不定期エスパー4[#4は□+4] 〈カイヤツ軍兵士〉[#〈〉は《》の置換]
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目次
バトワ基地
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バトワ基地
急造建築の物資部給品所は、天井が低く風通しも良くないので、ひどく蒸し暑かった。ここもそのうちに本建築になるという話だが、ほかと同様、いつのことになるか知れたものではない。いまだにこうした建物が次から次へと作られているのだから、とても建て替えどころではないはずだ。机上の計画としてはそうなっている、というだけのことであろう。
私物を入れた袋を手に、ぼくは、十本以上ある列のひとつにあって、みんなと共に少しずつ前へ進んでいた。ぼくはこれが自分の並ぶべき列だということを、むろんあらかじめ確認したのだけれども……こうも時間が経つうちには、それがだんだんと怪しくなる感じであった。一番前まで来て、いざ支給品を受け取ろうとしたときに、列が間違っていたらそれまでである。あらためて正しい列の最後尾につかなければならないのだ。しかしまあ大丈夫だろう。こうした事柄については、ぼくはきちんとやるだけのことはやるたちである。自分自身を信じることだ。それに、ぼくの前にはもう十人もいないのだから……おとなしく順番が来るのを待てば、それでいいのであった。
建物の内部は、結構やかましい。人々の話し声が一体になって、うなりにも似た低く鈍いひびきとなっている上に、ときどき、高い笑声が湧《わ》きおこったりするのである。だいぶ長い間ここにいるものだから、いつしか意識しないようになってしまっているけれども、ふと気をとり直したりする瞬間には、あらためてその音響がよみがえってくるのだ。
そして。
これは肉声だけの、音波だけのことではないのであった。
音とは別に、ぼくは、給品所にひしめく人々のテレパシーを感知していた。無数の想念や感情が、入り乱れごっちゃになって、ぼくの頭の中に飛び込んでくるのである。それらは、あるものは強く、あるものは弱く、だがあまりの多さにひとつの総和となって、ぼくを包んでいた。たまに何か意味のあることや、はっきりした感情を受けとめることはあるものの、そうした思念は断片に過ぎず、全体としてわーんと鳴っているようなのであった。
そうなのだ。
ぼくは依然として、エスパーなのである。
ぼくがエスパー化してから、これでほとんど百日、いや百日以上になる。こんなに長くエスパーの状態がつづくのは、今度が初めてであった。これまでは長くてもせいぜい二週間だったのだ。ひどい場合にはたった一晩というときもあった(エレスコブ家警備隊員としての任命式の、あの夜である)。だから、もうじき能力は消失するだろう、あすには消えてしまうだろう、と、思っているうちに、ずるずるとここまで来てしまったのである。聞くところによれば、不定期エスパーの中には能力が何カ月も持続する者もすくなくないそうだから、こういうことであわてたり、じたばたしたりするのは、みっともないのかも知れないが……ぼくは困惑していた。力の使いかたを知らない人間にとって、超能力というのは重荷である。それはぼくだって、どうせこういうことになったのなら、いつ消えてしまうかわからない能力だとしても、持続しているうちに活用法を会得すべきかも知れないと考え、我流であれやこれやと試し、研究して、些少《さしょう》ながら進歩はしたのだ。しかしながらそれはあくまでも些少であって、とても実用になるものではなかった。しかも一方――このほうがぼくには重大なのだが、ぼくが超能力なかんずく読心力を持っていることに起因する他人の反応と、それにどう対応したらいいかがまだわからない、という事情があったのだ。些少の超能力使用法の、現実にはろくに役に立ちそうもない程度の体得と、人間関係のむつかしさとをはかりにかけたら、答は明白である。マイナスのほうがはるかに大きいのだ。そしてぼくはこのマイナスゆえに困り果て、あるのかないのか不明だが、打開策を模索しつつあったのである。
その位なら、あっさりと超能力除去手術を受けたらどうか、と、いう人もいるであろう。ぼくだって、それは考えた。考えざるを得ないほど、追い込まれていたのだ。しかしぼくは、いくつかの理由から手術を受けることをためらい、ためらったままにして来た。
それらの理由というのは、以前モーリス・ウシェスタに手術を勧告されたさいにも述べたが、ぼく自身の過去――頼りない制御不能な超能力と共にあった、さまざまな思い出につらなる過去を消してしまいたくなかったというのがひとつ。まああのときの、超能力除去によってエレスコブ家のメンバーになり切れるという功利的な、功利的過ぎるから何となく嫌だという事情は今はなくなっているわけだが……超能力の除去がはたして好結果だけにつながるのだろうか、自分の大切な何かが失われる結果になるのではあるまいか――という漠然とした不安は、まだぼくの中に残っていた。これがふたつめ。さらに、ぼくにどって超能力というものは、どういうわけかつねにあの女たち、シェーラやミスナー・ケイとどこかでつながっており、また、彼女たちがいったり書いて来たりしたことによって、ぼく自身が(不定期エスパーとしてのに過ぎないが)超能力を保持しつづけることによって、確たる説明は出来ないが、何か大きな、これまで考えたことのないような可能性と未来が拓《ひら》けるのではないか、という、なかば信仰にも似た気持ちも、挙げなければならないだろう。
それに、もっと別の、現実的な理由もあるのだ。
かりにぼくが超能力除去手術を受けようとしても、ぼくはそんな時日のゆとりはなかったであろうし、これからも当分そんなひまはなさそうなのである。カイヤツ軍団にあって将来の兵員としての訓練を受けている身で、そんなことは認められそうもないのであった。
それと……こんなことをいうと、何だといわれることになるが、訓練を受けるにあたって、読心力が意外に役に立ったのである。これはぼくが超能力によって得をした、最初の体験であった。ために、すくなくとも訓練を受けている間は、読心力も悪いものではないな、などと思ったのだ。
まだある。
超能力除去なんて、いつでも出来ることであり、いったん除去すればそれまで――というのなら、なるべく先へ延ばすべきではないのか、と、いう発想。
また、ぼくの超能力自体、いつ消えるかわからないのだ。消えてしまえば何もくよくよすることはないので……消えるときを待てばいいではないか、との感覚。
――と、ぼくは自分が超能力除去手術を受けない理由をいろいろと並べたてたが、これらはみな弁解で、実は手術を受けようとしないのは、ただの未練なのかも知れない。自分でも暗に未練だと承知しているからこそ、こうも次々と理由を挙げるのかも知れなかった。また、こうして理由づけしなければ、除去手術も受けずにおのれの超能力を持て余している自分がみじめになることを意識の底の底のほうで悟《さと》っているから、こうも、これでもかこれでもかと力説するのかも、と、思ったりすることがある。
自分自身でも、本当のところはよくわからないのだ。
ともあれ。
ぼくがあれ以来ずっとエスパーのままだったことは、事実である。
だからこの瞬間も、ぼくは雑然とした思念に包まれ、それに耐えている。ことにこんなに大勢が集まり、考えると当時に喋《しゃべ》りもしている場では、ぼくの中で、音の一体化したひびきと思念の総和が共鳴をおこして、重くのしかかって来るのだった。
「…………」
ぼくはそこで、ぼくに向けられた強い思念を感知し、視線を正面に戻した。
行列の一員となっていたぼくは、自分の前に空間が出来ると、そのぶんだけ無意識に前進して来たが……気がつくと、ぼくが一番前になっていたのである。
ぼくの正面には、カウンターを距《へだ》てて、軍服の二の腕に太い銀線が一本入った準幹士がおり、ぼくをにらみつけていた。
「何をしている。命令書だ」
その準幹士はいった。
ぼくは袋を持っていないほうの手で配属命令書を差し出し、相手はそれを奪い取って検分した。
「準個兵イシター・ロウ。第二部隊一―二―一だな?」
準幹士はカウンターのむこうの、並んだ棚の間へ入って行く。
左右を見ると、カウンターに当然ながら行列の数だけの準幹士や個兵長がいて、配属命令書を検分しては、奥から当人への支給品の包みを持って来て、渡している。ぼくは感知するともなくそうした準幹士や個兵長の意識を感知したが……みな自分の仕事に没頭しているようで、時折好奇心を動かしたり、この馬鹿といいたげな感情が流れてくるだけであった。
ぼくの命令書を持って奥へ入って行った準幹士が、包みを手に戻って来た。
「シャワーを浴びてあたらしい服に着替えたら、配属先へ行け。古い服は廃棄孔にほうり込むんだ」
準幹士は、包みと命令書をぼくに渡しながらいった。ほとんど感情らしいものを動かさず、ただ、命令書と包みがちゃんと合っているかどうかだけに注意しているのが、ぼくにはわかった。
ぼくは配属命令書をポケットにおさめ、包みをかかえて、行列のあいだを抜けて行った。
給品所を出る。
二十メートルほど間隔を置いて立つ建物がシャワー場だ。
建物にはたくさんの人々が出入りしていた。男もいれば女もいる。
ぼくは男用の入口から細い通路を通ってロッカー室に行き、服を脱ぐと、包みと一緒にロッカーにしまった。
小さく区切られた広いシャワー場で身体を洗う。シャワーを浴びるのは四日ぶりなのでいい気分だった。
出て、身体を拭《ふ》き、包みを出す。
包みの表には、ぼくの名前と、さっき準幹士がいったように、第二部隊一―二―一としるされた紙が貼りつけられていた。正式にはこれは第二部隊第一大隊第二中隊第一小隊となるのだけれども、それでは面倒だからこういう表記になっているのだ。
包みの中は、あたらしい軍服一式であった。下着もちゃんとついている。軍服といっても基地内で着用するもので、戦闘用の制装ではない。戦闘用の制装は、所属する部隊に保管されているはずだ。大気圏外用の重装はもとより、大気圏内用の軽装にしたって、ぼくたちにはまだ勝手に使わせてはもらえないであろう。ぼくは一緒に入隊した連中と共に、個兵見習として三カ月の訓練を受け、基本は一応叩き込まれた。戦闘用制装の扱いかたもひと通りは学んだものの……とても自由に駆使するところまではいっていないのだ。そんな駈けだしに、高価な戦闘用制装を気ままに使わせるわけがないのである。そうした意味ではぼくたちは、ともかく最下級の正規兵である準個兵に任じられたといっても、半人前なのかも知れなかった。
それでも、古い汚れた個兵見習の服に代えて、太い赤線が二の腕に縫い込まれた準個兵の軍服をまとうと、自分が多少格好良くなったような気分になったのだから、妙なものである。たかが準個兵になっただけなのに、そんな感覚におちいるのは、ぼくがすでにこの基地で三カ月を過し、ここでの、家の警備隊などとは比較にならないほどきびしい階級間格差を、いつの間にか自分の中にも受け入れていたせいかもわからなかった。
あたらしい服を着、個兵用の短いひさしのついた帽子(これは個兵見習も準個兵も同じであった。兵の帽子はみな同じ型なのだ)をかぶると、ぼくはシャワー場をあとにし、近くの廃棄孔に古い服を投げ入れて、私物の袋を持ち、第二部隊の兵舎群へと、歩きだした。
陽がじりじりと照りつけて、暑い。
ぼくは、立ち並ぶ建物の外、緑の広い野と、そのかなたの山々に目をやった。
こうして眺めたところでは、景色はカイヤツのそうした地方と、何ひとつ変らない感じがする。
だが、ここはカイヤツではないのだ。ネプトーダ連邦第三のネイトとされるネイト=バトワの中心世界バトワなのである。ネイト=ダンコール、ネイト=ダンランに次ぐ勢力を持つネイト=バトワは、ネイト=カイヤツなどよりずっと進んだ社会と技術力を有し、ネプトーダ連邦の中にあっても、かなりの発言権があるということである。そんなバトワだというのにここがこんな風景なのは、この基地が首府バトワから二百キロ以上も離れているからであった。
が……ここの風景がカイヤツを思わせるそのぶんだけ、ぼくにはカイヤツが遠いという気がするのだ。
ぼくは山々から視線を外らし、ときどき行き交う上官に敬礼しつつ、大股に歩いて行った。
ぼくは、自分がこうなるまでのいきさつを、当然ならが話さなければならない。
エレスコブ家から追放同然に連邦軍カイヤツ軍団入りを命じられたぼくは、イスナット・ノウセンの申し渡した通り、カイヤツVが次の寄港地に到着するまで、船内において保護監禁された。いや、あれは保護監禁というようなものではなく、ただの監禁そのものではなかったか? 申し渡しのあとのまぎれもない監房に入れられてからば、公式にはぼくに対して何の連絡も何の説明もなかった。私的なコミュニケーションにしても、エレンたちの寄せ書きとミスナー・ケイの手紙をもらったきりで、あと、誰からも何の接触もなかったのだ。といって、こっちからどこかへ連絡を取ることも許されなかった。もっとも、誰かといったところで、エレンをはじめとする第八隊とミスナー・ケイ以外には、ぼくはカイヤツVの中で、親しく話せる人間はいなかったのだから、仕方のないことかもわからないが……あたかもぼく自身がすでに存在価値がなくなったように、監房にほうり込んで何の音《おと》沙汰《ざた》もない――というやりかたに対して、ぼくが索然とした気持ちになったのは否《いな》めない。例の、エレスコブ家といったって、所詮、使い道のあるうちは使うけれども、用がなくなったり勤務させるには具合が悪くなったら、どんなに死にものぐるいで働いて来た人間でもあっさりと放り出すのか、といった、あの怒りの感情は、その時分にはもう色|裾《あ》せて、どこか皮肉っぽい諦観に近づいていたのである。ただ、そういう心理の中でも、あのミスナー・ケイの手紙は、ともすれば暗いほうへと傾きがちなぼくの気分を、読み返すたびに少しは明るくしてくれた。何度も読んだものだから、そのうちに端のほうはぼろぼろになってしまったが……それでもだいじに持っていた、というと、笑われるだろうか。
ネプト宙港を発進したカイヤツVの次の寄港地は、ネイト=ダンコールに隣接するネイト=ダンランの、そのむこうにある小ネイトの、ネイト=スパのスパ市であった。ネイト=スパでぼくは保安部員たちにとりかこまれて、船を降りた。乗船している人たちの上陸の時間とずれがあったせいか、降りるときにはほかに誰も見掛けなかった。送りに来た者もいなかったのだ。あるいは禁止されていたのかもわからないが……ぼくには何ともいえない。それに保安部員たちは、そこがスパ市であるということすら、教えてくれなかったのである。こちらから教示を乞えば、いってくれたかも知れないけれども、ぼくはそんなつもりはなかったし思念を読めば済むことだった。
船を降りたぼくは、丸腰だった。剣もレーザーガンも取りあげられてしまったからである。保安部員たちは、それらの品々はエレスコブ家の警備隊で預り保管することになるといったが……実質は、剥奪《はくだつ》であった。申し渡しではぼくは、警備隊の中級隊員の資格のままで連邦軍に志願する、となっていたのに、これでは約束が違うのではないか、と、思った。制服や階級章まで取りあげられなかっただけ、ましかも知れない(が、まあ、そのときにはそんな考え方をしたものの、あとになって思いをめぐらせば、この処置は理にかなうことはかなっている。これから連邦軍に入ろうという人間に、武器などは必要ないわけで、一方、ぼくはエレスコブ家警備隊中級隊員の資格を保有したまま志願するのであるから、制服と階級章はそのままでなければならないはずである)。
スパ市の宙港で、ぼくは連邦軍の手に渡された。ただ、連邦軍といってもこのときはスパ軍団の者が迎えに来て、カイヤツ軍団の連絡艦がネイト=スパに来るまでの間、ぼくを預るというかたちになったのである。
スパ軍団の人々は、ぼくを丁重《ていちょう》に扱ってくれた。他の軍団へ引き渡す預りものだからであったろう。ぼくはスパ市の郊外にあるスパ軍団の小さな基地で、二日と二晩を過した。待遇はよかったけれども、ぼくが預りものである証拠に、外出は許されなかったのである。
三日めの朝に、ぼくは車で軍用宙港に連れて行かれ、そこで、寄港したカイヤツ軍団の艦に収容された。艦といってもそれは兵員輸送船で、カイヤツ軍団の兵員がたくさん乗っていたが、それとは別に、入隊志願者もかなり積んでいたのだ。
ぼくはその艦の中で、入隊の手続きをさせられた。手続きだけはしたものの、それではまだちゃんとした兵員ではないということで、他のすでに手続きをした志願者たちと同じ大部屋に、お客様として入れられたのだ。だがお客様とは名ばかりで、ぼくたちは、何の仕事もしなくていい代り、ベッドは粗末で汚れ切っており、食事も乏しい毎日を送らなければならなかった。
同じ大部屋の入隊志願者――もうこの時点では入隊者と呼ぶべきであろうが……かれらとはいろいろお喋りをした。とはいえ、無用の摩擦はおこしたくなかったので、ぼくは自分がエスパーの状態にあることは、口外しなかった。
そうしてみてぼくが知ったのは、各家からの入隊志願者があれほど割り当てられ、主として警備隊員が出向させられているというのに、全体の比率の中では、警備隊員あがりはごく少数だったということである。あとになってわかったのだけれども、そうした警備隊員あがりはすでに訓練を積んでおり、体力も戦闘技術もある程度備わっているために、カイヤツ軍団の中でも精鋭と呼ばれる兵団なり地上戦隊なりに送り込まれることが多いので……ぼくが収容された艦は新編成の、これからきびしく訓練をして鍛えあげようという、駆り集められた人間、犯罪を帳消しにする代りに軍団入りを承知した連中、といった、いってみればだいぶ質の落ちる入隊志願者を運んでいたのである。そしてぼくがその艦に収容されたのは予定の行動だったのだから、やはりこれはぼくに対しての、エレスコブ家の懲罰の意図が反映されているのかもわからない。あるいはこういうことになったのは全くの偶然だったのかも知れないが……とにかくぼくが、カイヤツ軍団のうちでも新編成の、あまり肩身の広くない隊に入られることになったのは、本当である。
大部屋の雰囲気は、正直いってぼくにはなじめなかった。しょっちゅう言い争いがあり、喧嘩があって、いつもがさがさしていたからだ。もしもぼくがエレスコブ家警備隊員の制服を着ていなかったら、ぼくも喧嘩を売られていたに違いない。乱暴をする連中は、相手が家の警備隊員だと見れば、まず強い出方はしなかったのだ。警備隊員というものが、きびしい訓練を受け、腕力にも長じているのを知っていたからであろう。ぼくのみならず、部屋に数名いた警備隊員は、いろんな家のメンバーで、妙なことというか果然というべきか、サクガイ家とかマジェ家のような有力な家の人間はおらず、弱小の家の連中ばかりで、家としてはエレスコブ家のメンバーのぼくがもっとも大きかったけれども、みな、それぞれのペースを守り、無用の争いごとに加わらないようにしていた。とはいっても、一度だけだが数人が徒党を組んで、ジェーリイ家の警備隊員に挑戦したことがある。その警備隊員はうんざりした表情で立ちあがったが、たちまちふたりを叩き伏せた。あとの連中がつかみかかったとき……ぼく自身予期しなかったことだが、ぼくを含めて他の家の警備隊員がいっせいに腰をあげて、かれらの中に突入する構えを示したのであった。これまでは角突き合っていた違う家の警備隊員たちが、期せずして共同戦線を張ったというのは、そこに、家々の対立を抜きにしての、警備隊員どうしという感覚があったせいに相違ない。この気配に、つかみかかろうとしていた連中はあわてて引きさがり、以後、二度と警備隊員に手出しをしようとしなかった。その代りそれからあと、そうした連中がぼくたちに白い目を向けつづけたことも、つけ加えておくべきであろう。
つけ加えるといえば、その艦には、案外多くの女性が乗っていたことも、いっておかなければならない。彼女たちの一部はれっきとした乗員で、きびきびと働き、何人かは自分の個室を与えられていたようだ。連邦軍に関してはカイヤツ府の人間が通常持っている程度の貧しい知識しかなかったぼくだが、意外に女性が任用されているのを知って、軍団の性格について考えをあらたにするところがあったのだ。それ以外の女性というのは、大部屋にいるぼくたちと同じく、今度連邦軍に入隊した連中で、彼女らは別の大部屋で寝起きしているようであった。ようであったというのは、ぼくが乗員たちのテレパシーによって知ったので、自分の目で見たのではないからである。
ともあれ、こうした大部屋での生活が長くつづけば、ぼくだってしだいにストレスがたまり、喧嘩のひとつもやっていたかもわからないが、さいわいなことに、この旅は五日間で終った。
艦が、カイヤツ軍団の基地に到着したからだ。
到着してあっけにとられたのは、そこがネイト=ダンコールのダンコール世界ではなく、ネイト=バトワのバトワだということだった。ぼくは、ネプトーダ連邦の連邦軍の本拠はダンコール世界にあり、連邦直轄軍団はもとよりのこと、十四のネイト軍団はすべてダンコールに本部を置き、出動している軍団のほかはみなダンコールに駐屯《ちゅうとん》していると信じていたのだ。そう聞かされていたのである。
実をいえば、それは必ずしも誤りではなかった。ただ、ぼくの得ていた情報が、古かったのであった。その後、おいおいにぼくが理解したところでは、連邦軍の主力は依然としてダンコールにあるのだが、ボートリュート共和国との休戦状態がいささか怪しげになって、再びたたかいがはじまりそうになって来ているために、いくつかの軍団を、よりボートリュート側に近いネイト=バトワに移し、出撃・迎撃の機動性を高めようとしているのだ。このことは、ボートリュート共和国のむこうに控える大勢力のウス帝国が動きだしたとき、全力抗戦するにしても、縦深の陣形を作ることになる。その作戦計画のもとに、カイヤツ軍団も移動を開始し、一部がすでにバトワに来ていた――ということのようである。ようであるとは無責任だが、ぼくはこれらの事柄を直接誰かから聞いたのではなく、いろんな将校の思念の切れはしを自分でまとめ、推測したのだから、やむを得ない。
話が先へ走ってしまった。
バトワに建設中のカイヤツ軍団基地で、ぼくたちはすでに到着して数がまとまるのを待っていた新入隊者たちと合わせられ、分割されて訓練を受けることになった。前にもいったようにぼくたちは、新規に編成される隊である第四地上戦隊の兵員として、予定されていたのだ。
ここで、ぼくたちが教えられた連邦軍およびカイヤツ軍団の編制なるものをかいつまんで説明すると、次のようになる。
ネプトーダ連邦軍務省の下に軍務局があり、軍務局のもとに十四のネイト軍団がある。軍務省の下には軍務局を経由しない連邦直轄軍団が五つあって、合計十九の軍団が、連邦軍の総力ということになるわけだ。
カイヤツ軍団はもちろん、その十四のネイト軍団のひとつである。
カイヤツ軍団の頂点に軍団司令部があって、軍団司令部は第一から第三までの兵団を統括する。各兵団はそれぞれ第一宙戦隊から第四宙戦隊までの四つの宙戦隊と、補給、艤装《ぎそう》などを担当する部門から成る。宙戦隊は隊によって差はあるものの、各々戦闘用大型艦数隻以下多くの艦艇を有する。
つまり、三つの兵団が、カイヤツ軍団の宙戦力なのだ。
カイヤツ軍団司令部は、この三兵団のほかに、宙戦隊の規模に匹敵する地上用の戦隊を三つ、直接指揮下に置いている。第一地上戦隊、第二地上戦隊、第三地上戦隊だ。いや……現在編成中の第四地上戦隊を入れると、四つになるが、地上戦隊といっても惑星上空や近距離の宇宙空間での戦闘力もあるので、つまりは艦船間の宇宙空間のたたかいではなく、惑星上の、あるいは惑星上を拠点とする敵を直接叩くための戦隊なのだ。
何だ連邦軍といってもそれだけのものか、という人もいれば、さすがに大規模だと思う人もいるかも知れない。こういう編制については、ふつう、一般の人々にはあまり宣伝されておらず、漠然としたイメージを抱いている者が大部分で、ぼくもその例に洩《も》れなかった。教えられて……ぼくはその両方の感覚を同時に味わったのだ。
ぼくは今もいったように、その第四地上戦隊に組み入れられた。
ただ、新規の編成とはいい条、戦隊たるものが戦闘、軍務の未経験者や素人ばかりで成立するものではないのだから、今回の編成にあたっては、あちこちの隊からベテランを引き抜いて、戦隊の中枢にさせ骨格にさせるようにはしている。
そして、ぼくたちも、基地に着いてすぐ本物の兵員にされたわけではなかった。まず、個兵見習として、三カ月間の教育と訓練を受けさせられたのだ。平時なら、これは六カ月かかるということであるが、いつたたかいが再開されるか予断を許さぬ今は、そんな悠長なことはいっておられないのだった。ために訓練はまことにきびしい詰め込みとなり、何割かはこの段階で脱落した。軍団のこわいところは、こうした脱落者が除隊されてカイヤツに帰されるのではなく、再訓練を行ない、それで駄目ならまた訓練を行ない、なおかつどうしようもないものは、戦闘のおとりとしての全員戦死が前提のような部署へ送られるということである。これは訓練のさい教官がいったので、事実かどうかぼくにはわからない。ひょっとしたらそれはおどかしで、もっとおだやかな措置がなされるのかも知れなかったが……ただいえるのは、そんなことをいわれて頑張ったにもかかわらず、脱落者が出たほど、訓練がきつかったということだろう。
ぼくにとっても、訓練は決して楽なものではなかった。警備隊員としてそれなりに鍛えられていたから何とかなるとぼくは思ったし、体力づくりなど基礎トレーニングや、格闘技さらには小型の武器などについては、それほど苦労はしなかったものの……大型火器や戦闘用のいうんな車の操縦、命令の伝達のしかたや連絡機器の扱いとなると、やはり精一杯|頑張《がんば》るしかなかったのだ。
中でも厄介なのは、戦闘用の制装のコントロールであった。この制装は、大気圏内用の軽装で十五キロ内外、大気圏外用の重装になると五十キロから六十キロの重さがあり、全身をすっぽりかくすスタイルで(前にカイヤツ府のパレードでぼくが見た、あれである)内部に指令送受装置、行動強化装置などが仕込まれ、はっきりいえば、自分で動くというよりは、なかば操縦するのである。重装などになると、本質的に宇宙服そのものなのだから、ひとつ操作を誤ると、生命にかかわってくるのであった。おまけにこの制装以外に、武器とか食糧などを携行しなければならないのである。うるさい代物《しろもの》であった。うるさいが……これが使えなければ、戦闘らしい戦闘にはならないのだ。
制装といえば、人間だけのものではないことも、ぼくは知った。軽装なり重装なりの、人間と同じ格好をしたロボットの兵員が連邦軍では大量に生産されており、人間と入りまじってたたかうのだ。機兵と呼ばれるそれらのロボットは、ロボットだけの集団として動いた場合、弱点をひとつ突かれると総倒れになってしまう。行動にそれなりの型があり、機能も同じだからだ。それに指揮者を失うと状況変化に対処出来なくなるのであった。そこで連邦軍は、この機兵を一体、あるいは二体、ときによってはもっと多くを、ひとりの人間の指揮下に置き、その人間の命令に従って行動するシステムを作りあげていた。そういう機兵を従えた人間の兵員が、上級指揮官の命によって行動するというやりかたなのである。とはいえこの機兵を思いのままにあやつるには相応の技術と熟練を要するので、その能力のない者には、使わせない。機兵を与えられない者は、自分ひとりでたたかわなければならないのだ、そして、この機兵を組み込んだ軍編制での命令系統は、場合場合によっていろんなかたちに変化し、移って行くのだから、そこをマスターしなければ、どうしようもないのであった。そんなわけで、個兵見習の段階では、まだ機兵の使いかたについては教えられない。準個兵になってはじめて、訓練にその課程が入ってくるのであった。
個兵見習とか準個兵とか、一般には耳馴れない単語が出てくるので、面くらう人もいるかも知れない。
どうせいずれは説明しなければならないのだから、ぼくたちが習ったテキストの引き写しのようになるが、ここで連邦軍の階級制度の大要を、いってしまうことにする。
連邦軍人の種別は、軍と名のつくものが基本的にはどうしてもこの形式をとってしまうように、大別して、兵と下士官と将校の三つになる。
まず、兵が下から、
個兵見習。
準個兵[#校正1]
主個兵。
個兵長。
となる。ただし、個兵見習は正規兵ではなく、未経験の新兵なので、原則として戦闘には参加させてはならない。
次に下士官だが、やはり下から、
幹士見習。
準幹士。
主幹士。
幹士長。
の頂になっている。
この幹士見習は、下士官としての訓練を受けている者なので、命令系統の外に置かれている。
これら、兵と下士官は、階級章として上衣の二の腕に、赤色または銀色の模様を縫いとっているのだ。赤が兵。銀が下士官なのであるが……もっと詳細にいうと、個兵見習が細い赤筋一本、準個兵が太い赤筋一本、主個兵が太赤筋一本の下に細赤筋、個兵長では太赤筋二本で……これは下士官でも色がちがうだけで同じことなのだ。細―太―太プラス細―太二本というわけである。
将校に移ろう。
将校は、下級将校が率軍と呼ばれる。軍を率いるの意味なので、やはり下から行くとして、
率軍候補生。
準率軍。
主率軍。
率軍長。
率軍候補生は、これまた幹士見習と同様、率軍になるための訓練を受けている者で、命令系統の外に置かれる。ただし率軍候補生の場合は幹士見習とことなり、訓練を終了して勤務してもまだ率軍候補生のままであることが多い。将校としての適性の有無を慎重に判断しなければならないからだそうだ。
これがどの程度の位かということになるが……ふつう地上戦隊では小隊長が主率軍、中隊長が率軍長というのが相場だ。
中級の将校は、参軍と称する。軍に参画するということのようだ。同じく下から行くとして、
準参軍。
主参軍。
参軍長。
の三階級なのだ。参軍に見習とか候補生というのがないのは、もうこのあたりまで来ると、そういう宙ぶらりんの存在は要らなくなるからではないか、と、ぼくは思う。
上級将校は、管軍。軍を管掌するからだろう。
準管軍。
主管軍。
管軍長。
なのだ。
大体、地上戦隊では大隊長が準参軍、部隊長が参軍長であり、宙戦隊の艦長クラスで参軍長なのだから、管軍というのは、いわば一般的にいわれる将軍閣下にあたるのではあるまいか。
本来なら、これでおしまいでいいはずだけれども、連邦軍にはまだ上にふたつの階級がある。
下から、
理軍補。
理軍。
と、いうのであって、理は司るとか監理するとかの理だそうだが、ぼくにははっきりとは意味がつかめない。ただ、連邦軍にこういう上乗せめいた階級があるのは、ネプトーダ連邦がネイトの集合体であり、ために組織の構成上、えらい人のための座を設けておかなければ何かと具合が悪いからではないか、と、ぼくは考えるのだが、いかがなものであろう。ちなみに、軍団司令長官は、たいがいが理軍補のようなのだ。
将校の階級章については煩雑《はんざつ》になるから、いちいちの説明はしない。あらましを述べると、将校の階級章は袖章で、上衣の袖を金線が巻いているのだ。率軍候補生が細い金線一本、からはじまって、順次二本、三本と増えて行き、その上が太い金線になる。太い金線に細い金線がひとつずつ加わって行き、三本の次は太くなるから、太い金線が二本になる。このやりかたで増やして行くと、最後の理軍で太い金線三本になるはずだ。
そしてぼくは、やっと準個兵になったところなのである。
こういう、連邦軍の編制や階級制度をながながと述べて……ぼくがまるであたらしい興味の対象を見つけてよろこび、連邦軍に入ったのをうれしがっている――と解する人もあるのではなかろうか。
違うのだ。
そんなものではないのだ。
ぼくは……こうすることで、おのれのほうり込まれた場をみつめ直し、ここでまたもや全力をつくさなければならないのを、何とかしておのれに納得させようとしているようなのである。
エレスコブ家をあんなことで追われる結果になって、ぼくは、当初、こんなことでいいのかと思った。自分はこんな風なあしらいを受けるいわれはない、自分はエレスコブ家のために身命を賭《と》したつもりだったのに、これはどういうことなのだ、と、不信感にとらえられ、腹を立てたのである。
しかし、はじめのうちの、査問会までのぼくは、まだそれでも何とかなるのではないかと期待していた。
これが査問会によって打ち砕かれたとき、ぼくはなかば諦めようとし、それでもこれまでつながりのあった人たちにすがりたい気分を抱いていた。怒りはしだいに冷えて行き、自分で何とかするしかないと思って、おのれの超能力を試してみようとしたりしたのである。
そして、イスナット・ノウセンの申し渡しのあと、ひとたびは冷えたはずの怒りがまたいっとき燃えあがり……ついで空しくなり、虚脱の状態が到来した。
こういう、自分の心理の動きは、いったい何だったのだ、と、ぼくは考え……ふと、妙なことに思い到ったのである。
それは……ぼくは、自分がこれまでやって来たことに対して、無意識のうちに報酬を求めていたのではないか、という自省なのであった。行為の報酬という表現が適切でないとしたら、そう……おのれが積みあげて来たものは、必ず何かの成果をもたらす……もたらさないはずはない、との思い込みだったのではあるまいか。積みあげたはずのものが押し流されて行くとき、自分がこれまでやって来たのはゼロとなり無意味なものに還ってしまったのか……ちょうど浜辺で砂の山を作りあげたのが波に洗われて、もとのただの浜辺に還るような……そのとき、砂山を作りあげたのに、という気分にも似て……そういうものが何にもならなかったことに対して、ひとりで怒り、怒る自分をごまかすために、あれこれと理屈をつけていたのではないか、という反省なのであった。
そう。
たしかにぼくの、エレスコブ家警備隊員としての、エレン・エレスコブ護衛隊員としての実績は、もう何の意味もなくなってしまった。風に吹き払われる塵《ちり》みたいに、どこかへ散って行ったのだ。のみならずぼくは、もしもエレスコブ家に属していなかったら入らなくても済んだかも知れないカイヤツ軍団への入隊などということを、強制されてしまったのだ。エレスコブ家に籍を置いたことは、成果を得るどころか、自分を望みもしなかったところへ追い込むことになったのである。
ぼくは、それをくやしがっていたのだ。
それが、わりに合わないと感じていたのだ。
それが怒りとなり諦めとなり虚脱感となったのだ。
だが。
人間、本来、そう簡単に収支のつじつまが合うものではないのではないか?
ぼくが空しいと思うのなら、あのノザー・マイアンはどうなるのだ? そしてハボニエ、あのハボニエはどうなるのだ? なるほど、かれらは名誉の戦死をとげた。みなその死を哀惜《あいせき》された。
でもそれが、当人にとって何になろう。当人は名誉の戦死であることに、満足したかも知れないが……それしか満足することがなかったからなのではないか? 別の観点から見れは、要するにすべてを失っただけのことなのだ。
それを、わりに合わないとか収支がつかないとか、ということだけで片づけるのも……また行き過ぎには違いない。
つまりは……生きて行くというのは、それ自体が不条理なことなのだ。そこで数学の公式めいたものを求めても、いつも同じ公式が成り立つとは限らない。
とすれば……あるがままに事態を受けとめるしかないのではあるまいか。過去にどうしたこうしたは、その余裕があるときにはいいけれど、過去にこだわることでおのれが空しくなり虚脱感に浸る位なら、やめたほうがいい。
うしろを見てつらくなるのなら、その間は振り返らないことであろう。そんなときは前を見て……前を見ているぶんには、自分が何を失ったかということは、見えもしないし気にもならないのではあるまいか。それどころか、自分が何かを失ったことさえ、消してしまうことが出来る。そうなれば、何も失わなかったのと同じではないか。自分はまだ何も失ってはいない。それどころか、これからあらたに獲得して行くのだ――との気持ちに徹するとき、前途があかるくなり、開けるのではないだろうか。
ぼくがそんな考えかたをするようになったきっかけは、あのミスナー・ケイの手紙であった。あれほど素直に、ぼくに前を向かせようとしているミスナー・ケイの手紙……ぼくに未来を信じさせようとし、それをまた予言めいたいいかたで告げて来た手紙……そう思うようになると、あの文章の拙《つたな》さや字の下手さ加減までが、むしろ好意を持った微笑の対象となり、人をその気にさせる作用を持つように思えてくるのだ。
もっとも、ぼくのこのいわば脱皮は、ミスナー・ケイの手紙を初めて読んだそのときに行なわれたのではなかった。手紙を何度も読み返し、ぼく自身がネイト=スパで降ろされ連邦軍の艦に乗せられて行くうちに、少しずつ進行したのであった。
その結果、ぼくは思う。
もう、これまでに自分が何かを持っていたというようなことは考えず、今のこの瞬間から、つねに今のこの瞬間からはじめるつもりになろう。それも、今の自分が全くのゼロなのだとの覚悟で、それをスタート台にしてやって行こう、と、そう思うようになったのだった。
そのぼくは、今、カイヤツ軍団の、第四地上戦隊にいる。もっとくわしくいえば、第四地上戦隊第二部隊第一大隊第二中隊第一小隊所属の、イシター・ロウ準個兵なのだ。もはやエレスコブ家保安部門警備隊中級隊員、エレスコブ家ファミリー、エレン・エレスコブ付第八隊護衛員イシター・ロウは、どこにもいないのだ。
もちろん、このいいかたには嘘がある。どうせ元へ戻れないであろうにせよ、ぼくはまだエレスコブ家警備隊員の身分を有しているのだ。そして過去を振り捨てるといっても、ぼくの自分の過去を消し去ることは出来ないし、過去のさまざまな出来事がぼくを作りあげているのも否定出来ない。ぼくは父母を忘れることは出来ないし、ファイター訓練専門学校を卒業したことを否定し得ないし、イサス・オーノを忘れることも不可能であり、エレン・エレスコブを守ったことや、パイナンはじめ第八隊の連中のこと、中でもハボニエ・イルクサのことは、決して脳裏から消すことはないであろう。ヤスバも……もちろんシェーラもミスナー・ケイも……その他すべてを意識から葬り去るようなことはしないだろう。そんなことは、ぼくには出来ない。
ただ、ぼくは、頼るべき対象として過去を持って来ないことにしよう、と、そう決心したのだ。そう決心したからこそ、このあたらしい場としての連邦軍カイヤツ軍団に対しても、逃げずに、真正面からぶつかり、つかむべきものはつかみ取って行こうと、そう思うのである。
そういうみつめかたをしているのだと……理解して欲しいのだ。
第二部隊の兵舎群に来たぼくは、主棟受付の事務官に配属命令書をさし出した。事務官は命令書を受け取ってしまい込み、ぼくに、行くべき第一大隊第二中隊の建物を教えてくれた。
第二中隊のある棟の前には歩哨《ほしょう》が立っており、ぼくの敬礼に応えた。
ぼくは中に入った。
廊下を通って第一小隊としるされた分棟に来ると、そこにいた大柄な幹士長が、ぼくの官姓名をただし、すぐに小隊長のところへ挨拶《あいさつ》に行けという。
何となく、エレスコブ家のあの護衛部へ行ったときに似ている――と思いながら、ぼくは小隊長室をノックした。
「入れ!」
声が聞えた。
ぼくはドアを開け、戸口で姿勢を正すと、個兵見習の訓練で叩き込まれたように、きちんと敬礼し、叫んだ。
「イシター・ロウ準個兵、ただ今着任いたしました!」
窓を背にしてこちら向きになり、デスクで何か書きものをしていた主率軍が、顔を挙げた。
これもまた、あのときと状況は同じではないが、感じはヤド・パイナンに挨拶したときに似ている、と、ぼくはちらりと考えた。
だが、あのときと似ていたのは、そこまでだった。
顔をあげてぼくを見た小隊長は、ぎくりとするような鋭い、つめたい目をしていたのだ。痩《や》せて、どこか鋼鉄を連想させる身体つきであった。ヤド・パイナンのきびしさと気軽さをないまぜにしたあの雰囲気は、そこにはなかった。ぼくは、氷と向き合っているような気がした。
「イシター・ロウか」
小隊長はデスクに積んであった書類から、一枚を抜き出し、目で読んだ。
パイナン隊長と出会ったときと違うことがもうひとつ……根本的に違う事情が、そこにあった。
ぼくは、エスパーになっているのだ。
(ファイター訓練専門学校出身で、エレスコブ家の警備隊中級隊員か)
小隊長の思念が流れてくるのを、ぼくは感知した。
その思念が、にわかに硬くなった。
(エレン・エレスコブの護衛員?)
小隊長は、あきらかにそこで反感を持ったのだ。
同時に、ぼくは、小隊長のその思念にもうひとつ重なる想念を受けとめた。
小隊長は、マジェ家警備隊の出身だったのである。マジェ家の警備隊からカイヤツ軍団に志願を命じられた……警備隊のれっきとした士官だったのだ。エレン・エレスコブの名を見て湧きおこったその想念を読み取る位までには、ぼくは自分の超能力を利用することが出来るようになっていたのである。その小隊長の想念によれば、エレン・エレスコブこそ、ネイト=カイヤツの秩序を乱そうとするエレスコブ家の旗手なのであり、そういう女を護衛していた人間などが、なぜ自分の下に配属されねばならないのか、ということになるのであった。
悪い小隊長の下に配属された、と、ぼくは思った。
しかしながら、悪いことはそれだけでは済まなかった。小隊長は不意に目をこちらに戻すと、テレパシーとほとんど重ねるようにして、いったのである。
「不定期エスパーだと? お前は今、エスパーの状態にあるのか?」
「そうであります」
ぼくは姿勢を正して答えた。そう答えるしか仕方のない場面であった。どうせ嘘をついてもすぐにわかることなのだ。まして、それがどうかしましたかなどと反問するのは、愚の骨頂である。以前の……エレスコブ家に入ったころのぼくは、おのれの自我にこだわって、しばしばそんな真似をしたものだが……その後、不必要なときに目上に向かってそんな口のききかたをするのは、相手の気持ちを逆撫でするだけだと悟るに至ったのであった。そしてここは、エレスコブ家警備隊よりもずっときびしい強制規範組織――軍隊なのである。こういう組織には、それを守っておればすくなくとも非礼とされずに済む受け答えの型というものがあり、ぼくは個兵見習としての教育と訓練中に、その型をいつか身につけていたのであった。逆にいえば、それができるようにならなければ、まともな正規兵とは見倣《みな》されないのかも知れない。だからぼくは、このあとのやりとりがどういうことになるのかはひとまずおいて、ためらわず、感情も見せず、正直に、一介の兵卒が上官――それも将校に対する型の通りに、返事をしたのである。
「ふむ」
小隊長は頷《うなず》いた。ぼくは小隊長の心の中に、ではこいつは今のこの瞬間も私の意識を読み取っているのか、との思念が動き、しかしたちまち、読み取るのなら読み取るがいい、という風に変化するのを、感知した。そしてこれは明確につかんだのではないけれども、小隊長はこれまでに、多くの超能力者と出会い、つき合いもあり、超能力者を相手にすることに(警戒心がまじっているのは事実であったが)かなり馴《な》れているようでもあった。
だが小隊長は、そんなことは口にしなかった。思考とほとんどこだまするようにして、いいだしたのである。
「お前が常時エスパーなら、軍はお前に、エスパーにふさわしい任務を与えただろう」
小隊長は、ぼくを鋭く見た。「ところがお前はいつエスパーになったり、そうでなくなったりするかわからん。だからそうした仕事をさせるわけには行かんのだ。軍にとってはエスパーかそうでないかの、二種類の人間しか存在しない。従ってお前は、ふつうの人間として扱われる」
「はい」
ぼくは、不動の姿勢で応じた。
「われわれはお前に、超能力除去手術を受けろなどとはいわぬ」
と、小隊長。「お前が自分の超能力で規律を乱すようなことをしなければ、それでよいのだ。不都合な言動があれば罰する。それだけの話だ」
「はい」
「ところで、お前はエレスコブ家でエレン・エレスコブの護衛員をしていたそうだな?」
「そうであります」
エレンをそんな風に呼び捨てにされるのは愉快ではなかったが、ぼくは表情も変えずに答えた。
「警備隊でも護衛員といえば腕利きだ」
小隊長は、机上のぼくに関する書類を手でまさぐりながら、つづける。「それもエレン・エレスコブの護衛員となれば、なまなかな者では務まるまい」
「…………」
何もいうべきではないと思ったから、ぼくは黙っていた。
「そんなお前が、どうして連邦軍に送り込まれたのか、何があったのかは問わぬ」
小隊長は背中を伸ばした。「だが、これだけはいっておかなければならない。エレスコブ家はネイト=カイヤツの伝統的秩序を変改しようとしている家であり、エレン・エレスコブはその象徴的存在であるばかりか、現下のネイト=カイヤツや連邦の状況を直視しようとせず、和平などという幻想にとりつかれ工作をしている人間なのだ」
「…………」
それは見方の問題である。けれどもそういっているのは、上官の小隊長なのだ。ぼくには反論は許されていない。だからぼくは直立して黙っていた。自分のそんな気持ちが面に出ないように努めてはいたが、完全にうまくやりおおせたかどうか、自信はなかった。
「そんなエレン・エレスコブの護衛員だったお前が、このカイヤツ軍団に入ったのは、皮肉なことだといわなければならぬ」
小隊長は、ぼくの表情や態度にはいっさい構わずいうのであった。「しかし、こうしてカイヤツ軍団の一員となった以上は、兵士になり切るのがお前の義務だ。エレスコブ家もエレン・エレスコブも、もはやお前とは関係ない。そのつもりでしっかりやることだな」
「わかりました」
ぼくは答えた。今さらそんなことを小隊長からいわれる筋合はないが……そうでなければならないのは、ぼくにはよくわかっていた。すくなくとも、そのように努めなければならないことは、本当であった。
「よし」
小隊長は頷き、机の上の連絡装置を指に当てて、いった。「ガリン主幹士をここへ」
ノックの音がし、背の高い、たくましい男が入って来た。
「ガリン主幹士、まいりました」
大男は、敬礼をしていう。
「これは、イシター・ロウだ」
小隊長は大男にぼくを示した。「お前の分隊にこの男を配属する。一人前の兵隊に仕上げてやってくれ」
「わかりました!」
大男は返事をし、ぼくにあごをしゃくってみせた。「ついて来い」
ぼくは小隊長に敬礼し、大男につづいて部屋を出た。
「おれは、第二分隊長のガリン・ガーバンだ」
大男の主幹士は、歩きながら、よくひびく太い声を出した。「お前は不定期エスパーで、エレスコブ家警備隊の護衛員だったらしいな」
「そうであります」
またか、との気分と共に、ぼくは、だがちゃんと返事をした。けれども、ひきつづいて浮かんで来たのは、小隊長から何の説明も受けなかった相手が、なぜぼくについて知っているのか、との疑問である。それは、反射的に相手の胸のうちを覗《のぞ》くことで、輪郭だけではあるが解けた。
小隊長に届けられる書類は、どうやらあらかじめ担当の下士官によって整理されるらしく、その内容も下士官どうしの口から口へと伝えられるようなのである。だから相手はぼくに関する事柄を、先刻ご承知だった、というわけなのだ。
「それで、今はエスパーなのか?」
ガリン・ガーバンと名乗った主幹士は、前方をみつめたまま、ぼそっと訊いた。
「そうであります」
ぼくは答えた。
「なら、気をつけることだな」
と、ガリン・ガーバン。
「何を、でありますか?」
ぼくはたずねた。相手が将校でなく下士官なら……そして、そういう話なら、聞き返してもいいと思ったのだ。
「いずれわかる」
大男の主幹士は、みじかく応じただけであった。ぼくは再び反射的に相手の心を読もうとし……しかし今度はうまく行かなかった。相手の中にあったのは、苦笑に似た感覚と、ぼくではない別の超能力者らしいものの存在……それに、何かごたごたした一連の事象の混合体であった。その中にはなぜか小隊長の影らしいものもまじっていたが……複雑にからみ合い、しかも本人が抑制しているとおぼしきそうした思念からは、まとまった概念をつかみ取るのは無理だったのである。もっと正確に表現すれば、ぼく程度の読心力では手に負えなかったのだ。そうと知るや否や、ぼくは読心の試みを放棄した。
「おれには、お前が元は何であったかは、どうでもいい。ただ、警備隊員だったのなら、多少は根性があるかもわからん、と、期待したい」
ガリン・ガーバンは無愛想にいうのであった。「おれは、自分の部下が、兵隊らしい兵隊であってもらいたい。それだけだ」
その言葉が、具体的にどういう意味なのか、ぼくは問い返すほどのつもりもなく、また、相手の心を覗く余裕も与えられなかった。廊下を来たぼくたちは、戸のないかなり大きな部屋のひとつの前に来ており、そこでガリン・ガーバンが足をとめたからである。
「第二分隊室だ」
主幹士はいった。
ぼくはかかとを合わせて直立し、部屋の中を見た。
部屋の基本的なかたちは、個兵見習のときと大差はない。まん中に通路があり、それをはさんで両側にベッドが並んでいる。奥に、分隊管理の物品を収納する棚やロッカーがあるのだ。
ただ、個兵見習のときは通路も二条であり五十名以上が一緒に起居していたのが、ここでは通路は中央に一本、ベッドも二十そこそこということが、違っていた。
そうしたベッドのあちこちに、隊員が横になったり、二、三人でかたまってお喋りしたりしていたのだが、主幹士の姿に気づくとあわてて通路に飛び出し、敬礼した。
「イシター・ロウだ」
ガリン・ガーバンは、かれらにぼくを紹介した。「あたらしく分隊に入った。空いたベッドを与えてやれ」
「わかりました!」
個兵長の階級章をつけた男が、勢いよく答えた。
「うむ」
ひとつ頷くと、ガリン・ガーバン主幹士は、きびすを返して去って行く。
個兵長は、ぼくに向き直った。
「イシター・ロウといったな?」
「そうであります」
ぼくは、しゃんと身を伸ばして返答した。
「第二分隊へよく来た。みなのお荷物にならないように、しっかりやれ」
いうと、個兵長は、部屋の一番奥を指さした。「お前のベッドはあっちだ。今のうちに身体をよく休ませておけ」
「わかりました」
ぼくは、また答えた。
けれども儀礼らしきものは、それでおしまいだった。個兵長は他の二、三人と共に元の場所へ戻り、あとの者も元のところへ帰ったのだ。
ぼくは、ひとりが身振りで教えてくれた右手一番奥のベッドへ行き、これまでやって来たように私物を袋から出して整理し、ベッドの下にしまった。
そうした間中……そして、私物の整理を済ませてからも、ぼくは、誰にも言葉をかけられなかった。それは、悪意に満ちた沈黙というのでもなく……時折ちらりとぼくに好奇心めいた感情を向ける者がいないでもなかったが、つまりは、無関心だったのだ。ぼくなどに構うひまがあったら、この瞬間を無駄話でもいいから興じ合うか、でなければ疲れをいやしておこうというのが、おおかたのテレパシーだったのである。
することもなく……また、たしかに今のうちに体力を貯えておくべきだと思ったものだから、ぼくは着衣のままで、ベッドに仰向けになり、両手を頭の下に入れた。物資部給品所ほど通風が悪いわけではないものの、ここもやはり暑いことに変りはなかった。
個兵長が身体をよく休ませておけといったのが、ただの無駄口でなかったことは、その日のうちにわかった。
基地や分隊室の様子を述べたときに、もう想像をつけていた人がいるかも知れないが、実のところぼくや他の連中がそれぞれの隊に着任したその日は、はじめからいた人々にとって、臨時の休日だったのである。一応はそのはずだったのだ。
ところが、中隊の大食堂で夕食をとって戻って来たぼくたちは、小隊長の命令で、全員で分隊室の掃除をし、分隊で管理している銃器類の点検と手入れをしなければならなくなったのである。小隊には第一から第三まで三つの分隊があるのだが、三分隊共、そうだったのだ。いや……もちろん小隊長はたとえ休日であっても必要と認めればいつでもそういう命令を出せるのだし、ぼくとて個兵見習のときに、当然自分の部屋の掃除や銃器の点検・手入れはして来たのだけれども……実際には休日にそんな命令が出され、その作業が完全になされたと認められるまではやめさせてもらえない――というような話は、聞いたことがなかった。完全に、などというと、掃除はともかく銃器類の点検・手入れなら当り前じゃないかといわれそうだが……小隊長自身がぼくたちの作業ぶりを見廻りにやって来るばかりか、最終検査もみずから行なうとなれば、いささか様相を異にしているのを、理解してもらえると思う。もっとも、ここでつけ加えておくと、ぼくたちの作業中、分隊長のガリン・ガーバンは、ときどき、「しっかりやれ! 小隊長はきちんとしているのがお好きなのだ!」
と、どなってぼくらを督励したものの、その心中に、どうもうちの小隊長にも困ったものだとの気分が漂っているのを、ぼくは感知せざるを得なかったのである。どうやら小隊長は、時折、こういう命令を出すことがあるらしかった。ぼくたちの小隊はなるほど分棟で建物としては何とか独立しているとはいえるものの、生活単位としては三小隊を合わせた中隊が基本なので……他の小隊がのんびりしているのであろうそんな時間に、なぜぼくたちの小隊だけがこういう目に遭わなければならないのか、と、考えている者も周囲にはすくなくなかった。ぼくだってそうである。が……上官の命令が絶対とされる軍隊内では、たとえその命令が気まぐれ、といって悪ければ趣味や主義でなされたらしいものであっても、従わないわけには行かない。だからぼくたちは、どうせならなるべく早く終らせようと頑張《がんば》るしかなかったのである。
――などといえば、何だかぼくが、じきに分隊の連中と打ちとけて、心を合わせながら働いたように思われるかも知れない。だがそうではなかったのだ。たしかに、働くとなれば手分けし、それぞれのやるべきことをちゃんとやったのは事実だけれども、それは、声を掛けて励まし合いながら、というものではなかった。また逆に、お互い白い目を向け合いながらというのでもない。それは何というか……各自が与えられた仕事をプロとして片づけて行く、そんな感じであった。いってみれば感情は抜きにしての作業だったのだ。たとえてみれば、熟達した職人たちの工房にどこか通じているといえるだろうか。ただこれは、ぼくがこれまでエレスコブ家警備隊の、それもエレンを中心とした第八隊という気心の知れた仲間と共にやって来て、いわば家庭的な、ある意味では甘さを残した雰囲気を自然なものだと思うようになっていたために、そう感じたのかも知れない。ここにはここなりの結びつきがあっても、ぼくはまだそうとは感じ取れない……それも新入りであるがゆえに、よけいにそうであったということかもわからない。テレパシーを感知する能力を持っていながら、そんなこともつかめないのか、といわれても……気を張りつめて真面目に作業しながら、その一方で他人の心を読み取るというような器用な真似は、ぼくには無理なのだから……仕方がないではないか。
が。
これは手はじめ、というより、むしろ突発的・付随的な作業に過ぎなかったのだ。
翌朝の未明に、ぼくたちは叩き起こされ、中隊営庭に集合させられた。集まったのは第一小隊だけである。小隊長は点呼をとると、ぼくたちに駈け足を命じた。営庭を何周も何周も走るのである。もっとも、小隊長みずからは走るわけでなく、中央に立って、気合いを入れるばかりだった。
これだけでもいい加減くたびれるのに、第二分隊長のガリン・ガーバンは、分隊の先頭になって、他の分隊よりもスピードをあげて走り、ぼくたちにもついて来るようにというのである。遅れかけるとガリン・ガーバンは走りながらやって来て、その人間をうしろから突くのだ。むろん他の二分隊も負けじと頑張るのだが、ガリン・ガーバンの大声と精力のおかげで、第二分隊が一番先になり、しだいに他を引き離し、八周目か九周目にはとうとう一周リードしてしまった。正直なところ、ただ走っていればいいはずのこの駈け足に、なぜこんな競走めいたことをさせられるのだと、へとへとになり荒い息をついて走りながら、ぼくは考えたものである。
駈け足が終って、解散になったとき、ぼくたちは歩くのもままならぬ位であった。だがそのとき、第二小隊が営庭に集まりはじめていたので、足をひきずって小隊分棟へ引き揚げたのである(この未明の駈け足は、小隊どうしがスケジュールを調整して行なっているということを、のちになってぼくは知った)。
分隊室へ戻って来たぼくたちは、朝食までの問に中隊の倉庫へ行って、戦闘用の制装(といっても、地上用の軽装のほうだが)を受け取り、運んで来た。午後からの訓練に使用するためだ。分隊長のガリン・ガーバンが小隊長のサインのある書類を係に渡すと、ぼくたちは倉庫に入って、第一小隊第二分隊の棚から制装を持ち出し、かついで帰って来たというわけだ。こうした制装は分隊室で保管しておくほうが便利なようだが、軽制装・重制装の両方となるとかさばるし、しかも定期的に専門の人間によって点検・整備される必要があるために、ふだんは中隊の倉庫にしまってあるのである。もっとも、これは現在のような、何の発令もないときのことで……待機態勢とか出動態勢が発令されたさいには、いつでも制装を使えるように、分隊室に持ち込まれ、そのまま置かれるのであった。
朝食後、制装コントロールの訓練がはじまった。
訓練は、分隊単位で、おのおの営庭の適当な場所で行なわれる。
ガリン・ガーバンの教えかたは、ていねいでかつ峻烈をきわめていた。つまり……あたらしいことはよくわかるように説明し、練習させるものの、ひとたび覚え込んだはずの事柄を間違えると、ちゃんとやり直せるまで何度でも繰り返させる……まして、手抜きでへまをしたりすれば、ぼろくそにどなりつけて駈け足なりわかり切った基本動作を何百回もさせるなり、当人にとってはつらい罰を与えるのだ。
ぼくは個兵見習のときに、ひと通りは制装を扱えるようになっていたが、他の、ぼくよりも前にすでに訓練を受けている連中にくらべると、やはり見劣りするのは、どうしようもなかった。とにかく制装というのは、全身をすっぽりおおい、腕や胸の外部についたボタンやスイッチを操作することで、機能を発揮するという代物なのだ。指令送受装置とか、こまかい作業をするときの手首露出スイッチとか、自動的に身体が飛んで伏せの姿勢になれる装置とか……いろんなものがあり、それらは頭の中ではわかっていても、反射的に駆使出来るようになるためには、訓練につぐ訓練がなければならない。ぼくは少しずつ馴れて行くしかなかった。
そして、個兵見習のときと正規兵になってからの制装操作の訓練がまるで違っていることも、ぼくは知った。個兵見習のときには、ひとりひとりが制装をあやつり、何とか思うように動かせればそれでよかったが、今度はそれでは済まなかった。ことにガリン・ガーバンの訓練のやりかたは徹底しているということも、ぼくはあとになって悟ったのだが……もはや個人個人としてではなく、ぼくたちは全体として動くことを求められねばならなかったのである。全員が間隔を置いて、指令一下、横へ飛び、伏せ、集結し、同時に前進する――ということを、ガリン分隊長は何度も何度もやらせたのだ。
「お前の生命を守るのは、お前自身だ!」
と、ガリン分隊長はいうのだった。「お前自身の生命だけでなく、みんなの生命もお前の動きにかかっている! 生きのびたければ、制装を自分の身体同様に、自由自在にあやつり、みんなと一緒に行動出来るようになることだ!」
ぼくは、制装の中で汗まみれになりながら頑張った。ガリン分隊長は、ぼくたちの動きに少しでもいい加減なところがあると、容赦しなかった。その日のぼくたちは、地上戦闘用の軽制装を使ったのであり、軽制装の場合は重制装にくらべて、多少はごまかしもきくし、操作がやや遅れても何ということはないとされているが……ガリン分隊長は、ぼくたちに重制装を着用しているのと同様の正確さと迅速さを、要求した。分隊長にいわせると、軽制装は軽制装、重制装は重制装という感覚をつけると、重制装を着用しているときでもつい軽制装のときの癖が出てしまう、となるのであった。両者の操作法は基本的には共通しているのであるから、制装を操作するとなれば、つねに重制装のつもりでいろ、と、ガリン分隊長はいうのである。
こうして午前一杯を制装操作の訓練に費したぼくたちは、疲れ切って中隊の大食堂へ行った。
昼食のあと、一時間ばかりの休息が与えられた。
それから……また営庭に集合である。今度は中隊全部が一緒になって、中隊長の訓示ののち、分列行進の練習が行なわれた。分列行進なんて、戦力をつけるのに役に立つのかどうか、ぼくにはわからない。それは示威行進とか進軍にさいしては有効だろうが……だがその時分にはぼくはもう、やたらにあれこれと考えるのが、疲れのせいと、命令を受けて動くだけというおのれの立場にいやでも馴らされつつあったせいもあって……しだいにおっくうになっていった。そう……軍隊という組織の中で、下っ端の兵卒などは、あれやこれやと思いをめぐらしても、何にもならないのではあるまいか、と、ぼくは頭の隅で観念しはじめていたようである。
ただ。
これは、いっておかなければならないだろう。
分列行進の練習中、ぼくは、例によってみんなのわーんと形容するのがふさわしい思念を感じ取っていたが……その中で、不意にこっちに鋭い意識が飛んで来るのを、おぼえたのだ。ぼくへの強い関心ど、そしてたしかに敵意というべきものを……その指向性の強さから、ぼくは、中隊の中に誰かエスパーがいるのではないか、と、思ったりしたのである。が……そうではなく、たまたま何かの拍子でふつうの人間がぼくに関心を寄せた……それもぼくのことを知っている人間であり、何か敵意を抱いている者が、その思念を向けて来たのだと解釈しても、おかしくはないのであった。むしろそのほうがずっとありそうなことである。そして、中隊全員が動いているそんな場では、誰が思念を送って来たのか、ぼくの能力ではとても特定出来ず、また、明確なのはそれ一度きりであと到来しなかったこともあって、いささか気にはなったものの、そのままにして放っておくしかなかったのであった。
それから夕食……夕食のあと、ぼくたちは翌朝、長距離の行軍に出る、と、告げられた。そのための用意もしなければならなかった。
そして……一日、また一日と経つにつれて、ぼくは、訓練の内容ややりかたは違っていても、こういう毎日が日常であることが、わかって行ったのである。
ぼくは、下っ端の兵卒などがいろいろ思いをめぐらしても、軍隊というようなものの中では何にもならないのではないか……と観念しはじめた、と、書いた。
たしかに、その通りなのである。
エレスコブ家の警備隊員だって組織の一員なのだから、似たようなものではないか――との考えかたもあるかも知れない。
だが、なるほど共通点はいくつもあるにせよ、ぼくには質的に別物ではないかという気がする。というより……ぼくはファイター訓練専門学校を出たあと、エレスコブ家警備隊という組織の中に入り、組織のメンバーとしてこれまでやって来た。そして今は連邦軍カイヤツ軍団の地上戦隊という組織のうちにある。そのため、組織などというものの中に身を置いたことのない人間や、組織といってもきわめて弱小な、たとえば戦闘興行団のようなところに籍を置く者にはいやでも目につくに違いない組織特有の考えかた、組織の人間につきものの感覚、といったものには、鈍感になっているに相違ない。ぼくが当り前と思う事柄にしても、そう……シェーラとかミスナー・ケイ、あるいはイサス・オーノといった人々にとっては、ちっとも当り前でないかも知れないのだ。それだけぼくが組織のメンバーとしての思考方式にどっぷりつかり、大切なものが見えなくなっている可能性は、否定し得まい。が……それはそれとしてあっちへ置いておくとし、逆に、だからこそぼくは、ひとつの組織から別の組織へと移ったときに、両者の差異をより鮮明に意識することが出来るともいえるのである。そのぼくの目から見て、エレスコブ家警備隊と連邦軍カイヤツ軍団(もっとも、こっちのほうはぼくの、より限られた経験と視野の範囲においてであるが)とは、はっきりことなっていた。何がことなっていたかの第一はエレスコブ家警備隊員ならおのれの思考と判断を活用するのが望ましいとされるのに対し、ここではそんなことは許されないということである。すくなくとも基地でのこんな状況下にあって、一兵卒として訓練を受けているうちは、自分自身の思考や判断を行動に移すのはむろんのこと、言葉に出すのも慎重にしたほうがいいのであった。兵卒は考える存在ではなく、号令を受けて動くものであり、型にはまらなければならぬものなのであった。ああそれは、たたかいのさなかにあって自分以外の者がみな死んだ場合には、または生き残った者が他にいたとしても自分が最上位である場合には、そんなことはいっていられないであろう。そうなればおのれの思考と判断で行動するしかないが……今のぼくはその状況にはない。だからぼくは、すくなくとも基地でのこんな状況下にあって一兵卒として訓練を受けているうちは、と、制限を付したのだ。
それから……。
いやよそう。この第一だけでぼくには充分だ。おのれの自主性が認められるか否かの、これがぼくには最重要なのである。
もっとも、こうしたぼくの立場は、ぼくのエレスコブ家警備隊における地位と、ここでのそれとに差があるから、ということも出来よう。エレスコブ家警備隊ではぼくはただの中級隊員だったけれども、エレン・エレスコブを護衛する人間として、一応、認められていた。しかしここでは何でもないどこにでもいる準個兵のひとりなのだから……扱われかたに違いがあっても仕方がない。ぼくが将校とか将校とまでゆかなくても幹士クラスなら、話はだいぶことなってくるはずである。といって、ぼくはとてもそんなものにはなれそうもないし、また、無理をしてまでなりたいとは思わないが……。
これは……何となく自分の現在の立場への欲求不満めいたものが、変なかたちで出て来たようだ。
そうなのだ。ぼくは、一個のいってみれば機械、それも消耗品の機械として位置づけられているとしか思えない自分の立場、自主性をどこにも出せない一兵卒としての自分のありように、たしかに欲求不満になりはじめていたのだ。
話を元へ戻すと……そんなしだいで、ぼくが何を考えようともどうにもなりはしない――との事実は認めた上で……だが、ぼくはやはり考える余力があるときには考えずにいられなかったし、周囲を観察するゆとりがあるときには観察せずにはいられなかったのである。これはぼくの本能ともいうべきものだったろうが……おかげで、日が経つにつれてぼくは、ぼんやりしていたら知るのにもうちょっと時間がかかったであろうさまざまな事柄を、比較的短い期間に知ることになった。ただそのためにはぼくは、自分のエスパーとしての能力を、そこそこ利用したことも白状しなければならない。その点では……ぼくはおのれの超能力というものを、以前のように迷惑がっているだけでなく(自分自身では目的によって枠をはめているつもりだったが)積極的に肯定しにかかっていたといえるのである。
ともあれ。
まず、小隊長のことからはじめるのが順序だろう。
そういえば、ぼくはまだ小隊長の名前をいっていなかった。
これは妙なことのようだが、それなりに理由があるのだ。小隊長はぼくが着任したときに自分の名を告げなかったし、また、告げるような人でもなかったのである。しかもそのときのぼくは、小隊長の机上の書類を盗み見したり相手の心から探り出したりするような余裕もなかったので、とうとうわからずじまいだった。しかも、分隊室に入ってからもぼくは一、二日の間、小隊長の名前を他の隊員の心から読み取ることが出来なかった。というのも、これがぼくの分隊なり小隊なりだけのことなのか軍隊というのがそういうものなのかぼくには不明だけれども……兵隊たちにとって、さらにはガリン分隊長にとっても、小隊長というのはあくまでも小隊長なのであって、固有名詞をつけて考えるようなものではなかったらしいのである。自分たちの小隊で一番偉い、それも将校である小隊長は、ただ小隊長でよく、みんなの思考もそういう風になっていたのだ。隊内では小隊長であり、外へ出ればうちの小隊長というだけのことである。それなら中隊全員が集まる場所ではどうかというと、これは第一小隊長という、それだけのイメージなのだ。とはいえ……いつもがいつもそうだとは限らず、ときには誰かの心の中にその名前が浮かぶことがあり……ぼくはガリン分隊長の心中からそれをつかみ取るのに成功し、それを隣りのベッドの準個兵に聞いて確認したのである。笑うべきことではないかも知れないが、ぼくに確認を求められたその準個兵は、一瞬きょとんとしてから、ようやく、ああそうだったなと肯定したのであった。
小隊長はゼイダ・キリーという。ただ、姓はキリーのほうだから、もしも名前をつけて呼ぶとしたらキリー小隊長ということになるだろう。
小隊長が一般に主率軍であるように、キリー小隊長も主率軍である。袖に細い三本の金線が入った主率軍の軍服は、前にいったような痩せた鋼鉄のような身体や、つめたく鋭い目によく似合っていた。ぼくの気持ちで減点したとしても、まあなかなかのスタイルである。
これも前にいったが、小隊長はマジェ家警備隊の出で、警備隊では士官だった。ぼくはマジェ家警備隊の階級制度がどうなっているのか詳しくは知らないけれども、エレスコブ家でいう一級士官クラスだったようである。とすれば、よほど抜群の功績をあげたか、でなければマジェ家内部ファミリー、あるいは内部ファミリーに近い階層の人間だと考えるべきであろう。そんな人間がどうしてカイヤツ軍団入りを志願させられたのか、はじめぼくには不思議でならなかった。何も連邦軍に入ったりしなくとも、それだけの地位のある者なら、マジェ家に残っているほうが安全だし楽でもあるはずなのだ。となると、ぼくと同じように何か失敗をしてカイヤツ軍団入りを命じられたのだろうか? しかし、ぼくのようなただの隊員ならともかく、上級の士官が罰としてカイヤツ軍団へ送られるとは、あまり考えられない。
その疑問は、やがて解けた。ある日、何かの拍子で分隊の個兵長が、
「うちの小隊長はライル士官学校の出身だからな」
と、喋るのを聞いてしまったからである。
そうなのか、と、ぼくは思った。
それなら、つじつまが合う。
合いすぎるほどだ。
いや。
士官学校がどうこうといっても、その方面の知識のない人には、何のことやら見当もつかないだろう。ぼく自身がおぼろげな知識しか持たずに入隊し、今の隊に配属されてからいろんな話や情報の断片をつなぎ合わせて大体のことを知ったのだから、大きなことはいえないのだけれども……要するにここでいう士官学校とは、連邦軍の将校を養成する学校のことである。
ぼくはだいぶ前に、連邦軍の中枢はネプトーダ連邦の官立のしかるべき士官学校出が占めているといった。そして、ネイト=カイヤツにはそれはない、とも述べた。ぼく自身はネイト=カイヤツのカイヤツ府のファイター訓練専門学校を出たので、それではかりに連邦軍に入ってもせいぜい古手のベテラン下士官で終るのが関の山だ、ともいったはずである。
実をいうと、ファイター訓練専門学校出では、その下士官になるのも、楽なことではないのだ。ファイター訓練専門学校はもともと連邦軍の軍人を作るためのものではなく、ネイト常備軍とかネイト警察官、もっと成績の良い者は有力な家の警備隊員に採用されたり、戦闘興行団に加わって名をあげようという――いってみればネイト=カイヤツ内での仕事に就くためのコースなのである。だから適性があるからと連邦軍に入っても、別に何の特典もないので……自分の実力で昇進するしかないのだった。
連邦軍に入って幹部になるつもりなら、やはりネプトーダの官立の士官学校に行くしかないのだ。
この士官学校はネプトーダ連邦に五つある。
ダンコール士官学校。
ダンラン士官学校。
バトワ士官学校。
レスムス士官学校。
ライル士官学校。
いずれもネプトーダ連邦の上位のネイトにあるのだ。
ここで補足しておくと、士宮学校が置かれていないネイト=カイヤツには、他の同様の状態にあるネイトがそうであるように、士官学校の予備学校ともいうべきカイヤツ軍学校が設置されている。この軍学校をきわめて優秀な成績で卒業すれば、どこかの士官学校へ推薦で入学出来るし、そこまで行かないが優等生クラスは、連邦軍に幹士見習の資格で入隊を許される――という仕組みだった。だが残りの大部分は、結局ネイト常備軍に入るわけで、ネイト常備軍では一応幹部候補の待遇を受けるのである。(そして今では、歴史の古いファイター訓練専門学校卒業生とカイヤツ軍学校卒業生がネイト常備軍内で勢力争いをしている、という話も、ぼくは耳にしていた)しかし、ネプトーダの官立の士官学校に入るためには、必ずしもカイヤツ軍学校を出る必要はなく、直接士官学校を受けて合格すればそれで良いのだから、自信のある者は軍学校などというまわり道をせずに、そっちの道を選ぶ者がむしろ多いようであった。カイヤツ軍学校がこういうどこか矛盾した状況に置かれていることは、しばしば世人の非難の対象になっていたものの、そこには連邦とネイトの関係が働いているので、今のところはどうにもならないようである。
いずれにせよ、これら五つの士官学校のどれかを卒業した者は、連邦軍率軍候補生に任官し、すぐに準率軍に進み……やがて連邦軍の幹部になる、という段取りなのだ。
もっとも、連邦軍人の養成機関というのはそれだけではない。直接戦闘に従事しない軍の技術者や専門家を養成する軍務学校なるものもあって、第一軍務学校と第二軍務学校が共にネイト=ダンコールに存在するのだ。
さらに、この五つの士官学校、二つの軍務学校の成績優秀な卒業生で配属後も勤務成績抜群の者、あるいはそうした学校の卒業生でなくとも、勤務成績超抜群の者は、ダンコールにある高級士官学校を受けるのを許される。高級士官学校を出れば準参軍に任官し、連邦軍の中枢部に配属されるのだ。
ぼくなどを含めて、縁のない人間には遠い話であり、退屈でもあろうが……士官学校とは、まあそうしたものらしい。
小隊長のキリー主率軍は、そのライル士官学校を出たというのである。
となると……大略どういうことなのか、ぼくには推測がつく。ゲイダ・キリーは、おそらくマジェ家の内部ファミリーかそれに準ずる身分の人間なのであろう。そして例のトリントス・トリント(この名を想起しただけでぼくは歯噛みをしなければならなかった)のように、趣味としてか打算のためか、しばらく警備隊に入り、自己の身分のおかげで上級士官の地位にあったということに違いない。だがそれであとマジェ家で思うようなポストを得られなかったか、戻ってからの箔《はく》をつけるために、士官学校を受けたのではあるまいか? 士官学校での卒業までの年限を考えると、それはついこの間の、ネイト=カイヤツが各家にカイヤツ軍団への志願者を強制割り当てにかかるより何年も前のことだろうが、とにかくみごとに士官学校に入り、卒業して任官したのだ。ぼくが仄聞《そくぶん》したところでは、ライル士官学校は一番あたらしく、入学も比較的容易だとの話だが、それでも難関は難関に相違ない。ゲイダ・キリーにはそれだけの頭脳と実力があったのだ。
しかし、これまた仄聞だけれども、同じ士官学校出身者といっても、軍に入ると出身校によって配属先に微妙な差があるとのことである。キリー主率軍は今、新編成の第四地上戦隊の小隊長で、ポストとしては必ずしも恵まれていない……はた目にはそう映るだろうし、本人もそう考えているのではないか、という気がする。もしそうだとしたら、小隊長のあのひややかな鋭い目や、ぼくに対するきめつけかたや、休日に掃除や銃器類の点検・手入れを命じるといったやりかたも、何となく納得出来るのであった。しかもゼイダ・キリーがライル士官学校に入ったころは、ボートリュート共和国と恒常的な、決して徹底的とはいえないたたかいがつづいていて、カイヤツ軍団自体が危地にほうり込まれる可能性は少なかっただろう。まして今のようにウス帝国がいつ動きだすか知れないというような緊迫した状況は、当時にはまだ考えられなかったのではあるまいか? まあこれもぼくの想像だが、だとすれば、小隊長はおのれの処遇に不満を抱いているばかりか、焦ってもおり、目立ったことをしたくなる――そんな心理状態にあるのではないのか? ぼくはその考えを、しかし頭にしまい込んで、決して口には出さないようにしていた。
小隊長の次は、分隊長である。
第二分隊長のガリン・ガーバンは、これも前述した通り、無愛想な大男だった。けれども部下を鍛えるとなると、全くの本気で、決して手抜きを許さなかったのである。ちゃんとした兵隊になることが生きのびる唯一の方法だというのが、ガリン分隊長の信念であった。このことからもわかるように、ガリン・ガーバンは生粋《きっすい》の叩きあげであり、噂によればカイヤツ軍団の別働隊として実戦に参加したこともあるという。たしかにそんな印象もあったが……ふだんはあまり口をきかないガリン分隊長について、ぼくはそれ以上、あまり知ることは出来なかった。
分隊の連中とぼくは、格別親しくはならなかった。これはぼくだけがそうなのではなく、隊員どうしがみな似たようなものなのだ、ということも、おいおいわかって来た。中にはわりあいによく喋り合う二、三人のグループとか、よく話し合っているふたりというのもいたが、概してお互いの事柄には立ち入ろうとせず、領分を侵し合わないという気風があったのだ。ぼくは分隊全員の名を覚え、むこうもぼくをイシター・ロウと呼ぶようになったものの、そこから先へは進まなかったのだ。これがどういうことか、ぼくは考えようとした。こういうほうがいいのでみんなそうしているのか……やはり辛苦を共にしたあとでなければ仲間意識は生れてこないのか……ぼくにはよくわからなかった。わからなかったが、そうなった理由のひとつは、ぼくたちの隊が新編成だということにもあったのだろう。新編成といっても、いっせいに全員がそろってひとつの隊にまとめられたのではなく、どうやら新入りの隊員が準個兵に任じられてやって来るたびに、ひとりか二、三人ずつか、あとから加えられるというやりかたがとられたようなのである。ぼくが来たので第二分隊は定員に達したということだが、そのとき着任したのはぼくだけだったのだ。そんなわけで、全員がひとつになるのは、まだとても無理ということではなかったのだろうか?
こうした隊内の空気の中で、ぼくはふつうの準個兵に過ぎなかった。本当はそうなるまでにも、遅れを取り戻すべく頑張らなければならなかったのであるが……十五日、二十日と日が過ぎて行くうちに、何とかみなに伍してやって行けるようになったのである。ふつうの準個兵という表現は……ほくが警備隊の出身であることや、警備隊では中級隊員であったということが、ここでは何の関係もなかった――との意味である。白兵戦の訓練のさいなどには、ぼくは短刀や剣で人並み以上の腕を披露することが出来たけれども、だからといって何も特別扱いされるわけではなかった。ガリン分隊長が個人技よりも集団としての動きを重視したせいもある。時日が経過するにつれて、他の隊員たちはある程度ぼくの前歴も知って来たようであったものの、それをことさらぼくにいう者もなかったのだ。
ことさら何もいわなかったといえば、ぼくがエスパーであることについても、そうである。ぼくは最初、自分がエスパーであるのを他の隊員が知ったら、何らかの反応があるものと覚悟していた。が……それがみんなに知られたあとでも、心の中ではときたまそのことを意識する者はいても、直接ぼくに向かってあげつらおうとする人間はいなかったのである。心を読むならいくらでも読んでくれ、おれは平気だ、と、構えている人物ばかりだったのだ。これはぼくにとって、奇妙な体験だった。実際のところはみんな、そんなことに神経質になっていられるほど暇ではなく、つねに疲れている、そのことが大きかったようだが……はじめは意外だったぼくも、そのうちにだんだん馴れて行き、そのぶんだけ、たとえ読心力を使っているときでも、その素振りを見せない――ということが出来るようになったのである。いいかえれば、なるべく相手に、ぽくが超能力者であることを思い出させないようにすることを、体得していったわけだ。
ぼくがそうして、あたらしい環境に順応していくうちにも、訓練はこれでもかこれでもかとつづけられた。
訓練は分隊単位のときと、小隊単位のときが多かったが、週に一度か二度、中隊単位で行なわれた。元来、ぼくたちの生活の単位は中隊が基本なのである。食堂にしろ浴場にしろ、またその他の設備にしろ、中隊をもとにして設計され運営されているのだ。ときには五個中隊が集まった大隊全員で、または二大隊と附属の各種隊が一緒になった部隊全部での大がかりな行軍や行進があったものの、基本はつねに中隊なのであった。そういうわけだから、ぼくたちにしてみれば自分たちをまとめて指揮するガリン分隊長とキリー小隊長の上には中隊長しか感覚的には把握《はあく》出来ず、その中隊長の率軍長だって、半分雲の上の存在なのである。
中隊の話が出て来たから、もうひとつふたつ、気のついたことをつけ加えておきたいと思う。
ぼくたちの中隊は全員男だったが、女だけの中隊というのも、あるのだった。第五中隊がそうである。中隊が別だから当然建物も別であったけれども、大がかりな軍運動のときは、彼女らも参加した。中隊長もまた女性なのである。彼女らはいかにもたくましく、動きもぼくたちに劣らなかった。女性はそうした実戦部隊のほかに、部隊本部にたくさんいた。こちらはたくましいというより、もう少し女っぽいのが多かったけれども、おおかたが将校か下士官で、用があって部隊本部に行く場合でも、ぼくたちはちゃんと背を伸ばして敬礼しなければならないのである。
こうした女性隊員と男性隊員の間には、夜間はともかく、昼間の自由時間には比較的交流があるようだった。ぼくは男女のカップルが話し合いながら歩いているのを何度も見たし、休日などの集会所では、男のグループと女のグループが一緒に酒を飲んで大声で談笑していることも珍しくなかった。とはいってもそこにはやはり階級間の秩序があり、その域を踏み出すことは許されなかったのもたしかである。が……それはぼくの見聞きし感知したところ、第四地上戦隊編成以前に軍に勤務していた古参の連中がほとんどで……当分は、ぼくなどの出る幕はなさそうであった。
それと……部隊本部などに行ったときに思い知らされたのは、将校たちの会話に他のネイトの単語がまじり、甚《はなはだ》しいのは他ネイトの言葉だけで話している者も、すくなくなかったということである。それらはどうやらダンコール語とか、バトワ語が多いようであった。考えてみれば将校たちは(特別任用の者は別として)士官学校を出ているのがふつうであり、士官学校はネイト=カイヤツにないのだから、他のネイトの言葉を喋るのは当り前なのである。それに、連邦軍の本拠がダンコールにあり、いくつかの軍団がこのバトワに移されつつあるとなれば、これがカイヤツ軍団だといっても、ダンコール語やバトワ語が話せなければ、何かと不便なのに違いないのだ。そういえば、将校たちのみならず、古い下士官や兵隊たちでも、結構ダンコール語なりバトワ語が達者な人間がいることを、ぼくは知った。そんな事情もあって、ぼくもまた少しずつではあるが、他ネイトの単語を覚えるようになったのだ。この点では、ぼくがエスパーであることは、きわめて有利だったといえる。
たしかに、ぼくはいつの間にか、エスパーとしての自分の能力を、活用しはじめていたのだ。それもさりげなく読心するのに馴れて来たのだった。そんな中でぼくは、連邦軍が主力は依然としてダンコールに置きながら、いくつかの軍団をネイト=バトワに移しつつある、との事実や、ボートリュートとの休戦状態が怪しくなって、いつ再びたたかいがはじまるかわからない――というようなことを、いろんな将校の思念をつなぎ合わせることで知り得たのである。
しかし。
こうしたぼくの、自己流の超能力活用術習得は、手ひどい結果を生むことになった。
その日の夕食後、自分の分隊室へ戻ろうとしたぼくは、食堂を出たところで、うしろから呼ばれた。
「おい、お前」
ぼくは振り返り、相手が見知らぬ準幹士であると認めると同時に、敬礼した。
「第一小隊第二分隊のイシター・ロウだな?」
相手は何気ない口調でたずねる。
「そうであります」
ぼくは答え……もうそのときには、相手の鋭い思念が突き刺さってくるのを感じ取っていたのだ。
これは……配属された翌日のあの分列行進のさいに飛んできた意識に似ている――と、ぼくは悟った。
「おれは、第三小隊のレイ・セキだ」
ぼくより背の低い、だが肩幅のあるその準幹士は、おだやかにいった。言葉はおだやかだが、思念は敵意に満ちていた。「お前、不定期エスパーだそうだな。おれもそうなんだ。少し……外へ出て、おれと遊んでみないか?」
「は?」
と、ぼくは問い返した。
時間稼ぎの反問だった。
相手の思念や言葉から、ぼくは、遊ぶというのが超能力をぶつけ合ってたたかうことなのだ、と、悟っていたからである。
同時にぼくの脳裏をよぎったのは、着任の日にガリン分隊長がいった、エスパーなら気をつけることだな、とのせりふであった。
ガリン分隊長の警告は、このことを意味していたのか?
「お前は、今、エスパーだな?」
レイ・セキと名乗った準幹士は、腰に手を当てて畳みかけてきた。「それで、精神感応だけでなく物体操作も出来るんだな? そのはずだ。そうだろう」
「そうであります」
ぼくは姿勢を崩さずに返事をした。
「なら、あっちで少々やり合おう」
レイ・セキはあごをしゃくった。「おれも現在能力保持中でな。お前がどの位の腕か知りたいんだ」
「私は自分の超能力を、ろくに訓練もしておりません、準幹士」
ぼくはいった。
「そんなことはどうでもいい」
レイ・セキは、むしろたのしげにいうのである。「とにかくお前はエスパーだ。おれはエスパーがいれば、手合わせしたいだけなんだ。ついて来い。それとも……逃げるか」
ぼくは一瞬ためらった。
相手は不定期エスパーながら(いや、だからこそおのれの力を確認したいのではあるまいか)自己の超能力に自信を持っているようである。
おそらく、ぼくに勝ちめはないだろう。
だが、この場で対決を避けても、どうせまた挑戦されるのは、まず間違いなさそうであった。
それに、ぼくはここしばらく自己流の訓練で、自分の力も捨てたものではなさそうだとの気持ちになりかけていた。それが他のエスパーとくらべてどれほどのものか、試してみたい気もあったのだ。
で……応じた。
「おともしましょう」
「よし」
レイ・セキは頷き、くるりと背を向けると、食堂をあとにして営庭へと歩きはじめる。
ぼくはつづいた。
相手の背中を見ながら、ぼくはそこに警戒心が漂っているのを感知した。うしろから襲ったところで、レイ・セキは即座に反応し反撃に出るだろう。それに、うしろから攻撃するような真似は、ぼくはしたくなかった。
営庭の隅の、樹々が並んで他人の目の届きにくい場所に来ると、レイ・セキは足をとめて向き直った。それから腰を落として構え、歯を見せていった。
「使うのは超能力だけに限らなくてもいいぞ。さあ来い」
そのときにはぼくも、反射的に身構えていた。
両者の距離、二メートルあまり。
レイ・セキは両腕を身体から離して肱《ひじ》を曲げ、手を握ったり開いたりしている。
使うのは超能力だけに限らなくていい――というのは、なぐり合いも格闘も辞さずということであろう。
が……この距離では、ひと息で相手のところへ飛び込むのは無理であった。レイ・セキはそれを計算して、それだけの間合いを取ったのに違いない。
ぼくは問合いをつめようと、じりっと前進した。念力だけではおそらくぼくに利はあるまい。だからいよいよとなったら格闘可能なところまで寄っておこうと思ったのである。格闘なら、何とか自信があるからであった。
レイ・セキは、しかし、そのぶんだけすっと後退した。
ぼくの意図を読んだのか?
いや、そんな推測をしなくても……ぼくはこちらから相手の思念を読み取ろうとした。
どういうわけか、レイ・セキの心からは、さっきのあの敵意は消えていた。敵意というより、闘争心に転化していたのだ。スポーツをやるときの闘志に似たものが、波となってぼくに押し寄せてきた。
と。
どん、と、ぼくは、左の胸を突かれたように感じた。むろん、相手の手が直接触れたのではない。念力で突かれたのだ。
「どうした?」
レイ・セキが、声を投げてきた。
つづいて今度は、右胸が前よりももっと強く突かれた。
挑発である。
ぼくは、相手の顔に思念をぶっつけた。手応えがあり、レイ・セキは頬を歪《ゆが》めてにやりとした。
もう一発、次は相手の腹部へ!。
が……それは先方が繰り出した念力で、受けとめられた。衝撃を与えるには至らなかったようだ。
もう一度――。
その前に相手の打撃が来た。ぼくは首筋を棒でなぐりつけられたような痛みをおぼえ、思わず手でそこを押さえた。はじめの二回の突きとは比較にならぬ強力な打撃だった。
次はどこへ来るつもりだ?
ぼくは相手の心を読もうとし――狼狽《ろうばい》した。
読めない。
空白だ。
それを突き抜けて、ぼうっとむこうの思念がわかりかけたとき、ぼくの腹にパンチが入った。
ぼくは全身を折り曲げた。
反撃を。
ところが、今度は念力が出ない。
これは――。
ぼくは、ぎくりとした。
念力を使おうとすれば相手の心が読めず、相手の心を読もうとすれば、念力が使えないというのか?
これまで意識して両方を一時に働かそうとしたことはなかったが……そうだというのか?
他のエスパーはどうだか知らぬ。が、ぼくは、今の段階のぼくは、両方同時に駆使する力はないというのか?
けれども、頭の中を閃《ひらめ》いたそんな想念を追っているひまはなかった。つづいてぼくは下から上へと、ぶちあげられるのを感じた。
さらに顔面へ一発。
ぼくの視野が黒くなり、中心から外へ火花が飛んだ。
このままでは、どうにもならない。
ぼくの戦闘力は落ちて行くばかりだ。
ぼくは、読心を放棄することにした。相手の心を読んでいて滅多打ちされるよりは、敵の心理がどうであれとにかく反撃に出るほうがましである。
ぼくは全精神を集めて相手の胸へと、槍《やり》を飛ばし、それと共に素早く前進しようとした。むこうが防いでいるうちに、その身体を自分の手でとらえるのだ。
槍は、空を切った。というより、片側からの受けと流しによって、外されたのだ。が、そのときには、ぼくはほとんどレイ・セキの胸をつかみかけていた。
そのぼくの膝を、何かがさえぎった。膝をはばまれて、ぼくは前にのめり、手をついた。
真上から、大きな重いものが落下してきた。ぼくは衝撃を受け、ほんのわずかな間だったが、動けなかった。
「しっかりしろよ。ざまあないぞ」
レイ・セキの声が、ぼくの耳に達した。
何を!
ぼくは腰をあげ、膝にかかった障害物を押しのけようとした。
障害は、消えている。
ぼくは突進した。
再び、障害が出現し、ぼくのむこうずねにぶちあたった。
ぼくは、ころんだ。
痛みに――だがぼくは耐え、そのまま前方へ一回転して、立ちあがった。
飛びのいていたレイ・セキに、わめきつつ躍りかかる。
フックが襲ってきた。
生身の、目に見えるフックだ。
ぼくは身を沈めてそれをかわし、相手の腰に組みついた。
どっと押し倒す。
その瞬間、相手の身体とぼくの腹の問に、肉体の足裏かそれとも念力か、何かが割って入った。
レイ・セキの身体が地へとさがった。ぼくは頭を中心に弧《こ》を描いて飛んでいた。
もちろんぼくは、そのまま地面に叩きつけられるようなへまはやらなかった。身をひねって横に落ち、すぐうつ伏せになって身を起こすと、立ちあがろうとしているレイ・セキの足をつかんだ。
相手は、半回転して、ぼくの手を外す。
ぼくは対峙《たいじ》しつつ、左へ左へと移動を開始した。すでに争闘の前後の直線内から、円弧の曲線を持ちはじめていたのだ。
相手の念力駆使の余裕を与えてはならない、というのが、そのときのぼくの頭の中を占めていたすべてであった。たとえ使われても、そいつを逆用しなければならない。
ばあっと顔に視覚ではとらえられない重量が殺到してくるのを察知したぼくは、自分の念力でそれを横へとはたいた。むこうの力がそれて抜けて行くのを、ぼくは感じた。相手の念力を自分の念力で防いだのは、それが最初の経験だったけれども……そうと意識したのはあとになってからである。ぼくは相手が次の念力攻撃を出す前にと、右側からすっとそのふところにすべり込んだ。お互い左へ左へと旋回していたために、そっちに空隙《くうげき》が生じたのである。
ぼくの右手は、うまくレイ・セキの襟《えり》をとらえた。左手が相手の袖をつかんで引くのと体を落として伸ばすのと同時であった。ぼくの両腕にかかっていた相手の体重が軽くなり腰に小気味のいい反動があって――レイ・セキは両足で宙を切り、だん、と、地に落下していた。
相手を投げたぼくは、しかし、自分の手を離さなかった。相手が起き直ろうとするのを手伝うようにして引きあげ――右腕と右胸をむこうの右胸にぶちあてて、左手で下へ押しながら、右脚で相手の右脚を払った。レイ・セキは、背中をはげしく打ったが、さすがにあごを引いていて、後頭部を打ちつけるような真似はしなかった。
だが、レイ・セキはそれほどこたえた様子もなく、両足を突き出してぼくの身体をはね返し、たちまち立ちあがった。
本能的に、ぼくは飛びすさった。
本能でやったことだが……それがぼくの失策だったのに変りはない。せっかく相手をとらえていたのに、またもや彼我の距離を作ってしまったのだ。
相手はぼくに、その失策を取り返すひまを与えなかった。
一度、二度、と、ぼくは正面から念力の打撃を受けた。
それでもぼくは前進しようとした。
これまでよりずっと強い打撃が、またぼくを襲った。ぼくは行く手をはばまれて、棒立ちになった。
つづいてやって来た攻撃は、ぼくが予想もしないものであった。ぼくは太ももの後方に棒を渡したような障害を感じ、それと共にのど元をはげしく突かれていたのである。バランスを失って、ぼくは仰向けに倒れた。頭を打たないのがやっとだった。
それでもぼくははね起きた。
構えた。
かなわぬと知りつつ、心を集中して右から、左から、念力を相手の顔に打ちつけた。腹も攻撃した。
相手は念力でいずれも軽く受け流した。
前進しかない。
前進して相手をもう一度つかまえるか、つかまえられないまでも前進の勢いをおのれの念力に加えようとしたのだ。
ぼくは頭を低くして、進もうとした。
邪魔はなかった。
のみならず、レイ・セキは、すいとうしろへさがったのだ。それも、両手を下げ隙だらけになって後退したのだ。
ぼくは、吸い寄せられるように前へと足を運んだ。
しかし、それが罠《わな》であった。
ぼくの膝は、目に見えぬものでさえぎられ、身体の重心が前へ移った。反射的に姿勢を立て直そうとする間もなく、襟元をぐいと前方に引かれたのだ。前方の、下の方向へである。ぼくを引いた力は、引きながら途中で固定された。ためにぼくはその点を中心として頭を下に足を上に――大きな円を描いて、投げ飛ばされていた。
何とか、腹部を下にして、ほくは地面に落ちた。
立った。
進んだ。
襟元が何かにつかまれた。
膝に障害があった。
ぼくは頭をうしろへ引き、バランスが崩れるのを防いだ。
膝にあった障害は消失し、瞬時にして後方に生じていた。襟元をつかんだ力は、ぼくをはげしく押した。
倒れるをを避けようと、ぼくは体を横にひねった。
弾力のある障害が、右太ももに当たった。そして、しぶとくぼくの襟元をとらえていた力は、右下方へぼくをはげしく引いた。ぼくの体は右太ももを支点に、急速に回転した。まともに背中を打った。うむ、と、ぼくは声を洩らした。
腹部へ、金属のかたまりに似たものが落ち来た。
硬質の棒が、ぼくの横面をひっぱたいた。
ぼくは、ようやく横になり腹這いになった。だが、立てなかった。上から二度三度、足で踏みつけるような衝撃が到来したのだ。それから横腹が蹴られた。
それでもなお、ぼくは立とうとした。
横面をやられた。
ぼくはころがった。
背中を蹴られた。
起きあがるのは……もう、無理なようである。
ぼくは倒れたまま、しばらくあがいていたが、諦めて力を抜いた。
あと、攻撃はなかった。
どうなったのだ?
と。
「たしかにお前、ろくすっぽ能力の使いかたを知らんようだな」
上から声が降ってきた。
何とか顔をそちらにねじ向けると……レイ・セキである。
レイ・セキは、腰や胸を撫《な》でながらいうのだった。
「しかし、ま、その闘志はなかなかのものだ。腕を磨くがいい。おれが能力を保持しているときは、いつでも相手になってやる」
ぼくは無意識のうちに(もう念力を使う気力はなくなっていたので、それが可能だったのだろうが)そういうレイ・セキの心中を読みにかかっていた。
レイ・セキの心には、はじめのあの敵意はなかった。超能力の使いかたについては自分がずっと上だという優越感と、それに、全力をつくしてスポーツかゲームをやったあとのさっぱりした気分が揺れていたのである.
「じゃ、な」
レイ・セキは片手を軽く挙げると、ぼくをその場に残して、さっさと行ってしまった。
何秒か置いて……ぼくは、二、三人が走ってくる足音を聞いた。
目をやると、同じ分隊の連中である。
「大丈夫か?」
ひとりが、ぼくを助けおこそうとした。
とたんに……それまではどこか感覚の外にあった身体の至るところの痛みが、どっと押し寄せてきたのだ。ぼくはうめいた。
「お前があいつに声を掛けられるのを見たんで、あとをついて、物蔭から眺めていたんだ」
別のひとりが説明した。「あいつは、エスパーと見てとると、誰かれかまわず喧嘩を吹っかけるんだ。ひどい目に遭ったな。大丈夫か?」
「と、思う」
ぼくは、両側から支えられながら立ちあがった。心配してくれた分隊の仲間に感謝しつつ……しかし、レイ・セキの心を覗いた今は、彼にもはやそれほどの憎悪も敵意もおぼえなかった。彼は、ぼくという人間を憎んでいたのではなく、超能力合戦をしたかったのだと知ったからである。むろん超能力合戦といっても、それは、生身のたたかいをも含めた念力のぶつけ合いという範囲のものに過ぎないが……レイ・セキにはそのことがスポーツなのだとわかって、(それは完敗したことはくやしかったけれども)何となく拍子抜けしたような、楽な気持ちになったのだった。
分隊室へ帰りつくと、みんなはぼくの顔や様子を認めて、寄って来た。ぼくを連れ戻した男が経緯をかいつまんで話すと、納得した表情になった。
「とにかく、顔を洗うんだな、イシター・ロウ。ひどいもんだぞ」
ひとりの主個兵がいい、ぼくははいと答えて、洗面所へ行った。
全く、ひどい顔になっていた。はれあがって、あちこち紫色になり、血がべたべたとついている。服でおおわれている身体の部分も、痛みから察するに、打ち身だらけのはずであった。ぼくは水がしみるのに顔をしかめながら血を洗い落としたものの、あまりましになったとは思えなかった。
「まるで風船だな。え?」
室へ引き返すと、個兵長が呆《あき》れたようにいい、それからつけ加えた。「ま、その程度で済んでよかったが、私闘はあくまで私闘だ。このことはあまり喋らんほうがいい」
「わかっております」
ぼくは返事をした。
何人かが、災難だなといってくれたが、それだけだった。みんな、ぼくに同情はしたことはしたけれども、過度に共感はしなかったのだ。ぼくもそれで不満はなかった。これは不定期エスパーであるぼくが、やはり不定期エスパーの腕自慢のレイ・セキにやられた――というだけの話なので、分隊全部の問題ではないのである。みなはそう考えていたし、ぼく自身もそうだと思う。
それはそれでいいのだが……自分で手当てをしたものの、はれあがったぼくの顔は一時間や二時間では元に戻らなかった。だからその晩、小隊長が各分隊長を連れて分隊室を見廻りに来たとき、ぼくは問いつめられることになった。本当なら小隊長などというものは、各分隊長の見廻りにまかせて、異状ありませんとの報告を受けて済ませるのがふつうらしいのだが、うちの小隊長は時折、自分でも夜間の見廻りを行なうので……それで、小隊長の目にとまることになったのだ。もっとも、その晩のうちに発見されなくても、朝になったってぼくは似たようなものであったから、いずれは見|咎《とが》められていたはずではあるが……とにかく、小隊長は、整列したぼくたちを見やり、その視線がぼくの面上でとまると同時にたずねたのである。
「お前のその顔は、どうしたのだ?」
「ころんだのであります」
ぼくは直立不動で答えた。
「ころんだ? ころんだだけでそんな顔になるのか?」
「顔を打ったのであります」
「顔を?」
小隊長は鼻を鳴らした。「それでそんなにあちこちぶつけたというのか?」
「何度もころんだのであります」
ぼくは前方をみつめたままで返事をした。
「何というとんまだ」
小隊長はぼくを見据えた。「そんなことで任務が果たせると思うのか」
「申しわけありません!」
ぼくは、そういうしかなかった。
「小隊長」
口を出したのは、ガリン分隊長だった。「私の訓練が行き届かなくて、まことに申しわけありません、あとで私から厳重に注意しておきます」
「そうしろ」
ことが分隊長の訓練の問題になるとあれば、それ以上は追及出来なかったのであろう。小隊長はそういっただけで、おしまいになった。
そのあと、ぼくはガリン分隊長から呼び出され、小隊の下士官室へ行った。
下士官室には第一分隊長の幹士長をはじめとして、主幹士や準幹士たちがたむろし、談笑していた。ガリン分隊長はぼくを見ると部屋の外へ連れ出したが、あとの下士官たちはあらかじめ話がなされていたのかこっちにちらと目をやったきりで、何もいおうとはしなかった。
「第三小隊のレイ・セキに喧嘩を売られたんだな?」
外へ出ると、ガリン分隊長は単刀直入に問うた。
「…………」
ぼくは即答しなかった。個兵長の言葉が頭に残っていたからである。
「わかっているんだ」
ガリン分隊長はいった。「心配するな。これは非公式の話だからな。レイ・セキにやられたんだな?」
ぼくは、相手が嘘をついていないと感知した。
「そうであります」
ぼくは答えた。
「手ひどく痛めつけられたというではないか」
と、ガリン・ガーバン。
「はい。しかし、任務に支障をきたすほどではありません」
ぼくはいった。
「当り前だ」
ガリン分隊長はうなるようにいった。「私闘は禁止だが、軍には若い連中がたくさんいるのだから、表沙汰にならない限り、ある程度は大目に見られている。エスパーどうしの喧嘩にしても同じことだ。しかし、瀕死《ひんし》の重傷を負わせたり殺したりしたら、ただごとではすまん。レイ・セキもそれは心得ているのだ」
「――はい」
「それに、エスパーがエスパーでない者を超能力で痛めつけても、ことは重大だ。だからレイ・セキは、お前が不定期エスパーだと知っても、現在エスパー化しているかどうかはっきりわかるまでは、観察するだけで、手出しは控えていたのだろう」
「…………」
「大体、あんな男の挑戦に応じるとは、お前も軽はずみだ。あいつはエスパー化していないときにはおとなしいが、エスパー化すると他のエスパーに喧嘩をふっかける癖がある。どっちがあの男の本性なのかおれにはわからんが……超能力を使って勤務している常時エスパーたちは、面倒だからあの男を避けるようにしている位だ。もっとも、本気になればプロのエスパーのほうがずっと強いだろうとおれは思うがね」
ガリン分隊長はそこまでいってから、ふと気がついたように、ぼくを見た。「そういえばイシター・ロウ。お前、さっき小隊長の心を読んだのか?」
「いいえ」
ぼくは答えた。
それは本当だった。小隊長ににらみつけられて返事しながら、相手の心を読むなんてぼくには無理だったのだ。
「――そうか」
ガリン・ガーバンは呟き、またぼくに視線を移した。「小隊長は、お前が他の小隊の人間と喧嘩をしたらしいと、うすうす気づいてはおられるようだ。それに、ご自分の隊員がよその隊員に負けたらしいとも察知なさって、ご機嫌はよくないが……軍隊内では私闘はないというのが建前で、ことに将校は公式報告を受けぬ限り、そんなものは存在しないとの立場を貫かなければならないのだから、あれ以上は何もおっしゃらないだろう」
「――はい」
ぼくは、なるほどそんなものかと思いながら、返事をした。
「それで……どんな具合だったんだ?」
ガリン分隊長は、話を元に戻した。分隊艮がそのことに個人的な興味を抱いていることを、ぼくは知った。
で……ぼくは、レイ・セキとの一件を手短かに、しかし攻防の様子もまとめて話したのだ。
「これまでの例より、荒っぽいな。最近あの男は相手を得られなかったので、ここぞとばかり、ぞんぶんに超能力を使ったんだろう」
ガリン分隊長は頷いた。「つまりお前は、多少は頑張ったものの、結局は立ちあがれなくなるまで打ちのめされたというわけか」
「――そうであります」
残念だが事実は事実だったから、ぼくは肯定した。
「それで? あの男は気が済んだようだったか?」
とガリン・ガーバン。
「全く……そのようでありました」
いまいましいけれども、ぼくはそう返答するしかなかった。
が。
そこでガリン分隊長はちょっと考え、面をあげるといったのである。
「それで、かえってよかったのかも知れんな」
「は?」
「お前が完敗したことは、あの男にとっても、お前自身にとっても、よかったのかも知れん」
ガリン分隊長は、おもむろにつづけた。「それであいつもしばらくはすっきりするだろうし、当分はお前に挑戦することもあるまい」
「…………」
ぼくは黙っていた。
そういえば……そういう見方も出来るかもわからない。
負けたぼくのくやしさを別にすれば、である。
いや。
超能力の駆使という点では、所詮ぼくはレイ・セキの敵ではなかったのだ。負けて当り前であった。
それに、立ち去ったときのあのレイ・セキの気分を想起すると……仕方がないとの気持ちも生れてきた。
「いずれにしろ、これからは、ころばぬように気をつけろ」
ガリン分隊長は背筋を伸ばすと、あらたまった口調で告げた。「たとえころんでも、任務に支障をきたさないようなころびかたをしろ。いいな?」
「はいっ」
ぼくは答え、分隊長が行けというのに応じて敬礼し、きびすを返した。
ガリン分隊長に釘をさされたにもかかわらず、それから二十日あまり経って、ぼくはまた喧嘩に巻き込まれることになった。どいっても今度はぼくはその張本人だったわけではないし、ぼくというよりも、ぼくたちと表現すべきであろう。集団の喧嘩の、その一員になったのである。
その日、ぼくたちの中隊は外出日であった。エレスコブ家警備隊にいたときの上陸非番と同じことであるが……あのときのようにひとりとかふたりで出るのではなく、当番だけを残して、中隊のほとんどが外へ出るのである。もっとも、外といったって、ここはネイト=バトワの、その首府バトワから二百キロ以上も離れた田舎である。出掛けるとすれば基地の近辺の野や山を散策するか、でなければ、基地から十キロほどのところにあるゼイスールという小さな町へ行くかの、どちらかであった。そして、基地内での毎日の訓練に疲れ変化を求めている人々は、当然ながらほとんどがゼイスールへ向かう。
いうまでもないことだが、カイヤツ軍団基地を空っぽにするわけには行かないので、この外出は順番に、兵力のバランスを失しないように与えられる。それがわが中隊にも廻ってきて、さいわいその日のぼくは当番ではなかったというしだいなのだ。
ぼくはゼイスール行きを選んだ。基地の近辺の野や山を歩くのは、それはそれで愉快なことだろうし、ひとりでいろいろと考えることも出来るが……それだけで朝から晩までの一日を潰すのはやはりもったいないし、かつ、ぼくはそれまでにまだゼイスールの町を見ていなかった。個兵見習のときは基地内での休日はあったものの、外出などはさせてもらえなかったのだ。一人前の、つまり正規兵ではない者に外出などさせる必要はないというわけか、それとも個兵見習の訓練で悲鳴をあげている奴は脱走してしまうかも知れないとのおそれがあったためか……おそらくその両方が理由だったろうし、それ以外にも理由があったのかもわからないが……そうだったのである。だからせっかくの、最初の外出日とあれば……ええい、理屈をあれこれと並べてもしらじらしいだけだ。ありていにいえばぼくは元来が町っ子で、町中にいるほうがむしろ気が休まるほうだったし、野山の散策などという哲学者的な行為をするよりは、にぎやかに町で騒ぎたいという、そんな心理状態になっていたのである。
晴れて、相変らず暑い朝だった。
ぼくは、同じ小隊の連中と共に、車の荷台に乗った。ゼイスールへ行く車の種類は一定していない。むろんそのためのバスは何台かあるようだが、それだけでは足らないのでそのつど空いているのを利用して……何回か往復するのである。ぼくたちの乗る番になったとき、やって来たのは荷物運搬用の大型車だったというわけだ。
とはいっても、荷台には将校はいなかった。将校たちは外出するにしても、専用のバスなり乗用車なりがあるからで……将校のみならず、それらに同乗を許された下士官たちもそっちに乗る場合が多いとのことであった。従って荷台にいる下士官にしても、せいぜい準幹士クラスで、分隊長級はいなかったのだ。まあそのほうが、ぼくたち兵隊にしても気は楽だったが……。
そして、小隊の連中とはいうものの、ぼくたちはやはり自然に、各分隊ごとにまとまって荷台に位置を占めた。すでにこのころになると、まだとても気心の知れ合った仲間とは行かないにしても、はじめの他人の集まりの感じとくらべれば、たしかにグループ意識ともいうべきものが形成されはじめていたようである。
ぼくたちの分隊には、すでにゼイスールへ行った者が何人かいた。だからぼくもゼイスールについての情報を、前以ていくつか得ることが出来た。
そういう連中の話によれば、ゼイスールというのは新興の町だそうである。といって急に作られたのではなく、元は小さい村だったのだけれども、近くにカイヤツ軍団の基地が置かれ、ほとんど毎日カイヤツ軍団の人間が入れかわり立ちかわり遊びや買いものに来るために、それを見込んだ人々が集まるようになり、膨張して、町らしくなったというのだった。
実をいうと、こうした発展をした町は、ほかにも二つ三つあるのだそうだ。というのも、ネイト=バトワにはカイヤツ軍団のほかにボブス軍団とかカボ軍団といった軍団が基地を設けており、それぞれの軍団基地は巨視的に眺めれば集中しているとはいえ、実際には何十キロずつか離れていた。またそうでなければ具合が悪いであろう。別のネイトの軍団基地が目と鼻の先にあったりしたら、何かと面倒だし、訓練でも事故がおこるに違いないのだ。となると……この三つの軍団基地がある地域の中心あたりに、基地町というべきものが形成されてもよさそうだが、現実にはそうならなかったらしい。それはどうやら、その地点に前からの集落がなかったこと、またそうした場所ではどの基地からでも遠くなって中途半端であること、さらに、おのおのの軍団基地に比較的近いところに、村なり町なりがあり、それぞれの軍団の将兵がそれを利用して、いつの間にか、各軍団ごとに、なじみの町が出来てしまったということらしいのである。また、そのほうが無難だったかも知れない。ふたつも三つもの違う軍団の将兵が入りまじって込み合う町なんて……しょっちゅう事件がおこるのではあるまいか。
いい忘れていたが、ネイト=バトワにはもちろんバトワ軍団の本拠があった。が、それは建設時期も古く、首府バトワからそんなに遠くない場所にあって、カイヤツ軍団などのためにネイト=バトワが提供した地域とは別の地域に属している。
それから……ネイト=バトワには、今述べた以外にも、他の軍団のための基地が建設され、軍兵が移動して来つつあるとのことであったが……そちらはもはや近辺に適地がないとのことで、別の大陸の用地が提供されているのだそうであった。
――というしだいで、現状ではカイヤツ軍団の外出先には、もっぱらゼイスールがあてられており、ゼイスールの人たちはバトワ語だけでなく、カイヤツ語を話せる者もかなりいるというのである。
ただ、ぼくはそんな話を聴きつつ車上で思ったのだが……ゼイスールの人たちにとっては、カイヤツ軍団の連中が毎日のようにやって来ることを、よろこんでばかりもいられないのではあるまいか。それはなるほどネイト=バトワはネプトーダ連邦第三の有力ネイトで、ネイト=カイヤツから見れば力も技術も文化も上の、一目置かざるを得ないネイトだから、カイヤツ軍団の連中もそのつもりではあろう。だが、いってみればカイヤツ軍団をお得意にしているゼイスールの町で、それほど自制し得るものなのか……ともすれば横暴になり、おれたちはお客だという顔をしたがるのではあるまいか? カイヤツ軍団の将兵を相手にしている商人たちは(内心はともかく)おだやかにいいぶんを聞くとしても、元からの、村の時代から住んでいた人々には腹の立つ場合が多いのではあるまいか?
とはいえ……ばくは、そのことを突っ込んで考える時間は与えられなかった。車で行けば十キロなんて、あっという間なのだ。
ぼくたちは、ゼイスールの町の、金属と木材で組みあげた簡単なアーチの前で降ろされた。アーチには、歓迎カイヤツ軍団という文字が取りつけられていた。
太陽が高くなって、そのぶんだけ暑くなる感じの道を踏み、ぼくたちはゼイスールの町に入って行った。表通りに安|普請《ぶしん》の、けばけばしい飾りをつけた店が並び、人々が行き来している。町の人たちよりもカイヤツ軍団の制服のほうが多いのではないか――というのが、ぼくの最初の印象だった。そして、そうした制服の中には、黒い腕章を巻いた監察兵がふたりか三人ずつ組んで歩いているのも目に映った。
町へ入ったものの、ぼくたちは依然として第二分隊のグループを崩さずに、ぶらぶらと進んで行った。
「どうだ。そのへんでばくちでもやらないか」
個兵長が提案し、ぼくたちは別に反対することもなく、あとに従った。
賭博場は、はやっていた。ネイト=カイヤツでは賭博は公認されていないので、ゲーム機械として知っていただけだが、レゼッタという、斜面をころがり落ちてくる何十というボールに、こちらから自分のボールを射出し、むかい側の壁の穴へ叩き入れるゲームの、その大型のがずらりと並んでいた。偶然と熟練がものをいうゲームで、しかもボールの速度が早いために、念力を使ってもうまく行かないような仕組みになっているので……それがここの機械では、さらに複雑になり、偶然性が高くなるように作られているのだ。
ほかにも名前は知らないが、趣向をこらしたいろんな賭博機械があった。機械だけでなく、若い女が何人かの客を相手に金属の競技カードを使っての数字合わせの勝負をしているコーナーもあった。どの機械も、超能力を駆使しようとしても出来ない仕掛けになっており、カードはむろん間に超能力|遮蔽《しゃへい》板がはさまれているのである(ぼくはここで未来予知力の持ち主が来たらどうなるかと思ったが……未来を予知出来る人間が、賭博などするものだろうか?)。しかも念入りなことに、そうした賭博場の要所要所には、エスパーたちが何気ない態度で立っていて、誰かが不正を超能力で行なわないか、監視しているのであった。
ぼくたちはその店で、二、三人ずつに分れて、しばらく遊んだ。ぼくは賭博というのは得意ではないらしく、すぐに負けて、あとは手を出さずに他の人々のやることを眺めていた。
それから別の店へ行って、昼食をとった。このときも分隊の連中は一緒だったが……さすがに食事のあとは、いつまでもひとかたまりになっていても仕方がない、各自でたのしもうではないかということになって、何人かずつのグループに分れたのだ。
ぼくは個兵長と、あともうふたりの準個兵と共に、映画を観に行くことにした。そういえばずっと前、ハボニエと上陸非番のさいにも映画を観たな、と、ぼくは思い出したのだけれども……今はそのことをなるべく念頭から追い払って、映画に没入しようと努めたのである。
映画はネイト=バトワで製作されたとおぼしい歴史ものであった。従ってバトワ語で、字幕はなく、椅子についているイヤホーンのカイヤツ語で聴くのだが……ネイト=バトワの歴史を知らないぼくには、よくわからなかった。大がかりで見せ場もたっぷりには相違ないものの、そんなわけでろくに感情移入出来ないのだ。ただひとつ収穫があったとすれば、ぼくがこのところ断片的にではあっても少しずつ覚えてきた自分のバトワ語が、テレパシーという助けなしにいくらかは理解出来るようになっているのに気がついたことであろう。
映画館を出ると、日はかなり傾いていた。
「そこに知った店があるんだ。そこで飲もう」
これまでに二度ばかりゼイスールに来たという個兵長は、ひとり決めにそういうと、先に立って、裏通りへと入って行く。
ぼくはそのときもまた、ハボニエを思い出していた。これは……ハボニエとのはじめての上陸非番のときと似ているのではないか。ライカイヤツ地区の中心部からややそれた、それほど上等でない酒場が並ぶあたりの、その一軒へ、ハボニエはぼくを連れて行ったのである。
そしてそこで、ハボニエは女とどこかへ消え、ぼくは妙な女――ミスナー・ケイと出会ったのだ。ミスナー・ケイとは、その後妙な因縁がついて廻っているが……あのときは、ミスナー・ケイがもとで、マジェ家の警備隊員と渡り合う羽目に陥ったのだった。
ふっ、と、ぼくは、今回もまた似たようなことになるのではないか、と、思った。これがハボニエとの最初の上陸非番と通じる経緯をたどっているとすれば、そのうち、ぼくは厄介ごとに巻き込まれるのではあるまいか? それは、ぼくの単なる連想に過ぎなかったのかもわからない。あるいは予感だったのか……。
ともあれ。
ぼくはそんな想念を振り払い、個兵長らと一軒の、ただし今度は表にガラスを張った大きな店に入った。
喧騒だった。
人々の笑い声、喋る声、グラスの鳴る音……それにともなって、客たちの思念が重なりわーんと反響しているのである。
「そのへんでいいのだろう」
個兵長は、空いた大きな円形のテーブルを指し、ぼくたちは陣取った。
店内の客のほとんどが、カイヤツ軍団の制服であった。ただ、制服といっても注意してみれば同一ではない。ぼくたちは地上戦隊の服だが、どうやらそれはここでは少数派らしい。一番多いのは、宙戦隊の制服である。単純に計算しても、そうなるのが当り前ともいえる。前に説明したように、カイヤツ軍団には三兵団があって、一兵団にそれぞれ四つの宙戦隊があるのに対し、宙戦隊と同規模とされる地上戦隊は、第一から第四までの四つしかない。軍団各隊から平均して外出しているとすれば、どうしても宙戦隊の連中の数が優勢になるはずなのだ。
が……少数派というのは、逆にお互いに集まりやすいのも、半面の事実である。
ぼくたち四人がそのテーブルにつくと、第四地上戦隊の第四部隊のしるしをつけた四、五人が近寄ってきて、声をかけた。みんな、もうだいぶ酔っているようだった。
「やあ、お仲間。ここへすわってもいいかな?」
いったのは、第四部隊の主幹士である。ほかの者も準幹士か個兵長といった、ぼくよりはずっと上の階級の人々だった。ぼくたちは立ってそのグループを迎え、かれらは着席した。
酒を頼む。
運ばれて来たのを、ぼくたちは主幹士の発声で乾杯した。
みんな、飲みだした。
こちらの個兵長はともかく、ぼくたち三人の準個兵は、相手がすべて上官であるために、へたなことを口走ってはならないと緊張せざるを得なかった。
しかも、第四部隊の連中は強かった。ぐいぐいという感じでグラスを乾すのである。飲め飲めといわれて、ほくたち準個兵も飲まざるを得なかった。
そのうちに、ぼくは尿意を催してきた。
ほかの人々にことわって席を立ち、便所へ向かう。
店内の客をかき分けて進むのは、骨であった。しかも、乱暴に手で上官を押したりしたら面倒だ。ぼくは気をつけて、人々の間をすり抜けるように歩いて行った。
と。
ぼくの肩を、ぽんと叩いた者がいる。
振り返ったが、その前に、ぼくはテレパシーから、それが誰であるか、感知していた。
レイ・セキだ。
「イシター・ロウじゃないか」
レイ・セキは、手のグラスを持ちあげながらいう。「お前もここへ来ていたのか。どこで飲んでいる?」
「あちらです」
ぼくは、自分たちのテーブルを指した。「ぼくは便所へ行きますので……ちょっと失礼いたします」
ぼくをやっつけたレイ・セキに、そんな返事をしたことを、怪しむ人がいるかも知れないが……前にいったように、ぼくはすでに彼に対して、それほどのこだわりを持っていなかったのだ。それに、別の戦隊の連中が大勢いるここでは、レイ・セキだって同じ中隊のお仲間に違いなかったのである。
便所から出たぼくは、自分の席へ戻ろうとして、そちらに人垣が出来ているのを認めた。
足早にその中に割って入る。
やはり、ぼくたちのテーブルだった。
第四部隊の人々もぼくの分隊の連中も立って、十人あまりとにらみ合っている。
その十人あまりは……宙戦隊の連中であった。
「地上戦隊の癖に、大きな面をするな!」
という声が、ぼくの耳に入った。
便所へ行っているわずかな間に、どうしてそんなことになったのか、ぼくにはわからなかった(あとで聞いたところでは、ぼくたちのテープルに宙戦隊の連中がやって来て、場所を半分借りるぜといい、こっちが、仲間でやっているんだ、ほかにも空いたところがあるだろうと応じたのに、強引にすわろうとしたためらしい)。
なりゆきがわからなかったから、ぼくはほとんど反射的にみんなの思念を読もうとしたが、何の役にも立たなかった。そこに渦巻いていたのは、酔った中での怒りと闘争心、侮蔑と反撥、さらには周囲の連中の面白がっている意識――といったものに過ぎなかったのだ。それはたしかに、落ち着いてひとりひとりの感情の奥まで探れば、いきさつを知ることは出来たかも知れない。冷静に慎重にやれば、ぼくにだってその位のことは可能だったという気がする。その程度までは、ぼくは自分の超能力を使えるようになりはじめていたつもりであった。が、その場の雰囲気は、そんな真似が出来るほど悠長なものではなかったのだ。それに第一、ぼく自身が、今の言葉にかちんと来て、いきさつなどはどうでもよくなったのである。
地上戦隊の癖にとは、何たるいい草だ!
宙戦隊の連中が、とかく地上戦隊を見くだす風潮があるとは、ぼくもかねがね話に聞き、そのことをうすうす感じてもいた。宇宙空間を飛び廻って交戦する宙戦隊は、なるほどはなばなしいだろう。自分たちの艦が爆砕されたらもろともに死なねばならぬいさぎよさもあるだろう。それに各自が何らかの技術の専門家だとの自負もあるに違いない。そういう目から見れば、惑星地表や惑星大気圏、もっと外へ出るにしてもせいぜいその近辺をうろうろして、叩き合い殺し合う地上戦隊なんて大したものではない、との感覚を持ってしまうのかも知れない。
もちろん、われわれ地上戦隊には、地上戦隊のいいぶんがある。いくら宙戦隊が敵の艦艇を撃破しても、惑星上の拠点なり補給基地なりを叩き潰さなくては、決定的勝利は得られないのだ。それは宙戦隊からの砲撃によっても、敵の拠点や補給基地を破壊することは可能だろう。が……古来から戦争においてはつねにいわれているように、最終的には歩兵が自分たちの足でその地を踏まぬ限り、制圧は出来ないのである。地上戦隊はその歩兵の役割をも担う存在なのだ。いかに泥臭いといわれようと、なくてはならぬものなのである。
だが、理屈はそうだとしても、現実には、見た目の派手さや何とはないイメージによって、宙戦隊のほうが威勢がいいのは事実であった。この点、何も軍隊だけの話ではないが、理屈だけでは割り切れない何かがあるといえよう。
これは、つい、注釈が長くなってしまった。
ぼくがかちんと来たのは、そうした自意識を逆撫でされたからである。
いや、かっとなったのは、当然ながらぼくだけではなかった。そのテーブルにいたのは部隊こそ違え、みな第四地上戦隊の連中だったのである。
「今、何といった?」
第四部隊の主幹士が、ゆっくりと、実にゆっくりと反問した。「何といった? もう一度いってみろ。性根を据えて、はっきりといってみろ」
その主幹士がにらみつけているのは、宙戦隊の個兵長だった。地上戦隊の癖に大きな面をするな、と、わめいたのは、そいつらしい。宙戦隊の個兵長は口走ったものの、こちらの主幹士の気迫に圧《お》されて、すぐには何も答えなかった。
「お口がすべったらしいな。若いの」
いったのは、レイ・セキである。レイ・セキはぼくが便所から戻る前にテーブルにやって来て、みんなと合流していたらしい。「それではあやまっていただこうか。床に手をついて、お詫びしていただこうか」
「何?」
宙戦隊の個兵長が前へ躍り出ようとした瞬間、別の男がその肩をつかんで、ぐいと引き戻した。同じく宙戦隊の準幹士で……おそるべき体格をしていた。
その準幹士は、だが、喧嘩をおさめるためにそんなことをしたのではなかった。逆であった。そいつは個兵長をうしろへ押しやると、周囲によくひびく大声で、いい放ったのである。
「地上戦隊を地上戦隊といって、何が悪い? それにお前たちは、第四地上戦隊じゃないか。新設の、間に合わせの、屑の寄せ集めの――」
「この野郎!」
終りまでいわせずに、こっちの主幹士がなぐりかかった。
相手は腕で受けとめ、もう一方の手でこっちの主幹士の腹に一発食わせたが、そのときにはもうこちら側は、わめきながら宙戦隊の連中の中へ突っ込んでいた。
ぼくもそうだった。それまでにぼくは、仲間のほうへ廻り込んでいたのだが、みんなと一緒に、ぶつかって行ったのである。地上戦隊だからと馬鹿にされたばかりか、新編成の間に合わせだの、屑の寄せ集めだのといわれては、もう許せなかった。
たちまち、乱闘となった。
ぼくは目の前の奴のフックをかわして身を沈め、頭から突進した。相手ははね飛ばされて、仰向けに倒れた。
ほとんど間をおかずに、横からぼくに組みついてきた奴がいる。ぼくはそいつともみ合って、床にころがった。ころがりながら首を絞めつけたが、相手もさるもので、膝でぼくの腹を蹴り、ぼくとそいつは離れた。
つづいて誰かが、のしかかってきた。ぼくはそいつを両手で押し戻し、それでもまだ胸元をつかまれているので、手首に噛みついてやった。そいつはわめいて、手を離した。
膝を立てて、素早く立ちあがる。
立ちあがるときに目に入ったのは、まわりの光景である。みんな、なぐり合い、格闘していた。だが、こっちの数がすくないのもたしかである。こっちは十人そこそこなのに、むこうはいくらでもいる感じだった。宙戦隊の連中は、すべて敵だったからだ。
しかし、そんな観察も瞬時のことであった。ぼくは誰かにうしろから襟首をつかまれ、向き直らされた。先方はそのつもりだったろうが、ぼくにはそのつもりがなかったので、身をねじり、相手の足首を蹴った。しかし相手は屈せず、両手で羽交《はが》いにしようとする。ぼくはそのふところに飛び込んで、投げを打った。投げは効いたものの、人間が密集しているので、床に叩きつけるには至らない。相手の身体は途中で別の人間にひっかかり、ぼくたちはその場に転倒した。
どこかからグラスが飛んできて、ぼくの目の前の床で砕け散った。とっさにてのひらで防いで、破片が顔に当たるのは避けたけれども、中に入っていた液体が、ばしゃっとふりかかった。
「こっちだ! イシター・ロウ!」
誰かの叫び声がする。なぐり合いと組み打ちで必死のぼくには感じなかったが、店内はおそらく叫喚《きょうかん》と悲鳴のるつぼになっていたはずだ。悲鳴といったのは、店にはサービスのための若い女の子がいて、きっと彼女らは叫んでいるに違いなかったからである。そんな状態で、ぼくを呼ぶ声だけが耳に入ったのは、奇妙といえば奇妙なことであった。
ぼくは頭をめぐらせた。
仲間の何人かが、テーブルを倒して楯《たて》にし、少しずつ後退している。
ぼくは、自分の足をつかもうとする手を蹴飛ばして、そっちへ走った。
テーブルの楯のところへ来た。
「外へ出るんだ」
ぼくの分隊の個兵長がいう。「外でならもっと動きやすくなる。ここではせまくて、どうにもならん」
それは本当だった。店内にはひっくり返ったテーブルや椅子がごろごろしているし、人間の数が多過ぎる。その人間も大半は宙戦隊の連中なのだ。
しかし、個兵長のその計画は、うまく行かなかった。ぼくたちの意図を悟った宙戦隊の連中が、あっという間にうしろ側へ廻って来たのである。
ぼくたちは、もう後退もならず、うしろへ向き直って、たたかうしかなかった。
楯にしていたテーブルも、どこかへ行ってしまった。
再び、乱闘である。
はじまってから、どの位つづいているのか、ぼくには時間の感覚がなくなっていた。随分長いようでもあり、短いようでもあった。ただ、それなりの時間は経過していたのであろう。しかもその間、動きっぱなしだったぼくは、身体が思うようにならなくなったのに気づきはじめていた。あちこちけがをしているはずだし、疲れ、息切れもしているに違いないのだが……ぼく自身の感じでは、ただ身体が重く、動作も鈍くなったと、それだけが意識されるのであった。
これでもう何度めだろう、よろめきながら立ちあがり、向かってくる相手に構えつつ後退したぼくの背中が、誰かの背中とぶち当たった。同時に、前面の相手がぶつかってきて……だが、足をすくわれたように、うつ伏せに倒れたのだ。
「しっかりしろ、イシター・ロウ」
声があった。背中が当たったのは、レイ・セキだったので……レイ・セキはすでにぼくと肩を並べて立っていた。しかも、あまり疲れた風にも見えないのだ。
「念力を使うんだよ、馬鹿」
レイ・セキは、早口でささやいた。「ここで念力を使っても、証拠は残らん。そうでもしないと、ここから出られないそ」
「…………」
「思い切って、やれ!」
レイ・セキはまたいい、さっきうつ伏せに倒れた男が起きあがってつかみかかってくるのを、また倒した。ぼくにはわかった。レイ・セキは、そいつの膝の高さに障害を作り、頭を引き落としたのだ。それも、急速に引き落としたものだから、そいつは床に顔を打ちつけて、しばらくは立てないようであった。
「単純に念力をぶち当てたって、効果はないぞ」
レイ・セキは、ぼくたちの周囲に、かかってくる者がふと途絶えた間に、ぼくに教示した。
「惜しいが、このさいだから教えてやる。二点に念力を働かすんだ。力点と支点とをな」
ぼくは即座に了解した。
わかり過ぎるほどだったといっていいだろう。この前、ぼくがレイ・セキに痛めつけられたのも、その方式のおかげだった。支点と力点の二点に念力を及ぼせば、戦闘力は倍加する。実際に投げを打つには、支点を含めて三点が必要だが、二点でもタイミングがよければ、それに近いことが可能なのだ。レイ・セキはそのやりかたをしていたのではないかと推測はしていたのだけれども……今、そういわれて、推測は確信になった。そして、レイ・セキがそんなことをいったのは、無理もないことであった。ぼくたちは相変らず頑張っているものの、敵が圧倒的多数なので、すでにくたくたになっており、各個ばらばらになって、追いつめられつつあったのだ。この窮状から脱するには、レイ・セキは自分ひとりの超能力では無理だと判断したのに相違ない。
「おれたちは、みんなをまとめて、店の外へ出る」
レイ・セキは、背後から襲ってきた相手に、振り向きざま蹴りを食わせると、またいうのだった。その蹴りが、相手の身体を念力で引き寄せながら行なわれたことを、ぼくは察知した。
「外へ出れば、おれたちの仲間も加わるだろう。むこうの援軍はもっと多いかも知れんがね」
レイ・セキはつづけ、むこうの、第四部隊の主幹士らしいのがいまや倒れて袋叩きになろうとしているのを指すと、こっちへむらがってやってくる連中に向かって走りだしながら、叫んだ。「まずは彼だ! 彼から助けて……まとめるんだ!」
ぼくたちは、並んで突進した。
念力の槍を突き出して、である。
行く手をさえぎろうとした連中のふたりが、胸を押えて、膝をついた。
そのときには、ぼくらは残った連中にぶつかっていた。
ぼくは正面の奴にぶち当たりながら、そいつの股間《こかん》へ念力を叩きつけた。
そいつはわっと叫んで、うずくまった。
別の奴が、躍りかかってくる。
ぼくは気力を集中して、その膝の前に障害を作り、頭を思い切りこっちへ引こうとした。そいつは、だが、綺麗《きれい》には倒れず、のめって手を床につけただけであった。
念力を分散させたので、両方共弱かったらしい。
もっとも、そんなことをいちいち吟味《ぎんみ》し反省しているゆとりはない。ぼくは突進をつづけ、そいつの胸を蹴りあげた。そいつが倒れたので、前に空間が出来た。
レイ・セキは、ぼくの何歩か前を、前進している。
ぼくも進んだ。
新手が来た。
眼前に迫った相手の、その顔をぼくは念力で押した。膝のうしろに障害を設けようとしたが、わずかに遅れたようだ。とっさにぼくはその障害を手前に引いた。相手は両足を宙に投げ出し、尻と背中を打ちつけた。
出来たのだ。
ぼくは悟った。
ぼく流のやりかたを、である。
ぼくの能力では、レイ・セキのように、同時に二点に念力を及ぼすのには、無理があった。
力をふたつに分けると、両方共弱くなってしまうのである。だから……偶然の成果ではあったが、ひとつの力を瞬時に移して作用させることで、似た効果をあげられることを知ったのだ。人間の身体は、一方向へ動かされればバランスが崩れるから、作用する力が消えてもごくわずかな間は惰力が残る。その惰力の残っているうちに別の点から反対方向に力を加えれば、立ち直ろうとする動きを逆用して、倒すことが出来るのだ。
だが、これはあとでの分析で、そのときのぼくは直感的に体得したのであった。
こうした、レイ・セキとぼくの突入が、宙戦隊の連中の目にどう映じたか、ぼくにはわからない。念力を使っていると見破った者もいるであろう。しかしともかく獅子《しし》奮迅《ふんじん》の印象を与えたのは確実である。かれらはこれまでのようにやみくもにつっかかってきたりせず、警戒し、ぼくたちの動きを結果として容認することになった。
ぼくたちは前進し、……視野の中に、倒れている第四部隊の主幹士をとらえた。
ぼくが、助け起こした。
レイ・セキは、ぼくのその行動を庇護《ひご》してくれた。
「大丈夫だ」
うなりながらも、主幹士はいった。「まだくたばってはおらん。ひとりで歩ける」
ぼくたちは三人で一体となり、次へと向かった。
同様にして、とりかこまれている別の仲間のところへと進んで行ったころには、ほかの仲間もぼくたちがやろうとしていることを察し、それぞれ自力で、なぐり合いし蹴飛ばしながら、何とかぼくたちのほうへ来て、一体になろうと、再び頑張りはじめていた。
その間、レイ・セキの奮闘は、目をみはるものがあった。ぼくたちがひとかたまりになるのを妨《さまた》げようと襲ってくる連中を、片っぱしからなぎ倒したのである。それに、実に巧妙に、超能力をふるっているとはほとんどわからぬように、実際になぐり、蹴り、倒すという行為を併用して、やっつけるのであった。
もちろん、ぼくだって同じようにしようと努めた。体得したばかりのやりかたを、ためらうことなく使ったのだが……レイ・セキのようにうまくカバーしながらやってのけることは出来なかった。だが、それでも構いはしないとぼくは考えていたのだ。超能力をふつうの人に対して使ったことで咎《とが》めを受けようとも、今は、仲間と共にとりあえず外へ出なければならない。
それが最優先なのであった。
他の連中も、よく頑張った。
ぼくは思うのだが、さっきのままの状態がつづけば、みんな、戦闘力を失っていたのではあるまいか。ぼく自身にしたって、超能力を使わなかったなら、とうに叩きのめされて、足腰が立たなくなるまでなぐられ、蹴られていたに違いないのだ。それが何とか最後のひと踏んばりが出来たのは、全員でまとまろう、まとまれば何とかなるだろうとの希望が生じたからと断言してもいい。
しかし。
ぼくたちがどうやら寄り集まり、一体となったおかげで戸口にたどりついたとき、そこには十数名が待っていたのだ。というより、店内の乱闘そのものが、ぼくたちがまとまって行動することによりおさまりはじめると、あと、ごく自然ななりゆきとして、はじめにぼくたちとの騒ぎをおこしたグループが、戸口で決着をつけようと待ち構えることになり、他の連中もその気になって、様子を見守ることにしたらしいのである。
待っていたグループのリーダーは、あのおそるべき体格の準幹士だった。
「逃げるのか。え?」
と、準幹士はいった。
「馬鹿をいうな。どうせやるなら、外でやろうというだけだ」
こちらの主幹士がいい返す。
「外でやり合って、監察兵につかまろうというのか?」
宇宙隊の準幹士は、鼻を鳴らした。「そうでなくとも、そろそろ観監兵[#校正2]がやってくるころだ。その前にかたをつけよう。代表どうしでやり合おうじゃないか」
「いいとも」
こちらの主幹士が応じた。
「こっちはおれが出る。そっちはどうだ?」
と、宙戦隊の準幹士。
こちらの主幹士が何かいおうとする前に、レイ・セキが前に出ていた。
「おれがやろう」
「待て。おれが相手をする」
こちらの、第四部隊の主幹士が声をかけたが、レイ・セキは振り返って、にやりと笑った。
「まかせて下さい。大丈夫です」
「お前か。よし来い」
むこうの準幹士は、腰を落として、身構えた。
レイ・セキも構えた。
こちらの主幹士は、もう何もいわなかった。ぼくたちの中で階級が一番上で、本当なら彼が代表になるべきであっただろうが、あまりにも痛めつけられ、立っているのがやっとという感じだったのである。それでも気力で相手といいあったのであろうけれども、先方の準幹士とわたり合うのが無理なことは、誰の目にもはっきりしていたし、本人もそれはよく承知していたであろう。
そしてぼくたちも、その主幹士と同様、むこうの準幹士とレイ・セキの代表決戦を、息をつめて見守っていたのだ。
あとになって考えてみれば、間の抜けた話であった。つまらぬことが原因で店全体を巻き込む大喧嘩をし、その上、いつ監察兵がやってくるかわからぬというのに(このことはぼくも頭の隅で、なぜまだ監察兵が来ないのだろうといぶかっていた。騒ぎがおこれば監察兵が駈けつけて、あばれている連中を片っぱしから容赦なくつかまえるのが通例なのにかかわらず、いまだにその姿が見えないのはなぜだろう、と、怪しんでいたのである。だがぼくは、自分の時間の感覚がすっかり変になっていて、あれほど長時間乱闘をしたのにと自分では思っていたものの、実はまだ十分も経っていないのが、わからなかったのだ。全能力をあげて対応しなければ自分が危ないとき、ことにそれが苦痛を伴っていつ終るかわからないとき、人間の感覚は異常に敏感になり、時間はまことにのろのろと過ぎて行くものである。しかも、ぼくたちがそうしている瞬間にも、通報を受けた監察兵の一隊が刻一刻とこっちへやって来ているなどということは、全く知らなかったのだ)真面目に代表を出し合って決着をつけようなどというのは、正気の沙汰とはいえない。そんな真似をする暇があったら、あっさり手を打って和解するか、さっさと店から逃げ出してしまうのが賢明だっただろう。しかしながらぼくたちは、自分らの自尊心を保持するためにも、そうせざるを得なかったのだ。第四地上戦隊のメンバーとして堂々と店を出て行くつもりなら、ここで代表の決戦をし、勝たなければならぬ……これは儀式なのだ、と、信じ込んでいたのである。
とはいえ、主幹士をはじめとする第四部隊の人たちはいざ知らず、ぼくら第二部隊第一大隊第二中隊の――分隊の仲間は、レイ・セキが不定期エスパーで現在エスパー化しており、他のエスパーに挑戦することを熟知していた。相手がエスパーならいいが、超能力をエスパーでない者に対して使用し、痛めつけたりしたのが表沙汰になれば、厄介なことになる。なるほど、乱闘ではレイ・セキもぼくも念力を使った。が、乱闘というような情況では、レイ・セキがいったように、その証拠をつかむのは困難である。あいつはたしかに念力を使ったと名指されても、いっさい覚えはありません、なぐり合いはしましたが、で、押し通すことも、出来ないことではないのだ。それはまあ、判定する側の心証の問題もあるが……すくなくとも、大勢の人間がみつめている一対一の決闘であからさまに念力を行使したときよりは、いい抜けしやすいのであった。
その一対一を、今、レイ・セキはやろうとしている。
ぼくが見たところ、相手の宙戦隊の準幹士は、エスパーではなかった。
となれば、ここでレイ・セキがはっきりしたかたちで念力を使ったりすれば、うるさいことになる。
ぼくは、さっきのレイ・セキの、超能力をふるっているとはほとんどわからないようなやりかたを見ていたから、あまり心配はしなかったが……同じ分隊の仲間が危惧《きぐ》しているのは感知出来たのだ。エスパーを味方につけて、そのエスパーの能力で非エスパーを痛めつけたとなると、こちらまで累《るい》が及ぶことになるのである。それでも、ここで自分たちの代表が宙戦隊のメンバーに叩き伏せられるよりはまだいい、と、仲間たちが考えているのは事実であった。ことは第四地上戦隊のプライドの問題なのだ。そしてぼく自身も、仲間のそうした意見には同感であった。
宙戦隊の準幹士とレイ・セキは、じりじりと接近している。
リーチは、準幹士のほうが長いだろう、と、ぼくは見て取った。
準幹士もそのことは計算しているようで、ある距離までくると、それ以上はレイ・セキを近づけようとはしない。
レイ・セキが、また、じりっと前進した。
準幹士が後退する。
レイ・セキは、また少し間合いをつめようとした。
準幹士が、ジャブを繰り出した。
レイ・セキは腕で防ぐ。
と思ったとき、準幹士は一発、二発と、矢つぎ早にストレートを送ってきた。
レイ・セキは、頭を振るだけでかわし、相手の鼻に軽いジャブを入れた。
大した打撃ではなかったものの、準幹士は警戒したようである。
ふたりは、また距離を置いた。
「どうした! ハバイト、しっかりやれ!」
声が飛んだ。
どうやら、ハバイトというのが、その準幹士の名前らしい。
が。
ぼくは、少しずつ、疑念も抱きはじめていた。
ぼくの見るところ、ハバイトと呼ばれた準幹士は、なぐり合いにかけては相当な腕のようである。
そのハバイト相手に、レイ・セキはまだ一度も念力を使っていない。
なのに、レイ・セキがわずかながら相手を押している感じなのだ。
ぼくは、レイ・セキの心を読んだ。レイ・セキは目の前の相手にすべての精神を集中していて、ぼくに読まれていることなど、気づきもしない。
そこで、ぼくは、あ、と、思った。
レイ・セキは、念力を使わず、さりとて、ぼくがふと考えたように、相手を心を読んで先を制そうというつもりもない。ただひたすら、争闘に精神を集中している。
しかし、それだけではないのだった。
レイ・セキは、実際には念力を行使していないものの、本能としていつでも行使出来る状態に、おのれを置いていたのだ。
この意味を、どう説明したらいいであろうか。
念力を使うとき、もっとも原始的で初歩的なのは、自分の衝動そのものを対象に向けるやりかただ。この場合、結果がどうなるかの正確なところは、本人にもわからない。だいぶ前のぼくがそうだったように、やみくもに力をぶつけるだけのことである。
その力の方向をしぼると、特定の小さな標的に作用を及ぼすことになる。さらには、場所を自由に選んだり、力の大きさを加減したりすることも出来るようになる。
これをもう少し進めると、的確に作用を及ぼすところまで来るわけだ。
もちろん、これは念力といっても、いわば物理的作用として力を行使するときのことで、他の、さらに複雑な、化学的あるいは生理的、さらには心理的な作用も可能だというが、ぼくには今のところ、よくわからないし、そんな力もない。
ぼくはただ、いわば物理的作用だけについていっているので、ぼく自身、そのある程度のところまで力をコントロールする段階に到達したわけだ。
しかし、ぼくの経験では、そうして段階があがればあがるほど、作為的な、何をどうしようという意識の強さが必要らしいのである。いいかえれば、目的意識だ。それを抜きにしたら、原始的・初歩的レベルに舞い戻ってしまい、ただ単に力を対象に及ぼすというだけのことになってしまうようであった。
ところが、レイ・セキの心にあったのは、まるで違うものだったのである。
つまり……あらかじめどうしようかと考えておくのではなく、何かがおこれば反射的に、それに対応したかたちの念力を行使する……それも、きわめて的確に、効果的に使うというかたちなのだ。
もう少し理解してもらうために、別の表現をする。
ファイター訓練専門学校に入って間のないころ、ぼくらは教官にたえずうるさくいわれたものであった。技というのは頭でするのではなく、身体に覚えさせるものである――というのだ。格闘技の教官はそのことを実地にぼくたちに教えるために、連続十数人、ときには二十人、三十人を相手にしての練習をさせた。そんな練習では、はじめのうちはタイミングをはかり相手の姿勢を見極めて技を仕掛けるものの、相手が次々と代って行き疲れてゆくうちに、余力がなくなり、ただもう稽古をしているという状態になってしまう。すると、何の技をかけるか、どう防ぐかを考えるどころではなく、本能的・反射的に身体が動いて、仕掛け、防ぐようになるのだ。それで自動的に身体があるべき形をとり、あるべき動きをするようになれば、それをはじめて技という――と、教えられたのであった。
また、そうでなかったら、基本技から応用技、さらにその上の高度な技をマスターすることは無理なのである。
レイ・セキの念力は、正にそのかたちで待機≠オているのだった。
もとよりぼくには、レイ・セキの内部で待機している念力の型がどんなものであるかはわからない。それがごく基本的なものなのか高度で精緻《せいち》なものなのかも不明である。エスパーといってもプロではないのだから、さほど高級な、致命的なものではないのかも知れない。だが、そういう、身についた技としての念力反応がレイ・セキの心の中にあったのは本当であり、そんな使いかたが存在するとは夢にも思わなかったぼくには、驚異であった。考えようによれば、ぼくがそんなやりかたを読み取りわかるようになる位には進歩したともいえようが……念力ひとつとってもこんなに奥深いものだと思い知らされたのである。
そして。
レイ・セキがそういう状態にあり、瞬間の危地におちいれば、即座にしかるべき念力での反撃があるということを、なまじハバイトは腕がいいために自分でもしかとはわからぬながら感知し、思い切った攻撃に出られないのであった。
何秒かが、また何秒かが経つうちに、レイ・セキがわずかずつではあるが、優位を確保して行くのが、ぼくにもわかった。
ハバイトは、そのことに耐えられなかったのであろう。自分でもなぜかわからないうちにそうなってゆくのに、辛抱し切れなかったのに違いない。
ハバイトは、それまで慎重に保っていた間合いを一気につめて、一応左腕でガードはしながらも、大きな右フックを放った。
だが、それはやぶれかぶれの、強引な攻めであるのはあきらかだった。レイ・セキは相手の攻撃を受けとめる代りに、それを空振りさせ、ハバイトの空いた右肩に躍りかかったのだ。そのまま、目にもとまらぬ速さで、右手で相手の首を巻き、身体を旋回させた。ハバイトの足先が宙を舞い、落ちた。レイ・セキは落ちる相手の腹に自分の重量をかけて、共に落ちた。
倒れた姿勢で、ハバイトはレイ・セキの顔を肱で払った。飛びすさるレイ・セキを追うようにして、立ちあがる。
ぼくは、レイ・セキとの超能力合戦で徹底的に痛めつけられたのは当然だった、と、内心で苦笑した。レイ・セキは念力の使いかたでぼくよりもずっと上であるばかりか、超能力抜きの格闘技でも、ぼくと充分渡り合える技量の持ち主だったのである。
決闘は、今の投げで様相を一変した。
ハバイトはどっと後退し、店の戸口の横に置いてあったかなり大きな花瓶を、瓶の口に指を入れて左手でつかみあげたのだ。それをさかさにして水と花を捨てると、右手に持ち直して、構えたのである。
素手であるべき決闘なのに、これはルール違反だった。
「汚いぞ!」
ぼくの分隊の個兵長がわめいた。
「構わんぞ。やれやれ!」
むこう側から野次《やじ》が飛んだ。
「そいつで、地上戦隊の間抜けを叩きのめしてやれ!」
という声も聞えた。
「来い!」
ハバイトは、あごをしゃくった。
つい先刻までの冷静な闘士としての態度は失われていた。
構えても、隙だらけだ。
いや。
ぼくはそれが、ただの隙ではないのを悟っていた。
その乱暴な、ふてぶてしい、粗い構えは、相打ち覚悟のものだったのだ。倒されるとしてもその前に、かなり大きな花瓶を相手の頭に打ちおろそうとしている――ぼくはそのことを、ハバイトの心中から読み取った。
さすがに、レイ・セキは、前進しようとしない。
「やめて下さい!」
突然、声がして、ひとりの女、というよりまだ少女の気が抜け切らない印象の女の子が走ってきた。
「その花瓶だけは、こわさないで下さい!」
女の子は、泣きそうな声で、ハバイトのところへ駈け寄り、花瓶を取り返そうとしたのだ。
「どけ!」
ハバイトは、空いたほうの手で、はげしく女の子をはねのけた。
これがハバイトのような体格の男でなかったら……あるいは女の子が男であったら……女の子だとしても、もっと背が高く大きかったら、仰向けに倒れるか、数歩うしろへよろめいて横倒しになるかで済んだであろう。けれどもそうではなかった上に、ハバイトの腕の振りかたは、あまりにもはげしかった。
女の子の身体は、ほとんど吹っ飛ぶようにして、壁に頭から叩きつけられた。
――と、ぼくには見えたのだ。ぼくの脳裏には、叩きつけられて頭から血を噴き出す女の子の姿が映ったが……そのときには、ぼくは自分でも考えないうちに、そっちへと身を躍らせていた。同時に、おのれの念力のありったけで、女の子の動きをとめ、こっちへ引こうとしていたのである。ハバイトの腕が振り切られたときには、ぼくは、本来そうであったはずのスピードより遅い速度で床の上をすべる女の子の前へ到達していたのだ。実はそれでもぎりぎりであった。女の子の身体がぼくと直角の方向へ飛んでいたら、とても間に合わなかったろうが、さいわい、その角度はぼくのいた位置のほうへかなり寄っていたから、辛うじて受けとめることが出来たのである。
それでも、ぼくは女の子をかかえたまま、ダダダと横に動き、壁に身体を打ちつけていた。
衝撃はあったものの、大したことはなかった。
ぼくはほっと息をつき、女の子の身体を離した。
十六、七とおぼしきその女の子は、ぼくに離されるとぺたんとすわり込み、ちょっとの間、放心していたようだが、たちまちわっと泣きだしたのだ。
「ひどいことをするなあ」
レイ・セキが、静かにハバイトに声をかけた。
「…………」
ハバイトは、不意にわれに返ったような目になり、ぼくと女の子のほうを見ると、視線を手の花瓶に移した。それから、黙って花瓶を床の、元の場所へ置いたのである。
女の子の母親らしい女が、走り出て来た。
「いい加減にしていただけませんか」
女は、誰にともなく叫んだ。「店を滅茶苦茶にしただけではまだ足りずに――」
あとは、口をつぐんだ。感情が激して、ものがいえないようである。
「――ありがとう」
女の子が、もう泣きやんで、涙を手の甲で拭《ぬぐ》いながら、ぼくにいった。
ぼくは、にこりとして、頷いてみせた。
まあよかった、と思いながら、ぼくは心中の別のところで、不安をおぼえていた。今の一件で、ぼくはあきらかに念力を使った。そうしなければ、ぼくが駈け寄る前に女の子は壁にぶちあたっていたであろう。人助けのためにそうしたのは後悔しなかったけれども、今のを、みんながどう見ていたかが気になったのである。
しかしながら、それ以上考えるわけには行かなかった。
表に車の到着する音がし、監察兵たちが店に踏み込んで来たのである。
「監察兵だ!」
誰かが叫んだ。
そのときにはぼくの目にも、人垣越しに、入ってくる監察兵たちの頭が映っていた。
ぼくたちは、どっと逃げ出そうとした。こうなればもう、地上戦隊も宙戦隊もない。つかまればもろともに、収監舎にぶち込まれるはずだ。ぶち込まれたあとは……いや、そんなことを考える前に、逃げねばならぬ。つかまらないのが第一だ。
逃げるといっても、現に監察兵たちが戸口から踏み込んでくるのだから、そっちへは行けない。みんなは波を打つようにして、反対側の、店の奥へと走っていた。裏口だ、裏口だとどなる声が、ぼくにも聞えた。
裏口があったのか。それならさっき、何も無理をして表へ向かったりせず、裏口から出ることを図ってもよかったのだ――との想念がぼくの脳裏をかすめた。
だが想念は想念で、ぼくの身体はみんなにつづこうとしていた。
逃げるのだ。
けれどもぼくの肉体は、思うように動かなかった。先程までの乱闘で、へとへとになっていたからである。ぼくだけではない。こっちのメンバーはみなそうだった。
「動くな! 全員逮捕する!」
声が流れた。
のみならず、銃の発射音が響いたのだ。
監察兵たちは、外出で来たぼくたちと違って、銃器を携行している。その銃(音でぼくには短銃だとわかった)を、威嚇《いかく》のためにぶっ放したのだ。
ぼくは振り返り、うしろに空間が出来ているのを見て取った。空間のむこうには黒い腕章の監察兵たちがおよそ十名、短銃を構えて並んでいる。
ぼくは観念して、足をとめた。まさか監察兵たちが本気でぼくらを撃つとは思えないが、はずみということもある。
そして、立ちどまったのはぼくだけではなかった。レイ・セキも、ぼくの分隊の連中も、第四部隊の主幹士らも……さらにレイ・セキと対決していたハバイトや、近くにいた宙戦隊の連中も……やむを得ず、動くのをやめていたのだ。
(とっつかまったな。こいつは、油を絞られるぜ)
テレパシーが、ぼくの中に流れ込んできた。
レイ・セキである。
レイ・セキは、薄笑いを浮かべていた。
「両手を上に挙げろ!」
監察兵のひとりが鋭い声を出し、ぼくたちはいわれた通りにした。
もっとも、つかまったのは、ぼくたちだけではなかったのだ。
店の奥へ殺到した連中は圧縮され、進むのをやめて、後退しつつあった。後退し……これも不承不承、ばらばらと、手を差しあげはじめている。
そのむこうから、一隊の監察兵が、やはり短銃を構えて入って来た。
監察兵たちは、表と裏の両方から、乗り込んできたのだ。
一網《いちもう》打尽《だじん》というところだった。
ぼくたちは車で基地へ連れ戻され、収監舎にほうり込まれた。
収監舎というのは、一時的拘留の必要のある者や、部隊単位の軍歴には記載されない懲戒処分を受けた者や、まだ裁判がはじまらない未決の人間などを収容する施設で……だから基地にはたくさんある。本格的な裁判によって刑を宣告されると基地にひとつしかない立派な(!)刑務所に入れられるので、収監舎にほうり込まれたからといって、必ずしも裁判にかけられるわけではないが、さりとて楽観もできない。
ぼくたちが入れられたのは、監察隊の、かれらが逮捕した人間をとりあえず収容する、もっとも軽い収監舎だった。それも監察隊では、事件の原因をある程度つかんでいたらしく、ぼくら地上戦隊のメンバーと宙戦隊の連中は、別々の部屋に送り込まれたのだ。もしそうでなかったら、ぼくたちは収監舎の中でまたもや喧嘩をはじめていたかも知れない。
いちばん軽い収監舎だといっても、なりゆきしだいでは、それより重い収監舎に移されるかもわからないし、悪くすると本格的な裁判にかけられるのではないか。ぼくは初めての経験だけに、いささか不安であった。
だが、ぼくや、ぼくと似た立場のあたらしい兵たちと対照的に、古参の連中は平気だったのだ。
「じたばたしたって、仕様がないんだ」
と、第四部隊の主幹士は、あぐらをかいていったのである。「たかがなぐり合いで、死刑になることもあるまいし……なるようになるだけさ。多分、さんざんどなられて、それで終りだろうよ」
「でも、そうならなかったら、どうなのでありますか」
ぼくの分隊の準個兵がたずねた。
「それは、そのときの話さ」
レイ・セキが肩をすくめた。
ぼくは、レイ・セキの思念から、彼がこれまでにも喧嘩で、何度か監察兵につかまったものの、その都度結果としては放免されてきたらしいのを知った。レイ・セキだけではなく、下士官になるほどの経験豊富な連中は、兵のときには、いや下士官になってからも、よその隊の人間としばしば喧嘩をし、収監舎にほうり込まれたようである。下士官たちだけでなく、個兵長クラスも同様らしかった。そうした、すでに収監経験のある者は、みなたかをくくっていたのだ。
「そうだ。そのときの話だ」
第四部隊の主幹士は笑った。「裁判にかけるなら、かけてくれたらいいさ。そんなことより、もしもあのとき、おれたちが喧嘩を買って出なかったら、どうなっていたと思う? 隊に帰って腰抜け扱いされていたのは、間違いないぜ」
そうかも知れない。
きっと、そうだろう。
地上戦隊の癖にだの、屑の寄せ集めだのとののしられて黙っていたのが、他の連中の耳に入ったら……お前らは阿呆かといわれたに相違ないのだ。
仕方がない。
やむを得ぬ行きがかりだ。
ぼくたちは、やるべきことをやっただけなのだ。
だが。
その結果は、本当に、大したことなしに済むのだろうか?
以前にガリン分隊長がいったことだが、私闘は禁止にせよ、軍には若い人間がたくさんいるのだから、表沙汰にならない限りある程度は大目に見られているようだ。
しかし、今度は表沙汰になってしまったのである。監察兵につかまったのだから、これを表沙汰といわずして、何といおうか。
それでもここにいる下士官たちは、あまり心配していない。過去の経験から、こっぴどくどなりつけられはするであろうがあとは放免だろうと考えている。
これまでは、そうだったのだろう。
思いめぐらしてみるに、軍隊というところは、兵たちが沈み切っているよりは元気なほうを、青白くげんなりしているよりは精力に満ちてむしろ乱暴なほうを、よろこぶのではあるまいか。軍隊などという性格から推してもそれは当然といえよう。となれば少々の喧嘩や乱闘騒ぎは、軍の秩序に影響しない限り、それほどの罪悪とは見倣されまい。将校はいざ知らず、下士官や兵などはそういうことではないかという気がする。だから、喧嘩そのものがかりに表沙汰になっても、よほどの事例とか一罰百戒が必要な場合を除いては、叱責《しっせき》や面罵《めんば》位で済ませておこうというのも、怪しむには足らないであろう。それに、今回もそうであったように、ことの原因がお互いの隊のプライドから出た衝突となれば、隊規違反でも、自隊の内輪ではその意気や良しということになっても不思議ではないのである。
だがガリン分隊長は、こうもいったのだ。エスパーがエスパーでない者を超能力で痛めつけたら重大だ、と。
ぼくとレイ・セキは、乱闘で超能力を使った。
乱闘のさなかに念力をふるったところで証拠は残らんとレイ・セキはいった。なるほどあいつは念力を使ったと名指されても、覚えはありませんで突っ張ることは可能だろう。しかもレイ・セキは、念力を使っているとは簡単に見破られないようなやりかたで、たたかっていた。ぼくはとてもああは行かなかったものの、見よう見真似で一応その努力はしたのだ。念力なんて使いませんでしたと頑張れば、何とかなるかもわからない。
けれどもあの場にエスパーがいたらどうなる? ぼくたちの心を読んでいたらどうなるのだ?
それにぼくは、店のあの十六、七の少女を救うために、反射的に念力を使用したのだ。あのこと自体は、超能力でその能力を持たない者を痛めつけたのではないが……ぼくが超能力者だと知った者がいて……そういえば乱闘のさいにもあいつは念力を駆使していた、と思い当たり、事件を調べる人間に告げ口したらどうなるのだ?
ただごとでは済まないのではあるまいか。
(イシター・ロウ)
声を聞いた気がしたので、ぼくは頭をあげた。
(テレパシーだよ)
思念があった。ぼくはそこで、今のも思念だったのだと悟った。ただそれが強く、ぼくのほう――ぼくだけに向けて射出されたものだから、肉声と間違えたのである。
そのテレパシーは、レイ・セキのものであった。
レイ・セキは、部屋の窓のほうを眺めているように見える。
(馬鹿、きょろきょろするな)
レイ・セキは思念を送ってきた。(お前もどこかを向いていろ。この話は、超能力を持たない人間にはあまり聞かれたくない。テレパシーで話し合おう)
(…………)
ぼくは、了解の思念を送った。
考えてみると、ぼくはこれまでに何度かエスパー化し、ことに今回の能力保持は異様といっていいほど長い。それにもかかわらずテレパシーでちゃんとした会話をするのは、これが最初だった。それは多少はそれに近い、意志の通じ合いめいた状況はあったけれども、会話をしようとの意志確認のもとにテレパシーを交換したことは、これまでなかったのである。エスパー化のときに適当な相手がいなかったせいもあるが……いや以前なら相手がいても、正確に意志を通じ合えたかどうか、疑問である。その頃のぼくはまだ自分の能力を漠然としか使えなかったのだ。今の段階だから、こうしたことが可能になったといえる。が……その瞬間は、ぼくはこうした事柄を断片的に頭の中に走らせただけで、まとめたり、感慨めいたものをおぼえたりする余裕はなかった。ただ緊張して、レイ・セキの思念を読み落とすまいとしていたばかりである。
(そんなに緊張するな)
レイ・セキの、少し面白がっている思念が伝わって来た。(おれはお前の思考を読んでいたんだ。あまりつまらぬ心配をするから、助けてやろうというだけだぜ)
(有難うございます)
ぼくはともかく、謝意を送った。
(おい、敬語を組み込むのはよせ。うるさくてかなわん)
と、レイ・セキ。(テレパシーではそんな飾りをつけなくても、相手を馬鹿にしているかそうでないかは、いやでもわかるんだ)
それはその通りだな、と、ぼくは思った。
(お前、エスパーとしての訓練を、つい最近はじめたばかりのようだな。それも我流でだ。我流にしてはなかなか上達が早いが、その点ではおれのほうがちっとは上級だろう。おれは不定期エスパーといっても、比較的周期的に能力が発現するほうだから、多少は馴れてもいる)
流れてくるレイ・セキの思念を、ぼくは膝をかかえて考えに耽《ふけ》っているような姿勢をとって、聴いていた。たしかにレイ・セキのテレパシーの使いかたは、ぼくなどより格段に上であった。その強さが一定して、感知しやすいばかりでなぐ、明確なのだ。
(お前、あのなぐり合いで超能力を使ったのが問題にならないかと心配していたな。もっと気を強く持ったらどうだ)
レイ・セキは、少し笑いを含んだような、どこかふてぶてしい感じのテレパシーを送ってくる。(あの場の宙戦隊の連中にエスパーがまじっていたって、そいつがおれたちを告発することは、まずあるまいよ。なぜって、そいつ自身がなぐり合いに加わっていたんだから。自分だって念力を使っていたかもわからん。すくなくともそう見られるのを覚悟しなきゃ、おれたちのことは告発できんはずなんだ)
(…………)
それはいえる。
(だろう? そして、乱闘に加わっていなかったエスパー、でなきゃ局外者のエスパーがいたとしたら、そいつはなぜおれたちをその場で告発しなかったんだ、と非難されるんだぜ)
(たしかにそうだが……しかし、店の人にエスパーはいなかったんだろうか。店の人ならその場は黙っていても、あとでそのことをいうかも知れない)
(ゼイスールの、おれたちを客にしている店の人間がか? もしそんな奴がいたとしても、密告者といわれて信用を失うような真似はしないと思うがね。そいつにはおれたちが罰せられても何の得もないわけだし……ま、黙っていておれたちを脅迫するかもわからんが、そうなりゃ、叩きのめしてやるだけさ)
(そんなものかなあ)
ぼくは思念を返した。こうして文章にすると、いかにも気楽に対等にテレパシーの交換をしているようだが、ぼくはもちろんレイ・セキに対して、階級が上の人間というだけでなく、超能力の使いかたにかけての先輩という敬意をこめて、思念を送っていたのだ。ただ、内容を表現すると、こうなってしまうだけの話である。
(そうさ。だからあまり可能性のない事態を考えて、おたおたすることはないんだ)
(…………)
(それから、お前、店の女の子を助けるために念力を使ったのを見られた、と、考えていたな。そのことは問題ない。安心しろ)
(どうして?)
(おれは、お前があの女の子の身体を念力で引っ張って、動きをのろくしたのを知っている。だがな。他の奴らには何もわかりはしないよ)
(どうして?)
と、ぼくはまたたずねざるを得なかった。
(女の予の動きは、たしかに遅くなっていたろうよ)
と、レイ・セキ。(だがお前は、自分が超能力者であるのにとらわれ過ぎて、そうでない人間の心理を見落としているんだ。人間なんて、置かれた状況と心理状態によって、時間を長く感じたり、早く過ぎるように感じたりもするもんだ。あの光景を目撃していた者は、女の子が実際にゆっくりと動いたのではなく、自分の目にそう見えたんだと、固く信じているんだ。あのときとっさに、おれは周囲の連中の心を読んだから、間違いない)
(――そうか)
ぼくは、ほっとした。
ほっとしたものの、まだ完全に不安はなくなったわけではない。
もしもぼくたちがこのあと事情聴取されるとして、そこに専門のエスパーがいたらどうなるのだろう? そう。ぼくの意識の中には、カイヤツVの船内での、あの査問会の場面がよみがえっていたのだ。査問会のときも申し渡しのときも、ふたりの特殊警備隊員が控えていて、ぼくの心を読んでいたのではないか。あれと同様の状況に置かれたら、いくら念力を使いませんでしたと主張しても、たちまち看破されるはずである。
(前後関係がわからんから、お前のその記憶について、おれはどうこうとはいえん)
レイ・セキの思念である。(でもまあ、たかが下士官と兵の乱闘事件に、軍がそんなうるさいことをするとは、おれには思えないな。わざわざエスパー、それもプロの常時エスパーを連れてくるほどの大事件じゃないんだから)
(しかし、もしそうなったら?)
(そうなったら、あっさりと念力を使ったことを白状したほうがいいのだろうよ)
と、レイ・セキ。(ただし、最初からそのつもりではなかったと突っ張るんだ。これは事実なんだから、通用する。念力など使う気はなかったけれども、相手が多過ぎて生命の危険を感じたため、正当防衛として使用せざるを得ませんでした、と、主張すりゃいいのさ。自分の生命が危いときには、エスパーがエスパーでない者に対して能力を使い、危地を脱することは許されている。そうじゃないか?)
レイ・セキのいう通りだった。
そしてぼくは、レイ・セキのそうした具体的対処法というか、世故《せこ》にたけていることに対して、感服しないわけには行かなかったのである。
(買いかぶるな)
レイ・セキの、いささか鼻白んだようなテレパシーが、伝わってきた。(おれはおれなりにその場その場を切り抜けて、少しずつ覚えてきただけの話よ。おれにもまだよくわからんが、実のところ、エスパーたちにはエスパーたちの社会があって、そこにはそれなりのルールがいろいろあるらしいんだ。エスパーでない人間にはいわれてみてはじめて納得する……たとえばさっきの、気持ちが伝わるのだから形式としての敬語不要というようなことが、わんさとあるようだ。かれらはことさら説明はしないし、したところでかえって疑惑の目で見られるからやりたくもないのだろうが、別のルールによる社会が存在するということなんだな。そして、おれやお前のような不定期エスパーは、常時エスパーでないために、その埒外《らちがい》に置かれているんだ)
そこでレイ・セキの思念は、ちょっと途切れた。というより、ぼくに送ってくるのを止めて、本人だけの思考に入ったのだ。ぼくには回転の速いそうした内面思考はとてもつかめなかったけれども、思考自体がにわかに暗さを帯びたのは、感知できた。
(おれたち不定期エスパーも、学ぼうとすればかれらに教えて貰えるのかも知れん)
整理がなされて、またレイ・セキは明確なテレパシーを出してきた。だがそれは、依然として今陥ち込んだ暗さを、幾分か残している。(しかし……そうして常時エスパーの社会のルールを身につけたところで、どうなるというのか? なまじそんなものを得たお蔭で、非エスパーのときには、主要な感覚のひとつ、いやもっと多くを喪失した感じになって、ふつうの人間の中では適応しにくくなるかもわからない。当人はふつうの人間としては、よほど注意しないと、どこか欠けた存在になる可能性がある)
(…………)
何もまとまった思念を返せずにいて……ぼくの心の中には、何かが起きあがろうとしていた。前にこれに似たことを聞いたような気がするが……しかし、レイ・セキがつづけてテレパシーを射出したので、ぼくはそっちへと、心を向けた。
(おれは本来、ふつうの人間としてより、エスパーとしてのほうが、生き易いのかもわからん)
レイ・セキの思念は、ぼくへと流れてくるものの、それはこれまでのテレパシーの会話のかたちがつづいているためで、なかばはひとり思考、ゆっくりしたひとり思考のようでもあった。
(残念ながら、おれは常時エスパーではない)
と、レイ・セキの思念。(どんなにあがいても、こればかりはどうにもならん。超能力は除去できるが、植えつけることはできない。すくなくとも現代の技術では、そうだとされている。おれは常時エスパーでありたいのに、なれない。エスパー社会にも入れないのだ。その無念さが、非エスパーのときのいやでもそうしてしまう真面目さと、エスパー時の相手がエスパーと見ると挑戦したくなる癖になって、あらわれているのだ、おれにはわかっている……)
が、そこでレイ・セキの思念は、ゆるみかけていたぼくの指向性を取り戻した。(わかるか? イシター・ロウ。同じ不定期エスパーのお前なら、わかるかも知れん)
わかるような気がする――と、ぼくは同意した。けれどもそれは、全面的同意ではなかった。ぼくはエスパーとしては、レイ・セキほどの修練も積んでおらず、エスパー社会というようなものをこれ迄《まで》本気で考えたこともなく、従ってレイ・セキの感情を本当に理解できる境地に到達していなかったのだ。でも漠然とわかったようだったのは、事実である。
そして。
ぼくはどきりとした。
ぼくは今度のエスパー化以来、能力保持が長くつづいていることもあって、おのれの超能力にだいぶ馴れ、曲りなりにも活用することが出来るようになってきた。じりじりとではあるが、あきらかに腕をあげつつあったのである。そのぶんだけ、超能力というものの奥行きの深さを感得しはじめてもいた。
だが……こうしたぼくが行きつくのは、とどのつまり、レイ・セキと同じ心境ではないのだろうか、と、思ったのである。努力し、超能力を相当駆使し得るようになってぼくが手に入れるのは、レイ・セキの無念さや悲哀なのだとしたら、はたしてよろこんでいていいのか否か、疑問ではないか。ぼくは不定期エスパーだ。常時エスパーではない。となればぼくはいやでもレイ・セキのあとを追うことになるのではなかろうか。この前のレイ・セキとの超能力合戦でぼくが完敗したとき、レイ・セキの心にあったのはスポーツで勝利をおさめたすがすがしさだったけれども、真実はそれだけではなかったのだ。いやあの瞬間にはレイ・セキにとってのかけ値なしの気分だったろうし、そうせざるを得なかったのかも知れないが、そのときのぼくには探り得なかった彼の心の底には、今聞いたような感覚が横たわっていたのである。今は、レイ・セキが前よりも心を開き、告げさえしてくれたので、そうと知ったのであった。そのレイ・セキの気持ちを、いずれぼくも味わうことになるのだろうか。
(よせ)
レイ・セキの思念が、割って入って来た。(つまらぬことを考えるな。そうと決まったわけではない。どうも……馬鹿なことを流してしまったようだ。あんまり本気で考えるな。お前はどうも真面目過ぎるぞ)
(…………)
(大体、お前が常時エスパーの社会というものをどう見るようになるかさえ、まだわからんのだ。当面は――)
レイ・セキの送念が中断した。
ぼくも注意をレイ・セキから外し、心を無指向の状態にした。
部屋の中の他の人々のまじり合った意識に重なって、別の意識が足音と共に、すぐ近くへ来ている。
呼び出しであった。
ぼくたち全部を、監察兵が呼び出しに来たのである。
ぼくたちは一緒に、監察隊の将校の部屋へ連れて行かれた。
将校(袖に太い金線を一本巻いた率軍長であった)は、ぼくたちを横一列に並ばせ、たっぷりまる五分間、ののしりつづけた。お前たちは軍隊というものをどう心得ておるのか……所属部隊への忠誠心があれば他の部隊といくら騒ぎをおこしても構わんと思っておるのか……そんなことで任務が果たせると考えておるのか……から、ろくでなし、乱暴者、あとさき考えず、薄汚ない、馬鹿、阿呆といった言葉の連発で……ぼくたちは直立不動で聞いているしかなかった。
中でも率軍長がどなりつけ叱責したのは、第四部隊の主幹士に対してである。分隊長ともあろう者が何たるざまだ、と、わめいたのだ。ぼくはその主幹士が分隊長だとは考えもしなかったので、内心驚いた。分隊長がののしられている図なんで、準個兵のぼくなどは想像したこともなかったのだ。下士官はともかく兵たちの前で、兵たちと共に叱責されるその主幹士にぼくは同情し、併せて、へたをすればこうなるとわかっていながら宙戦隊の連中が売った喧嘩に応じたことに、尊敬の念もおぼえた。
どなるだけどなって一息つくと、率軍長はぼくたちを見渡して、にらみつけながら質問した。
「あっちの連中は、先に手を出したのはお前たちだといっておる。最初になぐりかかったのは誰だ?」
ぼくはそのとき迄に、覚悟を決めていた。責任を他人になすりつけるのはみっともない。はじめになぐりかかったのはぼくではないとしても、それは結果としてそうなので、ぼくであったかも知れない。とすればぼくも同罪なのだ。ぼくがひっかぶったっていっこうに構わない。
そうしようと決心していたのである。だから、率軍長がそうたずねた瞬間、一歩前へ踏み出して、叫んだのだ。
「私であります!」
しかし、進み出たのはぼくだけではなかった。全員が同時に前へ出て、私でありますといったのである。
「馬鹿者! みんなでいっせいに打ちかかったというのか!」
率軍長はわめいた。
「私がひとりでやったのであります!」
ぼくたちはまた叫んだ。合唱になった。
「仕様のない奴らだ」
率軍長は舌打ちし、だが、本気で腹を立てているというよりも、わが意を得たりといいたげな目になった。率軍長の心証はあきらかに良くなったようである。
それでも、言葉のほうは前と同じ調子で率軍長はまたののしり、終ると、控えていた下士官に、こいつらを元の場所へ連れて行け、それぞれの部隊から貰い受けに来るだろうから、と、いったのだ。
いうまでもないことだが、ぼくたちを直接罰する権限は、監察将校にはないはずである。重大犯罪の疑いのある場合には告訴の手続きがとられるのであろうが、それだって書類と被疑者の身柄を送り出すだけなのではあるまいか。ましてそこ迄も至らない人間については、所属部隊に引き取らせ、所属部隊の処分にまかせるのであって、監察隊がどうこう出来る筋合いのものではないのだ。なのにぼくたちを呼び出してどなりつけたのは、監察隊の将校として、いうだけのことをいっておこうとしたのであろう。宙戦隊の連中もおそらく同じ目に遭ったに違いない。それにしてもあのどなりかたは……率軍長は何かの鬱憤《うっぷん》をそれで晴らしたかったのではあるまいか。
いや、こんないいかたはいけなかった。
ぼくたちは、さっき迄いた部屋に戻され、だいぶ待たされた。待たされて夜になってしまったのだ。それから、身柄を貰い受けに来た所属部隊の関係者に引き渡された。
要するに、下士官たちがはじめから予想していたようになったわけである。超能力|云々《うんぬん》の問題は何も出ず、常時エスパーが出てくることもなかったのだ。
ぼくたち――第二部隊第一大隊第二中隊第一小隊第二分隊の四人を引き取りに来たのは、分隊長のガリン・ガーバン自身である。ガリン分隊長は書類に署名して渡し、ぼくたちが部屋から出るのを待って、一緒に外へと歩きながらいった。
「派手なことをやってくれたな。小隊長はかんかんになっておられるぞ」
「どうも、申しわけありません」
個兵長が、ぼくたちを代表して詫《わ》びた。
「それに、店をこわした弁償金も、高くつくようだな。頭割りで天引きの月払いになるとしても、当分こたえるぞ」
ガリン分隊長はまたいった。「しかし、まあ、これはおれの個人的意見だが、少人数にしてはよくやった。ほとんど対等にたたかったというじゃないか」
その言葉に、ぼくたちは、やはりこれでよかったのだと思った。
隊へ帰りつくと、小隊の連中は拍手でぼくたちを迎えてくれた。噂はもうひろがっていて、ぼくたちは第四地上戦隊の名誉を守った英雄と迄は行かなくても、それに準じる程度の存在になっていたのである。宙戦隊の連中に完勝していたら本物の英雄だったろうが、あの人数の違いを考えると、そんなことは到底無理であろう。
このことはまた、ぼくたちの分隊にひとつの作用を及ぼした。これまでは各人ばらばらの、用があるときだけはかかわり合うといった状態から、ようやくグループ意識らしきものが形成されつつある感じだったのだけれども、これがきっかけで、あきらかな仲間としての感覚が生れて来たようであった。中でも共に乱闘をやった個兵長とぼくを含めて三人の準個兵は、ぐっと親密な関係になったのである。
もちろん、いいことばかりではなかった。
次の朝の小隊単位の訓練で、ぼくたち四人は小隊長に前に出るようにいわれ、こっぴどく文句をいわれたのだ。小隊長は、ゆうべのうちにお前たちに来いといわなかったのは、自分自身の怒りを鎮めるために一晩待ったのだ、と、いったりした。そして、お前たちのような喧嘩好きが自分の小隊にいるのは、隊長として恥かしい、ともいったのだ。
ぼくが読心したところ、その言葉は小隊長の本音に近かったようだ。自分の隊の人間が他の部隊の連中と渡り合い、まずまずの結果になったのを、たしかにほんの少しはよろこんでいたものの、そんなことを将校としては口に出来ず、また、するような人物でもなかったし、ことがこれだけ評判になっては、やはり迷惑だとの気持ちが強かったのである。ゼイダ・キリー主率軍は、ぼくが推察していたように、きわめて秩序感覚の強い人間であるということであった。
事件そのものは、しかし、それで一件落着になった。
いや。
ぼく個人に関していえば、もうひとつ、おまけがついたのである。
というのは、乱闘をおこしたあの店の、ハバイトに振り払われて壁に頭を打ちつけるところをぼくが助けたあの少女から、お礼の手紙が来たのだった。
来たのは、事件から、四、五日経ってからである。
すぐに来なかったのは、先方がぼくの所属部隊も名前もわからず、ゼイスールへ来るカイヤツ軍団の知り合いの人間にいろいろたずねて突きとめるのに、時間がかかったためらしい。それでもそれだけの日数でぼくの所在と名前がわかったのは不思議なことだ、と、ぼくは奇妙な気分になったが……店での宙戦隊員と地上戦隊員の喧嘩は、噂となってひろがっており、ためにぼくが驚くような短い期間で、判明したということのようである。
ところで、十六、七歳の女の子を、少女と呼んでいいものだろうか。
手紙にしるされていた名は、リョーナ・ネ・ラだったから、語弊があるかもわからぬ少女という表現をやめて、リョーナにする。
リョーナの手紙によれば、ハバイトが手に持つた花瓶というのは、亡くなった父親が大切にしていたものらしい。もともとあの店はリョーナの父親が経営したのだが、それがいなくなってからは母親が何とか切り廻し、リョーナは店員たちと共に、店を手伝って来たようである。
リョーナは、ぼくの行為に対してていねいに礼を述べ、そのあと、ひやりとすることを書いていた。
ぼくが、超能力者ではないかというのだ。
あのとき、リョーナは、自分のはね飛ばされた速度に、あきらかにブレーキがかかったのを感じ、走ってくるぼくを見て、とっさにぼくが念力を使ったのだと直感したのだという。
となれば、レイ・セキとぼくのほかに、あの瞬間ぼくが念力を使ったのを知っている人間がいるわけだ。
だから、ひやりとしたのだった。
とはいえ……リョーナは、このことは母親にはいったけれども、あるいはご迷惑がかかるかも知れないと思って、ふたりとも、誰にもいわないことにしている、と、書き加えていた。優しい心遣いであった。
そしておしまいに、この次ゼイスールにいらっしゃる折があれば、ぜひお寄り下さいとしるしてあったのである。
むろん、そんなに早く次の外出日が廻ってくるとは考えられない。たまたま当日が当番だったりしたら、もっと先になる。とはいえぼくは、ゼイスールの町に知り合いが出来たのに悪い気はせず、機会があったら訪ねようと思ったのだ。
リョーナのその手紙は、隊内でもぼくを冷やかすたねになった。へたにかくしだてしたりすれば、よけいにいろいろいわれそうなので、ぼくは手紙をみんなにも見せた。ぼくが現在エスパーであるのは隊内の誰もが承知しているし、しかも手紙にあるのは乱闘中のことではなく、リョーナを助けたときに念力を使った、それだけについてなのである。まあぼくは、一緒に騒ぎに加わった個兵長や他のふたりの準個兵が、乱闘にさいしてもぼくが超能力を使ったのを薄々勘づいていただろうと思うし、それでもいっこうに構わない(三人が、そんなことをぺらぺら喋るわけがないのだ)けれども……自分からそうと話しはしなかった。リョーナに関しての部分だけを、隊内に限ってだが、自認したわけである。
隊の連中は、面白がってぼくにあれやこれやといった。そこにちょっぴり羨望《せんぼう》が入っているのをぼくは感知したが、これはどうしようもないことだ。何人かは、どうして母親からではなく、娘から礼状が来たのだといい、その娘は間違いなくお前に気があるのだ、などと冷やかしたのである。イシター・ロウ、お前は女の子に好かれるタイプなんだぜ、といったのは、個兵長だった。ぼくが準個兵などという階級で今軍団におり、いつどうなるやらわからぬのを無視して、早く結婚したらどうだ、どうせならその子と結婚してしまえといった者もいる。まあこの場合、ぼくがリョーナと結婚すれば、ゼイスールのその店で安く飲めるからなというのが理由だったから、真面目に相手になるだけ損であった。
ともかく、ひどい目に遭ったのだ。何しろ、ぼく自身、手紙を貰ったのは悪い気分ではなかったものの、別にそのリョーナに特別な関心を持つには至っていなかったのである。あれこれといいはやされると、困惑してしまうのだった。
それよりも。
そう。それよりも、ここでどうしても述べておきたい事柄がある。
女性から手紙を貰ったということで、ぼくは収監舎にいたあのとき、レイ・セキの思念を読み取りながら、何かが心中に起きあがるようでいて、そのときにはすぐには思い出せず、レイ・セキの次の思念を受けるためにそのことさえ忘れてしまっていたのが、実は何であったか、思い当たったのだ。
あのとき、レイ・セキは、エスパーであるのが当り前になってしまえば、エスパーでなくなったときに、ふつうの人間の中で適応しにくくなる……注意しないと、どこか欠けた存在になるのではないか――という意味の思念を送ってきた。
それに似たことをかつて耳にしたおぼえがあったのだ。
ハボニエの言葉である。
ミスナー・ケイについての、ハボニエの感想がそうであった。
これまた繰り返しになるのだけれども……カイヤツVの中のバーで、いやその前から、ぼくは、ミスナー・ケイが、自己の言動が周囲に及ぼす影響についての感覚が欠如しているのではないか、との印象を抱いていた。バーの中では、それがさらにはっきりしたかたちで出て来たといえる。だからそのときも、最初のカイヤツ府のライカイヤツ地区の酒場でや、同じくライカイヤツ地区のエレスコブの花という店の前でそうだったように、悶着をおこしたのだ。
カイヤツVの中のバーを出た帰りがけに、そうしたミスナー・ケイに関してハボニエのいったことが、ぼくの心によみがえつて来た。
ハボニエはいったのだ。
ある人間がふだんは読心力で交流を行なっていて、それが習慣だったにかかわらず、それを何かの必要で中断しなければならなくなったら……言動や身振りだけでは、相手の気持ちをくみ取るのは、きわめてむつかしいのではないか……われわれが会話が出来なくなって、身振りだけで意志を通じ合おうとしたら不便でやり切れないのと同様の状況になるのではないか……。そしてミスナー・ケイの言動を観察していると、どうもそんなところがある。われわれの社会ではない別の、読心力者ばかりの社会というものがもしあるとしたら、そこから来た人間は、あの女のようなことになるんじゃないか……と。
そのあと、ハボニエは、空想だよ、空想と自分で否定したのだが……。
これは、どういうことであろう。
妙に話が合致するようである。
ぼくはこのことを考えようとしたが……結論めいたものはつかめなかった。何となく、まだデータ不足という感じでもあった。
たまにそうした事件があったりしたものの――というより、それらをも含めて、ぼくの毎日は兵隊そのものになり切って行った。
訓練は容赦なくつづけられる。小隊長は相変らず突発的な命令を出したり、神経質に叱責したりする。ガリン分隊長はぼくたちを絞りあげて鍛える。
疲れ果てて分隊室に帰っても、みんなと無駄話を少しやるのが関の山で、就寝時刻にはたちまち眠り落ちるのだ。
ときに、日常のスタイルとはことなる用をいいつけられたり、あまりしたことのない仕事を与えられたり、非番になったりしても、所詮はすべてが、兵隊としての生活なのであった。
だが、これはぼくにとって苦痛の連続であったと思ってもらっては、事実と少し違うのである。
なるほどこうした毎日には、自由な思索の時間もろくにないし、自分で予定を組むということも原則として許されない。いわば他律社会なのだから、おのれの自主性にこだわる者なら、必ず欲求不満におちいるものだ。ぼく自身がそうであった。
しかし、四六時中欲求不満のままでいるわけにはいかないではないか。
また、ぼくたちは、そんな暇はないのであった。ひとつ片づければまたひとつ、これが終れば次というように、あとからあとからやらなければならぬ事柄が、波さながらに押し寄せてくるのである。
この繰り返しが、いつか、流れとなってしまったのだ。
個兵見習のとき、ぼくにとって教育と訓練は、何がやってくるか予想もつかない生活のうちにいた。何をやらされるか、それがどれだけつらいか、実地に経験する迄はわからないのだ。それらを何度も何度もくぐり抜けなければならないのであった。だから、脱落者の中には肉体的について行けない者もたしかにいたが、多くは心理的に参ってしまったようである。ぼくが何とか乗り切ったのは、過去に、ファイター訓練専門学校でしごかれ、さらにエレスコブ家警備隊で基礎研修を受けて、こうした苦行には、つねに一種のコースともいうべきものがある、と、知っていたおかげであろう。そのコースとは、最初の物珍しさが消えた頃からひとつひとつの教程がつらくなり、そのうちに自由時間をも合わせたいっさいが自分にのしかかってくるように感じはじめ、このままでは死ぬのではないかと思うほど一刻一刻がのろのろと過ぎ……あるとき突然におしまいまでが見える、いいかえれば山を越える感覚があって、そのあとはにわかに楽になる――というものだ。こういえば、何かでそんな経験をした人には、よく理解してもらえると思う。だから、そのうち山を越せると信じて、耐えることができたのだ。ぼくのみならず仲間の個兵見習たちの中には、ぼくと同様の気持ちで頑張った者も、すくなくなかったのではあるまいか。もしも、そんなやりかたをしなかったとしても、ひとりひとりがそれなりに自分の方法で、辛抱し、苦行をくぐり抜けたのに相違ない。
この点、ぼくは、世間でよくいう人並みなる言葉に、かなり重いものが内包されているのではないか、と、思うのだ。人間、まだ若い、ことに少年の時分などには、人並みになるなんて誰にでもできることだと、なかば軽蔑し、おのれより年上の人を見て、あいつはつまるところ人並みではないか、と、いったりするものだ。ぼくだってそうであった。他人より優れた部分がなければ駄目、なることならぬきんでたい……それを、一般の、ふつうの人並みなんて、と、考えていたのであるが……その人並みが、実際に自分がやってみるとそう簡単ではないのを悟ることになったのである。頑張ったその結果がつまり人並みならば、よしとしなければならないのだ。衆にぬきんでるなどは、まず人並みになれるかどうかを達成して、はじめて可能なのではなかろうか。みずから実地に何もしないで、あれは人並みだなどというのは、実体験のきびしさを知らないからできるのである。この場合、個兵見習から準個兵になることがそうであった。あれだけの教育・訓練を経て、やっとたどりついたのが、準個兵、すなわちただの兵隊なのである。どこにでもいる、当り前の兵隊なのだ。あんなもの、誰だってなれるさ、と、笑う人間がいるだろうけれども、事実はそう簡単なものではない。笑っている人間は、先方からも笑われ、馬鹿にされていると悟るべきなのだ。
これは、脱線して……おまけに説教じみたいいかたになってしまった。ぼく自身、こんないいかたをされると猛烈に反撥《はんぱつ》したものなのに……少し反省すべきかもわからない。
話を元に戻す。
つまり、個兵見習のときの毎日は、修了・準個兵に昇任という目標が存在する、ひとつの過程のうちにあったのだ。そこにははじめがあり終りがあった。
それが、準個兵になってからは、毎日が日常そのものと化したのである。訓練があり仕事があり、たまには非番の日が来るとしても、これが基本であり生活様式なので、はじめも終りもないのだ。なるほど準個兵は最下級の正規兵であって、上にはたくさんの階級がある。が、話によれば一定の期間を経るとよほどのへまをしたりにらまれたりしていない限り主個兵には進めるそうだけれども、そこから上へ昇進する保障があるわけではない。いや、場合によれば最後迄準個兵のままに留め置かれる可能性だってあるのだ。となれば、今のこの状態が、感覚としてはずっとつづくのであり、これが日常ということになるのであった。ぼくが、流れと形容したのは、この意味である。
そして、流れのうちにある者は、流れを当り前のものとして受けとめなければ生きて行けない。それも、自己の気持ちを無理にかき立ててついて行くのでは、遠からず潰れるときが到来する。順応し同化しなければ、どうにもならない。
こうして同化した人間にとって、当初苦痛であった事柄も、それがよほどのことでない限り、日常化されてゆくのが一般的な現象である。
だから、ぼくは、兵隊としての毎日が、苦痛の連続だったわけではない、と、いったのだ。そうしたものを日常化して取り込んだ身には、こう表現するしかないのではないか。
そして。
兵隊になり切るうちに、ぼくは、軍の階級というものについて、しだいにこれ迄とは違うとらえかたをするようになった。妙なたとえになるが、階級を、天然自然の存在のように感じはじめたのだ。
これも微妙で、説明しにくいのだが……やってみよう。
エレスコブ家警備隊にいたときも、ぼくは階級組織の中にあった。ぼくは最終的には警備隊の中級隊員で、外部ファミリーの一員だったのである。
当主とか中枢ファミリーとかいったところからはじまる階層秩序から見れば、はるかに下の階級だ。
しかし、ぼくにしてみれば、上層部はエレスコブ家につながる人々や、有能な人間や功労者で固められており、生れつきや経歴から考えても、閉ざされた世界であった。それは能力や功績によって昇進すれば、どんどん上へ行くかも知れないが、かりにモーリス・ウシェスタのように警備隊長になったとしても、それでやっと内部ファミリー入りを果たしたところなのである。従って、エレスコブ家入りをしてそんなに月日の経っていなかったぼくは、はじめから階級のことなどあまり考えず、配属されたポストで隊長の命を受け、先輩たちと共に全力をあげて任務を果たすことになったのだ。隊員たちも、公的にはともかく、内輪では仲間扱いしてくれたため、やたらに階級にこだわる必要もなかった。
それに、階級といったって、あのトリントス・トリントがそうであったように、身分のお蔭で一級士官になったりする。
ほかにも……エレスコブ家の警備隊には、正規の隊員でない者も大勢いた。外部ファミリーでさえない人々が、ときによって、ぼくたちと一緒に働いたのであった。
そして、これは重要なことだが、エレスコブ家における階級というのは、(むろんちゃんとした家での位置づけだから、それ相応の評価を受けるとはいえ)ネイト=カイヤツという社会の中にあって、公式に認められているわけではなかったのである。エレスコブ家が自家内で勝手にそんな階級を設けているだけの話で、ネイト政府なり政府が認めた機関での地位がなければ、何の法的な身分保障もないのであった。
さらに、ま、これは現実にはなかなか出来ないことであるが、エレスコブ家の組織に属していたところで、建前として、もしも辞めたければ、いつでも辞めてエレスコブ家を出て行けるのであった。
こう述べてくると、階級と一口にいっても、エレスコブ家でのそれと軍隊のそれとは、かなり違うのが、わかって頂けると思う。
まとめてしまえば、エレスコブ家における階級というのは、エレスコブ家の事情と直結した、ときによれば必ずしも厳密に運用されるとは限らないもので、恣意《しい》的な面もあるばかりか、エレスコブ家の力の及ぶ範囲内のものであり、エレスコブ家を離れれば何の関係もない――という制度なのだ。
カイヤツ軍団においては、そうではない。
カイヤツ軍団に属するものは、他の軍団と同様、すべて、ネプトーダ連邦軍という統一された体系に組み込まれている。命令は正式の命令系統を通じて行なわれなければならず、任官・任用もしかるべき手続きを経なければ認められない。そしてそこでの階級は、どこへ行っても通用する。地上戦隊の率軍長は、宙戦隊へ行こうともっと別の部門で仕事をすることになろうと、率軍長に変りはないのだ。これはカイヤツ軍団内だけでなく、原則として他の軍団へ赴いても同じことなのだ。軍での階級は、連邦軍という巨大組織の中での位置づけなのである。いや……軍の内部だけでなく、たとえばカイヤツ政府内でも、その階級で通用するのだ。エレスコブ家での階級などとはことなり、完全に公的な身分なのであった。しかも、自分の意志で辞めようとしても、そうは行かない。軍を離れるには、満期除隊とかその他、軍が認める条件を満たさなければならないのだ。
いってみれば、軍の階級とは、当人の存在のありかたを示しているのだった、階級がそのまま本人なのであった。準個兵という存在であって、その上でもなく、下でもない。
当り前のことを、ながながとつらね過ぎたかも知れない。
けれども、こうした社会にあって、その生活をさっきも述べたように日常化してしまうと、階級をその通り、ごく自然に受け入れてしまうものである。個兵見習のときは、まだそれほどでもなかった。目の前に準個兵の階級がぶらさがっていたからだ。その頃のぼくはすでに、エレスコブ家にいるのとは格段に違う階級間格差を感じ、その感覚に慣れはじめていたのだが……準個兵となり兵隊としての生活がいわば恒久化するうちに、格差そのものを、作られたものとしてではなく、はじめから存在する天然のありかたのように、受けとめることになってきたのであった。準個兵は準個兵、個兵長は個兵長、主幹士は主幹士であって、出会う相手に、階級の差に見合った言動を、自分でも意識せずに、とるようになったのだった。
こうなったのを、いいことだとか悪いことだとかいってもはじまらない。ぼくはただ、事実として説明しているのである。
今迄述べたのと一見矛盾するみたいだし、不思議なようでもあるが……そうなってからぼくは、というより分隊の隊員どうしが、お互いに人間としての、個人的関係を持つようになったことも、いっておかなければならない。
ぼくたちの第二分隊が、最初は他人の、しかしプロというか職人的な者の集まりだったのが、何かの事件のたびに、仲間としての意識を持つようになってきたのは、すでに話した通りだ。多分、分隊としての連帯感が、その都度《つど》育って行ったのであろう。が……そうなったのも、別の面から見れば、隊内のそれぞれの階級をいわば与件であり前提として受けとめるようになり、ごく自然に守るべき作法を守るようになったからこそ、そうなったのではないだろうか。他の隊員とその階級を、それぞれがその都度想起しなくてもいいほど自分のものにしてしまったから、何かの事件のたびにそれらを契機として、仲間化の度を深めたのではないかとの気がする。そして、こうなると、他の分隊の人間に対しても、自分の隊ほどではないが、似たような接しかたが可能になってきたのも、本当だった。
ぼく自身についていえば、あのリョーナの店で一緒に乱闘をやった三人とは、(まだひとりひとりが心の底にしまっておきたい秘めた事柄を喋るには到らないにしても)打ちとけてものをいい、誤解をおそれずにひやかしたり忠告したりできる仲になった。となると、三人の名を、ここではっきりさせておいたほうがいいだろう。個兵長のコリク・マイスンと、二人の準個兵、アベ・デルポとペストー・ヘイチである。
訓練は、少しずつ高度のものになって行った。
と、いっても、個兵見習のときのように、次々とあたらしいものを見せられ、あたらしいことをやらされたわけではない。ガリン分隊長は、ぼくたちに、ひとつひとつについて何度も反復させ習熟度を高めつつ、時折、新規の機器の使いかたを教えたり新規のやりかたをさせたりしたのだ。そしてたしかに、あたらしくやらされる事柄は、前のことがよく出来るようになっていなければ、とても歯が立たないものなのであった。ぼくが思うのだが、そうしたあたらしい機器なりやりかたが出てくるのは、これまでやったのをいやというほど繰り返していささか飽きはじめたときが多く……お蔭で、ぼくたちを刺激する作用を果たしたようである。だから、ときどき、より高度な訓練が行なわれるようになったといってもいいのだろうが……ガリン分隊長は、しばらくやっていなかったことを、ある日急にぼくたちにやらせ、成績が悪いと、どなりつけ罰を食わせるのだから、ぼくたちのやり得る事柄はどんどん増え、その中の高度なものの数も多くなってゆくのだから……全体としてその水準も練度も向上しつつあったというのは、間違いではあるまい。
ぼくたちは、はじめの頃にはとても無理と思えたことも、楽々とこなせるようになってきた。
たとえば、制装の操作である。
軽制装のみならず、重制装を着用しても、ぼくたちは自分の手足のように使えるようになっていた。全員の一致した動作はもとより、各自が違う役割を与えられ、全体として連動するやりかたも身につけたし、あらかじめ何がおこるか知らされていない制装自体のトラブルに対処する方法もマスターした。もっとも、ときには失敗して、穴があいたはずのままで突進する奴もいたりして、ガリン分隊長を怒らせた。
「馬鹿者! ヘルメットの中の緊急ランプが見えんのか!」
と、そんなとき、ガリン分隊長はわめくのだった。「事態によっては今のように、ブザーが作動しなくなって、ランプしかともらんときもあるといったのを、忘れたのか! 息ができんようになったら、もう手遅れだぞ! 非常事態がおこったら反射的に対処しなければならんのだ! そりゃ制装に大穴があいて、瞬間に全ブロックの空気が抜け即死することだって、珍しくはないが、やるべきことはやる覚悟が大切なのだ。ここが地上だからいいけれども、宇宙空間だったらとっくにお前は死んでおる! 制装から出ろ! 出て営庭を一周だ! 駈け足!」
六十キロ近い重制装の中に入って、地上でどうして動けるのだろうかという人もあるだろうが、前にちょっと説明したように、制装とはそれ自体が機械なのである。軽制装なら自分自身で動くことも可能であるが、それだって、いろんな装置を駆使して、なかば操縦しなければならない。重制装になると、操作することで制装そのものが作動するのだ。いわば歩行ロボットの中に入ったようなものである。自力で動かせるのは腕位なのだ。もっとも宇宙空間に出て無重量状態になれば、自力で動かせる部分はもっと多くなるけれども……基本的には操作法に習熟していなければならず、自分の力で動かそうとするのは、それが可能なときで、かつそのほうが望ましい場合に限るとされている。だから地上での訓練も可能なのであり……ガリン分隊長が、軽制装着用のときも重制装なみに、なるべく自分の力を使わないようにさせたゆえんであった。
訓練といえば、ぼくたちは、いよいよ機兵の使いかたを学びはじめていた。
機兵は、前述したように、ロボットである。軽制装の姿のもあるし、重制装のもあるが、命令者の指令を受けて行動するのだ。人間の兵士にまじって動くからはた目には区別がつかない。こうした編制の利点は、容易に想像できるであろう。隊としての兵員を増やし必要に応じて補充もでき、それだけ全体の戦闘力が高くなるのだ。しかも、索敵とか伝令とか陽動作戦といったさいに、人間が行けば殺される確率がきわめて高いところへも、機兵なら送り込むことができる。もちろん機兵がロボットで機械だからといっても、それなりに結構高くつくそうだから、やたらに犠牲にするわけにはいかないというが……ぼくの聞いた話では、機兵の一隊が敵を引きつけて防戦し全滅する迄の間に、人間たちが危地を脱した例も、すくなくないとのことであった。それならロボットだけを戦場に送り出せばいいと考える者もいるだろう。が、ロボットのみの隊は、それがロボットであるがゆえに、定石通りの行動の型をとりがちで、定石通りに打ち破られる結果を招くし、状況の変化に対処して作戦を変更するとしても、これまた型通りの対処しかしないであろう。おまけに指令送受信を妨害されたら、最初に与えられた命令を最後迄守り抜くだけになってしまうに違いない。それなら、機兵に人間なみかそれ以上の判断力を与えたらどうなるのだと、ぼくは考えたが、もし新型の機兵が戦線に投入されれば、敵はその機兵を捕獲するかどうかして、じきに機能を調べあげ、対処法を講ずるに違いないのだ。そしてそうなる前に次の新型を大量生産して送り出す――というのは、開発力や生産力から見て、むつかしいのかも知れない。だから、人間と一緒にさせて、両者の弱い面をカバーさせているのであろう。ぼくはそう思い、個兵長のコリク・マイスンの意見を聞いた。コリク・マイスンはいささか妙な顔をして、ぽくの話に耳を傾けていたが、やがていったのだ。
「おれには、どうかよくわからん。おそらくお前がいうことも事実だろう。しかし、それよりも、もしも機兵だけの隊がどこかの土地を占領したら、どうなるんだ? ロボットたちだけでそこを制圧し、住民を鎮めておけるかね?」
なるほど、と、ぼくはかぶとを脱いだ。
ともあれ、機兵がそういうものであるからには、使いかたの巧拙によって、戦力はまるで違うものになる。機兵の比率、命令系統のネットワーク、一体一体にどんな役目をさせるかの作戦など、きわめて複雑で高度の計画が必要になるであろう。
が、まあ、ぼくたちが機兵について学ばなければならないのは、そんな、隊全体にかかわる高級なことではなかった。兵隊であるぼくたちは、まず具体的に、一体の機兵をどうあやつるかという段階から開始しなければならなかったのだ。
ガリン分隊長が、はじめて訓練用の機兵を連れて来たとき、ぼくは、軽制装の姿のそれが、あちこちぶつけたみたいに傷がついているのを見て、えらくお粗末なのを持ってきたものだな、と、思った。
「この機兵は三四号と呼ばれている」
と、分隊長はいった。「ふつう、機兵にはそれぞれ固有番号があるが、実戦に出るものにはすべて愛称がつけられており、愛称で呼びかけるのが習慣になっておる。固有番号は長ったらしいし間違いもしやすいので、愛称を使うわけだ。この機兵の三四号というのは固有番号ではなく、愛称の代りの呼びかたである」
それから分隊長は、三四号と同調してあるという人間用の軽制装を着用した。
分隊長と三四号が、同時に動きだした。ひとりと一体――では、何となくいいづらいから、分隊長の軽制装をも体ということにするが、二体は、二メートルほどの間隔を置いて横に並び、右へ向いて走りはじめた。途中で同時に停止し、伏せの姿勢になったと思うと、はね起きて、戻ってきた。つづいて分隊長が静止すると、三四号がその前へ廻り、向きを変えると低い姿勢で反対側へ進みだした。一体が伏せ、一体がなおも前進する。前進していたのが伏せて、伏せていたのが前へ進み……抜きつ抜かれつしてずっとむこうへ行ってしまうと、そこで背を伸ばして、肩を並べながら戻って来たのだ。そのときには、三四号が傷だらけでなければ、ぼくにはどっちがどっちだが、わからなくなっていたに違いない。
動きの見本をそうして示したあと、ガリン分隊長は、機兵操作の基本について説明した。命令は、制装のヘルメット内部で送信機に声を出すことで伝えられる。はじめにその機兵の名を呼び、むこうが命令待ちになったのを知らせるランプがともるのを見定めて、やらせたいことを告げる。命令は的確にしなければならないとのことであった。
それでいいのか、と、ぼくは案外な気分になった。
その程度なら、ぼくにも簡単に出来そうである。
だから、分隊長が、誰かやってみるかと問いかけ、すぐに応じる者がなかったのを見定めて、ぼくは手を挙げたのだ。
「よし。イシター準個兵、やってみろ」
ガリン分隊長が命じた。
そのとき、ぼくは、ガリン分隊長の、にやにや笑いともいうべきテレパシーを感知していたのである。なぜだか、ぼくにはわからなかった。分隊長の意識をもっと突っ込んでさぐれば理由は判明したであろうけれども、訓練のさいちゅうに他人の思念を読みとるような真似をして、かんじんの訓練そのものがなおざりになるといけないので、ぼくはできるだけそんなことはしないように努め、雑音としての思念の集合体が流れ込むままに放置する習慣がついていたのだ。
ぼくは前へ出て、ガリン分隊長が着用していた軽制装を受け取った。
「そうだな。営庭のむこうのほうへ行ってそこで伏せ、それからこっちへ戻ってきてもらおうか」
ガリン分隊長が命じる。
その手に、何か小型の指令装置のようなものがあるのを、ぼくは見て取った。どうしてそんなものを持っているのか、いささか気になったものの、たずねるわけにも行かない。
軽制装を着用しがら、ふとみんなのほうへ視線を走らせると、何人かがたしかに薄笑いを浮かべているのが、目に映った。それもコリク個兵長をはじめとする、古参の連中なのである。
考えてみれば、そういった連中は、これ迄にも機兵を扱ったことがあるはずだ。それが薄笑いをしているというのは……ぼくがへまをやるに違いないと考えているのであるまいか?
そんなへまをやってたまるか――と、ぼくは気を引き締めた。
制装をまとったぼくは、ヘルメットの中で呼びかけた。
「三四号!」
ところが、先方の命令待ちのランプが点《つ》かない。
「聞えるか、三四号!」
ぼくはわめき……まだ送信機のスイッチを入れていなかったのに気がついて、腕をあげ胸にあるスイッチを入れた。
「三四号……」
ランプがともった。
「これから営庭のむこうのほうへ行き、そこで伏せをして、こっちへ戻ってくる」
ぼくは、分隊長がいった通り、説明をした。それから勢いよく叫んだ。
「進め!」
もちろん、ぼくは同時に自分の制装をあやつって、分隊の連中がいる方向とは逆の、営庭の奨へと歩きだしたのだ。
四、五歩行ったところで、ぼくは、三四号が全く動いていないのを認めた。
「三四号!」
送信機のスイッチはそのままだったので、あらためて入れる手間もなく、ぼくは呼ばわった。
先方の命令待ちを知らせるランプがともった。
「何をしている。進め!」
三四号は反応を示さない。
そのときになって、ぼくは命令が不適当だったのを悟った。
営庭のむこうのほう、では、三四号もどうしていいかわからないであろう。
ぼくは、きちんと、進むべき方向に向き、どなった。
「ぼくが向いている方向へ進め!」
駄目だった。
さっきの、何をしている、進めのあと、命令待ちのランプは消えてしまっていたのである。
ぼくは、もう一度、三四号と呼びかけるところからはじめ、分隊の連中に対面する格好でたたずむ三四号に、今の命令を繰り返した。
三四号は、後退をはじめた。
分隊の連中と向き合ったまま、あとじさりして行くのである。
ぼくは、停止を命令した。
それから、向きを転じるようにいい、前進しろと命じた。やっど三四号がちゃんと進みはじめたときには、ぼくは汗ぐっしょりになっていた。
ぼくも、進みだした。
ただし、両者ばらばらで、のろのろと進むばかりである。
ぼくは速度をあげ、ぼくと並んで同じ速度で進めといった。三四号は変な動きかたをした。
ぼくと並べというのと、同じ速度になれというのを、同時に命令したのがいけなかったようだ。
しかし、そのあたりまでは、まだましだったのである。
営庭の、適当な地点まで進んでぼくがとまっても三四号は前進をつづけ、塀《へい》にぶつかったのだ。そこで突然倒れるように伏せたのは、最初の命令が生きていたからに違いない。塀のあるところが営庭のはしであるのは、三四号にはわかっていて、きちんと、次の伏せを実行したのだろう。
ぼくはやむなく、その場で伏せをした。ぼくと三四号はだいぶ離れていたけれども、仕方がない。一緒になるための命令を考えるのは、ややこしかったのだ。
三四号は、伏せたままだった。どの位の間伏せるのか指令を受けていなかったからかも知れない。そういえば、ぼくが三四号と呼びもしないのに命令待ちのランプはともったままである。起きあがるときの指令を待っているらしかった。
帰り位、うまくやらなければならない。
「ぼくが起きあがるのと同時に起きあがり、元の方向へ走れ。全速!」
ぼくは叫び、自分も身を起こすど、行動強化装置の出力をあげて、駈けだした。
今度ばかりは、あざやかだった。
ぼくと三四号は、分隊長と分隊の連中のいるほうへ、猛烈な速度で突進して行った。
ぼくは足をとめたが、三四号は突っ走ってゆく。分隊の連中がふたつに割れて道をあける中、三四号は走りつづけるのだ。
「とまれ! とまれ!」
ぼくはわめいたが、三四号と呼びかけ命令待ちのランプが点く、あの手順を忘れていた。
しかし、三四号は、停止したのである。
とめたのは、ガリン分隊長であった。分隊長は、手にしていた小さな装置で三四号の動きを中断させたのだ。
ぼくは制装を脱いだ。みんな、げらげらと笑っていた。
「あんなことを敵前でやっていたら、間違いなく両方共やられていたぞ」
と、ガリン分隊長はいったのだ。「機兵を扱うにはそれなりの原則とこつがある。命令が的確でないと、ああいうことになるのだ」
ぼくは、いい加減な扱いをすると機兵がどんなに手に負えないものになるかの、その見本を示したわけであった。そして、訓練用の機兵である三四号が、なぜあんなに傷だらけなのかの理由も、よくわかったのである。
しかしながら、ぼくのその経験を話しただけでは、機兵があたかも単純な、いわれたことを額面通りにしか行なわない安物ロボットだとの印象を持たれかねないので、ガリン分隊長の説明や、その後ぼくが学んだ事柄の一端を、ここでつけ加えておく必要があるだろう。
多少ともこの方面をかじった人なら周知のことであろうが、命令と一口にいっても、訓令と命令と号令に大別されるようである。
訓令とは、目的だけを伝え、その目的を達成するための手段・方法などは、被命令者の自主的な判断にまかせるものだ。
命令とは、それが行なわなければならぬ目的・理由を知らせた上で、こうこうしろと命じるもの。
号令になると、目的や理由の説明はいっさいない、ただ何々をしろと命じ、機械的に従わせるのである。
通常、大部隊の、しっかりしたスタッフを持つ組織には訓令のかたちで出され、指揮官はいるがそれほどの能力のない組織には命令が与えられ、末端の個々には号令が発せられるのが、一般的なやりかたなのだそうだ。
が……ここではそうした組織のレベルの問題に立ち入っている余裕はないし、また、ぼく自身、そんなことをきちんと勉強したわけでなく兵隊という立場からしても詳しい知識を持つことを要求されてはいない。ぼくはこの三つの命令のかたちについての概念が、機兵を扱うに際して欠かせない、ということだけをいいたいのだ。
機兵に目的のみを与えれば、保持するデータの中から、目的達成に至るであろういくつかの方法を選び、実行可能なもののうち、最上と判断したことをやるであろう。ただしそれが往々にして、型にはまったやりかたになるであろうことは、すでに何度かいった。
目的・理由を示した上で、具体的に何かをするようにと命じれば、その命令が実行不能になった場合、次善の策をとってくれることが期待できる。とはいえそのためには、与える命令が目的・理由にかなっていなければ、機兵自身の内部に矛盾が生じ、おかしなことになるかも知れない。
単純にあれをしろこれをしろと命じるのは、一番簡単である。だがそうなると、ひとつひとつの指示を明確に、どこからどこまでやってどこでやめろといわなければならない。命令をたくさん出さなければならず、しかも前に出したものは取り消さない限り残っているのだから、あきらかに相反した指示の場合はもとより、内容的に合致しないものが生じたときでも、動きがとまってしまう可能性がある。
命令のしかた自体でもこれだけの注意が要るのだが、それよりも気をつけねばならないのは、ことなる型の命令をごっちゃに出さないことなのだ。一個の問題に関して訓令を発し、機兵の判断で動こうとしているときに、号令を出したりすると、手順が狂ってしまうであろう。まだそれをする段階ではないのに号令で強制されては、機兵は実行の優先順位を変更しなければならず、最初の訓令を達成するのに大廻りをしなければならなくなるかも知れないのだ。その号令がすでに機兵の組みあげたプログラムに含まれず、あるいは背反したものであれば、いよいよ厄介な仕儀になる道理である。どういう型の命令を出すのか、すでにどんな型の命令が出されているのかを考えないと、機兵を使いこなすのはむつかしいのだ。
そんなわけで、使う者の力量が、機兵の能力に直接かかわってくるのである。
ほかにも機兵の扱いには問題がいくつかあるが……とりあえずは、このことだけをいっておくにとどめたい。それだけで、ぼくがなぜ三四号に手を焼いたか、わかってもらえるだろうし、機兵そのものが安物の玩具などではないことも、呑み込んでいただけると思うのだ。
訓練は当然の日課として、ぼくはそうでないときにも、ちょくちょく中隊長室とか部隊本部への使いに出された。まあこれはぼくだけがそうなのではなく、そのときに手が空いていそうな人間がやらされるのであって、ぼくが特別にそうした役を与えられたというわけではない。
しかしこの種の雑用はしょっちゅうあったので、ぼくひとりに話を限っても、結構、回数は多かったのだ。
そのうちに、ぼくは部隊本部で、ゲスノッチという老率軍候補生と知り合いになった。老とはちょっと極端ないいかただが……一般社会の団体や企業などとくらべると、あきらかに構成人員の平均年齢が若い軍隊内にあっては、そろそろ定年退役が近い率軍候補生は中年でも老の字を冠《かぶ》せられがちなのである。老兵という言葉があって、兵隊である以上一般社会の老人よりはずっと若いがそう呼ばれる、あの感覚であった。
ふつう、率軍候補生といえば、いきのいい、前途にまだまだ夢を託す青年を連想するものだ。正規の将校である率軍になるための訓練を受けているのが率軍候補生で、適性に難があるとされなければ、いずれ正規の将校に任官するのである。命令系統の外に置かれているので正規の将校ではないものの、身分としては将校に準じる――これからという地位なのだ。
だがゲスノッチは、そうした、やがて率軍になる候補生ではなかった。本当は幹士長だが特別任用によって率軍候補生の階級にある特任率軍候補生なのだ。事務のエキスパートの幹士長は、将校たちとの接触が頻繁でもあり、仕事の関係上将校に準じる階級にあるほうが何かと便利なため、率軍候補生に特別任用される例が、ままあるらしい。そうした特任の率軍候補生にとっては、候補生の名称がついていても、これが行きどまりで、よほどのことがないと率軍になる可能性はなく……ゲスノッチも、そのひとりなのであった。
ぼくがゲスノッチ率軍候補生と知り合いになったのは、部隊本部へ書類を届けたときである。
書類を、ゲスノッチのところへ持って行き、ゲスノッチから話しかけてきたのだ。
それまでにも何度も部隊本部を訪ねたことのあるぼくは、ゲスノッチの顔を覚えていた。一、二回はゲスノッチのデスクへ報告書を出したりもしたのである。が、率軍候補生の細い金色の袖章の横に特任の丸い赤色のしるしをつけたその年配の人物に、ぼくは格別関心は抱かず、また抱くいわれもなかったために、その日も無機的に型通りに敬礼し、書類を差し出したのだ。
相手はぼくを見ながら書類を受けとり、二、三度、目をしばたたいた。ぼくは相手がこちらに意外なほどの関心を持っているらしいテレパシーを感知したものの、そのままもう一度敬礼し、回れ右をした。
「待て」
と、相手がいった。
「は?」
ぼくは向き直った。
「お前は、一―二―一のイシター・ロウだな?」
相手がたずねた。
一―二―一とは、事務的に短くいうときに使われる呼びかたで、もちろん第一大隊第二中隊第一小隊の意味である。
「そうであります」
なぜむこうがそんなことを知っているのか不審だったが、ぼくは直立して答えた。
「お前は、ファイター訓練専門学校の出身だろう?」
相手はいう。「実は私もそうなんだ。もっとも、お前よりもずっと前の卒業生だし、学校の成績も、あまり立派なものではなかったが」
「そうだったのでありますか」
ぼくは、そんな答えかたをした。
こんなところに先輩の卒業生がいたとはいささか意外だったが……考えてみると、それほど不思議ではない。ファイター訓練専門学校出で連邦軍に入る者は、それが主流とはいえないものの、結構たくさんいたのである。そしてファイター訓練専門学校がもともと連邦軍の軍人を作るためのものではないこともあって、軍に入っても下士官になるのが精一杯というのが相場であった。それが、相手は特任とはいえ率軍候補生なのだから、後輩のぼくとしても、まんざらではなかったのである。
「私は、ゲスノッチだ。ま、自分でいわなくてもここに書いてあるがね」
相手は、デスクに載っているゲスノッチ率軍候補生という小さな名札に指を当て、またぼくを見やった。「学校のことは学校のこととして、お前は、エスパーだそうだな?」
「正しくは、不定期エスパーであります」
ぼくはいった。
「そのようだ。書類ではそうなっていた」
と、ゲスノッチ。「だが現在はエスパー化している。そうだな?」
「その通りであります」
ぼくは返事をした。
書類では、などというのは……ゲスノッチはぼくについて調べたのであろう。出身学校の線からか、あのレイ・セキとの超能力合戦(ただしこれは、正式にはそんなことはあったとされていないはずだ)でなければ例の乱闘事件か、何かがきっかけでぼくに興味を持ち、ぼくに関する書類を見たのだ。
しかしそれだけでは、むこうからぼくを引きとめ話をするほどの根拠にはならないのではないか?
ぼくがそんなことをちらりと考えたとき、ゲスノッチは指を組み合わせてデスクに置き、おもむろにいったのであった。
「私も以前はエスパーだった。除去手術を受けて、今はそうではないが」
「…………」
ぼくは、とっさにどう答えていいか、わからなかった。
出身学校が同じであるだけでなく、現在は違うとしてもエスパーに関係があるとは……ゲスノッチがぼくに話しかけたのも無理はないと思ったのだ。そして、どんな返事のしかたがいいのか、見当がつかなかったのであった。
「学校のことや超能力について、一度お前といろいろ話し合ってみたいと思う」
ゲスノッチは頷いてみせた。「私の宿舎はこの本部から遠くない。将校宿舎六号棟だ。暇なときには訪ねてくるといい」
ゲスノッチはそこであごを引いた。「それだけだ。帰ってよし」
ぼくは敬礼して、きびすを返した。
折角むこうがああいってくれたのだから、と、ぼくは次の非番の日、前の乱闘事件がたたってまだその後外出が許可されていないし退屈でもあったので、ゲスノッチを訪ねることにした。部隊全体の休日だったので、ゲスノッチも休んでいるだろうと考えたのだ。将校宿舎の六号棟というのは、すぐにわかった。あからさまにいえば、どうやら将校宿舎の中でも一番粗末な棟で、戸数も多かったが……しかし、ぼくが寝起きする分隊室と比較すると、問題にならない。れっきとした個人の家なのである。特任だといっても、将校となると、待遇に格段の差があるのだった。
ゲスノッチは、宿舎にいた。
「お前か。よく来たな」
ゲスノッチはいい、ぼくを、応接用に使っているらしい小さな部屋に招じ入れると、飲みものを出してくれた。
「ま、あまり固くなるな。きょうはファイター訓練専門学校の先輩と後輩ということでお喋りをしよう」
ゲスノッチは、ぼくと向き合ってすわると口を開いた。「私はもう長い間、学校へ行っていない。学校はどうかね? 変ったかね?」
ぼくは、自分の記憶にあるファイター訓練専門学校を語った。ゲスノッチは、何とかいう先生はまだおられるか、とか、あの建物はどうなったか、とか、いろいろ質問し、ぼくは答えられる事柄はすべて答えた。ゲスノッチが在校の頃と、ぼくがいた時分とはかなりの年月の差があって、話が共通する部分はあまりなかったけれど、ゲスノッチは懐しそうに話すのであった。
それから話題は、ぼくがファイター訓練専門学校を卒業してからのことに移った。ゲスノッチはぼくの履歴を見て、エレスコブ家の警備隊員になったのをすでに知っていたのだ。その警備隊員も、エレン・エレスコブの護衛員というポストでありながら、どうしても一番下っ端の兵隊としてカイヤツ軍団入りをしなければならなかったのか、不審だったようである。
ぼくは自分の身におこった事柄を、かいつまんで話した。
「――なるほど」
話が終ると、ゲスノッチは腕を組んだ。「するときみは(会話の途中からゲスノッチは、隊内で使われるお前から、きみへと、ぼくの呼びかたを変えていた。宿舎の中で他人が聞いていない状況であり、学校の先輩後輩という問柄の、その気分を、そう呼びかえることで表現しようとしたのであろう)ひとたびは警備隊長からじきじきに超能力除去手術を受けるようにいわれながら、それをことわり、結果として超能力が原因で、エレスコブ家からほうり出されたというわけだな」
「そうです」
ぼくはいった。ゲスノッチがぼくの呼びかたを変えたので、ぼくも、そうでありますというべきところ、何となくそんな言葉つきになってしまっていたのだ。やはり、学校の先輩に対する一種の甘えのようなものが、ぼくの心中にあったということであろう。
もっとも、ゲスノッチの問いに肯定はしたものの、エレスコブ家からほうり出されたのは正確ではない、と、ぼくは内心では呟いていた。現実にはそうかも知れないが、建前としてぼくはいまだにエレスコブ家に籍があるのだ。そのはずであった。
が。
ゲスノッチは、エレスコブ家とぼくの関係についてはそれ以上いわず、腕組みをとくと、低い声を出したのである。
「私は、超能力除去手術を受けたが……それで、はたしてよかったのだろうか、と、ときどき考えることがあるんだよ」
「…………」
ぼくは、黙って相手の顔をみつめた。
これまでに何度か述べたように、ぼくは、超能力除去手術に関する会話を、いろんな人とやってきた。
その中でも、ことに強い印象を受けたのは、エレスコブ家警備隊長モーリス・ウシェスタの話である。
モーリス・ウシェスタも、ゲスノッチと同様、元はエスパーだったけれども除去手術を受けたという。
そして、ウシェスタは、超能力を捨てたのを、これでよかったのだと肯定しているようであった。超能力に未練がなかったといえば嘘になるだろうが、捨てたことで代りに得たものがある、とも言明したのだ。
反復になるけれども、モーリス・ウシェスタが超能力ないし超能力者について説いたところを要約すると、次のようになると思う。
ネイト=カイヤツのみならず、ネプトーダ連邦のたいがいのネイトでは、超能力や超能力者は、あまり尊重されていない(うるさいだろうが、ここでまた繰り返しておくと、超能力には、読心や透視や未来予知といった精神感応力と、念力による物体操作の二系列があり、厳密にいえばエスパーとは精神感応力者を指すのだ。しかし実際にはこの両系列は相伴って発現するのが一般的なため、ふつう世間では、超能力者のことをエスパーと呼びならわしている。だからかりに念力しか使えない者がいたとしても、人々はエスパーと称するであろう。これは本当は間違いなのだが、そういう使われかたが世の中に定着してしまっているのだ。ぼくもその慣行に従っていることは、ご承知の通りである。が、あのとき、モーリス・ウシェスタは、きちんとした表現をしたのだから、ここでも超能力・超能力者という正しい用法を守ることにしたい)。社会は超能力を積極的に活用するどころか、逆に力の使用を制限しているのだ。超能力者が優者であってもおかしくないはずなのに、こんな状態になっているのは、現在知られている種類の超能力では、まだ人間社会においての絶対的な優越条件にはならないからである。超能力者たちが社会構造をくつがえし、超能力を持つというだけで支配階級になるような体制を作ったとしても、それでは現在の文明や文化を保持できるかどうか……へたをすれば、人格劣等な超能力者が横行することで野蛮への逆行になるであろう。そんな体制のネイトは、たちまち他のネイトに併呑《へいどん》されてしまうに違いない。いや、超能力者たちがそうした体制づくりを志向したとたん、多数派である普通人に排斥《はいせき》され、狩りたてられるのではあるまいか。といって、ウス帝国でなされているという超能力者の軍事的利用は、超能力者自身のしあわせと無縁の、道具としての使われかたに過ぎない。こうしたことを考慮したからこそ、ネイト=カイヤツも他のネイトも、超能力者の力に過大な期待をせず、むしろ力を制限するやりかたをとってきた……普通人をふつうの人間として扱い、超能力者をもまた人間として遇するために、今のような体制をとっているのではあるまいか。そして、こうした中では、普通人のほうが生きるのに楽なのではないか。
さらに、超能力者側にも、自己の能力についての過信がある。たとえば読心力をとってみても、他人の心を把握したと信じがちだが、その他人の心はそのときの短期的なものであり、部分的なものであって、相手の長期にわたる全体的・総合的なものをつかんだとはいえない。まして、集団や組織相手では、なまじ読心力を持つと自負するぶんだけ、マイナスになるであろう。鋭利な刃物は、鈍刀の根気強い打撃の積み重ねには抗し得ない。読心力に限らず、超能力者の能力には、その意味で普通人にない欠落が生じ易い。いわば罠におちいるのである。
こうしたことを悟りはじめていたがゆえに、モーリス・ウシェスタは、エレスコブ家の当主から受けた恩義(ウシェスタはそれだけしかいわなかったので、ぼくには、どういうものか見当もつかないが)に酬いるためにある仕事に取り組もうとし、その仕事が超能力者には出来ない性質のものだったから、能力除去手術を受けた、と、いうのであった。
そして、超能力の放棄によって、モーリス・ウシェスタは、自己の所属する組織との一体感を得た、これは超能力者のときには決して得られなかった感覚だ、と、ぼくは聞かされたのである。
ぼくがウシェスタから説かれた、そのままではないかも知れない。だが、大要は以上のようなものだったはずだ。すくなくともぼくは、そう理解している。
この話には、結構説得力があった。現にそのあとぼくは、いろいろと考えることになったのだ。ぼくが示唆されながら超能力除去手術を受けなかったのは、ただもう、ぼく自身の過去を消したくないという感傷的な気分と、この能力を持ちつづけていればいつかはあかるいものが到来するのではないかとの何の根拠もない奇妙な感覚のせいに過ぎなかったので、モーリス・ウシェスタの考え方に対抗出来るような論理など、なかったのである。もちろんぼくは、ウシェスタの説に穴がないかと、あれこれ突っつき廻し、ぼくなりの疑問も抱いたけれども、相手が元は超能力者であり超能力者の優位を信じていたにもかかわらず結局は能力除去手術を受けた――という現実の前には、刃が立たなかったのだ。除去手術を受けたウシェスタの実感を否定するわけにはいかなかったからである。
それが今、同様に超能力除去手術を受けたというゲスノッチが、はたして受けてよかったのかどうか、と、考えることがあるというのだ。モーリス・ウシェスタの実感と反対の感想に出くわしたのだった。
しかしながら、ぼくは、先廻りをしてゲスノッチの心を読もうなどとは、思いもしなかった。大体、先方がこれから話しだそうとしているのに、そんな真似をするのは失礼千万である。かりに読もうとしたところで、こちらにきちんと射出されているのでもないテレパシーを的確につかみ取るのは、ぼくの力量ではそれなりの努力と精神集中が必要なのであった。おまけに、相手は元エスパーである。テレパシーでの会話の経験は豊富だろうし、その感覚も忘れ切ってはいないであろう。意識を読み取らせたほうがいいと考えたときには、こちらにその旨を告げ、思考をわかりやすいようにまとめてくれることだって出来るはずなのだ。その元エスパーが、今は言葉で話そうとしているのだから……おとなしく聴けばよいのであった。
「私は、ファイター訓練専門学校を出るとすぐ連邦軍に志願して入った」
と、ゲスノッチは語りはじめた。「ま、人生も先が見えてきたこんな年だから、気軽にいえるようになったのだが、卒業時の成績はひどいものだったよ。というのも、私はエスパーだったから、はじめの頃はエスパーであるのを利用して、相手の攻撃や防御を読み裏をかくことで、結構得点を稼いだ。それが癖になったんだな。ずっとそれで通ると思っているうちに、他の連中の技量が向上して、小手先のやりかたではどうにもならなくなってきた。追いつこうとして頑張りだしたものの、もう間に合わなかったというわけだ。きみには、そのへんの事情はよくわかるだろう」
「はい」
ぼくは、素直に答えた。
よくわかる。
ファイターにとって大切なのは、集中力は当然としても、体力と反射神経と技なのである。鍛えられてゆくうちに、反射的・本能的に身体が動くようになるのだ。そこまで正確で迅速になると、なまなかな読心力や念力では、到底立ち向かえない。修練とはそういうものなのだ。のみならず、たとえばイサス・オーノのような巧者になると、常時エスパーに対して、意識の中の攻撃型と肉体の動きが別というやりかたをマスターしている。だからゲスノッチがそうなったのも、自然のなりゆきなのであった。
「そんなわけで、私は、戦闘興行団入りとか家の警備隊員になるというのは、最初から諦めていた。ま、戦闘興行団入りをしたとしても、ああいう華麗な剣さばきやひいきの客あしらいは私には無理だったろうし、家の警備隊員になれても、あらためてきびしい研修があるのがつねで、落伍していただろうと思う」
と、ゲスノッチ。「となると、行く先は連邦軍かネイト常備軍、あるいはネイト警察だが……ネイト常備軍にしろネイト警察にしろ、上部は有力な家の連中で、そうした間をうまく泳がなければ出世はおぼつかないのは、ご承知の通りだ。私にはとてもそんな才覚はない、というより、自分でないと決めていたんだな。で、どうせ大した出世もしないのなら、連邦軍に入るのが公的身分としての通用度も高いし、年金もいいし……と考えて、志願したんだ。まことに小市民的発想だが、当時の私は、養わなければならぬ家族があったんでね。野望のかけらもないということになるだろうが」
「…………」
ぼくは何もいわなかったけれども、別にゲスノッチを馬鹿にしていたのではない。人間、それぞれの事情や考えかたがあるものだ。ぼく自身にしてからが、もしもファイター訓練専門学校でいい成績をおさめられず、何とか自分なりに身の振り方を考えなければならなかったとすれば、似たようなことになっていたかも知れないのである。
「連邦軍のカイヤツ軍団に入った私は、エスパーとして任務に就く気があるかとたずねられた」
ゲスノッチはつづける。「そうでないのなら、ふつうの兵隊になる。常時エスパーのままでも構わないし、申請をしておけば、だいぶ先になるだろうが、超能力除去手術を受けるための便宜もはかって貰えるだろうというのだ。私が軍団入りをした頃には、まだそうだった。今では、常時エスパーがエスパーとしての任務に就かないとなれば、そのままふつうの兵隊になる。手術のための休暇などは与えられない。戦争がつづき、現在は休戦状態だといってもいつまたはじまるかわからない状況では、そんな余裕はないからな」
「そうでしょうね」
ぼくはいった。
事実、ぼくはカイヤツ軍団入りしたときに、超能力除去手術に関しては、何もいわれなかったのだ。常時エスパーですら、エスパーとして任務に就くか否かを問われ、就かないと答えるとふつうの兵隊にされるというのであれば、中途半端な不定期エスパーなんか、構って貰えない道理である。
「私はエスパーとしての任務に就くことにした」
ゲスノッチは、視線をぼくから外し、宙に向けた。「そこに功利的な動機があったのはたしかだ。せっかく自分がエスパーなのだから、自分の能力を財産というか武器にするのが有利ではないか、そのぶんだけ他人より上になれる、と、考えたんだよ。実際、ある程度は有利だった。ある程度はね」
「…………」
「私は、超能力をいかに有効に駆使するかの訓練を受けた。いうまでもなく、任務達成に必要な、あるいは望ましい力の訓練だ。訓練の教程は組織化されていて、私は、それ迄《まで》知らなかったような力の使い方を身につけるに至った。超能力訓練として、それが最上で最高のものだと評価する根拠を私は持っていないし、また、後に述べる理由からも、そうだとは思いたくないが、とにかく、私が受けた超能力訓練の中では、もっとも整理された合目的的なものであったのは事実だ」
「…………」
これまでたびたびいったように、ぼくは、常時エスパーを対象とした超能力訓練なるものが、それこそ無数に存在しているのは知っていた。ぼくは受けたことはないものの、中には不定期エスパーでも参加を許されるのがあるらしい。近頃のように、いささか超能力を使うことに興味を持ちはじめている心理状態では、受ければ思わぬ応用が可能だろうという気もするが……そうなると、エスパーでなくなったときに、大きなものを失ったように感じるであろう。まあそれはともかく、そんなわけで、ぼくは超能力訓練なるものが具体的にどんなやりかたで行なわれ、どれほどの力を持つに至るのか、皆目知らなかったのだ。だから、ゲスノッチのその話も、概念的に受けとめるしかなかった(ぼくがそのとき、ゲスノッチの心の中を覗《のぞ》いてみようとしなかったのは、理屈に合わないという人がいるかも知れない。ゲスノッチの心を読めば、超能力訓練の内容をつかむことが出来たではないか、と、いわれそうである。だが、もしそうしていたとしても、ぼくは具体的には何も読み取れなかっただろうという事情が、もう少ししたらわかって貰えるはずである。それに、ぼくはそんな訓練の内容よりも、ゲスノッチの話の先を聞くことに急で、そちらへは考えが及ばなかったのだ)。
「訓練ののち、私は任務に就いた」
ちょっと時間を置いてから、ゲスノッチはまた喋りだした。「エスパーとしての仕事は、すぐに想像がつくだろうが、軍の中の犯罪者を思考から探り出したり、不穏な考えかたをしている者を監視したりというものだ。その他にもいろいろあった。ひとつひとつの事例は覚えていないし、思い出せるとしても思い出したくない。ただ、任務のさいの自分の気分だけは、いまだに記憶している。それは、猜疑心《さいぎしん》に満ちた、あらさがしをこととする、人間の暗い面ばかりを見なければならぬいやな仕事だった」
「それは……そうかも知れませんね」
ぼくは呟いた。
「さっき触れたように、私は、エスパーとしての任務に就いていたために、というよりそういう仕事をしていたために、ある程度は有利な立場だった。表立ってはわからないものの、それなりの保護を受け、昇進も早かった。じきに準個兵から主個兵になり、個兵長に任じられたんだ。成績しだいだったからな。しかし、それだけに、エスパーどうしの反目もはげしかった。そねみやねたみ、反感、競争心……それらがお互いに筒抜けなのだから、いわば地獄だ。こうした中で、それぞれは一歩でも他よりぬきんでようとして、ますます任務――人間の暗い面をさぐり廻って標的を求め射落とす仕事に精を出すようになる。また、だんだんわかってきたけれども、そういうことが本心から好きで、陰湿なよろこびを感じる者は、すくなくないのだ。そんなやつの心を何気なく覗き込んで、慄然《りつぜん》としたこともある」
「…………」
ぼくは、そうした状態を想像して、ぞっとした。
「私は少しずつ、耐えられなくなっていった」
ゲスノッチの声は、低くなっていた。「当初は任務のためと信じてやっていたが、つらくてもやむを得ないと思っていたが、個人的なよろこびのために励んでいる連中が多いのにうんざりし、そういうことを奨励している上官やシステムにも疑問を持つようになった。こんな私が、いつまでもやって行けたと思うかね?」
「ぼくなら……やめたでしょう」
ぼくはいった。
仕事なら、辛抱するだろうか。いいや、そんな仕事は、ぼくの気性には合わない。そういう陰湿な世界は、願いさげだった。
「だから、私はやめたんだ」
ゲスノッチはぼくを見た。「やめるしかなかった。私自身が耐えられなかったばかりでなく、私がそんな気持ちになっているのを周囲も読み取っていたのだから、のけ者にされたのも仕方がない。私は自分から申し出て、やめさせて貰った。任務から解かれる条件は、超能力除去手術を受けることと、それまで携わった個々の事例の記憶消去だ。私はそうして貰った」
「どうしてですか」
ぼくは問うた。「個々の事例の消去はわかります。秘密保持のためでしょうし、催眠術によって後遺症のおそれもなく可能でしょう。でも、超能力除去手術となると、二度と能力は取り戻せません。現在の技術では、除去はできても植えつけることはできないのですから。それを……任務から解かれるために強制されるのですか?」
軍という、自由を束縛され、やりたくないことも強制される環境に身を置いていながら、なぜぼくがそのことにこだわったのか、超能力除去だって強制されて不思議ではないではないか、と笑う人がいるかも知れない。だが、エスパーの転向――超能力を除去されて普通人になるのは、あくまでも個人の自由意志だとぼくは聞かされていた。これがネイト=カイヤツ、あるいはネプトーダ連邦の自由であり寛容さである、と、教えられてきたのだ。いってみれば大原則である。その大原則があっさりと無視されるのは……どうにもぼくには納得がいかなかったのだ。
しかし、ゲスノッチは、微笑しながら首をゆっくり左右に振ったのである。
「理由はあるんだ」
と、ゲスノッチはいった。「私の超能力は軍によって、軍の任務のために、軍が開発した手法で訓練されたものになっていた。これを軍の目的以外の目的に使うのは、当人に悪用のおそれなしと軍が判断した者にしか認められない。満期除隊や退役――いいかえれば軍のおめがねにかなった者に与えられる特典なんだ。だが、自己の意志でエスパーとしての任務を離れた人間は、その限りではない。軍のための訓練を受けた超能力を、不適当な使い方をされては危険だというわけで、超能力そのものを除去される。超能力のうちの、軍で訓練された部分とそうでない部分を分離するのは、不可能だからなのだ。この点、軍と軍に象徴されるネイト、さらには連邦の利益が、一個人の権利より優先するということだろう。ついでにいえば、記憶消去の中には、この超能力訓練の内容も含まれる。私が以前にエスパーだったとの記億と同様、訓練を受けたとの事実そのものの記憶は残るけれども、その個々の訓練の、こまかいやりかたなどは消されてしまった。今では、大まかな全体としての感覚しか残っていない」
「――そうなのですか」
ぼくは大原則といえども、所詮軍やネイトや連邦の都合しだいでは、いくらでも口実を設けて歪められるものなのだな、と、考えつつ、ぽつんといった。
「私には、しようと思えば、除隊の道もあった」
ゲスノッチは、いつの間にかテーブルに置いていた両手を引くと、話を再開した。「だが今さら軍を出て、どこへ行こうというのだ? 行くところなど、ありはしない。だからふつうの兵隊として、やり直した。さいわい階級は個兵長のままだったが、役立たずの個兵長だった。あとは意地だったな。ひとのいやがる作業でも何でもして、前線へも出たよ。そのうちに妙なことだが事務の才能があるとされて、まあこっちもそうなると、勉強もした。で……こんな有様で二、三年後には定年退役を迎えるわけだが……あのまま、エスパーとしての任務をつづけていたらどうなっていたか、と、思うときがある。きっと、ひどくねじくれた人間になっていただろうな」
「…………」
そうだろうな、と、ぼくも思う。
そういう任務を離れて、よかったのであろう。
だが。
待てよ。
と、すると……ゲスノッチは、超能力除去手術を受けて、心の平安を取り戻したということになるのではないか? 手術を受けて、それではたしてよかったのかどうかと考える――という言葉の、逆になるのではないか?
「…………」
ぼくは、いぶかりながら、ゲスノッチの顔に視線を当てた。
「どうも、前置きが長過ぎたようだな」
ゲスノッチは笑顔になった。ほとんど、人の好さそうなと形容してもいい笑顔であった。
「だが、私のこれ迄の経歴を聞いて貰ってからでなければ、真意をわかってはくれないだろうと思ったのだ。それに、こんな話をするのは随分久しぶりなので、つい、ぺらぺらと喋ってしまったんだな」
「…………」
「今いったような事情で、私は超能力を失うことになった」
ゲスノッチは、椅子に背中をもたせかけると、つづける。「失ってからは、やはり不便だったよ。それ迄は何の苦労もなしに知り得た事柄を、まどろっこしい感じで何とかつかまねばならん。当り前だったはずのことが、普通人にはちっとも当り前でないのも、よくわかった」
「…………」
「しかし、私がふと後悔に似た気分を味わうのは、そのためではない。そんなことは、手術を承諾すると決めたときに、覚悟していた」
と、ゲスノッチ。「私がいいたいのは、自分が超能力を持ち、もっと超能力を有効に使おうとしながら、その実、本当にその可能性をひろげようとしていたか、ということなんだ。力の強さや使い方の巧みさではなく、もっとことなる……超能力ゆえに初めて可能な、人間としてのありかたを変える方法があったかも知れないのに、それを本気で求めようとしなかったのではないか、という悔いなのだよ」
「…………」
それに似たことは、ぼくも考えた経験がある。何となく、わかる気がするのだった。
「なぜ、私がそうだったのかと思い返すと、どうやら私は、超能力を自分の財産であり武器であると信じ、利用できる限り利用しようとしていたからではないか、という感じがする」
ゲスノッチは、ひどく静かな口調になっていた。「だから軍に入っても、エスパーとしての任務に飛びついた。おのれのために超能力を道具にしようとしたのだ。超能力そのものが内包している可能性を通じて、人間自体のありかたを変質させ、もっとすばらしい存在とさせることができたかも知れないのに、目先の利害にとらわれて、エスパーである間は、真剣にそのことを考えようとはしなかった。能力を失ってはじめて、それがわかりだしたんだな。だが、もう遅い。そんなことは除去手術を受ける前に、いや、軍でエスパーとしての任務に就く前に、本気で研究しなければならなかったのだ」
「…………」
ぼくは聴いていた。
わかる気がする。
それが、実際の例としてどんなものであるのか、かたちやシステムとしてはどうなるのかは、今のぼくには不明だけれども、ゲスノッチがいおうとしていることは、漠然と理解できるのだ。というより、前々からぼくの胸中でもやもやしていたものと、呼応し共鳴しているように思えるのである。
ひとりよがりで、説明不足だろうか?
とはいっても、きちんと説明しろと迫られても、ぼくにはできない。ただ……超能力というものが、これ迄の多数派である普通人には備わっていない力でありながら、社会全体がそれを効率良く活用し得なかったこと……超能力者が、すべてにわたって優れているわけでなく一部突出した力を持っているに過ぎないにしても、そういう人間を限定された場に置き特殊な使い方をするばかりで、トップへの道や機会を与えず、さりとて圧殺し絶滅しようとするのでもなく、いわば檻《おり》の中で走り廻らせているようなやりかたしかできない社会のありようが、どこかずれはじめているのではないかとの疑念……また、超能力者側もそうした既成社会の中でいかに有利に生きていくかに汲々《きゅうきゅう》として、超能力者たちが支配する体制を夢想したりはするものの、超能力者にとっても普通人にとってももっと住み良い、すばらしい世の中を作ろうとはしない偏狭さ、と、それへのもどかしさ――すべてをひっくるめて、超能力のあたらしい可能性を開花させることができ、それがすべての人間の利益であり財産であるようにすることができればどんなにいいだろう、という願望が、何とはなしにぼくの中にあって、その解答を模索していた感覚と、通じ合うものがあった。と、そう表現するしかないのである。われながら拙《つたな》い説明で、説明にもなっていないのだが、正直なところ、これで精一杯なのだ。
「いや……やはり愚痴だな」
ぼくの沈黙に合わせて、何秒か口を閉ざしていたゲスノッチは、思い直したようにあかるい声を出した。「きみがファイター訓練専門学校の後輩で、不定期エスパーであるということで、大演説をぶってしまったけれども、畢覚《ひっきょう》は繰り言に過ぎん。きみを退屈させたんじゃないか?」
「いえ、そんなことはありません。大変勉強になりました。私もいろいろ考えてみたいと思います」
ぼくは答えた。お世辞ではなかった。
「なら、いいがね」
ゲスノッチは頷《うなず》いた。
この人は淋しいのだろうな、と、そのときふっとぼくは思ったのだ。いや、これは乱暴ないいかたである。ぼくは同時に相手の疲れた、どこか孤独な心象のテレパシーを感知していたのだ。ぼくの直感とテレパシーと、どちらが早かったのか、自分でも判然としなかった。
本人の口からも出たことだが、ゲスノッチがこうした話をするのは、久方振りのようであった。喋りたくても、うかつに他人にいえない内容だけに、内部に鬱積していたのであろう。それがぼくという適当な対象を得たことで噴出し、内圧が下がると共に、ほっとした気分と元の淋しさが到来したらしいのであった。
「ところで、どうだ?」
何気なく窓に目をやっていたゲスノッチが、ぼくに向き直り、心持ち弾んだ声を出したのだ。
「ここには、練習剣が二本ある。私はもう長い間剣を使っていないし、稽古を積んでいたところできみの敵ではないだろうが……表で手合わせをしてみないか?」
「お相手させて頂きます」
ぼくだって、このところ、ずっと剣を手にしていない。自分の剣はカイヤツVを降りるさいに取りあげられてしまったし、連邦軍の兵隊には、剣技は余暇の趣味としてなすものとされている。制装を操作しレーザーその他の武器でたたかうぼくたちには、剣技はほとんど必要ないからだ。ま、練習しようと思えば、非番のときに剣を借り出して練習することは出来るが、ひとりで型の稽古をしてもつまらない。さりとて相手をつかまえようとしても、分隊に適当な相手がいるのかどうか、まだはっきりわからないのである。剣技の話など、あまりやったことがないからだ。それに第一、せっかくの非番の日に、剣の練習をしようという酔狂な奴がいるだろうか? そりゃ小隊長のゼイダ・キリーなら、かつてのマジェ家警備隊士官だから、剣の達人かも知れないので、たたかい甲斐はあるだろう。が、あのキリー小隊長のことだから、勝てばそれこそぼくを無能呼ばわりするだろうし、負けたらお前はこんなことにうつつを抜かしているのかとののしるに相違ない。小隊長はごめんだった。それよりもまず、小隊長がぼくなどの剣の相手になってくれるはずがない。――というしだいで、剣とはだいぶご無沙汰《ぶさた》していたのである。ゲスノッチの誘いに即座に応じたのも、了解して頂けるだろう。
ゲスノッチは、奥の部屋に入って、練習用の一般剣をふたふり、出してきた。練習用だからむろん刃はない。切先の部分もやわらかな材料を使ってある。
ぼくたちは、表に出た。
非番の日で、しかも将校宿舎のあたりとあって、外はがらんとしていた。陽が照って、周囲には人影もないのである。
ぼくとゲスノッチは、剣を持ち、離れて向かい合った。
構えて……ぼくは、相手の腕が、ここしばらく剣を手にせず勘が鈍っているぼくの目にも、そう大したものではないのを認めざるを得なかった。
だが、油断は禁物である。
ぼくは前進し、小当りを試みた。勝負手ではなく、反応を見るためであった。
ふたつの刃が当たって鳴った。
ぼくは剣を引き、うしろへ飛びすさった。
ゲスノッチの剣さばきは、たしかに巧くはない。型の通りではあるものの、むしろ鈍重で、速い変化には対応できないであろう。しかし、打ち返してきたその刃は、意外な迄に重かったのだ。
ひと時代前の剣技だ、と、ぼくは思った。華麗な技巧には欠けるが、一閃で勝負を決するやりかたで、ファイター訓練専門学校の上級生の中にも、その種の剣を使う者がすくなからずいたのである。はじめの頃、ぼくはそうした上級生に、よく剣を叩き落とされたものであった。
そのつもりで……ぼくは再び前進した。基本型のひとつであるabcab'c'の六動作で攻め――ゲスノッチは型通りに防いだ。ぼくは相手に反撃の余裕を与えず、馴れた第ニセットのcdc'dab'で突き進み……だが、第四動作のdに至る前のc'で、ゲスノッチの胸に切先を当てていた。
「参った。さすがに速い。とても敵《かな》いそうにないな」
ゲスノッチは、剣を引いて叫んだ。
「私のほうは、この間まで現役でしたから。それだけの差に過ぎません」
ぼくは、そう応じた。
「いや、そんなものではないな。腕が格段に違う」
ゲスノッチはいったが、再び、剣を構えた。「もう一番行こう。私としては、剣を使うだけでたのしいのだ」
ぼくも構え直した。
両者の技量に歴然たる差があるのは、事実である。ゲスノッチのいう通りなのだ。
だが、だからといって、ぼくは、そこそこ適当に打ち合おうという気にはなれなかった。たたかいなんて、たるみがあれば必勝の態勢でも敗れることがある。つねに全力を尽すべきなのだ。しかも、相手は、卒業成績が悪かろうと長い間剣を使っていなかったのであろうと、やせても枯れてもファイター訓練専門学校出なのである。それだけの実力があったから卒業できたのであった。ぼくは自分がファイター訓練専門学校出であることに誇りを持っている。それゆえに、同じファイター訓練専門学校出に対して、彼が持っているはずの実力に敬意を払うのを信条としていたのだ。妙な手加減は、相手への侮辱なのである。
ぼくたちは、また打ち合った。今度は前よりも少し永引いたが、やはりぼくがあっさりと勝利をおさめた。
ゲスノッチは、三度めの挑戦をした。
ぼくは技の出し惜しみをせず、最高度の技術をつくして……五秒と経たないうちに、相手ののど元に切先を突きつけていた。
「これでやめにしよう。馴れない急な運動をしたので、息が切れた」
と、ゲスノッチはいい、それからぼくの前に来て、空いたほうの手で、ぼくの手首をつかんで、つけ加えたのである。「勝負は、はじめからわかっていたが……きみは一度も手加減をしなかった。本気でやってくれた。同じファイター訓練専門学校出として遇してくれたことに、礼をいう」
ゲスノッチは、本心からいってくれたのである。テレパシーがそのことを裏づけていた。
「立ち合いの機会を与えて下さったことに対して、こちらからもお礼を申し上げます」
ぼくは、頭を下げた。自分の気持ちをわかって貰えたのが、うれしかった。
さて。
ぼくは、なりゆきとはいいながら、どうやら超能力がらみの事柄を、次から次へと述べてきたようである。それも仕方のないことであろう。何しろ、生れてこのかた、もっとも長いエスパー化の期間を過してきつつあり、その間には、いやでも超能力をたびたび使わなければならず、ために少しずつではあるが使いかたに習熟し、超能力そのものについても、さまざまなことを考えるのを余儀なくされたのだから。
そのせいで、ぼくが何となく、自分が常時エスパーのつもりになっていたのも、否定できない。
だが、ぼくはやっぱり不定期エスパーだった。
演習中に、ぼくの超能力は消失したのである。
演習というのは実戦の訓練で、ぼくにははじめての体験であった。
それも、第四地上戦隊の全部が参加する、大がかりな(といっても、もっと大規模な演習を知っている人にとっては、何だそんなものということになるのだろう。ぼくにしてみれば、である)実戦訓練なのだ。
第四地上戦隊がこの演習を行なったのには、相応のわけがあった。それも、ぼくら兵隊には、いや兵隊のみならず軍団の将兵がみなそうだったろうが、到底歓迎するとはいいかねる理由である。
ボートリュート共和国が、だいぶつづいた休戦状態を破って、攻勢に出てきたというのだ。ネイト=カボ、ネイト=バイス、ネイト=キコーラといった、ボートリュート共和国と境界を接する弱小ネイトの星域の端では、はげしい攻防がはじまっている――と、ぼくたちは告げられた。しかも、近々のうちにはカイヤツ軍団にも出動命令がある見込みなのだそうである。
新編成の、まだ一度も本格的な演習をしていなかった第四地上戦隊としては、急遽《きゅうきょ》、実戦訓練をしなければならなかったのだ。
そんな、いよいよとなってからの演習なんて、何をしているのだ、と、呆れ、失笑する人があるかも知れない。ぼくだって局外者だったら、そうしたに違いない。だが現実とは往々にして、こんなものなのだ。それに第四地上戦隊は、本当ならまだ演習どころではない、各兵員の訓練と練度向上、小部隊単位の行動力をつける段階だったのである。この第四地上戦隊を、前からある三つの地上戦隊と一緒に動かさなければならぬとあれば、こういったこともやむを得ないのであった。そして、当のぼくたちにしてみれば、これは冗談事ではなかった。呆れたり笑ったりしている暇があったら、そのぶん、訓練によって自己の能力を少しでも上げておかなければならないのだ。戦線へ出て死にたくなければ、そうしなければならないのであった。兵たちへの告示だけではわからないこうした事情をぼくがこの程度ではあってもつかみ得たのは、いう迄もなく超能力の、読心力のお蔭である。自分たちの接する将校や、通りすがりの将校、さらには部隊本部の人々の思念から、拾い集めたのだ。ぼくはそうして知った事柄を、分隊の連中にも内密に洩《も》らしてやった。みんながそれを結構有難がったのは、嘘ではない。そんなうちにも、ガリン・ガーバンはぼくたちをしごき、キリー小隊長はどなり散らし、ばたばたしているうちに……演習になったのである。
演習は、基地の外の山野で、第四地上戦隊の四つの部隊を二タ手に分けて行なわれた。ここで演習の様子を詳述しても、あまり面白くはあるまい。実戦訓練といっても所詮は訓練であり、相手の陣形に対して必勝の陣形に持って行ったほうが勝ちとされるので、本当の撃ち合いになるわけでもなく、死傷者が出るのでもないのだ。それは作戦上の攻防を説明することができたら、なかなか興味深いであろう。が、一兵卒のぼくは、上官の命のままに制装を操作し、ときには機兵をあてがわれて動かし、前進・後退・移動を繰り返すだけであった。いくら読心力があるといっても、まさか持ち場を離れて将校たちのテレパシーを感知しに行くわけにはいかない。命令された場所から場所へ動くべきぼくが、そんな真似のできる道理がないではないか。従ってぼくには、作戦計画も全体の攻防も何ひとつわからなかったし、説明するのも不可能なのである。
だからといって、ぼくたちが気楽にやっていたと考えるのは早計というものであろう。ぼくたちは、ひとたび戦場に出ればおのれの行動が自分自身の生命にかかわってくるということを、分隊長にいやというほど叩き込まれていたから、与えられる命令に対し、的確に迅速に従おうと、真剣だった。それに行動するのも、山や丘や林、ときには川や泥の中という具合であり、さんざんな苦労をしたのである。
演習は、まる二昼夜にわたって実施された。
その二日めの朝。
自分たちで掘った塹壕《ざんごう》の中で、制装に入ったまま眠っていたぼくは、目をさますとあたりが異様に静かなのに気がついた。制装に入っていても、外の物音は充分聞えるのである。それにテレパシーの遮蔽材を使っているわけでもないから、人々の思念も伝わってくるのがふつうなのだ。
みんな、まだ寝ているのだろうか。
ぼくは周囲を見渡した。塹壕で、そこかしこ、もたれている分隊の仲間たちは、しかしそろそろ目を開いて、低い声で喋り合っているようだ。
その会話は、内容ははっきりとはわからないにしても、声は聞える。
のみならず、遠くで何かが動いているひびきや、鳥の哺き声、風の音まで、耳に入ってきた。
なのに、なぜこうも静かな感じなのであろう。
と。
横手にいた同じ準個兵のアベ・デルポが、ぼくに話しかけた。
「起きたか? この空模様だと、きょうは雨になりそうだぞ」
「雨か。きついな」
反射的に答えながら……ぼくは、相手の声にいつも重なって聞えるテレパシーがないのを悟った。
ぼくは、非エスパーになっていたのである。
めざめたときに変に周囲が静かだと感じたのだから、ぼくの超能力は、寝ているうちに消失したのに相違ない。
これまでだって、ほとんどの場合がこんなものであった。何の前兆もなく、何の体調の変化もないままに、ぼくはエスパー化したり非エスパーになったりしたのだ。こうしたことがなぜおこるかがちゃんと解明された暁《あかつき》には、原因・結果も判明し、ぼくにも自分がいつ超能力が到来しいつ消え去るかもわかるようになるのかも知れないが……そんな研究がどこで行なわれどんな成果をあげているかについて、ぼくは何の知識も持っていなかった。だから、不定期エスパーとは、人によっていろんな型があるものの、ぼくに関してはこんなものだと、諦めて受け入れていたのである。
今回だって、つまり同様だった。
愛想がないというか、拍子抜けする感じで、ぼくの超能力は飛んで行ってしまったのだ。それはまあ、またいつかエスパー化する可能性が残っているはずなのだから、飛んで行くとか消滅するというのは、正確さを欠くかもわからない。眠るとか非発現とか表現したほうがいいのであろう。だが、このあと二度とエスパー化しなかったとしたら、それは本当に消えてなくなることになるのだから、そんな中途半端ないいかたにも問題はある。
待て。
ぼくは何をつらねているのだ?
そんな見方や表現など、このさい、どうでもいいことではないか。
なのに、やたらにこだわるのは……それだけ、ぼくのショックが大きく、このショックから少しでも目をそむけようとして、あれこれと廻り道をしていたようである。
つまり、ぼくは、非エスパーに戻ることが、これまでのぼくにとっては、何ということもなく行なわれる、どこか日常的なものだった……ところが今度はそうでなかった――ということを、いいたいのだ。
これまでならぼくは、自分の超能力が消えたと知っても、軽い喪失感と共に厄介払いしたとの気分になるのがつねであった。おのれの能力をろくにコントロールすることもできず、むしろその能力に振りまわされて困惑する例がすくなくなかったから、非エスパーになったことで、いわば得体の知れぬ不思議な玩具を取り上げられたような空白感はあったものの、これでどうやら普通の人間に還ったのだ、との、一種の回帰の感覚を味わうのがつねだったのである。 だが、今度は違っていた。
喪失感が、どっと落ちかかって来たのだ。
この理由は、あらためて説明しなくてもわかって貰えるだろうが……ぼくが、今回の異常な迄に長いエスパー期間のうちに、しだいに自分の能力に馴れ、能力の使い方にも習熟しつつあって、いつか、それが自分にとって自然なことのように受けとめはじめていたためである。別のいいかたをすれば超能力を持つことによるマイナスを少しずつ克服する一方、プラスとして活用できるようになってきたために、自分自身を、超能力を与えられたイシター・ロウという風にとらえるようになっていたのだ。
しかしぼくは、超能力にかかわりのあるいろんな人との触れ合いを通じて、超能力は現在のような扱われかたでいいのか、超能力そのものにもっと大きな意味や可能性があるのではないか、というような事柄をも考えるようになっていた。それはぼくは、超能力者である自分として、あれこれ考えようとしていたのだ。
そのぼくが、非エスパーになったのである。
喪失感が大きかったというのも、納得して頂けるであろう。
端的にいえば、今度の超能力消失は、ぼくにとって、普通の人間への回帰ではなく、超能力者からの脱落――と、感じられたのであった。
そうした感覚の中で、ぼくは、ちょっとの間ぼんやりしていたらしい。
「イシター・ロウ。おい、イシター・ロウ」
気がつくと、アベ・デルポが呼びかけていた。
「ん?」
ぼくは、ようやく注意を相手に向けた。
「何だ、返事もせずに黙りこくって。どうかしたのか?」
アベ・デルポがいう。
「それは悪かった。何かいったか?」
ぼくはたずねた。
「いやさ。泥の中をこの格好で走り廻るのはたまらんな、と、いっただけだ」
と、アベ・デルポ。
「そうだな。全くだ。やり切れんよ」
ぼくは、ともかくそう答えた。
アベ・デルポはそれでしばらく口をとざしていたが、またいいだした。
「おれたちの出動、いつ頃になるんだろう」
「さあ」
ぼくは、制装の中で首をひねった。
ぼくはやっと、自分が非エスパーになったショックから立ち直り、相手との会話に身を入れようと努めはじめていたのだ。
「前線へ出る迄に、もう一度位、ゆっくりしたいなあ」
アベ・デルポは、実感のこもった声を出した。「外出して、思い切り酔っ払って……。だが、外出はもうないかもわからんな」
「…………」
ぼくは沈黙していた。
アベ・デルポのいう通りかも知れない、と、思ったのだ。
「出勤の時期、いつかわからんか?」
アベ・デルポが問いかけた。「お前、お得意の読心力で、小隊長か誰かの心から読み取ってくれよ」
「駄目だ」
ぼくは答えた。
「どうしてだ?」
と、アベ・デルポ。「小隊長位じゃ、知らんだろうというのか?」
「違う」
「じゃ、何だよ?」
「できないんだ」
ぼくは、いうしかなかった。「能力がなくなったんだ」
「え?」
アベ・デルポは、あっけにとられたようである。奇声をあげた。
個兵長のコリク・マイスンが、壕の中を這い寄ってきた。
「どうしたんだ? 変な声を出して」
コリク・マイスンがいう。
「イシター・ロウの、その、能力がなくなったんだそうであります」
アベ・デルポが返事をした。
「本当か? イシター・ロウ」
コリク・マイスンが問いかけた。
「その通りであります」
ぼくは答えた。「目がさめたら、消えていたのであります」
コリク・マイスンはあごを撫でた。いや、撫でるつもりだったのだろうが、制装姿なので、ヘルメットの下部に手が当たっただけである。
「そうか。そういえば、お前は不定期エスパーだったんだな」
コリク・マイスンはいった。「不定期エスパーなら、能力が消えるときもあるわけだ」
「全く何も感じ取れないのか?」
と、アベ・デルポ。
「ああ」
ぼくは肯定した。
「イシター・ロウの読心力がなくなったら、おれたちにゃ不便なことになるぞ」
近くで話を聞いていたペストー・ヘイチが、ぼくたちの傍へ来ていった。「せっかくこれまで、いろんなことを探り出してきて教えてくれたのにな。これからは、何もわからなくなる」
「全くだ」
コリク・マイスンが同意する。
「どうも、申しわけありません」
詫びるのも妙な場面だが、ぼくは何となくそんないいかたをした。
「お前があやまることはないよ。お前のせいじゃないんだ」
コリク・マイスンがなぐさめてくれた。「とにかく、そういうことになったら仕方がない。ま、お前もそのつもりで頑張ることだ」
「わかりました」
ぼくは返事をした。
ほかにも何人かが、このやりとりを耳にしていたようである。が、あらためてぼくに何かいおうとする者はいなかった。聞いていなかった分隊の仲間にも、このことはすぐに伝わっただろうけれども、そのときには格別の反応はなかった。
とはいえ、塹壕の中ではそうだったとしても、あとで、誰かれが何かの拍子に、お前、超能力がなくなったんだってな、とか、またエスパーになったら情報を探ってくれよ、とか声をかけてきたのは事実である。分隊長のガリン・ガーバンも、直接そのことには言及せずに、まあしっかりやれといった意味のことをいってくれたのだ。
そういうものだろう、と、ぼくも思う。大体が、ぼくが今の分隊に入ったときでも、ぼくは自分がエスパーであるとはいわなかったし、のちになってみながそうと知ってからも、特にそれでどうこういう者はいなかったのだ。ぼくがエスパーであろうと非エスパーであろうと、それは隊内では公的に何のかかわりもない話で……つまりは、個人的な問題だったのだ。今度のみんなの態度は、そのことを裏付けたようなものであった。
もちろん、先程も述べたように、ぼく自身の気持ちは、そんな軽いものではなかった。くどくなるけれども、ぼくは、このところずっとそうだった自分とは違う自分――重大な欠落をした自分になったように感じていたのだ。分隊内ではこんな風にさりげなく扱われるのを有難いと思う反面、もっと大事件として受けとめて欲しいとの心情も、ないわけではなかった。が、それがわがままだと、ぼくはちゃんと自覚していたのだから……そんなことをしるすだけ、未練たらしくなるであろう。
ともあれ。
当り前のことで、いうだけ馬鹿げているのだが、ぼく自身のそんな事情とは何のかかわりもなく、演習はつづけられた。ぼくたちは制装をまとって、雨の中を進み、伏せ、泥に膝を没して移動し、時によっては機兵を走らせ機兵と一緒に行動し、集結し、散開し、後退し前進した。
ぼくたちは命令に従って行動するばかりだったから、全体としてどこがどうなっているのやら皆目わからなかったのは、前述の通りである。
ただ、ときによっては、ぼくたちの隊そのものが何の目的で動いているのかを教えられることもあった。敵の側面へ出るのだとか、補給路を断つのだとかいう具合である。兵たちが全くわけもわからずに動くよりは、目的意識を持つほうが士気が高まる場合もあるからだろう。しかし、そんな断片的な知識で全局を把握することなど、到底無理というものである。
そんな状態で動くうちに二日めの夜が到来し、ぼくたちは、こちらの側が勝ったと告げられた。
ぼくたちの隊が、具体的にどんな役割を果たしたのかはわからないけれども、小隊長はご機嫌であった。演習のあとで、お前たちはなかなかよくやった、よく鍛えられているとのお言葉をいただいたぞ――と、ぼくたちにいったのである。もしもそうだとすれば、ぼくたちに関する限りその功績は、猛烈な訓練で自己の分隊を鍛えあげたガリン分隊長に帰せられるべきではないだろうか、と、ぼくはひそかに考えたものだ。
そして、この演習でも、その後の訓練や日常生活でも、ぼくは、自分がエスパーであったことはさっぱり忘れて、非エスパーの兵隊になり切ろうと努力したのである。そうするしかなかったからでもあるが、ぼくの性分として、どうせやらなければならないのなら、泣き言を並べたり中途半端な真似をするよりも全力を傾注したほうがいいとおのれにいい聞かせ、実行したのだった。このことには、さほど苦労はしなかった。というのも、ぼくはそれまで自分の超能力をいかにうまく活用するか工夫し、超能力に関する事柄にも興味を抱いてあれこれやったとはいい条、兵隊としての毎日の中には、それらをつとめて持ち込まないようにしていたからだ。換言すれば超能力を抜きにしてもちゃんと務まる兵隊だったのである。それを、もはや超能力がらみのもろもろが関係なくなった今、徹底してそうするというだけのことであった。
外出はもうないかもわからんな、と、演習での塹壕の中で、アベ・デルボは悲観的な予想をした。
だが、事実は逆だったのだ。
演習の翌日から、外出の大盤振舞がはじまったのである。これまでのような小出しの方式ではなく、まとめて、順番に外出が許されたのであった。
これが、出動を控えての措置《そち》であるのは、容易に想像がつく。前線へ出る前に遊んでおけというわけであろう。
もっとも、門限はこれまでのように深夜ではなく、タ刻よりもややあとの、夜も早いうちに帰着するように申し渡されたけれども、外出はまぎれもなく外出である。
ぼくたちにその機会がめぐってきたのは、演習の四日後だった。
こんなに一度に大勢が押しかけたら、どこもかしこも満員で、ろくに遊ぶところもないんだろうな――と、ゼイスール行きの車の荷台で個兵長のコリク・マイスンなどはぶつぶついったが、せんのないことだった。また、たとえそうだとしても、外出が与えられないよりはずっとましであろう。この点では、コリク・マイスンもしぶしぶと同意した。
到着してみると、案の定、町はごった返していた。
このぶんでは至るところで喧嘩がおきているのではないか、と、ぼくは思ったが、すくなくとも町の入口のアーチのあたりは、平静であった。監察兵が至るところにいたからかも知れない。それにぼくたちは、出がけに、町でごたごたをおこしたら、即時外出取り消し基地へ送還となるぞ、と、おどかされていたのだ。おそらくはこれが最後になるであろうせっかくの外出を、つまらぬことでふいにしたくないという人間が多かったのではないか? もっとも、そんな外出だからこそ、酔ってあばれる者もいるだろうから、町の場所によっては、見た目ほど平穏ではなかったのかも知れない。ぼくは町中のすべてを見て廻ったわけではないのだ。
ぼくたちは町へ入ったところで適当に分れ、グループごとに、行きたいところへ行くことになった。
ぼくは、まっすぐ例のリョーナの店へむかうつもりだった。礼状を貰ったこともあるし、そういう知り合いができたのなら、リョーナやその母親とも話し合ってみたいと思ったのである。相手にそんな暇があれば、だが。もし先方が忙しそうだったら、店で何か飲めばいいのだ。
ところが、他の連中は、はじめから飲みに行くのには反対だった。しばらくばくちをやるか、映画を観るかしたいという者ばかりなのである。飲むならそのあとで……なりゆきによってはあとから行くよ、という奴もあった。
店にはじめてぼくらを連れて行ったコリク・マイスンやあのときの仲間までが、なぜそんなことをいうのだろう、と、ぼくはいささか不思議だった。それだけ賭博や映画が好きなのかもわからない。が、ほかにも理由とはいえないほどの理由があるのに、ぼくは気がついた。そういえばぼくも含めて、あのとき喧嘩をしたメンバーは、店をこわした弁償金を、まだ天引きで支払っているのだ。もちろんその損害の弁償は、軍がすぐに行なったのであって、ぼくたちは軍に対して支払っているのであるが……いささか、いまいましいとの気を、他の連中が抱いていたとしても、おかしくはない。それとも、はじめから入って行くのが照れくさいのだろうか? そういう意味では、ぼくも同じであっていいわけだけれども、ぼくの場合、いささかは感謝され手紙迄貰っている立場だから、みんなとは少し気持ちがことなるのであろう。――と、そう気がつくと、あまり強く他の連中を誘うこともできなかった。
で。
ぼくはひとりで、リョーナの店へと出掛けたのだ。
記憶をたよりに、ぼくは店を捜した。ちょっとひまがかかったとはいえ、そんなに大きな町ではないので、ぼくは間もなく表にガラスを張ったその大きな店をみつけ、中へ入って行った。
この前と同じ喧騒である。
いや、そうでもなかった。
あのときは、ぼくはエスパーだった。客たちの重なり合った思念をも受けていたのだ。きょうは、思念とは無縁で何も感知しないのだった。
だが、それでも結構やかましいのだ。
店は満員だった。
これではリョーナもその母親も、忙しくてぼくと話すどころではないだろう。
といって、そっちは諦めて酒を飲むにも、席がみつかるかどうか、怪しいものだ。
これは……駄目だな。
なかば諦めつつ、それでもぼくは、何となく勘定台のほうへ歩いて行った。
勘定台に、女がいる。
たしか、それがリョーナの母親だったと思うのだが、この前はちらと見たきりでもあったし……確信が持てないので、ぼくは、ぼんやりとその場に立っていた。
女が顔を挙げて、こちらを不審そうに眺めた。
「何か――」
女がいいかけたとき、リョーナが勘定台にやってきた。
こっちは、見違えようがない。
「あの……」
ぼくは、リョーナにとも女にともつかぬ方向へ会釈して、名乗りをあげた。「――この間は、大変ご迷惑をおかけしました。第四地上戦隊第二部隊一―二―一の、イシター・ロウ準個兵ですが……」
おしまい迄行かないうちに、リョーナがああと叫び声をあげ、女もほんの一瞬遅れて、ぼくを認める目になった。
「その節は、娘がお世話になりまして」
女がいった。
やはり、リョーナの母親だったのだ。
その間にも、店の従業員が来て、現金と伝票を渡し、リョーナの母親が、機械の引き出しをあけて、しまうのである。
「お忙しいようですから」
ぼくはいいかけた。
邪魔をしては悪いと思ったのだ。
「いえ」
リョーナの母親は手を振り、大声で、誰かを呼んだ。
中年の女が走ってきた。
リョーナの母親が、その女にバトワ語で何かをささやく。小声で早口で、おまけにぼくはバトワ語に練達なわけでもなかったから、ちゃんとはわからなかったが、どうやら、仕事を代ってくれといったようだ。
それからリョーナの母親は勘定台を離れ、ぼくに奥のほうを示しつつ、促した。
「どうぞ、こっちへ」
待っていたリョーナも、母親に従いながら、ぼくに、どうぞという身振りをした。
ぼくは、ついて行った。
店の奥に、ドアがある。
リョーナの母親は、そのドアを引き開け、ぼくに、中に入るようにといった。
中は、ちょっとした応接用の部屋らしかった。ここで商談などをするのではないか、と、ぼくは想像した。
ドアをしめると、格段に静かになった。
ぼくは、すすめられるままに、ふたりと、テーブルをはさんで向かい合い、腰をおろした。
「お忙しいのではないですか?」
ぼくは気にして、そういった。自分が、店をほったらかしにして会うほどの来客とは思えなかったからである。
「いいんですよ」
リョーナの母親は微笑した。「本来なら、こっちからお伺いしなければならないのに、この子の手紙だけで済ませてしまって……。わたしからも、あらためてお礼を申し上げます」
「とんでもない。もともと、ご迷惑をかけたのはこちらですから」
ぼくは、さえぎった。
「ありがとうございました」
リョーナも、頭を下げた。
そのとき、ドアがノックされて、従業員がグラスを運んできたのだ。
といっても、ぼくのぶんがひとつだけであった。
「こうして来て下さったんですから、どうぞ、ゆっくりして下さい。さ、どうぞ」
リョーナの母親にすすめられて、ぼくは遠慮がちではあるが、少し飲んだ。
しかし、奇妙である。
大したことをしたわけでもないぼくを、わざわざこんな部屋に招じ入れて、ふたりとも店へ出ずにここにいるというのは、どういうことだろう。
そりゃ、この母娘にとっては、ぼくはちょっとした恩人かも知れない。が……それなら挨拶だけをして、店で飲ませてくれてもいいのではあるまいか? なるほどぼくは、ふたりと話し合えたらそれなりにたのしい時間が過せるであろうとの期待は持っていた。けれども、こんな店の繁忙の中で、こうまでの待遇を受けるのは……いささか、ふに落ちないのである。
何か、話したいことでもあるのだろうか?
そして、ぼくの勘は的中していた。
「失礼ですが、イシター・ロウさん、もしもお差し支えなければ聞かせて頂きたいのです」
と、リョーナの母親が切り出したのだ。「イシター・ロウさん、超能力者なのですか?」
「…………」
ぼくは一、二秒、ためらった。
あの乱闘のとき、ぼくは、超能力を行使したのを知られたくなかった。いや、あの場にいた相手側の人間で、レイ・セキとぼくが超能力を使ったのを感知した者はいるかもわからないが、表沙汰になって欲しくはなかったのである。そうなれば、厄介なことになるからだ。さいわい、レイ・セキのいったような理由からか、それとも実際にむこうにエスパーがいなかったのか、とにかく、ぼくたちは放免になった。あの件は、もう終っているのだ。
突き飛ばされたリョーナの動きを念力で食いとめたことを他人に悟られたくなかったのも、そのとき念力を使う位なら、乱闘のさなかにも使っていただろうと推測されるにきまっていたからである。
リョーナと母親には、この間の事情がわかっていたのだろう。だから(リョーナの手紙によれば)誰にも喋らなかったのだ。
だが、今となってはほとんど問題はないといえる。証拠もないことだし、ぼくは超能力など使いませんでした、で、突っ張るのも可能なのだ。また、今になってむし返す人間もいないだろう。
とすれば……隊内でぼくがみんなにいって廻るのならともかく、このふたりに事実を話しても、どうということはないのだ。それも先方は、超能力者なのかどうかとだけたずねているので、あの乱闘のときに力を行使したかなどといっているのではないのであった。
話しても、さしさわりがあるとは思えない。
しかも今はぼくは非エスパーである。
ありのままを告げても構うまい。
――と、判断して、ぼくは、口を開いた。
「超能力者、でした、と、いうべきでしょうね」
ぼくは答えた。
「とは?」
リョーナの母親は反問し、リョーナは困惑の表情になった。
「何日か……正確には五日前まではそうでした。現在は違います」
ぼくはいった。「つまり、ぼくは不定期エスパーなんです」
「…………」
ふたりは、物問いたげな視線をぼくに向けた。
「不定期エスパー……?」
リョーナがたずねる。
ぼくは不定期エスパーが何であるかを説明し、併《あわ》せて、ぼく自身の能力の発現と消失についても話した。
「そういうのが、あるのですか」
リョーナの母親は、不思議なことを聞いたように呟く。
リョーナの反応は、少しことなっていた。
「そういえば、そんな超能力者の話を聞いたことがあります」
と、リョーナは言ったのだ。「でも、その不定期エスパー、ですか、そんな人も、やはり超能力者の一員なんでしょう?」
「どうでしょうか。能力を持つ間は超能力者で、なければ普通の人ということだと思いますがね」
ぼくは返事をした。
「それでも、超能力については、一般の人たちよりは、詳しいのでしょう?」
これは、リョーナの母親だ。
「否定はしません」
ぼくは応じ、だが良心的につけ加えた。「だけど、常時超能力者ほどちゃんとした知識は持っていませんよ。いつ能力が消えるかわからないので、訓練も受けませんし」
「でも、多少の事柄はご存知でしょう?」
と、リョーナの母親。
「多少は」
ぼくは首肯した。
「なら、教えて欲しいんです」
リョーナが、身を乗り出した。「エゼという団体について、何かご存知ですか?」
「エゼ?」
ぼくは首をひねった。
聞いたことのない名だ。
「知りません?」
リョーナが重ねて問う。
「残念ながら」
ぼくは、かぶりを振るしかなかった。
ふたりは失望したようだ。
それでも、リョーナは諦めなかった。
「超能力を持つ人たちの集まりなんです」
リョーナはいうのである。「上から下迄黒い衣をつけて、集団で布教して歩く人々なんです」
「…………」
ぼくは黙った。
頭の中に、それと共通するイメージの人々が浮かんできたのである。
「エゼは、自分たちの教義を説いて、参加する人を仲間にしているんです」
リョーナはつづけた。「修行をすれば、誰でも超能力者になれるのだと、エゼたちはいっているんですよ。上のほうの人たちの超能力は大したものだといいますし、集まってお祈りをすれば、もっとすごい力を出すとも聞きました」
「デヌイベだ!」
ぼくは口走った。
カイヤントで出会い、さらには信じがたいやりかたで、エレンやぼくたちを救ってくれたデヌイベの姿が、まざまざとぼくの脳裏によみがえってきた。同時に、あの中にシェーラがいたということも……ぼくは思い出したのである。デヌイベたちの白衣と黒い帯、あるいは黒い帯だけなのに対し、エゼとかいうのは全身黒衣というけれども、両者は、ひどく似ているといえないか? 集団で布教し……超能力を持つ人々……。
「…………」
ふたりは、ぼくを見つめていた。
ぼくは、デヌイベについて、知るところを要約して話した。
「ネイト=カイヤツの、カイヤントという世界に、そういう人たちがいるんですか?」
リョーナは、目を輝かせた。「それは、きっとエゼと何かのつながりがあるんだわ! わたしにはそうとしか思えない。そうでしょう? お母さん」
「かもね」
リョーナの母親は頷いた。
「そのエゼが、おふたりに関係あるんですか?」
ぼくは質問した。
「そうなんです」
リョーナの母親が、ぼくに向き直った。「このリョーナが、エゼに入りたいというんですよ」
「エゼは、バトワ市に多いんです」
と、リョーナ。
ぼくには、話が飛躍したようで、何が何だかわからなかった。
「ごめんなさい。はじめから説明しなければいけませんね」
リョーナの母親は笑った。「実は、わたしたち、近くこの店をたたんでバトワ市へ行くつもりなんです」
「店を?」
ぼくは、あっけにとられた。
こんなにはやっている店を?
「わたしたち、カイヤツ軍団がちかぢか前線へ出ると聞きました」
と、リョーナの母親。「もちろん軍団の一部の方は基地に残るんでしょうけど、大部分は行ってしまうわけでしょう? そうなったらこの町の、軍団の人々相手で成り立っている店は、たちまちさびれてしまいます。帰還を待つという店もすくなくないのですが、わたしたちはバトワ市に親類がいるので、これを機会に閉店して、そっちへ行こうと思うんです。もともとこの店は、夫がほそぼそとやっていたのがカイヤツ軍団の人が来るようになって、大きくなったもので……夫がいない今となっては、なまじ思い出すだけにつらくて……ほかへ移ることにしたんです」
「あの花瓶は持って行きます。あれは、父がこの地へ来て陶工になろうと勉強していたときに、先生から頂いたものだそうです。このあたりの土は焼きものの原料として優秀なんで、元は窯が多かったんですよ。ま、父は陶工になるのを諦めて、商売人になりましたが……」
リョーナが、そんなことをいった。
「バトワ市では、わたしは親類のやっている仕事を手伝うつもりです」
リョーナの母親はつづけた。「それに、ここでいくらか貯えた金もありますから、生活に困ることはないでしょうが……リョーナはエゼに入って勉強したいというんです」
「勉強?」
ぼくは、意外の念に打たれてたずねた。
「わたしは小さい頃、ろくに学校へも行けなかったから。今になってはじめからやり直すのも遅いんです。どうせ正規の学校を出ても、偉い人の後押しがなければ、ちゃんとしたところで働かせては貰えないし……」
リョーナはいう。「だけど、エゼでは、入ってくる者に、いろいろ教えてくれるんですよ。その人その人に合った事柄を学べるんです。基本的な知識から、生活に必要なこと迄、専門家から、じかに教えて貰えるんです。わたし、エゼに入った人に聞いたんです。わたしたちみたいな人間は、そういう方法でしか勉強できません、しかもエゼでなら、その一方で教義を学んで修行すれば、超能力者になれるんですよ」
当然ながらぼくは、そのエゼという教団(?)が、どんなかたちの教育システムを備えているのか、どういう勉強をさせるのか、知る由もなかった。だが、それなりの評価を受け、支持もされているのであろう。そうした組織が、正規教育から洩れた人々にそれなりの教育をほどこすシステムを持っているということに、ぼくは、気がつかなかったが充分にあり得る、あっていいことだと、目を開かれる思いがしたのだ。あるいは、デヌイベもまた、そうなのではないか、とも考えたりした。
「わたしは、この子のやりたいようにさせるつもりですが、ただ、まだはっきりとはエゼのことがわからないので、超能力者の方なら、あるいはエゼについて、ほかにもいろいろご存じではないか、と、思ったのです」
リョーナの母親が、釈明した。「でも、ネイト=カイヤツにも、似たようなものがあるのなら、こういう団体は、どの世界ででも、何というか、存在理由があるんでしょうね。先の時代になったら、もっと当り前になり、もっと力を持つかも知れませんね」
「ことによれば……そうかも知れません」
ぼくは答えた。
答えたものの、本音をいえば、ぼくにはそんな楽観はできなかった。そうした団体がある程度以上の影響力を持ち、ある程度以上の力を備えそうになったら、政府によって弾圧され、叩き潰され、成員は迫害されるかもわからないのだ。その公算のほうが大きいという気がする。が……リョーナやリョーナの母親が、自分たちの選択を信じ希望を抱いているのに、冷や水を浴びせるような意見を述べたくなかったのだ。はっきりいってこれは無責任な態度である。無責任でも……そう答えるのが、礼儀ではなかったろうか。相手に、そんなことは考えられないといい、論破して、では、どうすればいいのかと問い返されたとき、何もいえないのでは……そのほうが、より無責任というものではないか?
それに、心の片隅ではぼくは、理屈はそうでも、案外リョーナの母親のいうようになってゆくのではないか、時代や歴史の流れがそれを可能にするのではないか、いや、そうであって欲しい、とも思っていたのだ。
「エゼに入って勉強して、正規のメンバーになれば、カードを貰えるんです」
リョーナが、たのしそうにいった。「そのカードがあれば、いくつもあるエゼの集団のどこへ行っても、仲間として扱って貰えるんだそうです。わたしも早くカードを持ちたい」
「しっかりやって下さい」
ぼくには、そうとしかいえなかった。
「もちろんです」
と、リョーナ。
「つまらぬお話を聞かせてしまいましたわね」
リョーナの母親が、微笑した。「イシター・ロウさんが超能力者だと思ったので、つい、教えて頂こうと甘える気になって……ご迷惑だったでしょう」
「いいえ。そんなことはないです」
ぼくは恐縮した。
「考えてみれば、これでもう、お目にかかることはないのかも知れませんね」
リョーナの母親は、二、三度、ひとりで小さく頷いた。
それから、ぼくの手元を眺めて、いったのだ。
「ああ。お代りを持ってこさせましょう」
ぼくのグラスは、いつの間にか空になっていたのだ。話し合いながら、ぼくはほとんど機械的に飲んでいたのである。
「いえ、もう結構です。充分に頂きました」
ぼくは、あわてて手を左右に振った。
嘘ではない。
何だか、頭の中のどこかがしびれたみたいな、夢を見ているような、妙な気分だったのだ。
それはどうやら酒だけのせいではなく、母娘の今の話によって、ぼくの日常感覚が変な具合に歪められたためでもあったらしい。
「よろしければ、もう少し、お飲みになって」
リョーナもいう。
「本当に、充分です。かえって、お世話になってしまいました」
ぼくは、頭を下げた。帰るしおどきだった。
「お時間をとらせましたわね」
リョーナの母親が、いいながら腰を浮かす。
ぼくは、ふたりに送られて、その部屋を出た。
「お店で、飲んで行って下さい」
「ほんとに……よろしかったら」
ふたりが、こもごもにすすめる。
ぼくは辞退し、会釈をして、その店をあとにした。
別の店で飲もう。飲んで、普通に酔おう――と、ぼくは思った。リョーナの店にいる限り、今の奇妙な話は残りつづけ、ぼくの頭の中の歪みもそのままになるであろう。何しろ、エゼでありデヌイベであり、超能力団体であり規格外教育機関であり、その他もろもろなのだ。ふだんの感覚を取り戻すためには、別の、ただのわいわいがやがやの店でいい。
そして、ぼくはそれを実行した。
しばらく歩いて、そのへんの店に飛び込んだのだ。
もちろんそこも、カイヤツ軍団の人間で一杯だった。
知り合いにも会わなかったので、ぼくはひとりで飲みはじめ、そのうちに隣りにいた男と喋りだし……ほど良く酔っ払うのに成功した。
夕刻。
ぼちぼちみんなが引き揚げにかかるのと共に、ぼくは隣席にいた男(何という名だったか、覚えていない)と別れ、町の入口迄歩いて、帰りの車を待つ行列に加わった。
車は、あとからあとからやって来て、人々を積み込んで出て行く。
ぼくも乗った。
その車にも、知った顔はなかった。確率から行けば、そのほうが自然なのかもわからない。
下車して、第二部隊の兵舎群の、第一中隊のある棟の前に帰ってきたときには、日はすっかり暮れていた。
自分の分隊の部屋に来る。
まだ、全員が帰着したというわけでもなさそうだ。
いい気分で部屋に入ろうとしたとたん、ぼくは背後から声をかけられた。
ガリン分隊長であった。
「帰ったのか? イシター・ロウ」
ガリン・ガーバンはいった。「すぐに小隊長のところへ行け」
「今、これからでありますか?」
ぼくは、たずね返した。
「そうだ。戻ったらすぐに来いといっておられた」
ガリン・ガーバンはいうのだ。
となれば、それ以上反問したりしている場合ではない。
ぼくは分隊長に、わかりましたと答え、敬礼をすると、小隊長室へ急いだ。
不安があったのは、否めない。
何の用だろう。
小隊長に叱責されるような真似をした覚えはない。ことに、ここしばらくは何の問題もおこしていないはずである。それともぼくに関係した事柄で、キリー小隊長を怒らせるようなことがあったのか?
大体が、ぼくの目から見れば、キリー小隊長には気まぐれな、といって悪ければ神経質なところがある。ぼくなどの予測を超越した言動を、時折示すのだ。だから今度も、思いもかけない用件で、ぼくを呼んだのかも知れない。
だが、こんなことをあれこれ考えたって仕方がない。どうせ小隊長の前に出れば、いやでもわかるのである。ぼくは何をいわれても動じない覚悟をして、小隊長室のドアをノックした。
「入れ!」
と、声。
ぼくは型の通り入室し、敬礼して名乗った。
「イシター・ロウ準個兵、小隊長がお呼びだと伺って、参りました!」
「うむ」
キリー小隊長はデスクのむこうにすわったまま頷き、ぼくに、こちら側にあった背もたれのない椅子を指さした。
「ま、すわれ」
小隊長はいう。
「失礼します」
ぼくは腰をおろした。
本当に、何の用なのだろう。
「聞くところによると、お前の超能力は消えたそうだな」
小隊長は問う。
「その通りであります」
ぼくは答えた。
「超能力がなくなって、軍務を果たすのに支障はないか?」
と、小隊長。
それは、ほとんどぼくをいたわる口調であった。
しかし、この小隊長がそんなことをしたりするわけがないのも、ぼくにはわかっていた。これは個人的会話などではなく、小隊長が部下に問いただしているのだと、解釈しなければならない。要するにぼくが、これからも兵隊として務まるのかどうかを、たずねているのである。
ぼくはそう受けとめたのだ。
「ないと信じております」
ぼくは、返事をした。
嘘をついたのではない。
なるほど、ぼくは自分が超能力を喪失したのを残念に思っていた。エスパーでなくなったための不便も、いろいろと感じていた。けれどもそれは、軍隊とは直接かかわりのない面での話である。前に述べたように、ぼくは兵隊としての毎日の中には、つとめて超能力を持ち込まないようにしていたから、超能力がなくなっても、どうということはなかったのだ。そして今、小隊長は、軍務を果たすのに支障はないか、と、訊いたのである。全くありません、と、返答したかったところだが、それでは何だか大見得を切るようで、変に突っ込まれたりしたらややこしくなるとも判断して……一歩退いたいいかたにとどめたのであった。
「そうあって貰いたい」
キリー小隊長は、重々しくいうのだ。「人間、なまじ超能力を持ち、超能力に頼るようになったりすると、別のところで何か重大なものが欠けてきたりするものだ。心したほうがよい」
「はい」
ぼくは腰掛けたままで、しゃんと背中を伸ばして答えた。
ゼイダ・キリーの意見について、ここで云々《うんぬん》してもはじまらない。それは超能力者に対する普通の人間の、典型的ないくつかの態度のひとつであり、かつ、必ずしも的外れとはいえないのもたしかである。もっとも、ぼくには、ことがそう単純ではないのもわかっており、異論ないし注釈をしろといわれれば、いくらでもいえただろうが……上官の訓戒に反論するほどの馬鹿ではないつもりだった。
ただ、キリー小隊長がぼくにそんな説教をしたことで、ぼくには、相手がこちらの超能力の消失をいたわったりしているのではなく、これを機に一言いっておこうとしたのに過ぎないのが、はっきりしたのだ。
それにしても、小隊長は、こんなことを告げるために、ぼくを呼び出したのか? それだけだとは、どうもぼくには思えない。ほかにちゃんとした用事があるのではないか?
推測は、当たっていた。
ぼくの超能力消失の話題は、単なる前置きだったのだ。
キリー小隊長は、デスクの端に重ねてあった二、三通の封筒らしいものの中から、ひとつを取り上げると、持って、ぼくを見やりながらいったのである。
「カイヤツTがバトワ宙港に寄った。積んできた郵便物が軍団に届けられたが、お前にも手紙が一通来ておる」
「…………」
ぼくは、すくなからず驚いて、小隊長をみつめた。
覚えている人ならああまたかというだろうけれども……ネイト=カイヤツは連邦登録定期貨客船を三隻保有している。所有はネイトで、管理はカイヤツTがサクガイ家、カイヤツUがマジェ家、そしてあたらしいカイヤツVがエレスコブ家だ。貨客船だからものを運ぶ。どこの荷物を運んできても不思議ではない。他のネイトの連邦登録貨客船が、ネイト=カイヤツで荷をおろしたり引き受けたりすることだって、ちっとも珍しくないのだ。カイヤツTが、ネイト=バトワ駐屯のカイヤツ軍団への郵便物を運んできても、おかしくない。
しかし、ぼくはその瞬間迄、自分に手紙が来るなんて、考えもしなかったのだ。
「将兵への私信は、特殊な例を除いて、すべて開封され検閲される。不都合がなければ本人に渡されることになる」
小隊長はいった。「お前への手紙も検閲され、渡して差し支えないとされているが、私は義務として、一応、確認しなければならない。――シェーラという名に、心当りはあるか?」
「はい」
突然シェーラの名が出てきたので、ぼくはあっけにとられ……だが、間らしい間も置くことなく、肯定した。
「どういう知り合いか?」
小隊長はたずねる。
一般の自由な市民になら、これは立ち入った質問というべきであった。したくなければ答える必要はないであろう。けれどもここは軍隊で、ぼくは上官に問われているのだった。答えないのは反抗と見倣《みな》される。また、ぼく自身がそれを当然とする感覚になっていた。
しかも、こんな場合、答えるのなら、いい加減なことをいったり、あいまいな表現をするのは、やめたほうがいい。あとで食言を咎《とが》められたり、意地悪く追及されたりしかねないからだ。
「エレスコブ家警備隊にいたときの、部屋の世話係の女であります」
ぼくは明確に、しかし最少のことだけをいった。シェーラにまつわるさまざまな事柄、ことにカイヤントでのデヌイベがらみの件となれば、要約するのも面倒で困難で、長い話になるであろう。それをまたキリー小隊長が問いただすとなると、さらに厄介である。こちらから進んで喋る必要はないのだ。小隊長がもっと詳しく知っていて、ぼくに説明を求めたら、そこではじめて答えればいいのであった。
「なるほど、エレスコブ家でな」
エレスコブという言葉にキリー小隊長が何らかの反応を示すのではないか、と、ぼくは思ったが、相手は無表情で、重ねて問いかけてきた。
「まだ、その女はエレスコブ家にいるのか?」
「いいえ。私が護衛部への配属命令を受けた夜に、辞めました」
ぼくは正直にいった。
「今、何をしている?」
と、小隊長。
「わかりません」
ぼくはそういうしかなかった。シェーラがあのデヌイベの一団の中にいたのはたしかだけれども、現在何をしているかとなれば、皆目不明なのだ。
「わからないのに、つき合いがあるのか?」
小隊長は、鋭い視線をぼくに向ける。
返事するのがむつかしい質問だった。簡単にいえることではないし、ありのままを告げたら、超能力やデヌイベや、それにミスナー・ケイについても喋らなければならない。ややこしくなるばかりだろう。が、ぼくはそこで、ミスナー・ケイがシェーラその人の口調でことづけを話したことをも含めて、うまい表現があるのに気づき、口を開いたのだ。
「それが……ときたま、一方的にむこうから連絡してくるのであります」
キリー小隊長の頬に、かすかに苦笑に似たものが浮かんだ。女のほうの片思いという風にとったようである。
「お前を好いておるのだな?」
小隊長は、調子を少しやわらげて、たずねるともなくいった。
「よくわからないのであります」
ぼくは答えた。
小隊長の苦笑が濃くなった。ぼくには何となく小隊長の気分がわかるように思え……同時に、どうやら切り抜けるのに成功したらしいと悟った。
「ま、部屋係をしていたというのなら、短期契約の非ファミリーだろう。エレスコブ家の上層部とは何のかかわりもないと思われるが……そうなのだな?」
と、小隊長。
「おっしゃる通りであります」
ぼくはいった。
なぜ小隊長がそんなことを確認するのか、ぼくには見当もつかなかったけれども、シェーラがエレスコブ家のファミリーではなかったのは事実である。もちろんエレスコブ家の上層部とも……。
いや。
ぼくはそこで想起したのだ。
シェーラはそんな身分であるにもかかわらず、エレスコブ家の内情に、実に詳しかったのだ。
ぼくはトリントス・トリントやハイトー・ゼスについて、最初はシェーラから情報を得たのである。そして彼女は、自分がそんなことを喋ったのを黙っていてくれ、と、ぼくに口止めした。
シェーラは、そうした情報を、やはり読心なり透視なりの超能力で入手していたのではないか?
これは、今、急にそう考えついたのではない。シェーラが、ミスナー・ケイとのつながりの上からも、超能力とは無関係の人間ではなく、むしろ超能力、それも一般的な超能力とはどこか異種の超能力に関与しているのではないか――との疑念を捨て切れなかったぼくは、その可能性は充分である、と、何度か考えたのだ。
しかし、それがにわかに現実味を帯びて感じられたのは、ぼく自身が、この間の超能力消失迄、将校たちの心からいろんな事柄を拾い集めるという、似たようなことをしていた記憶と不意に合致したせいであった。
と、すれば……。
シェーラは、何のためにエレスコブ家の内情を調べていたのだろう?
だが。
胸中に湧きおこったこれらの想念を、ぼくはまたあとで考えよう≠フ引き出しにほうり込まねばならなかった。
「どうなのだ?」
と、キリー小隊長がたずねていたからである。
ぼくの頭の中に、その前に小隊長が発言し、音のかたちで残っているのが、意味をなしてよみがえった。
小隊長は、その女は、お守りとか護符《ごふ》を信じるたちなのか、と、質問していたのだ。
お守りとか、護符?
「よくわかりません」
ぼくはいった。
ぴんとこなかったので……奇妙な顔をしていたかも知れない。
「どうも、そういう女らしいぞ」
小隊長は、封筒をぼくに突き出した。「純朴な女にお前が何をしたのか、あえて問わないが、あまり気を持たせ過ぎるのは、罪作りになる。――持ってゆけ」
「ありがとうございます」
ぼくは起立して、封筒を受けとった。
「女もいいが、ほどほどにするんだな」
キリー小隊長はいった。「変なごたごたに巻き込まれると、お前ばかりでなく、隊全体の名誉にかかわる。わかっておるだろうが」
「気をつけるようにいたします」
ぼくは応じた。
へたに、そんなことはしておりませんといっても、通りそうもなかったのだ。
敬礼して、小隊長室を出る。
結局、キリー小隊長は、ぼくを叱りつけるために呼んだのではなかったのだ。ぼくと差し出し人との関係を確認し、手紙を渡すためだったのである。その点ではほっとしたものの、随分うるさく問いかけられたものだとの念は拭えなかった。
小隊長が、デスクに置いてあった二、三通の封筒からぼく宛のを取り出したのを考えると、小隊内で手紙が来たのは、ぼくだけというわけではないような気がする。残っていたのもやはり隊内の誰かへの手紙ではあるまいか? それに、ぼくは飲んで分隊に戻ったところを、ガリン分隊長に、小隊長のもとに出頭するように命じられたのだ。ぼく以前にすでに何人もが、小隊長から自分宛の手紙を貰っていたのではないか? そうだったのかどうかは、いずれ、噂で判明することだ。分隊にもお仲間がいたら、もっとはっきりわかるのである。
それはそうとして……キリー小隊長がああ迄いろいろとたずねたのは、小隊長として当然なすべき職務だったのか? あるいは職務は職務でも、ついでに個人的な好奇心を満足させようとしたのか? それとも、あんな風にシェーラのエレスコブ家における身分についても言及するというのは、ひょっとしたらそれなりの理由があって、ぼくだけがそうされねばならなかったのか? この時点のぼくには、何ともいいようがないのであった。
おまけに、今のやりとりで、小隊長はぼくという人間を、適当に女遊びをしていると信じたかもわからない。もしもそうなら、これは小隊長の独断、というより、過大評価ないし買いかぶりというものである。ぼくはこれ迄に、竪いとか生真面目とか冷やかされるのが普通であった。(そう。死んだハボニエはぼくに連発したものだ)ここではリョーナから手紙を貰ったことで、それほどではないとぼくは思っているが……案外隊の連中は、ぼくの本質を見抜いていて、だからよけいにリョーナのことを面白半分にはやし立てたのかも知れない。そのリョーナにしたって、別段ぼくを愛とか恋とかの対象に凝していたわけではないのだ。現にきょう、ぼくはリョーナと母親のふたりから、日常感覚が歪められるようなどこか妙な話を聞かされて帰ってきたのであり、ふたりがバトワ市へ去ったあとは、多分もう会うこともないであろう。そんなぼくが、小隊長に、女もいいがほどほどにするんだな、などといわれたのだから、変な気分であった。
小隊長は、何かの拍子に、ぼくがゼイスールの店の女――リョーナから手紙を貰ったことを、耳にしていたのではあるまいか?
それに、ぼくはぼくで、シェーラとのつながりを、ややこしくならないように説明しなければならなかった。事実ではあってもぼく自身にも解明不能の事柄を喋ったりしたら、話は紛糾必至である。無難な範囲で、小隊長にしかるべき返事をしなければならなかったのだ。思わぬ印象を相手に与えてしまったとしても、やむを得なかった。なおかつ、ぼくが帰ったばかりで、まだ酔いが残っていたことを考え合わせると、この程度で済んで良かったと、みずからを慰めるべきかもわからない。
駄弁を承知でもうひとつつけ加えておくと、ぼくみたいにいつも堅物扱いされている者は、たまにはそうでないところを見せつけて周囲の意表をついてみたい、とのひそかな願望を抱いているものである。それがたまたま、実際には何もしていないのに、小隊長をそう思わせただろうと思うと、ちょっぴり愉快でもあったのだ。
ともあれ。
廊下を歩きながら手紙を読んでも頭に入らないだろうし、そんな場面を誰かに目撃されたらからかわれるのは間違いないので、ぼくはポケットに手紙をしまい、まっすぐ分隊の部屋に戻った。
依然として、部屋にはまだ全員は帰っていないようだ。
しかし、ひとりの主個兵が、半身を起こして、声をかけてきた。
「さっき、分隊長がお前を捜していたぞ。会ったのか?」
「はあ、小隊長のところへ行けといわれました」
ぼくは答えた。
「小隊長のところへ? 何の用だ」
主個兵はたずねる。
ぼくは、手紙を渡された旨をいった。
「手紙か? 男か女か」
と、主個兵。
「女です」
ぼくは返事した。
「例のゼイスールの店の女か?」
主個兵はいう。
ぼくは、そうではなく、カイヤツTが運んできた郵便だと答えた。
「カイヤツTが持ってきた手紙?」
主個兵は、ほうといいたげな表情になった。
「だったら、小隊長からいろいろと訊かれたろう。そうじゃなかったのか?」
「はあ。いろいろと」
ぼくは相手の言葉のままに返し、そこでたずねる気になったのである。
前に、リョーナから手紙を貰ったときには、こんなに面倒ではなかったのだ。それはたしかに、さっきも小隊長がいった通り、外部からの私信は例外を除き開封され検閲されるのが規則である。リョーナの手紙の封筒はいったん開かれ、あと、中身がこぼれないように、すぐに外せる安物のはさみ金具で留めてあった。が、手紙そのものは、ガリン分隊長が持って来てくれたのだ。その手続きに小隊長が介在していたのかどうか、ぼくにはわからないけれども、小隊長自身から渡されたのではない。そして、きょうシェーラの手紙を受けとるにさいしてあんな目に遭ったことで、ぼくはあらためてどきりとしたのだが……リョーナの手紙に、ぼくの超能力に関する事柄がしるされており、このことに関してはリョーナも母親も、誰にもいわないでいる、とあったのを読んで、ふたりの心遣いに感謝すると共に、検閲といっても、おそらくほとんど形式に過ぎず、大したことではないのだろう、と軽く受けとめていたのを、とてもそんなものではなさそうだ――と、思い知らされたのであった。リョーナのあの手紙の内容も、やはりちゃんとつかまれていたのだと、今にしてわかったのである。なのにあのときのぼくのリョーナを助けた念力について、何の筈めもなかったのは、おそらく、単にリョーナを助けたときの状況がしるされていただけで、喧嘩そのものについては何も触れられていなかったからに違いない。リョーナの書きようによっては危ないところだった、と、今頃になって、胸の中がつめたくなったのであった。――というリョーナの手紙のことはそれ迄にして……ゼイスールからのものは割合あっさりと本人に届けられるのに、なぜカイヤツTが運んで来た郵便が、こんな厳重な扱いを受けるのかを、聞き出せるものなら聞き出したい、と、考えたのだ。
「どうして、カイヤツTからの手紙なら、小隊長自身が、そんなことをするのですか?」
ぼくは問うた。
「よくわからんが、噂じゃ、くにでは何かごたごたがおきているらしいよ」
主個兵はいった。
「ごたごた?」
ぼくは反問した。
「政治向きのことで、うるさいことがはじまっているらしいんだ」
と、主個兵。「ま、そうはいっても、おれだってそれ以上は何も知らんのだが……お蔭でこの四、五日、くにから来る郵便は、いちいちうるさく検査されて、渡して貰うのも面倒らしいんだな」
「…………」
ぼくは黙った。
この四、五日といえば、ぼくの超能力が消えてからである。
ネイト=カイヤツに何がおきたのか、むろんぼくにはわからない。
だが、それがもう何日も前からのことだったら……あるいは、ぼくの超能力の消失がもう一日でも二日でも後だったら……ぼくは将校たちの心から、将校でなくとも事情を聞いている下士官なり兵なりの心から、全体像と迄は行かないにしても、何程かの情報を読み取っていたであろう。
いや……そうでもなかったかも知れぬ。
ネイト=カイヤツに何かがおきたのは、もうちょっと以前かもわからないのだ。あるいはさらに前から少しずつ何かがはじまっていて、しだいにことが大きくなっていた可能性もある。ただ、これがネイト=バトワのカイヤツ軍団が事態を把握し対処しだしたのが、四、五日前ということだったのかも知れない。それに、ぼくは自分がエスパーであった間、特に最近はもっぱら、自分たちがいつ戦線へ出ることになりそうか、戦況やカイヤツ軍団の動向はどうなのかをつかもうと、努めていたのだ。そのほうの読心に精力を費していたので、他の事柄の思念に接しても、わきへ押しのけていたのである。その、押しのけていた中に、ネイト=カイヤツでのごたごたなるものがあったかもわからない。もしもそうだったとすれば、しかし、今更後悔してもはじまらないのであった。
気になる。
何がおきたというのだ?
「分隊で、きょう、お前みたいにカイヤツTが持って来た手紙を貰った者は、何人かいるが、みな、小隊長に、根掘り葉掘り差し出し人についてや、差し出し人との関係を聞かれたようだぜ」
主個兵は、そこで頷いてみせた。「ま、受け取れただけでも、いいとしなくちゃならんのじゃないか? これも噂だが、部隊本部に留め置きになった郵便がたくさんあるとも聞いたからな」
「…………」
ぼくは、ちょっとの間ではあるものの、呆然としていた。
では、つまり報道管制がしかれているということではないか。
何があったのだ。
「おい、ぼんやりしている暇があったら、さっさと自分のベッドへ行って、手紙を読んだらどうだ?」
主個兵がいう。
それもそうだ。
ここで考えていたって、仕方がない。
ぼくは自分のベッドへ歩き、すわり込むと、ポケットから封筒を取り出した。
宛名は、ネイト=バトワ駐屯のカイヤツ軍団内、イシター・ロウ様となっている。軍隊のことだから、軍団と氏名さえわかっていれば、ちゃんと本人に届くのだろう。リョーナの場合には、まずぼくの名前を突きとめなければならなかったので時間がかかったようだが、イシター・ロウ宛の明記さえあれば、問題はないのに違いない。それとも……
いや。
それは、どうでもいいことだ。
封筒をひっくり返すと、ネイト=カイヤツ・カイヤツ府、シェーラ、と、なっている。
所書きにしては、あまりにも大まかで、簡略だ。
詳細をしるしたくなかったのかも知れない。
けれども、この前シェーラと出会ったのは、カイヤントでなのである。エレスコブ家警備隊のぼくに与えられた部屋に来た日、彼女はカイヤントの出身だといったので、ぼくは、彼女がエレスコブ家の仕事を辞めたあとカイヤントに帰ったのだな、と、納得したのだった。
それがまた、カイヤツの、カイヤツ府にいるのだろうか?
といっても、にわかに断定はできない。シェーラはたまたまカイヤツ府に来たときにこの手紙を出したのかもわからないし、誰かにカイヤツ府から出してくれと、ことづけた可能性もあるからだ。
名前が、ただのシェーラだというのも、考えてみればいささか異様なのであった。シェーラは自分はシェーラだと名乗ったのみで、それが姓とも名ともいわなかった。従ってぼくは、漠然と、上か下かに別の名があるように思っていたが、問いただす機会がなかったのだ。いや、聞こうとしたことがなかったわけではない。が、彼女は、どうでもいいではないですか、わたしはシェーラで、それでいいんです、と、頑張るばかりだったのである。それとも――と、ぼくは、かつてどこかで何かのときにちらと聞いたことを、思い出していた。ネイト=カイヤツでは滅多にない例だが、それでも、姓名合わせてひとつという人間がいるそうなのだ。家族どうしでどう呼び分けるのか、聞いたとき、ぼくには不審だった。話した者も、そこ迄は知らないといったのだ。しかし相手は、ネイト=カイヤツの外の世界では割合によくあることらしいよ、と、つけ加えたのである。ぼくは、ただの冗談かいい加減な話だと思って聞き流したのだが……シェーラは、そうした姓名合わせてひとつの人間なのか?
しかし、ぼくはすぐに、シェーラはぼくの知っている名だけを書いたのだ、と、解釈することにした。
封筒の上部は、リョーナのときもそうだったように、いったん開いたあとを、薄っぺらなはさみ金具で留めてある。
ぼくは金具を外して、中身を抜き出した。
手紙は、なつかしいイシター・ロウ様、からはじまっていた。
なつかしいイシター・ロウ様。
お元気でしょうか。
わたしのことを、覚えてらっしゃいますか。以前、エレスコブ家の警備隊におられた時分に、世話係をさせて頂いたシェーラです。
この頃、ときどきあなたの夢を見ます。
考えてみたら、もうだいぶ長い間、お会いしていないのですね。そこできょうは思い切って、手紙を書くことにしました。
ここ迄読んできて、ぼくは顔をしかめた。
これではまるで恋文だ。
シェーラがこんなことを書いてよこすとは、にわかには信じがたかった。
それに、エレスコブ家警備隊の世話係をしていたなどと、ぼくにはわかり切っていることを、麗々しくしるしているのも、しらじらしい。
ぼくはその先へと視線を移した。
本当はわたし、あなたがまだエレスコブ家の警備隊にいらっしゃるとばかり思っていて、面会しようと連絡したんです。ところがカイヤツ軍団にお入りになったというではありませんか。
カイヤツ軍団に手紙を出すにはどうすればいいか、わたしはカイヤツ府の軍団本部へ行って、教えて貰いました。ああ、今ではカイヤツ府にあるのは軍団本部ではなくて、総連絡所というのだそうですね。総連絡所の人は、ネイト=バトワ駐屯のカイヤツ軍団宛に出したら良いといってくれました。それだけで、あなたの名前を書いたら届くそうです。届くことを祈っています。
ぼくはまた首をかしげた。
あの頭の回転の速いシェーラにしては、何というたどたどしい文章だ。
それに、これは話は別になるが、カイヤツ府の元の軍団本部――今では総連絡所が、カイヤツ軍団の駐屯地を、こうも手軽に一般市民に教えていいのか、という気もしたのである。ぼくがネイト=カイヤツにいた頃は、ネプトーダ連邦のすべての軍団はダンコール世界に本部を置いていると聞かされていた。カイヤツ軍団が他の、バトワ軍団をはじめボブス軍団やカボ軍団などと共に、ボートリュート側により近いネイト=バトワに移っているという事実が、こう簡単にわかってもいいのだろうか、と、思ったのだ。しかしまあ、ネイト=カイヤツにいた時分に聞いたそんな情報はとうに古くなり、現在ではネイト=カイヤツの、そこそこ情報に通じた人々の間では、カイヤツ軍団がネイト=バトワにいることが常識となり、もはや秘密にしておく必要もなくなっているのかも知れない。多分そうなのであろう。でなければ、手紙を出したいと問い合わせてきた人間に、そんなことを教えるわけがないのだ。(だがそれにしても、軍の動きの情報がこう開放的では、敵にたちまちこっちの意図を見抜かれてしまうではないか、と、ぼくが何となく割り切れない気持ちになったのは本当である。それとも……こうして情報を洩らすのも、戦略の一環なのか? 兵隊のぼくにはわからない)
そんなことより、手紙である。
シェーラの手紙は、まだまだつづいているのだった。
それにしても、よくカイヤツ軍団にお入りになりましたね。あなたは、今はエレスコブ家の警備隊にいるけれど、ネイト=カイヤツが危機に瀕《ひん》したら、身を以てネイトのためにたたかうのだと、いっておられました。あれはやはり本気だったのですね。わたしはあなたのように鍛えられていませんから、軍団に入る自信はありませんが、わたしなりにネイトのためにつくすつもりです。どうか前線では、わたしのぶんも頑張って下さい。
これ、あなたに良く思って貰おうとして書いたのではありませんわよ。わたしの、いつわりのない気持ちです。
…………。
待て、と、ぼくは、目を宙に向けた。
シェーラの手紙にしてはどうも腑《ふ》に落ちない点が多々あると感じ、もしかするとそうではないかと思いはじめていた――その推察が的中していたのを悟ったのだ。
もっと早くわかっていてしかるべきだったのに、ここ迄かかったのは、長い間、対面はおろか消息もなかったシェーラから、不意打ちさながらに手紙を貰い、しかもその手紙のことでキリー小隊長にあれこれと質問され、さらに、ネイト=カイヤツで何か重大事が発生しているらしいと聞いて、やはり混乱し思考力が鈍っていたのであろう。
だが、ここ迄読めば充分であった。
シェーラは、あきらかに、検閲を意識してこの手紙を書いたのだ。
それも、相当な注意を払ってである。
シェーラは、ぼくが手紙を受け取るさいに差し出し人自体と、差し出し人とぼくの関係について、詮索が行なわれるのを予測していたとしか思えない。そして手紙を読む前のぼくが、質問を受けたら、事実を喋るほかないのも、わかっていたのだ。だからエレスコブ家警備隊員と世話係ということを、冒頭であきらかにしたのだろう。どう間違ってもこのことに関する限り、手紙とぼくの言葉は符合するはずなのだ。
しかもシェーラは、手紙の調子を、熱烈な気持ちを抱いているが長いこと会っていない男に対するものにした。このところぼくとシェーラの間には何のやりとりもなかったのは事実で、ぼくが質問者にどう返事をしようと、嘘さえつかなければ(ぼくが、最近もしばしば彼女に会っているなんていう嘘を、口にするはずもないし、それが許される環境にいたわけでもない)これまた、うまく一対になるのである。そればかりでなく、こんな調子の手紙は、全体のたどたどしい文章と相まって、書いた人間が弱い立場にあると検閲者に思わせ、検閲者の好意をかちとりやすいに違いなかった。そう……現にキリー小隊長は、こんな純朴な女に気を持たせ過ぎるのは罪作りだといったではないか。
エレスコブ家へ赴いてぼくと面会しようと考え、カイヤツ軍団に入ったといわれたことや、手紙の宛先をどうしたらいいかカイヤツ府の総連絡所へたずねに行ったというくだりも同断である。ぼくは想像するが、シェーラは別の何らかのルートから……ひょっとするとミスナー・ケイからの連絡で、ぼくのカイヤツ軍団入りを知ったのではなかろうか。カイヤツVに例のミスナー・ケイがいまだに乗っているのかどうか不明だし、ミスナー・ケイがどんな方法で連絡したのかもぼくには知る由がないけれども、何となくそんな気がするのだ。すくなくとも、エレスコブ家に問い合わせて初めて知ったのではないであろう。それに、シェーラはカイヤツ軍団が現在はネイト=バトワにいる位、百も承知だったに相違ない。だがこう書きしるせば、いかにも可憐な、でなければ一途な女だとの印象を与え得るのだ。いや……これほどの計算をしたからには、シェーラは、あとで調べられる場合に備えて、実際にエレスコブ家に問い合わせ、カイヤツ軍団の総連絡所へも出掛けて行ったのではあるまいか。多分そうだろうとぼくは思う。
深読みだという人が、いるかもしれない。
シェーラへの肩入れが過ぎるのではないかと疑う人も、あるかもわからない。
だが、今読んだ部分を考えれば、シェーラが手紙を書くにあたって配慮しているのは明白なのであった。ぼくは彼女に、ネイト=カイヤツが危機に瀕したら身を以てネイトのためにたたかうなどといったことは、一度もない、それは、そんな覚悟が全くなかったのかと問われれば、いざとなるとそうせざるを得ないし、周囲の情勢もぼくに傍観を許しはしないとわかっていたから、言葉としてはそれに似た答えかたをしたであろう。問われれば、である。けれどもシェーラとそんな会話を交したことはない。彼女は存在しなかったぼくたちの会話を、あったことにしているのだ。
こうした内容の会話を、軍が嫌悪するとは思えない。結構なことだと考えるはずである。
そして、お前たちはネイトのためにつくそうと約束し合ったのかと訊かれて、ぼくが、兵隊同士の雑談でならともかく、下士官や将校相手に正式に、そんな馬鹿なことを誰がするものですか、などと応じることは、あり得ない。ネイトへの忠誠心をみずから否定する結果になるからだ。下士官ならまだ、一、二発なぐられるか、そんなことを大きな声でいうなと叱られる位で済む可能性はあるものの、将校となると、それもキリー小隊長のような将校を前にしてでは、以後、どんな目に遭うか知れたものではない。ぼくに限らず兵隊なら、みなわきまえていることだ。従ってぼくは、質問に対して、そんなことがあったかもわかりませんとか何とか、いささか歯切れの悪い返事をするか、でなければ、覚えておりませんと答えるのが関の山であろう。そして、こうした返答は、女相手にあんまり格好をつけて勇ましいことをいったので、照れているのだと受け取られるに決まっているから、これまた手紙との食い違いは出ないで済むのである。
――という効果を狙いつつ、虚偽をここで並べているのは、シェーラが、ぼくの疑念を呼び起こし、これは検閲にひっかからないように書いているのだと知らしめた上で、手紙そのものを、そのつもりで注意して欲しいと意思表示しているとしか、考えられないではないか。
シェーラがこうも慎重に検閲を意識しているのはなぜだろう、と、ぼくは思った。
この手紙が書かれ、出されたのは、軍団がネイト=カイヤツでのごたごたなるものに対処して報道管制をしいた後だろうか? そうではあるまい。カイヤツTがネイト=カイヤツを離れてネイト=バトワに到着するのは、カイヤツVでの例やネイト=スパからぼくら入隊志願者≠ェここへ運ばれてきた日数などから推しても、四日や五日どころではなく、ずっと日数がかかっているに違いない。シェーラはカイヤツ軍団の外来郵便物の検閲強化や報道管制よりももっと以前に、これを書いたのだ。
と、すると……シェーラは、手紙を書いたそのときすでに、こうなるのを予測、あるいは予知していたのか? でなければ、もうその頃にはネイト=カイヤツでの異変は進行しつつあったのか? または、進行を読み取っていたのか? いや実はそんな深刻な状況にあったのではなく、シェーラはただ、軍における手紙の検閲そのことだけに留意したのか?
ぼくにはわからない。
ともかく、こんな配慮をして迄シェーラが何をいってきたのか……先を読むしかなかった。
あなたはお忘れでしょうか。
わたしは占いをやります。
わたしは前にあなたに、あなたは自分の力を出し切れば大きな未来が開ける人だ、と、いいました。それからまた、力を得たと思ったときには、思い切り頑張ったらいいという意味のことも、お伝えしました。あなたは未来に向かって、立派な仕事をする人です。カイヤツ軍団でもお手本になるようにして下さい。あなたにはできます。
信じて下さい。
それと、わたしは近頃、お祈りもしています。どこに祈っているかは、まだ秘密。だけど、お祈りのしるしはあるんですよ。わたしはあなたのために、この手紙を供えてお祈りしました。この手紙、あなたのお守りで、護符なのですよ。お願いですから、わたしの手紙を肌身離さず持っていて下さいね。きっとあなたを守ってくれますから。
突然、手紙など出して、ごめんなさいね。でもときどきは、わたしのことも思い出して下さい。
これからもお元気で。
しっかり! イシター・ロウ!
ではまたいずれ、というより、なるたけ早くお会いしたいシェーラより。
それでおしまいだった。
日付けはない。
いつものいいかただな、と、ぼくは何となく思った。シェーラが何か予言めいたことを口にしたり、伝言したりするときは、いつもこうした、どこかあいまいで抽象的な表現をとるのだ。今度は何か具体的な事柄が記載されているのかと、無意識に期待していたぼくは、軽い失望を覚えた。
それでも、シェーラが手紙を呉れたというのは、うれしいことである。
また、この手紙のタッチが、いつも持ち歩いているうちに端のほうがぼろぼろになってしまい、今では台紙にはさんで私物袋の中に入れてある、あのミスナー・ケイの手紙とどこか通じるところがあるのも、どこかなるほどという気がし……ぼくの心はあかるくなったのだ。
が。
そのままポケットにしまうには、やはりひっかかるものがあるのだった。
あれだけの気遣いと配慮をして、シェーラは何を伝えようとしているのだろう。
おしまいの部分を、ぼくはもう一度読み返した。
占いのこと……は、前にシェーラがたしかにいった。
占いの卦《け》だって、あのとき聞いた通りである。
お伝えしたというのは、ミスナー・ケイにことづけ、ミスナー・ケイがシェーラの口調そのままで告げたあれだろう。あのときは……そう……ぼくはじきにエスパー化する、追いつめられたら爆発するようにそうなる、それをおそれるな、エスパーになり切れば自分の道が開ける、と、いうような話を聞かされた。その後ぼくはたしかに、ラスクール家の連中との斬り合いでエスパー化しかけたように思った。が……思っただけではっきりしないあのときのことはいい。本当にエスパー化したのは、ネプト宙港でだ。ネプト宙港でぼくはエレン・エレスコブを襲った連中を念力で叩きのめし、しかし、結果としてはエレスコブ家警備隊から放り出されて、カイヤツ軍団に送り込まれたのだ。
エスパー化がぼくの未来を開くどころか、強制的にカイヤツ軍団入りをさせられたのである。
シェーラの予言(?)もあてにはならない。
いや、これはちょっといい過ぎかも知れないな。
その後ぼくは長い間エスパーのままで……ためにいろんなあたらしい経験をし、超能力の使い方にも幾分か、あるいはだいぶ馴れた。超能力というものについても、これまでしたことのない考え方をするようになった。今は超能力は消えてしまっているけれども、このことが収穫でないとはいえない。今後またエスパーになったときには、あきらかにプラスになるであろう。エスパーにならなかったとしても、それなりに超能力についての思考の幅が広がったといえる。
ま、その程度では、とても大きな未来が開けつつあるとは思えないが……。
まして、立派な仕事などとは……。
カイヤツ軍団云々は、これは例の検閲者向けのくすぐりだろう。これは飛ばして考えればいい。
で……このお祈りというのは何だ?
シェーラが何か信心しているとは、聞いたことはなかった。
例のデヌイベのことを意味しているのだろうか?
シェーラは、この手紙を供えて祈ったなんて書いている。
お守りで、護符だともある。
そういえば、キリー小隊長は、その女はお守りとか護符とかを信じるたちなのか、と、質問した。ここに、こんなことが書いてあったからだ。
小隊長の口吻《くちぶり》には、迷信深い人間なのかといいたげなひびきがあった。
純朴と結びついて、そうなったのかも知れない。ある意味では、世間でしばしばいわれる男に騙《だま》されやすい哀れな女と判断したともいえる。
シェーラは、検閲者をそう思わせる目的だけで、こんなことをしるしたのか?
それにしては、くどい。お願いだから手紙を肌身離さず持っていてくれとは、ぼくに訴えているとしか考えられない。
この手紙が、お守りで護符?
ぼくは、シェーラの文字がつらなる紙をかざしてみた。黄色っぽくしなやかな上等の紙には相違ないが、とりたてて何の特徴もないのだ。もう少し持ちあげて下から見ると、透かしが入っているのがわかった。紙の真中に大きな花摸様が浮かびあがっているのである。一枚めだけでなく二枚めも、最後の三枚めも同様だった。
しかし、これだってただの透かしではないか。
ぼくは首をひねった。
「おい、イシター・ロウ、何をしているんだ?」
声に顔を挙げると、個兵長のコリク・マイスンと、準個兵のペストー・ヘイチが立っていた。
ふたりは、たった今、帰着したところのようである。
「何だ? 手紙を持ちあげて」
コリク・マイスンが問う。
「女からの手紙ですよ。さっきから読みながら、首をかしげたり変な顔をしたりしているんです」
むこうのほうから、ぼくにネイト=カイヤツで何かがおきていて、ために郵便がうるさく検査されるようになったらしい、と、教えてくれた主個兵が、ベッドに腰をかけた姿勢で、そういった。
「女から? また来たのか?」
ペストー・ヘイチが、いまいましげな声をあげた。「お前、きょうあの店に行っていたんだろう? なのに、手紙も来ているのか?」
「くにからだよ、くにからの手紙。別の女らしいぜ」
主個兵がいう。
「この野郎!」
ペストー・ヘイチは、ぼくの額をてのひらで押した。もちろん本気ではなかったが、ぼくは 大げさにベッドにひっくり返ってみせた。
「女からの手紙を、どうして下から読んでいたんだ?」
と、コリク・マイスン。
「何か変ったところがないか、調べていたのであります」
ぼくは立ちあがって答えた。「この手紙がお守りだとありましたので」
「む?」
コリク・マイスンは、ぼくの手にある手紙に目をやった。
ぼくは、シェーラの手紙を差し出した。変に隠しだてしたりすれば、いやな奴だと思われかねない。それにぼくはその場の雰囲気で直感したのだが、リョーナにひきつづいてまた別の女から手紙を貰ったということで、へまをやればぼくを羨望し敵意を抱く者も出かねないところだったのだ。だからペストー・ヘイチに押されて、とっさにひっくり返ったのである。そして、いくら恋文めいていてもシェーラの手紙をここで公表するほうがいい、とも判断したのだ。
コリク・マイスンは、シェーラの手紙を読んで、ほうほうと声をあげた。
「お熱いことだな。しかし手紙がお守りだなんて、泣かせるぜ」
それから、手紙を他の者に渡し、渡された者は、声をはりあげて読みだした。
みんな、奇声をあげたり口笛を吹いたりした。
「お前、結構な奴だな。ふたりの女に好かれるなんてな」
いつの間にか帰ってきていたアベ・デルボが、ぼくの背中をどやしつけた。
「違うんだ」
ぼくは抗弁した。「こっちは昔つき合っていた女で、突然手紙を呉れたんだし……あのリョーナのほうは、一巻の終りなんだよ」
「どういうことだ?」
アベ・デルボがたずねる。
ぼくは、リョーナと母親がゼイスールを出て、バトワ市に行くといったことを話した。もっとも、超能力やエゼという団体についてのことは、話せば長くなるしこの場では必要ないと考えたから、喋らなかった。
しかし、それでいいのだった。
「そうか。あの子、よそへ行ってしまうのか」
アベ・デルボが残念がった。「だったら、きょう、お別れをいいに行くんだったな」
「お別れをいってどうする? よけいに惜しくなるだけだぞ」
とペストー・ヘイチ。
「とにかく、イシター・ロウも、そうはうまく行かんということだ」
コリク・マイスンがしめくくり……この件は無事に落着した。
ぼくはベッドに戻って、シェーラの手紙をポケットにしまい、仰向けになって、今のつづきを考えにかかった。
そのときになってようやくぼくは、ひとりで思いに耽《ふけ》ることができたといえる。
何しろ、リョーナやその母親と喋っていた間は、考えるよりまず会話をつづけなければならなかったのだし、シェーラの手紙を読むにしても、キリー小隊長にいろいろとたずねられていささか心が揺れていた上に、分隊の連中の目をも意識しなければならなかったのだ。集団生活には馴れているといっても、ときには自由におのれの想念を追いたい場合がある。今がそうであった。だから、ベッドに横たわって、ほっとしたのは否めない。
それにしてもシェーラは、どういう意図でこの手紙をよこしたのだろう――と、ぼくは両腕を頭の下に入れて、つづきを追った。
たしかに、手紙を貰ったのは、悪い気分ではない。
だが、シェーラがそれだけの目的であんなことを書いたのだとは、やはり首肯しがたいのだ。ただのなぐさめなり激励のために(そりゃそのつもりもあったにせよ)そのためだけで、検閲を通過するように配慮し検閲者にも好意を抱かせそうないい廻しをつらねたあんな文章をしるすなんて、手がこみ過ぎているからである。
シェーラは、何としてでもこの手紙を、ぼくに届けたかった、と、そういうことではあるまいか?
そうだとしよう。
では……なぜ、ぼくに届けなければならなかったか、だ。
手紙には、これ迄もシェーラがぼくにいっていた、あるいは伝えていたような事柄しか記載されていない。ぼくが何か読み落としているのかも知れないが……首をひねっても、重要なことを読み落としているとは、すくなくとも現時点では、思えなかった。
もしも、あたらしいことがあるとすれば、お守りの件だけだ。
この手紙は、ぼくのお守りで、護符なのだという。肌身離さず持っていうという。
もちろんぼくは、貰った手紙だから大切にする気でいるが……先方がわざわざそんな指示をするからには、何かあるのかもわからない。
シェーラは、自分が書いた手紙だから、身から離すなというのか?
シェーラの文字に、何か力があるのか?
そんなことがあり得るのかも知れない、と、ぼくはふと思ってもみた。シェーラがとにかく普通の人間ではなく、超能力者、それもかなり特異な超能力者ではあるまいか、と、ぼくはなかば信じている。そのシェーラの文字には、何か威力があるといわれたら、そうかなという感じになってしまうのだ。
しかし……ぴんとこない。
シェーラの文字に力があるとしても、どういう力なのだ?
大体、そんなことが可能なのか?
どんな人間が書いたとしても、文字はただの文字だ。その形状や文体が何かの作用をするとしても……いや、やはり、現実的ではないのであった。
シェーラの文字に力があるとの仮定を、ぼくはひとまず捨てることにした。
では……。
そういえば、シェーラの文字そのものではなく、文字をしるした便箋《びんせん》には、花模様の透かしが入っていたのだ。
あの透かしが、何か意味を持っているのだろうか?
ぼくは、封箇迄は検分していなかった。
封筒にも、透かしがあるのだろうか?
ぼくは、分隊の連中がこっちに注意していないらしいのを見て取ると、いったんしまったシェーラの手紙をポケットから抜き出した。
誰かがぼくの動作に気がついてひやかせば、それはそのときのことである。また読み直しているのさ、悪いか、と、照れながら開き直ればいいのだ。
封筒は、カイヤツ府内のどこででも売っていそうな、白い紙と薄い色地の紙を二重にしたものであった。
あかるいほうに向けてかざしたが、透かしはないようだ。元来が、手紙の中身が見えないように二重にしてある封筒なのである。
封筒は、平凡で、変ったところはない。
便箋の、黄色っぽくしなやかな上等の紙とは、まるで違う。両者がセットでないのはあきらかだった。
ぼくは便箋を封筒に入れ、ポケットに戻した。分隊の連中には見筈められずに済んだ。
となると……。
ぼくは、再び仰向けになって考える。
封筒は普通の、普及品。
ただし、中身は外からはわからない二重封筒である。
便箋は上等で、透かしがある。
これは別に珍しいことではないであろう。封筒と便箋を必ずセットで使わなければならないという定めはないからである。
封筒はありきたりの品でも、便箋には上等なのを使用するのは、ちっともおかしくない。恋文などでは、よくあることかも知れない。そういえば、ぼくは、ファイター訓練専門学校にいたとき、クラスメートのひとりが女から来たといって、手紙をひらひらさせたのを覚えている。学校へ配達されたので封筒はありきたりのものだったが、中の便箋は桃色の派手な奴で、おまけに香水をしみ込ませてあったのだ。クラスメートは、その香水の薫《かお》りを、みなに嗅《か》がせようとしたのである。
あれと大同小異だ。
シェーラの手紙を検閲した人間も、そう考えたであろう。
待てよ、と、ぼくはそこで、目を宙に据えた。
シェーラが手紙をそんな体裁にしたのは、いかにも恋文らしく見せかけながら、ぼくに便箋を送り届けようとしたのではあるまいか――と、思ったのだ。
手紙の内容にさほど目新しいことがなく、なのにこれを肌身離さず持ち歩けというのなら……そして、封筒がありきたりの品であるのなら……便箋自体に意味があるとしか、考えられないではないか。
真中に、一風変った大きな花模様のある便箋だ。
その模様が、何かのしるしなのかもわからない。
もっとも、ぼくは、そうだと断定したのではない。確信というのにも遠かった。そうと決めるには、根拠はまことに弱かったからだ。ぼくは、その可能性がある――という程度の感じかたをしたのであった、
だが、もしそうだとしたら……。
あの花模様は何のしるしなのだ。
同時に、ぼくの頭の中に、デヌイベという言葉が起きあがってきた。
きょう、リョーナ母娘と話し合っていて想起したばかりの、デヌイベである。
想起しただけでなく、ぼくは彼女たちに、デヌイベについて知るところをかいつまんで話したりもしたのだ。
それが、シェーラから手紙を貰ったとの意識と、手紙の意図をさぐるうちに今のような思いつきにたどりついたせいであろう、あらためて、昼間よりももっと鮮明に、細部の記憶迄伴って、ぼくの心の中で立ちあがったのである。
ぼくはカイヤントのグマナヤ市で初めて、かれらを見た。頭巾のついた白衣に黒い帯を締めた人々である。白衣といっても純白の上等なものではなく、生地のままで仕立てた粗末なものであった。白衣はなくて黒い帯だけの者もすくなくなかった。
かれらがデヌイベだと教えてくれたのは、ヤスバである。ぼくはハボニエと共に、同じカイヤントの友愛市の宿舎で、ヤスバの話を聴いたのだ。
ヤスバによれば、デヌイベというのは教団だとのことであった。黒い帯がデヌイベのしるしであり、白衣に頭巾はちゃんとした教団員、帯だけしているのは賛同者というところだという。指導者はデヌイバなる男で、カイヤントの諸都市を廻って教義を説いており、いくつも分団があってデヌイバの弟子がそれぞれをまとめている、というのであった。教義といっても、たしか……人間を、あらゆる生命体を含めた全体の、その組織の一部として認識し、人間に課せられた使命を全うしよう――というものらしい、と、ヤスバは語ったのだ。
そしてまた、この使命を全うするために、デヌイベでは、精神的自立とか克己心の確立とか、責任能力の養成とか、度量の広さとか、その他の自己鍛錬と勉学が要請されるという、と、ヤスバは説明した。
ヤスバは、当時、エレスコブ家警備隊の事業所部隊員として、カイヤントにいたから、それだけの知識を持っていたのだ。
思い出しながら、ぼくは、友愛市の宿舎の暗い灯の下、三人で話し合ったのが、遥かな昔のような気がしていた。
ヤスバは、カイヤツ軍団入りをして、多分この基地のどこかに居るのだろう。それとも別の土地か、宇宙空間か……ぼくには知る由もないのである。ヤスバがどこにいるか調べて貰い、うまく所属を突きとめて手紙を出せば……基地のどこかにいるのならこちらから訪ねて行けば……連絡なり、再会は出来たかも知れない。事実、ぼくはそのことを何度か考えもしたのだ。が、個兵見習の時分にはむろんのこと、現在の隊に配属されてからも忙しかった上に、元のエレスコブ家警備隊員どうしが連絡を取り合うことについて、キリー小隊長がどう考えるかを想像すると、そこ迄踏み切れなかったのである。小隊長のこともきりながら、現在の隊の中でどうやらみんなと仲間になってきているこの時点で、他の隊にいる旧知を探し求め、旧交をあたためるというのは、いかがなものか……なぜそんな真似をするのかという目で見られるだろう、とのためらいもあったのだ。しかも、ぼくの胸中には、今ヤスバに会ってどうしようというのだ、との念が漂っていたのも事実だった。任務を果たしたつもりなのにエレスコブ家から追放同然のかたちでカイヤツ軍団入りを強制されたぼくは、エレスコブ家警備隊員という縁に未練たらしい行為はしたくなかったのだ。こんな、放り出された格好のぼくが訪ねて行ったら、ヤスバも迷惑なのではあるまいか? それはもちろんヤスバは、ぼくを友人として歓迎してくれるだろう。ヤスバはそういういい男なのだ。友である。友であるだけに、かえって、ぼくは彼の好意をあてにしたりはしたくなかった。ヤスバは水臭いと怒るだろうけれども、すくなくとも今は、まだ今はそのときではない、と、心を決めていたのである。
友といえば、ハボニエも、もうこの世には亡い。ぼくはその夜半のハボニエの表情や喋り方もまたよく覚えているけれども、彼はいないのだ。
そしてぼくはぼくで……。
よそう。
感傷だ。
わき道へ外れてはいけない。
ぼくは、自分の気持ちを、デヌイベのことに戻した。
ヤスバがそんな話をぼくたちにしたそもそものきっかけは、彼も知っていたシェーラがデヌイベのメンバーだったからである。シェーラのほうからヤスバに声をかけたのだそうだ。
そのデヌイベに、ぼくたちが目をみはり、仰天したのは、いうまでもなく、スルーニ市の手前でエレンを中心とするぼくたちがはさみ打ちに遭って進退きわまった、あのときである。
夜の湿原に不時着し、ノザー・マイアンの死を知って途方にくれていたぼくを助け出したのは、車に乗ったデヌイベの一団だった。記憶を呼び起こせば……サロバヤという老人がリーダーで、エクザスと名乗る若い男もいた。シェーラもその一員だった。
ぼくと、ノザー・マイアンの遺体を収容したかれらの車には、敵のレーザー光が浴びせかけられたが、なぜか、それらの光条は曲って、車に命中しなかった。その間、デヌイベたちは、かたまり合って何かを誦《しょう》していたのだ。押し殺した、奇妙な抑揚とリズムを持った、呪文のようなものを、唱えていたのである。
エレンたちのいる場所へ来ると、デヌイベらは、自分たちのトラックの荷台にエレンたち非戦闘員があがるようにと乞い、それから寄り合ってまたもや合唱をはじめた。ぼくたちは敵を相手に全力をつくし、レーザーガンのエネルギーが尽きると共に、トラックの前に並んで立ち、抜剣したのだ。すでに死は覚悟していた。敵の車は百メートルたらずのところへ来ており、大型レーザーの銃口をこちらへ向けていたのである。ところが……相手のレーザー光は、第一波も第二波も、そして第三波も、ことごとく折れ曲って別の方向へと伸びたのだ。三度の一斉照射の三度全部がそうだったのである。敵はレーザー攻撃を諦めて、剣を抜いて進んできた。そこで救援が来着したのだった。
みんなの歓喜の中で、シェーラがぼくに飛びついてキッスし――。
いや、これは本筋とは関係ない。
また、こうした一連の出来事をよく覚えておられる方には、くどい反覆だったことであろう。お詫びする。
しかし、あとでぼくたちが議論し、そんなことが可能か否かとか、他に何かの理由があったのではないか、というような説も出たにもかかわらず、ぼくは、あのとき、レーザーの光条をねじ曲げたのはデヌイベの力、デヌイベの合唱だったのだ、と信じざるを得ない。あり得ない現象だといわれても、ほかに説明のしようがないからだ。
では……。
デヌイベたちは、超能力を使ったのか?
そんな超能力が存在するのか?
ぼくは知らない。
ぼくの知らないかたちの超能力だというのか?
ぼくには、何ともいえないのだ。
デヌイベは……つまり、そんな人々なのである。
友愛市の宿舎でのヤスバの話によると、かれらの教団は、この二、三年でじわじわと大きくなってきたという。カイヤントでの話だ。あれからまた年月が経過しているのだから、教団員や支持者ももっと増えたということは、充分に考えられる。カイヤントではすでに当り前の存在になっているかも知れない。カイヤツにもひろがっていることだって、あるかもわからないのだ。ただ、そうした団体が大きくなり信奉者が多くなれば、為政者によって圧迫されたり弾圧されたりするのが、世の常である。ヤスバは、デヌイベには勢力を持とうという気はないようだ、おれの知る限りかれらは何の野心も持っていないようだ、といった。働くときはよく働くし、修養につとめている真面目な人たちと、はたからは見られているようだ、というわけだ。それでも迫害が行なわれるときには行なわれるのだから、現在ではちりぢりになっていることだってあり得るし、また、案外大きくもならず小さくもならずつづいているだけという状況も考えられる。デヌイベには超能力者がまじっているというし、デヌイバ自身もそうらしいとヤスバはいった。ぽくも、かれらと超能力の関係は深いと思うが……超能力者に対する世間の反応を考えると……今、デヌイベがどんなものになっているかについては、変数が多過ぎる感じで、ぼくには推測しかねるのであった。
とにかく、シェーラは、そのデヌイベのメンバーなのだ。
と、すると、便箋の花模様は、デヌイベと何か関係があるのか?
そう解釈することは可能だ。
しかし。
ぼくは、シェーラを、デヌイベの一員というそれだけの枠の中に入れるのは、どうも少し違うとの気もするのだ。
思い返せば、シェーラは、エレスコブ家警備隊の世話係として働きながら、どうやらエレスコブ家の内情を探っていたらしいふしがある。でなければ、一世話係があんなに詳しい事実をつかめるはずがないのだ。シェーラはそれを、ぼくがここへ来てしばらくやったように、読心力で得たのかも知れない。エレスコブ家には特殊警備隊がいるのだから、そんな探索をしていたら、たちまちつかまってしまうはずである。なのにうまくやっていたとすれば、世話係という下っ端ゆえに警戒されなかったのか、特殊警備隊員に感知されないように気をつけていたからであろう。
そこでぼくは、あっと思った。
ぼくがエスパー化した任命式の夜のことがよみがえってきたのだ。そしてそのとき、ぼくが自分を納得させたのとは別の、もうひとつの見方が成立することを、悟ったのである。
あの夜、ぼくはエスパー化し、酔っ払った。酔った意識でシェーラの心をつい読もうとして、それが空白なのを知った。空白というより障害である。ぼくはおかしいと感じた。ところが手を触れた瞬間、彼女の無数の感情が襲いかかってきたのだ。ありとあらゆる感覚が殺到し、次の瞬間シェーラは手を引っ込めたのだ。
そのときには、ぼくはどういうことか、理解出来なかった。
が……あとでぼくは、エスパーによってはしばしばそんな障害を設ける力を持つ者もいるということ、また、超能力を持たない人間でも、訓練によって気の持ちようしだいでは、他人に心を読まれないような障害を作るのは可能だということを知った。その以前にも漠然と聞いてはいたのだが、何かの本に目を通しているうちに、そういう叙述にぶつかったのである。
ためにぼくは、すっかりわかった気になったのだ。
その頃まではぼくは、シェーラが読心力を持つなどとは、考えたこともなかった。読心力のないものどうしでしか成立しない会話の型というのがあり、ぼくとシェーラのお喋りは、まぎれもなくそうだったのである。今となってもぼくには、世話係をしていたときのシェーラが、読心力を使っていたとは思えない。それは直感だが、間違っていないはずだ。
だからぼくは、シェーラの中の障害を、普通人の訓練による障害だと解したのだ。若い女であるからには、やたらに他人に心を覗かれるのがいやで、そんな訓練を受けたとしても不思議ではない。しかも訓練といっても、拒否の意志と共に精神を集注することで障害を作るのだから、そうむつかしいものではないのだそうである。ただ、一定の心理状態を保持するわけなので、気をゆるめたら障害は消えてしまうのだ。ぼくは、手が触れたときに相手の感情が襲いかかって来たのは、そこでシェーラの障害が崩れたのだ、と、理解して、得心したのだった。
だが……今の、自分が長くエスパー化することにより、超能力の使い方にだいぶ馴れ、超能力そのものについても考えたり研究したりして、世上一般に認められているもののほかにも、特殊な超能力が存在するらしい、と思うようになったぼくには、他の見方もできるのだ。
シェーラが読心力者で、障害を設ける普通人を装っていたとしたら、どうなのだ?
それも、ふだんは彼女自身読心の能力がなく、ここぞというときだけ力を使えるという超能力者だったら、どうなるのだ?
特殊警備隊員の目をくらますことは、そうむつかしくないはずだ。
しかも、と、ぼくは思ったのだ。しかも……そんなやりかたでは、周囲にエスパーがいそうなとき、力をふるえない。それを補うために、身体の接触による読心という方法を持っているとしたら……。
これでも、つじつまは合うのだ。
そういった、一般の超能力の概念とはことなる複雑な超能力があるのか否か、ぼくにはわからない。
が、あるとしたら……そしてシェーラがそういう超能力者だったとしたら……にわかに視界が開けた感じがするのだった。
彼女はときどき、占いをやるといってぼくの手の甲にてのひらを重ね合わせた。あれは……あのとき、ぼくの心を読み取っていたのではないか?
それにキッス……キッスだって身体の接触だ。あるいは手と手よりももっと深く、ぼくの心を読み取ることが出来るのではあるまいか?
シェーラは、そのためにぼくとキッスをしたのか?
それとも、ぼくを好きは好きだったのだろうか?
わからない。
が……もしそうなら……。
もしもそうなら、ああした接触のあと、彼女がぼくの運命について予言めいたことをいったのは、ぼくについての未来予知をし、それをぼかしたかたちで告げたのでは……。
待て。
考え過ぎだ。
そこ迄飛躍しては、仮定の上に仮定を置いた――ほとんど空想に等しいものになってしまう。
どこ迄行ったのかな。
そう。
シェーラを、デヌイベの一員としての枠の中だけにはめるのは、どうもしっくりしない、というところだった。
もっとも、このあたり、ぼくにそんな気がするというだけで、事実はどうなのか、確信は持てない。
カイヤントでのデヌイベのありようと、カイヤツ府に来てエレスコブ家警備隊の世話係をしていたシェーラとが、ぴったりと重ならないとはいえる。世話係をしている時間がある位なら、デヌイベの布教活動をやってしかるべきではないのか? 収入を得るための世話係だとしたら、余暇にデヌイベの活動に従事するだろうし、ぼくに対しても、デヌイベのことを話していたのではあるまいか? それとも、エレスコブ家でデヌイベのことを知られるとまずいから、ぼくにも黙っていたのだろうか? では、なぜカイヤントでは、デヌイベのほうからぼくたちに接近して来たのだ?
一方、デヌイベはその必要があって、シェーラをエレスコブ家に送り込んだとの想像もできる。デヌイベにはそうした目的があり、そういう団体なので……と、考えることだって可能は可能だ。
だが、何のために?
デヌイベはそんなことをして、どうしようというのだ。
それに、シェーラはエレスコブ家の世話係のときは、まだデヌイベとはかかわりがなかったとの想定もし得るのだった。エレスコブ家を辞めてカイヤントへ戻ってから、デヌイベのメンバーに加わったということになるのだが……エレスコブ家にいたときにシェーラがすでに超能力者だったとしたら、カイヤント出身だという彼女が、デヌイベとは無縁だというのも妙な感じがする。それとも、デヌイベの結成や布教開始が比較的最近のことだったので、カイヤツ府に来たときのシェーラは、まだデヌイベの存在を知らなかったのだろうか? ぼくは、シェーラがいつ頃カイヤツ府に来たのかも、デヌイベが活動を開始したのが何年前なのかも、よく知らないから、判断のしようがないのである。
こういう風に考えてくると、ぼく自身はシェーラがデヌイベの一員というそれだけの人間ではなさそうだとの気持ちがあるものの、事実はどうなのか、わからなくなってくる。まるで泥沼に落ちたみたいで、どのようにも解釈できるのだ。
だが、ぼくがそんな気持ちになるについては、もうひとつ、理由もあるのだった。
ミスナー・ケイのことがある。
ミスナー・ケイ。
彼女が、シェーラの仲間、すくなくともシェーラとどこかで結びついている人物であるのは、疑う余地がない。
でなければ、カイヤツ府でわざわざぼくを追って来てシェーラの言葉を伝えたりするわけがないのだ。それも、シェーラの声と口調になり切って、喋ったのだ。ぼくがシェーラの名を出すと、彼女は肯定もしたのである。
そのミスナー・ケイが通常の概念ではあまり考えられないような超能力者であることもぼくは自分の目で見た。
出会いからして、妙だったのだが……。
順を追って、考えてみよう。
ミスナー・ケイ(この名だって、本名ではないのだ。彼女自身がそういったのだけれども、ぼくにはミスナー・ケイだから、例によって、そのままでゆく)と初めて会ったのは、ハボニエに連れて行かれたカイヤツ府のライカイヤツ地区のはずれの酒場だった。彼女は、ぼくに、話をするだけでお小遣いをいただけないだろうか、と、切り出したのだ。その話というのが、家の警備隊の仕組みについてであり、彼女はぼくからいろいろと聞き出そうとしたのである。のみならず彼女は、ネイト=カイヤツのありようや、ウス帝国とボートリュート共和国相手の戦争について論じ立てたりもしたのである。男と女の会話としては、えらく堅いものであった。それでも話のうちにミスナー・ケイはぼくの手の甲に自分のてのひらを重ねるというような親しげな態度になり、それが引き金になってマジェ家の警備隊員に喧嘩を売られ、危地に陥ったのである。
このときはミスナー・ケイは、何の超能力も使わなかった。
――だろうか?
あの、手と手を重ねたというのが、シェーラで想定したような、身体の接触による読心だと思えば、思えるのである。そういえば、接触のあと、彼女は不意に微笑したではないか。ミスナー・ケイはあれでぼくの心を読んだのかも知れない。
それに、マジェ家の警備隊員がサーベルを抜いたとき、ぼくは彼女に逃げろとささやいたが、ミスナー・ケイはためらったようであった。ぼくは、この女は危険というものに対して鈍感なのではないかと考えた位である。しかし、あるいはそれは、ミスナー・ケイが超能力者であって、いざとなれば自分の能力を行使しさえすれば、いつでもマジェ家の警備隊員を倒せるとわかっていたための、落ち着きではなかったのか? ただ、やたらに超能力を使えば、その行使のしかたによって問題がおこりがちだから、ぼくが何とかマジェ家の警備隊員と渡り合っているのを見定めると、何もせずにさっさと姿をくらましてしまったのかもわからない。それに多分あの時点では、彼女にとってぼくはまだ行きずりの人間か、それに近い存在に過ぎなかったのであろう。
そのミスナー・ケイは、ぼくがエレンの護衛としてゲルン地方やヘベ地方、ハルアテ東南地方といったところを廻って帰着した後の、上陸非番のときに、姿を現わした。ぼくに、酒場で彼女をかばってたたかったことへの礼をいいに来たのである。彼女は自分で車を運転し、どこの令嬢かというような格好をしていた。サングラスつきの紗《しゃ》のべールをかぶり、高価そうな服を着ていたのだ。男と話をしてお小遣いを貰うという女のいでたちではなかった。
だが、それは大した問題ではない。女はどのようにも変身するものだ。
それよりも、あのとき、ミスナー・ケイは、偶然ぼくを見掛けて、礼をいうために車を近づけて来たのか? ぼくはそう解していたけれども、彼女がぼくの外出を知っていて、計画的にそうしたのかも知れない。
ま、これもまた、彼女の超能力を明確に立証するとはいいがたい事柄であるが……考えれば、考えられぬことはない。
ミスナー・ケイが、ぼくの目の前でまぎれもない超能力をふるったのは、それからずっとのちの、カイヤントから帰還してからのことである。
町へ出たぼくは、誰かがつけてくるのを察知し、エレスコブの花という店に入った。それで追跡者は諦めただろうと思ったのだが、相手は店の外で待っていた。意外にもそれはミスナー・ケイだったのだ。彼女はぼくに、ことづけを伝えたいといったものの、彼女の言動を監視していたネイト警察官にいいがかりをつけられ、争いになった。
ぼくとミスナー・ケイは貸室館に入り、そこでぼくはシェーラからの伝言を聞いたのである。
だが、彼女は貸室館を出るにさいして、ぼくたちをまだ追っているはずのネイト警察官のありかを読心力で探り出し、その行動や心の動き迄を、ぼくに教えたのだ。一ブロックも離れたネイト警察官の動静や心理状態をである。
おそるべき読心力であった。
それだけではない。
貸室館を出たとたん、ぼくたちは三人のサクガイ家の警備隊員と遭遇し、かれらのなぶりものになりかけたのだが……ミスナー・ケイと腕をからませたり手を握られたりしたかれらは、たちまちうつろで蒼白な顔になって倒れたのだ。
そんなかたちの超能力を、ぼくは知らなかった。今でも知らない。が……ミスナー・ケイが力をふるったのは間違いなかった。いや、事実彼女は、あなたにはそんなことはしませんと笑ったのである。彼女はおのれの力をわかっていて、使ったのだ。
ミスナー・ケイは、超能力者として第一級、あるいはそれ以上の人間なのである。
しかもそのくせ、彼女が超能力者としてはふに落ちぬことをしばしば仕出かすのは、なぜだろう――とも、そのときのぼくは考えたりもしたのだ。ネイト警察官がエレスコブの花の前で彼女の言動に目を光らせていたのに気づかなかったり、貸室館を今出ればサクガイ家の警備隊員と顔を合わせ難癖をつけられるというのに不用意に出たりしたのは、どうもバランスがとれない、などと、怪しんだのであった。
そのミスナー・ケイは、カイヤツVでは、プェリルという名でバーの女として働いていた。
バーでも悶着がおこり、彼女は念力を使って、投げられたグラスを宙にとどめ、カウンターに降ろした。
だが、保安部の調査によれば、彼女には読心力はないという。超能力除去手術をしたとおぼしき痕跡《こんせき》があって、念力しか使えない人物だと、保安部は報告して来たのだそうだ。ハボニエもまた、ペランソを呉れと念じたのに反応がなかったから、彼女は読心力は持っていないだろうとの意味のことを、その前にいっていたのだ。
ミスナー・ケイは、あれだけの読心力を除去したのか?
本当にそうなのか?
だとしたら勿体《もったい》ない話だ、と、現在のぼくは思う。
でも、真相がどうなのか、ぼくにはわからない。
ただ、この奇妙な女が、他面では、ひとの気持ちに鈍感で、どこかちぐはぐな言動を示すということも、ぼくはここで強調しておかなければならない。ハボニエが一度いい、ぼくもときどき考えたことだが、文化の違う社会では、ぼくたちが身振りで意志を伝えようとしてもなかなかうまく行かないのと同様に、ぼくたちの社会ではない別の、読心力者ばかりの世界から来た人間がもしあるとしたら、他人の表情や会話で相手の気持ちを察する力に欠けるのではあるまいか――との発想に従えば、ミスナー・ケイには何となくそう思わせるところがあるのだった。この点、ミスナー・ケイは、シェーラとは違っている。シェーラというより、世間に順応している一般の人間とは、どこかことなっているのであった。
で、ありながら、カイヤツVでぼくが監房に入れられていたときにミスナー・ケイが呉れた手紙は、字も上手といえず文章もたどたどしいが、真情にあふれた優しいものであった。ぼくを何とかして元気づけようとしたのだ(だから、いまだにぼくはだいじに持っている)。しかもそれは、どことなくシェーラを連想させたのである。おしまいの、しっかり! イシター・ロウ! などという文句は、かつてシェーラが試合中のぼくに投げた言葉そのままなのであった。
つまり、ミスナー・ケイは、シェーラとひどく似通ったところがある半面、およそシェーラでは考えられないような部分も併《あわ》せ持っているのである。
仲間とすれば、そういうことがあってもおかしくはないであろう。
が、考えて頂きたい。
ミスナー・ケイとシェーラを結びつけるのは可能だ。というより、仲間なのはたしかだろう。
そして、シェーラとデヌイベもまた結びつく。現実にシェーラはそのメンバーだったからだ。
ところが、ミスナー・ケイとデヌイベは、どう考えても結びつかないのである。ぼくの気の持ちかたのせいかもわからないが、どうにも異質なのだ。
シェーラは、だから、デヌイベの一員であるというだけでなく、ミスナー・ケイとの関係を成立させる何かをも有しているのではあるまいか?
長くなったけれども、これが、ぼくがシェーラをデヌイベのメンバーというそれだけの枠の中にはめ込んでしまいたくない理由なのだ。
それとも……ミスナー・ケイもやはりデヌイベのメンバーなのか?
こう思案してくると堂々めぐりなので、ぼくはこの問題を、ここで打ち切った。
とにかく、シェーラの手紙の便箋の、透かしの花模様に意味があるとしても、それがデヌイベと関係のあるものなのか、あるいは別のものか、そこ迄は、ぼくには判定できないのだった。ただ、どうやら何かの意味があり、それがぼくにとってお守りか護符の作用をするということなのだ、と、ぼくは考えることにしたのである。
これだって、全くの見当外れなのかも知れない。
便箋の透かしなんて、別にどうということもないかもわからない。シェーラがたまたまそんな便箋を買って使っただけの話かもわからないのだ。
しかし、ぼくは、ああ迄シェーラが書いている以上、便箋の透かしの花模様に、何かがあるということにしようと思ったのであった。いってみれば、小さな夢である。それでいいではないか。
――と、これだけの想念を追ってくるのに、どの位の時間が経過したであろう。
目をやると……分隊の連中は依然としてお喋りしたり笑ったりしている。先程迄と同様の雰囲気なのだ。
時計を見ても、三分と経っていない。
あれこれと思い出をたどり、いろんな意識を弄《もてあそ》んだせいで、随分長かったようだが……そんなものだったのか。
ぼくはそのとき、ふと、幼い頃のことを心に浮かべていたのである。小さかったぼくがうたた寝をして目をさますと、母がやはりまだ午後の窓からの陽を受けて本を読んでいて……眠ったのがごく短かったような、それでいてひどく長かったような気分になったものであった。あれと、どこか似ていたのだ。
だが。
そういうことなら、まだこのままつづけても大丈夫だ。
ぼくは、視線を天井に戻した。
シェーラの手紙についてはこれで一応自分なりの、結論と迄は行かないにしろ、とりあえずの結着をつけることにして……ぼくは、昼間のリョーナ母娘との話を、もう少し考えてみたかったのである。
エゼについてだ。
エゼという名称は、きょう初めて耳にしたのだが……デヌイベとの相似点が、いやに多いのであった。
ふたりの話によれば、エゼは、自分たちの教義を説いて、参加する者を仲間にしているという。
上から下迄黒い衣をつけて、集団で布教するそうなのだ。
デヌイベと、似ている。
デヌイベの服装は頭巾のある白衣と黒い帯だけれども、これは本質的な差とはいえない。むしろ、定まった服装があるとの共通性を重視すべきであろう。
のみならずリョーナは、エゼたちは、修行をすれば誰でも超能力者になれるといっているのだと話した。デヌイベたちがそんなことを説いているのかどうか、ぼくは知らない。が……超能力がからんでいるところは、同じなのだ。
しかも、エゼたちの上のほうの人たちの超能力は大したものらしい。集まってお祈りをすればもっとすごい力を出すようだ、と、リョーナはいったのだ。
集まってお祈りをすることで力を出すというのは……ぼくがデヌイベで実際に見たことなのである。
これでは、デヌイベとほとんど変らないではないか。
そういえば……と、ぼくは初めてヤスバからデヌイベについて聞かされたときの、彼の何気なく洩らした一言を思い出した。そう……噂だからとつい聞き逃していたけれども、デヌイベに似た団体は他のネイトにもあるとの話を聞いた――と、ヤスバはいったのである。ありそうなことだ、と、ぼくはそんなに真剣には受けとめなかったのだ。
それは、エゼのことを指していたのかも知れない。
別々のネイトに、似たような教団が存在するのは、ちっとも不思議ではない、と、ぼくは思う。別のネイトといったって、同じネプトーダ連邦の構成統治体なのだ。交流はしょっちゅう行なわれている。どちらも独自に発生するというのも充分にあり得ることだが、どこかに生れた教団の影響を受けて、似たようなものが作られたというほうが、可能性としては高いであろう。どっちだったのかは、ぼくにはわからないが……ともかく、ネイト=カイヤツにデヌイベがあり、ネイト=バトワにエゼがあるというのは、それほど驚くにはあたらないのかも知れなかった。
ただ、デヌイベとエゼの違いということになると、ないわけではないのであった。デヌイベはネイト=カイヤツの中心であるカイヤツでなく、カイヤントで大きくなって来たのに対し、リョーナの言では、エゼはネイト=バトワの中心惑星バトワの、しかもネイトの首都であるバトワ市に多いという。
それだけに、ぼくの聞いた範囲でも、エゼのほうがある程度知られ、組織化もされているようだ。
話によると、エゼには、教育のシステムもあるらしい。しかも、正規教育のコースから外れた人々を対象にした、基本的知識から生活の実務までを教えるという。リョーナは何もいわなかったが、専門家がいるというのなら、専門教育もしているのかもわからない、
リョーナは、そのエゼでの教育を受けるつもりだといった。エゼで勉強するというのである。
エゼでの教育を受けたリョーナが、そのあとどうするつもりなのかは、ぼくには知る由もない。が、……リョーナの口ぶりでは、あと、エゼの正規のメンバーになりたいようであった。正規のメンバーになればカードを貰えるし、カードを持てばいくつもあるエゼの集団のどこへ行っても、仲間として扱って貰えるのだ、わたしも早くカードを持ちたい――と、リョーナはたのしそうに語ったのである。
そういう、いわば下から発生した教団が大きくなり組織化されてくれば、通常の選抜システムとは別のところから出て来た勢力として、政府は迫害し弾圧するだろう、と、ぼくは、話を聞きながら思った。今でも、そうなるのではないかとの考えは変らないが……リョーナ母娘を前にして、希望に冷や水を浴びせるようなことはいいたくないので、黙っていたのだ。
が……エゼがうまく政府と妥協したら、話は別である。あるいは弾圧をはねのけて成長したら、話はもっと違ってくる。エゼそのものが権力体となってくるからだ。
どうなるのか、予測をつけがたいことなのである。
つまりはエゼが、どの程度多数の人々の期待に応えるか、ということにかかってくるからだ。
エゼは、エゼなりの道を進むのであろう。
デヌイベとは違う。
待てよ、と、ぼくは思った。
デヌイベだって、同じことではないか、という気がしたのだ。
ぼくはデヌイベについて、詳しいことは何も知らない。
しかし、デヌイベがデヌイベなりの教育システムや、組織を持っていないとは、断言できないではないか。また、今は持っていないとしても、いずれ持つようになるかも知れないではないか。
エゼを通した目でデヌイベを見ると、そうなるのだ。
考えてみれば、デヌイベがエゼのようになっても、少しも変ではないのである。両者は元来同じようなものなのだ。
かれらは、では、最終的には一体何をめざしているのだろう?
その答らしいものは、ぼくにも出せる気がする。
つまり……これまでの社会の仕組みとはことなる仕組みの、ことなる選抜原理に支えられた、それも、超能力を根幹に据えた社会、ということではないのか?
エゼもデヌイベも、そこ迄徹底してやるつもりなのかどうか、ぼくには不明である。だが今の方向を延長してゆくと、そこに行きつかざるを得ないではないか。
そして……そういう存在を、ネイト=バトワなりネイト=カイヤツなりが許すかというと、到底、そんなことはあり得ないのだ。はじめの、大したこともないうちは無関心か、何かやっているという目で眺めていても、その本質が何であるか悟ったとたんに、叩き潰しにかかるだろう。
それが、エゼなりデヌイベなりの運命なのではあるまいか?
もっとも、デヌイベに関する限りヤスバは、かれらは勢力など持つ気はないようだといったのだが……。
どうなるのかは、わからない。
エゼと同じようになるのかも知れない。
が。
ぼくがここで、エゼなりデヌイベなりの将来を想像し勝手にその運命がどうこうときめつけたって、仕方がないのだった。
もっと先になれば、ぼくもそうした教団についての情報を多く仕入れるだろうし……その時分には、もっとちゃんとした観望も出来るようになるであろう。
ともあれ……デヌイベや、エゼのことは、これからは注意深く見守っておくべきではないか、それだけの意義のある存在かも知れない――と、ぼくは、何となくそんな思いにかられたのであった。
とうとう、出動命令が出た。
基地から、兵員を乗せた艦船が、一隻また一隻と、発進しはじめたのだ。
軍団が出動するとなると、全兵員を収容した艦船がいっせいに飛び立ってゆく――と、ぼくは何となくそう考えていたけれども、実際はだいぶ違っていた。
ぼくがそんな風な想像をしたのには、やはり子供の頃に接した物語や映画といったものの影響があるのだろう。それらは、カイヤツ軍団の堂々たる戦闘艦の編隊が、映画などではそれこそ勇壮な音楽のうちに、圧倒的に進発して行く、というのが、多かったのである。
考えてみれば、ぼくなんか、この種の思い込みを、随分いろいろとやってきたものだ。
そのいい例が、戦士≠ナある。
戦士などというと、いやに古典的な響きがあるけれども……いや、近頃ではまたこの言葉が復活して使われだしているというから、ぼくなどよりもっと若い人たちには、新鮮に聞えるのかも知れない。ともあれ、それはおのれ自身の鍛え抜いた肉体と技術で敵と渡り合う人間を指す。たいていの少年は、そんな戦士のイメージにあこがれる時期があるものだ。少年だけではなく、少女にだっていくらかは、あるのかもわからない。もちろん、理想的な意味の戦士なんて、現代では存在しないだろうが、それに近い者はいる。すなわち戦闘興行団のスター剣士であり、一流の家の腕っこきの警備隊員であり、連邦軍の勇士なのだ。
――と、並べると、何がそんなものが戦士かと、顔をしかめる人もいるだろう。大体、昔風の英雄としての戦士というのは、権力とか社会とかを超越したどこか神秘的なものなのであって、戦闘興行団の剣士とか家の警備隊員とか、まして連邦軍の将校・兵士のような、社会機構に組み込まれ管理された連中とは別物だ、といわれるに相連ない。
それはぼくも認める。
認めはするものの……そういった少年たちは、代替物でもいいから、似たような対象を求めるものなのだ。そしてそこに、自分のイメージを重ね合わせるのである。
ただ、当然ながらかれらのこうした心情はいつ迄もつづきはしない。世の中が多少ともわかり、勇ましさの裏側にある粗野、残酷さ、あるいは忍従、自己犠牲といったものが見えるようになってくると、おおむね熱がさめてしまうのだ。あと、心の中に、かつて自分はそうしたものにあこがれていたし、真正の勇気や強さに対してなら尊敬するという、静かな熱源が残るのが、普通であろう。
しかし、繰り返しになるが、今挙げたような人々が、格好が良いと思われ、それなりの支持者を有しているのは事実なのだ。
ここでいささかわき道にそれるけれども、ぼく自身は必ずしもそんなタイプの少年ではなかった。元気でたくましいのは嫌いではなかったとはいえ、そっちに傾倒するには至らなかったのだ。さりとて、理論本位のつねにさめた秀才などではなかったはずである。悪くいえばどっちつかずの中途半端で、しなければならぬとあれば、何とか適応し、そこそこにこなすほうだった。ぼくは自分のことを、確たる根拠もないままに、まだ柔軟で可塑《かそ》性に富んでいるのであり、何かの型に嵌《は》められて固まるのは、他人より暇がかかるのだと信じていたのである。(白状すると、今でもこの感覚は失われていない。現実に可能かどうかはさておいて、いまだに、なろうと思えばまだこれからでも何にでもなれるのだ、という気がする)だから、自分の幅広さを保ちながら専門技術をも持たねばならぬとのつもりで、予備技術学校に入ったのだ。予備技術学校ではよく勉強したものの、ぼくの関心は政治や社会のほうにも向いていたことは、ずっと前に述べた。そしてこれもそのさいにいったが、予備技術学校をあと少しで卒業という時期に、ぼくは二回めのエスパー化に遭遇し、自己の能力を不正に利用したのではないかとの嫌疑をかけられて、退校処分になった。その直後に父母が事故死し、自力で生きて行かなければならなくなったので、学費は無料、給料さえ支給されるファイター訓練専門学校に入ったのである。自活にはてっとり早いし、自分でも適性があると思っていたからだが、心中にはやはりファイターや、ファイター訓練専門学校を出たあとに就ける仕事が、他人から格好良いと見られるだろうとの計算があったのは、否めない。
つまり、なかばはなりゆきだったのであるが、ぼくは、戦士もどきの人間としてのコースをとったのである。
だが、そのファイター訓練専門学校に入ってみて、ぼくは、はた目にはいかにも楽々と剣をあやつり、素人を玩具さながらに扱うファイターの技というのが、日常のたえまない修練と研讃《けんさん》に支えられているのを、いやというほど思い知らされたのだ。なるほど多少の工夫や奇計によってでも、たまたま上級者に勝つことは可能である。が、これは小手先や偶然をあてにしてのことなので、本当に実力があるとはいえない。一時的な奇功は、あくまでも一時的な奇功なのだ。専門家というものは(これは剣技に限った話ではないが)いつ、いかなる場合でも、専門家としての最低水準以上を保っていなければならない。この水準を維持しさらに向上させるためには、すぐには効果のあがらない地味な努力を積み重ねなければならず、一見無益と思えるような馬鹿げた真似も試みたりすることが必要なのだ。いってみれば、陳腐だけれども忍耐と汗によって初めて得られるものなので、すいすいと華麗にあやつられる剣さばきは、それらの膨大な土台に支えられた上澄みみたいなものなのだ。従って、関係のない人たちがその上澄みを見ているとき、ぼくたちは、上澄みを作りあげた汗や疲労や稽古による傷の痛みを思い出しているので……とても、格好良いなんてものではないのである。もっとも、そのぶんだけぼくたちは、見えないものが見えるようになった。剣技にしろ格闘にしろ、素人目にはまことに単調だったり退屈だったりするものが、その実、ほとんどかたちや動きになっていないものの、競技者どうしの巧妙な駆け引きによる仕掛けと封じ込めから成っているのがわかるようになったのだ。
端的にいうなら、ぼくはファイター訓練専門学校で励んだお蔭で、ファイターというものを、外部からではなく当事者として、別の見方をするようになったのである。
この点は、家の警備隊員でも同じことであろう。
エレスコブ家警備隊に入って研修を受け、エレン・エレスコブの護衛員としての生活を送るうちに、ぼくは、家の警備隊員というものが、入る前には考えもしなかった面が多々あるのを知った。家の警備隊員なんて、そこそこの腕を見込まれ雇われて、ときには肩で風を切って町を歩いたりするものの、おのれのあまりうだつのあがらぬ立場に甘んじて、その日その日を何となく送っている連中――という風に見ている人々は、すくなくない。まだ人生や社会というものが良くわかっていない少年たちがなまじあこがれたりするものだから、世のわけ知りと称する人たちは、余計にそんなきめつけかたをしたがるものだ。ぼく自身、その両方の感覚を何となく抱いていたのである。しかし……自分がなってみると、両方とも的外れに近いのがわかった。予期しなかったようなきびしい訓練や、外部からは窺い知れぬ規律、仲間意識や使命感、それに家への忠誠の気持ちなど……ぼくが今さら繰り返さなくても、これ迄の経緯で、わかって頂けると思う。
つまりは、家の警備隊員にしたって、当事者となれば、関係のなかった頃とは別物に映るようになるのだ。
くどいようだが、ここ迄喋ってしまったのだから、連邦軍の将兵についても、言をつらねるとしよう。もっとも、ぼくは将校はおろか下士官についても何もいう資格はないから、自分の、兵隊としての経験を通じての話になるが……。
連邦軍の、カイヤツ軍団の兵士として、ぼくは勇士でも何でもない。やっとこさみんなの仲間扱いをしてもらうようになった準個兵に過ぎない。
準個兵なんていうと、カイヤツ府の市民たちは、ああ下っ端の兵卒か、と、あっさり片づけてしまうだろう。事実そうなのだから、ぼくには反論する気など、さらさらない。
しかしながら、その下っ端の兵卒というのが、なかなか大変なのも、ぼくが今迄お話しした通りである。個兵見習には簡単になった。それは当然で、誰でも連邦軍にほうり込まれたら、個兵見習にされるのだ。ところが……その三カ月問の教育と訓練ときたら、想像もしなかったような苛酷《かこく》なものであった。平時なら六カ月かかるところを、三カ月でやらなければならなかったせいもあるのだろうが、脱落者がどんどん出たのだ。ぼくにしたって精一杯頑張らなければならなかった。それはまあ、ぼくはこれ迄相当鍛えられてきたから、体力とかすでに訓練を受けたことのあるものについてはさほど苦労しなかったものの、未知の、軍特有の武器や機器類のお蔭で、随分つらい目をしたのである。この個兵見習をくぐり抜けて、やっと準個兵なのだ。だから他人はどう考えようとも、ぼくにはとても、たかが準個兵なんていえない。
準個兵になってからは、準個兵としての、また、分隊のメンバーとしての訓練や日課があり……要するに、なまなかなことでは務まらないのだ。
だが、他面、ぼくはここでも、あたらしい感覚を身につけた。階級制度を本能的に受け入れ、おのれを半分機械にしながらも、考えなければならぬときには考える、という習慣が出来た。それに、組織の一員であるとの自覚も形成されつつあるようだ。これは、エレスコブ家警備隊にいたときと似たようなものではないかといわれそうだが、再三述べたように、やはり違う。エレン・エレスコブ護衛の第八隊員としての、仲間の意識、隊長への信頼感、エレンへの隊員それぞれのどこか個人的な忠誠の気持ち――といったものとは、ことなるのだ。巨大組織の、しかも機能的に作用する中での位置感覚といったらいいだろうか。上官が好きであろうと嫌いであろうと無条件に従わなければならず、またそれを当り前のことと受けとめ、分隊員どうしでは個人のつき合いとしてよりも分隊員としてのありかたが絶対的に優先するというのは……組織の大きさの違いということだけではない、質的な差なのである。
いまやぼくにとって、連邦軍なり連邦軍の兵士なりというものは、入隊前とは同じではなくなっていた。兵士になったことで、ことなるものと化していた。
長話になったけれども、これで幾分かは理解してもらえるのではあるまいか。
ぼくは。戦士≠烽ヌきのコースを、それもファイター訓練専門学校、エルスコブ家警備隊、連邦軍カイヤツ軍団、と、たどってきた。結果、ぼくが子供の頃に抱いていた戦士、あるいは戦士もどきのイメージの思い込みは、自分自身が当事者になることで、全然違うものになっているのである。
大体が、歳月と体験の作用なんて、そんなものなのであろう。
思い込みといえば、他にも――。
いや。
こんな例をいくつも挙げたって、仕方がない。
話を元に戻す。
ぼくは、軍団が出動するとなると、全兵員を収容した艦船がいっせいに飛び立ってゆく――と考えていたけれども、実際はそうではなかった、と、いった。
ただ、釈明しておくが、ぼくは子供の頃に作られたその想像を、カイヤツ軍団の一員になっている身で、意識的に強固に保持し、信じていたのではない。そんな、軍団の進発がどんなやりかたになるであろうとのことを、とりたてて分隊の連中と話し合ったりせず、またそんな必要もないままに、勝手に、ずっと昔の想像が、漠然と残っていたというだけである。本気で考えたわけではない。
そう。
考えれば、すぐにわかることだったのだ。
もしもカイヤツ軍団の全員が飛び立ってしまったら、あと、どうなる?
基地は無人になり、保守も保安も出来なくなるではないか。
基地は基地として、補給や通信のための人手を置いておかなければならないのだ。
それに、基地には、まだ訓練を終えていない個兵見習が、わんさといるのである。かれらを前線へ連れて行ったら、足手まといになるばかりであろう。ま、もっと戦況がきびしくなったら、そんな連中も前線へ送り出し、訓練しつつ戦闘に従事させることになるのだそうだが……。
第一、カイヤツ軍団はこれから戦闘に赴くのである。戦闘となれば(自分にも関係してくるので、あまり考えたくないことだが)どうしても損害が出るに違いない。戦力はそのぶんだけ喪失する。そのままでは軍団としての力を保ち得ないから、補充しなければならない。どこから補充するのかといえば、ネイト=カイヤツである。カイヤツ軍団は、ネイト=カイヤツの人間で編成されているのだ。それは当然、すみやかに訓練して、戦闘能力を持たせなければならず、訓練は、カイヤツ軍団の基地で行なわれるしかないのだ。
となると、基地には、今いっただけでなく、訓練のための要員だって残して置かなければならないのである。
だから、基地の全兵員が出て行くことなんて、あり得ないのだ。(もちろんぼくは、自分が残される立場になるなんて、考えなかった。ぼくはすでに一定の訓練を受けた戦闘員であり、前線へ送られる人間の典型なのである)
また、艦船のいっせい発進というのも、絶対条件ではない。
それは、どうしてもそうでなければならぬ状況下では、行なわれることもあり得るだろう。しかし今回の進発は、ボートリュート共和国軍がまたもやネプトーダ連邦のボートリュー卜側の辺縁部のネイト=カボ、ネイト=バイス、ネイト=キコーラといった弱小ネイトの星域に進攻してきて、はげしい攻防がはじまっているとはいえ、まだそんなに押されているわけではなく、カイヤツ軍団も戦略的見地から増援に駈けつけるというところだったらしいから、急がなければならないにしても、何はおいても火急に進発、というのではなかったようである。ために、次々と発進し、目的の星域の近くで集結するというかたちになったらしい。そこ迄の星域にはまだ敵が来ていないから強固な大編隊を組んで行く必要がないというわけなのだろうか。ぼくは、それでもしボートリュートの艦船が潜入してきていたらどうなるのか、と、思ったりしたが、こうした作戦は上層部がそれなりの根拠と判断にもとついてやっているので、一兵卒のぼくなどには、詳細な事情も理由も、まして作戦の全容など、関知し得なかった。他ネイトの軍団とのかね合いとか、補給路の問題とか、その他に何かがあるのかも知れない。が、何を想像しようとも、それらはぼくの想像に過ぎず、むしろ考えるだけ無駄みたいなものである。
ともかく、今回の進発は、そういうことだったのだ。
とはいえ、出動命令は出動命令である。ぼくたちはいつでも乗艦できるような待機状態に置かれ、自分たちの出発がきょうかあすの朝か夕方か、と、待ちつづけるほかはなかった。
ぼくが呼び出しを受けたのは、軍団の発進がはじまった日の、夕方である。
ガリン分隊長が来て、小隊長室へ行けという。小隊長室に来るとキリー小隊長は、お前を部隊本部に連れてこいとの指示を受けているので、これからついてこいと命令した。
部隊本部からの呼び出しなんて、異様である。ただごとではない。
ぼくは小隊長のうしろを歩きながら、いったい何事かと不安になった。
何かの科《とが》で呼ばれたのだろうか? だとしても、小隊長に叱責されるとか、せいぜい中隊長室に連れて行かれるのが相場である。それを大隊の上の部隊の本部へ来いとは……よほどのことでなければならない。
大体、ぼくはそんな悪いことをした覚えがなかった。
ぼくは何かへまをやったのだろうか?
部隊本部に呼び出されるようなへまなんて……へま位で、部隊本部に呼び出されるものだろうか?
が、ぼくは思い直した。
ぼくがとんでもないことをして、罰せられるというのなら、小隊長がひとりでぼくを連れて歩きだすことなど、ないはずだ。もしそうなら、ぼくは分隊長なり他の兵隊なりに取り囲まれて歩いているだろう。
ぼくが罰せられるのではなさそうだ。
では……?
ぼくが考えているうちに、廊下を先に立って進んでいた小隊長は、すぐに営庭へ出ようとはせず、中隊長室へ向かい、中隊長室のドアをノックしたのだ。
「誰か?」
声がした。
「キリー主率軍です」
小隊長がいう。
ドアが開けられた。開けたのは、中隊長付きの幹士長だった。
部屋の奥には、若い率軍候補生の席を横に控えさせた中隊長のデスクが見え、ふだんなら近くで顔を合わせることもあまりない中隊長がすわっていた。
ぼくが反射的に敬礼したことはもちろんである。
ぼくのよりはずっと軽い敬礼をしたキリー小隊長は、ドアの外に立ったまま、中隊長に告げた。
「イシター・ロウ準個兵を連れて行きます。お時間があったら中隊長も部隊本部へ同行なさるとのことでしたから、お伺いしました」
「そうか。では、私も行こう」
中隊長は答え、気軽に立ちあがると、若い率軍候補生と幹士長に小声で何事かを告げ、外へ出て来た。
「お前がイシター・ロウか」
中隊長はたずねる。
「そうであります」
ぼくは直立不動で、身を固くして答えた。
「そうか。よし行こう」
中隊長は頷き、キリー小隊長に声をかけた。
中隊長と小隊長は、肩を並べて歩きはじめる。
ぼくはそのあとについて行った。
営庭へ出て、部隊本部へ向かう。
中隊長と小隊長は、何のお喋りもしなかった。黙って、ゆったりと進んで行くだけだ。ふたりに出会った下士官や兵はさっと敬礼し、そのうしろに従うぼくを見て、奇妙な顔をした。将校ふたりに準個兵がついてゆくなんて、あまり見掛けない図だからであろう。
これはどうなっているのだ、と、ぼくはまたもや不安になってきた。
小隊長だけでなく、中隊長迄一緒になって準個兵のぼくを部隊本部に連れて行くなんて、どう考えても、わけがわからない。
ひょっとしたら、脱走兵がらみの件なのだろうか、との想念が、ぼくの頭をかすめた。
現在の基地で、ぼくの知る限り何か大きな厄介ごとがあるとすれば、脱走兵の問題位である。
脱走するといっても、ぼくが耳にしたところでは、ほとんどが個兵見習だという。個兵見習としての、はたして自分が教育と訓練を乗り切ることが出来るだろうかとのあてのない毎日と、脱落したらまたやり直しになるか、それとももっとひどい目に遭うのではないかとの恐怖が、脱走への衝動につながるのであろう。ぼくにも、何となくわかる気がする。まして、いくら頑張っても個兵見習の身分から抜け出せない者がいたとしたら、絶望し、逃げ出すことにしか、活路を見出せないのではあるまいか。
不思議なことに、準個兵になったあとで脱走を図る人間は、きわめて少なかった。いや、これは不思議でも何でもない、当り前のことかも知れない。準個兵になったあとは、どうやら最初の試練を通り抜けたとの自信も生れ、分隊に配属され、周囲も一人前として扱ってくれるからであろう。脱走する準個兵とかそれ以上の階級の兵隊たちは、分隊での人間関係がよほど良くなかったか、逮捕されて罰を受けなければならないような行為に及んだ連中というのが、一般的だったようだ。
脱走があったとなれば、たいていの場合、監察兵が追跡してつかまえ、基地へ連れ戻す。山の中などへ逃げ込んだりすると、どこかの隊が命令を受けて捜索に当たったりもするとのことだ。が、これは例外的な状況であろう。軍は、脱走兵が出たというようなことを兵隊たちになるべく知られまいとするものだから、話が広がらないうちに処理するのがつねなのである。
脱走してつかまったからといっても、ぼくの聞くところでは、銃殺とかの極刑に処せられるわけではないようだ。何日間か例の収監舎にほうり込まれるか、常習犯なら裁判にかけられて刑務所に入れられるといったところらしい。これはぼくの推測だが、悪事でもした場合でなければ(むろん悪事は悪事として、脱走とは別に裁きを受けなければならない)脱走したからといって、あと、使いものにならないわけではなく、ちゃんとした兵隊になることが多いからではなかろうか。個兵見習の脱走なんて、その最たるものではないかという気がする。かれらは教育と訓練を乗り切りさえすれば、あと、何とかうまくやって行くに違いないのだ。それを、いちいち極刑に処していては、戦力をみずから削《そ》ぐ結果になるし、士気にも決していい影響を与えない――と、軍当局は考えているのではあるまいか。それはまあ、ものの本などでは、見せしめに片っぱしから兵を罰し、平気で銃殺を行なうことで統制しようとする軍隊の話が出てきたりするけれども、カイヤツ軍団では、そんなやりかたをとっていない、ということなのに違いない。
ただ、こうした、脱走兵や脱走に関する事柄は、よほどの事態ででもなければ公式に発表はされず、分隊内で噂として話し合われるのがつねであった。大っぴらな話題というようなものではなかったのである。
その噂によればだが……以前からちょくちょくあった脱走が、動員命令の出る前になって、急増したとのことだったのだ。この心理は、ぼくにも理解できないわけではない。動員されて前線に出たあとで脱走したら、これは敵前逃亡で、文句なしに極刑である。でなければ軍隊の秩序は維持できないからだ。となれば、基地にいるうちに、でなければせめて、乗艦しいやが応でも前線へ連れて行かれる前に逃げよう、ということになるのだろう。それが個兵見習の身だとしても、いつ準個兵として出動人員のうちに組み込まれるか知れず、戦況しだいでは、個兵見習のまま前線へ連れて行かれるかもわからないのだ。いや、個兵見習の身では、自分が出動するのかどうかの判断もつかないといえよう。その実数がどの位になっているのかぼくには知る由もないが、かなり多いということを聞いていた。
この件に関連して、ぼくは部隊本部へ連れて行かれるのだろうか?
しかし、ぼくは脱走などとは、かかわりを持ったことがなかった。ぼくの分隊からも脱走した者などいないのだ。
では――。
超能力乱用がらみで、ぼくは呼び出されたのだろうか? あの、リョーナの店での乱闘事件が問題になって、そこでぼくが超能力を使ったか否かを訊問されるのだろうか?
あの一件は、済んだはずだ。
それを今頃、すでにカイヤツ軍団の進発がはじまっているこんな時期にむし返すなどということがあるものだろうか?
あれやこれやと思いをめぐらせているうちに、ぼくはふたりの将校について、部隊本部に来てしまった。
本部のわきの部屋へと、ふたりの将校は入って行く。
ぼくもつづいた。
入ったすぐ右手にデスクがあり、ひとりの率軍候補生が書類を前に着席していた。率軍候補生といっても、さっき中隊長室にいたような若者ではなく、ファイター訓練専門学校の先輩のあのゲスノッチのような、特任率軍候補生である。年もぼくよりずっと上で……ゲスノッチと同様、事務のエキスパートなのであろう。
「イシター・ロウを連れて来た」
敬礼する率軍候補生に、キリー小隊長がいう。
率軍候補生は、名簿らしい書類を見て、わかりましたと答え、本人はここへ残して、奥へお通り下さいといった。
ふたりの将校は頷いて、先へ進んでゆく。
「そこの椅子のどれかにすわるがよい」
率軍候補生は、佇立《ちょりつ》したままのぼくに指示した。
いい遅れたが、そこはかなり大きな部屋で、窓際と、それに反対側の壁に、椅子が合計十数脚、間隔をとって置かれており、うちいくつかには、下土官や兵が腰をおろしていたのだ。ふたりの将校とぼくが入って行ったとき、かれらはちらりとこっちに視線を向けたが、それだけで、また前方に向き直ったのである。いずれも、ぼくの知らない顔であった。
かれらが無言で、かつ、行儀よく腰かけているのは、部屋の四隅に武装した番兵が立っているのと、無関係ではなさそうである。
「どこでもいいのだ」
ぼくが、どの椅子にすわろうかと目で捜しかけると、率軍候補生は小さな、だが叱責するような声でいい、さらに、つけ加えた。
「名を呼ばれて奥へ入る迄、静かに控えているように。私語は禁じる」
「…………」
ぼくは窓際の端の椅子に、おとなしく着席した。
どうやら、すでにすわっていた下士官や兵は、先客で……ぼくと同じ立場にあるらしい。
だが、どういう立場なのだろう。
これは、ぼくの感じでは、次々と呼ばれて何かを訊かれる――喚問のようである。
けれども、そうだとして、何を訊かれるのだろう。
ぼくと、先客たちは、どんな関係にあるのだろう。
やがて。
部屋の奥の扉が開かれて、ひとりの個兵見習が出てきた。個兵見習はぼくたちに、まだ馴れない手つきで敬礼し、それから率軍候補生にも敬礼して、外へと姿を消した。
奥の扉は半開きのままで、そこから背の高い幹士長が上半身を現わし、呼ばわった。
「ハットン・ジトー、中へ入れ!」
向かいの壁を背にしてすわっていた準幹士が立って、扉へと進んで行った。
ぼくは本当は、今の個兵見習が出て来たとき、何かあったのか、何かを訊かれたのか、訊かれたとしたら何を訊かれたのだ――と、問いただしたかったのだ。しかし、私語は禁止と申し渡されている。呼び出された者どうしが話し合うのは、許されていないのだ。
一体、何事なのだろう?
けれども、それ以上考えても仕方がなかった。どうせ、自分が呼び出されたらわかるのではあるまいか?
待つしかない。
待つのは、しかし、結構長かった。ひとりについて四、五分のときもあるし、十五分以上というのもあったが……一番あとから来たぼくは、最後なのに違いない。
いや。
待つうちに、またひとり、準幹士が部屋に入って来たのだ。連れはなく、ひとりだった。 その準幹士の顔を見て……ぼくは、腰を浮かしかけた。
準幹士は、ぼくがエレスコブ家警備隊に入って基礎研修を受けたとき、何度かぼくたちの指導にやって来た上級隊員だったのだ。
先方は、ぼくに目をやり、どこかで会ったかなと言いたげに、かすかに眉をひそめたけれども、思い出せないようであった。無理のないことかも知れない。教えられたぼくのほうは覚えていても、一度に多くの新人を相手にしなければならなかった先方は、ぼくを記憶していなかった――というだけの話である。
とすると、この呼び出しは、エレスコブ家と何か関連があるのか?
だが、エレスコブ家の上級隊員だった人間がここへ来たからといって、たまたまそうなっただけなのかもわからない。それに……またいうが、どうせ、じきに判明することなのである。
それよりも、と、ぼくは、別の事柄に思いをはせることにした。
今来た準幹士は、以前、エレスコブ家警備隊の上級隊員だった。
エレスコブ家警備隊では、一級士官、二級士官と士官補、それから正規隊員の上級隊員、中級隊員、初級隊員となり、下に補助隊員がいる。
ぼくは中級隊員だった。
家の警備隊の隊員というのは、連邦軍に入るとなると、比較的好意的に迎えられる。警備隊としてひと通りの訓練を受けているから、ずぶの素人ほど手間がかからないせいだ。ために、きちんとした基準があるわけではないが、警備隊員だったときの階級が、軍に入ってからも考慮されるのはたしかなようである。といっても、家の格式によってだいぶ差があるけれども……大体の目安があるのだった。エレスコブ家警備隊員で、士官や士官補級が軍に志願するのは、士官学校に入るのではない限り、まず例はないだろうが、軍に志願するとなると、通常は、ヤスバがかつて手紙で書いていたように、一階級特進の級いをしてもらえる。上長の承諾を経ての完全除隊なら二階級特進もあるのだ。その、エレスコブ家から軍に入ったときに士官級なら、軍では個兵見習としてではなく、幹士見習からスタートできるようなのである。幹士見習としての教育・訓練に合格すると、準幹士に任命されるというわけだ。士官学校の卒業生が率軍候補生として最初から将校としてのコースを歩むのに似て、こちらははじめから下士官コースに乗るのである。
今来た準幹士は、エレスコブ家では上級隊員だった。彼はおそらく、士官補になれなかったか、なりそこなったかしたのであろう。士官補などという地位を得て、わざわざ軍を志願するわけがないのだ。彼は上級隊員どまりで、エレスコブ家警備隊員としての将来に見切りをつけ、一階級か二階級特進の特典を利用して、士官補あるいは二級士官の資格でカイヤツ軍団に来たのだろう。多分、完全除隊での二階級特進を手に入れて、軍に入ったのに違いない。士官補では、そのときの事情によって、幹士見習ではなく、普通の兵隊として個兵見習からはじめなければならぬ場合があるからだ。二級士官でやって来れば、軍での下士官コースはほぼ間違いないようなのである。
本来なら、かくいうぼく自身だって(そんなつもりは毛頭なかったが)完全除隊により二階級特進をしてもらった上で、士官補としてカイヤツ軍団に来れば、幹士見習からスタートしたかも知れないのだ。が……ぼくは、中級隊員のままでエレスコブ家を追い出された。だから一般の人々と同じように個兵見習からはじめなければならなかったのだ。
いや、ぼくは別に下士官になりたかったのではない。下士官ならそれだけ責任も重いし、ぼくに務まるかどうか、怪しいものだ。ぼくは、負け惜しみでなく、実直に、当り前のコースを踏んで来て良かったと思う。それだけ実力もつくだろう。軍の下士官というのは、叩き上げのベテランか、でなければ本格的に養成された、例えばカイヤツ軍学校のようなところを出て鍛えられた人間でなければ、本物とはいえないのだ、と、ぼくは近頃考えるようになっている。家の警備隊での階級によってなった下士官は、やはり急造の、兵たちからあまり信頼されない存在になりがちなのだ。
けれども……こんな、いわば暇潰しの妄想は、そこ迄だった。
「イシター・ロウ、中に入れ!」
奥の扉から体を半分出して、幹士長が呼んだのだ。ぼくより先に来た者が、まだふたりいるというのにである。
呼び入れられるのは、ここへ来た順番というわけではないらしい。
ぼくは起立し、奥の扉の中へ入った。
両側に窓も何もない廊下だ。天井に鈍いあかりがついている。
ぼくを呼んだ幹士長について、その廊下を十メートルばかり行くと、またドアがあった。幹士長はドアを開いて、叫んだ。
「イシター・ロウです」
「入れ」
奥から、声があった。
踏み込むと、正面に机が三つ並んでおり、机に向き合うかたちで椅子がひとつ据えられている。
机には、それぞれ将校がいた。
それも……中央にいるのは参軍長である。参軍長といえば、部隊長級なのだ。いや……部隊長のマークを襟につけている。ぼくは部隊長の顔なんて覚えていなかった。雲の上の人だからである。とすれば、それは、本物の、ぼくたちの部隊の部隊長なのかも知れない。
右手には、準参軍がいた。階級からいえばこれは大隊長級である。だが隊長のマークはなく、襟はぼくたちの隊の将校とは違う色である。ぼくはその色が、法務将校を示すものだと見て取った。
左手にいるのは、率軍候補生である。特任の率軍候補生だ。この率軍候補生の襟も、法務の色であった。
あまり大きくないその部屋にあるのは、それだけだった。ぼくはここへ入った瞬間、カイヤツVのあの査問会場を連想したが、あれより遥かに簡素だった。
番兵もいない。
そうではなかった。
ぼくを連れて来た幹士長が、ドアのところに立っている。幹士長は武装しているのだ。
それに、ぼくは丸腰だが、将校三人はレーザーガンを腰に帯びている。
ものものしい警備などしなくても、これで充分なのだ。
それにしても、では、先刻廊下へ入ったはずの、うちの小隊長と中隊長はどこへ行ってしまったのだろう。
で……ぼくは気がついた。
部屋の三方――奥も左右の壁も、薄灰色のつるつるした材料で出来ているのである。こちらからは見えないけれども、むこうからは見通しの壁なのだ。それらの壁のかなたから、小隊長や中隊長、さらに他の人々が観察しているのであろう。
同時にぼくは、今通ってきた廊下の途中に、たしかにドアらしいものがふたつばかりあったのを、思い出した。そのドアを開けて入れば、壁のかなたの部屋へ出られるのかも知れない。
だが、これらはぼくに直接関係のない事柄だ。
「着席してよろしい」
ぼくから見て右側の、法務準参軍が、ぼくの敬礼が済むのを待って口を開いた。
「失礼いたします」
ぼくはいい、腰をおろす。
「第二部隊一―二―一のイシター・ロウ準個兵だな?」
と、法務準参軍。
「そうであります」
ぼくは答えた。
「私は法務の任にあたっているダダイザンだ」
準参軍は名乗った。「第二部隊長ご臨席のもとに、お前にたずねたいことがある。お前は訊かれたことにだけ、答えるがいい」
「わかりました」
ぼくは返事をし……やはり目の前にいるのが部隊長だと知って、いよいよ緊張した。
「楽な気持ちになれ」
ダダイザン準参軍は、やわらかくいう。やわらかいが、声にはぼくを圧迫するものがあった。
「まず、お前にいっておくが、これは重大な事柄だ。お前は正直に答えなければならぬ。嘘をついても、すぐにわかるし、お前に対する心証は、それだけ悪化する」
と、ダダイザン。
「承知しております」
では、壁のむこうのどこかに、超能力者もいるのだろう、と、思いながら、ぼくは答えた。
それにぼくは、嘘をつく気などなかったのだ。
「七日前、カイヤツのカイヤツ府で、エレスコブ家の警備隊員が、集団でネイト警察官を襲い、三十名以上を殺害した」
ダダイザンはいいはじめた。「暴徒となったエレスコブ家警備隊員たちは、サクガイ家に乱入・襲撃したのみならず、一部は大統領官邸に赴いて放火しようとした」
「…………」
ぼくは、呆然としてダダイザンをみつめていた。
そんな……。
そんなことがあっていいものか?
ぼくには考えられなかった。
こともあろうにエレスコブ家の警備隊がそんな無茶をするなんて……。
「騒ぎはネイト常備軍が出動して鎮圧したが、エレスコブ家では逃げ帰った暴徒を引き渡すのを拒否し、現在に至っている」
と、ダダイザン。「一方、事件を調査するうちに、これは単なる暴発というのではなく、計画的犯行であるとの見方が強まり、かつ、これはエレスコブ家による政府要人暗殺と、混乱に乗じてのクーデター計画の一環であったとの疑いが濃くなりつつある」
「――まさか」
ぼくは、声をあげずにはいられなかった。
エレスコブ家が、政府要人を暗殺してのクーデター計画?
「さいわい、カイヤツ府は現在平静を取り戻しているが、このエレスコブ家の計画についての情報を得るために、軍は独自に、エレスコブ家の出身者のうち、多少とも上層部とのつながりのあったと思われる人間を呼び、問いただそうとしているのだ」
ダダイザンは、ぼくに鋭い視線を向けるといった。「お前は、エレン・エレスコブの護衛員だった。そうだな?」
「そうであります」
ぼくは肯定した。
「お前が護衛員であった当時、エレン・エレスコブなり、エレスコブ家の幹部の誰かが、この種の計画について話したことがあるか?」
ダダイザンは問う。
「ありません」
ぼくは即座に応答した。
「それに近い、あるいは関連したような話は耳にしなかったか?」
と、ダダイザン。
「ありません」
と、ぼく。
「お前は、エレン・エレスコブの護衛員という立場にいたのだ」
ダダイザンは迫る。「今度の事件と陰謀は、エレスコブ家の中核でなされたとの推測が立てられている。エレン・エレスコブは、当主のドーラス・エレスコブに最も近い人々のひとりであり、中核的存在だ。何か思い当たることはないか? 考えてみろ」
「はい」
ぼくは考えようとした。が……エレスコブ家の中核が、ましてエレンがそんな計画を樹て警備隊員をあおったという、そんなことにつながる事象は……すくなくともぼくの見聞きした範囲では、何ひとつなかったのだ。ぼくはその旨をいった。
「かねてからエレスコブ家は、ネイト=カイヤツの運営の現状に対し、不満を持っていたと聞く」
ダダイザンはいう。「エレン・エレスコブもまた、現在のネイト=カイヤツのありかたを変えたいとし、煽動《せんどう》や工作めいたことをしていたようだ。そうだな?」
「そうであります」
嘘をついても仕様がないので、ぼくは答えた。「しかし、今お聞きしたような無謀な計画は考えていなかったと思います」
「お前は、訊かれたことにだけ、答えればいいのだ」
ダダイザンは、さえぎった。「ところで……お前はなぜエレスコブ家を出て、軍に志願したのだ?」
「隊規違反による懲罰として、エレスコブ家警備隊を離隊し、カイヤツ軍団入りを志願することを命じられたのであります」
ぼくはいった。
「どういうことだ?」
ダダイザンは眉根を寄せた。
ぼくは、かいつまんで説明した。
「どうも……よくわからんな。形式的過ぎるではないか」
と、ダダイザンはぼくを見た。「もう少しくわしく説明しろ」
ぼくはやむなく、査問会の経緯を喋らなければならなかった。正直に話したのである。従って、トリントス・トリントがいったりしたりしたことも、ぶちまける結果になり……そのせいでダダイザンは大体のところを理解したようであった。
「するとお前は、良かれと思ってしたことのお蔭で、エレスコブ家を追放同様になったというわけか」
と、ダダイザン。
「ご推察におまかせします」
ぼくは答えた。
「だが、お前が軍に、エレスコブ家のスパイとして入って来たということも、考えられる」
ダダイザンはぼくを見据えた。「そうなのか? そうでないのか」
「そんなことは、考えもしませんでした」
ぼくは返事をした。
「軍に入ってのち、エレスコブ家からお前に何らかのかたちで連絡があったか? なかったか?」
と、ダダイザン。
「いっさいありません」
ぼくはいった。
ダダイザンは、机の上に置いた何かの装置らしいのを、しばらくみつめていた。このやりとりを聴いているエスパーが、虚言の場合にそうと告げる装置なのではないか、と、ぼくは思った。
「よろしい」
ややあって、ダダイザンは頷いた。「お前はすべて正直に話したようだ。しかし、お前自身が気づいていない部分で、何かそうした兆候や証拠があったのかも知れぬ。われわれの調査の進行状況|如何《いかん》では、お前をまた呼び出すかもわからない。そのつもりでいるように」
「わかりました」
ぼくは返事した。
「それと、今後、何か思い当たるふしがあったり、関連ありそうなことを思い出したときには、すぐに小隊長に申告するように」
ダダイザンはいう。
「わかりました」
ぼくは、繰り返した。
「きょうのところは、帰ってよし」
ダダイザンの言葉に、ぼくは立ちあがって敬礼した。
「ご苦労だった」
部隊長が、そのとき初めて声を出した。
おそらく、ダダイザンがいったように、部隊長は部隊長として臨席していただけなのかもわからない。それとも他に何か目的があったのか……ぼくには何ともいえないのだ。けれども、言葉を掛けてもらったのには、やはりほっとし、うれしくもなったのである。
「イシター・ロウ準個兵、帰ります」
いってから、きびすを返す。
戸口にいた幹士長が、ぼくを連れ出した。むろん、はじめの廊下を通ってである。
が、廊下には、途中のドアを開けて、ひとりの主幹士が待っていた。主幹士は一枚の紙片を、幹士長に渡した。
幹士長は紙片を受けとり、わかったという風に頷く。主幹士はすぐにドアのむこうへ引っ込んだ。
「次はネイド・ギリンか」
幹士長は紙片を見ながら呟き、それからぼくにいった。「お前はひとりで戻るがいい。お前のところの中隊長も小隊長も、もう少しこちらに残られるそうだ」
「わかりました」
ぼくは答え……先程の部屋に出ると、待っている人たち、それに受付を務めている率軍候補生に敬礼して、外へ出た。
だが。
ぼくは、まだ混乱していたのである。
エレスコブ家の警備隊員が、ネイト警察官を襲って三十名以上も殺害し、サクガイ家に乱入した? 大統領官邸に放火しようとした?
そればかりか、エレスコブ家が、ネイト=カイヤツの政府要人暗殺を企み、クーデターをおこそうと計画していた?
信じられない。
多分……と、ぼくは、例のシェーラの手紙を小隊長から受け取ったときのことを思い出した。あのとき小隊長から手紙の差し出し人についていろいろ問われ、分隊に帰ってみると、主個兵に、くにで何かごたごたがおこっているといわれ、報道管制がしかれているのを知ったのだが……そのごたごたとは、つまりこのことだったのだ。
それにしても……。
エレスコブ家の警備隊が、本当にそんな真似をしたのなら、そこには、何かしかるべき理由があるはずだ。警備隊の連中が、わけもなしにそんな行為に及ぶわけがない。よほど腹に据えかねることがあったのではないか?
ぼくたちがカイヤツVに乗り込んだ頃でさえ、ネイトの、というより、有力な家々のエレスコブ家に対する圧迫は、かなりのものであった。それがますますひどくなり、ついには警備隊の連中が暴発せずにはいられないような情勢になったのではないか? ネイト警察とは、いってみればネイトを動かしている有力な家々の手先である。エレスコブ家の警備隊員たちは、そのネイト警察のやりかたに耐え切れなくなって、自衛のために行動をおこしたのではないか? いや……あるいはネイト警察の悪質でしつこい挑発を受け、暴発したのかもわからない。
しかも、その警備隊員の暴発は、計画的なものであり、エレスコブ家自体がかかわっていたなんて……まして、エレスコブ家の中核部が政府要人暗殺とクーデターを企図していたなど……到底、信じ得ないのである。そんな、ぼくの目から見ても実現の可能性のないことを、エレスコブ家が家運を賭けてやろうとするものだろうか? 万が一、である。万が一クーデターが成功したとしても、あと、ネイト=カイヤツをそれで引っ張って行けるものだろうか? そしてまた、ネプトーダ連邦がネイト=カイヤツのそんな状態を黙って眺めているものだろうか? 干渉もせずになりゆきにまかせるものだろうか?
そんな夢みたいな計画を、エレスコブ家が樹てるものであろうか?
事実は、ダダイザンのいったようなものではないのかも知れない、ど、ぼくはふと思った。
ぼくはダダイザンのいったこと以外、この件についてはまだ何も知らない。知らないが……警備隊員の暴発は事実としても、そう仕組まれた罠にひっかかったのではないか……さらにエレスコブ家の計画なるものに至っては、エレスコブ家を叩き潰すためのでっちあげではないのか――と、そんな気分になったのである。
だが……何もわからない。
ぼくには、実際はどうなのか、知るすべもないのだ。
そして、ぼくたちの前線行きは目前に迫っているのである。
ぼくは、ひとり黙って分隊に戻ってゆくしかなかったのだ。
[#地付き]〈不定期エスパー4[#4は□+4] 了〉
[#改ページ]
[#地から2字上げ]この作品は1989年1月徳間書店より刊行されました。
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー4」[#4は□+4]徳間文庫 徳間書店
1992年6月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第4巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 27,043 7b1f16596156b951ca4f562de48b5580
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
※ 本文中一部縦書き横並び表示が表現し切れていないところが有ります。
(剣技の型のところ等)
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
114行目
(p 25-14) 準個兵
準個兵。(。の抜け?)
799行目
(p116-12) 観監兵
監察兵では?
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