平野雅章
食物ことわざ事典
[#表紙(表紙.jpg)]
ま え が き
これは
わたくしたち
日本人の祖先が
みずから
体験し くふうし 確かめ
語り伝えてくれた
食生活の知恵のエッセンスです。
この中のどれかは
あなたの
くらしの日々に
きっとお役に立つと思います。
ここに書いた食物のことわざは、私の知り得たものの中から、とりあえず一二〇項目だけ選んで載せました。ことばは知っていても、意味のつかみにくいものがあり、先学に伺い、文献に当たり、物にもぶつかり、難産の末、ようやく出版の運びとなりました。
書き始めから終わりまで、おのれの物知らずにさいなまれ、恥をかき書き、たどりつきました。思いちがいや書き足りないところが多々あると思います。おさとしください。
全国を行脚したら、まだまだ私どもの知らない食物にちなむことわざが数多く残っていると思います。お読みいただいた方々のお力添えを得て、いろいろお教えいただき、日本の生きた文化財として正しく後世に語り伝えたいと念願しております。
ふだん何気なく口にしたり、おばあさんから聞いたことのあることわざのうち、食物に関するものがありましたら、土地ことばそのままで、お教えください。
[#地付き]平 野 雅 章
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目 次
ま え が き
青 菜 に 塩
青菜は男に見せな
秋なすび嫁に食わすな
秋のかわきは人につく
小豆は馬鹿に煮らせろ
羹に懲りて膾を吹く
鮟鱇の待ち食い
磯の鮑の片思い
一合雑炊 二合粥
一膳飯は食わぬもの
一尺の薪をくべるより一寸の蓋をしろ
芋の煮えたもご存じない
炒豆のすまじろい
イワシ七度洗えばタイの味
丑の日のウナギ
移り箸はいけない
うまいまずいは塩かげん
うまいものは宵に食え
海 背 川 腹
梅は食うとも核食うな
梅はその日の難のがれ
えぐい渋いも味の中
大きな大根辛くはなし
お粥は吹いて食え
沖 の ※[#「魚+反」、unicode9b6c]
鬼も十八番茶も出端
嬶の顔は三品
鰹節にキャベツの葉
カマスの焼き食い一升飯
鴨が葱を背負って来る
芥子は気短か者に掻かせろ
雁を食うとも時を食え
寒鰤・寒鯔・寒鰈
京のお茶漬
食うてすぐ寝ると牛になる
九月納豆はなによりありがたい
腐っても鯛
薬屋に回すお金を肉屋に回せ
薬より養生
食わず嫌い
葷酒山門に入るを許さず
五月わらびは嫁に食わすな
焦飯食うと運が悪くなる
小食は長生のしるし
午前中のくだものは金
昆布に山椒
こんにゃくは体の砂払い
魚は殿様に餅は乞食に焼かせろ
酒に別腸あり
酒の燗は人肌
酒は百薬の長
酒・飯・雪隠
砂糖食いの若死
サバの生腐り
三月鮃は貰っても食えぬ
山椒は小粒でもぴりりと辛い
サンマが出るとあんまが引っ込む
三年味噌に四年大根
三里四方の野菜を食べろ
塩辛食おうとて水を飲む
シシ食った報い
下拵えも味の中
蓴菜で鰻繋ぐ
しゅんに食べるのが食通
食器は料理のきもの
鮨の辛味は山葵にかぎる
鮨は小鰭に止めを刺す
藁麦とお化けはこわいもの
大根食うたら菜葉は干せ
大豆は畑の肉
鯛もひとりはうまからず
たけのこに米ぬか
田作りも魚の中
蓼食う虫も好き好き
鱈汁と雪道は後がよい
調味料の入れ方サシスセソ
搗いた餅より心持ち
月とスッポン
月夜に米の飯
漬物賞めれば嬶賞める
強火の遠火で炎を立てず
手前味噌で塩が辛い
天ぷら油に梅干し
冬至かぼちゃに年取らせるな
土 産 土 法
年寄りの冷水
鳥は食うともドリ食うな
ないもの食おうが人のクセ
夏座敷とカレイは縁側がよい
夏の蛤は犬も食わぬ
夏は鰹に冬鮪
南部の鮭の鼻曲がり
匂い松茸 味しめじ
糠味噌は日に三べん底からまぜろ
塗り箸でナマコをはさむ
猫 に 鰹 節
はじめちょろちょろ中ぱっぱ
花見過ぎたらカキ食うな
鱧も一期 海老も一期
腹八分に医者いらず
貧乏柿の核沢山
フグは食いたし命は惜しし
風呂吹き大根に米粒
庖丁十年 塩味十年
鱒は三年の古疵も呼び出す
味噌の味噌臭きは食われず
蜜柑が黄色くなると医者が青くなる
茗荷を食えば物忘れする
麦の穂が出たらアサリ食うな
麦飯に食傷なし
麦飯にとろろ汁
命は食にあり
目で見て買うな味見て買え
餅 腹 三 日
野菜は出盛りがしゅん
痩法師の酢好み
やわらかい持ち味のものは淡味に
宵越しの茶は飲むな
りんごを食べると美人になる
わさびは摺ると思うな練ると思え
おもな参考文献
あ と が き
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[#小見出し]  青《あお》 菜《な》 に 塩[#「青《あお》 菜《な》 に 塩」はゴシック体]
青菜に塩をふりかけると、しおれることから、人の元気なくしおれているさまを「青菜に塩」と形容します。このように青菜がしおれるのは、塩の脱水作用のせいで、科学的に言うと、ある一種の膜壁をへだてて、さまざまの異なる液体が、塩をとおしてまざり合う現象で、このとき、塩分濃度の低いほうの水分が濃いほうへ出ようとします。その圧力を「浸透圧《しんとうあつ》」と言います。塩は単に細胞の組成水分をうばうばかりでなく、一〇%以上の塩水濃度になると、腐敗《ふはい》バクテリアをはじめ、多くの徴生物の発生を抑える働きをし、有機物の保存や貯蔵に有効な作用をし、味付けをもします。この原理を応用したのが、おなじみの漬けものです。
ところで漬けものに使う塩ですが、むかしは市販の塩の等級を一等塩から五等塩までに分類し、たくあん漬けや奈良漬けなどのように長期貯蔵用漬けものには、ニガリのまじった下等塩がよい効果をもたらすというのでさかんに用いられ、短期用の漬けものや、高級漬けものには上等塩を使うのが|ならわし《ヽヽヽヽ》でした。それというのは、ニガリ分の多い下等塩を用いると、製品はいくぶん苦味《にがみ》を帯びて、色合いがわるくなり、品質の低下をまぬかれないからです。
戦前、戦中のあのニガリ分の多い塩に対する郷愁もあってか、一般に漬けもの用の塩には、下等塩のほうが漬け上がりがよくなるとか、ニガリが野菜類のペクチン質に作用してこれを固め、歯切れがよくなるといって、品質のよい塩を敬遠する傾向があります。専売公社では、食塩の販売促進上支障をきたす――というので、都立の農事試験場に依頼して、漬けものにおける塩の品質の影響について、実験してもらいました。その結果、
「一部でいわれていた漬けものの漬け上がりをよくするために、ニガリ分が必要であるという説には根拠のないことが明白になり、漬けもののよしあしを左右するものは、原料の良否と、原料に対する塩の使用割合(加える食塩の量が薄ければ早く、濃ければ遅い。漬けものが漬かるのは、主として野菜中にふくまれる酵素の働きによりますが、この働きは食塩が多くなるほどにぶるので、これが漬かり方に影響を及ぼします)であることが、立証され、漬けものに使用する塩としては、品質のわるい塩の必要はなく、高純度の塩のほうが効きがよいだけ好都合である」
という報告がなされています。
ただし、ここで注意しなければならないのは、品質のよい塩はサラサラしているので、使う際に細かな心づかいをしないと、樽の底のほうに塩が沈んで、漬け汁の食塩濃度が上下で著しい差が生まれ、うまく漬からない場合も出てくるということです。それだけに高純度の塩を使う場合には、塩分濃度が上下均一になるようくふうすることがたいせつです。
現在、市販されている塩には、食塩・精製塩・特級精製塩・食卓塩・並塩・つけもの塩などがあります。このうち漬けものには、つけもの塩・食塩・精製塩・並塩などが向きます。即席漬けなどには、水に早く溶《と》けるという点で、精製塩(純度九九%以上)がよいでしょう。
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[#小見出し]  青菜《あおな》は男《おとこ》に見《み》せな[#「青菜《あおな》は男《おとこ》に見《み》せな」はゴシック体]
生の青菜はかさばって多く見えるが、いったんゆでたり煮たりすると、ウソのように減ってしまう。男はふだん炊事にたずさわっていないため、なんでこんなに少ないかとあらぬ疑いを抱くことがある。なるべく、生の青菜は見せないほうが得策ということ。「つましい男に青菜見せな」とも言います。ゆでたり煮たりすると青菜の|かさ《ヽヽ》が驚くほど減るのは、青菜の細胞がやわらかくなり、細胞膜をとおして、細胞にふくまれる大量の水分が外に出てしまうからで、このとき、たんぱく質や糖質、無機質、それに水溶性のビタミンCもいっしょに出てしまい、残存率が少なくなります。この点、炒《いた》めものや揚げものは短時間の加熱なので、ビタミンCをはじめ、うま味成分の損失が少なくてすみます。
ゆでものは|あく《ヽヽ》抜きしたり、食品をやわらかくしたり、脱水したり、また、色よくしたり、消毒したりするのが目的の調理法で、個々の目的にかなったゆで方をくふうしないと、せっかくの有効成分が損われてしまいます。総じて野草類は|あく《ヽヽ》の強いものが多いので、ゆでるときは、この|あく《ヽヽ》抜きを第一に考えなければなりません。野草以外の緑野菜は、|あく《ヽヽ》の多少はあっても、それはそれぞれの野菜の個性味といえるものですから、ゆでるときはできるだけこの個性味を生かすゆで方をします。
したがって野草類とふつうの緑野菜とでは、ゆで方を変えます。たとえば三つ葉、ほうれん草、しゅんぎく、小松菜など、比較的|あく《ヽヽ》の少ない野菜類は一%の食塩水(水一・八リットルに大さじ一杯半の塩を入れる)でゆでたほうがよく、こうすると、野菜内部の汁液と食塩の浸透圧《しんとうあつ》がほぼ等しくなるので、野菜がふくれたり、ちぢんだりしないため、形が崩れず、栄養素の損失も少なくてすみます。一方、からし菜、京菜、せり、よもぎ、はまちさ、ふだん草、ふきなど、|あく《ヽヽ》の強いものは、真水でゆでたほうが|あく《ヽヽ》がよくとれます。食塩を入れると、|あく《ヽヽ》の出る割合が少なくなり、好ましくありません。
なお、ゆでるときは、湯はたっぷりにし(少なくとも材料の五倍くらい)、沸騰しているときに材料をさっと入れ、短時間にゆで上げます。湯量が少なすぎると、温度が急激に下がってしまい、時間が長くかかるばかりか、たいせつな有効成分を流出させてしまいます。いちじにたくさんゆでものをするときは、湯をいちいちこぼさず、同じ湯で、材料を二度か三度に分けて、なるべく早くゆで上げるようにします。そして同時に、急激にさますことも必要で、あらかじめたっぷりの水を用意しておき、時を移さず、ゆで上げたものを水に漬け、漬けておく時間はできるだけ短くし、冷たくなったらすぐ引き上げます。長く水に漬けておくことは絶対禁物。
ゆですぎたり、漬けすぎると、有効な栄養成分を失ったうえ、歯ざわり舌ざわりの触味もわるく、また難クセの|たね《ヽヽ》ともなります。ゆでものは、一見やさしいようですが、いざやってみると、細かな心入れと手順のよさを必要とする厄介な調理法です。
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[#小見出し]  秋《あき》なすび嫁《よめ》に食《く》わすな[#「秋《あき》なすび嫁《よめ》に食《く》わすな」はゴシック体]
これやこれ江戸紫の若茄子 宗因
美しい紫紺色、滑らかなツヤのあるハダ、なすは特有の風味が日本人の好みに合うせいか、数ある夏野菜のなかでもなじみが深く、煮もの、揚げもの、焼きもの、漬けもの……と、むかしからさまざまな調理法が考えられ、種類も多く、形も長円筒形から卵形、球形などさまざまで、北海道は卵型小形種、東北地方の太平洋は細長型小形種、日本海側は球型もしくは卵型の中形種、関東では卵型小、中形種、北陸へ行くと、卵型か球型か卵型の中形種、信越地方は球型中形種、東海地方は卵型か中長型の中形種、近畿地方を訪ねると、球型か卵型の中形種、中国も瀬戸内地方が卵型か中長型の大形種を作れば、山陰地方では細長型大形種を作るといったぐあいに、地方によって形や色もちがい、それぞれに持ち味を生かした料理が生まれています。秋口に穫《と》れるなすは形が小さく、肉質が締まっていて、えぐ味やタネが少なく、とりわけ味がよいので珍重されました。
秋茄子|早酒《わささ》の粕につけまぜて嫁にはくれじ棚に置くとも
このことわざは、味わいのいちだん深くなった秋なすを嫁に食わせるのは惜しいと、姑気質を表わしたものだという説と、いや、秋なすはあまり食べると毛が抜ける、からだが冷えて毒だ、いやいやそれ以上に、
[#この行1字下げ]「秋茄子は種子少なく新嫁《にいよめ》是を食えば子種《こだね》絶ゆ」
という俗信から、嫁の身を案じた老婆心から食べさせないのだ、と言ったぐあいに両極端の説があります。
孫の顔見たら許さん秋茄子
こういう句もあるくらいですから、案外、後者の説が庶民の間では、まことしやかに信じられていたのかも知れません。一説によると、嫁とはネズミのことで、ネズミを嫁とも嫁が君ともいったことから転じて、ことわざに表面の意義だけをとるようになったとも言います。
かほどに珍重されるなすも、九四%は水分で、あとはたんぱく質が一%、脂肪が〇・二%、糖質が三・七%、ビタミン、無機質、ともに少なく、栄養的にいえば、騒ぎがチト大きすぎるようです。
「アラ、今夜お客さまなのに、漬けもの忘れていた、どうしよう?」
こんな火急の場合、なすを簡単に漬ける方法をご紹介しましょう。ごく短い時間、なすを熱湯に漬けるか、ザルに入れたまま、熱湯をふりかけます。こうすると、なすの表皮と内側の組織細胞が死に、細胞の生活力がなくなったおかげで、浸透圧《しんとうあつ》の関係から、食塩や|ぬかみそ《ヽヽヽヽ》の香味が早く浸みこみ、思ったより早く浅漬けができ上がります。お試しください。
「色はなすびの一夜漬け」と言われるように、なすは色がよくないと食欲が減退します。色よく漬け上げるには、やはり、焼きみょうばんか古クギを加えるのがよいでしょう。
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[#小見出し]  秋《あき》のかわきは人《ひと》につく[#「秋《あき》のかわきは人《ひと》につく」はゴシック体]
秋を|あき《ヽヽ》と呼ぶのは「飽(あき)、つまり穀物が飽き満ちる季節」「開き、明らかで、空が明るく澄む季節」「緋(あき)で、木の葉が紅葉する季節」――と、さまざまな説がありますが、いずれも秋の景状をあざやかに浮かび上がらせています。
さわやかな青空が仰げるようになると、八百屋、くだもの屋、魚屋さんの店先には、それぞれ野の幸、山の幸、海の幸が豊富に出回るようになります。どれもこれも食欲をそそり、文字通り味覚の秋になります。秋はまた不思議となにを食べてもおいしい季節です。
「秋のかわきは人につく」――秋になると食欲が増すという意味のことわざです。しゅんの食べものが出回るとともに、夏やせも徐々に回復し、次に来るきびしい冬のための準備に、食欲も旺盛になります。いったい、こうした秋の味覚は、なにに由来するのでしょう。これには二つの理由があげられます。一つは食べもの自体がおいしくなること、もう一つは食べる人間の味覚がよくなることです。
秋には、動物にしろ、植物にしろ、耐乏の冬をひかえて、十分に実り、よく栄養をつけていることは、自然の要求といえます。それ故、くだもの、野菜、穀物、魚、また鳥やけものたちも、みな栄養的に充実しています。それを摂《と》ることができるのですから、おいしいのは当然でしょう。次に、私たち人間の味覚ですが、秋のさわやかな気候は湿度が少ないために、体温の発散をうながし、からだの内部での代謝《たいしや》を盛んにし、自然とお腹がすくようになり、食べものがおいしくいただけるのです。甘さやからさなどをくらべてみても、空腹どきには、満腹のときにくらべ、二、三倍も味覚は敏感になっています。このように味覚はからだの状態によって異なるのです。暑いときに食欲がおとろえるのは、暑さのためにからだがまいってしまうのも一つの理由ですが、一面、夏は冬ほど多くのカロリーを必要としないという点もあります。
いずれにしろ、秋の味覚が特別なのは、食べものが栄養に富んでいること、それに私たちの味覚がよくなっているためです。ですから、健康なら、どんな人でも、なにを食べてもおいしく、また、なんでもおいしく食べられるようなら健康になれるわけです。
食欲とともに人間の二大欲望とされる性欲も、秋には盛んになります。「秋がわき」は食欲から転じて、性欲の昂進《こうしん》の意味にも用います。古川柳に、
秋がわきまづ七夕《たなばた》にかわきそめ(柳多留)
という句があり、秋になると間もなく、年に一度の逢瀬を祝う七夕の行事がありますが、人間界もようやく秋がわきの季節にはいって、天上界に負けてなるものかと愛の語らいにはげむ、と星を引き合いに出して「秋がわき」をさりげなく語っています。『万葉集』にも「秋がわき」を大胆|率直《そつちよく》に吐露《とろ》した歌がありますが、次の歌など、その一例といえましょう。
秋の夜の霧立ちわたりおほほしく 夢にぞ見つる妹がすがたを
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[#小見出し]  小豆《あずき》は馬鹿《ばか》に煮らせろ[#「小豆《あずき》は馬鹿《ばか》に煮らせろ」はゴシック体]
小豆は煮えにくいものなので、気長に煮るのがよいということ。同類のことわざに「小豆は無精者《ぶしようもの》に煮らせろ」があります。
小豆に限らず豆類の調理は、その球形の充実した形、よく乾燥していること、外皮の固いのと成分の特質などから、丸のままでは煮ても炒《い》っても不消化なものです。小豆類は、水に浸《ひた》さず直接煮ても、でんぷんのせいか割合い早く煮え、一〜二時間でやわらかくなります。|あく《ヽヽ》のあるのをきらう方は、一度ゆで汁を捨てるのもいたし方ありません。ただし、長く煮てやわらかくなってから捨てると、小豆にふくまれるビタミンB1も捨て去ることになります。
むかしから「小豆を煮るに竹の皮」と言い、竹の皮をちょっと割《さ》いて輪に結び、水からいっしょに放り込んで煮ると、重曹を入れるよりはアルカリ分の働きが弱く、小豆の腹を切らずに、早くやわらかに煮ることができます。
同じ豆類の中でも大豆は手間がかかり、一晩水に浸した大豆でも、二時間ぐらい煮て、やっとやわらかくなります。もっとも圧力なべを用いますと、三〇分ぐらいで煮上げることができます。黒豆なども最初塩水につけておくと、早く煮えるばかりか色あざやかに仕上がります。|ささげ《ヽヽヽ》は小豆よりも皮が固く、煮崩れが少なく、色合いもよいのでお赤飯に使います。煮立ってから火を弱め、約二〇分ぐらい静かに煮ます。煮豆をするとき、どんな煮方をするにしても、次のような調理のコツを心得ておかれると、いざというときに役に立ちます。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
◎ゴミをより分ける[#「ゴミをより分ける」はゴシック体]――豆は乾燥させる際に、どうしてもワラくずやゴミが混じります。水で洗うときにワラやゴミはどなたでも取りますが、ひねた豆や虫食い豆、小石などは沈んでしまい、うっかりすると見逃します。水洗いする前に、お盆や食卓の上に豆をあけ、ゴミを丹念に拾い出しておきましょう。こうしたものは、長時間煮てもやわらかくはなりません。
◎水に漬ける[#「水に漬ける」はゴシック体]――ゴミをより分けたら、水でよく洗い、豆の量の約三倍量の水につけて、水分をよく吸収させます。豆の種類や季節によって、水に漬けておく時間は多少ちがいますが、夏場はよく水分を吸収しますので約半日、冬場は一昼夜ぐらい漬けておきましょう。
◎漬けた水で煮る[#「漬けた水で煮る」はゴシック体]――漬けた水を捨てると、せっかくの豆のうま味を捨て去ることになります。漬け水はそのまま用いましょう。
◎弱火でじっくりと[#「弱火でじっくりと」はゴシック体]――煮ものにとって、火かげんはなによりもたいせつ。煮立つまでは強火で、煮立ったら火を弱め、時間をかけて、豆が十分にやわらかくなるまで気長に煮ます。
◎厚手のなべに「落し蓋」[#「厚手のなべに「落し蓋」」はゴシック体]――煮ものはなべにたよる料理ですから、なべのよしあしで味に大きな差が生まれます。厚手の鉄なべか銅なべ、または土なべを用意しましょう。薄手のアルミなべですと、焦げつきやすくなり、蒸らす段階でうまくいきません。煮崩れや熱のムダな発散を防ぐために、なべの大きさの一〜二割小の木の「落し蓋」を備えておきましょう。
[#ここで字下げ終わり]
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[#小見出し]  羮《あつもの》に懲《こ》りて膾《なます》を吹《ふ》く[#「羮《あつもの》に懲《こ》りて膾《なます》を吹《ふ》く」はゴシック体]
前の失敗にこりて無益な用心をする愚かさを言います。あつものは熱い汁、なますは細かく切った生肉――冷菜。熱い吸いものを吸って口をやいたことのある人は、冷たいなますを見て警戒して吹きさまそうとします。フランスにも「一度口をやいたものは常にスープを吹く」ということわざがあります。
ものの味わいのうまいまずいは、材料や調味料の関係以外に、そのときの食べものの「温度」が、かなり重要な役割を担《にな》っています。それだけに、その材料にもっともふさわしい温度で食べたとき、「ウン、これはうまい」と、思わず感歎の声を上げたくなるわけです。みそ汁がぬるくなって、みそが底のほうに沈んでいたり、湯どうふがさめかかったり、なまぬるいお刺身、なま温かいビールでは、およそ興ざめです。
千利休の故事を引くまでもなく、「あったかいものはあったかく、つめたかるべきものはつめたく」なければ、料理のすべてが水泡に帰する場合だってあるのです。
この温かい冷たいの温度感覚は、私たち人間の体温を一応の基準として、口に入れられた飲食物の温度が三七度Cに近いほど、なま温かく感じられ、不快感を催しますが、これよりも温かいか冷たいかであると快く感じます。もっとも、この温度にも上限と下限があり、八○度C以上と○度C以下では、温冷感よりもまず痛みの感じが襲い、食べものとしては不適格です。
屈原《くつげん》(楚の詩人)の詩に由来するこのことわざの熱羮《ねつこう》も、おそらく限度いっぱいの九〇度C以上あったのではないでしょうか。ただし、一回に口に入れる分量が|ほんの《ヽヽヽ》少しの場合は、口に入れてから温度が急にさめるのでその割ではありませんが、汁ものの場合など、熱さかげんがほどよいものと錯覚して、ガブ飲みしたのではたまりません。不愉快をとおり越し、思わず「無礼な」とどなりたくなりましょう。
こうした温度感覚も、人によって嗜好がちがい、中には熱いものが好きな人もおれば、猫舌《ねこじた》と言われ、熱いものは全然受けつけない温《ぬる》好きの人もおり、さまざまです。それだけに「味覚と温度」は切っても切れない関係にあるわけで、家庭料理のよさの一面は、自分の好みの温度で食べたり、食べさせてもらえるところにある――とも言えましょう。
こってりした材料や濃厚なうま味をもったものは熱いほうがよく、みそ汁、肉類の調理などは容器をも温めて食膳に出しましょう。これとは逆に、風味や舌ざわりというふうなデリケートな味を楽しむもの、酸味を有する飲食物(くだもの、清涼飲料、酢のもの)などは冷たくしたほうがおいしくいただけます。このように味覚は、温度によって、それぞれちがった感じ方の変化をしますので、最初申し上げたように「あったかいものはあったかく、つめたかるべきものはつめたく」して食べることが、ものをおいしく食べるコツと言えましょう。
箸涼しなまくさぬきの胡瓜もみ 万太郎
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[#小見出し]  鮟鱇《あんこう》の待《ま》ち食《ぐ》い[#「鮟鱇《あんこう》の待《ま》ち食《ぐ》い」はゴシック体]
少しも働かずにじっとしていて、ごちそうにだけありつくこと。アンコウという魚は、海底の色に合わせて体色を巧みに変え、深海の底にじっとしているので、なかなか見つけにくい魚です。背ビレのいちばん前が頭の上にあって、釣竿のように細く伸びていて、先のほうは少し太くなっているので、漁師は釣師魚《つりしうお》と呼んでいます。
アンコウはこれをユラユラ動かしながら小さな魚を誘《おび》き寄せ、頭の上にきたのを見定めると、急にとびついて一呑みにし、砂の中にもぐってから、ゆっくり食います。
その以前あんこう食ひし人の胆《きも》
江戸後期の画家酒井抱一の感想ですが、事実、このグロテスクで気色のわるい魚を最初に食った人の度胸はたいしたものだと思います。頭が|やけに《ヽヽヽ》大きく、押しつぶしたような形をしていて、大アゴを突き出し、鋭く不揃いの細かい歯がならんでいるところは、踏みつぶしたチャックのカバンそっくりです。胸ビレは強く発達し、まるで手足のように変質し、これで海底をはい回ることができるので、俗にアンコウの腕と呼び、漁師たちは底曳網《そこびきあみ》にアンコウがかかると、この腕のつけ根、つまり人間で言えばワキの下にあたる部分に腕を差し入れ、エラのあたりをつかんで、船の中へ引き入れます。皮はなめらかでウロコがなく、からだはブヨブヨしていてやわらかく、体長一メートルを越すものもおります。
関東のアンコウはよく関西のフグにくらべられますが、公平に言ってフグのほうがうまい。どだい、味の上で比較するのはまちがいで、料理の種類がちがいます。かろうじて類似点をあげれば、全体が余すところなく食べられるのと、こしらえ方が似ている程度です。
むかしから水戸の名物で、産地は常磐、三陸方面。肉よりは皮や内臓のほうが断然うまく、俗にアンコウの七つ道具と言って、トモ(肝臓)、ヌノ(卵巣)、水袋(胃袋)、柳肉(ほお肉)、エラ、皮、ヒレを特に賞味しますが、アバラやヒゲを数える人もおります。冬場がおいしく、とりわけ「鮟鱇鍋《あんこうなべ》」にすると味わいがよい。戦後、漢字制限とやらで「鮟鱇」の二字が使えなくなり、小料理屋で「アンコ鍋」と書いたら、甘いものと思って左党が注文しなかったという話を聞きましたが、左党ならずとも寒気がきびしくなるといちどは食べてみたい|なべもの《ヽヽヽヽ》です。
味はトモや皮がすぐれ、トモをゆがいて酢みそで食べると、また格別。なべにするときは、トモ、皮、肉のほかに、大根、ねぎ、うど、焼きどうふなどを加え、しょうゆ、みりん、または酒などで作る割り下は、淡味のほうが持ち味を殺さず、おいしくいただけます。
アンコウは前にも触れましたように、身がやわらかく、粘り気があるのでこしらえ方がむずかしく、俗に「吊し切り」という方法でこしらえます。アンコウの口に鉤《かぎ》をひっかけ宙につるし、口から水を入れて重みをつけ、皮をはぎ、それから順々に身を切り内臓を取り出します。
鮟鱇鍋酔の口舌のきりもなや  九宵子
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[#小見出し]  磯《いそ》の鮑《あわび》の片思《かたおも》い[#「磯《いそ》の鮑《あわび》の片思《かたおも》い」はゴシック体]
アワビの貝は片方ばかりのように見えるところから、アワビはもどかしい片思いの代表にされています。アワビの貝殻は皿のような形をしているので、ハマグリなどのように二枚貝の片側のように見えますが、実はサザエなどと同じ巻貝《まきがい》の仲間ですから、一枚の殻からできているのはいたし方ありません。卵からかえったばかりのころは、ほかの巻貝と同じように、巻いた殻をもっていますが、大きくなるにしたがって殻の口がひろがり、お皿のような形に変化します。アワビの種類にはマダカ・メガイ・オガイなどがあります。
わが国のほとんどいたるところに棲《す》んでいますが、特に多く産するのは、東海地方および青森・岩手県などです。アワビは水深約五〇メートル以内の浅い場所で、水が澄み、潮の流れのよいところに居を定め、内湾や内海にはあまりおりません。ほかの貝類は、冬から春にかけてがしゅんなのに、アワビは産卵期が十一月ごろなので、産卵前の夏がしゅんです。アワビといえば海女《あま》がつきもので、石川県輪島の舳倉島《へくらじま》や鳥羽市|国崎《くにざき》、房州白浜の海女が有名です。その獲《と》り方については『日本山海名産図会《にほんさんかいめいさんずえ》』という江戸期の本に、詳しく記されていますが、現在もこれとほとんど変わりない方法でアワビを獲っています。ご参考までに紹介しますと、
「鮑《あわび》を取るには必ず女海人《おんなあま》を以てす。是れ女は能く久しく呼吸を止《や》めてたもてるが故《ゆえ》なり。船にて沖ふかく出るにかならず親属《しんぞく》を具《ぐ》して船をやらせ縄を引《ひか》せなどす、海に入るには腰に小き蒲簀《かます》を附て鮑三四つを納れ、又大なるを得ては二つ許《ばかり》にしても泛《うか》めり、浅き所にては竿を入るるに附て泛む、是を友竿《ともさお》といふ。深き所にては腰に縄を附て泛んとする時是を動し示せば船より引あぐるなり。若き者は五尋《いつひろ》丗以上は十尋《とひろ》十五尋を際限《かぎり》とす。皆|逆《さかさま》に入りて立游《たちおよ》ぎし海底の岩に着《つき》たるをおこし篦《へら》をもって不意に乗じてはなち取り蒲簀《かます》に納《おさ》む。その間|息《いき》をとどむること暫時《ざんじ》、もっとも朝な夕なに馴《なれ》たるわざなりとはいへども、出《いで》て息を吹くに其声遠く|ひびき《ヽヽヽ》聞えてまことに悲《かな》し」
日本でアワビを食用とした歴史はずっとむかしに遡《さかのぼ》ります。伝説によれば秦の始皇帝の命を受けてはるばる蓬莱《ほうらい》の島――日本に、不老不死の仙薬《せんやく》をさがしにきた徐福《じよふく》が、ついに見つけ出したのがアワビだったと言われます。古くは朝廷の貢物にしたり、お祝いの食べものとして用いられ、室町時代になると、アワビの肉をたたいて、薄くのし、干物にしたものを末広に切って幾枚も重ねて添えました。それが「熨斗《のし》」の起こりであるとされています。現在は贈答品の包み紙の上に熨斗アワビを添えますが、食料品を贈る際には重複を避け添えないのが約束です。
アワビは生《なま》のまま、薄く切って刺身にするとおいしいものですが、新鮮なものでしたら、厚さ二センチぐらいに横に切り、時を移さず金網にのせ、両面を強火で手早く焼き、中心部はまだ生だと思えるぐらいの焼きかげんで器に移し、両面に塩を軽くふって、|ゆず《ヽヽ》か|すだち《ヽヽヽ》のしぼり汁を少量|滴《た》らして食べると、仙薬も|さこそ《ヽヽヽ》と思わせるうまさです。
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[#小見出し]  一|合雑炊《ごうぞうすい》 二|合粥《ごうがゆ》[#「 一|合雑炊《ごうぞうすい》 二|合粥《ごうがゆ》」はゴシック体]
同じお米を使った食べものでも、調理法を変えることによって健康な食欲を誘います。ぞうすいなら一合でおなかがいっぱいになるのに、おかゆなら二合は軽くいただけます。
「一合雑炊 二合粥 三合|飯《めし》に 四合|鮨《すし》 五合|餅《もち》なら誰も食う」
三合めしに四合すし、五合もちとなると、これが一食分か、それとも一日分なのか、人により労働の多寡によって、ちがいも出てきますが、調理のしかたを変えることによって、食欲が進むのはたしかです。
今日ではお米は手に入れやすいものになっていますが、戦時中や戦後の食糧難時代、お米はたいへんな貴重品でした。配給されたわずかばかりのお米に大根の葉やかぼちゃ、芋のつる、皮つきのじゃがいもなどを入れ、ぞうすいにしてお米を食い延ばしたものです。一日の米の配給量が二食分しかなかったのですから、こうしたくふうが必要だったのです。
もともとぞうすいは、節米のための補食、冬場の保温食、口のまずい病人のための食べやすい食べもの……といったぐあいに、用途がひろく、おかゆは「京の白粥、大和の茶粥」と言われるぐらいで、関西では今日でもこの食習が受け継がれ、一部では今でも日常食の役割を果たしています。
日本の農民がだれでも一様に、銀めしを食べるようになったのは、せいぜいここ十数年来のことで、それ以前は、むぎ・あわ・ひえ・野菜などを入れた|かてめし《ヽヽヽヽ》(糅飯)が常食でした。銀めしを食べるのは、まず正月と盆と秋の氏神祭の日ぐらいのもので、そのうまさといったら何とも言えぬというので、この日ばかりは、いつもの日より多く炊かなければならなかったと聞きます。病いが重くなって死にそうになると、竹の筒に米を入れて病人の耳元に持っていき、「それ米だよ」といい、振って聞かせるという振米の哀話も、ついこの間のできごとでした。それほど米のめしは貴重なものでした。
すしはスキヤキ・テンプラとともに、海外では日本料理を代表するもののように思われています。主食副食兼用の軽食として、家庭のもてなし料理に重宝がられるばかりでなく、食欲の衰えがちな暑い季節に、つい手を出したくなる「ごはんもの」です。
もちは今日では、正月や亥《い》の子《こ》などの節供《せつく》として、また嫁取りや祭り、新築祝いなどの物日にだけしか搗きませんが、むかしはお八つに、また不時の来客に出す食事として、ふだんから作っておく保存食の一つでした。
贈答品としても古くから用いられ、日蓮の消息文の中にも、「満月のごとくなる|もちゐ《ヽヽヽ》二十枚」などと、その礼状に記されています。
暑さ寒さの季節のちがい、食欲の好不調、不時の来客などの際に、このようにお米を使い分けると、まだまだ日本人の食生活の中で、お米は捨てがたい役割を担《にな》っています。
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[#小見出し]  一膳飯《いちぜんめし》は食《く》わぬもの[#「一膳飯《いちぜんめし》は食《く》わぬもの」はゴシック体]
家を出て、再び帰らぬときに供するごはんは、ただ一膳にかぎるのが古くからの|ならわし《ヽヽヽヽ》で、今日でもお葬式の際、出棺に先立って会葬者に出す膳部は、ごはんを一膳に盛切りとして二杯重ねることを忌み嫌います。また、むすめが嫁入りのとき、実家を出る際にも、ごはんは一膳盛切りで、こうした|ならわし《ヽヽヽヽ》から、ふだんは一膳めしを食べることを忌む風《ふう》が残りました。また古くは、ふだん一膳めしを食べると継母《ままはは》にかかるなどとも言いました。同じ意味のことわざに「一膳もので不調法」があります。
このような|ならわし《ヽヽヽヽ》も都会地では徐々に薄れ、ごはんをお碗によそうときでも、一膳めしを忌むならわしが薄れたせいか、山盛りに|もる《ヽヽ》家が多くなったようです。こうしたもり方は、お酒を飲んだあととか、おもてなしの際には、見苦しいばかりか、食欲を減退させ、後味をわるくいたします。その点、懐石の一文字ごはんは、見た目にも美しく、健康な食欲を誘います。利休好み黒の真塗小丸椀《しんぬりこまるわん》の中央に、一文字によそわれた一杓子のごはん――ここにも茶の湯の美意識が生きています。
同じごはんをお碗に入れるにしても、|もる《ヽヽ》(盛る)と|よそう《ヽヽヽ》(装う)では、語感の上から、また字体の上からも分量にちがいがあるように感じられます。|もる《ヽヽ》といえば山盛りいっぱいを連想します。一方、|よそう《ヽヽヽ》のほうはどうかと言えば、お碗の容積八分めほどによそわれたように感じます。もちろん、これはそう思うだけのことで、古く「よそう」は食器ニ物ヲ盛ル、飲食物ヲ分チ盛ル=i『大言海』)の意に用いられ、『平家物語』七、「猫間の事」の章に、「田舎《いなか》合子《ごうす》のきはめて大きに凹かりけるに、飯《はん》うづだかう|よそひ《ヽヽヽ》、御菜《ごさい》三種して、平茸の汁にて参らせたり」とあり、必ずしも前記のような使い分けはしていません。それはともかくとして、一見、おいしそうかなと思える分量をよそい入れなければなりません。
いろいろと料理を召し上がられたお客さまに、ごはんを差し上げるときは、この心入れを忘れずに、せいぜいごはん茶碗に五分めか六分めぐらいよそうのが親切と言えましょう。と言うのも、「一膳もので不調法」にならぬよう、なるべく少量でもお替りをしていただくように――との配慮からでもあります。ごはん茶碗に、山盛りにもりつけるのは、主として一杯かぎりの粗雑な食事法のときにする方法です。
よそう際には、一杓子でよそい切らずに、形を整える意味からも、二杓子めはごく軽くよそって、見た目に心地よい形に直しましょう。
また、召し上がる方も、お替りが欲しいときには、ごはん茶碗の底へ三粒ぐらい残して渡すのがむかしからの約束で、こうすればいちいちことばを添えなくても用が足りるわけです。
ごはんは十分だけれども、お茶が欲しいときには、ごはん粒を残さずに差し出せば事足ります。こうした日本料理のマナーを心得ておかれると、大事の席で恥をかかずにすみます。
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[#小見出し]  一|尺《しやく》の薪《まき》をくべるより一|寸《すん》の蓋《ふた》をしろ[#「一|尺《しやく》の薪《まき》をくべるより一|寸《すん》の蓋《ふた》をしろ」はゴシック体]
家庭のそうざい料理のなかで、ふだん、もっともひんぱんに行なわれる調理法は煮たきものでしょう。煮たきものは、ゆでものと同じように水または煮出汁のなかで、加熱することにより、かたいものをやわらかくして消化吸収をよくし、材料のうまさを発揮させ、煮ている間に、調味料を使って味つけできる長所があります。煮たきもので、いちばん気をつけなければならないことと言えば、材料が煮えるのに要する時間内に、全体が煮え終わるように、なべや熱源、煮る分量、煮汁の量を案配することです。
すべて煮ものは(特に生《なま》ものを煮る場合)、沸騰するまではかきまぜないことが原則で、かきまぜると冷たい空気が浸入して温度が下がり、せっかくの沸騰が妨げられるばかりか、煮るものや煮汁から離れる|あく《ヽヽ》なども、離れにくくなってしまいます。したがって、味わいにも微妙な影響を与え、おいしい煮ものにはなりません。
煮る材料の大きさ、分量、火力、なべに入れる際の煮汁の温度などに、細かく注意を行届かせ、沸騰がスムーズに行なわれるように準備することがたいせつです。煮もの上手と下手のわかれ道は、ここにあります。
煮ものは沸騰前に火力が弱まると、料理の香りと味、煮えかげんに悪影響を及ぼします。このことわざは、その急所を教えたものでしょう。ふたをあけ放して煮ると、水分が蒸発し、気化熱を失って燃料のムダをきたすことになります。特別の場合を除いて、ふたをして煮るのが煮ものの上手なコツ。煮ものに圧力なべや二重なべを用いるのも、こうすれば食品を早くやわらかくし、栄養素の損失も少なくてすみ、燃料のムダも節約できるからです。
魚や芋、豆などを形を崩さずに、しかもやわらかく、色のあせぬように、じっくり味をしみ込ませようとする場合、なべのふたよりも小さな木のふたを、材料の上にじかに置きます。これを「落《おと》し蓋《ぶた》」といいますが、ふつうの|ふた《ヽヽ》だけだと、材料が積み重なっている場合(煮魚などの場合は特に)、少量の煮汁がなべ底にあたる部分の材料にしかゆきわたらず、味も熱もしみ込まないために半煮えの現象を起こします。
また、煮汁や水が沸騰すると、どんどん水分が蒸発して、水蒸気がふた裏にたまって水滴となり、煮ものの上に落ち、また蒸発します。こうしたことの繰り返しが材料の気化熱をうばって、やわらかく煮上げるのに時間がかかり、燃料がムダになります。「落し蓋」を使えば、材料とふたとが接近しているため、沸騰して汁が「落し蓋」の上に上がっても、吹きこぼれる心配がなく、汁がまんべんなくゆきわたって、全体に味がしみ込み、気化熱の損失も少なく、早く煮えます。「落し蓋」には調理によって、木や紙ぶたの別がありますが、大きさはなべの直径の一割弱のものが効果的で、煮もの用なべの大小に合わせて、木製の一文字ぶたを二、三枚常備しておきましょう。
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[#小見出し]  芋《いも》の煮《に》えたもご存《ぞん》じない[#「芋《いも》の煮《に》えたもご存《ぞん》じない」はゴシック体]
江戸時代のカルタには「ゐものにへたもごぞんじなく」となっています。芋が煮えたか煮えないか、そんな簡単なことでさえ分らない世間知らずの人を笑ったことば。
この場合の芋は、数ある芋のうちの、どの種の芋だったでしょう。絵札には、箸にさした里芋を食べようとする子どもの絵が描いてありますが、里芋だったのでしょうか。
芋は古くは奈良朝の山の芋から江戸時代初期にはいってきたじゃが芋まで、日本人にはなじみの深いごくありふれた食べものです。大きく分けて、地下茎の一部が根のようにふくれたものを食べるもの――里芋、じゃが芋などと、根の部分を食べるもの――大和芋、長芋、さつま芋などに分けられます。性質はおのおの特徴があり、炭水化物が主成分ですが、里芋にはガラクタン、大和芋にはマンナンがあり、粘りの原因になっています。一方、さつま芋はビタミン、糖分、繊維に富み、じゃが芋は糖分も繊維も少ないのですが、ビタミンがあり、味も淡白で、ドイツ、デンマーク、スウェーデンなど北欧あたりでは常食にしています。
北海道では芋といえばじゃが芋をさし、九州ではさつま芋をさしますが、他の地方では里芋がよくでき、|しきたり《ヽヽヽヽ》として使う芋はたいてい里芋です。「芋頭《いもかしら》が敵《てき》に見《み》える」「芋頭《いもがしら》でも頭《かしら》は頭《かしら》」「芋《いも》を洗《あら》うよう」といった一連のことわざの芋も、すべて里芋をさしています。してみると、「芋の煮えたも……」の芋も、やはり里芋と見るほうが正しいようです。
里芋は芋名月、お祭りの煮しめ、お雑煮などで親しみが深く、出始めのころ(十月下旬ごろ)、ふくめ煮にして青柚子をかけたものは、男の人にも結構喜ばれます。このほか煮込みおでん、みそおでん、干ダラをもどしていっしょに煮たり、おそうざいには欠かせぬ一品です。また、寒さが加わってきてからのなによりの温かい汁もの、さつま汁、のっぺい汁、おこと汁、けんちん汁などには、必ず里芋を加え、お正月のお雑煮には、里芋がよく子を生むというところから喜ばれ、また頭芋《かしらいも》なども頭《かしら》になるという縁起をかついで用いられてきました。京名物の芋棒《いもぼう》は、海老芋(里芋科の赤芽芋のうちの親子兼用品種の一つ。京都が産地なので、一名京芋とも呼ばれ、ふつう姿が似ているところから海老芋と呼びならされています)を使って干ダラと煮合わせています。
里芋は塩分のある沸騰した湯に入れれば生のままでもそれほど|ぬめり《ヽヽヽ》は出ません。また、煮るとき、ゆでこぼしをしたり、焼きみょうばん、あるいは酢などを加えると、|ぬめり《ヽヽヽ》が少なくなり、おまけに白く仕上がり、里芋がやわらかくなりすぎず形のくずれない利点があります。みそ汁の実に里芋を入れるときは、半量ほどみそを溶《と》いた中に、いきなり切った里芋を入れて煮れば、|ぬめり《ヽヽヽ》は出ません。
ふくめ煮やおでんの際は、さっと五分ほどゆでて、まわりのでんぷんに火をとおしておき、よく水洗いしてから煮るとよいでしょう。
芋煮えてひもじきまゝの子の寝顔 秀野
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[#小見出し]  炒豆《いりまめ》のすまじろい[#「炒豆《いりまめ》のすまじろい」はゴシック体]
このことわざは、関東の一部に伝わる郷土料理「すむつかり」のことだろうといわれます。藤井乙男博士の『諺語大辞典』には「按ずるに炒豆《いりまめ》の酢交《すまじ》りという意なるべし……、されば煎豆ニ酢ノ交リタルヤウといふ喩《たと》へなるべし」と記されています。
もし「すむつかり」のことだったら、今日、栃木県宇都宮周辺の農家を中心に、埼玉・群馬・千葉の各県の一部に伝わる郷土料理です。漢字で「酢憤」と書きますが、もちろんアテ字で、語源もあきらかではなく、呼び方も土地によって、さまざまです。たとえば――栃木県では「しもつかり」、「しもつかれ」、群馬・埼玉県あたりでは「すみつかり」または、「しみつかり」といったぐあいに。おもにこの料理を作る栃木県では「下野嘉例《しもつけがれい》」のなまったものだ、という言い伝えがありますが、どうもこじつけのように思えます。ただ古い料理であることだけは確かで、平安朝のころ、すでに行なわれていたらしく、栃木あたりでは、農家の稲荷信仰に結びついた行事食の一つとなっていて、初午《はつうま》の日にかぎって食べることになっています。
作り方は、大根、にんじんを粗《あら》い目の|おろし《ヽヽヽ》(俗にガリガリおろしとか、鬼おろしというもので、肉の厚い孟宗竹に、大きくギザギザの歯をつけ六センチほどの長さのもの五、六本を、一センチぐらいの間隔で横にならべたもので、小形梯子状のもの)にかけて、おろします。これに塩ザケの頭や切り身を入れ、炒った大豆の皮を除いたものといっしょに、大きめの鉄釜に入れ、弱火《とろび》で半日から一日ぐらい、時間をかけて煮ます。塩かしょうゆで味つけしますが、煮出し汁や水を使ってはいけません。あくまでも、大根とにんじんのおろし汁で煮るというふうにします。
好みによって、途中で酒粕、油揚げを入れ、さらに煮込んだりします。すむつかりのいちばんの問題点は大根おろしの上手下手で、大根のおろし汁をたいせつに扱うこと、細かくおろしつぶさないことがコツ。粗目のおろしのない場合は、小さく乱切りにして作っても結構です。
ほうろくで炒った大豆は、なるべく枡《ます》の底でおさえて、豆を半分に割り、皮と身を離し、あおいで皮を飛ばし、身だけにして使うと、味がしみて、味わいがいっそう深まります。
材料といい手間といい、別にとりたてていうほどのこともないシチュー式の料理ですが、土地の人たちは、|ぬくもり《ヽヽヽヽ》が残っているうちに食べるより、十分煮てから、釜ごと一晩外の寒気にさらし、歯に凍《し》みるほど冷えきったとき食べたほうが、妙味が味わえるといいます。「しみつかり」という呼び名も、凍みつくほどの冷たさを味わうところからきた――と説く人もあるくらいで、コタツでぬくもりながら一杯やるときの相手にもよく、ひやっと冷たいなかに、野菜の持ち味の甘味や大根のほろ苦さが生きていて、郷土料理のよさをしのばせてくれます。
栄養的にも、大根のジアスターゼ、にんじんのカロチンA、大豆のたんぱく質……とよく整い、混然とした味の出合いを考えた調理法もさすがは年季もの。胸やけを防ぐ効きめもあり、冬のおそうざいとして、もっと日常の食卓に採《と》り入れたい料理です。
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[#小見出し]  イワシ七|度洗《たびあら》えばタイの味《あじ》[#「イワシ七|度洗《たびあら》えばタイの味《あじ》」はゴシック体]
イワシも不必要な油を落とせば、タイにまさるとも劣らない味があるということ。タイやアユは持って生まれた優美な形姿と上品な味わいによって、魚の中の王といわれ、香魚ともてはやされます。これにひきかえ、イワシやニシンなどは、栄養価値の高いおいしい魚なのに、惣菜以上の扱いをしてもらえず、一生食膳魚類の下積みとなって過ごさねばならない、まことに哀れな運命を背負わされています。そればかりか海中にあっても、マグロ・サバ・カツオ・カジキといった他の大型魚を養うために生まれてきたみたいに、年中追い回され、エサになっています。横井也有の『百魚譜』にも、
「鰯といふものの味はひ、殊にすぐれたれども、崑山のもとに玉を礫にするとか、多きが故にいやしまる」とあって、たとえ栄養価値が崑崙山から産する玉にくらべられても、たくさん獲《と》れるため、礫土のように顧られず、
腹立や毎日鰯つけてある 千燈
とおしかりを蒙るに及んでは、いまさらのように「多きが故に賤《いやし》められる」わが身の悲運を歎かずにはおれません。そう言っても、捨てる神あれば拾う神ありで、「イワシ千たびタイの味」と、率直にイワシの真価を認めたことわざもあります。
日本の近海で獲れるイワシには、マイワシ・カタクチイワシ・ウルメイワシなどがありますが、ふつうイワシの名で呼ばれているのはマイワシです。マイワシの産卵期は二〜三月ごろで、産卵後のものは油の含有量も少なく、体力も衰えたものです。秋口になると体力も回復してグンと脂ものり、俗に秋イワシと呼ばれ、八月から十月にかけてがしゅんです。カタクチは三月〜七月、ウルメは四月〜六月がそれぞれ産卵期で、いずれも油はマイワシより少なく、肉味が淡白なため、煮たり焼いたりして食べては、あまりおいしくありませんが、干ものにすると最高の味――と珍重する向きもあります。丸干しよりも特に開き干しの一塩が美味です。
イワシの油の多いのもよしわるしで、焼いて食べるときは、余分の脂肪は流れ落ちますが、煮つけるときは、これがおいしさの邪魔をすることがままあります。辛煮にするときは塩水に約五分間|浸《ひた》してザルに上げ、なべ底に竹の皮を敷いた上に列べ入れ、(この際、土しょうがを竹の皮の上に散らし、イワシを重ねるごとに、また振り散らす)米酢をひたひたに注ぎ入れ、「落《おと》し蓋《ぶた》」をして煮ます。約一五分ほど煮たら、油の浮いた酢を「落し蓋」で押えながら、全部捨て去ります。つまり、余分な脂肪を取るためです。そうしてから別なべで煮たてた濃口じょうゆとみりんの調味汁を、酢を捨てたイワシのなべに注ぎ入れ、気長に煮上げます。
イワシの油は高度不飽和脂肪酸が多く、変質しやすく、とくに干ものにすると、このような脂肪酸が出やすくなり、俗に言う「油焼け」を起こします。こうしたものを多く食べると、ときには中毒を起こすことがありますので、注意が肝要です。
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[#小見出し]  丑《うし》の日《ひ》のウナギ[#「丑《うし》の日《ひ》のウナギ」はゴシック体]
土用の丑の日にウナギを食べると薬になると言い、どこのウナギ屋も繁昌しますが、この|ならわし《ヽヽヽヽ》はそう古いものではありません。
丑ウナギと言うと、きまって平賀源内と大田南畝(蜀山人)が駆り出されますが、このふたりのうちいずれかが、あまりはやらないウナギ屋の宣伝に一肌ぬいだと伝えられるからです。もしこの言い伝えがほんとうだとすると、今からざっと一九〇年前の安永のころということになります。
丑ウナギの、もう一つ有力な説としては、江戸は神田、和泉橋通りのウナギ屋春木屋善兵衛の話が伝わっています。文政年間(一八一八―三〇)の、ある夏のこと、お出入りの藤堂さまという大名家から、旅行をするので――ということで、蒲焼きの大量注文を受けました。店をあげて、土用の子、丑、寅の三日にわたり、焼きつづけ、日ごとに土がめに分けて貯蔵しておきました。さて、約束の当日、取り出してみると、子の日と寅の日に焼いたウナギは、色・味ともに変わっていたのに、丑の日に焼いたものは、色・味・香りとも変わっていません。ひとまずそれを藤堂さまに納め、御用を済ませたといわれます。それ以来、ウナギの蒲焼きは丑の日にかぎるということになり、この日がウナギ屋の書入れ時になったというのです。いずれにしても、丑の日のウナギは、ウナギ屋の営業政策に端を発しています。
土用丑のろのろされぬ蒲焼屋 古川柳
それはそれとして、夏のさかりのスタミナ食として、ウナギの効用はあっぱれなもので、ビタミンAをたっぷり内蔵しています。ビタミンAは欠乏すると視力の調節がきかなくなる――いわゆるトリ目になるといわれ、伝染病に対する抵抗力も弱くなり、肌アレになるとか、子どもの場合は、発育不良になるといわれるビタミンです。魚の場合は、おもに内臓に多くふくまれていますが、ウナギは肉の部分にも相当にふくまれています。
夏場の魚は、どれも油っ気が少なく、栄養価のすぐれた魚が乏しいのに、ウナギばかりは別で、脂肪も豊富で、丑の日にかぎらず、体力をつけるには、もってこいの魚といえましょう。
そんなウナギも食べ方としては蒲焼きがいちばんです。同じ蒲焼きでも、関東と関西では、作り方がちがい、関東ではウナギを背開きにし、竹串を打って白焼きにし、さらにこれを蒸してやわらげ、タレをつけて焼きます。一方、関西では腹開きにし、五、六尾いっしょに金串を打って焼き上げ、頭と尾の部分を切り落とし、大きさによって食べやすいように切り分けます。どちらも焼きたてがおいしく、さめた蒲焼きは、うま味が半減してしまいます。
おみやげに蒲焼きをいただいたときなど、食べる三〇分くらい前に両面に、清酒をふりかけておくか、清酒をしめらせたふきんで包んでおくかして、食べる直前に焼き直せば、焼きたてに近いうま味が楽しめます。
花ざくろ鰻を食へと宣伝車 十字星
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[#小見出し]  移《うつ》り箸《ばし》はいけない[#「移《うつ》り箸《ばし》はいけない」はゴシック体]
俗に「箸の上《あ》げ下《おろ》しにまで小言をいう」と言いますが、食事作法の中でも、とりわけきびしいのが箸使いのマナーです。
公家や僧侶の間に発達した料理の美学が、武家や一般の人々の間に普及し、それらの人々の間に料理の食べ方の作法が生まれるようになったのは、足利時代の末期、天文年間ごろ(一五三二―五五)のことと言われ、この時代の食事作法の中でも「菜越《なご》し」と「移り箸」の戒めは、のちのちまで伝承され、今日でもそのままこのことばが使われています。菜越しとは、おかずを持ち出された順に食べずに、前にある皿を越して、向こうにあるおかずに箸をつけることを言い、江戸時代になると膳越などと呼んで戒めました。一方の移り箸は菜《さい》の菜《さい》とも言い、おかずを一口食べたら、その次はごはんを食べ、おかずからおかずに箸をつけるのは不作法だということを言いあらわしたことばです。それというのも、おかずはごはんにつけて出されたものであるから、ごはんを味わうのが第一だというのが、移り箸を戒める理由になっていたのです。
江戸時代の後期に出版された『貞丈雑記《ていじようざつき》』という制度や風俗をことこまかに書き記した本には、不作法な箸使いの例がいくつか上げられています。この本以外からも箸使いのマナーと思われるものを選び出し、現代にも通用するものを以下ご紹介しましょう。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
◎まどい箸[#「まどい箸」はゴシック体](まよい箸)――おかずを食べるのに、これと定めずに、あれこれと箸をつけ、まよいうろたえること。
◎箸なまり[#「箸なまり」はゴシック体]――一つのおかずをいつまでも食べ、埒《らち》のあかないこと。
◎もろおこし[#「もろおこし」はゴシック体]――食べ始めのとき、お椀と箸を一度に手に取ることで、お椀を取ってから箸を……と二度に分けて取ったほうが見苦しくない。|もろ《ヽヽ》とは諸手《もろて》のこと。
◎ちょうぶく箸[#「ちょうぶく箸」はゴシック体]――食べ終わって箸を置くときに、それを逆に置くこと。
◎よこ箸[#「よこ箸」はゴシック体](もぎり箸)――箸についたごはん粒やおかずを、箸を横にして、口でなめ取ること。
◎さぐり箸[#「さぐり箸」はゴシック体]――食器の中に、なにか自分の好物はないかと箸でさぐること。
◎うら箸[#「うら箸」はゴシック体](かし箸)――食べようと箸をつけながら止めること。
◎にぎりこ箸[#「にぎりこ箸」はゴシック体]――箸についたものを、片一方の箸で取り除くこと。
◎込み箸[#「込み箸」はゴシック体]――口いっぱいに料理を箸で押し込むこと。
◎膳なし箸[#「膳なし箸」はゴシック体]――膳の向こうにあるおかずを器を手に取らないで食べること。
◎もじ箸[#「もじ箸」はゴシック体]――煮ものなどを膳の上で箸を使ってこじ起こして食べること。
[#ここで字下げ終わり]
このほか「箸先は一寸しめすもの也」――つまり、箸は長くぬらさぬことを心がけましょう。
こうした箸使いのマナーもふだんがたいせつで、心して体得しておきませんと、大事の席でついふだんのクセが出てしまい、地金《ぼろ》を出すことになります。
煮こごりにまず一ト箸を下しけり 万太郎
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[#小見出し]  うまいまずいは塩《しお》かげん[#「うまいまずいは塩《しお》かげん」はゴシック体]
料理のうまいまずいは塩かげん一つで決まる――と言っても、言い過ぎではありません。それほど塩はたいせつな調味料です。塩は調味料としての役割以外に、塩を加えることによって、材料の持ち味を引き立てる役目も持っています。この点、|しょうゆ《ヽヽヽヽ》や|みそ《ヽヽ》のように、調味料みずからの味をつけるのとは、だいぶ役割がちがっています。
塩味はおいしいと感じられる味覚領域が非常にせまく、淡すぎてももの足らないし、濃すぎれば塩味の強さが先に立って、ものの真味を味わう|ゆとり《ヽヽヽ》をなくしてしまいます。そこに塩かげんのむずかしさがあると言えましょう。
越えかねて巌をめぐりぬ春の潮
吸いものの塩かげんの理想を示すような句ですが、吸いものやスープのような飲みものの場合は、材料の全体量の一%を越えるか越えないかの塩分濃度がおいしいと感じられます。これがごはんといっしょに食べるおかずなどの場合は、むしろ一%以上であるほうがおいしく感じられ、二%を越すと逆に塩からく感じますので、そのかげんに注意しましょう。調理別の塩かげんのおおよその見当は、次のとおりです。
[#この行1字下げ]吸いもの・ゆでもの=〇・九〜一%、煮もの=一・五〜二%、生野菜のふり塩=一%内外、魚肉の塩味=一〜二%、一夜漬け=二・五〜三%、漬けもの(短期間)=四〜五%、漬けもの(長期間)=七〜一〇%程度。
煮ものなどは、しょうゆをふくめての見当です。調味料のうち、みそは赤みそで一〇〜一五%、白みそで六〜一〇%、ソースは一〇%、しょうゆは約一八%の食塩を含有しています。しょうゆを使う際に、しょうゆ大さじ一杯と塩小さじ1/3がつりあうということを覚えてお使いになると便利です。
俗に「塩は塩を呼ぶ」と言いますように、いちどに大勢の料理を作るとき、一人分の倍数よりはいくぶん控えめに塩を用いないと、必要以上に塩味が濃くなります。
塩かげんというとき、分量ももちろんたいせつですが、それ以上に心しなければならないのは塩を入れるときのタイミング。他の調味料と合わせて使うとき、塩は浸透しやすいので、味の浸透しにくいものから順次加えるようにするのが原則です。たとえば、砂糖をいっしょに使う場合は、必ず砂糖を最初に入れ、砂糖の味が材料によく浸透したころ合いを見計らって塩を入れます。しょうゆの場合は逆に塩を先に、しょうゆを後に入れたほうが好ましい味が生まれます。
お汁粉や甘酒の仕上げに、ほんのちょっぴり塩を入れると、微妙な味わいが生まれるのは、周知のことですが、これは砂糖と塩とでは人の味覚に伝わる速さがちがうからで、まず塩味が先に、次の瞬間に砂糖の甘味が伝えられ、この味の対比によって、甘味がウンと強く感じられるからです。このような塩の性格をよく覚えて、塩かげんを誤らぬようにしましょう。
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[#小見出し]  うまいものは宵《よい》に食《く》え[#「うまいものは宵《よい》に食《く》え」はゴシック体]
現代は女性上位時代とか、家庭における主婦の地位もグンと向上して、うっかり夕餉《ゆうげ》の席で、ご主人がうまいまずいをロにしようものなら、すかさず女房殿から「稼ぎの多寡《たか》」を問題にされ、止むなく出されたものを黙々と食べる――といったありさまになっています。まことに、日本民族の将来にとって「ユユシキ事態」と申さねばなりません。
料理のうまいまずいを口にすると、とかくゼイタクをいっているように受け取られがちなのも、長い年月の間、日本人の多くが貧しい食生活に慣《な》らされ、文字通り「食い詰め」た生活をしてきたからでしょう。なにはともあれ、料理に対する考え方やり方一つで、おいしく食べられ、ものをも生かし、その上、経済的――そんな料理法はないものでしょうか? いや、それがあるのです。「うまいものは宵に食え」これを実行すればよいのです。
うまいものでも一夜過ぎれば味が変わる。宵に食えばうまいものを、わざわざ翌日に残して味を殺す、これが料理のこころに背《そむ》くものだと知ればよいのです。
うまいという味の中身には、作りたての鮮度や熱、香りがあります。時の経つということは、これらも同時に失うことです。「宵に食え」というのは、うまいものを宵越しさせるな――という表面上の事柄ばかりでなく、作りたてをすぐ食べろと、積極的に指示してもいるのです。
わざわざよい材料を殺して、まずいものにしてしまうことは第一、造物主に対して申訳ないことだし、家計の上からも、まことに不経済なことです。
人は、金の使い方の上手下手については、とやかく問題にしますが、きゅうり一本、イワシ一尾の選び方の上手下手となると、それほど問題にしません。材料選びの上手下手が味に直接影響するのはもちろん、家計の上にも大きな開きがでてきます。
鳥獣肉ならいざ知らず、魚介、野菜類などは、鮮度のよいものほど栄養価も高く、食べてもおいしいのです。土を離れて時の経つにつれ、味がよくなるなどという野菜は、まずありません。この事一つを知っても、うまい料理はできるはずです。
次に心得てほしいことは、材料の持ち味ということです。持ち味を知ってこれを生かすことです。日常の食卓にのぼる魚や野菜も、一年を通じて数えたら何百種にも及ぶと思いますが、どれ一つをとっても同じ味のものはありません。それぞれに固有の味を備えております。この持ち味に注目することです。日本料理は、中国料理や西洋料理にくらべ、特に持ち味尊重の料理だからです。
同じ費用と手間で、人よりもうまいものが食べられ、ものを生かす殺すの道理がわかり、材料を深く知ることで偏食をまぬかれ、ものの風情にも関心が高まり、興味ある料理に、生きがいある人生がわかる――こんな料理研究をなおざりにしておくことは、まことにもったいないことだとは思いませんか……。
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[#小見出し]  海《うみ》 背《せ》 川《かわ》 腹《はら》[#「海《うみ》 背《せ》 川《かわ》 腹《はら》」はゴシック体]
焼き魚を大別しますと生魚、干魚、その中間の一夜干し魚の三種に分けられます。
新鮮な魚は、刺身にして食べるもの以外は、やはり塩焼きがいちばんおいしいようです。
「海背川腹」とは、魚の焼き方の順序で、海の魚は背から焼き、川の魚は腹から焼く≠ニいう言い伝えにもとづくものです。もっとも、これとは全然逆のことわざもあります。それというのも、魚の形には、ウナギやアナゴのように細長いもの、アジやカマス、サバなどのように開いたもの、小さなアマダイのように片褄折《かたづまお》りにしたもの、ブリやサワラのように三枚におろして半分に切り、さらに縦横に包丁を入れてようやく焼きものの大きさになるものなど、さまざまあり、それぞれによって条件が異なるので、いちがいにこれだとは決められません。
海の上層を回遊する背の青い魚は、概して脂肪分に富み、肉質に多量の水分がふくまれていますので、背皮のほうから焼くと、脂肪分がある程度流れ出ますので、サッパリした味になります。一方、川魚のように、比較的淡白な味のものは、腹のほう、つまり、身の側から焼きますと、脂肪分が流れ出ずに、おいしく焼けます。いずれも開きにしたり、切り身にして焼くときの順序ですが、一尾丸ごと焼く小魚の場合は、盛りつけるときのことを考えて、表になるほうを先に焼き、しかも表を七分、裏を三分の割合で焼きます。
表皮にヌメリのあるウナギやハモ、アナゴのような場合は、表皮のほうから先に焼かないと身が反《そ》り気味になって、焼きづらくなり、焼き上がりにムラができたりします。白身の魚は、強火で皮にほどよい焦げ目がついたら裏返して、こんどは中火で身を焼きますが、このとき、あまり焼きすぎてパサパサにならぬよう、熱のとおりぐあいが九〇%ぐらいのときに火からおろして、熱いうちに賞味します。背の青い魚、イワシ、サバ、アジなどは、鮮度のよいもの以外は、一〇〇%熱をとおすように、中心部までじっくり焼きます。
川魚は煮るにしても、いちど白焼きして生臭さを消しますように、焼くときも、川魚特有の臭いを取り去ることを心がけて、一五〇%ぐらい火をとおすつもりで、十分焼きます。
尾頭付《おかしらつ》きの魚の盛りつけについて、「川背海腹」などという言い伝えがあって、土地によっては、川の魚は背を手前に、海の魚は腹を手前に盛るという習慣があります。これは川瀬、海原≠フ語呂合わせからきたものと思われ、それほど確かな意味のあるものとは思えません。姿焼きの盛りつけは川魚、海魚の別なく、やはり頭を向かって左、腹を手前にするのが慣例です。
ご参考までに、ビフテキのおいしい焼き方をご披露しますと、なるべく早めに強火で肉の表面を焼きかため、肉質にふくまれるうま味(肉汁)が外に流れ出ないようにし、次に火力を少し落として焼きます。両面焼きにしないで、片面だけをじっくり焼き、口にしたとき肉汁が残っているくらいのころ合いがおいしく、熱のとおりきる頂点を一〇〇とすれば、七〇〜八五%あたりが食べごろの焼きかげんです。
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[#小見出し]  梅《うめ》は食《く》うとも核食《さねく》うな[#「梅《うめ》は食《く》うとも核食《さねく》うな」はゴシック体]
青梅の核には毒があるので食べるなという戒めのことば。これには下の句があり、「梅は食うとも核食うな 中に天神寝てござる」というふうに使われます。天神は言うまでもなく、菅原道真公をさします。道真公が梅を愛した故事から、こうした俗信が生まれました。信州あたりでは、このことわざからさらに「梅《うめ》の核《さね》を噛《か》み破《やぶ》れば字《じ》を忘《わす》れる」ということわざが生まれ、今日まで伝わっております。天神様が文字詩歌の神様として崇《あが》められ、天神講が全国に普及していたむかしのことを考えれば、こうした言い伝えの生まれ出るのもムリからぬ話と言えましょう。
青梅の核にはアミグダリンという青酸配糖体が含まれていて、未熟なものは核がやわらかで砕けやすく、砕けるとアミグダリンは酵素分解によって青酸を生じます。そのため、未熟な青梅には、古人が戒めたように有害な青酸が含まれていて、食べすぎると腹痛を起こします。
葉がくれに黄ばみて見ゆる梅の実の 照るか五月の雨のはれ間に
[#地付き]原久胤
梅を「うめ」というのは、梅の字音を日本式に読んだもので、『万葉集』には、宇米、有米、烏梅《うばい》などの用字があります。
古い伝説によれば、この木はスサノオノミコトが朝鮮から輸入した「八十樹種《やそこたね》」の中に数えられているといわれ、また、仁徳天皇が弟の稚《わき》朗子《いらつこ》と互いに皇位を譲りあい、三年の間、帝位空しかったという兄弟愛の美しさを讃えて、百済《くだら》よりの帰化人(稚朗子の師)王仁《わに》が――
難波津に咲くや木の花冬ごもり 今を春べに咲くや木の花
と詠《うた》った「木の花」は、この梅のことだったとも言われます。
『万葉集』に出てくる梅の歌は花を詠んだもので、果実は食べるよりも烏梅という薬品(当時、薬用として輸入された「ふすべうめ」のことで梅の実を燻製《くんせい》にしたもの)として早くから知られていました。
青梅に眉あつめたる美人かな 蕪村
青梅にはクエン酸やリンゴ酸が多くふくまれ、酸っぱく、核には青酸があって中毒を起こしたりするので、大むかしは食べものとしては、あまりたいせつに扱われなかったようです。
一説によれば、梅干しは梅酢をとったあとの廃物=梅の実を利用したのが、そもそもの発端《ほつたん》だといわれます。この梅酢は金工には欠かせぬ重要な役目を担《にな》うもので、中国からメッキの技術が伝わると、金工たちは自らの手で梅酢を造ったと聞きます。今日では梅酢などほとんど用いませんが、大正期まで、カザリ職人は梅酢を使って仏具やお神輿の金具を金箔でメッキしていたそうです。つまり、強い酸を必要とするとき、梅酢が登場したわけです。梅酢の造り方を教えた中国の古い技術書に、廃物を梅干しに利用することまで書いていないところから推《お》すと、梅干しは日本人の発明になるもののようです。『伊呂波字類抄《いろはじるいしよう》』に、はじめて「烏梅ウメホシ、梅干」と登場するので、中世のころには塩漬けにして日に乾した梅の実を「梅干」と称するようになっていたようですが、当初は専《もつぱ》ら薬用として使われ、食品として発展するには江戸時代を待たねばなりませんでした。
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[#小見出し]  梅《うめ》はその日《ひ》の難《なん》のがれ[#「梅《うめ》はその日《ひ》の難《なん》のがれ」はゴシック体]
朝、梅干しを食べると、その日は災厄をまぬかれ、山野|瘴癘《しようれい》の気に侵《おか》されぬという説があって、今でも温泉宿に行くと、朝のお茶受けに、砂糖をかけた梅干しが出されます。それから霧がどんなに強く降りても、梅干しを食べた人の頭の周囲一尺は明《あ》いているという説もあります。いずれも、むかしはまことしやかに信じられていたものですが、梅干しに薬効のあることは、現在、学問的にも認められ、日常の暮らしの中でも、多くの人によって体験され、確かめられております。
梅干しと言えば「日の丸弁当」を思い出す人もありましょうが、むかしから梅干しは戦争に欠くことのできない軍糧の一つで、合戦のとき、武士の携行食として持ち歩かれたようです。こうした保存食品としての役割以外にも、長生きの老人が、毎朝、欠かさず梅干しを一個ずつ食べているとか、効能のほどはいろいろ伝えられています。梅干しが老人病予防に役立つことは確かなことで、乳酸や酪酸《らくさん》などの毒素を中和し、耳下腺の若返りホルモンといわれるパロチンの分泌を促して、内臓筋肉をつよめ、老化を防いでくれます。
また、腸チフスなど食べものから起こる伝染病のはやる時期や、暑さに向かい体力の衰える季節、また、旅をして水がわりに当たりやすい人など、梅干しを食べつづけていると、知らず知らずのうちに、からだに抵抗力がついて、病気を防いでくれます。このほか、殺菌力が特にすぐれているので、夏場、おひつに移したごはんの中に、一つか二つ埋めておけば、ごはんの腐るのを防げます。また、お弁当に一つ潜《ひそ》ませておくと、ごはんのいたむ心配がありません。
一般的に知られている薬効としては、カゼを引いたとき、梅干しを黒焼きにして、熱湯をさして飲む方法です。こうすると熱をさまし、セキ止めにも役立ちます。黒焼きはめんどうだというのでしたら、熱い番茶に梅干しの果肉を浸《ひた》して飲めば、少々のカゼなら治ってしまいます。また、梅干しには熱を吸収する力があって、歯の痛むとき、ホオに梅干しの果肉をはると、痛みがうすらぎ、頭痛のときにコメカミにはると、痛みがやわらぐのは、そのせいです。
梅干しの酸味は調味にも役立ち、炊きたてのおかゆに一個落とし込んだり、おにぎりにしのばせたりするのは、どなたも経験ずみのことですが、調味や腐敗を防ぐほか、食欲増進に役立つ効を兼ね備えているからです。まことに梅干しは日本人の暮らしになくてはならぬ常備食と言えましょう。大正初期の小学校「国語読本」に梅干しの生涯をうたった詩がのっています。
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二月三月花ざかり うぐいす鳴かぬ里もなし 五月六月実がなれば 枝からふるい落されて 何升何合計り売り 塩に漬かってからくなり しそに染まって赤くなり 七月八月暑いころ 三日三晩の土用干し 思えばつらいことばかり
それも世のため人のため しわはよっても若い気で 小さい君らの仲間入り 運動会にもつれてゆく ましていくさのその時は なくてならないこのわたし
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[#小見出し]  えぐい渋《しぶ》いも味《あじ》の中《うち》[#「えぐい渋《しぶ》いも味《あじ》の中《うち》」はゴシック体]
えぐ味や渋味は、取りたてていうほどの栄養成分があるわけではなく、苦味や酸味などのように、人体内に同類の縁故的ななつかしさもなく、辛味のように神経をふるいたたせる働きもなく、かえって神経をいらだたせ、抑《おさ》え込む取柄《とりえ》のない味、歓迎されない味です。
そのせいでしょう、むかしの中国や日本では、すべての食味を甘・酸・苦・辛(ひりひりからい)・鹹(しおからい)の五種に分類し、五味と称して味の正座に据え、えぐ味・渋味は好ましくない味として遠ざけました。
試みに五味の品位を格づけしますと、甘味は味覚の小学生、鹹味・酸味は中学生、辛味はさしあたり高校生、苦味は最上の大学生とも言えましょう。なぜ、そのようにいうかと言えば、甘味のうまさは三歳の幼児でも知っていますが、鹹酸の味ともなると、これを正しく理解し味わうためには、相当舌のトレーニングを要します。青木正児先生は唐代の詩人司空図の詩趣のたとえを引用して、次のように説明しています。
「文化の低い広東地方では酢は酸ぱく塩は鹹いが、然し中華の人が此の地方の料理を腹ふさぎに食べようとしても咽を通りかねるのは、鹹酸の外に旨味といふものが欠けてゐるからであると。思ふに、此の鹹酸の外なる旨味を出すことが料理人の腕前であり、従つて又之を知ることが賞味者の教養である。つまり料理文化の高下は之によつて測らるべきである。」
ところで渋味についてはどうでしょう。どうも渋味は扱いがひどく、形容語としても晦渋《かいじゆう》、しぶちん、渋い顔、出ししぶる……といったぐあいに、よいことには、まるっきり使われません。それにひきかえ、五味のほうは日ごろなじみ深いせいか「辛酸《しんさん》を嘗《な》める」「酸《す》いも甘いも知っている」「あまから」と、平俗談語《へいぞくだんご》のなかにも、大手を振って登場しています。
そうは言っても、世の中よくしたもので、えぐ味や渋味に「無用の用」の働きを認め、早くから「味の中の味」として、もてはやす人もおりました。
渋味の正体はタンニン類で、柿、ぶどう、どんぐり、栗、茶などにふくまれ、ある場合には食味に欠くことのできない要素として、味のだらしなさを引き締め、小ざっぱりした感じを出すこともあります。
そんなところから、渋好み、渋い芸といったあんばいに、|くすみていき《ヽヽヽヽヽヽ》なものとして、日本人の美意識の上位にランクされています。
一方のえぐ味は、えご味ともいわれ、あく強く舌、のどを刺激する独特の味で、調理の上では障《さわ》りとなることが多い反面、わらび、ふき、からし、たで、たけのこのように、ホロリとしたえぐ味が、これらの野菜の個性味として尊ばれもします。
酒の相手が 話しの相手 苦労しとげて茶の相手≠ヌうやら、えぐ味や渋味は、苦労しとげてはじめてわかる味のようです。
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[#小見出し]  大《おお》きな大根辛《だいこんから》くはなし[#「大《おお》きな大根辛《だいこんから》くはなし」はゴシック体]
一口に大根と言っても、漬けものに向いているもの、煮ものに適しているもの、生食するとおいしいもの……と、種類はいろいろあります。
明《あ》けくれて大根うまし神無月 信徳
大根好きの日本人は、四季折々に味わえるよう、かずかずの大根を作りましたが、おいしくて味わいのあるのは、なんと言っても秋口から冬にかけてのみずみずしい大根です。
東京近郊でいちばんよく見られるのは練馬《ねりま》大根で、肉質がやわらかく純白で、甘味があり、煮ものにしても、|たくあん《ヽヽヽヽ》にしても、また生食してもおいしい品種です。
練馬大根とならんで全国的に栽培されている品種に、宮重《みやしげ》大根があります。これは愛知県宮重村が原産地なので、この名がありますが、練馬にくらべ、短く円錐形をしていて、甘味が強く、煮もの、漬けものに向くほか、切り干しにも適しています。また、京都の聖護院《しようごいん》町を産地とする丸形の聖護院大根は、甘味も強く肉質もやわらかなので煮ものに向き、服部梅年の句、
風呂吹の湯気にしるるや雪もよひ
のふろふきも、おそらくは聖護院種ではなかったかと思われます。
このほか、南国、桜島には、直径五〇センチ、重さ三〇キロを越す巨大な桜島大根があります。馬に積んでも二つしか乗らないという豪《ごう》のものですが、甘味が強く、やわらかなので、煮もの、漬けもの、干もののいずれにも向きます。ただ残念なことは、この土地以外ではできないので、味わいが一般的でないことです。
大きな大根辛くはなし――このことわざの起こりは、小柄なクセに、おろしにすると、飛び上がるほど辛味のきつい京都|鷹《たか》ケ峰《みね》特産の鏡大根(一名辛味大根ともいう)を口にし、あまりの辛さに閉口し、それからというもの、大根といえば辛いものと一途に思い込んで敬遠していた。ところがあるとき、図体の大きな秋大根を口にしなければならない羽目に陥り、さあたいへん「羹《あつもの》に徴《こ》りて膾《なます》を吹く」のたぐいで、恐る恐る一口食べてみた。ところが意外や意外、辛味がきつくないのです。いや甘味さえある。「大きな大根辛くはなし」率直な実感というものでしょう。つい口をついて出たのです。辛味大根のおろしは、現在でも関西では香辛料として、天ぷら、ちり、うどん、そばなどに使われています。芭蕉が「更科紀行《さらしなきこう》」のなかで口ずさんだ、
身にしみて大根からし秋の風
この大根も、おそらくはこの手のものだったにちがいありません。数ある大根料理のなかでも、ビタミンCをムダなく摂《と》り入れられるのは|おろし《ヽヽヽ》。皮の部分に肉質中の二倍ほども含まれていますので、よく皮を洗い、皮つきのままおろしましょう。辛味をやわらげるには、ゆっくりおろすか、酢を少量入れます。こうすれば、辛味成分の硫黄《いおう》化合物が酸化され、辛味が減って、食べごろになります。大根はジアスターゼをはじめ、いろいろな酵素をもち、ジアスターゼは消化を助ける酵素なので、揚げもの、刺身、魚の焼きものなどに添えるのは合理的です。
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[#小見出し]  お粥《かゆ》は吹《ふ》いて食《く》え[#「お粥《かゆ》は吹《ふ》いて食《く》え」はゴシック体]
火からおろしても、まだフツフツと泡を吹いているおかゆ。おかゆは熱いうちに、ちりれんげでしゃくって、ふうふう吹きながら賞味しましょう。おせち料理にあき、おもちの食べすぎで胃の重いときなど、サラッと炊いたおかゆのサッパリした味わいは、家中のみんなに喜ばれること請合《うけあい》です。むかしは「食っちゃ寝の正月」の腹ぐあいをちゃんと計算に入れて行事食の一つに、七草がゆ、十五日にはあずきがゆを用意することを忘れませんでした。
関東では、おかゆといえば病人食のように考えがちですが、関西では「摂津雑炊《せつつぞうすい》大和粥《やまとがゆ》」「朝|粥《がゆ》昼とび夕雑炊《ゆうぞうすい》」ということわざでもおわかりのように、おかゆやぞうすいは、たいせつな日常食でした。おかゆもぞうすいも同じようなものですが、一般におかゆは米から炊いて具のはいらないもの、二種以上の材料を具として炊きこんだものをぞうすい――と区別しているようです。しかし正月の七草がゆ、あずきがゆのように具がはいっていても、おかゆと呼ぶような特殊なものもあります。
今日ほどに農業技術も進んでいず、お米の生産量も少なく、むかしはかぎられた人しかお米を口にできなかったせいもあって、お米はたいへんな貴重品だったわけで、雑穀を入れたり、季節の野菜をまぜたりして節約したのです。一説によると、ぞうすいなどは増水の意味から出て、いろいろな具を入れ、水を増やして節米したと言われます。そうすることによって思わぬ調和の味が生まれ、趣味の料理にまで発展するようになりました。
おかゆのなかでも、ごくうすいものを天井粥《てんじようがゆ》の名で呼びます。天井が写《うつ》るほど水気の多いもので、修行僧や貧家のおかゆは、この名で呼ばれたと聞きます。
おかゆでもぞうすいでも、粘り気を出さずにサラッと炊いたものがおいしく、そのためにはなべを選ぶことがたいせつで、水炊き用の土なべか、おかゆ炊き専用の行平《ゆきひら》なべがいちばんですが、ないときにはなるべく厚手のなべで炊くと、同じおかゆでも、味わいにおどろくほどのうま味が生まれます。全がゆ、七分がゆ、五分がゆ……などと、おかゆの濃度は米と水の割合によってさまざまですが、米は洗って一、二時間水に漬け、のちザルに上げ、厚手のなべに入れて、好みの量の水を加えて炊きます。
おかゆは炊き上げるのに、三〇分以上もかかるので、ついかき回したくなるものです。サラッと炊き上げるにはそっとしておくこと。気ぜわしくかきまぜると米粒がくだけ、焦げつきやすくなり、せっかくのおかゆが台なしになってしまいます。沸騰《ふつとう》したら火を弱め、コトコトと弱火《とろび》でじんわり気長に煮るのがおかゆ炊きのコツで、短気は絶対禁物です。ちりれんげで四、五粒すくい、指でつぶしてみて、まだ芯が少しあるなというところで、ごく弱火にして二、三分おき、完全に火を止めてまた二、三分むらします。おかゆは煮返すとまずくなるので、食べるころ合いを考えて炊き、塩か梅干し一個を落として味つけし、熱々《あつあつ》のうちに食べましょう。
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[#小見出し]  沖《おき》 の |※[#「魚+反」、unicode9b6c]《はまち》[#「沖《おき》 の |※《はまち》」はゴシック体]
あてにならぬことのたとえ。ハマチはアジ科ブリの幼名です。成長にしたがって名前の変わるいわゆる出世魚≠ナ、それぞれの名前も地方ごとにまちまちで、いろいろな名前をもった魚です。ご参考までに東京と関西の呼び名をあげてみましょう。(大きさを示す数字は大体で、単位はセンチメートル)◎東京地方――ワカシ・ワカナ・ワカナゴ(一〇―二〇)、イナダ(三〇―四〇)、ワラサ(五〇―六〇)、ブリ(八○以上)。◎関西――ツバス・ワカナ(一〇―一五)、ハマチ(二〇―四〇)、メジロ(五〇―六〇)、ブリ(八〇以上)。
東京では近年、天然のイナダと区別し、ハマチと言えば養殖ものをさすようになりました。
ブリは三、四月ごろ、本州の中部以南で産卵しますが、卵はまもなくかえり、稚魚は北に向かって進みます。そして、夏には一五センチほどになり、北海道の南部にまで達します。秋になり水温が下ると、また南の海へ帰って行きます。翌年の夏は、また北に向かい、こんどはカムチャツカ半島のあたりまで出かけて行きます。このように日本の海岸に沿ってブリが移動するのはおもにエサのせいですが、冬、南下してくる親ブリは寒ブリの名で呼ばれ、春の産卵に備えエサをたくさん食べているので、体調も整い、脂ものっているのでおいしく、喜ばれます。
寒ブリは一メートル以上のものがとくにおいしく、六、七〇センチのものは味がずっと落ちます。しかし、夏にはかえって小さなブリのほうがおいしくなります。産卵との関係で、産卵後のやせた親ブリよりも、卵をうまない小柄のブリのほうがまだしも味がよいからです。もちろん寒ブリにくらべたら、味はその比ではありません。この時季にはハマチも育ちざかりで、なまじの親ブリよりも、味はグンとおいしくなっています。
おもな漁獲法としては、沿岸近く泳いでくるときに、大謀網という大きな網で獲《と》りますが、ブリは神経過敏な魚なので、ちょっとした物音にも深く潜航しようとしますので、網を仕掛けたからといって、必ず獲れると限ったものではありません。まして、沖合いはるかに游泳するハマチは手にするまであてになりません。そんなことから、このような|たとえ《ヽヽヽ》も生まれました。
ブリの宝庫だった熊野灘《くまのなだ》の定置網も近年は減るいっぽうで、最近は網を張って待ち受ける「獲る漁業」から「育てる漁業」に変わり、ハマチも養殖されるようになりました。今では静岡以西などの各県で、ハマチの養殖がさかんになっていますが、東京市場あたりでは、「紀州ものは魚体がしまっている。水温が高く、養殖技術が進んでいるためか、モチがいい」と評価しています。
同じ魚なのに、育ちがちがうせいか、天然もののイナダはスマートな形をしていて、ハマチはズングリ型。栄養がよすぎて運動不足なので、ハマチはこんな体型になるのでしょう。一見して見分けがつきます。ハマチは夏の刺身として、赤身の魚よりクセがなく、白身の魚よりコクがあり、脂ののりぐあいもよく、キメも細かく、すしのタネには欠かせない魚です。
塩引きしたブリは、関西から九州にかけて正月の雑煮に入れるならわしがあります。
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[#小見出し]  鬼《おに》も十八|番茶《ばんちや》も出端《でばな》[#「鬼《おに》も十八|番茶《ばんちや》も出端《でばな》」はゴシック体]
その道の通《つう》に言わせると「番茶も出端」は古くは「山茶《さんちや》も出端」だったそうで、「山茶」はまた「散茶」とも書き、「散茶女郎」の略とのこと。散茶は吉原の遊女の一種で大夫《たゆう》・格子《こうし》・局《つぼね》の下の下級の遊女をさし、「風呂屋の茶汲女が吉原にはいったためこの名が起こり、散茶店は風呂屋造りだった」といわれます。このことわざの「山茶」が、「散茶女郎」のことなら、「散茶も出端」は、さしずめ散茶のような下級の遊女でも店に出はじめのころは、なんとか見られる――という意味になり、「鬼も十八」との組み合わせにもムリがなく、ナルホドとうなずかせます。
ところで「鬼も十八、番茶も出端」ですが、どんな器量のわるい娘でも、十八ぐらいになれば、どことなく娘らしい|なまめかしさ《ヽヽヽヽヽヽ》が出てきて見られるようになる。あまり上等とはいえない番茶でも、熱湯を注ぎ手早く煎《せん》じて熱いうちに飲めば、結構おいしいという意味で、ともども間合い(タイミング)を誤らなければ、それなりに楽しめるということです。
日本茶には抹茶《まつちや》(碾茶《ひきちや》)・玉露《ぎよくろ》・煎茶《せんちや》・番茶――といろいろありますが、空腹どきや油っ濃い料理を食べたあとには、なんといっても番茶がピッタリです。晩葉を用いるところから晩茶(番茶)という名が生まれたとも、また、一番の葉を摘み取ったあと、生えてくるのを待って二番茶、つぎにまたはえるのを待って三番茶……というぐあいに、順番に摘むので、この名が生まれたともいいます。いずれにしても、煎茶用の葉を摘み取ったあと、かたくなった古芽・古葉・枝などを摘んで原料としたお茶で、数ある日本茶のなかでは下級品に属します。
こうした番茶をおいしく入れるには、急須に少々多めと思えるくらい葉を入れ、沸騰《ふつとう》した湯を注ぎ、三〇秒ほどしてから茶碗に入れます。二煎めからは少し時間を長く(一分ぐらい)おいて、十分浸出させてのち、茶碗に入れます。「番茶も出端」といわれるくらいで、おいしいのは、やはり一煎めで、二煎、三煎ともなると、色ばかりで味はありません。いちどにたっぷりの湯を注ぎますので、番茶用の湯呑みは、おすし屋さんで使うような厚手の大ぶりの茶碗が合います。
よく出された番茶は、煎茶とはまたちがったほろ苦味で、くつろいだ気分をかもし出してくれます。近ごろは、お茶汲みの仕事がさげすまれ、心のこもらぬ場合が多く、おいしいお茶にめぐり会える機会はめったにありません。番茶ですら、心をこめるかこめないかで、ひき出されるお茶の味にも、ウンとちがいが出てきます。
急須《きゆうす》に適量のお茶の葉を入れ、入れた茶に見合う熱さのお湯を注ぎ、お茶碗にほどよい濃さに等分に入れ分け、急須に注《つ》ぎさしの湯をのこすことなく、すっかり分けきってちょうど――というお茶の入れ方のできる人が、はたして何人いるでしょう。心もとないかぎりです。何事によらず、細かな神経を行届かせる心づかいがなくなったせいでしょう。残念の極みです。
たててしたふ年も晩茶の昔哉 重頼
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[#小見出し]  嬶《かか》の顔《かお》は三|品《ぴん》[#「嬶《かか》の顔《かお》は三|品《ぴん》」はゴシック体]
一むかし前にもなりましょうか、今は亡きマリリン・モンロー主演の「七年目の浮気」という映画が、日本で公開されました。中年サラリーマンの哀感を喜劇風なタッチで描いた映画ですが、その中で妻子を避暑地に送った主人公が、重い足取りでわが家へ帰ってきます。いつもなら、足音を聞きつけて女房やこどもたちが玄関のドアをあけ、「お帰ンなさい」と笑顔で迎え、奥のほうからは、ほのかにおかずの匂いが流れてくるのに、きょうばかりは家の中は死んだようにシーンと黙りこくっていて、一種いいようのない侘《わび》しさが漂っています。「食べものの匂いもしない……」と、主人公は、思わずひとりごとを洩らします。
事実夕方、家路をたどる亭主族にとって、「今晩のおかずはなんだろう?」と、あれこれ想像をめぐらすのは楽しみの一つ。玄関をあけたとたんに、奥のほうから、温かい、うまそうな匂いが流れてくる。|あたふた《ヽヽヽヽ》と台所から割烹着姿のまま出てきて、「お疲れさま」と、にこやかに迎えてくれる女房の顔――それだけでも、ゆうにお料理三品の値打ちがあるというもの。なにはなくともゴキゲンな女房の顔を見ながらの食事は、料理屋料理にはない温かさと味わいがあります。その女房の顔がどんな風の吹きまわしか、ふくれっ面《つら》だったりしようものなら、たとえ食卓の上に、ところ狭しと料理が並べられていても、トンと食欲は湧きません。
料理が見た目の美しさや味つけのよさだけで満足できるものなら、無器用な手つきでできた家庭料理など、あまりありがたくないでしょうし、友だちの家でふるまわれる細君自慢の手料理なども、第一に恐れ入らざるを得ないでしょう。ところが私たちはこの無器用な手つきで、味もさほど上等とはいえない家庭料理に、料理屋の料理から求め得られないある一つの味を味わうことができるのです。
ズバリ、まごころの味です。季節の野菜のうま煮、煮えばなの|わかめ《ヽヽヽ》のみそ汁に、心からの親しみを感じ、味の上で多少劣る点があっても、なんの不安もなく食べられる気安さに、十分補われてあまりあることは、惣菜料理の背後にひそむ主婦のまごころの味に触れるからでしょう。
料理の味は、このように物の味と、おいしいものを暖かいうちに、早く食べさせてあげようというまごころの味が一つになって完成するもので、それだけにやりがいのある、またこれほどに女房の愛情を思わせるものは、料理以外に見当たりません。
家族そろって食卓をかこみ、「同じ釜の飯」を食べることからくる親愛感、よろこびも悲しみも、日常の食卓をとおして、お互いの心に触れ合う機会が多いものです。楽しい食事は、それだけに、わが家のしあわせにつながるといってもよいでしょう。ゆめゆめおろそかにはできません。
幕末の生活歌人|橘 曙覧《たちばなのあけみ》は「独楽吟」の中で、こんなうたを詠んでいます。
たのしみはまれに魚煮て児等皆が うましうましといひて食ふ時
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時
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[#小見出し]  鰹節《かつおぶし》にキャベツの葉《は》[#「鰹節《かつおぶし》にキャベツの葉《は》」はゴシック体]
私どもの幼時には、カツオ節を削る音と、擂《すり》鉢でみそを擂る音で暮らしの一日が始まりました。まだ夜も明けきらぬ台所の片隅で、カッカッカッと響くその音は、今でも鮮かに思い出されます。
このことわざは、カツオ節をキャベツの葉でつつむ――というのが正しく、こうしておくとカツオ節に適度のしめり気を与えるので、削りやすいのです。キャベツの葉は、毎日新しいものと取換え、削る部分にだけ巻きつけ、輪ゴムか洗濯バサミで止めておきます。
使い始めのとき、よく水やタワシでごしごし洗ったりする人がおりますが、いったんぬれたカツオ節は、時間が経つとともにカツオ独特の生臭い匂いを生じ、カツオ節特有の香味をそこないますので、絶対洗ってはなりません。乾いたふきんで拭《ふ》いてお使いください。
削り方について触れる前に、お手|許《もと》のカンナをよく見てください。赤くサビついたり、刃が鈍《にぶ》くなってはいませんか。よく削るためには、まず切れ味のよいカンナを用意することです。
削り方は、できるだけ薄く、長いめに、雁皮紙《がんぴし》のように削ります。削り始めるとき、亀節なら上身と下身を割って、背を上にして尾から頭へと削ります。しろうとにはカンナの刃を手前にして引くほうが、軽い抵抗があって削りよいようですが、本来はやはり、刃を向こうにして速度と力の調子をのみこみ、さっさっと押し削っていきます。
よくカツオ節の先を立てて削り、両端を尖らせている方がありますが、これでは粉になってしまいますので、なるべく平らに、先のほう(尾の部分)をいくぶん上げて、手のひらで押しながら目に沿って削ります。本節の削り方もこれに準じます。なお、削っているうちに、肉質の組織の方向が変わって逆目《さかめ》になるところがありますので、注意して、なるべく逆目にならぬように削ります。逆目になったカツオ節は、往々にして、汁を濁らせる恐れがあります。
よい吸物はカツオ節で出汁《だし》をとりますが、削りたてを使うようにしないと、よい味は出ません。入用以上のものは削り置いてはいけません。湯を煮立ててから削ったのとでは、味に格段の開きが出てきます。グラグラッと湯のたぎるところへサッと入れた瞬間、十分に出汁が出ています。それをいつまでも入れておいて、クタクタに煮るのではロクな出汁は出ず、かえって味をそこなうばかりです。いわゆる二番出汁というようなものにしてはいけません。また、出汁をとった残りのカツオ節を、未練がましく杓子の底で押ししぼる人がいますが、ムリにしぼると、せっかくの出汁にカツオ節のクセ味が出て、よい香りが台なしになってしまいます。削れないほど小さくなったカツオ節は、ぬかみその中へ入れるか、おでん(関東煮)の出汁に入れておくと、ムダなく生かせます。
カツオ節を保存するには、カビを落とさぬように罐に入れて密封し、夏は月一回、あとはふた月に一回ほど、天気のよい日に取り出し、かげ干しし、温かみが抜けてからしまっておきます。
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[#小見出し]  カマスの焼《や》き食《ぐ》い一|升飯《しようめし》[#「カマスの焼《や》き食《ぐ》い一|升飯《しようめし》」はゴシック体]
瀬戸内に面した広島県地方で言われる|ことわざ《ヽヽヽヽ》。カマスにかぎらずイワシもそう言います。土地っ子の話によれば、
「瀬戸内海の島々では、昼は男衆が沖へ漁に出るので、イワシやカマス網は留守居の年寄りや女こどもが引く。魚見櫓《うおみやぐら》で魚群が近寄るのを見つけると、太鼓が景気よくドンドンドンと鳴りひびく。いっせいに浜へ駆け出して行って、力を合わせて エンヤコラ、エンヤコラ網を引くと、駄賃に、両手に一杯ずつ獲《と》れた魚をくれ、それをおかずにしたり、干したりして保存する。日中に何回も太鼓が鳴るので、干したイワシやカマスは家では食べきれない。」
焼き食いというのは、砂浜にピチピチはねて砂まみれになったカマスを、砂だけ振い落として焼いて食うことだ。鮮度はいいし、味はよく、おまけにお腹がすいているので、ついつい一升飯を平らげてしまうそうです。
カマスは南日本産で、細長いからだと長大な頭、とがった吻《くち》をもっています。種類はダルマカマス、アオカマス、ヤマトカマス、アカカマスなどがありますが、このうち私たちの食卓にのぼるのは、アオカマスとアカカマスです。アカはアオにくらべて体形がずんぐりしていて、頭が小さく見えます。そのうえ、アオカマスより体色はいくぶん黄色味を帯び、特に尾ヒレは黄がかっています。一見しただけでは、しろうとにはアオ、アカの区別はつきません。土地によっては、カマスをアカ、アオに分けずに、アカを単にカマス、またはアブラカマスと呼び、アオをミズカマスと呼んでいます。これは外観からではなく、肉質や味の区分から名づけたもので、それぞれの特徴を的確に言い表わしています。
アオカマスは夏がしゅんで、一方のアカカマスは秋口から味が増し、冬がしゅんです。つまり、カマスのしゅんは二回ありますが、内容は異なります。このことはカマスを一つのものとして考えるより、アオとアカに区別して扱ったほうがよいことを示しています。食べくらべてみると、アカカマスのほうが格段とおいしく、ねだんもアカのほうがいくぶん高め。アオカマスは水っぽいため、生魚としての価値がアカに劣るばかりでなく、干魚としても劣ります。
アオにしてもアカにしても、カマスは元来水っぽい魚なので、生で食べるよりは一日干したものがおいしく、さらに時間が経つとうま味を増し、アジと同じように塩干魚とするのに、もっとも適した魚です。そのため、ほとんどが開き干しになっています。背開きにして内臓を除き、背骨をつけたまま清水でよく洗って汚物を流し、一八%ほどの食塩水で立塩にします。約二、三時間してから取り出し、ザルにならべて日に干します。干しカマスは東京あたりでは、高級干魚として賞味されていますが、関西ではそれほど人気がありません。
すっきりと黄白に干上がった一塩の干しカマスを、べっこう色になるくらいに焼いて食べると、この上ないうまさです。
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[#小見出し]  鴨《かも》が葱《ねぎ》を背負《しよ》って来《く》る[#「鴨《かも》が葱《ねぎ》を背負《しよ》って来《く》る」はゴシック体]
カモの肉にねぎまでついてくる、こんな首尾のよいことはない。すぐにカモなべが楽しめる――おあつらえ向きとはこのことでしょう。「カモねぎ」と略してもいいます。
人と人との和合に相性があるように、料理にも相性といえるものがあります。たけのこにわかめ、ひじきに油揚げ、ドジョウに新ごぼう、サンマに大根おろし、山芋に麦めし……、カモにねぎなども、まさに恰好の|であいもの《ヽヽヽヽヽ》で、取り合わせのよいものといえましょう。
俗に「カモにする」とか「いいカモ」などといいますが、前者は|だし《ヽヽ》に使われやすい好人物をさし、後者は勝負ごとなどで負かせそうな組みしやすい相手を意味します。こうした言い方も、もとを尋ねれば、人間がカモを獲《と》るところからきているのは、いうまでもありません。アメリカあたりでも、同じような言い方をするそうで、肉付きのよいでっぷりしたカモのからだつきを見れば、だれしもそんな感じを抱き、ムリもないとうなずきもしましょう。カモはまた俗語になるくらい、身近かに親しまれてきた鳥でもあったのでしょう。
カモはガンやツルと同じく渡り鳥で、北の国で子を育て、九月上旬から十一月ごろに群れをなして渡って来ます。千葉県浦安と埼玉県越谷にある宮内庁のカモ場には、毎年数万羽のカモが飛来します。そして、三月上旬から五月にかけて、再び北の国めざして帰って行きます。
カモはきわめて種類が多く、日本にやってくるものだけでも、マガモ、コガモ(アオクビともいう)、クロガモ、アイガモ、オシドリ……など、三〇種余りを数えることができます。こうした数あるカモのなかでも、代表格といわれるカモはマガモで、形も大きく、味もよいので、もっぱら食用に供されます。マガモを飼いならして家禽化したのがアヒルで、いつのころからか推定するのは困難ですが、おそらくは有史以前でしょう。
野鳥の肉は鶏肉にくらべると、一種のクセ味をもっていて、このクセ味がまた野鳥の風味でもあります。野鳥の猟季はだいたい冬で、これは、味とも密接な関係があり、冬場、皮下にたくわえられる脂肪によって、味がのるわけです。カモもこの例外ではなく、脂がのっておいしいのは十一月から三月にかけてで、寒中がしゅんです。カモの肉は赤味を帯びていて、肉はやわらかく野鳥肉の中では、ずば抜けた美味を誇っています。こうしたカモ肉に、やわらかく甘味のある冬ねぎを配して、野鳥肉特有の臭味やクセ味を中和させ、相乗的なうまさを引出した先人の味覚はさすがで、日本人の味覚センスのよさを証するものといえましょう。それにしても、カモ料理のねぎは、なんと相性のよい|であいもの《ヽヽヽヽヽ》でしょう。
むかしから「カモの長浜」といわれ、琵琶湖北岸にはカモが多く棲み、長浜・堅田あたりから舟を漕ぎ出し、雪景色を眺めながら、熱燗でちびりちびりカモなべをつつくおもむきは、けだし味覚風流の極致と申せましょう。
さざなみの志賀の夜酒はあぐらゐて 堅田の鴨を煮つつ酌むべし
[#地付き]吉井勇
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[#小見出し]  芥子《からし》は気短《きみじ》か者《もの》に掻《か》かせろ[#「芥子《からし》は気短《きみじ》か者《もの》に掻《か》かせろ」はゴシック体]
からしはぐずぐずかいていたのでは、せっかくの辛味がとんでしまう、せっかちに一気にかいたほうが、からしの本領がよく発揮される――ということ。
からしが辛いのは、アリルカラシ油という成分をふくんでいるせいで、粉のとき辛くないのは、このカラシ油が配糖体というかたちになっているからです。
からしは大別すると、洋がらしと和がらしの二種に分類されますが、原料はいずれもアブラナ科の植物、からし菜の実を粉末にしたもので、ただ製法にちがいがあるだけです。
洋がらしは、からし菜のタネを乾かして、圧搾脱脂《あつさくだつし》して粉末にしたもので、|あく《ヽヽ》がなく、なまぬるの湯か水でかけば、そのままで辛味が出ます。一方、和がらしは、からし菜のタネを乾かさずに粉にしたもので、脱脂していないので|あく《ヽヽ》が強く、苦味があります。使うときには、この苦味を除去しないと、せっかくの辛味がそこなわれます。和がらしは、このように、|あく《ヽヽ》抜きの手間はかかりますが、辛味としての味わいは、洋がらしに数等まさります。
からしの辛味は、いったい、どのようにして生まれるでしょう。からし粉にぬるま湯(四〇度C内外)を加えてかきまぜますと、からし粉にふくまれている加水分解酵素(ミロシン)が働いて、揮発性のアリルカラシ油が遊離してきて、からし特有の香りと辛味が出てきます。それだけに、細胞をこわして、配糖体とこれを分離する酵素とを十分に触れ合わせて、カラシ油を遊離させるためには、ことわざに示されるように、|のろのろ《ヽヽヽヽ》かくより、手早くかくほうが、効果的なのです。
ところで肝心の和がらしのかき方ですが、まずからし粉を湯呑のような深い器に入れ、四〇度C内外のぬるま湯を加えて、ほどよいやわらかさに、ねっとりとかきます。この際、二、三滴の酒、または酢を加えますと、比較的長く保存できます。そうしてから、器にじょうぶな生紙《きがみ》をのせて湯を注ぎ、真赤におきた炭火(または赤くおこった焼火箸)を湯の中に入れ、ジュージューと、二、三回音がしたら、その湯を捨てて器ごと伏せておきます。二〇分ほどしたら、上に貼った生紙を取り除き、思いきり早く、強くかきまぜます。
もう一つの方法は、和がらしをぬるま湯でほどよいやわらかさにかいたら、前と同じように生紙を貼り、その上に荒塩(並塩でもよい)を入れて、五、六時間そのままにしておいてのち、生紙を取り、手早くかきまぜます。
こうしたものをかきがらし、またはねりがらし、ときがらしなどと言います。
からしは利用範囲がきわめて広く、菜類のからしあえ、または、からしみそのほか、からし酢みそや、冷奴、そば、うどんなどに使う水がらし、おでんやサンドイッチに欠かせぬ練りがらし、からしじょうゆやからしソースは、中国料理や西洋料理には欠かせぬものだし、また、みそ椀の吸い口に用いてもおいしい。吸い口用には、ときがらしをみそ汁の上澄み液で伸ばし、たらーっと流れるほどにします。秋なすのからし漬けも捨てがたい美味です。
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[#小見出し]  雁《がん》を食《く》うとも時《とき》を食《く》え[#「雁《がん》を食《く》うとも時《とき》を食《く》え」はゴシック体]
いかにうまいといわれるガンの肉でも、やはり、季節はずれのものはまずく、どうせ食べるなら、脂ののったしゅんのものを食べろ――という意。
このことわざは、主に茨城県地方で言われてきたものですが、『万葉集』巻の第二十に、この地方の出身者(信太《しだ》の郡―今の稲敷郡)、物部道足《もののべみちたり》の歌がのっております。
常陸さし行かむ雁もが我が恋を 記して附けて妹に知らせむ
むかしから茨城県地方は、北の国を目ざして帰るガンの道すじだったのでしょう。
ガンは夏、シベリア地方で過ごし、そこでヒナを育て、九月ごろ、日本に渡って来ます。そして、若草|萌《も》える春三月ごろになると、また再び北の国をさして帰って行きます。
日本に渡来するのは、真雁《まがん》・菱喰《ひしくい》(菱の実を好んで食べるところからこの名がついた)など、ごく少数で、広い湖や沼、または海面、ときには田に下りて休息します。そのとき、必ず一羽か二羽見張りをして、害敵の来襲に備えます。
番雁の面に風吹く蘆間かな 白雄
昼間はおもに静かな水上に休息していて、夕方になるとエサをあさりに出かけ、夜明けごろ元の場所へ帰って来ます。この朝夕の移動するときに、猟師に網や鉄砲でやられるわけです。近ごろは乱獲がたたって、ほとんど稀《まれ》にしかガンの姿を見かけることができず、雁行の美しさは広重の風景版画などで、わずかにその面影をしのぶしかありません。
むかしはツルに次ぐ貴重なものとして手厚い保護を受けたらしく、食用はごく一部の階級にかぎられ、一般にはゆきわたりませんでした。『料理物語』という古書には、「汁、ゆで鳥、煎《いり》鳥、かはいり、生かは、さしみ、なます、くしやき、せんば、さかびて、其外々」と、ガンの料理法が記されています。食用鳥としては、とくに味わいがすぐれ、自然の風味ではカモよりも微妙な点でまさっていると、尊ばれました。
しゅんはカモと同じく寒い季節の十一月から三月にかけてで、この時季には皮下にたっぷり脂肪が貯えられ、肉もやわらかく、鳥肉中随一のうまさです。こうしたガンも獲れたてよりいくぶん時間が経ったものがおいしく、このことわざも厳密にいえば、肉の熟成(死後硬直がすぎ、肉が次第にやわらかくなって風味を増してくる現象)を待って食べろということかも知れません。
概して魚でも鳥でも大形のものは、一定時間経過したほうがおいしく、小さいもの、魚でいえば、イワシとかアジとか、鳥ならツグミとかウズラ・スズメとかいうものは獲れたて、または締めたてでなくてはおいしくありません。大きいもの、魚ではブリとかマグロ、鳥ではカモとかキジの類は、海、山から得て半日、あるいは四、五日経過したときのほうが、かえって味がよい。ご参考までに、肉の熟成期間を種類別にあげますと、だいたい、鶏肉は五〜八時間、兎肉は四日、豚肉は七日、馬肉は七日、乳牛肉は十三日、和牛肉は十五日です。
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[#小見出し]  寒鰤《かんぶり》・寒鯔《かんぼら》・寒鰈《かんがれい》[#「寒鰤《かんぶり》・寒鯔《かんぼら》・寒鰈《かんがれい》」はゴシック体]
野菜・くだもの・魚介類をはじめ、鳥獣肉にしても、それぞれ出さかりの季節があります。これがいわゆる「しゅん」といわれるもので、漢字で書くと「旬」。このことばは、中古、宮中で行なわれた年中行事の一つ「旬」に由来すると言われます。もとは「旬宴《しゆんえん》」といわれたもので、いつしか略して旬と呼ぶようになりました。毎月の朔日《ついたち》に行なわれ、のちには孟夏の旬(四月一日)と孟冬の旬(十月一日)の二度になり、合わせて二孟の旬と呼びました。
この日、天皇は紫宸殿《ししんでん》にお出ましになり、臣下に酒宴を賜わって、政(まつりごと)をきかれる儀式で、孟夏の旬には扇、孟冬の旬には氷魚《ひお》(アユの稚魚)を賜わるのがならわしだったと聞きます。それから転じて、魚介類などのおいしい出さかりの時季を、「しゅん」と言うようになりました。
野菜・くだもの・魚介類のうちでも、しゅんをいちばんやかましく言うのは魚です。遠いむかし仏教が伝来して、獣肉を食用に供することを忌《い》んだのと、四面海に囲まれ、海産物が豊富に獲《と》れるという地理的条件などから、日本料理が魚を主体として発達したせいでしょう。
魚は総じて卵を産む一〜二か月前がおいしい時季で、脂ののりぐあいもよく、産卵に備えて盛んにエサを食べ、体調も整っているので、おあつらえ向きの食べごろとなります。
しかし、南洋や北洋のように、水温が暖かいか冷たいか、または深海のように水温が比較的変化しないところで獲れる魚は、たいがい淡白か、あるいは大味で、食べごろのしゅんというものがありません。それにくらべ、四季寒暖の差のきわだっている日本の近海魚には、はっきりしたしゅんがあります。サバ・ブリ・サンマ・イワシ・カツオなどの回遊魚のしゅんもののうまさの格別なことは、すでにご承知のとおりです。
魚類学者の説によりますと、魚の体内にたくわえられる脂肪には二種類あって、一方は魚の栄養状態に関係なくいつも一定の量だけたくわえられている組織脂肪。片方は栄養状態によって増えたり減ったりする貯蔵脂肪。しゅんと大いに関係のある脂肪ののりぐあいは、もっぱらこの貯蔵脂肪の状態をさして言うのだそうです。
寒さがつのり、春の産卵期が近づくにつれ、しゅんものの魚が、いろいろと出回るようになります。その代表的な魚が、寒ブリ・寒ボラ・寒ガレイというわけです。このほか「寒鮒《かんぶな》・寒鯔《かんぼら》・寒鱸《かんすずき》」などと称して、フナ・スズキも、寒のうち、ことのほか賞味されます。
ブリは初秋のころ、北日本でたくさん獲れますが、その味は冬、本州中部以南で獲れる寒ブリ(親ブリ)にはとうてい及びません。ボラ・カレイにしても、冬期、しゅんのものが多く、数あるカレイの中でも、イシガレイ・ナメタガレイ・マガレイ・ソウハチガレイなどは、いずれも寒気がきびしくなると、おいしさを増すカレイです。
寒鰤や稀れに積りし山の雪 春響
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[#小見出し]  京《きよう》のお茶漬《ちやづけ》[#「京《きよう》のお茶漬《ちやづけ》」はゴシック体]
京の人は根は|しわい《ヽヽヽ》が、口先だけは世辞がよい――と、そしることば。客が来て、帰りかけようとすると、「何もないけど、お茶漬けでも……」と、お愛想を言って引き止めはするが、実際には、ごちそうする気など全然ない。「なんなら茶漬」「京のいにしなの茶漬挨拶」などということわざも、同じ意味のことわざ。こうしたことは、何も京にかぎったことではなく、繁昌の地ならどこでも行なわれたことだったらしく、「浜松茶漬」「有馬の茶漬」「鞆《とも》のお茶漬」「福山の門鑵子《かどがんす》」「大道湯漬」(陸前)などと、枚挙にいとまのないほどです。
京の人たちには、なんでもない客あしらいの一つで、言うほうも、また言われるほうも、そのつもりで言い流し、聞き流してすませる社交辞令なのに、生まじめな田舎の人たちはこのことばを真に受け、仕方なく話し込んでいるが、いつになっても昼ごはんの気振りも見えない――そんな苦い体験を何度か重ね、京の人たちの言うことは口先だけで当てにならない、京の人たちの言う世辞は、額面通り受け取ってはならない――という意に使われるようになりました。
「朝|粥《がゆ》昼とび夕雑炊」ということわざも、京の人たちをはじめ、関西人の食事のつつましさを皮肉ることばですが、事実、つい先ごろまで、朝がゆや茶漬けは、奈良の農家や京の町家の日常食でした。幕末のころ、京に遊んだ石川明徳は、京の人たちの飲食のつつましさを、次のように書き残しています。
「洛中おほむね朝は宵の飯、茶にて粥を炊き香の物ばかり、昼は飯を炊き菜の物と一品拵ひ、夕は又茶漬にて香の物ばかり。味噌汁は月に二三度位。右は粥を食すれば米に過半し益あり。且つ商人の力業致さずば身のこなしによし。又飯を昼炊けば、朝に違い暖なる事故、薪によほどの益あり。菜なければ食事の沢山すすまず、併せて食事晩致す時は香の物ばかりにてうまく食す。」
京の町の人たちのつつましい食事も、言ってみれば生活の知恵ということができます。
かゆや茶漬けなどというと、粗飯のように考えられがちですが、これにもピンからキリまであり、洛東、南禅寺のほとりにある料亭で夏にかぎって食べさせる朝がゆなどは、一流レストランのフルコースにまさるともおとらぬほどかかる|こった《ヽヽヽ》ものです。
家庭用の茶漬けには、ごま塩、焼きのり、塩こぶ、みそ漬け、つくだ煮、干ダラ、塩ザケ、たくあんなど、なんでもあり合わせの材料で、飯も冷温いずれでも結構ですが、茶だけは熱湯にかぎり、生鮮魚菜、たとえばマグロ・タイ(刺身)、車エビ(天ぷら)、ウナギ(蒲焼き)、ハモ・アナゴ(焼きもの)、ちょっとぜいたくして、京のゴリ(つくだ煮)茶漬けなどは、熱めしの上にわさび、つけじょうゆを加え、酒とごま塩とで好みに調味したところへ、熱湯か番茶をそそぎ、しばらくふたをして、魚肉などが霜降り状に白く|ほとびれる《ヽヽヽヽヽ》ころ合いを食べかげんとして召し上がれば、この上ないうまさに、感極まること請合《うけあい》です。志のある方は、京都に行かれた折にでも、料理屋に命じてゴリをしょうゆで煮つめさせ、一つゴリ茶漬けを試みられてはいかが……。
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[#小見出し]  食《く》うてすぐ寝《ね》ると牛《うし》になる[#「食《く》うてすぐ寝《ね》ると牛《うし》になる」はゴシック体]
「腹の皮が張れば目の皮がたるむ」といわれるように、食べものが胃腸にはいり、満腹の状態になると、消化のため血液が動員されるので、頭のほうがお留守になり、眠くなってきます。おとなはなんとか自制することはできても、子どもは眠たいままに横になりがち。このことわざは健康上の問題より、子どものしつけに重点を置いたもののようです。
牛はごろりと横になって休むのが好きで、そのとき、いちど食べたものをまた口に戻して噛み直します。その様子は、まるで寝ながら食べているか、あるいは食べたあとすぐ寝るように見えます。そのようなことから「食うてすぐ寝ると牛になる」と、いわれるようになったのでしょう。人間が牛になる――というようなことは、現代っ子には、もはや通じない非科学的なことですが、そのむかしは、牛が今よりももっと子どもたちには身近な存在だったし、人智もそれほど発達していなかったので、結構戒めにもなり得たのでしょう。
現代医学では、牛のように、食後しばらく横になることは健康によいとさえ言われています。もっともむかしだって、こうしたことの効用を全然認めていなかったわけではなく、「食後の一睡|万病円《まんびようえん》」とか「親が死んでも食休み」とかいって、むしろ、食後の休息を積極的に認めていたフシすらあります。
それだけに、食べてすぐ風呂にはいったり、激しい労働をしては、からだのためによくありません。西洋人はこの点を深く考え、食後の休養時間をたっぷりとり、国によっては、昼休みが正午から三時、四時にまで及ぶところもあり、お国柄とは言え、海外旅行をする日本人をしばしば唖然とさせます。
食後に休む場合、行儀のことを抜きにして、消化の点だけからいえば、最低三〇分間ぐらいは静かに横になっているほうがよいのです。さらに休むときの姿勢を言えば、右腹を下にして休んだほうが消化のためには効果的です。
人間の胃袋は、お腹《なか》の中では左上から右下にかけて、ちょうど日本本土のように斜めに位置しています。それが坐っているときは、お腹の壁が張って、肺や心臓が消化器を上から圧《お》していますが、右腹を下にして休むと、それがなくなり、お腹の中がひろくなり、しかも食べものの流れに逆《さか》らわないため、胃腸が働きやすくなり、消化作用を助けることになります。また、消化液の分泌も横になったときにもっとも多く出るので、消化作用はいっそう促進されます。ですから、胃腸の弱い人には、食後に休むことは一種の治療法ともなるわけです。
そうかといって、満腹の状態で横になって眠ってしまってはいけません。眠っている間は、すべての内臓の働きがにぶり、胃腸の働きも不活発になるからです。食べものが胃で消化されるには、だいたい四、五時間はかかります。むかしから、夜食はほどほどにし、寝る前、三、四時間は、食べものを控えたほうがからだのためにはよいといわれてきたのもそのせいです。
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[#小見出し]  九|月納豆《がつなつとう》はなによりありがたい[#「九|月納豆《がつなつとう》はなによりありがたい」はゴシック体]
納豆は大豆で作られた栄養価の高い食品で涼気を覚える新秋のころとなると、味わいがいっそうよくなります。むかしから日本にあるインスタント食品(?)の中でも、こんなに安く滋養に富む食べものはほかになく、共稼ぎのサラリーマン夫婦や農繁期の農家の人たちにとっては、料理の手間が省けるので、なによりもありがたい食べものと言えます。
一説によれば、そのむかし、「豆腐《とうふ》」といわれたものが現在の「納豆《なつとう》」で、また「納豆」と呼ばれていたものが、現在の「豆腐」だといわれます。作り方から見ても確かに今の名前はおかしく、いつの間にか名前が入れ変わってしまったようです。つまり、「煮た大豆を稲わらに包んでおくと、納豆菌の働きにより一種の腐るという現象がおこる。豆が腐るので豆腐である。また、豆を煮た汁にニガリを入れると汁は再び固形化する。すなわち、豆が再び納まるとも見られ、これが納豆である」――こう考えるほうが理屈に合っています。
上方でいう納豆、浜納豆、大徳寺納豆など、一名「塩辛納豆《しおからなつとう》」と呼ばれるものは、江戸っ子の好む納豆、「糸引《いとひ》き納豆《なつとう》」とは製法や味が全然ちがいます。塩辛のほうは、同じ納豆とは言え、大豆を煮て、二、三日こうじをかけて寝かせてから、塩水につけておき、それを乾かしたもので、色は黒っぽく、保《も》ちのよいのが特徴です。一方、糸引きのほうは、大豆を煮て、それに納豆菌をまぶし、これを四〇度Cから五〇度Cの室に一五時間ぐらい入れて、菌を十分に繁殖させたものです。
朝、口のまずいとき、卵の黄身だけを入れ、強いからしといっしょによくかき回し、しょうゆを滴《た》らして温かいごはんにかけると、なんとも言えずおいしいものです。好みによっては、ねぎを細かく刻んで入れたり、|青のり《ヽヽヽ》をふり混ぜたり、大根おろしを混ぜるとまた格別です。
納豆のよいものは、表面が粉を吹いたように白く、豆粒が互いに密着して、全体がある程度|塊《かたまり》になっており、箸で練って引き伸ばすと、粘り気の濃い糸をよく引くもの。どちらかといえば、小粒のほうが味はよいようです。大豆の煮豆そのままでは、他の煮豆とちがって消化のあまりよいものではありませんが、納豆菌を繁殖させると、菌の働きによって大豆の成分が分解され、納豆それ自体の消化がよいのはもちろん、納豆を食べることによって、他の食べものの消化を助け、栄養分も十分に発揮されるようになります。
むかしから「タバコ飲みにみそ汁」という言い伝えがありますが、納豆にもビタミンB2が豊富にふくまれていますから、肝臓の解毒機能《げどくきのう》をよくし、タバコや酒の害から身を守る働きをしてくれます。
近ごろは|わらづと《ヽヽヽヽ》にはいった納豆は、非衛生というので、しだいに姿を消し、経木《きようぎ》やポリ袋入りの納豆が増えてきました。なるほど、このほうが衛生的にはちがいないでしょうが、これだとどうも、むかしなつかしい納豆の香りがなくなったように感じられてなりません。
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[#小見出し]  腐《くさ》っても鯛《たい》[#「腐《くさ》っても鯛《たい》」はゴシック体]
タイはふだん水深三〇〜一五〇メートルの海底に近い岩礁《がんしよう》地帯に棲み、強い水圧をうけるせいか、肉細胞の外膜《さや》がたいへん頑丈《がんじよう》にできていて、少々の細菌が取りついても、なかなか腐りません。イワシやサンマのように海の上層を回遊する魚とちがい、肉質中に水分が少ないため、腐敗菌が繁殖しにくく、一部が侵されても、水漬けして水を根気よく何度も取り換え、手間を惜しまず洗ってやると、刺身やお吸いものにはムリでも、塩を強くした焼きものや、ウンと味の濃い煮もの、タイ|でんぶ《ヽヽヽ》などにしたら、なんとか使いものになります。姿・形・色の品格のよさもさることながら、こうした実益もあって「腐っても鯛」と尊ばれたのでしょう。
タイは種類が多く、世界中では百数十種にものぼるといわれますが、その中で日本人がとりわけ好きなのはマダイ。美しい桜色とりっぱな姿で、まさに海魚の王様にふさわしい品位を備えています。東京あたりでは本ダイとも言い、体長五〇センチを越すものもいるので、大ダイの名でも呼ばれます。タイという名前が「めでたい」の「たい」に通ずるところから、祝儀用には必ず用いられ、正月には欠かすことのできない魚です。
冬の寒い最中《さなか》は外洋の深海に棲み、三月末から四月中旬にかけて産卵のため紀淡海峡、鳴門海峡を潜って、大阪湾や瀬戸内海沿岸に近寄ってきます。このころのタイはサクラダイの名で呼ばれ、もっともおいしく、四国および岡山地方の名物、「タイの浜焼き」も、この時季のものが上等です。五月末から六月にかけて産卵をすませ、外海へ出るころはやせて味もグンと落ち「クサレダイ」「オチダイ」とさげすまれ、徳島あたりでは「ムギワラダイ」と呼んで軽蔑《けいべつ》します。季節がちょうど麦秋のころにあたるからでしょう。
タイは日本でこそ海魚の王様とあがめられていますが、フランスでは「貪欲《どんよく》な下魚」、イギリスでは「ユダヤ人の食う魚」と卑《いやし》められています。それというのも、品のよさに似合わず食い意地が張っていて、徹底した肉食主義者だからです。エビ、カイ、タコ、イカナゴ……と、そのエサは三〇数種に及ぶと聞きます。『古事記』に登場するタイもご多分にもれず、山幸彦《やまさちひこ》の垂れた釣針を|もろ《ヽヽ》に呑み込み、のどにつかえて大苦しみする羽目に陥っています。
俗にマダイは目の下一尺がうまい――といわれ、二キロ前後のものがもっともおいしく、値段もいちばん高い。内臓以外、ほとんど捨てるところがなく、頭一つでも、潮汁《うしお》、かぶと蒸し、ちりなべ、かぶと焼きなどの料理があり、胸ビレ、背ビレ、尾ビレと装束《しようぞく》が美しいので、盛りつけがいがあり、いろいろに使われます。タイ料理の名物としては、土佐の皿鉢《さわち》、伊予の骨蒸《こつむ》し、島原のかぶと蒸し、岡山の浜焼き、加賀の祝事用のタイの唐蒸し、大阪のタイの頭の山椒焼き、福井|小浜《おばま》の一塩焼きなどが有名です。
タイの骨で傷をつけたら治りが遅い――といわれるほど骨は固く、召し上がるときは、くれぐれも骨に注意してください。
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[#小見出し]  薬屋《くすりや》に回《まわ》すお金《かね》を肉屋《にくや》に回《まわ》せ[#「薬屋《くすりや》に回《まわ》すお金《かね》を肉屋《にくや》に回《まわ》せ」はゴシック体]
病気になってから、医者よ薬よと騒ぐのはつまらない。それでも治らないよりは|まし《ヽヽ》ですが、はじめから病気にならなければそれに越したことはありません。ふだん、健康なときから食べものに気をつけ、正しく摂《と》っていれば、たとえ病気にかかったときでも、治りが早いことは、お医者さんの研究結果で明らかになっています。このことわざは文字通り、薬屋に回すお金があったら、肉屋に回せ――と、ふだんの食養生のたいせつさを強調しています。主婦は一家の大蔵大臣兼厚生大臣なのですから、ご家族みんなが健康な日々を送れるよう、諸経費の支出と配分を誤らぬ心がけがほしいものです。
さて、ここでは肉屋さんに回すお金を有効に生かすため、「肉の上手な買い方」について触れてみましょう。ふつう肉屋さんの値段の表示は二通りに分けられます。極上、上、中、並、コマ切れ……のような等級別に分けている店と、水炊き用、すき焼き用、カレー用、ポークソテー用、カツ用、シチュー用と料理の用途別に整形して売っている店とです。店の置かれた立地条件、お客さんの好みなどによって、どちらか売りやすい方法を選んでいるようです。整形して売る店は、最近の人手不足から、これをカバーするために、ますます増えつつあります。
整形肉はお勤め帰りのサラリーマンなどには、待たずに買えるので確かに便利ですが、果たしてどこの部分の肉が使われているか、消費者にとっては甚だ不明確です。中にはこの|あいまい《ヽヽヽヽ》なところを利用して、上肉の中に当然中肉であるべき肉を混ぜたり、古い売れ残り肉を入れたりする肉屋もあるようです。こうして整形肉の品質のバラつきは半ば当然のようになっています。ところで、極上、上、中、並の等級は何を基準に行なわれているのでしょう? ブタ肉を例にとれば、肉屋さんの仕入れは通常骨つきの「枝肉」という状態で卸し業者から買い取り、枝肉から骨と脂肪を取除き、肉の分解に取りかかるわけですが、枝肉の取引き段階にすでに「上・中・並・等外」の四つの格付けがあり、これは消費者には知られていません。
「極上」は枝肉規格で上と格づけされた肉のロースとヒレの二か所だけ。肩ロース、内モモ、ラン、シンタマは「上肉」の部。ソトモモ、シャクシは「中肉」。バラは「並肉」とふり分けるのが常識とされています。そこで上手な買い方は、上、中、並のねだんに頼らず、肉のどの部分の肉かを確かめること。できれば「ロース」「バラ」と部位買いをなさることです。ご参考までに料理に適した部位を示すと、
◎ロース[#「ロース」はゴシック体]――カツ、ソテー、ポークロースト。◎肩ロース[#「肩ロース」はゴシック体]――焼きブタ、煮込み、ソテー。◎モモ[#「モモ」はゴシック体]――シチュー、カレー、カツ、上等ひき肉、八宝菜など。◎ヒレ[#「ヒレ」はゴシック体]――カツ、ステーキ、ロースト、ポークチャップなどに。◎バラ[#「バラ」はゴシック体]――シチュー、酢ブタ、カレー、ブタ汁などに。
いずれにしろ、よくはやっている良心的な店を選び、料理の目的に合ったものを店員に聞いて、必要量だけ目の前で切ってもらうようにしましょう。
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[#小見出し]  薬《くすり》より養生《ようじよう》[#「薬《くすり》より養生《ようじよう》」はゴシック体]
薬というものは、たいていの場合、直接または間接にその人に備わっている「生きる力」や「回復能力」(病気を治す働き)を助けるだけのことで、その働きが盛んにならなければ、病いは治りません。その働きは、人が何を食べているかによって(そのために、人のからだがアルカリ性になっているか、酸性になっているか、ビタミンが充実しているか、老廃物や刺激物がたまっているか、いないかというようなことによって)、非常にちがってきます。なぜなら、人のからだは細胞からできており、その細胞は食べものからできているからです。周知のように食べもののないところに、生命のいとなみはありません。
「薬より養生」ということわざは、この間の消息をズバリ指摘したもので、病気になってからそれ医者よ薬よ、と騒ぐのは的はずれ。前の項で触れたように、はじめから病気にならなければそれに越したことはありません。事実、ふだん健康なときから食べものを規則正しく、しかも、からだに必要なものを十分|摂《と》っていれば、たとえ病気になっても治りが早いことは、今日、医学の常識にすらなっています。(伝染病にかかる率は、ビタミンやカルシウムが十分だと、約二〇分の一に減少するという研究結果もでているくらいです)
中国古代に書かれ、漢方薬の聖書ともいうべき古典に『神農本草経《しんのうほんそうきよう》』という本があります。この本によりますと、薬には上・中・下の別があり、「上薬は命を養い、中薬は性を養い、下薬は病を治す」と、記されています。
現代語に訳せば、さしずめ上薬は五穀をはじめ、日常口にする食べもの。中薬は保健薬、ビタミン剤をはじめ、各種の栄養剤。下薬は病気の際用いる治療薬ということになりましょう。
「上薬はたくさん服用したり長く服用しても人を傷つけることはないが、中薬は人によっては毒にもなるので、服用するときはよく注意し、下薬は副作用がはげしいので、長くこれを服用してはならぬ」――と但書《ただしがき》がついています。
こうした薬についての評価も、今日では至極当たり前のことで、取るに足らぬことのように思われがちですが、よくよく玩味しますと、薬亡者の現代人に対する痛烈な批判になっていますし、また鋭い文明批評にもなっています。自然とともに歩み、からだと薬の効用、薬の害毒というものを、よく理解していた古代人の偉さに、いまさらながら頭の下がる思いがします。
胃カイヨウが気になるなら、酒はほどほどにし、あまり熱い食べものを口に入れず、コーヒーなども多量に飲むことを控え、睡眠薬や胃腸薬の連用を避け、根菜類の大根やにんじん、はす、ごぼう、ねぎなど、新鮮なものをできるだけ召し上がるようにして、日常の食生活を組み替えるようになされば、そのほうが、よほど人間らしい生き方だと思います。
薬より食養生――なにはともあれ、命を養う上薬、食べものに気を配り、取り合わせよく召し上がり、健康なからだを保つよう心がけましょう。
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[#小見出し]  食《く》わず嫌《ぎら》い[#「食《く》わず嫌《ぎら》い」はゴシック体]
食べてもみないで、いやと決めてしまうこと。すべて物事を試みないで、むやみに嫌うこと。子どもの偏食なども、多分に食わず嫌いの傾向があります。食べものや周囲の環境は、子どもの性格形成の重要なポイントになるものですから、おかあさま方の細かい配慮と、賢明な導きがたいせつです。特に育ちざかりの子を持つ親にとって、悩みのタネは食べものです。食べすぎたといってはオロオロし、食欲がないのがどうも心配と、気の安まるときがありません。
食べるわりに体重が標準以上出ないときは、寄生虫の疑いがありますので、検便を忘れませんように……。異常に大食いの子はひとりっ子に多いと知合いの小児科医に聞いたことがありますが、団地ぐらしで周《まわ》りと交際がなく、友だちと遊ばない子どもなどにもこの傾向があり、親と遊んでもつまらないから、絶えず口を動かしていないと物さびしい――ということになるのだそうで、子どものノイローゼのあらわれとのこと。つとめて外で遊ばせるようにしないと大食いも治らないし、偏《かたよ》った性格にもなります。
同じ兄弟なのに、兄のほうはヤセッポチ、弟のほうは発育が標準以上という五つと三つになる子をもった親を身近に知っていますが、おかあさんが食べもののせいにするのはいいとして、五歳から七歳くらいまでは第一伸長期といって、特に身長の増加がいちじるしく、体重はそのわりに増えません。この時期は概して食欲がなく外形がスンナリと見えるのが特徴です。
また、食事どきには全然ごはんを食べないのに、おやつのときはお菓子をペロリと平らげるといったぐあいに、食べ方にムラのある子がいますが、これなど、おかあさんの子どもに対する態度に問題があるようです。なんとか子どもに食べさせようと思って、つい子どもにおもねり、子ども中心の食生活になりがち。まさに「親《おや》の甘茶《あまちや》が毒《どく》になる」よい例で、食欲は子どもの最も基本的な生理要求なのですから、おかあさんはもう少しご自分の献立に自信をもって、食べるほうは子どもに任せるほうが賢明です。
子どもにおもねってばかりいますと、子どもはいつしか、太陽が自分の上にばかり照っている――というふうな自己中心的な性格になり、わがままな主張ばかりするようになります。親は子どもの教育者であるという自信と自覚をもって、子どもを導くことが必要です。
偏食を治すには、強制やおだてや叱《しか》るばかりが能ではありません。食べないからといって、むやみに叱ってばかりいると、どうしても反抗的になりがちで、ひねくれた子に育ちます。ある程度、食べ方は子どもに任せ、親のほうは食卓の雰囲気を明るくし、食欲を起させるようなムード作りを考えましょう。おかあさんのしかめっ面は第一の障害となります。子どもにとっておかあさんの一挙手一投足は、父親のそれ以上に関心の的《まと》です。理屈《りくつ》や叱言《こごと》で矯正しようとするよりは笑顔のほうが効果的です。
おかあさん、くれぐれも笑顔を忘れないでください。
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[#小見出し]  葷酒山門《くんしゆさんもん》に入《い》るを許《ゆる》さず[#「葷酒山門《くんしゆさんもん》に入《い》るを許《ゆる》さず」はゴシック体]
禅寺の山門わきの戒壇石に刻み込まれている標語で、葷と酒は清浄な寺内に持ち込んではならぬということ。
仏教では葷菜、つまりくさい野菜、にんにく、にら、ねぎ、らっきょう、のびるなどは精分が強くて、精がつきすぎ、ボンノウを起こさせる不浄なものとして、浄念を乱《みだ》す般若湯ともども、寺内に持ち込むことを厳しく禁じました。このように、仰々しく戒壇石に刻みつけてあるところを見ると、多分、僧侶の間では違反者が続出したのでしょう。葷菜の中でも、とりわけ臭気のきついのがにんにく。大むかしは、蒜《ひる》(口にヒリヒリひびくから)、於保比流《おおひる》(のびると区別して)などと呼んでいたのに、にんにくと呼ぶようになったのは、僧侶がこの劇臭を意に介せず、こっそり忍んで食べるところから「忍辱」の字を当て、隠語として用いたことにはじまると言われます。
『日本書紀』や『万葉集』にも登場し、『源氏物語』の帚木《ははきぎ》の章に出てくる有名な雨夜の品定めのくだりにも、「極熱の草薬」として、にんにくが顔を見せ、くさいけれども薬用としていたように書かれていますので、日本では相当古くから、にんにくの効力というものが信じられていた形跡があります。今でも地方の農家に行くと、門や軒先ににんにくの束をつるして、疫病除けや邪気払いにしているところがありますし、土地によっては、土用の入りの日に、あずきとにんにくの小片を水で飲めば、その年の疫病からまぬかれる――という言い伝えがあるのも、駆虫剤、消毒薬的働きからきているのでしょう。
にんにくを少しずつ常食していると、確かにからだはじょうぶになりますし、また、寄生虫、ことに回虫を駆除する効力もあります。朝鮮料理は、とりわけ、にんにくを多く使うことで有名ですが、寒さの厳しいかの地の人々が、自然に、にんにくの効力(からだを温める)をさとって使ってきたのでしょう。また西洋でも、むかしから同じように強壮剤、駆虫、健胃、整腸剤的に使われたほか、鎮静剤として眠れないときに嗅《か》いだというのですから、にんにくの臭いも見捨てたものではありません。
中華料理や西洋料理に、にんにくは欠かせぬ香辛料だし、土佐のカツオのたたきには、にんにくじょうゆを使いますが、土地では焼いて霜降りにしたあと、にんにくを入れた薬味をのせてたたきます。こうしてカツオの生臭味をにんにくで消すわけです。肉料理に、にんにくを使うと香りと味をよくし、また内臓料理にいろんな香料といっしょににんにくを使って味つけすると、知らず知らずのうちにおいしく食べられます。
ところで、食べたあとのにんにくの臭いを消す方法はないでしょうか?――残念ながら、今のところ臭いを消す最適の方法は見当たりません。牛乳を飲むとよいとか、上質の白砂糖をなめるといいとか言われますが、大して効果はありません。まずまずの方法としては、クロロフィル入りのガムを噛むか、食べ終わったあと、すぐ香りの強い歯磨き粉で歯を磨く程度です。
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[#小見出し]  五月《がつ》わらびは嫁《よめ》に食《く》わすな[#「五月《がつ》わらびは嫁《よめ》に食《く》わすな」はゴシック体]
前出の「秋《あき》なすびは嫁《よめ》に食《く》わすな」と同類のことわざで、五月に採《と》れるわらびのおいしさを形容したものです。
わらびはウラボシ科の多年草で、日当たりのよい平地の原野から、海抜二〇〇〇メートル前後の高山まで広く分布し、北は北海道から南は九州にまで及んでいます。採取時期は、低地では四月ごろから摘むことができ、雪解けのおそい北国では、七月ごろまで採ることができます。地中に横にはう黒色、肉質の根茎があって、早春に拳《こぶし》状に巻いた新葉を出します。これを早《さ》わらびと言い、淡い褐色の綿毛で覆われています。早わらびはやわらかく、風味があるので、早春にわらび狩をします。
早わらびで思い出される日本の古典と言えば、やはり、『源氏物語』早蕨《さわらび》≠フ巻でしょう。すでに源氏の君は世を去り、薫の君は二五歳。うばそくの宮がかくれてから、中の君は姉の君にも遅れて独り嘆きに沈んでいます。折から、かねてうばそくの宮の帰依厚かった阿闍梨《あじやり》から、早蕨|土筆《つくし》など籠に入れて、
この春は誰にか見せむ亡き人の かたみにつめる峰《みね》の早蕨《さわらび》
の一首を添えて贈ってまいります。やがて如月《きさらぎ》の半《なか》ごろになると、匂宮は中の君を迎えて二条院の西の対に移り住み、薫ひとり物思いに沈みます。この一巻、阿闍梨の歌から早蕨≠フ巻と呼ばれ、源氏絵の一つとして、大和絵にはよく描かれている場面です。
わらびは非常に|あく《ヽヽ》の強いもので、そのままで食べてもかえって野趣があっておいしいという人もおりますが、一般には|あく《ヽヽ》抜きをして料理に用います。|あく《ヽヽ》抜きに使う液は、わらびの分量四キロを基準にすると三・六リットル(二升)の水に○・○九リットル(約五勺)の灰を混ぜ入れ、よくかき回し、沈澱するのを待って、|うわずみ《ヽヽヽヽ》を静かになべに移し、これを煮立てて火からおろすときに、重曹を小さじ一杯加えます。そして容器に入れておいたわらびの上から注ぎ入れ、わらびが浮き上がらないように押しぶたをして、軽く重石《おもし》をのせ、そのまま一晩置きます。|あく《ヽヽ》が抜けたら、水に晒《さら》して調味します。都会では灰をさがすのに一苦労しなければなりませんが、そんなときは、重曹だけを少し使ってゆでてもかまいません。
|あく《ヽヽ》抜きしたわらびは、煮つけ、ひたしもの、わさびじょうゆ、酢のもの、汁ものの実などにします。若い人には薄味で下煮したものの汁をしぼり、蒸焼きした鶏肉や野菜とマヨネーズであえ、サラダ風にしても喜ばれましょう。いずれにしても、わらびは切り口のほうからすぐ固くなりますので、調理するときは、できるだけやわらかな部分を使うようにしましょう。
このほか、漬けものとして、塩漬け、きらず漬け、砂糖漬けなどにして賞味します。
わらびの成分中には石灰質が多いので、これを食べると歯や骨がじょうぶになります。カルシウム源に乏しい山村では、わらびはからだの薬になるよい山菜と言えましょう。
土を出て市に二寸の蕨かな 几董
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[#小見出し]  焦飯食《こげめしく》うと運《うん》が悪《わる》くなる[#「焦飯食《こげめしく》うと運《うん》が悪《わる》くなる」はゴシック体]
三度炊く米さへこはしやはらかし
思ふままにはならぬ世の中
ままならぬ世の引き合いに、これは湖鯉鮒の詠《よ》んだ狂歌ですが、実際ごはんをうまく炊くことはなかなかむずかしく、古川柳にも、
新《あら》ぜたいこわめしに出来かゆに出来
と皮肉な句もあるくらいです。電気やガスによる自動炊飯器のなかったむかしは、加える熱の度合いが思うようにいかず、たびたび|こげめし《ヽヽヽヽ》ができることがあり、こうしたことわざもしばしば人の口の端にのぼりました。
ものの本によると、この説の出処は、弁慶であると言います。
「弁慶は戦場において、焦飯食うと運が悪い≠ニ言い触らした。すると、誰しも武運拙くして戦に敗けては恥辱だという腹があるから、焦飯を食う者がなくなった。弁慶ひとりほくそ笑み、跡に回って皆これを平げてしまった。つまり、人には食わせまいとの策略であった」というのです。弁慶は一つの策略からこんなことを言ったに過ぎませんが、栄養学的にみても、こげめしはまったく価値の乏しいものです。めしがこげると、めしの中に含まれるたいせつなでんぷんは炭素に変わってしまい、炭素になれば消化しないし、養分にもなりません。こげめしばかりを食えば、栄養補給が十分でないので、からだは衰弱し病気にもなり、結果、不運にもなる――ということで、まんざらウソとばかりは言えません。
ところで、ごはんを上手に炊き上げるためには、なによりも水かげん、火かげんに心を配らなければなりません。これは自動炊飯器時代の今日でも変わりありません。水かげんは、食べる人の好みにより、また米の質によっても異なります。つまり使うお米の乾燥度によって、水分をたくさん吸収しているものと、あまり吸収していないものとがあるからです。新米を炊くときは水かげんは少なめに、古米の場合は標準より少し多いめになさったほうがよいのです。
次に火かげんですが、このことについては後で触れますので詳細は省きますが、ふたむかし前までは、ごはんを炊くには、くぬぎがよいとか、いや藁《わら》がよい、いや松葉で炊いたごはんがおいしい……など、いろいろ人により、土地によって説がありました。
いずれも炊く量、いい換えれば、沸騰するまでの時間と状態、蒸らすときの余熱など、総合的な関連をもって、はじめて決めることが可能で、いちがいにどれがよいとはいえません。
近ごろではほとんどの家庭が自動炊飯器をお使いになっているので、炊飯器の効能書によく目を通されて、炊かれるとよいでしょう。
よく炊けたごはんは、真ん中辺がふっくらと盛り上がり、米の一粒一粒が立っていて、そこここに孔《あな》があいています。ごはんは面倒がらずに、必ずおひつに移してからいただきましょう。炊飯器兼おひつでは、ナルホド手間は省けるかも知れませんが、ごはんのほんとうのうまさは味わえません。
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[#小見出し]  小食《こじよく》は長生《ながいき》のしるし[#「小食《こじよく》は長生《ながいき》のしるし」はゴシック体]
大食いをつつしみ、養生すれば、長生きができるということ。
もしこの世に、不老長寿の秘薬なり秘法があって、それを飲み、マスターすれば、一〇〇歳はおろか何年でも生きられるとしたら、たとえ全財産を注ぎ込んでも、それを手に入れたいと願うのは人情でしょう。事実、そのむかし、海の向こうの秦《しん》の始皇帝《しこうてい》は、不老長寿の秘薬を手に入れるため、多くの部下を派遣し、蓬莱の島、日本には徐福《じよふく》を遣《つか》わしたと言われます。
伝え聞くところによれば、オランダの世界的な名医ベールハーフェ博士は死ぬ真際《まぎわ》に「門外不出の不老長寿の秘法」を遺言に残しました。遺族は博士の言いつけどおりに、その秘法を鉄の箱に密封して屋敷内に埋めました。どこから洩れたのでしょう、このウワサはたちまちヨーロッパ全土に知れ渡り、イギリスのある大金持ちが全財産と引き換えに、その遺言書のはいっている鉄の箱を買い取りました。さっそく、鉄の箱を開け、中を見てビックリ、中からは小さな紙片が一枚出てきました。その紙には、たった二行のことばが書かれていました。
第一条 頭を冷たく足を暖かく。 第二条 お腹にものを入れ過ぎぬこと。
コントみたいな話ですが、実際にあった話です。さすがに世界的名医とうたわれたベールハーフェ博士だけあって、長寿の極意をたった二行のことばで、よく表現しています。
第一条は東洋医学流に解せば、「頭寒足熱《ずかんそくねつ》」ということ。第二条は、さしずめ「小食は長生きのしるし」または「腹八分に医者いらず」ということができ、いずれも、古くから長寿の鉄則と言われてきたものです。
くだんのお金持ちは、長寿の秘法が金で購《あがな》えると思ったぐらいの人物ですから、おそらく頭にきて、この紙片を仔細に検討することなく破り捨ててしまったかも知れません。だがもし、この二行を忠実に実行しておれば、長寿は疑いなかったといえましょう。
「頭寒足熱」「小食は長生きのしるし」ということばからも窺《うかが》えるように、不老長寿には今のところ、なんの秘法も秘薬も極意もありません。強いて極意と言えば「一見平凡で常識的と思えるような健康法を実行すること」だと言えましょう。
二、三年前でしたか、日本全国にいる一〇〇歳以上の長寿者に、ある新聞社がアンケートを求め長生きの秘訣を伺ったところ、長寿のコツとして次のような順で解答が寄せられたそうです。
@食べものに気をつけること A腹八分めの食事 B物事にくよくよしない C早寝早起き D仕事にムリをしない E食べものに好き嫌いをしない
いずれも、その気になりさえすれば、すぐにでも実行できる当たり前のことばかりです。特別に健康法や長寿法を実行している人は、ひとりもいなかったと言われます。基本的な生活態度として、以上示された六項目は、確かに長寿のための極意ということができます。
伊勢蝦《いせえび》の腰曲るまで生きたくば鼻と臍《へそ》との下御用心
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[#小見出し]  午前中《ごぜんちゆう》のくだものは金《きん》[#「午前中《ごぜんちゆう》のくだものは金《きん》」はゴシック体]
外国人の目から見ると、日本はくだものの天国だそうです。事実、日本人は大むかしから、いろいろなくだものを食べてきました。縄文時代の貝塚からは、あけび・ぶどうの実が発見され、稲作が行なわれるようになると、登呂遺跡《とろいせき》からは、すいか・まくわうりなどのタネが掘り出されています。時代が降《くだ》って、平安時代になると、『源氏物語』に登場するくだものだけでも、みかん・もも・いちご・うり・なし・やまももと種類はグンと増えています。これらの数あるくだもののなかでも、|みかん《ヽヽヽ》はとりわけ古代人に愛好されたようです。
四季のうちでも、うまいくだものがいろいろと出そろうのは、初夏から真夏、初秋のころにかけてで、いちご・びわ・桜桃・夏みかん・もも・すいか・うり・ぶどう・なし・りんご……といったぐあいに、くだもの屋さんの店先に立って、サテどれにしようかと迷うほどです。
岡山の大いなる桃皮むけばしたたる雫よき香をたつる 空穂
自然が生み出した野趣さながらのくだもの。こうしたくだもののうまさの決め手は@香りA口あたりB味C色合いです。とくに香りはたいせつで、パイナップルやメロン、ももなどは、香りを嗅《か》いだだけで無性に食べたい衝動に駆《か》られます。
こうして、日本人はこどものころから四季折々に出回るくだものを食べ分け、微妙な味の変化を楽しみながら、繊細な味覚を育ててきました。しかし、その反面、意外に無関心なのは、くだものを食べるころ合いです。気候の関係から生理的要求がそうさせるのか、英国には次のようなことわざがあります。
[#この行1字下げ]「午前中のくだものは金 昼から三時までは銀 三時から六時までは鉄 六時以降は鉛」
一つのりんごでも、いきなりグルグルと皮をむいてしまわないで、少なくとも三つか四つ、タテにナイフを入れ、その一切れを食べ、残ったものには紙をピッチリ貼って、また後で食べる――おそらく、くだものが少ないためでしょう。このように英国では非常にくだものをたいせつにして、少しずつ毎食いただく習慣があります。
このことわざはまた一面、消化吸収の点からもうなずけます。朝起きて食べるくだものは身心を爽快にするばかりか、胃の活動をうながし、消化吸収のためには、より効果的にはたらきます。これにひきかえ就寝前のくだものは害あって益なし、まさにその価値は鉛以下。特にバナナやすいかは控えたほうが得策です。バナナの白い繊維は、どんなにじょうぶな胃腸でも消化不能なものですし、すいかは消化のとき、あたかも胃壁へ紙ヤスリをかけるようなぐあいになると言われますので、胃腸の弱いこどもには夜は禁物。
このほか、うり・もも・ぶどう・パイナップルなども、こどもの好きなくだものですが、いずれも下痢を起こしやすい食品だけに、食べるときは少なめに、何回かに分け、夜はなるべく食べさせぬよう、おかあさん方の配慮が望まれます。
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[#小見出し]  昆布《こぶ》に山椒《さんしよ》[#「昆布《こぶ》に山椒《さんしよ》」はゴシック体]
お茶を飲むのに、取り合わせのよいものの例。ふさわしいことの|たとえ《ヽヽヽ》に使われます。狂言『釣狐』に「愚僧が事なれば別に振舞ふ物もない、昆布に山椒、茶ばかり申さう……」と見えています。
この種の料理として知られているものに、「さんしょこぶ」があります。塩こぶを八分方煮つめたときに、こぶの一割のさんしょを加えたもので、花さんしょでも、実さんしょでもよく、いずれも軽くゆで、ザルに揚げてよく水切りしたものを用います。お茶うけはもちろん、酒のサカナとしても喜ばれます。
洛北、鞍馬の里の「木の芽煮」は戦後売り出されたものと聞きますが、この辺りはむかしから自生のさんしょの木の多いところで、このさんしょの芽、葉、実、あま皮をとり、こぶやしいたけとともに濃口しょうゆでじっくり煮つめたものです。煮つまった「木の芽煮」を栃《とち》の木で作った厚いまな板の上にあけ、両手に持った大きな包丁でトントンとみじん切りにします。さんしょの辛味と香りと、こぶの味がとけ合い、口の中がさっぱりして食がすすむ――と、今やなくてはならぬ京名物の一つになっています。
「昆布に山椒」の例でもおわかりのように、総じて、海の幸と野の幸、山の幸と里の幸とを取り合わせると、持ち味の不足を互いに補い合うからでしょうか、不思議なうま味が発揮されます。もちろん、このうま味も単に味わいのうえばかりでなく、口ざわり、歯ざわりの心地よさといった触味にかかわるものもあり、また、香りの相性も、うま味の欠かせぬ構成要素になっています。
考えて見れば、私たちが、ふだん、何気なく食べている料理の大半は「であいもの」の集成で、私たちの祖先がそれぞれの感覚器官のすべてを動員して、相性のよいもの、|であいもの《ヽヽヽヽヽ》を確かめ、残してくれたものを、食べているわけです。
人と人との和合にも相性があるように、料理もこの相性を無視しては、おいしいものはできません。「取り合わせ」「であい」も、つまりは、その相性を意味したものと言えましょう。
淡味と濃味の取り合わせ、口あたり、歯ざわりの硬軟のリズム、色どりのよさ、香りの相性……数え上げれば「であいもの」の構成要素は、さまざまにあります。たけのこにわかめ、大豆にこぶ、菜っ葉に揚げどうふ、ニシンにこぶ、アサリにわかめ、生ウニにわさび、ひじきに油揚げ、干しぜんまいに油揚げ、アユにたで酢、カツオにしょうが・にんにく、まつたけにすだち、サンマに大根おろし、生カキにポン酢、里芋に鶏肉・棒ダラ、カモにねぎ、スッポンにしょうが、山芋に麦めし、カニに二杯酢、ナマコに柚香酢《ゆこうず》、塩ダラに糸こぶ……であいものを数え上げたら、まだまだ数限りなくあります。
四季それぞれに取り合わされた相性の妙味を、今いちど見直し、味わい直し、うけつがれてきた日本料理のまことの味を、正しく後世に遺していきたいものです。
鮎なます藍より青き蓼酢《たです》かな 貞室
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[#小見出し]  こんにゃくは体《からだ》の砂払《すなはら》い[#「こんにゃくは体《からだ》の砂払《すなはら》い」はゴシック体]
こんにゃくを食べると、お腹《なか》や睾丸《こうがん》にたまった砂を払うという俗信で、十二月八日(または二月八日)の針供養に「砂払い」といって、行事としていまもこんにゃくを食べる地方があります。京都あたりでは十八日、むかしの江戸では二月と十二月の両方の八日に食べるおこと汁に、こんにゃくを入れる|ならわし《ヽヽヽヽ》がありました。また、岡山県|邑久《おく》郡では、十二月八日の嘘《うそ》はらしの日に、こんにゃくを食べ、これを「砂おろし」と言っています。
こんにゃくの原産地はセイロンといわれ、むかしから交趾シナ(今のベトナム北部トンキン・ハノイ地方の古い呼び名)方面で栽培されていました。わが国には、約一四二〇年前、欽明天皇の時代に医薬用として朝鮮から伝わり、次いで推古天皇のときに中国から盛んに輸入されたといわれます。しかし、栽培について記述されている最初の記録は、元禄年間になってからです。その後、各地で栽培され、中でも茨城県久慈郡では製粉法などが発明され有名になりました。現在では、ねぎの産地として名高い群馬県下仁田、それに広島県などが有名です。
ところで、こんにゃくの栄養価はといいますと、ほとんどゼロ。成分の九七%が水分で、残りの三%のうち、二・三%がグルコマンナンと呼ばれる消化されない炭水化物。大腸にはいってから腸内にいる黴菌《ばいきん》を分解するだけで、噛み砕かれたままの形で排泄され、滋養にはなりません。では、単なる嗜好品かというと、さにあらず、ことわざのように「砂払い」――つまり、整腸作用という大役を果たしてくれます。特に日本人に多い便秘症には効きめのある食品で、胃では消化されず、そのまま腸にはいり、腸にやわらかい刺激を与えますので、お腹に痛みを感じさせず便通を促します。肉食の好きな人、慢性の病気をもった人、妊産婦などは、とかく便秘しがち、下剤を飲むより、時折こんにゃくを食べるほうが、ずっと効きめは確かです。
近ごろは食べものも既成品が多くなったせいか、一般に原材料についての知識が乏しく、こんにゃくはサトイモ科の植物が原料だということを知らない人も案外多いようです。食用になるのは、こんにゃく芋――つまり地下茎、根の部分で俗にこんにゃく玉といわれる部分です。食用のこんにゃくは、このこんにゃく玉を輪切りにして、煮てから皮をむき、よく搗《つ》きこねて石灰乳、または灰汁《あく》を加え、再び搗いて型に入れ、凝固《ぎようこ》した後、釜で約一時間煮てから水に移して固まらせます。こんにゃく玉の粉末を用いるには、まず芋の皮をはいで輪切りにし、乾燥してから石臼で搗き、繊維を除いて粉末にした後、ぬるま湯の中に少しずつ加え、加え終わってから三〇〜五〇分間強くかきまぜます。以下の段取りは生の芋を用いるときと同じです。
製造がごく簡単なので、産地の農家では自家用のこんにゃくを作っています。色は黒ずんでいて見栄《みば》えはよくありませんが、都会の色白こんにゃくより、素朴な風味があっておいしいものです。おでんだね、すき焼きのざく、煮もの、田楽、あえものなどにして賞味します。
傾城に蒟蒻くはす彼岸かな 几董
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[#小見出し]  魚《さかな》は殿様《とのさま》に餅《もち》は乞食《こじき》に焼《や》かせろ[#「魚《さかな》は殿様《とのさま》に餅《もち》は乞食《こじき》に焼《や》かせろ」はゴシック体]
焼き魚のように、直接、火にかざして焼くものは、特に火かげん、焼きかげんがたいせつです。
「魚は殿様に……」とは、こうした火かげん焼きかげんのコツを教えた|たとえ《ヽヽヽ》で、魚は上身(盛りつけて表になるほう)を先に見ばよく焼き目をつけて七分どおり焼き、返してのこりの三分を焼きます。片方いちどずつで焼き上げ、なんども返して焼かないこと、たびたび返せば、身崩れを起こして、見た目にきたないばかりか、味もまずくなります。このように、焼き魚の場合には殿様のようにおっとりした態度で、じっくり焼くことがのぞましいわけです。
一方、「餅は乞食に焼かせろ」ですが、もちは魚にくらべ水気が少ないため、熱の伝導がわるく、焼けにくいうえに焦《こ》げやすい。下からあまり強い火で焼くと、余分な熱がたまり、表面ばかりが焦げてしまいます。そこで何回か返して、熱を逃がしながら焼く――こうすれば、芯まで火がとおり、おいしく焼けます。
焼きものでは、焼き|かげん《ヽヽヽ》のよしあしが、直接、風味に影響しますので、火かげんとともにおろそかにできないかげんなのです。かげんということばも料理の世界では、火かげん、焼きかげんのほかに、塩かげん、匙かげんといろいろに用いられます。ここでいう|かげん《ヽヽヽ》は、食品材料の鮮度や質量、調理法に応じて、持ち味や調合味の真価が発揮されるように、熱量や調味料を調節することをさすのですが、それぞれ臨機応変の処置が必要なだけに、かげんの修得がまさに料理人の免許皆伝にもなるのです。
古人が|かげん《ヽヽヽ》ということばに託した含蓄《がんちく》の深さは、料理そのものの奥行きの深さにも通じ、むかしから名人上手といわれる人たちが、このかげんに悩み、かげんの決定に骨身を削ってきたのも故なきことではありません。かげんの妙味は、塩何グラム、砂糖小さじ何杯と数値で言い表わせないところにむずかしさがあり、また、コツもあるのです。
魚を例にとってみても、焼きものにする場合、生ものか漬けたものか、あるいは干したものか、鮮度や大きさ、熱源、食べる人の好みによって、焼きかげんを|あんばい《ヽヽヽヽ》しなければなりませんので、加熱調理の中でもいちばん原始的な調理法でありながら、煮たきもの以上に周到な下準備と用心が必要になってくるめんどうな調理法です。
火かげんの理想が強火の遠火と言われるように、焼きかげんでは、表面に香ばしい焦げ味と香りをたたえ、中身は、適度に火熱がとおって水分が蒸発し、肉の締まった状態が理想です。鮮度のよい魚なら、特有の臭味が、焼くことによって好ましい香りに変わります。ビフテキなどは焼きすぎて肉が|からから《ヽヽヽヽ》になったものより、肉の芯に程よいかげんに肉汁がたたえられ、噛んだ際にジュッーと浸み出てくる焼きかげんのほうが風味もよく、歯ざわりも楽しめます。
鶯やつよき火きらふ餅の耳 万太郎
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[#小見出し]  酒《さけ》に別腸《べつちよう》あり[#「酒《さけ》に別腸《べつちよう》あり」はゴシック体]
今からざっと一〇〇〇年前、さしも太平をうたわれた唐の治世も、二〇世、二九〇年をもって終わりを告げ、世は五代と呼ばれる時代に移りました。このことわざは、当時を物語る史書『五代史』に記されています。すなわち、五代一〇国のうちの一つ、|※[#「門<虫」、unicode95a9]《ビン》の国(今の福建省)の王様、曦《ぎ》が酒宴の席で、周維岳《しゆういがく》なる家臣の飲みっぷりのよさに目を止め、
「維岳よ、おまえはからだの小さな割にずいぶん飲めるな」並居る家臣の中から声あり、
「酒に別腸あり。王よ、酒量はからだの大小にかかわりませぬ」
「左様か、しからば維岳をつかまえ、別の部屋に移し、お腹を割《さ》いて、その酒腸とやらを視たいものじゃ」と申して、家臣を促した。
いかに王とは申せ、維岳こそいい迷惑、酔興の度がすぎます。それにしても、「酒は礼に始まり、乱に終わる」もののようです。酒量はからだの大小に関係がないとは言っても、これが関取やプロレスラーともなると、話はちがってきます。ある関取などは一晩に三升ぐらいは軽く飲み、並の酒飲みの遠く及ぶところではありません。
また、「酒に別腸あり」と言いますが、アルコールは水とちがい、おもに胃壁《いへき》から吸収されます。それから肝臓に送られ、ここで酸化され、炭酸ガスと水とに分解され、それぞれ肺と肝臓から体外へ――という段取りになります。すきっ腹のとき、お酒をガブ飲みすると、酔いが早く回るのも、「待ってました!」とばかり、胃の働きがフル回転するからです。
肝臓の酸化分解の働き、肺、腎臓の排泄の働きが十分なら――つまり、内臓のそれぞれの処理工場が正常に働き、処理能力があれば、たとえアルコール分が体にはいっても酔わないということになります。ただし専門医の話によれば、ふつうの人の肝臓の処理能力は一時間にアルコール一五CC程度、酔わずにすむ酒量と言えば、(もちろん個人差はある)日本酒だと一時間に二合以内。それ以上になると、血液の中に流れ出して全身をかけめぐり、自律神経に働きかけて、顔を赤らめたり、動悸《どうき》を早めたり、大脳の新しい皮質をマヒさせ、本能のおもむくままにさせたりします。これがいわゆる「酔い」の正体。このように「酔い」というのは、飲んだ分量だけの問題ではなく、血液中のアルコール濃度いかんということができます。
「人、酒を飲む。酒、酒を飲む。酒、人を飲む」と、むかしから言われておりますが、人が酒を飲んでいる分には、酒は心の憂さを払い、薬ともなり、すべてが心楽しくなります。ところが、酒、酒を飲む段になると、次第に道徳観念が薄れ、「酒が言わせる悪口雑言」の状態となり、中にはケンカを始める者も出てきます。さらに酒、人を飲む状態ともなると、運動神経がやられフラフラになり、本心を表わし「ラッカロウゼキ、ボウジャクブジン」のふるまいをしたり……という次第になります。「酒は飲むとも飲まるるな」――お酒飲むのもほどよく、都々逸の文句じゃござんせんが、酒はほろ酔い娘は二八花は桜の盛りまえ≠ニいきやしょう。
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[#小見出し]  酒《さけ》の燗《かん》は人肌《ひとはだ》[#「酒《さけ》の燗《かん》は人肌《ひとはだ》」はゴシック体]
食べものの温度は、味覚にいちじるしい影響を及ぼします。私たちの舌の感覚は二〇〜四〇度Cの範囲でもっとも敏感にはたらき、温度がこれより上がっても下がっても感度は鈍くなります。ことに甘・苦・塩の三味は温度に左右されることが大きく、常温から○度Cに冷たくすると、苦味は約三〇分の一、塩味は約五分の一、甘味は約四分の一に減ります。酸味は割合影響が少なく、二〇%減るにすぎません。温度を上げた場合も、これとほぼ同じような変化を示し、とくに甘味は五〇度C以上になると、いちじるしく鈍感になります。
温かい冷たいの温度感覚は私たちの体温をわかれ道とするもので、食べものの温度が体温に近いものほど生温かく不快感をおぼえ、これよりも冷たいか温かいほうが快く感じられます。一般に酸味は冷たくしたほうがおいしく感じられ、うま味の濃厚なものは温かいほうがおいしさを増します。食べものの適温は、だいたい体温を基準として| ± 《プラスマイナス》二五〜三〇度Cの範囲内にあります。また、同じ食べものでも、味わうときの気温によって、調理をくふうし、温度を調節しないと、それほどおいしいとは感じられません。
魚一つを例にとっても、夏はさっぱりとした洗いや刺身、塩焼きが好まれるのに、秋から冬にかけ寒さがきびしくなると、つけ焼きや水炊き、みそ漬け……といったぐあいに、温かなもの、濃厚な味わいのものが、いちだんとおいしく、好ましいものになってきます。
茶の湯を大成させた千利休は、茶の湯の極意を尋ねられたとき、「夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにもあたたかなるやうに」と答えたと言われますが、気温と食べものを味わう際の温度は、とりわけ関係が深いようです。
いと遠き風もまじりつ戸外なる 落葉聞えてわが酒ぞ煮ゆ 若山牧水
日本酒はとりわけ温度をたいせつにし、お燗のよしあしによって、酒のうまさに差が出てくるほどです。いかに山海の珍味を並べられても、出された酒がまずいと箸取る手も鈍ります。
その点、よくはやる料亭や飲み屋のお燗はさすがにほどを得ていて、「ウン、ナルホド」と感心させます。もっとも、お燗の温度は、人の好みや季節の温度、酒のよしあしによって微妙な差異があるので、いちがいに何度ということはできません。「温燗《ぬるかん》、上燗《じようかん》、熱燗《あつかん》」などという別のあるのもそのためで、左党の通人にいわせると、温燗は四〇度C前後、上燗は五〇度C、熱燗は五五度C〜六〇度Cの範囲だそうで、よいお酒ほど温燗にするのが|きまり《ヽヽヽ》だ、とのご託宣。そんなわけで、人肌はよいお酒を飲む際の目安になります。
近ごろ夏になると冷用酒などといって、燗をせずに飲む酒が現われていますが、これは燗酒を冷で飲むのではなく、初めから冷で飲むように醸造にくふうを加えたものです。しかし、清酒はやっぱりお燗をして飲むほうがうまい。
熱燗や状書きさしてとりあへず 万太郎
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[#小見出し]  酒《さけ》は百薬《ひやくやく》の長《ちよう》[#「酒《さけ》は百薬《ひやくやく》の長《ちよう》」はゴシック体]
このことわざの出どころは、中国古代の史書『漢書』の「食貨志《しよつかし》」。ちょうどキリスト紀元のはじまったころ、前漢の王位を奪い取って「新《しん》」の国を興《おこ》し、みずから王となった王莽《おうもう》が、経済政策の徹底を志して発表した詔《みことのり》のはじめに出てきます。
「夫れ塩は食肴《しよつこう》の将、酒は百薬の長、嘉会《かかい》の好《こう》、鉄は田農《でんのう》の本」いうならばこのことば、王莽の専売事業(塩・酒・鉄などの)に役立てるためのコマーシャルの一節。
「酒は百薬の長」などというと、左党の面々「わが意を得たり」と勢いづくことでしょうが、手放しで喜ぶにはチト早すぎます。酒は百薬の長とはいえど万の病は酒よりこそ起これ≠ナ、「酒は百毒の長」の汚名も着せられています。もちろん、ほどを得た飲み方をすれば、酒は確かに薬以上の効きめがあります。むかしの人は「酒に十《とお》の徳あり」と、すでに捨てがたい役割を認め、百薬の長のほかに寿命を延ばす、旅行に慈悲あり、寒気に衣あり、推参に便あり、憂えを払う玉箒《たまぼうき》、位無くして貴人に交わる、労を助く、万人和合す、独居の友となる≠ネどの徳をあげております。疲れたときに飲めば疲れをいやし、気持ちを静め、心地よい眠りに誘います。また、寒さの折に飲めば、からだを温めてくれます。医薬用としても、消毒殺菌用として「日本薬局方」に登録されています。かぜのときの玉子酒、貧血を起こしたときの気付薬、軽い狭心症を起こしたときには、一口の酒、よく苦しみを和らげてくれます。
酒のアルコールはカロリー源としても無視できません。一〇グラム当たり九〜一〇カロリーの熱を出し、カロリーの上では脂肪とほぼ同じ、炭水化物やたんぱく質の二倍以上となります。ただし利用されるのは、その六、七割程度。米一合(一五〇グラム)と同じ五〇〇カロリーの熱を出すためには、日本酒でお銚子三本、ビールなら大びんで二本ほどが入用です。
このようにカロリーはこと足りても、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなどの栄養素はほとんどありません。ですから酒さえ飲んでいれば、食べものはいらない、というのはウソです。サカナも十分に食べなければいけません。
酒はまた調味料としても見逃がせないものです。日本料理では、塩、みりん、酢などと並んでたいせつな|かくし《ヽヽヽ》味の一つです。もっとも、味の引き立て役として使われるのは、もっぱらお酒のコクの成分で、今日、流行の合成酒では、|かくし《ヽヽヽ》味としての役割は期待できません。醸造した上質の清酒でないと、料理のうま味は引き出せません。
同じ調味料としてのお酒も、国々によってそれぞれ種類がちがい、フランス料理ではおなじみのぶどう酒、中国料理では黄酒や料酒、日本料理では、すでにあげた清酒と|みりん《ヽヽヽ》がそれを代表しています。ただし煮ものには清酒のアルコール分は不要なもので、調味の最初に使い、加熱することによって、アルコール分を蒸発させ、お酒のコクの成分によって調味料全体の味を引き立たせ、煮ものの味のうまさを完成させます。
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[#小見出し]  酒《さけ》・飯《めし》・雪隠《せつちん》[#「酒《さけ》・飯《めし》・雪隠《せつちん》」はゴシック体]
お客を家に招いて|おもてなし《ヽヽヽヽヽ》をするとき、この三つには特に気を配れということわざ。茶の湯では「亭主に三つの馳走《ちそう》あり、酒・飯・雪隠気をば付くべし」と強調しています。
酒は悪酔いしないよう上質の酒を、ほどよく温めて。ごはんはお招きした人の好みや年齢に合わせて、ほどよいやわらかさに、しかもタイミングよく。雪隠(手洗い)は、常の日よりも念入りに掃除を行届かせ、気持ちのよいように、細かな心づかいを忘れてはなりません。
雲州松江の藩主で、のち石州流不昧派の開祖と仰がれた松平不昧の『茶礎《ちやそ》』という書物に「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」ということばがありますが、もてなしの極意《ごくい》を示した味わうべき金言だと思います。主人は客の気持ちをよく汲《く》んで、その好むところを充《み》たし、客はまた主人の心を心として、十分にその厚意を受けて、主客一心同体となって、行ないをともにするところに、いわゆる「一|座建立《ざこんりゆう》」の境地が開けてまいります。
心入れ、思い入れ、心づかい、思いやり、心づくし――などと、いろいろにいいますが、茶の湯では、特に繊細な心づかいが、些細なことのはしばしに籠《こも》っていることを尚《とうと》びます。そのもっとも端的に表わされるのが酒・飯・雪隠であるともいえましょう。
あくまでも現実的なものへ徹底してやまぬ茶の湯は、もっとも現実的な飲み食いの行としての「茶飯事」とともに、これを排泄する行としての雪隠、手洗いの行に及ばずにはおきません。茶の本家筋にあたる禅では、雪隠も仏の道を行ずる道場とされ、道元は「厠屋《かわや》に威儀《いいぎ》を行ず」といって、用便の作法まで、こと細かに記しています。
また、「厠屋も仏転法輪《ぶつてんほうりん》の一|会《え》なり」ともいって、雪隠も神聖な「清」の行の場とし、雪隠の係りの人を「浄頭《じようとう》」と呼んで、これを重視しております。この考え方に立つ茶の湯において雪隠をなおざりにしないのは当然のことといえましょう。茶の湯においては、雪隠のことは「浮き世の塵《ちり》の一切を捨てる行」と考え、掃除も単に掃《はら》い除《のぞ》くという消極的なものではなく、雪隠に新たな美を創造しようとすらいたします。「砂雪隠」のこしらえや、「雪隠拝見」の行事という創作は清浄を重んじる茶の湯の実践内容を象徴したもので、亭主の心入れがいかに隅々にまで行届いているかを示すものであります。
ある有名な茶人は、これも有名な茶人の茶事に招かれ、清潔であるべき手洗いの一隅にクモの巣の取り残しがあるのを見て、気にかかってならず、他のあらゆるゼイ(贅)をつくしたもてなしも、その心から生まれたものと思うと汚ならしく、二度とその人の茶事へは行かなかったと聞いております。
料理に造詣が深く、茶の湯のこころをたいせつにした魯山人は、日ごろ口グセのように「台所と手洗いを、いつ他人に見られても恥ずかしくない家をもった人が趣味人というもの」と言っておりました。
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[#小見出し]  砂糖食《さとうぐ》いの若死《わかじに》[#「砂糖食《さとうぐ》いの若死《わかじに》」はゴシック体]
年寄りのむかし語りによると、煮ものの甘味に、柿の皮の干したものを用いていた時代には、掌《て》クボに一摘みの塩をもらうことが、こどもたちにとって、なによりのおだちんだったそうです。それが幸か不幸か日清戦争で日本が勝利をおさめ、台湾が日本の領土となると、白砂糖が大量に生産され、庶民の間にも砂糖が調味料として使われるようになり、こどもたちのおだちんも、塩にかわって一摘みの砂糖が用いられるようになりました。こうして砂糖の甘味がごちそうの主役の座を占めるようになり、徐々に日本人の味覚を毒し、堕落させて行きました。砂糖の害については、すでに江戸時代、こころある儒者・医師などによって指摘されています。
また、今日、砂糖が虫歯(カルシウム不足)の原因になることは、周知のことですが、そのカルシウム分不足が酸性体質の要因になること、そのために、あらゆる病気にかかりやすくなること、大脳の抑制機能を低下させ、精神の自制力を低下させること、蓄膿症やアデノイド、鼻カタル、肥厚性鼻炎のような「頭の働きをにぶくする」病気の原因になり、こどもの性格をいじけさせるもとになること――などについては、まだよく知らない人が多いようです。
いったい、砂糖には、なぜそのような害があるのか、砂糖と生理、砂糖と栄養ということについて、簡単に触れてみましょう。私たちが食べものから炭水化物を摂《と》る場合、これが体内に消化吸収されるには、いったん、糖に分解してからのことですが、砂糖の場合は、すぐに水にとけて腸の上部で短時間のうちに吸収され、血液の中にはいります。血液にはいった糖分は、燃焼して炭酸ガスと水に分解し、その際、エネルギーを出します。
砂糖は一〇〇グラム当たり三八四カロリー(米飯一四五、パン二七〇、うどん一一六カロリー)もあり、単位面積の耕地から穫れる農作物の中では、もっともカロリーの高いものですが、残念ながら糖分のほかになんの栄養素もありません。糖分が代謝し、分解するためには、同時にビタミンB1やB2が必要なのですが、これがふくまれていないので、栄養的には非常にかたよっていることになります。特にB1が不足すると、焦性ブドウ酸から疲労物質といわれる乳酸などができて、血液中に溜り、疲れ・だるさの感じを与えます。
砂糖を摂り過ぎるとB1が不足し、胃腸管の蠕動《ぜんどう》運動が鈍くなって、一方では食欲不振をきたし、他方では消化不良を起こします。
こどもは元来甘いものが好きです。しかし、必要以上に甘いものを与えたり、ごはん前にお菓子を食べさせたりすると、さまざまな糖害を起こしたり、胃液の分泌を抑えて、食欲不振を招き、ひいては若死の原因ともなります。こうした弊害を少なくするためには、砂糖の摂取量をできるだけ抑える(一日二〇〜二五グラム程度)一方、アルカリ性食品(野菜・くだもの・牛乳)や、ビタミン・カルシウム類を同時に摂ることが必要で、他の栄養分とのバランスを計ることが、糖害から身を守る方法だと言えましょう。
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[#小見出し]  サバの生腐《いきぐさ》り[#「サバの生腐《いきぐさ》り」はゴシック体]
サバ、イワシ、サンマ、ニシンなどの回遊魚は、海の上層を泳ぎ回り、水圧を強くうけないせいか、肉質がやわらかで、肉質中に多量の水分が含まれています。これらの魚は、獲《と》って陸に揚げると、比較的早く腐敗しはじめます。サバの如きは「生腐り」といわれるくらい、足の早いものです。まさか生きているサバが腐っているはずはありませんが、獲れたてでも油断は禁物――ということを、端的に生腐りと表現したのでしょう。これには二通りの考え方があります。その第一は、サバを生食すると腹痛や下痢を起こすことがあるからで、漁師たちは獲れたてのぴんぴん躍り上がっているようなサバでも、刺身にして食べることを、きびしく戒めております。とくに、夏の産卵期には、内臓に微毒を有するものもあるので、警戒を怠ってはなりません。
その第二は、サバの腐敗する速度が他の魚にくらべ、いちじるしく早く、表面はみずみずしく艶やかに見えても、内部では腐りはじめているので、このようなことわざで赤信号を上げたものと考えられます。夏場は特に腐りが早く、これはサバの内臓に含まれているいろいろな消化酵素の力が強いためだといわれます。つまり、サバのからだは、死後、この強い酵素のために自己消化をはじめ、さらに腐敗菌がつくと、深海魚とちがって肉質中に含まれる水分が多いため、この水分を伝って腐敗菌が急激に繁殖するので、腐りやすいのです。ピーンと死後硬直した姿が徐々に崩れて、だらりとしたサバは手をつけぬに越したことはありません。
サバに限らず一般的な魚の鮮度の見分け方ですが、まず見た目に、特有のいい色をし、指で圧《おさ》えて見て、キリッとした弾力があり、殊に死後硬直のいわゆる「生きのよい」ものは、手のひらの上にのせてもグンナリと垂れ下がらず、ピーンとしています。人間で言うと張り切っているという形です。それに目が鮮度を表わします。新しいものは、パッチリ見開き、澄んでいて、突き出たようになっていますが、古くなったものは血走ったように赤くなってきます。「イワシ目ただれサバ腐れ」ということわざも、こうした鮮度の見分け方をいったものです。
エラぶたの新しいものはピタッと閉じていて、指で開けて見ると、真赤か少し|くすんだ《ヽヽヽヽ》赤色をしています。傷《いた》んでくると、いやな茶色がかってきます。それに腹を圧《おさ》えると、古いものは肛門から汁が垂れたり、内臓がはみ出したり、殊に傷んでいるものは、お腹《なか》が裂けて、はらわたが顔を出したりしています。これくらいになれば、もちろんもういやな匂いも立ちますし、味も悪いし、舌を刺すような刺激もあります。
サバにはホンサバとゴマサバの二種があり、「秋サバ嫁に食わすな」といわれるくらい、秋になると脂がのり、うま味を増してきます。しめサバ、こぶじめ、塩焼き、みそ煮、フライ、船場汁などにして賞味します。サバずし(これをバッテラと呼ぶのはポルトガル語のボートの意味で、形が似ているところから命名された)も、この季節のものは、とりわけ美味です。
秋鯖の閉づることなき眼澄む 清風居
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[#小見出し]  三月|鮃《ひらめ》は貰《もら》っても食《く》えぬ[#「三月|鮃《ひらめ》は貰《もら》っても食《く》えぬ」はゴシック体]
旧暦三月ごろのヒラメは、まずいということ。和名のヒラメは東京中心の地方名で、現在日本各地の魚市場には広まっていますが、地元の地方名にはないようです。カレイ類とともに単にカレイ・カレと呼ぶ地方が多く、他のカレイ類と区別するときは、テックイ(北海道)・オオグチガレイ(東北)・ハガレイ(福井)・オオクチ(中国)・ホンカレイ(徳島)・カレ(大阪・四国・九州)などといいます。ほとんど日本全国の沿岸に分布していて、底が砂地になったところに好んで棲んでいます。
大鮃古鏡のごとし鉤うたず しゅこう
からだの上側は褐色をしていて、乳白色や褐色の斑点が散らばり、カメレオンみたいに周囲の色にあわせて斑点のぐあいを変えます。
ヒラメとカレイはどうちがうか――ということは、むかしから人々の話題となってきましたが、これについて江戸時代から「左ヒラメの右カレイ」とか「大きいのがヒラメ、小さいのがカレイ」といわれてきました。しかし魚の分類学者にいわせると、必ずしもそうとばかりは言えず、「ヒラメの仲間にも右側に目のあるのもいるし、カレイのなかには左側に目のあるのもいる。また、カレイ類にも大きくなる種類(北海道で獲れるオヒョウなどは畳一枚分ほどの大きさのもある)もあるので、厳密な学問上の定義とは言いがたい」――まあ江戸を中心とした日常生活の便宜を、わかりやすく表現した一種の生活の知恵でしょう。
「三月鮃は犬も食わぬ」ともいいますが、このころになると、ヒラメは産卵のために浅いところにやってくるので、たくさん獲《と》れます。このことわざはガツガツしている犬も食べあきるほど多く獲れるという意味と、身が水っぽくなってまずく、しゅんはずれになるという意味がふくまれています。ヒラメのしゅんは九月から翌年の二月までの味のしゅんと、豊漁期のしゅんがズレています。特に寒中は脂がのり、身も締まるのでおいしく、寒ビラメと称して珍重されます。活《い》きのよいヒラメは刺身にするほか、酢のもの、コブじめなどにして賞味します。ソゲの名で呼ばれる四〇センチぐらいまでの小柄のヒラメは、晩春から初夏にかけておいしくなり、洗いの材料となるほか、煮付け、から揚げ、フライなどにして食べると美味です。
また、ヒラメの肝臓は生《なま》のままポン酢につけて食べるとおいしく、皮もちょっと湯がいてポン酢につけると、フグの皮を食べるような感じがして乙なものです。上下のひれのつけ根に並んでいる骨を担鰭骨《たんきこつ》といい、この骨の間にはさまっている柱状の肉を、俗に「ヒラメの縁側《えんがわ》」と呼び、煮つけて食べると、身がしまっていて、とてもおいしく、通にいわせるとここがヒラメのかくし味。カレイの縁側もおいしいものですが、食べくらべてみると、どうやらヒラメのほうに軍配が上がりそうです。調理するときはこの点に気を配り、特に煮つける際は、縁側をつけたままするとよいでしょう。
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[#小見出し]  山椒《さんしよ》は小粒《こつぶ》でぴりりと辛《から》い[#「山椒《さんしよ》は小粒《こつぶ》でぴりりと辛《から》い」はゴシック体]
|なり《ヽヽ》は小さくても気性がはげしく、することにも抜け目がなく、あなどることのできない|たとえ《ヽヽヽ》。長野あたりでは「山椒は小粒でも実がからい」という言い方をします。
江戸時代中期、香辛料売りは江戸の市中を「ひりりと辛いは山椒の粉、すいすい辛いは胡椒の粉、けしの粉|胡麻《ごま》の粉|陳皮《ちんぴ》の粉、中で良いのが娘の子、いねむりするのは禿《かむろ》の子、とんとんとんとんとんがらし」と、はやしたてながら、売り歩いたそうです。おおどかで、のんびりした江戸の町並みがほうふつとしてくる唄《うた》ですね。
さんしょの木は、中国奥地が原産地とされていますが、二〇〇〇年前にできた中国の『詩経』に、東海の諸島にもあることが記されているところから判断すれば、神武天皇の有名な歌(『古事記』中巻東征の章)、
[#この行2字下げ]みつみつし 久米《くめ》の子等が垣下《かきもと》に 植ゑし椒《はじかみ》 口ひくく 吾《われ》は忘れじ撃ちてし止まむ
という御製の「はじかみ」(通説ではしょうが)も、どうやら「さんしょ」のように思えてきます。あるいは有史以前から、わが国に根づいていたのかも知れません。
[#この行2字下げ]庭の山椒《さんしゆ》の木に 鳴る鈴かけてヨー オーホイ 鈴の鳴るときゃ 出てヨー おじゃれヨー
という稗搗節《ひえつきぶし》に歌われている山椒は、ミズキ属の一種の山茱萸《さんしゆゆ》で、さんしょとは別の植物。
さんしょにはイヌざんしょ、カラスざんしょ、フユざんしょなどがありますが、いずれもトゲがあって、男木と女木に分かれていて、男木のほうは辛味がなく、味わいが乏しいのにくらべ、女木のほうの葉は香りも高く、食用に供されます。男木と女木はトゲの植えぐあいで見分けられます。左右そろってトゲの出ているのが女木、交互に出ているのが男木です。
さんしょの一変種、朝倉さんしょは、兵庫県朝倉の今滝寺にあったさんしょで、トゲのないさんしょ。果実も大きく、香気が高いところから古来、献上品、あるいは大名の御用となり、諸方へ出回り、ずいぶんと珍重されたようです。現在は全国で作られ静岡県がいちばん多く、奈良、和歌山、兵庫の順に生産されています。晩春から秋まで、芽、葉、皮、花、実というふうに、季節ごとに使いわけ、重宝します。
若芽は俗に「木《き》の芽《め》」と呼ばれ、|ゆず《ヽヽ》とともに日本料理の二大香味料として、清《すま》し汁の吸い口、たけのこの木の芽あえ、豆腐の木の芽田楽、すしなどに用いられます。花ざんしょ、実ざんしょは、つくだ煮にして賞味され、未熟果は「青ざんしょ」とし、塩漬けにして貯蔵します。熟した果実を乾して粉にしたのが、いわゆる「粉ざんしょ」で、香りもよく保存がきくところから、赤だし、うなぎのかば焼き、鳥、魚の照焼きには欠かせぬ香辛料です。「小粒でぴりりと辛い」果実の辛味成分は、サンショールと呼ばれる一種の酸アミド体だといわれます。このほか、さんしょの木のあま皮はつくだ煮にして賞味され、材は固さがころ合いで粘りが強く、擂粉木《すりこぎ》の材質としては最良で、杖《つえ》にも用いられます。
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[#小見出し]  サンマが出《で》るとあんまが引《ひ》っ込《こ》む[#「サンマが出《で》るとあんまが引《ひ》っ込《こ》む」はゴシック体]
あはれ 秋風よ 情あらば伝へてよ
――男ありて、今日のタ餉に ひとりさんまを食らひて 思ひにふける、と。
あまりにも有名な佐藤春夫の「秋刀魚《さんま》の歌」。サンマといえば秋、秋といえばサンマを思い起こすほど、サンマは海からきた秋の味覚のシンボル。サザ、サイラ、サイリ、サイレ、サイロ、サヨリ、カド、マルカド、バンジョ……と、それぞれの土地で、さまざまに呼び名の変わるサンマ。
秋刀魚という文字をあててサンマと読ませるのも、その姿、形からの連想でしょうが、このほか、秋光魚、西刀魚、銅況魚などとも書き、いずれも刀に縁があり、さわやかな秋の季節感をしのばせてくれます。
サンマは冷たい水を好む魚で、オホーツク海から北海道、三陸、房総沖を回遊しています。秋になって暖流の勢いが弱まり、寒流が日本列島の南部にまで張り出してくると、この寒流にのり、産卵のため群れをなして南下してきます。体調も産卵期によって大きく左右され、八月の中旬、北海道の沖合いで獲《と》れるころは、脂ののりぐあいも悪く、やせ細っていますが、九月下旬から十月のはじめにかけて、三陸沖にさしかかるころともなると、餌を十分食べて体調も整い、脂肪もグンと増え「サンマが出るとあんまが引っ込む」ほど栄養価の高い魚になります。
牛肉にくらべ、ビタミンAが三倍、カルシウムが四倍、脂肪が一・五倍近くもあり、たんぱく質にも富み、血合肉にはB12が多量に含まれ、日本の女性に多い貧血症にはもってこいの魚で、出さかりには値段も安くなり、うまいので、庶民の間で健康食品として大いに歓迎されてきました。サンマが出回るころは、夏の疲れもようやく癒《い》えて、食欲も急激に盛んになり、スタミナ食のサンマを食べて元気百倍、もうあんまやお医者にかかる必要がなくなる――というわけでこんな|たとえ《ヽヽヽ》も生まれたのでしょう。
水揚げしたてのサンマは風味がよく、真っ赤に起こした炭火で、もうもうと煙を出しながら余分な脂肪や水分をとって焼く塩焼きの味は、サンマならではのうまさです。ワタ(内臓)もサンマの値打ち――といわれ、獲れたての鮮度のよいうち、ワタを除かずに焼く魚は、サンマとアユぐらいのものでしょう。
このように強火で塩焼きしても、サンマはいくぶんなま臭味が残るので、おろしたての大根をたっぷり添え、焼きたてのジュッというくらいの熱々を賞味しましょう。鮮度のよいものなら、塩焼きのほか、フライ、酢のもの、かば焼きなどにしても楽しめます。
魚屋に山と積みしは秋刀魚かな 迦葉
この句のように、むかしはサンマがたくさん獲れ、一塩にして遠方にまで送り出され、海に縁のない地方にも、秋を告げる魚として親しまれたものですが、ひところにくらべ、漁獲量も減り、値段の安い大衆魚とはいえなくなってきています。
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[#小見出し]  三|年味噌《ねんみそ》に四|年大根《ねんだいこん》[#「三|年味噌《ねんみそ》に四|年大根《ねんだいこん》」はゴシック体]
主として新潟地方で言われたことわざで、みそは三年たてば味わいが最上となり、みそ漬け大根は四年たつと最もおいしくなるということ。
むかしは地方によっては「桃味噌」といって、桃の花盛り――旧暦三月の桃の節句のころがみそを煮るのによい時季で、どこの家でもみそ煮をしました。なにしろ生命に次いでたいせつなみそ(信州あたりでは「おっかあ(嬶)質《しち》に入れても味噌を煮ろ」、「着物質に置いても味噌は煮て置け」ということわざもあるくらいで、みそはそれはそれは貴重品でした)なので、みそを煮る日取りを定めるのにもいろいろ縁起があり、「うまみそ」「赤みそ」――つまり、午《うま》の日に煮ると|うま《ヽヽ》いみそができ、申《さる》の日に煮ると猿の顔のように赤いみそができる。また「|うま《ヽヽ》の日に煮て|さる《ヽヽ》の日に掻き込めば味がいい」「|うま《ヽヽ》の日に煮て|とり《ヽヽ》の日に搗きこむといい」などといいました。
こうして桃の節句に煮て仕込まれたみそは、夏の土用を越すと食べられるようになります。「土用を越すと味噌がうまくなる」といい、さらに翌年の寒中を越して二年めになると熟して(なれて)きて、味わいが深くなります。「寒・土用を越すと味噌がうまくなる」これがいわゆる二年みそです。さらに土用と寒を越せば「三年みそ」で、これがいちばんの食べごろです。
「三年みそに余念(四年)なし」といって、三年みそが最上の味となり、食べはじめると余念がない、四年になると、もう味がボケてくるというので、三年みそを理想としていました。
「三年みそは渋く、二年みそは甘く、一年みそは辛い」というのも、年を経るにつれて、みその塩気がなじんで減っていく意です。このように三年かかってようやく完成したみそ、それをこれから一年かかって食べようという|みそ《ヽヽヽ》樽の中のみそは、三年がかりで自然と人間が相寄り相|扶《たす》けて生みなした食品といえましょう。
それだけに三年びねのみそは、味わいがまろやかで、みそ汁にしても後味がよく、心にひびくうまさを蔵しています。こうした味わいをおふくろの味≠ニ表現したのも、まことにムベなるかなといえましょう。それにひきかえ、近ごろ量産されるみそは、愛情のかけらもなく、ただあだじおからい≠ンそで、ほんとうに歎かわしい次第です。
ところで、一方のみそ漬け大根ですが、これには最上等の大根を生からみその中へ漬け込む方法と、たくあんに漬けた大根を用いる方法と、また、辛めに漬け上げた大根を粕《かす》の中へ漬け込み、再々それを漬け替えてのちに、さらに赤みその中へ漬け込む方法とがあります。
越後のみそ漬けとして「きんちゃくなす」が有名です。これはふつうのなすでもよく、なす、きゅうり、大根、しょうが、みょうがなどを二、三日塩漬けしてのち、水気を十分きってザルに上げ、風干しをします。これらをこうじのはいった赤みそに漬け込み、十日ばかりしたら取り出し、甘味の|かった《ヽヽヽ》粒みそに漬け直しておくと、早くて半月すれば食べられます。このまま長く漬け込んでおくと、材料がベッコウ色になり、風味を増して本格的なみそ漬けになります。
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[#小見出し]  三|里《り》四|方《ほう》の野菜《やさい》を食《た》べろ[#「三|里《り》四|方《ほう》の野菜《やさい》を食《た》べろ」はゴシック体]
大根でもねぎでも、あるいは小松菜でも、畑から採《と》りたてのものは質がちがうかと思われるほどうまいものです。採ってから少しでも時間が経つと、味がグンと落ちます。まつたけにしても、採りに行ったその場所で、採れたてを時を移さず、すぐさま食べるのが、いちばんおいしいのです。京都あたりから日本各地へ送られるまつたけも、途中、籠の中で成長して、届いたときには、送り出したときより大きく育っています。生育に必要な栄養分を摂《と》らずに育つのですから味が落ちるに決まっています。したがって味もかなり変わってしまいます。
たけのこにしても産地から送り出すときには二〇センチのものが、届いたときには二二、三センチになっていたということが間々あります。これはたけのこが生きていたようでも、その実、死味に近づきつつある証拠です。生きた野菜でなければ、真の美味や持ち味は摂取できないわけです。魚や野菜の生きているか死んでいるかを見分けるには、魚では比較的たやすくわかっても、野菜ではそう簡単にわかりません。だから野菜は採りたてか、採りたてに近いほどよいのです。
このことわざは、京都で言われてきたもので、正しくは「三里四方の野菜を食べていれば、長寿延命疑いなし」というもので、鮮度の高いものこそ、栄養的だということを「三里四方の野菜」と端的に言い表わし、こうしたものを食べていれば、命長らえると説いています。近在、一二キロ四方以内で生産された野菜なら鮮度もよく、からだの調子を整えるために必要な無機塩類やビタミンなどを豊富に含み、これを摂っていれば「長寿延命」は保証つきと言えましょう。
交通輸送機関の発達していなかった以前には、野菜やくだものは、畑や木で十分|熟《う》れさせたものを採取して、近郊から消費都市へ運んだものですが、現在は生産地と消費地が遠く離れ、いわゆるレールものが大半を占め、野菜やくだものなどの生鮮食料品を完熟した状態で生産地から出荷すると、消費地に着くころにはほとんど腐ってしまいます。そのため、多くの野菜やくだものは、完熟以前に採取して、保存期間を少しでも長くできるようにしています。しかし、こうしたものは栄養的には価値が低く、味わいの点でも劣ります。以前にくらべ、野菜やくだものがまずくなったのは、単に化学肥料や質より量といった生産条件以外に、輸送の問題がからんで、未熟なものを食べさせられているからです。
野菜を新鮮な状態で、しかも完熟したものを消費者の手許に輸送する手段として、注目されているのがコールドチェーン方式ですが、これにはかなりの資金が必要で、まだ実験段階の域を出ていません。現状では八百屋さんが市場から仕入れてくる荷下《におろ》しの時間を見計らって買いに行き、少しでも鮮度のよいものを手に入れる努力が必要です。こうすれば、比較的採りたてに近いものが入手でき、栄養価も高く、おいしいものが食べられ、結果的には家計の一助ともなります。生きた野菜でなければ、真の美味も栄養も摂取できません。不精していては、おいしい料理はつくれない――と、肝に命じてください。
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[#小見出し]  塩辛食《しおからく》おうとて水《みず》を飲《の》む[#「塩辛食《しおからく》おうとて水《みず》を飲《の》む」はゴシック体]
塩辛を食べればのどがかわくからと、前もって水を飲むことで、手回しのよいのもことと場合によります。日本酒に塩辛のピッタリするのはどなたもすでにご存知のことです。「これさえあれば他の料理など余り問題ではない」と惚《ほ》れ込んでいる左党もいるくらいで、
雲丹が未だ残って居ると徳利振り
面当《つらあて》に酒盗《しゆとう》を出して余計呑まれ
塩辛が呑ませたやうに嬶《かか》にいひ
などとすっぱ抜かれ、塩辛と左党の因縁浅からぬ仲をしのばせてくれます。
塩辛は日本独特の塩蔵品で、世界にもあまり類を見ない食品です。文字通り塩辛いので「塩辛」と名づけたのでしょうが、一種の塩漬けなのですから、イカの塩漬けとかカツオの|はらわた《ヽヽヽヽ》漬けと呼びそうなものなのに、漬けものとして召し上がる以上の塩を使って漬け込むため、そのものズバリの名を付けたのでしょう。塩辛は確かに酒の味をよくし、知らず知らずのうちに酒量を過ごすもので、「酒盗」という名も、塩辛の性質をズバリ言い当てています。
塩辛の材料としておなじみのものは、まずなんと言ってもカツオ、それにイカ、タイでしょう。このほか、エビ、ハマグリ、カキ、アワビ、アユウルカ、アミ、スジコ、コノワタなどがあります。鳥類の塩辛も古くから行なわれ、ツグミ、シギ、ハト、ニワトリなどがあります。もっとも鳥を材料とした塩辛は食べなれるまで、かなり好き嫌いのはげしいものだけに、はじめはちょっぴり出すほうが賢明でしょう。
以上、あげた例でもおわかりのように、塩辛の材料は、いずれも個性味の強いもので、この個性味が塩味となれ合って、塩辛をいっそうおいしいものにしてくれます。
本場土佐で「酒盗」の名で親しまれるカツオの塩辛は、カツオ節製造の副産物として生まれたもので、もっぱら酒量の多い左党のサカナとして喜ばれます。
ご家庭で比較的簡単にできる塩辛としては、イカが一番ですが、鮮度のよい刺身イカが手にはいったら、スミ袋を破らないように足といっしょにワタを引き抜きます。そうして足のつけ根の部分に切り目を入れて開き、クチバシと目玉を取り除き、肝《きも》以外のワタは捨て、水洗いし、薄い膜からしごくようにして広口びんか小瓶《こがめ》に入れ、ワタ一個に大さじ一杯の割で塩を入れ、よくかきまぜます。一枚に開いた身のほうは薄皮をきれいにむいて、水気をよく拭き取り、タテに包丁して小口から一センチ幅程度に切り、びんに入れ、乾いた箸でよくかきまぜ、冬場でしたら、ゆず皮の細切り、またタネを抜いて細切りした唐がらしを適量加えると、味わいが深まります。日に何度かかきまぜ、四、五日すると、ちょうど食べごろのあんばいとなります。
できあいのものより、自分の家でこうして心をこめて作ったもののほうがおいしく、不意のお客さまのときにも、酒のサカナとして喜ばれます。
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[#小見出し]  シシ食《く》った報《むく》い[#「シシ食《く》った報《むく》い」はゴシック体]
悪事をしたために受けなければならない報い。ひとがしないよい思いをしたからには、その埋め合わせに当然悪報も受けなければならぬということ。また、肉を食べると|できもの《ヽヽヽヽ》などができることを言う場合もあります。
イノシシ(猪)は略してシシでとおっていますが、実際はイ(猪)。シシは|けもの《ヽヽヽ》の肉の古い呼び名で、現代人でも肥《ふと》ったひとを肥り|じし《ヽヽ》などと使っています。したがって、イノシシは正しくは猪の肉の意味で、それが現在では動物名になっています。数多い|けもの《ヽヽヽ》類の中でもシシの肉はとりわけおいしく、最上位にランクし、珍重してきました。
仏教渡来以前の日本では、肉食がさかんに行なわれ、ときにはウサギやキジ、ヤマドリなどの鳥類の肉も食べたようですが、肉食の本命はやはり、イノシシとシカでした。シシ(宍)――すなわち肉といえば、イノシシ(猪)、カノシシ(鹿)が代表し、シシということばはまた、イノシシ・シカの代名詞でもありました。このことわざの起こりについてはいろいろの説があり、一説には伊勢神宮で、シカ・イノシシを不浄なものとして忌み、その禁忌にもとづいて生まれたと言い、また、シカは宇佐・賀茂・春日の各神社では神の使いとして神聖視されていたので、これを食えば罰を受ける――としたところからはじまったとも言います。
一方、地方によっては女郎のことをシシと呼ぶところもあり、あまり安物を買ったために、カサ(瘡毒、つまり梅毒のこと)にかかったひとを、「シシ喰った報い」などとひやかし、不潔な色事の代名詞に使うこともあります。イノシシのことを俗に「山クジラ」などと称し、水産物扱いにしたのは、仏教で四つ足の肉を食べることをタブーとしていたからで、また、脂肪分の豊かな点がクジラに似ていたからだともいいます。
毒になる奴が煮てゐる薬喰ひ――この古川柳の「薬喰ひ」は、ふだん口にしない|けもの《ヽヽヽ》の肉、ことにイノシシの肉など精力をつけるために、からだの弱い者が食うのをさし、それをこともあろうに毒になる女房が煮ている、矛盾もはなはだしい――という意味です。
ところでイノシシの代表的な料理といえば、「牡丹なべ」といって、野菜などをいっしょに入れ、みそ仕立てにするすき焼き料理ですが、寒さが深まるにつれ、おいしくなります。
雪の日のしちりんで咲く冬牡丹
牡丹はイノシシ肉を意味する隠語で、花歌留多牡丹に唐シシ≠ゥら生まれたものだろう――といいます。いずれにしろ薬喰いの季節は、厳寒の候にかぎるようです。私もなんどか魯山人先生のところで牡丹なべのご相伴に預りましたが、イノシシ肉は断然白身の部分がおいしく、「山クジラは白身を喰うものだ」といって、すすめてくれました。毎年、シーズンになると岐阜の山中で獲《と》れたものが、石油箱に詰めて送られて来、先生は「イノシシは暖流の流れている太平洋岸に近い山のものより、北の寒い山国のもののほうがうまい」と言っていました。
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[#小見出し]  下拵《したごしら》えも味《あじ》の中《うち》[#「下拵《したごしら》えも味《あじ》の中《うち》」はゴシック体]
手際よく適切な調理をするためには、調理法にしたがい、それぞれの材料に応じて適当な下ごしらえをします。下ごしらえが適切であれば、調理がしやすく、また、材料の持ち味もあらわしやすくなります。下ごしらえのよしあしが、うまいまずいを決めると言ってもよいくらいです。一般に、下ごしらえというと、料理材料そのものの下準備だけをさすもののように考えられていますが、もっと幅広く、献立作りから材料の選び方、器の取り合わせ、切り方、ゆで方、食器と料理、調理の手順、部屋の整備、食卓の整頓なども、下ごしらえの中と考えて、用意を怠らぬようにしたいものです。
まず、献立作りですが、献立はお食事の目的や趣旨に添って考えなければなりません。お客さまを招いてのおもてなし料理か、ふだんのおそうざい料理かによって献立が異なるのはいうまでもありませんが、同じおもてなし料理でも、冠婚葬祭、その他、それぞれの趣旨によって献立が変わってくるからです。
家庭のおもてなし料理にも、一応、基本となる約束はありますが、それにはあまり拘《こだわ》らず、それよりもお招きする人の身分や年齢、性別、趣味、嗜好、人数などを十分頭に入れて、主となる料理を、まず中心に考え、季節の材料を選び、どの料理には、どの材料が、どれほど入用かを計算して、取り合わせにも心を配り、お客さまに喜んでいただける献立を作りましょう。
次に材料の選び方ですが、やはり季節の材料を選ぶことが肝心です。季節ごとに豊かな食品材料に恵まれた日本では、魚介や野菜を選ぶとき、しゅんのものをたいせつにしてきました。しゅんのものは値段が安く、しかも味わいのすぐれたものばかりです。この時季を逃がさず、味わうようにしましょう。
材料の見分け方は、ふだんの修練がなによりもたいせつで、魚を選ぶにも、蔬菜類を手に入れるときでも、十分な関心をもって、なるべく鮮度のよいもの、質のよいもの、形はあまり大きすぎず、小さすぎず、ほどよい大きさのものを選ぶようにすれば、食べておいしく、すぐれた材料ということがおわかりになるでしょう。このような材料さえ手に入れることができればあとはあまり手を加えなくても、よい料理はできるといっても過言ではありません。
次に段取りと手順ですが、段取りのよしあしが料理上手と下手のわかれ道になります。段取りは、単に調理上の能率ばかりでなく、味の上にも影響し仕事の楽しさをも左右します。これもふだんがたいせつで、うまく段取りをつけて、入念にこしらえることを心がけてほしいと思います。手順さえよければ、時間的にも決して不経済ではありません。
切り方、ゆで方、器の取り合わせなども、体験に学ぶ以外に道はありません。それには料理を楽しみながらするということで、いやいやながらでは、ものにも愛情がわかず、料理の上達は望めません。
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[#小見出し]  蓴菜《じゆんさい》で饅繋《うなぎつな》ぐ[#「蓴菜《じゆんさい》で饅繋《うなぎつな》ぐ」はゴシック体]
どちらもぬるぬるしていて、しばりようがない。ばかばかしくてできないこと。同種のことわざに「瓢箪《ひようたん》で鯰《なまず》を押《おさ》える」があります。
蓴菜や水を離れて水の味
どなたの句かはっきりしませんが、じゅんさいはまさにこの句のように水の味を伝える水草。淡白で、ほとんど無味に近い中に、なんともいえない雅味があって、その舌ざわりのなめらかなことと相まって、古くから酒客や茶人に愛好されてきました。
じゅんさいは古い池や沼に自生するヒツジグサ科の多年生水草で、地下茎は縦横無尽に細長い茎を出し、泥の中をはい回り、葉は長円の盾形《たてがた》をしていて、三〇〜五〇センチの細長い柄があり、長じたのは水面に浮かびますが、若い巻葉は水中に沈んでいて、葉裏に寒天のような透明な粘液を分泌します。特に小さな新葉やつぼみには、ぷりぷりした透明な粘液がまとわりついていて、小粒なものほど上質とされています。春から夏にかけて、この若い巻葉を採取するわけですが、半夏生《はんげしよう》(夏至から十一日め、七月二日ごろ)を過ぎると、巻葉は口あたりもやや固くなるので、それまでに採《と》ったのを水煮して冷却し、アクをぬいてびん詰にして保存します。
吾が情《こころ》ゆたにたゆたに浮蓴《うきぬなは》 辺《へ》にも沖にも依りかつましじ
『万葉集』にただ一首のっているじゅんさいの歌ですが、古名を「ぬなわ」といい、地下茎の長いのを縄に見たて「沼縄」がつまって「ぬなわ」になったと言います。また、一説には、巻葉の裏の寒天状粘液のために、ぬるぬるするので「滑めり縄」の意だともいいます。この歌の意は、「わたしの心は浮いたぬなわのように、ゆらりゆらりと漂って、岸にも沖にも寄り得たようで寄り得ない」――と、わが心の動揺を|ぬなわ《ヽヽヽ》にたとえています。
そのせいでしょうか、上方ではたよりない相手のことを「じゅんさいなお人やナ」といい、「じゅんさいなこと言わんときや」などといって、デタラメで信用のできないことの意に使います。じゅんさいは日本の各地に自生し、北海道産、東北地方産、それに上方のものと多く、なかでも京都のみぞろケ池と国際会議場のある宝ケ池が有名で味わいも格段すぐれています。
池の底から、カマでちぎって引き寄せ、指先で新芽を摘んだじゅんさいは、さっと淡い塩水で洗い、水気を取ってから、主にみそ汁や清し汁の椀種《わんだね》にしますが、三杯酢にしても、わさびの香りと冷たい餡《あん》(じゅんさいの若い巻葉についている寒天状の粘液のこと)を、のどごしさせるときの感触はなんとも言えず、すばらしい味わいで、雅味のある粋《いき》なものです。でも、やはり圧巻はわさびあえ。冷蔵庫でじゅんさいと濃口しょうゆをよく冷やしておき、召し上がる直前に、おろしわさびをしょうゆにたっぷり溶《と》き入れ、水気を切ったじゅんさいに|まぶす《ヽヽヽ》ように静かにまぜ合わせます。そうして、ほどよく冷やした義山《ギヤマン》の器に盛られたわさびあえは、日本人が極めた悟りの味と申せましょう。
じゅんさいの光るをすゝり山を愛す 巨詠子
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[#小見出し]  しゅんに食《た》べるのが食通《しよくつう》[#「しゅんに食《た》べるのが食通《しよくつう》」はゴシック体]
食べものの選び方は、むかしもいまも、すべて天然自然に順応することを基本とすることに変わりはありません。まず第一に住んでいる土地で生産される穀類の中より、もっともよいものを選び、それが不足の場合には、その土地で産み出される他の穀類、野菜、動物性食品などを選び、また、なるべく、その季節にできるもの、すなわち、しゅんのものを食べるようにすると、私たち人間のからだの諸器官は、その気候風土に耐えられるよう抵抗力が培われ、延命長寿を保つことができるのは、争われない事実です。
これはまったく自然の妙機とも言うべきもので、自然の恩恵の偉大さは、とうてい人智で推し測ることのできないものです。季節と食べものの関係について、石塚左玄という人の道歌に――
春苦味夏は酢の物秋辛味 冬は油と合点《がてん》して食へ
とありますが、この道歌のこころにしたがって、四季折々の食べものを選べば、まずまちがいありません。この歌の意味するところは、季節ごとにできるものを食べろということで、春にできるものは、ふき・せり・よもぎ・よめななど、総じて苦味を帯びており、夏にできるなす・きゅうり・トマト……などは、多少の酸味を含んでおり、秋にできるものは、しょうが・とうがらしなど辛味のものが多く、つまり、季節ごとにできるものを食べ、もしそれらのものが不足した場合に、歌に示された味のものを、時々食べるようにすればよいというのです。
このようなものが、私たちのからだにどのような影響を与えるか――ということを説明するとなるとなかなかむずかしくなりますが、かいつまんで申しますと、春、私たちのからだは、冬の間にたくわえた塩分や脂肪分を緩《ゆる》やかにし、徐々に夏の暑さに対する準備をしなければなりません。苦味はその点、塩分や脂肪分を緩和するのに、有効なはたらきをします。夏の暑さに耐えるためには、体内に、塩気や油分が少ないほうがよく、酢のものを食べるのは、この塩気や油分をぬくのに効きめがあります。秋は夏場に緩んだからだの組織に刺激を与え、食欲を盛んにし、徐々に塩分や脂肪分をたくわえて寒さに対する準備をしなければなりません。辛味はこの目的を達成させるのに効果があります。寒さに対して脂肪分がたいせつなことは、ご存知のとおりです。脂肪分は必ず塩気のあるものといっしょに摂《と》るべき性質のものですから、冬は脂肪のほか、一面、鹹味ともいわれます。
食養法や茶懐石では、季節のものを尊ぶだけでなく、しゅんの持ち味の充実した新鮮なものを選び、しゅんはずれの珍しい初物などは、あまり賞味しません。まして、しゅん遅れのものは食養価値が少ないばかりでなく、真味に乏しく、味わいもよくありません。
料理のしかたも、ものの持ち味を引き出し、よりおいしく……というところに重点をおき、見栄《みば》えや見せかけの細工料理を排して、滋味を失わぬように心しています。日常のお惣菜料理にも、食養のこころや茶懐石の手法を生かしましょう。
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[#小見出し]  食器《しよつき》は料理《りようり》のきもの[#「食器《しよつき》は料理《りようり》のきもの」はゴシック体]
馬子にも衣裳と言いますが、お料理も衣裳次第で、うまくもまずくもなります。お料理の器量をよくするには、それにふさわしい、よい|きもの《ヽヽヽ》が選ばれなくてはなりません。
家に在《あ》れば笥《け》に盛る飯《いい》を草枕
旅にしあれば椎の葉に盛る
『万葉集』の有馬皇子《ありまのみこ》の歌でおわかりのように、大むかしは椎の葉や柏の葉に食べものを載《の》せて食べたといわれますが、すでに椎の葉に載せたということが食器の必要性を示しています。早い話がカレーライスを新聞紙の上に載せて出したとしたら、おそらく今どきだれもこれに手をつけようとするものはいないでしょう。なぜでしょうか。いうまでもなく、新聞紙の上に載せられたカレーライスがいかにも醜いものに思われ、いやらしい連想などが浮かぶからです。カレーライスそのものだけなら、これをきれいな皿に盛ろうとも、新聞紙の上に載せようとも変わらないはずです。それにもかかわらず、美しい皿に盛られたカレーライスは喜んで食べ、新聞紙に載せられたカレーライスは見向きもしないというのは、料理において食器がいかにたいせつな役目をするかを物語って余りあると言えましょう。
かりに衣裳がおんなの生命《いのち》であるとすれば、食器は料理の生命であると言うことができます。食器の上等、下等も分相応に考えなければなりませんが、大きさや深さ浅さ、形、色どりなど、料理や季節に合わして調和をはかることを考える必要があります。つまり、食器は食べものの容れものであると同時に、趣味の|きもの《ヽヽヽ》であるからです。中身さえうまければ容器なんかなんでもよい、容器は食えるものではないからというのは、きものは暑さ寒ささえしのげばよい――という実用面だけを強調する議論と同じで、つまるところ、料理についての無知、無理解から起こる暴論です。もののほんとうの味がわかってくればくるほど、料理にもやかましくなり、料理がやかましくなればなるほど、料理を盛る器に関してもやかましくなるのは当然のことです。
それなのに、現在多くの専門家が、料理を云々しながら、食器について顧みるところなく、お料理本の全集にも、食器の講座がないのは、片手落ちだと思います。これは料理に携わる人に、料理についての見識がないか、料理というものがわかっていないかそのいずれかでしょう。
以上のことがわかれば、それに従って次々にいろいろなことがわかってくるはずです。料理するものの立場からいえば、自分の料理はこういう食器に盛りたいとか、こういう食器を使う場合には、料理はこういうふうにしなければならないとか、器をふくめて全体としての料理を考えますから、見識も広く高くなってきます。また、別な観点からすれば、よい食器のある時代は、よい料理のあった時代、料理の進んでいた時代である――ということができましょう。その意味では現代は料理の進んだ時代とは申せません。よい食器が生まれていないからです。
ふだん使う食器にも分相応、適材適所を常識として、料理と食器をくふうすることは、十分研究してよいことだと私は思います。
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[#小見出し]  鮨《すし》の辛味《からみ》は山葵《わさび》にかぎる[#「鮨《すし》の辛味《からみ》は山葵《わさび》にかぎる」はゴシック体]
そばに七味とうがらし、おでんにはかきがらし、ウナギのかば焼きには粉ざんしょう、と言ったぐあいに、日本料理にはそれぞれの料理に合った、辛味というものがあります。その点で、刺身・酢のもの・洗いなどの|なまもの《ヽヽヽヽ》には、わさびがピッタリします。
すしでは、マグロ・光り(青い光を放つ魚の類で、サバ、イワシなど。すしではコハダ・キスなどをさす)・貝などの|なまもの《ヽヽヽヽ》にはあらかたわさびを使っています。
関西ずしで薬味といえば、ただ単にしょうがぐらいのものですが、江戸前の握《にぎ》りずしとなると、一口食べたとき、わさびの辛味がツーンと真一文字に鼻に抜けるところに握りずしの本領が発揮されます。もののたとえに「わさびがきいている」と言いますが、もし「|さび《ヽヽ》抜き」の握りだったら、まことに味気ないすしになってしまいます。
すしに使うわさびには、大別すると、「すりさび」と「練りさび」の二種があります。すりさびは生わさびをすし職人が、その場で丹念にすりおろしたものです。一方の練りさびは、粉わさびを冷たい水でといたもので、近ごろはやりの五〇円ずしは、ほとんど練りさびを使っています。
すりさびは、わさび特有の香り・色・辛味に、わずかながら甘味もふくまれ、味はグンとすぐれていますが値段のほうもめっぽう高い。客の顔を見てからわさびをおろすような店なら、まずうまいすしを握ってくれる店とみてまちがいありません。
ところで、|とろ《ヽヽ》でも|てっか《ヽヽヽ》でも辛味はわさびにかぎるのは、どうしてでしょう。
魚にはそれぞれ特有のなま臭味があって、その臭味がいちじに口中に広がり、すぐに消えていくのもあるし、魚によっては、なま臭味がジワリ出てきて長く口中に残るものもあります。マグロの|とろ《ヽヽ》やタイの刺身などは、なま臭味がいちどに強くきますが、比較的早く薄れてもゆきます。辛味も自然これと合うものでないといけません。|とろ《ヽヽ》のなま臭味とわさびの辛味の曲線は、時間的におおよそ平行して口中で消えていくので、相性がよいわけですが、同じ薬味だからといって、わさびの代わりに|とうがらし《ヽヽヽヽヽ》でも用いようものなら、うまいとろの味が消えているのに、辛味だけが執念深く残って、せっかくのうま味も、とうがらしの辛い後味によって打ち消されてしまいます。
そんなわけで、なまものをたねの握りずしにはもっぱらわさびが用いられます。店によっては、客の顔を見てからわさびをおろしてくれます。判ってくれる客なら、それこそ|さび《ヽヽ》のきいた客と言えましょうが、鈍感な客でしたら、おろし損です。ところが「女房を質に置いても……」と、江戸っ子に騒がれたカツオばかりは例外で、すしにしろ、さしみにしろ、辛味は|しょうが《ヽヽヽヽ》か|からし《ヽヽヽ》でなくてはいけません。わさびはなまものの辛味以外に、魚の毒消しの役目も担《にな》っている――と言いますが、そこまでわさびをかつぎ出すとなると、せっかくのわさびの風味も、ありがたみが薄れてしまいます。
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[#小見出し]  鮨《すし》は小鰭《こはだ》に止《とど》めを刺《さ》す[#「鮨《すし》は小鰭《こはだ》に止《とど》めを刺《さ》す」はゴシック体]
このことわざの生い立ちについては、いろんな説があります。『すし通』という古書によれば、江戸末期にすしを売り歩く職人は、身ぎれいな|いでたち《ヽヽヽヽ》で、手拭を吉原かぶりにして草履《ぞうり》をひっかけ、粋《いき》な声で「鮨やコハダのすーし」と呼びかけて歩いたもので、食物職人中いちばん粋なものだったと言われます。「坊主だまして還俗《げんぞく》させて、小鰭の鮨でも売らしたい」という唄《うた》までできたほどです。どこへ行ってもすし屋さん、すし屋さんと大モテで、コハダのすしを食べなければ、江戸っ子ではないというほどのはやりようだったそうです。そんなことから、このことわざが生まれたといいます。
一方、江戸の握りずしは、新鮮味を第一として尊んでいますが、中でも「なれ味」のあるのはコハダで、すしめしともっとも調和するからといい、すしを食べつくした通人は、コハダがいちばん飽きがこなくていいと言うので、「鮨は小鰭に止めを刺す」のだとも言います。
もう一つ。「止めを刺す」というのは「最後」という意味で、コハダはすしだねのうちでいちばんなま臭いので、最初に食べると、いつまでも匂いが残り、他のものまでまずく感じられるので、コハダはしめくくりのときに食べろ――という教えだとの解釈。いずれももっともな説ですが、コハダはこのように愛好される反面、好き嫌いのはげしい|たねもの《ヽヽヽヽ》で、特にご婦人や子どもにはコハダを嫌うものが多く、一人前握ってもらって、最後まですし桶の中に残っているのがたいていコハダです。
コハダはコノシロの小形のもので、東京辺の方言です。東京辺では一五センチ以上の大きなものだけをコノシロと言い、八〜一二センチのものをコハダ、四〜五センチの小形のものをシンコとかジャコとか呼んでいます。このほか関西、九州方面では、大形のものは東京と同じくコノシロと言いますが、中、小形のものはツナシと呼んでいます。コノシロは南日本、朝鮮南部の沿岸寄りに多い魚で、北は東京近海まで分布しています。春から夏にかけて産卵し、秋になると五センチぐらいのシンコになって、市場へ顔を出すようになります。関東ではコノシロまで成長しないコハダのときを喜び、すしだねや酢のものにするほか、正月料理には欠かせない粟《あわ》漬けにします。十一月ごろになって一〇センチぐらいのコハダになると脂ものってきて、とてもうまくなります。東京湾内で獲《と》れるコハダは、近年産額がいちじるしく減りましたが、しゅんは十一月ごろから翌年の三、四月ごろまで、それから先はコノシロになり、すしだねとしては大きくなりすぎ、おまけに産卵期にはいるので、味はめっきり落ちます。
むかしは今のように冷蔵設備など完全でなかったので、冬、コハダがたくさん獲れると、すし屋さんは安値のうちに買い溜《だ》めしておき、まず腸を抜いて酢と塩とで甕《かめ》に漬け、目張りをして縁の下へ入れ、いわゆる「地息《じいき》を吸わせる」方法をとって保存したそうです。生々とした色と味を保って貯蔵するのがすし屋の腕前で、これは公開をはばかる秘伝だったと聞きます。
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[#小見出し]  蕎麦《そば》とお化《ば》けはこわいもの[#「蕎麦《そば》とお化《ば》けはこわいもの」はゴシック体]
薫風やすこしのびたる蕎麦|啜《すす》り 万太郎
そばのたんぱくは、水溶性のものが多いので、ゆでてからすぐ食べないと|のびて《ヽヽヽ》まずくなります。そばはゆですぎても恥ではないなどと言いますが、やはり、いくぶん|こわめ《ヽヽヽ》(かため)のほうが口あたりがよくてうまい。「蕎麦とお化けはこわいもの」という理由も、ここにあります。
穀類はすべて禾本科《かほんか》植物なのに、そばはタデ科の一年生草本です。じょうぶな植物で、どんなやせ地や、寒地でも栽培できるので、日本では古くから山間の荒地や高冷地で栽培されてきました。『続日本紀』によると、第四四代元正天皇は養老六年(七二二年)七月、詔《みことのり》をしてそばを植えさせたと言われます。いつもの年より夏に雨が少なく、稲の育ちがわるかったので、この詔となりました。このようにそばが凶年時の備荒食《びこうしよく》として栽培されたのは、七五日という短期間に結実するという利点からですが、すでに奈良朝のむかし、そばは備荒食として日本人の食生活に役だっていたわけです。ただし、そばが日常食となるためには、江戸初期、寛文年間のそば切り(今のそば)の発明を待たねばなりませんでした。それまでは|そばがき《ヽヽヽヽ》か|そばだんご《ヽヽヽヽヽ》が多かったようです。そばは一〇〇〇年以上の歴史をもつ食べものだけに、日本人のくらしと深く結びつき、日本各地にいろいろな打ち方や食べ方が残っています。徳島県の祖谷《いや》には、しいたけや鶏の煮出汁でおかゆぐらいに煮込むそばめしが残っていますし、土地によっては、そばの挽きぐるみを二割ほど米に混ぜて炊き、熱い汁をかけて食べるしかたもあります。このほか、椀種《わんだね》のそば真蒸《しんじよ》、えび芋を細切りにしてそば粉をまぶした東寺そば、お菓子ではそばまんじゅう、そばボウロなどがありますが、やはり、一般的なのはそば切りです。
そばの味の決め手は、なんといってもそば粉です。そば実の皮をむいて粉にし、ふるって作るわけですが、ふつう、そばには一番粉から三番粉までの粉が使われます。一番粉は中心部の純白な粉で、次にやや色づいたのが二番粉、おしまいに、そばの実の外皮まで挽き込んだものは、挽きぐるみとかサナゴと呼ばれ、四番粉とも言われます。
|さらしな《ヽヽヽヽ》とか|さらし《ヽヽヽ》、御前《ごぜん》粉と呼ばれる粉は一番粉を絹ぶるいしたもので、ごくわずかしかとれません。色が白く、香りや味も薄いものですが、口あたりがなめらかで上品な感じがします。おもに変わりそばの材料になります。二番粉はふつうのそばに使われ、三番粉は色が黒く見かけはよくありませんが、香りと味は濃く、この粉を使ったものには太打《ふとう》ちが多く、田舎そばと呼ばれるものは、この種の粉を使ったものがほとんどです。
各種の粉の混合の割合によって、味・香り・粘りなどもさまざまに異なり、さらに厳密に言えば、つなぎに使う小麦粉や卵、山芋のよしあし、ゆでる時間、湯かげん、水にさらすときの水温などによって、そばの歯ざわりに硬軟が生まれます。
ゆく年や蕎麦にかけたる海苔《のり》の艶《つや》 万太郎
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[#小見出し]  大根食《だいこんく》うたら菜葉《なつぱ》は干《ほ》せ[#「大根食《だいこんく》うたら菜葉《なつぱ》は干《ほ》せ」はゴシック体]
つまらぬものでもしまっておけば、いつしか役にたつときがくるということ。
「天災は忘れたころにやって来る」
とは寺田寅彦先生の有名なコトバですが、科学万能の現代でも、天災はある程度の予知しか私たちには与えてくれません。かりに予知できたとしても、それから準備するのでは、時すでに遅しです。要はふだんの心構えが肝心で、このことわざも一朝有事に備えての心構えを訓《さと》したものでしょう。
天災の中でも、いちばん悲惨なものは飢饉で、推古天皇の治政より明治時代までに、わが国には大小二百数十回の飢饉が襲《おそ》っています。原因としては、冷害、霖雨《りんう》、大旱《たいかん》、地震、風水害、蝗害《こうがい》などがあげられ、必ずしも一様ではありませんが、どれも人の災害についての記憶が薄れたころ予告なしにやって来ています。そのせいか、むかしの人(私どもの祖父母や両親たちをふくめて)は、食べものに対して、特に敬虔《けいけん》な気持ちで接し、「もったいない」を連発し、粗略には扱いませんでした。それと言うのも「金を懐《ふところ》にして飢ゆる」飢饉の惨状を、目のあたりにしていたからでしょう。
天明より天保へとつづく大飢饉に、心ある人たちは声を大にして救荒食《きゆうこうしよく》の必要をとなえ、建部清庵は『民間備荒録《みんかんびこうろく》』を、上杉鷹山は『かてもの』を、高井蘭山は『経済教草《けいざいおしえぐさ》』を、大蔵永常は『|日用助食 竃《にちようじよしよくかまど》の 賑《にぎわい》』を、高松芳孫は『敬食微言《けいしよくびげん》』を……と、次々に世に問い、「金銭は世の宝なれども飢て食ふべからず」「質素倹約は人の為ならず、畢竟其身の為也」と説いて、前触《まえぶ》れなき天災に処する救荒の方策を訴えました。これらの本は、一地方、一藩の救済に止まらず広く社会に役立ちましたが、そのいずれにも菜飯《なめし》があげられ干菜飯《ほしなめし》をすすめております。
現代はその点まことにありがたい時代で、政治、経済制度も一変し、交通事情もよくなり、たとえ事がおきても、すぐに救いの手がさしのべられ、最悪の事態をまぬがれるようになっています。そのせいか食べものについての感謝の念が薄れ、八百屋や団地のゴミ箱には、大根や白菜の葉が無造作に捨てられています。秋大根の葉などは、みずみずしく、根よりも栄養分があって、油で炒《いた》めたり、酢みそあえにしたり、即席漬けにしたり、干して油揚げといっしょに煮込めば、結構な惣菜の一菜になります。総じて野菜類は棄てられる部分に、ビタミンなどがたくさんふくまれているのですから、調理するときはムダにしないよう努めましょう。
軒深く釣られて寒き干菜哉 雨意
掛け菜して世を安気なる県《あがた》かな 白雄
都会の人たちとちがって、農山村の人々は、むかしから緑野菜の不足する冬場の用意として、干菜を作りました。山里の家々の軒先につるされている干菜の姿は、寒気に抗しつつ、これを克服しようとする農山村の人たちの心構えの強さを象徴するかのようです。
干菜は取り合わせがよければ栄養価値もあり、おいしいものだし、農山村の冬場の副食だけにとどめず、もっと一般家庭の食生活にも生かしたいものです。
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[#小見出し]  大豆《だいず》は畑《はたけ》の肉《にく》[#「大豆《だいず》は畑《はたけ》の肉《にく》」はゴシック体]
大豆を「畑の肉」と命名したのは、ドイツの学者だといわれます。明治八年、オーストリアで万国農業博覧会が催され、日本も招かれて出品したのが大豆と|てんぐさ《ヽヽヽヽ》。これがたまたまドイツの学者の目にとまり、大豆の栄養成分を調べてみたところ、これが牛肉に近いたんぱく質や脂肪をふくんでいることがわかり、かような|たとえ《ヽヽヽ》が生まれたという次第。
大豆の原産地は中国の北部地方だといわれ、日本には大むかし中国から伝わったものと思われます。『古事記』にスサノオノミコトがオオゲツヒメノカミを殺したもう章に、
「故《かれ》、殺さえし神の身に生《な》れる物は、頭《かしら》に蚕生《かいこな》り、二つの目に稲種生《いなだねな》り、二つの耳に粟生《あはな》り、鼻に小豆生《あづきな》り、陰《ほと》に麦生《むぎな》り、尻に大|豆生《まめな》りき」と記され、麻米《まめ》の字を当てております。
今日、大豆をたくさん作っている国は、中国とアメリカです。中国はむかしから大豆の栽培が非常にさかんで、特に満州(現在の東北地区)は生産の中心地となっていました。戦後、産額は多少減ったと言われますが、それでも年間に収量は一〇〇〇万トンに達しています。
一方のアメリカ大豆は、日本がふるさとといわれ、嘉永七年(一八五四年)日本に開国を求めたペリー提督なども、帰国に際して日本大豆を持ち帰ったといわれます。もっとも栽培が急激にさかんになったのは一九四〇年代からで、特に第二次大戦後、増加が目立ち、最近の生産量は年間一二〇〇万トンと本場中国を抜いて、世界第一の生産国にのし上がっています。
日本ではむかしから、豆と言えば大豆をさし、俗語で「まめ」と言うのは、「まじめなこと、勤勉、からだがじょうぶなこと」などの意味があり、「忠実」「息災」の字を当て、ふつう「マメで働く」「マメで暮らす」「マメな人」というふうに使われます。それだけ大豆と日本人のつきあいは古く、また、しょうゆやみそ、納豆、豆腐、湯葉などの原材料として、大豆の栄養価のすぐれていることを、身をもって知っていたからだと思います。
大豆は一般の豆類とちがい、たんぱく質や脂肪をたくさんふくむのが特徴で、たんぱく質は四〇%内外も含有し、その性質は植物性たんぱく質中もっとも良質です。インドネシアやタイなどでは、以前から牛乳代わりに「豆乳」を飲むところもあり、最近日本でも美容飲料などと銘打ち、売り出され、豆乳を飲む人が徐々に増えつつあります。また、一八%内外の脂肪を含み、これをしぼり、精製して天ぷら油にしたり、なおよく精製してサラダ油にしたりします。
ごく最近の話題としては、大豆たんぱくから人造肉(ミートレス・ミート)をつくる研究がさかんで、一部の大企業はすでに量産して市販しています。一見糸みたいな人造肉を、適当に処理し、固めると肉状のものができます。あるいは、フェルト状に固めて、適当な模様をつけると、スライス状の肉片を思わせるものとなり、固めてだんご状にすると、肉だんごを思わせるものとなります。ここにいたって大豆は、名実ともに「畑の肉」の地位、内容を獲得しました。
今後、高栄養たんぱく源として、大豆の需要は飛躍的に伸びるものと思われます。
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[#小見出し]  鯛《たい》もひとりはうまからず[#「鯛《たい》もひとりはうまからず」はゴシック体]
食欲や味覚は食卓の雰囲気《ふんいき》や会話、人数などによっても左右され、おいしさにもいちじるしいちがいが出てきます。いかにうまいといわれるタイでも、たったひとりで食べたのでは、うまくありません。「秋刀魚《さんま》のうた」(佐藤春夫)を引き合いに出すまでもなく、夕餉《ゆうげ》にひとり膳に向かえば、たとえおいしいタイでも、それほどには食えず、物想いに沈むのがオチでしょう。
お茶を飲むにしても、お酒を飲むにしても、ひとりよりはふたりして飲むほうが、おいしくなることは、どなたもご経験ずみのことと思います。食べ盛りの子どものころでも、ひとりっ子は食の進まない子が多いと言います。そんな子どもでも、大勢兄弟のいる親戚の家に行ったり、学友と遠足に出かけたり、臨海学校で合宿したりして、みんなといっしょに食事をすると驚くほど、たくさん食べることがあります。食べるものが少々お粗末でも、まわりの楽しい雰囲気に、ついついお代わりを重ね、箸使いも荒くなります。
雰囲気も味の中――これを証拠だてるおもしろい心理学の実験データがありますので、ご紹介しましょう。
お腹《なか》の空《す》いたニワトリを一羽|籠《かご》の中に入れ、十分にエサを与えます。食べすぎるほど食べたニワトリは、やがて食後の一眠りと、うつらうつらしはじめます。そこへこんどは、空き腹にさせておいたニワトリを一羽入れます。このニワトリは食べのこしのエサを見つけるが早いかがつがつついばみはじめます。すると、お腹が満ちたりていたはずの前のニワトリが、眠りからさめて、あわてて、またエサをついばみ、エサをあらそって、ケンカをはじめたりします。この際、興味深いのは、空腹なニワトリと満腹なニワトリの数の関係で、空腹と満腹が同数なら、満腹は空腹のほうにひきずられ、さらにエサを十分|摂《と》ります。満腹のニワトリが空腹のニワトリより一羽でも多いと、形勢逆転、満腹につられてエサをついばまなくなり、「つれ食い」(?)はしなくなります。
ひとりよりは会食したほうがおいしい――とはいっても、いつの場合もそうであるとはかぎりません。フトコロ具合も温かく、気の合った友だちと、たわいない冗談をいいながら、卓を囲んで食べれば、おいしいでしょうが、会社の上役におつき合いしての会食とか、取引先との利害のからんだ飲み食いとか、気のきかぬ硬物《かたぶつ》の、その場にそぐわない話などで座が白けたときなどは、箸取る手もにぶります。
また、胸に迫る心配事でもあれば、気を許した友との会食でも食欲が起こらず、たとえ食べたとしても、それこそ砂を噛むような思いがするだけです。
このように食べものは、そのときの気分にひどく影響を受けうまさのちがいが出てきます。この点、茶の場は「ただ湯をわかし、茶をたててのむ」ばかりでなく、ものをおいしく、楽しく味わうための最高の演出であるといえましょう。
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[#小見出し]  たけのこに米《こめ》ぬか[#「たけのこに米《こめ》ぬか」はゴシック体]
たけのこのように|あく《ヽヽ》の強い野菜をゆでるときは、米ぬかを一つかみ入れて、水からゆでます。このほか、昔から|あく《ヽヽ》抜きには、米のとぎ汁、塩、酢、灰汁《あく》、椿《つばき》の葉なども使われてきました。
さて、|あく《ヽヽ》とはいったいなんでしょう?
ここでいう|あく《ヽヽ》はもちろん食品にふくまれる|あく《ヽヽ》ですが、一口に|あく《ヽヽ》といっても、渋味や|えぐ《ヽヽ》味、苦味などを与える物質の混合したものとみられます。一方、食品をよく煮たとき、表面に浮かび上がるものも|あく《ヽヽ》の名で呼ぶことがあり、食品に限ってみても、|あく《ヽヽ》ということば自体は、はなはだあいまいなものです。しかし、多くの場合、|あく《ヽヽ》の味が|えぐ《ヽヽ》味を呈するものを、|あく《ヽヽ》の代表としている――と、思われるフシがあります。
一般に|えぐ《ヽヽ》味は、なす・たけのこ・ごぼう・ふき・せり・わらび・里芋などに含まれていますが、食味がわるいので、たいがいはいちど|あく《ヽヽ》抜きをしてから食べるのを例としています。|あく《ヽヽ》は水に溶けやすいものが多いので、よくゆでたり水にさらすと、ゆで汁や水に溶け出してきますから、この操作を何回か繰り返すことによって、|えぐ《ヽヽ》味を少なくすることができます。
たけのこは藪《やぶ》から掘りたて、ごぼうは畑から抜きたてをすぐ調理すれば、さほど気になるほどの|あく《ヽヽ》味は感じられません。ところが時が経てば経つほど、目に見えて自然の生気は失われ、|あく《ヽヽ》味、|えぐ《ヽヽ》味が目立つようになります。ごぼうは特に|あく《ヽヽ》が強く、ちょっといじると手が染まり、|せん《ヽヽ》に切ったり、笹|がき《ヽヽ》にしたりして、水に浸《ひた》しておくと、水が茶色になってきます。
いわゆる「朝掘り」のごく新鮮なたけのこを手に入れることができれば、ゆでずにそのまま煮るほうが香りが高く、季節の風味を存分に味わえます。しかし、一般家庭で掘りたてを手に入れるのは困難ですので、やはり、ゆでてから料理しないといけません。
以下、簡単にゆで方のコツについて触れると、まず、たけのこは根のほうの厚い皮を三、四枚むき、根の部分を切り落とします。先端のほうは斜めに切り取り、さらに身まで切らないように皮の部分にタテに長く包丁目を入れます。次にたけのこをなべに入れ、たっぷりの水を入れて、ぬかを一つかみ加え、約四、五〇分ゆでます。根に近い部分に竹串を刺して、これが楽に剌されば、ゆで上がり。なべのまま冷まし、冷めてから皮をむき、水で軽く洗います。次の日までおくときは、水にとらずにゆで汁につけておきます。このように皮つきのままゆでると、|あく《ヽヽ》抜きがいっそうよくできます。また、たけのこの皮の中には還元性の亜硫酸塩といわれるものがかなりふくまれていて、これがたけのこの固い繊維をやわらかにするのに役立ちます。
米ぬかやとぎ汁は、単にたけのこの|あく《ヽヽ》抜きばかりでなく、白くゆで上げるのにも有効に働きます。つまり米やぬかにはいっているでんぷんの粒子が、たけのこの表面につき、水の中に溶け込んでいる酸素がたけのこに触れるのを防ぎ、たけのこが酸化されずに白く上がるのです。
筍に思いついたるごもく鮓 百華
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[#小見出し]  田作《たづく》りも魚《うお》の中《うち》[#「田作《たづく》りも魚《うお》の中《うち》」はゴシック体]
田作りのようなつまらぬものでも、魚の仲間であるということで、弱小の者でも仲間の中にはいることのたとえ。田作りは一名ゴマメとも呼び、正月のおせち料理には欠かすことのできない食べものです。
カタクチイワシの幼魚(またの名をヒシコイワシ)を目籠《めかご》に入れて水洗いしたうえ、それをムシロの上で数日間|日干《ひぼし》にしたものを、飴煮《あめに》にして食膳に供するのがふつうです。ゴマメは五万米と書かれ、「※[#「魚+單」、unicode9c53]」という漢字が当てられていますが、もちろんこれはわが国だけの訓《よ》み方で、本来は「海蛇《うみへび》」を意味する漢字です。
ところで、この田作りという呼び名ですが、江戸中期、正徳二年に刊行された百科事典『和漢三才図絵《わかんさんさいずえ》』には、この魚がたくさん獲《と》れたときは、田の肥料にもまわすところから、田作りと呼ばれるようになった≠ニ記されています。こうしたものを正月料理に用いるのは、豊年を祝う意のあることはいうまでもありませんが、年の始めに当たって農家の苦労をしのぶために、上は天皇をはじめ、各階級に用いられたものであると伝えられます。
盛りあげて尾頭はねしごまめかな 菰窟
ゴマメはまた年中|息災《まめ》に働かせていただけるように――というおめでたい意をこめたことばと聞きます。この意味からすれば、お正月にはもっともふさわしい祝い肴《ざかな》です。銀色の光沢があって、尾頭が完全につき、腹の切れない形の整ったものを選んで「照りゴマメ」を作ります。
作り方は、まずゴマメの砂とごみを丹念に選《え》り出し、ほうろくかフライパンで、あまり焦がさぬよう香ばしく炒《い》り上げ、別のなべにしょうゆ、砂糖、みりんで濃いめの汁を作り、火にかけて煮つめ、杓子で底をかくと、すーっと糸が残るぐらいになったところへ炒りたてのゴマメを入れ、手早くかきまぜて煮汁をからめ、すぐに火からおろします。好みにもよりますが、甘い照りゴマメよりも、しょうゆ味に仕上げたほうが、からっとしておいしく召し上がれます。
同じヒシコを煮干しにしたものが、おそうざい用調味品「出汁雑魚《だしざこ》」です。煮干しのうま味は、水分が生の魚にくらべグンと少なく、エキス分などのいわゆる呈味成分《ていみせいぶん》が濃縮され、これがうま味となって感じられるからです。陽に干したおかげで、魚特有のなま臭味が抜け、枯れた風味が味わえます。その反面、脂焼けを起こすものもあります。表面が赤茶色に変色(特に腹部に出やすい)し、ひどいものになると不快な匂いがしたり、食べると渋味が感じられ、いちじるしく風味をそこないます。脂ののりすぎた魚の煮干しは、えてして脂焼けもひどくなりがちです。出汁雑魚も、よく乾燥した身割れのない姿形の整った肌のきれいなものが良品で、あまり柄の大きくないもののほうが、味わいはまさっています。
ふだんのみそ汁に、出汁雑魚を使うような場合は、いちどほうろくで焦げつかせぬように炒り、香ばしくなったら火からおろし、擂鉢《すりばち》でよく擂ってから使います。
田作りや|※[#「魚+是」、unicode9bf7]《ひしこ》の秋をむかし顔 士巧
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[#小見出し]  蓼食《たでく》う虫《むし》も好《す》き好《ず》き[#「蓼食《たでく》う虫《むし》も好《す》き好《ず》き」はゴシック体]
辛いたでの葉を食う虫もあるように、人にだっていろんな好みがある。自分の好みだけでは推《お》し測《はか》れないものもままある。そうした体験がこのことわざになったのでしょう。
「蓼|八百《はつぴやく》」ということばがあるように、たでの種類は非常に多く、いぬたで・うずたで・いとたで・やなぎたで・ほそばたで・あざぶたで・さくらたでなどさまざまで、タデ科として一科目をなしているほどです。このうち料理用におもに使われるのは、|やなぎたで《ヽヽヽヽヽ》と言われる品種です。
葉は細長く、五センチ前後の長さと二センチたらずの幅をもち、柳の葉を思わせる優美な形をしているので、この名があります。日本各地に生ずる高さ五〇センチほどにもなる一年草で、秋にやや赤味をもつ白っぽい小花を穂状につけます。
やなぎたでは、かわたで・だて・ただて・からみたで・みずたで・たで・あかたで・あおたで・ほんたで・またで・めたで・すたで――などと、いろいろな異名をもっています。あいたで・あざぶたで・ほそばたでなどは、いずれも|やなぎたで《ヽヽヽヽヽ》からでた変種で、どのたでも食用になるので、これを「料理たで」の名で総称しています。
「たで」の名の起こりは、「ただれ」からで、辛味がきついので、こう呼びならされたと言われますが、料理には、この辛味が香辛料として役立つわけです。
芽が出たばかりの双葉をおもに料理に使うので、大きく成長した姿を知らない人もかなり多いようです。幼い子どもたちが、ママゴトの赤飯として使うアカノマンマは|いぬたで《ヽヽヽヽ》の別名で、これは口に入れても辛味はありません。辛味をもっているのは、|やなぎたで《ヽヽヽヽヽ》と、その変種だけです。
たでの葉がもっとも効果的に用いられるのは、アユ料理に添えられるたで酢で、アユの焼きたてを、たで酢で食べるおいしさは格別です。
このごろは数種類の園芸品種もつくられ、畑にも栽培されるようになりましたが、ほんとうのたで酢の味は、やはり、川原に密生する野生のやなぎたででないと望めません。軸を残して葉だけをむしり取り、細かに刻んでから、擂鉢《すりばち》ですりつぶし、少量の塩とごはん粒をいっしょにすり込んでおき、アユが焼き上がるころを見計らって米酢《よねず》を注ぎ、ミズコシでこして、緑|滴《したた》るばかりのあざやかな緑色をしたたで酢をつくります。
鮎なます藍より青き蓼酢かな 貞室
たでを用いた料理としては、このほか、ごまあえ、からしあえ、酢みそあえ――といったあえものがあり、揚げもの、汁の実、刺身のつまにして、生食にしても、特有の風味とピリリとした辛味が楽しめます。ちなみに「蓼食う虫」には、苺葉虫《いちごはむし》・|蓼※[#「虫+牙」、unicode869c]虫《たであぶらむし》・蓼小夜蛾《たでこやが》などがあるそうです。
類句に「蓼の虫にがきを知らず」、「蓼食ふ虫も好き不好き」、「蓼の虫は蓼で死ぬ」、「人の好き/\笑ふ馬鹿」などがあります。
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[#小見出し]  鱈汁《たらじる》と雪道《ゆきみち》は後《あと》がよい[#「鱈汁《たらじる》と雪道《ゆきみち》は後《あと》がよい」はゴシック体]
タラ汁はあとになるほどおいしく、雪道は人が大勢通ったあとほど、踏み固められて歩きよい。タラは一見、脂気がほとんどないと言ってもよいほど、あっさりした肉質ですが、煮れば元の形をとどめぬまでに崩れてしまいます。タラ汁は、はじめに形のある骨、臓物などがすくい取られて、あとにはばらばらに崩れた、ちょうどゆり根の崩れたような形をした肉が残り、出汁《だし》が出ておいしくなるので、このようなことわざが生まれました。
鱈さげて雪吹き荒るる磯伝い 銘仙
タラは冬場がおいしいので、魚ヘンに雪をつけたとか、腹が白いから雪の字を当てたとか、説はいろいろありますが、日本では雪の降るころから獲《と》れはじめ、本場は北海道です。そのむかしは北陸、山陰がその産地で、若狭や越前、加賀、能登、越中、越後といった裏日本一帯の冬の海の幸でした。十一月の声がかかり、琵琶湖を見下す比良の高嶺に雪が降りつもるころともなると、若狭沖で獲れた初ダラが、敦賀や小浜より陸路、北江州の塩津へ、塩津から海津、今津と陸上輸送されて、今津から船便で琵琶湖を横切り、大津の浜に揚げられ、やがては京の町々へ、あるいは浪花へと出回ったもののようです。以下の二句がそれを物語っています。
比良の雪生鱈来べきあした哉 正秀  鱈船や比良より北は雪けしき 李由
ところで、タラは世界中には、そうとうな種類がありますが、ふつうにタラというのはマダラのことです。北陸地方でタラというのは、はるかに産額の多いスケトウダラ(別名スケソウダラ、またはスケソウ)のことですから注意を要します。
わが国の近海では、ふつう水深一五〇メートルぐらいのところに多く棲み、北方ではもっと浅いところにいます。冬、産卵し、いちどに五〇〇万粒も生みますが、このうち生きのびるのは、せいぜい一、二匹だと言いますから、なかなか生存競争は激しい。そのせいでしょう、成長したタラの生活力のはげしいことと言ったら、まったくオドロキです。「タラ腹食べる、ヤタラと食う」という俗語があるほどの大食漢で、目に見えるものは、なんでも腹に放り込みます。容貌もそれにふさわしい大きな口と鋭い歯を備え、あるとき、タラの腹を割《さ》いて調べてみたところ、ホッケ、カタクチイワシ、カレイの魚族から、エビ、カニ、タコ、ヤドカリ、マキガイなど、ざっと一〇〇種類におよぶ動物が見つかったそうです。
漁場で獲りたてのマダラは臭味がなく、刺身にしたりしますが、肉がやわらかすぎるので、一日ぐらいおいて自家消化を起こしたときのほうがおいしいという人もおります。
タラ汁のほか、煮つけ、ムニエル、塩焼きにもします。スケトウダラは、タラより味はいちだん落ちますが、有名な京都の「芋棒」には、このスケトウが用いられ、タラコはスケトウの卵巣を塩蔵したもので、魚肉より珍重されます。
薄月の鱈の真白や椀の中 東洋城
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[#小見出し]  調味料《ちようみりよう》の入《い》れ方《かた》サシスセソ[#「調味料《ちようみりよう》の入《い》れ方《かた》サシスセソ」はゴシック体]
これは煮ものをするときの調味料の入れ方の順序を教えたもので、サは砂糖、シは塩、スは酢、セはしょうゆ(旧かなではせうゆ≠ニ書くので)、ソはみそのソだと言い、最近ではソーダ、つまり、グルタミン酸ソーダ(化学調味料)だと教える人もおります。どうしてサシスセソなのでしょうか?
砂糖と塩の順序でいえば、分子量の小さいもののほうが先に浸透《しんとう》しやすく、塩と砂糖では塩のほうが先に浸み込みやすいので、まず砂糖のほうを先に入れたほうがよいということになる――と、料理学校の先生は教えております。砂糖や塩、酢というものは浸み込むもので、あとの二つ、しょうゆやみそなどは塩味を浸み込ませる役割よりは、その風味を生かすものだ――という説明も聞きます。風味を生かすためには、最初から入れて、ぐらぐら煮てしまっては、香りも味も飛んでしまうので、なるべく後に入れるのは理にかなった方法です。
かと言って、サシスセソの順序にいつも入れていいかというと、然《さ》にあらず、必ずしもことばどおりにはいかない場合も出てきます。たとえば、豆を煮るような場合、一晩真水よりも塩水に浸《ひた》しておいたほうが、早くやわらかく煮える場合もでてきます。こうすれば、豆の中のほうが煮汁より塩辛いので、浸透圧《しんとうあつ》によって、水分が外部から豆の中へ吸いこむように働き、味もよく浸みて、豆も締まり、固くならないからです。この場合は順序が逆になっています。
砂糖を使って栗などを煮る場合、一〇の分量を入れたいとしたら、最初に三を入れ、ある程度にこれが溶《と》けてからまた三を入れ、最後に残りの四を入れるというぐあいに分けて入れないといけません。もし、最初にパッと全部入れると、砂糖が蜜になってしまい、栗にまきつくだけで、中に味が浸み込まない、したがって味もよくないという場合もでてきます。適度に味を浸透させながら、栗をやわらかくするためには、このような順序に入れ分けて用いましょう。
煮ものに限らず、調味料を使う場合は、調味料の性格をよく知って、調理法や材料の性質に合った使い方をしなければなりません。ゆでものをするときに使う塩は、やわらかくするためではなく、塩の力によって、変色を防ぐためです。酢なども、酸味をつける以外に、殺菌、あく止め、魚の身締め、その他いろいろと隠れた力を持ち、ほんとうはしょうゆよりも後に使ったほうが効きめがあります。酢の酸味は、塩のもつ塩辛さを、やわらげる作用をもっているために用いられることも多く、きつい酸味を必要とする以外は、最後のほうが効果的です。またごぼうや蓮根などのようなものの色止めに使う際は、はじめから入れておかないと効きめがありません。煮魚をする際、|しょうゆ《ヽヽヽヽ》や|みそ《ヽヽ》を加えて、あまり長時間煮つめると、せっかくの魚の味が隠れてしまう恐れが多分にあります。
こうしてみると、サシスセソは必ずしも料理のコツを言い表わしたものではなく、一応の基準を示したもので、あまり、これにこだわりすぎないほうがよいようです。
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[#小見出し]  搗《つ》いた餅《もち》より心持《こころも》ち[#「搗《つ》いた餅《もち》より心持《こころも》ち」はゴシック体]
「食べた餅より心持ち」とも言います。人から餅をごちそうしてもらうことはありがたいが、それ以上に、ごちそうしてあげようという心づくしがありがたいという意です。一般庶民にとって餅を贈られたり、ごちそうになることが無条件にありがたかった時代に生まれたことわざだけに、心づくしのありがたみが身に沁みます。しかし、現代のように四季を問わず、駅のスタンドで「のし餅」の売られるご時世では、「搗いた餅」のありがたみなど、ピンとこないかも知れません。
大都市に住む人たちにとって、餅搗きはもはや縁遠い作業だし、餅は正月だけのものと思っている人が大部分でしょう。もちろん、正月は餅のもっとも必要な時節にちがいありませんが、それ以外にも田舎ではいろんな年中行事の日とか、祝儀、不祝儀にともなって、餅を搗きます。お産の場合には、都会でも、お七夜の餅を搗いて、親戚や隣近所にくばっていますが、不祝儀の場合には、あまり見かけなくなってしまったため、餅は吉事に限るように思っている人も少なくありません。しかし、東京の都心に近い東村山あたりでも、不幸があって式を出そうという直前に、血族の者だけが一升枡の裏底で力餅を食べる習慣がついこの間まであったし、四九日の餅は広い区域にわたってまだ残っています。この場合、枡の底で切ったり、なべの蓋にのせて切ったり、ふたりで引っ張り合って分けたりするのがふつうで、ふだんそんなことをするとしかられるのも、四九日の餅に限ってすることだったからです。
正月の餅――その第一の目的は神様(年神様、歳徳様)にお供えすることにあります。いやお供えするというより、正月の餅そのものが神様に依《よ》り給うところであったのかも知れません。正月の餅は、家族が揃《そろ》って一つのなべの食事をとるのとはちがい、一人一人に分配するというのがむかしからの考えでした。それというのも、正月という魂祭りの時に当たって、その年の新しい霊魂を一人一人に分け与える食べものが正月の餅だった――と民俗学者は説いています。
むかしの日本では、農業がすべての生活の中心でした。ことに、米というものに他の穀物にはない不思議な力、生命の根源といったものを感じていた日本人が、わが家の田を拓《ひら》いてくれたご先祖の霊魂《みたま》(年神様や歳徳様)と、自分たち一人一人の霊魂とのつながりを、米――つまり餅を通して、はっきりと感じたのは極めて自然な気持ちであったと言えましょう。正月以外のときにつくる餅も、米の餅には神秘な力が宿っている――と信じていたと見なければ理解しがたいものが多く、米こそ、したがって餅も、日本人にとっては「生命の根源」だったのです。
このことわざの「搗いた餅」は、はぎ餅(牡丹餅)のように、蒸した糯米《もちごめ》を半搗きにしてまるめたものに対し、臼《うす》と杵《きね》とを使って搗いた餅をさすのでしょうが、ここでは語呂の上から「搗いた」とつけただけのことでしょう。「餅」と「持」とはもともと一つの語源から出たものだといわれ、ここでは同意を利用しておもしろく言ったものであることは言うまでもありません。
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[#小見出し]  月《つき》とスッポン[#「月《つき》とスッポン」はゴシック体]
月の丸いのとスッポンの丸いのを|もと《ヽヽ》に、くらべものにならないものを、くらべた|たとえ《ヽヽヽ》。一説によれば、「月と朱盆《しゆぼん》」ということわざが転訛《てんか》したものだと言います。
朱盆は朱塗りの赤い丸いお盆で、月との取合わせは、形のうえからもきわめて自然で、こういうことわざが、このままの形で生まれたということには疑問の余地がありません。また「朱盆」「スッポン」に誤られるということは、音の転訛のうえからはありそうなことです。
スッポンは背のやわらかい淡水産のカメで、関西ではむかしからマルの名で呼び、親しんできました。マルというのは、スッポンの甲羅がほかのカメのように六角ではなく、ほぼ円形をしているところから生まれたのでしょう。今でこそスッポンはすべての食品中のトップに位しもっぱら高級料理店で扱われる高級料理のように思われていますが、江戸時代にはウナギとともに卑《いや》しんだふうがあり、古川柳にも「スッポンの味鰻とはお月さま」と詠まれ、庶民大衆の手近で、安直な薬喰い(スタミナ食)の一つでした。それというのも、天然産のスッポンが身近なところで、たくさん獲《と》れたからでしょう。
有名な中国の料理書『随園食単《ずいえんしよくたん》』には、スッポンの料理法がいろいろ記されていますが、江戸時代には羮《あつもの》にしたり、煮つけにして賞味したようです。ただし、中国式に油で炒《いた》めるようなしかたではなく、|みょうが《ヽヽヽヽ》または|せり《ヽヽ》を添え、塩としょうゆで調味し、香辛料にはもっぱらおろししょうがが用いられました。
有名な京のスッポン料理屋大市の「マルなべ」は、楽焼の大きな厚い土なべに、スッポンの骨つきぶつ切り肉がたっぷりの汁で煮込まれ、客室に持ち出されても余熱で二〇分ぐらいグツグツ煮えています。これはコークスをたいて八、九〇〇度Cの高熱で厚い土なべを熱したためで、煮汁は伏見の酒家で特別に吟醸した日本酒とスッポンから出る出汁《だし》を、淡口しょうゆとおろししょうがをしぼり込んで引き締め、甘からず辛からず、滋養そのものといった味です。肉の切り身はマッチ箱ほどに切ってあり、ふつうの鶏肉のような固いところは少しもないので、歯の弱いお年寄りにも結構食べられます。形や味や舌ざわりは、やわらかい鶏肉のようなところもあるし、鶏の脂身のかたまりのようなところもあります。三つ又になった骨に、肉のついた部分や脂肪のかたまりがありますが、これは肩のあたりや手の付け根の部分で、「みつぼね」と称して、とりわけおいしいところです。肝も鶏の肝に似ていて卵も鶏卵を思わせる味です。しかし、「マルなべ」で賞味に値いするのは、肉や卵よりも煮汁で、これがとびきりおいしい。
肉と汁を食べ終わると、いったんなべを引き上げ、こんどは、前と同じような切り身と餅のはいった雑炊に、鶏卵を落としたなべが運ばれてきます。「マルなべ」は淡白な味わいのようでありながら、その実、脂っ濃い料理なので、食べたときは一応堪能しますが、しばらくすると、また食べたくなります。その点、あと引く味と申せましょう。
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[#小見出し]  月夜《つきよ》に米《こめ》の飯《めし》[#「月夜《つきよ》に米《こめ》の飯《めし》」はゴシック体]
いつも月夜で米のめしを食べていれば、こんなによいことはない。また、いつまでも飽《あ》きのこないものの|たとえ《ヽヽヽ》。同じように、江戸庶民のいじらしい願いをあらわしたことわざに「常八月に常月夜《じようつきよ》 早稲《わせ》の米に泥鰌汁《どじようじる》 女房十八我二十」というのがあり、「月夜に米の飯」はもっとも望ましいものだったことがわかります。時が移り、今日ではどうでしょうか?
くらし向きや社会環境がよくなり、庶民の望みも飛躍的に増大し、近ごろは三C時代(セントラル・ヒーティング、コティジ、電子レンジ)とさえ言われております。それゆえこのことわざに示された江戸庶民の|つつましやかな《ヽヽヽヽヽヽヽ》願いなど、理解されにくい種類の事柄になっています。
今日でこそ米のめしは珍しくありませんが、戦前、戦後(つい二、三〇年前)の一時期までは、米を常食するのは、ごく一部の上流階級に限られ、東京近郊の農村でも、麦飯《むぎめし》、稗飯《ひえめし》、粟飯《あわめし》が常食でした。
藩政時代の能登《のと》地方では、米の収穫が少なかった割に貢米《こうまい》の率が高く、六割以上のところが多かったと聞きます。(当時は四公六民、あるいは五公五民、つまりその年、穫り入れた米の四割ないし五割を税米として納めるのがふつうでした)それだけに食生活の貧しかったことは想像を絶するものがありました。
加賀藩で毎月二日、百姓に読み聞かせて守らせた「村方二日読《むらかたふつかよみ》」というのを見ると、その圧制ぶりがよくわかります。
「百姓の食物、常々雑穀を用ふべし。米、猥《みだ》りに食ふべからざる事」
事実、米などとても口にすることはできませんでした。正月や盆・祭・節句にあっても、下等米のタイト飯《めし》が精一杯で、主食はどこも同じく、稗・黍《きび》・粟などの雑穀で、籾殻《もみがら》までも食べたのでした。カイゴ飯《めし》というのがそれで、カイゴ飯というのは籾殻の粉末で、年貢米《ねんぐまい》を納めた後仕事に秕《しいな》や籾を煎《い》って石臼で粉末にし、俵詰めにしてたくわえておきました。カイゴ飯を作るには、まずカイゴを篩《ふるい》にかけ、残ったものは搗《つ》いても砕けないひどい秕です。これを飯の煮上がりのときに入れて蒸し、蒸し上がった飯を飯櫃《めしびつ》に容《い》れ、篩を通った粉末を入れて、よくかきまぜて食べるわけですが、箸にもかからず、のどにもとおらぬシロモノだったようです。
これを、山盛りにしたコウコ(大根漬け)やオクモジ(菜葉漬け)をおかずにして、大なべのみそ汁で、わずかにのみくだしたといわれます。(小倉学「農山村における食い祭」より)
それだけにむかしの百姓の米に対する執着は、想像以上に強いものがあったようで、各地に伝わる「振り米」の伝説も、ほんとうにあった話なのです。米を竹筒に入れ瀕死の重病人の枕もとで振って聞かせるのが振り米で、治ったらこの米を食わせてやるぞと、力づけたのです。
現代は、お米がともすれば|ぞんざい《ヽヽヽヽ》に扱われがちですが、時にはこのようにお米が貴重品だったむかしを思い起こして、粗略なふるまいをつつしみたいと思います。
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[#小見出し]  漬物賞《つけものほ》めれば嬶賞《かかほ》める[#「漬物賞《つけものほ》めれば嬶賞《かかほ》める」はゴシック体]
漬けもの上手は所帯持ち上手。よそのお宅で夕食でも出されたら、なによりもまず漬けものをほめること。それは間接的にではありますが、その家の細君を賞めたことになります。賞めるほどの味でなかったら、そこはなんとかつくろって、色がきれいだとか、盛りつけが上手だとか、塩なれがいいとか……とにかく漬けものを賞めること。お銚子の一本ぐらい追加してくれること請合《うけあい》です。それというのも、むかしから「漬けものの味は、その家の主婦、嫁の人柄を示すもの」と言われ、その家の性格を示す物指《ものさし》といえるものだったからです。
ところで、日本の漬けものはいつごろからはじまったか――ということになると不確かで、古い記録によると、いまから二〇〇〇年も前、景行天皇の御代にすでに塩漬けによる食品の保存が行なわれていた、と言われますから古いものです。これが奈良時代になると、漬けものが日常の食品化していることは疑うべくもありません。塩でなす・うり・ももなどを漬けて僧侶の食用としていたことが記録に明らかだし、平安朝時代になると、重要な副食となり『延喜式《えんぎしき》』には、春にはわらび・なずな・せり・いたどり・ふき・にら・ひるなどがあり、秋にはうり・なす・たで・みょうが・かぶ・おうね・かき・なしなどの野菜や果物があって、これらのいずれもが塩漬けを初めとして、|※[#「くさかんむり/爼」]《にらぎ》漬、滓《かす》漬(酒の粕漬け)、醤《ひしお》漬(みそ漬け)などに用いられて、漬けものの範囲も、非常に多くなっています。しかし大根の糠《ぬか》漬けはまだ現われていません。平安朝も後期の後冷泉帝の御代(一〇四六―一〇六八)になると、藤原|明衡《あきひら》の著書『新猿楽記』のうちに、食通の女の事が記され、そのうちに「香疾大根」という一項があります。香りのよい大根のことで、ここではじめて、後年香の物の代表のごとく称せられる漬大根が、ようやく、正体を現わしています。もちろん当時は、まだ香の物とは呼んでいません。上方でいう「おこうこ」江戸でいう「おしんこ」は、ともに大根漬けを意味しますが、香の物、必ずしも大根に限ったものではなく、野菜やくだものなどを塩、糠、みそ、酒粕、麹《こうじ》、みりん、酢、しょうゆ、芥子などに漬けたものの呼び名です。
それはさておき、戦後、パン食の普及により、「漬けもの」ということばも、古めかしい|ひびき《ヽヽヽ》をもつようになりましたが、日本人の食卓にごはんがなくならないかぎり、朝の食卓、夕餉《ゆうげ》の膳に、欠かすことのできない副食として生き続けることでしょう。現に自家製の漬けものが少なくなったとは言え、販売用の漬けものは、年ごとに生産が伸びていると聞きます。年をとり、いろいろなごちそうにあきたとき、漬けものにごはん、漬けものでお茶漬けが食べたくなるのは、私たち日本人の体質のようです。数ある料理の中でも、漬けものほど愛情を感じさせるものはありません。それは漬けものが生きものだからで、魚鳥の料理よりもなおいっそう心をこめて作らなければ、おいしくはできないものだからでしょう。
甘漬の味出て来たり春浅き 游歩
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[#小見出し]  強火《つよび》の遠火《とおび》で炎《ほのお》を立《た》てず[#「強火《つよび》の遠火《とおび》で炎《ほのお》を立《た》てず」はゴシック体]
長火鉢や囲炉裏《いろり》が私たちの生活の周囲から遠ざけられ、炭火が縁遠くなってしまった現在、焼きもの料理が徐々に姿を消しつつあるのは残念でなりません。
魚は刺身で食べる以外は、焼いて食べるのがおいしく、壱岐《いき》地方のことわざにも「一焼き二なます、捨てようより煮て食え」と言い、焼きものはうまい調理の筆頭にあげられております。
ふつう焼きものの火かげんは、「強火の遠火で炎を立てぬ」のが理想とされています。わけても直火《じかび》で焼くときは、火かげんがたいせつで、熱源としては木炭がいちばんです。その木炭の中でも、木炭の内部に湿り気が少なく、ホテリが強く、火力にムラのないうえに、火持ちのよい備長炭《びんちようずみ》が最高です。風味をたいせつにする焼きものでは、焦げ味を作るために表面はわずかの時間で焼き上げ、でんぷん質のようなもので糊化《こか》させなければなりません。そのためには強火で、肉質や厚味に応じて、ほどよい火熱をとおし、食品のうま味を引き出すためには、遠火にして肉質の内部があまり乾きすぎないようにします。炎を立てずというのは、遠火の火かげんと同じく、焼くものの表面をいちどに早く炭化させず、また必要以上に焦がさないための方法です。
一般家庭で用いるガスの炎は、八○○度から一〇〇〇度C近くもあり、直火焼きには不向きな熱源です。焼きものの温度は、二〇〇度から二五〇度Cが適温で、水気の多い食品でもせいぜい三〇〇度Cくらいにとどめないといけません。もっと詳しく言えば、内部温度は肉類で七〇度〜七五度C以内、植物性食品では一〇五度〜一一〇度Cぐらいになるのが適温です。
ガスの炎のような高温では、表面が真黒焦げになり、うま味をふくんだ肉汁が不必要に外に流れ出てしまい、せっかくの焼きものがまずくなってしまいます。ですから、やむを得ずガスで焼きものをする際には、石綿つきのガス用網器かあるいは山型の鉄板の張ってある網器で、ガスの炎をいったん受けて、間接焼きにします。
網焼きをするときは、あらかじめ網を油でふいて、よく|から焼き《ヽヽヽヽ》してから焼くものをのせると、魚の皮や肉の表面が網につかないで、仕上がりがきれいになります。熱源との距離を調節して遠火にするには、ガス器具のわきに、レンガを置くなどして高さをあんばいします。焼けぐあいをたしかめるために、何度もひっくり返す人がおりますが、あまり|しつこく《ヽヽヽヽ》何度もやると身崩れを起こし、形が醜くなります。まず表を七割ぐらい焼いてから裏返し、表裏それぞれ一回ぐらいで焼き上げるのが、うまい焼き方と言えましょう。なお、直火焼きには下ごしらえの仕方によって、塩焼き、照焼き、付焼き、雲丹焼き、松風焼き、田楽など、いろんな名称があります。
このように焼きものは火かげんのよしあしで、うまいまずいが決まるものだけに、焼きはじめたら、ほかの仕事はいっさいやめて、焼くことだけに専念しましょう。ふしぎなもので、焼きざかななど、じっと目を放さずに見つめていると、なかなか焼けない。それなのに、ちょっとよそ見をすると急いで焦げたがる――ものだからです。
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[#小見出し]  手前味噌《てまえみそ》で塩《しお》が辛《から》い[#「手前味噌《てまえみそ》で塩《しお》が辛《から》い」はゴシック体]
自分の手で作ったみそなら、多少塩辛くてもうまいと思うこと。自画自賛の意に使われます。だれでも、自分の家のみそがいちばんうまいと思うのが人情というもので、どんなみそでも毎日食べているうちに好きになるわけです。「手前味噌」ということばは、今日でも広く一般に使われていますが、都会では早くからみそは作らず買うものになっていたので、都会に住む人たちの中には、案外、このことばの由来を知らない人があるかも知れません。しかし、地方の人なら、おおかた、みそは自分の家で作っていたので、このことばの由来はよくご存知でしょう。
一般に家々で作るみそを|うちみそ《ヽヽヽヽ》と言い、|かいみそ《ヽヽヽヽ》をするのは、その家の貧しさを示すものとして、農村などでは、とりわけこれを恥としていました。「三年みそ」といって、毎年毎年仕込んでは、順繰りに三年たったみそから食べていくのが|ならわし《ヽヽヽヽ》で、地方の農家などでは仕込んだみそ樽を何本も蔵に貯蔵して置くのが、自慢のタネでした。
事実、醸造期間の長いほうが風味のよいみそができますが、また一面、冷害などの天災によって、たびたび襲う凶作のときの重要な保存食料として役立てるためでもありました。
いったい、みそはいつごろわが国に招来されたものでしょう? いろいろな文献を調べてもはっきりしません。ただし『万葉集』の和歌の中に「醤《ひしほ》」ということばが見られ、文武天皇(今から約一二八〇年前)の大宝令には醤院の制がおかれて、調味料としてみそが使われていたことがはっきりしています。また史実として、紀元八世紀から九世紀にかけて、尾張や隠岐、駿河など、当時としてはかなり辺鄙《へんぴ》な地方から租税として徴収されていたと言われ、このころからみそは、すでにありふれた食品となっていたようです。
平安時代になると、はじめてみそ醸造の家などが生まれ、地方名を冠せて飛騨みそとか志賀みそ、河内みそなどと呼ぶようになりました。とは言っても、この時代のみそはもっぱら、宮廷や寺院だけで食べるための高級品で、庶民の口にはめったにはいらず、一般に庶民がみそを口にするようになったのは、室町時代以降のことです。庶民の中にはいったみそは、大部分が自家製で、それぞれの地方の風土や嗜好に合ったものが生まれ、手前みそと言われるように、みその種類も数え切れないほど、多種類になってきました。
みそが商品化されたのは、江戸時代にはいってからで、新興都市の江戸では、みそ造りの伝統がなく、だれもがみそ買いをしたからです。
戦後における自家製みそ状況は十分明らかではありませんが、まだ地方によっては、名実ともに「手前味噌」が行なわれておるようです。しかし、それもごくわずかなもので、都市生活者のほとんどは、大量生産による商品化されたみそを口にしています。時代の流れとは申せ、手作りのみその持っていた微妙な味わいが失われていきつつあるのは残念でなりません。
ある朝のかなしみゆめのさめぎわに 鼻に入り来し味噌を煮る香よ
[#地付き]石川啄木
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天《てん》ぷら油《あぶら》に梅干《うめぼ》し[#「天《てん》ぷら油《あぶら》に梅干《うめぼ》し」はゴシック体]
古い天ぷら油の煮立った中に、梅干しを二、三個入れて、梅干しが黒ずんでくるまで煮ると、油がいくぶん若返ります。この|たとえ《ヽヽヽ》はこうした油の若返り法を教えたものです。
食用油は長い間使っているとだんだんと風味がわるくなり、色も黒っぽくなってきて揚げものに使った油などは|どろり《ヽヽヽ》としてきます。このような油の中に|タネもの《ヽヽヽヽ》を入れると、周りに細かい泡ができて、その泡が|タネもの《ヽヽヽヽ》を引き上げても消えません。こんなふうになった油を俗に「油の疲労《つかれ》」といいます。油が疲れてくる原因を調べてみると、いろいろあります。まず、天ぷら油でもサラダ油でも空気とか光、そして熱に長時間さらされていると、油は酸敗《さんぱい》という酸化現象を起こします。空気による酸化がいちばん多いのですが、そのほか微生物によっても起こりますし、材料にふくまれている成分がまざることによっても起こります。
家庭で使っている食用油が酸敗して使えなくなるのは、やはりこの空気酸化で、この場合、油に不純物(水やたんぱく質、鉄や銅などの金属イオン)が多ければ多いほど早く起こります。また油が酸化してできた酸化物も酸敗を早めますから、あまり古くなった油は新しい油にまぜてはなりません。
今日の食用油はかなり精製されていますので、不純物の含有率は少ないですが、自家製の菜種《なたね》油などは不純物がかなりふくまれていますので、割合早く変質します。食用油では天ぷら油よりサラダ油のほうが変質は少ないのです。市販の食用油も新しいものほどよいのはもちろんですが、貯蔵しておいた油に渋いような味が出た場合は、かなり変質が進行しているとみてよいでしょう。また、大量の揚げものをしているうちに、だんだん、|からり《ヽヽヽ》といかなくなるのは、酸敗によって生じた物質が、油の粘度を高めてしまうためです。
酸化防止法としては、できるだけ空気との接触面を少なくすることで、そのためには細口びんに油をいっぱいに入れるのもよく、日光にあたると酸化現象が進むので、褐色びんに入れるのも一法だし、容器は完全に栓《せん》をして、冷暗所に保存するようにします。酸化の度合いは油の種類によって差はありますが、天ぷら油はできるだけ酸化されにくいもの、リノール酸を多く含んだ油(ごま油など)ほどよいとされています。
高温で熱したために疲れがひどくなってしまった油で、鼻をつくような匂いがしたり、粘り気が出てきたものは、もったいがらずに思いきって捨てましょう。上手に使えば六回くらいはなんとか繰り回して使用に耐えます。一番油、二番油、三番油というぐあいに区別しておき、油の汚れないものや低温で揚げるものから新しい油を使い、次は肉や魚に、最後に炒《いた》めものに使うというふうにすれば経済的です。そのあとは手油《てあぶら》として、シュウマイや肉だんごを丸めるときに使ってもよいでしょう。魚などを揚げると、とかく魚臭さが残りますが、梅干しやにんにく、ねぎの青葉、しょうがのぶつ切りなどを入れて、さっと煮たてると匂いがいくぶんとれます。
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[#小見出し]  冬至《とうじ》かぼちゃに年取《としと》らせるな[#「冬至《とうじ》かぼちゃに年取《としと》らせるな」はゴシック体]
冬至は二十四気の第二十二、太陽が冬至線(南回帰線)上に直射するときで、一年じゅうで最も南に位し、北半球における正午の太陽の高さが最も低く、昼がいちばん短くなり、夜がいちばん長くなるときでもあります。
太陽暦では大抵十二月二十二、三日にあたりますが、むかしの冬至は陰暦を用いたので、十一月の朔日《ついたち》が冬至になることがあります。こういうことは二十年めに一ペんぐらいなので、瑞祥《ずいしよう》なりと言って、古代の天皇は、南殿へ出て節会《せちえ》を開いて祝い、禅寺では冬夜振舞《とうやぶるまい》などと言って、師弟の間で、互いにもてなし合う風習があり、一方、民間ではお餅をついて祝いました。これを朔旦冬至《さくたんとうじ》と言い、この餅がのちにかぼちゃになり、こんにゃくになりました。かぼちゃもこんにゃくも、ともに外来品なので、これは珍しい野菜を冬の祭りのときに神に捧げた名残りと言われています。
また、冬至にかぼちゃを食べると、中風にかからない、風邪《かぜ》をひかない、しもやけにならない、魔除《まよ》けになる――などと言われ、今でも冬至になると、かぼちゃを食べる風習が一部には行なわれています。これなどは栄養学の知識などまるでなかった私たちの祖先が、体験的に習得した生活の知恵と言うことができましょう。
今日の栄養学に照らしてみても、かぼちゃは冬季のビタミンA、B1、Cの供給源として、たいへん貴重な働きをしています。ビタミンAが不足するとトリ目になったり、風邪をひきやすくなり、病気に対する抵抗力が衰えたりします。また、皮膚の健康とも関係して、皮膚をしっとりと美しく保つには、ビタミンAが必要です。ビタミンCは、不足すると壊血病になり、歯ぐきから出血したり、血が出やすくなります。また、細菌に対する抵抗力も衰えます。したがって、むかしの人の言い伝えも、まんざら迷信とばかりは言いきれません。
一般に、野菜は秋口の穫《と》れ盛りのころ、最高の成分をふくみ、日が経つにつれ、ビタミン類が急激に減って、冬至ごろには「枯れ」とか「凍結」などで、栄養分に変化を生じ、なかには全くなくなってしまうものもあります。幸いなことに、かぼちゃ(特によくみのったかぼちゃ)は硬い身が厚い外皮に覆われていて、中身は有利な方向に変化して、栄養分の損失がほとんどないので、真冬の食料としては、いちばんの野菜と言うことができます。また、味わいの点でも真冬まで放置し、陽にさらすことによって、さらに含有するでんぷん質を熟《う》れさせ、糖分が増し、甘味が濃くなり、おいしくなります。
このように見てきますと、甘味が増しビタミン類の豊富なかぼちゃを冬至に食べることは、確かに有意義なことだし、当を得た食べ方だと言えましょう。それでも春まで持ち越すのは、せっかくのかぼちゃの効用を殺すことになるので、戒めを守って、せめて保存は冬至まで。それ以上年をとらせるのはムダと言うものです。
南瓜食ふ小乗の妻の冬至かな 城太郎
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[#小見出し]  土《ど》 産《さん》 土《ど》 法《ほう》[#「土《ど》 産《さん》 土《ど》 法《ほう》」はゴシック体]
食生活の基準方式を示したことばで、その土地に産するものを、その土地の方法によって処理するの意です。むかしから「身土不二《しんどふに》」ということも言われてきました。たとえどんな地域にあっても、その地に生存するものは、その地に適するのが自然の理法で、人間の場合には、俗にこれを「水に合う」というような言い方で表現しています。その土地にうまく適合して生きていくためには、その土地、そこに住む人たちにピッタリした食糧が、その土地において生産される――つまり土産です。自然の気候風土に応じた土産は、その地域に住む人間が、自然の気候風土に適応した方法で処理する――すなわち土法です。手っとり早く言えば、青森のリンゴをベトナムで食べたり、エクアドルや台湾のバナナを日本で食べるのは正しい食ではないという意味です。本山荻舟翁などは「土産は空間的であり、土法は時間的である。空間と時間とが交錯融合することによって、最も自然な合理的な食生活は営まれるというのがこの説の根拠」だという見方をし、「具体的には現住する地点を中心として幾重にも環状線を描き、最も近い圏内に生産する資材を求めて、これに適応する調理を行うのが最善で、第一圏内に求め難い場合には、やむを得ず第二圏内或は第三圏内と、順次に遠きに及ぶのは妨げないが、根本方則を破って一足飛びに遠来を求めることの不合理」を、指摘しております。
日本の食生活の現状はどうでしょう。近年のわが国の食糧消費の増大と、その質的な変化は世界的に見ても、きわめて異常だと言われ、農産物輸入額は総輸入額の四分の一を占め、日本は世界第五位の食糧輸入国になっています。食糧の自給率は八年前の一九六〇年には八七%だったものが五年後の六五年には七六%になり、現在はさらに低下しております。なかでも大豆は九割以上、小麦は七割以上を輸入にたよっています。また、ごく最近では、需要拡大の激しい作物のうち、野菜を別として、畜産物や果実の輸入が急激に増大しております。まさに、土産土法・身土不二に反する現状で、長寿博士といわれる近藤正二先生の調べによれば、いわゆる文化的な食品や近代的な農業経営の波をかぶって、長寿者が、かえって減っているところも少なくないそうです。
たとえば、広島県尾道市に近い瀬戸内海に浮かぶ向島《むかいしま》の立花地区。昭和二十八年、長寿者率一〇%(当時の全国平均の三倍以上)で、博士から「日本一の長寿村」の折紙をつけられた土地です。そのころまでは、段々畑でとれるさつまいもと麦、おかずは家の庭いっぱいに作ったにんじん、かぼちゃ、各種の野菜、海からとってくる海草、小魚類。当時は九〇歳以上の「大どしより」が一一人もいたのに、現在は、たったふたりいるだけ。長寿者率も八・五%に減ってしまいました。「大きな原因は食生活の変化」だと、博士は分析しています。政治家や料理の専門家も、カロリーやビタミンや舌先三寸の味のことばかりでなく、特定の風土や家庭に伝えられてきた食べものや料理の数々を、土産土法の観点から今いちど見直す必要があります。
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[#小見出し]  年寄《としよ》りの冷水《ひやみず》[#「年寄《としよ》りの冷水《ひやみず》」はゴシック体]
年寄りに似合わない元気のよいしわざ。年寄りが自分のからだの状態を考えずにムリをするのを、ひやかしたり、戒めたりすることば。事実、年寄りが若い者に負けまいと冷たい水を使ったり、でしゃばった仕事をしたりするのは健康のためによくありません。
自分では、まだまだ若いつもりでいても、からだは年々老化の一途をたどり、いうことをきかなくなっています。からだの老齢化がすすむと食欲が減るばかりか、ちょっとした傷も治りにくくなり、暑さ寒さがめっきりからだにこたえ、ものを考える力や記憶力までが、いまいましいほど衰えてきます。若いと思う気持ち(精神年齢)と、自分の気付かないからだの衰え(肉体年齢)――このギャップが冷水の原因なのでしょう。
ところで飲み水としての冷水は、からだにどのような働きをもつものなのでしょう?
さる高名な外国の医師は「冷たい生水を多く飲むことを怠らなければ、肌を美しくし、血液の循環もよくなり、腎臓病や結石、胃腸病にかかる率も少なくなる」と、さかんに生水の効用を力説しています。冷水の効用については、日本でも『陸奥庵養生訓』という本に、
「冷水には酸素といえる自然の精気ありて人の血気を清涼にするの効あり。もし一度湯に混ずれば、この精気蒸発して清涼の効力を減損す。世俗に水に毒ありと思い、常に冷水を禁じ、かつ熱病人の煩渇ある者にも直に冷水を与えず、湯を冷やして用いる者あり、皆大なる誤りなり。尋常の熱病は別に薬剤を服せず、ひとり冷水のみを用いて活するもの少なからず、これ清涼の効あり。また、たまたま水を飲んで、あるいは腹痛し、あるいは下痢すれば、すなわち水毒に当りたりと思う者あり。これその人のその時の胃腸の状態に因るものにて決して水毒にあらざるなり。老少の差別なく、疾病の有無に拘らず、常に掛念なく冷水を用いて妨げなし。」
朝、起きたときに冷水をコップに一杯飲む――これはたしかに健康に役立ちます。冷水は生理的に胃腸を刺激し、消化器系統の目覚めをうながす効果があります。また、食事中の冷水も胃を刺激して消化を助けます。かと言って、いちじにあまりガブ飲みすれば、血液や胃液をうすめ、からだがだるくなる原因となりますから、ほどほどに。生水は胃腸の刺激剤のほかに、酸素やカルシウム、イオンなど、からだの働きを活発にする有効成分がたくさん含まれていることは見逃せません。それにおいしさの点からいっても、水道の水の遠く及ぶところではありません。近ごろ、富士山麓の水が「ミネラル・ウオーター」と銘打たれ、大いに売れていますが、日本人が再び水の味に注意を向けはじめた|きざし《ヽヽヽ》として、慶賀に堪えません。
「年寄りに冷水」――老人大いに冷水を飲むべし。ただし、やむを得ず水道の水を飲まねばならぬとしたら、蛇口からすぐ口中へ……ではなく、前の晩に汲み置いて、冷蔵庫に収め、冷たくしてから、起きぬけに飲むと効果テキメン。とは言って、飲んで頭や胃が痛くなるほど冷たくしてはいき過ぎ。飲み水の適温は、ビールの飲みごろの温度と同じ八度Cから一二度C。
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[#小見出し]  鳥《とり》は食《く》うともドリ食《く》うな[#「鳥《とり》は食《く》うともドリ食《く》うな」はゴシック体]
ドリとは鳥類の肺臓の方言。鳥は食べても肺臓は食わぬものだということ。
鶏肉は牛や豚の肉とくらべ、脂肪が皮の下にあるだけで、肉の部分に少ないため、味が淡白で、肉質の繊維が細かいので、やわらかく、消化もよく、食肉の中でも、おいしいものの一つに数えられています。美容食や低カロリー食の材料にされるのも、以上のような理由からで、ビタミンB1、B2、ニコチン酸などの含有量も比較的多く、もっと利用したいたんぱく源です。
むかしは関東ではシャモを尚び、関西では主にカシワを賞味しましたが、今日では、鶏肉は都市を中心に、全国的にブロイラーと呼ばれる食肉用のニューハンプシャー種・ロックホン種の若鶏肉が賞味されるようになっています。食用に供される目的で、マスプロ方式で、炭水化物の飼料を多く与え、運動を制限し、七、八週間で育てあげられるせいか、ふつうの鶏肉にくらべると、味はかんばしくありません。
モツ(内臓)は主に関西で賞味されてきましたが、近ごろはモツの栄養価の高いことが知れ渡り、ほとんど全国的に食べられるようになっています。
モツの中でも鶏モツは臭みが少なく、やわらかで、味も上品です。真赤な肺臓と緑色の胆のうを取り去り、レバー(肝臓)、ハツ(心臓)、砂ぎも(第二胃袋)、マメ(腎臓)、ヒモ(腸)などの内臓類のほか、皮、とさか、首づる、足先も使用でき、ほとんどの部分が煮もの、焼きもの、いためもの、スープなどの材料に用いられます。
土地によっては、未だに肺臓は毒になると言って敬遠する|ならわし《ヽヽヽヽ》がありますが、科学的な根拠はありません。もちろん毒成分もないし、肺臓を食べて中毒したという話も聞きません。ただ、肺臓は口にすると、ちょうどガムを噛んでいるような感じで、うまいものではありません。牛豚の肺臓は適当に切り込みを入れて丸ゆでにするか、腸などといっしょに煮込みものに使う程度で、ドリと同様、ほとんどが飼料や肥料にされています。
モツは冷蔵庫に入れても夏場は一両日、冬は三日から四日、冷蔵庫に入れなければ夏は二時間、冬は二日ぐらいしかもちません。きわめて腐りやすいものなので鮮度が問題で、よく売れる肉屋さんで、形のしっかりした、鮮度のよいものを手に入れることが必要です。
鶏のレバーは上モツと言って、ねだんも割合高く、心臓がついたまま売られていますが、並モツのほうは砂ぎも、食道、皮などがまざっていて、ねだんも格安です。
モツは一般にカロリーも高く、たんぱく質、脂肪、ビタミン、ミネラルなども豊かにふくまれ、食肉とくらべて遜色のない食品です。
貧血症をはじめ、いろいろな病人食にも使われることでおわかりのように消化吸収もよく、食品としてもすぐれていますし、だいいちねだんも割安なので、もっともっと日常の食生活に取り入れたい食品です。
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[#小見出し]  ないもの食《く》おうが人《ひと》のクセ[#「ないもの食《く》おうが人《ひと》のクセ」はゴシック体]
人に物ただ遣《や》るにさへ下手《へた》があり 古川柳
一代の美食家だった魯山人先生にあるときこんな話をうかがったことがあります。
「自分はかつて星岡茶寮をやっていたとき、お客さんに出したものがとても気に入られ、もう少しないかと言われると、たとえ台所にくさるほど山と積んであっても、残念ながらもうございません、と答えていた。そうすると、お客さんはこの食べものをいつまでも忘れずにいて、ああおいしかった、もっと欲しかったと思うが、サアサアとウンザリするほど持ち出すと、あとはスッカリ忘れてしまうものだ……」
お宅ではいかがでしょう。いかにダンナさまの好物とは言え、きょうもビフテキ、あすもビフテキではウンザリしてしまいます。
「ないもの食おうが人のクセ」
味覚というものは、どだい浮気っぽいものです。どんなに好きな食べものでも、そうそう毎日続けて食べられるものではありません。取り合わせを変えるとか、調理法をくふうするとか、二、三日間を置いて出すとか、ちょっぴり出すとか……目先の変わった演出がたいせつです。こうした演出は、単に技術だけの問題ではなく、料理する人の愛情プラス味覚センスの問題で、それには、なによりもふだんの心がけが肝要です。
献立を考えるときも、家族のそのときの健康状態を知ることが第一で、そろそろ血圧が心配になり出したおとうさん、いくら食べても食べ足りないような育ちざかりのこどもたち、じょうぶだけれども、歯がおとろえ、あっさりしたものの好きなおじいさん、家族ひとりひとりの年齢や好み、健康、仕事の内容など、十分心にとめて献立を考えましょう。献立をたてることはめんどうが先にたっていやだという奥さんの言い分は、まず次のように要約できましょう。
「気持ちがしばられるようで窮屈なのがイヤです。それに食べたいときに食べるのが、からだのためになりますからネ」
「なにせ物価がベラボウに値上がりしていますから、その日、店頭で見た中からいちばん安いものを買うには、献立が頭にあると、かえって不経済な買いものをしてしまいます」
いずれも、マトはずれの答えですね。その日、その日の食べたいものに調子を合わせていた日には、若いものだったら、毎日でもトンカツということになるかも知れません。日常の食品には、それぞれちがった味わいと栄養素があるのですから、なるべく、食べものは素材を変えて、それこそ、海の幸、山の幸、野の幸を組み合わせて、幅広く食べていくのが、からだのためにはよいのです。
せめて一週間ぐらいの献立は、料理名だけでも考えておきたいものです。あれが食べたい、これも食べたい――と、その日の思いつきや場あたり的な材料選びでは、とかく栄養的に片寄ったり、ムダな食べ方をしてしまうものです。
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[#小見出し]  夏座敷《なつざしき》とカレイは縁側《えんがわ》がよい[#「夏座敷《なつざしき》とカレイは縁側《えんがわ》がよい」はゴシック体]
「家のつくりやうは夏をむねとすべし」と兼好法師は『徒然草』に書き記していますが、日本では汗の出る季節がもっともくらしにくく、住まいも着物も、古来、夏を基準に設計されてきました。夏をむねとする住まいの設計の基本は、いかに風通しをよくするかということで、間仕切りには、フスマや障子などというまことに便利なものを発明し、蒸し暑い季節には取りはずしがきき、風通しをよくして、室内に湿気や熱気がこもらぬようにくふうしています。こうした日本の住まいの中でも、いちばん涼しく、気持ちのよいところは縁側。気の張らない親しい人を招いておもてなしをするときは、夏ばかりは風通しの悪い奥座敷の上座より縁側のほうが喜ばれます。ルームクーラーの発達した今日でも、自然の涼風はなによりのごちそうで、テーブルなども縁側に近いところへ移しておもてなしをするのが、主婦の思いやりと申せましょう。
ところで、夏座敷のそれとひっかけ、共によいというカレイの縁側とは、どの部分をさすのでしょう。カレイの縁側とは、上下のヒレの付け根にならんでいる骨、その間にはさまっている柱状をした肉のことです。この部分は身がしまっていて、脂肪分も多く、肉の他のどの部分よりもおいしく、俗にカレイの|かくし《ヽヽヽ》味といわれ珍重されています。煮魚にした石ガレイでもムニエルの舌ビラメでも、おれは縁側しか食べないなどと、イキがる向きもあるくらいです。
カレイ・ヒラメの類は、平べったいからだを半分砂にうずめ、全身は砂地の色に合わせてカムフラージュし、餌となる小魚や好物の貝、エビなどが近づくと、上下のヒレを動かし、尾ビレを強く振って、ヒラリと飛び上がり、一気に丸呑みします。
鳥の手羽、牛豚のもも……と言った具合に、総じて運動のはげしい部分の肉はおいしく、横着者のカレイやヒラメも、いちばん運動のきつい縁側は、やはり、おいしい。
カレイは種類が非常に多く、地方によっては、ヒラメと混同していることもあります。種類によって、しゅんもちがいます。石ガレイは、比較的に広く分布していて、体長四〇センチもあり、夏も冬もよく獲《と》れます。数多いカレイの中でも、石ガレイの煮つけはおいしく、肉が淡白なので、病人食としても好適だし、じょうぶな魚で、夏は活《い》けのまま入荷するので、洗いにすると、とりわけおいしい。石ガレイの小さいのは、メイタガレイと同じように、ヌメリと石(カレイ板)を取って、丸のまま、素揚げにすると美味です。
マコガレイ(マガレイ)は、肉が厚く口が小さく、東北あたりではクチボソの名で呼びます。クセがなく、おいしい魚で、秋田では冬がしゅんです。大分県|日出《ひじ》のいわゆる城下カレイ≠ヘ、マコガレイのことで、刺身にすると、たいへんおいしく、土地っ子の話によれば、湾内から出る湧水と、それによって繁殖するエサのためだと言います。刺身には梅酢で作った三杯酢が合います。城下ガレイの味どころと言えば、頭東身(頭部筋肉)と眼球、頬肉がまず第一。これらの部分は煮ものか吸いものにもよく合うようです。また、縁側も城下カレイの食通に好まれるところ。
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[#小見出し]  夏《なつ》の蛤《はまぐり》は犬《いぬ》も食《く》わぬ[#「夏《なつ》の蛤《はまぐり》は犬《いぬ》も食《く》わぬ」はゴシック体]
夏のハマグリは味が落ちてまずいこと。喰い意地の張っている犬ですら、夏は敬遠するとは、ハマグリも見下げられたものです。
それというのも、貝類はアワビ・ホタテ貝をのぞいて、産卵期が晩春から夏の末ぐらいまでの間に集中していて、この期間、味が落ちますし、ものによっては毒性をもつものもあります。カキなどは極端に味が落ちます。例外としては、アワビが秋から冬にかけて産卵するので、食べごろは、六〜八月の夏ということになり、ホタテ貝は二〜三月が産卵期ですので、この時期をはずして食べています。
ハマグリは海の栗、浜の栗という見たてから、この名が生まれたと言われます。お隣りの中国では「雀海中に入って蛤となる」という考えが古くはあったようです。
ハマグリは一年じゅう出回っていますが、やはり、しゅんは、春三、四月ごろです。ハマグリは殻を閉じるときの力の強さや殻頂《かくちよう》(|蝶 番《ちようつがい》にあたる部分)の歯のかみ合わせが、他の同じ大きさの貝を持ってきても、絶対に合わないところから、一夫一婦の教えに用いられ、平安時代の「貝合わせ」の遊びや桃の節句に吸いものとして用いられてきましたが、一面、この季節がハマグリのもっともおいしい時季でもあったからです。
旧暦の三月三日は今の四月になり、むかしはハマグリをふくめた貝類の食べ納めが桃の節句で、再び食べはじめる日を、仲秋の八月十五夜と定めていました。貝類は産卵の時期をすぎると、肉がやせて味もわるくなるので、そんなとき、できるだけ貝は採らないようにしていました。それなのに、近ごろでは潮干狩などと言って、いちばんまずい季節のハマグリを採って食べています。これではハマグリの美味は望めません。
ハマグリは波の静かな内湾の遠浅の砂地を好み、アサリとちがって比較的きれいな砂地を|すみか《ヽヽヽ》とする、なかなかの|ケッペキ《ヽヽヽヽ》家です。東京湾をはじめ、渥美湾・伊勢湾・瀬戸内海・有明海・八代湾などが主な産地です。ちょっと外見だけでは、どのハマグリも皆同じように見えますが、それでも内湾のものと外海のものとでは、貝殻にちがいがハッキリ表われています。外海のものは、波の荒いところに棲んでいるので、自然、貝殻もそれに抵抗できるように厚くなっていて、肉もややかたく、形もほとんど不等辺三角形に近い形をしています。湾内のハマグリはやや横に長く、貝殻が薄く、肉もやわらかなので食用にはこのほうが良品で、東京市場では東京湾内のものを本場ものと呼び、太平洋に面したものを場ちがいなどと呼んでいます。
鮮度のよいハマグリは、貝殻に溝がなく、なめらかで、殻を固く閉じています。また、貝と貝とを打ち合わせてみて、澄んだ金属音のするものは鮮度のよいもので、ボコボコと音のするものは、すでに死んでいます。ハマグリの調理法にはいろいろありますが、吸いもの、焼きハマをはじめ、冬のはまなべ、酒蒸し、ぬた、クリーム煮、時雨煮など、いずれも美味です。
蛤の煮汁かかるや春小袖 几董
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[#小見出し]  夏《なつ》は鰹《かつお》に冬鮪《ふゆまぐろ》[#「夏《なつ》は鰹《かつお》に冬鮪《ふゆまぐろ》」はゴシック体]
食べごろのしゅんを言ったもの。カツオは候魚《こうぎよ》と言って、季節により日本の沿岸各地を移動し、最初黒潮に伴われて九州方面に姿をあらわし、次に土佐沖に進みそれから遠州灘、伊豆岬とやってきて、さらに三陸方面から北海道までいきます。これを「上りガツオ」と呼んでいます。秋になって水温が下がると、南の海へ帰っていきます。これを「下りガツオ」と呼び、上りガツオより脂肪が多く、ほんとうの味は上等ですが、長年の習慣から上りガツオほどには珍重しません。それに外海を回って帰るものが多く、上りガツオほどの収穫量にめぐまれず、結局、食べごろのしゅんは、脂の過不足のない七、八月ごろとされています。
しゅんもののカツオと言えば、まず刺身ということになりましょう。カツオにかぎらず、刺身にしてから時間の経ったものは、どんなにいい魚でも味が落ちるものですし、殊に赤身の魚は色も変わってしまいます。ですから、刺身を食膳に上げるときは、用意万端ととのってから最後に作り立てを出すのが定式となっています。ご家庭のおそうざいの場合は、それほど形をかまわなくてもよいのですから、すでに刺身にされて、経木《きようぎ》の舟に乗ったものを買うより、なるべく塊《かたま》りで買ってきて、家で作ったほうが味が落ちなくておいしくいただけます。カツオは刺身にしろすしにしろ薄身では味が出ませんから、刺身の場合は、賽《さい》の目にするか、ぶつ切りにしても結構です。すしの場合は厚身に切りましょう。カツオの刺身は|わさび《ヽヽヽ》でなくて、芥子かおろししょうがで食べることはご存知のとおりで、すしを握る場合も、薬味としていちばんピッタリするのは、|おろししょうが《ヽヽヽヽヽヽヽ》です。
このほか、土佐づくりにしたり、あら煮にして賞味しますが、あら煮もなかなか乙なもので、どうせ、家で刺身を作れば|あら《ヽヽ》が残るのですから、これをぜひ作ってご賞味ください。
ところでマグロのほうですが、|フグさし《ヽヽヽヽ》とともに冬の刺身の王座を占めるのはなんと言ってもクロマグロです。マグロの類には、このほかビンナガ、メバチ、キハダなどがありますが、クロマグロ以外は冬場はそれほどおいしくなく、クロマグロにはとても太刀打ちできません。ただ、最近はクロマグロの水揚げがさっぱりで、手にはいったとしても目のとび出るほどの高値です。クロマグロのことを東京辺りではホンマグロといい、九〇センチぐらいの小型のものはメジと呼び、とくに大きなものはシビと呼んでいます。マグロの意味は肉が黒ずんだ赤色をしているからとか、目が黒いからとも言います。シビの意味ははっきりしません。この種のマグロは三メートル三〇〇キロに達するものもおり、俗に一〇〇貫マグロと言われます。
マグロの類は一般に暖海性で、南の海に多く棲んでいますが、クロマグロだけは別で、かなり北のほうにもおり、夏は北海道の南岸にも達すると聞きます。多く獲《と》れるのは夏場ですが、このころのものは脂ののりが少なくてまずい。しかし、冬になると脂がのり、トロ(トロッとしたところという意味で脂身のところをいう)の部分は、すし|だね《ヽヽ》や刺身にしてもてはやされます。
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[#小見出し]  南部《なんぶ》の鮭《さけ》の鼻曲《はなま》がり[#「南部《なんぶ》の鮭《さけ》の鼻曲《はなま》がり」はゴシック体]
南部領(盛岡藩)の人間は、サケの鼻が曲がっているように、性根が曲がっているというたとえ。江戸時代、南部領の人たちをそしっていう悪口の一種。
鼻の曲がっているのは雄サケの特徴でなにも南部のサケに限ったものではなく、四年ぶりに川をさかのぼるころの雄サケは、沖合いで獲《と》れたものでも、あごの先端が下方に曲がり、下あごの先端は上方に鉤《かぎ》のように折れ曲がって、鼻曲がりといわれるようなドギツイ顔になっています。このことわざは必ずしも真相を伝えてはいず、南部の人たちにとっては、とんだ濡衣《ぬれぎぬ》というわけです。一説によれば、南部の鼻曲がりサケを江戸市中にひろめたのは、南部藩の御用船をつとめる前川善兵衛だと言われ、この男、商才に長《た》けていて、江戸へサケを売り込むキャッチ・フレーズとして「鼻曲がり」を意識的に使い、大いに|あてた《ヽヽヽ》ということです。
サケは北洋にすみ、種類としてはシロザケ・ベニザケ・カラフトマス・マスノスケ・サクラマスなどがあり、国内ではシロザケが主でカラフトマス・サクラマスなどがこれにつぎます。分布は利根川以北の太平洋岸から日本海岸では信濃川辺を南限として棲み、日本海岸で獲れるのは、おもにサクラマスです。北洋でわずかに獲れる巨大なマスノスケは一名、キング・サーモンと呼び、脂肪分も多く、味もサケの王様。
川でかえった稚魚は、四センチぐらいになると外海へ出て、北洋で成長し、四年ほど経つと再び生まれ故郷の川へ産卵のため、遡ってきます。これをサケの母川回帰性といいます。
産卵期は九月から翌年の一月ごろまでで、メスが河床の小石や砂利を掘って産卵すると、待ち構えていたようにオスは乳白色の精液をかけ、砂利で覆い隠し、種族保存の役目を果たし終えると、親ザケは力つきて死んでしまいます。
産卵場に向かうころのサケのからだには、脂肪分がたくさん含まれていますが、いったん川を遡りはじめると、餌をほとんど食べず、からだの脂は抜け、たんぱく質も少なく、水分が多くなり、産卵後のサケはまずくて食えません。一般に味のよいのは、川ザケより海ザケで、もっとも味のよいのは川にはいりたての、いくぶん脂が減ったころ合いのサケです。正月用の食品としておなじみの新巻ザケも、この時季に作られたものが最上品です。
日ごろ、お世話になった人にお歳暮として新巻を贈るならわしも、サケが川に生まれ、海で育ちまた再び元の川にもどる習性から、恩に報いるという縁起にちなんで生まれたものです。
また、アラマキということばは、むかしサケを塩蔵する際に、ワラヅトにしたため、ワラマキが訛ったものだといわれ、古くは荒巻、あるいは苞苴という字を当てています。同じアラマキでも新巻のほうは、南部地方で秋、川を遡ってきたサケを薄塩にし、新ワラで編んだムシロで巻いて、形が崩れないように保存したことから生まれたことばだと聞きます。
鮭の簀の寒気をほぐす初日哉 左柳
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[#小見出し]  匂《にお》い松茸《まつたけ》 味《あじ》しめじ[#「匂《にお》い松茸《まつたけ》 味《あじ》しめじ」はゴシック体]
むかしの旗日、神嘗祭《かんなめさい》の十月十七日前後、京の街々は、まつたけの香りでいっぱいになります。赤松林に自生するまつたけは、古くから愛好され、京人ならずとも忘れられない秋の味覚です。
茸狩は紅葉狩より世帯|染《じ》み
と、古川柳によまれるくらい、親しまれてきました。紅葉狩がもみじそのものの美しさを観賞するレクリエーションなのに、茸狩は採《と》ったまつたけをその場で焼いて食べたり、すき焼きといっしょに賞味したり、果ては家に持ち帰って、おかずの一菜としたり、なんとはなしに世帯じみているというのです。
香り高く、歯切れのよい新鮮なまつたけは、焼いてよし、煮てよし、揚げてよし、土びん蒸しや包み焼きにして、|ゆず《ヽヽ》や|すだち《ヽヽヽ》のしぼり汁を滴らして賞味すれば、特有の風味に、ひとしお秋の深まりを覚えさせます。
まつたけのしゅんは九月の末から十月のはじめにかけてで、六月ごろに少し顔を出しますがこれを早《さ》まつたけと言い、七月に出回るのは土用まつたけの名で呼ばれます。しゅんもその年の気温や雨量によって、出盛りは十月の初旬か、時には中旬以降になることもあります。
俗にまつたけは上方の味――と言われ、京都が本場。今日では京都にかぎらず、長野、岐阜、三重、兵庫、岡山、広島、山形などの各県からも出荷され、一部は韓国からも輸入されています。東京の青果市場では、大まかに関西ものと信州ものに区別していますが、関西ものは、やわらかなせいか、虫喰いが多く、乾燥度の高い信州ものは、虫喰いの少ない反面、いくぶん固い難点があります。
まつたけは傘の開かない、軸の太くて短いもので、押して弾力のあるものが良品です。傘の開ききったものは古く、味もグンと落ちます。傘の開かない良質のまつたけは一本丸ごと使うことが多く、焼きまつたけ、すまし汁、土びん蒸し、ほうろく焼き、包み焼きなどが向きます。中開きのものは香りも強く、焼きまつたけやちり蒸しに、開ききったものは水分も少なく、香りも落ちていますが、値段が安いので、すき焼き、まつたけごはん、フライなどにすれば結構楽しめます。|ころ《ヽヽ》まつたけはつくだ煮か辛煮にして賞味します。「匂い松茸」と言われるくらいで、料理するときは、このにおいを逃さないように、火をとおしすぎないことが肝心です。
しめじは晩秋、雑木林に群生し、場所によっては一月ごろまで顔を見せますが、いたみやすいので、味の上等なわりに都会の八百屋の店先には姿を見せません。しろしめじ、むらさきしめじ、きしめじ、だいこくしめじと種類も多く、傘の分厚い軸の太く短いものがよい品です。
採れたての鮮度のよいものなら、とうふのおすましやみそ汁に入れると相性がよく、しめじごはんもおいしく、ゆず釜の中身にすれば、コリコリした歯ざわりが楽しめます。
塗盆に千本しめぢにぎはしや 的浦
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[#小見出し]  糠味噌《ぬかみそ》は日《ひ》に三《さん》べん底《そこ》からまぜろ[#「糠味噌《ぬかみそ》は日《ひ》に三《さん》べん底《そこ》からまぜろ」はゴシック体]
ぬかみそはむかしから家庭の味をあらわすことばとして使われてきました。万事お手軽横行と言われる今日でも、ぬかみその味だけはなんとかたいせつに育てていきたいと思います。ぬかみその香りや味は、ぬか床熟成の主役をつとめる乳酸菌の働きによりますが、この主役、なかなかの気難《きむずか》し屋で、ぬか床を常に居心地のよいように整えておかないといけません。ちょっとでも手入れを怠ると、ぬか床の中の乳酸菌と酪酸菌、酵母、雑菌などのバランスが崩れ、余分な菌が群雄割拠するようになり、酸味がきつくなりすぎたり、例のぬかみそ臭い悪臭を放つようになります。日に三度底のほうからかきまぜるのも、いわば乳酸菌の居心地をよくさせ、充分働きができるよう環境を整備してやることなのです。
具体的に、ぬかみその手入れとはどんなことかと言いますと、まず第一にかきまぜることを怠らないこと、清潔を保つこと、ぬか床の水分を一定に保つこと、ぬか・塩を適宜補うこと、味わいをよくし熟成度を一定に保ち、栄養をつけるため添加物をまぜること――などです。
ぬか床をかきまぜ、空気に触れさせてやると、空気を好む乳酸菌や酵母菌の繁殖を助けることになり、これらの菌が雑菌の増えるのを封じて、ぬかみその風味や香りを作り上げます。かきまぜ方をいいかげんにしておくと、雑菌のほうがのさばってしまい、好ましくない結果を招きます。気温の高い夏場は特に雑菌がのさばりやすい時季で、日に二、三べんは欠かさずかきまぜ、春秋でも日に一ペんは手入れを怠らぬようにしましょう。
かきまぜ方の要領は、ぬか床を上下にひっくり返し、十分にほぐして、まんべんなく空気に触れるようにすることです。そのために、掌《てのひら》は中心に向けるより容れものの内壁に向けて差し込み、内壁伝いにすっぽり持ち上げるほうがよく、これを丹念に何度か繰り返します。
また、ぬかみその材料となる野菜類は、成分のほとんどが水分なので、ぬか床につけると、ぬかにまじった塩の浸透圧によって、水分が多量に出てくるものですから、みそ漉《こ》しざるか、そばの上げざるなどをぬか床に差し込んでおき、溜った水分を外に捨て、ぬか床がいつも一定の固さ(ぬか床を作って漬けはじめのころの状態)を保つように心がけます。
野菜のうちでも葉菜類は、ぬか床から引き上げるとき、いっしょにぬかを取り出すことが多いので、これを平らにならしたぬか床の表面にはたきつけるようにして取るなり、手まめにいちいち手で取るなりして、ぬか床にもどします。ころ合いを見てぬか、塩を補っておきます。
味をよくするために、唐がらし、根しょうが、こぶを入れるのもよく、ぬか床の酸味を中和するため、細かに砕いた卵の殻をガーゼの袋に詰め、入れておくのもよいでしょう。
レモンの皮や夏みかんの皮を大きいまま漬け込んでおくと、香気や風味をよくします。
手入れとはよくいったもので、おいしいぬかみそは、ぬか床にまめに手を入れることによって生まれます。
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[#小見出し]  塗《ぬ》り箸《ばし》でナマコをはさむ[#「塗《ぬ》り箸《ばし》でナマコをはさむ」はゴシック体]
すべりのよい塗り箸で、ぬるぬるしたナマコをはさもうとしても、滑り落ちてしまうので、物事のなしがたい|たとえ《ヽヽヽ》に用います。
同じようなことわざに「塗り箸で素麺を食う」「塗り箸でとろろ」「塗り箸でウナギをはさむ」などがありますが、いずれもバカげた骨折りを笑っています。
ところで、お客さまを招いて、ごちそうするとき、これに類した|あやまち《ヽヽヽヽ》を、なんの気なしに冒《おか》してはいないでしょうか? 「塗り箸で素麺」などは、案外、知らずにやっているかも知れません。お箸にかぎらずお客さまに余計な負担をかけることは、おもてなしのこころに反します。箸にかぎって言えば、あらかじめ、滑らない箸、たとえば杉の割箸(利休箸)などを用意しておかれると、ホステス(主婦)の心遣いの細やかさがうかがえ、出される料理もおいしいにちがいありません。こうしたことも、下ごしらえのうちといえましょう。
そうめん以外にも、たとえば、つまみづらいアワビやタコ、イカなどの刺身を、へぎ作りの要領で切りおろすときに、包丁の刃を波状に動かし、小波《さざなみ》作りにするのも、こうすれば、すべりやすいアワビやイカも、切り肌に細かな段がついたおかげで、盛りつけしやすく、箸で取りやすくなるばかりか、つけじょうゆもつけやすくなります。また、かみにくいイカなど、かくし包丁(かくし刃)を入れておけば、食べやすくなります。すべて、料理にたいせつなことは、食べる人へのこうした細かな思いやり≠ナす。
ナマコはウニやヒトデと同じ棘皮動物ナマコ類の総称で、種類は五〇〇種に及ぶと言われます。食用に供されるのはマナマコで、からだの大きさは四〇センチくらいです。からだは円筒状をしていて、腹面に三列の管足があり、口の回りには多くの触手があります。どちらが頭とも判別できず、目もなく、触手で泥をかき集めては、その中の微生物を食べます。外観はまことにグロテスクな形をしていて、だれでもよくいうことですが、この外観を見たら、確かにナマコを初めて食べた人は、よほど度胸のあった人だと思います。
夏の間、ナマコは深いところで食物をとらずに夏眠をしていますが、秋になると眠りからさめて浅海に移り、冬の昼間、海底をはい回って食物を漁ります。漁期は秋から冬にかけてで、味も初冬のころからのりはじめ、ゆずの香りと相性がよく、俗に「冬至ナマコ」と言われる季節になると、特有の風味を生じます。寒中のしゅんにあるナマコを俎上にのせ、柳葉包丁でタテに一線さっと引くと、「海鼠裂くなまこの水の盛り上り さつき」というように、腹いっぱいにつまった海水が、ワタといっしょにどっと溢れ出ます。ワタを小鉢に移して、小口から細く包丁して、黄ゆずの二杯酢で食べると、天然の美味に、おもわずノドが鳴ります。
ナマコはいちど味をおぼえると、こりこりする歯あたり、ちょっぴりクセのある青臭味も、さして気にならず、寒の訪れが待遠しくなるほどのうま味を蔵しています。
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[#小見出し]  猫《ねこ》 に 鰹《かつお》 節《ぶし》[#「猫《ねこ》 に 鰹《かつお》 節《ぶし》」はゴシック体]
好物をそばにおいたのでは気が許せないことで、まちがいを起こしやすい状態のときをいいます。同じようなたとえに「猫に生鰯《なまいわし》(あるいは干鮭《からさけ》)」「金魚にボウフラ」などがあります。
カツオ節は日本独特の調味食品で、世界的に見ても珍しいものです。その歴史はずいぶん古く、『古事記』にも記されています。神社の棟木《むねぎ》の上に横に何本か並んでいる木のことを堅魚木《かつおぎ》と言いますが、この堅魚が実はカツオのことで、雄略天皇の章に、天皇が河内《かわち》に行幸なさったとき、「山の上に登りて国の内を望《みさ》けたまへば、堅魚《かつを》上げて舎屋《や》を作れる家ありき」――と書かれています。もっとも、このときの堅魚が今日のカツオ節の前身であったかどうかは、審《つまびら》かにしませんが、とにかく角ガツオの干したものであったことはまちがいないようです。当時は、カツオ節を出汁《だし》用に使ったわけではなく、もっぱら保存食品としていたようです。とくに戦国時代には兵糧として重要なものだったと思われます。
また、当時のカツオ節は、現在のようにいろいろ手間をかけたものではなく、ただ日に干すだけの簡単なもので、今のような方法が行なわれるようになったのは、江戸初期、延宝《えんぽう》年間(一六七三―八一)と伝えられますから、まだ二九〇年ぐらいしか経っていないわけです。
ここで、ちょっとカツオ節の作り方についてお話ししておきましょう。まず原料となるカツオを三枚におろし、片身の肉をタテに二つに割ります。つまり一尾のカツオから四つの切り身をとるわけで、これを身割りと言いますが、こうしてつくった肉のうち、背のほうを雄節《おぶし》、腹側を雌節《めぶし》と呼びます。小さなカツオは身割りをしないので、雄節、雌節がくっついているわけで、これを亀節《かめぶし》と呼んでいます。
切ったカツオを籠《かご》にならべて蒸したのち、骨や皮の一部をとり、欠けた部分にはクズ肉を摺ったものをはりつけて形を直します。そうしてから炉に入れ、八○度Cぐらいの温度で焙《あぶ》り、この作業を毎日一回行ない、合計六、七回繰り返してのち、こんどは日に当てて干し、ほぼ乾いたところで樽に詰めておくと、また水気がにじみ出て少しやわらかくなります。そこで表面を削り、形を直して、再び樽に詰めておくと、一週間ほどで青カビが生えてきます。これを日に当てて乾かし、カビをざっと落とします。それをまた樽詰めにしておくとカビが生え、これを五回ほど繰返すと、水気がぜんぶなくなって、固いカツオ節ができ上がります。
このようにしてでき上がったカツオ節の、良否を見分けるのはなかなかむずかしいものですが、よいカツオ節は肉質の脂肪が適度で、外見からはカビ色の淡い、きれいな、手にとって重みのある固いもの、さらに皮の部分が小ちぢみになっているものを選ぶようにしましょう。ちぢみの小さいものは魚体の脂肪の少ないよい品です。固いものは二本打ち合わせたときに、カンカンと澄んだ音がします。これなら干しもよく、虫喰いなどの害や身割れのないものです。カンナにかけて透明感のあるものは良品で、ぼろぼろと粉状になったり、不透明な感じのものは不良品です。
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[#小見出し]  はじめちょろちょろ中《なか》ぱっぱ[#「はじめちょろちょろ中《なか》ぱっぱ」はゴシック体]
配給米はまずい――と言ってしまうことはいたって簡単なことです。確かにお米の管理制度には、品質や保存の点で、今日いろいろ問題が出てきております。しかし、お米の品質低下をウンヌンする前に、お米に対して正しい取扱い方をしているかどうか、反省してみる必要があります。
電気炊飯器などなかった二《ふた》むかし前までは、どこの家でも、まきや柴、ガスなどを燃料として、大きな鉄釜で、ごはん炊きをしていました。こうした燃料を使ってのごはん炊きには、「はじめちょろちょろ 中ぱっぱ 吹きはじめたら 火を引いて 赤子泣くとも 蓋《ふた》取るな」――という火かげんが、ごはん炊きの理想の火かげんでした。前の晩にタイムスイッチさえ合わせておけば、自動的にごはんが炊けている便利な世の中になった当節では、こうした火かげんも、さのみ問題にならなくなっています。電気炊飯器なら、「強飯《こわめし》ができ粥《かゆ》ができ」といったむかしのごはん炊きのようにムラはありませんが、味わいの点で、いま一つ欠けるような気がします。そこで、電気炊飯器を使って、おいしいごはんに仕上げるコツをご伝授しましょう。
まずよいお米を選ぶこと――ですが、自主流通米の中から産地、銘柄によるおいしいお米を選ぶことができます。しかし、こうしたお米でも味を左右するものがあります。それは乾燥度。乾燥が十分なお米は貯蔵中に、味が変わることが少ないからで、米びつは、なるべく乾燥させ、時には空《から》にして日光に当てることが必要です。
お米をとぐとき、あまり力を入れてごしごしやると粉米になるので、|とぐ《ヽヽ》というよりは洗うという気持ちで、浮いたゴミをとることに目標を置き、多少の濁りは気にせず、ある程度澄んだら切り上げます。|ぬかくさく《ヽヽヽヽヽ》しないためには、手早くとぐこと。
火にかける前に、お米は十分水を吸収していることが必要で、新、旧米の別によって水にひたす時間も異なりますが、夏場なら三〇分から四五分、冬は二時間ぐらいが適当です。水かげんには一応の基準というものがあり、米の乾燥度によって増減しますが、水の分量は日々の体験によるカンを生かしましょう。
ところで肝心の炊飯器ですが、アルミ製のふたは軽すぎ、沸騰してくると動きやすく、必要な水分まで発散させすぎるキライがあるので、最近はこの欠陥を改良した完全密封の圧力式炊飯器になっています。これだと、マアマア合格点のおいしいごはんが炊けます。炊き上がったごはんを炊飯器のまま食卓に出すご家庭が多いようですが、こうすると、ふた裏に溜った水滴が落ちて、ごはんが水っぽくなり、夏場には早く腐る原因ともなります。十分|むらし《ヽヽヽ》てから、よく乾いたおひつにごはんをほぐしながら移し替え、乾いたふきんをかけておくと、ごはんに香りやつやが出て、口当たりがよくなります。おひつやふきんが余分な水分を吸収しごはんを|しっくり《ヽヽヽヽ》落ちつかせるからです。
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[#小見出し]  花見過《はなみす》ぎたらカキ食《く》うな[#「花見過《はなみす》ぎたらカキ食《く》うな」はゴシック体]
西洋のことわざにも「Rの字のつかない月(May, June, July, August)にはカキを食べるな」というのがあり、青葉どきのカキを敬遠しています。この季節(五月〜八月)のカキがまずいのは、ちょうどカキの産卵期にあたり、生殖巣が成熟し毒化しやすいうえに、その生殖巣を成熟させるために、からだの栄養分が使い果たされ、味も落ちるからです。その点二月は「R」が二つもついていますから、カキの味わいのいちばん深まる月かも知れません。
九月から翌年春四月まで、味のよくなるのはカキばかりとかぎらず、ほかの貝、アサリ・ハマグリ・赤貝・平貝などにしてもそうです。西洋人がカキを例にして、こんなことわざをつくったのも、しゅんもののカキがおいしく、正式のおもてなしの食卓に欠かせぬオールドゥヴルの主役だったからだと思います。
この季節になると、カキはからだが次第に充実し、グリコーゲン及びエキス分が増すので、いちばん美味です。たんぱく質はあまり多くありませんが、無機塩類や造血成分であるところの銅や鉄分を多く含み、他にヨード分を含んでいるので、むかしから貧血症に向く食品として親しまれてきました。ビタミン類では、各種ビタミン、特に、A、Bを多く持ち、肉質は他の貝類にくらべてやわらかですから、消化もよく、お年寄りや子ども、病人などに好適の食品でもあります。また、カキには独特の高い香味がありますので、酒の肴としても多く利用されます。
カキは種類が多く、日本産のうちおもなものとしては、マガキ・ナガガキ・アリアケガキ・イワガキ・イタボガキ・ケガキなどがあり、有名な広島のカキはこのうちの「マガキ」という種類で、小粒で黒ずんでいますが、大味な大粒のものにくらべると、味は格段すぐれています。
よいカキは、内臓を覆っている白い部分が大きくふくらみ、灰白色で、傷がなく、外側の縮《ちぢ》れた部分(外套膜《がいとうまく》)が波状によく縮んでいるもので、こうしたものですと、全体に鈍いつやがあります。つまり、太って大きく、身の締まったものが新鮮で、おいしいものです。
反対に内臓の部分が透きとおって見えたり、弾力がなく、傷のあるもの、ことに外套膜の縮れていないものは、古かったり、おいしくなかったりしますから避けましょう。また、水に長くつけておいたものは、変に白っぽくなり、だらりと伸びきったようになっているので簡単に見分けがつきます。こうしたものは、おいしくないばかりか、中毒の原因にもなりますので注意しましょう。これが殻つきになりますと、見分けにくく、殻つきだから鮮度がよいものと思いがちですからよく注意して、一つ二つ殻を開けて見てもらってから買うようにしましょう。
本場の広島で土手焼きと称する割りたてのカキを、野菜といっしょに白みそで煮ながら食べるカキなべは、からだが暖まって冬の夜の宿にはこよなき相手。またカキ特有の香味を生かしてのカキ酢も、捨てがたい美味です。お好みによってはカキ雑炊をどうぞ。
客ありてよろこばれたる牡蝸酢味噌 みえ
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[#小見出し]  鱧《はも》も一|期《ご》海老《えび》も一|期《ご》[#「鱧《はも》も一|期《ご》海老《えび》も一|期《ご》」はゴシック体]
現世にはハモのような長いものとか、エビのような曲がったものもあるが、いずれもやがては尽きるといった点ではまったく同じものであるという|たとえ《ヽヽヽ》。人間の境涯も差別をとりたてていえば、上下貧富といろいろあっても、つまるところは、みなひとしく一生を過ごす。内閣総理大臣も、日雇い労働者も、億万長者も、その日その日をかろうじて生きる貧者も、所詮は五〇年か七〇年の命で一生を終わるものなのである――ということ。一期は「一生」という意の仏教用語です。ハモとエビを取りあわせたのは、いずれも海に棲むもので、ともにむかしから食用に供され、親しまれていたものだからでしょう。同じ意味のことわざに「蛇も一生なめくじも一生」があります。
ハモと言っても、関東の人たちにはなじみがうすく、東京などでは知らない人のほうが多いでしょう。ハモはウナギに似て細長い魚で、鋭い歯を持ち、性質が荒っぽく、噛みつきやすいところから、高知県辺りでは「噛む」意味をふくめ、ハムと呼んでいるほどです。体長は二メートルに達するものもあり、熱帯より温帯にかけて沿岸寄りの浅い海に棲み夜間活動します。
日本では瀬戸内海から九州にかけて多く、東北とか北海道にはいません。そのため、上方《かみがた》、とくに京・大阪の人はハモを非常に珍重します。
ハモの肉は白く淡白なうま味をもっていますが、おいしくなるのは入梅以後で、俗に「鱧は梅雨の雨水を飲まぬとおいしくならぬ」と言われています。しゅんは夏場。ことに京・大阪の七月の夏祭ごろが、ちょうどしゅんに当たるので、祭の食べものとして、かば焼き、照り焼きにするほか、すし、酢のもの、天ぷら、吸いものだねなどにしてもうまく、まつたけ時分には、土びん蒸しの中に、必ず欠かせぬ|であいもの《ヽヽヽヽヽ》になっています。しかし、なんといってもハモ料理の圧巻は「葛叩《くずたた》き」の料理用語で知られる「牡丹ハモ」の一椀でしょう。ハモは小骨が多く、皮肌から肉質へ向って無数と言ってもよいくらいはいり組み、そのままでは食べられないので、骨切りという特殊な技法を用います。辻留主人の手になる「牡丹ハモ」は当代随一の定評があり、私も何度か賞味する機会を得ましたが、口の中へ入れたとたん、|とろける《ヽヽヽヽ》ようなうまさは、これがほんとうに小骨の多いハモか、といぶかるほどのやわらかさ、うまさです。
一方のエビは種類が多く、日本で現在わかっている種類だけでも三五〇余種にのぼるといわれ、トロール漁業などの漁獲物を調べたら、まだまだ種類はいくらでも増えそうです。ふつう食べるものと言えばクルマエビ・シバエビ・イセエビ・サクラエビ・テナガエビ・シロエビなどです。好みもありましょうが、エビの王者はクルマエビ(東京ではマキ、またはサイマキ、サヤマキとも言います)でしょう。味はもちろんエビ類随一で、天ぷら、すしだね、煮つけ、焼きもののいずれにも向き、そのうまさは、刺身にとどめを刺すと言えましょう。
大阪の祭つぎ/\鱧の味 月斗
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[#小見出し]  腹《はら》八|分《ぶ》に医者《いしや》いらず[#「腹《はら》八|分《ぶ》に医者《いしや》いらず」はゴシック体]
ブタは「食いしん坊」の代表みたいにさげすまれていますが、いざ満腹したとなると、たとえどんな好物を鼻の先へ突きつけても、プイと横を向いてしまいます。この状態のときのブタの胃を調べてみると、胃袋のなかはまだ二割ぐらいの余地があり、腹八分めになっているそうです。人間の場合はどうでしょう。
宴会の席などで「もうお腹がいっぱい」と言いながら、次々に出される料理や酒、くだものまでも、ふんぎり悪くつまんでいる人を見かけます。なかには、人に知られぬように、そっとズボンのベルトをゆるめ、失地回復とばかり、隣の酔客のおかずにまでアタックしている人もおります。こんなときの人間の胃袋をレントゲンで透《す》かしてみると、きまって胃袋は一〇〇%以上にふくれ上がっています。どうやら身のほど知らずに喰い意地の張っているのは、ブタよりも人間さまのほうです。
信濃者三ばい目から噛んで食ひ
わづらつて人なみに食ふしなの者
しなの者めしは思案のほかといふ
いずれも江戸時代の川柳ですが、当時、信州の農民たちは積雪期に江戸へ出稼ぎにきて、米搗《こめつ》きとか、湯屋の三助といった重労働に従事し、ふだんは口にしない米のめしであることも手伝って、おどろくほど大食するので、信濃者はすべて大食の代表みたいに見られていました。
それにしても、食べすぎた栄養分はどこへ行くのでしょう。育ちざかり、伸び盛りの青少年の場合は、新陳代謝がはげしく、エネルギー源として使われもしますが、壮年期や老年期ともなると、胃腸などの消化器に余計な負担をかけ、害になることはあっても、決してからだの役には立ちません。西洋では「栄養不良は少年をして成人になることを遅らしめ、過食は老人をして、早く墳墓におもむかしむ」と、戒めております。
ではいったいどのくらい食べたらよいでしょう? 年齢、性別、労働の多少、気温のちがい、健康状態……などによって、一口には言えませんが、むかしからの言い伝え「腹八分め」――つまり、もう一口ほしいなあ≠ニ思うところで箸を置く、それがどなたにもふさわしい腹八分めの尺度でしょう。しかし、腹八分めといっても、厳密にいえば、これはごはんを主食としてふつうの食べものを摂《と》った場合で、餅などを食べたときは、腹六分めぐらいで止めなければいけません。餅は水分の含有量が少なく、密度が大で、容積が小さいからです。また、天ぷらのように脂肪分の多い食べものの際も、その量に応じ八分めよりいくぶん控えめにしましょう。脂肪は炭水化物やたんぱく質にくらべ、倍以上のカロリーが含まれているからです。
栄養分は喰い溜めがきかず、余ったものは体外へ排泄されてしまうので、栄養的にバランスのとれたものを、腹八分め摂るのが、やはり、食養の第一のポイントと言えましょう。
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[#小見出し]  貧乏柿《びんぼうがき》の核沢山《さねだくさん》[#「貧乏柿《びんぼうがき》の核沢山《さねだくさん》」はゴシック体]
貧乏人には子が多いことの|たとえ《ヽヽヽ》。「貧乏柿」とは肉の少ないまずい柿のことで、「核」は種子《たね》をさしています。「貧乏柿」がここでは「貧乏人」にたとえられ、「核」が「子ども」にたとえられていることは言うまでもありません。似たことわざに「渋柿の核沢山」「痩柿《やせがき》の核沢山」があります。このことわざの意を、そのものズバリに言い表わしたものに、ご存知「律気者《りちぎもの》の子沢山」「貧乏人の子沢山」があります。
近ごろは産児制限の知識が普及し、社会保障制度が曲がりなりにも行届いて、極端に貧しい人たちが少なくなり、むかしのように、みすぼらしい|みなり《ヽヽヽ》をした母親が、年の開きのない三人の子――ひとりは背中におぶい、両手にひとりずつの手を引いて連れ歩くといった哀れな情景は、都会では、あまり見かけなくなりました。一方、このたとえに用いられた|くだもの《ヽヽヽヽ》なども、|すいか《ヽヽヽ》をはじめ、いちご、柿……なども改良が加えられ、タネなし種《しゆ》が作り出されるようになって、どうやら、あまり適切なたとえとは言えなくなってきそうな気配《けはい》です。
日本古来のくだものである柿には、「猿蟹合戦《さるかにかつせん》」のむかしばなしをはじめ、いろいろな伝説、逸話、迷信などがあります。そのうちの一つ、真宗の開祖親鸞さまが諸国辺土教化の旅をつづけておられたとき、ある家で串柿をすすめられ、そのタネを三粒ほどいろりの火に投じ、半焦げにして庭に埋め、「我すすむる所の法、後盛んならば、この焼きた種より芽を生ずべし」と言って立ち去った。ところが間もなく芽を出した柿は、三年めにりっぱな実をつけ、世人は聖人の法力に大いに驚いた――という話が、『親鸞聖人御一代記』にのっております。
柿にはいろんな種類がありますが、大別する甘柿と渋柿の二種に分けることができます。甘柿には丸型でひらたい富有《ふゆう》をはじめ、同じくひらたく、上に十文字に浅いみぞのはいっている次郎、禅寺丸《ぜんじまる》(枝柿)などがあります。一方、渋柿としては身しらず、愛宕《あたご》、蜂屋《はちや》、庄内《しようない》、御所《ごしよ》、玉川などがあります。九月下旬ごろ、渋抜きした御所柿がまず姿を見せ、それまでのくだものにない紅色で店頭を飾りますが、味はたいしたことありません。果肉がやわらかで保《も》ちが悪く、短期の出回りで終わり、次に角張った次郎、見ばえがして甘い富有がつづき、この間に小さい禅寺丸が出て、同時に渋抜きした身しらずが会津から大量に出荷されます。このあとには大振りのとがった蜂屋、暮から正月には愛宕のさかりとなります。
蜂屋を樽につめ、焼酎《しようちゆう》で渋抜きしたものは、傷口などに焼酎が浸み込み、樽から出したてのものは、こたえられないうまさです。甘柿は、表面にふいた粉がはげていないものなら新しいもの。富有など、暮近くまでおいて霜にあたったものは、舌の上でとけるように熟成しています。柿はタンニンがあるので、食べ過ぎると便秘《べんぴ》しますが、酒を飲み過ぎたとき、柿を食べると、すぐに気持ちよく治ります。
水飲むがごとく柿食ふ酔のあと 虚子
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[#小見出し]  フグは食《く》いたし命《いのち》は惜《お》しし[#「フグは食《く》いたし命《いのち》は惜《お》しし」はゴシック体]
芭蕉の句に
河豚《フグ》汁や鯛もあるのに無分別
あら何ともなやきのふはすぎて河豚と汁
というのがあり、フグに猛毒のあることは、ずいぶん古くから知られていたようです。このことわざも古くから世俗になじみ、うまいフグ料理を食べたい気持ちは山々だが、毒のことを思うと、手を出しかねる――そんな気持ちを寺島良安なる御仁《ごじん》は「咽元《のどもと》三寸、暫しの口味に泥《なづ》んで、身命を賭《かけもの》にするのは、恰も有夫有婦が姦通する時の心持ちと、その趣きは一つである」と喩《たと》えていますが、確かにこの評言は、ズバリ複雑な気持ちを言い当てています。
それにしても、フグを食べることは命がけの冒険であったようで、江戸のむかしはともかく、現代でもいまだに毎年二〇〇人以上が中毒し、死者も百数十人を越えているそうで、そのほとんどが素人料理の犠牲者だというからあわれです。フグのアダ名をテッポウ(鉄砲)というのは「あたったら命がない」というシャレからきていますが、さすがに実感がこもっています。
フグの毒成分はテトロドトキシンの名で呼ばれ、フグの学名テトロドンと毒のトキシンをくっつけたものです。無色・無味・無臭で青酸カリの一三倍という猛毒。〇・五ミリグラムの極微量で、体重五〇キロの人間がころりとまいるというから恐しいものです。
フグの中でもいちばんうまいトラフグ一匹の毒で一三人、とぼけた顔のマフグ一匹の毒で、三〇人は軽く眠らされると言います。しかもこの毒は、数時間煮ても分解しないし、酸味のきつい調味料に対しても強く、決め手となる解毒剤は、残念ながら、今もって発見されていません。さらに始末の悪いことは、同じ種類のフグでも毒の強さは一匹ごとに異なり、季節によっても変化します。「菜種フグは食べるな」という戒めも、菜の花の咲くころは、ちょうどフグの産卵期にあたり、とくに卵巣に毒が多くなり、また、からだの中の毒も強くなるものがあるので注意が必要です。このため、多くの県ではフグ料理人の免許制をとっていて、ちゃんとした店では心得ている人が必ず包丁をとることになっているので安心ですが、問題は素人料理やモグリにあります。とりわけ毒性の強いのは、マコ(卵巣)とキモ(肝臓)で、食中毒の発生例を調べてみても、肝臓・卵巣などの内臓や、皮肌のはいりやすい煮付け・汁・ちりなべなどの場合が多く、ときには塩漬けや粕漬け、干物でも発生しているので油断はなりません。
こんなフグも料理のしかたが当を得ていれば恐るるに足らず、刺身、ちり、雑炊、煮|凍《こご》り、ヒレ酒と楽しみが多く、わけてもおいしいのはフグ刺で、脂ののりきった冬が最高のしゅん。本場下関産の上等をいちど口にすれば、蘇東坡ならずとも「一死に値す」とほめたたえたくなる天与の美味。骨つきの身といっしょに、春菊、とうふを添え、ボン酢で味わうちりなべのうまさも断然たるものです。
白妙の河豚のつくり身ありがたし ありがたしとてたうべけるかも
[#地付き]吉井勇
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[#小見出し]  風呂吹《ふろふ》き大根《だいこん》に米粒《こめつぶ》[#「風呂吹《ふろふ》き大根《だいこん》に米粒《こめつぶ》」はゴシック体]
キメ細かく、水気をたっぷりふくんだ秋大根の味わいを、すなおに賞味するには、厚切りにして、やわらかくゆでたうえに、|ごまみそあん《ヽヽヽヽヽヽ》をたっぷりかけていただく風呂吹きがいちばんだと思います。
ふろふきの煮上る親星子星出て 化石
大根はゆで上げるのに思ったより長く時間がかかり、おまけに大根特有の臭味と苦味もあります。四センチぐらいの輪切りにしてから、厚目にぐるりと皮をむいて、器に盛りつけるとき下になる側に、途中まで十字の隠し包丁を入れ、熱のとおりをよくします。そうして、なべに出汁《だし》こぶを敷き、大根の切り口を上にしてぴったり並べ、被《かむ》るくらいの水を入れ、その中にお米のとぎ汁か、さもなければ米粒を大さじ二杯ほどガーゼの袋に入れて、「落し蓋」をしてゆでると、大根の|あく《ヽヽ》が抜け、臭味や苦味も取れ、甘く感じるようになり、早くゆで上がります。
ところによっては、自家用のみそをつくる際、大豆をゆでる釜でいっしょにゆでるのが豆のゆで汁とよく調和して、おいしいとも言います。
ゆで上げるまでにごまみそを作るのが手順で、まず炒《い》りごまを擂鉢《すりばち》でよく擂りつぶし、あまりからくないみそ(白みそ、赤みそのいずれでも結構、人によっては白みそには白ごまを入れ、黒白の二色にすることもあります)を擂りまぜ、ゆで汁少しと卵黄などを加えてよくのばし(時には露しょうがや柚子皮をおろして入れたりもします)、小なべにとって弱火《とろび》にかけ、焦《こ》げつかぬように注意しながらかき回し、どろりとなった程度で火を止めます。
竹串を剌してゆで上がったかどうか確かめ、網杓子か太めの菜箸で崩さぬように形よく引き揚げ、一切れずつ深めの蓋物《ふたもの》に盛りつけ、その上にごまみそあんの熱いのをたっぷりかけ、木の芽か切りごまを散らして風情を添え、熱々《あつあつ》のうちにふうふう吹きながら賞味しましょう。
大根の形を梅型にしたり、半月、枡、ききょうなどの形にする人もありますが、大根の持ち味を素直に賞味するのが風呂吹きの生命なのですから、あまり手を加えるのは感心しません。また、ごまみそを作るときに、砂糖を乱用する人が多いようですが、大根自体に自然の甘味が含まれているのですから砂糖は控えめにし、甘味がほしければ、わずかにみりんを加える程度に止めましょう。それと、ゆで上げるときに、大根の切り口に「落し蓋」をぴったり密着させるのがコツで、隙き間があると切り口がやせて中へ凹み、見苦しくなります。
ところで風呂吹きの語源ですが、聞くところによると、むかし、塗師《ぬし》職人が冬になって漆の乾きにくいのを嘆いていると、ある人が大根のゆで汁で風呂(貯蔵室)へ霧を吹けばよいと教えてくれた。さっそくやってみると、果たして効きめがあったので、それからというもの、いつも汁だけを用いては、不用の大根を近所へ配ると、思いのほかにうまいと賞美され、のちには実のほうを重用するようになって、独立した料理法となり、名だけが残ったのだと言います。
ふろふきやほろとにがきを我が恋に 巨湫
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[#小見出し]  庖丁《ほうちよう》十|年《ねん》 塩味《しおあじ》十|年《ねん》[#「庖丁《ほうちよう》十|年《ねん》 塩味《しおあじ》十|年《ねん》」はゴシック体]
一かどの料理人となるには、それだけの年季を入れなくてはならぬということ。この場合、包丁は単に「包丁さばき」というせまい意味ではなく、調理法ということでしょう。また塩味も単に塩にかぎったものではなく、調味全般について通暁《つうぎよう》することを意味していると思います。かりに塩そのものの調味にかぎってみても、塩かげんに精通するまでには年季がかかり、仇《あだ》やおろそかな気持ちでは、一〇年かかってもマスターできるかどうかむずかしいものです。それほど塩は幅広い効用をもっていて、調味の基本として、料理の味つけに使われるだけでなく、食品の保存や加工にも役立つからです。
今日、市販されている塩には、次のような種類があります。これをまず知って、その特徴についても必要な知識をもち、用途に応じた使い方をしてほしいと思います。
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◎食塩[#「食塩」はゴシック体]――純度九九%の塩で、ご家庭で漬けものやみそをつくるなどたくさん使うとき便利。
◎精製塩[#「精製塩」はゴシック体]――純度九九%以上ですが、食塩とちがい、いったんできた塩を水に溶かして入念に精製したものです。一般の料理用のほか、即席漬けなどにも向きます。
◎食卓塩[#「食卓塩」はゴシック体]――精製塩の粒子をさらに揃え、良質の炭酸マグネシウム(〇・四%)、炭酸カルシウム(〇・六%)を添加し湿気と固まるのを防止してあります。食卓の上で塩味をととのえるために使うのに重宝なふりかけ用の塩です。生野菜、くだもの、天ぷらなどの味つけ用として使います。
◎並塩[#「並塩」はゴシック体]――かます入りの白塩に代わって作られるようになった並塩は、純度九五%以上の塩です。魚を塩蔵するときや、しょうゆ、みそ、漬けものなどの食品工業用、一般家庭の漬けもの用に向きます。
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このほか、特級精製塩[#「特級精製塩」はゴシック体]、輸入塩[#「輸入塩」はゴシック体](原塩と粉砕塩)などがあります。以上は専売公社製の塩ですが、これ以外に、特別塩[#「特別塩」はゴシック体]ということで、特に販売が許されている塩に「あらしお」(静岡市中村町駿河塩業株式会社製)というのがあります。これは水にも溶けやすく、料理に用いても、塩味がまろやか(純度が低い)で、高級料亭あたりで、調味用に使われております。
これらの塩を使って、ご家庭の日々の料理に簡単に応用できるコツを二、三紹介しましょう。
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◎お吸いものは食塩だけでだいたいの味付けをし、しょうゆは好みによって後からごくわずか加えます。その他の汁ものや煮ものの場合でもしょうゆだけを使わず、食塩八分、しょうゆ二分の割合で調味しますと、淡白でおいしく、また、経済的でもあります。
◎白米に臭気のついたときは、よく陽《ひ》に乾かしてから食塩をまぜてとぐと、臭いが消えます。
◎野菜が寒さで凍《こお》ったとき、食塩水に漬けておけば、ある程度、もとに回復します。
◎カキを料理するときは、メザルの中に入れて、塩をふりかけ、振り洗いすると水っぽくなりません。
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[#小見出し]  鱒《ます》は三|年《ねん》の古疵《ふるきず》も呼《よ》び出《だ》す[#「鱒《ます》は三|年《ねん》の古疵《ふるきず》も呼《よ》び出《だ》す」はゴシック体]
マスを食べるとむかしの古傷が|うみ《ヽヽ》をもつ――ということですが、むかしの人はおもに菜食をしていたため、マスのようなものでも食べると精がつくと信じていたのでしょう。もちろん俗説です。同じようなことわざに「雉子《きじ》を喰えば三年の古疵《ふるきず》も出《で》る」がありますが、キジにしたところで、鳥肉の中では脂肪分の少ないほうで、しゅんの季節に食べたからと言って、精力の点では、カモほどのことはなさそうです。
マスはサケ科に属する魚で、大別すると海マスと淡水マスの二種に分けることができます。海マスにはカラフトマスをはじめ、ホンマス(サクラマス)・ベニマス・マスノスケ・ギンマスなどがありますが、多くはサケと呼ばれています。淡水産のマスとしては、ニジマス・ヒメマス・ヤマメ、それにイワナ科のカワマスもマスと呼んでいます。このことわざに登場するマスは、肉色から推《お》して考えると、あるいはベニマスだったかも知れません。
海の系統の魚で、産卵期にその卵を安全な場所に産むため河川にさかのぼってくる魚を遡河魚《そかぎよ》といいますが、卵からかえってある時期をすぎると幼魚は川を下って海に出て、ここで成長し、一定の年月が経つと再び生まれ故郷の河川に産卵場を求めて、遡ってきます。ところが遡河魚が何かの原因で海にくだることを妨げられ、生涯河川の中にとどまって、ここで大きくなり、繁殖するようになった魚があります。これがいわゆる「陸封魚《りくふうぎよ》」で、サケ科の魚はその代表的なものです。日本に見出される陸封魚としては、ヤマメ・アマゴ・ビワマス・ヒメマス・カワマス・ニジマス・イワナ・コアユ・ワカサギ・チカ・シラウオ・ハリヨ・イトヨなどがあります。サケ科の魚の中でもマスは陸封されやすかった魚と見えます。
マスは古名を「腹赤《はらか》」と呼び、景行天皇の御代、肥後の国、宇土の郡、長浜から漁師が献上したと『日本紀』に記されていますが、聖武天皇の御代にも太宰府から朝廷に献上され、以後毎年正月元旦に「贅《にえ》の魚」として、朝廷に献上する|ならわし《ヽヽヽヽ》となりました。年中行事「腹赤の贅を奏す」という歌に
初春の千代のためしの長浜に 釣れる腹赤も我が君のため
とあり、単なる献上魚としてだけでなく、「腹赤」は赤き心、直き心、誠心誠意を象徴し、この腹赤《マス》を通じて臣民が朝廷に忠誠を誓う|あかし《ヽヽヽ》となっていました。
こうした故事にあやかったのかどうか知りませんが、有名な富山の「鱒の寿《す》し」も、越中のうまいものとして、前田藩から将軍への恒例の献上品だったものが今日に伝わったものです。最近、温泉地で客寄せにさかんに使われるようになったマス釣り場のマスは、明治十年、アメリカ・カリフォルニア州の渓流からはるばる送られてきたニジマスの子孫です。釣りたてのものなら、塩焼き、フライ、すしなどにして賞味すると、おいしく召し上がれます。
鱒食ふや桜のつぼみなほかたし 菊池寛
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[#小見出し]  味噌《みそ》の味噌臭《みそくさ》きは食《く》われず[#「味噌《みそ》の味噌臭《みそくさ》きは食《く》われず」はゴシック体]
あまり職業や境遇の影響を露骨に発散する人は未熟な人で、奥ゆかしさがないということ。似たことわざに「味噌の味噌くさいは上味噌に非ず」「学者の学者くさきは悪し」があります。江戸後期の禅僧で、和歌に長じ、書にも秀でた越後の良寛さまは「書家の書、歌人の歌、料理人の料理」の三つを毛嫌いしたと言われますが、この人の生活《くらし》ぶりや書、歌を見聞きすると、「さもありなん」と納得がいきます。同じように、みそにしても、豆くさい匂い、麹の匂いが生《なま》のまま残っているような|みそ《ヽヽ》にロクなみそはありません。みそのよしあしは舌で味わう前に、色や匂いで鑑別ができます。むかしの人が、こうしたことを自信をもって言いきれるのも、みそはたいてい、どこの家でも自家製だったからです。
「着物質に置いても味噌は煮て置け」「三割(利息が三割)の銭は借りても味噌は作れ」みそ作りはこのように、食生活の基礎をなす重要な土台で、そのでき上がりのよしあしに一喜一憂し、注意深く、吟味、研究、批判もされたので、自分の手になるみそに、自信の生まれるのも当然のことでしょう。そこから「手前味噌《てまえみそ》」などというおもしろいことばも生まれたのです。
自分の舌に自信のあるお年寄りは、口をそろえて、「最近のみそはまずくなった」と歎きます。確かにみそはまずくなりました。みそのまずくなった原因には、原料大豆を輸入ものの味の悪いものに仰がなければならないことや、むかしのように長く寝かせておいしいみそを作るより、たとえまずくても回転を早くして売りに出したほうが、早くお金に換えられるというみそ屋さんの不道徳があげられます。が、なんと言っても最大の原因は、こういったまずいみそを「唯唯諾諾《いいだくだく》」と召し上がって恥じない消費者の舌にあります。
おいしい、おいしくない――というのは、個人の嗜好の問題だ、と言ってしまえばそれまでですが、それでももののよしあし、味のうまいまずいの基準というものはあるはずです。いや、それすら、今日では「お前さんの買《か》い被《かぶ》りだよ」と、言われそうな状勢です。信州の大手のみそ屋さんに行って驚くことは、その生産量に比較して、意外と敷地面積のせまいことです。それは、むかしのように、三年も五年も寝かせておく「みそ庫《ぐら》」がないということです。まず二か月から三か月、ひどいものになると二週間ぐらい寝かせただけで売りに出されるのです。
当然、こうした速醸みそには、豆臭さ、こうじ臭さがあり、塩なれも満足でないので、塩辛さばかりが目立ち、アミノ酸の分解も十分行なわれていませんから、いわゆる|こく《ヽヽ》がありません。そこで考え出されたのが化学調味料です。味の不足を補うために、最近の|みそ《ヽヽ》にはこれが使われています。都合のいいことには、ふだんから化学調味料にならされた舌には、結構こうした速醸みそでも、おいしく感ずる層が多いことです。もはや、みそのみそらしいほのかな香りや風味を味わうなんて余裕はなさそうです。三年びねなどとムリな注文はしません。せめてお買いになるときは、樽詰のハカリ売りを、買うぐらいの心がけがほしいものです。
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[#小見出し]  蜜柑《みかん》が黄色《きいろ》くなると医者《いしや》が青《あお》くなる[#「蜜柑《みかん》が黄色《きいろ》くなると医者《いしや》が青《あお》くなる」はゴシック体]
みかんが色付くころとなると、朝夕しのぎやすくなり、食欲も出て体調も整《ととの》い、おのずから健康が保たれるようになって、医者にかかる人が少なくなるという意味です。同じ意味のことわざに「柚《ゆず》が色付くと医者が青くなる」「柿が赤くなると医者が青くなる」があります。一面、稔りの秋ともなると、農家の人たちはいわゆる「農繁期」になり、忙しくて医者にも行けなくなる――という事情もあります。
農作業が機械化され、仕事の手間が省けるようになったとは言え、忙しさにおいては、そうむかしと変わりがないようです。ことにみかんは、一つ一つハサミで切らなければならないので、たいへんな人手を要し、収穫期になると、大きな農家では人手集めに一苦労します。
蜜柑山夕日の中に汝が声す 芳次郎
運動会や遠足の近づく九月も半ばをすぎるころになると、東京方面には色の真青な早生《わせ》みかんが出回りはじめます。以後十月いっぱいは、神奈川、愛媛、九州、和歌山などの早生ものが続き、十一月の中旬になると、各産地ともクリスマス用輸出に全力をあげるので、この間は国内の供給がちょっと落ち、早生から次第に、普通温州みかんに変わっていきます。年間のうちもっとも値の下るのは、収穫期の十一月から十二月の初旬。また長|保《も》ちするのは十二月半ばのものです。これ以降になると、いちど貯蔵庫に入れて出荷されるので、いたみやすくなります。
みかんは大別すると、早生みかんと普通みかんに分かれますが、早生は普通みかんほど酸味もなく、赤くないかわりにはいただけます。普通みかんはくだもの屋の店先に顔を出しても、ほんとうに味が出るのは十二月の半ばからで、正月ごろにいちだんとおいしくなります。
ビタミンCの供給源として、みかんはあまねく知られていますが、みかん仲間の夏みかん、ネーブル、伊豫柑《いよかん》、八朔《はつさく》三宝柑《さんぽうかん》、レモンなどと同じくビタミンCを多量にふくんだビタミンCの王様です。このビタミンCは熟するにつれて増え、実よりも皮のほうに約四、五倍ほども多くふくまれています。皮にはCのほかに、ビタミンAやDも多く、血管をじょうぶにしてくれるので、ほんとうは皮ごと食べるほうがからだのためにはいいわけです。きんかんは中実よりむしろ皮を食うものだし、文旦漬《ぶんたんづ》けも皮だけを砂糖漬けにしたものです。
私の家ではみかんの皮をときどき残して置き、お風呂に入れます。皮は古来大根の干葉などとともに、保温の薬と考えられてきたものですが、確かによく温まりますし、湯ざめもしません。冬至《とうじ》にはゆず湯にはいります。おそらく、みかん類の皮の油が保温に役立つのでしょう。
みかんの皮を乾燥したものを陳皮《ちんぴ》と言い、七味とうがらしやソースに香料として加え、漢方では健胃剤として重用します。むかしの人はみかんにかぎらず廃物にひとしいものから生活に役立つものを見出しました。物価高を歎く前に物を生かしきる生活態度を身につけましょう。
もの食ふや爪に残りし蜜柑の香 雪明
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[#小見出し]  茗荷《みようが》を食《く》えば物忘《ものわす》れする[#「茗荷《みようが》を食《く》えば物忘《ものわす》れする」はゴシック体]
みょうがはおそらく大むかし、インドあたりから渡来したものでしょうが、今では日本特有の野菜の一つに数えられています。山野の湿地に自生する多年生草本で、晩春には緑色の若芽を出し、その形がちょっと篠竹《しのたけ》のたけのこに似ているところから「みょうがたけ」と呼ばれます。香りがよく、風味もあるので、香辛料として、水にさらして、刺身のつまや酢のもののケン、料理のあしらいなどに用います。真夏のころ、淡紅紫色をした六、七片の苞《ほう》をかぶって、五、六センチのたけのこに似たつぼみを地上にあらわします。これを「みょうがのこ」と呼び、やがてこの頂《いただ》きに淡黄色の花を開きますが、花が開いてしまうと、中がうつろになって香味が落ちるので、花の咲かないうちが食べごろになっています。七、八月ごろあらわれるものを夏みょうが、九、十月ごろのものを秋みょうがと呼び、ともにそば汁や土佐じょうゆの薬味、卵とじ、刺身のつま、汁の実にするほか、ぬかみそ漬けなどにして賞味します。
むかしからみょうがを食べると、忘れっぽくなると言われ、真偽のほどは別としても、不眠症にきく民間薬として古くから用いられてきました。そのせいか、みょうがにはいろんなエピソードが伝わっています。その中でも有名なのが周梨槃特《しゆうりはんどく》の話です。槃特はお釈迦さまの弟子で、生来、|のろま《ヽヽヽ》で記憶力も悪く、仏道の修行も進まず、自分の名までも忘れてしまうというふうでした。ある人が気の毒がり、その名を書いた札を首にかけてやりました。すると、こんどは、その名札をかけたことも忘れてしまいました。そんな反面、非常に誠実な努力家であったため、晩年には、ついに悟道の域に達したと言われます。その槃特が死んで、遺骸を葬った墓地から草が生えてきたので、おおかた、名を荷《にな》ってきたものであろうと、それからこの草に「茗荷《みようが》」という名がつけられたという話です。ちょっと落《おと》しばなしみたいな伝説なので、皮肉屋の川柳子はさっそく「馬鹿らしい事は茗荷の謂《いわ》れなり」と批評しています。物忘れと言えば、江戸の古典落語にも『茗荷屋《みようがや》』という話があります。この話も槃特の話と同工異曲《にたりよつたり》で、よくない宿屋の亭主が、大金持った客と見て、その持金をなんとか忘れさせようと、しきりにみょうがを食べさせたら、客は宿賃の払いを忘れて、そのまま出立《しゆつたつ》してしまった――という筋です。「茗荷」は正しくは「※[#「くさかんむり/襄」、unicode8618]荷」と書かねばならぬものだそうですが、発音は同じミョウガであり、冥加《みようが》(神仏の加護、おたすけ、おかげ)にも通じるところから「弓矢の冥加に叶う」というわけで、武家などの紋所《もんどころ》としてむかしから尊ばれ、鍋島家の家紋が抱茗荷《だきみようが》だったところから、江戸の川柳子はまた、「茗荷でも馬鹿にはならぬ御家柄」と詠んでいます。
みょうがの葉には、めったに虫がつきません。葉の匂いが虫を寄せつけない作用があるからで、また、刻《きざ》んだみょうがの中では、バイキンが繁殖し得ないようだという人もおります。いずれにしても、みょうがは、自然に近い状態で香味を味わうのが正しい食べ方と言えましょう。
茗荷汁ほろりと苦し風の暮 草城
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[#小見出し]  麦《むぎ》の穂《ほ》が出《で》たらアサリを食《く》うな[#「麦《むぎ》の穂《ほ》が出《で》たらアサリを食《く》うな」はゴシック体]
夏のアサリは中毒しやすいので気をつけよということ。麦の穂の出る時期は気候の暖かい南の地方ほど早く、気候の寒冷な北の地方ほど遅い。小麦を例にとれば、五月にはいると関東地方では穂が出そろい、北海道では六月の上旬から中旬に穂が出ます。ですから、夏の季節と言ってもだいたいは初夏の候となります。
[#小見出し]  蛤は雛に対してむかし椀
という宝暦時代の句があります。文化爛熟と言われた江戸時代も、まだ中期以前の質素な時代には、後世のような蒔絵《まきえ》の膳椀などは使わず、飯も汁もハマグリ貝に盛って供えました。宝暦はすでに後期(一七五一―六四)に属するわけですから、すなわち「むかし椀」なわけですが、当時はむろん陰暦ですから、現代の三月とはかなり感覚がちがいますが、ハマグリやアサリに関するかぎりは、かえって今のほうがあやまりが少なくてよいとも言えます。
月を基準とした陰暦では、雛祭の前後が大潮にあたるので、潮干狩が年中行事の一つのようになっていました。獲物にはハマグリやアサリが多く、これが雛壇のつきものになっているので、後世の人はこのころを貝類のしゅんのように錯覚してきましたが、これはあやまりで、大部分の貝類は晩春から初夏にかけて産卵期にはいるものが多く、往々にして中毒するおそれがあり、産卵後は肉がやせてまずくもなるので、秋を繁殖期とするアワビを除いては夏中、食用に供しませんでした。ハマグリなども雛祭を最後として、仲秋の名月まで食膳にのせないのが例でした。つまり、ハマグリやアサリでも雛に供えるのは季節の終わりで、雛人形を片づけると同時に、生きている貝はそのまま再び水中に放ってやる風習があり、これはまた合理的なむかしの人の処置でもあったわけです。
ところで、縄文時代の食生活を探る手がかりとなるものに貝塚がありますが、貝塚から数えられる貝類は二二〇種にも及び、その中でも多く発見される貝は、アサリ・ハマグリ・シジミ・アカガイ・バカガイ・サルボウ・カキなどで、特にアサリ・ハマグリ・カキ・シジミは全国的に多数を占めています。日本人が好んで食べる貝の中で現在でもいちばん多いのは、カキについでアサリ。ホタテガイとハマグリがこれに続き、その他はずっと少なくなっています。
アサリはハマグリ科の二枚貝で、全国いたるところの塩分の比較的少ない浅海の砂地や砂泥地に棲み、また河口にもいます。『大和本草』(貝原益軒著)には「殻に花紋ありて美なり」と記されていますが、アサリの殻の模様はふつう四、五型に分けられ、ハマグリとちがい、両殻の色彩が時によると、同一でないことで、この場合は必ず左殻のほうが色が濃く、殻の形もすむ所によってかなりはっきりしたちがいが認められます。貝殻つきのまま、みそ汁やお吸いものの実にしたり、その他、むき身にして、つくだ煮・ぬた・かき揚げなどにして賞味します。
潮恋ふて浅蜊泣くなり夜の厨 蟾江
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[#小見出し]  麦飯《むぎめし》に食傷《しよくしよう》なし[#「麦飯《むぎめし》に食傷《しよくしよう》なし」はゴシック体]
麦めしは米のめしにくらべると口当たりが悪く、一般においしくないものとされているので、食べすぎるということがなく、したがっておなかをいためることもない上に消化もよいので腹にもたれません。麦めしは丸麦――つまり大麦を精白したもの、挽割麦《ひきわりむぎ》、または押麦《おしむぎ》をめしに炊いたものです。麦ばかりでなく、白米に何割かの麦をまぜることもあります。古書には、大麦は「毒なし、胸をひらき、気を下し、癪を消し、食をすすむ」と記されていますが、要するに消化がよくて、通じをよくし、食欲をさかんにするということです。
白米めしの食べすぎがよくないことは、近ごろとみに喧伝されるようになりましたが、口当たりがよくおいしいので、まだまだ日本人の白米めしの多食偏重は治《なお》りそうもありません。白米を食べすぎると、ビタミンBその他の栄養素がアンバランスになり、いろいろの病気の原因ともなります。精白米は押麦にくらべてビタミン類は半分もなく、たんぱく質、繊維も少なく、たいせつなカルシウム、鉄などは約四分の一しかありません。したがって、米のめしが主食として満足なのは、でんぷん質だけということになります。そこでたくさんの米のめしをエネルギーに変えていくのには、ビタミンB1やB2が大量に必要となりますが、白米めしを食べすぎる毎日の食事では、十分補給ができていないありさまです。
かつて国立栄養研究所で白ネズミを使って主食が米ばかりの場合と、米麦混合食の場合とでは、どちらがスタミナがつくか――という実験を行なったことがあります。それによると、白ネズミ百匹を米食組と米麦混合組の二組に分け、八週間ほど飼育してから、白ネズミが走るベルトを一回転一メートルにし、この上を走らせ、|ヘコタレル《ヽヽヽヽヽ》までの走行距離を測ってみた結果、明らかに耐久力は混合組が勝《まさ》っており、米食組は一時間もたずに|ヘバ《ヽヽ》ってしまったそうです。これにひきかえ、混食組は六分も上回り、距離にして一四五メートルも長く走り続けました。
一方、体重のほうは、はるかに米食組が重くなっており、みかけは実にりっぱに育ちましたが、副腎や肝臓を調べてみたら、混食組のほうが余計に運動しているのに、ストレスのかかり方も少なかったと言います。また、白米飯は酸性食品なので、多量に食べると、からだを疲れさす酸性成分(乳酸とか焦性ブドウ酸)などがたくさんでき、体液は酸性に傾き、息切れを起こしたり、疲れやすくなったり脚気《かつけ》にかかりやすくなり、ひどいときにはだるくなったりします。
健康を保つためには、白米めしよりビタミンやアルカリ成分が多く、値段も安く、まぜ入れて常食しても、あきのこない麦めしがよいということになります。また、精白した押麦でも白米にくらべると約二倍以上も繊維があり、これが腸の蠕動運動を助け、便通を整え、消化液の分泌を促し、消化器官の活動をさかんにします。俗に「麦飯《むぎめし》を食《た》べると腹具合《はらぐあい》がいい」というのは、このせいです。成人病を予防し、いつまでも若くありたいと願う人は、麦飯党《むぎめしとう》になることをおすすめします。
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[#小見出し]  麦飯《むぎめし》にとろろ汁《じる》[#「麦飯《むぎめし》にとろろ汁《じる》」はゴシック体]
相性がよく、うまいもの。
とろろの原料になる山芋は、わが国特産で山野に自生し、あるいは栽培される宿根性蔓草です。一般に野生のものは、山の芋または自然薯《じねんじよ》(自然生《じねんじよう》ともいう)と呼び、栽培種のものは長芋の名で呼んでいます。栽培種のものは地形によって変形または変種になったものが多く、中国の『薬性論』という古書には、「薯蕷《やまのいも》は人のこれを栽《う》うる所、ものに随って之を像《かたちど》るなり」と、この事実をいちはやく認めております。ひねしょうがのような形をしたものはつくね芋、熊の手のようなものは大和芋《やまといも》または伊勢芋《いせいも》、扇形のものを地紙芋《ぢがみいも》、またはいちょう芋の名で呼んでいます。
山芋の季節は十月から翌春四月までで、おいしいのは十一月と十二月です。地上の蔓が枯れるころともなると、地下茎に当たる芋の生長はストップして水分も少なくなり、えぐ味も弱くなって食べごろとなります。そのため、山芋掘りは葉の黄ばんだころに始まり、さかりは師走の雪空を控えた時期となります。野生の自然薯はほとんど日本各地の山野で穫《と》れ、『延喜式』にも、大和・摂津・伊賀・尾張をはじめ三八か国から貢物として献上されたことが記され、日本人との|つきあい《ヽヽヽヽ》の古さを物語っています。古来「山薬」と呼ばれ、正月松の内に山芋を食べると、中風にかからず、年内健康で暮らせると言い、漢方では強壮剤・腎虚《じんきよ》の薬として効きめがあると推賞しています。今日でもスタミナ源として大いに見直してよい食品です。
一方、カロリーの点から見ると、ビタミンや無機質こそ恵まれておりませんが、でんぷんを分解するのに有効なジアスターゼを、大根とは比較にならぬほどたくさん含んでいます。「麦飯《むぎめし》にとろろ汁」と言われるのも、とろろにふくまれるジアスターゼによって、麦めしの消化が促されるからです。ただし、ジアスターゼの効力は煮るとこわれてしまい、役に立ちません。
とろろ汁と言えば、だれでも東海道|丸子《まりこ》の宿を思い出すでしょう。丸子のとろろ汁が有名になったのは江戸時代以降、東海道に宿駅制度が布《し》かれてからで、参覲交代《さんきんこうたい》の大名に気に入られたことから急速に名が上がり、それからというもの、広重の版画や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも取り上げられ、全国的にその名が知られるようになりました。
「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」有名な芭蕉の句も、石碑に刻まれ、この地にあります。広重の描いた丁子屋はむかしぶりを残して現存し、一二代目に当たる主人は、県内で穫《と》れる自然薯を擂鉢《すりばち》でおろし、むかしながらの手法を生かして、とろろ定食を食べさせています。
山かけ、イクラとろろ、納豆とろろ、五色芋、千切りにした芋にのりと卵で形を整えた菊水……と、山芋料理の趣向は尽きませんが、やはり本命は麦とろ。吸収がよいので、いくら食べてもお腹《なか》をこわすことはありません。麦三米七の割合に、水かげんは少なめにして炊き上げ、青のりを入れ、のばしかげんのとろろをかけて食べる。とろろの味はこれに尽きます。
とろろ汁吾に齢の高さなし 誓子
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[#小見出し]  命《めい》は食《しよく》にあり[#「命《めい》は食《しよく》にあり」はゴシック体]
このことわざは中国の古い書物『管子《かんし》』の枢言篇に出てくる「命は食に属し、治は事に属す」に由来し、生命は食べものによって保たれる――という意味のことわざです。一方「人の運勢は食にあり」と解する説もあります。有名なフランスの大食通、ブリア・サヴァランは、その著書『美味礼讃』(一八二六年刊)の冒頭「アフォリスム」の中で、「君はどんなものを食べて居るか言って見たまえ。君がどんな人であるかを言いあてて見せよう」と記しています。
わが国でも、江戸中期の観相家、水野南北が『修身録』(一八一三年刊)の中で、食物の質を|もと《ヽヽ》にして観相をすれば、百発百中であると記しています。
南北は若いころ与太者的な存在で、一八のころ、飲代《のみしろ》を得るために悪事を働き、投獄されました。そのとき、フト気付いたことがあります。それは入牢している罪人と、娑婆《しやば》でまじめに働いている人々との間に、相貌にたいへんなちがいのあることです。そのころから相学に興味を覚えたらしく、牢を出るとすぐ、町の人相見にみてもらったところ、「お前は剣難《けんなん》の相がある。あと一年の寿命だ」と言われておどろき、「どうしたら助かるか」を尋ねたところ、「坊主になれ」と教えられました。
そこでさっそく、近くの禅寺を訪ね「出家したい」と頼んだところ、住職は彼の人相を見て断わるつもりで「坊さんの修行は、なかなかに苦しいものじゃ。お前さんがこれから向こう一年の間、麦と大豆だけの食事を続ける修行ができたら、弟子にしてあげよう」と突放しました。
助かりたい一念で、沖仲士をしながら、麦と大豆を常食にして、ようやく一年経ち、勇躍、弟子入りの許しを得るため、禅寺へ行く途中、一年前に観てもらった人相見にばったり会いました。彼の顔を見るなり人相見は「剣難の相が消えている。あんたは大きな功徳《くどく》を積《つ》まれたろう。たとえば人助けをするとか……」と、尋ねました。「いや、別に人の生命を救けたり、よいことをした覚えはありません。ただ坊主になるための修行として、麦と大豆を食べてきたまでです」人相見は「それ、それ。あんたが節食したことが陰徳を積むことになったのだ」と教えました。
かくして、南北は坊主になることをやめ、苦学力行の末、後世、易聖と言われるまでになるわけですが、南北は単に人相を見るだけでなく、今日でいうメンタル・テストでしょうか、その心を試し、あるいはふだんの生活習慣を知るため、わざと客に粗茶をふるまい、また極端な粗飯を出して相手の態度をつぶさに観察し、心を見抜いて運勢の判断をしました。『南北相法極意』の自序には「是皆食の慎みと不慎《つつしまざる》とに有事を漸く爰《ここ》に覚ゆ。而后人を相するに先食の多少を聞是に依って生涯の吉凶を弁ずるに万一失なし。故に是を予が相法の奥義と定む」と、記されています。このように、人間は食べものによって性格や習癖は言うまでもなく、人相から人生観まで変わり、ひいては運命や寿命にも大きな変化のあらわれてくるものだということを、よくよく認識してほしいと思います。
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[#小見出し]  目《め》で見《み》て買《か》うな味見《あじみ》て買《か》え[#「目《め》で見《み》て買《か》うな味見《あじみ》て買《か》え」はゴシック体]
日本は四季折々に、いろいろなくだものに恵まれ、外国人の目から見ると、「くだものの天国」だそうです。甘いもの、酸っぱいもの、汁気のたっぷりしたもの、高貴な香りを放つもの……とその種類によって、それぞれの個性を持ったくだものが豊富にあります。
総じて日本人は酸味の多いものは好まず、甘味のあること、外観の美しさが、くだもののうまさに直接結びついて考えられていますが、西洋では「目で見て買うな、味見て買え」というキャッチフレーズが小売店の店先や、スーパーマーケットの店頭に貼り出されていて、洋梨やメロンを食べやすい大きさに切ったものを入口に近いところに並べ、お客さんの試食に供しています。このキャッチフレーズは、一見、なんの変哲もないコトバのようですが、どうしてどうして、くだものに限らず、すべての食品の選び方、買い方に通ずるコツを、非常にわかりやすく訓《さと》した金言と言えましょう。
品物のいかんを問わず、品質のもっとも優《すぐ》れたものを求めることが買い方のコツで、優れた品物は結局もっとも割安の品であることは争われない事実です。そうは言っても、品質の|よしあし《ヽヽヽヽ》はねだんの高低と必ずしも一致するものとかぎったものではありません。つまり、高価な品が必ず優れた品であるとは言えず、ねだんの安いものが必ずしもわるい品であるとはかぎりません。ことに食料品はほとんどがすぐに消費される性質のものだけに、とかく品質の吟味がなおざりにされる|きらい《ヽヽヽ》がありますが、まことにあやまったことだと思います。戦後、食品の加工技術や栽培技術が急速に進歩し、着色剤などもいろいろ使われ、店頭の飾りつけや照明などもうまくなって、しろうと目には「ああ…おいしそうだな」と、食欲をそそる食品が数多く出回っていますので、この金言の必要性は、ますます高まっています。
では、その品質をどうして吟味するかと言うと、それにはその品物が新しいか古いか、よいものかわるいものかを見分ける力が必要です。この鑑識眼は知識と経験によって得られるものですから、ふだん買いものをする際に、よく品物を吟味する習慣を身につけることです。
さしあたってくだものを例にとれば、りんごの紅玉はツルサビと言って蔓の回りに|しみ《ヽヽ》のようなものができるのがあり、見かけが悪くて嫌われますが、これは味に関係なく、むしろ味がいいとさえ言われています。青森のりんご産地へ行くと、自家用には、キズのあるものをわけますが、このほうが甘味もつよく、無キズの中くらいのものよりおいしいくらいです。これはくだものの種類でちがうことですが、見た目のよい、ねだんの高いものばかりが必ずしもおいしいとは言いきれません。また、粒の大きいほうが、一般に目方売りの単価が高くなっていることが多いのですが、おいしいのは、中くらいの粒であり、ねだんもこのほうが手ごろです。
最後に一言つけ加えるなら、くだものは見栄《みえ》や体裁でハシリのものを買わず、しゅんのみずみずしいものを買うことです。
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餅《もち》 腹《ばら》 三《みつ》 日《か》[#「餅《もち》 腹《ばら》 三《みつ》 日《か》」はゴシック体]
このことわざは、もちの腹もちのよいことを示しています。「餅腹七日」ともいいます。
もちは今日、正月の食べものとして、貴賤貧富を問わず欠くことのできない食品です。日本で|もち《ヽヽ》を食べはじめたのは、千数百年も前のことと言われ、奈良朝のころ出された『豊後風土記』に、すでにもちのことが書かれています。正月にもちを食べるならわしは平安時代にはじまり、最初は宮中で儀式の際に用いられました。その儀式は「歯固《はがた》めの儀式」と呼ばれ、宮中で天皇に鏡もちをすすめ、天皇は|もち《ヽヽ》を食べて歯、つまり齢を固める――長生きをするという意味がこめられていました。室町時代になると、この風が一般庶民の間にも広まるようになり、さらに江戸時代にはいると、正月、さかんにもちを食べるようになりました。
一般にもちは消化のわるい食品のように考えられていますが、実際はうどんよりも消化率は高いのです。一〇〇グラムのもちは胃袋で消化されるのに約二時間三〇分かかりますが、同じ量のうどんは二時間四五分もかかります。つまり、もちのほうが一五分も早く消化されるのです。また、消化吸収される率においても、もちはうどんを上回っています。それにもかかわらず、もちは消化のわるいもの――と言われるのは、その食べる量に注意を払わぬからです。
もちは同じお米を使ったごはんよりも水分をふくむ割合が少なく、密度が大なのに容積は小さく、切りもち一切れは、ごはん一膳とほぼ同じ栄養価をもつもの(ごはん一膳一四○グラムは二〇三カロリー、もち一切れ七五グラムは一八六カロリー、酒一八〇cc〈一合〉は一九〇カロリー)なのに、ごはんなら二膳しか食べられない人でも、もちとなると四、五切れは平気で食べられる――ということで、つい食べすぎる傾向があるからです。消化率はよくても食べすぎのため、胃袋でもみくだくのに手間がかかり、比較的胃袋に長く留まり、腹のすくのに時間がかかるというわけです。
もちの食べすぎは不経済なばかりでなく、健康にもよくありません。ことにもちは非常に栄養素のかたよったもの(もちの成分の大半は炭水化物、その他の栄養素、たんぱく質、脂肪、無機物、ビタミン類は不足の酸性食品)で、食べすぎは栄養不足をきたします。
私どもの幼時には、正月のお雑煮の際は、一日二食で昼食は抜きにし、早夕飯となっていましたがこれが自然です。もちを食べるときは常に腹六分めにとどめること、一食に切りもちでせいぜい四、五切れ止まりにしたいものです。また、食べるときは雑煮にするのが、からだのためにはよく、雑煮の名が示すように、できるだけ多くの材料を用い、かたよったもちの栄養素を補うようにします。
例えばたんぱく質、脂肪を補うために鳥肉、かまぼこ、タラ、ブリ、サケなどを用いたり、無機物、ビタミン類の補給と酸性を中和するため、大根、にんじん、ごぼう、里芋、小松菜、三つ葉などの野菜を用います。
長病の今年もまゐる雑煮哉 子規
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[#小見出し]  野菜《やさい》は出盛《でさか》りがしゅん[#「野菜《やさい》は出盛《でさか》りがしゅん」はゴシック体]
四季の暑さ寒さが秩序正しくめぐってくる日本は、四季それぞれにまた、海の幸、山の幸、野の幸に恵まれています。くだものなどは手を加えずに食べられるものだけに、季節の味を満喫できるありがたい食品で、同時に季節の喜びを端的に教えてくれます。
むかしは自然の日を浴び、雨を受けて育った――いわゆる露地もの野菜がほとんどでしたが、近ごろは栽培法や貯蔵法の進歩、輸送機関の発達によって、野菜・くだものなどの中には、一年じゅう出回っているものがあり、いつがしゅんなのか、ハッキリしないものも少なくありません。ことに日常たくさん使われる野菜類は、しゅんの混乱がはなはだしく、きゅうり、トマト、さやえんどう、キャベツなどは、都会地なら真冬でも手に入れることができます。いつが「はしり」で、いつが「しゅん」なのか、区別もつきかねるほどです。料理材料としては便利であっても、季節感が乏しくなって、カン詰やビン詰に対するように、人間も感激が薄れ、野菜も自然の表情を失っているようです。こうして、食べもので教えられることが多かった都市生活者の季節感は、次第に薄れていく傾向にあります。
冷凍技術が進んで、「しゅんと変わりない味が楽しめる」と、うたい文句に言いこそすれ、まだまだ実際には、味に相当のひらきがあります。時期はずれの|はしりもの《ヽヽヽヽヽ》は、自然にさからうムリがあるため、珍しさはあっても、美味・栄養にはほど遠いものと思って、まずまちがいはありません。料理屋ならば少々値段が高くても、それで商売になるのですから問題はありませんが、家庭料理の材料としては、ムダなものと考えてよいと思います。
トマトのトマトらしいほのかな甘味や滋味は、夏の出盛り期のものにこそ味の深さがあります。きゅうりにしろ、時季はずれのものは香りも乏しく、味わいも|そっけない《ヽヽヽヽヽ》ものです。なすもその例外ではなく、固くて特有の風味にめぐまれぬ難点があります。やはり、出盛り期が味の生命です。
その点、茶懐石が、むかしから材料はしゅんの持ち味の充実した新鮮なものを、できるだけ精選して集め、しゅんはずれのものや、しゅん遅れの促成栽培や温室ものを使わず、自然の真味を生かすように、終始一貫筋をとおしていることは、見習うべきだと思います。
特別の例外を除いて、しゅんのおいしさ・香り・色どりをみせてくれるものは、まだまだたくさんあるので、その中から新鮮、良質なものを見極める目を育て、よい材料を手に入れることが料理上手の最高の資格と思ってまちがいはありません。
つまり、「しゅん」のものを、その時季に使えば、適時適食の自然の法則にかない、味がよいうえに、栄養分も豊かで、かつ材料の種類によっては、他の時季よりもやすいものが多く、経済的でもあるからです。
白菜の山に身を入れ目で数ふ 汀女
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[#小見出し]  痩法師《やせほうし》の酢好《すごの》み[#「痩法師《やせほうし》の酢好《すごの》み」はゴシック体]
むかしから八瀬(今の京都市左京区)の寺では、酒をきびしく禁じ、寺内に酒を持ち込むことは許されませんでした。ところが数いる寺僧のなかには、酒に目のない僧もいて、どうにもガマンができず、日ごと徳利をかかえて山門を出入りしていました。
道で人に会い、「お手持ちの品はなんでござる?」ときかれると、「酢にて候」と答えていました。あまり足繁くかようので、いつしか人目にもつき、きかれるたびに同じように「酢にて候」と答えるので、「八瀬の法師は酢好みや」と、評判がたつようになりました。
むかしの人は酢はからだによくないと考え、酢を飲めば痩せる――と、かたくなに信じていたので、いつしか「八瀬」を同音の「痩せ」に通わせるようになりました。
事実、私たちのこどもの時分には、軽業師《かるわざし》のこどもたちは、骨をやわらかくするために、毎日、酢を飲まされる――と、ウワサされたものです。近ごろでは食酢は疲労回復に役立つと、大いにその|はたらき《ヽヽヽヽ》が見直されるようになりました。体内にたまった疲労物質《ひろうぶつしつ》―乳酸を、有機酸が分解して体内にたまるのを防ぎ、肩コリや疲れなおしに食酢が有効にはたらくためです。からだのだるいとき、酸味のきついレモンスカッシュを飲むと、疲れが抜け、さわやかな気分になるのも、このはたらきがあるからです。
酢は体内に吸収されると炭酸ガスと水とに分解され、この分解した炭酸ガスはナトリウムなどと結合して、体液をアルカリ性にする性質があります。酸性に傾いた食事、米食や肉料理のときは、酢や野菜で中和ないし弱アルカリにするわけです。
ビフテキを食べたあとに、必ずドレッシング(酢と食用油をまぜたもの)をかけたサラダが出ますが、これは酸性食品のとり過ぎの害を少しでも防ごうという自然の要求の結果です。肉をたくさん食べる欧米人の酢の消費量は、日本人の三、四倍あると言われますが、最近の調べによると、日本人の年間一人当たりの食酢の消費量は、〇・九五リットル(五合弱)だそうで、まだまだ少なく、戦後は肉・卵などの摂取量が多くなり、日本人の食生活のパターンもだんだん西欧型になりつつあることを考えても、酢をもっと多く摂《と》る必要があります。ふつう、でんぷん質の食事一回に、さかずき一杯、たんぱく質の食事で一・五杯、油脂類を摂ったときは、二杯の酢が必要だと言われています。
このように健康を維持していくうえに欠かすことのできない酢は、味のうえでもまた、微妙なはたらきをしてくれ、古来、「かくし味」として重宝がられてきました。中華料理で、仕上げに酢を少し落とすのも、味に深味をますためのものだし、刺身のしょうゆに一滴の酢を落とし、しめサバに大量の塩と酢を用いるのも、酢が塩味をやわらげ、まるくしてくれるからです。
このほか、酢は食べものの色合いを美しくし、苦味を抜き、|あく《ヽヽ》をぬくなど、数えきれない用途があり、毎日の食事に、もっとじょうずに使いこなしたい調味料です。
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[#小見出し]  やわらかい持《も》ち味《あじ》のものは淡味《たんみ》に[#「やわらかい持《も》ち味《あじ》のものは淡味《たんみ》に」はゴシック体]
むかしから「九分は足らず十分は剰《あま》る」と言いますが、ほどを得た調味料の使い方は、なるほどとうなずかせます。煮るものについての例がこのことわざで、「やわらかい持ち味のものは淡味に、淡味なものは温かく、温かければ汁添えて」というふうに言われ、だいたい、持ち味によって調理法も決まり、調味料の濃さも決まってきます。
調味料のあんばいは、材料の種類、用途によってちがうのは言うまでもありませんが、すすめるときの温度や硬さによって量をかげんします。また、材料の持ち味と調味料の味との関係を考えて持ち味を利用したり、調理のあんばいをしなければならぬ場合もあります。
やわらかいものは淡味が適し、歯切れのよい硬いものは、いくらか濃い味、またはピリッとした味のほうが感じがよい。淡味にすすめる場合には、汁を添えて温かくします。もし、温かいものの味が濃厚ですと、口中に濃い味ばかりひろがり、ものの真味や持ち味が味わいにくくなります。噛み味のしっかりしたものは、できるだけ汁気を少なくして、調味料の用い方を多めにし、よくしみ込ませますと、噛むときの楽しみが増します。
持ち味の淡いものや弱いものは、触味や香り、形、色などを賞味する場合が多いので、つけ味(調味料)を控えめにして、持ち味を失わぬように調理しましょう。
家庭のおそうざい料理は、いくらか調味料を多く用いたほうが、ごはんとの調和がよく、おもてなし料理の場合には、つけ味を少なめに調理したほうがよく、ことにお酒をすすめる場合は、つけ味を少なくしたほうが、お酒のうま味が味わえます。
濃厚なうま味をもった材料のときには、多くの場合、調味料を多くして、味を引き締めたほうが、おいしくいただけます。このほか、季節や健康状態、年齢などによっても調味のかげんをしなければなりません。寒いときには濃いめに、暑いときにはさっぱりと、疲れ気味のときは少し辛めのほうがからだには向きます。
調味料の濃さは適切でなければ、総じて控えめを旨とすべきではないかと思います。このように味をつけるということは、うまさを引き立てるためなので、つけ味の勝《まさ》った料理は材料の個性味が味わいにくく、余韻が少なく、日本料理で言えば上品な上手な料理とは言いかねます。
近ごろの料理は、材料本来の味よりは、つけ味(人工味)によって包まれた、口ざわりのなめらかな、応《こた》えの強いものが一般向きでよいとされています。ところがこのつけ味では、いくら品数を変えても、同じ調子に感じられ、心にひびくものが少なく、おいしいと思えません。材料の持ち味を尊重して調味したものは、たとえ最初の一口の口当たりはなめらかでなくても食べていくうちに、その材料のもつおいしさや、各材料による持ち味の変化が心にひびき、おいしさを感じます。
この点、現代人はうかうかと持ち味を破壊して、うまいものを食いそこなっています。
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[#小見出し]  宵越《よいご》しの茶《ちや》は飲《の》むな[#「宵越《よいご》しの茶《ちや》は飲《の》むな」はゴシック体]
夜《よ》ふかししてお茶を飲んだり、翌朝まで放っておいた出流しのお茶を飲んだりするのはからだに害があるので、飲まないほうがよい――という戒めのことわざ。
煎茶は時間が経つと、タンニンが酸化して赤く変色し、まずくなるばかりか細菌が繁殖したり、茶がらの中の可溶性《かようせい》たんぱく質が腐敗分解《ふはいぶんかい》して、有害な作用を及ぼすようになります。特に気温の高い夏場には、あまり時間のたったお茶は飲まないほうが無難です。
お茶は「日常茶飯事《にちじようさはんじ》」ということばがあるほど、日本人にとって切り離すことのできないもので、生活に深く根をおろしています。「お茶にする」「お茶を濁す」「お茶を引く」「滅茶苦茶」「茶化す」というぐあいに、お茶にまつわる慣用句《かんようく》の多いのも、お茶とふだんの生活の親密な間柄を示しております。ところが、いまの若い人たちに「お茶でもひとつ……」というとき、コーヒーや紅茶と受け取られることがほとんどです。「コーヒーや紅茶を出されたほうが正直言ってごちそうになった気がする」とは、若い人たちの声。お茶(緑茶)は、あまりにも生活に融《と》け込みすぎて「お茶はタダ」という観念が強いからでしょう。
茶はカフェイン、ビタミンC、タンニンなどの混合体で、苦味《にがみ》は主としてティン(カフェイン)によるほか、微量のテオブロミン・テオヒリンというアルカロイドのせいです。
寝る前に玉露や紅茶などを飲むとねむれなくなる――というのは、これらのものに特にカフェインが多くふくまれているからで、二日酔いで頭の重いときとか、乗物酔い、頭痛の際にはこの原理を応用して、濃いめのお茶を飲むとスッキリします。
静岡薬科大の林栄一先生の実験によると、二匹のネズミに一五%のアルコール〇・一ccを飲ませて、五分後に茶と水を一ccずつ与えたところ、お茶を飲んだほうは七〇分後に正常運動しているのに、水のほうは九〇分後にもまだ酔っぱらってフラフラ。また、迷路の中で訓練したネズミに、茶と水を一cc与え、目的地へつく時間を測った結果、茶を飲んだほうはゴールインの時間が短くなったのに、水のほうは変わりなし、これはお茶が大脳の中枢神経の働きを活発にすることを物語っています。
お茶特有の渋味のもとはタンニン類で、このタンニンにも四種類ほどあり、後味として甘味をのこすタンニンと、そうでないものとがあり、よいお茶ほど前者が多いと言われます。ほどよいタンニンは収斂《しゆうれん》作用がありますが、度をすごすと胃液の分泌を妨げ、食べものの消化をはばみ、便秘《べんぴ》を起こしたりします。お茶にかぎらず、何事もほどほどが肝心。
ビタミンCの多いのはお茶の中でも煎茶、つぎが番茶、焙茶、玉露の順で、Cはふつう熱に対して弱いものなのに、お茶にふくまれるビタミンCは比較的安定しています。一番出しで半分出てしまい、のこり半分は二番、三番でほとんど出てしまいます。出涸《でが》らしはほとんどCのなくなったお茶です。
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[#小見出し]  りんごを食《た》べると美人《びじん》になる[#「りんごを食《た》べると美人《びじん》になる」はゴシック体]
ちょっとくだもの屋さんのコーマシャルめいたことわざですが、りんごにはビタミンCがあるので、皮ごと食べれば、皮膚の色が白くなり、きめも細かくなります。おまけに炭水化物の一つペクチンも多いので、胃腸の働きをよくし、便通《べんつう》を整え、便秘《べんぴ》によるシミ・ソバカスの心配もなくなり、|みめうるわしく《ヽヽヽヽヽヽヽ》なります。もっとも一つや二つ食べたからといってすぐ霊験《ききめ》があらわれるというものではありません。それに、いちごやレモン、みかんなどにくらべると、りんごはビタミンCのふくまれる割合が少なく、積極的にCを摂《と》ろうとするときはムリですが、Cの含有が貯蔵物として、量的に相当長い期間にわたって摂り得る点では、勝《まさ》っております。ただし、最近はりんごの保存をよくするために、青いうちにもぎとり、室《むろ》で発色させるものが多く、こういうものではペクチンの含有量が少ないので、効果のほうはあまり期待できません。|きりょう《ヽヽヽヽ》をよくさせる働きは、なにもりんごに限ったものではなく、完熟させた新鮮な|くだもの《ヽヽヽヽ》なら、なにを食べても同じような働きがあります。
りんごは寒地の湿気の少ない土地に向く果樹で、日本ではおもに青森県をはじめ、長野県や北海道で栽培されております。特に津軽地方では、古くから在来種の「和りんご」が作られ、りんごの産地に美人の多いところから、こうした風説も生まれるようになったのでしょう。
りんごの収穫期は早生種の七月下旬から晩生種の十一月ごろまでで、遅いものでも雪の降るころまでには取入れを終わります。秋にさきがけて出回る青りんごは「祝《いわい》」という品種。次が「旭《あさひ》」。もっとも一般的で、りんご酸を多くふくむ「紅玉《こうぎよく》」は、十月ごろからさかんになりますが、ほんとうの味が出るのは十一月になってからです。正月以後に出る晩生種の「国光《こつこう》」も、二月から三月にならなければおいしくなりません。このほか、高級種として赤いデリシャス系統、黄色いゴールデン・デリシャス、印度りんごがあります。新しいりんごの品種には、ふじ・むつ・東光・王鈴などがあります。
近ごろ、りんごも冷蔵技術が進み、長期の保存に耐える品種も多くなり、一年中出回るくだものになり、しゅんも不確《ふたし》かになってきています。「紅玉」は甘、酸味ともに強い品種で煮りんごに向き、収量が多いため、安く出回ります。皮は真紅に熟《う》れますが、最近は|なし《ヽヽ》と同じように無袋栽培が進んで黒味を帯びたものもあり、このほうが味はよい。「国光」は「紅玉」より味が落ちますが、甘味は強く果肉は黄白色で締まっています。デリシャス系のものは、袋を三回もかけ替え、消毒を一〇数回もして肥料をウンと与え、手数のかかるものだけに値段も張ります。
このごろはバナナなど甘いくだものに押され、りんごを食べる人が少なくなり、青森辺ではりんご園をつぶす農家が多くなっています。酸味のあるものより甘味の多いものをうまいと感ずるようになった一例で、日本人の食味感覚が|子ども舌《ヽヽヽヽ》になってきた証拠と言えましょう。
秋すでに青き林檎の酸きもよし 風生
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[#小見出し]  わさびは摺《す》ると思《おも》うな練《ね》ると思《おも》え[#「わさびは摺《す》ると思《おも》うな練《ね》ると思《おも》え」はゴシック体]
わさびはいつ、どこで採れた、どのくらいの大きさのものがいいというようなことを知っているのが、いかにも料理通のように思われていますが、どんなわさびおろしで、どのようにおろすのか、知っている人は、くろうとの料理人ですら存外少ないものです。
カン入り粉わさびの普及で、生わさびは家庭料理から縁遠くなったとは言え、鮮魚の洗いや刺身、じゅんさいのわさびじょうゆなどには欠かせぬ薬味です。
デパートの台所用品売場で扱っているおろし金をみると、辛味も香りも台なしにせずにはおかないような荒い目の粗悪なものばかりです。これではいかに値段の高いよいわさびでも、半分の効きめすら発揮できないでしょう。
専門の金物屋さんで、どっしりしたあか金の、目の細かなおろし金を求めましょう。
ふつう、生わさびをおろすとき、やや荒目のおろし金を使って、サッと手早くおろして、包丁の背でトントンとたたく方法と、目の細かなおろし金を使って、ねばりが十分出るようにわさびを回しながらおろす方法とがあります。前者はわさびの香りと辛味を出させ、後者はわさびの辛味と刺激を出させるところに|ねらい《ヽヽヽ》があります。
このことわざは、どちらかと言えば後者のおろし方のコツをいったものですが、いずれにしても、力いっぱいおろすことと、手早くおろすことだけは両者に共通しています。
わさびでも芥子でも、力を抜いてのろのろやっていては、特有の辛味は生み出せません。
ところで、そのおろし方ですが、まずおろし金を俎板の上に水平か、ややななめになるくらいに置き、しっかりと動かないように固定させて使います。わさびは茎の部分を切り落とし、落としたほうをおろし金に垂直にあてて、おろし金の目の先端を撫《な》でるような気持ちで、ウズを描くように同方向に回しながらおろします。
そのとき、おろし金に垂直に立てたわさびの軸が、前後左右にゆれ動かないように、わさびを持つ手には力をこめますが、わさびとおろし金の触れ合う部分は、いくぶん浮かせ気味にします。摺るのではなく、練るのだという呼吸は、この間の消息を言うので、こうしておろしますと、粘り気のある、粒子の細かなおろしわさびができ上がります。
わさびはおろしてもすぐ使えません。容器に入れて逆さまに俎板の上に置くか、ふたをしてそのままにして置きませんと、苦味の強い、舌に残るいやな味が出てきます。商売人はこれをサバリンと言っていますが、こうした手続きを経ることによって、深山《みやま》の渓流《けいりゆう》を思い起こさせるわさび特有の香気と、上品なうま味が出てきます。
わさびは根茎のままでは、さのみ辛くありませんが、以上のようにすると、シニグリンの分解によってできるアリルカラシ油によって辛味がでてきます。新鮮なわさびは風味のよいわりに、辛味が持続しないので、使う分だけおろしましょう。
[#地付き]〈了〉
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おもな参考文献
*書籍
諺語大辞典・藤井乙男編・有朋堂
故事ことわざ辞典・鈴木棠三編・東京堂
俳説ことわざ辞典・鈴木棠三編・東京堂
暮らしの中のことわざ辞典・折井英治編・集英社
日本のことわざ・金子武雄・大修館書店
飲食事典・本山荻舟・平凡社
実用百科事典(料理・栄養)・主婦の友社
食品事典・河野友美編・真珠書院
新版料理の材料事典・室井綽・六月社
くだもの百科・斎藤義政・婦人画報社
俳句歳時記・角川文庫・角川書店
おんな歳時記・安達潮花・産経新聞出版局
花の歳時記・居初庫太著・淡交新社
山菜歳時記・柳原敏雄・婦人画報社
山菜の味・酒井佐和子・婦人画報社
味噌汁三百六十五日・辻嘉一・婦人画報社
薬になる食べもの・村井米子・創元社
間違いだらけの食生活・渡辺敬・福岡予防医学研究会
蔬果と芸術/魚介と芸術/鳥と芸術・金井紫雲・芸艸堂
春夏秋冬料理王国・北大路魯山人・淡交新社
海の紳士録・朝日新聞社編・朝日新聞社
身近な食品を見直そう・朝日新聞社編・朝日新聞社
わたしたちの栄養学・読売新聞社婦人部編・早川書房
趣味の調理科学・川島四郎・明玄書房
四季のさかな/魚のシユン暦・金田尚志・石崎書店
*雑誌
栄養と料理・あまカラ・ミセス・家庭画報・銀花・食生活・婦人の友・暮しの設計
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あ と が き
この本を出すについて、多くの方々のお力を借りました。また、種々の文献、その他、先学の著書のご厄介になりました。ここに深甚の感謝の意を表します。
食物ことわざに目を向けさせ、筆を取ることをすすめてくれた料理ジャーナリストの鈴木町子さん、本にするきっかけを与えてくださった文藝春秋の山川和子さん、いっこうはかどらない原稿を辛抱強く待って、一冊にまとめてくださった高松繁子さん、装幀から挿画まで心血を注いでくださった丹阿弥丹波子さん。これらの方々のご協力がなかったら、とうていこの本は陽の目を見ることはできなかったでしょう。
ありがとうございました。
[#地付き]著 者
昭和四十四年二月十一日
〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年四月二十五日刊