不定期エスパー2[#2は□+2] 〈謎のデヌイベ〉[#〈〉は《》の置換]
[#地付き]眉村 卓
[#地付き]カバーイラスト=黒江湖月
[#地付き]カバーデザイン=秋山法子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)エレンに惹《ひ》かれていて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)カイヤツ政府|直轄《ちょっかつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
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目 次
デヌイベ
能力
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デヌイベ
おかしな夢だった。
ぼくは腰をおろし、顔前のスクリーンを注視していた。ぼくの手首はスクリーンの下の操作盤に載り、指はいくつもあるボタンのひとつを押そうとしている。
そのボタンを押せば、何かが発射されるのだ。攻撃用のボタンであることが、よくわかっていた。
と。
スクリーンに、景色が現われた。
カイヤツ府だ。
カイヤツ府の……ぼくがよく知っている町角のひとつである。
「撃て!」
どこかから、声が流れた。
スクリーンの像は、エレスコブ家カイヤツ府屋敷になった。屋敷がわっと拡散すると、そこに、エレン・エレスコブが立っているのだ。
エレンは微笑していた。
「撃て! 撃たんか!」
どこかからの声は、鋭い調子に変った。「何をしているか! 撃つんだ、イシター・ロウ!」
イシター・ロウ?
イシター・ロウとは……ぼくのことだ。エレスコブ家の警備隊員、エレン・エレスコブの護衛員のイシター・ロウなのだ。
それが、エレン・エレスコブを撃てるか?
「撃てますか?」
スクリーンのエレンは静かに笑った。「わたしに忠誠を誓ったあなたに、そんなことが出来ますか?」
「撃つんだ!」
また声が飛んだ。
どうすればいいんだ?
ぼくは、どうすればいい?
ぼくは自分の指に……腕に、目を落とした。ついで、自分の服を見やった。ぼくが着ているのは……エレスコブ家の制服ではない。どこの服だかわからないが、エレスコブ家のものではないのだ。
「貴様! 自分を追放したエレスコブ家に、いつまで未練を抱いているのだ!」
声は、ぼくの耳元で爆発した。
「逃げましょう」
女の声が聞えた。見ると……シェーラだった。シェーラはぼくの腕をつかんでいる。
「シェーラ」
ぼくは呟いた。
「撃たんか!」
声。
「わたしを撃てます?」
と、スクリーンのエレン・エレスコブ。
「もう構わないで」
シェーラは、ぼくの腕を引っ張った。「あなたはわたしと行くの。こんなごたごたから逃げて……一緒に飛ぶのよ!」
「…………」
「さあ!」
シェーラは、ぼくの腕を引っ張る手に、ぐいとカを入れた。ぼくは椅子からころげ落ちて――。
…………。
ぼんやりとした光が、ぼくの視野にあった。ぼくはちょっとの間、わけがわからず……それから自分が、宇宙船内の部屋にいるのを悟った。手を伸ばせば届く近さに、天井の小さな淡黄色の灯がある。船の駆動装置の低い持続音がひびいているばかりで、ああいう変な夢を見ていたぼくには、静か過ぎる感じだった。
下段のベッドのハボニエは、よく眠っているらしい。
それにしても今のは……。
今の夢は、何だ?
ぼくには、どうも気になった夢というのは、人間の潜在意識の投影だそうである。となればあれは、自分がエレスコブ家のメンバーから外されるのをおそれている、その心理があんな夢と化したのかも知れない。エレンを撃たねばならない立場にあったというのも、ぼく自身がエレンに惹《ひ》かれていて、敵対するようなことには決してなりたくないと、無意識に考えていたからだ――との説明も可能である。だがどうしてあそこにシェーラが出て来るのだ? いや……人間はまた、忘れかけている事柄を夢でよく見るものだともいう。表層意識から沈んだ記憶は、睡眠中に抑制が取り払われると、ぽかりと浮きあがって来ることが多いという話だ。ぼく自身にもその経験はよくあった。だからあそこでシェーラが出現しても、おかしくはない。
――というのが、まあ常識的な解釈であろう。
が……ぼくが気になるのは……それだけではなかった。単におのれの潜在意識がそんな夢を見させたのなら、何も心配する必要はないのであるが……ぼくがひやりとしたのは、ひょっとしてそれが、ぼくのエスパーとしての能力が起きあがろうとしているためではないか……完全に起きあがってしまわないまでも、微弱なかたちで、予見の力が動いているのではないか、ということであった。これは二重の意味で、ぼくには不安である。今、こんな状況下でエスパー化するのは、あってほしくないことであった。エスパー化すればぼくはその事実を申告しなければならず、エスパーでは不都合な勤務から外されるのである。エスパーでは不都合な勤務とは……ぼくの仕事の大半になるに違いない。今、そんなことになるのは厄介だった。困るのであった。そしてもうひとつ……もしもあの夢が予見であったとすれば……ぼくは生来[#校正1]、ネイト=カイヤツかカイヤツ府か、それともエレスコブ家かエレン・エレスコブひとりに対してだけなのか、ともかく敵対する立場になるようなのである。それも、エレスコブ家を追放されて、というかたちでだ。それはいやだったし、そんな不名誉な目にも遭いたくはなかった。
ただの夢か……予見か……。
ぼくにはわからなかった。わかる由もなかった。
ぼくは心を澄ませてみた。けれども何も感じられない。どうやらぼくはまだ非エスパーのままらしい。エスパー化しつつあるのではなさそうである。ぼくはほっとした。
とはいえ、さっきの夢と、それにひきつづいて生起したそうした想念のおかげで、ぼくはすっかり目が冴《さ》えてしまった。じっと横になっているのが苦痛な位、敏感になっていたのだ。
ぼくは時刻を確認した。次の勤務までまだだいぶ間がある。
無理をして眠ろうと努めるよりも、少し部屋の外を歩いて、心を落ち着かせ、それからもう一度寝るほうがいいかも知れない。
ぼくはそっと身を起こし、ベッドから床へと降りた。
「どこかへ行くのか?」
眠っているとばかり思っていたハボニエが、声をかけた。
「ああ……ちょっと廊下を歩いてくる」
ぼくは答えた。
「そうか。それもよかろう」
と、ハボニエ。「だいぶうなされていたようだぞ。こっちも目がさめてしまった」
「悪かったな」
「なに。初めての宇宙旅行では、誰でも神経質になるものさ。最初の緊張がゆるむと、今度は夢のほうへ廻って来る」
いうと、ハボニエは沈黙した。多分目を閉じて(それとも、ずっとそうだったのか)また眠りにかかったのだろう。ぼくもそれきり声をかけず、音を立てないようにして服を着ると部屋のドアを引きあけた。
出ると、廊下だ。
廊下は、部屋の中よりもずっとあかるいこれは航行中必ずどこかの部門が起きているし、生活時間帯も人によってまちまちなので、同じあかるさが保たれているのである。
ぼくは、幅二メートル弱のその廊下を、考えながら歩きだした。
ぼくが夢にうなされたのを、ハボニエがそんな風に解釈してくれたのは、まあ助かったという気分だった。ぼくはむろん先刻の夢の内容を他人に喋《しゃべ》る気はないが、そんなものを見たとは、あまり知られたくなかったのだ。
エレスコブ家の人間としては、いささか問題の余地のある夢だからである。
いや……待てよ。
そんなに大層に考えなくてもいいのではないか、と、ぼくはふと思い直した。あの夢なんて、実は何ということもないのではないか? ハボニエがいった通り、あれは単に初体験の宇宙旅行がもたらした、わけのわからぬでたらめの、混乱そのものの夢に過ぎなかったのではあるまいか? あまり深く考えるほどのものではないのではないか? その可能性は充分にある。というより、それが一番本当らしい感じもするのだ。だったら……ぼくはすっかり気が楽になり、思いをほかへ転じることにした。
あんなことをハボニエがぼくにいった所以《ゆえん》は、彼がすでに一度かそれ以上、宇宙旅行をした経験を有しているからである。彼は自分でそうだと認めたのだ。もっともハボニエは、それがいつ、どんな状況下であったかは、話そうとしなかった。以前にぼくが聞いた彼の経歴から推せば、エレスコブ家の一員になってからというのが当たっていそうだが、その経歴だってつまびらかなものではなし……違っているかもわからない。しかしいずれにせよ、ぼくはそのおかげで、ハポニエから、この宇宙船やその他関連した事柄について、いくつか新知識を仕入れることが出来た。この船が発進してから、これでちょうど三日めである。それだけの間に仕込んだにしてはまことにささやかな、かつ断片的な知識だけれども、知らないよりは知っておくにこしたことはないのだ。それに、自分自身でつかんだこともあったし、ハボニエ以外の人に訊《き》いて得たこともあった。
それらを総合して要約すると、この船はエレスコブ・ファミリー号といってエレスコブ家が保有する三隻の宇宙船のひとつである。他の二隻はエレスコブ一号、エレスコブ二号と呼ばれ、運賃を取ってカイヤツ・カイヤント間を就航する大型定期貨客船なのだ。それに反してこのエレスコブ・ファミリー号は、その名の示す通り、エレスコブ家の専用船であった。エレスコブ家の要人が、エレスコブ家にとって重要な仕事をするさいに、随時運行される小型船である。三十名の乗務員によって航行し、乗客定員は同じく三十名。もちろん乗客の荷をかなりの量搭載するのはたしかだが、この乗務員と乗客数の比率を見ても、特別な船であるのは、あきらかだった。特別なとなれば、その他にもいろんな点がある。要人のための個室は、いざというとき、それ自体が生命維持装置を備えた脱出カプセルとなること……要人と乗務員がやたらに顔を合わせないように、船内の生活区は準二重構造になっていること……むろん軍船には及びもつかないが、一応の戦闘用の装備を持っていること……カイヤツ府屋敷の緊急会議室とスクリーンでつながる会議室を備えていること……などだ(ついでにそれらを、ぼくたち護衛員としての立場からいえば、当然ながらこちらは脱出カプセルとは無縁だったが、任務の必要上、部屋は要人たちと同様、準二重構造の内側にあった。戦闘用装備はどうなっているのか知らない。それはその部門の警備隊員が担当していたからだ。かれらはそうした武器の扱いかたをマスターしているし、こちらはそんな訓練は受けていないのだ。しかもかれらとぼくたちは、滅多《めった》に出くわすことがなく、会ってもきちんと敬礼をかわすだけである。かれらとぼくたちは、隊長のモーリス・ウシェスタの下にいるには違いないが、全く別の系統に属していたのだ。船内の会議室については……どこにあるのかさえわからなかった。エレン・エレスコブがその会議室を使うときがあれば、ぼくたちもいやでもそこへ行くことになるだろうが……現在のところはそうであった)。このエレスコブ・ファミリー号は、カイヤツ・カイヤント間のみならず、カイナ星系の他の惑星へも飛ぶことがある。ときには、カイナ星系を出て、チェンドリン星系へ赴《おもむ》いた例もあるという。が……それ以上の、ネプトーダ連邦の他のネイトへまでは行ったことはないとの話であった。能力的には航行自体は不可能ではないけれども、それだけの期間、乗員や乗客の生活を支えて行くための水や食糧や資材を積載するのは無理らしいのである。換言すれば、連邦間就航船が備えているのと同質の駆動装置は持っているが、出力が足りず速度がそれだけ落ちるために、積載量一杯に積み込んでも、安心出来ないというわけであった。本来なら、これは工夫しだいでは何とかなる、との見方も出来よう。乗っている連中がそれなりに耐乏生活を送れば行きつけるはずである。それは事実であった。けれども……事情はそればかりではなかったのだ。決定的なのは、このエレスコブ・ファミリー号が、連邦登録を受けていないことである。連邦登録を受けるには、性能が基準に達していなかったのだ。登録船でなければ、行くさきざきの宙港でそこの設備を利用出来ないおそれがある。それに……もっと重大なことがあった。ネイトとネイトの版図《はんと》の境界域では、しばしば掠奪《リゃくだつ》船が出没するのである。それに対抗するだけの本格的な武装もなく、軍船の同行もなしにそんな宙域に入るのは、自殺行為に似ていた。――というしだいで、エレスコブ・ファミリー号は、ネイト=カイヤツ圏内でしか行動しなかったのだ。
こう述べて来ると、エレスコブ家保有の宇宙船群がどういうものであるか、およそは把握《はあく》出来よう。そして、エレスコブ家が三隻しか船を持っていないという現実も、いやでも浮き彫りにされるに相違ない。そうなのだ。エレスコブ家のこの分野での実力はそんなところなのである。なるほど見ようによっては宇宙船を三隻も保有しているのは大したことだが、三隻は三隻に過ぎない。ただ……エレスコブ家を弁護するつもりではないが、これにはエレスコブ家なりの計算も働いているようであった。エレスコブ家としては、自家で宇宙船を多数保有するよりも、他家の宇宙船をも使い運賃を支払って荷や人員を運ぶほうが有利だとしているのだ。宇宙船の保守・点検整備、改装、稼働《かどう》効率などの費用と、毎回ごとに払う運賃とをはかりにかけて、そうすべきだと方針を定めている、というのが、ぼくの仄聞《そくぶん》したところであり、実際にもそのようであった。
宇宙船といえば、ぼくはもうひとつ、何となくがっかりする話も聞いた。ひとつの星系間を往来する、それもごく旧式の宇宙船を除いて、現在ネプトーダ連邦内で使われている船の駆動装置は、ほとんど全部がレンセブラ複合駆動装置である。推力・反重力・跳航のどれもが可能で、しかも効率良く設計されたレンセブラ複合駆動装置は、他のさまざまな駆動装置を旧式なものにしてしまった。ひとたび駆動装置の王座につくや、この方式は次々と改良を重ねられて、いよいよ効率のいいものになって行った。だから、いうまでもなくエレスコブ・ファミリー号にも、出力は小さいながら、このレンセブラ複合駆動装置の第何型かがとりつけられているのだ。しかし……その絶え間のない改良は、つまるところネイトの工業力の競争だったようである。よりすぐれた技術水準を有するネイトが、よりすぐれたレンセブラ複合駆動装置を開発し、立ち遅れたネイトに売り込む――その優勝劣敗の歴史でもあったのだ。そして、ぼくががっかりしたというのは、現在のネイト=カイヤツにおいては、ネイト=カイヤツ製のレンセブラ駆動装置を備えた宇宙船は、すでに一隻もないという事実であった。エレスコブ家だけではない。ネイト=カイヤツのどの家もがそうなのだ。ネイト=カイヤツの宇宙船が使用しているのは、ネプトーダ連邦最強最大のネイト=ダンコールか、もしくはそれに次ぐネイト=ダンラン製の駆動装置なのであった。しかもそうした装置は、今やおびただしい特許に守られたブラックボックスとなっており、補修や修理にしてもユニット交換が当り前になっているというのである。ぼくはそうとは知らなかった。ぼくが宇宙船に興味を抱いていた時分には、ネイト=カイヤツはまだほそぼそとではあるが、自前の型のレンセブラ複合駆動装置を試作・生産していたと聞いていた。それらの技術は疑いもなく負かされ潰滅《かいめつ》したのだ。なるほど、宇宙船の船体やコントロール機構の一部は、ネイト=カイヤツで生み出されている(ついでにいうが、エレスコブ家はそうではない。エレスコブ家はそうした高水準の工業製品は、他家から購入しているのだ)。そうして完成された宇宙船は、宇宙船全体としてはネイト=カイヤツ製である。ぼくは、というより多分相当な割合の人々が、すべてネイト=カイヤツの力で仕上げられたと、漠然《ばくぜん》とそう考えてしまうけれども、かんじんの駆動装置は他のネイトの製品なのだ。自分のネイトでそんなものを作っていたら高くつくし性能は落ちるから、部品として使ったのだといわれればそれまでだが……しかも、ネイトは連邦の一員なので、連邦構成ネイトどうしは長所を利用し合って共存共栄すべきだといわれればそれまでだが……あまりうれしい話だとは、いいかねるのであった。
ところで……。
ぼくはそんな想念を脈絡もなく追いながら、いつの間にか廊下をだいぶ来ていた。照明が単調で、両側に似たようなドアの並ぶ廊下なので、うかうかと歩いて来たのである。といっても、ぼくの部屋の近くの廊下の大体のかたちは覚えているから、別に迷ったわけではない。ぼくはそこできびすを返して、今来たコースをたどることにした。
と。
行く手に、人影が現われたのだ。
ぼくは、はっとした。
それは、エレン・エレスコブと船長と、それにパイナン隊長だったのである。何の用でここを通りかかったのか、ぼくにはわかるはずもないが……船長を先頭に、つづいてエレン・エレスコブ、そのあとからヤド・パイナンが来るのだった。
ぼくは、廊下の片側に身を寄せ、頭を下げて、三人が通り過ぎるのを待った。
船長がぼくの前に来て、こちらに頷《うなず》きながら行き過ぎようとしたとき、
「お待ちなさい」
エレンの澄んだ声がした。
船長が足をとめ……ぼくは、エレンがこちらへ歩み寄るのを認めた。
ヤド・パイナンは、これも立ちどまって、こっちに無表情な顔を向けている。
「眠れないのですか? イシター・ロウ」
エレンがいった。
「――は」
ぼくはとっさに口ごもりつつ、そう答えた。
「無理ないかも知れませんね。これはあなたにとって、最初の宇宙旅行ではありませんか? そうなのでしょう?」
「はい」
ぼくは、さらに頭を下げた。
「でも、なるたけよく休んで、気力と体力をやしなっておいて下さいよ。今回の旅は、相当ひどいことになるかもわかりませんから」
エレンは静かにいう。
ぼくは、相手が返事を期待しているのかどうか、判断がつかなかった。だから、すぐには何もいえなかったが……彼女がそのままで待っているようなので、自分の気持ちを口に出した。
「及ばずながら、全力をつくすつもりでおります」
「頼みます」
エレンは頷き、そのまま歩きだそうとして、またこっちに顔を向けた。
「聞くところによると、あなたは外出しても、時間にならないうちに帰って来たりするそうですね」
エレンは微笑含みの声を出した。「遊ぶのが嫌いなのですか? それとも不得手なのですか?――真面目《まじめ》なのね」
「…………」
ぼくは、遠慮も忘れて、エレンの顔を見た。ぼくは赤面していたかも知れない。エレンがいっているのはこの前の上陸非番のことであろうが……そんなことが彼女の耳に入っているとは、思いもしなかった。それに、そんな風に取られたくもなかった。ぼくはそんなに真面目というわけではない。ふつうにやっているつもりだった。ただあのときはごたごたに巻き込まれるのが面倒で、自信もなかったし、退屈でもあったからさっさと帰って来ただけである。だが……それをどう表現したらいいか、うまくいえなかった。
エレンはにっこりしていた。眩《まぶ》しいような眸《ひとみ》であった。その眸のままで、彼女は軽く頷き、目で船長とヤド・パイナンに合図すると、歩きだした。
一番あとのヤド・パイナンは、ぼくにちらりと視線を走らせたきりで、エレン・エレスコブについて行った。しかし、ぼくにはヤド・パイナンが、何となく苦笑を噛《か》み殺しているように映ったのである。
まる五日とちょっとで、エレスコブ・ファミリー号は、カイヤント宙港に到養した。これが急行したための日数だったのか、実はもっと早く着けるところを余裕を持って飛んだのか、ぼくは知らない。ただその間にぼくが、カイヤントに関して、ぼく程度の人間が持っている常識に、もうちょっと予備知識を加えたのは事実である。
カイヤントは第三惑星で、第二惑星のカイヤツよりも太陽から遠い。それにもかかわらず、ここもまた人間にとって居住可能の世界であった。一星系に人間の居住可能な惑星がふたつあるという例は、そう多くはないとぼくは聞いている。が……居住可能といってもカイヤントの場合、カイヤツとくらべると条件はずっと厳しかった。地表温度が低いからだ。南北回帰線地帯の夏の日中でも平均温度は一八度Cそこそこで、夜は五〜六度Cだという。冬には日中ですら一〇度C、夜には〇度Cからマイナス五度Cにさがるというのだ。海が多く植物が繁茂しているからこの程度で済んでいるとの見方もある。そこへ植民都市を建設するとなれば、どうしても赤道地帯か、せめて回帰線の内側にならざるを得ない。地図を見ると、それを裏づけるかのように、ほぼ赤道沿いかその南北のあまり離れない範囲に、すべての植民都市がおさまっていた。この植民都市だが……どこもが海に面した場所にあり、人間が出来るだけ快適に暮らせるように工夫をこらしているという共通点を除けば、形態もありようも種々様々らしいのである。なぜなら、ひとつひとつの都市が、それぞれことなった目的や思惑《おもわく》によって建設されたからなのだ。中には建設途中で放棄されたものもあれば、建設はされたものの立ち行かなくなって滅びたものもあり……目下建設中でようやく植民都市の体裁を整えつつあるものもあった。それらの、一応都市と見倣《みな》されるものは、現在、十二である。その十二の植民都市が、みなその都市なりの事情を背負っているのだ。それでもやろうとすれば、ある程度の類型化は出来ないことはなかった。第一のタイプがカイヤツ政府|直轄《ちょっかつ》の植民都市、カイヤントと第二カイヤントだ。カイヤントはもっとも古い植民地で、市の中心は赤道上に置かれ、本初《ほんしょ》子午《しご》線はここを通過していた。第二カイヤントは、他の植民都市がいくつか生れたあと、カイヤントと同様の都市が必要だということから、あとになって建設されたものだ。第二のタイプは、有力な家がその地の鉱脈なり森林資源や動物類を当て込んで作られたサクガイナとかマジェナとかいった都市である。残念ながらエレスコブ家は単独ではそうした都市を持っていない。その当時にはそれだけの力もなかったため、立ち遅れたのだ。そしてそれを取り返すためにも、他の家々と組んで、いくつかの都市を共同経営するようになったのだけれども……それでは所詮、昔からの大きな家には対抗出来ないために、ネイト=カイヤツが近年版図に組み入れたチェンドリン星系の第三惑星チェヤントとの貿易や、第四惑星チェイノスの新世界化計画工事に食い込んで行くことになったわけだ。このことはすでに述べた通りである。とはいえ、いくらそうだとしても、エレスコブ家にとって、カイヤントを等閑視するわけには行かなかった。ここはここで、相応の勢力を保ち、利益をあげるか、あげないまでも堂々と植民都市を維持し発展させなければならないのである。――エレスコブ家のことで脱線したが、つまり第三のタイプというのが、そうした家々の連合による都市群で……これにはグマナヤ、スルーニといった、カイヤントの地名(とはいっても、この惑星には原住の知的生命体は居なかったので、カイヤツから行った人々が命名したのだけれども)がそのまま都市名となっていた。そして第四のタイプというのが、同じ志を持つ人間が集まり、費用を出し合ったり投資してもらったりある種の条件下に支援を仰いだりして建設した都市である。いってみれば一種の契約都市であって、その名も自由とか友愛とか、きわめて観念的な、といって悪ければ理念をそのままつけているのであった。
だが……。
今まで語って来たところから、あるいはもう推察がついているかも知れないが……これらの植民都市で、自給を達成し都市としての自由を持っているところは、あまりなかった。いや、無きに等しいといってもいいのであった。というのも、これらの都市は出資者が経営権を握って切り盛りしている上に、カイヤントでは生産出来ない物資を、カイヤツから移入していたのだ。それがカイヤツにおける価格と比較すれば、きわめて高いものになるのは容易に想像出来よう。あれやこれやで、植民都市は都市とはいい条、実情はカイヤツの政府や有力団体なかんずく家々の、利益吸い上げの場と化しているのであった。
いや。
ぼくは少々予備知識を並べ過ぎたようだ。ぼくがそうした事柄を頭に入れ、そういう印象を抱いたのは嘘《うそ》ではないが……知識は知識である。そうした先入観にあまりとらわれるのはよくないことであろう。現実にカイヤントを見て、それから改めて考え直してもいいのかも知れない。むしろ、そうあるべきであった。
カイヤント宙港は、カイヤツ一級宙港を見慣れたぼくには、まるきり異質であった。カイヤント最大の宙港と聞いていたものの、これほど広いとは考えもしなかったのだ。広いというより、宙港の境界がないのである。だだっ広い、草だらけの高原が、すべて宙港なのであった。周囲には、建築物らしい建築物もなく、人間の居る気配すら感じられなかったのである。その広さの中の宙港の設備は……おそろしく貧弱であった。ぽつんぽつんと、あまり大きくないビルが点在するばかりで、到着している十数隻の宇宙船も、勝手な場所にそれぞれ降りた、でなければ放り出されているように見えたのだった。かけねなしにいえば、正に荒涼《こうりょう》とした風景そのものなのである。風も冷え冷えと、下から吹きあげて来るのだ。
しかしながら、ぼくはそうした景色を呆然《ほうぜん》と眺《なが》めていたのではない。船を出るときに視線を走らせてとらえた、その印象を告げただけである。カイヤツ一級宙港でそうだったように、ここでもぼくたちにはそんなゆとりは与えられなかった。迎えの車はすでに待っており、ぼくらはエレン・エレスコブと随員たちの周囲を固めつつ、順次乗り込んだのである。レーザーガンと剣と、そのほかに携帯食糧を三食分持つだけで、あとの荷物はすべて置いて行くように、と、ぼくたちは命令を受けていた。車に載せて行ってはいけないのかとぼくはひそかに思ったが、異議を申し立てるのは許されないし、そんなつもりもなかった。ぼくはカイヤントにはじめて来たのである。車はたちまち浮きあがり、宙港から一番近いカイヤント市に向かった。
降下する車の窓から見たカイヤント市は、城壁にかこまれているようだった。城壁というのが妥当かどうか、ぼくには何ともいえないが……かなりの高さを持った壁が、市全体を取り巻いているのだ。その内側には何十本もの柱が突っ立っていた。そのあたりまで来ると、土地がだいぶ低くなっているせいか、低い樹々がかたまり合ってあっちこっちにあるが、黒っぽい緑色を呈《てい》している。地面は重い赤色で、市のかなたには暗く青い海がひろがっていた。それだけの色合いがあるのだから、結構|綺麗《きれい》な眺めであってしかるべきなのだが……曇天と相まって、何もかもが鈍く暗い感じである。その暗い中に、さらに黒っぽい壁にかこまれて、灰色の柱が立っているのだ。近づくにつれてその柱は、ビルであることがわかって来た。窓の小さなビルなのである。ぼくたちの車は、黒っぽい壁が大きく口をあけたような入口へと、接近して行った。そうなってから気がついたのだけれども、入口附近の壁の前には、車がひしめき合って駐まっているのである。車では市内に入れないのだろうか、と、ぼくは思った。その通りであった。ぼくたちは入口の前で降ろされ、あとは徒歩で進まなければならなかったのだ。車に荷物を積み込まなかった理由は、ここにあったらしい。車を運転していた男たち(かれらはカイヤツでの、カイヤツ府から遠く離れた地方でそうだったように、エレスコブ警備隊の、正規隊員に指揮される補助隊員であった)は、ぼくたちの先に立って、入口のアーチへと近づいて行くのだが……車には一台あたりひとりかふたりずつしか残らなかったのだ。それでは車に荷物を置いていては、どうなることやら知れたものではない。やたらなものを持って来ないのは、当然なのであった。
入口のアーチは、みじかいトンネルになっていて、横に、受付のようなところがあった。そこには年配の男と若い男がおり、先導の補助隊員が何事かいうのに、あごをしゃくって奥を指した。そこでぼくたちはまた動きだした。ちょうどぼくがその受付の前を通りかかったとき、若い男が聞えよがしにいうのが耳に入った。
「今度はエレスコブの当主のお嬢さんだとよ! 何をしようというんだ!」
ぼくたちはそれを黙殺して通過した。このカイヤント市がカイヤツ政府直轄の植民都市であるからには、かれらはカイヤツ行政当局の末端の役人のはずである。それも赴任して来たのか地元出身なのかわからないが、こういう地で勤務するとなれば……家の人間たちに反感を露骨に示すのも、不思議ではなかった。
だが、そんな思考が出来たのも、みじかいトンネルを抜けるまでであった。暗赤の煉瓦《れんが》をしきつめた街路に出たとたん、ぼくは四方からの視線を感じ取ったのだ。
そこには、雑多な服装の男女がむらがっていた。広いとはいいかねる路上にすわり込んだのやら、四、五人がかたまってひそひそ話をしていたらしいのやら……露店にむらがっているのやら……ぼろをまとった老人もいれば、れっきとした家の警備隊員の制服の男もいる。長い髪を垂らし、肩から分厚い布をひっかけた女もいたのだが……いっせいにぼくたちを注視したのであった。
「よう! エレスコブ! 格好つけるなよ!」
どこかから叫んだ声が、はっきりと聞えた。
それでも、ぼくたちを先導する隊員たちは黙々と進む。ぼくたちのうしろにも隊員らはいたけれども……エレンと随員を周囲にいて護衛するのは、ぼくたちだけなのであった。ぼくたちはパイナン隊長の合図でレーザーガンを引き抜き、油断なく歩を運びながら、街路の奥の、ビルのひとつへと近づいて行った。
「ねえ、ねえ! あんたら、エレスコブの偉い人たちだろう?」
声と共に、走って来てぼくの服をつかもうとした者がいる。中年の、疲れ切った感じの女であった。もとは上等だったろう服も、すっかり色|褪《あ》せて、ところどころ破れているのだ。
ぼくは、反射的に相手の手を避けた。
「連れて帰っておくれよ!」
女は、ぼくに追いすがって来た。「ここじゃ稼げるというから来たのに……わたしゃだまされたんだよ! カイヤツに帰りたいんだよ! 連れて帰っておくれよ! あんたらの来た船に乗せておくれよ!」
ぼくは無視して歩いた。そうするしかなかった。
「おばさん、未練だぜ! そんな奴らに頼んでも無駄だよ! ここでくたばるしかないんだよ!」
誰かがどなり、どっと笑い声があがった。
「ねえ……ねえったら」
女は、ぼくの腕をつかんだ。
ぼくは、振り払った。
「ふん! ろくでなし!」
女は、追うのをやめて毒づいた。「どうせ手前らにはわかりゃしないんだよ! あたいらの辛さは、わからないんだ!」
「何だ何だ! 女をいじめるのか?」
声がした。女に代って、四、五人の男がどやどやと走って来た。「その女はカイヤント市民だぞ! 外来者のぶんざいで市民に恥をかかせるのか?」
男たちは、ヨズナン家の警備隊員の服を着ていた。実際にそうなのかどうか、ぼくには断言出来ない。というのは、ぼくが知っているヨズナン家の警備隊員の服とは同じではなかったのだ。たしかに違式であった。だからそうでないのか、どこかで服を手に入れたのか……何ともいえないのだ。しかし、かれらは剣を持っていた。その剣を、引き抜いたのである。
ぼくは、レーザーガンを持ちあげようとした。
その瞬間、ヤド・パイナンが命令を発したのだ。
「殺すな! イシター・ロウ! かれらをしばらくとどめておけ!」
同時に、エレンとあとの人々は、足を早めた。それを感じながら、ぼくはレーザーガンをしまい、剣を抜いた。男たちははっとひるんだようだったが、お互いに顔を見合うと、衆を侍《たの》んで、どっと打ちかかって来た。
ぼくは飛びのいた。
そうすることで、四人、いや五人から同時に突っかかられるのを避けたのである。そこから左手へ数歩走ると、相手ひとりひとりには距離が生じ、ひとりずつに立ち向かえるようになっていた。
突っ込んで来た最初の男の剣を、ぼくは型通りに受けた。間髪《かんぱつ》を入れずからめて廻すと、男の手から剣は離れて飛んだ。
次の奴は、やみくもに打ちおろして来た。ぼくはそれを身体を開いてかわし、上から叩き落とし、足で強く踏みつけた。
あとの三人が、敵意だけはむき出しにして構えているのに向き直る。
その時分にはぼくは、かれらが本物の警備隊員ではないと確信していた。すくなくとも正規の隊員ではない。かれらは少々は剣技をかじったかも知れないが、プロの腕にはほど遠い。素人《しろうと》をおどかす位なら連中にも出来るだろうが、とても剣の使い手とはいえないのだ。
しかし、馬鹿にしてはいけない、と、ぼくはすぐに心を引き締めた。慢心は絶対に禁物である。
ぼくは一歩進んだ。
三人は後退した。
はじめの男が剣を拾って戻って来た。もうひとりも、ぼくが足を外した剣を、何とかして取ろうとしている。
もうこれでだいぶ時間は稼いだはずだが……まだ頑張《がんば》らなければならないのだろうか――と、ぼくは思った。
けれども、このままで対峙《たいじ》していてはきりがない。へたをすると、ぼくはかれらを傷つけるか、殺してしまうかする可能性があった。それは禁じられているのだ。また、連中も、ぼくがかれらを殺すのを禁じられているのを知っているから、まだ逃げずにいるのである。
そうとなれば……。
ぼくは右手で剣を保ちながら、左手で鞘《さや》の留め金を外した。外した鞘を、剣と持ち換えた。
剣だから相手を殺してしまうので……鞘なら、打撃を与えるだけで済むのに思い至ったのだ。
男たちは、何をするんだといいたげな表情になり、ついで、わっとわめきながら、殺到して来た。
ぼくは正確に動いた。はじめの奴の剣を受け流し、そのみぞおちを鞘のこじりで突いた。そいつがうずくまるのに目もくれず、次の奴の剣を叩いた。剣は折れた。その次の男には鞘を横なぐりに払った。顔面をやられて、相手は昏倒《こんとう》した。さらに前進しようとすると、あとのふたりは、逃げ出して行ったのだ。
何人かが、ぱちぱちと拍手した。だがそれだけではなく、悪意にみちた野次も飛んで来た。
「うまいうまい! お見事ですな! 人殺し!」
ぼくは剣を鞘におさめ、さらに鞘を留め金につけた。さて、と、一行が行った先に目をやると……副隊長格のノザー・マイアンが駈《か》けて来るのが見えた。ノザー・マイアンはその場の様子をさっと確認すると、ぼくに、こっちへ来るように、と肱《ひじ》をあげ腕を振って示した。ぼくはノザー・マイアンについて走り、ビルのひとつの入口へとたどりついた。エレン・エレスコブと隊員たちは、そのビルの十八階の一室に入っていたのである。そこにはすでにカイヤント駐在のエレスコプ家の人間も来ており、会議がはじまろうとしていた。部屋にはパイナン隊長とノザー・マイアンが入って行き、ぼくたちはドアの外で立哨《りっしょう》した。やがて会議は休憩になった気配で……ヤド・パイナンが出て来ると、ぼくをそばへ呼び寄せた。
「さきほどはご苦労だった。このカイヤントには、ああいうにせ警備隊員が、たくさんいるのだ」
と、ヤド・パイナンはいった。
その一言で、ぼくは納得したのだ。パイナン隊長は、かれらが本物の警備隊員でないこと……腕も立たないことを熟知していたから、ぼくひとりにあんな命令を下したのである。ぼくの腕なら充分にそれが出来るとわかっていたから、かれらを引き受けさせたのであった。しかし……もしかれらが練達《れんたつ》した剣の名手であったら……いや、隊長はそうでないのをひと目で看破《かんぱ》したのだろう。そうだとぼくは信じたかった。
「私は、あの場で騒ぎをおこし、人々の反感を買うのはマイナスだと判断したから、お前にあのように命じたのだ」
ヤド・パイナンはつづけた。「しかしこのカイヤントでは、ことに今度の仕事では、情勢しだいでわれわれの行動は、その場その場に応じた適切なものでなければ、最悪の事態を招く。私が殺せといったときには、ためらいなく敵を殺せ。よいな?」
「――はい」
「よろしい。立哨に戻れ」
いうと、ヤド・パイナンは、部屋に戻って行った。
会議は夕方近くまでつづき……ぼくたちもまた立哨をつづけた。
天井の照明がともったころ、長い打ち合わせはようやく終ったらしい。人々がドアをあけて出て来た。それぞれ、このビルの同じ階にある部屋へと、去って行く。
だが、エレン・エレスコブはまだ出て来なかった。ヤド・パイナンとノザー・マイアンもそうであった。
やがて、ノザー・マイアンが姿を現わし、ぼくたちに、部屋の中に入るようにといったのだ。
これは、どういうことだろう。
こんなことは異例である。
入ってみると、大きなテーブルのむこうには、エレン・エレスコブがすわっていた。机上の書類をみつめて、考えに耽《ふけ》っている様子なのだ。ヤド・パイナンは、その横に佇立《ちょりつ》していた。
ぼくたちがこちら側に整列すると、ノザー・マイアンが、ヤド・パイナンに、手で合図をした。
「エレン様。第八隊、全員そろいました」
ヤド・パイナンが、エレン・エレスコブに声をかける。
エレンは顔をあげた。それからおもむろに立ちあがって、ぼくたちを見廻したのだ。その顔は、あきらかに緊張していた。気魄《きはく》ともいうべきものが満ち溢《あふ》れていて……さえざえとした美しさになっていた。
「わたしは、あなたがたにお願いをしなければなりません」
エレンは口を開いた。「今度の仕事で、わたしは殺されるかもわかりません。でも、全力をあげます。だから、あなたがたにも身を捨てる覚悟で働いて欲しいのです」
「…………」
ぼくは他の隊員たちと同様、黙ってエレンを注視していた。いささか不本意な気がしたのも事実である。そんなことを今更《いまさら》いわれなくても、ぼくは第八隊のメンバーとして、とうにそのつもりになっていたのだ。
いや。
今回のエレン・エレスコブの仕事は、それほど困難であり危険であるということなのであろう。だから……あえてエレンはそれを口に出したのだ。そう解釈するしかないのであった。
「わたしは今夜パーティに出ますが、明朝から、カイヤントの諸都市をひとつひとつ訪ねて演説をします」
エレンはつづけた。「いくつ都市を廻れるかは、わたしにもわかりません。これ以上は無理というまで……あるいはわたし自身に何かがおこって事実上続行が不可能になるまでは、つづけたいと思います。でも」エレンはここで微笑を走らせた。「あまり、悲壮にならないようにしましょう」
「…………」
「それだけです」
ぼくたちは、頭を下げた。
ヤド・パイナンが目顔でぼくたちに、部屋を出るようにうながす。
外へ出たものの、ぼくの疑念は消えたわけではなかった。むしろ、深まっただけだ。
エレン・エレスコブは、このカイヤントで演説をすると言明した。それも、次々とカイヤントの諸都市を訪ねて、である。
何のために、そんなことをするのだろう?
いくつもの都市を経《へ》めぐらなければならないというのは、どういうことだ?
何を演説するというのだろう?
そして、それが大いなる危険をともなうというのは、どういう背景があるからなのであろう?
ぼくには、見当もつかなかった。
しかし、ぼくはそうした疑問を、第八隊の人たちにぶつけたりはしなかった。ハボニエにすら訊こうとはしなかったのだ。その理由のひとつは、それからも勤務はひきつづいていて、雑談が出来る状態ではなかったためであり……もうひとつは、エレン・エレスコブ自身やその仕事について、やたらにあれこれとせんさくしないのが隊の気風だということを知りつくしていたからである。以前にハボニエがいったように、護衛員はただあの人≠守ればいいのであって、それ以上の事柄に首を突っ込むべきではないのだ。だからぼくは、立哨を交代してハボニエと食事に行ったときにも、何も質問しなかったし、ハボニエのほうも、何もいおうとしなかったのである。そういう問題は、考えたければ自分ひとりで考えなければならないのかも知れない。どうせあすからは、事態はひとりでに進展して行くのだから……そのうちには、いやでも何かがわかって来るに違いないのだ。それならそれでいいではないか。そうなるまで待てば済むことだ――と、ぼくは自分自身にいい聞かせた。
それはさておき。
エレン・エレスコブのいったカイヤント市でのその夜のパーティについて、ぼくは印象を語っておいたほうがいいと思う。
エレンのいったそのパーティは、同じビルの十一階で開かれた。そしてぼくたちは、会場の外ではなく会場に入って、壁を背にし佇立するように命じられたのだ。このカイヤント市がカイヤツ政府直轄の植民都市であるからには、ぼくのこれまでの常識では、警備はネイト警察の手にゆだねられ、家の警備隊員などは中に入れてもらえないのが相場であるが……ここはカイヤツ府内ではないのであった。カイヤツ府どころか、カイヤツでもないのである。ネイト警察ではカバーし切れない世界なのだ。従って各家の警備隊員の力も利用しなければならない――というのが実情であろう。ためにぼくは、パーティの雰囲気をナマで感じ取ることが出来た。その雰囲気が……ひどいものだったのだ。もともとパーティなるものは、つねに親密感に満ちた和気《わき》藹々《あいあい》とした集まりであるとは限らない。どちらかというと、不協和音がまじっていたり、冷え冷えとした底流が横たわっていたりする場合が多いようである。それを承知しているぼくの目にも、このパーティはあまりにも儀礼的で、よそよそし過ぎたのだ。お互いに利害相反する人々が、仕方なく参集したという違和感が露骨に出ていたのである。それはまあ当然かもわからない。カイヤツならぬカイヤント上での、行政当局の役人、各都市の代表あるいは名代、各家のカイヤント駐在の主だった連中、それにカイヤント市では名士という人たちが一堂に会しているのだ。それにまた、パーティ自体が、エレスコブ家当主令嬢を迎えて、ではなかったせいもあるに違いない(有力な家の当主ならともかく、一族のひとりが来た程度では、いちいちパーティを開いたりはしないのだそうである。ここにはカイヤントとしての、でなければカイヤント市としてのプライドと劣等感が働いているのかも知れない。いやこれは余談だ)。パーティは、ネイト=カイヤツ別枠議員エレン・エレスコブを歓迎するためのものだったのだ。
そう。
開かれた社会を自称するだけあって、ネイト=カイヤツには、もちろん議会があり議員が居る。けれどもその実態は立法府というよりは諮問《しもん》機関に近い。しかも制限選挙だ(現にぼくには選挙権は与えられていない)。おまけに別枠の、家々が割り当てられた人数分を指名する議員もいるといえば、おおよそはわかってもらえるであろう。そんな議会や議員や選挙には、大衆はほとんど関心を示さないのも当然である。が……一面、議員が一種の名誉職であるのもたしかなのだ。選挙で選出されようと、家から指名されようと、議員は議員であり、しかるべき肩書になるのは事実だった。それも、うがった見方になるだろうけれども、れっきとした上層の人間にとってよりも、上層の下、あるいは上層帰属志向の強い人たちには、ひとつの地位に相違ないのである。ことにカイヤントというような地ではそうなるのだろう。だから……私人であるエレスコブ家当主令嬢はことさら無視しても、公人である議員エレン・エレスコブのためにはパーティを催すのである。
そして、実のところ、ぼくはエレン・エレスコブがネイト=カイヤツの議員になったということを、その夜になるまで知らなかったのだ。ぼくだけではない。パイナン隊長や副隊長格のノザー・マイアンはすでに承知していただろうが……あとの第八隊のメンバーはみなそうだったのである。パーティの会場に来て、はじめて耳にしたのであった。パーティでの断片的な会話や、あとでパイナン隊長から聞いたりしたところによると、エレン・エレスコブが別枠議員になったのは、カイヤント行きの直前だったらしい。エレスコブ家から出ている議員のひとりが急に引退したために、エレンが後任として指名されたというのであった。経緯《けいい》はそうであろうが……ぼくには何となくこれは、カイヤントに行くエレンのためにとられた措置のような気もする。考えようによれば、エレンは議員になるのを待ってカイヤントに出発したのかもわからない。となると……今度のエレンの仕事には、議員という公的な肩害が必要だったのだとの想像も可能だけれども……これはあくまでもぼくの想像に過ぎない。
そうした、そのときになるまでぼくたちが、エレン・エレスコブの議員指名を知らされなかったということについて、ぼくはほとんど心理的抵抗をおぼえなかった。ぼくのみならず、他の隊員たちもそうだったようである。ぼくの知る限りエレンは、これまで議員というような公職はもとより、エレスコブ家においても何の役職にもついていなかった。それが突然議員になったというのだから、意外でなかったといえば嘘になる。が……ずっと自由な立場だった彼女がそうなったのには、それなりの理由があるはずなのだ。ぼくたちは従来そうだったように、今回もまたそれを事実として受けとめただけである。祝いたいといった気分もあまりなかった。なぜなら、エレスコブ家当主令嬢にとっては、ネイト=カイヤツの議員など、その必要があってなろうとすればいつでもなれる地位だったからで、そんなに驚くほどの出来事ではなかったのだ。ぼくたちはむしろ、議員などになったためにエレンが今後さらに忙しくなり、苦労をしなければなちなくなるだろう――という風に感じたのである。
ともあれ……そんな状況でのパーティが、友好的な歓談に終始するわけがなかったのは当然というものであろう。要するにそれは、カイヤント市当局が形式的に開いた、端的にいえば開かざるを得なかった集まりだったのである。なるほど出席者たちは言葉遣いもていねいで、作法も一応守っていたものの……皮肉やあてこすりの応酬はざらで、さりげなくそっぽを向き合う場面も珍しくはなかった。いやもちろんぼくたちは、そんなことばかりに気を奪われていたのではない。エレン・エレスコブの身に万一の事態が起こらないように警戒し緊張していたのだけれども、そうなるといやでも、会場の様子を観察しなければならなかったのだ。そしてその観察のうちにぼくは、このぎすぎすしたムードを作る原因のひとつに、あきらかにエレスコブ家に対する他の反感・敵意というぺきものが存在しているらしいのを、確信したのである。ぼく自身がこれまでに幾度となく感じ、また、イサス・オーノもいったように、エレスコブ家は近年の伸長によって他の家々に警戒されるようになって来ており、エレスコブ家の側にもそれなりに期するところがあるらしい――とすくなくともそう考えられても仕方がないような情勢になっていることは、たしかなようであった。
しかし、
こうした事柄について、ぼくがあれこれと思い悩んだとはいわない。それらの疑念も印象も、それはそれで、眠らなければならないときが来ると、ぼくは与えられた短い時間を無駄に費すことなく、熟睡へと墜落して行った。身体がそのように訓練されてしまっていたのである。
出発は早暁《そうぎょう》だった。
最初の目的地はグマナヤ市である。
地図によれば、グマナヤ市はカイヤント南から一番近い都市ではない。カイヤント市からいえば、西隣りの島にあるマジェナ市や、東北東の島にあるサクガイナ市のほうが近いのだ。グマナヤ市は、マジェナ市から見て南南西の方向の島に建設されている。だが、最初の目的地がなぜグマナヤ市なのか……ぼくたちは一切説明を受けなかった。
カイヤント市中を抜けて例の城壁の外へ出るまで、ぼくたちは来着のときのようないざこざには出くわさなかった。前日同様、エレンと随員の周囲を第八隊が守り、前とうしろにこの地のエレスコブ家警備隊員が固める隊形だったのだが、そんな時刻のせいで、街路にはろくに人影もなかったのである。
アーチ型をしたみじかいトンネルの中には、ちゃんと受付がいた。きのうとは違う顔だがやはり年配の男と若い男で……しかし今回は、ぼくたちを先導する補助隊員が声をかけると、気軽に頷いて、通れという身振りをした。
外には、ひとりの士官補にひきいられた十数名の警備隊員と、四台の車が待っていた。前日にぼくたちを出迎え、今またカイヤント市を出るまで一緒だった隊員たちとは別の隊である。かれらはグマナヤ市とその近辺を担当する連中で、ぼくたちの一行をグマナヤ市へ案内し、グマナヤ市にいる間と市を立ち去るまでの警備の任にあたるため、カイヤント市まで迎えに来たのだ。この十数名にしてもやはり、正規隊員はすくなかった。指揮者の士官補は正式には正規隊員ではなく、あくまでも士官であるから除外するとして……ほかには中級・初級隊員がひとりずついるだけだった。あとはみな非ファミリーの補助隊員なのである。いや、これではまだ正規隊員の比率は高過ぎるほどなのだ。カイヤツ府を遠く離れていくつかの地方へ行くうちに、ぼくは、カイヤツ府においては平隊員(換言すれば兵卒)と呼ばれる上級・中級・初級の正規隊員が、そうした土地では実質的に将校まがいの待遇を受け、将校まがいの責任を負わされているのを思い知らされていた。こういう二重の構造をエレスコブ家以外の家でもとっているのかどうか、ぼくにははっきりわからないけれども、エレスコブ家独自のやりかただとは思えない。そうなるについては、エレスコブ家にも相応の事情があったのだろうし、その点は、他の家も、家という限り大同小異のはずなのである。それから、これは今更また繰り返す必要もないことかも知れないが……現地のそうした警備隊の指揮者が、ヤド・パイナンよりも階級が下だからといって、彼なり警備隊なりがヤド・パイナンの指揮下に入るわけではないのである。かれらはそれぞれの事業所部隊の指揮系統に属しており、かれらがなすべきやりかたで警備するだけだ。それが組織の基本原則というものである。
ぼくたちを城壁の外まで送って来たカイヤント市担当の警備隊の指揮者と、グマナヤ市担当の警備隊の指揮者とは敬礼を交し、ぼくたちはあたらしい隊員たちに案内をゆだねるべく、車に乗り込んだ。四台の車は走りはじめ、離陸した。エレン・エレスコブが乗っているのを守るかたちで編隊を組み、じきに海上に出た。
海上に出たあと、車の群は、意外なほど高度を低くとって、飛びつづけた。それが定められた高度なのか、それとも安全のためなのか、ぼくにはわからなかった。ただそのコースがカイヤント市とグマナヤ市の最短距離を結んだものでなかったことは、たしかである。窓から見る太陽の位置がずっと後方へずれて行き、また戻って来たからだ。しかもカイヤント市のある島を離れたころと、グマナヤ市のある島に近づいて行ったとき以外には船を見掛けなかったのを考え合わせると、船舶航路を避けて大きく迂回《うかい》したのかも知れない。
グマナヤ市へは、だがぼくたちの車は、直接にその中に着陸することは出来なかった。市自体は海に面しているし、そちらに大きな門があるのだが、それはもっぱら船便で来る人々のためのものであり、飛行体は市の南十キロ以上離れた海岸にいったん着陸し、あとは地上走行で近づかなければならないのだという。ぼくとハボニエの乗った車の補助隊員は、これはグマナヤ市がみずからの安全のために決めていることなのだ、と、申しわけなさそうに説明した。話によれば、ネイト=カイヤツ直轄の都市であるカイヤント市と第二カイヤント市以外の、すべての植民都市は、上空を通過するのはむろんのこと、飛行体ですぐ近くまで来ることをも禁じているとのことである。これはかつて契約都市のひとつである自由市が、その設立をこころよく思わぬ勢力の手によって爆撃されて以来、そうなのだということであった。この事情はカイヤツでも同じであるが……カイヤツでは主要建造物の頭上を跳ぶのがいけないだけで、山岳地帯や田園では何ということもない。ここでそんなにうるさいのは、おそらく植民都市にとっては、ちょっとした損害でも重大な影響が出てくるだろうし、報復もままにはならないからであろう。だからそんなに神経質なのだ。カイヤント市や第二カイヤント市が比較的寛容なのは、この二市がネイト=カイヤツ直轄の植民都市であるという面子があるためと、それに直轄都市として、他の植民都市に対して物資の集散センターの機能をも果たしているために(これは政策的にそうなされているのだ。その証拠にカイヤントには、カイヤント市のある島と、第一大陸の第二カイヤント市の近くとの、ふたつしか宙港がないのである)攻撃を加えようとする者はいるはずがない――と考えられているためだ。そんな真似をしたら、カイヤント上の諸都市は、全部が立ち枯れになるか、そうならないまでも一時的に窮乏状態におちいるであろう。それを覚悟してでも行動をおこす連中が出て来れば話は別だが……これまではそこまで無謀になる者がいなかったということらしい。
ぼくたちの車は、浜辺へと近づいて行った。すでに太陽は天頂にあって、寄せては返す波や赤茶けた砂を、どこか疲れた感じで照らし出していた。
そこは砂浜から内陸部へと樹々を切り拓いて作った広場である。低い黒っぽい樹々を背景にして、四、五軒の粗末な建物が見えて来た。ここへ到着する車のための施設のようだが、現在は使われていないらしく、壁ははがれ戸が外に倒れている。砂上にはごみが散乱していた。
広場には、エレスコブ家の警備隊員が約二十名、砂を踏みしめて待っていた。かれらのうしろには三台の大型の車もある。いずれも地上走行専用の、おおいのないトラックだ。かれらはすでに整列を終えていて、指揮をとる男が隊列の前へ出て、着地するぼくたちの車をみつめていた。レーザーガンと剣を吊っているから、正規隊員である。どこかで見たような――と思った次の瞬間、ぼくはあぶなく声をあげるところだった。
それは、ヤスバ――共にエレスコブ家カイヤツ府屋敷で基礎研修を受けたヤスバ・ショローンだったのだ。
ヤスバ……。
そういえばヤスバは、おれはカイヤント勤務だといっていた。それを忘れていたわけではないが……そしてカイヤントへ行くと知ったときには、あるいは顔を合わせることもあるのではないか、と、頭の隅で考えたのも事実だが……ここの、この場で会うというような期待は、全く持っていなかったのだ。この前イサス・オーノと対面した折には、タブト戦闘興行団のポスターを見たあとだったから、それだけの気持ちの準備は出来ていたけれども、今度はもうちょっと不意打ちの感じであった。
その間にも車は広場に追って行き、着陸した。ぼくたちとカイヤント市から同行して来た警備隊員は、ばらばらと砂地に飛び出し、見ているうちに、そこにいた連中と合流して陣形を再編成した。地上走行専用者を用意して待っていたのは、ヤスバ以外はみな補助隊員のようであったから、これで全体としては、ぼくがこれまでいろんな地方で見て来た正規隊員と補助隊員の構成になる。
と。
「護衛部第八隊員、エレン様の周囲を固めよ!」
車のスピーカーがパイナン隊長の声を流した。
例によってハボニエと同乗していたぼくは、急いで車を降り、ハボニエと共に、エレン・エレスコブが乗っている車のほうへと走った。
ヤド・パイナンは、すでに車から外へ出ている。
そして、そのあとから、エレン・エレスコブも姿を現わした。
再編成して整列していた警備隊員たちが敬礼する。もちろんそのときにはぼくたちは、エレンのまわりを型通りに固め、非常事態に備えて(護衛員としては、たとえエレスコブ家の警備隊員相手でも、油断をしてはいけないのだ)警戒の姿勢をとっていた。
そこに並んだ警備隊員たちの大半、いやひょっとすると全員が、エレスコブ家の当主令嬢であるエレン・エレスコブを見たのは、これが初めてかも知れない。エレンは必要とあれば割合気軽にどこへでも出向くけれども、それはむろん、やたらに他人に顔を見せて廻るという意味ではない。また、そんな立場の人間でもないのだ。ましてここはカイヤントである。並んだ警備隊員が軽い驚きの表情を見せたのも、無理はなかった。
だがエレンは、かれらの前に立っただけではなかったのだ。彼女は警備隊員たちを見渡すと、いつもの、あの冴えた表情と澄んだ声でいったのである。
「みんな、ご苦労さまです。よろしくお願いしますね」
それから微笑してわずかに手をあげると、エレンは車に戻った。
「敬礼!」
カイヤント市から同行して来た――そしてこのときには三十数名の警備隊員の指揮者となっていた士官補が叫ぶと、警備隊員たちはいっせいに肘《ひじ》を前に出し、指先を目尻に当てた。それは、ついさっきの敬礼よりも、はるかによくそろっていた。あきらかに今のエレン・エレスコブの言動は、かれらの志気を高める効果があったのだ。
時をおかず、その士官補とヤド・パイナンは、隊列の打ち合わせを行なった。三台の地上走行専用車のうち二台が先行し、そのあとから四台の飛行して来た車がつづく。最後尾にまた地上走行専用のトラックがつくという配置だ。そして先頭車には士官補と、中級隊員にひきいられた一隊、二台めには初級隊員のひきいる隊、最後尾もまた初級隊員のひきいる隊――といえば、当然想像つくであろうが、ヤスバもまた一隊の隊長であった。彼は、二台目のトラックの指揮者なのだ。
いうまでもなくヤスバは、ぼくの存在に気がついていた。というより、エレン・エレスコブがカイヤントに来ると聞いたときに、それはもうわかっていたはずである。しかし、ヤスバもぼくも勤務中の身である。手を握り合って再会をよろこぶのはもとより、私語さえ遠慮しなければならない状況下であった。それでもヤスバは、部下の隊員たちにトラックに乗るように命じたあと、こちらを向いて頷いてみせ、ぼくもにやりとしてみせたのである。
つづいて、ぼくたちも車に乗り込んだ。今回はぼくは飛行車の一番前、つまりはじめから三台めにハボニエと共に乗った。
車の列は進みはじめた。
グマナヤ市の入口まで、わずかに十キロなのだから、あっという間に到着するだろう、と、ぼくは思ったが、早計だった。道は広場から浜沿いに伸びいて、左側は低い樹々なのであるが、砂地ででこぼこしているために走りにくいのだ。それに道には、空瓶《あきぴん》や紙箱の類《たぐい》がちらばっている。立看板《たてかんばん》もやたらにあって、そのほとんどが引き倒されたり叩《たた》き割られたりして、地面にころがっているのであった。そういえばそれらの立看板のうちにはまだあたらしくて無事なものもないわけではない。中でもぼくの目を惹いたのは、白地に毒存しい色で、カイヤントの都市は団結せよ! としるしたものである。これは、一番数が多かった。そのうちに道は砂浜から外れて、樹々(といっても、ぼくの首まで位しかないのだ)の間に入ったものの……汚さは相変らずで、おまけに凸凹は一層ひどいものになって来た。そこを、ゆるゆると進んで行くのである。通行の妨害になる倒木などがあると、その都度トラックの荷台から警備隊員が飛び降りて排除するのだから、平均したところ、時速二十キロも出ていなかったのではあるまいか。
「なかなか到着しそうにないな。こういうのは神経が疲れてかなわん」
ハボニエが、ぼくに視線を向け、そのくせひとりごとのように呟《つぶや》いたとき。
車が、これでもう何度めだろうか、停止したのだ。
ぼくたちは、一分間か二分間、じっとしていた。すぐにまた、動きだすだろうと思ったのである。
ところが、いっこうにその気配はない。のみならず、前方は妙にさわがしいのだ。
ぼくとハボニエは、目くばせを交し合った。行く手に何か起こったのかもわからない。そうなると、様子を見るのは先行している人間である。つまり、ぼくたちだ。ぼくとハボニエは、どちらともなく車を出て、前方を眺めた。
先頭のトラックのむこうに、何か車のようなものが見えていた。そっちへ走って行くと……
警備隊のよりひとまわり大きなトラックが、横倒しになって道をふさいでいる。警備隊員たちが、力を合わせてどけようとしているのだった。
「来るときには、こんなものはなかったのにな! 運転していた奴は、どこへ行ってしまったんだ?」
隊員のひとりがどなっているのが、ぼくの耳にも入った。
「…………」
ぼくとハボニエは、再び顔を見合わせた。次の瞬間、ぼくたちはくるりと向きを変え、自分らの乗っていた車のうしろの――エレン・エレスコブの車のほうへと、走り出していたのだ。それは、直感というものであったろう。道に放り出されたままの塵芥《じんかい》や立看板や、自然に枯れて横たわったのかも知れぬ倒木とはことなり、そんな大きな車がこんな場所に横倒しになったまま、運転していた人間も見当たらぬというのは……人為的なこととしか考えられない。わざわざそんな障害を設けるというのは……ぼくたちの行く手をさえぎって、何かしようとたくらんでいるのに決っている――と、あとになればきちんと説明はつくけれども、そのときは、そんな風に脈絡を追ったのではなかった。とっさに、何かがおこりそうだ、おこって当然だと感じて、エレン・エレスコブを守るべく、駈けたのである。
しかし、それでも遅かった位であった。ぼくたちがエレンの車の横に着て、そこからヤド・パイナンが、別の車から他の護衛員が出ようとするのを制止しようとした折も折……右手の樹々の中に、人間の頭らしいものがふたつ出現して、何かをこちらへ向けるのを認めたのだ。
「敵だ!」
ぼくは叫び、身を低くした。同時に二発の銃声がひびき渡り、弾丸が空気を切る音が消えて行った。車を出た、あるいは出ようとしていた人たちも、みな、腰をかがめるか伏せるかしている。敵は樹々の海の中から首を出して襲って来たので……こちらも身を低くすれば、当面は安全なのだ。
あと……銃声は聞えない。
ぼくは他の人々にならって腰のレーザーガンを引き抜き、そろそろと首を伸ばして、さっきふたつの頭が見えた方向の樹海を窺《うかが》った。たちまち二、三発の銃声がおこり、ぼくはまた姿勢を低くした。今度はさっきと逆の右手、車の進行方向からいえば右側の樹林から襲って来たのだ。
道の前方を見やると……警備隊員たちもみな、腰をかがめている。ひとりが横転したトラックの蔭から首をもたげようとしたが、たちまち数発の銃声がおきて……元の姿勢に戻った。
「かなりいるな」
ヤド・パイナンが低くいった。
「釘《くぎ》づけですな」
護衛員のひとりが応じた。「こっちの居場所ははっきりしているし、むこうは樹海にちらばってひそんでいる。形勢有利とはいえません」
「敵は何者かわからんが、目的はエレン様の仕事の妨害だろう」
ヤド・パイナンはいった。「お命を奪うつもりか、グマナヤ市に入れなければそれでいいのか……とにかくここでじっとしているわけには行かない。といって前方の障害物を撤去しようとすれば、そっちへ集中的に撃って来るだろう」
「飛行します?」
と、ノザー・マイアン。
ヤド・パイナンは、ちょっと考えた。
その間、ずっと銃声は聞えなかった。ぼくたちが全員、樹の高さより上に首を出さないから撃って来ないのかも知れない。
「いや」
ヤド・パイナンは首を振った。「やはりそれはまずいだろう。聞いたところでは、島の上空を飛行したために、市に入るのを拒否された例もままあるらしい。それに……むこうがこんな風に、あまり積極的に出て来ないところを見ると、われわれが辛抱し切れなくなって飛行するように持って行く気かもわからん。それで充分、われわれのグマナヤ市入りを防ぐことが出来るんだからな」
ぼくは、パイナン隊長の推理が、結構いい線を行っているのではないかと思った。敵が本気でぼくたちをやっつけるつもりなら、こんなまだるこい攻めかたはしないはずである。もちろん、だからといって、敵を軽視するととんでもないことになるだろうが……。
「エレン様」
ノザー・マイアンが低く叫んだのはそのときだった。
開いたままになっていた車のドアから、エレン・エレスコブが身体をかがめて、顔を出したのだ。
「あまり遅くなるわけには行きません」
エレンは、強い決意を顔にあらわしつついった。「グマナヤ市のわたしたちの勢力は、わたしの到着時刻に合わせて工作をして来たのですから。タイミングがずれればそれだけ悪影響が出ます、何とかならないの? ヤド・パイナン」
「やってみましょう」
ヤド・パイナンは冷静に答えた。
「頼みます」
エレンは引っ込んだ。
そこへ、前方から警備隊の中級隊員が走って来た。
「私たちの隊長からの伝言であります」
中級隊員はいった。「現下の情勢では、障害物の撤去を強行するしかないと思われますが、隊の武器は不足です。全部で四丁のレーザーガンしかありません。応援して下されば有難いとのことです」
「わかった。そちらへふたり、後方の敵が出て来るかも知れないから、そっちへもふたりつけよう」
ヤド・パイナンは答え、ぼくたちに命令をくだした。
前方に、ハボニエとぼく。
後方へは、ふたり。
ヤド・パイナンとノザー・マイアンはその場に残った。エレンの車を放っておくことは許されない。
ぼくとハボニエは、レーザーガンを握りしめて、前方へと、背中を丸くして走った。
警備隊員たちは、待っていた。
「頼むぞ」
士官補が短くいう。
「どうですかね」
ハボニエも、短く答えた。
「護衛員は腕達者がそろっているでしょうが、こっちだってそこそこやるつもりですよ」
中級隊員が、妙にやさしい声を出した。
ヤスバはぼくを見て、にやりとしただけである。
ぼくは何もいわなかった。
「それでは……おれたちがあの馬鹿者共をやっつけている間に、お前らは車をどけてしまうんだ!」
士官補は、腰に棒しか吊っていない補助隊員たちを見廻して命令すると、こっちへ視線を移して、いった。
「よし。ではそっちのふたりは左側、こっちのふたりは右側の敵に当たれ。おれは両面をやっつける。行くぞ!」
士官補は素早く首を出し、レーザービームを発射した。一パルス、二パルス……すぐに身をかがめる。
ぼくはハボニエと一緒に立ちあがった。視野の樹海に、三つ、黒い顔があった。そうと見て取ったときには、すでに数パルス射出しており……相手が倒れたかどうか不明のうちに、頭を低くした。ハボニエはややおくれて身を沈め、入れ代ってぼくがビームを射出した。一瞬、前面の樹海には誰もいなくなったと思うと、たちまちふたりが首を出した。その両方にパルスを浴びせて、またしゃがみ込む。
すでにそのころには、後尾の三人(ふたりの護衛員と、後尾の一隊を指揮していた初級隊員)が、ぼくたちを援護して、撃ちまくっていた。
首を伸ばしてはレーザービームを何パルスか発射し、また低くなる――ということを何回やったであろうか。突然、そのぼくの耳に、あちこちからの銃声がよみがえって来た。それまでは何の物音も意識していなかったのだ。聞えていたはずであるが、自分ではそうと感じなかったのである。ぼく自身では落ち着いていたつもりだったが……本物の撃ち合いはこれが最初なので、やっぱり無我夢中だったのだろう。だが、そうと自覚してからは、ぼくは自分自身を取り戻した。敵を視界にとらえてはレーザービームをぶつける、ということを、的確にやってのけられるようになったのだ。一度などは、相手が銃を放して樹々の間に没するのも見届けることが出来た。
そうはいうものの、これが滅茶苦茶なまでに相手に何かをぶっつけようとする気持ちと、不思議に白っぽい計算ずくの感覚の混合物であり、いつやられるかわからぬ修羅場《しゅらば》であることに変りはなかった。ぼくは捨て鉢になっていたわけでもなく練習のようなつもりになっていたわけでもない。まして勇み立ってなどはいなかった。要するに、半分は訓練によって得た反射神経のなせるわざであり、半分はそうするしかないという気力がぼく自身を支えていただけのことである。
どの位の時間、ぼくたちはそうしてたたかっていたであろうか。いつか、敵が頭を出して撃って来る頻度は、ぐっと低くなっていた。
「そうれエ」
「どうだあ」
声が、ぼくに届いた。つづいて、どんというひびきがあった。それを……ぼくは……補助隊員たちが横転していたトラックを道のわきへころがすのに成功したと悟るまで、少しひまがかかった。
もはや、目前の樹海には、誰も現われようとはしなかった。ぼくたちが全部をやっつけたのではないことはもちろんである。敵はこっちが障害物を除去したのを知って、撃ってくるのをやめ、ひそみながら樹々の間を縫《ぬ》って、どこかへ逃げて行くなり集結するなりしているのであろう。
それでもぼくは、まだしばらく、レーザーガンを構えたまま、ひろがる樹海をみつめていた。
「おしまいらしいな」
ハボニエが呟いた。
「そうらしい」
ぼくは受け……反対側の樹林をかえりみた。そちらは一条か二条、黒いけむりがあがっている。レーザーのパルスを連続的にぶつけられたところにたまたま枯れた樹があって、火がついたのであろう。ぼくは基礎研修のとき、ヤスバが敵を完全にやっつけるためにはということから、ともすればレーザーのエネルギーを消費する癖があったのを思い出した。ヤスバがやったことかも知れない。ぼくはヤスバを見、ヤスパはこっちの気持ちを察したらしく、レーザーガンを振ってみせながら苦笑まじりにいった。
「そうさ。おれの癖はどうしても治らないんだ。むしろ、だんだんひどくなる。グマナヤ市に戻ったら、すぐにエネルギーを補充してもらわないとな」
それに応じてヤスバと喋り合う余裕は、しかし与えられなかった。
「出発!」
士官補が叫んだのだ。
ヤスバを含めて警備隊員たちは、それぞれの車へと走り、ぼくもハボニエと一緒に、もとの車に戻った。車の列はゆっくりと進みはじめた。こちらには損害はろくになかったようである。
「今の連中、何者だろう」
ハボニエがいった。「あの樹林の中へ入って行って、死体か負傷者を調べれば、わかるかも知れんな」
「かもね」
ぼくは返事した。
「だが、あそこは広いから、そう簡単には見つからんだろう。それに連中は、負傷者はもちろん、死体も運んで行ったかも知れん」
「ああ」
ぼくはいった。
それはあまり気のない口調だったのはたしかである。ぼくはそういうことよりも、もっとぼく自身にかかわる事柄に、心を奪われていたからだ。
というのは……その時分になって、ようやくぼくは、自分が人を殺したのだという事実を認識し、そのことを反芻《はんすう》していたのである。あのときは必死で、戦闘者になり切っていたので、まだぴんとは来なかったけれども……今となればそういうことなのであった。ぼくは何人もの人間をレーザーガンで撃った。かれらがみな死んだとは保証の限りではない。とはいえ、すくなくともひとりにはまともにビームを命中させ、そいつは銃をほうり出して倒れたのだ。あれで生きているとは思えない。
ぼくは警備隊員である。
護衛員である。
となれば早晩、任務のために人殺しをしていたであろう。そうと命令されればためらいなく人を殺せ、ともいわれていたのだ。だけど殺人はやっぱり殺人である。気分のいいものではない。
その通りであった。
ぼくはむかつくような感じを味わい、自分がそんな立場にあることについて、おのれをあわれんでもいた。
しかしながら……ぼくが考えていたのはそのことではない。それは当然味わうことになるであろうと覚悟していたのだ。奇妙なのは、その良心の声というべき後悔と気分の悪さが、意外にもぼくを圧倒し切るほどのものでなかった――ということなのであった。自分はもっと悩むはずだ、たしかに悩んではいるが、こんな程度のものではなかったはずだ、という感じなのである。
なぜだろう。
心の呵責《かしゃく》が予期したほど強くないというのは、どうしたことだろう?
ぼくは、殺人のための技術をずっと学んで来た、そのせいなのか?
あるいは、いずれ人を殺さなければならなくなると思って、心の底でそのときのためのクッションを用意していたからか?
でなければ、以前にマジェ家の警備隊員とあぶなく殺し合うところだった、そのときの意識が尾を曳《ひ》いていて、今更何ということもなくなったのか?
いや。
これは、じっとしていると自分のほうが殺される、そういう場だったからか? 自分を守るためにやむなくやったことだから、そんなにこたえないのか?
それに、まだ理由は考えられる。ぼくは遠く離れたところにある標的として、人間を撃ったのだ。ぼくは相手が苦悶の表情を浮かべて死んでゆくのを実際に見たのではなかった。いってみれば無機的な殺人だった、そのためなのか?
わからない。
そのどれもが本当であり、しかもそのどれもがすべてではないのであろう。
そう思いながら……どうしても妙なのであった。どうも割り切れないのである。
「そうじゃないか?」
ハボニエがいっている。
「え?」
ぼくは、顔を挙げた。
「あいつらが何者であったかは、おれにはわからん。お前にもわからん。調べても、わからないままかも知れん」
ハボニエはつづけた。「だがな、あいつらはエレン様を狙《ねら》い、エレン様のやろうとしていることを妨害しにやって来た、そのことには間違いあるまい」
「そりゃそうだ」
ぼくは答えた。あまり話したくない気分だったが、黙っているわけにも行かなかったのである。ぼくは少々不思議だった。いつもならどちらかといえば、ぼくよリハボニエのほうが口が重いのだ。何かいいたい事柄があって喋りはじめればよく喋るけれども、いつもそうではない。そのハボニエが、いささか多弁に過ぎるのである。
「だからおれたちはたたかった。レーザービームを発射した」
と、ハポニエ。「おれたちはそうするように訓練されているんだ。それが職務なんだよ。われわれは、やらなければならないことをやった」
「…………」
「しかし、さ。その結果を噛みしめるのは本人の問題なんだ。どう感じようとそれぞれの勝手だが……何もかも自分でかかえ込んで行くしかない。いってみれば、それだって職務なんだな」
「職務?」
ぼくは驚いて、ハボニエを見返した。
「職務だとも」
ハボニエは頷いた。「どんな仕事でも、おのれのやったことは、おのれの内部に全部ひっくるめてかかえ込まなきゃならないのさ。それも仕事のうちなんだ」
「…………」
ぼくは、そこでやっと、ハボニエがなぜ多弁だったか、何をいおうとしていたのかを了解した。
ハボニエは、ぼくの心をある程度読み取っていたのに違いない。ぼくの気持ちもそれなりに察知していたのかも知れない。そして……同情もなぐさめもせず、おためごかしもいわず気休めもいわず、とにかくひとりの人間として、耐えなければならないことには耐えるしかない――と、いいたかったのだ。いってみれば、好意的ではあるが突っぱなしてくれたのである。
そんなものなのかも知れない。
「自分は自分……かね」
ぼくはいった。
「まあな」
ハボニエは鼻にしわを寄せた。それきり彼はこのことについて、何もいわなかった。
何キロか樹々の間を通っていた道は、グマナヤ市に近づくと、再び海岸沿いになった。ただし今度は砂浜ではなく、岸壁になっている。市の大門から外は港だそうだから、なるほどそうあって不思議ではなかった。その道もゆるやかな登り坂になり、左手の樹林がなくなったと思うと、円筒形の高い構築物がいくつも見えて来た。ぼくはそれがグマナヤ市かと思ったのだが……車は横を通り過ぎた。構築物は構築物でも、人間が居住するためのものではなく、食糧か原料かを保存するための倉庫のようである。
そして、グマナヤ市は、唐突にぼくたちの目の前に現われた。
唐突というのは、何も大げさな形容ではない。実感としてそうだったのだ。道が登りであったせいで近くまで来ないと目にすることが出来なかったし、しかも、市にはカイヤント市のような城壁がなく、低い家々がつらなっているその一角に真赤に塗られた二本の柱があって――それがグマナヤ市の南門だったのである。
門は柱だけで、扉もなく、受付らしいものもなかった。ぼくたちの車の列は、誰に咎《とが》められることもなく町の大通りに入って行った。
大通り、と、ぼくはいった。
疑いもなく、それは大通りである。はばは優に四十メートルはあるし、車道と歩道も区別されている。中央分離帯には草が植えられ、門を入ってすぐのところには金属の細い柱が並んでさえいた。その高い細い柱は旗竿《はたざお》なので……それぞれにいろんな家の紋章《もんしょう》の旗が掲げられている。第一級の、つまりサクガイ家とかマジェ家とか、さらにその次位に来るラスクール家やホロ家といったところの旗もなかった。ラスクール、ホロ級の家ではヨズナン家位であろうか。それも当然の話で、このグマナヤ市は、一流の下から二流どころの家々が共同で出資し経営している植民都市なのであり、その家々の旗を掲揚しているのであった。もっとも、ひと昔前までの序列ではエレスコブ家はこの中で中の上か上の下に位置していただろうが、現在の実勢から行けば、ヨズナン家に匹敵《ひってき》するか、見ようによってはそれを凌《しの》ぐ力をもっているのだから、ここではトップクラスなので……そんな旗のことなど云々《うんぬん》しても、あまり意味はないかもわからない。
ま……ここまではいいのだ。
しかし、その大通りの路面というのが、赤い土を踏み固めているだけの、がたがたの代物《しろもの》であり、歩道にしたって段差があるばかりなのである。そして決定的なのは、通りの両側の建物であった。商店もあれば事務所らしいものもあり、何かの加工場や住居もあるのだが、ことごとく平屋か二階建であった。大通りから見ても、背の高い建物というのは見当たらない。せいぜい三階建か四階建がちらほらと点在する程度なのだ。カイヤント市が城壁にかこまれたビル群の市だとすれば、このグマナヤ市は、城壁を取り払って平らに押し潰したようなものであった。それぞれの建物には煉瓦造りもあり木造もあり、石造、コンクリートのものもあって、ひとつひとつが結構|意匠《いしょう》をこらしているものの、全体としては雑多であり、ごちゃごちゃしている印象はまぬかれないのだ。
それに町中にはやたらに看板がありポスターが貼られている。まことにけばけばしい。それらの中でも、ぼくが広場からの道で気がついた毒々しい看板、カイヤントの都市は団結せよ! というのが、いやに多いのであった。全く……雑然としていた。
そうなのだ。
この感じは、ぼくたちがはじめに到着したあの広場、そこからの道にそっくりだった。あれがそのまま町になっているともいえる。いや……本当はあの広場やあの道は、本体であるグマナヤ市を反映していたのだ。
ただ、行き交《か》う人々の動きやその表情は、カイヤント市にくらべて、いきいきとしていた。
活気に満ちていた。
なぜこの市がこうなのか、ぼくには多少わかる気がする。ここはネイト=カイヤツ直轄のカイヤント市のように、権威を背負い、権威と集散能力によって他の一般の植民都市より優位に立っている官僚都市ではないからであろう。ここにはいくつもの家の勢力が集まり、お互いに競争し合っていて、その競争が雑然とはしているが活気となって表われているのではあるまいか?
もっとも、ぼくはそんなことばかり考えてはいられなかった。ぼくがちらちらとそんな印象と想念を弄《もてあそ》んでいるうちに、車の列は大通りを進み、やがて直角に交差する同じような通りに入った。
その正面に、この町にしては図抜けて大きな(といっても赤い煉瓦を外壁に貼りつめた五階建だが)円屋根を有する建物が見え、車の列はそっちへと近づいて行く。
どういうわけか、その通りは人間が多かった。男や女、年配の人や若い連中、それに子供たちまでが出て来ている。それも、歩いているのではなく道の端にひしめいているのであった。例の毒々しい、カイヤントの都市は団結せよ! という立看板やポスターは、目立って増えて来た。
それから……ぼくは何となく、どきりとした。
それらの群衆を整理しているのは、エレスコブ家の警備隊員なのだ。群衆に比してあまりにも小人数だけれども、百人やそこらはいるであろう。それらの隊員が人々を、車道に出ないようにと、必死になって押しとどめているのである。
車の列は、円屋根を持つ建物のすぐ前に来た。どう見てもそれは集会場かホールなのである。
車の列が停止した。ぼくの乗っている車もとまった。
前の二台のトラックから、警備隊員たちが馴れた動作で降り立った。最後尾のトラックにいた隊員たちも、前の方へと走って来た。かれらは円屋根の建物まで二列になって、道を作った。
「第八隊員、エレン様の周囲を固めよ!」
車のスピーカーが、ヤド・パイナンの声を伝える。
ぼくとハボニエは、車を出て、うしろの車へと駈けた。出て来るエレン・エレスコブを待って、隊形を組み、レーザーガンをいつでも撃てるように、抜いて、手に持った。
エレンが車から降りた。
そのとたんに、群衆が、どっと叫び立てたのである。
ぼくは緊張のあまり、頬がけいれんするのをおぼえた。
群衆というものは、ただでさえ警戒をおこたれない対象である。それがいっせいに叫び声をあげたのだから、ぼくは全身が神経になったような気がした。
が……そんな状態は、逆に人間の判断を歪《ゆが》め、動きを鈍らせるものだ。次の瞬間、ぼくは平常心を取り戻し、筋肉をいつでも反応出来るよう、やわらかくした。
そして、そのときには、人々が歓呼しているのだという事実が、頭の中に入って来たのだ。
むらがった人たちは、手を振り、大声をあげていた。エレン! エレン! という言葉が飛んで来るのである。いやもちろんそれだけでなく、よく聴き取れないものもまじっているし、その中には非難・怒号のたぐいもあるのかも知れないが、全体としては、待たれていた印象なのであった。
エレン・エレスコブは、警備隊員たちが二列になってあけた道を、ゆっくりと歩いて行く。ぼくたちはその周囲を固め、油断せずに進んだ。ぼくの斜め前を行くエレンは、群衆にこたえて会釈したり手をあげたりしていた。
建物の中に入るまで……長い時間がかかったように思えたけれども、実際は一分も経たなかっただろう。
ぼくたちはその隊形のままで、通路を行き、階段をあがって、控室《ひかえしつ》に到着した。控室からふたりのエレスコブ家警備隊員が出て来て、ドアをあけ、エレンを入るのを待った。うながされて、ぼくたち護衛員も中に入った。
室内は、エレンとぼくたちだけになった。
「もうしばらくすると、エレン様は舞台に出て、演説をなさる」
ヤド・パイナンが、あまり大きくない声で告げた。「聴衆には、エレスコブ家からの工作者や動員された者もいるが、大半は自発的に来た人々だ。かれらの気分をそこねてはいけないので、入場にさいしてのボディチェックは行なわない。われわれなり他の警備隊員なりが舞台へ出てエレン様をガードするということも出来ない。それだけに厄介だ。聴衆の中には特殊警備隊員もまじっているはずだが、そのことは忘れろ。エレン様を護衛するのは、われわれだ」
パイナン隊長はそれだけいうと、ぼくたちをふた手に分けて、室の壁ぎわに佇立させた。
ドアがノックされて、人が入って来た。エレスコブ家のカイヤント駐在のメンバーとか、グマナヤ市の幹部とかだ。かれらはエレンに挨拶《あいきつ》をし、よろしくお願いしますというと、出て行くのである。きわめてみじかいやりとりであった。それが幾組かつづいた。
そうした来訪と退去の間に、ぼくは、建物の中に人々が入場して来る気配を、感じ取っていた。こういう催しの場合、先に人を入れておくのが一般的なはずだが、警備の必要上そうしたのかも知れない。エレンが来るまではこの建物(挨拶に来た人々の話では、グマナヤ公堂というらしかった)に無用の人物がいないのを確認しておく、というやりかたをとったとも考えられる。それとも、別に、エレンの到着を見せておいて、あと、多少の混乱は承知の上でどっと入場させ、熱気や期待をあおるつもりだったのか……ぼくには何ともいえない。いずれにせよ、控室に聞えて来る人々のざわめきがだいぶ低くなったのは、みなが着席し終ったからであろう。あれだけの人数を全部収容出来るとは考えられないから、立っている人もあるのかもわからないが……ともかく、それぞれの場所を得たのには違いない。
そして、それを待っていたかのように、同行の内部ファミリーが控室に来て、お願いします、と、いったのだ。
エレンは頷いて立ちあがる。
先導するのは、カイヤントのグマナヤ市|駐在《ちゅうざい》のエレスコブ家の人間と、出番を知らせに来たその内部ファミリーだ。
ぼくたちはエレンの前後左右をかこんで、控室を出た。
警備隊員が何メートルおきかに距離を置いて立っている出演者用の通路を抜け、金属の扉を開いて、舞台下手の袖《そで》に来る。
そこまでの間に、ヤド・パイナンは、ぼくたちそれぞれに、持ち場を指示していた。
舞台では、グマナヤ市の幹部だという男が、ライトを浴び、演壇に両手をついて何か喋っている。
エレンは待機のため、椅子にすわった。
「よし。行け」
ヤド・パイナンがみじかく命令すると共に、ぼくたちは、自分の持ち場へと急いだ。
ぼくは舞台上手から下へ降りた壁ぎわである。
ぼくは、幕のうしろを通って、上手へと行った。ハボニエも途中まで一緒だった。ハボニエは上手の袖、観客席を見るためのカモフラージュされた小窓の下を受け持つことになっていたのだ。
舞台上手の袖へ来て、ぼくは、幕の間から身を出し、一番端のところから下へすべり降りた。ライトが舞台中央に集中していて、観客席も暗かったから、あまり目立たなかったはずである。
しかし、ぼくは簡単に自分の立つ場所を確保したわけではない。ぼくが降りたそこは、男や女で一杯だったのだ。そこだけではない。場内は満員だった。どの壁面にも人が立っており、通路にしゃがんでいる者もたくさんいたのだ。ぼくがそんな場所に入り込んで来たので、うるさそうに鼻を鳴らした人だっている。ぼくは仕方なく少し移動し、はじめの予定よりは舞台からやや遠い壁ぎわに来た。与えられた命令に変に執着《しゅうちゃく》して、まわりの人たちに文句をいわれるよりは、そうしたほうがいいと判断したのである。
ぼくが移って行ったそのあたりの人々は、黙って身体を動かして、場所をあけてくれた。その人たちは、何かの団体らしく、頭巾《ずきん》のついた白衣に、黒い帯を締めている。頭巾をかぶったままの者も、うしろへ外している者もいた。暗いのでよくわからないが、白衣といっても純白の上等なものではなく、布を生地のままで仕立てた粗末なものであった。よく見ると、そういう格好の人は、そのあたりの十数名だけでなく、場内のあちこちにだいぶ居るようである。頭巾つきの白衣はなくて、黒い帯だけの人も結構目についた。
それらを見て取って……ぼくにはゆっくりと観察しているゆとりはなかった。ぼくの役目は、舞台に出て来るエレン・エレスコブを守ることなのだ。ぼくは直ちに舞台に注意を戻し、腰のレーザーと剣に軽く手を当てて、いつでも使える態勢をとった。
拍手が湧きおこった。
喋り終えたグマナヤ市の幹部が、ふかぶかと頭をさげ、引き揚げて行くのだ。
代って、エレンが姿を現わした。
猛烈な拍手がはじまった。波のように盛りあがり、それが、エ、レ、ン、エ、レ、ン――という合唱になって行く。
エレンは演壇の前まで来ると、一礼し、まだつづいている声に対し、微笑しながら片手をあげた。
聴衆は、みるみる静かになった。
「グマナヤの皆さん!」
エレン・エレスコブはいいだした。「わたしエレン・エレスコブは、皆さんにお話をするため、こうして参りました」
また、拍手がおこった。だが今度は長くなく、すぐにエレンの話を聴く雰囲気《ふんいき》に還《かえ》った、
「グマナヤの皆さん。グマナヤ市とは何でしょう。カイヤントの都市とは、何でしょう」
エレンは澄んだ、張りのある声でいう。マイクにもよく乗っていた。「いうまでもありません。それはネイト=カイヤツの一部です。きわめて重要な一部です」
「…………」
「しかしカイヤントの諸都市は、それにふさわしい待遇を受けているでしょうか? 皆さんはネイト=カイヤツの一員として、それだけの暮らしをしているでしょうか? そうとはいえない、と、わたしは聞いていました。こちらへ来て、自分の目でも見ました。そうなのです。カイヤントの諸都市は、不遇なのです。おいしいところはみな吸い取られて、苦労だけをひっかぶっているからなのです!」
同意のざわめきが、場内にひろがるのをぼくは聞いた。
「なぜ、こんなことになったのでしょう? なぜ、こんなことがつづかなければならないのでしょう?」
エレンは両手をひろげた。「それは、わたしからいうまでもありません。皆さんのほうがご存じです。カイヤントは、カイヤツに利益を吸いあげられ、そのカイヤントでは、ネイト=カイヤツ直轄のカイヤント市と第二カイヤント市が輸送や物資その他のすべてを握り、他の都市をコントロールしているからなのです。そればかりか、都市どうしが争い、都市の内部でも争うように仕向けて、この状態を持統させるように、いろいろとあやつっているからなのです」
「そうだ!」
どこかから、誰かが叫んだ。
「カイヤントの諸都市は、団結しなければなりません!」
エレンは声をはりあげた。「団結することによってカイヤント市や第二カイヤント市の専横《せんおう》をくつがえし、カイヤツのわがまま勝手をとめることが出来るのです!」
拍手がおきた。
エレンは話しつづける。
そうなのであった。
エレン・エレスコブは、カイヤントの諸都市、それもネイト=カイヤツ直轄市以外の都市に団結を呼びかけ、ひとつになれと訴えているのである。そうすることで、ネイト=カイヤツ直轄都市の指導力を奪い、カイヤツから収奪されるだけの存在から脱却して、真の自立、完全な自給が達成される、と、説くのであった。
そして、これはぼくの主観だけれども、エレンはこのことを、人々に説得しているのではなかった。説得するためには論理を展開し、数字を挙げ、相手との議論に応じる姿勢が不可欠である。ところがエレンのいいかたはそうではなかった。聴衆もそんなことは求めていないようであった。一応は論理のスタイルをとっていたものの、エレンがやっているのは、聴衆にはすでに充分わかっている事柄を、再確認させ、感情をたかぶらせ、行動への意欲をかりたてようとするものであった。換言《かんげん》すれば、煽動《せんどう》なのである。一種のアジ演説なのである。しかも……ぼくは途中からうすうすと悟りはじめたのだが、そういう植民都市団結の運動は以前からあり、それが現在盛りあがっていて、その中でどういう事情だかは不明だけれども、エレン・エレスコブがその象徴というか、旗じるしに似た存在として受けとられているようなのであった。
さらに。
エレンは、その旗じるしとしての役割を、実にあざやかにやってのけていた。しだいに熱をおびて雄弁になり、聴衆をときには興奮させ、ときには傾聴させながら、話しつづけるのである。
ぼくは、グマナヤ市へ通じる道ではじめて見掛け、市へ入るといよいよ目についたあの看板を思い出した。カイヤントの都市は団結せよ! というあれである。あれは、この運動のために作られたのに違いない。しかもあんなにあたらしく、あんなに数が多いのは……それが組織的に行なわれたのを物語っている。その組織が、グマナヤ市や他の都市のどういう人たちで作られているのかはわからないが、ここでエレン・エレスコブが運動の象徴的存在として喋っている以上、エレスコブ家と全くの無関係のはずはないのだった。
そこまではいい。
カイヤントの、ネイト=カイヤツ直轄以外の諸都市が団結せよというのは、理解できる。正論といっていいからである。カイヤントの人々にとってはそのはずだ。が……なぜそれをエレン・エレスコブがあおらなければならないのだろう。そして、エレスコブ家の当主令嬢・ネイト=カイヤツ別枠議員がそんなことをするのを、なぜこの地の人々が認めているのだろう? (今となっては、カイヤント市における、いわゆるおえらがたが、どうしてエレンやぼくたちに冷淡だったのかはよくわかる。かれらはエレンの今度の行動を予想するか耳にするかしており、それで面白くなかったのだ。ネイト=カイヤツ直轄のカイヤント市としては、建前ではそういう運動を否定しにくいだろうが、内心では叩き潰したいはずなのである)
そのぼくの疑問のはじめのほうの――エレン・エレスコブがなぜこんなことをしなければならないのか、については、どうしてもわからなかったけれども……あとのほうの、この地の人々がなぜエレンを認めているかに関しては、エレンの演説の中の言葉で、どうやら見当がついた。エレンは、カイヤントの諸都市が連合し一体となるためには、人々が心を合わせなければならない、それは当然だけれども、そこで力を貸す組織がなければ、運動は崩壊するだろう。その組織とは家であり、それもカイヤントから巨大な利益を吸いあげカイヤント市を掌握《しょうあく》している家であってはならない。それらと対抗している家で、相応の力を持つ家でなければならない。すなわちエレスコブ家がそうであり、エレスコブ家はネイト=カイヤツ全体のバランスが崩れて弱体化するのを放っておけないから、この運動の仲間になり、資金も出し、力も貸し、みんなと共にやって行くのだ――と、いったのである。そこでぼくは、ある程度了解したのであった。そういう立場のエレスコブ家の人間であるならば……あと、何らかの手を打ちエレンのことを喧伝《けんでん》することで、ここの人たちにも受け入れられ、シンポルとしての存在も可能であろう、と、理解したのである。
エレンの話しかたは、いよいよ冴えて行った。ぼくはエレン・エレスコブの、ぼくが知らなかった一面を見た気がした。それはいわば、ぼくの守備範囲を超えた世界の感覚である。少し不思議な気分でもあった。
エレンが喋りだしてから、四十分位経ったとき。
突然、客席で騒ぎがおこった。怒号が入り乱れ、つづいて、一発の銃声がひびき渡ったのである。
エレンの身には、何もおこらなかった。エレンは話すのを中断したけれども、背を伸ばし落ち着いたまま、驚いた表情もなく、騒ぎのおきたほうへ目を向けている。
ぼくは、そっちへ視線を走らせた。
何人かが、もみ合っているようであるが、客席は舞台のようにあかるくないので、くわしくはわからない。
だが、突然、その部分がライトで照らし出された。
ひとりの女が、ふたりの男に両腕をつかまれていた。男の一方は、短銃を手にしている。女から取りあげたらしいのだ。男たちは女を外へ連れ出そうとし、女は抵抗している。大の男がふたりかかっても、なかなか女を連れ出せないのは、近くにいる十人ほどの男女が邪魔をしているからなのだ。
「出て行け!」
場内のどこかから、声がかかった。
「カイヤント市の手先は出て行け!」
別の場所から、叫んだものもある。
わあわあという声が、ひろがりはじめていた。
が。
ぼくはその騒ぎを、ぼんやりと眺めていたのではない。
ライトに照らされた客席でおこっていることをざっと見届けるや否や、ぼくは人々をかきわけるようにして、舞台中央の下へと走っていた。場内の騒ぎをとりしずめるのは、ぼくたちの仕事ではない。それはここの警備隊がやることだ。ぼくたちは、エレン・エレスコブを守らなければならない。こういう騒ぎになれば、騒ぎに乗じて、また他の人間がエレンを狙わないとも限らないのである。だから舞台中央下に来たぼくは、エレンが何事もなかったように、場内が静かになるのを待っているだけという感じで演壇に手を置いているのを確認すると、向きを転じて、客席の様子を監視した。
場内の客たちの罵声を浴びながらも、腕をつかまれた女とその同類は、頑張っていた。いや、ただ頑張っているというだけではなかった。その何人かがかざした手に、刃物や短銃があるのも見えた。場内の、ののしりの声に悲鳴がまじったが……そのときにはふたりの男は女の腕から手をはなし、かれらに当て身を食わせていたのだ。その機敏な身のこなしから考えて、そしてそのふたりの男が私服なのから推して……ぼくはかれらが特殊警備隊員ではないか、と、思った。エスパーの特殊警備隊員なら、場内のあちこちにいて、エレンに害意を抱き何か行動をおこそうとしている者をマーク出来る。そして行動の直前に取り押えることが可能なのだ。
が、そうして女から手を離したところで、女はもとより、その同類は逃走にかかろうとしていた。当て身で倒れた仲間をそのままに、人々を押しのけ、わめきながら、ふたりの男から離れにかかっていた。こうなると男ふたりでは、とても手に負えない。
――と、こう説明して来ると、随分時間がかかったみたいだが……現実にはごくみじかい間のことである。緊迫した状況下の出来事は、瞬間瞬間が頭に焼きつけられて多くのスチールとなるものだ。だから結構時間が経過したように錯覚するだけである。これら一連の、ばたばたばたとおこった事柄は、銃声がひびき渡ってから三十秒にもならないうちのことであった。
そして、そのときにはすでに、客席の両側から二組の、それぞれ十数名の警備隊員が突入して来ていた。かれらはおのおの、剣を抜いた指揮者にひきいられ、棒を構えつつ現場に迫った。思わず拍手したくなりそうな、秩序のとれた行動であった。事実、場内からは期せずして拍手がおこったのだ。ぼくは、その一方の指揮者がほかならぬヤスバであることも認めた。もうひとりの指揮者と同様、ヤスバの指揮ぶりはみごとだった。ぼくは自分が彼と同期であり友人であるということに、誇りを感じた。たちまちのうちに、かれらは騒ぎをおこした一味をとらえ、二隊合流のもとに、一味の連中を引き立て、出て行ったのである。
この間、ぼくは、騒ぎの推移をみつめると共に、場内を油断なく見張っていた。このどさくさに、別の者が何かする可能性は充分にある。そいつが短剣とか棒とかを携えて演壇へ走り寄るのなら、こちらも剣で食いとめればいいが……今のように飛び道具を使おうとしたらどうすべきか、という問題があるのも承知していた。客席から銃やレーザーでエレンを撃つとして、そして特殊警備隊員が事前に取り押えるのに失敗したとすれば……ぼくはそいつをレーザーで撃つべきであろうか? 答えは否であった。こっちから客席に向かって撃てば、他の人をも殺しかねない。それがどんな結果になるか、ある程度の予測は出来る。ここへ来ている人たちは、ヤド・パイナンの言によると、大半は自発的にやって来た人々であり、しかもぼくの見たところ、エレンの支持者が圧倒的であった。かれらに反感を抱かせるのはまずいのだ。だからこそエレンの警備にしても、出来るだけかれらの目に立たぬよう、かれらが警戒されていると感じないように配慮し、安全性を犠牲《ぎせい》にしてまで、こんな開放的な神経を消耗《しょうもう》するやりかたをとっているのである。そんな状況下で、エレンの味方であるはずの無関係な人間をあやまって殺したりしたら、マイナスは測り知れない。となると……もしも客席から誰かが立ちあがって(すわったままでもいいが、それでは狙いをつけにくいだろう)エレンを撃とうとしたとき、ぼくはどうすればいいか? 方法はひとつしかなかった。ぼく自身が演壇へ駈けあがって、エレンを突き飛ばし、弾を外らせなければならない。それはぼくが撃たれるのを覚悟しての行為である。そうなっても已《や》むを得なかった。これは損得などとは無縁の話である。ぼくはいざとなれば反射的にそうしていたであろう。だからぼくは、騒ぎのなりゆきを見守る一方で、客席に不審《ふしん》な動きをする者がいないかと見廻すことも忘れなかった。それはそんなにむつかしい作業ではなかった。というのは、人々のほとんどは騒ぎのほうへ目をやっており、こっちを向いているのは一部に過ぎなかったからである。人間のこうした集団では、こっちに顔を向けている者は、顔が白く浮かびあがる。その浮かびあがった総合の感じに変化があるかどうか気をつければいいのだ。それが少数であればあるほど、注意は行き届くわけであった。そしてさいわいなことに、妙な動きをする者は誰もいなかったのだ。
騒ぎが一段落すると、人々は再びエレン・エレスコプに注目した。
ぼくは演壇の下に突っ立っているわけに行かないので、人々の邪魔にならない、そしてさっきよりは舞台に近い壁ぎわへと後退した。
エレンは、微笑しつつ、話を再開した。まず今の騒動を引き合いに出して、自分たちにはああした敵がいること、その敵はどんな卑劣《ひれつ》な手段も辞さないことが、はからずも証明されたのだといい、喝采《かっさい》を浴びた。それからさきほどまでの本題に戻ったのだ。
今の騒動をもう少し利用すれば、さらに効果的ではないか、と、ぼくはひそかに考えたが……それは素人の浅知恵だったようである。
エレンのやりかたは、もっと巧妙だった。エレンは人々が、ぼくと同じようにもっと今の事件について語ってもらいたいと感じているのを、知っていたのだ。知りながら、先刻までの話をつづけ、聴衆を高揚させ、高揚させたところで、いい切ったのである。
「きょうのようなことは、これからまた、たびたびあるでしょう。わたしが殺されることもあるかも知れません。でもそれでいいのです。わたしはいいのです。皆さんが、わたしのしかばねを越えて進んで下さるならば……そしてついにはカイヤントの諸都市が団結し、団結することでネイト=カイヤツの健康な未来が得られるならば……わたしの命など、惜しくはありません。わたしたちの合い言葉はひとつです。カイヤントの都市は団結せよ!」
それが、演説のしめくくりであった。人々は、嵐にも似た歓呼と拍手を送った。
そう。
もしここで……いやここでなくても、カイヤント上のどこかで、エレン・エレスコブが殺されたら、人々はいきり立つであろう。エレンを英雄として殉教《じゅんきょう》者として、まつりあげるに違いない。
あるいは、エレンの心の底には……またエレスコブ家の暗黙の合意としては、それならそれで、おそるべき効果をあげる――というつもりがあったのではないか――と、ぼくは舞台へあがり幕のうしろを走りながら、考えていた。エレン・エレスコブが、死ぬのを覚悟の上で今回のカイヤント行きを敢行したというのは……むろん無事に帰着出来ればそれにこしたことはないけれども……たとえ死ぬことになったとしても、無駄死ににはならないとわかっていたからこそ、決行したのではあるまいか? また、それがエレン・エレスコブという、身分と美貌《びぼう》と才能と決意の持ち主であるからこそ、殉教者に仕立て易いのではなかったか? この運動においてエレンをシンボルとすべく、さまざまな準備や画策《かくさく》がなされたことを、ぼくはもう疑わなかった。そしてそのシンボルにもっともふさわしいのがエレンだとされたのも、当然といってもいいかも知れない。
それと……ぼくは今のあざやかな演説のうちに起きたあの騒動が、結果としてはまことにタイミングのよい演出になっていたのを、認めないわけには行かなかった。ひょっとすると……あれは、作為的になされたことではなかったか、という気もする。雇われた人間が、エレンを狙撃しようとしてつかまるという寸劇が用意されていたのかも知れない。いや、それは考え過ぎで、あくまで偶発事だったのか……。偶発事だということにしておこう、と、ぼくは思った。護衛員としてはそう解釈するのがいいのである。今後また何がおきるかわからない以上、うがった見方をして疑心暗鬼になり、本気で護衛の任務をしなくなったりしたら……ま、もちろんそこまでは行かなくても、これもお芝居だろうかとの心理が僅《わず》かでも働くことで、こっちの能力の発揮度は減殺《げんさい》されるであろう。素直に今の事件を受けとめておくべきだ、と、ぼくは自分にいい聞かせた。
だが……こんなにまでして、エレン・エレスコブが、またエレスコブ家が、カイヤントの諸都市の団結に肩入れしなければならないのは、どういうわけであろう。なるほどぼくには、ある程度の想像は出来る。エレスコブ家は伸張をつづけているとはいえ、カイヤントではそれほどの力はない。カイヤントでは自家経営の都市は持たず、グマナヤとかその他の都市に他の家々と組んで経営の一翼を担っている程度だ。従って植民都市から利益をあげるには至っていないか、あげているとしても微々たるものだ。そういう現勢を、カイヤントの都市群の序列や力関係をひっくり返すために、都市の団結をあおろうということがあるのかも知れない。団結に失敗しても既成秩序に混乱を生じさせることが出来るし、もしもネイト=カイヤツ直轄都市以外の都市をひとつにすれば、そこでのリーダーシップを背景に、ネイト=カイヤツでの立場を向上させることが出来よう。多分そんなところだとぼくは思う。エレスコブという家≠ェ、単にカイヤントの植民都市の窮状に同情して味方になるというような、政治経済のメリットを無視した挙に出るはずがないからだ。しかし……それでもなお、そのために最悪の場合、飾りものどころか有力な人材である当主令嬢の生命が奪われるかも知れないという危険をおかしてまで、こんなことをする必要があるのだろうか? ほかにも何かあるのではないか……と、ぼくは思ってしまうのであった。それとも、ぼくが甘いので、それだけの理由ででも、中枢ファミリーのひとりやふたりは犠牲を覚悟するのが、家というものなのか?
――といった、幕のうしろを走る間の想念は、舞台下手の袖に来たところで、中断せざるを得なかった。舞台から退いて来たエレンを、戻って来たみんなで護衛して、さきの控室へ引き揚げなければならない。雑念を追っていることは、許されないのであった。
それにしても、この演説を耳にすることで、ぼくのエレン・エレスコブに対する気持ちというものに、またあたらしい要素が加わったのは、否定出来なかった。自分が護衛すべき対象であるエレンが、多くの人々の注目と関心の的になっているのは悪い気分ではないし、その一方で、嫉妬じみた気分もないわけではない――と、ぼくはかつていったことがあるけれども……今度の演説のやりかた、聴衆の支持を見聞きするうちに、エレン・エレスコブには、ぼくには到底手の届かない部分があるのを悟ったのだ。それはいってみればぼくには未知の、どこか得体の知れない世界であって、へたに足を踏み入れたりすると、とんでもないことになりそうな感じのする領域である。エレンはそうした世界をもわがものにしている、そうした世界の住人でもあるということが、少しわかって来た感じであった。そしてぼくは、以前にハボニエからエレンについていろいろ訊き出そうとしたとき、ハボニエがくわしい事柄については答えず、彼女がどういう仕事をしているか知らず、また、知ろうとも思わない、と、いったことを、はからずも思い出したのである。それは、今となってみれば……へたに知ろうとしても、そう簡単にはつかめない世界をも、エレン・エレスコブは持っている、ということが、ハボニエにはすでにわかっていたから、そんな答えかたをしたのではないか――という気もするのであった。
グマナヤ市には、ぼくたちは長くとどまっていなかった。エレンの演説が終った三十分後に、ぼくたちはグマナヤ公堂を出て、車に乗り込んだのだ。きょうの夜には次の目的地である友愛市に到着し、そこでまたエレンは演説するというのである。
グマナヤ公堂を出るときには、また多くの群衆が手を振り、歓呼をした。警備隊員らが走り廻って道をあけ……ぼくたちの車の列は動きだした。
車の数は、来たときよりも二台増えている。トラック三台は前のままだが、飛行車が六台になっていたのだ。おそらくこれは、さきの演説のときの事件を考えて、警備をさらに厳重にしようということだろう、と、ぼくは考えた。
車の列は大通りを進んで行く。人々はまだ叫んでいた。追って来て手を振る者も何人かいた。
が……交差点を曲ると、そうした人々もいなくなった。しばらく見えていたグマナヤ公堂の円屋根も見えなくなってしまった。
そうなると、来たときには何とも思わなかったが、町を行き来する人たちのことが、妙に意識されて来るのだ。そうした人たちは、グマナヤ公堂で行なわれたエレンの演説とは無関係の、おそらくはカイヤントの都市の団結についても、ほとんど興味も関心もない人々に違いない。あのグマナヤ公堂にいたときには、まるでグマナヤ市全体がそのことで沸き返っているような錯覚におちいったけれども……町全体としてはもっと日常的で、ふつうの生活が行なわれているのであろう。そう考えると何となく奇妙な気分だったが、これが現実というものかも知れなかった。そうした、ふだんのペースを守っている人たちまでも巻き込むようになったとき、はじめて何かがおこるのか……それとも、ふだんの生活は一方でつづけられていても、熱心で行動的な人々が本気で動けば、それで何かが変って来るのか……ぼくにはわからない。というより、一方的にどっちかときめつけるのは無理なのであろう。両者の相乗作用があってはじめて、何かが動きだすとの見方も出来るのである。ぼくには何ともいえなかった。
車の列は、真赤な柱だけのグマナヤ市の南門を抜け、海岸沿いの道に入った。それから樹々の間を通って行く。
「今度も、何かおこるのかな」
ぼくは、同乗のハボニエにいった。
「おこるかもわからんな」
ハボニエは応じた。「しかし、ま……ここでのエレン様の演説は終ってしまったんだから、もう何もないかも知れん。何ともいえないが……だが今度は、こっちの車の数も多いし、武器もたくさん持って来たようだから、前ほど苦戦はしないだろう」
ぽつりぽつりとではあるが、そんなにいろいろというのは……ハボニエもまた、襲撃される可能性を考えていたのであろう。
「そう願いたいね」
ぼくは、肩をすくめた。
だが、今回は道には何の障害もなく、襲って来る者もないうちに(なぜ攻めて来なかったのか、ぼくにはわからない。そんなことは先方が決めるもので、先方には先方の事情があるのだろう)車の列は樹々の間の道を通過し、浜辺の横を経て、広場に到達した。
カイヤント市に迎えに来て以来ずっと警備隊の指揮をとっている例の士官補は、そこで隊員を、飛行車に乗る者と残る者とに分けた。飛行車の数が増えているので、ぼくたちと共に行くのは十名ほど多くなって、二十数名になり……その中に、ヤスバも入っていた。三台のトラックと残留隊員をその場に残して、六台の車は砂浜を離れた。
友愛市に着いたのは、夜になってからであった。
友愛市は、もうひとつの、あまり離れていないところにある自由市と同様、一種の契約都市である。ぼくが仕入れた予備知識や、聞いた話によれば、この近海でとれる魚が美味で、保存食にも好適なのと、それにいくつかの金属の鉱脈があり、陶土も別の場所に多い――といったことから、ある事業家(いい換えれば、家を作るには力が足りないということだ)がここに都市を作ろうと考え、寄附を集め賛同者をつのって、建設したということなのであった。だからここは、それなりにまとまった小世界ともいえるのである。
町の姿も、それを裏づけるかのようであった。ぼくたちは夜になってから入ったので、全体の姿やこまかいところまでは観察出来なかったけれども、たしかにこれまでの二都市のどちらともことなっていた。低い城壁にかこまれた、こぢんまりとした町なのである。ぼくはカイヤント南の場合にも城壁と形容したけれども、カイヤント市のものをそういう言葉で呼んでいいかどうか、自信はない。それ以上にここの壁は、城壁というイメージからは遠かった。高さ二メートルほどの盛り土の上に、カイヤントではどこでも見られる濃緑色の低い樹を植えているのだ。その内部の町は……赤茶色のタイルで装った二階建てが、きちんと間隔を置いて並んでいる。ところどころ大きな建物があるが、これも同じような外観であった。市に入ってから聞いたのだけれども、そうした大きな建物というのは、個人のものはほとんどなく、原則として、市の公共の設備なのだそうである。ということからも類推《るいすい》出来るように、この友愛市は、いわば町全体がひとつの統一体の感じを持っているのであった。
たしかに、そうなのだ。
ぼくなどには、ひどく不思議な感じがするのだが……ここには(自由市もよく似たものだというけれども)いろんな家の機関はないのである。どこかの家の人間が来ても、ここでは家のメンバーとしてではなく、市の市民としての立場を優先させることを、求められるというのだ。端的に表現してしまえば、つまりこの友愛市は、友愛市という家だということかも知れない。だからここにはエレスコブ家の警備隊は置かれていなかった。エレスコブ家のみならず、どの家もだ。市の治安は、友愛市の自警組織によって保たれているのだそうである。
あまりあかるくない灯をともした市の入口を通ったぼくたちの車は、ゲートの前で停められ、入市の目的を訊かれた。それからひとりひとりに滞在許可書が交付された。とはいうものの、エレン・エレスコブの来市については、あらかじめ同意が出来ている上に、町としてはそれを歓迎している感じで、それらの手続きも、ごく簡単な、形式的なものであった。
町の中は、よく整備されて清潔な印象だったが、街灯はすくなく、光も暗い。各戸から洩《も》れる灯も、同じような感じである。
「何となく陰気だな。それに息がつまりそうだ」
ハボニエが、ぽそっと呟いたが……ぼくも同感だった。
ぼくたちの車の列は、市が廻して来た車に連れられて、市の議場に着いた。控室に通されると、一応はここの市民として駐在しているエレスコブ家の人間がやって来て、エレンに挨拶をしたが……かれらはそれ以上に世話を焼こうとはしなかった。エレン・エレスコブはここでは市のお客であり、面倒を見るのは市の役目だから、一個人がやたらに関係を持ってはいけないのだそうである。そのことを証明するように、市の、カイヤント都市連合期成局の局長というのが、挨拶に来た。ここではカイヤントの諸都市の団結のために、公式にそういう部局を設けているのだ。
準備はすでに整えられていて……エレンはすぐに議場の演壇へ案内された。ここではエレンは、市の議員たちに演説するのであった。ぼくたちは、演壇のエレンの横に立つのはもちろん、議場へも入れてもらえない身だし、議場での人々の安全は、ここの自警組織が警備にあたることで保障されるというのが建前だったが……エレンがネイト=カイヤツ別枠議員であり、ネイト=カイヤツの重要人物は個人用の護衛を入室させることが出来るとの条項を適用して……議場内の、ただし壁ぎわに立って、エレンを守ることを許されたのである。(エレンが今度のカイヤント行きにさいして別枠議員になったのには、ここでのそういう含みもあったのだ、と、ぼくは知った)
エレンの演説は、グマナヤ市におけるそれとは、がらりと変って、カイヤントの諸都市が連合することが、当面はネイト=カイヤツの一部の勢力にとって打撃になるとしても、長い目で見ればネイト=カイヤツの真の発展につながるであろうことを、明晰《めいせき》に、はっきりと話し、エレスコブ家はそのために助力する用意があることを告げる――というものであった。ここではグマナヤ市でのような熱狂や歓呼はなかったが、出席した議員たちは静かに熱心に耳を傾け、終ると熱のこもった拍手を行儀良く送った。
ぼくは、エレンのそうした、相手によっての使い分けや、また、ここでの、それはそれでみごとな弁論をふるうことに、内心、舌を巻いた。
グマナヤ市でと同様、エレンの演説は一時間そこそこで終り、ぼくたちはエレンを護衛して、市が提供した宿舎に入った。エレン、随員、それにぼくたちは、それぞれ部屋を割り当てられ、食事も供与された。部屋へ持って来てもらっても構わないし、階下の食堂で好きな時間(ただし、午前零時には閉じるという)に自由に食べてくれてもいいというのである。そして、皆さんの身の安全はわが市の組織が引き受けますから、どうぞゆっくりおやすみ下さい、ともいうのだった。
もちろん、そんなことで、ぼくたちがエレン・エレスコブの護衛をやめるこどは許されない
し、そんな気も毛頭なかった。ヤド・パイナンが時間表を作り、ぼくたちはふたりずつ、エレンの部屋のドアの前に交代で立つことになった。
ハボニエとぼくは、二番めの立哨にあたり……次の番の隊員と交代して部屋に戻ってきたときには、とうに午前零時をまわっていた。そうなるのがわかっていたぼくたちは、あらかじめ食事を部屋に持って来ておいてくれと頼んでいたのだ。その食事は、ちゃんとテーブルに載っていた。
「随分サービスのいい市だが……これに毒は入っていないんだろうな」
ぼくは、笑いながらいった。
「おれたちを殺して、何になるというんだ?」
と、ハボニエ。「とにかく、おれは腹が減ってやり切れん。毒だって構わんよ」
ぼくにも異存はなかった。何しろ、グマナヤ市を出て飛行に移ったところで、持って来た携帯食糧を食べた――そのあと、何も口にしていなかったからだ。それまでは携帯食糧をとらなくても食事を出してもらったので、まだ二食分の携帯食糧は残っているが……それは出来るだけ温存しておく必要があったし、第一、携帯食糧より本物の食事のほうがずっとうまいのである。どのみち、エレン・エレスコブのように、おかしいとあれば随員の誰かに毒見をしてもらえるような立場でもないし……毒見の人間に事故があったとも聞いていない。
ぼくたちは、パックされた食事をあけて、食べはじめた。
「これで酒があったら、いうことはないんだがな」
ハボニエがいったとき。
ドアにノックの音がしたのだ。
「今頃、誰だろうな」
ハボニエが呟き、ぼくは剣を鞘から抜いて、ドアに近寄り、たずねた。
「誰だ?」
「エレスコブ家警備隊、カイヤント第二事業所部隊勤務初級隊員、ヤスバ・ショローンであります」
声が返って来た。「同期生のイシター・ロウが勤務を終えてこの部屋に戻っていると聞いて、参りました。よろしければ、イシター・ロウと会って話し合いたいのですが」
ヤスバだった。
が……部屋にはハボニエがいる。ぼくはハボニエを見やった。
ハポニエは頷いた。
ぼくはドアを開いた。
大股に踏み込んで来たヤスバは、ハボニエに気がついて、敬礼した。
「いいよ、いいよ。ここは私室だし、今は待機中だ。あまり固苦しい真似はしないでくれ」
ハボニエはいい、それから気がついたようである。「ああ……お前か。このところ、ずっと一緒だな」
「はい。ご一緒させて頂いております」
相手が上級隊員なので、ヤスバはきちんと返事をした。
「そうか。お前、イシター・ロウと同期なのか。なかなかよくやると思ってたんだ。部下を使うのもうまいな」
と、ハボニエ。
「はっ。恐縮です」
「やめてくれ」
ハボニエは顔をしかめた。「おれとイシター・ロウは、対等に喋っているんだ。お前もここでは同じようにしろよ」
「――はあ」
「ところで、そういうことなら、つもる話もあるだろう。おれは出て行くところもないし、もうじき眠らなくちゃならんからここに居るが、おれのことは忘れて、勝手にやれ。おれは飯を食わなくちゃならんのだ」
いうと、ハポニエはテーブルの端のほうに移り、食事をつづけた。
「よく来てくれたな」
ぼくはいった。
「いや。おれはあした、グマナヤ市へ帰らなくちゃならない。あすからはスルーニ市駐屯の隊が担当するからな」
ヤスバは答える。「それで、今夜を外せば、また当分会えないだろうと考えて……貴公が勤務が済むのを待っていたんだ。そっちはあすも早いだろうから、長居をするつもりはないが」
「そういえば、個人的に喋り合うチャンスはなかなかないものな」
ぼくは頷いた。
「貴公、それを食べろよ」
ヤスバは、ぼくの前の食事を指す。「食べながら話せばいい。おれは気にしないから」
「そうか? 悪いな」
いいながら、ぼくは食べものを口の中にほうり込んでいた。
「カイヤントはどうだ?」
ヤスバはいう。「ずっとカイヤツ府にいたという貴公には、さっぱりわけがわからんだろう。もっともおれにしたって、カイヤントには二年あまり住んだだけだがね」
「二年も、か?」
ぼくは、口の中のものを飲み込んで、反問した。
「ああ、前にいったように、おれはよその警備隊員を二度もしくじって……そのうちの一回は、エレスコブ家でいう正規隊員になったんだが……しくじって、何かいいことはないかと、カイヤントに流れて来たんだ」
「それで、ここでまた警備隊員になったわけか?」
「そういうことさ。ま、それしか能がないんだろうな。だからおれは、このカイヤントでエレスコブ家警備隊の現地採用の補助隊員になり、選抜されてカイヤント府屋敷での訓練を受けることになったんだ」
「それで、馴れているんだな」
「どうだかね。とにかくここは実戦が多いし……そのほうが、おれの性に合っている」
と、ヤスバ。「ここでは、都市がみな違うんだ。利害もことなるしね。おれはずっとグマナヤ市にいて、グマナヤ市が住み易《やす》いが……人それぞれで……わざわざこんな友愛市に住む奴もいる。本人の自由だがね」
「グマナヤ市は何となくわかるし……そんなものだと思うよ」
ぼくは答えた。「カイヤント市も、まああんなものだろうという気がする。しかし、この友愛市というのは、どうもなじめない。――泊めてもらって、食事も出してもらって、こんなことをいっちゃ悪いが」
「排他的だし、唯我《ゆいが》独尊の気風が強いからな。おれも仕事でちょくちょくここへ来るが、いつまでもよそ者扱いだ。しかし、ま、家という大樹の蔭に入れなかった者には、こういう町を故郷にして、仲間どうしで助け合って行くしかないんだろう」
「そういう見方もあるな」
「いずれにせよ、ここはまだ植民時代なんだ。それも、似たような人々がどっと押し寄せて、出身地に近いものを作りあげるという植民地じゃなく……それぞれ背後に、家とか理念とか、ネイトの利害などがあって、勝手にやろうとしているんだから……小さな異質の世界の競合にならざるを得ないんだろうな」
「とすると……きみは、カイヤントの諸都市がひとつにまとまるのは、むつかしいと思うのか?」
ぼくは訊いた。
「さあね」
ヤスバは、首をかしげた。「やさしいことではないだろう。ま、いずれはそうなるだろうが……そして、今度エレン様が来たことで、かなり推進されることになるとも思うが……簡単には行かないだろうな」
「…………」
「おれたちは、カイヤント諸都市団結の運動のために、指令を受けて、随分動きまわったよ」
ヤスバはいう。「エレン様の来る前に、ムードを盛りあげる必要があったから、看板作りやその設置や、いろんな噂流しやら……いろいろやらなくちゃならなかった。しかし……こういうのは何だが、運動のシンボルをエレン様にしたのは、良かったと思うね。エレスコブ家としては、エレン様以上の人間は考えられないんじゃないかな。きれいな人だし、頭は良いし、何よりも、指導者の素質を持っている」
そこまで喋ってから、ヤスバは、ぼくたちがそのエレンの護衛員だったことを、思い出したようであった。ヤスバは、テーブルのむこうのハボニエに、軽く頭を下げた。
「これは失礼しました。エレン様の護衛員にむかって、えらそうなことを」
「何、構わんよ」
ハボニエは、快活に受けた。「悪口ならただでは置かんが、エレン様への賞賛の言葉なら、いくら聞いてもいい。こっちも気分が良くなるからな」
「――は」
「気にしないでつづけろよ。おれはもうすぐ飯を終って、しばらくしたら寝る。イシター・ロウもだ。時間を無駄遣いすることないさ」
「はあ」
答えて、ヤスバはぼくに向き直った。ぼくはそのときまで、あらかた食事を食べ終っていた。
もっとも、ろくに噛みもしないで飲みくだす感じだったから、消化には良くないであろうが……空腹感はいやされていた。
しかし、次のヤスバの一言で、ぼくは食べかけていたものが、のどにつかえるのをおぼえたのだ。
「ところで、イシター・ロウ。貴公、警備隊本部にいた世話係のシェーラという女、知っているな? 彼女は今、この友愛市にいるよ」
シェーラが?
ぼくは、虚をつかれた気分だった。
実のところ、その名自体はぼくにとって、ちっとも唐突ではなかった。ぼくはときどき、シェーラを思い出すことがあったからだ。それが単純に彼女をなつかしんでいるためか、あるいは彼女にまつわる謎《なぞ》が依然として気になっていたためか、自分でもはっきりとはいえないけれども、ふとしたときに意識の中にぽかりと浮かびあがって来るのは、本当だったのだ。そしてまた、シェーラがこの友愛市にいるというのも、充分にあり得る話であった。他の世話係によると、彼女は急に故郷に帰らなければならなかったので辞めたのだそうであり……その故郷とは、彼女自身が語ったところでは、カイヤントなのであった。だからシェーラは、現在もカイヤントにいる可能性が大きいし、それがたまたま友愛市であるとしても、それほど不思議はないのである。
むしろぼくは、その名がヤスバの口から出たことで、そんな気分になったようだ。ぼくは、ヤスバがシェーラを知っていて、彼女の消息にも通じている――というようなことを、その瞬間まで想像もしていなかったのである。が……考えてみればシェーラは、ぼくがいた七階の担当者であったにせよ、警備隊本部ビルの世話係であったのには相違ないのだ。従って、ときにはヤスバたちの面倒を見る場合もあったろうし、それ以外にも喋る機会も得られたかもわからない。それに任命式の晩の食堂での馬鹿騒ぎには、世話係は総動員をかけられて出て来たのだ。その折に知り合いになったということだってあるだろう。そういう思いをめぐらせてみれば、何も驚くことはないのであった。そして、ヤスバがこの友愛市にシェーラがいると知っているのも、こういう十あまりの植民都市しかないカイヤント上では、それだけに世間も狭く、ひとの噂《うわさ》や動向が早く耳に入るのかもわからないし、そうでないとしても、それなりに理由があるのに違いない。
――と、ぼくは自分なりに納得するには、やはり、のどにあったものを飲みくだしてから、さらに一秒か二秒かかった。
「彼女が、この友愛市に?」
ぼくは、たずねた。
「うむ」
ヤスバは頷いた。「本拠は、というか、住んでいるのはグマナヤ市だが、貴公たち一行を追って、ここに来ている」
「…………」
ぼくは、目顔で、次の言葉を促《うなが》した。
「おれはそんなにあの女のことは知らないんだ」
ヤスバはいう。「声をかけて来たのは、あの女のほうなんだよ。グマナヤ市で、おれが非番で町を歩いているときにな。先方はこっちを覚えていたらしい。貴公と親しかったといっていたが……そうなのか?」
「まあね。いろいろ世話にもなった」
ぼくは肯定した。
「そうか」
ヤスバは受け、つづけた。「とにかくそのシェーラ……みんなと一緒に、エレン様の遊説について行くといっていたが、嘘ではなかったようだ。つい先程、すぐこの近くで出会った。貴公によろしく伝えてくれということだったよ」
シェーラがこの近辺にいるのなら、会いたいものだ、と、ぼくは思った。会って、いろいろ訊きたいこともある。だが、今のぼくはそんな真似は許されない身であった。それに……そのことよりも、ヤスバの言葉の一部がぼくの心にひっかかったのだ。
「みんなと一緒にエレン様について行く――とは、どういうことだ?」
ぼくは問うた。
「ああ。まだいっていなかったな」
ヤスバは、気がついたようにぼくを見やった。「彼女はデヌイベのメンバーなんだ」
「デヌイベ?」
「聞いていないのか?」
「知らないな」
「デヌイベというのは、教団だ」
「宗教団体か?」
ぼくはたずねた。シェーラがそんな団体の一員であるとは……考えもしなかった。
「どうなのか、おれには良くわからん」
ヤスバは首をひねった。「この二、三年で、じわじわと大きくなって来たんだ。貴公……黒い帯の連中を見ただろう? あれがそうさ」
「ああ、あれ」
ぼくはいった。
そういえば、グマナヤ市の公堂で、ぼくは多くの黒い帯の男女を見かけた。白布に頭巾、それに黒い帯といういでたちの連中である。白衣や頭巾なしの黒い帯の人々も結構多かった。そして、この友愛市に来てからも、(夜であったし車の窓から眺めたので、くわしい観察は出来なかったが)そういう人たちを目にしていた。
「あの黒い帯が、デヌイベのしるしなんだ。白衣に頭巾はちゃんとした教団員で、帯だけの連中は、ま、賛同者というところかな」
ヤスバはいう。
「待ってくれ」
そのとき、ハボニエが声を投げて来た。ハボニエはもう食事を終えて、こっちを見ていた。
「おれもその話を聴いていいかな? そのデヌイベという名は聞いたことがあるが……どういうものかは知らんのだ」
「どうぞ」
と、ヤスバ。
「いや、そこでイシター・ロウに話してくれていたらいい。おれは黙って聴いている」
ハボニエは、両手の指をからみ合わせて、テーブルに置いた。ヤスバは会釈してから、ぼくに向き直る。
「で……そのデヌイベというのは……どういう団体なんだ?」
ぼくは訊いた。
「おれも本格的に勉強したわけじゃないから、正確なことはいえないがね」
ヤスバは、話を再開した。「とにかく、その指導者はデヌイバという男だそうで、カイヤントの諸都市を廻って教義を説いている。今ではその一団だけでなく、いくつもの分団が生れて、それぞれデヌイバの弟子というのがまとめ役になり、活動しているようだ。その教義というのが、……何でも、人間を、あらゆる生命体を含めた全体の、その組織の一部として認識し、人間に課せられた使命を全うすべきだ――というようなことらしい」
「そういう考えかたは、よくあるんじゃないか? どちらかといえば、一般的だな。宗教というのが、超越的な絶対者を信仰するものとすれば、あまり宗教的とはいえないような気がするが」
ぼくはいった。
「そうなのだ。だからおれには、良くわからない」
ヤスバは肯定し、つづけた。「そして、その使命を全うするために、デヌイペでは、自己|鍛錬《たんれん》と勉学を実践しなければならないそうだ。具体的にいうと、精神的自立とか、克己《こっき》心の確立とか、責任能力・責任|遂行《すいこう》の意志の養成、それに、他人を許容する度量をつちかうこと、さらに、広い視野を持ち、広い知識を有すること……などが要請されるということだよ」
「何だか……きわめて現実的で現世的な気がするな」
「おれもそう思うよ」
と、ヤスバ。「見方によれば、それは修養団体に過ぎないかも知れん。ただ、それが組織らしいものを組みあげ、ひとつの集団として活動をはじめている――というだけのことかも知れん」
「それで……ある程度の勢力はあるのか?」
「いや。ない」
ヤスバは答えた。「かれらには勢力を持とうという気は、はじめからないようだ。噂では、デヌイベにはエスパーがまじっているというし、デヌイバ自身がそうだともいうが……それに、このデヌイベに似た団体は他のネイトにもあるとの話も聞いたが……おれの知る限り、かれらは何の野心も持っていないようだよ」
「デヌイベ以外の人々は、かれらをどう見ているんだ?」
「別に。働くときにはよく働くし……修養につとめている真面目な人たちと思っているようだな」
「それだけか?」
「それだけのようだ」
「それで」
ぼくはデヌイベという言葉が出て来る前にいうつもりだったことを思い出した。「シェーラはその一員だというのか? そして、みんなと一緒にエレン様について行くと……?」
「彼女は、頭巾をかぶり白衣を着ている。教団員だよ」
ヤスバは返事をした。「それに、デヌイベは、カイヤントの都市の団結運動に賛成していて、エレン様の今度の遊説《ゆうぜい》旅行を支持しているらしい。それで、エレン様について行く者も多いんだ」
「なぜ支持するんだろうな」
「わからん。この運動が彼らの教義と合致するからじゃないか?」
「ひとつ、たずねたいが」
ハボニエが口を開いた。「そういうことだと、そのデヌイベの連中は、エレン様にとって、危険ではないということだな?」
「私はそう思います。しかし何事にも絶対ということはありませんから――」
「それはわかっているとも」
ハボニエは頷いた。
そこでヤスバは、われに返ったように腕の時計を覗《のぞ》いた。
「これは、随分《ずいぶん》長話をしてしまったな。久し振りのせいで、自分でもよくぺらぺらと喋ったと思うよ。帰るとしよう」
「帰るのか?」
「ああ。貴公の睡眠時間をこれ以上減らすわけには行かんし、おれもおれなりに寝なくちゃならん」
ヤスバは立ちあがりながら、ぼくを見ていった。「今度貴公にいつ会えるかわからんが、気をつけろ」
「とは?」
ぼくも腰をあげつつ応じた。
「ここはカイヤツじゃない」
ヤスバはいうのだった。「ここでは何がおこるかわからん。どういうたたかいをすることになるかも予測不能だ。だから、そのつもりでな」
「…………」
「それでは、失礼します」
ヤスバはハボニエに挨拶し、ハボニエは片手を挙げてそれに応えた。
ヤスバを送り出したあと、ぼくはドアを閉じて鍵《かぎ》をかけ、テーブルに戻った。
ハボニエは何か考えている風だ。
何を考えているのだろう。
ヤスバのことかも知れない。
本人もいったけれども、たしかに今夜のヤスバはよく喋った。ぼくと久し振りに話したために能弁になったという気もする。それに、カイヤントのことがよくわかっていないぼくに、出来るだけ情報を伝え助言してやろうとの配慮もあったのではなかろうか。
それと、ハボニエが固苦しい真似はするなといったのに対し、ヤスバがこころもち楽な態度になったとはいえ、おしまいまで一応の節度を保っていてくれたのも、ぼくには有難かった。たしかにハボニエは、階級差とか礼儀だとかにあまりこだわらない男であるが、それはいわば彼の側からの譲歩であって(そのことは、彼の上級者へのきちんとした接しかたを見てもわかる)やたらになれなれしい言動や、おのれをわきまえない図々《ずうずう》しさまで許しているわけではない。ハボニエに限らずそういう人間は多い――というより、むしろ一般的にそうなのだ。そういえば隊長のヤド・パイナンだってそうである。だからぼくは、いかにハボニエと親しくなっても、基本的な敬意は失することのないように、気をつけているつもりだ。そして、ヤスバはその位のことは、ちゃんと悟っていたのであろう。
だが、ハボニエが考えていたのは、そのヤスバのことではなかったようである。いや、ヤスバについて考えはしたかも知れないが、ハボニエがいったのは、別の事柄であった。
「どうなんだろうな」
と、ハボニエは呟いた。「今の……デヌイベだが……おれはどうしても、自滅者と比較してしまう。ふたつは、全く別のものだろうか」
「…………」
「お前の同期生の話では、デヌイベというのは、社会からそう孤立もしていないようだ。他の人々といりまじって、適当にやっているみたいだな。すくなくとも自滅者のようなみじめな存在じゃない」
ハボニエは、宙に視線を向けた。「しかし両者共、一般世間と別のルールを持ち、群れをなしているのは同じことだ。その根には、何か共通したものがあるのかも知れん」
「…………」
「根が共通しているとしたら、何が違いを生み出したのか? カイヤツという既成世界に置かれた者と、カイヤントという植民世界に置かれた者の意識の差によるものなのか? それとも、デヌイベのほうには、自滅者にはない何か未知の要因があるからなのか?」
それはハボニエの自問自答であった。かつて自滅者のひとりだったというハポニエの、ひとりでに湧いて来る疑念と模索《もさく》なのかも知れない。ぼくは黙って聞いているしかなかった。
が。
「は!」
ハボニエは、急に笑いだし、肩をすくめたのだ。「考えたって、どうなるわけでもなかろうさ。――おい、そろそろ寝ないか?」
「そうしよう」
ぼくは答え、ふたりはそれぞれのベッドに入った。あかりを消して目を閉じ、眠りに引き込まれるまでの短い間、ぼくは、今夜のヤスバのみならずハボニエも多弁だったな、と、思っていた。
翌朝。
ぼくたちは、市が供与する食事を交代でとり、市の主だった人々とエレンとの会食の場の警備にあたったのち、次の演説地である自由市へ向かうべく、いつもの隊形で車に乗り込んだ。前にもいった通り、友愛市と自由市は、共にカイヤント第二大陸の東岸にあって、そんなに離れていない。地上走行で二時間の行程なのだ。そのせいで、出発は朝は朝でも前日のように早くはなく……ぼくたちは充分に休息し、元気一杯になっていた。
もっとも、それだけ時間の余裕があるのなら、もっと早い時刻に友愛市を離れ、自由市での演説も済ませて、次の目的地へ行ったらいいのではないか、ということになる。ぼくもその疑問を抱いたが……ノザー・マイアンがぼくらに洩らしてくれたところでは、自由市の次の目的地は、第二大陸の西岸のスルーニ市であって、そこはエレスコブ家は全く経営に関与していない都市のため、入市が出来たとしても、演説をするまでにはまだいろんな交渉を覚悟しなければならず――従って、早く到着してもあまり意味はない、どうせ交渉には何時間もかかるはずだから、当日中に演説を決行するのは無理であろう、それならば夕方近くになってから着き、一泊するのが無理のないスケジュールになる、ということらしいのであった。
ところで、ぼくはひとつ、言い落としたようである。
そういうしだいで、夜明けに目をさましたぼくたちは、次の勤務までまだ時間の余裕があり、窓から外を眺めたりしたのだが……そこで、例のデヌイベたちが、車に乗るところを目撃したのだ。
そう。
頭巾をかぶった白衣の連中、白衣をつけていない者も、みな黒い帯をした連中が、ぼくたちに提供された宿舎の外で、ぞろぞろと集合をはじめたのである。その中にシェーラがいるのかいないのか……ぼくにはよくわからなかった。頭巾をかぶっている人々は、顔をこちらに向けない限り、人相はおろか、男か女かさえ判然としないのだ。おまけに夜がまだ明け切っていないのだから、なおさらである。
かれらは全部で百人ほども居たであろうか。誰ひとりとして大きな声も立てず、順番に車に乗り込みはじめた。車は六台で、バスとかトラックの……いずれも地上走行専用型であった。ぼくとハボニエが窓から見おろしている間に、かれらは乗車し、車は次々と出て行ったのだ。
「あれで、エレン様が着く前に、自由市へ行っておこうというのだろうか」
ぼくはいった。
「そうらしいな」
ハボニエも頷いた。
「しかし……友愛市から自由市までの間だからいいが、グマナヤ市からこの友愛市へは、何で来たんだろう。船ではとても、われわれには追いつけない。飛行便を利用したのだろうか」
ぼくは、またいった。
「かも知れん」
と、ハボニエ。
「じゃ、自由市からスルーニ市へは、何で行くつもりなんだろう」
ぼくは、さらにいわずにはいられなかった。「それに、そういうことが出来るとすれば……かれらは、結構資金を持っていることになるな」
「だろうな。だが、あれこれせんさくしたって、仕様がなかろう。おれたちはただ、奴らがエレン様に害をなさないことを願うだけさ」
ハボニエはそう返事をした。すっかりいつもの、口数のすくないハボニエに還っていたのだ。
ともあれ。
そのデヌイベたちからだいぶ遅れて、ぼくたちは出発したわけである。
出発時に、今回もまた、警備隊員の交代があった。今度の隊はスルーニ市駐屯の五十名で、車も八台――すべて飛行車だった。スルーニ市はエレスコブ家は出資をしておらず経営にも従って関与していないが、警備隊は置いているのである。都市間や家どうしの協定で、そういうことが可能なのだそうだ。ぼくは、そうした状況下での駐屯がどんなものかと考えたりした。そういう都市で、いってみればよそものの警備隊員として、いろいろいやがらせをされたり、挑戦されたりすることであろう。そしてそれだけに、もめごとや戦闘もおこりがちなのに違いない。むろんエレスコブ家としては、そういう場所の駐屯部隊であるだけに、装備とか人員について相応の強化策はとっているはずだが……当の警備員たちの能力や士気がどうなのか、ぼくには判断がつきかねるのであった。そういう状況下だからこそ奮起して精鋭となっているのか、それとも萎縮《いしゅく》してしまっていて頼り甲斐《がい》がないのか……そんなことを、当人たちはむろんのこと、ヤド・パイナンやノザー・マイアンにも問うのははばかられるだけに、何ともいいかねるのである。ぼくはハボニエにそれをたずねようかとも思ったが……やはりやめておくことにした。味方の警備隊員たちが頼りになるかどうかを気にするのは、ぼく自身が臆病《おくびょう》風に吹かれていると受けとられかねないのだ。ぼくの見るところ、かれらは統率《とうそつ》がとれており、動きも正確であった。それは確《たし》かだけれども……かれらが実戦でどの位の強さを発揮するのかは、それだけではわからない。しかしまあ、そんなことを気にしていては、はじまらなかった。ぼくは護衛員である。他の警備隊員たちがどうであろうと、自分が死ぬ覚悟でエレン・エレスコブを守ればいいのだ。おのれの気持ちをまた引き緊めるのみであった。
車の列は、友愛市と自由市を結ぶ道路を、順調に走った。いうまでもなくこの行程はすべて地上走行である。
予定通り二時間後に、ぼくたちは自由市に入った。
自由市は、友愛市と似ているものの、友愛市よりはひとまわり大きく、友愛市のように建物が画一化されてもいない。これは都市建設の理念が、友愛市にあっては同士の団結を基本とするのに対し、自由市では市および市民の自由を第一義にしているための差であろう。しかしそうはいっても、自由市が一種の契約都市である以上、基本的な構造は同様であった。この市もまた友愛市のように、いろんな家の機関はなく、市の治安は自警組織によって保たれているのだ。そしてぼくたちは、市の入口で形式的ながら入市の目的をたずねられ、滞在許可が交付された。
エレンは、正午過ぎに演説をした。演説したのは、市の中央広場である、中央広場に臨時の民会が開かれ、そこに参集した市民たちに向かって、喋ったのであった。
けれどもその民会というのが……ぼくは友愛市では息のつまるような印象を受け、それは自由市では感じなかった代りに、建前を優先させた欺隔《ぎまん》ともいうべきものを、見せつけられたのである。
市の中央広場というのは、低い柵《さく》と細い濠《ほり》で仕切られた円形の場所であった。その円周の一点にあたるところに演壇が設けられており、話す者はそこから訴えかけるのだ。が……柵の内側に入れるのは、胸に金属製のバッジをつけたものに限られていた。かれらは自由市の市民であり、バッジはそのしるしなのだそうである。市民は演説者に質問を投げかけ、異論を吐くのも自由であった。たしかに自由市の、自由な市民であった。
だが、人々は柵と濠の内側にいるだけではなかったのだ。その外には内側にいるのと同じ位、いやそれ以上の人数が集まって、民会を傍聴していたのである。こちらは市民権を持たないただの住人だということであった。住人には民会に参加する権利はない……民会のみならず、市民としての権利は何ひとつ与えられていないのである。ぼくたちの接待にあたった自由市の公務員たちは、これは市の特質を失わないための当然の制度だと説明し、市民の資格は万人が得られるのだと述べたけれども、その資格獲得には、長い年月の市への奉仕が前提となるようであった。
だから本来は、エレン・エレスコブといえども、民会の演壇には立てないはずなのだ。エレンは当然ながら、自由市の市民ではないのである。だがそこはよくしたもので、ここにはしかるべき外来者には一時的に市民の資格を与えるとの定めがあり……ネイト=カイヤツの議員はそれに該当していたのだ。もっともぼくは思うのだが、エレン・エレスコブがかりに議員でなかったとしても、自由市側は何らかの理屈をつけて、エレンに一時的な市民の資格を与えたのではあるまいか。なぜならエレンはここでも待たれていたのがあきらかだったからである。自由市は友愛市と同じく、ネイト=カイヤツ直轄都市の干渉を嫌い、諸都市それぞれの自主性を保持した連合を希求しているはずで……市民たちの表情は、疑いもなくエレンの来訪を待ち構えていたのを示していた。
そうした市民たちに向かって、エレンはここでもここなりの演説を行なった。カイヤントに諸都市の連合が出来ない限り、各都市の真の自主性は保てないであろうと説き、エレスコブ家はそれら都市の自由のために力を惜しまないであろうといったのだ。市民たちは沸き演説がひとまず終ると、次々と質問を放ちはじめた。エレンは即座にそうした質問に答え、しかもその答えかたが、実に効果的であった。返答そのものが市民たちの気分を高揚させるような内容と口調の連続だったのだ。人々はしだいに熱狂して行き、エレンが壇を降りるときには、どっと拍手が湧きおこった。つまりは……エレンは自由市の市民に合った演説をし、それに成功したのである。
ただ……。
他の隊員ともども、広場の中へ入れてもらえず柵と濠の外に立ってエレンを護衛していたぼくは、演説に対する人々の反応が、内側と外側でたしかにことなっているのを、感じ取っていた。内側の市民たちが熱っぽくなり、歓呼したり議論したりするのとくらべて、外側の人たちは、なるほどエレンの話に耳を傾け相応の態度を見せるけれども、熱気というものは、ろくにないのである。もっと端的にいえば、カイヤント都市連合というものが成立したとしても、自分たちは直接に恩恵をこうむるのではない、それは間接的におこぼれのようなかたちでしかやって来ないのだ――というかすかな不満と諦めが、どことなく漂っているのだった。これはぼくの誤解かも知れない。だがそういう気がして仕方がなかったのだ。そしてそのとき、ぼくはふと……カイヤントの都市連合というものを、これまで実現性は薄いにせよ一応の大義名分ではあると考えていたのが、はたしてそうなのだろうか、と、疑問に襲われたのであった。そういうものが成立したとしても、それはカイヤントの都市群の全構成員が楽になり利益を享受《きょうじゅ》出来るのではなく、主として、都市の上層部の人々だけが有利になり得をするに過ぎないのではないか、と、思ったのである。歴史ではそういうことは、しばしばおこっている。だから都市連合なるものが出来たとしても、結果はそうなってしまうかもわからないのだ。とすれば……ぼくが思考するようなその程度のことは、エレスコブ家の上層部の人たちはとうに見抜いているであろう。それでなおかつこういうことをするのは……エレスコブ家には、どういう思惑があるのだ?
しかし、またしても起きあがって来たそういう気分を弄ぶことは、例によって中断せざるを得なかった。そんなゆとりもなかったし、データ不足のままであれこれと想像するのは無益でもある。ぼくはそのときも、護衛員になり切り、そんな思念を頭の隅っこへ追いやった。
カイヤント第二大陸を南北に貫通するという大山脈を、もうかなり前に越えていた。窓から見おろすと平原の濃い緑色は、いつの間にか淡い緑色に変っている。このあたりから巨大な湿原なのだそうで、その淡い緑色は、湿原に群生《ぐんせい》する植物だということであった。あちこちにだいぶ傾いた陽を受けて光っているのは湖か沼であろう。話によるとこの湿原が西海岸までずっと広がっており、次の目的地のスルーニ市は、西海岸の、そこだけは丘陵地帯になっている地にあるらしい。そうした地勢条件のせいで、東海岸の友愛・自由両市と西海岸のスルーニ市を行き来するのは空路が一般的であり、定期航空便もあるそうだけれども……赤道地帯では南北にいやに細長く東西の幅が狭いカイヤント第二大陸のことなので、両海岸を結ぶ道路もちゃんと存在しているという。それも山脈の低い部分を突っ切り湿原を通るので、いろんな材料を場所によって使いわけた道路らしい。その道が見えるかと眸をこらしたが、窓からは、それらしいものを認めることは出来なかった。
ぼくは、窓から腕時計へと、視線を移した。
自由市を離れ、途中離陸してから、これでそろそろ三時間になる。
「もうだいぶ近づいたんじゃないのかな」
ぼくは、むかいの席のハボニエに、声をかけた。
「だろうな。そのうち、高度を下げるだろう」
ハボニエは答える。
「スルーニ市では、これまでとかなり事情がことなるのだろうな」
ぼくは、自分の気持ちを何となく声に出した。「スルーニ市では、エレスコブ家はよそものだそうだから……これまでのような歓迎ムードは、到底期待出来ないだろう」
「行ってみてからのことさ」
ハボニエは、薄く笑った。「でも、ま、たしかにお客というわけには行かないだろう。大体が、これまで順調過ぎたんだ。そろそろ何か起こるかもわからん」
「順調すぎた?」
ぼくは反問した。「あのグマナヤ市入りの途中の襲撃や、グマナヤ公堂での事件を含めてもかね?」
「これまで、あの程度のことしかおこっていないのが、おれには不思議だよ」
ハボニエはいうのだ。「エレン様の今回の仕事には、もっと妨害が入って当然なんだ。それがあの程度で済んでいるのは……おれはそのほうが不安だよ」
「…………」
いわれてみれば、そうかも知れないのであった。
ぼくたちは、それからしばらく黙って、窓の下を眺めていた。
それから、ぼくは、機がにわかに高度を落としはじめたのに気がついた。透明な隔壁のむこうで、運転者が何かマイクに叫んでいるようだが、ぼくらには聞えなかった。ぼくはこちら側に同乗している警備隊員を見やり、かれらもどういうことかわからないらしいのを知って、運転席に通じるマイクをつかもうとした。運転者がロをぱくぱくさせているのが終ったら、どうなっているのかを訊くつもりだったのだ。それも、どうせスルーニ市が近づいたから降下を開始したのだろうから、その確認をしようという位のつもりだったのである。
だが、そのとたんに、エレンの車との交話用のスピーカーから、パイナン隊長の声が流れて来たのだ。
「第八隊員に告ぐ。先行飛行中の車の事業所部隊指揮者の連絡によれば、われわれは、スルーニ市防衛機によって着陸を強制されている。相手は五機だが垂直離着陸戦闘機なので、指揮者は着陸に応じることを決意した。隊員は着陸と同時に、エレン様護衛の配置につけ」
「…………」
「…………」
ぼくはハボニエと顔を見合わせた。
「垂直離着陸戦闘機?」
ハボニエが、うなるような声を出した。
「植民都市にしては、えらく物騒《ぶっそう》なものを持っているな。――先行車が撃墜されなかっただけ、みつけものだ」
「撃墜? そんな無茶が通るのか?」
ぼくは、あきれていった。
「無茶でも、やりかねません」
同乗の警備隊員(彼はもうだいぶ古くなった制服を着た補助隊員だった)が、口を出した。
「市の上空を侵犯しようとしたから撃墜したといわれれば、それまでです。何しろスルーニ市の経営にはサクガイ家も加わっていますから……サクガイ家の力をバックに押し通されれば、どうしようもありません」
それは、はじめから敗北を当然としている口ぶりのように、ぼくには思えたが……実際のところは、この地にくわしい人間の現実的な状況|把握《はあく》なのかも知れなかった。ぼくにはどっちとも判断がつかなかったから……その警備隊員には何もいわなかったのだ。
そうしたやりとりのうちにも、ぼくたちの車もどんどん降下して行き、やがて着地のかるい衝撃があった。
時を移さずハボニエとぼくは、車から飛び出した。
エレンやパイナン隊長らの車は、もう着地している。
そちらへ駈けだそうとして、ぼくは内心舌打ちをした。地面には枯れた葉が積み重なっているが、踏むと、足首まで水につかるのである。走りにくいし、しぶきはあがるしで……まぎれもなくここは湿原なのであった。それに膝位の高さの草が、至るところで茂みをなしている。上から眺めたときには淡い緑色だったが、こうして降り立ってみると、裾せたような黄色に濃緑の斑点がある長い草の葉なのだ。それが無数の茂みとなっていて、その中を突っ切るには努力が必要なのである。だからぼくたちは、小さな丸い山のようなその茂みを避けて、枯れ葉を踏み、つかった足首を引き抜いて、走らなければならなかった。
ぼくたちがエレンの車の前に来たときには、他の車からも隊員たちが駈けつけて来ていた。エレンは車の中におり、パイナン隊長とノザー・マイアンが外へ降り立った。
「面倒なことになった」
ヤド・パイナンは、ぼくたちを見廻しながら告げた。「先行車の指揮者の連絡では、スルーニ市はわれわれの入市を許可しないといっているそうだ」
「それはどういうことですか?」
ひとりがたずねた。
「スルーニ市は、われわれの入市に許諾《きょだく》を与えていたのではなかったのですか?」
ハボニエもいった。
「今のところは、それだけしかわからん」
ヤド・パイナンは応じ、前方の空を指さした。「あいつらが頑張っている限り、われわれにはどうしようもないんだ」
ぼくたちは、隊長の指した方向へ目を向けた。銀色の、きらきらと光るまぎれもない戦闘機の姿が五つ、もう午後もおそい空に浮いていた。
エレンの車の中のブザーが鳴り、中にいた内部ファミリーが、半身をこちらへ出して呼んだ。ノザー・マイアンが駈け込んだ。
「スルーニ市の防衛機から、使者がこちらへ来るそうです」
出て来たノザー・マイアンは、ヤド・パイナンに報告した。「それから事業所部隊の指揮者も、こちらへ来るといっています」
「使者、か」
ヤド・パイナンは、眸を細くした。
スルーニ市の防衛機のひとつが、ゆっくりとこっちに近づきつつあった。だが、それほどは接近せずに空中に停止し、ずんずんと降下して来る。
その機が着地する前に、警備隊の指揮者を乗せた先行車が、右に左に揺れ、ときどき停止してはまた動きながら、やって来た。草の茂みを踏み越えるのは、簡単ではないようであった。車はこちらの車のすぐ近くにとまり、警備隊の指揮者が姿を現わした。指揮者は、これまでがそうであったように士官補だ。彼はヤド・パイナンの前に来て敬礼すると、いった。
「目的地に到着する前に着地をして、申しわけありません。しかし彼我《ひが》の戦力を考えると、やむを得ない処置でした」
「わかっている」
ヤド・パイナンは無表情に応じた。「きみはエレン様とわれわれを安全に目的地までつれて行く隊の責任者だ。責任者がみずからの判断で行なったことに、私が異議をさしはさむ筋合いはない」
「有難うございます」
「それで、どうなのだ? きみの情勢判断は? エレン様とわれわれがスルーニ市に入れる見込みはあるのかね」
「それは……私にはわかりかねます」
指揮者は答えた。「スルーニ市の使者というのが来てみないと……何ともいえません」
「その使者は、こちらの誰に会うことを求めている?」
「一行の代表者……つまり、エレン様のようです」
「エレン様に直接会わせるわけには行かないな。相手が何をしでかすかわからん」
「それはそうでしょうが……しかし」
「先方がエレン様に会おうといっているのなら、これはエレン様と私の隊で扱う問題だ」
ヤド・パイナンは、依然として無表情にいった。「従ってこの件に関しては、私のほうが対応する。そちらの隊は、そちらの任務を遂行してもらいたい」
「わかりました」
指揮者は敬礼し、自分の車に戻ると、部下たちに命令をくだしはじめた。全員、車から出て、エレンとぼくたちをとりかこむ隊形をとらせたのだ。それを済ませると指揮者は、ヤド・パイナンのそばに立って、待機した。
ぼくには指揮者のそういう措置がうまいのかまずいのか、わからなかった。そんなふうに全部の人員や装備がひと目で判明するようなやりかたをしてもいいものなのかどうか……それとも、どうせこちらの車の数はむこうには知られているのだから、人員だって推測が立つわけであり、装備もスルーニ市に駐屯しているために大体の見当はつくので、それならこちらへ来るという使者に、あからさまに示威を行なうほうが効果的だといえるのか……何ともわかりかねるのである。また、それで当り前であろう。ぼくたち護衛員の方法と一般警備隊のやりかたは、まるで違っているのだ。ことにこういう地での警備のしかたは、ここのベテランでなければどうにもならないはずであった。
こうした一連のやりとりと動きがあって間もなく、灰色らしい服を着た人物がふたり、草の茂みを迂回してつつ、ぼくたちのほうへ歩んで来るのが目に映った。
先に来るのが女、あとが男である。
服の色は、まぎれもなく灰色であった。帽子はかぶらず、ややゆったりしたスタイルだが、胸に小さく市章らしいものがついていることといい、袖に細い黒線が何本か入っていることといい、きわめて地味な制服なのだ。そしてそういう地味さは、ぼくにサクガイ家の警備隊の服を連想させた。たしかに似ているのである。考えてみれば、そうであっても奇妙ではない。スルーニ市にはサクガイ家が参加しているのだ。ネイト=カイヤツ第一の家が加わっているとなれば、市の役人だか戦闘員だか知らないが、その制服もサクガイ家的になって来るのであろう。サクガイ家はスルーニ市のみならず、他の二、三の都市にも参画《さんかく》している。サクガイ家直接経営のサクガイナという都市だってあるのだ。そういえば……ぼくは、カイヤントに到着した日のカイヤント市でのパーティを想起した。あのとき出席していたサクガイナ市の人聞の服装は、カイヤツ府で見るサクガイ家のそれと、ほとんど変らなかったではないか? あるいはサクガイ家はこのカイヤント上の都市で、自家との関係が緊密であればあるほど、自家のものに近い格好をさせることを、実行しているのではあるまいか?
もっとも……あまり急ぐ様子もなく近づいて来たふたり――中年の女と若い俊敏そうな男は、どちらも武器は帯びていなかった。
ふたりは、ぼくたちのほうを眺め、ヤド・パイナンがこの場では一番上だと見極《みきわ》めたらしい。ヤド・パイナンの前に来ると、ていねいに会釈をした。
「私はスルーニ市の公安委員をしているロイロレヌと申す者です」
女が名乗り、かたわらの男を手で示した。
「こちらは防衛委員補のロビブジェットです」
「エレン・エレスコブ付第八隊隊長のヤド・パイナンです」
パイナン隊長も返礼して、こちらから質問を開始した。「私たちをこんなところに着地させたのは、どういうわけなのか、それを聞かせてもらえますか?」
「エレン・エレスコブ殿は、どこにおられますか? 失礼ながら、私はエレン・エレスコブ殿にお話ししたいのです」
ロイロレヌと名乗った女はいう。
「失礼ながら、エレン・エレスコブはあなたとはお会いしません。私が代って承りましょう」
「ヤド・パイナン。私が出ましょう」
車の中から、エレンの声がした。
「エレン様は、お会いになる必要はありません。相手が何をいうのかをお聞きになってからでも遅くないのです」
ヤド・パイナンは振り向いて、うやうやしくいった。
「それもそうですね。では、ここで聞かせてもらいましょう」
エレンがいうのを受けて頭をさげたヤド・パイナンは、ふたりの使者のほうへ向き直って、繰り返した。
「私が代って承りましょう。私たちをこんなところに着地させたのは、どういうわけですか」
「――よろしい」
ロイロレヌの頬に苦笑に似た影がかすめ過ぎた。「そういうことならこれ以上は求めますまい。私たちはあなたがたがスルーニ市に入るのを拒否します。それゆえの措置《そち》です」
「ほほう。私たちは、スルーニ市に入る許諾を得ていると理解していましたが」
「それは、エレン・エレスコブ殿がカイヤントに到着し、グマナヤ市で演説するまでに出された許諾です」
ロイロレヌはいう。「しかしその許諾は取り消されました」
「なぜ取り消されたのです?」
「エレン・エレスコブ殿が、グマナヤ市やその他の都市で行なったような演説を、わがスルーニ市でしてもらっては困るからです」
と、ロイロレヌ。「ああいう演説は、スルーニ市には有害です。ああいう不|穏当《おんとう》な演説をされる可能性がある限り、スルーニ市はあなたがたの入市を認めるわけには行きません」
「不穏当とは、どういうことですか?」
「その議論はやめましょう」
ロイロレヌは、かぶりを降った。「スルーニ市は、スルーニ市にとって不穏当と思われるものを排除するだけです。あなたがたが別の意見をお持ちになるのは自由ですが、スルーニ市にはスルーニ市の規準があります。われわれにとって不穏当だといっているだけです。そして、あなたがたが着陸したこの地からもう少し先は、地上走行しか許されないスルーニの潜在主権地域になります。あなたがたが直ちに引き返すか、それともここにしばらくとどまるかは勝手ですが、ここから先へ進むことは、やめていただきたい」
「要するに、あくまでも入市を拒否されるわけですか?」
「必ずしも、そうではありませんよ」
ロイロレヌは、微笑した。「われわれは、われわれにとって不穏当な演説をするであろうエレン・エレスコブ殿を拒否しているだけです。あなたがたにそれができるかどうかは別として、もしもエレン・エレスコブ殿がスルーニ市ではいっさい演説も活動もしない旨を誓い、正式文書に署名して下されば、いつでも入市していただきます。もちろん市内で誓いを破れば、直ちに市外へ追放し、そうした背信《はいしん》行為をおやりになったことを公式に発表しますが」
ヤド・パイナンも微笑した。
「なるほど。出来るかどうかは別にして、ですな」
「また、これも出来るかどうかは別にして、ですが……エレン・エレスコブ殿ひとりをここに置いて入市なさるのなら、いっこうに差《さ》し支《つか》えありません」
ロイロレヌは、何でもないような口調でつづけた。「ひとりひとり、ばらばらでも構わないのです。まして、そこにおられるスルーニ市|駐屯《ちゅうとん》の皆さんがたは、エレン・エレスコブ殿と一緒でない限り、よろこんで迎え入れます。スルーニ市は、皆さんがたの住居なのですから」
聞いていたぼくは、ひやりとした。ぼくだけでなく、第八隊のみんながそうだったのではなかろうか。そんなことを耳にすれば、大したことではない状況ならともかく、自分の身に危険が迫るような場合、傭兵《ようへい》である補助隊員のうちエレン・エレスコブ家に本気でつくすつもりのない者は、職を投げ出してスルーニ市に逃げこんでしまうかも知れない。そしてぼくは、あきらかにロイロレヌというその女が、そのことを狙っていったのだと確信した。彼女の目は、それを物語っていたのだ。
「私がお伝えしたかったのは、以上です」
ロイロレヌは、話をしめくくった。「エレン・エレスコブ殿が、もしスルーニ市で何もなさらないというのなら……また、その気になられたら、使者を出して下さい。そうでないのなら、ここから先へは進まないで下さい」
「私はスルーニ市の防衛委員補として、申しあげておきます」
それまで黙っていたロビブジェットという男が、ロイロレヌに劣らない油断のない調子でいった。「決して、ここから先へは進まないで下さい。もしも力ずくで進もうとなさったら、私どもは都市防衛の名のもとに、あなたがたを全滅させるでしょう。これは植民都市に認められている権利です。駄目を押すようですが、たとえどんな事情があろうとも、私たちはそうするでしょう」
ロビブジェットが喋り終ると、ロイロレヌは頷き、きわめていんぎんな口ぶりでいいながら、会釈《えしゃく》した。
「それでは……どうか、エレン・エレスコブ殿によろしくお伝え下さいませ」
それから、ふたりはきびすを返して去って行った。
「そういうことか」
かれらを収容した戦闘機が浮上するのを待って、最初に呟いたのは、ヤド・パイナンであった。「敵もいろいろ考えるものだな」
「ヤド・パイナン」
声がした。
エレンの声であった。
いうと共に、エレンは車の中から出て来たのだ。
「応対、ご苦労さまでした」
エレンはヤド・パイナンをねぎらい、ついでぼくたちを見渡した。
「わたしたちがこんな目に遭うのは、これはよろこぶべきことなのですよ」
エレンは静かに話しだした。「スルーニ市がこういう挙に出て来たというのは、わたしのこれまでの演説が、疑いもなく効果を発揮しはじめているのを意味します。そうではありませんか?」
「おっしゃる通りだと考えます」
ヤド・パイナンが答えた。「しかしエレン様、それはそうだとしても、われわれはここでじっとしているわけにはまいりません。これからどうすべきか、作戦を樹てなければ」
「そうですね」
エレンは頷いた。
エレンとヤド・パイナンは車の中に入った。車には内部ファミリーもいるのである。これからわれわれがどうすべきかの打ち合わせがはじめられた。
ぼくたちは、ノザー・マイアンの指揮のもと、車の周囲を固めた。
その外側は、警備隊員である。
目をあげると、行く手の上空に浮かんでいた戦闘機は、一機になっていた。だからといって、他の機が行ってしまったのではないであろう。ほかの四機はまだずっとむこうのほうに着地して待機しているのに違いない。一機だけが浮かんでいるのは、ぼくたちを監視するためなのであろう。
これからわれわれはどうするのだろうか――と、ぼくは考えた。が……あのロイロレヌがいったような条件をぼくたちが呑《の》まないとすれば、ここから引き返すしかないのはたしかである。たとえ他の都市へ行くにしても、一度戻って迂回しなければならない。少しでも前進すれば、行く手の戦闘機は、ぼくたちを攻撃して来るはずであった。戦闘機だけでなく、もっとほかのものも出て来るかもわからない。それらに対してぼくたちの装備と陣容では、とても勝ちめはなかった。スルーニ市の連中は、はっきりと、ぼくたちが前進すれば全滅させると公言したのである。それも、どんな事情があったとしても、と、念を押したのだ。
待て。
それは、どういう意味だろう――と、ぼくは思いはじめていた。そういういいかたは、念を押すにしても押し過ぎである。何か底意があっていったような気がして、仕方がないのであった。
「隊長!」
警備隊の誰かがどなったので、ぼくはそっちへ視線をめぐらした。
どなったのは、スルーニ市に向かっていたとき最後尾にいた警備隊員たちのひとりである。そちらへと、警備隊の指揮者は、水を飛ばしつつ走っていた。警備隊員らが、がやがやと騒ぎ出しているのを、ぼくは感じた。感じながらも、その方向のさらにかなたをみつめたまま、ぼくはわが目を信じかねていた。
車だ。
十台以上の飛行車が、横にひろがって行きながら、低空をしだいに接近して来るのであった。その一台から、ぼくたちのほうへ、一条のレーザー光が飛んだのだ。それらが、ぼくたちを後方から襲おうとしているのは、疑いの余地がなかった。
レーザー光を認めた瞬間、ぼくは反射的に枯れ葉におおわれた浅い水に膝をつき、姿勢を低くしていた。同時に、そろそろ夕方近い空を横切ったそのレーザー光が、直接ぼくたちに向けて射出されたのではなく、頭上のかなり高いところを過ぎたのも、見て取っていた。
つづいて十本ほどの光条が、やはり上空を走る。
それきりで、二秒……三秒……五秒。
ぼくは首を伸ばして、相手のいる方向を窺った。飛行車群はぐっと速度を落としながらさらに低くなり、ぼくの姿勢では見えなくなった。
着陸したのかも知れない。
着陸して地上走行で近づいて来るのか、それとも停止したのか……ぼくにはわからなかった。
相手の動静がつかめないというのは、不利でもあるし不安でもある。かといって、うっかり立ちあがるのは危険だった。今の光条はぼくたちを倒すというより、威嚇のために射出されたように思えるが、今度相手の前に全身をさらせば、即座に射抜かれる可能性もあるのだ。見廻すと、他のみんなも身をかがめていた。
だが、相変らず先方からは、その後何も仕掛けて来ない。
あれは、何者だ――と、ぼくは思った。何もいわずに接近してレーザーを射出し、それから沈黙を守っているとは、どういうつもりなのだ?
かれらが、ぼくたちに対して好意的な存在でないことは、はっきりしている。しかも今の状況から考えると、スルーニ市行きを制止されたぼくたちの背後に出現して、こちらをはさみ打ちにしている格好なのだ。スルーニ市側と呼応して、そういうことをやっていると解釈しても、ちっともおかしくないのであった。
と。
警備隊の指揮者が、低くなったまま、自分の車のほうへやって来て、車内へ命令をくだした。むこうと連絡をとれといっているのである。が……指揮者はじきに車内に入り、しばらくすると出て来た。
そのときには、ヤド・パイナンもエレンの車からすべり降り、あたらしい相手のほうへ目をやっていた。
警備隊の指揮者が、そのヤド・パイナンのそばに来て報告するのが、ぼくにも聞えた。
「先方とは連絡がとれません」
指揮者はいっていた。「そちらが何者で、何のためにこんなことをするのか、と、問い合わせましたが、通常の波長では応答がありません。他の定められた波長でも、返事をしようとしません」
「それで?」
ヤド・パイナンは冷静に応じた。
「ですから……」
指揮者はいいかけ、しかしその言葉を呑み込んでしまった。何もいわずにまた自分の車に戻ったのだ。
ほどなく、その車から、スピーカーに乗った声が流れ出た。
「そちらは何者か? 何の目的でこういうことをするのか?」
数秒経ったが、何の応答もない。
「こちらはエレスコブ家の警備隊だ! ネイト=カイヤツ議員のエレン・エレスコブ様もおられる。答えよ! そちらは何者か? 何の目的でこういうことをするのだ?」
スピーカーからの声は、繰り返した。
依然として返事はない。
ぼくは、そろそろと身体をおこしにかかった。もちろん警戒をとかずすぐに頭をさげられる体勢でだが……感じとしてどうも相手がすぐには仕掛けて来そうに思えないので、そうしたのだ。ぼくだけでなく、第八隊の連中や何人かの警備隊員が、同じように首を持ちあげ姿勢を高くしはじめていた。
身体を起こすと……前方、三百メートルか四百メートルかなたに、散開して制止している十台あまりの飛行車が見えた。十二台いた。車の型からは、どこのものともわからない。旗を立てているわけでもないし、飛行車としてはありふれたスタイルなのだ。先程のレーザーが車に搭載された大型のものなのか、携帯用のものだったのか、銃身が突き出ていないので、それもわからない。
突然、こちらの警備隊の指揮者を乗せた車が動きだした。ゆるゆる、がたがたと、揺れながら進んで行く。進みつつ、スピーカーで呼びかけているのだ。
「そちらは何者か? 何用か? 話し合いたい! そちらへ行く!」
車はゆっくりと進んだ。ぼくたちを離れて五十メートルも行ったであろうか。
だしぬけに、むこうの群のその中央にあった車の先端から、細い銃身があらわれた。レーザー光が閃いて飛んだ。
こちらの車の前部が、かっと輝き、けむりがあがった。駆動装置をやられたらしく、こっちの車はがくんと停止した。
車から、警備隊員たちがばらばらと飛び降りるのが見えた。指揮者も一緒である。かれらは這うようにして、こっちへ逃げて来るのだ。
取り残された車が無人になったのをたしかめるように時間を置いたあと、またもやレーザー光が走った。それも連続射出である。見る間に車はけむりを噴きあげ、炎に包まれて行き……爆発した。
相手は、われわれとコンタクトする気はないのだ! 近づこうとすれば直ちに攻撃するのだ!
「外へ!」
ヤド・パイナンの叫び声が、ぼくの耳に入った。「エレン様! それにほかの人々も車の外へ! 車から離れて下さい!」
声に応じて、エレンや内部ファミリーやその他の人たちは、車から出た。手ぶらの者も荷物を持った者も、みな姿勢を低くしてすべり出たのだ。エレンだけはそうではなかった。エレンはちゃんと顔を挙げ、背中を伸ばしたままであった。が……それでも降り立つや否や、足首まで水につかったのは、みなと同様であった。
エレンのそんな様子を見るにつけても、ぼくは、ヤド・パイナンがそんなことをいったのは早過ぎたのではないか、という気がしたのだが……しかし、やはりそのほうが正しいのだろうと思い直した。ヤド・パイナン以下の第八隊は、エレン・エレスコブを守るのを至上命題とする。そして今、謎の相手が車を連続射出で破壊・爆発させられる、おそらくは大型のレーザーを持ち、現実に一台を破壊したのだとあれば……エレンを車の中に置くよりも、外へ出てもらうほうが安全に違いないのだ。
車から出たエレンたちは、ヤド・パイナンの要請を受けて、やや離れた位置に移動し、ぼくたちはその周囲を、それほど密集せずに固めた。
それでも、もしも車が爆発した場合のことを考えると、その距離はまだ充分とはいえない。ぼくの頭にそんな想念が走ったとき、ヤド・パイナンは命令をくだしていた。
「ノザー・マイアン! 救援要請を打電し、車を遠くへ移せ!」
「わかりました!」
ノザー・マイアンが車に飛び込んだ、送信はじきに終ったらしく、車はむこうとの距離をつめないように、横のほうへと動きだした。
けれども、そういう動きでも、むこうにとっては許容しがたかったようである。ノザー・マイアンが運転する車は、二十メートルか三十メートル離れた位置で、レーザーを浴びせられたのだ。今度ははじめから連続射出であった。あっとぼくたちがみつめる中、ノザー・マイアンは跳躍して車から脱出し、走ってから水に伏せた。一呼吸か二呼吸あって車は爆発した。水中に肱をついたぼくの頬を熱風がうった。顔をもちあげたときには、エレン・エレスコブがこれまで乗って来た車は、ただの残骸と化していた。
警備隊員たちは、あきらかに狼狽《ろうばい》していた。かられは口々に叫びながら、かたまり合ったりあっちこっちへ走りだしたりしていた。車に乗って、あたらしい相手に背を向け、スルーニ市防衛機が控えている方向へと、進んで行く者さえあった。
いや、そういうぼくだって、平静でいたのではない。
ぼくは、自分たちがもはや疑いもなくはさみ打ちにあっているのを、悟っていた。それも、ぼくたちをここに釘付けにしようとしているのである。いや、それだけではないかも知れない。最終的にはぼくたちを全滅させようとしているのかもわからないのだ。前面には五機の垂直離着陸戦闘機、うしろにはレーザーを備えた十二台の飛行車。こちらの戦力では、どう見ても勝ちめはないのである。
「今回は、敵さんも本気らしいぜ」
声がした。
少し離れたところで膝をつき、レーザーガンを構えているハボニエだった。
敵。
そうなのだ――と、ぼくは思った。当然そうでなければならないのだ。そのときまでぼくはどこか心の底で、一方はスルーニ市の防衛機、一方は正体不明の飛行車群、という受けとめかたをしていたようだ。もっと突きつめていえば、何とかして入市を許可してもらわなければならぬその相手と、正体がちゃんと判明するまではうかつに交戦出来ぬ謎の相手――という意識が残っていたのだ。しかしそれを敵と規定してしまうと……にわかに楽になったのである。たたかうことを寸時でも忘れてはならぬ身であり立場であったせいなのか……自分でも妙な心理であった。
「そのようだな」
ハボニエに答えるときには、ぼくはだいぶ落ち着いていた。
警備隊の指揮者が、はあはあと息をはずませながら、近づいて来た。ぼくとハボニエの間を通って行き……ヤド・パイナンに大きな声で訴えた。
「あれは……サクガイ家です! サクガイ家から廻して来た飛行車です!」
「証拠があるのか?」
と、ヤド・パイナン。
「証拠はありません。そんなものを見せるへまはしないでしょう」
指揮者は、早口にいう。「しかし、私は何度か噂を聞いたことがあります。サクガイ家がレーザーを搭載した飛行車で、他の家の警備隊を襲ったという話をです。これも……そうに違いないのです」
「――ほう」
「相手がサクガイ家では、無理はききません。ここはいったん折れたほうが――」
「どう折れるのだ?」
「エレン様に」
指揮者はちょっといいよどんだが、思い切ったようにつづけた。「エレン様に、スルーニ市に入っても、演説をしないと、そう約束していただければ……」
ヤド・パイナンがその言葉にどう答えるかとぼくが思ったとき。
機銃音が、うしろでひびいたのだ。それは二回、三回、と、つづいた。
ぼくは目をやった。
スルーニ市の防衛機の方向へ進んでいた車が二台、こちらへ転じて戻りはじめているのだった。スルーニ市の防衛機の攻撃を受けて、引き返さざるを得なかったのだろう。車だけでなく、そっちへ徒歩で駈けていた十数名の警備隊員が逃げて来るのも見えた。
「きみは、何をいっているのか、自分でわかっているのかね?」
ヤド・パイナンが低くいった。「きみは越権《えっけん》行為をおかしているのだぞ。エレン様の行動については、エレン様ご自身がお決めになる」
「しかし」
「きみは、与えられた権限の範囲内で任務を果たすべきなのだ」
ヤド・パイナンは、かたまり合ったり走りまわったり、一応はたたかう姿勢を示したりしている警備隊員たちを指した。「あれはきみの部下たちではないのか? きみはそれで部下を掌握しているつもりなのか?」
「――は」
「隊長!」
足をひきずりつつ、ノザー・マイアンが戻って来た。服のあちこちが焼けこげて、やっと歩いている感じだった。「隊長。救援要請の打電を済ませ、車を置いて来ました。車はごらんのように破壊されました」
「ご苦労」
ヤド・パイナンがいうと、ノザー・マイアンは膝をつきかけた。第八隊員のひとりが肩を貸した。ヤド・パイナンはノザー・マイアンに、エレンたちのいるそばで休むようにと命じ、警備隊の指揮者へと向き直った。もう一言、何かいいたかったのかも知れない。が、指揮者はすでにその場を離れ、手を振って、隊員たちを集めにかかっていた。
そして、背後からの飛行車の一団の出現以後、これだけの事柄が次から次へとおこっていながらも、本当はあまり時間が経っていないのだということを、ぼくは自覚していた。それを裏付けるかのように、日はまだ暮れ切ってはいなかったのだ。空にはようやく夕焼がひろがりはじめていたところだったのである。
たしかに持ち場を放棄《ほうき》せずにいた者もいるが、大半がどうしていいのかわからなくなって走り廻ったりおびえたりしていた警備隊員たちを、他の正規隊員たちと共に指揮者がどなりつけ、叱り飛ばして、どうやら前面のスルーニ防衛機のほうと背後の飛行車群のほうへ人数を振りわけ対峙のかたちをとらせるには、だいぶ時間がかかった。だからといって、ぼくは、そうした警備隊員たちや、まして指揮者を非難しようとは思わない。あれだけ混乱し、うろたえていたのが、とにもかくにももう一度秩序を取り戻すことが出来たというのは、かれらが現地勤務に馴《な》れていたせいがあるにしても、やはり驚歎すべきことには違いなかったのである。だが……かけねなしにいえは、そうした隊形を取り直したとしても、かれらの士気は、ほとんどなくなっていて、かたちだけで秩序を保っているようであった。すくなくともぼくはそういう印象を受けたのである。
それにしても、これは奇妙な状況であった。
ぼくたちは、前後を敵にはさまれて、身動きがつかない。そして敵のほうも、こちらが動かぬ限り、何の手出しもしようとしないのである。
そのうちにタ焼は刻々とひろがり、湿原の天地は濃い赤色に染まり、それがしだいに紫から青灰色へと、裾せて行った。
遠くのほうから、スピーカーによる声が流れて来たのは、そのときである。
声は、スルーニ防衛機の方角から来るのであった。女の声であった。
「スルーニ市民のみなさん」
と、声は、同情にたえないような調子で呼びかけていた。ぼくはそれが、使者としてやって来たあのロイロレヌではないかと思ったが、はっきりとしたことはいえない。「スルーニ市民のみなさん、あなたがたはどうしてそんなにつらいことをしているのですか? なぜ、エレスコブ家などに義理をたてて、そんなところにいるのですか? エレスコブ家がみなさんに、なにをしてくれたというのですか? あなたがたは雇われた警備隊員として、利用されているだけではありませんか。エレスコブ家の売名欲にかられたわがまま娘のために、水に漬《つ》かって一晩を過ごすつもりですか? 一晩を過ごしても、あすになれば戦闘になるかもわかりません。あなたの名前も知らないお嬢さんのために、生命を失うつもりですか? 二日経ち三日経てば、食べるものもなくなります。他人のために、飢《う》え死にするつもりですか? そんな義理はないではありませんか」
声は、ちょっととぎれ、どこか快活な調子になってつづいた。「わたしたちのところへおいでなさい。近くへ来たら、両手を高くあげて歩いて来てくれればいいのです。わたしたちはスルーニ市の仲間として、迎え入れます。あなたがたのあたらしい仕事も見つけてあげます。エレスコブ家など、今すぐに見限りなさい。こんな場所で死ぬか死の苦しみを味わうか、それとも仲間にあたたかく迎え入れられるか、それはあなたの自由です。わたしたちは待っております。心から待っています」
そこでだいぶ間をおいて、再びスルーニ市民のみなさん、と、はじまるのであった。
ぼくは、昼間の不安が的中したのを知った。交渉にやって来たロイロレヌは、あのときにもそのことを匂わせたのだが……むこうは最初から、それを武器とするつもりだったのである。
説得は三回繰り返され、それから静かになった。
後方の飛行車群のほうは、ずっと沈黙したままである。
おそらく警備隊員たち――それも補助隊員たちは動揺しているだろう、と、ぼくは推察した。ファミリーでも何でもない傭兵である補助隊員たちにしてみれば、自分の命を賭けてまでエレスコブ家に忠誠をつくす必要はないのだ。結果としてたまたま生命を落とすことになったのならやむを得ないが、積極的に死も覚悟しようというのは……高い評価を受けて昇進しよう、ファミリーの地位を獲得しようという場合に限られるのではあるまいか? ぼくは、補助隊員の忠誠心に関して懐疑《かいぎ》的過ぎるのかもしれない。だがそれは補助隊員たちを見下したというのではなく……エレスコブ家入りをする前のぼく自身の気持ちを考えれば、そう解釈するのが当然のように思えたのである。
ただ、その説得が、現実にどの程度の影響を与えたのか、ぼくにはわからなかった。あたりはすでに暗く、まぎれもない夜になりつつあったからだ。
しかし。
ぼくの危惧《きぐ》は、当たっていたようである。
警備隊の指揮者が、三名の正規隊員をともなって、ヤド・パイナンのところへやって来たのだ。かれらはヤド・パイナンと小声で話し合ってから、元へ戻って行った。少し離れた位置にいたぼくには、話の全部は聞き取れなかったけれども、救援とか、見込みは、という言葉がちらちらと耳に入り、それに対してヤド・パイナンが、はっきりした返事を与えないらしいのも察知出来たのである。ということは、警備隊の指揮者らは部下の動揺を静めるための材料を求めているということであり、ヤド・パイナンはそれに対して明確な返答を与えない、あるいは与えることが出来ない――のを意味しているのではなかろうか? しかしぼくには、そんな見当をつけるだけのことであった。どうするわけにも行かないのであった。
「イシター・ロウ。おい、イシター・ロウ」
闇《やみ》の中の声に、非番のぼくは目をさました。
実のところ、目をさましたという程のものではない。うとうとして、その都度《つど》垂れた首をおこすのはたしかだったが、まともに居眠り出来る状態ではないのである。日が暮れると気温がさがって来て、水のほうがなま暖かい感じになったものの、その中に腰や足を浸しているのはつらかった。その水もしだいに冷えて行くのだ。ぼくは長い草の葉の茂みに身をあずけて、腰は水に漬からないようにしていたけれども、眠さが強くなるとそれだけ寒くなるのであった。
「何だ?」
ぼくは、訊き返した。
闇といっても、完全な闇ではない。カイヤントの小さな衛星がひとつ浮いているし、あちこちに枯れ葉のかぶさっていない水面があって、鈍く光っているのだ。その中でぼくに声をかけたシルエットは、ハボニエだった。
「隊長が、集まれといっている」
ハポニエは、押し殺した声を出した。「ほかの警備隊員には内密にだ。あっちの……エレン様のところへ来い」
「――わかった」
ぼくも低く答え、ハボニエがぴちゃぴちゃと他の隊員のほうへ行くのを待って、彼の指示したほうへ歩きだした。
そこには、エレンをはじめ、内部ファミリーの人間や、パイナン隊長、隊員などが集まっていた。ハボニエが別の隊員と共に来るのを待って、パイナン隊長はいいだした。
「情勢はきわめて良くない。正確なことはわからんが、警備隊からかなりの逃亡――というか、あちらへの投降者が出ているようだ。指揮者もどこへ行ったか、見当たらない」
やはり――と、ぼくは思った。
だが、指揮者までいないとは、どういうことだろう?
指揮者も、投降したというのか?
あの指揮者は、士官補である。エレスコブ家の外部ファミリーで、ぼくなどよりも上の身分である。
それが……?
「彼がどうなったのか、今のところはわからない。投降したとは思いたくないし、部下たちにやられた可能性もある。いずれにしろこのことが残った警備隊員に知れ渡れば、統制はきかなくなるだろう。従ってわれわれは早急に、独自に作戦を樹てなければならない」
パイナン隊長は、小声でつづけた。「私の見込みでは、救援が到着するには、まだひまがかかるはずだ。カイヤント上のエレスコブ家警備隊のどれだけの部隊を送り出すか……ここの警備隊は手一杯だから、うかつに兵員を引き抜くことはできない。引き抜く隊が決まっても、集合させここへ駈けつけるまでには、それだけの時間が必要だ。われわれはぼんやりと救援を待ってはいられない。指揮者を失ったここの事業所部隊がどう動くかわからんし、このまま水に漬かって朝まで待つのは問題だ。カイヤントの夜は冷えるからな。しかも、夜に入ってすぐ、携帯食糧を一食ぶん平らげたからわれわれにはあと一回しか食事が残されていない」
「…………」
「そこで私は、エレン様と主な人々に、何とかしてここから脱出していただこうと思う」
ヤド・パイナンは、闇をすかし見た。「われわれにはまだ六台の車がある。そのうちの二台はあまり遠くない位置にある。その二台を使うのだ」
「しかし……敵がそれを許すでしょうか?」
ハボニエが問うた。
「わからん」
ヤド・パイナンは答えた。「だから、まず一台が小手調べに飛びあがる。低空を行くのだ。それでむこうの反応がなかったら、もう一台の――エレン様を乗せた車が、逆の方角から離陸して……離脱する。追跡があるかも知れないが、そのときは、はじめの車が迎撃して、エレン様の車を逃がす」
「はじめに反応があったら?」
ひとりの隊員がたずねた。
「そのときは、エレン様の車は飛び立つのをやめて、別の計画を樹てよう」
と、ヤド・パイナン。「ただ、その場合には、はじめの車は撃墜されることになる。それは覚悟しなければならない」
「…………」
みんな、黙った。
「本当は、わたしはこういうことをしたくないのです」
エレン・エレスコブが口を開いた。「あるいはわたしの護衛員を失うかも知れないこんなことは……。でもわたしはヤド・パイナンに従います。彼が現状のもとではこれしかないというのですから」
「私はそう判断します」
ヤド・パイナンが、低く答えた。
みんな、またしばらく沈黙した。だいぶ離れた場所にいる警備隊員たちの話し声や水を行く音などが、聞えて来た。
「はじめの車は、わたしが運転しましょう」
静かにいいだしたのは、ノザー・マイアンである。「わたしは負傷しているけれども、運転に差し支えるほどではありません。それにこれは重大な役目です。わたしにやらせて下さい」
「よかろう。だがひとりでは不安だ。もうひとり必要だが……いるか?」
ヤド・パイナンは、(表情は見えなかったが)全く感情のこもらぬ声でいった。
「ぼくが行きます」
ぼくは、とっさに声を出していた。
誓っていうが、ぼくは何も勇気を示したかったのではない。やけくそになっていたのでもなかった。ぼくは、おそらくもうひとりノザー・マイアンと同乗しなければならないだろうと推測し、それは誰であるべきかを考えただけなのだ。第八隊のメンバーの中で、一番新参の、従っていなくなってももっとも打撃のすくないのは、ぼくではなかったか? そしてぼくは飛行車の運転も出来る。ぼくが名乗り出るのが当然の場面であり……みんなもそう期待していたに違いないのだ。
「よし。イシター・ロウ。お前行け」
ヤド・パイナンは、やはり単調な声でいった。
二台めの車には、エレンと内部ファミリー、それに随員が乗ることになった。同乗の護衛員はヤド・パイナンともうひとりの隊員である。それで一杯なのだ。ハポニエとあと一名はここに残ることになった。
ぼくたちはなかば手さぐりで浅い水の中を進んだ。
二台の車には誰もいなかった。もともと運転していたのは警備隊員たちであり、車の中にいるのが危険と思われてからは、みな離れてしまったのだ。また、投降に車を使おうとする者もなかったのは、前後いずれへ行くにしても、車が攻撃されることを、目で見て知っていたからであろう。
ぼくはノザー・マイアンと並んで、一台めの運転席についた。運転はノザー・マイアンが行なうが、もしもそれが出来なくなったときには、ぼくが自分の前の装置をあやつることで、つづけられるのである。
そんなぼくたちの動きに、警備隊員たちが気づいた様子はなかった。いや、実際は気づいていたのかもわからない。気づいていても、自分たちとは関係のない事柄として放っていたのか……ほかの、たとえば投降計画に忙しく、それどころではなかったのかも知れない。
「よし。出発」
窓の外のハボニエが、後方の合図を受けていった。
ノザー・マイアンはスイッチを入れ、車を走行させることなく、その場から浮上させた。浮上させて、茂みの上ぎりぎりの低空を、予定通りにスルーニ市防衛機と飛行車群を結ぶ線から直角に、速度をあげて行った。このまままっすぐに進んで、適当な遠さまで来たときに上昇し、ふたつの敵の有効射程距離から脱出するのだ。ぼくたちの車がそれに成功すれば、というより成功しそうと見極めがつけば、エレンたちを乗せた車が、ぼくたちと反対の方向へ飛び立つのである。
車のライトはむろんつけていなかった。計器盤だけがぼんやりとともっているだけである。エンジン音だけはどうしようもなかったが、これは相手の不意をつくということと、前面・背後の敵がお互いに撃つのを遠慮し合うかも知れないという、そのことに望みをつなぐしかないのである。ぼくたちの車は、ぐいぐいと加速しつつ、一直線に夜の湿原上を低く飛んだ。
うまく行きそうだ。
そのはずであった。
が。
車の右手の闇を切り裂いて、そのとき光条が飛んだのだ。
パルスであった。
一本。
二本。
三本めが、車のどこかをつらぬいたのを、ぼくは感じた。焦げ臭い匂いが、ぼくの鼻を打った。
ノザー・マイアンが舌打ちをした。
敵は、待ち構えていたのだ。
ぼくたちが何かするであろうと察して、注意をおこたらなかったのだ!
「帰るわよ!」
ノザー・マイアンは低く叫び、車をやや上昇させながら、急激に減速した。ベルトがぼくの胸と腹を締めつけた。もし失敗すれば何とかして助かるようにすること、さらに出来るなら、みんなのところへ帰ること――というのが、ぼくたちに課せられた任務であった。ノザー・マイアンは、それを忠実に、しかもふたつともやってのけようとしたのだ。車は上昇しつつ右へ傾き、弧を描いて今来たコースを戻ろうとした。
だが……待っていて攻撃して来た敵に対して、それがやはり無謀であったことは否めない。
反転しようとスピードをゆるめたぼくたちの車に、次のレーザーパルスがぶつかって来た。車の前部がばっとあかるくなり……吹っ飛んだノザー・マイアン側の窓ガラスから、どっと風が吹きつけて来た。車は斜めに浮いたまま、ゆっくりと上昇し、その上昇が刻々と減じつつあった。すぐに上昇は終って、車は落下するであろう。
「ノザー・マイアン!」
ぼくは、前に突っ伏したノザー・マイアンに声をかけた。ノザー・マイアンはぴくりともしない。
ぼくは、自分の装置に向き直り、車の姿勢を復元させようとした。こちらの装置も大半がやられていた。それでも必死で操作《そうさ》したぼくは、ようやく平衡《へいこう》を取り戻し……だが、そのままでしだいに降下して行く。すべるようにして降下して行くのだ。
ぼくは、フロントガラスのむこうの暗い湿原をみつめた。
ところどころ光る湿原の……ぼくが向かっているところに、いくつもの黒いものが見えていた。ぼくたちの車にレーザーを浴びせかけた、あの飛行車群なのだ。そうに違いないとぼくは思った。
しかし……それにしては、敵はなぜこの車を撃たないのだろう。今のこんな状態では、パルスではなくレーザーの連続射出であっさりと爆発させることが出来るはずである。なぜそうしないのだ? 放っておいて墜落するのを待っているのか? いや、この調子では墜落はしないだろう。かなりのショックはあるにしても、着陸する可能性が高い。
それなのに……。
生け捕りにしようというのかも知れない――という考えが、ぼくの頭に閃いた。殺さずに生げ捕りにしようというのか? だが、なぜ? ぼくやノザー・マイアンを生け捕りにしても、仕方がないではないか。
エレンだ! と、ぼくは悟った。
敵は、この車にエレンが乗っているかもわからないと考えているのだ! エレンは殺したくないのだ! そう。エレン・エレスコブがもしここで死ねば、どういう具合に死んだのかは関係なく(また、真相はついにわからないであろうが)殉教者にまつりあげられるのは間違いないのである。だから殺したくないのだ。そしてもしエレンを生け捕りにすれば、そのときには、いろんな手がある。扱いかたとエレンの態度しだいでは、彼女をカイヤント諸都市団結運動の旗じるしとしての位置から、一挙に叩き落とすことも可能であろう。死んでしまって彼女が殉教者にまつりあげられるよりは、ずっとましなのである。
そうに違いない。
ぼくは、自分の車の後部座席に何の損傷もないらしいのを、そのときあらためて思い知った。偶然かもわからない。結果としてそうなっているだけなのかもわからない。こんな夜の闇の中で、それほどの精度でレーザーを射出し得るものかどうか、ぼくには何ともいえないけれども……敵がそのつもりだったことだって、充分考えられるのである。エレン・エレスコブが運転席にすわることは、まず考えられない。後部座席の防護のほうがしっかりしているからだ。だからそんな撃ちかたをしたのかも――。
エレンは、と、ぼくは思った。エレンを乗せた車は、飛び立ったのだろうか? ぼくたちの車がやられるのを見て、断念したのだろうか? とりやめてくれたのなら……間に合ったのならいいが……しかし、飛び立ってレーザーを浴びたのなら……。
どっと嵐さながらにそんなありとあらゆる想念が脳裏を駈け抜けるのをおぼえながら、ぼくは車の姿勢を保つのに精一杯であった。降下するのをどうすることも出来なかった。隣りのノザー・マイアンはまだ倒れたままで……ぼくには彼女を助け起こす余裕すらなかった。
それでもぼくはまだ、努力することをやめなかった。降下がとめられないまでも、せめて方向を転じて、及ぶ限り敵から遠い地点に着けようと頑張ったのだ。なかば無我夢中であった。
その車が、にわかに向きを変えたのだ。
何がどうなったのか、見当もつかない。
向きを変えた車は、どういうはずみなのか、ひょいひょいと上下しはじめた。小刻みに上昇したり下降したりしながら、速度さえあがりだしたのである。
敵のレーザーは……到来しなかった。さっきのぼくの想像が誤っていなければ、後部座席に命中するのをおそれたのかも知れない。
ぼくたちの車は、それからたちまち高度をさげ、低空を、さらに低空を飛んだ。ぼくは車をコントロールしているつもりだったが、本当にそうだったのか否か自信はない。機構がおかしくなって、勝手に作動している感じだった。車の底を、例の茂みがばしばしっと打ちはじめ、もう一度ふわりと浮きあがったのち、浅い水に突っ込んだ衝撃が襲って来た。
…………。
ぼくは顔を挙げた。
ぼくは着地のショックで一瞬目がくらんだだけなのか、それとも気を失っていたのか……失っていたとすればほんのしばらくだったのか長い間だったのか、自分でもわからなかった。はっきりしているのは、ぼくは依然として運転席のベルトにしばりつけられており、それも斜め前に傾いているということであった。
周囲は闇である。
計器盤のあかりも消えていた。
だが、ぼくの目は徐々に馴れて、外がぼんやりとあかるいのを……そしてぼくの横のノザー・マイアンが、自分の前の計器盤に倒れ伏しているのを、見て取れるようになった。
ノザー・マイアン。
ぼくは、自分のベルトを外して、ノザー・マイアンの身体に手をかけた。彼女はぐったりとして……妙につめたい感じだった。手首をまさぐってみたが、脈搏《みゃくはく》がない。そんな――と思いながら、今度は首筋に指を当ててみた。やはり脈搏は伝わって来ない。それにぼくの指に、ぬらぬらとしたものがついた。血のようであった。
では……ノザー・マイアンは死んだのか?
ぼくはノザー・マイアンの身体から手を離し、傾いた運転席に、しばらく呆然とすわっていた。心の中が空っぽになったみたいで、何の感情も湧いて来ない。変に乾いた気分であった。
とにかく……。
そう。とにかく……何とかしなければならない。
ぼくは、傾いた車のドアを開けて、外に出た。例によって足首まで水に沈んだ。そのままで、ぼくはあたりを見廻した。
夜空とこの世界の月と……それに暗い湿原がひろがっているばかりだ。あかりはどこにも見えなかった、ぼくたちが飛び立つまでいた場所も、例の飛行車群も、さらにはスルーニ市の防衛機も、どこにあるのかわからない。遠いのか近いのか……よしんば近くだとしても、あかりをつけてはいないだろうから、わかるわけがないのだ、と、ぼくはおもった。
そして、変に静かなのである。
ぼくは、暗い湿原にたったひとりで立っているのだ。
そのときのぼくの気持ちを、どう表現したらいいであろう。
ノザー・マイアンは死んだ。いや、ぼく自身だって死ぬところだったのだ。ここでこうして立っているのは、いわば奇跡である。ぼくは身体のあちこちを動かし、大したけがもしていないのをたしかめた。いよいよ奇跡に近い。それはわかっている。わかっていながら……ノザー・マイアンの死や、自分が大冒険をしたのだという実感は、どこにもないのであった。ただ何となく……おのれが今まで夢を……それも熱に浮かされて夢を見ていたような、奇妙に醒《さ》めた気分におちいったのである。正直にいえば、エレン・エレスコブもエレスコブ家も、そして第八隊もヤド・パイナンもノザー・マイアンも……どこか別の世界のもののような感覚をおぼえていたのであった。
しかし。
ぼくのそうした不思議な心情は、思いがけない人声で、破られることになった。
「おーい」
と、前方の闇の中から、呼ぶ声が聞えて来たのだ。
誰かいるのだろうか?
「おーい、大丈夫かあ」
声は、また流れて来た。
目をこらすと、湿原の奥、左右に何かがぼんやりと延びているようだ。それも、よほど注意しないとわからない線である。だからさっき見渡したときには、見ることが出来なかったのであろうか? それともぼくが、そんなものがあるとは考えもしなかったので、認め得なかったのか? そして声は、その中央、ぼくの真正面の方角から聞えて来るのである。
けれども、ぼくはすぐには呼びかけには応えなかった。先方が何者か不明なのに、うかつな真似はしないほうがいい。ぼくはレーザーガンを抜き出し、そちらへ構えた。
「おーい」
呼ばわりながら、その声は、少しずつ近づいて来る。
「大丈夫?」
女の声もした。
どこかで聞いた声なのだ。
ぼくが油断なく身構えているうちに、ぼうっど白い姿が三つばかり見えはじめた。そのうちに水を鳴らす音もしはじめた。やって来るのは三人で……いずれも白い衣をまとっているようである。
白い衣というと……
ぼくは眸に力をこめた。
衣には、黒い帯が巻かれているようだ。
とすると……あれは、例のデヌイベたちなのだろうか?
三人は、ぼくの近くにやって来てとまった。
やはり、デヌイベたちであった。暗くてもこんな近くに来れば間違いない。頭巾のついた白衣に黒い帯の……デヌイベなのだ。
「失礼します。あかりをつけますが……よろしいかな?」
ひとりがいった。老人のような声だ。
何のために――と反問しようとして、ぼくはすぐに声が出ないのを知った。そしてそのときにはじめて自分が、寒気に歯をこまかく鳴らしているのを自覚したのだ。
相手は、ぼくの返事を待たなかった。
ぽっ、と、黄色い輪が、声をかけたデヌイベの手元に出現した。鈍いあかりだったが、それまで闇に馴れていたぼくの目には、眩し過ぎる位であった。ぼくは瞬間、自分の目を空いたほうの手でおおい、それからおろした。相手は、自分たちの姿も見えるようなやりかたでライトをつけたのだ。ぼくはかれらを眺め……はじめの男がたしかに老人らしいのを認めた。あとのふたりの顔は、頭巾の蔭になって見えなかった。
「私たちはデヌイベです。他人に危害は及ぼしません。じゃから……その銃をしまって下さらんか?」
老人がいい、ぼくはややためらってから、レーザーガンをホルスターに戻した。かれらが何かしようとしても、武器を持たないこの三人相手なら、素手で充分対処出来ると判断したのだ。
「このあたりに落ちなさったと思ったが、その通りじゃった」
老人はいった。「そして、おそらくエレスコブ家の方だと思ったが、それも当たっておりましたわい」
「エレン・エレスコブ様のおともの方でしょうか?」
老人の隣にいたデヌイベが、ていねいな口調でたずねた。若い男らしい声である。
「エレン・エレスコブ様はどうなさっておられます? スルーニ市に入るのを拒否されたと聞きましたが……そうなんですね?」
「…………」
ぼくは、ヤスバから得た情報――デヌイベたちはエレンの演説旅行を支持しているらしいということを思い出した。そして、かれらがエレンについて行くために集合していた情景をも想起した。
だが、だからといって、初対面のこの人々に、簡単に返事をするのはためらわれた。だから黙っていたのだ。
「それにしても、よく無事でしたわね。イシター・ロウ」
三番めの、女がいった。
ぼくの名を知っている? という意識と、よみがえる記憶がこっちゃになって、渦《うず》を巻いた。が、そのときには女は、老人の手からあかりを取って、自分の顔のあたりに持ちあげていた。
「シェーラ!」
ぼくは叫んだ。
シェーラは老人にあかりを返し、歩み寄って、ぼくの手を両手でつかんだ。
「お久し振り、です」
シェーラはいった。
「しかし……なぜ?」
ぼくは口ごもった。なぜここヘシェーラが出て来ることになったのだ? このデヌイベたちはなぜぼくの所在を知ったのだ? 何をしていたのだ? これから何をしようというのだ? それにシェーラと再会したうれしさが、一度にどっとあふれて来て、言葉にならなかったのだ。
「偶然と申しあげるしか、ありませんわ」
シェーラは、ぼくの手をつかんだままいうのだ。「わたしたち、エレン様を追ってスルーニ市への大陸横断道路を走っていたんです。出発前から、スルーニ市がエレン様の入市を拒絶しそうだとの話を耳にしていました。拒絶されたことも、途中で聞きました。それでもとにかくスルーニ市の近くへ、エレン様のいらっしゃる場所へ行こうとして、車がレーザーに射られ、落ちてゆくのを目撃したんです。それがあなたの乗った車でした」
「目撃……した?」
「ええ」
「偶然に?」
「そう申しあげるしか、ありませんわ」
「…………」
ぼくはどういったらいいか、わからなかった。これはたしかに偶然そのものだったであろう。だがそれにしても、出来過ぎている、幸運過ぎるという気がするのだった。
「イシター・ロウ、あなたには強い運がついているんですね」
シェーラはぼくから手を離しながら、たのしげにいった。「レーザーに撃たれて落下しながら助かったばかりか、そのときちょうどわたしたちが近くを通りかかるなんて……そうじゃありません?」
「しかし……」
「あなたが乗っていたその車は、火を噴いておりましたのじゃ」
老人が口を出した。「風の勢いのせいででしょうが、途中で火は消えました。じゃが、私たちはそれで落ちた場所を推測することが出来て、それでこうしてやって来たんですわい。そして、このあたりでそんな目に遭うのは、エレン様づきのエレスコブ家の方と思ったのも、当たっておったのです」
「話はあとにしたらどうです」
若い男が、少しいらだたしげに、いいだした。「さっきのレーザーの射出のされかたから、エレン様がどのあたりにいるか、ほぼつかめたんです。ほかの車はもう行っているんですよ。ぼくたちも急がないと……」
「そうじゃった」
老人は頷き、ぼくを見た。「では、行きませんかの?」
「行く?」
「エレン様のところへ。もちろんエレン様のところへ戻りなさるんじゃろう?」
「もちろん。――しかし」
「わたしたちの車は、むこうの大陸横断道路で待っています。地上走行専用のトラックですけど、湿原を走るのも平気なんです」
シェーラがいった。
エレンのところへ戻れるというのは、ありがたいことだった。それはたしかだ。だが……このデヌイベたちは、エレンのところへ行って、何をしようというのだ?
「行って……あなたがたはどうしようというんですか?」
「エレン様を守ります。エレン様をぼくたちは支持しますから」
若い男が即答した。
守る?
エレンを?
ぼくには信じられなかった。ぼくたちは一応の武器を持つ訓練されたメンバーでありながら、どうにも出来なかったのだ。その基本的状況は、エレン・エレスコブが無事だとしても、今も同じだと思わなければならない。いや、もっと悪くなっている可能性が高いのだ。そこへ、武器を持たぬデヌイベたちが行ったところで、どうなるものでもないはずである。それどころか足手まといになるかも知れないのだ。
「行きましょう」
若い男がいい、老人がライトを消した。周囲はまた闇になった。
「待ってくれ」
ぼくはさえぎった。
この連中に連れて行ってもらうしかない、と、ぼくは腹を決めていた。あと、厄介《やっかい》なことになるかも知れないけれども、それ以外にぼくがみんなのところへ帰るてだてはないのだ。ぼくはデヌイベたちのトラックに乗せてもらうつもりであった。
けれども……ぼくは、ノザー・マイアンのことを忘れていなかった。ノザー・マイアンの遺体を、こんな地のこわれた車の中に残して行きたくなかったのだ。
「車の中に、仲間がいる。死んでいるが、仲間は仲間だ。連れて行きたい」
ぼくはいった。
シェーラたちは同意した。
ぼくは、あとの三人と協力して、ノザー・マイアンの遺体を車から出し、みんなで支えると、足首までの水を蹴散らしながら、暗い湿原を進んで行った。
進む方向は、さっき見えた左右に伸びる線である。それがカイヤント第二大陸横断道路だったのだ。
行くうちに、その道路上に、トラックの黒い影が浮かびあがって来た。
荷台には、二十人ほどのデヌイベたちがすわっていた。寒さのためか、みな身体を寄せ合って丸くなっている。ぼくはシェーラたちと力を合わせてノザー・マイアンの遺体を荷台にあげ、自分もあとからあがった。デヌイベたちは無言で、場所をあけてくれた。つづいて若い男が荷台にやって来た。老人とシェーラは運転席に乗るのだという。若い男は老人がサロバヤという名であり、自分はエクゼスだと説明した。この一団ではサロバヤがリーダーらしいのである。しかし会話はそれ切りであった。
トラックは動きだした。しばらくはコンクリートのがたがたの道路を行き、それから道を外れて、湿原に入った。運転している者には方向の見当はついているらしい。荷台は揺れ通しだったが、デヌイベたちは白衣にくるまったまま誰も口をきこうとしなかった。風はつめたく夜はまだまだ明けそうもない。
ノザー・マイアンの遺体を横に、かたまり合ったデヌイベたちと共に揺られながら、しかしぼくは、はたしてこれでうまくエレンたちのところへ行きつけるのかと、不安であった。敵がこのトラックを攻撃しないという保証は、どこにもないのである。なるほどこのトラックは、エレスコブ家のものではない。ここにこうしてエレスコブ家の警備隊員であるぼくが乗っていることも、先方は多分(希望的観測であるが)知らないであろう。だから心配はないとの見方も出来ようが……敵はそんなことにお構いなく、妙な動きをするものなら何でも攻撃するかも知れないのだ。ノザー・マイアンとぼくの乗った車がレーザーに射抜かれたときや、車が落下した地点から考えると、ぼくらは現在、エレンたちと、後方から襲って来た謎の車の群の間にあると思われる。そして得体のわからぬあの車の群は、相手がエレスコブ家のものであろうとなかろうと、近づいて来る乗りものなら何でも撃つ可能性があるのだ。正体不明のあの車の群のことだから、ためらわずにそうすることは充分にあり得るのだった。
そうなれば、こんな地上走行専用のトラックなんて、簡単にやられてしまうだろう。
が……ぼくのそうした懸念《けねん》とはかかわりなく、トラックはがたがた揺れながら、夜の湿原を走っている。ぽうっと青黒い空の下、水をはね散らしつつ、少しも速度を落とそうとしないのだ。
黙っておのれの想念を追っていたぼくは、だがその時分になってから、低い声が聞えているのに気がついた。白衣にくるまり、かたまり合ったデヌイベたちが、何かを誦《しょう》しているのだ。
音楽というにはあまりにも単調だけれども、押し殺した、それでいて不思議な抑揚《よくよう》とリズムを持った……いってみれば呪文のようなものを、声を合わせて唱えているのである。
デヌイベたちは、何をやっているのだ? 何のつもりで、何を誦しているのだ? これはかれらの儀式なのか?
ぼくは、エクゼスと名乗った若い男にたずねようかとも考えたが、エクゼスも同じことをしており、へたに口を出して邪魔をするのは悪いと思って、何もいわなかった。
トラックは走る。
ぼくは、荷台の震動に耐えていた。
寒さがしだいに強くなって来るのが、感じられる。
寒さと……それに、いつ撃たれるであろうかとの不安の……両方に、ぼくは口をつぐんで耐えているだけであった。
そんな状態が、どの位つづいただろう。かなり長い時間が経過した気もするし、それほどでもないような感覚もあった。
と。
突然、闇の奥の左のほうから、鋭い光がほとばしった。
レーザーだ。
光は、トラックのほうへ瞬時にして伸び、トラックの前方で急に折れ後方へと走るかたちとなって、消えた
当たらなかったのだ。
それにしても、変な光跡だ、と、ぼくは思った。そんな風に曲るレーザーなんて、異様である。そういう射出の技術があるのか、それとも(そんなことがあり得るのかどうか知らないが)レーザー光の途中に空気の密度がはなはだしくことなる部分があって、そこから屈折したのか……ぼくには、よくわからなかった。
もし前者なら、これは威嚇《いかく》であり警告であったと解釈出来る。
後者なら、これは何かの偶然なので……とにかく命中しなかったのは幸運だった、といえるだろう。
そして、敵が威嚇と警告のために撃って来たのだとすれば、効果は全然なかったことになる。トラックは相変らず同じスピードで走りつづけ、デヌイベたちは何も気がつかなかったかのように、寄り合って奇妙な歌(?)をつづけていた。
数秒が経過した。
またもや光条がふたつ、左斜めの闇からこちらへと走った。
しかし、その光条も、トラックにはぶつからなかった。一本は引き落とされたかのように湿原に突きささり、もう一本は上方へ外れて行ったのだ。
引きつづいて、今度はすくなくとも七、八本……おそらく十本ほどの光条が、わっと射出されて来た。
当たらなかった。
すべての光条は、トラックを避けて通過したのだ。うち何本かは、あきらかに途中で折れる軌跡を描いていた。
これは……どういうことだ?
ぼくには、いまだに状況が把握出来なかった。これが警告なら、まことに危険で、かつ華麗な警告である。しかし何のためにこんな真似をするのだ? それともこれは警告などではなく、本気で撃って来たのだろうか? それらがことごとく外れたのは……どういうわけなのだ?
荷台のデヌイベたちは、依然として単調な節まわしで、よくわからぬ言葉を唱えつづけている。
かれらには、今のレーザー攻撃など、念頭にもないのだろうか? あるいは、自分たちは何事がおこっても大丈夫だとの信念を持っているのだろうか?
ぼくには、何の推察も出来なかった。出来ないままに、そのときふと、突拍子《とっぴょうし》もない疑念が、頭の中をかすめ過ぎるのをおぼえたのだ。
かれらの低い合唱と、今しがたレーザーがことごとく外れたのには、何か関係があるのではないか――との疑念である。これは、ぼくがエスパーはエスパーでも、いつ能力が現われいつ消えるか本人にもわからない不定期エスパーだったから……そして、超能力というものを系統立てて勉強したわけでもなく、おのれの能力についてもそれほど研究せず訓練も受けていない人間だったから……それゆえに浮かんで来たことかも知れなかった。ぼくがれっきとしたべテランのエスパーなら、超能力にはどんなものがありどんなことが可能か、何があり得て何があり得ないか、ちゃんと判断をしていたはずである。もっともベテランのエスパーならば逆に、理論を超えた特殊な力というものが存在しても、自分がエスパーであり何もかも知っているという意識から、それを否定し去るかもわからないのだが……。一方、超能力などと関係のない一般の人々にとっては、エスパーの能力というのはひと通り分類されていてそれ以外のものはないのだと簡単に決めつけるか、反対に、エスパーは実はどんなことでも出来るのだと気味悪がるかの、どちらかではあるまいか? いいかえれば超能力と無縁であるためにいかなる想像も働かせることが可能で……エスパーをどのようにも倭小《わいしょう》化出来るし、どのようにも怪物化出来るのである。ぼくはその中間の、中途半端な人間だった。中途半端だから……世間一般の常識やぼく自身の見聞の範囲ではまず考えられないような、超能力によるレーザー排除というようなことを、脳裏に描いてしまったといえる。このデヌイベたちの誰かが、あるいは何人かが、でなければ全員がエスパーで、とんでもない超能力を有しているからそんなことが可能なのではあるまいか――と、心の中では半分、そんなことを考える自分を笑い飛ばしながら、疑念を抱くだけは抱いたのである。
ただ。
ぼくはそうした意識には、そう長い間はとらわれなかった。それはあくまでもぼくの空想であったし、大体が、データの乏《とぼ》しいときにあれこれと思い惑《まど》って結論を出そうとするのは無益である。
また、そんな状況でもなかった。
三度めの乱射に近いレーザー射出のあと、左前方の闇は沈黙したままであり……トラックはやや右へと方向を転じて走りつづけ……やがて行く手のくらがりの中に、たしかに車らしいシルエットがいくつか、ぼんやりと浮かびあがって来たのだ。それらの車のかたちには、ぼくは見覚えがあった。配置も記億とあまり変らなかった。どうやらぼくらは、エレンたちのところへ戻って来たらしいのだ。
けれども、そこまで来ても、むこうはしんとしている。
トラックは、そこで停止した。
運転席のドアをあけて、ひとりの白衣が荷台のうしろに廻って来た。シェーラだった。シェーラは、低い声で呼びかけた。
「イシター・ロウ。あなたが先にむこうへ行って説明してくれますか? そしてエレン様に、わたしたちは味方だとお伝え下さい」
たしかにそうするのが賢明であった。予告もなしにトラックで近づけば、敵と見做されて、やられてしまうおそれがある。
「わかった」
ぼくは答えて荷台から飛び降り、水を鳴らしつつ、あちこちにシルエットをなす車の、その中央あたりをめざして進んで行った。むろんレーザーガンは油断なく構えていた。ここがエレンたちのいた場所だとしても、現在でもそうなのかどうかはわからない。エレンや第八隊の人々はどこかへ移り、ここは敵の手に落ちていることもあり得るし……それに、同行して来た事業所部隊の連中がどうしているか、何とも判断がつかないからである。
目標にした車のそばまで来たぼくは、そこで足をとめた。
誰もいない。
みんな、どこかへ行ってしまったのだろうか?
いや、どうもそうとは思えない。鍛えられた上にさらにぴんと張りつめているぼくの神経は、近くに何かがひそんでいる気配を感じ取っていた。
これは……。
「動くな」
背後から低い声がした。「お前を狙っているのは、ひとりではないぞ。銃を捨てて、両手を挙げろ」
瞬間、ぼくはそれがハボニエの声であると悟ったが、即座にレーザーガンをほうり出して、手を挙げた。こちらがぐずぐずしていたり怪しい動きをしたりしたら、容赦《ようしゃ》なく撃ち殺しかねない殺気と切迫感が、その声にはこもっていたのだ。そうして無抵抗の状態になってから、ぼくはいった。
「ぼくだ。イシター・ロウだ」
一拍置いて、ハボニエの声が聞えた。
「やはりお前か」
ぼくは身体の力を抜いた。が……そのときには前面の茂みから、ふたつの影が立ちあがっていた。ふたりともレーザーガンを構えているようだ。
ひとりが、ぱっとあかりをともした。一瞬だけの光だが、それでぼくを確認したのであろう。ぼくのほうはそのおかげで、前のふたりがヤド・パイナンと第八隊の仲間であるのを認めることが出来た。ぼくは敬礼をするといった。
「イシター・ロウ、ただ今、戻ってまいりました」
「お前ひとりか?」
パイナン隊長がたずねる。
「そうです。ノザー・マイアンは、死亡しました」
ぼくはつとめて冷静に報告しようとしたのだけれども、語尾がかすかに震えるのは、抑えることが出来なかった。
「…………」
パイナン隊長は三秒か四秒の間、何もいわなかった。横の隊員も背後のハポニエも同じであった。
が……すぐにヤド・パイナンは、乾いた声でみじかく命令した。
「話せ」
ぼくは、ノザー・マイアンと共に離陸してからのことを、重要な点は落とさないように気をつけながら、かいつまんで話した。
「ふむ」
聞き終ると、ヤド・パイナンはいった。
「それで……あそこのあのトラックが、その……デヌイベたちの車だというのだな?」
「そうです」
「さきほど、われわれは、レーザーが三度ばかり射出されるのを目撃した」
と、ヤド・パイナン。「射出の方向から考えると、あれはお前が乗って釆たという、そのデヌイベの車を狙ったのではなかったのか?」
「それは……何ともいえません」
「どういうことだ?」
そこでぼくは、レーザーの光跡が奇妙だったこと……単なる威嚇・警告のために、そういう射出をしたのか、それとも偶然なのか、どうともいえないことを話した。ただ……デヌイベたちのあの合唱がそれに関係あるのではないか、という突飛な想像をしたのまでは喋らなかった。やはり、馬鹿げているという気がしたからである。
「変な話だな。こちらからはそこまでは見えなかった。いずれにせよ、デヌイベたちはお前を救出し、ノザー・マイアンの遺体を車に乗せ、ここへと向かった」
ヤド・パイナンは、ぼくの話を要約した。「そして、デヌイベたちは、エレン様を守りたいといっている、というのだな?」
「そうです」
「私はデヌイベについてはある程度耳にしているが、くわしいことは知らん」
ヤド・パイナンは呟くようにいった。「かれらがエレン様に肩入れしているらしいことも聞いているが……それにイシター・ロウの旧知の女がいるとしても……どこまで信じていいのもか、わからん」
「…………」
「それに、エレン様を守るといっても、何をするつもりだろう? かれらに何かが出来るのだろうか? かれらはいわば第三者だ。そんな第三者をごたごたに巻き込んでいいものかどうか……。といって、先方が好意で申し入れて来ているのなら、むげに拒否して反感を買うのも考えものだ」
「むつかしいところですな」
と、ハボニエ。
「いずれにせよ、こういう状況下だ。私の一存では決めかねる。エレン様に一応お話しするとしよう」
いうと、ヤド・パイナンは向きを変え、茂みのむこうへと、歩いて行った。
「エレン様は、ご無事なのか?」
ぼくは、気にかかっていたことを……ヤド・パイナンがあんないいかたをしているのだから多分そうだろうと思いつつ、ハボニエにたずねずにはいられなかった。
「ああ、ご無事だ」
ハボニエは受けた。「お前たちの車が撃たれたのを見て、後続車は飛び立つのを中止したんだ」
「――そうか」
ぼくは呟いた。
とすれば……はじめに離陸したぼくたちの行動は……ノザー・マイアンの死は……無駄ではなかったことになる。
それにしても……。
「レーザーガンを拾えよ。イシター・ロウ」
ハボニエがいう。
ぼくは身をかがめて、自分がほうり出したあたりの水の中を、手で探った。場所を記憶しておいたので、レーザーガンはじきに見つかった。拾いあげて、しずくを切る。握りの部分はじっとりとなっているものの、防水型だから先端部が乾けばすぐに使えるはずだ。ぼくは布をポケットから出して先端を拭《ぬぐ》うと、そのレーザーガンをホルスターにしまった。
ほどなく、ヤド・パイナンは戻って来た。
ひとりではない。
エレン・エレスコブや内部ファミリー、それにおつきの人々も一緒であった。
「ノザー・マイアンが死んだそうですね」
エレンは、ぼくにいった。「残念です。本当に……残念です」
「…………」
「でも、あなたはよく帰って来ました」
エレンはつづける。「話はヤド・パイナンから聞きました。デヌイベたちが、助力するといってくれているのですね?」
「――はい」
ぼくは答えた。
「デヌイベについては、わたしはいくつか興味ある情報を入手しています」
くらがりの中なので、ぼくにはその表情はわからなかったが、エレンは少し考えているようであった。それから静かにいった。「とりあえずその人たちに、ここへ来てもらいましょう。そのあとどうするかは、話を聞いてからです」
「エレン様、それはまだ――」
いいかけるヤド・パイナンに、エレンが顔を向けるのが見えた。
「こういうさいなのですよ」
エレンは心持ち強い口調になった。「それに最終的な責任は、わたしにあります。まずいと判断したら、わたしが自分で丁重にことわりましょう」
「――承知しました」
ヤド・パイナンはいい、ついでぼくに、デヌイベたちを呼んで来るように命じた。
ぼくは引き返し、駐車しているトラックのところへ行った。
デヌイベたちは、ひっそりと待っていた。例の低い合唱は、もうやんでいる。
ぼくは運転席から出て立っていたシェーラに、ことのしだいを伝えた。シェーラは頷いて運転席に合図を送ると、ぼくをうながして歩きはじめた。トラックは同じ速度で、ゆっくりとついて来るのだ。
みんなのいる近くまで来ると、ヤド・パイナンの声が聞えた。
「そこでとまれ」
ぼくとシェーラは足をとめ、トラックも停止する
ヤド・パイナンがそこにいた。それにハボニエや第八隊の連中や……さらには何人かの事業所部隊の警備隊員……。全部で十人位だった。あとの隊員たちはどうしているのか……ぼくにはわからない。どこかにひそんで警備しているのかも知れなかった。
ほんのわずかに遅れて、エレン・エレスコブと内部ファミリー、それにおつきの人々も来た。
シェーラがふかぶかと頭をさげる。
「トラックのあちら側へ廻りましょう。あちらであかりを使えば、攻撃されても退避するひまがあります」
ヤド・パイナンがいった。
ヤド・パイナンの言葉の意味は、ぼくにも了解出来た。パイナン隊長は、正体不明の車の群から見て反対側の、トラックの蔭へ行こうというのである。そうすれば、かりにトラックがレーザーで射られても、伏せるなり走るなりして、逃げることが可能なのだ。もっとも、逆にスルーニ市の防衛機からは見やすいことになるが……ぼくの知る限りでは、スルーニ市の防衛機は、そちらへ近づく者、それも降伏せず戦闘しようとして前進する者だけを撃っていた。その状況はぼくがここを出たあとも基本的には変っていないのかも知れない。だからヤド・パイナンは、そういう方法をとったのに違いなかった。
「そうですね。でも、それではトラックの荷台にいる人たちに不公平です。よろしかったら降りてもらったらどうでしょう」
エレン・エレスコブがいう。
シェーラは、荷台のほうへ走って、そこの人々に声をかけた。
ぼくたちがトラックのむこう側へ移動する間にも、荷台から二十人あまりの白衣のデヌイベたちが、ぞろぞろと降りて来た。それに、運転席のドアが開いて、運転していた老人も出て来た。荷台にいたときぼくがエクゼスと称する若い男に聞いたところでは、その老人が一団のリーダーで、サロバヤという名だそうなのである。
第八隊の誰かが、あかりをともした。
「それではあかる過ぎます。私のほうに適当なのがあります」
老人がいい、ぼくが出会ったときの、あの黄色い鈍い灯をともした。第八隊のほうは消されたが、それだけで充分だった。
そうはいうものの、ぼくをも含めてこちらの人々が気を許していたのではないことは、事実である。あからさまにレーザーガンを構えたり防衛の態勢をとったりはしないまでも、相手が不穏な動きを見せれば直ちに対応出来るようにしていたのだ。
「わたしがエレン・エレスコブです」
エレンがいうと、デヌイベたちは低く頭をさげた。
「みなさんは……わたしを守ろうとして、ここへおいでになったとのことですね」
エレンはやわらかく問いかけた。「なぜわたしのような者のために、そんなことをして下さるのです? それに、ここにはわたしの護衛員たちがいて、役目を果たしてくれています。どういうやりかたで、わたしを守って下さるのですか?」
「エレン様」
顔をあげたのは、老人だった。「私はこの一団のデヌイベのたばねにあたっているサロバヤという者です。私が一同を代表して申しあげたいのですが……お許しいただけますじゃろうか?」
「つづけて下さい」
エレンは微笑と共にいった。
「エレン様。あなた様は、このカイヤントになくてはならぬお方ですのじゃ。いずれカイヤントの統合の象徴となられるお方。そういう運命を背負っておられるお方。それゆえにデヌイベは、あなたのお力になりたいのですわい」
「それが理由ですか?」
「それだけではございませんぞ」
と、老人。「エレン様はとうにお見通しと存じますが、いずれ近いうちに、大きないくさがはじまるはずですじゃ。そのときエレン様、あなた様はいくさをおさめるため、お働きになる。その結果がいかようであろうとも、身を捧げて使命をお果たしになる方でございます。そういうエレン様に、私どもデヌイベは敬意を表し、私どもに出来るだけのことをさせて頂きたいと願っておりますのじゃ」
「戦争が? そしてわたしが、それを抑えるために努力するというのですか?」
エレンの微笑は、どこか謎めいていた。「不思議な話を聞くものです。あなたは、予言者なのですか?」
「私どもは、デヌイベに過ぎません」
老人は頭をさげた。「そして、デヌイベには、デヌイベのやりかたで、守らなければならぬお方を守ることが出来ますのじゃ。私どもにその機会をお与え下されば、しあわせでございます」
「どうやって?」
「失礼して、いわせて頂きます」
声を出したのは、シェーラである。「わたしはシェーラと申しまして、しばらくはエレスコブ家のお世話にもなった者です」
「そうですね。思い出しました」
エレンは、あかるい声を出した。「あなたは……ひょっとして、そこにいるイシター・ロウが試合したとき、声援を送った人ではありませんか?」
「――はい」
シェーラは身をすくめて答えた。あかりが鈍いのではっきりわからないが、赤くなっているようであった。ぼくはぼくで、ハボニエがおやといいたげな目をするのに、知らん顔で、無表情を保つのに苦労した。
「エレン様」
ヤド・パイナンが、あきらかにいらだちをこめた声でいった。「こんな長話をつづけている場合ではございません。敵がいつ攻撃して来るか、わかったものではないのです」
「朝になるまでは、何も仕掛けてまいりますまい」
サロバヤと称する老人がいった。「あちらは、みなさんがたが空腹になり、疲れ切るのを待っておりますのじゃ。それからみなさんがたをスルーニ市の方向へ追い立てて……スルーニ市の防衛機でやられるか、降伏するかのどちらかを選ばせようというのですわい」
「…………」
ぼくは、意外な感じで、サロバヤをみつめた。ぼくだけではなかったろう。おそらくヤド・パイナンやハボニエや他の人々もそうだったに違いない。この老人の言葉は、ぼくたちに、たしかにそうかも知れないと思わせるものがあったのだ。デヌイベの一リーダーが……これほどの情勢判断をしているとは、思いもかけないことだったのである。
「エレン様ほかのみな様方はトラックの荷台に入って預けないでしょうか?」
シェーラが、話を元に戻した。「わたしたちはその周囲にいて……祈ります。祈るのことで、エレン様を守ります」
「そうして下さい!」
エクゼスというあの若い男が、突然叫んだ。「ぼくたちにそうさせて下さい! ぼくたちは一応の食糧も持っています。みなさん方に食べていただきます。ぜひ、守らせて下さい!」
「いずれ援軍が来ますのじゃ。それまでは私どもにやらせて下さらんか?」
サロバヤもいう。
こうしたやりとりを、はたで見ている者がいたとすれば、まことに異様で奇怪な感じだったに違いない。こういう状況で、こんなことをお喋りしていてもいいのか……それどころではないのではないか――と呆れたことであろう。だが、ぼくたちはいつの間にかデヌイベたちの雰囲気に巻き込まれ、真剣に応対していたのである。デヌイベたちの白衣に頭巾、黒い帯といういでたちが、ぼくたちの内にある神秘的なものへのおそれといったものをかき立てたのか、あるいはサロバヤをはじめとするかれらの喋りかたがそうさせたのか――とにかく、自分でも気がつかないうちにそういう、いわば場違いめいた会話をやっていたのだった。
だが。
顔をつめたいものが撫でるような気がし、つづいて鼻に、手の甲にこまかい水滴が降りかかったとき、ぼくは、われに返ったようになった。
雨だった。
霧のような雨なのだ。
「エレン様」
ヤド・パイナンが、はっきりした調子で決定をうながしたのは……彼もまた、ぼくと似たような心理だったのではないかと思う。
「よろしいでしょう」
エレンは、落ち着いた声でいった。「ヤド・パイナン、あなたがたの任務はそのままつづけてもらうとして……わたしは、他の非戦闘員たちと一緒に、このトラックの荷台で待ちましょう。デヌイベの人たちには、したいようにしてもらいます」
それは、決定であった。ヤド・パイナンの忠告も受けないというのを、あきらかに示した口調であった。指導者というものは、しばしばおのれの直感のみによって断をくださなければならず、しかもその結果に全責任を負わなければならないものだ――と、ぼくは聞いたことがある。それが出来ないようでは指導者ではなく、出来たとしても結果が間違うようでは一流の指導者とはいえないのだそうだ。ぼくが今見ているのは、そんな場面のひとつかも知れなかった。エレンは、デヌイベの協力≠受けるべきだ、と、直感で判断したのだ。
しかもエレンは、ぼくたちの士気を衰えさせるどころか、一気に高める言葉を、つけ加えたのである。
「荷台にはノザー・マイアンがいます。わたしは一緒にいてやりたいのです」
「承知しました」
ヤド・パイナンは答えた。
あかりが消された。
決断が出てしまえば、あとはそのように動くだけである。こまかい霧雨はだんだん密度を増して行く感じで……それがぼくたちのいわば現実帰りに拍車をかける作用をした。
エレン・エレスコブをはじめとする内部ファミリーやおつきの人たちは、荷台にあがり、上に雨よけのシートをかぶった。それだけでも、足首まで水につかっているよりはずっと楽であろう。だが、かれらは非戦闘員なのだ。戦闘員であるぼくたちは、ヤド・パイナンの指令に従い、二手にわかれて配置についた。トラックの荷台のすぐ下の一組と、周囲を警戒する一組である。荷台のすぐ下にはヤド・パイナンと第八隊の隊員二名。周囲を警戒するのはハボニエとぼく、それに四名の警備隊員である。四名のうち三名が正規隊員で、一名が補助隊員であった。そのときになって初めてぼくは知ったのだが、残っているのはそれだけだったのである。それがぼくたちの全兵力なのであった。あとの者はスルーニ市防衛機からの呼びかけに応じて、投降したのだそうである。ハポニエが感情にこめずに小声でいってくれたところでは、ノザー・マイアンとぼくの乗った車が離陸する前にも、すでにだいぶ逃亡していたようだが、離陸しレーザーに射られるのを見てからは、なりふり構わず両手をあげてスルーニ市防衛機のほうへ走る者が続出したらしい。かれらにしてみればエレン・エレスコブや本部部隊隊員までが脱出を試みなければならず、しかもその脱出も失敗となると、これ以上義理を立てる必要はないと考えたのに違いない。これはむろん敵前逃亡にあたる。正規の軍隊ならうしろから射殺されるところだ。が……家の警備隊員、それもファミリーでも何でもない補助隊員たちに対してそこまで出来るものかどうか、むつかしいところである。また、エレン・エレスコブ護衛がその任である第八隊には、かれらへの直接命令権はないのだ。もっとも、警備隊の指導者である士官補や正規隊員たちは、必死でそれをとめようとしたらしい。が、……それがうまく行かなかったことは、あとでその士官補の死体が発見されたことからも、あきらかであった。指導者だった士官補はレーザーガンを奪われ、レーザーで撃たれていたという。死者といえば、はじめはさみ打ちされたのがはっきりしたとき、スルーニ市防衛機のほうへ走り、機銃で撃たれた者のうち、ひとりやふたりは死んだかも知れないが……調べようにもそっちへは近づけないので、詳細《しょうさい》は何もわからない、ともハボニエはいった。いずれにせよ、われわれの現有兵員は九名に過ぎないのだ。そしてぼくは、それ以上はハボニエとお喋りする余裕はなかった。トラックの周囲の警戒を六名やそこらでやるのは手にあまる上に、ノザー・マイアン亡きあとの今は、ハボニエが第八隊の副隊長格であり、警戒組の指揮者でもあるのだ。ぼく自身にしてからが、あとは事業所部隊の隊員たちであり、本部部隊隊員として行動をいちいち観察されているような感じで……私語を交しているどころではなかったのである。
ぼくたちがそうした与えられた任務につくのとは無関係に、デヌイベたちは動きはじめていた。ぼくは何となく、かれらもまた荷台にあがるのではないかと思っていたけれども、そうではなく……トラックの横腹のところに集まって、ひとかたまりになったのだ。立つ者もあれば水の中へすわり込む者もいたが、全員が一体となって……あの押し殺した不思議な抑揚とリズムの合唱を開始したのである。その声に、ぎくりとしたように振り返った隊員もいたものの……誰も、何もいおうとはしなかった。これがデヌイベたちの祈りであり儀式なのだ、と、思い直したのであろう。
霧雨は、降っているかいないかわからぬほどこまかいくせに、執拗《しつよう》に顔にまといつき、服を濡らして行く。
そして、温度もますます低くなって行くようなのだ。
空が、白みかけている。
手近の茂みにもたれて前方を注視していたつもりのぼくは、ぐらりと身体が傾いたのをおぼえて、ぎくりと目を開いた。
不覚である。
うとうとしかけたのだ。
ぼくが疲れ切っているのは疑いない。が、それは他の誰もが同じなのだ。ぼくは少し、少しずつあかるくなっていく周囲を見渡し、かすかな苦笑を浮かべた。
だいぶ離れた左のほう、警備隊の補助隊員が、茂みにうつぶせに倒れかかって、眠っている。
振り向くと、ハボニエが片手をあげてみせた。
その横手では別の隊員が、やっとという感じで立っている。
ぼくはさらに視線を転じて、トラックへと向けた。
例の低い合唱は、依然としてつづいていた。デヌイベたちは、かたまり合って唱和することをやめないのだ。その声が、ぼくの睡気を誘うのも、事実であった。
トラックそのものは、荷台にシートをかぶせられたその姿のままである。その下に、エレンやその他の人々がいるはずであった。
雨は、いつの間にかやんでいる。
空を仰ぐと……雲が切れて、少し晴れ間が見えていた。ゆうべは夕焼で、夜半過ぎには霧雨……そしてまた晴れ間である。何という世界だろう、と、ぼくは思った。
そして、ぼくの意識も夜明けと共に、ある程度はっきりして来たようである。その気分で見渡すと……ぼくたちは何とみじめな姿だったろう。
斑点《はんてん》のある長い草の葉の茂みが無数にひろがる湿原の中、何台もの放置された車があり、その中央部にトラックがあるのだが、すべての人の服はどろどろに汚れ、しみだらけになっていた。デヌイベたちの白衣も裾から上へ黒ずみ……その誰もかれもが、やつれた頬といやに大きくなった目で……それでもまだそれぞれの務めを果たそうとしている。それが何となく妙に、おかしくさえあった。
デヌイベたちの合唱が、うねりのように流れて来て……。
ぼくはまた、はっと目を開き、その瞬間、何かが心にひっかかったのを知った。
目が何かをとらえたのだ。
ぼくが前方の、きのう見たときと同じ位置にある十二台の車を見た。
きのうと同じ。
違う。
十二台の車は、動きはじめているのだった。こちらへ、おもむろに移動を開姶しているのだ。
とたんに、十二台の車の全部から、いっせいに光条が飛んだ。
それが威嚇であったのは、たしかである。すべての光条は、頭上を通過したからだ。
ぼくの頭の中に、ゆうべ、あの老人のサロバヤのいったことが、よみがえって来た。サロバヤはたしか、敵は朝まで仕掛けては来ない、ぼくらが空腹になり疲れてしまうのを待って、スルーニ市の方向へ追い立てにかかるのだ、といったのだ。
ぼくたちは、空腹ではない。携帯食糧の最後の一食を平らげたあと、デヌイベたちが提供してくれた食物もとったのだ。シェーラが合唱の列から抜け出して、ぼくたちに配ってくれたのである。
だが、疲れ切っているのは、本当だった。現に、相手のレーザー光を認めたとき、ぼくは反射的に姿勢を低くしたつもりだけれども、自分でもおやと思うほど、動きが鈍くなっていたのである。
ぼくは中腰のまま、車の群がゆるゆると進んで来るのを見守り……他の隊員たちへ目を走らせた。
みな中腰で、敵の様子を窺っている。
あたりはいよいよあかるくなって来た。
またもや光条が閃いた。
放置された車の一台が、ぱあっとけむりをあげ……爆発した。
ぼくは水の中に、レーザーガンだけを残して伏せた。
次の光条で、別の一台が炎上した。
威嚇は威嚇でも、今度はもっと直接的なのであった。敵は、こちらの放置された車を狙い撃ちにしているのである。
ただ、今のところ、敵は、放置車が無人だと見当をつけており、車だけを破壊しているのだ。
そのとき、ぼくの視野に、デヌイベたちの横をすり抜けて、低い姿勢のまま、前方へ出る者の姿が映った。
それは、ヤド・パイナンだった。
「トラックの前面に集まれ!」
ヤド・パイナンは、ぼくたちにどなった。
「トラックの前で、奴らを迎え撃つんだ!」
ぼくははね起きて、駈けた、伏せて、起きあがっては駈けた。
そうなのだ。
こうなれば、それしかないのだった。放置車が次々とやられて行く中、ぼんやりしていても仕方がない。敵が前進して来るなら、迎え撃つばかりである。後退は、後方のスルーニ市防衛機による攻撃を招くだけだし、降伏はあり得ない。エレン・エレスコブがスルーニ市に詫《わ》びを入れて許してもらうなどという事態は、断じて起こしてはならないのだ。とすれば……エレンたちのいるトラックの前に出て、敵と向き合い、とことんまで抵抗するしかないのであった。
ぼくたちは、トラックとデヌイベたちの前方に集中し、二メートルずつ位の間隔をとって、横列になった。
「誰か……銃を貸して下さい!」
声がした。
横の、補助隊員である。たったひとり残った補助隊員なのだ。補助隊員は棒しか持っていないのである。
「これを使え!」
ヤド・パイナンが、レーザーガンを投げてよこし、その補助隊員はうまく受け取った。隊長がレーザーガンを二丁も持っていたとは知らなかったな――と思ったぼくは、そこではっと思い当たった。それは、ノザー・マイアンのものに違いないのだ。
敵は、じりじりと接近して来る。
すでに、五百メートルを切っているであろう。
そこで敵は停止した。
うしろから、エンジン音がひびいて来た。うしろの……空からだ。
「エレン・エレスコブ殿とその仲間に勧告《かんこく》する」
声が流れて来た。首をねじまげて、ぼくはそれがスルーニ市防衛機――垂直離着陸戦闘機であるのを認めた。
「エレン・エレスコブ殿とその仲間に勧告する」
声は、繰り返した。「スルーニ市の規準に従って行動される旨を誓約すれば、入市を認める。誓約の意思があれば、全員、すべての武器を捨てて、立ちあがり手を頭のうしろで組むこと。しかるべき待遇は約束する」
「うるさいぞ!」
こちらの誰かがどなった。
「エレン・エレスコブ殿とその仲間に勧告する。スルーニ市の規準に従って行動される旨を誓われよ。誓われるならば、入市を認める。誓約の意思があれば、全員、すべての武器を捨てて立ちあがり、手を頭のうしろで組むこと。しかるべき待遇は約束する」
声は、もう一度流れた。
むろん、誰ひとりとして、反応はしなかった。
デヌイベたちは、合唱の声をさらに大きくした。
垂直離着陸戦闘機は、去って行った。
それを待っていたかのように、前方の敵は前進を再開した。一台を先頭に、三角の陣形である。
距離が、じりじりとつまって来た。
「目標、先頭の車」
ヤド・パイナンが命令した。「連続射出にせよ。狙え。撃て!」
ぼくは、レーザーガンのボタンを押した。光条が走った。連続射出で標的をとらえるのは、誰にでも出来る。外れていれば標的へ動かせばいいのだ。九本の光条が、先頭車に集中した。 先頭車の前部が赤くなりオレンジ色になり輝き……けむりが出たと思うと、ばらばらと飛び降りる人々が見えた。車はどっと炎を吹き出し、爆発した。
「やったぞ!」
誰が叫んだ。若い声だった。あの補助隊員のようであった。
しかし。
残りの車は、そのまま進んで来る。
「目標、右の先頭車」
ヤド・パイナンの声がした。「狙え……撃て!」
再び九条の光がその車に集中した。車は発光し……爆発した。乗員がころがり落ちて逃げた。
「次の目標、左先頭車。狙え……撃て!」
ヤド・パイナンが叫び、ぼくはレーザーガンのボタンを押した。
こちらから射出したのは、だが、九本ではなかった。三本だけであった。ぼくのレーザーガンも、もうエネルギーが尽きていた。射出されていた光条も、一本消え二本消え……なくなってしまった。
こちらのレーザーガンは、すべて、エネルギーが尽きてしまったのだ。
「全員、後退!」
ヤド・パイナンがどなった。「トラックの横まで後退せよ!」
ぼくたちは、うしろへ走った。デヌイベたちが依然として合唱しているわきを通り、エレンたちのいるトラックの横腹のところへ到着した。
トラックのシートは、はねのけられていた。エレンが上半身を見せている。
「もう、これまでです」
ヤド・パイナンはいった。「私たちは最後までたたかいますが……それでよろしいでしょうか」
「そのつもりです。わたしも覚悟しています」
エレンは答えた。「ここでわたしがとらわれの身になって評判を落とせば……エレスコブ家は叩き潰されます」
「ありがとうございます」
ヤド・パイナンは頭をさげ、ぼくたちに向き直った。「全員、抜剣! たたかえるだけたたかえ!」
いうと、すらりと剣を抜き放った。
ぼくたちも同じである。剣を抜いて構え、近づく敵を待った。若い補助隊員は、棒を構えた。
敵は接近をつづけ……百メートルたらずのところで停止した。
それぞれの車から、大型レーザーの銃身が現われた。
この距離なら、荷台のエレン・エレスコブに危害を加えることなく、ぼくたちひとりひとりを狙撃出来るだろう。
ぼくは、覚悟を決めた。これでおしまいなのだと思ったが……神経は高揚していた。別に何の感慨も湧いては来なかった。
車のレーザーが、いっせいに閃いた。
しかし。
ぼくは見たのだ。
どの光条も、途中から折れ曲って、別の方向へと伸びたのである。ぼくたちひとりひとりを、そしてデヌイベたちを射殺していたであろう光条の、そのどれもが、あるいは上方へ外れ、あるいは湿原へ曲り落ち、あるいは横に外れて行ったのである。
「これは……どういうことだ?」
ヤド・パイナンがわめいた。
けれども、敵はそれでやめはしなかった。
第二波の光条が、襲って来た。
同じだった。
すべての光は、ぼくたちを、デヌイベを、そしてもちろんトラックを外れて、流れ去ったのだ。
デヌイベたちの合唱の声は、いよいよ高くなっていた。
「まさか……」
ヤド・パイナンがいった。「まさかこれはデヌイベが――」
そのデヌイベの中から、ひとりが立ちあがるのが、ぼくの目に映った。
シェーラだった。
シェーラが駈けて来る。
「来ますわ!」
シェーラは叫んでいた。「すぐに、エレスコブ家の警備隊が、救援に来ます! あとしばらくの辛抱です!」
「何?」
ヤド・パイナンがいい、ぼくたちがどっとシェーラをみつめたそのとき。
第三波の光条が、殺到して来た。そしてそれも、ぼくたちを外れて、消えたのだ。
敵の車から、人間が降り立つのが見えた。次から次へと……残った九台から現われたのは、三十人近かったであろう。いずれも降り立つと共に、剣を抜いた。
レーザー攻撃が効果をあげないと悟って、敵は剣で来ようというのだ。
かれらは灰色の制服をまとっていた。サクガイ家の警備隊の制服に似ていた。サクガイ家の警備隊そのものかも知れなかった。ここからはこまかく見て取れないが……そうかもわからない。あるいはそうでないかもわからないけれども……スルーニ市のものにも似ているが……基調は灰色の、地味なスタイルである。サクガイ家でないにしても、サクガイ家系であるのは、ほぼたしかであった。
かれらは列を作り、こっちへ進みはじめた。
「来るぞ」
ヤド・パイナンがいう。
ぼくは剣を右手にさげ、敵がやって来るのを待った。隊員すべてがそうであった。
しかし……少し進んだところで、敵の車からまた何人かが降り立ち、大声で何かをわめきはじめたのである。
抜剣の敵は、足をとめ、きびすを返して……車へと戻って行く。
全部、車に乗り込んだ。破壊された車からころがり落ちた連中も収容して、九台の車はそのまま浮きあがったのだ。浮いて、しだいに高度をあげ……ぼくたちの上空を通って、まっすぐスルーニ市の方向へと、飛び去って行ったのだった。
つづいて、スルーニ市の防衛機群が上昇するのが見えた。
五機。
五機がたちまち編隊を組み、これもスルーニ市の方向へ去って行く。
間もなく、さきほどまで車が進んで来た方角の空に、黒い点がいくつも出現した。五つ六つではなかった。十、二十……三十以上もの点が、ぐんぐん大きくなって来る。大きくなるにつれて、それが大編隊であるのが判明した。飛行車三十台の大編隊だ。そのあとから垂直離着陸戦闘機が五機、こちらへ近づいて来るのである。
救援だった。
エレスコブ家の救援であった。
「来た!」
ひとりが、低くいった。
みんなその方向をみつめて……誰ひとり大きな声を出そうとしなかった。
「救援が来ましたぞ」
声がした。
サロバヤが、そばに来て、空を仰いでいたのだ。そういえばデヌイベたちも、いつかみな立ちあがり、合唱をやめて、そちらを注視していた。
近づく車と機の爆音だけで……みんな黙っていた。
「守った!」
突然、デヌイベのひとりが、両手を高くさしあげて絶叫した。「エレン様をお守りしたんだ! 私たちは、やりとげたんだ!」
それをきっかけに、変に静まり返っていたぼくたちは、どっと声をあげ、手をふりはじめた。近づいて来る機へ……何かわめきながら、乱舞《らんぶ》していた。
「よかった!」
シェーラが、ぼくに飛びついて来て、首にぶらさがった。「よかった! みんな、助かったんです!」いいながら、ぼくの首を抱いた腕にはげしく力をこめて、猛烈なキッスをしたのだった。
不意のことであったし、それに体力も消耗しつくしていたのである。シェーラの勢いにぽくはよろめき……だがすぐに立ち直って、しっかりと相手を抱きしめ、その唇を吸っていたのだ。その瞬間、ぼくには何の抵抗感もなかった。周囲の人々の、助かった、自分たちは生きているのだとの沸き返る興奮が、ぼくのうちにもあって、何かせずにはいられなかったともいえる。
ぼくの頭の中に、かっと炎が輝いた。警備隊本部ビルの階段わきでのときと同様、強烈なキッスであった。だが、あのときのようなはなやかな想念を伴っていなかったのは、あのときのぼくはエスパー化して極度に感じ易くなっていたのに反し、今度はそうではなかったからに違いない。その代りにぼくは、熱い奔流が心になだれ込んで来るような、形容はむつかしいけれども何か豊かなものを得た感じになったのである。
が……そこでぼくの抑制が働いた。自分の置かれている状況の認識と義務感がよみがえって来たのだ。シェーラにもそのことはわかっていたのであろう。ぼくたちは申し合わせたように唇を離し、身体を離したが……両手はまだつないだままであった。
「これからよ。イシター・ロウ」
シェーラは、真面目な顔でいった。「自分の力を出し切って生きのびること……それだけが、あなたの未来をひらくんです」
「…………」
ぼくは何もいわなかった。しかし頭は回転を再開していたのだ。
何のつもりで、シェーラはそんなことをいうのだろう。
生きのびなければ未来がないのは、当然ではないか?
これは、彼女の例の占《うらな》いなのか? 占いによっての予言なのか?
いや待て――と、ぼくは脳裏に何かが閃《ひらめ》くのをおぼえた。これまで見聞きして来たデヌイベたちの言動が、そのとき起きあがって来て、シェーラと結びついたのである。あの不思議なデヌイベたちの合唱と、敵のレーザーが外れたことには、何か関連があるのは確実だった。あり得ない話だが……あり得るとしても信じられないのだが……そうとしか思えないのだ。関連があるとすれば、それはデヌイベたちがあまり一般には知られていないタイプの超能力を有しているということになりはしないか? すくなくともデヌイベたちの一部はそうなのではないか? そして、シェーラはそのデヌイベのひとりなのだ。とすればシェーラもそうであるかもわからない。その能力を用いての未来予知をもとに、ぼくに警告あるいは激励をしているのではないだろうか――という思考が、圧縮されたかたちでぼくの頭の中を通過して行ったのだった。
それを確認するには……かりにシェーラがそうであるとすれば、読心力も有している可能性だって高いはずだ。この前ぼくがエスパーだったあの時点では、彼女の心はぼくには感知出来ない膜にさえぎられていた。ロポットさながらだったのだ。彼女はだが、ロボットなどではない。すくなくともネプトーダ連邦にはこんな人間そっくりのロボットは存在しない。ぼくはそう信じる。ロポットでないなら彼女は、エスパーには見透せない特異な心の持ち主だということになる。ぼくは漠然とそんな風におのれを納得させたのだけれども……こうなってみると、彼女はそんなものではなく、ぼくと同様の不定期エスパー、あるいは常時エスパーでありながら、心にベールをかぶせる方法を心得た人間ということさえ考えられるのであった。むろん、彼女がエスパーである、でなければしばしばエスパーになるにしては、不合理な点もすくなくない。ぼくに向かって、今はエスパー化しているのかどうかを問うたのはその一例だ。その一方で、ぼくの手に触れてぼくのエスパー化を知ったらしかったのは、何だったのだろう。テレパシーとは遠感だとぼくは承知している。直接接触を必要とするテレパシーなんて、聞いたことがなかった。――いずれにせよ、現在のこの瞬間、シェーラが読心力を持っていることがないとは、断言出来ないのだ。ぼくの心を読んでいるなら、その読み取った意識が顔に出るかもわからない。ところが……彼女は依然として、ただ真面目な表情をしているばかりなのだ。
この一連の想像は、だが、想像と仮定を踏まえたものだけに、さきの圧縮思考ほど速くは、ぼくの頭の中を駈け過ぎては行かなかった。やや時間がかかり……そのときには彼女はすでに、ぼくと手を離していた。
そして、それ以上の突っ込みは、許されなかった。シェーラがそんな予言めいた言葉を吐いてからのこれら全体の想念は、長いといっても秒単位、せいぜい十秒足らずだったとはいえ、ハボニエが駈け寄ってぼくの背中をどやしつけるには、充分な時間だったのだ。
「こら! どさくさまぎれに何をしやがる!」
ハポニエはわめいた。「お前も結構やるもんだな。――だがそのへんで切りあげて、任務だ任務!」
「わかった」
ぼくはちらっとシェーラに視線を投げ、シェーラがにこりとするのをそこに置いて、ハボニエと共にトラックへと走った。
そのうちにも、車と機の爆音は大きくなって来る。狂喜乱舞していた人々も、おのれを取り戻しはじめていた。
トラックの荷台の人たちが、水しぶきをあげながら、次々と降りて来る。ぼくたち第八隊は、降り立ったエレンの両側を固める隊形をとった。ヤド・パイナンの指示で、若い補助隊員を含む三名のスルーニ駐屯警備隊員は、ぼくたちの前方へ出て、横列を作った。
もっとも、このような隊列を組んでも、われわれの戦闘力は、本来の十分の一もないだろうな、と、ぼくは頭の隅で考えた。レーザーガンのエネルギーはことごとく尽き、ノザー・マイアンは居なくなり、みんなへとへとになっていて、残るのは気力と剣ばかりなのだ。ぼくたちの護衛の構えは、かたちだけに近いかも知れない。
そして、そのぼくたちも四名の事業所部隊の警備隊員も、エレン・エレスコブもおつきの人々も、トラックの横でひとかたまりになろうとしているデヌイベたちも……すべてどろどろになっていた。みじめといえば、あきらかにみじめな姿であった。
しかしながら、そうした姿が、ぼくには奇妙にも爽快に映るのだった。そういう格好で隊列を組んでいることが、誇らしくも思えるのであった。
飛行車と垂直離着陸戦闘機の大編隊は、ぼくたちからあまり遠くない場所に各車・機間のスペースを確保しながら、着陸しつつあった。各車・各機から、人々が現われて飛び降りる。そのほとんどが、まぎれもないエレスコブ家警備隊員の制服だった。全部で三百人近い人数である。かれらがぼくたちの手前五十メートルほどの位置に整列する間に、ふたりがこっちへと水を蹴立てて駈けて来た。ひとりは警備隊員の制服で――一級士官である。もうひとりは制服ではないが……近づいて来ると、内部ファミリーのバッジをつけているのがわかった。ぼくはそのふたりに記億があった。ふたりとも、われわれがカイヤントに来た日の、カイヤント市でのパーティに出ていたのだ。いいかえればふたりは、カイヤント上においてエレスコブ家を代表するか、それに準じる立場の人間ということである。
「ご無事でしたか!」
内部ファミリーのバッジをつけた人物が叫んだ。
ぼくたちは、エレンを守る配置のまま、いつでも剣を抜けるようにと気を張りつめていた。たとえ相手が内部ファミリーでも安心してはならぬという原則に従ったわけであるが……誰もものはいわなかった。こうした状況下では、ぼくたちは単なる護衛である。パイナン隊長といえども、護衛隊長として、でなければ求められたとき以外には、発言出来ないし、しないものなのだ。
「よく来てくれました」
エレン・エレスコブは、静かに、何事もなかったかのように受けた。「それだけの人員を集めるのは、大変だったでしょう」
「――はい。反撃されて敗れては意味がありませんから、あちこちの事業所部隊を――」
いいかける一級士官を、内部ファミリーが手を振って黙らせた。
「来着に手間取りましたことを、お詫び申し上げます」
内部ファミリーはいった。「でも、ご無事で何よりでした。ご心労をおかけしました」
いいながら、内部ファミリーの目が、不審げにデヌイベたちに向けられるのを、ぼくは認めた。その内部ファミリーにとっては、なぜそんな連中がここにいるのか、不思議だったのだろう。
「あの人たちは、祈ることでわたしたちを助けてくれたのですよ。そしてもちろん、わたしの忠実な護衛たちは、いつものように全力をあげてくれました」
エレンは、相手の無言の疑問に答えた。しかし、それが解答になっていない、というよりは、あたらしい疑念を生ませることになったのも、事実である。
「デヌイベたちが……祈って……?」
内部ファミリーは、呟いた。
「くわしい話は、どこかへ落ち着いてからにされてはいかがですか?」
口を出したのは、こちらの随行メンバーの内部ファミリーである。「それよりもエレン様、今は、これから私たちがどうするかということが先決だと存じますが」
「その通りです」
エレンは頷いた。「でも、選択《せんたく》の余地はほとんどありませんね。これ以上の遊説は無理でしょう。わたしの今度の仕事は、ここで打ち切ります。引き揚げましょう」
「わかりました」
こちら側の内部ファミリーはいった。
「今までなさったことだけで、充分だと存じます」
先方の内部ファミリーもいい、一級士官と共に、頭をさげた。
そうなのか、ここで打ち切りなのか――と、ぼくは思った。エレンやエレスコブ家の意図が何にあるのかわからないぼくには、それでいいのかどうか、判断がつかなかったし、また、ぼくが判断しても何になるものでもなかった。打ち切りとは多少残念な気がするが……いや、そうではなかった。これでカイヤツ府に帰るのだということが、にわかにはっきりと意識の中に入って来たのである。それはまだ実感にはならなかった。頭でそうと理解しただけなのだが……それでも嘘のような気がしたのである。
「それではエレン様」
こちらの内部ファミリーがいった。「われわれがここへ乗って来た車は、みな破壊されました。あちらの車で……一度カイヤント市に戻り、それから宙港へ向かうことになさってはいかがでしょう」
「そうしましょう。でも、少し待ってもらいます」
エレンは答えた。
「は?」
内部ファミリーが問い返すのに構わず、エレンはトラックの横に集まっているデヌイベたちのほうへ歩きだした。むろんぼくらはそれについて移動した。
デヌイベたちの前に来ると、エレンは、リーダーのサロバヤを見つけて、手を差し出した。
サロバヤはその手を握り返した。ヤド・パイナンがエレンのそんな行動を制止しなかったのは、そんな制止はデヌイベたちに失礼だと思ったからに違いない。その点は、ぼくの気持ちも同様であった。あの不思議な合唱とレーザー光跡のねじ曲りに関係があるのかないのか……いやたしかに関連があるとしか思えないけれども……そうしてそうだとすればデヌイベたちは、超能力は超能力でも未だ知られていない力を持つことになるのだが……それらの謎は謎としても、かれらがぼくたちを助けたのは、事実であった。しかもデヌイベたちは自分から進んでそれをやったのである。ぼく自身に至っては、闇の湿原から仲間のところへ連れ帰ってもらったのだ。誰が何といおうと、かれらがぼくたちの命の恩人であるのは間違いなかったのである。
「あなたがたにお礼をいいます」
エレンは、サロバヤに微笑を向けた。「あなたがたは多分、あの不思議な合唱とその作用について、何も話しては下さらないのでしょうね?」
「それは、申し上げることは出来ませんのじゃ」
老人は返事をした。「しかし私どもは、あなたのお力になれたことを、よろこんでおります」
「ありがとう。本当に感謝します」
エレンは低くいい、またたずねた。「それであなたがたは、これからどうするのですか?」
「私どもは、グマナヤ市に帰り、それからまた旅をします。デヌイベとして」
サロバヤは答える。
「それではここでお別れですね。あなたがたの幸運を祈りますよ」
「エレン様も」
「では……みなさん、ありがとう」
そのエレンの言葉は、他のデヌイベたちにも向けられたものであった。デヌイベたちは頭をさげた。
それからエレンは、ヤド・パイナンを呼んで、ノザー・マイアンの遺体を運ぶようにといった。ノザー・マイアンの遺体は、まだトラックの荷台にあったのだ。
「そのつもりでございます。エレン様が車にお乗りになるのを待って、隊員に運ばせます」
ヤド・パイナンはそう受けた。ヤド・パイナンとしてはすぐにそうしたかったはずであるが、エレンの護衛が優先すると判断したのであろう。
「いいえ。今です」
エレンは主張した。「ノザー・マイアンは、わたしたちと一緒に引き揚げる権利があります」
「――承知いたしました」
パイナンは従った。そうなれば護衛の任務はそれだけきつくなる。ノザー・マイアンの遺体の運搬に人手をとられてしまうからだ。しかしエレンが指示したからには、隊長としてその責任を果たすしかないのであった。
ヤド・パイナンは、ハボニエと、もうひとりの古参《こさん》隊員を指名した。なぜぼくが指名されなかったのか、ぼくにはわからない。ぼくはノザー・マイアンと共に飛行車で飛び立ち撃墜された人間なのである。あるいはそういう作業は古い隊員のほうが馴れているからなのか……それともぼくは知らないけれどもハボニエなりその古参隊員なりに、ぼくよりもそうすべき必然性があったのか……いずれにせよ命令は命令であった。
ハボニエともうひとりの隊員は、ふたりの内部ファミリーのところへ走り、何事かをいった。来着したほうの内部ファミリーが一級士官に声をかけ、その士官の指令で、折《お》り畳《たた》み式の担架《たんか》が持って来られた。ハボニエたちはその担架を受け取って、トラックへと急いだ。
その間にヤド・パイナンは、ぼくたちの配置を変更し、今は直属指揮者のいない四名のスルーニ駐屯警備隊員に、ぼくたちの先頭に立つように命じた。厳密にはこういうことにはしかるべき手続きが必要なはずであるが、臨時の措置《そち》としては許されるのであろう。ともかく四名は直ちに命令に従い、ぼくたちは多少の補強をしたことになった。かれらをぼくたちのうしろに置かなかったのは当然のやりかたである。気心の知れない者をうしろに置けば、いつ背後から攻撃されるかわからないからだ。
ハボニエたちが白布を掛けた担架を運んで来て列の後尾につくと、エレンはもう一度デヌイベたちに顔を向け、手を振ってみせた。デヌイベたちも手をあげてそれに応えた。
ぼくたちは、整列した三百人近い隊員たちのほうへと、動きだした。むこうの内部ファミリーと一級士官が先導し、エレンのおつきの人たちは、ぼくらの外側を進んだ。
あとにしたデヌイベたちの中から、女の声が飛んで来た。シェーラの声であった。
「またお会い出来るでしょう! お元気で!」
それがぼくら全員に対してのものなのか、ぼくひとりへのメッセージだったのか、ぼくにはどちらとも確信は持てない。それにエレン・エレスコブを護衛中のぼくには、振り返ることは許されないのである。ぼくは声を耳にしたのみで、歩きつづけた。
ぼくたちが近づいて行くと、並んだ警備隊員たちは、号令一下、ぼくたちの前に道をあけた。つづいて、次の号令が聞えた。
「敬礼!」
隊員たちが、いっせいに手を挙げて敬礼した。それは事業所部隊であり大半が補助隊員である場合はいつもそうであるように、正規のエレスコブ家の敬礼の型通りではなく、ひとりひとりが同じでもなかったが……本気の敬礼であった。敬礼というのは形式であり、心からの敬意などなくても出来るものであるけれども、泥まみれのぼくたちに向けられたこの敬礼は、本物であった。ぼくにはそう感じられたのだ。
エレンを護衛中のぼくたちは、むろん答礼はしなかった。黙々とエレン・エレスコブのわきを固めて、歩むばかりであった。そうしながらもぼくは、敬礼したままでやめようとしない隊員たちの視線を、痛いほど感じ取っていた。かれらはぼくたちがここで頑張り抜いたことを知っており、頑張り抜いたぼくたちに敬意を払っているのであった。
ぼくはそこでふと、ノザー・マイアンが生きていたら、と、思った。ノザー・マイアンを失わなかったら、ぼくらはもっと意気揚々としていたことであろう。だがノザー・マイアンは死体として運ばれている……。ぼくは突然、なぜヤド・パイナンが彼女の遺体運びをぼくに命じなかったのか、すくなくともその理由のひとつを悟った。ぼくが自分の手で運んでいたら……へたをすると泣きだして醜態《しゅうたい》をさらしていたに相違ないのだ。力が抜けてすわり込んでいたかも知れない。何しろこうして歩いているだけでも、涙を出すまいとこらえ、頬《ほお》をひきつらせていたのだから……。
ぼくたちがひとまずカイヤント市に戻ったのは、いうまでもなくその近くにカイヤント宙港があり、エレスコブ・ファミリー号に乗り込むまでの時間待ちと準備のためであったが、それだけではなかった。いくつかの跡始末もしなければならなかったのである。
カイヤント市の城壁の前で大部分の警備隊員はとどまり、各隊の本来の持ち場へと帰って行ったので(そうしなければならなかった理由はのちほど述べる)ぼくたちは、そんなに多くない人数で隊伍《たいご》を組み、市内に入って行った。
ぼくたちを迎えたカイヤント市は、はじめのときとちっとも変っていないようであった。入口の受付はつめたかったし、街路には雑多な男女がむらがって、勝手なことをやっていた。だが、ぼくたちに関する噂がひろがっていたのはたしかである。群衆のうち何人かは、泥まみれの姿のわれわれに、逃げ帰ったんだってな! とか、あまり調子に乗るから痛い目に遭うんだよ! といった野次《やじ》を投げたのだ。といって、そんな人間ばかりでもなかった。好奇心に燃える目を向けてひそひそ話をする連中もいたし、何を考えているのかぼくたちをじっとみつめ、見送るだけの人々もすくなくなかった。それに今度は、ぼくたちに何かをねだったり喧嘩を売ったりする者はいなかった。一言でいえば、ぼくたちは前よりも近づきがたい存在となっていたのかも知れない。が……そのぼくの臆測が的中していようといまいとにかかわりなく、カイヤント市の街の人たちが、それぞれ自分なりにやっているのには、変りはないのであった。
ぼくたちは、この前に来たビルの、やはり十八階にあがった。そこでエレンはシャワーを浴びて着替え、ぼくたちも交替で身体を洗いあたらしい制服をまとったのである。その間にもエレスコブ家関係の人々が集まって来ており……間もなく、会議がはじまった。会議の部屋にはパイナン隊長と、それにハボニエが呼ばれて入って行った。ぼくは他の隊員と立哨をドアの外で務めた。
会議はそんなに長くはかからなかった。二時間半かそこいらで終ったのだ。
その会議にぼくは出席していなかったのだから、雰囲気や詳細なやりとりは知る由もないが、あらましについてはあとでパイナン隊長から申し渡され、ハボニエに訊いて教えてもらった。
その両方を総合すると、大略次のようである。
ひとつには、エレンとその一行がスルーニ市の手前で受けた待遇とその結果を、逆宣伝すべく工作する手はずの打ち合わせであったという。それもわれわれが勇敢にたたかい、デヌイベたちの思いがけない力で救援まで持ちこたえた――という実情をそのままいうのではなく、もっと徹底的に痛めつけられ全滅をまぬがれたのが奇跡だという風に、宣伝するというのであった。そこでデヌイベの役割も、エレン・エレスコブの危急《ききゅう》を見るに見かねて、もろとも死のうと志願して来た、とするのだそうである。
「しかし、そんなことをいいふらせば、エレスコブ家の警備隊があなどられるんじゃないのか?」
話を聞いたぼくは、ハボニエに質問したのだが、ハボニエは薄く笑って、短く答えたのだ。
「エレン様への人々の人気を高めるためには、そのほうがいいからさ」
「…………」
それはそうかも知れなかった。エレン・エレスコブがネイト=カイヤツ直轄でないカイヤント諸都市の団結のシンボルであるためには、エレンは強者であるよりも弱者であるほうがいいのであろう。危機をうまく切り抜けて行く気丈な女の像よりも、ひたむきに使命感に燃えそれゆえに迫害される美女のイメージのほうが、支持を集めるに違いないのだ。それにしてもなぜエレン・エレスコブがそんなにまでやらなければならないのか……ぼくはのどまで出かかったいつもの疑問を、だが言葉にはしなかった。あるいはハボニエにはわかっていて、説明もしてくれるかも知れない。が、そうだとしても、そういう立ち入った質問を、ハボニエがこころよく思うかどうか、何ともいえない気がしたのだ。ハボニエはそのとき、いやたいていの場合、エレンをいわば信仰の対象として考えていたようなのである。そのエレンについて、ハボニエの望むのとは別の角度から根掘り葉掘りたずねるような真似は、お互いの友情のためにも、見合わせるべきなのであろう。
「宣伝はそうだとしても……いずれ真相は知られるんじゃないか?」
ぼくは、そんなことを訊いた。
「どうだかな」
ハボニエはまた薄笑いをした。「知られるかもわからんし、そうでないかもわからん。そこまでは、おれには関係のないことだ」
そして、その宣伝や工作を具体的にどうするかに関しては、ぼくは何も聞くことは出来なかった。パイナン隊長はともかく、ハボニエがそんなこまかい事柄を知っていたかどうかも疑問である。
その問題よりもぼくたちにもっと近かったのは、スルーニ市に駐屯していたエレスコブ家警備隊の処理をどうするかであった。会議の結果、スルーニ市駐屯警備隊は潰滅と断定され、再編されることになったらしい。それもすぐに新規の隊員を送り込むのはむつかしいだろうから、カイヤント上のエレスコブ家警備隊を補強しつつ、その中から選抜しあたらしい隊を作り訓練を行ないながら、送り込む機会を待つとのことであった。それまではスルーニ市にはエレスコブ家の警備隊がいないわけだが……エレスコブ家の警備隊のいない都市は、別に珍しくはないのだ。現に友愛市や自由市がそうなのである。もちろんこの二都市は自警組織があるために、家の警備隊というものをいっさい認めていないので、事情は同じではない。が……ともかくそんな例があるのだから、異例ではない。そして、潰滅した元のスルーニ駐屯部隊のメンバーに対する処遇も会議の席で承認されたようだ。隊の指揮者は指揮ぶりに難があったとはいえ、部下に裏切られて殺されたのだから、そのことには目をつぶって殉職扱いとし、遺族に相応の手当てを出し外部ファミリー(士官補だったのだ)の縁者としての扱いをつづけること……逃亡した隊員はすべて解雇としいっさいの関係を断つこと……。踏みとどまった四名のうち三名の正規隊員は昇格を申請し、別の事業所部隊に編入するということ……さらにもうひとりの若い補助隊員は、やはり別の事業所部隊に組み込まれるが、正規隊員候補者として、次期のエレスコブ家カイヤツ府屋敷での基礎研修に加えられること、などが決まったそうである。彼があの基礎研修を乗り切るかどうか何ともいえないが、彼の果敢さを思うとぼくは、うまくやってほしいと願わずにはいられなかった。
それにしてもぼくには、警備隊員たちの身分や地位というものが、現地の人々の意見によってこうやすやすと決定されるということが、案外な気がした。ぼくはエレスコブ家に入る前の印象や、自分が直接エレン・エレスコブのお声がかりで訓練を受けることになった経験から、何となく警備隊員の身分や地位の決定はものものしいものであり、相当な上層部の人たちの意向が関与しているのだとの感覚を抱いていたけれども……必ずしもそうではなかったようである。それは護衛員などというような、要人の生命にかかわる仕事の場合にはある程度その必要があるのだろうが、一般的にはさほど上位にいるのではない人間が司《つかさど》っているらしいのを、認識することになったのだ。考えてみればこれは当然の話である。三千人もの隊員……いや補助隊員を入れればその何倍かになるであろう。それだけの人員を、ほんのひと握りの上層部(とはいってもエレスコブ家の最上層部というのではなく、保安委員から警備隊長とトップクラスの士官たちというほどのレベルに過ぎないのだが)が掌握し切るのは不可能に違いない、最終決定権はかれらにあるとしても、実際の考課や推薦は、現場のじかに接触する上司たちの手にあるはずだった。そうでなければ大きな組織なんて動きはしない。理屈から言ってもそうなのである。理屈はそうなのだが……ぼくはなんとなく違和感めいたものをおぼえたのだ。ぼくはきっと組織というものを、統一のとれた上意下達の有機体のように無意識に信じていたに違いない。だから、それが思い込みに過ぎず錯覚《さっかく》なのであって、実態はもっと個人的・人間的な要素の働く不確実なものだと悟ったとき、そんな気分にならざるを得なかったのであろう。
それともうひとつ。
これはぼくら第八隊と直接にはかかわりのないことだけれども、厄介な状況がはじまっていたらしいのである。ぼくがさっき、あとで理由を述べるといった、大部分の警備隊が急いで各持ち場へと帰って行った件だ。なぜそうしなければならなかったかというと……カイヤント諸都市で、エレスコブ警備隊やエレスコブ家関係者が、他家の警備隊に挑発されたりいやがらせにあったりしているというのであった。都市によっては、現に小規模な戦闘になったり、そこまで行かなくても険悪な情勢だという。そしてこれは、ぼくたちがスルーニ市の手前で釘付けになった直後からはじまったらしいのである。エレスコブ家の警備隊はその対応に忙殺《ぼうさつ》されたため、ぼくたちを救援する装備と人員をそろえるのにひまがかかったというのだ。エレスコブ家を敵視する家々の連中が、エレンの救援を妨げようとしてそんな挙に出たのか、それとも警備隊が各所で手薄になり弱体化しているうちにエレスコブ家の勢力を叩こうともくろんでエレン一行を釘付けにしたのか……どちらが主たる目的だったか、ぼくにはわからない。だがどっちが成功しても、エレスコブ家には大きな打撃になっていたはずだ。現にぼくたちはあのまま行けばエレンを残して全員が殺され、エレンひとりがとらわれの身になって、ありもしない罪状を告白させられるか回復不能の傷を精神的にか肉体的にか与えられていたかも知れないのである。そんなことになる前にエレンが自分で死を選び、カイヤント諸都市団結運動の殉教者と化すことも充分考えられるが、エレンの死体を収容した側はそんなことにならないように巧妙に工作をするであろうし、かりにエレンが殉教者として崇められるような結果になったところで、エレスコブ家としては今後も使えるはずの大きな切り札をひとつ失ったことになるのは事実である。一方、救援軍があの湿原で敵と交戦し膠着《こうちゃく》状態になったりしたら……しかも人的にも物的にも大損害をこうむったりしていたら……カイヤントの各所で、エレスコブ家の勢力は駆逐され、叩き出されていたに違いないのであった。だからこそエレン一行を、ともかくも建前上はどの家の者も平等で安全とされるカイヤント市(これは嘘ではない。ネイト=カイヤツ直轄都市では、曲りなりにもこの原則は生きているのだ)へ送り届けるや否や、各事業所部隊は、それぞれ自分たちの持ち場へ復帰したのである。おかげで、ひとたびは危機におちいりかけたエレスコブ家の勢力は、実力でどうやら元に戻りかけていた。またそうなると挑発し仕掛けて来た側も手を引いて、はじめの状態に還りつつあったのだ。その経過報告が、逐一会議の席に伝えられたのだそうである。
以上が、ぼく自身の推量による補足も加わっているが、パイナン及びハボニエからぼくが聞いた会議のあらましだ。
会議のあと、ぼくたちは、エレスコブ・ファミリー号はあすの早朝に発進することになった旨を告げられた。そうなると、今夜はここで泊りである。ヤド・パイナンはそれがはっきりすると、ノザー・マイアンの葬儀をこのカイヤントで行なうことを決断した。葬儀といっても隊員だけでの火葬である。いずれカイヤツに帰着すれば護衛部葬になるらしいが、死後だいぶ時間が経っていて、遺体をたとえ冷凍にしたとしても、カイヤツまで持って帰るのはむつかしいと思われるので、とりあえず遺骨にしておくわけであった。ぼくたちは市当局の許可を得て、カイヤント市外の城壁の近くへと、ノザー・マイアンの遺体を運んで行った。そこにはカイヤント市民やカイヤント市で客死した人々の墓地もあるのだ。こういうことに対しては、市当局は異議をさしはさまない。葬儀にはエレン・エレスコブも出て来た。エレンとおつきの人たちと第八隊の――ぼくたち一行だけの簡単な、短い式であった。それからぼくたちは遺体を火葬室に送り込んだ。
夜、あてがわれた部屋はこの前と同じだったが、これまでのようにハボニエと一緒ではなかった。ハボニエはパイナン隊長の部屋に近い、先回はノザー・マイアンが泊った部屋を使うように、パイナンからいわれたのだ。ヤド・パイナンにとって、今や副隊長格のハボニエを身近に置くことは当然の仕儀《しぎ》であったろう。今後はぼくも、以前のようにハボニエとしょっちゅう行動を共にすることはないと思わなければなるまい。
立哨を終えて部屋の前まで戻って来たぼくは、そこにひとりの男がたたずんでいるのを認めた。警備隊員ではない。エレスコブ家関係の人々や団体が入っているこのビルの、雑用をしている人間であった。
「何か……?」
ぼくは無意識のうちに剣の柄に手をかけ、警戒の姿勢をとりながら、相手にたずねた。そんなぼくの物腰や表情は、相手にきつく映ったのに違いない。男は少しおびえた感じで、それでも問いかけた。
「エレン様護衛の……第八隊の、イシター・ロウ様で?」
「そう」
「あなたへのお手紙をことづかってまいりました」
「見せてくれ」
「その前に、身分証を」
「あらためたいというのかね?」
「はい」
「ぼくは制服を着ているんだよ」
「それでも……定めでございます」
男は半分逃げ腰になりながら、ねばり強くいうのだ。「身分証が本物なのかどうか、私にはわかりゃしません。でも本物に見えれば、それでよろしいんです」
「わかった」
ぼくは身分証を出した。男はちらりと一瞥すると、ふところから 封書を取り出した。だがすぐには渡そうとせず、ぼくを見守っている。
ぼくはポケットから硬貨を出して、男に与えた。
「お渡しするのが遅くなって済みません」
男は封書を差し出しながら、いうのであった。「だけど、あなた様はずっと任務についておられましたし、私は別の用もありましたので」
「仕方がないさ」
ぼくはいった。
「怒らないで下さい」
と、男。
「怒ってなんかいやしないよ」
「ありがとうございます」
男は辞儀《じぎ》をし、廊下を去って行く。そのときになってぼくは気づいたのだが、男はひどく疲れた感じで、着ているものも古ぼけてつぎが当てられていた。こういう仕事は疲れるばかりで、実入りはあまり良くないのであろう。ぼくはもっと親身になって応対すればよかったと後悔した。
部屋に入って、差出人の名を見る。ヤスバ・ショローンとあった。
ヤスバといえば……ぼくは、きょうの救援隊の中にヤスバがいるのかどうか、たしかめることは出来なかった。この中にいるのだろうかとは思ったけれども、そんなことをしている余裕は、とてもなかったのである。
ぼくは封《ふう》を切った。
手紙というより、ありあわせの紙にしるした走り書きである。
貴公がやられたのではないかと心配だったが、無事でまずは祝着《しゆうちやく》。おれはこれからすぐグマナヤ市に帰らねばならんので、喋り合う機会もない。知り合いにこの手紙をことづけることにする。デヌイベについて、ちょっとしたことを聞いた。かれらはきょう、レーザー光をねじ曲げたというが、それだけではなく、いろんな奇妙な力を持っているという話だ。総指導者のデヌイバはネイト=カイヤツどころか、ネプトーダ連邦の人間でさえないとの噂もある。シェーラが何者かは依然わからん。気をつけろ。また何かわかったら知らせる。そちらも何かあれば、知らせてくれ。以上連絡。ヤスバ
と、あった。
おそらくヤスバは、ぼくとハボニエにデヌイベの話をしたあとも、やはり気になるのであれこれと人にたずねたのであろう。その結果を連絡してくれたのだ。
ぼくはヤスバの手紙を畳んでポケットにしまい、頼んでおいた食事がテーブルに載っているのを知って、片手で引き寄せ、食べはじめた。
エレスコブ・ファミリー号に乗り込んで四日めの――あと一日と少しでカイヤツに帰り着くはずの夜。
夕食後、ぼくたちはヤド・パイナンに呼ばれて、船内の小さな集会室に集まった。
いっておくが、これはカイヤツ府屋敷の緊急会議室とスクリーンでつながった、あの会議室ではない。大体が、そういう枢要な場所へぼくたち警備隊員が足を踏み入れるとしたら、よほど緊急の場合だけだ。ぼくはいまだにそれがどこにあるのか知らなかった。だからぼくらが集められたのは、訓示《くんじ》とか何かの通達があるときに使われる、組立椅子を積み上げた小さな部屋だったのである。
集会室に来てみると、ヤド・パイナンはもうそこにいて、隊員の来るのを待っていた。
椅子は組み立てられていず、ぼくたちは立ったままである。
「全員そろったな。よし。そこでしばらく待て」
ヤド・パイナンは、ぼくを入れて四名の隊員を見廻すと、そういって部屋を出て行く。
呼ばれたのは、ぼくら第八隊員だけらしかった。
「何があるんだ?」
ひとりが低くいったけれども、もちろん答えを期待したわけではなく、また、すぐに判明することでもあったから、誰も何も応じなかった。
ものの二分かそこらで、ヤド・パイナンは戻って来た。
ひとりではない。
部屋には……エレン・エレスコブがやって来たのだ。
ぼくたちは、反射的に頭を下げた。
「エレン様が、われわれにお言葉を下さるとのことだ」
ヤド・パイナンは告げ、ぼくたちの側にやって来て、エレンのほうへ向き直り、一礼するといった。「第八隊、全員そろいました」
エレンは頷いて、おもむろに口を開いた。
「きょうは、あなたがたにお礼をいうつもりで、ここへ来てもらいました。カイヤントでは、みんな、ほんとによくやってくれましたね。うれしく思っています」
「…………」
ぼくたちは、黙って聞いていた。いや、ぼくに関していえば、魅せられていた気味もある。ぼくが見るエレン・エレスコブは、たいていのときが、緊張し、さえざえとした美しさに満ちていたが……このときは、そうではなかった。実にやわらかでしかも上品な微笑をたたえ、別の美しさを発散させていたのだ。それは……いうならば、仲間うちに対する微笑ともいうべきものであった。
「残念ながら、ノザー・マイアンは死にました」
エレンはつづける。「そしてこれからも、あなたがたには苦労をかけることと思います。それは覚悟してもらわねばなりません。でも今夜は、わたしの感謝の気持ちを少しでも述べたかったのです。ノザー・マイアンをも含めて、わたしはここでお礼をいいます。ありがとう」
「…………」
ぼくたちは、また頭をさげた。なにもいうべきときではなかった。エレンのその言葉も声も、ぼくにはこころよかった。そして、こんな風にいわれることが、幸福で、誇らしい気がしたのである。
「それと、わたしは今夜、あなたがたにお祝いを述べられることを、よろこんでいます」
エレンはいうのだった。「わたしは、あなたがたの今回のカイヤント行きにおける働きを報告し、論功《ろんこう》行賞《こうしょう》があってしかるべき旨を保安委員会に申し入れました。その返事が先程《さきほど》来たのです。ですからこれはまだ内定ですが……ヤド・パイナン隊長にはエレスコブ家二級功績章が授与され、その他の隊員はノザー・マイアンも含めて、それぞれ一階級昇進することになります。――おめでとう」
「ありがとうございます」
ヤド・パイナンが一同を代表して礼を述べ、ぼくたちは、心もち頭をさげた。
エレンの話はそこでおしまいなのかとぼくは思ったのだが、そうではなかった。エレン・エレスコブは口調を変えて、親しげにひとりひとりに声をかけて行ったのだ。まずヤド・パイナンに、功績章などではなく一級士官になるほうがいいのでしょうけど、わたしの護衛の隊長は二級士官と決まっているのだから、辛抱して下さいね、といい、ヤド・パイナンは恐縮して何かをいい返そうとしたが、出来なかった。ぼくの推察だが……そしてあくまでも推察に過ぎないが、ヤド・パイナンは一級士官になってエレンの護衛のメンバーを出るよりも、二級士官のままで今の隊長をつづけたいのではあるまいか? ぼくにはそんな気がしたのだ。それから次にはハボニエ。その次は、と来て、とうとうぼくの番になった。エレンはぼくにいった。
「あなたはもう、一人前の護衛員です。イシター・ロウ。それに女性相手にも勇敢になったようだし。あれは、とても情熱的な場面でしたね」
ぼくは、穴があったら入りたい感じであった。
エレンは、ぼくとシェーラのあのシーンを見ていたのだ!
「それは――」
ぼくは抗弁しようと試み、だが諦めた。ハポニエをはじめとして、みんな、にやにやしたのである。エレンさえ、面白がっているようだった。ぼくは顔が火照《ほて》るのをおぼえながら、沈黙しているほかなかった。
それで集会はおひらきになったのである。
部屋に帰っても、まだその照れくさい気持ちは消えなかった。それが薄らぐと、今度は自分が昇進するということが、胸に湧きあがって来たのだ。
自分が星ひとつから、星ふたつになる?
初級隊員から中級隊員になる?
これがうれしくないはずはなかった。しかも予想もしていなかっただけに、よろこびは大きかった。一階級の差がはっきりとものをいう階級組織の中にあっては、昇進とはそのまま自分の地位が高くなるのを意味する。
そうなのか。中級隊員になるのか。
ぼくはその気持ちを反芻し、たのしんだ。何となくあたたかくなって来るような感じさえあった。
しかし。
急速にのぼりつめた気分というのは、冷えるのも早い。
昇進なのだ、昇進なのだ、と、自分にいい聞かせ、よろこんでいたぼくは、そのうちにそのよろこびを自分に強いているのではないかという気がして来たのである。
そういえばこれは、エレスコブ家の警備隊の正規隊員となり外部ファミリーの資格を与えられたあのときとは、どこか異質であった。あのときの、雲に包まれたみたいな高揚感といささかことなるのは、なぜだろう。
おそらくそれは、ゼロから何かを得た場合と、それに何かをつけ加えた場合との、その差なのではあるまいか?
いや。
いや、よそう。
こんなに懐疑的になることはないのだ。
なぜ自分は、もっと素直によろこべないのだろう。どうしてこんなにひねくれた受けとめかたをするのだろう。
これは、自分の力で獲得したことではないのか?
自分は、そうなっても当然の人間なのだ。
そう信じよう。
というより、信じなければならないのだ。
ぼくはおのれをそう説得し、さて、ベッドに入ろうと、服を脱ぎにかかった。ハボニエは今はかつてのノザー・マイアンの部屋を与えられており、部屋はぼくひとりで使えるので、勤務に差し支えない限り、就寝も起床もぼくの自由である。ハボニエがいないのは淋しいのに違いなかったが、反面、気兼ねをしなくて済むのもたしかなのであった。
上衣を脱いだ。
と。
ポケットから、はらりと何かが落ちたのである。
ぼくは拾った。
ヤスバの手紙だった。
ヤスバ。
ぼくは、ヤスバのことを……そしてそれに引きつづいて、カイヤント上でのもろもろの事柄を思い出した。
そこでぼくは、自分の昇進をなぜ素直によろこんでばかりいられなかったのか……自分の心のうちに何がわだかまっていたのかに、思い当たったのだ。
ヤスバは昇進しただろうか?
昇進する特別な理由がなければ、前のままであろう。
もしも昇進したとしても、彼はあのカイヤントで、地味な、しかも危険の多い事業所部隊に勤務しているのである。本部部隊にくらべると、あきらかに損な立場で、苛酷な任務を遂行しているのだ。
だが、ヤスバはまだいい。
ヤスバは正規隊員なのだ。
正規隊員でない補助隊員の立場は、もっときびしいのではあるまいか?
待て。
たとえ正規隊員だとしても……ぼくはスルーニ駐屯警備隊の、殺された指揮者の士官補のことを考えた。死んだという点では、ノザー・マイアンも同じであるが……あの指揮者の遺体は収容されたのだろうか? 収容されたとしても、ノザー・マイアンのように葬儀をいとなんでもらえたのか? ノザー・マイアンのように昇進したのか?
そして。
ぼくの頭の中に、カイヤントで出会った多くの人々の姿が起き上がって釆た。カイヤント市の街路にたむろしていた男女や、ぼくにすがりついて訴えた女や、喧嘩を売って来た男たち……それから例えば友愛市の中央広場で柵と濠の外側にいて、熱のない態度でエレンの演説を聴いていた人々……さらにまた、カイヤント市のあのビルの中で働いていた雑用係の男などが、あとからあとから浮かんで来るのであった。
カイヤントだけではない。
考えてみれば、ぼくは自滅者の群にも出くわした。レストランの女主人にぶたれた少女も見た。
それから……。
きりがなかった。
ぼくはもっと上を見ていればよいのかも知れない。権力を持ち豊かな暮らしをしている、ぼくなどよりもずっと上の人たちだけに目を向けていればいいのかもわからない。そのほうが楽でもある。ファイトも湧いて来る。それなのに、なぜ今夜はこんなに気持ちになり、こんなことを考えるのか……?
それは、ぼくが思いがけず昇進したことによる、うしろめたさのせいだったのではあるまいか? 自分がこんな待遇を受けられるのを、のほほんといい気になっていていいのかという――心の奥底のほうからの自責のせいなのではあるまいか?
元来、そういう不合理、不平等は、どこにでもあるものだ。警備隊にせよエレスコブ家にせよネイト=カイヤツにせよ……どこにでも存在することなのだ。それはわかっている。わかっていて、やむを得ないと割り切っていられるのは、あるいは、自分がひどい目に遭っている、苦労していると信じているときだからなのかも知れない。ふっとうまく行ったときに、それがたちまち起きあがって来て、心の平静をかき乱すということなのではあるまいか?
ぼくは警備隊員だ。
それも、ネイト=カイヤツで一、二を争う家ではなく、もっと下のエレスコブ家の警備隊員なのだ。
その隊員として、ぼくは一番下っぱのはずだった。最初はそのつもりであった。
けれども……そのエレスコブ家がエレスコブ家なりに威力を有し、一番下っぱでも正規隊員ともなればそれなりの地位であることをぼくは知って来た。それで多少いい気にもなったり、反省したりもした。そのぼくが……中級隊員に昇進したとなったとき、一度にぼくの底にあったものが噴出して来たということだったのではあるまいか?
そうかも知れない。
そう考えてもいいのであろう。
ぼくはベッドにもぐり込み、あかりを消して目を閉じたものの……その晩は、久しぶりになかなか寝つけなかった。
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能 力
人間の運命なんて、どこでどうころぶか、予測しがたいものである。
不定期に発現するとはいえ、エスパーのひとりであるぼくが、こんないいかたをするのは、おかしいかも知れない。今更《いまさら》説明するまでもなく、超能力と呼ばれるものの中には、予知能力も含まれている。その力を以てすれば、未来を知るのは何でもないことであり、一個人の運命だってお見通しではないか――と考える人もすくなくないだろうからだ。
しかし、それは必ずしも正確ではない。
手はじめに、ぼく自身のエスパー化した状態についていうならば、ぼくは、はっきりと未来を予知したことなど、一度もなかった。ぼくがこれまでに経験した限り、エスパーとしてのぼくは、一般的な読心力と、それにかなり衝動的で自己制御のむつかしい念力を主として持つ程度だったのだ。それだって系統だった訓練どころか初歩の教程もろくに学ばなかうたのだから、到底実用になる代物ではない。へたをすると、いや、へたをしなくても、たいていこちらが混乱し、振りまわされ、対処不能になってしまうのである。そして、このふたつの能力のほかにも、別の――たしかに今自分は透視をしている、とか、この先こういうことになるのではないか、とか、感じる場合もあるのは事実だった。が……前のふたつと比較するとずっと微弱で、かつおのれの意志とほとんど無関係に感知するそうした事柄を活用するというのは、きわめて困難な作業だろうし、そんなことをする気もぼくにはなかった。むしろぼくは心の中でそれらを拒否していたのだ。自分から努めて開発しようとしなければ、そうした能力はいつまでも行きあたりばったりで、気まぐれのままである。そんなわけでぼく自身に関しては、超能力による未来予知とは無縁に近い。すくなくとも無縁で結構と自分にいい聞かせていたのである。
それではベテランのエスパー、それが専門の超能力者ならどうなのか、との質問が飛んで来るに違いない。この問いに対しては、ぼくは自分が耳にしたり読んだりした範囲で答えるしかないのだが……それとても、つねに正確とはいえないらしいのだ。大体が、未来が予知出来て必ずその通りになるものなら、人はただ手をこまねいて、なりゆきを傍観するだけになるだろう。その未来を覆そうと努力しても結果が同じとなれば、はじめから手を出さないほうがましである。手を出さずに、先行きはこうなのだからそれに合わせて計画して行けばいいということになってしまう。例えば数名の剣を持った男たちにかこまれていても、最終的に自分が勝つとわかっていれば、無抵抗で突っ立っていたらいいわけだし、とりかこんだ男たちも、どうせ負けるのなら最初からそんな真似をしないほうがいいのである。それでもなおかつ、こちらをとりかこみ、無抵抗のこちらのほうが何かの理由で勝ってしまう、それが未来というものなのだ――と考える人もいるかもわからない。が……現実には、そううまくは行かないであろう。またこの場合、むこうもこっちも未来予知の能力を有している(これはあり得ないことではないのだ)としたら、そもそもこんな状況が生じるとは思えない。負けるとわかっていて仕掛ける馬鹿はいないからである。いやそれでもやむにやまれぬ行きがかりでそうならざるを得ないのだ、と、頑張《がんば》る人がまだいるかも知れない。そこまで突っ張られては、あとは平行線である。理屈としてはそのいいぶんを否定し去ることは出来ない。しかしながら、ここでぼくが聞いたり教えられたりした実際にこうだとの話に立ち帰れば、そもそも当の未来予知自体が、そんな明確な単一像として得られるのではないらしいのである。予知とは、ときには漠然とした雲みたいなものであり、ときにはいくつかことなる姿が重なり合った複雑な様相を呈《てい》するものであり、またときにはきわめて抽象的な形象のうちに怒りとか悲哀とかの感情をたたえたものであって、最初からはっきりと帰結したイメージが浮かぶのは必然的にそうならざるを得ない確定未来に限られているというのだ。――と、こういう風に並べて来ると、それじゃ予知者なんてふつうの人間と大差ないではないか、といわれるかもわからない。別にものものしい予知力などを持たない非エスパーでも、よく予感めいたものをおぼえることがあるし、あす太陽が昇るであろうというような決まり切った事柄なら、何も予知力など借りなくても断言出来るからである。だが、その指摘は半分当たっているものの、半分はそうではないのだ。当たっているというのは、ふつうの人間といえどもたいていが、ごく僅かではあるがエスパーの要素を持っており、それがふとしたことで動き出して、直感とか予感として作用するのだ、という意味でである。エスパーは、それとは桁違《けたちが》いに大きな能力を持っているだけの話だ。そして、外れているというのは、予知者が感知する未来は世にいう予感とはことなり、事態の推移と共に刻々と変化して行くということである。未来というものは無数の条件が相互に関連し合って作られるのであり、時間が経過しひとつひとつの条件が確定し事実となるにつれて、しだいにその方向やかたちが定まって来るものだが……予知者はそうした過程をその時点で見て取るのだと表現したほうがいいかも知れない。たとえはあまり良くないけれども、濃い霧の中を目標へ近づくうちに、だんだんはっきりとその姿が見えて来るようなものだ。すぐれた予知者は、この、そのときどきの変貌の趨勢《すうせい》を見抜き、もっとも蓋然《がいぜん》性の高い未来を推察出来るのだ、とも、ぼくは聞いたことがある。
ここまで説明して来ると、おわかり頂けると思うのだが……こうして未来を感知するとあれば、当然次のようなことになる。つまり事態の進行を妨げる条件がないとか消滅した場合には比較的早く展望が開けるが、なりゆきとその結果をひっくり返しかねない大きな不確定要素が残っているうちは未来像がまだ揺れたり重なったりして一定しないわけなのだ。これは超能力と関係のない未来予測と一見似ているけれども、まるきり違う。もしもあるネイトがこういう政策を取れば間違いなくこうなるであろうと思われるときでも、予知者の感知する未来がぼけているなら、そこには予想しなかった、あるいは予想し得ない障害が横たわっているということだ。これは超能力による未来予知以外には出来ないやりかたであろう。それなのにネイト=カイヤツでエスパーたちを登用し政策に関与させないのはなぜか? この理由はいろいろ考えられる。一般人のエスパーへの不信感や……今もいったように予知者の得る未来像が必ずしも具体的なものではなく説得性を欠く可能性が高いことや……それにもうひとつ、予知者自身がおのれの意志や行動で事態の推移に決定的な影響を及ぼし得る事柄については、ほとんど予知は不可能であり、それゆえに傍観者や批評者としてならともかく、自分が政策決定に参画しようとすれば、とたんに見通しがきかなくなる――という事情も働いているのであろう。ほかにもわけがあるのかも知れない。とにかく現実にネイト=カイヤツでは超能力者を権力機構の外に置いているのだ。ネイト=カイヤツのみならず、ネプトーダ連邦の大半のネイトがそうなのである。超能力者を活用する気がないか、活用出来るような社会構造を持っていないのか……ともあれぼくのような不定期のエスパーでさえ、不利な立場に置かれているのであった。
いや、愚痴《ぐち》はよそう。
今のおしまいの、自分自身が事態に影響を与える状況ということについて、もう少し補足をしておいてもいいかもわからない。かりに自分の意志で手出しをすることにより、何かが大きく変って来ると思われる場合、手出しをしたときとそうでないときの両方の結果が見えてもよさそうなものだが、そんなものではないそうである。そんな風に綺麗《きれい》に分離するのは不可能で、未来像は混沌《こんとん》となるだけだというのだ。味方[#校正2]を変えればそれゆえに、未来像と自由意志の両立に伴う矛盾が存在しないことになるのであろうか? だから、おのれについての確定未来を見るのは、高い建物から飛び降りた瞬間のように、結末が間違いないときに限られるのだそうである。そういえばぼくは一度、笑い話にもならない話を聞いたことがあった。それは……それでも予知力があれば有難いと思わなければならない。もしも死刑を宣告されても、自分の死んだ姿が鮮明に感知出来ずぼやけていたら、まだ助かる可能性があるのを知ることになる、という話だ。だがもしその未来像が、はっきりとしたおのれの死体だったらどうなるのだろう――と、ぼくは考えたものである。
いずれにせよ……ちゃんとした常時エスパーの、それも予知力に長じた人間でもこうなのだ。ましてぼくは不定期エスパーで、エスパー時にもろくに予知も出来ない身で……ここしばらく、エスパーでも何でもないのである。そんなぼくが、自分の身がどうなるかについて、わかるはずもないのだ。
そう。
生れて初めてカイヤツを離れてのカイヤント行きは、ぼくにとって重い体験であり、ぼくはさまざまなことを考えざるを得なかった。カイヤントへ赴《おもむ》くまでの、カイヤツ府外のいくつかの地方を廻ったさいにも、ぼくはいろんな事情を知り、衝撃も受けたのだが……そしてそれはそれで、ぼくの心の底に沈降して行ったけれども、やはりカイヤントの地を踏むことで、カイヤツに居たらとても実感出来なかったに違いない経験を積む結果になったのである。ぼくは今またここで、カイヤント上の事物、カイヤント上での出来事や、それにつらなるおのれの想念を述べようとは思わない。というより、それらはまだぼくの胸中でちゃんと整理され分類され評価づけられていないので、述べようとしてもただの繰り返しになるに決っているからである。それにそれらが本当に整理され分類され評価づけられるときが来るのかどうかについても、確信はない。近年のぼくは、人間が実体験というものを図形や統計のように手際よくまとめて図式化出来るものだろうか、という疑念をおぼえているのだ。実体験とかそれに随伴する想念などというものは一種の怪物であり、それらはさらに過去の経験とも渾然《こんぜん》一体となって、当人そのものを形成して行くだけのことではないか、という気持ちに、しばしば襲われるのである。これはぼくが、次々とあたらしい体験を重ねつつあるうちに、しだいにそう考えるようになって来たということかも知れない。原体験と呼ぶべきものが数すくないうちは、それをいちいち評価づけしているひまもあるだろうが、整理し切る前に次の体験が到来することが多くなって来ると、いやでもそう考え、そう処理して行くしかないのではあるまいか?
ともあれそんなしだいで、ぼくはカイヤツ府に帰着したとき、何かが終ったとまでは行かないにしろ、何となく一段落といった感覚になっていた。それが、やがて、カイヤントどころではない遥かな遠い世界に旅をし、その旅がきっかけになっておのれの運命が一変することになるとは、夢想だにしなかったのである。
久し振りの上陸非番であった。
とはいうものの、まるまる一日自由なわけではない。ぼくは夕方の六時までには戻ることになっていた。ぼくが帰るのと入れ違いに別の隊員が夜中まで上陸するのだ。つまりぼくは昼の部の外出を許されたという格好であり……隊員の誰に昼の部が当たり誰に夜の部が当たるかは、勤務の都合とパイナン隊長の判断で決められるのである。ここ二カ月ばかりそうした変則的な状態がつづいていた。
また、そうならざるを得ないのだ。
エレン・エレスコブ付の第八隊は、隊員のやりくりが苦しくなっていたのである。
カイヤントから帰還したとき、ノザー・マイアンを喪ったぼくたちは、隊長を含めて五名だった(三日後にノザー・マイアンの護衛部葬が行なわれ、エレン・エレスコブをはじめエレスコブ家の何人かの中枢ファミリーや内部ファミリーが参列した。その中には警備隊長のモーリス・ウシェスタの姿もあった。ぼくら第八隊のメンバーはむろんのこと、護衛部の主だった人々も出席したが……ノザー・マイアンの身寄りの者は、見当たらなかった。ヤド・パイナンが洩《も》らしたところでは、ノザー・マイアンにはかつて警備隊員の夫がいたけれども、何年か前に他家との争いのさいに死亡し、それ以来ノザー・マイアンは第八隊の連中以外には友人らしい友人も居ない生活を送っていたとのことである。彼女にとっては第八隊のメンバーだけが仲間だったのだ。あの、じめじめしたところはかけらもなかったノザー・マイアンがそんな境遇だったのか、と、ぼくは初めて知り……ひいては、このぼくだって同じ護衛員として、似たような生涯になるのではあるまいか……と、胸を風が吹き抜けるような気分になったのであった。
が……そういう受けとめかたをしては、ノザー・マイアンに対して失礼かもわからない。彼女は彼女の好きなように生き、死んだのだと信じたい)。
その五名も旬日後には四名になった。士官補に昇進したハボニエが、士官となるための標準研修を受けるため、警備隊本部ビルへ行ってしまったからだ。前にもいったようにエレスコブ家警備隊の階級制度は、士官と平隊員にわかれ、士官補は士官の一階級ということになっている。士官補を士官に含めるのは常識的には変だし、やることも大半は下士官としての仕事だが……そうなっているのだ。どうしてそんな制度をしいているのか、はじめのうちぼくにはわからなかったが、だんだんそれもそうだという気がして来た。というのは、エレスコブ家警備隊の士官補は、士官がどう考えどう決意したかを理解の上で下士官の役目を担い、もしも士官が何かの事情で欠けたときに、ただちに士官としての役割を果たす――という仕組みになっているらしいと知ったからだ。従ってハボニエが受ける標準研修は、士官としての知識と実行力を身につけるための研修であり、五十日か六十日はかかるのだそうであった。そしてその研修も、ぼくがはじめに受けた基礎研修と同様、適性がないと判定されれば昇進はお流れになるのが建前である。もっともハボニエの場合、すでに功績によって士官補に昇進しているのであるから、この研修でしくじっても、元の上級隊員に一戻されることはないらしい。士官補は士官補で制服も同じだが……名簿の上ではちゃんとしたコースから外れた特務士官補として、ふつうの士官補よりも一段低い扱いをされるのだそうである。もっとも、研修に行く直前、ハボニエは、「おれは別に士官補などになりたくはないんだ」
と、顔をしかめ、首を振ってからいったものだ。「だがまあ、エレン様やパイナン隊長にとっては、副隊長格のおれが士官補でなきゃ都合が悪いんだろうから、仕方がない。やるだけやってみるが……なに、失敗して特務士官補にされたって、護衛員は簡単に代りはいないからな。特務士官補で結構さ」
護衛員は簡単に代りは見つからないというのは本当であった。いい加減な人間に要人の護衛はまかせられないからである。ことにエレン・エレスコブに関してはそうであった。エレンは自分で選んだ者にしか護衛をさせないのである。彼女が欠員を補充するための候補者を見出したのかどうか、ぼくは何も聞いていなかった。話によればそういう護衛員候補が出れば、パイナン隊長が隊員たちに教えてくれるということだから、まだ決まっていないのだろう。そういえばぼくの場合だってそうであった。ぼくが候補として採用されたときから、第八隊の連中は、ぼくがどんな人間でどれほどの実力を持っているのか注目していたのだ。ハボニエは以前にそう語ったのである。すくなくともエレン・エレスコブ付の第八隊ではそうらしい。エレンのおめがねにかなう必要があるのは当然のことながら、隊の連中にも受け入れられなければならないのである。とにかくそんなわけでぼくたちは、ハボニエが研修をうまく乗り切るか失敗するか知らないけれども隊に帰って来るまでの間、隊長以下四名でエレンの護衛にあたらなければならなかったのだ。
そのエレン・エレスコブは、カイヤントから帰還して以来、それほどはげしくは動き廻らなかった。さすがのエレンも心身共に疲れたのかそれとも自重していたのか、でなければ無理を押してばたばたするほどの用もなかったのかなのであろう。が、そうはいっても、ずっとエレスコブ家カイヤツ府屋敷にひきこもっていたのではない。回数はさほど多くないものの、いろんな人たちと会談に出掛けたりパーティに出たりということがあったし、それにネイト=カイヤツ別枠議員として、ときには議会に出席もしたのだ。ぼくたちはそのエレンの護衛にあたる一方、待機非番には隊のメンバーや他の隊の連中と剣技や銃の練習もしトレーニングをやったりもしていたので、結構忙しかったのである。だから本当は上陸非番となれば、思い切り一日のんびり出来ればそれにこしたことはないのだが……隊にはそれほどの人員の余裕はないのであった。
だが、それでも上陸非番は上陸非番だ。まぎれもない自由行動の時間である。
ぼくは、昼食を外でとることにして、午前のうちに屋敷を出た。上陸非番そのものがなかなか与えられないため、こういうときいつもそうであるように、他の隊員たちはぼくに買物を頼んだのだ。ぼくはとりあえずそのほうを済ませてから、あと、ライカイヤツ地区かカイヤテット地区でゆっくり食事をし、ぶらぶらするつもりだった。
しかしながら買物リストを検分すると、へまをすればあっちへ行きこっちへ行きで、それだけで夕方近くになってしまいそうである。ぼくはそれらをなるべくまとめて買える場所はないかと思いをめぐらし、はじめにヤ・カイヤツ地区、それからライカイヤツ地区に行けば全部そろうだろうと計算した。
外へ出たときには曇っていて、風がすこしつめたい感じだったが、バスを待つうちに雲が切れて、陽がさしはじめた。日光というのは、やはり何となく人の気持ちをあかるくさせる。ぼくは多少はずんだ気分で、やって来たバスに乗った。
バスの窓から流れる町並を眺めているうちに、ぼくはここ何カ月かの間に、塀に貼られたポスターや立看板《たてかんばん》の類《たぐい》がめっきり多くなったのを悟《さと》った。それらのポスターや立看板は、ネプトーダ連邦軍のカイヤツ軍団への志願を呼びかけるものや、連邦あるいはネイト団カイヤツの公債《こうさい》募集や、生活態度改善運動の宣伝・広報といったものなのである。
そうなのだ。
ネプトーダ連邦とボートリュート共和国との戦争は、膠着《こうちゃく》状態ではあるがずっとつづいているのである。連邦のほうは、ボートリュート共和国と背後の巨大なウス帝国を相手にたたかっていると称しているけれども、実質的にはこれまでの衝突は、ボートリュート共和国軍とだけであって、ウス帝国軍は動いてはいなかった。しかし、そのウス帝国が動員令を出して兵員を集結しつつあり、いつ行動に出るかも知れぬとの噂《うわさ》は、すでに人々の間に流れはじめている。十四のネイトで構成されるネプトーダ連邦は結束感を高め、連邦直属軍やネイト単位の連邦軍団や各ネイト常備軍の強化に努める一方、ケイナン教邦とかロジザクセン同盟といったそれぞれ連邦以上の規模と実力を有する中立勢力と手をつなぎ、その他のカイドス、クライトバーシュ、エトレリシュ、ライコミヤなどの弱小勢力にも働きかけて一本化すべく外交折衝をつづけているのだ。ネイト=カイヤツもまた連邦の一員として、ウス帝国との全面衝突に備えるため、さまざまなかたちでネイトの成員に呼びかけ、協力を求めているのである。来るべき事態への危機感を盛り上げ、全ネイトを一丸とするために、そういうポスターや立看板も作られたのであった。
たしかに連邦は、そしてネイト=カイヤツは、ウス帝国の行動開始という脅威にさらされているのだ。
しかし。
そういう状況下にあり、ネイト=カイヤツ政府がそれなりの試みや働きかけをしているにもかかわらず、ぼくの実感では、ネイト=カイヤツ内にそれほどの非常時の意識は形成されていないようであった。それというのも、現在の戦線はボートリュート共和国と連邦の境界の――ネイト=カイヤツから見れば連邦の一番かなたにあり、戦火がこちらに及んで来るまでにはかなり時間がかかるだろうと見込まれていたし、現実にたたかっている軍も戦線近くの連邦軍やネイト常備軍であって、連邦軍の一翼を担うカイヤツ軍団はまだ投入されていないために、肌身で感じるところまでは来ていなかったのである。これはネイト=カイヤツ政府の、いたずらにネイト内に恐怖感をあおり立てるのは好ましくないという政策をとって来たことにも原因があるのだった。さすがに近頃は、いつまでもそうはしていられぬということになったのか、戦争という非常事態であることの訴求や戦意高揚がはかられるようになり、社会体制もそれに見合ったものに引き締めて行こうとの意図が打ち出され実施に移されつつあるようだけれども……一般の人々の意識はそうすぐには改まらないのだ。しかもそういう非常体制づくりにしても、政府を動かす家々の利害がからみ合って、簡単に足並みはそろわないのだから、なおさらである。
とはいえ、これだけのポスターや立看板が目につくようになって来たということは、戦争に備えようとする試みが、しだいに強くなり効果をあげはじめているのを意味するのかも知れない。
方向としてはそれでいいのかもわからないが……実のところぼくにとって――というよりぼくが属するエレスコブ家にとっては、今のそういう方向づけは、あまり有難いものではないのだった。現在のそれは、ネイト=カイヤツを支える家々の上位の、サクガイ家やマジェ家が主導権を握って行なわれているものだからである。むしろサクガイ家やマジェ家は、自家の勢力伸長のためにそうしている観があった。大義名分のもとに強力な体制を作りリードして行けば、残余の家々の頭を抑え、力を削ぐことも楽に出来るに違いないのだ。こういうことが進めば、ただでさえ目の敵にされているエレスコブ家などは、いよいよ圧迫される結果になるだろう。
そんなことを考えていたぼくは、そのときバスが停車し、ひとりの少年が車内に駈け込んで来るのを認めた。
少年は、粗末な身なりで、髪も長く伸ばしていた。カイヤツ府の繁華街などではきちんとした職業に就こうとぜず、商店からものを盗んだり群をなして通行人から金をおどし取ったりする連中を見掛けるものだが、その少年もそのたぐいかも知れなかった。
少年につづいて、ふたりのネイト警察官が追って来た。ひとりはバスの運転手に声をかけて発車をやめさせ、もうひとりは少年を追いつめて、ぼくのすぐ横でその腕をつかんだ。
「離せよ!」
と、少年はわめいた。「おれ、何もしてないじゃないか! どうしておれをつかまえるんだよ!」
「うるさい。外へ出ろ」
ネイト警察官は、少年を引っ張った。
「やめろよ! やめてくれよ!」
少年は抵抗した。「おれはただ、町を散歩していただけじゃないか! それが悪いのか?」
「お前は挙動不審なんだ。調べて、何もなかったら放してやる」
ネイト警察官はいい、もうひとりもやって来て少年の空いたほうの腕をつかみながら妙に親しげな声を出した。
「悪いことをしていたとわかっても、心配しなくていいんだよ。兵隊になってネイトのためにつくしてもらうだけだ。生活を立て直すいい機会になるぞ」
「いやだ!」
少年は絶叫したが、警察官たちは、曳き立ててバスを出て行った。
ぼくは何もしなかった。ほかの乗客と同様に、眺めていただけであった。
ぼくは、その少年を助けてやることが出来たかも知れない。ふたりの警察官はレーザーガンを携行《けいこう》していたが、それでもぼくの実力を以てすれば、素手でレーザーガンを叩《たた》き落とし、なぐり倒すことが出来たかも知れない。ひとつ間違えばこちらの生命にかかわるけれども、やってやれないことはなかったはずである。戦闘力とすれば、ぼくのほうがはるかに鍛えられているはずであった。誤解のないようにいっておくが、ぼくはその少年に対して感傷的になっていたのではない。別にその少年が好きだったのでもない。だがネイト警察官のやりかたを全面肯定する気持ちもなかったのだ。ネイト警察官がやろうとしていたのは、いわゆるうさん臭《くさ》い人間をひっとらえ、口実さえつけば連邦軍に属するカイヤツ軍団かネイト=カイヤツ常備軍か、とにかく軍隊へ送り込もうというのである。それがあの少年のような連中の性根を叩き直すと共に、ネイト=カイヤツにプラスになると信じていたようだ。というより、そう説明され、そのように実行せよと上司から命じられているのであろう。しかし、ぼくの感覚では、カイヤツ府内であろうと府外であろうと、そういう生きかたをしたい少年、いや少年に限らず誰でも、やりたいようにやればいいのであった。それで法に触れて捕えられるのならともかく、はっきりと何をしたかもわからぬ者をつかまえて、有無をいわさず調べ、あわよくば軍隊にほうり込もうというのは、行き過ぎではないのか? あれではまるで人狩りではないのか? そう思ったから、出来るものなら腕力に訴えてでも少年を助けてやるか、でなくても横から異議を申し立てて、放してやるようにさせたいところだったのだ。
だが……そんな真似《まね》をしても無益であろうことが、ぼくにはわかっていた。無益ならまだいい。余計な問題を惹起《じゃっき》し少年本人のためにもならないであろう。相手はネイト警察官であり、正義を執行する建前で行動しているのである。ネイト警察官と家の警備隊員はある意味で同質の存在だけれども、むこうはネイトを背後にし、こちらは家という私的なものに所属しているのだ。時と場合では両者は親しげに振舞うことはあるものの、争えばこちらに非があるとされるのは、当然のなりゆきである。ぼくたちのうしろ楯《だて》になってくれるのは家だけであり、それはしばしば(いろんな方法によってうやむやのうちに)ぼくたちを救ってくれるものの、今度の例ではそうは行かなかった。今度の場合、かれらの上には上司がありネイト警察があり、そのネイト警察を実質的に動かしているのは、家々の――その上位にあるサクガイ家やマジェ家であった。他の家々を押えつけるために非常体制を確立しようとしているサクガイ家やマジェ家なのだ。ぼくがあの警察官たちと対決したら、ぼくはこれ見よがしの処分を受けるに違いない。ぼくのみならずエレスコブ家にも火の粉がふりかかるかもわからない。その点、ぼくに何もさせなかったのは、ぼく自身や、ぼくが所属する家のことを考え計算したエゴイズムであり、保身の感覚であったろう。それは否定できない。が……そうなればあの少年もまた、あのまま曳き立てられて行ったときよりもさらにひどい懲罰を受けることになるのは、あきらかであった。そんな、エレスコブ家警備隊員を(本人が別に望んだのでないにせよ)味方につけて警察に抵抗したということで、軍隊にほうりこまれるどころではない処置を受けるであろうことは、まず疑いないのである。だから……だから、黙って見ているしかないのであった。
バスは動きだした。
窓から跳《なが》めているぼくの目に、ふたりのネイト警察官に連行される少年の姿が映った。少年はもうあらがおうとはせず、諦めたように歩いており……それもじきに、バスと並んで走る何台かの車の蔭になって、見えなくなってしまった。
バスの車内の人々は、今しがたの事件について、もはやあまり関心を抱いていないようである。すくなくともそういう態度だった。かれらにとってこんなことは、そんなに興奮すべきものではないのであろうか。ここしばらくのうちに、いつの間にかそういう風になってしまったのだろうか? それでもぼくは、これはぼく自身の自意識過剰なのであろうが、何となく乗客の何人かが、黙って今の事件を見過していたぼくに、奇妙な視線を向けているような気がした。
それは、お前は腕力のある警備隊員の癖に、平気で見ていたのか――と責めているようでもあり、そうなんだよお前たち警備隊員は、所詮《しょせん》警察の連中とはぐるなんだよな――と、嘲笑しているようでもあった。だがそれは気のせいだろう。実際にぼくに目を向けた者はいない。気のせいに違いないのであった。
それなのに、ヤ・カイヤツ地区でバスを降りたとき、ぼくは、やはりほっとしたのである。
ヤ・カイヤツ地区の専門店街で、二、三の買物をしたぼくは、またバスに乗り込んで、ライカイヤツ地区へ向かった。
その路線のバスは、さっきよりももっと込んでいて、ぼくは後部のドアの近くに押し込められるかたちになった。
こういう状態は、ぼくは好きではない。他人と必要以上に接近することは、いつどんな目に遭《あ》うかわからないので警戒心を何倍にもしなければならず、ために神経が疲れるからであった。まあ車内の人々は一般市民ばかりのようで、不意に襲いかかられても何とか対応出来そうだったが、それでも外見だけでは判断はむつかしいし、一般市民といえどもこちらが油断をしていると、ぶざまな目を見ることになりかねないので、うっかりしてはいられない。毎日の生活は、いつの間にかぼくにそんな習慣を植えつけていたのだ。といって、周囲の人たちの言動にあからさまな警戒の視線を向けるのは何だから、ぼくはつとめて他人と距離を置き、目は窓の外に向けていた。
と。
ぼくはそこで、心の中の何かがかちりと動くように感じたのだ。
ぼくの視線の中には、バスと並んで走る車の列があった。ふつうはバスが停車しようと速度をゆるめると追い越し車線に出て抜いて行くものだが、一台の黄色い車が、のろのろと走り、バスが停まると前をふさがれたという格好で、そのたびに一緒に停止するのである。へたな運転をするものだ――という気分ではじめのうちは眺めていたぼくは、そこではっと気がついたのであった。
たしか、さっき乗ったバスのあとからも、あれと同じ型の黄色い車がついて来ていたのではなかったか?
そうだ。そのように記憶している。
その先刻の車と、今見えている車が同一という証拠は何もない。そういう型の黄色い車はそんなに珍しいわけではないし……オープンカーではないので、さっきも今もバスの中で立って外を眺めているぼくには、運転者の顔を見て取るのは無理だったし……ぼくには同一と断言する材料は何もなかった。それなのに、どうも同じ車のように思えて仕方がないのであった。
そして、そうと自覚すると同時に、ぼくは自分があの車の運転者につけられているのではないか、と、疑念を持ったのである。
なぜ、そうした思考経路をとったのか、自分でもわからない。
ぼくは、神経過敏になっているのかも知れない。護衛員としての日常のおかげで、とっさに何でも疑ってかかり、危険な状況を連想してしまうのかもわからない。
また、ぼくがどうしてあとをつけられねばならないかについての、しかるべき心あたりもなかった。それは考えようでは、ぼくはエレスコブ家の警備隊員であり、エレスコブ家の警備隊員なら誰でも狙おうという奴がいる可能性は、充分にある。また、だいぶ前にぼくがやっつけたマジェ家の警備隊員が、ぼくを偶然見掛けて、仕返しのために追って来たということもあり得るだろう。そのほかにも、ぼくがこれまで生きて来た中で恨《うら》みを買っている事柄が全くないとはいい切れないであろう。が……わざわざ車でぼくをつけて来るような真似をしなくても、それならさっきヤ・カイヤツ地区でぼくが買物をしているときに近づいて来ればいいはずである。
同じ車ではないかも知れない。
同じ車だとしたって、たまたま二度もぼくの乗ったバスと一緒の方向へ走ることになっただけかも知れない。
さらに……同一の車で、かつ、このバスを追っているとしても、対象がぼくとは限らないであろう。確率はそう高くないだろうが、さっきも今もぼくと同じバスに乗った人物がいて、追われているのはそいつのほうだという場合もあり得る。
――と、いくつかの想定を並べて自己の疑惑を打ち消そうとしてみたものの、どうも打ち消せない感じなのである。これが神経過敏になっているためのぼくだけの妄想なら結構なのであるけれども……追われているつもりで行動するほうが安全であろう。
ぼくは、ライカイヤツ地区でバスを降りた。
黄色い車は、バスの外側へ出て、バスを追い抜いて行った。これまではずっとバスのうしろについていたのがそんなことをしたのは、いよいよ怪しいと思うべきか……それとも何でもなかったのでそのまま行ってしまったと解釈すべきなのか……何とも判断がつきかねるのだ。
しかし、その車の運転者がぼくをつけているのなら、車をすぐ近くへ置いて、戻って来るはずである。興行施設が並び歓楽街のあるライカイヤツ地区は、いつものように人通りが多かった。ここでぼくをつけようとすれば容易であろう。人ごみにまぎれて目立たぬように追えるからだ。そう考えたぼくは、バスを降りた地点でおのぼりさんよろしく、立ちどまってあちこちとそのへんを見渡した。ひょっとすると追跡者がやって来て声をかけるか、そうはしないまでもどこかからぼくの動きを見張ろうとして、ぼくの目にとまるかも知れない。
一分か二分、ぼくはそうしていたが、何もおこらなかった。それらしい人影も見て取ることは出来なかった。
ぼくは、自分がへまをやったのを悟って、あぶなく舌打ちしそうになった。追跡者をまくつもりなら、バスを降りるや否やさっさと歩いて、雑踏の中に入ってしまえばよかったのだ。追跡者が車を置いて戻って来るには多少の時間がかかるはずである。それを……わざわざ待ってやったようなものだ。
もっとも、本当に追跡者がいるとすればであるが……。
ぼくは、ゆっくりした足どりで、進みはじめた。何がおこるかわからないし、何もおこらないのかも知れないが、とにかく頼まれた買物をしなければならない。
四、五軒の店の前をぶらぶら歩き、適当な品を見つけたぼくは、その店に入ろうとドアを押す直前、さっと振り向いて後方をたしかめた。
行き来する人々の中、ちらりと服が動いてかくれた者が見えた。二秒か三秒、ぼくはじっとそっちを注視したけれども、あと、姿は現われない。
やはり、つけられているのだろうか。
それにしても瞬間にぼくの眼底に焼きついたその人影は……あかるい色の服の、女のようであった。
ぼくはその店で買物を済ませた。他の隊員に依頼されたものは、これで全部そろったことになる。
荷物を入れた袋を手に、ぼくは表へ出た。追跡者は依然としてつけて来ているのであろう。と、しても、すぐにはぼくに何も仕掛けて来ないようである。こういう人間の多い場所だから、控えているのかも知れない。こっちは相手の出方を待つしかないのである。
どうなるにせよ、もう正午はとうに過ぎていた。ぼくは強い空腹感をおぼえはじめており……どこかで食事をしなければならなかった。そして、なることなら食事位、追跡者のことを気にせずにとりたいのだ。
どこで食べようか。
思いをめぐらしたぼくは、ここからあまり遠くない場所に、エレスコブ家の系統のレストランがあるのを想起した。決して高級な店ではないものの味は悪くない。それにこのさい何よりも重要なのは、そこがきわめて家族的――というより、排他的な雰囲気の店で、客はまず例外なしにエレスコブ家関係の人間か、その同伴者だということである。それも、大半が警備隊員や隊員の家族・友人なのだ。警備隊員というような、うかつに隙《すき》を見せられない人間には、そういう仲間うちだけの店が不可欠なのであろう。ぼくはハボニエや他の隊員にも教えられて、一、二度行ったことがあった。エレスコブ家関係者以外には露骨にひややかなのが、好きな者にはうれしいのだろうが、ぼくにはあまり極端過ぎる印象で、その後は行っていない。自分がエレスコブ家の人間そのものとして、枠にはまり埋没してしまうような気持ちになるからだった。だが……こういうときは、まことに便利な存在である。追跡者がエレスコブ家関係以外の人間なら、ひとりでは入れないわけだし、エレスコブ家関係の人間とつれだってか、または当人がエレスコブ家の関係者だったら、店の中で妙な真似も出来ないはずなのだ。
店の名をエレスコブの花という。
エレスコブの花へ行こう。
そう決心したぼくは、大股でまっすぐそっちへと歩きだした。うしろを振り返ることもしなかった。正体不明のどうやら女らしい追跡者が追って来たければ、勝手にそうしたらいいのである。こっちの速度が早すぎてついて来られなければ、それも結構、という気分であった。
五分ばかりで、エレスコブの花に来た。
アーチ形の入口にある木の扉を押すと、案内係はぼくの制服を認めて、すぐに空いているテーブルに連れて行った。私服だとエレスコブ家の人間であるのを示すバッジか身分証が必要だけれども、制服はこういうとき、何の面倒もない。
食事どきを過ぎていたためか、店内は空いていて、ぼくは窓ぎわの席を与えられた。ぼくの中級隊員としての襟《えり》のふたつ星が多少威力を発揮したのかどうか……何ともいえない。この店においてもひとつ星よりはふたつ星のほうが待遇はいいのはたしかだが、所詮、ただの中級隊員である。やはり客のすくない時間帯だから、そういう席にすわれたのであろう。
ぼくは料理を頼み、頼んだものは迅速に運ばれて来た。
近くのテーブルには客がおらず、また、近寄って来る客もいなかったので、ぼくは落ち着いて食べることが出来た。
代金を払って店の外へ足を踏み出したときである。
「イシター・ロウさん」
声をかけた者がある。
エレスコブの花の、壁の横に立っていた女だった。女は壁から離れて、ぼくのほうへ歩み寄って来た。
この服だ。
さっき、ちらりと見えて隠れたのは、たしかにその女のまとっている服であった。あかるい――パステルカラーの薔薇《ばら》色で、ひらひらしたもののついた派手な服である。
そして。
ぼくは、その女の顔を凝視して、ほんのわずかな間ではあったが、動きを停止していた。
それは、あの女だったのだ。
はじめて出会ったときに、ぼくに何かと質問し、それからマジェ家の警備隊員と争う羽目《はめ》になったあの女……そのあと、どこかの令嬢のような格好でぼくのそばに車を停めてお礼がいいたいといったあの女……本人の称するところではミスナー・ケイという、謎の女だったのである。
だが、その次の瞬間、われに返ったぼくはドアから道路のほうへと出て、相手との間隔を開いていた。
それを見て、ミスナー・ケイ(彼女は本名ではないといったが、ぼくはその名しか知らないのである)は足をとめた。
「きみだな?」
ぼくは、四メートル近い距離を置いたまま、声を投げかけた。「きみは……ずっとぼくをつけていたんだろう?」
「そうです」
ミスナー・ケイは、あっさりと答えた。
「どうして?」
ぼくは、また訊いた。
「用があったのです」
ミスナー・ケイは、少し微笑さえ浮かべながら、いうのである。「わたしは、あなたへのことづけを頼まれて来ました」
「ことづけ?」
「ある人からのことづけです。わたしの口から申し上げます」
「…………」
「どこかでお話し出来ないでしょうか」
「――待て」
ぼくは片手を挙げて制した。
そういう状態で男と女が喋り合っているというのは、どう考えても不自然である。だから通行中の人々が何人か立ちどまって、ぼくらのやりとりを眺めはじめているのに気がついたのだ。しかもその数は、ひとりまたひとりと増えつつあった。
それだけならまだいい。
人々を分けるようにして、ネイト警察官がひとり、すぐにでもレーザーガンを引き抜けるように腰に手をやりながら、近づいて来たのである。
「お前、こいつを相手に商売をやろうというわけか」
ネイト警察官は高圧的な調子で、ミスナー・ケイにいった。「こんな場所で白昼、男につきまとって商売しようというのか?」
「わたし、そういう者ではありませんわ」
ミスナー・ケイは、ひややかに答えた。
「そういう者ではない?」
ネイト警察官はあごをしゃくった。「そんなことをいって通ると思うのか? お前のその服装は何だ? それに、おれはさっきからずっと見ていたんだ。お前はその店の前に立って、中を窺っていたな? いい客をつかまえようと物色していたんだろう? そして、その男を標的にしたんだ。こちらにはちゃんとわかっているんだぞ」
ミスナー・ケイは全く動じていないようであった。マジェ家の警備隊員にからまれたときもそうだったが……静かな態度で、いい返した。
「わたしは、あなたのおっしゃるようなことはしていません。あなたが勝手にそう解釈なさっているだけです。妙ないいがかりはやめて下さい」
だが、そういういいかたは、相手を逆に怒らせる作用を果たした。また、ネイト警察官のほうは、はじめからしかるべきもくろみを持っていたのだ。それが、バスの中で目撃したあの事件と同質のものであることを、ぼくはすでに感じ取っており――ネイト警察官の次の言葉は、それを裏付けたのだ。
「妙ないいがかり? 何をいうか!」
ネイト警察官はわめいた。「お前が何といおうと、お前は挙動不審だ! とにかく一緒に来てもらおう。調べなければならん」
「ちょっと待って下さい」
ぼくは口を出した。
発作的にそうしていたのだ。
ぼくはこのミスナー・ケイと称するに女に何の義理もない。それどころか貸しがあるといってもいいほどなのだ。彼女のことがもとで、ぼくはあぶなくマジェ家の警備隊員に殺されるところだったのである。
だが、彼女がぼくに何か用があるらしいこと……そのためにずっとつけて来たのだと聞いた今では、そうもいっていられなかった。そのことづけというのが何であるのか……そしてミスナー・ケイと称するこの女が何者なのか……それを知るまでは、ネイト警察官のいうがままに放置するわけには行かなかったのだ。
ネイト警察官は、ぼくに顔を向けた。
「あんたは黙っていたらいい」
と、ネイト警察官はいった。「あんたはとにもかくにもちゃんとした家の警備隊員だ。こんな女に構うことはない。こちらもあんたの家とごたごたはおこしたくないんだ。干渉しないでくれ」
「しかし、その女は、ぼくの知り合いですよ」
すくなくとも知り合いには違いない、嘘ではないのだと思いながら、ぼくは抗弁した。
「それが干渉だというんだ!」
ネイト警察官は、レーザーガンを抜き出すと、ミスナー・ケイのほうへ二、三歩前進した。
「さあ、一緒に来るんだ!」
ミスナー・ケイは後退した。
「こんな路上で、犯罪者とまだ決まっていない人間をレーザーで撃ち倒したら、ただでは済まないんじゃないですか?」
ぼくは食いさがり……相手は自分にもわかっていることを指摘されたからだろう、かっとなったらしく、銃口をぼくに向けた。
「うるさい! 死にたいのか! 公務執行妨害だぞ! エレスコブ家か何か知らんが、大きな口を叩くな!」
「…………」
ぼくは、相手が逆上しているのを感じ取った。しかしぼくは丸腰である。ぼくは沈黙した。
「来い」
ネイト警察官は、それでも一応レーザーガンをしまってから、ミスナー・ケイの手首をつかんだ。
ミスナー・ケイの眉根が寄せられたのをぼくは見た。
そのとたん、ミスナー・ケイは手首をひねって、ネイト警察官の手を振りほどいた。ほとんど同時に彼女は、レーザーガンを引き抜こうとするネイト警察官の腕を手刀ではげしく打ったのだった。あっと声をあげた警察官のふところに飛び込んだ彼女は、レーザーガンを自分の手で抜き取り、思い切り遠くへ投げたのである。
「貴様!」
絶叫して、ネイト警察官がつかみかかろうとするのを、ミスナー・ケイはするりとかわして、ぼくのほうへ走って来た。
「逃げるのよ!」
と、ミスナー・ケイは早口にいった。「あの警察官、あなたも捕えるつもりだわ。抵抗したらあなたを撃ち殺す気だったのよ。今のうちに……早く!」
ミスナー・ケイは、ぼくの手をつかんでぐいと引っ張った。
しなやかな腕に似合わず、驚くほどの力だった。
「こいつら!」
ネイト警察官は、ぼくたちのほうへ突進しかけて、ためらった。今のミスナー・ケイの動きを思い、ぼくが鍛えられた警備隊員であるのを思いおこして、素手では勝ちめがないと気がついたのだろう。
「貴様ら! 同罪だぞ!」
どなると、ネイト警察官は、レーザーガンが投げ捨てられた方向へ、走って行った。
「早く!」
ミスナー・ケイが、またいった。
どうしようもなかった。
このままここにいれば、どうなるか知れたものではない。
ミスナー・ケイとぼくは、人垣をかき分けるようにして、駈けだした。もしあの警察官がレーザーガンを拾って追って来たら、本当に撃ち殺されるかもわからないのである。
駈けた。
はじめのうちは、ただ現場から少しでも早く、少しでも遠くへと走っていたが……そのうちに走ることが通行人の目を惹《ひ》く結果になるのを悟って、スピードを落とし……わき道に入り……また横手へと曲ってからは、ふつうの歩調に戻った。そのときになって気がついたのは、ぼくがまだちゃんと買物の袋を持っていることであった。
そして、そういう日常的なものが目に入ったせいで、ぼくは少しは落ち着き、自分がどういう立場に置かれたのかを考える余裕も出来た。
ぼくは、ネイト警察官といざこざをおこしてしまったのである。うるさいことになるかも知れない。
もちろん、こうなったのは、ぼくひとりの責任ではない。いうなれば、やむを得ないなりゆきであろう。そもそもは、ネイト警察官の強引で高圧的なやりくちが原因だったのだ。それをまたミスナー・ケイが(その気があったにせよなかったにせよ、結果としては)挑発し、ぼくも一枚加わって、あっという間にエスカレートしてしまったのである。だからこちらにもいいぶんはあるのだが……そのいいぶんもネイト警察相手では、どこまで通用するか怪しいものであった。ネイト警察官がああいうやりかたをしたのは、さきのバスの中の出来事からも推察し得るが、そうしてもいい、あるいはそうしろと指令を受けているからに違いない。それに逆らったというだけで、ネイト警察が許しがたいとするのはたしかである。公務執行妨害なり官吏|侮辱《ぶじょく》なりの名目をつけるのは簡単なのだ。警察は、というより、ぼく自身が今はエレスコブ家なる組織に属しているからわかるのだけれども、どんな組織でもかれらの行き方を批判したりかれらに反撃しようとする存在に対しては、本能的に排除し、叩き潰《つぶ》そうとするものだ。そうしないのは、自分たちの力が足らないので報復の機会が到来するまで待っているか、でなければ、いつでも叩き潰せるがどうせならもっと効果的な時と状況がめぐって来るまで知らん顔をしてお預けにしているだけの話である。今のこんな事件では、だが、そういう情勢判断はあとのことにして、とにかくぼくとミスナー・ケイをひっくくろうとするのではあるまいか。ぼくたちをそれからどうするかは、ひっくくってから、ということになりそうな気がする。ま、もっともこれは、ぼくのほうが神経質になっているだけのことで、ネイト警察にとってこの程度の事件はしょっちゅうあるケースであり、そんなに問題視しない可能性もあった。
とはいえ……ネイト警察全体にはそうでも、あのネイト警察官個人としては、通行人たちのただ中で恥をかかされたわけであり、へたをすると上司から叱責されかねないのだから、ぼくたちを恨み、意地になっていることであろう。彼が執拗《しつよう》にぼくたちを追って来るのは充分考えられることである。
もちろんぼくはあのネイト警察官に、自分の姓名や所属部門を知られてはいない。が……それでもエレスコブ家の警備隊員なのは、はっきりしているし、おまけに、ひらひらしたパステルカラーの薔薇色の服の女と一緒なのだから、追跡するのは容易であろう。ぼくがミスナー・ケイと別れてしまい、エレスコブ家カイヤツ府屋敷に帰着するまでは、安全とはいえない。それはまあ屋敷に帰着しても、あのネイト警察官がぼくの顔を覚えている限り、いつかどこかで出くわすや否やぼくをつかまえようとするかも知れないが、制服を着た人間の顔というのは、意外に記億していないものである。制服ばかりに注意が行って、他の特徴はあとまわしになりがちだからだ。それに後日出会ったところで、こっちとしては証拠があるかと突っぱねることも出来るのである。ネイト警察がエレスコブ家に、警察官を侮辱した警備隊員を調べ出し引き渡せと迫れば、これは話は別だ。そうなるとことは政治問題化するわけで、ぼくが厄介《やっかい》だと思ったのは、そこであった。自分がそういう問題を惹起するもとになるというのは、いやだったのである。もっとも、これだってぼくの考え過ぎで、一警察官と一警備隊員のこと位で、そんなに大問題になるかどうか、疑わしいともいえよう。世の中には根深い対立が何かの些細《ささい》な事柄をきっかけとして、大問題と化する例がないわけではないけれども……そうならないことを祈るしかなかった。
それに、実をいうとぼくは、ミスナー・ケイに対しても、いささか腹立たしい気分になっていたのだ。
以前、マジェ家の警備隊員とあんなことになったのも、もとはといえばこのミスナー・ケイと称する女が、彼を適当にあしらいながらぼくに接近して来たおかげである。けんかがはじまってもミスナー・ケイは、とめようともしなかった。けんかがああいうかたちで決着がついても姿を現わそうとせず、あとになってから道で礼をいったのである。今度だって似たようなものであった。ネイト警察官に冷然と対応して相手を怒らせたばかりか、(その行動が素早く、何かの訓練を受けているのはたしかだとしても)警察官のレーザーガンを遠くへ投げ、ぼくが一緒に逃げ出さざるを得ないようにしてしまったのだ。ミスナー・ケイは、あのネイト警察官がぼくも捕えようとしていて、抵抗すれば射殺するつもりだったと、まるで読心力者のようないいかたをした。かりにミスナー・ケイが超能力者なら、それが当然の対応であろうし、ぼくは感謝しなければならないが……単なる思い込みでそう断言したのだったら、ぼくには迷惑な話なのである。この女には、他人の立場といったものについて、どこかわかっていないところがあるようだ。自己の行動が周囲に及ぼす影響というものを考える感覚が、欠落しているみたいでもある。何となく異邦人めいた感じがするのは、そのせいかも知れない。
待て。
ひょっとすると、このミスナー・ケイは、本当に超能力者なのではないか? そう思えるふしはいくつかある。だが、それなら……ぼくと会話のさいちゅう、ネイト警察官がいいがかりをつけに来るまで気がつかなかったのは変である。それに、警察官にあんな口ぶりで返答すれば相手がかっとなること位、読み取れるはずなのだ。いや……大体が、読心力があるのなら、エレスコブの花の外でぼくを待つ間、ネイト警察官が自分を監視し観察しているのを感知してしかるべきである。だから……やっぱりぼくには、どちらともいえないのだった。
――と、頭の中をそうした想念が走り過ぎて行くのは速かった。とっさに、十数枚の図面がぱらぱらとめくられるように生起し消えて行ったのだけれども……それでも二、三秒は要したようだ。ぼくはいつの間にか、足をとめていた。
「どこか、そのへんの店に入るほうが、いいんじゃないでしょうか?」
ミスナー・ケイがいったのは、そのときである。
「店?」
ぼくは反問した。
「さっきの警察官が、追って来るかもわかりません」
ミスナー・ケイは答え、あまり人けのないその細道の、すこし先にある看板を指さした。
「あそこなら、見つからずに済むと思います。そこでお話ししません?」
「…………」
ぼくは、その看板を眺めた。
貸室館だ。
テーブルと椅子《いす》があるだけの小さな部屋を時間貸しする店だ。商談や小人数の会議にも使われるが、人目を避けたい男女の語らいの場にもなっている。といってもその程度の設備しかないので、そう深いつき合いでもないカップルとか、でなけれは待ち合わせ用として利用されていた。手軽で、そのつもりでやれば他人に顔を見られなくても済むので便利なのだ。ぼくもファイター訓練専門学校時代には、クラスメートたちとのお喋《しゃべ》りや打ち合わせをこういう店でしたことがあるし、ときには酔っ払って床に寝てしまったこともある。が……そういう安直な密室だけに、室内での殺人事件もちょいちょいおこり……イメージは決していいとはいえない。
そこへ、このミスナー・ケイと入るというのは……。
ミスナー・ケイは、さっき口にしたことづけとやらを、ぼくに伝えたいらしいのだ。
こんな状況になっているのに、こういうどうも得体の知れない相手と、貸室館などへもぐり込んでいて、いいものか?
だが。
そのことづけを聞かなければ、あとで気になるのも、ぼくにはわかっていた。いったい誰からの、どういう内容のことづけなのか……まるで予想がつかないだけに、妙に心にひっかかるのである。
それに、こうなってしまった以上、もはやくよくよしたって仕様がないのも事実であった。今更あれこれいっても、どうしようもないのだ。大切なのは、これからどうするかなのである。ぼくは当然ながらきょうの事件を、帰着してからパイナン隊長に報告するつもりであった。そして報告するのなら、中途半端なままで放って帰るより、集められるデータを集めておくべきではないだろうか。ぼくはそう判断したのだ。
そして何よりも、あのネイト警察官が追って来るかも知れないという事情があった。見つかれば即時レーザーガンで射殺されないとも限らない。ぐずぐずしてはいられないのである。すくなくとも路上をうろうろしているより、少しの間どこかへ身をかくすほうが賢明であった。それにはたしかに、貸室館がいいのだ。このあたり、歓楽街の一角だけにこうした貸室館が多い。あの警察官がこのあたりまで来ても、一軒一軒、各室ごとに調べて行かなければならないことになる。ぼくたちの所在をつきとめるのは、そうたやすくはないであろう。
「わかった。そうしよう」
決断を下すと共に、ぼくは先に立って歩きだし、その貸室館に踏み込んだ。
安普請《やすぶしん》の建物の入口にある挿入孔に、硬貨をほうり込む。出て来た鍵《かぎ》を手に、その番号の部屋へと、階段をあがった。
ドアを開いて、中に入る。
四平方メートルあるかなしかの部屋の照明は、結構あかるかった。光の強さを調節するダイヤルも壁にはあるが、ロマンチックな用件で来たのではないからそのままにし、ぼくたちはテーブルをはさんで、腰をおろした。
これでしばらく、あの警察官に発見されるおそれはないであろう。彼がエスパーを連れて来て捜索にかかればあぶないけれども、あの程度の事件で一警察官がネイト警察のエスパーに即時出動を要請出来るとは思えなかった。
「ご迷惑、かけたでしょうか?」
ミスナー・ケイが、小首をかしげていう。
こうして見ると、ミスナー・ケイはなかなか魅力的であった。それに、そんな殊勝ないいかたをしたのも悪い感じではない。しかしぼくの心はまだ本当にやわらぐところまで行っていなかったし、警戒心も残っていた。だから、つとめて無愛想にうながした。
「その、ことづけというのを、聞かせてもらおうか」
「わかりました」
ミスナー・ケイは微笑を消し、居ずまいを正した。「これからお伝えする言葉が誰のものであるかを、あなた自身に知っていただくために……そしてそれが本物であることを証明するために、わたしはその人の話しかたを再現します」
「…………」
ミスナー・ケイは目を閉じ、十秒以上も黙っていた。呼吸をととのえ気をしずめているようであった。
「イシター・ロウ。これからいうことを、心にとめておいて下さいね」
ミスナー・ケイは話しだした。
その瞬間、ぼくは、電撃に打たれたような感覚をおぼえていた。
それは、ミスナー・ケイの声ではなかった。いや、ミスナー・ケイが喋っているのには違いないが、別人のものとしか思えなかったのだ。その声を、その口ぶりを、ぼくは知っていた。それは……シェーラの声であり、シェーラの話しかただったのだ。
ぼくは、相手に問いかけようとする衝動を、かろうじて抑えた。訊きたいことがどっとあふれて来たのだけれども……とにかくまず、おしまいまで聞いてしまわねばならないと思ったのである。
「あなたの内部には、今、エネルギーがどんどんたまっているはずです」
ミスナー・ケイは、シェーラその人の口調でつづけた。「ですから、あなたはもうじきエスパー化するでしょう。追いつめられたとき、爆発するようにそうなるはずです。そのことをおそれないで下さい。そのときには、エスパーになり切ればいいのです。それがあなたの道を開くことになると……そうわたしは信じます。負けないでね、イシター・ロウ」
それだけいうと、ミスナー・ケイは口をつぐんだ。
そして、一拍か二拍置いて目を開き、元のミスナー・ケイの声に戻って、いったのである。
「以上です。わたしがお伝えすべきことは、これだけです」
「きみ」
ぼくは、質問を投げかけようとして、何から先にたずねたらいいか混乱した。
ミスナー・ケイとシェーラは、知り合いなのか? どういう関係なんだ? なぜミスナー・ケイは、シェーラにことづけを頼まれたのだ? 今の喋りかたは何か特別な技術なのか? そしてシェーラは、デヌイベの一員として、何か超能力を持っているのか? 今のは予言なのか? それともただの忠告なのか?――それら、ありとあらゆる疑問が殺到して来たのであった。そして中でも、シェーラはなぜそんな言葉をことづけたのか、何をいいたいのか、ということが、一番強かったのだ。だからぼくは強引に胸中を整理し、それから訊くことにした。
「今聞いたことの意味を、教えてくれないか?」
「わたしは、ことづけを頼まれただけですもの」
ミスナー・ケイは答えた。「ですから……何ともいえません」
「自分で考えろということか?」
「と、思います」
そういうことなら、仕方がない。
シェーラのことづけは、額面通りにとればぼくが近々エスパー化するであろうこと、それはぼくが追いつめられたときにおこるであろうこと、はげしいものになるであろうこと……そしてそのときには、エスパーになり切ればいい――ということであった。不定期エスパーであるぼくは、たしかにいつエスパー化するかわからないのであり、その点でシェーラからの伝言は、不思議でも何でもないのである。従ってこれは予言めいているものの単なる予測でもあり得るのだ。エスパー化時にエスパーになり切れというのは、これは忠告と解してもいいかも知れない。とりあえずはその程度に受けとめて、胸にしまっておくしかなさそうであった。
「でも、なぜそんなことづけを、きみに頼んだのだろう」
ぼくは呟いた。
「あの人の、好意だと思います」
「シェーラの?」
「――シェーラ」
ミスナー・ケイは微妙な表情になった。「ええ、そうです。シェーラの好意で……それにあの人は、あなたの可能性をも見て取っているようですし」
「可能性? 何の可能性を?」
「それは……お話し出来ません」
「きみとシェーラは、どういう関係なんだ?」
ぼくはたずね……たちまち矢つぎ早に問いを発していた。「きみたちは何かの仲間なのか? シェーラはデヌイベの一員になっていたが、きみもそうなのか?」
ミスナー・ケイは首を横に振った。
「それも、お話し出来ません」
「シェーラは、ぼくのエスパー化について語った。なぜそんなにくわしいんだ? この前ぼくは、シェーラの属するデヌイベの一団が、ふつうでは考えられない奇妙な力を発揮するのを見た。シェーラは何かの超能力者なのか? そしてきみも……そうなのか?」
「お話し出来ないんです」
「なぜ?」
「いずれわかるときが来ます。そうなって欲しいと願っています」
ミスナー・ケイはいう。「だけど、今は駄目。今は……お話し出来ないんです」
「…………」
ぼくは質問をやめた。いくらたずねてもミスナー・ケイは、それ以上は喋る気がないようだったのだ。
しかし……ぼくのもろもろの疑念は晴れたわけではない。よけいに謎《なぞ》が増えただけなのである。
「わたしの用は、これで済みました」
やや間をとってから、ミスナー・ケイはぼくを見た。「そろそろここを出たほうがいいんじゃないかしら」
「…………」
そういうことだ。
ミスナー・ケイがもう何も答えてくれないのなら、ここにとどまっている必要はないのである。
それにぼくには、門限というものがあった。
時計に目をやると、午後六時までまだ二時間あまりもある。二時間もあれば、多少街をぶらついてからバスに乗っても、充分余裕を持って帰着できるだろう。が……ぼくはまっすぐ戻るつもりだった。ネイト警察がぼくたちの行方を追っているかも知れないし、警察全体が動いていなくても、あの警察官が捜しているかもわからないのだ。早くこのミスナー・ケイと別れて帰途につくのが無難というものであった。
もっとも、それでもまだ不安はある。あのネイト警察官が、ぼくたちを捜す代りに、エレスコブ家カイヤツ府屋敷の前で待っているということも考えられるのだ。エレスコブ家カイヤツ府屋敷にはいくつも門があるけれども、ぼくたち護衛部の警備隊員が出入りする通用門は決まっている。それをあのネイト警察官が知っているとは思えないが……山を張って待ち伏せすることも、あり得ないとはいえないだろう。もしもむこうのその山が当たったら、ぼくは強行突破するしかないので……先方はレーザーガン、こっちは丸腰だから、やられることも覚悟しなければなるまい。ぼくがエレスコブ家カイヤツ府屋敷の門前でネイト警察官に射殺されたら、門を守っている警備隊員は復讐してくれるだろうか。厄介なことを招きたくはないので、黙って眺めているのだろうか? いや……ぼくが隊長からいい渡されているのは、どんなことがあっても帰ってこいということである。だったら……門のあたりを遠くから窺《うかが》って、待ち伏せされているようだったら、護衛部に連絡し、別の門から入らせてもらうかどうかして、むこうを出しぬけばいいのだ。ぼくのほうは何とかなる。
しかしながら、ぼくはいいとして、このミスナー・ケイはどうなのか、いささか心配にもなった。こんな派手な服を着ていれば、追跡者にたちまち発見されてしまうだろう。他人のことにかまけている場合かといわれそうだし、彼女は彼女でうまくやるのかもわからないが……このまま外へ出てもいいものか、気がかりであった。
「あの警察官が、まだわれわれを捜しているとしたら――」
ぼくがいいかけると、ミスナー・ケイは頷《うなず》いた。
「それが問題ですわね」
それから自分の服に視線を落とした。「この服が目立つことも、わかっています」
「…………」
「ね、イシター・ロウさん」
ミスナー・ケイは、ぼくを正面からみつめた。「これから先……しばらくの間、何も質問しないと約束してくれません?」
「え?」
「あなたは隊に帰らなければならないんでしょう? わたしにも、行かなければならないところがあります。お互い無事にそうするためには……これからわたしのすることに、何も質問しないでいて欲しいんです」
「何か、考えているのか?」
「ええ。でも質問は、なし」
「――わかった」
ぼくは答えた。
何をしようというのか見当もつかないが、そういうことなら、それでもいい。
「じゃ、ちょっとむこうを向いていて下さい」
と、ミスナー・ケイ。「一分もかかりません。あなたには何もしませんから」
「…………」
ぼくは立って壁ぎわへ行き、いう通りにした。よく知らぬ相手に背中を見せるなんて、危険きわまることである。が、ミスナー・ケイは何も武器を持っていないようだし(持っていれば警察官に対して使用したのではあるまいか?)急にぼくのほうへ動いて来たりしたら察知出来る位の自信はあった。いや、本当はそれも弁解である。たとえそうでも警備隊員たるもの、そんな真似はしてはならないのだ。ぼくがミスナー・ケイのいうようにしたのは、やはり、彼女がどうもシェーラと仲間か、でなくても相当知り合った仲らしいということで、だいぶ気を許していたためであろう。考えてみればそのシェーラにしてからが、どうももうひとつ、得体の知れない存在なのである。(そういえばヤスバは手紙に、気をつけろと書いていたではないか)なのにシェーラや、シェーラがらみとなると、こんなにも信用してしまうのは……ぼくはどうかしているのかも知れない。
「はい。もういいです」
声に、ぼくは振り向いた。
濃い紺色の服の女がそこにいた。
あのひらひらも、もうついていない。
ぼくは、目をぱちくりさせた。服が裏返しか何かでそうなるように仕立ててあるのだろうか。おまけに靴の色まで服に合わせた濃紺になっている。よく見ればその靴は、そういう色のオーバーシューズらしいものをかぶせてあるのだった。
ぼくが何かいいかけるのを、ミスナー・ケイは指を唇に当てて制し、ぼくに、すわるように身振りで示した。そして自分も腰をおろすと、両手の指を組み合わせてテーブルに置き……宙を凝視したのである。
彼女の目が、鋭くなり光を帯びるのをぼくは認めた。
「この近くには……いない。いいえ……待って」
ミスナー・ケイは、低い声を出した。
「――居るわ。ここからひとつむこうのブロックを……あの警察官ひとりで……わたしたちを捜しています」
「…………」
ぼくは、ミスナー・ケイを注視した。
ミスナー・ケイは、テレパシーで周囲をさぐっているのか?
彼女は、エスパーなのか?
「歩いています」
ミスナー・ケイはつづけた。「わたしたちの服装の特徴を、通る人にたずねながら、調べています。このあたりを……もう三回も行き来したようです」
「…………」
「あの警察官……ホートラートというのね。ホートラートは……わたしたちを憎んで、意地になっていますわ。でも、上司には報告しなかったみたい。わたしたちをつかまえるか殺すかしてからでなければ、報告は出来ないと考えています。エレスコブ家カイヤツ府屋敷の前へ行こうかとも思ったけれど、へたをするとエレスコブ家の警備隊員と悶着がおこるかも知れないし……そんなことまでしてあなたを捕えられなかったら責任問題になると考えて、やめたようです。それにホートラートはあなたに対してよりも、ずっとわたしを憎んでいて……どうせあなたとわたしはもう別々になったに違いないから、わたしをつかまえるつもりなんですわ。憎んでいるだけじゃなくて……そう、わたしに欲望を感じているんです。憎しみは、その欲望の裏返しなんですね」
「…………」
ぼくは、何もいえなかった。
ミスナー・ケイが読心力を持っているのは、もう疑いようがなかった。それも、なみのエスパーではない。今彼女がいうように、一ブロックも離れた地点の、雑踏の中のひとりの心をそれだけ的確に読み取るというのは……おそるべき能力の所有者でなければならなかった。
だが。
そうなると逆に、ぼくにはふに落ちないのだ。
この貸室館へ入る前にぼくが考えたように、ミスナー・ケイはあの、ネイト警察官とのやりとりでは、どう考えてもエスパーとは思えないのである。あのエレスコブの花のところで、彼女が今のような能力を発揮していれば、ごたごたに巻き込まれることもなかったのだ。
いよいよわからない。
「でも……彼はだいぶ疲れて、半分諦めかけています」
ミスナー・ケイはいう。「これ以上こんなことで時間を空費してはいられないという心境になりはじめていますわ。あと、しばらくしたら、よそへ行ってしまいそうです」
「…………」
「少し待ちましょう」
ミスナー・ケイの語調が変った。表情もやわらかくなっていた。
「――きみ」
ぼくがロを開こうとすると、ミスナー・ケイはかぶりを振った。質問は受けつけないとの意思表示だ。
ぼくたちは、無言のままで、五分間ほどじっとしていた。
「もう一度調べてみます」
ミスナー・ケイはいい、再び視線を虚空に向けてから、警察官はまだうろついている旨を告げた。
「しつこいんだな」
ぼくは鼻を鳴らした。
「わたしたち、ひどくあの男を怒らせたんですね」
ミスナー・ケイは、ひとりごとのように咳いた。「ネイト警察はこういう、挙動不審との名目で人を捕えて軍隊へ送り込むということに、最近、とみに力を入れはじめているようですわね。人間、微罪まで追及されたら全く何も悪いことをしていない者なんて、ほとんどいないから……効果をあげているらしいわ。あのホートラートも、ノルマを与えられて誰かれとなくつかまえているらしいけど……実はあまり好きな仕事ではないようなんです。上がうるさいからやっているわけで、それだけに心が歪んで来て、ちょっとしたことでも逆上するんですわ」
「…………」
「こういう上からのしめつけは……ネイト=カイヤツを力でひとつにまとめて行こうというのは……これから先、もっと強くなるんでしょうね」
ミスナー・ケイはいった。「戦争がしだいに身近になるにつれて……ウス帝国が動きだすことが現実的になるにつれて……いよいよきびしくなるんでしょうね」
「多分ね」
ぼくは返事をした。
多分、そうであろう。
いい気分ではなかった。暗い雲がどんどんひろがって来る感じであった。
さらに十分あまり経って、ミスナー・ケイは、また周囲をさぐった。
「遠くなって行きます」
と、ミスナー・ケイは報告した。「わたしたちのことは、一応諦めたようですわ。もう出ても大丈夫と思います」
「よし」
ぼくは立ちあがった。
ミスナー・ケイも腰をあげる。
ぼくたちは階段を降り、鍵を所定の穴に入れ、標示された超過金を挿入孔に押し込むと、外へ出た。
貸室館の中に居た間に、外の細い道はだいぶ様子が変っていた。日が暮れるにはまだ少し時間があるが、そろそろあちこちの店がライトをともし、歓楽街の雰囲気が作られはじめていたのだ。
そして。
ぼくたちがふたりそろって出た、ちょうどそのとき、左手のほうから三人の男が通りかかったのである。
三人は……サクガイ家の警備隊員であった。上から下まで灰色の、ぴっちりした服をまとい、ひさしが大きく突き出した丸帽子をかぶっている。短銃を腰に吊《つ》っているが、サクガイ家の警備隊員は階級に関係なく、つねに短銃を携行しているのだ。
かれらは、貸室館から出て来たぼくたちを見て取ると、歩行速度を落とした。
「ようよう、これはエレスコブのお若いの」
ひとりがいった。
「貸室館とはまた、お上品なことだな」
別のひとりも声を投げた。
悪いときに悪い相手に出会ったものだ――と、ぼくは思った。
もともとサクガイ家とかマジェ家、ことにネイト=カイヤツ第一の名門であるサクガイ家の警備隊員たちは、他の家の警備隊員を冷然と見くだすところがあり、無関心な態度をとるのがふつうである。いや、ふつうであったというべきだろう。だが近頃は、エレスコブ家がその家格以上の動きを見せはじめているせいで、エレスコブ家の連中に向かってだけは、何だお前たちといいたげな言動をするようになっていた。さらに加えて、サクガイ家やマジェ家が、ネイト=カイヤツの非常体制づくりという旗印のもとにかれらの主導権を確立しようとしているのに対し、エレスコブ家が弱小の家々と手を組んで消極的ながら抵抗の構えを示しているのも、かんにさわっていたに違いない。以前にはわずかながらも存在した警備隊員どうしという一種のつながりの感覚も、完全に消えてしまっていたのである。
そのサクガイ家の連中に、貸室館からふたり連れで出て来たところで出くわすとは……タイミングがまずかった。かれらはぼくとミスナー・ケイの仲を、男と女の関係ととったに違いないし、それがまた本格的な情事の場でなく、学生などがよく行く安っぽい貸室館だったため、子供っぽいことをしていると思われたはずである。嘲弄《ちょうろう》されるにはもってこいの状況なのであった。しかも、ぼくがちらりと見て取ったところでは、三人ともぼくよりだいぶ年長なのにかかわらず、山形の階級章が一本だけの――最下級の隊員だったのである。ベテランといえばベテランだが……大きい組織の下っ端は、その劣等感を自分たちより弱い者に高圧的に向ける傾向があって……かれらもどうやらそのたぐいの、底意地の悪い連中のようであった。
「面白かったかい? え? 何をした?」
ぼくの正面の男がいった。
かれらはいつの間にか足をとめていた。のみならず三人のうちひとりは、ぼくとミスナー・ケイのうしろに廻ったのだ。
「可愛いお嬢さんじゃないか」
正面の、もうひとりの男がにやりとした。
「なあ、お若いの。われわれはあんたにいいがかりをつけているんじゃないんだよ。それはわかってくれよな。われわれは、あんたとこのお嬢さんと一緒に……五人でどこかへ行こうと思うんだがね。たのしもうじゃないか」
「何だったら、あんたひとりは帰ったっていいんだぜ」
背後の男もいった。
「そうそう。われわれのほうがあんたより、もっとすてきな遊び方を知っているからな」
と、正面の男。
ここでかっとなってはいけない……と、ぼくは自分を抑制しつつ、忙しく思案をめぐらせていた。
この連中は、単にぼくたちを笑いものにしようとしているだけだろうか? そうとは思えない。わざわざ立ちどまってぼくたちを取り巻いたのは、ぼくにけんかを売るか、ミスナー・ケイをどこかへ連れて行こうというこんたんであろう。あるいは両方をもくろんでいるのかもわからない。こいつらはそういうことに馴れているみたいでもある。
それにしても、こんな男たちとおもてで出くわすまで、なぜミスナー・ケイが気づかなかったのか、ぼくには不思議だった。こんな連中が通りかかるのを察知して出る時間をずらす位、読心力者には何でもないはずなのである。
とにかく、ここでかれらとたたかうのは無謀であった。しかるべき訓練を受け短銃を持った男を三人同時に相手にして、丸腰のぼくが勝てるわけがないのだ。殺されるのは目に見えている。
くやしいが、あやまってしまうか? いや、それは意味がない。ミスナー・ケイが力ずくで引っ張られて行くのを見ていなければならないばかりか、ぼくと、ぼくの属するエレスコブ家の警備隊員全体が嘲笑の的となるであろう。それ位なら、たたかって死んだほうがいいのだ。
だがぼくは、勝手に死ぬことは許されていない。どんなことがあっても帰隊しなければならぬ身である。
隙を見て、逃走しよう、と、ぼくは思った。この連中を油断させて、ミスナー・ケイと共に逃げ去るしかない。たたかう勇気がなかった腰抜けといわれても、やむを得ない。この連中に笑われ、自分の隊で非難されても、甘受《かんじゅ》しよう。あとで名誉|挽回《ばんかい》の機会を窺う道は残る。むろん逃げてもうしろから撃たれるし、間違えば死ぬかも知れない。が、その危険をかいくぐったということで、詫《わ》びてしまうよりははるかにましなのであった。
ぼくがそう決心し、ミスナー・ケイにこのことを伝えなければ、と、思ったとき、ミスナー・ケイは、ぼくの手を握った。
「おいおいお嬢さん、お熱いことで」
正面の男がいった。
「わたしにまかせて」
ミスナー・ケイはささやいた。「何もいわずに手を挙げて……じっとしていて下さい」
「…………」
「いつまで、ねちねちとやっているんだ?」
正面の、もうひとりの男が、がらりと語気を変えてわめいた。それと共に三人は、ぼくたちのすぐそばへ来た。正面の男は短銃をいつでも抜けるように、手を当てていた。
「早く!」
ミスナー・ケイが、またささやく。
ミスナー・ケイには、何か考えがあるらしい。
それにこの状態では、逃げるとしてもすぐには無理であった。相手を油断させるためにも、彼女のいうようにしたほうがいいであろう。
ぼくは、両手を挙げた。
ミスナー・ケイは、そうしなかった。ふたつの腕をだらんと垂らしたままで、立っている。
「よし、よし。それでいい。素直になればいいんだ」
正面の男があごをしゃくり……あとのふたりが、ミスナー・ケイの腕を両方からとった。
「さ、どこかいいところへ行こうじゃないか」
ひとりがいった。
「いいわよ」
ミスナー・ケイは気軽に応じ、自分から進んで、ふたりの腕に腕をからませた。
ミスナー・ケイの目が鋭くなり、光るように見えた。彼女は男たちにすがるようにして腕に力を入れ……ふたりの男はうつろな表情になったと思うと、地面に膝をついてすわり込んだのだ。
「どうしたの? この人たち」
ミスナー・ケイが、呆然《ぼうぜん》としたようにいった。
「何だお前、何をしたんだ!」
正面にいた男が、短銃を抜いて、すわり込んだ男たちの前に来た。
「おかしいわよ。ほら、見て」
ミスナー・ケイは身をかがめて、近づいた男に振り向き、手を伸ばして、ふたりの男の様子を見せようと引き寄せた。そいつがつられてしゃがもうとしたとき、彼女は相手の手をぐいと握りしめた。
そいつはすっと蒼白《そうはく》になり、ゆっくりと前のめりに倒れて行った。
ミスナー・ケイは立ちあがり、周囲を見渡してから、ぼくにいった。
「誰も見ていなかったわ。よかった。――さあ、逃げましょう」
「…………」
ぼくは動けなかった。すでに手はおろしていたが……眼前でおこった出来事をいまだに信じかねる気分でぼんやりしていたのだ。
これは……超能力なのか?
ミスナー・ケイが、そういう力を使ったのか?
こういうかたちの超能力は……ぼくは知らなかった。エスパーたちの間では認められているのかもわからないが……あるいは可能性位は論じられているのかも知れないが……そうだとしても、ぼく自身は聞いたことがなかったのだ。
「この人たちが気を失っているのは、五分かそこらです。その間に……わたしの車でエレスコブ家のお屋敷まで送ります」
いうと、ミスナー・ケイは、ぼくの手をつかんだ。ぼくはびくっとして、反射的に手を引こうとした。この三人の男のようになってはたまらないと思ったのである。
「いやだわ。あなたにはそんなことはしません」
ミスナー・ケイは笑った。そしてぼくを引っ張るのだ。「そんなことをしたら、あの人にひどい目にあわされます。さ……まっすぐお帰りになるんでしょう? 急がなければ」
それはたしかだった。
門限までに帰着するためには、まだ少しゆとりはある。が、こういう次から次へとトラブルがおこる日には、このあとも、何があるか知れたものではない。ミスナー・ケイの車でまっすぐに帰れるのなら、それは好都合というものだった。
ぼくたちは町を歩き……駐めてあった彼女の黄色い車に乗った。
護衛部の建物に帰着すると、ぼくは、自室へ戻る前に第八隊の事務室に赴いた。パイナン隊長が居るかどうかわからないが、きょうの事件とその後のなりゆきを報告しなければならない。
第八隊の事務室に隊長がいなければ、士官室を覗《のぞ》いてみるつもりであった。
第八隊の事務室のドアをノックする。
「入れ!」
ヤド・パイナンの声がした。
ぼくはドアを開いて……敬礼しながら目を丸くした。あぶなく声を立てるところであった。
事務室には、パイナン隊長と、それにハボニエがいたのである。
そういえば、もうそろそろハボニエが士官となるための標準研修を終えて帰って来るころであった。ここ数日のうちのことではあるまいか、と、ぼくは計算し見当をつけていたのだが……きょうとは知らなかったのだ。不意打ちを食った格好であった。
ハポニエは、白い襟に星をひとつつけ、白柄の剣を吊っていた。士官補の制服姿なのだ。彼が士官になるための標準研修をうまく通過して本物の士官補になったのか、失敗して特務士官補になったのか、制服だけではわからないけれども、ともかく、なかなかよく似合っていた。
ふたりは椅子にすわって、何か話し合っていたようである。
「イシター・ロウ、ただ今戻りました」
ぼくは直立していった。「外出中の出来事について、ご報告しなければならないことがあります」
「また何かやったのか?」
ヤド・パイナンは、いささか皮肉っぽい微笑を浮かべ、すぐに表情を引き緊めると、ぼくをうながした。
「よし。話せ」
それはハボニエがいる前で喋ってよろしいとの意思表示でもある。それも当然だろう。ハボニエはいまや第八隊の副隊長格なのである。
ぼくは話しはじめた。
ヤド・パイナンは鋭い視線を向けながら、ときどき頷《うなず》くだけで、ぼくの報告を無言で聴いていた。ハボニエもこちらをみつめているだけで、話が終るまで一言も口をはさまなかった。
ぼくは、怪しい車がついて来たところからミスナー・ケイの出現、ネイト警察官とのいざこざ、そしてシェーラの伝言、ミスナー・ケイの超能力、サクガイ家の警備隊員とのトラブルとその結果を含め、彼女の車で送られて帰って来たところまで、重要と思われる事柄はすべて洩らさぬように喋ったつもりであった。最初バスに乗ったときの、少年とネイト警察官の騒ぎも話したのだ。そんなことまでいう必要はなかったかも知れないが、そのあとの、ミスナー・ケイがホートラートといったネイト警察官の行動のいわれをあきらかにすることになると考えたからである。
「――ふむ」
ぼくが話し終えると、ヤド・パイナンはそういったまま、しばらく考え込んだ。
やがて顔をあげたヤド・パイナンは、ぼくに、そばにあった椅子に腰をおろすように命じた。
ぼくは従った。
「お前の報告は、かなり重大な問題を、それもひとつではなく、いくつも含んでいる」
ヤド・パイナンはいいだした。「われわれはこの前のカイヤントでの、デヌイベが見せた不思議な能力について、まだろくに何も解明していない。そのデヌイベのひとりだった例のシェーラ、だったかな、あの女と、お前が何度も出会ったというミスナー・ケイがどんな関係にあるのかも、それだけでは何もわからん。ミスナー・ケイがはたしてエスパーなのか、どういうエスパーなのか……何のためにそういう行動をとっているのかも、私にはよくわからない。ひとつひとつがみな謎で、おそらく当分は、はっきりしたことはいえないのだろう。だが……最近のネイト=カイヤツをとりまく環境やその情勢から考えると、お前の見聞きし経験した事柄は、相当大きな問題とかかわりあっているような感じもする。へたに深入りすると、大けがをするかも知れんぞ。大けがで済《す》めばいいが、お前ひとり位は吹っ飛んで、エレスコブ家全体に影響が出て来るかも知れない。まあこれは私の感触に過ぎないが、慎重に行動するようにしたほうがいいだろうな。そして、何かあったら直ちに私に知らせてもらいたい」
「わかりました」
「よろしい、行け」
ヤド・パイナンがいったので、ぼくは席を立って敬礼した。
「ご用がなければ、私も失礼してよろしいでしょうか。久し振りにイシター・ロウと一杯やりたいのです」
ハボニエが、口を出した。
「いいとも」
ヤド・パイナンは答えた。「何なら、今われわれが話していたことの一端を、イシター・ロウにいってやってもいいのではないかな。そうすればイシター・ロウも、きょうのことについて、もう少し考える手がかりをつかむかも知れない」
「そういたします」
ハポニエは腰をあげ、ヤド・パイナンに敬礼をすると、ぼくの肩を叩いて、外へ連れ出した。
「どうだ。元気だったらしいな」
ハボニエはいった。
「そちらも――」
いいかけて、ぼくは相手が士官補なのを思い出し、言葉遣いをあらためた。何といっても士官相手では、これまでのように気楽には行かない。「士官補殿もお元気なようで、うれしいです」
ハボニエは、鼻の頭にしわを寄せた。
「ありがとう」
ハボニエは受けた。「とにかく、飲もうではないか。私の部屋に来て」
「士官補殿の部屋? 食堂ではないのですか?」
ぼくはたずねた。
「士官の仲間入りをしたおかげで、私もあたらしい士官用の部屋をもらったのだ」
ハボニエは、真面目《まじめ》に返事をした。「士官は自室で酒を飲むことも許されている。そこでなら、水入らずで話せるだろう」
「そういうことでしたら、お供します」
「よろしい。ついて来い」
ハボニエは歩きはじめ、ぼくはうしろについて行った。
ハボニエのあたらしい部屋は三階にあり、ぼくの部屋などよりはだいぶ大きかった。ぼくを中へ案内したハボニエは、うしろ手でドアをしめると、いった。
「イシター・ロウ、お前、ペランソを飲むか? ここにはペランソがあるんだ」
「それは有難いです。いただきます」
ぼくは答えた。
「やめろやめろ」
ハボニエは大声で笑いだした。「全く……肩がこってかなわんよ。そんないいかたはもうやめてくれ!」
「…………」
「はたに誰かいるときは、士官補と正規隊員だから仕様がないが……ここはおれの個室だぜ! ここではこれまで通りで行こうや!」
「――わかった」
ぼくは、肩の力を抜いた。
ハポニエはぼくを三点セットのソファにすわらせ、自分でペランソの瓶《びん》とグラスを持って来た。
「とりあえずは、乾杯《かんぱい》」
ふたつのグラスにペランソを満たすと、ハボニエは自分のを持ちあげた。
「乾杯」
ぼくも同じようにして、唱和した。
「その制服、よく似合うよ」
ぼくはいった。
「ああこれか」
ハボニエは自分の服を見やった。「いや、こいつをいただくために、全くひどい目に遭ったな。実習だテストだと……ずいぶんしぼりやがった」
「それで……うまく行ったのか?」
「ああ。どうやら」
ハボニエはペランソを啜《すす》った。「何とか合格して……ありきたりの士官補にしていただいたよ。おれは特務士官補でもいいが、パイナン隊長はそうは考えなかったようで……仕様がないから頑張ったさ」
「それはよかった」
「何。それだけこれからは窮屈になるに決まっているんだ」
ハボニエは首を振り、またペランソを飲んだ。「いや……うまいな。研修中はそんなわけで禁酒していたから……生き返ったような気がするな」
ぼくも飲んだ。
ペランソは強い酒である。さめるのがきわめて早いからそのつもりで飲むのだが……酔いがみるみる廻って来るのであった。
「ところで、さっき隊長がいっていたのは何だ?」
ぼくは訊いた。
「隊長がいっていたこと?」
ハボニエは自分のグラスにまたペランソを満たした。「ああ、あれか。最近の情勢という奴だな」
「隊長はそういっていたようだ」
「飲みながらこんなことをいっていていいのかどうか、おれにはわからんが」
ハボニエはいいだした。「どうやらエレスコブ家は、のるかそるかの大勝負に出そうだぜ」
「大勝負?」
ぼくは、眉をひそめた。
エレスコブ家は、今のままでも結構むつかしい立場にある。かなり冒険もしている。
それを……まだこの上、勝負だと?
「うん。連邦登録定期貨客船を作るつもりらしい」
ハボニエは答えた。
「まさか」
ぼくは、ぽかんと口をあけた。
連邦登録定期貨客船?
連邦登録定期貨客船は、文字通り、ネプトーダ連邦に登録された定期貨客船である。連邦内のどこへでも行ける能力と設備を有し、許可された航路を定期的に行き来するのだ。それだけに性能基準もきびしく、うるさかった。ネイト=カイヤツの版図内を飛ぶ宇宙船――カイヤツ・カイヤント間のものはもちろんのこと、カイヤツのあるカイナ星系と五・二光年離れたチェンドリン星系を結ぶ船々と比較しても、格段の差がある。従って建造に巨額の費用がかかるばかりでなく、運航にもそれに見合うだけの収益が見込まれなければならない。大きいネイトは十数隻あるいは二十隻以上の連邦登録定期貨客船を持っているが、ネイト=カイヤツが保有しているのは二隻だった。これはネイト=カイヤツがネプトーダ連邦内にあって、中位の、技術的にも中進のネイトであることの反映といえよう。ネイト=カイヤツにはある程度の技術力も生産力もあるけれども、商業ベースで考えると自前で宇宙船を建造するよりは、より高度の工業水準を持つネイトに発注するか、主要部品を買い入れて組み立てるかするほうが経済的なのである。ことに現在ほとんど全部の宇宙船の駆動装置になっているレンセブラ複合駆動装置は、ネイト=ダンコールとかネイト=ダンラン製に到底|太刀打《たちう》ち出来なくなったため、今ではネイト=カイヤツでは作られていない。そんなわけでどうしても上位ネイトの工業力を活用するほかなく……宇宙船を持つとしても割高になってしまうのだ。もっともそうはいっても、宇宙船をそっくりそのまま買い、保守点検も運航もよその専門家に頼らなければならぬもっと下位のネイトから見れば、まだましかもわからないが……ともかく現有の連邦登録定期貨客船は、二隻であった。また、それでやむを得ないとも考えられていたのだ。ネイトとしての体面上、連邦登録定期貨客船をたくさん保有しているほうが格好はいいだろうけれども、他のネイトの船をいくらでも利用出来るのだし、それにそれらの船の路線間の競争ははげしいのである。無理をしてかえって損になるのでは、意味がないのだった。
他のネイトではどうか知らないが、ネイト=カイヤツの場合、この連邦登録定期貨客船は、所有と管理は別になっている。ネイト=カイヤツの二隻の船――カイヤツTとカイヤツUのいずれもネイトの所有ながら、管理するのはカイヤツTがサクガイ家、カイヤツUがマジェ家であった。というのも、元来この二隻の船は、それぞれサクガイ家とマジェ家が自己の負担で作らせ、ネイトに寄贈したものなのだ。両家はそれをネイトの定めた規程に従って運航し、収益の中から経費と適正利潤≠受け取る仕組みであった。このかたちをとることで、ネイト政府は連邦登録船の所有者という権威と収入を得る一方、両家は運航にさいしてネイト常備軍に護衛してもらえるのである。
だが、こういうことは、サクガイ家とかマジェ家のような力があって、はじめて可能なのであった。
それをエレスコブ家が?
伸張をつづけて来たとはいえ、サクガイ家やマジェ家はおろか、その下のラスクール家やホロ家とさえもやっと対抗出来るかどうかの……格式ではずっと落ちて八位か九位の家であるエレスコブ家がそんなことをするのは……背伸びもいいところではあるまいか?
「――何のために?」
ぼくはやっと訊《き》いた。
「エレスコブ家の地位を高めるため、というところかな」
と、ハボニエ。
「そりゃ名声はあがるだろうよ。連邦登録定期貨客船を持てばね」
ぼくはいった。「しかし、そいつを運航するには、ネイト常備軍の護衛が不可欠だし、そのためには、船をネイト政府に寄贈しなければなるまい」
「当然、そうなるだろうな」
ハボニエは頷き、ペランソを一口飲んだ。
「何のために、そんなことをする?」
ぼくは、たずねずにはいられなかった。
「どこかに丸ごと発注するのか、ネイト=カイヤツで組み立てさせるのか知らないが……おそろしく金がかかるだろう。見えを張るには高過ぎる額だ。エレスコブ家にそんな余裕があるのか?」
「見栄じゃないんだ」
「え?」
「今あるネイト=カイヤツの連邦登録定期貨客船のカイヤツTもカイヤツUも、ネイト=ダンコールとネイト=ダンランを主要寄港先とした、いわばメインルートに就航している。今度エレスコブ家が作る船は、むろんこのふたつの先進大ネイトにも寄るが、弱小ネイトをつなぎ合わせたローカル航路を飛ぶ計画らしい」
「それで……採算がとれるのか?」
「上層部は、かなり期待出来ると踏んでいるようだな」
ハボニエはいう。「というのも、エレスコブ家が現在もっとも稼《かせ》いでいるのは、チェンドリン星系との貿易だ。第三惑星のチェヤントではネイト=カイヤツの版図に入る前から住んでいた連中の反意をなだめ融和させるために、混住形式の都市が次々と建設されているし、第四惑星のチェイノスは新世界への改造の真最中で、そのための機器・資材および人員の供給は、エレスコブ家があらかたやっている。よそが、需給の調整が厄介だからと手を引いたり、硬直した仕事ぶりで平然としている間に、システムを考えこまめに動いて地歩を確立して来たからだそうだが……そのせいで、低開発地域相手の商売は得意だというんだ。今のルートは、それを計算したものらしい。そういう弱小ネイトは、開発待ちの世界や土地をかかえ込んでいるのがふつうだからな」
「皮肉な話だ。エレスコブ家自体が、ハルアテ東南地方のような広い低開発地域をかかえているのに」
「ハルアテ東南地方?」
ハボニエは、なぜか薄笑いを浮かべた。「多分……エレスコブ家は、低開発地域相手の商売はうまくても、自力で開発するのは苦手なんだろうよ。投資はすぐに金になって返って来るわけじゃないしな。――それに、そのハルアテ東南地方のことは忘れろ」
「忘れろ? どうしてだ?」
「売るからさ」
「売る?」
「そうだ。すでにいくつかの家に打診して、売却価格の相談に入っているらしい。あそこを欲しがっている家は、ひとつやふたつじゃないというから……相当な値段になるだろう。そうでもして資金を作らなければ、連邦登録定期貨客船なんて、作れるものか」
「だろうな」
ぼくは、グラスにペランソを注いでもらいながらいった。「しかし……あれだけの土地を売ってまで、海のものとも山のものともわからないネイト間貿易に乗り出すなんて……思い切ったことをするものだな」
「だから、大勝負といっただろう?」
ハボニエは、自分のグラスにもペランソを入れた。「へたをすれば、エレスコブ家の実力は大幅に落ちる。うまく行けば、トップクラスの家にのしあがれる」
「なぜだ?」
ぼくは問うた。「なぜ、今そんなことしなきゃならないんだ? もっと前とかもっと先でなく、今頃そんな勝負をするのは……なぜなんだ? 今は、ウス帝国軍がいつ動き出すかわからない時期なんだぜ。ウス帝国軍が直接連邦に攻めて来るようになったら、ボートリュー卜相手の比じゃないだろう? 連邦間航路もいつ航行不能になるか、わかったものじゃない。それどころかたたかいに巻き込まれて船がやられてしまうかも知れない。いやその前に、ネイト政府に徴発されて、輸送船になってしまうだろう。そんな物騒なときに、どうしてそういうことをするんだ?」
ハボニエは、ぐいとペランソを飲み、空になったグラスを、テーブルにかたんと置いた。それから、みじかく返事したのだ。
「今だからさ」
「何だって?」
「今、勝負に出なければ、エレスコブ家は潰されてしまう」
「…………」
「お前、自分で見聞きしたんだから、非常体制づくりが進んでいるのは、わかっているな?」
ハボニエは、ぼくを見つめた。「もちろんそれは、ウス帝国との全面衝突に備えるためだ。しかしサクガイ家やマジェ家は、これを機に家々の系列化、ひいては合併吸収をもくろんでいる。だから強引に体制づくりを推進しているんだ」
「それは、よくわかっている」
「人狩りまがいの真似をして兵隊集めをやっているのも、その一環だ」
と、ハボニエ。「だが、そんな連中をいくら集めても、大して役に立つまい。実際に戦線に送り出すのかどうか……送り出したとしても、全くの消耗《しょうもう》品扱いだろう。むしろこれは、ぶらぶらしている人間を町から一掃して、誰もかれも戦争のための体制の中に組み込むための示威と見たほうが当たっていると思うが……しかし、もっとちゃんとした、素質があり、一応の訓練を受けた人間も必要だ、との理由で、各家ごとに数を決めて志願兵を割り当てて来たら、どうする?」
「各家に? そんな人間がいるのかね」
「警備隊員がいる」
「何?」
ぼくは、ハボニエを見返した。「警備隊員を……志願させるというのか? そんなことをしたら家の警備は――」
「まあ待て」
ハボニエは、手で制した。「そういう割り当ては、別に警備隊員と明示はされないだろうさ。でも全体のうち何パーセント以上はこれこれこういう資格を有する者と指定されて来たら……それはつまり、警備隊員に該当するようになっていたら……それだけの人数を志願させなければならない。家の責任のもとにね」
「家の警備はどうなる……」
「それは各家で、また募集して訓練するとか、するしかないだろうな」
「そんな馬鹿な。ネイト=カイヤツにはネイト常備軍があるんだぜ。何も家の警備隊員まで引っ張り出さなくとも――」
そこまでいってから、ぼくは、笑いだした。「そんなことは、何も聞いていないぞ。ぼくをおどかすつもりなんだろう?」
ハボニエは、にこりともしなかった。
「やがて、そうなるかも知れないんだ」
ハボニエはいった。
「え?」
「おれは、今回の標準研修でその噂を耳にしたし、パイナン隊長からも教えられたんだ」
と、ハボニエ。「ネイト政府……実質的にはサクガイ家とマジェ家、それにせいぜいラスクール家、ホロ家あたりが動かしているネイト政府は、その計画を進めているという。むろん政府にはエレスコブ家からもおおぜい出向しているが……非常体制づくりの委員会からは外されているのが実情だそうだ。エレスコブ家をはじめ、外された家々やその出向者たちは、あらゆる方法で抵抗しているらしいがね。このまま行くと、そうなるのではないか――と、パイナン隊長も考えている」
「…………」
「ことは、それだけじゃないんだぜ」
ハボニエは首を振った。「これはまだ表面には出ていないので、明確にはいえないそうだが……そうした家々からの志願兵は、ばらばらにしてネイト常備軍に配属させる腹づもりらしい。ただし、サクガイ家とマジェ家、それに一、二の家は別だ。これらはまとめて人数を出したとの口実で、サクガイ家の者ばかりの部隊、マジェ家ばかりの部隊、という風に編成される公算が大きいという」
ぼくはその意味を考え、ついで、ほとんど叫ぶようにいった。
「それじゃ……われわれのほうは、引き抜かれたぶんだけ弱体化するのに、サクガイ家やマジェ家などは、力を温存することになるじゃないか!」
「それが奴らの狙いだろうな。おまけにそうなると、サクガイ家やマジェ家などの部隊は、ネイト常備軍という公的な立場で、ネイト=カイヤツの中を横行《おうこう》するだろうよ」
「…………」
「しかも、この警備隊のことは、ほんの一例に過ぎん」
ハボニエは、しばらく空になったままだった自分のグラスに、またもやペランソを注ぎ入れた。ぼくのにもだ。ぼくはもういいといいかけたけれども、彼はやめなかった。
「このままでは、弱い家々は、いよいよひどいことになるのは、目に見えている」
ハボニエはグラスを持ちあげた。「ことにエレスコブ家は、サクガイ家やマジェ家から目の敵《かたき》にされている。サクガイ家やマジェ家だけじゃない。エレスコブ家より格式が上とされているところは、みな憎んでいるだろうよ。そうなっても仕方がないほどエレスコブ家は勢いを持って来たからな。だが、こういうことがはじまったら、袋叩きだ。どんどん追いつめられて……家そのものが潰滅《かいめつ》してしまうかも知れん」
「…………」
「だから、今、勝負に出なければならないんだ」
と、ハボニエ。「連邦登録定期貨客船を作ってネイト政府に寄贈すれば、家々の中での評価もあがり、家と直接関係のない人たちもエレスコブ家に好感を持つだろう。無理をしてでもネイト=カイヤツに連邦登録船を一隻、増やしたんだからな。この威信は大きいよ。その上、船の運航で利潤があがりだせば、力も大きくなる。サクガイ家やマジェ家では、カイヤツTやカイヤツUの運航で、経費と適正利潤を受け取っているといっているが、莫大な額なんだ。それに匹敵する額が入って来るんだからな」
「…………」
「そして、この連邦登録定期貨客船をエレスコブ家が作ろうとしたら、今しかないんだぜ」
ハボニエはいうのである。「お前、さっきいろいろいっただろう? こんな、いつウス帝国軍が攻めて来るか知れぬときに、とな。航路はいつ航行不能になるかわからんし、戦争でやられるかもわからんし、その前に政府に徴発されるだろう、ともいったな? そうなんだ。そういうときでなければ、エレスコプ家がそんな船を作るのを、どこも黙って見ているものか。どうせ大損をするだろうと思われているから……今ならサクガイ家もマジェ家も妨害しない、そのはずなんだ」
「――なるほど」
それは当たっている、と、ぼくは思った。
「とにかく、手遅れになる前にエレスコブ家は、サクガイ家やマジェ家と肩を並べなきゃならないんだ」
ハボニエは低い声を出しつつ、ペランソを注ぎ足そうとした。手元が動いて少しペランソがこぼれたが、それには構わずにぼくに視線を当てた。「なあ、そうだろう? イシター・ロウ、お前、そう思わないか?」
「そうだ」
ハボニエ以上に酒がまわっているぼくは、頭を大きく振って肯定した。
たしかに、そうなのだろう。
そんな情勢とあれば……生き残るためには……エレスコブ家は、そういう行き方を選ぶしかないであろう。
そして、そのときぼくはふと、酔った意識の中で、エレスコブ家はずっと前から、そうした何らかのチャンスを待っていたのではないか――と考えたのだった。家々の競争の中でたえず少しずつ前に出ながら、一気に飛躍するときを窺っていたのではあるまいか? それは根気よく、かつあらゆる場で準備されていたのかも知れない、と、想像してみれば、エレン・エレスコブのあのカイヤント行きにしたって、カイヤント上の、ネイト=カイヤツ政府と直接結びついていない多くの人々の心を、エレン・エレスコブ、ひいてはエレスコブ家のほうに向け、いざというときそういうムードを利用するための工作だったのかもわからないという気がして来るのである。むろんこれはただの思いつきで、真相はどうなのか、ぼくには何ともいえない。そのほかにも理由があったのかもわからない。が……そうだとしたら、あるいはそれに近いとしたら……エレスコブ家が最終的に目標にしているのは、サクガイ家やマジェ家と肩を並べるにとどまらず、そう、かつてイサス・オーノがいったように、全ネイト=カイヤツの主導権を握ることにあるのではないか?
しかしぼくは、ハボニエがまた喋りだしたので、そんな想念をどこかへ追いやり、相手の顔を見た。
「おれが今度の標準研修で聞き込み、パイナン隊長と話し合っていたのは、そんなところだ」
と、ハボニエは頷いてみせた。「そういうわけで、上等の……値段の高い……連邦登録定期貨客船を作るんだそうだ。そのほかにも船を作ってネイト政府に寄贈し、運航しなきゃならない理由があるのかもわからんが……ま、おれにはそれで充分だ。これはエレスコブ家にとっては大冒険だが……でも、気分はいいじゃないか。あたらしい船は、おそらくカイヤツVと名づけられるんだろうな。サクガイ家のカイヤツT、マジェ家のカイヤツUの次に、エレスコブ家のカイヤツVと来れば……これまでエレスコブ家を見下していた連中も、少しは考えるだろう。そして、へたにエレスコブ家を圧迫したら、あとがこわいと思うだろうよ。いや……これはいささか、楽観的かな」
「…………」
今夜のハポニエは、驚くほどよく喋る――と、ぼくは考えた。酔っているせいもあるだろうが、それだけではなさそうだ。エレスコブ家が連邦登録定期貨客船を作るということで気持ちがたかぶっているのか……あるいはサクガイ家やマジェ家のやり口に腹を立てているのか……そうでなければ研修をうまく乗り越え本物の士官補になったことで精神が高揚しているのか……研修から解放された喜びのせいなのか……ぼくにはわからない。そのうちのひとつやふたつは的中しているのだろうけれども……まあ、どうでもよいことであった。ぼく自身、酔って、足を伸ばし椅子にだらりと背中をあずけていたのである。
「もう一杯、やるか?」
ハボニエがたずねる。
「いや、もう充分だ」
ぼくは答えた。
「おれはもう一杯飲む」
ハボニエはペランソを注いだ。今度はこぼさないように慎重にやったので、時間はかかったものの、無駄は出なかった。
ハボニエはそれを一息で飲み乾し、ちょっと黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「なあ、イシター・ロウ。お前、どう思う?」
「何が」
「エレン様のことさ」
と、ハボニエ。「こういう状況の中で……エレン様はいよいよ重要人物になって行くようだ。それは、うれしいことさ。しかしな……それだけ無理もしなければならないだろうし、命を狙われることも増えるだろう。そうじゃないか?」
「たしかに」
ぼくは肯定した。
「エレン様がこれからもずっとそうだとすると……そのうちに過労で倒れるか……いや、それに近いことは、もう何度もあったんだ。あの人はもともと頑健というほうじゃないらしいし……あまり無茶をしてもらいたくないものだ。そうだろう?」
「そうだ」
ぼくはまた肯定した。
「過労で倒れるなら、まだいいのかも知れん」
ハボニエはつづける。「もしも、取り返しのつかないことがおこったら……と思うと、おれはどうにもやり切れないんだ。おれはあの人を守るためなら、別に命は惜しくない。どうせもっと前に、ヨズナン家の連中に殺されていたはずの身だからな。だが、あの人が殺されるのをこの目では、見たくないんだ」
「…………」
「あの人が家の仕事から身を引いて、外へも出歩かなくなれば、ほっとすることだろうな。もっとも、そうなったらおれたちがあの人を護衛することもなくなるだろうから……これは淋しい。そうじゃないか?」
「そうだ」
「この先、エレン様の身に何が起こるかわかれば、相応の手だてを講じるんだが……」
そこまでいって、ハボニエは気がついたようにぼくを見やった。「おい、イシター・ロウ。お前、エスパーだったな? お前、わからんのか?」
「今はエスパーじゃないよ」
ぼくは答えた。未知予知というのが、ハボニエのいうようなそんな単純なものではないとぼくは知っていたけれども……酔っていて説明するのは面倒だったし、また、説明するような場面でもないので、そう答えたのである。
「お前、さっぱりエスパーにならないじゃないか」
ハボニエは、咎めるような口調になる。「さっきの、隊長のところでの話では、もうじきエスパー化すると予言されたらしいが……いつなんだ?」
「そんなこと、ぼくにわかるものか」
「不便な奴だな」
ハボニエはぶつぶつと呟いた。「なるなら早くなって……エレン様のことを、見てくれたらいいんだ。友達甲斐のない奴だ」
「無理いうなよ」
ぼくも、だいぶろれつが怪しくなっているのを自覚しつつ、いい返した。「それに第一……勤務中にエスパー化したら……隊長にそういって、勤務から抜けなきゃならないんだぜ」
「全く……不便な奴だ」
ハボニエは、のろのろという。「それにしても……だいぶ……酔ったぞ」
「ぼくも……だ」
ぼくは、目の焦点を合わせて、時計を覗いた。
そろそろ、自室に引き揚げたほうが良さそうである。
「帰るよ」
ぼくは宣言し、立ちあがった。一回めは失敗して、二回めに成功した。
「ここで寝てゆくか」
と、ハボニエ。
「そうは……いくまい……。士官補……殿の部屋では……な」
「勝手に……しろ」
「じゃ……帰る。ごちそうさま……でした」
ぼくは、椅子にもたれかかって首を垂《た》れたハボニエに別れを告げ、廊下へ出た。自分の二階の部屋まで戻るのはひと仕事で……いやに距離があった。
ハボニエのエレンに対する危惧《きぐ》は当たった。
といっても、エレン・エレスコブが狙撃されて死ぬとか重傷を負うとかいうような大事件がおこったわけではない。
三週間後、例によって忙しく飛び廻っていたエレンが、過労のため体調を崩して、寝込んでしまったのだ。
さいわい、そんなにひどい症状ではなく、五、六日で全快するだろうということだったけれども、大事をとったのか、そのあとにハードスケジュールを控えていたのか、それとも今後の計画を練っていたのか……エレンは十日ばかり、一歩も外に出なかった。ぼくたちがエレンの部屋の前で立哨《りっしょう》を交代で務めたのも、いつもの通りである。
だが。
その間にも、世間は動いていた。ハボニエとあんな話をしてから……エレンがあちこちと飛び廻り、寝込んでから……次々とあたらしいことがおきていたのである。
ボートリュート共和国が休戦を申し入れて来たというのも、そのひとつだった。
ぼくが聞いたところでは、ボートリュート共和国から使者がネイト=ダンコールにあるネプトーダ連邦の首都ネプトに来て、当分の間、戦闘を停止したいと申し入れたのだという。無益なたたかいをつづけていても仕方がないからというのが、その理由だったらしい。ためにネイト=カイヤツから見て連邦の反対の端にある戦線では交戦が中止されているのだそうだ。
しかし、これはどうも、平和が到来したということではないらしかった。戦闘は停止されたものの、両方の軍隊は対峙《たいじ》したままで、何かのきっかけでいつ戦闘が再開されるかわからない状態のようである。当分の間というあいまいなことだから、そうならざるを得ないのであろう。
それに、ネプトーダ連邦としては、いくら休戦といわれても、気を抜いていられない事情があった。連邦がつかんでいる情報では、ウス帝国の大軍は集結を完了して、いつでも進攻出来るかたちをとっているというのだ。とすれば、休戦などは全くのポーズか時間稼ぎにしか過ぎず、油断をしていると一挙にウス帝国軍とボートリュート共和国軍がなだれ込んで来る可能性がある。そんなことになったらネプトーダ連邦は四分五裂になり、潰滅するに違いない。
だからネイト=カイヤツでも、この休戦のニュースは流されたものの(なまじ伏せておいて、戦争は終ったらしいとの風評が伝えられたりするほうが、危険ともいえる。噂というのは広がるうちにどんどん変化して行くので、こういう噂の場合、人々の内心の希望も手伝って、いくらでも楽天的なものになって行くおそれがある。そうなったら、非常体制も何もないわけだ。ぼくはそう思うし、ネイト政府もそう判断したのだろう。だから公表したのではあるまいか)同時に、ウス帝国軍の動静も報じて、人々の気分がゆるまないように努めていた。非常体制づくりは、これまで通り着々と押し進められていたのである。
そして今では、そういうネイト一丸のための措置は、カイヤツ府のみならずカイヤツ全土に……さらにはネイトの全|版図《はんと》に浸透して行きつつあるようなのだ。
その例として……ぼくは、自滅者狩りがはじまったらしい、と、隊の同僚に教えられた。かれらを片っ端からつかまえて、強制的に籍を作り直し、税を徴収することにしているのだという。それでも逃亡する者があれば、犯罪者として扱う方針だともいう話だった。ぼくがこのことをハボニエに伝えると、ハボニエはもう知っていて、吐き捨てるようにいったのである。
「かれらは、放っておいてやればいいじゃないか。そこまでやる必要があるのか?」
ぼくも同意見である。いくら非常体制とはいえ、あまり徹底してやり過ぎると、反感を買い不穏な空気を作り出すのがおちではないかという気がする。それはまあ、とことんまでやってしまえぱ、反乱はおろか反抗の余地もなくなって、一見すっきりしたかたちになるだろうが……みんなが他人の顔色を窺って、社会の活力がなくなるのではあるまいか。そうしてそうなると、ろくに実力もないのに権威をかさに着た連中が、肩で風を切るようになるのだ。その結果は社会全体の質的低下である。かしこいやりかただとは思えない。思えないが、視野のせまくなった為政者《いせいしゃ》にはそれが見えず、そういうやりかたのほうが押さえつけるには楽なので、ますますエスカレートして行くのだ。ぼくはそう思う。
それに、自滅者たちがそんな目に遭いはじめているとすれば……ぼくはやはり心配になって来るのだった。
デヌイベたちはどうなる?
かれらもまた、自滅者たちと同様の扱いを受けているのだろうか? そして、シェーラもその中にいるのだろうか?
だが、カイヤツとは違う世界の、カイヤツ府では一般的にあまり知られていないデヌイベの噂は、ぼくの耳には届かなかった。そういえば、これはぼくの気のせいかもわからないが、前にはそのつもりになれば割合楽につかみ得たいろんな情報、自分の知りたい事柄が、何となくとらえにくくなった感じがある。それともこれは、ぼく自身の見聞が広まったため、もともとあまり一般的でないことまで自分のものになってしまい、それ以上に突っ込んだ事実を把握するのには努力を要するようになった、と、解するべきなのであろうか?
そうした一方で、ネイトの方針や政策に積極的に協力した人々の表彰、優遇といったニュースが、しばしば報じられるようにもなっていた。一年前には、いや、半年前でもニュースなどにはならなかった話が、もったいをつけて伝えられるのである。
――といった状況、ありていにいえばサクガイ家やマジェ家などのコントロールによるネイト政府の戦争政策の推進に対して、エレスコブ家らの圧迫されて来つつある家々が、何もせずに黙っていたわけではない。そういうことはあまりおもてには出ず、ぼくも同僚から話を聞く程度なので、くわしいことは知らなかったが……ネイト政府内で、あるいは他の分野で、種々の抵抗を示していたようである。それらの抵抗によって事態の進行のスピードが多少は鈍っているのか、それとも何の役にも立たなかったのか……ぼくには何ともいえない。とにかく努力をしているのはたしかなようであった。
そういえば……そうした試みのひとつになるのだろう、エレスコブ家もネイト出向者の数をさらに増やした。その増員の中に、あのトリントス・トリントもまじっていたのである。トリントス・トリントはネイト政府の外交部門の、渉外か何かの局の次長として出向したのだ。そして、トリントス・トリントにくっついて回っているという内部ファミリーのハイトー・ゼスという男も、その下僚として出て行ったという。が、まあ、これはぼくにとって多少(それも心理的に)つながりがあるというものの、世間全般とはあまり関係のないことだ。
こういう情勢の中で、エレンが寝込むまだかなり前に、エレスコブ家の連邦登録定期貨客船の計画は政府から発表された。そしてそのことでエレスコブ家もまた、世の中のあわただしさの増大の一翼を担うことになったのである。
計画を発表する以上、その前段階として必要なハルアテ東南地方の売却は、当然、話がついていた。もっともぼくはそのことに直接タッチ出来る立場ではないから、エレスコブ家内の告示を見、ヤド・パイナンとハボニエから聞いたに過ぎないが……広大なハルアテ東南地方は、大きな部分と小さな部分に分割され、大きな部分をマジェ家が、小さな部分はさらに三つに分けて、ホロ家、イトスーズ家、ミナ家が買い取ったのだ。
船そのものは、あまりのんびりしていられない時期でもあり、性能に確実性を期さなければならなかったせいであろう、ネイト=カイヤツで組み立てたりはしないで、ネイト=ダンコールに発注した完成品を引き取るかたちになった。それも、はじめから設計し建造するのではなく、ネイト=ダンコールが自ネイトのものにする予定で建造中のものを、途中で少し仕様を変えてもらって買うことにしたのだそうだ。こういうことから考えると、ぼくがハボニエからエレスコブ家の連邦登録定期貨客船の話を聞いたのは最近でも、商談はもっと以前から行なわれていたと見るのが正しいだろう。そして、ネイト=ダンコールが作りかけの船を譲るのに同意したのは、昨今の、いつウス帝国が進攻して来て商業航路が航行不能になるかわからない――という状況のせいに違いない。その船はもっぱら貿易用に設計されたのであり、とても軍用に転用はきかない。輸送船としてなら活用出来るだろうが、ネイト=ダンコールの建造能力からすれば、そんな中途半端なことをせずに、輸送船なら輸送船の仕様の規格化されたものを、いくつもまとめて建造すればいいのだ。その位の力を持っている、ネプトーダ連邦随一のネイトなのである。貿易船だってすでに多数保有しているから、一隻位、高値でなら譲ってもいいということだったのではないだろうか。
このエレスコブ家の計画は、所定の手続きであるネイト政府の認可と議会の承認を経てから発表された。妨害や異議申立てもそれほどなかったようである。この点、ハボニエのいったことは当たっていた。こんな時期なので、どうせエレスコブ家は大損するに違いないとの観測が優勢だったから、すんなりと通ったのだ。サクガイ家やマジェ家は、これでエレスコブ家は致命的な損害をこうむるだろうと読み、黙って見ていたのに違いない。ただ、エレスコブ家のこの計画を決してこころよく思っていない証拠には、船名はエレスコブ家の提出したものを否定し、変更させられている。エレスコブ家は当初、あたらしい連邦登録(この登録はむろんまだ予定だ)定期貨客船を、新カイヤツとしようとしたが、結局はカイヤツVに落ち着いたのだ。これはサクガイ家とマジェ家の面子の意識のなせるわざであろう。カイヤツTとカイヤツUがあって、そのあと新カイヤツが来るのでは、これまでの船が旧型であり、ふたつ合わせて新カイヤツと対比されることになる。そういう印象はまぬがれがたい。カイヤツVなら、TとUのあとという従属的なイメージがあるのだ。本当ならサクガイ家もマジェ家も、Vどころではなく、Zとか\とかにさせたかったのであろうけれども、さすがにそんな理の通らぬことはいえなかったのではあるまいか。TとUの次は、Vにするしかないのである。さらにまた政府は、このカイヤツVについても、カイヤツT、カイヤツUと同様、入手後はネイト政府に寄贈するということで、この計画を認可したのだ。その代り運航にともなう経費と適正利潤はエレスコブ家に支払われるし、航行にはネイト常備軍が同行することも、既存の二隻と同じであった。うがった見方をすれば、サクガイ家やマジェ家のような力のないエレスコブ家が、自家の力量に比してはるかに大きな負担で連邦登録定期貨客船を作ろうとも、その航路の採算性が他の船の航路より低かろうとも、前例をこえて優遇するわけには行かぬ、との態度だともいえよう。
こうした、家々の心底とはうらはらに、政府はエレスコブ家の計画を、称揚《しょうよう》すべきものとして発表した。ネイト=カイヤツはこれで三隻の連邦登録定期貨客船を持つことになるので、これはエレスコブ家の愛国心の発露《はつろ》であるというわけである。エレスコブ家の計画を認めた以上は、それもまた現今の非常体制づくりのうちに取り込もう、活用しようとしたのだ。
反応は大きかった。
家々に関係のない人々は、ネイト=カイヤツがもう一隻連邦登録定期貨客船を持つことになるのを、素直に歓迎した。多くのマスコミ媒体《ばいたい》も、エレスコブ家の大英断と持ちあげた。格式ではだいぶ下のほうになるエレスコブ家が、サクガイ家やマジェ家にしか出来なかったそんなことをやろうとするのは、驚異と映ったのであろう。あらためて現在のエレスコブ家の勢いの伸びを認識する者が大勢いたに違いない。この点、エレスコブ家のもくろみの一端は、早くも現実となって来たといえる。
とはいうものの、必ずしも称賛の声ばかりではなかった。これはエレスコブ家の分をわきまえぬ背伸びではないか、とか、はたして本当に実現するのか、計画だけではないのか、という非難や心配があちこちで生れ、そのカイヤツVが航行する航路は採算がとれるのかとの懸念《けねん》を表明する者もあった。
が、概して、世間一般は、エレスコブ家のこの計画に対して、好意と期待の目を向けたといえる。
家々のほうは、予期されたことながら、そうは行かなかった。
反応の型は、三つに分けられる。
サクガイ家、マジェ家の、すでに連邦登録定期貨客船を作って政府に寄贈し運航管理にあたっている二家は、後発のエレスコブ家に対して、無視し見くだそうとする態度をとっていた。個々の、ことに警備隊員などは面とむかえば侮辱的言辞を弄したり、ののしったりするけれども、家全体としては、エレスコブ家などと同一に論じてもらいたくないといいたげな姿勢で、終始一貫していたのだ。
エレスコブ家よりは力も格も下の弱小の家々や、本来エレスコブ家と並ぶ程度の格であるが、今では対抗しても仕方がないと割り切っている家々は、これまでよりもさらにエレスコブ家を立てるようになって来た。以前からエレスコブ家が弱小の家々と組んでそのリーダー格であったこともあって、かれらは(それはもちろん内心では、おだやかではなかっただろうけれども)羨望《せんぼう》の目を向け、敬意を示すようになった。一部にはエレスコブ家を格式以上に待遇しようとする家さえ出て来たという。
このふたつは、そういうところで、それでいいのだ。エレスコブ家としても、個々のぼくたちとしても、それを心にとめて注意していればよかった。何かのはずみ――前にぼくがミスナー・ケイと一緒に貸室館を出たとたん、サクガイ家の最下級の柄の悪い警備隊員と出くわす、というような、タイミングのよくないへまな真似をしなければ、トラブルは避けられるはずなのだ。
厄介なのは、格式はエレスコブ家よりも上位だが、力で追い抜かれた……そしてそのことで従来から根に持って敵意を見せるのがつねだった家々であった。公式的な家の態度としては、それでもまだ以前にはエレスコブ家に対して儀礼を守っていたのが、船の計画発表後……いや、政府部内で計画の検討がはじまったころから、はっきりと敵としての姿勢を見せはじめたのである。ぼくはエレスコブ家の計画がネイト政府の認可と議会の承認を経て、そこには妨害や異議申立てはそれほどなかった、と、いった。それはサクガイ家やマジェ家からの工作――やらせるだけやらせればいいのだ、エレスコブ家はこれで致命的な大けがをする、とのささやきを受けて、実質的な妨害や異議申立てはしなかったという意味なのであり、野次《やじ》や罵言《ばげん》は相当なものだったという。そんな公的な場でもそうなのだから、私的な場での個々人の態度となると……ことに、計画発表以降、家に関係のない人々が歓迎の意を表し、エレスコブ家の人気がそうした人たちの間で高まってからというものは道で出会っても、喧嘩《けんか》を売って来るようになったのだ。事実、それでエレスコブ家の人間は、制服姿でひとりのんきにカイヤツ府の町をぶらぶら歩くなどというのは、危険になって来たのである。いつそうした家の、ことに警備隊員に喧嘩を吹っかけられ、命のやりとりをしなければならなくなるか、わからないからだ。かれらにしてみれば、腹立ちをぶつけずにはいられないのであって、はじめから殺しに来るのではないだろうけれども、そして、そんな決闘まがいの真似は私的な喧嘩に過ぎないから、ネイト警察官にみつかれば両方共(警察官のほうが優勢なら、である)ひっくくられることになるのだけれども……こっちが気をつけなければならないのはたしかであった。
しかし。
こうしたもろもろの状況や人々の反応のすべてを、ぼくがずっと把握しつづけていたわけではない。エレンが寝込んでからの十日間は、ぼくたちは外で護衛することもなく、ぼく個人にも上陸非番は与えられなかったので、その間に外の様子がどう推移して行っているか、外出した人間に聞くしかなかったのである。ぼくはずっとエレスコブ家カイヤツ府屋敷のうちにあって、立哨勤務をし、護衛部で寝起きしていたのだ。そういえば、カイヤツ府にタブト戦闘興行団が来るらしい、との話も聞いた。タブト戦闘興行団には、まだイサス・オーノはいるのだろうか、いるとしたらすっかり大スターになっているのではあるまいか……。また会ってみたいものだとも思ったが、せんないことであった。上陸非番はまだ当分与えられそうもないし、上陸非番になったところで、こんな状況では、のんきに戦闘興行を見物していたりすると、たちまちどこかの家の警備員に喧嘩を売られるであろう。そのうちいつか、イサス・オーノと話し合うチャンスがあるかも知れない、と自分に呟くしかなかった。
そして……シェーラの予言(?)にもかかわらず、ぼくはずっと、エスパー化はしなかった。
よく晴れた早朝。
ぼくたち第八隊は、エレン・エレスコブを護衛して、エレスコブ家カイヤツ府屋敷を出た。
エレンが回復して、また動きだしたのである。それもエレンらしく、早朝からであった。
ぼくたちは、エレンの乗った車と、もう一台に分乗し、中央公園の近くにあるカイヤツ府中央ホテルへと向かった。エレンはきょう、議会に出席するはずだが、その前に、ネイト=ダンコールから来た客人と会うのだ。客人というのは、ネイト=ダンコールの宙輸公団の理事だという。とすればどうやらエレスコブ家が発注した連邦登録定期貨客船の件で話し合うのだろうが……それ以上のことは、ぼくは知らなかった。
早朝の、まだがらがらの道を、ぼくたちの車はスムーズに走った。
ぼくは、エレンとは別の車だった。第八隊が五名になったあと補充の隊員候補も決まっておらず、ぼく自身が一人前の隊員として扱われるようになってからは、ぼくもときどきエレンと同じ車に乗ることがあるようになっていた。といってもエレンや、エレンに随行の要人があるときはエレンとそうした人々は後部の防護されたシートにすわり、ぼくは助手席にパイナン隊長と並ぶのだけれども……それでも別の車に乗っているときよりは緊張するのがつねであった。
その日は別の車だった。しかもハポニエと一緒だから、馴れたかたちである。
開いた窓から吹き込んで来る風は、気持ちがよかった。ぼくにとってもこれは、十日ぶりの外出なのである。日光がきらきらしているのもうれしい感じであった。
二台の車は、何ということもなく、中央公園のわきを通過し、カイヤツ府中央ホテルへと走る。
中央公園のはずれの広場を通りかかったとき、ぼくは、おやと思った。
広場に、半円形の仮設スタンドが組みあげられていたのだ。
「あれは、戦闘興行をやるんじゃないか?」
ハボニエがいった。
「多分」
ぼくは答えた。たしかにそれは戦闘興行用の仮設スタンドのようである。ただ、まだ全部は組みあがっておらず、柵とかテントもまばらであった。準備中なのだ。
それが戦闘興行用の施設だとしたら……ひょっとすると、タブト戦闘興行団が、ここで興行をやるのではあるまいか? ぼくはそれがタブト戦闘興行団かどうか見定めようとしたが……車はすぐにその前を過ぎ、仮設スタンドは視野から消えてしまった。
「今どき、こんな状況のカイヤツ府で戦闘興行をやって、客が来るのかな」
ハボニエがいったが……それは別に返事を期待した言葉ではなかったようである。ぼくにもどうかわからなかった。それでもぼくは返事の代りに、首を傾けて見せた。
ハボニエとぼくのやりとりはそれだけで……二台の車は、カイヤツ府中央ホテルのポーチへすぺり込む。
そんな早い時刻ではあったが、ホテルのロビーには結構人が多かった。荷物も寄せられている。到着した客や出発待ちの客がすわったり、行き来したりしているのだ。そしてその間を、ネイト警察官が巡視して、警戒にあたっていた。このカイヤツ府中央ホテルは、家々が出資しているものの、ネイト=カイヤツ政府が運営しているのである。
ぼくたちはエレンを周囲から固めてロビーを横切り、フロントに行った。会議のための部屋の用意は出来ているという。部屋へ行くと、相手はもう待っていた。
部屋の中でどんな話し合いが行なわれたのか、ぼくにはわからなかった。室内に入って壁側に佇立《ちょりつ》したのはパイナン隊長とハボニエだけで、ぼくを含めたあとの三人は、ドアの前で立哨を務めたのである。
会談は意外に長く、一時間半にも及んだ。
部屋を出て来たエレンと相手は、疲れた表情ながら愛想良く挨拶をかわし……ぼくたちはまたエレンのまわりを固めて、ホテルを出た。
車に乗る。
時間が経ったせいで、道は混雑しはじめていた。ホテルをあとにしたぼくたちの車は、中央公園のはずれのあの仮設スタンドのすぐ前で、だいぶ長い間停車しなければならなかった。待っているうちに、横にいた大型の車の窓から、しきりにこちらを眺めている者があるのに気づいたが……こっちがそうと認めるや否や、むこうは窓を閉じてしまったのだ。
やがて、車は動き出した。
ところが……さきほど横にいた車が、強引に寄って来て、先行していたエレンの車にぶつかったのだ。いや、故意にぶつけたというべきであろう。
エレンを乗せた車はそのまま走りつづけようとする。ふつうなら事故がおきたら両方の車は道路わきに車をつけて、話し合うものだが……相手が故意にぶつけて来たというのは、それだけの底意があったわけであり……パイナン隊長かあるいはエレン自身が、そのまま行けと命じたのであろう。
だが、その車のいやがらせは、それだけでは済まなかった。
中央公園の通りへ来たとき、その車はエレンの車を追い越し、斜めに前方から入って来て、道をふさいだのである。
エレンの車は道路ぎわへ寄って、それをすり抜けようとした。
その車はさらに露骨にハンドルを切り、エレンの前に、横を見せて停止したのだ。
エレンの車もとまった。とまらざるを得なかったのだ。
後続のぼくたちの車は、そのすぐうしろで停車した。
と。
今、道をふさいだ車とは別に、もう一台のやはり大型車が、エレンの車の横に来てとまったのである。
こうなれば、もう相手にしないわけには行かない。
ぼくとハポニエは目くばせを交わし、車から飛び降りた。助手席にいたもうひとりの隊員も同じだ。
すでにその時には、エレンの車からも、パイナン隊長ともうひとりの隊員、それにエレンが、道路に出ていた。
行く手をさえぎった車と、エレンの車の横に来た車のドアが開いた。
出てきたのは、二台で合わせて七名の男である。
かれらは、ラスクール家の制服をまとっていた。ラスクール家の警備隊員なのだ。いや……ひとりは警備隊員ではない。かれらの一番うしろに立って腕組みをしているのは、ずっと上級の、どう見ても内部ファミリーかそれ以上の身分の人間のようであった。
そして、その男を除く六名は、たちまち長剣を抜いたのである。
もちろんぼくは、ぼんやりと突っ立ってそれを跳めていたのではない。
ぼくたちは動き――ほとんど自動的に、エレンを守って半円形の防護陣を組みあげたのだ。
パイナン隊長を除いて、ぼくたちは剣を抜き放っていた。
厳密にいえば、これは早まった行為である。相手にどう対応するかは隊長のヤド・パイナンか、エレンにその気があればエレンが決めることであって、ぼくたちは何の命令も受けていなかったのだ。命令があってはじめて抜剣すべきだったであろう。だが、先方は抜き身を手にしており、ぼくたちとの距離は五メートルかそこらしかないのだった。一気に間合いをつめて打ちかかられれば、後手をとるのである。ぼくたちの任務はエレン・エレスコブを守ることであって、そのためには形式にこだわってはいられなかった。あとで咎めを受けようとも、それはそのときの話である。ぼくたちはその場の状況に応じて、とるべき態度をとったに過ぎない。
そしてそのことは、パイナン隊長にもよくわかっていたのだ。ヤド・パイナンは自分も同じように、しかしゆっくりと剣を抜いて……切っ先を下に向けたまま一歩出ると、静かに相手に声を投げたのである。
「ラスクール家の方々とお見受けするが、何かご用か」
返事はなかった。
かれらはいつでも攻撃に出られる態勢で、剣をこちらへ構えている。というよりぼくの目には、かれらが、ぼくたちのチームワークのとれた素早い反応と、隊長の和戦いずれでも受けて立とうという柔軟な出方に、一瞬気をのまれたように映じたのだ。
その相手のとっさのためらいのうちに、ぼくはかれらを観察し――おやと思った。
かれらは、銃を持っていなかったのである。
銃といっても、むろんレーザーガンのことではない。ネイト=カイヤツの首都のこのカイヤツ府内では、いわば私兵である家々の警備隊員がレーザーを持ち歩くのは不穏当とされているから、所持していないのが当然である。(その点はぼくらも同様だ)が……短銃となると話は別だった。ラスクール家の警備隊員たちは、剣以外に短銃を携行していることも多い。どういう規準で持ったり持たなかったりするのか、よその家の事情にくわしくないぼくには、はっきりしたことはいえないけれども、ぼくの印象では、階級差によってではなく、家としての公務に従事しているか否かによって区別しているような感じであった。この推測が当たっているとすれば、目の前のかれらは公務中ではなく、非番か何かの身ということになる。非番で外へ出て……たまたま憎むべきエレスコブ家の連中を見掛けたものだから、車を寄せて喧嘩を吹っかけたのかも知れない。
だが、こっちは、カイヤツ府内でエレン・エレスコブを護衛するさいの標準的な装備なのである。剣と短銃の両方を所持しているのだ。
そんなぼくたちに、長剣とはいえ剣だけで挑戦するとは、どういうつもりだ? 無謀きわまる話ではないか。
かれらは、ぼくたちが短銃を携行しているのに気づかなかったのか? 気づいていたとしても、銃は使わないだろうとたかをくくっているのか?
しかしながら、ぼくの思考はそこまでであった。
「ご用がなければ、道をあけてもらおう」
ヤド・パイナンがおだやかにいったのに対し、相手のひとりがわめいたのだ。
「ネイト=カイヤツの面汚し! 思いあがりの腰抜けども! 使えもしない剣はさっさと引っ込めて、われわれに土下座しろ!」
「急いでいるんだ。道をあけてもらおう」
ヤド・パイナンは挑発に乗らず、繰り返した。
「あけてもらいたかったら、自分の腕であけろ!」
そいつは、またどなった。「その剣は、見せびらかすだけか? 使えないのか? 使えないんだったら捨てて、その場にすわれ! 手をついて頭をさげろ! エレスコブ家にはそれがお似合いなんだ! 土下座しろ!」
「残念ながら、仰せには従いかねるな」
ヤド・パイナンは答える。
そいつは、ちらりと後方の、腕組みをしている男に目を向けた。
身分の高そうなその男は、無表情に頷いてみせた。
次の瞬間、そいつはぼくたちに向き直ると叫んだのだ。
「前へ!」
そいつをも含めて、六名のラスクール家の警備隊員たちは、どっと進んで来た。問答無用の攻撃であった。
ヤド・パイナンがその先頭の隊員と刃を交えながら後退し――ぼくたちの防護陣の線に入った。エレンを守る半円形の陣を保持して、ぼくたちは迎え撃った。すでにぼくの前にもひとりがおり……ぼくは相手の攻めを外して突きを入れ、さらに追って打ち込むと元の線に戻るということをはじめていた。
六人と五人の剣の攻防である。先方の内部ファミリーかそれ以上の身分らしい男は、元の場所にたたずんで見ているだけであり、エレンもまた守られるべき対象として、ぼくたちのうしろにいたのだ。
ぼくたちは短銃を持っていたが、使わなかった。考えようによれば、これは奇妙なことかもわからない。戦闘であるからには、ぼくらは自分の所持する、より強力な武器である短銃を使用しても、いっこうに構わないはずである。いや、戦闘とあればそれが正しいやりかたというべきであろう。かつてヤド・パイナンがぼくにいった通り、警備隊員というのは見方によっては一種の殺人機械であり、殺人機械が武器を携行していて使用するのが有利となれば、ためらいなく使用するのが当然で……おのれを殺そうとした敵を殺せる機会には、容赦《ようしゃ》なく殺さなければならないのである。なまじ情けをかけたためにこちらがやられてしまうこともすくなくないのだ。勝つことがすべてであるとするならば、そのために手段は選んでいられないわけである。まして今は、エレン・エレスコブの身の安全という至上命題があるときなのだ。短銃で相手を撃ち倒すのが、もっとも手っとり早い、確実なやりかただった。
だがそれは理屈である。それも一面のみの理屈である。ぼくたちにはそんなことは出来なかったし、それが許される状況でもなかったのだ。
相手は、剣でぼくたちに挑戦して来たのである。そしてぼくたちもまた剣を持っていた以上、剣で受けざるを得なかったのだ。短銃を携行していたとしても、まずは剣を使うのが、ぼくたちにとって常識であり当然の感覚なのであった。ぼくたちに限らず一応他人に認められる立場にあり自尊心のある人間なら、誰だってそうしたに違いない。
そしてそのことは、当事者以外の人々にとっても同様だったはずである。すでにぼくたちの周囲には何台もの車がとまり、道行く人たちも足をとめて、こっちを眺めていた。かれら野次馬もまた……いや、野次馬のほうが当事者よりもずっと、フェアかそうでないかにはうるさいものなのだ。そんな群集の前で汚い真似をすれば、エレスコブ家の警備隊員、ひいてはエレスコブ家全体に対して、よくない評判が立つはずである。そんなことになってはならない。ことに今の時期にそんなことになるのはまずいのであった。ぼくたちはとっさにそこまで考察したわけではなく、自分の自然な感情と習慣で行動したのだけれども、客観的にそういうことになるであろう。
さらに、ぼくたちは、自己の内部のモラル、自己の名誉心に従ったそれ以上に、自分らが今護衛しているのがエレン・エレスコブであるということを、強く意識していた。ぼくたちのたたかいぶりがエレン本人に対する評価に大きく影響するであろうことは、否定出来ないのだ。エレン・エレスコブはあんな汚い連中を護衛員にしていたのか、といわれることだけは、どんなことがあっても避けなければならないのであった。
そう。
もしもぼくたちが短銃を使うとすれば、それは剣では対抗し得なくなったときに限られるのである。ぼくたちが敗れ、傷ついて剣ではもうどうしようもなくなったら、エレンを守るために短銃を使わなければならないであろう。それは剣でのやりとりとは別種の、別のかたちのたたかいである。そうなれば……いやそんなことは、今はまだ考える段階ではないのだ。
ぼくたちは陣形を崩さないようにしながら、前進と後退を繰り返した。陽をきらめかせつつ刃と刃を打ち合わせ、自分の刃を相手の刃にすべらせて音を立て、巻きあげてはまた打ちおろすのだ。
はた目には、だからこの攻防は、整然と秩序のとれた――試合のように見えたかも知れない。
が……実際はそんなものではなかったのだ。これは本物の斬《き》り合いであり、それもきわめて危険な、高度の技術を駆使した斬り合いであった。ぼくたち第八隊のメンバーには未熟な腕の者はひとりもおらず、それがまた実戦で鍛えられているのもたしかだが……敵もまた同じ位の腕達者ぞろいだったのだ。突きも外しも踏み込みも後退も、熟練と腕力を必要とする集団戦で……素人や初心者がまじっていたら、あっという間に殺されるか、傷つけられて倒れるかしたに違いない。ぼくたちが何とか攻防を持続出来たのは、身につけた剣技を全力でふるっていたおかげである。それでも敵味方のうちには、かすり傷を負う者が出て来た。だが誰ひとりとしてひるむ者もなく、戦闘を継続するのだ。ぼく自身も知らぬうちに汗がにじみ出て来て、ときおり剣を握っていないほうの手で、額を拭わなければならなかった。
ぼくの眼前にはひとりがおり、その横にいるのもときどきこっちへ打ちかかって来る。それを相手にするのが精一杯であった。息が少し乱れはじめているのではないか、と、ぼくは思った。
そのふたりが、同時に突っかかって来た。ぼくは防戦の刃をふるいつつ、一歩、二歩とさがった。やられるという意識が、脳裏をかすめた。
ぼくの左にいたハボニエが、自分の剣をはねあげて後退させ、右の、ぼくの相手のほうへはげしい気合いと共に白刃《はくじん》をひらめかせて踏み出して行ったのは、そのときである。ぼくはほっと息をととのえ、ちらっと背後を見るゆとりを得た。
そのぼくの視野に入ったのは、ぼくたちの防護陣のうしろで、バッグから出したらしい小型の短銃を手に、冷静にたたずんでいるエレンの姿である。エレンは落ち着き払っていた。自分の護衛員たちが自分を守り抜くであろうことを、微塵《みじん》も疑っていないような表情であった。
だがそれもいってみれば、ぼくの眼底に焼きつき固定した一枚の写真だ。一瞥による静止像を頭の中にとどめたきりで、ぼくは時をおかず戦列に復帰し、前にも増して激烈なたたかいを再開していた。
ぼくたちを遠巻きにした人々は、奇妙なほど静かであった。声を投げて来る者もいないようだったのだ。なぜだかぼくにはわからない。よそ目には試合のようでもそこにくりひろげられているのが真剣な激闘であることを、かれらが感知したのか……中央公園の横というような場所柄、そして午前というような時間のせいで、このたたかいをショーのような気分で見物する人間はいなかったのか……家どうしの争いに眉《まゆ》をひそめていた人々が大半だったのか……。それとも何か野次が飛んだりしたかも知れないが、ぼくが聞かなかっただけなのかもわからない。ぼくには野次馬を眺めたり気にしたりしている余裕はなかったのである。あるいはぼくがそんな風に感じたのは、見ている人の数がそれほど多くなかったためだろうか。むろんひとりひとりを確認したわけでもなく、かれらの顔も見て取ったのでもないが、人数が多くないことだけはたしかであった。それもそのはずである。ぼく自身の主観的な感覚では、打ち合いがはじまってから随分長いように思えるものの、こういう場合には時間がおそろしくゆっくり経過するのがつねである。おそらく、まだ三分も経っていないはずであった。逆にいえば、はげしいたたかいがある程度の均衡を保っていられるのは、せいぜいその位の間に過ぎないのだ。
そして。
ぼくたちは、少しずつ圧迫されようとしていた。相手の剣はぼくたちのよりも長く、はばも広いのだ。それだけならむこうが先に疲れる理屈だが、かれらはよく鍛えているらしく、動きは鈍らなかった。すくなくともまだこの時点ではそうであった。しかも相手は六人、こちらは五人である。ぼくたちの半円陣は、じりじりと押され、小さくなりはじめていた。
と。
ぼくの右にいた隊員が、急に低くなったのだ。
敵に股《また》を刺されて、膝をついたのである。
ぼくは、そっちの敵のほうへ、思い切り剣を振りながら、前進した。膝をついた隊員にさらに突きを入れようとしていた敵は、向き直ってぼくの剣を受けとめた。
そのひまに、負傷した隊員はうしろにさがったはずである。
ぼくは、それを見届けていられなかった。結果として、そのあたらしい敵とこれまでの相手、さらにその横の奴の三人を、まとめて引き受けることになったからだ。何も考えてはいられなかった。ぼくは反射神経と無意識の身のこなしだけで、からくも支え、支えつつ後退した。ハボニエが猛然と攻めに出てくれたので、そこで何とか踏みとどまり、たたかいつづけたのである。
事態は、がくんと悪化した。
こちらの戦闘員数が四名になったためなのだ。
六対五が六対四になったからって、そんなに違うものだろうか、気力で何とかやれるのではないか、という人がいたら、その人は戦闘の基本原則に無知か、無視しているかである。極端な例だが、十対六の兵力比でたたかい、すくない側が善戦して、共に三ずつ戦闘不能になったとすれば、片方は三〇パーセントを失ったのに対し、もう一方は五〇パーセントを失ったことになる。残存兵力も七対三と優劣の差が大きくなるのだ。つまり、優勢な側と劣勢な側が同数の損害を受けるとするならば、そのたびに兵力比は大きくなり、勝負がつくのは加速度的に早くなる――というのが常識だ。まして、劣勢な側のほうの損害が大きければ、どういうことになるか、あらためて考えるまでもない。何によらずたたかいというものには、少し力の劣るほうが損害を受けて攻撃力が弱まれば、さらに強い攻撃を受けていよいよ抵抗力を喪失する――という加速度的な循環作用が働くものなのだ。
ぼくたちは今、その加速度的弱化におちいろうとしていたのだった。
それまででも全力をつくしてたたかっていたつもりだが、ひとりが戦列を離れたとたんに圧力が倍加した感じで、ただもう必死で渡り合うというだけになったのだ。
このままでは、次にぼくか他の者か……誰かがやられるのは、時間の問題である。
そうなったら――。
そして、ますます劣勢になったぼくたちの、また誰かが倒れたら。
そのときには、短銃を使うしかないのではあるまいか? やりたくなくても、そうするしか方法がないのではあるまいか。
なかば気力によって持ちこたえながら剣をふるっていたぼくは、そのとき、脳裏《のうり》をひとつの想念がかすめ過ぎて行くのを、おぼえたのだ。
ぼくたちが支え切れなくなって短銃を使うというそのことこそ、かれらの狙いだったのではないか――との想念である。
かれらは、はじめからそのつもりで、剣と短銃を携行しているぼくたちに、喧嘩を売って来たのではないだろうか。自分たちは短銃を持たずに打ってかかり、短銃をぼくたちに使用させることで、エレスコブ家の連中は卑怯《ひきょう》だとの評判を流すこんたんだったのではあるまいか? 剣を持ち剣で受けながら、とてもかなわないので短銃を使った汚《きたな》い奴ら、ということにしたかったのではあるまいか? かれらは、とすれば、非番で外出してたまたまぼくたちに出会ったというようなものではなく、暗黙の合意のもとに公務外を装い、エレスコブ家の人間なりグループなりを捜していた可能性もある。短銃で撃たれても致命傷《ちめいしょう》でなければ何とか治せるわけだから、それを承知で……へたをすれば撃たれて死ぬことになるだろうが、それもある程度は覚悟の上で出て来た一隊ではないのだろうか? これだけ腕の立つ人間がそろっていることが、それを裏づけているのではないだろうか?
わからない。
それが事実かどうかは、ぼくには判断がつかない。
だが、そうだとしたって、ちっともおかしくはないのだ。
そして、かれらがはじめからその気であったにせよ、なかったにせよ、ぼくたちが刻々と追いつめられているのは、たしかであった。それはなるほど、短銃で相手を撃たなくても済む方法がないわけではない。ぼくたちが全員剣を捨てて、相手のいうとおり土下座して詫びれば、それでいいのである。けれどもそれは短銃をぶっ放す以上に、エレスコブ家の評判を傷つけるであろう。ぼくたちは笑い者になり、エレスコブ家はののしられ、エレン・エレスコブもまた、嘲笑されるのだ。ぼくたちは毛頭そんな真似をするつもりはなかった。そんなことをやる位なら、全員、斬り殺されたほうがましだ。が、それではエレン護衛の任は果たせない。となれば、やはり短銃を使うしかないのであった。
そうはなりたくない。
なりたくないから……ぼくたちは、可能な限りその瞬間を先へ延ばそうと、頑張るしかなかったのである。
しかし……疲れて来た。
腕も体も、はじめのように自由には動かなくなって来た。
正面の敵が、刃をはげしく打ちおろして来る。
ぼくは外した。
右横の敵が、鋭い突きを入れて来た。
ぼくは外した。
正面の敵が、剣を下から上へとはねあげて来る。
ぼくは、一歩さがった。
右横の敵が、剣と共にぶつかって来る。
ぼくは踏み出して、剣の根元で相手の剣を受け、突きを繰り出した。相手が後退すると同時に、正面の敵が、斜め上から剣を振りおろして来た。
ぼくは左へと身体を開きながら、受け流した。
そのときには、後退した右横の敵が、剣を横なぐりに振りながら、再び突進して来ていた。
さがろうとしたはずみに、ぼくはバランスを崩した。相手の剣はやっとのことで外したものの、足をすべらして膝をつき、左手を地面につけたのだ。
正面の敵が前から、右横の敵が右から、刃を繰り出し、ぼくの身体に迫って来るのが見えた。
ごくみじかい間の、矢のような速さの突きだったはずであるが、凝縮された感覚の中のぼくには、確実にぼくを刺しつらぬこうと接近して来る刃が、いやにはっきりと見えたのである。駄目《だめ》だ、やられる――と感じながら、ぼくはそれでも本能的に剣をふるい、ふたつの刃をはねのけて立ちあがろうと、あがいた。とても間に合わないと思いつつ、そうせずにはいられなかったのだ。
どういうわけか、ぼくの腕はかるがると動いた。ぼくの剣はふたつの剣をたてつづけにはね返し、ぼくはバネにも似て、起きあがっていた。全身に力が満ちているのが、自分でもわかった。
ぼくは右横の敵へと、突き進んだ。腕の重さは消失しており、振りあげた剣に全体重をあずけて打ちおろすことが出来たのだ。受けとめようとした相手の剣は、ぼくの剣の勢いと重さに負けて、その手から離れて落ちた。
あっと落ちた剣を拾おうとする相手に、ぼくは右足を地に打ちつけて突きを入れようとし――もうひとりの、正面にいた敵の刃にさえぎられた。
ぼくはそっちへ向き直りざま、身を沈めて下から上へと、深い突きを送った。相手はそれを外したが、完全ではなかった。ぼくの剣は相手の胸板ではなく、その右肩をつらぬいたのだ。信じられないといいたげな顔の、その相手から剣を抜くと、相手の身体は先に落ちた剣を追うようにして、地面にどさっと落ちた。
右横にいたのが、自分の剣を拾いあげてから、倒れた仲間を助け起こして、ずるずるとさがった。申し合わせたように他の敵も、同時に数歩後退した。
ぼくたちは、だが、追って前進はしなかった。追えばそれだけエレンや、やられた隊員との距離が開く。ぼくたちの本務がエレンの護衛である以上、陣形をばらばらにするわけには行かないのだ。
が。
今の自分は何だったのだ――と、不意にぼくは思った。ぼくは何も意識せずに反撃に出たのだけれども、疲れて追い込まれ窮地に立っていたぼくに、なぜあんなことが出来たのだ? 身が軽くなり力と速度が増して、それまでは精一杯で渡り合っていたふたりの相手を、たちまち圧倒し、ひとりには傷まで負わせることに成功したのは、どういうことなのだ? 自分でもわけがわからなかった。
しかも、その全身の力強い感覚は、まだつづいている。
そこでぼくは、ぎくりとした。
これは――。
これはぼくが、エスパー化したのを意味するのではないか?
ぼくは、他の隊員たちに目を向けた。エスパー化したのなら、かれらの気持ちや考えていることが読み取れるはずであった。
しかし……ぼくは何も読むことが出来なかった。読心力は起きあがっていなかったのだ。
読心力はない。としても……それだけで、ぼくがエスパー化したのではないとは断言し得ないのである。超能力にはいくつものかたちがあって、読心力がなくとも別の超能力を有する人間がすくなくないのだ。
今のような、どう名づけたらいいかわからないが、こんな体調、こんなダイナミックな状態は……こういうことは一度も経験してはいないけれども……やはり、超能力の一種ではないのか?
そうだとしたら――。
そうだとしたら、ぼくは直ちに隊長にその旨を申告しなければならない。エスパー時には勤務から外れなければならないのだ。こんなときに戦列から抜けるなんて、したくはない。そのことで第八隊は一層不利な状況におちいるであろう。しかしこれは、護衛員のありかたにかかわる規則であった。報告しないわけには行かぬ。これがエスパー化なのかどうか、ぼく自身にもはっきりわからないが……いや、精神波感知機というものがある。それがどういう種類の超能力に対し敏感で、どんな能力に対して鈍いのかぼくは知らないけれども、エスパーの存在自体は感知すると聞いている。その小型の精巧な高価な計器は、エレン・エレスコブのような上位の人間の外出時には、たいてい、本人かおつきの者が手首にはめているのだ。そしてぼくは記憶していた。きょうはエレンは自分の手首にはめていたはずだ。エレンを護衛しつつ、ぼくは見ていたのだ。それによってぼくがエスパー化しているのかどうか、判定してもらえるだろう。ぼくは申告しなければならない。申告を受けたパイナン隊長がぼくを戦列から外すか、あるいは別の措置を講じるかは、隊長が決めることである。
――と、述べれば長いが、これは一瞬の連続思考であって、ほとんど時間を超越していた。
敵がいったん退いた一、二秒あとには、ぼくはもうその結論に達していたのだ。
「隊長!」
ぼくは、ハボニエのむこうのパイナン隊長に叫んだ。
ヤド・パイナンは、こっちに目を向けた。
「隊長、ぼくは――」
エスパー化したのかも知れません、というつもりだったぼくは、その前にヤド・パイナンにどなりつけられていた。
「無駄なお喋りをするな!」
「しかし」
そのとき、敵は、倒れた仲間をそこに置いて、猛然と攻めかかって来た。
「たたかえ!」
ヤド・パイナンはどなった。「全力あげてたたかえ!」
それがぼく個人に向けられたのか、第八隊全員への命令だったのか、ぼくには判断がつかなかった。しかしどっちにせよ、ぼくも命令されたのには変りない。
ぼくたちは、迎え撃った。
相手の勢いは、これまでよりもずっとすさまじかった。ぼくたちが簡単にやられないと知って、力の限りの猛攻を加えて来たのである。
ぼくの不思議な充実感は、依然として持続していた。
ぼくは積極的に、目の前に来た敵に打ってかかった。刃を下からはね返し、突きを入れ、相手がぐいと身を引いてかわすのへ、斜め右から打ちおろした。自分ではかるがると剣をあやつっていたつもりだが、ぼく自身も考えなかったほどの力が入っていたようだ。敵の剣は、ぼくの剣を受けとめたものの、手から離れて飛んだ。
そいつをかばって、別の敵がぼくの前に立ちふさがった。真正面から拝み打ちに、ぼくは剣を振りおろした。相手の剣がふたつに折れた。そいつはわっとわめきながら、尻餅《しりもち》をついた。
剣を飛ばされたほうが、そっちへ走って拾いあげるのが見えた。剣をつかみあげると、すごい形相でぶっつかって来る。待ち構えていたぼくは、その打ち込みを右へ叩き外して流れた相手の手首へ、一撃を加えていた。手首から血が飛び、そいつは右手を垂らして左手に剣を持ちかえ、果敢《かかん》になおも攻撃しようとして来る。
「退け!」
誰かの声が、ぼくの耳に届いた。敵のひとりがどなっているのだ。「退け! 警察が来た!」
敵は、どっと後退した。のみならず、倒れていた仲間を扶《たす》けて、二台の車へと急いでいる。
警察?
警察が来た?
そういえば、当然警察がやって来るはずであった。これは家と家との、要するに喧嘩なのである。こういう出入りには、通報を受けた警官が、駈けつけて来るのがならいであった。それはぼくの頭の中では予期していたけれども、はげしい打ち合いでいつか失念していたのである。そして、警察のやって来かたが早かったのか遅かったのか、ぼくには何ともいいかねるのだ。はじめから警察をあてにして何もせずにいたら、ぼくたちは全員、やられてしまっていたに違いない。といって、このたたかいの決着がつくまでには至らなかったのも事実であった。ネイト=カイヤツの、カイヤツ府での警察とは、所詮そういうことなのであろう。
たしかに……通りのかなたから、停止した車の間を縫うようにして、二台のネイト警察の車が近づいて来る。
「全員、剣をおさめて乗車せよ!」
ヤド・パイナンが叫んだ。
ぼくは剣を鞘《さや》におさめようとして、刃に血がついているのを認め、ポケットから紙を出して手早く拭いた。それから剣をしまい、走って……はじめの車に乗り込んだ。
とはいうものの、敵のほうもぼくたちも、そのまま発車というわけには行かなかった。ネイト警察の二台の車はぼくたちのそばに到着し、レーザーガンを帯びた警察官が数名、飛び出して来たのである。
「出て来い! お前たち、何をしていたんだ!」
ネイト警察のひとりがどなった。
声に応じて、ラスクール家の車から、内部ファミリーかそれ以上の身分らしいあの男が現われた。警察官たちが歩み寄って何かたずねるのに対し、その男は首を横に振り、身分証とおぼしいものを取り出して提示すると、またふたことみこと喋り、ぼくたちの車のほうを指したのだ。
警察官たちは、エレンの車のほうへやって来た。
かれらが何をするかわからないので、ぼくたちは一度乗った車から降りて、そっちへ行った。
エレンの車からは、パイナン隊長とエレン自身が出て来た。
「あちらの、ラスクール家の連中は、別に大したことはない、ただの口論だといっているが、そうなのか?」
警察官のひとりが、ヤド・パイナンに訊いた。
「その通りだ。問違いない」
ヤド・パイナンが答える。
「たしかだな?」
警察官はいう。「両方がそういうのなら、これ以上は何もいわないが、……念のため、そちらの名前を聞いておこう。エレスコブ家の誰だ?」
「私は――」
ヤド・パイナンがいいかけるのを制して、エレンが静かに告げた。
「わたしは、エレン・エレスコブです。ネイト=カイヤツの議員で、これから議会に出席するところです。あとの者は、わたしの護衛です」
「エレン……エレスコブ……? 議員の?」
警察官たちは、顔を見合わせた。当惑と、うるさいことにかかわり合いになりたくないといいたげな表情がその面上に浮かんだのを、ぼくは見逃さなかった。
「行ってもよろしいか」
と、ヤド・パイナン。
警察官たちは、姿勢を正した。
「失礼しました。議員どの。どうかお通り下さい」
ひとりがいった。
「ご苦労様です」
エレンは受けて、車に入る。
ヤド・パイナンもそれにつづいた。
警察官たちは、ラスクール家の車の近くにいる他の警察官たちに、もういいという風に手を振ってみせた。
道をふさいでいたラスクール家の連中の車が動き出す。
ぼくとハボニエは、うしろの車へ戻った。もうひとりの隊員は、たたかいで股を負傷し、車内に入ったままではじめから出なかったのだ。
ぼくたちの車も、ラスクール家の連中の車が出て行ったあと、走りはじめた。
ほどなく、前の車から連絡が入って来た。
エレンはこのまま予定通り、議会に出席するとのことである。
負傷した隊員には、議院へさしむけられるエレスコブ家の車で屋敷に帰り、手当てを受けるようにとのパイナン隊長の指示があった。今の一件は直ちにエレスコブ家カイヤツ府屋敷に報告され、そのさいに負傷者収容のための車を出すことも、打ち合わせが行なわれたらしい。当の隊員は残念がったが、今の状態では護衛の任は果たせないし、とにかく傷の手当てが先なのだから、致しかたがなかった。
車は走りつづける。
あのラスクール家の連中は、今、どう思っているだろうか、と、ぼくは考えた。かれらがどういうこんたんであったにせよ、ことぼくたちに関しては、そのもくろみは失敗したと解してもいいのではあるまいか? なるほどぼくたちは一名の負傷者を出したが、かれらに頭をさげるのはもとよりのこと、短銃も使わずに済んだのだ。エレスコブ家やエレン・エレスコブが嘲笑されたり非難されたりするようなことには、ならなかったのである。その上、かれらは、ふたりが傷を負ったのだ。この収支決算は、かれらにとってマイナスのはずであった。
だが、今回はそんな結果になったとしても、それでかれらが懲《こ》りるだろうか? こういうことをやめるであろうか? ぼくにはとてもそうは思えない。むしろ、いよいよ闘志を燃やして、エレスコブ家の面目《めんぼく》潰し、エレスコブ家の悪評づくりに力を入れるのではあるまいか? そしてそれはひとりラスクール家のみならず、いくつもの家が画策し実行しているのである。エレスコブ家はそれほどまで憎まれているのだ。
それにしても……と、ぼくはさらに想念を追った。
そのエレスコブ家でも……強力な、あるいは格式の高い家々からマークされ敵視されているエレスコブ家といえども、ネイト=カイヤツにあっては、あくまでも家≠ネのだということを、ぼくは先程のネイト警察官の態度で思い知らされたのだった。これが家とは何のかかわりもない個人どうしの喧嘩なら、ネイト警察は決してあんなにあっさりと引きさがったりはしなかったであろう。威丈高にののしり、ろくに証拠がなくても逮捕しようとしたに違いない。そう……ちょうど前の上陸非番のときにぼくが目撃した少年のように……また、ミスナー・ケイに対したように、簡単にひっくくって行こうとしたはずなのだ。それが片方がラスクール家、片方がエレスコブ家となると……そしてエレスコブ側の人間が、エレスコブの一族らしい名の、しかも議員となれば、何もいわずに済ませてしまったのである。エレスコブ家の警備隊員の一員であるぼくには、それはありがたいことであったし、正直いって悪い気分でもなかった。が……もしぼく自身が、家とは何の関係もない人間だったら、はたしてこんなに平静でいられるだろうか。そうは行かないはずである。こういう不公平なことがまかり通ってよいものか――と、怒っていたに相違ないのだ。家という権力体に属しているから、何となくああいうことを是認してしまったともいえる。こうしたことを何回も経験するうちに人間は馴《な》れてしまい、それが当り前と感じて不思議とも何とも思わなくなって行くのであろう。うかうかといい気分になっていてはいけない。気をつけなければいけない――と、ぼくは前にもたびたびやったように、おのれをいましめようとした。そして……白状するが、それが最初のころのように痛切なものではなく、どこか鈍いものと化しており、自戒をするということで自己満足をおぼえているのではあるまいか、と、ふっと、いやな気がしたのであった。
大体――。
「まるで、神がかりだったな」
ハボニエがぽつんと呟いたので、ぼくは考えごとを中断し、顔を向けた。
「え?」
「お前のことさ」
ハボニエはいう。「お前が、ああいう凄い剣さばきを見せるとは、おれは考えもしなかったよ」
ハボニエは、先程のぼくのたたかいぶりをいっているのだ。
「自分でも、わけがわからないんだ」
ぼくは答え、相手が士官補なのを思い出した。ともすればぼくは、これまでと同じ調子でハポニエにものをいってしまう。ふたりだけのときならいいが、車内には他の人間もいるのだ。注意しなければならない、と、おのれにいい聞かせたぼくは、あわててつけ加えた。「――という感じだったんです」
ハボニエは、かすかに苦笑した。
「あんな打ち合いが出釆るんなら、はじめからやればよかったんだ。出し惜しみせずにな」
ハボニエはいった。
「いや」
ぼくはちょっとためらい、思い切って口に出した。「ぼくは……あのときに自分がエスパー化したのではないか、という気がするんですが」
「やめろ、イシター・ロウ」
ハボニエはさえぎった。「滅多《めった》なことをいうな。エスパーのままで護衛員の勤務は出来ないんだぜ」
「よくわかっています。だからぼくは隊長に――」
「よせよせ」
ハボニエは首を振った。「お前はエスパー化したときに申告する。申告があったら隊長はそれを受けて、お前を勤務から外す。それだけだ。お前はまだ申告していない。だからお前はまだエスパー化していないとおれは信じている。たとえお前が今、おれの心を読んでいるとしても、お前はおれにとって、エスパーではないんだ」
「ぼくは今、読心力はないですよ」
ぼくはいった。
いいながらぼくは、自分の身体が妙に重いのを自覚した。さっきとはまるで対照的に、ひどく疲れた感じがするのであった。
「だったら、なおさらだ」
ハボニエは、肩をすくめた。「おれは超能力のことは、ろくに知らん。そして、今のエスパー化うんぬんの話も、何もおぼえていない。ただおれがいいたかったのは、お前があのとき、よくやったということだけだ」
「ありがとうございます」
ぼくはいった。
「いや」
ハボニエは、また肩をすくめた。「それにしても喋りづらいことだ。自分が士官相手にものをいっているときは何とも思わなかったが……士官も楽じゃない」
「そのうちに馴れますよ」
「そうかな」
ぼくたちの会話は、そこで切れた。
車は、議院に通じる大通りに入っていたのだ。
議院の門の前の道には、エレスコブ家から廻されて来た車が、もう待っていた。ぼくたちの車はそこで一度とまり、ぼくとハポニエとで負傷した隊員を両方から支えて、その車に乗せた。前の車から降りた人々もやって来た。エレンもである。エレンは負傷した隊員をねぎらい、早く回復して勤務に戻るようにといった。
それからぼくたちはエレンを護衛して、門を抜け前庭を通って、議場の入口に向かった。議場にはぼくたちは入れない。前にもいったように官庁や議場といった場所では、警備はネイト警察の仕事なのである。ぼくたちはエレンが出て来るまで、前庭で待つのだ。隊長以下の四人で前庭の隅で待機しながら……ぼくはやはり例のエスパー化の問題を持ち出すべきだと考えた。ハボニエは滅多なことをいうなといったが、同時に、ぼくのエスパー化は申告した時点からそう認められ、その扱いを受けるのだという意味のこともいったのである。
それは、そんなことは軽々しく口にすべきではないけれども、もしそうだったら出来るだけ早く申告しろということにもなるのではないだろうか。
「士官補殿」
ぼくは、ハボニエにささやいた。「ぼくは隊長に申告しようと思うのですが」
「例の件か?」
ハボニエはささやき返した。「お前がそうすべきだと考えたのなら、そうしたらいい。おれにはとめる権利はない」
「…………」
「しかし、ことは微妙だぞ。それが本当かどうかおれにはわからんが、もしもあのときのお前がすでにエスパー化していたのなら……エスパーのままで勤務についていたことになる。しかしまあ、隊長がちゃんと処理してくれるかも知れない」
いうと、ハボニエは、ヤド・パイナンのところへ行き、低い声で話しはじめた。聴きながらパイナン隊長は鋭い目でぼくのほうを見やったが、すぐに、にやりとして頷いたのである。わかっているといいたげな様子であった。それからさらに少しやりとりがあったのち、ハボニエは手をあげて、ぼくをさし招いた。
「イシター・ロウ。隊長がお呼びだ」
ぼくは歩いて行き、ふたりの前で直立の姿勢をとった。
「楽にしろ。イシター・ロウ」
ヤド・パイナンがいう。
ぼくは、足を開いて休めのかたちになった。
「お前の、先程のたたかいは、みごとであった」
と、ヤド・パイナン。「まるで、超能力者のようだったぞ」
「隊長、それは――」
「黙って聴け」
ヤド・パイナンはいう。「だがそれが超能力だったという証拠は、どこにもない。精神波感知機があればお前がエスパー化したのかどうか、わかったろう。その精神波感知機はエレン様が持っておられた。しかしエレン様は、それをなくされたのだ」
「は?」
ぼくは、反問した。
「お前は、今しがた議場に入って行かれたエレン様をよく見ていなかったのか?」
ヤド・パイナンは、ぼくをみつめた。「エレン様の手首に精神波感知機がなかったのに、気づかなかったのか? エレン様は、さっきラスクール家の連中とのごたごたで、精神波感知機を落としてしまったらしいとおっしゃっておられる。だからあのときのお前がエスパーだったかどうか、知る手がかりはないのだ」
「…………」
「だからお前は、あのときエスパー化していなかったといって、差し支えない」
と、ヤド・パイナン。「私が思うには、あのときのわれわれは追いつめられていた。お前も窮地に立っていた。われわれは死力をつくしたが、中でもお前の死力のつくしかたがきわだっていたのだ。絶望的状況だったから、あれだけの働きが出来たのだ。それだけのことだ。そうだな?」
「――はい」
ぼくは答えた。
ぼくには、ヤド・パイナンが何をいおうとしているのか、わかったのだ。
エスパー化していながら申告せず勤務をつづけたら、ぼくはただでは済まない。場合によれば査問にかけられ、護衛員の資格を剥奪されるかも知れないのだ。(その位のことは覚悟しなければならぬ、と、ぼくは基礎研修で教えられたし、護衛部へ来てからもいわれたのだった)だからヤド・パイナンはあのときのぼくはエスパーではなかったのだ、ということにしようとしているのである。
「ところで、あらためて訊くが、今、お前は何かふだんと違う状態にあるのか?」
ヤド・パイナンは、あごを引いた。「何か申告しなければいけないような状況があるか? あれば申告するがよい。どうだ?」
「…………」
ぼくは、自分自身のことを考えた。
ヤド・パイナンは、あのときにぼくがエスパー化したとしても、今、それに気がついたとすればよい、と、ほのめかしているのである。今ぼくがエスパー化したと申告すれば、そこで初めて勤務から外すつもりなのであった。
しかし。
ぼくは当惑した。
ぼくは、相手の感情や思考を読もうとしても読めないのだった。
しかも体調……さっきのあのダイナミックな感じが消えたあとの、妙に重苦しい疲れが残っているばかりで、あのときの体調の良さは、どこにもないのである。
どういうことだ?
これは、どういうことなのだ。
「どうなんだ?」
ヤド・パイナンが重ねて問うた。
「お待ち下さい」
ぼくはいった。
こうなれば……自分でたしかめるしかないのである。あのときのように軽々と剣が扱えるかどうか……馬鹿げていても、やってみるしかないのであった。
ぼくは一歩さがって横を向き、剣を引き抜いた。一度……二度……三度、素振りをくれた。横にも振ってみた。
思うように行かない。
腕は棒のようになっている。どうしても力が入らないのだ。疲れて……まだ回復していないのだ。
ぼくは、剣をしまった。
それから隊長へ向き直って、いうしかなかった。
「何も……変ったことはありません。いつもの通りです」
「…………」
ヤド・パイナンはちょっと黙っていたが、やがて口を開いた。
「申告すべき事柄は、何もないというのだな?」
「はい」
「よろしい」
ヤド・パイナンは頷いた。「もし何かあれば、即刻申告するがよい」
「わかりました」
ぼくは敬礼し、ヤド・パイナンとハボニエの前を去った。
元の場所へ来て……ぼくは、何となく気が抜けたようであった。
さっきのあの自分は……やはり、エスパー化でも何でもなかったのか? 隊長のいうように、追いつめられて死力をつくしたから、あんな働きが出来たのか?
とすれば、ぼくはずっと非エスパーのままだったので……エスパー化は錯覚だったのかも知れない。
それに……ああいうかたちの超能力がはたして存在するのか否かについての確信も、ぼくにはなかった。
やはり何もなかったのだ。すべてはこれまで通りなのだ。
そう考えるしかないのかもわからない、と、ぼくは思った。
その夜。
エレスコブ家カイヤツ府屋敷に帰りついたあと、引きつづいてエレンの部屋の前の立哨を務めたぼくは、深夜近くになって自分の部屋へ戻って来た。
送受話器のベルが鳴ったのは、そのときである。
スクリーンに浮かびあがったのは、ヤド・パイナンだった。
「お前が帰って来たら連絡してくれるように、頼んでおいたのだ」
ヤド・パイナンはいった。「きょういろいろあって、お前も考えたかも知れんが、あまり深く考え込まないほうがいい。それにエレン様がお前のきょうの働きを賞《ほ》めておられたことを、伝えておく」
「エレン様が……ですか」
ぼくは、顔をかがやかせたと思う。
「そう」
ヤド・パイナンは首肯《しゅこう》した。「私たちも礼をいいたいところだ。ああいう働きは、なかなか出来るものではない」
「…………」
「ところで、用というのは別のことだ」
ヤド・パイナンはスクリーンの外に視線を落とした。「お前の立哨中、外部から電話が入った。ことづけを録音してある。イサス・オーノという人物からだ」
イサス・オーノ?
その名を聞いて、とっさにぼくが思い出したのは、朝がた見掛けた――中央公園のはずれの広場に組みあげられつつあった仮設スタンドである。
ひょっとすると、あれはやはりタブト戦闘興行団の仮設スタンドなので……イサス・オーノはタブト戦闘興行団の一員として、このカイヤツ府に来ているのかも知れない。
そして、それにつづいて閃いたのは、だとするとイサス・オーノは、ぼくたちとラスクール家の連中のたたかいの噂《うわさ》を耳にしたか……あるいはそれどころではなく、実際に現場を目撃していたのではあるまいか、との想念であった。
「個人的通信ではあるが、外部から護衛部にかかって来た電話なので、私はその録音を先に聴いた。むこうもそのことは了承している」
ヤド・パイナンはそうことわってから、つづけた。「録音はお前のほうのスイッチでいつでも再生出来る。聴き終ったら、あとで私に連絡してもらいたい。少し話したいことがある」
「わかりました」
ぼくは答えた。
「よろしい」
いうと、ヤド・パイナンは、ぼくからは見えない位置へ手を伸ばして、スイッチを切った。
画面が白くなった。
ヤド・パイナンは何もそんな風にいったん交話を打ち切らなくても、ぼくと向かい合ったままで録音を聞かせることも出来たはずである。それをそうしなかったのは、ぼくがひとりでイサス・オーノのことづけをゆっくり聴けるようにと、気を遣ってくれたのであろう。そしてたしかに、ぼくにはその措置《そち》が有難かったのだ。
ただ、あとでまた連絡せよという以上、パイナン隊長は言外に、なるだけ早くそれを聴くことを求めている、と、考えなければならない。ぼくは自分の側のスイッチを切って画面を暗くし、それから録音の再生を開始した。
「元気なようだな、イシター・ロウ。こちらはイサス・オーノだ」
イサス・オーノの声が流れて来た。「きみが勤務中なので、録音してもらうことにした。帰って来るのを待ってまた電話すればいいんだろうが、そんな時間に、こっちにそれだけのひまがあるかどうか、怪しいんでね。とにかく……タブトがこちらで戦闘興業をやるんで、ぼくもきのうからカイヤツ府に来ているんだ」
「…………」
ぼくの想像は、どうやら当たっていたようである。
「実のところ、こちらへは来たものの、きみは忙しいだろうし、ぼくもいろいろしなければならないことがあるんで、特に連絡はしないつもりだった」
イサス・オーノの声はつづく。「ところがぼくはけさ、競技場へ出て来て、ラスクール家とエレスコブ家が喧嘩をはじめたのを聞き……失礼、きみたちにとっては、こんな言葉で片づけられない重大な出入りだろうが、ぼくみたいな立場の人間には、家どうしの喧嘩はただの喧嘩なのでね。――見に行って、きみがその中にいるのを認めたんだ。そして、眺めているうちに、きみに電話しようという気になったんだよ」
「…………」
「やられそうになってからのきみの動きは、水際《みずぎわ》立っていた。超人的といってもいい位だ。一緒に見ていた団員などは、あんな男がうちにいたらいいのにな、と、いったほどだ」
と、イサス・オーノ。「たしかにぼくもそう思ったよ。でも、ぼくはきみが不定期エスパーだということを知っていた。ぼくは、きみがあのときにか、それともその前からか……エスパー化したんじゃないかと思う。もしそうだったら、これは厄介なことじゃないのか? ぼくはくわしくは知らないけれども、どこの家でもエスパーには、要人の護衛はさせないものだという。護衛員が要人の心を読んだら困るからだそうだ。とすれば、きみはいやでも他の部門に廻されることになるだろう。そこで、ぼくはきみに忠告しようという気になったんだ。そういうことになったら……いや、ここから先は、カットされるのを覚悟でいわなければならない。それどころか、この録音全部が消されて、きみに伝わらないかもわからない。それを承知でいうが……そういうことになりそうだったら、これを機会に、エレスコブ家を辞めるべきじゃないか――と、いいたいんだ」
「…………」
一体、何をいいだすのだ、と、思いながら、ぼくは聴いていた。また、パイナン隊長を経由したというのに、この録音が消去やカットをされずにここまで再生されたのも、いささか不思議である。そして、おそらくこのあとの部分はもう再生されないのではあるまいか、という気がした。
が……イサス・オーノの声は、ほんの一拍置いただけで、またはじまったのだ。
「大体が、ぼくにいわせれば、たとえ不定期ではあろうとエスパーであるきみが、要人の護衛員に任じられたこと自体が、あまりない例だったんだ。きみ位の腕があれば、どこの家でも立派に警備隊員としてやって行けるに違いないけれども……護衛員としては問題があるわけだろう? ま、それだけきみが買われていたともいえるし、今のきみは充分その期待に応えているから務まっているので……だからあるいはきみがエスパー化しても、非エスパーに戻るや否や、護衛員に還るかも知れない。だが……きみがエスパーであり得るとかぎつけたよその家の連中は、今度はエスパーの隊員を使って、きみを狙わせる可能性もあるんだぜ」
「…………」
それは考え過ぎだろうが……ないとは断言出来ないな、と、ぼくは思った。
「もっとも、ぼくがきみにエレスコブ家から抜けろというのは、それだけが理由じゃないんだ」
イサス・オーノはいう。「外部のぼくがこんなことを話すのは変かもわからないが、外部の人間だから、かえってよくわかるともいえる。――エレスコブ家の冒険主義は……どうもこのことづけは、きみに届かないんじゃないかという気がして、喋るのは何だか空しいんだが……ぼくは、エレスコブ家がかなり無理な、もっとはっきりいえば、無茶な背伸びをしていると思う。例の連邦登録定期貨客船……カイヤツVのこともそうだが、それ以上に、ネイト=カイヤツの現在の流れの中で、今の流れをひっくり返そうと、全面的に抵抗している。抵抗ではなく、対決かも知れない。こういうことをつづけていれば、エレスコブ家そのものが潰滅してしまうときが来るんじゃないか?」
「…………」
「正直なところ、ぼくは、エレスコブ家の方針そのものがおかしいとは考えていない。家としての勢力を拡大しようとの欲求を別にすれば、今エレスコブ家がやろうとしているのは、ネイト=カイヤツの、戦争を利用した体制づくり――ふたつか三つの巨大な家だけによる強力な統制社会化への抵抗であり、はね返しなのだ、と、ぼくは思う。多分、このまま行けば、ネイト=カイヤツの体質は変化して、これまでよりもさらに支配層と被支配層のはっきりした不自由な社会になるに違いない。それを見越して、そうはさせじと頑張っているのだろう。その気持ちは理解出来るつもりだ」
「…………」
「しかし、現実に、そんなことが可能だろうか? こうなって来た背後には、ウス帝国とボートリュート共和国相手の戦争があるんだ。現在は停戦中だけれども、戦闘は間もなく再開されるとぼくは判断している。それも今度はウス帝国も動きだすはずだ。ぼくが聞き込んだところでは、ボートリュート共和国が停戦を申し入れて来たのと、いつでも全面的に動き出せるようになっているウス帝国軍がそのままでいるのは、いくつかの事情があるらしいが……その中でも、これまで知られていなかった星間勢力の工作員たちが、われわれの星域内へ浸透して来つつあるとのことで、その実態を調査するために、一時動きをとめたという話もある。その勢力は、ネプトーダ連邦内にも、いつの間にか入り込んでいるともいうが……依然としてはっきりしたことはわからず、また、当面は直接的にも間接的にも、それぞれの政治・経済体制に影響を及ぼさないか、及ぼしたとしても大したことはなさそうだとの見方が強くなっているともいう。いいかえれば、この点に関する限り、ボートリュートもウスも、そうした奇妙な影のような存在を意識から振り払って、じきに動きだすだろう、ということだ。そして、これも噂だけれども、今回集結を完了したウス帝国軍は、高度のエスパーを武器そのものとして組み込んだ編制になっており、きわめて強力だというんだよ。――しかし、それでもネプトーダ連邦は、かれら相手にたたかわなければならない。たたかって、たとえ全面的勝利は望めないとしても、どこかで優位に立ち、それをきっかけにして、何とか連邦の独立性を保持したかたちの講和に持ち込むようにするしかないだろう。そのためには連邦は全力をあげてたたかうしかないんだ。ネイト=カイヤツはその連邦の一員として、それなりの働きを示す必要がある。そうしないと、たとえ連邦がうまく講和に漕《こ》ぎつけたとしても、連邦内での地位は低下し、権益を削減されてしまうからね。能《あた》うならば、ネイト=カイヤツはそれ以上の働きをして、連邦内での発言力を増したいところだろう。今進行しているのは、そのための臨戦体制づくりなんだ。こんな状況下で、エレスコブ家がいつまで頑張れるだろうか? 頑張れば頑張るほど、ネイト=カイヤツを滅亡に導く連中といわれるんじゃないのか? 考えようでは、エレスコブ家が抵抗したぶんだけ、強力な体制が作られてしまうかも知れない。そうなったときにはエレスコブ家の人間は、追われ、逮捕されることだってあり得る。逆に、エレスコブ家の抵抗が効果をあげたとして……そのためにネイト=カイヤツの戦争への対処が遅れ、ろくにたたかえなかったら、ネイト=カイヤツが滅んでしまうことだって、ないとはいえない。そんな抵抗が……いつまで出来ると思う?」
「…………」
「もちろん、こんなことは、ぼくなどが口にしなくても、エレスコブ家の上のほうの人々は先刻ご承知だと思うよ」
イサス・オーノはつづけるのだった。「というより、ある程度情勢をつかんでいる人間なら、たいがいそう考えるんじゃないか? そして、エレスコブ家はただやみくもに頑張っているのではなく、それなりの手を打っているか、打つつもりなのだ、と、かんぐるのが自然というものだろう。そのせいか、ぼくは次のような風評を耳にした。つまり……エレスコブ家としては、ウス帝国やポートリュート共和国との戦争を今のままで凍結し、多少不利な条件をのんでもいいから、何とかして講和へ持って行きたいと願っている。綺麗ないいかたをすれば、それが戦争を拡大するよりは、敵にも味方にも得なのだと判断している……そうした声はネプトーダ連邦内のいくつものネイトであがっているのだから、連邦全体に働きかけて、そうしようともくろんでいる――との推測だ。もっともそのためにはエレスコブ家は連邦内を自由に往来する足を持たねばならず、同時にネイト=カイヤツの世論を戦争終結の方向にまとめなければならない。だからエレスコブ家は、その足としてカイヤツVを入手することにし、さまざまなやりかたでネイト=カイヤツの人心をつかもうとしている、というわけだ」
「…………」
聴いているうちに、ぼくは、自分の心の中にあった多くのもやもやが、しだいにまとまってひとつの形象をとりはじめるのをおぼえていた。
そういうことなのかも知れない。
イサス・オーノの言葉は、本当なのかも知れない。
そういう見方をするならば……なぜエレスコブ家が(ネイト間のローカル航路を主として航行することによって利益が見込まれるにせよ)これほどの無理をして連邦登録定期貨客船を手に入れようとしたのか、理解出来るのである。そしてまた、あえて有力な家々に対抗して弱い家々と結束し、家とは関係のない人々の支持もとりつけようとしているのかの理由も判然として来るのだ。それに……ひょっとすると、カイヤントでのエレンの猛烈な遊説……ネイト=カイヤツ直轄外の諸都市を糾合《きゅうごう》し、ひいてはエレスコブ家に対する好意をとりつけようとしたわけも、わかるような気がするのだ。個々の疑念が、一体となって解明されたような感じであった。
そうかも知れない。
いや……そう解釈して来ると、たしかに納得出来るのである。
それにしても、イサス・オーノが耳にした……そして読み取れた事柄が、どうしてぼくにはこれまで読めなかったのだろう。
おそらくそれはぼくが、ウス帝国やボートリュート共和国や、そして連邦全体についての情報を得られなかったせいではあるまいか? ぼくはまた、連邦内にそうした戦争終結ないし反戦の声があるということも知らなかったし、ましてエレスコブ家がそうしたこととかかわりがあろうとは、考えもしなかったのである。
だから、ぼくにはこれまで見聞きした事件や現象を、ひとつの構図におさめることが出来なかった。
だが……それだけだろうか。
ぼくがもっと注意していたら……大局を眺めていたら……自己の立場にとらわれることなく客観的になっていたら……あるいはこの位の把握《はあく》と推測はしていたのではないだろうか?
ぼくは自分の仕事に徹し、仕事を大切にして来た。そのことによって経験を深め、ものの見方も前よりはいくらか深くなったような気がする。が……そこにはやはり、おとし穴があったのではあるまいか? 日常に没入することで……エレスコブ家の人間になり切ることで……大きな、外からの観点というものを、失いかけていたのではないのか? 気をつけなければならないのではないか?
けれども、そうした一種どやしつけられたような衝撃と、それに伴う反省のうちに、ぼくはイサス・オーノの、それから先の声を聴いていた。
「ぼくが何もこんなことをいわなくても、きみにはすでにわかっていたかも知れない」
と、イサス・オーノはいうのである。「そしてぼくがいった事柄が事実であるか否かは、ぼくにもわからないのだ。しかし、事実であるとしよう。事実だとしても……エレスコブ家は危い橋を渡っているとは思わないか? エレスコブ家がネイト=カイヤツの世論を動かす……場合によってはそのためにネイト政府の実権を握ろうとして、過激な手段を取るかもわからないが……それが成功する保証はどこにもない。おそらく失敗する確率のほうが高いだろう。ネプトーダ連邦内での工作にしても同じだ。かりにエレスコブ家がネイト=カイヤツの実権をつかんでいたとしても、たかがネイト=カイヤツひとつで、連邦内の平和勢力をまとめあげることが、そう簡単に出来るだろうか? 他のネイトの妨害は必至《ひっし》だろう。きわめて困難な試みじゃないのか? しかもだよ、これらのことに奇跡的に成功したとして、ウス帝国やボートリュート共和国、なかんずく侵略政策で知られた強大なウス帝国が、こちらの望むような条件での講和に応じるだろうか? こちらの交渉を無視して攻められれば、それまでではないかな。ネプトーダ連邦は、そうなればおしまいだ。むろんネイト=カイヤツも同様だろう。講和するとしたって、屈辱的条件を押しつけられて来たらどうなる? 連邦が立ち行かなくなるような版図割譲や奴隷の提供……笑いごとじゃないんだぜ。ウス帝国にはその前歴があるんだ。そんなことを求められたら、どうなる? 要するにエレスコブ家が、今いったような風評通りのことを企図しているにしても、それは低い確率を何度も掛け合わせた実現の可能性の薄いものなんだ。それを知りながら強行しようとするのは、冒険主義としかいいようがないんじゃないか? そんなエレスコブ家にとどまっていれば、きみもまた身を滅ぼすことになる。信用されていればいるほど、運命を共にする危険は高くなるんだ。なりゆきしだいでは、エレスコブ家の先兵として、きみのほうがまず犠牲にされるかも知れない。機会がありしだい、脱出すべきじゃないだろうか? そしてその機会は、きみがエスパー化した今をおいてないと思う」
「…………」
「といってもぼくは、エレスコブ家を辞めたあとのきみがどうすべきなのか、何も思案はない。きみの腕前ならよその家へ行っても充分務まるだろうが、きみはそんなことはいさぎよしとしない人間だ。そういう点ではきみは律儀《りちぎ》で無器用な男だからな。それに、タブトなどの戦闘興行団に入ることも、あまりすすめる気にはなれない。戦闘興行につきものの演技性は、きみには不似合だし……第一、現在のような状況では、浮き草|稼業《かぎょう》の人間はまことに心もとない立場にあるんだ。非常体制づくりは加速度的に進行している。このカイヤツ府などはまだまだゆるやかなほうで、地方ではひどいものだよ。他人を非難することでおのれの安全を図るという、あのかたちがはじまっているんだ。少しでもネイトの役に立つ仕事に就《つ》け――というわけさ。このぶんではわれわれも、いつ引っ張られ徴用されるかわからない。何しろ、れっきとした家々に対しても志願兵を割り当てようとの動きがあって現実化しつつあるときだから……われわれが兵役に駆り出されるのは、なかば時間の問題だよ。――だからぼくはきみに、エレスコブ家を辞めてからどうしろとは、何もいえない。いえないけれども、今のままエレスコブ家にいるよりは、少しはましじゃないだろうか。ま……何回も繰り返すが、これをきみが聴くことになるかどうかいささかおぼつかないし……何しろこれだけエレスコブ家への危惧を並べ立てたんだからな……それに、かりにきみが聴いたとしても、ぼくの忠告を受け入れるようなきみではないという気がするが……それでも、いわずにはいられなかったんだ。――それじゃ元気でな、イシター・ロウ。またいつか、どこかで会おう」
イサス・オーノの声は、そこでおしまいになった。
録音再生が終ったのだ。
「…………」
ぼくは、同じ姿勢のままで、しばらく視線を宙に向けていた。
長いメッセージであった。
イサス・オーノは、だが、どうせならと、いいたいだけいったのに違いない。
彼が、何の打算もなく喋ったのであろうことは、ぼくにはよくわかっていた。タブト戦闘興行団にいる彼にとって、エレスコブ家は直接には何のかかわりもないものである。そのエレスコブ家に属するぼくに対して、おせっかいといわれるのを承知であれだけの説得を試みたのは、彼の友情から出たことであろう。その気持ちには、ぼくは素直に感謝したかった。
そして、彼が告げた事柄についても、ぼくは理解出来た。エレスコブ家がそうしたきわどい立場にあるのもよくわかる。それはいわば、ぼく自身が折につけて感じていたことどもを、ひとつの図式としてまとめてくれたようなものだったからだ。
が……だからといってぼくが、イサス・オーノのすすめに従ってエレスコブ家を辞めようという気分になったかといえば、答えは否である。彼のいう通り、エレスコブ家が無理をして頑張っているのは事実であった。その行き先が必ずしも楽観出来ないのも本当である。しかし、そんな危険性が見えるからというだけで、これまでの行きがかりやつながりを放棄して、さっさと逃げ出すのは、ぼくには出来ないことであった。それが裏切りであるとか仁義にもとるとかいう前に、自分自身が許さないのである。イサス・オーノの勧告は、勧告として有難いけれども、ぼくにはぼくの考えかたや信念や立場があるのだ。彼は戦闘興行団のメンバーではあるが、戦闘興行団のメンバーというのは、よそからのスカウトにも応じておのれの可能性を伸ばして行く――本質的には自由人といえる。エレスコブ家が危いとなれば離脱すべきだというのは、自由人の感覚ではなかろうか。自由人ならそれが当然の発想である。だが、ぼくはまぎれもなくエレスコブ家の一員であり外部ファミリーなのであった。そうしたぼくの意識では、エレスコブ家が今後苦難にぶつかるとするならば、及ばずながら自分も協力して、その苦難をみんなと共に乗り越えよう――という方向に行くのである。その結果として、あと、つらい目に遭うとしても、それはそれで仕方がないとの気分さえあるのだった。
しかし、それにしても少々ぼくの腑《ふ》に落ちなかったのは、これだけの長い、しかもエレスコブ家を批判してぼくにエレスコブ家を辞めるようにすすめている、こんなメッセージが、なぜぼくに伝えられたのだろう、ということであった。話のつながり具合や聴いた内容から考えても、消去や削除といったことが行なわれたとは思えない。イサス・オーノが喋ったそのままなのではあるまいか。パイナン隊長は、ぼくに聴かせる以前に聴いたといったが……だからその中身はわかっているはずなのに……ぼくが動揺してその気になるかも知れないこんなものを聴かせたのは、どういうことなのだろう?
そこでぼくは、ヤド・パイナンが、聴き終ったあとで連絡しろといっていたのを思い出した。はじめはむろんすぐにそうするつもりで聴きだしたのだが、録音の内容に気を奪われて、ちょっとの間、失念していたのである。
ぼくは送受話器のスイッチを入れ、パイナン隊長を呼んだ。
「全部聴いたか?」
スクリーンに現われたヤド・パイナンは訊いた。
「はい」
ぼくは答える。
「それで、どうだ?」
ヤド・パイナンは無表情に、また問うて来た。「お前は、エレスコブ家を辞める気になったか?」
「いいえ」
ぼくは簡潔に否定した。
「よろしい」
ヤド・パイナンは頷いた。「そうであろうと私も思っていた。結構なことだ」
「…………」
「お前は、ああした内容の録音を聴かされて、少し妙に思ったかも知れない。一般的には隊員の意気を阻喪《そそう》させるような伝言や情報は、消去されたり削除されたりするのが通例だからな」
ヤド・パイナンはいう。「だが、お前が聴いたあの録音は先方が話したそのままで、何の手も加えられていない。私は、私の部下に対してのその種のものは、みなそうしている。これは私だけではなく、護衛部全体の方針でもあるんだ」
「どうしてですか?」
ぼくは、たずねずにはいられなかった。
「護衛員というものは、腕や頭も当然ながら、強い忠誠心と仲間への連帯感がなければ、務まらない」
ヤド・パイナンは返事をした。「かりにお前に対するあのことづけをこちらで消去し何もいわなかったとしても、お前はいつかあのイサス・オーノに会うかも知れない。そのときお前はイサス・オーノの口から、以前にことづけがあったことを知り、それが自分に伝えられなかったのを知って、われわれに不信感を抱くだろう。そしてまた、ああいった種類の情報がお前には伝わらないようにと、いくら手を打っても、お前はどこかで別のかたちで似たようなことを聴くに違いない。そのことでお前が、自分はエレスコブ家やエレン様や、それに隊やおのれの勤務にとって、都合の悪い情報は与えられないのだと考えるとしたら、忠誠心も連帯感も弱まるだろう。だからここでは、変なコントロールはしないのだ」
「…………」
「それに、そうした、いわばマイナスの話を聞くことによって動揺し、やる気をなくすような人間では、いざというときには逃げ出すに違いない。そんな人間は、その前にいなくなっているほうがいいのだ。頼り甲斐《がい》のない者を養っておく余裕は、われわれにはないのだからな」
そこまでいってから、ヤド・パイナンはにやりとした。「いや……お前のようなちゃんとした隊員に、こんなことをいったって仕方がない。時間の無駄になる。大体、お前が逃げ出すなどとは、私は夢にも考えていなかったのだ」
ヤド・パイナンは真顔に戻った。「だから、私がお前と話したいといったのは、そのことではない」
「…………」
隊長にちゃんとした隊員といわれて、ちょっといい気分になりかけていたぼくは、たちまち緊張して、相手の顔をみつめた。
「そのイサス・オーノという人物について、私は少しばかり調べてもらった」
ヤド・パイナンはつづける。「だが、調べるというほど手間はかからなかったようだ。有名人だったんだからな。彼はお前とファイター訓練専門学校の同期生で、今はタブト戦闘興行団のスターのひとりらしいが……お前は、その彼の見方……エレスコブ家に対する観測と見通しについて、どんな印象を持った? それが聞きたい」
「…………」
ぼくは、一瞬ためらった。
ぼくは、イサス・オーノの考えかたや解釈は、ほぼ当たっているのではないか――と、感じていたのだ。が……それは、エレスコブ家の今後の道が険しく、へたをすると、(へたをしなくても)エレスコブ家の潰滅につながって行くのを肯定することにもなる。それを、すぐにはありのまま口にするのは、はばかられたのである。
「遠慮するな。飾らずにいえ」
ヤド・パイナンが促す。
「ぼくは……イサス・オーノの見方は、核心をついているのではないか、と、思いました」
ぼくは、正直に答えた。
「――うむ」
ヤド・パイナンは小さく頷き……それから目を挙げてぼくを見た。「その通りなのだ。たしかに彼の話は、一面の真実の、その大要を把握しているといわざるを得ない」
「それでは――」
やはりエレスコブ家は、イサス・オーノの指摘したような方向をめざしているのですか、と、ぼくは訊こうとしたのだ。
が、ヤド・パイナンは、軽く片手を持ちあげて、ぼくを制した。
「一面は一面であり、大要は大要だ。すべてではない」
ヤド・パイナンはいった。「しかしエレスコブ家が、持っている策はそれひとつではないにしても、出来得るならばその方向へ進みたいとしている……それが一番望ましいかたちなのには相違ない。エレスコブ家の打つ手打つ手が効果をあげれば、そういうことになって行くだろう。われわれとしても、そろそろその心構えを持たなければならぬときが近づいているのは事実だ。そしてエレスコブ家の人間なら、はっきりとそのことは示されなくても自分なりに、あるいは事態の推移と共に、そのことを悟るようになる。そうすることで、家全体としての暗黙の合意が出来あがり、適当なときに世間に対してその旗印を掲げることになるのだろうな」
「…………」
「だから現段階では当然ながら、やたらに外部に吹聴《ふいちょう》することはない。話し合うなら仲間うちだけにしろ。また世間全体がそうと知っても大丈夫とはとてもいえないんだからな」
「…………」
「ただ、いくらわれわれがそうしていても、それなりにどこかから情報を得られる観察力のある人間――たとえばイサス・オーノのような人物には、すでにそのことは読まれていると覚悟しなければならない。それを忘れず、そのつもりで対処することが必要だ」
「…………」
「また、繰り返すことになるが、エレスコブ家としては、イサス・オーノからお前が聴いたその方法だけにこだわり、そのやりかたを固守しようというのではない。彼がいったように、これはきわめて困難な、成功の確率の低い道なのだ。なりゆきしだいでは、次善の策をとらざるを得ないかも知れん。それも念頭に置いておけ」
「わかりました」
ぼくは答えた。
「私がお前と話しておきたかったのは、そのことだ」
ヤド・パイナンはいい、それから何気ない調子でつけ加えた。「ああ……それともうひとつある。警備隊長殿が一度お前と会って話したいといっておられる」
「警備……隊長殿が?」
ぼくは、何となくぎくりとした。エレスコブ家警備隊の総帥である警備隊長のモーリス・ウシェスタが、護衛部のただの中級隊員であるぼくに、一体何の用があるというのだろう。
「とはいっても、格別緊急の用件でもないそうだし、こちらはエレン様しだいで、いつ出動しなければならないかわからないから、お前が確実に非番になるときが判明したらそのつど報告して、警備隊長殿のご都合のいいときと合ったら、その日時に警備隊本部の警備隊長室へ行ってもらうことになる」
と、ヤド・パイナン。
「どういう用件なのでしょうか?」
ぼくは、辛抱し切れなくなって、たずねた。
「わからん」
というのが、ヤド・パイナンの返事であった。「警備隊長殿は、私には何もおっしゃらなかった。どうせ、お会いすればわかることだ」
「――それは……そうです」
「疲れているところへ、随分《ずいぶん》長|談議《だんぎ》になったな」
ヤド・パイナンは腕の時計に目を落とし、ぼくに向き直った。「以上で話は終りだ。ゆっくり休むがよい。ご苦労だった」
「失礼します」
ヤド・パイナンにつづいてぼくは自分のほうのスイッチを切り……そこで、これから一階へ降りて入浴したものかどうか、ちょっと迷った。護衛部の浴室は勤務の形態上、二十四時間使えるのだ。士官補以上の個室にはシャワーがあるから楽だけれども、こっちは大風呂に入るにせよシャワーを浴びるにせよ、一階へ降りなければならない。きょうはかなり動き廻ったので、出来るなら入浴したかったが……時間も遅いことだし、疲れているためにすぐに眠れるだろうから、と、入浴は諦めることにした。あす早く目がさめたら、そのときにしてもいいのだ、と、おのれにいい聞かせ、着替えて、ベッドにもぐり込んだのだ。
だが。
あかりを消して仰向けになっても、なかなか寝つけないのであった。本気で眠ろうとすればじきに寝入ってしまえる自信があるのに、どうもうまく行かないのだ。疲れ過ぎていると、かえって眠れないものだというが、そのせいだろう。
いや……そうではなかった。
頭の中に、次から次へと想念が湧きあがって来て、それにいちいち対応し考えようとするものだから、本気で寝ようとするところまで至らないのである。
そう。
それほど、きょうのぼくはいろんなことを見聞きしたのだ。
ぼくは、ヤド・パイナンがいったことを考えざるを得なかった。イサス・オーノが構図を描いてみせたあのエレスコブ家のやりかた……あれはいってみれば、(それがすべてではないとヤド・パイナンはいったけれども)エレスコブ家の大方針、戦略そのものではないのか? そんなものを、一隊員であるぼくに知らせてもいいものなのか? 下っ端のぼくなどに、それはたしかにエレスコブ家のとろうとしている道である、なんて教えてしまっていいのだろうか?
おそらく、それはエレスコブ家の意図に沿ってなされたものなのであろう――と、ぼくは推測した。ヤド・パイナンは、自分も何らかの方法でエレスコブ家のもくろみを知り、そのもくろみを、自然にエレスコブ家の下部へ浸透して行くようにとの無言の示唆のもとに、機会をとらえては部下に知らせているのではあるまいか? そうして行くうちに、エレスコブ家全体に合意が形成されるだろう、と、ヤド・パイナンはいった。つまりはそうするのは、エレスコブ家としての意図なのであろう。ぼくはそう解釈することにした。
ただ、それが世間一般に知れたら、どうなるだろう。
イサス・オーノのいったように、エレスコブ家は平和勢力を結集しようとしている。そのためにネイト=カイヤツの世論を糾合しネイト=カイヤツの実権をも手に入れようとしていると、そうみんなが考えるようになったら……たしかに、今の段階では、どんな反動があるか、知れたものではないのだ。
その話はよそう。
その話はよして……ウス帝国やボートリュート共和国に対し、ネプトーダ連邦がどの程度の抵抗力があるか、ぼくは考えようとした。が……イサス・オーノの話だけからしても、やはりぼくには、どうにもネプトーダ連邦のほうが非力のように思えて仕方がないのである。たたかって負けるとしたら……やはり講和しかないのだろうか? そして、そんな講和に、ウス帝国やボートリュート共和国が応じるのだろうか?
ぼくは寝返りを打ち、別のことを考えることにした。
ぼくは、あのとき……ラスクール家の連中相手のたたかいのときに、本当にエスパー化したのではないというのだろうか? なるほどあのあとでは、ぼくは元のぼくに戻っていた。けれども、あの瞬間のぼくは、自分の知らないタイプの超能力が突然発現したのだとはいえないか? でなくて、あのときのぼくの動きは、とても説明出来ないのだ。どうも……ただ単に追いつめられたための非常の力の発揮だとは……それだけでは、納得出来ないのである。
もしそうなら……。
もしそうなら、ぼくは、自分がエスパー化したのに報告せず勤務をつづけたということに、やはり、なるのではあるまいか?
待て。
ぼくはそこで目を開いた。
どうも妙だ、と、いう気がしたのだ。
ぼくがエスパー化したかどうかは……もしもそれが精神波感知機で感知出来る性質の超能力だったとしての話だが……そのときにエレンの手首の感知機は作動《さどう》していたはずである。作動して……しかもぼくがたたかいから抜ければエレンの護衛の戦力はさらに落ち、ついには短銃を使わざるを得なくなるとなれば……それをエレンなりパイナン隊長なりが知れば……ぼくのエスパー化の証拠を示す感知機を捨ててしまう、というやりかたがあるのに気がついたのであった。
ヤド・パイナンは、エレンが精神波感知機をなくしたといった。ごたごたの間に、落としてしまったらしいといったのだ。あんな高価な、しっかりと手首に固定された小型の感知機を……そう簡単に落としたりするものだろうか?
しかも、パイナン隊長は、ぼくが申告しようとしたら、何もいわなかった。たたかいの最中にはどなりつけ、そのあとになっても今エスパー化したのだと申告しろ、と、ほのめかしたのだ。
とすれば、……実はエレンの精神波感知機は作動したのだ……それをエレンやヤド・パイナンが、そんなことはなかったように持って行ったのではあるまいか?
わからない。
真相は……ぼくにはつかめないのであった。
ただ、もしそうであったとなれば、ぼくは警備隊の規則を超越した、奇妙な保護を受けたことになる。
それはむろん、ああいう場合だったからやむを得ぬ措置だったと、そういうことで決して表面化はしないであろうけれども……どうにも変な気分であった。居心地が悪いという、あの感じなのだ。
ぼくは闇《やみ》の中に目を開いたまま、その一種妙な気分に耐えていた。もちろん今のはぼくの仮説であり想像であって、実際はそうではなかったのに違いない、と思いながら……どうしても疑惑は消えないのである。
そして。
モーリス・ウシェスタ。
モーリス・ウシェスタがぼくに会いたいというのは、何の用だろう。
ひょっとすると、それは、今のエスパー化の事実の抹殺《まっさつ》と、関係があるのではあるまいか?
ぼくは、とうとう上半身を起こしてしまった。
駄目だ。
こうたてつづけに、次々と想念を追っていては、眠れるはずがない。
これはやっぱり、入浴しなかったのがいけなかったのだ、と、ぼくは解釈し、あかりをつけるとベッドを出て、ガウンをひっかけた。こうなれば入浴するしかない、と、決心したのである。
ぼくは一階へ降り……がらんとした浴室の大風呂に入った。ぬるめの湯にじっとつかっていると、疲れがどっと出て来るのがわかった。気分もだいぶ楽になった。
今度は、ぐっすりと眠ることが出来た。
[#地付き]<不定期エスパー2[#2は□+2] 了>
[#改ページ]
底本:「不定期《ふていき》エスパー2」[#2は□+2]徳間文庫 徳間書店
1992年4月15日 初刷
このテキストは
(一般小説) [眉村卓] 不定期エスパー 第2巻(徳間文庫 4c).zip FQDHNwp3qU 40,100 0bc47189513471f12a94f3f0a23ea0c5
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
69行目
(p 9-14) 生来
将来では?
1800行目
(p251- 8) 味方
見方では?
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