清談 佛々堂先生
服部真澄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)口能登《くちのと》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)石田|波郷《はきょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)くずれ[#「くずれ」に傍点]というおまけを
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[#挿絵(img/01_000.jpg)入る]
〈帯〉
書画、骨董、現代美術、果ては木っ端や石くれまで、先生の眼鏡にかかれば、真の価値が見えてくる。
平成随一の目利きが美にまつわる難事をさばく。
稀代の蒐集家(コレクター)か、美に操られる「使いっ走り」か。
「気に入る花がないから、描けない」
椿絵作家として出世した関屋は、「百椿図(ひゃくちんず)」完成を前に行き詰まっていた。我楽多(がらくた)満載のワンボックス・カーで駆けつけた佛々堂先生が仕掛けた「お節介」とは?――平成の魯山人の活躍を描く全4篇
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[#挿絵(img/01_001.jpg)入る]
清談 佛々堂先生
服部真澄
Seidan Butsubutsudo_ Sensei
Hattori Masumi
講談社
目 次
八百比丘尼
雛辻占
遠あかり
寝釈迦
[#地から1字上げ]装幀 菊地信義
[#地から1字上げ]カバー写真 山口隆司
[#改ページ]
清談 佛々堂先生
八百比丘尼
一
口能登《くちのと》の在郷、竹藪の小径《こみち》を抜けた先に、土塀の旧家がある。
古格の家は江戸初期以来の庄屋で、北陸では聞こえた回船問屋の親戚筋にもあたり、二棟ある土蔵には先祖伝来の蒐集《しゅうしゅう》品が、あまたひしめく勢いであった。母屋も広大で、襖《ふすま》をすべて取り払うと、百畳近くがひと続きの大広間になる。
しかし、十五代目の当主は仕事の都合でこの家には住まず、家伝の道具類の一部を美術館に預け、都会で暮らしている。持て余された屋敷には老婦がひとり置かれ、ひっそりと家守りをしていた。
ふだんはひとけがないその家の座敷に、いまは女たちの華やかな声が響いている。
「この扇面はいいわねえ。離れの床掛けに合うと思うのやわ。なんでやろ、古画の味があって上品や」
うちのひとりが、踏込床に掛けられた小幅を前に呟《つぶや》いた。古鏡模様を染めた鴇《とき》色の付け下げに、文字散らしの帯が、よく映っている。
「うちは、この香炉《こうろ》。なんや琳派《りんぱ》ふうの意匠やね。抱一《ほういつ》か俵屋宗理《たわらやそうり》か……」
別の女がいった。艶《つや》めいた白大島らしい紬《つむぎ》は、着込んで柔らかになっているのが見て取れる。帯は古渡りの更紗《さらさ》で仕立てたものだった。
十人ばかりの和服姿、集まった誰をとっても、素人とは思えない着巧者ばかりだ。衣裳にも持ち物にも、贅沢《ぜいたく》な好みが現れている。
関屋次郎《せきやじろう》は、ため息をついた。
座敷をそぞろ歩く女性たちは、京阪神の名高い宿々を取りしきる女将《おかみ》の連である。
客商売の息抜きにと、気のおけない仲間うちで誘いあい、彼女たちは娯楽のときを過ごす。物質的に恵まれているぶん、遊びも豪奢《ごうしゃ》だ。研修の名目で最上級の宿やホテルのスイートを泊まって回る。客の前ではひかえめな装いにしているだけ、ここぞとばかりに、着るものにも放恣《ほうし》になる。
その女たちが、やや高ぶって頬をほてらせ、一様にさざめいていた。華やかな一団は、座敷のそこかしこに品良く飾られた、軸物や調度品の品定めに忙しい。
口能登の家は、当主の馴染《なじ》みの美術商との関わりから、時折りギャラリーとして使われている。代々の当主が数奇を凝らしてきた屋敷は、美術工芸作家たちにとって、格好の個展の場になった。
時代のある背景のおかげで、多少の難は隠れ、展示されたどの作も、品筋がよく見える。家が奥まっているぶん、交通の便は行き届かないが、好事家《こうずか》になればなるほど、この種の家を探しあててくる。美術商の目論見《もくろみ》は当たり、口づたえで、特別であることを好む人間たちが、自分のほうから搦《から》めとられてくる。
「なあ、関屋先生」
関屋は、文字散らし帯の女に、甘い声で呼ばれた。くっきりした二重瞼《ふたえまぶた》を、女は誇るように張っている。
「この襖絵の、雪持ちの侘助《わびすけ》と同じものを、対幅に描いて下さる」
仲間うちでもリーダー格らしい女は、断られることなどないと信じ切った口調だった。洛北に川床を持つ料理旅館『有楽《うらく》』の女将、野上由貴《のがみゆき》には、細腕ひとつで上客たちを捌《さば》いてきたという貫禄もほの見える。盛りの花の勢いがあった。
由貴のひとことを合図にしたように、関屋は女将たちの一群に取り巻かれていった。
――この女たちは、金を費《つか》う……。
美術商や骨董《こっとう》商からすれば、彼女たちはさだめし、上得意であろう。
評判の宿の経営者か、その妻ともなれば、衣裳と宿を彩る美術品には、糸目をつけずに金を費う。小物なら経費として計上できるのだから、道楽に近い形で買える。きものは女将のユニフォーム、美術品は宿の品格を保つのに必要不可欠な備品であると主張すれば、正当なコストにできるのだ。もっと高価な買い物は会社の資産になる。
絵の主題に、関屋次郎は好んで椿《つばき》を使う。洒脱《しゃだつ》な掛け物はもちろん、小振りの屏風《びょうぶ》にも襖にも描く。磁器にも器用に絵付けをする。ロクロはひかないので、器の形は生地師にまかせるが、壺や向付《むこうづけ》などに、こなれた上絵《うわえ》をつけた。帯に墨でさっと描いても、椿の図柄は驚くほどさまになる。とりどりの椿を、関屋は丁寧に描き分ける。
椿の絵なら関屋次郎……
ここ数年ほどの間に、一部ではそんな評判が立ちはじめていた。
椿をモチーフにした絵は人気が高く、欲しがる人間の層も広い。一点の購入をきっかけに、何種類もの花の図を、狂ったように買い集めてくれる客もいた。
個展ともなれば、関屋は数を用意してくる。繚乱《りょうらん》と繰り広げられる椿絵巻のなかで、とくに女たちは、自分たちも花になったように酔う。
しかし、自分を取り巻く女たちの視線に、それとは違う、あからさまな好奇心が現れているのを感じ、関屋は眉をひそめた。
――へえ。この先生が……?
――『有楽』さんの、いまの。ねえ……?
女たちは、目でそう囁《ささや》きあっているようであった。『有楽』の女将と関屋が、わりない仲になっていると知っているのだろうか。野上由貴は、『有楽』という椿名の屋号にちなんで、椿の調度品を蒐集している。その縁で、関屋の作品に上客としてつき、やがては深い仲になっていた。
そうと知った目で見れば、由貴が締めた帯に刺繍《ししゅう》された石田|波郷《はきょう》の句は、ひどく思わせぶりである。
酒中花《しゅちゅうか》は 掌中の椿 ひそと愛づ
二人の関係を、それとなく暗示されているようで、関屋はいやな気がした。
由貴にとって、男は飾りにすぎないのだ。帯に刺繍した句で洒落《しゃれ》のめすような、凝った恋の遊びは得意だが、けして本気にはならない。関屋にしても割り切ったつきあいであった。けれども、そんな関係には飽き始めていた。
彼女ばかりではない。画家となってから、いい寄ってくる女の数は増えた。花が多すぎることに、関屋は疲れていた。関係を結んだ女の誰にも、もう食指が動かない。
「先生、何か書いていただけます?」
女たちのうちの何人かが、関屋の椿花図を表紙にあしらった本を、われもわれもと差し出す。空手で帰らないつもりで来ているだけに、押しが強い。けして廉《やす》くはない関屋の作品も、宝石のひとつを我慢する気になれば、女将たちには楽に買える。
この一行の買い上げた作品が、相当の数にのぼったことをわきまえている関屋は、黙って書籍を受け取り、署名をなぐり書きにして返した。
「さ、皆さん」
幹事らしい若い女が、女将たちを集める声をかけた。
「次はガラスの美術館に参ります。金沢美大の講師の先生にご案内いただける手筈ですので……」
能登島《のとじま》のほうへでもいくのだろう。誘導につられて、さざめきが、出口のほうへと遠のいていった。
女たちの姿が見えなくなってしまうと、座敷はがらんとした。
関屋は、ふと目についた自作の椿文壺《つばきもんこ》を、いきなり取り上げると、土間の三和土《たたき》に投げつけた。しんとした座敷に、磁器の割れる音が響きわたった。
ひとつ割ってしまうと、はずみがついて、三つ、四つと、憑《つ》かれたように割り捨てた。
冷やかしの客たちに、いいように買われることが、なにか気に障《さわ》った。
こうして個展を開けば、そのたびに出品の八割方が売れる。
しかし、関屋は唇を噛みしめていた。
作品の値が、思うように上がらなかった。数を集める人間たちには売れていくが、一流の人士たちが、買わない。そのことが心にひっかかっていた。
――それもこれも……。
絵に力がないからだと、気づいていた。
目端の利《き》く人間たちが、見向きもしない。悔しかった。がっくりと疲れて、関屋は肩を落とした。
二
と、背後に人の気配がして、関屋次郎ははっとした。
――家守りの老女か?
留守を預かる女に愚行を見られていたのなら、この家の当主に伝わるかもしれない。個展の仲介の労をとってくれた美術商が何と思うだろうか。
少し恥じ、表情を取り繕《つくろ》いながら振り向くと、若い女性の目とぶつかった。
すっきりと立っている女には、見覚えがあった。
すこし前まで、座敷で作品に見入っていた女だ。長い時間をかけ、一点一点を丹念に吟味《ぎんみ》するように眺めていたので、バイヤーか、それとも美術専攻の人間かと、関屋は気に留めていたが、女将の団体が座敷に上がってくると、いつのまにか姿が消えていた。
いつ戻って来たのか、姿のいい女だった。
「失礼致しました、関屋先生」
女は悪びれず会釈をし、名刺を差し出した。美術雑誌の名があった。
「少しお話を伺わせていただいてよろしいでしょうか」
取材の依頼を受けた覚えはなかった。
「何が聞きたい? このぶざまな顛末《てんまつ》を書くか」
「いえ」
『三昧境《さんまいきょう》』編集部の木島直子は、開け放たれた広間をさした。彼女の視線の先には、一双の屏風が展《ひろ》げられている。
「実は、以前から、あの八曲屏風の椿が気になっておりまして」
関屋は木島の顔をじっと見つめ直した。
木島が口にした八十八椿図屏風≠ヘ、関屋の代表作である。座敷に展示した作品のなかでも、それだけは、売ることをしない。
短冊《たんざく》一枚に一種ずつ、計八十八種の椿を描き、一双の屏風に貼《は》り混ぜた八十八椿図屏風≠ヘ、関屋が三年あまりをかけて描き上げたものだ。関屋次郎の名を世間に知らしめた、出世作でもある。
「ここに描かれている椿の数は、八十八種ですよね」
木島は、念を押すようにいった。
返事のしようがない。数をいえば、確かにそうなのだから、否定のしようはないが、関屋には、ひっかかるところがある。
瞬間、憂いともつかぬものが浮かんだ関屋の顔を見て、木島はさらに踏み込んだ。
「でも、おかしくありませんか」
「何が」関屋は目を細めた。
「椿の名です」
木島直子は、屏風に吸い寄せられるように、広間へとまっすぐ入っていく。つられて、関屋も自作の前に進んだ。
表座敷から入る陽を斜めに受けて、屏風の地にした名物裂《めいぶつぎれ》写しの印金が、鈍く光る。白さびの地色は、本紙をはんなりと引きたてている。
木島は左隻《させき》の前に立ち、向き直って関屋の顔を見た。
「こちらの一扇、左上方に貼られた短冊の椿が、はじめにお描きになったものですね。八十八種のうちの一輪目」
関屋は頷《うなず》いた。彼女は、バッグから小冊子を出した。見ると、関屋がはじめて開いた個展の図録である。八年ほど前のものだ。
「この図録の解説には、屏風に描かれた八十八の椿の品種が紹介されていますが……」木島は、屏風と小冊子を見比べた。「一輪目の白椿の品種は、一福《いちふく》≠ニありますよね。初めに描かれたものに、一≠含む、縁起のいい名の花をお選びになった……。なるほど、と思います」
一福は、一重のふっくりとした椿だ。大ぶりの花弁のへりが、ほんの僅《わず》かに波うつ。関屋が絵にしたのは、一福の咲き初めの姿で、赤ん坊の開きかけた小さな手のひらのような初々しさがあった。
「けれども……、こちらは」
右隻の前に移動し、屏風の向かって右下方を、彼女は指した。
「最後に描かれている一輪に……、私は納得がいきません」
最後の短冊には、やはり白椿だが、花弁の立ち上がりもそり返りも強く、どこか水仙を思わせる端正な花の姿があった。品種は白寿《はくじゅ》≠ナある。
「白寿から連想される数は……」
木島はいい淀んだ。
彼女がいいさしたことが、関屋にはすぐにわかった。周知の通り、白寿は九十九歳を意味する。屏風に描かれたのは、計八十八種の花なのに、なぜ九十九を暗示する名の花で締めくくったのか。辻褄《つじつま》が合わない……。そういいたいのであろう。
「……関屋先生は、どうして最後に、この花を選んだのですか。意図的なことなのでしょうか」
「答えは簡単だ」とぼけた調子で、関屋はいい捨てた。「米寿≠ニいう名の椿がなかったからさ」
「まさか」
こじつけの説明に納得する者も、過去にはいたが、木島直子は取り合わなかった。
逆に、言い逃れようとする関屋の目を、真剣な面持ちで覗《のぞ》き込んでくる。
彼女の目のなかに、問題を受け止めようとする気を感じて、ふと関屋の心が動いた。ずっと、言わず終いで来たことを、話してしまいたくなっていた。
誘われたままに、話すときがきているのかもしれない。
関屋は、どこかへ抜け出したかった。できれば、アクセサリーか土産物のように買われる絵師の、その先へ。
「これは、反抗だったんだ……」
「反抗……ですか」
「いや、抵抗かな」
「何に対する?」
「佛々堂《ぶつぶつどう》先生への、さ」
関屋は、迷いを振り捨てた答え方をした。
――ついに、いってしまった……。
胸のつかえが、すっと降りていくのを感じた。するすると、口がほどけていった。
三
美術商が関屋の住まいを突然訪ねてきたのは、十二年前の初秋の頃である。
面識のある相手ではなかった。というよりも、絵を商品として取り扱っている人間と、相対して話すのさえ、関屋はそのときが初めてであった。
好きな絵をのめるように描くことは、日課のようになっているが、堅実な勤めの傍《かたわ》ら筆をとる関屋は、絵で生計を立てていこうと思ったことがない。
それでも、こつこつと独学で、かなりの量を描きためている。手は、ひとりでに動いていく。趣味のように描く画稿を褒《ほ》めてくれる女と一緒に住んでい、生活は充足していた。
可津子《かづこ》はまめなたちで、どうしても雑然となりがちな狭い部屋を、こざっぱりとさせていった。
住まいは、戦後まもなく建てられたかと思われる安手の貸し家だったが、女の手にかかると、不思議にも格好がついて、住める体裁になった。
関屋の給料は、画材につぎ込まれてほとんど残らないのを、可津子が弁当屋のアルバイトに出ながらやり繰りしている。
手を動かしているのが好きらしく、時間のあきには、関屋がとり散らかした画箋《がせん》を甲斐甲斐しく片づけ、絵筆をこまめに洗い、乾かした。
道ばたに不要品として出されている座卓や小箪笥《こだんす》を拾ってき、修繕して塗り直すと、見違えるようになった。関屋のほうは、絵を描くばかりで、工作は苦手だ。
「男よりうまいな」
工具を扱う可津子の手早さにそういってみると「学校でやらされたもの、技術家庭。いまは、女のほうがするわね」といって澄ましている。
どう工面したのか、膳椀《ぜんわん》の類も揃いはじめていた。季節のものが取り合わせられて、よく食卓にのぼった。安売りの切り身魚も、可津子なりに合わせた味噌や下地に漬けておくと、酒の肴《さかな》に飛びきりのものになった。卵黄もガーゼをひいた味噌床に漬けおいて、琥珀《こはく》色の味噌漬卵になったのが出る。切り落としの牛肉にも、塩をして一昼夜日にさらし、風味をつけた。
少し見ないあいだに、夜店で買ってきた五、六百円の山野草の苗《なえ》が、枝を整えられてみごとに育ち、ちょっとした盆栽のようになっている。可津子は年ごとに植え替え、始終、霧を吹き付けて丹精しているので、土回りには苔《こけ》がびっしりと生えてきていた。
「ほう、糊卯木《のりうつぎ》ですか」
やってきた画商が、まず鉢に気づいて感嘆の声を洩《も》らすほどのできばえだ。
彼の名刺には、京橋の画廊『知恩《ちおん》堂』の名があった。一流どころで、素人画家にとっては雲の上の店である。
知恩堂の第一声は、思いもよらないことであった。
「関屋さん、あんたに、椿を描かしてみたいというひとがいる……」
関屋は戸惑った。花の画が好きというわけでも、得意でもない。最近では、むしろ、可津子が整えた日常の小さな世界が、彼の格好の画題になっている。
口の欠けた徳利に、椿が飾られていたことがあったので、それを描いたのは記憶にあった。ぼろ市で値切って買ってきたという徳利の、鶴のように長い首が俯きかけた表情と、春先の花はよく合った。
画紙に向かってから部屋を見回せば、描きたいものが、すぐに目に入った。小ぶりな土人形が袱紗《ふくさ》にちょこんと載せられていたり、麻の端切れに乳白ガラスの鉢が置かれていたりする。関屋が画材を買いにいく店で、可津子は廉い竹ひごや剥《は》ぎ竹を小遣いで買い、籠《かご》を編んだりもした。
関屋は、そんなものを手すさびに描き、厚意でなじみの店の片隅に展示させてもらっている。
「注文の主は、喫茶店で、椿の絵に目を止めたらしい」
「欠けた徳利のですか」
画商はそうだといった。
「マスターから聞かなかったかな。お客さんは、あの椿を欲しいと、まず所望したらしい。それほど乗り気なんでね。加えて、ぜひ、あんたの新しい絵が見たいということになった」
「無理ですよ。ぼくが花なんて……。売り物の絵など、描いたことがありませんし」
八年いる事務会社の居心地は悪くない。仕事にも、不満はなかった。ルーティン・ワークを決まりきった手順でこなしていくことには飽きないほうで絵を売って暮らそうと思ってはいない。だいいち、それだけの自信もないのだ。
「ま、そういわずに」
画商は依頼の内容を説明しはじめた。
「先様が、描いてほしい椿を届けるというんだ。そのなかから、気に入った花を選んで描いてくれればいい……」
「届けるって、生きた花を、ですか」
「小包みにして送るそうだ。月に一、二度」
「はあ……」
狐につままれたようだった。
「ただ、先方は百椿図の類を考えておられるので、数は描いてもらわないと」
「……百椿図?」
「椿は、人をのめり込ませるところのある花でね……。何がそうさせるのかな。多彩な花か」
椿は変異の多い花なのだと、知恩堂はいった。ほかの植物に比べて、はるかに交配しやすい染色体を持っており、異種ともかけあわせやすい。交配の技術が確立する以前から、とりどりの花が自然にできて、人目を惹《ひ》いていた。日本原産だが、いまでは世界に一万に及ぶ種の花があるともいわれる。
「江戸初期に、徳川秀忠公が椿の虜《とりこ》になってね。国じゅうから珍しい椿を取り寄せ、江戸城内の吹上《ふきあげ》花壇に咲かせて眺めた。上様が……、ということになれば、大名たちも夢中になる。競い合うように珍しい花を献上した。自分の庭にも欲しくなる。下々の者が真似る。いつの時代にも、ものを蒐集する癖は、伝染していくことがあるね。名花銘椿を採録した図譜が、続々とできた」
知恩堂は、持参してきた風呂敷をほどき、大判の美術書を取り出して見せた。
「これは、江戸時代に出版された著名な花譜の抄録《しょうろく》だが」
『百椿集』――安楽庵策伝 著
『百椿図』――序文 烏丸《からすま》光広
『百椿図』――序文 林道春 松平伊賀守
『椿花図譜』宮内庁蔵――筆者未詳
『つばき名寄』、『椿花之図』、『百椿図絵』……、……。
「椿趣味は、堂上人の間でももてはやされてね。『百椿集』を著した安楽庵策伝という人は、京都の坊さんだが、出は飛騨高山の大名家で、あの大茶人、金森宗和の大叔父にあたる。熱心な愛好家で樹も集めたが、ついに図集まで作った」
秀忠公や策伝の頃は、芸術万般の一種の爛熟期で、本阿弥光悦《ほんあみこうえつ》、小堀遠州《こぼりえんしゅう》、野々村|仁清《にんせい》など、錚々《そうそう》たる面々を輩出していた。椿の蒐集は、「数奇の道」とも重なっていった……。
花譜の各々につけていく知恩堂の解説は、関屋の耳を素通りしていった。
目は、図集に釘付けになっていた。
見開きには、紐解かれた巻子の写真がある。朽《く》ち葉色の絹布に、とりどりの椿が写し描かれていた。花弁が、つやつやと目に眩《まぶ》しい。関屋は、その美しさよりも、同根の花の、変幻のおびただしさに惹かれた。
一重、八重、千重の花弁。閉じた芯《しん》、ねじれた芯、梅花型の芯。
華奢《きゃしゃ》なの、雄々しいの、渋味のあるもの、鄙《ひな》びたの、高慢なの、無垢《むく》なの、染まったの、邪《よこしま》なの……。
図録をめくればめくるだけ、繰り返し、花はあらわれた。目眩《めまい》がしそうになる。
花は、小癪にも、それぞれが凝った名を持っていた。
ち里めん。朝寝ノ末。狐ノ祝言。こしみ乃。矢倉。炭屋。曙。散椿。白雲。おそらく椿。朧月《ろうげつ》。由羅《ゆら》。町椿。酒顛童子《しゅてんどうじ》。角田川《すみだがわ》。高麗椿《こうらいつばき》……。
取り憑かれていくのではという予感があった。
関屋には、幼い頃から特別な嗜好《しこう》があった。揃ったものが好きだ。書物の一巻一巻は、どうでもよいが、五巻が揃うとなると、違う。一式にまとまれば、にわかに落ち着きが出てくる。ガラスの玉でも、ひとつでは美しく感じない。だが、十あれば、それを彼なりの規則で並べてみることができる。関屋が創れる世界があるとすれば、それは、複数のものを並べ揃えることへの憧れから出たものかもしれない。
――こんな椿を百、描き並べると、どうなるのだろう……?
描き上がった椿の絵が、乱れひとつなく並ぶところを考えると、胸が高鳴った。マニアックな関心が刺激され、企てる心が先走りした。
気が動いた。
――一式、描いてみたい……。
知恩堂は、関屋の目の光を見て取って、笑った。
「おや、あんたも……? そうか。まあ、ほどほどにつきあいなさいよ。この花はあとを引く。同じ椿でも、好みの系統を揃えていく面白さは無類で、茶花だけを集める人もいれば、咲きかげんにこだわって、侘びだけとか、筒咲きだとか、形を追いかけるのもいる。栽培のほうでも、凝って何百種も植える数奇者がいる。意匠に取り憑かれでもしようものなら、書画、茶、陶芸、染織……と、それこそきりがない」
思いがけなく、魅惑の世界が開けていた。のぞき込めば、深い淵のようでもあって、臆した。にもかかわらず、ずるずると、ひとりでに引き込まれていくのを関屋は感じた。
「まあ、そんなことで、現代の百椿図をあんたに描かせて屏風に仕立てたらどうやろな≠ニ……」
「関西の方ですか」
依頼者のことを、彼は尋ねた。
「在阪だね」
「どんな方なんです」
「風流人だ、とだけいっておこうか」
要領を得ない話であった。作品が仕上がって納品が済むまで、先方の名は伏せたい。納期は三年後。完成させれば、出来不出来は問わず、相応の代金が先方から支払われる。椿の種類は任せる。送る花を参考に、好きなのを選んで、屏風一対分、描いてほしい……。
聞けば、対価は関屋の年収に近い額になるだろうという。
「しかし、椿を送って頂くといっても、花が簡単に手に入るんですか」
いい椿が、花屋にあったけれど、手が出ない。お茶席で使うものらしくて高価だから、藪のなかに生えている木のを、近所の神社で切らせてもらってくる
可津子がそんなことをいっていたのを、関屋は思い出した。
「それは心配ない。いったん、こうと決めたことは、どうあってもし遂げるお人だから」
「なんと、酔狂な……」
奇矯なことをする人がいると思った。画家やその卵に依頼するならともかく、無名の、見ず知らずの人間のもとに、画商を寄越すとは。
「やはり、椿の蒐集家ですか」
「いいものには目がない」
「無茶ですね」
「いや、あのお人にしてみたら、このくらいは、大したことではない」
「そうですか」
また、迷いが出た。話の捉えどころのなさが、現実感に繋がっていかない。
「次郎さん、お引き受けしたら」
画商とのやり取りを聞いていた可津子が、珍しく、じれたように先廻りして、口を挟んだ。
「次郎さんの絵が形になるのなら、私も嬉しいし」
「何なら、手金《てきん》を打っていくよ……」
可津子と画商に、半ば押し切られるようにして、関屋は話を引き受けた。いままでと同様に、余暇の時間を絵仕事にあてれば、本業の事務には支障をきたすことがないだろう。そう、たかをくくった部分もあった。
約束どおり、その年の秋の中頃から、小包が届いた。発送元を見ると、京都郊外の椿園になっている。
段ボールを開いて、可津子は歓声を上げた。
枝は、二十本ほどか。互いに潰し合わぬように、クッション役を果たす柔らかな紙に包まれて、ふわりと詰まっている。照り葉から顔を覗かせる、とりどりの椿は、どれも珍しく、個性的な姿形をしていた。しおれないように、一本一本が水の入ったプラスチックの小さな筒に挿《さ》され、つらつらと葉を光らせている。
圧倒された。唐突に渡された宝箱を、関屋は持て余した。はじめて目にした椿の、それぞれの茎、葉、花は、見直すたびに表情を変えてしまう。
特徴をつかまえ切れるだろうかと、不安になった。手をつけかねて、茫然とした。花の名さえ知らないのだ。
「養生しないと」
可津子は、先に我に返って、力のこもった声を出した。てきぱきと、花を紙の衣から解放していく。
「何て花かな、それは」
関屋は、おろおろといった。
「白玉《しらたま》≠カゃないの」
蕾《つぼみ》の先に、白色を僅かにのぞかせただけの花を、ちらと見ただけで、可津子は名をいった。
「そっちの、開いた白い花は」
「天人《てんにん》の香《かおり》=v
枝を取り上げて、彼女は簡単に名ざしした。
「小ぶりの、赤いのは」
「紺秋《こんしゅう》=c…だって」
可津子は舌を出して、枝を逆さに差し出してみせた。見ると、葉裏に油性のマジックで名が黒々と書かれている。椿の送り主が、覚えに書いておいてくれたのだろう。
種が明かされて、関屋は吹き出した。
女の手にかかると、椿は手懐《てなず》けられ、たわいがなくなる。
見ていると、俺にもどうにか、扱えるぞという気がした。
――そうか……。
約束してしまった以上、描き始めなくては、と思った。
そこからは、格闘になった。
椿を描き続ける作業は、思ったよりも、ずっと苦しく、本業の時間が押された。
秋にはひとつだった小包が、二月にはいきなり増えて三口に、三月と四月には、それぞれ五口ずつになった。木偏に春の旁《つくり》を添わせる「椿」の字の形象が、実感できる増え方である。とはいえ、いちどきに八十種、百種の花が届くとなると、数日のうちに形や色が逃げ、描き切れぬうちに枯らす花ばかりになった。小包の届く日から数日は、徹夜になった。可津子は、ガラスのコップから茶碗や汁椀まで、およそ水の入るものをすべて動員して、花の生命を長らえさせることに努めた。
椿が咲き始める十月の末から翌年の五月まで、段ボールの便は続いた。
ひと春、終わってみたが、戦績は悲惨なもので、描き上げた花の数は十種にも満たなかった。
知恩堂に弱音を吐いたが、話を取りやめにはしてもらえず、次のシーズンも、初秋から、また椿が届きはじめた。同じようにして晩春まで、狂ったように描き続けた。
椿八十八種が、ようやっと仕上がったときには、話が持ち込まれた日から、すでに三年が経っていた。
関屋次郎作の八十八椿図屏風≠ヘ、美術雑誌で大きく取りあげられた。
作品を画商のもとに送ってしまってから、発注主が明かされた。佛々堂先生≠フ異名を持つその人は、関西屈指の粋人で、美術の蒐集家でもあった。
射抜くようにものを見、美術商や作家がこれだけは売りたくない≠ニいう秘蔵の品を、浚《さら》うように買う。古美術、現代美術を問わず、絵画、書の類から道具、裂……果ては木《こ》っ端《ぱ》や石くれまで、手に入れては、心ゆくまで遊ぶ。
伸びる芽を見つけだし、世に送り出すのが道楽で、何人もの作家を発掘していた。佛々堂先生のお眼鏡《めがね》に適《かな》ったとなれば、少なくとも、斯界《しかい》のとば口に立ったといってよかった。
あとは本人しだいであるが、無名だった人物が、一流どころとして活躍しているケースが何例もある。
そんなことから、佛々堂先生の審美眼を通ったということが、数々の権威ある賞に勝る評価になっていた。面白いことに、好事家は、遊び心のある佛々堂先生の趣向のほうに酔わされるのである。
それに加えて、関屋の場合には、椿という題材がよく、さらなる評判を呼んだ。古来、椿には熱狂的なファンがついている。買い手にはこと欠かない。続々と、新しい注文が入った。
椿画を遺《のこ》した大家は、狩野山楽《かのうさんらく》、探幽《たんゆう》、俵屋|宗達《そうたつ》、尾形|乾山《けんざん》、松花堂昭乗《しょうかどうしょうじょう》、小林|古径《こけい》、横山|大観《たいかん》……と、枚挙にいとまがないが、脈々と続くその椿絵の名手に、関屋次郎もやがて連なるかと思えた。
関屋に椿を送り続けた佛々堂先生は男性ながら、八百比丘尼《はっぴゃくびくに》の生まれ変わりにたとえられた。
八百比丘尼の伝説は、室町時代からある。一説によれば、お里という少女が人魚の肉をあやまって食べたことから、不老長寿になった。年を取らず、衰えないことから、化けもの扱いされるようになったお里は、村を出て尼になり、貧しい人があれば助け、病人を癒《いや》しながら、つごう八百年間、諸国を遍歴したという。
八百比丘尼が訪れたという話は、東北から四国まで、各地に伝わるが、なかでは、女だてらに川に橋を架《か》け、植林までしたことになっている。椿も植えた。白玉椿の杖をついて歩く八百比丘尼は、とくに日本海側のあちこちで椿の枝を挿し、実を蒔《ま》いて、現在の群生地のもとをつくったとも伝えられる。
椿は、渡来種ではなく、珍しく日本原産の植物である。けれども、国内での広がりかたは、はっきりしない。もともと海岸沿いにあった椿の実が黒潮に乗り、海から各地に流れ着いたのだともいわれているが、花にのめりこんだ人間が、実を運んだのかもしれない。水さえ切らさなければ、逞《たくま》しく命を保ち続ける椿は、挿し木でも容易につくので、枝を持ち歩いて植えたとも考えられる。
ともあれ、伝説めいたことの好きな美の世界では、関屋次郎は、八百比丘尼ならぬ佛々堂先生が、根付かせた椿だった。白玉椿の杖を挿したら、みごとに根付いた。尾ヒレの話は、画家の値打ちのひとつになった。
八百比丘尼は、椿の枝を山から持ってきて、春の言触れをする山姥《やまんば》なのだ……と、関屋に訪れた世の春とひっかけて、折口信夫《おりくちしのぶ》の言を持ち出す者まで現れた。
佛々堂先生絡みの、こうしたエピソードと、椿の魔力に押されるようにして、関屋は波にのっていき、ついには事務の仕事を辞め、画家として一本立ちをするまでになった。
これが、世間に伝わっている、関屋次郎の成功|譚《たん》のあらましである。
四
「あのときは、苦しかった……」
関屋次郎は吐き出すようにいった。
「なぜです」
木島直子は目を見開いた。意外だったのである。
「めったにない美談だと思いますけれど。お伽噺《とぎばなし》のような、椿のやりとりは」
「世間の見方は、そうなんだろうが」
関屋はいいさして、黙ってしまった。
何か切り出さなければ、と、木島は、気にかかっていたことをきっかけにしてみた。
「関屋先生は、屏風に取り組まれた最初のワン・シーズンで、二百種あまりの椿と出会われました。ところが、そのシーズンを通して、十本足らずの椿しかお描きにならなかった……。そんな話が伝わっています。苦しかったとは、そのことと関係があるのですか」
「いや」関屋は即座に答えた。「確かに、十本しか描かなかったのではなくて、精いっぱい頑張っても、あれだけしか描けなかった。だが、それは、ぼく自身の未熟さが響いただけのことだ」
自分自身に確かめ直すように、関屋はいった。
「はじめの春は、椿の色に悩んでいたんだ……」
椿の花色の基調は、赤と白である。単色のものもあれば、斑《ふ》入り、ぼかし、絞りと模様の入る花もあるが、赤が主で白が従か、白が主で赤が従か、彩度、明度は違うが、極端にいえば二色が軸だ。黄色の椿も近年、登場しているが、まだ数は僅かである。
白椿と赤椿。その、ごく当たり前のことが、関屋の頭痛の種になっていた。
紙とのコントラストが、課題であった。
関屋は、白い紙にデッサンをはじめたが、白の地に赤系の椿を置くと、どうしても鮮やかすぎる。
――毒々しい。
そう思うと、もういけなかった。
白椿は、さらに悪い。白い紙に描いても、白の絵の具は浮き立ってこない。もちろん、絵の具のほうに色を混ぜて工夫するのだが、これは≠ニいうものにならない。
赤と白の双方とも、描けども描けども、納得がいかない。主流になる色を思いのままに扱えないのでは、数がはかどるはずがなかった。
それで、ワン・シーズンを無駄にしそうになった。
「だが、その問題は、春の終わりになって解決した」
「どういうことです?」
「紙のほうを、塗ったんだ。柿渋《かきしぶ》で……」
関屋が書き損じて破り捨てた和紙を、可津子はいつも大事そうに拾って、皺《しわ》を伸ばした。
どうするんだ、そんなもの……と聞くと、まだ使えるわよといって、家具の修繕に使っていた昔ながらの染料を取り出した。コースターにしてもいいし、籠に貼ってもいい。水を少しはじくし、紙が丈夫になるから。可津子は刷毛《はけ》で、柿の汁を発酵させたという液を、紙に塗っていった。
その、淡い色がにじむのをふと目にして、あっと思った。
和紙は、黄色みの混じった、ごく薄い象牙《ぞうげ》色になっていた。
女の手元から紙をひったくって、絵の具を置いてみた。
――これならば……。
淡く色づいた紙に乗せれば、椿の白は引き立ち、赤は落ちつく。思いがけないことに、柿渋のにじみ具合が、うまく染まると古びた紙めいた景色になり、絵に古画の風格が加わった。
紙の色合いも、染めるたびに変わるのが面白い。濃淡の調節もきく。何度か試行錯誤して、紙を染めてしまうと、面白いように筆が進んだ。
「気に入った色が出せたが、花の季節は終わりにさしかかっていた。それでも、慌ただしく描きはじめて、その年には十種ばかりの花が出来たのだが……」
二度目の春には、関屋は、また新しい問題に苦しむようになった。
花の命のはかなさに、中《あた》りはじめたのである。
小包みで送られてくる椿の数は、二月から飛躍的に増え、春たけなわともなれば、群れといっても差し支えないほどになる。
椿の送り主は、画家のスローペースを美術商に知らされたのか、花を長らえさせるために、蕾のものばかりを選んで送ってくるようになっていた。どの枝の蕾も、はじめは固く締まり、咲くための力を内に秘めている。
二、三日すると、蕾は綻《ほころ》びはじめる。たくわえていたエネルギーが、ここぞとばかりに放出され、花の乱舞がはじまる。咲きばなの花弁は、水を逞しく弾く。弾かれた水は、汗のように、生まれたての張った花肌を滴《したた》り落ちていく。
――描いて。私を先に。
葉を艶《つや》めかせながら、花の群れが一斉に上げる嬌声に、どうかすると気圧《けお》されることはあったが、花が力のある声を上げているあいだは、描き進むことができた。
だが、十輪も描き終えないうちに、花は衰えていく。
か弱くなったくらいは風情があっていいが、ある瞬間から、よわよわと頼りなく、形が捉えにくくなる。ちょっとでも気を緩めると、何かの拍子に花が落ちる。あるものは茶ばみ、しぼむ。
売るための絵を描くのは初めてとはいえ、関屋には、ある種の自負があった。
あんたには、目に映ったものを紙の上に再現する力が具《そな》わっているな
美術商の知恩堂にそう指摘されるまでもなく、幼い頃から、見たままを忠実に描くことに関しては、人よりも抽《ぬき》んでているという自信を、関屋は持っている。
見えないものを描くことは苦手なのだが、立体的にものを捉えて、微細なところまで正確に描写することには向いている。不思議なことに、一度描いてしまえば、関屋の脳裏に対象の立体的な形が保存されるようになり、いつでも、あらゆる角度から取り出して描き表わすことができた。
その特異な天分が、あだになった。
念入りに見て写し取る画法を主体としているだけに、花の衰える姿に敏感になった。
花びらが水を弾かず、その肌に水が付着するようになる。光が褪《あ》せ、色が失われ、黄ばむ。
盛りのときと思い合わせると、嘘のように花が病み労《つか》れていく。
生命の衰弱に、関屋は噎《む》せるようになった。枯死を受け付けることができない。
「花が萎《しお》れていくことが、辛く思えるようになったのですか」
「絵は勢いだろう。すかさず描くには気合いがいるが、僕は萎《な》えた。弱すぎたのかもしれない」
『三昧境』の木島直子に向かって、関屋は当時の苦しさを洩《も》らした。
「数十輪という花のそれぞれに、衰えの兆しが見えはじめると、大量の半病人が身の回りで呻《うめ》き続けているような気がして、薄気味が悪くなった。情けないとは思ったが、筆が動かなかった。送り主を恨んだよ。死にゆくものを、これだけの数、送り続けてくる神経の持ち主は、強いと思った。自分と注文主との、生命力の違いを感じた……」
送り主の逞しさが、関屋を焦らせた。線が細く、もろい自分に比べて、相手は粗野で奔放だ。
強い命が求める美のありかたに合わせようとして、一々心を切り替えていくことに、関屋は負担を感じるようになった。
関屋はやる気を失いかけていた。半覚半睡に引き込まれていく。
――どうしたの。
やり切れず、画箋に俯《うつぶ》せになっていると、可津子が尋ねてきた。
訳をもごもごと話すと、女はちょっと考える様子を見せた。
枝を手にとってみて、「まだ、力はあるのに……」と呟《つぶや》いたが、それからは、花が衰える兆候を少しでも見せると、女が器からさっと抜いて、関屋の目の届かないところに、枝ごとよけてしまうようになった。
萎れた花が目につかなくなると、とりあえず、関屋の気は落ち着いた。だが、食|中《あた》りならぬ花中りはいつまでも心にもたれ、椿図屏風の絵仕事は捗《はかど》っていかない。
しばらくすると、業を煮やしたのか、美術商の知恩堂が様子を見にやってきて、突然、妙なことをいい出した。
――あんたな、字も書けるのだろう。
関屋は、ちょっと戸惑った。
――いや、そんな。
口ではそういったものの、内心では、十分いけるという感覚を持っていた。書にはこだわりがある。手本とひき比べて、足りないものが見えてしまう関屋の自己評価は、厳しかった。形にならないものは捨て、飽きずに何度も同じ文字を書いた。一晩中でも書いていられた。好きなのだ。
良寛の字に惚れ込んで、そればかりを繰り返し書いた時期もあった。ほかにも、好きな手本を選んでは習練し、いまでは、たいがいの文句を書くのに不自由しないまでになっている。
そんなことを、可津子が話したのだろうか。
知恩堂は、お馴染みの風呂敷包みから、紙の束を出した。どうやら紺紙《こんし》らしい。漠然と、写経に使う紙だとは知っていた。手にとってみると、普及品とは違う厚みがある。
雁皮《がんぴ》の紺紙だと、知恩堂はいった。上質のものを誂《あつら》えて染めさせた。これに椿の名を書き入れ、花を弔《とむら》え。そう勧めながら、紺紙に添えて金泥《こんでい》と銀泥を出した。
供養になるといわれて、関屋の心はすっと軽くなった。
――名を唱えるだけでも、花は浮かばれるが、ここに記してやれば、あんたの名より、花の名のほうが長く残るかもしれん。東大寺の二月堂焼経《にがつどうやけぎょう》を知っているかね。あれは紺紙に銀泥で書かれたものだが、八世紀のものだというのに、まるで、いましがた書いたように新しい。中尊寺経は金字の行、銀字の行と一行置きに金銀で書かれている。少し時代は下がって十二世紀の経文だが、まったく古びていない……。
紺紙銀字華厳経《こんしぎんじけごんきょう》だの、紺紙金銀字交書一切経《こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう》だのという知恩堂のことばを、関屋はすぐに忘れた。しかし、自分の書いた椿の名が、紺紙の上に整然と並び、経のように一千年を超えて残ると思うと、高揚した。
書き上がったら表装して、軸にしようと美術商がいった。
関屋は、絵に描き終えた椿の名を、ひとつずつ丁寧に、紺紙に埋め込むように書いていった。やはり知恩堂から渡された、動物の骨のようなもので文字を磨くと、とくに銀泥で書いた文字が、プラチナのように光る。聞けば、猪の牙だという。磨いたうえに、牛乳を塗り、銀が酸化しないように皮膜をつくる。そんなことも面白かった。朽ちていった花のくさぐさが、軸の上で再び輝く。亡骸《なきがら》が白銀色の星になって、報われると思った。
どちらにせよ花は死ぬのだと、関屋はそのとき、ようやく気づいた。ここに届かない花たちは、ひっそりと落ち、一顧だにされずに死んでいく。比べてみれば、絵と軸とによって、姿と名の伝わる椿は、サバイバルの機会をものにしているともいえる。仮にいったん種が途絶えたとしても、花の絵や名を目にした誰かが、後世、品種を蘇《よみがえ》らせようとするかもしれないではないか。
そう考えると、やっと気が晴れた。
「その書が、紺紙金銀字交書|椿花称 名 集《ちんかしょうみょうしゅう》≠フ軸になったわけですね……」
木島直子が口を挟んだ。
椿の鎮魂のために、関屋次郎が三幅対《さんぷくつい》の軸物を仕上げたのは知られた話だ。いまは、京都の椿園に納められている作である。
「ああ。後から思えば、佛々堂先生が、行き詰まりかけていたぼくに、美術商を通じて助け船を出してくれたんだな。おかげで、しばらくは、仕事が進んだ」
着実に歩を進め、百の椿の完成に向かって、仕事は順調にいくかと思えた。ツー・シーズン目が終わるころには、描くペースが上がり、八十種を超える椿絵が仕上がっていた。
――あと、二十種……。
もうひと息というところまできていると、関屋自身も考えていた。
雲行きが怪しくなったのは、三期目のシーズンを前に、知恩堂から、思いがけない要請があってからだ。
椿図屏風の椿の数を、八十八に変更してほしい
知恩堂は簡単にいったが、関屋はそのことに衝撃を受けた。変更の理由を問うと、依頼主の意向で、知人の米寿の引き出物にしたいということであった。描く花の数は減らしても、屏風に払う対価は変わらないという。
意表を突かれ、言葉を失った。
画家が関屋でなかったら、描きあげる椿の数が百から八十八に減って、楽になったと思うかもしれない。
関屋は違った。百椿図≠図集で一目見たときから、椿にとらわれたのには、彼なりの理由があった。数を並べることに格別な関心を持っている。物品の数にも、並み並みならぬこだわりがある。
理由はないが、数の中では五が好きだ。十もいい。五で割り切れる数は、まあ我慢できる。五十は好き。そんな人間にとって、百は魅惑の数のひとつであった。
「百、百、百、百……」
百という数字に、関屋はのめった。
百にはリズムを感じる。とりどりの数を束ね、まとめる百。百の先には、なにか新しいことが始まりそうに思える。
注文の八十八椿図屏風≠ニの差は、短冊にして僅《わず》か十二枚に過ぎないが、意味あいは大きく異なる。八十八という数に、関屋は魅力を感じることができなかった。
好きは好き。嫌いは嫌い。どうしようもなかったのだ。
平成の百椿図屏風≠仕上げようと意気込んでいただけに、失望は大きい。いままで築いてきた城が、にわかにあえなくなっていくのを感じた。数のことを思うだけで目眩がしてくる。
通常の感覚からすれば、妙なこだわりだとは分かっていた。とはいえ、関屋にしてみれば、ものを書いたり描いたりするとっかかりに、数や形への特殊な興味があったのだから、仕方がない。
止めようかと迷った。
しかし、そのときの関屋には、数への執着という風変わりな理由を口にすることはできなかった。身勝手すぎて、何百本もの椿を届け続けてくれた注文主への義理が立たない。
椿の絵に費やしてきた、二年という歳月が惜しかったのも事実だ。自分なりに描きたいものはほかにもあったが、一切描かず、椿ばかりに取りかかってきた。無にするのは惜しい。
さんざん考えたあげく、関屋は八十八椿図屏風≠受け容れる覚悟を決めた。
「……で、どうにか折り合ったのだが、内心はむしゃくしゃしていた。百椿図から八十八椿図への切り替えは、思うほど簡単にはいかなくてね。なぜ、いまになって花の数を変えるのかと、オーダーした人間に対して腹が立った。どうにか、思いのたけをぶつけたいと考えた。描くたびに思いは募って、この際、作品のどこかに、こっそりメッセージを残してしまえ、と」
関屋はため息と一緒にいった。
「では、その思いをぶつけたのが……」
この白寿≠フ絵なんですか、と、木島直子は屏風に鏤《ちりばめ》られた最後の短冊に目をやった。
「最後の花として、白寿を選んだのは、百になんか、なってないじゃないか≠ニいう、ぼくなりの皮肉なんだ。白寿の名が表す九十九≠ヘ、百に一、足りない。ぼくは百椿図を描きたかった。なぜ、描かせてくれなかったんだ。もの足りない。そんな反発の思いを、最後の一輪の名に込めた。注文主に対する、たちの悪いいたずらさ」
「知りませんでした。佛々堂先生も、ご存じないのでしょうね」
「さあ」
ぼかすように答えたが、関屋は、佛々堂先生が彼の意図に気づいているかどうか、本当に知らない。
佛々堂先生が関屋の作品を買ったのは、唯一、椿のやりとりが評判を呼んだ、なれ初《そ》めの屏風だけで、そのあとは、何を描いても、作品を買うとはいって来ない。
見放された気がしていた。夢の続きをまだ見ているのは、一部の愛好家だけではないのか。
「でも……、どうなのでしょう」木島はぽつりと呟いた。「失礼を承知でいわせて項きますが、初作の屏風のあと、あらためて百椿図に取りかかる機会はなかったのでしょうか。お話のように、百という数が心懸かりになっているのなら、なおさら、取り組まれてもよかったのでは……?」
木島直子は、探るような目を関屋に向けた。
関屋次郎の作品のなかには、百椿図はおろか、まとまった数の椿図集はない。切望している関屋ファンも多いと聞くが、画家は描かない。
関屋の顔が歪んだ。怒り出すのかと木島は構えたが、画家はがっくりと肩を落とした。
「オフレコにしてくれるなら話そう」
木島はうけあった。
「椿を描きはじめて、三年目の季節が来た。その年は、出だしから躓《つまず》いた。百椿図から八十八椿図へ、気持の切り替えがうまくいかなかったばかりではない。もう一つ、別の理由があった……」
関屋は思い返した。
椿の数が八十八になった時点から、絵の質など、どうでもいいと思い、半分は投げていた。
ところが、最初に届いた椿をスケッチしようとして、愕然とした。
軽く描いてしまう気でいたにもかかわらず、筆が動いていかない。どうしたことかと思った。関屋が気乗りしないのに気づいた可津子が、花器を取り替えて挿し直した。
しげしげと眺めてみる。が、視線が集中していかない。なぜだろうと思った。
手をつけかねているうちに、時日はどんどん過ぎていった。また春が来て、否応なしに、届く椿の数が増えた。見れば見るほど、描きたくなくなる。
例の如く、椿で部屋中が埋め尽くされた。いっぺんに見渡して、あっと思った。
枝の姿が、気に入らないのだ。
気づいてみると、届いた椿の枝ぶりには、共通の特徴があった。どこがどう、とはいえないのだが、椿園で枝を伐《き》ったであろう人の匂いが感じられる。葉の向きにも、茎の形にも、椿を選んだ人の癖が出ている。
そう知ってしまうと、関屋は呻いた。
――そういうことだったのか。
気が進まない理由が、はっきりわかった。
見知らぬ誰かが用意して、皿の上に出してくれたものを、関屋はただずっと描いてきた。そんなものが、関屋次郎流の絵になるはずがなかった。
自分で枝を選んだなら、どう変わるのか……、想像はつかない。けれども、おそらく違う枝に目を留めるだろう。花と枝のバランスも、枝葉の岐《わか》れかたも、茎の長さも。
そんな目で見てしまうと、よけいに嫌になった。余人の癖の強い枝を、いままで気づかずに描いていたことが、嘘のように思えた。
それまでは、不思議にも、魔法にかかったように描いていられた。可津子が手を伸ばして枝葉をちょっと直し、方向を考えて挿すと、形が決まっていた。
だが、このシーズンのものは、すべてが気に入らなかった。
――椿園まで、出向いて描くか。
そうも思ったが、そこまでの気力は湧かなかった。百椿図屏風を描くのなら、どんなことでもしていただろうが、いまは気持がない。
形のことは我慢して描いていったが、苦しかった。
しまいには、関屋の目に適うようにとしきりに枝をいじる可津子相手に、怒鳴り散らすようになった。それでも、青息吐息で、ひと通り描きあげた。
「それが、これさ」
関屋次郎は、自嘲するようにいいながら、顎で八十八椿図屏風≠さした。
「つまり、椿のやりとりが、ありがた迷惑だったというふうにも聞こえますが」
木島直子はいった。
「最後のワン・シーズンに関しては、そうだな。お伽噺ではない。現実の話は悲惨だ。ひどいあたり方をしたために、一緒になる筈だった女までが、逃げていった……」
可津子が去ってしまうと、にわかに、家はがらんとした。
椿は届くことがなくなったし、家のなかを彩っていた小さな世界が消えた。女が丹精していた山野草の鉢もなくなった。旨いものも、女の心尽くしとともに消えた。
――さびれた。
関屋はなぜかそう感じている。
自分の絵が描けていないという問題も、それきりになっている。
「画家として独立してからも、百椿図を描いていないじゃないかと、あんたはいったが、その通りだな。だが、描いてみようとはしたんだ。何度も。……でも」
関屋の顔は曇った。
「この壺を見てくれ。それから……、こっちの軸を」
ギャラリーに展示された作品のひとつひとつを、彼はさしていった。
「何か気づかないか」
いわれて、木島は目を凝らした。器に施された上絵《うわえ》と、軸にされた画をつぶさに見比べる。
「あ」
木島は思わず声を洩らした。双方とも、同じ種類の椿だ。玉之浦≠フ名を持つ、白|覆輪《ふくりん》の種である。しかし、種が同じだというだけではなかった。器のほうに描かれた花の上絵は俯瞰《ふかん》の構図、軸の画は、横から切り取った構図だが、どちらも、まったく同じ枝を別の角度から描いたものだ。細部に至るまで合致している。
一本の椿の枝を中央に置き、ビデオカメラを上下左右に全周回させつつ撮った、|3D《スリーディー》画像のデータを連想させる。
「――これは?」
「一度、気に入って描いたものは、ぼくの脳裏に立体的に焼き付いてしまう。ずっと記憶のなかに蔵《しま》われていて、どの角度からでも取り出すことができる。いってみれば、ぼくは、いったん取り込んだ画像をなぞっているわけだ」
吐き捨てるように、関屋はいった。
木島は、画家の異才に驚いた。
「そんなことのできる方が、なぜ」
その先に進まないのですかと、彼女は尋ねた。
「気に入るものがないから、描けない。蔵いたいものがないんだ。何を見ても、ぼくのなかに取り込まれていかない。だからさ」
木島はギャラリーを見回した。はっとした。関屋がいわんとしていることが、木島にはわかる気がした。
関屋次郎は、独立してからも多くの作品を描いてきたように思われているが、念入りに見れば、そうでないことがわかる。手を替え品を替え、記憶のなかのストックを小出しにしてきただけではないのか。角度を変えて描けば、よほどの者でない限り、見抜けない。
しかも、そのストックの核になっているのは、画家としてひとり立ちする前に手がけたものばかりなのだ。椿絵に限っていえば、屏風にした八十八種の椿だけなのであろう。
関屋が八十八椿図屏風≠手放さない理由も、透けて見えてくる。出世作だというばかりではない。八十八の絵が、関屋の椿絵のプロトタイプになっているからだ。
木島の思いに気づいたかのように、関屋は自分からいった。
「過去の遺産なんだよ。ぼくの絵は」
五
「なんや、そやったんか……」
木島直子は、一人の男の前で、一部始終を語り終えた。
「あー、アホくっさ」
からっと、男は笑い飛ばした。
小柄だが、腰つきのがっしりした体に、肘《ひじ》まで捲《まく》り上げた綿シャツを、くしゃっと着ている。良く見れば、海島綿《かいとうめん》のいいシャツなのだが、すり切れる寸前かと思えるまで着ているせいで、そうは見えない。
庭師くずれか、建築家くずれか。風貌から見当をつけるとすれば、そんなところに落ちつきかける。手でものを作るひとの雰囲気があるので、どうかすると、陶芸家のようでもある。いずれにしても、生真面目な職人には見えない。くずれ[#「くずれ」に傍点]というおまけをつけてしまいたくなる。それだけ、磊落《らいらく》なところがあった。
車も、構われていない。乗っている古いワンボックス・カーには、荷物がところ狭しと積み込まれている。後部座席は、いっけん、がらくたを載せたおもちゃ箱のようだった。数着分の着替えが、窓際にハンガーで吊されているので、持ち主は風来坊かとも思える。
いったい幾つになるのか。若者とはいえないが、皺というほどの皺は、捜してもない。髪はたっぷりとあり、胸板が厚く、歩けば疾風のようだ。聞くところによれば高齢のはずだが、年配者に出がちな、腰から尻にかけてのたるみも見えない。
この男が平成の魯山人《ろさんじん》≠フ異名をも持つ、あの佛々堂先生だとは、誰も気づかないだろう。
――骨董《こっとう》屋のおっちゃん。
あえていえば、そうなるかもしれないと、木島直子は苦笑した。
佛々堂先生は、厄介な頼みごとをされることが多い。才能を認められているアーティストや、著名な料理人、天下の茶人など、聞けば卒倒するような面々までが、佛々堂先生を頼っている。
彼らの意を叶えてやるために、このワンボックス・カーにあらゆる荷物を積んで、先生は各地を移動している。ぼろばかりに見える荷物のなかに、古染付《こそめつ》けの皿の一揃いやら、高麗井戸《こうらいいど》の名物茶碗やらが、無造作に混じっている。滅多に手に入らない香木もあれば、切ったばかりの青竹も長いまま何本か、ぎゅう詰めにされている。鋏《はさみ》のたぐいや、縄梯子、工具箱など何に使うのか分からないようなものまで詰め込まれている。先週は唐津にいたと思ったら、瞬く間に九谷に、奈良に。いつのまにか行脚《あんぎゃ》の旅であった。
「いっそがしわァ」
いいながら、携帯電話はけして持たない。留守宅にもファクシミリはない。連絡事項があるときには、墨でさらさらと書きつけた巻き紙が旅先から届く。
木島直子は、ワンボックス・カーの助手席に乗っていた。全国ロードの途中で東京に寄った佛々堂先生と落ち合って、車に乗った。
佛々堂先生は、どうも喫茶店が苦手らしい。コーヒーを飲みませんかと誘っても、「今日はええわ」と断られる。会食ならともかく、人と二人で向かい合わせになると、照れてしまうのだろうか、と木島は考える。かわいいところがあると思った。
かわりに、木島は、紙パックに入ったコーヒー牛乳を差し入れした。
「うまいやん」
先生は一気に飲み干した。おっとり飲んではいられない。関西でいう、いらち≠ネのだ。
木島直子は、全国に数多くいる、佛々堂先生を慕うシンパの一人で、気づかないうちに先生のすることを手伝わされている。美術雑誌『三昧境』の記者というのは本当だったが、今回は雑誌のための取材ではなく、先生の密偵として動いたのであった。
「困ったもんやな。作家いうたら、難《むっずか》しなあ」
「美術工芸作家には、やはり常人の枠で捉えきれない感覚があるんですね。才能に付いて回る特異な癖や執着は、作家の一部分でもあるのでしょう。関屋先生にも、特別な数や形への嗜好があったんです」
木島は説明した。
「ま、そないなもんかもしれへん。で、ほかには何ぞいっとったか」
「ええ。いま思えば、家に一緒にいた女が、自分の好みに合うように、うまく椿の枝葉を整え直してくれていたんだな≠ニおっしゃっていました。その頃は、すんなりと絵が描けていたと」
椿絵作家として高名になってしまった関屋次郎は、描けない状況をどうにかしようと、椿の季節が訪れるたびに、あちこちの椿園に出かけたらしい。全国には、見事な椿で知られる古寺や名高い庭園がある。そのひとつひとつを、潰すように訪れ、スケッチを試みた。
自分の目で、これはという花を選び出し、構図を決めれば、思い通りに描けるのではないかと思った。が、目論見《もくろみ》は外れた。枝を選ぶことは難しく、おいそれとはできなかった。なぜ、あの小さな家であれだけ自在に描けたのかが不思議になった。才能が尽きたのか。もう、やっていけないかもしれない……
「なんでも、そんなお話でしたが。最後は弱音ばかりになって」
「あの子も、ようゴチャゴチャいうわ」
佛々堂先生は、一度でも面倒を見た相手のことをあの子≠ニ愛しげに呼ぶ。木島は昔、あの子のとこにいってきて≠ニいわれて出かけると、相手が名の知れた寺院の管長だったので、びっくりしたことがある。
あの子≠スちをクサすせりふは、ずいぶん聞いた。時々、先生はぶつくさいっている。だが、きついことをいう割りにはいやみがなく、温かさが伝わってくる。
「どうします?」
「そろそろ頃合いやしな。また、お節介するか」
佛々堂先生は、肩をすくめた。目を輝かせ、悪戯《いたずら》っぽい顔になっている。
人ごとながら、木島直子はわくわくした。
六
関屋次郎のもとに、椿園からの招待状が届いたのは、その年の冬であった。
――伏見桃山か……。
聞き慣れない名の椿園である。
京都には、雅致のある椿名所が数多くある。大徳寺の利休椿をはじめとした名椿の数々、昆陽山《こんようざん》地蔵院の五色八重散椿、鹿《しし》ヶ|谷《たに》の霊鑑寺門跡の珍樹群……。気に染む椿を捜し歩いているうちに、関屋は椿の名所には詳しくなっている。
洛中は歩き尽くした。非公開の庭も訪ねた。が、持ち帰ったのは、失望と、白いままのスケッチブックであった。
洛南の伏見桃山は、古木が残ることで知られる町だということも、何となく覚えていた。古来、寺院群や都人《みやこびと》のお使いものの花を扱ってきた切り花の供給地だけに、古くからの花の品種が、多く伝わり残ったということらしい。
――行ってみようか。
そんなことから誘われて訪れてみると、時勢には逆らえないということなのか、安土《あづち》の頃から続いた城下伏見にも宅地造成の波は進み、昔ながらの家並みも、相当歯抜けになってきていた。
しかし、澄み切った空を背景に聳《そび》え立つ町なかの巨木に、関屋の目は釘付けになった。
――椿か?
目を凝らす。遥か高くに赤い侘《わ》びの花を掲げている。相当な古木だ。樹齢でいえば、三百年か、四百年か。
――見事なものだ。
嘆声が出た。が、感服している暇はなかった。その大樹の向こうに、またも巨きな椿の梢が見えている。大輪の花は、紅妙蓮寺《べにみょうれんじ》だろうか。
遠見にも目を惹《ひ》く巨椿が、点々と並ぶ。古木に導かれるように、関屋はいくつかの町筋を抜けた。江戸町、伊賀、本多|上野《こうずけ》……。いつのまにか緑の鬱蒼《うっそう》と濃い丘陵地に迷い込んでいた。
気がつくと、右も左も、椿ばかりになっている。
周囲にあるのは、古木ではなく若い椿ばかりだが、姿がいい。
――描きたい。
矢も楯もたまらず、そう思った。描き留めておきたくて、気が逸《はや》った。
スケッチブックを取り出した。せき止めることのできない勢いで、筆が走った。手がひとりでに動いていく。どこを向いても、題材になりそうな枝振りのものばかりだ。
我を忘れて、関屋は描いていった。
夢心地のうちに、時間は過ぎた。息もつかずに、四十枚は描いただろうか。
日が暮れて、葉と葉との境が見えにくくなってはじめて、関屋は仕方なく手を止めた。信じ難いというように、スケッチを繰って、描いたものを検分していく。どれを取っても、一幅《いっぷく》の絵になるという確信があった。
喉が、からからに渇いていた。いちどきに仕事をしたが、体にはまだ、力が満ち溢れている。
木々のあいだを洩れてくる、薄あかりをたよりに、関屋は園路を歩いた。どこか椿園の内部に入っているのだと気づいた。招待状を寄越した庭なのではないかと、心が躍った。
樹下を抜けていく。オープンテラスのような場所に出た。
園の主の趣味なのか、仕事のための展示なのか、飾り台が置かれた一画があって、柔らかな照明で照らし出されている。
ふと見ると、椿がさまざまな器に生けられていた。
古い農具を編み直したと思われる花籠。呉須赤絵《ごすあかえ》の瓶子《へいし》。室町期の根来《ねごろ》の湯桶《ゆとう》。竹のひしゃく。和紙の折形《おりかた》……。
吸い寄せられた。
関屋は、見惚《みと》れた。椿を見て息をのみ、器との釣り合いを見て舌を巻く。ただ枝ばかりを描いてきた画家の想像を超える調和があった。
全部で十二、作品があった。器と一体になった椿の姿は、関屋が夢にまで見た、理想のモチーフそのものであった。
スケッチを始めようと、トートバッグを探った。
「もう、閉園ですけれど」
声をかけられた。我に返ると、人が近づいてきていた。
「次郎さん」
女が呼んだ。声の懐かしい響きに、関屋は一瞬立ち尽くした。
「可津子……」
あかりが、歩みよってきた女の顔を浮かび上がらせる。しばらくぶりに見る女は、明るい顔をしていた。
「お前、なぜ」
関屋は語尾を呑み込んだ。なぜ、ここにいるのかと問いたかった。
「椿を育ててるの。この伏見に住んで、習って」
「習った、って……」
「剪定《せんてい》の基本や何か。好きだったし、そう難しくなかった。手仕事も指南を受けて、籠やなんかは。花も少し……」
飾り台の作品を、可津子は見、自分が手がけたといういい方をした。関屋は、あっけにとられ、やっといった。
「これも、お前が……?」
「そう。これは皆、あなたが花に中ったとき、死にゆくもの≠セといって見向かなかった椿の枝……、あたしが取りのけておいて、全部挿し木にしてあったの。こっちに持ってきて、接《つ》ぎ木《き》してね。一人前に生きてるわ。ここに飾ったのは、そのなかの、ほんの一部だけれど」
「あのときの枝なのか」
「そう。椿って生命力が強いのよ」
「綺麗になった……」
「とびきり気をつけて世話をしていたもの。十年かかったけど、関屋好みの枝振りになったんじゃないかな。この十二種を加えれば、百椿図が描けるでしょう」
可津子は、関屋の耳元で囁いた。
関屋次郎の画境が拓け、実力派の画家として一段と飛躍したのは、これから後の数年のことであった。ロマンスめいた伝説が加わって、作品の価格は、さらに跳ね上がった。
七
「まさか、誰も思いもつかないでしょうな。佛々堂先生が作家として目をつけたのは、あの女性――篠田《しのだ》可津子であったとは」
知恩堂は、出された茶をすすりながらいった。
書院造りの広い座敷からは、丹精した庭が見える。佛々堂先生の祖父にあたる人が植え、先生自らが整えた佛々堂邸の植栽《しょくさい》には、歳月の重みが加わって、風格がある。
「あの子の感覚は、天性のものや」
先生は、笑った。
「それにしても、破れた古伊万里に投げ込まれた椿の枝を見て即座に『一流の花の作家になれる人間がいる』とおっしゃった。盆栽も、植木も、育てるところから彼女にやらせてみたい、とね。このあたしも、先生には兜を脱がざるを得ない」
「あの世界は、若い人材が不足しとるんや。いま踏みとどまって貰わんと、日本画の世界に繰り返し描かれてきたような、木々の枝振りは失われてしまうやんか。そうなりよったら、花鳥風月の画の楽しみがのうなるわい。写し描きが得意な画家でも、現実にあらへんものは描けませんやろ」
「お人がわるい。篠田可津子の力量を試すために、並みに伐採した枝を、何百本も送るとは」
「ええ修練になりましたやろ」
男に描かせるために、可津子は椿の見せ方に工夫を重ねた。その手並みの良さを、知恩堂は逐一、先生に伝えていた。
伏見の椿園の主だった老爺が、ここ数年、体を悪くして、山の手入れが行き届かなくなった。米寿を機に引退するといい出し、可津子は伏見に呼ばれた。
「あの子も、おのれの力を試したかったんやな」
画家と別れて椿園を引き継ぐことを、可津子は承諾した。彼女は伏見に越して、庭師の技術を仕込まれ、美術史や花の奥義を学んだ。
「……けど、女やな。関屋君と離れてちいとの間すると、がくんと調子を落としましたさかい」
「彼女の椿を関屋画伯が描かないと、やる気が出ないんだそうですからねえ」
「まあ、いろいろやね」佛々堂先生は、呟いた。「何でんかんでん、てんこ盛りにしてやってな。化けさすことが肝心なんや……。関屋君にしても、そうや」
「そうそう。ご所望のもの、お持ちしてますよ」
知恩堂は風呂敷を開き、目録を出した。書かれている品目は、次の通りであった。
関屋次郎作 八十八椿図屏風
「手こずりましたけど、とうとう譲ると、関屋画伯が。悩みがなくなったんでしょう」
関屋次郎は、知恩堂との当初の約束を違《たが》え、はじめての作品を知恩堂に渡さなかった。八十八椿図屏風≠ヘ佛々堂先生のもとに届いたが、なんでもそっくりに描ける画家は、八十八椿図屏風≠写し描きした屏風を美術商に渡し、処女作は自分の手元に置いていた。プロトタイプにしがみついていたのである。
「ほんものは違《ちゃ》うやろ」
関屋次郎の、正真正銘の処女作を入手した佛々堂先生は、しみじみといった。
「伏見の爺はんの米寿の祝いを、これと取り替えてやりまへんとな」
「佛々堂先生のコレクター魂は、凄いねえ」
知恩堂は、店に遊びにきた木島直子に感想を洩らした。
「関屋次郎の作品、先生、彼が立ち直り始めた時期に、山ほど買っているんだ。いまじゃ、ひと財産だろう。インサイダー取引みたいなものだと思わないかね。先生が呼び水して、名声への道を示したんだから」
「そうかしら」木島は頷かなかった。「先生は、少し、可津子さんに岡惚れしていたんじゃないかな。ほら、彼女の話をするとき、先生、ぽっと耳まで赤くなってたでしょう。佛々堂先生は、同じ目を持てる人が好きだから、才能に惹かれて。先生の好きな八千草薫に、彼女、ちょっと似たところがあるもの」
「じゃ、先生は……」
「ご祝儀じゃないかな。二人への。先生が買っているとなれば、評判になるもの。好きな女性のために縁結びまでして上げて、やっぱり仏のような人ね」
知恩堂は、吹き出した。
「あんた、長年つきあっていて、知らないのかい」
木島はきょとんとした。
「何のこと」
「佛々堂先生って異名は、ブツブツ文句をいう御大《おんたい》、ってところから来ているんだ」
絶句した。
口がきけなくなるまで、木島は笑い転げた。
八
後日、ある記者が、佛々堂先生にふといったそうである。
「やはり、先生は八百比丘尼なんですよ。関屋次郎画伯を咲かせ、盆栽と造園の大家、篠田可津子を咲かせ、捨てられかけた椿の枝を、廃《すた》れようとした伏見の椿園に挿し木させ、根付かせた。若い椿は、現実に花を咲かせているし、いずれ古木になって、人の目を楽しませるんでしょうね。謎めいた白玉椿の杖をお持ちなんですね」
「八百比丘尼? そないなんやないよ」
「ご謙遜を」
佛々堂先生は、顔をしかめて、こう洩らしたらしい。
「わしがしたんやない。花が、わしを使ってさせていることや。花は勁《つよ》し≠ニいうやろう。わしなんか、まあ、使いっぱしりやね。まったく、椿ときたら、やらしい奴達《やつたっち》ゃな」
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雛辻占
一
なんとなく、手をとめた。
うつむいて拭《ふ》いていたガラスケースに、空をきっていく羽先が白く映った。
店の軒先を、海猫がよぎっていったのかと、しげ子は顔を上げた。
松原しげ子の店は海際の道に面している。真向かいは防潮堤で、その向こうはなだらかな浦だ。内海を行き来する小ぶりの船が、日を受けて光り、隣島の島影が、うすむらさきにかすむ。
鳥影は、気のせいだったのか。
白くふっくらした渡り鳥の群れは、とっくに島を去ったはずだ。それとも、何羽か名残りを惜しんでいるのだろうか。
波のまにまに浮かぶ景色が、そのまま季節につながっていかない。しげ子の感覚は、まださほど漁師町になじんでいないのだ。
それでも、この島に居着いたおかげで、のんびりした商いでもやっていけるのが有難かった。
――ほうか。春なんやぞ。
しげ子は思い直した。
漁をする家から、三日にあげずに貝を貰う。その身が、目に見えてみっしりとつまりはじめている。海草の芽を貝は好む。瀬に新芽の揺らぐ光景を、まぶたの裏に浮かべた。年は明けてまもないが、海べりに貼りつくように建ち並ぶ海産物の店には、春の恵みが上がっていた。
地元の魚を扱う店と加工所に挟まれたトタン葺《ぶ》きの店は、もともとはたばこ屋であったという。空き家になってから長く、相当の傷《いた》みで、店子《たなこ》が入ったのは十数年ぶりのことらしい。
目のなかに、くたびれたワゴン車が入ってき、店の前で堰《せき》に寄せられた。ジャンパー姿のがっしりとした男が、運転席から下りてきた。島では見かけない顔だ。
年齢はいくつくらいだろうか。五十を越した自分と同じくらいか。かと見直せば、自分の父親といっていいほどの年配にも思える。
男の視線は、ガラスの引き戸に古風な書体で書かれた屋号に注がれた。
『もろたや菓子舗』
古びた木目があらわになった二枚の扉だけは、前の店から取り外し、戸口として取り付けてもらったものだ。
からりと、ガラス戸が開けられた。
「ええ字やな」
裏返しになった屋号を男は振り返り、挨拶がわりのように眺めながらいった。
菓子舗といっても、『もろたや』のいまの商いは、仕入れた駄菓子が主体になっている。地元の客に前もって頼まれれば、半分隠居した形の父親が生菓子も作るが、店先には並べていない。
観光客が少ない島で、フェリーが送り込んでくるのは釣り人くらいだ。ふりの客はめったに菓子屋には来ない。が、男はふらっと立ち寄ったようにも思われない。店に入るなり、何かを捜すように、鋭い目で店の品々をあらためていく。
しげ子も、客につられて店内を見渡す。だが、間口も奥行きも、一|間《けん》少々の狭い空間だ。さっと一巡で済んでしまう。
「お客さん、何か……」
捜しとりますのか、という間もなく、客が声を上げた。
「これや、これや」
満面の笑みで、男は籠に盛ってあった袋のひとつを取り上げた。思うところを、腹にためておけないたちらしい。鋭さが消えて、目尻にやさしく笑い皺《じわ》が寄っている。
ほっと息をついた。悪い客ではないようだ。
客が手にした透明の外袋には、菓子の名が書かれていない。
袋のなかには、蛤《はまぐり》をかたどった最中《もなか》ふうの菓子が五つ、入っていた。貝に見立てられるよう、合わさった二枚の薄皮は、ツートーンに染め分けてある。赤と白、青と白、緑と白、黄と白、紫と白。五色なのは、五行に基づいて、火、水、木、金、土を写したものという。手のひらに、ふたつなら載るだろうか。
「綺麗《きれ》いやなァ……」
五彩の貝に、客は見とれた。
「うちの人気商品やさかい」
「ゆるやかな潮に引かれて、寄り添うては離れたり……か」
客の表現に、しげ子はぽかんとしたが、すぐに蛤のさまに思いあたって苦笑した。
「見かけによらずロマンチストやね、お客さんは。けど、うちのお客さんは子どもばかりなんよ」
「そうか。ひと袋、なんぼ」
「五十円いただいてます」
「貰おか」
穴のあいた硬貨ひとつをレジの受け皿にぽんと出すと、袋の口を、客はすぐさま開けた。
「なんで菓子の名を入れへんの」
「え」
「まだ、こしらえてはったんやね」
いいながら、蛤菓子のひとつを迷わず選んで手に取り、貝の口をそっと開く。
皮のなかには、餡《あん》が入っていなかった。だが、空というわけではない。
「ほら、大吉や。すべてによろし。順風満帆……」
蛤菓子から出てきた紙片を、男はひらひらさせた。
蛤|辻占《つじうら》
この島に越して来てから、品名を墨書でこう書いた赤い和紙を、外袋に貼らなくなった。かわりに、値段も半分にした。
「お客さん、うちの菓子知ってはりましたの」
「人づてに聞いたさかい、寄ったのや。貝の形した辻占菓子を作っとる店があるってな。ほうぼう捜したわ。あんたはんとこ、ずいぶん遠くまで越したんやな」
しげ子の問いに答えるあいだも、客は嬉しそうに頬を緩めている。
とある神社の門前町にあったせいか、『もろたや』には、辻占みくじを入れた菓子が伝わっている。菓子のなかのみくじには、大吉、中吉、吉、小吉、末吉とあって、凶はない。参拝の客は、辻占菓子を土産《みやげ》にして帰り、菓子を口にしては、縁起を占って楽しむ。しげ子の生まれた北陸の町では、半世紀ほど前までは、そんな風習が残っていた。
「細々と、させて貰《もろ》てたんですけど」
ある年の区画整理で、神社だけが遠くへ移転させられた。取り残された門前町は、さびれた。商家がアパートや駐車場に変わり、町並みは歯抜けになった。
それでも『もろたや』が何とか持ちこたえていたのは、しげ子の父、康夫の気概と腕のおかげである。
「でも、何でまた、蛤辻占をお求めに?」
「あんたんとこのは、安《やっす》いねん」客は、いとも簡単にいった。
「わざわざおいでたんか」
「ほかにも辻占の菓子はあるけどな。高いでっしゃろ。値段が気に入ったんや。一袋、五十円やて? 百円と聞いた気がしたが、値下げしたんか」
頷《うなず》いただけで、しげ子は済ませた。理由を話していけば、どうしても愚痴になる。
本音をいえば、その値では、投げ売りに近い。康夫は、餅皮を自分で焼いている。たいていの菓子屋が、最中の皮にあたる餅皮を、専門の業者に発注していることを考えれば、手がかかっている。
けれども、ゼリーでもピーナッツ・チョコでも煎餅《せんべい》でも、ちょっとした菓子がひと袋百円均一で買えるデフレ時代に、駄菓子屋での百円は高価すぎる。しかも、常連の客は子どもなのだ。
そこから、しげ子の連想は、前の店に降りかかってきた災難へ飛んだ。二年前に、近隣の家から火が出、あちこちの家に移った。『もろたや』の店も、一部を残して焼け落ちた。工房の被害が特にひどく、父親が使っていた菓子づくりの道具のほとんどが焼けた。火元からの賠償金は出ずじまいで、少し掛けていた保険金は出たものの、被害額の査定は厳しく、このご時世、店を再建するまでには至らなかった。
母を亡くしてから、一回り小さくなっていた康夫は、しげ子が出戻ってから、娘のぶんまで生計を立てようと気張っていたようだが、火事で木型やら刷毛《はけ》やら、長年使い慣れた道具を喪《うしな》った影響は大きかったらしく、店をやり直すとはいわなかった。
康夫の友人のつてで、島へ越す話が進んだ。なけなしの土地を売った金と、年金とで、じゅうぶん暮らしていけるという話は耳よりで、それを頼りに越した。
小さな島だが、人口に比すれば漁獲量は相当で、町のひとの懐は豊かだ。島に越して来た人間というだけで、売り物にならない雑魚《ざこ》を、誰彼が差し入れてくれる。
唯一焼け残った餅皮の道具類をつかって、みくじ入りの蛤菓子を作ると父がいったのは、受けた心ばえに、少しはこたえたいという気持ちからだろう。
ただ、辻占菓子とはうたっていない。
「安い。驚いたわ」男は掌《てのひら》に載せた小さな貝を愛おしむように眺めた。「……けどな。もうちびっと、負からんか。そしたら、まとめて貰うわ」向き直って、さらっといった。
安い、安いとほめ倒しておいて、なお値切る。関西人らしいな、としげ子は思った。よくよく見ると、ジャンパーから覗くシャツの襟《えり》ぐりがすり切れている。身なりからすれば、そんなに持ち合わせのあるようでもない。あらためてワゴン車に目をやると、雑多に荷物が詰め込まれているうえ、着替えらしき衣類がハンガーで吊されている。なかに、作業服も見えた。車で暮らす風来坊か。定職に就かずに、渡り歩いているのか。
「いくつ買《こ》うてくれはりますの」
海路を訪ねてくれたことでもあるし、数によっては負けてもいい、というつもりだった。五袋なら、二百五十円のところを二百円にしようか。
「三月一日にな、二百袋欲しいのや」
客は簡単なことのようにいった。
「――二百?」
しげ子は目をむいた。
「冗談いわんといてください」
「それとな。三月二日に、もう二百袋いるんや。三日にも、四日にも。つごう、八百袋や。八方広がり。縁起のええ数字やで」
八百袋となれば、蛤菓子の数は四千個になる。
「ひょっとして、問屋さんですか。うちはご覧の通りで、ここで売るだけしか作りませんのや。卸すような量産はできませんけど」
「商売やないよ。自宅でつかうんや」
「まさか、占いのほうか何か。それとも、何かの景品にでも出さはるんですか」
「楽しむだけや。ただのお茶うけよ」
「でも、ほないに……」
うちでは無理ですわ、と断りかけたところへ、暖簾《のれん》の奥から康夫が顔を出した。
狭い家のことで、店のやりとりは、奥までつつ抜けになる。それに加えて、はっきりとものをいう客の声は、よく通った。
「引き受けたらええ」
しげ子に向かって、康夫は半ば命じるようにいった。
「でも、父さん、何で……」
ひと袋が五十円では、八百袋といっても、四万円にしかならない。四千個の蛤菓子を作るには、二人がかりでも、一週間は働きづめになるだろう。
趣味のように、売れた分だけ作っては足しているからこそできているので、計算すれば、どうしたって割が合わない。
「こつこつやったら間に合うさかい。うちの皮はからっと火が通ってて、日持ちする。餡を入れるわけやないし、すぐにへたるようなもんやないやろに」
「ほうやけど」
「な」
渋るしげ子を、康夫は暖簾の奥へ引き込み、声をひそめた。
「『もろたや』の蛤辻占を、といって島までおいでのお人は稀少やで。有難いことや。それにな、俺は、こうやってそこそこ暮らしていけてるのも、蛤菓子の縁のような気がしてるんや。あの縁起物の型だけが焼け残ったのも不思議やし、凶のない当たりくじのおかげやないか。そんなんと違うがか」
康夫の考えは、日増しに落ち着いてきていると、しげ子は感じた。災難に遭った当初は落ち込みがひどく、菓子を作ると決まっても、焼け出された店が縁起でもないから蛤辻占≠フ名を外せ、と息巻いていた。
「ほんなら、引き受けたって構わんわ。けど、くじが……」
しげ子は口のなかでいった。
「あるやろ……。まだ、残っとったやろ」
康夫は、そんなはずがないといわんばかりの口調になった。
「けどな、四千はないわ。あったって、五、六百枚で終わりや」
「あ、ほやったかいな」
思い当たったのか、弾んでいた康夫の声がくもった。
菓子のなかに畳んで入れるくじは、代々伝わった版木で刷ったものだ。刷っていたのは前の町の印刷屋で、発注してあったくじの刷り上がりが、火事のあとに届いた。康夫は、少なくとも、そのくじを使い尽くすまで、菓子もこしらえるつもりでいた。しかし、版木は印刷屋に預けたままである。
康夫は、暖簾をかき分けて店側に出、客に切り出した。
「申しわけないことですが、無理ですわ。餅皮はこさえられますけどな。肝心の中身がない。くじが足りなくてな。あの字の訥々《とつとつ》とした味が、いまの印刷では出せませんわ。版木があったんやが。それに、刷るだけの予算が……」
「ちいとばかし待ってや」
いうなり、男はワゴンに戻って、荷物のなかから段ボール箱を引っぱり出してきた。
「これ、刷ってもろうてきたで」
鼻をうごめかしながら開けてみせる箱を覗き込むと、刷り出してカットしたくじが、袋入りになって納まっていた。
「あんた、どういう……」
くじの袋を取り出してしまうと、箱の底から『もろたや』の版木も出てきた。
「こしらえていただけまっしゃろか」
聞く眼差しに、期待がこもっている。悪戯っ子のような目つきだ。
康夫は眉を寄せ、ため息をついた。
「あんたなあ。こないなんあるのやったら、最初から出すこっちゃ」
「すんません」
ちろりと、舌が出た。
「かなわんなあ」
約束ができると、康夫は用が済んだとばかりに、また奥に引いてしまった。客は折り畳んだ紙を一枚、しげ子に預けた。
「これ、菓子に入れといて貰えますやろか」
「ほかのと混ぜるんですか」
「別にしといて」
「何色の貝に入れますの」
「任せますわ。それとな、三月一日のぶんとそれだけは、当日の朝、あんたはんが持ってきてえな。残りは届けで構わんから」
いって、男は代金や送料とは別に、交通費、日当と書いた封筒を置き、「そいなら、頼みましたで」からっといって、出ていった。
封筒に墨で黒々と書かれた字を見て、ずいぶん達筆やな、としげ子は思った。なかの札を数えて驚いた。釣りが出るどころの話ではない。上のせされた分を足せば、辻占菓子の代金が四倍になる計算になる。
折り畳んだほうの紙には、やはり墨書でこう書いてあった。
大々吉
二
フェリーの乗船口近くで、サービス・チケットと書いた名刺大の券が配られた。
薄手のサーモンピンクの紙に、ダークグレイの文字でPearl≠ニ、品よくレイアウトされた英字入りだ。
ご案内 特別|感謝祭《フェア》 お一人様一回限り もれなく抽選できます 船内M2F売店脇にて 特等 本真珠
航路の彼方には、真珠の養殖で知られる町がある。この船は、その港に立ち寄るわけではないのだが、印象としては、近いエリアを掠《かす》めるように通る。真珠が地場産業だといっても通る、ぎりぎりの線である。
が、船内に入っても、大げさな呼び込みはないので、パール抽選フェアのエレガントなイメージは保たれている。ただでさえ手持ち無沙汰になりがちな船内での時間つぶしに、抽選は打ってつけだし、喫茶できるラウンジからは、フェアのためのコスチュームで身を固めた二人の女性が、中二階にすっくと立っているのが目に入る。
たかが、抽選である。無料だから、外れても損にはならない。パールに惹《ひ》かれてか、案内役の美女につられてか、無料の気楽さからか、男女を問わず、何人か順番待ちの列ができていた。
観光客の多い港で新しい客が乗船してくると、抽選コーナーに並ぶ人の列は長くなる。
サービス・チケットを案内役の女性に渡すと、上部に穴の開いた箱を差し出される。手を入れて、三角くじを選び出す。
「開けさせていただきます」
いわれて、案内嬢にくじを渡すと、すぐに開いて、当たりはずれを見せてくれる。
「あーあ」
女子大生くらいに見える二人連れが、ため息をつきながらラウンジに戻ってきた。
「あんたたち、はずれたんか」
「は?」
「これや、これ」
男は両手の人差し指と親指とで、三角形を作ってみせた。スピードくじの形を模しているらしい。
近くの席に陣取ったジャンパー姿の男に声をかけられて、女の子たち二人は顔を見合わせたが、厚手のバルキーセーターにカラフルなニットマフラーの子が気軽に応じた。口調からするとやはり関西の出身らしい。
「わかる?」
「がっくりしとったやん」
「おっちゃんは」
「大はずれや」
照れたように笑う、年配の男の人懐《ひとなつ》っこさに、二人は警戒を解いて、大仰に嘆いて見せた。
「本場の真珠、欲しかったのに。前の組は当たってたの。特等だって。惜しかった。一人ずれてれば当たってたかもね」
二人のうちのもう一人は、訛《なまり》の少ない話し方をした。
「簡単には当たらないもんやね」
「あのな」男は身を乗り出して囁いた。「内緒にしといてな。わしなあ、超能力ありますのや」
「嘘ォ」
信じるわけがないという顔になったものの、話につられて、二人は男に身を寄せて輪をつくった。
まだ続いている抽選フェアの列を、男は見やり、真顔でいった。
「いい当ててみせまっせ。並んでるなかの誰がくじに当たるか」
「まっさかぁ」
若い二人は、気乗りのしない答え方をして、妙なおっちゃんだという目配せを交わし合った。
「いま三角くじ引こうとしている兄ちゃんな、はずれや」
「どれ?」
ダウンジャケットにカーゴ・パンツの若い男に、順番が回ろうとしていた。
「当たるんじゃない? 結構いけてるし」
三人が遠くから見守るなかで、抽選は進んだ。ダウンジャケットの男の引いたくじは、はずれた。
「はずれるよね」
「はずれは多いもんね」
屈託なく、二人は受け流して笑い転げた。
「はずれたら、何もくれないんやね。普通、ティッシュか何か、残念賞があるけど」
「このフェアは、はずれか当たりだけなんじゃない。当たりが即、特等なのよ」
続いては、二人の子を引き連れた女性の番になった。男の子二人は、四、五歳くらいか。細身のショートコートにロングブーツ、毛先をそいで散らしたウルフカットの姿は、二十歳そこそこに見えるが、様子からして母親だろう。
「三人とも抽選できるのやろか」
関西弁のほうの子が疑問を口にした。
「できるでしょう。券は一人に一枚だもん」
「そやけど、子どもやで。子どもに真珠て、もったいないわ」
「いらん心配せんでええ。この組は、みな、はずれる」
男のいい方は、自信に満ちている。
若い母親は、三枚のチケットをまとめて出した。
まず自分で二枚ひいて、係に渡す。係が開けたが、二枚ともはずれたらしい。ツキを変えようとでもいうのか、母親は、せわしなく動き回る子どもの一人を呼んで、残りの一枚を引かせた。
「お母さまが引いてください」
係の女性がそんな注意をしたようだったが、従わずに、母親は子どもを抱き上げ、箱に手を入れさせた。
案内係の女性は、心なしか、構えた形になった。引いたくじを持ったまま、子どもは駈け出すそぶりを見せた。すわというとき、案内係のほうが母親より遥かにはやく、機先を制して男の子を押さえた。注意して見れば、必要以上の慌て方に見えないこともない。
「くじね、くださいな」
いわれて、素直に子どもは係に三角くじを渡す。そのくじも、はずれた。係はほっとしたらしく、緊張を解いた。
次の釣り客らしい中年男五人組は、全員がはずれ。中学生くらいの女の子と両親らしい三人連れも、はずれ。
はずれ組の面々は、そそくさとコーナーを去っていく。別に、真珠が欲しくてしかたがないわけではないのだ。自分の前にどうぞと差し出されれば、貰う。はずれたと分かれば、見向きもせずに通り過ぎていく。
「次も、はずれや」
迷わずいってのける男の指摘には、これまで誤りがない。ちらと一瞥《いちべつ》しただけで、年配の女性のはずれを的中させた。
「まぐれでしょ」
若い女たちが入れる茶々にも、さすがに、驚きの調子が混じり始めている。
「おっ。次は当たるッ」
嬉しそうに眉をひくひくさせて、男はご託宣を下した。抽選の順番は、恋人らしいひと組に回っていた。男性も女性も、ともに袖口にファーをあしらったレザー・ジャケット姿だ。互いの肩に手をかけ合っている。
男性が先に、箱から三角くじを選んだ。係に渡す。はずれていた。
「はずれやん」
女性が引く。係に渡す。係がくじを開いて見せる。女性の視線が、くじに吸い付いた。息を呑む。くじを係から受け取り、何度も確かめるように見る。男に当たりくじを渡して見せたときには興奮して、喜びのあまり女性が洩《も》らす深い息が聞こえて来そうだった。
「ワオ」
「えーっ、当たったァ」
このひと組の当選を予言した男を囲み、女の子たちは、大きく目を見開いた。
「おっちゃん、千里眼や」
「どうやろな」
はずれ、はずれ、はずれ。はずれ。続いて……当たり。
さらに一人、男はずばりと特等に当籤《とうせん》する人間を当ててみせた。
中年の夫婦と思われる二人のうちの女である。年配は、四十がらみか。
それに続いて、はずれが二人出て、抽選フェアの列は終わった。結局、列に並んでいた人間たちの当落は、すべていい当てたことになる。
「凄《すご》い勘。何でわかったの」
「あのな」あたりをはばかって、男は声を一段とひそめた。「誰かにいうたらあかんよ。商売の邪魔したと思われたくあらへんし」
「え?」
「この本真珠はな、彼氏連れた女性にしか当たらんのよ」
「それ、からこうてはるの? どうせ、うちたちには……」
連れがおらんもんな、とセーターの子は口を尖《とが》らせた。
「ほんまよ。見てみ」
男がいう通り、当たった真珠を受け取るために中二階に残っているのは、二組ともカップルだ。彼らは、抽選コーナーから、パーティションで隔てられたデスクに連れられていく。当籤客たちの姿は、ラウンジからは見えなくなった。
「あっちでな……、真珠を貰えるわけやが、説明も聞くことになる」
「どういうこと」
答えず、男は問い返した。
「本物のパールを一つ貰ったらな、あんたたちならどうする?」
「うち? そうやね……ペンダントトップにでもしよっか。そやけど、一個やったら、ちょっと地味やね。二個あればピアスにするけど」
「指輪もいいんじゃない。でも、フォルムが新しくないと、見られないけどね。パール・パーツのものって、オーソドックスなのが多いから」
「そこや、狙いは」男の眼が、一段と輝きを増した。「本真珠はな、粒貰っただけじゃ済まないやろ。ジュエリーとして加工しないことには、使い物にならんわな。台か鎖が欲しいやろ? 本真珠となれば、鎖も台も、銀かプラチナでなければ嫌やということになる。それも、洗練されたデザインに仕立てたいわけや。いま、幸運にも、手もとに本真珠が一粒舞い込んだ。仕立て屋がすぐ脇で、見本帳持って控えてる。ほな、ついでに作ってしまおうか、となるわ。見ているうちに、真珠のまわりに別の石か何かを飾ったほうが見栄えがええわ、と思いはじめる」
「せっかくだしね」
女たちは、引き込まれて相槌を打った。
「けどな、本真珠そのものは、当たったから無料やけど、ジュエリーにしたら、加工賃は取られるのやで」
「そら、あかんわ」
「しかたないやろう。材料費やデザイン費は、払わんというわけにはいかんで。それも、ちょっといい材質と形にしたら、偉《えろ》う高うつく」
「うち、払いとうない」
「当たりといってもな、店側にはそんな思惑があるもんや。粒ひとつだったら、ケチくさいプラスチックのケースに入れて持って帰れるで。抽選で、あんたのもんになったんやからな。けど、釈然とせんわな。そんなときな、隣に彼氏がおったら、どうや」
「めっちゃ、ごねるわぁ。特等で、いいもんがうちに当たったんやし、旅の記念になるしい……」
三人は、顔を見合わせて吹き出した。
「……でも、作り話でしょ。抽選はそんなに都合よくいかないよ。カップルの、それも女のほうにだけ当たりをだすなんて、不可能じゃない。実際、箱からくじを選び出すのはお客自身だもん」
訛のない子が首をかしげた。
「あれな……、箱のなかの三角くじな、全部が当たりやねん」
「えっ」
あまりの思いがけなさに、耳打ちされた女の子たちは、まさかという顔になる。
まぜっ返しが始まる前に、年齢不詳の妙なおっちゃんは――佛々堂先生という異名をもつ、知る人ぞ知る関西きっての風流人なのだが――スピードくじの手の内を明かした。
「あの三角くじは、よく見ると平たい山のような形や。三角に切った色違いの紙を袋状に貼ってある。片面は青、もう片面は赤やね。お客はんが引かはった三角くじを係の姉さんが、いったん、預かるやろ。そのとき、係の手元をよく見てごらん。必ず、赤を表にして、山のてっぺんを上にして持つよ。ほんでな、開封するときは、右端を破ってほかす。ほな、はずれになる。開いて見せても、当たりを示すマークはあらへん。当たりと書かれた部分は破り捨てられて、ゴミ箱のなかへ直行しとるからな。ところが、カップルの女性の番になると、左端を破って、ほかす。すると、あら不思議。当たりの印があらわれるんや。……けどな、内緒やで。あんたたち、彼氏と一緒にまた旅に来て、知らんふりして、くじのご利益《りやく》、貰っておいたらええよ」
三
力が、余っていた。
千紗子《ちさこ》は、不思議な勢いが自分に内蔵されているのを、じゅうぶんに意識していた。
気魄《きはく》というものが、もし幕のような形で目に見えるとしたら、自分のそれは、大都市のひとつやふたつは蔽《おお》えるくらい、あるだろう。時々、意図しないときに、必要を遥かに超える力が出てしまう。奔放だ、とか、野放図だといわれるのはそのせいではないか。
――虫も殺さぬ顔してるのにね。意外なことしでかす人。
皮肉なのだろうが、そう友達にいわれるのは、嫌いではない。荒れ野を踏みしめていく強靭《きょうじん》な女のけはいは、容貌ではなく、作品の姿にはっきりと出ていた。
惧《おそ》れずにあたり構わず進む、不羈《ふき》の魂。
小布施《おぶせ》千紗子の焼きものがそう評されるのは、何か直覚的に、異能を感じさせる絵からだった。筆勢というよりも、太刀で薙《な》ぎ払ったような跡が、雄々しく走っている。絵具のしたたり方は、鉛のようだといわれる。ただの鉛ではない。本阿弥光悦《ほんあみこうえつ》が漆芸に取り入れた鉛板のように、大胆で、どこかかけ離れた力強さを味として持つと見る人がいる。一見してぞんざいに挽《ひ》いたような、荒っぽい唐津のろくろ目に、この絵が加わると、無限を予感させた。
絵唐津の、天才肌の若手
そういわれると、千紗子は過分と思いながらも、悪い気はしない。しかし、続きがある。嫌なおまけがつくのだ。
……二世だからね≠ニ。
千紗子は、私鉄の駅にいた。待ち合わせの相手は、遅れている。
ぼうっとしているのが苦手だ。春特有の風に、しきりに誘われ、町に飛び出したくなる。気持が逸《はや》るのを懸命に抑えていると、思いはつい仕事のことに走っていく。
嫌な場面が、ふいに、よみがえってきていた。
年に何回か、技法を学ぶ目的で、ろくろの名工として知られる作家の窯《かま》に出入りし、試験的に作品をいくつか、焼かせて貰っている。ひょんなことから、作家とその妻の会話が、耳に入ってきてしまった。
「どうなの、千紗ちゃんのは」
「駄目だね」
作家は鼻を鳴らしていい捨てた。
――駄目?
物陰で聞いていて、千紗子は我が耳を疑った。ふだん、親身になって指導してくれている人のいったこととは思えない。
「なぜ? 凄い絵だわ。ぞくっとするみたい。焼き上がりはさぞかし……。ほら、小布施康介の、あの重要文化財に指定された水指《みずさし》の鉄絵の感じが、見えてくるみたい……」
作家の妻がいった。棚に並べて窯入れを待っている自分の作品を、二人が話題にしていることは、すぐにわかった。
「だから、駄目なのさ」
「どうして。小布施康介といえば、独特な鉄絵具の調合で定評があるじゃない。その絵具を、千紗ちゃんは使わせてもらっているんでしょう」
「それが、いけないんだ。彼女には、まだまだ、人の踏跡を頼りにしているようなところがある。とくにいけないのが、父親のレシピだ。彼女自身がにじみ出ていかない。あの子の描きっぷりからすると、少し、絵具の粘り気が足りない感じなんだ」
「そうですか。結構な仕上がりだと思うけれど」
「確かに結構だけど、それ止まりだ。人のくれた色に安穏としているようじゃ、まだ、父親の懐の雛鳥《ひなどり》だな。親の手を捨てて、もっと、なりふり構わずにいかなければ」
痛いところを突かれていた。
大きな展覧会で賞を獲《と》った。小布施流の鉄絵具の微妙な調合は、その褒美だといって父から渡して貰ったものだが、甘やかされ、型に取り込まれてゆくだけのことだったのかもしれない。
千紗子は、何もかも、父のしてきたことを軽々と超えてゆくつもりだった。
「蔦《つた》のように」と、いつも思っている。一本の幹から出たとしても、蔦のように、われ勝ちに壁の空白を這い取り、無数の葉で壁を覆い尽くす。そんな野心を胸に、独創的な形も絵柄も作り上げてきたつもりだ。
それだけに、親の手製の鉄絵具で出した色は借り物だといわれて、心に入った罅《ひび》は大きかった。
捨てようと決めた。だが、代わるものが、手近にすぐあるわけではない。
自信がぐらついた。
――あの色を使うことができなければ、どうなるのだろう。
ぐずぐず悩むたちではないはずが、らしくなかった。
「ね、気晴らしに面白いところに行かない」
誘いかけてきたのは、同じ美大を出て彫金の仕事についた、小松啓子である。学生のときからの遊び仲間だ。さっぱりした気性で、フットワークが軽い。情報の取り捨てがうまく、遊び場を見つけるのが早い。
「連れ出してくれるの」
「何いってんの。大河が行き場を失っているみたい。くねくね曲がるの、やめようよ。千紗子は余裕|綽々《しゃくしゃく》でいなきゃ」
はっぱをかけられた。
「面白いところって」
「大阪のね……」
郊外の駅名を、啓子は口にした。駅や土地の名から、観光地が想像できるようなところではない。
レストランかブティックかと尋ねてみるが、啓子は言を左右にして明かそうとしない。昔から、驚かせたがりのところがあって、行き先をいいたがらない。スケジュールと集合場所だけを決めて、あとは啓子まかせにすることに、千紗子は慣れていた。
「できるだけ、いいもの着てきて。フォーマルじゃなくていいけど、そうだな、自分の個展で着るようなもの。きものなんかがいい」
「まさか、合コン系統じゃないわよね」
念を押した。
「それは保証する」
午前十時を回っていた。携帯電話を、アンティークのクロコダイル製バッグから出し、時間表示を確認する。薄く、軽くなったとはいえ、セルラーを袂《たもと》に入れるのは、さすがにためらわれた。懐中時計も帯に挟んでいるのだが、使い慣れずにいる。
改札口の前で待ち、下りてくる乗客のなかに啓子の姿を捜す。
着飾ってこいといわれたので、千紗子は、地模様のとくに細かい一つ紋の色無地に、有職《ゆうそく》文様の帯を合わせた。どんな席に呼ばれても、一応はこと足りる装いだ。
が、無難すぎて、華やぎが足りない。
そう思ってしまったのは、贅《ぜい》を尽くした支度の女性たちが、ちらほらと、改札を抜けてくるせいである。
いざというと垢抜《あかぬ》けた着こなしをしてくる啓子も、これではすぐには見分けられないだろうというくらい、際立った女性にばかり行き合う。年齢はまちまちだが、和服姿も多い。狐につままれたようであった。時間が経つにつれて、降りてくる女性たちの数は増えていった。
啓子が遅れるのは珍しいことではない。目的地への道順を手書きした地図を、ファクスで貰ってある。オリエンテーリングではないが、地図と番地を頼りに歩く目的地捜しは、冒険のようで楽しい。縛られていたくない千紗子は、十分以上待つことはしない。啓子に連絡のメールも打たないで、さっさと先にいくのが常になっている。
――もう、十分待ったわよね。
華やかないでたちの女たちに、浮かされたように混じって歩き始めた。
近くで大茶会でもあるのだろうか。女たちの列は、住宅地に折れる隘路《あいろ》に入っていく。地図を眺めると、千紗子の目的地へも、同じ道を通るようだ。
道ばたで、車を磨きながら、家の前を通り過ぎていく女たちを、少しやに下がって眺めている男がいた。
「あの」千紗子は尋ねかけた。「近くで何かの集会でもあるんですか」
「え。あんたも行くんやないの?」
「いえ、私は……」
「お仲間さんやないんか。この先に、骨董収集やってるおっちゃんがいてな。年に一回、がらくたフェア≠ニかをやってるらしいわ。それに行くんと違うか」
ぴんと来た。啓子が選びそうな催しだ。どうやら、そこが遊びの目的地なのだろう。
「何や知らんけど、おっちゃんが集めたもんのなかで、要《い》らんのを処分するらしいで。大したものは出ないっていうけどな」
好奇心をそそられた。
「誰でも入れるのかしら」
「うちの女房も行ってみたらしい。凄い盛況なんやて。けど、処分品のなかには、ほんま、ガラクタしかないいうとったわ」
――確かに気は紛れそうだ。
千紗子の姿は、女たちの列に、再び取り込まれていった。
四
屋敷の表門は、広く晴れやかに開け放たれていた。
思い思いに装いを凝らした女たちは、迷わずにその門に入ってゆく。心が浮き立つのを隠せないといった様子で、足どりは軽い。
千紗子は、門の前で足を止めた。
ご自由にご覧下さい――三月一日から四日まで
そう墨書された木札が、門柱に立てかけられているが、がらくたフェア≠ェ行われるのは、本当にここなのか。
途方もない家だ。どこまでも続く生け垣の根方には、切り出されたままの巨石が野面積《のづらづ》みになっている。
表門から少し離れた脇に、小ぶりの茅葺《かやぶ》き門があるのを、千紗子は見逃さなかった。ふだんは、そちらを通るのだろう。冠婚葬祭を含む正式のときにしか表門を開けない古式の家が、千紗子の故郷にもある。かりに表門が閉じられていたなら、邸の格式の高さに圧倒されて、入るのをためらったかもしれない。けれども、門はいま、客迎えの形に明るく披《ひら》かれていて、続々と訪《おとな》う女たちを招き、迎え入れる風情であった。
人の流れにつられるように庭に入ってしまうと、なかからは隣近所の家々が見えない。清々《すがすが》しく仕立てられた木々の樹齢は、どれほどになるのか。庭木がほどよく刈り込まれた枝振りを見せている。なかでもとりわけ多い、松の古木の木間《このま》隠れに、入母屋《いりもや》の屋根がのぞく。庭にひと通り手を入れるだけでも、何人がかりになるか。
女たちが、幾組か池を取り巻く形の回遊路にたむろし、庭の眺めに打ち興じている。園遊会といった趣だ。
「ごめん、遅れた」
聞き慣れた声に振り向くと、小松啓子が追いかけてきていた。
「すぐにわかった? ここのお宅」
千紗子は頷いた。「すごい人だもの」
「いいでしょう」啓子は穴場を見つけたといいたげに、目を輝かせている。「四日間で、四千人近く集まるんだって。一日にしても千人は来る計算」
「千人……? 個人のお宅に、そんなに人が集まるの」
「お庭だけでも見ごたえがあるし、コレクションが人を集めるのよ。遠方からも足を運ぶひとがいるって」
「でも、そんなにいいものは出ないんじゃないの。処分品のなかに大したものはないって、ご近所さんがいってたから」
「は? 何いってるの」
啓子は不思議そうな顔になった。
「みんながらくたフェア≠ェ目当てなんでしょ。このお宅のご主人はアンティークのコレクターで、不要になったものをフェアで処分するって聞いたけど」
「違うよ。千紗子、あれ見てないの」
指さされて、屋敷の玄関前にうち開けた石畳のアプローチに目をやると、大ぶりの壺にたっぷりと花のついた枝が投げ入れてある。
「桃?」
――あ、お節句なのか。
ようやく、気づいた。
「わかってなかったの? 季節ものじゃない。雛の宴《うたげ》だから、それなりの格好してきてるのに。この日程なら、主役はお雛さまでしょ」
啓子は、あきれたという口調になる。
「雛祭りか。忘れてた」
千紗子は、悪びれずにいってのけた。雛であるかないかに拘《かか》わらず、もとから、人形との戯《たわむ》れに喜びを感じるたちではない。おとなしく男雛女雛《おびなめびな》に見とれ、並べて遊ぶ子たちと自分とは、生まれる前から約束されていた生命量が違うと感じていた。細工や人形趣味に、繊細さや切なさは感じるが、それだけでは満足できない。極端にいえば、もっと汚れたものでも、崩れたものでも、大胆に感覚に取り込む自信がある。
この子には、鯉幟《こいのぼり》のほうがまだ、ましなのかしら
母親がそうこぼしていたくらいだから、ひとり住まいになった千紗子に雛飾りを送ってくるはずもなく、季節が巡ってきても、雛を飾る習慣がない。
「なんだ。雛なの」
集まっている女たちの整った身支度にも納得がいき、急に、期待感がしぼんだ。
「ま、そういわないで」見かけによらず勇ましい友達を、啓子は眩《まぶ》しく見た。「ほんと、千紗子って……。それだから、陶芸家として男以上に飛び抜けていられるんだろうけど。でもね、もともと、桃の節句っていうのは、遊びに出る日と決まっていたんだって。今日のあたしたちみたいに」
「そうなの? 雛壇飾って、友達呼んで、家でおとなしく甘酒飲む日かと思ってた」
「三月の節句には、春の海が珍しい神を連れてくるんだって。旧暦のこの日は、潮の満ち引きが激しいらしいのね。神が来るのに合わせて雛を川に流したり、磯に出て遊ぶことになったみたい」
「外で遊ぶ日か。意外ね」
「だから、遊びに出ようと思ったの。縁起がいいのよ」
「それはそれとして、がらくたフェア≠ヘ、どうなっているのかな」
「知らないわよ。いいから行こうよ。雛のコレクションは相当なものなんだって。工芸品もあるっていうし、後学のために、入って鑑賞しよう」
気乗りしなさそうな千紗子の先に立って、啓子は、幾棟も続く邸に向かった。
「ここの情報、どこから仕入れたの」
「雑誌のインフォメーションで見た。蒐集家《しゅうしゅうか》のあいだでは有名な催しみたいね。雛の披露は、もう二十年以上続いているらしいの」
訪れる人の数は、しだいに増えている。間口が二間ある玄関にも、客がしきりに入っていく。
受付係のもの静かな男性が、客たちに履き物入れを渡しているが、誰からも入場料をとっている形跡がない。
「払わなくていいのかしら」
「無料開放なんだって。おおらかよね」
「まさか。だって、四千人もの人が来るなら、何かと費用もかかるし、人手もいるでしょうに」
スタッフらしいさまざまな年配の男女が、客たちの案内や応対に、甲斐々々《かいがい》しく立ち働いている。なかのひとりが、芳名録です≠ニいって、客の間を縫うようにして、千紗子たちのところにも和綴《わと》じの帳面を持ってきた。
めいめいに名を書き込み、中へ通った。
選《よ》りすぐりの調度のなかに、雛は明るく、誇らしげにいた。奥へ奥へと連なる座敷のそれぞれに、年代の異なる雛が並ぶ。
雛たちは、先ほど眠りからさめたような初々しい顔をしていた。内裏《だいり》雛の宝冠の瓔珞《ようらく》や、装束に織り込まれている金銀の糸が光を集め、夢とすれすれの境にいる。
地方色の濃い変わり雛も揃い、女たちのめいめいが、故郷の雛を見つけ、思い思いに声を上げているのもほほえましい。
階上にも雛を飾った部屋があるらしく、上がり口が混み合っている。デニム姿の年配の男が、洗いざらしのダンガリー・シャツを袖まくりし、混雑する客たちの交通整理をしていた。
「階段は危ないで。狭いからな。そこの人、一列になって上がらな、あかん。うるさいこというと思わんといてな。あんたはんのためでっせ」
その男に慣れた身ぶりで導かれると、女たちの群れは、魚が揃ってターンするように、手もなくあしらわれて進行方向を変え、列を整えた。
ベテランのスタッフらしいと、千紗子は感心しながら通り過ぎた。
とりどりの雛を見て回るうちに、小一時間ほど経っただろうか。一々をつぶさに見ていけば、一日たっぷりかかりそうだったが、千紗子の探求心は、すでに雛を離れていた。
あのダンガリー・シャツの男が、よく通る声で呼ばわった。
「別棟で粗茶を差し上げてますので、お姉はんがたも一服どうぞ。福引きもしてまっさかい」
千紗子の耳がぴくりとした。
――福引きですって?
がらくたフェア≠ネのかも、と再び興味をそそられた。
五
屋敷と催しの大きさに、『もろたや』の松原しげ子は気を呑《の》まれていた。
――雛祭りやったんやな。
庭を行き交う客たちは、どこか若やいで、頬を綻《ほころ》ばせている。
無茶な数の菓子を、時間通りに届けたことで、しげ子はまず、ほっと肩の荷を下ろしていた。
予定よりも早めに到着して勝手口にまわり、依頼された蛤辻占を持参したと告げた。注文主の姿はなかったが、ことを言い含めてあったのか、裏方で働いていた男性のひとりが応じ、段ボールで何箱かになる荷下ろしを手伝ってくれた。遠いパーキングから、箱を抱えて二度往復し、壊れた菓子がないかの検品をこなし、品を預けてしまうと気が抜けて、スタッフの勧めるまま、ひと息入れに庭に出た。
桃の節句に蛤はつきものだ。貝はぴたりと合わさって、仮に別々に分けたとしても、ほかの貝の片割れとは合わないといわれ、男雛女雛の言祝《ことほ》ぎに通じる。汚れた水を嫌い、清らかな水を求めて棲《す》みかを変えるところも喜ばれる。蛤の辻占菓子を男が求めにきたわけが、いまさらながらに呑み込めた。
久しぶりの雛祭りに、華やいだ世界を見たと感じた。父、康夫の作る菓子は、こんな心遊びの席にこそ似合っていると思う。
――心ゆくまで、作らしてあげたいものやけど。
ため息に近いものを、しげ子はもらした。
「お掃除、まめにしてはるのやね。隅々まで綺麗やわ」
植木の間に箒目《ほうきめ》をみつけ、庭に案内してくれた若い男性スタッフをねぎらうつもりでいった。
「丹精したの、この家の先生なんです」
「先生て、どの方」
「あ、家のご主人です。去年の秋口から手入れをはじめているんですよ。まず、庭全体の植木をざっと刈り込んで、それが終わると順に仕立てていくそうです。端からはじめて、雛の宴の直前に、主庭を仕上げる」
「庭全体って、ほないいうたかて」
思わず、あたりを見回す。見当はつかないが、少なくとも千坪はありそうだ。
「剪定《せんてい》の合間を縫って、池の掃除です。池を半分ずつせき止めて、残り半分の泥をさらい、へばりついた落ち葉やら青藻をすくう。宴の前日まで、苔の上を掃き、植え込みの蔭まで、竹箒《たけぼうき》で掃き清める」
「お一人でか。お手伝いせななりませんのやろ」
「ぼくたちは、雛の宴の期間だけの助《すけ》っ人《と》ですから」
「ほなら、お弟子さんやなしに、バイトさん?」
「いや。めいめい、手に職をもっているんですが、宴となれば馳せ参じます」
「ほんながか。でも、助っ人さんは大勢いるがやろ」
「ぼくたちが手を出したところで、直されてしまうのがオチなんです。何でも自分でしなければ気が済まない人で。文句いいながらやっているらしい。佛々堂先生の面目躍如ですよ」
「……ぶつぶつ堂?」
「佛という字を当ててますけどね。何かとブツブツ文句をいうからそういう異名がついたっていわれてます」
「できれば、その先生にご挨拶していきたいもんやけど、ご多忙なんやろね」
「それもありますけど、意外と照れ屋ですから」
佛々堂先生は、肩肘張って客と向き合うことなどしないのだと、助っ人は説明した。
はっと思い当たるものがあった。それを口にしようとしたとき、別のスタッフが、しげ子を呼びに来た。
「『もろたや』さんですか。どうぞ、こちらへ」
伴われて裏手をゆくと、厨房に出た。割烹《かっぽう》のそれのように、道具万端が整っている。
磨き込まれた台のまわりで、これも助っ人たちなのだろうか、バティックの布を頭巾《ずきん》がわりにする者、作務衣《さむえ》にデニムの者など、着ているものはとりどりで、本職の調理人というにはラフだが、ものをつくるときの動きやすさを心得た身支度のチームが働いている。
なかに、ワゴン車で島にやって来た例の男がいた。旅で着ていたジャンパーは、ダンガリー・シャツになっているが、長年着込んだ感じは変わらない。
男は慣れた手つきで、皿や茶碗の一々を箱から取り出し、器をあらためていく。そつのない動きに目を奪われる。
「お客さん」
戸口から、声をかけてみる。
しげ子を見つけて、男は破顔した。
「まいどっ」
朗らかにいいながらも、手のほうは休めない。
「この度はありがとうございました」しげ子は、菓子の注文の礼をいった。「板場のお方やったんですか」知らない振りをしていってみる。
「ま、そんなもんやな」苦笑いして、男はいった。「例のあれ、どこ」
「あ」
頼まれていたものがあったことを思い出し、小箱を手提げから出して渡す。大々吉≠フくじが入った、特別の蛤辻占だ。
男は包みを解いて、小袋に入った蛤形の菓子に見入った。
「これや。福引きの特賞。大当たりのぶんでっせ」
いって、男は大事そうに小袋を両手で捧げ持ち、辻占菓子を取り分けている助っ人に渡した。
そのあいだにも、男の背後では、棚や戸棚や抽出《ひきだ》しから、道具が続々と運び出されている。
「うちでよかったら、お手伝いさせてもらいます」
「手は足りてまっせ。気ィ遣わんと、ちょっとばかしくつろぎなはれ。ご苦労さんでしたな。ゆっくりしていかはったら。あんたんとこの辻占菓子を使うた福引きしまっさかい、あんたも表に回って、一服していくとええ」
男の後方で黙々と仕事をこなすスタッフの姿に、ふと目がいった。何となく見覚えがある。
はっとした。
食にうるさい客が足繁く通うという、京都の料亭の主人ではないか。点茶や懐石の名手として全国に知られる人は、しげ子の店にある食の専門誌にも時折り寄稿しており、顔を見覚えていた。
その人が、ダンガリー・シャツの男に付き従うように働いている。
――なんでやの。
しげ子は舌を巻いた。男はあたりまえのように悠然と指示を出し、名のある料理人が粛々《しゅくしゅく》と使われている。
――きっと、この洒々落々《しゃしゃらくらく》としたおっちゃんが、佛々堂先生なのや。
頭を下げて辞去しながら、しげ子は胸中で呟いた。
六
知った顔を、ちらと見た気がした。
――そんなわけは、ないと思うけど。
あたりを見回す千紗子を気にとめて、啓子が聞いてきた。
「どうしたの」
高名な日本画家に似た人を見かけた。そう告げて、大家《たいか》の名をいうと、啓子は慌てて捜す顔になる。
「え、どこ?」
「見間違いみたい。ブルゾンにコットンパンツなんて着る画家じゃないよね」
「違うでしょう。あの御大はご高齢だし、いつも和服じゃない。グラビアでも、高そうな紬《つむぎ》のきもの姿しか見たことないもん」
「遠目だったから、別人かもしれない。たぶん、下働きの人なのかな。あの大家が、一人で脚立《きゃたつ》なんか運んでるはずもないし」
「まさか。雛を見にだったら来るかもしれないけど、それにしたって、弟子が大勢いるのよ。取り巻きなしでは歩かないでしょう。そっくりさんじゃないの」
「そうよね」
もともと、自信があって口にしたことではない。一瞬の印象が似ていただけのことだろう。
千紗子は、すぐに気を変えた。離れになっている棟に続く渡り廊下に、何人かの列ができている。そちらで茶がふるまわれているらしい。
「ね、そろそろお茶にしようよ」
「うん。ひと息入れますか」
別棟のなかは、母屋とは趣向が変わり、モダンな造りのラウンジ風になっていた。
入ったとたん、啓子が嘆声を洩らした。
「この椅子……」
千紗子も驚かされた。寡作で知られる木工作家のものだ。背もたれの形に特徴がある。
「どういうこと。三十脚はあるわ」
国際的にも評価の高い作家で、渡欧したあとノルウェーにアトリエを持っており、作品はほとんど日本の市場には出てこない。
「それに、こっちは」
啓子はテーブルにさりげなく置かれたガラスの花生《はないけ》に視線を移していぶかった。
なめらかな曲線の美しさは、疑いもなく、人間国宝にもっとも近いといわれるガラス工芸家のものだが、彼は巨大なオブジェしか作らない。日用につかう花生が存在することじたい、不思議だった。それも、テーブルのそれぞれに置かれている花器は、明らかに連作のようなのだ。
「どうなってるの」
男性スタッフが、お菓子とお茶を盆に載せてきた。茶席ではないので、喫茶店ふうに運ばれてくる。
「蛤の辻占菓子が、福引きになってますので、大々吉のくじが出ましたら、おっしゃってください」
口上を聞かせて下がろうとする給仕係に、千紗子は声をかけてみた。
「福引きって、がらくたフェア≠フことですか」
「そうです」
「何が当たるの」
「ここの主人のコレクションの一部です」
「ずいぶん珍しい作家のものまで集めてらっしゃるみたいですね。このラウンジの家具や置物も、いいものなんでしょう」
「そうですか。ぼくは、詳しいことはあまり……」
知らないのだといい置いて、係は下がっていった。
「何だか知らないけど、ここの持ち主、いい趣味してるじゃない。案外、賞品もいいものかもしれないね」
啓子は、すでに辻占菓子に手を伸ばしている。
器にのってきた貝のふっくりした形に、千紗子は見とれた。この部屋の一流のコレクションにもひけを取らない美しさだと、ふと思った。
「見て。大吉だって。ラッキー」貝のなかからくじを引き出して見ていた啓子が、弾んだ声を上げた。「すべてによろし。初詣で引いたおみくじより、いい卦が出てる。ね、千紗子どう?」
愛らしくて、壊すのが惜しいようだと思ったが、啓子にせかされて貝の口を開け、くじを出してみる。
「あたしも」
大吉だわ、といいかけて、つまった。
「何」啓子が手元を覗き込んでくる。「千紗子、凄いよ……。当たってるじゃない。やっぱり、あんたって、生まれつき持ってる運が違うのかもね」
ちりちりと、当たりを知らせる鈴が振られ、あたりに鳴った。
「大々吉ィ」
「只今、特賞が出ましたァ」
「おめでとうございます」
給仕係のあげる声に、茶菓子を楽しんでいた客たちはわっとどよめき、すぐに拍手がわいた。
遠くのテーブルで、当籤者が出たらしい。
しげ子の席からは、そちらの様子が見える。色無地を品良く着こなした女性が、助っ人に連れ出されようとしているところだ。ともに立ち上がったのは、その友人か。
頬が緩んだ。
――おめでとうさん。
特賞が出るところに居合わせたことが嬉しかった。これで、父親に、話の土産ができる。
――それにしても、ずいぶん早《はよ》う、当たりを出したんやな。
主催者の意図はわからない。偶然なのか、気まぐれか。
自分の前にも運ばれてきた蛤辻占を、しげ子は手にして開けた。
――末吉や。
ふくみ笑いをした。これでいいのだ、と思った。雛の宴の客人たちに、少しでもいい占いが出るほうが嬉しい。しげ子は菓子を口にし、薄茶を口に含んだ。茶の当たりが柔らかい。老舗の和菓子屋の娘らしく、少女の頃に少し茶を囓《かじ》った。その経験からすれば、極上の風味である。
客たちは、少しずつ入れ替わっていく。
談笑していた隣のテーブルのグループが腰を上げ、給仕係を呼んで茶菓子代を払おうとしたが、係は受け取らない。会計係もいないことに気づいて、しげ子はうなった。
一日あたり千人、四日で四千人の客に茶と菓子をふるまう。しかも、代を取らない。なんときれいな遊びだろう。とても、普通のおっちゃんの出来ることではない。佛々堂先生が島まで菓子を捜しに来た理由のひとつに、納得がいった。その拍子に、茶の稽古で繰り返し習った一節が浮かんだ。書物の名は忘れたし、記憶も確かではないが、利休がいったことだったか。
家居の結構、食卓の珍味を楽とするは俗世の事|也《なり》、家ハもらぬほど、食事ハ飢えぬことにてたる事也、是佛《これほとけ》の教《おしへ》、茶の湯の本意也、水を運び薪をとり、湯を沸かし茶をたてて、佛にそなへ人にもほどこし吾《われ》ものむ、花をたて香をたく、ミなミな佛祖の行ひのあとを學ぶ也……
「頂戴します」
胸のうちで呟き、茶を飲み干す。最後に吸いきり、しげ子はほっと息をついた。
癖で、飲み口を指で軽く拭おうとしたとたん、その息が止まった。
茶碗の底に、赤い顔料で書かれた文字が見えてきていた。草書体の字が逆さになっているのを、くるりと回して絶句した。
大々吉
ことの意味が、具体的に追い切れないうちに、給仕係の男に、茶碗の印を見つけられた。
「あ、当たってますね」
「ほやけど、これは……」
菓子のくじではないから、特賞ではないだろうといおうとしたが、係は笑顔になって説明した。
「抹茶茶碗の底に大々吉が出ました方も、特賞なんです。こちらのお客様にも、大当たりが出ました。大々吉ィ」
当籤を知らせる鈴の音が、再び響きわたった。
七
千紗子たちは庭を横切り、三棟ある蔵のうち、いちばん小さい棟に案内された。
蔵戸《くらど》はすでに開け放たれており、見学者が、ちらほらと出入りしていた。蔵のなかにも、係が一人、番をしている。
「何でもお好きなものをひと品、お持ちくださって結構とのことです。決まりましたら、おっしゃってください。こちらで配送の手配をいたしますので」
蔵のなかにあるもののうち、どれを選んでもよいといわれて、千紗子も啓子も、年甲斐もなく小さな歓声を上げた。
勇んで、薄暗い蔵の中央にまとまった品々をあらため始める。
が、半周したくらいで、啓子が声をひそめた。顔もすっかり曇っている。
「何なの、これは。母屋や別棟で見てきたコレクションの片鱗《へんりん》もないわね。目の色を変えて欲しがるほどのものじゃないみたい。やっぱり、ただのがらくた≠諱v
啓子の言葉通り、品物は見すぼらしく、動かせば埃《ほこり》が立ちそうである。
籠《かご》にひと盛にしてある木片は、すっかり黒ずんでいる。ひと括《くく》りにしてある布の端切《はぎ》れは、色柄もぱっとしたものはない。石くれや割れた瓦の山が一抱え。錆《さ》びた鎖や鉄板。緑青《ろくしょう》の浮き出た銅板、水道管にトタン板。鑿《のみ》や鎚《つち》、釘など、昔ながらの工具。木槌、古ぼけた筆や刷毛、汚れてよれよれになった藁苞《わらづと》にくるまれた炭、何か得体の知れない植物の実や枯れた花……。
「これは何?」
パイナップルほどの大きさの、茶色い塊《かたまり》を、啓子がこわごわ、取り上げる。
「蜂の巣だと思うけど」
「嫌だ。形は面白いけど、こんなの、何に使えっていうんだろう」
「さあ……?」
千紗子は適当に受け流しながら、なおも諦めずに、念入りに捜した。掘り出し物がないとも限らない。仕事の参考になる古い陶片か割れ壺でもあれば、貰い得になる。
だが、器のたぐいは、かけらも出てこない。なかに気を惹かれるものがあるとすれば、和菓子の型抜きをする木型くらいのものか。椿や鳳凰《ほうおう》やら、吉祥文字《きっしょうもじ》などの型が段ボールに詰まっている。インテリアの飾りくらいにはなりそうだ。
「すみません」千紗子は係に尋ねてみた。「この木型、箱のなかから選べるんですか」
「いや、それは、ひと箱分がセットです。どの賞品も、まとまりごとにお持ち帰りになれるんですよ。そっちの瓦も、あっちの石も」
いいのか悪いのか。まるごととなれば、かさばって邪魔になりそうだ。
「木型にするの?」
啓子が尋ねたが、千紗子は決めかねていた。
賞品が展示されていると聞いてか、見学者が三々五々入ってくるが、屋敷の宴の典雅なことと比べて、この蔵は地味である。ざっと見回すと、すぐに踵を返し、表に出ていってしまう。
そこへ、一人の中年女性が連れられてきた。係の様子からすると、やはり特賞に当たった人らしい。千紗子は何となく意識しながら、品定めに戻った。
しげ子は、戸惑った。
ことの成り行きからいって、自分の特賞は、おそらく、偶然ではない。
――佛々堂先生は、どないなおつもりなんやろか。
蔵をひとまわりした。動悸が早くなってくる。錆びた鉄いろの塊のような、用途の知れないものもあったが、すぐにでも貰って帰りたい品が、いくつか目についた。
昔ながらの菓子づくりに欠かせない品が、目立つ位置に置かれているところを見ると、先生の意図が読めてくる気がした。
おやじさんに、もっと仕事をさせてやりなはれ
どうやら、そういわれ、背中を押されているようなのだ。もう一度繰り返して、蔵のなかの品を見回る。声を出したくなるほどのものが見つかった。
――あれならば。
心が逸《はや》った。
だが、もう一人の当籤者が、ちょうどその品に目を留めている。
――駄目や。それに手を伸ばさんといて……。
しげ子は祈った。
「何もないじゃない。もう諦めて帰ろうよ。なんか、あたし、冷えてきた」啓子は身をふるわせ、コートの前をかき合わせた。「ね、千紗子ってば」
「うん……?」
生返事をする千紗子の耳に、啓子の声は届いていなかった。目が、あるものに吸い付けられている。
――なぜ、これが、こんなところに……?
夢にまで見た品が、すぐそこにある。信じ難かった。
もう、迷いはない。このチャンスを逃したら、一生悔やむだろう。
が、千紗子が動こうとしたとき、もう一人の当籤者が、すばやく歩き始めた。彼女は先廻りして、千紗子が目をつけた掘り出し物に向かっていこうとしているように見えた。
――お願い。それだけは、持っていかないで……。
千紗子は呻《うめ》いた。
二人の当籤者の目がかち合った。
八
三年が過ぎた。
『もろたや菓子舗』は賑《にぎ》わっていた。しげ子は父の康夫を口説いてカムバックさせ、金沢の目抜き通りに開いた店の工房に引き据えた。客足は引きもきらず、全国からの注文も、さばき切れないほど入る。
だが、二月の最後の週になると、『もろたや』は表向き休んで、工房は、佛々堂先生のための仕込みにかかり切りになる。
四千個の注文が、今年も入っている。相変わらずの値切りようで、雛祭りに出す凝った菓子を、一個あたり二十円に負からへんか≠ニいうのである。
「おっちゃん、ドケチや」
口ではそういうが、しげ子は心のなかで手を合わせている。父の力の入れようも違う。雛の宴に出した菓子は、どれも、その後の年に、飛ぶように売れていく。佛々堂先生の催しに集まる客たちのなかには、茶人や食通も多いようだ。四千人の垢抜けた女性たちの口コミの威力も相当である。
別のとこに売るときは、思いっきり高《たこ》うしときなはれ。うちで安もん出しとると思われたくないさかい
佛々堂先生は、勝手なことをいって舌を出すのだ。
それより何より、恩人の依頼を断れるはずがない。がらくたフェア≠フ賞品のおかげで、店を再興する資金ができた。
――ほんま、大々吉や。
雛の季節になってくると、しげ子は、ふと、蔵ですれ違ったもう一人の当籤者を思い出す。
――あのお嬢さん、赤茶けた石の大きい塊に飛びついて、後生大事に貰っていかはったけど、何に使うたのやろう? 見たとこは、がらくたなんやが。
ちょうどその頃。小布施千紗子の個展が東京のギャラリーで開かれていた。
「変わったな、彼女の作風」
「とどまるところのない勢いね。彼女、凄い拾いものしたらしいわよ」
自称事情通の美術評論家たちが、わけ知り顔でささやき合っている。
「知ってる。石を手に入れたんだってな」
「そうなの。含鉄土石《がんてつどせき》を何種類も見つけたって聞いたわ。ほら、鉄絵具に使う材料は、市販されてもいるけど、山なんかで採れる錆《さび》含みの土や石がいいのよね」
「でも、採れる場所によって出来が違うんだろう? 瀬戸のあたりで採れる、板みたいな含鉄土石がいいと聞くけど」
「鬼板《おにいた》≠チて呼ばれているあれは有名よね。ほかにもいろいろあるのよ。京都の加茂川《かもがわ》石とか、島根の来待《きまち》石とか。でも、どこのものも、いいものは品薄になってきていて、全国の陶芸家たちは、涎《よだれ》を垂《た》らすほど欲しがってるって聞いたわ」
「で、小布施千紗子が手に入れたのは、どこの石?」
「それが、明かされていないの。最高級の何種類かの石を持っていて、砕いて調合して溶かすらしいわよ」
「へえ。親父さんの小布施康介の鉄絵具も秘伝だったが、彼女のも秘伝か」
「とにかく、彼女、小布施康介を完全に凌駕《りょうが》したわね」
同じギャラリーの一角で肩を叩かれ、千紗子は振り返った。
「ひと皮むけたね」
ろくろ挽きの天才といわれる陶芸家が立っていた。
「先生、おかげさまで」
窯にちょくちょく出入りさせて貰い、技法の指導を受けている礼を、千紗子は述べた。
「ところで、先生」考えがあった。聞きたいと思っていたことを、口に出してみる。「佛々堂先生という方を、ご存じなんじゃありませんか」
「ついに来たか」陶芸家は頭を掻いた。「ばれないはずはなかろうと思っていたが」
「やっぱり……。先生が佛々堂先生と相談して取りはからってくださったんですね。私の伸び悩みを知って」
「いや。違うな」
「え」
「千紗ちゃんに目をつけたのは、佛々堂先生のほうだ。ぼくも悪乗りしたがね。わざと聞こえるように君の悪口をいったり、小松啓子君を引き込んで千紗ちゃんを誘わせたりして……、いや、悪かった」
「そんな。感謝してるんです。お礼いおうと思ってました」
「でも、なぜわかったの」
「知恩堂という美術商を通して、佛々堂先生から、作品の依頼があったんです。来年までに、雛の宴に使う茶碗を五十客、焼いてほしいと……。それで、あのお屋敷の主としか考えられないと思い、啓子を問いつめて」
「見込まれたんだな。あのお人に茶碗を頼まれたのなら、作家としてお墨付きを受けたようなものだ」
「恩返しというのはおこがましいのですが、頼まれた作品を贈らせていただいてもよろしいのでしょうか」
「その必要はないよ」陶芸家は、きっぱりと断言した。「千紗ちゃんの作は、いずれ貴重になる。代金は遠慮なくいただきなさい」
「でも、それでは」
「気が済まないなら、佛々堂先生の催しで助っ人をするといい。いつだって募集中だし、皆、そうしているんだから」
「……皆?」
「君のように、佛々堂先生に世話を受けたことのある作家はたくさんいてね。その連中が、先生の手伝いに無償で出てる。いや、正確にいうと、面白くてたまらないので、自主的に出たがっている」
千紗子はぽかんとした。
脚立をまめまめしく運んでいた日本画の大家の姿が思い浮かび、笑いがこみ上げてきた。
九
「『もろたや』の女主人は相当、得をしましたな」美術商の知恩堂が切り出した。「あの菓子屋、思ったよりも鼻が利《き》くんですね」
「ふん。そやな」佛々堂先生は、軽く頷いた。
「あたしは、彼女が木型か菓子づくりの道具を選んでいくだろうと思ったが、みごとに外れました。まさか香木《こうぼく》の束を選ぶとは……」
「あれは、毎年賞品に出していたが、誰も気づかなかったわな」
ひとかけら何十万もする白檀《びゃくだん》や伽羅《きゃら》などの香木は、焚《た》けば芳香が香る。香の遊びを心得た者やフレグランスの業者のあいだでは珍重されているが、木の状態でむき出しになっていれば、案外と木っ端のかけらとしか見えないものだ。それを『もろたや』は選んでいった。
「優に一千万ぶんはあったでしょう。籠に山盛りでしたから。先生もよく思いきって放出されましたね」
「人に施し吾ものむ」
先生は、歌うようにいった。
「『南方録《なんぼうろく》』覚書ですか」
「そや。もう一人の当籤者の関係で、たっぷりお釣りがきてるわ」
「そうでした。あの錆びた鉄の塊、とうとう売れたんですって?」
「耳が早いな。えらい高《たこ》う売れたんや」
佛々堂先生は、嬉しそうに応じた。
「購入したのは、小布施康介らしいじゃないですか。もくろみ通りですね」
「わしのとこに含鉄土石があることを、誰かから聞きつけたんやろ。全部まとめて欲しいといって、残りを全部持っていったわ」
「やはり、雛の巣立ちが響いたんでしょうな。子に頭を越されると、親としては嬉しいが、それはそれで、同じ絵唐津《えからつ》の陶芸家としては躍起になりますよ」
「これで、小布施康介も一歩抜きん出るやろ」
「彼の手も、自前の鉄絵具に頼って、慣れきっていましたからね」
「そやろ。老境というにはまだ早いで」先生はいい放つ。
「手厳しい。娘と切磋琢磨《せっさたくま》させるなんて」
「あの子の才能には、何の心配もないんや。小布施千紗子は強い。ほっといてもやっていけるたちやと思うわ。雛のほうが上出来だったんやな」
「それにしても、含鉄土石をよくお持ちでしたね。あとどれくらい残っていたんですか」
「何十年も前に買うたんや。各地に山三つ、あったわ」こともなげに、佛々堂先生はいった。
「それを、全部、小布施康介に?」
さすがに、知恩堂は仰天した。石の塊のひとつ、ふたつではないのだ。
「わしが持っとったって、どうもならんわ。置いといてもしかたがあらへんしな」
知恩堂は佛々堂先生の表情を窺った。小布施康介という作家を、先生がそんなに高く買っているのなら、作品をいくつか買い付けようか。
と、さらに驚くようなことを、佛々堂先生はつけ加えた。
「それにな。親というのは、雛に甘いもんやで。何十年かしたら、山はあの子にわたるやん。つくづく運のいい子やで」
開いた口のふさがらない知恩堂をしり目に、佛々堂先生はいった。
「さて、と……。そろそろ今年もやりまっか」
懐から取り出した紙には、こう黒々と揮毫《きごう》されていたのである。
我楽多《がらくた》感謝祭《フェア》
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遠あかり
一
太鼓が、遠くかすかに鳴っている。
宵闇の風に拾われた祭り拍子が、提灯《ちょうちん》のあいだを縫って、路地から路地へ、途切れ途切れに運ばれてくる。
町筋《まちすじ》の家々では、晴れ晴れとした酒盛りが、宵の口から始まっていた。
客たちはさざめいているが、酔いどれ、昂揚しながらも、意識の底では太鼓の音を追っている。
「どこまできたのかな」
誰かが、また、待ちきれないというようにいった。
「まだまだやで」
地元の誰かが時計を見る。その問答に安心して、一同はまた酒や肴《さかな》に戻る。どの家でも、そんな繰り返しが続く。
起こし太鼓の渡御《とぎょ》が、どの筋にさしかかったか。
飛騨古川の祭りに集う客たちの、いちばんの関心事は、遠く近くになりながら町を練り歩く、大太鼓のゆくえであった。
飛騨の山あいでは、木々の芽ぶきかげんがいま一歩、遅い。春の遅さにじらされた男たちが、まだか、まだかとばかりに力の限り大枹《おおばち》を振るう。大太鼓に放たれた生命が、強い音となって巻き上がり、うねり、山腹で睡《ねむ》りについている木の芽を揺り動かし、目覚めさせる。
起こし太鼓≠ニいわれるゆえんである。
大太鼓の出立《しゅったつ》は夜と決まっている。夜半には遊山《ゆさん》のバスが続々と訪れてき、見物客でいっぱいになる。
白い半股引《はんももひき》にさらしを巻いただけの、古川やんちゃ£jのぶつかり合いが、この晩、何万人もの人を小さな町に呼ぶ。
祭りの主役は、三、四百人のやんちゃ男たちが櫓《やぐら》に載せて担《かつ》ぎ歩く起こし太鼓だが、春の目覚めがあまり順調すぎてはつまらないというのか、三十人ばかりの小集団が各町の辻々で待ち伏せし、小ぶりの太鼓を打ち鳴らしながら、起こし太鼓に手合わせを挑む。
数百人の隊に、数十人の付《つ》け太鼓≠ェ突っ込む形になる。付け太鼓は、起こし太鼓の行く手を阻《はば》もうとするが、起こし太鼓はそれをはねのけようと踏ん張る。いずれも、重い荷を担ぎあげながらの男たちの攻防は、必死のせめぎ合いである。
――はだか祭り。
そう呼ばれもするのは、さらし姿になった男たちの荒《すさ》ぶりが、祭りの見どころになっているからだ。観光客は、起こし太鼓を目当てにきて、やんちゃ男たちの揉《も》み合いに巻き込まれないよう、遠巻きについて歩く。
起こし太鼓の通り筋にあたる家々では、太鼓を耳の端で追いながらの酒盛りが続いている。
山あいの町といっても、祭りともなれば、町衆は軒先の間口に大|幔幕《まんまく》を張り、紅殻格子《べんがらごうし》の窓に竹御簾《たけみす》をかける。御簾越しに明かりが洩《も》れてき、地元の古い家は、料亭もさながらの格調になる。
しかし、なかの宴はといえば、無礼講に近いあり方であった。
玄関脇の通し座敷に、三、四十人はいるだろう客たちの中心は、むろん地元の面々だが、知り合いが知り合いを呼び、
「ね、あの人、誰……?」
「主人の友達のお友達」
「あちらの方は」
「いとこの主治医の奥さんの弁護士で……」
袖擦《そです》り合うも他生《たしょう》の縁。誰彼と、聞いた端から忘れてしまうほど、縁の薄いひとも紛れ込んでいるが、そこは祭りの夜で、町のもてなしはあたたかい。
人気のある祭りのことで、新しい顔の客も知り合いに連れられて立ち寄るので、主人側は自慢の手製料理に加えて仕出しまで使い、優に四、五十人ぶんの支度を整えている。
宴席のなかに誰がいても不思議ではない。
そんな夜である。
町うちのとある家にも、付け太鼓に出ていた威勢のいい男たちが、いったん休むために引き上げてき、宴はたけなわになっている。
と、からりと障子が開き、また、一団の人間たちが乗り込んできた。
「まぜてもらえまっか」
「あ、先生、いらっしゃい……」
この家の当主らしい男が、顔見知りなのか目にとめて挨拶した。
先生と呼ばれる年配の男が、先頭になって上がってきた。あとから、連れらしい男女が四、五人、ぞろぞろとついてくる。
その集団は、長い長い卓の隅っこに落ち着いた。
古川祭りは初めてなのか、先生∴ネ外はぎこちなくあたりを見回した。が、先生≠ヘ常連らしく、堂々とふるまっている。
「すんませんなあ。人様《ひとさま》んとこに上がり込んで、ええもんご馳走してもろて。うちとこの見物客ぎょうさん連れてきて、ほんま、図々しいわなあ」
どこまでも通る声での、的を射たいいっぷりである。周囲からどっと笑い声があがって、座はたちまち打ち解けた。新参の一団にも、酒やら取り皿やらが回されていく。
「相変わらずやの、あの先生」
この家の若奥さんも、暖簾の奥でくすりと笑う。
「何の先生なん」
「え」
身内の人間に尋ねられて、若奥さんは戸惑った。あらためてそう聞かれてみると、男の職業を知らない。
「そういえば、何やったかの。毎年おいでてるけど」
よその土地から祭りに来、宴に加わる面々と、いつのまにか顔見知りにはなるが、その私生活まで詳しく知るわけではない。なかには十年選手も出るが、一度限りで終わる客もあるし、入れ替わり立ち替わり寄る大勢の客をもてなす身としては、今回きりになってもしかたがないと割り切っている。
「主人も誰も、皆、先生≠ニお呼びしとるもんで」
「教授か何か」
「そんな感じじゃないのやない。陶芸家やったかの」
飛騨は、木工をはじめとして、ものを作る人間の多く住まう匠《たくみ》の里だ。高山にも古川にも、もとから工房が多いうえに、古い町並みに惹かれてか、好んでアトリエを移す高名の作家も相次いでいる。制作現場の主宰者はたいてい、先生と呼ばれており、場合によっては主任クラスでさえ先生なので、そんな誰かの知人なら、どのみち先生≠ナあってもおかしくない。
「ま、先生は世間にようけおるもんな。あちらも先生、こちらも先生で」
「関西のお人?」
「大阪やったか」
「俺、知っとるわい」
水を貰《もら》いに奥にきていた、若いやんちゃ男の一人がいい出した。
「きものの先生やさ」
「そうなん?」
「忍法、早変わりの術」
「何や分からんの」
「あの先生はな。高山の『かみむら』さんの知り合いや」
やんちゃ男は赤い顔をして、ふーっと息を吐き出した。祭り気分の高まりと酒との相乗効果で、ご機嫌になっている。
「そりゃ、そうやろう。今日だって、寛之《ひろゆき》さんの隣に座っておいでだわ。あのひとが初め、先生を誘ってきたんだわな」
そのくらいのことは、若奥さんにも分かっている。
飛騨高山の『かみむら』といえば、古くからの料亭で、ほぼ隣町のような古川にまで、消息があれこれと伝わってくる。
『かみむら』の次男、上村寛之は、この家の主人の高校の同窓生で、ここ数年、古川祭りには必ず顔を出すようになっていた。
「じゃから、早変わりなんじゃて」やんちゃ男は、だだっ子のようにいった。「あのな。寛之さんが話しとったの聞いたんや。何年か前の高山の祭りのときのことやさ。目立つワゴン車が、開店前から『かみむら』の駐車場に止まっとっての。店のもんが、怪しいといいだしたんやな。何でも、後部座席に家財道具のようなん、めいっぱい積んどって、くたくたのポロシャツやらジーパンもハンガーでぶらさがっとる。これは風来坊の不法占拠と違うかってな。店のもんがそういうもんで、寛之さんも気ィつけてた。そのうちに、開店時間が迫ってな。なんや、綻《ほころ》びたシャツに作業用のズボンみたいなのをはいたおっちゃんが駐車場に戻ってきて、例の車に乗り込んだんやと。こりゃ、やっぱり|だちかん《いけない》、と」
水をごくりと飲み干し、さらし姿の若い男は続けた。
「店のもんたちも寛之さんも、よわったが、しばらくはそっとしといた。このまま車を出してくれんかな、と思っとったらしいよ。ところがさ」
「どうしたん」
「二、三分、待っとったんや。で、ワゴン車のドアが開いた。そんときには、怪しいおっちゃんは消えとった。かわりに、ええとこの旦那衆がおいでた。このへんの町じゃ見かけんほど、きものを粋に着てたんやさ。それだけやない。堂々と『かみむら』に上がったんやの。それもその筈《はず》で、上席を予約しとったんやと」
「お客さんやったんか」
「皆、ひっくり返っとったって」
「二、三分て、そんな時間で着替えられるもんやろうか。女ものとは別やろうけど、それにしたって、服からきものやろ。大げさにいっとるのと違うの?」
「プロじゃから、できるわけや。寛之さんはえろう感服したらしい。そのときから、先生に着付けを習っとるんや」
やんちゃ男はそういい置き、宴に戻っていった。
若奥さんには思いあたるところがあるようであった。
「そういえば、寛之さん、ここのとこ、祭りに和服でおいでるのう。えらくええ男になった思うとったけど」
身内の女性も頷《うなず》く。
「料亭の旦那さんらしくなったわな」
「本当にねえ」
「『かみむら』の店のほうも、相当盛り返してきたのと違う? 一時は客足が遠のいていたらしいけど」
「ええことやの……」
にわかに、太鼓の音が近くなった。
奥で立ち働いていた二人は手を止めた。起こし太鼓がやってくるのだ。世間話などしている場合ではない。
「来るぞっ」
誰かが、そう触れまわると、一同は気もそぞろに腰を浮かし、我先にと表に飛び出していく。
心得た者は、家の二階へ駆け上がる。筋に面したどの家々も、階上の軒先は広く開け放たれ、見物のための桟敷《さじき》のようになっている。
そのときを境に、皆、別行動になる。解散と、誰かが掛声をかけたわけではないが、季節を拓《ひら》く太鼓の勢いに巻き込まれるように、たむろしていた大勢の客たちは、三々五々、かなたこなたに姿を消していく。
一夕《いっせき》を集い、ともに楽しんだ面々が、またちりぢりになるのである。
二
「あの」
『かみむら』の座敷で上村寛之が先生≠ノ声をかけたのは、男の変貌に舌を巻いたためだけではない。
「お食事は、お気に召していらっしゃいますでしょうか」
食事の途中で、上村は挨拶に出た。
上席を指定した男に、連れはなかった。一人きりの昼食に、庭の見える小部屋を借り切り、酒も飲まずに座し、箸《はし》を進めている。
そんな客は、めったにいない。料理を吟味することが目的でやって来たとしか思えないのだ。
上村は、どのお客の席にも、ひと通り顔を出す。新米の主《あるじ》としては当然のことであったが、出している料理に自信が持てないからでもある。
それは、亭主ぶりにもつながる自信のなさであった。
『かみむら』を率いるようになってから、まだ一年足らずである。故郷に帰ってき、店の跡を継いだのは、兄の正之《まさゆき》が急逝したからであった。
料亭の息子といっても、もともと次男に生まれた寛之は、店を継ぐ予定ではなかったのだ。
父を早くに亡くしてからは、寛之とは年の離れた兄が店を見ていた。その兄が病で急逝したあとも、三年ばかりは、けなげにも義姉《あね》が女将《おかみ》を務めていたが、恋人が出来たらしく、嫁《とつ》ぎ直すため実家へ戻りたいといってきた。
当初から、義姉は店の運営に乗り気ではなかった。それも、しかたのないことで、店の歴史は古いが、評判のほうはさほどではなく、経営ははかばかしくない。兄の生前は店に出た経験もそうなかった、にわかづくりの女将には、荷が重かったのだろう。
思いがけない成り行きで、店を引き継ぐはめになった上村寛之にとっても、それは同じである。
「お酒もらえまっか。冷やで」
男は、料理の感想を口にするかわりにいった。仲居が受けて、下がっていく。
「あんたはんがこちらの旦那さん?」
「新米ですが。今後ともよろしくご贔屓《ひいき》に願います」
「関東ふうの話し方やね」
「大学から、あちらにおりましたので」
「なら、生まれは高山か」
「ええ。飛騨高山の人間には、東京好みのところがあるんです。私も親父から、あっちで勉強してこいと、小さい頃からせっつかれまして」
「意外やな。京のほうが近いやないかいな」
「江戸時代に天領になって以来、町あげて江戸づいたという話です。いまでも、東京進学熱は続いているようですよ」
上村は、仕送りを存分に受けて学生時代を満喫し、その後は大手企業の東京本社に勤めていた。
親と兄の恩恵もあって、学生時代は何不自由のない暮らしをし、大手企業の給料も悪くはなかったために、上村はこれといって過不足を感じずにやってきた。
それが、いまとなってはマイナスになっている。時代の波に煽《あお》られて会社が傾き、リストラに遭《あ》った。義姉の再婚話も重なり、仕方なしに家業を継いではみたものの、何から手をつけてよいのか、わからない。
とくに苦手とするのは、趣味趣向の分野である。書画だの調度、屋敷や庭の手入れといったことにはうといし、何よりも、気が向いていかない。
観光客が引きも切らない飛騨高山なら、どんな店でも左うちわでやっていけるだろうというのは甘い見方で、町に見どころが多いぶん、目の肥えた人が集まるため、頭ひとつ抜け出ていかなくては、やっていけない。
気の利いた女房でもいれば手助けになってくれるのだろうが、縁がなかった。
店のことと同じで、気持が煮え切らないのだ。ことを決めるにあたっての水準というものが見えない。
酒が運ばれてきた。片口《かたくち》になみなみと入っている。
「どないでっか。ひとつ」
男は、仲居が差そうとした盃を押しとどめ、上村のほうに押しやった。
「ですが……」
盃は、一|盞《さん》しか運ばれてきていない。それに口をつけてしまえば、客の盃がなくなってしまう。
飲めない口ではないが、上村が戸惑ったので、仲居が腰を浮かせた。
「すぐに」
もう一盞お持ちします、と仲居がいうのを、男は遮った。
「わしは、あかんのや。あんたはんはいけるのやろ」
「はあ」
「ま、ええやないの」
客の勧めでは断れない。上村は盃を受け取って挨拶した。
「お相伴《しょうばん》いたします」
「ちょっと待っとくなはれ」
「え」
飲めと勧めておいて止める。上村は思わず眉をひそめてしまいそうになった。
「木の芽は嫌いかいな」
「え? ……いいえ」
「ほな、これをやな」男は、板前が焼き筍《たけのこ》の薬味に添えて出した木の芽を箸でさりげなく取り上げ、上村の手に取らせた。「あんた、どっちが利き手や」
「右です」
「そしたら、右手の親指と人差し指で、木の芽を揉むのや」
わけがわからないまま、男のいう通りにした。木の芽の香りが強烈に立ちのぼる。が、瞬《またた》く間に嗅《か》ぎ慣れた強さは空中に散っていき、微《かす》かになった。
「いまや。すぐに盃を取り、飲む」
強い調子でせかされて、上村は、木の芽を卓に置き、盃を取り上げた。
唇が盃に当たる寸前に、あっと呻《うめ》いた。盃を持つ手の人差し指に残っていたほのかな移《うつ》り香《が》に、嗅覚が心地よく刺激される。
続いて、酒が喉を滑っていくときに、ほろ苦さの混じった山椒《さんしょう》の余香が伴われて、爽《さわ》やかに落ちていく。
「美味《うま》い……」
呟きが洩れた。たとえようのない飲み口である。
「そやろ」
きわめてさらっといって、男は破顔した。笑うと、人懐こい顔になる。
酒好きの知人は掃いて捨てるほどいるし、なかには酒を撰《えら》び、食通を気取る者もあるが、こんな飲み方は、見たことも、聞いたこともない。
思わず、客の前だということも忘れ、上村は木の芽をまた右手でつまんで揉み、盃を傾けた。
陶然とした。
ひと口目に味わった驚きは、消えない。
――こんなに、酒に痺《しび》れたことがあっただろうか。
店で常に使い、味わいも熟知している地酒が、別のもののように思える。肴が酒の味を変えるとはよく聞くが、木の芽を口に含んだわけでもないのに、盃を持つ手の残り香だけで、これほど酒が進むとは。
二口、三口。すぐにでも、次のもうひと口にかかりたいところを、上村は懸命に抑えた。
「今度は、こうしたらどないやろ」
悪戯《いたずら》っぽくいうやいなや、男は、前菜を盛り込んだ盆から、飾りの若枝を素手で取り上げる。
あっという間もなく、酒を湛《たた》えている片口のなかへ、青紅葉をすっと放った。
目が吸い寄せられる。
酒のなかに、萌黄《もえぎ》の色がそよいだ。稚《わか》い芽出しに蓄えられている生命力が、とろりとした酒のなかに溢れ出て、逞《たくま》しさを分け与えたかのようだ。
上村は、ごくりと喉を鳴らした。
引き込まれて、身を乗り出す。ふっと、ほかのことを忘れ、片口の底に自分も瞬間、漂ったかと思った。
我に返る。
「……酔うたのやないか」
「……はい」
素直すぎる返事になったが、実感がこもっていた。
「いただき過ぎました」
――もてなす側のはずが、逆に、客にもてなされている……。
男は、『かみむら』が供したものを使って、やすやすと別の世界をつくり出してみせた。
なまじの客なら、嫌味になりかねないところだが、男には、押しつけがましいところがまるでない。
上村は、驚かされたことを愉《たの》しんでいる自分に気づいた。不思議なことであるが、料亭の主として生きている現実感が増していく気がした。
「失礼ですが、ご同業の方でいらっしゃいますか」
思い切って、尋ねた。男には、素人としては水際立ったところがある。料理を口に運ぶ手つきも、もの慣れている。
「お酒を上がらないとおっしゃるのに、みごとに……」
「そないなんやないよ」照れ笑いを浮かべながら、男は肩をすくめ、舌を出す。「この手ェが悪いんよ。こないしてみよっかと思いついたら、勝手に動き出してしまうさかい」
「驚きました。和服もお似合いですし」
「これかいな」嬉《うれ》しそうに、男は応じた。「ただの唐桟《とうさん》やん。カジュアルやで。祭りに遊びにきてるのに、かしこまったようなもん、着てられるかいな」
「格好いいもんですね。それにしても、あんなに早く着替えを」
いってしまってから、上村ははっとした。
「なんや。見とったんやね」悪びれもせず、男は笑った。「コツが分かれば、簡単やで」
「私も着てみたいとは思うのですが」
「着たことはあるんか」
「五歳の節句に着せられたくらいで。あとは浴衣《ゆかた》だけです」
「若いからな。いまどきは、皆、そんなもんやろうが……」
語尾が、曖昧《あいまい》に濁されたのが、上村の気にかかった。気のせいかもしれないが、老舗料亭の何代目かなら、過去にもう少し袖を通す機会があっても良かっただろうに≠ニいう言葉が、呑み込まれたのではないか。柔らかな反語で、ごく私的なことに繋《つな》がる話題を避けたところに、男の細やかな気遣いがあるようでもある。
その語尾の消しかたが、思いがけないことを、上村にいわせた。
「祖父や父の古いものは、けっこう残っているんですが。正直いいますと、お恥ずかしいのですが、使いわけがよく分からなくて」
母親は、父の後を追うように亡くなっている。さすがに、そのことには触れなかった。
しまい込まれているものは、衣類だけではない。古いものが蔵に多少、ないこともない。店を継いでから、東京の骨董商を呼んで、売ったとすれば幾らくらいになるのか、見積もってもらったこともある。
だが、店が苦しいときに、めぼしいものは兄が手放したらしく、拍子抜けするほどの評価しか出なかった。
地元の骨董屋を呼ばなくて良かった、と思った。台所事情の貧しさを、同じ町うちで知られるのはつらい。
「着てみたらええやん」
「どうでしょうか。私と祖父では体型も違うでしょうし」
「それでも、帯なんかは差し支えないやろ……」ふと思いついたように、男はいった。「食事終えたら、見て上げようか」
一度は辞退したが、考えてみれば、こんな機会はめったにない。やはり、酔っているのかな、と思いながらも、上村は重ねていってくれる男に深々と頭を下げた。
「ではお願いします」
自宅の棟《むね》に、上村は男を通した。
箪笥から出してきた古着を男の前に並べる。黴《かび》くさい匂いが部屋いっぱいに広がった。
男にいわれた通り、新聞紙を敷き詰めた上にシートやゴザをのべておいて正解であった。掃除機も用意してある。
「申しわけありません。せめて、マスクでもなさってください」
自分の前に、兄や義姉が管理をしていたといっても、ほとんど手入れをした様子はなかった。
義姉は女将業のあいだ、和服をごくたまに着ていたという記憶がある。だが、古いものを着た形跡はない。とくに男ものは放っておかれたようだ。兄は、接客のときはブレザーやスーツで通していた。
その気持ちもわかるようなありさまだ。きものの包み紙は茶ばみ、よく見ると、ごくごく微細な虫が這っている。古本のあいだに現れるような虫だ。上村は紙をむやみに広げようとした。古い包み紙など、捨ててしまっても構わない気でいた。
「畳紙《たとうし》は破らんようにせな」
「たとうし?」
「畳紙《たとうがみ》ともいって、和服を包んである紙や。昔のもんは、よく干せば、また使えるのやで。どうもならんようなんも、柿渋《かきしぶ》ちゅう塗料塗っといたら、人形や本なんか、虫のつかんように包んでおくのにええのや。一回こっきりではもったいない。紙は百年もつんやで」
いわれて、上村は貴重品をこわごわ扱うような手つきにかわった。
「なんや。宝の持ち腐れやね」
きものを検分しながら、男は手を素早く動かしている。
慣れた手つきで畳紙を開け、和服を仕分けしていく。見る間に、きものの山がいくつか、できていった。
「こっちが男もん、こっちが女もんや」
上村には見当もつかないのを、男はさっと見て振り分ける。
「違うんですか」
「何が」
「いや、男ものとか、女ものとか。どこが違うのかな、と」
「あんたはん、ひとりもんなんか」
「いまのところは」
「……しやはったこと、ないのかいな」
「どういうことです」
男のいう意味が、とれなかった。
「いや、その……、きもの着た女性とや」
「え?」
「あかん。ほんま、きものはお飾りみたいになってしもうたのやなあ……」いいにくそうに、ため息をつく。「要するに、なんや。女もんのほうは……、脇がこないに開《あ》いてまっしゃろ。その、何やな。男が憧れる、とある山脈へ連なる道や」
「あ」
にわかに、ぱっと白い柔肌が瞼《まぶた》の裏にひらめいた。袖の脇から、円みのかけらが見えるか、見えないか。上村の頬に、かっと血がのぼった。女もののきものが、急にまったく別の意味を伴って見えてくる。
「この開きをな、身八つ口ちゅうんや。ふだんは行儀よく閉じとるが、なんちゅうたかて、色ごとのときには、そら……。これ以上は、よういわんわ」
照れくさそうに切り上げて、男は仕分けを続けた。
男もののなかから、何枚かを選り分ける。
「これは、すぐにでも着られるわ。寸法も合いそうやし」
「父のものでしょう。三、四十代の体型は、私と似ていたらしいから」
「残りのほうが、物はええのやがな。何代も前のもんも混じってる。寸足らずで、惜しいわ。けどな。ほかしたらあかんで。屏風《びょうぶ》につくり直してもええし、軸の表装に使《つこ》うたら映える。『かみむら』の床《とこ》に掛けたら、ええやろな」
「こっちも使えますか」
嵩《かさ》がある女ものの山のことを、上村は聞いてみる。座敷の彩りになると聞いて、気が動き出している。
「もちろんや。けど、嫁はん来たときに着せるのも楽しいで。みごとなもんや。柄が気に入らなければ、染め直すという手もあるしな。ま、あんたが着られるもんもあるかもしれへんし」
「着られる? 女ものをですか」
「そうやねえ。大男には無理やが、百七十センチかそこらまでの細身の男なら、仕立て直せば着られるものもあるんや。女もんは腰のあたりでたるませてるやろ。そのぶん、丈が長くできとる」
これなら着られそうや≠ニ、男は目ぼしいものを分けていく。あっけに取られている上村を見て、彼は呟いた。
「昔なら、こんなんは常識なんやけど。戦争を境に、世代間の伝達が途切れてしもうたんやな。言葉がどっかに消えてもうてな。もったいのないことでんな」
初めて見聞きすることの多さにとまどいながら、上村はこれまでに味わったことのない楽しさを感じていた。祖父や父の代の楽しみが、伝染してくるような錯覚がある。
――それにしても、この人は幾つくらいなのだろう。戦争のことを、経験したように口にするような歳には見えないが。
「着てみまっか」
一枚をたぐり、男が誘う。
「いえいえ、とても……」
「遠慮せんと。ほな、ちょっと待っとって」
いったん、外に出ていったかと思うと、彼は風呂敷包みを提《さ》げて戻ってきた。
「服の上からで構わないでしょうか」
上村は、さすがに人前で着替えるのは気が引けた。
「何いうてまんね。祭りの日やで。せっかくやから、べべ[#「べべ」に傍点]着とき」
瞬く間に身ぐるみをはがされ、きものを羽織らされていた。風呂敷包みのほどかれたところをちらと見ると、紐《ひも》やらぱりっとした下着らしきものやらが入っている。裁縫道具さえあるようだ。
「先生」自然に敬称が口をついて出た。「先生は、繊維業界の方なんですか。それとも、着付けのお師匠さん……?」
「何やろか。ま、そんなもんなんやて」
先生≠ヘ帯を結び終え、上村をいったんターンさせて、仕上がりを検《あらた》めた。
「ちょっと、何や足らんな」
納得がいかないという口振りだ。
「あんたはんとこに、こんなん、ないかいな」
自分の帯のあたりを、先生は指し示した。革製の財布のようなものと、短刀の鞘のような筒が、帯に提がっている。
「ああ……確か、似たようなのがあったと思います」
蔵で見た覚えがあって、上村はいった。
「何なんですか、それは。小銭入れですか」
「きもの姿のときの、男のアクセサリーみたいなもんやな。この、銭入れみたいなんは、煙草入れや。鞘のほうには、きせるを入れるんや」
「煙草は私、吸わないんですが」
「ええのや。実用にもできるが、洒落っけで飾っとくもんやさかい。で、あるの」
「蔵のほうに。紐のついた印籠《いんろう》みたいなのも」
「それも腰につける飾りや。ついでに出してくれしまへんか」
わくわくしながら、上村が蔵に行き、戻ってくると、きものの山が、すでにきっちりと分類され、並べられていた。
洗いに出せばすぐに着られるもの、直しが必要なもの。このまま保存したほうが良いもの、用途を転じたほうが使い手のあるもの……。
「天気のいいときに虫干しすることや。とりあえず、山ごとにしまっときなはれ」
いって、先生は、上村が捧げ持つように運んできた平たい桐箱を覗き込む。
「これは、箪笥の抽出《ひきだ》しやないの?」
その通りだった。蔵にあった箪笥の抽出しのひとつである。東京の骨董商が見積もりに来たときに、別の家具や破れた屏風の奥になって、埋もれていた箪笥の一|棹《さお》にいたるまで、掻《か》き出してくまなく見ていった。そのときに出てきたものであった。
煙草入れや印籠が、全部で二十ほどあるだろうか。上村は抽出しごと抜いてきた。
「あまり、高級なものはないと思います。値打ちものはないと、東京の美術商がいっていましたから」
「値打ちは、あってないようなもんなんや。感じ方や使い方は、人それぞれやろう。好きなら、それに越したことあらへんがな」
先生は、こともなげにいい、全体を一瞥《いちべつ》し、なかから茶色の革製の煙草入れを迷わず取り上げた。きせる筒《づつ》は、籐《とう》の編み地になっている。
「これなんか、洒落とるわ。今日みたいな気取らん日にええな」
上村も、脇から箱を覗き込んだ。印籠のひとつを取り上げてみる。
「こっちは、どうなんです」
「もう少し気張ったときやね。印籠は、武士のあいだで流行したもんで、それに対抗するように町人が煙草入れを腰に提げたといわれているさかい。武士は刀と印籠の装飾に贅沢してたんや。有力な町人は真似ていたそうやが、ま、いまは町人も武家もないがね。武家さん気分のときにつけたらどうや。コンサートとか、芝居なんか」
「何を入れたんでしょうか」
「薬やそうや。その昔は、判こと朱肉《しゅにく》入れやったんやて。まあ、煙草と同じで、入れなくてもいいのや。さ、いまはこっちや」
促《うなが》されて、上村は帯に茶革の煙草入れを提げた。
「この革だけどな、蒲団《ふとん》革ちゅうて、極上の柔らかい革やで。蒲団なみの柔らかさや。悪いもんやない。汚れ落としたら、見違えるようになる」
煙草入れを腰差《こしざ》しにした上村をしげしげと眺め、先生はこんどは得心したように笑った。
「鏡は?」
「あ、こっちに」
縦長の鏡が、部屋置きになっている洋服箪笥の扉についていた。
「ええやん。見てみい」
鏡に映して見ると、りゅうとした身なりの男が出現していた。帯に提げものをしたことで、腰が決まっている。
自分の目は何を見ていたんだろうといいたくなった。容貌に自信のあるほうではないが、男ぶりが、格段に上がっている。まじまじと、上村は鏡に見入った。
――そろそろ、夏が来るな……。
暑くなってくると、上村寛之は、そのとき鏡のなかに見た、もうひとつの光景を思い出す。
ふと鏡のなかに映り込んでいる先生に目を移すと、印籠のひとつを手に、じっと見入っていた。
――何だろう?
上村があらためて見直したときには、先生は印籠を元通り、箱に戻していた。
少し気になったのは、それまで朗らかだった先生が、その瞬間、緊迫した顔つきをしていた気がするからだ。
あの日以来、先生は、上村の装いの指南役のようになっていた。一人で着付ける勘どころを教わったばかりでなく、場所やときにふさわしい身なりを聞くこともできた。進言どおりに着れば、どんな席に出ても間違いがなく、評判がよい。
そうそう飛騨に招くことはできないが、電話をかければ相談に乗ってもらえる。卓抜な記憶力の持ち主で、一度見たきものや装飾品が、すべて頭に入っているらしく、的確なアドヴァイスが返ってくる。
しょっちゅう留守なのが、玉に瑕《きず》といえば瑕なのだが、手紙を出しておけば、巻き紙で返事がくる。きものの取り合わせが彩筆されてくるのに、上村は見とれた。
古いきものの直しや再生が進むにつれて、『かみむら』の座敷の調度も、気の利いたものになっていった。客筋が、驚くほどの速度でかわっていく。いつのまにか、店の経営内容も上向きになっていった。
何とかして礼をしたいのだが、先生は受け取ってくれない。品物を贈っても、さらに値打ちのあるものが返礼として贈られてきてしまう。
頭を捻《ひね》って、飛騨古川の祭りに、毎年誘うことにした。古川の起こし太鼓なら、先生の目を楽しませることができるだろう。そう考えて、お友達もお連れになってください≠ニ誘うと、これは喜んで貰えた。
だが、まだ礼をし足りない。
そう思っていたときに、先生のほうから、頼みがあるといって来たのである。
「あの印籠を、ちいとばかし貸してもらえまへんやろか」
蔵から出た印籠のうちのひとつを、借りたいというのである。七月になるかならないかのことであった。
もちろん、上村は喜んで承諾した。先生が選んでいったのは、例の、鏡のなかで入念に眺めていた印籠である。
印籠は、何日もしないうちに戻ってきた。
が、そのときを皮切りに、夏になると、きまって、先生は印籠を借りに来るようになった。二週間も経つか経たないかのうちに、またわざわざ返しに来る。
「先生、そんなにお気に召したんでしたら……」
もらってくださいと、上村は申し出た。上村自身は、その印籠に執着がない。
が、先生は受け取らない。そのくせ、また貸してもらえまへんか≠ニ高山にやって来て、返しに来るときには、わしに内緒で売らんといてな、絶対やで≠ニ、必ず念を押すのである。
長年、そんなことを続けているうちに、しだいに関心が募《つの》り始めた。
――今年も、そろそろかな……。
そう考えていたのを見透かしたように、『かみむら』の電話が鳴り出した。
「まいどっ」
あけすけな声が流れてくる。先生であった。
「そろそろ時期だと思ってました」
上村は応じた。
「うん。印籠や」
「いつ取りに見えます?」
「今年は取りに行かんわ」
「え」
「かわりにな」
先生は、思いがけないことを切り出したのである。
「あんたはん、あの印籠を、つけてきてくれんか」
三
一年ぶりに、上村は印籠を取り出してみた。
昨年の夏、先生のもとから戻ってきたものが、小風呂敷に包まれたまま、中身も確かめずしまい込んだきりになっている。
包みをほどいて、思わず見直した。いつのまにか、印籠は桐箱に納まっている。
――確か、紙箱に入れて置いたはずだが……?
ぼんやりと思う。
もともと、件《くだん》の印籠には外箱がなかった。裸では何だからと、先生に渡すときに、ありあわせの紙箱に入れた。それで済ませていたのだが、見かねたのか、先生がさりげなく箱を誂《あつら》えておいてくれたらしい。
桐箱の蓋には、何か模様のようなものが描かれている。
――楓《かえで》か……?
箱を取り上げ、眺める。墨が流麗に走っていた。ひと息に描き上げられているのは、植物の一葉に違いない。一見したところ、楓にも似たてのひら状の葉だが、それにしては大ぶりだ。逆さに見れば火焔《かえん》とも取れる形からすると、蔦《つた》か葡萄《ぶどう》だろうか。
葉の形状に詳しくない上村には、確かなことがいえない。
見覚えのある筆致からして、絵は明らかに先生の手になるものだが、添え書きの類はない。
上村は、荷を解《ほど》かずに一年放っておいたことを悔い、深い息をついた。
先生は、新しい桐箱のことも絵のことも、おくびにも出さないので、礼をいわず終《じま》いになってしまっている。
それにしても、なぜ、この葉が蓋にあしらわれたのか。謎をかけられたようで、急に探求心が湧いてきた。
思ったよりも筋の良い品なのかもしれない。古い装身具に詳しい先生が、わざわざ桐箱を作らせ、わしに内緒で売らんといて≠ニいうからには、それなりに由緒のあるものなのではないか。
期待も混じり、少し浮かされたようになって、上村は紐を解いていった。
うこん色の布から、金のとろりとした色が滴《したた》りこぼれ出た。蒔絵《まきえ》の印籠が覗《のぞ》く。
――おや。こんなに良いものだっただろうか。
さすがに、料亭の経営を引き継いで数年になるいまでは、食膳に供する盆や椀を中心に、塗りものを見、購《あがな》う機会も増えてきた。その経験の限りでは、印籠の塗りも質も絵も、悪くないように思える。
――模様は、秋草か。
萩の花 尾花《おばな》葛花《くずばな》 瞿麦《なでしこ》の花 女郎花《おみなえし》 また藤袴《ふじばかま》 朝貌《あさがお》の花
秋の七草を、上村は思い起こした。万葉集にある歌だそうだが、尾花は薄《すすき》、朝貌はいまでいう桔梗《ききょう》の花だ。それも、この何年か、口ずさむように心がけて覚えたことである。
七草に限らないが、秋口に野を彩る花を、総じて秋草といい、夏ともなれば、座敷にはいち早く秋草が持ち込まれる。床にしつらえる生花も、軸の画題も秋草に変わるのは、季節の先取りが好きなこの国の趣向を映したものだが、暑さにむせる夏にはなおさら、風もないのに丈高の葉茎のそよぐ叢《くさむら》のごとき、もの寂《さ》びた秋涼の景を取り入れることを好む。
印籠に描かれた世界に、上村は、思いがけず心をひかれた。
夜空は高く澄明で、幾百の星がはじけ散っている。手前に浮き上がる秋野はどこまでも続き、果てを知らない。半月の下を歩く。薄の葉先が天体の周縁のような弧を描いて、無数に重なりつつも、ふしぎな自然の法則に操られ、均整のとれた象《かたち》をつくっている。
さわ、と耳の端で葉ずれが鳴った。
「ほう」
印籠を目にするなり、学芸員の岡倉|恒夫《つねお》は目を輝かせた。
「これは見事な」
上村は、つてをたどって、印籠の事情に詳しい専門家を捜し、品物を見てもらう段取りをつけた。
東京の美術商に見せたときには、ひとからげにしたところで大して価値がないといわれた印籠のひとつであるが、生半可ながら知恵がつきはじめたいま、あらためて見直すと、どうも、なまじのものではないように思える。印籠が、物いいたげに見えてきたのである。
それよりも何よりも、先生の謎めいたそぶりが気になっている。
例年、夏にこの印籠を借りていっては返してくる。ならば贈ろうと、上村は申し出たが、それは断わるという。加えて、今年はこの印籠を着けて来いといってきた。いう通りにするほかはないが、狐につままれたようでもある。
江戸時代から明治にかけて流行した装飾美術品を集め、展示している私立美術館の学芸員が、時間を作ってくれることになり、その岡倉の家を、上村は訪ねた。
「羊遊斎《ようゆうさい》・抱一《ほういつ》筆と銘が入っていますね」岡倉が口をきった。「この銘はご存じですか」
「名前だけは。盛名をほしいままにした人気作家たちだったようですね」
持参した印籠には、制作者の名らしいものが刻まれている。上村も、銘から見当をつけ、ざっと調べるくらいのことはしてきた。
姫路藩主の次男に生まれた酒井抱一は、俳諧、茶、能、連歌、香道と芸術万般に通じ、なかでも画技に専念して、文化文政の頃に当代一といわれた画家である。原《はら》羊遊斎は、同じ時期に数え切れないほど名人を輩出した蒔絵師のなかでも、群を抜いて人気を博していたとみられ、数多い在銘の印籠を残している。
抱一が下絵を描き、羊遊斎が蒔絵を施す。いってみれば、デザイナーと工芸家のコラボレーション作品に付加価値がつくようなもので、当時から、風流|韻事《いんじ》に通じた人間たちの垂涎《すいぜん》の的《まと》となり、飛ぶように売れてゆくという風だったらしい。
「こちらをご覧になったことは」
岡倉は、書棚から引き出した図録を開いて、応接テーブルに広げた。
いわれて、上村は図録に目を落とす。ある品に、すっと目が吸い寄せられた。
「……これは?」
持参しているものと、図柄も作行きも酷似した印籠が、そこにあった。
「銘羊遊斎・抱一筆≠フ『秋草蒔絵印籠』です。金地に金銀の高蒔絵《たかまきえ》で秋草を描いたものですね。薄と萩に、小ぶりの花は紫苑《しおん》かな」
表面から裏面へと、秋の野の景が連綿と続いてゆくところも、上村の印籠と同じである。
「よく似ていますが、同じ作者ということですか」
「うむ」
そうであるとも、違うともいわずに、岡倉はルーペを取り出し、図録の印籠に話を戻した。
「これは有名な作でしてね。一流の絵師が図案を描き、蒔絵師の細工《さいく》場が制作にかかるというスタイルが主流になっていくなかで、近世、工芸図案の下絵集が作られるようになったんです。原羊遊斎は、描金《びょうきん》の法、月に年に巧みにして古人も今に遠く及ばざるべし≠ツまり彼の金蒔絵の表現法は年々上達して、古雅《こが》の名工たちも敵わないだろう≠ニ評されるくらいの名人で、酒井抱一の下絵集を所蔵しておりました。散逸した分もあるようですが、いまも伝わる下絵があります。大和文華館とボストン美術館に一冊ずつ収蔵されていますが、この『秋草蒔絵印籠』の下絵は、ボストンの冊子に収録されているものです」
彼が図録をめくると、下絵の写真があらわれた。印籠の展開図に、『秋草蒔絵印籠』の構図が線描にされている。
「しかし、だからといって、下絵集にある絵が、すべて酒井抱一の手になるものばかりというわけではないようです。抱一の弟子で、これも高名な画家の鈴木|其一《きいつ》が描いたとか、絵も達者である羊遊斎が、抱一風のタッチで自ら作画したといわれる画もあるのです。まあ、いずれにしても、抱一はその手のものでも羊遊斎・抱一筆≠フ銘を認めていたらしい。いまでいえば、ブランドのライセンス契約というところでしょうか。それでも市場では引く手あまただったところが、トップブランドの凄さなんでしょう」
「では、『秋草蒔絵印籠』の下絵は」
「研究者によれば、鈴木其一が描いたものらしいです」
話しながらも、岡倉はルーペを目にあて、上村が持ち込んだ印籠の細部を、じっくりと点検していく。
「ぱっと見ただけでも、図録の印籠とぼくのでは、明らかに違うところがありますね」
岡倉の見解を待ちきれずに、上村は自分の見たままを指摘した。
図録に掲載の印籠は、秋の野の空にあたる上部が無地であるのに対し、上村が持ち込んだものの同じ部分は、半月が浮かぶ夜空で、数多《あまた》の星が散らされている。
「そうですねえ。青光りする螺鈿《らでん》の月がいいですね。星は黒漆《くろうるし》の点描と細かな螺鈿を散らす、ふたつの技法で描かれているが、うるさくなっていない。もちろん、同じ下絵から趣向を変えた作品に仕上げることもあり得るのですが」
「図録のものと兄弟のような羊遊斎作ということも考えられますか」
期待を込めて、上村は尋ねた。
岡倉は、ルーペを目から離し、上村に向き直って品物を卓上に戻した。「実に良くできているが、模作ですね」きっぱりという。
「そうですか……」
模作といわれて気落ちする。当初はさほど期待していなかったが、持参の印籠は、図録の『秋草蒔絵印籠』と見比べても、見劣りするどころか、どこか勝《まさ》ってさえ見えるので、もしやという気になっていた。
「どうも、素人はいけませんね。贔屓目で見てしまって」
「いやいや。羊遊斎・抱一筆*チのものは、当時から圧倒的に人気があっただけに、数も作られてましてね。もちろん、新発見がしばしばとはいきませんが、市場に出回っている本物に行き当たっても不思議ではないんです。ですが、同じ理由で、贋作《がんさく》や模作も極めて多い。あの時代には蒔絵師も大勢おりましたので、技巧の面で羊遊斎と拮抗するような無名の職工も、なかには当然、おりましたでしょうし。専門家でも判断に困るようなものもありますよ」
「そういうものなのですか」
「ええ。とくに、今回お持ちのものなどは、玄人《くろうと》でも迷うようなものです。螺鈿の貝の質も色も、昔のものだけにいいし、細工も極めて丁寧です」
戻された印籠を、上村は思わず手に取ってみる。
――専門家は、どこを見て模作と判断したのだろうか。
上村の目には、本物と遜色のない美しさとしか見えない。
彼の目が印籠をくまなく一巡するのに気づいたのだろう、岡倉が模作と断じた理由を明かした。
「模作づくりで名を馳せた工房というのも、当時からありましてね。酒井抱一は江戸|琳派《りんぱ》の代表格だが、江戸期には、琳派模作で知られた漆芸《しつげい》の工房が幾つもできました。本物でないのは明らかですが、模作と呼び、贋作といわないのは、工房の銘がきちんと入っているからなのです。上村さんのお持ちになったものも、その一種ですね。ただ、この工房の銘は、図柄に紛れて見にくい。隠し銘になっているので」
岡倉にルーペを渡されて、持参した印籠に目を近づける。指摘された部分を拡大してみると、確かに工房の銘がごく小さく入っている。
「ことの経緯《けいい》を知らなければ、かなりの目利《めき》きでも、本物と判断してしまいかねない。あなたの鑑賞眼が曇っているというわけではありません。鑑定の目的で細かに検《しら》べない限り、間違えるのも無理はない……。むしろ、本物を超えた憂愁が感じられて、趣《おもむき》は増しているかもしれない。とはいっても、そこはやはり模作ですから、残念ですが、本物と比べれば値段はぐんと落ちます」
品の筋は悪くありませんよ、といわれて、上村は少し慰められた。
「正真正銘の本物がいいとはいいますものの、抱一はさほど漆芸作品に力を注《そそ》いでいなかったのではないかという見方もありまして。彼は、羊遊斎に当てた手紙のなかに、こう書き送っていますからね。何でも構わないから、草花のようなものをさっと描いた蒔絵の櫛《くし》を二枚、頼みます。あなたと私の銘さえ入れてくれればいいということなので、よろしく≠ニいうぐあいで、軽い調子でねえ」
最後のほうは冗談めかしていい、岡倉は笑った。
「それにしても」彼は話を変えた。「上村さんは、以前、美術商にこの印籠を見せたことがおありだとか」
「そのときの美術商も、値打ちはないといっていたんです。隠し銘に気づいていたんでしょうか」
「よほど良心的な業者だな。あるいは、単に目が利かなかっただけなのか」
「え」
「いやね。商売っけに駆られた手練《てだ》れの美術商なら、適当な値をつけて、あなたからこの印籠を買い取り、目の昏《くら》い客に本物の羊遊斎作だと思い込ませて、高値で売ってしまうこともできるでしょう。そうしなかったのは、まっとうな店ですよ。あるいは、印籠にうとくて、何もわからない業者か」
関心がでてきたらしく、岡倉は店の名を聞いた。
「京橋の、『知恩堂』という店です」
「ほ、東京の?」岡倉の目に、驚きが走った。「それはもう、確かすぎるくらい確かな、一流店ですよ。あそこの主人が見定めたのなら、この私などの出る幕ではないのだが。店のほうから、何か説明はなかったのですか」
「それが、その頃は印籠の用途さえ知りませんでしたので、聞くこともしませんでした」
「普段は品物の素性の話が好きな親爺ですがねえ」
「ご存じなんですか」
「古いものはむろん、現代美術でも一流品しか扱わない、美術界の大立者ですもの」
当然という口振りである。
「いや、ありがとうございました」印籠を引っこめ、心ばかりの礼を岡倉に渡しながら、上村は頭をかいた。「そんな確かな美術商だったとは。そのうえ、岡倉さんのお手をわずらわせまして」
「大切になさってください。模作といっても、技術的には誇っていいものですから」
「納得がいきました」
上村は、ソファの上によけておいた桐箱を卓上に載せ、印籠を納めた。紐をかけようとしたときに、岡倉が見とがめて止めた。
「ちょっと見せてください」
箱を引き寄せる。
「これは?」
彼は眼鏡をかけ直し、桐箱の蓋を手に取った。目は、蓋に描かれた一葉の絵に落ちている。
「失礼ですが、これを描かれたのは」
急に目を光らせ、岡倉は身を乗り出してきた。
「これもお恥ずかしい話なのですが、商売柄、きものを着る機会が増えまして、着装の手ほどきを受けています。その先生が箱を誂えてくださいました」
「着付けの先生? 本当ですか」彼は、妙なことを聞くものだという顔になった。「どこか、見た覚えのある筆の走りだが」
眼鏡を取ってルーペに持ち替え、蓋の絵をあらためて検分していく。
「いい絵です。印籠の共箱《ともばこ》ではなく、真新しい箱のようでしたから、ついうっかり見過ごしていましたが」
「墨一色で描かれていても、華やぎがありますよね。いつも見惚れてしまいます」
「いつも……」岡倉は、訳がわからないとばかりに首を傾《かし》げた。「作者が描くところをご覧になったことがあるんですか」
「いえ。ただ、彩色された絵入りの手紙をよく頂くので。書のほうも自在に、すらすらと巻紙に。そちらの手ほどきも願いたいほどです」
「巻紙の絵手紙? まさか……」岡倉の表情に、真剣みが増した。「何という方ですか」
上村が先生の姓を口にすると、岡倉は唸《うな》った。
「そりゃ、佛々堂先生だ」
「――ぶつぶつ堂? 何ですか、それは」
「着付師だなんて、とんでもない。佛々堂先生は、関西きっての数奇者《すきしゃ》ですよ。諸芸全般に通じ、美術品の蒐集家でもある御大で、仏のような人だから佛という字をあてたという噂もあれば、何にでも一家言《いっかげん》あって、ブツブツ文句をいうから、そんな異名がついたのだともいわれている……」
四
頭の整理がつかぬまま、約束の日がやってきた。
上村寛之は、ここで良かったのかと、自分を囲む梢の、茫然とするほどの高みを見上げた。
細道を上っていくうちに、いつのまにか、木立ちの奥深くに入り込んでいる。迷ったのかと戸惑うのは、山全体にかかっていた燃え上がるほどの緋色が、少しずつ暮れ始めたせいであろうか。
「あ」
微《かす》かに、芳《かんば》しい微風が鼻先を掠《かす》めた。花木の香りではない。火の粒子が、それと嗅ぎ分けられぬほど混じるのは、香だろう。
たどって歩くと、ほどなく竹垣の脇へ出た。古びた門には、扁額《へんがく》がかかっている。
どうやら、この家であるらしい。
このたびばかりやとのみ思ひても また数つもれば
散らし書きにした文字が扁額に彫られているのを、上村は目で追った。
敷石を踏みしめて進むと、袴《はかま》がきしきしと鳴り、腰差しにした印籠が揺れた。蜩《ひぐらし》がふっと止んだ。
「乗ってみたらどうです」
岡倉にそういわれたことが、思い返される。
「私は面識がないが、佛々堂先生は、客を招いて楽しませることが好きな方だそうですから。どうやら、あなたを主客に何かお考えなのではないか」
「ぼくを、ですか」
当惑した。
岡倉は、桐箱の蓋に描かれた葉を眺め、さらに印籠を隅々まで念入りに調べ直し、何か感じるところがあるようであった。
「何となく、思い当たることがないでもないが、せっかくの趣向の手がかりになってもつまらない。推測はやめておきましょう。謎解きを楽しみに、出かけてみることです。それにしても、佛々堂先生の宴に招かれるとは、羨《うらや》ましい限りです。私もいちどは見聞したいと思うけれども、そうはいくまい。いや、ことの顛末《てんまつ》を聞きたいものだ……」
「上村さんでいらっしゃいますか」
名を呼ばれて、はっと我に返り、振り向く。
植え込みを背に、女が立っていた。目が合うとすぐ、上体を深く折り曲げたところからすると、迎えに出てきたものだろう。
二十代後半だろうか。
女は顔を上げた。白い半襟《はんえり》が日影に涼しく浮かぶように見えるのは、暗さが増してきたせいもある。女が近寄ると、目の前をひと筋の光がゆるやかに流れた。地色の濃く染まった絽《ろ》の肩先から胸元にかけて、白光のような無数の点描が連なり、女が動くにつれて、光が尾をひく。
髪をふっくりと古風に結い上げて櫛を挿し、三つ紋の訪問着であらわれた女は、使われている者のようではない。この家の女主人なのか。
「お運びをありがとうございます。どうぞ、そちらへ」
方向を示されて、先に立って歩く。女はさりげなく後から付き従ってきた。
――若いのに、相当、他人を立てる心得のある人らしい。
玄関には進まず、小径《こみち》を通って、広く開けた表庭へ出た。風変わりな一角が目に入ってくる。
灯明《とうみょう》の炎が、竹垣と赤松の古木を背景に、四脚の高机を照らし出している。四脚は平たい田字《たのじ》の形に並び、卓上にはとりどりの供え物が上がっていた。机の脇には、丈高の笹竹が対でしつらえられ、互いの枝に橋のように渡しかけた紐に、枷《かせ》になった糸や、葉が吊されている。
「祭壇でしょうか」上村は呟いた。
「ほしのざ≠ニ呼ぶそうです。九百年ばかり前には、すでにこれと同じ祭り方があったとか」女が答える。
「……ホシノザ?」
「星座《せいざ》と書いて、星の座≠ナす」
上村は、高机に近づいた。供物《くもつ》の入った白い小皿が、神さびて見える。食物の手前には、なぜだか琴も供えられていた。
「供物は茄子《なす》、桃、熟瓜《ほぞち》、梨、酒杯、大豆、干鯛、大角豆《ささげ》、薄鮑《うすあわび》の九種です。室町時代の有職故実《ゆうそくこじつ》の書には、同じ設営の図があるそうです」
――どういうことなのか……?
いぶかったのが顔に出たのか、女が察したように名乗った。
「ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません。私……」
渡された名刺には、職種がなく、妹尾《せのお》美由紀とだけある。初めて聞く名だ。
「妹尾さん……は、このお宅の方ですか」
「いいえ」
「庭に慣れておられるようですが」
「この数年は、毎年うかがっていますから。こういう機会を作ってくださるようにと、先生にお願いしたのは母ですので、責任を果たしに来ています。少し荷が重いですけれど、だんだん楽しみになってきました」
意味のつかめない応答にじれて、上村はとうとう、あけすけに打ち明けた。
「実は、ぼくは趣向を明かされていないんです。正装して、印籠を着けて来いと先生にいわれただけで、何が何やら。何が始まるんですか、ここで」
「そうだったんですか。今日は、旧暦の……」
妹尾美由紀は、口から白い歯をこぼれさせ、答えかけたが、にわかに、笙《しょう》の調べが朗々と響き始めた。雅《みや》びな音に遮《さえぎ》られて、自然に二人とも口を閉ざす。
上村は、見るともなしに星の座を眺めて、気づいた。笹竹に張られた紐に吊られた葉は、てのひら状に開いている。
――あの葉は。
印籠の箱の蓋に、佛々堂先生があしらった一葉と重なる。
なおも見れば、高机の脚下《あしもと》に手向《たむ》けてあるのは、大壺に投げ入れられた秋草ではないか。
音の波を見計らって、美由紀が耳元で囁いた。
「旧暦でいえば、今日は七夕《たなばた》にあたるんです」
「では、七夕の宴ですか」
意外であった。
幼い頃から当たり前のように七夕の行事を経験してきたが、こんな手の込んだ祭壇は知らない。老舗料亭の看板を曲がりなりにも掛けている『かみむら』でも、待合室に笹飾りを置き、願い事を書いた色紙の短冊を吊るのが関の山である。
「当日の儀式を乞巧奠《きっこうでん》と呼ぶらしいですね。ヴェガとアルタイルの二星が近づく年一度の日を吉兆として、技芸が巧みになることを祈ったそうですよ。琴や糸のお供えは、そういう意味で。後の世では、硯《すずり》や筆を供えたり、七夕の宴で蹴鞠《けまり》を催したりもしたようです。サッカーを神様のお目にかけたというところでしょうか。星の座は、平安の頃、清涼殿《せいりょうでん》の東庭に設けられていた乞巧奠の祭壇に由来するもので、それをこの庭に写したんですって」
「下げてある葉は?」
「あれは梶《かじ》です。昔は梶の葉に願い事を書いていたそうです。神事にゆかりのある葉だそうですが、七夕に使われるのは、天の河を渡る舟の舵に重ね合わせて、梶を飾るのだともいいますけれど」
「秋草を手向けるのも、しきたりですか」
「先刻申し上げた書物の――『雲図抄《うんずしょう》』という本ですが――図にあります」
すらすらと、美由紀はしつらえの来歴を口にする。上村のほうは、懸命に思い起こそうとしても、織姫《おりひめ》と彦星《ひこぼし》の名くらいしか浮かんでこない。天の河の両岸に引き離された二人は、年に一度だけ会うことを許された。確か、そんな話だったか。
「詳しいんですね」
「年に一度、乞巧奠の宴に出るようになって五年になります。佛々堂先生の受け売りですわ。もう、耳に胼胝《たこ》ができるくらい聞かされているので」
美由紀が悪戯っぽくいったので、上村も気が楽になってくる。
「先生は?」
「いらしてますでしょうが、今日はお出ましにはならないわ」
「どうして」
「わしは黒子《くろこ》や≠チて。物好きな方々が、先生に操られて何人も裏方を務めてくださるので、あたしたちは、ただ遊ばせて頂けばいいみたい」美由紀の口調が、少しずつくだけていく。「楽人《がくじん》のなかには、無形文化財の方も……」
上村は目をむいた。
――雅楽《ががく》は、座敷で奏されているのか。
驚ききっている間もなく、仕事着の軽衫《カルサン》をつけた男性がどこからともなく現れ、二人を誘った。
前庭に戻ったところで、上村は感嘆の溜息を洩らした。先刻とはうって変わって、敷石の左右から、背丈より高い薄の群れが小径にかぶさり、秋景が出現していた。いつのまに仕込んであったのだろうか、重なり合って揺れる葉先を、淡い光がどこからか照らす。水を打ち直したのか、葉叢《はむら》には露玉が光っている。
見上げれば、半月が宵の空に鈍い光を放ちはじめていた。
――蒔絵のなかをゆくようだ……。
印籠を着けさせられた意味が、ようやく呑み込めてきた気がした。この印籠を題として、佛々堂先生は宴の夢を見せてくれようとしているのではないか。
玄関の内へ招じられる。
土間に続く上《あ》がり口《くち》では、五色の絹でつくられた几帳《きちょう》が迎え待っていた。
続いて通された座敷の床《とこ》には、現代作家のものらしい、銀河のリトグラフ。その床を背に、網代《あじろ》の敷物が横長に敷かれ、楽器が手向けられてある。
琵琶《びわ》、琴に琴爪《ことづめ》、篳篥《ひちりき》、笙《しょう》、龍笛《りゅうてき》……。演奏時さながらに配された管弦楽器の傍《かたわ》らに烏帽子《えぼし》が置かれ、楽人たちがつい先ほどまで、ここで音曲を奏でていたことをうかがわせる名残《なごり》の趣だ。
次の間では、美由紀が賛嘆の声を上げた。
「凄い。この蹴鞠……」
暗さに沈む大広間に、松の大木が聳《そび》えている。どう持ち込んだのか、巨大な鉢に据えられた松は、高天井を破らんばかりの勢いだ。松の背後に、沓《くつ》で鞠《まり》を高く蹴り上げる貴人たちを描いた、六曲一双《ろっきょくいっそう》の屏風《びょうぶ》が白く浮き上がっている。時間の切れ目から、蹴鞠の競技場が唐突にこぼれ出てきたようであった。
天の河に架かる、鵲《かささぎ》の橋を染めた時代ものの打掛けが飾られていたかと思えば、またある座敷には、オブジェ作家の物と思われるガラスの月が懸かる。
束《つか》の間《ま》か、長い一ときか。
知らぬ間に案内人は引き下がり、ひと組の男と女とが、行きつ戻りつ、甘やかな道を歩いていた。どちらかが遅れれば、片方が立ち止まる。歩調が乱れれば、気遣う。座敷を巡るごとに、新たな景色があらわれ、いつまでも続く夢幻のようでもある。道の先に、何があるのか。
すぐそばで頬を上気させている妹尾美由紀が織姫に見立てられているのだろうか、と上村は妙な想像をした。
――まさか、形を変えた見合いというわけではないだろうが。
美由紀なら、古い調度や美術品のなかに立ち混じってもひけをとらない。もっとも、手の届くような相手とは思えなかった。
と、続きの間のなかで人の気配がし、引き戸が開いた。
覗き込むと、座敷の中ほどに置かれた小机《こづくえ》を囲むように、数人の、年配の男女が正装して座している。
「どうぞ、こちらに」
軽衫姿の案内役が再び現れ、上村と美由紀を部屋に引き入れた。
「これから、牽牛《けんぎゅう》と織女《しょくじょ》に、こちらの歌人の方々が和歌を手向けます」
座していた歌人たちが、一斉に二人のほうに会釈した。
上村の頬に、かっと血が上《のぼ》った。
夢のような一ときが、たちまち、胸騒ぎと羞恥心にかわる。
――ぼくは、彦星役を割り当てられたのか? やはり、縁結びの場なのかもしれない……。
「皆様、お待たせいたしました。ようやく、主役の登場です。お二人は上座《かみざ》のほうへ」
いきなり見世物のようにさらされることに、上村は困惑したが、美由紀は率先して床の間の正面へ向かった。
「織姫はこちらに」
美由紀は勧められるままに、床の前に膝をついた。
「彦星も」
催促されて、ためらった。席の人々の目は、上村に集まっている。
「さあさあ」
案内人に腕を引かれるようにして、上村は、床の間に向かい、美由紀と並んで膝をついた。歌人たちには背を向ける形になっている。
「まずは彦星です」
案内人が呼ばわった。皆が、固唾《かたず》を呑んで何かを待っている雰囲気が伝わってくる。どうやら、何かをしなければならないらしい。思いがけない成り行きである。
「どうすればいいのかな」
困ったあげく、上村は美由紀に小声で尋ねた。
「印籠を……」美由紀がひそひそと囁き返してくる。「印籠を床の間の盆に置いてください」
慌てて、上村は印籠を腰から外し、盆の上にそっと載せた。
席の人々は、安堵したような吐息を洩らした。
「では、織姫を」
案内人の口上《こうじょう》に合わせて、美由紀は髪に挿《さ》していた櫛を抜き、懐紙《かいし》で拭《ぬぐ》って盆の上に載せた。
上村は、出そうになった声を呑み下した。目は、美由紀の櫛の絵柄に釘付けになっている。
金地に高蒔絵。螺鈿の半月と幾多の星のもと、秋草が揺れる……。「羊遊斎・抱一筆」の銘……。
間違いない。櫛は、自分が着けてきた印籠と同じ作者が、揃いで作ったものであろう。
「それでは、お願いいたします」
いって、案内人は、灯明台の蝋燭《ろうそく》を灯した。盆上の印籠と櫛が、燦然《さんぜん》と照らし出される。
美由紀が、口上に応じて櫛を裏返す。と、そこには機《はた》を織る女神が現れた。
上村は茫然とした。
「印籠の蓋を引き開けてみて」
美由紀に小声で助け船を出され、印籠を盆から取り上げ、緒締《おじ》めを緩めて蓋を大きく開ける。深い蓋の底を覗き込むと、牛を引き、犂《すき》を手にした農耕の神、牽牛の姿が、鮮やかに描かれているではないか。
意表をつかれながらも、上村が牽牛を盆の上に置くと、二つの星がひとところに並んだ。乞巧奠の真の主役が、揃い踏みしたのである。
佛々堂先生の遊びに、上村はあらためて舌を巻いた。
このたびばかりやとのみ思ひても また数つもれば
いつまでか七《ななつ》の歌を書きつけん 知らばや告げよ天の彦星
牽牛、織女≠フお目見えで、歌人たちによる披講《ひこう》が朗々と始まっていた。
五
「先生には驚いたな。櫛と印籠の逢瀬《おうせ》のために、こんな贅沢な宴をお膳立てしてしまうとは」
お付き[#「お付き」に傍点]のお二方は別室でお食事を≠ニ案内役にエスコートされて、上村と美由紀は晩餐の席についていた。
「本当に。凝った趣向のすべてが、あの蒔絵の二人に捧げられているんですから、幸せですよね」
美由紀が、持参した櫛のあらましを明かし始めた。
「そもそも、あの櫛は、妹尾の家に代々伝わってきたもので、おそらく江戸後期の頃の誰かが持っていたものらしいんです。祖母や母の話では、どこからも望まれるほど美貌だったのに、生涯独身で通した娘がいて、彼女がこの櫛の持ち主だったといいます。最期には、櫛と一対の印籠があるといい遺して亡くなったとか。裏の絵が織女だけに、ロマンチックな話でしょう。逢いたくても逢えない仲の恋人がいたのではないか、と、牽牛の描かれた印籠捜しがはじまったんです。とくに、母が夢中になって、親しかった佛々堂先生にもお願いして、ずっと対の印籠を捜していました。櫛が本物の羊遊斎ではないことは、知恩堂に見せて分かっていましたが、何か恋人たちが秘めた恋の装飾品をこっそり誂えるには、模作工房のほうがふさわしい気がするといって」
「それが、うちの蔵に」
「ええ。六年前です。知恩堂が隠し銘のある印籠を飛騨で見《め》っけたわ。わしも見てくるわ≠チて」
先生は、美術商から連絡を受けて『かみむら』に偵察に来ていたのだと、上村は思い当たった。それにしても、気の長い、周到な話である。
「印籠が見つかったといわれて、母はすぐさま、買いたいといったのですが、それは駄目だと、佛々堂先生が」
「いって下されば、差し上げましたのに」
「ありがとうございます。でも、それも却下されたでしょう」
「なぜですか。ぼくの祖先があなたのご先祖の恋人だったとしたら、喜ぶと思いますが」
美由紀は首を振った。
「そうではないのだと、母は先生に諭《さと》されたそうです。遠く、手の届かないあかりに胸を締め付けられることこそが憧れなのや、漢代《かんだい》から伝わる、二千年の恋なのや……$D女と牽牛とを、ひとつ屋根の下に置くのは無粋《ぶすい》だと」
「そうでしたか……」
「かわりに、先生は印籠を年に一度借り、贅を凝らした乞巧奠の宴を開いてくださるようになりました。母も毎年楽しみにしていたのですが、一昨年、亡くなりまして。それからは私が櫛を挿し、織女のお付き≠引き受けてます。二つの星の逢瀬に乗じて、今後も、先生の趣向をできるだけ楽しみに待とうと思います。上村さん、ご面倒ですが来年も、また……」
彼女は、深々と頭を下げた。
座敷からは、庭に置かれた星の座が間近に見えた。祭壇のしつらえは、また新たになっている。供えもののかわりに据えられているのは、ひと抱えはありそうな盥《たらい》である。
「出てみませんか」
美由紀に誘われて、藁草履《わらぞうり》で敷石を伝い、梶の葉の浮かぶ盥の前に、上村は立った。
「見えたわ」
喜ばしげに、盥を覗き込んだ美由紀がいった。
上村も、盥のなかに無数の燦《きら》めきを見た。鏡面のような水に天体が映り込み、空の彼方で、ひときわ明るい二星が出逢う夢を見たのである。
六
「乞巧奠は盛会だったようですね、先生」
知恩堂は、宴の話を聞き込んで、雑談ついでに七夕の話題を持ち出した。
「ほやな。若い子たちへのバトンタッチが済んで、わしも肩の荷が下りたわ。妹尾の奥さんも亡くなったし、世代交代やな。これで、蒔絵の牽牛織女も、もう何十年かは逢えるやろ」
「それにしても、なぜ、はじめから上村氏に印籠の件を打ち明けなかったんですか。妹尾家の事情を話せば、宴に呼ぶことができて、話が早かったでしょう」
「それはそうなんや。けどな、妹尾の家には妙齢の娘がおったから、寛之君と会わして藪蛇《やぶへび》になってもあかんと思ってな。今年まで待っとったんや」
「どうしてです」知恩堂は首を傾げる。「かりに縁が出来たとしても、あの二人なら、似合いのひと組みになるでしょうに」
「あんたも、わからん奴《やっち》ゃな」
佛々堂先生は、じれったそうにいった。
「二人が一緒になってみなはれ。印籠と櫛も、毎日顔つき合わせる仲になってしまうがな。これほど野暮なものはあらへんわ」
「だったら、どうして今年になって会わせたんですか」
「簡単なことや。妹尾の美由紀さんなあ。去年婿さん貰いはって、新婚ほやほやなんや」
「何ですって」知恩堂は目を白黒させた。「そんな殺生な……!」
佛々堂先生は、苦笑した。
「美学には代償が必要なんやで。ま、七夕を重ねるうちに、『かみむら』の店も味も、洗練されてゆくやろな。飛騨の山郷なみに芽吹きの遅い男やが、どうやろ。あの子の耳にも、そろそろ起こし太鼓≠フ音が聞こえてもええ頃やあらしまへんやろか」
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寝釈迦
一
うなじのあたりに、何かが落ちてくる感触があった。
液体である。天から落ちてきたが、雨でもなければ雫《しずく》でもない。なま暖かいことで、それと知れる。
――またか。
鳥が、水っぽい糞《ふん》を落としていった。
舌打ちをして、和田|克明《かつあき》は梢《こずえ》を仰ぐ。枝を透《す》かして見上げる天の青が深い。
追ったところで、鳥の姿はとうにない。山は恵みの季節である。どこか別の木に輝くみのりを捜しに行ったのだろう。
――ツグミの奴め。
もとより、飛び去った鳥の形もなく、囀《さえず》りも残っていないのだから、種別がわかるはずがない。なのに、克明は鳥の糞といえばツグミを連想する。父の嘉文《よしふみ》が話したことのせいだ。
山に入り始めてまもない頃、肩口に大きな落とし物をされた。克明は毒づいたが、父は大笑した。
「お前《め》と同じかもしれねえぞ、あの鳥も」
「何がさ」
「果物に、うまくしてやられたずら」
「鳥だろ、犯人は」
克明は鳥の羽音を追いながらいった。父は、構わずに続ける。
「まずカツは昔からそうだ。西瓜《すいか》、キュウリ、トマト、梨……」
「何なんだよ」
実ものの名前を、面白そうに挙げてゆく父の目が、幼い者を見るそれに変わった気がして、克明はとまどったが、同時に思い出した。どれも、もの心つく頃からの好物だ。好きなだけに、おやつ代わりに出されれば、むさぼるように齧《かじ》りついた。大概《たいがい》にしておけと母親にいわれても、腹いっぱいになるまで食べつくした結果、決まったようにたちまち腹をこわしてトイレに駆け込む。カツの腹下し≠ナあった。
「何でもなあ、アメリカ人の学者が、ツグミで実験したそうだ。好んで食べる赤い実が、ツグミ達の腹を緩くする。そういう成分が、あらかじめ実に含まれてるんだと」
「嘘だろ」
「聞いた話だけど。実のほうがかしこいわ。ツグミのほうがひっかけられとる。実と一緒にタネも飲み込むずら。胃液に十五分|浸《つか》っていても、タネの七割は生きとるが、二十五分になると生き残りは二割に減るっちゅうでな。となれば、タネは一刻も早う、胃から出たいわけだ。で、果肉が下剤がわりになっとる。だで、鳥だって、好きで緩いのを出しているんじゃねえらしいじ」
「へえ」
都市部で仕事についていたとき、珍しく上司に貰《もら》ったメロンで、急に便意を催し、閉口したことがある。傷《いた》んだ果実を押しつけられたのかと勘ぐっていたが、メロンの企みだったのか。子どもの頃の妙な下り腹も、そのせいだと思えば腑《ふ》に落ちる。ヒトに成りきっていないコドモは、果物にさえ制圧され易かったのかもしれない。
「果実に戦略があるなんて情報、どこから仕入れたの」
父にしては珍しくアカデミックな匂いのする話だと、克明は少しばかり見直す思いだった。
「常連さんからだじ」
「誰からさ」
「お前は、まだ会ってねえ。おらほには秋の終わりに来《く》っから」
――そんな客もいるのか。
意外であった。民宿といっても、『わだ』は山小屋に毛の生えたようなものである。父親は、半ば山に引きこもるように、ひっそりと宿を営んでいた。気の利いた客など来そうもない。
――去年までは、そう思っていたが……。
どうも、『わだ』の客筋を見くびっていたようだ。思っていたよりも筋のいい客が付いている。
克明は鋸《のこぎり》を腰ざしに戻し、軍手をはめた右手で糞を拭《ぬぐ》った。
この仕事を父親とともにするようになってから、襟足を刈り上げている。ただでさえ、首筋から汗が噴き出、ぐっしょりとシャツを濡らしていく。そのうえに、長髪が鳥の落とし物にまみれるのでは、たまらない。
左手は、手がかりになる枝をつかんでいる。足は梯子《はしご》にかけているとはいえ、松の幹の高いところに、克明は蝉《せみ》のようにとまっていた。木に半ば抱きつく形で、枝を伐《き》り落としてゆく。週に四日は山に入る。父がそうしているからだ。祖父も木によじ登って生きた。曾祖父も、その前の代も。
和田家は、代々、山の手入れを任されている。
山の持ち主は町にいる。中山道に残る宿場町の名家、村の長《おさ》、郵便局長、町長……、どう呼ばれ方はかわっても、相変わらず実力者であることは変わらない旧家が主筋で、和田家は山守《やまも》りである。
かろうじて、祖父の代になって山のはしくれに土地を分けてもらい、仮居のような安普請の家を建てた。
その場所が、いまの『わだ』である。
家の板間にまで薪《たきぎ》が山のように積まれていたのを、克明は覚えている。どこかで、木の枝がいつも燻《くすぶ》っていた。煙を辿《たど》って林をゆくと爺《じ》っさがいた。
山守りの給金は微々たるもので、そのかわり、山の恵みを生計の足しにすることは許されている。山の持ち主は、その点では鷹揚《おうよう》であった。件《くだん》の旧家、角筈《つのはず》家代々の当主のおっとりぶりは、地元では有名である。
両親が民宿を始めてからは、山菜、茸《きのこ》、あけびに栗、そんなものが、どれだけ役に立ったかわからない。母親は蔓《つる》細工を編んで町の市場に出している。
三十を過ぎて、克明が地元に戻ってきたのは、恋人だった女のせいである。克明のアパートにある蔓の籠《かご》を見ると、女は、「ふうん、エスニックなんだ」といい、実家が民宿と知ると、あとを継ぎたいなといった。
世迷い言を鵜呑《うの》みにしたほうも悪いが、そのときは本気で、克明はファミリーレストランの調理場を辞め、民宿の修業をするため田舎に戻った。離れて暮らして半年もしないうちに、女の気は変わった。
離れてゆく女を、克明は引き止めなかった。山の暮らしが性にあってきたのである。和田の家が手入れを続けてきた里山には、活力があった。
これまでは気にかけたこともなかったが、ほかの山を見歩くと、嘆きたくなることばかりだ。
枝打ちを怠った林には、日が射さなくなる。風通しや日当たりの悪い山では、畢竟《ひっきょう》、虫食いの木が多くなる。樹勢も弱まる。体力減退しているところに、虫がつき、大発生を引き起こす。
「ジンガイずら、ジンガイ」
しきりに父が口にしていたことばが、実感になるまで、時間はかからなかった。
――人害。
虫つきの枝を伐採せずになお放っておけば、枯れてしまう。枯れた木に虫が巣くう。枯れ枝から、虫は伝播《でんぱ》する。手当てを怠った人間のせいである。枯木、枯れ枝が折り重なるように積み重なって放置されれば、覆われた地表に光は届かず、何ひとつ芽吹かない。新しい生命が生まれない山は死に体だ。
下草を刈る。枝を打つ。枯れ木や野放図に伸びている蔓を除く。その繰り返しで山は蘇《よみがえ》り、呼吸する。和田家の管理する山では、整理した木や枝で、斜面の崩れを防ぐ土留めもこしらえる。土を流してはもったいないと教えられた。
克明は、父の働く姿をやけに眩《まぶ》しく感じはじめていた。慣れてくると、近い集落に降りてゆく気さえ薄らいだ。最近では、仕事を怠ると体も山も錆《さ》びるように思える。
だからこそ、いまはむしゃくしゃしていた。
父は仕事を休んでいる。このところ、腰を痛めたといって、山の作業がはかどっていなかった。ついにしばらく湯治をしてくる≠ニいい置き、渋る母を無理やり引き連れて強引に出かけてしまった。以来、すでに十日が経とうとしているが、いっこうに戻る様子がない。湯治場《とうじば》に電話をしてみても、言を左右にして戻ろうとしない。いままでに無かったことである。
老いがはじまったのだろうか。
――いや、そうではなかろう。俺だって……。
あることに考えが及ぶと、克明は道具を放り出してしまいたくなった。
集落を伝わって、噂が上ってきている。
周辺の土地が、売られる……
山の持ち主、角筈家の当主が、土地の一部を手放すというのである。よくよく聞いてみると、その土地とは、和田の家が管理してきた山のうちのひとつらしい。
体調を崩したとはいえ、嘉文が山をそっちのけにして、よその地に長逗留《ながとうりゅう》を決め込んでいるのは、そのことを耳にしたせいかもしれない。長年のあいだ手塩にかけてきた里山が人手に渡るとなれば、誰だって、いい気はしない。
山が売られると初めて聞いたときには、克明も愕然とした。
ところが、売られるという噂の山の名を聞いたときああ、あの山なら……≠ニ思わないでもなかった。売られるという山は、地元ではよく知られたいわくつきの山≠セったのである。
――あの土地なら、角筈家が手放したがるのも無理はない。
普段からそう思いつけているものだから、野菜を置きに来た村人との雑談で、克明は何の気なしに、ストレートな感想をそう口にした。
山守りの家『わだ』の跡取りも、あの山なら仕方がないといっている。ほどなく、そんな風聞が流れた。
嘉文がふいと旅立ってしまったのは、それからだ。噂の山の手入れは、嘉文が一手に引き受けており、克明はまだ手伝ったことがない。そのくせ出過ぎたことをいうと、嘉文は臍《へそ》を曲げたのか。
――お父《と》っさは、いっこくすぎるのだ。そんなことだから、山のひとつを買い取る甲斐性もない。
山ひと筋の生き方に共感を覚えたはずだったのに、いつのまにか、金に淡泊な嘉文が歯痒《はがゆ》くなり、ぼやきたくもなった。
お人よしで、手間賃の交渉ごとなどはできない。それでいて気前はいい。
――顧客サービスだか何だか、知らないが……。
嘉文に指示された仕事が残っていることを考えると、よけいに気がくさくさした。
春には山菜、秋には栗や茸。『わだ』では、里山の収穫を味わってもらいたいと、宿についた客たちに山の恵みを頒《わ》け送ることまでしている。年二回で三千円では、とても見合わない。
この秋の荷はお前がやっておけといい、嘉文は送り先と品物を書きつけた紙を置いていった。おかげで、枝打ちの通常作業に加え、栗を拾い、茸を捜しまわる仕事までが上乗せされた。帰れば宿の仕事や箱詰めが残っている。疲れがたまってゆく。克明は、また舌打ちをした。
二
屋敷の茅葺《かやぶ》き門から、客たちが三々五々|退《ひ》けていった。
宴の余韻は、まだ残っている。
広大な屋敷の主は、行灯《あんどん》がともされた路地で最後の客を見送ったあと、堂に入った足取りで書院に戻った。蝋燭《ろうそく》のあかりのもと、床《とこ》の軸を掛けかえ、茶を点《た》て始めた。
軸の前に、まずは一服の茶を献じ、主も相伴する。流れるような手前に、雑念はみじんもない。
が、喫《の》みきってしまうと、主の喉からふうっと溜息が洩れた。
その音を、聞きつけたかのように襖《ふすま》が開いた。
「先生、今晩も盛況でしたね」
主に声をかけたのは、宴の助っ人として邸《やしき》に馳せ参じていた美術商、知恩堂であった。
「そやな。皆は?」
「裏方たちも、満足して帰りました。気心の知れた連中は呑みに」
「ご苦労はん。あんたはんも、お疲れやったやろ。まずは一服することや」
ねぎらいながらも、主は心なしか浮かない顔をしていた。
「どうかしたんですか」
珍しいことだと、知恩堂はいぶかった。
屋敷の主、佛々堂先生は関西きっての粋人で、知る人ぞ知る数寄者《すきしゃ》である。客を招き、趣向を凝らした遊びでもてなすことが何より好きで、人が驚き、嬉しがることに、自身も相好を崩す。その佛々堂先生が、自宅で開いた宴のあとに晴れない顔をしていることは、そうない。
先生の気をひきたてるように、宴席の料理を褒《ほ》めてみる。
「お裾分けにあずかりましたが、茸と鱧《はも》のしゃぶしゃぶはオツですなあ。土の香気とでもいうんでしょうか。ナラタケ、スギヒラタケ、ウラベニホテイシメジ、イクチ、クリタケ……でしたか。市には出回らない茸が何種も混じり、しだいに出しが甘露にかわっていく。あれは|※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎたてでしょう。その出しを含んで、また鱧が……、脆《もろ》く甘く溶ける。生きる力というのは、まずこの味のことか、と。料理というのは不思議なものですわ」
佛々堂先生の宴といえば、裏方の集う支度部屋のほうでも、宴席と遜色のない料理が振る舞われる。それが楽しみで飛んでくる助っ人たちもおり、知恩堂もその口で、東京の京橋から関西まで駆けつけてくる。
「その茸なんや」先生が応じる。
「え」
「知恩堂はん、松茸山の話を聞かはったこと、ありまっしゃろ」
「松茸山……丹波かどこかのですか」知恩堂は、名高い産地の名をいった。「なんといっても、極上の松茸といったら、篠山《ささやま》周辺でしょうねえ」
「何いっとるんや。松茸山といったら、あんたの業界では有名な話やないのんか」
「ああ、そっちの話ですか」
ようやく思い当たる。先生は、実在の山でなく、美術業界の隠語めいたことばの話をしているのである。
「あたしたちと一緒にしないでくださいよ。松茸山といったら、詐欺師の手口です。ただ、骨董や美術品にまとわりつく海千山千の奴らのすることですから、素人さんが油断すると引っかかりやすい」
「そうやろなあ。えらく単純な手なんやろうけど」
「生け込み≠ニもいいますが……」
生け込み≠ヘ、買い手の錯覚を利用して働く詐欺の一種である。
「あたしの聞いた最近の話ですとね」知恩堂は知識を披露した。「古い屋敷を買いたがっている骨董好きのカモ――あ、失敬、お客さんがいた。まあ、最近ではそんな物好きがいるんですわ」
生け込みの手口に填《は》められた客は、骨董の初心者であった。
「初めのうちは、耳学問といいますか、何でも聞きかじりたいものでしょう。知識欲旺盛な客に、詐欺師がチームの一人を仕向けたんですな。ちょいとあだっぽい年増ですが、道具屋崩れで、多少は心得のある女。そ奴が、骨董仲間としてお客さんに近づき、煤竹《すすだけ》の話なんかを繰り返し吹き込んだ。
煤竹は稀少品らしいわね。なんといっても、竹をあれだけ黒く底光りさせるには、何百年も本物の囲炉裏《いろり》で燻《いぶ》し続けるしかないっていうもの
このあいだ美術倶楽部で見たら、煤竹のみごとな籠が数十万円
茶道具商から聞いた話だけれど、竹芸界の長老が煤竹を喉から手が出るほど欲しがっているそうよ。時代のついた竹がまとまって出たら、千万を超える値になるんですって
――などとねえ。もちろん、押しつけがましくせず、雑談の合間にそれとなく小出しにした。自然と、話が耳に残って、お客さんには煤竹信仰ができていきますな。そのへんは地道にね、半年かそこらは気長に続けたそうです」
「辛抱も技のうちやなあ」
「詐欺師が満を持して登場したのは、そこからですわ。いい家の物件が出ましたと仲介を持ちかけた。まあ、家の程度はそこそこ古びてる程度です。田舎家なんて、どれも似たようなもので」
「太い梁《はり》があって、板の間に囲炉裏があるのやろ」
「おっしゃる通りです。お客さんはひとめぐり、見てまわった。家そのものは、いいも悪いもない。ところが、屋根裏も使えますといわれて、きしむ梯子を上がると、なんと埃《ほこり》をかぶった煤竹が六、七十本放置されているではありませんか。これは……と、息をのんだ。同時に、先刻見てきた階下に、囲炉裏があったことを思い出した」
この竹は、あの囲炉裏から立ち上る煤で、何百年か燻されたものに違いない。もとの持ち主は物を知らないと見えて、じゃまになると思い、置いていったのだな≠ニ客は勝手な推測をする。
ざっと見たところで五十本を軽く超える煤竹がある。これが自分のものになるとしたら≠ニ考え始める。
風合いのいい煤竹の籠がいくつとれるだろうか
茶杓《ちゃしゃく》を作らせたら何本できるか
果ては、女がしていた高名な竹芸家の話まで思い出す。
あの御大に渡りをつけるには、どんなコネを使えばいいのか、貴重な煤竹に、幾らの値がつくだろうか
一本か二本は、家の造作につかってもよかろう……
「取らぬ狸の皮算用ですよ。とにかく、胸が高鳴りこれは掘り出し物だ≠ニ夢は膨らみます。ところがですな。先生はとうにお察しでしょうが、煤竹は、もとからその家にあったものではない。詐欺師が、手持ちのものをぼろ屋敷に生けて≠ィいたわけです」
いっぽうでは女が客に知識を生け込み、他方では家にブローカーが物を生け込む。相関のないように見える事象が思いがけなく結びついたとき、客の思いは勝手に育つ。驚くほどの勢いで育ったところを、詐欺師は容赦なく刈り取る。
「まあ、それだけのことで、家の相場に二百五十万上乗せしたんです。客は、少々高いとは思ったでしょうが、掘り出し物の煤竹を考慮に入れれば安い。利益が出ると買い手側は踏んだ。家の売買の契約書が交わされ、現金が振り込まれました。なにせ、骨董商売は現金取引があたりまえです。家そのものも骨董ですから、原則どおり金のやり取りが終わると、客はほくほくして、家の改装に手を着ける前に、煤竹を運び出しに行きました。ですが……」
知恩堂は、肩をすくめてみせた。
「屋根裏は、もぬけの殻だったんやな」先生が引き取った。
「ええ。うまく家をつかませたら、詐欺師は利を得てドロンですわ。そうなったところで、契約書には家の売買としか書いてないんですから、あとの祭りですよ。訴えると息巻いたところで、煤竹に関しては契約も何もありませんから、どうにもなりません。つまり、買い手は煤竹も込みで買ったと思い込んでいたが、実はディスプレイに過ぎなかった。もとの持ち主が引き上げたといい抜けるやり方もあるらしいです」
「際どい商売や」
「それだけじゃありません。今回の話では、家の囲炉裏も作りたてだったらしいというから、たまげました。煤竹の話をでっち上げるために、板の間に新しく囲炉裏を切り、時代物に見えるように古色《こしょく》をつけてあったそうです。まさに、松茸山そのものです。それでも、組んでいた女のほうが疑われることはなかったといいますからねえ」
「気の毒になあ。お客はんは、煽《あお》られたことに気づいてはらしまへんのやろ。ところで、その松茸山ちゅう言い方の由来やが、ご存じでっしゃろ」
「はあ、承知してます。昔から悪知恵の働く人間はいたようで……」
その昔、ある地主がいた。入用があって土地を売りに出したいのだが、間の悪いことに、地所は人里離れた山深くにあり、なかなか買い手がつかない。考えあぐねていたが、あるとき一計を思いついた。
幸いなことに、地所のなかには赤松がぽつぽつ生えていた。ひらめいたのは、地所を松茸の山として売り抜けようということである。
実際には、いくら捜しても松茸の影も形もない。過去にも、一本たりとも出たという例《ためし》がなかった。
しかし、そんなことにはお構いなしに、ある秋のさなか、地主はその山で松茸狩りの事業をはじめた。九月から十月末まで、およそふた月。休日に限るが、山で松茸狩りが楽しめる旨、街道に看板を出した。当初は閑散としていたが、行楽の客たちが松茸を掘り当て、口コミで人気が出た。何のことはない。松茸は、あらかじめ別の産地で購入したものを、地主が仕込んで置いたのである。
そんなことを、三年続けた。仕入れは先行投資であるが、出るか出ないかは運次第の松茸のことで、収穫が少なくても客から文句は出なかったし、松茸狩りの代金を差し引くと、原材料費も安く済んだ。
「あの山で松茸が採れ出した」と噂になると、地価は上がった。同時に、地主は、自分が事業で失敗したという噂を流した。金に困って山を手放すという触れ込みである。
案の定、すぐさま買い手があらわれた。餌《えさ》に食いついてきたと見るや、即座に地主は応じ、高値で松茸山≠売り抜けた。
もちろん、翌年から松茸はまったく採れなくなった。出始めたときと同様、終わりも突然であったが、松茸は作物ではなく、例年自然に生えるもので、訳もなく唐突に出なくなることもありがちである。買い手が騙《だま》されたことに気づくまでには、長年かかった……。
業界で語り継がれている、有名な話である。
「あの松茸山≠ネあ」佛々堂先生が意外なことをいい出した。「騙し方の喩《たと》え話と違うんやて。実際に、何も出ない松茸山を買った人がおるんやわ」
「寓言《ぐうげん》じゃないんですか。ネタとしてはよく知られた話ですが」
「寓言が現実になったのかも分からん。とにかく、同じ手口で山が売られた例がある。半世紀前の話やが」
「見聞なさったんですか」
しじゅう全国各地に旅している佛々堂先生の行動範囲は広く、諸事万端にわたり経験が豊富である。
「いや、信州の民宿の親爺《おや》っさんに聞いた話やねん」
「信州の、といいますと……ひょっとして」
「ああ。茸送ってきてくれた家や。あそこともつきあいが長い」
信州から、例年秋の便りが送られてくる。段ボールに詰まった山の恵みは、民宿の主人の心づくしだ。佛々堂先生が秋宴を催すのは、決まって信州からの荷が届いてからである。知恩堂も、宴を通してそのおこぼれにあずかっていた。
「便で届く茸は別格ですね。今年もすばらしい出来で」
「そうやな。少なくとも、茸を選ぶことはできる奴《やっち》ゃ」
「『わだ』の親爺っさんは、その点ベテランでしょうから」
「今年は違うわ」
「特別味がいいですな」
「そやない。今年は別人が詰めたのや。いつもの荷と違うわ」
「そうでしたかねえ」
「親爺っさんの箱はなあ、サイズがひとまわり大ぶりや。信州のミルフィーユが入っとる。それが無い」
「ミルフィーユですか」
また始まった、と知恩堂は聞き流しながらも、先生の憂い顔を横目で見、ついこみ上げてくる笑いをかみ殺した。
佛々堂先生という人は、何かお気に召さないことがあると、ぶつぶつ呟く。それが佛々堂先生≠フ異名の由来である。仏のような人だから佛々堂先生≠ニいう見方もあるのだが。
「今晩の宴では、デザートが出る予定だったんですか」
知恩堂の知る限りでは、ミルフィーユといえばフランスの菓子である。パイ生地が何層にも重なっていて、フォークでは食べにくい。
民宿の主人は、菓子づくりの達人でもあるのだろうか。
「もっと贅沢なご馳走や。『わだ』の親爺っさんの箱は、宝の入っとる葛籠《つづら》みたいなもんでな」
佛々堂先生は目を細めた。思い起こしているのか、陶然とした顔つきになる。
「荷を解くと、まずは朴《ほお》の照葉がふわりと、蓋のように敷き詰められている。すぐ下の層は水楢《みずなら》の黄葉《こうよう》、その下には楓《かえで》の紅葉《もみじ》。なかほどには茸の籠が埋まっとるが、籠のまわりには赤い実のついた山茱萸《さんしゅゆ》の枝、さらに下の層は黄金色のブナ、山躑躅《やまつつじ》……。何層もの散葉が折り重なって、目にも綾なるミルフィーユや。いや、本式にいえばミルフォイユやな。仏語でフォイユは葉やろ。ミルフォイユは千枚の葉という意味になる。それが日本で変じてミルフィーユ、いうらしいわ。ほな、菓子の本家は、かさこそ音をたてる落葉なのやろ。親爺っさんは、照葉を集めて届けてくれはるんや」
「秋の葛籠……」
佛々堂先生の時節暦の艶やかさに、知恩堂は深い息をついた。
「けどな。茸は送ってくれたものの、今年の荷には、クッション代わりに新聞の丸めたのが入っとった。ということは、茸を別の者に詰めさせて寄越したのやろ。親爺っさんになんぞあったんか、思てなあ」
「そうでしたか」
「それだけやないで。あの親爺っさんがおらんと、わし困るんや。掌中の珠《たま》をいくつも失くすことになるさかい。あんたも困るかもしれんわ」
「このあたしもですか」
それは困ると、信濃の民宿と自分との関係を懸命に考え始めたが、心当たりがない。黙り込んだ知恩堂の前に、すっと茶碗が差し出された。
「さ、あんたもお相伴しなはれ」
いいながら、先生は床のほうを見やる。つられて知恩堂がふと見ると、懸かっているのは仏涅槃図《ほとけねはんず》であった。
時代はそう古くはない。幕末頃の木版本をもとにした刷り物であろう。沙羅双樹《さらそうじゅ》のもと、弟子たちや諸仏、動物たちに見守られ、釈迦は右手で手枕をなさり、悠然と横たわっておいでである。頭を北向きに、お顔を西向きに。横臥《おうが》した寝釈迦《ねじゃか》は、悟りを開き、入滅して涅槃におられる。
珍しい題材ではない。どこの寺にも一幅は所蔵されており、茶事の愛好者にも好まれるものだが、涅槃図の季節ではなかろうと、知恩堂は首を傾《かし》げた。
釈迦が入滅なさったのは、陰暦二月十五日である。それにちなんで、涅槃|会《え》が催され、画幅もその時節に使うのが常道である。
「先生、このお軸は?」
謎をかけられたようで、知恩堂は身を乗り出した。
先生は、苦笑した。
「ま、おいおい明かしまっさ」
三
和田克明は、林道に面した小屋脇に車を乗り入れた。
一坪もないさびれた小屋の入り口は閉じている。景気が良かった頃は別荘を扱うディベロッパーの案内所だったが、いつしかその会社もなくなり、小屋は使われていない。かわりに、周辺に開いたスペースを『わだ』が専用駐車場に使わせて貰っている。送迎や買い出しに使うミニバンと、来客のための車置き場である。
車はここまでで、あとは舗装した林道を少し歩き、さらに細道を徒歩で七、八分登る。
その駐車場に、見慣れない車が駐《と》まっていた。ワンボックス・カーである。
駐めてある車に、克明はミニバンを寄せた。
――古ぼけた車だな。
窓から、なかの様子を窺《うかが》ってみる。
明らかに着替えと思われる作業服とラフな衣類が、ハンガーで吊されている。座席には、工具や作業道具、段ボール箱から壊れかけた木箱まで、何やら見当がつかないがらくたのようなものが雑然と積まれている。
持ち主は、車で暮らすのに慣れているようだ。各地を渡り歩く風来坊だろうか。
構われていない車もいっぷう変わったひとも、克明は見慣れていた。
人里離れた場所には、不器用な人間が集まる。どうしても平均的な生き方からはみ出してしまう個性の持ち主、人と折り合いをつけるのが苦手な恥ずかしがり屋、静謐《せいひつ》を求める哲学者……。
誰しもが山を仙境のように思うのだろうが、世間と距離を置いて生ききるには、よほどの決意がいる。どちらにも決められずに双方を行き来するひとが、風に吹き寄せられたかのように現れ、時折りは『わだ』に立ち寄ってゆく。
そういう意味でも『わだ』のあるのは、やはり里山である。
里山の林は、自然林のようで、それとは違う。植林などにより、人の手がいったん入ったら、手入れを続けない限り、呼吸する山ではあり得なくなる。人とともにしか生きられないのが里山なのだ。里山は一種の境域なのかもしれない。
――それにしても、今日は予約は入っていないが。
駐車場は、舗装した道に面して開けた場所なので、少し先にある遊歩道を目的にやってくる行楽客につかわれてしまうこともある。その類《たぐい》の客だろうか。
買い出しの荷を背負い、両脇にも抱えて、克明は歩き出した。
しばらく前方に気を配りながらゆくと、登りの細い坂をゆく男の背が見えてきた。どうやら、駐車場に車を置いたのは『わだ』のお客らしい。
がっしりした腰つきの男は、確かな足取りで、歩きにくい坂を軽々と上ってゆく。
「お客さーん」
克明が呼ばわると、男は歩を止めて振り返った。
足どりを速めて近づいてゆく。
「ええお日和《ひより》やなあ」
梢を見上げ、視線を克明に戻した男の口元には、笑い皺が寄っている。
「お泊まりですか」
「その積もりにしてまっせ。あんたはんは」
「『わだ』の者です」
「あ、あんたはんが息子はんでっか」
話し方からすると、関西人らしい。父と同じくらいの年配だろうか。身のこなしはもっと若いようにも見えて、年齢の見当がつかない。シャツは襟のあたりがすり切れている。よほど着込んだものらしいが、動きやすそうで、動くことが仕事の克明は、こんなのが買いたいなと思った。
父を知っているところからすると『わだ』に訪れたことのある客なのだろう。
克明は名前を告げ、ぎこちなく初対面の挨拶をした。
「買い出しでっか。親爺っさんも心強いやろ。強力な助っ人ができたさかい。で、親爺っさんは今日も山に入ってはるの」
「はあ、それが湯治に行ってます」
「あれま。湯治て、どこぞ悪いんでっか。ほんま、留守にしてはるのは珍しいことやなあ。親爺っさんは鉄人と違《ちゃ》うやろかと思っとったけど」
「腰をちょっと痛めまして。でも、たいしたことはないと思います」
「それならええけど」そこで一息おき、お客はさらりといった。「差し出がましいとは思うのやけど、気になることを耳にしてなあ」
「父のことですか。どこか悪いんですか」
反射的に克明が尋ね返したのは、父の体に何かさわりがあるのかと思ったからである。
「いや、あんた優しいお子やなあ」男は顔を綻《ほころ》ばせた。「聞いたのは山の噂や。このあたりの山が売られるっちゅうのは、ほんま?」
克明は驚いた。「そんなこと、どうしてご存じなんです」
「気ィ悪くせんといてな。来る道すがら、聞いてきたんや。このへんでは知られた話なんやな。養蜂場のおばちゃんも、イナゴ売りの婆さんも知っとったわ」
からっという。
いわれてみれば、お客はポリ袋をいくつか下げている。そのひとつは地元の養蜂場の名入りである。地元の名物|婆《ば》っさやおばっさの、限定品めいた品を手に入れてきているところからすれば、このあたりに来たのは二度や三度ではないのだろう。
「わしもなあ。親爺っさんにはえらく世話になっとるんや。山の恵み便、毎年送ってもらって重宝しとる。ほかにも、伐採した木切れだの何だの、頼めば捜して融通してくれはって、助かっとるさかい。様子が気になりまんのや」
便を受け取っているとなれば、常連だろう。ツグミの落とし物の話を、父にしたお客かもしれない。
「で、どないやの」
「うちの父も、気分はよくないんでしょう。手入れを任されていた山が売られる。山がひとつ売られれば、稼ぎも減りますし。腰の具合の善し悪しよりも、その件でスネて、湯治決め込んでいるんじゃないかと思います。でも……、そんなに意地張らなくてもいいんです。あの山に関しては」
「何で」
「あの山には、いわくがあるんです」
「どないなことでっか」
克明はためらった。だが、自分が口を濁したところで、このお客なら、地元の人間たちからたちまち聞き出してしまうだろう。どうせそうなるなら、直接自分なりの考えを述べたほうがまだいい。
「うちが手入れをしている山は、すべて町の角筈という旧家の持ち物なんです。代々、うちが角筈さんの山守りを続けてきました。ですから、百年単位で手塩にかけている山ばかりです。本当にきれいな山で……」
山のこととなると、話が止まらなくなる。しばらく手入れの講釈が続きそうになったところで、男が話を戻した。
「で、いわくつきの山は」
「あ、それが、売られるって話の山は、角筈さんが戦後すぐに手に入れたところなんですが、このへんでは松茸山≠ニ呼ばれてたことがありまして、年寄りのあいだでは知られた地所です」
「松茸が出るなら、高う売れまっしゃろ」
「とんでもない。松茸山といったって、松茸の出ない山なんです。角筈の先代が――うちの死んだ爺さんと同年輩ですが――若い頃、詐欺にあって、不毛の土地をつかまされたんです。で、松茸山の土地もうちが見るようになった。角筈さんの件の顛末を笑い話にする人間がいて、そのせいで俺もずいぶん小さい頃はからかわれたもんです。松茸山のカツ≠チて。詐欺の事件は、ぼくがまだ生まれてもいない頃のことだったのに、田舎の事件は小さくても尾をひきますね。まあ、ほかにも人々の印象に残る理由があるんですが」
町の名家が絡《から》んでいるからだと、克明は説明した。
「その角筈家というのが……、何というんでしょうか、おっとりして人を疑わないというか、恵まれた旧家で通してきただけに、町ではその……、代々、騙されやすい家として知られているんです。松茸山だけでなく、ぼくの家に伝わっているだけでも、いくつかの失敗例が」
「つまり……、カモられやすい家系なのかいな」
「角筈の人たちのせいではないです。騙すほうがあこぎなんです」
「まあ、ええわ。ところで、その山を地主さんはなぜ急に売りに出すのや。いわくつきなら売れしまへんやろ」
「電波会社が、このあたりに基地局を建てたいと、土地を捜しているそうです。角筈家の当主は、近ごろよくあるでしょう、自宅の屋敷を活かした私立美術館を作りたいらしくて、その資金捻出なんですよ。ぼくにはその辺のことはよくわかりませんが、あの地所を手放せば、昔の汚名ともおさらばですし、当代の角筈さんにしてみれば、いい折りだと思われるのも無理はないんです」
「ふむ……」
いつのまにか、宿の前までたどり着いていた。
家屋じたいはこぢんまりとしているとしか表現しようのない造りであるが、背景はみごとである。すぐ後ろに迫る山のすべてが紅葉しているわけではない。明度を変えていく緑のなかに、彩《あざ》やかな色の塊がいくつか燃え立っている。
「白銀《しろがね》、黄金《こがね》」
男が呟いた。
「え」
「いや、落ち葉がそんな音を立ててまっさかい」
ぽかんとしている克明をしり目に、男はぐんぐん歩き出した。
「さて、上がらして貰いまっさ」
四
古びたワンボックス・カーが、山あいをゆるゆると、しかし堂々と下ってゆく。
行く先に、谷筋の集落が見えてきた。
車からは、鱗《うろこ》のように銀めく瓦屋根の連なりを、右手に見下ろすかたちになる。細長い月が山ふところに嵌《は》められた形で、家々がかたまっている。月の外側の弧に沿って切れ込むのが川筋で、並んで走る幅の狭い道が、かつては馬や荷馬車が通ったという旧街道であろう。
コスモスの群れる畑地がまだたっぷりと残り、路傍のあちこちに道祖神《どうそしん》がおわします鄙《ひな》びた町のなかほどに、土蔵を持つ家が軒を競う一角がある。いまも昔も、この二筋《ふたすじ》、三筋《みすじ》ばかり、古風な家並みの残るあたりが町の一等地であるようだ。
佛々堂先生は、様子を確かめるようにあたりを一周し、川べりの空き地に車を駐めて町なかに戻ると、ひときわ古めかしい構えの屋敷前に立った。
家の一部を公開しております。ご自由にご覧ください
テープで門柱に貼られた目立たない紙を横目に、長屋門を潜る。
門から玄関までを、霰《あられ》に敷いた踏み石が結んでい、家屋の造作はみごとである。が、よく見れば壁にはひび割れが目立ち、漆喰《しっくい》の剥落《はくらく》も始まっている。屋根の一部はモグラが瓦下を通ったかのような、こんもりした形に波打っていた。庭も長いこと本格的には手を入れられていないらしく、前庭はともかく、母屋の脇から別棟や蔵へ向かう道は、雑草が伸びたなりになっている。
順路と墨書された真新しい立て札に沿い、踏み石づたいに進むと、主庭に面した座敷へ出た。三間続きの座敷は開け放たれて、縁側を上がり口にしているらしい。
人影はなかったが、振鈴《しんれい》が置かれていたので、軽く鳴らして広縁《ひろえん》に上がる。からからという音を聞きつけたのか、デニム姿の細身の女がちらと顔を覗かせた。二十代後半くらいか。
「見せて貰えまっか」
先生の声はよく通る。
「はーい。どうぞォ」
軽く会釈を返すと、女は奥へすっと取って返してしまった。
展示というほどの品数はない。飾り棚や時代ものの箪笥に、仏像やら壺やら、古さびた印象の品が並び、古仏 高麗出《こうらいしゅつ》≠セの壺 鎌倉期 越前窯《えちぜんよう》≠セのと手書きにした札が添えられているが、佛々堂先生は一瞥《いちべつ》しただけである。
仕切りがわりに屏風の置かれた続き部屋のどれにも、床の間に掛物がされている。なかなか立派であるが、こちらのほうも、さほど先生の関心を惹《ひ》かなかったようである。
が、床の前で費やす時間は長かった。先生が後ろ手を組んで見入ったのは、画幅ではなく、床柱や床板である。
「ほう」
思わず声をあげたところへ、先刻の女が番茶を盆に載せてきた。
「どうぞ、お茶をお上がり下さい」
「おおきに」
先生は笑み返し、書院の床柱に目を戻して、感に入ったように呟いた。
「木の材がええでんなあ……」
「お客さんは皆、そうおっしゃいますね。私どもの代々の主が、山から材料を選んで贅沢《ぜいたく》したらしいです。山を見ている目利きの人が見繕《みつくろ》ったと」
「これも白銀、黄金……の口か」先生は小さく呟く。
「え?」
「いや、きれいなもんやな、と」
「こちらでどうぞ」
女は広間に進み、中央に据えられた座卓に茶を置いた。その座卓も、これはと見れば巨木から彫りだした無垢《むく》のものである。
佛々堂先生は腰を下ろし、艶やかな卓の表面を愛おしそうに撫《な》でた。
「若奥さんでっか」
「はい」
「ご苦労はんでんなあ。近くで聞いてきましたが、こちらのお宅は近々美術館にならはるのやて?」
「ええ。義父《ちち》に勧めてくれる方がありまして、話が進んでいます。来年には開館しますので、そのときにはまたおいでください」
「ほな、いまはプレ・オープンかいな」
「ふふ」若奥さんの頬に笑窪《えくぼ》が浮いた。
「何でっか」
「お客さん、お洒落ないい方されたから」
「見かけによらず、いうのやろ? わしなあ。ぼろは着てても心は……モダンなんやで」
先生が、着込んだシャツのすり切れかけた袖をちょっとつまんで見せると、若奥さんは吹き出した。
「ごめんなさい。まだお客さんの応対に慣れていなくて。家族が受付や案内の仕事に慣れる意味で、こうして家を公開し始めているんですけど」
「お宅のどなたかが、美術品の愛好家なんでっか」
「そうでもないの。代々の主が集めた品物はありますけど、当代はあまり関心がないと思います」
「当代て、旦那はん?」
「義父です。それに主人も美術品にはうとい方《ほう》で」
「そんなことおまへんわ。こんな別嬪《べっぴん》はん連れて来とるんやから、旦那はん、審美眼はありまっせ」
「いえいえ」若奥さんは、はにかむ。
「けど、ほな何で美術館しはりますの」
「家が傷《いた》んでるんです。建物じたいも、もう二百年以上経っていて、あちこち直したいんですが、その余裕がないの」
「そら、これだけのものを維持されるのは大変でっしゃろ」
「古い家の補修って、けっこう高くつくのね。手間賃もかかるらしいし。新しく建て替えることだったらすぐにできるんでしょうけど、義父は代々続いてきた家を取り壊すのも嫌だと」
「そうやろなあ」
屋敷の持ち主、角筈家はこの町の名士なのである。旧家の形を維持できないのでは、面子《メンツ》も立たないのであろう。
「年代は文化財並みにあるのやから、指定受けはったらどないやろ。条件はじゅうぶん満たしてる思うけど」
「義父が同じようなお宅のお友達に聞いたみたいです。文化財として指定されてしまうと、修繕代は出るんだけれど、こちらの都合で勝手な改築はできないし、日常的に家を守っていく家族には、そのための経費が出ないんですって」
「なるほど」
「その点、私立美術館にすれば、整備事業というんですか、県と町から助成金という形でまとまった費用が出るみたい。場合によっては年度別にも補助金が出ると聞いて、義父はそれなら美術館にしたいと」
「ええお考えや。当代は名プランナーやな」
美術館となれば、周囲への体面も立つ。いい方策であった。公的機関へのアプローチも、元町長の家筋、かつ町いちばんの名家であれば、その面では顔が利くはずであろう。
「いえ、まあ」若奥さんは言葉を濁した。
「当代は、お友達に勧められたんやろか」
「蔵のなかを見たいとやって来た古物商が、美術館にする方法もあると教えてくれたらしいです」
「ほう。お蔵には相当、いろいろお持ちなんですやろな。美術館となりますと、それを出して展示替えをしはるんでっしゃろか」
「昔のものがかなりあります。それを古物商に修復させて、目玉になるような品を何点か買い足せば、美術館として恥ずかしくないものになると、義父は」
「はーあ、お蔵のものは、そんなに傷んでたんでっか」
「私なんかにはわからないんですが、専門家の目で見ればそうだということで、屏風や軸なんかは、改築中に表装し直す予定です」
「今日、座敷に飾ってあるのは、もともとお持ちのものでっか」
「そう聞いてます。今日の掛け軸は……えーと、こちらの部屋のが煎茶画賛 与謝蕪村筆=A向こうのものは柿図 松村|呉春《ごしゅん》筆=A奥の床の間のが布袋《ほてい》図 狩野正信筆=c…」
説明のためのメモを持たされているらしく、折り畳んだ紙を広げながら、彼女は読み上げていく。
「そうでっか……」
座敷の展示品に、先生はあらためて目をやった。何か一言いいたくてたまらないという顔になったが、「いや、有難《ありがと》はんやった」と茶を置いた。
「出入りの古物商はんの連絡先ですが、ちいとお聞き出来ますやろか。わしも好きな口やし、持っている中古《ちゅうぶる》の軸を処分したい思いますのや」
「すんまへんなあ。わざわざこんな辺鄙《へんぴ》な場所まで足を運んで貰《もろ》て」
佛々堂先生が待ち合わせに指定したのは、山腹の村落はずれに、ぽつりと一軒、打ち棄《す》てられたようにある小屋である。茅葺きの屋根はずり落ちて垂れ下がり、地面に触れた軒先あたりから苔《こけ》がびっしり生え、腐りはじめているようだ。
「いえ、私ら、どこへでも出向くのが商売でして」
腰の低いものいいをする男は、件の古物商である。たっぷりとした体つきの、髭だらけの男であった。髪は半白の縮れたのを後ろで束ねている。マオカラーの絣《かすり》柄の綿シャツは、東南アジアあたりで輸出向けに大量生産しているのを仕入れたものか、ミシンがけの線が雑である。
「わしも、ここまで来るのは遠くてかなわんのですけど、一人暮らしの身内が亡くなりましてな。こんな歳で相続もないもんでんが、遺産配分で、この出先小屋を貰《もろ》たんですわ。倉庫がわりにでも使っとったらしく、軸やら何やら出てきましたんで、少しでも暮らしの足しにならんもんかいな、と」
「せっかくですから、精一杯見させてもらいます」
小屋の扉は建て付けが悪いが、先生が器用にこじ開けると、いちどきに光が射し込んだ。
「こっちのほうに、まとめて出しときましたさかい」
土間に続く板間に唐草《からくさ》模様の大風呂敷が二包み、無造作に置かれている。荷を解《ほど》くために腰を下ろすと埃が舞い、湿った黴《かび》の臭いが鼻をつく。
まず一つ目の包みから現れたのは、細長の桐箱のひと山であった。
男は軍手をはめ、慣れた手つきで軸を取り出し、広げてはルーペで検分し、また巻き直して元通りに納めていく。
「うーん、あまりいいものはないなあ。ちょっと見たところ、色彩はきれいなんだけど、時代は昭和がほとんどで、それも印刷ものが多くて。本職の作家ものではない絵も混じってますし」
「そうでっか。素人目にはいいもんに思えまっけど」佛々堂先生は、わざと気を落としたような声を出す。「ほな、こっちのは、よけいあかんでしょうなあ。虫も喰ってますし、持ち上げただけでも絵がぽろぽろ落ちてくるんで、よけといたんやけど」
もう一方の風呂敷包みを先生は解く。
やはり現れたのは軸の箱であった。箱の古さと材質を見て、男は目を光らせた。軸の取り出し方にも力が入ったところを見ると、満更でもなさそうである。同じように、軸を広げては巻き戻すことが続いた。本紙にあたる書画の部分には、先生が口にした通り、大きなシミや剥がれ、破れがあるばかりである。
「やはりひどいなあ」
古物商はいいながらも、その目は鋭く、軸の天地や中縁《ちゅうべり》、風帯《ふうたい》の裂地《きれじ》、巻き締め用の組紐などの時代を確かめている。買い気が相当募っていることが見て取れた。
先生は、知らぬふりをして尋ねた。
「どないなもんでっしゃろ」
「はあ。残念ですが、保存が悪すぎます。ご覧の通り、みな肝心な部分の損傷がひどい。この手のシミや破れは、直しがきかないんですよ」
「あかんかいな。引き取っては貰えまへんのやろか」
「頑張るつもりで来たんですが」
「そこを何とか頼みますわ。わしも交通費くらいにはならんと、旅費ばっかりが損になりまっさかい」
「そうねえ」幾分かぞんざいな口調になって腕を組み、古物商は考える様子を見せた。「最初の包みのなかに、明治期の文人、伊藤|春畝《しゅんぽ》の書があったんで、あれに五万。あとは、引っくるめて五万がやっとです」
「春畝が五万は、安すぎまへんか」佛々堂先生は、ぽつりといった。「我が国最初の総理大臣の書いたもんなんやから。春畝ちゅうのは、伊藤博文のことでっしゃろ」
――このおっちゃん、知っていたのか。
そんな顔になり、古物商は多少慌てたようであるが、うまく取り繕った。
「元勲《げんくん》ものは値下がりしててねえ。これでも奮発してますよ」
「はあ、そないなもんなんでっしゃろな。ほな、五万で博文だけ引き取ってください。あとは残しとくことにしますわ。故人の思い出にもなるやろし」
「いや、うちで処分させて貰いますよ。持ち帰られるにしても、嵩《かさ》ばって邪魔になるでしょうから」
「いまは大ぶりの荷物も宅配やなんかがあるしね。そうコストもかかりまへんわ」
「分かりました。赤字覚悟であと三万乗せましょう。いやあ、参った。お客さんは駆け引きのプロですわ」
「気は変わりまへん。別口を当たろう思います」佛々堂先生は取り合わない。
「粘るなあ。じゃ、あと五万。もちろん現金で。これ以上は出ませんよ」
「やかぁしいわ、コラッ」
ふいに野太い声で一喝されて、古物商は瞬間、戸惑った。
「あんた、こっちの破れた軸の山だけが欲しいのと違うかいな」
続いて図星をさされ、男はぎくりと背をこわばらせる。
「軸見たなり、目ェの色が違っとるで。すぐに分かるわ。喉から手が出るほど欲しいのやろなあ。正真正銘、平安から鎌倉、室町期の巻子や軸となれば……、いくら書画があかんようになっとっても、そうそう簡単に手に入る材料やあらへんで。あんたの仕事に必要なんは、これやもんなあ」佛々堂先生は、なおも男に詰め寄った。「偽軸《にせじく》作りには、小道具が肝心やからなあ。あんた、けっこうこの道では名うてらしいな」
「な、何を馬鹿な……」
「おとぼけは止めまへんか。修復を口実に書画を預かり、薄く剥がして一枚の真筆を二枚に増やす。よーう似せた偽のもんとすり替えることもある。あんたの手口は、とうに知れてまっせ」
あっという間に、そっくり同じ書画が二枚になる。そのうちの一枚は、元通りの表装を使って直し、持ち主に返すが、新たに誕生した一枚は、どう使おうとも作った者の自由である。遠い地の好事家《こうずか》に持ち込んで売ってもいい。ただし、書画の時代に応じた表装になっていなければ、目利きの鑑定はごまかせない。金羅《きんら》や縫紗《ぬいしゃ》、印金などの古裂《こぎれ》や、時代ものの和紙に、ときに驚くほど高値がつくのはそのためだ。たかが紐の一本でも、時代を外した素材を使えばお里がしれてしまう。精巧な偽物を作るために、偽軸作りは古い時代の軸集めに精を出す。
先生は、ずけりと呼びかけた。
「なあ、旧家の蔵荒らし、別名剥がしの辰《たつ》≠ヘん」
舌打ちする男に、先生は構わず追い打ちをかける。
「あんた、角筈さんの当代に粉《こな》かけとるそうやないか。以前にも同じような九州の旧家に、私立美術館の話、持ちかけたんやてなあ。展観のためにお色直しをと理由つけて、何十点も、ええもん剥がしたんやて? 当の本人さんの耳には入ってはらへんかもしれんが、美術界ではもっぱらの噂になっとるんや。九州の私立美術館のとそっくり同じ書画が、何点か市に流通しとるとなあ。そのうえ、角筈さんには何か手持ちのもん売りつけようとしとるそうやないか。おそらく、それもどっかから剥がしてきたもんやろ。ぼろ儲《もう》けとはこのこっちゃ」
「それがどうした」開き直り、男は肩を怒らせた。「二枚に剥がしたって、本物は本物だろう。ごちゃごちゃいいやがって」
「あきまへんなあ」
佛々堂先生は使い捨てのカメラを取り出し、彼に向けていきなりフラッシュを光らせた。
「な、何しやがる」
「この顛末《てんまつ》を話したら、あんた、偽軸売りつけた客から詐欺容疑で告発されまっせ。手配用のご面相《めんそう》を撮っといたんや」
「くそっ」
剥がしの辰≠ヘ先生の手元めがけて猛然と突進したが、するりとかわされ、逆に瞬く間に利き腕をねじ上げられていた。
「あ痛《つ》ッ」
「商売道具、大事にしなはれ。もっとまともなことに、この腕活かすこっちゃ」
適度に締め上げられたあげく、ようやく放たれて、彼は腕をさすった。
「何が目的なんだ? 金なら……」
「黙ってあの町から出ていきなはれ」
「あんた、あの家の何なんだよ。義理でもあるのか」
「何いうとんのや。あんたにかて礼いうて貰わなあかんのやで。あんたの目は節穴や。まだまだ修業が足りんのう」
「何だって」
「もともと、角筈さんの家の蔵にしまわれてた書画は、ほとんど偽作やで」
「へ?」辰≠ヘ虚を突かれたようだった。「嘘だろう。あの家で検分した軸は、どれも、間違いなくそれぞれの時代に書かれたものだ。裂地も、軸の細かなつくりも、制作年代と一致していた……」
「あんたなあ。もっと画《え》そのものを見るようにせんとあかんわ。巧みに真似とるが、あんな筆致の蕪村や呉春がありまっかいな。ほかも、おして知るべしやで」
「え、じゃあ……?」
「角筈さんのご当主を、騙《だま》しやすいお人やと思うたかもしれへんが、もとはといえば、あの家のご先祖さんから、あの人の良さや素直な気質が伝わって来はったんや。あんた以上に狡賢《ずるがしこ》い偽物作りも、いにしえの昔から、この世にはごろごろ居《お》りましたからなあ。その二者が出会えばどうなります?」
「まさか、蕪村が生きていた時代から、あの家では代々、偽作を買わされていた……っていうのか」
「江戸、明治の偽物作りには敵《かな》いまへんなあ。あんたの出る幕はないのや。以後、あの家には二度と顔を出さんこっちゃ」
きつくお灸《きゅう》を据えられて辰≠ヘ頭を抱えた。
五
「お出入りの古物商のご紹介で、参上いたしました」
知恩堂は、角筈倫太郎の前で頭を深々と下げた。
「いや、わざわざ老舗のご主人にお越し願ってかたじけない。知恩堂さんといえば東京の、それも一流どころで、話を引き継いでくださって、むしろ喜んどります。前の古物商さんが経営危機とは、思いがけなくてね。店を畳むことになるとはお気の毒に」角筈家の当主はおっとりという。「しかし残念だなあ。あなたの鑑定によれば、うちの書画には偽筆が多いとか。代々の主が蒐《あつ》めてきたものだけに、かなり気を落としとったとこです。美術館設立の件からは、いまとなっては退《ひ》くにも退けないのでね。お宅からの買い入れ分を増やして、格好をつけるしかなさそうだ」
「有難いことです。しかし、失礼ですが、購入費が予算を上回るのではないですか」
「補助金が三千万ほど出ますがね。思い切って先行投資として用意しようと思っていたうちの予算が四千万。山奥の土地を売る予定にしていますでな。改築と美術品の買い入れ、当面の運営費を、それでなんとか間に合わしたいと思ってね」
「口はばったいようですが、相当にきついですね」
「やはり、そうなるか……」
「ですが」知恩堂は、ここぞとばかりに切り出す。「品物の鑑定をあたしにお任せ下さるんでしたら、何とか致しましょう」
「それは心強い。頼りになりますなあ」
当主は鷹揚なものであった。
「あたしも、こういったアレンジを何件か手がけております。初めてのおつきあいですので、取っておきの話を手土産がわりに持って参りました」
「ほう」
「この作家さん方」知恩堂は図録を数冊、角筈に差し出した。「現代作家ですが、いずれも人間国宝です。お一人は陶芸家の鳥栖秀明《とすひであき》先生。もうお一人は木工作家の吸坂久正《すいさかひさまさ》先生……」
「どちらも大家だなあ。お名前はよく存じ上げている」
鳥栖秀明は、焼締めの壺になだれ落ちる自然|釉《ゆう》の雄渾《ゆうこん》な景色で知られる、常滑《とこなめ》の陶芸家。片や木工作家である吸坂久正の、雅味を活かした木目の飾り筥《ばこ》や文机《ふづくえ》は、好事家に珍重されている。
「このお二方が、手元に置いておられる作品を、それぞれ角筈美術館に貸してもいいとおっしゃってます」
「冗談だろう」当主は取り合わずに苦笑する。「先生方の作品は、一点が数百万円と聞く」
「いや、正式な話です。貸し出し使用料は一年ぶんが二十万円」
「一点につき、かね」
「点数にかかわらず、お一方分のトータルです。まあ、合わせて八十点前後とお考えください。お二方で、年間四十万ぽっきりで。ただし輸送費は美術館に持っていただく。保険は作家側が掛けています。新作が作られれば、また作品の入れ換えもできます。鳥栖コレクション∞吸坂コレクション≠ニ銘打っていただいても結構だと」
「それは願ってもない。ビッグネームの作品が常時見られるとなれば、町もほくほくの話だが……」
「この形なら、改築や運営は補助金の範囲でまかなえるのではないですか」
「なら、余った予算でお宅からもっと何か買おう」
「その必要はありませんよ。角筈家伝来の美術品のなかにも、何点か本物がありますので、伝来品の常設展示場を設けるなどして変化をつけられますし、人間国宝の先生方をメインにする以上、展示品をあまり雑駁《ざっぱく》にしない方がいいでしょう」
その道には専門家なりの卓見があるものだと、角筈は唸《うな》った。
「驚かされるな。さすがにいうことが違う」
「ただし、来館客の方から、何か購入するために先生方を紹介してくれという希望がありましたときには、ぜひこの知恩堂にご一報を願います。お二方の作品の斡旋《あっせん》は、当店を通していただいておりますので」
知恩堂は、極めてさらっという。
「なるほど。あなたも得をするというわけだ」
「それはもう、商売ですので。いかがでしょう。話を進めてよろしゅうございますか」
「文句なし。これ以上の策はないだろう。いや、助かりました」
当主は得心の笑みであった。
「そのかわりと申し上げては何ですが、先生方からひとつ条件がございまして」
「何かね」
「それが……」
知恩堂は、縷々《るる》話しはじめた。
六
「おうい。カツ、行くぞっ」
山支度をしてそう声を上げ、腰に籠を提げて山道をゆく父の嘉文のあとを、和田克明は息を弾ませて追っていく。
「腰はもういいの」
「のーんびりしてきただで。まだまだ老けてられねえずら。気合いを入れて働かんとな」
もとから達者だった父の足どりが、前にもまして軽いのに、克明は気づいた。
嘉文が湯治に出ているあいだに『わだ』にやってきたお客たちのおかげで、松茸山#щpは取りやめになっていた。
お客というのは、関西弁のお客と落ち合う形で宿を訪れた、個性的な男たちである。うちの一人は、褪《あ》せきったデニムを昔のロック・スターのようにぴったりと着こなし、ボトムの鋲《びょう》にぶら下げた鍵や工具を歩くたびに鳴らす小面《こおもて》の男。もう一人は、顎髭《あごひげ》を長く伸ばして三つ編みにし、跳ねがちな毛先を輪ゴムでまとめた、恵比寿大黒のように福々しい男であった。出で立ちから察するに、二人とも、標準というものの苦手な人間たちのようである。見たところ若くはない。団塊世代よりもひと回り上か。
「この子たちはなあ、工芸家なんやで。陶芸家の鳥栖君と、木工作家の吸坂君や」
関西弁のお客に二人を紹介されて、克明は挨拶を交わした。この子≠ニ呼ぶにはいささか年を重ねすぎている工芸家たちが、関西弁の男を先生≠ニ呼び、恭《うやうや》しくつき従っているところからすると、ワンボックス・カーのお客は、彼ら二人の先輩格なのであろう。
「なあ、克明はん。この子たちの手仕事とあんたたちの山仕事には、深いつながりがあるんやで」
「俺らの仕事とですか」
山守りである自分と、目前の工芸家たちとの関係が、克明には見えてこない。
「そうや。なあ、鳥栖君」
「実のところ、この山に来て、ぼくも実感してます。とびっきりのものを頂いていたんだ、と」
三つ編み髭の鳥栖は頷き、克明に向き直ると、語る口調になった。
「昔のことだが、どうしても思い通りのものが焼けなくてね。行き詰まって、この先生に相談したことがある。そのとき、指摘されたんだ。あんたの窯は、燃料に問題がある≠チてね」
「陶器を焼く窯?」
「そう。ぼくの窯は薪《まき》で焚《た》く方法でね。薪が燃えて出る灰が、壺の表面にかかって、飴《あめ》のように溶けなだれる。焼き上がったときには、飴がガラスのように透明化して、流れどまりに溜まった| 釉 《うわぐすり》が蜻蛉《とんぼ》の目のような碧玉《へきぎょく》となる。……そうなるのが理想だが、どうしても灰のかぶり方が足りない。貧相な壺になってしまっていた。薪には贅沢するつもりで、赤松をふんだんに使っていたんだが」
「薪は赤松なんですか」
「松灰は輝きがいいので、ぼくたちは松をよく使う。ともかく、別の薪を試してみろといわれてね。先生が持参してくださった薪を使って窯を焚いた。炎の上がり方といったら、目を見はるほどで、待ちに待った仕上がりも、それはもう……、格段の差でね。君、どうしてかわかりますか」
「薪にする木が違ったのかな。黒松か唐松に変えたんですか」
「いや。先生が提供してくださったのは、同じ赤松なんだ」美術大学の教授のような、身ぶり手ぶりの演説調で、鳥栖は先を続けた。「不思議だったね。見た目にはさほど違わないように思える。が、触ってみると、先生の薪には、油分がたっぷり含まれている。当然、燃えばなから終いまで、火力が圧倒的に強い。これはしめたと思ったね。そのときの窯で上がった壺には力強さが漲《みなぎ》っていて、いくつも賞を獲った。それから、その薪はぼくの作品に欠かせないものになったんだが……、先生は、頑として入手先を教えてくれなかった。もっとも、お願いすればいつでも手に入れてくれたんだが、薪の出どころだけは聞けなかった……。今日、やっと夢の産地にたどり着いたわけだ」
――あ。
山を歩くとき父が癖《くせ》のようにいっていることが、ふいに克明の耳の奥に蘇ってきた。松食い虫が、ジンガイの荒れ山で増殖してるんだじ。虫に喰われるとな、松の肌は荒れ、木はがさがさになる。虫の好くのは松のあぶら[#「あぶら」に傍点]だで
「もしかして、オヤジ、うちの薪を送ってたんですか」
「そうなんだってな。先生に聞いたよ。『わだ』が守っている山は凄い。何代も続く守《も》り人が、手をかけてきたから……と。手入れを怠った山の赤松では、あのみごとな薪はできない。ぼくは、別の意味でも考えさせられた。十分な炎を自力で起こせないほど、荒れた山の松は消耗しているんだな」
「そうか……。案外使えるじゃないですか、オヤジも」
照れくささのあまり、克明にはそんなことしか呟けない。
「俺にも語らせてくれ」横から、吸坂が口を挟んだ。「松の恩恵を」
「存分にいってみなはれ」先生がけしかける。
「俺はね、町の角筈って家に行って驚いた」彼は口をきった。「まず目につくのは、広間の床柱だ。あれは……、はっきりいって、いまでは到底、入手できないな。同じような柱材を、一度だけ見たことがある。銘木づくしで知られる桂離宮の小書院でだ。たぶん造営にあたった者が厳選して揃えたものだろう。あれだけきっちりと目の揃った肥松《こえまつ》の柾材《まさざい》は、当時の最高権力をもってしても、贅沢の極みだったと思うのよ。で、その角筈家の柱がさ……、先生に貰った端材《はざい》と、どう見ても瓜二つなんだ。分量は少ないが、またとない材料だったな。あの材を使った手提莨盆《てさげたばこぼん》≠ェ、俺の出世作になった。先生のことだから、持ち前のつてで上質の肥松をどっかから攫《さら》ってきたんだろうとは思ってたのよ」
「あの、肥松って……?」
「何や。親爺《おや》っさん、まだあんたはんに教えてはらへんのかいな」
けっこうイラチらしく、じれったそうに先生が身をよじる。
「すいません。まだ見習いで」
「肥松はね、銘木のトップクラスよ。脂分で木肌がしっとりしてて、作品にしたとき、表面に滲み出てくるくらいなんだ。何度も何度もこまめに拭き込むことで、飴のような艶が出る。赤松でも黒松でも、樹齢数百年を越えるものほど、肥松である確率が高いってことだ」吸坂が先生に代わって答える。
「年寄りの松が、若いのより脂っぽいんですか?」
「理由は知らん。昔のほうが、奴ら、生きやすかったんじゃないのかね。基礎体力があるっていうか。生の素材を挽《ひ》くと、なかは血を思わせる赤さだね。若いよ、とても。とにかく、あの旧家の柱は見覚えのある肥松なんだ。いや、この手が覚えているぞ」
両手を広げながら、吸坂は両の腕を目いっぱい前に突き出して見せる。
「そういえば……角筈さんの柱、うちの何代か前が選んで伐《き》り出したものみたいです。オヤジが自慢してました。柱なんかの根っことか、端っことか、作業小屋にたまってて。大風のときの風倒木や、伐採した太めの枝なんかも、きっちり寝かしとく人なんで。松だけじゃなく、栃や桜、水木、栗や楓なんか、曲がったのから何から」
「お宝だらけだな」吸坂が唸る。
「親爺っさんは、それをときどき提供してくれはってたんや。わしが見繕って、鳥栖君と吸坂君に送っとった」
――あれが、作家の手元で工芸品になっていたのか……。オヤジ、けっこう洒落たことしてるんだ。
「それでなあ。この子たちも、親爺っさんには足向けて寝られまへんやろ。親爺っさんが大事に思てはる松茸山≠ェ売られると聞いてな。わしが集合して貰たんよ。そろそろ恩返しに、ひと肌脱がせよっかと思ったさかい」
「え」
話の行方が見えずに戸惑う克明に、先生は明かした。
「大したことやあらへんで。この子たちの作ったもんと名前、ちいとばかし角筈さんの美術館に貸すだけやし。もともと、この山に作品貰たようなもんなんやから、実情をいえば、育った子の里帰りみたいなもんでっせ。角筈のご当主も、喜んでくれはったらしいわ。そのうえ、工芸材料を育てるために、あの山をぜひ使いたい≠ニ人間国宝はんから申し込まれたら、松茸山≠ヘ売れまへんわなあ」
「いま、人間……コクホウって……?」克明は目を瞬《しばたた》いた。
「この子ら、えっろう出世しはってなあ。はい、ちょっと並んでみ」
鳥栖と吸坂を『わだ』の玄関先に並べると、先生は使い捨てカメラを出し、山を背景に、りゅうとした作家二人を撮った。
「写真のなかに、お宝がいっぱいや。国宝はんに赤松はん。紅葉《もみじ》楓に肥松はん。親爺っさんの山は、白銀、黄金……。とにかく、そういうこっちゃ」
からからと笑う先生に、克明は、撮影済みのカメラを押しつけられた。
「これ持って、親爺っさん迎えに行きなはれ。この二人からの礼、積年のぶんだといっといて。事情は呑み込んでくれると思いまっさかい……」
「肥松の見方、教えてくれよゥ」
背中から声をかけてみるが、父は聞こえたのかどうか、ずんずん先をゆく。
いつも通りの道をいつのまにかそれて、このまま登れば松茸山≠ヨ向かうルートである。
そう気づいてからは、克明も黙って後を歩いた。
しだいに、道のない山中に入る。克明には慣れない山で、気を抜くと方向感覚を失い、迷いそうになる。
積もった落葉を踏みしめると、かさりと音をたてて沈む。土がふっくらとしているのは、山が健康な証拠であった。枯葉は、晩秋になると湿り気を帯びて滑りやすくなる。下層から腐りはじめて土に還る支度をするせいだが、まだその時期には間がある。
木の枝に縄を結んだ目印を、嘉文は杖で指し示しながら、振り返らずに進んでいく。克明は目でそれを追っては頭に刻む。
小一時間は歩いただろうか。しだいに縄の目印は間遠《まどお》になり、かわりに、和田家にだけ伝わる、枯れ蔦を使った目立たない道しるべが増えた。
嘉文がようやく歩を止め、振り返った。
「ようく覚えとけ。ここがおらほの……」
――宝だじ。
父の唇が、誇らしげにそう動いた気がして、克明は見定めようと目を凝らす。
眩しかった。
赤松の太い幹を縫うように、斜光が幾筋にも走り、ゆるやかな登りになった斜面の落葉を浮き立たせている。
克明は息を呑んだ。
七
佛々堂先生の邸に招かれて、知恩堂は書院に上がっている。
美術商という仕事の習性もあって、まっ先に、一間《いっけん》床に目が向く。掛物は、またまた仏涅槃図であった。
佛々堂先生も軸を眺めながら、
「人と山と。そのあいだには、わし、何かとてもきれいな定《き》まり事がある気がしてます。生きもの同士やものなあ。五感|研《と》ぎ澄ませば、了解し合えるのかもしれへんで。山の世話見てくれる人にはな、お釈迦はんが何やら授けてくれるのと違《ちゃ》うやろか」
「ええ。松茸山≠フ一件では、あたしも驚かされました。鳥栖先生や吸坂先生のものは、長年お取扱いしておりますが、先生方の作品が、山の恵みそのものだったなんてねえ。『わだ』の親爺っさんは、工芸家の恩人ですわ」
「あんたも、まだ甘いのう」
「……とおっしゃいますと?」
先生は軽く手を拍《う》ち合わせる。たちまち襖が開き、控えていた助っ人が、掛け袱紗《ぶくさ》をした盛り籠を運んで来た。
「待ちに待った到来物《とうらいもん》や。『わだ』の親爺っさんのいちばんの凄さは、これなんや」いうなり、掛け袱紗を取りのける。ふいに、芳香が四方に放たれた。
――これは。
杉の葉を敷いた籠に山盛りになっているのは、そろそろ季節も終わりになろうかという松茸であった。胴の太り方は、見たこともないほどたっぷりしている。肌は濡れ木のように輝き、触れれば細かな雫が滴《したた》りそうである。
大きさも図抜けているが、より特徴的なのは、その姿であった。柄《え》の部分は、地中を這《は》う根のように横長に伸び、笠の部分だけが頭を擡《もた》げている。
「これが、松茸のなかの松茸。滅多にお目にかかれへん、格段に味のええもんや。その世界ではな、寝釈迦≠「うのや」
「……!」そうだったかと、知恩堂は涅槃図のなかに横たわるお釈迦様と松茸の寝釈迦を、しげしげと見比べる。
先生に視線を戻せば、悪戯《いたずら》っぽい目が笑っている。鼻をひくつかせ、先生はさらに明かした。
「『わだ』のあの山にな、これ穫れる秘密の場所があるそうや。親爺っさんが丹精したおかげで、いまはあの松茸山=A精気取り戻して、赤松の根元に代《しろ》ができてきてな、ほんまもんの松茸穫れる山になっとるんやて」
「何ですって」知恩堂は絶句し、ややあって、いった。「……では、こっちのお釈迦様と別れたくなくて、先生は角筈家に松茸山≠売らせないための手を打ったと……?」
「そら、そうやがな。わしの秋いちばんの道楽やもの。まあ、『わだ』の親爺っさんもいっこくでな。わしなんかにはもちろん、克明はんにも寝釈迦掘りの聖地を内緒にしとるらしい。そろそろ引き継ぎしといて貰わな、あきまへんわなあ」
肩を揺すり上げるように、佛々堂先生は笑った。
[#地から1字上げ]初出 「小説現代」二〇〇二年十、十一月号、
[#地から1字上げ]二〇〇三年二、三、六、七、十、十一月号
※この物語はフィクションです。
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底本
講談社 単行本
清談《せいだん》 佛々堂先生《ぶつぶつどうせんせい》
著 者――服部真澄《はっとりますみ》
二〇〇四年三月三日 第一刷発行
発行者――野間佐和子
発行所――株式会社 講談社
[#地付き]2008年12月1日作成 hj