隊のキリー小隊長ではない。第三小隊長であった。
二、三人が、ぼくにぶつかるようにしてかがみ込んだ。思念からかれらが第三小隊の連中であると悟ったぼくは、そっとその場を離れて周囲を見渡した。
むこうの、何とか残った樹々はさかんに火を噴いて燃えている。
何人もが動いていた。焔のために、なかばシルエットになっていた。
「負傷者を塹壕の中へ移せ!」
声がぼくの耳を衝《う》った。「いつまた敵の攻撃があるかわからん。負傷者と共に塹壕に入って命令を待て!」
どなっているのは、どうやらどこかの分隊長のようである。
ほかに誰も命令を出していないし、その指示は適切だとぼくは判断したので、そこから右手、三、四人がひとりの負傷者をかつぎあげているのを認め、かれらを手伝うべく立ちあがった。
依然として、焔であたりは照らされている。そのちらちらした眩《まぶ》しさの中、ぼくたちは無言で作業に従事した。多分、制装に入っていなかったら、熱気とけむりで参っていたのではあるまいか。
そしてその火は、幸運といってはいけないのだろうけれども、えぐれて燃えるものがないその場所から、外へ外へと移って行った。森が大火事になるかも知れない――と、ぼくは考えたけれども、とても、消火どころではないのだった。放置するしかなかったのである。
ひとりを運び、またひとりを運んで、ぼくがまた塹壕の底にすわり込む迄、どの位の時間がかかったろうか。塹壕自体、あちこちが埋っていたので、掘り直さなければならなかったのだ。ばたばたという感じでぼくたちは作業をし、時間が全く停止しているような、それでいて結構長い間そんなことをしていたような気がしたけれども……しかとはわからない。
一段落ついた時分には、周囲はまた暗くなっていた。火がずっと外へと去って行ったからだ。そちらのほうではまだ樹々が燃えており、ひょっとしたら大きくひろがっているのかも知れないが……ぼくたちのいるあたりは元の闇を取り戻しつつあった。
ガリン・ガーバンがぼくたちのところへ姿を現わしたとき、ぼくはやはりほっとした。先刻の攻撃で分隊長もやられたのではないか、と、考えていたし、歴戦のベテランであるガリン分隊長がいるといないとでは、ぼくのみならず分隊の全員の士気がまるで違っただろうからだ。
分隊長は手短かに、われわれが受けた損傷を告げた。
中隊長は戦死。
小隊長のひとりもまた死亡(ぼくがかかえ起こそうとした、あの第三小隊長だ)。のみならずキリー第一小隊長は右大腿部に傷を負い、第二小隊長は胸をやられて動けない、とのことである。
分隊長クラスも、何人か死亡あるいは負傷したようだ。ガリン・ガーバン自身、飛んできた何かで左の二の腕に打撲傷を負っていた。制装のおかげでその程度で済んだが、何も着ていなかったら肉も骨も砕けていただろうな、と、ガリン・ガーバンは何でもないことのようにいった。
むろん、兵隊にもだいぶ損害が出たようだ。ガリン分隊長はくわしい数字をいわなかったものの(というより、分隊長本人も、まだはっきりとは把握していなかったようである)耳にした範囲内の事柄は教えてくれたのだ。
そうした話からざっと計算すると、どうやら死者十、重傷十八、軽傷三十から四十というところであろうか。もっともこれは、それ迄にわかっている人数であり、まだ増える可能性のある数字だったが……。
中隊全部で約百八十という人数からすれば、これは相当な損害である。
いや、隊長クラスに関していえば、決定的ですらある、
この、隊長クラスのほうの死傷率が高かったのは、いう迄もなく、中隊本部が被弾したためであるが……ぼくは、ガリン分隊長の胸中に、だからいわないことではない――といいたげな感情が揺れているのを読み取っていた。ガリン・ガーバンの思考によれば、中隊本部がやられたのは、敵がこちらの位置を突きとめていたからであり、それは昨夕の、あまり効果があったとは思えないレーザー攻撃が原因なのであった。降下中の敵は、それによってわれわれの陣地のありかを知り、着地してから狙いをつけたに相違ない、ということになるのだ。事実、そうだったのではないか、と、ぼくも思う。しかしガリン・ガーバンはそんな愚痴を口に出したりはしなかったし、ぼくも(ガリン・ガーバンはすでにぼくのエスパー化を、分隊の誰かから聞いていたようだ)そんなことを感じ取ったのを、表情にも出さないように努めたのだ。
それはともかく。
ガリン分隊長はぼくたちに、損害に伴う当座の指揮官の変更と、それに当面の隊としての方針を伝えた。もともと分隊長は、このことをいうために来たのだ。
中隊長の戦死により、今後は第一小隊長のゼイダ・キリー主率軍が中隊の指揮をとる。
となると第一小隊はどうなるかだが、これは第一小隊の第一分隊長が、小隊長としての任にあたる。
第二小隊は小隊長が重傷だけれども、小隊長としてはそのままで、第二小隊の第一分隊長が補佐。
小隊長を失った第三小隊は、第三小隊第二分隊長が指揮する。
分隊長が小隊長になった分隊は、分隊最上級者が分隊長になる。
これは、理屈としてはぼくにも良く理解できる措置であった。
中隊長がいなくなったとすれば、誰かが中隊の指揮をとらなければならない。それには中隊長に次ぐ地位の将校が適当であろう。率軍長の中隊長に次ぐのなら、当然主率軍になり、主率軍のうちでも先任で、しかもこれ迄隊長を務めていた者が第一候補になるわけだ。その点では、ゼイダ・キリーはたしか先任主率軍だったはずだし、第一小隊長であり、あとのふたりの小隊長は、動けないか死亡してしまっているかであるとすれば、キリー主率軍が中隊長にならざるを得ないであろう。
もっとも、ガリン・ガーバンの話では、キリー主率軍は、主率軍のままで中隊長を務めるらしい。エクレーダでのあの一斉昇進は、下士官・兵だけで、将校には関係がなかった。将校の階級決定はもっと上のほうでなされるからそう簡単に行かないのだろう、と、そのときぼくは考えたのだが、こういうさいでもそれは厳格なのかも知れなかった。だがまあ、この措置はあたらしい中隊長が着任する迄のいわば一時的な代行であるはずで、しかもゼイダ・キリーよりも上級者がここにはいない今、キリー主率軍自身がどうすることもできないのも、またたしかだ。あたらしい中隊長が来るか、キリー主率軍が中隊長に任じられて率軍長に昇進するのか、いずれにしてもそんな決定は、部隊とか大隊の上層部でなされるのであろう。
そして小隊長とか分隊長の補充のしかたも、ぼくに頷《うなず》ける。中隊にしろ小隊にしろ、もちろん分隊に至ってはなおさらのことだが、それぞれはひとつのチームであり一体だ――というのが、ぼくたちの常識なのだ。これを将校の数が足らないとかその他の理由で、こんなときに指揮系統を改編し隊を組み直したりしていては、混乱するし呼吸も合わないであろう。従来のかたちを保ちつつ気心のわかった人間が指揮するのがいいに決まっている。
ついでにいえば、ぼくたち第二分隊は、これ迄通りガリン・ガーバンが分隊長なのだから、何の変りもないのだった。
繰り返すが、これは理屈としては理解できるのだ。
しかし。
正直なところ、キリー主率軍に中隊長が務まるのだろうか?
こんなことを考えてはいけないのだろうが……ぼくには少し不安なのであった。
ガリン・ガーバンもそう感じているのを、ぼくは読み取った。だがガリン・ガーバンはこのことを、努めて抑えつけようとしていたのだ。ぼくもそうすべきなのであろう。
それにまた、下士官に小隊長がやれるのか――との懸念もある。ぼくはよくは知らないけれども、将校になるためには率軍候補生としてのきびしい訓練を経なければならないので……たしかにあたらしく小隊長なり小隊長補佐なりをやることになった第一分隊長たちは、エレクレーダでの一斉昇進で幹士長から率軍候補生に進んだ者ばかりだったが、それは正規の教育や訓練を受けた本物の率軍候補生ではなく、階級がそうなっただけなのである。いわば名目だけの率軍候補生なのだ。それで将校の任に耐えられるのか?
こういった場合、本来ならまだ、それ迄は命令系統の外に置かれていたといっても本物の率軍候補生を小隊長に充てるほうがましではないのか? といっても、ぼくたちの中隊には、それがいないのだった。本当の、率軍になるために訓練中の率軍候補生はもとより、特別任用の率軍候補生だっていなかったのだ。ハイデン部隊本部にはたくさんいたかれらは、今度の作戦で部隊長の下に集められたようで、ぼくたち第二中隊にはつけられなかったのである。率軍候補生の金筋を袖に巻いているのは、みな、実際の中身は幹士長だったのだ。
ぼくはこのことについても、ガリン・ガーバンがどう受けとめているのかを探ろうとして……案外な事実に遭遇した。
ガリン・ガーバンは、その点については何の心配もしていなかったのだ。分隊長の心の中には、むしろこんな状況では、へたな新任将校よりも古手の下士官のほうがずっと信頼できよう――との意識が存在していたのである。
なるほどこんな状況ではそうなのかもわからないな、と、ぼくは、それも半分肯定したい気分になった。
ぼくは、急場しのぎのこの人事について、少しくどくどと述べ過ぎたかも知れない。
しかし、急場しのぎであろうとなかろうと、指揮官|如何《いかん》ではぼくたちの運命や生死にかかわってくるのだ。ぼくがいささか神経質になったのは、わかって頂けると思う。
指揮官変更はそうなったとして……ガリン分隊長が伝えた隊の方針は、指揮官変更に対するぼくの今のような想念をちりぢりに吹き飛ばすというか、ぼくの懸念をさらに強めたというべきか……とてもよろこべるものではなかった。
わが中隊は別命ある迄ここを死守するのだそうである。
命令の内容自体は、もっともだと考えられなくもない。
ただぼくは、ガリン分隊長の思念から、そうなった経緯を読み取ったのだ。それによると、これはキリー中隊長[#「中隊長」に傍点]のやむを得ざる決断であり、なぜやむを得ないかといえば、現在のわが中隊が敵の攻撃で連絡用機器のすべてを失ったために他との連絡がついて情勢判断が可能になる迄、とにかくここを守るしかない――ということのようであった。
それで死守とは、あんまり意味がないのではないか?
しかし、中隊長の決断は決断だ。従うしかなかった。
こう話してくると、やはり述べ過ぎたかなとの気がする。随分時間が経過したような印象を与えたのではあるまいか。
だが、ことのなりゆきとそれに対するぼくの想念をいちいち並べ立てたから長くなったものの、実際には、敵の攻撃を受けてからそんなに経ってはいなかったのだ。ガリン・ガーバンがおしまいに、戦死者は朝になるのを待って葬る、と告げ、応急に設けられた中隊本部へと塹壕づたいにいったん去って行ったときも、朝どころか夜明けすらまだまだ遠かったのである。
ぼくたちは、また塹壕の底にすわり込み背をもたせかけた。
あれだけの攻撃があったのだから、朝迄は休めるのではないか――という漠然とした期待があったのは、否定できない。
そして、死守≠セ。
そうするしかない。
事実はそれどころではなくなったのだが……しかしその前にぼくは、つづいて起きた出来事を、二つ三つしるしておかなければならない。
ガリン・ガーバンが行って間もなく、ぼくは何人かの――仲間ではない人間が塹壕に接近してくるのを知った。
仲間ではないとぼくが悟ったのは、むろんテレパシーのせいもある。第二中隊の者にしてはどうも異質の思念だったが、だがそれは、先刻迄の名残でまだ地上を行き来している隊員たちのテレパシーと入りまじって、はっきりとは捕捉できなかった。それよりもぼくは、近寄ってくるかれらの足音や気配が、仲間のものではないことで、そう信じたのだ。隊員たちの動き方には、たしかに一定の型というべきものがおのずからできてしまっており、かれらはその型からはみ出していたので、すぐにわかったのであった。
「誰か来るぞ!」
ぼくは小声で、両隣りのアベ・デルボとペストー・ヘイチに警告した。
が……動作や気配からのそうした察知力は、ぼくならずとも当然他の隊員も身につけている。
ぼくが声を出したのとほとんど同時に、むこうのコリク・マイスンが立ちあがって叫んでいた。
「誰だ? 止まれ! さもないと撃つぞ!」
足音がやんだ。
「われわれは、ネプト防衛義勇軍の者だ」
男の声が返ってきた。それも、多少なまりはあるものの、意外なことにカイヤツ語だったのだ。「さっきの攻撃でわれわれも大きな打撃を受けた。残ったわれわれをそちらの陣営に組み入れて欲しい」
「何だと?」
コリク・マイスンが反問したのは、いう迄もなく分隊長が注意したあの連中が来たのか、と、思ったからだ。ぼくはコリク・マイスンの困惑と腹立たしい気分とを感じた。
「われわれは、潰滅状態だ。逃げ出した奴もいる」
男の声はつづけた。「しかしわれわれは少数だが、あく迄もネプトを守り抜く覚悟を固めている。一緒にたたかわせてくれないか」
「…………」
コリク・マイスンの困惑は、さらに強くなった。変に相手を刺激してはならないし、さりとてかれらのいうことに従ってもならぬと釘をさされているのだから、そうならざるを得ないだろう。
とはいえ、塹壕のこのあたりでは、コリク・マイスンが最上級者なのであった。ちょっとためらったのち、コリク・マイスンはすぐに返事をした。
「申し訳ないが、それは私の一存では決めかねる事柄だ。分隊長にお伺いをするから、そのままでしばらく待って頂きたい」
「…………」
「イシター・ロウ、お前、分隊長にお伺いを立てて来てくれ」
コリク・マイスンは、ぼくに命じた。
「わかりました!」
ぼくは答え、地上へあがった。塹壕づたいが安全なのはわかっていたけれども、それでは時間がかかる。それに今の様子では大丈夫だろう、と、とっさに判断したのだ。
応急の中隊本部へと向かいながらちらと目をやると、黒い人影のかれらは六、七人で、しかとは見て取れないが不揃いな姿のようであった。
中隊本部へと走る、といっても暗くて足元が定かではないので、気をつけねばならなかった。
その間にも、ぼくは考えていた。コリク・マイスンがぼくを指名したのは、分隊長はどういうかわからんが読心力でその真意をつかんでこいということに違いないのだ。
中隊本部には――それが応急の本部であるのは本当だとしても、およそ本部の名称には値しそうもない代物《しろもの》だった。円形に土を掘ってかたちばかりのおおいをしてあり、その中にキリー中隊長以下が集まっているのだ。本部には、ガリン分隊長もいた。乏しいながらもここにはあかり(といっても携行品のろうそくである)がともされているので、識別できたのだった。
「第一小隊第二分隊のイシター・ロウ、分隊長にご用があって参りました」
ぼくは、外の地上から名乗った。
「何だ?」
ガリン・ガーバンが出て来た。
ぼくは事情を話した。
「ちょっと待て」
ガリン・ガーバンはいうと、また下へ降りる。
相談している様子だ。
そして、これを単独にひとつの出来事に数えていいのかどうか……いや、そんなことはどうでもいいのだが……下からの光を浴びて待っていたぼくに、そのとき、歩み寄ってきたひとりの制装が、何秒かこちらをためつすがめつしてから、呼びかけたのであった。
「イシター・ロウ?」
その前にぼくは、相手の制装のヘルメットに観察要員のしるしがついているのを見て取っていた。重制装の場合は、観察要員とぼくたちはひと目で区別できる。ぼくたちのように制装操作に習熟していない観察要員は、軽快で扱い易い制装を使うしかないのだ。それだけ制装としての機能や安全度は劣るわけだが……。しかし比較的操作が楽な軽制装にあっては、観察要員のものもぼくたちのとあまり変らず、瞬時には識別しがたい。なのにぼくが相手を観察要員とすぐに認め得たのは、つねに制装を着用し相手が小隊長や分隊長であるのを確認するために反射的にヘルメットのマークを見る癖がついていたからである。
相手が観察要員で、かつ、そんな真似をしたために、ぼくは、ひょっとしたらそうではないかと直感したのだけれども……声はやはりライゼラ・ゼイであった。
「そうであります」
ぼくは答えた。
「わたし。わかる?」
と、ライゼラ・ゼイ。
「わかっております」
ぼくはいった。ライゼラ・ゼイのその名前を出さなかったのは、こんな場所では彼女に敬称をつけなければならず、その敬称がまた彼女の率軍待遇者というあいまいな地位のためにとっさに適当な言葉が出ず、さりとて観察要員の上に名前をつけるのも変な気がしたからである。
ただ観察要員というのならともかく、ライゼラ・ゼイ観察要員と呼ぶのは、どこか妙な感じなのだ。
いや、これだけでは正確でない。
ありていに白状すれば、ぼくは、問いかけた彼女のやわらかな調子から、それでいいのだ、彼女の名を口にしないほうがむしろ相手の意に沿うのだ――との気がしたのである。
「無事だったのね。良かった」
ぼくの返事に呼応するように、ライゼラ・ゼイはいった。「わたしもおかげで……何とか無事」
「それはよろしゅうございました。どうかお大事になさって下さい」
ぼくは応じた。もっと気持ちをこめたいところだったが、上級の人間にいうにはその表現で精一杯であった。
「有難う。――でも」
いいかけて、ライゼラ・ゼイは口をとざした。
ぼくは、ああと思った。
ライゼラ・ゼイの心は暗かったのだ。この先、いずれは死ぬことになるのだろう、どう考えても戦況は絶望的だ、という諦めと重い予感が、彼女を領していたのである。そしてそれは、ずっと持続しつついよいよ大きくなっていたみたいだった。ぼくにはそう思えたのだ。
だがこれは、仕方のないことだろう。ライゼラ・ゼイは、ぼくたちのような戦闘員ではない。しかも、なまじ観察要員としてさまざまな情報を入手し得る立場にあるだけに大局が見えて、余計にそうならざるを得ないのであろう。大体が、戦闘員のぼくですらが、緊張としびれたような感覚によって、やっとおのれを支えているのだ。彼女の心理をどうこういうのは、思いやりのない所業とすべきであった。
けれどもライゼラ・ゼイは、ぼくが驚くほどの克己心でその気分を何とか胸の奥に押し込み、ぼくに顔を向けると、低い声を出したのだ。
「元気でね。イシター・ロウ」
その彼女から、ぼくはまぎれもない好意のテレパシーを受け取っていた。いつかまた、ゆっくりとお喋りしましょうね、という思念がぼくを包んだのであった。のみならず、この気持ちがわかってくれればいいけど、あなたは今エスパーじゃないんだから……との少し残念そうな気分も感じられたのだ。
「あなたこそ」
ぼくは、上級者に向かってそんな言葉を使ったら咎《とが》められかねない、というより、あきらかに咎められても仕様がない言葉で酬《むく》いた。
ライゼラ・ゼイは、にこりとした。暗い上にヘルメットをかぶっているから表情はわからなかったが、彼女の心がそのことを告げていた。
「じゃ、また」
いうと、ライゼラ・ゼイは、身をかがめて本部に入って行った。
ガリン分隊長は、まだ出てこない。
だが、それは当り前かも知れなかった。ライゼラ・ゼイとぼくのやりとりは、僅か数語の、間隔を置いたものだったとはいえ、ごく短いものに過ぎなかったからだ。
それにしても――と、ぼくは突然思った。
ライゼラ・ゼイは、ここにいたのがぼくだということを、なぜわかったのだろう。それはたしかにぼくの制装の胸には名札がついているが……こんな暗さでは簡単には読み取れないはずだ。
下からのぼんやりしたあかりで読んだのか?
それとも、はじめにぼくが名乗った声を、こっちへ来る途中に聞きつけたのか?
でないとしたら、ぼくの姿、みんなと同じような制装のぼくの、その姿勢とか動作からぼくと判別したのか?
わからない。
いずれにせよ彼女は、ときどきぼくのことを思い出していたのではないか、と、ぼくはふと考えたりした。意識のどこかにぼくのことがあったから、あれだけの時間でぼくを識別したのではあるまいか? 別れる間際の、あの好意的なテレパシーから類推しても、その可能性はありそうだ。
待て。
イシター・ロウ、お前は何を考えだしているんだ?
いい気になるな。
調子に乗るんじゃない。
ぼくは、自分自身を戒め、気持ちを引き締めた。
が。
それはそれとしても……ぼくがエスパー化しているのを、ライゼラ・ゼイに告げる機会がなかったのは、ちょっぴり心残りであった。告げれば、彼女の思っていたことがぼくに伝わったのを、知ってもらえたであろう。
ぼくはそこで、身体を立て直した。
ガリン・ガーバンが出てきたのだ。
「行こう」
ガリン・ガーバンはいった。「おれが自分でかれらと話そう。どうせ、これからあとは分隊長も部下と共に塹壕にいてもいいことになったんだ」
先に立って歩きだすガリン分隊長に、ぼくはつづいた。
ぼくたちの壕に来た。
義勇軍の連中は、塹壕の外にすわり込んでいる。
かれらは、ガリン・ガーバンとぼくを認めて立ちあがった。
「随分、手間どるものですな」
はじめにぼくが聞いた声の男が、苦情を述べた。例のなまりのあるカイヤツ語だ。「これでもわれわれは本気でたたかうつもりなんだ。味方を遇するにしては、いささかつめたいのではないですか」
「あなたがたの勇気には、敬意を表する」
ガリン・ガーバンは塹壕越しに応じた。「そして、こんな困難なたたかいには、味方がひとりでも多いほうがいいのも事実です。われわれはあなたがたを歓迎します」
六、七人の義勇軍の残党は、よろこびの声をあげた。
同時にぼくは、コリク・マイスンをはじめとする分隊の仲間の、不満と、分隊長は何をいいだすんだ――という疑念のテレパシーを感じた。
分隊の連中にしてみれば、それが当然の反応だったろう。
自分たちの分隊長が、のっけからいつもの分隊長らしくもない丁寧な言葉遣いをしたのに毒気を抜かれ、それはまあ先方が本来のネプト市民でありネイト=ダンコールの人間だとの誇りにこり固まっているというのならやむを得ないやり方だと渋々納得したものの、その分隊長が、かれらを歓迎するといい、自軍に迎え入れそうな口吻《くちぶり》になったものだから、一斉に抗議でもしかねない雰囲気が生じたのだ。が……そこはガリン・ガーバンに心服している隊員である。誰も声に出しては何ともいわなかった。
「ただ、われわれはあなたがたを、こちらの隊列に組み込むことはできない」
ガリン・ガーバンはつづけた。「われわれはあなたがたに塹壕を使っても貰うし、共同戦線も張って頂く。しかし、隊としてはあなたがたは独立して、自主的にたたかって欲しいんです」
「どうしてですか? なぜ、あなたがたの一員にしてくれないのですか?」
はじめの男が問うた。
軍隊というものがわかっていないな――と、ガリン分隊長の横で聞きながらぼくは思った。ぼくごときが軍隊を云々《うんぬん》するなんて笑止だ、と、いわれればそれ迄だが……しかし、訓練の度合いがまるで違う、というより、先方は素人か素人同様なのである。こんないいかたが思いあがりなら、装備がことなるということもある。ぼくたちの装備と同じものを貸与したら一緒にたたかえるではないか――と、先方は主張するかも知れないけれども、例えばかれらが、すぐに制装を使いこなせるはずがないのだ。第一、せっかくこれ迄に作られてきた、ぼくたちの一体感ともいうべきものが、異質な存在を入れることで、おかしくなってしまうではないか。
ぼくの、自分たち本位の、勝手ないいかたかも知れぬ。
だが、事実、そうではなかったか? 兵隊としての生活でこちらの頭が固くなりどこか偏狭になっていたのは、否定すべくもないけれども、それがそのときのぼくの本音だった。
でありながら……こんなことを露骨にいえば、先方は侮辱と感じるだろう。
ガリン分隊長は、どう答えるつもりなのだ?
ぼくが読み取ろうとする前に、しかし、ガリン・ガーバンは口を開いていた。
「われわれには、われわれの命令系統や流儀があります」
ガリン・ガーバンはいった。「われわれとしては、このダンコールのネプト市民であるあなたがたに、頭ごなしに命令するというようなことは、したくないのです。といって、あなたがたがわれわれの指揮をとるのも、また無理でしょう」
「それはそうだが……しかし」
男は抗弁しかけた。くらがりの中で表情はさっぱりわからないが、思念はあきらかに不満を帯びていた。
「お伺いしますが、あなたがたは、全員、カイヤツ語を話すのですか?」
ガリン・ガーバンは二の矢を放った。
「いや……。私だけです」
と、男。
「われわれは、ほとんどがカイヤツ語しか話せません」
ガリン・ガーバンはいった。「ネプトーダ連邦筆頭ネイトのダンコールの言葉を話せないのは申し訳ないのですが、事実なのです。言葉がろくに通じないのでは、同じ隊員としてたたかうのは無理ではないですかね」
「…………」
男の思念は、仕方がないというものに変った。
それで話はついた。
ガリン分隊長は、ぼくが考えたような、真正面から難点を数えあげるという方法はとらず、先方を適当に持ちあげながら相手の要求を事実上拒否したのだ。武骨一点張りのようなガリン分隊長の、思いがけないそんなしたたかさは、とてもぼくなどの及ぶところではないのであった。
ともあれ……中隊本部ではあらかじめその打ち合わせができていたらしく、ガリン分隊長は、ぼくたちの塹壕の、しかしだいぶ離れた場所にかれらを入れた。
出来事というのは、もうひとつある。これもまた、ライゼラ・ゼイとの会話同様、出来事というほどの事柄ではないかも知れないが……述べておくべきだろう。
義勇軍を称するその六、七人が、あてがわれた場所に陣取った頃は、それ迄隊員たちが忙しく行き来していた地上もかなり静かになり、ときたま、誰かれが通りかかる位になっていた。
そこでぼくは、レイ・セキ――第三小隊の準幹士、いや現在は主幹士である、ぼくと同じく不定期エスパーのレイ・セキに、思念で呼びかけられたのだ。
レイ・セキは、ぼくたちの塹壕の近くを通りすがりに、ぼくのテレパシーをとらえたようである。
(やあ、イシター・ロウ)
だしぬけに思念を投げかけられて、ぼくは身動きひとつしなかったとはいえ、ぎくりとしてそっちへ心を向けた。
(お前、またエスパー化しているんだな)
ゆっくりと闇の中を歩む足音と共に、思念が強くなってくる。
そのときにはぼくは、相手がレイ・セキであるのを悟っていた。
(そちらも、エスパー化しているようでありますね)
ぼくは思念を返した。
(おい、敬語を組み込むのはよせ。テレパシーではそんな飾りがあろうとなかろうと、相手にどんな気持ちでいるのかいやでもわかると、前にもいっただろう?)
レイ・セキはたしなめる。(おれもしばらく能力をなくしていたんだが、少し前から戻ってきたんだ)
足音が消えたのは、レイ・セキが立ち止まったせいだろう。
(ま、お互い、運が良かったぜ)
と、レイ・セキ。(今度のこの戦闘、どう見てもどうしようもないが、それに、おれたちの能力もいつ消えるかわかったものではないが……力をとことん活用すれば、いくらかは長く生きのびられるだろうからな。そうだろう?)
ぼくは、テレパシーで肯定した。
(しっかりやれよ。おれもやるからさ。――じゃ、な)
再び足音がし、レイ・セキは思念もろとも遠ざかって行った。
ぼくはそのままの姿勢で、今のやりとりを思い返す。
レイ・セキは、自分がこの時期にエスパー化したのを、幸運だと考えていた。与えられた力を存分に活用すれば、多少は長く生きのびられるだろうからだ。ま、こんな状況であるからには、レイ・セキも洩らしたように、それはいくらか≠ナあって、大して意味はないかも知れないが……。
この感覚は正直いって、ぼくの気持ちと似ている。
というより……ぼくのほうがレイ・セキに似てきたと解釈すべきだろう。ぼく自身がおのれの能力を使おうと思うほど、自信らしいものを持ちはじめていた、ということになるからである。
それにしても――と、ぼくは、突然不思議な気分になった。こんなふうにテレパシーだけで意思を伝え合うのは久し振りなのだが、にもかかわらず今は、格別そのつもりになったり構えたりせず、ごく自然に会話に入っていたのだ。とすればぼくは、やはりそれだけ自己の超能力に(すくなくともテレパシーについては)馴れてきたのではあるまいか?
だが……だからといってぼくが、心丈夫になったりしたのでないことは、もちろんである。これらは所詮気休めにもならぬ、ちらりと脳裏に霧のように浮かんだ想念に過ぎなかったのだ。
まだ夜は明けなかった。敵弾飛来とそれにつづくばたばたが次から次へとおこっているうちは、何かと目まぐるしく、ろくにものを考えたりするような余裕もなかったが、周囲が静まり返り闇が一層濃くなると共に、時間がゆっくり過ぎてゆくようになった感じであった。ぼくは昔何かの本で、暁の直前に夜が極まる――との文章に出会った記憶があるけれども、なるほどそんなものかなと思ったりした。
でありながら先刻の(それが随分前のような気がする)被弾直前のように、われ知らずうとうととしたりしなかったのは、いつまたどんな不意打ちがあるかもわからないという警戒心が嫌でも働かざるを得ず、ために、自分で考えている以上に緊張していたせいであろう。ぼくはきわめて敏感になっていたようだ。そしてそのことが、ぼくや、ぼく以外の何人かの命を救う結果になったのである。
最初は漠然とした影さながらの意識であった。それが少し、少しずつ濃くなってくるにつれて、凹凸が生じ、ところどころが尖《とが》ってきたのだ。尖っているのは殺意であった。闇の奥でそのひろがりが個々に分離すると、ひとつひとつに強弱の差こそあれ、殺意を抱いた人問の集団であることがわかった。はっきりとは把握できないものの、百人以上いるのはたしかである。それが統一された秩序のもとに、ひたひたと寄せてくるのだ。
なおも近づいてくる。
ひっそりと……まだぼくの耳は物音を捉えるに至らないが、迫ってくるのであった。かれらが手に何かを持ち息を殺して、地面すれすれの高さを保ちつつやって来るのを、ぼくは感知したのだ。
「来るぞ」
ぼくは両横の、アベ・デルボ、ついでペストー・ヘイチに早口でささやいた。「襲撃だ。大勢やってくる」
ふたりとも何の反問もせず、ぼくから遠い隊員に小声で告げた。順送りに、ぼくの警告は波となって伝わって行った。
接近者たちはいくつかの群に分れつつある。そのひとつの十数名とおぼしい連中の意識が際立って強くなってきた。ぼくたちの壕を襲おうとしているのだった。
もう、すぐそこだ。
「来た!そこだ!」
ぼくはわめきながら中腰になり、瞬間、頭だけを出して、かれらのいるあたりの闇をレーザーガンで掃射した。
苦痛と狼狽《ろうばい》の感覚があった。うめき声やどさっと倒れる音もあがった。
が。
敵側のひとりが低いけれども鋭い叫び声を発すると(それが突っ込めという意味の命令なのがぼくにはわかった)かれらは塹壕のふちへと走り寄ってきたのだ。
ぼくの眼前にも人影が浮かびあがった。闇なのになぜそんなものが見えたのかと問われても、ぼくにはちゃんとした返事はできない。目が馴れたのか、相手が動いたので本能的にわかったのか、あるいはその思念を捉えていたので見えるような気がしたのか……多分それらの混合ではあるまいか。いずれにせよぼくにはそんな検討をしているひまなどはなかった。ぼくは反射的にレーザーガンの狙いを定めて撃った。相手の影が見えなくなった。
そのときにはもう、次の影が出現していた。今撃ち倒したはずの相手の意識や、今度の相手の思念などを感知してなどいられなかった。すでにそのあたり、無数といっていい意識や感情が交錯して、何が何やらわからなくなっていたのである。
ぼくがレーザーガンを構え直す前に、そいつから何かがぶんと飛び出した。気配と音だけでそうと感じ取ったのだ。ぼくは塹壕の底にころがって、それを避けた。
そいつは壕の中へと、飛び降りてきた。ぼくが起き直るのと同時であった。
ぼくはレーザーガンを手に、しかし、ほんの僅かの間、ためらった。壕内で発射して外れれば、味方に命中するかも知れなかったからだ。
相手が動いた。何か長いものがぼくの手首を払い、ぼくはレーザーガンを取り落とした。制装を着ていなければ手首そのものがやられていたかもわからない。
落ちたレーザーガンを捜して拾うのはもとより、レーザーガンの行方に気をとられること自体が自殺行為であった。レーザーガンを叩き落とされるや否や、ぼくはとっさに後退して敵との距離を取り、もうひとつの武器――伸縮電撃剣を出し、柄を握っていたのだ。
相手から何かが素早く伸びてきた。
槍なのだ。
伸縮する槍なのである。
身についた剣技で、ぼくはその槍を払いのけた。それも、伸縮電撃剣の定法で半分も伸ばさずに外したのだ。うかつに剣の全長を見て取られると間合いをはかられるからである。
相手の槍が縮んだ。
だが……あとになって思ったのだが、ぼくは相手の何を見て、相手をつかんでいたのだろう。さきの最初の人影のときと同様、しかとはいえない。さっきいったようにいろんな要素の混合と……さらには、これはふつうのエスパーとしての能力ではなく修練を積んだ者が体得する殺気探知力とでもいうべき、あの感覚も加わっていたのかも知れないが……相手がそこにおり、どう動いているかわかったのである。のみならずその相手は、ぼくたちのように制装を着用しているのではなく軽装で、黒く塗ってはいるものの顔も手も剥《む》き出しであること迄、識別できたのだ。いや、半分は感じ取ったというべきであろう。
顔や手が剥き出しなら、伸縮電撃剣で充分だ。
ぼくがそう思ったとき、相手は槍を一杯に伸ばしつつ、力まかせにぶつかって来た。
ぼくは身を開いてかわした。
かわして――自分の剣を最長にし、相手の顔を叩いたのである。ずっと前に述べたように伸縮電撃剣は一般電撃剣と違って刺すことはできない。伸ばし切った細さでは突きささらないのである。だから短く太い金属棒として打撃を与えるか触れて電撃を与えるかの、ふたつのたたかいかたをとるのだ。
電撃の効果は強烈だった。相手はものもいわずにのけぞって倒れた。
ぼくは体を立て直した。
すぐ近くで、ふたつの体がぶつかり合っていた。ぼくは思念を捉えた。上になっているのが敵で、下がペストー・ヘイチだった。ぼくは走り寄り、最短にした剣で、敵の後頭部を力一杯なぐりつけた。敵の動きがとまった。
「済まん」
敵の下から這い起きたペストー・ヘイチが短くいい、それからつけ足した。「この連中、闇の中でも目が見えるんじゃないか? どうもそんな感じだぜ」
あ、と、ぼくは思った。
いわれてみればそうとしか考えられなかったからである。
こんなところでこんな話を持ち出すのは妙だし、これはあとになってからゆっくり考え直してみたりもしたことなのだが……置かれた環境や訓練によって、人間は闇の中でもある程度ものを見ることができるようになるという。すくなくとも一般の人間よりはずっと高い能力を持ち得るのだそうだ。それに、持って生れた素質ということもあるだろうし、また、敵はボートリュート共和国の人間のはずで、かれらははじめからそんな能力を持っていたのかも知れない。でなければ、訓練によってそうなった連中が選抜されて襲撃に来たのかもわからない。本当のことは知る由もないけれども……ぼくが今しがた遭遇した敵の動きを思えば、たしかにペストー・ヘイチの言葉は当たっているとしか考えられないのであった。
「そのつもりでいたほうが良さそうだ」
ぼくは応じた。「それに、奴らの伸び縮みする槍にも気をつけろ」
「おう」
ペストー・ヘイチはいった。
そんなやりとりが可能だったというのも、そのときのぼくたちのいるあたりは、偶然、一種の真空状態の観を呈していて、何秒かの余裕があったからなのだ。
だがぼくたちはすぐに、周囲の様子を見て取った。
壕の中でも外でも、乱闘の状態のようであった。あちこちでレーザーが閃《ひらめ》き怒号があがり、嵐のように思念や感情が飛び交っているのだ。
と。
強い殺意を感知して振り返ったばくは、いつの間に出現したのか壕のふちに立った敵が、例の槍を飛ばすように伸ばしてくるのを認めた。
ぼくは辛うじて体を移し、相手の槍をつかんでぐいと引いた。
敵は壕の中へ落ちて来た。
ペストー・ヘイチのレーザーガンが閃くのと、ぼくが電撃を与えるのが、ほぼ同じ瞬間だった。相手からどっと苦痛の念が襲って来て、消えた。
「お前、超能力でわかるのか?」
ペストー・ヘイチが問うた。彼には今の敵の出現が見えなかったようだ。
「どうなっているのか、わからん」
ぼくは答えた。「それより、上へあがったほうがいいんじゃないか? 壕の中にいたら上から狙われるだけだ」
ぼくがそんなことをいったのも、以前何かの機会で、戦闘で高い場所と低い場所とでは高いほうが有利だ――という話を聞き込んだ覚えがあるせいで、それほどの確信があったわけではない。
しかしペストー・ヘイチは(その思念でわかったのだが)一も二もなく賛成して頷き、壕の外へとあがりはじめた。ぼくもそのときには同じことをしていた。
くらがりの中、至るところでたたかいが行なわれているようだ。
「あかりだ!」
外へ出たぼくの耳に、ガリン・ガーバンとおぼしい声が流れて来た。「誰か、あかりをつけろ! あたりを照らせ!」
そうなのだ、と、ぼくは気がついた。
あかりをつければ、こちらにも敵の動きが良くわかるはずだ。
といって、まさか携行品のろうそく片手にたたかうわけにも行かないではないか。
――と、ぼくが首をひねるかひねらないうちに、遠くがぱっとあかるくなり、樹々のシルエットが浮かびあがった。
つづいてもうひとつ、これは樹々の間を通って、眩しく左手のほうを照らし出したのだ。
ぼくたちのいるあたりが直接照らされたのではないが、それだけでも充分だった。周囲がはっきりと肉眼で見て取れるようになったのだ。
多分、前の中隊本部は吹っ飛ばされたとはいえ、そうした本格的な照明装置はいくつか残っていたのであろう。先刻のあたらしい中隊本部にはろうそくしかついていなかったが、あれは敵に所在を宣伝してはならないから、わざわざあんなことをしていたのかも知れない。
そんな事柄はともかく……あかるくなってみると、そこかしこに裂けた制装姿の隊員や襲撃者らがころがっており、あちらこちらでも、組み打ちが行なわれていた。いや……観察などしているいとまもなく、ぼくたちのほうへも、樹の蔭から飛び出したふたりの人影が、長くした槍を突き出し走ってきたのだ。
ペストー・ヘイチがレーザーガンを発射して、たしかにひとりには命中したようだったが、ふたりはそのまま突進してきた。
ぼくは自分にぶつかってくる奴の槍を、短くした剣ではね上げ、相手のふところに飛び込んだ。制装の重さもあって相手はひっくり返り、ぼくたちは組み合ってごろごろところがった。
何かにぶつかって、ころがるのがとまった。
相手が上になっていた。
相手が短くした槍をふりかざし穂先を突き立てようとする前に、ぼくは足を使ってはね飛ばした。
そいつが姿勢を立て直すゆとりを与えず飛びかかる。
だが、そのぼくに背後から抱きついた者がいた。ぼくのヘルメットに腕を巻き、ぼくを引き倒したのだ。
はじめの敵が槍を構え直し、その槍がぶうんと長くなるのが目に映った。
背後からかかえられているぼくには、どうしようもない場面であった。ぼくは自分でもわからぬうちに槍の方向を――念力で外したのである。
そいつは槍を短くし、今度こそはといいたげに握り直した。
ぼくをかかえている奴の殺意も、どっとばかり降りかかってきた。
つづいてぼくが目にしたのは、今正に槍を伸ばそうとした敵が、そのうしろからの刀の一閃《いっせん》で首をはねられるという光景である。だがぼくはそれを視野に入れながらも、うしろから抱きついた奴のすさまじい殺意に抵抗して、あらん限りの念力でそいつの殺意そのものの中へ、全重量を叩き込んでいた。
体が自由になった。
眼前、首のない敵の身体がゆっくりと倒れてゆくと、そこには幅の太い刀をさげた男が立っていた。その全身も刀も血だらけなのだ。制装ではなく、身軽ないでたちで腰をベルトで締めているのは――義勇軍のひとりなのであろう。ぼくは男といったが、一、二秒のうちに、それがまだ少年といっていい年頃なのを悟った。たくましいけれども、顔にはあどけなさが残っていたのだ。
が、それも束の間、少年は白い歯を見せて一言何か叫ぶと、ぼくの視界から走り去って行った。叫んだのはテレパシーによれば頑張れというような意味だったようである。
振り向くと、ぼくを締めつけていた奴が仰向けになっていた。目をかっと開いたまま動かない。死んでいるようであった。となればぼくは念力で人を殺したことになるが……。
けれどもぼくはそれ以上、そのことを考えてはいられなかった。
少し離れて、ふたつの体が横たわっていたのだ。
ひとつは敵。
もうひとつは制装で……駈け寄ってみるとペストー・ヘイチだった。制装はあちこちが裂かれ、そこからは何の思念も出ていないのであった。
ペストー・ヘイチは敵と渡り合って……死んだのだ。
だが。
それさえも寸秒のことである。
視野にまた何人かの敵が現われ、ぼくはペストー・ヘイチの手からレーザーガンを取ると、右手に伸縮電撃剣、左手にレーザーガンを持って、立ち向かった。敵を殺さなければこちらが殺される……いや、それにもまして復讐心が燃えさかっていたのを、ぼくは否定しようとは思わない。
レーザーガンでひとりを倒した。
電撃で、またひとりを倒した。
突然、あたりが暗くなった。そのときになって悟ったのだが、ふたつあった照明はいつの間にか一個になっていたので……その残ったほうも消えたのである。
消されたのだ。
敵によって、叩き壊されるか何かしたのだ。
それ以外には考えられない。
「あかりだ! ほかにあかりはないのか!」
どこからか、またガリン・ガーバンの叫びが聞こえてくる。
けれども今度は、声に応じてあかりがともったりはしなかった。予備がないのか敵が妨害しているのか……ともかく前の暗さに還ったのだ。いや、前よりも悪かった。一度あかるさに馴れた目には、闇が以前よりも濃くなったのである。
ぼくは再び、おのれの読心力を援用しなければならなくなった。
しかしぼくはまだいい。そんな力を持っていない仲間は、闇の中でも見えるらしい敵ととても対等に渡り合えるはずもないのだ。
それがわかりながらも、ぼくは当面の、自分の目の前に出てくる敵とのたたかいをつづけるしかなかった。
思念や感情や苦痛、殺意や敵意や諦めに近いものや……依然として人々の意識が交錯し渦を巻いていた。どなり声や足音、地に何かを打ちつけるひびきも、あかりがなくなってからさらに増したようであった。ところどころでレーザーガンが閃くが、わが軍が優勢なのかどうか、見当もつかない。こんな状況なのだから、刻々と劣勢になって行っているのではないか?
なぜだ――と、これで何人めかの敵を倒したあとほとんど力尽きて樹の幹にもたれすわり込みながら(ぼくにはそれらの相手が負傷しただけなのか死んだのか、よくわからなかった。確認などしていたらたちまち横合いから例の槍で突き殺されていたかも知れないし、第一、確認したとてそれが何になろう)ようやくぼくは疑念にとらわれはじめていた。なぜ、わがほうはちゃんとした反撃に出ないのだ? はじめは夜陰に乗じての奇襲を受け混乱したから仕方がないものの、そしてあれから、ぼくには長く思えるがまだ夜が明けていないのを見るとそんなに時間は経っていないものの、もう組織を立て直して反攻に出たっていいのではないか? 指揮官たちは何をしているのだ?
そのぼくの疑問は、ひとつの回答を与えられた。正確には、すでに与えられていたにもかかわらず、ぼく自身が意識の嵐やさまざまな音の中で単なる雑音のひとつとして、その声を聞き流していたのだ。なまじテレパシーの荒れ狂う交錯が感知できその渦の中にいたために、そっちへ気が廻らず意味も理解できなかったのである。
「こっちだ! おれのところへ集まれ!」
喧騒の中で叫ぶ者がいた。音が入り乱れていてかき消されがちなのだが、ガリン・ガーバンのようだ。
「ここだ! 集まれ!」
別の声もあった。
そしてそれは今もいった通り、少し前から流れているのであった。そのたびに声も違い言葉も同一ではなかったから、各個別々の単なる指示、あるいは怒号としてしか耳に入らなかったのだが……はっと気がついてみると、それは――全軍への集合命令だと解釈できたのである。
そう。
そうなれば全員が一体になるのが最善に相違ない。
だが。
それならばなぜ、制装の交話装置を使わないのだろう。
ぼくは自分の制装の交話スイッチが入ったままなのをたしかめた。そんな真似をしなくてもヘルメットの中ではいろんな音や声が、外部からの音響と一緒になって鳴っていたのだが、そうしないではいられなかったのである。
ぼくの制装の交話装置は無事らしい。
では、命令を出す側の装置がおかしくなったのか?
そうかも知れなかった。
でも……命令を出せる立場にある者の装置全部が故障したり壊れたり――ということがあるのだろうか?
わからない。
わからないが……とにかく、交話装置を使っての命令はできなくなっているのではあるまいか?
だから、肉声によるあんな呼びかけをしているのではあるまいか?
交話装置を通じての命令があれば、ぼくは何を考えることもなく、はせ参じていたであろう。
交話装置が使えなくなったにしても、呼びかけが中隊長命令なり小隊長命令の、しかるべきかたちでなされていたら、ぼくはもっと早く気がついていたはずだ。
参集。
だが、このくらがりの、どこから敵が飛びかかってくるか知れない中、やみくもに走り出すのは無理であった。ぼくならまだ敵の意識を感じ取り、あるいは殺意を察知したりもできるが、他の隊員には至難事であろう。それにかくいうぼく自身だって、こうしてなかばへたばって地面に腰を落としているのである。
しかし、何とかして駈けつけなければならない。
次々と襲ってくるであろう敵と渡り合い、倒しながら、進まねばならない。
はたしてちゃんと行き着けるかどうか、自信はないが……。
途中でやられるのを承知で進む、そう、機兵のように、行かねばならぬ。
機兵。
ぼくはそこではっとした。
機兵というものがあるではないか。
しかもぼくは、その一体を受け持たされている。
敵が忍び寄り、ついであっという間にこんな状況になったせいで、ぼくは機兵を使う余裕などなかった。いや、白状すれば機兵のことなど失念していたのだ。わが身を守るだけで精一杯だったのである。
機兵に来てもらい、機兵を先に立てて、あの声のするところに行くのだ。
行くうちには、他の隊員たちも合流する可能性がある。
ぼくは腕をあげ胸にあるスイッチを入れた。ぼくの制装はところどころ破れており、ついでにいえばぼく自身も大したことはないにせよ二、三の傷を負っているという状態だったが……交話装置が無事なら機兵との連絡も大丈夫だろうとの判断通り、先方の命令待ちを示すランプがヘルメット内部にともった。これはまた、機兵のほうも異常なく作動可能ということである。ぼくは自分に割当てられたコンドンという愛称のその機兵に、自分のところへ来て欲しい旨を告げたのだ。
これ迄の訓練のおかげで、ぼくの指示のしかたには間違いないはずだ。順調に行けばコンドンは、ぼく(というよりぼくの制装)を探知しつつ、やって来るに違いない。
それ以前にぼくのほうも、一歩でもあの声のあたりに近づかなければならない。ぼくはひとつ大きく息をつくと、樹の幹を離れて立ちあがった。
戦闘の気配は依然としてつづいている。集合を呼びかける声も消えてはいない。
三歩、四歩、五歩、六歩と、暗い中を進んだとき、ぼくは、左側から襲ってくる三人の意識を感じ取った。
突進してくる。
この状態では、到底三人を一緒に相手にすることはできない。
とっさにぼくは、かれらの膝の前に念力で障害を作った。ひとりひとりに直接念力をぶつけていては間に合わないし、ぼくにはもうそれだけの気力がなくなっていたのだ。
かれらは前へ倒れた。
倒れたというだけで、しかし、すぐにはね起きて突っ込んでくる。槍はまだ縮められたままのようであった。
ぼくはレーザーガンで掃射した。だが、パルス照射の掃射は、必ずしも掃射とはいい切れない。ひとりが膝をついたけれども、あとのふたりはぶつかって来た。
ぼくはかつてレイ・セキの言葉にヒントを得て覚えたぼく流のやりかたを使った。ふたりの顔面を念力でさえぎった次の瞬間、力を膝の高さに移して足を払ったのである。
倒れながらも、かれらは槍を伸ばした。
ぼくは短くした剣でふたつの槍をはねのけ、そのまま剣を最長にすると、ひとりの顔面を切っ先で叩いた。相手はわめいて横にころがった。
もうひとりが、伸ばした槍の先でぼくの剣を打った。剣はぼくの右手から離れ、ぼくはもうひとつの手にあったレーザーガンで、そいつを撃った。
そのときには、はじめに膝をついた奴が起きあがり、突いてきたのだ。鋭い突きで、ぼくの制装の左のひじを裂いて抜けた。
ぼくはレーザーガンを捨て、相手の槍の柄をつかんでこっちへ引いた。惰力で相手がこちらへとよろめくところを、手を離し、腰に飛びついた。
それ迄でもぼくは、身についた技を本能的に出していたのだが、そうなると身体が覚えているものだけでの勝負だった。争い、蹴飛ばし、ついに相手の槍を奪い取ると、ぼくはそれで右に左に、相手を横なぐりに打ちつづけた。相手の上体がゆらりとなり、どさっと倒れたとき、はじめてほっと息をついたのである。
目をあげると、すぐ傍に何かがいる気配だった。
しかし、何の思念も流れてこない。
じっと目の焦点をこらすと、おぼろげに見えた。コンドンだったのだ。
ぼくに呼ばれて来て、待っていたのである。ぼくの次の命令がある迄は、いつ迄も何もせずに待っていることだろう。
同じ制装姿でもこれが人間の隊員なら、ぼくに加勢してたたかってくれていたに相違ない。そこはやはりロボットであった。
ぼくは自分の伸縮電撃剣を捜して拾い、ペストー・ヘイチの持ちものであったレーザーガンも拾いあげた。
コンドンを先に立てて、集合場所へ赴くのだ。
襲ってくる者がいればコンドンにもたたかわせて、である。
だがこれは、指示のしかたがむつかしかった。
もとよりコンドンは機兵だから、敵がどこにいる誰でこれこれこういうものだと教えられたら、立派にたたかうのだ。けれどもこんな状況で、襲来する者があるたびにあれが敵だと教えていては、間に合いっこない。ならば制装姿でないのはみな敵だといえばいいのかも知れないが、それでは、(今ではどの位残ってたたかっているのか見当のつけようもなかったが)あの義勇軍と出会ったら直ちに攻撃するであろう。
となれば、集合の声のするあのあたりをぼくが特定し、そっちへ進むこと、攻撃してくる者があれば応戦せよ――というしかないのだが……では、ぼくが襲われたらどうなる? 今しがたのように知らん顔をしているに違いないのだ。といって、コンドン自身もぼくも守れという命令は、どちらを優先させるか決めねばならず、へたな指示のしかたをしたりすれば、どっちつかずで何もしようとしなくなるだろう。
と、いうことを、ぼくは剣とレーザーガンを拾っている十秒そこそこのうちに考え……当初とはことなるコンドンの使い道に思い当たったのだ。
ぼくは周囲に警戒しつつ携行品のバッグからろうそくを出し、点火した。
それを消さないようにしてぼくについて来いと命じたのだ。
ぼくたちは進みだした。
はたから見ると馬鹿げた光景だったろう。
しかしながら、相次ぐ格闘や殺し合いで麻痺したぼくの頭では、それしか思いつかなかったのだ。また、それで妙案という気もしたのである。
いや、それで良かったのだ。
ぼくたちが進むにつれて、コンドンが手で庇《かば》ってはいるものの揺れるろうそくの光の範囲内に、ひとりまたひとりと、隊員が加わって来たのだ。みな疲れ切っているのか無言で……しかし、ふたりが三人となり三人が四人になってくると、もうぼくたちを襲おうとする者はなかった。
樹間を抜けて慎重に進み、ぼくたちは、みんなが集まりつつある場所へたどりついた。そこはあの応急の中隊本部であり、あたりを見て取れるようにすでに何本かのろうそくが、ありあわせの風防に保護されてともっていたのだ。
ガリン・ガーバンも、やはりそこにいた。いたが……ガリン・ガーバンはヘルメットをかぶっていなかった。ガリン・ガーバンのみならず他の多くが、制装のあちこちをやられ、疲れて、気力だけで自分を支えているようであった。
それでもかれらは武器を手に、円陣を作って闇を監視していた。ぼくたちも、いわれる迄もなくその中に入ったのだ。
「こうして結束していれば、奴らには手出しはできんだろう」
ガリン・ガーバンがいった。「それに間もなく夜があける。こういう奇襲は夜明け迄に引き揚げるのがふつうだ。敵は行ってしまうに違いないぞ」
そして、ガリン・ガーバンのいった通りだった。
この、長い夜のおしまいにおこった敵の夜襲とその結果について、うれしくないことだがやはりぼくは話さなければなるまい。
敵は夜明けの少し前に忍び寄って、ぼくたちを襲った。
これはあとになってみて思い当たったのだけれども、(また、ガリン・ガーバンの心中を読むことによって、ぼくの推測がまんざら的外れではなかったらしいと知ったのだけれども)敵はいわば予定に従って予定通りの攻め方をして来たのだとしか思えない。つまり……敵はまずこちらの位置を把握し、夜半に攻撃して損害を与えたのち、夜明け前に一隊を送り込んで来たのだ。例によって聞きかじりのしかも古い戦記によるのだが、砲撃をした直後に歩兵を突っ込ませるというのは、一種の定法だ――と、ぼくは読んだり耳にしたりしたことがある。今度の場合、それとは大分ことなるかも知れないが、ぼくには何となく似ている気もしたのだ。違うだろうか?
もっとも、そうはいうものの、やろうとすれば敵はほかの方法もとれたはずだ。あんな、闇にまぎれての比較的小人数(軍隊とすれば百名かそこいらは、そうではないだろうか)の攻撃などしなくても、真正面から昼間攻めて来たって良かったのである。それではこちらも死力を尽して防戦するから損害が大きくなると考えたのかも知れない。あるいは……と、ぼくは何となく思うのだが、ああいうやり方はこっちにとって決して愉快ではないし、気も抜けないので……まともにぶつかってたたかうのにくらべると陰性でもあり……こちらには厭戦《えんせん》気分やときに恐怖心すらも生じかねないといえるので……敵はそれを狙っているのかもわからなかった。ぼくたちを一挙に殲滅《せんめつ》したりせず、そういう風に追い込もうとしている――と考えれば、そういう考え方も可能なのである。
ともあれ……ぼくはぼく自身が経験した事柄を述べたのであり、そのときは中隊全体のことは何もわからなかった。が……ペストー・ヘイチの戦死や、ぼくもまた負傷(いっておくが薬をつけて手当てしておけば日が経つうちに治るであろう程度の軽傷が二つ三つである。負傷したという表現は誇大過ぎるかも知れない)したことからも、相当な損害を受けただろうと想像していたのだが……実際は想像よりも遥かに上であった。
当座の中隊の指揮の任にあったキリー主率軍は死んだ。はじめの被弾で右大腿部に傷を負っていた身では、ひそかに忍び寄ってひとりひとりを殺して行くという戦法の敵に対して、とても対抗できなかっただろう。
胸をやられて動けなかった第二小隊長もまた死亡。
あっさりいってしまえば、わが中隊にはひとりの将校もいなくなってしまったのだ。
将校だけではない。
分隊長クラスも、半分も残らなかった。ぼくたちの第一小隊で生き残った分隊長は、ガリン・ガーバンと、もうひとり重傷の第三分隊長のふたりである。他の小隊も同様かそれ以上で、第三小隊に至っては分隊長は再編成によって任じられた者をも含めて、全員が死んだのだ。
兵たちだってむろん例外ではない。
つまり……わが中隊の生存者は百名足らずになってしまい、その生存者もほぼ二十名が自力歩行不能の負傷者――という有様だったのである。
勇壮な物語や景気のいい戦争ドラマだけに馴れた人なら、何だ、それでもまだ半分残っているではないか、将校がいなくなったといっても、それはそれなりに、たたかおうとすれば充分たたかえるではないか――と、いうかも知れない。
だが、そういう損害を受けた隊の人間の身になっていれば、とてもそんな元気のいいことはいっていられないはずである。やられたことは事実なので、それだけの心理的打撃も蒙《こうむ》っているのだ。仲間が殺されたことで復讐心が燃えさかるとしても、それは本来、おのれの生死とは別である。また、今度は自分が助かったから次は死んでやろうと考えるのは、むしろ特殊な場合とはいえないだろうか。普通ならこの次も死にたくないと思い……そういう思考をするようになったぶんだけ、士気が低下するものではないだろうか。
それに、これは例によっての聞きかじりであり、時代遅れとされているのであろう記述のうろ覚えであるが、ぼくはかつて、戦闘における損害の評定尺度なるものを、耳にしたり拾い読みしたりしたことがある。それによると、全滅というのは全戦闘員がやられてしまうのではなくて、総兵力の半分を失うことであり、三割を失ったらそれでもう大損害として、攻撃を中止するのが一般的だというのだ。これが、戦力として所期の水準を維持できなくなったからなのか、士気の低下を計算に入れたためなのか、ぼくには知る由もないけれども……そういうことになっていたのである。
その尺度を適用すれば、ぼくたちは正に全滅ではないのか?
もちろん、ぼくには、こんな定義がわが中隊のような小さな単位にでも当てはまるのか、また、まだ一度も攻撃らしい攻撃をとっていないこんな状況でもそんなことがいえるのかどうか、よくわからない。わからないけれども、とにかくぼくたちが決定的な打撃を受けたのは、否定しようがないのではないか。
ともかく、夜が明けたときのぼくたちは、そんな状態になっていたのだ。
繰り返すが、将校はひとりもなし。
分隊長クラスも、再編成によって任じられた者をも含めて、半分も残っていない。
しかし、だからといってそのままでいるわけにはいかないのが軍隊というものである。
中隊は、先任下士官であるガリン・ガーバンが当座の指揮をとることになった。
が……中隊が小隊や分隊の合併や組み直しをしたというわけではない。そういうことはいずれ本隊と合流したさいに行なわれるのであり、元来が下士官であるガリン・ガーバンや他の下士官たちの手に余ることなのかも知れなかった。それに今更そんな真似をしたところで、命令がうまく伝わるとはぼくには思えない。欠員が出ようがどうしようが、とりあえずはこれ迄の編制を変えないのが妥当というものであろう。しかしながら、こうした間に合わせのわれわれは、到底中隊の名に値せず、中隊の残骸の観があった。
ついでに(というのはぼくたち本位の、失敬なやり方かもしれないけれども)述べておくならば、われわれに加わってきたあの義勇軍の面々のうち、残ったのはふたりに過ぎなかった。あとは死んだか、逃げるかしたようだ。ぼくは逃げた者を非難しようとは思わない。かれらは自己の意志で義勇軍たらんとし、戦闘の、かれらにとっては意外な迄の苛酷《かこく》さに抗し切れなかったのだ。残ったのは、夜明け前の乱戦で、ぼくを刺そうとした敵の首をはねたあの少年と、もうひとり、これは中年と呼ぶほうが適当な男である。ガリン・ガーバンと交渉したカイヤツ語を話せるリーダーらしい人間は、死体になってしまっていたのだ。
ついでに、という言葉がつづくが……ついでにいうと、ぼくたちを襲撃した敵の槍は、やはり伸縮機能を有する、ぼくには初見のものであった。ただ、ぼくが得意とし携行している伸縮電撃剣のように長さを使用者の意志と熟練で自由に調節し得るものではなく、握りの部分のボタンを押すことで穂先が飛び出す仕掛けになっており、長か短かの二段階だけで、縮めたときもそう短くはならないのだ。別のいいかたをすれば、剣技にそれほど習熟していなくてもそれなりに使える武器なのである。すでに自分の、操作の訓練を受けた武器を所持しているぼくたちには用はなかったが、生き残った義勇軍――というより、もう軍と称するのはふさわしくないだろうから、ふたりのダンコール人は、放棄されたその伸縮槍を一本ずつ取って、自分の武器にしたのだ。
ところで。
こうした即物的な叙述をつづけてきたことからもお察しと思うが、ぼくは、夜明け前のあの乱戦、あの殺し合いを経たことによって、いよいよ心が乾いていたようである。ずっと前のぼくならば、そういうことをおのれがしたとの事実を、嫌でも噛みしめ、自分なりにあれこれと考えていたであろう。だが、今のぼくは、そうした意識がちらりと頭をかすめる瞬間がないわけではないが、考えようとはしなかった。考えたくないというのではなく、もうそんな余裕がなかったのである。生死が向き合っているその境界がますます薄くなり、何かひとつ間違えば死であり、その死をはねのけるのはむしろ本能が主体だという状況に追い込まれてくると、人間は、そうしておのれの心を乾かせるよりほかに、自分を守ることはできないのかも知れない。
夜が明け、とにもかくにもぼくたちの組織が立て直され、食事が済んだあと、葬儀が行なわれた。
もっとも、その以前にガリン・ガーバンと他の下士官たちは、今後の行動についての指示を仰ぐべく、部隊本部があるはずの場所へ、何人かの兵を送り出していたようであった。無電連絡装置が破壊された以上、そうするしかなかっただろう。けれども、これはぼくがガリン・ガーバンの心中から読み取ったのだが……誰もまだ帰ってこず、部隊本部からの伝令も来ないうちに時間が経過し……ならば今のうちにと葬儀が営まれることになったようなのだ。
ぼくたちは、自軍の戦死者を埋めるべく、ひとりひとり用の穴を掘った。働ける者の人数がほぼ戦死者の数に等しかったので、大がかりな作業になった。ふたりのダンコール人は、自分たちだけでは仲間のを掘るのが大変な様子だったから、そっちも手伝ってやったのである。
それぞれの認識票を回収し、遺体を穴の中へ入れる。
上から土をかけて埋め、その上に制装のヘルメットやレーザーガンなどを載せる。
それから集合して、ガリン・ガーバンが哀悼の意を述べ、全員で黙祷。
これが、葬儀のすべてであった。
葬儀にしては、あまりにもあっけないといえよう。
だが、これ以外のやり方があり得ただろうか?
ひとりひとりについて、それぞれ時間をかけて別れを告げるようなことは、とても無理であった。
火葬のほうが葬儀にふさわしいかも知れないし、それがネイト=カイヤツの一般的な習慣でもあったが、敵のいる前でけむりを天にのぼらせるわけには行かないではないか。
これでも、敵の死体にくらべれば、ずっといいのである。
話の順序が前後するけれども、ぼくたちは自軍やダンコール人のための個人用の穴を掘ったあと、敵の遺棄死体を埋めるための大きな穴も掘った。そこへまとめてほうり込んだのだ(敵の負傷者は残されていなかった。連れ帰ったようである)。かれらをも味方と同様に扱うのが礼儀かも知れなかったが、ガリン・ガーバンはそうしろと命じたのだし、ぼくたちの気持ちもそのほうに合っていた。余分な労働になるのも事実だったが、ぼくたちの胸に、味方や仲間をあれだけ殺した敵への憎悪が存在し、何かで差をつけてやりたいとの気分があったのは……やはり、否めないのである。責める人がいるとしても、仕方がないことであり……正直、この問題はこれ以上考えたくないのだ。
それに、ぼく自身の感想からすれば、これでもまだいいじゃないか――の念もあったのである。
そうではないか。
誰か、遺体を埋めてくれる者がいるうちはいい。それは……死んでしまったあとどうなろうと本人は関知せずどうなったって勝手だとの見方はあろうものの……とにかく誰かが残っているのなら、まだしあわせとはいえないか? ぼくたちが全員戦死したり、ちりぢりになって殺されたりしたら、まず死体は放ったらかされたままで、腐敗し骨になり土に還ってゆくだけの話であろう。おそらくぼくたちはそういう最期に向かって刻々とおのれの生命と時間を失ってゆく過程の中にあり……そう考えれば、埋められただけ、まだましかも知れないのだ。
いや。
どっちもどっちで、やはり、死ぬことは同じだとも……。
もういい。
この件は、ここ迄にしておこう。
それよりも……こうして葬儀で全員が集まったおかげで、ぼくは、どうなったのかと内心思っていた人間に会うことができた。
ひとりは、レイ・セキである。
レイ・セキは、ぼく、あるいはぼくの思念を認めると、早速テレパシーで語りかけてきた。
(くたばらなかったようだな、イシター・ロウ)
(そちらも)
と、ぼくは思念を返した。
(何、結構何度もひやりとしたし、制装も見る通りがたがたになったわい)
レイ・セキは、しかし余裕のある調子で伝えてきた。(それでもこういう白兵戦なら、何とかなりそうだ。やたらに他人に喧嘩を吹っかけていた賜物《たまもの》だな。お前も、だいぶ超能力の使い方に馴れたか?)
(…………)
ぼくは、思念で答える代りに、戦闘のさいの記憶を心に浮かびあがらせた。
(なかなかうまくなったじゃないか)
と、レイ・セキ。(このぶんじゃ、今度お前と渡り合うときが楽しみだよ。ま、お互い、死なずに済んで、またそんな機会があればだがな)
そんな機会が来ることがあるだろうか、と、ぼくは思った。
(おい、暗い考え方は止せ)
レイ・セキはたしなめた。(変に先のことを思いわずらうと、出せる能力も発揮できなくなるぞ。とにかく今だ。ひとつひとつの今を全力で乗り切るしかないんだ)
それは、レイ・セキが自分自身にいい聞かせているようでもあった。
(…………)
ひとつひとつの今、か――と、ぼくは、そのことを考えてみた。
ひとつひとつの今を、全力で乗り切る……。
多分、そうするしかないのであろう。
ぼくの運命がどこへどう帰着するにせよ、そうするほかはあるまい。
ぼくが心の中で肯定し、再び相手に心を向けたとき、もうレイ・セキの思念はほかへ移り、それも他の人々のテレパシーにまじって、とらえるのは困難になっていたのである。
もうひとりは、ライゼラ・ゼイであった。
敵が引き揚げ夜が明けてゆく、ほっと息をついた時分に、ぼくはライゼラ・ゼイのことを考えなかったわけではない。彼女はどうなっただろうと思い、だが次の瞬間に、ああいうたたかいだったのだから、戦闘員ではない人間が生きのびた可能性はきわめて小さいだろう、いや、へたに彼女のことは考えないほうがいい――と、おのれの心に蓋《ふた》をしたのである。
だから、葬儀のあと解散になり、あたらしい命令が出る塹壕の中で待機するために歩きだして、そこで観察要員の制装の、どうやらライゼラ・ゼイらしい姿を見掛けたとき、ぼくははっとして、それが彼女かどうかを、仲間には悟られないようにしながらの動作で、たしかめずにはいられなかったのだ。
しかし、その前に先方がこっちを認めたようである。
「イシター・ロウ?」
と問いかけたのは、まぎれもくライゼラ・ゼイであった。
「ご無事だったのでありますか?」
ぽくは周囲に他の人間がいるときの、上級者への口調で応じた。良かった――との気持ちで、声が多少は弾んでいたかも知れない。
「どうやらね」
ライゼラ・ゼイはいった。そのあとをつづけようとして……だが彼女は、何もいわなかったのだ。
ぼくは反射的に彼女の心を覗《のぞ》き込み、それがなぜだか悟った。
彼女の心中には、たたかいになったときから夜明け迄の出来事が、ざっとではあるが一覧図のようになっており、それで経緯がわかったのだ。
戦闘がはじまった――つまり、敵が忍び寄ってきて襲いかかったとき、ライゼラ・ゼイはたまたま中隊本部の外に出ていたらしい。それも塹壕によって作られた境界線を越えて、夜半の敵弾攻撃によって生じた山火事がどうなっているか、見に行こうとしていたのだ。もっとも、中隊本部にいたのなら、キリー主率軍たちが殺されたさいに、一緒に殺されていたに相違ない。陣を離れてかなり行ったところで彼女は物音によってたたかいがはじまったのを知り、あと、静かになる迄の時問を樹々の蔭にひそんでいたのである。
それを彼女は恥じているのだった。
ぼくの感覚では、非戦闘員のライゼラ・ゼイがそうしたって、ちっともおかしいとは思えない、彼女がたたかったって、闇の中でも目が見えるらしい訓練された襲撃者に勝てるわけがないのだ。むしろ、それだけ離れていたとしても、敵が彼女を発見する可能性は充分にあったので……難を免れたのが幸運というべきだった。
しかしライゼラ・ゼイとしては、自分も人並みに制装を着用し、戦闘員用のよりは性能が劣るといってもレーザーガンを携行しているとあれば、やはり取って返してたたかうべきではなかったか――と、うしろめたい気分にならざるを得なかったのだ。いや、それもさることながら、観察要員であるからには死をも覚悟して戦闘の現場を目撃し取材すべきであった……せめてその位はしなければならなかったのだ、と、おのれを責めているのである。しかもこのたたかいで中隊がこんな有様になってしまったのだから、卑怯《ひきょう》とそしられるのが当然だと、信じているのであった。その経緯を、喋れば喋るほど弁解じみるとわかっているために、これ迄あえてくわしいことはいわず、ぼくに対しても、ためらいが出たということのようであった。
が。
いうべきことはいわなければ、との念が、彼女の心に湧きあがると同時に、ライゼラ・ゼイは口を開いた。
「わたしね」
「お待ち下さい」
と、ぼくは制した。「私は現在、エスパー化しております。観察要員」
なぜぼくがそこでそんなことをいったのかは、理解して頂けるだろう。
ぼくは彼女に、自分の口からそんなことを告げなくてもいい、と、それを知らせたかったのだ。
それと、ぼくの頭には昨夜半の、中隊本部の前で出会ったときの記憶があった。あのときライゼラ・ゼイは、自分のこの気持ちがわかってくれればいいけど、あなたは今エスパーじゃないんだから、との残念そうな気分をぼくに感じさせたのである。ぼくは、すでにおのれがエスパー化していたのを彼女にいわなかったのが、いささか心残りだった。だから……今度は告げたのであった。
「…………」
ぼくの言葉を聞いた瞬間の、ライゼラ・ゼイの沈黙に伴う感情を、簡単に伝えることはむつかしい。
それは、複合体であった。いつから? 夜中にあったときもそうだったの? それは有難いわ、わたしの気持ちがわかってくれるでしょうから……いいえ、全部わかっては欲しくない……そう、エスパーで、というより超能力者なら念力も使えるでしょうから、さっきのたたかいでもそれを使って生きのびられたのでは……それにしてもわたしのこんな振舞、隠れて戦闘が済む迄待っていたなんて軽蔑するでしょうね……これでもわたしは観察要員なのよ。だのに……といった、さまざまの想念がどっと起きあがり、渦を巻きはじめたのである。
しかしライゼラ・ゼイは、そうした自分の心理の一個一個を整理し不要なものを奥へ押し込め出すべきものを出して、はじめの、なぜ自分が助かったかのいきさつと、それに伴う自責の念を前面にして、いったのだ。
「わかって欲しいとはいわないけど……」
「やむを得ないことだと考えます」
ぼくは相手に全部迄いわせず、つづいて補足した。「夜明け前のたたかいで、私の分隊の仲間も何人か戦死しました。しかし、だからといって観察要員に、共にたたかってもらいたいとは思いません。失礼ながらはっきりいえば足手まといだからであります」
ぼくのいい方は、意地が悪いとすべきであろうか?
なるほど、そんな面もあったかもわからない。ぼくは自分の分隊の仲間、ことにペストー・ヘイチの死と、率軍待遇章をつけた非戦闘員である観察要員ライゼラ・ゼイの行動とを、嫌でも対比せざるを得なかった。一言位はいってみたい気味もあった。だからついそんな言葉を吐いてしまったのだが……それだけではない。ぼくの心のもう一方には、あなたは戦闘員でないのだから、そして戦闘能力がなければあの状況下では決して生きのびられなかったであろうから、気にしたって仕方がないではないか――と、慰めようとする気持ちもあったのだ。
そこで意外だったのは、ぼくのそうした入りまじった感情を、ライゼラ・ゼイがほぼ正確にくみ取ったことであった。ぼくの声の調子やいい廻しといったものから、直感したようだったのである。
「――そう」
と、ライゼラ・ゼイは呟いた。彼女の胸には、あなたのいいたいことはわかる、というのと、あなたの心遣いにはお礼をいいます、というふたつの意識が揺れていた。
「では」
ど、ぼくは、自分の壕のほうへ行こうとした。他の分隊員たちはもう去ってしまっており、ぼくも急がなければならなかったからである。
「待って」
ライゼラ・ゼイは呼びとめた。
「何でありますか?」
ぼくは再び向き直った。
「…………」
ライゼラ・ゼイは黙っている。
心を読めというのだ。
ぼくは読んだ。
前にしるしたように、昨夜半に出会った折には、ライゼラ・ゼイの心は暗かった。この先、いずれは死ぬことになるのだろう、戦況は絶望的なのだから、というその思いをずっと持続させふくらませていたのだ。
それが……。
暗さは暗さながら、今のライゼラ・ゼイの胸奥には、その中を鋭く貫く一本の光があった。
希望、ではない。決意というべきものである。
戦況はますます絶望的だ。
わが軍は……いや、カイヤツ軍団をも含めてネプトーダ連邦軍は、宙域で艦艇を爆砕され追い散らされ、地上戦隊だけがこうしてダンコールのネプト周辺に布陣して抵抗の構えを見せているものの、得られた情報によれば降下し圧迫を加えて来つつある敵は、まだボートリュート共和国軍だけらしい。ウス帝国軍は宙域にとどまりつつ威嚇し、依然としてネプトーダ連邦軍に降伏を呼びかけている。かりにそのウス帝国軍がいよいよダンコールに降りてきたら……完敗であろう。完全に残存連邦軍は粉砕されるであろう。
だが、それでいいのか、と、ライゼラ・ゼイは訴えているのだった。
このまま絶望的なたたかいをつづけ、最後の一兵迄が抵抗し、敗れ、皆殺しにされ、そしてネプトーダ連邦が降伏したらどうなるのだ、と、問いかけているのだった。
(それは、死ぬのがいさぎよいとは思うわ)
と、ライゼラ・ゼイの思念はいう。(またそれが軍団に与えられた命令かも知れない。でも、そのあとは? そのあとについての問題は、どうなるの? むしろ、どんなことをしてでも生きて、見届けるのが本当じゃないかという気がしてきたの。あんな真似をしてしまったわたしがこんなことを考えるのはおかしいし、許されないことかも知れないけれど……ああしたことで、ああした自分を責め、責めて考えつづけたことで、そう思うようになったわ。
生きなければ。何をしても生きのびて見届け、見届けた結果これではならないとなれば、もう一度何らかのかたちで立ちあがるのが本当じゃないの? そのために……そう、はっきりいうけど、もしもわが軍の秩序や組織が崩壊し、もはや軍としての力を持たなくなったときには、死んですべてをおしまいにするというのではなく、どんなことをしてでも、ええ、たとえ逃亡してでも生きのびるべきだと思うわ。生きて……生きていなければできないことをしようと思うの)
「…………」
ぼくには、とっさにはどう応じたらいいかわからなかった。まとまった言葉にするにはあまりにもぼくの心情もこみ入っていたのだ。思念をそのまま伝えることができたらどんなにいいだろう、と、いらだたしかった。
(イシター・ロウ、あなたは、こんなことを告白したわたしを軽蔑するかも知れない。そんなことは考えられないというかも知れない。わたしを誰かに告発してくれてもいいわ。あなたのことだから、多分そうはしないでしょうけど……。だけどこのこと、一度は考えてみて欲しいの。わたしはわたしなりにやる。あなたも考えて、あなたの道を決めてくれない?――でも、こういう気持ちは、きっともっと前からわたしの奥底にあったのかもわからない。それが夜明け前の体験を通じて水面上に出てきたのね。とにかく……あなたひとりにでも告げることができて、すっとしたわ)
それから彼女の心は、ぱたぱたという感じで、観察要員のものに組み直された。
「それじゃお元気でね。イシター・ロウ」
いうと、ライゼラ・ゼイはくるりと背を向けて去ってゆく。
ぼくはわれに返った。
視野を移動する他の隊員たちの位置から見ても、ぼくがライゼラ・ゼイのそんな心を読み、彼女が去って行く迄、六秒か七秒に過ぎなかったようである。
ぼくは壕へと、駈けだした。
駈けながら……やはり、今のライゼラ・ゼイの思念は一種の衝撃であった。
むろんぼくだって、そんな考え方があり得るのではないか、と、思ったのは、一度や二度ではない。しかし、連邦軍カイヤツ軍団の兵士、戦闘員として、そんな思考が許されるわけもなかったのだ。だからその都度追い払い叩き潰してきた。そしておのれに、いかに兵士らしい兵士として生き、たたかうかをいい聞かせ、おのれを律してきたのだ。それも時と共に、そんなことも考えなくなって本物の&コ士となってきていたのである。
それを……あんなにはっきりしたかたちで、告げられたのだ。
たしかに、考えてみるべき事柄なのかもわからない。
だが今は……今は、そんな場合ではないのであった。ぼくは兵士で、兵士としてたたかうしかないのである。
ぼくは観察要員ではない。
ぼくは兵士だ。
だが……その観察要員のライゼラ・ゼイが、なぜぼくに、そんな心理をわざわざ読ませたのだろう。ぼくが軽蔑するかも知れず、告発さえするかも知れぬそんな危険な考え方をさらしたのは、なぜだったのだろう。
それはそれとして――と、ぼくは無理矢理今の記憶を心の隅のどこかに突っ込んだ。それはそれとして……いつおこるか知れぬたたかいに備えての緊張を、取り戻さなければならないのであった。
ぼくたちは、壕の中に一時間も入っていなかった。
集合命令が出て、ガリン・ガーバンの状況説明のあと、進発することになったのだ。
指揮をとるガリン・ガーバンの話によれば、わが第二中隊から送り出した兵たちが、何とか第一中隊にたどりつき、われわれの本隊であるハイデン部隊本部から第一中隊に伝えられていた命令を、第二中隊にも伝えられるはずだったとして持ち帰ってきたのだそうである。第一中隊もまたわれわれと同様、敵弾を受け夜明け前に襲われたものの、さいわい無線連絡装置が使用可能だったので、部隊本部と交信を保ちつづけることができたらしい。
命令というのは、現在の陣地を引き払い部隊本部が移動して置かれるはずのロンホカ湖北部のエレイ河の流入点へと合流せよとの内容であった。その時点ですでに部隊本部も合流するはずの他の部隊も、移動を開始していた由である。うまく連絡がつかなかったらわが中隊は交信杜絶、潰滅と判断されて置いてけぼりにされていたのではあるまいか――との不満が、ガリン・ガーバンをはじめとする下士官たちの心で揺れているのを、ぼくは感知したが……もちろんガリン・ガーバンはそんなことを一言もいいはしなかった。これはぼくの感じであり不安に過ぎないけれども、こういった食い違いや命令伝達の乱れなどから推しても、わが軍はたしかに軍としての機能性を喪失しつつあるのではないか、という気がしたのは、事実である。
進発は……だが、進発とは呼ばれていてもこの移動は、ぼくたちが降下前に貰った地図から判断しても、その実、退却としかいえなかった。レイス河に沿って東へ、ロンホカ湖に至ると、湖を迂回《うかい》して東北へ進み、エレイ河の流入点へ至るというのは、それだけネプト市域に近づくことであり、そのぶん、後退するわけだからだ。
もしも最短距離を行こうというのなら、そんなコースを経なくても、ぼくたちの陣地からまっすぐ東北へ、森林の中を通ればいいのである。すくなくとも地図では、そういうことになる。
にもかかわらず一度南下してレイス河の河べりに出て、前述のようなコースをとるというのは……森の中にはろくに道らしい道がなく、しかも山だからあがったりくだったりをしなければならぬとの事情があったからであろう。それでは部隊本部との合流迄時間がかかり疲労も大きいばかりか、へたをすると迷ってしまうかも知れないのだ。その点、いったんレイス河へ到着して、あとは河沿い、湖岸沿いに進むというのは、兵員を露出させ攻撃にさらされる危険があるというものの、反面、急ぐことが可能で短時間に行き着けるだろうとの判断があったからではあるまいか。ぼくたちは、二十名余りの自力歩行不能の負傷者をかかえており、かれらを扶《たす》けて行かなければならなかったのだ。
出発にさいし、ぼくたちはそれぞれ、俄《にわか》づくりの担架に負傷者を載せて運んだり、多少元気な者には両横から肩を貸して支えたり――という作業を、手分けして担当した。
ぼくは、別の任務をあてがわれた。
ガリン・ガーバンが、今では第二分隊長になっているコリク・マイスンを通じて、命令したのである。
すでにぼくは機兵のコンドンを受け持っていたが、戦闘でもないこんな行軍では、機兵の扱いはそう厄介ではない。いくつかの基本的な指示を与えておいて、何かことがあった場合にだけ適切な命令を出せばいいのだ。従ってこれは、負担というほどのものではない。
あたらしい別の任務というのは、ふたりのダンコール人の面倒を見ることである。
面倒を見るなどと称すると、相手を子供扱いしたことになるから、担当と訂正しても構わない。
というのも……あれだけのたたかいがあったにもかかわらず、例の幅の太い刀を腰に吊った少年と中年男の、義勇軍のふたりの生き残りは、ぼくたちと同行し一緒にたたかいたいと主張して、頑として譲らなかったのだ。かれらはふたりともカイヤツ語を話せなかったから、その意志は、身振り手振りと、それにぼくとレイ・セキが思念を読み取って伝えることで、表明されたのである。ガリン・ガーバンはそれを許した。許すも何も、こんな状況でふたりにどこかへ行ってしまえというわけにはいかないではないか――と、ガリン・ガーバンはいったのだ。それに、こういう事態でこんな土地にいるのであれば、ネイト=ダンコールやネプトに詳しい人間がいても悪くはない、との判断もあったようである。この前と違って、他の連中も、かれらの勇敢さを見聞きし認め、かつ、自分の世界への防衛心の強さにどこか感嘆した気味があり、異論を唱える者はいなかったのだ。
が……かれらがカイヤツ語を解さない以上、同行するとしても、意思を通じるための人間が必要である。あいにく、ぼくたちの中にはダンコール語ができる人間はいなかった。多少は単語を知っている者がなかったわけではない。ぼく自身が、ネイト=バトワの基地にいた時分、しばしば部隊本部へ使いにやらされ、そこで交されている他ネイトの言葉を耳にしてテレパシーと合わせ解釈することで、いささかは覚え込んでいたというものの……それだって片言に至るか至らない程度で、とても話せるという代物ではなかったのだ。死んだ将校たち、たとえばキリー主率軍などだったら、ネプトーダ連邦筆頭のネイトとされるダンコール語に堪能だったかもわからない。しかし死者に通訳をして貰うわけには行かないのだ。
で……エスパーであるぼくが指名されたのであった。エスパーならすくなくとも先方の気持ちがわかるだろう、それだけでも大違いで、先方へ伝えるのは、身振り手振りを通じて何とかやれ、というしだいだったのである。第二中隊にはふたりのエスパーがいて(その両名が不定期エスパーであり、この時期に共にエスパー化しているというのが、ぼくには何となく不思議な気がする)レイ・セキとぼくがそうでありながら、なぜレイ・セキでなくぼくに命令が下ったのかといえば……答は簡単である。レイ・セキは第三小隊の分隊長にされていたから、じきにそれどころではなくなってしまったのだ。
出発迄の説明が長くなったが、ともあれぼくたちは、ガリン・ガーバンの号令一下、陣地を捨ててレイス河へと、樹々の間を抜けて南へと坂を降りて行った。
レイス河の河べりに出たときには、もう太陽はかなり昇っていて、ぼくたちをあかるく照らし出した。
そのあたり、河は浅瀬になっている。日光を散乱させて流れる水は、目に眩しかった。
だが。
河の横を行くぼくたちの姿は、はっきり見て取られるようになっただけ、みじめさもあきらかになったとはいえまいか?
ぼくたちはなるほど、一応は列を作って進んでいた。
けれども制装が完全なのは、四分の一もいないのだ。ぼくのようにあちこち裂けているがまだ制装らしい制装はむしろましなほうで、腕の部分がなくなってその下の制服の本物の腕が出ている者や、ガリン・ガーバンのようにヘルメットがやられたので捨て、なまの顔があらわれている者もすくなくないのであった。それらが、あるいは担架を持ち、あるいは僚友を支えて、歩きつづけるのである。
進発というよりこれは退却だ、と、ぼくはいった。
しかし、この様子は、敗軍の様相と表現してもいいのではないか?
もちろんぼくたちは、もしも攻撃を受けたら果敢に応戦していたであろう。人員は半減したといえ、ひとりひとりはまだまだたたかう気力も能力も持っていたはずだ。制装が傷《いた》んだだけ戦力は落ちるかも知れないが、戦闘となれば相応に敵にも打撃を与えていたに相違ない。ぼくはそう信じる。
信じながらも……たしかにこれは、颯爽《さっそう》とした行軍というものではないのであった。
だが、そんなことを考えたって、何になろう。これが現実とあれば、現実を直視するしかないではないか。
ぼくはそう気をとり直し……ついで、列の外の、ぼくの横を進んでいたふたりのダンコール人たちのほうへ顔を向けた。
そのとき迄にぼくは、かれらの名前を聞いていた。
少年のほうは、ザコー・ニャクル。
中年男はボズトニ・カルカースというらしい。
そのザコー・ニャクルのほうが、こっちを見て、声を出したのである。
言葉は不明ながら、ぼくはその思念で意味を感じ取っていた。
まだだいぶ歩くのか、どこへ行くのか――と、ザコー・ニャクルは訊いたのである。
ああそうか、と、ぼくは思った。
カイヤツ語を解さないかれらには、ぼくたちがどこへ向かっているか、わからなかったのである。
いや、他人《ひと》事みたいにいってはいけない。
くどくなるのを承知で繰り返すと、かれらとの通訳(それが通訳といえるものならであるが)にあたったのは、ぼくとレイ・セキである。身振り手振りの交換と、かれらの思念を読むことで、何とか意思を通じ合ったのであった。そして、レイ・セキが第三小隊の分隊長になりそれどころではなくなったせいで、行軍開始後のかれらの担当はぼくということにされたのだ。
その間ずっと、むこうがあえてたずねようとしないままに、レイ・セキもぼくも、この件については何の説明もしなかったのだから、かれらには知りようがないではないか。
かれらがなぜ早いうちにその質問を持ち出さなかったのか、ぼくには多少は推察できる気がする。どこへ行こうとどうせ死闘になるのだから同じだ、との意識や、自分たちを連れて行ってくれる人々に行く先を問うのは潔《いさぎよ》しとしない気持ちが、働いていたのではあるまいか? だがぼくは、かれらの本心をわざわざ覗き見する必要はないと思う。
それよりもぼくには、やはり今の、ああそうかの気分のほうが強かった。ぼくは自分では出来るだけのことをして通訳の真似をやってきたつもりだったが……こんな、先方のテレパシーを受けとるだけでこちらの考えは身振り手振りで伝えるしかない――という一方的な方法では、どうしても思わぬところが抜け落ちてしまうのは、避けられないのであろう。
こちらとしても、相応に努めるべきなのかも知れない。
だからぼくは、何とかして言葉で答えようとした。現実問題としても歩行しながら身振り手振りは厄介で、なろうことならそうはしたくなかったのだ。さいわい、ロンホカ(湖)とかエレイ(河)などの固有名詞はそのままで通じる。それにこれ迄に覚えていたダンコール語の片言を併用して、行く先を告げようとしたのだ。
ふたりには、理解できたらしい。
が。
それでは退却になる――と、ザコー・ニャクルはまたいいだしたのだ。どうせたたかうのなら敵に向かって進むべきではないか、と、主張するのである。
ぼくは、われわれは命令を受けて行動している、と、答えるのに努めた。ついでに、行く先にはわれわれの部隊本部があるはずで、そこへ行けばわれわれは今よりもっと大きな戦力になる、と、いう意味のこともつけ加えたのだ。
それでザコー・ニャクルはひとまず納得したようだが……ぼくが感じ取ったところではその心中には、この非常事態がもたらした得体の知れぬ興奮と、スポーツにも似た殺し合いへの期待――とでもいうべきものが渦巻いていたのである。正直いってそれは、ぼくたち訓練された兵士の心理とは、異質であった。
異質といえば、もうひとりの中年のほうのボズトニ・カルカースは、もっと異質ではなかったろうか。あまり喋ろうとせず必要なときにだけぽつんとものをいうタイプのその中年男の胸中にあるのは、ネイト=ダンコールやネプトへの愛というより、どうも憎しみのようであった。はっきりとはわからないが彼はこれ迄不遇な半生を送ってきたようである。といっておのれがネイト=ダンコールなりネプトなりからは逃げられず、その外では生きて行けないのも悟っており……自己の世界の崩壊に際して、おのれもまたみずから進んで滅びよう、滅びるためには敵をひとりでも多く殺してやろう、と、暗い炎を燃やしている感があったのだ。
だがそんなかれらの心情に、それ以上踏み込むべきではないであろう。またぼくには、それだけのつもりも精神的な余裕もなかったのだ。たまたま何かの拍子にちらちらと垣間《かいま》見る結果になってしまっただけの話で……その意味ではぼくがぼくの読心力を、自分で意識しているよりも自然に使えるようになってきていた――ということかも知れない。
ともあれ、かれらとのその件でのやりとりや、その後の行軍中の会話などによって、ぼくがかれらの思考と発せられる言葉を重ね合わせることで、どんどんダンコール語の語彙《ごい》を増やしてその使用法にも急速に馴れて行ったのは事実である。
話がいささか先走ってしまったようだ。
ぼくたちは、レイス河を右手にして進みつづけた。
はじめのうちこそ河は浅瀬だったから、ぼくたちは河原の石を踏んで行ったが、しだいに河幅が広くなり水量も多くなってくると、流れから離れて上へあがり、河に平行した細い道をとることになった。しばらくは河面が見え隠れしていたものの、谷が深まると、生い茂った草におおわれて、見えなくなってしまったのだ。聞えてくるのは水音ばかりである。
太陽が高くあがるにつれて、暑くなってきた。
気温そのものは、そう高くなかったのかもわからない。
が……ぼくたちは、負傷者を連れているにしては、かなりの速度で歩んでいた。それに空はよく晴れていて、直射日光をまともに浴びていたのである。河面を渡ってくるらしい微風が、せめてもの救いであった。
そしてその時分には、左側が崖と樹々、右側が河を隠す草々という、ふたりがやっと並んで歩ける土の道のために、列はすでに崩れていた。とにかく前へ前へと、一応はそれなりにつづいて、歩いて行くばかりになっていたのだ。歩くというより、全体が何かにひきずられているようでもある。
ぼくは、ふたりのダンコール人をも含めて、前後の人々の胸中に、疲労感といらいらした気分が大きくなってゆくのを、感知しはじめていた。
ちょっと考えると奇妙なようだが、これは行軍がはじまった頃には、なかったものである。行軍開始前後には、さあやるぞ、やらなければ――という、おのれを奮い立たせる感情がみなぎっており、それはそれで当然ともいえようが……行軍のさなかというのは、案外人間はそれほどまとまった思考はしないものなのだ。自分を機械のようにして、機械としてのリズムを保ち潤滑油のように同じことを反覆して考えたり歌ったりする、というのが普通である。でないと、単調な行軍などには耐えられるものではない。そして……その行軍がともかくも安全なままで継続し、周囲が平和でどことなくピクニックの趣を呈してくると(ああ、もちろんぼくは、これが誇大表現なのは先刻承知である。戦場で負傷者をかかえて転進するのをピクニックなどとは、いい過ぎなのもわかっている。だが、そういう状況だからこそ、僅かなところにも何か愉しいものとの共通点を見出そうとするのではあるまいか?)ひとは、つい人間に還り、人間としての不平不満や不安、焦りといったものをよみがえらせるものらしいのだ。
実をいうと、ぼくだってそうだった。これからのおのれやみんな、ネイト=カイヤツやネプトーダ連邦の運命は――といった大問題に思いをはせるのは、はせたって仕様がないのではじめから考えなかったけれども、もっと具体的な、これで無事に部隊本部にたどりつけるのだろうか、とか、この暑さはどうにかならないのか、とか、そろそろどこかで休みたいものだ、といった想念が、小刻みに何度も起きあがってくるのだ。それらの欲求のどれもが少しずつ固定されたものとなってゆくうちに、何となく疲労感が大きくなりじりじりしてくるのであった。
とはいえ、当然ながらぼくは、自分のそうした気分を抑圧していた。これは兵士としてはもう本能のようなものである。で、ありながらいらだちがじわじわと高じて行くのは、ぼくやふたりのダンコール人の前を進む機兵のコンドンの、その正確な足取りが、だんだんとうっとうしくなってきたことからも自覚できた。コンドン自身はぼくの指示に従ってそうしているだけで、それが可能なゆえに機兵なのだが、同じ歩幅で平然と歩いているのが、ぼくにはいまいましく見えるようになっていたのである。
そしてこれは、ぼくひとりの感覚ではなかったようだ。
「なあ、イシター・ロウ」
ぼくのあとから来るアベ・デルボが、うんざりしたような声を出した。「そのコンドンの奴を、せめてもうちょっと、よたよたと歩かせるわけにはいかんのか? 分列行進か閲兵式じゃあるまいし、あんなに元気に歩かれちゃ、こっちがげんなりしてしまう」
アベ・デルボの気持ちはわかる、というよりぼくも同様の感じだったのだけれども、むろん機兵に、わざわざそんな変な進み方をさせるわけには行かなかった。第一、普通に歩かせるのがもっとも楽なのだ。
「辛抱しろよ。あいつにややこしい指示を出したら、手がつけられなくなるかも知れないじゃないか」
ぼくは振り向き、そう答えた。
アベ・デルボにも、機兵操作の厄介さはよくわかっているはずだからだ。
アベ・デルボは、承知しているさという風に頷いた。頷いたが、まだぶつぶつと呟いている。
「何だ、飲まず食わずであんなに調子良く歩きやがって。まるでロボットじゃないか。ああそうか、あいつはロボットなんだ。ロポットなら、はじめから生きていないから死ぬこともないよな。壊されるだけだものな」
それはアベ・デルボのひとりごとであったから、ぼくは返事をせずに前に向き直った。
けれどもその言葉に、ぼくが一瞬ひやりとしたのもたしかである。
そんな声をキリー小隊長やガリン分隊長が聞きつけたら、どなりつけられ、へたをすると懲罰ものだ――と、とっさに思ったのだ。
しかし、キリー小隊長はもういない。
ガリン・ガーバンも分隊長ではなく、臨時に生き残りの中隊の指揮をとっているのだ。ぼくたちの第二分隊の分隊長はコリク・マイスンなのである。
――という事実と共に、ぼくは、今では制装の交話装置が働いていないのを、すぐに思い出した。多くの隊員の制装がやられ、交話装置が使用可能なのは少数派になってしまったため、それではかえって命令の伝達が中途半端になるからと、ガリン・ガーバンは機兵操作以外は当面の交話装置の使用を禁じたのだ。なまじ交話装置に頼っていると、肉声での命令を聞き落とすおそれがあるからである。従ってぼくなどは、制装のヘルメットをすっかり外気の出入り自由にし、肉声での会話ができるように調節していた。
だから、アベ・デルボの言葉は、少し離れてしまうと聞えないはずである。
それを、つい失念していたのだ。
やはり人間、一度頭に叩き込まれた事柄は、固定した感覚になって、そう簡単には抜けないということであろう。感覚のみならず、これは行動型にしたって同様である。そういうものがあればとっさの場合反射的に対応できる代り、事情が変ればついて行けない――ということになりがちだ。気をつけなければならないのだった。
同時にぼくは、アベ・デルボの呟きの内容に関連して、われ知らず考えを追っていた。ロボットならはじめから生きていないから死ぬこともない、壊されるだけだ――という言についてである。
ロボットは生きていない?
機械なのだからそうであろう。
が、それでも、本当に生きていないといえるのか? ロボットにはロボットなりのいのちというものがあるのではないか?
待て。
ロボットのことをあれこれと考えていられる立場なのか?
自分のことに思いをめぐらしてみろ。
ぼくたちだって、いってみれば、戦闘のためのロボットみたいなものではないのか? たたかうための機能を訓練された……ある意味ではロボットではないのか?
すくなくとも、ぼくたち兵を自由に使い兵を投入する側にとっては、そんなものに過ぎないのではないか?
なるほどぼくは生きている。自分の意識もある。死への恐怖もある。
しかしぼくたちを駆使する側にすれば、そんなことはいちいち考慮していられないだろう。ぼくたちが何を考えどう感じようとも……関係なく、たたかうためのロボットとしての働きを期待するだけではあるまいか。
だったら、機兵もぼくたちも、似たようなものだ。
その証拠に、どっちも制装姿が本来のかたちなのである。
…………。
けれども……こんな思考がどこかひねくれた自分自身をおとしめるものであるのも、ぼくは自覚していた。こんな、ひがみっぽい気持ちは、ぼく自身のためにもならないはずである。なのについそうなってしまったのは……前述の通り、ぼくがいらいらし、疲れてきていたからに違いない。
そしてこんな気分、あるいはこれに似た気分は、たしかにいつの間にか大部分の隊員をとらえているようであった。テレパシーででもそれは感知できるが、その気持ちを実際に口に出した私語の――がやがやした気配が強くなっていたのだ。
「何だと? もう一度いってみろ!」
突然、ぼくのずっとうしろのほうで叫びがあがった。
何人かのののしりの声と、制止。
口論がおこりかけて、一応はおさまったのだろう。
いったんそちらは静かになったものの、しばらくのうちにまた、他と同様、騒がしくなってゆくのだ。
このぶんでは、そのうちに大喧嘩でもはじまるのではないか。
だが、歩きつづけるほかはない。
細い道はのぼりにさしかかっていた。左手の崖はなくなって樹々だけになり、右手の草々もまばらになっている。前方が開けてきたようだが、そのぶんだけ河は、ずっと深い谷を流れている。
行く手から、制装がひとり走ってきた。ぼくの前を行く分隊長のコリク・マイスンに何か告げると、また走りだしてぼくと擦れ違いさらに後方へと急いで行った。
「第二分隊の者は聞け!」
コリク・マイスンが足をとめ、声を張り上げた。「この少し先で休息をとる! いいかこの少し先で休息だ!」
「何だ?」
すぐ近くのザコー・ニャクルが、ダンコール語で訊き、ぼくは説明した。
ぼく自身、やれやれ休めるのか、と、ほっとしたのだ。
山頂か、もしくは山頂に準じるようなところの開けた場所に来る。
先着の連中は、すでに足を投げ出したりすわり込んだりして、休息していた。ぼくたちもむろん、時を置かずその仲間に加わった。そのうちにうしろの隊員たちも到着して……ぼくたちは負傷者の手当てをしたり、パックされた食糧を開いて食べたりした。横になって少し眠った者もいる。
休息はしかし、一時間余しか与えられなかった。
そのうちに号令がかかり、ぼくたちは集められたのだ。
ガリン・ガーバンが訓示をした。訓示というようなものものしい表現をするより、説明と注意といったほうがいいかも知れない。それだけ具体的であり、士気高揚のための抽象的なせりふなど、何ひとつなかったのだ。
ガリン・ガーバンの話では、われわれはこれから、特別な状況がおこらない限りあと休息抜きで目的地へ急ぐ、ということであった。遅くとも夕方迄に本隊に合流しなければ、夜道に迷うかも知れないし、敵に襲われるかもわからない、この程度の規模の隊で行軍中を襲われてはひとたまりもないだろう、と、いうのである。また、われわれは敵についてはもちろんのこと、味方に関してもろくに情報を持っていないのだから、昼間だって安全とはいい切れないし、目的地に到着したときには本隊があたらしい作戦のもとにまた移動してしまっていることもあり得るので、とにかく警戒しながら急行するしかないのだ――ともつけ加えたのだ。
それから、ぼくたちは行軍を再開した。
今度はくだりである。それだけに楽になった。
が……みんなの気持ちは、先刻迄とは打って変って、張りつめていた。ガリン・ガーバンの率直な話し方に、あらためて緊張し、足を早めるようになったのだ。敵襲を受けるかもわからない上に、うかうかしていると本隊からはぐれたままになってしまうかも知れないのを、思い知らされたからである。
ぼくは考えるのだが、ガリン・ガーバンは最初からこうなることを見越していたのではあるまいか? 何時間もの行軍中ずっと緊張しづめでは、みんなの体も心も保《も》たないだろうから、休息をとる迄はある程度ほったらかしにしておき、多少はしまりがなくなるのにも見て見ぬふりをしておいて、休息で気分がゆるみ切って発散したあと、ぴしっと締めあげ急がせる――という方法を、計算してとったのではないか、との気がする。といってもこれはぼくの想像だし……そんなことでわざわざガリン・ガーバンの近くへ行って心を読むほどの事柄ではなかったので……当たっているかどうかは、何ともいえない。
ぼくたちはくだりつづけ、幅が広くなったレイス河を右に見つつ、レイス河と並んで進んだ。
そのあたり迄来ると、土地はずっと平坦になり、森や林の間には家が点在するのが認められるようになった。
レイス河がロンホカ湖に入る近辺に来た。
やや上方から見おろすと、森に囲まれた静かな湖なのだ。
そこからロンホカ湖沿いに迂回して、エレイ河の河口をめざすわけだ。
湖畔にはいくつも、しゃれた綺麗《きれい》な建物があった。船着き場らしいのも見える。景観から推しても、このあたりは保養地なのであろう。しかし、遠くからではあるが注意して眺めると、それらの建物は、窓を外から打ちつけて閉ざしていたり壁が剥落《はくらく》したりしているようであった。内部に人がいるのかいないのかは判断がつきかねるものの、出歩いている人影はないのである。
そんな風景を目にしつつ、ぼくたちは、湖岸に接したかなり大きな道へと降りて行った。
が。
その道は、無人ではなかったのだ。
それどころか、至るところに三人、五人、または十数人という人々が、立ったりすわり込んだりしているのである。
みな、大きな荷物を横に置いたり、荷物の上に腰をおろしたりしていた。何かをひろげた上に膝をかかえてぼんやりしている者もいる。
人間だけでなく、車もあっちこっちに駐まっていた。地上車のみならず飛行車もある。
それらの間を分けるようにして、またいくつかの群が、ぞろぞろと歩いてくる。ひとりが前にたって道をあけさせながらゆっくり進んでくる車もあった。
避難民なのだ。
ネプトを出て、ここ迄来たのだ。しかしこの先へ行ったほうがいいかどうかわからないので、その場にとどまったり、なおも進もうとしたりしているのであろう。
ぼくたちは、だが、その道へと降りつづけた。とまれの号令が出なかったのだから、そうするしかなかったのだ。
伝令が来て……コリク・マイスンが叫んだ。
「中隊長命令だ! 列を組め! かれらに構うな! どうしても相手にしなければならなくなっても、最小限の応対にとどめるんだ」
ぼくがそのことを、同行のふたりのダンコール人に伝えたのはもちろんである。伝えながらも、かれらがもしも避難民たちと一緒になり同行をやめるというのなら、それはそれで仕方がないとも思っていた。ふたりが抜けても、もともとぼくたちに最後迄ついてくる義務はないのだし、ガリン・ガーバンもやむを得ないというだろう――と、考えたからである。
しかし、ザコー・ニャクルはにやりとして、自分の刀の柄を叩き、避難民たちのほうへ軽蔑するような視線を投げただけであった。ボズトニ・カルカースはボズトニ・カルカースで、目を細くして小さく頷いたばかりである。
道に入った。
すでに先行の連中がそうなっているように、ぼくたちのところへもどっと人々が押し寄せて きた。
口々に、ダンコール語で呼びかけるのだ。
「どうなっているんだ?」
「教えてくれ!」
「敵は来るのか?」
「どっちが勝っているんだ?」
「隊長はどこだ?」
そのときにはぼくたちは、一応の隊列を組みあげていたが、前方の隊と同様、さえぎられた格好になって、ともかく強引に、前へ前へと進むしかなかった。
「いってくれ!」
「どうなんだ?」
人々がどなる。
ダンコール語だから、こっちの仲間には理解できないのだが、そんなことにも気づかぬように叫び立てるのだ。
隊員たちは、わからんわからんという風に手を左右に振るばかりで、人々を押しのけるようにして、前へ進んだ。
だが、とうとうそれも不可能になってしまった。
避難民たちの厚い壁で、前方の隊は動けなくなり、ぼくたちもまた停止するのやむなきに至ったのだ。
「イシター・ロウ!」
声があがった。
コリク・マイスンだ。
ぼくはそっちへ顔を向けた。
また伝令が来ている。
「中隊長が呼んでいる。すぐに行け!」
と、コリク・マイスン。
「わかりました!」
ぼくは答えた。
人々の波の中、ぼくはふと思いついて、機兵のコンドンに、ガリン・ガーバンがいるとおぼしい方向への前進を指示した。機兵操作のためには交話装置の使用は許されているのだし、コンドンなら無神経に人波をかき分けてぼくを先導してくれるはずなのだ。
そうしておいてぼくは、横のふたりのダンコール人たちに、目で合図をしてみせた。そこで待てというつもりで、声にも出したのである。
だが人々の喧騒の中で、その言葉はふたりには聞えなかったらしい。
しかも何を勘違いしたのか、ふたりは、歩きだしたぼくについて来たのだ。あとにつづけと受け取ったようである。
違う違う、と、ぼくはいおうとしたが、コンドンはもう無理矢理という感じで、押しかける人々を両腕で払いのけるようにして進みはじめている。間隔を置くと、取り残されそうであった。
仕様がない。
ふたりのダンコール人がついて来ても、何ということもないだろう。
ぼくはそのまま、ふたりを従えるかたちでコンドンの真うしろにくっついて進んだ。
ガリン・ガーバンのところへ来た。
ぼくはコンドンを停めた。
ガリン・ガーバンは、他の下士官たちと共に、人々に取り囲まれて身動きがつかなくなっていた。それはやろうと思えばかれらを力ずくで排除するのは、ガリン・ガーバンにとってはむつかしくはないだろうが……なろうことならそんな乱暴はしたくなかったのだ。
「イシター・ロウ!」
ガリン・ガーバンはぼくを認めると、あごをしゃくった。「この連中にいってやれ。本当のことをな」
ぼくは、ガリン・ガーバンの思念を読んだ。
――お前はダンコール人との通訳もしたし、その後も担当しているのだから、ダンコール語が少しはできるようになったのではないか? エスパーなら、そうなっても不思議はないはずだ。もしそうなら、この連中にいってやれ。真実をだ。われわれは不利な状況にある、というより、負けて、本隊に合流する途中だ。敵はいずれこのあたりにもやってくると思われる、今のうちに各人で身のふりかたを考えろ、われわれはたたかうのだから邪魔をしないでくれ、と、そう、この連中にいってやるんだ。
で、ある。
ガリン・ガーバンは、ぼくがエスパー化しているので、言葉としては多くを費さなかったのだ。
ぼくは即座に了解し、避難民たちに向かって大声を出した。
「聞け!」
人々の顔がいっせいにこちらに向けられた。
「われわれは損害を受けた。大きな損害だ」
ぼくは、まだそう上手ともいえないダンコール語でつづけた。「だから本隊と一緒になるために後退中である。本隊と一緒になってまたたたかう」
人々がわあわあといいだした。
われわれの戦力に対する不信感や、どうしてくれるんだといいたげな感情が湧きあがるのを、ぼくは感知した。
「聞け!」
ぼくは再び叫んだ。
人々が少し静かになる。
「従って、敵はいずれこのへんにもやってくる。ここも間もなく安全ではなくなる。こんなところでうろうろしないで、自分でどうするか決めるがいい」
ぼくは一気にいった。
ちゃんとしたダンコール語になっていたかどうか、自信はない。
けれども、その意味は伝わったようであった。ぎくりとした、あるいはどうしようという思念が、ぼくの中に流れ込んできたのだ。同時に、人々はまたわあわあとどなりはじめた。泣きだす者もあった。
「そんな無責任なことがあっていいのか!」
ひとりがわめいた。
「お前たち、軍隊だろう? どこの軍隊か知らないが、われわれ市民を守るのが務めじゃないのか!」
そう叫んだ者もいる。
「何とかしてくれ!」
「これじゃ困るんだ!」
声が乱れ飛んだ。
「聞け!」
ぼくはもう一度声を張りあげた。「繰り返すが、われわれは後退してまたたたかう。ここへはそのうち敵が来る。自分で身のふりかたを決めるんだ。われわれの邪魔をしないでもらいたい」
「…………」
みんな、じっとこちらをみつめていた。不信と恐怖と、腹立たしさと絶望感が、ごっちゃの思念の群となって、ぼくにかぶさってきた。
と。
「聞け!」
どなった者がある。
ぼくではない。
ザコー・ニャクルだった。
ぼくについて来て、その場の様子を見ていたザコー・ニャクルなのだ。
「お前ら、そんな勝手なことをいっていていいのか!」
ザコー・ニャクルは口を一杯に開いて絶叫し、右手の伸縮槍をさしあげ、左手で刀の柄を握りしめた。「おれはダンコール人だ! ネプトの市民だ!」
横にいたボズトニ・カルカースを伸縮槍で示しつつ、つづけるのだ。
「こっちもおれと同じだ! おれたちは自分のネイト、自分の町を守るために、この人たちと一緒になってたたかっている!」
「…………」
「お前たち、文句をいうひまがあったら、共にたたかったらどうだ? おれたちや、ここにいるカイヤツ軍団の兵隊と一緒に、死ぬ迄たたかおうじゃないか! それがおれたちの務めじゃないか!」
「…………」
ぼくは、集まって来ている人々の間に、ひるんだ気持ちが流れだすのを、感じ取っていた。
「何をいっているんだ?」
ガリン・ガーバンが、ぼくにたずねた。
「一緒にたたかおうと呼びかけているようであります」
ぼくは返事をした。
(無駄なことを……。それに戦力になるわけでもなし……。だがどうせ、呼びかけに応ずる者はいないだろうが)
ガリン・ガーバンの思念はそう語っていたが……唇からは何の言葉も出てこなかった。
「行こうじゃないか!」
ザコー・ニャクルは伸縮槍を振り廻している。「逃げてばかりいないで、死力を尽してたたかおうじゃないか! 名乗りをあげろ! 共に行こう!」
「…………」
人々は無反応だった。
ひとりやふたりは出てくるのではないか――と、ぼくは何となく期待めいた気持ちを抱いたが……出てはこなかったのだ。みんな、おそれていた。たたかいを、死を、おそれているのだった。
「どうした?」
ザコー・ニャクルは、一歩前へ進んだ。
人々は後退した。
「どうしたんだ? くやしくないのか? 自分の町がやられてしまうというのに、たたかう気がないのか?」
ザコー・ニャクルはさらに一歩進み、人々はまた後退した。
「もういい。やめさせろ」
ガリン・ガーバンがいった。
「もういい」
ぼくは声を出した。「もういい。ザコー・ニャクル」
「…………」
ザコー・ニャクルは振り返った。
「たたかおうという人間だけでたたかうしかない。それでいい」
ぼくはいった。
ザコー・ニャクルの顔が歪《ゆが》んだ。涙がぽろりと落ちた。
くやしかったのだ。
誰ひとりとして共にたたかおうといわなかったのが……しかも、他ネイトの軍隊の前でそんな有様を見せなければならなかったのが……くやしかったのである。
「よし。出発!」
人々がおとなしくなったのを見定めて、ガリン・ガーバンが命令した。
ぼくたちは、動きはじめた。人々は無言で道を譲ったのである。
湖岸沿いの行軍の再開なのだ。
もちろん、その大きな道にいる避難民は、ぼくたちを取り囲んだ連中だけではなかった。ほとんど道に連続するように、あるいは位置を占め、あるいはぼくたちと擦れ違って進もうとしていたのだ。
が……その後しばらくは、ぼくたちをさえぎろうとする連中がいなかったのは、今のやりとりの噂が、ぼくらの歩行速度よりも早く人々の間を駈け抜けて行ったらしいのと、ぼくたち自身が完全に隊伍を組んで人々を寄せつけない感じになったのとの、両方のせいであったようだ。
もちろん、もう少し行くうちには、またもや同じような光景がおこりかねない場面が何度かあったけれども、そのつどガリン・ガーバンがぼくを呼んで、事情を簡単に説明させたのだ。ぼくはそれを切り口上で告げ、先方にそれ以上いろいろとはいわせなかった。今も述べたようにそうなってからはぼくたちの隊形は(負傷者をかかえているにしてはであるが)整然としており、近寄りがたくなっていたこともあって……騒ぎがおこることもなかったのである。
だが。
行進しながら、ぼくはどうしても、その騒ぎでのザコー・ニャクルと避難民たちのやりとりから、おのれの――ネイト=カイヤツへの連想をせずにはいられなかったのだ。
ネイト=カイヤツはどうなっているのだろう?
ぼくたちが得た最後の情報では、ウス帝国軍とボートリュート共和国軍はダンコールを包囲し、ネプトーダ連邦へ降伏を呼びかけているとのことであった。
その後、状況は変ったのだろうか?
敵があるいは分散して、連邦の各ネイトへと攻撃をかけはじめているのだろうか? それとも、実際にはまだそこ迄至らず、ネイト=カイヤツもただおびえているだけなのであろうか?
そして、ネイト=カイヤツの人々は……ぼくたちのような連邦軍カイヤツ軍団員ではないすべての人々は……どうしているのだろう? 自ネイトの連邦軍団が還ってこぬままに、敵を迎え撃とうと闘志を燃やしているのであろうか? はたまた、すっかり弱気になっているのであろうか?
何もわからない。
わからないが……ネイト=カイヤツの、ことにカイヤツ府であるならば、やはり、ザコー・ニャクルたらんとする者よりも、そうでないほうが圧倒的に多いのではあるまいか? それとも、そうではないというのか?
ネイト=カイヤツの……カイヤツの……カイヤツ府の人々。
ぼくが知っている、たくさんの人々。
かれらは……。
いや。
よそう。
考えてもせんのないこどだ。
ここは、ダンコールである。ネプトの郊外である。
そしてぼくは、おそらくここで死ぬのである。気持ちの上では何となく、そうはなりそうにない――との例の感覚があるが、客観的に情勢を考えれば、その確率ははるかに高いでのである。そんなぼくが……。
そうなのだ。
考えても、せんのないことなのだ。
ぼくは、自分の心に蓋をするしかなかったのである。
ぼくたちが目的の、ロンホカ湖北部のエレイ河の流入点に置かれたハイデン部隊本部へたどりついたのは、その日の午後もかなりおそくなってからであった。
エレイ河の流入点といったが、もちろん流入点そのものではない。流入口の左岸なのである。南北……もう少し正確には西北から東南に近いかたちで流れるエレイ河を渡ってやや南下した、ロンホカ湖に面する場所なのだ。
目的の地点に接近するにつれて、ぼくたちは、行き来したりたむろしたりする味方の姿をそこかしこに見掛けるようになった。その一事だけでも、どうやら本隊に来た感じがあった。
河には立派な橋がかかっており、そこにも守備の一隊がいる。
渡り切ってみると、そのあたりは比較的なだらかな土地で、小さな集落になっていた。石造やら木造やらの建物が二十数戸、適当に間隔を置いてばらばらに存在している。ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは、それがメネだといったけれども、そしてぼくにはメネというのが集落の意味ではなく固有名詞であることもかれらの思念でわかったけれども、ここがメネそのものなのか、メネ町か何かの一部なのか迄は、確認はできなかった。ぼくのダンコール語の力では、まだそういう質問はむつかしかったのである。
集落の手前ではぼくたちは、駐屯していた味方の隊に停止させられ、しばらくのやりとりののち、ガリン・ガーバンがかりの小隊長になっていた下士官たちと共に、集落の中へ入って行った。ハイデン部隊の本部は、集落中央の会堂に置かれているとのことで、そっちへ到着の報告と、あたらしい命令を受けに行ったのである。
――というような事柄を、いちいち順序を追って説明しても退屈だろうから、あとはかいつまんで述べるとする。
ハイデン部隊はこのメネ(かメネの一部)を拠点にして、布陣していたのだ。聞くところによると、ここからそう遠くないところにあとのショカーナ、ワイツ、デイゼンの三部隊もそれぞれ陣をしいているという。つまり第四地上戦隊がどうやら集結したわけで、とすればショカーナ部隊本部には当然戦隊本部もあるはずだったが……まあ、戦隊本部なんて、このさいぼくなどにはあまりかかわりのないことだ。
部隊の話に戻る。
ぼくたちが到着したとき、すでにハイデン部隊の各隊は、命令に従って持ち場についていた。来るときにぼくらが目にした諸隊は、命を受けて配置されていたのである。が……陣地から突出した場に置かれた兵員はそう多くなく、大半はメネ(かメネの一部ということになるが、いちいち注釈をつけるのも面倒なので、これからはメネだけで通させて頂く)の外部にあたる主要地点に塹壕を掘って布陣していた。
せっかく集落があるのに、なぜ利用しないのかという人が、いるかも知れない。
それは戦闘という観点からしても、かたまって家の中などに入っていると標的になり易いし、家が吹っ飛んだりしたら兵員もまとめてやられるはずだからそうしたのだ、と、いえないこともない。
だが、現実問題として、集落自体を陣地にするわけには行かなかったのであろう。
というのは……メネのそれらの家々には、住民が残っていたのである。ぼくはちゃんと事情を聞いたのではないから、しかとしたことはいえないけれども、どうやらここの住民は、部隊の勧告にもかかわらず大半が家を捨てることを拒否したらしい。もっとも住民にしてみれば、敵がネプトを包囲する格好で降下して位置を占め、その中間に置かれたかたちなのだから、どこへも行きようがなく、それならいっそ――との気分で居残ったのに相違ないが……まだ実際に敵の攻撃にさらされた経験のないかれらの判断は、ぼくたちにいわせれば甘いとしか考えられないのだ。かれらはそのうちに(ネプトーダ連邦の降伏という事態をも含めて)戦闘がやむか、でなくても何らかの情勢の変化があると期待しているのかもわからないが……当分はそんなことのあるはずもなく、攻撃を受ければ家もろともやられてしまうのはあきらかだからである。しかし部隊の説得も効果なく、そんなことになった――というしだいらしい。部隊本部がメネ中央の会堂に決められたのは、本部が各陣地を統制し得る地点になければ不便なのと、会堂には寝起きする住民がいないので、借り受けることになった、というだけの話のようである。
さて。
ぼくたちは、メネの南の境界あたりの、湖の見える場所に塹壕を掘り戦闘態勢をとるように命じられた。第一大隊の担当方面がそちらだったからである。壕は中隊単位で設けられ、ぼくたちが作業を完了したのは夜になってからであった。ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースのふたりのダンコール人も一緒に働き、同じ塹壕に入ったのだ。
ふたりのダンコール人のことが出てきたのでついでに言及すると、部隊にはかなりのダンコール人が加わっていた。みんな、ぼくたちの中隊がレイス河の北の森にいたときにやって来た義勇軍と大同小異のかたちで、われわれに仲間入りを求め、かつ、ここ迄ついて来た連中だとのことである。自分のネイトを守る義勇軍といっても、以前から組織され訓練されていたのではない俄仕立ての志願者集団では、結局のところそういう立場で参加することになるしかないのであろう。戦争とか軍務といったものを専門の連邦軍の軍団員にまかせて自分は市民であればいい――としていると、こんな状況ではそうならざるを得ないのかも知れない(それは、ネイト=カイヤツでも……ネイト軍というものがあるにしても……本質的には同じことだったのだ、と、ぼくは思ったりした)。いや……そんな人々のほかに、れっきとした本格的な市民の防衛軍があって、どこかで敵とたたかうなり、敵を待ち受けているなりしているのかもわからないのだから、批判がましい言辞はつつしむべきである。第一、戦争を専門とするわれわれがこうして敗退をつづけている現在、偉そうないい方をする資格など、ぼくたちにはないのであった。
そして、かれらは今のところ、かれらだけの隊を作るというのではなく、それぞれがはじめに加わった隊の所属、あるいは員数外戦闘員として扱われている。
また、そうするしかないだろう、と、ぼくも思うのだ。
なぜなら、かれらがかれらだけの隊を作るのなら、われわれと分れて別に行動すればいいのだし、かれらがそうしないとあれば引きつづき共にたたかうのだが……こちらの命令系統に組み込むには言葉が通じず、行動の型も違う上に、かれらをカイヤツ軍団の階級のうちに組み入れたとしても、お互い、すんなりと命令したり服従したりの関係は、容易には成立しないはずである。とすれば、そうしたどこかあいまいなかたちにしておくほかないだろう。これはぼく個人の推測というより、常識とすべき事柄であった。
塹壕に入って間もなく、ぼくらは自分たちがどういうことになったのかを、ガリン・ガーバンから告げられた。
上からの指示によると、中隊の編制はそのままとのことである。これは、どの隊もそうだという話であった。欠員があっても補充や再編成はしないのだそうである。それではわが分隊にしたって小隊にしたって、いや中隊にしたところで、呼び名にふさわしい戦力があるとはいえない。歩行不能の重傷者はもとより戦闘に支障のある者はみな応急の野戦病院に収容されたために、ぼくらの中隊は(それは他の隊も似たようなものだろうが)ごっそりと痩せてしまっている。だからぼくの感じではそれでは第二中隊と称しても、実質的には一個小隊強の力しかないのではないかとの気がするが……こういうさいに、あらためて編成し直す余裕などなく、へたに再編成したりしたらなじみのない同士が入りまじって、意思の疎通を欠き、ぎくしゃくしたものになるだろう――との例の判断による措置なのに相違なかった。
しかもここで、ある意味では当然でありながら形式的でもあったのは、そうした名前のほうが勝った編制でありながら、一応、任官が行なわれたことである。
ガリン・ガーバンは第二中隊長として準率軍に。
他の、小隊長代行者もまた準率軍。
分隊長を代行していた者は、幹士長か主幹士に。
その他の人間は、みなそれぞれ一階級昇進した。ぼくも個兵長ということになったのだ。
これは、かりの階級ではない。
現地における戦時任官という奴で、正式の昇進なのだ。
こんなときにこの昇進なり階級なりについて云々するのは、余計であり蛇足かも知れないが、ご不審のむきもあるはずだから、注釈をしておくべきだろう。
そうなのだ。
元来、中隊長というのは率軍長が普通で、小隊長は主率軍であるのが、建前である。
にもかかわらずガリン・ガーバンが準率軍というのはおかしいし、小隊長たちがガリン・ガーバンと同じくこれも準率軍というのは変ではないか――との疑問があって当然である。
だが、部隊の上層部としては、もともと主幹士でありエクレーダ内での一斉昇進によって幹士長になったガリン・ガーバンを、一挙に率軍長にするわけには行かなかったのであろう。下士官から将校になるためには将校としての訓練を経るのが一般的原則であり、それは戦闘経験によってカバーし得るとしても、幹士長の上の率軍候補生を飛び越して、準率軍、主率軍、率軍長に迄引きあげるのは、いかに将校が不足したからといっても、許されざることだったのではあるまいか。だから、あとで短期間のうちに昇進させるにしても、とりあえずは実戦の指揮をとる将校としては最下位の準率軍に任じるにとどめた――ということに違いない。ただ、準率軍ではあってもガリン・ガーバンは中隊長である以上、中隊長のしるしを別につけたのだ。
中隊長がそうであれば、小隊長たちも準率軍であるのはやむを得なかった。同じ階級なのに一方が中隊長、他が小隊長というのは奇妙と思う人がいるかも知れないが、これはガリン・ガーバンが先任の準率軍ということで、先任者としての優位性のもとに命令を出せばそれで済むのである。ああ……また話がややこしくなったようだ。同じときに準率軍に任じられて先任も後任もないではないか、との疑問が生じるのが当り前だろう。が……階級にうるさい軍隊というものは、ちゃんとそのための便法を講じたのだ。つまり……ガリン・ガーバンは一日さかのぼって、きのう準率軍に任命されたことにされたようである。ぼくはガリン・ガーバンやあたらしい小隊長たちの心から、それを読み取ったのだ。そしてこういうやり方は、他の隊においても普通のことのように行なわれたらしかった。
小隊長といえば、レイ・セキは、準率軍第三小隊長になってしまった。部隊本部にたどりつく迄は重傷ながらレイ・セキより上の下士官がいて、それが小隊長を代行していたのだが、到着後その下士官が野戦病院に収容されたために、小隊長の順番が廻ってきたのである(詮索好きの人のためにつけ加えておくと、そのかりの小隊長は、いったん小隊長として準率軍に任じられたのちに、小隊長の役を解かれて野戦病院入りをしたのだ。ほかの同様の立場の負傷者も、みな同じ扱いをされたようである)。
第一小隊の、ぼくたち第二分隊の分隊長はコリク・マイスンが代行していたが、そんなわけでコリク・マイスンもれっきとした主幹士になった。
主個兵だったぼくが、同階級のアベ・デルボなどと共に個兵長になったのは、すでに述べた通りである。
ぼくたちは、あたらしい階級章を二の腕につけた。兵から下士官になった者は赤色から銀色の筋にとりかえたし、下士宮から将校になった者は二の腕の階級章をはがして袖に金線を巻きつけたのである。準率軍なら金線は二本なのだ。正直、ぼくはどうかと思ったのだが、それらのあたらしい階級章は部隊本部から支給されたのである。そんなものを降下にさいして持って来たのは……戦死者がたくさん出てその需要が生じるのを見越していたのか、荷物としてあまり重くなくかさばりもしなかったためかも知れない。
――と、こんなことを長々とつらねていると、中には、まるでぼくたちがこの昇進で喜色満面だったように受けとめる人がいるかも知れない。
違うのだ。
それは、不愉快ではなかったのはたしかである。
が。
そんなによろこぶ程のことでもあるまいよ、というのが、すくなくともぼくの本音だったのだ。
お察しの通りこういう昇進は、つまり、これ迄のかりの状態を認知した……今後の必要のために正式に認知したものに過ぎないのである。せいぜいが、自分たちの指揮官がそれなりの資格を持った本物の指揮官だということになった程度のものなのだ。今迄の指揮官が変らずにそうなったのは有難いが、それだって準率軍の中隊長であり小隊長なのである。
そして、ぼくやアベ・デルボなどの面々に至っては、個兵長は個兵長でも、下にはひとりもいないので、下っ端なのに変りがないのだ。名目があがっただけのことであった。
それに。
ぼくは、あたらしい階級章を部隊本部が用意していたことを、どうかと思うといった。
というのも……塹壕掘りの作業中に、ぼくたちに制装の補充があったのだが、全員が満足な制装を着用するには、とても足りなかったのである。ぼくたちの中隊で制装が完全なのは四分の一もいなくなっていて、ぼくのようにあっちこっちが裂けているのは修理をすることで何とかまた使用にたえるようにするのが可能だったけれども、修理などでは到底間に合わない制装の者もすくなくなく……かれらはあたらしい制装を貰わなければどうしようもない状態だったのだ。が……補充分はその数にさえ達せず、ためにぼくたちは何とか制装の一部を他の制装に転用したり、ふたつか三つでやっと制装らしいものをでっちあげたり――ということで、どうにか格好をつけたのである。従って制装とはいっても本来の機能を完備したのは半数にも満たなかった。未使用の補充分を加えて、である。ガリン・ガーバンは、だから、機兵操作以外の交話装置の使用禁止をいったん解除したものの、そういうわけで交話装置は分隊長以上のみ使用とし、分隊長以上に交話装置使用可能の制装を持たせて、あとは分隊長の指示に従うようにと命令したのであった。
こんなことでいいのだろうか、と、ぼくは思ったのだ。
階級章の予備をたっぷり持ってくる位なら、なぜ制装を充分に持ってこなかったのだ?
それは、制装のほうが遥かに重いしかさばりもするのだから、両者を比較するのは筋違いかもわからない。が……それにしてもどこかちぐはぐな、一番大切な兵員の戦闘力よりも階級の重要性を尊重するような、そんな印象をぼくが受けたのは、否みようがないのであった。
いや……悪いことばかりいっていても、仕方がない。ともかく、そんな状況でぼくたちは塹壕を掘り、塹壕の中で背中をもたせかけたわけである。そしてそのときには、繰り返しになるけれどもすっかり日は暮れていた。
塹壕の中での食事になった。
食事のあと、すぐには何もおこりそうになく待機をつづけながら、ぼくは例によって想念を追った。むろん、すぐには何もおこりそうもないといっても、それはこっちの勝手な思い込みで、いつどんなことが突発するかわからない。そんな中での、どこか制限された想念だが…塹壕にあってもそんな真似ができる程度には、こっちも馴れてきたということであろう。
ぼくたちはこうして、ハイデン部隊の一翼として敵を待ち受けている。
部隊全部という、これだけが集まればやはりたしかに心強いのだ。
しかし、部隊といっても、兵力としてどの位なのであろうか。
ハイデン部隊の兵員数は千八百である。エクレーダにはそれだけの地上戦隊の隊員が乗っていたのだ。
とはいえ、ダンコール降下以来の戦闘で、われわれは随分損害を受けている。死者と、それに戦闘に参加できない負傷者はかなりの数にのぼっているはずだ。
ぼくたちの第二中隊を基準にして計算してみると――。
ぼくたちの中隊は、約百八十名であった。それが戦闘によって生存者は百名たらずになってしまい、その生存者もほぼ二十名が自力歩行不能の重傷者である。それ以外にも負傷者がいて、野戦病院に収容された。現在、塹壕にいるのは七十名そこそこに過ぎない。中隊としては全滅といっていいが、それでもいまだに中隊と呼ばれている。実質は一個小隊強の兵力なのだ。
この比率で行くと、ハイデン部隊の兵員は干八百掛ける百八十分の七十。つまり七百となるが……。
だが部隊全体の感じからいって、七百という印象ではない。もっと多い気がする。
それだけ、ぼくたちの中隊の損害が大きかったので……ぼくたちの中隊を基準にするのは間違いかも知れない。
となれば、干、それとも干百とか千二百とか……その程度ではあるまいか。戦闘可能な兵員は、そんなところではないだろうか。
しかも、ハイデン部隊がいるこのメネからあまり遠くない地点に、他の三部隊も陣をしいているという。
他の三部隊が降下以来どれだけ損害を出したのかは、さらにわからない。
しかしハイデン部隊と同様と見て、ハイデン部隊がかりに千百とすれば、全部で四千四百になる。五干、いるかも知れない。
これは、相当な兵力だ。
相当な……。
だが待てよ。
ぼくは自分の中隊の感覚で考えているから、これを相当な兵力と思うのだが……全戦線から眺めてみると、たかだか五千やそこらは、大したことはないのではないか?
敵が、どの位降りてきたのか、ぼくには見当のつけようがない。
しかも敵はそれだけではないのだ。敵の艦艇はダンコールを攻めようとすればいつでも攻められる宙域に、この瞬間も遊弋《ゆうよく》しているのである。おそるべき数と攻撃力を持つ艦艇群なのだ。そこからぼくたちの地上戦隊にあたる兵団がさらに降りてくるのなら……それがあのウス帝国軍なら……。
五千の兵力が何の支えになろう。
むろん……わがカイヤツ軍団には、われわれの第四地上戦隊だけでなく、あと三つの地上戦隊がある。かれらがやられもせずこのダンコールにいるとしたら……五千が四つで二万……。
カイヤツ軍団だけではない。
あとの十三のネイト軍団、それに五つの連邦直轄軍団の地上戦隊が、それぞれ、ネプトーダ連邦の首都ネプトを守るべく、防衛線をしいているのではあるまいか?
その防衛線も……だが、ぼくたちのこれ迄の動きから推量して、少しずつ縮まっているのではないだろうか? ネプトヘネプトへと追いつめられつつあるのではないだろうか?
そのあとは……?
ネプトを背後にしての絶望的な戦闘になるのか?
ネプトの中へ逃げ込んでの、ゲリラ戦になるのか?
いや……その前にぼくたちは、完膚なき迄に打ち砕かれ、全員戦死しているのかもわからない。
…………。
よせよせ、と、ぼくは自分にいい聞かせた。
そんなことを考えて何になるのだ。
連邦軍の司令官でもないのに……。
それよりも、あすをも知れぬ身だというのに……。
「敵は来ないか?」
突然、ぼくは声をかけられて、どきりとした。
塹壕の中、ぼくとそう離れていない場所にいるザコー・ニャクルがいったのだ。
ぼくはダンコール語としてその言葉を理解したのだが、同時に、相手の思念をも重ね合わせて感知したために、すぐに意味を把握できたのである。
ザコー・ニャクルのむこうには、ボズトニ・カルカースが、これも顔をこちらに向けているようだった。暗くて、じっとみつめなければ様子を見て取りにくいけれども、エスパー化しているぼくには、そうと認めるのはむつかしくなかったのだ。
ふたりのダンコール人がそんな場所にいるというのは……ぼくが、依然としてかれらを担当することになっているからである。なりゆきで嫌でもダンコール語に馴れつつあったぼくが、その役目から解放されることは当分なさそうであった。
担当といえば、ぼくが受け持つ機兵のコンドンも、塹壕の中、ふたりのダンコール人とは反対側の右手に腰をおろしている。いざというときコンドンを壕の外へ出させるには、それなりの指示をしなければならず、外の地上で伏せでもさせておくほうがぼくには楽なのだが、敵弾飛来でもあれば外にいるとやられ易いので、致し方ないのであった。
「敵は、まだ来そうにないか?」
再び、ザコー・ニャクルがたずねた。彼にはヘルメットをかぶった制装姿のぼくに、自分の声が届かなかったのかと思ったらしい。
そういえばザコー・ニャクルは、先刻ぼくたちと一緒に、支給された食糧を平らげたあと、いびきをかいて眠っていたのである。そんなに緊張もせずに眠って、目をさますとぼくに訊く気になったのである。
「わからない」
ぼくは声を出して答えた。
そうとしか、いいようがないではないか。
「――そうか」
ザコー・ニャクルは頷くと、片手で刀の柄をつかみ、もう一方の腕で伸縮槍をかかえ込むと、また背中をもたせかけて……目を閉じたようであった。
「全く、元気な奴だな」
ぼそりといったのは、コンドンのあっち側にいたアベ・デルボである。
アベ・デルボは、今のやりとりを聞くともなしに聞いていたのだ。
「ああ」
ぼくは応じ、小さな息をついた。正直、ザコー・ニャクルのような図太い神経を持てば気楽だろうな、と、思ったのである。
それから十五分かそこらも経っただろうか。
想念を追うのにもややあきて、ぼくは顔を挙げると、そろそろと身を伸ばした。
外がどんな具合か、窺《うかが》ってみたくなったのである。
地面から顔を出すと、正面に、夜の湖面があった。薄ぼんやりと浮きあがっているようだ。星々の光のなせるわざであった。
人工の灯らしいものは見えない。
ぼくはふと、ダンコールに降下したときのことを想起した。
あのときぼくは、遠くひとつ、離れてまたひとつ、と、緑色の、強い外灯らしい光を認めたのだ。普通の外灯なのか、あるいは他の用途のためなのか、ぼくは知る由もなかったが……今はそんなものは目に映らない。このあたりにははじめからなかったのか、それとも消してしまったのか、ぼくには何ともいえないのである。
そのとき。
ぼくは、かすかな人間の意識を感知したのだ。
自軍の人々のそれではない。
たえず他人のテレパシーを感じていなければならないエスパーのぼくは、ある一定の状況下ではそれになじんでしまうのがつねである。いってみればきつい匂いのあるところにしばらくいると、ほとんど感じなくなってしまうのに似ているが……エスパーとしての経験を積んできたぼくは、自分でも意識しないうちに周囲の思念の波を何でもない雑音としてそれほど気にならないようになってきていた。そういうすべを体得したというべきかも知れない。精神波感知機ではかなりの反応があるはずの状況でも、ほとんど影響されないということが、可能になっているのである。もっとも、それらの中から自分の求める思念を拾い出せば、それだけを分離して読み取ることもできるので……これは、機械がとらえるものと人間の視覚や聴覚がとらえるものとの違いからも、理解して頂けるのではないだろうか。
ぼくが感知したのは、だから、いわば恒常化した雑音とは異質の、別の思念であった。まだ小さく漠然としているものの、未知の何かである。それが、ゆっくりと、ごくゆっくりと近づいてくるのだった。
ひょっとするど、ぼくがおのれの想念を追うのに倦《う》んで外を見ようとしたのは、自覚こそしていなかったけれども、それをとらえていたからではあるまいか。ために、外を眺めようとの衝動にかられたのではあるまいか。
わからない。
が……それはこの場では、あまりかかわりのないことだ。
ぼくは注意を集中した。
思念は、ひとりのものではない。十人、それとも二十人か……集団のもののようである。集団が、どうやら正面の湖の方角ではなく、ぼくから見て左手の、東のほうから湖岸に沿った道をやって来るらしいのだ。
ぼくはそちらに顔を向け、さらに注意を集中した。
すでにぼくは、あの森の中の陣地で敵の襲来を感じ取ったことがあり、あれと同様の来襲者なら、急を告げなければならないと考えたのだ。
来るのは、だが、平和な感じであった。むしろ平和過ぎるといっていい。
何だろう。
ぼくはもっと詳しく知ろうとしたが、その集団は別段急ぎもせずに歩いているらしく、なかなか近づかないのだ。
これ以上外を見廻していると、誰かに何かたずねられそうなので、ぼくは首を引っ込め、また壕の中に腰をおろした。
待つとしよう。
そんなことをしたぼくに、誰も何もいわなかったのは……みんなも退屈になると外の様子を眺めるという行為をしていたからであった。ぼくもその口だと解釈されたのである。
思念の群は、少しずつ近くなってくる。
それも、われわれの陣へとやってくるようだ。
われわれの陣というよりは、メネへというわけかも知れない。
どうもそのようだ。思念から、そうと感じられる。
もう、だいぶそば迄来たのではないか――と思ったぼくは、それを見定めようと腰を浮かした。
しかし、ぼくがそうするのと符節を合わせたように、誰何《すいか》の声が聞えてきたのである。
ぼくはおもむろに顔を出して、そちらを眺めた。
ぼくだけでなく、塹壕にいた連中がみな立って、そっちを見ようとしたのだ。誰何の声に、何がおこったのかと思ったのである。
けれども、湖面の薄あかりがあるとはいえ、そちらは暗くて、よくわからなかった。おぼろげな、かたまった黒い影が浮きあがっているばかりだ。
ただ、話し声は流れてくる。
やって来た一群と、誰何をした隊の連中とが、やりとりをしているのだ。
その時分には、ぼくはさっきより明瞭さを増した思念を感知していた。
到来した一群は、メネの家を借り受けて泊りたいらしい。かれらはその旨を告げているようでもあった。
間もなく誰何した隊から、伝令が黒い影となって走るのが、ぼくの目にも見えた。
かれらは十分程も待っていただろうか。
伝令が戻ってくると、かれらのひとりを伴って、また部隊本部へ行くようである。一群の思念のひとつが分離して、伝令のそれと共に近くなり、また遠くなって行ったので、多分そうだろうとぼくは思ったのだ。
壕の中は、がやがやしはじめていた。
「何があったんだ?」
アベ・デルボが、ぼくに問う。
「よくわからんが……ここで宿をとりたいらしいな」
ぼくは返事をした。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースも立ちあがってそっちへ目を向けていたが、間もなく興味を失ったらしく、壕の底に元のようにすわり込んだ。
「あれは何だ? 知っているか?」
ぼくらは、かれらにたずねてみた。
「ドゥニネ、ではないか」
と、ボズトニ・カルカース。
「ドゥニネ?」
ぼくは反問した。
「つまらぬ奴らだ」
ザコー・ニャクルが、吐き捨てるようにいう。
それだけでは、ぼくには何もわからなかった。ザコー・ニャクルの心中には、軽蔑といまいましさともいうべき感情が、揺れているばかりだったのである。
「つまらぬ奴?」
ぼくは、またたずねた。「何か、しているのか?」
変な質問だと笑わないで頂きたい。ぼくはもっとちゃんとした訊き方をしたかったのだが、適当な言葉を知らなかったのである。
が……それでも効果はあった。
「つまらぬことをしているのだ」
答えたザコー・ニャクルの心に、像と概念をこっちゃにしたものが浮かんでいた。粗末な身なりで、よくわからぬことを説教して廻る連中、という感じのものである。
「ドゥニネは、あっちこっちにいる」
ボズトニ・カルカースもいった。
その心中にも、ザコー・ニャクルのと似たのがあった。ザコー・ニャクルのほどは歪んでいないが、こっちはひとりかふたりの、ドゥニネなるものの、おぼろげな像であった。
それは……。
ぼくには、何か覚えがあるような気がしたのだ。ザコー・ニャクルのとボズトニ・カルカースのとはだいぶ違っていたが……たしかにぼくの記憶の中の何かと合う感じがあるのだった。
「何だって?」
アベ・デルポがぼくに声を投げる。
「ドゥニネ、とかいうらしい」
ぼくは声を投げ返した。
「何だそれ」
と、アベ・デルポ。
「さあ、な」
ぼくはとりあえず、そう返事した。
アベ・デルポは、ぼくの言葉を他の連中にも伝えたようであるが……ドゥニネだけではもとより何のことか判明するわけもない。
伝令と集団のひとりはなかなか戻ってこず、何の変化もなかったので、ぼくたちはまた塹壕の中に腰をおろした。
そのうちに、やって来た連中の思念もぼくにとって、はじめからあったのと一緒になり……ほかのことを考えはじたのだ。
だいぶ時間が過ぎた。
ということは、それだけ、集団から離れて行った人物と部隊本部との折衝に時間がかかったのを意味するであろう。
ふと気がつくと、ざわざわした足音と、さっきの思念の群が近づいてくるのであった。ぼくたちの塹壕のすぐ傍を通りかかろうとしていたのだ。
こちら側の人間は、みんな、また立ちあがった。
近くなり、通ってゆくのは、二十人ほどである。地上は暗いというものの、壕の中よりは幾分かましで、かれらのシルエットを見て取ることはできたのだ。
ぼくは、シルエットだけではなく、精神を集中して、もっとはっきり観察しようとした。
それは、背の高さもさまざまな、布切れを見にまとい頭巾をかぶった一団であった。低く何かを唱えながら、進んでゆくのである。
ぼくは、先程記憶の中で起きあがろうとしていたのが何であるかを悟った。
デヌイベだ!
ずっと前にカイヤントで出会った、しかも不思議な力を持つらしい、あのシェーラも一員だった――デヌイベに酷似しているではないか。なるほど目の前の人々は、デヌイベのように黒い帯を締めているのではなくて、布切れをまとっただけであるが、その頭巾からも歩く様子からも、なかんずく低い合唱からも……どうしてもデヌイベを連想してしまうのだった。
あれに似た連中が、このダンコールにいる……?
つづいてぼくの頭に閃いたのは、バトワの基地に近いゼイスールの、リョーナの店で聞かされた話である。
リョーナとその母親は、バトワにエゼという集団があるといった。エゼは上から下迄黒い衣をつけ、集団で布教して歩き、修行すれば超能力者になるのだという。ぼくはすぐにデヌイベを思い起こしたのだ。
眼前を過ぎ去って行く人たちは、黒い帯もせず、また全身黒衣でもない。どうやら、生地のままの布切れと頭巾らしいのだが……しかし、それはデヌイベと同類ではないのか? エゼがもしもデヌイベのバトワ版なら、このドゥニネとかいう連中は、デヌイベのダンコール版ではないのか?
ぼくは、混乱した奇妙な感覚で、集落の方向へと闇の中に溶けてゆくかれらをみつめていた。
一時間後。
敵弾の飛来がはじまった。
最初の弾着点は、ぼくたちの塹壕からだいぶ遠かった。山寄りの……メネの外だったのではないだろうか。もっとも、われわれの陣地はメネの外周部の主要地点に配置されているのだから、そのどこかがやられたかも知れないが、壕の中にいるぼくたちには、何もわからなかったのだ。
皮肉なことにそれは、ぼくがたまたま敵弾の飛来について考えていたときだったのである。
その日の行動の説明からもおわかり頂けるだろうが、ぼくはまだ本格的な休息をとっていなかった。前夜の中隊陣地での被弾や敵の夜襲、夜が明けてからの簡単な葬儀と移動、部隊本部への到着にひきつづいての陣地構築――とつづけば、それどころではなかったのだ。
いや。
本格的な休息といっても、ぼくは何も、ゆったりと入浴し、ふかふかのベッドで心行く迄眠る――というようなことを求めているのではない(そんな状態を空想するだけで、ぼくはめまいを覚えるのだった)。そんな贅沢は許されるべくもない。ぼくにとっての本格的な休息とは、壕の底ででもどこでもいい、とにかく何時間かぐっすりと眠ることなのだ。
もちろん人間は、働きづめ動きづめでは身が保たない。だからぼくたちも、そのつど短い休息を与えられてきた。こちらもそれなりに馴れてきているから、そうした機会を最大限に活用して、身を伸ばしたりひとときのうたた寝をむさぼったりする習性を身につけている。が……多少とも似た経験をした方にはおわかりの通り、そうした休息はその場しのぎの、いっとき立ち直る程度にしか役立たない。元気を回復してさあやるぞというためには、貯えを作るだけのちゃんとした休息が必要なのだ。
こんなことをいうのは、実はぼくがまだ本当にはへたばり果て疲れ切っていなかったからかもわからない。人は極限に達すると、たとえ殺されるのがわかっていようとも眠り落ちてしまうものだ、と、聞いたことがある。正直、その感じが半分位は理解出来そうな気分だったけれども、ぼくはまだそこ迄は至っていなかったわけであろう。すくなくとも、ぼくの神経がぼくを解放してくれなかったのだ。ぼくは、そう、壕の左隣りにいるザコー・ニャクルのようには図太くなかったのである。
それが当然ではないか。
何しろ、いつ敵が襲ってくるか、見当もつかないのだ。そのときの一瞬の対応の遅速がぼくの生死を決定しかねないとなれば、うかうかしてはいられない。ふっと気を抜いたり想念を追ったりしていても、心のどこかはつねに張りつめているのであった。
今夜も、敵は攻撃してくるのだろうか――と、そのとき、ぼくは思っていた。
昨夜のように。
昨夜。
そう。
あれはまだ、昨夜のことなのだ。
きのうから、随分長い時間が経ったような気がする。次から次へと、いろんなことがおこって、前のものはその前へ、その前のものはさらにその前へと押しやられ、遥かかなたへ行ってしまったみたいなのだ。
それでいて、あっという間に過ぎたような印象もあるのは、どういうことだろう。
人間の時間感覚や記憶というのは、奇妙なものだ。
いずれにしても、このまま何時間か平穏ならば、かなり休めることになるのだが……それが許されるかどうか……。
昨夜のように、またもや敵弾が飛来するのだろうか。
――と、考えた折も折。
ぼくの耳は、ひいいいいという音をとらえたのだった。
「敵弾だ!」
ぼくは小さく叫び、壕の底で姿勢を低くした。
だん、という重いひびきと共に、地が少し震えた。
「敵か?」
ザコー・ニャクルが体を起こして問いかける。
「敵弾だ。じっとしていろ」
ぼくはいい返した。
「今のは、かなり遠いな」
右側の、機兵のコンドンのむこうのアベ・デルボがいった。「このぶんじゃ、今夜もろくに眠れそうにないぞ」
それから一分か二分は、静かだった。
攻撃は、一発だけなのか?
敵は、こちらの反応を見るために、射出するだけ射出してみたのか?
だが、そんなものではないことを、たちまちぼくたちは思い知らされた。
すぐに、ひいいいいいい、と、今度はもっと高く明瞭な音が、接近してきたのだ。
「来るぞ!」
誰かが、叫んだようである。
高低無数の音響を一緒にした、しかも腹にこたえる爆発音と共に、ぼくは地面もろとも持ちあげられ、沈んだ。ばさばさっと土砂が振りかかってきたが、壕そのものは崩れなかった。
他の隊員たちがやられたのかどうか、窺う余裕はなかった。
つづいてまたひとつが……しかし、これはずっと遠くらしく、押し殺したようなひびきが伝わってきただけである。
さらに次の一発。
これは近かった。爆発音から遅れて何かがいくつも地に叩きつけられるような音があったのは、建物が吹っ飛ばされたのかも知れない。
うううう、と、唸る声がした。
ザコー・ニャクルだった。
思念で、ぼくにはザコー・ニャクルの気持ちがわかった。こうして敵弾が飛んでくるのに、そうした攻撃に対しては壕を出てたたかうことも出来ず、無念の歯がみをしているのであった。
くやしがっているのだった。
そして、次の一弾。
また一弾。
はじめのうち、ぼくはそれを数えていた。何も特別な目的があったわけではない。せめてそんなことででも自分を落ち着かせようとしていただけだ。
しかし、十四発めか十五発めに、猛烈な接近音につづいての至近弾ではねあげられ、落ちかかる砂をかぶって伏せたあとは、それどころではなくなってしまった。
しかも、敵弾は依然として飛来してくるのである。
が。
それもしだいにまばらになって、ついにはやんでしまった。
ぼくたちは、ごそごそと頭をもたげにかかった。
「大丈夫か?」
声が近づいてくる。
分隊長のコリク・マイスンが、壕の中をやってくるのだ。
「大丈夫であります」
「何ともありません。コンドンにも損害はないと思います」
アベ・デルボとぼくは、返事をした。
「みんな、無事なようだな」
コリク・マイスンは、くらがりの中で目をこらしたようであった。「そっちの、ふたりのダンコール人はどうだ?」
ぼくは、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースに問いかけて確認した上で、何もなかったようであります、と、答えた。
「と、すると、わが分隊には損害はなかったのでありますか?」
たずねたのは、アベ・デルボである。
「今回はな」
コリク・マイスンは応じた。
応じてからちょっと間を置いたのは……ぼくにはコリク・マイスンの心が読めた。コリク・マイスンは、ペストー・ヘイチのことを考えたのだ。
コリク・マイスンだけでなく、アベ・デルボも、そしてもちろんぼくも、それは同じだった。
だが、コリク・マイスンは心の中でそのことをわきへ押しやると、つづけたのだ。
「中隊としては、何人かやられたようだ。いや……中隊長はご無事だ」
コリク・マイスンは不意に、分隊長としての言葉遣いから、前の口調に戻した。「あのガリン分隊長がくたばるなんて、考えられないものな。また、そんなことがあっちゃいけないんだ」
それから、コリク・マイスンは引き返して行った。
アベ・デルボは何もいわず、ぼくもまた元のように壕に背中をもたせかけた。
アベ・デルボがペストー・ヘイチのことを思い出したのちに、それを振り捨てようとしたのを悟ったからである。
それは、ぼく自身の気持ちでもあった。仲間だったペストー・ヘイチがもういないということは、どこかに穴があいたようなところがあるけれども……それを思いわずらっても仕方のない話であった。そしてそれにつづく思考は、自分たちも遅ればせながら同様の運命をたどる――という意識だったのだ。そこへ想念が落ち込んでゆけばやり切れなくなるから、打ち切ったのである。
にもかかわらず、ぼくがアベ・デルボに比すると、いささかはどこか楽観的な部分があったのを……つけ加えておくべきであろうか? それはぼくだってこんな状況下でいつ迄生きていられるかわからないのは、承知している。ひょっとしたらこの次の瞬間、あるいは一分後には死体になっているかも知れない。そうなっても不思議はないのだ。が……これでもう何度も繰り返したぼくの信念めいたおかしな希望、自分にはきっとあかるい将来があるのだとの気分は、かなり弱まっていたとはいいながら、ちゃんとぼくの中に生きつづけていて……それがぼくをどこかで支えてくれているようなのであった。
しかしまあ、ぼくだけに都合のいいそんな事柄は、一応しまい込んでおこう。
それよりも、ぼくを微笑めいた感じにさせたのは、今のコリク・マイスンの口調と言葉であった。現在のようなかたちになってもぼくの頭には、やはりガリン・ガーバンが分隊長であったときの感覚がこびりついている。そしてそれは、コリク・マイスンにとっても、どうやら他の連中にしてみても、似たようなものらしいのだ。みずからが第二分隊長になった今でも、コリク・マイスンの心の中では、依然としてガリン・ガーバンが分隊長でありつづけているのだろう。そうした紐帯《ちゅうたい》を、ぼくたちはいまだに保持しているということであった。
敵弾飛来が終っても、われわれは気をゆるめるわけには行かなかった。
いつまた、攻撃が再開されるかわからない。
それと……夜襲を警戒しなければならないのだ。
ぼくたちの中隊が未明に受けて大損害を喫したあの奇襲――軽装の、剥き出しの顔や手を黒く塗った敵兵の乱入は、他の多くの隊も経験したという。
まず夜半に攻撃して損害を与えたのち、夜明け前に軽兵を突入させるあの戦法を、敵は今夜も繰り返すかも知れない、とのことで、ぼくたちは防備を固め、待機したのだ。
ぼくの中隊の壕に限っていえば、レイ・セキとぼくが、別々に持ち場を与えられて特別に哨戒《しょうかい》をするように命じられた。
ありていにいえば、これは過重負担の観がある。
ぼくは、機兵一体とふたりのダンコール人を受け持たされているのだ。
しかし、ぼくのほうはそれでもまだ身軽といえよう。
レイ・セキの場合は、準率軍第三小隊長なのだ。小隊長を哨戒の任に充てるとは、役不足もいいところである。
だが、中隊のためには、それもやむを得ない措置だったろう。レイ・セキもぼくも共にエスパー化の状態にあり、かつ、昨未明の敵の奇襲にさいしては、いち早く敵の殺意を感知して周囲の者に警告した実績もあるのだから、その能力を活用しない手はないのであった。
ぼくは塹壕から身を乗り出して、危険な思念が近づかないかと、ずっと警戒をつづけたのだ。
敵の思念をとらえるべく、おのれの読心力を研ぎ澄まそうと努めていると、いやでも他の人々の雑念が、つねよりも強くはっきりと飛び込んでくる。ふだんならいわば雑音として聞き流しているものでも、受けとめてしまうからだ。
それらのうちには、ぼくが関心を抱かざるを得ないようなものも、いくつかまじっていた。
大体がぼくたちは、敵弾飛来がやんだあと、部隊の現況その他について、簡単な状況説明を受けたのだが、哨戒中に流れてくる思念によれば、状況説明では言及されなかったような問題や悶着《もんちゃく》が、いろいろとあるようだったのだ。
まずは、わが軍の反撃のことがある。
壕内にいたぼくたちは見ることが出来なかったけれども、敵弾が飛来しはじめるや否やわが軍は、敵弾が射出される方向ヘレーザー砲による反撃を開始し、攻撃を続行した――という話であった(本来ならば、ぼくたちの中隊もそうすべきところであったが、さきの森の中の陣地で、レーザー砲をことごとく吹っ飛ばされあるいは破壊されてしまい、ここへ来てからも補充を受けず……というより補充されるべきレーザー砲がなかったのだから、仕様がない)。だが……通りかかる事情に詳しい将校の思念によれば、わが軍は敵の所在をつかんでおらず、従ってその反撃もいかほどの損害を与えたか皆目不明らしかったのである。おまけに、もともとレーザー砲自体が、直線攻撃の可能な見通しのきくところでこそ絶大な威力を発揮することを考え合わせると……将校の中には、反撃といってもただのエネルギーの無駄遣いに過ぎなかったと信じている者もいたのだ。
それと、敵弾飛来による損害。
説明によれば、敵弾飛来による味方の損害は軽微であったという。その点では、たしかにそうらしかった。軽微と迄は行かなくても、あれだけ被弾したにしては、予想外に損害は小さかったようである。
けれども、こんなことは状況説明には出てこなかったものの、別の厄介ごとがおこっていたのだ。
メネの人々から、文句が出ているらしいのである。
敵弾は、わが軍の陣地のみならず、当然メネの集落にも飛来し命中した。何軒かの家が爆破されたり倒壊したりして、死傷者が出たようだ。
ために、メネの人たちは、わが軍がこんな場所に布陣したから攻撃を受けたのだといいだし、すぐにでもここから立ち退いてくれと要求してきた……要求は繰り返し行なわれていて、部隊本部は対応に苦慮しているみたいであった。わが軍が立ち退いたところで、敵はここへもやってくる、いや立ち退けば確実に占領され敵の思うがままにされるだろう、と、説いても、頑として受けつけないらしい。部隊本部は説得で時間稼ぎをしつつ、強引に居すわる格好になっていた。
もうひとつ。
これはことの性質上、状況説明に出てこなかったのも当然であるが、例の布切れをまとい頭巾をかぶった一団――ドゥニネが、とにかく部隊の許しを得てメネに入ったものの、メネの住民たちが宿を貸すのを肯《がえん》じなかったため、道にかたまってすわっているとのことである。その場所が会堂、つまり部隊本部のすぐ手前なので、本部へ出入りする将校の邪魔になっているらしい。
のみならずかれらは、わけのわからぬ変な歌を低く合唱しているので、聞いていると気が滅入ってくる、などと考えている者もいたのだ。
合唱といえば……やはり、カイヤントでのデヌイベに酷似しているではないか。
いや。
こんな事柄を並べ立てたからといって、ぼくが注意をそちらに奪われ、任務をおろそかにしていたなどとは、思わないで欲しい。ぼくは任務に忠実であろうとし、それゆえにいやでも、そうした思念をとらえる結果になったのである。哨戒をおこたったりしたら、自分自身が危ないのだ。そんな真似は、しようとしてもぼくには出来なかった。
それでも……時間が経つにつれて、通りかかったり、あちこちで話し合ったりする人間は減ってゆき、ぼくが他人の雑念に悩まされることも少なくなって行った。むろん、持ち場についている兵たちのそれは、絶え間なく流れてくるけれども、どこか共通したところのあるそうした思念は、ぼくにはさほど気にならなかったのだ。
ぼくには永い哨戒であった。
やがて。
空が白みはじめてきたのだ。
ぼくたちの待機は、空振りに終ったのである。
ぼくの神経は、くたくたになっていた。ずっと緊張しっ放しだったからだ。
それは、ぼくやまたレイ・セキだけのことではなかった。ぼくやレイ・セキのようにエスパーとして哨戒していたのではないといっても、いつ来襲を受けるかと気をはりつめていた点は、同じなのである。朝の光が射し込んできたときのみなの顔には、疲労が色濃く滲《にじ》んでいた。
そう。
もしも敵が、われわれを精神的に消耗させるつもりだったのなら……そのために一回の一連の攻撃のあとは何もしなかったのなら……われわれはみごとにひっかかったとしか、いいようがないであろう。
朝になって、ぼくたちはこれでゆっくり眠れるのではないか、と、期待した。これ迄のところ、敵が日中に直接攻撃してきたことはなかったからだ。
食事をしてもよいとの許可が出たが、ぼくたちはあまり食欲がなかった。むしゃむしゃ食ったのは、ぼくの知る限り、ザコー・ニャクルだけだった。
適宜交代して眠れ、との命令があり、アベ・デルボが、お前先に寝ろ、見張りが大変だったろうし、おれは夜のうちに多少はうとうとしたからな――といってくれたので、ぼくは塹壕の底で横になり(背中をもたせかけて眠るには、もはや腰が痛かったのだ)あっという間に夢の中へと、墜落して行った。
しかし。
ぼくは、叩き起こされる運命にあったのだ。
ぼくにとってはほんのひと呼吸かふた呼吸……実際はもっと長く、一時間近く経っていたそうだが、とてもそうとは信じられない短時間で、ぼくの制装はがんがんと叩かれたのである。
目をあけてみたが、すぐには何が何やらわからなかった。自分がどこにいて何をしているのかさえ思い出せないという、あれである。
「敵だ! 敵が来るぞ!」
その声がアベ・デルボであることを、ぼくはやっと悟った。
アベ・デルボは立って、ぼくの制装を足で蹴っているのだ。
敵?
ぼくは身を起こした。頭がぐらりとなりそうだった。
他の連中はみな立ちあがって、外を眺めている。
湖の右手、東の方向の森の上空に、飛行体が浮かんでいた。
三つ。
銀色のその物体に、ぼくは見覚えがあった。あれは、レイス河の川べりから北上し、森の中に陣地を作りあげた日の、その夕方に大群をなして降下して行った敵の艇なのである。そのときぼくは、それらが降下用艇だろうと推測したのだった。
だが、今、目よりやや高い位置に浮かんでいるその三機は、降下しているのではない。同じ高さを保ったまま、じわじわと大きくなっている。こちらへ接近しつつあるのだった。接近するにつれて、それがわが軍の降下用艇よりはずっと大型らしいのも、わかってきたのだ。
ぼくは無意識のうちにレーザーガンを抜き出していた。
他の連中もそうしていたのだと思う。
「撃つな! 撃ってはならん!」
声が壕のむこうからひびいた。ガリン・ガーバンだった。
「レーザーガンをしまえ! 撃ってもあいつには効果はないだろう。こっちの位置をつかまれるだけだ!」
これは、分隊長のコリク・マイスンの叫び声だ。
中隊長ガリン・ガーバンから交話装置を通じて伝えられてきた指令だろう。
ぼくは、はっとしてレーザーガンに目をやり、ホルスターにしまった。
脳裏に、この前の敵の大群降下に対して、ぼくたちがレーザー砲を撃ちまくったことが走り過ぎた。ガリン・ガーバンは、そのためにこちらの陣地の場所が突きとめられ、攻撃目標になったと考えていたのだ。すでにぼくたちはここでも攻撃を受けている、ということは、敵にこちらの所在をつかまれているのを意味するが……敵がどの程度正確に把握しているのかは、わからない。いらざる真似をしてさらに詳細な座標を与えるのは、有害に相違ないのだった。それにたしかに、ぼくたちが携行しているようなレーザーガンでは、あの飛行物体にろくに打撃を与えることもないであろう。この前はレーザー砲で撃って、なおかつ、爆発したのを見たのはひとつだけであった。あとはちょっと揺れただけの感じだったのである。小型のレーザーガンなど、使うだけ損というものだ。
ぼくたちが見守るうちにも、その三機は少しずつお互いの間隔をひろげ、全体としては左へ左へと移って行くようである。
そして空いた部分に、右手の山の蔭からまた一機、出現した。それ迄は、山にさえぎられていて、見えなかったのだ。
そのまま、あたらしいのも左へ移ってゆく。大きくなるのがとまったのは、接近をやめたのだろう。
今度は、高度を下げにかかっているようだった。
「こっちだ!」
突然、誰かがどなったので、ぼくは首をめぐらした。
ぼくたちから見て右方向の、メネの背後の山の上に、また一機――それも、ずっと近くに来ているのが、浮かんでいた。妙なかたちの、上部に凹凸のある銀色の大きな飛行体がだ。
それは、浮いているだけで、ぼくたちに圧迫感を与えた。
しかも、あきらかに近づいてくるのだ。
命令を守って、ぼくたちはレーザーガンを撃ったりはしなかった。命令は部隊本部から発せられたものか、わが軍の陣地のレーザー砲もまた、沈黙していた。
わが軍を威圧するように浮いていたそれは、間もなく、これも高度を下げはじめた。低くなり、山の稜線すれすれになって……見えなくなってしまったのだ。
山の裏側へ、降下して行ったらしい。
一方、湖の右手に浮いていた四機、いや、いつの間にか五機になっていたのが、湖の対岸へと、降りてゆく。ごくゆっくりと……森との距離を縮めているのだった。
不意に、一機の下の森から、蒸気のようなものが立ち昇った。ついで煙があがり……そこへその機は降りて行って……視野から姿を消したのだ。
他の四機も、同様にして降下し、こちらからは見えなくなった。
多分、というより、まず間違いなく、あれは機の下の、着陸するための場所を、熱線か何かで焼き払ったのだ、と、ぼくは思った。熱線でなければ他の、森の樹々を瞬時にしてなぎ払うか蒸発させるものなのであろう。あれだけ大きければ、着陸するにはそれだけの広さが必要なはずなのである。
ぼくは、自分が目撃した事柄を、冷静な観察記録のように淡々としるしていると、そう考える人がいるかも知れない。
こうとしか、述べようがなかったのだ。
ぼくは、頭の中こそ幾分かは動いていたものの、身体としてはどこかしびれたようになって、棒立ちでそうした光景をみつめていたのである。
けれども、視界にあったそれらの敵の飛行体が、すべて見えなくなってしまってから数秒後には、ぼくは、何がおこったのかを理解しはじめていた。
敵は、ぼくが当初降下用艇だろうと推測したあの飛行体を、わが軍のように何度も兵員を運んで往還させたりはせず(そのはずだとぼくは聞かされていたのだ。また、わが軍の降下用艇があの程度の大きさしかなく、ぼくたちが乗ったのが五号艇であり、そんなに数が多くなかったのだとしたら、そうしなければ仕方がないだろう。それらの降下用艇が最後にはどうなったのか……エクレーダと運命を共にしたのかは知る由もないが……今はそれを考えるときではあるまい)そのまま着地させ、ひょっとしたら移動力のある基地としても使用していたのかもわからない。そしてこちらに相当な損害が出たのを把握した上で、さらに強力な攻撃を仕掛けるべく、浮上して前進して来たのだ。とすれば、あれはただの降下用艇というのではなく、もっと強力な移動基地としての性能を備えていることになる。あの敵弾の射出が、そこから行なわれていたのなら、なおさらのことだ。しかも敵は夜襲という手段で、われわれの陣地へじかに突入してきたのである。われわれの損害がどの位かは、襲撃し帰還した者の報告でかなり的確につかんでいるのではあるまいか。
この想定に立脚すれば、敵が本格的に攻撃してくるのは、これからということになるのである。これ迄は敵にとって前段階の、いわば小手試しであり、これからが本物の戦闘になるということになるのだ。
ぼくは、今迄地獄にいたつもりが、実はまだその入口だったので、目の前にその暗い穴がぽっかりと口を開いているような気がした。いい気分ではなかった。
――と、こんなことは、ぼくならずとも他の連中も、いわれずとも理解したに違いない。
ぼくたちは塹壕の中に戻った。
少し眠ったりもした。
が……あの飛行体、ことにもっとも近くもっとも大きく見えた、山のむこうへ降りたらしい飛行体の存在が、意識につねに影を落としているのを、否定するわけには行かなかったのだ。
予感は的中した。
敵は本格的な攻撃に出てきたのだ。
正午過ぎ。
敵弾が落下しだした。
落下、というべきだろう。
山のむこう側から、射出された弾が弧を描いて落ちてくるのである。
どういう事情でかは、ぼくにはわかるわけがないが、それらはこれ迄の弾よりは小さいようであった。破壊力がそれほどでもないのだ。その代り、十発や二十発ではなかった。ぼくはもう勘定するというような真似はせず、またそれどころではなかったけれども、百発以上は落下してきたのではあるまいか。
わが軍のレーザー砲は、山のあちら側にいる敵には無力だった。ぼくたちは壕の中で身を縮めて、ひたすら耐えるほかはなかった。壕の外へ出るのは、きわめて危険だった。それどころか、壕そのものが直撃弾を受けた隊もすくなくないようである。だが、飛来音と爆発音の連続の中で、ぼくたちは他の隊がどうなっているかを知るのも、むつかしかった。肉声は遠くへは届かず、隊と隊の間の連絡は交話装置に頼るしかなかったのだ。
はげしい攻撃は、しばらくするととだえた。
「集合! こちらへ集合!」
コリク・マイスンがどなった。
ぼくは、壕づたいに、そちらへ行った。機兵のコンドンを操作し、ふたりのダンコール人も連れてである。
壕が少し広くなった場所に集まったのは、ぼくたちの分隊だけではない。押し合いへし合いしながら、中隊の全員が集められたのだ。あとから来た者はずっとうしろのほうになってしまった。
「命令が出た。わが中隊は、これより壕を出て、あの山を登り、山のむこう側の敵陣に迫る」
ガリン・ガーバンが大声を張りあげた。「敵は山頂近くで待ち伏せているかもわからない。敵に遭遇したらひとりでも多く倒せ。生きのびるにはそうするしかないのだ。後退命令が出たら直ちに撤退せよ。ぐずぐずしていると置いてけぼりを食うぞ。よし。第一小隊から壕を出て、進め!」
これが、活路を見出すためのきわどい作戦であるのは、ぼくにもわかった。そして、これでぼくは死ぬかも知れなかったが、どうしようもなかった。ガリン・ガーバンのいう通り、ひとりでも多く敵を倒すことしか、生き残る道はないのだ。
敵弾落下がとだえているうちにと、ぼくらは急いで壕を出て、メネの外を迂回し、エレイ河を左に見ながら、まばらな林の斜面をあがりはじめた。河沿いに行けば道はあるけれども、むろん、敵にたちまち発見されるそんなコースはとれない。林はじきに森の様相を呈し、ぼくたちは声を立てないようにして進んだ。
そう高くはない山なのだ。高山を見馴れた人なら、丘と呼ぶかも知れない。
途中からは、腹ばいになって進みつづけた。機兵のコンドンも同様である。機兵であるからには、兵に出来る動作は原則的に何でもできるのだ。ふたりのダンコール人は、あまり巧いとはいえないにしろ、ともかく見よう見真似でついて来ていた。
頂上が近くなったらしく、樹々の間に青い空が見えるようになってきた。
敵弾がまたもや射出されだしたのは、そのときである。
ぼくたちの頭上を超えて、次々と黒いものが、背後へと落下して行くのだ。
しかしぼくたちは、中隊長ガリン・ガーバンの振る手に従って、そのまま這ってあがるのをつづけた。
そろそろ頂上、というあたりで、ぼくの目に、ちらりと動くものが映った。褐色のかたまりだった。褐色と緑の入りまじった制服の――敵兵だった。
そいつは、ぼくたちのほうを指しながら、大声を出した。
たちまち、何十もの同じ格好の敵兵が、姿を見せた。頂上へと駈けあがって来たのだ。かれらは伏せて、銃をこちらへ向けた。銃からビビビと白光のパルスが飛んだ。
「撃て!」
ガリン・ガーバンの命令一下、ぼくたちはレーザーガンの火蓋をいっせいに切った。ひとり、またひとりと、頭を地面に落とすのが見えたが、むこうが伏せているために、たやすくは命中しないのだ。
ぼくのすぐ前にいた隊員が、たまりかねたように中腰になって、敵に狙いを定めようとした。
敵のひとりが銃口を向けた。白光がひらめいて、その隊員は制装のまま、がくんと前のめりに膝をついた。つづいてうつ伏せになってもがいているのは、肉体をやられたのではなく、行動強化装置のどこかを破壊されて、思うように動けなくなったらしい。
ぼくたちは、味方を倒したその敵兵に、どっと光条を浴びせかけた。
そいつはころがって、樹の蔭にかくれた。
敵のひとりが、上半身を起こすと、何か黒いものをこちらへ投げた。それはゆるやかに宙を落ちてくると、ガリン・ガーバンから遠くない場所で爆発した。
手投げ弾だ。
爆発の土けむりがおさまったとき、ガリン・ガーバンは倒れていた。
そうではない。
伏せていただけである。
制装のどこかをやられたのかも知れないが、ぼくにはしかとは見てとれなかった。だがガリン・ガーバンは、僅かにヘルメットをもたげ、大丈夫という風に、手を振ってみせたのだ。
制装に入っていなければ、すくなくとも重傷を負っていたであろう。
また別の敵兵が、上半身をあげて投げようとした。ぼくたちのレーザーの一斉照射で、その敵兵はがくりと頭を落とした。
かれらにレーザーパルスがどの位の威力を発揮するのか……生身の人間に対しても同じ殺傷力を有するのか、それとも褐色と緑のごつごつした感じの制服に、思わぬ防衛力があるのか……この時点でのぼくには判然としなかった。この前の夜襲の格好とはことなるそんな制服に出会ったのは、これがはじめてだったのだ。それ迄にもたしかなことは何も聞いていなかった。そのときどきの状況……相手との距離や命中個所によっていろいろ変ってくるし、敵の装備も改良が重ねられているようだから、はっきりしたことは何もいえない、というのが、実戦経験者の言葉だったのである。だから、ぼくたちの射撃が相手にどれだけの衝撃を与えたのか、ぼくにはわからない。わからないが、その手からこぼれた手投げ弾はすぐそばでとまり、彼の顔の前で爆発したのだ。ガリン・ガーバンの場合は三メートルは離れていたようだからまだしも、そんな近くでは制装でさえ裂けてしまうだろう。爆発でえぐられたくぼみには、その敵兵の体の一部がころがっているだけだった。
敵はしかし、屈することなく白光を射出しつづけてくる。
屈することなくというのは、逆かも知れない。気がつくと敵の姿は、はじめよりだいぶ多くなっていたのだ。そして敵はここからそう遠くない位置に例の飛行体があるのかも知れないのだし、一方こちらは、自陣を離れて出て来ているのである。
このままで敵がさらに増えれば、こっちは劣勢になってしまう。
いや、今のこの状態でも、われわれは不利なのだ。たたかいにさいしては、高みにいる側が有利というのが、戦術の初歩なのである。
「イシター・ロウ、コンドンだ!」
ややうしろから、コリク・マイスンが叫んだ。
コンドン?
そうだった。
機兵というものがあるのだった。
そして、機兵を操作するために、ぼくは交話装置使用可能の制装を着用しており、装置はまだ無事なはずだったのだ。
そうと気がつくや否や、ぼくは頭の中で動きの型を組み上げ、コンドンに命令を発していた。こんな場面で注釈をするなんて間が抜けているが、機兵を受け持つというのは、その面倒を見て自分たちと同様の行動をとらせると共に、それを自分たちの一員としてたたかわせるのを意味する。別のいいかたをすると、自己の職権の範囲内で、自己の分身あるいは身代りとしての役を務めさせることになるのだ。
コンドンはぼくの指示を受けて、腹ばいで斜めに前進を開始した。そしてすぐに方向を変えると、反対の斜めへと、斜面をじりじり登ってゆく。
ぼくは、五、六メートルあとから、同じく腹ばいでつづいた。
敵のパルスが、気のせいかこちらに集まりだしたようだ。
ぼくは動きをとめ、コンドンに次の命令を出した。さきの指示と矛盾せず一体となりセットして作用する命令をだ。
コンドンは、いったん停止した。
なおもつづく敵のパルス射出が心持ち弱まった瞬間、コンドンはそれを自分で判断し、突然上半身を起こすと、レーザーガンを構えて右から左へ、左から右へ、ついでもう一度右から左へと、レーザーパルスでなぎ払った。正直、そんな捨て身の行為は、機兵だからこそ可能だったといえる。
撃っていた敵が、ばらばらと身を伏せたとき、ぼくもまた首をもたげて、ここぞとばかりレーザーパルスを浴びせかけた。ひとりかふたりの敵兵には命中したのではあるまいか。が、その効果のほどは、わからなかった。わが隊の何人かがぼくと同じことをしたようであった。しかしもちろん、誰が撃ったのか、どれだけの損害を与えたのか、確認している余裕はなかったのだ。ぼくは、コンドンが撃ちやめる前に元の伏せに戻ったのである。
ほんの少し遅れて、コンドンも地面に伏せた。
それきり、静止している。
敵のパルス射出が、コンドンのいるあたりに集中していた。
コンドンは、それが衰えるのを待っているのだ。衰えたらまたもや前進し、掃射を強行するはずである。
だが、五秒経ち六秒経っても、コンドンは動こうとしない。
ぼくは、コンドンの機能が無事であることを願った。今の半身起こしての掃射で、敵のパルスもいくつかは当たったに違いないのだ。制装の弱い部分をやられたのでなければ良いが、と、ぼくは思った。
コンドンが動きだした。
腹ばいで、ジグザグの前進を再開したのだ。
ぼくも進んだ。
しかし、今度の進み方は、前よりもさらに遅かった。敵はコンドンやぼくのいるあたりに注意しており、パルス射出を主としてこちらに向けているからであった。
コンドンは、停止した。
停止したものの、とても起きあがっての掃射などできそうにない状況である。
と。
樹々の間のむこうで、誰かが立ちあがって敵に猛烈な射撃をはじめたのだ。
別の機兵だ、と、ぼくは直感した。
そのときにはすでに、敵はそっちヘパルスを集めにかかっており、こっちはかなり楽になった。
コンドンが起き、中腰で、敵を撃ちまくった。
ぼくも撃った。
味方は、はげしい攻撃に入っていた。撃ちながら、前進しつつあった。
ぼくは、みんなと同じように、撃っては這いつくばり、樹の蔭に移っては撃ち、また進んだ。
敵の手投げ弾が、あっち、こっちで爆発した。けれども投げた敵兵はたちまち撃ち倒され、もう投げてくる者はいないようである。
コンドンが掃射した。
ぼくたちは撃った。
別の機兵らしいのが、コンドンに代って掃射した。
ぼくたちはまたいくらか進んだ。
急に――ぼくは前方の圧力が抜けたように感じた。表現が適当でないかも知れないが、言葉にすると、そうとしかならないのだ。
「突っ込め!」
小隊長の声が流れた。
ぼくは立ちあがり、低い姿勢で、樹々の間の斜面を走りあがった。
右でも、左でも、味方が走っていた。
撃ちまくりながら、駈けあがったのだ。
登りが、ゆるやかになった。頂上へ来たのだ。
敵は、背を見せて、林の中を走り降りている。
が。
その樹々の中に、ぼくは、黒い物体を認めたのである。
樹間から空へ突き出る長い砲身を持った、異様な――小屋位の大きさの物体。
ひとつではない。
はっきりとはわからないが、あちらにもこちらにもあるようなのだ。
その砲身からは、高く、何かが撃ち出されていた。撃ち出されたものは、山頂はるかに高く飛び越えて、ぼくたちの背後へと落下して行く。
わが軍の陣地を攻撃しているのだ。
ぼくは、それだけしか見て取ることはできなかった。樹々にさえぎられて……そのかなたには、おそらく、あの巨大な銀色の飛行体があったのだろう。砲身を持った黒い物体はその飛行体から運び出されたのかもわからないが、本当にそうだったのかどうか、ぼくにははっきりしたことは、何もいえない。
その物体を守ろうというわけだろうか、敵兵はずっとむこうで走るのをやめ、踏みとどまって、こちらへ向き直った。
林の中から、あらたな敵兵が出現した。踏みとどまった奴らと合わせると、さっきとは比較にならない多人数だ。
「撃て! 撃て撃て!」
誰かがわめいていた。みんな、撃ちまくっていた。ぼくも中腰になって、やってくる敵兵を倒そうと、レーザービームを射出しつづけた。山頂という高い位置にいるわれわれが有利だとの意識が、ぼくの頭を占めていたのだ。
その敵兵たちは、しかし、一定の距離迄来ると、そこで伏せの姿勢をとった。
ぼくたちが駈けおりるのを待ち構えて射撃するつもりだろうか?
「後退!」
という叫び声が聞こえたのは、そのときである。
「後退! 全軍後退! 山のこちら側へ後退せよ!」
声は、繰り返された。ガリン・ガーバンだ。たしかに、ガリン・ガーバンの声なのであった。
後退?
ぼくは、自分の耳を疑った。
山頂を押えて、これからまだ攻め込めそうだというのに……。
「早く後退せよ! 敵の砲に吹っ飛ばされるぞ!」
またもやガリン・ガーバンがどなり、小隊長たちも同じことを命令しているのが、ぼくの耳に入った。
砲?
ぼくは目をあげ、あっと思った。
前方の……敵兵たちのむこう、樹間に突き出ていた長い砲身の、そのひとつの、ぼくたちから一番近いのが、ゆるゆると角度を変えつつある。空を向いていた砲口が、こちらへ向けられようとしているのである。
あんなのに、この距離で撃たれては、ひとたまりもあるまい。
敵兵があの場所でとどまったのは、砲からの弾がぼくたちを粉砕するのを待つためだったのだ――と悟ったぼくは、即座にきびすを返し、走りはじめた。
みんな、駈けていた。
「何だ? どうした?」
ぼくの近くに来て、大声でたずねた者がある。
ザコー・ニャクルだった。
「なぜ、たたかわない」
ザコー・ニャクルは問いかけ、ぼくは走りながら、無言で敵の砲を指してみせた。それはもうほとんど水平になり、われわれの方向に合いそうになっていたのだ。
それでザコー・ニャクルは事態を了解したようだ。何かわめいたのは、ボズトニ・カルカースにそのことを伝えたのだろう、わめきつつ走っていた。
コンドンだ、と、ぼくは、はっとした。
コンドンを、そのままにしておくわけには行かない。
ぼくは、ちょっと足をとめ(走りながらでは言葉が乱れ、指示がちゃんと理解されなくなるおそれがあったからだ)コンドンに、山頂近くへ来てからの命令を全部取り消し、全速で山の陣地側へ退避するように命じた。
コンドンは、直ちに従った。
ぼくはなおも駈け……駈けくだった。斜面を走りおり、かなりくだったところで、地に身を投げて伏せた。
山頂の向う側で、ばっと閃光があり、土が大きく広くはね飛ばされるのが目に映った。
地面が、ずうんという感じで揺れた。
危ないところだった。
しかし……コンドンは?
顔をあげたぼくは、斜面を例の正確過ぎる足取りで、だが可能な限りの速度で下りてくるコンドンを見た。よかった、とぼくは心の中で呟いたのだ。
ぼくたちのうち、どの位が砲撃にやられたのかは、わからない。とにかくぼくたちは、それぞれの位置で、次の命令を待った。
「よし。引き揚げだ!」
ガリン・ガーバンの声がひびいた。「わが中隊は陣地に引き揚げる。全員、この場を撤退!」
ぼくたちは、動きだした。
目を向けると、上空には、相変らず味方の陣地へと飛んでゆく弾があった。もしも敵がぼくたちの居るこの場所を狙ってくれば、そして直撃になれば、みんなやられてしまうだろうが……そのためには敵は、ほとんど垂直に撃ちあげ落下させるという方法をとらざるを得ないであろう。ぼくには何となく、敵がそんな射撃はしないのではないか、という気がした。大した根拠があるわけではない。ただ、こんな小規模な隊相手にそんな撃ち方をするのは、敵にとってもどこか馬鹿馬鹿しいのではあるまいか――と、思えたのである。
これは、ひょっとしたら予知だろうか?
ぼくは、エスパーとしての自分の能力で、そのことを知っているのだろうか?
何ともいいようがない。
ぼくは勝手にそうと決め込んでいるだけで、実は敵は今、ぼくらを標的にしており、ここに弾が落下してくるかも知れないのだ。それならそれで死ぬのは一瞬だろうから、かえって楽ともいえよう。
だが、やはりそこにぼくのエスパーとしての能力が働いているのなら……ここにいるほうが、陣地に帰るより安全ということになりはしないか? 陣地には、敵弾が落ちつづけているのだ。
が……だからといって、ここにとどまっていることは許されるはずもない。
第一、ここが比較的安全なのだとしても、それは今のところそうだというだけの話である。一時間も経てばどうなっているか、知れたものではないのだ。事態は刻々と変って行くのである。そんなことは、考えるだけ無駄というものであった。
ぼくがそんなことを考えていたから、皮肉に思えたのだが……中隊が陣地に帰着するころ、敵弾の飛来は、やんでいた。
敵がどういうつもりで、撃ちつづけたりやめたりするのか、もとよりぼくには見当もつかない。わが軍の将校や隊長たちにもそうなのではあるまいか? ま、たとえばガリン・ガーバンや、通りがかりの将校たちの思念をさぐれば、わが軍がどう考えているのか位はわかるだろうけれども、あまり意味のあることとは思えないので、ぼくは、わざわざ読み取ろうなどとはしなかった。
それにしても、こんな風に何の原則というものもなく攻撃を仕掛けられたりやめられたりすると、予測の立てようがないのである。いや、敵にはちゃんと敵なりの都合と計算があるわけで、それをこちらがつかめないだけなのだが……気持ちに緩急のつけようがないのだった。油断をしているといつやられるかも知れないので、たえず気を張りつめていなければならない。敵がおのれのペースで休息したり攻撃にかかったりしているのに対し、こっちはただ緊張のしづめというのでは、それだけでも大きな懸隔がある。きょうの明け方の、夜襲に備えての待機が空振りに終った例を引き合いに出す迄もなく(その頃敵は僅かな見張りだけを置いて、ぐっすり眠っていたのかも知れないのだ)ぼくたちが、神経的にも肉体的にも、追いつめられつつあったのは、まぎれもない事実なのである。かりに敵が、それだけを目的に、こんな気紛《きまぐ》れな攻め方をしているのだとしても……敵の作戦は成功していたわけだ。
こんなことになったのも、たたかいの主導権を敵が握っている、そのせいではなかったか?
そして。
ぼくたちの中隊が、山を登って敵陣を攻めることになったのは、このことに関係があるのではないか――と、ぼくは思う。
中隊があんな攻撃をするについての理由を、ぼくたちは聞かされなかった。ただ命令に従って出撃したばかりである。そのときにガリン・ガーバンの心の中でも読み取れば、あるいは答を得られていたかもわからない。ガリン・ガーバンが、作戦の目的を告げられていたとすれば、である。いや、中隊長である以上、ガリン・ガーバンは当然そのことは教えられていたのであろう。しかし、ぼくは、自分たちがほとんど決死的な攻撃に出るということで頭が一杯で、かつ、実際にどうたたかうかに思いをはせるのに必死で……そんな真似をしているゆとりなど、なかったのである。
ぼくらの中隊が、あれでいかほどの戦果をあげたのか、ぼくは知らない。こちらの損害は思ったよりも少なく、戦死は中隊全部で三人か四人だったようだ。これはぼくの感覚では、奇跡的に軽微な損害である。が……ともかく損害があったのは本当で、それだけの犠牲を払ってでも、しなければならぬ何かがあったはずだ。
ぼくたちは山頂に達した。
ひとたびは山頂を占領した。
それから、端的にいえば反撃を受けて退却したのだ。
あれだけの人数で、敵の陣地を叩き潰したり占領したりということなど、到底不可能である。
だとしたら……。
あれは、わが軍のほうからも攻撃に出る余地がある、敵のしたい放題にはさせず、こっちからも敵をおびやかし得るということを、相手に思い知らせようとした作戦ではなかったのか? たたかいの主導権を完全に奪われたわけではないぞ、と、相手に教えるための行動ではなかったか?
ああした攻撃を行なったのが、ぼくたちの中隊だけだったのか、他にも別の方面に出撃した隊があったのか、ぼくにはそのときはわからなかった(そしてこれは、ついにわからなかった数多い事柄のひとつになってしまうのだが、今は、まだそれをいうべきではあるまい)。しかし、いずれにせよ、ぼくたちに対して敵が応戦を余儀なくされた……すくなくともそのときは、わが軍のほうが働きかけたのには相違ない。
そのための作戦ではなかったのだろうか?
そんな気がする。
ただ……考えてみると、それ以外にも作戦の目的はあったのかもわからない。
それは、今のことと表裏一体ともいえるのだが……これ迄はただ攻められるばかりであったわが軍が、とても本格的な反攻でもなく勝利らしい勝利を得たのでもないが、とにかくこっちから打って出たという、そのことが全軍の士気を高める結果になろうとの意図も存したのではないだろうか? これ迄の経緯とぼくたちの気分とを考え合わせると、これは充分あり得ることだったのだ。
――という、メネの外を迂回して自分たちの陣地へ帰着しながらのぼくの思考が、暇潰しになされたなどとは、思わないで欲しいのである。ぼくは疲れ切り、いらいらしており、なかばどうにでもなれという気と、変に冴えた神経を、自分でも制御できぬままに併存させていた。ちらちら、ふらふらとさまざまな想念が到来しては出て行き、また舞い戻ってくるという心理状態になっていて、自衛のためにも何かを考えなければならず、それに無理にでも筋道をつけることで、自分はまだしっかりしている、まだ大丈夫だとおのれにいい聞かせるための……たしかにどこかで歪んでいる、つらい思考だったのである。
ぼくは、メネの外を迂回して陣地に帰ったといった。
だがそれは、コースとしてはその通りでも、表現としては適当ではない。
メネは、すでに元のメネではなくなっていたのだ。
ぼくたちが出発したとき、メネの建物群は二つ三つが破壊されていたものの、大半が健在だった。本質的には、以前のたたずまいを維持していた。
が……ぼくたちの出撃中に、数多い敵弾がメネの集落そのものを襲ったらしい。外を迂回して帰るぼくたちが見たのは、午後の光の中、メネの残骸としか呼べない姿であった。建物はあらかた吹っ飛ぶか崩落するか倒壊するかして、残っているのは数軒に過ぎなかったのだ。その残ったひとつに、部隊本部の置かれている会堂が含まれているようだったのは……ぼくに、運というものの不思議さを考えさせずにはおかなかった。
メネの人々にも、すくなからぬ死傷者が出たに違いない。
メネの人たちは、どう思っているだろう。
そうでなくてさえ、かれらはわが軍がここに陣取ることに対して、好意的ではなかったのである。たたかいに巻き込まれるのは迷惑だから、すぐにでも立ち退いてくれと要求していたのだ。
それが……集落が潰滅し、たくさんの死傷者が出たとなれば、ただでは済むまい。生き残ったメネ住民と部隊本部との間に、どれほどの確執、ののしり合いがおきているか……想像にかたくない。
しかし、ぼくたちの陣地は、メネの内部ではなかった。メネの南の境界の塹壕だった。
とりあえずそこへたどりついて次のたたかいに備えるのが、最優先事だったのである。不人情かも知れないが、ぼくはメネやメネの人々のことを頭から追い払って、みんなと共に塹壕に入ったのだ。
これは言い訳と取られるかもわからないし、そうなっても一向構わないけれども、ぼくがメネやメネの人たちについてあまり無理なくそんなことができたのは、覚悟していたよりはずっと味方の損害が大きいらしいと悟った――その事情があったからだろう。
そうなのだ。
ぼくたちが通りかかる塹壕や、道ばたや、その他の場所に、思いがけないほど多くの死者や負傷者が、横たえられていたのだ。それだけ敵の攻撃が正確になってきたということではあるまいか。ぼくは、味方がこれだけやられたということと、それだけわれわれの戦力がまた低下したということの両方を想って、胸の内がさらに暗くなったのである。
こんな、自分や自分の仲間が着実に死へと追い込まれてゆくときに、それよりも気持ちとしても立場としても遠い、しかも自分たちに好意的でなかった人々に、いつ迄も同情していられるだろうか?
そんなものは逃げ口上だ、と、いう人もいるだろう。
一般市民であり非戦闘員であるメネの人々がそんな目に遭ったについては、お前にも責任の一半がある、と非難する人もいるであろう。ただの下っ端の兵隊でも全くの免罪というわけにもいかないのだ、と、ののしる人もいないではないだろう。
しかしぼくの……実際にたたかっているぼくとしては……。
いや。
いうまい。
何といわれても、ぼくにはどうしようもないのだ。ぼくは、自分の気持ちをそのまま語っているだけである。
それに……ぼくの神経がなかば擦り減り、なかば鋭くとがりつつ、全体としては歪んで行きつつあったことは、再三申し上げたではないか。
そんなぼくが、そう感じたと――ぼくはそういっているだけなのだ。
ともあれ。
ぼくたちは塹壕にもぐり込んだ。
ぽかんとどこか抜けた心情で……空は青く、周囲はいやに静かだった。神経を張りつめているには静か過ぎるのだった。
ふっ、と、ぼくは眠りに引き込まれ、目をさました。
どの位寝ていたのか、よくわからない。
見ると……みんな、首を垂れ、あるいは首を傾けうしろに押しつけて、眠っている。ザコー・ニャクルはむろんのこと、そのむこうのボズトニ・カルカースも……右側のコンドンの(コンドンはもちろん眠りはしない。ぼくの命令がありしだいいつでも動きだせるように待機している)隣りのアベ・デルボも……他の連中も……うとうとしてはっと顔をあげたり、深く首を沈めて寝息を立てたりしているのだった。
本来ならこんなとき、お互いに起こし合うものだし、でなければ分隊長がどなりつけるかするのだが……そんな気配は全然なかったのである。
分隊長のコリク・マイスンは、あえて見逃してくれているのかも知れない。すくなくとも今のこの瞬間は敵の攻撃は行なわれていないのだ。今のうちに休んでおけ、と、黙認しているのではあるまいか? あるいは、そのコリク・マイスン自身も、眠りに落ちているのかもわからない。
などと思ったものの、ぼくはまたもや意識がもうろうとなり――嘘のように快い睡眠へと、落下して行ったのである。
…………。
ぼくは目を開いた。
眠っていたのは、体がよほど楽になっていることからもわかる。
そんなに永く眠った感じではないのだが、奇妙なことに、睡魔は去っていた。
周囲の連中は、まだ寝ている。
ぼくは首を伸ばした。
太陽の傾き具合いからいっても、たしかにそんなに時間は経っていないはずだ。
なのに、眠気は拭い去ったように消えているのだ。
何だかおかしい。
――と。
ぼくは、近づいてくる思念を捉えた。
コリク・マイスンなのだ。
壕の中を、見廻っているのである。
そのコリク・マイスンの思念には、今のうちにみんなを眠れるだけ眠らせておいてやろう、との気持ちがあった。コリク・マイスンもまた、ある程度は寝たようだ。
ぼくの近くに来た。
「眠ったのか? イシター・ロウ」
と、コリク・マイスンは訊いた。
「つい眠ってしまいました。――有難うございました」
ぼくは答えた。
あとの言葉は不要だったかも知れない。しかしぼくは、眠らせてくれた分隊長に、礼をいわずにはいられなかったのだ。
コリク・マイスンはにやりとし……それから壕の外を通りかかる足音に、かすかに眉をひそめた。
「あれは、誰だ?」
と、コリク・マイスンが問うたのは、ぼくにエスパーとしての力を使え、という意味である。
ぼくは読んだ。
もっと外の隊に連絡に行く――伝令である。
ぼくはその旨をいった。
「――そうか」
コリク・マイスンは頷いた。
頷いただけで、あとは何もいわない。
が……ぼくはそのコリク・マイスンの心の中に、妙な思念があるのを悟った。
脱走者、である。
わが軍から、脱走者が出はじめているらしいのだ。
コリク・マイスンは、それを小隊長から告げられていた。しかも、脱走とおぼしい者があれば逮捕せよ、あきらかに脱走者でかつ捕えられないと判断した場合には容赦なく射殺せよ――という、もっとずっと上からの命令も伝えられていたのであった。そしてコリク・マイスン本人としては、命令は当然守るけれども、味方の人間を捕えたり射殺したりはしたくない、まして自分の隊の者となれば(そんな奴はいないだろうが)やはりためらうのではあるまいか、と、不安を抱いていたのである。
だから、今しがたのやや急ぎ足の足音が、脱走兵ではないか、と、思ったのだ。
ぼくが、コリク・マイスンの心の中を読んだのを……先方はたちまち推察した。
「と、いうことだ」
コリク・マイスンは短くいった。本当なら、というより、これが年期の入った分隊長とか下士官であったならば、たとえぼくに思念を読まれたとわかっても、そんな風に口に出して肯定したりはしなかったであろう。何もいわず、こっちも知った素振りさえ見せないのが礼儀というものである。が……コリク・マイスンの中には、いまだに分隊長になる前の、ぼくたちと無駄口を叩き合っていた頃の意識があって、だからそんな気を許した態度をとったようである。
「わかりました」
ぼくは返事をした。言葉だけのやりとりでは、何のことやら不明だろう。だがぼくにできる返事となれば、そんなものしかなかったのだ。
コリク・マイスンは、ぼくのむこうのふたりのダンコール人に視線を投げ、それから引き返そうとした。
「お待ち下さい」
と、ぼくはいった。
そのときのぼくの目は、きっと大きく見開かれていたに違いない。
さっきぼくは、そうは眠っていないはずなのに、眠気が綺麗さっぱり消えているといった。
どこか異様だった。
それが、ますます――おかしな形容だが、白くなって行き……ぐらぐらと乱れが生じはじめ……何かが、少しずつ強くなってくるのを、感じ取っていたのである。
ぼくには、覚えがあった。
これとはかなり違っていたが、敵が夜襲を仕掛けてきたあのとき、ぼくはこれに共通する何かを感知したのだ。
危険、である。
あの夜襲のさいよりもずっと漠然としているものの、もっと巨大な何かの危険が、迫りつつあるとしか、思えなかったのだ。
「何だ?」
と、コリク・マイスンは振り返った。
「何かが……来ます。何かおこりそうであります」
ぼくはいった。
コリク・マイスンは、問い返して時間を潰したりはしなかった。ぼくには、コリク・マイスンが即座にぼくの言葉を受け入れたのがわかった。
「起きろ!」
コリク・マイスンは叫んだ。「みんな起きろ! 寝ている者は叩き起こせ! 起きて敵に備えるんだ!」
わめきつつ、来た方向へと戻ってゆく。
みんな、次々と顔をあげた。あくびをする者もいた。
「何だ?」
ザコー・ニャクルがどなる。
「敵、と思う」
ぼくは答えた。それ以上の説明はせず、コンドンに戦闘態勢をとらせた。
その間にも、危険な感覚は強まってくる。大きくなり、圧迫感を増してくるのであった。
ひいいいという、おなじみの音がはじまった。
敵弾だ。
それは、敵が遠距離にあったときの弾ではなく、あの巨大な銀色の飛行体が浮かんで近づき、そのひとつが山のかなたへ降りて行ったあとの、それ迄よりはやや小さいが数の多い、あの弾のようである。が、それにしては音がもっと鋭いのだ。
ぼくたちから見てずっと右手の、メネをへだてたあたりで、爆発がおこった。
三発。
五発。
十発。
音を交錯させつつ、飛来してくる。
そのときには、ばくには何がこれ迄とことなっているか、わかっていたのだ。
敵弾は、落下してくるのではない。
水平に、低いところから撃ち出されているのである。
圧迫感は、いよいよ強い。のしかかってくるようだ。
「あいつだ!」
塹壕のむこうのほうで、誰かが叫んだ。
ぼくは顔を向けて――見た。
ぼくたちの壕から斜め右前方の、メネの西のはずれの陣地が、猛然とレーザー砲を撃ち出している。
その先の、山の林の中から、樹々を押し倒しつつ、黒い物体が姿を現わしていた。長い砲身を持つ――山頂で目にしたあの物体なのだ。それは、地から浮きあがっているようであった。浮いたまま、砲を突き出し、樹々を倒して、じりじりと接近してくるのであった。砲口が閃くと、黒い弾が飛来し、メネの中のどこかで爆発の光と音があがった。
「来たぞ!」
また誰かが絶叫した。
ぼくは目を転じた。
ぼくたちから見てやや左方、ほとんど正面に近い方向に、樹々を押し分けて別の黒い物体が出てくる。エレイ河の対岸を、低く浮いて、こっちへやってくるのだった。その砲口をゆっくりと左右に振りながら、二秒と間を置かずに撃ってくるのだ。弾が風を切る音が走り、ぼくたちの陣地の後方から、爆発音と地響きが伝わってきた。次の弾は、左手の湖岸に飛んで、そこにあった味方の陣地のひとつを粉砕した。
しかし、それだけではない。
さらにひとつ、またひとつと……ぼくたちの前面に、長い砲を持つ黒い物体は出現してくるのであった。
出てきたのだ。
ついに敵は、全面攻撃を仕掛けてきたのである。
圧迫感。
重い。
そうか。
ぼくが感知したのは、これだったのか。敵が押し出してくるその危険を、それが危険自体なのか敵兵の集団の意識なのか、ぼくには何ともいえないけれども、とにかくそいつを感じ取っていたのか。
そう納得すると同時に、のしかかっていた重さは、あっという間に軽くなり消滅した。
どうなったのか、ぼくにはわからない。
圧迫感の正体が何だったのか知ったため、でなければ自分の目でそれを見てもはや超能力で捉える必要がなくなったからそうなったのか……あるいは何かの、ぼくには未知の作用で、抜けたのか。初めてそんな経験をしたぼくには、何がおこったのか、判断のしようがなかったのだ。
けれどもそれは、ぼくの心の中の問題である。
そんな意識とは全く別に、ぼくはレーザーガンで撃ちまくっていた。撃ったところで敵に打撃を与え得るかどうか、それも考えていなかった。とにかく敵が前面に出現し、横並びのかたちで押し進んでくるから、本能的に撃っていたというのが、正しいであろう。
「無駄撃ちをするな! 外にいる敵兵を狙え!」
どこかで、ガリン・ガーバンがどなっている。
ぼくは、眸《め》の焦点を合わせた。
敵の黒い物体は、いずれも、進むのをやめているようであった。ぼくたちに対峙《たいじ》したまま、砲撃だけしてくるのである。そして、よく見ると物体の周囲には、それぞれ、敵兵の姿がちらちらしているのであった。物体の蔭を利用しつつ、ついて来る。ぼくたちの観念でいえば地上戦隊か歩兵にあたる連中なのであろう。
ぼくは、そいつらを狙うことにした。まだまだ遠いので、たとえ命中したとしてもどの位の威力があるのか怪しいものだが、とにかく黒い物体をやみくもに撃つよりはずっとましなので、レーザービームを発射しつづけたのである。
しかしながらぼくの脳裏には、不安がよぎりはじめていた。そんなにのべつ幕なしにレーザービームを射出していれば、早晩、というより、もうしばらくでエネルギーがなくなってしまう。ぼくたちは予備のマガジン――エネルギー倉を二個ずつ持っていたが、すでに最後のエネルギー倉を使っていたのだ。これもなくなればエネルギーを満たしたあたらしいガンを手に入れるか、でなければ空っぽになった自分のエネルギー倉に、部隊本部かほか二、三の地点に据えてある貯電槽でエネルギー注入しなければならないのだ。
この調子では、それはもう時間の問題だ。あとどの位保つか――。
「来るぞ!」
わめいたのが誰だったか、ぼくにはしかとはわからない。ケイニボかラタックだったかも知れないが、定かではない。首をめぐらせたぼくは、正面の物体の砲口がぴたりとこちらに向けられているのを見てとり――反射的に壕の底へと、わが身を放り込んだ。
急調子に飛来音が高まったと思うと、何か得体の知れぬ怪物がわっと笑うような音がし(ぼくにはそう聞えたのだ)ぼくは横向きになったまま宙に浮いていた。目を閉じていたのに幾千幾万の花火が八方に飛び散るのが見え、身体は熱気に包まれた。わーんと世界が鳴り、全身の至るところが叩かれていた。随分永いこと宙にとどまっていたみたいだが、だしぬけに下から地面が突きあげてきて――ぼくは息が詰まり、まだわんわんと耳が鳴りつづけているというのに、棒さながらに動くこともできなかった。
それでいてぼくは、ただもうこの状態が、突然中断されないことだけを、願っていたのだ。意識がなくなり何もかもわからなくなるのは、死に直結するとの気がしたからであった。
さいわいにも、ぼくはゆっくりと元に戻りつつあるようだった。自分が壕の底にころがっているという現実が、よみがえってきたのだ。まだ身体はしびれているものの、耳鳴りはおさまってきた。そのしびれも鈍痛に変って……手足が動くようになった。
本能的に、自分がどこかやられたのか、痛みで知ろうとしたけれども、鋭いものは走らない。全体的に鈍い痛さがあるばかりで、どうやらいくつか打ち身ができた程度のようである。
ぼくは一度腹を下にしてから、手足を突っ張って起きあがった。
そこではじめて、制装が左脇から足の上部にかけて裂けているのに、気がついたのだ。裂けた制装の一部は、だらんと下へ垂れていた。のみならず、右の膝あたりから右胸へ点々と、高熱の物体がぶつかったとおぼしい変色部分がある。
制装を着用していなかったら、即死だったのではあるまいか――との想念は、しかし、ちらりと頭をかすめただけであった。そんなことにいちいち思いをめぐらしていられる状態でも場合でもなかった。
そのぼくの目は、塹壕の右前方をえぐった大きな穴をとらえていた。穴は、それ迄の塹壕にもかかっており、数体の制装が投げ出されている。いや、もう制装姿とも呼べないぼろぼろの者もいたのだ。
にもかかわらず、起きあがったらしい他の制装たちが、頭や肩に土砂をかぶったまま応射をつづけていた。ヘルメットをなくしたか、脱ぎ捨てたのか、むきだしの頭をさらして撃っているのもいる。すでにそのときには、ひとりが飛び出し、倒れている制装のひとつひとつに這い寄って、様子を調べにかかっていた。
少し離れていたとはいえ、この塹壕がやられたのだから、倒れているのはわれわれの中隊の連中のはずであった。が、ぼくにはそれが自分の分隊の人間なのかどうか、もしそうだったとしても誰なのか、確認している余裕はなかった。テレパシーででもわからなかった。無数の思念や感情、苦痛や闘志が入りまじる中で、それらを区別して感知するのは無理だったのだ。それに、敵の砲撃は依然として休む気配はなかったのである。
ぼくは壕のふちにもたれかかるようにして前面の、静止しているらしい黒い物体群の間を動いている敵兵に、射撃を再開した。再開しつつ、右の横手でむくむくと何かが動きだすのを感じた。思念が流れてきた。近いから嫌でもわかったのだが……それはアベ・デルボだった。アベ・デルボもまた、いっとき気を失っていたのだが、起きあがって敵に向き直ろうとしているのだ。
そのアベ・デルボにちらりと目をやり(彼の制装のヘルメットはへこみ、背中が破れていた)さらにこっち側の、すぐ右横にいる機兵のコンドンを見て、ぼくは、まずいと思った。
コンドンはあきらかにぼくより先に立ち直って撃ちだしていたようだが……そのレーザーガンからは、何も出ていないのだ。レーザービームが出ていないのに、ボタンを押しているのである。
コンドンのレーザーガンのマガジン――エネルギー倉は、空になっているのだ。
エネルギーを満たしたガンがあれば、それをコンドンのと交換すればいい。
でなくても、エネルギーを満たしたエネルギー倉さえあれば、エネルギー倉だけ入れ替えたら済む。何度でも充電可能なエネルギー倉を捨てるのはもったいないので、通常は空になったのを充電するのだけれども、そんなゆとりのない場合にはやむを得ない。
だが、ぼくの手元には、余分のガンなどないのだった。余分どころか、ぼくは、担当を命じられているふたりのダンコール人のガンを確保するのが、やっとだったのである。ふたりのダンコール人の、なかんずくザコー・ニャクルが、刀と伸縮槍だけでは遠い敵に対してどうしようもない、おれたちにもガンを持たせてくれ――といってきかないので、コリク・マイスンに事情を告げて頼み込み、何とか二丁廻してもらったのだった。それで精一杯だったのだ。
エネルギー倉にしたって同様である。ぼくのガンに入っているのは予備のふたつめで、これが最後なのだ。これを使い切ってしまったら、ぼくのレーザーガンも用をなさなくなる。あとはぼく自身にしてからが、前にいった通り、あたらしいエネルギー倉を手に入れるか、貯電槽を据えた場所へ行ってエネルギー注入をするしかないのだ。
とはいえ、敵の砲撃はつづいている。黒い物体群の長い砲身は、旋回しつつ砲口を閃かせ、ぼくたちの前後左右、遠く近くに、間断なく爆発の光と音があがっているのだった、
味方の誰かが、補充のガンかエネルギー倉を持ってきてくれる――などというのは、期待するだけ無駄だろう。(考えたくないことだが)わが軍にもうそれだけの余力や人手が残っているかどうか、疑問である。
自分たちの手で、何とかするしかないが……しかし……。
「おい、コンドンが空撃《からう》ちをやってるぞ!」
コンドンのむこうから、アベ・デルボがわめいた。
「お前、エネルギー倉の予備はないのか? こっちは、今のが最後だ!」
「こっちもだ!」
ぼくは、どなり返した。
「出なくなった」
反対側から、いらだたしげな気配と共に、ダンコール語が飛んできた。ザコー・ニャクルだった。
ぼくは、顔を向けた。
「レーザーパルスが出なくなった。エネルギーが終りだ!」
ザコー・ニャクルは、手のガンを持ちあげてみせる。
「終りか!」
繰り返しか反問か、どっちつかずの声を返して、ぼくは、だがどうすることもできぬままに、敵の方へ顔を戻すと、ビームを発射しつづける。
が。
とまった。
ぼくのガンのエネルギーも、尽きてしまった。
「あたらしいのはないか?」
ザコー・ニャクルがどなっている。
また前方で、炎と土けむりがあがった。
ぼくは、自分のガンを、ホルスターに戻した。
こうなれば、仕方がない。
機兵のコンドンも、ふたりのダンコール人も、ぼくが担当しているのである。その武器を使えるようにするのは、ぼくの責任なのだ。おまけにぼく自身のレーザーガン迄エネルギーがなくなってしまったとあれば、ぼくがそれらを補充するほか、ないではないか。
貯電槽のところへ行こう。
貯電槽は、部隊本部に一番大きいのがあるが、ほかにも二、三据えられており、ぼくの位置からは、メネの建物群のかかりにあるのがもっとも近かった。こんな、敵の砲撃の中を行くのだから、近いにこしたことはない。まずそちらへ行って、そこが駄目なようだったら、部隊本部へ向かえばいいのだ。
もっとも、貯電槽へたどりつけても、そこにエネルギー注入済みのエネルギー倉が用意されているか否か、不明である。そのときには、ガンの空のエネルギー倉にエネルギーを注入しなければなるまい。注入には一個あたり三、四十秒はかかるが、そうするしかないであろう。
と、すると、エネルギーの尽きたガンをまとめて持ってゆくべきか?
待て。
それでは荷物になる。
空になったエネルギー倉を集めて行けばいいのだ。
こんなことを考えるにしては、いささか時間がかかり過ぎるぞ、お前は、思考がのろくなっているのではないのか――と、ぼくはおのれを叱りつけて、身をかがめると、壕の底にころがっている空のエネルギー倉を拾いにかかった。
またもや近くで爆発があり、地面がずんと揺れた。土砂がばらばらと降りかかってきた。
ぼくは、捨てられていたエネルギー倉を四つ見つけた。他の隊員たちや、それにザコー・ニャクルたちも、不要になったエネルギー倉を捨てているのだから、探せばもっとあるはずだが、土砂が何度も降りかかり、それ自体変形もした壕の底をさぐるのは、結構厄介な作業だったのだ。それに、ぼくは自分としては、できる限り頭を速く回転させ機敏に振舞もしたつもりだが、そのときにはぼくのガンのエネルギーが尽きたと悟ってから、優に二十秒は経過していたに相違ない。ぐずぐずしてはいられないのだった。
ぼくのガンの空のと合わせて五つ。
さしあたり、これだけでいいのではないか?
「エネルギーを、手に入れてくる」
ぼくは四つの空のエネルギー倉を制装のポケットに分けて入れながら、ザコー・ニャクルにダンコール語でいった。ザコー・ニャクルは大きく頷き、自分もついて行こうかという身振りをしたが、ぼくはそれを手で制した。
空撃ちをやっているコンドンには、何も指示しなかった。へたに今の行動をやめさせると、コンドン自身の安全のためにいくつかの指示が必要で、射撃開始をさせるにはまたそれだけの手間をかけなければならない。それよりも、あたらしいエネルギー倉を持ち帰ったときに、そちらのガンのエネルギー倉とこれを交換しろというほうが楽なのだ。
「貯電槽へ行くぞ!」
ぼくは、アベ・デルボに叫んだ。アベ・デルボは前方を向いて撃ちながら、軽く片手を挙げただけであった。
ぼくは、はずみをつけて壕の外へ出た。
敵弾の飛来音の交錯する中、少し這ってから首をあげて様子を窺う。
壕の中にいる間はわからなかったけれども、周囲は目も当てられない惨状を呈していた。あっちこっちに爆発による穴ができ、樹々が根こそぎ倒され、崩れた塀が山になったりしていた。味方の制装がそこかしこに倒れ伏している。だいぶむこうのメネの集落から、けむりが立ちのぼっていた。
ぼくは、飛来音と爆発音がややとぎれたと感じた瞬間、前傾姿勢で走りはじめた。十歩ほど駈けたところで、鋭い飛来音を聞き、元は道だったはずのでこぼこの地面に、どっと伏せた。
近着弾特有の複合音と、地ひびき。
顔を挙げる。
走った。
伏せた。
身を持ちあげて……ぼくはそこで、信じられないものを認めたのだ。もちろん、理屈やなりゆきからいえば、充分あり得ることなので、ぼくは、自分の神経からすれば信じがたい光景に出くわしたと、表現すべきなのであろう。
ぼくの視野に映ったのは、布切れを身にまとい頭巾をかぶった二十人ほどの一団……ドゥニネであった。かれらは、この敵弾飛来のまっただ中を、身体をかがめようともせずに一様にうなだれ、何か低く合唱しながら、ぞろぞろと歩いてくるのである。それがぼくの伏せているうちに、ゆっくりと進んできて、先頭がぼくから五メートルか六メートルのところ迄近づいたとき。
飛来音が接近した。
「危ない! 伏せろ!」
とっさに、ぼくはどなっていたのだ。
この心理を、ぼくは、どう説明したらいいかわからない。
ドゥニネなんて、立場上、何もぼくとは関係ないのである。
しかもかれらは、勝手に、そんな無防備な有様でやって来ていたのである。
ぼくには、そんなことをいう義務はなかったのだ。かれらが敵弾で木《こ》っ端《ぱ》微塵《みじん》になっていても、ぼくには何の責任もなかったのだ。
なのにぼくがどなってしまったのは、危急のさいの反射的警告をした――ということだろうか。
そうだったのかどうか、ぼくには何ともいえない。
そしてまた、心情としてドゥニネは、ぼくと何の関係もない存在とは、いい切れないのである。
その姿かたちや合唱は……ぼくの思い込みかもしれないが、カイヤントで出会ったあのデヌイベと、あまりにも共通する点が多かった。そういえばこれは話として聞いただけであるけれども、ぼくはバトワのゼイスールの店でエゼという人々がいるのを教えられ、デヌイベとの相似を思って、まるでバトワのデヌイベだと考えたことがある。その意味ではドゥニネは、ダンコールにおけるデヌイベとはいえないか?
デヌイベは、ぼくと無関係ではない。デヌイベには、シェーラがいた。ぼくと不思議なかかわり合いを持つシェーラ。ミスナー・ケイと共に、普通の超能力ならざる超能力を持つグループのメンバーらしいシェーラ。さらにデヌイベ自体(この目で見ながら、いまだに本当のような気がしないのだが)集まっての合唱で(?)レーザーの光条をねじ曲げ、エレン・エレスコブやぼくたちを守ったのである。
かれらは何者だ?
そのデヌイベと共通しているエゼや、このドゥニネは、何者だ?
このドゥニネたちも、何か奇妙な力を持っているのか?
その位なら、ドゥニネたちは自分を守るのではあるまいか?
放っておいてもいいのではないか?
しかし……それを実験の観察まがいに眺めていて、いいものだろうか?
第一、メネに入ってきたかれらが、なぜ今頃になって、こんなところを歩き廻っているのだ?
何かがある。
そうでなければならないのだ。
ぼくは、ドゥニネに対する関心を、そんな叫び声をあげることで、示そうとしたのか? あるいは、かれらの注意をひきたかったのか?
わからない。
やはり説明不能だ。
が。
これらの、さまざまな要素を持つ混乱した想念を、ぼくは、はっきりと知覚したわけではなかった。あとになって解明してみようとしたら、そんな風に考えられた――というだけの話である。それを説明しようと試みたからこんなに長くなったのだし、こんな切迫した状況で説明などするのは不適当だとも承知しているが……ともかく、瞬間に一切が頭の中で光ったのと同時に、ぼくは反射的に叫んでいたのであった。
ぼくの叫び声と重なって、飛来音は頭上を通過し、後方で弾着の轟音があがる。
ドゥニネたちは、足をとめた。
しかし、伏せたわけではない。伏せるどころか、姿勢を低くしたりもしなかった。立ったままで、相変らず頭を垂れ低い合唱をつづけている。
どういうつもりだ?
ぼくは、かれらに対する疑念を、だがもう言葉として問いかけたりはせず、気持ちを投げかけるにとどめた。
それと共に、これはもうぼくには習慣のようになりかかっていたのだけれども、かれらの心を読みにかかっていたのだ。
そこにあるのは、奇妙な思念の群であった。凝固したといおうか、受け身で静止したといおうか、こちらへは何も働きかけようとしない、かれらだけの仲間意識……いや、必ずしもそうではない。何かを念じているのである。念じてはいるものの、ぼくにはしかとはつかめない――部分しか把握できない、もどかしいものだったのだ。
しかも。
ぼくはそれらの思念の群の中に、ふたつか三つ、空白があるのに気づいた。白いのであった。カーテンかべール……以前の、おのれの読心力に不慣れな頃のぼくだったら、障害と感じたであろうもの……そして今のぼくには、そこに誰もいないかのように静まり返っているのがわかる、一種不思議な意識なのである。
ぼくには、覚えがあった。
これは……ずっと前の、エレスコブ家での警備隊員任命式の夜、起きあがってきた超能力によってシェーラの心を読もうとした、あのときにそっくりだったのだ。あのときのシェーラの心は、こうだったのだ。そして、シェーラと手を触れ合うと同時に、わっと彼女の無数の感情が流入してきたのだが……。
しかし、この回想も、電光さながらの迅《はや》さでぼくの脳裏を走っただけだった。
そして、そのふたつか三つの空白のうちのひとつが、突然、明確な存在となり思念となって、ぼくに語りかけてきたのだった。
(お心遣い、ありがとう。でも、どうか放っておいて下さい。私たちは、このメネを去るところなのです)
(メネを? どうして)
ぼくは、思念で反問していた。
(私たちは、メネを守り切ることができませんでした)
先方の思念は答えた。(たたかいを、どうすることもできませんでした。私たちは非力だったのです。だけど私たちには、まだまだしなければならないことがあります)
(…………)
(そのうち、またお目にかかれるでしょう。あなたのご親切には感謝します。――では)
という思念のあと、それは元の空白に還り、群のひとりが、小さな声をあげた。声を合図として、ドゥニネの一団はおもむろに動きはじめ……ぼくの前を通って行ったのである。
これは……。
ぼくは考えようとして、はっとわれに返った。
そんな場合ではない。
ぼくはドゥニネのことを心から追い払うと、かれらの行くのとは反対の、一番近い貯電槽へと急いだ。
敵弾の飛来はやまない。
いつ吹っ飛ばされるかわからない中、ぼくは走っては伏せ、起きあがっては走った。
集落のかかりに来た。
ありていにいえば、そこはもう集落ではなかった。残骸の集積場に過ぎなかった。
けれども、貯電槽そのものは、崩れ落ちた壁ぎわに健在であった。
五人か六人の制装が、そこかしこに倒れている中、ヘルメットを外してしまったひとりの将校が、積みあげられた空のエネルギー倉に、ひとつひとつエネルギー注入をしている。注入されたエネルギー倉が、その横に小さな山になっていた。
「一―二―一のイシター・ロウであります」
ぼくは、前かがみに近づきながら、すわり込んで作業をしているその将校に、声をかけた。
「エネルギー倉の補充にまいりました。分けて頂けますか?」
「好きなだけ、持って行け」
将校は作業をつづけながら、顔をあげずに応じた。「私の部下は全部やられた。持って行って貰うことしかできん」
「ありがとうございます」
ぼくはいうと、制装のポケットから空になったエネルギー倉を放り出した。そういうことなら、あたらしいエネルギー倉を持ってゆくだけで済む。それも、五つではなく、もっと多くを手に入れることができるのだ。ぼくはそれでも多少遠慮して、十個ばかりをポケットに詰め込んだ。
「おい。その空のを、こっちへ渡せ」
将校が、ぼくの捨てた空のエネルギー倉を指した。
そこでぼくにはわかったのだが、将校は自分から好んですわり込んでいるのではないのだった。片方の足がやられて、自由に動くことが困難になっているのだ。
「失礼しました」
ぼくは、自分が捨てたのと、それに、まだそのあたりに散乱していて、将校が拾うには手間がかかりそうな空のエネルギー倉を、まとめて相手の前に置いた。そうしながら、やはりいわずにいられなかったのだ。
「大丈夫でありますか?」
「大丈夫?」
将校は、そこで初めてぼくを見て笑った。白い歯が見えた。「何を以て大丈夫というのかね? 私はあとまだしばらくは生きているだろう。そういう意味では大丈夫だ」
「…………」
ぼくは、何もいえなかった。
「行け」
将校は、作業に戻った。
「誰か、手当てのできる者を、呼んでまいりましょうか」
ぼくは訊いた。
「余計なお世話だ。吹っ飛ばされる前に、行け」
将校は作業をつづけながら、うるさそうに片手を振った。
ぼくはもう、逆らわなかった。その将校が、足だけでなく、こちらから目では見えなかったが背中にも傷を負っていて、もう助からないと観念しているのを知ったのである。それに将校が考えている通り、この状況では医者とか衛生兵など、よほど探さなければ発見できないだろうし、いたとしても、目の前の仕事で手一杯で動けないであろう。かりに来てくれたとしたって、ろくな手当てもできないはずなのだ。
ぼくは、引き返した。
引き返しつつ、ぼくは今の将校の頭の中にあった他の意識をも思い出していた。その将校の意識によれば、脱走者――というより逃亡者は、いよいよ増加しているらしいのであった。自分だってできることなら逃亡でもしたいところだが、この身体ではどうにもならず、また、逃亡したとしても、この戦況ではいずれ敵に殺されるだろう、その位ならここで将校としての務めを果たしつつ終ったほうがましだ、と考えていたのである。
だがしかし、ここでその将校の運命について感傷的になっても、それが何になろう。それはぼく自身の次の瞬間の立場かも知れないのだ。
ぼくは、伏せては立ちあがり、前傾姿勢で駈けては伏せ……自分の塹壕へと向かっていた。
渦巻く光と音は、ほとんど当り前のようになっていながら、つづいている。そしてぼくは、なかばそれらに不感症になりながらも、やはり本能的に、飛来音と敵弾の行方に注意をおこたることができなかった。
と。
背後から、ひときわ大きな爆発音が聞えてきたのだ。
ぼくは振り返った。
やられたのはメネの中央部のようである。
部隊本部のある会堂ではないのか?
しかし、それを確認している余裕はなかった。ぼくは急ぎ、どうやら無事に壕へ飛び込むことができた。
エネルギー倉を、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースに投げてやる。ボズトニ・カルカースのガンも、エネルギーを使い果たしていたからだ。
コンドンのも、取り替えさせた。
アベ・デルボのガンのエネルギー倉も、空っぽになっていたので、求めに応じてそっちへほうった。
自分のエネルギー倉を交換する。
敵に向き直り、塹壕のふちに身をもたせかけて、ぼくは撃ちはじめた。
そういえば……たしかに、敵弾の飛来数は減っているようだ。むろん、長い砲身を持つ例の物体は、ぼくたちの前面に居並んでいるのだが、砲撃の数そのものは、だいぶ少なくなっている感じであった。
ただ、物体の周囲をちらちらしていた敵兵たちは、物体のうしろに隠れたのか、ほとんど目につかないようになっている。ために、ぼくたちの射撃も、相手に合わせるようなかたちで、だいぶ落ちていた。
そのうちに、敵の砲撃がやんだ。
こちらも射撃をやめたのには、味方のエネルギー倉の補充がうまく行かなくなっているという事情があったのかなかったのか、ぼくにはわからない。
奇妙な沈黙が到来した。
沈黙といっても、敵の黒い物体群は、前進も後退もせずにぼくたちの前方に立ちはだかっているのだ。いつ砲撃が再開されるか知れたものではないのである。それらは、そこにあるだけで、充分に威嚇的なのであった。
沈黙は、三十分か四十分もつづいただろうか。
敵の沈黙が、当の敵自身にとってどんな意味があったのか、もとよりぼくたちには見当がつかなかった。こちらはただ、結果としてそれと共に撃つのをやめていたに過ぎない。
やがて。
敵は砲撃を再開した。
砲撃を再開しただけではない。
長い砲身を持つ黒い物体群は、じりじりとこちらに進んで来たのである。同時に、敵兵たちが物体の蔭から現われて、ちらちらしはじめた。
ぼくたちはレーザービームの射出を開始した。
黒い物体群と敵兵たちは、少し、少しずつぼくたちとの間隔を縮めてくる。エレイ河に物体がさしかかると、それは水面の上に浮上したままで進んでくるのだ。物体には何人も敵兵がとりついている。乗っているのであった。
ぼくたちは撃ちまくった。
物体のあちこちに乗っている敵兵が、何人も河に落ち、流されてゆく。だがその位で物体は動くのをやめたりはしなかった。
そのうちに黒い物体群は二手に分れたのだ。
一方は、ぼくたちの陣地から見て西北へ。
もう一方は、ぼくたちの陣地から見て西南へ。
河を渡り切った黒い物体は、それぞれ位置を占めて静止し、砲撃をつづける。
これ迄よりずっと近くなった敵に、ぼくたちはレーザーを浴びせかけた。そうするしかなかったのだ。
しばらく砲撃していた敵は、またもやそのうちに沈黙し、三十分か四十分置いて、射撃を再開した。
ぼくたちは撃ちまくった。
日が暮れようとしている。
これで何度めかの敵と味方の沈黙の中、ぼくは背中を壕の壁にゆだねて、ぐったりとなっていた。
「イシター・ロウ、おい、イシター・ロウ」
右のむこうのほうから、アベ・デルボが呼びかけた。「分隊長からの、口移しの命令だ。今のうちに、食べられるものなら食事をとっておけってさ」
「わかった」
ぼくは答え、左側にいるふたりのダンコール人にも、その旨を伝えた。
ふたりのダンコール人も、員数外ではあるが戦闘員ということで、当然、食糧は支給されているのだ。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは頷き、壕の底に置いてあった食糧をひとつずつ取ると、すぐに包みを開きにかかった。
ぼくも、パックを開いた。
だが、なかなか喉を通らない。身体は食物を求めているはずなのに、どういうわけかつかえるのだ。あまりにも空腹で疲れているど、こういうことになりがちなのである。ましてこんな状況では、そうならざるを得ないのであろう。
「どうも……食欲がないな。いや、腹は減っているんだが、食いにくいんだ」
アベ・デルボが、開いた包みを見ながらいう。「しかし、分隊長が食えなんていうのには、理由があるんだろう。ひょっとしたら、このあと移動か何かあって、しばらくものを食うどころではなくなるのかも知れんな」
「――その可能性はあるな」
ぼくは肯定した。
アベ・デルボの推測は、当たっているのかもわからない。というより、ぼくも、あるいはと考えていたからだ。移動――もっと正直ないい方をすれば、撤退、退却が行なわれるのではないか、との気がしはじめていたからである。
ぼくたちは、ここを、メネを中心とするこの陣地を死守するはずであった。
だが、敵の執拗《しつよう》な砲撃によって、味方はおそらく潰滅に近い損害を受けたようなのだ。
ぼくたちの分隊も、かなりやられた。
小隊としても、中隊としても、さらに兵員はすくなくなっている。
しかも……これははっきりと聞かされたのではなく、コリク・マイスンやガリン・ガーバン(中隊長ガリン・ガーバンはまだ無事なのだ)の意識から読み取ったところによると、部隊本部そのものが、破壊されてしまったようである。多くの将校が死に、部隊長はじめさらに多くの将校が負傷したらしいのだ。それでもなお、何とか統制に似たものが保たれているのは、どこか奇跡に近い感じであった。やはりあのときの、ぼくが目撃した爆発は、メネの会堂だったのだろう。多分、そうだったのだ。
――という、こんな状態で、いつ迄も抗戦できるわけがない。
今度また敵の砲撃がはじまれば、さらに損害が出よう。
抗戦をつづければ、全員戦死だ。
死守とは、全員が戦死する迄たたかうことである。
だからぼくは、ここで全員が死ぬことになるのだろうと思っていたが……それ位なら、後退して陣を立て直し、またたたかうほうがいいのではないか――という気持ちが、いつの間にか出てきたのだ。
いや。
ぼくの気持ちというより……ぼくが、そんな感じを受けるようになってきた、と、訂正すべきだろう。
部隊全体がそういう方針になりかけているような気がしたのである。
これは、ぼくの勘みたいなものである。それとも、ぼくの超能力が、部隊の上層部や将校たちの意識を、自分でも知らぬうちに捉えていたのかもわからない。ともかくそんな印象が、いつの間にかぼくの内部に生れつつあり……これは撤退ということになるのではあるまいか、と、考えはじめるようになっていたらしいのだ。
本当にそうなるかどうか、ぼくには断言はできない。
が……もしそうだとしたら、これは長時間の苦行になる。食事などしている暇は、当分ないであろう。
だったら、食べておかなければならない。
ぼくは、食品をふたつ三つ、口の中に入れ、むりやり呑み込んだ。水の助けをかりて、また食べた。
ふと横を眺めると、ふたりのダンコール人も食べている。ザコー・ニャクルなどは、がつがつと頬張って、食事をたのしんでいるのだ。
ぼくはもう少し食べ……そこでやめた。残りを包み直して、しまい込んだ。
が……それだけ食べただけでも、結構効果はあったのだ。ぼくは、それ迄のなりゆきまかせの気分が薄らぎ、いささか元気が出てくるのを覚えたのである。思考力も多少はましになったようである。
けれどもそれは、ぼくたちの置かれている立場を、あらためて認識することにもなったのだ。
敵はもう、そこ迄来ている。
ある程度の距離に達してからは進んで来ていないが、前よりもずっと近くなったのは事実だった。すでに、砲撃などしなくとも、あの物体群自身が押し寄せてくれば、それでわが軍は躁躍《じゅうりん》されてしまうであろう。
そんな近くに敵がいながら……それほど切迫した状況でありながら……これは、どういうことだ?
今は、最期のその直前の安息なのではないか?
なのに、こうしてじっとしていてもいいものか? 移動するならするで、なぜ直ちに行動命令が出ないのだ?
これでは、貴重な時間の浪費ではないのか?
そういえば、敵も敵だ。
どうして、一気に決着をつけてしまおうとしないのだろう。
われわれをいたぶって、たのしんでいるのか?
攻めては休み、攻めては休むのは……どういうつもりなのだ?
待て待て、と、ぼくは、自分をいましめた。
敵のことを考えるなんて、あまりにも馬鹿げている。実際に敵がどっと力ずくで出てくれば、みんなやられてしまうのだ。ぼくも死ぬであろう。そんなことを願うような考え方は……やめなければならない。
ぼくは苦笑すると、自分のレーザーガンと、それに伸縮電撃剣をあらためることにした。
それきり敵は攻撃を仕掛けてこず、夜になった。
「イシター・ロウ、イシター・ロウ、聞いているか?」
アベ・デルボのささやきが流れてきた。
「何だ?」
その少し前から妙に神経が冴えるのを感じていたぼくは、即座に応じた。
「分隊長からの、口移しの命令だ」
アベ・デルボはいう。「わが軍は、夜のうちに順次ここを出て移動する。わが中隊の出発は三十分後になるから、準備しておけ、とのことだ」
「三十分後か」
ぼくはたずねた。
「そうだ」
と、アベ・デルボ。「いっせいに全軍が動きだすと、敵に気づかれて追い討ちをかけられるからということだろうな」
「わかった」
ぼくは返事をした。
ふたりのダンコール人にも、そのことを告げる。
「ここを出るのか」
ザコー・ニャクルはいったが、それだけだった。ぼくは、ザコー・ニャクルの頭の中に昨夜来の敵の攻撃と味方の損害のことが浮かび、かつ、こんなたたかいのしかたではどうにもならない、自分も腕のふるいようがないという思念が流れるのを感知した。ボズトニ・カルカースは、それもやむを得ないだろう、もっと早くそうすべきだったのではないか、と、考えていたのだ。
ぼくは、壕の壁にもたれた。
休息姿勢をとっている機兵のコンドンには、そのときになってから指示を与えればよい。指示すればコンドンはすぐに従うはずなので……あらかじめ予備的なことをいっておく必要はないと思ったのである(それがあとで幸いするとは、そのときにはぼくは考えもしなかった)。
それにしても……この神経の冴え方は、どういうことだ?
危険にはかなり鈍感になっているに相違ないぼくが、こんな感じになるというのは、なぜだ?
あ、と、ぼくは直感した。
これは……あれなのだ。
中隊で陣をしいていて夜襲を受けた、あのときに似てきつつある。
影さながらの意識が、しかし、あのときとはことなり、もっとばらばらのままで、ぐんぐん濃くなってくるのだ。
それは、敵の黒い物体が出現したさいの、ぐらぐらと乱れる巨大なものではなく……あきらかに、夜襲のときの、あの感覚なのであった。
「来るぞ! 襲撃だ!」
ぼくは、声をあげた。ささやいていてはそれだけみんなに伝わるのが遅れる、声を出したことでぼくが最初に襲われる対象になるかも知れないが、この前の体験で、それ位は切り抜けられると、とっさに信じたからであった。
コンドンを除いて、ぼくの左右の連中はどっと体を起こした。アベ・デルボのむこうのほうへもそれは伝わり、みんながいっせいに警戒の思念と共に身構えるのが、ぼくにはわかった。
そういうはっきりした声を発したのに、敵兵がすぐさまぼくに襲いかかってこなかったのは、ぼくが感知したのが早くて、かれらはまだそんなに接近していなかったからのようである。
しかし、たちまち黒い殺意が、ひとつ、ふたつと迫ってきて、黒い人影が壕の上に出現したのだ。
ぶうんと長いものが伸びてきた。
すでに姿勢を整えていたぼくは、軽くそれをかわし、伸びてきた――あの伸縮槍の柄をつかむと、ぐいと手前に引っ張った。敵が壕の中へ落ちてきた。そいつはころがって、ザコー・ニャクルの前でとまった。
立ちあがろうとする敵に、ザコー・ニャクルの大きな刀が閃いた。敵の黒い影がどさっと倒れ、その驚愕の意識がわっとひろがりたちまちにして消えるのを、ぼくは感知した。
「敵襲! 敵襲!」
誰かが、どこかでどなっている。
アベ・デルボが、壕の外に来た黒い姿にレーザービームを浴びせかけ、そいつは見えなくなった。
ほかにも、レーザービームを放っている者がいる。
だが、黒い人影はあっという間に、十数個以上となり、猛烈な闘志と殺意を発散させながら、次から次へと壕内に飛び込んできたのだ。
壕内の至るところで、怒号と絶叫を伴いながらの乱闘がはじまっていた。
いや、こんな表現は客観的に過ぎるであろう。周囲がたちまち修羅場と化したのを全身で感じつつ、ぼくもすでにその一員になっていたのである。
怒号と叫喚と、交錯する闘争の意識の中、ぼくは、眼前に土砂を散らしながらすべり降りてきた黒い影の、膝とおぼしいあたりに障害を作り、その手応えをたしかめた瞬間、そいつの頭部を念力でぐいと引いた。
前に転倒したそいつに攻撃を加えているひまはなかった。横合いから別の敵が、猛烈な殺意と共に、槍の穂先をぶんと飛ばしてきたからだ。殺意を感知したおかげで、ぼくは身をひねって僅かにそれをかわし――だが穂先は制装に当たり、すべって、制装を撫でてゆく。ぼくはそれが流れて行くのに合わせて向き直ると、槍の柄を脇ではさみ込んで、敵を思い切り蹴った。相手は槍を残して吹っ飛んだ。
その槍を脇から引き抜き、はじめの、起きあがってきた敵を、横なぐりに叩く。そいつがよろめくところを、槍を半回転させて突いた。石突きでの一撃だったが、相手は自分の槍をつかんだまま、仰向けに倒れて行った。
この頃にはもうぼくは、敵がこの前の夜襲同様、顔や手足は黒く塗っているけれども剥き出しの、軽装なのを悟っていた。ぼくにはそれが識別、あるいは感知できたのだ。
背後でわああああと叫ぶ声がし、ふたつか三つの思念がからみ合うのを知って、ぼくは振り返った。
ボズトニ・カルカースが、ひとりの敵に槍を突き出している。槍は敵を刺し貫いていたが、抜くことができない。そこヘザコー・ニャクルの刀が一閃して、敵を斜めにぶった斬った。ボズトニ・カルカースがやっと槍を抜いた。
何度も繰り返すようだが、夜の闇にあってぼくの視力は黒い影しか捉えてはいなかった。あとは、ぼくの超能力で見て取った――としかいえない。
そんな中でザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースが、くらがりでも目が見えるらしい敵(この前はそうとしか考えられなかったのだ。この前と同じ姿の敵とあればやはりそうであろうし、事実、ぼくの相手の動きは、そのことを裏付けているようだった)に立ち向かって敵を倒しているというのは、ふたりの自衛本能がなせるわざだったのだろうか? 奮い立ち、または必死になることで、敵の行動をつかめるような、そんな一種の超能力めいたものを持ち得たのだろうか? ぼくにはわからない。だがしかし、ふたりがちゃんとたたかっているのは事実であった。
「外だ! 壕の外へ出ろ! 壕ではレーザーが使えない! 味方を撃ってしまうぞ!」
ザコー・ニャクルたちと反対側から、誰かのどなる声がした。
そうだ、と、ぼくは思った。
そしてそのときぼくは、まわりに急に空洞が生じたかのように、すくなくとも今、ぼくに襲いかかろうとしている敵がいなくなっているのに気づいたのである。
もっと離れた場所がどうだったのかは、知る由もない。
とにかくチャンスには相違なかった。
「外だ! 外でたたかうぞ!」
ぼくは、ふたりのダンコール人に叫んだ。アベ・デルボにもいおうとしたが、そちらにアベ・デルボのいる気配もテレパシーもなかった。
それに、機兵のコンドン。
コンドンは夜襲前に受けた命令通り、休息姿勢をとっていた。はた目には、やられて壕の壁に倒れかかっているように見えたかも知れない。とすれば、敵はコンドンなどに構わず、コンドンは無事だった可能性がある。
ぼくはコンドンに、壕の外へ出て敵とたたかえと命じた。だがそれだけでは、制装が破壊されたり操作不能になって脱がなければならなくなった者や、ふたりのダンコール人のようにはじめから制装を着用していない味方をも攻撃することになる。だから、制装姿でなくてもレーザーを使用しているのは敵ではない、と、条件をつけ足したのだ。随分乱暴な基準だと思う人がいるだろうが、とっさの場合にさいして、ぼくはそれしか考えつかなかったのである。間違いがおこるかもわからないし、それに夜襲してきた槍だけの軽装の敵ならともかく、ぼくたちがあの山頂で遭遇したような、また、例の物体の周囲にいたような、むこうのレーザーを使っている敵と出会えば、何もせずにやられてしまうかも知れないが……今は、それしかないのだった。あとになればそのときの状況に応じて、指示を変更すればいいのだ。そのあとにぼくは、なるべくぼくから離れるな、という命令をつけ加えた。
コンドンは、即座に動きだした。
これが、夜襲直前にあった口移しの命令――わが軍は夜のうちにここを出る、わが中隊は三十分後に出発する、というようなことを吹き込んでいたら、敵が乱入してきたときもコンドンは戦闘とかかわりなくうろうろし、あっという間にやられていたであろう。そんな状況で、ぼくがコンドンに応戦させる余裕があったとは思えない。休息姿勢だったから、無事だったのである。
――と、述べると長いが、外でたたかうぞとぼくが叫んでからここ迄、コンドンにあたらしい指示を与える時間以外、無駄な時間は使わなかったはずである。一刻ぐずぐずしていると、それだけまた敵が壕に飛び込んで来る危険があるときに、いくら急いでも急ぎ過ぎということはないのだ。
コンドンが動いたと見るや否や、ぼくは壕の外に飛び出した。ふたりのダンコール人は、その前に壕を出てしまっていたのだ。
コンドンもつづいた。
出て――ぼくは、あたりが壕内よりは明るいのを知った。
メネで、何かが燃えているのだ。
あれだけ破壊されながら、まだ燃えるものがあったのだろうか、という想念は、だが頭の隅を断片としてかすめただげである。
茫《ぼう》とした揺れる赤っぽい光の中、斜め左を走り去ろうとしていた三人の敵が、こっちに気づき方向を転じて、槍を構えると突進してきた。
ほかにもあっちこっちに数人また数人と、敵や味方がいて、入りまじりながら交戦しているようだったが、しかとはわからない。ぼくの意識外の意識ともいうべきものが、それらを捉えただけだ。
殺到してくる三人の、それでも遅速のせいで僅かに先頭になっていた敵の槍の、伸びてくる穂先を、ぼくは払った。ぼくはまだ、今しがた敵から奪った伸縮槍を手にしていたのだ。それを本能的にふるったのである。そのときにはもうぼくは、身についた戦闘技に従ってほとんど自動的に動いていた。
払われてぼくの左方へとたたらを踏んだ敵が、穂先を縮めながら槍を半回転させてこっちへと向き直る。
二番目の敵が右横から、ぼくの胸を狙って突っ込んできた。槍を一杯に伸ばしてだ。ぼくはそれを大きくはねあげてその下をかいくぐると同時に左へと旋回し、余勢で踏み込んでくる相手の手先を打ち、つづけて首筋のうしろを叩いた。そいつは前方へと、膝をついた。
ぼくは前進し、はじめの敵と向き合う。相手はぶうんと穂先を伸ばしつつ、突進してきた。ぼくは自分の槍で相手の槍を押しあげ、そのまま進んでそいつに体当たりを食わせた。ぶつかって、そいつが離れるのに槍を繰り出す。そいつはころがってぼくの槍を避けた。
左に殺意が来た。膝をついていた敵が、下方から槍を突きあげてきたのだ。ぼくは身をひねって何とかそれをかわし、腕を伸ばし切った相手が槍をたぐり込む前に、のしかかるかたちでその胸板に深く槍の穂先を打ち込んだ。相手の苦痛と絶望の感情が、どっとぼくを包んだ。
突き立てた槍を抜く間はなかった。はじめの敵が立ちあがって、ぶつかって来たからだ。槍が短くなっているのをとっさに見て取ったぼくは、穂先が伸びてぼくを貫く前に横に飛び、相手の懐に入り、相手の槍の柄を両手でつかんだ。敵は槍を取られまいと力を入れ、揉《も》み合いになった。お互いに引き合い――ぼくは逆にぐいと押し、相手が体勢を立て直そうとする下へすべり込んで仰向けになり、足裏をむこうの腹に入れて押しあげながら、槍の柄を引いた。離した。相手はぼくの頭上を越え、弧を描いて飛んだ。
そいつが起きあがる寸前に、ぼくは横転して上半身を起こしつつ、レーザーガンを引き抜いた。パルスがほとばしり、そいつは苦悶の感覚と共に、地に突っ伏した。
迫ってくる殺意はどこかと探りながら、ぼくは素早く立ちあがった。今の争闘中も、そのことは絶えず頭のどこかにあった。突進してきた敵は三人だったのだ。
しかし、近くにそれらしいテレパシーは感じられない。
立って、ぼくは、やや離れた場所にその三人目が倒れているのを認めた。三メートルも距てていないところに、コンドンがレーザーガンを構えて佇立《ちょりつ》している。位置関係から見て、コンドンが撃ったようであった。
そして右手の先。
ザコー・ニャクルが刀を振りあげているのが、ぼくの目に映った。ボズトニ・カルカースもいる。ふたりの足元に、二体か三体の敵が横たわっていた。
なぜだ――と、疑問が湧いてきたのは、当面の敵を何とかやっつけて、瞬時のゆとりが生じたためであろう。なぜ……敵はこんな攻め方をするのだ?
いや、根本的なことではない。
夜襲などというような、自分たちにも多くの損害が出る攻撃法を、どうして、優勢な敵がしなければならないのだ――という疑念である。
森の中の、あの中隊陣地が襲われたのはわかる。中隊というような比較的小人数のぼくたちは、夜襲によって潰滅した。敵は充分その目的を達したといえよう。
だが、こんな部隊陣地へ……おびただしい被弾によって機能を喪失しつつあるこの陣地へ、なぜ軽装で潜入し襲いかからなければならないのだ? がたがたになっているとはいえ、ここは中隊ではない、部隊なのだ。敵にもたくさんの死傷者が出るだろう。放っておいても撤退すると思える(事実、ぼくたちは順次そうするはずだったのだ)われわれに、何故に、そんな犠牲を払って迄、夜襲をかけなければならないのだ?
けれども、ぼくはたちまちそんな思考を振り払った。敵の意向を斜酌《しんしゃく》しているときではない。
また、それどころではなかった。
ぼくがほっと息をついたのも束の間、だいぶむこうで乱れ動いていた一団が、火あかりを受け、流れるけむりを割って、こっちへと向かってきたのだ。
敵だった。
味方を倒し、こっちへ転じてきたのだ。
ほぼ十名。
「来たぞ! まずレーザーだ!」
ぼくは、いいかけた言葉を、ダンコール語にして叫んだ。ぼくの傍には、ふたりのダンコール人と機兵しかいないのだ。機兵のコンドンにはすでに指示を出しているから、あらためて何もいう必要はない。ダンコール語でいいのであった。
走ってくる敵に向きながら、ザコー・ニャクルがおうと声を返してきた。
ぼくたちは、いっせいにレーザーパルスを浴びせかけた。だが稲妻さながらにぱっぱっと方向を変えながら急速に接近する相手に対して、レーザーパルスはパルスであるだけに、意外に命中率は低かったのだ。ふたりか三人がころがっただけで、あっという間にかれらはやって来た。
そのときにはぼくは、レーザーガンをホルスターにしまい、伸縮電撃剣を引き抜いていた。レーザーガンに執着していて組み打ちにでもなりガンを奪われては、こっちがやられてしまう。こうなれば剣で渡り合うほうがいい。
ぼくは伸縮電撃剣を最短にして、目の前に来たひとりを迎えた。短くしていれば敵を刺すことができるが、短杖として使わなければならないのだ。だがぼくは、いちいちそんなことを考えていたのではなく、とっさにそうしただけである。
相手は正確な突きを入れてきた。穂先がぶんと伸びながらの、強烈な突きである。ぼくは両手で支えた剣で、それを受けた。しかし払わずに槍の柄と剣を擦り合わせて思い切り踏み込み、そいつらとぶち当たる寸前に剣を持ち直して、力一杯相手の腹を刺した。痛みと怒りの思念が、血しぶきと共にぼくにかぶさってきた。
倒れてゆくそいつに構わず、ぼくは目に入った敵へと向きを変えた。そいつはぼくが今の敵ともつれるようになっていたために、槍を手に、ぼくが離れる機会を待っていたのだ。即座に槍の先が飛んできた。穂先が制装の脇腹をかすめて行く。痛みは感じなかった。やられたとしても制装だけだったのだろう。ぼくは体を開いたまま横に前進し、剣で相手の頭部を横なぐりに払った。相手は槍を離して斜めにどさっと地に倒れた。
目を挙げる。
ボズトニ・カルカースが、ふたりの敵を相手にしていた。何とか槍を払いつつ、後退している。
ひとりの槍が、ボズトニ・カルカースのももにささるのが見えた。ボズトニ・カルカースは傾き、よろめく。そこへもうひとりが決定的な突きを入れるべく、槍を構え直したのだ。
そのときにはぼくは、そっちへ走っていた。走りながら柄のボタンを押して剣を長くし、槍を構え直した敵の首筋を叩き、もうひとりの顔面を突いたのである。その長さでは電撃能力が生じており、ふたりの敵は強烈なショックに、ものもいわずに崩れ落ちた。
「無理をするな!」
ぼくは、うずくまったボズトニ・カルカースに声をかけ、視線を転じた。
ザコー・ニャクルは、すでにひとりの敵を倒し、あとのふたりと、例の幅の太い刀でらくらくと渡り合っていた。見る間に、ザコー・ニャクルはひとりの槍の柄を斬って落とし、狼狽した相手に真っ向からの袈裟《けさ》がけを浴びせかけた。もうひとりがたじたじとなるのへ迫ってゆく。相手は恐怖の表情になり、立ちすくんだと思うと、くるりと向きを変えて逃げだした。
「やめろ! ザコー・ニャクル!」
ぼくは、あとを追って走りだすザコー・ニャクルに叫んだ。「ばらばらになってはいかん! とまれ!」
ザコー・ニャクルは追うのをやめた。
左へと顔を向けると、コンドンが二、三人の敵と一体となって組み打ち、抵抗しているのが目に映った。もがきながら、なおもレーザーパルスを射出している。そのパルスは空しくあっちこっちの宙に飛んでいた。コンドンは組み打ちや剣での交戦能力を持たないので、そうしかできなかったのだ(ああそれは、やろうとすれば機兵にその能力をつけることは可能なのかも知れない。だが、かなりの素質を持った人間でさえ、習得に時間のかかるそんなことが、そう簡単にできるわけがないのだ。とすれば普通はレーザーガンの使い方を教えるのがせいぜいで、コンドンもその例に洩れなかったのである)。それでもコンドンは、敵がもぎ取ろうとするレーザーガンを、絶対に渡すまいと頑張っていた。
ぼくとザコー・ニャクルは、這ってそっちへ近づいた。身を高くしていては、八方に射出されるコンドンのレーザーパルスにやられかねなかったからである。這って、まずぼくが電撃剣で、コンドンにのしかかっている連中を撫で払った。ひとりが悶絶し、あとのふたりがコンドンから飛び離れた。
ぼくは長くした電撃剣を構え前進したが、ザコー・ニャクルがわめきながら突き進むほうが早かった。あの大きな刀を振り廻してである。
敵のふたりは槍を構えかけ、ザコー・ニャクルの気迫に圧されて、同時にうしろを見せて走りだした。
ぼくは思うのだが……こんな夜襲というような作戦に従事している連中は、褐色と緑の入りまじった制服をまとい白光を射出する武器を持った兵たちとは、別種の人々、でなくてもすくなくとも別の兵科に属しているのではあるまいか。かれらが夜でも目が利くらしいことからだってそんな気がする。ボートリュート共和国の内情がどうなのか、ぼくには知識といえるほどのものは何もないが、それが単一民族の一枚岩の国でなければ、充分にあり得ることなのだ。そして、そういうかれらは、白兵戦が得手で、レーザーその他の近代兵器にはたじろがない代り、ザコー・ニャクルのようないわば原始的な、大刀を自在にあやつって人間をぶった斬るような相手には、とても敵《かな》わぬと知ると、恐怖を抱き自信を喪失するのではあるまいか。いささか理屈が通りがたいかもわからないけれども、ぼくは、逃げる敵を見ながら何となくそんな印象を受けたのだ。
だがそのとき。
だいぶかなたの、メネの方角で、爆発がおこったのである。震動が地面を通じてぼくの身体にも伝わってきた。
敵弾か?
それにしては、飛来音がなかった。
第一、敵の軍勢がわれわれの中に入り込み乱戦になっているときに、敵が弾を打ち込んでくるわけがないのだ。
それにしても――と、ぼくは思った。
みんなはどこにいるのだろう。
あんな襲われかたをしたのだから、各個でたたかうしかなく、みんなばらばらになったのかもしれないが……どこかで集結しているのではないか? せめでわが中隊は……どうなったのだ?
「味方を捜そう」
けむりの中、あたらしい敵が出現しないので、ぼくはダンコール語でいい、メネの方向へと進む構えをとった。
ザコー・ニャクルは頷き、歩きかけたが、うずくまっているボズトニ・カルカースに目をやると、傍へ行って助け起こした。ボズトニ・カルカースは、すでに、ささった槍を自力で引き抜いていたのだ。それからボズトニ・カルカースに肩を貸してやり、ふたりで歩きだしたのだ。
「大丈夫か?」
ぼくは訊いた。
「大したことはない」
と、ボズトニ・カルカースはいったが、痛みは相当なもののようである。
「たたかうしかない」
ザコー・ニャクルもいう。
ぼくは進みはじめた。
コンドンはおとなしくついてくる。
ぼくは周囲を読心力で探った。
さまざまな思念が渦を巻いて、ごっちゃになっている。戦闘中らしいのもあった。何もかもが交錯していると、判別は難しい。近くのものや強いものが、感知できる程度であった。
それにしても、ぼくたちがいるあたりが、不思議に思念がすくないのは……どうやらそれぞれの白兵戦が一段落して、去る者はその場を去り――今は主としてメネ(元メネというべきだろうか)を中心とするたたかいに移ったようなのである。
進むにつれて、至《いた》るところに人々が倒れているのがわかった。敵も味方もいるが、制装姿の味方のほうが遥かに多い。夜襲に長じ夜目が利く敵が有利だったということだろうか。だがぼくはそれをもう考えないことにした。苦痛のテレパシーを出している者もいたが、もはやテレパシーが流れてこない――死者もあった。
しかし、ぼくはひとりひとりの負傷者をどうこうするよりも、自分の隊を捜すのを先にしなければならない。
一歩ごとに、入りまじったあらゆる思念が強くなる。
その中で……にわかに、闘志と憎悪と殺意が湧きあがるのが感じられた。敵と味方が、それもかなりの人数どうしが遭遇したのに違いない。
ともかくそちらへ急ごう、と、ぼくは思った。
けれども、ぼくたちはその方向へは行けなかったのだ。
左手のやや離れた地点で、また爆発がおこり――爆発そのものはどうということもなかったが、そちらの方角からこっちへ移動してくる思念の群が、急にはっきりしてきたのである。
敵か、味方か。
ぼくは手を挙げて停止した。
思念の群はどんどん近くなる。すぐにかれらが姿を現わした。
とたんに先方の思念が、攻撃と殺意に変った。その前にぼくは、相手の姿から敵だと見定めていたのだ。
それも、三十人か四十人はいたであろう。
かれらはどっと体を低くし、ひとりが叫びをあげると、その姿勢で、あの左右に方向を変えるやりかたで、前進して来たのである。
ぼくは一瞬、ためらった。
敵中へ突撃すべきか、後退すべきか、迷ったのだ。
あなたはぼくを嘲笑するだろうか。
嘲笑されても構わない。
突入しても、こちらのこの人数では、全滅するのはあきらかであった。それでもここで潔くたたかうのがぼくの義務だといわれれば、仕方がない。いや、ぼくはその覚悟をしていたはずだ。
にもかかわらず、ぼくがすぐにそうと踏み切れなかったのは、自分たちがまだおのれの隊を見つけておらず、おのれの隊に合流して指揮官の命令に従うのが本来なのだから、こんなところで死んでも意味がない――との思考が働いたからである。ここでぼくたちが多勢に無勢でやられてしまって、それで何かの役に立つのか、と、考えざるを得なかったのだ。
そして。
寸秒の迷いのうちに、ぼくはわれ知らずザコー・ニャクルの存念を探っていた。
案外というべきか、あるいは当然というべきか……ザコー・ニャクルの心にも、これではどうにもならない、との意識があった。それは負傷したボズトニ・カルカースを庇わなければならず、そのぶん、自分のたたかいかたも思うようにはなるまい、という気持ちと重なっていたのだ。それと一緒に、ちゃんとたたかうのならやむを得ない、死ぬ迄とことんやって、できるだけ多くの敵を道連れにしてやる、その決意も固まっていたのである。
――と知ったぼくは、ふんぎりをつけた。
「後退!」
ぼくは叫んだ。
ザコー・ニャクルは何もいわなかった。同意の思念を、ぼくは読み取った。
ぼくたちは、レーザーパルスを射出しつつ後退した。相手の人数が多いので、さっきよりは命中し易いはずだったけれども、敵の前進を食い止めるのは、やはり無理であった。のみならず敵は、指揮者らしいのが短く声を出すと左右に散開して……迫ってくるのである。
こうなれば奥の手の、非常手段しかない。
「パルス射出をやめて、連続射出にするんだ!」
ぼくは、自分のガンを調節しながら、ダンコール語でどなった。
連続射出などしたら、みるみるうちにエネルギーがなくなって行き、短時間で尽きてしまう。だから通常はパルス射出と定められているのだ。が、この場合、急場をしのぐにはそれしかなかった。
ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、レーザーガンの基本的扱いをぼくから聞いている。ふたりはすぐにガンを調節した。
ぼくたちはレーザーの連続射出で、右から左、左から右へと、敵をなぎ払いながら、うしろへさがった。さすがに、敵はばたばたと倒れてゆく。コンドンだけは相変らずパルス射出をやっていた。交話装置を通じて連続射出を命じるような手間暇が惜しく、それにコンドンがそうしようとしまいと、大した差異はないと判断して、ぼくは何の新指示も出さなかったのだ。
しかしながら、二、三秒のうちに何人かがやられた敵は、命令一下、地に身を投げて伏せた。
「後退!」
ぼくは再び叫び――この間にと、敵に背を見せ、自分も行きながら、ザコー・ニャクルたちに手を振ってみせた。ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは、走ることはままならないながらも、何とか全力をあげて、敵から遠ざかろうとする。
コンドンもぼくたちを追った。しかしコンドンは依然として、敵のほうを向いたままで後退している。これ迄の命令・指示が、優先順位とのからみもあって、コンドンにそんな動きをとらせているのだ。
十メートルばかり行ったところで、ぼくは振り返った。
敵は起きあがっていた。追撃してこようとしている。
「撃て!」
ぼくはどなり、またもやレーザーのビームを左右に振りながらかなりの間射出した。
ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも足をとめ、撃ちまくった。
敵が伏せた。
ぼくたちは、敵との距離を、さらに十メートル近く開いた。
ぼくらは、メネとは逆の、外へと向かっていたのである。
そこで振り向いたぼくは、敵が決然と立ちあがって、駈けてくるのを見た。
また、レーザーの連続射出。
けれども……そこでエネルギーは尽きてしまったのだ。これだけ贅沢に惜しげもなくエネルギーを消費したのだから、当然の結果といえる。
ぼくたちのレーザー射出が止まるのを知った敵は、勢いを得て、もうジグザグの動きなどせずに、まっすぐこっちへ走ってくる。
ぼくはポケットに手を入れ、未使用のエネルギー倉をつかみ出すと、自分のガンの空になったのと交換した(覚えておられるだろうか。ぼくは十個のエネルギーを注入されたエネルギー倉を貰ってきて、自分のを含めて五つを使ったのだ。従って、まだ五個が残っていたのである)ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースにも、投げてやった。
ぼくも、ふたりのダンコール人も、この作業を能う限り手早くやったのだが……それでもコンドンがパルス射出で撃ちつづけることで、幾分かでも敵の速度を鈍らせるということがなかったら、間に合わなかったかも知れない。
まず交換を済ませたぼくが、つづいてザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースが、レーザービームの連続射出を再開した。
敵が近くへ、それも密集しつつ迫っていたために、ぼくたちの射撃は効果的であった。ばらばらばらと敵は倒れ、残った者もいっせいに伏せた。
ぼくたちは、向きを変えて――ありていにいおう、逃げた。
次に振り向いたときには、敵は元の位置にいた。しかも立ちあがりきびすを返そうとしている。どんな事情があったのか知る由もないが、かれらは追撃を断念したようであった。
それでも、ぼくたちはメネの外へ外へ、進んだ。
元のぼくたちの陣地の、湖に面した方角では一番外――あえて元のと注釈をつけなければならない。そこにはすでに陣地はなかったのだ。あの、ドゥニネたちがメネへ到来したときに、味方がかれらを誰何した場所であるが……誰もいなかった。崩れた壕と、それを修復しようとした跡と……散乱する死体ばかりであった。敵弾で破壊された塹壕を直そうとしているうちに、夜襲を受け、全滅したのではあるまいか。
しかしぼくは、それらを正確に見たのではない。メネのあたりの火事だか何だかの赤い光は、前よりずっと小さくなっている上に、ここ迄来るとその光もほとんど届かず、目をこらしてやっとわかる程度の暗さになっていたのだ。
そこにさしかかったとき。
ぼくは、ひとつの思念をとらえた。
待て。
それは……アベ・デルボではないのか?
「アベ・デルボか?」
ぼくは、小声でいってみた。
「誰だ」
鋭い声が返って来た。
「ぼくだ。イシター・ロウだ」
ぼくは答えた。
「何?」
盛りあがった土砂の蔭から、ひとりの男――アベ・デルボが這い出して来た。
テレパシーで悟ったのだが、アベ・デルボはひどい傷を負っているようだった。腰から足にかけて、苦痛が、というより半分しびれた痛みがある。
そして出てきたアベ・デルボのヘルメットは、なくなっていたのだ。
「無事だったか。おれはこんな具合だ」
アベ・デルボは、なぜか声を低めながら口を開いた。「とても……みんなにはついて行けなかった」
「みんな?」
ぼくは反問した。
「みんなといっても、何人残っているか」
アベ・デルボの、無理に作った笑いが、夜目にも僅かに見えた。半分はぼくは超能力でそのことを知ったといえる。
「ばらばらになったからな」
アベ・デルボはつづけた。「それでもおれは、殺し合いの最中に分隊長に出会って、ガリン中隊長の指示というのを聞いたよ。お前、聞かなかったか?」
「いや」
ぼくは首を振った。
「話によると、とにかくネプトへ向かうとのことだった」
と、アベ・デルボ。「ネプトへの途中のどこかか、ネプトそのものなのか、そこ迄は知らん。どこかで集結というが……おれはやられちまってな。――分隊長、というより、おれには個兵長だが……コリク・マイスンも死んだ。ほかにもたくさん死んだろうが、くわしくは知らない」
「あまり話すな」
ぼくはいった。コリク・マイスンが死んだというのは、信じられない気分だったが……ぼくは平静に受けとめたようだ。そこ迄心は乾いていたのだろう。
「いいんだ。どうせおれはひとりでは動けない身だから」
アベ・デルボはいう。「それでもまだ、敵がいないんだったら、這ってでもみんなを追うが……いつ、発見されるかわからんからな」
「敵が? この先にいるのか?」
ぼくは問うた。
「どうもそのようだ。このもうちょっと先のほうを、ときどき喋りながら通る声がする。わけのわからん言葉だから、敵だろうな」
アベ・デルボは説明した。「そんなわけだから、お前たち、気をつけて行けよ」
「行け? 何をいうんだ。一緒に行こう」
ぼくはいい返した。
「おれなんか連れて行くと、足手まといだ。やめろやめろ」
アベ・デルボは肩をすくめたようだ。ヘルメットのない顔に、白い歯がちらりと見えた。苦痛の感覚も漂ってきた。
「いい加減にしろ」
ぼくは、アベ・デルボのわきにしゃがみ、体に手をかけた。「ぼくが連れて行ってやる。つらいだろうが……連れて行くぞ」
「馬鹿野郎、やめろ」
アベ・デルボはあらがったが、ぼくは助け起こし、そこでふと気がついていった。「どうなんだ? 制装はまだ働くのか?」
「駄目だ。ただのよそ行きになっちまったよ」
アベ・デルボは首を振る。
「じゃ、脱ぐんだ。脱いだほうが、ぼくも背負い易い」
ぼくはいうと、アベ・デルボの制装を、手伝って脱がせた。
「お前は馬鹿だぜ。ほんとの馬鹿だ」
アベ・デルボは鼻を鳴らしたものの、従順だった。口とは裏腹に、その心では感謝しているのがぼくにはわかった。
こうしたやりとりの間、ザコー・ニャクルはボズトニ・カルカースをすわらせ、自分は黙っていた。彼にしてみれば、ぼくは当然なすべきことをしている――ということのようであった。
ぼくはアベ・デルボを背負い(その前にアベ・デルボのレーザーガンに、あたらしいエネルギー倉を入れるのを忘れなかった)ザコー・ニャクルはボズトニ・カルカースの肩を支え、コンドンを従えて……全員が進みはじめた。
とにかくネプトをめざして、である。
どこで集結するのかは不明にせよ、方向だけはわかったのだ。
でこぼこになった道ともいえぬ道をぼくたちは進み、百メートルほども来ただろうか。
ぼくは、数人の思念が、行く手から接近してくるのを知った。
緊張した気分しかわからない。
そして、引き返すのはもとより、物蔭に入るのも、もう手遅れのようであった。思念で相手を捉えたとはいえ、先方の足取りは思ったより早く、こちらはふたりの負傷者をかかえて、動きもままならなかったのである。
停止したぼくたちのむこうに、その思念の主が現われた。七、八名の――ぼくたちの制装とは違う連中だった。
ひとりが鋭い声を発した。カイヤツ語でもなくダンコール語でもなく、さっと変化した思念から、ぼくはそれが敵であるのを悟ったのだ。
なぜとっさに敵と判断したのか、と、いわれると、明快な説明はむつかしい。
かれらの格好が、ぼくたちの制装、いや、制装の下の制服とも違っていたのは、たしかだ。
が……それは夜蔭においての、なかば以上は超能力でとらえたものというべきであった。メネのかなたの山頂附近で出くわしたあの制服のようであるが、褐色と緑が入りまじっているかどうか迄見極めるのは、到底無理だったのである。
だからかれらの姿は判断材料の一部に過ぎなかった。主としてぼくは、今いったように先方の思念で悟ったのだ。
それは、さまざまな要素をごっちゃにした直感だった。かれらの頭の中にあった感覚や概念、発想の型と思考の動きかたなどが、これ迄馴れてきた味方の人々のものと異質だった――というしかないであろう。
そして同時にぼくには、先方のひとりが出した鋭い声が、誰何を意味しているのもわかった。
だが、返事しようにも、ぼくはその言語を知らない。
かれらは行く手に黒い影となって立ちはだかっている。
ぼくの取るべき方法は、ひとつしかなかった。
ぼくは、反射的に、レーザービームの連続射出で前方を掃射したのだ。
ひとりかふたりはやっつけたようである。苦痛と怒りの意識があがったからだ。しかしそれをたしかめている余裕はなかった。ぼくはアベ・デルボを背負ったまま、右手の、あまり高くない柱みたいなものが群立する中へ駈け込みながら、ダンコール語で、身を隠して応戦しろとどなったのだ。
ザコー・ニャクルはボズトニ・カルカースを支えつつ、道の反対側の樹々の蔭へと入り込んだ。ふたりには、そっちのほうが近かったのだ。
コンドンは、ぼくとアベ・デルボのほうへやって来た。なるべくぼくから離れるなとの命令に従っているのだが、とても、火急の動きというようなものではなかった。
敵の誰かが、大声を出している。
ここに敵がいたぞ、と、叫んでいるのであった。
つづいて、白い光のパルスが五、六本、ビビビビビと、道を飛んだ。だがそれきりで、あとは何もない。敵もまた物蔭にひそんで、こっちの様子を窺っているらしいのだ。
やはりそうか、と、ぼくはアベ・デルボを降ろしながら思った。
白光のパルスから考えても、かれらは山で交戦したのと同種の兵たちに違いない。夜襲をかけてきた軽装の、くらがりでも目が見える連中ではないのだ。今しがたの距離で誰何したことからも、それは裏付けられよう。
これは、どういうわけだ?
かれらは、夜襲の連中と一緒にやって来たのか?
夜襲後に来たのか?
おそらくは……。
そう。
夜襲の連中がぼくたちの部隊を撹乱し痛撃を与え(そのときになってぼくは思い当たったのだが)われわれの陣地の要所要所を爆破し……メネを占領するのを待って、乗り込んできたのではあるまいか。そしてメネを占拠し周囲をパトロールしている――ということではないだろうか。
確証があるのではないものの、そんな気がしたのだ。
だが。
そうした推測などしている場合ではなかった。頭をよぎったそんな想念を、ぼくは即座に振り払った。
とにかく、このままこうして対峙してはいられない。
さっきの声を聞いて敵の応援が来る前に、どんなことをしてでも、ここを通り抜けなければならないのだ。一刻ごとに危険は増大してゆくのである。
とはいえ、ぼくはすぐに行動をおこすわけには行かなかった。
その前に、機兵のコンドンへの指示を変更しておく必要がある。ぼくはコンドンに、制装姿でなくてもレーザーを使用しているのは敵ではない、と、教えた。あのときはああするしかなかったのだが、今前面にいる敵はレーザーを持っているのである。これではコンドンは無抵抗のうちに敵にやられてしまうだろう。
だが、以前の指示に上乗せして前面の敵とたたかわせるのは、矛盾になる。前の指示の一部を修正し、いくつもの条件づけを行なうというやり方にしても、どこかでひっかかってくる可能性があった。へたな命令の与え方をしたら、判断や行動の優先順位がおかしくなって思いもかけぬことをしでかすかもわからないのだ。命令はなるべく単純なほうが望ましい。多少乱暴でも単純なほうがいいのだ。
ぼくは交話装置のスイッチを入れ、小声ではあるがはっきりした発音で、壕内で出した指示を全面的に取り消し、あたらしく、お前を攻撃する者はすべて敵だ、敵を撃ち倒せ、と、コンドンに吹き込んだ。かなりいい加減な指示だといわれても、ぼくにはそれしか出来なかったのだ。たしかにこれでは、ぼくたちの誰かがあやまって、直接コンドンを撃たない迄もすぐ傍にレーザービームを走らせ、攻撃されたとコンドンに信じさせでもしたら、同士打ちになってしまう。それにコンドン自身としても、先方の攻撃があってはじめて敵と承知するのだから、すでに敵と判明している相手ならともかく、新手に対しては受けて立つわけでどうしても後手に廻り、それだけ不利になるのは免れない。それはわかっていた。わかっていたが、この急場で簡単に出せるもっと良い指示があっただろうか? あったら教えて頂きたい。ぼくにはこれ以外思いつけなかったのだ。その後で、ぼくは今後の行動のために、なるべくぼくから離れるなとの指示もつけ足した。これは自動的にはじめの命令の下位に位置づけられるだろう。壕の中で出したのとことなって、はじめの命令が強過ぎる観はあったけれども……前面に敵を置き思い切った挙に出なければならぬこのさい、少々のバランスの崩れには目をつむるしかないのだ。
――と、瞬間の思考にひきつづいての、できるだけ短時間でやってのけようとした作業だったが、やはり、七秒か八秒はかかったはずである。
ぼくは交話装置のスイッチを切り、かたわらのアベ・デルボに目をやった。
アベ・デルボは、うつ伏せになり、それでも頭を持ちあげレーザーガンを握りしめて、いよいよとなれば応戦できる構えをとっている。
コンドンはぼくの後方。
道を隔てて樹々の中、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースが息を殺し、ぼくが次にどうするつもりかと思いながら待っているのが感知できた。
ぼくは柱に手をかけ――冷たい感触から、それが墓石らしいのに気づいた。どうやらここは墓場のようだ。距離から見て、多分メネの人たちの墓地なのだろう。
いつものぼくなら、あれだけ破壊されたメネの、その住民の死傷者とこの墓地についてとか、ここがぼくたちの死に場所になるのではないか皮肉な話だとか、あれこれ考えていたに相違ない。事実、あとになってぼくは、メネの人々の生と死や、このときの自分たちの奇妙な立場などを、幾度か想起したものだ。けれどもそのときには、ああそうなのかと感じただけで、墓石ならしばらくは盾になるなとの即物的な判断をしたばかりであった。
墓石に手をかけ――前方の闇をにらむ。
敵意と警戒心が、濃淡を持つぼんやりした雲のように漂っているのだ。
やろうとすれば、ぼくはその核を順番にさぐり、ひとりひとりを判別することができただろう。そうすれば人数の確認も可能である。が……それはこの距離からでは今以上に精神集中の必要があり、時間もかかる作業であった。そんな心理的・時間的なゆとりは、ぼくにはなかったのだ。
ぐずぐずしてはいられない。
一刻も早く、何とかしなければならない。
敵は七人か八人。
先程の掃射でかりにふたり倒したとしても、五人か六人はいる。それもみなレーザーガンを持っているはずだ。
こちらの劣勢は明白だった。
本来なら、ここは、レーザーガンを撃ちまくりながら駈け抜けるという思い切った手段に出るか、さもなければ大きく迂回してすみやかに敵から遠ざかる作戦をとるかの、どちらかなのであろう。しかし、負傷したアベ・デルボとボズトニ・カルカースがいるからには、どっちにしても到底無理である。
早く――。
こうなれば、敵が予期していないもの――ぼく自身の超能力を活用するほかないのだった。
頭の中で素早く作戦を立てると、ぼくはアベ・デルボにささやいた。
「敵をおびき寄せてみる。近くへ来たらどなるから、撃ってくれ」
「わかった」
アベ・デルボは短く答えた。
ぼくは身を低くし、アベ・デルボから離れて、道により近い墓石のうしろへと、移動した。
そこから、ダンコール語で、道のむこうのふたりに呼びかけたのだ。小声では届きそうもないので、敵に聞きつけられるのを承知で叫んだのである。「返事はするな! 黙って聞け!」
たちまち、敵の白光パルスが、ぼくのいるあたりへと、放たれ、集中しはじめた。
「これから、敵を誘い出せるかどうか、やってみる!」
ぼくは、墓石の蔭にしゃがんで身を守りながら、声を張りあげた。「うまく敵がやって来てもすぐには撃つな! ぼくが撃てという迄待つんだ!」
当然、返事はなかった。ぼくはザコー・ニャクルたちが了解しいう通りにしてくれることを願った。敵兵の中にダンコール語がわかる者がいないことをもだ。
その間にも敵のパルスは集中し、はじめはぼくのすぐ前方の、ついでぼくが身をひそめている墓石の上部が割れて落下した。
ぼくはできるだけ体を低くし、敵兵たちのさらにかなたにある樹々の、一本の枝に思念を集めた。
力を入れた。
強弱のリズムをとると、すぐに枝は揺れだす。
狼狽の感覚と共に敵兵たちが振り返ったのが感じられた。ぼくのほうに向けられていた敵のパルスが、そっちへと方向を変えた。
だが、何事もないと知ったのだろう、やたらに射出されていた白光は、じきにおさまった。
ぼくは、もっとむこうの樹の枝へと、再び思念を注いだ。
枝が揺れ、またひとしきり白光がそちらへと集中する。
その間にぼくは、コンドンに命令を発したのだ。
来た道を引き返せという命令をである。
コンドンは即座に動きだした。墓地から道へ出て、元のわれわれの陣地のほうへ歩いて行く。
五歩。
十歩。
十八歩か十九歩めに、背後に気をとられていた敵がそのことに気づいた。暗いどいってもメネのほうは僅かにあかるくなっており、そちらに向かって道の中央を歩いて行くコンドンは、発見されるに充分の状況にあったのだ。
敵が白光を飛ばしはじめた。
つまりコンドンは、攻撃を受けたのである。
コンドンにとって、一番重要なのは、攻撃してきた――敵を撃ち倒すことである。それは来た道を引き返すよりもずっと上位の任務であった。
コンドンは直ちに向き直り、戦闘においてはできるだけおのれを守れという基本に従って道のわきへ寄り、そこから応戦を開始した。
敵兵が、ひとり、またひとりと飛び出し、低い姿勢でコンドンのほうへと移動をはじめた。
ぼくたちのいる場所へと、近づいてくるのだ。
先頭のひとりが、ぼくのすぐ前を横切り、ぼくに背を見せるかたちで、道のはしに来て伏せた。
またひとり。
コンドンへの射撃をつづけている。
そしてまたひとりが、近くへ来た。
コンドンがレーザーパルスを射出してくるので、そのあたりで敵は前進をやめたようだ。
「撃て!」
ぼくは立ちあがりざま叫ぶと、連続射出でまず先頭の敵を、すぐに銃口を向け直して次の敵を撃った。
そのときにはザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、そして這うようにして出てきたアベ・デルボも、いっせいに撃ちまくっていた。
不意をつかれ、しかも至近距離から撃たれたのだ。敵はぼくたちに向き直るか向き直らぬうちに、ばたばたと倒れて行った。
全員が倒れる迄、十五秒もかからなかったのではあるまいか。
しんとなった中、ぼくは読心力で周囲をさぐってみた。
誰もいない。
いや。
左上方に、意識の群がある。
接近してくるようだ。
といっても、ゆっくりであり、人数もたくさんではないようだが……おそらく敵に違いないその一群と出会うのは、何としても避けたかった。
「行くぞ!」
ぼくはダンコール語でいい、アベ・デルボを背負うと、倒れた敵兵の間を縫うようにして進みはじめた。
「殺さないのか」
たずねたのは、ザコー・ニャクルである。
ぼくは今、しんとなったと形容した。
だが本当は、死ぬに至らなかった敵兵がいて、呻《うめ》き声をあげていたのだ。それが戦闘にけりがついたという安堵《あんど》の中で、ぼくには無音のように感じられたのであった。
ザコー・ニャクルは、その呻いている敵兵のひとりを指さしたのだ。
何も殺すことはない、生命をとりとめる者もいるだろうし、戦闘能力さえ奪ってしまえばそれでいいのだ(こんな気持ちが理に合わないのを、ぼくは認める。殺し合いをしておきながらそんなことがいえた義理か、とも、綺麗ごとをいうな、とも、いわれても仕方がない。しかもぼくの心のうちには敵への憎悪も併存していたのだ。なのにぼくがふとそんな気になったのは、いっときの、束の間の勝利で、一時的に気分が落ち着いていたせいかも知れない)――と返事をしようとして、ぼくはやめた。それではザコー・ニャクルは納得しないであろう。だから代りに、ぼくは別のことをいった。
「上のほうから、あたらしい敵が来ている。時間が惜しい」
ぼくがエスパーの状態にあるのを知っているザコー・ニャクルには、それで説明になったようだ。ザコー・ニャクルは黙って頷くと、ボズトニ・カルカースに肩を貸して歩きだした。
それと共にぼくはコンドンに対して、来た道を引き返せというさっきの命令を、その必要がなくなったと告げ、取り消さなければならなかった。放っておいてもコンドンは、ぼくからなるべく離れないようにとの指示を優先させてついて来るだろうが、不要になった事柄は取り消しておくのが安全で、確実である。
コンドンはすぐにぼくたちに追いついた。
気はせくものの、負傷者がふたりいるそんな有様で、おまけに夜の闇の道ともいえぬ道を行くのだから、ぼくたちの速度はいっこうにあがらなかった。
先刻感知した一群の意識を避けるためもあって、ぼくたちはそちらとほぼ反対の右斜め下方の――湖岸をめざしていた。正反対の方角となると右斜め下方といっても後戻りすることになるのだが、ぼくたちはメネから離れようと、前へ前へと進んだのだ。メネの近くではそれだけ敵と遭遇する度合いが大きくなるであろう。それに、アベ・デルボがガリン中隊長の指示として聞いた、とにかくネプトへ向かうということを、ぼくはザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースに伝え、ふたりも了解したから(かれら、ことにザコー・ニャクルには、そのことは不満のようであった。敵に押されてネプトへ退却するなど、気が進まないのが当然であろう。が……ふたりは、やみくもに敵中に突入するより、ぼくたちと一緒に行動するほうを選んだのだ)そのためにもメネをあとにして、ネプトに近づくコースをとるのが自然だったのである。
湖岸に出れば、湖岸沿いのちゃんとした道路がある。と、ふたりのダンコール人はいった。前にぼくらが避難民たちと会ったあの大きな道をも含むロンホカ湖周回道路だそうで、それを東南へとロンホカ湖岸を廻り、イヨン河の北方から別れてネプト第一市の西端中央部へ伸びる道があるという。道といえば、さらにその南、イヨン河に突き当たってイヨン河沿いに走り、ネプト河との合流点の手前から北上して、ネプト第一市と第二市の中間へ至る道もあるらしいが、こちらのほうは全長にして、もっと長い。
だが、はじめの短いほうでも、これはぼくたちが降下前に貰った地図を見てもよくわかることだが、メネのあたりから山地や森林などを抜けての、ネプト第一北端への直線距離とくらべると(そちらにも、粗末ではあるけれども道はあるはずだ、と、ボズトニ・カルカースはいうのだ)あきらかに大廻りになるのであった。
それに、そういう大きな道を行けば、それだけ敵に発見され易いのもたしかだ。
にもかかわらず、ぼくたちがその周回道路に出ることにしたのは、二名の負傷者がいるという事情があるからにほかならなかった。歩くとしたら、ちゃんとした大きな道のほうが歩きいいのに決まっている。それに、僥倖《ぎょうこう》に恵まれれば、乗りものに乗せて貰えるかも知れない。また、そういう多くの人が利用する道路とあれば、ぼくたちは自分の隊の人間を見つけることができるとの期待も持てるのだ。だから敵に見つかる危険は覚悟で、そうしたのである。
歩きにくい道が分れるたびにぼくたちは、下の湖岸へ近づきそうなほうを選び、少しずつ降りて行った。
しかし、白状すると、ぼくの胸には不安があったのだ。
ぼくは、避難民たちに出会ったあのときのことを、忘れてはいなかった。人間と車が道一杯にひしめいて、ぼくたちに口々に問いかけてきた光景は、まだ頭に残っている。今度もそんな人々と出くわすのではないか――という不安なのであった。
先刻の戦闘現場を離脱してから、およそ一時間。
ぼくたちは、もうすぐ下が周回道路というところ迄降りてきた。まっすぐ湖岸へとくだっていたら、それよりずっと早く周回道路に来ていただろうが、今もいったようにメネからの距離を開く目的もあって、右斜めに進んできたために、そんなに時間がかかったのである。
が。
ぼくは、不安が現実であったのを、悟らざるを得なかった。
大体が、夜の闇を来たのにもうすぐ下が周回道路だと知ったというのが、下からの喧騒が聞えてきたからなのだ。
わめく声。
子供か何かの泣き声。
その他の声や車の警笛、さらには走り廻っているらしい足音などがごっちゃになって……流れてきたのである。
突然、怒号と共にまぎれもない火薬銃の発砲音があがり、悲鳴が走った。騒ぎは一段と大きくなった。
「…………」
ぼくたちは、ちょっとの間黙っていたが、やがて誰からともなく、道を外れて湖岸のほうへと、樹々の間に入った。そのときには、どうやら周回道路はほんのすぐ下だとわかっていたのだ。
草を踏み分けて、ぼくたちは崖下に周回道路を見下ろす地点に来た。
そこ迄来れば、夜のくらがりでも、湖面のおぼろげな光で、何か見て取れるだろうと思ったのだ。
湖面のうすあかりなど、必要なかった。
道のあっちこっちで、火が焚《た》かれている。
人々は、焚火の周囲や、焚火とは関係のない場所の――そこかしこにかたまり合っている。
そして、ぼくは異様な光景を目をしたのだ。
十数名の男女が、われ勝ちに足を突き出して、何かを岸へところがしている。ひとりの女が泣きわめきながら、それを妨げようとしていた。が……何人かの手ではね飛ばされ、いったんは地面に倒れたものの、また起きあがってむしゃぶりついて行くのだ。しかしそのときには、男女の一群はころがしていたものを、湖面に蹴落としていた。落ちた黒いものは手足をぶらぶらさせた、人間であった。そこへ走ってきた女を、人々はやはりこれも湖面に突き落とした。
それが、焚火の光で、はっきりと見えたのだ。
そこには、殺意と憎悪、それに恐怖や自暴自棄の感情があった。
しかも……他のグループの人々のほとんどは、この事件に無関心であった。無関心というより、おのれの心配や恐怖にとらえられていて、それどころではないのであった。
ぼくは、湖岸のもう少し先を眺めようとした。
先のほうにも、ところどころで焚火が揺れているようである。
とすると……おそらく、周回道路はこんな人たちで一杯なのではあるまいか。
道路上でごっちゃになり、ゆらゆらしている思念は、この前出会った避難民のそれとはすでに別物であった。あのときよりは遥かに絶望的で、遥かにすさんでおり、悲哀や諦めややけくその気分や、暗さや凶暴性の混合物だったのだ。
あの中へのこのこと降りて行ったらどうなるだろう、と、考えて、ぼくはぞっとした。
この前遭遇した避難民たちでさえ、ぼくたちに、どうなっているのだ、教えろ、と、迫ったのだ。のみならず、お前たち軍隊なら、市民を守るのが務めじゃないか、とか、何とかしろ、とか、ののしったのである。眼下の人々の気持ちは、それよりもずっと悪化していた。あそこへ、一見して軍隊の人間とわかる格好で入って行ったら、取り囲まれ、つるしあげられ、袋叩きに遭うのではあるまいか。この前だって人々はぼくたちに詰め寄ったのだが、あのときのぼくらは曲りなりにもひとつの隊を成していた。今は隊ではない。群衆を威圧するどころか、群衆にばらばらにされるであろう。
「下へ行くのか?」
背中のアベ・デルボがたずねた。
「いや」
ぼくは答え、横のふたりのダンコール人を見やった。それからいったのだ。
「周回道路を行くのはやめよう」
ふたりの、無言の同意が返ってきた。
ぼくたちは元の道に戻ろうとした。
しかしそのとき、またあたらしいことがおこったのだ。
湖岸の右手、つまりぼくたちが来た方角で、何かがばあっと光ったのである。つづいて、音が聞えてきた。
敵弾の爆発か?
そうとしか思えない。
だが何のために?
ぼくは目をこらしてそっちをみつめた。
再び、爆発らしい閃光と、ひきつづいての音響。
何だろう。
あのあたりで、またもや戦闘がはじまったのか?
わからない。
そして、爆発はそれきりであった。
「行こう」
ザコー・ニャクルが促す。
「うむ」
ぼくは応じ、元の道へど戻りはじめた。長居は無用という気がした。
元の道へ来たものの、しかし、これからどうするかについて、ぼくたちは考えなければならなかった。
周回道路から遠く離れてもう一度山に入れば、歩行困難になるのは間違いない。へたをすると道に迷って出られなくなるかもわからないのだ。
ぼくたちは、ふたことみこと、言葉を交し、ともかくしばらくは、周回道路から見て崖の上の、このお粗末な道を進むことにした。
またもや、歩行である。
道は周回道路から遠ざかったりまた近くなったりしながら、結構ずっとつづいているのだった。
ときどき、ぼくたちは、周回道路が近くなると、下の様子を窺った。けれども、程度の差こそあれ、いつも周回道路は同じような状態らしかった。
アベ・デルボを背負って進みながら、ぼくは、いつとはなく下の人々やあの爆発について、想念を追っていた。
あの避難民たちは、どこから来たのだろう?
多分、ネプトから出てきたのではないか。あれだけの人数なのだ。大都会から流れてきたとするのが、理屈に合っている。
だが、それが周回道路にむらがっているというのは――。
この問いに対する答は、はっきりしていると思う。
かれらがネプトから出てきたとして……かれらは遠くへ逃げようとしたものの、その逃げてゆくべき方向に敵が居すわり、さらにこっちへ攻めてくるものだから、行くに行かれなくなったのに違いない。ために周回道路上で動きがとれなくなっているのだ。どうしようもなく、希望もどんどん失われてゆく中では、あのようにすさんだ状態にならざるを得ない、ということなのだ。
このまま、あんな状況がつづくのであろうか。
いや。
そうは行くまい。
敵はわが軍の拠点をひとつまたひとつと潰しつつ、こっちへ押してくるのである。
周回道路の人々だって、押し戻されるしかあるまい。敵に降伏でもすれば別だが……そうでなければ、じりじりとネプトへ追い戻されるはずであった。
そういえば……さっきの爆発。
あれが敵弾だとすれば……。
それも、あの場合、戦闘ではあるまい。戦闘ならば、もっとたくさん、次から次へと爆発があってしかるべきなのだ。
とすると……。
ぼくはそこで、だしぬけに思い当たったのだった。
あの爆発は、交戦相手のわが軍にではなく、占領した地域から避難民を追い払うためのものではあるまいか。たたかいに馴れていない一般市民は、あんなやり方でもあわてて逃げるはずなのだ。
そんな真似をしてでも避難民を追い立てるのは、なぜだ?
待て。
ぼくは、おのれの頭の中に、ひとつの図形がかたちつくられるのを感じた。
一個の小さな円を取り囲む大きな円。
その大きな円が、しだいに小さくなる図である。
ぼくはこれ迄何となく、敵と自分たちとネプト、という直線で、状況を考えていたところがある。他の部隊については、そんなに深く思いをめぐらさなかった。まして、カイヤツ軍団以外の他ネイトの軍団のことは、ろくに意識していなかったのだ。
しかし、である。
ぼくたちは降下にさいして、われわれはネプトの周辺部に敵に先立って降下し防衛線をしく――と、告げられた。
そしてぼくは、カイヤツ軍団のみならず、あと十三のネイト軍団、五つの連邦直轄軍団の地上戦隊が、それぞれ、ネプトーダ連邦の首都ネプトを守るべく、防衛線をしいているのではないか……その防衛線も、少しずつ縮まり、ネプトヘネプトへと追いつめられつつあるのではないか――と、想像したこともある。
これ迄の戦闘経過から見て、どうもそうなっているのではあるまいか? 他の部隊や他の軍団がぼくたちの部隊と似たような状況にあるのなら……そういうことにならざるを得ないのだ。
ぼくたちは、ネプトへ追い込まれようとしている、と、解釈するのは、あながち的外れではないのかも知れない。
だが……その追い込まれる中に、避難民も含まれるとしたら?
敵がそのつもりだとしたら?
――という観点から見直すと、敵がなぜあんな攻撃のしかたをしてきたか、理解できるように思えるのだった。
敵はわれわれを威圧し、神経戦をからませての攻撃をし、夜襲を仕掛け……われわれを粉砕し全滅するというよりも、退却させるように仕向けてきたのではないか? なるほどぼくたちは、潰滅的な打撃を受けた。ぼくの場合、はじめは中隊、次は部隊がだ。しかしやろうとすればぼくたちは、その前に撤退することもできたはずだ。敵の狙いはそこにあったので、ぼくたちの潰滅は、抗戦の末の結果なのではなかったか?
敵がこうして、一歩一歩われわれを追いつめ、戻ってくるのを余儀なくされた市民もろとも、ネプトに閉じ込め、ネプトを包囲するつもりだとしたら……。
ネプトのような巨大複合都市に、収容限度を超える人間が満ち溢れたら……そこ迄行かなかったとしても、ネプトが敵の攻撃で都市機能を喪失し、食料も物資も足らなくなって、絶望した人々がわれ勝ちの行動をとるようになったら……巨大で高度の機能を有する複合都市だけに、ひどいことになるのではあるまいか? なりゆきによっては地獄と化するのではあるまいか?
敵は……それを狙っているのだろうか。
わからない。
けれどもそうと想定して、ちっともおかしいことはないのである。
だが……と、ぼくは、自分の心を奮い立たせようとした。
ネプトがそんな窮地に陥ったとしても、それならそれで、逆にみんなが一致団結して、徹底的に抵抗するということだって、あり得るのではないか? いよいよというところ迄追いつめられたら、人間はかえって捨て身になり、信じられないほどの働きをするものだ。
そうなったら……敵もそれ以上はうかつに攻撃を仕掛けられないのではないだろうか。これは希望的観測に過ぎないが……もしもそうなったら、敵は、ネプトを完全に破壊して中にいる人々をすべて殺すしかなく、それではネプトーダ連邦の各ネイトは、話を伝え聞いて自分たちも同様の運命と心を決め、捨て身で抗戦するか、抗戦を諦めて降伏したとしても、人々の間に憎悪・敵意・不信・恨みといったすべての念を植えつける結果になるであろう。敵がそこ迄やってのけるかどうか不明だが……ネプトーダ連邦をおのが版図に加えようとウス帝国が考えているのなら、まことに拙劣な勝ち方ということに、なりはしまいか?
が。
ぼくはそこで、想念を追い払った。
そんなこと迄考えたって、仕様がないではないか。
第一、ぼくがネプトにたどりつけるかどうか、怪しいのである。その以前に、死んでいるかも知れないのだ。
それに……ぼくが想念を追い払ったのは、前方に漠然としたかなり大きな思念の一群を感知したせいもあった。
避難民のものではない。
そのあたり、道は周回道路からずっと奥に入り込んでいて、避難民の意識はきわめて微弱になっていたのだ。しかも前方にあって近づいてくるのは、避難民の思念とは違う性質の、メネを出ようとして遭遇した敵兵たちのものに酷似しているようだったのである。
こんなところに、敵兵が来ているというのか?
だがそんな詮索は、後廻しだった。
「誰か来る。大勢だ」
ぼくは、とりあえず早口でささやいた。ダンコール語とカイヤツ語で、二回いった。
「たたかうか?」
と、ザコー・ニャクル。
ぼくはもう一度、接近する思念の群に心を向け、かぶりを振った。
「駄目だ。相手が多過ぎる」
「…………」
「隠れて、やり過ごすんだ」
ぼくはこれもふたつの言語でいい、左右を見た。
どちらも樹や草の茂った、体を隠すのは可能な場所だが、左は斜面で、あがらなければならない。
ぼくは右方を指し、そっちへと走り込んだ。ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースも一緒だった。
もちろんぼくは、コンドンにもそうさせた。ぼくが次の命令を出す迄、ぼくからあまり離れない位置で身をひそめ、敵に見つからないようにしろ、と、いったのである。コンドンは直ちに従った。
ぼくたちは、道から十歩以上も踏み込んで、草の中に伏せた。
思念のかたまりは、しだいに濃淡を生じつつ、接近する。
足音が、地面を伝わって聞えるようになった。
その響きは、ばらばらではなく、整然と揃っているのでもなかった。大まかに足並みが合っている、と、いうところである。いいかえれば、一応隊伍を組みながらも長歩きが続くと必然的に陥るあの調子なのだ。
さらに近づいてくる。
響きの重さと、それに、しだいに個々に分離する思念から察して、ぼくは、三十人以下ではないと見当をつけた。
先頭が、ぼくたちの前方にさしかかる。
闇の中、ぼくは草の匂いを強く感じながら息をひそめていた。
かれらの思念の型は、たしかに敵のものとしか考えられない。ぼくには、これ迄慣れてきたのと性質をことにするそうした思念の内容を明確に読み取るのは困難だったが、それでも、かれらの多くに共通した一、二の意識をとらえることはできた。そのひとつは疲れの気分である。不安や警戒心も混在していた。が、同時にかれらの中には、自分たちが二点の間を動いている――とでも表現すべき感覚があったのだった。
このことからぼくは、かれらがどこかの陣地から他の陣地へと移動中、との印象を受けたのである。それも、ある程度の、疲労をもたらすような距離をだ。
ちゃんとした裏付けなどはない、なかばは直感での印象だった。
しかし、もしそうだとしたら……敵は、ぼくなどが考えていたよりも遥かに自由に行動していることになる。ここはかれらにとっては敵地なのだ。その敵地でこんな小さな隊(ぼくらにとっては大勢でも、隊としての規模からいえば、とるに足らないものではあるまいか?)が単独に行動している、それも避難民がむらがる周回道路の上方を移動しているとなれば、そう解釈するしかないのだ。それだけわが軍の陣地は各個撃破され、広い地域にわたって制圧されつつある、ということなのだろうか?
そうかも知れない。
もっとも、こんな時刻にこんな小さな隊で移動しているとあれば、目前の敵は、大規摸な作戦計画に従っているわけではないのだろう。奇襲か? 奇襲にしてはあまりにも普通の行軍の感じだった。あるいは偵察か、それとも単なる連絡のための一隊なのかもわからない。
だが、今はそんなことを云々している場合ではなかった。ぼくたちはとにかく敵をやり過ごして、ネプトへと向かわなければならないのだ。
そんな想念が脳裏を去来するのを覚えながら、ぼくは身動きひとつせず、敵が通り過ぎるのを待った。
かれらの後尾が、ぼくたちの前を通過し、離れてゆく。たしかに全体で、四十人近くいるようであった。
とはいえ、まだ出るわけには行かない。
もっと遠くになる迄、待つべきである。
じきに行ってしまうだろう。
そのはずだったのだ。
が。
かれらは、ぼくたちの前を過ぎることは過ぎたものの、その少し先で、小声ながら鋭い命令一下、靴音と共に停止したのだ。つづいて、どやどやとその場に腰をおろした気配である。
小休止であった。
かれらがここで小休止をすることになったのは、むろん、偶然であろう。ぼくたちにとっては不運であった。
待つしかなかった。
そのうちにかれらはまた立ち上がり、行軍を再開するに相違ないのである。
けれども、そこでもうひとつ、ぼくたちには運の悪いことがおこったのだ。
敵の二、三人が、こっちへ歩いてきたのである。
その思念から、ぼくはそいつらが小用を足すつもりなのだと悟ったが……仲間に説明するわけには行かなかった。へたに声を出せばかれらに聞きつけられるおそれがあったからだ。
と。
敵兵のひとりが、レーザーを出して、ぼくたちのいるあたりを、さっと左右に掃射したのだ。
そいつにしてみれば、小用を足す前に、用心のためにしかも自分だけの判断で、そんなことをやったに過ぎなかったろう。また、そのレーザーパルスは、ぼくたちの誰にも命中はしなかった。
しかし、次の瞬間。
むこうにむらがっている敵の誰かが、鋭い制止の声を発し――こちらは、コンドンが立ちあがって、レーザー掃射をした敵兵を撃ち倒したのである。
止める間もなかった。
止めようとしても、不可能だったに違いない。コンドンは、お前を攻撃する者はすべて敵だ敵を撃ち倒せ――というぼくの命令に、忠実に従っただけなのだ。
倒れた敵兵と一緒に来ていた連中が、コンドンに白い光を浴びせかけた。
何発かはコンドンに命中したようである。だがコンドンは撃ち返した。
むこうにいた敵兵たちが、こっちへ走ってくる。
こうなれば、やむを得ない。
「撃て!」
ぼくはわめきつつ身を起こし、敵にレーザーを放った。
あとの三人も撃ちまくった。
近くに来ていた敵兵はたちまち倒れ、迫ろうとしていた連中も、ぼくたちの猛烈な、それも(アベ・デルボも含めての)連続射出にたじろいだのか、動きをとめ、姿勢を低くして撃ってくる。
このままでは、ぼくたちが全滅するのは目に見えていた。敵はこちらよりずっと多いのだ。
それを、レーザーの連続射出でやっと対抗しているのである。パルス射出をしているコンドンは別として、ぼくたちのガンのエネルギーはじきに尽きてしまうだろう。
「何とか、逃げ出すしかない」
ぼくはアベ・デルボにいい、ダンコール語でも呼びかけた。「後退だ! ここぞというとき以外はエネルギーを節約して、敵前から離脱するんだ!」
コンドンには、何も告げなかった。命令が変に重複しておかしな具合になるのがこわかったのだ。なるべくぼくから離れないようにしろとの指示が効果をあげることに期待するほうが無難と判断したのである。
ぼくがそんな、敵前からの離脱などということをやろうとしたのは、相手の攻撃がどういうわけかさほどはげしくなかったからである。本当なら猛然とこっちへ突っ込んで来てもおかしくない場面なのにそうしないというのは、ひょっとしたらかれらは、ぼくたちとのこんな遭遇戦よりももっと大切な任務を与えられているのかもわからない、と、思い、だったら、こんなくらがりの中でもあるし、うまく逃げ切れるかも知れない――と、僅かな希望を抱いたのだ。ぼくは、アベ・デルボを肩にかつぎあげ、レーザーガンを構えながらも射出は止めて、じりじりと後退にかかった。
しかとはわからないけれども、思念でつかんだところでは、ザコー・ニャクルもまた、ボズトニ・カルカースを助けつつ、同じようにさがりはじめたようである。
コンドンだけは、その場で、一応身を低くして撃っている。
ぼくたちは、だいぶ後退した。道には出ずに草の中を、十メートル、十五メートルとさがって行ったのだ。
敵は、撃ってはくるものの、まだ動こうとしない。
かれらの任務についてのぼくの観測は当たっていたのだろうか? それに、コンドンがひとり踏みとどまってパルス射出をしていたおかげもあったはずだ。
しかし、そのコンドンも、ぼくとの距離が開き過ぎたと感じ取ったのだろう。敵のほうを向いたままで、後退を開始した。
ぼくたちは、草地から、敵とかなりへだたったあたりで、道へ出た。
コンドンも横に移動し、道へ出た。
それが、敵を踏み切らせることになったようだ。
誰かが命令を発し、敵は乱射しつつ動きだした。
ぼくは向き直って、撃ちまくった。ぼくの背中のアベ・デルボも、ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも……惜しみなくレーザーの連続射出をした。エネルギーを節約するはずなのに期せずしてそうなったのは、ぼくたちのひとりひとりが本能的に、ここが生きるか死ぬかの瀬戸際だと感じたからだ。たとえエネルギーを使い切ってしまおうとも、ここで撃ちまくる以外に方法はないという気がしたのである。
敵はばらばらと伏せた。
だが。
そこでコンドンがくるりと身を廻し、ぼくたちを撃ってきたのだ。
ぼくたちのレーザー光が、より敵に近い位置にあったコンドンをかすめ、コンドンはそれを自分への攻撃と受けとって、反撃に出たのである。
ぼくは、アベ・デルボもろとも、転がってコンドンの射撃を避けようとした。だが、コンドンの狙いは正確で、おまけに距離も近かった。パルスのいくつかに、ぼくのヘルメットがやられたようであった。
コンドンは、ザコー・ニャクルたちにもパルスを浴びせかけた。
「やめろ! コンドン!」
ぼくは叫び、それからあわてて交話装置のスイッチを入れ、制止命令を出そうとした。
スイッチはきかなかった。ヘルメット内のランプがつかない。機能のどこかをコンドンにやられたのだ。
そうと悟ったときのぼくが恐慌状態に陥らなかったのは、後になってみれば奇跡のように思える。いや……絶体絶命と知ったがために、これは死ぬぞと自覚し、異様な迄に冷静になったのかもわからない。ぼくは変に落ち着いて、ダンコール語でザコー・ニャクルに叫んだ。
「コンドンは操作不能になった。撃ち返さずに、とにかく逃げるんだ!」
ぼくがそういったのは、敵がまだ伏せたままであり(かれらはあっけにとられていたのではないか?)しかし、すぐに射撃を開始するであろうこと、そうなればコンドンは、撃たなくなったぼくたちを放置して、敵に応戦するだろうということを、考えたからである。そしてまたアベ・デルボには、コンドンが操作不能になったこと位、ぼくの行動を見ていればわかるはずなので、彼には何もいわなかったのだ。
――と、頭のほうは割に冷静に働いていたものの、身体はすでに反射的に行動を起こしていた。ぼくはアベ・デルボをひっかついで肩にかけると、敵に背を見せ、コンドンの射撃をかわすべくジグザグに方向を変えながら走った。これは敵の攻撃に対しても役に立つはずなのだ。
ザコー・ニャクルたちの存念をたしかめている余裕などなかった。ぼくと同じ行動をとるならそうするだろうし、しなければそれはそれで勝手だ。だが、視野には入らないが、ふたりもまた、走っているようであった。
ぼくたちは必死だったけれども、はたから見ればとても走るなどというものではなかったろう。ぼくはアベ・デルボをかつぎ、ザコー・ニャクルはボズトニ・カルカースに肩を貸しているのだ。滑稽にすら映ったかも知れない。
稲妻型にとにかく前へ前へと進むぼくの左右に、コンドンの射出するパルスが飛んだ。だからといって、どうしようもない。ぼくは走った。
走ったのは十数歩か二十歩以上か。
どっ、と、ぼくの両側に、白いパルスが流れはじめた。敵が、ぼくたちを一斉射撃しにかかったのだ。
ぼくは振り返りざま、レーザーの連続射出で、そちらをなぎ払った。二回、三回……そのぼくの目に見えたのは、敵のほうを向いてレーザーパルスを撃っているコンドンの姿である。そのコンドンと、ぼくの(ザコー・ニャクルもそうだったようだ)連続射出のせいで、敵はまたもや姿勢を低くし、撃ってくる数も減った。
ぼくのレーザーガンのエネルギーが尽きた。
ほとんど同時に、他の仲間のもなくなったようである。
敵は低くなったまま、再び一斉射撃をしてきた。
ぼくの右腕に痛みが走り、感覚がなくなった。レーザーガンは落ちた。拾ってはいられない。左手はアベ・デルボの首か腕かをつかんでいるのだ。
駄目か。
だが、敵の射撃は心持ち弱まったようである。
敵の集中攻撃を受けているのは、コンドンであった。傾き、よろめきつつ、それでもまだレーザーパルスを射出しているのだ。だから敵はそっちへ白光を集中したのである。
ぼくはそれだけを目の隅でとらえると、きびすを返して駈けだした。もはやジグザグにではない。ひたすら……撃たれたらそれ迄と、運を天にまかせて走ったのだ。あれではいかに機兵のコンドンといえども、倒れるのは時間の問題だろう。それにぼくにはもうコンドンを操作できないのである。放っておくしかなかった。いや、こっちだって次の瞬間には撃ち倒されるかも知れないのだ。それならせめて、敵のパルスの大部分がコンドンに集まっているうちに逃げてしまうべきであった。
逃げながら……また何発か、ぼくの制装はパルスを受けたようである。
どの位、走っただろうか。
気がつくと、敵のパルスは飛んでこなくなっていた。
ぼくは速度を落とした。さすがに息は乱れ、苦しくなっていたのだ。しかし、まだ安心はできない。進みつづけることはやめなかった。やめられるような心理状態でもなかった。
「大丈夫か?」
ぼくは、背中のアベ・デルボに訊いた。かすかな呻きが返ってきた。思念も微弱だ。
目をやると、くらがりの中、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースはすぐうしろをついて来ている。
ぼくたちが歩いているのは、先程迄の道のつづきのようであった。夜陰を夢中で進んだのだから、結果として、もっとも進みやすい道の上を選ぶしかなかったのだ。
「もう少し行ったら休もう。頑張れよ」
ぼくは、アベ・デルボにまた声を掛けた。今度は返事はなかった。意識のほうも、さらに弱々しく、苦痛も感じていないようである。
歩きつづけた。
敵が追ってくる気配はない。
とすれば、かれらはやはり、偵察とか連絡のための一隊だったのではあるまいか――と、ぼくは考えはじめていた。あれが、たまたま出くわしたぼくたちを皆殺しにするよりも、追い払っただけでいいような、そんな任務を持った一隊だとすれば……深追いしないのがむしろ当然なのである。
では、ぼくたちは助かったのか? 逃げおおせたのか?
そのようだ。
だが、それはさっきの敵に関しての話である。
今度新しい敵と出会ったら、どうにもならないだろう。ぼくたちはレーザーガンのエネルギーを使い果たしたのだし(正確には、ぼくはもうひとつ未使用のエネルギー倉を持っている。けれどもぼくは自分のガンを捨てざるを得なかったのだ。エネルギー倉を使うとしても、誰かのガンを利用しなければならない。それに、レーザーガン一丁だけで、いかほどの戦力になるというのだ?)機兵のコンドンをも失ったのだ。
コンドン。
あの場合、ああするしかなかったとはいえ、ぼくたちはコンドンを犠牲にしたのである。
コンドンの内部では、命令はどうなっていたのだろう、と、ぼくは思った。攻撃してくる者はみな敵だとの指示を受けていたから、そしてそれが最優先だったから、コンドンはぼくたちを撃ってきたのだ。けれどもそのためにぼくの制装の交話装置は破壊された。自分から離れないようにしろと命令したその当人の交話装置を破壊したことで、コンドンの内部には矛盾がおこったのだろうか。何らかの機能障害をきたしたのだろうか。だったとすれば、それはぼくのコンドンの扱い方に問題があったことになるが……。
しかし、考えても詮のないことだ。
それより、ザコー・ニャクルはこの一件をどう解釈しているだろう。ザコー・ニャクルにしてみれば、仲間を見殺しにしたということになるのではあるまいか。が……それをわざわざ口に出していうのも、気が進まない。
ぼくたちはさらに歩き……もうこのあたりで休んでもいいのではないか、と、ぼくが思ったとき。
「彼は大丈夫か?」
と、ザコー・ニャクルがいったのである。
ザコー・ニャクルの思念は、彼というのがアベ・デルボであるのを示していた。
「おい」
ぼくは、背中のアベ・デルボに声をかけた。
返答はなかった。
のみならず……何の意識も流れてこない。
ぼくは足を止め、急いでアベ・デルボを地面に下ろした。ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースも傍にしゃがみ込んだ。
ぼくにはわかった。
アベ・デルボは死んでいたのだ。
そうか。
アベ・デルボは死んだのか。
やっぱり、いけなかったのか。
――と、ぼくはおのれにいい聞かせようとした。これ迄たびたび仲間の死を見聞きしながら乾いた心で受けとめていた、あの、無理矢理の、あるいは無感動の受けとめ方をしようとしていたのだ。自分でも意識しないうちにそうしようとして……ぼくは突然、地面に両手を突き、わっと泣き出していたのである。
なぜだかわからない。
なぜ、アベ・デルボのときだけそうなったのか、ぼく自身にも説明できない。ここ迄一緒に来たのに、という気持ちもあったが、それだけではなかった。決してそれだけではなかったのだ。
ぼくは、自分の泣き声に息をつまらせ、また衝動的にこみあげてくるものに耐え切れず泣いた。二度、三度と、それを繰り返した。
ぼくは、アベ・デルボのために泣いていたのだ。
そして、アベ・デルボのためにだけ泣いていたのではないのだ。
ぼくは、多分、アベ・デルボのためと、それにすべての仲間の死のために泣いていたのである。これ迄おのれを殺し、抑圧していた感情を、一時に放出していたのである。いったんそうなると、止めようとしても止まらないのであった。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは何もいわなかった。いや、何かいったのかも知れない。ぼくにはわからなかった。
だが。
「残念だ」
ややあって、ザコー・ニャクルがいうのを、ぼくは聞いた。
「ひどいけがをしていたのに、彼は勇敢だった」
ボズトニ・カルカースも声を出した。「それに……彼の運命は、もうすぐわれわれの運命かもわからない」
その言葉が、ほとんど発作ともいうべき状態からようやく立ち直りつつあったぼくに、思考力を取り戻させた。
「…………」
ぼくは、顔をあげた。
そうなのだ、と、ぼくは思った。次に死ぬのはぼくたちであろう。なら……それ迄は全力を尽して生きなければならない。
そうするしかない。
ぼくは深呼吸をした。
アベ・デルボをどうするか。
本来なら、ちゃんとした葬いをしてやるべきであったろう。けれども今のこの場で、そんなことは望むべくもない。
「彼を、道の上ではなく、せめて草地に置いてやろう」
ぼくはいった。
道のわきの草地なら、通る者に踏みつけられたり蹴られたりしないで済むだろう、と、思ったのである。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは、同意の思念と共に無言で頷いた。
腰をあげる。
ぼくはそこで、自分の右腕が完全にしびれ、感覚がなくなっているのを知った。
走っているときにはよくわからなかったけれども、ぼくの制装は至るところが裂け、焼け焦げ、ヘルメットも歪んでいた。あちこちいじってみて、ぼくはそれが制装としての機能をあらかた喪失しているのを悟った。むろんこれでもまだ多少の防護力を有するのはたしかだが……制装自体の重さが行動を鈍重にさせるのとをはかりにかけて、未練はあるがぼくは制装を捨てようと決めた。
制装を脱ぎ、それからふたりと協力して、左腕で、アベ・デルボの遺体を草地の中へ運び込んだのだ。
[#改ページ]
ドゥニネ
ぼくたちは、粗末な暗い夜道の歩行を再開した。
今度敵と遭遇したらおしまいなので、ぼくはたえず周囲を読心力で探り、行く手に何か思念が出現しないかと注意しなければならなかった。ぼくたちは全くの素手だったのではない。ぼくは伸縮電撃剣を携行し、ザコー・ニャクルは例の大刀を帯びていた。レーザーガンは……ぼくは最後のエネルギー倉を充填《じゅうてん》したガンを、ポズトニ・カルカースに渡したのだ。大刀を使い馴れたザコー・ニャクルはともかく、ボズトニ・カルカースに敵から奪った伸縮槍だけを持たせておくのは酷だろうと思ったのである。あの伸縮槍はももをやられたボズトニ・カルカースの杖になっていたから、レーザーガンでもなければどうしようもなかったのだ。それはぼくだってレーザーガンがあれば心強いけれども、ぼくには伸縮電撃剣があり、左手ででも多少は使えるとなれば……公平のためにはそうせざるを得ないのだった。しかし、この程度の武装で、たたかいらしいたたかいなんて、できっこないのである。敵と出会わぬようにするのが、最善の方法なのであった。
そうした、行く手への警戒ということもあって、また、疲労や、アベ・デルボのこともあって、ぼくたちはほとんど口をきかなかった。たまに話すとしても、声をひそめてぽつりと洩《も》らし、短く応じる程度だった。
ただ、このような歩行ではありながら、ぼくが、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースの心もちらちらと読んで、多少気分が楽になったのを白状しなければならない。
ザコー・ニャクルは、ぼくの力量というか戦闘能力を、かなり高く評価しているようであった。それにぼくのアベ・デルボへの態度で好意を持ってもいるようである。ぼくがふっと懸念したコンドンの件にしても、ロボットは操作不能になったのなら見捨てるのも仕方がないと考えていたらしい。ぼくはつい失念していたのだが、ロボットの技術や使い方に関しては、ぼくなどのようなネイト=カイヤツの人間よりも、ダンコール人のほうがずっと長じているので……なのに、というより、それだけにダンコール人のほうが、ロボットというものについては即物的で非感傷的な見方をするらしく、その点、ぼくの感じではどうもダンコール人らしくないほど勇猛で神経の太いザコー・ニャクルでさえ、例外ではなかったみたいなのだ。
ボズトニ・カルカースは、以前にもちょっと述べたように、ザコー・ニャクルと違ってどこか暗い――憎悪を胸に宿していた。ぼくには詳細は知る由もないが、ネイト=ダンコールで不遇な半生を送るのを余儀なくされ、それでいておのれがネイト=ダンコールなりネプトなりの外には逃げられないのを知っており、自己の世界の崩壊に際して、それをなかば受け入れつつ、憎悪を敵に転化して敵をひとりでもたくさん殺してやろう、という感じだったのだ。それが、こうしてたたかっているうちに少しずつ洗い流されてきた印象があり……今はとにかくこの連中(つまりザコー・ニャクルとぼくだ)と一緒に、やるだけのことをやるしかない、という気持ちになっているようである。そうなると、これ迄《まで》自分で抑圧しようと努めてきた優しさのようなものが浮き沈みするようになり……アベ・デルボの死を知って号泣したぼくを慰めたような(ぼくはそのときポズトニ・カルカースの優しさを感じ取っていたのだ)ああいうかたちになって出てきたのだろう。もっとも、これはぼくの印象であり推測に過ぎないので、ぼくよりずっと年上の中年の人間の心情が、正確につかめたという自信はない。が……それはともかく、ボズトニ・カルカースが、今、一種の連帯感ともいうべきものを持っているらしいのはたしからしかった。ついでにいえば、ぼくは、ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルが以前から何かの事情で知り合っていたのか、義勇軍に身を投じて初めて顔を合わせたのか、そのへんは読み取れなかった。こちらから質問をして心中に生起するのを読むのならともかく、当面意識の表面に浮かんでいないもの迄を探り出すほどには、ぼくは自分の能力の使い方に習熟してはいないのである。習熟しても、それだけのことができるのは、きっと上位の、強力なエスパーなのであろう。ぼくにそんな素質があるのか否か、何ともいえないのだ。ま、それはともかく、繰り返しになるけれども、ボズトニ・カルカースがそんな気持ちでいるのは、たしかなようであった。
そして、ふたりがそうした心理状態なのだと知って、ぼくが多少気分が楽になり、心強くも思ったというのは、理解して頂けるのではあるまいか?
ぼくは、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースの心持ちについて、いささか紙数を費し過ぎたようである。
実のところ、ぼくがそんな真似をしそんな想念を追っていられたのは、歩行を再開してから三十分かそこいらのことであった。
行く手の左側、山のずっと上のほうに、ぼくは大きな思念のかたまりを捉えたのである。
ぼくはふたりを制し、足をとめて探ってみた。
遠いが……それはまぎれもなく、大人数の……しかとはわからないが、何百、いや千以上の人間の思念であった。それも単一の集合体というのではなく、いくつもの塊が群れているのだ。
「あの方向に、町があるか?」
ぼくは、そっちを指して、ふたりにたずねた。
「町はない」
ボズトニ・カルカースが答えた。「以前はたしか工事場があったはずだ。石材の切り出し場か何かで……今はどうなっているのか知らない」
「…………」
ぼくはなおも探った。
工事場というようなものではない。
「たくさん居るのか?」
と、ザコー・ニャクル。
「千人はいると思う」
ぼくは応じた。「どこかの、陣地かもわからない」
「敵か? 味方か?」
ザコー・ニャクルが問う。
何ともいえない。
それだけの思念の混合体になると、またそれだけの遠さでは、ひとりひとりの分離は不可能だった。思考の型がどうなのかつかむのは無理なのだ。
が。
全体の感じから、ぼくにはどうも、味方ではないような気がした。自分の知っている陣地とは、あきらかにことなるのだ。それがカイヤツ軍団ではなく、よそのネイトの軍団の陣地だとすれば、そういうこともあるかも知れないが……敵だとしてもおかしくないのである。
敵としたほうが無難であろう。
うかつに近づいて、先方に発見され、それが敵だと判明してからでは遅いのだ。
「敵のようにも思える」
ぼくはいった。
「どうする?」
ザコー・ニャクルが訊いた。ザコー・ニャクルの心の中には、ぼくやボズトニ・カルカースと同じ感覚が揺れていた。
来た道を引き返すわけには行かない。
となれば、ロンホカ湖周回道路へと降りることになる。いったん周回道路から離れてずっと奥に入り込んでいたこの道は、すぐ近くというわけではないにせよ、また周回道路に寄って来ていたのだ。だが周回道路に出るのは、すでにぼくたちが目撃したような避難民で満ちているとすれば、甚だ危険なのである。
「…………」
ぼくは考え……さらに注意を集中した。
あれは、どこかの陣地であろう。
それも、敵の陣地であるおそれが強い。
けれども……どうやらその思念の大きな混合体は、息づくようにしながら、位置を変えていないみたいであった。
そう。
それは、一定の場所に集まっているのである。出たり入ったりの動きはあるものの、にわかにこっちへやって来るというのではなさそうだった。
「かたまって、とまっている。降りてくるとは思えない」
ぼくは断を下した。「このまま下を通って行けば……気をつけて行けば、見つけられないだろう。そうするしかない」
「そうしよう」
「わかった」
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースがいった。
ぼくたちは、進みだした。もう、無用のお喋りは控えるべきであった。大きな音を立てるのも良くない。ぼくにはまだ感知できないけれども、むこうにもっと下へ降りて警戒している者がいたりしたら、風の加減で聞きつけられるかも知れないのだ。
進むうちに、思念の大群は左真横の上になった。
一歩ごとに、後方になってゆく。
ずっとうしろになった。
うまく通り抜けたようだ。
その時分になると、ぼくたちの進んでいる道は、しだいに湖岸に近づいていた。湖面がぼんやり浮かびあがり、ついで、周回道路で焚《た》いているらしい火のあかりが、右手の樹々をシルエットにして浮かし出すようになったのだ。
そこで、ぼくは、前方に新しい思念を感じ取ったのだ。
ぼくは停止し、一瞬遅れてザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも立ちどまった。
そこにあるのは、二十名ほどの思念であった。ばらばらの、思い思いに何かを考えている思念である。
その中に……。
空白がある。
ふたつか三つの、白があるのだ。
これは、と、ぼくが想起しようとしたのと同時に、空白のひとつが、不意に明確な意識になった。
(メネでお会いしましたね)
と、それは呼びかけてきたのだ。
ドゥニネだった。
かれらは、敵弾飛来の中、身をかがめようともせず一団となって、頭を垂れ低い合唱をつづけながらメネを去って行った――あのドゥニネたちだったのである。
「何だ?」
ザコー・ニャクルが小声でたずねる。
「ドゥニネだ」
ぼくは、ささやき返した。
「ドゥニネ?」
ザコー・ニャクルの中に、不審と、一種いまいましげな念が生じたのを感じ取りながら、ぼくはすでにそのとき、先方に思念を送っていた。
(……?……)
この問いかけの内容を一言で説明しろといわれても、無理である。ぼくの胸には、かれらがここで何をしているのかとか、ぼくたちに何か仕掛けるつもりなのかとか、メネでぼくにテレパシーで伝えてきたことはどういう意味だったのかとか、さらには、そもそもドゥニネとは何なのか――といったさまざまな疑問が湧きあがっていて……それらを整理もせず、こっちゃのままにむこうに向けたからだ。
相手はそれを、まとめてふわりと受けたようだった。
(あなたの、あのとき私たちに警告して下さったご親切に、あらためてお礼を申し上げます)
先方は、ぼくの問いに答える前に、まずそう挨拶してきた。(お見受けしたところ、ひどく疲れてらっしゃるようで、それに、負傷しておられるのではありませんか?)
(…………)
ぼくは、肯定した。
「何をしているんだ?」
ザコー・ニャクルが、いらいらした声を出す。
ぼくは手を振って制し、ついでに、テレパシーで話し合っているのだというしぐさをつけ加えた。
ドゥニネがテレパシーを? まさか――との気分が、ほとんど同時にザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースの心中にひろがったが、ふたりは、口に出しては何もいわなかった。
ぼくが、このドゥニネの一団に何人かの超能力者がいるらしいこと、そのひとりはまぎれもないエスパーであることを知ったのは、かれらがメネを離れようとしていたあのときが最初である。ぼくはネイト=カイヤツの人間で、しかもドゥニネなんて人々がいるとは、メネに陣をしく迄、考えもしなかったのだ。
しかし、かれら(の全部なのか一部なのかは、まだわからない)が超能力者だということが、れっきとしたダンコール人のザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースにとって初耳とは、いささか意外である。この点、ネイト=カイヤツにおけるデヌイベと、いよいよ共通性があるのではないか? ネイト=カイヤツでもデヌイベの存在は、ぼく自身の知見を基準にしての話だが、そんなに有名というわけではなかったように思う。まして奇妙な超能力を持っているなんて、大多数の人が知らないに違いない。そういえば……ほかにエゼというものもあった。ネイト=バトワのエゼは、かなり知られていたようだし、あのリョーナはエゼで修行すれば超能力者になれるともいっていた。ネイト=バトワのエゼは布教がうまく行っているということかもわからない。あるいは、たまたまリョーナがエゼにでも入らなければ将来が開けそうもない境遇だったから、他の者よりもエゼについての知識が豊富だったということか?
ぼくの頭の中にそんな想念が、舞いあがる枯れ葉にも似て踊ったのは、だが、ごく短い間だったはずだ。ぼくはのんびりとおのれの考えを追う気はなかったし、そんな状況でもなかった。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースのそんな意識を感知したのがきっかけとなって、連想が連想を呼び、たちまち通り過ぎて行っただけなのである。
そして、ぼくがドゥニネたちへと注意を向け直したとき、先方はそれを待っていたかのように、やわらかく誘いかけてきたのだ。
(私どものところで、少しお休みになりませんか? ここは一応安全だし、多少はお役に立てるかもわかりません)
ぼくは相手に、仲間と相談するからとの思念を返して、ふたりのダンコール人にその旨を告げた。
「大丈夫なんだな?」
ザコー・ニャクルがいう。
ぼくは、危険はないと思うと答えた。ぼくに語りかけてきた先方の思念には、敵意はなく、いたわりの感じがあるのを悟っていたからだ。もっとも、相手がおそるべき超能力者で、罠《わな》にかけるつもりでそうしているのなら別だが……と、ぼくはそこ迄説明した。
「いいじゃないか」
ボズトニ・カルカースが発言した。「われわれには武器があるし……それに、あいつらが、そんなすごい超能力者なら、今から逃げようとしてもやられてしまうだろう。だまされてもいいつもりで、行こうじゃないか」
それが結論となって、ぼくたちは前進を再開した。
先方に害意はないと感知し、誘われながら、そんな相談をせずにはいられなかったことからしても、やはりぼくたちは、これ迄のたびたびの戦闘で疲れ果て神経が歪《ゆが》んで、疑心暗鬼になっていたのだろう。
二十メートルも進むと、道はまた少し湖岸寄りになり、周回道路の焚火のあかりで、道のわきの小さな草地に思い思いにすわっているらしい人影が、ぼんやりと見えてきた。
ひとりは立って、ぼくたちを待っている。
テレパシーでやりとりをした相手なのだ。
ぼくたちが近づくと、かれらの間から好意的な思念が流れてきた。
「どうぞ、このあたりにでも腰をおろして下さい。といってもここは、別に私たちの土地というわけではありませんが」
待っていた人物は、自分の傍の草地を指しながら、ダンコール語でいった。
ぼくたちは、どさっと草の上にすわり込んだ。ほとんど気力だけで歩いてきたのが、にわかに何もかもがゆるんだようで、そうせずにはいられなかったのだ。ぼくのみならず、ボズトニ・カルカースも、それにザコー・ニャクルすらもがである。
すわれといった人物は、ぼくたちの前にかがんだ。他のドゥニネたちと同様、その人物も頭巾をかぶり布切れをまとっていたから、声でどうやら中年の男性らしいとはわかったものの、薄あかりだということもあって、顔かたちを見定めるには至らなかった。この人物がこの一団のリーダーなのだろうか、と、ぼくは思った。
「私は、この分団のまとめ役です」
相手がいった。それは、ぼくの心を読み取ってなされたものでありながら、そうしたテレパシーのやりとりがあったと気づかない者にも、ごく自然な挨拶として聞えるいいかただったのだ。
そうするうちにも、ぼくは、相手の意識の中に何か――ぽっと光るとでも形容すべきものが浮かんだのをとらえた。それは、ぼくに向けられたのではなく、ぼくの知らないかたちでの合図だったようである。すわっていたドゥニネたちのひとりに呼応する閃《ひらめ》きが現われて、そのドゥニネは数秒間何かをしていたと思うと、ぼくたちのところへやって来た。手に、液体を入れたカップを三つ持ってである。
「飲んで下さい」
分団のまとめ役と自己紹介した人物がいった。「私たちは旅慣れておりますから、旅に必要な物品もいろいろ携行しています。この飲みものもそのひとつです、お飲み下さい。元気が出るでしょう」
ぼくたちはカップを受け取った。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースがこっちを見やった。飲むべきか否かを訊いているのだ。
もしもぼくがそのときエスパーでなかったなら、こんなに疲れもうどうでもいいような気分ですわり込んでいたとはいえ、やはりためらっていたであろう。相手がどういう連中なのか、依然として謎だらけだったからだ。しかし、目の前のまとめ役の人物からは、はっきりした好意が出てきている。それを信じるしかなかったし……信じようとも思ったのだ。
ぼくはふたりに頷《うなず》いてみせ、まずカップの液体を飲みほした。
心持ち甘味のある、だがそれだけの味の水だった。これにどんな作用があるのか知る由もないが、ともかく喉の乾きをいやしてくれたのは事実である。
それにしても、と、ぼくは、持って来てくれたドゥニネにカップを返しながら思った。なぜ、この人たちはぼくらにこんなにも親切なのだ?
ぼくがそう考えた折も折、やはりカップを返したザコー・ニャクルが、不思議そうな声をあげたのだ。
「どうしてだ? どうしておれたちにこんなことをしてくれるんだ?」
「お礼ですよ」
と、まとめ役の男は静かに答えた。「こちらの方が、メネで私たちに心遣いをして下さった、そのことへのささやかなお礼です」
「この方は、メネを出ようとしていた私たちに、弾が飛んでくるのを警告して下さったのです」
飲みものを運んできたドゥニネもいった。
「…………」
ザコー・ニャクルもポズトニ・カルカースも、そんなことがあったのかと思いながらぼくに目を向け、それそれなりにその情景を頭に描いた(それは実際と同じではなかったが、ある程度は合っていたのだ)けれども、先方の説明で、そういうものかとの気持ちになったらしく、黙ってしまったのである。
だが。
ぼくにはやはり奇妙だった。
それ位のことで、こんなに親切にしてくれるとは、まだよく納得できないのだ。
ぼくは信じるが……もしもこの人たちがデヌイベのような存在なのだとしたら、あのときぼくが警告しようとしまいと、自分を守ったのではないか? とすれば、ぼくがしたのは、ただ単にかれらを心配しただけのことなのだ。
なのに……。
「お心遣いがうれしかったのですよ」
まとめ役の男が、ぼくの疑念にも応じるかたちで補足した。「私たちドゥニネは、あまり一般に理解されていません。邪魔者扱いされることが多いので……そういうことが身にしみるのです」
「…………」
「それに、今は別の興味も出てきました」
まとめ役の男は、ぼくを直視した。「こんなことを申し上げて、もし失礼だったらお許し願いたいのですが……エスパーなのに普通の兵士というのは、珍しいのではありませんか? ダンコールでは超能力者は軍務に就くとしても、もっと特殊な任務で、それも私服姿が多いのですが」
「ぼくは、不定期のエスパーなのです」
ぼくは返事をした。それだけいえば、ぼくの思念も手伝って、事情はわかって貰えると考えたからだ。
「――そうでしたか」
まとめ役の男は頷いた。
ぼくは相手の心を読もうとした。
だが、読めない。
空白なのだ。
相手は、ぼくのように無防備ではないのである。どうやら、自由自在にカーテンをあげたりおろしたりできるらしい。しかも、これ迄この人物と思念のやりとりをした経験からも、テレパシーだけではそこに本人が存在することさえわからないようにしたり、本人のいることはわかるが意識は読み取れない、という状態の使い分けも可能なように思えるのだ。そしてこの場合は、後者であった。
それなのに、先方にはぼくの意識が読めるらしい。
「では、まだそれほど超能力に習熟してらっしゃらないわけですね」
相手はいったのだ。「不定期とおっしゃるからには、そうなのでしょう」
「…………」
ぼくは、目をしばたたいた。
どういう意味だ?
ぼくがまだそれほど自己の超能力の使用法に長じていないのはたしかだが、あとのほうの意味は良くわからない。
不定期エスパーは、つまり不定期エスパーに過ぎないので、常時エスパーではないのだ。そうではないのか?
けれども依然として相手にはベールがかかっていた。
「いや、お気を悪くなさらないで下さい」
まとめ役の男は口を開いた。「でも、あなたがエスパーでありながら普通の兵士で……その上、先程無断で読んでしまったのですが、ドゥニネや、それにデヌイベやエゼについても何かとご存じだと知ったために、興味が湧いてきたと申し上げたら……具合が悪いでしょうか?」
「…………」
ぼくは、ぎくりとした。
さっきの、短い間のぼくの連想を、この男は読んでいたのだ。
それだけではない。
ドゥニネはともかく……相手の口から、デヌイベやエゼという言葉が出てくれば、驚かないわけには行かなかったのだ。
この人物は、デヌイベやエゼについて、良く知っているというのか?
と。
ぼくたちの飲みほしたカップを手に、まだその場にいたドゥニネが、まとめ役の男に、確認と合意とでもいうべき思念を送ったのである。が……ぼくがそうと悟った瞬間、そのドゥニネの意識も、空白になってしまったのだった。
「お伺いしてもよろしいでしょうか」
まとめ役の男は、少しためらいがちの口調でいった。「あなたは、護符をお持ちだ。そうではありませんか?」
「護符?」
ぼくは反問した。
「ポケットに入れてらっしゃるとお見受けしましたが」
と、相手。「ひょっとしたらあなたは、これをお守りにしろとしるした手紙をお持ちではありませんか?」
そのときにぼくはもう、相手がぼくの服のポケットに入っているシェーラの手紙のことをいっているのだと悟っていた。
それも、そのいい廻しは推察としてであったが、口調自体は、わかっている事実を指摘する、あれだったのだ。
相手は、透視力を用いているのに相違ない。読心力の上に透視力だ。その読心力にしたって、ぼくなどの及びもつかぬやり方を使っているのである。超能力者としては、まるで段違いなのだ。
――という、それはそれとして、先方がなぜシェーラの手紙のことなどをいいだしたのか、ぼくにはとっさにはわからなかった。だから、心では肯定したものの、言葉としての返事はためらったのだ。
「何の話をしているのだ?」
たまりかねて、ザコー・ニャクルが口を出した。
が。
ぼくがそっちへ答えようとする前に、ボズトニ・カルカースが、ザコー・ニャクルの肩を軽く叩いて、いったのである。
「エスパーには、エスパーどうしの話があるんだろう。いいじゃないか」
「恐れ入ります」
まとめ役の男は、ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルに、頭巾をかけた頭を下げた。
「――この方と私どもにとって、重大な話をしなければなりませんので……少しお時間を頂けませんか」
「…………」
ザコー・ニャクルは黙り、ボズトニ・カルカースは同意の思念を返す。
まとめ役の男は、ぼくに向き直った。
「もしもお差し支えなければ、お持ちのその手紙を、私たちに見せて頂けないものでしょうか」
男はいった。「いえ、手紙の内容は決して読まないとお約束します。手紙そのものを拝見するだけでいいのですが……お許し下さいますでしょうか」
そこ迄いわれては、ことわり切れなかった。シェーラのあの、わざとたどたどしく書いたような文章、しかも文面としてはあきらかな恋文であるのを読まれるのは、何とも面映《おもは》ゆい。が……先方は読まないといっているのだし……もっとも、ぼくがその手紙を所持しているのを透視力で見て取った相手なのだから、読もうとすればいつでも読めるはずなのである。けれどもそういったことは、このさいどうでもいいことなのかも知れなかった。ぼくは先方の希望に応じるべきだと判断し、なぜ先方がそんなことを望むのかにも興味があったのだ。
ぼくは左腕で、服のポケットから、他の手紙と一緒にしてあったシェーラの手紙を抜き出した。他の手紙というのは、カイヤツVで受け取った、エレンをはじめ第八隊の連中の寄せ書きや、ミスナー・ケイのものなどである。いずれもが何度も何度も読み直したので、だいぶくたびれていたし、このところの戦闘で汗がしみ込んだりで、すっかりいたんでいた。この点、一番新しいシェーラの手紙だって、例外ではない。
無言のまま、それを相手に差し出す。
相手はちょっと頭を下げてから、受け取った。そして当たり前のように封筒の中の便箋を出したのだ。
それから、便箋をかざした。
もうお忘れかも知れないが、バトワの基地に届いたシェーラのその手紙は、封筒は普通の普及品ながら、二重封筒であり、便箋は黄色っぽくしなやかな上等の紙で、花模様の透かし迄入っていたのだ。
相手は、その透かしを確認しようとしているのだろうか?
こんな薄あかりで、透かしがわかるのだろうか? 透視力があれば可能なのかも知れない。
ぼくは相手の存念をさぐろうとしたが、相変らずの空白がそこにあるばかりだった。
それにしても、と、ぼくは思う。
たしかにシェーラは、この手紙はあなたのお守りで護符なのですよ、と、書いていた。肌身離さず持っていて下さいね、ともしるしていた。
それがどういう意味なのかを、ぼくはしばしば考えたものだ。ああいうデヌイベなどという教団の一員であり、ミスナー・ケイとも仲間らしい、どうやら超能力者らしいシェーラがくれたのだから、それもぼくのいた基地へ送りつけるというようなことをする位だから、そこには何か訳があるに違いないと思って、あれこれと想像をめぐらしたものの、結局は何のことやら見当もつかず、あるいはシェーラはただ勿体《もったい》ぶってそんなことを書いたに過ぎず、便箋だってたまたまそういうものを買っただけなのかも知れないではないか――と、おのれにいい聞かせてみるときもあったのである。
その手紙が……。
やはり、ありきたりの手紙などではなかったということか?
まとめ役の男は、便箋をかざしていた腕を下げ、黙ってそれを横のドゥニネに示した。空になったカップを手にしたまま、そのドゥニネは便箋を覗《のぞ》き込み、ぼくのほうに視線を当てると、どういうわけかていねいにお辞儀をし、それから立ちあがって元の場所へ戻ったのだ。
「どうも、有難うございました」
まとめ役の男は、便箋を封筒にしまい、ぼくに返した。
「この手紙が、どうかしたのですか?」
ぼくは、それをポケットに入れながら問うた。相手の意識をさぐろうにも、妙ないいかただが、存在感のみの空白しか認めることができなかったのだ。
「あなたは、その手紙をくれた人に、いわば身元と可能性を保証されているのです」
男は答えた。「その人がネイト=カイヤツのデヌイベであろうことは、先刻読ませて頂いたことから推察できますが、どういう人かと特定するのは、私の力に余ります。しかしそれはともかく、あなたがそれをお持ちであるからには、私たちドゥニネは、できる限りのことをしてあなたを助けるべきなのです」
「それはまた、なぜ?」
ぼくは、またたずねた。
「そのことは、ここで今お話しするわけには行きません」
相手はいった。「その状況でも時期でもありませんし、あなた自身が自分で得たものをもとにお考えになるか、手紙を出した当人からお聞きになるかしなければならないのです。いずれにせよ、護符をお持ちのあなたと、あなたのお連れに対して、私たちはできるだけのことをさせて頂きます」
「…………」
どうも、まだよくわからない。
かえって、余計にわからなくなったというところかも知れなかった。はっきりしたのはシェーラの手紙の便箋が、このドゥニネたちに何らかの意味と力を有しているらしいことだけで……なぜそうなのか、これにどんな関係や事情があるのか、さらに相手が口にしたのはどういうことなのか……謎がまた増えたようなものだったのである。
「どうも、大変退屈させて、申し訳ありませんでした」
まとめ役の男は、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースに顔を向けた。「私たちはあなたがたを手助けしたいと存じます。たしか、ネプトへいらっしゃるのですね?」
「そうだ」
ザコー・ニャクルがいい、ボズトニ・カルカースは頷いた。
ネプトへ行くというのを、ぼくの心から読んだのか、それともふたりから読んだのか……ぼくには何ともいえない。
もっとも、思念から察すると、ふたりのネプトをめざす気持ちは、ぼくのそれと質的にだいぶ違っていたようである。ぼくは単に、自分の隊がネプトに向かったらしいからその後を追うのであり、それがおのれの義務だと信じていたのであるが、ふたりの場合にはそんな義務などないわけで、ぼくが行くから同行する、という程度の立場にあるのだ。ぼくと別れようとすればいつでも別れられるし、ネプトへ行くのをやめてもいいのである。なのにまだネプトをめざしているその心の中には、このあたりをうろうろしていても早晩敵とたたかい死ぬことになるだろう、どうせ死ぬのなら、住み慣れたネプトへ帰り、ネプトの運命を見届けてからにしたい――との気分があるのだった。
「その様子では、これから何かとお困りでしょう」
まとめ役の男はいう。「大したことはできませんが、ドゥニネにはドゥニネのやり方というものがあります。力を尽してみましょう。お許し頂けますか?」
「お前たちは何なのだ?」
突然、ザコー・ニャクルが訊いた。「おれは、ドゥニネというのは、戦争なのに背を向けて、馬鹿げた祈りばかりやっている連中だと思っていた。本当はどういうつもりなのだ? それに、超能力を持っているらしいし……何の目的でそんなことをしているのだ?」
まとめ役の男は、静かに答えた。
「申し上げても信じて頂けないでしょうが、私たちは最終的な平和の世界を実現させたいと願っています」
「最終的な……平和の……世界?」
ボズトニ・カルカースがたずねる。
「そんなことは不可能だ。人間はたたかわずにはいられない動物だ。戦争がなくなることなどない」
ザコー・ニャクルがいい返した。ぼくがその率直さに微笑しかけたほどの勢いである。
「今の言葉は、これ迄の人間のありようから見てのことです。それは新しい世界のはじまりでもあります」
男は返事をした。「新しい世界では、またそれなりのたたかいもあるでしょう。けれども、これ迄の世界のありようはひとまず終るのです」
「お前のいっていることは、訳がわからん」
ザコー・ニャクルはさじを投げた。
「とにかく、ここではそれだけでお許し下さい」
まとめ役の男はいう。「そして、私たちの願いが実現するのは、ずっと先になるでしょう。それを少しでも早くしたいと……そう思って努力しているだけです」
「…………」
ザコー・ニャクルは、どうとでもいえ、との気分になったようである。
ぼくにしたって、何のことやら不明であった。そんな抽象的な表現では、理解しろといっても無理ではないか。
と。
まとめ役の男の空白が、明確な意識になった。カーテンが消えたのだ。そこから、強い調子のテレパシーが、ぼくに注がれてきたのである。
(あなたはいずれ、これがどういうことなのかお悟りになるはずです。そして、もっと先には、すべての人々が悟るはずです)
(…………)
(ともあれ、今はこれだけにしておいて下さい。あなたにさえ説明困難なことを、このふたりにお話しするのは到底無理なのです)
そういうことなのだろうな、と、ぼくは思った。つまりはそれが、ぼくの同意ということになったわけだ。
そこで、相手は空白になった。
ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、それ以上訊く気はなくなったらしい。
「それで、われわれを手助けしてくれるというのですな?」
現実的な問題を持ち出したのは、ボズトニ・カルカースである。「何を助けてくれるというのですか?」
「まず、けがを治療しましょう」
男は、あっさりと返事をした。
「けがを?」
と、ボズトニ・カルカース。
「すぐに完治というわけには参りませんが」
まとめ役の男はいう。「とにかく、こちらのネイト=カイヤツの方は、右腕がきかなくなっているし、あなたはももをやられて化膿しはじめている。手当てをなさったほうがいいでしょう」
「…………」
それはそうだ、と、ぼくたちは三人共肯定した。
だが……ポズトニ・カルカースには外科的処置が一刻も早く必要で、かつ有効だが、感覚がなくなりだらんと垂らしたまま動かすこともできないぼくの右腕が、応急手当て位で良くなるとは思えなかった。いや、ぼくは自分の負傷部位をちゃんと検分していなかったから(そんなゆとりがなく、また、手当てができないのに調べても仕方がないと考えたりもして、放っておいたのだ。それに、もうどうしようもないほどひどい傷があったりすれば意気阻喪してしまうかもわからないというので、あえて目をそむけていたことは、否定できない)よくわからないけれども、外科的処置が必要な面もあるのかも知れない。
男は立ちあがり、すわり込んで話し合ったり沈黙したりしているドゥニネたちのほうを向いた。空白の男の意識の中に、さっきと同様、ぽっと光るものがあって、だが今度は半数近くのドゥニネたちの中に、呼応した閃きがあった。
その四、五人が、ぼくたちのところへやって来たのだ。
「そこに横になって下さい」
まとめ役の男がいった。「それに……あなたもです」
あなたというのは、ザコー・ニャクルである。
「おれはいい。けがなどしていない」
ザコー・ニャクルは、唸るような声を発した。
「大きなけがはしていないでしょうが、体のあちこちに傷があるではありませんか」
まとめ役の男はなだめた。「せっかくですから、私たちの気持ちを受け入れてくれませんか」
「…………」
「どうぞ」
促されて、ザコー・ニャクルは不承不承に、ぼくやボズトニ・カルカースにつづき、草の上に仰向けになったようである。
ぼくの傍には、まとめ役の男とひとりのドゥニネがしゃがみ込んだ。感じや背格好、髪の長いことなどから、頭巾をかぶり布切れをまとっていても、女であることがぼくにはわかった。
ぼくは一度上半身を起こされ、上衣を脱がされた。下着もとられて、再び草の上に横たえられたが、そのときには裸になった上半身の下に、布らしいものが敷かれていたのだ。
まとめ役の男は、ぼくの右腕を持ちあげたり、ところどころを指で圧迫したりした。ぼくの腕にどんな感覚があるかを調べているらしい。これが非エスパーなら、いちいち本人にたずねなければならないだろうが、相手はぼくの心を読めば済むのである。といってもぼくにとっては相変らずの一方通行で、こっちからは男はもちろん、女の意識も読めないのであった。
ふたりは、薬品を出し、傷の手当てを開始した。
ぼくには棒のようになった右腕である。痛みは覚えないのだ。
ふたりに自分の心を読まれているのがわかりながら、そうしていると、どうしても勝手に想念が動きはじめる。はじめは考えまいとしたが駄目で……それならやむを得ないし、どうせならこのドゥニネたちのことにしようと思い、想念を追いはじめたのだった。
かれらの意識の空白は、何であろう。
これは、たしかにカーテンがかかっているのだ。
かれらは、そのカーテンを自在にあげたりおろしたりできるらしい。
そういう空白は、前にも述べたように、出会うのはこれがはじめてではない。遠い……エレスコブ家での警備隊員任命式の夜、シェーラがそうだったのだ。
これは、高度のエスパーには可能なのだろう、と、ぼくは思う。そして、これが心を読まれないための遮蔽だとすれば、納得できる。
けれども、その空白というのが一種類ではないのは、今夜初めて知ったのだ。存在感のある空白と、ない空白だ。存在感のある空白なら、その心を読めなくてもそこに人間がいるのは認知できる。だが、存在感さえなくなってしまったら、何もつかめないではないか。テレパシーとしては、透明人間みたいなものなのである。目で確認できない場合には、テレパシーでさぐっても、無人ということになるのだ。となると……ひょっとするとぼくは、これ迄にもそんな対象に出会っていたのに、気がつかなかったのかも知れない。
それに、その空白自体が不思議だ。
ただの遮蔽ではなさそうなのである。
ぼくが相手を空白としているのに、相手がこちらの心を読めるというのは、つまりは一方通行だ。何となく偏光フィルターの作用に似通った――偏テレパシーの幕のような感じもする。
いや待て。
そういうこともあるのだろうが、それだけではないのだ。
例えばこのふたりは、ぼくから見てどちらも空白である。
なのに、思念を通じ合っているとしか思えない。そういう動きなのだ。
では……。
ぼく程度のエスパーには空自でも、もっとレベルの高いエスパーどうしでは意思交換が可能な、そういうものなのであろうか? 通常の能力では透過し得ないけれども、出力(?)や感知力がある強さ以上になると通じ合える、そんなエスパーの世界があるというのだろうか。
ぼくはそんな話をこれ迄耳にしたことがなかったが……そうなのかも知れない。
それほどのことができる連中なら、と、ぼくの想像はさらにひろがった。そういう、ぼくなどの及びもつかない連中なら、やろうとすればエスパー相手に、自分が非エスパーだと信じ込ませることだって、やれるのではあるまいか。
そこでぼくは唐突に、ミスナー・ケイを想起したのである。カイヤツVで特殊警備隊が調べたところ、ミスナー・ケイ、そのときのプェリルは、念力しか使えない人間で、超能力除去手術の跡があり、それは読心力だけを除去したのではあるまいか――という話になった。
あれは、事実だったのだろうか?
それとも、ミスナー・ケイが、特殊警備隊にそう信じさせたのか……?
そして、である。
そのミスナー・ケイに一目置かれているらしいシェーラは、では、何だ?
けれども、ぼくはそれ以上、想念を追わなかった。
気がつくと、まとめ役の男はぼくの腕を片手で握って支え、ぼくたちの周囲にはいつの間にかドゥニネが集まりつつあったのだ。
どうやら手当ては済んだらしいのに、何をするつもりだ?
そのうちにも、ドゥニネたちはぼくたちを取り巻いて膝をついた。
合唱だった。
低い合唱がはじまったのだ。
「何をするんだ!」
ザコー・ニャクルがわめいた。起きあがろうとした。
が、そのザコー・ニャクルが、ドゥニネたち何人かの念力で押えつけられたのを、ぼくは知った。
合唱はつづく。
まとめ役の男は、ぼくの右腕を支えたままだ。
これは……どういうことだ?
しかし。
合唱のうちに、ぼくは、自分の右腕に感覚が少しずつ戻ってきているのを悟ったのだ。
錯覚ではない。
たしかに現実に、そうなのだった。
そのときのぼくの気持ちが奇妙なものだったことは、わかって頂けると思う。
良かった――と、最初に感じたのは事実であった。機能を喪失しひょっとしたら二度と使えないのではないかとおそれていた腕が、生き返りつつあるらしいと知ったのだから当然である。
それはまた、ひそかな期待が酬いられたことでもあった。かつてデヌイベの不思議な力を見せられたぼくは、どうやらデヌイベたちと同種の存在らしいこのドゥニネたちもまた、普通では考えられないような能力を有しているのではないか、そうであってもおかしくない、いや、そうであってくれ、と、心のどこかで願っていたのだ。
でありながら一方、実際的な傷の手当てでならともかくこかれらの合唱がそんな効果を持つなんて、やはり、信じられないのであった。こんなことは、あり得るはずがないのであった。
こうしたぼくの心の動きは、多分、かれらに読まれていたのであろう。読まれたところで、どうしようもないのである。それにぼくは以前と違って(このドゥニネのまとめ役は、ぼくがまだそれほど超能力に習熟していないのだろうといったけれども)すくなくともぼくなりには思念を交換するのに馴れてきていたから、他人に心を覗かれるのはさほど抵抗を覚えなくなっていたのだ。
そして、ものの五分と経たないうちに、ぼくの右腕の感覚はいよいよたしかになってきた。同時に痛みも復活したが、それは傷口に強い薬品を塗られた、治癒に向かいつつあるに違いないときの、あの一種快い痛みに似ていたのである。のみならず、ぼくは本能的に肱《ひじ》を曲げ指を動かそうと試みて、それが可能になったのを知った。
合唱は低くなってゆき、やがてやんだ。
「まだ完全に治ったわけではありませんが、あとはしだいに良くなるでしょう。体力が回復すればもっと速く良くなるはずです」
まとめ役の男が静かにいう。
「…………」
ぼくは、もうひとりの、女のドゥニネに扶《たす》けられて上半身を起こした。
合唱していたドゥニネたちは、元の場所に戻って行くようだ。
「着るものは、もうちょっと待って下さい」
まとめ役の男がまたいった。「あなたがたの服は、あちこちだいぶ破れていますから、簡単な継ぎあてをさせます。洗濯もできればいいのですが、ここにはそれだけの水がありませんので」
「どうも……有難うございます」
ぼくは呟いた。とりあえず礼を述べることしか考えつかなかったのだ。
男は黙って軽く頭を下げ、もうひとりのドゥニネと共に、少し身を引いた。ふたりの意識は相変らず存在感のある空白のままである。
横のほうで別の意識が急に強くなるのを感知して、ぼくは視線をそちらへ転じた。
ボズトニ・カルカースと、それにザコー・ニャクルだった。
ボズトニ・カルカースは、手当てにあたったドゥニネたちに見守られながら、立ちあがろうとしている。立って……その場で何度か足踏みをした。
疑惑から驚きへと変化しつつそれを眺めていたザコー・ニャクルが、腰を浮かしてその傍へ行き、動かせるのか、治ったのかと問いかける。
ボズトニ・カルカースが、まだ本当とは思えない気分のままに、頷いた。
――という一連の言動をみつめていたぼくに、ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルはたちまち顔を向け、思念と一緒に声を投げてきたのだ。
「これは、どういうことなのだ?」
「このドゥニネたちの超能力のせいなのか?」
ぼくは、まだ上半身を起こしただけの姿勢のまま、右腕を屈伸させてみせ、それから返事をした。
「そのようだが……ぼくの知らない超能力のようだ」
「…………」
ふたりは沈黙し、だが、ボズトニ・カルカースはあらためて自分の傷のあったあたりを手で撫で(そんな真似ができることからも、それにボズトニ・カルカースの思念からも、傷はあらかた消失し痛みもほとんどなくなっているようであった)ザコー・ニャクルは肩や腰をゆすった。
「信じられない」
と、ポズトニ・カルカース。
「そういえば、おれも随分楽になっている。おかしなことだ」
ザコー・ニャクルもいった。
「今、あなたがたのために、いくつかの用意をさせております」
身を伸ばすようにして口を開いたのは、ぼくの前にいたまとめ役の男である。「それが済む迄、もう暫く休息して下さい。それが身体のためでもあります」
で……ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルは、その場にもう一度腰をおろした。といっても、不承不承にではなく、待てというなら待とう、このドゥニネたちを信じても間違いはなさそうだ――との意識のうちにである。
ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルはそんなしだいだったとして……そのとき、ぼくの頭に浮かびあがってきたのは、アベ・デルボのことであった。
アベ・デルボが死なずにここ迄|保《も》っていてくれたら……彼もこのドゥニネたちに助けられていたのではあるまいか?
助かっていたはずだ。
なぜ、あんなに早く死んでしまったのだ?
残念だった。
が。
そこでにわかにまとめ役の男の意識がはっきりして、ぼくにテレパシーを送ってきたのである。
(お友達については、運命だったと諦めて貰うしかありません。どうすることもできない事柄というものがあるのですから)
それは、そうなのだろう……と、ぼくは思った。残念ながら、そう考えるしかないのであった。
相手は意識を空白に戻し、そのまま、さらに何分かが経過して行く。
たしかにぼくの右腕は、元に戻りつつあるようだった。そんなに目に見えてというのではないけれども、とにかく何となく快方に向かいつつあるように、ぼくには思えたのだ。
やがて。
まとめ役の男の意識の中に、例のぼっと光るものが現われると、十人近いドゥニネたちに呼応した閃きがあり……かれらは他のドゥニネらの間を動き廻ってから、手に何かを持ってこっちへやって来たのである。
まとめ役の男は、かれらが自分のところに集まると、ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースに声をかけて、招き寄せた。
男が、まずドゥニネたちから受け取ってぼくたちに渡したのは、着るものであった。正確には返してくれたというべきかも知れない。さっき脱がされ持って行かれたのに継ぎあてをしてくれたのだ。
ついで、まとめ役の男は、一枚の地図をぼくたちに渡した。地図自体は手書きなどではなく、印刷されたものである。が、よく見るとそこには、道順が上から記入されているのだった。
「その道順の通りに行けば、ネプト第一市の北端に出ます」
と、まとめ役の男はいった。「山地や森林を抜けるし、ろくに道らしい道のない部分もすくなくありませんが、方角さえ間違わなければ、これが一番の近道になります。そのための磁石も一個進呈しましょう。粗末なものですが、一応の修正機能もついています」
ぼくたちは、有難くそれらを頂戴した。
正直、助かったといえよう。
そのコースが、ネプトへの最短距離であることは、降下直前に貰った地図からもぼくにはわかっていた。そしてボズトニ・カルカースは、粗末ではあるけれども道はあるはずだともいったのだ。しかし、その程度の大まかな地図で山の中に踏み込むのは、道に迷うおそれが大である。しかもぼくたちは負傷者をかかえ疲れ切っていたのだ。とてもそんなことはできない。だから大廻りではあるがロンホカ湖周回道路を通ろうとし、その周回道路が避難民で一杯で不穏な空気で満ちていたために、周回道路を崖の上から見下ろしたり山の中へ入ったりするこの道をたどるほかなかったのである。
ぼくたちの行動能力がほぼ回復した今となっては、もっとも短いコースを行きたかったし、行くのが当然でもあるだろう。
そんなわれわれにとっては、詳細な地図と磁石というのは、願ってもない道具なのであった。
――と、こういう事情を、先方は百も承知だったに相違ない。ドゥニネたちはそれをぼくたちの心中から読み取ったのだ。自分らの意図が見すかされていたのだとわかっても、だが、ぼくは嫌な気分にはならなかった。むしろ、心を覗かれるというのが好都合なときもあるのかも知れない、と、考えたりしたのである。
ドゥニネたちがぼくたちに提供したのは、そればかりではない。
かれらは、水と食糧と、それに布迄呉れたのだ。
水は、というより、ぼくたちがカップで飲んだ液体だ。その液体を入れた紐つきの筒をひとりひとりに呉れたのである。まとめ役の男は、この液体には体調を整える作用があるといい、自分たちには容器の数にゆとりがあるから差し上げるともつけ加えた。
食糧は、固型食品である。まとめ役の男はぼくたちに三つずつ分配しながら、とても美味とはいえないが生命をつなぐには充分のはずだと説明したのだ。携行していた食糧をあらかた食べてしまい、残ったものも逃避行と戦闘のうちに失っていたぼくたちが感謝したのは、いう迄もない。
布とは、地の厚い防寒のための布である。旅をつづけているらしいドゥニネには必携品なのであろう。畳めば肩から背中へ斜めに負えるようなベルトがちゃんとついているのであり、これも各人一枚ずつ貰った。
「どうしてだ? どうしてお前たちはこんなに親切なんだ?」
ザコー・ニャクルが訊いた。ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、あきらかに戸惑い、不思議がっていた。
「その訳は、すでにお話しいたしました」
まとめ役の男は答えた。「まずはこちらのこの方……イシター・ロウさんでしたね、イシター・ロウさんが私たちに心遣いをして下さったことと、それ以上に、それを契機にしてわかったのですが、イシター・ロウさんが私たちにとって大切な、できる限りのことをして助けなければならない人だと知ったからです。だからこの方と、この方のお連れに対して、私たちは義務を果たしているわけなのです」
「…………」
ザコー・ニャクルは沈黙した。
ザコー・ニャクルにもボズトニ・カルカースにも、ほとんど理解できなかったようである。
その点では、ぼくも似たようなものであった。ぼくの場合、デヌイベについて多少の知識があり、ドゥニネがデヌイベやおそらくはエゼなどと同類の存在であって、だからシェーラの護符≠ェ力を発揮したらしいとは推察がつくが……ではドゥニネとかデヌイベとかが何なのか、なぜシェーラの手紙でドゥニネたちがこんなことをしてくれるのかとなると、依然として謎は解けないのである。
それにしても、ぼくたちが救われたのは本当であった。とにかく、ぼくは厚く礼を述べた。
「どうかお気になさらないで。これは私たちの義務であると同時に、よろこびでもあるのです」
まとめ役の男は、そう応じたのだ。
「さて」
ややあって、男はいいだした。「私たちはあすの朝迄ここで休息します。成果がいかほどのものになるかはともかく、私たちは努力をつづけるつもりで、そのための力を貯えなければなりません。状況によっては、周回道路へ降りることもありましょう。強い力が必要なのです。――あなたがたはネプトへ向かわれるはずですし、なろうことなら早めに出発なさったほうが良いでしょう。睡眠をとるにしても、ここよりは山のもっと奥のほうが安全かと思われます。私たちには構わずお出掛けになって下さい」
「…………」
ぼくたちは、顔を見合わせた。
「行くか」
と、ザコー・ニャクルが呟き、ポズトニ・カルカースが頷く。
「そうしよう」
ぼくもいった。
ぼくたちは、水筒の紐を肩にかけたり、畳まれた厚布を背中にとめたりして出発の支度にかかった。支度はすぐに終り、ぼくたちはもう一度、まとめ役の男や他のドゥニネたちに礼をいった。かれらは会釈を返した、
(頑張って下さい)
まとめ役の男の意識が開いて、ぼくに思念で語りかけてきたのは、そのときである。
(あなたの力は間もなく消えるでしょう。それからまたエスパー化の到来があるはずです。でもあなたは、自力でおのれの能力を消したりよみがえらせたりすることはできません。この発現や消失には、他人の力を借りることになるかも知れませんね。まだ今はそうですが、いつかは……)
そこで男の思念はふっととだえ、意識は空白になってしまったのだ。
それはそうだろう、と、ぼくは思った。
ぼくは不定期エスパーなのである。
現在のエスパーとしての能力は、いずれ消えるはずなのだ。そしてまたいつか……ぼくが生きのびている限りは、力が戻ってくるのであろう。
ぼくにはその発現や消失を、どうすることもできない。
自力ではどうにもならないのだ。
他人の力を借りるとはどんな意味なのか不明だけれども……そういうことがあるのかも知れない。
シェーラとの場合――。
ふっとそんなことが湧いてきたものの、まだぼくはそれをまとめるには至らず、そんな余裕もなかった。
そして、今はそうではないがいつかは、という相手の思念、中途で絶えた相手の思念の意味となると……いや、そこ迄、考えてはいられなかったのだ。
ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは、すでに動きはじめていたからである。
ぼくは思念で、今一度の礼と、おっしゃったことを考えてみましょうという気持ちを先方に送ると、ザコー・ニャクルやボズトニ・カルカースと並んで、歩きだした。しばらく進んで振り返ると、もうドゥニネの一行は闇に呑まれ、そこからぼくたちに対しては何のテレパシーも流れてこなかったのである。
「ドゥニネがあんな連中とは、知らなかったな」
ザコー・ニャクルがぽつんと洩らした。
ザコー・ニャクルのその言葉に、いろんな意味が含まれているのを、ぼくは感知した。
ザコー・ニャクルははじめ、ドゥニネのことを、つまらぬ奴らだといったのである。軽蔑し、いまいましささえ覚えていたのだ。彼にとってドゥニネとは、粗末な身なりをし集団であちこち渡り歩いて、よくわからぬ説教をする奴ら――というだけに過ぎなかったのだ。戦争中なのに勝手な行動をしていることにも腹を立てていたようだ。それは、ザコー・ニャクルの言動にもはっきり反映されていた。
しかし、そのドゥニネの全部か一部かもわからないが、超能力者らしいと知り、ぼくとのかかわりによるものだとはいえ、自分たちを助け治療し、もの迄呉れたことによって、印象を修正せざるを得なかったのであろう。そしてザコー・ニャクルの心の中では、ドゥニネたちが何をしようとしているのか依然として不明であり、かれらがなぜそんなに親切だったのか、ぼくがそこでどう関係しているのか、弾が飛んでくるのを警告してくれたからというだけで、そんな親切をしてくれるものなのか、ぼくが持っていた手紙は何だったのか、という謎が残っているのもたしかだったが……(そして、その謎は大部分がぼくにとっても謎だったのだが)とにかく、これ迄は見下していたドゥニネが、自分よりも強力であり自分たちに恩恵を施し得る存在として位置づけられたらしいのである。と同時に、自分はダンコールの人間としてダンコールのことはあらかたわかっていたつもりが、知らない事柄も随分あるものだ――との気持ちにもつながって行ったらしい。
もっとも、ザコー・ニャクルのこんな心理は、何も読心力を借りなくても、共通の経験をしてきたぼくやボズトニ・カルカースには、充分推察できるものであった、と、いえるかも知れない。事実、ボズトニ・カルカースの思念は、そのことを裏づけてもいたのである。
が。
ちょっとの間、ザコー・ニャクルのその呟きによってもたらされたそんな気分は、いち早く現実に立ち戻ったボズトニ・カルカースの言葉で、どこかへ行ってしまうことになった。
ボズトニ・カルカースは、地図を検分しようと提案したのだ。
以前に自分からいいだした位だから、ボズトニ・カルカースは、ぼくたちが行こうとしているコースについて、ある程度は承知していた。が、実際に山の中へ深く踏み込むとなると、もっと詳しく調べ、距離や方向、それに目印となりそうなものを定めておかなければならないだろう、というのである。
至極理にかなった話であり、ぼくたちは即座に、そうすることにした。
だが、こんな暗闇なのだ。透視力があるわけでなし、地図を調べるとしたら、あかりが必要である。
ぼくは点火具を持っていた。伸縮電撃剣と共に制服のベルトに留めてあったのが、さいわい落ちもせず残っていたのだ。それを使えばいい。
とはいえ、道のまん中でそんな真似をするのは危険であった。こんな細い道でも道は道である。見通しがきくのだから、火をともしたら遠くからでもわかるだろう。ぼくはおのれの力を集中して、前方後方に誰か来る気配はないか探り、さっきのドゥニネたちの存在感とそれに周回道路の人々のごっちゃになったテレパシーしか感知できないのをたしかめたが、安全を期するにこしたことはない。
で……ぼくたちは道を外れて、樹々の間へ入った。左側はだいぶ低くなっているものの、まだ片面切り通しの崖なので、右手の周回道路寄りの、かなり大きな樹々がかたまっているあたりを選んだのだ。そこなら多少は光を隠してくれそうだったのである。
草を踏んで行き、樹幹が集まっているところで、ぽくたちはすわり込んだ。
点火具で火をともし、地図を調べる。
ぼくたちは自分らの位置の見当をつけ(それはむつかしい作業ではなかった。ドゥニネたちは、かれらが休息していた場所にしるしをつけていてくれたからだ)これからたどるはずのコースの、どこでどう曲りどう進んだらいいかの方角や目印を、ひと通り確認しにかかった。
ぼくは思うのだが、この場合、ふたりのダンコール人、とりわけボズトニ・カルカースが同行していなかったら、地図と磁石盤があったとしても、コースを把握して道を行くのは困難だったに相違ない。というのも、地図の記号が、ぼくの学んだネイト=カイヤツのものとはことなっていたからだ。それはあく迄もネイト=ダンコールの、ダンコール人のための地図なのであった。たしかにいくつかはネイト=カイヤツの地図の記号と共通したものもあるが、全く未知のしるしや、さらにはかたちは一緒でも意味する事柄がまるで違っているのもあるのだった。ぼくひとりでは途方にくれていたのではあるまいか。かりに降下にさいして渡された簡単な地図と突き合わせたとしても、うまく行ったかどうか疑わしい。降下直前に貰った地図は簡単過ぎたし、突き合わせてひとつひとつ何の記号かを推測していては、ひどく時間がかかったはずである。もしも何とか自分なりに解釈したところで、やはり疑心暗鬼のまま山に踏み入るしかなかっただろう。それに、ボズトニ・カルカースは、自分で通ったわけではないにせよ、ダンコールのネプトの人間として、そのあたりについて現実的な知識を持っていたのである。
ともあれ、そうした作業の結果ぼくが知ったのは、今の道から分岐した細道で山に入り、森の中を行かねばならぬということであった。途中、道らしい道を進むこともあるが、多くは歩行が容易ではないのが予想される。だが山をふたつばかり越えれば、あとは森が林になり疎林になり、視界の開けた斜面を、ネプトに向かって降りて行く――ということであるらしい。その間、小さな池とか集落とかの目印もあるようだ。
「行くか」
ぼくたちは確認を終えると火を消して声を掛け合い、その場をあとにしたのである。
ぼくたちは暗い山へ踏み込んだ。
うっかりするとつまずくので、気をつけて進まなければならない。
しかし、ボズトニ・カルカースは平気で歩けるようになっており、三人共ずっと元気になっていたのだ。
ぼくたちは、下生えを踏み、垂れさがった樹枝を手で払いながら、くらがりの中を登って行った。
ときどき、磁石を出して方角を見定めもした。そのためには火をともさなければならず、磁石盤を中心に三人の顔が浮かびあがることになる。
はじめのうち、ぼくたちは割合によく口をきき合った。暗いな、とか、もうすぐもっとましな道に出るはずだ、とかの、大して内容のない会話である。が、登りつづけるうちに喋ることさえおっくうになって、あとはたまに短いやりとりをするだけで、ほとんど黙々と進んだのだ。
――と、こんな、歩きづらい闘の中でありながら、ぼくが例によって想念を追うことになったといえば、不思議だろうか?
もちろん、それは本気で考えに耽《ふけ》るというようなものではない。足元や行く手に注意しなければならぬ状態では、そんなことは不可能である。だから、とぎれとぎれに到来し生起する想念を意識していた、と表現するのが正確であった。
むしろ、そうでもしなければ、耐えがたかったともいえる。
白状するが、ぼくは、ひとりきりでこんな闇の山中を行けといわれれば、おそらく首を横に振っていたであろう。何が出てくるかわからず、いつ道に迷うか知れないのである。三人だから、そしてネプトへ行くという目的があったから、やれたことなのだ。それは多分、原始的で本能的な怖れ、不安ともいうべきものであった。
だが、ひょっとするとこんな気持ちは、自分が当面のこの瞬間、生命がおびやかされていないから生れるものなのかも知れない。撃ち合いをし、あるいは追われ、いつ死ぬかわからぬ状況では、闇の森であろうと何であろうと、しゃにむに進むはずである。それだけ今のぼくが、少しは楽な立場にある、ということであろう。
そして、もちろん朝になり明るくなれば、歩くのはもっと容易になるはずなのだ。
永い夜だ、と、ぼくは思う。
わが軍が夜のうちに順次陣地を出て移動するから準備しておけ――と、アベ・デルボが分隊長からの口移しの命令をぼくに伝えたのが、遥かに遠い昔のような気がするのだ。
永い夜は、まだ明けない、
あれから随分時間が経ったようだが……時計によれば、意外にそうでもないのである。まだ夜半を少し過ぎたというところなのだ。
だがぼくには永かった。
あれから、次から次へといろんなことがおこったのだ。
わが軍は襲われ、陣地は潰滅し、ぼくたちは自分の隊を見失い……コンドンは撃ち倒され、アベ・デルボは死んだ。
いや。
よそう。
できることなら考えたくない事柄を、わざわざよみがえらせて何になる?
他のことを考えたらいいのだ。
他のこと……。
ドゥニネはどうだ?
ぼくは、あのドゥニネのまとめ役の男の言葉を思い出した。
あの男は、私たちは最終的な平和の世界を実現させたいと願っている――といった。
それは新しい世界のはじまりであり、新しい世界ではそれなりのたたかいはあるだろうが、これ迄の世界のありようはひとまず終るのだ、ともいった。
どういう意味なのだろう。
言葉だけを考えれば、そんなことは到底あり得るとは思えない。
かれらは、それが可能だと信じているのか?
かれらだけが……。
しかし笑ってばかりもいられない。かれらは確信ありげだった。
超能力を持っているかれらがである。
かれらの超能力は、ぼくなどの知らないものも含んでいる。
ぽっと光る意識。
それに呼応する意識。
意識のべールだってそうだ。それも、存在感のある空白だけでなく、存在感のない空白さえ作り出せるのである。しかも、ぼくにはべールをおろしているとしか感じられないのに、相互に思念を伝え合っていたみたいではないか。
それに、合唱による傷の治癒。
そんなことのできる連中が、確信ありげにいい、そのための努力をしているというのである。
どういうことだ?
大体、かれらは何者なのだ?
かれらが、デヌイベやそれにエゼなどと同類らしいのはわかったが……それらは、本当は何者なのだ?
そして護符。
シェーラの呉れた護符だ。
今もぼくのポケットにあるあのシェーラの手紙は、何だというのだ?
たしかにこれは、護符の作用をした。ドゥニネたちがぼくたちを助け尽力するような作用をした。
護符には相違ない。
だが、なぜ護符なのだ?
どういう仕組みになっているのだ?
また……シェーラはなぜそんなものをぼくに送ってきたのだ?
ぼくは何なのだ?
ドゥニネのまとめ役の男は、ぼくがシェーラに身元と可能性を保証されているのだと説明した。
身元とは、ぼくが連邦軍の兵士であるとか、そういうことではないのであろう。かれらの間での何かを示しているのであろう。
その身元とは何だ?
そして、可能性とは何だ?
ぼくに、どんな可能性があるというのだ?
わからない。
考えようとすると、余計にわからなくなるのだ。
…………。
という、こうした想念が、とりとめもないものであるのは、やむを得ないことであったろう。
くはおのれの存在をたしかめるために、とぎれとぎれの想念を弄《もてあそ》んでいた気味があったのだ。
しかもこんな想念追いは、あまり長くはつづかなかった。
ぼくたちは、思わぬものに出くわしたからだ。
その頃にはぼくたちは、樹々の間の急な勾配をどうやら越えて、平坦といってもいいようなところを歩き……幅一メートル位の、とにかく道と呼んでもおかしくない道に出ていた。地図によればそれは、ロンホカ湖北方に点在する小さな集落を結んで伸びる長い道で、ぼくたちはその道をしばらく行ってから、また細道に分け入るはずであった。
そういう、ちゃんとした道であれば、誰が通るかわからず、それが敵である可能性もあるのだが、しかし、その道へ出たぼくたちがほっとしたのは否めない。歩き易いのが恩恵のように感じられたのだ。
が。
その道に入って間もなく、ぼくは、道の端に何か物体が置かれているのを認めたのである。
盛りあがっているのが、夜目にも見てとれたのだ。
「何だ?」
ザコー・ニャクルも、気づいていった。
ぼくは近づいた。
近づくうちにも、ぼくは、予感というか想像が起きあがってくるのを、覚えていたのである。
ひょっとしたら……。
ぼくはその物体の傍に来て、点火具をともした。
そう。
それは、制装姿の……味方の兵の死体だったのである。
やって来たザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、そうと認めると、無言で立っていた。
「あれは?」
ボズトニ・カルカースが、闇を透かしながらいった。
もう少し先に、またひとつ。
ぼくたちは、それもまた、だが制装のヘルメットをなくした死体であるのを知った。
そうなのだ。
ぼくにはわかった。
考えてみれば、ああいう戦闘があって……しかもそうした戦闘は、ぼくたちのメネの陣地だけではなかったはずである。そして他の陣地も潰滅したとすれば……多くの味方の軍兵が、撤退、退却し、さらにわが軍がネプトを守るかたちで陣をしいていたことや、ぼくたちの隊がネプトへ向かったということも思い合わせると、みながネプトヘネプトへと後退して行ったのではあるまいか。その中には負傷者もたくさんいたであろう。かれらが撤退のうちに死亡して、葬るゆとりもないままに道端に放置されたというのは、充分考えられることなのだ。
むしろ、そうした死体にこれ迄出会わなかったほうが不自然といえる。
いや。
撤退した軍兵は、やはり、通り易い道を通った――ということではあるまいか。ぼくたちはロンホカ湖周回道路へ出ようとして、周回道路があんな状況だったので、その上の道を行ったけれども……ぼくたちが敵に遭遇したところからも推測できるように、そこは危険であると判断されて、まっすぐ山の中へ入りこの道を進む、ということになったのではないか? 大勢の軍兵が移動するとなれば、少しでも良い道を選ぶほうが能率的なのである。だから、違うコースをとったぼくたちは、これ迄味方の死体を見掛けなかったのだ。
それとも、ぼくたちがたどった道にも、実はそういう死体があったのだが、ぼくたちは気がつかなかった、と、いうことなのであろうか?
いずれにせよ……味方の兵が埋葬もされず遺棄されているというのは、それだけ混乱がひどく、死者に礼をつくしている余裕もない――敗軍行だと解釈するしかないのだ。
味方は、そこ迄徹底的にやられたのか?
それほど迄、打ちのめされているのか?
道端の死体を、だが、ぼくたちはいちいち埋葬してやるわけには行かなかった。気の毒だが、ぼくたちにはその時間が惜しかったし、そんなことをしているうちに敵に発見されるかも知れないのだ。
ぼくたちは、進むしかなかった。
行くうちに、道端には黒い盛りあがりがいくつも、あちらにひとつ、こちらにひとつという具合にあるのだった。
それも、カイヤツ軍団の者だけではない。制装は制装でも、ぼくの知らない形状のものがまじっていたのである。
やはり、これではぼくたちにはどうしてやることもできない、とぼくは自分にいい聞かせた。はじめに二体の死者を見捨ててきたときに、うしろめたくなかったといえば嘘になるが……こうたくさんの死者が放置されているのでは、手に負えないのである。しばらくはひとりひとり点火具の火で検分していたぼくたちは、途中からそんなこともやめてしまったのだ。
この道をずっと行っていれば、ぼくたちはいよいよ憂欝になっていたに違いない。幸か不幸か、ぼくたちは間もなく、その道を外れて、細道に踏み入ったのである。
またもや、闇の中での、樹枝に気をつけ下生えに足をとられないようにしながらの登りであった。そしてその時分になると、馴れたせいだろうか、樹々の間の夜空がわかるようになったみたいだったのだ。判然とではないけれども、何となく感じ取れるようだったのである。ひょっとすると超能力に助けられていたのだろうか? それとも、ただの錯覚だったのか? ぼく自身にも、何ともいえないのだ。
それにしても、歩きづらいのはたしかであった。今しがたの道を行っていれば楽だったろうな、と、ぼくは思ったりした。なるほど、ほとんど平坦だったといっても、あの道がいずれ登りになったのは間違いないだろうし、死体がごろごろしているのはやり切れないにしても、あれはすくなくともちゃんとした道だったのである。
「さっきの道は、遠回りになったのだろうな」
ぼくは、いっても意味のないことを口にした。地図で、その道が大きくカーブしていたはずなのを、何となく覚えていたのに、である。
「その通り」
ボズトニ・カルカースが受けた。「それに途中、いくつもの村の中を通ることになる」
そう聞くだけで、充分だった。
それらの村々のうちには、すでに敵が入っているかも知れないのだ。でなかったとしても、村人たちがぼくらに好意的だという保証は何もないのである。メネのように破壊されていたらもちろんのこと、ぼくたちをたたかいながらぶざまに負けた連中として、あるいは単に兵隊だというだけで、憎んでいるかもわからないのだ。村人が敵に通じているおそれもあるだろう。そんなところへ、多人数でならともかく、たった三人でのこのこ入って行くなんて、やめたほうがいいのであった。
ドゥニネたちも、そのことは承知していたのだろうか? かれらはぼくたちに最短距離のコースを示してくれたが、最短距離といっても、全く道のない森の中をやみくもに突っ切るわけではなし、多少の無駄があるのはやむを得ない。それなりの選択も必要になるのである。かれらは、そうした村々を避けるコースを地図に記入してくれたのか?
わからない。
でも、まあ、もうどうでもいいことであった。
それよりも……。
また無言でだいぶ登り……ぼくは、気になりはじめていた事柄をたずねた。
「このあたりに、危険な動物はいないのか?」
「テグエ、かな」
ザコー・ニャクルが答えた。
「昔はかなり多かったようだ。しかし今はこのへんでは、滅多に見掛けないという話だな」
ボズトニ・カルカースがあとを引き取り、補足した。「だが、テグエは襲いかかる前に、必ずやかましく吠えたてる習性があるから、武器さえあれば安心だ」
そのボズトニ・カルカースの心に、四足獣のおぼろげな姿が浮かんでいた。比較する対象がないから、はっきりとはいえないが、ボズトニ・カルカースの感覚から察すると、体長一メートルか一メートル半位ではあるまいか。
獲物をとらえるのに、そんな習性があるのでは、逃げられてしまうから具合が悪いのではないか――と、ぼくは思い、それとも威嚇して集団で獲物を追いつめるのか、と、考えたりもしたが……とにかくそういうことならあまり心配しないでもよさそうだから、ぼくは頭の中から、そのテグエとかいうのを追い払った。
が。
奇妙なほど、足が重い。
腕にしたって、だるいのである。
ぼくは突然、それが疲労と眠けのせいなのを悟った。当然そうでなければならなかったのだ。
なのに、そんなに自覚していなかったのは、緊張がつづいていたからだろう。ドゥニネたちの手当てを受けて腕が治り、当面は敵とたたかわずに済む状況で、地図に示された道順をたどる――という、これ迄とくらべるとはるかにましな状態になったから、にわかに意識したようである。
足元は、どうしたわけか、かなり歩き易くなっていた。勾配もゆるやかになったようだ。知らないうちに他の道と合流したのかもわからない。
現在ではこのあたりに、テグエとやらもほとんどいないのだとすれば、これはやはり主として人間が踏み固めた道なのであろう。人間というのはすごいものだな、こんな山の中でさえ行き来して、生きて、活動して……しかし戦争だ……人間たちは戦争をして……ネイト=ダンコールにネプトーダ連邦、もちろんネイト=カイヤツの、カイヤツ府の……ぼくはカイヤツ府のライカイヤツ地区の風景をまざまざと思い起こした。ハボニエがにやりと笑った。
ぼくは、目を開いた。
歩きながら、眠っていたようだ。
と。
がさがさと、樹枝や葉が擦れ合う音がして、あ、と、ボズトニ・カルカースが声を出したのである。
ボズトニ・カルカースも、歩きつつうとうとして、樹々の間によろめき入って行ったようであった。
「もう、あまり歩けんな」
さすがのザコー・ニャクル迄が、ぼそっと呟いた。
「どこか、適当な場所があったら、そこで眠ろう」
ものをいうのも面倒な感じだったが、ぼくは提案した。もうそうしてもいいときだと思ったのである。あのドゥニネのまとめ役の男も、睡眠をとるなら山の奥が安全だと忠告したことだし……。
ふたりは口の中で呻《うめ》くような返事をした。同意の思念が伝わってきた。
それでも、ぼくたちは、もう少し進まなければならなかった。樹々の間にちらばって下生えの上に横になるのは、やはりためらわれたからである。
そのうちに、まずまずという場所が見つかった。幹のひどく太い巨木が、やや平らになったところに立っていたのだ。
「不寝番をどうする?」
幹の横に来て、腰をおろす前にぼくはいった。
「やれる者がいるのならな」
と、ボズトニ・カルカース。
「そんなもの、もうどうでもいいではないか。何かあったらそれ迄だ。おれは寝るぞ」
ザコー・ニャクルが唸り、肩から背中にかけて負っていた防寒布を外すと、どさっとすわった。
「あなたも眠ったほうがいい。何かがおきるのなら、運命だ」
ボズトニ・カルカースもいった。
ぼくたちは、防寒布をひろげて身をくるみ、樹幹に背中をもたせかけた。
これでは無警戒になる。誰かが起きているべきなのだ。せめてぼくが起きていて――と、その気持ちだけはあったのだが……どうにもならなかった。ふわっと自分を包み込むものがあり、ぼくはたちまち眠りのなかへ墜落して行ったのである。
きれぎれの、脈絡のない夢を見ていたようだが、さだかではない。何もかもが薄っぺらなのだけがたしかだった。
寒さに、ぼくは目をさました。
空は、わずかに明るくなりかけている。とはいっても、空の存在が識別できる程度の、青味を含んだ黒に過ぎなかった。むろんぼくの周囲はまだ闇の中である。
寒い。
ぼくは、布もろとも身を縮めたが、大して効果はなかった。どだいこんな防備では、山中の戸外の夜明け前の寒気には対抗できないのである。
樹幹にもたれ身体を小さくして眠っていたせいか、あちこちが痛むけれども、全身の感じはずっと楽になっていた。
どうやら、こんな状況にしては、しっかりと寝たらしい。眠っている間に何もおこらなかったのも幸運であった。
「寒いな」
先に起きていたのかぼくの身じろぎにめざめたのか、横のボズトニ・カルカースが声を掛けてきた。
「ああ」
ぼくは応じ、ザコー・ニャクルはと、その意識をさぐろうとした。が、ぼくがさぐりあてる前に、ザコー・ニャクルはううんと声を発し、むくむくと起きあがった気配である。
「寒いな。かなわん」
ザコー・ニャクルはぼやいた。「焚火をしたらいいのではないか?」
「火は、やめたほうがいいだろう」
ぼくはいった。
こんな暗いところで焚火などしたら、その光が見えるであろうし、もっと明るくなったらなったで、煙が天迄立ちのぼるだろう。敵に発見してくれというようなものだ。
「そうだ。もちろんそうだったな」
ザコー・ニャクルはいい、それから声を出して、体をひねったり曲げたり、ついで足踏みをはじめたようである。
ぼくもボズトニ・カルカースも立ちあがった。
ぼくはぼくで、屈伸運動やその場跳びを開始した。起き抜けだからの寒さでもあるが、身体を動かすとあたたまるからだ。ボズトニ・カルカースも同じようなことをはじめた。
少しほかほかしてくると、ぼくたちはもう一度腰をおろした。
「歩いているとあたたまるだろうから、すぐに出発したらどうだ?」
ザコー・ニャクルがいい、ボズトニ・カルカースが反対した。
「どうせなら、もっと明るくなってからのほうが歩き易い」
「それもそうだ」
ザコー・ニャクルは、あっさりと折れた。
そんな中で、ぼくは何とはない違和感を覚えていたのだ。いや……他のふたりとは何の関係もなしにである。漠然とではあるけれども、何かが違っているような気分があったのだ。
「しかし、じっとしていると、また寒くなってくるぞ」
しばらくして、ザコー・ニャクルがまたいいだした。「そうだ。取っ組み合いでもしないか。勝ち負けには関係なしにだ」
「元気だな、ザコー・ニャクル」
ボズトニ・カルカースが、呆れたといいたげな声を出す。
そして、その頃には、空はまぎれもない夜明けの色となっており、ぼくたちのいるあたりにしても、お互いの動きが見て取れる位になっていたのだ。
「どうだ? やらないか?」
ザコー・ニャクルは、ぼくに挑戦した。
「やるか」
ぼくも受けた。
眠ったおかげで、たしかに身体はよく動くようになっていたし……またもや寒くなりかけていたし……勝ち負けに関係なしということなら、それも面白いと思ったのである。
なぜぼくが、勝ち負けに関係なしということなら、などと条件をつけたかは、わかって頂けるだろう。本気で勝負したりすれば、けがをしかねないのだ。けがをしなかったとしても、あとでしこりが残ってしっくり行かなくなるおそれがあるし、第一、体力のいらざる消耗になるからである。今は、できるだけ体力を温存しておかなければならぬ時と状況なのだ。取っ組み合いをするとしても、身体をあたためるだけが目的の、ほどほどのものでなければならないのである。だが……そうしたぼくの心の底には、白状するけれども、相手を見くびった、多分ぼくのほうが優勢であろうとの傲《おご》った気持ちが横たわっていたのを、否定することはできない。ファイターとしての専門的な訓練を受け、その後もずっと鍛えられてきたぼくが、腕の立つ専門家相手ならいざ知らず、そのへんの人間(というのはザコー・ニャクルに失礼であるのもわかっているが、正直いえばそんな気分だったのだ)に後れをとるとは、思えなかったのである。この点、ぼくには依然として気負いが残っていたのだろう。ファイター訓練専門学校の優等生であった時代のぼくが、不意によみがえったようでもあった。笑いたいなら、笑って下さっても構わない。
ぼくとザコー・ニャクルは立ち、向かい合った。
「元気なことだ」
ボズトニ・カルカースは呟き……それでも自分も腰をあげた。
むこうはどういうつもりなのだろう――と、ぼくは、ようやくよく見えるようになってきたザコー・ニャクルの顔に視線を当て、相手の心を読もうとした。
が。
読めない。
何も読めないのだ。
これは……。
ぼくは、額に手を当てた。
そうなのだ。
ザコー・ニャクルの心も、ボズトニ・カルカースの思念も……全然わからないのであった。
ぼくは、またしても非エスパーになったのである。
おのれの半分近くが、どこかへ行ってしまった感じだった。ぼくはこのところずっとエスパーで、エスパーであることに馴れ、自己の能力を活用してきたのだ、それを失うのは……どこか、翼をもがれたようであった。この前の――バトワの基地での演習中、非エスパーになったとき、すでにエスパーであることに馴れはじめていたぼくは、それ迄非エスパーに戻ったときとは違って、強い喪失感に襲われたのだが……今度はそれ以上に強かったのだ。ぽかりと自分の中に穴があき、自分がなかば自分でなくなったみたいだったのである。
「どうした?」
正面のザコー・ニャクルが、不審げに問いかけた。
「超能力が消えた」
ぼくが答えた。「ぼくは不定期エスパーだといっていただろう。力が、なくなってしまったんだ」
「…………」
ザコー・ニャクルは、ぼくをみつめていたが、やがて、問いかけた。
「超能力がなくなったら、やって行けないのか?」
「いや」
ショックから、ぼくは少しずつ立ち直りかけていた。そうしようと努めていたのだ。そうするしか、ないのであった。「超能力がなくなっても……ぼくはぼくだ。やって行けるさ」
「じゃ、やろう」
ザコー・ニャクルは白い歯を見せた。「超能力がないのなら、おれたちは対等だ。身体と身体で、やろうじゃないか」
それが、ザコー・ニャクルのぼくを励ますためのいいかただったのか、内心しめたと思ったのか、ぼくには知る由もない。
「いいとも」
ぼくは応じ……ふたりは進み出て、腕と腕とをからみ合わせた。
ぼくは、相手の腕の力に、内心舌を巻いた。ぼくよりたしかに強い力だったのだ。
ぼくたちは、そのままのかたちで押し合った。
ザコー・ニャクルの押す力が優った。
ぼくは、右の腕を外すと同時に左を引き、腰を入れた。小当りで投げ技を試そうとしたのだ。腰がかかり、ぼくは体をひねった。
いや、ひねろうとしたのだ。
その瞬間、ザコー・ニャクルは自分の腰を外し、ぼくの腰を乗せると身を沈めた。ぼくは一回転して、地に叩きつけられていた。
信じられなかった。
あざやかな返し技だ。
「どうだ!」
ザコー・ニャクルが叫ぶ。
「まだまだ!」
ぼくが起きあがり、突進した。が……不用意に相手に突っかかったりはせず、浅く相手の腕をつかんだのだ。
ザコー・ニャクルは少し押し、後退した。力の入れ方、移し方が合理的なのを、ぼくは悟った。いい加減な技が通用する相手ではないのであった。
ぼくは、ファイター訓練専門学校での試合の心境に還っていた。そうでなければならなかったのだ。
誘いをかけた。
先方が、乗ると見せて引いた。
それをわずかに牽制し、むこうがぐいと押し出してくるのを……ぼくは反射的に体を低くしつつ両腕をせりあげ、右脚を飛ばして刈った。何も考えず、身についた技――ぼくの得意技が出て、相手は仰向けに宙に浮いた。そのザコー・ニャクルの体を、地面に打ちつけたのである。
「やったな!」
ザコー・ニャクルが、はね起きる。
「やめろ。そのへんにしろ」
叫んだのは、ボズトニ・カルカースであった。
ぼくはわれに返り、力を抜いた。ザコー・ニャクルも同じである。
もう、だいぶ明るくなっている。
「今のうちに、食べておくべきではないか?」
ボズトニ・カルカースがいったので、ぼくたちはまたすわり込んだ。
「お前、随分訓練したな。お前のネイトのそういう学校にでも通ったのか?」
ザコー・ニャクルがたずね、ぼくは率直にファイター訓練専門学校のことを話した。
「おれもだ」
ザコー・ニャクルはいった。「ネプトにもそういう学校がある。おれは学生で……喧嘩で他の学生に大けがをさせて、停学中だったのだ」
「強いはずだな」
ぼくは頷いた。
ザコー・ニャクルは、その停学中に戦争がこんな状態になり、義勇軍入りをしたのだという。
そして、ザコー・ニャクルのいった学校の名前を、ボズトニ・カルカースは知っており、そうだったのかといったが……ザコー・ニャクルがそこの学生で、停学になって云々《うんぬん》ということについては、ボズトニ・カルカースも知らなかったようである。ボズトニ・カルカースとザコー・ニャクルは、ほんの十日ばかり前の――義勇軍結成のさいに知り合ったのだということであった。それにしてはこのふたりにはまぎれもない友情があるようだが……お互い、気が合ったのであろう。
ぼくたちは、ドゥニネから貰った固形食品をひとつ食べ、例の液体を飲んだ。
そうしながら、ぼくは、もう一度確認せずにはいられなかったのだ。いや……これ迄はふたりの思念を読んできたので、言葉としてそれも真正面からたずねたのは、これが最初だったのだが……どうしてもネプトへ行くのか、と、訊いたのである。ぼくの場合は自分の隊を追うのだから当然だけれども、ふたりにはそんな義務はないのだし、敵の攻撃のしかたを考えればネプトへの包囲網を縮めて行く感じであり、ネプトに残った市民のみならず味方の軍兵、さらにはひょっとすると避難民たちも逆流してきて、ネプトが人で膨れあがったら……地獄になるかも知れない、それでもネプトに戻るのか――と、質問したのであった。
「地獄か。地獄になるだろうな」
ボズトニ・カルカースは微笑した。
「おれはネプトへ戻り、ネプトが最後の戦場になるのなら、ネプトでたたかいネプトで死ぬ」
ザコー・ニャクルがいった。「おれはネイト=ダンコールのネプトの人間だ。そして小さい頃に両親を失ったおれに、ネプトの人々は決して親切とはいえなかった。だが、ネプトはおれの都市だ。そして、お前が自分の隊を見つけ、おれたちと別れるということになったら、おれは学校へ帰る。官費で学べる今の学校は、おれをここ迄育て訓練してくれた。おれは停学中だが、学校の仲間と一緒にたたかう。学校は多分閉鎖されているだろうが、みんなと共に、最後迄たたかうつもりだ」
その言葉に、ぼくが胸をつかれたのは本当である。同じではないが、ぼくに似ていたのだ。それに、ザコー・ニャクルのそんな心情は……ぼくがまだファイター訓練専門学校にいたら、同様のことをしたであろうとも思ったのだ。
「私は、もうちょっと歪んでいるな」
ボズトニ・カルカースが口を開いた。「話したところで仕方がないし、話したくもないが……ネプトは私の人生を押し潰し、私の未来を奪った。そのネプトが亡んでゆくのを、この目で見たいのだ。いや……はじめはそう思っていた。だが今は……私の足をすくい私を迫害した連中と共に、たたかうだけたたかおうと決めている。私が憎みても余りある連中もろともに、生きている限りネプトの最後の日迄たたかうというのは……自分でも訳がわからない。わからないからこそ愉快だ」
「…………」
ボズトニ・カルカースがネプトでどんな目に遭ってきたのか知らぬぼくには……ボズトニ・カルカースの年齢にはまだ遠いぼくには……その心情は理解できたとはいいがたい。しかし、そういうこともあるのだろうな、というところ迄は、何となく感じとることができたのである。
「行くか」
ザコー・ニャクルが促すのを機に、ぼくたちは防寒衣を畳んで背負い、道のりを地図で確認すると立ちあがった。
夜はすっかり明けている。
ぼくたちは進みはじめた。夜の闇の中を行くのとは大違いで、前方を見ながら歩けるのである。歩行速度は二倍、いや三倍近くあがったのではなかろうか。
「あなたは、ネプトにいろんな人間が大勢流れ込むだろうといったな」
ボズトニ・カルカースが話しかけた。「ネプトはもともと、よそのネイトの人たちもたくさん来るし定住もしていた坩堝《るつぼ》のようなところだった」
「何のようなところだって?」
ぼくは問い返した。読心力があれば思念でわかったところだが……知らぬ単語が出てくれば、今はそうするしかなかったのだ。
ボズトニ・カルカースは、坩堝を別の表現で説明し、ぼくが了解するのを待って、つづけた。
「今度は、その坩堝の中がもっとごっちゃになって膨れ、爆発するのか。はなばなしい地獄だろうよ」
ぼくにはその口吻《くちぶり》が、むしろたのしげに聞えたのだ。
「…………」
不思議な心理だと思いながら、ぼくはあえて問い直そうとしたりはせず……何となく会話をつづける感じで、なかばひとりごとのようにいった。
「カイヤツ軍団の人間も多いだろうな」
「カツヤツ、か」
ボズトニ・カルカースは呟いた。「カイヤツといえば、……ネイト=カイヤツからも亡命者というか、逃亡者のような人が、結構ネプトに入ってきていたな。ネプトはああいう複合都市だから、身を隠すのに便利だったんだろう」
「亡命者?」
ぼくは、急速に湧きあがってくる記憶と懐しさのうちに、その名を持ち出していた。「ネイト=カイヤツからの亡命者といえば……エレン・エレスコブという名前を聞いたことがあるか?」
まさかそんなことがあるはずもない、と、あてにもせずに投げた問いだったが、ボズトニ・カルカースは、目を宙に向けて、ゆっくりと返事をしたのだ。
「エレン……エレス、コブ、か。耳にしたことがある。それとも、雑誌か何かで読んだのか……そう、そんな名のカイヤツ人がネプトにいるらしいとの噂は、あったようだ」
「…………」
ぼくは、胸が躍るのを覚えた。
だが……なぜそんな気持ちにならなければならないのだ、と、自分を嘲笑する声も、胸の中にはあったのだ。
ぼくはエレスコブ家を追い出されたのである。
そのエレスコブ家は……今……?
いや。
考えて、どうなるというのだ?
それに……エレンがかりにネプトにいるとしても……身を隠しているであろうエレンや第八隊の連中と、ぼくが出会う可能性は……なきに等しいのではあるまいか。
よそう。
考えても仕様がない。
そのとき、昇りはじめた太陽の光が、行く手の樹間を貫いたのである。ぼくはそこで考えるのを打ち切り、歩くことに専念した。
一時間も経たないうちに、ぼくたちは頂上に出た。
今度はくだりである。
ぼくたちの速度は、さらにあがった。くだりながら目をやると、樹々のかなたの下のほうに、地図で目印にしておいた池らしいのが、一枚の銀盤のように陽をはね返しており、これ迄たどってきたコースが間違っていなかったのを証明してくれたのだ。
くだりつづけると、問もなく谷川が見えてきた。谷川の上流、遠くのほうに集落がある。それもまた、目印のひとつであった。
谷の、大きいのや小さいのや石ばかりの中を水が細く流れている河原に来た頃、太陽はまだ中天に達していなかったが、ぼくたちはそこでしばらく休憩した。
ドゥニネたちの呉れた固形食品は、予想外にぼくたちの体力を支えているようであったものの、空腹になるのは防ぎようがない。ぼくたちはふたつめの固形食品を取り出して、だが、三分の一ほどかじるだけにとどめた。そのぶん、水でごまかさなければならない。と、ザコー・ニャクルとボズトニ・カルカースは、ドゥニネたちに貰った飲料を節約して谷川の水を飲んだ。ぼくもそうしたいのは山々だったけれども、異郷の水が身体に合うかどうか怪しいので、我慢するしかなかったのである。
それから、また方向を確認して、谷川を渡り、登りにかかった。この山を越えれば、あとはネプトへとつづくくだりの斜面になるはずなのだ。
登りはきつかった。
が……道そのものは、このあたりを往来する者が多いのだろうか、土が露出してかたちを成しており、迷うおそれはなかったのである。
一歩、また一歩と、足踏みしめて登りながら、そういう機械的な作業になったせいで、ぼくの脳裏には例によって想念がちらちらするようになった。しかし今度は、夜が明けて歩きだしたときにボズトニ・カルカースとやりとりをし思いがけず聞かされたエレン・エレスコブのことと、エレンにつながる第八隊やエレスコブ家についてが、どうしても主になったのは致し方がない。
が。
ぼくのそうした想念を、ここに書きつらねても退屈であろう。その内容たるや、ぼくがこれ迄何度も何度もしてきたのと、本質的には何の変りもなかったからである。想念のもとになる材料にほとんど新しいものがなく、加わったのはエレンがネプトにいるらしいこと(いたらしい、と、いうべきか)、それがダンコール人たちの間にも噂のひとつとして流れているらしいことだけで……そのネプトにいるらしいということだって、とうにライゼラ・ゼイ(そういえば彼女はどうしているのだろう。死んだのだろうか?)に、そんな話があると告げられていたのである。またもやここで同じようなことを繰り返すのは、くどいというものだろう。
ぼくたちは、山を登りつづけ……頂上に達した。
陽は、もうだいぶ傾いている。
その山頂に、やはり目印のひとつとしていた――石塔があった。錆びてたるんだ鎖に囲われた中に台座があり、十メートルほどの高さの、記念塔らしいものなのだ。
ぼくたちは、だが、塔よりもまず、そこから先を眺めた。樹々が切り拓かれたその山頂の小さな区画からは、はるかに開けた展望があったのである。
森が、しだいにまばらになりながら、山腹を下方へと広がっていた。そのかなた、あちこちに集落があり、道路が何本も走っている。遠いので、人間はおろか、乗りものらしいものも見えなかった。
そして。
ネプトだった。
まっすぐ正面の方向に、ビルや円屋根のひしめく都市があり、その背後にはもっと高いビル群。少し左に、全体が塊状に似たこれもビルの集団が……そのまた左に隣接して四角い箱型の巨大な建築物がそびえている。
あそこ迄いけばいいのだ。
ぼくたちは一分間か二分間、ネプトを眺めていた。
「あそこ迄、どの位かかるだろう」
ぼくはいった。
「さあ、徒歩では初めてだから……よくわからないが、五時間か六時間じゃないか」
と、ボズトニ・カルカース。
「――そうか」
ぼくは呟いたが……そんなものか、案外近いな、という気持ちと、まだそんなにあるのか、という気分が、同時に湧いてきたために、それ以上何もいえなかった。
そして、その言葉が、休息の合図のようになったのだ。
ぼくたちはきびすを返し、塔の下へ来た。
中に心棒でも入っているのか、下から上へと段々小さな石材を積みあげたその塔の、最下段の石には、何か字が彫られていた。相当古いものらしく、字は消えかけているが……ダンコール語の文字は知らないぼくには、読めなかった。
「これは何だ?」
ぼくは訊いた。
「戦勝記念碑だ」
ボズトニ・カルカースがいい、文字に顔を近づけた。「そう……戦勝記念碑だ。百年以上昔の戦争の……だが、どこのネイトとの戦争なのかは、私は知らないし、文字も消えていて読めない」
戦勝記念碑か。
古い……他ネイトとの、戦勝記念碑。
それを、ネプトーダ連邦が、ネイト=ダンコールをはじめとするネイト群が、ウス帝国とボートリュート共和国の連合軍によって敗れて行きつつある……その最期のときに眺めることになろうとは……ぼくは、傾いた陽を横に受けて音もなく立つその石塔を見ながら、皮肉なものを感じないではいられなかったのであった。
ぼくたちは、十分近い休憩ののち、山をくだりにかかった。
道はさらに良くなっている。
くだりなので、身体も楽だ。
しかし、くだりにかかるのと共に、樹々がすぐにぼくたちの視界をさえぎり、遠望はできなくなってしまったのである。
樹間のゆるやかなくだりの道を、ぼくたちは降りて行った。この樹々がそのうちまばらになり、視野がまた開け、やがてネプトだと思うと、足どりが軽くなるみたいであった。
だが、と、ぼくは苦笑したのだ。
ネプトに着いて、それからどうなる?
結局は、たたかって死ぬのではないか?
けれども、その思考は、中断されることになった。
「あれは――」
と、ザコー・ニャクルが、上空を指したのである。
ぼくたちは立ちどまり、樹枝のかなたの空を仰いだ。
黒い、大きなものが空にあった。真っ黒な先の尖った、カーブを描いて太くなる物体である。
巨大であった。その巨大さは、物体がゆっくりと移動して、先端が見えなくなってもまだ尾部が姿を現わさないことからも、わかる。空の一部がおおわれて、陽がかげったようで……事実、かげってきたのである。
茫然《ぼうぜん》とぼくたちが仰いでいるうちに、物体の尾部が目に入った。そのまま、音もなく天空を押し移り――ぼくたちの視界から去って行ったのであった。
あれは……。
あれは何だ?
「あれも敵か?」
ザコー・ニャクルが、それ迄の沈黙を破った。
あれは……。
敵だとすれば……これ迄に知らなかった敵だとすれば……。
「ウス帝国の艦隊かも知れない」
ぼくはいった。かも知れないといったが、そのとき、ぼくはすでに確信していたのである。
あれは、ウスの艦なのだ。
ウスの艦が、攻撃するのならいくらでもするがいいといいたげに、あの程度の高さを、悠々と通過してみせたのは……示威だったのだろうか? 他の目的でもあったのだろうか?
ついに、ウス帝国の艦が、ネプトの上空に出現したのか? 戦争は、ついにそういう局面に至ったのか?
ぼくの言葉に、ザコー・ニャクルもボズトニ・カルカースも、何も反問しなかった。かれらもまた確信したのだ、と、ぼくは思った。
無言のうちに、ぼくたちは、ネプトをめざしてスロープをくだって行ったのである。
[#地付き]〈不定期エスパー6[#6は□に6] 了〉
[#改ページ]
[#地付き](この作品は1989年6月徳聞書店より刊行されました)
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー6」[#6は□+6]徳間文庫 徳間書店
1992年8月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第6巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 27,562 baccadfce5c0f6846c5dc41c68cfd438
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
特に発見出来ず…。
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