不定期エスパー5[#5は□+5] 〈宇宙母艦エクレーダ〉[#〈〉は《》の置換]
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目次
エクレーダ
交 戦
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エクレーダ
ぼくたちは、エクレーダに乗っていた。
このエクレーダという艦名は、カイヤツにある湖の名前なのだ。とりたてて大きいわけでもなく、格別の名所もない湖なのである。ただ伝説によれば、かつて人々が開拓に入ったものの、ある年、全く雨が降らず……エクレーダという少女が雨乞いをして、十日間絶食をして死んだ。するとその直後から大雨になり、何十日も降りつづけて、とうとう湖になってしまった――のだそうだ。この伝説が何を語ろうとしているのか、ぼくにはよくわからない。この種の話にはしばしば教訓がついて廻るものだが、それだって、よほどひねくれた深読みをしなければ、理由づけもできないような気がする。とにかくそんないい伝えが残っているというだけの、何ということもない湖なのだ。
湖の名が、その少女エクレーダに由来するとあれば、艦名はむしろ少女の名をとったものではないか、と、考える人がいるかも知れない。だがそうでないことは、カイヤツ軍団の艦艇の名がカイヤツやカイヤントの地名をとってつけられており、地上戦隊の艦には一般に湖の名前が与えられていることからもあきらかである。
なぜぼくたちの艦がそういういわば平凡な湖の名を持つことになったのかといえば、ぼくたち第四地上戦隊が新編成の戦隊であり、艦艇も新造のものであって、有名な湖の名前はすでに種切れになっていたというわけであろう。いや……これはいい過ぎだったかもわからない。エクレーダ湖は一応は人々に知られてはいるのだ。あまり特徴がないというだけのことである。それに艦そのものの性能は新造だけに、いろいろとあたらしい工夫がほどこされているという話なのだ。妙にひがんだいいかたはすべきでなかろう。
ともあれ。
ぼくはこれで何度か宇宙船に乗ったことになるが、宇宙船とは奇妙なものだとの感覚をいまだに捨てることができない。
それはおそらく、ぼく自身の生い立ちと宇宙船とのかかわりに、無関係ではないと思う。
ずっと前にも述べたが、小さい頃のぼくはたびたびカイヤツ一級宙港へ行って、宇宙船の群を眺め、やがては自分もああした船で宇宙を旅することになるのだ、と、夢をふくらませたものであった。いうならばきわめて素朴にあこがれていたのだ。
これが順調に、当然のように宇宙船に乗り込む身になっていたら、はじめの驚きや違和感もしだいに消え、何となく、こういうものだと考えるようになっていたのではないかとの気分がある。ま、あくまでもこれはぼくの、そうならなかった状況に対する想像だから、実際にどうであったかは、何ともいえないが……。
しかし、予備技術学校を放り出されたあとのぼくは、宇宙船とか宇宙旅行への関心を失ってしまった。自分が技術者としての道を閉ざされ脱落して、多分そんなものとは生涯無縁になるだろうとの諦めが、そうさせたのかもわからない。おのれをみじめにしたくない自衛作用ともいえる。ともかくそのとき、いったん背を向けたのは事実だ。
ところが、思いもかけぬ事情でしかも否応なしにぼくは宇宙船に乗ることになった。エレスコブ・ファミリー号によるカイヤント行きがそれである。ぼくはエレンの護衛として緊張をゆるめるときもなく、時間を過さなければならなかった。
以来、宇宙船といえば緊張のイメージがぼくにつきまとっている。
そればかりか、カイヤツVにおいては、さらに別の感じがあった。
カイヤツVは、エレスコブ・ファミリー号などとは比較にならない巨船である。それ自体がひとつの社会であり、世界であるともいえるのだ。実際、船外では宇宙服の助けなしには生きてゆけないのだから、これは誇張でも何でもない。もちろんこのことはエレスコブ・ファミリー号でも同じであった。同じだったが、エレスコブ・ファミリー号ではぼくの感覚で船全体をとらえることができ、しかも宇宙空間を突っ走る乗りものとの印象があったのに対し、カイヤツVは大きくて、それだけで社会を構成していたのだ。のみならず、これだけ大きい一世界であるのに、やはり外は宇宙空間であるとの意識のせいで、いやでもこれは運命共同体であり、何かがおこれば全体に影響があるとの閉塞《へいそく》感が強くなるばかりだったのだ。拘禁され査問会を経験したりすればなおさらのことである。宇宙空間の中のごく小さな世界の癖にぼくを制限し、抑圧する場なのであった。
ネイト=スパからネイト=バトワまで他の入隊志願者と共に送られたとき、ぼくはそれまでの感覚の上に、またひとつあたらしいものをつけ加えることになった。ぼくたちはひとつの大部屋で寝起きしたのだ。閉じ込められた中で、対立したり憎み合ったり傍観したりしたのである。宇宙船内という限られた空間のそのまた一室で、お互いに心理的にも物理的にも距離を置くことがかなわず、うるさい人間関係がつづくのは、耐えがたいことであった。どうやら宇宙船というものは、それを細分化することで、人をいよいよいらいらさせ、無用の相剋《そうこく》をもたらすのではあるまいか、というより、本質的に人間の気持ちを歪める要素があるのではないか――と、思ったりしたのだ。
繰り返しになるが、ぼくが宇宙船に乗るにしても、与えられた席にゆったりとすわり旅をたのしんでおればいい……すくなくともそれが普通である境遇にあったならば、決してこんなことにはならなかっただろう。
そうなのだ。
宇宙船とはぼくにとって、本能的にたえず緊張し、運命共同体意識のもとに抑圧と閉塞感をおぼえ、お互い異常な心理状態の中で接しなければならぬものと化していたのであった。
それが今度は兵員として、前線へ出るために宇宙船に乗っているのだ。これまでは宇宙船そのものへの危険は、ないか、ないに等しかった。通常の宇宙旅行の危険性以上の心配はなかったのだ。今度は違う。前線へ出れば……いや前線に到着する前にだって、敵に攻撃されるおそれが充分にあるのだ。襲われたからといって、必ずしも艦が破壊されぼくたちが死ぬとは限らないであろうが、場合によっては一瞬にして艦が爆砕される可能性も存する。しかもこの不安は、乗船中ずっとつづいているのだ。ただでさえ宇宙船について奇妙な重い気分を持っていたぼくには、ひどい圧力であった。乗船したはじめの頃のぼくは、きっと顔色も良くなかったろうし、ふだんとことなる言動をしていたに相違ない。ぼく自身がそうと自覚していたのだ。
けれども、時日が経つにつれて、ぼくはそれほどの圧迫は感じなくなって行った。これは不思議なようだが、本当である。そうなった理由の第一は、乗艦して気が重くなりそれでも耐えているのは何もぼくだけではないらしいと悟《さと》ったからであった。みんな、大小の差こそあれ、ぼくと似たような状態にあったらしいのだ。意外なことにそれは、ぼくのようにはじめて出撃した者だけでなく、戦闘体験のあるベテラン――たとえばガリン分隊長ですら例外ではなかったようなのである。でもそれはそうだろう。いくらベテランといえども……というよりベテランで戦闘経験があればなおさら、前線へ赴《おもむ》くというのに上機嫌でへらへら笑ってなどいられないはずである(もっとも、ぼくは当初、何人かの兵隊が何かといえば高声立てて笑ったり、やたらに他人の肩を叩いて励ましたりするのを目撃したが、それは強がりであり、あるいはヒステリックな反応だったようである。その証拠にかれらは二、三日経つとすっかりおとなしくなってしまった。あるときなどはそんな真似をしていたひとりがだしぬけにわっと泣きだすのを見て驚いたこともあった)。
――という、他人の様子によっていささか気が楽になったこともあるが、何といっても大きかったのは慣れであろう。人間、心配をつづけていると、気持ちをまぎらすために日常の仕事に積極的に取り組むものだし、神経もいつしかしびれたようになって、そう四六時中は考えなくなるものだ。心理学的にはこれこそが抑圧であり、こんなことがある程度以上つづけば、異様な言動を示しはじめたり暴発したりするとされているのであろうが……それを強引に統制しているのが軍隊の規律であり、ひいては戦闘時にそのエネルギーを爆発させるように仕向けるのではないか、と、ぼくは思う。
そんなわけで、エクレーダ上の兵員となって数日のうちに(心底の深いところではともかく)ぼくは表面的にはどうやらふだんの自分に還り、艦内の生活にも順応して行った。ところで……ここでひとつ、告白しておかなければならない。その時分からぼくは、自分のものの見方に、従来はそれほど明瞭とはいえなかった要素が浮かびあがり、強まりはじめるのを自覚していたのだ。
一言でいえばそれは、自己が属しているものを相対的に客観的にとらえるという意識である。
ぼく自身を、ではない。
ぼくが属しているものを、だ。
ぼくは、自分自身については比較的早いうちに突き放して眺めることができるようになっていた。親の庇護《ひご》を失い、自力で道を拓《ひら》かなければならなくなった人間は、しばしば壁にぶち当たる。そこに壁があるからと泣き言をいっても仕方がない。甘えは許されないのだ。自立して行こうとする限り、いやでも目の前の状況を分析し、対応を図らねばならない。その分析と対応には、当然、おのれが何であり、どう位置づけられる存在であり、何が可能か――との把握《はあく》と認識が欠かせないのである。自分自身を実体以上に高く評価し周囲の無理解や非情さを憤ったところで、何の解決にもなりはしないのだ。おのれというものを冷静に見直し、どうすれば自分が壁を突破できるかを考え、必要とあればおのれの能力を高めたり自己変革もやらなければ、ひとり立ちなどできはしないのである。ま、世の中にはそんな真似をしなくても結構うまくやっている人間もいるのだが――それはたまたま幸運に恵まれつづけているか、自分が何かの保護下にあるのを悟らない、あるいは認めようとしない連中なのではあるまいか。ぼくにはとてもそんなことは期待できなかったし、もしそうなったとしても、いさぎよしとはしなかったであろう。何といわれようと、ぼくは自分の経験を通じてつかんだおのれの流儀をつらぬくしかなかったのだ。ぼくが真面目過ぎるとか依枯地《いこじ》だとか見られるとすれば、こういった考え方や生き方のせいなのかも知れない。何にしてもそんなわけで、ぼくは自分を第三者の目から見てどうだろうと値踏みをしたり、自分が全体の中でどんな立場にあるのか見極めたりするのを、割合抵抗なくできるようになっている。それでも他人からすればまだまだ不充分かもわからないが……すくなくとも、つとめて自分を突き放して眺めるようにはしているのだ。
しかし、自分自身をそんな風に見ようとするあまり、ぼくは、自分が置かれている環境を過大評価していたのではあるまいか? まずおのれが属する、または属することになる場を見定め、そこでどうやって行くべきかを考える結果、環境を絶対視していたところがあったのではないか?
ファイター訓練専門学校にいた頃のぼくは、良き学生であろうとした。模範生になろうなどという気ははじめからなかったけれども、ファイター訓練専門学校の学生にふさわしい実力をつけ、できることなら腕で上位を競ってもみたい、と、努めたのだ。ぼくはファイター訓練専門学校に属し、ファイター訓練専門学校がぼくの全世界だった。
エレスコブ家の警備隊員としてのぼくは、結果としてはエレスコブ家から放り出されたにせよ、ちゃんと務めたと信じている。あんなエスパー化という不運(ことエレスコブ家のエレンの護衛員としては、あのときああなったのは不運というべきであろう)やトリントス・トリントの持って廻ったしっぺ返しがなかったら、ぼくは今でもれっきとした護衛員として勤務しているはずである。エレスコブ家にいたときのぼくは、エレスコブ家警備隊員の枠をはみ出さないようにしていた。ぼくはエレスコブ家に属し、エレスコブ家がぼくの基盤だったのだ。
ネプトーダ連邦軍カイヤツ軍団の兵士としても、ぼくは真剣に努力し、一人前の兵士になろうとした。現在でもそうである。でなければみんなに仲間として扱ってもらえないのみか、身につけるべき事柄を身につけなかったために前線で生命を落とすかも知れないからだ。ぼくは自分から望んで連邦軍に入ったのではないが、入った以上はその一員になり切ろうとしたのであった。ぼくは連邦軍に属し、連邦軍がぼくの全世界なのだ。
と、ここまで述べてくると、どこか変ではないかと感じる人も多いのではあるまいか。
ファイター訓練専門学校にいたときは、ファイター訓練専門学校がぼくの全世界であり、エレスコブ家警備隊に勤めていたときは、エレスコブ家がぼくの基盤であり、今は連邦軍がぼくの全世界だとなれば……ぼくにとってそれぞれはどんな関係にあるのだ、ということになるからだ。出てしまったあとは、そこはもう何の関係もないのか、と、問われかねない。
少し前までは、ぼくはこのことを深くは考えなかった。人間、何をするにも過程とか時期といったものがあって、終ってしまえば仕様がないのだ、と、漠然と解釈していたふしがある。その場その場で全力を傾注してゆくしかないのだし、それでいいのだ、とも思っていた。
ただ、誤解を避けるためにいっておくと、だからといってぼくは過去を捨てて顧みなかったのではない。むしろぼくは過去に愛着を抱き、過去のあれこれにとらわれがちなほうなのだ。だからエレスコブ家の警備隊員だった頃も、その暇があればファイター訓練専門学校を訪ねたりしたし、エレスコブ家に対したって、あんなかたちで追い出されたことへの怒りはあるものの、エレンや第八隊の隊員と共に任務についた日々、なかんずく死んだハボニエと一緒だった日々のことは、今でも思い出すたびに、懐しくなるのだ。
しかしこれは、ぼくの気持ちの問題に過ぎない。そうした感傷を抜きにして考えれば、やはりぼくがそのときどきに自分が置かれた立場の中で全力をあげてきたというのは、一種の刹那《せつな》主義であり、おのれが属する環境を絶対視してきたといえるのではあるまいか。
ぼくは、自分が属している場では、その場にふさわしい人間になろうとし、そこを出たあとは、懐旧はあるものの過ぎ去った通り抜けた世界と位置づけ、ひとつ、またひとつと置いて来ながら、それぞれを対等のものとして捉《とら》えてきた。当然ながらそうなると、現在自分のいる場ではむろんのこと、通り抜けてきた場についても、内側からの目のほうが優先する。かつてそのメンバーだったとの意識がそうさせるのである。
だが、それで本当にいいのだろうか――と、ぼくは思うようになったのだ。
自分自身を突き放して跳めるように、自分の所属する、あるいは所属した場を突き放して眺めるようにすべきではないのか? もちろんぼくはこれまでもしばしばそうした観点に立ちはした。が……それは当事者としての内部からの目とつねにないまぜになったものであり、独立したものとはいえなかったのだ。
――と、いうと、矛盾しているのではないかとの声が聞えてくるようである。
ぼくはたびたび、当事者としての視点の効用を説いてきたからだ。当事者でなければ見えないものがあり、それは関係外の者がいくら文句をつけ非難しようとも、厳然として存在するのであるともいった。
このことを、ぼくは否定するつもりはない。当事者の目、内側からの目は大切だと信じている。
だが、当事者であり内部の人間である者が、中途半端に外からはどう見えるだろうかと推測するのは、当人が考えるほど正確なものにはならないのではあるまいか? 当事者の立場、内部の人間の立場にこだわっている限り、そうした内部批判や外からどう見えるだろうかとの臆測は、ともすれば自己弁護につながる独善的なものになりがちなのだ。はじめから内部の目が主であり、臆測が従という関係が成立しているからである。自己の属する場を絶対視していれば、なおさらだ。
裏返しの蛇足《だそく》で申しわけないが、これは逆の立場からもいえる。つまり、外部の人間が生半可にわかったつもりで内部を推察し論断したところで、的を射たものにはなり難いということだ。ファイターとして、家の警備隊員として、また連邦軍の兵隊として、ぼくはこの種の評論に随分いらいらさせられたものである。
ではどうしろというのか――となるが、だからぼくは、当事者であることから全く離れた無関係そのものとしての目を、別に持つべきではないだろうか、と、いいたいのだ。それも、立脚点をおよそ異にした、きわめて客観的な見方であればあるほどいい。冷酷なまでの大きな立場から相対的にとらえるという、もうひとつの視点を併《あわ》せ持つことが必要なのではないか――との意識が、ぼくの中に浮かびあがり強まりはじめていた、と、いうことなのである。
そんな、いわば対極的なふたつの見方を、一個の人間が同時にすることなんて、可能だろうか?
正直いって、きわめて困難ではないかと、ぼく自身も思う。
が、……なろうことなら、そうでありたいのだった。
ぼくがこんなことを考えるに至ったのは、それ相応の事情がある。
かつてぼくにとって、カイヤツ府はすべてであった。ぼくはカイヤツ府の中にいて、他を知らなかったのだ。ぼくはぼくなりにカイヤツ府の良いところも悪いところも認識しているつもりだった。
これはこれで、問題はない。カイヤツ府の住人でありカイヤツ府を出たことのないぼくにはその通りだったのだ。
しかしぼくは、エレン・エレスコブの護衛員を務めるようになってから、カイヤツ府内でもこれまで行ったことのない場所へ、しばしば赴くようになった。経済省や大統領官邸や他の家々や、その他さまざまな場所へである。移動はたいてい車でだった。結果、ぼくの目に映るカイヤツ府の印象がだいぶ変ってきたのは否めない。
その次には、カイヤツ府近郊の工業地帯。
やがて、カイヤツ府を遠く離れたゲルン地方。……ヘベ地方……。さらには海を距《へだ》てた南西大陸のハルアテ東南地方へと、旅がつづいた。
この旅で、ぼくはそれまでまるで知らなかった多くの事柄や現象を見聞きした。今またここで詳述してもうるさいだけだろうから端折《はしょ》るが、それらはぼくに衝撃を与え感慨を催させたのだ。カイヤツといってもこんなところがあり、こんなことが行なわれているのか、と、信じ難かったのも一再ではなかったのである。
この経験のあと、あらためて見直したカイヤツ府は、もう、ぼくにとって以前のカイヤツ府ではなかった。むろんぼくの頭の中には、かつてカイヤツ府しか知らなかった頃の、そのイメージがちゃんと残存してはいたが……それとは全然違う目で見るようになった自分に気がついたのだ。
――と、ここまでいえば、あともほぼ想像していただけるのではなかろうか。
そうなのだ。
ぼくは、カイヤントへ行ったことによって、カイヤツを以前とはことなるとらえかたをするようになった。カイヤントへ行かなければ決して考えなかったであろうような目で、カイヤツを見ることができるようになった。
カイヤツに対してだけではない。
カイヤントからの目を持ったお蔭で、ぼくはネイト=カイヤツというものを、従来とは別の見地から考えることも可能になった。
カイヤツVに乗ってからも、同じである。
連邦登録定期貨客船に乗っている身でネイト=カイヤツに思いをはせたとき……ネイト=カイヤツというものがぼくにとって、すでに全世界でなくなってしまっていたのは、理解してもらえるだろう。ネイト=カイヤツは、ネプトーダ連邦の数あるネイトのひとつに過ぎないとの意識が、いやでも生れてきたのである。
ネイト=ダンコールのネプトに到着したあとは、その頭だけの意識が実感となった。ネプト宙港は手はじめに過ぎなかった。四つの区域から成る複合都市ネプトは、ぼくが漠然と予想していたものを遥かに越えた、ぼくには異質の都市だったのだ。ネプト市と出会ったのちのネイト=カイヤツは、そしてカイヤツ府は、ぼくの中で相対的に縮小し、未発達で非力なものとして映らざるを得なかったのである。
しかし……もうこの位でやめておくとしよう。
要するにぼくは、外へ出て、外から自分が属していたものを見直すことで、それまでよく知っていたつもりの事物が、違うものとして受けとめられるようになる――ということを思い知らされたのである。
かつてぼくの頭の中にあった認識は、それはそれで貴重なのだと思う。そういう認識だけをずっと持ちつづけている人がすくなくないだろうし、かれらと話すとなればそれが共通の土台になるからだ。第一、それはぼく自身の原点であり、ぼくが自分というものを考えるときに振り返らねばならぬ自己形成の過程なのだ。ぼくは捨てるつもりは毛頭ない。
だが一方、あたらしく獲得した視点は、ぼくが今後情勢判断をしたり生き方を模索したりするには、欠かせないのだ。そうした、元は自分が絶対視していたものを客観的にひややかに眺める目がなければ、所詮《しょせん》人間は自我と独断をみずから正当化し、狭い世界に閉じこもるしかないのではあるまいか。
両方の目が必要なのだ。
ぼくは、これまでともすれば絶対視しがちの観のあった自己の所属する環境や組織、あるいは所属していた環境や組織に対して、その対極的なふたつの見方を併せ持つようになりたいと思う。
が。
この意識は、自分でもあまり気がつかないうちに強くなりついには自覚するに至ったとはいえ、まだ、実地に具体的に行なわれるところまでは行かなかった。いや、果たしてそんなことが可能なのかについても、やはり疑念が残っている。今の段階では、そうありたいとの希望の域を、ほとんど出ていないというのが正確であろう。
やくたいもない告白で……退屈なさったであろうか?
食堂の掲示板に、あたらしい張り紙が出ていた。
きょうのタ刻、エクレーダに同乗している演技士のショーがあるとのことである。
それだけ見届けたぼくたちは、あとからつめかけて張り紙を見ようとする人々をかき分けて出、食事を受け取る列に加わった。
「この艦に演技士が乗っているなんて、知らなかったな」
ペストー・ヘイチがいう。
「演技士というからには、ちゃんと資格を持った本物なんだろうな」
アベ・デルボが受けた。「となると……おれたちの待遇もまんざら捨てたものじゃないぜ」
「どうかな」
鼻を鳴らしたのは、個兵長のコリク・マイスンである。「こんな、実戦部隊の艦に乗り込んでくるんだから、演技士は演技士でも、あまり売れていない連中に決まっているさ。仕事がないから、こんなところへ志望して来たんだ」
「何を見せてくれるんでしょうか」
ぼくは、コリク・マイスンにたずねた。
「さあな」
と、コリク・マイスン。「おれだって、艦に乗って出るのははじめてだし……。しかし基地へ演技士が来たときのように派手なものじゃないだろう。艦はたくさんあるんだ。エクレーダだけに大勢乗り込ませるわけには行かないはずだものな」
ま、それが理屈である。
しかしぼくは、基地での演技士のショーというのは、見ていなかった。それはぼくが基地に来る前にあったのだそうである。だからそのときのように派手ではないだろうといわれても、想像のしようがなかったのだ。
とはいえ、アベ・デルボではないが、演技士は演技士である。ネイト認定というのではなく、たしか演技士協会というのがあって、そこで資格を与えているようだが……プロはプロである。かりにあまり売れていないとしても、それなりの演技を披露してくれるのであろう。多少は期待したくもなるのであった。
ぼくたちは自分の受け台にセットになった食事を置いてもらい、空いた席にかたまってすわった。
「とにかく、夕方にショーがあるとするならば、その間は非常訓練はないと見ていいわけだ」
食事を口に運びながらコリク・マイスンがいう。「あの非常訓練って奴は、全く参るわい」
ぼくたち準個兵は、食べながら無言で肯定した。
実際、非常訓練というのは、いつ行なわれるかわからない上に、そのつど内容が変るのだった。実戦を想定してのことなのであろうが、眠っているところを叩き起こされて重制装を着込んだり、脱出用のハッチへ集合したり、あるときは全員その場で静止して息をひそめ何の物音も立てないようにしたり、照明が消えて非常灯だけになった中を居住区へ戻ったり……なのである。それでもたもたしていると、ガリン分隊長が噛みつきそうな形相でわめくのだ。分隊長だけならある程度馴れているが、へたをすると小隊長の長いお説教を聞かなければならない。睡眠時間や休息のときを削られてのお説教である。たまったものではないのだった。
とはいうものの、何度も非常訓練を重ねるうちに、これまでの基地での訓練のお蔭もあったのはたしかだが、ぼくたちの船内における動きは、だんだん無駄がなくなり、要領も良くなりつつあった。
また、そうでなければならないはずである。エクレーダには、艦の要員やいろんな人たちを別にして、ぼくたち純粋の地上戦隊員だけで千八百人も乗っているのだ。これがてんでんばらばらの動きをしては、収拾がつかなくなるであろう。
ぼくは、千八百人といった。
そう。
これは一部隊の人数である。
エクレーダは、第四地上戦隊を構成する四部隊のうち、第二部隊の、訓練を受けた兵員を搭載しているのだ。
もっとも……発進のときをさかいに、ぼくたちの部隊は第二部隊でなく、ハイデン部隊ということになっていた。部隊長(この前、ぼくがはじめて近くで顔を見たあの部隊長だ)がジョカール・ハイデンというので、その姓のハイデンをとった名称なのだそうである。
また余談になるけれども、ぼくは、部隊の名称を数字ではなく、部隊長の名をつけたそんな呼び方にするのはなぜだろうか、と、考えたものだ。多分、数字では間違いやすいからだろうし、第一とか第二とかの数字がついていると、敵にこちらの陣容を推察されかねないからではあるまいか。それに、人間は数字で呼ばれるより固有名詞で呼ばれるのを好むものだ。同じ固有名詞なら、部隊長の名前を持ってくるのがふさわしいし、全員の結束感も高まるということかも知れない。だがもし部隊長が戦死でもしたらどうなるのだ? 死んだ部隊長の名をそのまま使うのか? それともあたらしい部隊長の名に変えるのか? そんなにあっさりと切り換えてみんなの士気は低下しないのか? しかし……ぼくは自分の疑問をただすためにそんな縁起の悪い話を持ち出すというような、馬鹿な真似はしなかった。勝手にひとりで考えただけのことである。
「そういえば、艦には演技士だけでなく、いろんな人間が乗っているようだな」
食べ終った食器を重ねながら、コリク・マイスンがまたいった。「おれはきのう、観察要員というのに出会ったよ。うるさい女だった」
「観察要員? 何です? それ」
ペストー・ヘイチが問う。
コリク・マイスンは、二、三度首を横に振って答えた。
「戦争の様子を観察し、戦意高揚に役立ちそうなものがあれば情報としてネイト=カイヤツに送り出したりもするのが仕事らしい。食事はどうだとか、前線へ向かう気分はどうかとか、いろいろ訊きやがるんだ」
「そんな奴、追っ払えばよかったんじゃないですか?」
と、アベ・デルボ。「個兵長、相手が女なので甘い顔をされたのではないですか?」
「馬鹿いえ」
コリク・マイスンは唸《うな》った。「相手は現役軍人じゃないが、率軍待遇章をつけた役人だぞ。追っ払うなんてことができるか。ま……なかなかの美人だったことは認めるが」
「やっぱり、甘い顔をなさったのではありませんか」
アベ・デルボがひやかす。
「こいつ」
コリク・マイスンは腕を伸ばし、アベ・デルボは中腰になって逃げた。
「その観察要員というのは、かりにわれわれがどこかの地表に降り立って戦闘するとなったら、一緒に来て、観察するのでありますか?」
ぼくは、たずねた。
そんなのが一緒では、かなわない。
うっかりすると足手まといになるではないか――と、思ったのである。
「知らん」
コリク・マイスンはぼくに向き直った。
「艦内から外の様子を窺《うかが》っているだけなのか、それとも勇敢に出てくるのか……おれにはわからんよ」
その時分には、みんな食事を終えていた。
「行くか」
コリク・マイスンがいい、ぼくたちは食器を重ねた受け台を手に、腰をあげた。
それを返却し、通路を経て居住区に帰る。
通路といい居住区といい、エクレーダの中は、無駄なスペースを可能な限りなくすように作られている感じであった。ぼくがこれまで乗った宇宙船は、窮屈な気分を少しでもやわらげようとの配慮からであろう、どこかにゆったりした息抜きできる部分があったのだが(ああ、ネイト=スパからネイト=バトワにぼくが送られたネイト=スパの兵員輸送船は、似たようなものだったかも知れない。だがあのときのぼくたちは、船内をうろうろすることを許されなかったので、内部をろくに見なかったのだ)エクレーダはそうではない。地上戦隊専用の艦として、高速でかつ積載量は大にしなければならない上に、相当の頑丈《がんじょう》な外殻と戦闘能力を保持する必要があるのだから、旅行用の宇宙船では考えられないほど空間を有効に活用し、そのぶん、間違いなく居住性は悪くなっている。 やむを得ない仕儀であった。
突然――。
けたたましくベルが鳴りだし、スピーカーが声を流しはじめた。
「非常訓練。非常訓練。本艦は敵の襲撃を受け、人工重力生成装置を破壊された。各員はすみやかに持ち場に戻って、次の指令を待て。すみやかに持ち場に戻れ!」
「来やがった」
コリク・マイスンが舌打ちした。
そのときにはもう、ぼくの足は床から離れていた。
人工重力が切られたのだ。
「こんなところにいるときに、厄介なことをするもんだな!」
ペストー・ヘイチがわめく。
しかし、ためらっている場合ではなかった。命令は、すみやかに持ち場に戻れである。いいかえれば、重力なしの状態で、一刻も早く居住区にたどりつかなければならないのだ。今度の非常訓練の目的はそこにあるのだった。
ぼくの身体は、ゆっくりと進行方向右手の壁に接近していた。
といっても、とっかかりは何もない。
ぼくは天井を見た。
照明を嵌《は》め込んだ小さな丸い枠が目に映った。
「照明だ!」
ぼくはわめき、同時に、近づいてくる壁面を斜めに蹴っていた。
身体が反動で、照明の枠のほうへ流れてゆく。
枠に指先がかかった。
両手で枠をはさむようにし、力を入れると、ゆるやかに旋回しているぼくの下半身が、おもむろに停止してゆく。
足先がちょうどいい方向を向いたとき、ぼくはいったん動きをとめ、照明の枠をつかんだ両手をぐいと引き寄せて、離した。
身体が天井すれすれに平行に進んで、次の照明の枠の手前に来る。
同じ要領でまた枠をつかんで引き寄せ、次へと進んだ。
気がつくと、みんな、ぼくと同様のやりかたでついて来るのだった。
とにかく早く居住区にたどりつかなければならない。
天井すれすれに平行に動いて行きながら、ぼくはふと、今人工重力が入ったらどうなるだろうかと考えていた。床から見れば仰向けになって、天井に沿って進んでいるのである。重力が復活したら、たちまち落下して床に叩きつけられるであろう。
打ちどころが悪かったら、それまでかもわからない。
いや……投げられたときの身のこなしは、結構鍛えているつもりだ。すくなくとも後頭部を打つようなへまはせずに済ませることができるだろう。
自信はあったものの、一刻の油断もできなかった。今、重力がよみがえったら、今、落下したら、と、緊張しながら、前へ前へと行くしかなかったのだ。
通路の分岐点を右へ曲るときに、また時間がかかった。
居住区のドアが目に映ったときは、正直いってほっとした。
あとは身を屈して天井を蹴り、下へ行きながら、ドアのノブをつかむだけだ。だがこの頭を下にしての進行中、この瞬間に重力生成装置のスイッチが入れられたらどうしようもないな――と、ぼくは祈るような気持ちで天井を蹴ったのである。
ぼくは無事にノブにたどりつき、足を支えにしてドアを開くのに成功した。
だが、人工重力が生き返ったらというぼくの心配は、結局は杞憂《きゆう》であった。考えてみれば非常訓練を実施した側は、ぼくのような状態にある者がすくなくないであろうこと位、わかっていたはずである。予告もなしに不意に元の強さの人工重力を復活させるわけがなかったのだ。事実、十分近くつづいた無重量状態ののち、非常訓練終了のアナウンスがなされると、少し、少しずつ人工重力が戻ってきて、かなりの時間のあと、はじめの状態に還《かえ》ったのである。天井に貼りついていたとしても、ゆるゆると床に軟着したであろう。ぼくはあり得ないことにおびえていたわけだ。
もっとも、腹を立てたのは、ぼくだけではない。
「おれたちを玩具《おもちゃ》にしやがって! 遊んでやがるのか?」
と、コリク・マイスンなどはののしったし、そのとき食堂にいた連中などは、大半が食事をとり損なったという話である。食器が予告もなしに浮きあがって、中のものが宙でまじり合ったのみか、共に浮遊した者は服の至るところにしみがついたらしい。
この非常訓練は、ひどい悪評だった。
それに、持ち場へ戻れとの指令ではあったが、こういう事態を予想してふだんから訓練しているという艦の要員たちはともかく、はじめて艦に乗せられてそのとき居住区の外にいた者の大半は、人工重力が復活するまでに帰着することはできなかったのだそうである。ぼくの分隊にしたって四名ばかりの、食堂にいた連中が戻り切れなかったが……これでもまだ好成績のほうだったのだ。ためにぼくたちは褒められるところまでは行かなかったといい条、ガリン分隊長にどなられずに済んだし、もちろん、小隊長のお説教を聞くこともなかった。
ただ……この非常訓練を企画したのが誰であったのか、その当人が何らかの謎責《けんせき》を受けたのかどうか、ぼくたちは何も知らされなかった。
ぼくたちは、自分の武器の手入れをしたり、制装の点検をしたり、居住区の掃除をしたりの日常の作業に従事する一方、報告や連絡のために艦内を行き来し、ときどき哨番《しょうばん》にも立ったりする。
哨番は、エレスコブ家でエレンの護衛員だった頃のあの立哨と、本質的には同じものである。
しかし護衛員のときの立哨はエレンの部屋の警備であり、人員がすくないため非番になってもじきに次の立哨の番が廻ってきたのに対し、哨番の場所はそのときそのときでことなっていた。中隊長室のドアの横であったり機器庫の前だったり、いろいろである。しかも勤務はそうしょっちゅうというわけではなかった。場所によって中隊なり小隊なりが担当し、その哨番も順番に出されるのだ。艦内で妙な行動をする者がいようとは思えないし、おかしな振舞をする人間がいたら射殺しても差し支えないと言い渡されていたから、エレスコブ家での立哨よりは遥かに楽で、いささか退屈でもあった。さりとて、うっかり気を抜いて不測の事態にでも立ち到ったら、ただでは済まないのも事実である。やはり疲れる任務には違いない。
重力生成装置を切るという非常訓練があった日の午後遅く――。
ぼくは、予備品庫の哨番に出た。予備品庫という名称が示す通り、そこは補修や取り替えのための部品を納めた場所であり、これまで哨番に出たうちの分隊の人間の話によれば、滅多に出し入れがないところだそうであった。そのせいか、この哨番はひとりである。ふたりも置くほどの重要な倉庫ではないということだろう。
哨番に立ってから三十分もすると、ぼくは誰も来ない予備品庫の前で武器を携えて直立していることに、いささかうんざりしはじめていた。
と。
足音が近づいてきたのだ。
どうやら、二名の足音らしい。
すぐに通路のむこうに、そのふたりが姿を現わした。
男と女である。
男は録影機らしいものを太いベルトで肩から掛けている。
女は、手に小さな――録音機を握っているのだった。
ふたりはぼくの前に無造作にやってくると、足をとめた。
「ご用を伺います」
ぼくは、定められた通りにいった。
「取材をさせてくれる?」
口を開いたのは、女のほうである。女は派手な顔立ちの、たしかに美人といえるタイプで……軍の制服と似てはいるが開いた襟には、金色の一重の環の――率軍待遇章がついていたのだった。
取材|云々《うんぬん》の言に加えてそれだけ材料が揃えば、相手が何者なのか、ぼくはいやでも悟らざるを得なかった。
この女は、きょう食堂でコリク・マイスンがいった観察要員とやらに相違ないのだ。
ぼくは、あらかじめコリク・マイスンの話を聞いていたからそうとわかったわけだが、これが他の、例えば男の観察要員だったらどうだったであろう。あとになって知ったのだけれども、エクレーダに乗っていた観察要員は彼女ひとりではなかったのである。女と一緒の録影機らしいものを持ったぼく位の年配の男(彼は幹士待遇章をつけていた)もまた観察要員だったのだが、ぼくがいっているのは彼だけのことではない。他に何人もいたのだ。その誰かがやって来たとしたら、ぼくはコリク・マイスンの話と結びつけていただろうか? たまたまコリク・マイスンが出会った当人で、話と符合していたからぴんと来ただけだったのかもわからない。すくなくとも女でなかったら、ぼくは一瞬戸惑っていたのではあるまいか? むろんその後のやりとりでああそうかと思い当たったにしても、当面はこいつ何者だと疑っていた可能性がある。コリク・マイスンが出くわした女だったから良かったのだ。
いや待て。
相手がコリク・マイスンをつかまえていろいろ訊いたというその当人と同一人物だと、どうしていい切れるのだ? 率軍待遇章をつけた女性の観察要員がほかにいて、それもなかなかの美人――ということだって考えられるではないか。
この点、ぼくの直感なんて、随分怪しいという気がする。
だがまあ、ぼくがそんな感じ方をしたのは無理もないことであった。ぼくなどのような兵隊にとって将校はずっと上の人であり、小隊長以外は日常生活にあまりかかわりがないのである。それが正規の将校ならぬ率軍待遇の役人となれば、いよいよ縁遠い。ぼくたちにとって珍しい存在とさえいえる。観察要員などとなるとなおさらだ。だからとっさに、これはコリク・マイスンがつかまったその観察要員だと、決めてしまったのであった(事実そうだったのか否かは、のちほど判明することになる)。
だが、こんなところでごたくを並べたって仕様がない。こんなことは、そのときとあとになってからの気持ちをこちゃまぜにしているだけで……何もここでくどくど述べる必要はないのであった。
ともあれぼくは、これは観察要員だと見て取りながらも、相手の率軍待遇章に敬意を表して、姿勢を正した。
しかし、ぼくは哨番中である。
無用のお喋《しゃべ》りは許されない立場なのだ。
だから、すぐには答えなかった。
「どうなの?」
女が小首を傾けつつ、重ねて訊く。
「私は現在哨番中であります。率軍官」
ぼくは、前方をみつめたまま、無表情に答えた。
実をいうと、ぼくは相手をどう呼んでいいか、わからなかったのだ。
これが小隊長とか主率軍とかいうのであれば、れっきとした役職あるいは階級なのだから問題はない。だが率軍待遇というのは、いかにもあいまいなのだ。率軍といったって率軍長、主率軍、準率軍の三階級があり、総称すれば率軍官となる(ついでだがこれに率軍候補生は含まれない。率軍候補生は士官ではなく、準士官だからだ)。だが率軍官とは正規の軍人なのである。率軍待遇を率軍官と呼ぶのは間違いのはずなのだ。が……まさか率軍待遇と呼ぶわけにもいかないし、どうせなら格上げしたほうが無事だと判断して、そんないいかたをしたのであった。
「それはわかってるわ。任務をなおざりにしろとはいっていません」
女がいった。
ぼくは同じ姿勢で、黙っていた。
「わたしたちは観察要員よ」
と、女。「聞いたことがあるでしょうけど、わたしたちの仕事は、戦意高揚に役立ちそうなあらゆる事物を取材することにあるの。その権限も与えられているから、あなたは安心していいのです」
女が喋る間に、幹士待遇章をつけた男は、ぼくを録影しはじめた。ぼくの横手からはじめて正面に廻り、こっちを見ていうのだ。
「ちょっと、歩いてみてくれないか」
ぼくは微動だにしなかった。相手に取材の権限があるというのなら、録影されるのもやむを得ない。が……ぼくにはおのれの任務のほうが大切である。やたらにそのへんを歩くわけには行かないのだ。
男は舌打ちした。
「これじゃ絵になりませんよ、ライゼラさん」
「協力してちょうだい」
女がいう。
「私は現在哨番中であります。率軍官」
ぼくは繰り返した。
「仕様がないな」
男は呟き、録影機をぼくに向けつつ斜めに廻って――予備品庫の扉に当たりそうになった。
「それ以上は近づかないで下さい」
ぼくは素早くそちらへ向き直ると、レーザーガンを抜いて構えた。「しかるべき用もないのに扉に近づき過ぎると、撃たねばなりません」
男はあわてて扉の前を離れた。
「石頭!」
と、男は叫んだ。
ぼくは元の姿勢に戻る。
「録影は、もういいわ」
女は男にいい、それからぼくに声をかけた。「あなた、何て名前?」
「…………」
ぼくは無言だった。
「哨番は、やはりその位厳格でなければいけないのかも知れないわね」
女はいうのだ。「でも、せっかくこうして取材に来ているんだから、二つ三つ、質問に答えてくれてもいいんじゃない? あなた、前線へ行くのは初めて?」
「…………」
ぼくは依然として黙っていた。
その問いに答えても、別に問題はないかもわからない。しかし、一度返事をしたが最後、次から次へと質問攻めにされそうな気がしたのである。それらにいちいち答えていては、哨番にならない。
「前線で手柄を立てようと思う?」
女はまたたずね、ぼくは沈黙を守っていた。
「どうして答えないの?」
女は声をとがらせ、だがすぐに自制して調子を落とした。「いいわ。わかった。こっちから一方的に質問するだけでは不公平でしょうから、こちらの名前もいいましょう。わたしはライゼラ・ゼイで、これはドレン・カラック。どっちも観察要員なのは話したわね。さあ答えて。あなたの名前は? 前線へ行くのはこれが初めて? 手柄を立てたいと思う?」
「…………」
ぼくは答えなかった。
相手が先に名乗るということをしたのは、それが作法だと思ったからであろう。ぼくにはその気持ちは理解できる。けれどもそれはいわば民間のルールなのだ。非番ならともかく、哨番中の兵隊に口を開かせるやりかたではないのだった。頑固かもわからないが……ぼくはこれまでの態度に固執するしかなかったのだ。
「返事位したらどう?」
とうとう女は声を張りあげた。のみならずぼくの真正面へやって来て、録音機をつかんだまま腰に手を当てて、立ちはだかったのである。
ぼくの視野は、女に占領された。
怒りの表情のその女は、あまり背が高いほうではなかった。薄い眉毛に大きな目の派手な顔立ちで、どこかスポーツマン風である。が、そんな観察は瞬時のことであった。
「わたしを見なさい!」
と、女は床を踏みならして叫んだのだ。
「率軍待遇者として命令します。官・姓名を名乗れ!」
そのいいかたをされれば、返答をしないわけにはいかない。
「ハイデン部隊第一大隊第二中隊第一小隊第二分隊のイシター・ロウ準個兵であります」
ぼくは、正式に応答した。
「――よろしい」
女は肩を落とし、息をついた。それからぼくを上から下まで見て、低い声を出したのだ。
「イシダー・ロウといったわね。いい兵隊かも知れないけど……お馬鹿さん」
くるりときびすを返すと、通路を遠ざかって行く。
男もつづいた。
ぼくは、またひとりになった。
夕方になると、予告通りショーが開催された。
ぼくたちも観に行った。
もっとも、みんながいっせいに出掛けたわけではない。
艦内には、一時に全員が集合できる場所などは存在しないのだ。そんな大きな空問を作っておくほどの余裕がないのである。それに全員が一カ所に集まってしまったら、艦の機能が麻痺《まひ》するではないか。
それでも、ゆっくりとすわれば三百人やそこいらを収容できる集会室があるので……ショーはその集会室で開かれた。
それも、三回に分けてである。
ショーを見物したのは、艦内の全員ではなかっただろう。どうしても手を離せない人間がいるはずだし、ショーなどに興味のない者だってすくなくないに違いないからだ。それでも出掛けた人数に対して集会室は小さ過ぎた。ぼくたちの隊は二回めのショーに割り当てられたのだけれども、室内にはおえらがたのための椅子がそこそこあるだけで、あとは詰め合い、前の者は床にすわり込んでという、あのやりかたにならざるを得なかったのだ。他の回にしたって同じ状態だったに相違ない。
――などというと、会場の雰囲気が荒々しい、どこか手のつけられない感じのものだったと想像される向きもあるだろうが、それほどではなかった。これは多分、ぼくたちが隊単位で集められたために、ふだんの規律が幾分か残存する結果になったことや、おえらがた、女性の将兵もまじっていたことと無関係ではあるまい。それに、外が宇宙空間であり、われわれは艦という閉ざされた世界の中にいるとの意識も影響していたのではないかとぼくは思う。ぼくたちは日常、兵員としての生活を余儀なくされていたせいで、ふつうにこの種のショーを観るときよりは過剰に反応し、叫んだり野次を飛ばしたり、沸いたり拍手したりしたものの、無秩序な騒ぎを生むには至らなかったのだ。
その日の夕刻から夜までの間に三回行なわれたせいで、一回あたりの時間はそれほど長くはなかった。一時間二十分から一時間半といったところであろう。
ショーは、司会者の挨拶《あいさつ》からはじまった。前線へ出るぼくたちに敬意を表し、きょうは自分のほかに四名の演技士が演技を見せるといい、演技士の名前を挙げたのだ。
正直いって、そのときぼくは軽い失望をおぼえた。司会者もぼくの知らない人物だし、あと四人についても名前を聞いたことがなかったからである。やはり実戦部隊の艦に乗り込んでくる位だから、演技士は演技士でも、あまり売れていない連中なのだろう。その連中がたくさんの艦に振り分けられるとあれば、人数もすくなくなる道理だ――と、がっかりしたのだった。
観客の大多数がそんな気持ちだったのではあるまいか。
だが。
この、あまり期待しなかったことが良かったのかも知れない。
最初の、男女ふたりの軽業《かるわざ》は、型の通りにスタートした。ふたりが揃って宙返りをし、跳び、交互にかがんで相手を超えながら回転する、といったあれだ。
集会室に設けられた急造の舞台は、なかなか凝《こ》った照明で、演技者たちは見栄えがしたけれども、ま、演技そのものはそれほど目新しくはない。
しかし、ふたりの動きがしだいに速くなるにつれて、ぼくたちは惹《ひ》きつけられて行った。素人には到底できない修練された業なのである。終りのほうは見ていると目が廻りそうになったのだ。
ぴたりとふたりは動きをやめ、ぼくたちは喝采した。
つづいて男が高い竹馬に乗って出て来た。右へ左へと走り、それから一本を捨てると、残ったほうだけでバランスをとりつつ静止し足を離して手で棒をつかみ、ゆるゆると逆立ちするのだ。
しかし、いかにも危なっかしい。今にも倒れそうなのだ。事実、二、三度均衡を失って倒れかけた。
「しっかりやれ!」
誰かが、声を投げた。
それだけでもひやひやするのに、そこへ女が大きな球に乗って現われたのだ。こちらもあまり巧くなく、あっちへころがりこっちへ寄りしながら、何とか球の上で身体を支えている。そのうちに、男の棒にぶつかりそうになった。
男は逆立ちをやめ、棒にすがって、ぐらぐらと揺れた。倒れかかると棒と身体もろともに飛んで、何とか立ちつづける。
女はボールに乗って、周囲をめぐるのだった。
そのうちにぼくには、ふたりが頼りなく危なげに動いているものの、本当はそれも演技ではないのか、と、気がつきはじめた。
実際、そうだったのだ。
不安をそそるような音楽がにわかに変ると、ふたりは、これまでのはらはらさせる動きから一転して、あざやかに動きだした。楽々と交錯し、跳び、あげくの果てはボールと棒とを、宙で飛びながら交換して、男はボールの上、女は棒にと、移り、また元に戻り――を、繰り返したのである。
欺《だま》されていたのを悟った観客は、笑い、どなり、わあわあと拍手を送った。
これは案外な観ものになるかもわからないぞ、と、ぼくは、引っ込むふたりに拍手しながら考えた。ぼくが名を知らなかったとはいえ、演技士は演技士である。それだけの実力を身につけているはずだし、ぼくたちを充分たのしませてくれるのではあるまいか?
それに。
ぼくは不意に思い至ったのだ。
ぼくはこの種の演技に関しては、ろくに知識がない。といって悪ければ、せいぜい世間一般の人たち程度のことしかわかっていない。そのひとつひとつの技はもとより、演技士の世界そのものについても、ろくに通じていないのである。そんなに売れていなくても演技士たちの間では評価されている者もいるであろう。いや、演技士の世界では高名であっても、世間がまだよく認識していない者だって多いのではあるまいか? ぼくはファイターの出身という事情から、戦闘興行団についてはかなりの事柄を知っている。主なスターたちの得意技位は見聞きしたから、話すこともできる。が、戦闘興行団などに関心のない人や、たまたま一、二回、それも何とはない興味で見物した人にしてみれば、そんなことはよくわからないであろう。それどころか、戦闘興行団の世界ではつとに有名な剣士にしたって、世間的には無名といっていい者だってすくなくないのだ(ところで最近、戦闘興行はどうなっているのだろう、ともぼくは思った。ぼくがエレスコブ家の護衛員になった頃には、かつてのはなやかなりし戦闘興行はたしかに斜陽の観を呈していたし、カイヤツVに乗った時期には、あきらかに落ち目になっていたのだ。時代が、戦闘興行から離れて移りつつあったのである。あのイサス・オーノはどうしているだろう、との意識も頭をかすめたのだが……これはこのさい、直接関係がない)。これと同じで、ぼくたちはひとつの世界や分野を見るとき、自分ではよく知っているつもりでも、ほんの上っ面の、その世界では今更といわれるような大物、古豪しか目に映っていないのではあるまいか? とすれば……ぼくたちが、名を聞いたこともない演技士だといって軽んじるのは、失敬きわまる話なのかも知れないのであった。
ぼくがそんな想念を胸に浮かびあがらせているうちに、舞台には、やや太めの女が出てきた。
化粧も濃いのだ。
女は、奇術をやった。
あざやかな、馴れた仕草である。
そして、なかなか愛嬌《あいきょう》たっぷりなのであった。自分を笑い者にしながら、客を引きつける気味がある。女のぽってりした身体と、やり過ぎに近い化粧が、その感じをうまく増幅させていた。これだって計算の上のことなのに違いない。
奇術は、誰でも知っているような簡単なのからはじまり、たねを見破られたように見せながらその逆をつくという手法で、音楽の速いリズムに乗ってつづけられた。観客は大げさに沸くというのではなく、さざ波のように反応しつつ、演技者の手練に見入っていたのだ。が、それも少しずつ派手なものになり、みんなも驚きの声をあげたり、手を叩いたりするようになった。最後には、舞台に持ち込まれたベッドの上に横たわると、ベッド共々に上へあがって行って見えなくなったのだ。ややあってベッドが降りてくると女はおらず、観客の中から当人が舞台へ走り出てきて、お辞儀をした。ぼくは少し手品に興味を持った時期があり、簡単なものなら自分でもやれるけれども、専門家のを見ていると、何がどうなったのかまるでわからず、わからぬままにたのしまされてしまうほうである。そして、たねを推理したりもするのだが、最後のは、助手もなしにどうしてあんなことが可能なのか……すくなくともぼくが本で読んだ範囲からは手がかりはつかめなかったのである。ぼく個人としては久し振りにうまい奇術を見せられた気分で、満足だった。
三番めの出し物は、ぼくが初めてお目にかかる種類のものだった。ぼくはそれが何と呼ばれる芸なのか、知らない。いってみれば立体像との競演となるのかもわからないが、正確にはどうなのだろう。司会者もまた、ロキャックの演技と紹介しただけであった。ロキャックとは、演技士の名前である。
そしてあとで考えると、このロキャックの演技こそが、このショーの中心だったのだ。
演技が開始される前に、すでにセットされていた投写装置などが、もう一度点検され、舞台の奥にはスクリーンがぶらさげられた。用意が整うと、照明が消え、舞台はもとより、客席も暗くなった。
ゆるやかな曲が流れはじめた。
スクリーンには、森らしい風景が映し出されている。
ひとりの、円錐形の帽子をかぶったのが踊りながら登場した。それがロキャックだった。
ロキャックは、自分は幻の姫を求めてさまよう者であり、あらゆる困難を踏み越えて、姫と会わなければならないのだ――と、みんなに訴えた。
スクリーンに、幻の姫の姿が現われた。合成像だろうが、みごとに均整のとれた体と、淋しそうな美しい顔の少女である。まとった薄い生地のドレスが、風になびいているのだ。
ぼくはそのとき、エレン・エレスコブを思い出していたのである。エレンはもちろんその幻の姫のように頼りなげな少女ではない。もっと凛《りん》とした、美しさと同時に鋭さをも併せ持った存在なのだが……手の届かない高みにあるという印象だけは一緒だったせいであろう。
少女の姿が消えると、ロキャックは歩きだした。歩く格好をするだけで、うしろのスクリーンの景色が流れて行くのである。
と。
スクリーンのあかるさが消えて、闇になった。
闇の中、右手にたたずむロキャックが照らし出される。その腰に吊った細身の剣の宝石が、きらきらと光った。
すると左手から、七、八名の少女たちが踊りながら出てきたのだ。みんな、光そのもののようなべールをまとい、旋回しつつ寄って来て、ロキャックをとりまいた。彼女たちは妖精で、ロキャックを誘惑しようとしているのだ。
ロキャックはしばらく、その少女たちと踊った。少女らは軽やかな動きで宙に飛びあがり、ベールの色を変え、ときには消失して別の場所に出現したりした。
その、こまかく明滅するような少女たちのべールを目にしたときから、ぼくはそうではないかと思っていたのだが、出現したり消えたりするのを眺めるに及んで、もう疑う余地はなかった。彼女たちは実際にはその場に存在しない立体像なのである。
どうしてそんな立体像の操作が可能なのかぼくにはわからない。立体像そのものは、ぼくもときどき一流といわれる店のショーウインドウで見たし、動く立体像を観賞する機会も持ったことがある。そうした技術はネイト=カイヤツの開発によるものではなく、もっと進んだネイト――ネイト=ダンコールとかネイト=ダンランあたりから特許料を支払って輸入されたものだと聞いていた。だからロキャックの演技に使われているのも、多分そうした先進ネイトの、しかもあたらしい技術なのであろう。ともかく、そこに実物があるかのように、みごとなのであった。
しかし、気がつくといつかスクリーンに、幻の姫の姿がぼんやり浮かんでおり、ロキャックは手を振って、妖精たちを追い払おうとした。
ぼくは、あ、と、小さな声を洩《も》らしたはずである。周囲もどよめいた。
妖精の少女たちは、たちまち蝶に変身して、一群となり、ひらひらと飛び去って行ったのだ。その変身と飛翔が息を呑むほどみごとで、華麗だったのである。
ロキャックはすでに、岩だらけの道を進んでいた。
妖怪が行く手をふさいだ。
人間の顔を持つ、巨大なけもの。
それがみるみるロキャックと同じ大きさの人間になり、剣をふるって、襲いかかってきたのだ。
ロキャックは応戦した。
ふたつの剣が当たるたびに鳴る金属音は、おそらくあらかじめ録音されているのであろうが、現実に刀身どうしがぶつかっているように、ずれがなかった。
ふたりは渡り合った。右に左に入れかわり、妖怪に化けた男は宙を舞い、飛んで攻めかかる。
ロキャックは体をひねり、身をかがめてたたかった。
この剣さばきは、ぼくは断言するが、素人にはそうたやすくできるものではなかった。たとえその場面だけの数分間のやりとりであったにせよ、そこまで剣をあやつるには、相当な修練が必要である。
ついにロキャックは、相手を仕留めた。剣を刺されて妖怪は煙と化して、去って行ったのだ。
同時に、無数の化けものが、四方八方からロキャックに殺到してきた。ロキャックはそれらを叩き落とし、手で振り払い、つかんでは叩きつけた。それらの全体の動きが、まぎれもなく踊りになっていることに、ぼくは感嘆した。
やがて。
すべての化けものを叩き伏せたロキャックが手をさしのべると、スクリーンにはどこかの廃墟らしい風景が映り、舞台はその一部となった。噴水が水を噴きあげて……水の中から幻の姫が登場したのだった。
幻の姫は、なかば透き通りつつ、輝いていた。
ロキャックが片膝をついて頭をさげるのに、幻の姫は近づいて来たが……姫の手を、ロキャックは握ることができなかった。立体像だから当り前といえばそれまでだけれども、ぼくたちはそのことを忘れていたのである。
幻の姫は、所詮わたしは幻の身。そなたも幻でなければ触れ合いはかないませぬ、という。
ロキャックは、どうか実の姿に戻って下さいと懇願し、姫はかぶりを振る。わたしはもう実体に戻ることはできない、わたしと共に生きようとするなら、そなたも幻になるほかはない、と、答えるのだった。
ロキャックは剣を抜き、おのれの胸に突き立てた。
倒れた。
その倒れたロキャックの身体から、幻のロキャックが起きあがって来た、倒れたロキャックを置いて、幻のふたりは手をとり合い、奥へと漂ってゆく。その姿がスクリーン上のものと化し、さらに遠くなって……全体が暗転した。
舞台があかるくなる。
立ちあがったロキャックは、優雅に頭をさげ、片足を引いて喝釆に応えた。
全部で三十分足らずの劇であった。
話そのものも、昔話によくある型には違いない。
だが、本物の人間と立体像とスクリーンの映像がみごとに溶け合い一体となっていたことが、現実感と空想の両者をないまぜにし、不思議な感覚をもたらしたのだ。幻の姫が消えたのが、まだひとつの喪失感となっているのである。
「うまいもんだな、おい」
ぼくの横にいたアベ・デルボが、猛烈に拍手しながらわめいた。
「全くだ」
ぼくもいった。
それから……フィナーレになった。
陽気な曲に乗って、これまでの出演者が、司会者ともども舞台に出て踊り、歌ったのである。ロキャックが上手なのは当然だとしても、他の人々だって踊りも歌もうまいものであった。やっぱりみんな……演技士なのであった。
終って、ぼくたちはぞろぞろと集会室を出た。
第三回めのショーのために、入れ替えが行なわれるのだ。
ぼくたちは、あと、寝るまで非番であった。ショーのある間は、きっと非常訓練はないであろう。それともショーのときだからこそ、非常訓練をやるだろうか? いや、ショーを見損った連中がどれほど文句をいい非難するかを考えると、そこまではやらないに違いない。となれば、すくなくとも寝るまではゆっくりできるわけだ。
そのはずだった。
ところが、そうは行かなかったのだ。
集会室を出たところで、ぼくは、誰かが急ぎ足であとから来るのを感じ取っていた。だが、他の連中と一緒に歩いていたぼくは、自分が追われているのだとは気がつかなかったのだ。
「とうとう、つかまえたわ」
声がした。「イシター・ロウ、待ちなさい。聞えましたか? イシター・ロウ」
ぼくは足をとめ、振り返った。
ひとりの女が近づいてくる。
あの声だった。
観察要員の――たしか、ライゼラ・ゼイとか名乗った女だった。
そうと悟るや否や、ぼくは聞えなかったふりをして、前へ向き直ると歩きつづけようとした。
あんな女は苦手である。
観察要員というだけでも厄介《やっかい》なのに、あんな強引なのは、かなわない。
これが上官だったらそんな逃げるというような真似は許されなかっただろうが、相手は上官ではない。率軍待遇とはいえ、正規の軍人でもないのだ。むこうは取材の権限を持っているかも知れないにしても、こっちは必ずしも応じる義務はないはずである。
しかし……駄目であった。
ライゼラ・ゼイは追って来て、ぼくの肩に手をかけ、いったのだ。
「聞えているんでしょう? とまって、こっちを向きなさい」
ほかの連中が、ぼくとライゼラ・ゼイにちらりと目を向け、多分彼女の率軍待遇章を見て取ったのだろう、面白そうな表情をする奴もいたし、仕方がないという風に肩をすくめる者もいたが、知らん顔をして去って行こうとするのである。
「おい」
ぼくはかれらの背後から呼ばわったが、みんな、どんどん行ってしまった。
観念して……ぼくは向き直った。
「よろしい」
ライゼラ・ゼイはぼくから手を離し、ちょっと間を置くと、たずねた。
「今は哨番ですか?」
もちろん、ぼくが哨番などではないとわかっていて、たずねているのだ。意地の悪い女だ。
「そうではありません。率軍官」
ぼくは答えた。
「その率軍官というのは、やめてくれない?」
ライゼラ・ゼイはいった。「わたしは率軍官ではなく、率軍待遇なの。どうせ呼ぶなら観察要員といってちょうだい」
「わかりました。――観察要員」
ぼくはちゃんと立ったまま、仕方なく返事をした。
「ショーを見ていたのなら、今は非番なんでしょう?」
と、ライゼラ・ゼイ。
「そうであります」
ぼくは肯定した。
「じゃ、取材させてくれるわね?」
ライゼラ・ゼイは、録音機を少し持ちあげて見せながらいうのだ。
この女、どうしてぼくなんかにこだわるのだろう。
ぼくなどよりももっと適当な人間がいそうなものだ。
「返事は?」
ライゼラ・ゼイは迫る。
大きな目でぼくをにらみつけ……いや、何だか面白がっている表情なのだ。それに、こうして見返すと、相手はぼくより二つ三つ年上のようである。いうことを聞かない弟を無理矢理ねじ伏せて従わせようとする姉の趣があった。
「私以外に適任の者がいると思いますが。観察要員」
ぼくはいってやった。
「そうはいかないのよ」
ライゼラ・ゼイは、靴のかかとで床をこんこんと叩いた。「あなたがあのとき、あんまり四角四面だったから、興味が湧いてきたの。それにあなたの小隊長のキリー主率軍の了解も取りつけてあるわ」
「小隊長の了解を、でありますか?」
ぼくは反問した、
考えてみれば、ライゼラ・ゼイは率軍待遇の役人なのである。ぼくにとってはうかつに口もきけないキリー小隊長だって、彼女にしてみれば気軽に話せるはずなのだ。
しかし……キリー小隊長の了解をとりつけただなんて……。
「そう。観念しなさい」
ライゼラ・ゼイはいう。
「…………」
ぼくは無言で……なおもぼくの横を通り過ぎてゆく人々に視線を投げた。ライゼラ・ゼイが何を取材したいのか知らないが、面倒はごめんであった。できることなら逃げ出したいと思って……助かる方法はないか、目で探したのである。
うまい具合に、ぼくはガリン分隊長の姿を認めた。
「ガリン分隊長!」
ぼくは叫んだ。
ガリン・ガーバンはこちらを見て足をとめ、やって来た。
「何だ?」
ガリン・ガーバンはたずねる。
「イシター・ロウの分隊長ですか? わたしは観察要員です。イシター・ロウの取材をしたいのです」
ぼくが何かいおうとする前に、ライゼラ・ゼイが口を開いた。
「――は」
と、ガリン・ガーバンは、ライゼラ・ゼイの率軍・待遇章に目をやると、ためらった。
「キリー主率軍の了解ももらっているんだけど……何か……?」
と、ライゼラ・ゼイ。
そういわれれば、ガリン分隊長にもどうしようもなかったろう。
「失礼しました。どうかご自由に」
ガリン・ガーバンは答え、ぼくには、仕方がないだろうといいたげな表情を向けてから、敬礼し、大股で行ってしまった。
「さあ」
と、ライゼラ・ゼイは、それ見たことかという風に、ぼくを促した。「あちらの部屋で……わたしの取材に応じるのよ」
「…………」
「いいわね?」
「わかりました。観察要員」
ぼくは返事をした。
ライゼラ・ゼイは通路を、ぼくたちの居住区とは反対の方向へ進みだす。
ぼくはつづいた。
何を訊かれるのかわからないけれども……こうなったら、じたばたするのはみっともない、と、覚悟を決めたのである。
しばらく行くと、番号をしるしたドアがいくつもあり、ライゼラ・ゼイはそのひとつを押し開けて入った。
仕切られた区画が並んだ部屋だ。区画といってもその中に人がいるのがわかる程度の高さで、一、二の区画のデスクには誰かが入って仕事をしているようであった。
「ここでいいでしょう」
ライゼラ・ゼイはいい、手近の区画に踏み込むと、デスクを距《へだ》ててぼくと向かい合った。
「少し強引だったかしらね」
録音機を机上に置くと、ライゼラ・ゼイはぼくを見ていった。
ぼくは黙っていた。
「何とかいいなさいよ」
と、ライゼラ・ゼイ。
「私は強制されるのは好きではないのです。観察要員」
ぼくはいい返した。
「そう? でも、軍の任務はみな強制じゃなくって?」
ライゼラ・ゼイは、首をかしげて質問するのである。
「失礼ですが、それとこれとは違います。軍の任務は……」
ぼくは反論しようとして、やめた。何もぼくが軍の任務について講義することはないのだし、第一、相手がおかしそうに笑っているのに気がついたのである。
「何がおかしいのでありますか」
ぼくは、いってやった。
「悪かったわ」
ライゼラ・ゼイはやっと笑いをおさめたが、目にはまだその名残《なごり》があった。「だって……あなたったら、あんまり真面目過ぎて……いえ、ごめんなさい。それがあなたの値打ちなのでしょうね」
「…………」
ぼくは、どう応じたらいいのか、わからなかった。
「はじめから、お話ししたほうがいいかも知れない」
ライゼラ・ゼイは、デスクに両腕を載せるといいはじめた。「実をいうと、わたし、予備品庫の前であなたを見掛けたとき、驚いたの。哨番の兵隊さんはよく見るけど、あなたみたいにしゃんとして、近寄りがたい人は初めてだった。何ていうか、その、哨番になり切っているのね」
「…………」
ぼくは、内心赤面した。
あのときのぼくは、少々うんざりして、たしかにだらけかけていたのだ。そりゃ姿勢や顔つきは変らなかったにしても、緊張がいささかゆるみかけていたのはたしかなのだ。それを、そんないいかたをされると、本気か皮肉かわからないままに、ぎくりとしたのである。
「ほんとよ。あんなぴしゃっとした哨番なんて、滅多にいないわ」
と、ライゼラ・ゼイ。
真顔なのである。
「それは……光栄です」
ぼくは、なかば口の中で答えた。
ライゼラ・ゼイは本気でそう信じているらしい。ぼくにしてみればうしろめたいのだけれども……態度としては、そうだったのかも知れない。
となると……ぼくはやはり、エレンの護衛員だった頃の自分を、まだ保っているのではあるまいか? エレン・エレスコブのいる部屋の前でのあの立哨の感覚が、本能のようになってしまっているのかもわからない。ぼくはずっと前の、そう、護衛員としてエレンにお目見得をしたさいに、ハボニエともうひとりの女性隊員の立哨姿を見て、身の引き締まる思いがしたのを思い出した、ふたりとも鋼鉄のようにぴんと佇立《ちょりつ》し、眼光も鋭く、敬礼もみごとであった。そのときぼくは圧倒されたのだけれども……自分も勤務をつづけるうちに、いつかああなっていたのかも知れない。その習慣がいまだに残っているということではあるまいか? なるほどカイヤツ軍団に入ってぼくは兵士となるために鍛えられた。考えようでは軍の訓練のほうがずっときびしかったかもわからない。今だってきびしいのだが……軍では哨番の訓練をそんなにするわけではない。哨番はあまたある勤務のひとつに過ぎないのだ。ぼくはその哨番で、昔のエレンの護衛員としての態度を保ちつづけていたということであろう。
「そういう兵隊さんを取材したくなったってこと、わかるでしょう?」
ライゼラ・ゼイはいう。「わたしたちはネイト=カイヤツにいる人たちに、戦争の実態を知らせるのが仕事です。建前はそうだけれども、政府の仕事なのだから、結局は戦意高揚に役立つ、いわば格好のいいものしか通らない。ま、これは仕方のないことね。わたしなんかにはどうしようもないもの。でも、その格好のいいものって、なかなかないのよ。何かあっても、これまでに散々送られ、飽きられたものばかりで……といって、作りものはいやだし……。で、あなたを見て、これはいけると思ったの。この人を取材し、考え方を聞けば、兵士というもののひとつの典型を伝えることができるんじゃないかって」
「私は、とてもそんなものではありません、観察要員」
ぼくは、いわざるを得なかった。「それは買いかぶりというものです」
「そうかしら」
「私は、やっとみんなの一員になりかけているただの準個兵です」
「そうは見えないけど」
ライゼラ・ゼイはぼくを見やり、小さく頷《うなず》いた。「いいわ。その件についてはあとでたずねるとして……まず、一般的な質問に答えてちょうだい。ほら、またかという顔をして……。答えてよ。前線へ出るのは、これが初めて?」
「そうであります」
そこまで説明されては強情を張っているわけにもいかず、ぼくは答えた。それに、このやりとりで、ぼくの気持ちもなごみはじめていたのはたしかである。哨番のことを褒められたせいであろうか。人間なんて、手前勝手なものだ。
「いいわ。でも、ありますなんて、あまり固苦しくしないで、もっと楽に喋ってくれないかな。で……前線へ出るには、恐怖はある?」
「よくわかりません」
ぼくはいった。正直なところだった。
「こわいとは思うんでしょう?」
と、ライゼラ・ゼイ。
「それは、不安がないといえば、嘘になるでしょうが……私は兵士で、たたかうための人間ですから……そんなことは、すくなくとも今のところは考えておりません」
ぼくは答えた。
「でしょうね。ま、典型的過ぎる答だけど」
ライゼラ・ゼイは受け、身を乗りだすとまたたずねた。「それで、たたかいになったら、勇敢に振る舞って、手柄を立てたいと思ってるの?」
「…………」
ぼくは、二、三秒、黙っていた。
それからいった。
「お答えしにくい質問と考えます」
「どうして?」
ライゼラ・ゼイは不思議そうな表情になった。
「手柄などというのは、結果の問題ではないでしょうか」
ぼくは、考え考えいった。「私たちは与えられた命令に従って任務を果たす。それだけのことです。ことさら勇敢に振る舞おうなどとは思いません」
「つまり、個人プレーはしないというわけね?」
「しないというより、個人プレーがあってはならないのが戦争ではありませんか?」
ぼくはいった。「何はおいてもチームプレーでなければならないのではないでしょうか。いや……私のような者が、こんなことをいう資格はありませんが」
いささかいい過ぎだった、と、ぼくは後悔しながらつけ加えた。
「いいわよ」
ライゼラ・ゼイは笑った。「たいていの人が同じことをいうわ。わたしがしなければならない質問自体が、そういう返事を予想して作られているんだから。では、一般的な質問の最後になるけど……戦争をどう思う?」
「なければないほうがいいにきまっています」
ぼくは答えた。
誰でもそう答えるのではあるまいか。
「そうよね」
ライゼラ・ゼイは受け、それから何を思ったのか、首を伸ばして、他の区画を見廻した。
他の区画には、もう誰もいなくなっているようだ。
そうではなかった。
ひとつの区画を離れた男が、こっちへ歩いてくるところである。
男の開いた襟には、ライゼラ・ゼイと同様に率軍待遇章がついていた。
「まだ、つづけるのかい?」
通りがかりながら、男はたずねる。
「ええ。もう少し」
ライゼラ・ゼイが応じる。
「ご苦労さん」
いうと、男は部屋を出て行った。
「今のも、観察要員なのよ」
ライゼラ・ゼイは、ぼくに向き直るといった。「観察要員は結構たくさん乗艦しているわ。全部で十二人もね」
「――そんなに」
ぼくは、呟いた。
「これで取材はあらかたおしまい」
ライゼラ・ゼイは肩をすくめた。「今もいったように、わたしたちは取材対象に何をたずねるか、大体のところ定められているの。それからまず質問しろと決められているのよね。返ってくる答も大体いつも同じ……というより、兵隊さんの身になれば、そういう返事しか出来ないのに……形式的な定めを作っているんだわ。退屈だったでしょう?」
「それほどではありませんでした」
ぼくはいった。
嘘ではない。
質問自体は、何というきまり切ったことかという気がしたが……ライゼラ・ゼイの話がたしかに面白くなりかけていたのだ。最初は腹立ちと警戒心でろくすっぽ口をきく気にもなれなかったが、こうして話しているうちにだいぶ気分もやわらぎ、それと共に相手がなかなか個性的であるのがわかりはじめたのである。
「ところで、もう少し……もうちょっと立ち入った個人的な話をしたいんだけど」
ライゼラ・ゼイは身を乗り出した。「これは取材でもあり、取材でもなし……ということは、あなたにとって都合の悪いことは記録から除外するから……といっても、わたしの推量での除外だから、あなたの意に沿うかどうか、保証はできないけど……。良かったら答えて欲しいわ」
「何でしょうか」
ぼくは問うた。
「わたし、あなたのことを、少しばかりだけどキリー主率軍から聞いたのよ。あなたはファイター訓練専門学校の出で、家の警備隊員でもあったんですってね」
「そうです」
ぼくは肯定した。
「それも、エレスコブ家の、エレン・エレスコブの護衛員だったんですって?」
と、ライゼラ・ゼイ。
「そうです」
ぼくはまた肯定した。
「そんなあなたが、なぜカイヤツ軍団の、それも準個兵なんかになっているのか、わたしにはわからない。護衛兵、それもエレン・エレスコブの護衛員だったら、何もカイヤツ軍団に入ること、ないでしょう? 入ったとしても、幹士級になっているはずなのに……キリー主率軍はそこまでは話してくれなかったわ」
「話さなければならないでしょうか」
ぼくは、また例の経緯を喋らなければならないのかと思いながら、たずねた。
「話したくなければ、それでもいいの」
ライゼラ・ゼイは頷いた。「だけどさっきの、あなたが、自分はやっとみんなの一員になりかけているただの準個兵です、というせりふに、何だかあなたの過去が反映されているような気がしたものだから」
「…………」
ぼくは、何ともいえなかった。
「そのうち、話したくなったときに、また聞かせてちょうだい」
ライゼラ・ゼイはいい、あと、低い声を出したのである。「それにしても、エレスコブ家とはねえ。エレン・エレスコブはどこへ行ったのかしら」
「え?」
ぼくは愕然《がくぜん》としたあまり、上級者に向かって発するには適当といえないそんな声を放ち、ライゼラ・ゼイの顔をみつめた。
エレン・エレスコブがどこかへ行った?
どういうことだ?
そんなことがおこるとは、到底考えられなかったのである。
ぼくの反応に、ライゼラ・ゼイのほうも驚いたらしい。
「知らなかったの?」
ライゼラ・ゼイはいった。
「存じませんでした」
ぼくは答える。
「そう」
ライゼラ・ゼイは、ぼくから視線を外すと呟いたのだ。「――それも無理のない話かもわからないわね」
「どういうことでしょうか」
ぼくは問うた。「もしお差し支えなければ、お教え頂けますか」
「…………」
ライゼラ・ゼイはぼくを見て、二、三秒黙っていた。
それから、ひとりごとのようにいったのである。
「気になるのが当然よね。あなたはエレン・エレスコブの護衛員だったんだもの」
ライゼラ・ゼイの言葉は、もちろん、ぼくの問いかけに対する返答になっていなかった。しかもそんないいかたをされたために、ぼくの懸念《けねん》はいっそう強くなったのだ。
ぼくの頭の中には、出発前に基地で呼び出しを受けたあのときの情景が、あざやかに浮かびあがっていた。
部隊長臨席のもとに訊問されたあのとき、法務準参軍のダダイザンはぼくに告げたのだ。カイヤツ府でエレスコブ家の警備隊員が集団でネイト警察宮を襲い、三十名以上を殺害した……さらに警備隊員たちはサクガイ家に乱入・襲撃したばかりか、一部は大統領官邸に放火しようとしたという。騒ぎはネイト常備軍が出動して鎮圧したが、エレスコブ家では逃げ帰った隊員たちの引き渡しを拒んでいるというのだった。
信じがたいことだが、軍の法務将校が語ったのだから、事件そのものは事実と考えるほかはない。そんなことになったのは有力な家々のエレスコブ家への圧迫がいよいよひどくなり、その有力な家々の手先のようなネイト警察のあくどい挑発《ちょうはつ》にたまりかねて、エレスコブ家の警備隊員たちが我慢し切れなくなったのではないかと、ぼくは推測するけれども、推測はあくまで推測で、そうだと断定できる材料を持っているわけではないのだ。そして、事情はどうであれ、暴行を働いたのはエレスコブ家の警備隊員であり、エレスコブ家が暴徒を庇《かば》っていることは、否定しようがないのである。エレスコブ家にとってはきわめて不利な状況なのだ。
それだけではない。
ダダイザン準参軍の言によれば、事件を調査するうちにこれは単なる暴発ではなく計画的犯行だとの見方が強まり、エレスコブ家による政府要人暗殺とクーデター計画の一環であったとの疑いが濃くなりつつある、とのことであった。
そんな馬鹿げた計画をエレスコブ家が樹てるはずがない、と、ぼくは思う。ぼくの感覚からでさえ、そういうやりかたでのクーデターなんて、成功しそうもないのだ。かりにクーデターがうまく行ったとして、ネイト=カイヤツの人々がそれでついてくるものだろうか? また、ネプトーダ連邦が何の干渉もせずに放っておくだろうか? その程度のことは、エレスコブ家のトップクラスの人たちには、わかり過ぎるほどわかっているに違いない。
だから、ぼくにはこのクーデター計画云々の一切が、エレスコブ家を倒すための陰謀でありでっちあげだという気がしてならないのだが……これだって何の証拠もあるのではなかった。
しかし。
真相がどんなものであろうと、エレスコブ家が窮地に追い込まれているのは、疑いの余地がない。
そのエレスコブ家の、当主ではないがいわば輝ける星であり、ある意味では象徴であるエレン・エレスコブもまた、危険な立場にあるであろうことは、容易に想像できる。
ライゼラ・ゼイはエレン・エレスコブについて、またエレスコブ家について、何を知っているのだ?
「何がおこったのでしょうか」
ぼくは、重ねてたずねずにはいられなかった。
「わたしは艦に送られてくるニュースを読んだり見聞きしたりするだけよ」
ライゼラ・ゼイは口を開いた。「観察要員として、母国の情勢もつかんでおかなければならないので、そうすることを義務づけられているの。といっても別に特別な情報なんかじゃなく、ネイト=カイヤツで普通に流されているニュースだから、みんな知っているとばかり思っていたけど……兵隊さんたちには、動揺を招きかねない事柄は伝えられていないのね」
「…………」
ぼくは無言で、相手の次の言葉を待った。ライゼラ・ゼイが言ったことは、一応その通りだけれども、必ずしも正鵠《せいこく》を得ているとはいえない。つまり兵たちに伝えると具合の悪そうなニュースは、公式には掲示や伝達はされないか、されるとしてもごく簡単な、それだけでは全容をとらえにくいかたちになるのがつねなのだが……それ以外に、噂《うわさ》というものがあるのだった(このことは、ネイト=カイヤツから基地に来た手紙が調べられ、くにで何かごたごたがおこっているらしいとの話が広まったあの件や、脱走兵に関する耳打ちなどといったことなどからも、お察し頂けるのではあるまいか)。もちろん、噂は噂だから、とんでもないものがまじっている場合もないわけではないが、自由に情報を得られない環境下では、案外ことの本質をとらえたものであることも、すくなくないのだ。そして乗艦以後は外部と遮断されたせいであろう、情報源としての噂の比重は、うんと大きくなっていた。現に、ぼくが出発前に呼び出されたあのエレスコブ家についての噂は、兵たちの間でいろいろとささやかれ、意外に早いうちに広まっていたのである。が、まあ、そんな噂などに頼るより、ちゃんとしたニュースに接するほうがいいのに決まっている。ライゼラ・ゼイは、そのちゃんとしたニュースを受けているのだ。黙って聴くべきところであった。
ライゼラ・ゼイは、指で唇をつまんで考えていたが、顔をあげた。
「でも、どうせそのうち知れずにはおかないことだから、いったって構わないでしょう。むしろ、いうべきだわ。それにあなたはエレンの護衛員だったんだし」
「…………」
「どこからどう話したものかしら。ことのおこりは、エレスコブ家警備隊員のネイト警察官殺傷事件だけど……それは聞いた?」
「はい」
ぼくは答えた。
ことの、そもそものおこりはそんなものではないとぼくは思う。エレスコブ家は(その行き方が反撥《はんぱつ》を招いていたのもたしかだけれども)ずっと前から上位の家々に目の敵《かたき》にされていたのだ。ぼくにはもう遠い昔のような気がするのだが、たとえばぼくたちとラスクール家警備隊員たちとの斬り合いにしたって、先方から仕掛けてきたのである。エレスコブ家はつねに挑発され、騒ぎ――それも決定的で弁解しがたい騒ぎをおこすのを待たれていたのだ。ぼくにいわせれば、警備隊員たちがネイト警察官を殺傷(と、ライゼラ・ゼイは表現した。ぼくが聞いたのは三十名以上を殺害、であったが、三十名以上殺すような騒動なら当然負傷者もたくさん出るはずだ)したのは、はじまりでなく、むしろ結果であり結末なのである。しかし、ライゼラ・ゼイはネイト=カイヤツに流された一般的なニュースを語っているのであり、一般的なニュースなら、そうなるのが当り前であろう。ライゼラ・ゼイの言葉に口をはさむことはないのだった。
「どこまで知っているの?」
ライゼラ・ゼイは問いかける。
ぼくは、出発前に基地で呼び出しを受け、法務将校に訊問されたこと、そのさいに告げられたことを、手短かに話した。
「だったら、説明しやすいわ」
ライゼラ・ゼイは頷いた。「それに、おおよそはその後のなりゆきも読めるでしょう。そう……エレスコブ家警備隊の、ニュースでいう暴徒は、一部は逮捕されたものの、残りはエレスコブ家カイヤツ府屋敷へ逃げ帰ったわ。屋敷に入ってしまえばネイト警察は手を出せないものね。で、ネイト警察はネイト常備軍から逮捕された暴徒を受け取る一方、エレスコブ家に対し、逃げ込んだ者の引き渡しを要求し、エレスコブは拒否したわけ」
「…………」
「エレスコブ家は拒否するに際して、事件はネイト警察の執拗《しつよう》な挑発と不法行為に対し、警備隊員が自衛行動をとったのであり、当方も多数の死傷者を出している以上、そういう一方的な要求には応じられない、ということを主張した。そして、逮捕者を即刻釈放すれば、公開の場でのネイト警察との武力によらざる対決に応じる用意があると声明し、ネイト警察は黙殺したのよね」
「…………」
たしかにライゼラ・ゼイのいうように、事態はぼくがそうではないかと考えたかたちをとって行ったようだ。
「だけど、このままでは膠着《こうちゃく》状態よね」
ライゼラ・ゼイはつづけた。「わたしが今更いうことはないけれど、ネイト=カイヤツの公権力を実質的に支えているのは、有力な家々なので、その公権力のひとつであるネイト警察が、最高ランクではないにしても有力な家に違いないエレスコブ家を、力ずくでねじ伏せ思いのままにすることは不可能でしょう。といって、多数の警察官が殺傷された事実があるのにどうもできないのでは、ネイト=カイヤツの構成員、それも家とはかかわりの薄い人たちの手前、どうにも格好がつかないのもたしかよ。ネイト警察のみならず最高ランクの家々の経営首脳たちは随分焦ったに相違ないわ。というのも、エレスコブ家は事態をすべておおやけにし、表に出して白黒をつけようと主張し、本当に正しいのはこちらだと頑張っていたから……。ネイト警察側は、私的な家とは対等の場に立つようなそんなことには応じるわけにはいかないと突っぱねたけど、どうも説得力に欠けるようにわたしには感じられたわ。何となく、公表されてはまずい事情があるような印象を、人々に与えたのも事実でしょう。と、ここまではそれなりにエレスコブ家を支持する声もあったし、ネイト警察も思い切った行動に出ようとしなかった。逮捕されたエレスコブ家警備隊員たちの取り調べをつづけるだけで、もちろん、釈放もしなかったわ」
「ネイト警察官殺傷事件にしては、処理のしかたが遅過ぎる感じですね」
ぽくはいった。
ぼくは、そこに、ある種の可能性が存在するのではないかと思って、いったのだ。
だって、そうではないか。
ネイト警察官を殺したり傷つけたりして捕えられたら、それこそ迅速に起訴され裁かれるというのが、一般のネイト=カイヤツの市民の感覚である。いってみればネイト警察の権威を傷つけた者への報復でありみせしめなのであろう。なのに、三十名以上もの警察官を殺されていながらネイト警察がそんな鈍い対応しかしないなんて……いくら相手が家であるといっても、合点がいかないではないか。
そこには、それだけの理由があるに違いない。
端的にいえば、ネイト警察はこの事件を、警察官殺傷事件で終らせたくなかったのではあるまいか――と、ぼくは感じたのだ。
ネイト常備軍に逮捕され、移管されたエレスコブ家警備隊員を取り調べ、共犯の他の隊員の逮捕状を取ってエレスコブ家にこれを示し当人を渡すように求めれば、事件はあらまし片がついてしまう。エレスコブ家はやはり拒むかもしれないが、逮捕状もなしにただ引き渡せといわれたのを拒むのと、調べをつけ証拠も握った上で出された逮捕状を突きつけられて拒むのとは、まるで性質が違う。前者は議論と力関係の問題だが、後者はネイト=カイヤツの法の問題なのだ。議論と力関係の段階ならどちらが正しいかは判然としないけれども、法を無視するとなると非難が集中するであろう。
エレスコブ家も、もちろんこのことは承知していたに相違ない。これはぼくの推察だが、エレスコブ家は逃げ帰った警備隊員たちを引き渡すのは一旦拒否しても、正式に逮捕状が発行されたら、おとなしく渡すつもりではなかっただろうか? そこには、これまで上位の家々や上位の家々に支えられたネイト警察への反感と意地が働いていたのもたしかだろうが、そうすることで時間が稼げるし、その間にこちらで事情を聴取し対策を練って、ネイト警察にその隊員たちが収監されたときには充分対抗し得るだけの打ち合わせができあがっているに違いないのだ。多分、そうだったのではあるまいか。
が。
ネイト警察は、そうしたくはなかったのだ。ネイト警察というより、サクガイ家やマジェ家、さらにはラスクールとかホロといった家々の実力者たちが、そんなかたちで事件を終りにさせたくなかったのだ。
かれらはこれをきっかけに、エレスコブ家そのものを倒そうとしたのではあるまいか? そのためにあえて、事件を早急に片づけようとしなかったのではないか?
そうとしか思えない。
その疑惑をこめて、ぼくはそんな口のはさみかたをしたのである。
しかし、ライゼラ・ゼイは、額面通りにしか受け取らなかった。そんなことまで考えていなかったのであろう。いや……もしも考えていたとしても、彼女がそれを言葉にするかどうか……そんなかんぐりをうかつに口走るものか……怪しいものである。
「そうなのよ」
と、ライゼラ・ゼイは頷いた。「でも、そのうちに驚くべきことがあかるみに出てきたのね。つまり、あなたも聞いた通り、取り調べの過程で、エレスコブ家警備隊の何人かが、これは上からの命令を受けてやったことであり、命令した上官はエレスコブ家の中枢ファミリーの内意を受けている旨も洩らした……その中枢ファミリーの話では、計画はエレスコブ家全体のためのものであり、主要なトップメンバーはすべて計画に参加している……それも、ネイト=カイヤツをクーデターで乗っ取ろうという大計画だとも教えたというのね」
「ネイト警察は、それを喋ったエレスコブ家の警備隊員たちの名を、発表したのですか?」
ぼくは質問した。
「いいえ」
ライゼラ・ゼイはかぶりを振った。「うかつに名前を発表すれば、その隊員はエレスコブ家に命を狙われるだろう、ネイト警察でいかに厳重に保護しても不測の事態が発生しないとは限らないし、まして、エレスコブ家が要求するように捕えている者を釈放したりしたら、たちまち殺されるだろうとの理由で、名前は伏せているわ」
「…………」
おかしいではないか、と、ぼくは思った。
そんな重大な事柄を、誰が喋ったのかわからぬままにしておくなんて、変である。こんな具合では、クーデター計画どころか警備隊員の告白を含めて、全部が嘘ということさえ考えられるのだ。そんなことを喋った隊員なんて、いないのではあるまいか。名前を公表しない理由も、しらじらし過ぎる。
だが、ぼくはそんな自分の気持ちをあからさまにはいわず、別の、ちょっとひっかかった程度の表現をとって、口にした。
「ネイト警察は、自己の警備力にそんなに自信がないのでしょうか」
「それはどうかしら。でも、家が総がかりで動き出したら、少々のやり方では対抗できないんじゃない? 警備隊員が集団でやってきたら……それも、エレスコブ家の警備隊員は腕ききの戦闘員が多いんでしょう?」
ライゼラ・ゼイはいう。
エレスコブ家の警備隊員をそんな風にいわれるのは、かつての一員として、うれしくないこともなかったが……実際はそれほどではないのを、ぼくは知っている。他家の警備隊員たちと渡り合った経験で、わかっているのだ。かれらだって優秀なのが多かった。エレスコブ家の警備隊員は、まずよそなみというところだろう。しかし、エレスコブ家の警備隊員についてライゼラ・ゼイがそのような見方をしているというのは……ぼくは、エレスコブ家が危険な存在だと思わせるための底意のある宣伝がすでにかなり行き渡っていて、ライゼラ・ゼイも自分では気がつかないうちに、エレスコブ家に対して先入観を抱きはじめているのではないか――という気がした。
「だけどネイト警察は、公表しても当人の身が安全だと見極めがついたら、その警備隊員たちの名前を発表するとも約束しているのよ。ネイト=カイヤツの危機を、告白することで未然に防いだ勇気ある人物としてね」
ライゼラ・ゼイはつけ加えた。
よく仕組まれた話だ、と、ぼくは内心で苦笑した。そんな告白などはじめからありはしなかったのに、ネイト警察では捕えた警備隊員の誰かれに、お前が告白したのだということにしろ、と、おどしたり責めたり、でなければ餌をちらつかせて説得にかかっているのではあるまいか。それでうんといった者があれば、名前を発表するこんたんなのだ。エレスコブ家の警備隊員で、そんなことを肯《がえ》んじる奴がいるだろうか? かれらはみな、挑発にたまりかねてネイト警察官に襲いかかった連中である。そう簡単に陥落はしないのではあるまいか。陥落して仲間を失うよりも、沈黙と拒絶と嘲笑《ちょうしょう》を選ぶのではあるまいか?
ぼくは、自分の思い込みに従って話を進め過ぎたかも知れない。仮定と想像を重ね過ぎたかもわからない。
しかし、ぼくにはそう思えるのだ。
思えるのだが……これはぼくの内部のことである。ライゼラ・ゼイの意識とはかかわりがないのであった。ともかく、先を聴くべきであろう。
「ネイト警察は、これも名前は出していないものの、警備隊員たちに命令したエレスコブ家の内部ファミリーと、さらに、全体計画に関与していた中枢ファミリーたちの名もつかんでいるようね」
ライゼラ・ゼイはつづける。「中枢ファミリーなんていう呼び方でいいのかどうか変だけど、ある筋から流れた情報として、その中には当主のドーラス・エレスコブやエレン・エレスコブも含まれているらしいというのがあったわ」
「…………」
ぼくは、やはりそういうことになったのかとの気分で、ライゼラ・ゼイの顔をみつめていた。
「そんなわけでこれは、もはやネイト警察の次元の問題ではなくなってしまった」
と、ライゼラ・ゼイ。「ことがことだから、ネイト政府が動きだし、エレスコブ家に釈明を正式に求めたわけ。エレスコブ家は、すべてが捏造《ねつぞう》であり事実無根だという内容の文書を提出したけど、こんなことはただの形式で、水掛け論になるのは決まっているでしょう? だから、議会が黙っていなくなったわ。それも、計画に関与したとされているエレスコブ家の中枢ファミリーを、順番に議院の特別委員会に喚問するということを、決議したの」
「…………」
なりゆきとしては、よくわかる。
当然、そうなるであろう。
そして、こうした推移の中では、エレスコブ家の不利な立場がそのまま露呈されることになってしまう。
だいぶ前にもしるしたので、繰り返しになるが……開かれた社会を標榜《ひょうぼう》するネイト=カイヤツは、議会を持っている。けれどもその実体は立法府というより諮問《しもん》機関に近い上に、選挙も制限選挙なのだ。しかも議員は選挙のみによって選ばれるのではなく、別枠の、家々が割り当てられた人数分を指名した者もたくさんいるのだった。ありていにいえば、政府によるコントロールが可能な、家々の勢力がもろに反映された存在なのである。その政府がまた上位の家々の手に握られているとなれば……こういう場へ問題を持ち出されたエレスコブ家が弱いのは、わかって頂けるであろう。そうなのだ。政府要人を送り出しているとはいえ、エレスコブ家から出た者は、行政を左右するほどの地位にはいない。議員を出しているといっても(エレン・エレスコブがその別枠議員のひとりだというのを、記憶しておられるだろうか?)少数派である。エレスコブ家単独では、如何《いかん》ともしがたいのだ。それでもエレスコブ家がネイト=カイヤツの動向に多少とも影響を与え、しばしば局面をリードして乗り切ってきたのは、エレスコブ家の急伸長の勢いと幹部たちの手腕もさることながら、もっと弱い家々と手を組んで上位の家に対抗してきたせいであった。
けれども、こんな問題が持ちあがっては、これまで協力していた弱小の家々もエレスコブ家擁護には二の足を踏むであろう。へたな真似をしてエレスコブ家もろとも没落するのはまっぴらだということになるはずだ。それらの弱小の家々だって、自分が大切で、自家の勢力を伸ばすことに腐心しているのである。
こうした雰囲気の中で、ネイトの実権を持つ者もおらず議員もすくないエレスコブ家があっさり押し切られたのは、必然というべきであろう。
それで……?
ぼくは物問いたげに目を向けた。
「こうなっては、エレスコブ家もどうしようもないわ。喚問に応じるしかないでしょう」
ライゼラ・ゼイはいった。「ところがその第一号が、本人自身が議員でもあるエレン・エレスコブと決まったの」
「…………」
「エレン・エレスコブは、カイヤツVに乗っていて、カイヤツVが帰ったとき、ニュースにも出たけど、あとずっと議会には顔を見せず、格別の活動もしていないようだった。でも喚問とあれば応じるほかないわけよ」
ライゼラ・ゼイは、椅子に背中をもたせかけた。「ところが、この決定を通知されたエレスコブ家は、エレン・エレスコブは現在カイヤツ府にいないばかりか、所在不明だと返事をした。だから本人に喚問状を渡すのはおろか、その旨を伝えることも不可能だといってきたらしいわ」
「――そんな」
ぼくは呟いた。
エレン・エレスコブがそのときカイヤツ府にいなかったというのは、充分あり得ることだ。エレンはしょっちゅう、あっちこっちと飛び廻っているのがつねだったからである。
けれども、エレンほどの知名人が所在不明とは……。
それでエレンがどこへ行ったということになったのか?
「もちろん、特別委員会のほうは、そんな話を素直に信じやしなかった」
ライゼラ・ゼイは肩をすくめた。「特別委員会だけじゃなく、誰だって、喚問に応じたくないための逃げ口上と考えるでしょう。だから事情を調べたら……それが事実だったのね」
「…………」
「エレン・エレスコブは議決よりずっと前に、エレスコブ家の持ち船の、エレスコブ・ファミリー号といったかしら、それでカイヤントに赴いていたの。目的はカイヤントでの遊説だった、と、発表を行なったエレスコブ家の担当者は説明したわ。しかしエレン・エレスコブはカイヤント市で一泊したのち、急な用事ができたからと護衛だけを連れて出掛け――あと、どうなったかわからないというのね。一行の、残った人々も何も知らないらしかったし……エレスコブ家でも大騒ぎになっているという話なんだけど……」
「全く、不明なんですか?」
ぼくは問うた。
「そうらしいわね」
と、ライゼラ・ゼイ。「どこかで事故に遭うか襲われるかしたか……カイヤントのどこかに潜伏しているのか……それさえもわからないというのよ」
「…………」
むろんぼくにも、何がおこったか見当もつかなかった。
だが、そのときぼくの脳裏をよぎったのは、カイヤントの、スルーニ市の手前の湿原ではさみ打ちに遭った、あの記億だった。あのときぼくたちは全滅の危機に瀕《ひん》していたのである。デヌイベの一団が来なかったら……どうなっていたやらわからない。
それと似たようなことが、また起きたのだろうか?
ライゼラ・ゼイの話では、エレンは護衛を連れていたという。護衛とは、ぼくが元いた隊だ。ヤド・パイナンにひきいられた第八隊だ。そうむざむざとやられはしないであろう。
しかし……そうはいっても、敵が多かったら……。
待て。
ぼくは、この不吉な可能性のほうは放り出して、ライゼラ・ゼイのいったもうひとつの可能性へと、思いをめぐらせた。
カイヤントのどこかに潜伏しているというのは……?
それは考えられないことではない。いや、充分あり得るといえるだろう。
エレン・エレスコブは、警備隊のおこした事件が妙な方向に処理されそうなのを見て、その後のなりゆきを予想し、手遅れになる前にカイヤントに身を隠すことにしたのではあるまいか? 喚問されれば、あと、行動はままならぬどころか、へたをすれば拘束され裁判にかけられるかも知れない。もちろん、エレスコブ家の主だった人たちが同様の目に遭うだろうが、誰かひとり、当座はエレスコブ家から離れていても何とかなり、かつ、エレスコブ家をある意味で代表するような人物が、万一のときの余力をエレスコブ家に残しておくために姿を消す――ということが行なわれても必ずしも不思議とはいえないのである。それに最適の人物といえば、エレン・エレスコブを措《お》いて他にないのだ。さいわいカイヤントには、エレンの熱狂的な支持者がすくなくない。潜伏しようとすれば、そうむつかしくないであろう。これが、エレスコブ家の最高のメンバーのみの秘密としてなされたということだとしても、ぼくはおかしいとは思わない。この事実を知っている人間はみな口を閉ざしているだけだ、と解釈すれば、納得が行くのである。
「カイヤントでは、エレスコブ家の手の者だけでなく、他の組織によっても、エレン・エレスコブの捜索が行なわれているものの、まだ何の手掛りもないようね」
ライゼラ・ゼイはいう。「それにしてもエレン・エレスコブほどの有名な人が行動の痕跡すら残していないというのは……たしかに奇妙だわ。わたしの仲間の観察要員たちの中には、彼女はもうカイヤントにいないんじゃないか、なんていう人もいるけど」
ぼくは、顔を挙げた。
「カイヤントにいない……ですか?」
「ええ」
ライゼラ・ゼイは右腕で頬杖をついた。「なるほどカイヤントにはまだエレスコブ・ファミリー号が残されているけど、カイヤント宙港には、ほかにもいくつも宇宙船が発着していたのだから、そのどれかに乗って、カイヤントを去ったんじゃないかってね」
「カイヤントを去って……カイヤツへ帰ってくるんですか?」
と、ぼく。
「そんなことをしたら、すぐにわかってしまうでしょう? 彼女の顔はよく知られているんだから。もっとも、サングラスつきの紗《しゃ》のべールをかぶればごまかせるかもわからないけど……でも、わたしがいうのは、ネイト=カイヤツを出たんじゃないか、と、いう意味よ」
ライゼラ・ゼイは答え、ぼくは反問した。
「ネイト=カイヤツを?」
「そう。ま、カイヤントには滅多に連邦登録定期貨客船は来ないし、エレン・エレスコブがカイヤントに着いたときはいなかったから、ネイト=カイヤツを出ようとすれば、ネイト間を往来する特別な船に乗るか、でなければ一度ひそかにカイヤツ一級宙港まで戻ってきて、そのまま他ネイト行きの船に乗り込むかになるでしょうけど……できない相談ではないわ。ネプトーダ連邦内では、構成ネイトの発行した身分証があればどこへでも自由に行けるもの」
ライゼラ・ゼイは、頬杖のまま、ぼくを眺めていうのである。
「そうですね」
ぼくは同意した。
それもまた、ありそうなことだ。
というより、ぼくが今しがた可能性を認めたエレスコブ家のためのエレンの潜伏という目的のためには、ネイト=カイヤツの法の下にあるカイヤントよりも、他ネイトへ行くほうが安全であるといえる。
そうなのかも知れない。
「なるほど。そういうことだったのですか」
ぼくは、あらましを理解した感じで、そういった。
ライゼラ・ゼイは頬杖をといた。
「まだよ」
「は?」
「まだおしまいじゃないわ」
「…………」
ぼくは、相手をみつめた。
「あとがあるのよ」
ライゼラ・ゼイはいう。「あなたがあまり聞きたくないはずの話だけど……このことがはっきりすると、議会はエレン・エレスコブを除名したの」
「除名?」
ぼくは、半分口をあけた。
「そうよ。誰かが、古い、死文化した条項を持ち出したの。ネイト=カイヤツの議員はつねにその所在をあきらかにし連絡ができるようにしなければならない――という条項。そんなもの、誰も今じゃ守っていないけど、表立っていい出されたら、これはいわれたほうの負けね。エレン・エレスコブは議員の資格を失ったわ」
ライゼラ・ゼイは、なぜかそこで突然意地悪そうな目つきになった。「あなた、エレン・エレスコブが気の毒だと思っているでしょう?」
「なりゆきですから、やむを得ないことです。それにこれは、私などと関係のないことであります」
ぼくは即答した。
かちんときたからだ。
たしかにエレン・エレスコブがそんな処置を受けたことについて、ぼくはいい気分ではなかった。が、その自分の感情を他人に忖度《そんたく》などされたくなかったのである。どうしてにわかにライゼラ・ゼイがそんないいかたをしたのかも腑《ふ》に落ちなかったものの……反射的にはね返したのだ。固苦しくしないでとはじめにいわれ、やめていたあります調を使ったのも、そのためであった。
「あら、怒ったのね。ごめんなさい」
ライゼラ・ゼイはあっさりと詫び、ふっと息を吐き出すと、さっきまでの説明口調を取り戻した。「それと……これはもっといいにくいことなんだけど、政府は議会に諮問した結果、今度の件について疑惑が晴れるまで、エレスコブ家のカイヤツVの管理・運行の権利を停止することを決定したわ」
「…………」
これは、さらに悪いニュースであった。
エレスコブ家のカイヤツVの管理・運行権の停止?
もともとカイヤツVは、エレスコブ家がおのれの負担で作らせ、ネイトに寄贈したものである。ネイト=カイヤツでは連邦登録定期貨客船はそうなるのが定めであった。カイヤツTもカイヤツUもそうなのだ。カイヤツTはサクガイ家、カイヤツUはマジェ家が寄贈したのである。ネイト=カイヤツの所有物としておいて、運航で利益をあげるかたちなのであった。
本来、エレスコブ家の格式では、三番めに連邦登録定期貨客船を作らせるのは、無理だったのである。が、エレスコブ家は大勝負に出て……ハルアテ東南地方を売るということをしてまで、カイヤツVを作らせたのであった。あたらしい航路を運航することで採算がとれるようになるだろうと踏んだからである。
その管理・運行権を停止されては、エレスコブ家の命運にかかわるではないか。
エレスコブ家の評判失墜と勢力低下(クーデター計画を行なったというようなことをネイト=カイヤツの人々が信じたら、嫌でもそうなるのだ)と同時にそんなことになっては……絶望的である。
ぼくは、漠然と頭の中にあったエレスコブ家|潰滅《かいめつ》の危機が、にわかに現実のものになったような気がした。
「――そういうことなのよ」
ライゼラ・ゼイが、静かに、今度は慰めるようにいう。
「…………」
そのときのばくの気持ちをどう形容したらいいだろうか。
ぼくはエレスコブ家でエレン・エレスコブの護衛員を務めていた。ま、ずば抜けてという自信はとてもないが、忠誠を誓い全力をあげて、すくなくとも合格点に達していたとは思う。
なのに、つまらぬいいがかりをつけられて、追放同様にカイヤツ軍団に送り込まれた。
今はカイヤツ軍団の一準個兵である。
エレスコブ家に対して、裁断を受けた当時よりはよほど弱くなっているものの、怒りやくやしさがまだ残っているのは本当であった。
にもかかわらず、古巣という感覚もあるのは否定できない。
そのエレスコブ家が……。
だが今は、ライゼラ・ゼイを前にしている今は、感慨に耽《ふけ》るのはよそう、と、ぼくは心の中でわきへ押しやった。あとでゆっくり考えよう。邪魔きれずに済みそうな機会ができたときにそうすればいいのだ。
ライゼラ・ゼイは時計を見てから、ぼくに視線を戻した。
「長話になってしまったわね。もう時間? もう帰らなくちゃならない?」
ぼくは時計に目をやった。
たしかに長話だったが、案外、時間は経っていなかった。実際よりも長く感じたのは、相手の話に応じてめまぐるしくあれこれと思考をめぐらせ、気持ちを揺さぶられたりしたせいかも知れない。
第三回めのショーも、まだ終っていないはずだ。
もっとも、帰ろうと思えば、ぼくは急ぎますからと告げて、席を立てばいいのである。時間があるからといって、ここにすわっている義務はないのだ。この部屋に連れてこられたばかりのぼくなら、話が済めばさっさと帰っていただろう。
しかしぼくは、もう少しここにいても良いとの気がしていた。なぜだろう? 最初は厄介な嫌な女だ、観察要員などといって勝手なことをいう――と思っていたのが、意外に相手が個性的でいきいきしている上に、話も面白かったからだろうか? それとも、気になっていたエレン・エレスコブやエレスコブ家のことについて、知っていることを教えてくれたためだろうか? こういう場にすわって喋っているのが楽しくなっていたのであろうか? きっと、その全部が一緒になっていたのに違いない。
だから、ぼくは答えた。
「いいえ。まだ大丈夫です」
「そう? だったらもうちょっとね」
ライゼラ・ゼイは、大きな目をわずかに微笑のかたちにして、デスクに両|肱《ひじ》をつくと、ぼくのほうに身を傾けた。「あなたが話したくなければ話さなくてもいいと、さっきもいったけど……わたし、やっぱりわからないのよ」
「何が、でしょうか」
ぼくは応じた。
「失礼になるかも知れないけど、聞いてね」
ライゼラ・ゼイはいう。「わたしが喋った今のエレン・エレスコブやエレスコブ家についてのニュースね、あなた、その通りとは信じていないでしょう? ニュースはニュースとしても、事実はそんなものじゃない……はっきりいうと、エレスコブ家はひっかけられたというか、とんでもないでっちあげに巻き込まれたと、そう考えているんじゃない?」
「…………」
ぼくは黙っていた。
うかつに返事できる事柄ではなかった。
「あなたが自分で勝手に想像をめぐらす位では、誰も咎《とが》め立てはできないわ。それを声高に主張したり行動に移したりしたら、無事で済むとは保証できないけれども」
と、ライゼラ・ゼイ。「だからそっと白状しなさいな。あなたは、挑発に耐えかねたエレスコブ家の警備隊員が暴発したのを、エレスコブ家のやりかたをこころよしとしない勢力がうまく利用し、エレスコブ家を潰すためにでっちあげを仕組んだのだと、そう思っているんでしょう?」
ぼくは、どう答えていいか、わからなかった。
こうまで的確に見抜かれては……気味が悪い。
「まるで読心力者のようなおっしゃりようをなさるんですね」
やっと、ぼくはいった。
「逆よ」
と、ライゼラ・ゼイは笑った。
「…………」
「わたしはあなたのようなエスパーといっても不定期エスパーで今は能力がないそうだけど……エスパーじゃないわ。それどころか、家系からいっても感受性からいっても、超能力とはおよそ縁のない人間なの」
ライゼラ・ゼイはいう。
ぼくは、いささかうんざりした。
小隊長が教えたのだろう。
彼女がそんなことを知っているのは……キリー主率軍から聞いたとしか、考えられないではないか。
彼女はキリー主率軍にぼくのことを、少しばかりだが聞いたといったけれども……ぼくがファイター訓練専門学校の出で、以前はエレン・エレスコブの護衛員で、おまけに不定期エスパーなのをご承知とくれば、少しどころか、あらかた全部といわなければならない。
「エスパーのあなたには、わかってもらえないでしょうけど」
ぼくの応答を待たず、ライゼラ・ゼイは言葉を継いだ。「わたし、自分がエスパーでないのがくやしかったわ。小さい頃に超能力にあこがれ、超能力者を夢見たりしたのに、そんな力のかけらも持てなかったんだから。おまけに情報の仕事に入ってからはエスパーでないおかげで、どんなにもどかしい思いをしたかしれやしない。だからわたしは自分で努力して、特技を身につけたの」
「特技……ですか?」
ぼくは、何となくたずねた。
「ええ」
ライゼラ・ゼイは頷く。「他人の表情や言動を注意して見ることで、その心理を読み取る技術よ。そういう訓練コースがあって、わたしも通ったけれど、あとは研究書を読んでの独習ね。本気で勉強すればいい加減な読心力者より相手の心や考えを見抜けるようになるはずだと信じて、随分頑張ったわ。今では相当な自信がある。ま、そうはいっても本物の読心力者じゃないから、精神を集注して観察しなきゃならないのよね」
「エスパーの読心だってそうです。漠然と感知しているだけでは、こまかいところまで正確に読み分けるわけには行きません」
ぼくがいうと、ライゼラ・ゼイは皮肉っぽい微笑を浮かべた。
「慰めるつもりでも、嘘は良くないわ。それはよほど錯綜している場合でしょう? 一対一のときなんかは、嫌でも思念が飛び込んでくるんじゃない?」
と、ライゼラ・ゼイはいったのだ。
ぼくは、ひやりとした。
ぼくの心を読まれているようだったのである。
「変な顔をしないで」
ライゼラ・ゼイは微笑から皮肉の影を消した。「今のは半分はわたしの技術で、あとの半分は知識によるものよ。でも……わかってくれたらそれでいいわ」
「…………」
「そのわたしの観察で……こんなわたしが観察要員などという職務についているのはおかしいわね。ま、これは冗談。そのわたしの観察によってといってもずっとそうしていたんじゃなく、要所要所だけだったんだから、気を悪くしないでね。それであなたの心の動きが手に取るようにわかったわけ。だってあなたは自分の気持ちをはっきり表情に出すんだもの。簡単過ぎるほどだった。だからつい、エレン・エレスコブのことでひやかすようなことをいってしまったりして……ごめんなさいね」
ライゼラ・ゼイは小首を傾けた。
「いえ。いいのです」
ぼくはいった。
「それでわたしがへえと思ったのは、あなたの頭の回転の早さなの」
と、ライゼラ・ゼイ。「わたしの言葉を聞きながら、それに応じた思考を別にしてもいるし、話が変ると即座についてくるし……。しかも、いうべきでない不必要なことは何も喋らないんですもの。明敏なだけじゃなくて、しっかりしていると感心したわ」
「それは、買いかぶりというものではないでしょうか」
ぼくは、そういわざるを得なかった。褒められて悪い気持ちはしないといっても、そこまで持ちあげられると、軽い警戒心さえ生れて、自動的に感情を抑制してしまうのである。
「ほらね」
と、ライゼラ・ゼイはいった。その言葉の意味を解説しようともしなかった。
「とにかく、これで出だしに還ることになるけど……わたしにわからないのは、そんなあなたがなぜエレスコブ家を出てカイヤツ軍団の準個兵にならなきゃいけなかったかってこと。こんな転身のかたちは、エレスコブ家で何か罰せられるようなことをした以外には考えられないでしょう? あなたがそんなへまをするとはとても思えないし……謎がよけいに深くなってしまったのよ」
またか。
わりあいにこだわる人だな、と、ぼくは思った。
「しつこい奴だと考えているのね」
ライゼラ・ゼイは笑う。「いいのよ。わたしだけの疑問にしておいても。でも、いつかは聞きたいな」
「そんなにご関心がおありですか?」
ぼくがそんな問いかたをしたのは……すでに、喋ってもいいとの気になりかけていたからだ。またそろあの経緯を話すのかとの気分はおおかた消えていて、この相手になら何となく喋りたいという感じだったのである。
「話して」
ライゼラ・ゼイは、また頬杖を、しかし今度は両腕でついて、あごを載せた。
ぼくは語りはじめた。
事実だけを順番に話してゆけば、そんなに時間はかからない。
「そんなことがあるのね」
ぼくが話し終えると、ライゼラ・ゼイはゆっくりといった。「ある意味ではやっぱり、運、だったんでしょうね。でも、そのままエレン・エレスコブの護衛員でいたら、今頃は彼女と共に行方不明になっていたわけじゃない?」
「それは、そうです」
ぼくは肯定した。
肯定したものの、心の隅では、エレンや第八隊の連中と一緒にそんなことになるのも、そう悪くないな、との気持ちが浮かんでいたのを白状しなければならない。
「だけど、話してくれて有難う。これでわたしにも納得できたもの」
ライゼラ・ゼイは頬杖を崩すと、椅子にもたれかかった。「――きょうはあなたとこうして話し合えて、愉しかった。お礼をいいます。それと、今の話は記録から除外することにするわ。エレスコブ家の悪口になることなら当局は何でも飛びつくでしょうけど、エレン・エレスコブの一行を襲ったのがネイト=カイヤツの人間でしかも兵士らしかったということをどう処理するか、うるさいことになりかねないもの。そんな話をありのまま出すわけには行かないから削除しようということになるでしょう。といって、どこの誰に襲われたかわからないというのも、ことがネプト宙港でおきただけに、ネイト=カイヤツのエレン・エレスコブのような地位のある人間がなぜよそのネイトで襲われなきゃならないかという、ネイトの面子の問題が出て来そうだし……それに、エレン・エレスコブがそんな風にいつも危険な目に遭っているのなら、安全のためにどこかへ身を隠すのも当然だ、なんていう者も出てくるでしょう。だから結局は没よ。はじめから没と決まっているものを送ることはないわ。第一、これはあなたの個人の話だもの。おおっぴらにされたくないでしょう。わたしも嫌よ」
自問自答のように、ライゼラ・ゼイはだいぶ長く喋り、われに返って微笑した。「いろいろあるでしょうけど、元気をだして頑張ってね。できたらまたお話ししたいわ。それも近いうちに、ね」
ライゼラ・ゼイは腰をあげながら、ぼくに握手を求め、ぼくは握り返した。
それから、部屋を出る。
ライゼラ・ゼイは戸口|迄《まで》送ってきた。
「頑張ってね」
と、ライゼラ・ゼイはいった。
「有難うございます」
何を頑張れというのか、と、ぼくは妙な気がした。気を落とさずにしっかりやれということか、前線に出たら勇敢にたたかってくれということか……だがそれは、相手の言葉を言葉通りに受け取ったとすれば、である。エレン・エレスコブやエレスコブ家の話を聞いたために、ぼくは、そんな風にひねって反応するほど心が屈折していたのであろう。とはいえ、もちろんぼくにはライゼラ・ゼイが習慣的ないわば挨拶としてそういったことも、わかっていた。そしてライゼラ・ゼイに対してぼくは、すでに隔意と呼ぶほどのものは持っていなかったのだから……かたちの通りちゃんとそう答えたのである。
通路を、自分の居住区へと向かう。
歩きながらぼくは、ライゼラ・ゼイから得た情報を胸の内によみがえらせ、考えようとしていた。
思わぬなりゆきであった。
どうやら、ぼくが想像していたのよりも事態はずっと深刻で、しかも急進展しているらしい。
ぼくは自分の――エレスコブ家が仕掛けられた罠に落ち、でっちあげに巻き込まれたとの推測に、かなりの自信を持っている。ぼく自身のこれ迄の経験から考えても、そうとしか思えないのだ。
しかし、むろんこれはぼくの推測に過ぎない。実際にどうだったのかはわからないし、推測を裏付ける証拠もない。
だから、断言はできない。
できないが……エレスコブ家が完全に窮地に立っていることは、まぎれもない事実であった。窮地というよりぼくの感じでは、破滅がすでにはじまっていると見るべきではなかろうか。
そして、エレン・エレスコブは行方不明だという。
エレンと第八隊はどうなったのだろう?
カイヤントで遭難したのか? 襲われて消されたのか? カイヤントにひそんでいるのか?
あるいはライゼラ・ゼイが示唆《しさ》したようにネイト=カイヤツを出てしまったのか?
ぼくには、知る由もない。
ぼくは、これらの事柄を、感情こめて噛みしめようとした。ライゼラ・ゼイの前では感慨に耽るのはやめておこう、あとでゆっくり考えようと思っていたのを……今、やろうとした。
だが。
奇妙にも、ぼく自身が予期していたようには、気持ちはたかぶらなかったのだ。
ライゼラ・ゼイに話を聞かされているときに、ぼくは自分でも意識しないで、一応それを済ませてしまっていたのだろうか? だから今さらそのつもりになろうとしても、繰り返しに過ぎず、感慨といえるほどのものにはならなかったのか?
それとも、自分ではまだエレスコブ家に対しての愛憎の念を抱き、エレンと第八隊の連中を懐しんでいる気だったけれども、本当は本人が信じているよりも、それらは遠いものになりつつあったということなのか?
わからない。
ただ……ことわっておくが、だからといってぼくが、全く平静だったというのではない。そこ迄乾いていたのではなかった。気持ちもゆらぎ、ショックも受けていたのだ。だがそれが、自分で思っていたよりもずっと小さいのに、驚いたということである。
そんな感覚のうちに、ぼくはほとんど自動的に、次の――分析と考察へと、思考を押し進めていた。
エレスコブ家がそんな状態に陥ったについては、当然ながらエレスコブ家自体にも原因がある。エレスコブ家の立場からすれば、上位の家々に頭を抑えられているのに耐えられず、ために全力挙げてのしあがろうとしたわけだ。その目的があったからこそ、上位の家々と張り合い、事業を拡大し、味方を増やそうと努めたのである。しかしこれは、エレスコブ家以外の家々から見ると、エレスコブ家の無理押しでありわがままだと映ったであろう。ことにネイト=カイヤツを動かしている上位の家々には、既成秩序の破壊者ということになっただろう(このことは、これ迄にもたびたび言及したはずだ)。エレスコブ家の伸長は、結果として他の家々、それ迄は必ずしもしっくりと行っていなかったサクガイ家とかマジェ家といった家々を結びつけることになったのだ。見方によればこれは、エレスコブ家に待ち受けていた運命だともいえるのである。
エレン・エレスコブは、そのエレスコブ家をある意味で代表する人物であった。エレスコブ家のいわば輝ける星のような存在であった。
エレスコブ家を倒そうとすれば、当然エレンは主要な標的のひとつになるはずだ。事実、議院の特別委員会は、エレンを喚問第一号に指定したのではなかったか?
そのとき、すでにエレンは姿を消していた。
エレンと第八隊がどうなったのかは、不明である。
ぼくには、エレンたちが、カイヤントで事に遭うとか襲撃されるとかで消息を絶ったのだとは、何となく信じられなかった。それは多分にぼくの希望的観測の念もまじっているのだろうけれども、エレンや第八隊の連中が、そんなにあっさりと死んだり殺されたりするとは思えないのだ。だから、事態のなりゆきを察していちはやく身を隠したのだとして……。
それで、どうなるかの問題である。
このままでは、エレスコブ家の破滅は必至なのだ。
収支の悪化。
人々の非難。
弱い家々の離反。
出向政府要人の失脚。
諸権利の停止。
財政|破綻《はたん》。
幹部逮捕。
これらが、どんな順番で、どんなかたちでおこるのかはわからない。また、おこらないものもあるかも知れない。
だが、これらは連鎖反応的に生じるはずであり、そのどれひとつでも家の存亡にかかわるのである。
それがもうはじまっているとしたら……破滅はすでに進行中なのだ。エレスコブ家は坂をころげ落ちつつあるのだ。
よほどの、奇跡に近いことでもおこらなければ、この勢いを食いとめるのは無理であろう。
ぼくには、具体的にどんな救いの手があるのか、見当もつかなかった。そんなものがあり得るとは考えられないのだった。
この行きつく先は……エレスコブ家の潰滅である。エレスコブ家は、もはや家としての実体すら失ってしまうに違いない。
もっとも、この予測は短兵急であり、極端に過ぎるかも知れない。エレスコブ家を潰しにかかった勢力は、そこ迄徹底してことを進めない可能性もあるからだ。エレスコブ家を完全に潰してしまえば、社会不安を惹起《じゃっき》するのは目に見えている。短期間でこれだけの家をなくしてしまえば、構成員はどうなるのだ? 幾分かは他の家々が吸収するとしても、無視できないほどの人数が身分や職をなくしたままになるわけだ。かれらの中には家を再興しようをする者もいるだろうし、復讐を誓うグループも出てくるだろう。無頼の徒になる連中だっているかも知れない。それら不満を抱く大群を作り出すのは、ネイト=カイヤツを動かしている人々にとって、望むところではないはずだ。
となれば、エレスコブ家の力をそぎ、再びのしあがるのは絶望的な小さな家として存続させるか? またはいったん解散させたのちに、恩恵的にやはりきわめて弱い家としての再興を認めるか?
どちらにせよ、そうなってしまえば、エレスコブ家に昔日《せきじつ》のおもかげはないであろう。しかも今度は、有力な家々に操られる自主性のない存在と化するのではあるまいか。
いや。
もっと念の入った、もっと執念深いやりかたをするかもわからない。
エレスコブ家をひとまずそんなかたちにしておいてから、あぶれた構成員たちをあちこちの家に吸収させたり連邦軍に送りこんだりして、それでも残る者をゆっくりと時間をかけさまざまな手段でしだいに孤立させ無力化し……何もおそれる必要がなくなるのを待って、あっさりとエレスコブ家というものを地上から消してしまう――ということだって考えられるのだ。
考え過ぎだろうか?
しかし、エレスコブ家の急速な伸張におびやかされたびたび足をすくわれた上位の家々の憎悪を思うとき、ぼくは、そういう仕儀にならないとも限らないという気がする。
そして。
結着がどうつくにせよ、そこにはもうエレン・エレスコブを容れる場はないのだ。エレンを支えエレンの力となるところは、ないのである。もしもエレンが姿を現わせば、そのときには喚問というような手続きはいっさいなしに、ただちに取り調べ、逮捕という事態になるのではあるまいか。裁判にかけられてクーデター計画の首謀者のひとりとして有罪になるかも知れない。かりにそうならなかったとしても、これ迄のエレン・エレスコブのイメージを覆し凶悪な人間だとの印象を与えるための、ありとあらゆる工作が行なわれるに相違ない。エレンの側にはすでに対抗の手段がないのも同然だから、思いのままであろう。それから後のエレンは……もはや本来のエレン・エレスコブではない。エレン・エレスコブとしての行動も不可能である。
エレンは潜伏をつづけるしかないのだ。
いつ迄も潜伏をつづけるしかないのだ。
復帰するための場が、おそらく永久に得られないだろうからである。
そうなればエレンはどうするのだろう。
あるいは……エレンはネイト=カイヤツの外で、遊説をするかも知れない。ネイト=カイヤツ改革を訴え、改革の主軸になるべきエレスコブ家の復権を訴えて、ネイトからネイトへ廻るのであろうか。いってみれば亡命者として……ネイト=カイヤツのさし向ける刺客から身を守りながら流浪するのであろうか?
これは……あんな風にぼく自身が比較的冷静だったようないいかたをしておきながら、やはりそうでもなかったのかも知れない。分析と考察などといっても、エレンたちのことになると、どこかたかぶった気持ちになってしまったようだ。
それに、自動的に想念を追っていたにしても、ぼくの考えはいつの間にか、まるでネイト=カイヤツの為政者みたいなものになっていたのではあるまいか?
ぼくがこんなことを考えたって、仕方がないではないか。ぼくはろくに力もない、エレスコブ家を追われた――今はカイヤツ軍団の一準個兵に過ぎないのである。思いをはせるのは自由だが、自分でそのつもりになってのめり込んでしまうのは、馬鹿げていはしまいか?
ぼくは苦笑した。
いつの間にか伏せていた顔を挙げる。
歩きつづけるうちに、ぼくはたしかに現在のおのれの日常感覚ともいうべきものを、取り戻しつつあった。
非力な一兵卒としての意識に還りつつあったのだ。
すると……不思議な気分がぼくの胸にひろがりはじめたのである。
不思議な気分。
それは、エレスコブ家というような強大な存在が、かくも短時日のうちにゆらぎ、崩れて行くのか――との認識であった。
つい今しがた迄、ぼくはネイト=カイヤツの為政者さながらに、エレスコブ家やエレンについて、大局的に、いわば上からの目で見ていたのだが、それが本来の個人の意識に立ち返ると共に、エレスコブ家が巨大に映ったのだ。
だって、そうではないか。
ぼくなどにとっては、家とは巨大な組織なのである。力を持った強い存在なのである。その中でも知られたエレスコブ家となればそのへんの一個人では到底刃向かえないような怪物なのだ。家々間の角逐があり各個の消長があるにしても、れっきとした家ならばまず半永久的に存続するというのが、ネイト=カイヤツの人々の常識なのであった。ぼくだってそんな感じを抱いていたのだ。
ところがその家――トップクラスではないとはいえ、上位に伍そうかというエレスコブ家が、こんなにもあっけなく苦境におちいり、がたがたになり、破滅への道をたどるというのは……何だか、おこるはずのないことがおきたという印象を受けるのである。
それは、先程もぼく自身が考えたように、こうなるについては、それなりの事情があるのはたしかだ。また、どんなびくともしそうもない家でも、中に入れば意外に不安定でありいくつも爆弾をかかえているのかもわからない。
理屈としてはそうだ。
しかし、常識……そう信じ込まされていただけの話だといえばいえるけれども、常識がこうも簡単にひっくり返されると、呆然とならざるを得ないのである。
あんなに強固そうだったエレスコブ家とは、そんなものだったのか? エレスコブ家に限らず、家とはその程度のものなのか?
どうにも不思議な気分であった。
いや、これは家だけの問題ではないかも知れないな、と、ぼくはそのとき、ふっと思ったのだ。
家などよりもずっと強固そうな存在、たとえばネイトとか連邦といったものだって、ぼくたちが信じているよりは、ずっともろいのではないだろうか、との念を覚えたのである。
そうなのかもわからない。
本当は、そうなのかもわからない。
では、しんじつ強固なものなんて、この世にはないのだろうか?
何かあるだろうか?
ぼくには、わからない。
きわめて弱いとされているものが、その実、なまなかな大組織よりもずっと強いということだってあるのかも知れないが……ここ迄来ると、ぼくには何ともいえないのであった。
こうなると、不思議を通りこして、むしろ異様な気分である。
ぼくは自分の想念を打ち切ることにした。
また、いやでもそうしなければならなかっただろう。
というのは、(もうそこはぼくたちの居住区の傍だったのだが)むこうからぶらぶらとコリク・マイスンがやって来るのが目に映ったからだ。
通路で上官と出会ったのだから、ぼくは当然敬礼した。
「お前、変な奴につかまっていたな」
コリク・マイスンがいった。「あれ、観察要員だったんだろう?そうじゃないのか?」
「そうであります」
ぼくは答えた。
さっきのショーのあと、ぼくたちは一群となって集会室を出、そこでライゼラ・ゼイがぼくを呼び止めたわけだが、他の連中はぼくが困っているのに行ってしまった。その中にはコリク・マイスンもいたのだ。
かれらが知らん顔で去って行ったのは、ライゼラ・ゼイの率軍待遇章を見て取ったからだと、ぼくは了解している。どうしようもなかったからなのだ。それに、ライゼラ・ゼイと話し合ったのちのぼくは、彼女に好感を持つようになっている。彼女につかまったことを、良かったとさえ考えるようになっているのだけれども……ぼくを置いて行ってしまったひとりのコリク・マイスンと会ったからには、恨み言のひとつもいってやらなければ、気が済まなかった。
だからぼくは、つづけた。
「観察要員につかまったとご存じなら、どうして助けて下さらなかったのでありますか」
「馬鹿いえ。率軍待遇者が職務を果たそうとしているのを妨げられると思うか」
コリク・マイスンは唸った。「それができる位なら、おれがつかまったときにも逃げ出しているさ。――しかし、随分気の強そうな女だったな」
面白がっている表情だ。
「個兵長が出会われた観察要員というのは、彼女ではなかったのでありますか」
相手がそんないいかたをしたので、ぼくはたずねた。
「違う」
コリク・マイスンは否定した。「おれをつかまえたのは、なかなかの美人だったよ。あんな気の強そうな女じゃない」
「それは結構でありました」
ぼくはいってやった。
コリク・マイスンが会っていろいろ訊かれた観察要員というのが、どんな女なのかぼくは知らない。だが、ぼくの見るところ、ライゼラ・ゼイは、ぼくよりいくつか年上のようだが、いい女である。派手な顔立ちの、まず美人といっていいタイプであるが、それよりもぼくにとっては、個性的であり頭の回転も早いのが魅力であった。いや……これはぼくが彼女と喋ってから、そう考えるようになったのである。最初は、たしかに強引な、うるさい女だと思ったのだ。
だが、コリク・マイスンが、自分の会った観察要員のほうを高く評価しているらしいので、なかばひやかし半分に、そんな受けかたをしたのだった。
「結構でもないよ。あんなうるさい連中が、それもたくさん乗り込んでいるとなると……憂欝だ」
コリク・マイスンはいい、は! と、変な声を洩らすと、ぼくの横を通って、歩いて行った。
居住区に戻ったぼくは、他の連中にもライゼラ・ゼイとのことを話す羽目になった。観察要員は何を訊いたのかと問われたので、ひと通り喋ったのだ。もっとも、喋ったのはライゼラ・ゼイのいう例の形式的な質問と、ぼく自身の返答までであった。その後の経緯については、あまりいいたくなかったし、いう必要もないと判断したからである。観察要員の兵隊からの一般的な取材について話せといわれば、それだけで充分だろう――というのは、誕弁《きべん》だろうか? しかしみんなの関心は、本当はそんなところにはなく、女性にぼくがつかまったという、そのことにあったようである。従ってことはあまりロマンチックではないと知ると、連中はいささか失望したらしく、あともうあまりその話題は出なくなった。
ライゼラ・ゼイの取材に関しては、後日キリー小隊長からも質問されたことを、いっておかなければなるまい。
ふとしたはずみでぼくの姿を認めたキリー主率軍は、お前は観察要員のライゼラ・ゼイさんの取材を受けたそうだなとたずね、どんな答え方をしたのかと問い糺《ただ》した。ぼくが、居住区で喋ったのとほとんど変らない説明をすると、まあそれでよかろうと頷き、つまらぬことをいえばすぐにわかるのだからなと釘をさした。
どうやらライゼラ・ゼイは、口が固い人間らしい――と、ぼくは思ったものだ。
そうしたうちにもエクレーダは飛びつづけ、戦線へと近づいていった。
カイヤツ軍団の艦船は、前にも述べたように、いっせいに発進したのではなく、順次出発して、目的の星域近くで集結する手筈になっていたようである。
その集結がいつ行なわれるのか、それとももうはじまっているのか、艦内にいるぼくたち、それもろくに情報を与えられない兵卒のぼくには、さっぱりわからなかった。ただ、日を追うにつれて将校たちの動きが目に立つようになってきたのと、会議や会合とかで小隊長の姿が見えないことが多くなったので、間もなく前線ではあるまいか、と、想像したわけである。他の連中も同様であった。
艦内の動きがあわただしくなってしばらくした頃、兵たちへの戦況説明というのが開始された。一時に全員を収容するような場所がないせいで、いくつもの部屋を使って順次行なわれていくのである。たいていは中隊単位だったようだ。
何日めかに、ぼくたちの中隊も、集められた。
ぼくたちは、肩を近接して整列し、話を聞いたのだ。
戦況説明というからには、全体の様子がどうなっており、各軍団がどこに配置されどんな役目を受け持つかを教えられる――と考える人がいるかも知れないが、そんなものではない。そうしたことは上層の、軍団や兵団、あるいは戦隊のレベルでの話であり、作戦を知らなければならぬ人々の問題である。各級指揮官やしかるべき将校たちに対しても、それぞれ必要な知識は与えられるであろうが……こっちはただの兵隊なのだ。ぼくたちは全体的な事柄は、ほとんどといっていい位、教えられなかった。
説明をしたのは、中隊長付きの若い率軍候補生である。スクリーンに投写された映像に合わせて話したのだ。
スクリーンには、まず、もやもやの網みたいなのがふたつ、映し出された。片方がネプトーダ連邦の版図で、もう一方がボートリュート共和国の支配星域だそうである。ああそういえば、ボートリュート共和国の支配星域のはずれに、ほんの一部だけ、みじかい間だが、やはりもやもやの網が出た。それはウス帝国なのだという。
映像は、一応、回転された。だからぼくたちはネプトーダ連邦の版図やボートリュート共和国の支配星域を立体的に見ることができたわけだが、その程度では何のあたらしい知識も得られなかった。そんなことをいってはいけないのであろう。兵たちの中には、ネプトーダ連邦とかボートリュート共和国とかいうものを、そんな風に明確に把握していなかった者も、多かったらしいのだ。その証拠には、映像の投写と回転で、ほうという歎声があちこちからあがったのである。無理もないことかも知れない。兵隊によっては、これ迄頭の中にあったのはネイト=カイヤツだけで、ネプトーダ連邦の言葉や概念は漠然と承知していても、どういうものかはっきりつかんでいなかった者も、多いのではあるまいか? ネイト=カイヤツの中に住み、ネイト=カイヤツを全世界のように思っている人間、それどころか、カイヤントについてもよく知らず、カイヤツのみしか意識していない人たちに、ぼくはたくさん会っている。また、ふつうに暮らす限りそれで済むのだ。そんな人たちがカイヤツ軍団に入っても、もっぱら兵隊としての能力を身につけるための訓練を積まされてきたのだから……やむを得ない結果であろう。だからその位の投写でも充分意義があるとされているのだ――と、ぼくは思う。
ここでひとつ意地の悪いことをいわせてもらうならば……そうして映し出されたネプトーダ連邦は、ネイトの区分けがなされていなかった。ネイト=カイヤツがどのあたりにあり、どれほどの比率になるかは、示されなかったのだ。ネイト=カイヤツは、十四のネイトで構成されるネプトーダ連邦の中の、七番目に位置づけされる中級ネイトである。その事実をあからさまに見せれば、幻滅する者もすくなくないと判断して、そういう扱いをしたのではないだろうか。
しかしながら、全体的な映像はそれだけだった。すぐにスクリーンには、ネプトーダ連邦とボートリュート共和国の接面が拡大されて映ったのだ。
接面が黄色くなり、そのあちこち――十カ所ばかりが赤く浮かびあがった。若い率軍候補生は、この赤いところが現在交戦中の宙域であるといった。
結構、全体的な説明がなされているではないか、と、思う人もいるであろう。ことわっておくが、ぼくたちはそれらの映像を、映像として見せられただけで、そのあたりのネイト名も交戦宙域の位置も、具体的には何も知らされなかったのだ。いいかえれば、おおよその感じを伝えられたに過ぎなかったのである。
赤い箇所のひとつが、さらに拡大された。
その段階になってはじめて、説明らしい説明になった。
そこは、ネイト=キコーラとボートリュート共和国の接点なのだそうである。ネイト=キコーラはあまり大きくないネイトで(ぼくは、ネイト=キコーラが十番めのネイトであるのを思い起こしていた)星系はひとつ。第三惑星のキコーラとその衛星上の人工都市に人々が居住しているが、ボートリュートの一軍が最近しばしば侵攻してくるので、従来防衛にあたっていたキコーラ軍団に重圧がかかり、ためにカイヤツ軍団が増援に赴くのだとのことであった。
「わが第四地上戦隊は、この第四惑星キコンに防衛陣地を構築し、ボートリュート軍を迎撃する」
と、若い率軍候補生は説明した。「キコンは呼吸不能のごく稀薄な大気しか有さない、比較的小型の惑星だ。従ってわれわれは、地下に居住し、戦闘時に地表、あるいは上空へ出ることになる。キコンにはキコーラ軍団によって小規模な陣地がかつて作られたが、それをもとにわれわれの陣地を拡張構築し、われわれの根拠とするのだ」
若い率軍候補生の説明が終ると、中隊長の訓示になった。
「われわれは、連邦のため、わがネイト=カイヤツの名誉をになって、敵にあたるものである」
中隊長は、ぼくたちを見廻しつつ、いうのであった。「われわれはまだ疲れておらぬ元気一杯の、しかも鍛えぬかれた精鋭だ。ボートリュートごときを相手にして、決して負けることはないはずである。自信を持っていいのだ。全員、軍紀を守り、勇敢にそれぞれの任務を果たしてもらいたい」
説明会そのものは、そこでおしまいであった。
しかしながら、ぼくたちは中隊長たちが去ったあともその場に残され、自分らの小隊長に叱咤《しった》激励された。ぼくたちのキリー小隊長は勇ましく、われわれは本分を尽し、われわれの名誉のために全員一丸となってたたかおう、と、いった。
そして、居住区へ戻れである。
ぼくには、戦争そのものがどんな状況になっているのか、どこで優勢でどこで劣勢なのか、さっぱりつかむことができなかった。ぼくたちが赴くことになるネイト=キコーラの戦闘がどうなのかも、わからなかった。ま、自分たちの置かれる場がどんなものなのかは実際に現地に着いてみればいやでも知ることになるが、それ迄はおあずけであった。
兵隊とは、そんなものなのかも知れない。
戦況説明を受けた日の夕方、分隊長のガリン・ガーバンがぼくたちの居住区にやってきた。ガリン分隊長は、ふだん、下士官の居住区にいるのである。
ぼくたちはへたばっていた。
例の非常訓練――それも突然の重制装着用をやらされて、どうやらうまくやってのけ、それから制装を機器庫に返却して、戻ってきたばかりだったのだ。非番のさなかにそんなことをして、さあまた自由だといわれても、すぐには動きだす元気はない。全員、まだ誰も外へは出ず、ぼんやりしていたのだ。
そして、あとで思うと、ガリン・ガーバンは、そうした、ぼくたちがそろっているときを見計らって、来たのに違いない。
分隊長の姿を認めたぼくたちは、あわてて立ちあがり、敬礼した。ついさっき、ぼくたちの非常訓練の結果を確認して行った分隊長がまた来るなんて、ぎくりとするのが当然というものである。
「いい、いい。気楽にしろ」
ガリン・ガーバンは手を振ってみせた。「おれはちょっと遊びに来ただけだ。気を楽にしろ」
そんなことをいわれても、まさかだらしない格好をするわけにもいかず、ぼくたちは緊張していた。
ガリン分隊長は、ドアの近くに置いてあった椅子をつかむと、ぶらぶらと居住区の中央近くに来た。そこで椅子を据えると、腰をおろしたのだ。
分隊長がこんな真似をするのは、滅多にないことである。
ぼくたちは、何事がおこったのかと、ガリン・ガーバンに注目した。
「みんな、いるのか?」
ガリン・ガーバンがいう。
「全員、そろっております」
コリク・マイスンが答えた。
「そうか」
ガリン・ガーバンは頷いた。「まあ、雑談でもしよう。みんな、近くへ寄ってこい」
ぼくたちは、おそるおそる、ガリン・ガーバンをかこむかたちになった。
「何を変な顔をしている?」
ガリン・ガーバンはいった。「おれの顔にしみでもついているのか? それともおれの顔自体が歪んででもいるのか?」
ガリン・ガーバンは冗談のつもりでいったのだろうが、ぼくたちにしてみれば、こわい分隊長がそんなことをいったとしても、うかつには笑えないのである。
ガリン・ガーバンは苦笑したようだ。
「こんないいかたは、おれには似合わんか」
ひとりごとのように咳くと、ガリン・ガーバンは真顔になって、ぼくたちの顔に順番に視線を移した。
それから、口を開いたのだ。
「もうすぐ前線だ。前線へ出れば、お前たちとゆっくり話し合う間もなくなるだろう。その前にと思って、やって来たんだ」
「…………」
「お前たちの中には、一、二、実戦を体験した者もいる」
ガリン・ガーバンは話し出した。「しかし自慢するわけではないが、ここではおれが一番場数を踏んでいるはずだ。ミド別働隊にいたからだ」
ミド別働隊が何物か知らないぼくたちは、黙っているしかなかった。
そうでもない。
「ミド別働隊とは、ミド・スールドのあのミド別働隊でありますか?」
と、コリク・マイスンが訊いたのである。
「そうだ」
ガリン・ガーバンは短く応じた。
「ミド別働隊とは、何でありますか?」
ペストー・ヘイチが、コリク・マイスンにたずねる。
コリク・マイスンは、ガリン・ガーバンの顔を見、ガリン・ガーバンが何もいわないので、説明した。
「ミド別働隊は、カイヤツ軍団がポートリュートの星域の惑星でたたかった時の、独立守備隊だ。わが軍の大半が撤退するときに踏みとどまって、敵を十日あまり引きつけていたんだそうだよ。おれは前線でその話を聞いたんだ。ほかにも随分手柄を立てたそうだが……」
それ以上は、コリク・マイスンはいわなかった。
ぼくたちは、コリク・マイスンの言葉を待っていた。
「いってしまっても、よろしいのでありますか?」
コリク・マイスンが、ガリン・ガーバンに問う。
ガリン・ガーバンは無言で頷いた。
「ミド別働隊は、その最後の作戦で失敗し、ほとんどが死んだそうだ」
コリク・マイスンはつづけた。「隊長のミド・スールド準参軍は、敵にとらえられ処刑された」
「…………」
ぼくたちは沈黙した。
そうだったのかと、ぼくは思った。ぼくはこのとき迄ミド別働隊という名さえ知らなかったが、そんな隊にガリン分隊長がいたと聞いて、なるほどと納得したのである。それだけの経験を積んでいるからこそ、ぼくたちをしごき抜いて鍛え、兵士としての能力をつけさせようとしたのであろう。だが、勇名をはせた隊にいたのに、第四地上戦隊などという新編成の戦隊に廻され、しかもまだ(といっていいのだろうか?)主幹士なのはどうしてか、との気がしていたのだが、……そうと聞けば納得できる。多くの手柄を立てたにもかかわらず、そのミド別働隊が最後の作戦で失敗したとなれば……そして隊長がとらえられ処刑されたとなれば……評価はさがるであろう。本来英雄にされてしかるべき生き残りも冷遇されることになるのではあるまいか。これはぼくの臆測だけれども、軍隊ではままあることなのかもわからない。
「戦争とは、つらいものだ」
ややあって、ガリン・ガーバンが、低い声を出した。「誰だって戦争なんかしたくないはずだ。逃げたくもなるし、恐怖に足がすくむこともある。体験者のおれがいうんだから……本当だ」
「…………」
「状況しだいでは死ぬことを覚悟しなければならん。命令通りにやったからといって、必ずしも結果が良いとは限らん。それを承知でたたかわなければならないのが戦争だ」
「…………」
「お前たちの中には、まさかいまだに勇ましい物語を信じて、功名心にかられている者はいないと思う。たたかいとは、そんなに甘いものではない」
と、ガリン・ガーバン。「勝つとか負けるとか、そんなことを考えてもどうにもならない。全力をあげるだけだ。全力をあげて、耐えるだけの話だ」
「…………」
ぼくは、しだいに気が重くなるのをおぼえながら、黙っていた。他の連中もそうだったのではあるまいか?
戦闘がつらく、きついものであろうとは、ぼくはぼくなりに覚悟していた。
けれども、ガリン・ガーバンのようなベテランにそんなことをいわれると、これほどの経験者でもそうなのか、と、滅入ってしまうのである。
が。
「ところで」
ガリン・ガーバンはにわかに調子を変えると、つづけたのだった。「まずは、この位の前置きをしておいたほうがいいと思っていったのだが……それはそれで腹を決めて、おれのいうことを聴いてもらいたい」
「…………」
ぼくたちはまた、ガリン・ガーバンに視線を集めた。
「そんな戦争でも、生き残る確率を高くすることはできる」
と、ガリン・ガーバンはいうのだ。「生き残ったおれがいうのだから、間違いはない」
「…………」
「たたかいで早死にしたければ、自分勝手な行動をし、平素の能力を出さなければ、すぐに死ねる。生き残ろうとすれば、その逆をやらなければならない」
と、ガリン・ガーバン。「おれは分隊長として、置かれた状況下で最善を尽す。おれだって死にたくはないからな。おれがやらなければならないのは、いかに分隊の損害を最小にして任務を達成するかということだ。だからお前たちも、おれを信頼して、おれについてこい。それでいいんだ」
「…………」
「それともうひとつ。前々からいっているように、お前たちの生命を助けるのは、お前たち自身だ。訓練で身につけた能力を発揮すれば、それだけ生き残る確率は高くなる。おれはお前たちに、まともな兵隊としての能力をつけさせたつもりだ。自信を持ったらいい。自信を持って、あとはそれをいつものように発揮すればいいんだ」
「…………」
「このふたつだけで、生き残る可能性はうんと高くなると思え」
ガリン・ガーバンはそこで、肩を軽くすくめた。「もちろんこれだけやっても、最終的に人間の生死を分けるのは、運だ。運だが……こればかりはどうしようもないからな。自分の与えられた運の中で、できるだけのことをするしかないんだ」
「…………」
ぼくたちは、なおも沈黙していた。
沈黙はしていたものの、ぼくたちの表情はついさっきよりはだいぶあかるくなっていたはずである。ぼくたちは、ガリン分隊長が励ましに来てくれたことを、やっと悟ったのであった。励ましといっても、無責任にはっぱをかけるのではなく、何とかやってみようとの気持ちにさせるやりかただったのだ。それも、はじめに覚悟をさせておいて、あと気を引き立てるという方法で……ぼくは何となく、自分の腹がすわり、この分隊長の下で全力を尽そうという気分になったのを感じていた。
「ま、おれがいいたかったのは、その位のことだ」
ガリン・ガーバンはしめくくろうとして、そこでふと思いついたように、つけ加えたのである。「しかし、お前たちはまんざら不運でもなさそうだな。これから行くことになるキコンとかいう惑星は、稀薄な大気しかない比較的小型の星だそうだ。めぐり合わせが良かったといえるかも知れん」
「どうしてでしょう」
ぼくは、つい質問していた。
だって、質問したくもなるではないか。
そういう世界では、住民もいないであろう。いや、きょうの説明では、人々が住んでいるのは第三惑星のキコーラとその衛星だという話だった。第四惑星のキコンとやらについては何もいわなかったのだ。無人の、かりにキコーラ軍団の兵員がいるとしても、それだけなら無人と大差のない世界だと考えなければならない。無人の世界なら生きて行くための設備はないに等しいのではないか? キコーラ軍団が作った小規模な陣地があるにしてもそれだけではろくにものもなく、不便きわまりないはずだ。おまけに大気は稀薄ときている。呼吸不能の世界で、陣地を拡張構築して――となれば、厄介なことだと思うのが人情ではあるまいか?
「わからんか?」
ガリン・ガーバンは、ぼくに目を向けて答えた。「よそのネイトの、一般住民のいるところでの戦闘は、やりづらいものだぞ。たたかえばそっちにも被害が出るからな。作戦によってはこっちの手で市街地を破壊したりもしなければならん。これが敵地なら話は変ってくるが、味方だからな。味方の、それもよそのネイトだ。苦情や抗議に悩まされるのが通例なんだぞ。無人のほうが楽なんだ」
「…………」
なるほど、と、ぼくは思った。
「それに、どうせ呼吸不能なら、小型の惑星のほうがいいだろう?」
と、ガリン・ガーバン。「お前たちは制装の扱い方をマスターしたんだ。重制装を着用したら大気が呼吸不能でも何ということはないだろう。小型の惑星なら引力も小さいから行動には楽じゃないか。これが、呼吸不能の濃密な大気を持った巨大惑星だったら、どうなる?」
「わかりました」
いわれてみれば、一言もなかった。
「それに、お前たちは考えなかったかも知れんが、人間以外のある程度の高等生物の住む世界もあれば、われわれのように酸素を吸って炭酸ガスを吐き出す型ではない異種生物のいる世界もあるんだ」
ガリン・ガーバンはつづけた。「実際のところ、人間が住める世界の、人間が植民したところの原住種族の大半は、すでに絶滅したか、辺境へ追いやられてしまい、人間のための世界になっているが、人間の住めない世界は植民もほどんど行なわれず、ためにそれらでは、原住種族が自分たちのやりかたで暮らしている。そうした世界は、すくなくともネプトーダ連邦の領域では人間が不可侵のところとして放置されているわけだ。が、戦争となれば、そういったところへも足を踏み入れなければならん。かれらはわれわれの戦争を理解するはずもないし、それどころか足を踏み入れることに黙ってもいない。そんな地でたたかえといわれたら……面倒きわまりないんだ」
「そんなことは、考えもしませんでした」
ひとりがいった。
「かも知れんな」
ガリン・ガーバンは頷き、ついで、急に疲れたような顔になった。「どうも、きょうは喋りすぎたわい。おれにこれだけ喋らせたんだから、そのぶん、お前たちに頑張ってもらわなくてはな」
「申しわけありません」
コリク・マイスンが、一同を代表して陳謝した。
「いいんだ」
ガリン・ガーバンはにやりとし、席を立った。
「邪魔したな」
いうと、ガリン分隊長は居住区を出て行ったのである。
惑星キコンにエクレーダが着陸したのは、しかし、それから丸三日後のことである。戦況説明が行なわれたからには、その日のうちかすくなくとも翌朝には到着するのではないか――と、ぼくは何となくそう考えていたけれども、違っていたのだ。
もっとも、だからといってぼくは、別段焦りもしなかったし不安を抱いたりもしなかった。一兵卒にとって、事態が予想していたように運ばないのは、ちっとも珍しいことではない。ろくすっぽ情報も与えられずにやる予想なんて、予想とはいえないのではあるまいか? 第一ぼくは、ぼくなどの関知し得ない上層部が樹てた作戦計画のままに、あなたまかせでどこへでも行かなければならない身である。情勢の推移にいちいち神経をとがらせても疲れるだけなのだ。図太く構えて必要なとき以外は鈍感になるようにしているほうが自分のためになるはずであった。これは、ぼくのみならず、分隊の連中みんなが、そうかそうであるように努めるかしていたようである。
それでも(感情は抑圧されていたが)ぼくは、なぜエクレーダがなかなかキコンに到着しないのかを、いつもの癖で、考えざるを得なかった。
戦況説明がなされたときには、キコンはまだ遥かかなただったのかも知れない。
それとも、コリク・マイスンがぼくたちの不審の声を聞きつけて、
「軍隊には、軍隊なりの段取りというものがあるんだ。こっちに順番が早く廻ってくるか遅く廻ってくるかは、そのときしだいよ」
といったように、カイヤツ軍団全体のスケジュールのせいで、そうなったのだろうか?
あとになってぼくは、多少思い当たるふしがあったものの、そのときは、エクレーダがどのあたりを飛んでいるのか、周囲に僚艦がいるのかいないのか、何もかも一切不明――という状況下での臆測だったから、いくら考えても詮のないことだったのである。
そして、着陸そのものはまことにあっけなかった。
というより、ぼくたちはそのことに気づかず、艦内放送によってはじめて知ったのだ。
ぼくたちは非番だった。
戦況説明があってからは、ぼくたちに課せられる勤務は最低必要なものだけになり、例の非常訓練ももはや行なわれないようになっていた。そのせいもあってぼくたちは、もうすぐキコンに着くに違いないと感じていたのだが……ともかくそんなせいで、非番の時間は以前よりずっと多くなり、ぼくたちはしだいに退屈しはじめていたのである。
そのとき、居住区には半数位しかおらず、ぼくはベッドに仰向けになり両腕を頭の下に入れて、うとうとしかけていた。
ベルが鳴りだした。
ぼくは身体を起こした。
「本艦は、すでにキコンの地表に着陸している」
スピーカーから、声が流れてくる。「これより順次艦を出て、陣地に向かう。各自すみやかに用意を整え、直属上官の命令を待て。――繰り返す。本艦はすでにキコンの――」
「来たか」
いいながら、ぼくはベッドをすべり出た。
「いつ着陸したんだ?」
通路に飛び出して行動を開始しながら、アベ・デルボが叫んだ。
「知るもんか」
むこうで誰かがどなり返し……そのあとは無駄口叩く余裕もなく、ぼくたちは艦外に出るための用意にかかっていた。重制装を着用し、武器をそろえ、携行品を入れたバッグを持って、居住区前の通路に集合するのだ。たびたびの訓練のおかげで、ぼくはろくに考えなくても、身体がひとりでに動くようになっていた。
ぼくたちが機器庫へと急ぎ、武器を点検し重制装を着込んで引き返してくる間にも、居住区を出ていた連中が戻ってきて、用意にかかるのだ。
分隊の全員が定められたように通路を人ひとりが行き来できる空間を置いて、居住区前に整列するのに、十五分はかからなかった。十五分とはまた悠長なと笑う人があるかも知れないが、ぼくは個兵見習当時、軽制装を着用するのに優に五分はかかったのである。目の前に置かれた軽制装をだ。重制装ともなればそれ自体が機械なのだから、着用しただけではどうにもならない。全機能が正常か否かを自分で確認し、着込み、所定の操作法に従って動かすのである。個兵見習はいうに及ばず、準個兵でも、なりたての準個兵で重制装に入って動かすのに三十分かからない奴がいたらお目にかかりたい。
ぼくたちの整列は早かったけれども……すぐにやはり重制装のガリン分隊長がやって来て、われわれが外に出るのはもう少しあとになるからここで待機だ、と告げた。
ぼくたちは三十分ほど待たされてから、分隊長に率いられて動きだした。行くうちに他の分隊につながって、三分隊での一小隊、さらに三小隊での一中隊となる。やはり通路にはひとり分の空間を作っておかなければならないので、ぼく自身が全体を見ることはできなかったが、長い行列になったはずだ。
気閘《きこう》に来た。
ぼくたちは重制装を密閉にし(それ迄は艦内の空気で呼吸していたのだ。制装の酸素を節約するためである)数人ずつ、気閘に入った。エクレーダには、正確な数は知らないがかなりの数の気閘があるはずだ。しかし、こうして数人ずつ出て行くとなれば、みんなが出る迄に結構時間がかかるだろう。ぼくたちが待たされたのも仕方がない。あとの者はもっと長く待たなければならないはずだ。
順番が来て、ぼくは他の五人と共に気閘に入った。
背後のドアが閉じる。
「おい、何だよこれ」
ぼくのヘルメットのスピーカーが鳴った。
ペストー・ヘイチの声である。
ぼくは、ペストー・ヘイチのほうへ身体を向けた。正確には重制装を向けさせたということになるのだが、ほとんど自分のもののように重制装を操れるようになっていたぼくには、そのほうがぴったりくるので、今後、そういわなければならない場合を除いては、自分の身体のようにしるさせて頂く。
ペストー・ヘイチのほうに向き直ったというのは、重制装にはそれぞれ使用者の名札を胸の部分に嵌《け》め込むようになっており、ぼくは一緒に気閘に入った者の中にペストー・ヘイチがいたのを、知っていたからだ。
蛇足だが、重制装・軽制装を問わず、識別のためには、名札だけでなく、階級章や指揮官章もとりつけられている。でないと、見分けがつかないからだ。普通、階級章は二の腕に通常軍服と同色同本数の横線で、指揮官章はヘルメット後部につけられる。しかしこれはつねにそうだというのではなく、状況に応じて変ることもある。さらにつけ加えれば、制装の機能にしても各級指揮官別に差異があるようだが、ぼくは詳しくは知らない。
ともあれ、そんなわけでぼくはペストー・ヘイチを見……ペストー・ヘイチが床を指しているのを認めた。
ボールの残骸《ざんがい》だった。
ゴム製の、ちょっとした遊びに使われるあまり大きくないボールが、半分裂けてころがっている。
それも、ふたつだ。
ぼくにも、それがどういうことであるかすぐにわかった。
誰か不用意な奴が、ボールを持ったままか、でなければ何かに入れて、気閘に入ったのだ。気閘内の空気が減圧すると共に、ボールは膨張し、破れたのに違いない。
「こんな馬鹿なことをするなんて、どこのどいつだ」
ペストー・ヘイチがいい、ぼくのみならず他の隊員も身振りで同意を表明した。
全く、呆れたものである。
そんなへまをする隊員がいたというのだろうか?
大気が稀薄なところへ出て行くのに、中に空気の詰まったボールを携えるなんて、うっかりもいいところである。
ぼくは、持ちもののうち、気圧の変化で駄目になるようなものは、あらかじめ除いてあった。
それが常識というものである。そのことをいやでも思い起こさせるのが、ぼくたちの持っているバッグであった。戦闘員としての必携品とそれに私物を入れたバッグは、目のこまかい金属の網でできているのだ。それなら中身も外から見えるし、気圧の変化にも無関係だからである。
わかり切っていることを……誰だか知らないけれども、間の抜けた奴がいるものだ。
それにしても、こんなボールの残骸を、片づけもせずに放置しているのは解せないな――と、ぼくは一瞬思い、たちまちその答を得た。
現在、艦はどんどん兵員を送り出しているのである。一組が出て行けば次の一組という風に、外への一方通行の最中なのだ。掃除などしている暇はないのだろう。
――と、あまり役に立ちそうもない想念を追っているうちに、気閘の中はいったん真空になったようである。ヘルメットの中の気圧を示すランプがともり、濃い青色になっていた。
前方の扉が開く。
ランプの青色はほんの少し淡くなったようだが、顕著な変化とはいえなかった。外の大気が流れ込んで来たものの、稀薄な――それがかりにぼくたちにおなじみの空気と同じ成分だったとしても、呼吸は到底困難な薄さであるのを告げているのだ。ましてここの大気は呼吸不能で人体に有害な成分も含まれているという。気閘を外と同じ気圧にして外扉を開かずに、いったん真空にしたのは、艦内の空気をやたらに放出しないためであるが、同様に、外から艦内へ入るときもここの大気を完全に追い出してから空気を満たすやりかたをしているのは、両者がまじり合えばまじった分だけ艦の空気が無駄になるからであった。随分けちな話のようだが、気閘の数と、それが使われる回数を考えれば、馬鹿にならないはずだ。
ぼくたちは扉口をまたぎ、一列になってタラップを降りた。
――というと、カイヤツVでの乗船のときのことを覚えておられる方は、変な顔をするかも知れない。あのときぼくは、半球形の床が円形をした不思議な部屋を経由したと述べた。そしてそれは、重力の方向を変えるためのものだったらしい、ともしるした。
ではなぜ今回は、そんなに簡単に外へ出てタラップを降りることができたのか、と、いわれることだろう。
だが、あっさりといってしまうと、ぼくはカイヤツVでの乗船のさいに経験した身体が両方から引っ張られるような奇妙な感覚を、気閘の中で受けとめていたのである。ついでにいうならば、エクレーダに乗艦のときにもぼくたちは気閘を、減圧や与圧はなかったものの、通過したのだ。しかもこの身体がねじれるような変な感じは、カイヤツVよりもエクレーダでのほうが、ずっと強くずっと急激に到来して去った。つまりはエクレーダは客を乗せる船ではなく兵員を運ぶ艦なのだから、気閘と重力方向転換の二度手間をやるような無駄を避け、それだけ人員の扱いも荒っぽくなっているということであろう(ちなみにカイヤツVには、あの図体にもかかわらず、気閘はきわめてすくなかったはずである。連邦登録定期貨客船は、人間の呼吸可能な大気を有する世界へしか行かないからだ。気閘を使うとしても、船外へ出ての宇宙空間での修理とか、あるいは最高級の要人の脱出のためとかの非常事態に限られるので、日常的に使用される理由はないのである)。しかし軍艦であるからには、その程度の荒っぽさは当り前であり、兵員のほうも馴れてしまうとされているのではあるまいか? 現にぼく自身、乗艦時のめまいにくらべて、今度の下艦ではずっと軽微であった。どうやら艦内での訓練が、ぼくの身体や感覚を、だいぶ変えたのに違いない。
これは、また脱線をしてしまった。
長いタラップを降りて、ぼくは岩と砂の入りまじった地表を踏み、号令に応じて、基地にいたときと同じように、みんなと整列をした。
点呼。
もちろん、重制装の装置による、電波での点呼である。
それから、ぼくたちに前進の命令がくだった。
目的の陣地迄行くのである。
乗りものを使うのではなく、歩いての前進なのだ。
いや……重制装を操作してなのだから、見方によれば乗りものに乗っていることになるのかも知れない。
身体が何となく軽くなったような気がするが、これは、このキコンの引力が小さいと聞いていたから、そんな風に思えたのかも知れない。自分の生身で歩いているのなら、そのことを実感できたであろうが……何分、重制装の中に入っているのである。ただ、制装の出力を今迄のように上げなくても、楽に進めるのは事実であった。
それにしても、暗い空だ。
小さな太陽が、刺すように光っている。
もっとも、そんな感じがするのは、ヘルメットの目の部分の保護機能が自動的に働いて、本当の色を見ていないようだから……そのためかもわからない。
ぼくは列を乱さぬようにしながら、隊列の一員として歩きつづけた。
岩と砂ばかりの、やたら凹凸のある地表だ。
うっかりすると、つまずいてしまう。
事実、少し前を行く第一中隊の兵隊がひとり倒れ、すぐに起き直って隊形を組みあげたものの、またしばらくすると、別の兵隊がひっくり返ったのだ。
よそのことばかりいっていられない。
ぼくの横を進んでいたアベ・デルボが、突き出した岩に足をひっかけたらしく、平衡を失い……ぼくの腕につかまって、危うく体勢を立て直したのである。
「この……いまいましい星め!」
アベ・デルボは悪態をついた。「こんなところを歩かせやがって……どうせなら、陣地とかの近くへ艦を降ろせばいいじゃないか。そしたら、がたがたせずに済むんだ。ま、陣地といっても、どのみち、おれたちが工事をやらされるんだろうがね!」
「ぶつぶついっているのは、アベ・デルボだな?」
突然、ヘルメットの中に声がひびき渡ったので、ぼくはもうちょっとで飛びあがるところだった。
比喩《ひゆ》ではない。
重制装は、一メートルやそこらは跳躍できる機能を備えているのだ。このキコンでなら、もっと高く飛びあがれるかも知れない。ただ、へたにそんな真似をすれば、着地で転倒しかねないのだが……。
「お前の声は、分隊の全員に聞えているんだぞ!」
どなっているのは、ガリン・ガーバンだった。分隊の一番うしろに居るガリン・ガーバンなのだ。
「お前の制装の交話スイッチが、通常の分隊単位のところに入っていたのを、有難く思え!」
ガりン・ガーバンの声がつづいた。「そいつが小隊連絡用とか中隊連絡用になっていたら、ただでは済まなかったところだ!」
「どうも……申し訳ありません」
アベ・デルボは詫びた。
「文句を並べるんなら、交話スイッチを切ってからにするんだな。だが、そのために命令を聞き落としても、おれは知らんぞ」
ガリン・ガーバンはいい、それから少し調子を強くした。「エクレーダがあの場所に着陸したのは、敵の目標になりそうなものはなるべく分散させるためと、もうひとつ、お前たちにこの世界での重制装の使い方を練習させるためだ。わかったか!」
「わかりました!」
アベ・デルボが大声を張りあげたので、ぼくはあわててヘルメットの音量を下げたが……間に合わなかった。
こんなやりとりをしながら、だがぼくたちは、隊列を維持して整然と行進していたのだから、何となく妙な感じである。
そして。
ガリン分隊長が、これはお前たちのこの世界での重制装の使い方の訓練だといったことは、数分と経たないうちに、もっと増幅されたかたちで裏付けられた。
駈け足の号令が出たのである。
ぼくたちは走った。
こんな高低のある土地で走るのは、楽ではない。
そのうちにぼくは、走るのに要するエネルギーが少し増したのに気がついた。
登りにさしかかっているのである。
登り坂というより、土地全体がだんだん高くなって……そう、山腹を駈けあがっている感じなのだ。
事実、その通りだった。
ぼくたちは、クレーターの縁にたどりついたのだ。
停止の号令が伝えられた。
ぼくは見た。
直径何キロもあるようなクレーターである。斜めに鋭く落ち込むその底は、いやに平坦であった。
が。
ぼくが見たのは、それだけではない。
ぼくたちが立っていたのは、そのあたりでもっとも高い場所であった。だから、遠くのほう迄眺めることができたのだ。
このクレーターほどではないが、前方にはいくつもの中小のクレーターが、隣接し、あるいは離れて、群がっている。
そして、そのひとつの小さなクレーターの底に、一隻の宇宙船が着座し、周囲に機械類が動き、人間かロボットか……僕たちの重制装とはことなる宇宙服の人影がうごめいているのが、ここの小さな太陽に照らされて、はっきり見えたのである。
「先着隊がいたのか?」
誰かの声が、ぼくの耳に流れてきた。「あれは……キコーラ軍団かな。いや……そうでもないようだが」
どうやら、コリク・マイスンのようである。
「あれは工科隊だ。カイヤツ軍団のな」
ガリン・ガーバンがいった。「われわれの陣地を建設してくれているんだ」
「へえ。それでは、われわれが作りあげるのではないのでありますか」
アベ・デルボが拍子抜けしたような声を出す。
「馬鹿。お前たちのような建設の素人に、こんな世界でちゃんと生きて行けるようなものを作らせると思うのか」
と、ガリン・ガーバン。「だが、だからといって、働かなくても済むと思うなよ。お前たちがやらなきゃならないことは、山ほどあるんだ。お前たち自身のための仕事がな」
「…………」
「命令が出た。これからあそこへ行く。並足でよろしい。前へ、進め!」
ガリン分隊長の号令に、ぼくたちはクレーターの縁に沿って、また進みはじめた。
日が傾き、クレーターの稜線の影が工事現場をおおいはじめている。
ぼくたちは、ふたりずつ組んで、工事現場の周囲を晴戒していた。
その日、ぼくは個兵長のコリク・マイスンと一緒だった。重制装に身を固め、レーザーガンをいつでも抜けるようにし、並んで歩くのである。
斜面をくだり、地面を掘り起こしている大型機械と動く人々を左に見て、ぼくたちはゆっくりと歩いた。
私語は、交さない。というより、交せないのだ。重制装をまとって外へ出たが最後、肉声での会話は不可能になる。交話装置を使うしかないのだけれども、これが、もっとも内輪内にしても分隊の全員に聞えるのである。戦闘や訓練にはなるほどそうでなければならないのだが、やっぱり不便で厄介なのには相違なかった。もしも他の連中に聞かれないように意思を伝え合おうとするなら、身振り手振りしかないわけだ。それと、交話スイッチを切って重制装どうしを触れ合えば、震動によって何とか話し合うことはできるが……その間、命令を聞きのがすおそれがあった。交話スイッチは送受信がセットになっているのだ。哨戒中にそんな真似をして注意を他へ外らすのは、考えものである。ましてその日は上官のコリク・マイスンが相手だったから、ぼくは任務に精神を集注していた。
任務に専念といえば……もしもそうでなかったらぼくは、ここの工事を胸ときめかせて見物していたのではあるまいか? ご存じのようにぼくはかつて予備技術学校に在籍したことのある身で、宇宙空間や苛酷な環境下で駆使される技術の分野に入りたいと考えたこともあるのだ。ここの、こんな世界での建設作業となれば、高度な事柄はわからないにしても、眺めていて飽きなかったに違いない。が……今は哨戒する立場であって、そっちへ気をとられているわけには行かないのであった。
むこうから、ふたり一組の重制装が近づいてくる。
両者は立ちどまって敬礼し合い、お互いに異状なしと声を掛け合った。といっても、ぼくは何もいう必要がない。声を出すのは上級者のほうなのだ。
そのふたりも、ぼくたちの分隊員である。
この一帯は、ぼくら第二分隊の担当なのだ。全員が、むらのないように配置され動きながら哨戒するのだった。
誤解しないで頂きたい。
ぼくたちは、工事現場を見張っているのではない。
その逆だ。
工事が順調に進むように、邪魔が入らないように……そして、万一敵襲があれば、工科隊の人々を避難させ、工事現場にいくつか据えられているレーザー砲の、ぼくたちが受け持つ台にとりついて、迎撃するのである。つまり、戦闘員でない工科隊の人たちやその道具を守るのが、ぼくたちの任務なのだ。ぼくらを含めて工事現場を哨戒する兵員はそう多いとはいえないし、その程度でいかほどの働きができるのかと問われれば、いささか疑問がないわけではないものの……与えられた任務であるからには、最善を尽すしかないであろう。
実のところ、ぼくたちはこの勤務に就いてまだ三回めだった、それ迄はエクレーダに折り畳まれて積み込まれ、キコン到着後に整備された垂直離着陸機の緊急発進待機要員として、実地訓練も受けていたのだ。それを十二日間やって、こっちへ廻されてきたのである。この哨戒も何日か経てば、別の任務に就くことになりそうだった。ぼくたちが聞かされた話によれば、兵員のすべてがあらゆる任務をこなせるようにしておくのだ――ということであった。なるほどぼくたちはたしかに、バトワの基地できびしく鍛えられ、一応ひと通りの事柄はみな出来るようになっていたから、それでいいのかも知れなかったが、……しかし、こんな風に各隊をあちこちに廻すよりも、それぞれ一定の仕事で熟達させるほうが効果的なのではないか、と、ぼくは考えるときがある。自分でいうのも何だが、これでは何をやらせても中途半端になりはしないか? だが……上層部には上層部としての理論や考え方があるのだろう。第一、何度も繰り返して申し訳ないけれども、ぼくは異を唱えられる立場ではなく、ただ命令に従うだけなのであった。
話がそういうところに及んだから、ここで、キコンに来てからぼくが知った、あるいは推測したことをいっておこう。
ぼくがエクレーダの艦内で戦況説明を受けてからキコンに到着する迄三日もかかったのには、やはりそれなりの理由があったようである。というのも、キコンへの降下は噂によれば、カイヤツ軍団宙戦隊の庇護のもとに、ボートリュート軍の侵攻の切れ目を狙って行なわれたらしい。そうした時期待ちをしたとすれば、多少は到着が遅れたのも不思議ではないのだ。それにまた、ぼくたちが到着する以前に、工科隊がまずある程度の建設をしておく関係も働いていただろう。ぼくたち戦闘員が先に来たところで、キコーラ軍団がかつて作ったという小陣地の、それもだいぶ前に放棄された建造物しかないのでは、その日から寝泊りする場所に困るではないか。工科隊がとりあえずぼくたちが生きてゆけるところを作りあげたあとでなければ、到着してもどうしようもなかったのだ。
だがもちろん工科隊は、陣地のすべてを建設したのではないことは、現在も工事がつづいていることから、おわかりであろう。工科隊がともかく作ったところへぼくたち戦闘員が入り、工科隊を守りつつ、工事を進めてもらう――との、これは今では同時進行方式になっているのだ。
しかも、ガリン分隊長がいった通り、ぼくたちは与えられた任務以外に、自分自身のためにもうんと働かなければならなかった。工科隊が次々と建設して行く陣地と生活区に、間に合わせの住まいからやっと移っても、それは基本の最低限のものであって、あとはぼくら自身が仕上げなければならないのである。工科隊に文句はいえなかった。工科隊はわれわれ第四地上戦隊のためにだけ存在しているのではない。他にもしなければならぬ作業をいやというほどかかえているからだ。ぼくたちは自分で出来ることを自分でし、現在もつづけている。
それから、キコンに着陸した第四地上戦隊の配置のことがある。
戦況説明のさいに告げられていたが、第四地上戦隊はキコンに降り立った。降り立ったのは第四地上戦隊だけだった。
ご記憶だろうが、第四地上戦隊は四部隊から成っている。第一から第四迄の部隊だ。いや、現在ではそれぞれ部隊長の名前をとって、ショカーナ、ハイデン、ワイツ、デイゼンということになっているのだった。
ぼくが属するのは、元の第二部隊――ハイデン部隊である。
ハイデン部隊は、エクレーダに乗っていた。
ぼくたちは、四隻の艦でそろってキコンに降りたのではない。
それぞれの部隊を搭載した艦が、別個にキコンに着陸したのだ。
――と述べてくれば、もうご想像頂けるであろう。
そうなのだ。
キコンでのぼくたちは、各部隊ごとに別々の陣地を構築し、たてこもることになっていたのだ。
ぼくが聞きかじったところでは、兵力というものは分散させるのは愚であり、集中して敵にぶつけなければいけない、とのことであった。こちら[#校正1]は集中させ、敵を分散させてその一点に、何倍もの兵力をそそぎ込むべきなのだ――と、ものの本などには記載されていたのだ。もっともそれは、通俗解説書の域を出ない本や、歴史物語のたぐいにあったのであり、しかも知識としても随分昔の時代の話には違いなかった。ファイター訓練専門学校ではむろん戦闘技術についてひと通りのことを学んだけれども、これは主として個人戦技であり、個人戦技とは定義としても考え方としても、次元を異にする戦略・戦術に関しては、どちらかというと、なおざりにされがちだったのである。
だから、ぼくは時代遅れの感覚のもとに、危惧《きぐ》を抱いたのかも知れない。
ぼくの聞きかじったのは、主として攻撃の場合の話で、今度のように防衛戦においては当てはまらないのかも知れない。
それに、小さいとはいえ一惑星を受け持ち、敵からの飛来物やレーザー砲攻撃が予想されるとなれば、目標を一カ所に集めるのは危険かも知れない。そんな飛来物やレーザー砲ではなく、実際に敵が降り立ちそうだとわかってから、集結しても間に合うのかも知れない。
しかし、第四地上戦隊の本部は第一部隊――ではない、ショカーナ部隊に置かれているのだ。
ショカーナ部隊がやられたら戦隊本部の機能を喪失するのではないか? それなら集中させておいても似たようなものではないか?
いっておくが、これはあくまでもぼく個人の、あまり根拠のない危惧である。並べ立てたって、一笑にふされるだけのことかもわからない。
ところで……こうして四つの部隊が別々に陣地を構築しているというのは、ここ以外の三つの部隊でも同じように工科隊が作業をし、機器や資材が使われているのを意味する。戦隊本部のあるショカーナ部隊では、工事はもっと大規模なのではないだろうか。
そのそれぞれが、地面を掘り下げ、外殻を作り、気密ユニットを組み立て、連結工事を行ない、砲台を据えつけるのである。施設、設備のみならず、兵員の食糧だって大変なものであろう。自分の部隊の工事だけでもこれは随分金がかかるな、と、思えるのに、それが四つとあっては、どれほどの費用になるのかと、首をひねりたくもなるのだ。おまけにぼくは、キコンの部隊同士の連絡のために定点衛星を打ち上げるとの話も耳にしている。戦争だから仕方がないとはいえ……驚くべき消耗であり浪費のような感じがするのだが、いかがなものであろうか。
しかも、である。
第四地上戦隊が守備するこのキコンは、ネイト=キコーラとボートリュートの接点という一戦場の中でも、主戦場ではないはずなのだ。大切なのは惑星キコーラのほうであって、キコンは前衛の迎撃陣地に過ぎないのである。なりゆきによっては、いつ放棄されるかわからない――と考えたくもなるのだ。そんなところにこれだけの資材と労力をそそぎ込むとなれば……戦争とは一体何なのか、と考えたりするのだった。
しかし。
兵隊であるぼくが、そんなことをみだりに口にすれば、どうなるかわかったものではない。考えるべきでもないのであろう。
ぼくは、自分のあたらしい懐疑を胸の奥へ押し込んで、義務を果たすことに全力をそそがなければならないのであった。
釈明するけれども、ぼくはこの哨戒中にそんな想念にとらえられていたのではない。任務のさなかにそんな真似をするほど、いい加減な人間ではないつもりだ。
それと、これはちっとも重大ではないことだが……ぼくたちの部隊の陣地が置かれているこのクレーターの名について、いわせて欲しい。
ぼくたちは現在便宜的にハイデン火口とか、ハイデン部隊クレーターとか呼んでいるのだけれども、キコーラの人々がつけた正式な名前がちゃんとあるのである。
シェーラ、なのだ。
シェーラ火口。
ぼくはここに来てから、ふとした拍子にキコーラ軍団の遺留物のなかに、キコンの地図があるのを知り、見せてもらったのだ。それによれば、ここはシェーラ火口なのである。
名前の由来は、もちろんぼくにはわからない。
当然ながらそれはキコーラ語だから文字も綴《つづ》りも違う。 ただその下にネプトーダ連邦でもっとも広く使われているダンコール語で、キコーラ語の発音通りの名称がしるされていたのだ。前にもちょっと触れたが、ぼくはエスパー化している時期にちょくちょく部隊本部に行き、そこで使われるダンコール語やバトワ語を耳にし、読心することで、少しはそれらの言葉を覚えた。で……その名称がシェーラという発音なのを知ることができたのだ。
全くの暗合である。
それも、発音についてだけなのだ。
けれども、そうと知ったとき、ぼくの心は何となくあかるくなったのであった。これはぼくがかなり精神的にも疲れていて、些細《ささい》な事柄にも気をとめるようになっていたせいかも知れないが……シェーラという発音のクレーターがここにあり、しかも自分がその中にいるということが、どこかあのシェーラと、そしてシェーラに象徴されるいろんな思い出や、希望があった時分のこと……ひいてはシェーラその人の不思議な明朗さと、相対しているような、心|和《なご》む気分になったというわけである。
コリク・マイスンとぼくが、別の地点でさらに他の一組と声を掛け合ってからしばらくして、ガリン・ガーバンの声がヘルメットにひびいた。
「一―二―一の第二分隊員に告げる。交代時間だ。次の分隊はすでに哨戒にあたりはじめた。砲台前に集合せよ」
ぼくたちは、ゆっくりした歩調を変えずに、そちらへと向かった。
第二分隊全員が集合したときには、小さく鋭い太陽は、とうに沈んでいた。
点呼ののち、解散である。
ぼくたちはいつものように、三々五々、生活区へ戻りはじめた。
重制装だから、まだ雑談はできない。雑談をしたってもう差し支えないわけだが、分隊の全員が聞いており、とりわけガリン分隊長の耳にも入るとなれば、気楽な雑談など無理なのだ。やろうとすれば、生活区へ帰りつき制装を脱いでからにするほうがいいのである。
ぼくは交話スイッチを入れたままで(というのも、いつどんな命令が飛び込んで来るかわからないからだ)だが、考えごとをはじめていた。四日ばかり前にやっと仮の住まいから正規の生活区へ移ることができたものの、その生活区にしたって当面は一人用の小ユニットに三人が押し込められていて……動きもままならないのだ。これにくらべればエクレーダの居住区なんて、夢みたいなものである。もっと気密ユニットが増え連結されて本来の定員が保たれるようになる迄、しばらくはこれで辛抱しなければならないのだ。ひとりでゆっくり物思いに耽るなど望むべくもないことなので……ぼくはいつの間にか、工事現場の哨戒が終って生活区へ戻るこの短い時間を、自分だけの勝手な想念を追うのに当てるようになっていたのである。
そして。
ぼくはきょうも無意識のうちにはじめていた。
よくいわれることだが、人間というのは、ふだんはあって当り前と信じていたものを失うと、とたんにそれ迄どんなに恵まれていたかを痛感するものである。
今の生活区にしてもそうだ――と、ぼくは思った。
エクレーダの居住区にいた頃は、宇宙船に乗っているとの気持ちもあって閉じ込められ、とても思うように振る舞えない、と、不満だったのだが、今となってみると、何と贅沢な悩みだったか。
いやそれどころか、バトワの基地にいたときは、エクレーダの居住区よりももっと広い空間を専有し得たのに、ろくに手紙も読めないと考えていたのだ。
生活環境がだんだん悪くなるおかげで、その前がいかに結構だったか悟る結果になるのだろう。
この調子では、次は一人用の小ユニットをひとりで占有するなんてことは、お流れになるのではないか? もっとひどいところへ押し込められるのではないか?
もっとひどいところって、どんなところだろう。
待て。
こんな想像はよそう。
気が滅入るばかりだ。
別のことにしよう。
そういえぱ、ここへ来てからぼくは、自由に呼吸ができる大気があることは、なんと素晴らしいかと思うようになった。
戸外へ出て、自由に走り廻れたら、どれほどうれしいだろう。
以前は、空気を呼吸することなんて、当然至極のように考えていたのだ。というより、そのことを考えようともしなかった。
人間、勝手なものだ。
ところで――と、ぼくはようやく、この想念の流れを少し変えるのに成功した。
これは逆の表現をすれば、当り前なこと、決まり切っているはずのことが、実はまことにうまく行っているのであり、恵まれているだけ、ということもできるのではないか?
これが普通の状態だ、あるいは普通以下だと本人が信じていても、本当は幸運の風に乗って天翔けているのであり、風がなくなった瞬間に墜落するのを予想だにしていなかったということだって、あるのではないか?
ぼくはそのとき、エレスコブ家に採用された頃の自分を……さらに、エレスコブ家自体を、連想していたのだ。
当り前だったはずの立場、もちろんそうでなければならぬ、このままでは不足だとさえ思っていたのが、ほんのしばらくの、あるいは短い年月のうちの栄光だった、ということであろう。
と……ぼくはこの前、エクレーダの中でライゼラ・ゼイと話し合ったあと、エレスコブ家やエレン・エレスコブの命運について思いに耽ったが、それにひきつづいてふっと考えたあのことを、そこでまた想起したのであった。
あれほど強固に人々の目に映っていたエレスコブ家が、そうも簡単に破滅への道をたどるのなら……家などよりもずっと強固そうな存在だって、頼りにならないのではないか――という、あの念である。
ネイト=カイヤツとか。
ネプトーダ連邦とか。
人々が、何となくほとんど永久に存続すると考えているそうした存在にしたって、何百年かの間、うまく風に乗ってきただけで、いつ墜落し潰滅するかわからないのではないか……そういうことが、実際に、ひょっとしたらぼくが存命中におこることだって、あり得ないとはいえないのではないか、と、またもや考えてしまったのであった。
こんなことをたびたび考えるのは、おかしいだろうか? いささか懐疑的になり過ぎているというところだろうか?
だが、ひとりでにそんな想念がまた顔を出したのだから、仕方がない。
これがまさか予感とか未来予知のたぐいではないだろうな、と、ぼくは思った。ぼくは今はエスパーではないけれども、能力はぼくの中で眠っている。だから、ぼく自身が気づかぬうちにそれを感じ取っているということがあるかも知れない。いや、超能力とかかわりがないとされる普通の人々だって、しばしば予感に襲われそれが的中する場合があるというではないか。
だとしたら……。
しかしばくは、これまたあまり愉しいとはいえないこの物思いを、何とかして振り切ろうとし、どうやら成功した。
どうせ予感について思いをめぐらせるなら、もう少しあかるいものにしよう。
そう。
ぼくはいまだに、まことに執拗といってもいいのだが、例の、自分が何とかして生きてゆく限り、やがてはおのれを充足させるものが到来するのではないかという、あの信念にも似た気分を、捨て切れずにいる。捨て切れずにいるというより、どうしてもぼくから離れないのだ。
こんな、カイヤツ軍団の準個兵として、さいはての(などというと、ネイト=キコーラの人々は烈火の如く怒りだすかも知れない)キコンなどという呼吸不能の小さな惑星に来て、きつい毎日を送り、いつ敵襲があって命を落とすかもわからぬ身でありながら、そんな気分でいるなんて、馬鹿ではないかといわれそうだけれども……嘘をつくわけにはいかないではないか。
これは、ぼくが楽天的あるいは空想的な人間だということではない。自分でいうのも何だが、ぼくは結構取り越し苦労をしがちな、現実的に生きようとする部類の人間だ。ありそうもないことを夢見て足元を忘れるような真似は、とてもできない。
そんなぼくが、この先に何かいいことがありそうだとの感覚にずっと包まれているのはなぜであろう。
これなら、予感であり未来予知であってくれても、いっこうに構わない。まことに有難い話なのだ。
しかしこれは……予感や未来予知なのであろうか?
ときどきぼくは、これがあのシェーラとミスナー・ケイにいわれたことが頭に残っているために自己暗示にかかっているのではないかと考えたりする。正確には、ミスナー・ケイはシェーラの言葉を伝えたのだから、おおもとはシェーラだ。シェーラは占いにかこつけたり予言めかしたりして、あなたは自分の力を出し切って生きのびれば未来が開ける、あなたにはそういう運があるのだ――という意味のことを、たびたびぼくにいったり、ミスナー・ケイを通じていってよこしたりした。
そのシェーラなりミスナー・ケイなりが普通の女だったのなら、ぼくもそれほど気にとめなかったに相違ない。
だが、シェーラにしろミスナー・ケイにしろ、とても尋常の人間とは思えない。カイヤントでのデヌイベの一員としてのみならず、シェーラにはどう考えても超能力者としか解釈できないところがある。ミスナー・ケイもまた同様だ。ミスナー・ケイのおそるべき超能力を、ぼくは自分の目と耳でたしかめたのである。ミスナー・ケイが念力だけを残すといういささか中途半端な超能力除去手術を受けたらしいとの、あのカイヤツVの特殊警備隊員の調査結果が本当なのかどうか、ぼくにはわからないが……とにかくふたりが超能力の持ち主であるこどは疑いないのだ。そのシェーラとミスナー・ケイがいったのだから、未来予知にもとつく予言なのだ――と、ぼくは自分に信じ込ませようとしているのかも知れない。
本当はどうなのだろう?
待て。
せんさくをして、何になる?
ぼくにあかるい未来が待っているというのなら……根拠がなくとも希望に似た灯があるというのなら、何もわざわざ消してしまうことはないのだ。
では、あかるい未来とは?
何だろう。
つい先刻迄、生活環境がだんだん悪くなるのをかこち、このぶんではこののち、もっとひどいところへ押し込められるのではないか、などと暗い気持ちになっていた癖に……ぼくはもうその想念を追いはじめていた。
あかるい未来とは、何かが変るのであろうか?
何が変るのだろう。
どんな変化が待っているというのだろう。
見当もつかない。
もっとも、これ迄の自分のことを思い返してみれば、それが当り前かも知れなかった。ぼくはあたらしい環境に置かれれば、何とかしてそこに順応しようと努めるのに急で、そのときどきには感慨に耽っているような余裕がなかったけれども、振り返ってみれば、それぞれがその前の状態の感覚では想像もつかない異質のものだったのである。
予備技術学校を放り出され父母が急死したあと、ファイター訓練専門学校へと進路を変更したときが、その振り出しであった。学生たちの気風も学校での価値基準もまるで違っていて、別世界に入り込んだようなものであった。
ファイター訓練専門学校での、どちらかといえばおのれの戦技を磨くことだけに専念していればいい立場から、エレスコブ家の警備隊という、身分と階級の社会の中に組み込まれたときも、自分を馴らすには少し時間がかかった。予期していたのとはことなる点が多く、そこではそこの感覚を持つ必要があったのだ。
エレン・エレスコブの護衛員の生活というのもまた、思いがけない部分がすくなくなかった。規律のもとでの仲間どうしのああいう連帯感は、ぼくが初めて経験するものだったといえる。のみならずぼくは、エレンの護衛を務めるうちに、それ迄知らなかったネイト=カイヤツのいくつもの顔を見ることになった。カイヤツ府内にいては窺い知ることができなかったであろう諸地方や、行ったことのない人には到底わかってもらえないであろうカイヤントを、ぼくは自分の目で見た。それによってぼくはネイト=カイヤツへの認識をあらたにし、自分がそれらに立脚した世界に生きているのだとの意識を、おのれのものにせざるを得なかった。エレンの護衛員を務めるというのには、そうしたことも含まれていたのである。
その意味では、カイヤツVでの毎日も、全く新奇の体験であったにせよ、それがエレスコブ家によって運航されるネイト=カイヤツの連邦登録定期貨客船であったという事情から、この延長線上に位置していたといえるだろう。
しかしいってみれば、ここ迄はまだぼくが生れ育つうちに目にし耳にしたネイト=カイヤツの枠をあまり出ていなかったのを、ぼくはのちになって悟ることになる。端的にいえば剣技が幅をきかし、レーザーガンがときには用いられる、有力な家々によって統治される――変な形容だが、古典的世界の領域だったのだ。
その古典的世界が、つまりは、ネイト=カイヤツの後進性のあらわれであると思い知らされたのは、いうまでもなくネイト=ダンコールの首都であり、同時にネプトーダ連邦の首都でもあるネプト市を知ったときであった。四つの区域から成る複合都市のネプト市自体のたたずまいはもとより、ネプト市の人々の様子は、ぼくに大きな衝撃を与えずにはいなかった。それはカイヤツ府などとは比較にならない怪物であり……剣を吊った人などはひとりも見掛けず、人々のスタイルは自堕落なまでに千差万別で自由だったのだ。ぼくはネイト=カイヤツやカイヤツ府がいかに立ち遅れているか、いかに人々が制限されているかを痛感したのである。
これは半面、ぼくにネイト=カイヤツをあたらしい観点からとらえることを教えてもくれた。カイヤツにおける農工業や生活様式のアンバランスや地域格差、昔ながらの古いものと最新式のものが奇妙な具合に入りまじっているそのありかたは、そのまま、トップクラスのネイトとネイト=カイヤツの技術の落差を象徴していたのではなかったか? 実体は剣が常用されるのがふさわしい社会でありながら、借りものの技術を取り入れ、場合によってはそれらがあたかも自前のもののように人々に印象づけようとしているのがネイト=カイヤツというものではなかったのか――と、ぼくは考え込んだのであった。ネイト=カイヤツの人間でありながらそんな意識になるのはけしからんではないか、という人もあるだろうが、ぼくは違うと思う。ネイト=カイヤツを愛するというのなら、まず目を開いて真実を直視することだ。そう。ぼくはネプト市に赴いたことで、思いがけなく目を開かされたのであり、こんなことはそれ以前には想像もしていなかったのである。
こう語ってくれば、おしまい迄つづけるほかはないだろう。
その後の、例の事件に伴う査問と裁断と拘禁が、ぼくにとっていかに意外で腹立たしいものであったかは、今更繰り返さなくてもいいと思う。
そして軍は……連邦軍カイヤツ軍団というものについてある程度承知していたつもりのぼくの先入観は、実態とおよそかけ離れていたのだ。たとえば……どんな奴でもなれるのだといわれがちな兵卒、ぼくが現在そうである準個兵になるのにどれだけ苦労しなければならなかったか、という一事を挙げるだけで充分ではあるまいか。当然、ぼくは軍の一員となるために、おのれの気の持ち方を変えなければならなかった。カイヤツ軍団へ送り込まれると告げられたときのぼくは、なぜこんな目に遭わなければならないのかとの怒りや虚脱感にとらえられていたせいもあって、こうなろうとは夢想もしなかったのだ。
さらにぼくは、今、キコンに来ている。これ迄生きてきた世界とは全く別種の、呼吸不能の大気を有する小型の惑星にだ。
回想である。
らちもない回想だ。
だがとにかくぼくの場合、結果としてはつねに予想を超える――その前の状態の感覚では想像し得なかったあたらしい環境にほうり込まれてきたのだ。
大げさだろうか?
誇大に受けとめ過ぎているのだろうか?
たいていの人が、ぼくと同様の経験をしているのだろうか?
わからない。
わからないが……ぼくはそう思う。
となれば、なのだ。
となれば……ぼくの前にあかるい未来が開けるとしても、それだって予測不能の、現在のぼくの感覚からは想像もできないものであっても不思議ではない。すくなくともそうなる可能性がきわめて高いとはいえないだろうか?
要するに、見当がつかないということである。
…………。
ぼくは目をあげた。
すでに、ぼくたちの生活区に通じる気閘の入口の前に来ている。
物思い(といっても、きょうもあまり有益と呼べるものではなかったが……ぼくにはおのれの思念を追うそのことが、ささやかなたのしみなのだ)に耽っていたにしては、ぼくはみんなから遅れていなかった。ちゃんと一群の後尾のひとりになっている。
先頭の人間から、気閘に入ってゆくのだ。
気閘は、低い半球形に盛りあがった建造物の、その内部へと作られた通路をゆるやかにくだって行く奥にある。一度に普通は四人ずつ入ることになっていた。非常の場合は六人でも可能だが、今はもちろんそうではないので、ぼくたちは定め通りの人数ずつ、通路を降りて行く。
今もいったようにぼくは後尾だったから、一番おしまいになった。おしまいなので四人ではなく、三人だった。
外扉が開くのを待って、ぼくたちは中に入った。
背後になった外扉が閉じて間もなく、重制装のヘルメット内部の青いランプが消えた。同時に、四角形のあまり大きくない気閘室の壁に呼吸可能になったのを示す標示灯がともり、前方の内扉が左右に割れはじめた。
ぼくたちは重制装を開放にして、内扉を抜けた。それ迄は重制装内の空気に馴れてしまっていたのが、生活区の空気を吸うことで急に匂いが殺到するのだ。生活区の空気はいつものように、機械や油や人間の体臭やらのいりまじった特有の匂いで、しかし、つめたかった。
その先は、重制装の格納架の列が並ぶ広い部屋である。
先に入った連中がまだ制装をしまっているのにまじって、ぼくたちも制装から出ると自分に割り当てられた格納架に押し込み、格納架にあるノズルで制装内のタンクの酸素を補充した。
にわかに外へ出なければならぬようなときになって酸素を充填《じゅうてん》していては、機を逸するおそれがあるからだ。
それから制装を、決められたように固定する。
五十数キロもある重制装を、いくら鍛えられているからといって、ひとりでそんなにらくらくと扱えるのかとおっしゃる方は、ここの引力が小さいのを思い起こしていただきたい。だからここでは、バトワの基地でのように道具などは使わず、自分で取り扱う方式になっているのである。
――と、こんなことをながながと述べたぼくの意図を、くみ取って貰えたであろうか?
うるさいなと感じておられた人なら、もうお察しであろう。
そうなのだ。
生活区と外を出入りするためにこれだけの手順が必要だということを、ぼくはいいたかったのである。ここではそうしなければおのれの生命が守れない。従って、訓練もされていたからぼくたちはほとんど反射的にやっているけれども、やはり面倒であることに変りはないのであった。
ともあれ。
作業を済ませると、ぼくは、格納架の列の間にところどころ設けられている開口部から梯子《はしご》で下へ降りて行った。
降りたところは、円形の大きな部屋なのである。あちこちにぼくが今降りてきたのと同様の梯子が林立していることを割り引けば、ホールと表現してもいいであろう。
また事実、ホールの役目を果たしているのだ。
気閘室や格納架室と違って、ここは照明があかるい上に、結構天井も高い(それだけぼくたちが梯子を昇降するのに手間がかかるわけでもあるが、ここの天井迄低かったら、ぼくたちはそれこそ息がつまる気分になったに違いない。両方共いいことはないものなのだ)。
この大部屋の曲線を描く壁には、一定の間隔を置いて通路の入口がついている。入口といってもおおかたはドアがないのだから、トンネルと呼ぶほうがぴったりくる。それも、身をかがめなければ通れない低いトンネルなのだ。
つまり、こうした通路が大部屋から放射状に伸びて、その途中に次々と生活ユニットが並んでいるのである。
ついでに説明すれば、トンネルではなくドアのついた、しかも人間の背丈より高い入口は、生活区を支える設備・施設に通じている。そういうものがなければ生活区自体が成り立たないのだから、こっちのほうがドアで防備され、入口の大きさでも優遇されているのであった。
これらをひっくるめて、一個の生活区ということになる。工科隊はこれを、ひとつまたひとつと建設しつづけているのだ。
ホールには、いつものようにたくさんの人間がいて、立ったまま話し合ったり、壁側に重ねてある折り畳み椅子を持ってきてひとりで何事か考え込んだり、数人で談笑したりしていた。生活ユニットに定員以上の人数が押し込められている現況では、身体をゆっくり伸ばしたり大声で喋ったりしようとすれば、ここへ出てくるほかないのである。
人々の中には、将校の姿も結構あった。将校はわれわれ兵隊よりももう少しゆったりした空間を与えられているはずだが、それでも手狭なのに変りはないらしく、よく見掛けるのであった。
それと、ちらほらと女性がまじっていることも、いっておくべきであろう。前にも説明した通り、部隊には女性隊員がいる。部隊本部にも多いし、実戦部隊である第五中隊などは中隊長以下全員が女なのだ。そうした女性隊員たちの生活区はぼくたちと別になっていたけれども、自由な時間ができると、男の隊員たちの生活区へとやって来る者は、珍しくなかったのである。
ぼくは、かなり立て込んだホールの様子を眺めながら、このまま自分たちの小ユニットに行ったものかどうか、思案した。
小ユニットに戻っても、そこは一人用のところに三人が入れられているのである。おまけにぼくと一緒なのは、ケイニボとラタックという、どちらもぼくよりは階級が上の――主個兵であった。ぼくは別にふたりを嫌っているわけではない。それどころか同じ分隊員としての仲間意識を持っている。だが、相手ふたりが上級者で、それも狭いユニットの中で鼻つき合わせるとなれば、どうしても緊張を強いられるのであった。ケイニボとラタックのほうも、同時にユニットの中にいる人間は少なければ少ないほどいいに決まっている。となれば、すぐに自分たちの小ユニットに行かずここで誰かとお喋りでもしているのが、ぼくにとっても同室のふたりの主個兵にとっても望ましいのだ。そしてそのお喋りの相手が、当のケイニボなりラタックなりでも、いっこうに差し支えないのであった。
だが、ちらちらと見廻したところ、今しがた共に引き揚げてきた分隊の連中の顔は、ひとつも見えないのである。ふだんなら三人や四人はすぐ目につくし、話し相手を求めて待ち構えている奴もいたりするのだが、偶然とはいいながら滅多にないことであった。
いつもより人が多い感じだからその蔭になっているのか、あるいはいったん小ユニットに戻って出直してくるつもりの者が多いのか……?
だとしても、話し相手を捜してうろうろとそのへんを歩き廻るのは、正直、ぼくの性分には合わなかった。また、しばらくしてからここへ出てくるかもわからない人間をぼんやりと待つのも間が抜けている。
その位なら、椅子でも持ってきてひとり思索に耽ったらいいではないか、という人もありそうだ。たしかにぼくはご存じの通り、ぼんやりとものを考えることが好きである。
しかし、自分だけの想念を追うにしても、それに適した状況と、そうでない状況というものが、あるのではないか? これは個人の好みに属する問題であるが……ぼくはこういう、知らない人間と知った人間が入りまじっている、いつ誰に声を掛けられるかわからないところでそんな真似をするのは、苦手であった。これが見知らぬ人ばかりの中でとか、仲間のいるところとかのどちらかだったら、何ということはない。はじめからそのつもりでいられるからである。だからこそ……ぼくはいつの間にか、工場現場の哨戒が終って生活区へ戻る短い時間を、重制装の中で自分の勝手な想念を追う癖がついてしまったのだ。ここではそれができないのを自覚していたからである。
困ったな。
小ユニットへ戻るしかないか。
ぼくはもう一度ホール内を見渡し――そこでひとりの女がこっちへ近づいて来るのを認めた。
それが誰なのか、ぼくにはすぐにわかった。
ライゼラ・ゼイなのだ。
観察要員の、ライゼラ・ゼイなのである。
ぼくは驚きのあまり、変な顔をしていたかも知れない。
彼女がこの生活区に姿を見せるのはおろか、ハイデン火口陣地にいることさえ、ぼくは考えもしていなかったからだ。
なるほど彼女はエクレーダに乗っていた。エクレーダはハイデン部隊を搭載していたのだから、彼女が戦闘要員なら当然この陣地に来ていてしかるべきである。
だが、ライゼラ・ゼイは観察要員なのだ。
観察要員がここまでぼくたちと行を共にするとは……何となく思えなかったのである。
そんな意表をつかれた状態にもかかわらずぼくが彼女を見て即座にそれと識別したのは、やはり彼女の派手な、個性的な顔立ちのせいであった。
「久し振りね。元気?」
何のてらいも遠慮もなくぼくの前に来て立つと、ライゼラ・ゼイはいったのだ。
「はい、元気であります」
ぼくは答えた。
これが、ライゼラ・ゼイとふたりきりの、ほかに他人のいない場だったら、ぼくはもっと楽ないいかたをしていただろう。しかし、周囲には将校や兵隊が一杯いるのだ。こんな場では、率軍待遇章をつけた相手に対して、階級相応の態度をとらなければならない。
ライゼラ・ゼイがかすかに苦笑したのは、彼女にもそのことがわかっていたからであろう。
「場所が悪いわね」
ライゼラ・ゼイは肩をすくめた。「だけどここの陣地の現状では、ここでしかあなたと話せないわけだ」
それから、壁の一方を指した。
「あのあたりででも……どう? 少しあなたとお話ししたいのよ」
そのあたりは、比較的空いていた。
が……ライゼラ・ゼイが女であり、それも人目をひきやすいタイプの顔立ちであるためだろう。向かい合って立ったぼくたちを、好奇心めいた表情を浮かべて通りかかる者は、ひとりやふたりではなかったのだ。
将校もひとり、近ぐを通った。何かいいたげに歩調をゆるめた。
「取材をするのですからね。あそこの壁側に椅子をふたつ運びなさい!」
ライゼラ・ゼイは声を大きくして、ぼくをどなりつけた。
将校は、何だまたかといいたげに顔をしかめて去ってゆく。
「承知しました。観察要員」
ぼくはライゼラ・ゼイに調子を合わせ、大股で、折り畳み椅子を立てかけたところへ行くと、それを二脚、ライゼラ・ゼイが指定した場所へ持って来て開いた。
ライゼラ・ゼイは、携帯していた小型の録音機を手にかざして腰をおろすと、ぼくにもすわるように身振りで示した。
ふたりの顔は、五十センチも離れていなかっただろう。もっともその中間にはライゼラ・ゼイの録音機があったが。
こうした一連の行動をぼくがとっさにとったのは、やはりぼくの心中に、この前話し合ったときの彼女の印象が好感として残っており、信頼できそうな人間だとの気持ちがあったからだろう。そういえばあのあとキリー主率軍がぼくにその一件を問い糺したとき、ライゼラ・ゼイが不必要なことを何もキリー主率軍に喋らなかったらしいと知ったのも、作用していた。
それに、相手がライゼラ・ゼイなら、また何かあたらしい情報を得られるのではないかとの期待があったのも、たしかである。
「この生活区に来る用があって、ここにあなたが居るのがわかっていたから、用が済んだあと、しばらく待っていたのよ」
ライゼラ・ゼイは低くいった。
はた目には、ぼくが彼女の取材を受けているとしか映らなかったであろう。
「この陣地に迄来ておられるとは、考えもしませんでした」
ぼくも、相応の小声で答えた。
「観察要員は、行きたいと意思表示すれば、どんな激戦地へでも行けるのよ」
ライゼラ・ゼイはいう。「まして、ここの陣地は主戦場でもないんだから……ついて来なければ観察要員の名がすたるじゃない」
「大変ですね」
ぼくは何となく、そういった。
「皮肉?」
ライゼラ・ゼイはぼくの顔をみつめ、例の表情を読み取る技術で、そうではないのを見て取ったようである。
「実はね」
一拍置いてから、相変らず取材をしているような態度で、ライゼラ・ゼイはつづけたのだ。
「あなたと話したかったというのは、エレスコブ家について、またあたらしい情報を聞き込んだからなの」
「…………」
ぼくは、相手の顔を見た。
「エレスコブ家から政府に出向していた人たちは、すべて、役職を解かれたらしいわ」
と、ライゼラ・ゼイ。「そればかりでなくて、エレスコブ家との取り引きを拒否する家が増えた結果、エレスコブ家の財政はほとんど破綻したようね。近く中枢ファミリーの何人かに逮捕状が出るとの観測もあるようだけど、これはまだそこまで行っていないみたい」
「――そうですか」
ぼくは呟いた。
事態は、ぼくがそうではないかと思っていた方向へ、急速に進んでいるようである。
ライゼラ・ゼイの言が事実とすれば、エレスコブ家はもはや半分家としての実体を喪失していることになる。
ぼくはこの前、よほどの奇跡に近いことでもおこらなければ、エレスコブ家の破滅を食いとめるのは無理であろう、と、いった。そして、具体的にどんな奇跡があり得るのかどうにも考えつかないとの意味のこともいったはずだ。
しかしこうなれば、たとえその奇跡がおこったとしても、もう復元不能なのではあるまいか?
「もうひとつ」
と、ライゼラ・ゼイはつけ加えた。「エレン・エレスコブは、ネイト=ダンコールのネプトにいるのではないかとの噂が立っているらしいわよ」
「え?」
ぼくは、前のときにも発した、上級者に向かっていうには適当でないいいかたをやってしまった。
「たしかな証拠があるわけではないけれど……ネイト=ダンコール所属の連邦登録定期貨客船でネイト=カイヤツに来た何人かの外国人が、ネプト市でそれらしい人物を見たと話したんだって。護衛もちゃんとついていたというから、そうではないかとの風評がながれていると……そんな話だったわ」
「…………」
ぼくは、何もいえなかった。
エレン・エレスコブがネプト市に……?
何の理由で、ネプト市になど行ったのだろう。
逃亡の果てだろうか。
そして……パイナン隊長以下第八隊のメンバーは、依然としてエレンに同行しエレンを守っているというのだろうか?
むろん、これが本当か否かは、ぼくにはわからない。
ライゼラ・ゼイも、噂だといっているのだ。
どちらなのだろう。
しかし、そこでぼくが何となく淋しくなったのは、自分でも奇妙であった。
これは、エレン・エレスコブや第八隊の連中が生きているという噂である。
死んだという話ではない。
だから、よろこんでしかるべきなのであった。
それなのに……わびしい。
あのエレン・エレスコブや第八隊の隊員たちが、こともあろうにネプトーダ連邦の首都で、いってみれば流浪の旅をつづけているとのイメージが、ぼくの中に湧きあがってきたからであろうか。
そうだとすれば……どうにも淋しいのである。エレン・エレスコブにそんなことは似つかわしくないのであった。
いや、エレンはネプトーダ連邦の首都で、エレンなりに何かをもくろみ、実行しようとしているのかも知れない。その可能性だってあるはずだ。
――と、そう考えようとしたのだが……自分を納得させるのはむつかしい感じなのである。
自分で先に、エレンたちの流亡のイメージを作ってしまったからであろうか。
でもいい。
エレンが、第八隊の連中が……まだ生きているらしい、と、そのことだけを受けとめるように努力しようではないか。
「あなたの心情を考えると、どうせそのうちあなたの耳に入るに違いないのだから、できるだけ早い機会に話してしまおうと思ってそうしたんだけど……悪かったかしら」
ライゼラ・ゼイはいう。
「いいえ。伝えて下さったことに感謝しております」
ぼくは相手の厚意に、ひとまず礼を述べた。
「なら、いいけど」
ライゼラ・ゼイは微笑し、それからとんでもないことをいいだしたのだ。「今の話に、あなたが動揺しながらも耐えてくれて良かった。カイヤツ軍団の兵士としての覚悟ができているのね。これで取材の甲斐《かい》があったわ」
ぼくは頭にかっと血がのぼるのをおぼえた。
これでは、裏切りではないか。
ライゼラ・ゼイは取材のようなふりをして、私的な会話をしようとしているとばかり思ったのに……本当の取材だったというのか? ぼくはまんまと乗せられたというのか?
「これは、取材だったのでありますか?」
ぼくは叫ぶように、だがそれ迄の小声での喋り方がまだ影響していたせいで、自分でも低い声だなと自覚しながらたずねた。
「お馬鹿さん」
ライゼラ・ゼイは素早く、ぼくを制した。
「…………」
ばくは口をとざす。
「ほんとに真面目なんだから」
ライゼラ・ゼイは、目でぼくをにらむ真似をした。「それに自分の気持ちをそのまま顔に出すし……だけどそれがあなたのいいところ」
「おからかいになったのですか?」
ぼくは訊いた。
「いいえ」
ライゼラ・ゼイはかぶりを振る。
「…………」
どういうことか、よくわからない。
「あなたがどう考えてわたしとの対話に応じたか、よくわかっていたわ」
と、ライゼラ・ゼイ。「そして、一面はその通りだったのもたしかよ。でもあなた、このホールにエスパーがいるかも知れないとは思わなかったの?」
それは、思わないわけではなかった。取材にかこつけて私的な会話を、それも率軍待遇の女性観察要員としていることを、どこかのエスパーに読み取られたらどうなるか――との意識が頭をかすめたのは本当である。だが次の瞬間、会話の内容がうしろめたいものでなければどうということはないではないか、と思い返したのであった。そしてその内容は、エレスコブ家についての情報だったのである。エレスコブ家のクーデター計画≠ノ関連のある話などではなく、ネイト=カイヤツに居る者なら誰でも聞いているはずの事柄を聞くだけなのだ。ぼくはかつてエレスコブ家の一員だったのだから、そのエレスコブ家の命運に関心を抱いて、何がいけないのであろう。非難される筋合いはない――と信じたから、話をつづけたのである。
ぼくはその旨をライゼラ・ゼイにいった。
「ま、はじめからあなたをおとしいれようというつもりの人が相手でなければ、それで通るかもね」
ライゼラ・ゼイは頷いた。「だけどこれが本物の取材なら、誰にも文句はつけられないでしょう? 今の話は本物の取材であり得るのよ。エレスコブ家を追われた経験を持つカイヤツ軍団の兵士が、以前に在籍していた家が破滅しかけているのを知ってどんな反応を示したかは、取材の価値があるといえない? もちろんそれが結果として、使いものになるかどうかを判断し、駄目となれば記録から除外するのは、わたしの裁量だけど。だから録音機はずっと作動しているのよ」
「そういうことだったのですか」
ぼくは呟いた。
それは、そのほうがずっとすっきりしている。
「それにしても、本気でかっとなったんでしょう?」
ライゼラ・ゼイは笑った。「そんなに生真面目でいながら、これ迄、例のエレスコブ家でのこと以外、失敗らしい失敗もせず身を滅ぼさずにきたのが、どうにも不思議に思えるわ。よほど明敏で、しっかりしているのね。あなた、恋人とか好意を持った女の人っていなかったの?」
「それも取材になるのですか?」
ぼくは反問した。
もちろんぼくは、言葉通りにそのことをたずねたのではない。ライゼラ・ゼイは相変らず録音機をかざしているし、また、取材として成立し得る想定のもとに喋ってもいるのだろうが、ぼくは、これ迄の話の流れと今の説明で、彼女には実際はその気がない、と、理解していたのだ。
ぼくは、反問するという行為そのことで、抗議の意志を示したかったのである。
もともと、個人的な事情、それも、恋人とか好意を持った女がいたのか――というようなせんさくをされるのは、ぼくの性分に合わない。相手が女性で、しかも上級者となればなおさらだ。おまけに今は、がさがさしたホールの中にいるのである。できることなら、そんな話題は願い下げにしたかった。
ライゼラ・ゼイにも、そのことはわかったらしい。その目にちらりと、そうでしょうねといいたげな色が浮かぶのを、ぼくは見て取った。
だが、このへんがライゼラ・ゼイ持ち前の押しの強さというか、積極性のあらわれなのであろう。それにぼくの返事のしかたにかえって興味をそそられたのか、あるいは彼女とぼくとの間柄がすでに安定しているとの確信があったのか……彼女は、引き下がりはしなかったのだ。
「悪いわね」
と、ライゼラ・ゼイは一応いってから、つづけた。「でも、わたしは思うんだけど、あなたがそうしてこれ迄やってこられたについては、相応の自律心と共に、あなたを支える何かがほかにもあったんじゃないのかな。そんな気がするんだ。と、なれば……あなたにとって、ま、いいかたは大げさだけど、心の中での守護神みたいな、そんな存在があったと想像したくもなるでしょう。どうなの?」
いわれてみれば、それはなかなか鋭い指摘なのかも知れなかった。女の直感というものがあるのだとすれば、そうかもわからない。
守護神か。
ついさっきぼくは、生活区へと戻りながら、重制装の中で、ややそれに近いことを考えていた。ライゼラ・ゼイがいったように、ぼくはぼくなりに身を持するように努めている。あるべき規範からおのれが逸脱しないようにとの、いわば自衛のためにだが、これはずっと前からそうなのだ。にもかかわらずぼくの運命は変転し、見方によればだんだん辛い境遇に追いやられて行っている。そんなぼくを何とか支えているのは、毎度繰り返しているあの気分……自分が精一杯に生きてゆく限り、やがては自分を充足させるあかるいところへたどりつけるのだとの、あの気持ちであった。
そしてそれは、シェーラなり、シェーラの言葉を伝えたミスナー・ケイなりによってもたらされた……いや、以前から存在はしていたけれども、彼女たちによって強化され、信念じみたものと化した、と、いうべきであろう。
だから、たしかにこれには、彼女たちは関係がある。
しかし、彼女たちが、ライゼラ・ゼイのいう守護神そのものではないことも、また事実なのだ。あるとすれば、その信念(?)自体が該当する。
逃げ口上だろうか?
でも正確にいうと、そうなるではないか。
で、ぼくは、相手の期待に沿わないことになるのを承知で、質問に答えた。
「それほどの……守護神そのものというような女性はいません」
「あらそう? だけど……ま、いいたくないのなら、仕方がないわ」
ライゼラ・ゼイは、ぼくの目を覗《のぞ》き込むようにした。「じゃ……ともかく、それほどの人はいなかったとしても、これ迄女の人と全くつき合わなかったわけじゃないでしょう?」
「それは、そうです」
ぼくは苦笑と共に返事をした。
別に、シェーラとか、エレスコブ家に入ってからのことではなくても、その前のぼくがいろんな女の子とつき合わなかったわけではない。今思うとずっと昔の話のような気がするけれども、むしろその頃のほうが、自己の立場にあまり神経質になる必要がなかっただけ、気軽だった感がある。
「これからも、その機会はあるはずよね」
ライゼラ・ゼイは、そんないいかたをした。例の表情読み取りの技術でこちらの心を見抜いたのか、たまたまぼくの思考の方向と合致しただけなのか、ぼくにはわからなかった。
「でも、あなた、胸にとどめておいたほうがいいな」
一拍置いて、ライゼラ・ゼイはまた口を開いた。「ご本人は自覚していないだろうし、それに昔からそうだったのかどうか、わたしには不明だけれど、現在のあなたは、ことに女にとって妙に気になる人なのね。何となく、はらはらさせるところがあるのよ」
「それは、どういう意味でしょうか」
ぼくは訊いた。
「どういったらいいのかな」
ライゼラ・ゼイは首をかしげる。「つまり、全力投球で突進していて、一応は自己制御もしているものの、何かのはずみでどこへ飛んで行ってしまうかわからない……後もどり不能の、これ迄と全く違う存在になってしまうんじゃないか――と思わせるところがあるのよね。だからどうも放っておけないとの気にさせるわけ」
「…………」
「これはわたしの勝手な想像だけれど、そんな印象があるというのは、きっとあなたの真面目さに起因しているんじゃないかな。いえ……おかしな表現をすれば、そうした危うさをあなた自身が無意識に感じているから、何とかして自分を制御しようと自分を締めつけているようにも見えるんだ」
「…………」
ぼくは、どう応じたらいいのか、見当もつかなかった。
そんなことをいわれたのは、初めてだ。
これ迄にぼくは、生真面目過ぎるとか堅いとか、何度もいわれたものだ。それも、だんだんそうなってきている。自分ではさほどではないと信じているのに、他人の目にはそう映るらしいのだ。なるほどぼくは、昔から、あまり無責任な真似のできない性格であった。だがそうした人はたくさんいる。そのひとりであるぼくが、ともかく置かれた環境に何とか順応しようと努力し、はめたほうがいい簸《たが》を、自分ではめて生きてくるうちに、はた目にはそう見える人間になっただけのことではないか?
それと、考えようとすれば、もうひとつの理由も考えられる。
ぼくは不定期エスパーだ。
ためにぼくは、エスパーと非エスパーの間を、しかもろくに心構えもしていないうちに、一方からもう一方へと移らなければならなかった。
その回数が重なるにつれて、ぼくは自分が常時エスパーでもなく、普通人でもないことを、身にしみて感じるようになっている。
常時エスパーには、普通人の心は読めても、決して普通人のような心の持ち方や行動はできないであろう。他人の思考を覗いたり、自分が覗かれたりするのが当り前の常時エスパーには、特別な場合でないとそんなことを考えない普通人の生き方は、やろうとしてもやれないのだ。かりに読心することで理解はしても、自分が同じような意識になることは、ないはずである。
普通人のほうには、むろんそうしたエスパーの心理はわからない。超能力の存在とは無関係に、考え、行動するのである。嘘をつかなければならないときにはつくし、思っていることを顔に出してはならぬときには、感情を隠す。
ぼくは、その両方を経験してきたのだ。というより、エスパー時にはエスパーとして、非エスパー時には非エスパーとしての言動を余儀なくされてきたのであった。いつ自分がエスパー化するか、非エスパー化するか、自分にもわからない以上、エスパー時にはエスパーの一員として、非エスパー時には超能力と関係のない普通人の仲間として、生きてゆくしかないのである。
そして、それでもやはりエスパー時には普通人の、非エスパー時にはエスパーの存在を心の中のどこかで意識している。
と、なれば……片方に偏してしまうのは無理であった。エスパーになり切っていて普通人に戻り、普通人だったのがエスパーに化する――という過程のうちに、ぼくはいつか、エスパーであってもそうでなくても、どちらででも通るようなやり方を、身につけはじめていたようである。つまり……どうせなら、思うことと口にすることと、さらには行動を、できる限り合致させようというやり方だ。表と裏を作り操作するよりも、そのほうがずっと楽で、面倒がないからである。もちろん、そんなことは完全にはできはしない。そうは行かない場合も多いし、あえて思考と言動を裏腹にしなければならない状況もある。が……すくなくともそうありたいとの念を持ち努めていれば、エスパーからも普通人からも白い目で見られなくても済むはずだ。これは理屈としてそうするのが得というのではなく、どこか本能的に、そんなことになった気味がある。
そんなぼくが、生真面目といわれてもやむを得ないのかも知れない。
だから、ライゼラ・ゼイにも真面目だといわれたって、わりあい平気だったのだ。
が……おそらくはその真面目を踏まえての上でであろうけれども、相手がそんなことをいいだすとは……考えもしなかった。想像もつかないことだったのである。
変なことをいう人だ。
「変な話だと思う?」
ライゼラ・ゼイは、少し面白がっているようであった。「でもこれは、わたしの印象としては本当よ。ほかの女にとっても同様じゃないかとの確信もある」
「…………」
「ともかく、そんなわけだから、もしも女が……いえ、女でなくっても、あなたに構い過ぎる人が出てきたら、そのせいだと解釈することね」
ライゼラ・ゼイは、そこで肩をすくめてみせた。「いやだな。こんなこと、忠告にも何にもなっていないわね。でも、ま、そういうことなの」
「…………」
ぼくが黙っているうちに、ライゼラ・ゼイは録音機を下げ、立ちあがる姿勢になっていった。
「これはどうも、とんだお喋りになっちゃったな。――じゃ、また何か聞き込んだら知らせるわね」
「よろしく、お願いします」
相手に応じて腰をあげながら、ぼくは型通りに挨拶した。
ライゼラ・ゼイは、頷いて、去ってゆく。
椅子を片付けるのは、ぼくの仕事だった。当り前だ。率軍待遇章をつけた観察要員が、準個兵と一緒にそんな作業をするはずがないし、また、手伝って貰ったりしたら、このぼくが誰か他の者に殴られかねない。それは重々承知で何ということもなかったものの、今の今迄普通に話し合っていた相手と自分との階級格差を、にわかに意識させられたのはたしかであった。
しかし。
それにしてもライゼラ・ゼイは妙なことをいったものだな――と、ぼくは、折り畳み椅子を元の場所に戻してから、ちょっとその場で考えていた。
ぼくがうことに女にとっては気になる存在だと?
何かのはずみでどこへ飛んで行ってしまうかわからない……後もどり不能の、これ迄と全く違う存在になってしまうと思わせる、だと? 何となくはらはらさせる、だと?
おかしな話だ。
具体的にそれがどういうことなのか、ぼくには判然としない。気分的には漠然と、どんなものなのか、わかりそうな感じがしないわけでもないが……いや、やっぱりはっきりしない。
が、それでもおかしな話には相違ないのだ。
ぼくは、以前からそうだったというのか?
それとも、近頃そんな風になったというのか?
ライゼラ・ゼイはいやに断定的な口調だったけれども、女たち……女でなくても、人々はぼくにそんな印象を抱くというのか?
ぼくは、シェーラにそう思わせたのか? ミスナー・ケイにも? そしてあるいはエレン・エレスコブにも?
馬鹿な。
どうもそんな風には思えない。
ぼくがそんな感じを他人に与えるなんて……どうも、信じられないのだ。大体、ぼく自身がそんな人間だと考えること自体、どうもいい気持ちではないのであった。
独断ではないのか?
ライゼラ・ゼイが、そうひとり決めしただけのことではないのか?
あの押しの強い(といっても、別にぼくはそれが嫌いとかうとましいとかではなく、彼女の個性なのだからいいではないか、と、思っているが)ライゼラ・ゼイのことだから、自分が感じたり信じたりすれば、他人もみなそうだと決めてしまうのではあるまいか? むしろ、そう考えるほうが自然なように思える。
彼女は、ひとり決めで、それも思いつきで、あんなことをいいだしたのだ。
そう解釈するとしよう。
そのほうが、ぼくも楽だ。自分自身について、変に気をめぐらさなくても済む。
だが、ではなぜライゼラ・ゼイはそうと感じたのだ?
彼女がぼくに、ある種の好意を抱いているということだろうか? ぼくに関心を持っているために、あんなことを思い込み口走った――ということか?
いや待て。
ある種の好意とは何だ?
関心を持つとはどういうことだ?
調子に乗るんじゃない――と、ぼくは自分自身を戒めた。
第一、ライゼラ・ゼイのあの口ぶりを想起すれば……あれは、子供か少年に対していう調子だったとはいえないか?
たしかにそうだ。
せいぜいが、弟に対する感情を述べている喋りかたであった。
どうも放っておけないとは……こっちが頼りなく見えるというだけの話ではないか? それに……そう、エレスコブ家を追い出されたのみならず、そのエレスコブ家が潰滅しようとしていると知ったぼくが気の毒で、慰めてやろうとしたのだ。
――と、考えてくれば、そんなにむきになって思いわずらう必要もないのではあるまいか?
彼女の親切心には礼をいうとして……その一件はあまり深く考えないのが良さそうであった。
それでいい。
そういうことにしよう。
ぼくは顔を挙げた。
ホールは依然として、人で一杯である。
そろそろ、小ユニットに引き揚げるべきだろう。
もしも、ケイニボとラタックが先に帰りついているのなら、ふたりとも、身体を拭き食事もして、いつもの場所におさまっている頃である。ぼくが小ユニットの中に割り込む時間は、少ないほうがいいとしても、あまり遅くなって、ふたりが眠ってからでは、具合が悪い。起こしてしまうことになるからであった。
帰ろう。
ぼくは人々の間をすり抜け、トンネルさながらの通路の入口に来ると、身をかがめて中に入った。
毎度のことながら、通路を進むのは楽ではない。間を置いて、小ユニットの戸口の標識をも兼ねたあかりがともっているから、そう暗くはないけれども、天井に頭を打ちつけないように注意し、行く手に誰か出てこないかと気をつけながら前進しなければならないのだ。それはたしかに通路は、くり抜かれた岩盤の中に気密管を入れて連結してあり、天井には緩衝材も一応張られているが、頭が当たれば痛いのはたしかである。それに、うっかり身を伸ばすとぶつかるという、その圧迫感がつらい。そして通路は人間ふたりがすれ違えるだけの幅はあるものの、むこうから上級者がやってくるのではないか、急にどこかの小ユニットがあいて誰かが出てくるのではないかと、気を張りつめていなければならないのであった。
しかしまあ、出たり入ったりの混雑時を外れていたせいか、ぼくは誰とも出くわしたりぶつかりかけたりすることなく、自分の(正しくは自分たちの、だ)小ユニットの戸口にたどりついた。
ドアの引き手の太い半環をつかみ、解錠用のボタンを親指で押えながら、押す。
――と述べると、変ないい方をすると笑われるかも知れない。
たしかに、引き手をつかんで押すという表現は不合理だ。
しかし、元来この分厚いドアは、手前に引くこともむこうへ押すことも可能なように作られた量産の規格品なのだそうである。だから引き手には相違ないのだ。ただ、今度のこの生活区では通路が狭く、外へ開いたら通行中の者と衝突するおそれがあるために、内側へ押しあけることしかできないように取り付けられているのだということであった。
それに、解錠用のボタンにしても、解錠用装置はこれひとつではない。ちゃんと引き手の上には鍵穴がついていて、はじめに鍵で解錠してから、ボタンを押えながらドアを開く構造なので……そっちが施錠のままでは、いくらボタンを押えて引こうが押そうが、びくともしないはずなのだ。
とはいっても、これはこの一人用の小ユニットを、定員通りひとりで使用しているときの話である。現在は小ユニットに三人ずつ入れているのだ。三人がそれぞれ鍵を所持して出入りのたびに施錠や解錠をしていては、繁雑きわまりない。おまけにどうせ三人同居で私事の隠しようもなく、別に誰からも襲われるおそれがないとなれば(敵の話ではない。この陣地の連中どうしでという意味だ)鍵穴を使用しての施・解錠などしなくてもいいとのことで、これは使われていないのである。もっとも……内側には掛け金があるし、ドア自体、もしも通路が破壊されるかどうかして空気がなくなり、なくならない迄も気圧がぐっと低下したりすると、自動的に密閉状態になるということは、つけ加えておくべきであろう。
だったら、ボタンなど押えなくても、そのままドアを押したらいいではないか、となるが……ボタンを抑えていなければ開かない構造なのだから、仕方がない。この点は普通のドアのノブと同じなのだ。繰り返すけれどもこれは汎用《はんよう》の、規格品なのである。それに、ここでは、ボタンを押えると内側のランプがともって、誰かが来たことを告げる仕掛けになっていた。従って、もしそのつもりになれば、ふだんはいつも掛け金をおろしておき、ランプがついたら覗き窓で来訪者が誰であるかを確認して掛け金を外す、ということもできるのだ。
ここでもうひとつふたつ、些細、あるいは考えようでは決して些細といえない事柄をつけ加えると……この覗き窓は鍵穴と同じく、通路の空気がなくなったり気圧低下したりして自動的にドアが密閉されるさいには、遮断されて空気を通さなくなってしまうのだそうである。そうなったら内側から外の様子を見ることが不可能になるわけだ。そのときにはどうすればいいかとの気がするが、いざとなれば小ユニット内の連絡装置で話し合うのだろう。大体、そんな事態下では、覗き窓で相手を確認するということなど、どうでもいいのかも知れない。
それと、内部で掛け金をおろすと他の者は中へ入れない、というこんな仕組みでは、いやがらせのために誰かを締め出すとか、強迫観念にかられてみずから閉じこもってしまう――という場合があるのではないか、との疑問を抱く人がいるであろう。実際、ぼくはいくつかそんな例を耳にした。むろんこんな行為は許されない。分隊長の指揮のもとドアは破壊され、中にいる者はひきずり出されたようである。そして理由の如何を問わず掛け金をおろして他人を入れなかった者は厳しく罰せられ、事情によってはそんな事態を招く原因となった人間も譴責処分になったと聞いているが、詳細は知らない。
つまりは、こうした状況や事例からもわかる通り、一人用の小ユニットを三人で使用するということに、そもそも無理があるとしなければならない。これは戦争だし、工科隊は与えられた条件下で最善を尽してくれているし、使う側としてもいろんな工夫をしているとはいえ、ドアひとつに関してもこれだけの問題が出てくるのが実情なのだ。
ともかく。
ぼくは分厚いドアを押した。
ぼくたちの小ユニットは、掛け金をかけないのがならいである。別に盗まれそうな大した持ちものがあるわけじゃなし、こんなにひしめき合っているのだから、誰かが入ってきたらすぐにわかるだろう、怪しい奴が侵入したら、寄ってたかって抑え込めばいい……第一、出入りのたびに掛け金をかけたり外したりするのは面倒でもあり、かちゃかちゃ鳴るのも耳障りだ……と、そうケイニボもラタックもいい、ぼくにも異存はなかったからだ。ま、本当のところは、ケイニボもラタックもそうであろうが、ぼくにだって貴重品はある。所持する金や、シェーラとミスナー・ケイの手紙などがそうなのだ。が……こんな状態では、みな、自分は大したものなど持っていないのだと、見栄(?)を張りがちになるのは、わかって頂けるのではあるまいか? それに、その程度の品々を奪うために、頑丈な男三人がいる部屋に侵入しようとする奴は、まずいないだろうし、踏み込んできたとしても、目的を達するのがむつかしいのはたしかであった。
だからドアは、ぼくが力をこめると、いつものように、そのままゆっくりとむこうに開いた。
ぼくは小ユニットに入った。
「帰ってきたか? イシター・ロウ」
こっちに顔を向けて呼びかけたのは、ケイニボである。
ケイニボは例によって、ベッドの端に腰を掛け、ひげを薬品で染めていた。ひげといっても、この場合、髭《ひげ》でもあり鬚《ひげ》でもあり髯《ひげ》でもある。手っとり早くいえば無精ひげだ。その無精ひげを緑色に染めるのが、ケイニボの趣味なのであった。
「ただ今、帰りました」
ぼくは答え、ドアに近い場所の床(といっても、ドアが開閉できる余裕は残してだ)に腰をおろす。
狭い小ユニットの中には、ラタックの姿が見えない。
まだ戻っていないのだろうか。
そうではなかった。
ベッドと反対側にある洗面所の戸をあけて、ラタックが出てきたのだ。
身体を拭いていたらしく、裸で、タオルを手にしていた。
下着をつけながら、ラタックはぼくにいうのだ。
「イシター・ロウ、お前、また観察要員につかまっていたな」
「ご存じでしたか」
ぼくは応じた。
観察要員につかまるというのは災難だ――というのが、今ではぼくたちの常識になりつつある。ま、ライゼラ・ゼイとぼくとの関係に限っていえばたしかに友好的だし、ぼく自身にも悪いことではないが……どうやらそれは特殊例で、たいていの観察要員は態度の差こそあれ、根掘り葉掘り聞こうとするようであった。それも、兵卒の苦労などろくにわかっていない癖に、率軍待遇章や幹士待遇章にものをいわせて取材するらしい。だから将校や下士官たちにとってはともかく、一般の兵隊には、仕事だとはいえ自分たちの大切な自由時間を食い潰す厄介な連中という風に見られるようになっていたのである。ために、観察要員につかまったとなれば、気の毒がられたり、どじな奴だといわれたりするのがつねであった。ぼくはライゼラ・ゼイにはそんな感じは持っていないが……へたに何もかも喋って、何だお前だけはといわれては、いらざる気遣いをしなければならないので、他人が誤解するにまかせている。これは処世術というよりは、ぼくが喋った個人的な事柄をキリー主率軍にも洩らさなかったライゼラ・ゼイへの礼儀のつもりであった――というのは、自己弁護になるだろうか?
「ああ。だいぶ食いさがられていたようだな」
ぼくの、ご存じでしたかの問いかけに、ラタックはそういった。
そのときなぜラタックがぼくに声をかけなかったか、を、云々してもはじまらない。ぼくがはじめてライゼラ・ゼイにつかまったときコリク・マイスンがいったように、率軍待遇者が職務を果たそうとしているのを妨げるわけにはいかないからである。
しかし、観察要員についての話題は、それでおしまいになった。
緑色に染めあげたひげを検分していたケイニボが、手の鏡を置くと、いったのだ。
「お前、食事をしたらどうだ?」
ケイニボが促したのは、ぼくのことを考えてくれたのと同時に、部屋の中での段取りの都合もあったのである。どうやら一番早く帰着したのはケイニボで、食事も身体拭きも終ったらしく、寝る姿になっていた。染めたひげが乾けば、あとはベッドにもぐり込むだけのはずである。
ラタックのほうは、ぼくをホールで見掛けたのだから、あのときぼくは見て取ることはできなかったけれども、誰かと話していて、少し遅れて戻ったのであろう。が、身体を拭いて洗面所から出てきたのは、もう食事を済ませているのを意味している。ぼくがぐずぐずしていれば、ふたりが眠ろうとしても、あかりを消せないのであった。
「わかりました」
ぼくは返事をして、棚にしまってあるパック食品をひとつ、取り出した。陣地には調理施設も食堂もないので、ぼくたちはずっとパックされた食品を支給され、それを食べている。いずれはまともな食事にありつけるのかどうか……それもまだわからないのであった。
ぼくは食べはじめた。
食べるといっても、床にすわり込んでパックを開き、小ユニットの水道の水を入れたグラスを横に置いて、平らげてゆくだけの話である。
その間にラタックは着替えをし、ケイニボが腰かけているベッドの上の予備ベッドを引き出していた。
「ああ、何かうまいものが食いたいなあ。パック食品なんかじゃなしに、さ」
ぼくに目を向けながら、ケイニボがしみじみといった。
「本当だ」
予備ベッドへ這いあがったラタックが、首だけ出して同意する。もっとも、予備ベッドから天井迄六十センチか七十センチしかないのだから、首だけ出すしか仕方がないのだが……。
「全く、本当だ」
ラタックは繰り返した。「いや、パック食品でいいから、ペランソ……ペランソでなくてもアペランソがあればいいんだ。いい気持ちでぐっすり眠れるだろうなあ」
「おれは、ときどき思い出すんだ」
ケイニボがいいだした。「おれが小さいときに、おやじが綺麗な絵を描いた箱を貰って帰ってきたことがあるんだよ。どうやら食べるものらしかった。しかしおやじはおふくろとちょっと相談しただけで、おれたち予供には何もいわず、しまい込んでしまったんだな」
「何だったんだ?」
と、ラタック。
「まあ聞けよ」
ケイニボはつづける。「その頃はおれの家は貧しくて……いや、今でも貧しいが、ろくなものを食わせて貰えなかった。腹一杯になるということもすくなかったんだ。で、おれはその箱がどこに隠してあるか、必死で捜したものさ。それも兄貴や弟らと一緒に捜すと、発見したときに分けなきゃならんから、ひとりで捜しまわった。他の奴らもそれぞれ同じことをしていたのかも知れん。が……おれはついに見つけ出したね。箱をあけてみると、黄色い円い、うまそうな匂いのするものが一杯入っていた」
「菓子か?」
ラタックがたずねる。
「そうだったんだ」
ケイニボは肯定した。「何という菓子かわからなかったが、おれは一個を取り出して噛んでみた。何ともいえん……この世のものではないうまさだった。柔かくて、しかも歯ごたえがあって、甘さがにじんでくるうちに溶けて行くんだ。――おい、お前も聞けよ」
おしまいの言葉は、ぼくに向けていわれたものである。急いでパック食品を食べてしまったぼくは、ごみを捨て、身体を拭きに洗面所に行こうとしたのだ。
「いいのですか?」
ぼくはたずねた。
ぼくがいつ迄もがたがたしていると、それだけふたりの睡眠を妨害するわけだから、気にしたのである。
「あとは身体を拭くだけだろう? 折角だから聞け」
と、ケイニボ。
「――はい」
先方がそういうのなら、遠慮することはない。ぼくは床の上にすわり直した。
「こんなうまいものがあったのか、と、おれはそのとき、信じられない気分だった」
ケイニボはつづける。「だが、親が隠してしまい込んでいるものなのだ。食べたのがばれたらどうなるか、それがおそろしかった。で……二つか三つを食うと、その痕跡がわからないように同じ間隔を置いて並べ直し、元のところに戻したんだ」
「それが、ばれたというのか?」
ラタックがいう。
「そう先廻りするな」
ケイニボは顔をしかめた。「おい、イシター・ロウ、お前ならどうしていた?」
「さあ……わかりません」
ぼくは答えた。
本音である。
答えようがなかったのだ。
ぼくがそんなものを発見したとしたら……食べる前に両親にこれは何かとたずねていたであろう。偶然見つけ出したとして、である。自分から捜すということはしなかったに違いない。隠すとしたら両親にそれ相応の理由があるのだろうから、それで納得し辛抱していたのではあるまいか? いや、ぼくの両親……交通事故で死んだあの両親は、貰いものをぼくに隠すという真似は、決してしなかったであろう。ぼくはそう思いたい。
ぼくは両親を美化しているのだろうか?
それともぼくが、その意味では恵まれた家庭に育ったということだろうか?
いずれにせよ、ぼくには想像しにくい設定なのであった。
しかしケイニボは、本気でぼくの意見を聞こうとしたのではなく、単に合いの手を求めたに過ぎなかったようだ。
「並べ直し方がよくできていたから、まず大丈夫だとおれは思った」
ケイニボは、いうのである。「それに、隠し場所を知っていたのは兄弟ではおれだけだったはずで……安全のはずだった。その限りではな」
「うん」
ラタックは、文句をいわれたので今度は先廻りをせずに、頷いた。
「しかし、二日か三日経つうちに、おれはまたそれにとりつかれ、そのことばかり考えるようになったんだな」
と、ケイニボ。「しまいにはとうとう、辛抱できなくなってしまったよ。そこで、誰もいないときを見計らって、箱を引っ張り出しまたもや二つか三つ食った。うまかったな。盗み食いだからこそ、余計にうまかったんだろう」
「それは、そうだろうな」
ラタックが同意する。
ぼくにも、その気持ちはわかるような気がした。人間、何であれ、ものがふんだんにあるときにはどうということはないが、欠乏してくるとひどく貴重に思えて、執着するのである。これは別に、ものに限ったことではないが……。
「それからおれは、残ったのをまた並べ直した」
ケイニボは少し笑った。「今度は前よりも減っているから、間隔はだいぶ大きくなったな。それから何日か経っておれはまた同じことをし、並べ直し……何回も繰り返した。今考えてみると、何だかあれにとりつかれていたみたいな毎日だったが……おふくろが発見したときには、四つだけ、きちんと等間隔に並べてあったんだ」
「やられたのか?」
「お母さん、呆れたでしょうね」
ラタックとぼくがいった。
「こっぴどく叱られたよ」
ケイニボは答えた。「しかし、どなりつけながら、おやじもおふくろも、おかしさを噛み殺していたようだ。おれが、その都度並べ直したことを白状し、最終的には四個がしかつめらしく並んでいたのが、どうにも滑稽《こっけい》で馬鹿馬鹿しかったんだろう」
「それは……そうかも知れませんね」
ぼくは呟いた。
理屈ではちゃんと段階を踏んでいるものの、ケイニボの両親どすれば、何となく間が抜けていて、叱り飛ばしながらも笑いだしたくなったに違いない。
「で……いったいそれは、何という菓子だったんだ?」
ラタックが問う。
「何、マムピさ。あとで知ったんだが、ただのマムピだったんだ」
と、ケイニボ。
マムピ?
マムピとは、少々酸味のあるマムという果物を砂糖漬けにして干した菓子だ。それほど珍しいという代物ではない。
「マムピだと? 話の具合ではもっとうまいものかと思ったよ」
ラタックが笑った。
「だが実際、そのときにはうまかったんだ。この世の味じゃなかったな」
ケイニボはいう。「それにおれの家では、当時はマムピなど、お目にかかったことがなかったんだ」
「それもあるだろうが、やはり、盗み食いだから、そんなにうまかったんだろうよ」
ラタックが、とりなすようないいかたをした。
「おれもそう思う」
ケイニボは肯定した。
「じゃ、今でもお前、マムピが好物なのか?」
ラタックがたずねる。
「いいや」
ケイニボは首を振った。
「どうしてだよ?」
ラタックは追及する。
「おれは、カイヤツ府に出てきて自分で稼ぐようになると、マムピを店でみつけて、どっさり買い込んだんだ」
ケイニボは、また首を、今度は小さく二、三度振った。「あのうまかった菓子を、食べられるだけ食べようと思ったのさ。たしかにはじめは良かった。しかしな、腹一杯になって、それでもまだ食っているうちに嫌になって、吐き気がしてきた。やり過ぎたんだな。今じゃ、見るだけでうんざりする」
「馬鹿な奴だ。ほどほどにしときゃ、今でも好物だったろうにな」
ラタックが批評する。
「ま、仕様がないわな」
ケイニボは苦笑した。「そんなにたくさんマムピを買って食おうとしたのも、何というか……ろくにおいしいものを食えなかった頃への、復讐みたいなものだったんだから……後悔はしておらんよ」
「そんなものかね」
と、ラタック。
「だから、こうしておれたちが、うまいものを食いたい食いたいと思っているのも、パック食品ばかり食わされているからじゃないか、と、思ってね」
ケイニボはいう。「好きなものが食える……カイヤツ府でなくても、せめてゼイスールの町へ行ければ、と、おれたちは考えているけれども……現実に行って食ってみると、期待したほどじゃなかった、と、幻滅するんじゃないか?」
「お前、何をいうんだ? うまいものはうまいんだよ」
ラタックがさえぎろうとする。
「違う違う」
ケイニボは手を振った。「おれはつまり、そう自分に信じ込ませようとしたんだ。そう考えれば少しは心も慰むだろうと思って、こんな話をしてみたんだが……やっぱり駄目だな。ああ、何かうまいものを食いたいなあ」
「せめて、ペランソでもないのかなあ」
ラタックも唱和した。
「勘弁して下さいよ」
ぼくはいった。「こっちも……うまいものを食べたくなったではないですか」
文句をつけたくもなろうというものだ。今パックの食事を済ませたばかりだというのに……ぼくも何だか腹が減ってきたような感じになってしまったのである。
「そいつはお互いさまだ」
ラタックが応じた。「では、ペランソもないことだし……寝るとするか」
ケイニボも、あくびをした。
ぼくは立ちあがり、自分のタオルと下着を手に、洗面所へ行く。
戸を開き、裸になって、身体を拭くのだ。用便と洗面のための設備しかない狭い洗面所でのこの作業は、結構熟練を要する。へたをすると、あちこち腕や足をぶつけかねないのだ。もうちょっと広くて、それにシャワーがあればいいのだけれども、そんなことは望むべくもない。洗面所が大きくなればそのぶんだけベッドルームが小さくなるのであろうし、シャワーなどという贅沢は、共同シャワー場が設けられる迄、許されないのだ。その共同シャワー場だって、そのうちにどこかに作られるらしいとの噂があるだけで、正式には何も告げられていない。生活区がひとつのセットであり、その生活区もまだ数が不足でひとつまたひとつと建設されている段階なのを考えると、そんなものはただの噂で、はかない望みなのかも知れなかった。
ただ、この生活区なり小ユニットなりで有難い事情があるとすれば、それは消灯時刻というものがないことである。隊員の生存さえをも人工的に保障しなければならぬこうした陣地では、昼夜に関係なく活動をつづける必要があり、照明にしても、人々がたえず出入りしたり交代したりしているために、主要な場所や通路はつねに定められたあかるさを保っているのだ。小ユニット内部にしても、連絡装置はずっと生きているのである。こんな中で小ユニットのあかりだけを、それぞれの勤務時間帯に合わせて点けたり消したりするというのは……できないことはないだろうけれども、煩瑣《はんさ》だということであろう。なまじこまかいことをするよりも、小ユニットにいる者の自由にさせておくほうが、非常の場合の混乱もすくないはずなのだ。ぼくたちはすでに無駄なあかりはつけない位の自覚と習慣を身につけていたし……いろんな条件を考え合わせても、消灯などするよりしないほうが、プラス面が大きいのに違いなかった。それはまあ、経費にこまかい将校あたりが任に当たれば消灯を実施しようといいだすのかも知れないが、今のところ、そんな気配はなさそうである。
おかげで、ぼくは、洗面所のあかりが不意に消えるのを心配することもなく、身体を拭き終えた。
ベッドルームはもう暗くなっているだろうから、洗面所の中で寝るための服装になり、タオルと、それ迄着ていたものをつかんで、そっと戸をあけた。
思った通り、ベッドルームはもう暗くなっている。
ぼくは床にマットをしき、上からかける布もひろげ、私物を頭のところに置いてから、洗面所の灯を外から消した。
床に寝るなんて、みじめだとお思いだろうか?
だが、小ユニットには、本来のベッドと、それに壁から引き出す予備ベッドがあるきりなので、三人が寝泊りするとなれば、どうしてもひとりは床に寝なければならないのである。その床だって、入口のドアの開閉のためのスペースを除くと、何とかひとりがゆったりと横になれる位の面積しかないのだ、
そしてぼくは、ここでは、一番下の準個兵だ。あとのふたりは主個兵だから、床に寝るのはぼくなのであった。
実のところ、三人にこの小ユニットが割り当てられたとき、ケイニボもラタックも、正規のベッドと予備ベッドと床とを、順繰りに使用することにしよう、と、いってくれたのだ。が、考えても頂きたい。階級が上の人間を床に寝かせて自分がベッドでらくらくと横になるというのは、どうにも気疲れしてしまうではないか。それにぼくは、エレスコブ家にいてエレンの護衛員だった頃には、状況しだいでどこででも寝たのだ。床の上など大して苦痛ではなかった。ぼくはその旨をふたりにいい、床で結構なのだと固辞したのである。これを謙譲の美徳などとは考えないで欲しい。今もいったようにぼくは、気を遣う位ならそのほうがずっと楽だし、それに、他の小ユニットでは上級者が当然のようにベッドを占領し、下級者は嫌でも床に寝なければならない例がすくなくない――とも、聞いていたのである。とすれば、他の隊員たちの手前、ケイニボもラタックも、一応はぼくにそういってくれたものの、本心では床に寝たくはなかったに違いない。だったらぼくとしても、何だこいつと腹の中で思われるよりは、先手を打ち理由をつけて、自分が床に寝ることを申し出るのが、しかるべき態度というものであった。
と、説明すれば……了解して貰えるのではないだろうか?
ぼくは横になり、やや厚めの布をひっかぶった。
室内には、小さな保守灯が鈍く天井にともっているばかりだ。
例によって、疲れていた。
すぐに眠れそうである。
思い出すこともなく、ぼくは、きょう一日のことを想起していた。
任務は……まあ、いつもの通りに遂行したわけだ。
生活区に帰ってきてから、思いがけずライゼラ・ゼイに会って……。
ライゼラ・ゼイは、エレスコブ家のその後のなりゆきを知らせてくれた。その親切には感謝したいし、お喋りも、それなりにたのしかったといえる。
だが、彼女は妙なことをいった。
ぼくは、そんな風に見えるのだろうか?
すくなくとも彼女には、そんな風に映るというのだろうか?
なぜ?
待て待て、と、ぼくは、自分がまた想念を追いそうになるのを自制した。考えているうちに眠ってしまうのなら何ということもないが、真剣にそのことを追求して目が冴《さ》えてしまったりしたら、厄介なことになる。あすもまた任務があるのだ。寝不足になったら、困るのである。
その件は、折を見てまた考えればいいのだ。別に急を要する事柄ではないし……今はとにかく、あまり考えないようにしよう。
あとになって振り返れば、ぼくがそのとき、そんな調子で考えるのをやめたのは、いささか妙だった気がする。ぼくはともすればおのれの想念に引き込まれがちで、寝るときなどとなれば、つい、うかうかと自分の思考を追いつづけることが多い。それがその夜に限って、比較的あっさりと打ち切ることができたのは、おそらく、ライゼラ・ゼイがいったようなそんな観点から自分を眺め、自分を分析するのが、何となく自分でも変で、うとましい感じがしたからのようである。ようであるなんて、中途半端ないいかただ。が……自分自身の肉体についてとか、自分に密着した雑事について、そのことだけにとらわれているとき、もっと大きな一般的な事物への感覚がよみがえった瞬間、だしぬけにおのれがいやに卑小で、考えるだけでも、嫌悪を催す――といった気分に陥った経験はおありだろうか? もしおありなら、そいつに似ているというのが手っとり早い。そう、自分をそんな女から見てとか、他者から見てどうこうとかの、うっかりすると自己満足に落ち込みかねない考え方は……何となくやりたくなかったのである。
ライゼラ・ゼイの件はそれ迄として……。
ぼくは、ケイニボの話に思いをはせた。
ケイニボの体験談は、ぼくにはなかなか興味があった。そして、ひそかに食べたからこそうまかったというのは、わかる気がする。ただ、ケイニボは、そういうことを通じての心理操作と自己暗示で、現在のパック食品ばかりの毎日を何とか受け入れようとし……逆の結果になったわけだ。心理操作による自己暗示という方法は、結構有効な場合もあるけれども、食べものとかの人間本能に関することでは、やはり、力が及ぼないのかも知れない。
…………。
こうしたことどもを追いながら、しかしぼくの心はわりあいに平安だった。どっちかといえば、のんびりした気分で……いつか、夢路をたどりはじめていたのである。
だが。
これは……こうした一日、こうした気分は、その後に到来するもののために与えられた、いっときのやすらぎなのであった。
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交 戦
ぼくは、はっと目を開いた。
警報が鳴っている。
連絡装置の警報なのだ。
何だ?
――と思う間もなく警報はとまり、鋭い声が流れたのである。
「これは演習ではない。これは演習ではない」
ほんのわずか、聞を置いて、声は告げた。「敵艦隊、当星系に接近しつつあり。各兵員は直ちに指揮官の命令に従って行動せよ!」
このときのぼくの心理を、的確に表現するのはむつかしい。
心理というより、いくつものそれぞれ別の意識の多重体であった。
来たか――との念。
畳まれていたのがぱっと開くような、自分がしなければならぬ段取りの図。
保守灯が相変わらず鈍くともっているな、という印象。
それと……これはいってみればぼくにとっての初体験なのだが……隊という大きなものの中の一員として、しかも受け身の立場に置かれている、との感覚もあった。敵――自分に襲いかかってくるものの存在を心に浮かびあがらせることは、それまでにもしょっちゅう体験していたのだけれども、その認識が個人や、少数のグループのひとりとしてではなく、組織された全体の、自分だけではどうにもならぬ状況下で、しかもこちらから仕掛けるのでなく、先方が勝手にやってくるかたちでとらえるというのは、これが最初だったのである。
そして頭の隅では、これは当然ながらこの陣地の部隊命令であり、連絡装置は次にその下位の単位からの具体的な命令を告げるはずだと、考えたりもしていた。連絡装置のスピーカーはひとつだけであり、それを、ぼくにはどうコントロールされているのか不詳だが、各レベル間の優先度の調整をしつつ放送されるのがならいだったからだ。
――という、これらの想念、あるいは印象が殺到したのであった。
が……もちろんぼくは、そういったことどもを自覚しつつじっとしていたのではない。
嵐のようにぼくを包んだそれらのものは、あっという間に消えてしまったのだ。あとになって振り返れば、どうやらそんなところだったらしい、との気がするだけである。
次の瞬間ぼくがはね起きていたのは、いうまでもない。
最初にしたのは、部屋のあかりをつけることだった。
光が充満した。
目が痛い。
「繰り返す」
連絡装置が鳴っている。すでに音だけではなく、そこにある機器として、命令を告げているのだ。「これは演習ではない。これは演習ではない。敵艦隊、当星系に接近しつつあり。各兵員は直ちに指揮官の命令に従って行動せよ!」
カチリ、と、音がした。
また警報だ。
今度は短かった。
「第二中隊は、全員、制装を着用し、第八|気閘《きこう》の外に集合せよ! 第二中隊は、全員、制装を着用し、第八気閘の外に集合せよ!」
第八気閘とは、いつもぼくたちが出入りする気閘である。
中隊長の声ではなさそうだった。
誰の声であろうと、正規の連絡装置を通じているのだから、命令は命令である。
外へ出て何をすることになるのか、ぼくにはわからない。
しかし、生活区の内部にいたままでは、生活区が破壊されたら、もろともにやられる可能性が高いのはたしかだ。それよりも、外にいるほうがましということに違いない。といっても、陣地の生存のための設備がやられてしまったら、あとぼくたちを支えるのは制装の酸素のみになるのではあるまいか? いや、そこまで考えては仕方がない。それに、他の部隊の陣地というものもあるのだ。
もっとも、こんな疑念はこのさい無用である。事実こんなことは、脳裏をかすめ過ぎたに過ぎない。
命令だ。
自動的に、ぼくは服を着た。
寝るときに服を枕元にきちんと重ねて置いておくのは、軍務に就く者に必須の心得であるし、それ以前からもぼくはその習慣を身につけていたのだ。もたつきはしなかった。ほかの事柄を考えていても何ということはないのである。が、何も考えず、というより、着ることだけを意識しているほうが行動はさらに迅速になる。ぼくはそうした。
この動作の中で、ぼくが同居のケイニボとラタックが何をしているか、まるで感知していなかったのは、奇妙といえば奇妙かもわからない。しかし、自分自身の面倒を見るのが第一のさいに、他人のことなど構っていられないのである。
それでも、外へ出られる状態になったとき、ぼくは、ラタック(たしかに、ラタックだったと思う)の声を聞いた。
「やれやれ、こんな時間に外出か!」
ぼくは、ドアを引きあけた。
すでにケイニボもラタックも、ちゃんと服を着ていて、ドアへと来ていたのだ。先に出てもいいが、そうでなくてもほとんど時間差はないので、ぼくはふたりに道を譲り、つづいて通路へ出た。
部屋のあかりは消さなかった。緊急事態である。緊急事態でも消すようにとの指示があらかじめなされていたら、ぼくはそうしただろうが、そんな指示は与えられていなかったのだ。
むろん、私物は置きっぱなしである。
身をかがめて通路へ出ながら、ぼくは、なるほどこれでは、ドアに施錠しないのが正しい、と、感じたりした。無用の時間をとらないためにはこれがいいのだ、と、頷《うなず》きたい気持ちになったのである。馬鹿げた、わかり切ったことを、何でまた感心などしたのか――と、あとでは考えたけれども、そのときはそうだったのだ。
天井の低い通路は、すでに出ている者や、次々と出てくる者で一杯になっていた。前方を行く人間に手が触れたり、うしろからそうされたりするのもたびたびである。これが訓練されていない者ばかりだったら、混乱し、つかえて、ろくに前へ行かなかっただろうが、ぼくたちは集団行動に馴れた兵隊らしく、一定の速度で進んだ。
ホールに来た。
常時あかるい照明が保たれているホールは、天井が高いせいもあって、制服の人間たちの貯水池みたいだった。貯水池というより、動いているので乱流と形容すべきかも知れない。だがそれは、無秩序にごった返しているのではなかった。いくつもの流れが重なり合っている――統制のとれた、機械のように行動する人々が、それなりにグループを作っている渦の群であった。ひとつひとつの渦は、おのおのが、林立する梯子を中心にしているのである。
ぼくは、自然発生的に形成されたその渦のひとつの、行列の一員として少しずつ動き、自分の番がくると梯子にとりついた。上も下も人間で、つらなって昇ってゆくのだ。
そのときのぼくは、身体が覚えている動作をやり、視野に映るものを見ていただけで、断片的な想念が脈絡もなしに去来するばかりの、いわば思考停止に近い状態にあった。だからこれは事後の分析になるけれども、こういう風にみんなが機械さながらに統制を保って行動していたのは、訓練された人間の集団が攻めるとか逃げるとかいうのでなく、命令に服して反応しているせいだったのではあるまいか。そしてその上に、ここが他世界であって、へたな真似をするとたちまちおのれの生命にかかわってくることを、全員が承知していたからではないか――との気がするのである。
あがり切ると、制装の格納架の列が並ぶ部屋だ。
あわただしく重制装を着込む人々の間をすり抜けて、ぼくは自分用の格納架へと急いだ。
手早くではあるが、手順を踏み手ぬかりがないように留意しつつ制装を着用する。
それから第八気閘へ――。
警報で目をさましてからここまで、どの位の時間がかかったか、ぼくにはわからない。計っていたわけではないし、とにかくおのれの能力で目一杯に、最短時間でやらなければならぬときに、そんなことをしたって仕様がないからだが……結構短い間だったのではないだろうか?
だが、気閘に入る順番を待つ段になって、ぼくは、非常時の一度に六名ずつの割合ではあるが、所定の時間を確実に消費しながらのその開閉が、まことにじりじりと、やたらに遅いように感じはじめたのだ。何もせずにただ待つばかりになったせいで、思考が動きだし、同時に、まだかまだかとの焦りの気持ちが出てきたのである。
とはいえ、いくら焦っても、どうしようもなかった。
ぼくは一回の開閉ごとに前へ進み……ようやく他の五人と共に、あまり大きくない気閘室に入った。
ぼくの分隊の者はいない。
沈黙のまま、前方の外扉をみつめる。
外扉が開いた。
他の者と前後しながら通路を登る
外は暗かった。
ふだんならともっている、工事のためのあかりや保守灯も見えない。
ただ、ぼくには、そのあたりにむらがる重制装の兵たちを認めることはできた。くろぐろとした影の集まりである。
ぼくはすでに制装の交話装置のスイッチを入れていたけれども、何も聞えはしなかった。あらゆる連絡をとらえるために、ぼくたちの制装では一番広い範囲の中隊単位にスイッチを入れていたのだが……何も聞えないのである。
その間にも、気閘からは続々と兵たちが出てくる気配だ。
が。
ぼくが気閘を出てから一分かそこら経ったとき、ヘルメットの中に声がひびいたのだった。
「交話装置を小隊単位にせよ! 交話装置を小隊単位にせよ!」
ぼくは直ちにスイッチを切り換えた。
小隊単位というのは、小隊全員の交話が可能ということである。つまり小隊長が最高命令者になり、小隊ごとの運動のかたちになるのだ。
だったら小隊長自身はどうなるのか、中隊長や、もっと大きな単位としての送受信ができなくなるのではないか――という人がいるかも知れないが、前にもいった通り、制装の機能は各級指揮官別に差異があるようなので、ぼくにはどうなっているのかわからない。ぼくたちが変な心配をしなくても、しかるべく指揮系統は保たれるらしいのである。
それからまた一分近く経った。
再びヘルメットの中が鳴った。
「交話装置を小隊単位にせよ! 交話装置を小隊単位にせよ!」
それでぼくにはのみ込めた。
次々と兵たちが気間から出てくる間、その命令は反覆して何度も出されているのだ。ぼくが初めて聞いたのが何回めなのか知らないけれども……そうして徹底を図ろうとしているのであった。
さらにもう一度、同じ命令が出た。
その頃には、気閘から出てくる者は、もうなくなっていた。
命令が変った。
「交話装置を分隊単位にせよ! 点呼を行なう!」
ぼくたちの小隊長キリー主率軍の声である。
スイッチを切り換えると、ガリン分隊長が点呼をとった。
「よし。全員いるな」
ガリン分隊長は確認すると、スイッチを元の小隊単位に戻せと命じた。
ぼくは従った。
小隊長に対して、分隊長たちが次々と、全員がそろっている旨の報告をしているのが聞えた。
「よろしい」
小隊長が応じた。「わが小隊は、これより直ちに東方へ向かう。全員、駈け足! 駈け足をしつつ、私を中心に集結せよ!」
否やはなく、ぼくは駈けだした。
東へ――。
いっておくが、このときのぼくらは、まだ小隊としてまとまっていたのではない。他の隊の人間ともごっちゃになって、そのあたりにかたまっていたのだ。第二中隊全部……あるいは他の中隊もいたのかも知れない。かなりの人数がいるようであった。
それが、いっせいに東へと向かって走りだしたのである。
制装の操作には、はじめとはくらべものにならないほど上達しているとはいえ、高低のある土地を駈けるのは、楽ではない。しかも夜で、これだけの人数が走るのだから余計だ。
「急げ!」
ときどき、キリー小隊長の声が、ぼくのヘルメット内部で鳴った。
登りである。
部隊陣地のあるハイデン火口(ぼくにとってはシェーラ火口でもあるが)の底から外へと、急坂を駈けあがるのだ。
そのうちにぼくの耳には、はっはっ、はっはっという、隊員たちの息づかいが入るようになった。制装がその動力で操作されるとはいえ、中に入っている人間もまた、制装の動きに合わせて身体を屈伸させ、腕を振らなければならないので、息が荒くなってゆくのであった。その、小隊全員の息づかいの集合音なのだ。
駈けのぼりつつ、ぼくは、前方や左右の制装群のヘルメットを見ていた。後部に第一小隊長のしるしの光る横線があれば、それがキリー主率軍なのである。走りながら小隊長の周囲に集まれというのが命令なのだ。
見つからない。
そのうちにぼくたちは、火口の頂上に到達した。
「東だ! 急げ!」
キリー小隊長の声。
今度は、斜面をくだるのである。
何人かが転倒するのが、自動的に夜間用になっているヘルメットの目の部分を通して、ぼくにも見えた。そのままではころがり落ちて行くところを、さすがにみな、体勢を向き変えて踏みとどまり、素早く立ち直って走りつづけるのだ。
そのうちにぼくたちひとりひとりの間隔は、すこしずつ大きくなってゆく。
見えた。
ぼくは、第一小隊長の標識のヘルメットを発見した。
速度をあげて、そっちへと斜めに走る。
別の制装が五つか六つ、やってくるのもわかった。
斜面は、しだいにゆるやかになってゆく。
いつかぼくたちは、それぞれの間隔を適当にとりながら、小隊長を中心にした一集団を作りあげていた。同様の集団が、あっちこっちにできているようである。
どの位、走っただろうか。
「とまれ!」
小隊長の声がした。「散開して、各自、二十メートル以上離れよ! 離れて位置を占めよ!」
ぼくたちは、散らばった。
次の命令が飛んできた。
「位置を占めたら、その場で片膝をついて姿勢を低く保て!」
ぼくは、いわれた通りにした。
「このまま、待機に入る」
と、小隊長の声。
そこでぼくはほっと息をつき……はじめてゆっくりと周囲を見渡すことができたのである。
みんな、岩さながらにうずくまっているようだが、そうなってしまうと、はっきりとは識別できないのだ。
が。
ぼくは顔――というよりヘルメットを持ちあげ……遠い、そびえ立った山々の頂部が光っているのを認めた。
ぼくは、駈け足の号令が出たあと、自分なりに行く手を確認しながら走り、他の連中の動きも視野に入れていたのだが……全くの闇だったら、投光器を使ったりしない限り、そんなことは不可能だったはずである。はじめはつらかったが、あとそれほど周囲を見て取るのに苦労しなかったのは、どうやらその光のお蔭だったに相違ない。
そして、遠い山々の頂部が光りはじめているのは、間もなく夜が明けるということであるはずである。夜が明けたところで空自体が輝くわけではなく、暗い空に刺すような小さな太陽が出てくるだけだけれども……ま、夜明けは夜明けなのであった、ヘルメットの中は、しばらく静かだった。小隊長の声もなく、さっきまで聞えていたみんなの息づかいも消えている。お喋りをする者もいなかった。それはまあ、小隊単位のスイッチが入っていて、ものをいえばうるさいキリー主率軍の耳にも届く今の状態では、無駄口叩く馬鹿がいるはずもないのであるが……。
そのぼくの胸に、先刻の、警報が出てから駈け足の命令が出るまでの経緯や、交話装置のスイッチのせわしない切り換えのことがよみがえってきた。
これがバトワの基地だったら、いやバトワの基地でなくとも呼吸可能の世界にいるのなら、ぼくたちが叩き起こされ用意をして集合し、命令を受けて行動するまで、はるかに短い時間でできたに違いない。それを……制装を着用し気閘を抜けるために、あれだけの時間が必要だったのだ。
そして、気閘を出てからも、考えようによっては、随分もったいない時間の使いかたをしたものである。みなが出揃うのを待ってのあの点呼だってまだるっこい上に、走りながらの小隊集合なんて、時間を節約するためとはいいながら、強引で無茶な感じはまぬかれない。
しかしながら、ここではそういうやりかたをするしかないのであろう。
交話装置のスイッチの切り換えもまた、その意味ではやむを得ないとしか、いいようがないのであった。中隊単位のままではあちこちの連絡が入りまじって収拾がつかなくなるはずだし、分隊単位に固定していては、全体に対する命令を直接与えることはできないのである。これをもっと便利にしたければ、各小隊とか分隊ごとに別の周波数を割り当てればいいということになるのだろうが……それでは制装の使用者に万一のことがあったり、転用したりしなければならない場合の互換性が失われてしまう。なら、そのつど制装の周波数を変えればいいというのは、気楽過ぎる発想だ。交戦中にそんなことが可能かどうか、考えてみるがいい。
やはりこの、呼吸不能の世界では、常識では非能率なこんなやりかたも、仕方がないのだ。
そう考えるしか、ないのであった。
それにしても……。
ぼくは、自分たちがなぜこうして、こんなところまで走らされ、こんな風に散開して待機しているのかを、あらためて推察しようとした。
実のところ、大体その推察はついている。
ぼくたちが、なぜ生活区から出るように命じられたのかについての考えは、すでに述べた。
生活区もろともやられてしまうのを避けるための措置であろう。それはまあ、生活区の機能を維持するのが任務の人々は(そうした人々への命令を、ぼくは聞くことができなかったから確信はできないが)残ったかもわからない。だがぼくたちは、残っていたって役に立つわけではないのだ。それどころか、生活区の小ユニットの中にいる限り、ぼくたちは何の戦闘力も持っていない。制装を着用し武器を携行してこそ、兵隊であり得るのである。つまりは、ぼくたちは兵隊の本来の姿になるために、外へ出されたのだ。
そして、こうして陣地から離れた場所に行かされたのは、陣地そのものが敵の標的になるはずだから、陣地から離脱させ、兵力を温存しようということに違いない。この程度の離脱でどの位の効果があるのか、ぼくには何ともいえないけれども……部隊はそのつもりなのであろう。今ぼくたちが、かたまり合わないでひとりひとりの間隔を大きくとらされている理由も、ほぼあきらかだ。密集していれば、それだけ、一時に多くの死傷者が出る理屈だからである。
この推察は、当たっているはずだ。
というより、そこそこ訓練された兵隊なら、ほとんど直感的にこんなことはわかるであろう。
が、ぼくがそこまで何となく自己の考えを追ってきたとき、
「みんな、そのままで聞け」
キリー小隊長の声が、耳に飛び込んできたのだ。
「戦隊本部からの連絡によれば、敵艦隊は当星系に侵入し、わがカイヤツ軍団と交戦中であるが、一部は迂回《うかい》して、接近しつつあるとのことだ」
小隊長はつづけた。「敵の目的はあくまでもキコーラ攻撃にあると思われるものの、このキコンは現在、キコーラと内合に近い位置にあるため、敵襲のある可能性はきわめて大きいと予想される」
聞きながらぼくは、いささか意地の悪い推測と、不審とを、同時に心中に浮かびあがらせていた。
意地の悪い推測とは、この星系の、おそらくはまだ外側で交戦しているのが、わがカイヤツ軍団だということから来たものである。小隊長の説明には、キコーラ軍団との言葉は出てこなかったのだ。この星系は、本来、ネイト=キコーラの本拠である。そこへ連邦軍の作戦計画のもとに、カイヤツ軍団が増援に来ているのだ。なのに、まずカイヤツ軍団が交戦というのは……キコーラ軍団はネイト=キコーラの中核であるキコーラの守備に全力をそそぎ、カイヤツ軍団は星系の外縁部を受け持たされているということではあるまいか? ネイト=キコーラも、随分要領の良いことだ――と、思ったのだ。
不審というのは、やはり小隊長の話に出てきた、このキコンとキコーラの位置から来たものであった。キコーラは第三惑星であり、このキコンは第四惑星である。従ってキコンの公転周期はキコーラのそれよりも長く、倍近くあるが、何年もというほどは長くないのだ。ふたつの惑星の距離は、比較的すくない日数のうちに変ってゆくのである。それなのにボートリュート軍は、内合――キコーラから見て衝という、両者が一番近くなる、それに近いこんな時期をわざわざ選んで攻めて来たのだ? 外側から接近しキコーラを目標にするとなれば、いやでもキコンの戦力をも計算に入れなければならない。攻撃の効率はそれだけ悪くなるではないか。ボートリュート軍にとって、キコンのぼくたちの陣地の存在など、とるに足らないものだというのか? それとも、そんなことに斜酌《しんしゃく》していられないような事情があったというのだろうか。
だがそんな推測や不審は、ぼくの心中での、このさい何の役にもたたぬ想念である。ぼくはそんな考えをすぐに奥底にしまって、小隊長の次の言葉に注意を集めた。
「敵がこのキコンに、どんなかたちの、どの位の攻撃をしてくることになるかは、まだ不明である」
と、キリー小隊長はいうのだった。「しかし、何事がおころうとも、私の命令があるまでは今の状態を保て。勝手な行動をしてはならない。わかったか? わかったら返事をしろ!」
「わかりました!」
ぼくはどなった。
他の兵たちも同様だった。ぼくは自分の声を発しながら、それが他の声と共鳴するのを感じた。
だが、いっちゃ何だが……ぼくは内心苦笑していたのだ。
勝手な行動をするな、などといわれなくても、ぼくにはそんな気がはじめからなかった。命令一下従うだけで、それだけの訓練を積んできたのである。そうするように鍛えられてきたのだ。みんなもそうである。ぼくたちをしごき抜いたガリン分隊長もまた、苦笑しているであろう。勝手な行動といって、いったい何をするというのだ? キリー小隊長は、ひょっとしたら自己の統率力に自信がなくて、それであんなことをいったのではないのか?
いや。
そんな風に考えるのは良くない。
自分の隊長を、そんな風に思ってはならない。
ぼくはおのれをいましめた。
また、何分か経った。
「来るそうだ」
いささか緊張した小隊長の声が、流れてきた。「敵艦数隻が、このキコンに向かって接近中!」
「…………」
ぼくは、お互いには離れながら、他の隊員たちと同様、じっとしていた。
局外にある者には、何と間の抜けた状況だと映るかも知れない。
それが戦争か、と、笑う人がいるかもわからない。
だがこれは、経験のある人間にしか理解できないだろう、と、ぼくは思う。
こういう受け身の……ただ待つだけの……何がやってくるか見当もつかない状況というのは、自分は何もしなくても、いや、何もしていないからこそ、余計に気持ちが悪いものなのである。ぼくは、自分でも気がつかないうちにこぶしを握りしめていたのを自覚すると、そっと開いた、どうも……汗で濡れているようであった。
と。
遠い山頂の群――ここへ来たときと比較すると、あきらかに光の厚さと量を増している山頂から、ひとつ、光が離れて浮きあがったのだ。
離れてみると、それは山頂の光とはことなる色の光であった。白さという点では似ているが、もう少し黄色味を帯びた点なのである。
それが、暗い空にあがってゆく。
あがりながら、点が小さな円になり、さらに大きくなってきた。
次の瞬間、それは天頂へと、棒になって伸びた――と見えたのは、錯覚である。急速に飛来しつつあるために、残像がぼくにそう思わせたのだ。
あっという間に、その光体はぼくたちの頭上を通り過ぎた。
ぼくたちの後方のどのあたりへ行ったのか、振り返って観察している余裕はなかった。
またひとつ……そしてまたひとつ、光点がさきの山頂から離れ、大きくなってくるのである。
「敵の射出した攻撃弾飛来中!」
キリー主率軍の声がした。「あわてるな。あわてずに落ち着け!」
「第二分隊、姿勢をさらに低くしろ」
ガリン分隊長の、落ち着いた、どこかリズミカルな低い声が流れてきた。
ぼくは、伏せの姿勢になった。
「そうだ、姿勢をさらに低くせよ!」
小隊長の声。
伏せたまま、ぼくはヘルメットを持ちあげて、空を見ていた。
光点は、さらにひとつ、またひとつと頭上を過ぎてゆく。
その時分になると、地上から光条が立ちはじめた。
数本の光条が同時に天に向かって斜めに、あるいはまっすぐ上に、線となって立つと、消えるのである。
光条のひとつが、光点のひとつを刺し貫いたかたちを示した。その光条が消えて何分の一秒後かに、光点はばっと大きくなり拡散し、光を喪失して、消えた。
「やった!」
誰かの……何人かの声が、ぼくに聞えた。
どこかの陣地のレーザー砲が、攻撃弾のひとつを射留めたのだ。
けれども、飛来する攻撃弾はいくつもつづき、味方のレーザーはそのすべてをとらえることはできなかった。
「わーっ」
というような声が、ぼくのヘルメットの中でひびいた。
ぼくも叫んでいたかも知れない。
光球が、これまで見なかったような大きさになったのが、迫ってくるのだ。
ぼくは伏せたまま、ヘルメットを地面につけた。
がく、と、身が持ちあげられたようであった。つづいてこまかい震動があり、引いて行く。
頭をもたげると……北方に、光の大きな半球が盛りあがってゆくのが、目に映った。そのときには目の部分の保護機能が働いていたから、それほど強烈な光ではなかったが、やはり相当なものであった。その半球自体がまた、濃淡のいろんな色が入りまじり、からみあった怪物で……ぐんぐんふくれているのである。
そのぼくのヘルメットが、風圧で衝たれた。この惑星の稀薄な大気ですらそんな作用をしたのだから、ふつうの、あるいは濃密な大気でなら、完全に吹っ飛ばされていたに違いない。ぼくはまた頭を地につけた。
再びそっちに目をやったとき、光の半球は、実は動いているのだろうが、もう大きくならず静止しているようであった。
「遠いぞ」
ガリン分隊長の声が聞える。
いわれてみれば……まるで至近弾のような気がしたのだが……その爆発は、はるかに遠い場所で行なわれたのである。光の半球が動かなくなったように見えると、やっとぼくにもそのことがわかったのだ。
だが。
その間も光の点は円となりつつ暗い空を飛び、地上からのレーザーは開いた長い針の束のように突っ立ち……ときどき、鈍い震動が伝わってくるのである。
やがて。
もはや光の点は出現しなくなった。
レーザーの応射もやんだ。
それでもぼくたちは、じっとしていた。
さらに一分。
また一分。
敵の攻撃弾は、終りのようである。
これでおしまいか――と思いながら、ぼくは、まだ本当に終ったような気にはなれなかった。
またもや何分間かが、のろのろと過ぎて行った。
そして……。
一時間以上も、ぼくたちはそうしていたであろうか。
「連絡が入った」
キリー小隊長の声である。「敵はこの星系から撃退されつつあるとのことだ。詳細はまだわからんが、わがカイヤツ軍団の宙戦隊は敵に大きな損害を与えたらしいぞ」
何人かの、勝った、とか、ざまを見ろ、とか、意味不明のおうおというような叫びが、いっぺんになって、ぼくの耳に入ってきた。ぼくも、よし、とか何とか口走っていたようである。
では……これでおしまいなのか?
あっけないほどの……終りではないか。
むろん、いつまた敵の襲撃があるかもわからない。今度は攻撃弾だけではなく、もっと本格的な来襲があるのかも知れないが……ひとまず終りなのか?
妙な感じだった。
妙な感じは……しかし、小隊長の次の言葉で、吹っ飛んでしまったのである。
「戦隊本部が損害を受けた。これより部隊陣地に引き返して、酸素を補充したのち、輸送機で救援に赴く」
何?
という感じであった。
一言にしろといわれれば、そうとでも表現するしかない。
戦隊本部とは、むろん、元の第一部隊――ショカーナ部隊の陣地に置かれている第四地上戦隊の本部のことだ。
それがやられた。
理屈の上では、そんなことがおこっても不思議ではない。充分にあり得る話である。
しかし、理屈での可能性と、ひょっとしたらという懸念とは別物である。ぼくは、そうなるとは考えもしなかったのだ。
いや。
正直にいおう。
薄情かも知れないが、ぼくは、自分たちのハイデン部隊の陣地のこと迄しか心配していなかった。よその部隊は意識の外にあったのだ。エクレーダに乗って来たのはハイデン部隊であり、だから連帯感というか仲間の感覚が生じていたけれども、同じ第四地上戦隊とはいえ、他の三部隊は直接かかわりがなかったのである。陣地だって別々なのだから、それが当然ではないか? そして、戦隊本部などという上級の存在になると……たしかにぼくたちのハイデン部隊の上に立つ、いわば頂点に相違ないとしても、雲の上のまた上のものであった。そこ迄気が廻らなかったというのがかけねのないところである。
だが一方、戦隊本部がぼくたちを統括しているのも事実であった。同じことを繰り返すようだが、そうではない。下から見た場合とカイヤツ軍団全体としてのとらえ方をした場合との違いをいいたいのである。その観点からすれば、一大事だった。キコンに駐屯する戦隊のその本部がやられたのである。
これらが同時にぼくの頭の中でひろがったのだ。何? と表現するしか、仕方がないではないか。
が……そのときには、誰かが小隊長に反問していた。誰かはわからない。声が上ずっていたからだ。他の分隊の兵隊か、あるいはガリン以外の分隊長だったのかも知れない。
「本部がでありますか?」
そんな反問は、本来、許されないはずである。ふだんの小隊長なら、どなりつけていたであろう。
しかし、小隊長は答えた。
「そうらしい。ま、本部自体は大した損害を受けなかったようだが」
いうと、そんな反問に応じた自分がいまいましかったかのように、鋭い口調になったのだ。
「全員、陣地へ戻れ!」
ぼくたちは、引き返しにかかった。
もっとも、今度は駈け足ではなかった。速歩である。
進みながら、ぼくは、今の小隊長の言葉の意味を考えていた。
戦隊本部が損害を受けたが、本部自体は大してやられていない……。
ということは、つまり、本部ではない、本部の置かれたショカーナ部隊に、それ以上の被害があったのを、示唆しているのではないか?
だったら、ショカーナ部隊がやられ、同時に戦隊本部にも損害が出た、というのが正しいのではあるまいか?
だがそれは、ぼくのような立場の人間の考え方かもわからない。将校にとっては……それともキリー小隊長にとっては、最上級の戦隊本部が一番重要なのであり、ショカーナ部隊はそのあとにくるということなのであろう。被害の大小の順位よりも、指揮系統や作戦遂行能力への影響の多少のほうが大切なのであろう。
ぼくは、そう解釈しておくことにした。
あれだけ走って来たのだから、戻り道は長いだろうと思ったものの、案外そうでもなかった。このへん、未知のコースに踏み入ったり目的地が不明だったりするときには遠く感じるが、わかっている道のりは短い気がするという、あの心理が働いていたようである。
すでにまぎれもない朝で……陣地が近づくにつれて、他の隊も戻ってくるのが見えた。
陣地に帰ってみると、たくさんの制装の列ができている。
移動式の酸素タンクが何十となく外へ出され、みんながノズルから、次々と酸素を補充しているのであった。
考えてみれば、それは当然のやりかたに違いなかった。ひとりひとりが気閘を抜けて生活区内の格納架で補充していては、時間がかかって仕様がないのだ。この方法なら、すくなくとも気閘を出入りする手間は省ける。
それでも、列を作って順番を待つのだから、すぐというわけにはいかなかった。
制装の酸素を補充したぼくたちは、命令に従って再び集結し、輸送機に乗り込んだ。
輸送機などというと立派だけれども、ぼくたちが詰め込まれたのは、枠つき荷台と形容したほうがぴったりくる――いつもは資材を運搬している航行機である。いや、文句をつけるのは筋違いというものだろう。身長の半分くらいの高さの枠のついた荷台(?)には、ちゃんと、腰をかけるための長い台と支持棒がとりつけられていたのだ。つまりはそれは、はじめから何でも運べるように設計されているので……兵員が乗り込むさいにはそうするようにできていたのである。無駄を極力排する軍隊であるからには、以前にも似たようなことを述べたが、乗る人間の快適さは重要事ではなく、能率や機能が優先するのだ。乗ったのは、ぼくたちだけではない。運転台や駆動機関のある、ぼくたちの下方の区画には、さっきの移動式の酸素タンクも積み込まれたのである。
ぼくたちを乗せた機は、すでに一機また一機と離陸しつつあるのを追って、遅滞なく浮きあがった。
垂直上昇である。
上空でいったん停止した機は、水平飛行に移り、たちまち全速を出した。
どの位の高度なのか、ぼくにはわからなかった。第一、下が見えないのだ。ただ、まっすぐ水平飛行をつづけたことから判断すれば、キコンの山々よりは高かったのに違いない。
しかしまあ、常識で考えればひどいものだ――と、ぼくは思った。
これが、制装も着用せず、大気が稀薄でないのなら、ぼくたちは風圧で窒息していたに違いない。窒息どころか、放り出されていたはずだ。この装備でここがキコンだから、こんなことが可能なのであった。
そうはいっても、うかつに席を離れたりできないのは、もちろんである。ぼくたちは金属の支持棒をしっかりと握っていなければならなかった。もっとも、自分自身の力でそうせずとも、制装が勝手にやってくれるのであるが……。
そんなしだいだから、ぼくたちはほとんど身じろぎもしなかった。むろん、うかつに私語もできない。
下方は無理だったとはいえ、ぼくは、枠の外の、斜め上の方向を眺めることは可能であった。
一機一機の高度は同じでないらしく、ぼくの視野の中、もう少し高い位置で別の輸送機が浮いている。
かなりの数の機が飛び立ち、あとにもつづいているようだ。
いったいどれ位の兵員が、戦隊本部のあるショカーナ部隊の陣地に急行しているのだろう――と、ぼくは考えた。
ハイデン部隊の全員だろうか?
そんなことはあるまい。陣地の施設の保守やその他のために、ある程度の人員は残さなければならないからだ。
とすると……戦闘要員の全部か?
だがそうすれば、ハイデン部隊の陣地の戦闘力はどうなる。
ゼロになってしまうではないか。
戦隊本部のためには、それもやむを得ないというわけか?
しかし、いくら本部といったって、実戦部隊あっての本部である。といういいかたに語弊があるのなら、本部は実戦部隊を動かすために存在する、と、訂正しても構わない。一歩譲っても、それが主要な存在理由のひとつだろう。
キコンを守備することになった第四地上戦隊が、四つの地点にそれぞれ一部隊を配置して陣地を設げさせたのには、当然、そこにそれなりの作戦があったはずだ。
この四つの陣地のひとつの戦闘力を、そっくりそのまま引き抜いて他と合わせるとなれば……ぼくにはもちろん詳細はわかる由もないが、作戦計画の根本が変ってくることになるのではないか。
そんなことを、簡単にするものだろうか?
それはまあ、こういう急場だから、作戦計画自体を変更するのではなく、一時的にやるということは考えられないことではない。考えられなくもないが……だったら、ごく短い間のことに限られるだろう。すぐに部隊の配置を元に戻すとの前提でなら、あり得るかも知れない。
けれども……ぼくがさっき目撃したように、ぼくたちの機には、移動式の酸素タンクが積んであるのだ。これは、制装に補充した酸素だけでは不足するかも知れない……それだけの時間がかかるかもわからないとの前提でなされた措置であろう。
本部やショカーナ部隊の陣地の酸素が失われたか、ぼくたちに供給する余地がなくなったというのなら、これも領ける。が、……あっちの酸素がなくなったというのなら、これは潰滅的損害と称すべきである。放っておくと全滅なのだ。兵員などを向かわせる前に、何はおいても酸素を送り出さなければならないところである。また、ぼくたちに供給する余地がないというのなら……こっちはもっとたくさん酵素を持ってゆかなければなるまい。
いいかえれば、ぼくたちは、兵員あるいは労動力として、救援に赴かされているので……その自分たちのための酸素を携行している――と考えるのが、妥当なのではあるまいか?
つまり、ある程度の……ごく短い時間ではなく、そこそこの、多分、半日とか一日、あるいはもう少し長くむこうにいるとの前提がなされている、と、するべきであろう。
その間、ハイデン部隊の陣地の戦闘力なしで済ませるというのは……これはやはり、作戦計画の変更を伴うのではなかろうか。
――と、考えを追ってくると、現在飛行しているのは、ハイデン部隊戦闘要員の全部ではなく、一部であろうとの、ごく当り前の結論に至るしか、ないのであった。
一部というと、どの位だろう。
こんなこと、想像したって、何の役にも立たない。しかも、それが当たっているかどうか、この場ではたしかめようがないのである。
が……無言で支持棒をつかんでいるばかりのぼくは、そんな想念でも追うしかないのであった。むしろ、むこうへ到着する迄何もできないのをさいわい、いつもの癖を出した観がある。釈明するけれども、ぼくは本当の任務中にはそんな真似はしない。心をよそに奪われていては、とっさの場合対応できないからだ。では今は任務中ではないのか、と、いわれそうだが……ぼくは交話スイッチから何か指示が出ないかと、その注意だけはつづけていたのだ。それでもやっぱりいけないことだろうか? 多分、良くないのであろう。が……何もせず、何に備えているのでもないときに、ひとりでに考えてしまうのは、とめようがないではないか。
ハイデン部隊の、どれだけが今、飛んでいるのだろう。
第四地上戦隊は四部隊。
一部隊は二個大隊。
一大隊は五個中隊。
一中隊は三個小隊で……。
すくなくとも、一中隊ということはなさそうである。何個中隊かが、ぼくたちと一緒に飛んでいる感じなのだ。
あるいは、部隊の半分――一個大隊か?
多分、何個中隊か……せいぜい一大隊かではあるまいか?
まずそんなところだろう、と、ぼくはこの件はそのあたりでやめておくことにした。
ところで、むこうへ向かっているのは、ハイデン部隊だけなのであろうか?
他の、ワイツ、デイゼンの二部隊からも救援に出ているのだろうか?
それは、見当のつけようがなかった。
なぜなら、ぼくたちの救援を必要としている戦隊本部(と、ショカーナ部隊陣地)が、どの程度の損害を受け、どれだけの人手を求めているのか、何の情報も与えられていなかったからである。
だからぼくは、そのことはそこで打ち切った。
すると、次の疑問が湧いてきたのだ。
救援というが、ぼくたちは何をするのだろう?
はじめぼくは救援という単語から、漠然と、死傷者を運んだり救出したり、破壊された建物の修理にあたったりする図を連想した。
だが、ハイデン火口をあとにしてから、これでもう一時間以上になる、しかも機はまだまだ飛びつづける気配だ。それももっともな話で、四つの陣地はキコン上に散らばっており、お互い、随分離れているのである。死傷者を運んだり救出したりするには、到着まで時間がかかり過ぎるのだ。先方も全滅したのではない以上、自分たちの手で直ちに作業を開始したであろう。ぼくたちが到着しても、できることはあまり残っていないのではあるまいか? こんなに大勢が赴いても、かえって邪魔になるのではあるまいか?
それに建物の修理といっても、ぼくたちに何ができるというのだ? ぼくたちは戦闘要員で、工科隊ではない。こういう世界の構築物は、専門技術を駆使してきちんと作らなければ、住む者の生命に直接かかわってくるのである。素人の手に負える代物ではないのだ。そんな作業を手助けしようとしても、せいぜいが材料を運んだりするのが関の山であろう。そして工科隊は、むこうにもいるのだ。
では、何のために?
どうもはっきりしない。
だが。
こうした事柄に、あれこれと思いをめぐらすのは、あんまり賢明でないのもたしかであった。いずれむこうに着けば……でなくてもあとになったら、判明することなのだ。先廻りしたって、何ということもない。
どうせなら、別のことを考えよう。
ぼくは、夜明けのあの敵の攻撃を思い出した。
戦闘としては、奇妙な体験だった。
あれが戦闘と呼べるものなら、だが。
ぼくたちは陣地から離れて小隊ごとに散開し、各自の間隔もとって、待機したのだ。待機し、敵の攻撃弾があとからあとから飛来するのを眺めていたのだ。
だが、それだってやはり戦闘の一場面には相違ないだろう。じかに撃ち合ったり格闘したりするだけが戦闘とはいえないのである。森の中に隠れて敵を待ったり、にらみ合いの持久戦になったり、という状況が戦闘の一環、あるいはひとつのかたちであるならば、あれだってそのうちに包含されてよいのではないか?
しかも、敵の攻撃弾に対して、味方もレーザーで応戦した。かなりの数の攻撃弾が味方の手で爆砕された。
馬鹿げた話で、ぼくはそのときになって思い当たったのだが……あれは当然、味方の陣地から射出されたのであり、それは陣地にちゃんと兵員が残っていたのを、意味していたのである。主要な部分は自動化されているとはいえ、レーザー砲には兵員が必要なのだ。ぼくは自分が陣地から離れて散開する立場だったから、つい、兵力はみな陣地から離脱させて温存しようとしているのだ――と、何となく決め込んでしまったけれども、離脱したのは全員ではなかったのだ。むろん、生活区の機能を維持するのが任務の人々はとどまっただろうが、それ以外の、そう、そのとき持ち場についていた連中は、陣地にいて戦ったのである。ぼくたちが離脱したのは、ちょうど任務をとかれて生活区の中におり、それでは攻撃されるだけだから、外へ出て、陣地から離れるように命じられただけなのだ。あれがぼくたちの任務中だったら、レーザー砲を操作していたのは、ぼくたちだったはずである。
こんな、ちょっと思案すれば、いや思案などしなくてもわかることに、(考えようとしなかったせいもあるが)今になって気づくとは……どうやらぼくも、自分や自分の立場を基準にして物事を判断する傾向が出てきたのかも知れない。本来ぼくは、そうなるのを避けようとしてきたのである。が……兵隊というものは、自分と自分の周囲のみに注意し、与えられた命令を実行する――ということになってゆきがちだ。そうでもしなければ疲れてしまうからである。あるいは、そのほうが楽だからであった。それに……ぼくもじわじわと染まりつつあるのだろう。自分が兵隊で、ともすればじわじわとそうなって行くのは、やむを得ないなりゆきだとはいえ、これは、あまりうれしくないことであった。
ま、その問題はともかくとして……ああいう風に、飛来する攻撃弾をただみつめているだけ、というのは、たしかに神経に良くない。こちらは何もできないからである。ただ待つばかりで、命中弾、命中弾でなくても至近弾が来たら、一巻の終りというのは、いやなものだ。これが自分で応射したり、あるいは別のかたちでも何かしているのなら、そっちへ気持ちを集中させることで、かえってましになるかも知れないのである。あれは一種の精神的拷問だ。もちろん人間なんて、いつどんな具合に死に襲われるかわかったものではないのであり、それが目に見えないだけだ、との観点に立てば、本質的にはあれだって似たようなもので、むしろ、見えるだけいいとすべきであろうが……それでも、そのほうが好きだという人は、そうたくさんいないのではあるまいか。
――という、ぼく自身の心持ちを棚にあげれば、あの攻撃は、はたしてあれだけのことをする値打ちがあったのだろうか、との気がしないでもない。それはまあ、あの攻撃弾群は、一応標的を与えられていたのであろうし、それゆえに戦隊本部及びショカーナ部隊の陣地に被害が出たのだろうが……わが軍にはわが軍の、敵攻撃弾|捕捉《ほそく》システムや方向逸脱強制波などがあるのだから、命中の確率はごく低いはずである。こちらの損害は、敵にとって望外に近い成果だったのではあるまいか? それを承知しながら、あれだけの攻撃弾を宇宙空間からキコンへ射出したのだ。おそるべき浪費といわなければならない。これが戦争といってしまえば、それまでだが……。
待て。
わが軍の損害を、そのような目で見るのは、許されないであろう。
とにもかくにも損害が出たのだ。
もっと重大に考えなければならない。
それは、たしかである。
襟を正すべきである。
しかし、襟を正したその上で考えるとすれば、である。
ボートリュート共和国は、いったいどういうつもりなのだろう。
ぼくは、ネプトーダ連邦が、ボートリュート共和国とウス帝国の圧迫をはね返し、連邦の自主性を保持するために、戦争をつづけていると――そう習った。そう聞いていた。ネプトーダ連邦全部について迄は断言はできないが、すくなくともネイト=カイヤツの人間なら、みなそう教えられているはずだ。ネプトーダ連邦の各ネイトでも、事情は同じではなかろうか。
懐疑的な見方をすれば、事実は必ずしもそうでないかもわからない。非は先方だけにあるのではなく、ネプトーダ連邦の側にも、戦争に至った原因があるのかも知れない。ネプトーダ連邦だけが正義だとの保証は、どこにもないといえるのではないか。ほかの、これよりもずっと小規模な、ずっと局地的な、さまざまの争いについて考察した感覚からも、その可能性は充分にある。
ぼくがネプトーダ連邦、ないしはネイト=カイヤツの側に立つのは、自分がその一員だからである。それでいいではないか、と、ぼくは思っている。
そのぼくにも、ボートリュート共和国の真意はわからないのだ。
ぼくは(もちろんぼくはネプトーダ連邦以外の星間勢力の世界を知らないから、ネプトーダ連邦での、それも主としてネイト=カイヤツで得た範囲の情報しか持っていないけれども)ボートリュート共和国が、版図そのものとしてはネプトーダ連邦よりかなり大きく、ネプトーダ連邦のネイト=カボ、ネイト=バイス、ネイト=キコーラといったところと接面を有しているものの、実質的な力はそれほどでなく、ネプトーダ連邦に及ばないと聞いていた。そして、その背後にある巨大なウス帝国の援助を受け、ウス帝国に支えられた、いわばウス帝国の外周勢力のひとつになっている、とも聞いた。
ボートリュート共和国が境を接しているのは、ネプトーダ連邦だけではない。ロジザクセン同盟とかケイナン教邦といった勢力もあって、このふたつは、ネプトーダ連邦とほぼ肩を並べる勢力なのだそうだ。
ついでにいえば、ネプトーダ連邦の、ボートリュートと反対側の、つまりネイト=カイヤツの位置する方向には、ライコミヤ、エトレリシュ、カイドス、クライトバーシュなどの、弱小勢力が存在している。それぞれはかなりの星域を版図と主張しているものの、実際の支配圏はそう大きくなく、実力も乏しいのだ。ぼくの知識によれば、ひとつひとつがネプトーダ連邦の有力ネイト――ネイト=ダンコールやネイト=ダンランをやや上廻る程度だというのであった。従ってネプトーダ連邦は、こちら側には脅威を感じていない。(思うに、ネイト=カイヤツの保守的な、どこか牧歌的な性格は、境界を接しているのが、そうした、むしろこちらが優位に立てる勢力ばかりということにも、影響されているのではないだろうか?)
ボートリュート共和国のかなたのウス帝国については、ぼくは自分でも驚くほど、僅《わず》かな知識しか有していない。ぼくはそれが巨大で強力で、非人間的な迄に発達し統一された勢力だ――ということを、叩き込まれてきた。それがほとんどすべてだったのだ。それはネプトーダ連邦の筆頭ネイトであるネイト=ダンコールの、他の星間勢力との折衝にあたったり行き来に関係したような人々なら別だろう。ネイト=ダンコールの首都ネプトの人たちも、もっと違う意識を持っているのかもわからない。が……すくなくともネイト=カイヤツ、連邦で中位のネイトのカイヤツの人間は、みな、ぼくと似たり寄ったりの知識と感覚だったのではなかろうか。とにかくおそるべき勢力であり、正面から対決することは何をおいても回避すべきで、万一そんなときが来れば、死にもの狂いで抵抗するしかない、敗れ去ればネプトーダ連邦のすべての人間は、ウス帝国の奴隷となって、生殺与奪の権を握られるであろう――というのが、ほぼ一致した見方であった。
さらに、ウス帝国のまたむこう、あるいはもっと遠い星域については、ぼくたちは何も知らないに等しい。そこにはさまざまな勢力や、さまざまな文明があるに違いないが……遥かかなたの、でなければウス帝国という壁に阻まれた、未知の世界なのである。
――といった勢力図の中で、なぜボートリュート共和国が、ロジザクセン同盟やケイナン教邦ではなく、ネプトーダ連邦との戦争をつづけているのか……ぼくには、よくわからない。
もちろんそこには、ウス帝国の意志が働いているのであろう。
しかし、なぜネプトーダ連邦なのだ?
ロジザクセン同盟やケイナン教邦では、なぜいけないのだ?
単に、手近にある勢力のひとつとして、ネプトーダ連邦が選ばれただけなのか?
ネプトーダ連邦と交戦して、ボートリュー卜共和国には、何か得るものがあるのか? それとも、こんな、いつどちらが勝つかわからぬ戦争をつづけるのは……そこに何か必然性があるのか?
そこにウス帝国の意志があるとすれば、ではウス帝国は、何を意図しているのだろう。
ネプトーダ連邦を、ボートリュート共和国同様、外周勢力のひとつとして、属領化しようというのか?
ネプトーダ連邦を、この宇宙から抹殺しようというのか?
いずれにしても……なぜウス帝国は、ボートリュート共和国の後押しをするばかりなのだ?
ネプトーダ連邦はウス帝国と、その手先のボートリュート共和国相手にたたかっていることになっているが、ウス帝国はいまだに直接行動をおこしていないのである。
考えるほど、わからなくなる。
実際にたたかいながら、ボートリュート共和国は、何をもくろんでいるのだろう?
ボートリュート共和国自身が、ネプトーダ連邦を併合し支配したいのか? そこまで行かなくても、ネプトーダ連邦の力を抑え込みたいのか?
それともボートリュート共和国は、ウス帝国に強いられて、交戦を継続しているのか?
ウス帝国の下にあることを、何とも思っていないのか? 反乱や反抗など、不可能なのか?
ボートリュー卜共和国には、もはや、主体性はないというのか?
では……ウス帝国の意図は何だ?
わからない。
わからぬままに……しかし、そのボートリュート共和国軍が、こうしてキコーラの星系に侵入し、キコンにもあれだけの量の攻撃弾を撃ち込んできたのを思うと、敵が、一般的な敵の定義とどこかずれた、得体の知れないものに映じてくるではないか。
だが。
ぼくは、考えるたびにいつも同じところへたどりつく、この星間勢力の分布やそれらの関係の問題を、例によって敵への奇妙な印象に来た時点で、放り出すしかなかった。
そしてぼくの心は、再び、あの攻撃弾飛来と、それに伴うわが軍の損害へと戻って行ったのだ。
ぼくたちは散開し、結果としては別条なかった。
ハイデン部隊の陣地も、同様である。
しかし、どの程度なのかは今の段階では不明であるにせよ、戦隊本部と、そしてほぼ間違いなくショカーナ部隊の陣地も、やられたのだ。
防御していて、である。
もちろん防御というものがつねに完全であるわけはないのだから、どこかがやられることになるのは、やむを得まい。
が、それが……察するに戦隊本部があるために、きっとぼくたちの陣地よりも強い防御態勢をとっていたはずのショカーナ部隊の陣地であったというのは、運としかいいようがないであろう。いや……敵の攻撃弾の性能や、それがどの位の改良が実施されたのか何もわからぬぼくには、何ともいえないことだけれども……強力な防御がかえって敵の、あるいは敵の攻撃弾にとって主要な標的と判断され、集中的に攻められた可能性もないとはいえまい。しかしここでは、そんな臆測はつつしんでおくとしよう。
運でいい。
運が、そういうことにしたのだ。
ぼくは、エクレーダの中で、ガリン・ガーバンが告げたことを、想起せずにはいられなかった。
おれは分隊長として最善を尽す、おれがやらなければならないのは、いかに分隊の損害を最小にして任務を達成するかということだ、だからおれを信頼してついて来い……それともうひとつ、お前たちの生命を助けるのは、お前たち自身だ、訓練で身につけた能力を発揮すれば、それだけ生き残る確率は高くなる。このふたつだけで、可能性はうんとあがると思え――と、いい、それからつけ加えたのだ。そう……これだけやっても、最終的に人間の生死を分けるのは、運だ。運だが、こればかりはどうしようもないから、自分の与えられた運の中で、できるだけのことをするしかない……。
たしかにそうだろうという気がする。
しかし、今度の場合、もしもショカーナ部隊の陣地で死んだ者とするならば……もしいたらの話であるが……かれらに何ができただろう。あんな、攻撃弾飛来に対して、できることなどなかったのではあるまいか。
とすれば、運が左右する度合いのほうが、個人の努力よりもはるかに大きかったことになる。
すくなくとも今度はそうだといえないか?
今度だけではなく、ひょっとしたら、生死を分けるのは運が大半ということではないのか?
そう思うと、やはり、あまりいい気はしないのであった。
三時間近くも、飛びつづけただろうか。
ふとぼくは、機が減速をはじめているのを悟った。反動が伝わってきたのだ。
機は、減速をつづけ、間もなく停止した。
降下の感覚。
枠の外を見ているぼくの目に、火口外壁のつらなりが映ってきたのだ。
どうやら、戦隊本部とショカーナ部隊陣地のある火口に来たらしい。
ぼくたちの部隊がいるハイデン火口よりも、ひとまわり大きな感じだ。
しかし、つらなる外壁の一部が欠けている。
機がなおも降下をつづけるうちに、欠けた外壁の下方が崩れているのみならず、さらにその下の斜面が、やや浮きあがるように平らになり、ぎらぎらと光っているのが見えてきた。
ほぼ楕円形だ。
そしてその周囲の地面は、至るところ裂けている。
――と、なれば、もう喋々する必要はないであろう。
光っているのは、岩石が熔融したガラス……おそらく珪酸ガラスと化した――爆心地なのだ。
浮きあがったようになっているのは、熔融物が斜面に沿って流れ、そこで固まったために、爆発でえぐられた部分と相まって、そんな形状を作ったのであろう。全体が楕円形なのが、そのことを示しているのではないか?
機はますます高度を下げ、やがて接地する鈍い衝撃が伝わってきた。
「全員、地上に出よ!」
小隊長の声が、ヘルメットの中でひびく。
ぼくは、みんなと一緒に、輸送機を出た。
分隊長の命に従って、整列し、点呼を受ける。
ぼくたちが降り立ったのは、陣地からさほど離れていない地点で、先着の兵たちがあちこちに整列し、あるいは動きだしつつある一方、あとからあとから、機が降りてくるのであった。
点呼が終ってしまうまでの短い間に、ぼくはほとんど頭を動かさずに、ちらりと周囲の様子を眺めた。
爆心地は、ちょうどぼくの視界のうちにあった。機に乗っていたときには手が届きそうだったのに、ここからは遠かった。外壁寄りの斜面の、目の高さよりは少し低いところにある。いや……遠いといえば遠いが、爆発の威力のことを考えると、近いというのがむしろ正しいのではあるまいか――という、その位の距離である。
ここの陣地の印象は、ぼくたちのそれとはたしかにことなっていた。というのも、陣地の爆心地のほうの側に、ひときわ大きな構築物があったからである。それが戦隊本部なのかも知れない。だが、その構築物の中央の一部はひしゃげていたし、近くの生活区もまたおおかたは歪んだり、半壊の状態になったりしていた。
もっとも、こんな観察ができたのは、せいぜい二秒か三秒のことである。すぐにキリー小隊長が、ぼくたちの前に出てきたのだ。
「敵弾は、あの山壁に落ち、戦隊本部が損害を受けた。同時に、ショカーナ部隊にも被害が出た」
小隊長は、制装の顔画を爆心地のほうへ、ついで陣地のほうへとめぐらしながら、説明した。
「弾着点が、戦隊本部のある陣地と、離脱した隊の待機場所との、中間だったのが、不幸中のさいわいだった。かりにどちらにずれていても、大損害になっていただろう」
「…………」
「しかし、戦隊本部の防衛力が減殺《げんさい》に至ったのは、事実である」
小隊長はつづけた。「敵襲はいつまた再開されるかわからず、戦隊本部の防衛には万全を期さなければならない。よってわれわれは、ここの防備の補充にあたることになり、わが中隊は、兵員の欠けたレーザー砲を受け持つことを命じられた。ただ今より直ちに持ち場につく」
いい終ると、分隊長たちが進み出てきた。それぞれ分隊長の指揮のもとに右向け右をし、分隊長について行進を開始したのだ。
なるほど、そういうしだいだったのか――と、ぼくは納得した。輸送機の中でぼくは、こんなに時間をかけて救援に赴いて、いったい何をすることになるのだろう、と疑っていたのだ。死傷者の救出には遅すぎるし、建物の修理といわれても工科隊でないぼくたちには無理だったからである。それが、ここの部隊の防衛のためだとしたら、理屈に合うのだ。ここの部隊の兵力が減殺されたなら、当面は非番の、陣地を離脱し待機していた隊員があとを受け持つことになるが……かれらにも疲れが出るし睡眠もとらなければならない。そのあと交代するだけの人員がいないとなれば、誰かをよそから送り込むことになる。その誰かが、つまりぼくたちというわけなのであった。
列を組んで歩きながら、だがぼくは、ここの制装の兵たちが、破壊された機材らしきものを、車で、あるいは自分たちの手で運んでいるのを目撃した。
そればかりではない。
とある、なかば潰れた生活区の前を通りかかったとき、十体ほどの制装の、裂けたり熱で変色したりしたのがころがっているのが見えたのである。
制装は、みな空っぽのようであった。
中に入っていた者は出されて、使いものにならなくなった制装だけを、とりあえず放り出しているのに違いない。
かれらの運命がどうであったか、ぼくには知る由もなかった。
死んだのだろうか?
それとも、死ぬには至らず、どこかで手当てを受けているのだろうか?
いずれにせよ、制装がそんなになっている位だから、無事では済まなかったであろう。
そして……あの頑丈な重制装がそんな風になるには、よほどの力や熱が加えられなければならない。
随分きつかったのだろうな。
それはまた同時に、丈夫な重制装といえども、決して絶対安全などではないのを、ぼくたちに見せつけているようでもあった。
しかも。
その制装と同じ制装に、ぼくたちは今入っているのである。
何となくうすら寒い気分になったのも、ご理解頂けるであろう。
それと共にぼくは、ああして陣地を離脱したといっても、また、敵の攻撃に対して条件の許す限り耐えられるように設計され構築されている陣地といえども、こうも簡単に損害を受けるものか、という気がしたのだ。それはもちろん、直撃弾ならやむを得ないが、両者の中間点ですら、これだけ厄介な状況になるというのは……ぼくたちの拠《よ》って立つものや対策なるものが、案外非力なのではあるまいか――との念に襲われたのである。
が……ぼくはすぐに思い直した。
中間点といったって、近くには相違ないのだ。直撃弾でさえなければ安全、などとはいえないのである。直撃弾でなくても至近弾なら、それ相応の被害が出て当り前ではないか。今度の場合、至近弾だったのだから……至近弾がいい過ぎなら、近接弾でもいいが……仕方がなかったのではないか?
直撃弾を受けるのが運であるのと同様、至近弾あるいは近接弾を受けるのも、運なのである。
運。
また運≠ゥ――と、ぼくは、自分の心のそんな動きに、別のどこかで苦笑しているおのれを意識したのであった。
ともあれ。
ぼくたちは、あてがわれたレーザー砲を守って配置についた。
そのあたりは、相当やられたようで、上屋の焼けた残骸や倒れた金属柱などがごろごろしていた。レーザー砲そのものも熱風で台座からずれ、曲っていて、使いものにならなかったのだ。ぼくたちは、工科隊が臨時に組み立てた台座に据えつけた、予備のレーザー砲を受け持ったのである。
作業そのものは、自分たちの陣地にいるときと、あまり変らなかった。というより、レーザー砲にとりついて待機するだけで、哨戒《しょうかい》の仕事がないのだから、いつもよりは楽である。しかも、敵は前の攻撃後、キコーラの星系から去ったので、すぐにまた攻撃弾が飛来することは考えられないのだ。攻撃弾が飛来する状況とは、つまり敵艦隊が再びこの星系に侵入してからの話である。敵艦隊が再び侵攻してくれば、小隊長がその情報をぼくたちに伝えてくれるはずだ。それが何もないというのは、この瞬間たちまち戦闘が開始されるような、そんな緊迫した状態ではない……そうなるにはもう一段階か二段階を経なければならない待機なのであった。もっとも、勝手にそんなことを決め込んでいても、これは戦争なのだから、いつどんな突発事が出来するか知れたものではない。油断は禁物だったが……まあ、そういうところなのであった。
ただ、持ち場につくその形態と時間は、いつもとだいぶ違っていた。
ふだんの、自分たちの陣地では、ぼくたちは分隊単位で勤務についている。一分隊でレーザー砲一門と、定められた地域の哨戒を受け持つのだ。時間が来て交代すると、生活区に帰る。ぼくたちは第二中隊第一小隊第二分隊だが、ぼくたちのあと次の任務につくのは、どこの分隊か決まってはいなかった。第一小隊第一分隊のときもあるし、第三小隊第二分隊の場合もある。要するに、それは第二中隊全体として、各分隊の休息や睡眠の時間を考え、また、何かの都合でどこかの小隊なり分隊なりが非常あるいは特別任務に就いたときは、それも条件に入れて、何門かのレーザー砲と中隊の担当する区域を交代で受け持たせるという方式なのである。
けれどもこのときは、そうではなかった。
ぼくたちは、第一小隊の二分隊で、一門のレーザー砲にとりついていたのである。
などと述べると、混乱するだろうか?
いいかえれば、ぼくたち第一小隊は、小隊として一門のレーザー砲を固定したかたちで与えられ、そのうちの二分隊が持ち場についている間、残りの一分隊が休息し食事などをする――というやりかただったのだ。
つまり、ふだんの二倍の人数が、一門のレーザー砲を守るわけである。おまけに哨戒がないのだから(それを救援の他の部隊がやっていたのか、ここの部隊がしていたのか、それとも哨戒自体をやめてしまっていたのか、ぼくにはよくわからない。あちこちで、組んで歩いている制装はいたものの、それがどの部隊の連中か遠くからは見て取れず、また、何の目的で歩いているのか、ぼくには確言ができなかったからだ。哨戒かなと思うような歩きかたの制装の組はいたけれども、だからといって、必ずしもそうとは限るまい。ほかの任務ででも、そんな行動のしかたをすることはあるのである)ぼくなどの目には、多過ぎる感じだったのは否めない。
それだけの人数をレーザー砲一門に配置したのは、やはり、万全を期したからであろう。また、ぼくたちが救援のための隊であり、よその部隊が本来やるべき任務を代行している以上、遺漏があってはならぬと、そういう慎重な方法をとることになったのかも知れない。
さらにいつもとことなっていたのは、交代の早さである。休息時間の短さといってもいいだろう。
ぼくたちは、二時間の任務のあと、一時間の休息を与えられた。
その休息時間中は、小隊に割り当てられた損害軽微の生活区で、制装を脱いで休んだり食事したりできるのであった。
が……受け持つレーザー砲からその割り当てられた生活区へたどりつく迄、五分はかかるのである。その上気閘を出入りする時間も加算するわけだから、正味にすると四十分少々しか、休めなかった。
むろん、眠っている余裕などない。
また、眠ろうにも、眠る場所がないのであった。そこは自分たちの生活区ではなく、よその部隊の生活区なのだ。ぼくたちは自分の格納架もないために、あてがわれた予備の格納架に制装をしまい、ホールに入って、他の大勢が喋ったり何かやったりしている中で、分隊でかたまり合って、支給された食事を平らげたり用便に行ったり、ぼそぼそと話し合ったりするしかなかった。繰り返すが、……ホールの中で、である。
こんな調子では、そのうちへたばってしまうそ、とぼくは思った。分隊の他の連中も同意見のようであった。いずれ眠らなければならないのだが、そのときになったらどうするのだろう? この交代システムが変更されるのだろうか? だが、当面は黙って従うしかなかったのだ。
そんなこと位、小隊長か分隊長に訊いたらどうだ、という人が、あるかも知れない。
だが、上官――それも直属の指揮官にむかってそんな質問を気安くぶつけられるものではないのだ。
また、たずねようにも、現実にはそんな機会がなかったのである。
任務中は、私語は禁止というのを、覚えておられるだろうか? それに、制装着用どうしの会話は、いやでも他人に聞えてしまうのだ。交話装置のスイッチを最小範囲の分隊単位にしても、ガリン分隊長の耳には入るのである。ためにぼくたちは、制装の中ではそうしなければならぬときとか、よほどのときでなければ喋らない習慣がついていた。
ここの生活区では、それはそれで無理であった、
何しろ、顔を合わすことがないか、滅多にないか、なのだ。
ない、というのはキリー小隊長についてであり、滅多にないというのは、ガリン分隊長についてである。
キリー小隊長は、ぼくたち第二分隊とつねに行動を同じくしているのではなかった。第二分隊にとってだけでなく、この点は他の二分隊にしても事情は似たようなものだったはずである。小隊長は小隊長のぺースで、レーザー砲のところと、生活区を往還していた。といっても、自分の好き勝手に休んでいるのではなく、ぼくたちよりもむしろ休む時間はずっと短かったようで、そのことは認めざるを得ない。その生活区というのが、将校に割り当てられたもので、ぼくたちのとは違う場所にあったのだから、制装を脱いだ状態で顔を合わせることは、あり得なかったのだ。
ガリン分隊長は、一応、ぼくたちと同じ生活区で休息することになっていた。が……たえず小隊長に呼ばれ、小隊長の生活区で休み時間を使い切ってしまう場合が多い上に、分隊長としての他の仕事もあったのだろう、いつもぼくたちよりあとで生活区に入り、食事などのしなければならぬ最小限のことを済ませると、先に生活区を出るのであった。
これでは、疑問をぶつける機会なんて、ないではないか。
と、こんな風にしるしてくると、まるでぼくたちが二日も三日もこの状態をつづけていたかのように聞えるかも知れないが……それではぼくたちは、睡眠不足でぶっ倒れていたであろう。実際にはぼくたちは、そういうことを四交代足らず、つまり十一時間ほどしただけであった。
それにしては大げさで愚痴っぽいとおっしゃる方は、考えても頂きたい。
ぼくたちは、夜明け前に叩き起こされて陣地を離れ、待機し、敵の攻撃が終ると、そのまま陣地から輸送機に乗せられて三時間飛行した――そのあとの十一時間なのだ。そんなに楽なものではない。疲れがどんどんたまってゆくのが、自分でもわかったほどだ。そんな疲労感の中での、小刻みの休息と交代というのは、つらいものなのだ。単調な繰り返しだから余計そうなのである。
もっとも、ぼく個人に関しては、単調な繰り返しがすべてではなく、ちょっとした気分転換を得ることができた。
ライゼラ・ゼイに会ったのである。
二回めの交代――休息のために生活区へ行ったときのことだった。
気閘の前まで来たぼくたちは、うまい具合にそのとき、誰も待っていなかったので、すぐに気閘への通路をくだろうとした。
すると、誰かが肩を叩いたのだ。
振り向いたぼくは、相手がぼくたちのとは違う、もっと軽快な制装をまとっているのを認めた。
しかもそのヘルメットには、観察要員であるのを示すマークがついている。
ぼくはそれ迄に、ひとりかふたりの観察要員を見掛けていた。
大体が、観察要員の制装が、れっきとした重制装でありながら(重制装でなければ、こんな大気の稀薄なキコンの地表になど出られない)軽快な感じなのは、観察要員は戦闘能力を持つ必要がないためそれらの装備を制装につけることがなく、もっぱら作動が俊敏であり得るように作られているからである。ぼくなどがそんな制装を与えられ、使い方もマスターしたら、今のこの格好のすくなくとも三倍の速さで行動できるだろうと思うが……にもかかわらず、ぼくが見た制装の観察要員は、ぼくたちと同じか、せいぜい少しましな程度の動き方しかしていなかった。これは、観察要員たちが制装使用の訓練をあまり受けておらず、操作もうまくないせいであろう。余談だが、エクレーダからキコンへ出るとき、ぼくはペストー・ヘイチに指し示されて気閘の床を見、そこにボールの残骸が落ちているのを知って、呆れたことがある。誰か不用意な人間が、ボールを持ったままか何かに入れるかして気閘に入ったので……気閘内の空気が減圧すると共に、ボールが膨張し、破裂したのに違いなかった。間の抜けた奴がいる、と、思ったものだが……ひょっとするとそんなへまをしたのは、観察要員だったのではないか、と、いう気が今ではするのだ。そうも考えたくなるではないか? だがこれは、前置きした通り余談であり、ぼくの想像に過ぎない。
ともかく。
ここで観察要員などにつかまっては、ただでさえ少ない休息時間をさらに奪われることになりかねない。
何とか逃げなければ、と、思いつつ、ぼくは何となく、相手の胸の名札に目をやった。
ライゼラ・ゼイであった。
ぼくはここで一、二の観察要員の姿を見、こういう敵襲による損害が出たとなれば、当然観察要員の取材の対象になるのだろうな――と、内心で頷いていたにもかかわらず、その瞬間迄、ライゼラ・ゼイがここへ来ているとは、考えもしなかったのである。
彼女がハイデン部隊にいる観察要員だ、との意識が強過ぎたのだろうか?
そういえば、ライゼラ・ゼイは、いつもぼくの予期していないときに出現する観がある。
そしてもちろんぼくは、ここで彼女に出会ったのが、うれしかった。
「これは――」
ぼくは声を発した。
交代して生活区に入る途中なのだから、いくら喋ったって差し支えない。現にぼくは分隊の連中と、例によって(あまりあからさまではなく、直接的な悪口雑言も、誰に聞かれているかわからないから、控え目にしてではあるが)疲れるな、とか、眠いよ、とか、もう少し休憩が長けりゃな、とか……ぶつぶついいながら、戻って来たのだ。
ヘルメットの目の部分の保護機能が働いて濃くなっているために顔は見えないが、ライゼラ・ゼイであるはずの人物は、手を挙げて左右に振ってみせた。
通じないのか?
代りに、別の、どうやらコリク・マイスンらしい声が、飛び込んできた。
「イシター・ロウ、観察要員殿につかまったのなら、おれたち、先に行くぞ!」
「…………」
ぼくが、とっさにどう応じていいかわからないうちに、また違う声が、ヘルメットの中で鳴った。
「悪いが、おれたちも時間が惜しいからな!」
どうも、ケイニボのようだ。
いっただけでなく、みんなはさっさと通路をくだってゆく。
かれらにとって観察要員とは、うるさい事柄をあれこれとたずねて貴重なこっちの時間を強奪する、うるさい連中――の代名詞なのだ。
自分をつかまえた観察要員はなかなかの美人だった、お前をつかまえた気の強そうな女じゃない、と、威張った(?)コリク・マイスンにしても、その意味では似たようなものらしい。なるべくなら、観察要員の取材など受けたくないと洩《も》らしていた。今のような休息時間の短いときなら、なおさらであろう。
しかも、観察要員というのは、率軍か幹士待遇者なのだから、へたに逆らうわけには行かない。
だから、みんな、ぼくを犠牲にして、逃げてしまったのである。
ぼくにとっては幸運だったというべきかも知れない。
ぼくは、ライゼラ・ゼイと話すのが不愉快どころか、彼女に好感を抱いていることや、彼女からいろんな、ことにエレスコブ家に関する情報を伝えられたというようなことを、分隊の仲間には黙っていた。みんなが、ぼくが観察要員につかまっても知らん顔をし、おかしがりながら同情してみせたりするという、そんな状況では、誤解されたままのほうが無難だと判断したからである。
行ってしまったみんなのほうから、相手へと、ぼくは顔の向きを戻した。
ライゼラ・ゼイは、口と耳に当たる位置に手を触れてから、もう一度左右に振ってみせ、それから、気閘を指した。
気閘へ行こうというのか?
ぼくは、同じようにそっちを腕でさし示した。
ライゼラ・ゼイは頷いてみせ、そちらへと歩きはじめる。
ぼくはつづいた。
気閘に入ったのは、ぼくたちだけであった。
気閘室の壁の呼吸可能になったのを示すランプがともり、前方の内扉が割れると、ぼくは制装を開放にした。
ライゼラ・ゼイもそうしたようだ。
「ああ、楽になった。制装って、いつになっても馴れそうにないわ」
ライゼラ・ゼイがいう。
ぼくは、感想を述べるのを、さし控えた。へたなことをいうと、制装操作が巧くない相手を揶揄《やゆ》する結果になりかねない。
「制装、しまうんでしょう?」
また、ライゼラ・ゼイがいった。「わたしもしまうから……ホールで、ちょっとお喋りしない?」
「わかりました」
ぼくは答えた。
気閘を出た、重制装の格納架の列が並ぶ広い部屋に来ると、ぼくは、定められた場所に行き、手早く制装をしまい、タンクの酸素も補充した。
奥のほうを眺めると、ライゼラ・ゼイはまだ制装をしまおうと格闘している。
ぼくはそっちへ歩み寄って、手伝った。
「有難う。助かったわ」
ライゼラ・ゼイはいい、ぼくの二の腕をぽんと叩いた。「さ、下へいきましょう」
ぼくたちは、梯子のある開口部へと、歩いた。
「わたしたちの制装は、兵隊さんのと交話はできないのよ」
と、ライゼラ・ゼイ。「話せるのは将校とだけなの。取材で兵隊さんの邪魔をするなどいうことなんだな」
「へえ」
と、ぼくはともかくそう応じた。
「でも、もうしばらくしたら、厄介な制装を使わなくてもよくなるかも知れない」
ライゼラ・ゼイが呟くようにいったのを、ぼくは聞き逃さなかった。
「それは……どういうことですか?」
ライゼラ・ゼイは、あるかなしかの微笑をぼくに向けて、答えた。
「それ以上は、いえないわ」
「…………」
ぼくは黙った。
それはそうかもわからない。観察要員であるライゼラ・ゼイは、ぼくなどより遥かに多くの事柄を知り得る立場にあるが……中には、話したり洩らしたりしてはならぬものが多いはずである。
むしろ、今の一言だけでも、ひそかに告げてくれたと解すべきであろう。
制装を使わなくてもよくなるとは……どう考えても、キコンを離れてまたエクレーダに乗ることだとしか思えない。
本当に、そうなるのだろうか?
だが、なぜ……?
なぜ、キコンを離れるのだ?
しかし、所詮そんな僅かなヒントだけでは、何もわかりようがないのである。
それに、もう梯子の上だった。
ぼくはライゼラ・ゼイに先を譲り、つづいて降りた。
ホールには、かなりの人がいる。
ライゼラ・ゼイは壁ぎわに行く。
ぼくも従った。
今回は彼女は、録音機をかざすようなことをせず、立ったまま、口を開いた。
「調子はどう?」
「これといって……ご想像におまかせします」
ぼくは返事をした。
「きょうは、エレスコブ家について、伝えることはないわ。その種の情報は、キコンに来てから入らないのよ」
ライゼラ・ゼイはいう。「でも、取材でこっちへ来てみたら、あなたの隊も来ていたので、少しお喋りしてみたかったんだ。迷惑?」
「いえ。決して」
ぼくは答えた。
本気だった。
彼女は、ぼくの表情からそれを読みとったらしく、にっこりした。
「本来なら、今度の敵の攻撃と、わが軍に損害が出たことについて、あなたからも感想を聞くべきところだけど」
と、ライゼラ・ゼイ。「もう他の人たちから取材したし、みんな、典型的な、われわれはこれを乗り越えて敵をやっつけるのだ、という話ばっかりで……あなたもそういうのでしょう?」
微笑している。
そういうしかないのでしょう、と、いいたげだ。
「おっしゃる通りです」
ぼくも、微笑というより苦笑と共に返事をした。
「だから、もういいのよ」
ライゼラ・ゼイは頷いた。
「ここは、だいぶやられたのでしょうか?」
ぼくは、気になっていたことを、質問してみた。
「かなり、ね」
ライゼラ・ゼイは、また頷いた。「それは、全面的な大戦闘になったときのことを思えばごく軽微でしょうけど、ま、陣地単位で考えれば……そういうしかないわね。公式にはどうせあとで伝えられるでしょうから……とにかく、そういうこと」
「…………」
「お喋りできて、楽しかったわ」
ライゼラ・ゼイは、われに返ったようにいった。「これでもわたし、結構仕事に追われているんだ。じゃ、またね」
それから、軽く片手を挙げると、人々の中へ入って行ってしまったのである。
全くの、彼女ペースのやりとりであった。
忙しいが、ぼくと会ったので、ちょっと喋りたかった――という印象である。
それでも、彼女がそうして話す機会をみずから求めてきてくれたことに、ぼくは悪い気がしなかった。
さて。
話を戻さなければならない。
ぼくは、任務につくのと休むのとを、四回ばかり繰り返したと述べた。
そこで、あたらしい隊が到着してぼくたちに代り、ぼくたちは元の陣地へと、帰って行ったのである。
つまり、そうした無理を承知のぼくたちの交代方式は、次に別の隊が来着して入れ換ることを前提にしていたのだ。
あたらしく来たのは、ワイツ部隊の三個中隊だということであった。ついでにいえば、ハイデン部隊から救援に赴いたぼくたちも、やはり三個中隊であった――と、これらは帰途につくために輸送機に乗るさい、小隊長がいったのである。
これはのちのことになるが……ライゼラ・ゼイの言葉通り、ぼくたちは自分の陣地に戻ってから、損害の公式発表というのを聞かされた。戦隊本部・ショカーナ部隊を合わせて、建物の全壊一・半壊十四。死者は二百余名で、この中には参軍クラスひとり、率軍クラス五名の将校が含まれていた由である。参軍クラスとか率軍クラスというと、何となく数のうちとの印象があるけれども、その率軍クラスには、ひとりの中隊長とふたりの小隊長がいたといえば……すくなくともぼくたちの立場から見ると大変だという気がする。いや……ぼくなどは、将校ならぬ二百余名のうちに入るただの兵隊なのだから、こっちの人数のほうを考えるべきなのであった。
それと、これは戻ってから非番のとき、ホールでみんなと一緒にガリン分隊長から教えてもらったのであるけれども……死傷者が出て定員不足になったショカーナ部隊は、再編成されたはずだという話であった。大隊にしろ中隊にしろ、繰りあげてまとめ、隊の数が足らなくなったのを、基地から来る兵員で新規の隊を作って補充するのだそうだ。それがカイヤツ軍団では一般的なので……たたかいがつづくうちに、ふつうは、第一大隊とか第一中隊といったところに生き残りが集まり、ベテランの隊ということになってゆくというのである。自分自身がミド別働隊の生き残りだというガリン・ガーバンの話であったが……しかし、誰もそのとき、ミド別働隊という名前は、口にしなかった。
ハイデン部隊陣地に戻ると、例の毎日が再開された。
あと、敵襲はなかった。
正しくは、キコンに敵襲がなかったというべきであろう。
敵は、その後二回ばかり、キコーラ星系に侵入し、キコーラを攻撃しようとして、わが軍に撃退されたということである。
キコンが襲われなかったのは、すでに軌道上をかなり移って、敵の侵入経路とキコーラを結ぶ線からずっと離れていたせいではないか、と、ぼくは想像するが……別に確証があるわけではない。
ぼくたちは、これ迄のように、レーザー砲を受け持ち、担当地域を哨戒し、交代すると生活区に引き揚げた。
小ユニットでは、相変らずの三人暮らしなのだ。
ある日。
ホールで、アベ・デルボやペストー・ヘイチの、つまり準個兵どうしで雑談したぼくは、そろそろ小ユニットに帰るしかないなといい合って、別れた。
トンネルさながらの入ロから通路に入り、身をかがめて、自分たちの小ユニットにたどりつく。
分厚いドアを押しあけて小ユニットに入ったところで、ぼくは、考えもしなかったような光景に出くわした。
変な顔をしていたかも知れない。
ケイニボが、自慢の緑色のひげを生やした顔をいやに真面目にして、おまけに腕組みをして、突っ立っている。
ラタックはベッドに腰をおろして、大きな紙を手に、ケイニボと紙とを交互に見ながら筆記具を動かしているのだ。
写生をしているらしい。
「ああ、イシター・ロウ」
ラタックがこっちを向いて、これも真面目な表情でいうのだ。「おれ、絵をまた描くことにしたんだ。何もせずにいては退屈だからな。で……まず手はじめに、こいつを描いてやっているんだ」
「――は」
と、ぼくは、間の抜けた声を出した。
ラタックと絵とは……どうもさっぱり結びつかない。
「喋っていないで、つづけろ」
ケイニボが、姿勢を変えずに促す。「せっかくモデルになってやっているんだから、早く描け」
「うむ」
ラタックは、また描きつづける。
ぼくはそれを、うしろから覗《のぞ》いた。
ひどい絵だ。
絵という代物ではない。
一本の線であるべき個所を何度もなぞった――どうやら人間の顔であることが判明するだけ、の、デッサンである。
「ま、こんなものだろう」
しばらくラタックは、紙を自分から離して眺めると、満足げな声を出した。
「見せろ」
ケイニボが、手を伸ばす。
ラタックは渡した。
「これがおれか?」
ケイニボは、奇声を発した。「何だこれは。これがおれの顔だというのか? 子供でももっと上手に描けるぜ!」
「お前にはわからん。おれはこれでも昔、絵の勉強をしたことがあるんだ」
と、ラタック。
「嘘をつけ」
ケイニボはそれを、ぼくにかざしてみせた。「おい、どう思う? おれの顔はこんな石ころみたいじゃないだろう? もっと好男子だ。そうだろう?」
「ひげがあるところは、似ていますね」
ぼくは、控えめに答えた。
「ああ、お前たちには、芸術はわからんのだ!」
ラタックはわめき、あたらしい紙を出して、ぼくにいった。
「イシター・ロウ、お前を描いてやる。そこに立って、じっとしていろ!」
「いえ、結構です」
と、ぼくが辞退したその気持ちは、おわかり頂けるだろう。
モデルを務めて、変てこな顔に描かれるのではたまらない。ぼくにはひげがないのだから、出来あがったとしても、人間らしいということしかわからないに決まっている。
「遠慮するな。そこに立て!」
ラタックは強行の構えだ。
ばくは観念して、その場に佇立《ちょりつ》の姿勢になった。
「おれは身体を拭《ふ》いてくるぜ」
ケイニボはいうと、洗面所へと姿を消す。
「じきに済むから安心しろ。それから食事をしたらいい」
手を動かしながら、ラタックは頷いてみせるのだ。
「わかりました!」
ぼくは、ことさら元気な声を出した。
「ものをいうな。動くと描きにくいんだ」
と、ラタック。
で……ぼくは、もう一度わかりましたといいそうになるのを抑えて、ちゃんと宙の一点をみつめるしかなかった。
「おれが昔、絵の勉強をしたことがあるというのは、本当だぞ」
描きつつ、ラタックはいう。「休日に絵を教えているところがあって、十何回か通ったんだ。白状するとそもそもの動機は、そこに可愛い女の子がたくさん来ていると聞いたからなんだがね」
「お目あての子でもいたんですか?」
ぼくは訊いた。
「喋るな」
ラタックは制し、勝手に話しつづける。
「お目あての子なんて、そんなもの、あるものか。おれは若かったし、それに、女の子にはろくに相手にもして貰えない立場だった。おれの両親は離籍者でその日暮らしをしていたから、おれも小きい時分から泥棒やなんかをやって、しょっちゅうとっつかまっていた。あんな子には近づくな、ど、よその親たちは自分の子供にいっていたんだ」
「…………」
離籍者か、と、ぼくは思いながら、じっとしていた。
ずっと前にも述べたことだが、離籍者とは、税金や借金に追われて行方をくらましたり、ときには死亡届を出して、自分が存在しないことにしてしまう人々のことだ。そんな人たちはカイヤツ府にもいた。
けれども、その離籍者という言葉が、ぼくに、もうずっと昔のように感じられる。エレン・エレスコブの護衛員としてゲルン地方へ行ったときの、ハボニエとの会話を想起させたのだ。
その頃迄ぼくは離籍者について、公職とか、戸籍の明示が必要な職業には就けないものの、そして決して豊かとはいえないものの、その日その日を気楽に送っている連中――という見方をしていた。だがハボニエは、こういう地方の離籍者は、カイヤツ府内とまるで事情が違う、どうすることもできないみじめな存在であり、自滅者と呼ばれていると、教えてくれたのであった。ハボニエ自身の親がふたりとも自滅者だったとの話も聞いた。それがぼくに、ネイト=カイヤツの社会構造のひずみについて考えさせてくれたりもしたのである。
が……ハボニエがらみの記憶は……今はやめよう。
ラタックの両親が離籍者であったとして、どんな離籍者だったのか、ぼくには知る由もない。けれどもそういうことなら、ラタックも苦労したであろう。そんな立場では、連邦軍の兵士になることは、安定し公認された仕事に就くのを意味するかもわからない。軍の中にはさまざまな経歴の人間がいて……ただ、ふだんは口に出さないだけのことなのだ。
「だから、そうしたはなやかなところへ行くのは、おれには夢みたいな体験だった。そこの先生が、来てもいいといってくれたんで、通ったんだが」
ラタックはつづける。「たしかに可愛い女の子は大勢いたよ。だが、彼女らはもちろん、男のほうだって、おれをおそれて、親しくしようとはしなかった。おれがそれでも十何回か通ったのは、先生が熱心に指導してくれたからなんだ」
「…………」
それきりラタックは何もいわず、筆記具を動かしつづける。
ぼくは宙をにらんでいた。
しかし……ラタックの話が事実としたら……さっきのケイニボの絵は、あれはどういうことだ? あまりにもひどいのではないか? ぼくの場合は、もう少しましなのだろうか?
間もなく、がたんと音がして、ケイニボが洗面所から出てきた。身体を拭くだけなのだから、大して時間はかからないのである。
「何だ、まだやっているのか?」
ケイニボは、パンツ以外は裸のまま、タオルでまだ顔を拭きながらいう。「中でも声が聞えていたぞ。お前、本当に絵の勉強をしたんだって?」
「そうだ」
と、ラタック。
「信じられんな」
ケイニボは、ラタックの後方に廻り、うーんと唸った。
感嘆したのかとぼくは思ったが、逆だったようだ。
「こりゃ、おれのよりひどい」
ケイニボは首を振る。「何だよこれは。これが人間の顔かね」
「長いことやっていなかったし、おれに合った道具や材料がないからなあ」
ラタックは、手をとめ、紙を自分から少し離して眺めた。「うん。だが、それにしてはまあまあだな」
「自分の腕前を棚にあげやがって! おまけにそれがまあまあだと? いい気なもんだ」
ケイニボが毒づく。
「どうだ?」
ラタックは、ぼくに渡した。
覚悟はしていたが……凄絶《せいぜつ》としかいいようのない絵である。
顔の輪郭そのものが歪んでいる。やたらに線が入り、紙も破れよとばかり何度も修正の上塗りがあって、異様な不ぞろいの目がこちらを見据えているのだ。まるきり……化けものであった。
ぼくは、ケイニボと同様、うーんと声をあげるほかはなかった。ほかの、何をいっても悪口になるのは必定だったからだ。
「いいか。おれたちだから、怒らずに黙ってやっているんだぜ」
ケイニボがいった。「お前の腕じゃ、似せろといっても無理だろうから、いわん。しかしな、せめて似せようと努力したのがわかる位にしたらどうだ?」
「やっぱり、お前たちにはわからんのだ!」
ラタックは声を張りあげた。「モデルに似ていたらいいなんて、通俗だぞ! 本質を描き出せばいいんだ。本質を!」
「おや、いうね」
と、ケイニボ。
「しかも、今おれが描いたのは、ただのデッサンだからな。おまえたちは表面ばかり見ているんで、そんなことをいうんだよ。似ていないなんて、何でもないんだ。おれは小器用にちょこちょこ描いたりはしないんだ。それでいいんだ」
ラタックは、胸を張る。「絵画というものは、とことん描き込み追求するだけ追求して、それでもなおかつ、突っ込まなければならないんだな。うまいとか下手とかは、大して重要ではない。なまじうまいと、かえってそれが命取りにさえなる。要は心だ。対象の本質に迫ろうとする心だ」
「こりゃ驚いた。いっぱしの先生みたいないいかたじゃないか」
ケイニボが、寝るための服装になりながら、まんざらただのまぜ返しでもなさそうな口調でいった。
ぼくだって、いささかびっくりしたのだ。
ぼくは本格的に絵を学んだことはない。まあラタックが本格的に勉強したかといわれればそれも問題かも知れないが……いわれてみれば、絵をそのように見ることも可能かもわからない――との気がしたのだった。
「いや、さ。これはおれに教えてくれた先生がしょっちゅういっていたことでね」
ラタックは、あっさり白状した。「とにかくその先生ときたら、上手な絵を描こうとすると怒るんだ。お前はそういう絵を描くべきではない、徹底的に不器用で行け、というわけだよ。だからおれの描く絵はごちゃごちゃと、これでもかこれでもかと塗り直すものになったし、そういうものしか描けなくなったが……。ああ、ここにちゃんとした道具や絵の具があったらな! それと、時間があったらな!」
「ないものねだりはやめろ。仕様がないだろう?」
ケイニボがいう。
「そういうこと」
ラタックは、腰を伸ばした。
伸ばしながら、つけ加えるのである。「それにしても、おれは、そういう指導をしてくれた先生に、今でも感謝しているんだ。いや何も絵だけのことじゃない。生き方全体についていえるんだ。おれなど、小器用にさらさらとやってのけられる性格じゃないし、そんなことが許される立場でもない。やるだけのことをやって、駄目ならまたその上に塗り直して、納得の行く迄やってゆくしかないんだろう。へたにすいすいと世の中を渡ろうと考えたりすれば、大けがをするんだ。そう思うよ」
「多分な」
ケイニボは肯定した。
それから、促したのだ。
「お前、気が済んだら、身体を拭けよ」
「気が済んだらとは、何だ」
ラタックがいい返す。
「わかった、わかった」
ケイニボは頷いた。「お前が描いてくれた絵は大切にとっておくさ。イシター・ロウ、お前もそうだな?」
「有難く頂きます」
ぼくは答え、すごい顔の絵を畳んでポケットにしまった。
別に、おべっかを使ったわけではない。せっかくラタックが描いてくれたのだし……あんな演説を聞いたあとでは、何だか値打ちがあるような錯覚に陥ったりもしたのであった。
「もちろん、お前たちは、おれの作品をだいじにどっておくべきだよ」
ラタックはいった。「じゃ、今度はおれが身体を拭く」
それから、洗面所へ行った。
「イシター・ロウ、お前、食事まだなんだろう? 早く食え」
寝姿になったケイニボが、パック食品をしまってある棚を指す。
ぼくはパック食品をひとつ取り出し、包みを開いて食べにかかった。
「あいつが絵についてあんなことをいいだすとは思わなかったが」
ケイニボは、洗面所のほうへあごをしゃくってから、いいだした。「しかし、そのあとでいったことは、なかなかいいよ。やるだけのことをやって、駄目ならまたその上に塗り直す――か。それでいいんだ。はじめから完全なものにしようと思っていると、ひとつ間違ったときに、収拾がつかなくなってしまうからな」
「――ふわ」
口の中に一杯入っていたために、ぼくの返事はそうなった。
「無理するな。ゆっくり食ったらいいんだ」
ケイニボは笑い、真顔になると、つづける。「そうなんだ。おのれの一生を最初から設計図を引き、その通りにやって行こうとするから、つまずいたときに狼狽《ろうばい》し、何もかもが終りだと思ってしまう。立ち直ったつもりでもしこりが残っていて、何かというとうしろを見るんだな。やり残しをはなから予定に組み込んでおけば、そうならずに済んだんだ」
それは、なかばひとりごとのようであった。
ケイニボの言葉が、おしまいは過去形になったことで、ぼくは、ケイニボが自分についての感懐を洩らしているのだと悟った。
ケイニボにどんな過去があったのか……ぼくはそれ迄に聞いた断片的な事柄以外は何も知らない。ケイニボにはケイニボなりの過去と悔恨《かいこん》があるのだろう。人間はひとりひとりが、過去を背負っているものなのだ。
ぼくだって例外ではない。
ぼくの場合――。
いや、よそう。
繰り返したって、はじまらない。
ただ、ラタックとケイニボのそんな話のおかげで、ぼくは過去というのは人間――というよりぼく自身にとっても、無視はし得ない重さを有するものであるが、しょっちゅう振り返ってみなければならないほどのものではないのかも知れない、と、いう気持ちになったのであった。ある意味ではもっとずぶとくこれからのことで上塗りして行くのも必要ではないか、とも思ったりしたのである。
――と、こんな風に述べてくると、どこか陰々滅々の雰囲気を連想させたかもわからないが……そして、そんな感じが皆無だったとはいわないが……それはごく短い間のことで、しかも、そう深刻なものとなるには至らなかった。
なぜなら、もののはずみのように感慨めいたものを口にしたケイニボは、すぐに鼻を鳴らし肩をすくめると、自分も棚からグラスを取って、小ユニットの水道の水を入れた水差しをつかみあげ、グラスに水を満たしてぐいと飲んだのである。
「それにしても、おれたち、いつ迄こういう暮らしをしなきゃならんのだろうな」
水が喉《のど》を通過するのを待って、ケイニボは呟いた。「せめてシャワーがあって、もっと広くて、うまいものが食えて、ペランソか何かあれば……」
そこでケイニボは、自分から笑いだした。
パック食品を食べ終ったぼくも、同様である。
せめて、にしては、あまりにもたくさん並べ過ぎだ、ということに、ケイニボもぼくも気がついて、おかしくなったのであった。
「そのうち、どれかひとつがあるだけで、随分違うでしょうね」
ぼくはいった。
「全くだ」
と、ケイニボ。「これじゃ、おれたち、だんだんおかしくなってゆくよ。ラタックの奴が絵を描いたり演説をしたりするのも、当り前かも知れないな」
「何だと?」
洗面所から、ラタックが首を出してわめいた。
「気にするな、気にするな」
ケイニボがなだめにかかる。
ぼくはパック食品の食べがらを捨て、自分もラタックにつづいて身体を拭くべく、服を脱ぎはじめた。
結局、その夜もぼくが洗面所を出たときには、ベッドルームは暗くなっており、ケイニボもラタックも眠り落ちたか、眠ろうとして静かにしているかで……ぼくは音を立てないようにして、床のマットの上に横たわったのである。
だが。
こうしてぶつぶついいながらも、いろんなことをしてとにかく小ユニットでの無聊《ぶりょう》をなぐさめていた時期は、実は貴重な日々だったのではないか――と、あとになってから、ぼくはよく思ったものだ。かりにも前線と呼ばれるところへ来ていてこんな表現はおかしいのだが、とても平和だったという気がする。
ラタックの絵の一件があってから二日後――いいかえれば、敵襲とそれにひきつづいての戦隊本部行きから数えて十一日めに、ぼくたちは、あわただしくキコンを離れることになった。
その日の朝、ぼくたちはいつもより早く起こされ、私物も含めてすべての荷物を持って生活区の外で整列するように命令された。
「全部持って? 一体、どうしようというんだ」
と、ケイニボなどは首をひねって疑問を口にしたが、むろんラタックにもぼくにもはっきりとはわかるわけがない。
外へ出るのだから、当然、重制装に入ってである。
そこでぼくたちは小隊長から、思いもかけないことを聞かされた。
これより直ちにキコンを離れ、新しい任務に就くというのだ。
いや……思いもかけないこと、というのはちょっといい過ぎだろう。ぼくは、すべての荷物を持ってといわれたとき、あるいはそうではないか、と、想像したのだ。だが、そうした推測はあくまで推測であって、そうでない可能性も充分にあるのだし……うかつにそのつもりになったりしたら、違うと判明したとたん、がっかりするのが目に見えていた。この心理は、ぼくだけでなく、ケイニボもラタックも同じだったのではないかとぼくは思う。ただ、ケイニボは一応疑念を表明してみせたのに対し、ぼく自身と同様、ラタックもことが確実になる迄は喋らないほうがいいような気がした、ということではあるまいか。
そのときのぼくたちは、それほどキコンでの生活にうんざりしていたのだ。くどくなるが、そのときは、である。あとになって懐しく感じられるようになったことは、さっき述べた。
もしもぼくたちが重制装の中でなく、あるいは交話装置が小隊単位でなく分隊単位だったら、何人かがきっと、いまいましいここともお別れか! との意味の言葉を発していたに相違ない。だがキリー小隊長は、兵隊のそうした反応にはあまり寛容とはいえないのをみなが知っていたから……ぼくをも含めて、それを腹の中におさめていたのであった。分隊単位だったらというのは、ガリン分隊長なら、どなりつけはしても、その場限りのこととして、それでおしまいになってしまいそうに思えるからだ。
ともあれ。
小隊長はぼくたちに、それだけしか話さなかった。
新しい任務が何なのかは、エクレーダに乗ってから聞くことになるのだろう。
従ってぼくには、なぜ自分たちがこの時点でキコンを去るのか、戦争がどうなっており、どんな様相を呈しているのかについて、まるで見当がつかなかった。これが事態の急変によるものか、あらかじめ予定されていた移動なのかさえ、判断がつきかねる有様だった。
それとは別に、小隊長からキコンを離れると告げられたとき、ぼくは、ふたつの事柄を考えていたのである。
ひとつは、以前に戦隊本部でライゼラ・ゼイと会ったとき、彼女はやはりこうなりそうなのを知っていて、それをぼくに匂わせたのだ、と、いうことである。ライゼラ・ゼイは、もうしばらくしたら厄介な制装を使わなくてもよくなるかもという表現をしたのだったが……つまりはそれは、呼吸不能のこのキコンを出るのを意味していたのだ。換言すればライゼラ・ゼイは、今回の突然のキコン離脱の理由に関する何らかの情報を、そのときすでに入手していたわけである。それを、好意で遠回しに教えてくれたのだ、と、わかったのであった。
もうひとつは、前にも触れたけれども、キコンの陣地についてである。ぼくたちハイデン部隊のそれだけでも、あれだけの資材と人力を投入して建設中だったのだ。第四地上戦隊全体となると、金額にして膨大なものになるであろう。それら一切を……持って行けないもの全部を捨てて行くのか――との想念であった。これらは、また使われるのであろうか? ここがまたもや前進基地なり戦場なりになれば別だが、そうならないとすると……完全な放棄であり、おそるべき浪費ということになるのだ。何という無駄であろう、と、ぼくはぞっとしたのである。しかしもちろんぼくがそんなことをいくら考えたって、どうにもならないのも、たしかであった。
ぼくたちは隊列を組み、エクレーダへの行進を開始した。
なぜ徒歩なのかと問う人がいるかも知れない。戦隊本部へ飛行した輸送機をなぜ使わないのかと不審がる人がいるかもわからない。
だが輸送機は、陣地の資材をエクレーダに運ぶためにフル稼動していたのである。自力で移動できるぼくたちを運搬している余裕はないようであった。輸送機の群は、エクレーダへと向かうぼくたちの頭上を、何度も何度も行ったり来たりしていたのだ。
いったい何がおこったのだろう、なぜこんな風にあわただしくキコンを出なければならないのだろう――と、みんなと共に進みながら、ぼくはまた考えざるを得なかった。そしてそのことにまだこの場では解答が与えられるはずもないことをも、ぼくは承知していたのである。
エクレーダに搭乗したぼくたちは、元の居住区に入れられた。
キコンの生活区の小ユニットを経験してきたぼくたちには、馴れたその居住区の居心地がどれほどこころよいものであったか……いうだけ野暮であろう。
だが。
そのことが以前の、キコンへの航行中と同じ生活に戻ったとは、必ずしもいえないのであった。
なぜなら、以前にくらべて艦内の雰囲気がぴりぴりした、どこかただならぬ気配に満ちているのを、ぼくは感じ取っていたからだ。それはキコン到着直前の、あのばたばたした動きとも異質であった。動きそのものはむしろすくなく、その癖重いものが艦内を圧している印象なのである。
居住区のみんなが、そのことを悟っているようであった。だから……以前の生活とはたしかに違っていたのだ。
その重苦しいただならぬ気配が何に由来するかを知ったのは、乗艦後二日めのことであった。
ぼくたちへの戦況説明によってである。
戦況説明は例によって、いくつもの部屋を使って順次行なわれたのだが……二日めにぼくたちの中隊の番が来たのだ。前の戦況説明のことを思えば、随分早く順番がめぐってきたものだが……なぜそうなったかは、簡単である。戦況説明に要する時間がひどく短くてすぐに済んでしまったからだ。
けれども、内容は重大だった。
説明をしたのは、中隊長付きの若い率軍候補生などではない。
中隊長自身であった。
「わが第四地上戦隊は、キコンの陣地を放棄して、新しい戦線へと急行中である」
と、中隊長はいいはじめた。「これは戦争そのものがあたらしい、正念場というべき情勢を迎えたためだ。すなわち……これ迄ボートリュート共和国軍の背後にあって沈黙していたウス帝国軍が動きだし、わがネプトーダ連邦に進攻しつつあるからである」
ぼくたちは、どよめいた。
ウス帝国軍が?
巨大な、おそるべき力を持つというウス帝国の軍が、とうとう動きだしたというのか?
ぼくは、背筋がひやりとしたことを、白状しなければならない。
だって……ぼくのこれまで得てきた知識では(それは知識というにはあまりにも乏しいものであったかもわからないが)ウス帝国とは巨大で強力で、非人間的な迄に発達し統一された勢力ということなのである。それ自体圧倒的な力の軍を保有しつつ、外周勢力を支配下に置いているのだ。わがネプトーダ連邦は、ウス帝国とボートリュート共和国の連合軍とたたかっているとされているものの、その実、これまで戦火を交えてきたのは、ボートリュート共和国軍とだけであった。ボートリュート共和国は、ウス帝国の外周勢力のひとつに過ぎないのに、ネプトーダ連邦はそのボートリュート共和国相手に、まだ決定的勝利をおさめていない。はっきりいえば両者は互角というところなのではあるまいか? なのに……ここで本家のウス帝国軍が出てきたというのだ。
正直、ネプトーダ連邦がウス帝国を直接相手にして勝てるとは、ぼくには到底思えない。
だがそのウス帝国軍が進攻してくるというのだ。
こんな場でなく、しかもぼくが連邦軍の一員でなければ、どうすればいいのだ! と、叫び出しても不思議がないのである。
しかし……ぼくたちはどよめいただけで、中隊長の次の言葉を待った。
「わが軍の得た情報によれば、ウス帝国軍は、攻撃にしては異例のゆるやかな速度で、全体が一戦団となって、ネプトーダ連邦に接近しつつあるそうだ」
中隊長はつづけた。「そしてウス帝国からは、ボートリュート共和国経由で、ネプトーダ連邦に対して無条件降伏を呼びかけている。無条件降伏しない場合、ネプトーダ連邦の中心であるネイト=ダンコールをまず占領し、ネイト=ダンコールを足場として、連邦の全ネイトを攻撃し、撃滅するともいっているという」
「…………」
「ウス帝国のいう無条件降伏が、実際にはどういうことになるのかは、わからない」
と、中隊長。「だが、従来の例から考えて、また、ウス帝国という体制の性格から考えて、それがネプトーダ連邦の解体とウス帝国による各ネイトの直接支配を意味するのではないか、との解釈が、一般的なのだ。われわれはそんな無条件降伏には耐えられない。ネプトーダ連邦を、そしてむろんわれらのネイト=カイヤツを存続させるために、われわれはたたかわなければならぬ」
「…………」
「われわれ連邦軍の各軍団は、それぞれのネイトを守るべく自己のネイトへ戻ることも考えられよう」
中隊長はいうのだ。「しかし、各軍団がばらばらになっては、一個の戦団と化したウス帝国軍に各個撃破されるだけなのだ。だから連邦軍は一丸となって、ウス帝国軍に対抗するほかはない」
「…………」
「さいわい、というのは変だが、ウス帝国軍は、みずからその進攻目標を暗示している。探知された針路から見ても、ネイト=ダンコールのダンコールであるのはたしかなのだ。われら連邦軍は、そのダンコールの手前で集結し布陣し、決戦を試みることになるであろう」
そこで中隊長は、声を低くした。「諸君はみなネイト=カイヤツの人間であり、こういうさいには、ネイト=カイヤツへ帰りたいと思うだろう。人情としてそれは当然である。が……今度のこの決戦で敗れれば、ネプトーダ連邦もなく、ネイト=カイヤツもまた本当のネイト=カイヤツではなくなってしまうのだ。ウス帝国軍の軍政下で奴隷として扱われ、生殺与奪の権をウス帝国の連中に握られたネイト=カイヤツにしたい者はあるまい。われわれのネイトを守るためには、今度のたたかいで全力を尽すしかないのだ」
中隊長は、ぼくたちを見渡した。「これは、はじめにいったように、正念場である。われわれの世界が、われわれの同胞が、そしてお前たちの家族が、生きるか死ぬかを決める正念場なのだ。諸君の奮起と奮闘が、すべてを決定するのである。全力を尽してくれ」
それで中隊長の説明は終了した。
あと、中隊の副官から達しがあった。今度のたたかいや、敵味方の比較、ウス帝国についての無用の噂といった話は、つとめてしないようにせよ、そのような話題は疑心暗鬼を生じせしめる結果になり、全体の士気にも影響する、各人心せよ――というものであった。
それで、ぼくにはわかったのだ。
ぼくたちよりも先に戦況説明を聴いたものがいたのなら、なぜそれが噂や話題にならないのか……なればぼくたちの耳にも入るはずだと思い、妙だなという気がしていたのだけれども……そういう達しが出ていたため、何も知ることができなかったのである。
そして。
エクレーダの艦内の雰囲気を重くしているのが、ウス帝国軍との対決を控えた、その気分から生じていることを、ぼくはそこで知ったのであった。
ウス帝国軍との……対決。
一個の戦団を形成しているというウス帝国軍と、ネプトーダ連邦全軍団の、迎撃としての決戦。
それが、現実のものになろうとしているのであった。
おかしな話と思われるかも知れないが、そのときのぼくは、恐怖というものを感じていなかった。兵隊になって長いから神経が鈍磨していたのかといわれれば、それは違うと明確に答えることができる。いくら百戦錬磨の勇士でも、以前にガリン分隊長がいったように、恐怖から解放されることなんて、ないはずだ。ましてぼくなどが、戦闘や死の恐怖を超越するなんて、できるわけがない。
では……?
そう。
はっきりいってそのときのぼくには、まだもうひとつぴんとこない感じだったのだ。
正確な表現とは称しがたいが、人間にとって恐怖とは、何らかの意味で具体性を持ったものでなければならないのではあるまいか? すくなくとも自分がこうなるとか、自分の属しているものがこうなるという、具体的なイメージがなければ、恐怖として意識されないのではあるまいか? それ以前の、まだ未分明のものに包まれている段階では、不安と呼ぶのが適当であろう。そして不安なら、カイヤツ軍団に入って以来、ずっと持ちつづけてきた。いや……その前のエレスコブ家の警備隊員のときも、ファイター訓練専門学校にいたときも……極端ないいかたをすれば、生れてこのかた、不安はぼくの中に住みついていたのだ。大体が、生きるというそのこと自体が不安との共存なのではあるまいか?
いや、これは……そう手軽にきめつけることのできない問題を、しかもいつの間にか一般論に迄持ち込んでしまって、とんだ脱線になった。
それにしても、こんなさいにこんなことを並べたのからも、ぼくが逆に、心の平衡を失っていたと解釈できるかも知れない。
たしかに、それも仕方がないのだ。
ぼくの頭の中には、まだ漠然とした構図があるだけで、どうにも実感を伴わなかったのである。
巨大なウス帝国の版図から、ボートリュート共和国圏を経てネプトーダ連邦へ進んでくる大軍団。
それを迎え撃とうとして集結を急ぎつつあるネプトーダ連邦の各軍団。
そのかたちは見える。でなければ見えるような気がする。
そして両者が激突すれば……おそらく、ウス帝国軍がネプトーダ連邦軍を蹴散らすのであろう。ネプトーダ連邦軍に奇策秘策があって逆の結果になるのかもわからないが(ぼくとしては、当然ながらそうであって欲しいのだが)客観的には、ウス帝国軍が優勢としか考えられない。
で……ネプトーダ連邦軍、つまりわれわれが敗れたら……。
――という、頭の中での展開は存在しても、それらはおのれを観客席に置いた、映画か何かを眺めているようで、本当に自分とかかわりのあるものとしての把握には、至っていないのであった。
あるいはこれは、ぼくの自衛作用としての逃避だったかもわからない。現実に直面して恐慌状態になるのを無意識に回避しようとして、そうなったのかも知れない。
居住区へ戻るぼくたちは、ほとんど喋らなかった。軽口をきこうとする者もないわけではなかったが、間合いよく巧い返事をする人間がいなかったのだ。そうするためにはよほどの自己励起が必要で、そこ迄エネルギーをついやす気分が出なかったのだろう。これは口火を切ろうとした当人も本質的には同様なので……元の沈黙と靴音だけに還ってしまうのだった。
たいていの場合なら、こうはならない。誰かが茶化したり毒づいたりするのがつねなのだ。なのにそんな調子だったというのは、事態の重さがぼくをも含めて、全員にのしかかっているのを示していた。
だから、足を動かしながらぼくは考えつづけるほかはなく、それも今の、非当事者的感覚での想念追いに逃げ込んだのだ。
つまり、例によっての情勢分析というあれである。
中隊長の説明では、ウス帝国軍は、攻撃にしては異例のゆるやかな速度で、全体が一戦団となってネプトーダ連邦をめざしている、とのことであった。そして同時に、ボートリュート共和国経由で、ネプトーダ連邦に無条件降伏を呼びかけているともいう。さらには、無条件降伏しない場合(ネイト=ダンコールを占領し、ネイト=ダンコールを足場にして、連邦の全ネイトを攻撃・撃滅すると宣言しているらしい。
と、すると、ウス帝国軍の進撃は進撃(本当は侵攻といわなければならないのだろう)として、これ迄ネプトーダ連邦の各軍団が戦火を交えていたボートリュート共和国軍は、どうなったのだ? ウス帝国軍と同一行動をとっているのか? 別に、連邦各ネイトへ攻め込もうとしているのか? それともたたかうのをやめたのか?
わからない。
もっとも、ウス帝国軍が出てくればもうボートリュート共和国軍どころではないともいえる。ネプトーダ連邦としてはとにもかくにもウス帝国軍相手に全力を傾けるしかないのだ。その間にボートリュートの軍勢が各ネイトに襲いかかったとしても、そっちへ手を廻している余裕などないはずであった。とすると連邦の軍団不在の各ネイトは、ボートリュートの侵略のままになるわけか? いや、各ネイトにはそれぞれネイト常備軍というものがあるのだから、抵抗はするだろう。だがネイト常備軍の力でどこ迄防ぎ切れるか……むつかしいところだ。
まあこれは、ボートリュート軍が各ネイトに攻め込んだとしての状況であり、実際にそうなるのかどうか、ぼくには何もいえないのであるが……。
ボートリュートはボートリュートとして……ぼくはウス帝国軍へと、考えを転じた。
ウス帝国軍は、なぜそんな、一団となってゆっくり進んでくるというやり方をとったのだ?
これが、味方の情報収集が必ずしも正確ではないために動きのすべてを把握していない、ということは、あり得ないとはいえないけれども、ま、そこ迄疑っていては、きりがない。
事実そうなのだとしよう。
それに、ウス帝国軍が、今後、陣形や速度や針路を変更する可能性だって充分にあるが、これもひとまず措いて、当面そうなっている理由を考えてみるとしよう。
そんな進撃をしているのは、自信によるものなのか? ウス帝国としては、自軍に対抗できる勢力など存在するはずがないから、何のてらいもなく堂々と、目標に向かって直進しているというわけなのか? それも、無条件降伏を呼びかけつつ、異例の(とはいっても、これはカイヤツ軍団から見てそう表現されたに過ぎない。ウス帝国の軍の動きは、これ迄のボートリュート軍とネプトーダ軍の戦闘の型や原理と閲係なく行なわれているとしても、不思議ではないのだ)ゆっくりした速度で、である、
そこでぼくはふと、この呼びかけに対してネプトーダ連邦側はどう反応しているのだろう、と、思った。ネプトーダ連邦の軍が、ではない。政治レベルの話としてだ。
連邦総府では、降伏しようとの論が持ちあがったりしているのだろうか? そのことで総府内部での暗闘やかけひきが生じているのだろうか?
連邦総府も総府だが……各ネイトの中には動揺しているところもあるのではないか? 先を越して早く降伏することで、自ネイトが蹂躪《じゅうりん》されるのを免れ、その後にも優遇して貰おうとの思惑で、ウス帝国側へその意志を通じようとするネイトが出てくるのではあるまいか? いや、もう出ているかも知れない。
そういえば、これはもっと個人的な直接的な問題だが、こんな状況になり決戦を控えた現在、ネプトーダ連邦の軍団の中には、脱走する者が続出していることだって、あっておかしくない。宇宙空間を行く艦船からの脱走が困難だとしても……それどころか、艦船もろとも、あるいは隊単位での逃亡だって、おこるのではないか?
だが。
それら、ウス帝国への屈伏や抜け駈け的通敵行為や、裏切りがあったとしても……ぼくたちにそれが告げられることは、まずないだろう。厳に秘密とされて、何ひとつぼくたちには知らされないであろう。それが当然のやり方というものだ。
ともあれ、こんなことは考えないほうがいい。
ウス帝国軍の動きだ。
もしも他領に攻め入るとなれば、ぼくなどには、次々と敵の出城を抜いて本城を孤立させ、最終的に本城を総攻撃する――というのが一般的なやり方のように思える。
なのに、今いったような動きかたをしているというのは……やはり、不敗の自信がそうさせているのだろうか? それだけ、ネプトーダ連邦の戦力が軽く見られているのであろうか?
多分、それもあるのだろう。
だが、それだけでもなさそうな気がする。
ぼくは考えついたのだが、ひょっとしたらこれには、ウス帝国的発想ともいうべき事情が介在しているのではあるまいか。つまり、ウス帝国自体が強力に統一された中央集権体制であるために、他の勢力に対しても、中枢部さえ制すればあとは支配できる、との感覚を持っているのかも知れないのだ。ネプトーダ連邦についても、中心勢力であるネイト=ダンコールを圧伏し手中にすれば、枝葉である残余のネイトはみななびくと、そう観測しているのではないだろうか。
であるとしたら、これはウス帝国の見込み違いだといわなければならない。ネプトーダ連邦は十四のネイトがそれぞれの特徴と主権を保ちつつ結束している連合勢力なのだ。ネイト=ダンコールが占領されたからといって、連邦全体が崩壊するようなものではない。
しかし……待てよ。
本当にそうだろうか?
ネプトーダ連邦が連合した勢力なのは事実だが……そして理念としてもその通りなのはたしかだが……はたして、そう断言してもいいのだろうか?
ネイト=ダンコールがかりに機能を失っても、ネプトーダ連邦は連邦としての体裁を維持しつづけるであろう。だが、それはネイト=ダンコールにほぼ準じる技術力や生産力を有するネイト=ダンランとか、その次のネイト=バトワの力があってのことだ。ネプトーダ連邦の各ネイトがそれぞれの特徴を有しているというのは、それだけ固有の伝統的部分を残しているためだけれども、裏を返せばこれは、先端的な進んだ科学技術を、より進んだ社会と生産機構を持つ先進ネイトにおんぶしていることにほかならない。ネイト=カイヤツを例にとっても、そこでは現代的文明と剣技・家々による統治という古い部分が併存しているものの、現代的文明なる代物は、全部か、でなくても根幹のところが、借りものであり移入されたものなのである。
その先進ネイトを失えば、ネプトーダ連邦は、当座はともかく、年月を経るうちに遅れて行くだろう。ネイト=ダンコールの欠けたネプトーダ連邦というだけでも、それは防ぎ止めようがない。かりに、ネイト=ダンコールにつづいて、ネイト=ダンランやネイト=バトワも喪失したりすれば、急速に後進勢力と化して行くのは必至である。
その意味では、ウス帝国がまずネイト=ダンコールを押えようとしたことは、決して間違いとはいえないのだ。ネイト=ダンコールを制せられたネプトーダ連邦は、すぐにではないにしても、いずれ立ち枯れになるのである。
ウス帝国はそれを見極めたから、今度のような進撃のかたちをとったのだろうか?
また、ネプトーダ連邦の構成員たちがそのことを悟る余裕を与えるために、かくもゆるやかな速度で接近しつつあるのだろうか?
それでもなおかつネプトーダ連邦が抵抗するというならば……ウス帝国軍がそんな進撃をする以上、ネプトーダ連邦側も迎撃の――決戦の様相に至るのはほぼたしかだと考えた上で、その決戦においてネプトーダ軍を粉砕し、一挙に決着をつけるつもりなのであろうか?
…………。
もちろん、これらすべては、ぼくの単なる想像であり臆測であるに過ぎない。また、こんなことにいかに思いをめぐらせても、何の役にも立たないのだ。それを承知の上で、ぼくは以上のようなことを、考えていたのである。とすれば、どうあってもこれは、逃避としての想念追いの域を出ないであろう。
もう、居住区の前であった。
ぼくはみんなと共に、居住区に入った。
中隊長の説明のあったその直後から、ぼくたちは忙しくなった。
武器の点検・手入れ、制装着脱、睡眠を中断されての点呼、と、休む間もろくにない訓練がはじまったのだ。
それらはあたかも、ぼくたちを考え込ませないようにと組み上げられたかのようなスケジュールであった。実際に、そうだったのに違いない。変に時間を持て余したりしたらぼくたちは、やがて迎えるはずの戦闘に心が向いて、気持ちが沈み、恐れ、おびえていたかも知れない。日常のそうした目まぐるしい訓練で身体を動かしていると、考え込んでいるゆとりはないのだ。ぼくたちのほうもまた、考えないために訓練に精を出しているところがあった。ともすれば起きあがろうとするおのれの生死や決戦の帰趨《きすう》への不安を、忙しさによって抑えつけていたのだ。
それらの訓練は、はじめの二、三日、居住区内を主とした分隊単位のものであった。分隊長のガリン・ガーバンはしかし、決して段取りを崩さず、機械のように落ち着いて、ぼくたちを督励したのだ。そう……機械のようにである。むろん例によってときどきどなりつけたりもしたが、そのどなり方も陽性で、ぼくたちがつい笑ってしまうようなやり方であった。おかげでぼくたちは、顔色も変えず一定のしかも可能な限りの高速で身を処するのに、いよいよ習熟して行ったのだ。
やがてこの訓練は、小隊あるいは中隊、ときには大隊や部隊単位のものと変った。日数から推察するに、これは戦況説明が全隊員に徹底するのを待ってからそうなったのではあるまいか。今や訓練はしばしば全艦規模のものとなり、従来はなかった、あるいは滅多に行なわれなかったような事柄が、たびたび繰り返されるようになってきた。重制装を着用しての無重量状態での行動練習などもそのひとつである。ぼくたちは艦内の天井の高い無重力室で分隊ごと、でなければ小隊ごとに浮きあがり、互いに適正間隔を保持しつつ、命令一下集団行動をすることに、急速に慣れて行った。艦外戦闘の可能性も充分にあるのだから、自分の身を守るためにも本気でやる必要があったのだ。
こうした、緊迫を内包した長いようで短く、短いようで長い時間の経過の中で、ぼくたちが戦争についての会話を全くしなかったとはいわない。そういうことは禁じられていたにせよ、何も口にせずに内圧を高めるのには、やはり耐えられなかったのである。戦況はどうなっているんだろう、とか、決戦迄あと何日位だろう、といった話を、ぼくたちは分隊の仲間とした。が……どうしても長い話にはならなかったのだ。禁じられているからというよりは、それ以上話を発展させる材料もなく、また、なまじそんな会話をつづけていると、自分も相手も気が重くなることを本能的に悟っていたからである。
戦争そのものについての話はそうだったとはいえ、らちもない雑談は、何かのはずみによく行なわれた。みんな、中隊長の戦況説明があったときから見ると、少しずつ、いつものペースを取り戻そうとしていたようである。ペランソが飲みたいなとか、こんなことをやっていちゃ骨と肉がばらばらになっちまうぜとか、ああまた浮遊分列式か――とかいった調子だった。しかしながら、それらがとりとめもなく、えんえんとつづくということはなかった。数語、でなければ十数語のやりとりでおしまいになる場合がほとんどだったのだ。それ以上の話の接ぎ穂がない上に、すぐに次の訓練か、睡魔が待ち受けていたからである。
こうした日々のうちに、ぼくたちは、とにかくやるしかない――との気持ちを固めて行ったようである。別のいい方をすれば、この日常に連続して決戦があるので、今もやがて到来するものも同質であり、一刻一刻をしのいでゆくしかないとの感じに包まれつつあったのだ。恐怖はちゃんとした姿を現わさなかった。忙しさのうちに、そして今述べたような気分のうちに、ぼくたちはしびれたような感覚に陥っていたのであろう。そして、精神のほうはそうしたしびれの中にありながら、身体としての反射神経はいよいよ鋭く、行動はますます迅速になって行った。
ここで突然、不思議なことがおこった。
乗艦後何日めのことだったろうか……ぼくたちは一斉に昇進をいい渡ざれたのである。きちんというならば、エクレーダに乗り組んでいる兵員の、すべての下士官・兵が、一階級の昇進を告げられたのだ。準個兵は主個兵に、主個兵は個兵長に、という具合にである。個兵長は幹士見習になったし、幹士長は率軍候補生に任じられた。
そんなことになれば混乱するではないか、とおっしゃる方のために、もう少し説明しておいたほうがいいだろう。
最上級の兵である個兵長が幹士見習に、最上級の下士官である幹士長が率軍候補生になったりしたら、上下の関係がややこしくなるのではないか、命令系統はどうなるのだ、編制はどうなるのだ――との疑問は、もっともである。
順番にいおう。
古手の個兵長が幹士見習に、また古参の幹士長が率軍候補生になったとしても、軍というものは先任後任の序列があって、同階級である限りどちらが先に任じられたかによって上下の関係は定まるのだ。だからこの点、何の問題も生じないのである。
命令系統はどうなるのかとの疑念を持たれた方は、注意深い人だといわなければならない。ぼくは以前に、幹士見習は下士官としての訓練を受けている者であり、率軍候補生はこれまた幹士見習と同様率軍になるための訓練を受けている者で、共に命令系統の外に置かれる――と、いったのだ(ただし率軍候補生の場合は幹士見習とことなり、訓練を終了して勤務してもまだ率軍候補生のままであることが多い。将校としての適性の有無が重要だからである。それに本当は幹士長だが特別任用によって率軍候補生の階級にある、あのゲスノッチのような特任率軍候補生があることも、前に述べた)。とすると、ぼくたちの分隊長のガリン・ガーバンは主幹士だからいいものの、幹士長たる分隊長が命令系統の外に置かれてしまったらどうなるのだ、と考えて当然である。
答をいおう。
かれらは命令系統の外に置かれず、これ迄通りの職責を果たすべし、と、されたのだ。ついでに補足するならば、今迄命令系統外にあった幹士見習たちは、準幹士に任じられたにもかかわらず、依然として命令系統外の存在とされた。準幹士としては奇妙なことだが、そうだったのである。
従って、編制にも何ら変化はなかった。
みな、元のままなのである。
ここ迄いってくれば、実際にはどういうことだったのか、ご理解頂けるのではあるまいか。
そうなのだ。
将校は別として、エクレーダに乗っていた下士官・兵の全員が、立場は従来通りながら、階級がひとつずつあがったという――それだけの話なのである。
将校がなぜそうならなかったのか、ぼくは知らない。思うに下士官・兵の階級決定や昇降任は所属部隊長……実情を把握し部隊長に申請するのは中隊長にあるのに対し、将校の階級決定は、もっとずっと上のほうでなされるから……将校たちにはそんな措置が行なわれなかったということかもわからない。
また、これがエクレーダ以外の艦船でもなされたのかどうかについても、ぼくには何ともいえない。今述べた通り下士官・兵の任用は部隊長の権限なのだから、ハイデン部隊の部隊長ジョカール・ハイデンによってこれが行なわれたのかも知れないからだ。ハイデン部隊に属さないエクレーダの要員たちについては、これは艦長がおり、艦長も参軍長だから同様の権限を有しているので……同断としていいのではないか。いずれにせよ、これがエクレーダだけでなされたことだとの可能性も、ないわけではないのだ。これは蛇足だけれども……ハイデン部隊長なりエクレーダの艦長なりが、下士官・兵の任用についての枠のようなものを与えられていたのか否か、ぼくには見当がつかない。全下士官・兵を同時に昇進させるなんて、やはり非常の措置のはずだが……どういう手続きで、どういう責任関係でなされたのか……ぼくには、雲の上のお話である。
ま、将校のことはさておいて……。
要するにこれは、実質的にはこれ迄と何の変りもない一律格上げに過ぎない。
この昇進は全く予告なしに申し渡され、しかもその理由について説明らしい説明はなかった。ふだんならキリー小隊長がこれを機に一場の訓示を垂れ、お前たちは勇み立って全力を尽せとか何とかいいそうなものだが、それさえなかったのである。
だからむしろぼくには、良くわかる気がするのだ。
この措置が、決戦を前にしてみんなの覚悟を促すものだったのは、まず間違いがないであろう。全員が戦死してもおかしくない事態を控えて、せめてもの慰めを与えようとしたのではあるまいか。だがそれをわざとらしく恩に着せたりすれば、かえって下士官・兵の反感を買いかねないから、あえて理由はいわぬようにとの達しが出て……キリー小隊長もその指示を守ったというわけではなかろうか。
それ以外には、考えられない。
そして何もいわれなくても、ぼくや他の連中はそのことを感じ取っていたのだ。
とはいうものの、階級がすべてに優先する軍隊にあっては、実質的には従来と同様であろうと、昇進は昇進である。悪い気分ではなかった。
「これで死ぬというわけだろうが……おれたちが一番下っ端なことは、変りないぜ」
太赤筋一本と細赤筋の、あたらしい主個兵のしるしを上衣の二の腕に縫いつけながら、ペストー・ヘイチなどはぶつぶついったが、表情はまんざらでもなさそうだった。
個兵長から幹士見習に昇進したコリク・マイスンとなると、赤色に代る銀色の階級章をつけた腕をそびやかして、威張ってみせたものである。
「どうだ。おれはこれで幹士様のはしくれだぞ。これでちゃんと準幹士になり主幹士になれば分隊長殿だ」
「しかし個兵長ではない幹士見習、本物の下士官になるためには、きびしい訓練を通り抜けなければならないのではないですか?」
ケイニボがいやに真面目な顔でまぜ返した。「そんな訓練を経ずに分隊長になられたりしたら、部下たちはあまり信用しないのではないですか?」
「この野郎!」
コリク・マイスンが突き飛ばそうとし、ケイニボはうまく逃げた。
と……こんな場面を紹介しただけでも、ぼくたちが昇進したといい条、これ迄と何も変化していないのは、おわかり頂けるのではないだろうか。ぼくにしたって、ペストー・ヘイチやアベ・デルボと同じく細い赤筋が一本増えただけで、隊内の立場なり気の持ち方は元のままだったのだ。
だが。
ぼくたちの覚悟を促すための一種の非常措置だったとしても、ぼくはこの一件に、たしかに効用があったと断言するのにやぶさかではない。
なぜなら、これによってぼくたちは、いっときではあるにしても、楽になったからだ。昇進というものにはそれだけのはなやぎがある、と同時に、昇進に伴うこうした騒ぎは、訓練に追いまくられ気をはりつめていたぼくたちの息抜きになった。もしもこんな中入り≠ェなく訓練がつづいていたなら、ぼくたちの緊張はいよいよ高まり、へたをするとその糸がぷつんと切れていたかも知れないのである。しかしおかげでぼくたちは、ほんのしばらくおのれを取り戻し、再び到来した訓練の連続に立ち向かう結果になった。しかも、相変らず不安や恐怖がたえず頭をもたげようとしているのは否定し得ないにせよ、それとは別に気持ちの高揚ともいうべきものが生れはじめていたのは、たしかである。
隊の上層部は、この効果も計算に入れていたのだろうか?
艦は、決戦場に想定されている宙域に近づきつつあった。
軍団の合流・集結も進行しているという。が……ぼくたちがそれを直接見ることはかなわなかった。
二度めの、さりながらこれが最後になるであろうと前置きされての説明も行なわれた。
カイヤツ軍団は、他の連邦軍団群と共に、ネイト=ダンコールの中心世界であるダンコールへの道をさえぎる格好で、ダンコールを第二惑星とするダンク太陽系の外辺部、第九惑星の軌道あたりでウス帝国軍を待ち受けるという。とはいえ、話によれば、現在ダンク太陽系の第九惑星も第八惑星も太陽の反対側の位置にあるから、戦闘はもっぱら宙域で行なわれるであろう、とのことであった。
説明によれば、ネプトーダ連邦軍は宙域に展開し、突き進んでくるウス帝国軍と正面から何軍団かがぶつかる一方、包み込むかたちでその他の軍団が攻撃することになっているという。ウス帝国軍の規模をぼくらは教えられなかったけれども、ネプトーダ連邦は十四のネイト軍団と五つの連邦直轄軍団の、計十九の軍団を、すべてこの決戦につぎ込むのだそうであった。
つまりは、これは会戦にほかならない。
ぼくの乏しい知識によれば、会戦とは、両軍が共に進んで展開し、くりひろげる大部隊による戦闘のはずである。この場合、ネプトーダ連邦軍は迎撃のかたちをとるものの、敵が接近すればこちらからも突進して戦火を交え、あわよくば敵を破ってその力をばらばらにし追撃するわけだろうから……厳密な意味では会戦とは呼べないかも知れないが、やはり会戦の一種と見倣《みな》してもいいのではないだろうか? そして、ぼくがかじったところでは、会戦は結局、質と量において優るほうが勝つのが普通だというが……。
いや、そんな悲観的な考えはしないほうがいい。ぼくの軍事知識なんて、ないも同然なのだ。そんな頼りないものをもとに予断を下してはならない。とにかく……やるしかないのである。
ところで……全体の作戦がそうだとして、われわれ地上戦隊は、では、何をしたらいいというのか。
説明では、それは現段階ではまだわからないらしい。艦外へ出て何かの任務を果たすのか、それとも戦闘の推移|如何《いかん》ではどこかの惑星に降り立ってたたかうことになるのか……ともかく命令を待つだけなのだそうだ。
そして、わがカイヤツ軍団は(これは匂わされただけだが)ウス帝国軍と正面衝突をするのではなく側面攻撃のほうを受け持つらしいし、われわれ地上戦隊は(これまた、匂わされただけだが)そんなわけで敵攻撃の最前線というのではなく、事態の急変に応じられるようそのうしろで待機し、いざとなれば本格的戦闘艦ではなく地上戦隊専用艦でもそれはそれなりに死力を尽してたたかうことになるらしい。
なら、ともかく、真っ先にやられるという立場ではないようだ。が……こんな決戦であるからには、ネプトーダ連邦軍全体が同一の運命下にあり、やられるとしたらいずれこっちにも順番がめぐってくるわけで、そこに僅かな遅速があるに過ぎないだろう。だからこれは、それほどよろこぶべき事柄とは思えなかった。
説明のあと、忙しかったあの訓練はもう行なわれなかった。
臨戦態勢に入ったのである。
ぼくたちは自分らの居住区で重制装を着用したままの待機を命じられた。もちろん艦内のことだから制装は一応開放状態にしてあるが……重制装を脱ぐのは最低必要なときだけになった。食事をするとか用を足すとか……それも、いちいち許可を得てからでなければならない。
艦内の空気は、重いながらもぴんと張ったものになり、時間がいやにのろのろと過ぎて行くようになった。
その頃から絶え間なく艦内放送の声が流れはじめた。
やがて。
艦が迎撃のための発進に入ったことを、ぼくたちは告げられた。
刻々と時間が経過してゆく。
重制装に身を包んだぼくたちは、待機の姿勢をとったままで、時折、短い会話をしたりした。それも、沈黙と重圧に耐え切れなくなったために、誰かがふとつまらぬことを洩らし、別の者が受けるという調子で……内容はろくに会話になっていなかったのである。
一時間が二時間になり、二時間が四時間になった。
その時分には、みんな、必要なこと以外は口にしなくなっていた。ときたま誰かが用便に行きたい旨を告げ、ガリン・ガーバンが一言、急げ、というだけである。ああ……もちろんぼくたちの重制装は、いよいよとなったときには、そうした生理的欲求を満たすための最低の装置は備えている。だが、艦内にいるからには、その機能を無用に使ってはならないのだった。それはあくまでも、いよいよの場合だけのことで、へたに使えばあとで始末しなければならない。その手間が惜しいし、危険でもあるのだった。
ぼくは何をいっているのだろう?
こんなさいに用便のことなどつらねたりして……。
それだけ、神経過敏になっていたというべきか。
あるいは、とんでもない事柄に、妙に関心が向いていたのか。
時間はじわじわと過ぎ去って行った。それでもその時間も居住区内の雰囲気も、どうしても元のものには戻らなかった。照明のせいもあるのだろうが……ただ白っぽい、無感覚で、何かがどこかへ行ってしまったような意識がつづいていた。それでいて、いったん命令が出ると即座に反応する待機の感覚はずっと持続していたのだから……かすかな汗が自分の肌ににじみあがってくるのを、妙に現実的に感じ取っていたのである。
そう。
気がつくと、あれほど絶え間なく流れていた艦内放送が、ここ数分間か、いや、この一時間か数時間か……ずっと沈黙したままのようである。
錯覚かも知れない。
艦内放送のスピーカーは、ほんの数秒間だけやんでいたのかも知れない。
――という、時間の陥穽《かんせい》に落ちたのを自覚したのは、あれは、艦が迎撃のために発進してからどの位経ったときだろう。
次の瞬間だった。
落ち着いた、むしろ落ち着き過ぎた声が、ゆっくりと流れたのだ。
「全乗員に告ぐ。わがカイヤツ軍団の先鋒《せんぽう》陣は、敵と交戦状態に入った」
「…………」
みんな、無言だった。
放送は、繰り返されなかった。交戦状態に入ったのを知らせたのは、その一回だけであった。
と。
ぼくは、ふっと身が軽くなったのを覚えた。
ついで、床へ押しつけられる感じ。
間もなく、鈍い音と衝撃が、重制装を通じて伝わってきた。
再び、だが今度はこまかい重力の数度の揺れ。
「本艦は、敵の攻撃を受け、応戦しつつあり」
声が、ぼくの耳に入った。
またもや、ずうんというような、重い衝撃。
「地上戦隊員に告ぐ」
声だ。「全員、重制装を密閉にせよ。密閉して、指揮官の命令を待て」
ぼくたちは、制装を反射的に密閉状態にした。考えなくても手が動いたのだ。
そうなると、もうスピーカーによる艦内放送は聞えない。他の人々にどんな指示が出ているのかもわからなかった。あとは交話装置に頼るだけだ。
ぐい、と、ぼくは、身体が床ごと持ちあげられるのを感じた。つづいて重力が消失し、浮きあがったと思うと、ゆっくりと床に降りた。どうやら復元したらしい。
「第二中隊は居住区を出て気閘に向かえ」
声がヘルメットの中で鳴った。「全員、艦外に出る。各自武器を携行し、居住区を出て気閘に向かえ」
と。
ぼくの身体は、横に飛んでいた。艦がはげしく動揺したのだ。ぼくはみんなとぶつかりながら、一方の壁に叩きつけられていた。
衝撃で一瞬息がつまったが、重制装もろとも壁をこすって床へ落ちる迄に、ぼくはおのれを取り戻した。
床に着くと同時に立ちあがり、他の隊員たちとあちこちぶつかりながら、命じられた通り居住区を出て気閘に向かう。
速歩である。
その速歩も訓練の賜物《たまもの》で数秒のうちに全員の足並みがそろい、隊列として進んでいたのだ。
進みつつ、ぼくは何度かバランスを失いかけたり、めまいを覚えたりした。そして、事実はそうではなく、艦の重力が変動し床自体が揺れているのを、重制装の中に密閉されているためにそんな感じ方をするのだとも悟っていた。
気閘へ来たときには、もっと近い居住区にいたに違いない重制装たちが、何隊もひしめいていたのだ。
順番を待つしかなかった。
その間にも、艦が震動しているのがわかる。
このとき、ぼくの思考は空白だったのだろうか。
そうかも知れない。ぼくは何も考えていなかったのだ。
いや。
そうでなかったのかも知れない。一刻も早く艦外に出なければ、艦と共にやられてしまうのではないか――との念が、灼熱した棒になっていたようである。
それでいて……艦外に出れば頼れるのは制装だけで、かえって危険なのではあるまいかという意識も、ちらちらしていたような気がする。
灼《や》けた空白、だろうか。
ただ、それ以上に、どんな状態で何がおころうと仕方がない、との、ずっとつづいている感覚、いやでも身につけなければならなかった感覚が、ぼくが突拍子もない行動に出るのを抑制していた。
「第二中隊、気閘を出たら即時散開せよ。散開しつつ次の命令を待て!」
ヘルメットをひびかせたのは、中隊長の声であった。
ぼくたちの隊の番が来た。
無言で、数入ずつ気閘に入ってゆく。
ぼくは妙に冷静に、あの何人かの次はそっちの一群、それから――と、自分が何回めになりそうか計算していた。冷静というより、気持ちがうわずっていただけかもわからない。そんなことをしてもどうせ順番は来るのだし、何の役にも立たないのだ。他のことを考えまいとして、本能的にそんな真似をしていたのだろうか?
気閘に入った。
気閘を出た。
無重量状態の闇の中へ漂い出たのだ。
ぼくはすぐに制装の推進装置のスイッチを入れ、暗黒の虚空を突き進んで行った。
そのときは、まだ何も見えなかったのである。
ただの黒い空間しか、ぼくは感知していなかったのだ。
つい今しがた迄艦内の照明下にあったせいもある。比較的暗い気閘内でさえも、外の宇宙空間よりはずっとあかるかったから、といえる。
だがそうなったのはそれよりも、ぼくの心理のなせるわざだと解すべきであろう。
ぼくは、とにもかくにも散開――艦を離れ、みんなとの距離を開いてゆくことに専念していたのだ。そういえば闇の中、背後からの開放された気閘の光に、ぼく以外のいくつも重制装がぼうと浮かびあがっていたけれど、たちまちにしてお互いの間隔が大きくなり気閘の外門が閉じるや否や、それだって消えてしまったのだ。
ぼくはひとりで進んでいた。
初めて単独で宇宙空間へ出たからには、それ相応の感慨があっただろう、と、いう人がいるかも知れないが、当座の、艦から離れてゆく間はとてもそんな余裕はなかった。緊迫感がぼくを捉えていたのだ。しかもこれは変な話だけれども、その緊迫感のうちに既知の馴れたことをしているとの感じもあったのである。これでもかこれでもかと訓練され実際になじんだ重制装の中におり、しかも何回ものシミュレーションの記憶も加わっていたからであろう。
が。
しばらくの――十五秒か二十秒のうちに、ぼくは忍び込んでくる不安と共に駆動装置のスイッチを切り、減速にかかった。
離れ過ぎることへの不安だ。
この艦外離脱が、キコンの陣地からのあの離脱散開ど同じ理由でなされたものだ、と、ぼくは解釈していた。陣地もろともぼくたちがやられるのを防ぐために外へ行かされたあれと一緒で、艦が爆破されてもなるべく多くの戦闘要員を残そうということに違いないのだ。それは他にも作戦があってぼくたちがその任務に就かされるのかもわからないが、すくなくとも当面の主要な理由は、そういうことのはずである。もちろん、そこで陣地なり艦なりが完全に破壊されてしまえば、あと、どこかから救援の手が差し伸べられない限り、ぼくたちの生命は携行する酸素がなくなる迄の何時間か延びるだけに過ぎないが……そのあたり、命令を出すほうはどんなつもりなのか、ぼくには何ともいいようがない。そこに何か次の手が用意されている可能性を信じたいけれども、実際にそうした窮地に立ってみなければぼくたちにはどうなるのかわからないのだし、それを知るために窮地に立つことを望む神経は、ぼくにはなかった。
ともかく散開なのだ。
しかしその散開にも限度がある。やたらに艦から遠ざかっては、あと、引き返しても戻るだけのエネルギーがなくなってしまう。
それに、と、ぼくは速度をゆるめ、ほとんど浮遊状態になりながら、ふっと余計なことを考えた。
ぼくたちを外へ出した艦が、依然とじて航行をつづけているのなら……それも、慣性航行でなく加速しつつあるなら……。
艦から外へ出たぼくたちは、当然、艦と同じ惰性で宇宙空間を飛んでいる。艦とぼくたちの相対的な位置関係は、変らないはずだ。が、ぼくたちが推進装置をやたらに使って妙な方向へでも行けば、反転して帰艦するためにはエネルギーの大きなロスを覚悟しなければならない。
追いつけなくなったら、それ迄ではないか。まして、艦が加速をつづけていたら、重制装の推進装置ごときではもう取り返しがつかないほどの開きが生じてしまう。その開きは、一刻ごとに大きくなるのだ。ぼくたちの重制装には、直属指揮官、直属指揮官が欠けたときにはさらにその上の指揮官、最終的には艦自体からの集合指令に応じて自動的にそちらへ赴く機能があるが……推進装置の力及ばず、力尽きてしまったらどうしようもない。
エクレーダは、慣性航行をしているのだろうか?
それも微速であってくれればいい。
なろうことなら、静止状態であって欲しかった。エクレーダはたしかに迎撃のための発進をしたのだけれども、カイヤツ軍団の先鋒陣が交戦状態に入ったのちは、後方で待機しているのかも知れない。艦内の説明では(匂わされただけだが)そのはずであった。そうであってくれればいい。ぼくはエクレーダが静止していることを祈った。
いや……それは手前勝手な発想というものだ、と、ぼくはたちまち反省した。完全静止ではたやすく敵の餌食《えじき》になってしまう。捕捉されやすいからだ。防護シールドを張りめぐらしていても、それだけでは充分ではない。だから絶えず位置を変えているだろう。エクレーダ自体のためには、そうでなければならないのだ。
その程度の動きならいい。
その程度であってくれ。
――と、そこ迄来て、ぼくはだいぶ落ち着いたようだ。というより、なりゆきまかせの諦めと希望が平衡状態になったと形容すべきだろうか。
ぼくは、宇宙空間を眺めようとした。
やはり真っ暗の虚空。
そうではなかった。
星々が、目に映ったのだ。
ヘルメットの目の部分が透明化しているようで、一面に星々がひろがっている。
流星が視野をよぎった。
流星にしてはひどく長い光条だった。一本の光の細い棒が現出したと思うと、消えたのである。
あれは……?
と、頭の隅ではそのことをとどめつつ、ぼくは無意識のうちに身体を回転させ視野を移して、エクレーダの姿を目で探し求めた。
エクレーダは見えなかった。
二、三回、角度を変えて回転したが、それらしいものはない。
たしかに……艦自身が発光しているわけではないし、張りめぐらしているであろうシールドもまた攻撃に反応したときにしか光らないと聞いているから、それが当然だろう。
だが、母艦を見ることができないばかりか、おのれが母艦からどの位離れているのかさえわからないのは、いい気分ではない。ぼくは突然自分が宇宙空間にぽつんと浮いているのを実感した。
では太陽は? ダンコールを第二惑星とするこの星系の太陽ダンクは?
ぼくは星空を見廻したが、太陽と呼び得る光の玉などはなかった。そういえばここはダンク太陽系の外辺部、第九惑星の軌道の近くなのである。太陽は鋭さこそ有しているだろうが一個の光点としてしか認められないに違いない。光度の強い星はいくつかあり、中に目を射る感じのも見えたが、ぼくにはそれがダンクかどうか確信はなかった。
それに、それどころではなくなったのだ。
ぼくは、またもやさっきの光条と同様のものが、それも数本、視界に斜めに平行して並ぶのを認めた。
つづいて、今度は十数本。
その光条が流星であるわけがなかった。ぼくは日常感覚的に流星を連想したけれども、大気のないこんな宇宙空間に流星が光るはずがないのだ。ぼくは自分の馬鹿さ加減に怒るよりもむしろ呆れた。
ほんの一秒かそこら置いて、またもや――二十本はたしかにあった。
何であるかは、もう説明の要はないだろう。
それは、敵が射出した何かであった。レーザーなのか実体を伴うものなのかぼくには何とも断言できないものの、敵の攻撃なのであった。
さらに二、三十本。
どうやら、ぼくが艦を出たときには一息つくか一段落つくかして休止されていたのが、攻撃再開となったらしい。いや……ぼくが漂い出て推進をはじめたときにも、こんな状況だったのかも知れない。たまたまぼくが(自分では落ち着いたつもりで)ぼやっと星空を眺めていた間だけの、ごく短い休止だったのかもわからない。
つづいて、二十本か三十本か。
それは走るのではなかった。瞬時にして浮かびあがるのである。お互いの間隔はそれぞれことなるけれども平行して、現出するのだった。現出して消えるのだ。残像作用を考えると、持続時間はもっと少なかったのではあるまいか。
そのたびに位置と間隔を変えて出現する何十本の光条が、近いのか遠いのかも、ぼくには不明であった。太さや光の強さに差があるように見えるが、何せ瞬時のことなので見定めがたかったのだ。
その一本が、いつ、ぼくを刺し貫くかわからない。
命中すれば終りである。
だが……光条が何であれ、命中したら即座にぼくはばらばら……いや、一塊のガスに化してしまうだろう。そんなものだって残らないかも知れない。いずれにせよ、苦痛も何もないはずである。あっという間の話だ。
くよくよしても仕様がない。
それに、これだけの空間の中の光条がぼくに命中する確率は、きわめて低いのではあるまいか。あれらが何かを狙っているとしても、それは艦とかの大きなものであって、ひとりひとりの虚空に浮かぶ兵隊など、論外のはずだ。
そう考えると、どうにでもなれ、当たることはまずあるまいが、当たればそれ迄だと、変に居直った気分になった。もっとも、腹の中にはつめたいしこりがあって、どうしても消えなかったが……。
綺麗なものだ、と、ぼくは考えようとした。
星々と光条の群の明滅の中、ぼくはゆっくりと回転しつつ、周囲を見渡しはじめた。居直ったといっても、何もしないではいられず、何かするといっても、それ位のことしかなかったのだ。
エクレーダはどこだ?
見えぬ。
では他の艦は? エクレーダから一番近い艦はどの程度離れているのだ?
むろん、他の艦らしいものも見えはしなかった。
今度はぼくは、見えないのを承知で、他の隊員たちを捜してみた。あるいは案外近くに誰かがいるかも知れないと思ったのだ。
徒労であった。
光条の群が飽きることなく反覆して現出しているさなか、宇宙空間に漂いながらそんな真似をするなんて、どうかしている――という人がいるかもわからない。いくらいってくれても構わない。ぼくがそうしていたのを否定する気はない。
それを、どれだけの時間つづけていたのかも、何ともいいようがない。
が。
やがてぼくは、回転しながらの捜索に疲れ果てた。
しかし光条の群列の出現・消滅は依然として衰えない。それが何であるにせよ、おそるべき量(?)の攻撃であった。ぼくが回転しながらの捜索に疲れたというのも、しだいにそのことに圧倒されて行ったためもある。
ぼくは動きをやめた。
固定された視野の中、相変らず花火は綺麗であった。
味方の攻撃はどうなっているのだろう――と、ぼくは思った。
あれらのおびただしい光条の中には、わが軍のもまじっているのだろうか?
しかし、わが軍が敵のものと平行に、行き交うかたちで射出するものだろうか?
あの光条のすべてがわが軍のものであるとしたら……?
何のためにそんなことをする?
しかもそれでは、戦線後備にいるエクレーダよりもまだ後方から攻撃していることになるではないか。
ではやはりあれは、ウス帝国軍の攻撃なのだ。
味方は何をしているのだ?
それらしい光条がないではないか。
ひょっとしたらもっと前線から射出しているために、ぼくのこの位置からは見えないのかも知れない。そしてエクレーダなどの艦は本格的戦闘艦ではないために、まだ攻撃を控えているのだろうか?
それは、希望的観測というものであった。むしろ、ぼく自身が信じられないから、そう思い込もうとしているのであった。
浮遊である。
星々と光条の群の中での、何の抵抗もできない浮遊である。
それにしてもこの静寂はどうだ――と、ぼくは気がついた。ヘルメットには何の声も聞えない。ぼくは交話装置のスイッチを誤って切っているのではないか? 確認するとそうではなかった。交話装置は生きている。音量を上げると……雑音が入ってきた。交話ではない、別の、どこかから何かの理由で所定の周波数に合った突発的な電波らしいのが入り乱れているのであった。ぼくは交話装置の音量を元に戻した。
ぼくは、視野を固定させたといった。
視野がそうだったというのがはたして幸運だったのか不幸だったのか、ぼくには何もいえない。そんな見方などとはかかわりのないことだと解すべきかも知れない。
ぼくは視野のうちに、多くの光条にまじって一本が、途中で切れているのを見て取ったのだ。
その断点はもっと暗い光のかたまりを持ち……光条群がいっせいに消えたあと、その暗い光につらなって、もっと暗い光のかたまりが浮かんだのである。
光の輪廓は、宇宙艦であった。それも、たしかにエクレーダだった。
そして。
ぼくはそれ迄のヘルメット内の沈黙が、単なる無音ではなく、押し殺した沈黙だったのを悟ったのだ。
なぜなら、ぼうっと光るかたまりがエクレーダだとぼくが思ったそのとき、(ぼくは口を閉ざしたままだったが)あたかも自分自身が発したかのような声を、いくつも重なり合った声を聞いたのである。それは、うめき声であり、怒りであり、驚きの声であった。エクレーダだ! というのもあった。ぼくと交信可能の他の隊員たち何人かが、同時に叫んだのであった。
「あれは、エクレーダではないのですか!」
一拍遅れて、誰かの声がぼくのヘルメットを鳴らした。ぼくの知らない声であった。
「喋るな! 発信電波が敵を誘導するかも知れないんだぞ!」
別の声がひびいた。それも誰かは、ぼくにはわからなかった。
みなはいっせいに黙った。
もちろんその間にも、ぼくは暗く浮かびあがったエクレーダの大まかな形を凝視していた。寸秒のうちに、だがその光はぼうっと弱まり、消えて行ったのだ。
破壊されたのではない。
そのはずだ。
あれは、敵の攻撃が防護シールドに当たり、シールドが反応したのではないか? 輪廓もエクレーダそのものの明確さはなく、鈍い感じだった。
なら、力を落とすことはない。
だが、ぼくはおのれのその判断を、口に出していいはしなかった。私語禁止だからというそれだけではなく、今の誰かの言葉によって、発信した電波が自分の死を呼ぶかも知れない可能性を、急に現実のものとして意識したからである。
エクレーダの姿が見えなくなってからも、光条の大群は繰り返し現われた。
さっきエクレーダの形が浮かびあがったところよりも少し上で、またもや欠けた光条が目に映った。
直後、何もなかったようであった。たとえ暗く光のかたまりが生じたにせよ、それはエクレーダより遥かに遠いので見ることができなかったのであろう。
だが。
つづいてそこに、ぎらりと光点が現われ、白色とオレンジ色を交錯させつつ、膨張すると全体が淡くなり、闇に還元したのだった。
やられたのだ。
何という艦か不明だけれども、シールドの弱い部分を射抜かれたのか、別の理由によってか、爆砕されたのである。
ぼくは無言で……ヘルメットの中も静かであった。
それからまたひとしきり、何回かの光条群の出現・消滅があり……不意に、終ってしまったのだ。
待っても、もう何もなかった。
星々だけである。
光条が出なくなると、虚空は前にもまして深く暗くなった。
何分か経ったが、まだ何の指令も出ない。
ぼくは浮遊しつづけるしかなかった。
何もせずにである。
何もせずにとは、ぼくにとって想念を追うことにほかならなかった。
敵の攻撃は終ったのか? それとも今は一段落なのか?
エクレーダは損害を受けたのか?
他の艦はどうなったのだ? ぼくが目にしたような爆砕に至った艦がたくさんあるのか?
たたかいは、どうなっているのだ?
ウス帝国軍とは、まだ交戦しているのか? 何らかの結果が出たのか? 出たとすれば勝敗は……?
そうなのだ。
こうした事柄を、誰とでもいい、気軽に喋り合えばどんなに楽であったろう。喋っている間だけでも、ひとり深刻に考えなくて済むのだ。
けれども、私語は許されていなかった。
敵の攻撃がいつまたはじまるかわからないし、何の命令も出ないので、そのまま考えつづけるしかなかった。
勝敗の帰趨《きすう》はひとまずおくとしよう、と、ぼくは思った。あらゆる条件を考慮し、常識的に推測すれば、ネプトーダ連邦軍が敗れるとしか答は出ないのだ。ぼくはその答を直視したくなかったのである。
では、何を考える?
何も考えるようなことは、ないではないか。
しかしながら、無念無想というような高級なことは、ぼくにはできなかった。できないままに、ぼくは視線を暗い宙に向け目の焦点をぼかして、湧きあがってくるものを待つことにした。ぼくたちの生死や運命や戦闘の結果といった事柄だけは、浮かんできかけても押し沈めて……その他のことなら何でもいいという気になっていたのである。
なぜか、脳裏には父母の顔が現われてきた。ぼくが幼なかった頃の、平穏な日々の記憶がそれにつらなった。
ああいう時代がぼくにもあったのだ。それが不思議で夢のように思えるのである。
それはある意味では平凡な、大した起伏のない日々であった。もちろん子供のことゆえぼくは、子供なりに雑多で波乱に満ちた生活を送っていたけれども、今となればこまかい光輝に彩られた幸福な毎日だったのではないか――と感じる。時日を経過したために醇化《じゅんか》され美化されているのもたしかだろうが……そう思えてならないのだ。
しかしその記憶は、すぐにぼくの読心能力発見の日につながり……予備技術学校での屈辱につながった。
ぼくは記憶を飛ばした。
飛ばしてよみがえってきたのは、父母の交通事故死である。百キロ以上離れた場所にいながら感じ取った父母の痛みと驚きである。
やめよう。
よみがえらせて何になる?
次は――ファイター訓練専門学校であった。ファイター訓練専門学校のクラスメートたちのことが生き返ってきた。中でもイサス・オーノのあの顔。
イサス・オーノはどうしているのだろう。こういう時期……ネイト=カイヤツはおろかネプトーダ連邦が潰滅しようとしている時期に……。
待て。
それは考えないはずだった。
ぼくはさらに記憶のページをめくった。
エレン・エレスコブ。
パイナン隊長。
第八隊。
どうしているのだろう。
エレン・エレスコブがファイター訓練専門学校に来たあのときのことを、ぼくは想起した。サングラスつきの紗《しゃ》のべールをかぶって、何を気取っているのだろうと思ったが、エレスコブ家の令嬢だったとはな。
基礎研修でぼくはヤスバを知った。いい男だった。カイヤツ軍団に入ったというが、どこにいるのだろう。この決戦の一員として、この宙域のどこかで戦闘に加わっているのか? いまだ健在なのか? それとも――。
いかん。
また、たたかいのことになってしまう。
ヤスバといえば、モーリス・ウシェスタがいた。トリントス・トリントもいた。
トリントス・トリント。
やめろ。
渦巻く感情の中に、ぼくは例のエレスコブ家の仕打ちへの怒りが起きあがってくるのを感じ取り、注意深くわきへ押しのけた。
すると、ハボニエが残る。
ハボニエ・イルクサ。
ぼくにさまざまなことを教えてくれた兄貴分。
いい同僚でもあった。
随分学んだことがある。
そのハボニエは、死んだ。
殺されたのだ。
ネイト=ダンコールの首都でありネプトーダ連邦の首都でもあるネプトの宙港で……エレン・エレスコブとぼくたち護衛員を襲った連中に射殺されたのだ。
その中に兵士らしい……しかもカイヤツ軍団の兵士らしい連中がまじっていたのを……それを読心力で読み取ったのを、ぼくはまだはっきり覚えている。
エレンに反感を持つ、エレスコブ家に反感を抱く家々や人々の……その片割れがいたのだ。
そしてぼくは……。
ハボニエの葬儀に参列することも許されなかったな。
のみならずぼくは査問会に引き出され……。
…………。
やめろやめろ。
今更それを考えて何になる?
ともかくぼくは――と、ぼくは自分の心を操作しているのを自覚しつつ、カイヤツ軍団に入ってからのことを思った。
ガリン・ガーバンや、キリー小隊長や、隊の連中……。
ぼくは何とか分隊の一員となり切って、ここ迄やってきた。
そういえば、レイ・セキのこともある。
レイ・セキもぼくと同様不定期エスパーだった。
第三小隊にいる、多分ぼくたちのようにこの瞬間も虚空に漂っているであろうレイ・セキが、現在エスパーなのかどうか、ぼくは知らない。ぼく自身の読心力が消えているから、わからないのだ。
レイ・セキは、エスパー化すると他のエスパーに喧嘩をふっかける癖があったという。その気持ちは、同じ不定期エスパーとして、ぼくにも理解できないことはない気がする。そしてネイト=スパのゼイスールの店で宙戦隊の連中と乱闘したのを機に仲良くなったあと、彼は不定期エスパーの宿命と彼自身の考え方について、ぼくにテレパシーでいろいろいってくれたのだ。
不定期エスパーか。
思えば、それがぼくにとっての運命の岐路だったのだろう。非エスパーであれば、あるいは常時エスパーであれば、こんな道もたどらずごたごたの多くにも巻き込まれずに済んでいただろう。
ぼくは、不定期エスパーに生れついた。
それが不運だったのだろうか?
いや。
ぼくは超能力除去手術を、自分の意志で拒否した。
自分の責任でだ。
だから自分の運命を甘受する義務と権利がある。
たとえここで、でなくてもこのたたかいで間もなく、あまり永かったとはいえない一生を終るにしても、やむを得ないのだ。誰を恨むこともないのだ。妙に心を残すより、いさぎよく死んで行けばいい。
…………。
そこでぼくは苦笑していた。
ぼくは何をしているのだ?
これでは、おのれの生涯を振り返って……死ぬ前に思い出すべきことをみな思い出そうとしているみたいではないか。
が。
実はそうかも知れない。
いつ死ぬかわからぬ身であれば、それでもおかしくないのである。
それに、こんな状況での回顧めいた思考は、状況が状況だけに、これ迄のように執拗《しつよう》なものにはならなかった。自分が触れたくない事柄を避けていたせいもあって、どろどろしたものにはならなかったのだ。むしろ、どこか過去を清算して浄化されたような趣さえあった。
ぼくは、微笑していたと思う。
次の想念に入る前に、ぼくは一度周囲を見廻した。
相変らず虚空は暗く、無数の星がぼくを取り巻いているばかり。
ヘルメットを鳴らす声もない。
このまま、この状態で命令を待つしかないのだった。
と、見極めをつけようとしたのは、できるものならこのあと、もっと楽しいことを考えようとの魂胆からであった。先程、自分の心を操作していると述べたのは、その部分だけを除外して、別にゆっくり想念を追おうとのつもりがあったからである。
ぼくはじきに死ぬかも知れない。
だが、実のところ気持ちの半面では、そうはならないだろうとの、奇妙な、自信に似たものが存在するのだ。
それはぼくが前から再三いっている、あの感覚のせいであった。自分がこのまま、あるときは顕在化しあるときは潜在化するこの超能力を持ちつづければ、いつか、どういうことだかは判然としないけれども、あかるいものが到来するのではないかという――あれである。これがある限り、ぼくはまだまだ生きのびるのではないか、と、何の根拠もないのにそう信じているのだった。
そして、この感覚はつねにあのシェーラにつながるのだ。
なぜか?
多分ぼくは、シェーラに象徴されるいろいろな出来事や、そのときどきの希望を、いまだに胸に保ち、ゆえにシェーラというと、心和む気分になるのだろう。
それだけではない。
シェーラは、ことあるごとにぼくにいったのだ。このまま全力をつくしていればあなたには必ず未来がやってくると――表現はそのつど違ったにしても、同じ意味のことを告げたのだ。
まるで予言者のように、である。
あれは予言だろうか?
ぼくは、ぼくが何となく最初から抱いていた将来のあかるさへの寄りかかりともいうべきものが、何に由来しているのか知らない。勝手に自分でそう決めていたのかもわからないし、ぼく自身不定期とはいえまぎれもないエスパーなのだから、どこかに予知の要素が働いているということだって(都合の良い解釈であるが)考えられるのだ。
シェーラは、ぼくのそんな気分を増幅させた。自分自身の口から、あるいはあのミスナー・ケイの口をかりて、ぼくに占いめかして告げた。暗示をかけたともいえよう。
だがそのシェーラや、仲間と思われるミスナー・ケイが、たしかに超能力――それも一般に知られている種類の超能力だけでなく、普通では考えられないような力を行使するのを、ぼくは自分の目で見たのだ。例えば、カイヤントでのあのデヌイベの祈り……レーザーを折り曲げたとしか思えないあの祈りは……シェーラが独力でしたとはいわないけれども、参加していたのはたしかではないのか?(そこでぼくはつい、あのときのシェーラが飛びついてのキッスを、想起せざるを得なかった)さらに、あきらかにシェーラに一目置いているらしい、かりにそうでないとしてもお互い何かの仲間らしいミスナー・ケイの、ぼくの眼前で見せた驚くべき能力の数々とそれにまつわる謎を思いおこしてみるがいい。彼女たちは、何かは知らないが、何か≠ネのだ。変な表現だけれども、それが実感なのである。
そうしたシェーラやミスナー・ケイが、ぼくにはあかるい未来があるというのなら……予知にもとつく予言だと受けとめていいのではあるまいか?
――と、それら一連の思考を、今更のように繰り返したくて……その通りに想念を追ったのであった。そうしているとどこか楽になって、希望らしきものが湧いてくるからであった。
それにしても、と、ぼくは、重制装に包まれた身の、制服のポケットにあるシェーラの手紙について思いをめぐらした。ミスナー・ケイが呉れたのと一緒にしてつねに携帯しているその手紙には、これはあなたのお守りで護符だとあった。
何の護符だ?
わからない。
わからないが、やはり……ききめがあるのだろうか?
何に?
ぼくは首をひねったものの、もとより解答を導こうとは思わなかった。これ迄にも何度も考えてみて、何の手がかりもないのを知りつくしていたからである。
そして……。
「こちらは中隊長」
不意に、声がひびき渡った。
ぼくは想念を断ち切り、ヘルメットの中の声に注意を集めた。
「こちらは中隊長」
たしかに中隊長の声であった。「わが隊は只今より直ちに帰艦する。母艦からはすでに集合指令電波が発せられつつあり。各員、自動帰着スイッチを入れよ!」
ぼくはスイッチを入れた。
制装は、艦へと向かって推進装置を作動させはじめる。
ぼくは動きだした。
他の隊員たちもそうであろう。
だが……エクレーダは本当に無事なのだろうか?
そのときであった。
ぼくは、声を聞いたのだ。
「イシター・ロウ、頑張ってね! これからが正念場のはずだから、しっかりやってね!」
それは、まぎれもないシェーラの声だったのである。
一瞬、ぼくは何が何だかわからなかった。
考えもしていなかったときに、思いがけないものに出くわすという――あの混乱である。だから、とっさにその言葉の意味もわからず、意味が頭に入っても、いやそうなればなったで、余計に驚き、呆れたのだ。
こんな馬鹿な!
こんなことがあって、いいものか?
しかし。
ぼくはたしかに聞いたのだ。
これは、受信か?
送られてきた電波を、ぼくの重制装が受けとめてヘルメットの中を鳴らしたのか?
だがもしそうであるなら、この電波は隊の連中もキャッチしたはずだ。ぼくたちの送受信の波長は同じだからである。
そしてシェーラの声は、ちゃんとイシター・ロウと呼びかけた。
これをみんなも聞いたのなら、何らかの反応があって当然である。聞いた人間はこれは何だと思うに相違ないのだ。うかつに発信したりすれば敵を誘導するかも知れないというので、ぼくたちは声を出すのを控えていたのだけれども、敵の攻撃は絶えて久しい。終ったらしいのだ。だったら、誰かがぼくを冷やかしたって、いいのではないか? それがまだ禁じられているというのなら、今のシェーラの声に対して、何だこれは、とか、誰だ、とかの、反射的な反応がぼくの耳に入ること位、あってしかるべきではないのか?
そんな反応は何もなかった。
みんなは、今の声を聞かなかったのだ(そしてぼくは、帰艦したあと、やはりそうだったのを知った。ひとりとして、このことについて喋った者はいなかったのだ)。
では今のは、他の人間には届かぬ、ぼくだけに合った波長で送られてきたものなのか? そんなことはあり得ない。ぼくの重制装は、ぼく専用の波長の電波の送受信機能など備えていないのだ。
となると……。
今のはテレパシーだったのだろうか?
テレパシーを肉声として、あるいは肉声をテレパシーと錯覚して聞くのは、よくあることだ。ことにこちらにそれなりの心構えができていないような場合、うっかりすると間違えかねない。
ぼくは、テレパシーを感知したのだろうか?
だが、現在のぼくは非エスパーなのだ。テレパシー交信の力はないのである。
もちろん、はっきりした超能力者ではなくても、微弱ながら、そして自分でコントロールできないながらも、テレパシー能力を有する人間はすくなくない。
ぼくは、そうした状態で、テレパシーを感知したのか?
そうではないはずだ。
その程度の力では、先方の意志や感情を、大まかにつかみ取るのが精一杯である。今のように、はっきりした言葉で受けとめるのは無理だ。
にもかかわらず明確な言葉として聞かせたと、そう考えるべきなのか? テレパシー感知能力の有無強弱に関係なく伝えるような、あれはそういう種類のテレパシーだったのか?
そんなものが存在するのか?
どうも、考えられない。
けれどもかりに存在するとして……そのことを仮定しても、では、あれはどこから送られてきたのだ? シェーラが今どこにいるのかぼくには知る由もないが、この近辺の宇宙空間に浮いているわけではあるまい。どこにいるとしても、通常ならテレパシーなど到底届きそうもない、はるか遠くの世界にいると思うのが妥当である。
それだけの空間を超えて伝わるテレパシーだったというのか?
そんなものが存在するのか?
とても、あり得ることとは思えない。
シェーラやその仲間らしいミスナー・ケイの、一般の超能力の概念では理解できない不思議な力を、ぼくは見聞きしたと信じている。そうとしか考えられないのである。しかしいくら特殊な能力だといったって、そこ迄は行きはしないだろう。そこ迄は無理というものであろう。
テレパシーだというのを否定すると……。
じゃ、肉声だったというのか?
肉声なら、どんな経緯でぼくに聞えたのだ?
結局、わからない。
混乱から立ち直りつつ考えようとしたものの、ぼくには、自分で納得できる説明は考えつかなかった。
ひょっとしたら、全部幻覚だったのだろうか、と、ぼくは首をひねった。
さっきの声が肉声だったのかテレパシーだったのか、反覆確認不能のせいもあって、ぼくにはすでに、何ともいえなくなっている。
その意味では、ぼくはたしかに聞いたのかどうかも、怪しい気がしてきたのだ。聞いたつもりでも実は幻覚だったのではないか、と問われれば、自信を持って答えることはできなくなっていた。
幻覚だったのか?
もう、どうでもいい。
何でもいいのだ。
だが。
そのシェーラの声が、自分でもなぜだかよく説明はできないけれども、ぼくの心をあかるくしたのは、事実だった。
ぼくたちは、エクレーダに帰艦した。
集合指令電波によって呼び戻されたのだが、艦のすぐ近く迄来ると、そこからは自分で重制装を操作して、気閘に入ることになる。
出るときは艦内で気閘の順番を待ったのだが、数名ずつ出たあとはすぐに行動できた。それに対して今度は、大勢が集まってくるのを収容するのだから、外での待ち時間がある。ぼくたちは気閘の外に漂いながら、何人かずつ入って行った。
それにしても時間がかかるな――と、ぼくは思った。
そういえば、気閘もはじめの気閘ではない。ぼくたちがたまたまこっちへ呼び寄せられただけなのかも知れないが、はじめの気閘が何かの理由、おそらくは敵の攻撃によって使用不能になった可能性もあるのではないか、と、ぼくは考えたりした。
実際、その通りだったのだ。
艦内に入ったぼくは、指示に従って重制装を開放の状態にし、他の連中と共に、自分の居住区に戻って行った。
ぼくの目に映った限りでは、艦はそんなに損害を受けたようには見えなかった。すくなくも視野に入ってくるものは、出る前と変らなかった。
だが、ぼくは気閘から通路を経て居住区へという――艦の内部のごく一部を眺めただけである。
艦の外殻がどうなっているか、ぼくにはわからなかった。気閘からの光を受けて、よく見えなかったし、かりに光がなかったらなかったで、外部照明などない艦の外見を観察しようとしても、暗くてさっぱり見て取ることはできなかっただろう。
まして艦内の、ぼくたちの知らない、行ったことのない場所がどうなっているか、何ともいいようがないのだ。
が……ぼくの感覚は、視力だけではない。
歩きながらぼくは、正確な説明はできないけれども、艦がいつもと違うのを、感じ取っていたのだ。長いこと艦内で暮らし、艦の一部になっていた人間なら、戻ってすぐにはそうとはわからなかったとしても、二、三分のうちに悟ってしまうのである。
たしかに変であった。
どこがどうというのではなく、違和感がある。それは、これ迄そろっていたものがあちこち欠けたことによる、調和のとれないあの印象であった。
機械の音。
艦内の空気の流れ具合。
人工重力の、どことなく安定しない感じ。
艦の要員が無言で何人かずつかたまって急ぐのも、異様である。
公式の説明はまだなかったが、ぼくは、エクレーダがかなりの損害を受けたのではないかと想像した。
みんなにつづいて居住区に入りつつ、ぼくは、こんな風な感知のしかたもあったのか、と、奇妙な気分になった。
だって、そうではないか。
艦が大きな損害を受けるというのは……至るところが破壊され、壁が破れ、見る影もない――という図を考えがちだ。
正直、ぼくもそうであった。
しかし、事態がそこ迄行けば、艦としてはもはや機能麻痺ということではないのか? 換言すれば、そのときにはすでに艦の名に値しなくなっているのではないのか?
エクレーダは、とにもかくにもぼくたちを収容し、どうやら航行もつづけることが可能らしい。
だがこれが本来のエクレーダかといえば、決してそうではないであろう。本来の能力の半分か何分の一かになっているのかも知れないのだ。
そして。
艦のみならず、すべての、構築された機能というものは、致命的な破壊に至らない限り、結構外形だけは立派で、無事のように見えるのではあるまいか? というより、かたちというものは機能が失われたあとでも、そこそこ立派で、何事もなかったような格好をつけているのではあるまいか?
うまく表現できないけれども、ぼくには何となく、エクレーダがそんな状態になっているように思えたのだった。
そして。
エクレーダについてそんな感じかたをしたのは、ぼくだけではなかったようである。
「艦も、だいぶやられたんじゃないか?」
居住区で重制装のままそれぞれの場所にすわると、ペストー・ヘイチがいったのである。
「そんな気がするな」
アベ・デルボが受けた。「さっきの、あの光線に当たったのを考えても……無事なはず、ないからな」
「爆砕されなかっただけでもましか」
ケイニボが低くいった。
それで、みんなは黙ってしまった。喋り合えば喋り合うほど、悲観的な話になりそうなのを、みんな、承知していたのだ。
たしかに、爆砕されなかっただけ、ましといえる。
そうなったら、今頃ぼくたちは、どこかの艦に救助でもされない限り、最後の非常用の酸素迄使い切って、宇宙空間で死んでいたに違いない。
しかし、爆砕されなかったエクレーダでさえこうなのだ。
味方はだいぶやられたのだろうか?
それとも、だいぶどころではないのだろうか?
カイヤツ軍団はどうなったのだ?
ひいては、ネプトーダ連邦軍は?
負けたのか?
大敗なのか?
公式の説明があればはっきりするのだけれども……と、ぼくは思い、同時に、いいニュースならともかく、最悪の事態を告げられるのなら、そんな公式説明は聞きたくない、との気もしたのだった。
――と、こうしておのれの心象を、だらだらと述べてきたことからも、ぼくが滅入っていたのは、理解して頂けると思う。
ぼくたちは、重制装を脱いでよしといわれた。
行動も、比較的自由になった。
だがつまりこれは、ぼくたちがそれで戦闘要員としての臨戦態勢を解かれたことになるのだ。その必要がないということではないか。
ぼくたちはあまりものをいわず、必要最小限のときしか通路にも出なかった。通路に出ると、艦の乗務員たちがしきりに行き来しているのが見えた。かれらはあわただしそうであった。艦の応急修理に忙殺されているのに違いなかった。
その頃は、帰艦してすでに二時間以上を経過していたのだが、いまだに、ぼくたちには何の説明もなかった。エクレーダがどうなっているのか……艦の位置も、方向も……これからどうなるのかも、何ひとつわからなかった。
時間は、のろのろと過ぎてゆく。
帰艦して三時間あまり経ったとき。
艦内放送のブザーが鳴りだしたのだ。
ぼくは、ぴくりと身を緊張させ、スピーカーをみつめた。
「エクレーダ内の全兵員に告ぐ」
ブザーがやむと、声が流れた。「五分後に重大な放送がある。全員、聞きのがさないようにせよ」
ぼくたちは、顔を見合わせた。
五分後に?
重大な放送?
だがぼくたちは、それについて会話らしい会話はしなかった。いろいろ臆測したって仕様がないし、それに、そんな元気もなかったのだ。
一分後、またスピーカーが鳴った。四分後に重大な放送があるから、聞きのがさないようにせよ、というのである。
一分ごとに、予告が行なわれた。
時間になった。
「只今から、重大な放送がある。全員、心して聴け」
声がどぎれ、ちょっと間があった。
「私は艦長である」
あたらしい声が流れてきた。「私のあとで、部隊長の話がある。私も部隊長も、率直に話すつもりだ」
「…………」
ぼくたちは、緊張して耳をすました。
艦長と部隊長が話すとは……なかば意外であり、やはりそうかという気持ちもあった。エクレーダとハイデン部隊の、共に最高指揮官が出てくるとは、これはたしかにただごとではない、最終的な決定的な話になるであろうとの気分に、同時に、こういうさいだからやはり当然そうでなければならないのだろう――との感じが、共存していたのだ。
「カイヤツ軍団は、先程の決戦で、ほとんど再起不能の打撃を受けた。カイヤツ軍団のみならず、ネプトーダ連邦軍は、ほぼ潰滅状態にある」
艦長は、淡々といいだした。
まるで感情がないような口調だ。
いや、違う――と、ぼくは考え直した。感情がないのではない。艦長は感情を押し殺しているに相違ないのだ。
「本艦もまた、大きな損害を受けた」
艦長はつづける。「主要な部分のいくつかが破壊されたため、高速航行はすでに不可能である。この状態でネイト=カイヤツへ帰ろうとすれば、きわめて多くの日数がかかるであろう。その間に、ウス帝国軍及びボートリュート共和国軍との戦争は、すべて終り、ネイト=カイヤツに帰着しても何の役にも立たぬのみか、最悪の場合、進駐してくる敵にとらえられて、乗員全員が捕虜となり処刑されるかも知れない。ただしこれは帰着したとしての話だ。それ以前に、航行中に攻撃を受けて爆破される可能性のほうが遥かに大きい。しかしこれは、本艦がネイト=カイヤツをめざしたときのことである。カイヤツ軍団は、ネイト=カイヤツへ戻らない旨を決定し、通告してきた。ネイト=カイヤツへ戻ったとしても、残存のカイヤツ軍団の戦力では、到底敵に対抗し得ないであろうからだ。カイヤツ軍団は、ダンコールにおいて他の軍団と共に最後の抵抗を行なう。本艦もまたたたかいを共にすることになった。本艦の置かれている状況にかんがみて、諸君もそのことを受け入れ、覚悟を決めて欲しい」
「…………」
ぼくたちは聴いていた。
「現在、ウス帝国軍は、先程の決戦の行なわれた宙域にとどまり、静止している」
と、艦長。「とどまったまま、ネプトーダ連邦と連邦軍に対し、降伏を呼びかけているのだ。降伏勧告は、連邦各ネイトにも行なわれているらしい。敵はわれわれの無条件降伏を求めている。そしてまた、この勧告が受け入れられない場合、ネプトーダ連邦軍の抵抗を排除し、まずボートリュート共和国軍を先鋒としてダンコールに降下させ、連邦首都ネプトを包囲攻撃し占領するといっている。それでもなおわれわれが降伏しなければ、次の攻撃に移ると予告しているが……それはおそらくウス帝国軍による全面攻撃を意味していると考えるべきであろう。現在ウス帝国軍が静止しているのは、他宙域でたたかっているボートリュート共和国軍が来着するのを待っているためだとも解釈できるのだ」
「…………」
「われわれは、降伏するわけにはいかない」
艦長は静かにつづけた。「われわれの知るところでは、ウス帝国の支配下に入ったが最後、どの星間勢力も自主性を奪われ、ウス帝国のための存在と化しているのだ。人々はウス帝国の、あるいはウス帝国の手先の下で、自由もなくよろこびもなく酷使され、なぐさみものにされるばかりか、かれらの都合のために殺されたり改造されたりどこかへ連れ去られたりするという。ネプトーダ連邦の人たち、いや、ネイト=カイヤツの人々がそうなってもいいものだろうか? それ位なら死んだほうがましである。われわれのひとりひとりが最後迄抵抗し、残った人々が生命のある限り抵抗し、決してやめなければ、ウス帝国もいつかは、ネプトーダ連邦を、ネイト=カイヤツを支配するのを諦めるだろう。われわれはその先兵、その見本になるのだ」
「…………」
「以上の理由から本艦は、ウス帝国軍がとどまっているのをさいわい、第二惑星のダンコールへと赴くべく航行中である。そして他の残存艦艇と一緒に、ダンコールの衛星軌道をとって、やがて来襲するであろうウス帝国軍を待ち受け、必死の攻撃をしかけるのだ。われわれは敗れるだろう。しかし、最後の抵抗ののちに敗れることで、ウス帝国が簡単にはネプトーダ連邦を支配し得ないのを、思い知らせてやることができるのだ。それでウス帝国をためらわせてやることができるのだ。われわれのたたかいぶりが、これからのウス帝国の出方を決めるのだ。そのために全力を尽そうではないか。――諸君の健闘と幸運を祈る。共に死のう」
それで、艦長の話は終った。
ぼくたちは、何もいわずに、白っぽい居住区の照明の中、スピーカーを凝視していた。
つづいて、声が変った。
「私は部隊長である」
ハイデン部隊長だった。「事情は、只今艦長がいった通りだ。ウス帝国軍は停止し、降伏勧告をしつつ、ボートリュート共和国軍が来るのを待っているものと思われる。敵の言葉から考えれば、やがてボートリュート共和国軍が先鋒として、ダンコールに降下するはずだ」
「…………」
「エクレーダは宇宙空間でたたかうことになるが、われわれは地上戦隊だ」
部隊長はいう。「もちろんわれわれとて、宇宙空間でも戦闘に参加できよう。しかし、われわれが宇宙空間でたたかうことは、今度の場合、持てる力を十全に発揮できるとはいいがたい。宇宙空間でのわれわれは、個々の、あるいは小規模なたたかいでこそ実力を出せるが、多数の艦船のぶつかり合いの中では、必ずしもそうはいかない。従ってわれわれは、敵により多くの打撃を与えるため、本来の地上でのたたかいを選ぶべきである。諸君も知っているように、戦闘の結果としての占領は、地上部隊によらなければならぬ。ボートリュート共和国軍がダンコールに降下してネプトを占領しようとするのなら、われわれはダンコールの地上で敵を叩かねばならないのだ」
「…………」
「われわれは、降下用艇でネプトの周辺部に、敵に先立って降下し、防衛線をしく。どういうかたちの戦闘になるかは、そのときどきの情勢しだいだが、いずれにせよわれわれは、できる限りのことをしてボートリュート軍を叩かなければならない。ボートリュートの次にはウス帝国軍が来るだろう。最後の一兵になる迄敵を倒しつづけねばならないのだ。それが、艦長もいったように、ウス帝国に思い知らせる唯一の方法である。これが最後のたたかいだと覚悟を決めて欲しい。諸君の健闘と幸運を祈る。共にたたかって死のう」
部隊長は、艦長と同じような言葉でしめくくった。
「――以上である。各員は、最善を尽されたい」
はじめの声がそう告げて、放送は終了になった。
スピーカーが沈黙しても、すぐには誰もものをいわなかった。
そうなのか、と、ぼくは思った。
とうとう、そういうことになったのか。
変に頭の中が乾いている感じだった。
そして、そのときのぼくはきっと、自分自身のこれからの運命の果てや、それに伴う感慨めいたものに、直面するのを本能的に避けようとしていたのだろう。ぼくは今の艦長と部隊長の話について、考えようと努めたのだ。
カイヤツ軍団はほとんど再起不能。
ネプトーダ連邦軍は、ほぼ潰滅状態。
ウス帝国軍との全面対決の結果は、つまりはそうだったのである。そうなるのではあるまいか、彼我の比からいえばそれが当然ではあるまいか、そうしかならないのではあるまいか――との予断が、的中したのだ。的中しながら、やはり、あってはならぬことがおきたようで、それがもう取り返しのつかないことが信じられなかった。
決戦は、きっと壮大な見ものだったのだろうな。
見物できるものなら、見物したかった。
が……広大な宙域でなされたそのたたかいを、肉眼で眺めるのは不可能である。ぼく自身が現にその中にいながら、目撃したのはあれだけだったのだ。
何か、見て取れる方法なり装置なりがあるのだろうか?
あるとしても、それはぼくなどには縁のない――ずっとずっと上層部での話であろう。
いや。
おのれの側の陣が叩き潰されるそんな光景なんて、やはり見たくない。
それよりも。
そう。
ウス帝国軍は静止しているという。
決戦した宙域に、いまだにとどまっているというのだ。
それはなるほど、降伏を呼びかけるためでもあり、相手が応じないときに先鋒となって攻めかかるボートリュート共和国軍の来着を待っているためかも知れない。
だが、静止するというそのこと自体が、威嚇《いかく》でもあり示威効果をあげているのもたしかではあるまいか? 何もしないでも、それだけ存在を誇示できる――ウス帝国軍というのはそんなものなのか?
静止していることにかれらは、自己陶酔しているのだろうか。
それとも、静止しているかれらの艦船の中や艦船どうしでは、せわしなく打ち合わせをし交信し、実は一瞬のたるみもなく計算が行なわれているのだろうか?
わからない。
わかる由もない。
わかったって、仕方のないことだ。
ところで――。
なぜボートリュートが先鋒になってダンコールに降下するのだろう。ボートリュート共和国軍は、ウス帝国側からそうするように強制されたのか? それともウス帝国の歓心を買うために、みずから進んでその役を引き受けたのか?
もっと意地悪い見方もある。
ボートリュート共和国は、この戦争の結果のわけまえとして、ネプトーダ連邦領の一部を貰うことを約束されていて……だから積極的にそんなことをするのではないか? その位の打算がなければ、わざわざそういう真似はしないのではないか?
いやいや。
ボートリユートのことなんか、どうでもいいではないか。
それよりも。
われわれがなぜ降伏しないのかについて、艦長は説明した。ぼくたちの常識、あるいは教えられてそう信じている事柄を踏まえての説明であった。
ぼくだって、降伏などしたくない。
無条件降伏となれば、なおさらだ。
だが……自分でも妙なことを考えるものだと心の片隅では感じながら、ぼくはその想念を追っていた。自分にとって切実な事柄に直面するのを避けるあまり……そんな思考型だったから、そういうことに思いを致すことができたのだろうが……ウス帝国に支配された星間勢力のすべてが、そうした境遇に置かれるのだろうか、と、ふと疑ってみたのである。そこ迄徹底的な、それほど強圧的なことをして、反乱はおきないのだろうか? そんなことをしながら、着々と版図を広げてゆくというのはなぜなのだ? それではいつかは行き詰まるのではないか? なのに、そんなこともなさそうなのは、ウス帝国の支配のやりかたが、ぼくたちの聞いているものとは必ずしも一致しないということではないのか? 何か、ぼくたちの知らない良い面が、ウス帝国の支配にもあるのではないか?
待て。
これは反逆的思考だった。
こんな考え方は、良くない。ウス帝国に侵攻されつつあるネイト=カイヤツの、ネプトーダ連邦の一員として、またそれ以上に、連邦軍の一員として、こんな発想は許されるべきではないのだろう。
多分、反乱はしょっちゅうおこっているのだ。ウス帝国はそれを弾圧しているだけなのだ。
そして多分、相手がいかにいやがっても、ウス帝国の力があまりに強大なので、どうしようもなく、だからウス帝国の版図は着々と広がってゆくのである。
そうに違いない。
それからまた――
現実から顔をそむけるためのような、こんなぼくの想念も、だがいつ迄もつづくはずはなかった。逃げて舞いあがったつもりでも、やがては落下して現実に戻らざるを得ないのである。
そうなりかけていた。
艦長と部隊長の話から、自分に直接関係のない事柄ばかり拾いあげていたはずなのに、ぼくはいつか、具体的で現実的なところへと帰りつつあった。
降下用艇で降りるという、あのことである。
降下用艇は、母艦が地表に発着するのがむつかしいとき、そんなひまがないときに使われる小艇だ。急襲とか急撤退で小部隊を収容して、母艦と地表をつなぐのである。大気圏外と地表の間を結ぶのだから、キコンでぼくたちを運んだあの輸送機のような露出型ではなく、気密型で、かつ、一応の装甲も施されているのだった。
たしかに、そうしなければならないだろう。エクレーダには、ダンコールに降り立ってぼくたちを順次気閘から吐き出し、また上昇するというような時間はないはずである。いつ敵がやってくるか知れないからだ。敵が来たとき地表にいては、何の役にも立たない。ただの標的に過ぎなくなってしまうのである。ぼくたちが、やはり急いで地表へ降り立たなければならないとすれば、保有する何隻かの降下用艇をフルに使うしかないであろう。
降下用艇で降りて……それから戦闘なのだ。絶望的な、あとからあとから敵が押し寄せるであろう戦闘。
…………。
ぼくは、腹の中にあったつめたいしこりが、今の想念追いの間中、どんどん大きくなってくるのを自覚していた。それがもう、耐えられないほどつめたく、大きくなっていたのである。
現実に戻るしかなかった。
ことわっておくが……ぼくはこの現実逃避を、ながながとやっていたわけではない。こうして述べ立ててくるといやに長くつづいたみたいだが、そうではないのだ。水面に次から次へと浮いてくる泡にも似て、めまぐるしく湧いてくる想念にとらえられていただけである。二秒とか三秒とかはいわないにしてもせいぜい三十秒か一分か……そんなところだったのであるまいか。
だが、それも終りだった。
むしろ、僅かな間にしろそんなことをやっていたために、反動は大きかった。のしかかってくる――というより、現実にびっしりと周囲を固められているようであった。
妙に寒い。
どこか、しびれている。
乾いていた頭の中は、もうそれだけではなく、発光しかけているみたいである。
目を挙げた。
宙をみつめている者もある。
考え込んでいる者もある。
とにかく、みんな無言だった。顔色も……いや、顔色というほどの色がないというべきであった。
ぼくだって、そうだったろう。
つまり……いよいよ最後なのか、これで間もなく終止符が到来するのか……あとはもうなるようにしかならないのだ――といったすべてをひっくるめての……だが諦めではない、残っている未練をどう処理したらいいか、自分にも見当がつかない、あの感覚だったのである。
どうして、みんな黙っているのだ?
どうしてだ?
息がつまるではないか。
ぼくが心の中でうめいたその折も折。
「何だ何だ!」
コリク・マイスンが叫んだのだ。「何だよおまえたち、不景気な面をしやがって! こうなりゃどうなったって、仕方がないじゃないか!」
ぼくは信じる。
コリク・マイスンだって、沈黙の圧迫に辛抱できなかったのだ。内部の高まってくるものを吐出せずにはいられなかったのだ。
そして、その言葉で呪縛《じゅばく》が解けたかのように、みんないっせいに、口々にわめきはじめたのだった。
「いよいよ死ぬか!」
「おう。そうとも!」
「名誉の戦死といくか!」
それがまた、呼び水になった。いってしまったために、楽になったのだ。
「来るところ迄、来やがったなあ」
ラタックが声を張りあげる。
「どうにでもなれ、だ!」
と、ケイニボ。「しかし……どうせなら、うまいものをたくさん食ってから、死にたかったなあ」
「ゆっくりできるのも、あとしばらくか! せめて艦内で位、ゆっくりするしかないな」
誰かがいった。
「やるしかないんだな!」
「やるしかないんだ!」
ひとりが口を歪めて笑った。泣いているみたいだった。「やるしかない! やるしかない!」
「おれはやるぜ!」
別の男が、あごを横に振った。「こうなりゃ五人でも十人でも二十人でも、おう、何百何千、敵を殺してやるぜ! 勲章なんか要らんから、いくらでも殺してやるんだ!」
「そうだそうだ!」
「その前にやられないことだな!」
「何を! こいつ」
「いいじゃないか、お互いさまだ」
それは、必ずしも士気が高揚しているのではなかった。言葉こそ勇ましいが、みんな、何やらわけのわからぬ怒りや焦りやらを、そんなかたちで口に出しているだけだった。腹をくくった……くくらざるを得ない状況で、何かいうとしたら、そんなやりかたしかなかったのだ。
みんな、わあわあといい合った。
ぼくだってそうだった。
何を喋っていたのか、どんな内容だったのかは覚えていない。とにかく大きな声を出していれば楽だったのだ。
陽気だった。
これが陽気というものとすれば、である。
だが、違うのだろう。
陽気どころではなかったのだろう。
それでもみんな、話したり笑ったりをつづけていた。ひいひいという笑いかたをする者もいた。
「やるしかない!」
ひとりがまたどなった。「やるしかない! やるしかない!」
「やるしかない!」
「やるしかない!」
みんな調子を合わせ、手を叩きはじめた。誰か――それこそキリー小隊長でも来たら、どなりつけられるところだった。だが、どなりつけられたら、ぼくたちは叫び返していたかも知れない。それほど、どこか異様だったのだ。
「おれは踊るぜ!」
ラタックが立ちあがった。「やるしかない! やるしかない!」
ラタックは手を振り廻し、腰をゆすった。
みんな、手拍子をとった。
「やるしかない!」
「あ、やるしかない!」
「やるしかない!」
「やるしかない!」
だんだん調子がそろってゆく。
また二、三人が立って踊りだした。
「やるしかない!」
「あ、やるしかない!」
「あ」
「あ」
「やるしかない!」
手拍子はしだいに速くなり、嵐のようになってきた。
ぼくも、なかば夢中で手を叩きつつ叫んでいたのだ。
たしかに、まともではなかったといえる。これを理屈づけしたがる人にいわせれば、この先の時間というものを失い現在の瞬間にしか生きられない人間の、何もかも忘れようとする反応――とでもなるのだろうが、ぼく自身の感覚では、ただもうおのれの衝動にまかせているだけであった。
そしてこのとき、これと同じではないにしても似た情景、似ていなくても同質の場面が、多くの居住区で見られたのではないか、と、ぼくは思う。
「やるしかない!」
「やるしかない!」
ぼくたちは身をゆすり、ますます声を張りあげた。
が。
こんな、ヒステリックな熱気というものは、決して長くは持続しない。
騒ぎは、一体となり頂点に達してなおもつづいたあと、不意に何かが抜けたようになり、それから急速に衰えて行った。
手拍子が減り声が減り、踊っていた者は踊りをやめてすわり……雰囲気はみるみる冷えてしまったのだ。
それは、みながおのれを取り戻したというような日常的なものではなく、むしろ非日常の中のどこかの位置へ押しつけられた……そのことをいやでも認識させられた感じだったのだ。こうしたとき、おれたちは一体何をしていたんだ――と誰かが自嘲《じちょう》の声を放っても不思議ではないところだったが、それさえもなかったのは、それだけ直面しているものが大きく重く暗かったということだろう。ぼくもまた苦い気分のうちに、沈黙の中に閉じこもったのであった。
ぼくたちは、これ迄の重制装に代え、軽制装を着用するように命じられた。
今後のたたかいが、当然ながら呼吸可能の大気のあるダンコール地表で行なわれるとあれば、それが当然であろう。そして、気密型で一応の装甲も施された降下用艇で着地するのだから、それが可能なのである。
ぼくたち自身にしたって、重制装よりも軽制装のほうが扱いが楽であった、さらには呼吸出来る地表でなら、かりに制装がやられて使用不能になっても、制装を捨てて行動すればいいのである。むろん、そうなると戦闘力も防御性も大幅に低下するが、制装の破壊がそのまま死を意味するわけではない。この点、条件はだいぶゆるやかになるのだ。
しかし。
軽制装での降下とは、つまり重制装をエクレーダに残して行くことである。当面のぼくたちには重制装は必要ないし、そんなものをぼくたちと一緒に地表へ運ぶような余裕なんてないからだ。エクレーダ内に残された重制装は、当然エクレーダと運命を共にするに違いない。
正直、このことはぼくの胸中にあったネイト=カイヤツやカイヤツ府や知人たちとの訣別《けつべつ》の念を、強める作用をした。
今更何だといわれそうだが……そうではないか。
重制装を着用していれば、宇宙空間へ出ても生きてゆける。携行する酸素量の限度内というそう長くない時間だが……それでも宇宙空間での生存の可否ということでは、象徴的な道具なのである。重制装を喪失するというのは、すなわちぼくたちにとって宇宙空間が死の領域であり決して超えられないものになってしまうということではないか。これは、こうして理屈として述べようとすると、まるで筋が通らないけれども……それが実感なのであった。ダンコールの地表から撤退し、エクレーダなり他の艦なりに収容されて帰途につく――というような事態は到底望めないからこそ、そんな気持ちになったのである。
いや、こんなものは感傷だ。
感傷でなければならぬ。
軽制装の着用と同時に、ぼくたちには携行品が支給された。今後の戦闘は、従来のように基地や陣地を根拠にするのではなく、野営の連続であると想定されるからである。携行品は制装にとりつけられる形式になっていたので、手をふさがれる心配はない。内容は……わざわざ説明することもないだろうが、パックされた数日分の食糧と生存のための道具類一式等の、野戦用規格セットだ。
それに今回は、簡単な地図が配られた。
ネプトとその周辺の地図である。
ぼくたちが敵を迎え撃つ戦場になるはずの地だから何も怪しむことはない、と、考える人がいるかも知れない。
しかし、ぼくたちの感覚からすれば、これはやはり奇異な措置であった。戦場と想定される場所、ことにそれが味方の土地である場合、そんなものはなるだけ敵に知られないようにするのが常識である。このときのように、ぼくたちのような兵に迄そんなものを渡せば、早晩敵の手に入るのはわかり切っているのだ。なのにこういうことをしたというのは、ネプトーダ連邦の首都であるネプトとその周辺の地理となれば、とうに敵方は知りつくしているに違いない反面、むしろぼくたちのほうが不案内だとの事情が働いていたためではあるまいか。どの位の間つづくかぼくなどには何ともいえないこのネプト攻防戦が、激化して損害が大きくなるうちには、わが軍の指揮系統も混乱し切断され、小部隊単位での連絡修復の試みや独自の判断による行動が必要になってくるはずで、そうなれば現地の地理に詳しくないとどうしようもないであろう。それに、ぼくはちらりと想像したのだけれども、ぼくたちひとりひとりにそんな地図が手渡されたのには、お前たちがひとりひとりになっても情勢を見て取りつつ死力をつくしてたたかえとの示唆があったのかもわからない。
もっとも、ここ迄考えるのは、渡されたその地図を過大評価しているので、秘密にせねばならぬ事柄は一切記載されていないのかも知れなかった。地図に出ていることしかわからないぼくたちには、実際はどうだったのか不明だが、そうだったとしても不思議はあるまい。
正確さや詳細度はともあれ、一応その地図について述べておくのが、ぼくの義務であろう。
地図は、東方に海を持つ浅い湾と、湾口にそそぐ二本の河を基調にしている。北から南下する大きなのがニダ河、西方からいくつかの川を集めていったん湖となり、湖から東へと流れ出ているのがイヨン河で、河口近くでこのふたつは合流しネプト河となっている。
かつてぼくがエレン・エレスコブに随行して三日間を過したネプトは、その地図の中央に位置していた。ふたつの河の合流点から北へ、ニダ河をはさんで、例の四つの市があるのだ。長方形の第一市の東、河の反対側に楕円形の市域を持った第二市。第一市と第二市の北方、三角形の頂点にあたる場所に河をまたいでさらに大きな第三市がある。第三市の東北に正方形の第四市――となっているのだ。それぞれの市は境界線で区切られていたし、河の流れも地図にはきちんと示されていたが……ぼくの実感とはだいぶことなっていた。ぼくの頭に残っていた巨大な、各市がそれぞれ特徴を有する、しかも複雑な総合都市の像は、地図からは窺い知るのはむつかしかったのだ。
このネプトの東北方にネプト宙港がある。ネプト第一市を中心にして十キロごとに同心円が描かれているのだが、その八十キロの円弧が宙港を横切っていた。
ネプト宙港から海岸沿いに工場地帯がつらなっている。が……前に耳にした通りその工場地帯はネプト市群から遠く、宙港から西南へと延びているその端ですら、市群東端第二市から三十キロ近く離れていた。
ネプトの西へ目を転じると……イヨン河の西に今いった湖――ロンホカ湖があり、そこから南へずっと下ったあたりに、ダンコール軍団基地と、それに連邦軍本部が区画だけで図示されている。
ロンホカ湖のさらに西方は森と山々のようだ。西南方向にオビライ山とか、西北にレクターヌ山系のラシとかレクターヌとかミンドとかレンドとか……もっと東のニダ河上流の東のハビヤーヌ山とか……当然ながら聞いたことのない名前がしるされているのだった。
大まかにいえば、それだけの地図である。
だがこれがぼくにとって有難いものだったことは、あらためていう必要はないであろう。とにもかくにもそこは、ぼくたちがたたかうことになる戦場予定地なのである。何の資料もないのとくらべれば……正に貴重晶なのであった。
今ぼくは、戦場予定地といった。
たしかにそのはずである。
というより、その可能性がかなり高いと表現すべきかも知れない。
艦長と部隊長の話では、敵はネプトーダ連邦軍の抵抗を排除し、まずボートリュート共和国軍をダンコールに降下させ、ネプトを包囲攻撃するとのことであった。だからぼくたちは他の地上戦隊と共に敵に先立って降下し、防衛線をしくわけである。
けれども、敵が宣言通りのことをするとの保証はどこにもないのだ。
敵は降下などせず、外からネプトあるいはダンコールを叩くかも知れない。
降下するにしても、予告のようにネプトの周辺部ではなく、全く別の地点に来るのかも知れない。
あるいは、ネプトを直接攻撃し破壊しつくすか?
これらのいずれであろうと、ぼくたちには出番は全くないか、なきに等しいものになってしまうであろう。
だから、絶対的に地図の――ネプト周辺の地域が戦場になるとはいい切れないのであった。
ただぼくは……ぼく個人の直観ないし勘として、やはり敵は宣言通りの行動に出てくるのではないかという気がする。なぜならウス帝国とボートリュート共和国の連合軍は、ウス帝国の主力が動きだすや否やあっさりとネプトーダ連邦軍を打ち破ったのだ。ややこしい術策を弄《ろう》さなくとも、好きなように出来る立場なのである。しかも、さきの決戦宙域にとどまるという示威的な、これ見よがしの態度を示す敵なのだ。こちらを問題にしていないといい換えても構わないが、明言し、明言通りのことをやってのけるつもりではあるまいか? また……たやすく圧伏し得るネプトーダ連邦の、せっかくこれ迄繁栄を誇っていた首都ネプトを、そんな敵が破壊しつくすとは、何となく考えられない。出来ることならネプトを無傷のままで手に入れ、今後の征服世界群あるいは植民世界群経営の足がかりにしようとするのが自然ではないのだろうか?――といった、大した根拠のない観測だが、ぼくにはそう思えるのであった。
とすると、やっぱりそのつもりでいたほうがいいであろう。
ぼくたちはネプト周辺のどこかに降下し、あとから殺到してくるボートリュート軍とたたかうのだ。
こんなさいに……しかも地図の説明だけすればいいときに、頭の中をきれぎれに走って行った想念をつらねたことを、お詫びする。
ともかく、ぼくたちはその地図を携行品のバッグにしまった。
私物もバッグに詰め込んだ。
それから、武器だ。
いつもの個人用のレーザーガン。
レーザーガンとは別に、ぼくたちは、至近距離とか格闘時に使える武器を併せ持つようにいわれた。それを使用しなければならぬ場面にいつ出くわすかわからないからだ。多くの連中は短剣を選んだし、それがまあ普通だったけれども、ぼくは考えた末、伸縮電撃剣の在庫があると聞いて、そっちのほうにした。短剣は短剣独特の威力と使い道があるが、ばくは短いものよりも長い刀剣が得手だったからだ。それに縮めると短剣位の長さになるのだから、かさばることもない。
それと、もうひとつ、いつもと違っていることがあった。いや……いずれはその機会が来るはずだったというものの、それがこうした状況と重なったのである。
今度は、機兵を連れて行くのだ。
機兵は、たびたび述べたように、ロボットである。軽制装の姿のもあるし、重制装のもあるが、命令者の指令を受けて行動する。人間の兵士にまじって動くから、はた目には区別がつかない。それに機兵なら、やられることがわかっている任務を与えることも可能なのだ。エクレーダに搭載されている機兵(ただし軽制装の姿のものだけになるが)を用いないのは、あきらかに損であった。
だがこれも前述したように、機兵の操作はそう簡単ではない。同調させた制装に入った人間が指示を与えるのだけれども、へたをするととんでもない動きをしてしまう。ぼくたちは結構機兵操作の訓練を積んだものの、結果としては人により巧拙が生じたのは致し方がなかった。
それにエクレーダ艦内には、といわず基地でも基本的には同じ状況なのだが……機兵は兵士の数より少なかったのだ。従ってぼくたちの分隊にも五体が割当てられただけである。ガリン分隊長はこれ迄の訓練の成績をもとにして、その五体を扱うべき人間を指名した。
ぼくは、そのひとりに入った。
選ばれたのだから、羨望やそねみの的になったのではないか、と、思う人がいるのではないだろうか?
とんでもない。
逆である。
機兵を操作するのが厄介であり、負担にもなるということを、みんな、よく承知していたのだ。機兵操作に注意を奪われているうちにわが身の安全がお留守になる――という事態だって、充分あり得るのである。他の連中は、ぼくたちを貧乏くじをひいた気の毒な奴という目で見たのであった。
――と、こうお話ししてくると、はじめにぼくが、重制装をエクレーダに残して行かなければならないといったのも、理解して頂けよう。軽制装に身を包み携行品をくっつけ機兵迄引き連れている地上戦隊を、いつ敵が来襲するかわからぬ中、数の限られた降下用艇で何度も行き来して輸送しなければならないとき、そこ迄はとても手が廻らないのだ。そしてかりに無理をして重制装を地上に降ろしたところで、当面はまるで役に立たないのだから……置いて行くしかないではないか。
艦長と、部隊長の話があり、ぼくたちが馬鹿騒ぎをやったあと沈み込み、ついで準備が開始されて忙しく動き回り……待機の時間が来た。
エクレーダがダンコールの近くに達するのを待たなければならない。
そんな状況下だというのに、待機中、ぼくは軽制装の中で、少しうとうとと眠ったりした。
ぼくのみならず、たいていの連中がそうであった。
食事も出た。携行するパックされた食糧ではない。ぼくたちはそれを軽制装に入ったままで食べた。エクレーダでの最後の食事だということを、しかし、誰も口には出さなかった。
さらに時間が経過し……ぼくたちは居住区を出て降下用艇に乗り込んだ。
ぼくたちが乗ったのは、五号艇である。このことに何の意味があるのかと問われれば、返事のしようがない。ただ、その数字が妙に記憶に残ったから……しるした迄である。
あまり広くなく天井も低い降下用艇の内部で、ぼくたちは斜めに重なるようになったシートにわが身をしばりつけ、発進を待った。
ぼくの狭い視野は、軽制装のヘルメットの何重もの列であった。
と。
ぼくは何となく、聞き覚えのある声を耳にしたように思った。はっきりとは意味はわからず、しかも必ずしもぼくに向けられたのではないようで――。
ライゼラ・ゼイだ。
観察要員の、あのライゼラ・ゼイの声なのである。
それはこの前のシェーラの声のように、ヘルメットをひびかせたのではなかった。そんなに大きな声ではなかった。すくなくとも、ヘルメット内部のスピーカーが鳴ったのではなかった。
肉声かも知れない。
ヘルメットをかぶっているといっても、軽制装だし、空気のある降下用艇の内部なのだから、そういうこともあり得る。
しかし、肉声ともいえない感じで……微弱なのだった。微弱ながらぼくには、それがライゼラ・ゼイの声とわかったのだ。
ライゼラ・ゼイがこの艇に乗っているのか?
可能性がないとはいえない。彼女は観察要員であり、観察要員なら地上戦隊と同行することもあるだろう。
ぼくは首を廻してみたが、固定されたそんな状態では、あまり大きく動かすことは出来なかった。ここに観察要員がいるなら、そのヘルメットにはしるしがついているから、よく眺めれば識別出来るはずだが……限定された視界には、そんなものは見えなかったのだ。
視野の外かも知れない。
しかし……もうその声は消えていた。泡がぽかりと浮いてきて、破れたみたいな感じだったのだ。
今のは……何だ?
幻聴か?
誰か……ライゼラ・ゼイか、ライゼラ・ゼイではなくても誰か女が声を出したのか?
奇妙だ。
奇妙だが……。今のは、シェーラの声を聞いたときとは、明瞭さも、強さも、それに向けられている方向も、まるで違っていた。むしろ、ぼくとは直接関係のない何者かの、ひとりでの思考を、そのテレパシーでとらえた感じだったのだ。
テレパシーか?
しかし。
降下用艇の秒読みは、すでにはじまっている。
よせよせ、と、ぼくは自分にいい聞かせた。
この前のシェーラの声のときも、つまるところは何だか判明しなかったではないか。
今度だって、似たようなものだ。
それより……前にはシェーラ、今度はライゼラ・ゼイと……ぼくは、どうかしてやしないか?
女の声を……なぜ聴くのだ? 何か……そんな心理状態になっているのではないか?
秒読みが、終りつつあった。
軽い反動が、伝わってきた。
降下開始である。
ぼくの体は、少し軽くなった。
数秒置いて、艇は方向を転じたらしく、別のほうからの強い反動が、ぼくをシートに押しつけた。
ある程度の重力緩衝機能を有しているとはいえ、降下用艇は、本格的な人工重力生成装置を備えたエクレーダとは違う。加速・減速・方向転換のたびに、ぼくはシートそのものの振れと同時に、体が圧迫されるのを覚えた。
外は見えない。
窓などないのだ。
ぼうっとした暗い照明が、艇内のあちこちにともっているばかりだ。
降下は、つづいているようだった。
艇内が、何となくざわざわしているように感じたのは、ぼくの錯覚だろうか?
私語は、ことさら禁止されているわけではないが、これ迄の習慣で、みんな、制装に入っているときはろくに喋らないようになっている。それでもなお声を出す者がいたって別段不思議とはいえないものの、その位のお喋りなら、艇の機関音に打ち消されてしまうはずだ。
なのに、ざわざわした気配がある。
妙なことだ。
が……ぼくはそこで、そんなことを考えるのをやめた。
ぐ、ぐ、ぐ、と、小刻みにショックが伝わってくるのだった。
艇は急速にスピードをゆるめているようである。
音がした。
これ迄に連続していたのと異質のその音は……ドアが開きはじめているのであった。ぼくの視野にあるひとつのドアも、ゆるゆると横に動きだしている。
どっと風が吹き込んできた。
冷えた――艦内から艇内へと呼吸してきたこれ迄の空気にはない、鋭さとさまざまな匂いを伴った風である。
到着か?
だが、そうではないようであった。その証拠に、減速のショックは依然として、ぐい、ぐい、と来ているのだ。
ぼくの視野の中、すでになかば開いたドアのかなたに、青黒い――空があった。
艇は完全に着地する前に、ドアを開きはじめたのだ。
乱暴な話である。
乱暴だが……ぼくたちは固定されているのだし、着地してからドアを開くよりもその前にあけたほうが時間の節約になるということに相違ない。
八分通り開いたドアのむこうに、青白く光るものがあった。光といっても微光と形容すべきであろう。どうやら、水面らしいのである。が……それも平べったくなってゆくのは、艇の高度がいよいよ下ったかららしかった。
「全員、シートから出て、艇外に出よ!」
艇内のスピーカーが鳴った。艇長の声のようであった。
ぼくたちは、反射的にベルトを外しにかかった。
自由になった者から次々とドアへ急ぐ。
ぼくもみんなにつづいた。
外は夜だ。
ドアへ来て気がついたのは、艇が着地していないということである。兵たちはドアから飛び降りているのだった。
とはいえ、ぼうと見える下迄は一メートルもない。
ぼくも飛び降りた。
軽制装の足が下に着いた瞬間、しぶきがあがったのがわかった。そこは乾いた地面ではなく、浅瀬のような場所なのであった。
「こっちだ! 第一小隊はこちらに集合せよ」
前方から、キリー小隊長の声が流れてくる。
ぼくは進んだ。
足元に気をつけながら、浅い水をはね返して急ぐ。
十数歩のうちに、水はなくなり、石ころだらけになった。
キリー小隊長らしい制装のシルエットの前に、続々と兵たちが集合しつつある。
ぼくもその中にまじり、ガリン分隊長の声に応じて、自分の分隊の列に入った。
それでもまだ後方からは、制装がやってくるのだ。
そっちを見やると……降下用艇は地表すれすれに浮いていた。大きな黒い怪物のようになって、浅瀬の上にある。そのむこうは定かにはわからないものの、川の流れのようであった。そして降下用艇の、いくつも開かれたドアからは、先刻迄は鈍く暗いと感じていた照明が、驚くほどのあかるさで洩れ、光の中に制装があとからあとから浮かびあがっては飛び降りてくるのである。
そうなのだ。
降下用艇は河原の、浅いとはいえまだ水のある場所に、直接着陸したりはせずに、兵たちを降ろしたのだった。
そして、ぼくたち以外にも、あっちに一群、こっちに一群と、それぞれの隊が集合しつつある。
降下用艇から洩れる光が細くなって行く。
消えた。
今や全く黒い影と化した降下用艇は、底部から青く輝く光を放ったと思う間に、すぐに上昇して行った。その機関音もたちまちに遠くなり……夜空に溶け込んでしまった。
そのあと、ぼくの耳に入ってきたのは、川の瀬音であった。今しがた迄もひびいていたに相違ないが、あたりが静寂さを取り戻すと共に、にわかに大きくなったのである。
暗かった。
満天の星が、余計に地の暗さを強めている感じなのだ。
それなのにぼくが、やっとではあるがそうした河面や制装のシルエットを認めることができたのは……そのときになってやっと気づいたのだが、遠く、あっちにひとつ、こっちにひとつと、外灯らしいものが立っていたからである。緑色の、強い光の外灯なのであった。
ただの外灯なのか、それとも何かの用途のためのものなのか、ぼくにはわからない。
カイヤツの田舎には、そういうものはなかった。カイヤツの田園地帯でさえごく僅かに、お義理のようにたまに設置されているだけで、田園地帯からも入り込んだ、森や山のあるところには、そんなものはないか、あっても例外的存在だったのだ。
それがネイト=カイヤツと、ネイト=ダンコールの差の、ひとつのあらわれなのか?
もっとも、ぼくたちが戦場想定地として教えられ、かつもらった地図から考えて、降下用艇がちゃんとその場所に降りたのだとすれば、このあたりはネプトからいくら遠くても、七十キロか八十キロしか離れていないはずだ。ネプトーダ連邦の首都からその程度の距離なら、そうした施設があって当り前かも知れない。
しかしながら、ぼくはそうした考えに、そう長く耽《ふけ》っていたのではない。そんなことが許される状況でもなかった。こうした思考は降下用艇が上昇してからほんの一秒か二秒のうちに、ばらばらと、それもとりとめのないかたちで脳裏をかすめただけのことである。
すでにそのときには、キリー小隊長が叫んでいた。
「第一小隊、列を正せ。点呼!」
ぼくたちは整列し、分隊長の号令に応じて番号をいった。
全員、そろっていた。
「よろしい」
キリー小隊長はいい、手短かに状況を説明した。
それによると、ぼくたちが降下したのはネプトから見て西方約四十五キロ、ロンホカ湖よりまだ西のレイス河の川べりだということであった。
そしてぼくたちは、第二中隊に与えられた作戦に従い、他の二小隊と共にここから数キロ北上して、とりあえず森の中に陣をしくというのである。
「では前進する。前へ――進め!」
小隊長の号令一下、ぼくたちは川をあとにして北へ進みはじめた。ぼくたちのあとからは、第二小隊、第三小隊とつづいてくる。
中隊長がどのあたりにいるのかは、夜の暗さの中、ぼくにはとてもわからなかった。
だが、それにしても今回はこれ迄と違うな――と、ぼくは思わざるを得なかった。これ迄はぼくたちには、最低限の、どうしても知らなければならないことしか教えられず、それ以上の事柄は考える必要がないとされていたのに、今度はぼくにだって多少は全体的に見て取れる位、説明がなされている。これはやはりぼくが想像したように、ぼくたちには最後の一兵となっても自分自身が状況を把握し死ぬ迄たたかうことが求められているのではあるまいか? そうせざるを得ない状況なのではあるまいか?
客観的にいっても、そうだったろう。
ぼくたちは、じきに死ぬのだ。
そうと決められているのだ。
今更繰り返しても仕方のないそんな思いを、またよみがえらせながら……しかし、どういうわけか、ぼくは絶望もせず、恐怖も覚えていなかった。
神経が麻痺していたのだろうか?
それともあの、やるしかない、の合唱を経て、覚悟がすわってしまったのだろうか?
でなければ、まだ実際に戦闘に入っていないから、よくわからないのだろうか?
それとも、目先の、今の瞬間だけに気持ちを集め、無意識のうちにこれからのことから目を外らせようとしているのだろうか?
どれもこれも当たっているようであり、違っているようでもある。
いや、もうひとつあった。
それは、例のあの奇妙な確信……ぼくはそう簡単におしまいにはならないのだ……とにかく懸命に頑張りつづけていれば、きっとあかるい未来にたどりつけるのだという、奇妙な信念であった。自分でも昔からいささかそんな気持ちはあったようだが、シェーラやミスナー・ケイに吹き込まれ、何となくそれが予感のような、もっと希望的にいえば予知のように思えてきた、あの感覚が働いているのかも知れなかった。
そのせいだろうか?
何ともいえない。
いえないが……なぜか、軽制装にくるまり(そしてぼくは、自分が受け持たされた機兵を、今のところみんなと同じようにちゃんと行進させていたのだ)歩きつつ、その感じがいよいよ強くなってくるのを、自覚していたのである
これが、引き金になったのだろうか?
それともこの感じは、起きあがりつつあるものを、ぼくがようやくそれと悟りはじめた結果だったのだろうか?
ぼくはそこで、ペストー・ヘイチの声を聞いたのだ。
「これから、一体何日生きていられるのかなあ」
ぼくはぎくりとした。
そんな言葉をうかつに口にしてもいいものか――と、思ったからである。
「こりゃ要するに殺されに来たようなものだな。おえらがたには、はじめからこうなることがわからなかったのかね」
再び、ペストー・ヘイチがいった。
もちろんぼくは、ペストー・ヘイチの顔を見ていたのではない。ペストー・ヘイチは三、四人前を進んでいるはずだった。その声で、ぼくはペストー・ヘイチと知ったのである。
とにかく、そんな言辞は厳罰ものであった。分隊長に殴り倒される位ならまだしも、小隊長が聞きつけたら、どんなことになるかわからない。
だが、他の誰も何ともいわない。
なぜだ?
賛成の声をあげようとしないのは当然だが……なぜ誰も、制そうとしないのだ?
「酒がないのかな」
ラタックの声がした。「きつい酒を、ペランソでなくてもいいからきついのをぐっとやれば……諦めて死んでやってもいいんだがな」
「小隊長、大丈夫なのかね? 実戦で本当に指揮をとれるのかね」
これは、コリク・マイスンだった。
他にも……みんながやがやと、勝手なことをいいはじめている。強いのや弱いのや、まとまっているのや脈絡のないのや……。
そのときにはぼくは、それらがみな思念であることを……ぼくがその思念を読みとっていることを……確信していた。
ぼくは、エスパー化したのだ。
そういえば、さっき降下用艇の中がざわざわしているように思ったのは、あれはぼくがエスパー化しつつある兆候だったのではないか? みんなの思念の集まりを雑音として感知していたのではないか?
待てよ。
では、あのライゼラ・ゼイの声にしても、ぼくは彼女のテレパシーをとらえたのかも知れない。降下用艇に彼女は乗っていて、今、中隊のどこかにいるのかもわからない。
そしてさらに、あのシェーラの声は……。
いや。
シェーラの声は、予兆とはいえないのではあるまいか? シェーラがあの宇宙空間の近くにいたとは思えないし、遥かに遠くにいたのなら、テレパシーが届くわけもないのだ。それともシェーラなら、それが出来るというのか?
わからない。
シェーラのことはさておいても……ぼくが兆候のあと、エスパー化したのは疑いのないところであった。
周囲の人々のテレパシーが、いやでも飛び込んでくるのだ。
エスパー化したことを、今すぐ誰かに告げるべきだろうか?
今すぐでなくてもいい。第一、行進中の私語は咎《とが》められるのだ。そのうちに仲間には話すときが来るだろうし、ぼくもそのつもりであった。
ただ……このときにあたって……こんな生きるか死ぬかの、というより決死の状況でエスパー化したのは、ぼくにとって幸運ではなかったか? 超能力者としての力が、自分自身を助けることになるかも知れないのだ。どうも出来過ぎた話だという気がしたが、……こうなればおのれの力を活用すべきであった。
[#地付き]〈不定期エスパー5[#5は□+5] 了〉
[#改ページ]
[#地から2字上げ]この作品は1989年3月徳間書店より刊行されました。
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー5」[#5は□+5]徳間文庫 徳間書店
1992年7月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第5巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 30,423 e8010952c5c4ff752f597b8dfaf8aef9
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
1239行目
(p138- 3) こちちは集中させ、
こちらは集中させ、では?
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