不定期エスパー3[#3は□+3] 〈エレスコブ家追放〉[#〈〉は《》の置換]
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目次
カイヤツV
査問
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カイヤツV
モーリス・ウシェスタと会う日がきた。
ぼくは当日の朝になってから、その日の午後は待機非番だと聞かされ、併《あわ》せて、午後三時半に警備隊長室へ行くよう、ヤド・パイナンにいわれたのである。
「ひとりでですか?」
と、ぼくはたずね、ヤド・パイナンは無表情にそうだと答えた。
ぼくがそんなことを訊いたのは、やはり頭の中に、総大将に呼ばれた一兵卒というイメージがあったからだ。ふつうならそうした場合、誰か上級者が連れて行くものではあるまいか?
それを……本人が勝手に行けというのは……エレスコブ家警備隊の能率主義のあらわれなのか(エレスコブ家警備隊にはひどく形式的・事大主義的なところがある反面、結構直接的で単純なやりかたをする部分もあることが、今のぼくにはわかって来ていた。これは家の警備隊というものが、その性格上そうした両面を持たざるを得ないのだろうし、さらにはエレスコブ家の警備隊が、上位の家々におけるほど大きくはなく、さりとて弱小の家々ほど小規模ではないという事情も働いているに違いない)……あるいは、現在のエレスコブ家警備隊には、ぼくに他の隊員を付き添わせるような余裕などないのか……それともぼくに都合良く考えれば、ぼく自身が手間のかからぬ一人前の隊員と評価され、自主性を認められたのか……いくつもの理由が想定出来る。そしてそれらのどれもが、ある程度は当たっているのかも知れない。
だが、もちろんぼくはそんなことまで問うつもりはなかったし、ヤド・パイナンも何の注釈もつけなかった。
午前中、エレンの部屋の前の立哨《りっしょう》をしたぼくは、エレンの顔を見ることなく交代し、護衛部に戻った。エレンが部屋から出て来てぼくを見掛ければ、ひょっとしたらモーリス・ウシェスタが何の用でぼくを呼んだのか、その手がかりになりそうな言葉を投げてくれるかも――との、かすかな期待もあったのだが……エレンは部屋を出なかったのだから、仕方がない。いや、出て来たとしても、彼女が安易にそんな真似をしたかどうか……疑問である。
ともあれ。
昼食のあと、ぼくは少し自室の整理をしてから、早めに護衛部を出て、警備隊本部ビルに向かった。
足取りは落ち着いていたはずだが、ぼくの心はそれほど平坦ではなかった。
エレスコブ家警備隊の総帥であるモーリス・ウシェスタが、なぜ一介の中級隊員のぼくを呼び出したのだろう、という不安が、いよいよ強くなって来るのだ。
モーリス・ウシェスタとは、これまでに何度か会い、言葉を交したこともある。しかし、やりとりらしいやりとりをしたのは、初めてエレスコブ家に来たときだけであった。任命式の日にはなるほど彼の前に行ったけれども、一方的に声をかけてもらったに過ぎないし、あとはいずれも、遠い存在として離れた場所から眺めるのがつねだったのだ。
そして。
最初の出会いのさいとくらべると、ぼく自身のモーリス・ウシェスタに対する心理は、大きく変ってしまっていた。はじめは反射的に反抗的な応じかたをしたものだが(もっともそうなったのには、先方の態度にも原因がある)その後、いろんな事柄を見聞きするうちに、ぼくの印象や感じかたは、変化せざるを得なかったのである。
そうなったひとつのわけは、やはり、レクター・カントニオの忠告というか警告にあるだろう。研修のために与えられた部屋で、レクター・カントニオはぼくに、ぼくがモーリス・ウシェスタにとって目障《めざわ》りな条件をいくつも備えているといったのだ。ぼくが常時でないにせよエスパーであること、ファイター訓練専門学校の優等生であること、エレスコブ一族の護衛員候補であること……すべてがモーリス・ウシェスタにしてみれば不愉快であり信用しがたいものに映るはずだ、と、説明したのである。ただ、レクター・カントニオは、きみはこれを試練と見倣《みな》すことも出来る、試練を突破し切り抜けたときには、成果はありきたりの道を経た場合よりずっと大きいだろう、ともつけ加えた。だからぼくは、ことさらそのことのみを意識したのではないにしても、そのつもりで頑張って来たのである。もしもモーリス・ウシェスタがそうした目でぼくを見ているのなら、それをはね返すだけの努力をしなければならない、と、無意識に覚悟していたはずである。そして、そういうことをつづけているうちに、ぼくの心中のモーリス・ウシェスタの像は、ちゃんと定位置を占め、そこからぼくをいつも監視しているような、そんなものになってしまったのであった。
わけは、まだある。ぼくはエレスコブ家警備隊の一員として、それもエレンの護衛員として務めるうちに、エレスコブ家警備隊のそれなりの力というものを、しだいに認識するようになった。それは外部からあまり関心もなく眺めていた家の警備隊の概念とは、かなり違っていたのだ。はっきりいえば、想像していたほどちゃちなものではなく、単に金で雇われただけの集団でもなかったのである。家の警備隊とはまぎれもなく有機体であり暴力装置の一種であり、かつ共同体でもあった。それらを統括し指揮している警備隊長のモーリス・ウシェスタという存在が、ぼくの内側で大きくなって行ったのは、当然の結果といえるのではあるまいか。しかもその中でぼくは、メンバーのひとりとして融和しようと努め、そのような日々を過して来たのだ。自分が所属し仲間になろうとしている組織体の長としてのモーリス・ウシェスタの威圧感が重く強いものと化して来るのは、避けがたいことだったのである。
――とはいうものの、ぼくは例によっていつ襲われても対応可能な態勢を保ちながら進み……やがて、警備隊本部ビルの前に到達していた。
一階の受付で、自分の役職と姓名を告げ、警備隊長に呼ばれて来た旨を伝える。
あらかじめ連絡を受けていたらしく、受付にいた隊員は、そのまま十三階の警備隊長室へ行くように指示した。
ぼくは、階段をあがりはじめた。エレベーターを利用しても艮かったのだが、ここにいたときはたいてい階段を上り下りしていたので、馴《な》れていたのだ。十三階を駈けあがるくらい、ぼくにとっては何でもないことである。
十三階に来た。
廊下を通って、合金製のドアの前ヘ――。
ドアの横に、上級隊員と初級隊員が立っていた。
「護衛部第八隊のイシター・ロウです。警備隊長殿に呼ばれて参りました」
ぼくが敬礼して名乗ると、ふたりの隊員は敬礼を返し、上級隊員が電磁錠を取り出してドアに当て、インターホンにいった。
「イシター・ロウが参りました」
「よろしい。入れろ」
モーリス・ウシェスタの太い声が流れ、上級隊員はドアを押し開ける。はじめてここへ来たときと同じ手続きだが……今のぼくには、それが、内部からと外部からの両方の施錠システムなのがわかっていた。もちろん内部の人間は、外部からの施錠の有無にかかわらず、内部からの解錠だけで、自由に外へ出ることが出来るのである。ぼく自身の個室のような指紋錠ひとつきりの部屋とことなり、ある程度以上の重要人物の部屋は、みなこうした半一方システムというべき構造になっているようである。
ぼくは中に入り、敬礼した。
モーリス・ウシェスタは、この前のように、広い室の正面のデスクにいた。だがこの前と違ってウシェスタは軽く頷《うなず》き、腰をあげながら部屋の右手の奥の応接セットを指して、いったのだ。
「よく来た。そこにすわるがよい」
「はい」
ぼくは答え、そっちへ歩み寄った。が……モーリス・ウシェスタがやって来て、腰をかけるのを待ってから、すわったのだ。
すわりながら……ぼくは、応接セットの横の棚に、据えつけ型の一般的な精神波感知機があるのを、見て取っていた。警備隊長の部屋というようなこんな場所にはあって当然……というより、なければならぬものであろうが、ぼくが何となくひやりとしたのもたしかである。もちろん、ぼくが一瞥《いちべつ》した限りでは、それは全く作動していなかった。
けれども、もうそのときには、ぼくはモーリス・ウシェスタに向き直り、相手の顔を注視していた。
ウシェスタは相変らず堂々とした体格で、はがねに似た目をこちらに向けている。だが、その顔にやや疲れが浮かんでいるように思えたのは、ぼくの気のせいだろうか? そういえば、モーリス・ウシェスタをこんなに近くから、ちゃんと観察したのは、これが最初なのだった。
それにしても……と、ぼくは、相手が三、四秒黙っているうちに、考えていた。警備隊長室に来て、こうして向かい合って腰をおろすというようなことになるとは、ぼくは予想もしなかったのだ。ぼくは多分、ウシェスタのデスクの前に直立して、質問に答えることになるのではないか、と、想像していたのである。しかし、このことが何を意味しているのかはまだわからず、わからぬままに緊張して相手の言葉を待っているのは、苦痛であった。その苦痛が加速度的に高まって行き、ほとんど耐えがたくなったとき、ウシェスタは口を開いた。
「だいぶ落ち着いたようだな。はじめてここへ来たときは、警戒心のかたまりのようだったが」
「…………」
相手がいっているのは感想であり述懐だと解釈したから、ぼくは黙って、軽く頭をさげた。
「きょうは、お前と個人的な話がしたくて、それで呼んだのだ」
と、ウシェスタ。
ぼくは返事の代りに相手の顔をみつめた。
「話というのは、お前の能力――不定期エスパーであることについてだ」
ウシェスタはいう。
そうか。
ぼくが呼ばれたのは、そのことだったのか。
そのときのぼくの脳裏をかすめたのは、いうまでもなく、この間のラスクール家の連中とのいざこざの折の、ぼくの不思議な活性化と充実感であった。あれがエスパー化だったのか否か、ぼくは知らない。エスパー化であり精神波感知機で感知出来るものであったなら、エレンの手首の感知機は作動したであろう。そしてそうなったことを闇から闇へ葬り去ってしまうためにエレンは感知機を捨てるかどうかし、パイナン隊長もそんなことを知らなかったことにしてしまったのでは――という、あの疑念が、またよみがえって来たのである。モーリス・ウシェスタがここでぼくの超能力について語ろうというのは、そのことと関係があるのではないか? ひょっとするとエレンなりヤド・パイナンなりから(実際にそうしたカモフラージュが行なわれたとしてだけれども)この出来事を聞いたウシェスタが、ぼくに、何かいおうとしているのではあるまいか?
しかしながら、これはつまるところ、ぼくひとりの疑惑であり臆測に過ぎない。従ってぼくは、自分のほうからそんな話を持ち出すことは出来ないのだ。臆測が的中しているとすれば、なおさらである。口にするのも禁物であろう。むろんぼく自身、喋《しゃべ》る気もなかったが……。
「お前は不定期のエスパーだから、今後いつエスパー化するかわからない」
モーリス・ウシェスタは、だが、そうしたことがあったのかなかったのか、ぼくには窺《うかが》い知れぬ口調で話しだしている。それも、これまでのことには全く触れず、一般的ないいかたで、だ。「もしも勤務中にそうなったら、お前は直ちにそのことを直属上司に申し出て、非エスパーに還るまで勤務を離れなければならん。お前は護衛員だからな。それが定めだ」
「はい。よく承知しているつもりです」
ぼくは返事をした。そしていささか不安でもあった。ウシェスタがこんな切り出しかたをするのは……やはり、あのときのことを咎《とが》めるためだったのだろうか、と、思ったのである。
が。
話は、違う方向へ行った。
ウシェスタは椅子に背中をあずけ、ゆっくりといったのだ。
「どうだ? お前、超能力除去手術を受けようと考えたことはないか?」
超能力除去手術?
ぼくは、そのことを何回勧められたであろう。超能力をフルに活用するのならともかく、超能力に振り廻されるくらいなら……しかも常時エスパーでない不定期エスパーであるのなら……能力除去をしてもらうほうが、どれだけ有利になるかわからないぞ、と、何度いわれたことであろう。そして、そう、ぼくもそれを考えなかったわけではない。ぼくの父自体が能力除去手術を受けた元エスパーだったのだ。それにネイト=カイヤツでは、いやネイト=カイヤツのみならずネプトーダ連邦の版図内では、エスパーよりは普通人のほうが、職業選択上ずっと有利な立場にある。不定期とはいえなまじエスパーだったおかげで、ぼくは随分損をして来たのだった。
それにもかかわらずぼくが能力除去手術を受けなかったのは、前にもいったが、ぼくなりの理由によるのだ。ぼくはエスパーだったからこそ、父母の死の瞬間を、共有し得た。その能力を捨て去るのは、ぼくの父母をはじめとするすべての思い出、自分の大切なものを放棄するように思えて、とても踏み切れなかったのである。それと、ぼくはこの能力を保有しつづけることによって、いつかは知らないがいずれ、何かすばらしいことがあるに違いない、という奇妙な気分がずっと存在しつづけているせいであった。それが具体的に何であるのかはわからないし、そんな気分がはたして信頼していいものかどうかも不明であるが……予感かも知れないとの気もして、おのれの(乏しい、自分でも制御しかねるものであるが)能力を消してしまうのは残念だったのである。だからこそ、ぼくはファイター訓練専門学校で学んだ。エスパーであろうとなかろうと関係のない仕事に就《つ》くために、この道を選んだのだ。
そしてまた、ぼくを採用したエレスコブ家も、そのことは承知のはずであった。
それを……なぜまた今ごろ……?
「ぼくは――」
いいかけようとするぼくを、モーリス・ウシェスタは片手を持ちあげて黙らせた。
「わしは、強制はしておらぬ」
「…………」
「とにかく聴け」
ウシェスタは、両手の指をからみ合わせてテーブルに置いた。「わしがこんなことをいうのは、お前にとっても、エレスコブ家にとっても、現在の状態よりはお前が超能力除去手術を受けたほうが、あきらかに得策と考えられるからだ」
「…………」
「わしの聞いている限り、お前はなかなかよくやっているようだ。エレン様の護衛員として、隊の連中とも気が合っているという。これはエスパーとしては、簡単には出来ないことだ。それは認める」
ウシェスタはつづける。「しかし、たとえ不定期であろうと、お前がエスパーである以上、抜群の昇進は望めない。護衛員としてはむろんのこと、一般警備隊にいても、隊をひきいる士官にはなれないだろう。いつエスパー化するかも知れぬ人間に指揮を委ねることは出来ないからだ。お前に二級士官、いや一級士官になれる素質があるとしてもな」
「…………」
それはわかっていた。理屈からいっても、その通りなのだ。
「本来、エスパーがどこかの家の警備隊に入るとすれば、特殊警備隊が適任なのだ」
と、ウシェスタ。「だがその場合は当然ながら常時エスパーであることが必要だから、お前は失格だ。それに特殊警備隊員というものは仕事の性質上、他人を欺《だま》し裏切ることもしばしばやらなければならん。お前には務まるまい」
「――そう思います」
ぼくは答えた。
これまでにぼくは、特殊警備隊の仕事というものについて、何度か噂を耳にしていた。エスパーたちだけから成る特殊警備隊は、超能力を活用して、出来得る限りのことを要請される。その中には当然ながら、スパイ合戦も含まれているとのことであった。そうした裏の裏の裏という攻防は必ずしも嫌いではなかったが、そのために他人を信じさせ裏切るのも平気になれるかといわれると……到底ぼくには出来ないであろう。第一、ぼくは常時エスパーではないのだ。
「エレン様からお伺いしたところやヤド・パイナンの話によれば、お前は持ち前の気の強さと真面目さで、ずっとやって来たらしい。それに結構頭も回るようだ。そんなお前が、エスパーというだけで今いったような立場にとどめられるのは、残念な話ではないか。――これがお前にとっての問題だ」
「…………」
「一方、エレスコブ家にとってみても、お前がエスパーのままでいることは、危険がある」
ウシェスタは、いうのである。「お前がエレン様の護衛員としての責務を果たせば果たすほど、お前の第八隊における存在は大きくなる。そして、そのぶんだけ、お前のエスパー化によって戦列を離れたさいのマイナスも大きくなるのだ」
「…………」
「それが、さほどさし迫っていないときならともかく……のるかそるかの緊急事態に、そんなことがおきたらどうなる?」
そこでウシェスタは一拍置き、からめた指をほどいて、両方のてのひらをテーブルに載せ、うしろにもたれた。「たとえば……さし当たっては、カイヤツVでおきるかも知れない非常事態だ」
「カイヤツ……V、ですか?」
「そうだ」
と、ウシェスタ。「お前も知っている通り、エレスコブ家は連邦登録定期貨客船をネイト=ダンコールから購入し、カイヤツVとして運航することになっておる。ほとんど完成していたものをあちこち仕様変更するだけだから、あと一カ月か一カ月半もしたら、カイヤツ一級宙港に来るだろう。その最初の航行には、エレン様もお乗りになるといっておられる」
「エレン様がですか?」
ぼくは思わず反問した。
カイヤツVが、その位の時期にネイト=カイヤツに到着するであろうことは、ぼくも聞いていた。けれどもその第一回の航行にエレンも参加するというのは、初耳だったのだ。
しかし、考えてみると、それは充分にあり得ることであった。いや、エレスコブ家の今後の方針が、イサス・オーノの指摘したような、そしてヤド・パイナンが大略は肯定したようなあの方向にあるのなら……むしろ、エレン・エレスコブが真っ先に乗り込み、ネイト=カイヤツ以外のネイトへの働きかけに赴《おもむ》くと想定するのが、自然ではなかろうか。
「エレン様は、そうおっしゃっておられる」
ウシェスタはいう、「そうなれば当然護衛員も同行する。が……そうした長期間の遠い世界への旅では、何がおこるかわからん。何かがおこっても補充はきかないのだ。そこでの非常事態のさなかにお前がエスパー化して戦列を離れたら……それがもとで重大な結果を生じるかも知れんのだ。そうは思わんか?」
「その通りだと思います」
ぼくは、いうよりほかなかった。
「うむ」
ウシェスタは、小さく頷く。
そういう風に順序を立てて説明されると、しだいにぼくには、逆らえないような気がして来るのであった。理屈で考えればたしかにそうなのだ。ぼくはエスパーであることをやめて、普通の人間になるほうが、諸事、うまく行くのだと思えて来る。
けれどもそれは、理屈であった。筋道は通っているものの……ぼくの心の中には、まだ抵抗する気分が頑強《がんきょう》に残っていた。いろいろいわれてみても、心の底からそうしよう、能力除去手術を受けようとの気持ちにはなれないのだ。それは信念というよりは感情であり信仰にも似たものであった。
とはいえ……モーリス・ウシェスタは、ぼくに即答を迫っているのではないようであった。はじめに強制はしないといったが、嘘ではないようで……ぼくにそれ以上の返事は求めず、おもむろに深い呼吸を重ねてから、またいいはじめたのである。
「わしは今、もっぱら、お前がエスパーであるか否かによる、いわば損得について喋った。が、……わしは、元エスパーとして、かつ、仕事の都合上エスパーたちと接触しなければならぬ人間として、超能力というものに、わしなりの意見を持っている」
「…………」
ぼくは、いったん落としていた視線を、相手の面上に戻した。
モーリス・ウシェスタが、かつてエスパーだったらしいとは、レクター・カントニオから聞いたし、その後も他の隊員たちとの話で、ぼくは何度も耳にしていた。といってもそれはひそひそ話としてではない。エスパーが能力除去手術を受けるのは、別に珍しいことではないからだ。従ってそのことも、モーリス・ウシェスタの経歴の――あまり重要ではないひとつとして、語られるのがふつうだった。そんなわけで、ぼくは相手の言葉に対しても、驚きはしなかった。
だが……そのウシェスタが、超能力というものについて意見を持っているとなれば……相手がモーリス・ウシェスタだけに、聞きたいものだと思ったのである。
「今、というより以前から、ネイト=カイヤツでは、超能力や超能力者というものは、あまり尊重されていない」
ウシェスタは、遠いものを見る目になって、低い、太い声で語りだした。「この事情はネイト=カイヤツのみならず、ネプトーダ連邦のたいがいのネイトで、みな似たようなものだという。なぜそうなのか……わたしは、エスパーであったころに何度となく考えた。エスパーでなくなってからも、しばしば思いをめぐらしたものだ」
「…………」
ぼくは、何もいわずに聴いていた。モーリス・ウシェスタのそうした喋りかたは、演説というにはあまりに重く、どこか苦渋《くじゅう》に満ちているようで……ぼくはウシェスタの、これまでは考えもしなかった一面を覗《のぞ》いているような感じがした。
「いうまでもなく、超能力は、読心や透視や未来予知といった精神感応の力と、念力による物体操作のふたつの系列に分けられる」
ウシェスタは、ゆっくりしたテンポでつづけるのだ。「この二系列は別のもののようでありながら、実際には不可分で、一方はたいてい他方を伴っているが……いずれにせよ、それらの能力のどれひとつをとっても、普通人にはないか、あっても微弱なために実用にはならぬ。つまり超能力者というのは、それだけ普通人より優れているのだ。優れていながら、その使いかたを制限され、普通人より不利な立場に置かれている。なぜだ? それはなぜだと思う?」
「社会が、超能力を活用し切れないからではないでしょうか」
相手がぼくに質問を投げたので……それがなかばはひとりごとだとわかっていながらも、ぼくは答えないわけには行かなかった。
「そういえるだろう」
ウシェスタは頷いた。「だが、なぜ社会がそれを活用し切れないのか? なぜ活用しようとしないのか?」
「…………」
「超能力者は優者だからだ、と、前にはわしは考えたことがある」
今度はぼくの返事を待たず、ウシェスタはつづけた。「優者であるから、それを普通人と同じスタート台に置いてはフェアではない、だから力を制限し、制限した範囲内でしか利用しようとしない……超能力者を普通人と同一の条件で組織に組み入れては、組織そのものが根底からくつがえってしまう。おそれているから制限し、不利な状況に置いているのだ……と、考えたこともあった」
「そうではないのでしょうか?」
ぼくは、質問せずにはいられなかった。モーリス・ウシェスタのいったそのことは、正に正鵠《せいこく》を得ている、と、思うからであった。
「違うな」
ウシェスタは、かぶりを振った。「わし自身、かつてそうだと信じていたが……もしもそうだとするならば、社会自体の構造をひっくり返して、超能力者が貴族である世の中があっても不思議ではないはずだ。だがすくなくともネプトーダ連邦内では、そんな体制のネイトはひとつも出現していない。なぜ出現しないのか?」
「それだけ現存の社会が強固だからではありませんか? それに何といっても超能力者は少数派ですし……」
ぼくはまた、口を出してしまった。
ウシェスタは、かすかに苦笑に似た表情を浮かべると、ぼくを見やった。
「そうではない」
と、モーリス・ウシェスタはいった。「そうではないのだ。超能力というのは……現在知られている種類の超能力では、まだ人間社会において絶対的な優越条件にならないのだ」
「…………」
「わしがそのことを思い知らされたのは、どうしようもない人格低劣な無頼漢――ただし当時のわしよりも、はるかに強力な超能力を持っていた奴に、叩きのめされ、殺されかかったときだ。そいつはただ単に、強い超能力を持ち、乱用しているというだけの男だった。酔っ払い、喧嘩を吹っかけ、相手をぶっ倒してはよろこんでいた、どうしようもない奴だったんだ。そんな人間を、他よりぬきんでた超能力を持っているからというだけで、支配階級にするのを、人々は認めるだろうか? 認めはすまい。そいつはやがて収監され、強制的に能力除去手術をされた。それで仕方がなかったのだと思う。超能力は、つまり、超能力だけでは必ずしも優越条件にはならないんだ」
「…………」
「もちろん、それでも超能力者を優者と認め、すべてを野放しにし、力と力の衝突にまかせるという社会を想定出来ぬわけではない。だがそれは野蛮への逆行であり、今の状況下でそんなことをするネイトがあれば、たちまち他のネイトに併呑《へいどん》されてしまうだろう。だから多数派である普通人は、多数派であることを頼みにし、正義の名のもとに超能力者狩りをすることになるのは、目に見えている。そうなれば超能力者は貴族どころか、追い立てられ、抹殺されて……絶えてしまうかも知れん」
「と、すると……警備隊長殿は、それが動機で能力除去を――」
ぼくはたずねかけ……ウシェスタはさえぎった。
「それが動機ではない」
「…………」
「そんな男に殺されかかったことは、たしかにわしの、超能力者すなわち優者という考えを変えさせた。しかし、そんな動機でわしは能力除去手術を受けたわけではない」
「…………」
「そう急ぐな」
ウシェスタは、ふっと息を洩《も》らし、ややあってから話を再開した。「もっとも……超能力は、それだけでは普通人に優越し普通人を支配することは出来ないにしても、道具としては充分……いや充分以上に利用価値のあるものだ。それを徹底的に活用しようとしているところもある。たとえばウス帝国がそうだ。わしが得た情報では、もともとウス帝国では超能力者を軍に組み込み、武器として使って来たけれども、その傾向はいよいよ強くなっているという。よく耳にする精神感応ネットワークや、敵に思念を集中してその思考を混乱させたり凍結させたりというのはもちろんのこと、最近ではそれらをさらに組織化し、増幅機構も大がかりなものになっている上に、制式武器としての感応ロボットが配備されているとの噂もある。だから……今後のなりゆきしだいでは、対抗上ネプトーダ連邦でもそうしたことを考え、実施さぜるを得なくなるかも知れぬ」
「…………」
「しかし、それはあくまでも、道具として使われるのに過ぎん。目的のための手段として利用されるだけの話だ。道具としての超能力者には自主性はない。当人のしあわせなどとは一切無縁だ。そうした使われかたをするとき、超能力者はもはや人間扱いされていないといっていいのだ」
「…………」
「だからこそ、ネイト=カイヤツであれ他のネイトであれ、ネプトーダ連邦においては、超能力者の能力に過度の期待をかけず、逆に制限するやりかたをとって来たのではないか、という気がする。普通人を普通の人間として扱い、超能力者もまた人間として扱って行こうとすれば、現在のような体制しかとり得ないのではあるまいか。最上とはいえないが極端でもない、今のありかたしかないのではあるまいか? かりにもっと良い方式があるとしても、われわれはそれをまだ見出していないのだ。年月のうちに、わしはだんだんとそう考えるようになった」
「…………」
現実はそういうものかも知れない――と、ぼくは思った。たしかにそうした見方が成立するのは否定出来ない。ウシェスタの言葉は現代のぼくたちの社会と超能力者の関係の、その面を照らし出しているのだ。
しかし……。
「お前は、超能力者のひとりとして、多分、不満だろうな」
モーリス・ウシェスタは、ぼくの気持ちを見抜いたようにつづけた。「わしがいった事柄は、普通人側の、普通人の都合による考えかただと思っているだろう。それは不公平だと感じても不思議ではない。超能力は普通人が持っていないからこそ超能力なので、それを制限されたときには封殺されるのは不自然だとの気持ちもあるだろう。能力に見合った正当な待遇をしてもらいたいとの欲求は、どうしても消えないかも知れん」
「…………」
「だが、わしは、しばしば考えることがある」
ウシェスタは、語調をさらにゆるめて、いった。「超能力というものは、はたして世間一般で信じられているほど有効で力あるものだろうか? プラス面だけの能力なのだろうか? それは同時に、大きなマイナスも背負っているのではないだろうか?」
「…………」
それは、ぼくにはなかば意外で、しかもなかばはぼくの心底にあった一種の不安・懸念に触れる問題提起であった。ぼくは超能力の有効性というものはあきらかに信じながらも、その一方で、ぼくにはどうしても自分で把握し切れないその能力に、どこか得体の知れない暗い本性というべきものを、何となく感じていたからである。
「わしがこういうことをいいだすと、お前は世間でよくささやかれる、知り過ぎる不幸のことをいっていると思うかも知れぬ」
と、モーリス・ウシェスタ。「たとえばここでは、話を読心力にしぼるとして……読心力者が家族の中にいるとき、その人間は家族の心中すべてを読み取るために、お互いの疑心暗鬼を招き、家族そのものが崩壊するだろうという、あれだ。家族の全員が読心力者なら、余計不幸だろうと世の人々はいう。ひとりひとりのちょっとした怒りや猜疑《さいぎ》や嫉視《しっし》・反感が、即座にみなにわかるために、共同生活は成立しない、と、考えている者も多い。その問題は、だが、解決出来ないわけではない。家族全員が読心力者であるなら、そうしたお互いの心の動きを当然のことと認め合って、それに馴れて行くことで、連帯は保持されよう。とはいうものの、そうしたやりかたは家族という限られた人数の、ひとつの枠《わく》の中だから可能なので、これを社会一般に及ぼすのは無理だ。社会の成員のすべてが利害関係を持たず、すべてが善人であるならうまく行くだろうが、そんなことはあり得ないのだからな。そして、読心力を持つ者が少数派である以上、そんなお互いの了解の上での心の読み合いの是認などということは、絶対に行なわれないだろう。――これが、世間でいわれる読心力者のマイナス面だが……わしは、このことをいっておるのではない」
「…………」
「わしがいいたいのは、その読心そのものが、はたして真の読心なのか、ということだ」
モーリス・ウシェスタは、視線を宙に漂わせつつ、いうのであった。「いや……読心はなるほど文字通りの読心だろう。だが、その読心は、相手のすべてを読み取っているのだろうか?」
「…………」
「読心とは、そのときの対象の思考や感覚を感知することだ。それほどでもない読心力者は、意識の表層を撫で廻すだけだが、すぐれた読心力者になると、対象自身が意識していない心の奥底まで見通すことが出来る。しかし……人間の心というのは、一定ではない。つねに揺れている。何かの経験によって気持ちがまるで違ってしまうことも、すくなくないのだ。もっと長い時間の経過のうちには、思考の型や感受性そのものが変って行くことだって珍しくはない。だから本当にその人間を知ろうとするなら、相手にずっとついていて読心をつづけなければならない。そうしないと、完全にわかったとはいえないのだ。けれどもそんなことは不可能だろう。ふつう読心がなされるときには、その時点か、でないとしてもごく短時間の、限られた部分を読み取るだけだ。そうではないか? たとえ意識の深層を見透したとしても、いわば点として把握するに過ぎない。そうではないか?」
「――はい」
ぼくは、首肯するほかなかった。そんな見方は、ぼくはこれまで(漠然と頭の隅にあったかもわからないが)はっきりと考えたことはなかったのだ。いわれてみるとそれはきびしい指摘だという気がした。そう……かりに誰かが、エレスコブ家警備隊に入る前のぼくの心を読み取ったとする。それで現在のぼくというものを捕捉《ほそく》出来るであろうか? まず、無理であろう。きわめて有能な読心力者なら、ぼくがどこかの家の警備隊に入ったら、どういう考えのどんな人間になるであろうかとの予測ぐらいは立てられるかも知れない。だが、ぼくがエレン・エレスコブと出会ったあと、他の隊員たちと知り合ったあと、あるいはシェーラというものに出くわしたあと、どう変化したかは、あらためてぼくの心を読んでみないことには、わかりはしないであろう。それこそ未来予知を援用でもしない限り、不可能なのだ。と、そう考えて来ると、たしかに、読心というのはその人間を本当に知ったことにはならない。その時点か、その時点の前後の断片を切り取っただけのことで、相手を知りつくしたとは、とてもいえないのである。
「それにもかかわらず、読心力者たちは、往々にして錯覚する。自分は、現象を把握したと信じてしまうのだ」
ウシェスタは、話しつづけた。「わしにいわせれば、ひとりの人間がどういう人物であるかをつかみ取るのは、むしろ、読心という方法を持たぬ普通の人間が、長いつき合いのうちに悟って行く――そのほうが正確であり全体的である、と、解してもよいのだ。それは超能力の一時的な発動をしのぐ、知恵というものなのだ」
「…………」
「むろん、もともと読心力というのは、そのようなもので、ある種の限界があって当り前だとの解釈も出来よう。しかし、わしが考えなければならぬと思うのは、読心力者がそのことを失念して、自分なら普通人にはとても出来ないような、短時間で対象である人間を把握したと自負し、そのつもりで行動することなのだな。自負心のお蔭で、かえって大局が見えなくなり、視野が狭くなって……息の長い勝負が不得手になって行く。そればかりではない。自分が知悉《ちしつ》したと思っていた対象が、次に出会ったときにはことなっているということが重なった場合には、その読心力者は、その都度人間不信におちいって行くであろう。自分が超能力で知っていたはずの相手がこうだったのか、ということになれば、その不信感は普通人の場合よりはずっと強いはずだ。だから今度は完全に把握してやると気負い立つあまり、いっそう短時間の断片つかみに血道をあげ、ますます大局がわからなくなって行く。ある意味ではそれは、専門技術者が落ち込みやすい罠《わな》であるといえるかも知れぬ」
「…………」
「わしは今、読心力者について、その読心力者が特定の対象の心を感知しようとするときの、結果としては普通人に及ばなくなってしまう罠について話した」
と、モーリス・ウシェスタ。「一対一の関係においてもそうなのだとすれば、これが社会生活の中ではどうなる? 木を見て森を見ずというかたちになりがちだとはいえまいか? 読心による把握はなるほど精緻《せいち》で鋭いものであっても、それは断片の積み重ねだ。それほど精緻でなく鋭くなくても、大まかに全体を見取り、長い時間のうちに何となくつかんで行くやりかたには、到底太刀打ち出来ないだろう。部分部分では優っていても、人間が集団として生きて行く中にあっては、所詮部分部分の優越でしかない。鋭利な刃物は、ついには鈍刀の根気強い打撃のくり返しには敵し得ないのだ」
「…………」
「誤解のないように、はっきりしておくが、わしはすべての読心力者がそうだと断定してはおらぬ。ただ、そうした傾向を持つ読心力者がすくなくない、と、観じておるのは事実だ」
「…………」
「これは、読心力だけには限らん」
モーリス・ウシェスタは、依然として重い、ゆるやかな調子でいう。「他の超能力についても……そのひとつひとつを具体的に説明する余裕はないが……超能力者が、おのれが超能力者であることに自負心を持ち過ぎ、溺れてしまうと、しばしば普通人に見えていることが見えなくなり、特殊な存在として、大きな仕事が出来なくなることが多い、と、いえるのだ、わしはいつか、そうだと信じるようになった。信じたものの、まだふんぎりがつかなかったときに、エレスコブ家の当主が……いや、そのことを詳しく話してもはじまらない。また、今はそこまでいう必要もないだろう。とにかくわしは、当主から受けた恩義に幾分かでも酬いるために、ある仕事に取り組んだ。その仕事は、超能力を持っている者には出来ない性質のものだったから……能力除去手術を受けたのだ。超能力に未練がなかったといえば、嘘になるだろう。が……超能力者におちいり易い罠に気づきはじめていたために、能力を放棄する決意を固めることが出来たといえる。それだけに、わしは、超能力に執着して超能力のみを武器にしようとする人間を見ると、妙に腹立たしい気分になるのだ」
「あの……お伺いしてもよろしいでしょうか」
ぼくは、自分を奮い立たせるようにして、声を出した。
「何だ?」
「もしも聞かせていただけるなら……お願いしたいのですが」
どなりつけられるかも知れなかったが、ぼくはどうしても訊いておきたかったのだ。
「そうして超能力を放棄して……得られたものがあったとすれば何だったか、お教え願えないでしょうか」
予期に反して、モーリス・ウシェスタはあっさりと応じた。
「一体感、だろうな」
「一体感?」
「自分が所属している組織との一体感……具体的にいえば、エレスコブ家の一員としての感覚だ」
ウシェスタはいう。「これは、わしが超能力者のときには決して得られなかった感覚だ。わしは超能力者でないから、エレスコブ家の人間として、その中にいられる。わしが得たものはそれだった」
「…………」
ぼくは黙り、モーリス・ウシェスタもまた、しばらく口を閉ざしていた。
が。
ウシェスタは、おもむろにいいはじめたのである。
「おそらく、超能力というのは、人類があたらしく得た力であり、財産なのかも知れない。どういうわけで、超能力というものが発現して来たのかは、わしにはわからぬが……そうなのであろう」
「…………」
「お前も知っているだろうが、宇宙には人類とことなる生命形態が、いくつもあり、ネプトーダ連邦の版図内にも、そうした生物の住む惑星はすくなくない。かれらの居住環境がわれわれとはことなっていることと、さいわいにも文明としては、連邦の版図内には人類に迫るレベルのものはなく、宇宙航行の段階に達しているものもないせいで、われわれはかれらと可能な限り没交渉の状態にあるが……科学者たちの調査では、かれらのうちの何種族かは、テレパシーなどの、人間がいう超能力を有しているそうだ。しかしわしは、かれらがどうであるかにはかかわりなく、人類にとっての超能力は、人類自身の、人類にとっての問題として対処すべきだと思っておる」
「…………」
「人類はあたらしい力として、超能力を得た。だが、だからといって人類がこの力に引きずり廻されなければならないとは、いえないのではないか? このあたらしい力は、あるいは人類の生物としての特殊化のあらわれだと見倣すことも出来るのだ。もしもそうならなおのこと、この力を野放しにすることはないといえる。ウス帝国はいざ知らず、われわれの世界――ネプトーダ連邦は、ネイト=カイヤツは、人間自身のために、この力を知っても抑制すべきではないだろうか。ある意味では、それが文明だともいえるのではなかろうか」
そこでモーリス・ウシェスタは、先程よりさらに長い沈黙を置いた。
そして、ウシェスタはぼくを見やり、ぽつんといったのだ。
「繰り返すが、強制はせん」
「…………」
「また、すぐに返事をしろともいわぬ。考えておけ」
「――はい」
「よし」
ウシェスタは、腰をあげた。「話はこれで終りだ。帰ってよし」
それは、会見終了の意思表示であり、帰れとの命令でもあった。
ぼくは立ちあがって敬礼し、警備隊長室を出た。
ドアを抜け、横にいた上級隊員と初級隊員にも敬礼し、廊下を通って、エレベーターで下へ向かう。
警備隊本部ビルから護衛部へと帰る途中、ぼくの胸中にはともすれば、モーリス・ウシェスタのいったことが、起きあがろうとしたのだが……考えごとに耽《ふけ》って無防備な状態になるのは、たとえエレスコブ家カイヤツ府屋敷の中といえども望ましくないので、ぼくは無理矢理それを抑えつけたのだった。
護衛部に帰着したぼくは、とにかく隊長に今の会見についての報告をしようとしたものの、ヤド・パイナンは勤務中で、いなかった。で……ぼくは自室に引き揚げ、そこではじめて、ゆっくり考える余裕を得た。
モーリス・ウシェスタが、ぼくに超能力の除去手術を示唆《しさ》した理由は、はっきりしている。
エレン・エレスコブの護衛員であるぼくが、危急のさいにエスパー化したらどうにもならないからだ。そしてウシェスタは、超能力の除去がぼく自身にとっても有利に働くであろうとも言明した。
そして、ウシェスタがこの時期に、ぼくにこのことをすすめたのも、頷けるのである。超能力除去手術についてぼくは詳細は知らないけれども、四、五日か、長ければ一週間はかかるとの話は聞いていた。むろんそれは手術そのものだけでなく、検査し訓練し職場に復帰出来るまでの全期間ではあるが……その間ぼくが勤務に就けないのはたしかである。現在のぼくは決して暇ではないが、今なら何とかすればその程度の日数は取れるであろう。しかし、あと一カ月か一カ月半もすればカイヤツVが到着し、エレン・エレスコブがその最初の航行に参加するというのだから、当然ぼくも随行しなければならない。そうなればもう手術どころではないのだ。つまり、ぼくが超能力除去手術を受けるなら、ここしばらくのうちが最適なのだ。それも、モーリス・ウシェスタのお声がかりとなれば、パイナン隊長はそのための便宜を図ってくれるに違いない。
それは、わかっていた。
が。
繰り返すことになるけれども、それでも依然としてぼくは、踏み切る気にはなれないのであった。たしかにぼくが超能力を除去してもらうことで、ウシェスタの不安(それはまた、パイナン隊長や第八隊のメンバー、さらにはエレン・エレスコブにとっても同様なのかもしれないが)を除く結果にはなるであろう。ぼくはエレスコブ家の人間として務める限り、そうするのが正しい態度なのかも知れない。しかもぼく自身にとっても、エレスコブ家のメンバーになり切るためには、そのほうが有利なのである。けれども……自分にとって有利になるから超能力を放棄するというのは、何となくぼくの気持ちにそぐわないのも事実であった。いかにも功利的という気がするのである。それが、モーリス・ウシェスタのいったように、おのれの所属する組織との一体感を得られることになるとしても……損得で自分が動き過ぎるような感じがあったのだ。この気持ちが、エレスコブ家におけるぼくがとるべき態度という義務感と、いわば相殺になって、ぼくを押しとどめる作用を果たしているようでもある。そうなると……問題は、原点に還ってしまうのだった。ぼくはこれまでに、あまりにもしばしばおのれに投げかけ、いつもそのたびに答えて来たいいわけを並べるしかないのだ。ぼくが自分の超能力を放棄しなかったのは、ぼく自身の過去――頼りない制御不能な超能力と共にあった過去を消してしまいたくなかったのであり、この能力を持ちつづけていれば、いつか、何かはまだよくわからないけれども、あかるいものが到来するという、奇妙な感覚が存在しているからなのである。ちっとも論理的ではないが、論理的ではないからこそぼくの中に根強く居すわっている、あの返答で酬いるしかないのであった。
もっとも、モーリス・ウシェスタにいわれたことによって、ぼくが、自分の心は変らないであろうとわかりながら、あらためて少しは考えてみようとしたのは、嘘ではない。すくなくともぼくは、ウシェスタに向かって、言下に拒否したりはしなかった。それが礼儀だと思ったからだ。そしてこの瞬間も、少しは考えてみようとの気持ちの上で、考慮中という看板を掲げている趣がある。考慮中のままで行きつくところはやはり現状維持の不定期エスパーになると自覚しながらも、いささか浮揚している観があった。
しかし。
超能力除去手術に関する件はそれでいいとしても……超能力というものについてのモーリス・ウシェスタの意見は、やはりぼくを考え込ませずにはおかなかったのだ。
ウシェスタは、超能力者は必ずしも普通の人間より優れているとはいえない――と、説いたのである。能力そのものとしては、なるほど普通の人間が備えていないものを持っているだろうけれども、人間社会が現在のような状態であれば、普通の人間よりも劣った存在になりがちだ、と、いったのだ。しからば人間社会を超能力者の都合のいいように変えたらどうかということについても、それは出来ないであろう、超能力は人間として、絶対的な優越条件にはなり得ないのだ、ともいったのである。このいいぶんには、厳密にチェックするならいろいろ穴があるかも知れないし、現代の社会のありようや人間の生きかたに偏り過ぎた見方だと非難することも、可能だろう。が……ウシェスタがかつて超能力者であり、超能力者の優位を信じていたにかかわらず、それを捨て、今では普通の人間としての経歴を積みあげて来ていることを想えば、そう簡単にしりぞけ無視するわけには行かないのではあるまいか? なぜならそうしたウシェスタの感覚は、これまでの経験や実績に裏打ちされたものであり、理屈はそれらをどう解釈するかのためにあとからつけられたものだからである。理屈そのものを攻撃し論破したところで、ウシェスタ自身のこれまでの実感を否定することにはならないのだ。そこが厄介なのであった。
そしてまたウシェスタは、この感覚の延長線上に、ひとつの仮説を置いた。曰《いわ》く、超能力とは人類があたらしく得た力であるとしても、それは人類のいわば特殊化の進行であり、安易にその特殊化に寄りかかるのは、人類文明にとって決していいことではない……だから抑制すべきだ、というわけである。
超能力というのは、そうした、人間社会にとってマイナスに働く力なのだろうか? 超能力はいろんな意味で、それが出現し使用される前の時代には不可能だった事柄を可能にしたはずだが……そのことだって両刃の剣だというのだろうか?
とはいうものの、ぼくには、そういう思考を首肯すべきか否か、しかとした解答は得られなかった。この設問に答えるには、ぼくの経験や知識が乏しかったのかも知れない。またそれ以上に、ぼくは超能力というものについて、そこまで突っ込んで考察したことがなかったせいであろう。そんなわけで、ぼくはこの問題についても(他のさまざまな疑念と同じく)懸案事項として、頭の中の未決箱にしまい込むしかなかったのである。
――というかたちで、ぼくはそれ以上の追求は諦め、出掛ける前に中断した自室の整理を再開した。
作業の間に、送受話器のベルが鳴った。
パイナン隊長である。
ヤド・パイナンは、ぼくが警備隊長のところへ行ったか確認したのち、用件は何だったとたずねた。
ぼくはありのままに、超能力除去手術を受ける気はないかと訊かれたこと、それに超能力に対するモーリス・ウシェスタの考え方を聞かされたことを、なるべく手短かにまとめて報告した。
「そうか。それでお前は手術を受けるつもりか?」
と、ヤド・パイナン。
「考慮中ですが、すぐには受けようとは思いません」
ぼくは答えた。
「そうか。わかった」
それだけいうと、ヤド・パイナンは話を打ち切り、画面から消えた。ぼくには、ヤド・パイナンがこのことにどういう意見を持っているのかわからず……まして、モーリス・ウシェスタがぼくを呼び出したのについては、例のラスクール家の連中とのいざこざのさいの、あのぼくの奇妙な活性化が関係しているのか、また、会見の段取りにヤド・パイナンやエレン・エレスコブが多少ともかかわっていたのか――などといったことについては、さっぱり見当がつかなかったのである。
「お前、この間、警備隊長に呼ばれたそうだな」
ペランソの瓶《びん》とグラスふたつを三点セットのテーブルに置きながら、ハボニエがいった。
「ああ」
ぼくは頷く。
ハボニエの部屋の中だった。どうだ、少し飲まないかと誘われて、ついて来たのである。
「超能力除去手術をすすめられたんだって?」
ハボニエは、ペランソをグラスに注ぎつつたずねる。
「そうなんだ」
ぼくは、また頷いた。
「それで?」
ハボニエは、グラスのひとつをこちらへ押しやる。
「どうも……すぐにはそんな気になれなくてね」
ぼくは、正直に答えた。「本当はそうしたほうが、仕事の上では好都合なんだろうが……そうだろう?」
「…………」
ハボニエは、ペランソを一口飲んで、しばらく黙っていた。
それから、ぽつんといった。
「そんないいかた、するな」
「え?」
「超能力を捨てるか捨てないかは、お前の自由さ」
と、ハボニエ。「しかし、仕事の上でどっちがいいなんて訊くな。おれの立場としちゃ答えかたは決まっている。それを、おれにいわせたいのか?」
「…………」
ぼくは、虚をつかれた思いだった。
そうなのだ。
ぼくが自分の超能力を放棄する否かは、ぼくの問題である。ぼくがおのれの責任において選択すればいいことだ。ネイト=カイヤツにおいては、それは個人の自由である。エレスコブ家の人間としても、ぼくは手術を強制される立場にはない。なるほどモーリス・ウシェスタは、そのように示唆したが、彼自身、強制はしないと明言もしたのだ。が……エレスコブ家にとって、また第八隊にとって、どちらが望ましいかということは、はっきりしていて……それを第八隊の副隊長格であるハボニエにたずねるなどという真似は、してはならなかったのだ。ハボニエが意見をいえば(それが私的な会話の場であろうとも)ぼくはそれを尊重さぜるを得なくなるであろう。だからハボニエは、ストップをかけたのである。
そしてこのやりとりは、ぼくがここでしばらくのうちに忘れかけていた自戒と自制心をとり戻させた。ハポニエはたしかにいい先輩であり友人である。親身になってくれる相手である。が……彼が今では第八隊の副隊長格の士官補だという事実を失念してはいけないのだった。ぼくは、小さい頃や少年時代にしばしばそうなりかけた相手との一体化の感覚――いいかえれば甘えの気分を捨て去っていたつもりだったが……いつの間にかそれがまたそろ頭をもたげかけていたのかも知れない。所詮人間はひとりきりの存在であって、他人と同一にはなれないということを、再認識したのであった。
また、ハボニエは、そのつもりで、ぼくを軽くいましめたのであろう。
「ま、お前は、お前の好きなようにやればいいのさ」
どこかけだるい調子で、ハボニエは会話を再開していた。「おれはお前が、エレン様のちゃんとした護衛員であれば、それでいいんだ」
「もちろんそのつもりだよ」
ぼくは応じた。本気だった。これまでずっとそうだったのだし、これからもその気であった。だが……モーリス・ウシェスタが懸念したように、いざという瞬間にエスパー化したら……。ぼくはその問題を、強引に心の隅へ押し込んでペランソを啜《すす》った。
「ところで、イシター・ロウ、聞いたか?」
ハポニエはいう。「エレン様は、第八隊の補充としての候補を一、二、考えているということ」
「いや」
それは初耳だった。ぼくはハボニエの顔を見た。
「ファイター訓練専門学校と、それに一般警備隊員に、良さそうなのがいるらしい」
ハボニエは、頷いてみせた。「おれもまだ名前は知らんが、パイナン隊長や他の士官が推挙した中に、エレン様のおめがねにかないそうなのがいたようだ。――何といっても今の人数じゃ、きついからな」
「全く」
ぼくは返事をした。第八隊にあたらしい護衛員が来るのは、有難い話だった。活動的でしかもますます重要人物となりつつあるエレンを守るには、現在の五名では手薄である。むろんぼくたちは護衛に全力をあげているし、少々の無理も平気だが、人間のやりくりが大変なのも、現実であった。だからこれは歓迎すべきニュースである。で、ありながら……エレンに目をつけられたという候補者たちに対し、軽い嫉妬に似たものを覚えたのは否めなかった。そんな気分になること自体があつかましいのだし、ぼく自身が第八隊に入る前に、前からの隊員たちがどう感じていたかを考えると、そんなことはいえた義理ではないけれども……正直な所、そうだったのである。
「その新人……隊へはいつ頃来ることになる?」
ぼくは問うた。
「さあ」
ハボニエは、首をひねった。「まだ人選も決定していないんだ。それから訓練をするわけだからな。隊長からの正式通達がないと正確なことはわからないが……少し先のことになるだろうよ」
「それじゃ、間に合わないな」
ぼくがいったのは、カイヤツVでの最初の航行のことである。
「カイヤツVの出発にか?」
ハボニエは受けた。「とても間に合わんだろう。今度の旅は、現在のメンバーでエレン様を護衛することになるな」
「…………」
仕方がない、と、ぼくは思った。今の五名でエレンを守るのはきびしいが……いや、あるいはそうした遠くへの旅なのだから、気心の知れた者ばかりのほうが、かえって楽だともいえる。
そして、カイヤツVの最初の航行について、ぼくはそのときまでに、いくつかの事柄は聞いていた。といっても、エレスコブ家の家としての告示や、護衛部の掲示などで得たものと、それに隊員どうしのお喋りで耳にした程度の情報である。
カイヤツVは、ネイト=ダンコールでの改装がほとんど終って、間もなくネイト=カイヤツに来る手筈になっていた。この運航には、すでにネイト=ダンコールへ行っているエレスコブ家の技術者があたり、ネイト=ダンコールの技術者たちも不測の自体に備えて乗って来るという。
いったんカイヤツ一級宙港に持って来られたカイヤツVは、ネイト=カイヤツ政府による認証と命名式ののち、最初の航行に出るとのことであった。ただ今回の航行は、公式に連邦登録の手続きをとらねばならず、同乗して来たネイト=ダンコールの技術者たちを送り返す必要もあって、まずネイト=ダンコールの中心世界ダンコールの、ネプトーダ連邦首都ネプトへ行き、そののちいくつかのネイトを廻るようである。いくつかのネイトとは、連邦第二のネイト=ダンランも含まれているものの、あとはネイト=スパとかネイト=ポパーリといった弱小ネイトらしい。このコースが、順序こそ違えカイヤツVが今後運航する定期航路をなぞっているのか、今度は全く別なのか、そこまではぼくにはわからなかった。
その他、今回の航行日数が、かなり長い――寄港時や航行時を合わせるとすくなくとも五十日以上になるであろうことや、カイヤツVにはエレスコブ家の人間のみならずネイト政府のしかるべき面々も乗り込むので、随員を加えると数百人規模になりそうだ、との話もある。
とはいえ、ハボニエはぼく以上にたくさんの情報をつかんでいるはずだ。
「今回は、かなり大がかりな旅になるだろうね」
ぼくは、水を向けた。
「ネイト=カイヤツの版図の外へ出るんだからな」
と、ハボニエ。
「どういう旅になるだろう」
ぼくはたずねた。
「知るものか。おれだって、そんな遠くへ行ったことがないんだ」
「だいぶ、あちこち行ったんじゃなかったのか?」
「そりゃ、エレン様のおともで、隣りの――ネイト=パトーシュとネイト=ライルへは行ったことはあるさ」
ハボニエは肩をすくめた。「しかし、ネイト=ダンコールはまだだし、まして、他にもいくつかネイトを廻るなんて、したことがない。これまでエレスコブ家には、ネイト間を飛び廻る自前の船がなかったんだからな」
「五十日あたりの旅になると聞いたよ」
ぼくはいってみた。
「はっきりとはわからんが、もっと長いという話もあるな」
ハボニエは答える。
「そんなに長くか?」
ぼくは、さらにいった。「カイヤツVには大勢乗り込むんだろう? それだけの人間がネイト=カイヤツを留守にして……大丈夫なのかね」
「乗った人間が、おしまいまで乗っているわけじゃないだろうさ」
ハボニエは、鼻の頭にしわを作った。「ネプトで用が済んだら、他の連邦登録定期貨客船でさっさとネイト=カイヤツに帰る者だって、たくさんいるはずだ」
「そんなものかね」
「もっとも、エレン様がどういうコースをとるのかは、おれもまだ何も知らん。だがおれたちは黙ってついて行き、護衛に専念すればいいんだ」
「そういうことだな」
ぼくは、相槌《あいつち》を打った。
「ああ、そういえば、うれしくない噂もあるぞ」
ハボニエは、ぼくに視線を当てた。「今度の旅には、トリントス・トリントも同行するらしい」
「トリントス・トリントが?」
ぼくは、その瞬間まで念頭になかった名前を聞かされて、つめたいものが腹に落ち込んだような気がした。エレスコブ家準一族の、腕は立つが気ままな男――ぼくを憎んでいるはずの(といっても、それはぼくには重大なことだが、むこうにとってこっちはことさら意識するほどの存在ではなく、せいぜい目障《めざわ》りな奴という程度であろう)あのトリントス・トリントが同行するとは……何となく心に不吉なかげりが走ったようだったのである。そのトリントス・トリントは、現在ネイト政府に出向中で、たしか外交部門の渉外局のおえらがたになっているというが……。
「ネイト=カイヤツの何かの代表として行くのだろうか」
ぼくは、問うた。
「そんなところだろうな」
ハボニエは返事した。「だから、ま、われわれとしょっちゅう接触があるわけではないだろうが……用心するにこしたことはない。お前自身はもちろん、エレン様を守る第八隊としてはな」
「ああ」
ぼくは、肯定した。
そこでぼくたちは、ちょっと沈黙した。
ハボニエが、空になったグラスにペランソを注いで、一口、二口、飲んだ。
ぼくも飲んだ。
「それにしても……冒険には違いない」
ハボニエが、ひとりごとのように小さく呟き……ぼくは相手をみつめて反問した。
「冒険?」
「冒険だ」
ハポニエは、グラスを、こん、と、テーブルに置いた。「ひとつひとつが……みんな冒険なんだ」
「とは……?」
相手がいおうしている事柄の、おおよそは想像出来たが……ぼくはうながした。
「そうじゃないか」
ハボニエは、声を低めたままで、いうのであった。「エレスコブ家は、勝負に出ている……。勝負をするとしたらこのときしかないから、サクガイ家やマジェ家に対抗し、カイヤツVを購入し、それ以外にも手を打っている。そして、そのどれもが、大きな冒険なんだ」
「ぼくもそう思うよ」
ぼくは、ペランソの瓶を引き寄せて自分のグラスに入れた。「だが、勝負に出るとしたら、今しかないんだろう? エレスコブ家としては、覚悟の上なんだろう?」
「その通りだ」
と、ハボニエ。「その通りだが……すんなりとうまく行きそうなものは、ひとつもないのも事実だ」
「…………」
「ひとつ」
と、ハボニエは指を折った。「おれたちにとっちゃ一番重大なことだが……今度の旅でエレン様は、この前と比較にならぬほど危い目に遭うことになるかも知れん。今度はネイト=カイヤツの版図内じゃないからな。それも手はじめに、連邦の首都ネプトなんだ。ネイト=カイヤツなんて目じゃない勢力が渦巻いているところだ。エレン様は何か期するところがあって行くんだろうが……何をされるかわかったもんじゃない」
「…………」
ぼくは、酔いのせいかにわかに迫力を帯びて喋りだしたハボニエを、いささか驚いて見返しながら、何もいわず頷いた。
「ネプトだけじゃない」
ハボニエはいう。「それからあと、いくつものネイトを廻るんだぜ。その間、エレン様やわれわれには、カイヤツVに乗って行った者しか味方はいない。裸同然だ。この旅を切り抜けるのは……いや、おれたちは何としてでもエレン様を守り抜いてみせようが……ひとつ間違えば、一巻の終りだ。そうだろう?」
「そうだ」
「ふたつ」
ハボニエは、また指を折り、空いたほうの手でグラスを持ちあげると、ぐいぐいと飲んだ。
「そんな旅なのに、戦争はいつ再開するかわからんと来ている。ネイト=ダンコールくんだりまで行ったカイヤツVは、いつたたかいに巻き込まれるか、知れたものじゃない。ボートリュートやウスの軍に攻撃されたら、定期貨客船のカイヤツVなんて、ひとたまりもないだろう」
「しかし……カイヤツVには、ネイト常備軍の護衛がつくんだろう?」
ぼくは、相手の勢いに押されながらも、質問した。
「ネイト常備軍?」
ハボニエは、鼻を鳴らした。「本格的な戦争になったら、ネイト常備軍がどこまで抵抗出来ると思う? 連邦軍でもあぶないというのに、ネイト常備軍じゃ、どうしようもないじゃないか。だから今回はネイト常備軍だけじゃなく、連邦軍のカイヤツ軍団も護衛につくんだ」
「カイヤツ軍団が?」
ぼくは、驚いて訊き返した。
いうまでもないことだけれども……ネイト=カイヤツは、社会公共の安全・秩序に対する障害を除去するための行政組織としてのネイト警察と、ネイトを守るためのネイト常備軍を持っている。だがそれ以外に、ネプトーダ連邦の構成員として、連邦軍編制単位としての軍団を保有していた。どのネイトもそうなのだ。本来、連邦軍というものは、ネプトーダ連邦の直轄下に、出身ネイトに関係ないかたちで存在しなければならないはずで……連邦としてもその方向へ持って行くべく、すでに数個の直轄軍団を作りあげている(そしてネプトーダ連邦軍のうちで、直轄軍団が装備・訓練・士気のどれをとっても、最強の精鋭とされているのだった)。けれども、それ以上はまだ直轄化出来ずにいて、ネイト単位の軍団になっているのだ。これは、ネプトーダ連邦が連邦という形態ゆえに、そこまで徹底するには至らないとの見方も出来る。もともと各ネイトの軍は、いわゆる鎮台としての性格が濃厚だったのが、連邦全体としての機動性を獲得するためには連邦軍を持たなければならぬというところから、常備軍は残しつつ、ネイト単位の軍団を出す形態となり、その段階からあまり進んでいないわけである。そこには、これ以上連邦政府の主権が強くなれば中央集権化が進行し、各ネイトの主体性が侵害され喪われるに違いない――との警戒心が反映されていたのだ。もっとも、そうはいっても連邦軍はあくまでも連邦軍なので……ネイト単位の軍団も、直轄軍団と同様、連邦の指揮下にあり、連邦軍としての編制・階級制度・制式装備を持った、連邦軍の命令系統に組み込まれていた。
その連邦軍のカイヤツ軍団が、カイヤツVの護衛にあたる?
「軍団全部じゃないぜ。カイヤツ軍団の一部だ」
ハボニエは首を振り、手をあげてぼくを制した。「待て。その話はあとでする。今は……ああ、戦争がいつおこるかわからん、ということだったな」
「ああ」
ぼくは逆らわずに応じた。応じながらも、きょうのハボニエは少し異様ではないかとも感じていたのだ。この前の……士官標準研修を終えて戻って来た晩のハボニエは、驚くほどよく喋った。研修を乗り切った解放感とペランソの酔いがそうさせたのだと思うが、今夜はそれ以上に饒舌《じょうぜつ》だった。饒舌であるばかりか、いい返すのもむつかしいような迫力があった。なぜだろう、どういうことだろう――と、ぼくは心の隅で考えていた。
そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか、ハボニエはまたペランソを注ぎ、話をつづけるのである。
「戦争が再開されて……ま、やくざな連邦軍カイヤツ軍団と、頼りないネイト常備軍のおかげで、カイヤツVが破壊もされずに帰着したとしよう」
ハボニエはいう。「だがな、そうなれば非常事態だから、カイヤツVはネイト政府に徴発され収用されて、ネイトの輸送船になってしまうんだ。エレスコブ家は切り札を取りあげられるってわけだ。いや……これだってはじめから覚悟の上のことだな。覚悟の上での……冒険さ」
「…………」
「その三」
ハボニエは、大きな息をついた。「これはパイナン隊長から聞いたんで、今はまだ表面化していないが……どうせそのうちに、問題になって来るだろう。だから喋っても構うまい。――エレスコブ家は現在、非常体制づくりを大義名分にした、サクガイ家やマジェ家などの締めつけにあっている。状況はますます悪化しているようだ。例の、各家ごとに数を決めて志願兵を割り当てるという法案が議会を通過するのは、時間の問題だし……それも、エレスコブ家は狙い撃ちされそうだな。こういう場合だけ、エレスコブ家は上位扱いされて、多数の人間を割り当てられそうな雲行きだ。こんな状況をはね返すために、エレスコブ家は思い切った行動に出つつあるというんだ」
「思い切った行動?」
「うむ」
ハボニエは、頷いた。「エレスコブ家は以前から、カイヤントに工作員を送り込んでいた。エレスコブ家を支持する勢力を増やすための工作員を、な。ま、それはそういうことだろうと、おれにもわかる。そういう下地がなければ、エレン様のカイヤントでの遊説なんて、はじめから不可能だったろうからな。そして……この前のあの遊説の結果、カイヤントのいくつかの植民都市では、エレン様、ひいてはエレスコブ家への同情的気分が盛りあがったそうなんだ。工作員たちはそれを扇動し……ネイト政府への敵対心を盛りあげて……今のネイト政府の方針を変更させるべく、反政府運動を推進しているらしい。それらの植民都市では、カイヤント植民都市の独立と反戦をスローガンに、立ちあがろうとしている」
「立ちあがる? それは……反乱じゃないのか?」
「いかにも」
と、ハボニエ。「すでに、政府直轄の植民都市であるカイヤントでは、エレスコブ家の工作員の協力のもとに、破壊工作がはじまっているんだそうだよ。かなりの大事件もおきたらしい。政府は今のところ、こうした動向をカイヤツにはニュースで流さないようにしているものの、騒ぎが大きくなったら本格的な弾圧に乗り出し、弾圧を正当化するための情報コントロールを開始するだろうな」
「…………」
「パイナン隊長の話じゃ、カイヤントだけじゃないそうだぜ」
ハボニエは、薄笑いを浮かべた。「エレスコブ家の工作員は、チェンドリン星系にも赴《おもむ》いて、もとからネイト=カイヤツの支配に反抗的な第三惑星のチェヤントの連中をあおりにかかっているし、第四惑星のチェイノスでは、ネイト政府の仕事に支障を来たすように組織的なサボタージュをはじめているらしいんだ」
「それじゃ……ネイト=カイヤツ全体を巻き込むことになるんじゃないか?」
ぼくは、なかば呆れながらいった。
「そういうことだな」
ハボニエは、またペランソをグラスに注いだ。「エレスコブ家としては、自家の存続をはかるために、持てる力のすべてを動員しようとしているわけなのさ」
「…………」
「これだけ大がかりな抵抗をやる力をエレスコブ家が持っているとなれば……サクガイ家やマジェ家は、今のようなやりかたをやめるかも知れない。エレスコブ家もそれを狙っているんだろうが……逆に、このときこそチャンスとばかり、サクガイ家やマジェ家がネイト政府の旗のもとに、エレスコブ家やその支持者に売国奴の烙印《らくいん》を押して、力ずくで制圧にかかって来ることも、考えられる。そうなったら……対決だな。対決の行きつくところ、エレスコブ家が叩き潰され、エレスコブ家に籍を置いていた人間は、すべて追われ捕えられ、処刑されることになるかもわからん。エレスコブ家とその敵の力を比較すれば、そうなる可能性のほうが高いだろうよ」
「…………」
ぼくは、どうにも信じられない気分であった。これまでのぼくは、おのれの見聞や、ハボニエの話や、さらにはイサス・オーノの忠告などによって、エレスコブ家がネイト=カイヤツそのものを舞台にした大勝負に出ていることは悟っていた。が……それでもやはり頭の中では、これは家どうしの問題だとの感覚が抜けなかったのだ。なるほど家々は巨大な勢力を有しているけれども、それはあくまでもネイト=カイヤツを構成する主要組織という風に考えていて、家は家のレベルにとどまる存在と認識していたのである。
それが……エレスコブ家は、自家の危急存亡に直面するや、ネイト=カイヤツ全体を勝負の道具にしようとしているのだった。そこまでエレスコブ家が追いつめられつつあるともいえるだろうが……そういうやりかたは、ひとつ間違えばネイト=カイヤツ全体が分裂し抗争し、弱体化しかねないのである。ぼくはエレスコブ家の人間だ。外部ではあるがファミリーの一員だ。それでも……これはやはり家のエゴイズムではないか、という気がした。
「そこまでしなければならないものだろうか」
ぼくは、ぼんやりと呟いた。
ぼくは、家というのはそこまでの存在価値があるのか、との意味で呟いたのだ。青いというより、何となく、醒《さ》めてしまった感じでいったのであった。
けれども、ハポニエはそのようには受け取らなかったようである。
「だから……冒険だといったんだ」
ハボニエは、はじめの言葉を繰り返したのだ。「エレン様にとって……エレスコブ家にとって……ひとつひとつが……みんな冒険なんだ」
「…………」
ぼくは、あえて訂正はしなかった。エレスコブ家の人間としては、ハボニエのような反応が当然なのかも知れない、と、思ったからである。その点、勤務経験がずっと長いのだから当然だろうが、ハボニエはぼくなどよりはずっと色濃く、エレスコブ家の人間になっているのであろう。
「しかし……やらなくちゃ、仕様があるまいよ」
ハボニエは、これでもう何杯めかのペランソを飲みほした。瓶はそろそろ空になりかけている。「おれたちは、エレン様を守るためには、何がおころうとも、命を張るしかないんだ。エレン様はそれだけの値打ちのあるお方だからな」
「…………」
「そういうことなんだ」
ハボニエは締めくくろうとし、ふと目をあげて、首を傾けた。「はて、と。おれは何かいい忘れているようだが……そうじゃないか?」
ぼくは、覚えていた。
「連邦軍の、カイヤツ軍団のことじゃないか?」
ぼくはいった。
「ああ、そうだ」
ハボニエは、瓶に残ったペランソをみんな自分のグラスに入れた。「そのカイヤツ軍団――といっても、先刻注釈した通り、一部だが……あと五、六日で、カイヤツ府に到着するらしいぜ」
「カイヤツVの護衛としてだろう? わりに早く来るんだな」
その程度のことではないのか――と、考えながら、ぼくは感想を洩らした。
「そう思うか?」
もうかなり酔っているにしては、ハボニエは、あざやか過ぎるほどあざやかに、皮肉な表情を浮かべた。「いくら自ネイトだといったって、連邦軍の戦力を、そんな不必要な使いかたをするものか。カイヤツ軍団が早めに来るのには、それなりの目的があるはずだ」
「それなりの目的?」
「これはおれの観測だが……カイヤツ軍団はカイヤツ府で、連邦軍というものの力を誇示するんじゃないか」
ハポニエは、椅子にもたれた。「どういう誇示のしかたをするか、おれにはわからんが、そんな気がするな。力を見せつけて……人心を圧伏し、おっちょこちょいの連中を、連邦軍に入りたいと思わせる……そんな目的があるんじゃないかな。連邦軍の装備と規律をカイヤツ府の人々に見せつければ、その位の効果はあるに違いない。それだけ、常備軍や警察や……まして家の警備隊の株はさがるだろうがな」
「考えられることだな」
ぼくはいった。
たしかに……ありそうなことだ。
そして、そのときには、もうペランソの瓶は空になってテーブルにころがっており、ハボニエも眠そうであった。
そろそろ、帰るしおどきだろう。
ぼくはハボニエに声をかけ、席を立った。ハボニエはそれでも立ちあがってぼくをドアのところまで送って来た。
錠のかかる音を背後に、廊下へ出る。
出て何歩か行ったところで……ぼくは不意に気がついたのだ。
今夜のハボニエは、たしかに異様であった。ときたま、よく喋ることはあるものの、今夜は度が過ぎていた印象がある。しかも、何かを思い定めたようだったが……それが、ひょっとすると、ハボニエの心のなせるわざだったのではあるまいか、という気がしたのである。エレン・エレスコブや、エレスコブ家が大きな賭けに出て、のるかそるか――というより不安材料が山ほどある勝負に打って出ていると知りながら……そして自分もその中で砕け散ることになるのではないかと知りながら……あえて地獄の底までついて行こうと腹をくくったハボニエが、やはりどうしても湧いて来るおそれに似たものを吹き払うために、信頼出来る友人、つまりぼくに、次から次へと喋りつづけずにはいられなかったのではあるまいか?
ぼくの思い過しかも知れない。
だが……何となくぼくは、そんな感じがしたのであった。
数日ののちに、連邦軍カイヤツ軍団が来着した。
こんなことをいうと信じてもらえないかも知れないが、実はぼくは、それまで連邦軍というものをこの目で見たことは、一度もなかった。自分たちのネイトから出ているカイヤツ軍団さえも、である。それはもちろん映像や写真などで、断片的な場面や宣伝色の濃い型通りのものには、幾度も接していた。が……生で眺める機会はなかったのだ。というのも、連邦軍は当然ながらネプトーダ連邦全体のために配置され動員されるので、ウス帝国やボートリュート共和国との戦線が、ネイト=カイヤツからいえば連邦のむこうの端にある現在では、特別な理由でもない限り、カイヤツ軍団でさえ、こっちにやって来る必然性はないのである。本来、カイヤツ軍団の根拠はいうまでもなくネイト=カイヤツにあって、以前にはカイヤツ一級宙港からあまり遠くない軍団本部を中心に動いていたということだが……それは連邦軍が連邦のもとで一体化され、連邦の軍としての統制下に入る前の、平和な時代の話であった。今はカイヤツ軍団は原則として連邦の首都ネプトに駐屯《ちゅうとん》しているのだ。たしかにそれでもカイヤツ軍団に関する仕事は、元の軍団本部で続けられているものの、そこはすでに窓口と化していて、事務担当者を主とする少数の兵員しかいない。軍団に入ることになったネイト=カイヤツの人間は、そこを通じて軍団の駐屯地に送り出され、駐屯地で訓練を受ける仕組みになっていた。だからその窓口である元の軍団本部へ行けば、そういう兵員を見ることは出来ないわけではない。しかし、そんな、戦闘力らしい戦闘力も持たない窓口を見物に行って、どうなるというのだ? すくなくとも少年のぼくには何の魅力もなかった。大体が、ネイト=カイヤツの一般人にとって、連邦軍というものは、それほど身近な存在ではないのだ。軍といえばどうしても、ネイト常備軍を考えてしまう傾向がある。こちらは割合日常的にその隊列も見掛けるし、個人としても服務時以外には制服あるいは私服で、一般人にまじって町へ来るからだ。それに、ネイト=カイヤツに何かがおこり警察の手に負えなくなって軍が動きだす――というそのとき、出て来るのはネイト常備軍なのだから、それほど自分たちとかけ離れたものではない、との印象があるのであろう。それに対して、連邦軍となると、たとえカイヤツ軍団であっても、どこか超越した感じがつきまとう。建前としては志願制であり、ネイト=カイヤツを遠く離れて暮らし、鍛えられ、状況によれば何年も帰って来られない、連邦の外敵相手の戦闘専門集団というのが、一般的なイメージなのだ。しかもその上級指揮官は、ネイト=カイヤツ出身といっても、ネプトーダ連邦のしかるべき士官学校出であり、ネイト=カイヤツにはその士官学校がないのだから、よそのネイトともつながりを持った、いわゆる連邦人≠フ色合いを帯びて来るのも、やむを得ない、いや上級指揮官のみならず、下級将校や下士官・兵にしたって、ネプト駐屯が長くつづくうちにネプトの気風になじみ、退役後はネプトのあるネイト=ダンコールで暮らす者だってすくなくないという。そんなわけでネイト=カイヤツの一般人は、カイヤツ軍団を自分たちの代役であり代表と認めつつも、直接かかわりのない存在、という風に考えているところがあった。もっとも……今ではかなり様子が変って来ているのも本当である。戦争のための非常体制づくりが進行するにつれて、連邦軍というものを強く打ち出し、連邦軍への志願が呼びかけられている。ために、ここしばらくのうちに、一般の人々の関心が(見方によれば異様に)高まりはじめているのは否めない。だが、それはそれとして、ともかくぼくはこうした事情もあって、まだ本物の連邦軍を目にしたことがなかったのである。
そして……連邦軍カイヤツ軍団がネイト=カイヤツに来着し、カイヤツの周回軌道に入ったとのニュースを聞いたとき、ぼくは(カイヤツVでの旅に出たあとは、いやになるほど見ることになるかも知れないとしても)なろうことなら連邦軍なるものを実際に眺めたいものだ、と、思ったのである。こんな情勢下で、連邦軍の動向が今後ぼくたちに大きな影響を及ぼすかもわからないのを考え、またハボニエがいったように、連邦軍が単にカイヤツVの護衛としてだけでなく、ほかにも目的を有している可能性があるとすれば、ぜひその様子を観察しておかなければならないのだ。いや……たしかにそれもある。また、そうでなければいけないのだが……ありていにいえば、ぼくは、もっと単純な野次馬根性で、せっかくネイト=カイヤツまで連邦軍が来たのだから、見物したい――それが本音であった。
ニュースによれば、ネイト=カイヤツに来着したのは、やはりカイヤツ軍団の一部であって、四隻の迎撃艦から成る宙戦支団と、第一地上戦隊だそうであった。宙戦支団のほうはずっと周回軌道上にとどまるけれども、地上戦隊は降下してカイヤツ府に来るという。従ってカイヤツ府にいる人間が見ることの出来るのは、地上戦隊だけということになるが……それでもいいという気がした。
しかし、ぼくの気持ちはそうだとしても、そんなに気楽に見物に行くわけにはいかないだろう、と、ぼくはなかば諦めていた。ぼくはエレン・エレスコブの護衛員であり、エレン・エレスコブが仕事をする以上、自分勝手な行動は許されない身である。もしもうまく非番になっても、近頃はいよいよエレスコブ家に対する風当りが強くなっていて、うかつにひとりで外出したりしたら、どこで難題や喧嘩を吹っかけられるかわからないのだから、厄介なのだ。多分、地上戦隊がカイヤツ府に来たとしても、直接眺めることはかなわぬままに終るのではないか、と、考えたりしたのだ。
ところが……そうではなかった。
カイヤツ一級宙港からさほど遠くない、元の軍団本部へ降りて来た地上戦隊は、ネイト常備軍のパレードに参加する――との発表が行なわれたのである。
実のところ、これは順序が逆なのに違いない。カイヤツ軍団第一地上戦隊の行進を人々に見せるために、ネイト常備軍が協力して、ネイト常備軍のパレードをすることになったとしか思えない。
そのパレードは、公式なものとして挙行されるとのことであった。公式というのは、ネイト政府の大統領をはじめとする高官たちが高い雛壇《ひなだん》に居並ぶ前を行進するとの意味である。つまりネイト=カイヤツの、ネイトとしての行事ということなのだ。
これは別段、奇妙でも何でもないように映るかも知れない。
だが、ぼくはこのことの裏に、ネイト=カイヤツを動かしている上位の家々のひとつの意図があるのを、感じ取っていた。考え過ぎといわれればそれまでだが……どうもそうとしか思えないのだ。
だって、そうではないか。
ネイト=カイヤツの、ネイトとしての行事というのは、いわば、名目的な体裁をつけた行事である。ネイトの代表者は大統領であり長官たちであり、かれらが万事を掌握し統括している姿をとるわけだ。しかし、それがネイト=カイヤツの実態でないのは、誰もが知っている。ネイト=カイヤツを動かしているのは有力な家々であって、大統領にしろ長官たちにしろ、ネイト全体の運営の実務はやっているものの、現実にはそうした家々の利益代表であり代弁者であるのは、おおい隠しようがないのだ。そして今……サクガイ家やマジェ家の力が、ネイト政府という旗印のもとにいよいよ強くなっているのだから、ネイトとしての正式行事なるものは、ごく上部の家々が政府という権威、政府という正義をかかげて力を明示することに、ほかならない。その公式行事として、ネイト常備軍と連邦軍カイヤツ軍団のパレードをするとなると、これはもう、これまでの上部名家、はっきりいえばサクガイ家とマジェ家、それに多少のおこぼれにあずかれるラスクール家、ホロ家、ヨズナン家あたりが、自己の勢力を公認させようということになりはしまいか?
おそらくそうだろう。
それでちっとも不思議でないのだ。
むろん、そのパレードというのは、誰でも見物出来る。しかも一般の見物の場所以外にネイト議員や各家の代表者の席も設けられるのがつねだ。が、そうした席はネイト政府高官よりはずっと下の位置にある。となると……エレスコブ家がどんな扱いになるか、明白なのだ。雛壇上段にはエレスコブ家からの出向者はひとりも居らず(次官級あたりまでは、何人か位置を占めている。あのトリントス・トリントもそのひとりだ。けれども現在、エレスコブ家からの出向者の閣僚級はいなかった)……家々の席のほうはこれまでの伝統的序列に従って設けられるであろう。エレスコブ家を実力より下に置くあの序列でだ。このかたちを、集まった大勢の人々に見せつけようというのである。
だが……そう決定されたのだから、仕方がない。
そして、エレン・エレスコブは、ネイト=カイヤツの議員として、席を与えられることになった。
エレンがパレードに出席するとなれば、護衛のぼくたちも当然おともをすることになる。ために……ぼくは、カイヤツ軍団の地上戦隊を眺めることが出来たのだった。
カイヤツ軍団がカイヤツの周回軌道に入ったとの報が入ってから三日めの――パレードの当日。
午前ももう遅い時間に、ぼくたちは、エレンがエレスコブ家カイヤツ府屋敷の駐車場の大型要人用車に入るのを見届けると、転じて、他の隊の護衛員らと共に、小型トラックの荷台に乗った。
同様のトラックは、何台もあった。みんな護衛員が乗り込んでいるのだ。
パレードには、エレスコブ家当主のドーラス・エレスコブをはじめとして、エレスコブ家の多くの要人が出席することになっていた。本来ならば、その要人のひとりひとりに護衛の隊がつくところであるが、二十名以上の要人がそれぞれ車の列を作って会場に向かうのは統一もとりにくいし、無駄でもある。ためにこうしたネイトの公式行事のように、同時にたくさんの要人が同じ場所へ赴くさいには、要人たちだけを防備厳重な要人用車に乗せ、その前後に護衛員たちのトラックがついて行く方式がとられるのだ。そのことはぼくもすでに教えられていたものの、実際にやるのは、初めてであった。むろん、現場に到着すれば要人たちは、おのおの自分の席につくので、護衛員のほうも隊ごとにその人物を守るための配置につくのである。念のためにつけ加えると、要人用車の左右には護衛部長をはじめとする隊長クラスが二輪車でついており……ヤド・パイナンもその中にいた。
パレードは官庁街を横に貫く大通りで行なわれる。
エレスコブ家カイヤツ府屋敷からは、そんなに時間はかからない。
ぼくたちはトラックの荷台の中、向き合ってすわり、揺られていた。すわる位置が比較的高いので、車の外が見えるのだ。
歩道には、大勢の男女が、会場をめざして歩いていた。子供もすくなくない。きょうのパレードについて政府筋や、それに他の報道機関もその意義(いうまでもなく、ネプトーダ連邦ひいてはネイト=カイヤツが直面している戦争の危機と、軍備の重要性、それにカイヤツ軍団への期待、といったものだ)を説き参集するよう呼びかけていた。その効果があらわれたのであろう。ひょっとすると、地域とか職場とか同業者とかいった単位での駆り出しめいたことも行なわれたかも知れない。そうでないとしても、案外、人々が連邦軍そのものへの好奇心をかき立てられて出て来た可能性も高いのではあるまいか。
そして、車道にしたって、車群でチームを組んでいるのは、ぼくたちだけではなかった。もっと大がかりな編成のや、一、二台きりのや……パレードに出席するさまざまな要人たちとその護衛が、会場へ向かっているのである。
こんな状態では、またごたごたがおこるのではないか? とりわけ、エレスコブ家は標的にされるのではないか?
「この有様じゃ、何か厄介ごとが持ちあがるんじゃないですかね」
ぼくは、他の隊の護衛員も同乗しているので、士官補に対する礼儀を守って、横のハボニエにいった。
「きょうは休戦だろうよ」
ハボニエは、ぼそっと応じ、つけくわえた。「だが気を抜くな」
「わかりました」
ぼくは答えた。
ハボニエがいおうとした意味は、ぼくにはよくわかった。このパレードは、ネイト=カイヤツの上位二家かせいぜい五家の勢力を確立するための儀式みたいなものである。そうした家々はトラブルなしできょうの行事を終らせたいであろう。となれば、かれら自身から問題をおこすことはないと考えていいわけである。逆に、行事に水を差すような真似をした者があれば、当人はもちろん、その所属団体までが、ネイト政府の名において糾弾《きゅうだん》され処断される結果になるに違いない。それがもしもエレスコブ家であれば……ここぞとばかり非難され、既得権を奪われかねないのである。だから、こちらから手を出すとか、手を出したといいがかりをつけられる羽目に陥らない限り、きょうのところは無事に済むはずだ。
しかし、こうした観測だって、観測に過ぎないので……何がおこるかわかったものではないのも事実だった。
ともあれ。
ぼくたちの車の列は、他の同様の車の群と共に会場に到着した。
要人たちがそれぞれの席へ向かうのを、護衛たちは隊ごとに散って、警備の態勢に入る。
こうしたパレードにはいつも作られる雛壇は、大通りに面して手際よく築かれていた。最上段の特に高い位置にはネイト政府の高官たち。そこからだいぶ下のほうに、横に大きく広がった三つの段がある。
議員としてのエレン・エレスコブの席は、その三段のうちの、一番上の端っこであった。私的な家々の代表者たちより格は上だけれども、議員の序列としてはずっと下、という位置である。
ぼくたちは、エレンを守るための配置についた。
といってもそれは、ぼくら第八隊にとっては、はなはだ不本意な配置だった。何しろ、ほかの議員と並んですわるエレンのうしろには、ふたりしか立つことを許されないので、あとは最下段のその下で、壁を背にして佇立《ちょりつ》するしかないのである。これは雛壇に着席する要人たちの護衛を無制限に許容すると収拾がつかず、いざこざを防ぐのもむつかしくなるため、最上段の政府高官は別格として、あとはふたりまでとしぼられたせいである。そのふたりの護衛は、出席の要人が自分で選ぶけれども、もしも護衛が何か不都合をしでかしたときには、当の要人が全責任を負うというシステムにして、安全を期しているのだった。自分で護衛をつけて来ない要人には、政府のほうから警察官を繰り出して護衛にあたらせるということになっているが……ぼくがざっと眺めた感じでは、そんな不用心な真似をしている者は、ひとりもいないようであった。――と、そんなわけなので、護衛のやりかたとしては不安が残るのだが、定めが定めなので、どうしようもないのである。エレンの背後にはパイナン隊長とハボニエが控えているのを心頼みにして、ぼくとあとふたりの隊員は、他のやはりあぶれたいろんな家の護衛員たちと一緒に、せいぜい周囲の同じ立場の連中や通りのむこうの観衆の動向に注意しているほかはなかったのだ。
こうした、大勢の人々が着席したり持ち場に就いたりするには、動きが交錯し、段取りを間違える者もいたりして、結構、時間がかかった。それに会場に到着するのもまちまちだったから、かなり長い間、ざわついていたのだ。が……それでも一時間ほど経つと、どうやら雛壇のほうは落ち着いて静かになり、ために、通りを距てたかなたの観衆のがやがやいう声が、耳に入るようになった。
突如――。
雛壇中央真下のボックスの軍楽団が、高くラッパを吹き鳴らした。音は重なり共鳴して、一回……二回。
人々は、しんとなった。
「ネイト歌演奏!」
スピーカーに乗った声が流れると、雛壇の、すわっていた人々が立ちあがった気配である。
ネイト=カイヤツのネイト歌が、重々しく演奏された。
つづいて、大統領の短い演説があった。大統領は音吐《おんと》朗々とネイト=カイヤツの栄光をたたえ、ネイト重大時にあたっての、人々の結束を訴え、こういうときにネイト常備軍の威容に接するのは何にも代えがたいよろこびだとつづけ、パレードに連邦軍の――われわれのカイヤツ軍団が参加したのは望外のしあわせである、と、しめくくった。型通りだがみごとに型にはまった、儀式用の演説であった。
再び、軍楽団の演奏がはじまった。勇壮な行進曲である。
パレードの開始なのだ。
ネイト旗を捧げ持つ一小隊を先頭に、ネイト常備軍が行進して来た。
式典用の色あざやかな制服に、白い手袋をし、剣や銃を捧げてやって来るのだ。その歩調は一糸乱れず、靴音は整然とそろっているのである。それが一隊、また一隊と、おのおのの隊旗を掲げて進み、雛壇中央に来るといっせいに敬礼するのであった。
あざやかな統制ぶりである。そこには、やはり、これが軍隊というものだ、と、思わせるものがあった。
人々は、あたらしい隊が来るごとに、拍手を送った。
ぼくたちは別である。
護衛であるぼくたちは、目の前を通過するネイト常備軍の隊列に向かって、直立の姿勢をとっているばかりだった。それがネイト常備軍に対する敬意の表明なので、それ以上の敬礼などはする必要はないのである。ぼくたちはまっすぐに立ったまま、いつでも護衛の本務に移れるよう、緊張をつづけていなければならないのだ。
そうした隊列の行進を目にしながら、しかしぼくは、やや奇妙な想念にとらわれていた。
ぼくが、こうしたネイト常備軍の行進を見るのは、もちろんこれが最初ではない。子供のころから、よく見物に行ったものであった。だから、今さらという気がして当然のはずであるが、この日は、そうではなかったのだ。
これまでのぼくは、雛壇と反対側の、群衆の一員としてネイト常備軍の行進を眺めたものだ。そして、かれらの華麗さや、一挙手一投足がみごとにそろっているのに感嘆し、さすがに鍛えられた軍隊というのは違うな、と思う一方で、自分自身があの中に入ることになったら、はたしてうまくやって行けるのだろうか、訓練されたら出来るかも知れないし、一度や二度は行進してもみたいけれども、ああいう機械さながらの動作を毎度しなければならないとしたら、とても耐えられないのではないか、などと考えたのである。端的にいえば、格好良さへのあこがれと、その一員になり切ることへの不安が、ないまぜになっていたのだ。
が。
それは、ネイト常備軍の行進を、遠くから人々にまじって眺めていたときの気持ちであった。
きょうは違う。
きょうのぼくは、雛壇の真下におり、ぼくの眼前をネイト常備軍が通り過ぎて行くのである。もしもこれがパレードの見物人の立場だとしたら、特等席といっていい場所にいるのだ。
そして、これほど近くから行進を見ていると、ぼくには、かれらのひとりひとりがそれぞれ違う肉体を持った存在であり、みんなが生身の人間だという気がするのであった。ここまで近い位置から眺めると、整然とそろっているはずの動きも、微妙にずれがあり乱れが見えるのだ。しかも、かれらがかすかに汗を浮かべ、唇を結んで手足を動かしているのをみつめていると、本来はもろい、いつどんなはずみで生命を失うかわからぬ肉体が、無理をして秩序に従っている、という印象を受けるのである。なるほど、かれらはたくましい筋金入りであるが、そのたくましさが生きもののたくましさとして映じるのは……どういうわけであろう。
おそらく、ぼくは、眺める位置が変ったことで、これまでは美しいショーだと受け取っていたものを、人間臭い人間の肉体労働だと感じ取るようになったのではあるまいか?
いや、眺める位置が変ったという、それだけの話ではないかも知れぬ。ぼくは、ぼく自身の今までの体験を、そこに重ね合わせていたともいえる。ファイター訓練専門学校を経て警備隊員としての訓練を受け、勤務についているうちに……はた目には綺麗でスマートな剣さばきや、軽快な身のこなしといったものが、たえまない汗みどろの努力と鍛練によって作られ、それをつづけることでようやく維持される、いわば全心身を傾注してやっと形をなしているものであるのを思い知り、いつか感覚的にもそういうものだと自然に考えるようになっていたが……ネイト常備軍の見た目のはなばなしさだって、本質的には同じではないのか――と、思ったのである。
そうしたネイト常備軍の隊列は、兵種が変ると制服も別の、それなりに色あざやかなものとなり……さらにまた別の兵種に変って……ついにはおしまいになった。
通りは、いったん無人になった。
そして、
連邦軍カイヤツ軍団第一地上戦隊の行進が告げられると、軍楽団は、行進曲を再開した。
鈍いひびきが、近づいて来た。
ぼくは、真黒な、底面が平たくなった金属のかたまりが、地面から一メートルばかり浮きあがって、すべって来るのを認めた。
押し潰したような、ずんぐりとした形状である。
旗はなかった。
機能本位に徹しているらしい、どこか怪物に似たその機械は、天蓋《てんがい》を開いており、ふたりの兵士が上半身をあらわしている。
いや、ふたりというより、二体と表現したほうがいいかも知れない。その兵士たちは頭から胴まで、すっぽりとヘルメットと胴甲でおおわれており、目のあたりの部分には特殊な材料がはめ込まれている。ヘルメットも胴甲も白色で、目のところだけが黒色であった、顔も性別もわからない。それがたとえロボットだったとしても識別不能であろう。
異様で、何かしらぞっとする感じなのだ。
それが先頭車だった。
そのあとを、同じスタイルの同じ真黒な車が、二列になって浮行して来る。
どの車にも、二名ずつのヘルメットと胴甲の兵士が、上半身を見せていた。
ゆっくりと、進んで来るのだ。
軍楽団の演奏とその浮行には、何のつながりもなかった。黒い機械の群は、鈍い低い音を発しつつ、何ということもなくやって来て、ぼくたちの前を通過して行くのであった。雛壇の中央へ来ても、兵士たちは敬礼ひとつしなかった。じっと前方へ顔を向けているばかりなのだ。
群衆は、いつの間にか押し黙ってしまっていた。
音楽だけが、空しく、にぎやかに鳴っている。
黒い車の列は、次々と雛壇の前を過ぎ去って行く。
その、何ひとつ愛想のない行進は、雛壇の人々にも群衆にも、意外な感じと違和感を与えるのみであった。
群衆が、しだいにざわざわしだした。
それも当然だろう。
群衆にとっては……群衆のみならず、雛壇に並んでいる人々にとっても、これはネイト=カイヤツにおけるパレードというようなものではなかったのだ。パレードとはもっとはなばなしい陽気な美しいものでなければならないのに……カイヤツ軍団第一地上戦隊は無気味な姿をそのままに、ただ浮きあがってすべって行くばかりだったからだ。
けれども黒い車の列は、いっこうに構わぬ風で、過ぎて行く。
全部で何台位あっただろう。それほどの数ではなかった。二百台かその程度だったのではないだろうか。
最後の二台が、ぼくの前を通って行く。
いや、それが最後ではなかった。
最後尾に、もう一台、だいぶ離れてやって来る。それだけは天蓋を閉じていた。
と。
にわかに空気を裂く鋭い音と共に、何かが頭上に出現したのだ。
黒い車の列の後方から飛来した――光る物体。
航空機だ。
高度がよくわからないのではっきりとはいえないが、きわめて小さな三角翼の航空機だった。
それとも航空機ではなくミサイルの一種なのか……人間が乗れるほどの大きさではないようである。
その物体は、見る間に上空へ急上昇し、大きく旋回した。
次の瞬間。
最後尾の黒い車が、そのままの位置で垂直に飛びたったのだ。
車の先端に、白い光が閃《ひらめ》くのを、ぼくは見て取った。
光条などはなかった。
が……それだけで、旋回中の三角翼の物体はかっと輝き、消えてしまったのである。
爆発したのではない。
蒸発したとしか、思えなかった。
群衆が、わっとどよめいた。
つづいて。
行進中だった黒い車のすべてが、兵士たちが車内に入ると同時に、天蓋を閉じ――上昇して行ったのである。
三角翼の物体を攻撃した車と一緒になって、全車は上空で編隊を組み、十秒か二十秒の間、宙にとどまっていた。
それから、全車が弧を描いて、元の方向へと飛び去ったのである。
あっけにとられた沈黙のあと、群衆から衝動的に拍手がおこった。
雛壇の人々も、拍手していた。
多分その拍手は、ただ感歎し驚歎しただけのものではなかった、と、ぼくは思う。ぼく自身がそうであったように、みんなは、異様な黒い車の列に、違和感と困惑をおぼえていたのだ。それが、最後の一台の、三角翼の飛行体攻撃と、全車いっせいの上昇・引き揚げによって、ぎくりとし、恐怖に近いものをおぼえたのではないだろうか。そういう無愛想で親しみの持てない、しかもカイヤツ府ではこれまでに見たこともない(はずだとぼくは信じる)平然とした破壊力と機能性に、得体の知れぬ気味悪さを覚え……しかし、それらが自分たちにとっての味方であり、自分たちの楯《たて》であると思い至ったときに、突然うれしくなり喝釆《かっさい》を送った――というのが真相ではないか、という気がするのだ。
いずれにしても、連邦軍カイヤツ軍団第一地上戦隊の、その行進とショーは、連邦軍というものがネイト常備軍と全くかけ離れた異質の軍隊であることを人々に印象づけ、人々におそれを抱かせたのはたしかだと、ぼくは確信する。
そう。
ハボニエが推測した、カイヤツ軍団はカイヤツ府で、連邦軍というものの力を誇示するのではないか、ということは、当たっていたとしなければならない。そしてカイヤツ軍団は、ハボニエがいっていた以上の効果をあげたのであった。
さらにいうならば、連邦軍の示威の結果として、ネイト常備軍や警察や、まして家の警備隊の株はさがるだろうとのハボニエの観測もまた、的中したのだ。日を追うに従って、その様相はあきらかになって来たのである。
パレードの翌日から、カイヤツ府内を、カイヤツ軍団のあの黒い車が、しきりに走り廻るようになったのだ。それはまとまってではなく、あっちに一台こっちに二台という程度であったが、それだけで充分だった。そういう車がカイヤツ府内を行き来するというだけで、何となく滅多なことは出来ないという雰囲気が生れて来たのである。そうした走行の目的について、連邦軍自体はもとより、政府も何の説明もしなかったために、よけいに威圧感があった。
また、このことによって、非常体制づくりが加速されたのも本当である。カイヤツ府はネイト=カイヤツの首都であって、他の地方とくらべると、さまざまな職業の、さまざまな生きかたをする人間がおり、それだけにまだかなりゆるやかな面も残っていたのだけれども、それ以後は、行政当局が自信を持って事を推進しだしたので、他の地方と同様の道を急速にたどりはじめたのだ。定職を持たずに町をぶらぶらするのは論外で、ちゃんとした職業に就いている者でも、やたらに盛り場を歩きまわったり、深夜外出したりすると、すぐに不審訊問にひっかかるようになって来た。ネイト=カイヤツの社会に有害と見倣される商売は当局の干渉がきびしくなって、やりにくくなり、廃業に追い込まれようとしている。重要物資の統制の動きもはじまっていた。――という、前々から進行していた状況が、その後の一カ月あまりで、いよいよ顕著になり、もはや逆らうのもむつかしいように見えて来たのである。ひょっとすると行政当局は、連邦軍カイヤツ軍団がネイト=カイヤツにいる間に、それを逆行不能のかたちに持って行こうとしていたのかも知れない。
それでも、たしかにエレスコブ家は、抵抗するだけはしていた。していたが、もはや見るべき成果はあげられなくなって来ていたようである。
ハボニエから聞いた、カイヤントやチェンドリン星系におけるエレスコブ家系の反抗も、その後は、ニュースらしいニュースは入って来なかった。そういうことがますますやりにくくなっているのであろう。ただ、大がかりな反抗、それ以上の反乱にまで至れば、ネイト政府は圧倒的弾圧を加えて叩き潰し、そのことを正当化した情報を流すに違いない。そんな情報がまだ出ていないのが、救いだった。
ああ、そういえば、サクガイ家やマジェ家は、とうとう重大な突破孔のひとつを開いてしまった。
各家ごとの、志願兵割り当ての法案が、議会を通過したのである。エレスコブ家はその反対の先頭に立って頑張ったけれども、駄目であった。エレンも議員のひとりとして走り廻ったものの、どうにもならなかったのだ。サクガイ家やマジェ家が本気で動きだしたとき、エレスコブ家の人間が議員としていかに工作に奔走しようとも、所詮は敗れざるを得ない――その力関係が、明白に出たのであった。
こんな状況にもかかわらず、というより、むしろこんな状況だからこそであろう、エレスコブ家はカイヤツV関係に、力を注いでいた。こうなって来ると、カイヤツVによって力の保全と拡充を図るのが、エレスコブ家のとるべきやりかただと、誰の目にも映っただろうし、エレスコブ家もなりふり構わずにその方向に進もうとしているようであった。もっとも、それがエレスコブ家の方針のすべてではなく、他に活路を求める努力をしていたのかどうか……ぼくにはわからない。が、たとえそうだとしても、エレスコブ家のカイヤツV計画は、議会で承認され一般に公示された、横槍を入れられる筋合いのない計画なのである。これを推進しない法はないといえるだろう。
そのカイヤツVは、予定より少し遅れたが、ついにカイヤツ一級宙港に来た。
すでに決定している手続きに従って、エレスコブ家はネイト=カイヤツ政府に認証を申請し、正式に認証された。
命名式も、しかるべき手順を経て、ネイト=カイヤツ政府の主催で、無事に取り行なわれた。
命名といっても、あらかじめ与えられているカイヤツVという名を、宣言し名づけるだけのことである。命名の宣言は、エレン・エレスコブがした。ぼくたちは当然護衛員として、その式典を見ることになったけれども……巨大な宇宙船の横に設けられた式場には政府の主な関係者が顔を見せ、見物人もたくさん来て、まずは盛大だったといえる。盛大だが……式典はやはり式典で、形式にのっとった退屈なものであった。それに、そんな命名式を行ないながら、エレンはカイヤツVの中へは入れなかったのだ。カイヤツVの内部ではまだ技術者たちが働いていて、点検や調整をしているとのことだったのである。そうした仕事はなおかなりあり……エレンやぼくたちが本当に中へ入るのは、出発のそのときになってからになるだろう、というのであった。
それにしても、ことカイヤツVに関しては、一応順調に運んでいるのはたしかである。これをサクガイ家やマジェ家が妨げようとしないのは、カイヤツV計画がネイト=カイヤツ全体のものとして認められているからに違いないが、方法を講じて妨害しようとすれば出来ないわけはないはずである。それをあえてしないのは……ここまで追いつめられて来たエレスコブ家が、カイヤツVに賭けた望みまで打ち砕かれることによって、死にもの狂いで自暴自棄の挙に出るかも知れぬと予想し、ひとつ位は抜け道を残しておいてやろうと考えているのか……あるいはもっと狡猾《こうかつ》に、一番収穫の大きい時期を狙ってカイヤツVをネイト政府の手に取り上げようともくろんでいるのか……ぼくには何ともいえないのであった。
いよいよあすは、エレンのお供をしてカイヤツVに乗り込むという日の夕方。
勤務を終えたぼくは、食堂で食事をとったあと、自室へ戻ろうと立ちあがった。
あしたまでに、旅行に必要なものをまとめておかなければならない。旅行に携行すべき品々のリストはすでにもらっていて、そろえてはあるが、それをカバンに詰め込まねばならないのである。その作業を早く済ませて、出来るならゆっくりと身体を休めておきたかった。あすからはまた緊張のし通し、それも宇宙船内の起き伏しを何十回もやらなければならないのだから、そうしておくべきであろう。
食堂を出ようとしたところで、ぼくは、護衛部の雑務を統括している女性の士官補に呼びとめられた。
「イシター・ロウ、お前に手紙が来ているよ」
いいながら、その士官補は部屋に取って返し、一通の封書を持って来た。「これは昨晩に来ていたのに、お前は知らなかったようだね。一階の集団郵便受けは見ないの?」
「はあ。手紙なんて滅多に来ないものですから」
ぼくは答えた。
「たまには見たほうがいいよ。思わぬうれしい便りがあるかも知れない」
「どうでしょうか。まず、そんなことはないと思います」
「自分の運を信じるものだよ。現に、これがそうかもわからない。ま、これは男からのようだがね」
いうと、士官補はぼくに、その封書を渡した。
「ありがとうございます」
ぼくは受け取り……自室へとあがって行く途中で、差出人の名をあらためた。
ヤスバ・ショローン。
そういえば、ヤスバとも、長いこと会っていない。
どうしているのだろう。
それにぼくは、あすから長旅に出るわけだから……ヤスバが何の用件で手紙をくれたのかはわからないが、別に大した用でなくても、こちらから一本、送っておくのもいいのではないか? となれば、今夜のうちに書かなければならない。
忙しくなって来たぞ。
ぼくは自室のドアをあけ、ベッドの端に腰をおろすと、封を切った。
読みくだす。
元気か?
何かと厄介な時代になって来たが、貴公のことだから、うまく切り抜けていることだろう。
この手紙は、グマナヤ市の隊の宿舎で書いている。
きょう、おれは隊長から、相談を受けた。相談というけれども、実質的には命令だ。おれの隊に、連邦軍カイヤツ軍団に志願する人数の割り当てが来たのだそうだ。このことについてはカイヤツ府にいる貴公のほうがくわしいだろうが、ネイト政府からエレスコブ家に志願者の割り当てがあり、そのうちの何人かぶんが、おれの隊にも廻されて来たというわけだ。
おれはこの一、二日のうちにグマナヤ市を離れてカイヤント市へ行く。そこから一番早い便でカイヤツに向かうことになるだろう。カイヤツ府ではすぐに以前のカイヤツ軍団本部に移され、ネプトの駐屯地行きの艦に乗せられるはずだ。離隊手続きは全部こちらで行なわれるそうだから、おそらく警備隊本部へは寄らないことになると思う。
隊長の話では、おれはこのことで一階級昇進して離隊することになるそうだ。除隊するなら二階級特進のかたちになって、それだけの金もくれるらしいが、おれは出来ればまたここへ帰りたいから、除隊はしないことにした。といっても、連邦軍の兵隊になって、戦争に巻き込まれれば、帰れるかどうかわからないがね。
この手紙が着くころには、おれはもうここに居ないと思う。この先、いつ、どこで会えるかわからないが、それまで元気でやってくれ。
右、とり急ぎ。
[#地から2字上げ]ヤスバ・ショローン
「…………」
手紙を読み終えたあと、ぼくはしばらくぼんやりしていた。
こんなことがおこるなんて、ぼくは考えもしなかったのだ。なるほど、志願兵という名目の強制割り当てを各家に課する法案がネイト=カイヤツ議会を通過したのは、ぼくにもよくわかっていたし、厄介なことになったとも思っていた。その法案は、かつてハボニエが皮肉な調子で予想したように、志願者の何分の一かについては資格が定められ、その資格を満たすとなると、家の警備隊員がもっとも適当なようにされていたのだ。このことでおそらくエレスコブ家もかなりの打撃を受けざるを得ないだろう――と、ぼくも、エレスコブ家の他の多くの人々と同様、悲観的な見通しをしていたのは、事実である。が……そうと決定したのちも、エレスコブ家は方針を共にする家々と組んで抵抗するだけ抵抗をつづけていたし、現実にもぼくの周囲には、そんな割り当ての話はまだなかったので……だから、危機感は危機感でも、それほど具体的なものではなかったのであった。
それが……ヤスバ・ショローンが割り当てのひとりとして指名されたとなると……事態はにわかに、切迫したものになって来た感じだった。エレスコブ家としては、連邦軍へ人数を提供しなければならないとなって、それをどこかから出すとなれば、お膝もとのカイヤツ府のメンバーを弱体化させるのを避け、地方の、事業所部隊から引き抜くことをしたのに相違ない。むろんこんな情勢下なのだから、地方の隊の弱体化だって、エレスコブ家としては困るのであるけれども、カイヤツ府の隊員たちを割愛するよりはましだ、と、判断したのではあるまいか。カイヤツ府の警備隊から抽出することは、戦力の低下もさることながら、それ以上にカイヤツ府のエレスコブ家警備隊の士気の低下を招くだろう。そうなればエレスコブ家の中軸の上位の人々にとっても、影響が大きいはずである。こんな時期だけに、そうはしたくなかったということかも知れない。これは、見方によれば中央本位の、中央のエゴイズムということになるのもたしかである。カイヤツ府のほうだけを大切にしていて、それでいいのか、と、いう気もぼくにはするのだ。するものの……しかし、大局を考察すれば、このやりかたしかないのかもわからなかった。
――という、こうしたばくの読みが、当たっているのかどうか、ぼくは知らない。本当はそういう割り当ては全部地方に廻されたのではなく、そのうちカイヤツ府の隊員たちも指名されることになるのかもわからないのだから……こう簡単にきめつけてしまうのは、速断のそしりをまぬがれないであろう。ぼくがいったのは、現在の状況から判断する限りそのように映るということに過ぎない。
だが、いずれにせよ、例の法案が議会を通り、エレスコブ家が抵抗していたとしても結局は実施されつつあるのならば、現実に誰かが指名されて連邦軍の補充用人員として送り出されるのは否定出来ないのである。そのひとりとしてカイヤントにいるヤスバが命を受ける(ヤスバ自身が書いているように、それは実質的には命令なのだ)ということがおこるのは、ちっとも不思議ではない。理屈の上で充分にあり得ることなのである。
が。
それとこれとは、ぼく自身の頭の中では、話が別だったのだ。人間というのは、理論的にあり得る事柄の肯定と、それがおのれに及ぶ可能性を、ストレートに結びつけようとしない、というより、そうしたくない、といったところがある。これは本人が物事を客観的に眺め、冷静になり、自己の感情にやたらに流されないようになれば、ある程度はその弊から脱することが出来るようになるもので……ぼくもそこそこには自信を持つようになっていたのであったが……今回はやっぱり落とし穴にはまっていたのであろう。理屈の上の可能性が突然現実となり、ぼくの友人が指名されたという個人的問題となった瞬間に、ぼくは奇妙な――いわば不意にわれに返り、全身の神経や皮膚や頭脳が、身近に迫ったものに備えて動きはじめたような、そんな感覚を味わったのであった。
…………。
しかし、そうした一連の心理の過程が一段落すると、ぼくはだいぶ落ち着いて、思いをめぐらせるようになった。
となると……。
ヤスバの手紙の隊内受付の日付けを見ると、四日前になっている。
四日経てば、当然、彼はもう元の隊にはいないだろう。隊を離れて、現在はカイヤツに向かっているか、あるいはもうカイヤツに到着しているかも知れない。
ヤスバの手紙によると、志願者≠スちはカイヤツ府に到着するとすぐ、以前のカイヤツ軍団本部に移され、ネプトの駐屯地行きの艦に乗せられるようだ。警備隊本部へも寄らないとなると、ぼくと顔を合わせる機会もないに違いない(もっとも、そこそこの無理をすればヤスバに会えるとしても、ぼくがそうしたかどうかは疑問である。これはぼくがヤスバと会いたくないという意味ではなく、そんな状況で顔を合わせても、一体どうなるのか、どうにもならないのではないか、という気がするためであった。連邦軍に入る友人とひと目会い、それであれやこれやを語り合っても、空しいのではあるまいか。ひょっとしたら腹が立ってくるかも知れない。これが男と女の――恋人どうしなら話は違うだろうが、男の友人相手にそんな未練たらしい真似をするつもりにはなれないのである。おそらくヤスバのほうもそうではないか、と、ぼくは信じる)。
ただ、そうだとすると、あるいはヤスバが乗る艦は、カイヤツVを護衛する艦のひとつということになるかも知れない。ぼくはあしたエレン・エレスコブの護衛として、カイヤツVに乗船する身だから、すくなくともネイト=ダンコールまでは、共に航行することになる。それだけは期待出来るのだ。まあ、それだって大した期待とはいえないが……。
ともあれ。
ぼくはヤスバの手紙を封筒に入れ、棚に置くと、旅行に携行する品々を、カバンに詰め込みにかかった。
カイヤツVの出発は、結構派手な、はなばなしいものであった。お祭り騒ぎといっても過言ではないだろう。もちろんそれまででもカイヤツ府内の電波・活字媒体は、いろいろカイヤツVについて解説し、出発の日を予告したりしていたが、いよいよその当日となると、まぎれもないトップニュースとして、大々的に扱ったのである。もっともそれは例によって、ネイト=カイヤツが第三番めの連邦登録定期貨客船を持ち、ついに運航をはじめることになった意義を説き、ネイト=カイヤツの力をうたいあげるのが中心で、かんじんのカイヤツVの性能諸元や航路については、すでに知られている事柄以上の説明は、ほとんどなかった。また、乗船する人たちの名前も十名ほどが報じられただけで(その中にはエレン・エレスコブも含まれていた)あとは政府のどこどこの部局の要人とか、マジェ家から出た議員とかの表現で、おおよその人数を出すにとどまっていた。そうなったのはネイト政府や各家にとっても、あまりあからさまに公表したくないデータが多かったせいであろう。だからトップニュースとはいいながら、その内容となると案外空疎な、事実の裏づけの乏しいものであったのも、本当である。
しかし、そうしたマスコミの動向は、ぼくたちと直接の関係はなかった。早朝に起床したぼくは他の隊員と共に行動を開始し、エレンを護衛して、カイヤツ一級宙港へと向かったのだ。道を行く車は、ぼくたちのものだけではなかった。エレスコブ家のお歴々はむろんのこと、ネイト政府や各家の要人たちが、それぞれ護衛に守られながら、宙港へと車を走らせていたのだ。そのすべてがカイヤツVに乗船するわけではなく、見送りに赴く人だってすくなくなかっただろうが……ともかくそんな時間帯にしては、道はよく込んでいた。
カイヤツ一級宙港に近づくにつれて、ぼくは、沿道に人が多くなって来たのに気がついた。
かれらもまた、宙港へと進んでいるのである。
カイヤツ一級宙港には、カイヤツVの出発を祝う大きな横断幕がそこかしこにかかげられており、色あざやかな気球さえ、朝早い空にいくつか浮かんでいた。見物に来た人々は宙港の、カイヤツVの見える送迎台にあがるべく、列を作っている。それらを、宙港の係員だけでなく、ネイト警察官も動員されて、整理にあたっているのだ。そこにはたしかにお祭りの気分があった。それも、ネイト公認のお祭りなのだ。
カイヤツV――エレスコブ家が家運を賭け、かつ勢威も誇示しようとして入手したカイヤツVの出発が、こんなににぎやかなものになるとは、あまりにも調子が良過ぎるような感じが、ぼくにはした。ぼくの頭の中には何となく、サクガイ家やマジェ家の妨害や牽制《けんせい》によって、淋しい出発になりそうな先入観があったのである。だが、考えてみると、これが当然のなりゆきなのかも知れなかった。カイヤツVの出発・運航は、ネイト=カイヤツが行なうものとして、ネイト=カイヤツの結束のために利用されているのである。サクガイ家やマジェ家としては、それが自分たちに都合のいい路線上にある間は、支援し協力するということなのだ。路線を外れたら、そこでたちまち叩き潰しにかかろうというのだろう。そうなのだ。気に食わないからといって無視したりいやがらせをしたりするのは、子供や形勢判断の出来ないわがままな連中がやることである。そんな真似をすれば、他の者は強いほうへいやいやついて行き、その恨みを心に残すか、でなければ、腹をくくって反抗するしかないであろう。それでは、味方につくべき者までを、潜在的にあるいははっきりと離反させてしまう。サクガイ家やマジェ家はそんな愚はおかさなかったのだ。活用し得る事象として、カイヤツVの発進を、ネイト=カイヤツの非常体制固めの材料として、あと押しし、盛りあげにかかったのである。そう解釈して来ると……なるほどそういうことなのか、と、首肯出来たのであった。
けれども、こうした想念は、またたくうちにぼくの脳裏を走り過ぎた。それにぽくは、そうした群衆の様子をゆっくり観察している立場ではなく、そんなゆとりも与えられなかった。
ぼくたちの車は、そうした群衆を尻目に、宙港の奥へとすべり込んで行った。
この前、カイヤントへ行くさいにいったん入った建物は、ネイト警察によって厳重に守られていた。その日は、建物全部が要人たちのために使われ、要人たち以外は立入禁止になっていたのだ。ぼくたち護衛ですら、建物の中には入れてもらえず、エレンが中へと姿を消すのを見届けたあとは、ほかのさまざまな護衛員たちと一緒に、外で待機していなければならなかった。
やがて。
迎えのバスが、次から次へとやって来はじめた。そのつど何人かの要人が建物から出て来て、各自の護衛を引きつれて乗り込むのである。その順番にはそれなりに理由があったのだろうが、ぼくには、どういう原則が働いているのか、わかる由もなかった。
六台めか七台めのバスのときに、エレン・エレスコブが外へ現われた。待ちかねていたぼくたちは、彼女のうしろについて、バスに乗った。エレン以外の要人はふたりで……ふたりともエレスコブ家の内部ファミリー――上級者だった。当然その護衛はぼくたちと同じ護衛部の連中で……バスの中でのにらみ合いや衝突は、おこるわけがなかった。この点、すくなくともエレンが乗ったバスに関する限り、乗車の順番と組み合わせは、うまく行なわれていたといえる。
バスは、巨大なカイヤツVの横に設けられた乗降エレベーターの前で停止した。エレベーターには、全員が同時にではなく、各グループごとに順次乗るのである。ふたりのエレスコブ家内部ファミリーは、エレンに先を譲り、エレンとぼくたちは、一番はじめにエレベーターに乗った。宇宙船の乗降用のいわば仮設のエレベーターにしては、意外なほどの高速であった。といっても、窓がないのだから、身体が受けた加速の感じで、そう思ったのである。が……そのとき、エレンがふっと微笑して、口を開いたのだ。
「みんな、何という顔をしているのですか」
いわれてみて悟ったのだけれども、ぼくは緊張で、ほとんど顔が引きつっていたのであった。
ぼくだけではない。パイナン隊長もハボニエも、あとのふたりも……張りつめた険しい表情だったのである。
「これは……失礼しました」
パイナン隊長が吐息をつくように答え、ぼくたちも、身体の力を抜いた。
「今からそんな調子では、へたばってしまいます」
エレンは、なおも微笑を保ちながら、いった。「でも、それほど真剣になってくれているのは、うれしいですよ」
エレベーターが、減速した。
ドアが開く。
ドアのむこうに、小さな部屋があった。その扉はエレベーターのドアと同調して開いたようである。部屋といっても半球形の、床が円形をした一種不思議なものであった。
そこに、エレスコブ家の紋章をつけた制服の、高級船員らしい男が待っていた。
「どうぞ」
男が丁重にうながし、エレンとぼくたちは中へ入る。
半球形の部屋は、全体がぼうとあかるかった。部屋の扉が閉じた。
次の瞬間、ぼくは、異様な感覚に襲われたのだ。身体が斜め下から引っ張られるような、一種めまいに似た感覚であった。が……それはすぐに消え、ついで男がカーブした壁のスイッチに手を触れると、はじめ入って来たほうと反対側の扉が、音もなく開いた。
扉の奥には、先に乗り込んだらしいエレスコブ家の人間と、別の船員が立っていた。
ぼくたちはエレンと共に、半球形の部屋を出た。
そこは小さなホールで、正面には上方と下方への階段があり、左右に長い廊下がずっと伸びていた。ずっと……それほど照明があかるいとはいえないので、端まで見通すことは無理である。
ぼくは、そこで悟ったのだ。
今の半球形の部屋は、重力の方向を変えるためにあったのではあるまいか? カイヤツVはなるほど巨大だが、天に向かってそそり立つ今の繋留《けいりゅう》状態では、地面と平行にはとてもこれだけの長さはとれないはずだ。ぼくにはその長い廊下が、船の縦軸に沿って作られたものだとしか思えなかった。となると……ぼくたちはここで、地表と直角の方向を下にして立っていることになる。いいかえれば船内の人工重力の支配下に入ったのではあるまいか? 前に乗ったエレスコブ・ファミリー号の場合は、基面というか底面を地につけて繋留していた。それほど大きな船ではないから、宙港に充分スペースがあったのだ。ためにぼくたちは、ごく自然に船上の人となることが出来た。乗船して席に着きベルトを締めればそれでよかったのだ。それはもちろんエレスコブ・ファミリー号にも人工重力はあるし、航行中はふつう人工重力が働いているのであるが……あとは発進や到着時にさいして加速・減速のGを緩和する程度で、さほど強力でもなければ複雑でもない。だが、こんなに大きなカイヤツVともなれば、地表に降り立つときにはスペースの関係で、直立のかたちをとらざるを得ないだろう。そして直立すれば船内の重力とは違う方向の重力が働くから、それを打ち消し船内重力だけとしなければならない。そんなことを実現するには高水準の技術工学がなければ駄目であろう。多分……ネイト=カイヤツ単独の技術力では、むつかしいのではあるまいか。ネイト=カイヤツではレンセブラ複合駆動装置を作るのは経済的にも高くつくし性能的にも劣るということであり、それはぼくもよく知っていたものの、こうした、おそらく船内各部によってことなる人工重力のバランスを計算し、材料を選び、経済的採算の範囲内で仕上げるというようなことは……これだって、ネイト=カイヤツの力だけでは、容易なことではないのではあるまいか? これはぼくのただの推測である。的中しているか否かは、ぼくには何ともいえない。だがどうもそう思えて仕方がないのだ。そして……さっき経由した半球の部屋が、乗船した人々を船内重力の方向に合わせるためのものだったのだろう。ぼくはそれを半球形と見たが、実は球形で回転するようになっており、ぼくたちはその上半分に立っていたのかも知れない。
もっとも、ぼくはその場では、そうした推測を口には出さなかった。エレンをはじめみんな沈黙しているときであり、しかもかけねなしの勤務の最中なのだから、雑談などしてはならなかったのだ。
ホールで出迎えたエレスコブ家の人間(彼は襟にちゃんとエレスコブ家内部ファミリーのバッジをつけていた。バスで一緒だったふたりの内部ファミリーよりは格下のようだが、それでも内部ファミリーに変りはない。かつてははるか上の存在のように思えたエレスコブ家の内部ファミリーというものが、勤務をつづけるうちに、それほど数すくないわけではないのをぼくは学んでいたが……こうやたらに内部ファミリーが登場して来ると、その値打ちはいよいよ低下する感じであった。とはいえ、そういう自分自身が外部ファミリーの一員に過ぎないのを思うと、あまりいい気分ではなかったのも事実である)と、カイヤツVの船員は、ぼくたちの先に立って、歩きはじめた。
長い廊下をしばらく行ったところで、かれらは右側のかなり大きなドアの前でとまり、お入り下さいといった。
内部ファミリーの言では、そこは第一客区第一層第四室だとのことで……エレンとぼくたちは旅の間、そこで居住するのだという話であった。
その晩、レセプションが催された。
晩といっても、もちろん船内時間で、である。ただ今度の場合、エレスコブ・ファミリー号と違って、客区のほうは夜にあたる時間帯には、通路のあかりが半分位に落とされるので、それとわかるようになっていた。エレスコブ・ファミリー号では、船自体がそんなに大きくなく、乗員や乗客の生活時間帯がまちまちなのと、それに航行日数も通常はそう多くないので、廊下はいつも同じあかるさが保たれていたが、カイヤツVのように客区は客区だけで分離されており、長い目数を生活しなければならないとなると、人間の生理リズムを守るために、そうするほうがいいのだ、ということだった。
レセプションが行なわれたのは、第一客区第二層の大ホールで、正規のメンバーとして出席したのは、主要な人々、具体的には第一客区第一層から第三層までの主室客だけである。
――と、並べたてても、何のことやらわかってもらえないだろうから、もう少し説明しなければなるまい。
カイヤツVの発進後、エレンのところへ高級船員がやって来て、ひと通りの事柄を口頭で伝えた。ぼくたちはそれを横で聞き、さらに室に備えつけのパンフレットを読んで、大体のことを知ったのである。実のところ、ぼくたちは、カイヤツVが発進したときも、はっきりそうとはわからなかった。発進予定時刻が来て、低い、ブーンという唸りとも震動ともつかないものがおこったので、多分そうなのだろう、と、思ったのである。そのひびきにしたって、しばらくのうちに馴れてしまい、その気で注意して聴かなければ感知出来なくなってしまったのだ。高級船員が来てエレンに、定刻に発進しましたと告げたので、やっぱりそうだったのかと納得したのである。
高級船員の話とパンフレットの内容を総合すると、カイヤツVは航行・機関・運営などの乗務員区と客区、それに貨物区に分けられている。その客区にしても、第一区から第三区まであって、各客区がそれぞれ五層あるとのことであった。今回の航行にはエレスコブ家や政府のしかるべきメンバー、他家の特別な用務を帯びた幹部といった要人がほぼ百名、その随員・護衛員が三百名ほど乗っており、それらはみな第一客区に収用されているという。要人百名に随員・護衛員が三百名というのは意外にすくないと思えるが、政府要人にはそういうものがつかないか、ついてもひとりであり、あとの要人たちも宇宙船での旅なのだからと、随員や護衛員を制限したのだそうであった。エレンのように五名もの護衛を引き連れているのは特別な例なので、そんな要人はあまりいないのだそうだ。そこに今度の旅におけるエレンの役割の大きさが象徴されているのかもわからない。もっともそのエレンにしたって、これまでのように身の廻りの世話をする人間やおつきの内部ファミリーを持っていないのだから、それなりに人員を制限していることになる。エレンは一応自分で自分の面倒を見なければならぬわけだが、しかし、全部が全部そうではなかった。カイヤツVの第一客区にはちゃんと身元のたしかな世話係がいて、命じればひと通りのことをしてくれるシステムになっているのだそうだ。第一客区の、ことに第一層から第三層までは、特別区画であり、サービスには万全を期しております、と、高級船員はいった。ただ……どうせすぐに述べることになるが、そうしたサービスの対象はエレンに対してだけの話であり、ぼくたちとは無縁であった。ぼくたちは他人のサービスをあてにすることは出来ないのである。
客はそれだけではなかった。第二客区や第三客区にも乗っていたのだ。こちらの客は小さな家の当主とかファミリー――実質的には独立商人とその従業員たちとか、今般のエレスコブ家の行事とは直接かかわりなく、とにかく連邦登録定期貨客船を利用しようという他家のそれほど地位の高くないメンバーとか、さらにはネイト政府、ネイト警察などの下級官史とかで……ネイト=ダンコールにあるネプトーダ連邦首都のネプトなり、あるいはもっと先のネイトへ赴こうとする人々が、ざっと三百名、乗り込んでいたのだ。こうした人たちは一般客で、一般客相応の待遇を受けるのだという。ついでにつけ加えれば、カイヤツVの貨物区には、エレスコブ家が交易のために積んだ物資以外に、かれらの荷物もだいぶ搭載しているのだそうであった。
こうした客たちとは別に、乗務員は千名近いというのだから、カイヤツVには実に千七百名ほどが乗っていることになるが……それでも高級船員にいわせると、まだ余裕があるのだそうである。連邦登録定期貨客船とは、それほどのものなのであった。(そういえば高級船員は、例の半球形の小さな部屋が、ぼくの推察通りの機能を持っていることを、問わず語りに喋った)
高級船員の説明とパンフレットによって得た知識は概略そんなところだったが、あと、ぼくたちにあてがわれた居住の場について、もう少し話しておく必要がある。
第一客区第一層第四室というのは、実は一室だけではない。第四室そのものが独立した小区画なので、ドアを開いて入ったところに円形のテーブルと椅子を置いたかなり大きなスペースがあり、奥にふた間つづきの豪華でゆったりとした部分が設けられている。このふた間つづきの部分はいわば室内室で、錠がかかるし、バス・トイレ等の設備もそろっているのだ。これが第四室の主室であり、客(つまりエレン・エレスコブだ)はここで寝起きし、生活するのだった。そして、テーブルを置いたスペースの右手には、小さな部屋が三つ並んでいて、こちらは附属室なのである。附属室には二段になった寝棚があるばかりで、荷物や何やかやを置くと、一杯になるほどせまいのだ。三つの附属室の横には共用のバス・トイレが設けられているのが、有難いといえば有難い。要するに第四室は特別区画の中の要人用特別小区画であって、要人は主室を使い、もしもおともがいるならば附属室をあてがうという構造になっているのだった。従って(さっき、あとで述べるといったが)第四室へのサービスは、主室の正客のためになされるに過ぎず、附属室に入った人間は、ここではちゃんとした客ではなく、正客に附随した存在としてしか、扱われないのである。パンフレットを見ても、特別区画の要人用特別小区画というのは、大体そのようになっているらしかった。
「これはまあ、随分みんなには不自由させますね」
と、エレンはぼくたちに同情してくれたけれども、ぼくたちはしかし、その言葉だけでもう充分だった。これまでの旅では、これどころではない場所にたびたび寝起きしたのだ。それを思うと、ここはむしろ安楽過ぎるほどである。しかも、エレンの身を守るには、こうした構造は打ってつけではあるまいか。そうなのだ。これはひたすら要人の安全を期したつくりなのである。はじめからこういう仕様だったのか、エレスコブ家の意向でこう改装したのか、ぼくにはわからないが……うまく作ってあるという印象だった。
ぼくたち五人は、その三室へ分れて入ることになった。パイナン隊長がひとりで一室を占め、残る四人がふたつの室に分れたのである。六人ぶんの寝棚に五人が入るのだから、どうしてもひとつ余ってしまう。ひとりが一室を占領するのは仕方のないことで……ハボニエが隊長にはひとりで一室を使ってもらおうといいだしたのである。ぼくたちには異存はなかった。パイナン隊長はちょっと困ったようだったが、その代り、他の部屋に入り切らない荷物や、隊全体のものなどは自分の室の空いた寝棚に置くということで、折れた。
第四室がそうした配置だったから、エレンの部屋の前の立哨はふたりでよい、と、隊長は決定した。それも、テーブルのあるスペースに立って第四室のドアに注意していればいいという……楽な勤務である。エレンは、こんな構造なのだし妙な気配があればあなたがたはすぐに自分の寝棚から出て来ることが出来るではありませんか、立哨はしなくてもよいでしょう、といったのだが……パイナンは肯《がえ》んぜず、結果としてそういうかたちに落ち着いたのだ。蛇足だけれども、もちろんこれがエレンが自分の部屋に入っているときの話である。エレンが第四室を出るとなれば、ぼくたちは全員、でなければパイナン隊長が適当と判断した人数だけ出て、彼女を護衛するのであった。
説明が、だいぶ大廻りになったようだ。
レセプションである。
船長主催のレセプションは、前述のように第一客区第二層の大ホールで行なわれた。正規の出席者は、今度はその意味を理解してもらえると思うが、第一客区第一層から第三層までの主室客である。
ぼくは、正規の出席者といった。正規でない出席者があったのか、と、問う人があるかも知れない。それが、あったのだ。正規でない出席者とは、つまり、ぼくたち護衛員のことなのである。
レセプションの時間が近づくと、エレン・エレスコブは身つくろいをして、部屋から出て来た。ぼくは何となくエレンが、黒いドレスか何かをまとい髪を結いあげて出て来るのではないか、と、予想していたが、その予想は全くの間違いだった。エレンは身にぴっちりついた白色の上衣とズボンに白いブーツ、白いマントというスポーティな格好で現われたのである。だが、何もかもが白色ではなかった。その胸にはひときわ大きくあざやかに、エレスコブ家の紋章が縫いとられていたのだ。それも真紅の縫いとりである。あまりにも印象的で男っぽい姿に、ぼくたちは一瞬、息を呑んだ。
「どうかしましたか?」
エレンは、垂らした髪を振ってぼくたちを見やり、面白そうにたずねた。「わたしは、そんなに妙ですか?」
「とんでもないことです。とてもお綺麗です」
ヤド・パイナンが受け、それでもエレンが何もいわないので、またつけ加えた。「ただ……いささか、不意をつかれたものですから」
「びっくりしたのね? それでいいのです。わたしは、このレセプションに集まった人たちを驚かさなければなりません」
いうと、それ以上はエレンは何も説明しようとはせず、ぼくたちが護衛の態勢を作りあげるのを待った。
ぼくたちは、エレンの前後左右を固め、第四室のドアを開けると、通路へ出た。
第二層へは、エレベーターを使えるが、エレンはこちらから行きましょうと宣言して、階段を降りて行く。
会場の大ホールには、すでにだいぶ人々が集まっていた。立食パーティではなく、卓布をかけたテーブルが並び、名前をしるした席が設けられていた。
ぼくたちはそこで制止され、ホールの壁ぎわに佇立するようにと指示された。ほかの随員や護衛員も、みなそうするようにいわれている。ぼくたちはパイナン隊長につづいて、空いている壁ぎわへ行くと、そこで姿勢を正してたたずんだ。レセプションの会場へ入ることは入ったけれども、護衛としてそこで場内の様子を見ているのが、ぼくたちの仕事であった。だからぼくは、自分たちのことを正規でない出席者と表現したのだ。席に着かずに壁を背にして立つのが出席かといわれれば、抗弁する気はない。だが、たたずんで場内やエレンの様子に注意していることが認められたのは、ホールの外で内部の有様がわからずにじりじりしているよりも、ずっとましだったのである。
ぼくたちがそうしているうちにも、エレンは会場のメインテーブルのほうへ進んで行った。その姿が出席者たちの注目を浴びているのもたしかであった。
ほどなく、全部の席がふさがった。大ホールは広く、その壁ぎわも充分余裕のあるように見えたのに、あとからあとから流れ込んで来る随員や護衛員たちによって、ほとんど空いた場所がなくなってしまった。
船長が立ちあがって、挨拶をはじめた。カイヤツVの初運航を記念するこのレセプションに、皆様に来ていただけたのは無上の光栄である――という、みじかい挨拶である。
つづいて指名され挨拶したのは、ネイト政府の外務長官であった。ネイト政府の外務長官はサクガイ家の出身である。が……外務長官はそうした家のことなどはいっさい持ち出さず、ネイト=カイヤツとネプトーダ連邦のためにこのカイヤツVが稼働を開始したことを、よろこんで見せたのだ。
そのあと、ネイト=ダンコールから来た技術者の代表が祝辞を述べた。司会者の紹介によればその代表は、ネイト=ダンコールの技術者の高等専門官だということである。ネイト=ダンコールの社会組織をろくに知らないぼくには、そこで家というものがどの程度の作用をしているかわからなかったし、司会者も家の名を出さなかったので、どの程度の地位にある人間かははっきりつかめなかったものの、技術者の代表としてやって来た位だから、それなりの存在なのであろう。ネイト=ダンコールの技術者代表は語弊のないように注意しながら、ネプトーダ連邦と、ネプトーダ連邦のふたつのネイトの親睦《しんぼく》のために、カイヤツVはきっと有用だろう、と、説いた。
それから、エレン・エレスコブの番が来た。エレン・エレスコブは、今回カイヤツVに乗り込んだエレスコブ家在籍の人間の中ではもっとも上に位置し、エレスコブ家を代表する立場にあったのだ。とはいえ、エレンに求められたのは挨拶ではなく、乾杯の音頭をとることであった。
エレンは起立し、他の人々が立つ間、グラスを手に、何秒かの間、黙っていた。
黙っていることで、人々の視線はいやでもエレンの、ことにその胸のエレスコブ家の紋章に集中することになった。それが人々の心に焼きつくのを待つように、エレンはみんなを見渡し、グラスをあげていった。
「おめでとう。カイヤツVがネプトーダ連邦と、ネイト=ダンコール、そしてネイト=カイヤツに栄光をもたらすことを祈って……乾杯!」
人々は唱和した。
挨拶はそれだけで、あとは食事になった。
ぼくは仲間と共に佇立しながら、そうした人々を観察していた。席に着いているのでもっとも多いのは、やはりエレスコブ家の内部ファミリー級の人々であった。見知った顔もすくなくない。ぼくはカイヤツVに乗ることになってから、やたらにエレスコブ家の内部ファミリーを見掛け、こんなにたくさんいてはさっぱり値打ちがない、などと思ったけれども、今考えると、要するにそれだけ多くの内部ファミリーが乗船しているのであり、ぼくたちがエレンの護衛をしている関係で、もっとも内部ファミリーの集まりやすい、内部ファミリーと出くわしやすいところを行き来していたせいでそうなったのだ、と、自分を納得させたのである。
だがもちろん、出席者はそれだけではない。席に着いているのは外務長官をはじめとするネイト=カイヤツの政府要人や、ネイト=ダンコールの今回のカイヤツVの納入、整備・運航にかかわった技術陣の主だった人々もいた。それから数はそう多くないけれども、サクガイ家やマジェ家、さらにはラスクール家・ホロ家・ヨズナン家の幹部たちもいる。
そういえば……。
ぼくは、そうしたネイト=カイヤツ政府要人たちの中に、あのトリントス・トリントがいるのを認めて、胸が少し冷える気分におちいった。ハボニエはトリントス・トリントが今度の旅に同行するらしいと教えてくれたし、トリントス・トリントが現在ネイト政府で外交部門の渉外局の次長か何かになっているのを考えれば、当然そうあって不思議はないのである。むしろ……果然といった感じであった。それでもなお、ひやりとしたものをおぼえたのだ。それだけではない。トリントス・トリントの横の席にいるのは、たしか、トリントス・トリントにくっついて廻っているとシェーラがいった内部ファミリーの、ハイトー・ゼスという、ぼくと同年配の青年ではないか?
だが。
ぼくは自分の心を何とか抑えつけ、そのふたりから視線をそらし、ふたりのことを意識から追い払うのに成功した。こうなったのならなったで、いちいち気に病んでいても仕方がないのだ。
そして……ぼくはそのときになって、はっとした。
こうして見廻してみると、着席している人々は、たいていが地味な制服か、でなければ正装あるいは正装に近い格好である。女性もまじっているものの、みなドレス姿なのであった。エレン・エレスコブただひとりが、鮮明に大胆に、自分の家の紋章をつけているのだ。
それがエレンのもくろみだったのか、と、ぼくは思った。たしかに、こういう席では(壁ぎわのぼくたちは制服だから別として)自分の家の紋章を誇示し、それを他人に印象づけようとする者はいないに違いない。こういういろんな人々の参集する場では、それはエチケット違反といわれてもやむを得ないのである。だからおのれの所属や身分を露骨に見せないようなスタイルで出席したのだ。エレンはそれに反逆し、こういう場であるからこそ、そんな姿をして来た。そうすることでこのカイヤツVがまぎれもなくエレスコブ家のものであり、エレスコブ家そのものの存在を人々に想起させようとしたのではなかったか?
食事のあと、もう一度船長が立ちあがってお粗末でしたという意味のみじかい挨拶をし、みんなが拍手して(それが謝辞の代りだったのだろうか)レセプションはおひらきになった。
出席者たちは思い思いにゆるやかに会場を出た。
ぼくたちはまた、エレンを護衛しつつ――第一層の第四室へ戻って来た。
第四室に帰りつき、ハボニエが錠をかけ終ったそのとき、エレンが急に足をとめて、ぼくたちに顔を向け、いったのである。
「わたしの胸の紋章は、あの人たちの心に残ったでしょうか?」
「そう信じます」
ヤド・パイナンが答えた。
「こういう服装がルール違反になりかねないのは、わたしにはわかっていたんですよ」
エレンはぼくたちと向き合ったまま、微笑した。「でも、わたしの場合だけは、認められることだったのです。わたしはエレスコブの姓を持つ人間ですから……許されるのですよ」
「しかし、エレン様」
いいかけるヤド・パイナンを、エレンは手ではげしくさえぎった。
「わたしはエレスコブ家が、まだサクガイ家やマジェ家や、それにつづく家々に屈服していないのを、明示したかったのです」
エレンは、強い語気でつづけた。「そうした家々の人たちに対してだけではなく、ネイト=カイヤツ政府に対しても、そして……しだいに敗北感にとりつかれて行こうとしているエレスコブ家の内部ファミリーの人々にも、見せつけたかったのです」
「…………」
「だけど、ひょっとしたらこれは、子供の強がりみたいなものだったかも知れませんね」
エレンはほほえんだ。どこか疲れたような、気のせいかやや淋しげな影の見える微笑であった。「小さい頃からわたしはいたずらが好きでしたが……やっぱりその癖は直らないようです」
「――エレン様」
ヤド・パイナンがいったが、それ以上は言葉にならなかった。
「いいのです。わたしはくたびれました。部屋に入ります」
エレンはいい、軽く頷いてみせてから、身をひるがえして、主室へと姿を消した。
ぼくたちは、しばらく、何もいわなかった。
エレスコブ家は、そこまで窮地に立たされているのか――と、ぼくは思った。あのエレン・エレスコブまでがこんな強がりと気の弱りを覗かせるほど、追いつめられているというのだろうか?
だが。
「エレン様は、われわれの前だから気を許して、あんなことをおっしゃったのだ。他言は無用だぞ」
ヤド・パイナンが、低くいった。
はっ、と、ぼくたちは答えた。答えながら無意識のうちに姿勢を正し、かかとを合わせていたのを自覚したのは、何秒か経ってからであった。
「おい、イシター・ロウ、第二客区へ行って飲まないか」
ハボニエがいった。
立哨が終って、他のふたりの隊員に引きついだとたんであった。
立哨は、五人が順番にふたりずつで務めるわけだから、機械的に振りわけて行くと一回勤務のあと一回休み、次の勤務のあと二回ぶん休む勘定になる。そのやりかたでは同時にふたりが二回ぶん休むかたちは出てこない。そこでパイナン隊長はときどきひとりを二回ぶん連続で立哨をさせることで、ふたり一緒に二回ぶんの休みを与えるようなスケジュールを組んだのだった。そうしたのにはもちろん理由がある。ずっと第四室の中だけにいては、気持ちが沈んでしまうだろうから、たまには隊員に、いってみれば上陸非番にあたる外出を許すことが望ましい。が、まだ馴れない船内へひとりきりで誰かが出掛け、それが帰らないうちに別の隊員がまたひとり出掛けるとなると、統制がとりにくい上、万一何かの悶着《もんちゃく》があったとき、厄介である。どうせならふたり一組で外出したほうが、間違いもおこしにくいし、おきたとしてもふたり一緒なら対処が容易である――ということで、そうした変則的な勤務体制をしいたのだった。もっとも、こんな方式が可能だったのは、すでにいったように第四室がそれだけで防備の構造になっているために、立哨も比較的楽であり、かつ、エレンがパイナン隊長にくわしい行動計画を示してくれるので、こちらも予定を立てやすかったせいである。
その日は、ハボニエが二連続立哨をこなし、ぼくが一回ぶんを済ませたときで……ふたりが二回ぶんを共に休める、外出の順番だったのである。
それで、ハボニエはぼくを誘ったのだ。
が。
「第二客区?」
ぼくは、ハボニエの顔を見た。
「そうさ。第二客区には、おれたち向けのバーやレストランがあるらしい。こいつらがこの間行ったんだそうだ」
ハボニエは、立哨についたふたりを指していう。
第二客区か。
ぼくはまだ、第二客区の店というのは、行ったことがなかった。そっちや第三客区にも客のための店や設備があるとは、たしかに他の隊員から教えられたのだが……行く機会がなかったのである。
それは別にそんなところへ行かなくても、第一客区にも飲み食い出来る店はある。しかしそこはあくまでも第一客区の、それも主室の客向けの店で、ぼくたちのような附属室住まいの人間には、居心地が悪かった。雰囲気が上品だとか従業員がいんぎん過ぎるというのはまだ何とか辛抱出来るとしても、他の要人たちがぼくたちに冷やかな目を向けているような感じがして、面白くないのだ。自意識過剰のなせるわざといってしまえばそれまでだけれども……あまりたのしむというわけにはいかないのだ。そんなしだいで、一、二回は行ったものの、ぼくはあと、売店で適当なものを買って来たり、みんなと一緒にあてがいぶちの予約食を第四室のテーブルで食べるようになっていたのである。
だが第二客区や第三客区の店がいいというのなら……。
「行くか」
ぼくは答えた。
「行こう行こう。たまには一杯やらなくちゃ」
ハボニエはうながし、気がついたように注意した。「おっと……剣を置いて行くつもりか?」
「そうだった」
ぼくは、これまでの習慣で、勤務が終って自室に帰りつくと直ちにするように、剣を外しにかかっていたのである。いつもならそれでいいのだ。士官とは違って平隊員は、勤務についているとき、または特に必要と認められたときでなければ、剣を携帯出来ない。その癖が身についていて、勤務終了となると剣を外すのであった。今度の旅行中は、その、特に必要と認められたときに該当する。四六時中剣を携えていて差し支えがないのだ。その権利を一時的に与えられているのである。が……カイヤツV発進後きょうまでは、勤務が終るとたいてい寝棚にころがり込むか入浴するかだったので、これまで通り、すぐに剣を外し……それをつづけていたのであった。
「行ってくるか、まあゆっくり気晴らしをして来い」
自分の室からひょいと首を出したパイナン隊長が、ぼくたちに声をかけた。
「もちろん、そうしますとも」
ハボニエはにやりとして、返事した。パイナン隊長は自室に引っ込み、ぼくとハボニエは立哨を開始しているふたりに会釈してから外へ出た。私用の外出のこんなときに敬礼をするのは、相手に失礼である。先方も答礼しなければならないからだ。遊びに行く人間に答礼するのは、あまりいい気分のものではないとぼくたちにはわかっていたから、そうしたのである。立場が逆になれば、むこうも同じことなのだ。ふたりはきちんとした立哨の姿勢のまま、目だけでわずかに答えた。
ぼくとハボニエは、通路に人影のないのをさいわい、大股で進んだ。
「隊長、機嫌は悪くなかったな」
他の人間がいないので、ぼくはいつもの調子でハボニエにいった。
「あの人が、元気になったからな」
ハボニエが応じる。
それだけで、ぼくらの会話は成立していた。あの人とは、いうまでもなくエレンのことで、出発した最初の晩、レセプションのあとであんな風な態度をぼくたちに見せたものの、その後は自分で自分を励ましたのだろうか、また以前の、快活で生気に満ちた雰囲気を取り戻していた。出発から三日めのきょうは、もういつもと変らない印象になっていたのである。それでパイナン隊長も、ほっとしているのだ。パイナン隊長のみならず、ぼくたちだって、そうだった。
そのままでぼくたちはまた歩きつづけ……階段を降りて第三層へ来た。パンフレットには客区間の通り道は、第三層にあるとしるされていたのだ。
「ああ、あそこらしいぞ」
ハボニエが指した方向、通路の少し先に、右へ曲る矢印が光っており、その下に第二客区という文字が浮かんでいた。
そこを曲ると、すぐにやや広い場所へ来て……通り口があった。通り口にはふたりの船員が立っている。ぼくたちは乗船したあと第四室で渡された乗船証を出し、ふたりの船員は頷いて、通り口を腕で示した。
そこを抜けると……感じががらりと変ったのだ。
通路はにわかに幅広くなり、男や女が行き来していた。その片側は第一客区よりもずっと小さなドアが連続して並び、片側は壁になっている。足元はじゅうたんではなく、むき出しの金属なので、人々の足音がこだましていた。足音だけでなく、話し声や笑声が聞えてくる。どこかから陽気な音楽が流れて来て……ひどく活気があるのだった。
「やっぱり、おれたちにはこっちがお似合いらしいぜ」
ハボニエは肩をすくめてみせた。
ぼくも同感だった。第一客区にいるといっても、ぼくたちは所詮そこの正規の客ではない。そこに居させてもらっているだけなのだ。それとくらべると、こっちはずっと気が楽なのである。
通路には、やたらに標識がかかっていた。それらを眺め、確認して、ぼくたちはバーの方向へと進みだした。歩くにつれて音楽が大きくなってくる。つまり……その音楽は、バーから流れて来ていたのだ。
せまいが、開いたままの入口を抜けると、左右と奥にカウンターが凹型につづいていた。左のほうは男や女でほぼ一杯なので、ぼくたちは右手のカウンターに並んで陣取った。
「いらっしゃいませ」
バーテンダーが、ぼくたちの前に来て、愛想良くいう。こちらのカウンターにいるのはそのバーテンダーだけで、女の子はいなかった。女の子は数名居るが、みな、入って左側のカウンターに集まっているようだ。それでこちらが空いていたのかも知れなかった。
「ペランソ、あるかい?」
ハボニエが訊いた。
「ございます」
バーテンダーは答えた。「上物のペランソからアペランソまでそろっておりますが、何になさいますか」
ハボニエは上物のペランソを注文し、ぼくは酔いがより早く醒めるアペランソを頼んだ。
バーテンダーがうしろの棚に向いて瓶をとり出そうとしたとき。
「イシター・ロウさん!」
声がして、ひとりの女が、入って左側のカウンターから、奥のカウンターのむこうを廻って走って来た。
ぼくは、ぽかんと口をあけた。
その女は……ミスナー・ケイだったのである。
ミスナー・ケイ。
ぼくが知らなかった種類の超能力を駆使する女。シェーラの仲間らしい謎の人物。ミスナー・ケイという名自体、本名ではないという。
そのミスナー・ケイが、どうしてこんなところにいるのだ?
彼女は、カウンターのむこうにいる女たちと同様、このバーの従業員らしい制服を着ている。
となれば、考えようでは、彼女がここに居たって不思議ではない。カイヤツVで働こうとして応募し、ここで働いているだけのことになる。大体が、カイヤツVで勤務しているのは、全部が全部エレスコブ家のファミリーというわけではないのだ。たしかに航行・機関・運営といった主要な部門の主だったポストは、エレスコブ家直系の人間で固めているものの、末端の人員や、さほど重要でない場所では、これまでエレスコブ家と関係のなかった者も結構いる――と、ぼくは聞いていた。これはひとつにはエレスコブ家のファミリーは、たとえ外部ファミリーであろうと人員にそれほどの余裕がなく、無駄な使いかたをしたくなかったためだろうし、他面、ネイト=カイヤツの連邦登録定期貨客船であるカイヤツVには、一般市民の参加の余地も残しておくのが得策だとの、エレスコブ家上層部の意向が働いたためだろう、と、ぼくは解釈していたが……かなりの人数を公募し採用したのである。むろん応募者の身元調査はそれなりにちゃんと行なわれたはずであり、そうした人々の行動を監視し規制するシステムもとられているに違いないけれども、こうしたバーのサービス部門にあっては、それはそんなに厳重ではなく、むしろ客を適当にひきつける魅力のほうが重視された可能性が高い。その点ミスナー・ケイは充分にそれだけの魅力を備えていた。カイヤツVに採用されて、ちっともおかしくないのである。
だが……なぜ彼女が自分から志願してカイヤツVで働く気になったのか、それがさっぱり見当がつかないのであった。いや、きょうばかりではない。思えばミスナー・ケイは、これまでいつもぼくが予期しないかたちで、いいかえれば彼女だけの都合で、ぼくの前に出現したのではなかったか?
もっとも……こうした思考は、あとになって整理された論理である。そのときのぼくは不意をつかれて、なかば呆れながら、やって来た彼女の顔をみつめていたのだ。
「お元気?」
ぼくとハボニエの前に来たミスナー・ケイは、カウンターに両手をつき、屈託《くったく》のない声を出した。
こうして近くで見ると、彼女はこれまで会ったときよりも、ずっと濃い化粧をしているようであった。仕事柄そうしているのかも知れないが、なかなか効果的だとぼくには思えた。
「…………」
ハボニエが、この女は誰だという目をぼくに向ける。
そういえば、ハボニエがミスナー・ケイと顔を合わせたのは、ぼくの最初の上陸非番のあの酒場だけで、それもちらと見たきりのはずだ。忘れていたとしても無理はない。
「例の、ミスナー・ケイだ」
ぼくはいった。
そして、このときのぼくが、依然として謎の女であるにもかかわらず、彼女に対して比較的寛容な気分になっており、それほど警戒的でもなかったのは……やはり、この前出会ったさいに結果として助けられ、その上エレスコブ家カイヤツ府屋敷まで送ってもらったせいで、多少、好意に似たものを感じるようになっていたのであろう。
「…………」
ぼくの言葉に、ハボニエは何もいわず、そのまま視線を前方のミスナー・ケイに戻した。
「わたし、ここで働くことになったんです。イシター・ロウさんもひょっとしたら乗ってらっしゃるかと思っていましたけど……お会い出来てうれしいわ」
ミスナー・ケイは一息にそういってから、ハボニエのほうへ目を転じた。「こちらは……同じ隊の方?」
たずねられたからといっても、当人の了解を得ずに紹介することは、今のような職務に馴れたぼくにとって、容易になすべき行為ではなかった。ハボニエ相手ではなおさらそうだ。ぼくはハボニエを見、ハボニエが頷くのを待って、いった。
「そうだ。ぼくの先輩……というより上司に近いな。ハボニエ・イルクサだ」
「ハボニエ……イルクサさん?」
ミスナー・ケイは首をかしげた。「姓は……イルクサのほう?」
「そうじゃない。ハボニエ姓だ」
ハボニエが、ぼそっと答える。
「よろしくお願いします」
ミスナー・ケイは頭をさげ、胸の名札を指で示した。「わたし、ミスナー・ケイ。でもここではプェリル。お店用の名前なんです」
そのとき、バーテンダーが彼女の横から出て来て、ペランソとアペランソの入ったグラスをカウンターに置いた。
「ありがとう」
ぼくたちは、グラスを引き寄せた。
「プェリルとはまた、舌を噛みそうな名前だな」
ハボニエが顔をしかめる。
たしかにそうに違いなかった。発音が易しいとはいえないだけでない。どこか異国風なひびきがある。
「そうなんですよ」
応じたのは、バーテンダーである。「女の子たちの名前は、サービス部門のおえらがたがつけたんです。連邦登録定期貨客船ともなると、カイヤツ離れした名のほうが、お客の旅情をそそるということらしいんですが……私たちには、どうもなじみにくくて……」
「――なるほどね」
ぼくは呟いた。
呟いたものの、ぼくは必ずしも全面的に納得したわけではなかった。そういう考えかたには一理あるかも知れないが、連邦登録定期貨客船なら、ネイト=カイヤツの人間以外にもたくさん利用者があるであろう。そうした客にとっては、むしろカイヤツ的な名前のほうがいいのではあるまいか? そのほうがネイト=カイヤツの船に乗っているという気分になるのではないか? それをそんな風にするのは……カイヤツVにはネイト=カイヤツ以外の人間はあまり乗らないだろうと予想しているのか、それともネプトーダ連邦の中にあってネイト=カイヤツ色を強く打ち出すのは、この船のローカル性を露呈するものだというわけで避けたのか……いずれにせよ、ネイト=カイヤツの人間であるぼくにとっては、いささか情けない感じであった。
そして、そのままだったら、バーテンダーはさらに話をつづけていたところである。
が。
開いたままの入口から、ふたりの男が入って来たのだ。
かれらは、ぼくたちよりもさらに右手奥の、隅の席にすわった。
ふたりとも、ネイト=カイヤツ政府要人である。政府要人がこんな第二客区のバーに来るなんて、場違いであった。政府要人たちは第一客区の主室の客なのである。かれらのためには第一客区にいくつも上品な店があるのだ。ぼくたちのような附属室住まいの人間がここに来たのとは、わけが違う。
しかも。
その政府要人のひとりは誰か知らないけれども、もうひとりはエレスコブ家から出向した内部ファミリーの……ぼくと同年配のハイトー・ゼスだったのだ。
そうとわかっていて無視するわけにはいかないので、ぼくはやむなく、そちらへ会釈をした。
ハイトー・ゼスの顔はハボニエも承知している。だからハボニエもそうしたけれども……先方は気がついたのかつかなかったのか、知らん顔で、バーテンダーを呼んだ。バーテンダーはあわててそちらへ行った。
「あんな連中、気にすることはない」
ハボニエが、ぼくにだけ聞えるような声でいった。
もちろん、ぼくだって気にしてなどいなかった。もともとお高くとまっている若い内部ファミリーのハイトー・ゼスなのである。むしろむこうがこっちに関心を持たないほうがありがたい。それだけゆっくり酒が飲めるというものだ。いや……こんなことを考えるというのは、やはり黙殺されたので少々腹が立っていたのであろう。その点、ハボニエも同様で……それでそんなことを口にしたのに相違なかった。
とにかく、バーテンダーがそっちへ行ってしまったので、ぼくたちはまた、三人になった。
「お忙しいんでしょう?」
ミスナー・ケイ(それともここでは呼びにくいプェリルとすべきなのだろうか。が……ぼくにとってやっぱり彼女は、本名でないとしてもミスナー・ケイなのである)は、ぼくたちに問いかけた。
「いつもの通りさ」
ぼくは応じた。事実、そうなのだし、くわしい説明をするのは、控えるべきだった。それだけでぼくは反問した。「そちらは?」
「忙しいけれど……だいぶ馴れました」
ミスナー・ケイは、にこりとした。「わたし、こういう宇宙船のこんなお仕事って、もっと優雅で暇かと思っていたんですけど……忙しいときには滅法忙しいんです。でも、何とかやって行けそう」
「それは結構」
ハボニエが、グラスを目の高さまで持ちあげていう。
「わたしも、何かいただいていいかしら」
とミスナー・ケイ。
どうぞ、と、ぼくはいい、ハボニエも頷いた。
ミスナー・ケイは、ハイトー・ゼスたちのほうへ行っているバーテンダーに声をかけようとし……やめた。
ぼくとハボニエも振り返った。
ぼくたちの背後の――左手のほうにかたまっていた人々の中から、ひとりが椅子をすべり降りて、こっちへやって来たのである。ぼくより十歳近く年上らしい男で……だいぶ酔っていた。
「おい、プエーリル!」
と、男は、床に立ったままで、ミスナー・ケイに呼びかけた。「いつまでそっちでぐずぐずしているんだ? 早くこっちへ戻って来いよ!」
そういえばミスナー・ケイは、ぼくたちがやって来るまで、そちらで応対していたのである。
ミスナー・ケイは背をしゃんと伸ばし、その男に向かって、いった。
「わたし、こちらのお客様のお相手をしているんです」
そのいいかたは、ぼくに、この前のネイト警察官や、ハボニエに連れて行かれた店でのマジェ家の警備隊員への返事のしかたを思い出させた。自分の気が向かないときにはろくにとりあおうとしない、あの口調である。ぼくはまたもや、彼女に、自己の言動が周囲に及ぼす影響というものの感覚が欠如しているのではないか、という、異邦人めいた印象を受けた。
もっとも、そういい切ってしまうのは、酷かも知れない。そんな返事をしながら、彼女はそれなりに、お愛想笑いを浮かべてはいたのだ。すくなくともこれまでに何度か彼女と出会っているぼくには、そう見える微笑であった。
が……相手にはそれは、まぎれもない冷笑と映ったらしい。
「こっちは、そいつらの前から来ているんだ!」
男は大声をあげた。
店内の人々は話をやめて、男のほうへ顔を向けはじめている。
そのときまでに、ぼくは、そいつを観察していた。
年は、今もいったように、ぼくよりは十近く上のようだ。着ているのはどの家の制服でもなかった。さりとて、粗末なものではない。結構、金がかかっているであろう。ただ……その腰には、長いサーベルが吊られていたのだ。と、いうことは……彼が既成の家の人間ではないが、家に準ずる独立商人のメンバーで、しかもその中にあってはきわめて高い地位にあるのを意味している。いってみれば中枢ファミリーの格なのだ。独立商人でもその位になれば、武器を携行する者がすくなくないのである。そしてぼくの知る限り、というより世間一般の通念としても、そうした立場の人間は、既成の家への対抗心が強いために誇り高く意地も強く、しかもしばしば剣や銃の達人でもあるのだった。
そういう人間が、エレスコブ家の警備隊員つれのおかげで、女にないがしろにされたのである。これがエレスコブ家の力になるカイヤツVの中であったとしても、彼がかっとなるのは当然かもわからなかった。しかも男はかなり酔っているのだ。
「お前は、そんな連中におべっかを使うのか!」
男はわめいた。「この船がエレスコブ家の船だから、そんな下っ端にもぺこぺこしなきゃならんのか」
「…………」
ミスナー・ケイは、眉をひそめて……だが何も答えなかった。
「大体、これはエレスコブ家の船ではないんだぞ! これはれっきとした、ネイト=カイヤツの船なんだ!」
男は、なおもどなるのだ。
店内の人々の視線は、すでにその男と、それからミスナー・ケイやぼくたちに集中していた。
うるさいことになった、と、ぼくは思った。
どうして、ミスナー・ケイがからむと、すぐにこういうことになるのだろう。いつもそうではないか――と、ぼくの頭の中を想念が走ったけれども、それをとやかくいっている場合ではなく、いったって仕方のないことであった。
とりあえずは、騒ぎがこれ以上大きくならないようにしなければならない。
と。
男が先程までいた席の、その両側の椅子にすわっていたのがふたり、すっと席を立ってこっちを向いたのだ。
二名共、男と同じかそれより少し若い年頃で……サーベルを吊っていた。
わめいている男の仲間らしい。
ぼくは、そのふたりが、はじめの男を止めるのかと思ったが、そうではなかった。
ふたりは、その場に佇立して、サーベルの柄に手をかけ、こちらをにらみつけたのである。
はじめの男に加勢の構えを見せたのであった。
「ご自分の席に戻って、飲んで下さい。でなかったら、出て行って下さい」
ミスナー・ケイが、姿勢を崩さずに、落ち着き払っていう。
「何を!」
はじめの男は絶叫した。同時に、彼もまたサーベルの柄に手をかけて、いつでも抜ける格好になった。そうしておいて、わめくのである。「生意気な女だ! 叩き斬ってやる!」
「待て。おだやかではない」
ぼくは、口を出した。
「黙れ!」
男は、ぼくたちに向き直った。「面白い。その女をかばうのか? エレスコブ家の威光をかさに着て、警備隊員のぶんざいでさからおうというのか?」
「まあ……まあ……お待ち下さい!」
いつの間にかカウンターのこちらへ出て来ていたバーテンダーが、男の前へ行き……しかし、サーベルを抜いたらすぐに逃げられる位置から訴えた。「ここで、ごたごたをおこしていただいては困ります。お客様にも面倒なことになります。お話は伺いますから――」
「どけ!」
男は一歩進んだ。
バーテンダーは、飛びのいた、
当然ながらぼくとハボニエは自衛上、とうに椅子から降り、剣の柄には手をかけないまでも、直ちに応戦出来る態勢に入っていた。相手がカウンターのむこうのミスナー・ケイに何かするのか、直接ぼくたちに打ってかかるのかわからないが、どちらにも対応しなければならないのだ。船内で騒ぎをおこしたくはないが……こうなればやむを得ない、と、ぼくは覚悟した。
「隊長、怒るだろうな」
ぼくは、横のハボニエにささやいた。
「殺されるよりはいい」
ハボニエが、ささやき返す。
「やるか?」
男は、ぼくたちに燃えるような目を向けて挑んだ。
「どういうつもりですか?」
ミスナー・ケイが、カウンターに両手をついて身体を乗りだし、男にいった。「この人たちは関係ないでしょう? あなたは、わたしに腹を立てているのではないのですか? それとも、ただ喧嘩をしたいだけなのですか?」
「…………」
男は、目を剥《む》いてサーベルを抜き払おうとした。
が。
その前に、男の背後にいたふたりのうちのひとりが、振り向いてカウンターの上のグラスをつかむと、叫びと共に、ミスナー・ケイに投げつけたのだ。
「うるさいぞ!」
次の瞬間。
宙を飛んだグラスは、ミスナー・ケイの顔に命中すると見えたのに、その手前三十センチかそこらのところで、ぴたりと停止したのだ。グラスだけでなくグラスからこぼれつつあった酒もろとも、停止して宙にとどまり……二秒か三秒、そのままでいたと思うと、ふわりと横すべりをして、ゆっくりとカウンターに舞い降りたのである。グラスの周囲に落下した酒はカウンターを濡らしたが、ちゃんと静止したグラスの中には、まだ三分の一ほど残っていた。
店内を、どよめきが流れた。
「お前、エスパーか?」
グラスを投げた男が、ぎくりとしたような声を出した。
「だとしたら、どうなさいます?」
おだやかに、ミスナー・ケイがいい返す。
「この店は、エスパーを雇っているのか?」
サーベルを半分抜きかけた男が、咎《とが》めるような声をあげた。「エスパーに力を使わせて……そんなことをしていいのか?」
「この職種では、エスパーも働くことを許されていますわ」
ミスナー・ケイは、静かに応じた。「そして、わたしは、自分の力を、法に触れるかたちでは使いませんでした。自衛のために使っただけです。ネイト=カイヤツではこれは、権利として認められています」
「…………」
男たちは、あきらかに気勢をそがれたようであった。ミスナー・ケイのいいぶんはネイト=カイヤツの法律上、正しかったし、それにこういう場にエスパーがひとりでもいることは、かれらにとって具合の悪いことだったに違いない。かれらが何か強引な真似をしようとしても、ミスナー・ケイがその能力でさえぎるだろうからだ。それどころか、もしもミスナー・ケイが法に触れるのを承知で攻撃して来れば、サーベルだけではどうにもならないのである。そのあとで彼女が逮捕されたとしても、自分たちが大けがをしたり、まして死んでしまったりすれば、かれらにとっても引き合わないであろう。ミスナー・ケイが超能力の不法行使のかどで有罪となり処刑されたところで、かれらにとって得るものは何もない。自分たちがけがをしたり死んだりということが残るばかりである。そして、そう考えてくれば、かれらとしては、当のミスナー・ケイはもとより、ぼくたちに斬りかかることさえ、ためらわれるはずであった。
それでも、サーベルを抜きかけていた男は、刀身を鞘におさめ、バーテンダーに問うた。
「お前……あの女がエスパーということを、知っていたのか?」
「それはまあ……書類とあの子の話では」
バーテンダーは、いんぎんに応じた。いんぎん過ぎるほどであった。「でも使えるのは念力だけということでしたし、実際に見たのは、これが初めてでして」
「…………」
男たちは顔を見合わせた。
「よろしければ、お席にお戻り下さいませ」
バーテンダーは、相変らずいんぎんにいうのだ。馬鹿ていねいと表現したほうがいいかも知れない。「あの子が念力だけしか使えないというのは、たしかだそうですし……読心力はないのですから……どうか、ごゆっくり」
ぼくにはバーテンダーのその言葉が、男たちにでなく、他の客に聞かせるために出されたもののように思えた。誰だって他人に心を読まれながら酒を飲むのはいやだろう。バーテンダーはその点で、他の客たちを安心させたかったのではあるまいか。
「この上、心まで覗かれてたまるか!」
男のひとりが、吐き捨てるようにいう。
「もういい! われわれは帰る。こんなところへ二度と来るものか!」
もうひとりが、憎々しげに放言した。
かれらは金を払って出て行き、ぼくたちは……もう一度、席に戻った。
「どうもおさわがせいたしまして」
カウンターの中へ帰って来てバーテンダーが詫び、ついで、ミスナー・ケイに強い目を向けて叱責《しっせき》した。「大体、きみが良くないんだぞ。あんな切り口上で返事をすれば、誰だっていい気分はしないもんだ」
「でも、わたしは本当のことをいっただけです」
と、ミスナー・ケイ。
「ちょっと」
バーテンダーは、彼女を少し離れた場所へ連れて行った。
「それが良くないんだ」
バーテンダーは低い声でいいだしたのだが……ぼくたちには聞えた。「きみは出発以来、何度もそんな調子でお客を怒らせているんだぞ。きみが可愛い女だから、相手も大目に見ているがね。へたをすると、きょうみたいなことになるんだ。私は支配人に苦情の申し立てをしなきゃならなくなるよ。あまり干渉はしたくないが……もう少し、他人の気持ちを考えるようにしたほうがいい」
「――はい」
ミスナー・ケイは、小さな声で答えた。
「ちょっと……こっち、勘定してくれないか」
声があった。
右隅の――ハイトー・ゼスたちである。
「ありがとうございました!」
バーテンダーは叫び返し、ミスナー・ケイにもう一度、いいね? と、念を押してから、そっちへ走り……金額を確認して、請求している。
ハイトー・ゼスたちが、依然としてぼくらには一顧だにせず出て行くのを意識しながら……ぼくはふと、妙なことを考えはじめていた。
ミスナー・ケイのことである。
彼女はここでは、念力しか使えないとされている。
だが……ぼくは知っているのだ。
ミスナー・ケイが使うのは、念力ばかりではない。読心力もなのだ。ネイト警察官の追跡をのがれるために貸室館に入ったあのとき、ミスナー・ケイは、読心力を行使した。それも通常の読心力ではない。一ブロックも離れた地点の、雑踏の中のひとりの心を的確に読んだのだ。おそるべき能力の持ち主といわなければならない。そればかりではなかった。彼女は相手の腕なり手なりをつかむことで、男たちを放心状態にさせてしまったのである。ほかにもまだ超能力を持っているかも知れないが、すくなくともこれらの力を使えるのは間違いない。
その彼女が、ここでは念力しか使えないとされているのを……ぼくは何となく、そういうことにして申告したのだ、と、思っていた。持っているのは念力だけですといい、採用にあたった者が、その通り書類に記入したのだろう――という程度に解釈していたのだ。そのほうが採用されやすい、今もいったように心を読まれるとわかっていながら酒を飲みに来る人間なんて、そうそういるものではないからである。
けれども、考えてみると、そんなに簡単なものではないはずであった。いくらサービス部門にしても、いやしくもカイヤツVに乗る人間について、使えるのは念力だけですと告げられ、額面通りに受け取って採用するものだろうか? ぼくたちにはくわしいことはつかめないが、エレスコブ家のエスパーのみから成る特殊警備隊は、要所要所で超能力を働かせてスパイし、防護し、活動しているはずなのだ。カイヤツVで働く従業員の採用にあたっても、かれらの網は張りめぐらされていたと考えるほうが、自然ではあるまいか? 当人が超能力者だと称するなら、なおさら気をつけるのではあるまいか?
となれば……ミスナー・ケイは、そうした特殊警備隊の目に見えぬ検査を、念力しか使えないということで通過したことになる。それだけのエスパーだと、特殊警備隊に信じさせたことになるわけだ。そんなことが可能なのだろうか? 可能だとすれば、ミスナー・ケイとは何者なのだ? また……何のためにそんなことをしたのだ?
「また、叱られてしまった!」
声に、ぼくはわれに返り、目を挙げる。
そのミスナー・ケイが、ぼくたちの前に来て、舌をぺろりと出したのだ。見ると……バーテンダーが作ったのか、彼女の手もとにはカクテルが置かれていた。
「わたし、いつもああいって、叱られるんです」
ミスナー・ケイはいった。ちっともしょげてなどいず……どこか愉しんでいる風さえある。
「わたしって……どこか、鈍いんですね。自分ではそんなつもりはないのに、人を怒らせてしまうんです」
「たしかに、そういうところがあるようだね」
ぼくは、歯に衣着せずにいってやった。
「もっと……勉強しなければ、いけないんでしょうね」
と、ミスナー・ケイ。
「自分で気がついてれば、いいんじゃないか?」
ぼくは、そんないいかたをした。
「あら。ハボニエさん……お代りですね?」
ミスナー・ケイは、空になったハボニエのグラスに目をやって、たずねる。
「うむ」
ハボニエは、頷き、目を閉じてグラスを押し出した。
「ペランソですね?」
ミスナー・ケイはいう。
ハボニエはややあってまた頷き、ミスナー・ケイはバーテンダーに、どの瓶なのかをたずね、グラスに注いだ。
ミスナー・ケイはそれから、今の勤務のことなどを、問わず語りに喋りだした。仕事が忙しいときには、目がまわりそうなこともあるが、お客がいろいろなので変化に富んでいる……自分としてはまあ合った仕事だと思っているが、今もいったように、ときたま誤解されがちだ……船内での生活はふたりで一部屋だし、同僚とはつかず離れずの関係で、お互いに干渉しないようにしているということ……飲み過ぎた次の朝は、やはりこたえるということ……いってみれば、らちもない話であるが、ぼくたちは、お代りをしながら聴き、ときどき相槌を打ったり質問したりした。ま、そのぶんだけ、ぼくたちは自分の仕事について喋らずに済むわけだし……で、しばらくのうちに、適当にいい気分になって来た。
「そろそろ出ようか」
ハボニエがいい、ぼくたちは、立ちあがった。
「また来て下さいね。きっとですよ!」
ミスナー・ケイの声をうしろに、支払いを終えたぼくたちは、通路へと出た。
「酔ったか?」
歩きながら、ハボニエが訊く。
「それほどは」
ぼくは答えた。むしろ、ハボニエと一緒に飲んだにしては、飲み足らない気分であった。
「そうか。おれもだ」
ハボニエはいう。「というより、どうもひっかかるものがあって……いつものようには飲めなかったのさ」
「というと?」
ぼくは反問した。
「たしかに変だ」
と、ハボニエ。「お前、以前にあのミスナー・ケイが読心力を使ったと、そういったんじゃなかったか?」
「そのことか? そうだ。たしかにそうだった。その彼女が、念力だけしか使えないとはどういうことか、と、そういいたいんだろう?」
ぼくは、先廻りをして、確認しようとした。
「それもある」
と、ハボニエ。
「それもある?」
「そうさ。そのミスナー・ケイが、なぜ念力しか使えない人間として、まかり通っているか……不思議な話だ。採用にあたっては、うちの特殊警備隊も関与しているはずだからな」
「ああ」
ぼくは肯定した。ハボニエの疑念は、ぼくが考えた事柄と同じだったようだ。「どうして、それで検査をパスしたんだろう、と、ぼくも思ったよ。特殊警備隊に看破されずにそんなことが可能なのだろうか」
ハボニエは笑った。
「エスパーのことで、お前が知らないのにおれが知るわけ、ないだろう」
「それは……そうかも知れない」
ぼくは受けた。
もうすぐ、第二客区から第一客区への通り道だった。ハボニエとぼくはそれぞれ乗船証を取り出し……そこで何となく申し合わせたように、足をとめたのである。
「あの女が何のためにそんな真似をしたのかは、おれにはわからん」
ハボニエは、声を落としていった。「それに彼女が、とかくお前に近づきたがっているらしいわけも、さっぱりわからん。ああいう女とあまりかかわり合いにならないほうがいいというおれの意見も、訂正する気はない。が……そういう事柄は別として、おれがひっかかっているのは、あの女の、ふつうとはどうもどこかことなっているらしい超能力と、彼女の性格に、何か関連がありそうに思えてならん、ということだ」
「とは?」
ぼくも、声をひそめた。来たときよりは時間が経っているせいか、周囲には誰もいなかったので、そんなことをする必要もなかったのだろうが、ハボニエの語調の影響を受けて、そうなってしまったのだ。
「お前は彼女が読心力を使ったといった」
ハボニエはつづける。「しかし読心力を持っているにしては、本人も認める通り対人折衝はおそろしく下手だ。おれは、彼女が読心力を持っていて隠しているのか、と、疑った。それで、さっき、ちょっとテストめいた真似をやってみたんだ」
「テスト?」
「うむ。あの女がお代りかとたずねたとき、おれは目を閉じてグラスを出しながら、アペランソをくれと念じた。ペランソではなく、アペランソを、だよ。彼女には全く通じなかった。常識的に考えれば、彼女には読心力がないということになる」
「わかっていながら、知らん顔をするという場合もあるんじゃないか?」
ぼくは、指摘した。
「それもおれは考えた」
と、ハボニエ。「だが、それだけの読心力がありそれだけの演技が出来る人間が、ああ簡単に他人の気持ちに逆らうようなもののいいかたをするものかね」
「それだって、演技じゃないのか」
「かも知れん。かも知れんが……おれのいいたいのは、そのときの彼女に読心力がなかったとして、の、場合だ。お前の話じゃ、彼女は読心力を使った。とすると……あのミスナー・ケイは、おのれの読心力を消したり復活させたり出来るんじゃないか?」
「何?」
ぼくは、ハボニエを見た。「ということは……彼女は、不定期エスパー……?」
「不定期エスパーというような、不自由なものでなく、さ」
と、ハボニエ。「いや、これはお前には悪いが、そんな、自分で制御出来ないエスパーではなく、自己の意志で、そう出来るとしたら?」
「だって……超能力というのは、使わなくても他のエスパーにはお見通しなんだぜ」
ぼくは抗弁した。「かりに自分の能力を消せるとしても、復活出来るという意識を持っていたら、すぐに発見されてしまうじゃないか」
「そのへんのところは、おれにはよくわからん」
ハボニエはいうのだった。「だが……だ。ある人間が、自由にそう出来て……それで、ふだんは読心力で交流を行なっているとしたらどうなる? そいつは読心力でのコミュニケーションが習慣なのに、それを何かの必要で中断しなければならなくなったら……言語や身振りだけでは、相手の気持ちをくみ取るのは、きわめて不得手なんじゃないか? おれたちが会話が出来なくなって、身振りだけで意志を通じ合うとしたら、不便なように、だ」
「待て」
ぽくは、無意識に手を挙げていた。「つまり何か? あのミスナー・ケイは、読心力だけの会話がふつうの人間で……その力をみずから封じているから、他人の気持ちを推し量れないというのか?」
「ひょっとしたらな」
ハボニエは頷いた。
「読心力者だって、エスパーでない人間と話し合えなきゃ、生きて行けないんだぜ」
ぼくは抗議した。「そんな……読心力者ばかりの社会なんて……たとえば特殊警備隊の中ではそうだろうが……それだって、普通人とのつき合いはやめるわけにはいかない。それに、普通人にとっての身振りにあたる会話でだって、結構、意志は通じるものだよ」
ハボニエは肩をすくめた。
「同じ社会ならな」
「同じ社会?」
「文化の違う社会では、おれたちが身振りで意志を通じようとしたって、なかなかうまくは行くまいよ」
ハボニエはいう。「だから……おれたちの社会ではない別の、読心力者ばかりの世界というものがもしあるとしたら……そこから来た人間は、あの女のようなことになるんじゃないかな」
「われわれと別の、読心力者ばかりの社会から……? ミスナー・ケイが?」
ぼくは、首をひねった。そんな社会があろうとは……ましてミスナー・ケイがそういうところから来たなどとは……夢にも考えたことがなかったのだ。
ハボニエは、しかし、にわかに笑いだした。
「空想だよ、空想」
ハボニエは、手を振ってみせた。「おれのただの、現実離れした空想でね。ただ、そんな風に組み立てて来ると、何となくありそうに思えて……妙にひっかかったんだ」
「…………」
「忘れろ」
ハボニエはいった。「ま、きょうの事件自体は隊長に報告しなきゃならないが、今のはおれの勝手なでっちあげだ」
「…………」
「行こう」
ハボニエは、第二客区から第一客区への通り道を指した。「こんなところで、ぼそぼそと喋っていると、何事かと思われてしまう」
その可能性はあった。ちょうど通りかかった若い男女が、ぼくたちをけげんそうに眺めながら過ぎて行ったのだ。
ぼくたちは、通路へと歩きだした。
「しかし……お前があの女に関心を持つのは、わかる気もするな。あの女、魅力的なのはたしかだ」
足を運びながら、ハボニエがいう。
「そんなのじゃないよ」
ぼくは、はね返した。
「そういうことにしておこう」
と、ハボニエ。「大体、お前にはあのシェーラという女友達もいることだし……だが、何だな。ミスナー・ケイにしろシェーラにしろ、どうも不思議な人物ばかりじゃないか。お前、あまり深入りしないほうがいいタイプの女と親しくなる癖があるんじゃないのか?」
「からかうのは、やめてくれ」
「まあ、そう怒るな」
ハボニエは笑い声を立て……ぼくたちは通路の船員に乗船証を呈示して、第一客区へと通り抜けた。
第一客区第一層第四室の自分たちの部屋へ戻りながら、しかし、ぼくはいささか酔った頭で、今のことを思い返していた。ミスナー・ケイの持つ奇妙な超能力や、彼女が自己の能力をどういう方法で隠し、何の目的でカイヤツVで働くことにしたのか、や、それにハボニエのいった事柄……読心力者ばかりの社会と彼女がそこから来たのではないかという、とても考えられない話は別として、自分が最近かかわり合った女たちシェーラにしろミスナー・ケイにしろ、たしかに不思議な人間ばかりだということどもを……思わずにはいられなかったのである。
その次の日、トリントス・トリントが、第四室へやって来た。
物事というものは、それがまるであらかじめお膳立てが出来ていたように、状況がうまい方向へ方向へと作用する場合もあれば、全く逆に働いて、事態が悪化するばかりという場合もある。
このときが……トリントス・トリント自身にもそれなりの責任があったとぼくは思うが、その後者の例であった。
ノックの音がしたとき、立哨についていたのは、パイナン隊長とぼくである。
午後であった。
エレンは主室で休息中……それも、午睡をしているはずだった。夕方からネイト政府要人たちとの長い会議に臨む手はずになっており、それまでに少し体力を回復しておきたいとのことだったのだ。
ノックで、ぼくとパイナン隊長は目を見合わせ、同時にぼくたちはおもてのドアに近づいた。
「誰だ? 何の用か」
ヤド・パイナンが、交話装置を通じて、小声でたずねる。いうまでもなく、主室――室内室のエレンを起こすまいとの配慮からだった。
が。
「トリントス・トリント様だ! エレン様にご用があって来られた。ドアをあけろ!」
大きな、しかも高飛車な調子の声が返って来たのだ。
トリントス・トリント?
もっとも、トリントス・トリントに様をつけるのだから、答えた者は別人でなければならない。そしてぼくは、相手の声音と口調で、それがハイトー・ゼスだと直感した。
しかし、直感だけでは何の確認にもならない。ぼくはもうそのときには、ドアの覗き窓に目を当て、通路にふたりの男がたたずんでいるのを見て取っていた。
「たしかに、トリントス・トリントと……それにハイトー・ゼスのようです」
向き直って、ぼくはパイナン隊長に報告した。
本当なら、ぼくはここで、トリントス・トリントにもハイトー・ゼスにも、敬称をつけなければいけなかったのかも知れない。ひとりは中枢ファミリーであり、もうひとりは内部ファミリーなのである。けれども、両人とも現在はネイト政府に出向しており、公的にはエレスコブ家の人間として扱ってはならないということになっているのだ。それでも実際にはそれは建前で、そうもいってられないことが多いだろうし、また、面と向かってはぼくはいやでもそのふたりに敬称をつけなければならない身であるが……とっさに、そういってしまったのである。おそらく……それは、ぼくにとってふたりが、エレンとエレンを護衛する第八隊以外の、外部の人間であるとの気持ちが、ついそうさせてしまったのであろう。さらには、ぼく個人としてもふたりには好意を抱いているとはいいがたい、その心理の反映だったかもわからない。
だがパイナン隊長は、そのことについて何もいわなかった。
「聞いていないな」
パイナン隊長は呟くと、交話装置に顔を近づけ、静かに問いかけた。「エレン様は、今、ご休息中です。お約束があってのご来室でしょうか」
「急ぎの用なのだ! あけろ!」
と、ハイトー・ゼス。
「ご用向きを、お話し願えますか?」
パイナン隊長は辛抱強く、しかも頑強に応じた。
もしも、こういう、エレンが午睡しているときでなければ、パイナン隊長もここまで頑張らなかったに違いない。相手が上位者なのだから、とりあえずドアを開くだけは開いてそこで話し合ったことだろう。
そして、先方からは、一段と音量のあがった怒号が戻って来た。
「お前たちに用件を告げる必要はない! つべこべいっていると、後悔することになるぞ!」
つづいて、甲高いトリントス・トリントの声があった。
「とにかく、ここをあけてもらえないかね」
すでにそのときには、このやりとりを耳にした他の隊員たちが、剣をひっつかんで附属室から飛び出して来ていた。
パイナン隊長は、その様子をちらと見て取り……しかしながら、トリントス・トリント自身に要請されれば、もうことわり切れないと考えたのであろう。唇のはしをわずかに歪めると、ぼくに、目顔でドアを開くように促した。
ぼくは、ドアのロックを外し、あけた。
即座に踏み込んで来たのは、ハイトー・ゼスである。
ハイトー・ゼスは、ものもいわずに、戸口にいたぼくの胸を突き飛ばした。いや……突き飛ばそうとしたのだが、ぼくは反射的に半身を引いて、らくらくとかわしたために、腕は空を切って、二、三歩、たたらを踏んだ。
当然、ぼくたちは色めき立った。ぼくらはいっせいに、ハイトー・ゼスと、そのあとのトリントス・トリントをさえぎる配置についた。
「何をなさるんです」
パイナン隊長が、はっきりと非難の調子でいった。
ハイトー・ゼスが、そんな出方をしなければ、ぼくたちも、ここまで抵抗の構えは見せなかったに相違ない。また、ハイトー・ゼスなどを従えずに、トリントス・トリントがひとりでやって来たのなら、こうまで強引な言動はしなかったのではあるまいか。(それとも、やはりしたであろうか?)さらに、ハイトー・ゼス自身にしても、これがトリントス・トリントのおともであり、トリントス・トリントの意を迎えなければならぬ――という立場でなければ、こんな横暴な態度をとるには至らなかったかも知れない。
しかも。
悪いことに、ぼくたちにどっと包囲される格好になったハイトー・ゼスは、思わず(とぼくの目には映った)腰の剣を引き抜いたのだ。
もちろん、ぼくたちも、金属がすべる音をそろえ、間髪を入れずに抜剣した。
のみならず、次の瞬間には、ひとりが踏み込み、ろくに基礎も出来ていないハイトー・ゼスの構えの隙を縫って、そののど元にぴたりと切先を擬していたのである。
ハボニエだった。
「われわれは、エレン様を護ることに生命を賭けている」
ハボニエは、押し殺した声でいった。「われわれは義務のためには、たとえ相手が内部ファミリーであろうと、容赦はしませんぞ」
「…………」
ハイトー・ゼスは、蒼白になった。
「剣をお捨てなさい」
と、ハボニエ。
ハイトー・ゼスは、からん、と、剣を床に落とした。
「みんな、剣をおさめろ」
うしろからいったのは、パイナン隊長である。
そこでぼくは気づいたのだが……パイナン隊長は、剣を抜いていなかったのだ。
が……ぼくたちは、すぐには隊長の命令に従わなかった。というより、従えなかったのだ。
というのも、ハイトー・ゼスの背後のトリントス・トリントが、剣の柄に手をかけて、いつでも抜こうというかたちになっていたからである。
「剣をしまえ!」
パイナン隊長が、また命じた。
命令とあれば、仕方がない。
ぼくたちは、剣を鞘におさめた。
トリントス・トリントもまた、柄から手を離す。
ハイトー・ゼスは、自分の剣を拾うと、後退した。
「大層な出迎えだな」
トリントス・トリントが、だらりと両腕を伸ばしたまま、いう。
「どうも……失礼いたしました」
パイナン隊長は答えた。「何分、血気さかんな連中ばかりなので、ちょっとしたことでも、すぐに受けて立ちます。ま、それだけ職務に忠実なわけで」
その言葉の中には、ことを仕掛けたのはそちらだとのひびきがあるのを、ぼくは感じ取った。
トリントス・トリントは微笑した。
「それは結構。しかし何だったら、この私がハイトー・ゼスの代りに、剣でお相手をしてもいいぞ」
その言葉もまた、顔つきや口ぶりとはうらはらに、険悪なものだった。しかもトリントス・トリントは、ぼくたちを見廻し、やはり微笑のままで、つづけたのだ。「そういえばこの隊には、たしか、イシター・ロウというのがいたな。前は定石破りの手で私に勝ったが、あれから少しは上達したか見たいものだな。――いるのか?」
それは、挑戦だった。挑発というべきかもわからない。どっちにせよ、指名されて黙っていることは、ぼくには出来なかった。
ぼくは、一歩進み出た。
「やめろ! イシター・ロウ!」
パイナン隊長が、鋭く制した。「今のはトリントス・トリント様のご冗談だ! 引っ込んでいろ!」
パイナン隊長がそういってくれなかったらぼくはそれこそ引っ込みがつかないところであった。相手に挑発されて応じたものの、トリントス・トリントの腕を考えれば、ぼくがやられてしまう公算が大きい。むろん仲間はぼくが殺されるのを黙って見てはいないだろうが、ここでそんな無意味な打ち合いをしても仕様がないのだ。残念と思うより、隊長の言に救われたと解釈すべきだろう。ぼくは黙って頭を下げ、元の線に戻った。
トリントス・トリントはまだ何かいいたそうだったが、そのひまを与えず、パイナン隊長は、背をしゃんと伸ばして訊いた。
「今も申し上げたように、エレン様はご休息中……午睡をとっておられるはずです。お起こしするほどのご用向きなのでしょうか」
「急ぐのだ!」
ハイトー・ゼスが、また大声を出した。
トリントス・トリントは、それを手で押しとどめ、パイナン隊長を見やった。
「そうとは知らなかった。しかし、予告もせずにやって来たのは、それなりの用があってのことだ」
トリントス・トリントは、あごをしゃくった。「私は、夕方の会議がはじまる前に、エレン殿とあらかじめ打ち合わせをしておきたい。それで来たのだ。取り次いでもらいたい」
「折角ですが、仰せには従いかねます」
パイナン隊長は、会釈をした。「お約束があってのことならともかく、不意のご来室でエレン様をお起こしするわけにはまいりません」
トリントス・トリントは、いらいらした仕草を見せた。
「何なら、しばらくここで待ってもよい」
トリントス・トリントはいう。「きみたちには、このことの重要性はわかるまい。これはエレスコブ家の全体にかかわる話なのだ。ともかく、取り次ぐがよい」
「おことわりします」
パイナン隊長は、もう一度同じ文句を、同じ表情と同じ口調で繰り返した。「お約束があってのことならともかく、不意のご来室でエレン様をお起こしするわけにはまいりません」
「これは、きみたちのレベルで判断出来る事柄ではない!」
トリントス・トリントは、吐き捨てるようにいう。
「私どもは、自己の職責を果たしているだけです」
パイナン隊長は応じた。「そのためにあとで罰せられても、やむを得ないと考えております」
「石頭だな」
トリントス・トリントは呟いた。
「お前たち、それで済むと思っているのか?」
どなったのは、ハイトー・ゼスである。
「トリントス・トリント様のご用の邪魔をして……無事で済むと思っているのか?」
「…………」
パイナン隊長は答えなかった。無視している感じであった。
「取り次げ! トリントス・トリント様がお怒りになる前に、エレン様に取り次ぐんだ!」
ハイトー・ゼスが叫んだ。
それでもパイナン隊長は返事をせず、ぼくたちも身動きひとつしなかった。
「お前たち、自分を何だと心得ているのだ?」
ハイトー・ゼスは吠えた。目がぎらぎらと光っていた。「お前たちは、たかが警備隊員だぞ! エレスコブ家にあっては――」
そこで、ハイトー・ゼスは口を閉ざし、ぼくたちのうしろに目をやった。
ぼくたちは、振り返らなかった。振り返らないでも、何がおこったのか、わかっていたのだ。
うしろの、室内室の戸が開く音がしたからである。エレンが、出て来たのであった。
「エレスコブ家にあっては、何だというのですか?」
背後から、エレン・エレスコブの澄んだ声が流れた。いや、その声には、あきらかに怒りがこもっていたのだ。
「この人たちは、わたしを守るために全力をあげているのですよ!」
棒立ちになったハイトー・ゼスとトリントス・トリントに向かって、エレンのはげしい声が飛んだ。「あなたがたの想像も及ばぬきびしい仕事をしている者たちに対して、何といういいかたですか! ハイトー・ゼス、だったかしら。あなたはそれでも内部ファミリー? そんな情けない気持ちで、権威を振り廻しているのですか? 内部ファミリーをやめてもらいましょうか? エレスコブ家からほうり出してあげましょうか!」
ハイトー・ゼスは、凍りついたようになっていた。トリントス・トリントもまた、エレンの剣幕にうたれて、すぐには何もいえないようであった。
そしてぼくたちは、ふたりのほうを向いたままであった。振り向く状況ではなかった。ぼくらの任務は、前にいるふたりを警戒し、ふたりからエレンを守ることにあったからだ。
「これは……どうやら、エレン殿をお起こししてしまったようですな」
エレンの言葉が一段落し、一秒かそこいら経ったころ、トリントス・トリントは、やっといった。
「あんな大きな声を出せば、誰だって目をさましてしまいます」
エレンはいい返した。「それに、わたしはさっきから、やりとりを中で聞いていました。トリントス・トリント、あなたは、スピーカーの代りに、その男を連れ歩いているのですか」
「これは……きついおっしゃりようで」
トリントス・トリントは身をかがめた。
「しかし、こうして私がやって来たのには、相応の……重要な用件があったからですよ」
「それも、聞えました」
エレンは、はね返した。「何ですか……夕方の会議の前に、わたしと打ち合わせをしたいと……そういうことでしたね?」
「そうです。あらかじめいくつかの事項について――」
「お黙りなさい!」
いいかけようとするトリントス・トリントに、エレンはきめつけた。「きょうの夕方からの会議は、ネイト政府の要人とエレスコブ家幹部が、カイヤツVの運航計画についての意向をぶつけ合い、討議するものでしょう? あなたは今、ネイト政府の立場の人間なのですよ。ネイト政府の人間であるあなたと、このわたしが会議前に打ち合わせなどをしてはまずい……打ち合わせをするどころか、事前に協議があったかも知れないという状況を作ることさえ、得策ではないのが、わからないのですか! エレスコブ家以外から出向している政府要人がそうと知ったら、何かといいがかりをつけられ、通るはずの議案も通らなくなるのが、わかりませんか? その位の情勢観望も、しなかったのですか?」
「それは……そういう見方もありましたな」
トリントス・トリントは、あまり明確でない口調で呟いた。
「ほかに、どんな見方が出来るというのです?」
エレンは、追い打ちをかけた。「とにかく、そういうことですから、一刻も早くここから立ち去って下さい! エレスコブ家のためにも、あなた自身のためにも、それが得策というものです」
「…………」
トリントス・トリントは、ちょっと迷った風だったが、やがて、薄笑いを浮かべると、浅いお辞儀をした。
「どうも……失礼をしました」
いうと、ぼくたちにじろりと、強烈な一瞥をくれて、第四室から通路へと出て行った。
ハイトー・ゼスが、これはもうはっきりと最初の勢いを喪失して、あとにつづいた。
「イシター・ロウ、錠を」
パイナン隊長にいわれて、ぼくはドアへ行き、ロックした。
けれども白状するが……そうしている間じゅう、ぼくは、去りがけのトリントス・トリントの目つきを想起せずにはいられなかったのだ。エレンからぼくたちに視線を移したときのあの目は、ぼくたちに、今にその機会が来たらお前たちに必ず報復してやるからな、といいたげな色を浮かべていたのである。いかにぼくたちが自己の任務に忠実だったにせよ、トリントス・トリントにとっては、自分へのいやがらせであり妨害だと思えたのに違いない。なかんずくその視線が、ぼくにはことに毒々しかったように感じられたのは、気のせいだろうか?(いや……あとになってみれば、この事件が原因のすべてではないにしろ、ぼくの運命を左右するその遠因のひとつになったのは、たしかだったといえる)
ともあれ。
ドアをロックしたぼくは、室内へと向き直り――そこで、みんなが、ざまを見ろといいたげな顔になっているのを、見て取った。
「予告もしないで、エレン様にお目にかかろうとするからだ」
ひとりがいった。
「あのおふたりには悪いが……われわれは職責を果たさねばならんのだからな」
ハボニエも、そういった。
そしてエレン。
そのとき初めてぼくは知ったのだが、エレンはガウンをまとっていた。眠っているのを起こされて、ガウンをひっかけたままで出て来たに違いない。化粧は落としていたが、それはそれなりの清新な美しさであった。そのエレンは……みんなを見やりながら、やはりにこにこしていた。
「わたしの護衛は、頑固者ばかりですね」
エレンはたのしげに小さな声を洩らし、それから吐息をついた。「このぶんでは、もう眠り直すのは無理でしょう。このあと、何か連絡事項があったら、遠慮なく伝えて下さい」
いうと、室内室へと引き返して行く。
ぼくたちは、敬礼をして(本当は、こんな場合、必ずしもそうしなくてもいいのだけれども、ひとりでにそうなったのだ)エレンを見送った。
が……エレンの姿が消えるや否や、パイナン隊長はぼくらを見渡して、低いがきびしい声を出したのだ。
「みんな、いつまでいい気分になっているんだ。それぞれの場所へ帰れ!」
はっ、と、隊員たちは、自分の附属室へと戻った。
ぼくは隊長と立哨の番だから、所定の位置について、ドアをみつめた。
「イシター。ロウ」
パイナン隊長が呼んだので、ぼくは向き直った。
「はっ」
「お前は先程、来訪者の名を報告するさいに、先方が上位の人間であるにもかかわらず、呼び捨てにした」
パイナン隊長はいった。「勤務中に上官に対し、上位者の名をいうときには、しかるべき敬称か階級を唱することが望ましい。一応、注意しておく」
「わかりました! ありがとうございました!」
やっぱりいわれたか、と、思いながら、ぼくはむしろ元気良く答えた。はっきり注意されるほうが、されないよりもずっとありがたいし……それにぼくには、隊長が何となくぼくのあのときの心理もわかっていてくれたのだ、という気分があった。一応注意する、の一応は、それを象徴しているのではあるまいか?
ぼくは勤務をつづけ……その後は何事もなかった。
時間が来たので、他の隊員と交代する。
前の日に上陸非番を与えられたばかりだったので、今度は一回ぶんの休みであり……ぼくは自分たちの附属室の、自分の寝棚にもぐり込んだ。
すると、どうしても、さっきの一件がよみがえってくる。
あの一件で、ぼくたちがトリントス・トリントやハイトー・ゼスの憎しみを買ったことは疑いない。ことにトリントス・トリントは以前にぼくと試合をして負けているだけに……それがトリントス・トリントのいうようにぼくの定石破りの捨て身のやりかたによるものだったとしても……ぼくに対し、いよいよ敵意を抱いたに違いあるまい。むこうは中枢ファミリーであり、こっちはしがない中級警備隊員なのだから、先方はぼくのことなど眼中にないだろうし、試合での勝ち負けをそこまで根に持たれてはかなわない――と、ぼくは思おうとしたこともある。それが当たっていたかどうか……かりに当たっていたとしても……きょうのことで、トリントス・トリントの気持ちはぶり返し、ぼくはまたマークされることになったと考えておくべきではないだろうか?
とはいえ、そうだったとしても、これは仕方のないことなのだ――と、ぼくは思い直した。ぼくはこれまで、自分の置かれた立場、与えられた任務に忠実だったのであって、その結果、トリントス・トリントににらまれたって、どうしようもないのである。このままで行くしか、仕様がないことだ。
そして、きょうの一件を思い返してみると……状況やタイミングが、みな悪いほうへ悪いほうへと重なって、ああいうことになったのはたしかだが……その根幹は、トリントス・トリントに非があるのだ、と、ぼくは断ぜざるを得なかった。エレンが指摘した情勢観望は、ぼくにもよくわかる。そのことに思い及ばず予告もなしにエレンに会おうとして来たトリントス・トリントが馬鹿なのだ。いかにあらかじめ打ち合わせをしておきたかったとしても、その位のことは読めるはずではないのか? それとも――と、ぼくはにわかに想像した。打ち合わせに来るというのは、それがなかばは事実でも、本心のところ、トリントス・トリントは、エレンと会って喋りたかったのではあるまいか?
トリントス・トリントが、出世のためかそれとも本当に好きなのか、いずれにせよエレン・エレスコブと結婚したがっている……そしてエレンには全くその気がないというのは、ぼく自身がお目見得のさいエレンの口から聞いたし、ぼくらの隊の間でも知られていることなのだ。そのせいで第八隊の連中がトリントス・トリントにいい感情を持っていないのも、また事実であるが……実際にはトリントス・トリントは、そうした私的な目的で、第四室を訪ねて来たのではあるまいか? だが……ぼくはそんな個人へのやくたいもない臆測にはかかわらないことにし、心から消し去ろうとした。
代って浮かんで来たのは……いささか妙な感覚である。
きょう、ぼくたちは、自分の職責とはいいながら、トリントス・トリントたちに対して頑強に抵抗した。
そのことが、それまでに観た映画やドラマ、物語などの、似たような場面に重なったのである。
それも、英雄物語や活劇などの、乱闘場面だ。
主人公が敵を蹴散らし、斬り倒して、獄中の姫を救い出す。
牢獄を守っている兵たちは、そうはさせじと迎え打つが、たちまち斬り伏せられてしまうのだ。
あの番兵たちとぼくたちは、同じことではなかったのか?
いや……獄中にある姫は、救出を待っているのだから、事情は違うという者もあるかも知れない。
それなら……城主に重要な知らせを持って来た使者が、城門で頑迷な、かつ下っ端の番兵につかまり、難渋するというのはどうだ?
でなければ、一統治体の運命がかかっている状況下で、事態をすべて解決し得る人物の行く手を、目先のことしかわからない守備隊がさえぎるというのはどうだ?
守っているほうは、与えられた命令に実直に、もっとはっきりいえば愚直に従っているのだが、そのために、そんな指揮系統よりもはるかに重大な事柄が、危機に瀕《ひん》するという、あの構図だ。
そういうものを観たり読んだりしながら、たいていの場合、ぼく自身が、そんな愚直な連中に舌打ちしたり、ののしりたくなったりしたものである。何もわからぬ癖に、もっと大局を見ろ、と、叫びたくなるのがつねだったのである。
主人公の側から見る限り、そうならざるを得ないのだ。また、そうなるようにお話が作られているのだ。
そして……物語というものは、結局そういう愚直な連中は殺されるか倒されるか、あとで厳罰を食うという仕立てになっている。それで観たり読んだりするほうは、すっきりするのだ。
これが、悪い側を守る戦闘員となってくると、さらになりゆきは明白だ。自分の主人ないし雇い主を守るために、かれらは片っぱしから殺されて行く。ひとりひとりにはそれぞれの事情があり、家族もあり、自分が悪の側に属していると信じていない者もいるはずだが、そんなことにはお構いなく、次から次へと、派手に殺されて行くのがつねなのだ。
中には、そうでないものもある。
が……それらは少数派だ。一般的には主人公から見ての敵方の、それも小物は、やられてしまって当り前、というのが通例ではないのか?
――と、ここまで述べてくれば、ぼくのいいたいことはわかってもらえると思うが、それを承知で、さらに駄目押しをすると……あのとき、トリントス・トリントには、トリントス・トリントなりの論理があったはずなのだ。ぼくたちの側から見れば馬鹿な、でなければ横暴なやりかたと映っても、かりに、トリントス・トリントを主人公にすれば、そちらにはそちらの視点があるだろう。その視点からぼくたちの行動を眺めれば……それを物語として観たり読んだりしている者にとっては、愚直な、意地の悪い番兵たち――ということになりはしなかっただろうか? 自分なりにエレスコブ家のことを考え、自分の気持ちに素直に(いや、これは除外してもいい)エレン・エレスコブに会い、大局について語ろうとしたのに、ただもうおのれの職務のことしか考えない石頭たちにさえぎられた、ということになるのではあるまいか?
これが物語ならば、ぼくたちは蹴散らされ、斬り殺されて、それでおしまい……当然のなりゆき、ということになるに違いないのである。
ぼくたちは、その番兵の立場にあった。
だが、番兵とは、かつてぼく自身が映画やドラ々や物語で見ていたような、お手軽なものではない――という事実を、ぼくはおのれの体験によって、思い知らされたのである。番兵には番兵の論理、番兵の事情というものが、厳として存在するのだ。そしてそれは、必ずしも上層部のいいつけを頑迷に守るだけではなく、しばしば、上層部の真意を体しつつ、行動しているということなのである。いう人にいわせれば、それだって機構の部品として作用しているだけではないか、と、なるかも知れないが……本人たちの気持ちは、それだけではない。ぼくは、かつて心の底のどこかで矮小化《わいしょうか》していたそうした存在を、自分がその立場になってみてはじめて、別の認識をしたのであった。
船内での出来事といえば、ぼくはもうひとつ、話しておかなければならない。
トリントス・トリントが来てから三日めか四日めの夜。
立哨を終えたぼくは、待機非番なので寝棚に入ろうとして、自分の附属室から出て来たパイナン隊長に、呼びとめられた。それまでパイナン隊長は、その附属室にハボニエを呼び入れて、何事かを喋っていたのである。
「そこのテーブルで話そう」
隊長は、部屋の中央のテーブルを指していった。
ぼくが腰をおろすと、ハボニエも出て来て、その前にすわったのだ。
ということは……その話というのは、立哨中のふたりが聞くともなしに聞くとすれば、第八隊の全部が耳にすることになる。パイナン隊長はそのつもりで、テーブルで話そうといったと解釈していいのだろう。
「話というのは、例のミスナー・ケイのことだ」
椅子を引き寄せて自分も腰をかけると、パイナン隊長は口を開いた。「ミスナー・ケイと称する女のことは、お前から前にも話を聞いていたし、この間の事件についても、このハボニエとお前から、報告を受けた。そして私は、そうした事柄を、かいつまんでだが折を見て、エレン様にもお話しするようにしている」
「…………」
ぼくは、黙って、隊長の次の言葉を待った。
「そのミスナー・ケイが、このカイヤツVにプェリルという名で乗っており、しかもここでは念力しか使えない人間として働いていることに、エレン様は、関心を持たれたらしい」
パイナン隊長はつづける。「で……エレン様は、船内の保安部に、プェリルの調査を依頼なさったそうだ。ただ……これまでの経緯や、彼女が以前に読心力を行使したというようなことは何もいわず、バーでのいざこざを耳にしたから、ということで、だが」
「…………」
「保安部が、具体的にどんな人間を使い、どんな方法で調べたのかは、私はもちろんのこと、エレン様にもわからない。船内には特殊警備隊員がいるが、誰がそうなのか、どういう組織になっているのかは、保安部のごくひと握りの連中しか知らないのだからな」
パイナン隊長は、テーブルに両|肱《ひじ》をもたせかけた。「だからこっちは、その結果しかわからない。こういう調査自体、エレン様がごく個人的に興味を持たれたということで、出来たことでもあるしな。それによると、プェリル――これまでわれわれのいっていたミスナー・ケイは、超能力を行使してさぐっても、念力しか使えない人物だということだ」
「念力しか……?」
ぼくは、反問した。
特殊警備隊員が調べたというのなら、間違いはないだろう。
だが……そうだとすると、この前にぼくが見せつけられた、というより彼女の口を通じて聞かされた、あのおそるべき読心力はどうなったのだ? さらには、相手の身体の一部をつかむことで放心状態にさせたあの能力はどうなったのだ? 消えてしまったのか?
「ただ、報告によれば、彼女の意識の中には、超能力除去手術をしたとおぼしい痕跡《こんせき》があるそうだ」
と、パイナン隊長。「超能力除去手術をすると、意識の中にごく小さいが、欠落というか空間が生じるらしいが……?」
「それは、知っています」
ぼくは肯定した。超能力除去手術というのは、ぼくは経験したことがないから具体的にどんなものかは話しようがないが、ただその結果として、意識の中に小さな空白部分が出来る。エスパー化したときに、ぼくは、元エスパーであった父のうちに、それを認めた。もっとも空白といっても、ふつうの人間なら働かない部分が空白になるだけのことで、それもごく小部分なのである。本人の性格や気質、まして思考力や運動能力には、何の影響もない。すくなくとも、そう信じられているのだ。
「彼女の意識にも、その空白は認められた」
パイナン隊長はいう。「もっとも、その空白は、どこで手術したのか知らないが、通常の痕跡よりはかなり大きいそうだ。話によれば、あまり上手でない安価な手術をしてもらうと、そういうことがよくあるそうだがね。しかも、彼女の場合、どこで手術してもらったかの記憶も、同時に消去されているので、どういう手術をされたかは、つかみ得ないということだ。そういう、手術自体の記憶消去も、しばしば行なわれるそうだな」
「それは、聞いています」
ぼくは答えた。
自分が受けた手術のことを思い出したくない人間は、みずから望んでそうしてもらう、と、ぼくは話には聞いていた。そして一方、資格を持たないのに安い報酬をもらって手術する者もいて、かれらは前金を取って施術するものの、そのことが発覚するのをおそれて、勝手に被手術者のその記憶を消してしまうとの噂も、耳にしたことがあったのだ。
「しかし、彼女の場合、自分が超能力除去手術を受けたという、そのことさえも忘却しているようなのだ」
と、パイナン隊長。「ま、それは手術が行き過ぎた結果だといえなくもないが……それならなぜ、念力だけを残したのか、中途半端ではある」
「そういう残しかたをする者が、いるのですか?」
ハボニエがたずねる。
「保安部からのエレン様への報告では、そういう例は、まれにあるとのことだった」
パイナン隊長は頷いた。「彼女が消去した超能力が何であったか、今の状態では知りようがないが……読心力とか透視力なら、あり得るというんだな。超能力の中でも、そういったものは一番いやがられるということだから」
「それは……いえると思います」
ぼくはいった。
それは、たしかである。
精神感応と物体操作の能力のうち、嫌われるのは何といっても前者であった。超能力を不法に活用すれば、ネイト=カイヤツの法律では罰せられるが……物体操作にあっては何がおこったか、それが合法か不法か、他の人間にも判断出来るのに反し、精神感応の場合は、そうは行かない。それも、未来予知であるならば、聞かずに済ませばそれでいいし、こちらが希望もしないのに予言まがいの真似をされれば、訴えることも可能である。ところが、こちらが知らぬうちに心の中を読まれたり、持ちものや体内を覗かれるのは、どうにも出来ないのだ。また、超能力者自身にとっても、抑えようがないのである。何もいわれないからといっても、周囲の人間が自分の心を読んだり体内を透視されたりするのを、よろこぶ者はいないのだ。
「だから……念力だけを残したと、そういうことですか?」
ハボニエが、また問うた。
「報告では、そういうことだ」
パイナン隊長は答えた。「しかし、報告は報告として、エレン様は、別の観点を私に提示なさった。そういう人物が、なぜイシター・ロウに接近したがるか、という点が、ひとつ」
「イシター・ロウに気があるんじゃないですかね」
ハボニエが、ひやかすようにいう。
「これはハボニエ、お前も指摘したことだぞ」
パイナン隊長は、表情をゆるめようとしなかった。「もうひとつは、カイヤントで出会ったあの女――シェーラと、それにデヌイベたち。かれらもまた、奇妙な能力を持ち、謎に満ちていた。そして、シェーラという女が、イシター・ロウに積極的に接近したというのもたしかではないのか?」
「――はい」
ぼくは、首肯するしかなかった。
「共に、不思議な……というか、謎のある女ばかりだ」
と、パイナン隊長。「エレン様は、そこに何か理由があるのだろうか、と、いわれた。イシター・ロウ、お前がわれわれと変っているところがあるとすれば、それは不定期エスパーだということだろう。エレン様は、そのことと、そうした女たちがお前に接近するのに、何か関連がないか、と、思っておられる。何か心当りはないのか?」
「ありません」
ぼくは、言下に否定した。
パイナン隊長のいったことは、この前、ミスナー・ケイと第二客区のバーで出会った帰りに、ハボニエが指摘した、その繰り返しである。ただ隊長――というかエレンは、それに、ぼくが不定期エスパーであることを結びつけようとしているのだ。だが……いくら考えようとしても、ぼくにはそれに必然的なつながりを見出すことは出来なかった。強いていえば、不定期ではあるがぼくもエスパー、彼女たちもエスパーだというだけである。ほかに心当りといえるほどの関連は、思いつかないのであった。
「もし、何か心当りがあれば、報告しろ」
パイナン隊長はいった。「エレン様も、それを待っておられる」
「わかりました」
ぼくは返事をした。
こんな風に述べて来ると、ぼくたちが次から次へと事件に巻き込まれていたような印象を与えるかも知れない。ひいては、カイヤツV全体でもたえず騒ぎがおこり、統制がとりにくい状態にあったとも受け取られかねないであろう。
だが、事実はそうではない。
ぼくたちが経験したのは、そこまでだったのである。それは小さなトラブルはしばしばおこり、中には対応を間違えれば厄介な悶着につながりそうな場面もあったけれども、とりたてて問題にしなければならないようなケースは、以後、発生しなかったのだ。
船全体についても、同じことがいえる。もとよりぼくはカイヤツV全般を把握し得る立場にはなかったから、他人の話や風評をもとにしてしか判断出来なかったが……あちこちでちょっとした事件はあったものの、船全体にかかわるほどの大きなものはなかったようなのだ。むろんそうはいっても、ぼくたちの耳に届くのはごく一部であり、それ以外に結構いろんなごたごたがあったと考えるのが妥当だろう。が、それらがそれ以上広がらなかったこと自体、事柄が局部的でありさほどの重大事ではなかったのを意味しているのではないだろうか? 換言すれば、船内の秩序はちゃんと維持されていたのだ。
しかし、それは船の中が平和でのんびりしていたということではなかった。むしろ、その逆であった。
なぜなら、船内の空気は、日を追うにつれて、重く、ぴりぴりしたものになって行ったからである。
それはおそらく、というよりは疑いもなく、船内のすぺての人々が、はじめのうちはあまり意識しなかったものの、やがて、自分たちは同じ宇宙船に乗り合わせているのであり、船内にいわば閉じ込められて運命共同体を形成していることを、自覚しはじめたからであった。通常、旅は人間を自由にし解放的な気分にさせるといわれるが、それは自己の裁量の余地が充分にあり、自己の判断で中止することさえ許されている場合の話である。制約がきつく、しかも長い旅行となればなるほど、人は緊張を強いられるものだ。まして、今度のように宇宙船そのものがひとつの世界であって、外では生存し得ない状況では、いやでも船内のルールに従うほかはなく、それだけ抑圧された感覚が強くなって行く。しかも巨大で内部が広いカイヤツVといえども、所詮は小さな一社会であり、何かがおこれば全員に関係があるという認識が行き渡ってくると、どうしても閉塞《へいそく》感が濃厚になってくるのは避けられない。
ぼくもまた、そうであった。大体がぼくたちは、エレンの護衛を務めているということで、すでに気を張りつめる立場なのである。その上に、カイヤツVというものの中に置かれているとの実感がどんどん強くなるにつれて、自分自身の精神のコントロールに、大きなエネルギーが必要になって来た。
こういう人々の状態は、ほうっておくと必ず爆発する。
宇宙船内の雰囲気がこんなものになって行くことを、航行のベテランたち、多分その中でもネイト=ダンコールから来た連中は熟知していたのであろう。船ではときどき適当な名目のもとにパーティが開かれた。大規模なのや、限られたグループ・メンバーのためのや……すくなくともカイヤツVに乗っている人間の誰もが、ある頻度で出席が可能なようにスケジュールが組まれていたのだ。そのことによって、ぼくたちはある程度、ストレスを発散させることが出来た。とはいえ、それらのパーティは、決してお祭り騒ぎに至ることはなかった。そんな羽目を外すような機会を作れば、きっと誰かが、あるいは大勢が、日頃|鬱積《うっせき》していたものをぶちまけて、血を見る結果になったに相違ない。そうならないように注意深く運営されたのだ。つまりはこれは、一種の軽い安全弁の作用をするために催されたのであった。
そうしたパーティ以外にも、ぼくや第八隊の仲間は、自分のペースで息抜きをすることに努めた。ぼくはミスナー・ケイのいる例のバーへ何度か行ったりしたのだ。ミスナー・ケイ(そこではプェリルと呼ばなければならないのだが)は勤務しているときもあったし、出ていないときもあった。ただ、バーへ来る客が多いために、ミスナー・ケイの出番のときでも、ぼくは彼女とそうゆっくりお喋りすることは、出来なかったのである。ミスナー・ケイに限らず店の女を独占するのはむつかしいのであった。彼女のほうも、ぼくと長話をしたそうなのは事実だったけれども、そんなわけでたいていは、一分か二分言葉を交し、またしばらく自分たちだけで飲んで、彼女が戻って来るのを待って短い話をする――というのが普通であった。ぼくはミスナー・ケイが本当に超能力除去手術、それも念力だけを残す手術を受けたのかどうか、知りたかったのであるが……とてもそんな微妙な会話をしている余裕はなかったのである。いや……余裕があったとしても、口に出してたずねていたかどうか……やっぱりためらって、何もいわなかったかもわからない。そんなことはあっさりと訊けばいいではないか、という人もあるだろうが、超能力とか、超能力除去といった話になると、不定期ながらエスパーであるぼくには、そう気楽にはやれないのである。
と……そのことはともかく、ぼくは、そのバーへ行ったり、あるいは別の方法で、何とか自分自身の押し潰されそうな気分を、多少ともやわらげるのに成功した。成功したけれども、それはあくまでもやわらげるだけであり、効果はほんのしばらくしかつづかなかった。こういうやりかたもまたパーティと同様、内部にたまって来るものをほんの少し抜くだけのことであって、じきにまた前の通りになってしまう。前の通りというより、前以上にじわじわと鬱積してくるのだ。一時しのぎの息抜きとは、そうしたものである。
仲間の隊員たちも、また船内の他の人々も、みなそうだったに違いない。
こんな調子で行けば、やがてこれまでの方法ではどうにもならなくなり、ついには暴発するのではあるまいか――と、ぼくが危惧《きぐ》の念を抱きはじめた頃、カイヤツVはネイト=ダンコールの主世界惑星ダンコールのある星系に入ったのであった。
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査 問
「あすの朝、船はネプトに到着する」
集合したぼくたちを前にして、パイナン隊長はいった。
パイナン隊長のうしろには、主室から出て来たエレンも立っている。もうしばらくしたら第一客区主室の乗客たちのお別れパーティがはじまり、エレンも出席するので、そのための優雅なドレス姿になっていた。
「お前たちに渡した資料にもしるされているように、ネプトはネイト=ダンコールの首都であると同時に、ネプトーダ連邦の首都でもある」
パイナン隊長はつづける。「われわれにとっては未知の都市であり未知の世界だ。私自身、船内で作成されたその資料以外の事柄はろくに知らん。エレン様はダンコール語を少しお話しになるそうだが、そのエレン様にしたって、ネイト=ダンコールへ来られるのは今度が初めてだ。われわれが何を見聞きし、何を経験することになるか、はっきりしたことは何もいえない」
「…………」
「カイヤツVは、ネプトの宙港に三日間停泊する」
パイナン隊長はいう。「その三日間を利用して、エレン様は忙しくお動きになるはずだ。われわれはこれまで以上に気を張りつめて職務を遂行せねばならぬ。そのつもりでやってくれ」
「…………」
ぼくたちは、返事の代りにぴんと背を伸ばした。
「それから、エレン様が、われわれに話しておきたいことがあると、いっておられる」
パイナン隊長は告げ、横に動いてエレンのために場所を空けると、彼女のほうを向き直立した。
エレンが進み出た。
「みんな、楽にして下さい」
と、エレンはいった。「ヤド・パイナンがいった通り、あすはいよいよネイト=ダンコールのネプトです。このネプトが手はじめで……今回は、以前のカイヤント行きよりもさらに危険な旅になるでしょう。行く先が未知の世界である上に、どんな敵がどんなかたちで襲ってくるか、予想もつかないからです。そうした旅に同行してくれるあなたがたに対し、わたしはわたしのしようとしていることの、その方向だけでも話しておくのが義務ではないかと考えました」
「…………」
ぼくたちは黙って、エレンの次の言葉を待った。
「ご承知のように、ネプトーダ連邦は、現在、交戦を中止していますが、いつ戦争を再開するかわからない状態にあります。そして、今度再開となれば、これまでのようにボートリュート共和国軍だけではなく、ウス帝国の大軍も動きだすのは、ほぼ確実だと見られています」
エレンは、静かだけれども力のこもった声でいうのである。「そう予想されるからこそ、ネプトーダ連邦の一員であるネイト=カイヤツでも、戦争のための非常体制づくりが進んでいるわけです。それが主としてサクガイ家やマジェ家が大義名分をふりかざすことで強行されているのも事実であり、ためにエレスコブ家が圧迫されているのもたしかですが、ネプトーダ連邦がウス帝国に対抗しようとしているからには、そうせざるを得ないといえましょう。――ま、こんなことはわたしの口からいわなくても、あなたがたはよくご存じです」
そこでエレンは微笑した。
ぼくたちは聴いていた。よくわかっていることだったが、それをいうからにはエレンには、それなりの意図があるに違いないのである。
「でも……かけねのないところ、どうでしょうか」
エレンは微笑を消して、再び口をひらいた。「ネプトーダ連邦が十四のネイトの力を結集してたたかったとして……ウス帝国軍に勝てるでしょうか。局地的な戦闘ではいくつか勝利をおさめても、全体としては遅かれ早かれ圧倒されてしまうでしょう。彼我の力の差が大き過ぎます。そうではないでしょうか?」
エレンの問いかけは、ぼくにとって、というよりぼくたちにとって、考えたくないいやなところを衝いていた。
そうなのだ。
巨大な版図を有し、精鋭を以て鳴る大軍を擁するウス帝国……周囲の弱小勢力を併合しつつなおも拡張をやめようとしないウス帝国相手にネプトーダ連邦がどこまでたたかえるか、疑問なのである。これまでウス帝国は、ネプトーダ連邦から見て反対側の星間勢力に主力を向け、ネプトーダ連邦にはおのれのいわば外郭勢力であるボートリュート共和国の軍をさし向けてたたかわせていたけれども、今や背後の憂いがなくなったためか、こちらへ向けて兵員を集結させ、待機させているという。ネプトーダ連邦はボートリュート共和国軍との戦争をこれまでつづけ、ウス帝国の後押しを受けたボートリュート共和国と、どうやら拮抗《きっこう》して来たが……ウス帝国の軍そのものが出てくれば、到底支え切れないであろう。そのことは、ある程度の知識のある者にはよくわかっていた。わかりながら……坐して滅ぶよりはと、抵抗のための戦力増強の道をとるしかなかったのである。いや、そう簡単に粉砕はされるまい。戦争のなりゆきによってはウス帝国に打撃を与え、その部分的成功をきっかけに講和を結ぶことも可能ではあるまいか、との望みのもとに、対応を急いでいた……それを、おのおのが信じ込もうと自分に暗示をかけていた――というのが、実情なのであった。
もっとも、ネプトーダ連邦の名誉のためにいっておくならば、連邦は単にそのことだけにすがりついていたのではない。ウス帝国やボートリュート共和国との外交折衝や、ウス帝国をこころよしとしない、あるいはネプトーダ連邦が滅亡すれば直接その脅威を受けざるを得ない他の星間勢力と手を組もう、同盟をバックにして、ウス帝国がうかつに手出し出来ない情勢を作りあげようと努力し工作し、ある程度の実績もあげて来たのである。だがまあこのことだって、いってみればウス帝国の力がいかに強大であるかを示しているわけであろう。
エレンの言葉は、そうしたぼくたちの認識を、心の隅から表面へひきずり出す作用をしたのだ。
「わたしは今、どんなことがあってもウス帝国と正面衝突をしてはならないと考えます」
エレンはつづけた。「正面衝突は、ネプトーダ連邦、つまりはネイト=カイヤツの滅亡につながります。ですから……あらゆる手をつくして、正面衝突を回避すべきなのです」
「…………」
ぼくたちは、エレンを見守っていた。
それはたしかにそうだろう――と、ぼくは思った。ウス帝国と正面衝突をせずに済めばそれにこしたことはないのだ。しかし……現実にそんなことが可能だろうか?
「それは、きわめて困難……あるいは不可能のように見えるかもわかりません」
エレンは、ぼくの疑問に答えるように語を継いだ。「でも、何とかして、そうしなければならないのです。これまでの外交折衝・他勢力との連携はもとより、ウス帝国に何らかの譲歩をしてでも、全面戦争は回避しなければなりません」
「…………」
「わたしたちは、時を稼ぐべきなのです」
と、エレン。「ウス帝国との全面戦争を避け、譲歩によって相手をなだめながら、力をたくわえて行く……これしか、ネプトーダ連邦の真の自立は出来ないと、わたしは思います。譲歩が相手に力を与える危険はあるでしょう。でも一方、ウス帝国による圧迫、ウス帝国の横暴が、ネプトーダ連邦各ネイトの成員に、本物の怒りと闘志をかき立てることにもなるはずです。それをてことし、わたしたちは全員の合意のもとに、ウス帝国をはね返す力を育て、ウス帝国に勝てる戦力を築きあげることが出来るのではないでしょうか。現在のように各ネイトの上層の人々の主導による強制されたものとしてではなく、総員の総力をあげた戦闘体制としてです。ネプトーダ連邦単独でウス帝国に手出しをさせないようになるまで……力をつける方向へ進むべきです。そして、そのことで戦争の危機そのものがなくなれば、それにこしたことはないでしょう」
「…………」
聞きながら、ぼくは、むつかしいところだと思った。
エレンのいうことは、理解出来る。そういう道だって、あり得ないと断言するわけには行かない。だが、そううまくことが運ぶものだろうか? 外交折衝や工作で時を稼ぎ、多少の譲歩によって先方の機鋒《きほう》をそらし、その間に連邦が一体となって力をつけるという方法は……よほどうまくやってのけなければ成功しがたいだろう。外交折衝や工作なんてぼくの感覚ではどこか綱渡りのイメージがあるのだ。これに、譲歩が相手に見くびられ、かさにかかってこられる結果になったらどうする? そこまで行かなくても譲歩とはそのぶんだけ相手の優位を生み、こちらがじり貧におちいりやすいものなのだ。じり貧になりつつ戦力をつけるというようなことは……可能なのだろうか? そんな、力をつけるという真似さえ、相手の干渉によって不可能になってしまうのではないか?
だが。
それならどうすればいいのか――と問われると、ぼくには返事のしようがないのであった。
このまま情勢が推移して行けば、早晩ウス帝国の大軍がネプトーダ連邦の勢力圏になだれ込む。ひとつふたつの勝利をかりにかち得ても、次々と軍団が撃破されてくるうちに総崩れになるであろう。それから各ネイトの成員が本気で立ちあがって死力をつくしてももう遅いのだ。戦力などというものは、いざとなってにわかにつけられはしないのである。しかも劣勢の中で志気がどれだけあがるだろう。大組織としての抵抗はとても期待できない。そしてなまじ防戦したことで、敵はより残虐になり、徹底的にこちらを破壊しつくすかも知れない。それでははじめから降伏してウス帝国の下に入るか?
いや、ウス帝国の社会機構や支配体制は、ネプトーダ連邦の人々には到底耐えられないに違いない。すくなくともぼくが聞いたウス帝国というのは、軍事最優先の統制社会だという。また、連邦の全ネイトがそう簡単に降伏を肯《がえ》んじるものだろうか? ぼくにはとてもそうは思えない。さらに、交戦の果てにせよ降伏後にせよ、連邦のあちこちでは、ゲリラ活動がはじまるに違いない。圧制とゲリラ戦の長期化がどんな惨禍をもたらすことになるのか……等、等、等と考えてくると……ぼくにはエレンのやろうとしている方向への、具体的な対案は提示出来ないのである。
しかも――と、ぼくが次の想念を追おうとしたとき。
「こうした考えかたからすれば、ボートリュート共和国との戦争についても、配慮しなければなりません」
再び、エレンが話しはじめたのだ。「ウス帝国をへたに刺激しないためにも、ボートリュートに対しては、先方が出て来れば叩くにとどめ、こちらからの攻撃は極力自制すべきなのです」
「…………」
「今いった事柄は、わたしの、というよりはエレスコブ家の方針です。わたしはその意を体し、その方向でこれまで行動して来ました」
と、エレン。「わたしは今度のカイヤツVの航行でも、それをつづけて行くつもりです。端的にいえば、ネプトーダ連邦内の戦争阻止勢力や反戦団体とも連携し所期の目的を達するために、働きつづけます」
「…………」
「わたしたちがめざしているこのやりかたには、仲間も多い代りに、反対者もすくなくありません。現に、足元のネイト=カイヤツの主勢力がわたしたちの敵です。でも、ネイト=カイヤツさえ変えられないようでは、ネプトーダ連邦の政策を変更させるのは夢の夢でしょう。エレスコブ家は全力をあげて、ネイト=カイヤツの方向を変えるつもりですし、わたしはその先兵として、連邦内にわたしたちとの連帯勢力を作るつもりです。そうしなければエレスコブ家が生き残る道はないのも、また事実ですから」
そこまで喋ってから、エレンはぼくたちを見廻した。「――こうした事柄をあなたがたにお話ししたのは、今度の旅であなたがたがわたしもろとも、これまで以上に危険にさらされるから……そんなあなたがたに、せめて事情を知っておいてもらいたかったからです。かりに生命を落とすことになっても、何のために死ぬのかわかっておいてほしかったのです。わたしたちは一体なのですから。そう信じてよろしいのですね?」
「光栄です」
ヤド・パイナンが即答し、つづいてかちんとかかとを合わせると、エレンに敬礼した。もちろんぼくたちも、ほとんど同時に敬礼していた。それはエレンへの忠誠を示す動作であった。
「光栄なのは、わたしのほうです」
エレンは微笑した。「みんなに、感謝します。それでは……お別れパーティとやらに出掛けましょう。持ちものを取って来ますから少し待って下さい」
いうと、エレンは室内室のドアをあけて中に入る。
ぼくたちは、エレンを護衛する隊列を組んだ。
今のエレンの話について、パイナン隊長は何もいわなかった。また、いう必要もなかったであろう。パイナン隊長以下の第八隊は、エレン・エレスコブに忠誠を誓い、エレン・エレスコブを守るために全力をつくして来た。今後もそうだというだけのことである。しかもきょうはエレンの口から、エレンひいてはエレスコブ家の存念と事情を聞かせてもらったのだ。おそらくパイナン隊長にはすでにわかっていた事柄だろうが、ぼくたちにはこれまでよりもはるかに事態が明確になったといえる。それはエレンのぼくたちへの信頼のあらわれであった。同時にぼくたちがこれまで以上に大きな危険に身をさらすであろうことをも意味していたにせよ、それでいいのであった。パイナン隊長もぼくたちも、今更何も喋々《ちょうちょう》することはなかったのだ。
ぼくの気持ちの上では、そういうことである。
けれども……エレンを中心とした、そうした仲間感覚とは別のところで、ぼくの思考が動いていたことも否定出来ない。
それは、エレンがやろうとしている方向……エレンひとりではなく、エレスコブ家がめざしているものの根幹は、どうなっているのだろうかとの、いささか皮肉っぽい観測であった。
エレンは、エレスコブ家がネプトーダ連邦とそのメンバーであるネイト=カイヤツのために、そういう道を指向するのだ、との意味のことをいった。ぼくにはそう解釈出来たのだ。そしてエレスコブ家にとっても、それ以外に生き残る道はないのだとも口にした。なるほどエレスコブ家の置かれた立場から見れば、その通りであるのは疑いない。が……そうなってくると、エレスコブ家のそうした指向は、ネプトーダ連邦やネイト=カイヤツのためというより、エレスコブ家自身のためにとられているのではないか、という観測だって成立するのである。むしろ、エレスコブ家は現在のようにネイト=カイヤツで他の上位の家々に押し潰されそうになっているからこそ、そうした方向を打ち出したのではあるまいか? 自家の活路を見出すために、結果としてそんな道を選んだのではあるまいか? 拠《よ》って立つところはむしろ逆で、エレスコブ家の利害が先だったのではないか?
家というものの性格を考えれば、それは充分にあり得ることだ。そうであっても不思議はない。
だがぼくは、このおのれの見方に、それほどこだわる気はしなかった。奇妙といえば奇妙な話だが、ぼくの心の中では、エレスコブ家とエレンが、完全に同じものではなく、どこか切り離されているような気分がある。エレンはたしかにエレスコブ家のトップメンバーのひとりであるが……それだけではないという気があるのであった。これは第八隊の人間は、みなそうだったのではないだろうか? エレンはぼくたちにとって信仰の対象、というのが大げさならば、結束の象徴だったのであって、エレスコブ家について云々《うんぬん》する場合でも、どこかエレンを別の場所に置いている感があったのだ。不合理な、理屈に合わぬ話だけれども、気持ちのありようとしては、そうだったのである。
――という意識につづいて、ぼくの脳裏には、先程追おうとして中断された想念が起きあがって来た。
その想念とは……そう、エレンがやろうとしていることに対し、ぼくにいくらかの疑念や不安があろうとも、それを振り払うしかないのだ、ということである。ぼくはそういう立場の存在なのだ。エレンがこう進むと宣言して進むとき、護衛員としてのぼくは、護衛員である以上、一緒に進んで行くしかないのであった。もしもエレンのやろうとすることが、ぼく自身の道義観や信条に反するものであるのならば、ぼくはエレンの護衛をやめ、エレスコブ家から飛び出すべきであろう。とはいえ普通、人はそう簡単に自己の場を捨てる勇気はないものであり、組織内の人間にあっては組織からはみ出すことがたちまち死活の問題になってくるからあえて自分の良心に蓋をしてでもみなと同調しがちなのであろうが……飛び出す自由は、あることはあるのだ。だが今の場合、それがうまく行くだろうかとのおそれは存するにせよ、ぼくはエレンがめざそうとする方向には、何の心理的抵抗もなかった。出来るならばネプトーダ連邦なりネイト=カイヤツなりが、ウス帝国やボートリュート共和国に対して、そういう方策をとるほうが、むしろ望ましいのではあるまいか――という気さえある。だったら……ついて行くしかないのだ。いくらかのひっかかりがあったにせよ、そんなものは押し潰し、エレンを護りエレンを押し立てて行くのが、ぼくの義務なのである。エレンの護衛員である以上は、ぼくには選択の余地などはなく、エレンに殉じるしかないのだ。それが組織内の人間としての、ぼくの立場なのであった。そう割り切って……覚悟を固めるべきだとの、想念だったのである。
エレンが出て来た。
ぼくたちは、エレンの周囲を固めて、第四室を出た。
カイヤツVがネプトの宙港に着いたのは、船内時間での早朝である。アナウンスによれば宙港はまだ夜明け前だということであった。こうした連邦登録定期貨客船がどこかの宙港に到着するとき、現地時間とのずれは全く顧慮されないのか、それともある程度は合わせるように按配《あんばい》されていたのが、たまたまそれだけの差が生じたのか、ぼくは知らない。何の説明も受けなかったからだ。
ネプトの宙港で、カイヤツVに乗っていた者全部が下船するのではないであろう。乗務員の中には、そのまま船にとどまって勤務をつづけていた人間も多かったはずだ。それに下船にさいしては混雑を防ぐためにいくつものグループに分けて案内がなされたが、そこはエレンが第一客区第一層の客であったおかげだろうか、ぼくたちの順番は、意外に早くやって来た。ただ、今度はぼくたちだけではなく、あと二組のエレスコブ家のメンバーと一緒で……例の半球形の部屋を経由して、外のエレベーターに入ったのである。
ここのエレベーターは大きかった。のみならず、腰の高さから上は、透明な材料で出来ていて、外を見ることが出来たのだ。
外は、夜明けだった。
ぼくたちの目に映ったネプトの宙港は……ぼくの予想をはるかに超えた大規模なものであった。ようやくあかるくなりはじめる中、大型の宇宙船がそれこそ林立しているのである。林立といってもそれぞれの間隔は充分にとられており、それがずっとかなたの、ほとんど見渡す限りという感じでひろがっているのだから、カイヤツ一級宙港とはくらべものにならなかった。そういえば、この宙港は単にネプト宙港と呼ばれているだけらしいが、もちろん一級宙港であろう。一級宙港というのは、宙港の格づけの中の最上級を意味するからだ。が……ここでは別にそんな一級などという言葉を使用していないのも、何もわざわざ表示する必要がないからに違いない。考えてみるとそれが当然かも知れなかった。ぼくが資料で得た知識によると、ネプト宙港はネブトーダ連邦の表玄関であり、ネプトーダ連邦最大の宙港だということだったのである。となると……あまりうれしい話ではないが、カイヤツ一級宙港の場合は、一級であるのを誇示しなければならぬ程度のものであり、ひょっとすると一級宙港の基準をやっと満たしているからこそ、一級にこだわるのではあるまいか――と、ぼくは思ったりした。
そして、ぼくに見えたのは、それらの宇宙船の群だけではない。
よく観察すると、宇宙船の群は、平たい円柱形のかなり大きなビルを取り巻くかたちで停泊しているのであり、そうしたビルと宇宙船の群が何十……あるいは百以上もあるのだった。
しかもこれは、エレンを囲む護衛員としてのぼくが、固定された視野の範囲で見て取ったものに過ぎない。ぼくには見えぬ横手後方や背後にも、おそらく同様の眺望がひろがっているに相違なかったのだ。
「呆れた、と、いうべきなのでしょうかね」
同乗していた要人のひとりが、正直な感想を述べた。
「連邦の玄関というわけですな」
もうひとりの要人が呟いた。が、エレンは何もいわず、会話はそれでおしまいになってしまう。
その間にも、エレベーターは降下し……地上に来た。
地上には、可動式の屋根つき通路が伸びて来ており、ぼくたちはその中に入った。入った先は自走路で、人間をさっきの低い円柱形のビルへ運んで行くのである。
ビルの中の大きな部屋に、ぼくたちは入れられた。床は磨かれ、壁には派手な――相当官能的な絵がモザイクになって嵌《は》め込まれている。
部屋には、ネイト=カイヤツの駐ダンコール大使館員たちや、ネプト市の役人というのが十数名、待っていた。かれらはこちら側の主だった人々を見つけると、近寄って挨拶した。エレンのところへも次々とやって来て話しかけ、連れて来た人間を紹介したのだ。ぼくたちはその邪魔にならないようにしながら、警戒をおこたらなかった。
もっとも、あとからあとから下船して来る客たちの中には、そんなこととは全く関係なしに、さっさと部屋を出て行く者もすくなくない。かれらにはかれらの用があって、すぐにネプト市に赴いたようである。
エレンとぼくたちは、他の連中と共に、ふたりの大使館員に案内されて、デミュレニというホテルに向かった。デミュレニホテルに泊るのは四十名ほど……おおかたがエレスコブ家の要人とその護衛であったが、トリントス・トリントやハイトー・ゼスといったネイト=カイヤツ政府要人もまじっていた。ま、そうはいってもかれらだってエレスコブ系の人間なのだから……泊るホテルの割り振りには、それなりの意図と配慮がなされていたのだとぼくは思う。
階段をくだったぼくたちは、地下鉄道の駅に来た。
地下鉄道は、ネイト=カイヤツにもないわけではない。カイヤツ府内には数個の駅を持つ路線がある。
が……大使館員の説明によれば、ここの地下鉄道はカイヤツ府のものよりずっと深いところを走る高速列車だということなのだ。それも、宙港の例の平たい円柱形のビルの地下はみな駅になっていて、各路線がコントロールされながら合流するシステムになっているばかりでなく、ネプト市内に同様の路線網が縦横に張りめぐらされているとのことであった。
そして、ホームに入って来た列車を見たとき、ぼくは、たしかにこれはカイヤツ府の地下鉄道とは異質のものだとの印象を受けたのだ。それは、やや扁平な大型の車両を十台以上連結した列車であり、流れるように滑り込んで来たのである。
ぼくたちは、その最後尾の車両に乗り込んだ。
とはいっても、別に貸し切りではなかった。車両は空いていたものの、他の乗客もいて、ぞろぞろと乗り込んで来たぼくたちを、物珍しそうに眺め、ささやき合ったりしたのである。
ぼくたちは、当然のことだが、エレンを守るかたちを崩さずに、着席したり立ったりした。
それにしても、と、ぼくは思った。大使館員が案内しているとはいうものの、これはまことに日常的でお手軽である。ネイト=カイヤツにいればいやでもものものしい警備を受ける要人たちが、ここでは徒歩で階段をくだり、他の乗客にまじって、列車に乗っているのだ。
その思いは、他の隊員たちも同じだったと見える。
「要人といっても、ここでは普通の扱いということだな」
ハボニエが、低い声でいったのだ。
その言葉が、エレンの耳に入ったらしい。
「ここは、ネイト=ダンコールですよ」
エレンは、やはり低い声ながら、しかし微笑含みの感じで応じた。「ここにはいろんなネイトの要人が来るでしょうけど……ここの人たちにとっては要人でも何でもないし、顔も知らないのが普通なのでしょうね」
「多分、そうなのでしょう」
パイナン隊長がいう。
「でも、わたしはこのほうが好きです。気楽ですから」
エレンはあかるい声を出し、それから調子を変えて呟いた。「しかし……そんなことはいっていられないのでしょうけど」
「…………」
ぼくたちは、あと何もいえず、列車の震動に身をまかせていた。
デミュレニホテルは、地下鉄道の駅を出たすぐ前にあった。
意外に古典的な、窓の大きな建物である。そういえばそのあたりの風景も、ネプト宙港や地下鉄道で受けた印象とことなり、古めかしいビルばかりであった。街路樹がきちんと並び、車が行き来し、人々が歩いているところは、さながらカイヤツ府である。
けれども、大使館員の話によると、ネプト市はこういう場所ばかりではないそうなのだ。ぼくたちが貰った資料にも、ネプト市は複合都市で四つの区域から成るとあったが……そういう表現では実感をつかみ切れないというのである。ネイト=ダンコールの首都で、かつてダンコール府と呼ばれていたネプト市は、その古い歴史の中で、昔の姿を残しつつ拡大して行ったので……第一市、第二市、第三市、第四市の四都市が隣接し、関連し合っているのだそうだ。そしてもっとも古い第二市は、昔の都市のおもかげと特徴をよくとどめており、古い時代を愛する人々が住んでいるのだとのことであった。ネイト=カイヤツから来た人たちは、実務やビジネス、さらには他の活動をするために、他の市へ行かなければならないものの、そしてあとになるほど発達しめまぐるしく複雑になった――ことに第四市を中心に動くほかはないものの、寝泊りするとなると、どこかカイヤツ府を思わせるこの第一市を選ぶ人がほとんどで……今回のエレスコブ家の要人たちのためにも、第一市の伝統的なデミュレニホテルを宿泊先に選んだのだということであった。だからネプト市は、市といわれているけれども、実質は四つの大都市の集合体で、そのそれぞれは全く様相をことにするのだそうである。
たしかに、デミュレニホテルの、ぼくたちが泊る五階へあがったとき、窓から見えた景色は、その話を裏づけていた。近くにはそんなに背の高くないビルが、おのおの個性を保ちつつ並んでおり、緑も多く静かな感じだけれども、ずっとむこうに視線を転じると、群立する高層ビル群があり、その横手、もっと遠いところには、巨大な四角い山のような構築物が見えていたのだ。どれが第何市なのかぼくにはわかる由もなかったが、ここがそうした実態を把握するのは容易でない都市だということは、何となく感知出来たのである。それに……これは自分の部屋に入って自分で見、納得したことだが、ネプト市の案内図というのが置かれていて、それはただの地図だけではないのであった。第一市は普通の地図ながら、第二市のそれは、一枚では各層を描き切れないのか、地表、地下@、地下Aという三枚になっており……第三市、第四市になると、透明な中に線やしるしの入った小立体を組み合わせたものになっていたのである。ぼくなどのように、使いかたを知らない人間には、ろくに利用出来ない代物だったのだ。
話が、先へ行ってしまったようだ。
少し元に戻さなければならない。
デミュレニホテルのロビーにいったん集まったぼくたちは、大使館員の、ネプト市についての一応の説明を聞き、それから各自に割り当てられた部屋へと、入って行った。今もいったように、ぼくたちにあてがわれたのは五階の――その三室であった。防備の都合上、エレンはその中央の室に入り、ぼくたちは二組に分れて、その両側を使うことになったのである。例によって、エレンの部屋への荷物の運び込みは他人まかせに出来ないので、ぼくたちが自分でやった。
それが済むと、エレンは直ちにあちこちに連絡を取りはじめた。エレンはネイト=カイヤツの政府の人間ではないから、ネイト=ダンコールの要人とそれほど多く会談したり表敬訪問をしたりする必要はないものの、やはり議員であるからには、それ相応のことはしなければならない。――という、公的な仕事のほかに、エレンには自分の、ぼくたちが聞いた目的のための面談や打ち合わせがあった。それらの段取りをつけるための連絡なのである。
そのときには、ぼくたちはエレンの部屋を出て、ドアの前でのいつもの立哨《りっしょう》についていたのだ。
最初は、パイナン隊長とぼくであった。
立哨について二十分ほど経《た》ったとき、ドアが開いて、エレンが出て来た。
「もうしばらくしたら、ここへひとりの連邦官がやって来ます」
と、エレンはいった。「キューバイ・トウといって、元はエレスコブ家にいた人です。彼が来たら通して下さい。そして、ヤド・パイナンとハボニエ・イルクサは、中に入って一緒に話を聞いて下さい」
「かしこまりました」
パイナン隊長が答える。
連邦官とは、もちろんネプトーダ連邦の役人のことだろうな、と、ぼくは頭の隅でちらっと思った。それも、元はエレスコブ家にいたというのは……どういういきさつがあったのだろう。その人物が、何をしに来るというのだ?
が……ぼくには何もわかりはしなかったし、勤務中にそれ以上つまらぬことを考えるのは許されない。ぼくはすぐに思考を中断した。
「イシター・ロウ。今のエレン様のお言葉をハボニエに伝えろ」
パイナン隊長が命じた。
本来、立哨中に持ち場を離れるのは厳禁だが、これは隊長の命令である。ぼくははっと返事をすると、エレンの部屋の左隣りの、隊長とハボニエが使うことになった室のドアをノックして入り、そのことをハボニエに伝えた。ハボニエは無表情にわかったと応じ、ぼくはまた立哨に戻った。
キューバイ・トウというその男が来たのは、ほぼ一時間ほどしてからである。
パイナン隊長よりもまだだいぶ年上のようで、柔和な感じの人物であった。胸につけている大きなバッジは、連邦官のしるしに違いない。
男はドアの前に来ると立ちどまり、ぼくたちに、ここにエレン・エレスコブ様がいらっしゃるのですか、と、問いかけた。そうだとパイナン隊長が答えると、ポケットから身分証らしいものを出して、いったのである。
「ネプトーダ連邦官の、キューバイ・トウと申します。エレン様に呼ばれて参りましたが……お取り次ぎ願えますか?」
パイナン隊長はそれをあらためると頷《うなず》き、ドアのむこうにいるエレンに、その旨を伝えた。
それからおこった一連のやりとりに、ぼくはいささかあっけにとられ、好奇心を湧かせずにはいられなかったのだ。
パイナン隊長の声を聞いたエレンは、自分でドアを開けて出て来ると、キューバイ・トウに、親しげに呼びかけたのである。
「トウ。元気そうですね。少しふとったのではありませんか?」
「お久し振りでございます。お嬢様」
キューバイ・トウは、深々と頭をさげていった。「ご活躍のお噂は、風の便りに聞いておりました。お嬢様もお元気で、何よりのことと存じます」
「さあ、中へ」
エレンは促し、パイナン隊長に目を向けた。「ハボニエ・イルクサを連れて、あなたも中へ入りなさい」
「承知しました」
パイナン隊長は受け……すでに気配を聞きつけて両隣りの部屋から出て来ていたハボニエとあとふたりの隊員に対し、ハボニエは自分と共にエレンの部屋に入るように、ほかのふたりはぼくと一緒に立哨につくように指示して、エレンたちのあとにつづいた。
三名での立哨である。
あのキューバイ・トウというのは、どういう人間なのだろう、と、ぼくは思った。エレンがあんなに親しげにものをいい、彼のほうもお嬢様と呼びかけるとは……かなりのいわくがあるに違いないのだ。
この点、あとふたりの隊員も、興味があったはずである。
しかし、ぼくたちは立哨中であった。立哨中は私語はおろか、やたらに表情を崩すことも許されないのである。
ぼくたちは、つとめて無表情に、そしてつとめて緊張を保持しつつ、ちゃんと佇立《ちょりつ》していた。
室内での話し合いは結構長く……一時間半に及んだ。ドアの隙間から洩《も》れて来る声はよく聞き取れず、ぼくが好奇心にかられていたのは事実だが、聞き取ろうとするほどの恥知らずでもないつもりであった。大体、他の部員と共に立哨しながら盗み聴きするなんて、不可能だし、とんでもないことである。ま、それはともかく、そんなわけで、ぼくは室内で何が話されているのか、皆目わからなかったというだけであった。
だが、その話し合いもようやく終り……室内の足音が近づいて、ドアが開かれた。開いたのはハボニエで……その横を通って、エレンとキューバイ・トウが出て来たのだ。
送り出しながら、エレンはいった。
「どうも……貴重な情報を、いろいろとありがとう」
「とんでもないことでございます」
キューバイ・トウは腰をかがめた。「ちっともお役に立たず、申しわけないと思っております」
「そんなことはありませんよ」
と、エレン。
「ありがとうございます」
キューバイ・トウは答える。「それでは……申しあげましたように、昼過ぎには車をホテルの前へ廻しておきます。運転手も通訳も信用出来る人間ですから、どうかご安心下さい」
「お世話になりますね」
エレンがいった。
「いいえ」
キューバイ・トウはまた頭をさげ、ふと心配そうな表情になった。「それにしてもお嬢様、どうかご無理をなさいませんように。そして、どうかお気をおつけ下さい」
「わかっています」
エレンはほほえんだ。
「では、またお目にかかる日を楽しみにしております」
「そうですね。またそのうちに」
ふたりは挨拶を交し、それからキューバイ・トウはもう一度お辞儀をすると、廊下を歩み去って行った。
だが……立哨のぼくの耳に、ドアの閉じる音は聞えない。
「あなたがたも、部屋に入って下さい」
エレンの声がした。
エレンは、ドアのノブに手をかけたまま、ぼくたちに呼びかけたのだ。
エレンの言葉であるが……それでは立哨がいなくなる。それに、命令系統というのは一本であり、ぼくに命令するのは隊長なのであった。だから、動くわけには行かなかった。
「入れていただくがよい」
パイナン隊長が、いった。
ぼくたちは、エレンの部屋の中に入った。とはいうものの、立哨がいなくなったのだから、ドアのほうに注意を向けているのをやめはしなかったが……。
「話を聞いていたふたりには、ある程度想像がついたかも知れませんが……今後のためにも、今のキューバイ・トウについて、一応話しておくべきだと思います」
エレンは、口を開いた。「あのキューバイ・トウは、ずっと昔、わたしの父を助けてエレスコブ家をのしあげたキューバイ・ゲンのひとり息子なのです。父よりずっと年長だったキューパイ・ゲンは、エレスコブ家を支える太い柱だったそうですが、わたしが小さい頃に亡くなりました。その子のキューバイ・トウは、そういう血筋でありきわめて優秀でもありましたから、ゆくゆくはエレスコブ家の中枢のひとりとして、未来を嘱望されていたのです。わたしの子供のころ、よく遊んで貰いました」
「…………」
「しかし……これはどんな家でもよくあることですが……エレスコブ家の血族でないキューバイ・トウは、一族の誰かれに、いろいろいやがらせをされたそうです。わたしの父は随分彼をかばったようですが、父親を亡くした血族以外の人間は、優秀であればあるほどそねまれて、居づらくなって行ったのでしょう。もちろんそのままエレスコブ家にとどまっていても、彼が中枢ファミリーのひとりになったことは間違いありませんが……彼は自分の身分を捨て、ネプトーダ連邦の連邦官への道を選んだのです。でも、彼はわたしに約束をしました。たとえ連邦官になっても、エレスコブ家のため、というよりわたしのためには、出来るだけのことをしたい、といったのです。その後、わたしは何度か、彼から連邦そのものや、いろんなネイトについての情報を得ました。それらはわたしにとっての武器にもなったのですよ。ですから彼は、いわばわたしが連邦に送り込んだ情報源というべき存在なのです。キューバイ・トウは現在、連邦総府の中でそこそこの地位にいますし、これからも昇進するでしょう。今後もわたしは、彼の力を借りなければならないと思います。そのことを、一応、あなたがたにお話ししておきたかったのです……」
「…………」
ぼくたちは黙って、しかしいささか奇妙な気分で、エレンの話を聴いていた。
キューバイ・トウが、そういう人間だとすれば、エレンにとってはまぎれもなく貴重な存在である。
そして、そういう存在があるという事実を、エレンがぼくたちに喋ったのは、カイヤツVの中でぼくたちに自分の信条を告げ、ぼくたちをいってみれば道連れにしようとした以上、そのことを教えておかなければならないと考えたためであろう。
それは、よくわかるのである。
だが……奇妙な気分になったのは(それはあるいはぼくだけのことなのかもわからなかったが)家というものにそうした上層部の人間どうしの確執があるというのを具体的な例によって知ったせいであったろう。元来家というものは利益共同体であるべきだし、そうでなければ競争に勝ち残って行けないのであるが……そこは家族とか一族とかを基盤にした集団である以上、合理的精神だけでは片づかないどろどろしたものがあるに違いない。そのはずだ――と、ぼくは頭の中ではわかっていたつもりだけれども……そんな実例を聞かされ、その当人に出会ったというのは、何とも妙な感じであったのは、否めないのである。
が。
感慨に浸っていたって仕様がないのであった。よく考えれば、これはぼく自身には何の関係もないことで……ぼくはそういう事実があり、そういう人物が存在してエレンの役に立っているということを、記憶にとどめておけばよいのである。
そして、エレンの話が終るや否や、パイナン隊長はぼくたちに部屋から出るようにいい、ぼくたちは、はじめの位置に戻ったのだ。
もっとも、今度の立哨は長くなかった。エレンたち三人は、じきに出て来たのである。
パイナン隊長は、これから食事だと宣言した。
それも、エレンのおともをして、全員一緒にホテルのレストランで食べるのだという。
ぼくたちは、エレンを護衛しつつ、下へ降りた。本当なら誰か――ひとりかふたりがエレンの部屋に残って、怪しい者が入って来ないか見張らなければならないのではあるまいか、と、ぼくは思ったけれども、隊長がそういったことであるし、そこには隊長の判断が入っているのであろうから、言葉には出さなかった。おそらくパイナン隊長は、その危険はここではないと考えたのと、ホテルにはホテルのガードマンがいて警備にあたっているのに、それを信用しないといいたげな振る舞いは避けようとのつもりだったのであろう。こういうよそのネイトからの客がしょっちゅう来ているホテルでは、その点、ぬかりがないはずなのだ。それでもまだ不安が残るとしても……パイナン隊長、というよりエレンは、エレンと第八隊のメンバー全部がそろって食事をすることのほうが重要だ、と、したのかも知れない。事実、エレンと同じテーブルで食事をしたことで、ぼくたちの士気は大いにあがったのだ。
ぼくたちが席をとったデミュレニホテルの主レストランは、ホテルのたたずまいに似合った、古典的な構えであった。落ち着いた雰囲気の中を、従業員たちが静かに行き来しており、あちこちのテーブルに座を占めた客たちは、ごく自然におだやかに食事をしていたのだ。ここがカイヤツ府だといわれても、ぼくは不思議と感じなかったろう。
とはいうものの、正直な話、ぼくが楽な気分で食事をしたとはいいかねる。エレンと伴食の栄に浴したのはすてきなことであったが、やはり緊張せざるを得なかったのだ。それは、もしも妙な人物が近づいて来たり、おかしな気配を感じ取ったりしたら、即座に行動してエレンを守らなければならない、と、警戒していたせいもあるが、それよりもむしろ、エレンと同席してものを食べることで、どうしても気を張りつめてしまい、礼を失するような真似をすまい、と、努力しなければならなかったためである。
エレンはむろんぼくたちがそんな心理状態にあることは承知しているようで、ときどき冗談をいったり、ぼくたちの誰かれに話しかけたりした。が……こういうことに割合馴れているパイナン隊長はともかく、あとの者は返事もどこかぎごちなくなり勝ちだった。といっても、それがぼくたちにただの苦痛に過ぎなかったとは、思わないでいただきたい。今もいった通りぼくたちは、こういう待遇をしてもらったことに感激していたのだ。もしも苦痛があったとしても、気障《きざ》な表現をさせてもらうなら、それは甘美な苦痛というものであったろう。
食事が終ると、ぼくたちはまたエレンを警固して、五階へ戻った。
そして、パイナン隊長は、はじめにぼくが懸念したことを、ちゃんと頭にとめていたのだ。五階へ来ると隊長は、ぼくたちにまずエレンの部屋を点検させ、何も異状がないのをたしかめてから、はじめて彼女を中へ入れたのである。
ネプト滞在の三日間は、まことにめまぐるしく、ぼくの心も体もどんどんくたびれて行く感じであった。
食事のあと、しばらくして、キューバイ・トウの手配した車が、ホテルの前にやって来た。
運転手も通訳も、ネイト=ダンコールの人間で、生粋のネプトの生れ育ちだという話である。
運転手はカイヤツ語を解さないが、通訳のほうはカイヤツ語を含む七ネイト語に通じているとのことで……ネプト市案内人としての公的資格も持っており、これまでにもたびたびいろんなネイトの要人を案内したそうであった。――というと、ぺらぺらとよく喋る軽薄な人間を連想するかも知れないが、そうではなかった。むしろ寡黙といっていいほどで、必要なときにはちゃんと説明し、通訳するものの、それ以外はあまり口をきかない人物だったのだ。ぼくの経験ではネイト=カイヤツのカイヤツ府には、往々にして田舎から出て来た者を小馬鹿にし、見下すような態度をとる連中がいたもので……かれらは相手が自分の土地ではどんな存在なのかを無視してぞんざいに扱ったり、いやになれなれしくしたりするものだ。もしもエレンが同様の扱いかたをネプトでされたなら、ぼくたちは黙っていなかったであろう。が……ズゼイヨというその通訳は、さすがにキューバイ・トウがさし向け、かつ、しばしば他ネイトの要人の案内をしただけあって(それはもちろん本心まではわからないけれども)折り目正しく、出過ぎた真似は決してしようとはしなかったのである。そういえば、エレンが、これまでにどういうネイトの方を案内したのですか、と訊いたときにも、ズゼイヨは微笑して、
「いろいろでした」
と、答えただけだったのだ。
そのズゼイヨに案内されて、ぼくたちはネプト市をあっちこっちと行くことになった。といっても、観光ではない。そんなひまはなかったのだ。エレンが約束をとりつけた相手と会見する、その場所を次々と訪ねたのである。
会見の相手がどんな人間だったのか、ぼくはすべてを聞いたわけではない。教えてもらった場合もあるし、エレンもパイナン隊長も何もいわなかったときもあるからだ。が……行く先の建物での表示や、会見の模様、それにエレンとパイナン隊長の会見後の会話などから、ぼくはおおかたは推測することが出来た。
相手というのは、さまざまだ。
まず、連邦総府の高官があった。表敬訪問のかたちで訪ねたエレンは、そこで機会がありさえすれば必ず自分の信条を訴えたようである。ようである、というのは、そういう場では、護衛員は外で待っていなければならず、直接会話を耳にすることは不可能だったからだ。そうした、ネプトーダ連邦を実際に動かしている人々に、彼女の和平論をぶつけることは、うまく行けばまことに効果があがる方法に違いない。が……現実に効果が期待出来るかどうかは、疑問なのではあるまいか、という気がぼくにはする。ネプトーダ連邦内にはエレンのような考えかたをしている者もすくなくないとしても、当然ながらその反対の勢力もあり……そこへ今あらたにネイト=カイヤツの議員であるエレンが行っても、簡単に同意したり、まして、すぐ彼女の説く方向をめざすなんて、あり得ないはずだからなのだ。儀礼的に応対し、あとで多少は考慮の対象にしようとするのが、関の山ではあるまいか? ぼくがそんな風に思ったのは、会見後のエレンとパイナン隊長の会話が、いかにもそういう感じだったこともあるが……先方がこちらに対し、たしかにおざなりなところがあったからである。ぼくは、まず、といったが、それはものの順序として、連邦高官からしるさなければならないと考えたからなのであり……エレンの気持ちとしては当然そうだったに違いないだろうから、そんないいかたをしたまでで、実はこうした表敬訪問に相手が応じたのは、ネプトに到着したその日ではなく、二日めか三日めだったのだ。つまり、キューバイ・トウの線を通じて会見申し込みをしたにもかかわらず、先方はすぐには会わなかった……それよりも重要な相手がたくさんおり、先約があったというわけなのであろう。ネプトーダ連邦におけるエレン・エレスコブの地位は、その程度のものだったといういいかたも出来る。エレンの護衛員であるぼくたちにはくやしいことだけれども、連邦におけるネイト=カイヤツ、ネイト=カイヤツにおけるエレスコブ家といった観点に立つとき、これが現実というものなのかもわからないのだ。そして、エレンが会見にこぎつけた連邦高官といっても、長官に会えたのは外交部門だけで(このときは、キューバイ・トウも同席した。キューバイ・トウのそうした力添えがなかったら、長官には会えなかったのかも知れない)あとはおおむね次官級なのであった。これはエレンとパイナン隊長の話でそれと知ったのだが、軍事部門に至っては都合がつかないからとの理由で、やんわりと会見を拒否したようである。しかし……それでもエレンにしてみれば、たとえ大した効果はないとわかっていても、連邦高官に会い自分の考えを語らずにはいられなかったのであろう。何といってもネプトーダ連邦を実際に動かしているのは、かれらだったからである。
連邦高官の場合と事情がやや似ていたのは、ネイト=ダンコールの政府要人たちとの会見であった。連邦高官とのときほどではないにしても、こちらもまた、そう手軽には会えなかったのだ。ただ、先方が会見に応じたとなると、会見の内容はそれほど形式的なものではなく、そこそこの議論になったようである、というのも、ネイト=ダンコールの政府要人たちは、ネイトとしてのダンコールを代表する立場にあり、自ネイトの利益を最優先させる義務を持っているために、ある程度の本音を口にしたので、意見の合致点や相違点が浮かびあがる結果になったらしい。
これらネプトーダ連邦高官やネイト=ダンコール政府要人たちとは別に、エレンはマスコミ機関廻りにも、力をそそいだ。そういうところでは、エレンは歓迎された。あたらしい連邦登録定期貨客船カイヤツVがネプトに来たことは、やはりそれなりのニュースであり、ネイト=カイヤツ政府要人たちのコメントも報じられたようだけれども、そのカイヤツVに乗って来た美しい議員、ネイト=カイヤツでは要人とされているらしい女が訪問して来たとなると、どのマスコミ機関も、格好の取材対象として受けとめたのである。ただ、そうしたエレンのことを、映像なり記事なりにするとしても、それはたいがいがトピックとして取りあげられるのにとどまったのは否めない。ぼくはデミュレニホテルでたまたま非番のさいに、テレビにエレンの姿が映し出され説明がなされているのを見聞きしたが、その席でエレンがいったはずの事柄は何ひとつとして紹介されていなかった。あとでどこかから文句の出そうな面倒な部分は、あっさりと切り捨てられてしまった――という印象であった。ばくたちはそうしたニュースをいちいちモニターする余裕はなかったから、正確にはわからないものの、大半がそういう調子だったのではないか、と、思う。
そのほかにエレンは、いくつかの政策研究会の幹部と会見した。そうしたところではネプトーダ連邦の現勢や今後予想される事態についての調査を行ない、資料を作成したり分析したりして、これからの連邦の前途について意見を発表しているという。ここではエレンの論議は真面目に聴いてもらえたようだ。しかし、その論議がどう活かされることになるか、そうした会の活動にどう反映されることになるかは、すぐにはわからないであろう。当面は結果は未知数であると考えておくべきかも知れない。エレンは種子をまいておくつもりなのだと洩らしたけれども……それでも一応はやるべきことをやった――という風に考えているらしいことが、ぼくには感じられた。
そればかりでなくエレンは、二、三の反戦団体の本部へも赴いた。もしもこれがネイト=カイヤツなら、多分そんなものの存在は認められないであろう。非常体制づくりのうちにあっては、反戦をスローガンにする団体なんて、陰に陽に圧迫され、ささいなことで理由をつけられて幹部が逮捕されるに違いないのだ。それどころか存在そのものが非合法化される可能性もある。戦争に備えて、ネイト=カイヤツの情勢はそこまで来ているのだ。ところがこのネイト=ダンコールでは、ネイト=カイヤツよりもずっと(現在は休戦中だが)交戦宙域に近いというのに、反戦団体が合法的なものとして、堂々と存在しているらしいのである。これはぼくには軽い驚きであった。どうしてこんなことが認められているのか……どうせあとで触れることになると思うが、ネプトという都市の空気がそれを許さざるを得ないほど開放的でかつ無責任なおかげであり、また、ネイト=ダンコールというものが、ネイト=カイヤツなどとは比較にならぬ位の歴史と伝統を持ち、自信を有しているので、そんなものを許容出来るのかも知れない。ともかく、そうした反戦団体では、ときにエレンが、小人数の集まりの前ながら、短い演説をする機会も与えられたのだ。しかもそこには、マスコミの取材陣も常時控えているらしく、かれらはエレンにインタビューしたりした。その結果が、どこかのマスコミ媒体で伝えられたことは……さきに述べたようにぼくたちがこまかくチェックしたのではないから、つかみようがないけれども……充分にあり得るのであった。いや、多分そうなのだろう。だから、その後にエレンと会見するつもりだった連邦軍事部門の高官は、それを見て、会見をことわって来たのではあるまいか。
エレンはさらに、他のネイトの公務機関へも行った。連邦首都のネプト市には、当然ながら連邦を構成する諸ネイトの大使館や関連出先機関が置かれている。エレンはそれらに訪問の許可を求め、認められたところへ精力的に出向いて行った。エレンの訪問を許したのは、ちょっと考えると奇妙な話だが、ネイト=ダンランとかネイト=バトワ、ネイト=レスムスといった、ネプトーダ連邦内でも上位にある大ネイトの出先機関ばかりで、ネイト=カイヤツ以下に位置する弱小ネイトはみなことわって来たのである。ぼくがこのことの意味をあまり深く考えないうちに、何気なく疑問を口にしたとき、ハボニエはわずかに頬をゆがめて、いったのだ。
「お前らしくもないことをいう。おれたちはサクガイ家でもマジェ家でもないんだぜ」
それで、ぼくははっと気づいたのだ。ちょっと考えてみれば氷解するはずだったのに、何となくなぜネイト=カイヤツよりも力の劣るネイトが、そんなに冷淡なのか、などと思い、それをそのまま喋ってしまったのである。そう……ネイト=カイヤツについて一応の知識を持っている者なら、ネイト=カイヤツがいわば家々の連合体であり、その家々の中でも実権を握っているのがサクガイ家やマジェ家であることは、先刻ご承知のはずなのだ。そして、エレスコブ家がそれに抵抗しその圧力をはね返そうとしていることも、よくわかっているに違いない。とあれば、ネイト=カイヤツの力の影響を多少でも受けそうな弱小ネイトとしては、サクガイ家やマジェ家――ネイト=カイヤツ政府の実権勢力のご機嫌を損じるような、換言すればエレスコブ家への何らかの協力などは、見合わせるのが当然なのである。エレン・エレスコブと手をつないだと見られかねない行為は、それらの政府の出先機関としては、避けるのが当り前なのであった。たしかにカイヤツVは、ネイト=カイヤツと弱小ネイトをつなぎ合わせたローカル航路を飛ぶことになっており、その運航を管理するのはエレスコブ家であるけれども、だからといって弱小ネイトがエレスコブ家に顔を向け、ネイト=カイヤツの実権を握っているサクガイ家やマジェ家にそっぽを向くとは限らないのだ。かれらは、カイヤツVはネイト=カイヤツの船だという建前をつらぬくだろう。エレスコブ家がネイト=カイヤツを万一掌握でもするようなときが来れば、話はがらりと変ってくるが……現状ではそれが安全策というものである。それに反して大ネイトは、そんなことにあまり神経質になる必要はない。それだけの力を持っているからだ。大ネイトの出先機関がエレンの訪問を認めたのは、つまり、自信とゆとりのなせるわざである。さらにうがった見方をすれば、大ネイトとしては、サクガイ家やマジェ家に対抗しようとしているエレスコブ家ともつながりを作り、何かの事態にさいして、ネイト=カイヤツの内部抗争にひそかに加わることで、ネイト=カイヤツを外から操作することを狙っているとも考えられる。とにかく、この件に関していうならば、ぼくはネプトに来ていつの間にかネイト単位でものを眺めるようになってしまっていて、ネイト=カイヤツでの家どうしの相剋《そうこく》を、ほんの一時ではあるが頭の隅へ追いやっていた気味がある。それが、ハボニエの一言で、たちまち起きあがって来たということであった。
そして、これはぼくの想像だが……これほど精力的に熱心にいろんなところを訪ねたエレンのやりかたを思うと、エレンはひょっとすると、ネプトにあるウス帝国やボートリュート共和国の大使館にさえ、出向けるものなら出向きたいと考えていたのではあるまいか。しかし、現在休戦中とはいえ、戦争になってしまっているのだから、むろんそうした大使館には誰も残っていないだろうし、残っていたとしても、正式な連邦での資格のないエレンの面会要請に応じたとは、到底考えられないのであった。いや……本当にエレンにそのつもりがあったのかどうか……これはあくまでも、ぼくひとりの想像である。
こうしたエレンの動きが、いつ、どのようなかたちで実を結ぶことになるのか……はたして実を結ぶのか、ぼくには何ともいえない。ただ、エレンが洩らしたように、種子をまくというレベルから観じれば、たしかに何かをなしたといえるであろう。すくなくとも、これまで面識のなかった人々と顔を合わせ、これまでつながりのなかった団体とかかわりを持ったという点では、エレン自身がそれだけ広く知られることになったわけであり、ネプトに来た意味はあったといえるかも知れないのである。が……まあ、これはぼくなどが、あれこれとしんしゃくし、ひとりで力み返っていても仕様のないことだ。何度も繰り返すけれども、こうした行動の主体はあくまでもエレン・エレスコブであって、ぼくたちはそのエレンを護衛し、エレンについて行きエレンに殉じる立場の人間なのである。それでいいのであった。
いずれにせよ、こうしたエレンの活動にずっと行を共にしたぼくたちが、一日めから二日め、三日めとなるにつれて、疲れて行ったのはたしかである。こういう護衛の任務はいつもしているわけで、何を今更と笑われるだろうが、そうだったのだ。
この疲労は、あきらかにいつもの疲れとは違っていた。そして、それはまぎれもなく、ぼくたちがネプトで動いていたということにも、原因があったと信じる。
ネプトとは、そういう都市だったのだ。
ネプトの――四つの区域にわかれたその第一市にいたときには、まだよかった。ネイト=カイヤツから遥かに離れたネイト=ダンコールに来ているとの意識は働いていたものの、ホテルや町のたたずまいは、カイヤツ府と似たようなものだったからだ。どちらかというと、カイヤツ府よりもまだ古めかしい印象があって、そこにいる限り心理的な抵抗はなかったのである。
だが、他の市へ行くに及んで、話は違って来た。
ぼくたちは、キューバイ・トウのさし向けてくれた大型の車で、他の市へと走ったのだが……そして、キューバイ・トウのアドバイスによって、はじめからすぐに第四市へ行くようなことはせず、第一市から第二市、第二市から第三市、それから第四市へ行くようにエレンはスケジュールを組んだとのことで……事実、初日はその通りになったのである。そうしないと車の使いかたの効率がきわめて悪くなるばかりか、ぼくたちがすぐには適応出来ず混乱するであろう、とのことで、ズゼイヨも同じことをいったのだ。
ぼくたちが、そういういいかたに対して、反撥をおぼえなかったといえば、嘘になる。それではまるで田舎者扱いではないか……いや、たしかに田舎者かもわからないが、そこまで見くびられなくてもいいではないか――と、ぼくだって思った。が、せっかくのキューバイ・トウの助言であり、エレンがその助言に従う気なのだから、まあ仕様がないという気分で、車に乗ったのだった。
くどいようだが、第一市にいるうちは、いつもと変らない感じだった。
第二市に入ると、そこは高層ビル群の都市である。高層ビル街というのは、車の窓から見ると、下のほうの部分しか目に映らないので、最初は第一市と大差がないように思えた。だがそのうちに、ビルとビルの間隔が異様なまでに広く、しかも各ビルの下部がぼくの見馴れているビルに比するとひどく大ぶりなのがわかり、ちぐはぐな妙な感じをおぼえはじめたのだ。それに、車から降りてビルに入るとなると、まっすぐであるはずの建物の稜線《りょうせん》がどう見てもカーブを描いているように感じられ、思わぬ場所で局部的な強風が吹きつけて来たりするのに、戸惑うほかはなかった。さらに、それらのビルのエレベーターというのがきわめて速く、昇りには床に押しつけられ、停止のさいには身体が浮きあがるようで……いい気持ちではなかった。これはなるほど第一市とはだいぶことなる――という気がしたのである。これは、感覚的違和感ともいうべきものであった。
しかしながら、そうした第二市あたりは、まだまだましだったのだ。
第三市となると、ビルはやはり高層で、それももっと大きいが……それだけのことではなかった。道路や連絡橋があるいは上へ旋回しつつ伸び、あるいは地下へとくだっており、ビルによってはどこか欠けたような格好のものや、ぼくなどにはとても美しいといえない傾いた形状のが、やたらにある。しかもビルの途中からもすべり台に似た通路らしいのが至るところから出て、別のビルにつながっているのだ。どこが何階かも、ビルによって違っているようであった。まことに雑然としており、雑然ながら雄大で、人間の平衡感覚をおかしくさせるところがある。そしてここでは車は、ビルとビルとの間の道を走るだけで、一歩車を出れば、すぐその近くに自走路の乗り場があって、それを利用することになるのだ。うっかり視線をあげれば、例の曲線を描く通路の、その透明なチューブの中に、大勢の人間が立って動いているのが見えるのであった。さきの、第二市における感覚的違和感のたとえをここで用いるならば、こちらはほとんど生理的違和感というべきである。第二市も立体的都市であるには違いなかったが、ここでは高さの同一レベルとか整合性というのがなく、縦横無尽に立体化されているのであった。しかもズゼイヨの説明によると、ぼくたちが眺めているのは地上の露出部分だけであり、地下にも迷路さながらの部分が七層も八層も存在するのだそうだ。こういうところで暮らせといわれたら、馴れるのに随分時間がかかるだろう。へたをすると、バランスの感覚を喪失して、神経症になるかもわからない――と、ぼくは思った。そんなわけだから、第三市でぼくたちはズゼイヨについて自走路に乗り、うっかりするとけがをしかねない高速のエスカレーターを利用して進みながら、自分たちがどこのどのへんにいるのか、まるでわからなくなってしまったのであった。とはいえ……ぼくはその第三市の複雑怪奇さをいい立てるだけでは、公平を欠くと思う。ぼくたちが第三市のとあるビルを出て、駐めてあった車へ戻ろうとしたのは、もう夕方だったけれども……そのときの、入り組み傾いてどこか怪物めいた街にあかりがついていたのは、忘れられない景色であった。ちりばめられた灯や、壁面全体を占めて動く絵や、明滅する遠近の極彩色の看板は……それが底知れぬややこしい構造を有するゆえにであろうか、一種無気味な妖《あや》しさと、美麗さに満ちていたのである。
ぼくが資料で読み、カイヤツの大使館員や、またズゼイヨからも聞いたところによれば、ネプトの四つの市というのは、順番に出来て行ったらしい。だから、第四市となると第三市以上にあたらしく、進んだものであるはずで……第三市で少々おかしくなりかけていた神経が、はたして第四市でも耐えられるだろうか、という想念が、いやでも生れて来たのは、自然ななりゆきであった。
ところが第四市に足を踏み入れるに及んで、ぼくは何だか拍子抜けしたのだ。
第四市は、いってみれば全体がひとつのビルの中にあるようなものであった。ビルというのが不適当なら、四角い山型のおおいのついた都市である。そこへは、もはや車は入れない。車が通れるのは、第一層のトンネルを思わせる通路だけなのである。その意味で、キューバイ・トウが第一市から順番に第四市に行くことにしないと車の利用効率が悪くなると忠告したのは、正しかった。第一市から第二市、第三市、第四市となるに従って、車の走れる場所は相対的にすくなくなって行くばかりだし、駐車もむつかしくなるのだそうである。その駐車場も時間のきまりがうるさくて、時間前に出しに行っても、その時間になるまでは出してもらえないそうなので……行きあたりばったりにあちこちの市を行き来するのは、時間の無駄が大きくなるばかりだという。いくつかの市を廻らなければならない場合には、だから、車の出し入れがもっとも楽な第一市からはじめて、第四市を最後にするのが効率的になるのだそうだ。――とは、ズゼイヨの説明の受け売りである。それでもうまく段取りを組めば、いうほどの無駄にはならないのではないか、と、ぼくは考えたりしたが……事情にうとい人間には本当のところはわからないし、ほかにもうるさいことがあるもののズゼイヨが喋らなかっただけかも知れない。それに、このネブト市に住む者の生活感覚というものもあるだろう。短期滞在者としては、案内人にまかせ案内人の言葉になるだけ従うようにするのが、とるべき道かもわからなかった。まあ車のことはそれとして……その第四市だが、各層が整然と区画されていた。車が使えないぶんだけ、いやそれ以上に自走路が完備し、速度も一種類ではないのである。ことなったスピードの自走路が平行しているところが多かった。これは自走路だけではなく、エスカレーターもエレベーターも同様である。そして各層の天井はびっくりするほど高く、照明もあかるいので、閉じ込められた感じはまるでないのだった。広い通路には店が並び人々が往来していて、にぎやかなのだ。ぼくは第四市に来て、ほっとした。ほっとしたが……それは、あまりつづかなかった。これだけの構造を支えすべてを円滑に運営して行くために、おそるべき大がかりな装置やエネルギーが必要なので、それらは人目につかぬところに配置され、作動しているのだと聞かされてしまうと、自分があたかも機械の腹の中に呑み込まれたかのような錯覚におちいって、めまいに似たものを覚えるようになったのだ。整然とし、堂々としているからこそ、よけいその裏に存在するものの重さや無気味さを感じる、ということであろうか。ここでぼくは違和感というのではなく、形容しがたい圧迫感に襲われたのであった。
ついでにつけ加えておくと、こうしたネプト市は、それでもまだ都市ということで、いろんな制限を受けているのだそうである。ネプト市内での交通手段は、車と、それに今の自走路などに限定されているが……市域を出ると高速の乗用浮上機(低空を飛ぶ航空機のようなものらしい)が飛び交っていて、それらは事故をおこさぬように自動回避装置を持っているというのだ。また、工場群はネプト市の近くには許されず、ずっと離れた地域にあって、それらとネプト市は、超大型のこれも浮上貨物機で結ばれ、物資を運んでいるとの話であった。ぼくはズゼイヨの語ったその話を誇張だとは思わない。彼はそんなことをする人間ではなさそうだし、ネプト市のこんな様子を見た今となっては、なるほどそうであろう、その位のことはあるだろう、という気もする。そして……ネイト=カイヤツのカイヤツ府との懸隔を、いやでも悟らされたのであった。
だが……ぼくは、だからといってネプトの四つの市に圧倒されおのれを失ってしまったのではない。それだけは胸を張っていえる。たしかに気分が変になり戸惑ったが、逆にそうなればなるほど、おのれの任務をつくすことに全心身を傾けたのだ。これはぼくだけの話ではなく、他の隊員もそうだっただろう。ましてエレンは、そういう気持ちを感じているのかいないのか……感じていないはずはなかったが……いつもの通りしゃんとして、落ち着いていたのだ。
ところで。
ぼくは、ネプトの四つの市にいて、自分が受けた印象を、そのままに述べた。それはまぎれもなくあたらしい、奇妙な体験に相違なかった。ショックをおぼえたことも否定しない。
だが、ショックといえば、実は、四つの市のかたちや姿よりも、ネプト市の人々を目にしたそれのほうが、ずっと大きかったのだ。
そう。
ぼくたちは、エレスコブ家警備隊の制服を着ていた。レーザーガンを携行し剣を吊っていた。ネイト=カイヤツではそれなりの権威を持つ、それなりに悪くない格好だったのである。
しかし、ここではどうもそうとはいえなかったのだ。ぼくたちのように、制服姿なのはあまりいなかった。警官とか軍人とおぼしい連中はいたものの、その制服だって、いかにも制服だと誇示するのではなく、地味な、あれはどうもそうらしいといったスタイルなのである。(ぼくは、ネイト=カイヤツでは第一の家とされるサクガイ家の警備隊の制服が、なぜあんなに地味なのか、そのいわれの……すくなくともいわれのひとつを探り当てた気がした。サクガイ家はあるいは、ネイト=ダンコールのこうした状況を意識し、ネイト=ダンコールで馬鹿にされないために、きんきらきんの制服を採用したりしなかったのではあるまいか)かれらは小型の、ぼくたちのよりもずっと小さな銃を腰につけていた。それがレーザーガンだろうとはぼくにも見当がついたが……あれで実際の役に立つのなら、相当な高性能だといわねばならない。が、武器はそれだけだった。剣は吊っていなかった。というより、ここでは剣などという代物を携えている者は、ひとりも見掛けなかったのだ。ぼくは、自分がひどく大時代な芝居がかった格好をしているように見えるのではあるまいか――という感覚に襲われたのだ。
ただ……これは、ぼくたちの側の、ぼくたち自身についての感じである。
制服以外のネプトの人々のスタイルは、正に千差万別であった。滅茶苦茶に派手な姿のもいれば、ぼろとしか思えない布をまとっている者もある。服のかたちだって何の統一もなく、共通点もろくに発見出来ないのであった。ここには流行どか衣服の慣習というものがないのか? あったとしても、ぼくの目や感受性ではとらえられないのか? それに、行き来する人々のひとりひとりが、男か女かさえ、しばしば識別不能なのだ。
白状するが、ぼくは、そうした人々の格好を自堕落だと思いながら、心の一方で、自由さに驚嘆していたのである。
しかも。
かれらは、ただおとなしく歩いているのではなかった。むろんそういう人もいないわけではないけれども、多くの者が男女(だと思う)で手をつないだり、四、五人で吠えるように歌いながら、ぶらぶらと歩いたり、急に走りだしたり、道路にすわり込んだりしているのだ。
この乱雑さは、第一市から第二市、第二市から第三市、そして第三市よりも第四市になるに従って、はげしくなるようである。そして、同じ順序で、若者の比率が高くなって行くみたいであった。いいかえれば、第一市では年配の人間が主流で、比較的秩序立った感じなのに対し、第四市になると半分以上が若者で、環境が整備されているのとうらはらに、人間のほうは思い思いの行動をしているのである。
そればかりではない。
かれらは、他人のことにおよそ無関心なのだった。
ぼくは二度、この目で犯罪を目撃した。ネプトでもそれは犯罪になるはずだとぼくは確信するが……第三市では持ちものをひったくったらしい男が人ごみをかきわけて走り、あとを叫びながら女が追っているのを見た。人々はそんなことに構わず、ろくに目を向けようともしないのだ。第四市では、四、五人の若い女が、ひとりの若い男をなぐったり蹴ったりしていた。男が抵抗もせずに頭をかかえているのを、寄ってたかって痛めつけているのである。うずくまった男の足元には血が流れていた。それを数名が立ちどまって見物しているが、とめようともしないのである。
そんな場面に遭遇しても、ぼくたちの仕事はエレンを護衛することだし、ここの人々の問題にちょっかいを出すのはあとで悶着《もんちゃく》の種になる可能性が大だったから、はじめの事件のときは、知らん顔をするほかなかった。しかしあとの場合は、さすがにエレンも顔をしかめたのだ。女たちが男を袋叩きにするというのは、ネイト=カイヤツでは異常といえる現象だが、ここではそんなことはないのかも知れない。知れないが、やられているほうが血を流しているのだから、簡単に見過すわけには行かない、と、エレンも思ったのであろう。けれどもエレンが足をとめて何かいおうとしたとき、ズゼイヨが首を振って制止したのだ。
「ほうっておくのです。そのうちに警察が来るでしょう」
と、ズゼイヨはいったのである。
「ここの人たちは、平気なのですか?」
エレンは眉をひそめてたずねた。「他人のことには関係ないというわけですか?」
「そういう人間もいますし、そうでない人間もいます」
というのが、ズゼイヨの返事だった。「人がどう行動するかは、本人の自由です」
「…………」
エレンは沈黙し、ズゼイヨはまた、ゆっくりといった。
「どのネイトにも、ネイト独自の気風があるものです」
それ以上は、エレンも何もいわなかった。ぼくたちはまた、歩行をつづけたのだ。
こういうネプト市の人々のありかたは、ぼくにはやはり理解し切れなかった。その雰囲気にもどうしても同化出来ないだろうとも思った。ここはやはり……別世界なのであろう。ぼく自身のネイトとは別のネイトだということなのであろう。
そういえば……と、ぼくはそこで突然何かがわかったような気がしたのだ。ネイト=カイヤツでなら、かりにカイヤツ府がネプトーダ連邦の首都となろうとも……それがどんどん発展しようとも、このネプトのように、はじめの市を置いておいて第二市を作ったりはしないであろう。さらにそのあとに第三市や第四市を建設したりはしないに違いない。みんなひっくるめて一緒にし、ひとつの巨大都市化して行くのではあるまいか。ここのように、こんなややこしい複合都市にしたりはしないはずだ。こうするところに、ネイト=ダンコールのネプト市の、ネプト市らしさがあるのだろう。そしてまた、こういう四つの市を持ち、自分の好みや仕事に応じて四つのことなる市を使い分けするのがここの人たちらしいところであり……さらには、ここでの都会人というのは、それぞれ違う四つの市をまたにかけて活用する能力を持っていなければ……そのどれにも自分なりに適応し、自分なりにたのしむすべを心得ていなければ、都会人の資格はない――ということではないのだろうか? それが、ネプトの人たちのこういう気風を形成した……あるいは、そういう気風だからネプト市がこんな姿になった、といえるのではあるまいか?
ただ、ぼくには、それがネイト=ダンコールとネイト=カイヤツの本質的な違いなのか、たまたま結果としてこんなことになっているのか……何ともいいかねるのであった。
ともあれ。
こんな調子で、こういう都市を、はじめは順番に、やや様子が判明した翌日からは適当に工夫しながら三日間を訪ね歩いて、ぼくたちは加速度的に疲れて行った。当のエレンはなおさらそうだったろうが……エレンが弱音を吐こうとせず頑張っていたために、ぼくたちも頑張りつづけたのだ。そして、そういうぼくたちに、時間は重量ときしみを保ちつつ、容赦なく流れ……ネプトでの最後の夜が到来したのである。
エレンの部屋の前での立哨が終って、ぼくは自室に引き揚げて来た。
同室のあとふたりの隊員はぼくに代って立哨についたので、室内にはぼくひとりである。
ネプト滞在も今夜でおしまいか――と、ぼくは自分の剣を外しただけで、ベッドに腰をかけ、肩を落とした。パイナン隊長の話では、エレンの訪問予定はきょうのタ方で終って、あすは朝食が済みしだい、ネプト宙港に向かいカイヤツVに乗り込むとのことだったのである。
と。
ノックの音がした。
ぼくは立ってドアの前に歩み寄り、誰かと訊いた。
「おれだ。ハボニエだ」
声が返って来た。
そういえば、ハボニエも今は非番なのである。
ぼくは、ドアを開いた.
「ちょっと、お喋りをしに来たんだ」
と、ハボニエは頷いてみせた。「こういうときだから酒抜きになるが……何となく、お前と話をしたくなってな。入るぞ」
「どうぞ」
ぼくは、ハボニエを招じ入れた。
「全く……このネプトという都市は、しんが疲れるわい」
ハボニエは、空いていた椅子に腰をおろしながらいうのだ。「そりゃ、ここはネイト=ダンコールだから、当り前かも知れんが……どうもおれにはなじめない。イシター・ロウ、お前はどうだ?」
「私もです」
ぼくは、一応、士官補に対する礼儀を守って答える。
「いいんだ、いいんだ」
ハボニエは手を振った。「ほかの奴が戻って来るまでは、いつもの調子で行こうや。それではどうも落ち着かん。お前も早く士官補になればいいんだ」
「…………」
そのとき、ぼくは、ふっと妙な予感をおぼえたのである。
それは、予感と呼ぶにはあまりにも焦点が定まらず指向性もない、漠然としたものであった。何となく受けた印象といっだほうがいいのかも知れない。それとも……裏返しにされた違和感がもたらした影とでも形容すべきだろうか。
なぜぼくがそんな感覚におちいったか、その理由をいくつか挙げることは出来る。ふだんなら、全部が全部本心ではないだろうが、士官補なんてろくなことはない、階級が少々上というだけでこれまで関係のなかった責任を負わされるし、礼儀や形式もうるさくなった――と、ぼやいていたハボニエが、ぼくに向かって早く士官補になれなどと口走るのが、大体尋常ではなかった。やっと中級隊員になったぼくと士官補との間には、ちょっとやそっとでは超えがたい溝がある。そのぼくにそんなことをいうのは……仮定や現実性のない事柄をあまり話したがらないハボニエにしては、いささか妙なことであった。それに、お喋りしに来るにしても、いつもと比べて何となくためらいがちな、ぼくの同意をことさら求めるような口ぶりで入って来るのは、やはり珍しいといわなければならない。酒抜きの味気なさを承知だったから、というだけではなさそうである。ぼくはそこに、つねのハボニエからは窺《うかが》えない孤独というか弱気のようなものを感じ取ったのだ。さらには、ネプトという都市はしんが疲れると洩らすにしたって……ぼく自身が同様に疲れ切っている身だから同感には相違ないものの、こう正直に、皮肉も負け惜しみもなしにいわれてみると、今夜のハボニエは肉体のみならず精神的にもだいぶへたばっているのではなかろうか、とも思ったりしたのである。
それにまた……。
いや、よそう。
それらのひとつひとつは、別に決定的異常というわけではなかった。たしかにいつもとは違うにしても、単独に、あるいは併存したかたちで、ハボニエがそんな状態を見せるのは、これまでなかったとはいえない。それぞれはいわば小異変、一時の変調で、じきに日常の中へ吸収され、日常のスタイルに戻って行くだけである。しかし、それらが同時に競合するようにあらわれたというのは、奇妙であった。そのことがぼくに、いつもと違うものを感じさせたのだ。
けれども……はたしてそれだけだったのかどうか、ぼくには自信がない。こうして理屈づけをしてみたのは、そんな理屈づけも可能だということであって、それではぼくの心理のすべてを説明したことにはならないような気もする。自分で説明しておいて変な話だが……やっぱりぼくは、それらの理由だけでは済まないものを感じ取っていたのかも知れない。
そうなのだ。
ハボニエが、どこかふだんとは違う……何というか、彼がこれまで生きて来た流れのようなものが、今までとは同じでなくなり、何かが待っているような、そんな気分を、ふっと味わったのは……これは、理屈では説明出来ないであろう。
もちろん……それだって、あすには、元の日常に吸い込まれてしまうのかもわからない。これはそのときの、ほんのちょっとのはみ出しに過ぎなかった、ということになってしまう可能性がある。というより、そうなる可能性のほうがずっと高いのだ。そのはずであった。
そして、ぼくはここで釈明しておかなければならないが……ぼくはこの予感めいたものを、エスパーの、超能力者の予知として感知したと、そう受けとめていたのではないのである。だいぶ前の、ラスクール家の連中との打ち合いに一種不可思議な超能力めいた状態になったのを最後に、ぼくはずっとエスパー化していなかった。(いや、正確にはそういってはいけないのかも知れない。あのあと……三日後だったか、ぼくを呼びつけたモーリス・ウシェスタもいっていたが、超能力は精神感応と物体操作のふたつに分けられるので、精神感応者を指すエスパーの語を、物体操作力所有者に対して用いるのは、本当はいけないのだそうである。とすれば、あのときのぼくは、ふだんの自分の力以上の力が出るという、それまで体験したことのない体験をしたのだから、エスパー化という単語だけでは済ませてはならないのかも知れない。といって、あれが物体操作の一種といわれれば、抵抗がある。ぼくは何も自分の剣を飛ばし、手を触れずにあやつったのではないからだ。ではあれはどう呼ぶのかとなると……ぼくにも見当がつかない。繰り返しになるけれども、あんな能力をぼくはかつて経験したことがなかったのである。しかし……モーリス・ウシェスタもいったように、精神感応と物体操作の二系列は別のものでありながら実際には不可分で、一方はたいてい他方を伴っているものだ。そのせいか世間では超能力者というとみなエスパー呼ばわりしがちで……それでは正確にいうと間違いだと指摘したって、うるさいことをいうなといった顔をされるだけであろう。一般には超能力の種類を問わず、エスパーで通用してしまうのである。厳密なことをいわず通称でいいとするならば……そして、厳密に分けようとしても、あのときのぼくの力がどちらなのか判別困難、あるいは、両者共存だとすれば、エスパーでも構わないのではあるまいか? エスパー化といったって、やむを得ないのではあるまいか?)その後は、エスパー化の気配もない。潜在的に能力を保有しておりいつ発現するか知れないとしても、現実にはぼくはずっと、超能力とは無縁にやって来たのだ。しかも、考えてみればそのラスクール家の連中とのやりとりのときだって、真実エスパー化したのかどうか、怪しいともいえるのである。あれがパイナン隊長のいったように、追いつめられて死力をつくした結果の働きに過ぎず、エスパー化が錯覚であるとしたら……ぼくはもうだいぶ長い間、超能力とは無関係ということになるのだった。心の底ではむしろそのほうが有難いとの気持ちがあったのも事実だが……そうなのである。
そんなぼくが感じたのが、予知などであるわけがなかった。
これはおそらくいつもの、先行きに対する不安、ひょっとしたら何かよくないことがおこるのではないか――という、一種の取り越し苦労なのかもわからない。それをもまた人は予感というだろうが……超能力に関係なく、その場その場での不安や期待がもとになって出て来るそっちのほうの予感≠ヘ、ぼくは苦手だった。なまじ自分が不定期のエスパーであるから、非エスパー時にはふつうの人間以上に、そうした能力を抑制し、働かせないようになっているのか……ろくすっぽ的中したことがなく、外れたあとは自分で自分が馬鹿馬鹿しくなるのが、つねだったのである。
今度のこれだって、そのたぐいだろう。
そうに違いない。
そして、ぼくがそう結論づけ、おのれを納得させるまでに、二秒や三秒はかかったようだ。
「何をおかしな顔をしているんだ?」
ハボニエがたずねた。その面上にはもう例のハボニエらしい、ちょっと皮肉っぽい、ひやかすような表情が戻っている。
「いや、何でもない」
ぼくはわれに返り、まさか今考えていたことを喋るわけにも行かないので、あたりさわりのない答えかたをした。「どうも……ぼくも疲れているらしいよ」
「そういうことだ」
ハボニエは頷いた。「任務自体はいつもとそれほど違わんが……よその世界というのは神経にこたえる」
「よその世界といえば、カイヤントもカイヤツ外の世界だったが……ここは、カイヤントの比じゃないな」
ぼくもいった。
「カイヤントは、まだましさ」
と、ハボニエ。「とにかく、お隣りの惑星で、ネイト=カイヤツのうちなんだから……言葉も同じだし」
「言葉もそうだが……ここの文化というのは、ぼくたちの頭の中にあるものと、だいぶ違うという気がするよ」
ぼくは意見を述べた。
「全くな」
ハボニエは応じた。「おれには到底合いそうもない。おれなどの常識では、よくわからん感じだ」
「文化衝撃という奴かも知れない」
「そういうことかも知れん」
ハボニエはいう。「最初のネプトでこうだとすると……これからまだいくつもの世界へ行くのだろうから、頭が変になりかねないな」
「覚悟はしているよ。それに、案外、馴れるかもわからないしね」
ぼくは受けた。
「馴れるかな?」
と、ハボニエ。
「馴れなきゃ、やり切れなくなるばかりじゃないか」
ぼくはいった。
「ま、そういうことだ」
ハボニエは苦笑する。
「…………」
ぼくは何もいわなかった。自分がそんなうまい具合に環境の変化に馴れ、未知の妙な文明や文化と出会っても平気になれるかどうか、何ともいえなかったが……自分で口にしたように、そうするしかないのだし、そうするように務めよう、と、考えていたのである。
「ともあれ、ま、頑張るしかないのは事実だな」
ややあってハボニエは話を再開し、目を上へあげた。「いや、頑張り抜かなきゃならないんだ。エレン様のために」
「…………」
ぼくは、無言で頷いた。
「エレン様は全力はつくしておられるようだが……どうなんだろうな」
ハボニエはいい、ふと視線をテーブルに当ててから、また宙に戻した。無意識のうちに、酒を探し、ここにはないのを思い出したという風であった。「そりゃたしかにエレン様はエレスコブ家の重要な……なくてはならない人物さ。だがそのエレン様が、こんなに危険をおかして活動したとしても、エレスコブ家が置かれた窮地を脱し、エレスコブ家の意図するうまい状況にまで持って行くことが可能なのかどうか……おれは、どうしても確信が持てないんだ」
「…………」
久し振りのハボニエの饒舌《じょうぜつ》、それも酒なしでの饒舌になりそうだ――と思いながら、ぼくは聴いていた。(そしてぼくはそのことが決して不快ではなかったのだ)
「エレスコブ家が今の状況をはね返すには、相当な無理を……それも何度かのばくちをやらなければならない、と、おれは思う。まあ実際にそれは、カイヤツVに象徴されるように、すでにはじまっているがね。まだまだ危い橋を渡らなければならんだろう」
ハボニエはいう。「エレン様がやろうとなさっている和平工作にしたって、どこまでうまく行くか、きわめて困難な作業だろうとおれは考える。エレスコブ家にとっては、それは何とか実現させたい、というより、実現させなければあるいは家の存立にかかわる大きな目標に違いない。違いないが……このままではエレン様が、エレスコブ家のためのいわば人柱となってしまうんじゃないか、という不安が消えないんだな」
「むつかしいところだ」
ぼくはいった。
ぼくは、ハボニエのいう、エレンの工作が成功するか否かの、そのむつかしさについてだけで、そんな答えかたをしたのではなかった。ハボニエがいいたいのは……あからさまにではないけれども、今のままならエレンはエレスコブ家のために犠牲になりかねない、かつ、なぜエレン・エレスコブがそんな役割を果たさなければならないのか――ということだったのではないか、と、ぼくは推測する。エレン以外の人間でも……すくなくともエレンのほかにもそういう役割をつとめる人間がエレスコブ家にいてもいいではないか、といいたかったような気もするのだ。が……当のエレン自身がエレスコブ家のために身を挺《てい》しているのだから……そのエレンの行動にストップをかけることはむつかしいだろう、と、その意味もかけて、いったのであった。
だが、ハボニエはすぐにぼくの気持ちを見抜いたようだ。
「そう。エレン様は決してやめはしないだろう」
ハボニエは、太い息をついた。「そういう点がまた、あの人らしいところなんだ。だからおれたちもついて行くだけの話だよ。――おやめにはならんだろう。何といってもエレスコブ家は、危急存亡の秋《とき》なんだからな」
「…………」
ぼくは黙り、ハボニエも沈黙した。
「危急存亡といえば……ネイト=カイヤツ、というより、ネプトーダ連邦がそうなんだ」
ハボニエは、ちょっと口調を変えていいだした。何となく、もうこれ以上エレンの身を気遣う発言をしても繰り返しになるだけだし、それではますますじりじりして来るから、話題を変えにかかった、という感じであった。これはぼくの想像力過剰かもわからないが、それほど外れてはいないという気がする。
「そうだ。ウス帝国が本気で動きだしたら……とても太刀打ち出来ないだろうからな」
ぼくも、相手に合わせてその話に乗っかった。「正面衝突をしたら、ネプトーダ連邦はどの位持つだろう」
「さあ」
ハボニエは首をかしげた。「連邦の版図は結構大きいから、完全に制圧されるまでには案外時間がかかるかもわからん。だが、主力を粉砕されて運邦が連邦の体《てい》をなさなくなるのは、あっという間だろうな。さて……二十日か三十日か……いや、もっと早いかも知れんぞ」
「そうとわかっているのなら、どうしてウス帝国は、ボートリュート共和国軍だけをさし向けてみずからは攻撃して来なかったんだろうな」
ぼくはいい、あわててつけ加えた。「もちろんそうなっていなかったのは、幸運だが」
「ウス帝国にも、いろんな事情があったんだろうよ。植民地や支配圏の整備とか弾圧・抑圧とか……それに内部でも権力争いがあったのかも知れん」
ハボニエは返事をした。「それと……ウス帝国としては、ネプトーダ連邦のようなところは強引に征服しても、あとの統治が厄介になると考えて、侵攻の方法と時期を練っていたという可能性もあるんじゃないか?」
「それは、考えられるな」
ぼくは肯定した。
ネプトーダ連邦のような、十四ものネイトがおのおの独自の気風を持ち、ネイト成員もウス帝国などにくらべると個人の自主性や自由に執着するところは、支配しにくいかもわからない。支配しても反乱やゲリラが相次ぐ可能性があるからである。
しかし、それはこちら側の、希望的観測かも知れなかった。
だからぼくはいった。
「でも、いったん主力が粉砕されたら、連邦の各ネイトも成員も、存外もろいかもわからないぞ。簡単に力の前にひれ伏して、それでおしまいということもあり得るし……それとも、やはりとことんまで頑強に抵抗するだろうか?」
「わからんな」
ハボニエは、薄笑いを浮かべた。「おれには何ともいえん。人間、いざとなるとどう反応するか、その場になってみないとわからんのは……イシター・ロウ、お前もよく知っているじゃないか」
「まあね」
ぼくは受けた。「しかし……そうだとすれば、ウス帝国もそのへんをはかりかねて、情報を集め計画を練ってきて……だからこれまで全面的侵攻をして来なかった、ということもあるんだろうな」
「そういうこともあったのかも知れん。だがおれはウス帝国の人間じゃないから、事実がどうなのかは何もわからない」
と、ハボニエ。「ただ、ウス帝国軍が全面的に侵攻して来たら、ネプトーダ連邦が潰滅するのはたしかだし、あと、どんな状態になるにしても、どのネイトの成員もひどく苦しむことになるのは明白だ。そうなったらネイト=カイヤツも元のネイト=カイヤツでなくなるし、エレスコブ家が生き残れるとも思えない」
「おそらくね」
「おそらく、というより、必ず、だろうな」
ハボニエはいう。「そうなったとき、おれたちは何なのか、どうなるのか……何か生きる道があるのか……」
そこでハボニエは鼻を鳴らした。「いや……こんなことを今考えたって仕方がない。それこそ、そのときの話だ。今は……また元に戻るが、エレン様の和平工作……エレン様の工作だけではなく、連邦のいろんな人の力で、全面戦争が回避されることを願うだけだ。それしかないんだ」
「…………」
ぼくも同感だった。
だが。
ハボニエはそこでひょいと肩をすくめると、いったのである。
「これは、とんだ演説になってしまったな。おれはそんなつもりじゃなかった。ただのお喋りをするために、ここへ来たんだ」
「…………」
「どうも、酒がないと調子が狂うわい」
ハボニエは笑った。「ま、酒があればもっとひどいかもわからんが……こんな風に酒となじみになったのは、エレスコブ家に入ってからだな。エレスコブ家に入ってから、いつの間にか酒でおのれをゆるめ、楽にすることを覚えたわけだ。度を過さないように自戒はしているがね」
「それまでは、飲まなかったのか?」
ぼくは問うた。
「ときどき飲んださ」
と、ハボニエ。「くにから出て来て、カイヤツ府でごろつきまがいのことをしていたころは、金をせしめると飲んだものだ。ぶっ潰れるまでね。酔っ払って、自分を忘れようとしたんだな。だがああいう飲みかたは、酒でごまかそうとしているだけで、酒を友としているとはいえん。それに、そうしょっちゅうは飲まなかった。金がなかなか手に入らなかったせいもあるが……一度、酔ってけんかをし、殺されかかってからは、自分の身を守るために、まず安全と思うとき以外は、飲まなくなったんだ」
「そいつは賢明なやりかただ。酔えば向う意気は強くなっても、剣などの技量はあきらかに低下するからな」
ぼくはいった。
「けんかは技量だけの問題じゃないぜ」
ハボニエは呟き、ぼくを見やった。「いや……ま、お前だってそんなことは百も承知だったな。とにかく、その時分におれがそんな飲みかたをしたのは、いつ追跡者につかまるかわからんというおそれもあったせいだ。そんな状況では、人間、ときには何もかも忘れてしまいたくなる」
「…………」
ぼくは、以前にハボニエが、父親を殺されたその復讐として、ヨズナン家の警備隊員をやっつけた、と、話したことを思い出した。そのときハボニエは、ヨズナン家が彼を追跡し捜索していたようだ、ともいったのだ。が……このことは、ハボニエはあまり喋りたくないかも知れない、と思って、口をつぐんでいたのである。
しかし、それをハボニエのほうからいいだしたのだ。
「妙ないいかただが、おれは、父親をヨズナン家の奴に殺されて、目がさめたのかも知れんな」
と、ハボニエはいった。「そうなるまでのおれは、すねて、甘えていたんだ。基本学校で優等生だったから、他人が馬鹿に見え……その馬鹿な他人に、両親が自滅者だからといって軽蔑され、からかわれたんだから、腹が立って仕方がなかった。その腹立ちを親に向けて文句をいい……少し大きくなって親と別れて暮らさなきゃならなくなると、どうして自分がこんな目に遭わなきゃならないんだとまた腹が立ち、それもこれも親が自滅者なんかになったからだと、何もかも親のせいにしたんだな。その父親が殺されて、おれは甘えていたことを自覚したんだ。おれから父親を奪ったヨズナン家の警備隊員を許せなくて刺したが……母親がそんなことを望んでいたかどうか、何ともいえない。母親としては、そうなった以上、おれがちゃんとした人間になり平和に暮らすことを願っていたのかもわからない。母親が死んでおれはまた後悔しなければならなかった。死んだ原因のうちには、おれがヨズナン家に追われる身になった心労もあったはずだからな。今になると、おれは両親に悪いことをしたと思うよ」
「…………」
ぼくは黙っていた。
へたななぐさめかたをするのは、かえって失礼だと思ったからだ。
「ともあれ、そんなことから、おれは、自滅者というようなものを生み出す社会を憎悪した。一時はやみくもに反抗してやれと考えたこともあるし、どうせなら、自分の手でそんな世の中を変えてみたいとさえ思ったな。とにかく何か……やれるだけのことをやってみたいと思ったもんだ」
ハボニエはつづける。「若い時分は誰だってそうだろうが……しかし、現実におれに出来たのは、カイヤツ府でごろつきになることだけだった。現実とは、そういうものなんだろうな」
「今は……? 今もそう思うか?」
ぼくはたずねてみた。
「人間、出来ることには限りがある」
ハボニエはいう。「それに、年をとるにつれてエネルギーもなくなってくるしな。どうやら人間には天命みたいなものがあるらしい。おれはその中で本分をつくせばいい、そうするしかない、と思うようになって来た。淋しいと思うか?」
「いいや」
ぼくは答えた。
ぼくにはわかる気がする。
ぼく自身、エスパーだからというので、予備技術学校をほうり出されたのだ。それに父母が交通事故死して……ファイター訓練専門学校に入ったのである。そこなら学費は無料、給料さえくれたからだ。人間、自分の運を無視することは出来ない。いかに実力があっても、運を超えるのは不可能らしい、と、考えることも、たびたびあったのである。
「ま、正直なところ、おれには今の生きかたが似合っていると思うよ」
と、ハボニエ。「仕事も嫌いじゃないし、仲間にも恵まれているからな」
それからハボニエは、ぼくを見た。「そういえばイシター・ロウ、お前もすっかり頼り甲斐のある隊員になったよ。なかなかの成長ぶりだ」
「それは光栄」
今更何をいいだすのだと思いつつも、まんざら悪い気分ではなく、ぼくは応じた。
「おれは、お前の任用前の試合を思い出すよ」
と、ハボニエ。「ずいぶん無茶なやりかたをする奴だ、と、おれはあのとき思った。ま、その位の元気がなきゃ、うちの隊では務まらんが、まあこれは向う意気の強い奴が来るわいと考えたもんだ」
「悪かったな」
「はじめての上陸非番じゃ、女をめぐってマジェ家の警備隊員と一戦やらかすし」
「あれは、そうじゃないんだ。あの場合――」
ぼくはいいかけたが、ハボニエはにやにやして手を振った。
「いいから、いいから」
ハボニエはいうのだ。「おれは、お前がなかなか血気さかんだ、と、いおうとしているだけさ」
「…………」
「しかし、血気さかんというだけではなく、お前には結構慎重なところもある。それにけじめも持っている」
「ほめているのか?」
「そうさ」
ハボニエは、あっさりと肯定した。「お前は第八隊の隊員として……というより、護衛員としても、また警備隊のどの部門に行っても、優秀だろう。お前は、順調に昇進して行くよ。死にさえしなければね」
「ぼくは、昇進めあてに任務についているんじゃないよ」
ぼくは抗弁した。
「わかっているとも」
と、ハボニエ。「おれはただ、お前がこういう仕事に向いている、と、いっているんだ。こういう仕事というか……組織の中でちゃんとやって行ける人間だ、と、見ている」
「…………」
「もっとも、昇進はしても、お前は人を使う柄じゃないな」
ハボニエは頷いてみせた。「人を使うにはそれ相応の器量というものが不可欠だ。器量なしではいくら人の上に立っても、本当には仕事は出来ん。お前にはまだ、それはないようだ。とはいえ、お前はこれからもっと成長するだろうし、成長すればそういうものを身につけるかもわからん。今のお前は生真面目過ぎるところがあるから……それが自然にほころびてくれば、違って来るだろう。でもまあ、おれは、そうなったお前をあまり見たくないという気もするがね」
「これは、どうも、うがったご託宣《たくせん》だな」
ぼくは、まぜ返そうとした。
「まあ待て。もうちょっと、おれのいうことを聞け」
ハボニエはいう。「しかし反面、お前は組織の外に出ても、それなりに何かをする人間だ、と、おれは思うよ。お前は若いんだし、ひょっとしたら組織の外で、思うぞんぶん働くほうが、いいのかも知れん。思うぞんぶん……そう、昔のおれがやろうとしたが出来なかったような、そんな仕事をやってのけるかも知れない」
「一体、何をいいたいんだ?」
ぼくは、たずねずにはいられなかった。
「おれは、お前を見ていると、若いころの自分を思い出すのさ」
ハボニエは返事をした。「お前にいわせりゃ、それほど年は違わないじゃないか、ということになるだろうが……若さというのは年齢だけの話じゃない。お前には、おれが捨てた、というより、捨てざるを得なかった可能性が残っている……そう思えて、仕方がないんだ」
「…………」
「でもまあ、そのお前にしたって、エレスコブ家というひとつの組織に入ってしまっているんだから、よほどのことがない限り、出られないだろうな。組織のメンバーというのは、拘束でありながら同時に既得権の面も持っている。それは、なかなか捨てられないものだ」
ハボニエは、そこで溜息をついた。「だからこんなことをいったって、仕様がないというものだが……おれには、現在のおのれを賭けて何かあたらしいことに挑戦しようという元気も根気ももうないから……それが可能と思われるお前に、つい、いってしまったわけだ。ま、悪く思うな」
「…………」
「だが……その今のおれだって、あとどの位働けるものか、考えることがあるよ」
ハボニエは、自分にいい聞かせるように呟くのだった。「おれは、現在のおれでまあ良しとしているが、そのおれも、いずれ体力も気力も衰えてくるはずだ。そうなればもはやエレン様のお役にも立たない。そうは、なりたくないものだ」
「よせよ。そんな先の話をしてどうなる?」
ぼくは、やめさせようとした。
「そうなれば、おれに何が残るか」
ハボニエはやめず、声もだんだん沈んで行った。「思い出と……それにおれがずっとつけていた剣、と、いうことになるかもわからん。そして鏡を見れば、老いさらばえたおれがいるんだ」
「ハボニエ!」
ぼくは低く叫んだ。たしかに……今夜のハボニエはおかしかった。
「ふん」
ハボニエは、ひどり笑い、それから顔を挙げた。「そうだよな。そんな先の話をしたって仕方がない。第一、それまで生きながらえるかどうか、怪しいもんだ」
「…………」
「どうせなら、花のあるうちに死にたいものだな」
ハボニエは微笑した。目には再び生気がよみがえっていた。「そうとも。おれの終末ははなぱなしく迎えたい。ぱっと散りたい。そういうことにしよう」
「もう、いい加減にしろよ。縁起でもない」
ぼくはいった。
「そうだな。全く……そうだ」
ハボニエは背中を椅子にもたせかけた。「どうしてこんな話になったのかな」
「酒がないせいじゃないか?」
と、ぼく。
「そうだ。そのせいだ」
ハボニエは頷き、時計を見た。「おや……もうこんな時間か。そろそろ眠らにゃならん」
「あまり変なことを考えずに、さっさと寝たほうがいいと思うよ」
ぼくは忠告した。
「そうしよう」
ハボニエは立ちあがってドアへと歩いて行き……そこで振り返ると、送って来たぼくにいった。
「酒がなかったせいだけじゃないぜ。きっと、このネプトという都市のせいもあったんだ」
「そうだ。そういうことにしよう」
ぼくも、相槌《あいつち》を打った。
ハボニエが出て行ったあと、ぼくは、寝るための着替えにとりかかった。
しかし。
ハボニエとの話が、まだぼくに影響を及ぼしていたのだ。出て行くときにはハボニエは、すっかりいつもの彼に還っていた感じだったが……そしてぼくはいささかほっとしたのだが……さっきの話がまだぼくの頭の中には残り、ぼくの気持ちも、何となく揺れているみたいであった。ハボニエの気分が伝染した感じだったのである。
そういえばぼくは、エレスコブ家に採用されて以来、きわめてめまぐるしく、きびしい日々を送って来た。それを回顧する余裕もろくになかったのだ。
それが……今のハボニエとのやりとりの中に出て来たこともあって、ぼくは、思い出すともなく思い出したのだった。
ファイター訓練専門学校でのイサス・オーノとの公開卒業戦闘のあと、ぼくは初めてエレン・エレスコブと会い、エレンのおめがねにかなって、エレスコブ家に採用された。そのときには、たかが家、それもトップクラスの格ではないエレスコブ家をどこか軽く見ていて、まあ入ってもいい位の気持ちだったのだが……実際にはそんなものではなかったのだ。
ぼくは最初から、警備隊長のモーリス・ウシェスタに圧力をかけられた。警備隊員としての基礎研修を受けはじめると、仲間に白い目を向けられた。ぼくがファイター訓練専門学校の優等生で、護衛員候補だったからである。だからぼくは、実力で他の連中をしのごうと頑張ったし、みんなと打ちとけるように努力もした。その甲斐もあってどうやらぼくは、一応仲間として遇されるようになったのだ。それだけでなく、ヤスバ・ショローンといういい友人も作ることが出来た。
そうして形成されたぼくたちの仲間意識は、だが、ぼくにとって別の不運を招き寄せることになった。研修終了前の先輩相手の試合で、ぼくは中枢ファミリーでありながら当時は警備隊の一級士官になっていたトリントス・トリントと対戦したのである。前に訓練を邪魔されたこともあり、ぼくたちのチームが作為的に不利な判定を受けていたらしいこともあって、ぼくは奮起し、実力では到底勝ちめのないトリントス・トリントを、滅茶苦茶な型破りの作戦で、やっつけるのに成功した。以後、トリントス・トリントは、ぼくを憎んでいるのである。シェーラのこともあった。
基礎研修を受けていた宿舎の世話係のシェーラは、ぼくに好意を持っていたようで、何かと親切にしてくれたし、先輩相手の試合では、ぼくの名を呼んで応援してくれたのだが……任命式の夜、エスパー化したぼくと唇を合わせた翌日には、カイヤントへ帰ってしまった。シェーラの心の中にあったあの空白は、一体何だったのだろう。
それから護衛部。
やっとエレン・エレスコブの護衛員になってからは、それまで以上にきつい毎日であった。精力的に動き廻るエレンを護衛して、パイナン隊長以下の第八隊は、交代で非番を与えられるだけで、任務にあたって来たのである。むろんその間にぼくは、ハボニエという知己を得たし、ハボニエがさっき指摘したように、ミスナー・ケイと称する女をめぐってマジェ家の警備隊員と争ったりした。
それから……。
そう。
カイヤント行きがある。カイヤツの隣りの世界のカイヤントで、エレンとぼくたちはその他のエレスコブ家警備隊と共に、スルーニ市の手前で攻撃を受け、あぶなく死ぬところであった。いや、現実に副隊長格のノザー・マイアンは戦死したのだ。その窮地を救ってくれたのが、デヌイベという不思議な人たちである。デヌイベたちは祈ることによって、敵のレーザーをねじ曲げ、援軍が来るまでの時間を稼いでくれたのだ。デヌイベとは何者なのであろう。かれらは超能力者なのか? 超能力者としても、あんなかたちの超能力が存在するのか? しかも、そのデヌイベたちの中にシェーラがいたとは、どういうわけであろう。
その他にも、ぼくは妙な経験をした。あのミスナー・ケイのおかげでネイト警察官に追われる羽目になったのだが……ミスナー・ケイ(本人が本名でないといっているのだけれども、ぼくにとってはやっぱりミスナー・ケイなのである)は、シェーラの仲間だそうなのである。そのミスナー・ケイは、驚くべき読心力と、何と名づけたらいいかわからぬ超能力を発揮した。
ぼくは自分でそれを見聞きしたのだ。
そして、カイヤツVである。
エレスコブ家が家運を賭けて買った連邦登録定期貨客船。
そのカイヤツVで、エレンに従ってぼくたちはこのネプトに来ている。
カイヤツVといえば……そこに例のミスナー・ケイが従業員として乗っているのは、どういうわけだろう。彼女はカイヤツVではプェリルと呼ばれているのだが……その彼女をエレスコブ家のエスパーばかりからなる特殊警備隊が調べても、念力しか持っていないというのは、なぜだろう? ほかの能力を除去した可能性があるとのことだが……なぜそんな真似をしたのだ? それとも、本当に除去したのか?
それから……。
待て。
数えあげれば、きりがないのだ。いいかえれば、ぼくはそれほど忙しい日々を送って来たことになる。
だが、そういうせわしない毎日のおかげで、ぼくはこれまでのそんな日々を、ゆっくりと振り返ることが出来なかったのだ。
それを……ハボニエが出て行ったあと、ぼくは想起したのである。
何というめまぐるしい生活だったか。
そして、これからもこの調子でつづくのだろうが……。
しかしながら、ハボニエからぼくに伝染したその気分は、ぼくの心を、その段階でとどめてはおかなかったのだ。
ぼくは、それ以前の……エレスコブ家に入るまでの自分を、いつの間にか追っていたのである。
ぼくは、ファイター訓練専門学校での生活を回想した。当時はただもうがむしゃらに勉強し、実技に励んでいたが……今となれば、何と平和な日々だったろう。あのころは具体的に目標が決められていたし、休日には完全に自由だった。わずかな上陸非番しかない現在から考えると、夢みたいである。クラスメートも敵でありながら仲間でもあった。たとえばあのイサス・オーノがそうだ。あいつは腕達者で頭も切れたのだ。今はネプト戦闘興行団にいて(まだ戦闘興行はカイヤツで行なわれているのだろうか? そのへん、多少気がかりである)ぼくに懇切な忠告までしてくれた。公開卒業戦闘でぼくに敗れたイサス・オーノがだ。クラスメートというのは、そうしたものなのであろう。そう……ぼくが学校で時折エスパー化しても、みんなは案外平気であった。ぼくに心の中を読まれても、それほど気にしなかったようだ。ぼくを嫌いな人間は、そのことをかくしだてしなかったし、他の事柄についても、みな率直だったから……それに実社会へ出るとエスパーはたくさんいるので、今のうちに馴れるしかない――という調子だったのだ。
その前の……考えるたびに胸の痛む父母の死。ぼくはいまだにはっきりと、その瞬間感じ取った父母の痛みと驚きをおぼえている。
それに、ぼくたちの、父母とぼくだけの家庭。
しあわせだった、とぼくは思う。そして、そのしあわせが今はないために、よけいにとり返しのつかないもののように感じられ、想起するのが苦痛なのである。
それから、予備技術学校。
エスパー化し、ぼくがそのために不正をしたとの疑惑をかけられて退校になるまで、ぼくは自分でいうのも何だが、よく出来る生徒だった。退校になったときには、学校の無理解を恨んだものだが……別のコースをとって今のような立場になってみると、心残りがあることまでは否定しないが、当時の憎悪は風化し、褪色《たいしょく》しているようである。
――といった、もろもろの事柄が、あとからあとから、とめどなく湧いて来るのであった。
それは、服を着替えてベッドに入ってからもつづいた。
もう、やめなければならない、と、ぼくは思った。
そんな昔のことを、いくら追っても際限がないではないか。
あすのために、しっかり眠っておかなければならぬ。
あすはネプト宙港に向かい、カイヤツVに乗船するのだ。
あす。
と、強引におのれの気持ちをねじ伏せようとして、ぼくは、胸中に連続して生起していたエレスコブ家に入る前のぼくの記憶を押しやり……押しやったことが、にわかにそれ以後の月日をきわ立たせる作用をしたのを、自覚した。
ぼくがそんな、エレスコブ家入りをする前の事柄を思い浮かべていなければ、そんな意識は生じなかったに相違ない。
ぼくは、そのとき、エレスコブ家に入る前の目、入る前の感覚で、その後の自分をみつめたのであった。
すると……今のおのれが、いかにも奇妙で異様に感じられたのである。
ぼくは、エレン・エレスコブの護衛員で、任務のために生命を賭けているが……なぜそんなことに生命を賭けなければならない? なるほど、エレン・エレスコブは美しい、すばらしい女性であるが……その女性を守るためにすべてをなげうつなんて……どこかおかしいのではないか?
また。
ぼくは、エレスコブ家の人間として、エレスコブ家に忠誠を誓っている。けれどもエレスコブ家にそんな値打ちがあるのだろうか? エレスコブ家といったって、ネイト=カイヤツを支える家のひとつで、それも決して超一流の家ではない。そんなエレスコブ家の一員になって忠誠を誓うなんて、自分を粗末にし過ぎではないのか? たしかにエレスコブ家はお前を採用し、外部ファミリーの身分を与えてくれた。護衛員としてしかるべき待遇も受けている。きわめて短期間に中級隊員にしてもくれた。が……外部ファミリーがどうしたというのだ? 内部ファミリーから見れば下っ端の、その他大勢に過ぎないではないか。そんなことで感激していていいのか? 護衛員になったといっても、その代りにたえず生命の危険にさらされているのだ。中級隊員だと? 中級隊員の上には上級隊員があり士官補があり、さらに上に二級士官が、一級士官があるのだ。その一級士官にしてからが、たかが警備隊の隊員ではないか。警備隊の総帥である警備隊長で、やっと内部ファミリーの列に加わるのではないか。それを……中級隊員になってよろこんでいるなんて……どうかしているのではないか?
さらに。
お前は、カイヤツVに乗って、ネプトまで来ている。どうしてこんなことをしなければならないのだ?
わざわざ遠い世界に来て苦労する必要が、どこにあるのだ? それも自分自身のためにではなく、任務のために来ているのだ。それでは、自主性も何も、あったものではない。そうではないのか?
そう。
まだエレスコブ家とは何のかかわりもなかったころのぼくの見方、ぼくの感覚を通すと……そういう風に映り、そういう声が聞えてくるのであった。まだ自分の道を自由に選べた立場のぼくからすれば、今のぼくは色がつき、歪んでいる、ということであろう。
しかし。
ぼくは、そういう意識が、たしかに客観的であり正論でもあるのを認めながら、やはりそれが当事者でない者の無責任ないいがかりであり理屈だけのものであることも、悟っていた。今のぼくの立場からすれば、そんなことをいって済ませてはいられないのだ。それを承知していたから……そうした意識はいっときぼくの心中に大写しになったものの、じきに消えて行ったのである。
だが、それにしても、これはどこか虚をつかれた、異様な気分には違いなかった。
こういうことではいけない。
こういう疑念を抱いて、もしもいざというときにためらいのもとになったら、どうするのだ?
ぼくは、エレスコブ家警備隊の、第八隊所属エレン・エレスコブ付の護衛員イシター・ロウに還元し、心の波をしずめると、目を閉じた。
それから、変な夢を見たのだ。
夢の中で、ぼくは前進を続けていた。何のためにそうしなければならないのか。自分でもわからなかった。前へ進もうとの衝動にとらえられているだけなのである。それも、なるべく速く、出来るだけむこうへ行こうとしているのだ。
が……足は思うようには動かなかった。何かがぼくをうしろから引っ張っているようである。それにぼくはカバンや剣やその他もろもろを身につけているので、歩きにくいことおびただしい。歩きにくい理由はもうひとつあった。足元が泥かやわらかい粘土のようになっていて、一歩ごとに力をこめなければならないからだ。
周囲は暗かった。完全な闇というほどではないにしても、行く手にある建物らしいものの影がいくつか浮かびあがっているばかりで……灰色だった。
しかし、進んでいるうちには、やがてむこうがあかるくなってくるに違いない――という奇妙な信念があった。きっとそうなるはずだと、ぼくはおのれにいい聞かせていたのである。
歩行がはかどらないので、ぼくは持っているものを、ひとつ、またひとつと捨てなければならなかった。おしまいに残ったのは剣である。さすがに剣には未練があったので、それだけは離さずにいた。
気がつくと、歩いているのはぼくだけではなかった。何人もが、ぼくの前後左右にいるようである。暗いので顔はよくわからないものの、それはエレンや第八隊の連中に相違ない。
いつか、ぼくたちは、何かの建物の内部に来ていた。こんな建物の中に入っては、前方があかるくなっても見て取ることが出来ないのではないか――と、ぼくは考え、考えながら、やはり進んでいた。
だしぬけに、上のほうから数条の光線が降りかかって来た。レーザーなのだ。ぼくたちは襲われたのだ。
やられないためには、自分がレーザーよりも強い光になればいいのだ、と、夢の中のぼくは思った。周囲の人々が倒れたのかどうか、よくわからないままに、ぼくは気力を集め……爆発した。おのれが爆発の閃光となり、巨大化したのだ。
そのままで、ぼくは落下していた。自分で作った虚無の中への落下であった。ぼくはもう剣を持っていなかった。服さえ着ていなかった。墜落の感覚に全身を包まれて……だがぼくは不思議に狼狽《ろうばい》はしていなかったのだ。むしろ、なるようになったのだ、といいたげな軽い安堵《あんど》さえおぼえていたのである。落ちて行くうちに、ぼくはまわりの空間があかるくなってくるのを知った。いや……落ちているのではない。上昇しているようでもある。それとも宙に静止しているのか……判断がつかなかった。ともかくぼくの周辺には誰もいず、何も見えないのだ。そのうちに視野に何かが出現するような気もしながら、ぼくはなりゆきにまかせるほかなかったのである。何かが終ったという感じがしきりにしていた。そして、何かがはじまるのだとの意識も自覚していたのだ。
そんな夢だったから、おしまいのころになると、ぼくは、これが夢だと悟りはじめていた。めざめはゆるやかに到来し……ちょうど眠りの一コースを経た気分で、ぼくは目を開いた。眠りに落ちてから、まだ二時間そこそこしか経過していなかった。ぼくはどこか疲れた苦笑のうちに、今の夢を軽く思い返し、再び寝入ったのである。
翌朝。
早い食事をとったぼくたちは、まとめておいた荷物を持って、デミュレニホテルの一階ロビーに降りた。
ロビーには、すでに七、八名の人々が来ていた。ふたりのエレスコブ家内部ファミリーとその護衛たち、それに、トリントス・トリント、ハイトー・ゼスというメンバーである。三日前ネプト市に来着したさい、デミュレニホテルに入ったのは約四十人だったが、そのうちにはこのままネイト=ダンコールにとどまって仕事をつづけ、別の連邦登録定期貨客船でネイト=カイヤツに戻る予定の者もだいぶいるということだったから、ここに全員が集まるわけがないのであった。それに、きょうカイヤツVに乗り込むといっても、もっと遅い時刻になる人間もいるはずで……ぼくたちはいわば先発組であり、先発の人数はそれだけだったということである。
エレンの姿を認めた内部ファミリーやトリントス・トリントたちは、会釈を送り、エレンもそれに応えた。もっとも、これはぼくの気のせいかもわからないが、トリントス・トリントとハイトー・ゼスは、エレンには挨拶したものの、護衛のぼくたちをことさら無視している印象があった。
一行は、すぐに出発した。
といっても、バスとか、特別仕立ての車に乗ったのではない。ホテルへ来たときと同様、地下鉄道でネプト宙港へ向かったのである。このことについて、ぼくは依然としてかすかな違和感をおぼえずにはいられなかった。来着時にも感じたのだけれども、エレンなり、エレスコブ家要人なり、ネイト=カイヤツ政府要人といった人々が、こういう行動形式をとるというのは、ぼくのこれまでの日常感覚では、やはりすぐにはなじみがたい。いや……来着時にはそれほどではなかった、こんなお手軽なことではたしてちゃんと護衛が出来るだろうか、何かおこるのではないか――という危惧《きぐ》の念が、頭の中でちらちらしたのである。
しかし、考えてみれば、これは自分の常識にこだわり過ぎているのかもわからない。ネイト=ダンコールのネプト市というこんなところでは、ネイト=カイヤツなどよりもはるかに公共輸送機関が発達していて、人々は多少の身分差に関係なく、それらを利用するのではあるまいか。へたに他人と差をつけたり格好をつけたりするより、そのほうがずっと便利で、快適だといえるのである。もちろん特別な立場の人間は、厳重に防備した特別な乗りものを使用するのであろうが……前に述ぺたことの繰り返しになるけれども、ここではエレン・エレスコブといえども、それほどの存在ではないのだ。エレン・エレスコブ級の人間は、ここではごろごろしているはずである。それに……それだけ多くの自己の世界だけの要人≠ェここにいるとしたら、そのひとりひとりが目をつけられ狙われる率も低くなるのではあるまいか? すくなくとも計算ではそうなるし、その程度の危険なら、ぼくたち護衛員の力で何とか防げるはずなのだ。というより、はじめからそうとわかっているから、エレンをはじめとする要人の護衛体制も今のかたちで充分とされているのであり、地下鉄道を使うことにもなっているのではないか? 大体が、ホテルを出たそこが地下鉄道の駅だから、そこからまっすぐ宙港へ行けるのだ。このほうが変な車を利用するよりずっと早いし、安全なのかも知れない。上のほうの人たちの思考をつかんでいるわけではなく、ここの事情もよくわからぬぼくなどが、あれこれと思いわずらう必要はないのであろう。――と、考えつつ、しかし、やっぱり不安が完全に消えたとは、いえないのであった。
地下鉄道の列車は、早朝のせいか、来たときよりも、もっと空いていた。
ぼくたちは、車両の隅にかたまってすわった。もちろんそれでも第八隊はエレンを守る配置で……他のメンバーも同様に、である。もっとも、そうはいうものの、護衛員たちは車内の一般客と要人たちの間に入ったわけなので、護衛を持たないトリントス・トリントやハイトー・ゼスをも、結果として防護する格好になった。が……もし何かことがおこれば、護衛員たちは自分らの主人を守るのが第一だから、そのふたりにまで手が回るかどうかは、保証の限りではない。
車内では、要人たちもふたこと、みこと話し合っただけで、あまりお喋りはしなかった。ぼくたちのほうはさらに寡黙で、神経を張りつめているばかりだった。
列車は快調に地下を走行する。
いくつもの駅を経て、やがて、窓の外がまたあかるくなった。
宙港第三九ターミナルのホームに到着したのである。
ぼくたちは一団となってホームに降り立ち、改札口を抜けて、かなり長い階段を登りはじめた。階段をあがり切れば、ネプト来着時に入れられた待合室に通じる広い通路に出るはずである。
だが。
階段をあがりだしたその時分から、ぼくは奇妙な圧迫感を受けていたのだ。
それは、ホテルを出るときからつづいていた何とはない不安の念が、にわかに変質して生れて来たもののようであった。
おかしいぞ、と、ぼくは思った。
ただ……おかしいというのは、変事の予感というそれだけではなく、自分自身の心理状態の表現でもある。ひょっとしたら、何かが突発するのではあるまいか、との気分と同時に、そんな風に神経質になっているぼくをも疑わざるを得なかったのだ。そしてぼくは、これがただの気のせいならばいいが……気のせいだとしたら、どうしてこんな気持ちになるのだろう、自分は平常心を失っているのではないのか――と、おそれたのである。
しかも、一歩また一歩と足を進めて行くうちに、その感覚は強くなるばかりなのだ。
階段には、むろんぼくたち一行だけでなく多くの人間がいた。混雑とまではいえないにしても、さまざまな人たちがのぼりくだりしているのだ。
その中に怪しい者がまじっていて、ぼくはそれを無意識に感知しているのか?
違う。
そうでもなさそうだ。
切迫した感じはさらに増し、次の瞬間、ぼくは、だしぬけにそれが危険を意味しているのを悟った。
上方の……階段のだいぶ先を行っている人々から、敵意が流れて来るのだ。
敵意?
そう。こちらへの害意……存在自体がぼくたちにとって厄介な連中が、たしかにその中に含まれているのだ。
待て。
ということは……。
ぼくは……。
そう思ったとたんに、ぼくは周囲の人々の声を聞いていた。いや、声ではない。意識だ。感性だ。思考もあったようだが、それらが一体となって、どっとぼくの中へ流れ込んで来たのである。
エスパー化?
ぼくは……エスパー化したのか?
こんなときに?
そしてぼくは、自分がエスパー化するや否や、隊長にその旨を告げる義務があるのだった。
エスパーのままで勤務をつづけることは許されないのだ。おのれがエスパー化したら直ちに任務から外れなければならないのだ。
隊長に報告しなければならぬ。
ぼくたちは、ちょうど、ふたつめの踊り場から、次の階段を登りかけていたところであった。
ぼくは、自分の斜め前を行く隊長に近づこうとした。先頭を行くエレスコブ家内部ファミリーとふたりの護衛につづいて、ぼくたちは第二グループを形成していた。もちろんエレンはその中央で、ぼくはエレンの右手に位置していたのである。だから少し足を早め、隊長に声をかけようとしたのだ。
が。
ぼくはさらにその前方、上のほうで何かがこれまでとことなる動きをしたのを、感じ取った。ひとつひとつを分離するのがほとんど不可能のように思える人々のわあっという意識のうちに、鋭くこちらに向けられたものがあるのを、感知したのだ。
目を上に向けた。
ぼくの視野に、何人もの人影があった。かれらの背後の階段の構図が、ぼくと向かい合った。
その構図に重なったのは――あの夢である。ゆうべからけさにかけて見た、あの夢の、どこかの建物の中の風景だった。夢の中で光条が降りかかって来たあれと、同じかたちの構図だったのだ。
それを見て取るのと一緒に、ぼくは、声のない声を聴いた。
階段に人がすくない。今だ!
上方の人影が動いた。
何人かは、そのときにはわからなかった。
だがぼくは、かれらがぼくたちにレーザー光を浴びせて来るであろうことを、ゆうべの夢が予知夢であったことを、信じて疑わなかった。ぼくは反射的に叫んでいた。
「あぶない! よけるんだ」
ぼくの声に、エレンも第八隊の連中も、さらには前方を行っていた要人たちも、即座に反応した。全員がはっと身を低くし、壁ぎわへ寄ったのだ。
ほとんど同時に、上の踊り場から光条が飛んで来た。二本……三本……しかし勘定している余裕はない。ぼくは壁に身をつけて、撃ち返していた。下の踊り場からもう何段もあがって来ていたために、そちらへ走り死角に入るというわけには行かなかったのである。
敵は、上の踊り場の曲り角にいた。どう見てもひとりではない。それが、レーザーを発射して姿をかくすのだ。
階段は混乱していた。悲鳴があがり、ころげ落ちる者や、その場に這いつくばる者や……それに重なって、ぼくはかれらの恐怖と狼狽を感じ取っていた。といっても、その気配を察知し、いやでも入ってくるそれらの意識を受けとるだけで、ぼく自身はそれどころではなかったのだ。
ぼくたちがいっせいに応射すると、敵はさっと引っ込み、こちらの光条がとまると、また撃ってくる。
だが状況はこちらに不利だった。敵は物陰を利して攻撃してくるのに、こっちは階段の途中にいるのである。壁側に身を寄せているといっても、狙い撃ちされればどうしようもない。そうならずに済んでいるのは、こちらが猛烈に応射しているからに過ぎなかった。
「エレン様を守って、下の踊り場へ!」
パイナン隊長が叫んだ。
下の踊り場へ行けば、相手の死角になる。
ぼくはレーザーパルスをやみくもに発射しつつ、エレンの前方へ出た。ぼくだけでなく、他の隊員もそうだった。エレンの盾となって、攻撃しつつ、階段をうしろ足でくだるしかないのだ。
ぼくたちはエレンをうしろにし、後退にかかった。
そうと見て取った敵は、危険を承知ではげしく撃って来た。
そのころには、ぼくは、どうやら敵は四人らしいことを、感じ取っていた。目に映るのとは別に、こっちに向けられる鋭い害意が四つあるのを何となくつかんでいたのである。その中でもことに強力な害意が、想念を伴って、ぼくの頭の中にひびいた。
エレン・エレスコブを殺すのだ! ネイト=カイヤツのためだ!
敵は、エレンを狙っている。
それが、ネイト=カイヤツのためだと思っている。
では……あいつらは、ネイト=カイヤツの人間なのか?
しかしその疑念は、脳裏をかすめたきりである。考えている場合ではない。
ぼくたちはじりじりと後退をつづけ……踊り場に来た。
だが、そこから階段の曲り角まで、走り抜けなければならない。ぼくたちは階段の、大回りのほうの壁面にいたからである。
「行くぞ!」
パイナン隊長がどなり、ぼくたちはエレンを隠すようにして、どっと走った。もちろん上方へ射出をしながらであるが、狙いをつけるゆとりがなかったのは、やむを得ないことであった。
ここぞとばかり、敵は光条をぼくたちに浴びせかけた。
こっちのひとりが倒れた。
そのひとりを残しで、ぼくたちは敵の死角へ駈け込んだ。
だが。
途中で倒れたのは……ハボニエだったのだ。
「ハボニエ!」
ぼくは、走り出ようとした。
「来るな!」
ハボニエは手をあげてどなった。「来るな! 身体をさらせば撃たれるぞ!」
そのハボニエ……踊り場の途中に倒れたハボニエに、敵の光条が集中した。
ハボニエの苦痛と、それに死にものぐるいの闘志を、ぼくは感知した。ハボニエはそれでも苦痛をこらえてレーザーガンを持ちあげ……なおもパルスを発射した。発射は、しかしたちまち終った。次の敵の光条が、ハボニエの頭部をつらぬいたからである。ぼくは、受けとめていた彼の意識が、ふっと消失したのを知った。
死んだのだ。
ハボニエは、死んだのだ。
何も殺す必要のないハボニエを……奴らは殺したのだ。
「やめろ!」
パイナン隊長が、ぼくの耳元でどなっていた。ぼくの腕をしっかりとつかんでいた。
ぼくは、自分でも気がつかないうちに、レーザーガンを構え、敵の見える位置へ走り出ようとしていたのだ。
こんなことがあっていいのか?
ハボニエを殺されて……黙っていうというのか?
「出るな! お前もやられるぞ!」
パイナン隊長が、またわめいた。
隊長に腕をつかまれたまま……ぼくは歯ぎしりした。
あいつら!
あの連中!
ぼくは怒りで頭の中が火のようになっていた。敵が憎いだけであった。
その敵は……上方の踊り場から、階段をくだって来るようである。
いや、たしかにそうなのだ。
四人の敵の、警戒しながら降りて来る心を、ぼくははっきりととらえていたのだ。かれらは落ちついていた。へまをせずに、確実にエレン・エレスコブを殺そうと決意しているのがわかるのだった。その自意識の中に、ぼくはかれらが、われわれは専門の訓練を受けた兵士なのだ、というのがまじっているのまで感じ取ることが出来た。あんな、エレスコブ家の警備隊員の四人や五人殺すのは何でもないのだ、われわれはそんな安っぽいものではない――というのさえ、まじっているのだった。
では……あいつらは、兵士なのか?
兵士が、エレン・エレスコブを狙い、エレスコブ家の警備隊員を殺そうとしているのか?
ぼくの怒りは頂点に達した。
「やめろ」
パイナン隊長が、またささやいた。ぼくはもがいていたのだ。
ぼくは動きをとめ……その怒りを、自分のほうから目では見えないかれらに、思いきり叩きつけた。
叩きつけて、どうなるというつもりもなかった。
ただ、そうせずにはいられなかっただけである。
ぼくは、かれらが衝撃を受けたのを感じた。つづいて、どん、と、音がした。かれらははね飛ばされて、階段にころがったのだ。どたどたんと、かれらの身体がぼくたちの前に落ちて来た。
立ちあがろうとするかれらに、ぼくは憎悪のありったけをぶっつけた。
かれらは後方へひっくり返った。
「エスパーだ!」
ひとりがわめいて、手のレーザーガンをこちらに向けた。
自分でも意識しないうちに、ぼくはそいつのレーザーガンへ、おのれの感情を浴びせかけていた。
そいつの手から、レーザーガンが吹っ飛んだ。
つづいてかれらがとった行動は、ぼくたちの意表をつくものであった。レーザーガンを飛ばされた奴以外の三人も、自分のガンを床に捨て、ゆっくりと立ちあがると見せかけて、どっと、ぼくたちの横をすり抜け、階段を駈けくだったのである。
ぼくたちはレーザーガンを構え、かれらの背中へ向けた。
「撃つな! 他の人に当たるぞ!」
パイナン隊長がどなった。
どなったのも道理だった。そこから下方の階段には、人々がむらがって、こっちを眺めていたのだ。ぼくたちを襲撃した四人は、その人ごみの中へ突入し、人々が反射的に道をあける中へ、たちまちまぎれ込んで行ったのだった。
「あいつら!」
ひとりの隊員が絶叫した。
けれども、そうなればどうしようもない。
ぼくたちは、ハボニエのところへ走り寄った。
ハボニエは……やはり、こと切れていた。
死んだのだ。
信じられないが……そうなのである。
ぼくたちは、ハボニエの遺体をとりかこんでしゃがみ込み、しばらく黙っていた。エレンでさえ、何もいおうとしなかった。
が。
そのぼくたちを、いつの間にか多くの人が取り巻いて、眺めていたのだ。
「任務だ」
パイナン隊長が、感情のない……というより、乾き切った声でいった。「われわれはエレン様を守って待合室へ行き、カイヤツVに乗らなければならぬ」
「…………」
「そのふたりは、ハボニエをかついで行ってやれ」
パイナン隊長は、ぼくと、もうひとりの隊員を指した。「エレン様は、私と、もうひとりでお守りするが……何かあったら、お前たちもハボニエを置いてたたかうのだ」
「私も、手伝います」
エレンがいった。
「いいえ。それでは私どもが、エレン様をお守りしにくくなります」
パイナン隊長は、依然として乾き切った声で……しかし、丁重に答えた。
それから隊長は、襲って来た四人が残して行ったレーザーガンを、布で包んでカバンに入れたのだ。
ぼくともうひとりの隊員は、ハボニエの遺体を両方から支え、パイナン隊長たちやエレンにつづいて歩きだした。
ぼくがみんなの前で超能力を使ったことを……否、エスパー化したのを報告しなかったことについてさえ、パイナン隊長は何もいわなかった。
今はそのときではない、と、判断したのであろう。
それは、ぼくが隊長の心を読めばわかることであった。が……ぼくはそんなつもりにはなれなかったのだ。エスパー化の状態はまだつづいているものの、ぼくはその力を使いたくなかった。それでもいやおうなく、周囲の思念は流れ込んで来るのだが……全体が一緒になった雑然としたがやがやの状態をそのままにして、ぼくはその中から特定のものを取り出すというような真似はしなかった。したくなかった。
しかし。
進みはじめたぼくたちのすぐうしろから、憎々しい、かつ、嘲笑《ちょうしょう》に似た感情が流れて来ると共に、声がかかったのである。
「伺いたいが、超能力者を護衛員の任務につけてよいのかね」
それは、トリントス・トリントだった。
ぼくは、トリントス・トリントたちのことをすっかり忘れていたのだ。
エレンやぼくらのあとから来ていたトリントス・トリントが、ぼくらの戦闘の間、何をしていたのかは知らない。ぼくらを応援して撃っていたかもわからないし、傍観していただけなのかもわからない。でもいずれにせよ現場近くにいたのなら、ぼくが念力を使った場面は目撃したはずである。ぼくがエスパー化し、他人の心が読めるようになったのには気がつかなかったとしても、ああいう念力を見れば、誰かが超能力を使ったことは当然察しがつくわけだ。しかも第八隊の隊員の中でそんなことをする可能性のある人間はぼく――イシター・ロウだという事実を、彼はその地位から見ても、承知しているに違いなかったのだ。
しかし、その口調から推して、トリントス・トリントの質問は、隊長であるヤド・パイナンに向けられたのは、あきらかだった。
パイナン隊長は、すぐには答えなかった。
「トリントス・トリント様が、おたずねになっているのだ」
ハイトー・ゼスだった。
「おっしゃるのは、イシター・ロウのことでしょうか」
パイナン隊長は、やっと返事をした。
「その通り。ほかに誰がいるのかね?」
トリントス・トリントは鼻を鳴らす。
「トリントス・トリント。あなたは――」
エレンが険しい声を出すのを、パイナン隊長は押しとどめた。
「私はまだ、イシター・ロウがエスパー化したとの報告を受けておりません」
パイナン隊長はいった。「かりにエスパー化しているとしても、イシター・ロウは今、護衛員の任務についてはおりません。彼は同僚の遺体を運んでいるだけです」
「そんないいぶんが通ると思うのかね?」
トリントス・トリントは相変らずぼくたちと並んで階段を登りながら、嘲笑するようにいう。
ぼくは、トリントス・トリントの、これでお前たちの弱味をつかんだぞ、といいたげな気分を感じ取っていた。
「そうしたお話は、後刻、カイヤツVに乗ってからにして頂けませんか」
パイナン隊長は、顔色ひとつ変えず、冷静に応じた。「私どもは現在、職務を遂行中であります。職務の妨害をなさってよろしいものでしょうか」
いいかたは静かだったが……ぼくは、隊長の怒りを感知せざるを得なかった。
「よかろう。そういうことなら……よかろう」
トリントス・トリントは呟き、意地の悪い満足感を漂わせつつ、ぼくたちの列から離れて行く。
ぼくたちは、黙々と階段をあがり、広い通路に出た。
待合室に来た。
ぼくたちは、あまり待たされずにカイヤツVに乗船した。ハボニエの遺体は係の者が来て持って行った。葬儀まで船内で冷凍保存するのだそうである。そうした間中、エレンもパイナン隊長も、そしてぼくを含めた他の隊員たちも、必要なとき以外は口をきかなかった。
ぼくは、他の人々の気持ちを感じ取った。ハボニエが死んだというショックもあり、また、もともと読心力を自分でも扱いかねるぼくだったから、こちらから進んで心を読んだりしたのではない。なるべくは感じないように努めていたのだけれども……近くにいる人間の気持ちというのは、どうしても流れ込んで来る。それを防ぐことは出来なかったのだ。だから、感知したといっても漠然としたものであった。
みんなの心には、ハボニエの死への悲哀が漂っていた。それは共通していたけれども、エレンの胸中にはぼくのそんなやりかたではつかめないような複雑な事実も渦を巻いており、パイナン隊長もそれに似たところがあった。隊長はぼくをこれからどうすべきか、どうなるかとの思惑も持っているようだった。そしてふたりの同僚は……ぼくがどんな扱いを受けるであろうとの心配と、同時に濃い疲労感を抱いているようだったのである。
とはいえ、ぼくはそれ以上、みんなの気持ちを知りたくはなかった。ぼくに対する反感やマイナスの気分を読み取りたくはなかったからだ。また、そのあとずっと一緒に暮らしていれば、いやでもそうなるところだったろうが、幸か不幸か、そうはならなかったのである。
第一客区第一層第四室まで帰りつくと、パイナン隊長はぼくたちを、テーブルのある中央の部屋に集めた。エレンもパイナン隊長の横に立ったのだ。
「イシター・ロウ」
隊長に呼ばれて、ぼくは一歩前に進み出た。
「はい」
「お前は、私に申告すべきことはないか?」
パイナン隊長はたずねる。「申告すべき事柄がありながら、何かの都合で遅れているなら、今、申告せよ。何かあるか?」
ぼくには、隊長がエスパー化のことをいっているのだとすぐにわかった。相手の思考からもそれは正しかったし……ぼくは答えた。
「イシター・ロウ中級隊員、エスパー化したことを報告します」
正確には、それはエスパー化というだけではなかった。エスパーとは精神感応者を指す用語で、物体操作者とは別物である。ぼくはエスパーと同時にどうやら物体操作の力も起きあがって来たらしいが……前にもいった通り、世間一般では両者が関連し相伴い易いためにエスパーで通用しているので、その言葉を使ったのである。
「ふむ」
パイナン隊長は、書類を出して来て、記入しはじめた。
それから、さらに問うた。
「それは、さきほどネプトの宙港で何者かに襲撃されたときに、発見したものだな?」
「それは――」
ぼくは、いいよどんだ。
今にして思えば、ぼくは、周囲の人々の思念を読み取るようになったその前から、エスパー化しはじめていたのだ。ホテルを出て地下鉄道に乗ったあのときからの異様な気分、妙な予感は、ぼくがエスパー化しつつあったのを示していたのではあるまいか? いや、もっとさかのぼれば、あの夢……襲撃を予知した夢だって、そうだったのかもわからない。さらにいうなら、そう、昨晩ハボニエが部屋へ来たときの、あの予感めいた気分だって、そのはじまりだったといえるのではあるまいか?
だがパイナン隊長は、それ以上ぼくに何もいわせず、おっかぶせた。
「そうだな? あの襲撃者どもが階段を降りて来たときに、突然エスパー化し、それを私にいう間がないうちに、力を使ったのだな? 今まで申告の機会がなかったのだな?」
ぼくは、隊長がぼくの立場を少しでも良くしようとしてくれているのを知った。
だから、答えた。
「そうであります。一刻も早く申し上げなければならなかったのに、遅れて申しわけありません」
「うむ」
パイナン隊長は頷いた。「そういう事情であったことは、私も認めよう。しかし……エスパー化しながら任務についていたことは事実である。ハボニエの遺体を運んだのは厳密には護衛員としての仕事ではないから別としても、とにかく、エレン様を護衛するためにたたかったのは本当だ」
「…………」
「そして、そういう禁止された行動ではあるものの、エレン様を守ることになったのも疑いない。これも、私から報告しておく」
「本当ですよ」
エレンが、口を開いた。「それに……最初の攻撃のとき、警告してくれたのも、有難いことでした。あの警告がなかったら、わたしたちは、もっと大きな損害を受けていたことでしょう」
「エレン様。それはイシター・ロウがエスパーとしてやったことではありません。あのとき、イシター・ロウは、ふつうの人間として、怪しい行動の者を発見して叫んだのです」
パイナン隊長が、エレンをさえぎっていった。「そうだな? イシター・ロウ。聞違いないな?」
「――はい」
ぼくは、隊長の気持ちを痛いほど感じながら、肯定した、
「よろしい。そういうことなら、はじめの警告の件は、記録しないでおく」
パイナン隊長は、ぼくに目を向けた。「しかしながら、酌量すべき点がいくつかあるにしても、今いった通り、お前が隊規に違反したのは事実である。これは、私ひとりの責任で処理出来る事柄ではない。私は第八隊の隊長として、警備隊長殿にこのことを報告し、警備隊長殿の裁断を仰ぐことになろう。それが定めだ」
「…………」
「それから、これはお前にいっておいたほうがいいと思うが、場合によってはトリントス・トリント様の、目撃者としての告発があるかも知れぬ。そのときは、警備隊内部だけの問題ではなくなり、厄介なことになる可能性がある」
「…………」
「もっとも、これはあくまでも、そういうことがあったとしての話だが」
隊長はいったが……多分そうなるのではないかと危惧《きぐ》しているのが、ぼくには感じられた。
ぼく自身の判断がらしても、トリントス・トリントはそうするのではないか、としか思えなかった。
「とにかく、こうしてお前が申告し、お前に隊規違反があった以上、お前をこれ以上勤務につけるわけには行かない」
隊長はいう。「私はこのことを船内の保安部に告げ、お前を裁断の出るまで拘禁してもらうよう、申請しなければならぬ」
「…………」
ぼくは頭を垂れた。ある程度の覚悟はしていたが、拘禁されるとまでは考えていなかったのだ。
「以上で……よろしいでしょうか」
パイナン隊長は、エレンに伺いを立てる。
「仕方がありません」
エレンは応じた。「わたしは自分の護衛について要求を出すことは出来ても、護衛部や警備隊のありかたに直接干渉することは許されていないのです」
「――残念です」
「わたしも、残念に思います」
そうしたやりとりのあと、パイナン隊長は保安部に連絡した。
「十分もすれば、保安部員がやって来るそうだ」
パイナン隊長は、ぼくに向き直った。「かれらが来る前に、何か私に話しておくことはないか? いや、これは報告としてではなく、個人的意見としてでも構わん」
「ひとつあります」
ぼくはいった。
「何だ?」
「襲撃して来た連中のことですが」
ぼくは喋りだした。やはり、いっておくべきだと思ったからだ。「ぼくが感知……いえ、根拠はあえて申し上げませんが、かれらはネイト=カイヤツの人間で、エレン様を狙っていたと信じられるふしがあります」
「ふむ。それで?」
「かれらはまた、兵士だったようでもあります」
「兵士?」
パイナン隊長は眉をひそめた。「となると……それに、このネプトにいるとなると……カイヤツ軍団に属する者だということか?」
「そこまでは、しかとはわかりませんが……申しあげたいのは、それだけです」
「あり得ることです」
エレンがいった。「カイヤツ軍団の中には、エレスコブ家に反感を持ち、エレスコブ家を忌避している人たちも多いはずです。そういう連中の過激分子かも知れません。あのレーザーガンを調べたら、何かわかるのではありませんか?」
「そうかも知れません。でも……おそらくは無駄ではないかと存じます」
パイナン隊長が答えた。「あの四丁のレーザーガンは、むろん保安部に渡して調べてもらうつもりですが……カイヤツ軍団の制式銃ではないようです。量産された普及品で、ネイト=ダンコールでは誰でも入手出来るものではないでしょうか」
「指紋などは……? 採れないのですか?」
エレンが問う。
「それは可能かもわかりません。かれらが肉質手袋をしていたのでなければ」
と、パイナン隊長。「しかし、かりに指紋が採取出来たとしても……あまり意味はないと存じます。カイヤツ軍団は、ネイト常備軍でもネイト警察でもない私的な家からの照合依頼などは拒否するでしょうし、まして、ネイト=ダンコールに照会しても、ネイト=カイヤツ政府を通じて正式に申し入れてくれというでしょう。結局は、どうにもならないのではないでしょうか。一応、手続きはとってみますが」
「――そうかも知れませんね」
エレンは小さな溜息をついた。
会話はそこで打ち切りとなった。パイナン隊長はぼくに、自室へ行って身の廻りの品をまとめろと指示し、ぼくは従った。馴れた作業なので、時間はかからなかった。
間もなく保安部員がふたりやって来て、ぼくを第四室から連れ出した。剣の携行は許されなかった。
ぼくが連れて行かれたのは、客区ではなく乗務員区であった。その乗務員区に入るのはむろん初めてである。その乗務員区の階段を下へ下へとくだって、細い通路の奥の、その一室へぼくは送り込まれた。
小さな部屋であった。かたちばかりの洗面所と排便のための設備があり、あとの床の半分以上をベッドが占めている。装飾らしいものは何もなく、壁もむき出しの金属板であった。独房と表現したほうがいいかも知れない。こうした部屋が当初から人を監禁するために作られているのか、それとも本来の乗務員(といっても、決して上級の乗務員ではないであろう)のためのものなのを、臨時にぼくのために転用したのか、ぼくには何とも判断がつかなかった。
「拘禁ということだから、ドアに錠はかけておくが、何か用があったらドアの横のボタンを押して、ここの係員を呼んでほしい。ドアの窓ごしに話をしたらいいし、食事のさいにはドアを開く。あなたは囚人ではないのだからね」
ぼくを連れて来た保安部員は、そういった。持って来た品々も別に調べられたり取り上げられたりはしなかった。つまりは、行動の自由は制限されるけれども、室内にいる限り何をするのも勝手ということなのだ。ぼくがここで放歌高吟したり、自殺をしたりすれば……いや、保安部員たちはそんなことを考えもしていないようだったし、ぼく自身、そんなつもりもない。
そんな真似をして損をするのはぼく自身なのだ。ぼくはいやしくも中級警備隊員であり、自分の立場や身分にはまだ未練がある。保安部員にはそのことがよくわかっているようであった。
このことは、ぼくの気分をだいぶ楽にした。
保安部員たちが去って行くと、ぼくはベッドに腰をおろし、あらためて今度のことを考え直してみた。
ホテルを出て自分が妙に不安にとらえられだしたあのとき、ぼくは、おのれがエスパー化しそうなことを、いち早く隊長に報告すべきだったのだろうか? だが……あれだけでエスパー化がはじまるとは、ぼく自身にも到底思えなかった。あの程度の不安や危惧感は、ときどき経験して来たのだ。経験したものの、ほとんどは何もなしに終るのがつねだったのである。
では……地下鉄道の駅を出て階段をあがりはじめたあのときの、あの圧迫感はどうであろう。しかしそれでもまだぼくは、おかしいとは感じたものの、まだそうとは思い及ばなかったのだ。ぼくは長い間エスパー化していなかったようであり、そのために、これが精神感応だとの確信を持てなかったのである。
ぼくが、自分のエスパー化を知ったのは、階段の上方からの敵意を感じ取り、人々の意識の大波をかぶった瞬間なのであった。そのときにはっきりとぼくは、そうなったのを悟ったのである。
そして、ぼくは直ちにその旨を隊長に報告しようとした。
が……出来なかった。その後の事態の進展があまりに急速だったからだ。そんなひまはなかった。ぼくはまず応戦しなければならなかったのである。あんな状況下で、隊長に報告するなんて、不可能だ。また、報告したとて何になろう。隊長はぼくに任務から離脱せよと叫んだだろうか。叫んだところで、ぼくにはどうしようもなかったに違いない。何もせずにあの場に突っ立っていたら、たちまち殺されていたに相違ない。ぼくはレーザー光を射出しつづけるしかなかった。
そして、ハボニエが殺され、奴らが階段を降りて来たとき……あそこで報告している余裕があっただろうか。ありはしなかった。あいつらはあと何秒かで、ぼくたちのいる場所へ光条を集中射出していたであろう。しかもその瞬間まで、ぼくは自分に念力も起きあがって来たことを知らなかったのだ。
また……ハボニエの身体をとりかこんだあの場面では、ぼくにはそんな心のゆとりはなかった。それどころではなかったのだ。それから……パイナン隊長の命に従って動きだした折に、トリントス・トリントに声をかけられたのである。
つまり……ぼくには、エスパー化の報告をする機会がなかったのだ。
どう考えても、そうではないか?
だとすれば……ぼくの立場は、ある程度了解してもらえるかもわからない。パイナン隊長は、警備隊長――モーリス・ウシェスタにぼくのことを報告し裁断を仰ぐといったが……モーリス・ウシェスタにも、わかってもらえるのではあるまいか?
ただ、気になるのは……トリントス・トリントだった。
トリントス・トリントが第八隊、なかんずくぼくに悪感情を持っているであろうことは、たしかである。
そのトリントス・トリントが、告発するかも知れぬと隊長はいった。そうなれば厄介なことになる可能性があるともいったのだ。
そうかもわからない。
わからないが……。
待て。
ぼくは苦笑し、顔を挙げた。
ぼくが自分のこれからの運命をどう考えようと……今のように楽観的に考えようと、悲観的に想像しようと……ぼく自身にはどうすることも出来ないのだ。ぼくは裁断待ちの身で、すべてはなりゆきまかせなのである。結果がどう出るのか、その時点になってみないとわからないのだ。
へたに思いめぐらしたって、仕方がないのだ。
黙ってどうなるかを待つしかないのだろうな――と、ぼくは口の中で呟いた。その言葉を何となく、この場にはいないハボニエにいった気味もある。
ハボニエなら、どう答えるだろう。
――と、そこまで想念を追って来て、ばくは、そのハボニエがいなくなったのだという事実に直面していた。
それまでは、ぼくはぼく自身の事柄を思い返すのに急で、しかもそれらを、単なる事象としてよみがえらせていたのだ。そこには感情は伴っていなかった。事実の連続があるばかりであった。ぼくはどうやら、感情抜きでそれらを考えようとしていたらしい。またそうしなければ耐えられないのを、無意識に悟っていたから、そんな思考法をとっていたのに違いない。それをハボニエにいえば、ハボニエが意見を述べるだろうとの感覚にさえなっていたのである。
だが。
そのハボニエは、もういないのだ。
ハボニエが死んだのは事実である。
しかし、ハボニエがもういないというのはぼくの中において、全く別のことであった。ハボニエという存在、あの性格、あのもののいいかたをする男が永久に失われたというのは……死んだという事実とは全くの別物であった。それは事実ではなく、現実なのであった。
不意に、ぼくを感情の嵐が包み込んだ。ぼくは頭をかかえ、ハボニエがいなくなったというそのことを、友人としての意識で実感し、歯を食いしばった。ハボニエを殺した連中への怒りがまた殺到し……そのひとりぼっちの灼熱《しゃくねつ》の興奮が少し、少しずつ引いて行くと、あとには虚無感が残った。それは悲哀の色を帯びてはいたが、悲哀よりはぽっかりと空洞が出来た感じのほうが、はるかに強かったのだ。
ぼくは宙をみつめ、ずいぶん長くぼんやりしていた。目にかすみがかかったようになったので指先で拭うと、濡れていた。涙は頬にもつたわっていたようで、ぼくは今度はてのひらでそれを払った。それから両腕を両方のももに載せ、頭を垂れて、またじっとしていた。何だかひどく……疲れていた。
が。
やがてぼくは深呼吸をし……ふと、ひとつのことに思い至ったのだ。
そういえば、きょうかあすか、ハボニエの葬儀が行なわれるはずなのである。
その葬儀に、ぼくは出席出来るのだろうか?
このまま、ここに閉じ込められて、葬儀を見ることも許されないのだろうか?
ぼくは、保安部員が教えてくれたドアの横のボタンを押そうとした。係員を呼んで、そのことを問おうと思ったのである。
しかし……ぼくはやめた。
ぼくは拘禁中なのである。
原則として、外へは出られないはずなのだ。
もしも、それでも葬儀に参列させてもらえるのなら、むこうからそのことをいって来るであろう。
それを、ばたばたしたって仕様がない、と、考えたのであった。
ぼくは、ベッドに仰向けになった。
少しは、眠ったようである。
気がつくと、誰かがドアをノックしていた。
ぼくは、起きあがり、ドアのところへ行った。
ドアの上部の窓をあける。
食べものの匂いが流れて来た。
それと共に、ぼくは、無感動におのれの義務をはたすあの気分を、感じ取ったのである。
「食事を持って来ました」
と、男の声がした。「ドアを開きます。よろしいですか?」
「ああ」
ぼくは返事をした。
次にぼくが感知したのは、おそれの感情であった。部屋の中にいる人間があばれるのではないだろうか、自分に危害を加えるのではないだろうか――という思念である。外の男がそう考えているのだった。
「どうぞ」
ぼくは、なるべくやわらかく、またいった。
ドアが開いた。
何の階級章もついていない乗務員の制服を着た、ぼくよりもだいぶ若い青年が、食事を載せた盆を手に、立っていた。それをためらいがちに差し出すのだ。
ぼくを受けとり、ドアを閉じた。外から施錠の音が聞えて来た。
食事の盆を、ほかに置くところがないのでベッドに置いたとき、ぼくは、それまで否応なしに受けていた若い乗務員のテレパシーがすっと弱くなり、存在を感知するのもむつかしくなったのに気がついた。ドアの外を遠ざかってゆくだけにしては、あまりにも急激な減衰だ。
目をやると、つい今しがたぼくが開いたドアの上部の小窓が、閉ざされている。内側からでも外からでも開閉出来る小窓だから……若い乗務員がしめたようだ。
ということは、その小窓は、テレパシーを遮蔽する材料で出来ているか、でなくてもそうした材料を組み込んでいるのだろう。そういえば、ぼくがその小窓をあけたとたんに、食べものの匂いと彼の気分が流れ込んで来たのだ。もっとも……テレパシーをさえぎる材料は何種類かあるそうで、中にはテレパシー以外の超能力をも遮断する高級材があるとも聞いていたが(それが実際にどの程度の効果があるのか……そうした材料自体にたとえば念力による破壊力がぶつけられたらどうなるのか……さっぱりわからないけれども)いずれにせよその方面のくわしい知識を持たないぼくには、その小窓に何という材料が使われているのかとなると、見当のつけようもなかった。
そのかすかな若い乗務員のテレパシーも消失したのは、彼が通路をかなたへ行ってしまったからに相違ない。
考えてみると、この部屋に入れられて以来、ぼくが他人の心を感知したのは、彼が初めてであった。いや……弱い思念、あるいは思念まがいのものはあったかも知れないが、ちゃんと受けとめた、または受けとめざるを得なかったのは、これが最初である。となれば……ぼくは自分のうかつさに、つい苦笑してしまった。つまりそれは、テレパシー遮蔽材はドア上部の小窓ばかりではなく、ドアそのものにも、さらに部屋をとりまく壁面にも使用されているのを意味しているのだ。だから小窓を開いたときにだけ、外の人間のテレパシーがわかるので……小窓を閉じていてもドアとのわずかな隙間から、かすかに流れ込んでくるというわけではあるまいか? ここはそういう風に作られているのだ。
といって、この部屋が純粋に監禁用として作られているときめつけるのは早計かもわからない、と、ぼくは思った。それはそういう可能性も大きいものの、考えてみれば、カイヤツVには特殊警備部員のほかにも、超能力者が乗っているであろうし、これから乗ることになるかも知れないのだ。各室、でなくても多くの部屋にこのような設備があっても、ちっともおかしくないとはいえないだろうか? そう……エスパー化していなかったからたしかめられなかったし、エスパー化以後もそんなゆとりがなかったのでたしかめることは出来なかったけれども、エレンのいるあの部屋だってひょっとしたら、そうした材料で超能力から遮断されているとしても、不思議はないのである。
しかし、ぼくはこうした思念を、とりあえず中断することにした。ぼくの前には盆に載った食事があり、その匂いが、ぼくが空腹であることを思い出させたのである。
食事は、どうやら規格品らしく、ぼくたち護衛員がこれまで護衛員として支給されていたもの以上でもなく、以下でもなかった。ただ量は比較的すくないが……こんな部屋に閉じ込められている人間は、どうしても運動不足になるだろうから、これで適量というわけなのだろうか。
ぼくはいつもの習慣で、時間を節約するために急いで食べはじめ、途中で、その時間はいやというほどあるのを想起して、スピードをゆるめた。ゆっくりと噛みしめているうちに、何だか自分が間の抜けた存在のような気がしてきた。
そんな調子でも、当り前のことだが、やがて食べるものはなくなってしまう。ぼくは空になった食器を重ね、その盆を床の隅に置くと、ベッドに仰向けになった。
すると、さっきまでの思考が、また動きはじめたのだ。
この部屋にテレパシー遮蔽材が使われているとしても、ドアの上部の小窓を自由に開閉出来るのなら、それほどの意義はないのではないか? 小窓を開けさえすれば、内外お互いの心を読み取れるわけなのだ。そんなことはわかっているが形式として、テレパシー遮蔽材を使用しているのか? それが定めなのか? それとも……小窓は、やろうとすれば外から閉じてしまうことが出来るのを、今はどちらからでも開閉自由にしているだけなのだろうか? もしもそうなら、ぼくは拘禁されているといっても、ここへぼくを連れて来た保安部員の言のように、囚人としてではなく、もっとゆるやかな処遇を受けているとの解釈も成立する。
それに……ぼくはそこで、こうした想像や推測からでなく、現実的な事柄に思い至ったのだ。この部屋に使用されている、あるいは組み込まれている材料が、テレパシーのみならず他の超能力をも遮断しているとしても、小窓さえあければ、どうにでもなるではないか――と、気づいたのである。物体操作の能力を以てすれば、錠を外しドアを開くのは簡単なのだ。ぼくにうまくそれがやれるか否かは、ぼく自身にも不明だったが、ネプト宙港の階段での光景を見ていた者なら、ぼくがそのとき物体操作力を行使したのを知っているはずで……ぼくにその能力が備わっているのを当然信じているであろう。そして、保安部員たちもそのことは聞いているに違いない。それなのにぼくをこんな場所に入れておくのは……それほどきびしい拘禁をするつもりはないのではないか? かつ、ぼくがそんな真似をして脱走するなどとは予想もしていない――その証拠ではないだろうか?
むろん、ぼくは、たとえ可能だとしてもここから逃げ出す気はなかった。逃げても所詮は船内のことだから、いずれはつかまるだろうが……ぼくはまだまだ自尊心と誇りを持っていた。逃げたりするのはおのれの非を認めることになるだけだ、と、考えていたのである。
が……それはそうとしても、このことは、ぼくにあらためて多少の希望を抱かせた。ぼくがそれほど厳重に監視され警戒されているのではないのは、今後の自分の立場がそう悪いものではないことを暗示しているように思えたのだ。
ぼくはそこで、やや明るい気分になり、別の、どちらかといえばとりとめのない方向へと、想念を移し、それからまた連想される事柄へと、気持ちを流して行った。とにかく、時間はいくらでもあるのだ。こういう、何もしない空白というのは、久し振りのことであった。
そんな状態で、どの位経っただろうか。
ぼくの想いは、一度、あの若い乗務員が食器と盆を取りに来たために、断ち切られた。ぼくは開かれたドアの間からそれを差し出し、若い乗務員は受け取った。彼の感情ははじめのときよりは、いくらか安心しているようであったが……まだやはり警戒心とおそれは残っていた。
あと、ぼくはまたもや漠然と想念を追いはじめた。それらがどうにもまとまりのつかないきれぎれのものの連続だったのは、ぼくが疲れ切っていたせいであり、眠気が再び到来していたせいであろう。
事実、ぼくは間もなく、眠りに落ちて行った。
だが、ぼくがそうした希望を持ったのは、どうやら早とちりだったようである。すくなくとも事態は、こちらが考えたほど楽観的なものではなさそうだということを、翌日になってぼくは思い知らされたのだ。
拘禁された次の日の午後(といっても、ぼくには、腕の時計が時間を知る唯一の手がかりだった)ぼくをこの部屋に連れて来た保安部員のひとりがやって来て、ドア上部の小窓こしに、具合はどうかとたずねた。何か欲しいものがあれば規則に触れない範囲でなら持って来よう、ともいったのだ。その保安部員の心中には、ぼくに対して、気の毒といいたげな、また、運の悪い奴だとでもいいたげな情念が漂っているのを、ぼくは読み取った。ぼくは、今のところ不自由はしていない、もちろん満足だとはいわないけれども、まあこの程度の扱いなら文句をいう筋合いはないと答えた。それから……相手のやわらかな態度と同情的な心情に少し気が楽になって、質問してみたのである。
「同じ隊のハボニエ・イルクサの葬儀はいつ行なわれるのですか? ぼくは、参列出来ないのですか?」
むろん訊きたいことは一杯あった。ぼく自身がこのあとどうなるのか、とか、第八隊はどうしているのか、とか……、いくつもあったけれども、当面、もっとも知りたかったのはそのことだったのだ。
そして、たずね終るか終らないうちに、ぼくは相手の感情が揺れ、ああそうだったのだとの気分がひろがるのを感じ取っていた。
「ハボニエ・イルクサの葬儀は、昨夜おそく執行された」
と、保安部員はいったのだ。
ぼくは、相手の言葉と同時に、その言葉を喋ろうとする相手の意志や気持ちを受けとめていた。だから……余計にその重みがこたえたのである。
「――そんな」
と、ぼくは絶句した。
では……もうハボニエの葬儀は終ってしまったというのか? ぼくにはハボニエに別れを告げる機会さえ、与えられなかったというのか? それが最後の機会だったというのに……。
「式にはエレン様はじめ、重要な人々が参列して……盛大だったよ」
保安部員は、こんなことをいっても慰めにはならないだろうな、という思念も並行させつつ、そういってくれた。
相手の気持ちは有難かったが、当然ながらそんなことは、ぼくの慰めにはならなかった。なるほどエレスコブ家の警備隊員、エレン・エレスコブ護衛員としてのハボニエの葬儀は立派だったかもわからないが……ぼくはぼくの友人であるハボニエ(本当は、あったと表現すべきなのであろう。だがぼくの心の中ではハボニエは依然として友人のままなのだ)に、ぼく自身が別れを告げたかったのだ。その機会は、永久に失われてしまったのである。
ぼくは、全身の力が脱落する思いであった。
ひどい話だ。
それに……それじゃなぜ、誰もその前にぼくにそのことを知らせてくれなかったのだろう。
ぼくは今やのけ者に過ぎないのか?
「どうしてでしょう」
ぼくは、襲いかかってくる疎外感に耐え、何とか気力を奮い起こしながら、保安部員に問うた。「どうして……第八隊の誰かが、あらかじめそのことを、ぼくに教えてくれなかったんでしょう」
相手の心が、それまでよりも複雑になるのを、ぼくは感知した。
「出来なかったんだよ」
と、保安部員は答えた。
「出来なかった?」
ぼくは反問した。
反問などせずとも、相手の心を読めばいいではないか――という人も、いるかも知れない。
だが、エスパー化することに馴れておらず、エスパーとしての訓練を受けていないも同然のぼくには、相手の心がちょっと複雑になり揺れるだけで、読み取りづらくなるのである。ぼくはエスパーとしても、その程度のものなのであった。だから、相手が思考を整え言葉を発するのを待つほうが、その意を正確につかむことになるのであった。
「あなたの件については、いずれ査問会が開かれるようだ」
保安部員はいう。「査問会までは、関係者があなたと直接会うことは、禁じられている。口裏を合わせるのを防止するための措置としてね」
そういうことだったのか。
しかし。
「査問会、ですか」
ぼくはさらにたずねた。「それは、いつ行なわれるんですか? どういうものなんですか?」
「知らない。くわしいことは、私も何も聞いていない」
保安部員は返事をした。実際に、ぼくに話した以上のことは、何も耳にしていないようであった。
保安部員が去って行ったあと、ぼくはなおもそのまま、ドアに片手をついて立ちつくしていた。
ハボニエの葬儀は……すでに終った? ぼくには参列は許されなかった……。
これでいいのか?
こんなことがあっていいのか?
ふとぼくはそのとき、ハボニエの声を聞いたような気がしたのだ。
「ま……大体、なりゆきなんて、そんなものさ。仕方がない」
それはいうまでもなく、ぼくの錯覚であった。ハボニエが生きていたら口にしたかも知れないせりふを……葬儀に参加出来なかったぼくを、彼ならそんな風に慰めたかも知れないいいかたを……ぼくは自分自身を納得させるために、思い切るために、おのれの中で幻聴を作りあげたのに違いない。そして、その存在しない声が、かえってぼくの喪失感を強めたのである。
ぼくは力のない足どりでベッドに歩み寄り、腰をかけた。
そうなのか。
済んでしまったのか.
無念であった。もはや、ただの心の空洞というより、いくらか色づけされた感情もまじっていた。こんな目に遭わなければならないなんて、それはそれ相応の理由があるにしても、やはり理不尽ではないか、という気分も生じていたのだ。
けれども、いつまでも同じ感覚を持ちつづけていることは出来なかった。気分というのは、いつか、本人も意識しないうちに薄らぎ、変質して行くものである。そしてぼくには、考えなければいけないことが、ほかにもたくさんあるのだった。というより、そっちへ思考を転じれば、しばらくはハボニエやその葬儀のことを思わなくても済むそんな感じもあって、ぼくはそっちへと、おのれの想念を移動させて行った。
査問会とは……何をするのだろう?
そこでぼくは、どうなるのだろう?
査問というからには、あのときの事情聴取があり、いろんな人々が証言もするのであろうが……保安部員は、いずれ開かれるといっただけであった。いずれというのは、あすかあさってなのだろうか? それとももっと先の、ひょっとしたらカイヤツVが次の寄港地へ到着したあとなのだろうか? カイヤツVの次の寄港地がどこなのか、ぼくはまだ正式には教えられていなかった。噂ではネイト=ダンランとネイト=バトワの版図にはさまれたネイト=スパだということである。ネイト=ダンラン、ネイト=バトワは、それぞれネプトーダ連邦のうちでは第二位、第三位にランクされる先進大ネイトであるが、ネイト=スパは連邦末端かそれに近い弱小ネイトで……もしも今度の行く先がネイト=スパだったら、ネイト=ダンコールよりはずっとぼくたちになじみやすい、はっきりいえば少々は優越感をおぼえることもあり得るのではないかと、ぼくも思い、ハボニエもそれに近いことをいったのだが……(ここでぼくは思考がまたハボニエに戻って行きそうになったので、無理矢理そのことは頭から消した)とにかくそのうち査問会が開かれるとして、ぼくはそこで直ちに裁断の結果を告げられるのだろうか?
いや、そうではあるまい。査問は査問で、そののちに裁断が下されるのであろう。その結果
――。
待て。
ぼくは例によって、いくら考えたって仕様のない、どうせいやでもはっきりする事柄を、あれこれとせんさくしていたようである。こんなことをやっていても、不毛なのだ。何の役にも立ちはしない。役に立たないどころか、無用の期待や不安を抱いてしまうおそれがある。現にぼくは前日、おのれの立場を楽観視し、それが保安部員のハボニエの葬儀はすでに終りぼくは参列を許されなかったということで、意気|銷沈《しょうちん》し、どこか恨みがましい心理にさえなっているではないか。
どうせ考えるのなら……それも、どんなにしても役に立たないことしか考えられないのなら……もうちょっと別のことにしたほうがいい。
そういえば、エレンと第八隊はどうなっているのだろう。エレンは相変らず忙しく活動しているのであろうか。きっとそうに違いない。が、護衛が今のままでも、大丈夫なのだろうか? 現在の第八隊はハボニエが死にぼくが抜けて、パイナン隊長以下三名になってしまっている。それで護衛に万全を期せるのだろうか。期せないとしたら、エレンの活動も鈍らざるを得ないのではあるまいか? それとも隊員の補充をしたのだろうか。カイヤツVというこんな限られた中で、補充なんて出来るのだろうか。大体が、第八隊……エレン・エレスコブの護衛員は、エレンのおめがねにかなった人間でなければならないのだ。にわかに補充するなんて、とても出来ないのである。
そしてまた――。
が……そのうちにぼくは、こうして想念を弄《もてあそ》ぶことが、ひどく疲れるのを悟りはじめていた。ろくに考える余裕もなく緊張しているときには、休息はまぎれもない休息であり、そのときのいろんな思考や連想は、いわばちょっとした愉悦であったけれども、今のように無為に時を過さなければならない身では、考えごとの中に妙に隙間風が入ってくるようでもあり、形容は変だが何だか熱に浮かされたようでもあり、しかもしばしば、同じことを何度も繰り返しているために、神経がおかしなくたびれかたをするようであった。
こんなことではいけない。
これは……ぼくが身体をろくに使いもしないで、ただ考えごとに耽《ふけ》っているからなのかもわからない。
ぼくはベッドから立ちあがり、床に手をついて腕立て伏せを開始した。十回、二十回……三十回……五十回……百回と腕を屈伸させているうちに、思考がいささかは麻痺《まひ》し、汗も出て来た。
荒い息をつきながらぼくはベッドに横たわって休み、それから洗面所で顔を洗い、水を飲んだりもした。
不思議なもので、あと、しばらくは気持ちが楽であった。
そうしたうちにも、一日が、また一日が過ぎて行く。
ぼくはときには放心状態になったり、眠ったり、自分の身体をいじめるようにして鍛練したり、また、空しいことがわかっているのに、やっぱりとりとめもなく想念を追ったりしながら、その時間の流れの中にあった。
あれ以来、保安部員は一度も姿を見せなかった。それはそれで自然のなりゆきだったのだろう。保安部員とすれば、一応ぼくの様子を見届けておけば、それでよかったのに違いない。ぼくは用があればいつでもドアの横のボタンを押してこの部屋の担当の係員(例の若い乗務員だ)を呼ぶことが出来たし、必要とあれば係員にいって、保安部員に来てもらうことも可能だったから……何度も足を運ぶ必要はないということだったのかも知れない。が……それだけでなく、保安部員はぼくに教えてはならない知識や事情を得てしまったために、それをぼくに感知されては困るので、来なかったということだって考えられる。そしてどのみち、ぼくは決してそのボタンを押そうとしなかった。係員なり保安部員なりに無用の手間をかけては悪いとの配慮があったのは事実だが、ぼく自身、そんな何か物乞いか頼みごとをするような真似はしたくないと、どこか意地になり、やせがまんを張っていた気味がある。
若い乗務員のほうは、きちんきちんと食事を運び、ぼくが食べ終ったころに食器と盆をさげにやって来た。掃除道具を持って来たこともある。ぼくはその道具で部屋を掃除し、用が済むと、次に彼が現われたときに返却したのだ。彼は相変らず無愛想だったけれども、ぼくが別にあばれもせずどなりつけもせずきまりをちゃんと守っているので、警戒心をといたようである。
どちらかといえば好意に似た感情を持つようになってきたのが、ぼくにはわかった。
それにしても、こうした生活が、ぼくには無柳《ぶりょう》でしのぎがたいものであるのは、たしかであった。ぼくは段々と、本来あまりうれしくはないはずの査問会を、まだなのかまだなのかと待ち受ける心理状態になって行った。
あれは……たしか、拘禁されて五日めであった。
昼の食事のあと、三十分ほどしてから三人の保安部員が来て、これから査問会が開かれると告げたのである。三人のうちふたりは、ぼくを部屋に連れて来た人間で、もうひとりは初めて見る顔であった。が、そのあたらしい人物は階級章からいってもさきのふたりより上で、指揮もその人間がとった。
部屋を出されたぼくは、先に進む指揮者と後方のふたりにはさまれるかたちで、通路を進んで行った。三人とも抜いてこそいないものの、腰に大きめの麻酔短銃を吊っている。船内でうかつにレーザーやふつうの短銃を使えば船体に損傷をきたしたり、金属板をかすめた銃弾が跳ね廻ったりするおそれがあるので、そうした麻酔銃かでなければ剣しか携行を許されない。船の外へ出るとなってはじめてレーザーなり短銃なりをつけるのであるが(もっともそれは規則であり建前で、何かトラブルがおこったさいに、不心得者がレーザーや短銃を使用した、あるいは使用しかけたとの話を、ぼくは聞いたことがあった。そうしたものは別段取りあげられたりまとめて保管されたりしているのではなく、各自の責任で管理するわけだから、あとさきを考えない馬鹿がそんなことをする余地があったということだろう。といって、レーザーや短銃のすべてを船であずかり必要があるたびに出し入れするとなると、手間と人数がかかって仕方がないだろうから……やむを得ないのかも知れない)その麻酔銃でも威力は充分である。頭部に麻酔弾を撃ち込めば、相手を即死させるのだ。だから、そうして三人に前後を固められては、とても逃亡などは出来ない。ただし、これは状況として説明しているだけのことである。ぼくには逃亡の意志など、これっぽっちもなかった。ぼくは頭をしゃんと挙げて、歩きつづけたのだ。
しかし、この前はぼく自身が混乱し動顛《どうてん》もしていたのでそれどころではなかったけれども、今回は行くほどに、前後の保安部員や、すれ違う乗務員たちのテレパシーに悩まされることになった。エスパー化はしたものの、それからさほど時間を経ないうちに、ぼくはテレパシーの届かぬ部屋に拘禁され、あとはほとんど他人の思念や感情と切り離されていたのである。ために、エスパー化してから何日にもなるのに、まだそのことに馴れていなかったのだ。ずっと前にはなるほど何度もエスパー化し、その能力がかなりの間持続した経験があるけれども、その当時の感覚は忘れ果てているのも同然であった。かりにちゃんと記憶していたとしても、そういうときのぼくはきまって、おのれの能力をもてあまし、困惑するのがつねだったのだから、とても参考にはならないのである。
ぼくの前後の保安部員たちは、保安部員らしく使命感を持ち、緊張していた。ただ、これは明確にそうだとはいえないが、かれらの心中には、ぼくがこれからかなり厄介な立場に追い込まれるであろうとの予感めいたものがあるようだった。予感というより予測と称すべきかもわからない。さらに、その予感めいたものが、何かはっきりした根拠にもとついているのか、それともこうした場合の一般的観測としてそんな念を抱いているのかとなると……ぼくにはそこまで整理して見透すだけの力はなかった。
行き交う乗務員たちの気持ちは、まちまちであった。ぼくたちを一瞥したきり、全くの無関心で他のことを考えている者……ああ保安部員が何かの用で警備隊員を連行しているのだな、何があったのだろう――との軽い好奇心を持つ者……また保安部員が横行してやがる、と、反感を抱いた者……中には、自分もああした保安部員とか警備隊員なら、もう少し羽振りがいいのにな、と、羨望をおぼえる者もいたようだ。しかし、総じてかれらのそういう思念は短い間のものであり、おおかたはすぐに自分の仕事のほうへと考えを戻すのがふつうであった。これは何といってもここが乗務員区だったせいであろう。
が。
それらの人々の中から、ぼくはふと、鋭い思念を感じ取ったのだ。歩行している何でもない乗務員から放たれたそれは、ぼくにまっすぐ向けられていた。そして、ぼくがそのことに気づくや否や、思念はたちまち濁り、からみ合い、ぼくには何のことやら感知出来ない複雑で異様なものになって……ぼくとすれ違い、ぼくの反対方向へと、去って行ったのである。
今のは、エスパーだ、と、ぼくは直感した。それも、乗務員の服装をしながら他人の心にさぐりを入れるというのは……おそらく、特殊警備隊員に相違ない。そうとしか考えられなかった。特殊警備隊員だからこそ、ぼくが感知しさぐり返す前にぼくのことを読み取り、それからぼくに心を覗《のぞ》かれないように、意識的に感性や思念を読心不能のパターンにしたのではあるまいか。
そうだとすれば、これまでぼんやりとしか考えていなかったけれども、カイヤツVの中は、たしかに特殊警備隊の網の目が張りめぐらされているのであろう。これはエスパー化しなければわからなかったことであるが……正直なところ、あまりいい気分にはなれなかった。
保安部員たちはぼくをともなって、客区との通り口の前を通過し、階段をさらに上へと登って行く。
その階段をあがり切ると、小さな扉があった。船内の構造には不案内で、まして初めてやって来た場所なのだから、ぼくには責任を以て断言するというわけにはいかないが、そのあたりは、どうも乗務員区と客区の間であり、両方から出入り出来るのではないかという気がした。
先頭の保安部員は、扉の前に立ち、指紋錠に指を押しつけた。
錠の上のランプがともる。
「イシター・ロウを連れてまいりました」
先頭の保安部員が叫ぶようにいうと、扉が内側へ開かれた。
内部にいた保安部員があけたのである。
「入りなさい」
先頭の保安部員にいわれて、ぼくは中へ踏み込んだ。保安部員たちもついて来た。
思ったよりも天井の高い、かなり大きな部屋であった。
ぼくたちが入ったのは、その部屋の片側の、端にある扉からである。
ぼくから見て左手の奥が上席のようで、高いテーブルがひとつ、据えられていた。テーブルに向かう格好で椅子が何列か、並んでいる。その両側にはテーブルと長椅子の群をはさむようにして、席が作られているのだ。これはいってみれば傍聴席のようであった。
ぼくは、長椅子の列の、一番うしろの席にすわらされた。ぼくの右側に、先頭を進んで来た保安部員が、左側にあとのふたりが着席した。
ぼくは、見るともなく、査問会場であるはずのその部屋を見廻した。おかしなことに、部屋にいるのはぼくたちと、それに、今しがた扉を開いた者も含めて、十名ばかりの保安部員が、背後の壁際に佇立《ちょりつ》しているばかりなのだ。
いや、それだけではない。
上席の高いテーブルのその真下に、ふたりの人間がすわっていたのだ。なぜか顔をマスクでおおい、ひっそりと着座していたのである。まるで周囲と溶け込んだようで、あまりにも目立たないから気がつかなかったのだが……そこから、突然強い思念が到来したのではっとわかったのであった。
あのふたりは……エスパーなのだろうか? エスパーとすれば……特殊警備隊員なのだろうか?
〈その通り〉
はっきりした思念が、ぼくを刺した。感情というものがなく、それゆえに、ぼくのような超能力の未訓練者にも鮮烈にわかるテレパシーであった。
まるでそのふたりは、ぼくが来るまでおのれの思考を抑制していて、ぼくが着席し周囲を見渡したときに、ぼくの注意を喚起するためにテレパシーを送って来たようなのだ。
そしてぼくは、そのふたりから、ぼくの推測を肯定する思念が流れて来たのを、感知した。
けれども、そこまでであった。かれらはそのあと、先刻通路で出会った乗務員の服装の人間がそうしたように、思考を濁らせからみ合わせ、何やら得体の知れぬものにしてしまったのである。それが、ひょっとすると特殊警備隊の連中の、他のエスパーに心を読まれないようにするための、防御用の思考なのかも知れなかった。
ともあれ……ここにそんな人間がふたりもいるということは――と、ぼくは考え、ひやりとしたものをおぼえた。そうなるとこの査問会では、嘘をついてもことごとく見破られてしまうのである。もちろんあのふたりは、その目的のために、ここへ呼ばれているのであろう。そして、ぼくもまたエスパーであり、かれらがエスパーであることを即座に知るであろうから、顔を覚えられないようにマスク――仮面という語のほうが合いそうな、大きなマスクをつけているのだ。カイヤツVの中でのみならず、特殊警備隊員は、誰が特殊警備隊員かなるべく知られないようにしなければならないからである。
――といった、ぼくの思考に対して、かれらは今度は何の思念も送ってはよこさなかった。さぐろうとしても、依然としてわけのわからぬ意識がそこにあるばかりなのだ。そんな状態になっているかれらが、その間はぼくの思考を読み取り得ないのか、それともむこうからはぼくのことはお見通しなのか……何もわからなかった。
そのとき。
ぼくと保安部員たちが入って来たのと反対側の壁に、ぽっとあかりがともった。ぼくたちが通ったのと対称の位置にも扉があったのだ。その点では、この部屋が乗務員区と客区の間にあるというぼくの推測は的中していたのかも知れない。ぼくの背後の壁際に立っていた保安部員たちが走って行って、その扉を引き開けた。
入って来たのは、一級士官の服装をした男である。その男は、だがすぐには中へ進もうとせず、次に来る者を待つ姿勢になった。
つづいて姿を見せたのは……パイナン隊長と二名の隊員に守られたエレン・エレスコブであった。
エレンと第八隊のメンバー。
ぼくは、声をあげたい位であった。ずっとみんなと隔離されていて……何日ぶりかでその姿を見たのである。が……エレンもパイナンたちも、ぼくのほうに目をやろうともしなかったのは……やはり、これから行なわれる査問会の前に、そんなことをしては不利だというわけだったのであろうか。ぼくはそう判断し、どうやら自分の平静さを保つのに成功した。
エレンが上席から見て左手の、ぼくから右にあたる傍聴席の上座に着席し、パイナンたちがそのうしろに立つのを待って、一級士官の服の男は、上席の高いテーブルの前に来た。
けれども、入って来たのは、それだけではない。
次に扉を抜けて来たのは……トリントス・トリントと、ハイトー・ゼスだったのだ。ふたりはエレンに軽い会釈をし、エレンと同じ側の傍聴席の、その下座のほうに席を占めた。
それから、あと何人かの男女が入って来た。みなぼくの知らない人たちで、かれらの大半は、エレンとは反対の側の傍聴席に着座したのだ。
気がつくと、マスクをしたあのふたりはいつの間にか自分たちの前に小さなテーブルを持って来ており、筆記の道具や書類、それに録音機器などを、そのテーブルの上に置いていた。かれらが書記の仕事もするらしいのである。
「よろしいですか?」
一級士官の服の男が、エレンのほうへ頭を下げて伺いを立て、エレンは頷いた。
「どうぞ」
一級士官の服の男は、正面、つまりぼくのほうへ向き直った。
「では、ただ今から、警備隊中級隊員、一般警備隊護衛部、第八隊勤務イシター・ロウの隊規違反に関する査問を開始する」
一級士官の服の男はいいだした。「なお、本査問は、本来警備隊長の立ち合いのもとに、警備隊長が指名した士官が座長となって行なわれるのが通例であるが、今回は航行中の連邦登録定期貨客船内で緊急に行なわれなければならぬという特殊条件下にあるため、警備隊長の立ち合いは不可能であり、査問会の内容を警備隊長に送付して裁断を待つ形式となること、さらにこの座長には事件と無関係の正規の警備隊士官がなることが望ましいのであるが、現在本船に搭乗中の士官の中では、内部ファミリーであるが一級士官の籍をも有する私、イスナット・ノウセンが最上位であるため、私が座長を務めることを、了解されたい」
その言葉を聞いて、ぼくが軽い失望をおぼえたのは否めない。
座長の一級士官は、内部ファミリーだというのか?
内部ファミリーの士官なんて、本当の警備隊士官ではない、というのが、ぼくの感覚であった。エレスコブ家の警備隊員は、本来、隊長のモーリス・ウシェスタただひとりが内部ファミリーで、あとはすべて外部ファミリーなのである。警備隊員というものを、エレスコブ家がどう位置づけているか、このことがよく示しているといっていい。いや、聞くところによれば、エレスコブ家だけでなく、他の家々でも、警備隊員の立場というのはおおむねそんなところらしいが……そのことで逆に警備隊員たちは、家の中では決して高い地位にいるわけではないけれども、その安全を確保しているのはわれわれなのだ――との自負を抱いているのだ。いってみれば優遇されていないことをばねとして、仲間意識を作り結束する、というかたちが出来ているのである。そのことに、どこか暗いひがみっぽいものが生じて来るとの見方は出来るだろうし、ぼく自身もそれは自覚していたが(ただしぼくや第八隊の連中のように、エレン・エレスコブといった重要人物、それもみんなに敬愛されている人物を護衛する者には、そのことを上廻る誇りもあった)現実に、そんな連帯感は存在しているのだ。これは、ぼくひとりの思い込みではないと信じる。そういう警備隊の中に、元来は別に警備隊員などにならなくてもいい上位の人々が、鍛錬や訓練あるいは見習いの名目で、一時的に警備隊に籍を置くというのは……何となく異質のものが入って来る感じなのである。内部ファミリーの人間にはそういう特権があるのだからやむを得ないけれども、そしてぼくは、かれらが名目はともあれ、ひま潰しや格好のいい制服を着たいためやら、下っ端の警備隊員に威張り散らせるから、警備隊の士官になるのだ、という蔭口に全面的に賛同するわけではないけれども……どうもかれらと生死を共にしようという気にはなれなかった。内部ファミリーが警備隊に籍を置く場合はつねに士官になるのが相場であり、それもほんのしばらく二級士官をやってから一級士官に任じられ、適当なときが来たら抜けて行き、エレスコブ家の相当の地位につくわけだが、だから当然ながらかれらは本物の℃m官たちが年月をかけて体得した指揮能力や判断力を持っていないのがふつうである。そうしたものは、片手間に身につくものではないからだ。指揮能力や判断力はもとより、しばしば戦技においても信望においても、士官とは到底呼べない者も多かった。ぼくはそう思う。それはまあ、トリントス・トリントのように、剣や銃を扱わせたらおそるべき腕を持っている者もいたし、話によればかつてエレスコブ家の当主にきわめて近い血筋の少年が士官として警備隊にいたときは、隊員たちのアイドル的存在になったということだ。しかし……一、二の特徴や特質があったとしても、全体としての能力、全体としてのバランスに欠けていては、すくなくとも実践の指揮をゆだねることは出来ない。エレスコブ家にもそれはわかっていると見えて、そういう内部ファミリーの一時的な士官は、命令系統の中に組み込まず、強い権限や重い責任のあるポストには就かせないようにしていた。そんな風にしていてもなおかつ、たとえばトリントス・トリントのように、正規隊員になるための訓練を受けている人々の中へ割り込んで、勝手にピストルの練習をやってみたりすることは、ずっと前に述べた通りである。内部ファミリーの士官とは、そうしたものなのだ。ぼくはそういう感覚を抱いていたのだ。
だが。
実情がたとえそうであっても、エレスコブ家によって任命されている以上、士官は士官に相違ない。今度のこの査問会のように、事件と無関係の士官のうち最上位にある者が座長になるというのなら……序列として、内部ファミリーの士官が座長になることも、あり得るのだ。いや、現実にそうなっているのである。
そういう、内部ファミリーの士官には、おそらくぼくたちの心情は、本当には理解出来ないのではあるまいか? いってみればよそものの士官には、ぼくらの気持ちをくみ取ることなど、無理なのではあるまいか? かりに彼が公正にやろうとしても、杓子定規《しゃくしじょうぎ》にことを運ぶだけで、ぼくには不利ななりゆきに落ち込んで行くのではあるまいか?
偏見かも知れない。
これは、ぼくの偏見かもわからない。
しかし、そのおそれは充分にあるのだ。
それゆえの、軽い失望なのであった。
けれども……ぼくはそこで、こうして自分の心理が、座長の席の真下に着座しているふたりの男、特殊警備隊のエスパーたちにすべて読み取られているのだ、ということに気がつき、いやな気分になって……だがこれでは、いよいよ具合が悪いのではあるまいかと思い直し、心を平静に戻すように努めたのだ。
その間に、座長――イスナット・ノウセンと名乗った内部ファミリーの一級士官は、また喋りだしていた。
「本件はもともと、イシター・ロウがエスパー化しながら勤務をつづけ、エスパー化よりもずっと遅れた時点で、所属隊長のヤド・パイナンに申告したものである。ヤド・パイナンは、イシター・ロウの申告後事情聴取を行ない、申告は遅れたものの、当時の現場のなりゆきから見て、遅延は不可抗力であったと判断し、その所見を添えて報告書を提出した。この場合、通常は報告書は警備隊本部に送られ、警備隊長の裁断によって処理されるところであった」
イスナット・ノウセンは、ほとんど無機的につづける。「しかし、この第八隊長ヤド・パイナンの報告には重大な事実誤認があるとの告発があり、その告発が正しければイシター・ロウの隊規違反は警備隊内部の問題にはとどまらぬ重大なものとなる。その場合には本件は保安委員会による裁定が行なわれなければならない。よって、その告発の当否を判断するために、本査問会が開かれたものである」
落ち込んでいたぼくの気持ちは、これでさらに暗くなった。
ヤド・パイナンの報告に、事実誤認があるとされた?
ヤド・パイナンの報告書を、ぼくは読んだわけではない。
けれどもその内容は、ほぼ察しがついた。パイナン隊長が第一層第四室でぼくたちを集め、ぼくに申告を求めた――あのときのやりとりの線で、報告が行なわれたと考えるべきである。
だからその内容は――。
が。
ぼくは、思考をとっさに転換した。
あのときのやりとりを想起するのは、例のふたりの特殊警備隊員にそのまま読んでくれというようなものだ。もっとも……ぼくがそんな避けかたをしたところで、ベテランのエスパーである特殊警備隊員たちは、ぼくの意識の表面にまで浮かびあがっていないその内容をも、読み取ってしまったかも知れない。高度のエスパーなら、その位、何でもないことかもわからないのだ。しかし……そうでないかも知れぬ。どっちにせよ、馬鹿みたいにあのときの記憶をよみがえらせることはなかった。だから、思考を、別のほうへ切り換えたのだ。
別のほう。
ヤド・パイナンの報告に、事実誤認があると告発した者がいる?
告発したのは……トリントス・トリントに違いない。
直感だった。
けれども、ただの直感だ。
実際にそうなのかどうか……ぼくは反射的に、座長のイスナット・ノウセンのほうへ思念を向けた。自分でもよくわからぬうちに、ぼくは、おのれの中に起きあがって来た(そしてそのために厄介なことになっている)超能力に少しずつ馴れ、その力を使おうとしはじめていたようである。それはむろん、まだまだ拙劣《せつれつ》で、指向性もろくに定まらず、分離度も低いものであって、超能力を使うことに習熟した連中から見れば、幼児か赤ん坊のようなものだったろうが……ともかく、パイナン隊長の報告にけちをつけたのは誰か、自分でもほとんど気がつかぬうちに、イスナット・ノウセンの意識の中から探り出そうとしていたのだ。
そのとたん、ぼくは、頭の中にばっと赤い網のようなものがひろがるのをおぼえた。赤いというよりは緑だったろうか……網というのも当たってはいず、模様のついた膜と表現したほうがいいかも知れない。それが、だしぬけにぼくの思考におおいかぶさったのであった。ものを考え、見たり聞いたりするのまでは妨げないにしろ……そう……他人の思考を読み取るのは、全く不可能になってしまったのだ。
何だ?
何だ? これは。
惑乱が、次の瞬問、解答に達した。
これは、妨害なのだ。
ぼくの読心力を、撹乱《かくらん》しさえぎろうとしているのだ。
あの連中。
座長のテーブルの下にいる、あの特殊警備隊員がやっているのではあるまいか? こんなことがあり得るとは……エスパーにこんなことが出来るとは、ぼくは知らなかった。誰にでも出来ることではないのかもわからないし、どういうやりかたでやっているのかも不明だが、それしか考えられなかった。ふたりの特殊警備隊員が一緒になってやっているのか、ひとりがそうしているのか、それも見当がつかないけれども、これが、ぼく自身におきた異変でなく、外力でなされているとしたら、それ以外に理由はみつからないのだ。
狼狽したぼくは、気力を取り戻し、何をという感情も手伝って、そのわけのわからぬ障壁を、精神統一で打ち破り、イスナット・ノウセンの意識へ到達しようとした。出来なかった。ぼくの力では、無理なのだった。
いや。
イスナット・ノウセンのみならず、べったりとぼくの頭に張りついたそのからみ合った膜は、ぼくの読心力をどこへ向けようとしても、許さなかったのだ。
汚い、と、ぼくは思った。
こんなやりかたで、あいつらは、ぼくが知りたいことを知ろうとするのを、妨げようというのか?
だが、ぼくの意思集中に対して、その膜は執拗《しつよう》に存在し……ぼくは諦めた。
ぼくは、読心力ではなく、自分の目を、ふたりの特殊警備隊員に向けた。
かれらは平然として、筆記をつづけ録音機器を操作している。マスクをつけているからその表情はわからないにせよ、その動作にも、いささかの乱れもないのだ。
ぼくの手に負える相手ではなさそうであった。
しかし。
ぼくはそこでふと、意識のわき道に入ったのだ。
あのふたり……マスクをしているから顔がわからないと考えたが……透視力を持つ人間なら、素顔を見るのは簡単なのではあるまいか? マスクなどしていたって、そうした者の前には無意味である。それなのに……と考えてから、ぼくは悟った。
あのマスクは、そういう、超能力者相手のためにしているのではないのだ。相手が超能力者なら、いくら素顔や身分をかくそうとしても、(そこに特別な、きわめて高度な技術や能力による隠蔽法があるというのなら、話は別だが)たちまち、でなくてもそのうちに、何らかの方法で見抜かれるに違いない。となると……あれは、ふつうの人間相手の措置なのだ。あの連中は、あそこにああしてすわり仕事をしているだけでは、そして事情をよく知らぬ連中にとっては、ただの書記としか映らないであろう。だが、かれらが特殊警備隊員であるというのは、知る人は知っており、また、こういう査問会の席であそこに着席するのは特殊警備隊員だということも、関係者には自明のことかも知れない。のみならず、ここにいる誰か、たとえばぼくが、そいつらはエスパーで特殊警備隊員だと一声わめいたらどうなる? あのふたりがマスクをしていなければ、素顔と特殊警備隊員ということを結びつけられ、それが他の人々にも伝わって、以後、特殊警備隊員として勤務するのは、ひどくむつかしくなるであろう。あの男はエスパーで特殊警備隊員だ、と指さされていては、どうにもならないはずだからである。だから、あのマスクは、ふつうの人々に対する防護策なのだ、とやっとぼくは気がついたのであった。
と……こんな風に述べたててくると、査問会そのものが、ひどく間の抜けたのんびりしたもののように聞えるかも知れないが……こうしたぼくの意識や思考の転換、奇妙な妨害と想念と推測――といった事柄は、ほんのまたたくうちのことであった。ぼくは事態のなりゆきと共にがっかりし、驚き、かっとなり、かつ納得していたものの、ぼく自身はおのれの今後の運命についてきわめて敏感になっており、ほんのちょっとした兆候からも、そこから将来の予測の手がかりをつかめないかと神経を鋭くしていたので、頭の回転はいつもよりも異常に速くなり、どこか薄刃の回転翼のようになっていた気味がある。だから、こういった思考は連続して、ほとんど寸秒のうちにぼくの頭の中を走り去ったといえる。査問会そのものは、ちゃんとつづいて……座長のイスナット・ノウセンが、書類をテーブルにひろげるのが、ぼくの目に映った。
「ここに、イシター・ロウの直属隊長ヤド・パイナンの、本件に関する報告書の写しがある」
イスナット・ノウセンは報告書の、書式に従った前段の部分を省略して、読みはじめた。
その内容は、大略、ぼくが想像した通りである。
パイナン隊長の報告は、ぼくたちが第一客区第一層第四室まで帰りつき、ぼくが隊長にエスパー化を申告したところからはじまっていた。隊長はその時、分を明記し、ぼくから事情を聴取し、ぼくのエスパー化が実は申告の以前におこったことを知った――としるしたのち、ネプト宙港第三九ターミナルの階段で発生した襲撃事件をしるしていたのだ。
階段をあがる途中、上方から怪しい者が攻撃をしかけ、エレンと第八隊は光条の雨に襲われたこと。
エレンと第八隊は、階段の途中で立ち往生になったこと。
ついで隊長が命を下し、第八隊はエレンを庇護《ひご》しつつ下の踊り場へ移ったこと。移動中隊員
のひとり(ハボニエ・イルクサ)が撃たれて倒れ、次の集中射撃で絶命したこと。なおそのさい、イシター・ロウ、つまりぼくが外へ飛び出し襲撃しようとするのを、力ずくでとめたこと。
敵が上方から降りて来て、全面的な撃ち合いになる寸前、敵である四名が見えぬ手ではね飛ばされたようになって階段をころがり落ちて、こちらの手前で立ちあがろうとしたものの、ひとりの手からレーザーガンが吹っ飛んだこと。
残りの敵は武器を捨て、降伏するような仕草を行なったが、それは擬態で、階下へと群衆にまぎれ込んで逃走したこと。
敵が階段をころげ落ち、あるいはその手からレーザーが吹っ飛ばされたのは、超能力によるものだと思料され、その力を行使したのは、現場の情況及び事後にイシター・ロウ自身が申告し弁明したところから考えて、エスパー化したイシター・ロウと推定される、ということ。
――と、簡潔な文章でつづったあと、隊長自身の所見がつけ加えられていた。所見というのは、イシター・ロウは仲間のハボニエ・イルクサが射殺されたことによってはげしい衝動にかられ、そのためエスパー化したものと思われる。しかしエスパー化をその場で申告している余裕がないままに、自衛のために超能力を行使したものであって、それがいたずらに超能力を行使したのではない証拠に、逃げて行く敵に対しては何もしなかった、ともあったのだ。(実のところ、かれらの背後から超能力で打撃を与えるというような真似は、ぼくには考えつくゆとりはなかったし、やれといわれても出来なかっただろう。ぼくの力でへたなことをすれば、群衆にも被害を及ぼしたはずだからだ)
イスナット・ノウセンがそうしてパイナン隊長の報告書を読みあげている間、ぼくはそれを聞きながら、おのれの頭脳にかかった網あるいは膜が、弱まり消えそうになるのを感知していた。だが、だからといってぼくが他の人々の思考、なかんずく座長のイスナット・ノウセンの心に注意を向けるや否や、それはたちまち復活し、強力で強制的な妨害となるのであった。特殊警備隊員たちは、どうやら疑いもなく、ぼくの意識そのものを監視しているらしかった。
「以上が、イシター・ロウの直属隊長ヤド・パイナンの報告である」
イスナット・ノウセンは読み終わると、ゆっくりと顔を挙げた。「事実がこの報告の通りであるとすれば、イシター・ロウはエスパー化したものの、事態が急であったために申告する機会がなく、やむを得ないなりゆきで隊規を犯す結果になったのであり、この場合は、さきにも言及した通り、警備隊内の処分にとどまるはずであった。しかし、これもすでに述べたように、この報告に対して、事実誤認があるとの告発があった。告発を行なったのは、内部ファミリーのトリントス・トリント氏である」
「…………」
やはりそうだったか、と、ぼくは思った。
だが、それにしても、このイスナット・ノウセンは、どうしてトリントス・トリントに氏をつけるのだ? ぼくには当然だろうがパイナン隊長も呼び捨てにしていながら、トリントス・トリントにそんないいかたをするのは……トリントが内部ファミリーだからなのか? イスナット・ノウセン自身と同じ内部ファミリーだから、氏をつけるというわけなのか? 何にせよ、あまりいい感じではなかった。
「トリントス・トリント氏は、この告発を内部ファミリーのみの出席の会議で、口頭で行なった」
と、イスナット・ノウセン。「その発言は当然記録され文書化されている。従ってその文書を朗読することも出来るが……朗読でよろしいか。それともあらためて口頭でやりますか?」
トリントス・トリントが、立ちあがった。
「自分で話したい」
「では、どうぞ。そこの席に着きなさい」
イスナット・ノウセンが、ぼくが最後尾の段にすわっている長椅子の群の、その一番前を指した。
トリントス・トリントは席を離れ、ゆっくりと歩いて来た。胸を張って落ち着いて足を運び、ぼくのずっと前の中央のところに腰をおろした。ぼくには一顧だにくれなかった。
そしてぼくは、そういうトリントの意識や感情を無意識のうちにつかもうとし、即座にあの妨害の網が強くなったのを感じた。
だからぼくには、トリントの背中と頭が見えるだけで、思考どころか、その表情もわからなかった。聞えるのは、声ばかりだった。
「では、トリントス・トリント氏に伺います」
イスナット・ノウセンが口を開く。「あなたは第八隊長ヤド・パイナンの報告に重大な事実誤認があると告発しました。そのことに間違いはありませんね?」
「ない」
トリントス・トリントは答えた。「私は事実誤認か、しからずんば虚偽の記述があるとして告発したいところであるが、報告者の名誉を考えて、事実誤認としたのである」
この言に、室内は多少どよめいた。なかでも……ぼくが目をやると、パイナン隊長や第八隊の連中は怒りの表情でトリントをみつめ、エレンはエレンで、嫌悪の情を眉をひそめることで示していた。
「なるほど。で、報告の何を事実誤認となさるのか?」
と、イスナット・ノウセン。
「イシター・ロウのエスパー化の時刻だ」
トリントス・トーリントは応じた。「イシター・ロウは、その所属隊長によってエスパー化したとされる時点よりずっと以前に、エスパー化していた」
「その証拠は?」
「私は、そのとき、精神波感知機を携行していた」
トリントス・トリントはいったのだ。「私が精神波感知機を携行していた理由は、くどくどと述べるには当たるまい。ネプトはどんな危険があるか知れず、それは超能力者によってもたらされるものであるかもわからなかった。だから私は精神波感知機を持ち歩き、折につけて見るようにしていたのだ。その感知機が、エレン殿及び第八隊、その他の人々とネプト宙港行きの地下鉄道に乗ったときにわずかではあるが、作動し、作動したままになった」
「…………」
「私はそれが、誰の精神波なのかわからなかった。携帯用の小さな感知機では、近くに超能力者がいることはわかっても、誰がそうなのかは特定出来ない。地下鉄道に乗っているネプトの人のものかも知れないので、用心だけをしていた」
トリントス・トリントはつづける。「しかし、ターミナルのホームに着いたころには感知機の目盛りはかなり上になっていた。階段をあがるときには、はっきりと、近くに超能力者がいるのを示していた。私は同行のハイトー・ゼスにそれを見せた。それこそ、イシター・ロウがエスパー化したのを告げていたのである」
「つづけなさい」
「だがもちろん、そうはなってもまだ私には、イシター・ロウがその本人だとは、断言できなかった。他に超能力者がいたとしてもおかしくはないからだ。が、……第八隊がエレン殿を守って階段を上がっていく途中で敵に襲われたとき、報告書には触れられていないが、警告の声をあげた隊員があった。敵を察知したのである。叫んだのはイシター・ロウだ。私が聞いたのだ。そのとき、私の判断では、階段の上には何らの具体的な脅威もなかった。もしも危険を感知できるとしたら、それはエスパーだけだ。しかも、その後超能力を行使したのがイシター・ロウであることは、本人が認めたと所属隊長がしるしている」
「…………」
「つまり、イシター・ロウは、自己がエスパー化した旨を所属隊長に申告するに、充分な時間を持っていたはずである。報告書にあるように四名の敵が階段を降りて来た瞬間にではなく、もっと以前からエスパー化しているにもかかわらず、申告しなかった、と考えるのだ」
「わかりました」
「それからこれは、告発とは直接かかわりはないが、報告書にはしるされていないことがもうひとつあって……事件のあと第八隊長はエスパー化したイシター・ロウに作業を命じている」
トリントス・トリントはどこか気味の悪い調子で補足した。「その時点で第八隊長は、隊員の誰かが超能力を行使したらしいことは知っていたが、イシター・ロウだと断定出来なかったし、イシター・ロウがエスパー化申告もしていなかったので、ふだんの通りしたのであろう。しかし第八隊長は、イシター・ロウが不定期エスパーであり、部下の誰かが超能力を示せば、それはイシター・ロウであろうということを熟知していたはずである。もっとも、命じた作業は厳密には護衛員としての任務ではなく、同僚の遺体を運ぶということだったから、隊規に違反したことにはなるまい。なるまいが、きわどいところであり、しかもこの件を階段での警告のことと同様報告書に記載しなかったという事実を、ここで指摘しておきたい。以上である」
「ご苦労でした。席へお戻りなさい」
イスナット・ノウセンがいい、トリントス・トリントは立って、座長とエレンのほうへ一礼すると、自分の席へと帰っていく。
ぼくは身じろぎもせず、すわっていた。いや、負け惜しみになるかも知れないが、打ちのめされて動こうにも動けなかったのではなく……すくなくとも、気力をふりしぼって、自分の姿勢を正し、頑張ろうとしていたのだ。が……打撃を受けたのは、たしかであった。
トリントス・トリントが、精神波感知機を携行していたなどと……ぼくは考えもしなかったのだ。
ぼくはいろんな意味で、甘かったのかも知れない。
ぼくは、エレスコブ家の警備隊員という身分に馴れ、不満は持ちつつも、別の面ではこれでいいのかもわからない、などと思っていたところがある。警備隊員であるからには、そう簡単に警備隊からおっぽり出されはしないだろう、ちゃんと仕事をしている以上は、隊のほうもそれなりに面倒を見てくれるのではあるまいか――といった感じを、いつの間にか抱いていたようだ。そう……多少立場が危くなっても、隊長のパイナンがうまくかばってくれた。いつもそんなものだ、という気を、知らず知らずのうちに持っていたのではないか? トリントス・トリントににらまれていて、それを厄介なことだ、困ったことがおこるのではあるまいか、と、心配しながらも、心の隅のどこかでは、楽観していたのではなかろうか。だから、今度のこの事件でも、自分としては、どこか、これははずみであり、うるさいことになったとしても、結局はうまく行くのではないかと、期待していたふしがある。トリントス・トリントが告発などという真似をしたとしても、決定的な証拠があるのではなし、多少お咎《とが》めをくうとしても、何とかなるのではないか――との気分が、どうしても湧いてきたのだ。拘禁されて気持ちが滅入り、ハボニエの葬儀にも出席させてもらえず、事態はいよいよ悪くなって行っているようだ、と、頭では認識し不安になっていても、心の底の底のほうでは、甘い気分があったのを……思い知らされた感じだった。精神波感知機などというものを持ち出されてしまえば、ぼくの隊規違反は決定的である。それも重大な隊規違反だ。ぼくはあのとき、自分がエスパー化しつつあるとは、まだわからなかった。どうもおかしいとの気はあったのだが、それがエスパー化か単なる不安か、判断が出来なかったのだ。ぼくはそれをいわなければならず、機会を与えられればいうつもりだが……むこうが信じるかどうか、何ともいえないのだ。それにぼくは、トリントス・トリントが精神波感知機を携行していたとしても、彼が本当にそれが作動するのを見たのか、虚言ではないか、と、反論することもできる。しかし……ぼくのそんないいぶんよりも、内部ファミリーであるトリントス・トリントの言のほうが重視されるのは、まず確実だ。また、トリントス・トリントがかりに嘘をついていたとしても、そうとは決して彼は認めないだろう。それに、精神波感知機を彼が持っていたのなら、たしかに作動したはずである。ぼくはエスパー化したのだから……そのはずである。
しかも、トリントス・トリントは、ぼくのこの件について、報告を行なったパイナン隊長の記述のしかたに人々が疑念を持つようないいかたをしたのである。そのことによって報告が決して正確ではなく、ひいてはぼくのことを隊長がかばっているか、隊長はぼくのエスパー化について、本当のことは何も知らないかのどちらかだ――と印象づけようとしているのであった。
つまり、トリントス・トリントの勝ちなのだ。そう覚悟するしか、なさそうであった。
しかし。
ぼくは、今のイスナット・ノウセンとトリントス・トリントのやりとりが、実に淡々とスムーズに行なわれたのを、不思議な感じで思い起こした。
あれでは、はじめから質問も答えもわかっていたようではないか。
待て。
そういえば……そのはずである。
たしかイスナット・ノウセンはトリントス・トリントがこの告発を、内部ファミリーのみ出席の会議で、口頭で行なった――といったのだ。そのときにはトリントス・トリントに氏がつくことに気を奪われ、何気なく聞き流したのだが……そして、その会議のときにトリントがいったのも、せいぜいが疑念表明とぼくや第八隊の悪口程度のことだろうという風にしか受け取らなかったのだが……今、こうして思い返してみると、そのときの会議で、トリントス・トリントは、すでにくわしく話していたのではあるまいか? ここで喋る前に、彼が精神波感知機を携行し見ていたことは、告げていたのではあるまいか? ここではただ、それを繰り返しただけということではないのか?
とすると……これは、この査問会は、何がどうなるかあらかじめわかっている茶番劇ということになる。
そうかも知れない。
だからこその、かれらの、あの内部ファミリーたちの、奇妙な落ち着きかたなのだ。
しかも……そうだとすれば、この査問会での結論は、もう決まっているのではないか? ただぼくを納得させ圧伏するために、こんなものを開いたのではないのか?
はやまるな、と、ぼくは自分にいい聞かせた。
自分ひとりでどんどん想像を走らせ、自分で結論づけて、がんじがらめになるのは……馬鹿げている。
まだ査問会は終ったわけではないのだ。
自分で自分に負けては……どうしようもないではないか。
ぼくは、頭をぐいと持ちあげて、正面をみつめた。相変らずぼくの頭には例の妨害の網がかかっており、他人の心を読もうにも読めなかったけれども、おのれひとりの気力を保持し、おのれの思考をしっかりさせておく位のことは、特殊警備隊員ごときが何をしようとも、ぼくには出来るはずなのだ。
「ただ今のトリントス・トリント氏の告発に関して、まず、ハイトー・ゼス君の証言を求める」
イスナット・ノウセンが呼ばわった。「ハイトー・ゼス君、そこの席へ着きなさい」
ハイトー・ゼスが席を立って、やって来た。
今度は、君呼ばわりか、と、ぼくは思った。
同じ内部ファミリーどうしでも、というより、内部ファミリーどうしだから、お互いの関係に応じて、呼びかたを変えるということなのだろうか――などと考えたのは、たしかにぼくが、
この部屋に入ったときよりは素直でなくなっていたからである。そして、ぼくはそう自覚すると、つい、皮肉な笑みを浮かべてしまった。
その目が、ちょうどぼくの横手を通って前の席へ行こうとするハイトー・ゼスの目と合ったのだ。
瞬間、ぼくは弱いけれども、ハイトー・ゼスの感情を感知した。
これまでは例の妨害網のために、他人の思念を読むなんてずっと無理な状態だったのに、そのときに限ってぼくが感知出来たのは……特殊警備隊員が妨害の力を抜いていたからか、ハイトー・ゼスがぼくに近い場所にあって、しかも強い感情をぼくに向けていたからか……あるいはぼくが意地もあって妨害網をくぐり抜けようという気分になったせいか……それはぼくにはわかりかねた。
ただ、ハイトー・ゼスの感情は……うす汚い動物を見るような嫌悪感と、同時にその凶暴さへのおそれ、なのであった。どう考えても対等ないし対等であり得る者への気持ちではなかったのだ。
ぼくは反動的に、おのれの笑みの皮肉っぽさを濃くし……すぐに、自分はきっとみにくい笑いかたをしているだろうな、と、みじめな気分になった。
ハイトー・ゼスの証言がはじまった。
これはぼくのいわば勘であり、推察であるけれども、内部ファミリーのみの会議とやらであらかじめ行なわれていたのは、トリントス・トリントの発言の部分だけのようであった。というのも、イスナット・ノウセンの質問に対するハイトー・ゼスの証言は、いかにも要領が悪く、トリントス・トリントがいったことを、さらに余計な修飾や意見を加えて繰り返すことになったからで……こういうことを前にも一度やったとは、ぼくには到底思えなかったからだ。もっとも、彼のそのくどさは、一にも二にもトリントス・トリントの立場を擁護し、トリントス・トリントが正しく非の打ちどころがないように弁護しようとしたためのようである。またそれがハイトー・ゼスにとって、もっとも大切なことだったのかもわからない。それはともかく……ハイトー・ゼスの証言で重要なのはただひとつ、トリントス・トリントの精神波感知機を見て、それが作動しているのを認めた、ということに尽きるのではなかったか?
「告発と証言は、以上の通りである」
ハイトー・ゼスが元の席へ戻ると、イスナット・ノウセンは声を張りあげた。「只今の告発と証言について、次に、報告書を作成したヤド・パイナンに釈明を求めるべきだと判断する。ヤド・パイナン、そちらの席へ出るように」
ヤド・パイナンが席を離れ、ぼくの前の席へ行った。通りすがりにぼくが見たヤド・パイナンは、全くの無表情であった。ぼくはパイナン隊長の気持ちを知りたいと思ったが……そして、ハイトー・ゼスが通ったさいにはわずかではあるが感知出来たのだから、可能ではあるまいかと考えたのだが……パイナン隊長自身が感情を抑制していたのか、ぼくは何も感知することが出来なかった。
「ヤド・パイナン」
イスナット・ノウセンは問いかけた。「あなたは警備隊士官、イシター・ロウの直属隊長として報告書を提出したものの、聞いていた通り、事実誤認があるとして告発された。このことを、どう思うか?」
「私は、私が知り得た事柄を、私の責任において、私に許された方式で報告したのであります」
ヤド・パイナンは、単調に答えた。
「では、報告書は、すべて事実であるというのだな?」
と、イスナット・ノウセン。
「私は、自分が事実と信じる事柄をしるしたまでであります」
ヤド・パイナンは、同じ口調で返答する。
「しかし、それは事実ではないとの指摘があったではないか。このことを、どう考える?」
座長の追及にも、ヤド・パイナンは動じないで繰り返した。
「私は、報告書をしるした時点で事実と信じていた事柄を、しるしたまでであります」
「それでは、今の時点では、事実を誤認したと認めるのだな?」
イスナット・ノウセンは、ややいらいらしたように訊いた。
「告発が事実であり、私の報告書と違っているとなれば、結果として事実を誤認したことになるでしょう」
と、ヤド・パイナン。「しかし、告発が事実であると証明されないうちは、認めかねます」
「告発が事実でないというのか?」
イスナット・ノウセンは声を荒げた。
「そうは申しておりません」
ヤド・パイナンは自己の口調を変えなかった。「只今の告発は、トリントス・トリント様の言明と、ハイトー・ゼス様の証言のみによっており、物的証拠は提出されておりません。それだけでは、私の信念をくつがえすには足らないのであります」
「だが、精神波感知機が作動したではないか」
「精神波感知機が精神波を感知することは存じております」
ヤド・パイナンは答えた。「しかしあの瞬間に作動していたのを私は見ておらず、作動したという物的証拠もありません。トリントス・トリント様とハイトー・ゼス様のお言葉だけです。それでは私のいう事実と対等と考えます」
「あなたは……内部ファミリーの言葉と――」
いいかけて、イスナット・ノウセンは訂正した。「いや……それでは訊くが、イシター・ロウが警告したこと、それにエスパー化したとおぼしいイシター・ロウに仕事を命じたことを、どうして報告書に記載しなかったのだ?」
「隊員の誰かが警告の声をあげたのは、知っておりました。しかし、それがイシター・ロウとはわかりませんでした。こういうたたかいのときには、よくあることです。格別記載すべき事柄ではない、と、判断したからです」
ヤド・パイナンは、平然と返事をした。「また、エスパー化したとおぼしいイシター・ロウに作業を命じたのは、トリントス・トリント様がいわれた通り、私はまだイシター・ロウがエスパー化していたとは知らず、かつ、知っていたとしても、護衛任務に就けたわけではないからであります。私は、私が知り得た事柄を、私の責任において、私に許された方式で報告したまでであります」
「…………」
イスナット・ノウセンは沈黙した。
ぼくは、これまででもわかっていたつもりだったが、パイナン隊長の頑強さとしぶとさに、あらためて感服した。ここまでかばってくれる隊長なんて、滅多にいないのではあるまいか? だが……客観的に見れば、パイナン隊長は自分の立場を主張しぼくの非を認めないにしても、やはり防戦の域を出ることは出来ず、攻守ところを代えるには至らなかった、といえる。そこまでが精一杯で……さすがのパイナン隊長にも、どうにもならなかったのだろう。
「よろしい。戻るがよい」
イスナット・ノウセンは、ややあっていい、ヤド・パイナンが元の席に戻るのを待って、エレンのほうへ会釈を送った。「それでは……恐縮ですがエレン様、今までの経緯を見ておられてのご意見を、いただけますでしょうか。どうか、こちらの席へ来ていただいて――」
エレンは、すっと立ちあがった。
しかし……その場を動こうとはしなかったのだ。
「どうぞ」
と、イスナット・ノウセン。
「ことわります」
エレンが静かにいったので、部屋の中はしんとなった。
「しかし、これは査問会で――」
いいかけるイスナット・ノウセンを、エレンの声がさえぎった。
「わたしは大体、この査問会自体に反対だったのです。この前の会議の席で、わたしがそういったのを、おぼえていないのですか?」
「…………」
「これは、一体どういうことです?」
エレンは部屋の中を見廻して、叫ぶようにいった。「イシター・ロウが隊規違反で査問会にかけられる……それが定めなら仕方ありません。でも、あなたがたは、そういう形式や手続きのほうが、エレスコブ家の命運より大切なのですか? わたしはあのとき、その場にいたのですよ。わたしたちの生命が危険にさらされていたことは、わたしがよく知っています。あのとき、隊規だけにこだわっていたらどうなりました? わたしがここにいますか?」
「…………」
「わたしはエレスコブ家のために、生命を賭けています」
エレンはつづけた。「そのわたしのために護衛員たちは身体を張ってくれています。あのとき、護衛員は何をしたらよかったのですか? 情況分析の余地はないでしょう。あのとき、トリントス・トリントは、わたしたちを助けてくれたのですか? 傍観していて、精神波感知機だけに気をとられていたのですか? それで告発ですか? だいじなことは何ですか? こんなことをしていて、いいのですか?」
「…………」
「もっとも、こんなことをいくらわたしがいったところで、どうにもならないでしょう」
エレンは、肩を落とした。「隊規は隊規、定めは定めです。イシター・ロウは所定の手続きを経て、裁断を申し渡されるでしょう。だけど……これでいいのですか? こんなことを大真面目にやっていて、いいのですか?――わたしは、それをいいたかっただけです」
いうと、エレンは腰をおろした。
室内は、しばらく静かだった。
が。
「お言葉、承りました」
イスナット・ノウセンがエレンのほうへ頭をさげ、こっちへ向き直って、さっきまでと変らぬ声でいったのである。「では、最後にイシター・ロウ、何かいいたいことがあれば聞こう。起立」
ぼくは、起立した。
「何か、いいたいことがあるか」
イスナット・ノウセンがうながす。「お前はヤド・パイナンがそうと認める以前にエスパー化していた。そのことに対する弁明でもいい。他のことでもいい。いいたい事柄があればいうのだ」
「申しあげます」
ぼくは、たとえ信じてもらえないとしても、やはりいうだけのことは、いわなければならないと思った。「ぼくは隊長の報告書にあるように、階段を敵が降りて来るまでは、自分がエスパー化しているとは、思えなかったのです」
「しかし、精神波感知機は作動していたのではないか」
イスナット・ノウセンはいう。
「そのことは存じません」
ぼくは答えた。「ぼくは、ぼく自身の感じたままを申し上げているのであります」
「お前がそういう、というわけだな」
イスナット・ノウセンは頷いた。全く信じていないといいたげな口ぶりだった。「よし。そのことはもういい」
「本当なのです。ぼくは――」
「もういい。そのことは聞いた。そのほかに何かいいたいことは?」
「…………」
ぼくは黙った。そのほかに何をいえというのだろう。
「お前は、自分がどれだけ懸命にエレスコブ家のために尽して来たか、どれだけ誠意を以て働いて来たかを、喋ってもよいのだ」
と、イスナット・ノウセン。「それでここにいる人々の気持ちがやわらぐかも知れない。そうしたことを……いうつもりはないか?」
そうなのだ。
ぼくはエレスコブ家のために、ことにエレンのために全力あげて努めて来た。それはたしかだ。
しかし……そんなことを、自分の口から偉そうにいえるものか? それも、ここにいる人々の気持ちをやわらげるためなどに……。それでは、まるで慈悲を、憐みを乞うようなものではないか。
そんなことが出来るか!
「どうだ?」
イスナット・ノウセンが促す。
「…………」
ぼくは沈黙していた。
「何かないのか?」
重ねて問われたが、ぼくは何もいわなかった。いいたくなかった。こんなあしらいを受けること自体、不本意だったのだ。
「何かいえ」
さらにイスナット・ノウセンが声をかけたが……自分でも驚いたことに、ぼくはそこで、ふっと、苦笑を浮かべたのだ。何だか、何もかもが馬鹿らしくなった感じで……ひとりでにそうなったのであった。
「よし」
イスナット・ノウセンは短く、怒ったようにいった。「それでよし。着席」
ぼくはすわった。
「これで査問会を終る」
イスナット・ノウセンが宣言した。「本査問会の様子は、警備隊長に送られ、警備隊長もメンバーである保安委員会にかけられる。いずれ、イシター・ロウにはその結果が告げられ、決められた通りの措置がとられるであろう。以上だ」
と。
ぼくは、頭の中にかかっていたあの妨害膜が消失したのを知った。査問会が終了したので、特殊警備隊員たちは、妨害をやめたのだろう。同時に、部屋の中にいる人々の感情の波が、どっと襲いかかって来た。イスナット・ノウセンのものらしい怒り……エレンかパイナン隊長か仲間か、あるいは入りまじっているのか、複雑な腹立たしい気分……嘲弄する感じは、トリントス・トリントかハイトー・ゼスか……だがそれらをちゃんと分離は出来なかった。ぼくにはとても無理なのであった。そう意識するとそれらの感情や思念はさらに混濁し、全体としての大きな不協和音、雑音となって行く。
けれどもぼくは、それをそう長く感知していることは出来なかった。ぼくは右側のひとりと左側のふたりの――保安部員らにはさまれて、今度は一番先に部屋を出、元の拘禁されていた小室へと、連れ戻されたのである。
戻って来たとき、ぼくはひどく疲れていた。精神的疲労であった。何をする気にもなれなかった。
ぼくは両手を後頭部にまわして組み、ベッドに寝ころんだ。
それでいて……思考のほうは依然として動くことをやめない。さきほどからの惰性でそうなっているのではなく、また別にエネルギーを得て、回転しているようである。ただ、その内容はとなると、とりとめがないのであった。とても、整理し筋道を立てられるようなものではない。すべてが断片なのだ。それらの断片が交錯し、つながり、重なり、ちょっと静止したと思うと、たちまち高速で流れ去ってゆく。あれやこれやと……さまざまな事象や想念が、次から次へと現われて消えるのだった。
ぼくはおのれのそうした意識を、無理にまとめようとはせず、また、せきとめようともせずに、放置していた。疲れて無感動になっていたから、そんなことが出来たのかも知れない。それは、初めてこの部屋に入れられてから査問会を待つまでの、どこか熱に浮かされたように想念を追っていたときとは、あきらかに異質の感覚であった。
が。
それらのきれぎれの思考の行進が速度を落とすにつれて、ぼくは、自分が置かれている立場を、つかみはじめていた。きれぎれだった想念がよく見えるようになり、大きなひとつのものとして形づくられて行くうちに、いやでも自覚しなければならなかったのである。
つまり……ぼくはもはや、これまで考えていたみたいな、いろいろな可能性のうちにあるのではなく、これからの方向というのは、もっとせまい角度の内にしかないのを、あらためて認識したのだ。さっきの査問会の様子やみんなの態度から推して、ぼくが無罪放免となり従来通りに勤務をつづけることは、とても無理であろう。ぼくはあきらかに隊規違反をしたと認定されたのである。何らかの懲罰がくだると覚悟しなければならなかった。懲罰である以上、ぼくの立場がこれまでより良くなることはあり得まい。あとは、それがどの程度の罰であるかというだけの話だ。ぼくに残された可能性は、その範囲内にせばめられたのである。
そのことを受けとめつつ……ぼくは、自分の気持ちが濁り、少しずつどす黒い怒りの色を帯びてくるのを、意識していた。ぼくはおのれの行為が査問会において検討され、そののちに認定がなされるのだろう、と、無邪気に信じていたけれども、実は査問会の筋書きははじめから出来ており、結論も用意されていたのである。査問会なんて、形式に過ぎなかったのだ。いいかえれば、ぼくがこの部屋にいて自分の立場はまだ中ぶらりんだと思っていたとき、すでに上部の連中は、ぼくを一定の方向へ押し流すことに決め、実際に押し流していたのであった。ぼくがこの部屋にあってちょっとした事柄や兆候に一喜一憂していたとき、台本はもう作りあげられていたのだ。それが不愉快であった。
この感情はさらに濃くなり、やや変質し、ぼくは自分がなぜこんな目に遭わなければならないのだ――と、思いはじめた。
ぼくはエレスコブ家に入れてくれと哀願して入ったのではない。求められてエレスコブ家に入ったのである。
エレスコブ家に入って、ぼくは与えられた任務を、与えられた以上に果たして来たという自負がある。すくなくとも無能ではなかったはずだ。エレスコブ家にとって、それなりに役に立ったはずである。
そればかりか、ぼくはエレスコブ家に対して、忠誠心を抱いていた。ことにエレン・エレスコブのためには、損得や利害を抜きにして忠節を尽して来たつもりである。
そのぼくを、ひとつの失策をとらえて、罰しようというのか? いや、あれは失策などではなかった。自分自身でもエスパー化しつつあると確信を持てなかったからこそ、隊長にそのことを申告しなかった……それよりもエレンの護衛のほうが大切だったから、勤務をつづけていた……エスパー化に気づいたあとも危急のさいだから申告など抜きにしてたたかった……それを失策だというのか? 失策に仕立てあげたいのか?
それどころか故意にぼくが隊規違反をしたことにして、懲罰を加えようというのか?
そういう機構が、エレスコブ家の中にあるというのか? そういうことをしてまでぼくをおとしめたい人間が、エレスコブ家の中ではばをきかせているというのか?
エレスコブ家とは何なのだ?
それが、エレスコブ家というものなのか?
しかし……歯がみにも似た怒りのそうした繰り返しは、やがて鮮度を失って、ぼくの心の底へと沈んで行った。底に沈んだままで残った。
ぼくの頭のほうは、どこかひややかな、さめたものになったようであった。
裁断の結果というのがいつ告げられるのか、ぼくは何も教えてもらえなかった。だから、待つしかなかった。
査問会が終って元の小室へ戻って来てから、ぼくに対する扱いは、少し変った。以前よりもきびしくなったのだ。
ドアの小窓は閉じられて、こちらからはあけられないように固定された。外からでなければ開閉出来ないように、施錠されたのである。
食事を持って来るのも、これまでは例の若い乗務員ひとりだったのが、ふたりになった。もうひとりは新顔の保安部員で、警戒のためについて来ているようである。保安部員といってもぼくより若く、階級章を見ても下っぱだが、はじめから来ていた乗務員以上に寡黙で、ほとんど口をきかなかった。ぼくはドアが開かれたときに彼の気持ちをそのつど感知したけれども、乗務員のほうがぼくにかすかではあるが好意的感情を抱いているのとは対照的に、彼の心は任務第一の警戒心に満ちており、緊張でぴりぴりしていたのだ。その緊張の中には、多少のおそれもまじっていた。彼はぼくがエスパーであるのを知っていて、ぼくが超能力を使うのではないか、と、心配していたのである。ただ……彼の心中には、もしもかりにそんなことがあっても、自分としては全力をあげて防ぐであろうし、自分がやられても、保安部では要所要所に部員を配置しているから、脱走など成功するわけはない――との思念があった。つけ加えておくと、その若い保安部員の心中から読み取れたのはその位の事柄で、このぼくが今後どうなるかとか、上層部の人々がぼくのことをどう考えているか、といったことは、全くわからなかった。彼自身が何も知らないのであり、保安部はそういう部員をこの役目につけたのに相違ない。
ぼくに対する扱いがこんな風に変化したのは、疑いもなく、査問会の結果が影響しているのであろう。それも、査問会によってぼくが自分の立場が不利だと悟ったために、やけになって無茶な真似をするのではないか――と、保安部が懸念しているということではあるまいか。
しかしぼくは、そんなつまらぬことをやるつもりはなかった。逃げ出したとして、どこへ逃げるというのだ? 船内から出るわけには行かず、船内にいる限り、いつかはつかまってしまう。逃げ出さないまでも変に超能力を行使して他人に危害を加えれば、罰がさらに重くなるだけだ。
それに、扱いがきびしくなったといっても、実際にはこれまでとそう違うわけではない。気にしなければ、何ということはないのだ。ぼくはそう考えることにした。
そんなしだいで、ぼくは、若い乗務員や保安部員とはほとんど言葉をかわさなかったのだが……ひとりでいるときも、もう以前のようにおのれの身体をいじめて鍛錬したり、やたらに想念を追ったりはしなかった。ばたばたやったり、とりとめもなく考えごとをしたりするのが、空しくなったのである。そんなことをしたって、何もなりはしない、との気分が強かった。ぼくは起きているときはベッドに腰をかけて、なるべくものを考えないようにした。それでも何かの想念が起きあがってくるときは、つとめて、たのしい、現実と関係のない事柄を思い浮かべるようにした。それも面倒になると、横になって目を閉じ、眠り落ちた。寝ている時間のほうが多かったかもわからない。たしかにこれは思考停止の状態である。これまでのぼくなら、たえず前途を考えるあまり、とてもそんなことは出来なかっただろう。それが、不思議に気楽なのであった。これは、久方ぶりに与えられた休息なのかも知れない――と、ぼくは思ったりした。
しかし。
人間、いつまでもそんなことをつづけてはいられないものである。内部のエネルギーがそれを許さないのだ。一日、二日と経つうちに、ぼくは、またもや動きだした思考を持て余し、じっとしていることに耐えられなくなって来た。
そういえば、エレンや第八隊の連中は、ぼくのことをどう思っているのだろう、と、ぼくは考えはじめた。
査問会のあと、エレンや第八隊の連中からは、何の音《おと》沙汰《ざた》もない。この前の保安部員の話では、査問会までは関係者がぼくと直接会うことは禁じられている、と、いうことであった。口裏を合わせるのを防止する措置だとの理由がついていたのだ。
その査問会は、もう終ったのである。
となれば、誰か面会ぐらい来てくれてもいいのではないか? 面会といわずとも、何か連絡ぐらいして来てくれてもいいのではないか?
それをしないのは、禁止されているからかも知れない。面会はもちろん、手紙の類も許されないのかもわからない。
だがそう思う一方で、ぼくは、自分はもう用済みなので、用済みになった隊員などほうっておけばいい――とされているのではないか、との、ひがんだ感情が生れつつあるのも自覚していた。こんな気持ちをぼくはこれまでエレンや第八隊の仲間に村して持ったことがなかったのに――そうなったのだ。奇妙といえば奇妙だが、ぼくが今度の事件と自分への処遇を通じて、そんなことも考えるようになってしまった、ということかもわからない。それでもやはりこういう想像は、気分のいいものではなかった。あれだけ結束していたみんなに対してそんなことを思う自分も、いやな感じであった。そして、こんな疑念を自分の中に保ちつづけるのは……結局、辛抱出来なかったのだ。
査問会後二日めの夜、ぼくは、食事を受け取りながら、保安部員にたずねた。
「ぼくへの、他の人たちの連絡は、禁じられているんですか?」
保安部員は知らないと答えた。彼の思念もそのことを裏づけていた。
食事をしながら、ぼくは、どちらでもいいではないか――と、おのれを納得させにかかった。連絡を禁じられているのなら何の連絡もないのが当然だし、連絡をして来ないとしても、エレンや第八隊は忙しいのかも知れない。それとも何かの思惑があって、そうしないのかもわからない。また、ぼくを見捨てるつもりなら、それはそれでいっこうに構わないではないか。くやしいが、それが事実ならそれを受け入れるしかないではないか、と、思い直すように努めたのである。そううまく行ったとはいえないものの、ぼくはとにかく当座は、それで自分を落ち着かせるのに成功した。
しかし。
それがいずれにせよ、このことは、ぼくがさらに追いつめられているのを意味するのではあるまいか? ぼくはすでに、誰の助力をも得られぬ立場に落ち込んでいることは、たしかである。
懲罰を、ただ待つだけの身なのだ。
その懲罰が、かりにぼくの生命やぼくのありかたにかかわるものであったら……。
ぼくは、甘んじて受けられるだろうか?
これは、任務のために身体を張っているのではない。
ただの懲罰……隊規違反による懲罰なのだ。
ぼくの生命や存在にかかわる懲罰なら……そんなものに従うべきだろうか? そんな義務がぼくにあるだろうか?
はね返したって、いいのではないか?
しかし、はね返すといっても、ぼくを助けられる者はいない。
それなら。
それなら……自分で自分を守るしか、ないではないか。
自分で……。
だが、そんなことが可能だろうか。このぼくに。
待て。
ぼくは、そこで目を見開いた。
ぼくには、超能力というものが、あるではないか。
もしも理不尽な、ぼく自身の存立にかかわる懲罰をくだすというなら……最後の最後の手段としてだが、超能力を行使して逃げることが可能とはいえないか?
先方はそれなりに防護措置を講じるだろうが……抵抗ぐらいすべきではないのか? すくなくとも、何もしないよりは、ましではないのか?
超能力。
それも、かなわぬまでも抵抗するとなれば、念力が有効であろう。
現在のぼくに物体操作力があることは、たしかである。この前ネプト宙港の階段で使ったのだ。
その力を、少しでも訓練し制御可能にしておいたらどうだろうか、と、思ったのであった。
こういう発想をするようになったとは、これまでのぼくから見て、おかしいかも知れない。
だが……心理的に追いつめられて、そうならざるを得なかったのだ、ともいえる。そんなことをぼくは心の隅で意識していたものの、やってみようとの気持ちは、変らなかった。
そう。
ここでぼんやりと時間を送っているより……起きあがって来たおのれの能力に振り廻されているより……積極的にその能力を伸ばし、自分を守るために使えばいいではないか。
やってみよう。
訓練といっても我流でだが、試してみよう。
ぼくは、空になった食器を載せた盆をベッドに置いて、立ちあがった。
といっても、部屋の外へ向けて力を試すのは、避けたほうが賢明だった。外で騒ぎになるかも知れない。いや、大体が部屋の壁も、閉ざされた小窓も、テレパシーを通さぬ材料で出来ているのだ。念力だって透過しないだろう。
室内でやればいいのだ。
ぼくは、ベッドを見た。
このベッド、ぼくの念力で動くだろうか。
そうしてベッドを見おろして立っていると、ぼくには急に部屋全体が、ひどく日常的なものに映り、こんなことをしようとしている自分が、問の抜けた存在のように思えて来た。
が……やってみよう。
ぼくはベッドに思念を集中し、それが宙に浮くところを頭の中に描いた。
何もおこらない。
宙へ持ちあげるというのは、むつかしいのだろうか。
それなら、床の上をすべらせ、むこうの壁に当てること位なら……出来るのではあるまいか?
ぼくはベッドを意識で、むこうへ押しやろうとした。反応はなかった。二度、三度、四度と試みるうちに、汗が出て来た。
もしもぼくが、自分に物体操作力があるとの確信を持っていなかったら、そこでやめてしまったところである。しかし、ぼくにはその力があるはずだった。それが出ないことにぼくはしだいにじりじりし、腹も立って来たのだ。ベッドに揶揄《やゆ》されているような気がして、ぼくは、その腹立ちを、どっと、叩きつけた。両腕を持ちあげ身構えていたようでもあるが、自分ではよくわからない。
こん、と、音がした。
ベッドが斜めに床を動き、壁にぶつかったのだ。
こんなベッド!
つづいてベッドは、ぼくが予期しなかったのに、床から十センチばかり浮きあがった。やれる――と思った瞬間、ぼくの精神集中は乱れ、その方向が外れた。
ベッドの上にあった食器類が、石でも投げつけられたように錯乱し、床に落ちて大きな音を立てた。
ぼくは、はじめから少しずれた位置で静止しているベッドと、あたりに散らばった食器や盆をしばらく呆然とみつめていた。
ぼくに物体操作力が依然としてあることは事実だった。事実だが……ぼくにはまだそれを意のままにコントロールすることが出来ないのも、またあきらかなのであった。
ぼくは、床に落ちた食器類を拾いにかかった。
査問会から三日めの昼過ぎに、三人の保安部員がぼくを呼び出しに来た。査問会のときと同じメンバーである。かれらは、これから申し渡しがあるとぼくに告げ、前と同じコースを通って、査問会が行なわれた部屋へ連れて行った。
部屋には、数名の保安部員がいた。この前と違って、かれらは左手奥の上席の下に並んで佇立《ちょりつ》している。その中にふたり、顔をマスクでおおった者がいた。特殊警備隊員に違いないが、それが査問会のときに書記役も務めたあのふたりかどうかは、ぼくにはわからなかった。
ややあって、イスナット・ノウセンが入って来た。入って来たのは、イスナット・ノウセンひとりである。エレンも第八隊のメンバーも、トリントス・トリントもハイトー・ゼスも……
さらに、あのときいた人々も……やっては来なかった。
ぼくは無意識のうちにイスナット・ノウセンの思考をさぐろうとし、例の妨害網が頭の中にひろがるのをおぼえて、断念した。
ぼくは上席のすぐ手前、保安部員たちに向かい合うかたちで起立を命じられ……ゆっくりとイスナット・ノウセンが上席に着座した。
「イシター・ロウ」
イスナット・ノウセンは口を開いた。「先般の査問会にもとづき、お前に対する裁断が出たので、ここに申し渡しを行なうものである」
「…………」
「この裁断は、通常の、警備隊長の責任と権限によって下される警備隊内部のものではない。事件の重大性にかんがみ、警備隊長もメンバーである保安委員会にかけられて決定されたものである」
「…………」
「警備隊中級隊員、一般警備隊護衛部、第八隊勤務イシター・ロウ」
イスナット・ノウセンは背を伸ばした。「お前は本日付で護衛部勤務を解かれ、現階級警備隊員の身分のままで、連邦軍カイヤツ軍団に志願することを命じられた」
「…………」
ぼくにはそれがどういうことなのか、とっさにはのみ込めなかった。
しかし、イスナット・ノウセンは、ぼくに頓着せずつけ加えたのだ。
「本日以降、お前の身柄はカイヤツVが次の寄港地に到着するまで船内において保護監禁され、到着後、連邦軍カイヤツ軍団に引き渡されることになる」
「…………」
「以上だ」
イスナット・ノウセンはぼくを見た。「何か質問があれば、私が適当と判断する範囲内で答えよう。質問があるか」
「あります」
ぼくはいった。こんな、イスナット・ノウセン相手に教えを乞うのはやりたくないことだったが、たずねずにはいられなかったのである。「ぼくは……警備隊員の身分のままで、カイヤツ軍団に入ると、そういうことなのですか?」
「そうだ。エレスコブ家にはカイヤツ軍団への志願者の割り当てが来ており、警備隊からも多くの者が志願し、入団している。お前もそのひとりになるのだ」
イスナット・ノウセンは返事をした。
「兵役の期聞は、どの位ですか?」
ぼくはまた訊いた。
「わからん」
と、イスナット・ノウセン。「通常は二年となっているが、こういう情勢だから、どうなるかわからない。それに、お前の場合は無期限となっている。エレスコブ家が呼び戻すと決め、カイヤツ軍団と合意に達するまでは、軍団勤務ということになる」
「…………」
ぼくは、ようやく事態が少しずつわかって来た。
警備隊員の身分が残るなどと、よろこんでいてはいけないのだ。
これは、体のいい追放ではないか。
それも、いつ全面戦争になるかわからぬカイヤツ軍団へ、送り込まれるのだ。
そして……ぼくは思い出したのだが、あのヤスバがカイヤツ軍団志願を命令されたときには、一階級昇進したということである。なのにぼくは、現階級のままで離隊するのであった。
これが……懲罰なのか?
ぼくの隊規違反への罰なのか?
「ほかに?」
イスナット・ノウセンが問う。
もはや、あまり質問する気にもなれなかった。なれなかったが……納得出来ないことがひとつあった。
「次の寄港地まで、ぼくは船内において保護監禁されるということですが」
ぼくはいった。「なぜですか? なぜそうされねばならないのですか?」
「保護は、これから連邦軍カイヤツ軍団に入る人間を、つまらぬトラブルから守るためだ。監禁は、お前がこの措置に反抗し騒ぎをおこさぬためだ」
イスナット・ノウセンは即座に応じた。「ほかに?」
「ありません」
ぼくはいった。これ以上訊いたって、どうにもなりはしないという気がした。
「よろしい」
イスナット・ノウセンは頷き、テーブルの上にあった一通の書状をとりあげ、ぼくに渡した。「これは、お前への手紙だ。あとで読むがよい」
「…………」
ぼくは黙って受け取った。封筒には何もしるしていないので、誰からのものか、わからなかった。
「それから、警備隊長からの伝言がある」
イスナット・ノウセンはいう。「警備隊長は、今回の件について、まことに残念だがやむを得ない、と、いっていたそうだ」
「――そうですか」
ぼくは呟いた。
警備隊長モーリス・ウシェスタが、当初ぼくが思ったように、ぼくを憎んでおり、今でも憎んでいるのか……それともはじめよりは好意的になっているのか……ぼくには判断がつかなかった。ただ、ぼくがウシェスタのすすめた超能力除去手術を受けようとしなかったこと、結果としてその超能力のおかげでぼくがこんな立場におちいったのは、本当である。それが、そういう言葉となったのであろう。そしてまた、その言葉には、事態はウシェスタの権限を以てしてもどうにもならないということも含まれているのかも知れなかった。
ぼくは三名の保安部員に連れられて、部屋を出た。
今度入れられたのは、まぎれもなく監房であった。前よりも小さな室で、頑丈《がんじょう》なつくりである。設備も粗末だった。ドアにはむろん小窓などなく、下部に、ドアを開閉しなくても食器などを出し入れ出来るような隙問が作られている。見ただけで気が滅入る感じであった。ドアが閉じられたとき、ぼくは完全に閉じ込められた気分になった。
ぼくは肩を落としてベッドにすわっていたが……そこで手に持っていた手紙のことを思い出した。
封筒から、中身を引き出す。
意外にも、それは、エレンをはじめ、第八隊の連中の、寄せ書きだった。エレンの文章は、今度のことは本当に残念です、でも落胆しないで下さい、そのうちまた元に戻れるでしょう、これまでのかたちでなくとも、わたしのために働いてもらうことがあるかもわかりません、しっかりやって下さい――と、なっていた。パイナン隊長は簡単に、これでへたばるようなお前ではないはずだ、と、しるしており、あとの隊員たちも、頑張れよ、とか、無駄死にするな、とか、書いてくれていた。
そうした、みんなの気持ちは、たしかにうれしかった。この文面から察するに、みんなはぼくに下された裁断の内容をもう知っているようであるが……そのぼくを励まそうとしてくれているのであった。
しかし。
こんな風に励まされたところで、それが一体何になるのだろう、とも、ぼくは思ったのだ。この間からのしらけた気分は、執拗にぼくにとりついており、何となく、単純によろこんではいられないような心理状態になっていたのである。
つまりは……。
つまりは、こういうことになるために、結果として強制的にカイヤツ軍団に送り込まれるために、ぼくは汗を流し、鍛錬し、仕事に打ち込んで来たわけなのか?
そういう考えかたが、健康でないことも、ぼくにはわかっていた。わかっていながら、どうしてもそんな想念が忍び寄って来るのである。
不意に、ぼくは、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。自分がいいようのないほど滑稽《こっけい》な存在のようにも思え……気がつくと、声を立てて笑っていたのだ。急調子に、ヒステリックに……身を揉《も》み、涙を流しながら、笑っていたのであった。その涙は、おかしいためでもあり、形容しがたい衝動にかられていたためでもあり……そして、やはり、悲哀を伴ったものであった。
その発作がおさまると、つづいて虚脱感が到来した。
虚脱感。
それは……ファイター訓練専門学校を卒業して以来の日々、自分では納得し気力をふりしぼり身体を張りながら過して来た月日というものが、何の積み重ねももたらさず、すべてが無駄な努力だった――という、空白の自覚であった。
ファイター訓練専門学校を出て以来のあの月日は、一体何だったのだ?
何もなかったに等しいではないか。
いや……それよりもまだ悪いのではあるまいか? 今のぼくは、望みもしないのに連邦軍カイヤツ軍団に入らなければならぬ身である。
虚脱感というより、これは喪失の感覚だろうか。
ぼくは、ぐったりとなった肉体を、ベッドにあずけた。
眠った。
目がさめると、ドアの下から食事が差し入れられていた。
それを食べて、食器をドアの下の隙間から押し出すと、また眠った。囚人にはそれがふさわしいのかも知れない、と、思ったりもした。
あれは、何回めの食事のときだったろう。
食事と一緒に、一通の手紙が差し入れられていたのだ。
表は、イシター・ロウさんへ、とある。
ひっくり返してみると、プェリルという文字が目に飛び込んで来た。
ブェリル。
プェリルとは……あのミスナー・ケイが、カイヤツVの第二客区のバーで使っている名前ではないか。
ミスナー・ケイ。
ぼくは、正直、彼女のことをこのところすっかり忘れていた。それどころではなかったからだ。
そのミスナー・ケイが、どうして手紙などをよこしたのだろう。
自分でも気落ちし無気力になって、何事にも興味が湧かない心境だったが……ミスナー・ケイからの手紙となると、意外性も手伝って、読んでみようというつもりになった。
ぼくは、手紙を開いた。
あまり上手とはいえない字で、文章も似たようなものであった。
イシター・ロウさん、お元気ですか。こちら、ミスナー・ケイです。プェリルというここの名より、ミスナー・ケイのほうが、思い出してもらいやすいでしょう。
あなたとハボニエさんが、近頃お店にいらっしゃらないので、わたし、どうしておられるかと、あちこちたずねて廻ったんです。ハボニエさんは、ネプトで戦死なさったんですってね。いい方だったのに、惜しいことをしました。
それに、イシター・ロウさんも、何かの罪で監禁されているんですって? くわしくは教えてもらえませんでしたけど、今度、船が次の宙港に着いたら、降ろされるとか。カイヤツ軍団に入るんですって? 本当にそうだったら、お別れですね。
でも、わたしは信じています。これがお別れではなく、きっと、また会えるはずです。あなたは運が強いから、わたしだけではなく、あのシェーラとも会うことになるはずです。それも、案外近いうちに。きっとそうです。信じています。
あたらしい仕事に就いたら、また頑張って下さい。あなたは未来を自分で拓く人です。途中で諦めないで下さい。あなた自身も考えていないような未来が、待っているかも知れないのですから。いつでも、一から出直せばいいのです。それでいいではありませんか。
しっかり! イシター・ロウ!
お元気で。
[#地から2字上げ]ミスナー・ケイ
ぼくは、手紙を持ったまま……微笑せざるを得なかった。
ミスナー・ケイが、どんな方法でぼくのことを聞き出したのか知らないが、彼女は彼女なりに、ぼくを元気づけようとしているのがわかったからである。それに、文中の、しっかり! イシター・ロウ! という言葉は、かつてぼくがトリントス・トリントと試合をしたときに、シェーラがぼくに投げた声援と同じだったのだ。ぼくはだから、読みながらシェーラのことも想起していたのである。ほとんど死んだようになっていたぼくの感性は、おかげで、少し励起されたようであった。
そして。
シェーラといい、ミスナー・ケイといい、彼女らが、ぼくにはよく把握出来ない超能力の持ち主らしいことも、ぼくは思い出していた。ミスナー・ケイは今は念力しか使えないと特殊警備隊は判定したというが……共に不思議な人物であることは間違いない。その彼女たちが、ぼくに依然として関心を持っているらしいことは……ぼくの心を少しあかるくしてくれたのだ。
それに。
ひょっとしたらこの手紙は、励ましの格好をとっているものの、実は予言ではあるまいか
――と、ぼくはふと考えたりした。(根拠らしい根拠はないが)これが予言なら、ぼくにはまだまだ未来があることになる。
それに……そうではないとしたところで、ぼくはミスナー・ケイの手紙にあるように、また一から出直せばいいのではあるまいか? というより、そうするしかないのではあるまいか?
いつまでも打ちのめされているのはやめて……逃げずに、自分の運命に立ち向かって行けばいいのではないか?
ぼくは軽く息をつくと、ミスナー・ケイの手紙を、封筒にしまった。
[#地付き]〈不定期エスパー3[#3は□+3] 了〉
[#改ページ]
[#地付き]この作品は、1988年11月徳間書店より刊行されました。
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー3」[#3は□+3]徳間文庫 徳間書店
1992年5月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第3巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 37,688 d28b3ae39037c1c73a3c3c27fd608256
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
特に発見出来ず……
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