平野雅章
たべもの歳時記
[#表紙(表紙.jpg)]
ま え が き
しゅん――といえば、まず思い出されるのがサカナ。もちろん、野菜やくだものにだって、しゅんはあります。サカナでも、野菜やくだものでも、いちばんおいしく、たくさん出回る時季――それがしゅんです。
一年中出回っているアジやサバ、ハマチでも、厳密にいえば、ちゃんとしたしゅんがあります。その時季に食べれば、そのものの持ち味が、最高度に味わえるというわけです。
しゅんは、漢字で書くと「旬」(十日)、つまり、おいしい時季は、ごく短いのです。たべものの正しいしゅんの時季を知って、「時ならざる、食らわず」の心がけで、出盛りの安くて、うまいしゅんものを存分に味わってください。
*
そんなわけで、書名も本来なら『しゅんもの歳時記』とすべきでしたが、今日では、もはや「しゅん」といっても、若いひとたちには、通じにくいというので、止むなく『たべもの歳時記』と、変えました。
*
ページ数の関係もあって、数あるしゅんものの中から、ひと月二十とかぎり、一年計二百四十(魚九十四、肉二、貝十五、野菜七十三、西洋野菜十四、海藻四、くだもの三十八)のしゅんものを取り上げ、一ページごとに、テーマを変え、原産地・分布・名のいわれ・エピソード・料理名や作り方のヒント・買い方・選び方のコツを、俳句や歌を配して、解説しました。また、しゅんの時季を知っていただくために、巻末に「しゅんもの一覧表」をつけました。
*
この本を書くについて、多くの先学の、さまざまな本を参照させていただきました。読者のみなさまへの参考文献をかねて、その主なものを、巻末に列挙し、ご紹介いたしますとともに、心から謝意を表します。
昭和四十五年四月八日
[#地付き]平 野 雅 章
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目 次
ま え が き
春の部/三月[#「春の部/三月」はゴシック体]
い わ な
に し ん
よ め な
さ ざ え
セ ル リ ー
い い だ こ
三 宝 柑
赤 貝
菜 の 花
伊 予 柑
あ さ つ き
サ ラ ダ 菜
め ば る
ネ ー ブ ル
くるまえび
や ま う ど
め ば ち
こ ち
わ か め
は ま ぐ り
春の部/四月[#「春の部/四月」はゴシック体]
つ く し
と び う お
う に
ま だ い
ひ じ き
ほたるいか
に ら
た ち う お
あ さ り
あこうだい
パ セ リ
い し も ち
ふ き
あ い な め
た ん ぽ ぽ
山 椒
わ ら び
浜 防 風
た け の こ
そ ら 豆
春の部/五月[#「春の部/五月」はゴシック体]
い さ き
つ ま み 菜
や り い か
バ ナ ナ
に じ ま す
夏 み か ん
さやえんどう
か つ お
ひ が い
た ま ね ぎ
玉 レ タ ス
か ま す
グリーンピース
ま い か
高 菜
アスパラガス
や ま め
わ さ び
い ち ご
キ ャ ベ ツ
夏の部/六月[#「夏の部/六月」はゴシック体]
あ ゆ
アーティチョーク
あ な ご
び わ
し ゃ こ
さくらんぼ
するめいか
新じゃがいも
あ わ び
あ じ
に ん に く
す ず き
し そ
み ょ う が
い ん げ ん
梅 の 実
らっきょう
舌 平 目
ゆすらうめ
す も も
夏の部/七月[#「夏の部/七月」はゴシック体]
枝 豆
い な だ
か ぼ ち ゃ
ラディッシュ
石 だ い
オ ク ラ
手 長 え び
ト マ ト
まくわうり
石 が れ い
ピ ー マ ン
た か べ
と こ ぶ し
アボガード
く ろ だ い
し ろ う り
スイートメロン
う な ぎ
も も
す い か
夏の部/八月[#「夏の部/八月」はゴシック体]
八 朔
き す
白 桃
し い ら
夕 顔
む ろ あ じ
と う が ん
た こ
か ん ぱ ち
ご り
祝 り ん ご
ど じ ょ う
き ゅ う り
い し な ぎ
マスクメロン
こ ん ぶ
新 ご ぼ う
は も
ふだんそう
な す
秋の部/九月[#「秋の部/九月」はゴシック体]
は ぜ
二 十 世 紀
グレープフルーツ
帆 立 貝
ま ま か り
葉とうがらし
さ ん ま
さつまいも
み る 貝
洋 梨
い わ し
パイナップル
秋 さ ば
ぶ ど う
とうもろこし
い ち じ く
い ぼ だ い
ざ く ろ
さ と い も
し ょ う が
秋の部/十月[#「秋の部/十月」はゴシック体]
さ わ ら
し い た け
毛 が に
落 花 生
め ぬ け
早生温州みかん
マッシュルーム
ほ う ぼ う
は つ た け
かたくちいわし
は く さ い
く る み
し め じ
芝 え び
ぎ ん な ん
な め こ
さ け
く り
ま つ た け
れ ん こ ん
秋の部/十一月[#「秋の部/十一月」はゴシック体]
か き
が ざ み
の り
野 沢 菜
か わ は ぎ
富 有 柿
お こ ぜ
だいこん〈T〉
だいこん〈U〉
えのきだけ
うみたなご
やまのいも
ほうれんそう
かながしら
ね ぎ
ま が れ い
赤 芽 い も
わ か さ ぎ
カリフラワー
まながつお
冬の部/十二月[#「冬の部/十二月」はゴシック体]
レッドキャベツ
ま ぐ ろ
山 東 菜
たらばがに
し じ み
れんこだい
ゆ ず
ふ ぐ
か ぶ
ずわいがに
は た は た
鳥 貝
ざ ぼ ん
貽 貝
し し ゃ も
に ん じ ん
ぶ り
な ま こ
あ ん こ う
紀州みかん
冬の部/一月[#「冬の部/一月」はゴシック体]
伊 勢 え び
だ い だ い
小 松 菜
え び い も
ふ な
く わ い
た ら
い の し し
国光りんご
き ん か ん
む つ
あ ま だ い
も ろ こ
ぎ ん ぽ
ひ ら め
せ り
金 目 だ い
み つ ば
平 貝
陸奥りんご
冬の部/二月[#「冬の部/二月」はゴシック体]
白 魚
芽キャベツ
ほ っ け
レ モ ン
わ け ぎ
ぼ ら
ぽ ん か ん
さ よ り
か も
こ い
ブロッコリー
京 菜
う ぐ い
あ お や ぎ
か ら し 菜
すけとうだら
しゅんぎく
こ の し ろ
うるめいわし
ふきのとう
おもな参考文献
しゅんもの一覧表
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[#見出し]春の部〈三月〜五月〉
[#小見出し] い わ な[#「い わ な」はゴシック体]
釣り上げし岩魚の下の前穂高 眉峰
「イワナは足で釣れ」と、いわれるくらい、この釣りは滝や岩棚をのぼり、まだ誰も釣っていない川上、そう、海抜にして九百メートル以上の山の渓流に入っていかなければなりません。
イワナは用心深い魚で、物音を立てたり、太陽を背にして釣ってもダメ、人影が流れに写っただけでも、さっと岩陰に隠れてしまいます。それこそ「音なしの構え」で釣らなければならないところに、イワナ釣りのむずかしさがある――と、いわれるゆえんです。
『大言海』には「谷川の岩穴に棲む魚」と、記されていますが、もしイワナのナを魚の意だとしますと、その名まえはイワナの習性を、よく捉えております。
同じ川魚仲間の棲息地域を、下流から遡《さかのぼ》ってみますと、ボラ・ハゼ・コイ・フナ・ウグイ・オイカワ(ヤマベ)、アユ、ヤマメ(アマゴ)の順になり、そして、いちばん上流の奥の院に鎮座しているのがイワナです。別名アマゴ(雨子)、またはアメマス(雨鱒)といわれますが、アメマス(本名ヤマメ)の稚魚ではなく、また、ヤマメはイワナの稚魚でもありません。「ヤマメの親魚である」と、漁師たちがいっているマスは、イワナとは同族ではあっても、全然別の品種です。
イワナは、一月頃から三月頃まで食味がよく、とくに塩焼きにするとおいしい。味は、ちょっとヤマメに似ていますが、ヤマメのほうが時季には脂が多く、時として、イワナよりも美味です。しかし、産卵期や、その直後には脂肪分を失って、これが同一の魚かと思えるほど、いちじるしく味が落ちます。それにひきかえ、イワナはさほど脂肪分に恵まれないため、産卵期に入っても、味は変らず、この時季のものでしたら、ヤマメにまさるとも劣らない味を持っています。
[#小見出し] に し ん[#「に し ん」はゴシック体]
ニシンが獲《と》れなくなって、すでに久しい。最近はこれまでの沿岸漁獲一本やりに加え、ベーリング海への遠洋漁獲をはじめたため、全体の水揚げ量は、なんとか上昇線をたどってはいるものの、最盛期にくらべたら、十分の一にも及ばないほどの減少ぶりです。むかし北海道の西海岸沿いに、津波のように押寄せ、「魚に非ず、松前の米」とまでいわれたニシンの大群は、もう二度と見られないものでしょうか。ニシン不漁の原因を、ひとは「ニシンの獲り過ぎ」といい、「水温の変化」と推測していますが、もちろん、確実なことは全く不明で、ただ、つぎのようなことが知られている程度です。
その一つは、世界的な規模では、ニシンは少しも減っていないということです。ニシンの漁場は、かつてメッカといわれた北海道・南樺太沿岸のほか、オホーツク海北岸、カムチャツカ南西岸、さらに太平洋北東部や大西洋など、世界のあちこちにあります。そして各漁場にあらわれるニシン群は、それぞれグループをなしていて、グループ間の交渉は見られない。だから、北海道ニシンの減少は、全くそのグループだけの「家庭の事情」ということになります。
ニシンはニシン科に属する大洋魚で、イワシに似ていますが、大きくなると、イワシよりも平たい形になります。体長は三十五センチ。春告魚といわれるように、早春から五月頃までがしゅん。漁期に、はしり、中期、後期があり、脂肪が乗っておいしいのははしり。
塩焼きにするほか、みそ焼き、フライにしてもおいしい。身欠《みかき》は米のとぎ汁に灰汁《あく》を少し加えたものに、一日ぐらい浸《つ》けておくと戻り、こぶを巻いて煮たり、蒲焼き、煮つけなどにします。
妻も吾もみちのくびとや鰊食ふ 青邨
[#小見出し] よ め な[#「よ め な」はゴシック体]
春日《かすが》野《の》のとぶ火ののもりいでてみよ 今いくかありてわかなつみてん
この歌は、『古今集』中のよみ人しらずの歌。全体の調子に迫る強さがあり、浮び上がる心象も烽火《のろし》の燃える色と、みずみずしい若菜の|さみどり《ヽヽヽヽ》が、互いに映り合って実に新鮮、わたしの好きな歌のひとつです。
正月初の子《ね》の日、野山に出て、男は小松を引き、女は若菜を摘んで羹《あつもの》にして食べ、邪気を払ったという平安朝宮廷の年中行事化された遊びは、中国古代の習俗の伝来だといわれます。しかし、子の日の遊びも藤原時代頃までで、のちにはしだいに七日の七草に移って行きました。
明日よりは若菜摘まんと標《し》めし野に 昨日も今日も雪は降りつつ
同じ摘み草でも、『万葉集』巻八の山部赤人の歌は冒頭の歌と同様、遊戯化された節供《せつく》のものではない切実に生活の歌。ところで、よめな(嫁菜)は、娶菜《よめな》とも書き、春の野に娘たちが好んで摘むのにちなんで、その若芽に名付けられたものです。よめは姫のように小さい意。古くは「をはぎ」ともいわれ、|を《ヽ》もまた小さい意で、|はぎ《ヽヽ》は生芽《はえぎ》の|え《ヽ》を略したものです。|を《ヽ》は|う《ヽ》に通ずるところから、「うはぎ」ともいわれ、ともに「小さく生えた芽」という意です。
しゅんぎくに似た軽いかおりが味の決め手。ほろ苦く、アクが強いので、ゆでて水にさらし、よく水気を絞ってから、細かにきざんだものを釜めしの水の引けぎわに振り込み、塩味でいただく「よめなめし」は、万葉びとの風趣を偲ばせるに充分なごはんものです。
炊き上げてうすきみどりや嫁菜めし 久女
てんぷらにしてもおいしく、そのほか、|ごま《ヽヽ》や|くるみ《ヽヽヽ》のあえもの、汁の実に。
[#小見出し] さ ざ え[#「さ ざ え」はゴシック体]
「新しく胸いつぱいに空気を吸ひ入れ、頭を逆さにして波の下へ潜《もぐ》りこむ。浮上らうとする身体を海草を掴んで抑へ、栄螺《さざえ》のゐさうな岩を覗きこむ。呼吸が苦しくなるにつれて、貯めた息を少しづつ出してゆく。やつと一つ見つけたが、息《いき》の我慢が出来なくて夢中で水面へ浮び上り、フーと蘇《よみがえ》るやうな呼吸をして、又元の場所へ沈みこむ。取つた栄螺は岩かどへぶつつけて殻を割り、生の身をコクリ、コクリかじる」(深田久弥)
サザエは食べられる巻き貝としては、バイガイとともに代表的なもので、北海道南部から九州、朝鮮、中国大陸の沿岸の岩礁や、岩のある外海に面した荒磯に多く棲んでいます。日本での北限は、北海道の道南地方、松前付近の海域です。
栄螺の殻つまめるやうに出来てゐる 秋を
他の巻き貝が、ヘタを用意しているのにくらべ、サザエはたいへん固いフタを備え、また殻の外側の管状のツノ(突起)をたくさん備えているのが特徴ですが、これは外敵を防ぐためと、荒磯に棲む関係上、波の強い動きにもまれても、殻の本体の部分が壊されないような構造になっているのです。それが証拠に、瀬戸内の静かな海域に棲むサザエは、殆どツノなしのサザエ。
食べくらべてみると、総じて、ツノのあるほうが身がやわらかで、味もよい。しゅんは二、三月。雛祭のときに、ハマグリといっしょに供える|ならわし《ヽヽヽヽ》があり、この頃になると決って値上がりします。刺身、かき揚げ、あえもの、塩辛、粕漬と料理法はさまざまですが、なんといっても、磯のかおりをいっぱいふくんだ壺焼きがいちばん。砂ギモをつけたままだとジャリジャリするし、苦味もあるので、いったん身を取り出し、キモを去ってから、焼くほうが無難。
[#小見出し] セ ル リ ー[#「セ ル リ ー」はゴシック体]
セロリともいいます。フランス語のセレリや英語のセルリーからきた外来語で、語源のセリーノン(ギリシャ語)は、ホメロスの『オデュッセイア』(西暦前八〇〇年頃に書かれた叙事詩)に現われています。ギリシャ・ローマ時代には、ぶどう酒に色々のくだものや匂いのある草を入れることが流行し、フェレクラテスの『劣等者』という作品には「アーモンド、りんご、イワナシの実、天人花の実、セロリ、ぶどう、あおい属の植物などをぶどう酒に入れた」と記されています。
わが国へは、江戸末期にオランダ船がその種子を伝えたらしく、「オランダミツバ」と呼ばれ、「キヨマサニンジン」とも呼ばれました。しかし、形の上からは|みつば《ヽヽヽ》に似たところはなく、それよりも|せり《ヽヽ》に近いというので、「オランタゼリ」のほうが似つかわしいとの説もありますが、これは「パセリ」の名前になっているので使えません。
一年中出回っているので、しゅんといえる時期はありませんが、とくに夏場の高冷地産のものがやわらかくておいしい。また、生野菜の少ない冬場に多く出回るためか、冬場がよいともいいます。
食べなれると、その味は忘れがたく、肉料理を食べたときなど、セルリーを口にすると、かおりが気にならないばかりか、以後セルリー党に転向するひとが多いようです。
茎が緑のものと軟白した白いものの二種あり、栄養の点から、緑茎のものが喜ばれます。もちろん生食するのが、いちばん栄養的ですが、炒《いた》めものやてんぷらの材料としてもよく、細い茎や葉、株の部分はスープや煮込みものにスパイスとして使うこともできます。
みずみずしセロリを噛めば夏匂ふ 草城
[#小見出し] い い だ こ[#「い い だ こ」はゴシック体]
タコやイカの仲間は、軟体動物の中でも高等な動物で、一見したところ、頭から足が生えているように見えるところから、頭足《とうそく》類といわれています。むかしの戯画を見ると、よくタコが頭に鉢巻きをして、八本足で踊っているのがありますが、鉢巻きをしている頭と見える部分は、実は胴で、正しくいえば、鉢巻きではなく胴巻きということになります。からだの成り立ちがひどく変っていて、一見ズルそうに見えながら、どこか間の抜けたところもあるせいか、日本人はユーモラスな道化師のようにタコを扱っていますが、西欧人、とくにキリスト教徒は「デビル・フィッシュ」(悪魔の魚)と毛嫌いし、ほとんどタコを口にしません。「所変れば評価も変る」一典型と申せましょう。
浜せはし飯蛸おきつまろびつし 伎人堤
日本近海には四十種を数えるほどのタコが棲んでいますが、一般に食用に供されるのは、マダコとイイダコ。マダコが全長六十センチと大きいのに、イイダコは足を加えても二十センチ前後のかわいい小ダコ。三月頃、八ミリくらいの卵を、四十から五十個ほど産みますが、卵を持ったメスを食べると、胴に飯粒に似た卵が、びっしり詰っているで、「飯蛸《いいだこ》」の名が付きました。温帯沿岸の浅い海の砂泥地に棲んでいて、小形のタコ壺やアカニシの殻などに縄をつけて、海底に沈めて捕えたり、釣ったりします。イイダコは、ちょっと変ったものを食べたい――と、思ったとき楽しむもので、丸ごと生じょうゆで煮るか、ゆでた里いも、だいこんなどといっしょに煮ても結構です。煮上げた形は愛嬌のあるもの。
飯蛸を歯あらはにぞ召されける 枴堂
[#小見出し] 三《さん》 宝《ぽう》 柑《かん》[#「三《さん》 宝《ぽう》 柑《かん》」はゴシック体]
さんぽうかんは「其の大きさ柚の如くにして、其の蔕《へた》乳房の如く高く起りて其の状頗る壺に似たるを以て、壺柑とは名付」と、岡村尚謙の『桂園橘譜《けいえんきつぷ》』という本に記されています。なり口の部分が高く盛り上がっていて、みかんの上に頭をつけたような形をしているところから、一名|達磨《だるま》蜜柑《みかん》ともいいます。
いつ頃のことかはっきりしませんが、徳川御三家の一、紀州家和歌山城内に唯一本あって、維新までは「お止めみかん」と名付けられ、よそへは種を一切出さない、いわゆる城外不出の珍種とされ、一般には長いこと知られずにいました。明治の御代になって、はじめてある士族の庭に移し植えられ、さらに田殿村字田口の大江城平というひとが、これを接木繁殖して、次第に田栖川村方面に伝播したといわれています。紀州は、みかんの生育にふさわしい土地柄のようで、紀州みかんをはじめ、良質の各種みかんを産出し、名実ともに日本の柑橘類の本場になっています。ところで、「三宝柑」の名の由来ですが、例年、実が熟すと、これを三方《さんぽう》にのせ、紀州侯に献上する|ならわし《ヽヽヽヽ》があり、のちに三方が三宝になって、かくは名付けられたといいます。
さわやかなかおりと、やわらかい肉質、さっぱりした風味で、甘酸が実によく調和したおいしい果汁は、まさに三方に載せて供するにふさわしく、日本特有の品格をそなえたくだものといえましょう。うま味が出るのは、三月の初旬からで、これから四、五月頃までが、味も色艶もよい食べ頃の季節です。お買いになるときは、皮肌がなめらかで、艶があり、手に持って心地よい重量感のあるものをお選びください。結実したまま年を越すので、産地の条件、その年の気象条件によって、「す上がり」現象を起し、水分の少なくなった劣等品がありますので、ご注意を。
[#小見出し] 赤《あか》 貝《がい》[#「赤《あか》 貝《がい》」はゴシック体]
「蛤は初手赤貝は夜中なり」ご存知『誹風末摘花《はいふうすえつむはな》』の冒頭に出て来る艶笑句です。この句をはじめ、|女性自身《ヽヽヽヽ》を貝類にたとえるのは、むかしからのことで、古川柳にはシジミ、アサリ、ハマグリ、アカガイ、トリガイを、幼女、少女、適齢期、成人、商売女というふうに分けて、いろいろ詠《よ》み込んでいます。一説には、貝は発音が開に通じるからといわれますが、やはり形からの連想でしょう。中でもハマグリの句が多く、
蛤になったに母はしじみの気
お察しのよい方に解釈は任せるとして、赤貝のほうはと見れば、
赤貝をくじってたわけ喰いつかれ
いささか、おだやかでない句もあります。
赤貝のしゅんは晩冬から春で、とくに産卵期を前にした春がいちばんうまい。
ふつう赤貝といわれているものには、サルボウ、ハイガイなどもふくまれています。これらのものを見分けるには、貝殻の筋によってですが、赤貝では四十二、三本、サルボウでは二十九〜三十二本、ハイガイでは約二十本で、見かけはさほど変らないので、市販品の中には、ほんとうの赤貝でないのもまじり、たいていはサルボウ、ハイガイとは知らずに食べています。
むかしから千葉県富津産のものは有名で、肉は厚く、色は赤味の強い樺色《かばいろ》をしています。貝殻付きの生きたものなら、すしダネや刺身がうまく、わかめとの二杯酢もいけます。赤貝はこのほか、「ひも」がよく、コリコリする歯ざわりと噛みしめたときの味は、身よりも賞味に価いします。
赤貝や蝶に開いてにぎり鮨 雪魚
[#小見出し] 菜《な》 の 花《はな》[#「菜《な》 の 花《はな》」はゴシック体]
菜《な》の花畠《はなばたけ》に 入日《いりひ》薄《うす》れ
見わたす山《やま》の端《は》 霞《かすみ》ふかし。
春風《はるかぜ》そよふく 空《そら》を見《み》れば、
夕月《ゆうづき》かかりて におい淡《あわ》し。
みんなが知っている小学唱歌「朧月夜《おぼろづきよ》」。
菜の花、さくらと花の季節がはじまると、料理の世界でも、これらの花を使って、いろいろの趣向が楽しめる季節になります。花びらで、思いおもいの料理をつくり、春の色香を、親しく味わってください。幸いに、菜の花をはじめ、ふきのとう(薬味、てんぷら)、かたくり(吸い口、酢のもの)、さくら(塩漬け)、春蘭《しゆんらん》 (塩漬け)と、素材には事欠きません。
菜の花を、咲き切らないうちに塩漬けにした、いわゆる「菜の花漬け」は、京都の名物で、松ヶ崎あたりが本場でしたが、近頃では、京都以外で作られるのも多くなっています。とくに、正月用に作ったものは、京都産のものが少ないようで、京都のは茎が真っ青なので、たやすく見分けがつきます。京都では、黄金菜《こがねな》、または黄金漬けと呼ぶこともあり、むかしは、これを漬ける際、塩をきつくして、土用ぐらいまで食べられるようにし、酸っぱくなる一歩手前までヒネ漬けにしたものが歓迎されていましたが、戦後は浅漬けみたいに、青いうちに食べるほうがおいしい――と、いわれるようになりました。
蕾を熱湯にとおし、すり鉢などを容器代りに利用して、塩漬けにし、圧《お》しをしておくと、二、三日頃から花色もあざやかな、歯ざわりのよい小付《こづ》けが出来ます。ひたしものにもよく、蕾をとうふやはんぺんとおすましにすると、春色満点のお椀になります。
菜の花の野末に低し天王寺 子規
[#小見出し] 伊《い》 予《よ》 柑《かん》[#「伊《い》 予《よ》 柑《かん》」はゴシック体]
現在、東京の青果市場で雑柑《ざつかん》というと、扱い量が比較的多く、市場性の強いみかん、夏みかん(ひとによっては、夏みかんも入れている)を除く、柑橘類を総称しています。おなじみのものに、きんかん、鳴門柑《なるとかん》、三宝柑《さんぽうかん》 、日向《ひゆうが》夏《なつ》、八朔《はつさく》があります。名前からすると、原産地は伊予(愛媛県)と思われがちですが、本籍は夏みかんと同じく山口県。明治初年に、阿武郡東分村(現在の田万川町)の中村正路というひとが発見し、穴門《あなと》(長門の古い呼び名)みかんと呼ばれておりました。明治二十二年愛媛県道後温泉の三好保徳という方が、穂木を持ち帰って移植したところ、地味が合うのか、非常によく育ち、その名も「伊予柑」と改められ、本家をしのいで名をなし、今日では愛媛、徳島県の特産物になっています。
仲間のみかんよりは、ぐっと大きく、皮のあざやかな紅味や、甘味と酸味のバランスのとれたトロッとした味わいが身上で、生産量は八朔にちょっと抜かれていますが、他のみかん類が少なくなる頃出回るので、忘れられないみかんです。十二月下旬頃が成熟期で、三、四月頃まで貯蔵され、晩春に多く出荷されます。中身にくらべると、皮が厚く、夏みかんに似て、袋の中の大きな種子が難ですが、それを補って余りあるほど、果汁がたっぷりふくまれています。形の丸く整い、肌のなめらかなもので、紅味が濃く、艶のある、重い感じのものを……。
総じて、柑橘類は、ほかのくだものにくらべビタミンCが多く、冬の間不足しがちのビタミンCの捕給源としては最適です。とりわけ皮には多くふくまれ、伊予柑をはじめ八朔、三宝柑などは皮を捨てずに、皮の表面をうすくはぎ取り、繊《せん》にきざんで、小かぶやキャベツ、だいこんの即席漬けの中に入れたり、すしめしの中に、細かくきざんでまぜ込めば春らしい風味が楽しめます。
[#小見出し] あ さ つ き[#「あ さ つ き」はゴシック体]
にんにく博士として名高い、大阪市大の渡辺正先生が、近著『にんにく』の中で、あさつきについて、おもしろいエピソードを紹介しておられます。
ある時、東京の人が、所用があって秋田地方に出張しました。予定の日がすぎてもさっぱり音さたがありません。奥さんのごきげんが、しだいにナナメになってきたのは当然でした。その時、秋田美人の載っている絵はがきが舞い込んで来ました。見ると、それに歌らしいものが書いてあります。「ひろこよし ひでこもうまし あいこよし おばこもとより きりたんぽよし」これをみた奥さんはカンカンになって怒りだしました。「予定がとうの昔にすぎても帰って来ないというのに、芸者を相手にして遊びくらすとは。おまけに弘子とか愛子とか、よくぬけぬけと女の名まえまであげて……」というのです。
「オバコノハナシ キキタクモナシ ハヤクカエレ」と、早速に電報をうちます。おりかえし「ヒロコアサツキ ヒデコハシオデ ヤサシアイコハ イタイタソウ」≠「ろいろな植物を賞でて、東北方言で出した|たより《ヽヽヽ》がとんだ珍騒動をまき起したという話。
東北地方では、自生種のあさつきを「ヒロコ」と呼んでいます。あさつきはひる(蒜)の一種なので、そのむかし「ヒルコ」と呼んでいたのが、のちになまって「ヒロコ」になったのでしょう。
山野に自生しますが、畑にも作られ、殆ど一年中あります。二月から三月にかけてが出回りの最盛期。ねぎのようなかおりがあるため、薬味として利用します。早春頃のあさつきの葉は、甘味があって、|にら《ヽヽ》や|にんにく《ヽヽヽヽ》ほどの臭みもなく、汁の実や、ゆでて酢みそあえにします。
あさつきや座頭が妻の好み食 布人
[#小見出し] サ ラ ダ 菜《な》[#「サ ラ ダ 菜《な》」はゴシック体]
玉レタス同様、野菜サラダには欠かせない洋野菜です。和名は、ともにちしゃ、またはちさ(萵苣)。キャベツのように結球した玉レタスを品種改良してできたのがサラダ菜。結球する前に収穫しますので、葉はやわらかく、野菜サラダをはじめ、料理の下敷きに使いやすくなっています。レタスと同じく戦前からあった洋野菜ですが、本格的に普及したのはやはり戦後。最近はビニール栽培など、技術が進んで、一年中店頭に顔をのぞかせています。
原産地はヨーロッパで、世界中でもっとも広くゆきわたったサラダ用野菜です。すでに栽培利用は古代ギリシャ・ローマ時代から行なわれ、一世紀の末頃には、ローマでは十二種類ほども栽培されていたといわれます。日本への渡来も古く、すでに『和名抄《わみようしよう》』に「白苣」の名が記されています。貝原益軒先生の『菜譜《さいふ》』にも「萵苣《チサ》」の名が見えていますが、今日の玉レタスではないようです。東京近郊では埼玉を中心に、千葉あたりから多く出荷され、夏季には長野県の高冷地産、冬には静岡、高知、九州産のものが出回ります。いずれも濃緑色のものが多く、とくに色の濃いものは「黒葉」といって喜ばれ、東京江戸川地域で作られているものに「江戸川黒葉ウエヤヘッド」といった品種があり、昭和四十一年に農林省で名称登録された「岡山サラダ菜」ともども、やはり、黒葉をその特徴としています。
もっぱら生食され、サラダ専用の野菜といわれるほど、やわらかく、しかも歯切れがよく、特有のかおりを生かすためにも生食がよく、サラダのほか、サンドイッチの中にはさんだり、中国料理では炒《いた》めものなどを包んだり、和風料理では、さんしょう入り酢みそにしたりします。
[#小見出し] め ば る[#「め ば る」はゴシック体]
わだつ海の底にてなにを見てありし つぶらなる目のいとほしき魚
メバルという魚を漢字で書くと「眼張」。文字どおり「眼張る」で、深海魚に似て、からだの大きさにくらべ、大きく円《つぶ》らな、そして黒味のはっきりした、明眸《めいぼう》の持ち主。大別すると、狭義のメバル類、カサゴ類、オニカサゴ類、それにオコゼ類の四種に分けられ、これらの各々がそれぞれ何種類かをふくんでいます。
これらの中で、メバル類、とくにメバルがもっとも柔和な顔付きをしています。およそメバル類はカサゴでも、オコゼでも、頭の所々から、鋭いトゲを突き出しているので、これを素手でつかむのは、あぶないし、そのため、多少、恐ろしい顔付きをしていますが、メバルはこれらのトゲがそれほど発達していず、よほど温和に見えます。
全長二十〜三十センチくらいになり、ウミタナゴなどとともに数少ない胎生《たいせい》魚の一つで、北海道から九州まで広く分布していて、沿岸や内湾に多く、春にはよく釣れます。東京湾の横須賀沖あたりでは、メバルの春が待ち切れず、「寒メバル」が登場しています。
体色はさまざまで、アカメバル、クロメバル、キンメバルと、三崎あたりでは区別することがあります(神戸付近でアカメバルというのは、カサゴのことなので注意)。中でもアカメバルがおいしい。
春から夏にかけてうま味を増し、塩焼き、つけ焼き、照り焼き、煮魚、から揚げなどにして賞味します。ひとによっては、ちりなべがもっともおいしい食べ方だといいます。寒い地方では、みそ汁の実としても、喜ばれています。目の澄んだ体色のあざやかなものが新鮮。
眼張焼く思ひ出遠き亡妻となり 淡々子
[#小見出し] ネ ー ブ ル[#「ネ ー ブ ル」はゴシック体]
オレンジは、みかん類より生育に高温を要しますが、ネーブルオレンジだけは、世界の各種オレンジ類中、割合気温が低い地域でも栽培できる品種です。
濃い橙《だいだい》色をしていて、硬球のように固く、まん丸のオレンジ。ネーブルオレンジ、直訳すれば「へそみかん」。果実の底の部分に、おへそのような丸い窪みがあって、これが名の由来になっています。
戦前は夏みかんと覇を競うほどの生産量を誇っていましたが、戦争中、栽培に手間のかかりすぎるところから「ゼイタク品だ」と、情け容赦なく切られてしまい、近頃は産額も少なく、ねだんも割高なので、主に進物用に使われ、一般向きとはいえなくなりました。
日本での主な産地は、静岡、和歌山、愛媛、広島、熊本の各県で、出盛りは二月下旬頃。殆ど十二月頃採取し、貯蔵しておいたものです。食べるときは、りんご同様、ナイフで厚|剥《む》きし、櫛形に六つぐらいに切るか、二センチぐらいの厚さに輪切りにします。ナイフを入れただけで、甘い香ぐわしい匂いが飛び散ります。果肉はやわらかく、果汁も多く、ビタミンC、カロチンをふくみ、甘味は三宝柑や伊予柑よりも強く、英名はそのものズバリ、スイートオレンジ。
主な品種としては、ワシントン・ネーブル、鵜久森・ネーブル、鈴木・ネーブル、丹下系・ネーブルなどがありますが、しろうと目には、どれがどれか分りません。産額の多いのは、ワシントン。
選び方は、他のみかん類と同じく、皮のキメが細かく、濃いオレンジ色をしたもので、触れると、しっとりした感じのものを。
[#小見出し] くるまえび[#「くるまえび」はゴシック体]
人口の都市集中――という時代相をキャッチして、最近、デパートや食料品店で、しばしば耳にするのが、「産地直送」といううたい文句。郷里を遠く離れ、都会で生活しているものにとって、産地直送の食べものは、なかなか嬉しいもの。ちょっとぜいたくな贈りものですが、結構繁昌しているのを見ると、現代人の気持にマッチしているのでしょう。まつたけ、たけのこ、カニをはじめ、種類は年ごとに増えているようです。冬場はとくに魚介類のおいしい時季だけに、この種のものが多く、ピンピンとはね回るクルマエビなどは、まさに「産地直送」の効果百パーセントのもの。低温で凍結冬眠状態にしているので、鮮度がよく保たれ、味もまずまず。
くるま海老立ち泳ぐ肢胸に抱き しゅこう
数あるエビの中でも、王者はクルマエビ。てんぷらにしてよし、焼いてよし、煮てよし……ですが、そのうまさは、やはり、刺身に止めを刺す――といえましょう。
暖海を好み、だいたい松島湾以南の太平洋岸、日本海側では秋田以南の内湾の砂泥地に棲み、本場は、むかしから東京湾の千葉県側。てんぷら材料の王座を占めるクルマエビの中でも、最高といわれるのは、その一年子、二年子であるサイマキ(セイマキともいう)。
背中に黒い横筋が、まるで刀の鞘巻のようについているところから、サヤマキといわれたのが、のちになまって、サイマキといわれるようになったといいます。
極上のサイマキは、同じ千葉県側でも、富津あたりのもの。最近は瀬戸内海で大規模な養殖が行なわれています。おいしいのは、七月頃の暑い時季。
[#小見出し] や ま う ど[#「や ま う ど」はゴシック体]
暦の春に先がけ、雪の下では、うど、かんぞう、ふきのとうなどが春の準備に大わらわ。
雪間より薄紫の芽独活哉 芭蕉
新芽どきのやまうどは、芭蕉の句のように可憐な姿をしていますが、ときが経つにつれ、「うどの大木」といわれるように、茎はたくましく伸び、二メートル以上の高さに達し、見るからに男性的な姿に変貌してしまいます。こうなっては、もとより食用になるどころか、全く無用の長物となってしまいます。そう思っていたら、友人が「これを読め」と、宇都宮貞子さんの『草木覚書』という本を持って来てくれました。その本の一節に大和本草でシカカクレユリというのを何だろうと思った(中略)。鹿隠れは鹿が隠れられるほど大きい藪ということか、または鹿木と同じく、鹿を射つ人が身を隠せる意か。「なをつまば、さはにねぜりや、みねにいたどり、しかのたちかくれ」(閑吟集)この鹿の立ち隠れはウバユリではなく、鹿隠れとも、ただ鹿ともいって、九州一円でウド、またはシシウドをさすと山村語彙にあるものだろう。ウドもたけると大きくなるからだろうか≠ニあって、ウドの大木は、どうしてどうして、無用の長物とばかりはいえない隠れた効用があるようです。
皮を剥《む》き、灰汁に四、五時間ひたしてから、きれいに洗い、酢を二、三滴落した水に浸《つ》け、生のまま、あえものにしたり、汁の実、煮ものなどにして、かおり高い風味を喜びます。為笑の句の「赤椀の独活に飽きたる木曾の旅」のうどは、汁の実だったのでしょうか。太祇の「山独活に木賃の飯や忘られぬ」のうどは、酢みそあえだったかしらん、それとも香り高い風味を生かした塩漬けだったかしらん……。
[#小見出し] め ば ち[#「め ば ち」はゴシック体]
メバチは、ホンマグロ、キワダマグロ、ビンナガなどと同じマグロの仲間です。マグロ好きの日本人には、比較的なじみがうすく、一般によく知られるようになったのは、ごく最近の、いわば新参者です。
すしダネにして、もてはやされるホンマグロのように、近海では獲れず、遠洋産だったことが知られずにいた理由で、近年になって、漁船が大きくなり、何百、何千キロと遠くに漁に出るようになって獲れ出し、一般にお目見えするようになったのです。
和名のメバチは、東京、東北、東海、高知あたりで呼ばれる名まえで、眼がぱっちりと大きい意。漢字では「眼撥」、略してバチともいいます。成長すると、体長二メートル、体重八十五キロぐらいになり、肉はあざやかな赤で、やわらかく、ホンマグロやキワダには劣りますが、すしダネとして使われます。刺身以外には、魚肉ソーセージの主原料とされます。
メバチのしゅんは、春(三〜四月)と秋(十〜十一月)。参考までに同じ仲間のマグロたちのしゅんを列記すると、クロマグロ(六〜七月)、キワダマグロ(七〜八月)、ホンマグロ、メジマグロ(周年)となっていて、マグロ全体で考えると、一年中どの種類かが、しゅんの時季に当っているので、しゅんの幅はまことに広いといえます。しかし、脂肪の多いトロは季節による脂肪量(貯蔵脂肪)の差がいちじるしく、うまさに大きく影響するので、冬の脂の乗った時季のものを選ぶ必要があります。
メバチは流網や|はえなわ《ヽヽヽヽ》で獲り、とくに月夜の晩にはよく獲れると、マグロ漁の船乗りに聞いたことがあります。残念ながら、それがいかなる理由にもとづくものか聞きそびれました。
[#小見出し] こ ち[#「こ ち」はゴシック体]
コチは、しゅんに地域の別があって、東京や大阪あたりでは、もっぱら夏の魚として、相当に賞味しますが、福島県や福井県あたりでは、それほど、夏にありがたがられる魚ではありません。三月に取り上げたものの、東京にかぎっていえば、やはり、夏の部に取り上げるべき魚です。
最近は遠洋漁業のおかげで、真冬に東シナ海あたりで、底曳網《そこびきあみ》を使って獲ったコチが出回り、タイやサワラとまぜて、「すき」の材料として売る店も多くなっています。
ここにコチというのは、ホンコチまたはマゴチといっているもので、コチ類には、このほかに相当の種類があって、これらは総称してメゴチといっています。それは、ホンコチは眼が割合小さいのに、メゴチはいずれも眼の大きいためです。ホンコチは、メゴチ類とちがって熱帯性のもので、アフリカの東岸やインドなどにも多く分布し、わが国では福島あたりまで分布しています。熱帯性魚族の通有性として、夏に美味ですが、福島あたりで、さほど賞味しないのは、あるいは水温の低いところにいるものが、それほどうまくないためかも知れません。
砂泥にじっとしているときは保護色なので、見分けがつかず、海中では甚だ地味な存在です。大きいもので五十センチにも成長しますが、ふつう市販されているものは、三十センチ前後のものです。夏場には、「生鯒《いけごち》」といって、生きたものを生簀《いけす》に蓄えて置き、洗いにして賞味しますが、わたしどもの田舎では、生きのよいのをブツ切りにし、手間ひまかけず、生じょうゆで煮て、膳に載せていました。身は白く、身ばなれがよく、おいしいものです。
出来鯒の怒りし貌の幼さよ 春逸
[#小見出し] わ か め[#「わ か め」はゴシック体]
「タバコのみには、わかめのみそ汁がいい」というむかしからのいい伝えが、東京農大栄養研究室の動物実験によって実証されました。昨年、京都でひらかれた日本栄養食糧学会での発表によりますと、ニコチン障害を起したネズミに、わかめの粉末を与えたら、明らかに抑制効果が認められた――そうです。今後、その有効物質がなんであるかを突き止めれば、ニコチン予防薬発見への有力な手ががりが得られそうです。
そのむかし、わかめは「若女」とか、「若目」と書き、若返りの食べものとして、重宝がられていました。事実、カルシウムやビタミンAが豊富で、栄養価も高く、もし、わかめのニコチン障害に対する利《き》きめが、もっとはっきりすれば、まさに一石二鳥、愛煙家は先を争って、わかめのみそ汁を、愛飲することになるでしょう。乾燥仕上げの方法により、いくつかの種類に分れ、ふだん食べられるものには、鳴門わかめ、塩乾《しおぼし》わかめ、熨斗《のし》わかめ、糸わかめなどがあります。鳴門わかめは、採取後、灰をまぶし、砂の上に広げて乾かし、やや乾いたときに灰を払い落し、再び乾燥して仕上げたものです。塩乾は岩手県南部地方で行なわれる方法で、わかめを海水で洗い、のち乾かしたもの。熨斗は、わかめを細かく裂いて板の上に伸ばし、平ったくして乾かしたもの。糸わかめは、わかめの固い筋を取り、分葉を一枚ずつ選《よ》って、乾かしたものです。
水にもどして酢みそあえにしたり、たけのこと炊き合わせ、木の芽を添えた若たけ煮などもおいしい。それに、朝のみそ汁の実には、欠かせません。また、火取ったわかめを、細かに揉《も》みほぐし、塩仕立ての温かいごはんにまぜての|わかめめし《ヽヽヽヽヽ》も楽しいものです。
旅忙し朝餉の膳に若布かをる 無字
[#小見出し] は ま ぐ り[#「は ま ぐ り」はゴシック体]
日本の国内の各地から貝塚が発見され、その数は二千に近いといわれています。これは、今からざっと三〜七千年も前の縄文時代に生活していた、わたくしたちの祖先が、食べたものの残りを捨てた「ごみ捨て場」であるといわれています。その規模や形状は、地形や人口、居住の期間、それに貝の繁殖状況によってさまざまですが、地形の関係からでしょうか、主に太平洋側に多く、日本海側には少ないようです。その場所は、河川の中、下流域と、内湾の河口など、いくつかのタイプがあるようです。
ともかく、貝塚といわれるくらいで、貝の多いことからすると、原始時代のひとたちは、やはり貝をたいせつな食料源にしていたことが想像されます。貝とひと口にいっても、二枚貝と巻貝合わせて、百八十種とも二百種余りともいわれるほど多くの貝が発見され、全国百カ所以上の貝塚から記録された貝種のうち、多いものから順に挙げると、つぎのようなものです。
@ハマグリAカキBアカニシCサルボウDオキシジミEシオフキFハイガイGツメタガイHアサリ、この記録でもお分りのように、ハマグリは、貝塚貝類の主体となるように、たくさん採取されていました。一年中ありますが、やはり、ハマグリといえば早春の季節が想い出されます。しゅんは三、四月頃で、桃の節句に、ハマグリのお吸いものが出されるのも、縁起にちなむとはいえ、その頃が、ハマグリのいちばんおいしい季節だからでありましょう。
塩水に金気のものを入れ、一晩浸《つ》けて砂出しします。真水の中では殻を開きません。うしお汁のほか、酒蒸し、浜なべ、殻焼き、ぬた、クリーム煮などにして賞味します。
蛤のうしほ十日の旅の果 正敏
[#小見出し] つ く し[#「つ く し」はゴシック体]
赤羽根の堤に生《お》ふるつくづくし 伸びにけらしも摘む人なしに
『病牀六尺《びようしようろくしやく》』の中に収録されている正岡子規の歌です。この歌を詠《よ》んだ頃、子規はすでに不治の病いに侵され、再起不能になっていました。のびのびとしたうたいぶりの中に、赤羽根の堤に摘む人もなしに、伸び惚《ほう》けているつくしを、、再び起《た》つことのできない病いの床において偲ぶ子規の、そのときの感懐がよく表わされています。
つくしは、つくしんぼ、つくづくし、うまのさとう、きつねのたばこ……と、土地土地によって、いろんな名まえで呼ばれていますが、トクサ科に属する「すぎな」の胞子茎(花)に対する呼び名です。多くのひとは、つくしの|はかま《ヽヽヽ》から「すぎな」の葉が出るものと思っているようですが、よくよく見ていると、つくしんぼの花が見るかげもなく枯れてしまった頃に、すぎなは芽を出して来ます。つまり、花が先に咲き、花が散ってから、いっせいに葉が出て来るのです。はかまといっているふしについた苞様《つとよう》の部分を取り、きれいに洗ってのち、ゆでてアクを抜き、あえもの、酢のもの、てんぷら、佃煮などにし、ごはんにも炊き込みます。
土筆《つくし》めし山妻をして炊かしむる 風生
なるべく若い、穂先の固い、肥《ふと》ったものが、香味のあるよいものです。「つくしめし」にするときは、つくしの若いものがよく、アク抜きしたものを、みりん、しょうゆ、煮ダシで、あらかじめ下煮しておきます。ごはんは薄く塩味をつけて炊き、火を引く直前に、下煮したつくしをまぜ入れ、移すときに、よくまぜ合わせます。つくしのほのかなかおりと、さくさくした歯ざわり――「つくしめし」は、いかにも春にふさわしいごはんものです。
[#小見出し] と び う お[#「と び う お」はゴシック体]
スマートな姿態と、大きな胸ビレをもつトビウオが、春を背負って、出回って来ました。春の日は、おだやかな日和がつづくと、トビウオの入荷が目立ちます。いま時分、東京あたりに出回るものは、伊豆七島あたりで獲れたものが多く、体重も揃っていて、一本約四百グラム程度のもの。トビウオは、目方で売られず、一尾といわず、一本いくらで売り買いするのが、むかしからの|ならわし《ヽヽヽヽ》になっています。
胸鰭も藍にただよふ飛魚を買ふ 君子
末広先生のお話によると、「トビウオの胸ビレは、決して鳥のようにはばたくことはしない。つまり、トビウオの飛行はグライダーのようなのである」とのこと。つまり、トビウオは、飛行するに際して、海の表層を、スピードを速め、力いっぱい泳ぎ、充分加速度がついたと思える頃合を見計らって、尾でもって水面をたたき、同時に長い胸ビレを左右にピンと張りひろげて、空中に舞い上がるのです。高さは約二メートルから数メートル、一回の飛行距離は、トビウオの種類や大きさ、風向き、風力などによって、多少の差はあるものの、一飛びだいたい三百メートルだといわれています。
白身の小骨の多い魚で、むかしから煮つけにはしません。また、刺身にも向かないようです。しかし、塩をふってしばらく置き、洗って拭いて、焼くときにいま一度、心もち化粧塩をすると、なかなか風味もあるし、おいしく召し上がれます。『本朝食鑑《ほんちようしよつかん》』に「生食|佳《よ》からず、乾魚味好し」と書かれているとおり、トビウオのほんとうのうまさは、干ものにして引き出すもののようです。このほか、フライ、すり身にして吸いものダネにもします。
[#小見出し] う に[#「う に」はゴシック体]
海胆怒る漆黒の刺《とげ》ざらと立ち 鶏二
ウニはまさに海中に棲むハリネズミです。石灰質の骨板で作られた固い殻、群がり生えている鋭いトゲ、細く白い管足を、音もなく動かして、岩の間を這《は》い回ります。ふつう、海胆、海栗などと書きますが、古くは宇爾、宇仁などの漢字をあてていました。一方、雲丹、または海丹と書くウニは、同じウニでも、卵巣と精巣とを塩蔵した製品に付けられた名まえです。
むかしは主に土地のひとたちによって生食されていて、現在のように腐敗をふせぐための加工法が考え出され、広くどこへでも行き渡るようになったのは、そうむかしのことではなく、今から六十四、五年ほど前に、下関の坊さんによって、くふうされたのがはじめといわれています。
卵巣は春から夏にかけて成熟し、この頃がウニのしゅんです。塩辛も、練りウニ、粒ウニもこの時季に作ります。数多いウニ類の中でも、食用になるのは、バフンウニ、アカウニ、ムラサキウニなどで、このうちムラサキウニが全国的にいちばん量の多いものですが、食べておいしいのは、名まえに似ずバフンウニです。
ウニの名産地が下関といわれるのは、加工技術の発祥地のためで、質としてよいのは、越前ウニ(福井、石川あたりのバフンウニ)。ウニはこんぶなどの多い海のほうが育ちがよいので、下関のは痩《や》せていて、まぜものによって、むしろ質がよくなるということもいわれています。
左党なら、ウニはそのままサカナになりますが、ウニ焼き、ウニあえ、ウニみそ、それにわさびのないときの薬味代りに、ウニじょうゆにしても賞美されます。
雲丹さしの昼餉の量を得てもどる 元
[#小見出し] ま だ い[#「ま だ い」はゴシック体]
世界広しといえども、タイの姿や味を、日本人ほど好む民族は、ほかにはありません。色どりが美しく、姿、形が優美で、その上、味もよく万人に向き、季節により場所こそちがえ、むかしは日本の近海で一年中獲れたため、殆ど信仰に近いほど、ありがたがられ、喜ばれて来ました。
こうしたタイに対する親しみや、あこがれのせいか、タイと名の付く魚は百以上もあります。そのうち、分類学上、タイ科に属し、一般に赤いタイとして通用するのは、わずかにマダイ、チダイ、ヒレコダイ、キダイ(別名レンコダイ)、インドダイ(別名タイワンダイ、タカサゴダイ)くらいのもので、最近これに似たものが、オーストラリア沖や西アフリカから冷凍品として、わが国の市場へ出回るようになっています。海魚の王、タイの中でも、その名にふさわしいのはマダイで、ブリやスズキと同じように育つにつれ、たとえば東京市場ではベンカスゴ(近頃ではベン、体長十センチくらい)、カスゴ(十五センチくらい)、それから体重一キロくらいまでのものをマコ、二キロ前後のものを中ダイ、三キロくらいから上のものをオオダイの名で呼んでいます。
青竹の筏めでたし花見鯛 春宵女
しゅんは「さくらダイ」といって、花見どきで、この頃は脂が乗っておいしく、俗に目の下一尺(全長四十センチ)ぐらいの大きさのものが、とくに味も形もよい。
ほかの魚のように魚臭さやクセがなく、それに小骨もなく、さらに青もの(背の青い魚、サバのようなもの)のように中毒の恐れもないので、あらゆる人に向き、塩焼き、刺身、酢のもの、蒸しものと、用途は実にさまざまです。
[#小見出し] ひ じ き[#「ひ じ き」はゴシック体]
長寿博士として名高い近藤正二博士のご研究によると、長寿村といわれているところでは、殆ど魚か大豆《だいず》、それに野菜と海草を毎日食べているそうです。長寿者の多い隠岐の島や瀬戸内に面した地域、房州や伊豆半島の突端、それに島根県沿岸では、海草を毎日のように食べる風習があるそうです。また、統計によると、秋田県は、日本一脳卒中の多い県ですが、その中に、ただ一つの例外は男鹿半島の男鹿市戸賀地区で、ここは県下でも数少ない海草常食村だそうです。鹿児島大学の浜口陽吉教授の研究でも、長寿の秘訣は、「海辺に住み、よく働き、魚や野菜、海草などを食べること」だとされております。
潮去れば鹿尾菜《ひじき》は礁にあらあらし 羊村
ひじきは、数多くの海藻類の中で褐藻類に属し、波浪の高い海岸の岩礁に付着する海草です。土地により、ひすきも、ひじきも、ねいりなどの呼び名があります。主に伊勢、伊豆、房州などで採れ、このうち、伊勢、伊豆で採れるものは品質がよく、おそうざいとして、大豆や油揚げと煮たり、みそ汁の実、飛竜頭《ひりようず》、|ひじきめし《ヽヽヽヽヽ》の材料となります。秋頃の芽生えをとったのが上等品で、これより春頃まで摘み採ることができます。摘み採ったものを日乾し、水にひたして塩抜きをしたのち、蒸煮して、充分日に干す蒸乾法による製品が最上とされ、煮乾法がこれに次ぎ、塩乾法が下等品とされています。製法により粉ひじき、長ひじきに分けられ、長ひじきのほうが味がよい。
水に二、三十分|浸《つ》けておけば、もどりますが、品質や乾燥の具合によって時間は必ずしも一定しません。あまりやわらかくもどしすぎると、溶けたようになって、おいしくありませんので、もどしすぎないように。急ぐ際は、たっぷりの熱湯をかけて蓋をしておけば、すぐにもどります。
[#小見出し] ほたるいか[#「ほたるいか」はゴシック体]
ホタルイカは「竜宮の使者」とも呼ばれます。五、六センチの小さなからだいちめんに、数え切れないほどたくさんの発光器を持ち、波にふれ、網にふれて、いっせいに光るさまは、その名のとおり、みごとなものです。
富山湾の滑川と魚津付近の沖合一帯は、「ホタルイカ群游海面」として、特別天然記念物に指定され、四、五月頃の群游期には地元から観光船も出ています。船が現場につくと、待ち受けた漁師の手で網がしぼられ、たぐり寄せられるたびに、海の中が青白く明滅し、網が海面近くに浮き上がってくると、中にいるホタルイカの放つ光で、海が青白く燃えているように見えます。
蛍烏賊みる遊船の灯りけり まつ子
明治三十八年五月二十八日、東郷司令長官の率いる日本海軍が、ロシアのバルチック艦隊と戦い、大勝利をおさめた当夜、東京帝大の渡瀬庄三郎教授は、漁船を滑川沖に漕ぎ出し、青白い光りを放つ小さなイカを見て、「ホタルイカ」と名付け、ボストンで開かれた世界動物学会で発表しました。それまでは、マツイカ、コイカ、ベニイカ、グミイカなどと呼ばれていましたが、ホタルイカの学名を「ワタセニア・シンチルランス」というのは、このためだそうです。
シーズンになると、毎夜八時頃から産卵のためにメスの大群が浜辺に押し寄せ、翌未明まで群游し、この間に一尾で約二千個の卵を、じゅず玉のように海中に産み落しますが、網にかかるホタルイカは、殆どがまだ卵を抱いたままだそうです。この頃が肉づきもよく、味もいいときです。鮮度のよいものなら、刺身にしても結構いけますが、日持ちがわるいので、殆どが塩ゆでされたもの。とうふといっしょに煮ても、また酢みそあえやわさびじょうゆで食べてもおいしい。
[#小見出し] に ら[#「に ら」はゴシック体]
山の端に佗住む日々や韮《にら》の雨 草堂
にらは古名「こみら」「かみら」あるいほ「みら」と呼び、にらはそこから転じた名で、ねぎを「ひともじ」と呼ぶのに対して、「ふたもじ」ともいいます。
東洋の特産物で、『史記《しき》』貨殖編《かしよくへん》に「千畦の韮圃あらばその富、千戸の侯に及び、その分限は一県の領主と異ならず」と説かれ、たいへん重要な野菜の一つであったようです。わが国には中国から伝わったものらしく、『古事記』にも現われて、神武天皇の御歌に、
みつみつし久米《くめ》の子らが粟生《あわふ》には 臭韮《かみら》一茎《ひともと》
そねが茎《もと》そね芽繋《めつな》ぎて撃《う》ちてしやまむ
と、出ています。こうした歌謡のなかに、にらが出てくるのは、これを食用にしていたからで、むかしは五菜の一つにも数えられ、供御《くご》(飲食物の敬称、天皇・上皇・皇后・皇子のものにいう。「飯」の女房ことば)の料《りよう》となっていたことが『延喜式』にも記されています。
にらは強い匂いから、これをきらうひとも多いようですが、冬を除いて、一年中いつでも利用でき、自家用野菜としてべんりなもの。近頃は、「もやしにら」といって、冬場にこれを軟化したものが売られ、匂いも弱く、おいしいものです。益軒先生の『菜譜《さいふ》』には、「正月色黄にして、いまだ土を出《いで》ざる時、味尤《もつとも》よし、韮黄《にらき》と名づく」と記されていますが、これがおそらく今日いう|もやしにら《ヽヽヽヽヽ》でしょう。病人食として「にらがゆ」「にらのおじや」は古くから親しまれ、ぬたにしたり、みそ汁の実としても用いられ、強精保健食としても、ありがたがられてきました。また早漏《そうろう》を防ぐ作用があり、たびたび食用すれば、スタミナのつくことは確かです。
韮切つて酒借りにゆく隣りかな 子規
[#小見出し] た ち う お[#「た ち う お」はゴシック体]
タチウオは、漢字で書くと「太刀魚」。長く、幅広く、平べったく、さらに銀白色をしているので、文字どおり太刀のような恰好に見える魚。関西、四国、九州、北陸などではタチウオといっていますが、東京方面ではタチ、またはタチノウオといって、たいていノの字を加えます。トビウオでも東京ではトビノウオという場合が多いようですが、最近は東京でもタチウオ、トビウオというひとが多くなったようです。福島のサワベルも洋刀サーベルからの連想で、おそらく明治以降に付けられた名まえでしょう。一説によると、この魚はからだを垂直にして立って泳ぐから、この名があるともいわれます。泳ぎはあまり上手ではありませんが、その代り、口が大きく裂け、歯が鋭く、一たび餌をくわえると、決してそれを逃さない仕組みになっています。
タチウオはウロコがなく、全身銀箔を置いたような色で、触れると、その箔が手につくような感じがします。グアニン質というもので、これを集めて、セルロイドを溶かした液にまぜ合わせ、ガラス玉にぬったものが、例の模造真珠です。この銀箔のため、東京人はこの魚を食べるのをきらう場合が多く、従って下魚扱いしていますが、関西方面では、そうざいザカナとして、夏場、人気があります。
太刀魚の剥げよごれたる姿かな 耿陽
銀箔様の皮肌が美しいほど、鮮度のいいもので、古くなるに従って肌がよごれ、剥げて来ます。
大きいものは脂肪に富み、骨ばなれもよく、うまい魚です。照り焼き、塩焼き、煮つけがよく、三枚におろしてフライもいいものです。新鮮なものは刺身にも向きます。
[#小見出し] あ さ り[#「あ さ り」はゴシック体]
日本で獲れる貝には、実に多くの種類がありますが、カキとアサリは、とりわけ産額が多く、ホタテガイとハマグリがこれに次ぎ、その他の貝で産額の多い順に挙げると、サルボウ、シジミ、ホッキガイ、サザエ、アワビ、イタヤガイ……という順になっています。潮干狩で採ってきたアサリは、一晩以上塩水に浸けて砂を吐かせ、よく洗ってから、すまし汁にするのが、いちばん簡単でおいしいものです。この際、アサリ自体に持ち塩がありますので、塩かげんを誤らないようにしてください。また、剥《む》き身をごはんに炊き込んでの「アサリめし」を作るのも楽しいものです。同じアサリを使ってスペイン風なら、塩とこしょうで味をつけ、炊き上がったのちに、みじん切りのパセリと、すりおろしたチーズと、色つけにみじん切りのとうがらし(パプリカ)をふりかけます。
また、出盛り頃には、剥き身を、|からしみそ《ヽヽヽヽヽ》で召し上がるのもおいしいもので、結構な酒のサカナになります。酒と塩を少量ふって、さっとから炒《い》りし、水気を切って、ねぎ、または|わけぎ《ヽヽヽ》といっしょに、からし酢みそであえた「アサリのぬた」もよいもの。
浅蜊むく厨の母の指灯る 徳正
アサリはハマグリと同じく、内湾と外洋の二つの型があって、外洋型のものをヒメアサリと呼んでいますが、ハマグリほど、はっきりした棲み分けをしていないので、時には一カ所に混在している場合も多いようです。分類学上では、全然別のもので、ヒメアサリのほうが、殻幅がせまく、貝殻も薄く、前後に長い形をして、表面の放射筋が細かく、ミゾが浅く、殻の内側の色は薄紅色か、薄いオレンジ色をしています。外洋のものは、総じて味が大味です。
[#小見出し] あこうだい[#「あこうだい」はゴシック体]
日本人のタイ好きにあやかるように、分類の上から、タイ科とは縁もゆかりもないものまで「なになにダイ」と、タイの名で呼ばれています。アコウダイなども、その一種で、本籍はカサゴ科。次に挙げるものなども、広い意味でも、タイ科には入れられないものです。アオダイ、オナガダイ、ヒメダイ、アカアマダイ、シロアマダイ(シラカワ)、メダイ、イホダイ、キンメダイ……以上は、ふつうに市場に出回っているものですが、そのほかにも、学者の間だけや、一般になになにダイの名で呼ばれているものが、まだかなりあります。もう少し挙げると、イシダイ、ヨロイダイ、イットウダイ、ギンメダイ、マトウダイ、ヒメコダイ、カガミダイ、サクラダイ(マダイを関西、瀬戸内あたりではサクラダイといいますが、これとは全く別のもの)など、ざっと数えるだけでも、五十種以上におよびます。
動物の分類学上では、確かに戸籍詐称になりますが、おもしろいことに、形態、容姿の点では、大部分が背腹の幅が広く、白身で、サバやカツオ、マグロの類、アジ、ブリの類のように体色が青かったり、からだが紡錘《ぼうすい》形だったりするものはなく、やはり、タイの体形を考慮に入れておるようです。
アコウダイは、からだ全体が美しい鮮紅色をしていて、眼や口が大きく、また、頭にトゲが多く、ゴツゴツしていて、ときには背部に大きい黒い斑紋を付けていることがあります。真冬から春先にかけて、店頭に出回り、主に切身にして、しょうがの薄切りといっしょに甘辛く煮つけますが、脂気が強過ぎるくらいあります。煮上がったら針しょうがを盛って出します。煮つけ以外に、刺身、塩焼き、照り焼き、それにすしダネにもなります。鮮度のよいものを洗いにするとき、脂肪が多いので、湯洗いします。
[#小見出し] パ セ リ[#「パ セ リ」はゴシック体]
西洋料理の|つま《ヽヽ》として、パセリの特有のかおりとあざやかな青みは欠かせぬもの。ビタミン類も多く、栄養的にもすぐれているので、単なるアクセサリーとしてではなく、もっと利用したい野菜の一つです。種類に並葉《なみば》と縮《ちぢ》れ葉《ば》とがありますが、ふつう作られているのは縮れ葉で、なかでもパラマウント種は、葉の縮みが多く、病気にも強く、家庭菜園向きにもいちばんよいものとして、おすすめできます。
原産地は南欧地中海沿岸地方で、ヨーロッパではかなり古くから栽培されています。アメリカにはヨーロッパ移民によってもたらされ、わが国では貝原益軒先生の『大和《やまと》本草《ほんぞう》』(宝永六年、一七〇九年刊の本草学書)に、「オランダゼリ」の名で記されています。セリ科の二年草で、冬場は暖かい房州や伊豆方面から、夏場は長野県などの高冷地から出荷されます。お買いになるときは、なるべく葉の巻きのこんだ、緑あざやかなもので、葉の縮みの多いものを求めましょう。
パセリは栄養価が高く、血液の浄化作用もある野菜なのに、口当りがよくないせいか、多くの人は皿のお飾りくらいにしか考えず、しばしば食べ残して棄てられる場合が多いようです。しかし、特有のかおりがあるところから、ヨーロッパでは香辛料として用い、近頃では乾燥粉末にし、料理や調味に利用できるようにしたものが売り出されています。
トリガラや肉のスジなどでスープを作る際に、ほかの香味野菜といっしょに、パセリを一枝入れて、よく煮込むと、臭《くさ》みが消えます。また、きざみパセリを、つけ合わせの粉吹きじゃがいもにまぶしたり、スープに薬味のように少量散らしたり、からっと油で揚げ、すぐに塩をふりかけておき、魚肉料理につけ合わせると、生より美しくおいしくいただけます。
[#小見出し] い し も ち[#「い し も ち」はゴシック体]
イシモチはニベ科の魚で、東京、豊橋、新潟、松江あたりではこの名で、大阪ではグチとかシラグチ、福島県小名浜あたりでは、アブライシモチ、ハダカイシモチなどといいます。頭骨の中に左右一対の白く固い大きな耳石があるので、この名がついたといわれます。『和名抄《わみようしよう》』には、※[#「魚+椶のつくり」,unicode9bfc]《そう》の字を用いていますが、漢名では石首魚。
ニベに似ていますが、からだの色は淡灰色で、殆ど斑紋はありません。南日本の沿岸より、三メートルから四十メートルくらいの海域の砂泥地を|すみか《ヽヽヽ》として、遠く移動するようなことは、滅多にありません。夏の夜釣りの獲物として、釣びとたちに人気のある魚。湘南や房総の沿岸では六、七、八月頃が釣りの季節となります。この時季になると、群れをつくり、浮き袋を使ってよく鳴き、海中の声が水上にも聞えてきます。ニベ科の魚は、すべてこのように鳴きますが、鳴き声はニベの種類によってちがうようです。だいたい「グーグー」という鳴き声。
関西方面でグチと名付けたのも、この鳴き声が、愚痴をこぼしているようだから……というのも、まんざら落し話ではなさそうです。釣り上げたとき、苦しむのか、鳴き出しますが、魚籠《びく》の中に入れると、あばれて、鳴き声は、いっそうカン高くなります。
この魚、皮肌から受ける印象でしょうか、むかしから、あまりパッとしない魚で、肉質がちょっとやわらかいという欠点はあるものの、それほどまずい魚ではないのに、いまひとつ人気が出ません。淡泊な味を生かして、から揚げなどにしてもよく、煮魚なども楽しめます。身がやわらかいので、フライがえしなどを使って、静かに皿に盛ってください。そうざいザカナとしては、春から夏にかけ、手頃の材料です。このほか、かまぼこの材料として、重要な魚です
[#小見出し] ふ き[#「ふ き」はゴシック体]
山陰や蕗の広葉に雨の音 蘭花
ふきは日本が原産地だといわれ、北海道から九州まで、山野に自生しています。キク料の多年生草本で、現在、栽培されているものは野生種(自然のもの)ではなく、多くは水ふき、秋田ぶき、愛知早生ぶきなどの栽培品種です。全国的に有名な秋田ぶきは、東京には入荷しません。殆どが地元で消費され、加工用に回されています。乾いていたり、葉がしおれて黒くなったり、軸にハリがなくて、持つとダラリと曲ってしまうようなふきは、鮮度が落ちたものです。葉が青く、根元を持つと、ピンとしているものがよいもの。
たけのこやアサリの剥《む》き身と炊き合わせてもよく、ゆでておひたしにしてもおいしく、三本くらい揃えて竹串を刺し、イカダ状にして卵黄やねりウニなどをぬって焼くと、結構な酒のサカナになります。このほか、てんぷらにもよく、|ふきめし《ヽヽヽヽ》もまた春にふさわしいごちそうです。葉は捨てずに、つくだ煮に。作り方は、ひと晩水に浸《つ》けてアクを取り、細かくきざんで、しょうゆで一度煮こぼし、再度しょうゆを入れて、からからに煮上げ、好みによっては、さんしょうやごまをふり入れます。砂糖を使ってもかくし味程度に少なめに。ふきを青くゆでるには、洗ってまな板にのせ、塩をふり、ごろごろまんべんなくころがし、たっぷりの熱湯に入れて、約三〜五分程度、強火でゆで、表面が|しんなり《ヽヽヽヽ》したら、一度上下を返します。ゆで上がったらすぐに冷水に取り、急激に冷まして、皮を剥き、なお切るまで、ちょっとの間、水に浸けておきます。
ふきは栄養的にすぐれたものとはいえませんが、栄養よりは季節を味わうつもりでどうぞ。
厨より蕗煮ゆる香やところ得て 晩童
[#小見出し] あ い な め[#「あ い な め」はゴシック体]
アユ―コイ―アイナメ―キス……と、魚の名を並べてみると、妙に艶っぽくなりますが、アイナメは、お色気にはおよそ無縁な、地味な色や形をした目立たない魚です。
アイナメという名は、神奈川県三崎、東京あたりの呼び名で、大阪や四国などでアブラメ(新潟、石川のアブラメは同じアイナメ科のクジメのこと)、東北、北海道西南部でアブラコ、新潟、石川ではシジュウと、方言の多い魚です。大阪や東京ではクジメよりも貴び、アイナメのから揚げを、とても喜びます。東京では四、五月、大阪では三、四月頃を味のしゅんとしています(夏場がしゅんというひともいる)。
名の起りについては、アイナメはアユナミ(鮎並)で、アユに似ているからだといい、また愛魚女(ナは魚の古い呼び名)で愛する女を意味し、東北方面の一部でいうネウ・ネウオ(寝魚)や、青森、山形のシンジョ(寝所)は、そのことに関連した名である(『物類称呼』)――となると、どうして、なかなかお色気のある魚です。
どうもネウ、ネウオなどという名は、アイナメの生活態度から来ているように思えます。ふだんは、海岸に近い藻場の岩陰に潜んでいて、泳ぐということを知らないかのように、じっとして動かない定着魚だからです。
照り焼き、塩焼き、刺身、煮つけなどにしてもうまい魚ですが、本命はから揚げ。いくぶん小柄なものがよく、低目の温度で、ゆっくり揚げると、頭から尾、ヒレまでも食べられます。
照り焼きにするときは、小骨が多いので三枚におろし、身から包丁目を浅く入れ、骨切りし、串は横に打てないので、真っ直ぐに打ち、ふつうの照り焼きの要領で焼き上げます。
[#小見出し] た ん ぽ ぽ[#「た ん ぽ ぽ」はゴシック体]
開《ひイら》いた 開《ひイら》いた
何《なん》の花《はな》が開《ひイら》いた
たんぽぽの花《はな》が開《ひイら》いた
開《ひイら》いたと思《おも》ったら
見《みイ》てる間《ま》にか莟《つウぼ》んだ
こんな歌をうたいながら、大ぜい手をつないで、輪になって、開いたりつぼんだりして遊んだ、子どもの頃が、なつかしく思い出されます。
たんぽぽの花は、朝は六時から七時頃の間に開き、夕方になると、しぼんでしまいます。そして天気がわるくなると、急いで、あの日傘のような花を閉じてしまいます。西洋では、牧童の時計(セパード・ボイス・ウォッチ)の異名があります。牧童たちは、花が開くのを合図に、朝露を踏んで牧場に出て、羊を野に放ち、そして再び夕靄《ゆうもや》の中に、この花のしぼむのを見て、羊を小屋に追い込んでから帰路につきます。つまり牧童たちは、花を時計代りにしているわけです。
たんぽぽはキク科の多年生草本で、種類はきわめて多く、本来のたんぽぽは関東以北の山地や北海道の原野に多く見られる北方系の「えぞたんぽぽ」です。このほか、関東地方で、ふつうに見られる「かんとうたんぽぽ」、関西の「かんさいたんぽぽ」、四国、九州に多い「しろばなたんぽぽ」、高山に生える「みやまたんぽぽ」などが、代表的な日本のたんぽぽです。
たんぽぽの若葉をゆでて水にさらし、おひたしやあえもの、油|炒《いた》めにすると、ほのかな苦味が春を呼ぶよう……。花はてんぷらか、三杯酢とし、根はよく洗って、千切りにし、きんぴらごぼうのように、油|炒《い》りにします。
妻よ来てたんぽぽに坐せかがやかむ 錬太郎
[#小見出し] 山《さん》 椒《しよう》[#「山《さん》 椒《しよう》」はゴシック体]
さんしょうは、大むかし、すでに香辛料として使われていたようです。『古事記』の神武天皇の御歌
みつみつし久米《くめ》の子らが垣下《かきもと》に
植《う》ゑし椒《はじかみ》口ひくく吾は忘れじ撃ちてしやまむ
の「はじかみ」は「しょうが」でなくて、「さんしょう」だという説が有力です。これは源順の『和名抄《わみようしよう》』(九三一〜九三八年)に「久礼之波之加美」すなわち、「呉《くれ》のはじかみ」として舶来物にしていると、僧昌住の『新撰字鏡《しんせんじきよう》』(八九八〜九〇〇年)の「はじかみ」に「椒」の字が当ててあることから出ているように思われます。さんしょうと今日のように呼ぶようになったのは、平安時代からのようで、その頃に、有名な人買い説話「山椒《さんしよう》太夫《だゆう》」があります。この名は、太夫が山椒を売って富を得たからといわれます。さんしょうは、ミカン科に属し、山野に自生する落葉灌木で、雌雄は異株で、秋になると黒い芳香のある果実(さんしょうの実)を結びます。
柔ら芽の山椒摘めり紙の上 元
春の季節を「木の芽どき」などと呼ぶこともあります。季語では「このめ」と読みますが、また「きのめ」ともいいます。一般に「きのめ」という場合は、さんしょうの嫩葉《わかば》を指す場合が多く、益軒先生の『菜譜《さいふ》』の「山椒」の項には「春は芽を取てあへ物あつ物にくはふ、香気を助け腥邪《せいじや》の気を去る、夏は実をとりて生にてもほしても諸食品に加ふ、日用の佳味なり」と、記されています。四月下旬頃、摘み採った嫩芽は、木の芽みそ、おすし、すまし汁の吸い口、また佃煮に。実は胃の薬、佃煮、青ざんしょう、粉ざんしょうとして食用に。さんしょうの木のあま皮は、佃煮として賞味されます。
[#小見出し] わ ら び[#「わ ら び」はゴシック体]
漢字で「甘味」と書くと、あま味なのか、それともうま味なのか、迷うほど、日本人の舌は、あま味とうま味が混乱しているように思います。たまたま、講演など頼まれて田舎に行くと、精いっぱい心を籠めてごちそうする気で、砂糖をたっぷり入れた料理を出され、食うに食われず、さりとて箸を取らなければ礼を失する……、まったく閉口することがあります。田舎の特色ある料理材料の持ち味が全く殺されてしまい、せっかくのごちそうも、逆にありがたくないものになってしまいます。こうした例は、田舎だけに止まらず、都会にもあります。砂糖の甘味を補助味にして、味を整えてよいものは、せいぜいでんぷん質のさつまいも、くり、ゆりねくらいのもので、そのほか、一般のよい材料には、砂糖は邪魔になります。これから出回る山菜なども、できるだけ、持ち味を生かした調理を心がけ、一年一度の季節の風味を味わいたいものです。
折もてる蕨凋《わらびしお》れてくれ遠し 蕪村
わらびは四月下旬から六月にかけて、|にぎりこぶし《ヽヽヽヽヽヽ》に似た嫩茎《わかぐき》を、もたげます。この嫩茎には、多くのでんぷんがふくまれています。朝方山に入り、摘み採って、その日のうちに食べるか、加工します。そうしないと、時間が経つに従って、根元のほうから段々固くなり、食べられなくなってしまいます。保存と運搬には、不便この上ないわらびも、山菜の中では、とくに美味なこと、利用量の多いことで、群を抜いています。一般には、わらびの嫩茎を木灰にまぶし、その上から熱湯を注いで、一晩寝かせ、そのあと水洗いをよくして、アクの抜けたところで、煮つけをはじめ、汁の実、三杯酢のひたしもの、酢みそなどにして食べます。
[#小見出し] 浜《はま》 防《ぼう》 風《ふ》[#「浜《はま》 防《ぼう》 風《ふ》」はゴシック体]
わたしの郷里は、東京湾の中央に細長く突き出た千葉県富津という漁師町です。名の示すように古くから海の幸、野の幸に恵まれたところで、白砂青松の海辺には紅色の茎と淡緑の葉をつけた浜防風が、びっしり自生しています。
砂地のために、根が深く長い|ひこばえ《ヽヽヽヽ》がはびこって、風のために飛散する細かな砂の移動を防ぐので、防風と名付けられたといわれます。
防風の根の白砂に底しれず 鴻村
セリ科の多年草で、原産地は中国。根はこの句のように、深く砂の中に入り込んでおり、わずかに出ている地下茎から、光沢のある肉の厚い葉が、砂地にへばりつくようにひろがっています。砂をかきわけると、白い長い茎、紅色の葉柄、黄色味を帯びた若芽があります。これを摘んで、食用にするわけですが、摘んでいるうちに、手は防風の移り香で、強く匂います。
市販のものは、たいてい栽培品なので、茎が短く細く、紫紅色がいちだんと濃く、刺身のつまをはじめとして、酢のもの、あえものの配合、汁ものの吸い口などに用います。酢のものに一、二本「いかりぼうふ」として、ついていても気分のいいものです。
ねむるもの赤き蜻蛉とわが君と 浜防風に真白き砂に 吉井 勇
漢方薬の防風は、山野湿地に自生するセリ科の多年草で、にんじんに似た羽状複葉に、白い小花を多数つけ、根をくすりとして用いるわけですが、こちらの防風の名の起りは、中風を防ぐの効があるからといわれます。もっとも中風は、俗にいう中気のことではなく、風邪のことで、風邪で頭痛、悪寒、関節痛のあるとき用いると特効があるそうです。
[#小見出し] た け の こ[#「た け の こ」はゴシック体]
筍《たけ》赭し都心に土の香を放ち 斌雄
土のかおりをただよわせて、早生種のたけのこが、|わんさ《ヽヽヽ》と出回ってきました。「雨後の筍」と、たとえにもいわれるように、たけのこほど、生長のスピードの目につく植物はありません。
たけのこは、なんといっても鮮度がたいせつ。できれば掘りたてのものを。市販のものなら、太く短いずんぐり型で、切り口のやわらかいもの、根もとの表皮が淡黄色のものがいい。根もとまで黒褐色になっているものや、すらっと長くて先のほうが黒いものは、陽に当り過ぎたもので、固く、味も落ちます。朝掘りのものなら、ゆでずにそのまま料理に使えますが、市販のものは、時間が経っているので、どうしてもアク抜きしないと食べられません。土を洗い流し、先のほうを身にかからぬくらいの位置で、斜めに切り落し、タテに身にとおさぬように、一本包丁目を入れ、皮つきのまま、ゆでるのがコツ。皮を剥《む》くと赤味を帯びたり、味も落ちます。
深なべに、米のとぎ汁か、ぬかを入れて、水をかぶるくらいにし、沸騰後、約一時間以上中火でゆで、金串が根元に楽にとおるくらいが、ゆでかげんです。先の部分は吸いものダネに、また酢のもの、揚げものの添えに。先端を包んでいる姫皮は、甘酢に漬けておくと、薄焼き卵の細切りと、ごまあえに使えます。中ほどは、カツオブシをきかせたダシで、わかめとの炊き合わせに、またおすし用に。根は固いものですが、たけのこ好きのひとは、この部分こそ、たけのこのいちばんおいしいところといいます。輪切りか、らせん切りにして、カツオブシ、ごま、しょうゆで煮て、朝の小付《こづ》け用に。
竹の子や児《ちご》の歯くきのうつくしき 嵐雪
[#小見出し] そ ら 豆[#「そ ら 豆」はゴシック体]
「私はそら豆が好きだ。大きなはちにいっぱいに盛らせて、縁側まで運んできたテレビをこちらからながめ、左手でそら豆を口にほうりこんでは、ビールのコップを一息であける。男に生まれてよかったと思うのはこんな時だ」(遠藤周作)狐狸庵先生のいうとおり、ビールのつまみに、そら豆は欠かせぬ季節の|であいもの《ヽヽヽヽヽ》。ゆでたてのそら豆に、パラッと荒塩を振り、|ぬくもり《ヽヽヽヽ》のあるうちにつまみにすると、身内の汗もいっぺんに引っ込む。
そら豆は、日本の各地で栽培され、根っから日本に生えていたように思われていますが、そのふるさとは、アジアもぐっと西寄りのカスピ海南部、それに北部アラビアだといわれます。漢の時代に、張騫《ちようけん》が西域に使いして、中国にもたらしたもので、中国本土は素通りし、すぐに中央アジアから中国北辺に入り、朝鮮を経て、日本に渡ってきた――と、古書には記されています。
そら豆の名の起りは、この豆の皮の色が、ちょうど五、六月の空を見るようだからといい、また、そのサヤが空に向かうからだともいいます。「蚕豆」と書いて、ソラマメと読ませるのは、カイコが巣を営むのと同じ頃、この豆も熟するからといわれます。最近は、殆ど一年中出回っています。露地ものは、早いもので、四月末頃、八百屋の店先にお目見えします。『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』には、そら豆を「子孫繁昌草」と記していますが、他の豆類と同様、たんぱく質に富み、ビタミンB1、B2、Cなども多く、これをスタミナ源として活力を養い、子孫繁昌の基《もとい》を作るのも、まことに天意にかなったことといえましょう。一寸そら豆、お多福、長さやなどの種類があり、甘みの豊富なのは、一寸そら豆です。
[#小見出し] い さ き[#「い さ き」はゴシック体]
初夏から夏の魚イサキが出回って来ました。東京方面には、近海ものと呼ばれる房州あたりのものが少し見えますが、多いのは、九州長崎や、和歌山辺のもの。箱詰で送られ、鮮度はその割りに落ちていません。
海藻の多い近海の岩礁地帯に棲み、磯釣りするひとたちにはおなじみの魚。成長したものは、黒褐色へやや黄色味を帯び、腹側はやや淡色で、なんらの斑紋を持っていませんが、幼魚のときは、数条の濃い黄褐色の色帯が縦走しています。この色帯は、成長するにつれて、だんだん淡くなり、一人前(?)になると、全く地色と同色になって、消失してしまいます。
このように、色彩が変化するため、幼魚はしばしばシマイサギとまちがえられることがあります。シマイサギは、成魚でも美しくはっきりした色帯を持っていて、その幼魚はうっかりすると、イサキの幼魚と見誤られるのです。磯魚のせいか、ちょっと磯臭い、といって嫌うひともおりますが、成長したものは、どうしてどうして、なかなかのうまさで、夏の白身魚としては、高級魚の部類に属します。概して肥満型で、鮮度のよいものなら、刺身にして楽しめますが、塩焼き、から揚げもまた捨てがたいもの。脂肪がほどよく乗っているので、塩焼きにして、焼きたての熱々にだいこんおろし(レモン汁を一、二滴落して)をたっぷり添えると、忘れがたいうまさ。
ただし、ヒレのトゲと骨が鋭く固いので、のどに刺さぬように。また、塩焼きにするときは、一度塩をふっておき、焼く前にちょっと洗って拭き、いま一度化粧塩をすると、美しく仕上がります。繁殖をはかるため、水産方面では、古船などを沈めて人工漁礁をつくると、日中イサキは群れをなして集まり、いつまでも離れず、この付近にいるカニやエビなどの甲殻類を食べています。
[#小見出し] つ ま み 菜《な》[#「つ ま み 菜《な》」はゴシック体]
『俳句歳時記』は、つまみ菜を秋の部に入れ、間引菜《まびきな》をトップに、抜菜《ぬきな》、つまみ菜、中抜葉《なかぬきな》、虚抜菜《うろぬきな》、貝割菜《かいわりな》、殻割菜《かいわりな》、小菜《こな》、二葉菜《ふたばな》……と、さまざまな異称を挙げております。
つまみ菜の露まみれなる一とつまみ 浜子
つまみ菜は、秋だいこんを蒔《ま》いて、間引いた貝割菜(ふた葉)が、つまみ菜として出荷されることもありますが、つまみ菜用に、だいこんや菜類の種子を床に、びっしり蒔いて、ふた葉のときに出荷する栽培も行なわれています。これは|たい菜《ヽヽヽ》(杓子菜《しやくしな》)が多く用いられます。このつまみ菜類の中で、品質最上と評価されているのは、京都地方で栽培されている白上り京だいこんの貝割菜です。肉が厚く、幼茎は色あざやかに白く、歯切れがよいと、評価に違《たが》わぬよいものです。
鮮度のよさがつまみ菜の身上ですから、葉がしおれていたり、黄味がかっているものは、避けましょう。葉が青々として小さ目のものが、おいしい。ごまあえ、ケズリブシをかけたおひたしが代表的なものですが、ごくやわらかな野菜だけに、つまみ菜を調理するときは、火のとおしかげんに気を配ることがたいせつ。やわらかくなりすぎると、いちじるしく風味を損います。油で炒《いた》めるときなど、ゆでたりせずに、炒めたほうが、歯当りも心地よくて、おいしい。
おひたしにするときなど、熱湯に入れ、沸騰後、一〜二分ゆで、すぐ冷水で冷やしてのち絞ります。ひたしものは、水気の絞りかげんがコツ――といわれるように、あまり強く絞りすぎると、パサパサになって味がありません。生の目方に対して三分の二までにとどめること。このほか、スープやみそ汁の色どりに使うのも気がきいています。
籠の目にからまり残る貝割菜 風生
[#小見出し] や り い か[#「や り い か」はゴシック体]
イカは、種類が多く、それぞれ種類によって、食べ頃のしゅんもちがいます。アオリイカは春秋、モンゴウイカ、スミイカ、ヤリイカは秋冬、スルメイカ、ホタルイカなどは冬から春先にかけてがおいしい。ヤリイカは、別名をササイカ、サヤナガ、テナシ、テッポウ、ツツイカ、シャクハチイカといい、本州中部以西の広い地域に分布しています。シーズン中、生のまま消費地へ送るかたわら、産地の漁港では、どんどん冷凍イカを作って貯蔵、不漁の日やシーズン・オフに出荷します。幸いなことに、イカは冷凍してもたんぱく質がさほど変化しない性質をもっているので、味も栄養も生のものに劣りません。
イカを買うときは、色に気をつけましょう。鮮度のよいものほど、斑点がチョコレート色をしていて、艶があり、時の経つに従って、色は褪《あ》せ、濁った白に変ってしまいます。
烏賊干すやひとりの影を砂に置き 秋渓子
ヤリイカは、刺身にも出来ますが、肉が薄いため、マイカよりも味が落ちます。主として、いんろう煮や照り焼き、てんぷら、フライなどにして賞味します。また乾燥して、スルメにも作られ、竹葉スルメ、笹スルメの名で呼ばれます。しかし身が薄いため、ホンスルメよりいくぶん劣りますが、味はよく、五島列島で獲れるゴトウスルメは、スルメの中での最上品です。
イカは熱を加えすぎると、イカのたんぱく質にふくまれているミオシンという成分が働き、イカの肉をゴムのように固くしてしまいます。やわらかく煮るためには、煮汁だけをあらかじめ調味しておき、その中にイカを入れ、火がとおったらイカを取り出し、煮汁だけをさらに煮つめ、最後にイカにからませるようにするのがコツ。
[#小見出し] バ ナ ナ[#「バ ナ ナ」はゴシック体]
バナナの種の発生は、アジア南部をはじめ、アフリカ、アメリカなど、広い地域にわたっているようですが、食用バナナの原産地は、インド、それにマレー半島という説が有力。
文明圏に住むひとびとにとって、バナナは嗜好品の一つになっていますが、産出国の熱帯や亜熱帯地域の住民にとっては、日常欠かすことのできない主食になっています。そればかりか、バナナの木や葉から飲料、繊維、酒などをつくることもでき、バナナさえあれば生活に困らないほど、たいせつな果樹です。
バナナが食べものとして価値があるのも、栽培が比較的容易で、短時日のうちに生長し、たわわに結実し、果肉が多く、味もよく、成熟すると、でんぷんが糖に変り、その栄養価は、一本当り鶏卵一個半に匹敵し、百グラムのカロリーは八十七カロリー、卵の約三倍、同量のレモン、パイナップル、いちごなどの約二倍ほどもあるからです。
日本人には、戦前から台湾産のバナナが親しまれ、バナナといえば台湾が想い起されるほどでしたが、昭和三十八年に自由化されて以来、エクアドルやホンジュラスなど中南米産のバナナが、どんどん輸入されるようになり、台湾にとっては、たいへんな脅威となっています。
台湾産のバナナは、房が小さく、太くて短く、外皮に黒いシミなどが多く、うす汚れて見えますが、味は甘くておいしい。一方、中南米のものは、房が大きくて長細く、色はバナナイエローで、まことにきれいですが、味は淡泊です。形のスマートさに魅かれ、最近は若いひとたちに人気があります。完熟したものを、生で食べるのが、もっとも美味で、少し傷んだものや、熟《う》れすぎたものは、砂糖か蜂蜜を加え、ジュースにすると、栄養価に富んだ飲みものとなります。
[#小見出し] に じ ま す[#「に じ ま す」はゴシック体]
東海道線|米原《まいばら》駅には、日本でいちばん古い醒《さめ》ヶ井《い》養鱒場のニジマスを使ったマスずし(駅弁)があります。売り出したのが昭和十二年、全国九カ所にある駅弁マスずしの先輩格――といわれます。すしに使われるニジマスは、体長二十センチ(百グラム)くらいのもので、この体長調整に、仕出し店と養鱒場がすし専用の年間養鱒計画を立て、一日千本販売の数量を確保している――そうです。
ニジマスの原産地はロッキー山系の渓谷で、同地では紳士の釣魚用として有名です。日本へは、明治十年頃、元内務省勧農局に勤めていた関というひとのもとへ、カリフォルニア州の水産委員から卵を送って来たのがはじまりといわれ、会津の猪苗代湖と、日光の中禅寺湖へ放ったのですが、そのときは、猪苗代湖に放ったものだけがわずかに残ったそうです。次いで明治四十年頃、帝室林野管理局がアメリカから卵を取り寄せてのち、明治四十五年まで継続して、卵の移入を行ない、丹精籠めて熱心に養殖した結果、たくさん獲れるようになったといわれます。
ニジマスは成長すると、体側に一定の幅の広い赤色の帯が目立って見えるので、虹の中の赤色のようだとの考えから、ニジマスの名が付いたといわれます。塩焼きのほか、フライ、ボイル、すしダネ、みそ漬けなどにして賞味します。
有名な富山の「ますのすし」は、同じ駅弁でも、米原のニジマスとちがい、神通《じんづう》川で獲れた新鮮なマスを三枚におろし、これを薄いそぎ切りにして、すし仕立てにしたものです。すしをしめる重石には、神通川上流の黒光りした油石を使うのが、むかしからのしきたりで、圧《お》しがゆるまぬよう曲《ま》げものの上下を青竹ではさみ、蔓でしばった包装も、なかなか風情があります。
[#小見出し] 夏《なつ》 み か ん[#「夏《なつ》 み か ん」はゴシック体]
戦前の中学の教科書に、佐藤春夫の「望郷五月歌」がのっていました。時折、想い出しては、口ずさみます。
[#ここから2字下げ]
塵《ちり》まみれなる街路樹に 哀れなる五月《さつき》来にけり、石だたみ都大路を歩みつつ 恋しきや何ぞわが古郷《ふるさと》 あさもよし紀の国の 牟婁の海山 夏みかんたわわに実り 橘《たちばな》の花さくなべに、とよもして啼くほととぎす 心して散らしそかのよき花を
[#ここで字下げ終わり]
夏みかんは、初夏に白い花をつけ、強い香気を漂わせ、初冬の頃、黄色く実ります。外見は熟しているようですが、まだ味は出ていません。味のよくなる翌年の春から初夏へかけて採りはじめ、夏食べるみかんということから、この名があります。最初は、夏みかんの食べ頃がわからず、もっぱら果汁だけとって、|だいだい《ヽヽヽヽ》の代りに使っていました。そのせいでしょうか、夏橙《なつだいだい》の名でも呼ばれます。原産地は山口県で、安永元年(一七七二年)の頃、長門国、青海《あおみ》島の大日比《おおひび》(現在の長門市仙崎町)の海岸に、珍しいくだものが流れつき、島民のひとりがこれを拾って栽培したのが、そもそものはじまりといわれます。その後、耐寒性の強いことから、広く普及し、温州みかんについで多く栽培されています。山口県では「全国的な主産地、五、六月頃の花の季節は、清純な香《か》が漂う」との理由で、郷土の花に選んでいます。
ビタミンC、B1、B2をはじめ、カルシウムなど栄養豊富なアルカリ性食品なので、出盛りのねだんの安いとき、大いに食べて、酸性に傾きやすい食事の補いにしてください。手にして重い感じのするものが、豊富に果汁をふくみ、色づきのよいものがおいしい。軽い感じのものは、寒害を受け、実がパサパサになっているものが多いので注意。
[#小見出し] さやえんどう[#「さやえんどう」はゴシック体]
前垂に摘んで夕餉の莢豌豆《さやえんどう》 一誠子
こんな|さやえんどう《ヽヽヽヽヽヽ》なら、質がちがうと思われるほどうまいでしょう。採りたてのものは、さやえんどうにかぎらず、だいこんでも、さといも、ねぎでも、実にうまいものです。
たけのこにしても、掘ったときに二十センチのものが、店頭に並ぶ頃は二十四、五センチになっているということがあります。これは、途中で変育したわけですが、栄養を摂らずに育つのですから、痩《や》せるに決っています。従って味も変ります。これは、野菜が生きたようでいても、実際は死味に近づきつつある証拠。ですから美食をするためには、ほんとに生きているものを食べるという心がけが必要となってきます。魚や野菜の生きているか死んでいるかを見分けるには、魚では容易に分っても、野菜では、そうたやすくは分りません。それゆえ野菜では採りたてがよい、採りたてに近いほどよいとしてあります。
近頃では、夏冬にかかわらず一年中出回っているようですが、やはり、出盛り期は、五月頃から六月はじめまで。さやえんどうの若いもののことを、俗に「絹さや」といいますが、一説によれば、さやとさやのすれ合う音が「絹さばき」の音がすることから名付けられたといいます。選ぶ際は、黄色っぽくなっているものや、|しんなり《ヽヽヽヽ》したものは避け、青々と艶のよい水分を多くふくんだものを。ゆでるときは、熱湯に塩を一つまみ入れ、さっとゆで、水に取り、ザルに揚げると、みどりあざやかに仕上がります。ビタミンCを多くふくんでいるので、ゆで過ぎは禁物。バターソテーにして肉料理のつけ合わせにしたり、野菜サラダにまぜてもよく、みそ汁の実に、また薄味に煮て卵とじにしたり、中華風の炒《いた》めものにしたり、用途の広いものです。
[#小見出し] か つ お[#「か つ お」はゴシック体]
初ガツオとは、厳密にいうと、陰暦四月|朔日《ついたち》以後七日までの間に、関東沖で獲れたカツオのことで、江戸時代には、べらぼうに高いねだんで取引きされたようです。とくに、江戸の中期天明の頃(約百八十年前)には、もっとも|もてはやされ《ヽヽヽヽヽヽ》、一尾のねだんが二両なにがし、今日の価格に置き換えると、どのくらいになるでしょう? ともかく、「藍縞《あいじま》の魚袷《あわせ》より値が高し」と、いわれるくらいだから大したものです。
初物好きは江戸っ子の慣《なら》いとはいえ、かくまで江戸っ子を狂喜させたのはなぜでしょう。冬から春にかけて出回るシビマグロ、酒の肴としては不向きなマグロでがまんしてきた江戸っ子、肉のいたみやすいメジマグロに倦《あ》きあきした江戸人士がさわやかな青葉をみて、心浮き立ち、なにかうまい肴はないものかと、望んでいるところへ、|いき《ヽヽ》と|いなせ《ヽヽヽ》を絵にしたような縞《しま》の衣裳をまとった初ガツオが登場する。ウン、これだ、とばかり手を打つさまは、うなずけなくもありません。
初ガツオの持ち味を生かす食べ方といえば、むかしも今も、刺身と相場が決まっています。とりわけ名高いのが叩き。三枚におろしたカツオを、藁火《わらび》でほどよく表面をあぶり、身の周囲三ミリほどが白く、中身が薄桃色になるように焼き上げるのがコツ。焼き上げた身を一・五センチくらいの大きさに切ってから、包丁の背で軽く叩きます。このとき、包丁の背に酢をぬり、叩くに先立って身にふり塩をします。叩くのは、この塩と酢を身に浸み込ませるためです。
初鰹銭とからしで二度|泪《なみだ》
と、古川柳に詠み込まれているように、辛味には|からし《ヽヽヽ》が本格となっています。からしは生臭味を消し、殺菌の効果も期待できるからで、時季的にも、まことに合理的と申せましょう。
[#小見出し] ひ が い[#「ひ が い」はゴシック体]
ヒガイは、明治天皇が、まだ京都の御所においでの頃、近江から奉ったこの小魚をきこしめして、好物の一つとなさったというので、魚ヘンに皇――鰉という字を当てられるようになったという由緒のある川魚です。むかしは、それほどでもなかった魚なのに、明治以降、一躍川魚の王者の地位を占めるようになっためでたい魚。従来、琵琶湖で珍重していたモロコよりも値が高く、その肉の青白い美しい色とともに、きわめて上品な味を持った魚で、それまで、たくさんのひとが、このようにいい魚であることを知らなかったのは、いかにもウカツな話です。ヒガイの名は、琵琶湖の名産であるとの評判とともに、その当時、全国の人々の羨望《せんぼう》の的となりました。ヒガイの名を知っているのは、わずか琵琶湖周辺のひとたちくらいのもの。そのほかの地方へは、まだ、その名まえが拡がっていないため、前々からこの魚がいるにもかかわらず、このことを知らなかったひとが多かったそうです。
たいてい水深二十メートル以内の、清い砂礫《されき》の底に好んで棲み、性質は敏捷《びんしよう》で、おどろきやすく、容器の中では、器の底に逆立ちになって群れ集まり、池中でも、水藻中に、または池底砂礫の間にいて、イシムシや沿岸の小虫類を食べています。関西では、ヒガイの照り焼きを、すだちで食べるように出して来ますが、骨がやわらかくないので、魚はなるべく小形を使い、尾のほうから丸喰いすると、舌に骨がさわらないなどと、通がるムキもあります。煮つけ、魚田にするほか、塩焼きが最良とされています。死ぬと、いちじるしく味が落ちるので、料亭では活《い》かしておいたのを調理します。
明治四十三年の明治天皇御製に、
鰉とるふねもみえけりささなみの 志賀の浦わの秋の夜の月
[#小見出し] た ま ね ぎ[#「た ま ね ぎ」はゴシック体]
内地では、たまねぎを五、六月に収穫しますが、北海道では植え付けの関係で、収穫期は九、十月と、ずれています。数多くの輸入野菜――キャベツ、とうがらし、たまねぎ、トマト、ごぼう、にんにく、さといも、カリフラワーなど――の中でも、たまねぎは輸入量がもっとも多く、主に台湾、沖縄、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどから輸入されています。ハンバーグ、スープ、サラダと、たまねぎは洋食には欠かせない材料。戦後、日本人の食生活の洋風化に伴い、食べる量が目に見えて増え、農林省の調べでは、国民一人当りの消費量は、昭和九〜十一年にくらべて、四十年は四百四十七倍と、おどろくほどの伸びを示しています。このため、生産量もウナギのぼりで、さる三十五、六年は、年間六十万トン台だったのが、四十一年に百万トンを突破しています。しかし、それでも、年間消費量をまかないきれず、年々二万トン前後を輸入しています。
ところで、国産と舶来品の見分け方ですが、輸入品のある時期は、一月から五月末までにかぎられ、この間に一キロで七、八個しかない大粒で、皮がやや白っぽく、形は球に近く、上下がとがっている――というのが、台湾及び中国産。北海道産は一キロで十個ぐらい、皮の色は濃く、形は平たく、円盤に近いものです。概して輸入品は、肉質が固く、味も落ちるようです。
これから、からだが汗ばみ、さっぱりしたものがほしいとき、たまねぎを薄く輪切りにして、サラダに入れたり、ケズリブシをふりかけ、しょうゆと酢をかけて召し上がるとよいでしょう。栄養面から見ると、生のたまねぎは、たいへんなスタミナ食です。
玉葱やひと皮むきし肌の白 恭子
[#小見出し] 玉《たま》 レ タ ス[#「玉《たま》 レ タ ス」はゴシック体]
レタスは、なんといっても西洋野菜の横綱。六月の末頃から真夏に向かって、いちだんとおいしくなります。ヨーロッパが原産地で、ギリシャ・ローマ時代から、すでに食用に供され、洋菜類の中では近年キャベツにとってかわるほどの人気があります。語源は、茎や葉を切ると乳のような液汁が出るので「乳の草」(ラクトウカ)と呼ばれ、それが変化してレタス(英名)となったといわれます。和名はちさ、またはちしゃ。
夏場に出回るもののうち、大半を占めるのが長野県の高冷地産のもの。お買いになるときは、固くて白いものより、多少やわらかくても、葉色の青味がかったもので、大きさよりも重量感のあるものを選ぶこと。大きくふかふかしたものは、葉の固いものが多く、また裏返して根元の切り口が茶褐色に|うじゃじゃけ《ヽヽヽヽヽヽ》ているものは、不良品なので避けること。
食べる前に、葉を一枚ずつていねいにはがして、箸を取る直前まで冷水にひたしておくと、パリッとした歯ざわりが楽しめます。ほぐすときは、包丁で芯をくり抜き、両手で左右にもむと、比較的かんたんにほぐれます。使い残りのものは、ビニールに包んで冷蔵庫に入れておけば、一週間ぐらいは、もちます。日本で西洋野菜ブームのきっかけをつくったのは、このレタス。戦後、進駐軍が入ってきて、彼らの食卓に一日たりとも欠くことのできないレタスを、わざわざカリフォルニアから取り寄せていました。ところが船旅をしてくるレタスは運賃がかかるばかりでなく、鮮度も落ちる。そこで現地調達ということになり、その頃、わずかながら栽培していたレタスを、おどろくほどの高値で進駐軍が買ってくれました。それ以後というもの、一般農家も西洋野菜に目をつけ、次々に栽培をはじめ、普及したというわけです。
[#小見出し] か ま す[#「か ま す」はゴシック体]
さるやんごとない御方が、政争の渦に巻き込まれ、已《や》むなく都落ちされ、山陰のとある漁師のいぶせき賤《しず》が伏屋に辿り着かれ、食を求められたところ、「貧しきこととて、なんのおもてなしもできませぬが……」と、塩ごはんを仕かけ、作りおきの干カマスを焼いて、むしり身とし、浜で取れたわかめを火取ってもみほぐし、炊き上げたごはんにまぜ合わせ、手作りのおむすびにして差し出しました。
慣れない旅の疲れと空腹に、思わず手掴みで召し上がられた。そのような|いわれ《ヽヽヽ》を持つ「つまみの御料」は、京都御所の行事食として伝承されて来たと、聞き及びます。
カマスはからだが細長く、円筒形をしていて、とがった頭、大きな口、しかも下唇が長く受け口で、鋭い犬歯を持った精悍《せいかん》な面構えの魚です。主に太平洋沿岸の南日本に棲み、種類としては、アカカマス、アオカマス、ヤマトカマスなどがありますが、わたくしたちの手に入るおなじみのものはアカとアオのカマスです。しろうとには、ちょっと判別しにくく、いくぶん褐色の強いほうが前者で、黄味の多いのが後者です。漁獲から見ますと、春から夏にかけて獲れるのはアオが多く、秋から初冬にかけてはアカが多く獲れます。しゅんもアオカマスは夏、アカカマスは冬となっています。関西では夏から秋のものを好み、東京では冬の魚です。
生きのよいものなら、塩焼きやフライにしますが、水気の多い魚ですので、一塩の生《なま》干しにすると、「カマスの焼き食い一升飯」のことわざのとおり、こたえられないうまさで食が進みます。
焼くときには、皮目のほうから火にかざし、身で焼き上げ、狐色にこんがり焼き目のつくくらいの頃合いが食べ頃。熱々のうちにどうぞ。
[#小見出し] グリンピース[#「グリンピース」はゴシック体]
あはれ世に少からばと思ふかな つるも葉もよき豌豆《えんどう》の花 井上通泰
えんどうはマメ科の中で、もっとも耐寒性の強いもので、品種はいろいろありますが、豆を採る実取り用と、グリンピースを採る罐詰用、それにさやえんどうを採る野菜用の三種に大別することができます。起源も原産地も不明ですが、ヨーロッパが原産地と目され、大むかしから栽培されていたことは確かで、スイスの湖沼民の遺跡中から、えんどうが発見されたといわれます。欧州から印度、中国に伝わり、わが国へは『和名抄《わみようしよう》』にも出ているところから、すでに千年以前に、中国経由で渡来したようです。
桜の花が山吹にかわり、緑の若葉が吹き出して来ると、気の早いひとたちは、もう初夏のよそおい。さわやかな緑で食卓に初夏を運ぶのがグリンピース。東京には、房州や静岡産のものが早くから出回り、四月中旬から五月が最盛期。六月下旬には終りを告げます。
薄く塩味をきかせた白いごはんのあちこちに、緑のかわいらしい玉ののぞくさまは、いかにもさわやか。グリンピースは、やっぱり初夏の味。生グリンピースのように煮減りのしないものは、米の量の二分の一までが、炊き込みごはんの際のまぜる量の限度。水かげんは殖《ふや》さずに、ふつうにします。豆をはじめから炊き込んだほうが味がよいですが、緑あざやかに仕上げるには、先に塩ゆでして、ごはんが吹きはじめてからまぜ入れます。
炊き込みごはんのほかに、卵とじ、洋風の肉や料理の付け合わせとして、バターで炒《いた》めたり、また塩を加えた熱湯でゆで、手早く冷水をかけて裏ごしして、ポタージュにしてもおいしい。
ひとづまにえんどうやはらかく煮えぬ 信子
[#小見出し] ま い か[#「ま い か」はゴシック体]
イカはタコとともに、軟体動物の中では、もっとも進化した動物で、胴体の長さが二メートル、足をのばすと全長六メートルにも達するというダイオウイカから、胴長わずか十五ミリにすぎないヒメイカまで、形態や肉質のちがうイカがたくさんおります。日本近海だけでも、およそ百三十種もの多きを数えますが、そのうち、わたくしたちの食膳に上るのは、せいぜい十種類程度と、ごくわずか。マイカは、胴の中に長楕円形をした骨があり、からだの背面灰褐色の部分に白色の斑点が散在しているところから、東京市場では、コウイカの名で呼ばれます。関西では、ホシイカの名で親しまれています。
イカの冷凍品は、魚の冷凍ものにくらべ、味や鮮度が落ちず、もどし方さえよければ、広くすしダネや、そうざいに用いることができます。冷凍イカをもどすときは、ポリ袋のまま、水に浸《つ》けてもどしますが、もどしたイカは、ワタと足をとり、皮を剥《む》き、剥いたあとは、水に浸けてはいけません。水に浸けると、せっかくの風味が落ちてしまいます。
鮮度のよいものなら、刺身がいちばん。数カ所にかくし包丁を入れた平作りにするか、または、そぎ作り、糸作りにしてもよく、わさびと溜りじょうゆで召し上がると、左党ならずとも、食欲をそそられます。イカは魚肉とはちがう特有のたんぱく質をもっていて、繊維が、交互に、直角に走っています。タテに走っている繊維は、加熱すると、縮む性質があるので、焼くと巻いたように丸まってしまいます。照り焼きなどにするときは、開いてから、あらかじめ、斜め格子の包丁目を入れ、 繊維を切っておきます。こうすれば、丸まらずに上手に焼けます。
爼や青菜でぬぐふ烏賊の墨 青々
[#小見出し] 高《たか》 菜《な》[#「高《たか》 菜《な》」はゴシック体]
九州地方の高菜は、二月頃が出盛りで、茎が厚く、枝の張った形のものが多く、保存漬けとしては世評が高く、べっこう漬けとして人気を呼んでいます。関東地方のものは、五、六月頃が出盛りで、辛味の少ないもので、当座漬けにするとおいしい。東北地方の高菜は、十一月頃が出盛り期で、関東のものにくらべると、形も大きく、茎が強く、漬けた当座半月くらいは、涙を催すほどの辛味をもっています。もちろん、長期の保存漬けに向き、翌春、四、五月に、べっこう色になったものは風味がよく、細かにきざんで茶漬けにすると、おいしいものです。高菜の原産地は中央アジアといわれ、わが国には千年ぐらい前、中国から渡ったと伝えられ、醍醐天皇の御代に深根輔仁《ふかねすけひと》の撰した『本草和名《ほんぞうわみよう》』(九一八年)には「菘」と書いて、和名「多加奈《たかな》」と訓《よ》んでいます。
中国では、華南を中心に、さかんに栽培されていますが、日本でも、やはり南の九州が特産地になっています。品種として有名なものは、北九州の柳川《やながわ》高菜と三池《みいけ》高菜で、柳川種は葉は緑色で、多肉質、くき(葉の中肋)は広く扁平で、漬けものによい品種です。一方の三池種は、福岡県を中心にして、今日、各地に普及していますが、葉は紫色で大きく、くきが広く、多肉質の高菜で、漬けものにもっとも適しています。佐賀特産の高菜漬けは、一説によりますと、加藤清正が朝鮮の役のときに持ち帰ったものといわれ、とうがらしが入っていて、まことに辛いものです。おにぎりを高菜の葉で包んだ「|めばりめし《ヽヽヽヽヽ》」は、土地のひとのお弁当として、重宝がられています。
からし菜と同類で、からし油の成分をふくんでいるため、菜漬けにすると、特有の風味があるばかりでなく、長期の保存がききます。高菜の種子は、からし粉の原料としても利用されます。
[#小見出し] アスパラガス[#「アスパラガス」はゴシック体]
アスパラガスとは雀の巣という意味とか。事実、茎を穫《と》らずに、そまま生長させ、生《お》い繁ったアスパラガスをみると、雀がもぐりこんで巣を作るには、恰好の|すみか《ヽヽヽ》といえます。和名は西洋うどといい、一名オランダきじかくしともいいます。原産地は地中海東部諸国と小アジアとみられ、ヨーロッパでは、紀元前二〇〇年頃からラテン民族によって栽培され、アスパラガスも実はラテン語です。わが国には十八世紀の後期に、オランダ人によって長崎に伝えられたものの普及せず、はじめは、もっぱら庭園用でしたが、明治四年開拓使たちの手によって、野菜として栽培がはじめられ、普及しました。
ひところ、アスパラガスというと、罐詰ものの白いものが殆どでしたが、最近は青い生のアスパラガス(グリーン・アスパラガス)が、好まれるようになっています。罐詰になった白いアスパラガスとくらべると、段ちがいに鮮度がよく、ビタミンCを多量にふくみ、ビタミン類の補給に役立つばかりでなく、新陳代謝を促すアミノ酸をふくんでいます。アスパラガスの家柄を調べると、雌雄異株の多年草で、ユリ科に属しています。東京市場での主な産地は、長野、群馬に次いで埼玉、山梨、千葉などですが、冬場は静岡や愛知の各県から出荷されます。また、蝦夷《えぞ》富士の名で知られる後志羊蹄山《しりべしようていざん》の山麓地帯に広がる火山灰地は、わが国でも最大規模をほこるアスパラガスの産地として有名です。ここで作られるものは、大部分罐詰原料としてのアスパラガスです。
食用として、近年普及のめざましいグリーン・アスパラガスは、主に雄株の幼茎が多く、穂先をたいせつに扱いながら、さっとゆで上げ、レタスなどとサラダに添えてもよく、ひたしものとしてマヨネーズ、レモン汁、あるいは削りカツオをかけても、おいしく召し上がれます。
[#小見出し] や ま め[#「や ま め」はゴシック体]
海の系統の魚で、産卵期に、その卵を安全なところに産むために、河川を遡《さかのぼ》って来るのが遡河魚《そかぎよ》です。産卵した卵が孵《かえ》り、そこから生じた稚魚は、一定の大きさに達すると、川を下って海に出て、ここで大きくなり、成長すると、再び生まれ故郷の河川に産卵場を求めて遡って来ます。ところが、遡河魚がなんらかの原因で海に下ることを妨げられ、一生涯、河川に留まって、ここで大きくなり、しかも繁殖するようになったものも、中にはあります。これが陸封魚《りくふうぎよ》といわれるもので、サケ科の魚は、その代表的なものです。日本の陸封魚の仲間には、次のようなものがあります。ヤマメ、ビワマス、ヒメマス、カワマス、ニジマス、イワナ、コアユ、ワカサギ、チカ、シラウオ、ハリヨ、イトヨ……などで、これらの魚は学者の研究によると、もとは海の魚であると考えたほうがよいということです。
秋田では、女の尻を追い回す、すばしこい|あんさん《ヽヽヽヽ》を形容して、「マスの尻に食い付いたようだ」というそうですが、今でも使われているでしょうか?
ヤマメは、アユものぼらぬ高地の渓流の底近く、石や岩の陰に棲んでいます。釣りの最盛期は五、六月で、時候もよし、周囲の環境もよしと、まことに健康的で、また五、六月のうまさは、岐阜あたりで「五月アマゴでアユかなわぬ」と推賞するほどの味を持っています。
大串に山女魚のしづくなほ滴《た》るる 蛇笏
山小屋住まいの炭焼き男が、焚火のまわりに、串刺ししたヤマメを立て焼きにし、わさびをすり込んだみそをぬりつけて、温かい麦めしとともに、ムシャムシャ頬張る姿は、まことに野趣のあるものです。フライにしておいしく、塩焼きにすると、たいへん味のよいもの。
[#小見出し] わ さ び[#「わ さ び」はゴシック体]
俗に「すし屋もわさびに三年」といい、一流の職人ともなると、ひとに知られぬ陰の苦労をしているものです。一説によると、この三年は、わさびは三年経ったものを使っていたので、その三年に意味をかけたのだといいます。現在は長くても二年八カ月、早いものですと一年半ぐらいで出荷されます。
食べものについての素養、四季に従って微妙に変化する素材を細かに味わい分ける舌、そのいずれも持ち合わせの乏しくなった近頃のひとびとには、涙の出るほどわさびをきかせればそれで済むのですから、今のすし屋さんは、わさびに三年の苦労はいりません。しかし、こころある職人は、客が涙を催さない範囲で、わさびをきかせなければならないので、いいわさびを使うのはもちろん、タネによって、わさびのききがちがうため、タネに応じて量をかげんします。エビより赤貝、赤貝よりはマグロといった具合に、脂肪の程度に従って、わさびの量を多くしています。
わさびは清冽冷涼な水(十二、三度)を好み、深山の渓流を利用して、栽培されているアブラナ科の多年草です。伊豆の天城、静岡市の近郊、信州の穂高や本曾福島、東京の多摩川あたりが主産地。このうち、天城のわさびは、今から百五、六十年前に栽培がはじめられ、本場ものといわれ、品質、味ともによく、ねだんも張り、主に一流の料亭やすし屋で使われています。信州産や多摩川ものは、バチ(場ちがいの略)と呼ばれ、品質、味ともに落ちるようです。
コブコブした皮を剥《む》きすり、葉を落したほうから、おろし金を使って、力いっぱい回しながらおろします。力を抜いてのそのそおろしては、せっかくのわさびが味気なくなってしまいます。
山葵ありて俗ならしめず辛き物 太祗
[#小見出し] い ち ご[#「い ち ご」はゴシック体]
「あたゝかい海の風を受けた石垣には、紅い宝石のやうなオランダ苺《いちご》がみのつてゐるのであつた。東京へ出る走りの苺や野菜物などは、南のあたゝかい海風を利用して、この附近で早くから作り出されるのである。」
吉田絃二郎氏の見たオランダいちごは、おそらく、富士山を望む清水市増町あたりの石垣いちごだったと思います。海岸べりの山の斜面に、石垣を築いてつくられているいちごは、むかし、石垣の間に、自然生育しているいちごにヒントを得て、はじめられたものだそうです。
オランダいちごは、またの名を草いちごといい、外国種のいちごとして、天保年間か、その直後、オランダ人によってはじめてわが国にもたらされたので、この名が生まれました。当時は、もっぱら、長崎付近の在日外人の食用に供するために栽培されていた程度。今日のような新しい栽培種は、明治五、六年頃、アメリカから伝わったものです。
清少納言の『枕草子』には「あてなるもの」、つまり、けだかく清げなるものの一例として、いみじううつくしき乳児の苺食ひたる≠ニ、いちごが挙げられ、さらに「おぼつかなき物」、すなわち、心もとないものの例に暗きに苺食ひたる≠ニ、これまた、いちごが登場しています。この例から推《お》すと、古くから、いちごを食べていたことがわかります。
この頃、季節にかかわりなく出回っている福羽いちごは、明治時代、フランスから輸入したゼネラル・シャンジー種の実生から福羽逸人博士が生み出したもので、かおりが高く、紅赤のあざやかな色をした大粒種です。このほか、おなじみのものに、アメリカ原産のダナー種があります。
乳鉢の紅すり潰す苺かな 碧梧桐
[#小見出し] キ ャ ベ ツ[#「キ ャ ベ ツ」はゴシック体]
キャベツは、一年中どこでも手に入る野菜ですが、四、五月頃の春キャベツや、初秋の高原キャベツが、やわらかくておいしい。
キャベツは、フランス西部の海浜地方を生まれ故郷とする野菜だけに、あまり暑い季節にも寒い季節にも生長がわるく、冬から春にかけて穫《と》れるものは、主に暖かい静岡、愛知、四国などで栽培され、夏から秋にかけては、逆に冷涼な長野、群馬の高原地帯や、岩手あたりで穫れ、その他の時期には、中間地帯で穫れます。五月頃、東京方面に出回る春キャベツは、神奈川、千葉産。冬キャベツにくらべると、巻きはゆるいけど、葉肉は厚く、やわらかい上、快い歯ざわりがあり、甘味やビタミンCも多いので、生食用にはもってこいのキャベツ。塩なりマヨネーズでどうぞ。一枚ずつはがし、食べる直前まで水に浸《つ》けておくと、歯ざわりがよくなります。
白鳥の翅もぐごとくキャベツ※[#「手へん+劣」、unicode6318]ぐ 登四郎
根の切り口が新しく、巻きがしっかりしていて、軸が細く、重量感のあるものが良品。カルシウム、ビタミンA、B2、Cなどに富み、胃かいように利きめがあるといわれるビタミンUもふくんでいます。ただし、Uは熱に弱いので、やはり、生食するにかぎります。
日本へ伝わったのは、弘化年間(一八四四〜四七年)とも、安政年間(一八五四〜五九年)ともいわれますが、現在のように栽培されるようになったのは、明治七年に勧業寮が英米から種子を取り寄せ、これを開拓使に試作させたのがはじまり。北海道、東北の地味、気温が適したのか順調に発達しました。日露戦役以後、外人がさかんにわが国を訪れるようになり、洋野菜の需要が増え、現在では、日本の各地でつくられています。
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[#見出し]夏の部〈六月〜八月〉
[#小見出し] あ ゆ[#「あ ゆ」はゴシック体]
食べもののお国自慢にも、いろいろありますが、アユほどお国自慢のタネにされる魚はありません。それというのも、北は北海道の石狩《いしかり》川から、南は九州の玖磨《くま》川まで、ひろく分布しているからです。六月一日前後の解禁日近くなると、あちこちから「アユだより」が聞かれ、釣マニアたちは浮足立ってきます。
三、四月頃の若アユは、口に小さな犬歯状の歯を持っていて、昆虫や小さな甲殻類を餌《えさ》にしていますが、解禁前後の頃になると、動物質の餌を摂《と》るのを止め、歯も犬歯状の歯が退化して、櫛形の歯が出揃うようになり、川底の石や岩についている珪藻《けいそう》や藍藻《らんそう》(釣人たちのいう石垢《いしあか》)を食うようになります。アユの特殊な香味は、主としてこの石垢を食うことに由来するといわれ、その石垢も、川床の岩石の種類によって、ちがいがあるといわれます。アユの香味は川によってちがう――というのも元を質《ただ》せば、食いものに左右されるということです。味は淡泊で、香味に富むところから、香魚ともてはやされ、一年を一生とするところから、年魚ともいわれます。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟《うぶね》哉 芭蕉
アユを捕える方法の一つとして、鵜飼《うかい》があります。芭蕉の見た鵜飼は、岐阜の長良《ながら》川のものですが、このほか、九州の筑後《ちくご》川、岩国の錦《にしき》川、京都の保津《ほづ》川などでも行なわれています。
フライ、てんぷらなどにしますが、アユ本来の美味を味わうには、やはり、塩焼きがいちばん。ヤナにかかったアユを、すぐさま河原で「うねりざし」に竹串をうち、水気を拭き取り、塩をふって、こんがり焼き上げ、緑あざやかな蓼酢《たです》を添えて、熱々のうちに召し上がれば、まさに「天下の美味ここにあり」。
[#小見出し] アーティチョーク[#「アーティチョーク」はゴシック体]
アーティチョークには、「グローブ・アーティチョーク」と「イェルサレム・アーティチョーク」の二種類ありますが、ただアーティチョークという時は、ふつう前者のことをいい、わが国では「朝鮮あざみ」の名で呼んでいます。キク科のあざみに似た植物(あざみもキク科)なので、このような名前がつけられていますが、原産地は朝鮮ではなく、ヨーロッパ南部と北アフリカです。
ところで、アーティチョークの語源ですが、アラビアの大きなあざみ「アル・カルチュフ」が起りで、スペイン語の「アルカルチョーフ」に転訛したものと伝えられます。察するに、回教とともに北アフリカ、スペインを経て、ヨーロッパに伝わったのでしょう。
高峰秀子さんの随筆に、「アルティショー(アーティチョークのフランス語名)は、厚い葉っぱが重なり合って、ちょうどはすの花のような形をしている植物である。ゆでて、その葉を一枚ずつむしりとりながら根っこの、ちょうど八つ頭のような味のするところだけを、フレンチ・ドレッシングをつけて食べるのである。葉っぱがハート形をしているので、フランスではマドモアゼル・アルティショーというと、『ハートのたくさんある浮気娘』の意味になるそうであるが、浮気娘であろうが何であろうが、私はこの好物を一日一度はかならず食べて、おサラの上にハートの山を築いたものである。」と、書かれています。
ふつうの葉をのけ、松笠状のつぼみの先、四分の一ほどを切り落し、切り口をレモンでこすってから塩湯でゆでて、アクを抜き、年輪のような切り口の上に、フレンチ・ドレッシングをかけ、高級な野菜料理に用います。
[#小見出し] あ な ご[#「あ な ご」はゴシック体]
蛸壺を穴子が占めし貌そろへ しゅこう
ウナギに似ているアナゴは「海ウナギ」の名でも呼ばれ、種類が多く、マアナゴ、ギンアナゴ、ゴテンアナゴ、クロアナゴ、キリアナゴなどと、学問上分類されていますが、食べてうまいのはマアナゴ。名の示すように穴が好きで、昼間は穴の中にかくれ、夜|這《は》い出して、餌漁《えさあさ》りに熱中します。そこで、漁法はもっぱら夜釣り。からだにサオバカリの目盛りのような一列の白い斑点が並んでいます。そのせいか、和歌山辺では、ハカリノメ・キンリョオ(大きなハカリのこと)と、そのものズバリの名でいいます。
体長は五十〜八十センチ程度になり、ウナギ同様、脂肪、ビタミンAに富み、その割合は、ふつうの魚よりは多く、ウナギよりは少な目です。一年中、味は変りませんが、漁期の夏がおいしいとする説(魚類学者に多い)と、冬がうまいとする説(巷の釣人や通人)とがありますが、長い間の食習慣のせいでしょう、夏場がおいしいように思います。
開いて料理できるほどのものなら、蒲焼きにし、また、てんぷらやすしダネにして喜ばれます。そのほか、塩焼き、ちりなべ、茶碗蒸しなどにして、賞味します。蒲焼きにするには酒一、しょうゆ二の割合の調味汁に浸《つ》けて置き、取り出して焼いては液に浸け、焼き上げます。ちりなべの場合は、開いたアナゴを三センチくらいに切り、薄塩しておいてから、とうふといっしょに煮ます。
関西では、鉄板にのせて、アナゴをつけ焼きにする風があり、串を打たずに、鉄板や鉄灸《てつきゆう》で焼くと、上方《かみがた》の味になります。それというのも、反《そ》るのを防ぐための焼き方で、鉄灸焼きのコツは、うどんすきで名高い大阪の美々卯《みみう》の「アナゴなべ」に伝わっています。
[#小見出し] び わ[#「び わ」はゴシック体]
現代に伝わる禁忌習俗のなかに、屋敷内に植えることを忌《い》む樹木や草花があります。びわなどもその一つで、「びわの木は植えたひとが死なないと実がならない」といい、縁起のわるい木とされ、今でも寺院などに植えられています。
六月も中旬をすぎると、東京方面には九州長崎産のびわ、茂木種が出回りはじめます。茂木種は、江戸末期、長崎の茂木町に住む三浦喜平次の妹で、おしをという女性が、奉公先の長崎代官所に、中国領事から代官にと贈られた|びわ《ヽヽ》があまりにも見事だったので、その種子をもらい受け、自家の畑にまいたのがはじまり、といわれます。この時期には千葉県産の楠種が顔を出し、少し遅れて茂木種よりも大粒の田中種も顔を見せはじめます。甘味がうすく、楠種よりは味が劣ります。
枇杷買ひて夜の深さに枇杷匂ふ 汀女
ふだん家で食べるものは、箱詰のものより、粒が少々不揃いでも、籠詰のものが、概して味がよいようです。それというのも、よく熟《う》れたものを箱詰にすると、果皮が黒ずみ、売れなくなるおそれがあるので、どうしても未熟なものがあるからです。あれこれ細工するよりも、びわは冷蔵庫で二、三時間冷やして、生で食べるのがおいしく、甘味と酸味が渾然《こんぜん》一体となって、うま味を形づくり、果肉の口当りが、びわのだいご味をかもし出してくれます。
お買いになるときは、濃いオレンジ色をした、形のふっくらしたもので、うぶ毛に似た繊毛のあるものを選ぶこと。日時が経つにしたがってびわは果肉が締まって固くなり、外側がテカテカ光ってきます。皮を剥《む》いたとき、身が裂けたりするものは、鮮度のいちじるしく落ちた証拠。
枇杷の種一つ畳をつめたくす 雨町
[#小見出し] し ゃ こ[#「し ゃ こ」はゴシック体]
話すごと髭ふれあふて蝦蛄《しやこ》別る しゅこう
シャコはエビやカニの仲間で、全国各地の海岸の砂泥地に棲んでいます。アゴのわきに鋭い二本のカマがあり、これをさっと伸ばして魚や小エビを襲って、ムシャムシャ喰ってしまいます。漁場を荒すというので、瀬戸内海あたりでは、憎まれっ子になっています。昆虫のカマキリにそっくりの姿、形をしているので、英語ではカマキリガニ(マンティス・クラブ)と呼ばれています。カマの先には、六つのトゲがあり、餌になる小魚などを捕え、カマをたたむと、根元の部分と噛み合い、ちょうど片刃のハサミと同じになり、カニの甲羅や貝殻まで刺しとおすほどの力があるといわれます。
魚屋やすし屋のガラスケースに陳列されているものは、ゆでて殻を剥《む》き、身だけになったものが多く、一般のひとは、グロテスクなシャコの姿をあまり知らないかもしれません。
昼間は、平べったく、固いシッポで砂泥地に穴を掘り、そこでじっとしていますが、夜ともなると、二つの眼玉を大きく見開いて、餌を漁りに出かけます。ウニと同様、身だけ薄箱にならべて売られているので、すしダネやてんぷら、あるいは、ビールのおつまみとして賞味されますが、殻つきのままだと、たいていのひとは、気味悪がって二の足を踏みます。
わたくしなどは、殻つきのまま甘辛くしょうゆで煮上げたものを、子供のころから食べてきたので、それほど気味悪くは感じません。生きのいいのを煮るので、身がしまっていて、とてもおいしいものです。煮つけたものの殻を剥くときは、尾の側から箸を差し込み、テコの原理で、片手で身を、今一方の手で箸を持ち上げると、きれいに殻が剥けます。
[#小見出し] さくらんぼ[#「さくらんぼ」はゴシック体]
六月になると、そっと顔を出し、六月のうちに、人知れず終りを告げる夏の風物詩にさくらんぼがあります。さくらんぼは保存がきかず、輸送がむずかしく促成栽培ができないので、このようにお目にかかれる期間は、ごくかぎられています。名前から、わが国の原生種のように考えがちですが、原産地はアジア西部からヨーロッパ地方と中国。ヨーロッパ産は、チェリーといい、いわゆるさくらんぼ。中国産が実桜《みざくら》、つまり桜桃《おうとう》。厳密にいえば、さくらんぼと桜桃は別の品種です。日本には明治四年に欧米から苗を輸入して育てたものと、明治六年に勧業寮が清国から水蜜桃の苗とともに輸入し、東北地方に移植したものの二種があります。さくらんぼは、だいたい涼しい土地を好む果樹で、日本の主産地は、山形県を筆頭に、福島、青森、秋田、山梨、新潟、北海道の寒冷地です。六月の中旬に出るのは、黄玉と呼ばれる黄色いさくらんぼ。つぎに紫黒色をした味のいい大紫。最後が六月下旬に出てくるナポレオン種。粒が大きくて甘く、生食するのにいちばんふさわしい品種です。
粒の大きめの、揃ったもので、色のいいのが良品です。なし、かき、ぶどうと同じく、もぎたてを、その場で食べるおいしさは、たとえようもありません。家庭では洗って、なるべく早く、そのまま食べることをおすすめします。このごろは罐詰も枝つきが多くなっていますが、それというのも、冷やしそうめん、卵どうふ、それに蜜豆などに使う際、そのままの姿が好まれるようになったからです。さくらんぼの熟する頃死んだ無頼派の作家、太宰治の忌を、最晩年の作品「桜桃」に併せちなんで「桜桃忌」(六月十九日)といいます。
茎右往左往菓子器のさくらんぼ 虚子
[#小見出し] するめいか[#「するめいか」はゴシック体]
イカは種類が多く、おなじみの近海産のものだけでも、マイカ、ヤリイカ、ケンサキイカ、ホタルイカ、スルメイカ、アオリイカ、モンゴウイカなどがあり、全部合わせると、約百三十種にも及びます。そのうち、日本で、もっとも産額の多いのが、このスルメイカ。イカ漁獲量の約七十パーセントを占め、日本各地で獲れ、麦の穂が稔《みの》る頃、小柄のスルメイカが市場にお目見えするようになります。この頃のものは、俗に新イカとか、麦イカの名でも呼ばれ、日本海や三陸あたりで獲れるものが多く、時季が少し遅れ、北海道西岸、対馬海峡あたりのものが出回りはじめます。
神経質なイカ族の中でも、スルメイカは、とくに落ちつきがなく、水槽では長く飼うことはできません。一般の魚は、カメラのフラッシュにも、さのみ驚きませんが、イカにかぎっては、発光時間の短いストロボの光にも敏感に反応し、墨《すみ》を吐いて反射的にからだの色を変えてしまいます。しかも、スルメイカは灯火に集まる習性があり、漁師は集魚灯を使って釣り上げます。
烏賊釣りの漁火遠く松籟す 漁火
夏場のイカは、とくに腐りやすいので、お選びになるときは、鮮度をよく見極めましょう。最近は、質のよい冷凍イカが多く出回っていますが、ものによっては、近海のものより鮮度のよいものもあります。刺身にも使えますし、焼いても揚げてもおいしいものです。鮮度のよいものなら、刺身がいちばん。細切りの刺身に、わさびじょうゆをかけ、トコロテンのように、するすると、すすって食べます。薄身の生イカを、一箸ずつ律儀に、つまんで食べてはおいしくありません。そのほか、てんぷら、フライ、鉄砲焼き、みそ煮にしてもおいしい。肝臓は塩辛の原料に。
[#小見出し] 新《しん》じゃがいも[#「新《しん》じゃがいも」はゴシック体]
「清《せい》さんは掘つたばかりの馬鈴薯《ばれいしよ》を草の上に集めた。清さんはその一つを手にして、草の葉を※[#「手へん+毟」、unicode6bee]《むし》つて、黒い柔かな土を落とした。処女の皮膚を想はせるやうな馬鈴薯の薄い紅《あか》らんだ皮の上にも快い日の光が動いてゐた。清さんは手にしてゐた馬鈴薯を土の上に投げるともなく投げた。小さな馬鈴薯が柔《やわら》かな土を撃つ音さへ清さんの頭にははつきり意識せらるるほど朝は静かであつた。」(吉田絃二郎)
土の香のにおうような、見るからに愛らしい新じゃがの出回る季節になりました。じゃがいものふるさとは、南米アンデス山系中部の高地。ヨーロッパに伝わったのは、コロンブスのアメリカ大陸発見より数十年あとで、当時は毒だとか、病気になると怖《おそ》れられて、なかなか普及しませんでした。わが国には、今からざっと三百七十年前、慶長三年、オランダ船によって、ジャワのジャガタラ(今のジャカルタ)から長崎へもたらされたのがはじまり。そのため「じゃがたらいも」の名が生まれ、のちに「じゃがいも」の名で親しまれるようになりました。
わが国での主産地は北海道で、全国生産量の約四十パーセントを占め、そのほか、東北地帯をはじめ、寒冷地で多く栽培され、天保七年(一八三六年)大飢饉《ききん》のとき、じゃがいもを植えていた地方だけは、死人が少なかったので、のちに「お助け芋」の名さえ生まれました。品種としては、男爵、紅丸が多く栽培され、寒冷地のものは、ぽくぽくした歯ざわりがおいしい。
梅の実大の新じゃがを、ざっと水洗いして、皮つきのままふかし、冷《さ》めないうちに皮を剥《む》き、バターか塩をつけて食べると、新じゃがらしい風味が満喫できます。このほか、フライにしてもおいしく、たけのこなどとの丸煮、ベーコンといっしょに炒《いた》め、スープで煮込んでも美味です。
[#小見出し] あ わ び[#「あ わ び」はゴシック体]
水|潜《くぐ》る玉にまじれる磯貝《いそがい》の 片恋《かたこい》のみに年は経《へ》につつ
万葉集、巻の第十一に見える柿本人麿の歌ですが、アワビは古来、片思いのシンボルと考えられていたせいか、婚礼の祝宴に使うのを忌《い》み、もっぱら「からふたつ相合ひて陰陽の象ある」ハマグリが用いられてきました。
むかしは、産婦のお乳の出をよくするのに利きめがあるというので、地方によっては、お七夜まで、必ずアワビを食べさせる|ならわし《ヽヽヽヽ》がありました。中国では、むかしから不老長寿の食べものとして、料理にアワビをたくさん用います。事実、アワビの成分は、殆どが良質のたんぱく質で、百グラムあたりでは、牛肉よりもよいくらいです。それに、動脈硬化の原因の一つに数えられている脂肪分を、全くふくんでいないので、お年寄りでも安心して召し上がれます。
アワビには、マダカ、オガイ、メガイ、それにエゾアワなどがあります。マダカはアワビ中もっとも大きく、殻の直径二十五センチに及ぶものもあり、高くふくれ殼についている孔《あな》がいちじるしく隆起しているので、この名があります。オガイはマダカに次いで大きく、足の裏(岩にぴったり付着する部分)が黒ずんでいるところから、青貝、黒貝の名でも呼ばれます。肉は固い割りに、歯切れがよいので、水貝に用います。一方、メガイは殻は低く、平らで円味を帯び、大きさは老成したものでも、マダカには遙かに及びません。赤肌でやわらかく、ビワ貝ともいわれ、塩蒸し、酒蒸し、煮もの、揚げものなどに向きます。さくらんぼの出回る頃、オガイを賽の目に切った水貝は、とりわけ美味で、調理人は、足の裏に塩をすり込み、殼からはずした身を俎板《まないた》に打ちつけます。こうすると、身が締まり、口当りがよくなるからです。
[#小見出し] あ じ[#「あ じ」はゴシック体]
「アジはもう大衆魚ではありませんや」と、魚屋さんは腕を拱《こまぬ》いて嘆く。年ごとに、朝鮮海峡や東シナ海の漁場から、アジの魚影が減っていき、朝鮮半島の雲行きがあやしくなると、出漁もしばしば危ぶまれ、アジの相場に敏感に跳《は》ね返ってきます。そのむかし、アジはサンマ、イワシ、サバなどとともに、大衆魚の一つに数えられ、日本近海産のものだけでも、二十種あまりおり、そのうちの代表格が、マアジとムロアジでした。近頃は、むかしのような水揚げは期待できませんが、それでも、アジは肉にクセや臭みがなく、どんな料理にも向くので、そうざい用の魚として、欠かすことはできません。
マアジの味は、一年中変らない――と、いわれますが、厳密にいうと、六月から八月頃の暑い季節が、おいしい時季です。近海で獲れるため、鮮度がよく、たたき、すしダネ、フライ、から揚げ、煮つけ、酢のもの……と、なにに使ってもおいしく、そうざい用には、重宝この上ない魚で、まことに「アジ(味)」の名に背きません。
アジには、腹の両側に、尾から頭の辺へかけて、ゼンゴ(竹莢)という刺《とげ》のような特別のウロコがあります。アジを料理するときは、まず第一に、このゼンゴを除かねばなりません。大きさにより、豆アジ、小アジ、中アジ、大アジと分けられ、好みにもよりますが、アジのもっともおいしいのは、小アジ(漁師はジンダ、またはジンダコといいます)の頃です。武井二井周作の『魚鑑《うおかがみ》』(天保二年刊)にも「夏《なつ》月ゆふがし(夕漁)のものを酒媒《さけのさかな》の珍《ちん》とす。大サ一、二寸|肥円《こいまる》く腹中《はらに》あみ[#「あみ」に傍線]満つ。これをなかふくら[#「なかふくら」に傍線]といふ。生熟《なまにる》皆|香美《かうみ》なり。上下《かみしも》ともに賞美《しようび》す」と、記されています。江戸っ子の喜んだ小アジ売りの声は、ちょうど、その頃です。
[#小見出し] に ん に く[#「に ん に く」はゴシック体]
禅寺の山門のかたわらに、「葷酒《くんしゆ》山門に入るを許さず」と、記された石碑が立っています。仏教では般若湯《はんにやとう》(お酒)ばかりでなく、葷莱《くんさい》、つまり、くさい匂いのする野菜、にら、にんにく、らっきょう、ねぎ、のびるなどの五種を、精分が強く、精力がつきすぎ、煩悩《ぼんのう》をかき乱して、修行の妨げになるからと、食べることを、厳しく禁じていました。日本書紀、万葉時代には、|ひる《ヽヽ》といわれ、かの有名な『源氏物語』の「雨夜の品定め」のシーンにも極熱の草薬≠ニして、くさいけれども、薬効は確かなように書かれているのをみても、かなり大むかしから、にんにくの効力を認めていた形跡があります。
わたくしたちの幼時には、火鉢の灰の中に、にんにくを埋めて焼き、虫下しになるといって食べさせられたものです。こうして焼いたものは、その割りに臭みもなく、わずかながら甘味もふくまれていて、慣れると結構うまいものでした。虫下しのほか、肺病に利くとか、腺病質なこどもにもよいということで、田舎では、身近な薬用植物の一つとして、重宝がられていました。
今でも農村地帯へ行くと、門や軒下に、にんにくの束を吊して、邪気払《じやきばら》いにしているところもあるし、土用の入りに、赤|小豆《あずき》とにんにくの小片を水で飲めば、その年の疫病から免かれるといういい伝えがあります。にんにくに駆虫剤、消毒薬的な効能を認める意味から来ているのでしょう。
にんにくの芽の黄のふかくかげろひぬ 空々洞
にんにくはユリ科の植物で、料理に使われるあの球《たま》は地下茎です。原産地は西アジアといわれ、中国を経て、日本に伝わりました。匂いさえ気にしなければ、きざんだり、すりおろしたり、油いためなどして、料理の味の引き立て役として、威力を発揮します。
[#小見出し] す ず き[#「す ず き」はゴシック体]
スズキはボラ、ブリなどと同じく出世魚と呼ばれ、成長とともに呼び名が変ります。東京近辺では幼魚二十センチ前後のものをセイゴ、セエゴといい、三十センチくらいのをフッコ、それより大きくなったものをスズキと呼びます。
大きさにより棲む場所がちがい、セイゴとか、フッコの時代には、川に上ってきますが、スズキとなると、もう川には入らず、河口付近に近寄るぐらいです。十一月頃、河口でかえった稚魚は、寒い間は、海底に棲んでいますが、春四月頃になると、川に上ってきます。
春、夏のセイゴ、フッコ、秋から冬の落ちスズキまで、この魚は、太公望たちを楽しませ、殆ど日本各地で獲れますが、関東では常磐、関西では瀬戸内海、宍道《しんじ》湖が主な産地です。セイゴのうちは、さほどおいしくないのに、スズキになると、俄然おいしくなり、とりわけ、初夏には味わいが深まり、晩夏ともなると、脂が乗っていちばんおいしい。
島根県近海で獲れるスズキは、古来有名で、『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』にも、「雲州ノ松江ニ最モ多シ、夏月特ニ之ヲ賞ス」と、記されています。淡泊な中にも独特のうま味を蔵し、夏の味覚のシンボル。
釣師仲間で「鰓《えら》を洗《あら》う」という|ことば《ヽヽヽ》があって、スズキの特質と考えられています。すなわち、水面付近まで取り込んだ際、急に溌刺として勢いづいてあばれ、釣針から逃れようと、往々にして釣糸を切って、あたら「長蛇《ちようだ》を逸《いつ》す」の歎《たん》を発《おこ》させることがしばしばあるからです。
刺身、洗いがよく、また、塩焼きも夏の料理にふさわしい逸品。上層魚の割りに肉質はがんじょうで、刺身の際は「へぎ作り」にして、食べやすくします。
銀盤に露ちるあらひ鱸かな 笠堂
[#小見出し] し そ[#「し そ」はゴシック体]
紫蘇のせて乗合船の狭き哉 梧月
青梅が出回る季節になると、申し合わせでもしたかのように、しそも姿をあらわします。てんぷらや薬味などによく使われる青じそは、近頃、温室栽培などによって、年中出回っていますが、梅干用の赤じそは、入梅時期だけに顔をのぞかせる数少ない季節野菜の一種です。苗木を求めて、庭の一隅に植えて置くと、落ちこぼれた種子《たね》が毎年芽生え、二、三年もすると、わが物顔に、庭いちめんを占領してしまいます。発芽後、双葉を出したものは、芽じそとして、刺身、その他のつまに用い、その葉は、梅干、しょうが、だいこん、ちょろぎなどの着色に使います(赤じそ)。また、細かにきざんで、冷奴《ひややつこ》やそうめんの薬味に用います(青じそ)。初秋の頃に出る花穂は、穂じそとして、種子とともに、いろんな調理に用います。赤、青、いずれも葉のよく縮れた、いわゆる縮緬《ちりめん》種が優良種で、同じ梅干用に使っても、縮緬のほうが色よく仕上がり、酸味をやわらげ、風味を増します。その代り、値段もふつうのものより、高くなっています。
赤じそといえば、忘れられないのが京都名産の漬けもの――柴漬《しばづけ》(もとは紫葉漬と書いた)。大原《おおはら》から修学院《しゆがくいん》あたりで生産される長なすを、よく洗ってのち、大切りにして、赤じそとともに塩漬けしたものです。伝説によると、平家一門の悲劇を一身に担って、大原の里に隠れ栖《す》み、ひたすら仏に仕える建礼門院をおなぐさめするため、供の阿波内侍がはじめて試みた漬けものだといわれます。建礼門院は殊のほか、この漬けものを好まれ、みずから「紫蘇葉」にちなみ「紫葉漬」と命名されたそうです。紫蘇葉と、なすの紫紺色が一体になり、かもし出す紫は、やんごとなき落人《おちゆうど》の悲劇を偲ばせるに充分な色合いではないでしょうか。
[#小見出し] み ょ う が[#「み ょ う が」はゴシック体]
古典落語に、物忘れを主題にした「茗荷屋《みようがや》」という話があります。心がけのよくない茗荷屋という宿の主人が、大金を持った客と見て、その金を置き忘れさせようと、手を変え品を変え、みょうがを食べさせる。すると、事もあろうに、客は宿賃を支払うのを忘れ、そのまま出立《しゆつたつ》してしまった=\―という筋です。
愚にかへれと庵主の食ふや茗荷の子 鬼城
むかしから、みょうがには、物忘れの成分がふくまれていると伝えられ、その真偽は別として、不眠症には民間薬として用いられてきました。また、薬用植物として、この種のむかしの本には「婦人月水のめぐり悪しきに、其地下茎を刻み、煎《せん》じて服用するがよろしく、また咳《せき》によいと云ふ」と、記されています。これは伝承かも知れませんが、みょうがの子(芽)は寝冷えや寝小便に薬効があるとされ、愛用し、かつ、必ず栽培していた――といいます。
ところで「物忘れ」の起源と目されるエピソードに周梨槃特《しゆりはんどく》の話が伝わっています。槃特は釈尊の弟子でしたが、生まれつき物覚えがわるく、しかもたびたび物忘れするクセがあり、仏道の修行も進まず、自分の名さえ忘れるという代物《しろもの》で、気の毒がって、周りのひとが、その名を書いた札を首にかけてやるほどでした。反面、非常な努力家で、ついには悟道の域に達したといわれます。死後、そのお墓から珍しい草が生えてきたので、大方、名を荷《にな》ってきたのであろうと、この草に「茗荷」という名を付けた――というものです。
みょうがは、ショウガ科の多年生草本。特有の芳香があるところから、細かくきざんで刺身のつま、汁の実、卵とじに加え、花も刺身のつま、汁の実、漬けものに利用します。
[#小見出し] い ん げ ん[#「い ん げ ん」はゴシック体]
日ごとに、緑あざやかな、いんげんの入荷が増えています。いんげんはマメ科に属する一年生の草本で、種類が多く、直立する「つるなしいんげん」、俗に「うずら豆」の名で呼ばれるものも、いんげん豆の一種です。蔓性種で、おなじみの品種には、鈴成いんげん、白入、房、ケンタッキーワンダーなどがあり、このうち、大半を占めるのが、どじょういんげんの名で親しまれているケンタッキーワンダー種。サヤが丸味を帯び、やわらかくて、おいしい品種です。蔓なしには長うずらまめ、ロングフェロー、金時などがあります。現在、店頭で見かけるいんげんは、南米ペルーが原産地で、北米大陸では古くからインディアンたちの手によって、栽培されていました。新大陸から欧州に招来され、中国を経て、日本に渡ったものと思われます。
『草廬漫筆《そうろまんぴつ》』には、「八外豆、インゲンマメ、隠元禅師其の種を持来り、南京寺に植ゑしより世に流布す」と、記されています。このような来歴から、関東では「隠元豆《いんげんまめ》」と呼んでいますが、牧野富太郎博士によれば、「隠元禅師が日本へもたらしたのは本種ではなく、ふじ豆のこと」だそうで、和名「五月《ごがつ》※[#「豆+工」、unicode8c47]豆《ささげ》」、今日のいんげんとは、ちがう品種だといいます。
いんげんは、調理するときは、「青味」を損ねないようにするのがコツ。ゆでるときは、熱湯に一つまみの食塩を入れ、さっとゆで、すぐにザルにあけ、ウチワであおぐなりして、急激に冷ますと、色あざやかに仕上がります。ゆでたものを、バター炒《いた》めにし、塩、こしょうで食べたり、ごまじょうゆをからませたりしますが、削りたてのカツオブシをのせ、しょうゆをかけて召し上がったほうが、季節の風味が充分味わえます。
[#小見出し] 梅《うめ》 の 実《み》[#「梅《うめ》 の 実《み》」はゴシック体]
家元制度の研究で著名な、西山松之助先生が、最近、花をモチーフにして、大胆な「日本文化論」を展開されています。それによると、――「万葉集には日本民族の赤裸々な生命感が表白されている。古今集は平安貴族のみやび心がうたわれている……しかし、私はこの二つの歌集に見える花の歌を比べてみるとこういう評価にうたがいを感じる。万葉集と古今集にうたわれている花の数を調べてみると、前者では梅が九十七でトップなのに対し、後者では桜が断然多く、梅ははるかに少なくなる。左近の桜と今日までいわれているものが、じつは九世紀中ごろまでは左近の梅であったこともほとんど知られていない。この梅から桜へのうつりかわりに、日本文化の大きなうつりかわりが象徴されている」。
梅は本来中国からの外来種であり、桜が稲の神の到来として、古来愛されていた――という事実を考えると、梅は外来文化への陶酔を象徴し、桜は日本の独自性の発見を暗示することになります。この西山説にもとづいて考えると、戦後の日本は「左近の桜」だったでしょうか、それとも「左近の梅」だったでしょうか?
六月になると、八百屋さんの店先に青梅が顔をのぞかせます。近頃は梅干よりも、簡単に作れる梅酒に人気が出てきて、青梅も結構、需要が高まってきています。梅干には小梅、梅酒用には大梅が向きます。ご参考までに、梅酒を作る際の標準の分量を示しますと、梅の実一・二キロ、白砂糖もしくは氷砂糖、好みにもよりますが、八百五十グラムから一・二キロ程度、焼酎一・八リットルあたりが目安。梅は、青い果肉の傷のないものを選びましょう。梅酒はストレートで飲んでもよく、オンザロックや炭酸で割り、氷片をあしらっても、楽しい飲みものです。
[#小見出し] らっきょう[#「らっきょう」はゴシック体]
薤ほる土素草鞋にみだれけり 蛇笏
土つきのらっきょうが出回りはじめました。六月だけで、らっきょうの年間生産量の半分以上が出荷されます。らっきょうはユリ科の植物で、ネギ類に属し、ご存知のように、その根を食べます。野蒜《のびる》に似た細長い葉を叢生して、冬も枯れることはありません。一年目のものは、粒が大きく、二年目は多数に分れて、小さく締まった粒になります。
関東では丸型、関西では細長型が多く、味は殆ど変りません。お買いになるときは、きれいに洗われて、ぐにゃぐにゃしたものより、泥のついた、みずみずしい張りのあるものを選んでください。洗ってあるもので、表面が黒くぼけているものは、畑から採取したあと、日が経っている証拠で、らっきょう特有のカリカリした歯ざわりがなくなっています。性が強く、採れたてのものでも、しばらく放ったままにしておくと、すぐ芽が出はじめます。これでは、なんにもなりません。やはり、(ヒゲ根や葉で新鮮の度合いはわかりますが)ピンとしたものがよい。ねだんは、どちらかといえば、小粒のものほど高く、味は好みにもよりますが、概して大粒のほうがおいしい。
中国が原産だけに、その名も、味が辛辣《しんらつ》ゆえに、辣韮《らつきよう》と呼ばれたといいます。特有の臭気をきらう入もおりますが、塩蔵や酢漬けにすると、その割りに気にならなくなります。
一年生の大粒のものは塩漬けがよく、カリカリした歯ざわりを楽しみましょう。小粒の二年ものは、形もよいので甘酢に漬けて、長く楽しみたいもの。八百屋さんから届いたら、細かな手入れは後回しにして、まず塩水で仮漬けします。仮漬けの一週間が過ぎたら、いよいよ本漬けにかかりましょう。カレーライスの薬味以外に、サラダに添えても風情や味が楽しめます。
[#小見出し] 舌《した》 平《びら》 目《め》[#「舌《した》 平《びら》 目《め》」はゴシック体]
クロウシノシタ、イヌノシタ、ゲンチョ、アカシタビラメなど、ウシノシタ科の魚を、一般にシタビラメの名で呼んでいます。漢字では舌鮃とか、舌平目などと書きます。これは、からだが楕円形をしていて平たく、あたかも牛の舌によく似ているところから付けられた名で、ペロッと出した牛の舌そっくりです。
からだの色によって、黒色をしているのがクロウシノシタ、赤褐色をしているのがアカウシノシタと呼ばれ、クロは日本各地の沿岸の砂泥地を|すみか《ヽヽヽ》とし、アカは太平洋岸なら銚子以南、日本海側なら新潟以南の南日本に分布しています。なお、シタビラメは関東の呼び名で、関西ではゲタの名で親しまれています。日本近海産のものでは、アカシタがもっともおいしく、塩焼き、煮つけ、煮こごりなどにして賞味しますが、フライにして、熱いうちに少量の塩を散らし、レモン汁を滴《た》らして食べると、とりわけおいしい。
洋風料理では、ムニエル、洋酒煮、クリーム煮などにします。処変れば評価も変る……フランスでは日本のタイに匹敵するほど、シタビラメを尊重します。「リシュリュー風のシタビラメ」は別《わ》けても尊ばれ、讃嘆されています。これはシタビラメのフィレ(骨を離した細長い切身のことで、日本語でいえば、さしずめ五枚におろすこと。四枚の細長い裁ち身に、骨を加えて合計五枚になるから)を、からりと揚げて、メェトル・ドオテル・バタとトリュフ(松露)を添えた美しい皿です。土台フランスでリシュリューとかサバランの名のつく料理は、高雅か粋の極み――の料理だといわれます。
夏の頃、比較的、魚の少ないこの地方では、とても重宝がられ、種類は殆どがクロウシノシタ。姿、形はちょっとグロテスクですが、ヒラメ同様、味も淡泊で喜ばれます。
[#小見出し] ゆすらうめ[#「ゆすらうめ」はゴシック体]
ふるさとの庭のどこかにゆすらうめ たけし
ゆすらうめは、手入れの行き届いた庭には、あまり見かけません。裏庭のすみか、農家の庭に所在なさそうにある木。そんなささやかな木がゆすらうめ。高さ一メートル前後から三メートルくらいの木で、葉は楕円形をしていて、葉の周りに鋸歯があります。春、葉に先立って、さくらに似た花をつけ、梅雨頃から艶々しいルビー色の美しい実がなります。くだものとはいっても、ゆすらうめは、梅や桃、あんずのようにかおりもなければ、甘酸っぱさもありません。あるといえば、ほんのちょっぴり甘味があるだけ。淡泊な味が身上、それだけに子どもたちが喜んで食べます。いってみれば、子どもっぽい味。それにしても、葉の緑と実の紅とのコントラストがよく、小さい実の形や色が、いかにも愛らしい。
嫁ぎてもあまへに来る娘ゆすらうめ いはほ
一名「ゆすら」といい、古名は「梅桃」。『和名抄《わみようしよう》』や『本草和名《ほんぞうわみよう》』には「波々加美《ハハカミ》一名|加爾波佐久良乃美《カニハサクラノミ》」などと記されていますが、これは本の上だけで、木そのものが渡来したのは、だいぶ遅れ、徳川初期だといわれ、中国、朝鮮を経て、日本というコースだったようです。
益軒先生の『大和《やまと》本草《ほんぞう》』(一七〇九年)には「桜桃、ユスラ本邦ニ在ル所ノ小樹ニテ、小サイ白花ヲヒラキ、実ハ梅桃ニ似テ小サク、熟スレバ紅ナリ、食フベシ、オヨソ諸果ノ中デ最モ早ク熟ス」と記され、その頃、すでに植えられ、ひとびとに愛されていたことが窺《うかが》えます。この時代には、古い呼名の「梅桃」ではなく、今日と同じ|ゆすら《ヽヽヽ》になっています。ゆすらの語源については、新井白石の『東雅《とうが》』に「朝鮮の俗に移徒楽と記してあるのは、ゆすらである」と記されています。
[#小見出し] す も も[#「す も も」はゴシック体]
コトワザに「李下《りか》の冠《かんむり》、瓜田《かでん》の履《くつ》」というのがあります。前漢の劉向《りゆうきよう》のあらわした『列女伝《れつじよでん》』という本の中の、虞姫《ぐき》(斉の威王の後宮にいた)のことばですが、この話に出てくる「瓜田《かでん》に履《くつ》を納《い》れず、李下《りか》に冠《かんむり》を整《ただ》さず」という語は、瓜《うり》の実っている畑で履をはきかえると、いかにも瓜を盗ったように思われるし、李《すもも》が実っている下をとおるとき、手をあげて冠をなおそうとすれば、いかにも李を盗ったように思われるから、そういうような、人から疑われるようなことは避ける――という意味です。
この話は西暦紀元前三七〇年頃のことですので、中国でのすもも栽培の歴史は、かなり古いといえます。原産地は中国。『神仙伝《しんせんでん》』によると、老子の母は李樹の下で、老子を生み落したが、生まれながらによく話し、よく李樹を指したので李の姓をつけた――と伝えられます。
わが国には、よほど古い時代に、大陸から伝わったらしく『日本書紀』には、すでに桃李の実、桃李の花が記され、『万葉集』にも、「わが園《その》の李《すもも》の花か庭に落《ち》る はだれのいまだ残りたるかも」という美しい歌が一首出ています。和名のすももは「酸っぱいもも」の意だといわれます。
在来種は、青すもも、赤すもも、ぼたんきょうなどの別名で呼ばれていた|すもも《ヽヽヽ》で、鳥害を防ぐために早取りしたらしく、熟度の浅いため、相当酸っぱかったようで、「すもも」の名も、なかなか実感がこもっています。
近頃は、プラムと舶来の名で呼ばれ、在来種と輸入種とを交配した雑種には、ビューティ、ソルダム、プラムコットなどがあります。ビューティは酸味が少なく、ソルダムや早生種のサンタローザは、甘さと酸っぱさが、ほどよく調和している品種。いずれも冷やして食べるとおいしい。
[#小見出し] 枝《えだ》 豆《まめ》[#「枝《えだ》 豆《まめ》」はゴシック体]
豆が、牛乳や卵よりも栄養価が高いというと、ビックリするひとが多い。事実は厚生省・国立栄養研究所の発表している「栄養分析表」をごらんになれば、一目瞭然です。このように豆は優れた食品なのに、もどすのに手間がかかり、煮るときに、ちょっとしたコツを要するので、無精な奥さま方に敬遠され、近頃、食卓に上ることは、めずらしくなっています。そんな豆類の中で、ひとり(?)気を吐いているのが枝豆。
豆引くや北山しぐれ日もすがら 常悦
暑い日のビールのつまみに、ピッタリなのが塩ゆでの枝豆。完熟する前のだいずを、枝のまま収穫するところから、枝豆と名付けられ、関西では、田の畔《あぜ》に植えるところから、畔豆の名で呼びます。また、サヤだけ摘み取って用いるので、サヤ豆ともいいます。主に夏だいずを利用しますが、最近は、枝豆専用の丈《せい》が低く、サヤの密生した品種が作り出されています。
色どりよくゆで上げるには、水にひとつまみの食塩を落し、蓋をせずにゆでること。ゆで上がったら、ザルにあけて冷水をかけると青味は増し、色どりがひときわ冴えます。炊き込みの枝豆めしとするほか、揚げものにしても、季節の味が楽しめます。
ビールのつまみにもってこいの枝豆は、もちろんビールと合性がよいからですが、成分の上からも効果的。つまり、B1、Cなどのビタミンがふくまれているので、アルコールの酸化を促し、それだけ肝臓に余計な負担をかけずにすみます。おまけに、腎臓には、なんの負担もかけないので、一口にいうと酒害を防ぐということができ、枝豆のつまみは、あらゆる点から健康食品ということができます。
[#小見出し] い な だ[#「い な だ」はゴシック体]
ブリは成長するにつれて呼び名の変る出世魚。地方によってまちまちですが、関東ではワカシ・ワカナ・ワカナゴ(十〜二十センチ)、イナダ(三十〜四十)、ワラサ(五十〜六十)、ブリ(八十以上)と、成長段階によって名前が変っています。関西ではツバス・ワカナ(十〜十五センチ)、ハマチ(二十〜四十)、メジロ(五十〜六十)、ブリ(八十以上)と、なっています。そんなわけで、イナダはブリの若魚。分類の上ではアジ科に属します。近頃、東京では天然のイナダと区別するため、ハマチといえば養殖ものを指します。
ブリの項でも触れますように、ブリは温帯性の魚で、釣りと網で漁獲しますが、釣るには相当の深さのため、あらかじめエサをまいて、群れを集めてからします。漁獲量はかぎられていて、殆どは大謀網《だいぼうあみ》という敷網で、冬場に襲来する大群を待ち受けて、獲ります。近頃は、あまりかんばしくなく、こうした沿岸漁業の不振対策として登場したのが、ハマチの養殖です。
養殖もののハマチにくらべると、イナダはやや脂肪は少ないようですが、それでも味においては引けを取りません。鮮度のよいものでしたら刺身にするとよく、赤身の魚よりクセがなく、白身の魚よりコクがあり、キメ細かで、ねっとりした感触は、すしダネとしても珍重されます。皮目の青いところや、銀皮が刺身としての見せどころ。三枚におろして、血合いと小骨を取り去り、皮を引いて手づくりします。アラは捨てずに、お吸いものや煮ものに、みそ汁に、たっぷりの野菜といっしょに入れてご賞味ください。
火をとおす料理でしたら、やはり、照り焼き、塩焼きなどがよく、照り焼きには木の芽をみじん切り、最後の一刷毛の中にまぜて仕上げると、木の芽の移り香がして、おいしくいただけます。
[#小見出し] か ぼ ち ゃ[#「か ぼ ち ゃ」はゴシック体]
赤蜻蛉南瓜畑の雨上がり 紫影
わたしの郷里は、富津黒皮の名で知られるかぼちゃの特産地。戦時中、食糧増産にはげめ――ということで、わたしども中学生まで勤労動員され、しばしば、かぼちゃの花合わせ(交配)を手伝わされました。かぼちゃは雌雄が別で、雌花が先に咲き、雄花が咲くと、それを摘んで雌花と交配させなければならないからです。しっとりと露の降りた早朝のかぼちゃ畑で、花合わせをしながら、漏斗《じようご》状の雌花の底にたまった花蜜を、即製のストローで吸い上げると、蜂蜜ほどの甘味はありませんが、淡い上品な甘味を蔵していて、それはおいしいものでした。
かぼちゃは、その名の示すとおり、カンボジアから、天文年間(一五三二〜一五五四年)ポルトガル人によって豊後の国(大分県)にもたらされたといわれます。もっとも、現在では、かぼちゃ類は、アメリカ大陸産の原種をもとに、改良種が作り出されたもの――と、考えられています。
土の詩人、長塚節の「佐渡ヶ島」の一節に、「娘は黙つて南瓜を切りはじめる。堅い南瓜は小さい手の力では容易に刃が立たぬ。布巾で庖丁の背を押したら漸く二つに割れた、娘は自在鍵《じざいかぎ》を一尺ばかり下げて鍋を懸ける。黄色に刻んだ南瓜が鍋一杯に堆《うずたか》くなつて蓋はぬれた儘南瓜の上に乗せてある。焔は鍋の尻から地の四方に別れて鍋蔓の高さまで燃えあがる。遙かなる地の底からでも出るやうな微かなる湯気が黄色な南瓜の中から騰《のぼ》りはじめる。」と、記されています。一つのかぼちゃと娘を点出して、生々しい臨場感を催させますね。
よく熟れて、皮に爪をたてて固い実の締まったもので、大きさの割りに、ずしりと重いものが美味。うま煮にするほか、揚げもの、田楽、みそ汁の実と、いろいろに料理して食べます。
[#小見出し] ラディッシュ[#「ラディッシュ」はゴシック体]
ラディッシュは、わが国で「二十日だいこん」と呼ばれている洋種だいこんです(あかかぶと呼ぶのは誤り)。市場では「られし」などと呼びならわしています。レタス、パセリ、セルリーなどと同じように西洋野菜の一種ですが、「庶民的洋菜」とまでは、普及していないようです。赤い小かぶのような形をしていますが、味はだいこんに似て、やや甘味をふくんだ辛味があります。その名のとおり、種子を蒔いてから、僅かの日数(約三十日から四十日ほど)で収穫され、だいこん界の王者、桜島だいこんとは対照的に、姿、形、色ともに愛らしく、オードヴルやサラダには欠かせぬアクセサリーです。ジアスターゼをふくんでいるので、さくさくした歯ざわりは、食味の楽しさをも味わわせてくれます。
ラディッシュの原産地は野生種があるところから、中国ではないかといわれますが、文献によると、コロンブスによってアメリカ大陸に伝えられたヨーロッパ作物の第一号といわれ、原産地は地中海に面した欧州のようです。四月頃には、よくトウ立ちして、中がスカスカで使えないことが|まま《ヽヽ》あります。根の部分を押してみて固いものがよく、弾力のあるのは、|す《ヽ》が入っていることが多く、直径二センチ前後がほどよいかげんのもので、それより大きいものは味が劣ります。
多くの場合、葉をつけたまま皿に飾るため、葉がしおれては役に立たないので、概して消費地のすぐ近郊で作られ、一束五個ずつにして出荷されます。夏場は日持ちがわるく、葉に水を打つか、根の部分が半分浸《つ》かる程度の水にひたして冷たい場所に置けば、一日ぐらいは保存できます。
薄切りにしてうどやクレソンとサラダに。また葉つきのものは、お好みの花型に切って、前菜、サラダの飾りつけに用い、フレンチ・ドレッシングや食塩でいただきます。
[#小見出し] 石《いし》 だ い[#「石《いし》 だ い」はゴシック体]
石ダイは、暖かい海水を好む魚で、九州、静岡、大島など、南日本が主産地。背から腹部にかけて、七本の黒褐色の太い縞があるので、俗にシマダイと呼ばれるのです。この縞も、体長三十センチを越えると、淡くぼやけて、口のあたりがいちじるしく黒くなります。この頃のものが、もっともおいしく、夏場がしゅん。
幼魚の頃は、流れ藻の下にかくれ、成長すると、磯近くの岩礁地帯に住みつくようになるので、石ダイの名が付いたといわれます。ただ時間によって、住む場所が少し移動し、漁師の話では、その移動する道すじは、いつも決まっているとか……。山の猟師がイノシシやウサギのとおる|けものみち《ヽヽヽヽヽ》を知っていて、木陰にかくれて、一発、ズドンとお見舞いするように、ベテランの漁師は、石ダイの通い路に、イガイのような貝を殻ごと砕《くだ》いて撒《ま》き、その中に針をひそめたイガイの肉をいくつか置きます。すると、餌を求めて、とおりかかった石ダイが、針がついているとは露知らず、イガイを呑み込み、釣り上げられる――というわけです。思えば、悲しき性《さが》と申せましょう。それだけに、この通い路からはずれると、とんと食いついてきません。所詮、石ダイの通い路に精《くわ》しい土地の漁師にかないません。
鹿児島では、ヒサノウオといって、夏に自慢の名物で、冬になると、味が落ちます。『本朝食鑑《ほんちようしよつかん》』の著者は、「味わい佳ならず。きわめて下品にして、民間にもまたこれを疎《うと》んず」と、最低の評価をくだしていますが、果して、ほんとうに味わってみたでしょうか? もし口にしたとしたら、おそらく、しゅんはずれのものだったでしょう。鮮度のよいものなら、刺身か洗いにすれば、肉は|こりこり《ヽヽヽヽ》締まっていて、賞《め》でるに価いするうまさです。
[#小見出し] オ ク ラ[#「オ ク ラ」はゴシック体]
オクラは、芙蓉《ふよう》や|とろろあおい《ヽヽヽヽヽヽ》に似た白い美しい花を咲かせ、芯《しん》の部分もまたきれいな紫色をしています。わが国に入って来たのは、明治になってからで、開拓使蔵版の『西洋蔬菜栽培法』(明治六年)には、黄蜀葵の字が当てられ、左右にオクラ、ネリの振仮名がついています。この黄蜀葵とは、とろろあおいのことで、前記のように芙蓉や洋種のハイビスカスと同種のアオイ科に属し、この名称もまんざら当て字ではありません。和名はあめりかねり。原産地は、アビシニア地方といわれ、オクラという名は、西アフリカの黄金海岸の黒人が名付けたといわれます。
オクラの花は早朝開き、午前中にはもうしぼんでしまいますが、このサヤは早いもので翌日の夕方には収穫できます。五、六センチの、種子がまだあまり大きくなっていないものがおいしく、曲げてみて、すぐ折れるようなものなら、若くて鮮度のよいものです。
杉森久英さんの随筆に、「数年前の夏、京都の北山の有名な料亭で昼飯を食べたことがある。(中略)中にひとつ、正体のわからぬものがあった。薄緑色の、ぬるぬるしたもので小さなさらに、ほんのちょっぴり盛ってある。木の芽田楽の味噌に似ているが、山椒の香も、味噌のにおいもしない。山芋をすりつぶしたものに似ているが、へんに青臭くてそれともちがう。
これは何だと聞くと、オクラですという。オクラは、丸のままで焼いたり、いためたりしたのを食べたことはあるが、生のままですりつぶしたのは、はじめてである」と、書かれていますが、さっとゆでてサラダにしたり、和風の吸いものや酢のものにしても乙なものです。また、こまかくきざんで、カツオブシ、しょうゆをかけて食べると、納豆のようなねばりが出て、結構うまい。
[#小見出し] 手《て》 長《なが》 え び[#「手《て》 長《なが》 え び」はゴシック体]
焼物に組合《あわせ》たる富田《トンダ》A《えび》 桃隣
『芭蕉七部集』の「炭俵」の中に出てくる句ですが、露伴先生のこの句の評釈に、
はえびなり。摂津国三島郡富田の川蝦、むかしは賞美したりと見ゆ。或は曰ふ、伊勢国三重郡の海辺富田の海蝦なりと。海老は遠くに送るべく、伊勢蝦また世の賞するところなれば、それかとも思はる。但し焼物に組合せたるとあれば、伊勢蝦も焼かぬにはあらねど、川蝦の方似合はし、富田の玉川の蝦といへど、おもふに淀川の蝦を当時富田蝦と云ひしにやあらん、富田は淀川近き大邑なりしなり。京の人川蝦を賞す、腥気少く、味も淡雅なれば、茶事の料理などにも、却つて川蝦を用ひること多し。されど饌書に富田見及ばず、賞翫のものより却つて余り香ばしからぬ品ならん
この富田は先生も触れておられるように、淡水産のエビで、おそらく手長エビだったと思われます。この同族には、ふつう手長エビのほかに、ヤマトテナガエビ、ミナミテナガエビとよく似た種類がいます。専門家によると、この三種は同じ川でも、どうしたわけか棲み場所をちがえているそうです。ヤマトは水流が早くて底に小石のあるような川の中流に、手長はもう少し流れのゆるやかな底が砂や泥で出来ている場所に、ミナミは川口に近い水の静かな深みの岩かげにそれぞれ別れて棲んでいます。
手長エビは、メスは八センチ、オスは九センチほどにもなり、一年生とも二年生ともいわれ、あんがい移動性が少なく、いつも水底におります。霞ヶ浦辺では、ワカサギ、マハゼに次ぎ、たくさん獲れ、獲れる場所によって、からだの大きさがちがうそうです。鬼殻焼きにしたり、佃煮や煮つけにすると、海水産のエビとは、またちがった風味が楽しめます。
[#小見出し] ト マ ト[#「ト マ ト」はゴシック体]
いまでこそ、トマトは日本人になじみの深い日常野菜の一つですが、そのむかし、南方や中国から渡来したての頃は、ピーマンと同じく、一部のひとたちの観賞用植物でした。
原産地については、いろいろ説のある中でメキシコとペルーが有力です。後者は、ヨーロッパに伝わった初期に、「ペルーりんご」、「ペルーのもの」と呼ばれていたことが、手ががりの一つになっています。フランス、イギリスでは「愛のりんご」と呼ばれていました。それというのも、トマトは欲情を刺激するくだものと考えられていたからです。
トマトの多くは、約八割程度熟した頃に出荷され、店先に並びはじめのときは、へたの部分が青いのがふつうで、鮮度のよいものは、さわってみると、肉がむっちりと締まっています。形がよく、大きさも中ぐらいのものより、いくぶん大きめのもので、色艶のよいものを選ぶのが第一のコツ。色合いは、真っ赤なものより、少し青味のあるピンク色をしたもの、ヘタの切れ目のしなびていないものが食べ頃のものです。
西洋に「トマトのある家に胃病なし」ということわざがありますが、トマトはビタミンCをふくみ、ふつうの大きさのもの(二百グラム程度)なら、Cの含有量は、四十グラムもあり、生で食べることが多いし、夏は一日に何度も食べるので、完全にCの補給はできるわけです。また、肉料理のつけ合わせとして食べると、脂肪の消化吸収を助けます。冷やすとおいしさが際立ち、サラダ、ジュースにしてもおいしい。
濡れてゐる西日の中のトマト買ふ あきら
[#小見出し] まくわうり[#「まくわうり」はゴシック体]
景行天皇の命を受け、クマソ征伐にのぞむオウスの命(ヤマトタケル)は、叔母なるヤマトヒメから女の衣と裳とをいただきました。それを身にまとい、童女の姿となって、クマソの屋敷にしのびこみ、室寿《むろほぎ》(新築祝い)の宴たけなわになったとき、ふところから短剣を取り出し、まず兄のクマソタケルを胸から刺しとおし、さらに逃げる弟タケルをもとらえ、これを「熟※[#「くさかんむり/瓜」、unicode82fd]《ほそぢ》の如く」斬り裂き、殺してしまいました(『古事記』)。
このホソヂは『古事記』の注釈書などを読むと「熟した瓜」と書いてあります。古事記にも形容として載《の》るくらいですから、その歯ざわりなど当時のひとには、おなじみのものであったはずで、『本草和名《ほんぞうわみよう》』(平安初期にあらわされた薬物書)には、熟瓜――和名、保曾知《ホソヂ》と出ています。『延喜式《えんぎしき》』などにも「熟瓜参議已上四顆。五位已上二顆」(大膳下、七月廿五日節料)と記され、甘味のある「瓜」だったようです。これが今日のどの「瓜」に当るか、はっきりしません。他の瓜が生菜類として取り扱われているのに、ホソヂは菓類となっており、いわゆる「まくわうり」に類したものではなかったかと思われます。
初真瓜四つにやわらん輪にやせむ 芭蕉
まくわうりは単に|うり《ヽヽ》ともいい、ウリ科に属する一年生の草本で、茎には巻きひげがあり、蔓性で地上に伸びます。七、八月頃、太さ六センチ、長さ十二〜十五センチの楕円形黄緑色の果実となり、かおりが高く、甘味に富むので「あまうり」の名でも呼ばれます。むかし、上物のできたのが美濃国(今の岐阜県)本巣郡真桑村だったので、この名が生まれました。近頃は、まくわと洋種露地メロンの一代雑種「プリンスメロン」の強い甘味に押され、まくわは生産が伸び悩み。
[#小見出し] 石《いし》 が れ い[#「石《いし》 が れ い」はゴシック体]
数多いカレイ類の中でマコガレイとともに、もっともおいしいのがこの石ガレイ。これからがしゅんで、土用をはさんで前後一カ月がおいしいシーズンです。
専門の魚屋さんでも、カレイばかりは種類が多くて一目見ただけでは、なにガレイか区別するのは、むずかしい。その点、石ガレイは、右側の背の部分に、石のように固いウロコが二、三列並び(そのため石ガレイの名が生まれた)、側線に沿ったところや腹部にもあり、表面は黒褐色で、一面に大小の白い斑点が散らばっているので、比較的見分けやすいカレイです。もっとも、幼魚の時代に、石はなく、つるりとしていて、若魚の頃になると出てきます。それでも、腹側の一列は、まだ出てきません。
夏も冬もよく獲れ、刺身、煮つけにして賞味します。東京では、湾内で獲れたものを、カレイ類中もっとも美味とし、ただカレイといえば、石ガレイをさすほどです。しかし、他の地域、ことに東北地方や北海道では、このカレイを、カレイ類中もっともまずいものとして扱っています。これをみると、棲息場所によって、いちじるしくその味が変化するものと思われます。
小さなものはから揚げや塩焼きに。四十センチぐらいのしゅんの大物は、三枚におろして刺身にし、さらしねぎやもみじおろしを添え、ポン酢じょうゆで、どうぞ。ひとによっては、石ガレイはホコリ息いクセ味があるといってきらいますが、鮮度のよいものなら、気にするほどの匂いはなく、|なます《ヽヽヽ》や|あらい《ヽヽヽ》にしても、乙な味が楽しめます。九州、別府温泉近くの日出《ひじ》で獲れる「城下ガレイ」は、むかしから有名ですが、これは肉の厚いマコガレイです。六、七月がうまく、梅酢で作った三杯酢を添えての刺身は、天下の美味の一つに数えられましょう。
[#小見出し] ピ ー マ ン[#「ピ ー マ ン」はゴシック体]
やわらかな辛味とかおりの洋とうがらし――ピーマンは、ここ数年間で出回りが倍増し、新興野菜の成長株にのし上がってきました。わが国では、フランス名のピーマンで呼ばれていますが、イギリス名のスイートペッパーから甘とうがらしともいわれています。京都辺で作られている伏見なんばんや三重、和歌山県地方で作られている|ししとう《ヽヽヽヽ》もこの一族。
ブラジル原産のものは、十五センチから二十センチにも及び、幅も七、八センチと|ばかでかい《ヽヽヽヽヽ》ものです。コロンブスのアメリカ大陸発見以来のもので、日本へは辛いもの、ヨーロッパには比較的辛味のうすいものと分れて伝わりました。史実によれば、天文十三年(一五四四年)ポルトガル人が豊後|臼杵《うすき》の城主、大友宗麟《おおともそうりん》に種子を伝え、慶長十八年(一六一三年)にスペインからローマへ伊達政宗の命を受けて渡航した支倉常長《はせくらつねなが》が持ち帰ったといわれています。
出盛りは七、八月の盛夏の候で、一般の野菜にくらべビタミンCが多く、とくにからだの中でビタミンAにかわるカロチンを多量にふくんでいる栄養価の高いものです。しかもこのカロチンというのは、油といっしょに食べると全部吸収されるので、てんぷらや炒《いた》めもの、詰めものにして挽肉などを用いるのは、甚だ効果的な調理法ということができます。この他、細切りにして、サラダ、ごまあえにしてもよく、ぬかみそに漬けても特異な歯ざわりとかおりが楽しめ、ただ焼いただけでも風味があり、酒の肴として珍重されます。
秋口に出る赤ピーマン(ピメント)は、皮がやわらかく、甘味や香りもすぐれていて、しかも赤い色どりが洋風料理のスパイスとして欠かせないもので、バターライスなどの料理に用います。
[#小見出し] た か べ[#「た か べ」はゴシック体]
魚介、くだもの、野菜など、一年に一度、とりわけ味のよくなる時季があります。これをしゅんといいますが、とくに、しゅんをやかましくいうのは魚です。周囲を海にかこまれ、海産物に恵まれているという環境から、日本料理が魚を主体として発達し、同じ魚でも季節によって、うまいまずいのあることを、身をもって知っていたからでしょう。
同じ魚が、どうして時季によりうまくなったり、まずくなったりするのか、おおよそ、産卵期が関係している――ということは、いえそうです。つまり、魚が卵を産みはじめる一、二カ月前頃が、いちばんうま味が発揮されるときで、この時季がしゅんというわけです。
卵を産む数カ月前から、魚は産卵に備えて、さかんに餌を漁《あさ》ります。そのため、からだは充実し、魚の種類によっては、脂の乗りもよくなります。ところが、産卵期になると、この栄養分は、卵や白子をつくるのに使い果たされ、目に見えてからだは痩《や》せ細り、脂も落ちてきます。それゆえ、一般に魚は、卵や白子が大きくなる前頃が、もっともおいしい時季といえるわけです。
まじはりのゆふべの酒によき高部 秋風嶺
産卵期は八〜十月で、食べどきは、やはり、夏のさかりです。脂の多い魚なので、塩焼きにするとおいしく、甘辛く煮つけるときは、しょうゆ、みりん(あるいは砂糖)を濃い目にして、きざみしょうがといっしょに煮ます。味にあまりクセがないので、食べやすい魚です。このほか、フライ、鮮度のいいものなら、丸ごとぶつ切りにして、三杯酢で食べても、いけます。硬骨魚といわれるだけあって、小骨が多く、子どもに食べさせるときは気を配ってください。
[#小見出し] と こ ぶ し[#「と こ ぶ し」はゴシック体]
常節をひとつ貰ひし試歩路かな 節女
トコブシをアワビの稚貝だと思っているひとがいるかも知れません。確かに形を見ると、小さなアワビによく似ていますが、アワビにくらべると、貝殻がいくぶん長めでひらたく、螺塔部《らとうぶ》は突き出ることなく、吸水孔《きゆうすいこう》も小さくびっしり並び、アワビのように殻の表面から盛り上がらず、数も六〜九個と多くなっています。雌雄異体で、うまいのは夏場。
漁師は一般に、これをナガレコと呼び、また、フクダメ、センネンガイなどともいいます。漢字では「小鮑」「鰒魚」「常節」などと書きます。肉は灰色で、アワビにくらべると、値段も安く味も落ちます。しかし、漁獲量が多いので、いろいろな調理に使われ、乾したものは「灰鮑《ホイパオ》」として、中国に輸出されています。アワビ、トコブシいずれも、たんぱく質は魚肉のたんぱく質標準量よりも多く、栄養価値の高いものです。
アワビとちがい、生食するには不向きで、主に塩蒸しにしたり、ふくめ煮、酢貝などにして賞味します。塩蒸しにする際は、貝を静かに洗い、身の周辺部(アワビでいえば、ミミにあたる)のぐるりに塩をふり込み、強火で十分か十五分ほど蒸します。このほか、殻につけたまま、塩をふりかけて一つ一つ洗い、空なべに入れて蒸すと、たやすく身がはがれ、なべ底に貝の液汁が煮汁となって出て来ますので、これを濾過《ろか》して、別のなべに移し入れ、しょうゆ、酒、または、みりんなどの調味料を入れて、煮えたら、身を入れて佃煮風に、弱火《とろび》 で煮つめます。
アワビにかぎらず、トコブシも死んだものは味が落ち、指ではじいて、肉がキューと締まるような鮮度のよいものを手に入れることがたいせつ。
[#小見出し] アボガード[#「アボガード」はゴシック体]
「あまり聞いたことのない名前だな」、殆どの読者がそう思われるでしょう。ムリもありません。まだ、わずかしか輸入されていない熱帯産のくだものだからです。
名前も、英名をそのまま名乗っている新参者です。あまり大きくもないのに、銀座あたりの高級くだもの店や、デパートのくだもの売場に、一個五百円ぐらいで売られています。黒ん坊の頭を想い出させるような、ブツブツと黒光りするコルク質の表皮の下に、青味を帯びた肉があり、中心に近くなるほどクリーム色になり、真中に鶏卵状の種子が入っていて、ちょっと異臭があります。
食べられる部分は、クリーム色の果肉で、皮の上からタネだけを残して、ぐるりとナイフを入れると、二つにきれいに割れ、片側に種子が残り、反対側は種子のあった部分だけ、ぽっかりと穴があきます。果肉をスプーンですくって食べるわけですが、見た目の珍奇さにくらべ、味は塩気のないバターのようで、脂っこく、ネットリしています。パンにつけたり、砂糖、レモン汁、ブランデーを入れて食べてもよく、デザート用のくだものというよりは、食事用のくだものです。
一名、バターフルーツといわれ、くだものには珍しく脂肪分が三十パーセントもあり、ほかにたんぱく質が十〜二十パーセントもある栄養価の高い(カロリーは二百十八)くだもので、原産地のメキシコや中央アメリカの原住民の間では、とうもろこしパンとアボガードとコーヒーは、もっともすぐれた食事として用いられるそうです。
英語では、外観からアリゲータペアー、つまり「ワニのなし」ともいわれ、日本には、主にメキシコ、フロリダ、カリフォルニア産のものが輸入されています。
[#小見出し] く ろ だ い[#「く ろ だ い」はゴシック体]
むかしから「二ッ八は風の秋」といい伝えられ、時季による気圧の変り目で、風がよく出る季節です。この季節がクロダイのしゅんになります。風とクロダイ。一見、なんのかかわり合いもないような取り合わせですが、これにはちゃんとしたわけがあります。旧の二月は、クロダイにとっては、産卵二カ月前で、からだに充分栄養を蓄え、八月には、栄養を回復する時季で、よく餌を漁り、五体がはち切れんばかりに肥《ふと》って来ます。それに風が伴うので、磯はもちろん、小砂利の浜も、捨石のある防波堤でも、風波で、よく濁り、その上、餌となるものが多くなり、魚の群れが多くやって来るので、釣師たちには、まことに都合のよい季節となる――というわけです。
ちぬ釣の月光竿をつたひくる 吾亦紅
クロダイは大きさによって呼び名が変り、東京付近では、満一歳未満をチンチン、一歳〜三歳をカイズまたはケーズ、満四歳以上の大きくなりきったものをクロダイといいます。九州ではチン、大阪では大阪湾の古名|茅渟《ちぬ》の海に多く産したので、チヌの名で呼んでいます。
東京では、さほどありがたがられませんが、関西や九州では大いに賞味されます。煮てうまい魚とはいえません。しかし洗いにしたり、塩焼き、刺身にすると、相当な味を持った魚で、やはり、夏場がしゅん。子どもの頃、カイズ釣りに行き、釣ってきたてのものをそのまま、大きなまな板の上で、包丁で細かくたたき、なおすり鉢でよくすって、塩味を付け、椎の青葉に包み、真っ赤な七輪の火で焼き、熱いのを頬張りながら食べたときのおいしさを、今改めて思い出します。
[#小見出し] し ろ う り[#「し ろ う り」はゴシック体]
みずみずしい夏の前栽《せんざい》、しろうりが出回っています。この頃は、早いものだと、もう五月頃から顔を出していますが、やはり、おいしくなるのは、暑さが本格的になる七月。
越瓜《しろうり》の土肌白き葉蔭かな 伊珊
品種はいろいろありますが、比較的名の知れたものとしては、早熟栽培用の「早生しろうり」、「青縞瓜《あおしまうり》」、ふつう栽培用では「東京大しろうり」などがあります。
原産地は東洋の熱帯地方。中国を経て、日本に渡来してきたので、漢名は「越瓜」。越は現在の広東、広西地方を指したもので、この地方から北上したものと思われます。京都辺では「浅瓜《あさうり》」といい、古く『延喜式《えんぎしき》』あたりには「わさうり」の名が載《の》せてあり、『本草和名《ほんぞうわみよう》』には「つのうり」とあり、『和名類聚抄《わみようるいじゆしよう》』に、はじめて「白瓜」の名で登場します。
漬けものや|もみうり《ヽヽヽヽ》などにしてよく、味が淡泊なため、濃く味のついた保存漬けとして奈良漬け、みそ漬けなどには、欠かせぬ材料です。さっぱりした歯切れのよさを生かして、夏の食卓にふさわしいしろうりの三杯酢などは、いかがでしょう。しろうりの皮を剥《む》き、タテに二つに割り、種子を出して、小口から薄く切り、塩をふっておき、やわらかくなったら、水洗いしてよく絞り、三杯酢をかけます。好みによっては、浅草のりを焼いて、三センチくらいの長さに細く切り、食べる直前に、しろうりの上に、ふんわりとかけて出します。
そのほか、雷干《かみなりぼし》にしたものを二センチくらいの長さに切り、酒としょうゆ同量合わせてかけ、好みでみりんか、酢を少量かけてもよく、花ガツオをたっぷりかけて召し上がると、夏の風雅なつけものとして最高。形が細目で、青味のきいたものが良い品。
[#小見出し] スイートメロン[#「スイートメロン」はゴシック体]
『万葉集』には、食べものの名は相当数|詠《よ》まれていますが、食べものそのものを詠んだものは、きわめてわずかです。その中で山上憶良《やまのえのおくら》の「子等《こども》を思ふ歌」に、
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瓜食《うりは》めば 子等《こども》思ほゆ 栗食《くりは》めば 况《ま》して思《しの》ばゆ 何処《いづく》より 来《きた》りしものぞ 眼交《まかなひ》に もとな懸《かか》りて 安眠《やすい》し寐《な》さぬ
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憶良の父親としてのやさしい心根が偲ばれると同時に、当時の食生活が彷彿《ほうふつ》としてくる歌ですね。このうり(宇利)は、おそらく、|まくわうり《ヽヽヽヽヽ》でしょう。この歌ばかりでなく、戦後、発掘されたかずかずの上古遺跡(登呂遺跡をはじめ、静岡県山本遺跡、大和唐古遺跡)から、まくわうりの種子が発見され、奈良朝以前、すでにまくわうりが食用に供されていたことが実証されております。
スイートメロン――などというと、高級なメロンを想像しますが、これはまくわうりの一種で、黄色い長円形をしたもので「金まくわ」の名でも呼ばれます。
味の点では、まくわうりに劣るものもあり、良否の差が甚だしい(当りはずれが多い)ため、消費者には不人気で、近頃は新顔のプリンスメロンに押され気味で、産額は徐々に減る傾向にあります。
山城のとばのわたりのうりつくり こまほしと思ふ折そおほかる 権中納言定頼
むかしから「うりの皮は大名に、りんごの皮は乞食にむかせろ」といわれるように、うりの皮は、厚く剥《む》くのがおいしく食べるコツ。それというのも、うりは種子に近いほど甘味が強く、果皮に近い部分ほど薄くなるからです。冷やすと、甘味が際立ち、おいしく召し上がれます。
人来たら蛙になれよ冷し瓜 一茶
[#小見出し] う な ぎ[#「う な ぎ」はゴシック体]
ウナギが、夏のスタミナ保持によいことは、万葉のむかしから、認められていたようです。吉田石麿《よしだいそまろ》というひとは、ひどくやせこけていて、いくら食べても、いっこう太らない。そこで、大伴家持《おおとものやかもち》がひやかして、「ひどい夏やせですな。どうです、ウナギでも召し上がったら……」「ご忠告ありがとう。もっとも、やせていたって、命あっての物種《ものだね》でね。ウナギを獲るといって、無理して流されなさんなよ」
と、石麿、直ぐに歌でやり返した――という次第。
「ムナギ取召せ」と、家持の勧めたウナギは、どのようにして食べたのでしょう。おそらく、おかずとしてではなく、くすりとしてであったろうことは、想像できます。ウナギは、質のよいたんぱく質と脂の量が多く、ビタミンAを豊富にふくみ、体力の衰えがちな夏場には、ぜひ、とおすすめします。しかし、この頃のように、こうウナギが高くては、どうにもなりません。
ウナギのねだんが上がりっぱなしなのは、国内のウナギの稚魚の漁獲量が激減したからで、稚魚の安定供給源を確保することが、目下、ウナギ屋さん仲間の最大の課題になっています。
ウナギの品質は、大小、脂肪の乗り具合とともに、養殖地によっても異なります。一般に中ぐらいのものが好まれ、これを蒲焼きにしたものを俗に中串《なかぐし》といいます。東京地方では、ウナギを背開きにします。これは、江戸が武士の町のため、ハラを切るのを忌んだためだといわれます。大阪では町人の町だけにこんなことにこだわらず、腹開きにします。東京では、蒸して脂を抜くとともに、やわらかく焼き上げ、大阪では、頭のついたまま素焼《しらや》きにして、すぐタレをつけます。
鰻食ふてぬらりくらりと土用入 句仏
[#小見出し] も も[#「も も」はゴシック体]
桃熟れぬ夜空に遊ぶ風ありて 尊尚
むかしから「桃栗三年」といわれるように、ももは植えると、ほどなく結果して、どんどん更新されるため、くだものの中では、いちばん種類が多く、変化のはげしいものといわれます。大きく分けると、種子と実がポッコリ離れる離核種と、離れにくい粘核種とに分けられますが、種子ばなれのよいものが好まれ、大部分改良され、現在粘核種は白桃だけになってしまいました。
そのむかし、ジャムやジュースを作り、噛むと血のしたたりに似た真紅の果汁と果肉をもった天津ももは、日持ちのわるいのと、味が淡泊な上、酸味がきつく、固いのがきらわれ、すっかり姿を消してしまいました。代表的な産地としては、山梨、福島、長野、岡山、山形などが挙げられ、古い産地は移りかわり、現在、日本一の生産県は、山梨となっています。
伯母が来て桃を手土産母は留守 虚子
ももは雨の多い年は、水分が多くて甘味が薄く、日照時間が少なくてもよく熟れず、栽培には、なかなか気骨の折れるくだものです。ももの形容に、スイミツ、つまり、蜜もしたたるような――ということがいわれますが、この頃は改良を重ね、文字どおりスイミツといえる優良品種が生み出されるようになって来ました。鮮度のよいものを買うのが第一ですが、くぼんだところ(枝からもいだ個所)が、新しくて、表面の毛に光沢のある点に気を付けること。色具合に、あまりこだわらず、きずものは避けましょう。贈りものは、見映えを重んずるため、固いものが多く使われます。こういうものは、一日二日置くか、ジュースなどにして、多少手を加えて召し上がります。冷やし過ぎると、糖度や風味を失ってしまいます。
[#小見出し] す い か[#「す い か」はゴシック体]
夏の夕暮れどき、一家そろって、縁側ですいかを食べる情景は、日本の夏を象徴する風物詩の一つですが、このすいかが実はなかなかのクセモノ。すいかは一般に、水気が多く、腎臓病のくすりといわれ、舌ざわりも軽く、消化のよいもののように思われていますが、これはたいへんな思いちがいで、消化のときは、あたかも胃壁へ紙ヤスリをかけるようなもの。腸壁をあらして傷をつけ、そこから体内に温存している有害細菌が侵入して、思わぬ病気をひき起すことすらあります。すいかが出盛るときに、腸チフスが多いのもそのためで、食べるときは、少なめにして、夜分は控えたほうが身のため──とは、さる高名な食餌療法のお医者さまのアドバイス。
原産地はエジプトといわれ、四千年も前から栽培されていたといいます。林立路というひとの『立路随筆』によれば、日本には、「西瓜、寛永年中、西洋より始めて渡る。薩摩に植るによつて、さつま種を上品とす。江戸に来りしは慶安の頃にて、由比正雪の乱の翌年のよしなり」と、あります。その時分は、肉漿《にくしよう》が真赤なので、正雪の怨霊だとウワサが立ち、気味わるがって食べなかったといわれます。その後も、すいかは低級なものとされ、場末で売られていた模様で、古川柳にも、「神鳴に西瓜の売れる宿はずれ」と、詠まれています。
見ただけで、味のよしあしを見分けるのは困難ですが、蔓《つる》の切り口のみずみずしいもので、ヘソ(花落ち)の周りが黄色く熟れ、皮肌が光沢のある緑色をしていて、たたいて澄んだ音のするものなら、まず間違いありません。たたいて、ボコボコした音のするものは、熟しすぎたものです。
板の間に児の這ひかかる西瓜哉 使帆
[#小見出し] 八《はつ》 朔《さく》[#「八《はつ》 朔《さく》」はゴシック体]
はっさくは、甘いかおりとさっぱりした味が魅力。形は夏みかんに似ていますが、いくぶん小柄。表皮はなめらかで、キメは細かく、甘酸っぱくて、夏みかんより食べやすいので、近頃、東京あたりで、若い女性の間に人気の出てきたみかんです。原産地が広島、主産地が和歌山、広島、徳島、愛媛と、西日本に集中していて、主に関西方面に出荷され、大阪市場では、早くから人気のあった品種。
漢字では、「八朔」と書きます。「旧暦八月|朔日《ついたち》になると、味がよくなり、ちょうど食べ頃」ということで、この名が生まれたといいますが、現在は栽培技術が進んだせいか、食べ頃は二月下旬から四月まで。専門家に伺っても、なぜこの名前がついたのか、ほんとうのところ、はっきりしません。伝説によれば、万延元年(今から百十年前、井伊大老が桜田門外で暗殺された年)、広島県因島(現在の因島市田熊町)の恵日山浄土寺の住職、小江恵徳和尚が、庭先のごみ捨て場に生えているのを見つけたのが、そもそも人目についたはじまり、といいます。
日本古来のみかんの仲間ではなく、オレンジやレモンの系統でもなく、分類の上では、三宝柑《さんぽうかん》や伊予柑《いよかん》、だいだいと同じ雑柑類《ざつかんるい》に属していますが、学名「キトルス・ハッサク」でもおわかりのように、れっきとした純日本産のくだものです。採取期は十二月下旬ですが、温州みかんが店頭から姿を消し、夏みかんがそろそろ出はじめるスキをねらったほうが有利なので、産地では三、四月頃の出荷時期まで貯蔵します。生産者にとっては、柑橘市場で、遅出しをねらえるというだけでなく、はっさくは生長が早く、五年生から収穫でき、八年生から十四年生で最高収量に達するという割りのいい果樹なので、大いに歓迎されるわけです。
[#小見出し] き す[#「き す」はゴシック体]
キスは、漢字で魚ヘンに喜の字を書き、めでたい魚の一つに加えられ、味が上品な上に、クセがなく、塩焼き、フライ、吸いもの、てんぷら、背割りの一夜干し……と、夏の料理には、おあつらえ向きのさっぱりした魚です。キスには、シロギスとアオギスの二種があり、晩春から夏にかけて多く獲れます。
両者は、それぞれ棲む場所がちがい、シロギスは外洋性の沿岸、海底の砂地のところに住み、砂浜なら波打ち際から沖の深みに落ち込む縁、岩礁なら沖に離れ、砂地の広くつづくところが初夏のすみかとなっています。冬になると、沖の深みにおちて、針にかからぬ――とは、釣師たちの話。そんなわけで、シロギス釣りの最盛期は、六、七月から、ところによっては八月のはじめまで。この時季は、産卵期で体調が整い、味もまた絶頂期です。一方のアオギスは湾の奥で、砂というよりは泥の多い海底、藻などが、くさむらのように生えているところが|すみか《ヽヽヽ》。
江戸前名物の脚立《きやたつ》釣りは、東京湾の奥まったところで行なわれますが、近年、湾内の海水の汚染がひどくなり、季節の風物詩ともいえる脚立釣りも、だんだん影をひそめつつあります。このキスは、もちろんアオギスで、味はシロギスにくらべ、いちだん落ちます。
シロギスは、とくにてんダネ、または椀ダネとして珍重され、どちらかといえば高級魚に属します。タル詰のものは、ウロコのつやつや光ったものが多く、見るからに、しっかりしています。これにひきかえ、箱ものはウロコがはがれたり、腹が破れ腹ワタが出たりしています。一皿いくらで売られているものは、この手のものが殆ど。アオギスは店頭に並ぶことは、ごくまれです。
一片の蓼の葉あおし鱚に添へ 風生
[#小見出し] 白《はく》 桃《とう》[#「 白《はく》 桃《とう》」はゴシック体]
白桃や雫もをちず水の色 桃隣
早生種の布目《ぬのめ》、砂子《すなこ》は、とうに店頭から姿を消し、中生種の大久保や白鳳《はくほう》の出回りも過ぎる頃となると、晩生種の白桃のシーズンになります。だいたい七月の下旬頃から八月が出回りの最盛期で、ももの王様の名にふさわしい風格を備えて、お目見えします。
大久保のように、表皮の赤味は、さほど濃くありませんが、白い地肌に淡い紅がさしていて、思わず手に取りたくなるような豊満な形をしています。味はもちろん、ももの中での最高で、果肉は白く、やわらかで、果汁が多く、甘味も強い。しかし、生産量が少ないため(ももの総入荷量の二十パーセント)、値段のほうも、ももの中での最高位。主産地は山梨、福島、長野の各県。熟さないうちは、肉が固く、甘味もそれほどではありません。それが、よく熟《う》れて来ると、本来の持ち味を発揮して、おいしくなります。この品種は明治三十二年、岡山県赤磐郡可真村の大久保重五郎さんの畑で、偶然発見され明治三十四年に「白桃」と命名されました。
ガラス器に白桃盛られ雷遠し 寒四郎
ももはむかしから仙果とされ、悪気を払うのに用いられて来ました。『古事記』の中で、イザナギノミコトは女神を慕って黄泉《よみ》の国へ行かれ、女神の変り果てた姿におどろいて逃げ帰るとき、たくさんの雷神が魔軍を従えて追って来ました。ミコトはそのとき、ももの実を三個取ってお撃ちになると、皆逃げ帰り、あやうく難を逃れることが出来ました。ももと日本人との深いつながりを示すエピソードですが、『日本紀』にも「桃を以て鬼を逐《お》う」ことが記されております。また、『西遊記《さいゆうき》』にも「桃は神果で瘴気《しようき》をはらうものである」という考え方が示されております。
[#小見出し] し い ら[#「し い ら」はゴシック体]
シイラは夏の魚。関東ではあまり見かけない魚で、頭がいくぶん大きく、からだが多少伸びた平たい魚です。岸には近づかず、沖で獲れ、体重六〜八キロ、体長一メートル半にも達する大魚です。大海原を回游するためか、土地ごとにいろんな名まえが付けられています。関東、東海から関西、高知にかけてはトオヒャク、トオヤク、東北と和歌山、九州ではマンビキ、マビキ、高知、西南九州ではクマビキ(九万疋)で、この魚の群れが、たて続けに釣れる意味から名付けられたといわれます。九州の一部でいうネコヅラ、新潟のメンカブリ(老大のオスをいう)は顔付きからの命名でしょう。
英語名はドルフィン、ドルフィン・フィッシュ。このことばの本来の意味は海獣のイルカ(海豚)ですが、英国の漁師や船乗りは、魚のシイラをドルフィンと呼び、英米文学には、この魚の場合が多い。以前の英和辞書にドルフィンの訳語が、イルカしかなかったためか、ヘミングウェイの名作『老人と海』の訳書には、ドルフィンがイルカと訳され、意味の通じない、奇妙な個所があったのを覚えています。
海の表層を泳ぎ、流木や、海面の漂流物、船の陰などに、好んで集まる性質があり、新潟県の出雲崎あたりでは、この習性を利用して、あらかじめ、大竹をたくさん束ねて、これを海中に定置し、人工的に日光をさえぎって、その陰を慕って群がるシイラを釣り上げるそうです。
白身の魚だけに、刺身や照り焼き、塩焼きにするとよく、水気が多いので、塩干にすると、干ダラに似ておいしい。そのほか、脂肪が少ないので、フライなどにして召し上がるとよいでしょう。
※[#「魚+暑」、unicode9c6a]ひさぐ女は無口鯛見浦 自然生
[#小見出し] 夕《ゆう》 顔《がお》[#「夕《ゆう》 顔《がお》」はゴシック体]
ゆうがおといえば、まず思い出されるのが『源氏物語』夕顔≠フ巻。光源氏が六条の御息所《みやすどころ》のほとりに通うと、五条のわたりに、夕顔の花の美しく咲いている家がある。源氏は足を止めて、「この花は何の花ぞ」と問うと、その家の女、白い扇にこれをのせて源氏の君に捧げる。源氏は、
よりてこそ それかとも見め たそがれに ほのほのみつる 花のゆふがほ
と詠み、それから、この夕顔の女のもとへ足繁く通うようになった。
八月十五夜の月見とて、某の院へ行き、その夜は泊まり、さて翌日になると夕顔の女は俄かに病んで露の命と消えてしまった。ゆうがおの花の生命の短さにも譬うべき人の生命のはかなさ、五十四帖中「夕顔」の巻は、もっとも凄艶な情趣を描き、もののあわれ≠うたい上げております。
ゆうがおは一年生草本で、蔓が太く、葉はハート形をしていて、葉のつけ根に巻きひげができ、垣根などにまといついて育ちます。花は白色の五弁花で、夕方に開き、翌朝しぼむので、この名があります。未熟果はやわらかく、生食する場合は、とうがんと同じ料理法で、角切りにして、うす味に煮込み、くずあんをかけたり、あるいは煮込んだものを卵とじにしたりします。味は島木赤彦の歌にもあるように、
「夕顔は煮て食ぶるにすがすがし 口に噛めども味さへもなし」――きわめて淡泊。殆どのゆうがおは、細長くけずり天日に干して、のり巻きやこぶ巻きに欠かせぬ「かんぴょう」にします。かんぴょうは干すことによって、特有の甘味が出ます。繊維を多くふくみ、利尿、便通をよくする作用があり、肥りすぎの婦人には、おすすめしたい好食品。
[#小見出し] む ろ あ じ[#「む ろ あ じ」はゴシック体]
アジは同族が多く、七十種以上にものぼるといわれます。その中でも、家庭のそうざいザカナとしておなじみのものはマアジ。単にアジという場合は、殆どがこのマアジ。
それについで多いのがムロアジ。ムロアジの特徴は、アジ特有のゼンゴ(からだの側面に一列に並んでいる特殊なウロコ)が、後半身だけしかないこと。マアジにくらべると、茶色っぽい身の色をしています。
しかも、ムロアジはマアジよりも脂肪が少なく、肉質もやわらかなので、干ものにするとおいしく、マアジのそれに劣らぬ商品価値をもっています。ムロアジのしゅんは、マアジとちがい八〜三月なので、秋口から冬にかけておいしい干ものを味わうことができます。
東京人の好む「クサヤの干もの」は、多くムロアジで作りますが、中でも最上級品はクサヤムロ(アオムロ)で作ったもの。原料の鮮度はきわめてたいせつで、硬直前のあまりよすぎたもの、解硬の進んだ鮮度の低いものはよくない――といわれます。
江戸期の狩野派の画家、英一蝶《はなぶさいつちよう》が幕府の忌諱《きい》に触れ、元禄十一年(一六九八年)三宅島に流されたとき、船場まで見送った横谷宗※[#「王+民」、unicode73c9]《よこやそうみん》に「度々の便りはかなうまいから、江戸へ来るアジの干ものに、笹の葉の刺してあるのが目に止まったら、無事で生きていると思ってくれ」と、耳打ちしたといいますから、クサヤが島の名物として、かなりの歴史をもつことが分ります。
クサヤの風味は、古くから愛好され、とくに喜ばれるのが酒のサカナ。焼いてちぎったものに、酒を少々割ったしょうゆをふりかけるか、浸《つ》けて食べるのが本格派の食べ方。
[#小見出し] と う が ん[#「と う が ん」はゴシック体]
冬瓜の白粉も濃くなりにけり 白夢
とうがんは、その名から推《お》すと、冬のもの、少なくとも晩秋のもののように考えられますが、早いものだと、梅雨をすぎた頃に、もう市場に姿を現わします。青磁色をした果皮に、未熟なときは、透明な密毛が生えていますが、成熟すると毛はなくなり、真っ白な粉を吹いて来ます。色といい、形といい、味といい、とうがんは、やはり、初秋新涼の季節にふさわしいものといえましょう。食べ頃も、八月の半ばすぎから九月にかけてです。かぼちゃと同じく、摂氏十度前後の温度で貯えると、翌年三、四月頃まで保存出来ます。それゆえ「冬瓜」と書くのも、まんざら当て字とばかりはいえません。
インドが原産地といわれ、東南アジアをはじめ、温帯地方にも広く分布しています。中国には、南方から華南に移入され、徐々に北進し、わが国には、かなり大むかしに伝来したようで、平安時代の『本草和名《ほんぞうわみよう》』には、「白冬瓜、一名冬瓜、和名|加毛宇利《かもうり》」と記されています。一説によると、|かもうり《ヽヽヽヽ》の|かも《ヽヽ》は、毛氈《もうせん》のことだそうで、その形が円く、わかいときには、やわらかい毛におおわれているところから、名付けられたといわれます。とうがんは、その殆どが水分(約九十七パーセント)で、お年寄り向きの淡泊な味を持つものだけに、調理する際は、充分に火をとおしてやわらかくすること、甘味を加えないで調理すること、味つけを薄くして、うま味となるだしやスープを濃くして煮ること――などが、おいしく召し上がるための決め手です。
ふつう、吸いものダネにしたり、葛汁、しょうがあんかけ、からし酢みそあえなどにします。
よきものと医師勧むる冬瓜哉 召波
[#小見出し] た こ[#「た こ」はゴシック体]
蔀関月画の『日本山海名産図会《にほんさんかいめいさんずえ》』(寛政十一年、一七九九年)の巻六四に「章魚《たこ》」のことが記されています。「諸州にあり、中にも播州明石に多し、磁壺《やきものつぼ》二つ三つを縄にまとひ、水中に投じて、自《みづ》から来り入るを常とす、磁器是を蛸壺《たこつぼ》 と称して市中に花瓶《かびん》ともなして用ゆ、蛸は壺中に付て引出すにやすからず、時に壺の底の裏を物をもつて掻撫《かきなづ》れば、おのづから出て、壺を放るること速《すみやか》なり」――と、あります。このようにタコは、タコ壺を海底に沈めておき、タコがその中に潜むのを待って、順次に手繰《たぐ》り上げて獲ります。そのほか、ヤスで突いたり、釣鈎で引っかけたり、機船底曳網でも捕獲します。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
タコの戸籍は、学問上からいうと、軟体動物・頭足綱・八腕目に属し、日本近海に棲む四十種類の中でも、わたくしたちに、なじみ深いのはマダコです。産額が多いだけでなく、うまいので、わが国では食べものとして重宝がられています。夜まで、じっと岩陰に潜んでいて、夜陰に乗じてエビ、カニ、小魚、貝などを食べ、飢えると同族のものにまで手を出し、そのため、長い足を食いちぎられているのを、時々見かけますが、再生力が強いので、間もなく回復します。
油断すな柚の花咲ぬいその蛸 支考
春から夏に産卵し、夏場にとりわけ味がよく「麦藁蛸《むぎわらだこ》に祭鱧《まつりはも》」といわれるほど、夏のしゅんものとして、親しまれています。三杯酢、おでん、すし、それにだいこんなどと煮つけにして、賞味します。煮ダコを買う際は、皮の剥《は》がれやすいものは古いものだし、あまりケバケバしい色のものは避けましょう。
[#小見出し] か ん ぱ ち[#「か ん ぱ ち」はゴシック体]
カンパチはアジ科の魚ですが、外見はむしろブリやヒラマサに似た形をしています。うっかりすると、ブリの幼魚であるワカシやイナダと、まちがえることがよくあります。それもそのはず、ブリと同属(ブリ亜科)で、遠縁にあたるからです。東北地方から南日本、朝鮮、支那海と分布している暖海性の回游魚で、その生活行動はブリやヒラマサとよく似ていて、海洋の上層を群れをなして泳ぎ、外洋はもちろん、それに面した内湾などを回游しています。
東京では、成魚をカンパチ、幼魚をショッコ、房州でショゴ、和歌山あたりでは幼魚をシオゴ、シオ、成魚をアカハナ、鹿児島ではアカバラ、香川ではアカバネと呼んでいます。アカハナ、アカバラ、アカバネなどは、からだの色が赤味がかっているところから、名付けられたものです。
産額は多くはなく、ブリほどではありませんが、幼魚や若魚は、魚屋の店先にならぶことがあります。成長力は、ブリの一族だけあって、カンパチも早く、ときには、体長一・五メートル、体重四、五十キロに及ぶものもあります。大形のカンパチは、大味だということで、あまり市場では歓迎されません。やはり、体重二、三キロのものがおいしく、珍重されます。
初夏から出回り、八月前後がおいしいさかりです。江戸時代には「カンパチの刺身は、魚河岸の主人が食べるもの」といわれ、時季のものは、刺身にして賞味されたようです。今でも切身にして売られることは、あまりなく、刺身かすしダネに用いられます。
すし屋へ行くと、魚形に切られた木札に、「勘八」などと筆で書かれ、夏のすしダネとして、タイやヒラメ、スズキとはまた別な、季節的な風味をもつ魚として、喜ばれています。
[#小見出し] ご り[#「ご り」はゴシック体]
光源氏三十六歳の夏のこと。その日も朝から蒸し暑い日でした。東の釣殿(寝殿造の東の廊の南端にあり、池に臨んだ建物)に出て、源氏は夕涼みをしていました。そばには夕霧をはじめ、日頃親しくしている殿上人も、あまた控えていました。その節、源氏の御前《おまえ》にて調理され、差し出された酒のサカナが「西河よりたてまつれる鮎《あゆ》、近き河の|いしぶしやうのもの《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》」でした(常夏の巻)。「いしぶしやうのもの」とは、ゴリのことらしく、宣長も『玉勝間』の中に、そう書き、「此ゴリ、鴨川、桂川などにも多く有て、常に石の下を尋ねてとるなり。石ぶしと云ふ名にかなへり」と記しています。
むかしから有名な加茂川のゴリは、ゴリはゴリでも、ヨシノボリ(葦登)という和名をもった、頭に黄赤の細いすじのあるきれいなハゼです。京都ではイシブシのほかにイシビショ、イシモチの名でも呼ばれます。胸の下の吸盤《きゆうばん》(左右の胸ヒレの合したもの)で、石に吸いつくからイシモチという名がついたといわれます。川の底へ水の流れと同じ向きに溝を作り、その上手に、農家で使う箕《み》のようなかごをおいて、下手から石を足でかえしながら追っていくと、追い出されたゴリは、溝にそって上手へ上手へと逃げ、最後に押しつめられて、連れだってカゴの中へはいってしまう。多いときは、一押しで数キログラムもとれる。ごりおし≠フ語がうまれるゆえん――とは、動物生態学の権威、宮地伝三郎先生のはなし。
加茂川産のゴリはやわらかく、みそ汁の実にしたり、うま煮や辛煮にして賞味します。魯山人先生は「赤だし一椀に、七尾入れるのが通例となっている」と、聞かしてくれましたが、小さなゴリ七尾を入れて、京名物の吸いものができるのですから、うまさのほどが想像できましょう。
[#小見出し] 祝《いわい》 り ん ご[#「祝《いわい》 り ん ご」はゴシック体]
真赤なトマト、ピンクの桃、黄色のレモンにまざって、青いりんごが、くだもの屋の店頭にお目見えしました。本年産のりんごのトップを切る「祝《いわい》」という品種。国光やデリシャス系のものにくらべると、酸味がいくぶんきつく、多少渋味もあり、夏場にふさわしいりんごといえましょう。七月中は、まだおいしいとはいえませんが、糖分、ペクチンを豊富にふくんでいます。
明治五年、勧業寮の手により、アメリカから輸入された七十五品種の一品種で、原名をアメリカン・サマー・ペアメンといい、アメリカでは、ごくかぎられた品種ですが、わが国の地味によく合い、品質も日本人の好みにマッチし、北海道、東北地方、長野県あたりで多く栽培されています。暖地の四国や中国地方でも栽培され、重要な品種に数えられています。
ちなみに「祝」という品種名は、大正天皇のご成婚を奉祝して、明治三十三年に名付けられたものだそうです。近頃、すいかやメロンに押され、青りんごの人気は下降線をたどっていますが、穫りたてのものだけに、ビタミンも多く、八月中旬すぎれば、果汁も割合多くなり、祝本来の味がのってきます。
祝りんごは、収穫後、割りと早く果肉が軟化しやすく、とくに暖地産のものは日持ちがわるいので、お買いになるときは、当座必要なだけにとどめ、旅のみやげに籠入りのものをもらったら、早めに食べましょう。反面、他のりんごにくらべ祝種は、皮を剥いてから、褐変《かつぺん》するのが遅い特徴があります。
盛物に林檎のつやや仏の灯 鳴雪
[#小見出し] ど じ ょ う[#「ど じ ょ う」はゴシック体]
夏はアユ、コイ、ドジョウ、ニジマスなど、川魚のおいしい季節。最近は農薬の影響で、産額がめっきり減り、おまけに、ドジョウすくいの人手不足などのため、ときには、ウナギよりも値の張ることさえあります。福岡県の柳川、香川県の琴平、多度津、それに青森県が、天然ドジョウの主産地ですが、河川湖沼の汚染で、年々産額が減る一方なので、養殖を試みる業者が増えつつあります。しかし、ドジョウは冬眠が長すぎ、田畑などに逃げ、歩どまりが悪いため、ウナギのように急に普及しそうにありません。
川に住むドジョウは、梅雨どき、産卵のため、川上へ移動しますが、オスに対するメスの比率は、よく肥えた平野の水域では大きく、山地や狭い平地の貧困な土地柄では、逆に小さいそうです。また、池で飼うのに、餌を多く与えた池ほど、オスよりメスが多くなる傾向があるといわれ、ドジョウの性比は、栄養と住む環境によって変るというのですから、おもしろいものです。
ひぐらしや煮ものがはりの鰌鍋 万太郎
小指ぐらいの小形のドジョウなら、そのままでも、いろいろな調理ができますし、大形のは割いて、頭と骨とを除けば、笹掻《ささが》きごぼうと卵とじにした柳川なべが作れます。これに使うごぼうは、新ごぼうなら、やわらかくてかるいが、よくみのったものなら、薄く笹掻きにして、水にさらすと、シャキッとした歯ざわりが楽しめ、特有のかおりとともに、ドジョウと実によく合います。「おいでた蒲焼きドジョウ汁」というくらいで、脂肪の白けた丸なりのドジョウ汁もあっさりしていて、暑気払いにはよいもの。東京駒形の「どぜう汁」は、大きいのを用い、丸煮にしたもので、野趣のある捨てがたい味を持っています。
[#小見出し] き ゅ う り[#「き ゅ う り」はゴシック体]
夏の前栽《せんざい》だったきゅうり、なす、トマトなど、近頃は一年中出回っています。むかしは、
初胡瓜河童に二本流しけり 師竹
と、いうように、お百姓さんたちは、まず初なりのきゅうりを、水の神――河童《かつぱ》に、供物として棒げてからいただくという|ならわし《ヽヽヽヽ》でした。現代では、初なりやもぎたては、いちはやく市場に運ばれ、もっぱら人間さまが、河童大明神の役割を担っております。
きゅうりは、正しくは「きうり」黄瓜、熟すると、果実が黄色になることから出たものです。「胡瓜」と書くのは、前漢の大旅行家、張騫《ちようけん》が、西域に使して持ち帰ったため「胡の瓜」すなわち「胡瓜」と称したという来歴をもっています。原産地はインド北西部のヒマラヤ山麓といわれ、わが国には朝鮮半島との往来がさかんになった仁徳天皇の御代に渡来したと、古書には記されています。このように栽培の歴史が古いところから、日本の各地に特有の品種が生まれています。
よく熟《う》れたきゅうりを輪切りにすると、切り口が、徳川家の紋所「三つ葵」に似ているので、江戸時代には、旗本たちは「権現様の御紋を食べては畏れ多い」と、これを忌んで、口にしなかったといわれます。生食するほか、わかめ、カニと合わせて、|なます《ヽヽヽ》にしたり、サラダ、漬けもの、刺身のあしらいにもします。また、若いのを板ずりにして、もろみを添えれば、結構な酒のサカナになります。きゅうりもみにするときは、塩をふり、手でおさえてゴシゴシもまず、薄い塩水にひたして、組織の|しんなり《ヽヽヽヽ》するのを待つほうが真味が味わえます。絞るときも三角むすびを握る掌《て》の恰好に、両手を合わせ少しずつ絞るのがコツ。
湖の雨の涼しき胡瓜揉 風生
[#小見出し] い し な ぎ[#「い し な ぎ」はゴシック体]
イシナギはハタ科に属する魚で、成長すると、体長二メートル、体重二百五十キロにも達する大魚です。北海道から南日本にまで広く分布し、とくに北海道で多く獲れ、ふつう四百〜五百メートルの深海の岩礁地帯に棲み、五、六月頃には百五十メートルくらいの浅海に移り、産卵し、幼魚のときは浅海にいますが、成長すると深海に移っていきます。
紀州|和深《わぶか》には、イシナギについて、次のような大師説話があります。むかし、この村に一人の遍路姿の旅の僧が来て、「まことに申し訳ないが、ノドが渇いてたまらないので、水を一杯いただきたい」と、ある漁師に乞うた。「それは定めしお困りでしょう。水はからだに毒ですから、しばらくお待ちください」といって、漁師は忙しい仕事の手を休め、親切に茶を沸《わか》して、接待しました。軒先の石に腰掛けて、お茶をうまそうに飲みながら、僧は沖の方を指して、「この方角の沖合、二、三里の処に、大きな底島(海底の岩場)があるが、そこに大きな魚が棲んでいるから、春先になったら、そこへ行って釣ってみなされ」といって、立ち去りました。
それから、この地では、毎年春になると大魚が獲れるようになり、その僧が弘法大師であることがわかり、いつしかこの魚をダイシウオ(大師魚)と呼ぶようになり、後世、漁師の家の前に大師堂を建て、腰掛け石も祀られ、旧暦正月二十一日には、多くの参拝者があるということです。
春はイシナギが、岸辺に近づく季節です。刺身、塩焼き、照り焼き、煮つけ、吸いものダネと、イシナギは各種の料理に用いられます。また、腹の中の浮き袋からニカワが採れ、肝臓からは良質の肝油が採れます。七、八十センチぐらいのものが美味。
[#小見出し] マスクメロン[#「マスクメロン」はゴシック体]
籐椅子にペルシャ猫をるメロンかな 風生
「メロンは食べるより眺めるもの」といわれるように、ねだんが高く、庶民向きのくだものとは、いいかねるようです。年中出回り、しゅんがないようなものですが、それでも一応出盛り期は、七、八月頃になっています。技術の改良によって、このように真夏でも、品質のよいものが穫れるようになったとはいえ、やはり、夏は味が落ちます。もっとも風味のよいのは、一月頃から三月頃まで。需要期は年二回、七月と十二月。お中元、お歳暮と、主に進物用に使われるため。こうした用い方をするのも、ねだんが高く、ふだんはとても食べられないからです。
原産地はエジプトとも、インド、中央アジアともいわれ、すいかと同じように、古代エジプト時代に、すでに栽培が行なわれ、中世以降、西欧諸国に移入され、十六世紀頃、スペインやフランスでは、すでに多くの品種が知られていました。アメリカには露地メロンが伝わり、地味や気候に恵まれ、世界最大の産地となるほど伸びました。
日本へは明治の初期、アメリカから露地メロンが輸入されましたが、高温多湿のため、生育に適さず、それほど発達しませんでした。大正六、七年頃から市場へ出されるようになりました。主な産地は、静岡県の浜松市周辺と磐田郡、それに愛知県の渥美半島。
たちこむるごとくメロン匂ひ来る 木国
熟すまでは室温、食べる二、三時間前に冷蔵庫へ入れ、冷やしてから食べるとうまい。成分は水分が九十五パーセント、糖質が四パーセント、繊維が一パーセント程度で、すいかよりやや水分は少ないが、それでも九割以上。ねだんの高いメロンも成分は水ばかりということになりそう。
[#小見出し] こ ん ぶ[#「こ ん ぶ」はゴシック体]
周りを海に囲まれた日本は、食用となる海藻は数多く、こんぶをはじめとして、わかめ、のり、あらめ、ひじき、てんぐさ……など、食膳に親しみのあるものだけを拾い上げても、数かぎりなくあります。かつて秦の始皇帝は、不老長寿の薬を求めに、わざわざ家臣を遣《や》って、蓬莱《ほうらい》の島(日本)を訪れさせていますが、その不老長寿の薬とは日本のこんぶ、わかめ、あらめではなかったか、と説く人もあるほどです。
こんぶはわが国に産する海藻中、食品として、もっとも広く用いられているものです。遠く古代から食用に供され、奈良朝の元正天皇の霊亀元年(七一五年)、エゾの酋長、スガキミノコマヒルが先祖代々広布を献上していることを報告しています(『続日本紀』)。形から広布(ヒロメ)、産地から夷布(エビスメ)と呼びならわしていますが、メは海藻類が布に似て広幅であるところから付けられた名で、幅広のものを広布、わかめは小型で和布(ニギメ)とも呼ばれました。一説によると、ひろめの漢字「広布」を、そのまま漢字よみにコウブとよみ、縮めてコブ、音を撥ねてコンブと呼ぶようになり、平安朝の頃から昆布の字をあてるようになった――といわれます。
こんぶの採取期は七月から九月にかけてで、棹をあやつって採取し、砂上に干し、色沢のよしあしを見計らって束ねます。北海道が主産地で、品種はたいへん多く、真こんぶ、三石《みついし》こんぶ、利尻《りしり》こんぶ(俗に煮汁こんぶ)細目《ほそめ》こんぶ、長こんぶなど。また、製法によって長切り、刻み、巻き、細工《さいく》、とろろ、おぼろ、白板、薄雪こんぶといった具合に、名付けられています。
真こんぶは料理用に向き、甘味が強く、とりわけ函館沿岸で採れたものがよく、ダシ用には、利尻、長こんぶが適し、中でも利尻はうま味があり、重用されています。
[#小見出し] 新《しん》 ご ぼ う[#「新《しん》 ご ぼ う」はゴシック体]
削り飛ぶ若きごぼうの香に満ちて みつる
土から抜きたての新ごぼうが出回っています。新ごぼうには、ヒネものにはない繊維のやわらかさと、特有の土のかおりがあります。
ウナギの蒲焼きとともに、夏のスタミナ食として、欠かすことのできない柳川なべのドジョウの相手役として、なくてはならぬものが、この新ごぼうです。土のかおりもすがすがしい新ごぼうが、ドジョウの泥臭さを消し、シャキッとした歯切れのよいごぼうの口当りが、ドショウの野趣を引き立ててくれます。
ごぼうは、地中海沿岸から西アジア方面が原産地。わが国には自生種はありませんが、平安朝のむかしから、根菜の一つとして栽培されていたらしく、延喜十八年(九一八年)に編集された『本草和名《ほんぞうわみよう》』には、「きたきす」一名「うまふぶき」と、ごぼうの古名が記されています。欧米では、ごぼうを食べる習慣が全くなく、野菜として食用に供しているのは、世界中でわが国だけです。新ごぼうの新ごぼうとしての価値は、土のかおりにあるのですから、なるべく土つきのものを買うようにしましょう。ただし、新ごぼうにかぎらず、ごぼうはきわめてアクの強いものですから、てんぷら、きんぴらごぼうなど、生の材料から調理するときは、細く切って、酢を少量落した水に十五分以上さらし、アク抜きをします。ごぼうは皮肌に、もっとも香味と栄養価のあるものだけに、皮をむかず、水にさらすときも、あまり長くさらしてはいけません。
吸いものや、炊き込みごはん、五目ずし、ときには油炒《いた》めにして、甘辛く煮ると、歯ざわりもやわらかく、アクも少なく、季節の味が楽しめます。
[#小見出し] は も[#「は も」はゴシック体]
ウナギ、ドジョウ、アナゴ、ハモ、キス、ハマチ……と、夏の魚は多士済々ですが、その中でも王者格は、ハモということになりましょう。ハモはウナギやアナゴに近い魚で、細長く、ウナギよりは体形が大きく、体長二メートルに及ぶものもあり、本州の中部以南から、インド洋にかけての広い海域を|すみか《ヽヽヽ》とする暖海性の魚です。
京料理からハモとグジ(アマダイ)を除いたら、意味がなくなる――といわれるほど、京都では、たいせつにされるハモも、関東ではおなじみがうすく、料理献立にも登場しません。なぜかといえば、理由はかんたん、関東近海では獲れないからです。梅雨が明けると、不思議に脂が乗り、おいしさを増します。それから秋頃まで、上方のひとたちに口福をもたらし、ことに、七月の祇園祭や天神祭の頃は、おいしいさかりで、夏祭には欠くことのできない|ごちそうざかな《ヽヽヽヽヽヽヽ》です。
水を離れても、割合、長時間生きていて、容器に入れるとき、平がなの「つ」の字になるように置くと、比較的保《も》ちがよい――と、名だたる料理人に伺ったことがあります。交通不便なむかし、山国の京都へ、生きたまま入荷する海産物といえば、ハモとタコぐらいのものだったといわれるのも、このように、ハモが生命力の強い魚だったからでしょう。
焼いてよし、煮てよし、焚いてよし、湯引きしてよし、揚げてよし、ときには高級かまぼこの材料と、ハモはまことに重宝な魚で、上方では数多くのハモ料理が考案されています。この点、魚ヘンに豊という字を隣り合わせて、ハモと読ませるのも、まんざら故ないことではありません。つけ焼きのハモに、米酢《よねず》を合わせた|すしめし《ヽヽヽヽ》をのせ、ふきんで軽く締め、小口に切ったハモずしは、一度口にしたら、生涯忘れることのできない天下の美味です。
[#小見出し] ふだんそう[#「ふだんそう」はゴシック体]
夏菜ぬくや髷に粒置雨細か みさ子
平菜、京菜、ふだんそうなど、夏季、食べる菜類を総称して、夏菜といいます。この中でも、ふだんそうが代表的なものです。関西では、味がよい菜というので、ふだんそうのことを「うまい菜」と、いってます。益軒先生の『菜譜《さいふ》』には「※[#「くさかんむり/君」、unicode8399]※[#「くさかんむり/達」、unicode8598]《ふだんそう》 異名 甜《てん》菜 ※[#「くさかんむり/忝」]《てん》菜 毎月おひ/\にまけば、つねにあり、故に俗にふだんさうと云、はうれんよりさかへやすくして、つくりよし、ゆびきて茎も葉も酢醤油にひたし食す、味はうれんにおとらず、性はよからず、虚冷の人はくらふべからず」――と、記されています。この説明でお分りのように、ふだんそうは、非常に丈夫な植物で、アカザ科に属する越年生の草本。殆ど病害虫におかされることがなく、また、四季を選ばず生育し、葉を次々と摘み取って長く収穫することができるので、庭などに植えておくと、かきちしゃ同様、重宝します。
在来種には、葉の色がやや淡くて、形もやや長めのものと、葉の色が濃く、その形が卵形のものとの二種類があります。後者は、早生種で、ほうれんそうの代用品として、夏の間、葉菜の欠乏する時期に、葉を次々と摘み取って、栽培するには適した品種です。これらの在来種のほかに、外国から輸入された洋種もあり、フランス原産のホワイトリーフと、米国産のシルバースイスチャードなどがそれです。米国産のスイスチャードは味もよく、もっとも優れた品種です。
ちょっと泥くさい匂いがあるところから、嫌うひともいるようですが、慣れると、この泥くささも一種の香味で、捨てられない味をもっています。ゆでておひたし、ごまあえ、汁の実など、用います。アクが強いので(とくに葉の部分)、ゆでてから、水によくさらします。
[#小見出し] な す[#「な す」はゴシック体]
紫紺色もあざやかな、見るからに涼味を誘う露地ものの|なす《ヽヽ》が出盛るようになりました。
なすは特有の風味が、日本人の嗜好《しこう》に合うせいか、数ある夏野菜の中でも、とりわけなじみが深く、煮もの、焼きもの、揚げもの、漬けもの……と、いったぐあいに、むかしから、さまざまな調理法が考え出されています。
お買いになるときは、色つやのいい、押すと弾力のある、皮のピーンと張ったものを。赤茶けたものや、薄紫じみたものは、古くなったものか、皮の固いものですから避けましょう。トゲの多いものは、種子が多く、味も劣ります。一般に、ガクと果実の境が白い部分の多いものほど、やわらかで、おいしいものです。
原産地はインド。いまでもインド東部には、この原種とみられる植物が自生しています。日本には中国を経て渡ったものらしく、その年代は八世紀頃と考えられ、正倉院の古文書に、「なす」の名が、はじめて見えています。年代は天平勝宝二年(七五〇年)です。
日本の各地で、特有の品種が作られ、その形は、長いもの(主に九州や関西地方)、やや長いもの(中部地方)、卵形のもの(関東地方)などがあり、名の知れたものだけでも、五十種を数えるほど、さまざまです。
なすの一般的な食べ方といえば(好みもありますが)、漬けもの。塩漬け、ぬか漬け、みそ漬け、辛子漬け、しば漬け……と、いろいろですが、今頃のものは、俗に「色はなすびの一夜漬け」といわれるように、あざやかな紫紺色を生かした一夜漬けにして、召し上がるとおいしい。
茄子汁の汁のうすさよ山の寺 鬼城
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[#見出し]秋の部〈九月〜十一月〉
[#小見出し] は ぜ[#「は ぜ」はゴシック体]
バス降りしすぐ目の前に鯊を釣る 小鹿
ハゼはバカでも釣れる――といわれ、秋の釣魚としては、むかしから庶民に親しまれ、竿も仕掛けも至極かんたんで、潮のあげ際を利用すれば、一日二百尾ほどの戦果も夢ではなさそうです。秋彼岸に釣ったハゼを食べると、中風にかからないといういい伝えがあり、秋分の日は、むかしから、ハゼにとっては、最大の厄日になっています。バカでも釣れるといわれるのも、種明《たねあか》しをすれば、ハゼが人一倍(?)食いしん坊だからで、ときには、餌のない釣針までも頬張り、あえない最期をとげています。魚籠《びく》の中のハゼを眺めると、いささかグロテスクな表情をしております。まず目の位置が突飛で、跳《は》ねるために用いるのだろうか、胸ビレが異常と思えるほど発達しています。日本産のハゼは約百種。世界中には六百にも及ぶ種類があるそうです。南海に行くと、一メートルくらいのがいるというからオドロキ。
船の上で、獲れたてのハゼを、てんぷらにして食べてもあまった。近所にお裾分けしてもまだある――というときには、腹ワタを取り出し、よく洗って、塩をふらずに白焼きし、煮びたし、甘露煮にします。また、新鮮なうちに焼き、竹串を打ち、藁づとに突き刺して保存しておけば、正月のこぶ巻きや煮だしにも使えます。姿のくずれたのは、弱火でよく煎り、すり鉢で粉末にし、焼き塩を適度に入れ、温かいごはんにかけたり、野菜のおひたしやみそ汁にも入れます。ハゼの卵の塩辛は、酒のサカナに珍重され、ちょっと乙な味のものです。
ハゼはだいたい一年くらいの寿命で、春、卵からかえると、秋には十センチ以上になり、翌春、河口付近に、打ち上げられたハゼの死骸を見ることがままあり、思えば短命な魚であります。
[#小見出し] 二 十 世《せい》 紀《き》[#「二 十 世《せい》 紀《き》」はゴシック体]
稔りに近い稲田に秋風が立ち、空の青さもいっそう冴えて、美しくなって来ました。野に山に秋の訪れを見るのは、これからですが、町にはすでに、秋の前触れのような、いろいろな種類のなしが出盛っています。
いま出回っているのは、日本なしを代表する長十郎と二十世紀ですが、これから十月の半ば頃までが本格的ななしの季節。この頃がまた、なしの食べ頃。
梨売にガードの日影移りけり 秋桜子
十九世紀末の一八九八年(明治三十一年)、渡瀬寅二郎、池田|伴親《ともちか》の二人によって、これからの主役になる品種として命名され、文字どおり二十世紀なしの代表選手になりました。
日本なしの中でも、皮は薄いほうなので、たいていは包紙にくるまったまま、店頭に出ますが、食べ頃の熟れたものは、よほどていねいに扱わないと、傷がつきやすく、せっかくの美しい肌が黒ずんで、醜くなります。もし甘味を砂糖でくらべるとすれば、赤なしは、三温糖の甘味、これに対して二十世紀は、精製された上白糖の上品な甘味にたとえられましょう。
ところで、日本なしは、いつ頃からあったものでしょうか。文献の上では『日本書紀』巻の三十に「詔《みことのり》して天《あめ》の下をして桑、紵《からむし》、梨、栗、蕪青《あをな》等の草木を勧み殖ゑて五穀《たなつもの》を助けしめたまひき」と、出ていますから、八世紀頃には、すでに栽培も相当程度行なわれ、食べていたのはかなり前ということが分ります。益軒先生の『日本釈名《にほんしやくみよう》』(一六九九年刊)によると、「梨とは中白《なかしろ》または中酸《なかすき》という意味」だといわれます。つまり、果肉が白い、果実が芯に近くなるほど酸っぱいということから来たものと思われます。
[#小見出し] グレープフルーツ[#「グレープフルーツ」はゴシック体]
わたくしとグレープフルーツの結びつきは、十五年前に遡《さかのぼ》ります。魯山人先生と世界食べ歩き旅行に出かけた折のこと、最初の異郷、ウェーキ島の待合室でした。朝食に出されたグレープフルーツを口にして「ウーン、こりゃうまい」と、感じ入った次第です。二つに輪切りにして、切り口に砂糖をまぶし、二、三時間冷蔵庫に入れ、ほどよく冷やし、砂糖が溶けた頃合を見計らって出されるのですから、まずかろうはずはありません。グレープフルーツの風味をとおして、アメリカというものを実感しました。
グレープフルーツという名前だけを聞くと、実物を見たことのないひとは、あるいは|ぶどう《ヽヽヽ》の一種かと思うかもしれません。一体どうしてグレープ(ぶどう)フルーツと呼ぶかといえば、実の付き方がぶどうのような房形に見えるから、こう呼ばれるだけで、ぶどうとは全くの赤の他人です。西インド原産の、東洋|文旦《ぶんたん》の実生《みしよう》変種で柑橘《かんきつ》類の一種です。
日本でも、岡山、四国あたりの瀬戸内海に面したところで生産されますが、殆どはアメリカからの輸入品。日本向け輸出の主産地は、西海岸のカルフォルニア、アリゾナの両州です。
一見、夏みかんみたいに見えますが、手に取ってみると、肌のキメも細かく、形にデコボコが少なく、果汁も多く、味、かおり、ともにすぐれています。果肉は薄い黄色(白肉種=ダンカン、マーシュなど)とピンク色(赤肉種=フォスター、トムソンなど)の二種類ありますが、甘さは殆ど変りません。
砂糖の代りに蜂蜜やブランデーを落してもおいしく、お買いになるときは、皮が薄く、大きさの割りに重量感のあるものが、果汁も多くておいしい品です。
[#小見出し] 帆《ほ》 立《たて》 貝《がい》[#「帆《ほ》 立《たて》 貝《がい》」はゴシック体]
『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』によると、「その殻の上の一片は蓋《ふた》の如く、蚶蛤《かんこふ》(アカガイやハマグリ)の輩と同じからず、大なる者は経一二尺、数百群行し、口を開き一の殻は舟の如く、一の殻は帆の如くにし、風に乗つて走る、故に帆立蛤《ほたてがひ》と名づく」――と、帆立貝の名の起りを説明していますが、これは誤りで、動くときは、勢いよく貝殻を閉じながら、俗に貝の耳と呼ばれるところにある二つの噴射口から、水をジェットのように吐き出し、その反動で動くわけです。一度の噴射で軽く一、二メートルは跳び、漁場などで一晩のうちに、帆立貝の大群が姿をかくすことが間々あります。調べによると、一晩のうちに、五百メートルぐらい移動するそうです。
黒海苔は跡へ泳ぐや帆立貝 羊
北海道、東北地方、朝鮮東海岸の寒い海に多産するものですが、南は、日本海岸では富山湾、能登にまで及び、太平洋岸では東京湾に達します。波の静かな内湾の水深数メートルから三十メートルくらいの砂の中に、半ばからだを埋めて棲んでいます。成長すると、殻長二十センチ、左右の幅十九センチ、厚さ四センチほどにもなる、かなり大きな二枚貝です。
美しく均整のとれた二十五条の放射肋(放射肋の数は、必ずしも一定ではなく、十六ないし三十二、通常二十五条)が、まるで扇のように拡がっているところから「海扇」の名でも呼ばれます。産卵期は二、三月頃。漁獲は七月から始め、桁網《けたあみ》・掻網《かきあみ》で、海底をかき起すようにして獲ります。
貝柱はおいしく、貝柱といえば帆立貝の代名詞といわれるくらいで、刺身、酢のもの、お吸いもの、揚げもの、うま煮にして賞味します。煮て干したものは、中国料理によく使われます。
[#小見出し] ま ま か り[#「ま ま か り」はゴシック体]
ママカリは、本名ではありません。和名は、サッパといい、イワシ科に属する体長十センチから二十センチくらいの小さな魚で、サッパと本名でいうより、ママカリと方言でいったほうが、ピンとくるほど地域性の高い、岡山付近特産の魚です。ママカリ(飯借)というユーモラスな名の起りについては、明治のジャーナリスト成島柳北が、備中滞在中の随筆に「その形鰯《いわし》に似て小なり、名をママカリといふ。その魚初めて漁船に上る。漁人これを喰ふに美味なり。一船の飯を食ひつくし、つひに隣船より飯を借りて喰ふ。故に名づけしと」と、記しています。すしめしをママカリの腹に詰めて作ったママカリずしは、たいへんおいしく、隣りからごはんを借りて食べるほど、という意味もあるそうです。
岡山地方では、むかしから酢ザカナ、そのほか、そうざい用に、さかんに利用され、初秋のしゅんには、殊のほか賞味されています。すしには、ほかのイワシ同様、包丁を使わずに、指でさっと頭と中骨と、ハラワタを取り除き、水洗いします。次に軽く薄塩をして、しばらく重ね合わせ、そのあと、醸造酢に砂糖、しょうがなどを加えた調味酢に浸《ひた》して、味のよく浸み込んだママカリを使います。そうして、丸い形のすしに握って「丸ずし」と名付けて親しんでいます。
「ママカリの酢漬け」は、ポリエチレン製の壺や樽に収めたものが岡山名物として市販されていますが、そのままか、またレモンの汁を落して、召し上がります。
外海に面した砂底の内海に棲み、かなり、たくさん群れをなしています。イワシ科に属するといっても、外形はちょっとコノシロに似ていて、コノシロより小さく、それゆえ、コノシロの幼魚とまちがえられることが多いようです。
[#小見出し] 葉《は》とうがらし[#「葉《は》とうがらし」はゴシック体]
とうがらしは畠にも作るし、また人家の庭先にも多く植えます。ナス科に属する辛味植物で、夏季に葉腋に、白色のかわいい小花をつけます。秋に入ると、先のとがった細長い無汁の実が出来ます。はじめは深緑色で、次第に色づいて真紅色になります。
原産地は南アメリカで、ペルーでは、二千年以上経っているという廃墟の中から、とうがらしらしいものの断片が発見されています。また、ペルーの海岸に近い地下には、とうがらしの実を、精巧な刺繍《ししゆう》で描いているインディアンの衣類が見つかったといわれ、それはだいたい一世紀頃のものと信じられています。明の時代に中国に伝わり、桃山、江戸時代の頃にわが国に渡来したといわれ、南蛮から渡ったとも、朝鮮から来たともいい伝えるところから、「なんばんこしょう」、「こうらいこしょう」の異名もあります。
九月に入ると、青々とした葉とうがらしが、八百屋の店先に顔を出しはじめます。葉とうがらしの佃煮を作ってお楽しみください。作り方は、葉とうがらしをうすい塩湯でさっとゆで上げ、アクを抜き、湯を絞って細かくきざみ、空《から》なべに入れて火にかけ、手早くかき回して、水気を乾かします。そこで、あらかじめ煮冷まししてあるしょうゆ(みりんじょうゆか、酒じょうゆ)を、三分の一だけなべに入れ、煮立ったら、葉とうがらしと削りブシの粉を入れ、箸でかき回しながら、炒《い》り煮にして、汁気が殆どなくなったら、残りのしょうゆ半分を入れ、同じように汁気のなくなるまで煮つめ、残りのしょうゆ全部を加えて、汁気のなくなるまで炒り煮します。
唐辛《とうがらし》乏しき酒の肴かな 虚子
[#小見出し] さ ん ま[#「さ ん ま」はゴシック体]
涼風が立ちはじめると、そぞろサンマを焼く煙が恋しくなります。サンマは秋刀魚と書くほか、秋光魚、銅况魚などとも書き、いずれも刀に縁があり、秋の季節感を示しています。関西ではサイラの名で呼ばれ、親しまれています。
八月の末頃、北海道東岸で獲れるサンマは、十パーセント程度の脂肪しかないのに、九月末から十月はじめにかけて獲れる、俗に「近海もの」と呼ばれるサンマは、二十パーセントもの脂肪分を貯えています。ことわざの「サンマが出ると、あんまが引っ込む」のサンマは、栄養価も高く、おいしさもいちだん増したこの時季のサンマを指していったのでしょう。
脂の乗っているサンマは、尾の付け根の部分が黄色くなっていて、強火で焼くと、もうもうと派手に煙を立てます。料理はなんといっても、素朴で原始的な塩焼きが最上。近頃は隣り近所に気がねして、都会地では電気魚焼き器で、蒸し焼きにする家庭が多くなっていますが、これだとサンマ特有の風味が失われ、おいしさが半減してしまいます。
秋刀魚焼く路地の傾斜が大川へ ゆたか
サンマは、やっぱり路地や庭に持ち出した七輪の火で焼きたいもの。焼きたてにだいこんおろしを添え、よいしょうゆで召し上がるのがいちばん。お好みによっては、レモンか、すだちの絞り汁をどうぞ。胆のうから流れ出るほろ苦い味も、たいせつなサンマの味。塩焼きにするとき、二つに切って焼くより、丸ごと焼くと、ワタの油が流れ出るのを防げます。
塩焼き以外にバター焼きにしたり、つけ焼き、みそ焼きにしても楽しめます。サンマの開きのうち、甘塩ものは脂肪分の酸敗《さんぱい》により、味や臭いがわるくなりがちなので、早目に食べること。
[#小見出し] さつまいも[#「さつまいも」はゴシック体]
若月紫蘭の『東京年中行事』九月暦に、「九月にも入って少しく冷気が立つと、本場の川越は勿論、諸方から薩摩芋の新物が盛に輸入される。そして一年中を打《ぶ》っ通しの焼芋屋は勿論のこと、夏の間を氷屋と化けておった焼芋屋は、冷気と共にいつの間にやら逆もどりをして、ほやり/\と火気の立つのを店頭に並べている。少しく涼しい夕方などになると、これらの芋屋の店頭には洟《はな》垂れ娘、小僧、子守、おさんどんなどを始めとして、裏店《うらだな》の神さん、小役人の奥さんまでがどし/\と詰めかけて群をなしつつ、二銭三銭ずつ投げだしてはお芋の焼けるのを一生懸命で待っている。寒くなるに従って、こうしたお客は次第に殖えて行くので、雪の降る晩だとか空ッ風の寒い晩などになると、役所帰りの小役人や書生なんどが懐ろに押し込んで、両手を暖めながら、香ばしい匂いに生つばを湧かしつつ帰って行くというようなことは、絶えずきく話である」(平凡社・東洋文庫版)
紫蘭の描いた「焼芋屋」は、明治後期のものですが、戦前までは、東京、地方を問わず、あちこちで見かけた風景でした。近頃は、手軽に、いろいろなお菓子が手に入るため、間食用に焼きいもに手を出すひとは少なくなっています。
米とくらべると、同じ面積で、一・六倍の人間が食べられるという効率のよいもので、江戸時代以降ずっと、日本民族の食糧難を救ってきた「救荒食物」です。ビタミンB1、C、カロチンも多く、Cでくらべるなら、秋のくだものの六倍ぐらいあり、ごはんとさつまいもでは、同じ量を食べてもさつまいものほうが太りません。「太るからいやだ」と若い女性が敬遠なさる理由は、さらさらありません。ふかしいもにするほか、きんとん、精進揚げにしてどうぞ。
[#小見出し] み る 貝《がい》[#「み る 貝《がい》」はゴシック体]
たゆたゆと船揺れ止まず海松《みる》の岸 香舟女
この句で、お分りのように、みる(海松)は、浅い海の岩礁に着生する緑色の海藻で、むかしは食用にして、用いられたようですが、いまではあまり顧みられず、せいぜい駆虫剤などに使われる程度です。ミル貝の棲むところに、この|みる《ヽヽ》が多く生じ、しばしばこの貝の水管上に、ふさふさと着生することがあるので、この貝が|みる《ヽヽ》を食べるわけでもないのに「ミルクイ」(美留久比)という名が生まれ、またミル貝などともいうようになりました。
『和名抄《わみようしよう》』には「水松ヲ用ヒテ美留ト訓ス、或ハ海松ノ字ヲ用ル」と記され、貝のほうも漢字で「水松貝」「海松貝」と書いて、ミルガイと読ませています。
アオヤギと同じバカガイ科の一種で、この二枚貝は、殻が厚く固く出来ていて、前後の端が開き、とくに後方は卵形の大きな口を開いていて、そこから巨大な水管を突き出しています。この水管を出して、あたりを探るように動くさまは、ちょっと海のカタツムリといった恰好。
水管の長さは、殻長と同じくらい(十〜十二センチほど)で、食用とするのは主にこの水管ですが、黒色の皮をかぶっていて、シワが多く、甚だグロテスクな感じがし、これだけ見ていると、トンと食欲は起きません。貝柱や肉や、外套膜《がいとうまく》を味わう貝は、数多くありますが、水管を主に食べるのは、おそらくミル貝だけでしょう。ミル貝は生食するものだけに生きのよさが身上。塩でみがいて、黒い固い表皮を剥《は》ぎ取り、タテに水管を割いて洗い、さっと霜降りすると、乳白色の身に、ほんのり赤味がさして来ます。特有の甘味があり、刺身にすると、しこしこした歯ざわりが楽しめます。刺身以外に、酢のもの、すしダネにして喜ばれます。
[#小見出し] 洋《よう》 梨《なし》[#「洋《よう》 梨《なし》」はゴシック体]
ひょうたん形をした西洋なしが姿を見せはじめました。八月の下旬頃に、店頭にならぶのは「プレコース」と呼ばれる早生種。原名はドクトル・ジュール・ギューヨと舌を噛みそうな長い名まえです。熟すると、ハダが黄ばみ、見るからにおいしそうですが、味は見かけほどではありません。フランス原産の洋なしです。
つづいて出るのが「バートレット」、「好本《よしもと》号」、「ラ・フランス」。十一月のはじめに、しんがりの「ウインター・ネリス」が登場します。罐詰の洋なしの殆どはバートレットで、最近は赤い肌のバートレット種が出来ましたが、味は前のものと殆ど変りません。好本号は原名アレキサンドリーヌ・デュイラール。フランス生まれで、あざやかな黄緑色をしたもの。熟《う》れるとレモン色に変ります。果肉は白色|緻密《ちみつ》で、汁が多く、甘く、かおりも高い上等の洋なしです。
バートレットは、英国原産の洋なしの代表的品種で、世界中広く栽培され、わが国では長野、山形、岡山の各県で栽培されています。店頭で売られているものは、産地や仲買店で、一週間か十日、冷蔵庫に入れて追熟させたもので、「買ってから二、三日置いたほうがおいしく食べられる」と業者はいいます。この場合は冷蔵しなくてもよいわけですが、見分け方はむずかしく、指先で軽く花落ちのあたりを押して見て、やわらかめのものが、食べ頃のもの。
くだものは、甘みの強いところと、薄いところがあります。むかしから「梨尻柿頭《なししりかきあたま》」と、いわれるように、なしは尻、つまり花落ちの部分がいちばん甘く、食べるときも、柄のあるほうから食べはじめ、花落ちの部分は、最後に食べるようにすると、後味がよい。芯《しん》の近くは固いばかりでなく、酸味がきついので、芯の部分は大き目に取り除いたほうが、おいしく召し上がれます。
[#小見出し] い わ し[#「い わ し」はゴシック体]
鰯雲日和いよいよ定まりぬ 虚子
イワシ雲は、天空に秋がやってきたしるし。豪壮雄大な夏の入道雲とちがい、空の一部に細長く、細かい雲が幾百幾千と、まるで波の打ち寄せるように集まり、ときには魚のウロコのように、また、あるときは、サバの模様に似た形を描きます。高度は五千から一万三千メートル。その形状からウロコ雲、サバ雲などといわれますが、イワシ雲の場合は形状から名付けられたものではなく、むかしから、この雲が現われるとイワシの大漁があるという漁師の口伝によるものです。
イワシは暖かな潮流に乗って、海の上層を遊泳する回遊魚で、日本近海では、冬は東海方面、夏は北海道、日本海方面を群れをなして泳いでいます。そのため、イワシの大群が押しよせると、海の色が変って見えるほどです。たいてい、イワシの群れの上を、カモメが飛びながら尾《つ》いて来るので、カモメの群れを発見すれば、その下にはイワシの大群がいる――と、いわれています。
マイワシ、カタクチイワシ、それにウルメイワシを総称してイワシの名で呼んでいますが、地方によって呼び名がちがい、マイワシをナナツボシ、ヒラゴ。カタクチイワシをシコ、ヒシコ、セグロイワシ。ウルメイワシをダルマイワシ、ドンボなどと呼んでいます。たいていは、その地方で、もっとも漁獲の多いイワシの種類を、単にイワシの名で呼ぶわけです。
丸々と肥え、脂の乗った鮮度のよいマイワシなら、塩焼きにして、熱いうちに、しょうがじょうゆで食べると、なんとも、こたえられぬうまさです。塩焼き以外にも、煮つけ、酢のもの、揚げものと、用途が広く、すり身にして、つみいれ、魚肉だんごに用います。
鰯焼く匂ひか路の余寒哉 白朝
[#小見出し] パイナップル[#「パイナップル」はゴシック体]
パイナップルといえば、戦前は高級くだもの屋さんのショーウインドーに陳列され、一般のひとには、高嶺の花のくだものでした。この頃は、春先になると、八百屋さんの店頭にまで、生パイナップルがたくさん出回り、りんごやみかん同様、買いやすいくだものになっています。
殆どが台湾や沖縄、フィリッピン、それにハワイあたりからの輸入ものです。ウロコのような形をした皮が、びっしりと周りを取り巻き、一見、松笠のように見えるところから、英語で Pine-apple と名付けられました。
和名の「あななす」は、原産地バラグアイのグァラニ・インディアンのことばで、「すぐれた果実」という意味だそうです。弘化二年(一八四五年)、オランダの船で、わが国にはじめて渡来したときのことばが、そのまま使われたのだといいます。フランス、ポルトガル、スペイン、ドイツなどでも「アナナス」という原名そのままを使っています。
一般に、罐詰ものを食べなれているせいか、生のパイナップルは酸《す》っぱいとか、固いとかよく聞きますが、やはり、食べ頃のものでないといけません。メロンと同じように、時季を選んで食べれば、新鮮な風味とかおりは、罐詰ものの比ではありません。
ご家庭では、周りの皮を取って輪切りにして食べますが、これだと食べにくいばかりか、ロスが多い。すいかを割るときのように、タテ四つ切りか八つ切りにし、皮と実の間にナイフを入れて切ると、食べやすく、ムダがありません。おいしく食べるには、やはり、ほどよく冷やします。あまり酸っぱいものは、果肉だけを切り離し、砂糖を加えて煮込みます。
[#小見出し] 秋《あき》 さ ば[#「秋《あき》 さ ば」はゴシック体]
秋が深まるにつれ、魚屋の店先には、縞目《しまめ》もあざやかな秋サバがお目見えします。サバにかぎらず、夏のうちは味が落ちている魚でも、秋になると脂が乗り、うま味を増してきます。丸々と太った秋サバを、焼くなり煮るなりして、口にすると、とろりとした脂が口中いっぱいに拡がり、高級魚のタイやマグロにはないサバ特有のうま味が感じられます。サバにはホンサバとゴマサバの二種があり、秋サバとして喜ばれるのはホンサバ。ホンサバの産卵期は、関東近海では四月、五月頃で、産卵後は|げっそり《ヽヽヽヽ》とやせこけてしまいます。ところが、もともと貪食家《どんしよくか》のサバは、産卵がすむと、さかんに餌を食べ、秋になると、からだ中に脂が乗って、栄養豊かに、味わいはグンとよくなります。脂はサバの瞼《まぶた》にも貯えられ、中には不透明な乳白色になるものもいるほどです。
ことわざの「秋サバ嫁に食わすな」の秋サバは、もちろんホンサバを指したもので、このことわざと対《つい》をなす「秋なす嫁に食わすな」を、世間では、意地悪婆さんの嫁いびりと受取っていますが、わたくしはこの考え方に与《くみ》したくありません。
秋鯖を心祝ひのありて買ふ 翠舟
お買いになるときは、ホンサバを手に入れてください。しゅんのホンサバは、ゴマサバにくらべて、味に格段のちがいがあります。鮮度のよい秋サバなら、酢のもの、〆《しめ》サバ、こんぶ〆、塩焼き、みそ煮、船場汁など、いかがでしょう。
関西のサバの押しずしバッテラはおいしく、とりわけ京都のそれは天下の美味で、若狭産の片身を一本分として、めしを合わせ、薄い白板こんぶを巻き竹皮で〆て包んだもので有名です。
[#小見出し] ぶ ど う[#「ぶ ど う」はゴシック体]
近頃は、ビニールハウスを利用した促成栽培の進歩で、ぶどうの季節感が薄れたとはいえ、露地もののぶどうは、これからが出盛り期。殆ど日本全国で栽培されていますが、主な産地としては、山梨、山形、長野、大阪、岡山、福岡、それに北海道の各道府県で、とりわけ山梨は有名です。ぶどうは大別すると、アジア系、ヨーロッパ系、アメリカ系の三種に分けられ、日本で栽培されているぶどうのうち、甲州ぶどう以外は、明治初年、他のくだものといっしょに、海外から移入した舶来種です。
在来種の甲州ぶどうは、伝説によると、源頼朝が幕府を開こうとする直前の文治二年(一一八六年)、今の山梨県八代郡祝村の入会山中の城の平に祭祀する石尊宮に参詣した折、路傍に自生する一種の蔓植物を見付け、これを自園に移植して培養、苦心の末に三十余房の果実を生み出し、これがとてもおいしかったので、村人たちは喜んで栽培にはげみ、甲州ぶどうの基になったといわれます。今日では、デラウェアをはじめ、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ネオマスカット、キャンベルス、コールマン、巨峰と、数多くの品種が栽培され、味覚の秋に色どりを添えています。一説によれば、『古事記』黄泉《よみの》国《くに》のくだりに、イザナギノミコトがヨモツシコメに追われ「黒御鬘を取りて投げ棄《う》て給ひしかば、乃ち葡萄《えびかずら》の子《み》生《な》りき」。このえびがずらのみ≠ェ、野ぶどうの一種といわれ、一名、いぬぶどうとも、えびづるともいい、山に生えるのは、山ぶどうの名で呼ばれ、太古、すでに日本の山野に、ぶどうが自生していたことを窺《うかが》わせます。
ぶどうは、よく冷やして召し上がるのがコツで、冷やすと味が際立ちます。たくさん食べたあと、すぐ牛乳や水を飲まないように。とくに胃腸の弱い子は、おなかをこわしやすいので。
[#小見出し] とうもろこし[#「とうもろこし」はゴシック体]
唐黍を焼く香に峯雲散りそめぬ 如翠
美術院同人で『河童《かつぱ》百図』を描いて有名な日本画家小川|芋銭《うせん》。このひとに「風」という傑作があり、とうもろこし畑が描かれています。残暑きびしいとうもろこし畑に、風が吹き、|さやさや《ヽヽヽヽ》という葉ずれの音は、もう夏の終りを告げています。
一つ一つの実が、それぞれ、ところを得て、びっしりと並び、赤茶けたちぢれ毛がそこからのぞいています。この毛に似たものは、雌花の子房からのびている花柱といわれるもので、先のほうは、花粉がつきやすいように細かい毛が生えています。風に運ばれて、柱頭についた花粉は発芽して、花柱の中を五十センチも花粉管をのばし、子房まで達します。粒の性質によって、硬粒種、甘粒種、爆粒種などと呼ばれますが、とうもろこしの品種は、おどろくなかれ、数千の種類があります。このうち、食用に供されるものとしては、硬粒種がもっとも多い。
原産地はアメリカ大陸の熱帯地方だという説が有力です。アメリカ発見当時、すでにインディアンたちによって、広く栽培されていたといわれます。コロンブスによってヨーロッパに持ち帰られ、三、四十年で欧州全土に分布し、その後、中国を経て、日本には天正七年(一五七九年)に、ポルトガル人によって招来されました。しかし、作物として本格的に栽培されるようになったのは、明治以降、北海道が開拓されるようになってからです。今日でも北海道は、日本最大の産地で、主に粒の大きな硬粒種(ロングフェロー)が、広い地域にわたって栽培されています。最近は、冷凍や罐詰ものが数多く出回り、年中手に入れることができますが、やはり、季節のものの味には及びません。焼いたり、蒸したりするとき、火かげんに気を配り硬くしないのがコツ。
[#小見出し] い ち じ く[#「い ち じ く」はゴシック体]
秋になると、葉隠れに大きないちじくが紫色に熟《う》れて、甘美な匂いが、庭先へ雀や蜂や蟻を招き寄せます。早いものですと、もう八月下旬頃に市場に姿を見せはじめますが、出回りの期間はごく短く、最盛期は九月中頃。この頃が、ちょうどしゅん。いま頃、くだもの屋の店頭にならぶものは、殆どが「桝井ドーフィン」種。少し遅れて、在来種の「蓬莱柿《ほうらいし》」が出回ります。前者は大果で、風采はなかなかりっぱなものですが、ボロボロして粘りがなく、甘味もかおりも乏しく、大味です。後者は、俗に「日本いちじく」と呼ばれ、南国からの渡来種ですが、すでに三百年も前から日本で栽培され、親しまれて来たものです。果実は小さく、果皮は紫色がかった褐色をしていて、厚手ですが、やわらかい品種。中身は赤く、甘味は多く、粘りは少なく、うまいいちじくです。
無花果の熟るゝ夜なり何か欲し たかを
原産地は小アジア地方といわれ、古く地中海沿岸の諸国に伝わり、中世にはスペイン、ポルトガルでさかんに栽培され、次いで新大陸諸国に伝わりました。いずれにしても、古い果樹で『聖書』の中にも、しばしば登場しています。いちじくは一熟の意だといわれるほど熟するのが早く、市場でも「その日勝負」といわれ、甚だ日持ちの悪いくだものだけに、買ったら、できるだけ早く召し上がること。胃腸の働きをよくする効能があり、病人でも、一つや二つは大丈夫。胃腸の弱いひとは、自庭に数株のいちじくをつくっておくとよいでしょう。
無花果を病者がとれり日に一顆 晴朗
[#小見出し] い ぼ だ い[#「い ぼ だ い」はゴシック体]
イボダイはマナガツオ科に属する魚だけに、しゅんの鮮度のよいものならみそ漬け、照り焼きにすれば、並みのタイ以上に、いい味を持っているのに、疣《いぼ》を連想させるところから、食わずぎらいのひとたちに、不当な評価を受け、ずいぶんと損をしている魚です。東京あたりでは、エボダイとなまっていい、関西ではウボゼ、下関ではナツカン、シュス、舞鶴ではヨヨシ、高知では多量の液がヨダレのように流れるからでしょうか、ちょっとひどい名のバカ、瀬戸内海では、クラゲの傘の下に泳いでいるというので幼魚をクラゲウオ。体形は確かにマナガツオに似ていますが、ずっと小形で、成魚になっても、十七、八センチ。小柄なのと腹ビレのある点が、マナガツオとちがいます。
からだは幅広く、平たく、鼻先が円く、口が小さく、皮は薄くて、ウロコが落ちやすく、全身が粘液で覆われていて、網にかかって苦しむと、いちじるしいほどの粘液を分泌させ、しばしば漁師たちを手こずらせます。魚屋に出回る頃は、このウロコも粘液も殆ど落ちて、ありません。
元来、鉛色の皮肌の白身魚ですが、やや黒ずんでいるほうが、イキがいいようです。マナガツオが冬うまいのにくらべ、イボダイは六月末頃から十月のはじめにかけておいしく、店では煮魚、焼き魚にすすめていますが、フライにすると、存外おいしくいただけます。
しかし、なんといってもおいしいのは、みそ漬け。三枚におろして、薄塩にし、洗って拭いて、白みそに漬けた西京漬けに、かなう食べ方はありません。また、頭を落し、二つ三つに切って、ゆでておき、うど、さやえんどう、生しいたけを入れた|だし《ヽヽ》を作り、イボダイを汁の中で温めてから、そぎゆず、木の芽とともに盛っての椀ダネもいけ、ちりなべ、バター焼きも。
[#小見出し] ざ く ろ[#「ざ く ろ」はゴシック体]
「石榴《ざくろ》の花が咲きました。陶器で出来たやうな厚手で丈夫な外殻《から》に、幾枚もの花びらがくしやくしやに畳み込んであるのを見ると、数多くの実を孕《はら》むものの、用意の周到さを思はずにはゐられません。秋も末になつて、豊熟した石榴の実が、くわつと口を開けて高い枝にぶら下つてゐるのを見る時は、貴重な赤絵の陶器皿を空高く投げつけて、やがて落ちて来るのを待つ間のやうな、危つかしさと焦燥《もどか》しさとを感じるものです。」(薄田泣菫)
『和名抄《わみようしよう》』によれば、日本に伝わったのは延長年間(九二三年、平安時代)、中国からだといわれ、朝鮮ざくろは享保九年(一七二四年、江戸時代)に渡来したといわれます。はじめはもっぱら観賞用よりも、薬用、工芸用(鏡磨き)だったようです。『職人歌合《しよくにんうたあわせ》』(明応年中、一四九五年頃)に、「水かねや柘榴《ざくろ》のすます影なれや鏡と見ゆる月のおもては」の歌が載《の》っていますが、果実のしぼり汁を、むかしは柘榴酢と称して、もっぱら、鏡を磨くのに用いました。
東京あたりには、山梨産のものが出回っていますが、量的にはごくわずかで、たいていナイフを入れて内部を広げてあります。八重咲きのものは実ができず、実のなる単弁種には、甘いもの、甘ずっぱいもの、酸味のあるもの、苦味のあるものの四種類あります。現在、出回っているのは、このうちの甘いもの、果皮の色が濃い紅色をしたものがおいしいようです。日持ちはわるく、せいぜい三、四日。生食するほか、ジュース、ゼリー、シロップ(グレナディン)とします。
また、ざくろの根皮、果皮、また樹皮は「石榴皮《せきりゆうひ》」の名で薬局方に載っていて、条虫駆除、水虫駆除、やけど、あるいは下痢止めなどの目的に使用されます。
[#小見出し] さ と い も[#「さ と い も」はゴシック体]
お月見には、月見団子といっしょに、掘りたてのさといもの子(皮を剥《む》かずに蒸したきぬかつぎ〈衣被〉)を三方《さんぽう》にのせ、月に供えます。そのため、八月十五夜を一名「芋名月」ともいい、俳句では秋の季題になっています。
蒸し上げて、ほどよく塩かげんした小いもをつまむと、やわらかい皮を破って、白い小いもが飛び出してきます。平安時代以来、高貴の婦人が外出する際、顔をかくすために、かぶりものとして用いた単衣《ひとえ》の小袖《こそで》――衣被《きぬかつぎ》を連想したのでしょうか、衣被とは、よくぞ名付けたものです。
京都では、衣被を三方に盛るにも、平年とウルウ年では数がちがい、平年には十二個、ウルウ年には十三個盛るのが、旧家のしきたり。
さといもは、セイロン、スマトラ、マレーなど、東南アジアが原産地で、日本には古くから伝わっていますが、栽培の起源ははっきりしません。山野に自生する山いもに対して、黒いもは里――すなわち村に作るために里いも(畑いも、家いも)の名が生まれたといいます。品種は非常に多く、葉柄の色によって、赤茎種と青茎種とに大別できます。
近頃では、きぬかつぎまで、出はじめてから、きれいに皮を剥き、有害な漂白剤でさらしたものが売られ、しかも、このほうがねだんも高く、味わいは皮つきのものにくらべると、はるかに落ちます。泥つきの小いもが少なくなったのは、手を汚すのをきらう無精な主婦が多くなったせいですが、一面、皮を剥いて洗うとき、手がむずがゆくなるからで、これを防ぐには、重曹や灰汁《あく》、食塩などを加えればよいのです。うま煮、おでんダネ、汁の実などに用います。
芋煮えてひもじきままの子の寝顔 季野
[#小見出し] し ょ う が[#「し ょ う が」はゴシック体]
江戸では、そのむかし、八朔《はつさく》(旧暦八月|朔日《ついたち》のこと)に、しょうがを用いる|ならわし《ヽヽヽヽ》がありました。もともと八朔という日は、田《た》の面《も》の節供《せつく》、田《た》の実《み》の節供ともいい、豊民の代表が田の実――稲の生育を神に祈願して、早くも実った稲を折敷《おしき》に載せて、天皇へ贈ったことから、憑《たの》みの節句の祝いとなり、これがいつの間にか、「頼み」と解釈され、主筋へ物を贈る習慣に転じたといわれます。農家では、稲の稔りを祝う日として、親戚縁者を招いて宴を開き、その年にできたしょうがを配ることになっていました。
清元『北洲』に「はや八朔の白無垢の……」とあるのは、天正十八年(一五九〇年)八月朔日に、徳川家康が江戸城に入城、その後、江戸開府記念日というところから、毎年この日に諸大名は、江戸城へ参集して、将軍へ祝いの詞を述べることになっていました。そのとき、白帷子《しろかたびら》を着て、伺候したので、江戸のひとたちは八朔帷子といって、この日から帷子を着る時期としていました。のちに、この|ならわし《ヽヽヽヽ》が遊里にまで及び、吉原の遊女は、この日ばかりは、みな白無垢を着たからだといわれます。
現在、栽培されているのは、明治以前からの在来種です。しょうがを一名「はじかみ」というのは、「端赤《はしあか》」が訛《なま》ったものとも、「歯蹙《はじかみ》」つまり、辛くて歯をしかめる意だともいいます。
古来、医薬品として、健胃剤、発汗剤として利《き》きめがあるばかりでなく、料理のツマとして、酢どった若芽の筆しょうが、繊にきざんだ針しょうが、また、魚肉の匂いを消すのに使われます。そのほか、時雨《しぐれ》煮《に》、大和《やまと》煮に入れるへぎしょうが、刺身じょうゆには欠かせぬおろししょうがと、数少ない日本の香味料の中で、しょうがは、ずば抜けて用途の広い材料です。
[#小見出し] さ わ ら[#「さ わ ら」はゴシック体]
魚ヘンに春、鰆という字をサワラと読ませるところから、一般にサワラは春の魚のように考えられていますが、駿河湾では、秋になると、サワラがよく獲れはじめるので、西伊豆地方のひとたちは、サワラを秋の魚だと思っています。
サワラはサバ科の中の、サワラ亜科に属し、暖海に棲む魚で、サバやカツオの一族だけに、その体形もサバ、カツオ、マグロなどに似ていますが、やや細長く、体長は一メートルにも達します。ウエストが狭く、細長い形をしているので、むかしのひとは、「さごし」(狭腰)と、そのものズバリの名を付け、今日でも関西以西では、サワラをサゴシの名で呼んでいます。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ 草堂
四、五月頃、産卵のため、外洋から瀬戸内海に入り、この時期が、サワラの最盛期で、引縄、流し網、刺網などで捕獲し、広島の名物一つに数えられています。そんなところから、俳句の季題ではサワラを文字通り春の魚として扱い、関西でのしゅんは五、六月になっています。
一方、東京方面では、秋サワラを賞味するせいか、東京を中心に考えるサワラのしゅんは、晩秋から冬になっています。俗に寒ザワラといわれるのは、寒中に獲れるサワラのことで、この頃になるとサワラの身は締まり、脂の乗りぐあいもよいので、厚切りの刺身にして賞味します。
肉がやわらかく、水分が多いため、サワラは煮ものには不向きな魚で、乱暴に扱うと身割れを起しやすく、三枚におろすときも、中骨に割合身をつけておろす、いわゆる「大名おろし」にするのがふつうです。照り焼きにするときは、みりんで和らげた白みそに、二日ほど漬け込んでから、ほどよく焼くと、味わいがいちだんと深まり、サワラの真味が味わえます。
[#小見出し] し い た け[#「し い た け」はゴシック体]
しいたけは、海産物のこんぶ、カツオブシとともに、日本の世界に誇れる天然調味料です。もちろん、だし用に使われる干しいたけですが、むかしから、日本料理のおすましや料理の煮こみに用いて大事にされてきました。中国料理にもかおりと味がよく合うというので、干しいたけがさかんに用いられ、むかしから、日本産のものが中国へたくさん輸出されていました。鎌倉時代のはじめ、真実の仏法を求めるため南宋に渡った道元が、かの地で最初に出会った人物は、「だしにするしいたけがないため」わざわざ四、五里の道のりを歩いて、日本船に買いにやってきた阿育王山《あいくおうざん》の一老僧でした。この典座《てんぞ》(寺院で食事の世話をする役目の僧のこと)役の老僧を通じて、道元は日常生活(ことに食生活)において、いかに仏道修行が行なわれなければならないか、ということを身に沁《し》みて知らされるわけですが、そのキッカケを作ったのは、ほかならぬだし用の干しいたけだったのです。
座敷にて椎茸干して山家かな 一如
産地からは一キロの箱入りや、百グラムの袋入りで入荷し、店では箱入りを皿盛りにして売っています。新しいものは、肌に艶がありますが、古くなるとカサカサしてきて、裏側のヒダの部分が、やや黒ずんできます。石突きを取って手のひらに載せ、表側をポンポンと箸でたたくと、裏側についた汚れがよく落ちます。生しいたけの厚手のものは、バター焼きにするとおいしく、また、まつたけのように焼いて、熱いうちに塩をかけるなり、ポン酢じょうゆで召し上がると、いっそう風味が楽しめます。このほか、煮もの、汁もの、五目ずし、揚げものと、用途は広く、とくに、これからの季節は、なべものの中に加えることをおすすめします。
[#小見出し] 毛《け》 が に[#「毛《け》 が に」はゴシック体]
ケガニのすみかは、タラバガニと同じような場所ですが、タラバがハナサキガニと同じく、五番目の足が退化して、ハサミをふくめて足は四対の、ヤドカリ仲間の雑種のカニなのにくらべ、ケガニはズワイガニとともに、十本足の正統派のカニ。全身、こげ茶色の密毛で覆われているため、ケガニの名で親しまれていますが、本名はオオクリガニ。三、四年で親になり、甲羅《こうら》は十五センチぐらいになり、寿命は七、八年と考えられています。あの固い甲羅を脱いだり、また、作ったりするので、一朝一夕には大きくなりません。カニたちは総じて、脱皮するたびに大きくなるもので、ケガニの場合、メスはオスにくらべ、極端に小さいのも、オスは毎年一回、キチンと脱皮するのに、メスはそれほどひんぱんにしないからだといわれます。
北海道をはじめ、北陸、三陸沿岸で、たくさん獲れ、出盛りの十二〜一月頃には、オホーツク海で獲れたものも多く出回ります。東京には、ときどき北海道から生きているものが空輸されて来ますが、殆どはゆでたものか、冷凍もの。生きているものは、ゆでたものより三、四割高い。冷凍ものは酢と塩を少し落した熱湯に入れ、もう一度ゆがいてザルに揚げます。こうすれば、肉にふくまれている水気が取れるし、安全でもあります。
五、六月が産卵期のため、晩秋から冬にうま味を増します。二杯酢かポン酢じょうゆに浸《つ》けて食べるとおいしく、あらかじめ食べやすいように、足、本体ともに包丁目を入れておくのが親切。
夕河岸や盤台しろき蟹の腹 小波
姿売りのカニが白い腹を出して並べられているのは、体内の汁が出ないようにとの配慮から。
[#小見出し] 落《らつ》 花《か》 生《せい》[#「落《らつ》 花《か》 生《せい》」はゴシック体]
木の実はもちろん、くだものや草の実などを総称して「ナッツ」の名で呼びますが、こうしたナッツの中で、もっとも普及しているものといえば、ピーナッツでしょう。ナッツはナッツでもピーナッツは、木の実どころか、草でも地上部になるものではなく、土の中に結んだものを掘り出して穫るもの。
マメ科に属する一年生の草本で、夏から秋にかけて蝶形の黄色い花を葉腋に開きます。花は長い筒のようになった|がく《ヽヽ》(萼)の先についていますが、子房はその底の方についています。受粉すると、房の基の部分が長く伸びて地中に入り、地中でサヤを結びます。落花生とか地豆という和名は、これから生まれました。英語でも「グランド・ナッツ」の別名があります。
原産地は、南アメリカのブラジルともペルーともいわれ、また十六世紀初期、サントドミンゴ(中米ハイチ島)で、はじめて発見されたともいわれています。わが国に伝わったのは、中国からのようで、南京豆、唐豆、唐人豆、蕃豆《ばんとう》などと来歴を示す名まえが付いています。すでに『大和《やまと》本草《ほんぞう》』(宝永六年、一七〇九年刊)にも、その名が記されています。
炒《い》って食べるほか、お菓子の材料として重宝がられ、香ばしい風味をもち、ビールのつまみとしても喜ばれます。また、くるみやごまと同じように、すりつぶして味をつけたものを、あえものにしたり、とうふを作ったり、ピーナッツバターにして、パンにぬって食べたりします。
ピーナッツは、噛まないで食べると消化がわるいですが、よく噛んで食べれば、栄養価の高い食べものです。俗に「たくさん食べると鼻血が出る」といわれる位ですから、ほどほどが肝心。
落花生喰いつゝ読むや罪と罰 虚子
[#小見出し] め ぬ け[#「め ぬ け」はゴシック体]
大洋の上層というのは、学問上では、日光の透達《とうたつ》し得る最大低度までをいうのだそうです。この範囲は、生物がもっとも多く生活しているところで、これより下を常の|すみか《ヽヽヽ》としているのが、深海動物です。
日光が海中に透達する深度は、ところによって甚しくちがいますが、ふつうは四百メートルを限度としています。この日光の透達できる限界付近に棲んでいる深海魚や、深海産のエビなどの特徴といえば、特別に大きな眼を持っていることです。それは、これらの動物が、|たそがれどき《ヽヽヽヽヽヽ》のような薄明の中から、充分に光を集めようとするため――だといわれます。
深海魚のすべては肉食性です。なぜなら、彼らの棲息地帯には、植物が生育するのに必要な日光が達しないので、植物の生育を許さないからです。
こうした深海に棲む魚にもおのずから区分があるそうで、第一の層(四百から千二百メートル)に棲む深海魚の外形は、上層魚に似ていて、とくに眼玉の大きいものが多く、その層でもだんだん深くなって行くと、こんどは逆に眼が小さくなり、その働きが殆どなくなり、その代り触鬚《しよくしゆ》を持つものが増加し、第三のもっとも深い所(三千六百〜八千メートル)では、メクラのものばかりになり、からだの割合にくらべ、頭や口も非常に大きくなるそうです。
メヌケはメバル科メヌケ属に入るオオサガ、バラメヌケ、アコウ、サンゴメヌケなどの総称で、深海魚特有の大きな眼を持ち、どれも一様に赤い色をした魚です。東京ではメヌキ(目抜)といいます。これから冬にかけて出回り、おいしい時季になります。煮魚にするとおいしく、脂のきつい白身魚なので、塩焼きにしてもいけます。保存用にかす漬け、みそ漬けにしてもうまい。
[#小見出し] 早生温州《わせうんしゆう》みかん[#「早生温州《わせうんしゆう》みかん」はゴシック体]
真っ青な青切りみかんが店頭から消え、代って色づいたみかんが出回る頃ともなると、いっそう秋の深まりを覚えます。
暮色濃き町を遠みに蜜柑園 正雄
九州産の早生温州は、八月末頃から顔を出しますが、酸味がきつく、初物買いの楽しみはあっても、味はまだ本調子ではありません。十月頃から、四、五分程度色づいた早生温州が出回り、半ばをすぎ、十一月になると、酸味は少なくなり、味も本格になってきます。ただし、甘味や風味は、本温州にくらべると、やや劣ります。
わが屋前《にわ》の花橘は散り過ぎて 珠に貫《ぬ》くべく実になりにけり
『万葉集』巻八に登場する大伴家持の歌。この歌をはじめ『万葉集』には「たちばな」が六十六首も歌われております。たいていは果実よりも花のほうで、みかんにかぎらず、ゆず、だいだいも「たちばな」と総称していたようです。
みかん(柑橘類)は、オレンジベルトといって、赤道を中心として北に四十五度、南に同じく四十五度の幅で、地球をぐるりと回っている熱帯、または亜熱帯と呼ばれるところで生産されます。各地域地域に、独特の品種があり、世界中では、みかんの種類は何百種にも及びます。
十月頃の早生温州は、特有のかおりや新鮮さを生かして、サラダの色どりに使ったり、蜂蜜や砂糖を加え、ミキサーにかけ、生ジュースにしても、季節の味がタンノウできます。
みかんの糖度は、多く産地の土地柄に影響されますが、その年の気象条件にも左右されます。概して干ばつ気味のときのほうが、形は小さくても、糖度、酸味ともにまさるようです。
荒涼たる中に蜜柑の甘き吸ふ 誓子
[#小見出し] マッシュルーム[#「マッシュルーム」はゴシック体]
マッシュルームは戦後派西洋きのこです。敗戦後、駐留軍の需要と、戦時中に掘った各地の大型防空壕がマッシュルームの栽培に適しているというので、|あちこち《ヽヽヽヽ》で栽培がはじめられ、品質も日本産のものは一定していることから、にわかに世界の注目を集めるようになりました。
マッシュルームは英語で、きのこの総称。フランス語ではちょっと粋《いき》な感じのシャンピニオン。和名は西洋まつたけ、またの名を馬糞《ばふん》たけ。このちょっとエゲツない和名もそれなりの理由はあるのです。戦前、栽培されていたところが競馬場や騎兵隊の兵舎の近くで、事実、馬糞を利用した栽培が行なわれていたからです。戦後はわが国独特の稲わらを使った栽培法が開発され、昨今では人工肥料による栽培が殆どです。堆肥はホルマリン、硫黄、蒸気で完全に殺菌され、堆肥を積む土までも蒸気で殺菌してしまいますので、マッシュルームは非常に清浄な|きのこ《ヽヽヽ》といえます。日本でも北海道の牧場などに自生しているものがあるそうですが、やはりヨーロッパに多く、牧場に直径二十〜三十メートルという輪を描いて発生し、これらの発生前に菌糸がはびこり、地面が暗緑色を呈することから、むかしのひとたちは、夜、妖精が出没し、おどりをおどった跡だと信じ、今でも「フェアリー・リング」(妖精の輪)といっているそうです。
全体にやや固い肉質で、外側も中も純白のきのこで、収穫してから空気にさらしたままにしておくと褐色に色変りしてしまいます。塩水につけてから洗い、バター炒《いた》めにしたり、レモン汁と塩をふって、アルミ箔に包んで焼くとおいしく、また、グラタン、みそ汁の実にしても乙なもの。ただし、松たけ流に香気をアテにしては的はずれ。舌ざわりとだし汁に味のポイントがあります。
[#小見出し] ほ う ぼ う[#「ほ う ぼ う」はゴシック体]
ぶこつな頭、スマートな朱紅色の胴体、それに、表が赤、裏が緑という派手な大きい胸ビレ、その胸ビレの下ほうの筋が、三本ずつ足みたいになっている魚ホウボウ。水族館などでは、ひときわ目につき、人気を呼んでいる魚です。
ちょっと見たところ、カナガシラに似ていて、しろうとには、区別のつけにくいことがあります。実際に地方によっては、両方ともカナガシラといっているところもありますが、たいていのところで区別をつけています。それはホウボウのほうがおいしく、吸いものダネとしては上等品で、それだけに相当値段の高い魚だからです。
方言が多く、福井あたりではホウホウ、山口ではカナガシラ、石川ではキミ、秋田ではドコ、新潟ではキミヨ。キミヨまたはキミというのは、君魚の意で、むかし、その地方の高貴のひとたちだけが食べる魚で、ふつうの一般の庶民が口にする魚ではないという意味です。
魴※[#「魚+弗」、unicode9b84]の泳ぎやめたる鰭たたむ しゅこう
東北地方では、お正月などのめでたいときの膳部に、タイの代りに、尾頭つきとして、よくホウボウが選ばれ、これを焼いて食べるそうですが、あの物々しい四角ばった頭、姿に似合わぬ胸ビレのいかめしさ、なんでそれほどまでにめでたい魚に見られたかといいますと、同じ仲間に例のカナガシラがあり、その名から来た縁起が一つと、また、あの鎧《よろい》を着、兜《かぶと》をかむったような姿が、武家の間で喜ばれたということも、一つの理由になっています。
骨が太いので食べられる部分は、四割程度しかありませんが、白身で淡泊な味が売りもの。吸いものダネのほかに塩焼き、ちりなべなどにして賞味します。
[#小見出し] は つ た け[#「は つ た け」はゴシック体]
生えているきのこで、秋早く出るので、この名が付いています。高さ五、六センチ、傘はさしわたし五、六センチで、中央はちょっと中へへこんでいて、じょうごのような形をしています。
子どもの頃、両親に連れられて、家の近くの黒松の防風林で、はつたけ狩りを楽しんだものです。たいていは前日雨が降り、秋としては「少し暖ったかいな」と思えるような日和《ひより》を選んで出かけます。こういう日には、はつたけが大きく育っていて、見つけやすく、一つ見つけるたびに「あった、あった」と、大声張り上げて喜んだものです。一つあると、その周りに、必ず三つ四つは探せます。ベテランともなると、大声張り上げて、他人に、はつたけの在りかを教えるようなことはせず、ひたすら黙々と採集し、一段落して、林を出て落ち合うと、ザルにいっぱい採っていて、してやられたと思うこと、しばしばでした。
初茸やまだ日数経ぬ秋の露 芭蕉
多いのは、はつたけの中でも「あかはつ」、または「ろくしょう」といわれるもので、きのこ関係の本を見ると「アイタケ、エエタケ、ロクショウモタシ」などと方言のあるものと、「ルリハツタケ」(方言アオハツ、アオゾラハツ)といわれるものです。傷がつくと、たちまち、その部分が緑青色《ろくしよういろ》に変るので、「猫じゃらし」(えのころぐさ)の長い茎を一本引き抜き、はつたけの傘から柄に次々に刺しとおし、傷つかぬように、ぶら下げて持ち帰るのが、ならいでした。
石突きをさり、塩水に浸してよく洗い、細かに切ってすましやみそ汁の実にしたり、あるいは「きのこめし」にしてもおいしいものでした。
[#小見出し] かたくちいわし[#「かたくちいわし」はゴシック体]
イワシは、漢字で魚ヘンに弱と書かれるほどの臆病者です。敵の目をあざむき、おのれを大きく見せようと、生まれつき群れをつくるのが非常に巧みです。先日、ディズニーの記録映画「水の世界の驚異」を見ていたら、カタクチイワシの群れが出て来ました。イルカの攻撃を防ぐため、何千何万という数のイワシが実にきれいな球体を作り、整然と泳ぎ、ときどきアタックするイルカに群れを乱されるものの、すぐ隊列を整え、前よりも整然とした球体の群れを作って泳ぎ回ります。長い間かかって身につけた習性とはいえ、実に美しいものでした。
イワシといえば、思い出されるのが紫式部の話。式部はイワシが好物でした。当時、上流階級のひとたちは、イワシを卑《いや》しい魚として軽んじ、殆ど口にしませんでした。
夫の留守をよいことに、ひそかにイワシを賞味した式部は、口をぬぐってそしらぬ顔をしていましたが、その臭い匂いまでは隠すことが出来ず、帰宅した夫に早々感付かれてしまいました。夫、左衛門宣孝は、「むげにいやしきものを好み給ふものかな」と、たしなめました。そこで、黙って引き下がるような式部ではありません。即座に「日の本にはやらせたまふ石清水《いはしみず》まゐらぬ人もあらじとぞ思ふ」(石清水八幡宮にイワシということばをかけて、そのお宮に誰もがお参りするように、イワシも食べないひとはないでしょうという意)と、詠んだので、さすがの夫もこれには参り、それ以後、夫婦仲良くイワシを食べたそうです。また、これから、イワシのことを、「紫《むらさき》」というようになったといわれます。刺身、塩焼き、煮つけ、真蒸《しんじよ》などにしたり、塩蔵もし、また目刺にするほか、天日乾燥して、正月のおせちに使う五万米《ごまめ》などに加工します。
[#小見出し] は く さ い[#「は く さ い」はゴシック体]
はくさいは明治以前の日本にはなかったもので、明治初年、東京の博物館に、はくさい三株がお隣りの中国から出品され、そのうちの二株が愛知県試作所に払い下げられ、これから種を採り、栽培のくふうを重ね、愛知はくさいの基となったといわれます。そのときはあまり普及せず、その後、日清・日露の戦役で、中国のはくさいを味わったひとたちによって種子が持ち帰られ、急激に普及するようになりました。
ヨーロッパの地中海沿岸の|なたね《ヽヽヽ》が原種で、これが中国に入って改良され、つけな(菘)類ができました。結球はくさいは、その一種です。ちなみにアブラナ科中、種子の改良されたものが、|なたね《ヽヽヽ》・|からしな《ヽヽヽヽ》となり、根の改良されたものが、|かぶら《ヽヽヽ》・|だいこん《ヽヽヽヽ》に、葉の改良されたものが、つけな類・キャベツとなりました。現在、東京市場へ出荷する産地は、茨城が第一で、千葉、埼玉がこれに次ぎ、栃木県からも多く出荷されています。
白菜のトラック着くや軒低く 天外
お買いになるときは、寸が短く太く、巻きがしまっていて、どっしりと重く、株の切り口の新鮮なもので、葉先がちぢみ、黄色味を帯びたものを選びましょう。はくさいというと、どなたもすぐに漬けものを連想しますが、くせのないやわらかい味は肉や卵などとも相性がよく、どんな味つけにもよく合います。はくさいを外側、中側、芯《しん》の三つの部分に分け、調理法を示すと、外側は巻きもの、蒸しもの、炒《いた》めもの、煮もの、漬けもの。中側は漬けものはもちろん、煮ものにも向きます。芯はやわらかですから、あえものがいちばん。また細かにきざんで、生のまま、カツオブシとしょうゆで召し上がると乙なものです。
[#小見出し] く る み[#「く る み」はゴシック体]
くるみという植物は『和名抄《わみようしよう》』に、漢の時代、張騫《ちようけん》が西域に使いし、還るとき、これを得た――と記されています。そのためか、漢字では来歴を示すように「胡桃《くるみ》」と、胡の字が冠せられています。日本に渡来したのは、かなり古いことらしく、確かな年代は分りませんが、和名の「くるみ」というのは「呉(くれ)の実《み》」ということだそうで、「くれ」がなまって「くる」となり、この樹が輸入植物であったことを窺《うかが》わせています。
もっとも、この樹は、日本に自生していなかったわけではなく、「鬼ぐるみ」と称する果皮に深いシワのある品種などは、北海道をはじめ、福島、信州、丹波などに自生していたようです。
日本にある品種としては、自生種の「鬼ぐるみ」「姫ぐるみ」のほか、農産物として取り扱われている「菓子ぐるみ」「手打ちぐるみ」「信濃ぐるみ」などの、いわゆる栽培種があります。菓子ぐるみは、ペルシャぐるみを基本種とする欧米種の輸入ぐるみ。手打ちぐるみは、ペルシャから中央アジアを経て、中国に渡来し、中国、あるいは朝鮮から移入した品種。信濃ぐるみは、両者の自然交配によって出来た中間種です。
垢じみた袷《あはせ》の襟がかなしくも 故郷の胡桃焼くるにほひす 石川啄木
くるみは多量の脂肪(六十パーセント)と、たんぱく質(二十三パーセント)をふくむ栄養食品で、古くギリシャ・ローマ時代には、豊饒のシンボルとして、結婚式に食べたといわれます。
ごまや落花生同様、いろいろのあえものに味のよいもので、ことに山菜料理に使うと、際立っておいしくなります。そのほか、くるみどうふにしたり、くるみ餅などもよく、手作りのケーキ、サラダにあしらっても楽しめます。
[#小見出し] し め じ[#「し め じ」はゴシック体]
「匂いまつたけ、味しめじ」と、むかしからいわれるように、きのこの王者は香気のあることでは|まつたけ《ヽヽヽヽ》、味のよいことでは|しめじ《ヽヽヽ》とされています。
杣《そま》がさす鋭鎌《とがま》の先しめぢかな 旭川
しめじは種類によって、せんぼんしめじ、ひゃっぽんしめじ、だいこくしめじ、かぶしめじなどといいます。秋、広葉樹(雑木林)、あるいは、まつの混生林の中の土の上に、たくさんのものが株になって生えるので、このような名まえが付けられたのでしょう。
傘ははじめ、丸い山のような形で、黒色をしていますが、充分開くと、直径四センチから六センチぐらいになり、真ん中が平らで皿を裏返しにしたような形となり、色もネズミ色、または茶褐色となります。柄は白く、長さはだいたい四〜七センチほどで、太さは上の部分では一センチ前後、下の部分では、グンとふくれて、上の部分の約倍ぐらいの直径になっています。
元来しめじとは、湿った土地に生えるので湿地《しめじ》とか、地を占めて一面に生えるので占地《しめじ》とかいいますが、こういったいわれとはちがい、割合、乾いたところを好むようです。
味しめじといわれるだけあって、なかなかの持ち味ですが、やはり、うまいのは、産地で穫れたてを召し上がってのことです。時の経ったものは、いかにしめじでも、いただけません。それに、いたみやすいので、輸送がむずかしく、まつたけやしいたけほどに、にぎやかに店頭に顔を出すこともなく、非常に地味な|きのこ《ヽヽヽ》です。淡泊な料理にも、割合脂っ濃い料理にもよく合い、すまし汁の実、きのこめし、すき焼き、とうふ汁によく、また、湯どうふ、つけ焼き、だいこんのおろしあえなどにも、こりこりした歯ざわりが楽しめます。
[#小見出し] 芝《しば》 え び[#「芝《しば》 え び」はゴシック体]
芝エビはクルマエビ科に属していますが、クルマエビのような模様はなく、甲殻は薄く、淡黄色の地に、細かい斑点がたくさんあります。むかしから東京湾に多く、芝浦でよく獲れたので、この名が付いたといわれます。主産地は東京湾、伊勢湾、瀬戸内海など。大きさは十五センチ内外。
引きあぐる四手の網に蝦《えび》跳ねて 秋風さむし磯の夕ぐれ 落合直文
おそらく、このエビはクルマエビか、芝エビの類でしょう。殆ど一年中ありますが、九〜十月がしゅん。芝エビは小形ですから、数が少なければ、あまり価値はなく、大漁になって、はじめて価値の出てくるものです。
手繰網で、ある時期は、ヨシエビ、モエビよりもたくさん獲れ、新しいものなら、てんぷら、フライ、サラダ、真蒸《しんじよ》、酢のもの、椀ダネにして、おいしく召し上がれます。肉は比較的に締まっているので、てんダネとして適しています。比較的浅いところに棲み、また絶えず泳ぎ回り、活動さかんなため、肉が締まるのでしょう。てんぷらにするときは、タテに楊枝を入れておくと、丸く縮まりません。干エビにすると、甘味が出てきて、これを原料に、エビ田麩《でんぶ》をつくると、非常に味のいいものです。中華風の炒《いた》め煮、青豆蝦仁《チンタオシヤレン》(芝エビとグリンピースの炒めもの)か、蝦丸上湯《シエワンシヤンタン》(エビダンゴのスープ)にしてもおいしく、洋風のグラタンも結構いけます。
忘れてならないことは、芝エビは皮を剥いてから使うということです。下ごしらえとして、全部の皮を剥き取り、同時に背ワタも、竹串の先で取り去っておきます。足や尾がピンと張ったもので、身が透けているものが、鮮度のよいものです。
[#小見出し] ぎ ん な ん[#「ぎ ん な ん」はゴシック体]
秋来れば葉には黄金の色ありて 実は玉かとも見ゆる銀杏 貞室
いちょう並木が色づいて来ました。たわわに実ったぎんなんの重みで、大きな枝も垂れ下がりそう。自然に落ちるのを待ち切れず、長い竹竿《たけざお》を持ち出し、枝をたたいてパラパラと実を落す風景が、あちこちで見られます。子どもたちは、割箸で器用に実だけを取り出し、袋に入れ、またたたき落しています。一段落したあとのいちょうの下は、皮が路上にへばりつき、まるでアバタのよう。道行くひとは、独特の異臭に、ハンカチを鼻に、「くさい、くさい」を連発しながら、足早にとおりすぎて行きます。
夕霧やぎんなんの実は地に潰れ 寿郎
進化論で有名なダーウィンは、いちょうを「生きている化石」といっていますが、まさにそのとおりで、太古のままの姿で、今日も生きつづけている不思議な植物です。地上にはじめて姿をあらわしたのが古生代の末期で、ジュラ紀(一億五千万年前)は、そのもっともさかりの時代で、日本、中国、シベリア、欧州、北米にも拡がりました。このように、いちょうは年を経た古い樹で、大自然の猛威に耐えて、今日まで生きのびることの出来た主な理由は、「外皮のコルク層が発達して天変地異、害虫などの害にも強く、保水力も強いため」だといわれます。今日でも各地に「水噴き公孫樹《いちよう》」の伝説があり、現にわたしの田舎のお寺にも、山門近くに古びた大樹があり、このいちょうのおかげで、一村をなめ尽した大火から、寺はすくわれたと伝えられます。
酒のサカナに、茶碗蒸し、お吸いものに。懐石では松葉に三つほど刺して八寸に使います。
高杯にぎんなん白し夜手習 小洒
[#小見出し] な め こ[#「な め こ」はゴシック体]
八百屋の店先に、百グラム袋入りのなめこが出回りはじめました。主に福島、宮城、群馬あたりから、東京へ送られてきますが、大きさごとに何種にも分れ、大粒のものは、ねだんも安く、小粒のそろったものは、ねだんもいくぶん高めです。なめこはモエギタケ科のきのこで、一名、ナメスギタケともいわれ、秋になると、いろいろな広葉樹、とくにブナの枯幹、倒木、切り株上に群がり生えますが、まれには、初夏から夏にも発生することがあります。傘は最初、直径二センチくらいの黄褐色の球形をしていますが、しだいに開いて、平らに大きくなり、なかには直径七、八センチに及ぶものもあります。
傘の表面は|ぬめり《ヽヽヽ》が強く、なめこという名も、このぬめりに由来し、柄は細長く、少しふくらんだ根の部分は、黒色の密毛でおおわれています。食べるときは、この部分を切り捨てます。
夏の味覚――じゅんさいとともに、なめこは、ぬめり食品の代表種で、歯切れもよく、なめらかな口当りで、淡泊な料理によく合います。ただし、生なめこは、そのままだと約三、四日しか保《も》ちませんので、ポリ袋やびん、罐詰などにして保存します。びんや罐詰ものは、殆ど栽培品で、近頃は割りと粒も細かく、そろっていて、よいものが出荷されていますが、天然の鮮度のよいものにくらべると、やはり、いくぶん風味は落ちます。
鮮埋のよいなめこを、小ザルにあけ、熱湯にさっとくぐらせ、余分なぬめりを除き、だいこんのおろしあえにすると、酒のサカナに喜ばれます。
また、岡崎の八丁みそを用いた赤だしに、なめこ、とうふ、三つ葉をあしらったなめこ汁や、なめこ雑炊なども、これからの季節、家中みんなに歓迎されましょう。
[#小見出し] さ け[#「さ け」はゴシック体]
近頃は、野菜にかぎらず、魚も捕獲技術や冷凍技術が進んだために、しゅんが定かでなくなりつつあります。沿岸もののしゅんそのものは、さほど変っていませんが、冷凍魚として運び込まれてくる遠洋もののために、しゅんは、それこそ、世界中から、年中花ざかりになろうとしています。
サケもその例外ではなく、むかしは産卵のため、生まれ故郷の川に戻るシーズン、つまり、秋から冬にかけてがしゅんだったのに、近頃では、風薫る五月に、サケ・マス船団が北洋めざして出漁し、家庭では入道雲を眺めながら、ひと塩もののサケを賞味できるような時代になりました。
一般にサケの味は、川に入る直前、沖獲りしたものがおいしく、石狩川のような大きな川では、河口付近で、川を遡りはじめに獲れたものがおいしいと、土地っ子はいいます。
サケはマスと同じく、美しい肉色をし、なめらかなやわらかさをもち、脂が乗っていながら、クセ味がないので、いろいろな料理に使われてきました。しかし、産地が北洋にかぎられているので、最近までは、関西方面では、主に塩蔵品――塩ザケ、罐詰しか口にできませんでした。現在では、保存や輸送の技術が進み、どこでも生ザケを味わうことができます。
今でこそ、サケは高級魚の一つに数えられていますが、かつては庶民のそうざい用のサカナでした。北海道や東北の河川流域の各地には、三平汁や石狩鍋、もみじ漬け、酒浸し……といったサケの郷土料理が発達しました。塩ザケ、とくに|あらまき《ヽヽヽヽ》は、直火焼きがいちばん。そのほか、家庭ではフライ、バター焼き、かす汁などもおいしく、洋風料理には欠かせぬ魚です。
鮭飯のほの赤味さすぬくみかな 林火
[#小見出し] く り[#「く り」はゴシック体]
くりは日本原産の木の実で、むかしからおいしいものの一つに数えられ、みのりの秋を象徴するたべもののです。ブナ科クリ属には、日本ぐりのほか、支那ぐり、甘ぐり、ヨーロッパぐり、野生のしばぐりなどがあります。現在、東京の八百屋さん、くだもの屋さんの店先に出回っているのは主に千葉、茨城、栃木あたりから出荷されるもの。品種としては利平、丹波、大和、銀寄などです。
くりの成分は、でんぷんが主で(乾燥したくりには五十〜五十八パーセントもある)、穀類に似た栄養価があるばかりでなく、米にはないビタミンCと、米より多くのビタミンB1、B2をふくんでいます。そのせいか、むかしは「米一升くり一升」と評価され、同じねだんで取扱われていましたが、近頃ではお米のねだんをはるかに抜き、二、三倍の高値を呼んでいます。
くりの生食は、また、力づけのスタミナ食としてもてはやされ『食品国歌《しよくひんこつか》』には「栗の能、腎補ふて気をば増し、腸胃腰脚骨を強うす」と、その効能のほどが記されています。
栗飯の栗だけ食べる小さな掌 東吉
ゆでて間食用にするほか、季節の味覚として|くりめし《ヽヽヽヽ》、またお正月料理になくてはならぬくりきんとん、そのほか、お菓子の材料として重宝がられ、丹波ぐりのような大粒のものは、罐詰や菓子用に、中粒の銀寄は罐詰用、小粒で皮のうすい支那ぐりは、甘ぐり(焼きぐり)にして賞味されます。
くりをゆでるときは、水から入れて弱火でじっくりゆで上げ、火を止めてから、そのまま四十度ぐらいになるまで冷ましてザルに移すと、渋皮がよくむけます。
[#小見出し] ま つ た け[#「ま つ た け」はゴシック体]
荷札にも松茸の香の沁みし籠 杏所
数ある食用菌類のうちで、まつたけだけは、まだ人工栽培がむずかしいようで、一年待たねば味わい得ぬ季節の味覚です。暦の上での季節とは別に、むかしのひとは、たべものから敏感に季節感を味わい、まつたけなどは、まさに香りの秋、味覚の秋を運んでくれる代表でした。「茸狩は紅葉狩より世帯染み」と、古川柳にうたわれるくらい、まつたけは庶民にもなじみの深いたべものでしたが、昨今のように、一本のねだんが千円も二千円もするというのでは、せっかくの香味も、なんだか味気なくなってしまいます。
まつたけは、主として赤松林の落葉の堆積した湿った土地に自生します。ローム層に覆われた関東地方は、まつたけのハダに合わないのか、殆ど見当らず、主な産地は近畿、中国、信州。なかでも京都は有名ですが、近頃は、京の山々も老いて、産額も少なく、現在は信州、岡山、広島、岐阜あたりのものが多く、韓国、カナダあたりからも一部輸入されています。
産地によって、品質に優劣があり、傘の開きぐあいによっても、ねだんに開きがあります。一般に関西のものは、やわらかなせいか虫食いが多く、乾燥度の高い信州ものは、虫食いの少ない反面、いくぶん固く、香りの乏しい難点があります。よいまつたけは、色の余り黒くないもので、傘は中開き、軸の寸が短くてよく太り、弾力のあるものです。まつたけは、傘の開きかげんで調理法を変えることが必要で、蕾は一本のまま使うことが多く、清《すま》し汁、焼きまつたけ、どびん蒸し、ほうろく焼き。中開きは――香りを生かして焼きまつたけ、ちり蒸しに。開いたものは――まつたけごはん、フライ、すき焼き、バター焼きなどが向きます。
[#小見出し] れ ん こ ん[#「れ ん こ ん」はゴシック体]
新はすが顔を見せはじめました。東京には、千葉、茨城あたりのものが出荷されます。はすは美しい花を観賞するため、また地下茎――れんこん(蓮根)を食べるために、池や沼、水田などに栽培されます。
はすは古名を「はちす」といいますが、これは花後、果実をおさめる|じょうご《ヽヽヽヽ》(漏斗)状の花托の形が、ハチの巣に似ているところから命名されたといわれます。原産地はインド、あるいは中国といわれ、中国では揚子江流域に多く、むかしから、数多く愛蓮の詩がうたわれ、南画や陶画のテーマにもなっています。わが国に渡米した時期は、はっきりしませんが、『常陸風土記』(七一三年)に見えるところから推《お》すと、かなり大むかしから栽培されていたと考えられます。
顔あげてからかはれをり蓮根掘 素子
はす掘りは、手足はもちろん、顔や頭まで泥んこになって、なかなか骨の折れる仕事ですが、傍目《はため》には、どこかユーモラスな感じがします。はす田によってもちがいますが、だいたい膚色か乳白色で、細長い部分の少ない、小太りのものが良品です。黄色、黒褐色のものは不良品です。皮を剥《む》いて、すぐ水に落し、アク止めに酢を少量加え、水はこまめに取り換えます。
れんこんは精進揚げ、酢のものに使うほか、他の野菜といっしょに煮たり、薄切りにしたものを、からっと揚げれば、ビールのおつまみになり、はす特有の歯ざわりが楽しめます。煮つけの際、一度サラダ油でいためてから煮ると、うま味が増します。
れんこんでおいしいのは俗に芽ぶしと呼ばれる部分で、ここは肉が厚くて、ひときわおいしい。れんこんは糖質が多く、無機質、ビタミンが少なく、栄養価は、あまり高くありません。
[#小見出し] か き[#「か き」はゴシック体]
欧米では、月名にRのつかない月(五月から八月まで)は、カキを禁食とする習慣があります。この季節は、ちょうどカキの産卵期にあたり、生殖巣が成熟し、毒化しやすい上に、生殖巣を成熟させるために、からだに貯えられた栄養分が使い果され、味、栄養の点からも、しゅんはずれとなるからです。晩秋から真冬にかけて、かきは栄養分を貯え、次第に充実し、うまい季節となります。
カキの種類はザッと二十種。養殖され食用となるのはマガキ。春の磯遊びや潮干狩のとき足を切ったりするのは、たいていケガキ。温暖な地方の岩礁や防波堤などに付着し、パイプ状のトゲが生えています。市販されているカキは養殖ものが多く、約七割がそれです。
カキはたんぱく質こそ、多くありませんが、無機塩類や造血成分の銅や鉄分を多くふくみ、ヨード分もあるので、むかしから貧血症に向く食品として珍重されています。他の貝類にくらべて、肉質がやわらかく、消化もよいので、年寄りやこども、病人に好適な食品であるといえます。
食べ方としては、カキなべ、酢ガキがもっとも一般的。このほかに椀ダネ、柚釜《ゆずがま》、カキ雑炊、フライなどにして賞味します。酢ガキにするときは、鮮度のよいものでないといけません。内臓を覆っている白い部分が大きくふくらみ、灰白色で傷がなく、外側の縮んでいるものなら、まず間違いなくおいしいものといえましょう。カキの持ち味を|だし《ヽヽ》として活用した料理には、椀ダネ以外にも、カキ飯、チャウダー、グラタンなどがあります。人によってはカキの生臭みをきらうムキもありますが、レモン汁をかけるなり、酢のもの、酢みそあえにすれば生臭みは消えます。
牡蠣食ふや若さ嘆きし日の如く 湘子
[#小見出し] が ざ み[#「が ざ み」はゴシック体]
東京あたりでカニといえば、まず第一に挙げられるのが、このガザミ。俗にワタリガニといわれるもので、薄鼠色の体色をした、甲羅が菱形のカニです。東京湾あたりから南日本にかけての内湾、河口からあまり遠くない、深さ五メートルくらいの砂地に棲んでいます。性質はたいへん臆病で、日中は海底の砂地に、平たい形の第五脚で巧みに穴を掘り、その中に隠れていて、夜になると這《は》い出て、さかんに餌を漁《あさ》ります。夜でも月夜には、それほど活動しないので、俗に「月夜のカニは身が薄い」などといわれ、肉はさほどうまくなく、肉量も少ないといわれますが、これはあくまで俗説。
子どもの頃、潮干狩に行き、ワタリガニの穴を見つけると、軍手をはめて、この穴に静かに手を差し込み、腕がすっぽり入るくらいの奥の院に鎮座している獲物に、軍手が触れると、やにわに大きなハサミで挟《はさ》みます。そのまま、そろりそろりと引き上げ捕えますが、小一時間もすると、手籠にいっぱい獲れました。
ガザミはズワイやタラバにくらべると、はるかに小さく、ズワイが足の肉を食べるのに対して、主に胸部の肉を食べます。塩ゆでしてから、甲羅を剥《は》がし、ガニ(エラ)を除き、タテ二つに割り、大きなハサミの先を利用したり、箸で小部屋の中の肉を取り出し、二杯酢で食べます。甲羅の内側にミソがつまっている場合もあるので、これをかき出して食べます。桃色をしていて、ポクポクした歯ざわりが楽しめます。鮮度のよいものは、胸部を割ったとき、筋肉が締まっていますが、古いものになると、箸でつまむと、ボロボロと身割れを起し、肉色も薄黒くよごれて見えます。お買いになるときは、ハサミつきの生きのいい、重みのあるものを。
[#小見出し] の り[#「の り」はゴシック体]
のりと日本人とのつきあいは古く、千年あまりむかしから、すでに採りはじめ、朝廷への献上品となっていた記録があります。けれども、|のりひび《ヽヽヽヽ》を立てて養殖するようになったのは、三百年ほど前からで、浅草から深川、大森の海岸で起ったのがはじめのようです。のり発祥の地・浅草も、いまでは海岸ではなくなり、品川、大森辺の沿岸も、埋立てや海水の汚染で、養殖をあきらめざるを得なくなり、もはや昔日の面影はありません。浅草のりの名の起りは、干のりの漉き方が、浅草紙に似ているところからという説もありますが、やはり、江戸初期、浅草あたりがまだ海岸だった頃、そこに生えていたのりを採ってつくったからというのが正しい説のようです。
海苔掻《のりかき》に粉雪ちらつく手元かな 淡路女
のりの最盛期は寒の内、水温が八度から五度ぐらいに保たれる季節。春になり、水温が十二、三度にも上がると、のり採りの仕事はようやく終りを告げます。うまいのりは、産地や気象条件によって、多少の変化はあっても、俗に「お歳暮のり」といわれる師走に採れたものや、一月中旬すぎの「寒のり」といわれています。良質ののりは、かおりがよく、すかして見て穴がなく、薄手のもので、色は青みを帯びた黒で、紫や赤色のまじっていない、パリッとした、つやのあるもの。湿気をなによりもきらいますので、使い終ったら、すぐ罐にもどし、密封しておきます。
のりは焼き方によって風味がちがい、焼きすぎると、せっかくの|かおり《ヽヽヽ》がとんでしまいます。のり二枚を外表(表はつやのよいほう)に合わせ、両面に平均に熱がとおるように、全体がムラなく緑色になるよう強火の遠火でさっと火取ります。熱源は電熱器が最適。
[#小見出し] 野《の》 沢《ざわ》 菜《な》[#「野《の》 沢《ざわ》 菜《な》」はゴシック体]
野沢菜は信州特産の青菜で、地域性の強いものだけに、菜そのものはもちろん、これを塩漬けした「野沢漬」も、あるいはご存知ない方が多いかと思います。
野沢菜の起源は、明らかではありませんが、下高井郡野沢温泉付近が発祥の地といわれ、いまからおよそ百九十年前、同地の健命寺の住職が京都から種子《たね》を導入したと伝えられています。その時の原種がなんであったか、はっきりしませんが、一説によれば天王寺かぶか、これに近いものといわれます。その後、かぶを栽培の目的としないで、主として葉を利用するものとなったもので、いわゆる「かぶ菜」の一種です。
高冷地では八月の末、平地では九月の上旬に種子を蒔き、十一月中旬頃に収穫します。雪空の迫って来る十一月下旬から十二月にかけて、農家は、どこもかしこも、野沢菜の漬け込みに忙しい日を送ります。漬け込みに先立って、近くの湧水や小川で手を赤くしながら水洗いし、漬け込むのは主婦の役目。大樽に漬け込み、その味がいちばんうまくなるのは、翌年の二、三月頃です。
温かいごはんに薄塩の味のなれた野沢菜は、恰好の取り合わせ。スキーシーズンにこの地を訪れ、民宿などで出され、あまりのうまさに野沢菜のおかわりをした話は、しばしば耳にします。
漬けものにかぎらず名物は、やはり、その土地で味わってこそのうまさで、とくに「野沢漬」など、信州の知合いから、はるばる送ってもらったものは、丹精籠めたものでも、ちょっと味が落ちるようです。
野沢菜の種子の産地は、下高井郡豊郷村、瑞穂村、往郷村あたりが主で、中でも、発祥の地といわれる薬王山健命寺の畑で穫れるものを寺種子《てらだね》と呼んで、もっとも優れたものとしています。
[#小見出し] か わ は ぎ[#「か わ は ぎ」はゴシック体]
カワハギは一般に夏がしゅんといわれますが、ほんとうにおいしくなるのは、十一月頃から冬場に向かうシーズンです。東京湾内の比較的浅い海で見かけるカワハギの仲間には、センマイハギ、ウマヅラハギ、カワハギ、青サハギなどがあります。割合、暖かな海に棲み、日本の南半分から南洋にかけてたくさんの種類があります。
皮剥やおちょぼ口なるつつましさ 五郎
数多いカワハギのうちで、単にカワハギと呼ばれる種類が、おなじみのもので、菱形に近い体形をし、左右に扁平、全身が灰褐色の厚い皮で覆われ、見ばえはあまりよくありません。料理するとき、ざらざらする皮を剥《は》ぐところから、カワハギ、ハギとそのものズバリの名が生まれました。仙台ではハキハギ、浜松や明石ではキンチャク、大阪や高知ではハゲ、鳥取では丸裸にされるところから、バクチウオ、福岡ではコウムキと、地方によって、呼び名がさまざまです。
フグに似た淡泊な味わいをもち、十一月頃出回っているものは、殆ど天然産ですが、よく売れるので、近頃は瀬戸内の小豆島の付近や広島、大分県地方で養殖されるようになりました。肉は締まっていて、肉離れがよく、椀ダネ、フライ、ムニエルにするほか、これからの季節、皮を剥《は》ぎ、ぶつ切りにして、はくさい、しゅんぎく、とうふなどといっしょに、ちりなべにするとおいしい。刺身にするときは薄作りにして、ポン酢で食べるとよく、煮魚にしても美味です。
カワハギといえば、忘れてならないのがキモ。煮つけにしたとき、真っ先に箸をつけるのがキモ。脂肪が濃厚で、ねっとりした舌ざわりはアンコウ、タラ、フグのキモに勝るとも劣らないうまさ。みそ汁によく、また甘辛く煮て、よくすりつぶし、おからにまぶして煎《い》りあげても美味。
[#小見出し] 富《ふ》 有《ゆう》 柿《がき》[#「富《ふ》 有《ゆう》 柿《がき》」はゴシック体]
冴え冴えした朱色の肌のつややかに美しく、朝の陽に照り映える熟れがきの色。秋は「飽《あ》き、穀物が飽き満ちる季節」「開《あ》き、明らかで、空が明るく澄む季節」「緋《あき》、木の葉が紅葉する季節」――と、語源説はさまざまですが、この秋に、かきの朱色がよく似合います。
もぎたての朝の柿露しとどなり 竿よりはづす掌にしみにけり 中島哀浪
かきはわが国に自生していたらしく、記紀の人名や地名に「かき」ということばがしばしば現われるのをみても、このことは窺えます。『本草和名《ほんぞうわみよう》』には「加岐」と万葉仮名で記されています。
かきは日本人に好まれたので、優良な品種が多く、他のくだもののように外国から招来されるということは殆どありませんでした。くだもの好きの欧米人も、|かき《ヽヽ》は苦手らしく、栽培もごく一部に限られ、店頭では二流品扱いされると聞きます。
大別すると、甘がきと渋がきに分けられ、甘がきは西日本に、渋がきは主に北日本に栽培されます。甘がきの中でも富有は、うまさ、ふっくらとした形、赫々とした色合い、そのどれ一つをとっても、かき界の王者にふさわしい風格を備えています。十一月の中、下旬が富有の味のいちだんと冴えるときで、この頃市場に出回るかき類のうち、七、八割を占めています。
この世に登場したのは、かなりむかしのようですが、「富有」の名でお目見えしたのは、明治三十五年のこと。はじめは岐阜県が本場でしたが、近頃は愛知県でたくさん作られ、和歌山県から、岡山、四国とその産地は全国的となった感があります。
柿を食ふ君の音またこりこりと 誓子
[#小見出し] お こ ぜ[#「お こ ぜ」はゴシック体]
オコゼには、いろんな種類がありますが、食用になるのは、オニオコゼという名のものです。そのせいか、単にオコゼというと、オニオコゼのことを指します。
鬼をこぜ魚籠一ぱいに怒りをり 味竿
オコゼは、漢字で「虎魚」と書くように、同じ仲間のメバルやカサゴ類よりも、恐ろしい顔付きをしていて、背ビレも強く、これに刺されると、はげしい痛みを感じ危険なので、魚屋に出回る頃は、たいてい切り落してあります。ウロコがまったくなく、細長いからだつきをしていて、頭は押しつぶしたよう。眼と眼の間に深い窪《くぼ》みがあり、醜悪な、器量のわるい魚です。しかし、顔付きからは想像できないほどうまい魚で、殊に吸いものダネとして珍重されます。
北日本には、あまりいませんが、さりとて熱帯性のものではありません。だいたい南日本に多い浅い海底に棲む魚で、体長二十センチくらいになり、棲む場所によって、からだの色がちがいます。岩陰に棲む幼魚は、黒い体色で、少しも斑紋を持っていませんが、成長したもので、いくぶん沖合に棲むものは、赤紫色を帯び褐色の斑紋があります。岸近くに棲むものは濃黒色、また、深い場所に棲むものは黄色味が強く、ものによっては真黄色になっているものもあり、そこにわずかに褐色の斑紋がちらばっています。
割合、海底にじっとしている魚で、これにやや似た習性を持つものにダルマオコゼがありますが、肉量が少ないので、食べません。オニオコゼは少量ですが、一年中出回り、東京では夏季をしゅんとし、大阪では冬場をしゅんとしています。だしの出る魚なので、吸いものダネのほかに、ちり、スープなどにします。ひとによっては、赤だしがいちばんうまいと激賞します。
[#小見出し] だいこん〈T〉[#「だいこん〈T〉」はゴシック体]
日本民族とのつきあいの古さを物語るかのように、各地に、だいこんにまつわる伝承が残っております。旧暦十月十日は、「大根《だいこん》の年取《としとり》」あるいは「大根《だいこん》の年越《としこし》・年夜《としや》」といって、秋田県の仙北郡ではこの日、だいこん畑に行って、だいこんの割れる音を聞いたものは命がないとか、岩手県の気仙郡広田町では、まるで見たかのように、十日の晩は、だいこんは唸《うな》り唸り大きくなるものだ、だからこの日は、だいこん畑に入ってはならぬ――と、伝えています。長野県の南|安曇《あずみ》郡では、だいこんはこの日まで畑におくと、よく実が入るから十日《とうか》夜《や》を過ぎてから抜くものだといいます。一方、だいこんの年取の日に、畑のいちばん出来のよいだいこんを二本、夷大黒《えびすだいこく》に供えるとか、十月十日の田の神の祭に、必ず葉つきのだいこんを供えるというならわしも、あちこちにあります。
なぜ、だいこんがこんなに広い地域に、神供《じんく》として、あるいは物忌《ものい》みを生み出したのでしょうか。民俗学者の鎌田久子先生は、「神霊がある特定の植物に憑《つ》きなさるという昔の人の考えは、天王の瓜畑など他にも例があるが、それにしても瓜ならば、丸く、中が空洞《くうどう》になっていて、霊魂の器といわれているが、だいこんは空洞ではない。しかし、この天然の色の白さは、八百屋の店先でもいちばんである。白色が重視された時代、このだいこんの白さに匹敵するものは、そうたやすく求め得られなかったのではなかろうか。今は白紙も、白布も、私どもの身辺にあふれているけれども、天然の白色は雪とか雲、花以外求め難いものであった。一年の折り目のもっとも重要な稲の収穫の頃、畑にぽっくり首を出すだいこんの白さは、神まつりのなによりの供物《くもつ》と感じたのではなかろうか。」――と、説明しておられます。
[#小見出し] だいこん〈U〉[#「だいこん〈U〉」はゴシック体]
秋も深まると、関東地方では、ほっそりした美濃早生《みのわせ》だいこんに代って、ずんぐりした練馬系統の尻細《しりぼそ》、理想《りそう》、秋詰《あきづま》りだいこんが出回るようになります。十一月の二十日を過ぎる頃になると、秋詰りの入荷は減り、代って、都だいこんがお目見えします。十二月中旬以後には、三浦だいこんも入荷するようになります。
練馬系のだいこんは、煮ものに適し、秋詰りは、|ずんどう《ヽヽヽヽ》でやわらかく、甘味があるのが特徴です。とくにおでんには、うってつけで、かすかな|ほろにがさ《ヽヽヽヽヽ》の中に、だいこん特有の甘味を蔵しているので、おとなには喜ばれるでしょう。一方、三浦だいこんは漬けものに適した品種です。
ご参考までに、関東以西で穫れるだいこんを紹介しますと、中部地方に多いのが宮重《みやしげ》系統のだいこんで、漬けものむきの総太《そうぶと》、白首《しらくび》、青首《あおくび》などがあり、地だいこんとしては、守口漬けで名高い守口だいこんがあります。にんじんのように細長く、長さ五十センチ前後のもの。関西では白上がり京、和歌山、横門などの品種があり、やわらかく煮ふくめて賞味すると、絶品の聖護院《しようごいん》だいこんがあります。また、京都鷹ヶ峰特産の鏡だいこん(一名、辛味だいこん)は、小柄なくせに、おろしにすると、飛び上がるほど辛味がきつく、芭蕉の句の「身にしみて大根からし秋の風」のだいこんも、あるいは、この手のものだったかも知れません。現在でも、関西では、てんぷら、ちり、うどん、そばなどには欠かせぬ薬味となっています。これなどは特殊なもので、一般に関西系のだいこんは、煮もの向きが多いようです。
原産地はコーカサス南部からギリシャに至る地中海沿岸。古くは|おおね《ヽヽヽ》といい、だいこんは、これに漢字を当てて訓《よ》んだもの。鏡草《かがみぐさ》ともいい、春の七草|すずしろ《ヽヽヽヽ》は、だいこんのことです。
[#小見出し] えのきだけ[#「えのきだけ」はゴシック体]
ポリエチレンの袋に詰められた|えのきだけ《ヽヽヽヽヽ》の出回りがさかんになっています。まだ、なじんでないひともいるかも知れませんが、このところ、急激に需要の伸びている人工栽培のきのこです。ずんぐり丸い形をした|なめこ《ヽヽヽ》とは対照的に、傘が小さく、軸の部分がひょろ長く、色白のかわいいきのこです。
長野県が主産地で、近頃は、埼玉、群馬の両県でも栽培量が増えつつあります。主に九月から翌年の四月頃にかけて出回りますが、最盛期は、これから二月頃までの冬の間です。
野生のものは、主として秋から春にかけて、えのき、くわ、かき、こうぞ、いちじく、やなぎ、ポプラ、その他の広葉樹の切り株や、枯幹の倒木上に群生しますが、最近は殆どが、鋸屑《おがくず》を用いた人工の瓶栽培ものになっています。
えのきだけは、栽培と利用の歴史が古く、元禄八年(一六九五年)、平野必大の著わした『本朝食鑑《ほんちようしよつかん》』の「菜部」の項に、「榎葺、恵之木多計ト訓ズ、此ノ茸榎樹及老根枯株ニ生ズ、当世嗜好ノ家老榎大樹ヲ伐テ五六尺ノ大ト作シテ土窖中ニ置ク、之ヲ覆フニ湿稲草薦ヲ用テ米※[#「さんずい+甘」、unicode6cd4]冷汁ヲ澆《ソソ》グコト日ニ一両次、二三日ニ至テ罷ム、日ヲ経テ多ク茸ヲ生ス、采テ之ヲ食ヘバ則味鮮美ナリ」――と記されています。
冬の雪中や低温の時期に穫《と》れるため、福島あたりでは「かんたけ」、山形地方では「ゆきのした」の名で呼ばれています。ほどよいぬめり、さわやかな歯切れを生かして、みそ汁の実、寄せなべに入れるほか、さっとゆでて、だいこんおろしの三杯酢、またはなっとうあえ、あんかけ、すき焼き、煮つけ、てんぷら、フライ、野菜|炒《いた》めなどにして、賞味します。
[#小見出し] うみたなご[#「うみたなご」はゴシック体]
一般にタナゴといって、ウミタナゴとはいいませんが、淡水産のタナゴ類を、東京付近ではタナゴというため、これとまちがわないように、むかし、誰かがウミタナゴと命名しておいてくれたものです。
ウミタナゴは、海岸近くに棲んでいるので、夕方には内湾に入り込み、暁にはやや外海へ出る習性があり、そのため、魚道へ網を敷いておけば、たくさん獲ることができます。また、群れを組んで泳いでいるので、側へ寄ってきたときだけ、巧みに釣る必要があります。
体長二十センチの小魚で、体高がいちじるしく高いのが特徴で、四月頃から七月頃までに釣り上げたウミタナゴを料理すると、メスの腹には親とそっくりの子どもが、二十五匹内外入っていることが多い。魚はたいてい卵生で、しかも硬骨魚類では、胎生するものは少ないのに、ウミタナゴは、めずらしい胎生魚の一種です。ウミタナゴの胎児は、人間の場合とちがって、位置が乱雑になっているので、島根県あたりでは、この魚を食べると、逆子《さかご》を産むといい、むかしは妊婦に食べさせなかったようです。しかし東北地方では、上品な味を持っているため、上等魚として、病人や妊婦に重宝な魚と考えているといいますから、まさに所変れば……の感を深くします。
北海道南部から九州南端までの太平洋岸、および日本海岸に広く分布しており、棲む場所によって、多少からだの色が変り、岸近くにいるものは、青味を帯びた銀色をしているのに、沖合に棲むものは赤味を帯びています。四月から七月の産卵期が終り、秋風が立つ頃になると、味が乗って来ます。ウミタナゴは、割合に脂気が少ない魚なので、照り焼き、あるいは煮魚が向き、中国料理でいう「素《そ》には膩《に》を配する」(膩はあぶら、脂肪のこと)と、おそうざいになります。
[#小見出し] やまのいも[#「やまのいも」はゴシック体]
やまのいもは、地上の蔓《つる》が枯れる頃になると、地下茎の生長はストップして水分が少なくなり、えぐ味も消え、食べ頃のしゅんとなります。そのため、やまいも掘りは、茎や葉の黄ばんだ晩秋から始まりますが、さかりは十一月中、下旬から十二月初旬の雪空をのぞむ季節です。山野に自生するため、栽培種の長いもや大和いもに対して、自然生《じねんじよう》(自然薯とも書く)ともいい、とろろいもの名でも呼ばれています。
自然薯掘り顔入れ土のぬくさ云ふ のぼる
やまいもは、でんぷんの消化酵素であるアミラーゼ(ジアスターゼ)が、だいこんおろしのそれよりも、はるかに多くふくまれていて、いっしょに食べたほかのでんぷんまで体内で消化するのを助けます。それゆえ、あまり消化のよくない麦めしにとろろ汁をかけ、殆ど噛まずに何杯食べても、それほど胃に負担をかけず、消化不良を起すことも少ないのです。やまのいもに限らず、消化酵素は煮ると効力を失いますので、生食するにこしたことはありません。アミラーゼを充分働かせるには、すりおろすのがよく、マグロをタネにした山かけ、卵を落した月見、わさびを添えたとろわさと趣向は尽きません。すりおろしたり、きざんだりするのには、まず皮を剥《む》いたら酢の入った水に三十分くらい浸《つ》けておいてから使うと、黒くならず、出来上がりもきれいです。
やまのいもの本命は、やはり麦とろ。吸収がよいので、いくら食べてもお腹をこわすことはありません。麦三米七の割合で水かげんを少なめにし、炊きたてに、少し青のりを入れ、とろろをかけて召し上がります。とろろ汁の上手下手はすり方一つ。するときは、なるべくゆっくり、すましを一度に入れずに、少しずつ何回にも分けて入れるようにするのがコツ。
[#小見出し] ほうれんそう[#「ほうれんそう」はゴシック体]
コーカサスの老人天国を訪ね、長寿の秘密を調べてこられた川島四郎先生のお話によれば、「長寿者の全員が腹八分で過食せず、殆ど自然のままの食物を食べている。畑からとってきたばかりの新鮮な野菜やくだものなので、防腐処理のための添加物は加えないし、漂白も着色も全くしていないものばかりを口にしている」なかでも、注目すべきことは、「有色野菜、ことにトマト、きゅうり、青ねぎ、青菜、にんにくが多く、キャベツのような白い野菜はごく少ない」ということです。「最近、日本の若い女性に貧血が多いのは、調理に手間のかかる青菜類をいやがるところに原因がある」とは先生の結論。
しをらしや細茎赤き菠薐草 鬼城
ほうれんそうはアカザ科に属し、ペルシャ地方が原産。漢名の菠薐はペルシャの意で、中国へは七世紀頃、ペルシャから入ったと記録があります。わが国では三百年くらい前から栽培され、正徳四年(一七一四年)貝原益軒の『菜譜《さいふ》』には、ほうれんそうの栽培と利用法がくわしく記されています。日本種と西洋種の二種あり、いま出回っているのは、茎の赤い日本種で、葉が細長く、先端がとがり、茎に欠刻があります。西洋種は葉に丸味があって、色が濃く、日本種のような泥臭さはありません。近頃は、西洋種と日本種との交配種が多く作られるようになり、歯切れがよく、味のよい日本種はだんだん少なくなりつつあります。
ビタミンA・Bに富み、Cもかなり多く、鉄分の含有量が豊富で、貧血症の人には補血強壮の利きめがあり、病人や子どもにもよい緑野菜です。おひたし、あえもの、すましの実にするほか、バターいためにしてもおいしい。葉柄が短く、葉肉が厚く、葉の色の濃いものが良い品。
[#小見出し] かながしら[#「かながしら」はゴシック体]
魚問屋の仕切り帳にはよく「い」の字が書いてあります。カナガシラの符丁で、平がなの頭文字をあてたしゃれです。ホウボウ科に属するだけあって、確かにホウボウに似ていますが、背中に斑紋が見られないこと、ウロコはホウボウよりも大きく、胸ビレの両面が赤いことなどで、見分けられます。本州中部以南の沿岸、やや深海の底に棲み、底曳網で獲ります。ホウボウにしろ、カナガシラにしろ、食べられる部分は、ぶこつな太い骨にはばまれて、四割ぐらいしかなく、この点を計算に入れると、割高な魚。
カナガシラの頭といえば、天保飢饉の際、大坂の大塩平八郎は、知己の町奉行矢部駿河守を訪ね、民衆の救済策を献策中、もてなしに出たカナガシラを頭から骨ごと噛み砕き、給仕の小姓をおどろかしたという逸話が残っています。この話から、大塩が貧民救済のため、日夜心を砕き、熱情を籠《こ》めて、奉行を説得しているありさまが彷彿《ほうふつ》として来ます。いかに、話に夢中になったとはいえ、あの頑丈なカナガシラの頭を噛み砕くとは……、大塩は冷徹な陽明学者の一面、不正を憎むことでは、人一倍激しい熱情の持ち主だったことが窺《うかが》えます。
これから冬にかけてうまくなり、冬場は上等のてんぷらダネとされ、塩焼きにしても淡泊で、まずまずの味。その味はホウボウに優《まさ》る――というひとがあるかと思えば、いや劣る――と、ひとによって、さまざまに評価が分れます。
横井也有《よこいやゆう》の『百魚譜《ひやくぎよふ》』には、「かながしらといふ名のめでたくぞ、産屋《うぶや》の祝儀につかはれはべる……」と記され、子どもの生まれたときなど、この魚を膳に供える例もあります。名ばかりでなく、姿、形が堅固なところから、健康な子に育つようにとの縁起にちなむものです。
[#小見出し] ね ぎ[#「ね ぎ」はゴシック体]
霜のねぎ土深々と著たるかな 温亭
霜の降りるたびに、黒土の着物を着た畑のねぎが、だんだんおいしくなってきます。ねぎは臭(気=き)の強いゆえに、むかしはキといわれ「紀」の字を当てていました。年を経て、ひとびとの嗜好が変り、栽培技術も進んで、白根の部分を賞味するようになり、キに根の字が冠せられ「ねぎ」と呼ぶようになったといわれます。もっとも、土に埋もれた部分は、正しくは根ではなく、葉鞘《ようしよう》、つまり、葉の一部分です。つやつやしていて、身のしまっているもの、白い部分と緑の部分の境がはっきりしていて、ぶかぶかせず、固いものが良品で、こうしたものなら料理してもやわらかくおいしい。表面が乾いて、かさかさしているものは、固くて味も落ちます。
青菜類と同じく、ねぎも鮮度が直接、味にも栄養にも関係するので、お買いになるときは、鮮度に注意しましょう。できれば泥つきの、しかも、泥の乾いていないものを、お買いになったほうがよく、年末年始以外は買い置きは損。
ねぎはほかの野菜のように、それだけで料理になることは少なく、もっぱら脇役として、かおりと歯ざわりで、主役の味を引き立てます。これからの季節、香味野菜としてスープ、炒《いた》めもの、なべものなどに肉や魚とともに用い、匂いを消し、風味を添えます。
生ねぎにみそをつけて食べると、からだが温まりますが、これはまた、胃病にも利きめがあります。慢性の胃病のひとは、毎日、ねぎの白根を一、二本、こうして食べていると、いつしか忘れたように治ると、祖母に教わったことがあります。
嫁もはや世帯じみたり根深汁 也有
[#小見出し] ま が れ い[#「ま が れ い」はゴシック体]
一口にカレイといっても、くわしく調べれば、なじみのあるものだけでも、日本近海には約二十種近くもおります。食膳にもしばしばのぼり、比較的知られているものとしては、マガレイ、メイタガレイ、マコガレイ、ナメタガレイ、ムシガレイ、イシガレイ、ホシガレイ、マツカワなどがあります。ただし、|セチガレイ《ヽヽヽヽヽ》などというのは、まだ見つかっていないようです。
種類によって食べ方がちがい、うまさのしゅんも異なります。カレイ類のうちで、産額の多いのはマガレイ。函館辺ではオタルマガレイ、新潟ではクチボソの名で呼ばれ、北日本に多いカレイで、主に北海道や日本海で獲れます。体長は三十センチくらいになり、眼のない側は白く、ヒレのつけ根に近い部分は、淡黄色になっています。秋から冬にかけてがしゅんで、三月すぎになると味が落ちます。マガレイをはじめ、北方のカレイ(ナメタガレイ、ソウハチガレイ、アブラガレイ、アカガレイ)は、冬の間は深さ百五十メートルから二百五十メートルぐらいの海底ですごし、春になると、産卵のため、浅い海に移ってきます。好きな水温は、だいたい摂氏十二、三度から十度くらいだといわれ、種類によっては、零度くらいでも平気なものもおり、さすがに北海の魚の資格を備えております。
生きのよいものを、鉄なべに煮立てた生じょうゆの中に放り込むと、しばらくあばれ、蓋を持ち上げることも間々あります。こうしたものだと、肉が反り気味になり、骨離れもよく、肉の歯ざわりもしゃきっとしておいしい。関西をはじめ、南日本では、ホシガレイ、メイタガレイが多く、ホシガレイの作り身(刺身)は、ひとによっては、ヒラメよりうまいといいます。
[#小見出し] 赤《あか》 芽《め》 い も[#「赤《あか》 芽《め》 い も」はゴシック体]
いも――というと、東北地方では、やまいもを、本州、四国の大部分では、さといもを指しています。九州では新しく入ったさつまいもがいもであり、北海道では、より新しいじゃがいもにこの名があります。この分布は、地方ごとに、それらの種類の重要さが移り変って来たことを示しております。日本人にとって、いもはあるときは、米や麦、稗《ひえ》などとともに、欠かすことのできない主食であり、飢饉《ききん》の際には、命を救う「お助け芋」でもあり、また、あるときは、神に供えるたいせつな食物でもありました。
これらは、新来のじゃがいもやさつまいもではなく、古くからこの国にあったやまいもやさといもで、今でも、一年の一定日に必ずやまいもの汁を食べねばならぬといったり、さといもを用いないと神の祭が出来ないと、信仰のついた土地もめずらしくありません。
手向けけり芋葉は蓮に似たりとて 芭蕉
サトイモ科のいもを大別すると、白芽いもと赤芽いもに分けることができます。赤い芽が出るので、赤芽いもといっていますが、赤芽いもには、さらに親いもだけを食べるものと、親いもと子いもを食べる品種があります。ふつう一般に、赤芽と称しているのは、両方とも食べるほうの品種で、肉質がポクポクして粘り気の少ないもので、きめが細かく、味のよいものです。
このいもの系統は、水に浸《つ》けると固くなる性質があるので、お手数でも泥つきのままを買って来て、調理する際洗うのが、やわらかく、ふっくり煮るコツ。おでんダネにするときは、みょうばんか塩水で、ぬめりを取り、煮えやすいので、いちばん最後に、はんぺんなどといっしょに入れます。やわらかくなる頃には、味もほどよく浸《し》み込み、おいしく召し上がれます。
[#小見出し] わ か さ ぎ[#「わ か さ ぎ」はゴシック体]
ワカサギといえば、むかしから霞ヶ浦が有名ですが、現在では琵琶湖、山中湖、河口湖、北海道の阿寒《あかん》湖などにも霞ヶ浦のワカサギが移され、親しまれています。
ワカサギを漢字で「公魚」と書くのは、そのむかし、霞ヶ浦の北岸、麻生の城主新城直頼がワカサギのうまさに感じ入り、毎年正月、将軍へ年賀の際、串焼きにして献上したことから、この字を当てるようになった――と伝えられます。
ちょっと白魚《しらうお》に似ていて、体側に頭から尾まで打通しの太い銀線が走り、頭の一部が透《す》けて見えるので、一見して他の淡水魚と区別できます。また、背ビレと尾ビレの間に小さな脂肪ビレがあるのも、ワカサギの特徴です。ワカサギは一年魚で、成長が早い上に繁殖力もなかなか旺盛で、寒い十二月から一、二月頃に、沿岸二メートル内外の浅瀬の砂礫、または水藻に産卵し、一尾で三、四千粒もの卵を産み落します。卵は水底の藻や砂礫などに粘りついて離れません。卵の大きさは、コイの卵よりやや小さく、孵化に要する日数は、コイとは比較にならぬくらい|のんびり《ヽヽヽヽ》していて、水温が摂氏十度内外だったら、一カ月ぐらいかかります。
氷上の釣りとして人気第一のワカサギは、淡水魚としては骨がやわらかく、てんぷら、フライ、塩焼き、白焼きの甘酢、つくだ煮にして賞味され、土地によって、ご自慢の食べ方がありますが、魚田がいちばんワカサギらしい食べ方だとの声もあります。獲れたてのワカサギをよく洗い、両面を少し焼き、別に甘みそを作っておき、焼きたてのワカサギにつけて食べると、「なるほど、一理あるナ」と思えるうまさです。
公魚焼く筑波おろしの煙かそか 朴余子
[#小見出し] カリフラワー[#「カリフラワー」はゴシック体]
カリフラワーはキャベツの仲間で、名の示すように、一見すると、花のようですが、実は花ではなく、蕾《つぼみ》の塊りが外葉に包まれ、軟白しながら大きくなったものです。戦前は花やさい、花キャベツの名で呼ばれていましたが、「花野菜」という意味ではなく、漢名の「花椰菜《ホワイエツアイ》」を、日本語読みにした呼び方なのです。
数ある西洋野菜の中では、もっともポピュラーな存在で、どこでも手軽に栽培できるため、戦後、急速な勢いで普及しました。出盛りはこれから三月までで、二月にはもっとも作りよい中生種が出荷され、最盛期となります。お買いになるときは、なるべく青い葉のついた、しかもこの葉が新鮮なもので、花蕾はいくぶんクリーム色を帯びた乳白色で、光沢がよく、割合固めのしまったものを選びましょう。黄色を帯びたものは、蕾が開きすぎていて、虫つきの場合があります。
一度ゆでてから調理しますが、白くゆで上げるには、分量の水と水ときした小麦粉、レモンの薄切り(またはお酢少し)と、塩を加えて煮立たせ、カリフラワーは根もとを上にして入れ、ふたをせずに、静かな火でゆで、粉を洗い流すと、小麦粉とレモンでアクが抜け、白く美しく仕上がります。ゆで時間は、花蕾の開き具合によって、多少ちがいますが、茎に金串を刺し、楽にとおるようでしたら、火を止めます。
クセのない淡泊な味のため、洋風、和風と、食べ方のレパートリーは広く、マヨネーズやホワイトソース、食塩で食べるほか、バターいため、てんぷら、スープなどにも利用できるほか、小房に分けサラダ、グラタン、クリーム煮にも向き、ハンガリーでは陶器のなべの真ん中にカリフラワーを据え、周りに半煮えのお米を入れ、ミルクを注いで煮る料理法が名物になっています。
[#小見出し] まながつお[#「まながつお」はゴシック体]
「西海にサケなく、東海にマナガツオなし」という|ことば《ヽヽヽ》があります。北の海を|すみか《ヽヽヽ》とするサケは、下っても銚子沖以南には進まず、西の海でたくさ獲れるマナガツオは、紀伊半島沖を限界として、まれには伊勢湾にまぎれこむことはあっても、東海へは絶えて姿を現わさないからです。そんなわけで、関東人にはなじみのうすい魚ですが、関西では数ある食用魚のうち、もっとも高貴な魚として扱われます。とくにみそ漬けがおいしく、お歳暮にもらったときなど、世の中にこんなにうまいものがあるのか――と、思えるほどのうまさです。
名前から、カツオの兄弟分のように思いがちですが、カツオとは似ても似つかぬ魚で、むしろイボダイ、ヒラアジの親類筋といったほうがピッタリする魚です。戸籍の上では、硬骨魚目マナガツオ科に属しています。魚類図鑑に出ている形体(たいていは捕えられたときの姿)と、実際、海中で生活しているものとは、きわめて姿かたちが異なります。海中のときは、からだは銀色の細かいウロコで覆われ、各ヒレの端より、殆どその体長に等しいほどの長さをもった細い線条《せんじよう》を曳《ひ》き、捕えられると、その線条は、軟体質のためにきわめて弱く、触れるとすぐに切れ、形をとどめず、その上、非常に生ぐさい臭気をもっています。ウロコも触れると、たやすく剥《は》げます。そのため、マナガツオの泳いでいるときの優美な姿は、あまり世に知られていません。
みそ漬けとして賞味するほか、刺身、照り焼きなどにします。マナガツオは鮮度が落ちると、特有の臭気が強くなり、みそ漬けや幽庵焼きにするのも、思えばこの臭気に対する配慮があるわけです。それゆえ、刺身は、ごく鮮度のよいものでないと向きません。
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[#見出し]冬の部〈十二月〜二月〉
[#小見出し] レッドキャベツ[#「レッドキャベツ」はゴシック体]
レッドキャベツは紫(赤)かんらん、紫キャベツともいわれ、暗紫色をした美しい、また、いくぶん小形の固くしまった重い丸形キャベツです。事実、葉の色が赤紫から暗紫色なのですから、至極もっともな話ですが、赤いのは葉や茎の表面(スキン)だけで、中身はふつうのキャベツと同じ緑と白です。タテ二つ切りにしてみると、葉の芯の部分は真っ白なので、赤白のコンビネーションになり、非常に美しいものです。
フランス料理ではたびたび使われますが、日本ではまだ栽培の日も浅く、ねだんもだいたいふつうのキャベツの四、五倍はするので、まだ特殊な洋野菜の部に属します。
色がちがうだけで、味、栄養ともにキャベツと変りませんが、紫色の部分に比較的カロチンが多くふくまれ、生食できるので効率的にビタミンの補給のできる利点があります。葉肉が厚いために、生食するとやや固く、まずいと思われるムキがあるかも知れません。そんなときは、サッと湯どおしして甘酢で召し上がられたらよい。湯どおしすると美しい紫色が黒く変り、汚く感じられますが、酸にふれると再び美しい赤紫色に変ります。
一個買っておけば、しばらくは使えるので、サッとゆがいて酢漬けにしたり、キャベツにはさんで切って、サラダにすると、目もあざやかに食欲をそそります。酢漬けといえば、レッドキャベツは、なみのキャベツとちがって赤色の美しい漬けものになるので、ヨーロッパではピックルス(酢漬け)にすることが多く、「ピックリング・キャベージ」の名で親しまれています。
レッドキャベツがいつごろできたかよくわかりませんが、十六世紀後半にフランスで最初の報告がなされ、主にフランスで栽培改良が行なわれ、今日に至っております。
[#小見出し] ま ぐ ろ[#「ま ぐ ろ」はゴシック体]
マグロの名は、あの真っ黒な体色から生まれたようです。マグロの仲間には、ビンナガ、メバチ、キハダ(またはキワダ)などがあり、いずれもからだは紡錘《ぼうすい》形をしていて、泳ぎが上手で、速く、もっとも代表的な回游魚です。
他のマグ口類と区別するため、マグロはホンマグロの名でも呼ばれ、黒いからだをしているため、クロマグロと呼ぶひともおります。メジはマグロの幼魚、シビは成熟して、ごく大きなマグロのことをいいます。総じてマグロ類は暖かな海が好きな魚ですが、ホンマグロは、三陸沖、小笠原、大島あたりで獲れたものが最高品とされ、値段もべらぼうに高く、近頃は産額も少ないため、すし屋でも一流の店でしか扱っていません。
関東では刺身の王者としてマグロが選ばれ、冬のホンマグロは、この頃もっとも脂が乗り、おいしい時季です。すしダネとしても喜ばれるものです。とくにトロは評判がよく、値も張ります。
鮪寿司さびがよくきく腹立つ日 丈子
すし屋で、よく「ヅケ一丁!」などというのを耳にしますが、このヅケは「漬け」の意で、マグロの握りずしのこと。むかしは今のように冷蔵設備がなかったので、マグロをしょうゆにしばらく漬けて置き、それをザルに揚げて、握っためしの上にのせ、すしとしたからです。
刺身にならないところは、江戸っ子がもてはやした「|ねぎま《ヽヽヽ》」(ねぎマグロの略で、ねぎとマグロの脂身をとうふなどとともに、しょうゆで味つけした汁)がおいしく、そのほか、やまといもをすりおろしての山かけ、みりんとしょうゆをつけての照り焼き……なども、結構なものです。
親方の顔に日のさす鮪売 梨葉
[#小見出し] 山《さん》 東《とう》 菜《さい》[#「山《さん》 東《とう》 菜《さい》」はゴシック体]
白菜の断層しまる夜の霜 登四郎
師走の風が身に沁《し》む頃になると、おいしいはくさいが出回りはじめます。山東菜は、はくさいの一種で、ふつうのはくさいが結球するのに、山東菜は半結球状になる種類です。葉が開いているため、結球はくさいとちがい、緑色をしていて、くきは(中肋)はやや広く、栄養的にははくさいよりもカルシウム、鉄、カロチン、ビタミンCが多く、優れたものです。
東京あたりで漬け菜といえば、むかしはこの山東菜のことでしたが、近頃では結球白菜が増えたのと、今まで山東菜の産地だったところが、都市化の波にあらわれ、年ごとに産額は減る傾向を見せております。名の示すように、中国の山東省の原産で、明治八年頃わが国に輸入され、改良を加えて出来たもので、そのむかし、愛知県御厨村の名産でした。東京で一般に食べられるようになったのは、大正のはじめ頃といわれ、それまで東京での漬け菜の主流を占めていたのは、三河島菜《みかわしまな》と唐菜《とうな》でした。
はくさいとちがって、山東菜は翌春の二、三月頃まで漬けておくことが出来るので、多く保存漬けにされます。はくさいより|くき《ヽヽ》が短く葉のほうが長く、塩が枯れた状態≠ノなると、独特の風味が生まれ、おいしくなります。保存漬けには水洗いして水を切り、二つに割り、二、三日干したものを、菜の重さの約六パーセントの塩で、まず下漬けし、下漬けが出来たら、軽く水を絞って、こんどはきざんだ赤とうがらしとぬかとで本漬けにします。十二月中の出盛り期に漬け込んでおけば、翌年二、三月頃、黄色く、べっこう色に漬かり、食べ頃となります。
洗ひたる白菜暮れて何も見えず 春兆
[#小見出し] たらばがに[#「たらばがに」はゴシック体]
「タラバガニは海中を泳ぐのか、歩くのか」――今、はやりのクイズ番組の問題ではありません。かつて、モスクワで開かれた日ソ漁業交渉で、泳ぐことが立証できないと、漁獲量に影響してくる大問題でした。
タラバガニ論争の発端は一九六四年に発効した大陸ダナに関する国際条約。この条約によると、沿岸につながっている水深二百メートルまでの海を大陸ダナと呼び、ここでは成長期に、海底に絶えず接触している生物は沿岸国の所有とするという規定があり、大陸ダナ条約に加入しているソ連としては、タラバガニは海底を歩いているという前提で、日本のカニ漁業を締め出そうと、もくろんでの論争でした。判定は五分五分で、学者の立場から「タラバは泳ぐ」と主張しているのは、妹尾次郎・東京水産大教授。「産卵期には浅海へ、成長期には深海へとかなりの距離を移動している。海の底をノソノソ這い回って、あんなに移動できるはずがない」という考えです。
一方「残念ながらカニは泳げない」というのは、カニの権威、酒井恒・横浜国大教授。「カニの中でもワタリガニの一族の中には、あと足の先端が平べったく出来ており、それをスクリュー状に回転させながら、泳ぐものもあるが、タラバの足先はとがっているので泳げない。やはり、あの長い足を使って歩くだけだろう」と泳ぎ説≠ノ否定的。こうしてみると、タラバの生態は、まだナゾを秘めています。北海道の産地では、さっとゆでて二杯酢で食べたり、刺身、カニサラダなどにできますが、東京や関西では、生のタラバを食べるのはムリ。殆どが罐詰もので、酢のもの、炊き込み、ばらずしなどにするとおいしい。
たらば茹でる煙のたうつ冬砂丘 四明
[#小見出し] し じ み[#「し じ み」はゴシック体]
むかしから「土用シジミは腹ぐすり」と、いわれ、『食品国歌』にも、「よく黄疸《おうだん》を治し、酔《すい》を解《げ》す、消渇《しようかち》、水腫《すいしゆ》、盗汗《とうかん》によし」と、その薬効のほどが記されています。暑さに弱った内臓器官のはたらきを回復させたり、産後のお乳の出をよくするのに、シジミのみそ汁は役立ちます。また、良質のたんぱく質をふくみ、消化がよい上に、ビタミンB12を多量にふくんでいるので、肝臓のはたらきを強めるのに、利きめがあります。
シジミは、わが国の淡水に産する二枚貝で、貝類の中では、もっとも多く産し、全国の河川や湖に棲息しています。泥地にすむシジミは、色が黒っぽくて大粒、砂地のは、色がうすくて小粒で、味わいは小粒のほうがよい――と、されています。
よく洗ってから、真水に一晩|浸《つ》けて、砂を吐かせ(できれば水は何回か取り換える)てから使いますが、夏場は冷たいところに置くこと。一夜浸けても口の開かぬようなものは、取り除いておきます。
他の貝類と同じく、煮すぎると、身が固くしまり、味も落ちるので、みそ汁にするときは、だしを使わず、水が沸騰したら、手早く入れ、貝が開いたら直ちにすくい出し、煮汁にみそを落して味を整えます。頃合いを見て、お椀にシジミを盛り、熱々の汁を注ぎます。
シジミはうま味のある半面、クセ味があるので、アサリやハマグリのように、すまし仕立てにするより、赤みそを使ったほうが味もいちだんと引き立ちます。薬味としては、きざみねぎか粉ざんしょうがよく合います。むかしのひとは、夏の土用にシジミを食べると、汗が眼に入らないと、もっぱらシジミ汁にして愛用していました。うまさの点では、「寒シジミ」といえますが、ほんとうにおいしいのは春四、五月頃。身がついていますし、よい味が出ます。
[#小見出し] れんこだい[#「れんこだい」はゴシック体]
レンコダイは、西日本一帯で広くいわれる名で、和名はキダイ。タイ科に属する正真正銘のタイです。全体に橙色がかっており、からだの前のほうに、とくに黄色の強い部分があり、こうした体色からキダイ(黄鯛)と名付けられたわけですが、しろうと目にも、はっきり、マダイやチダイとはちがって見えます。マダイやチダイにくらべると、いくぶん格は下がりますが、赤ダイとして充分通用し、折詰などによく入っているのは、このレンコダイです。太平洋では、千葉県以北には殆どいないし、日本海側ではあまり見かけず、四国から九州には多いのに、瀬戸内海では殆ど見かけません。
海岸を離れたやや深い泥質の海底に棲み、餌の食べ方がわるいせいでしょうか、傷《いた》みやすく、ごく鮮度のよいものなら刺身にもされますが、多くは一度姿のまま素焼きにしてから料理します。
東支那海に、すこぶる多くいて、今頃出回るものも、この方面からのものが多く、トロール漁船によって、捕獲されます。一年を通じて、冬場がとくにおいしく、小形のタイの尾頭つきは、殆どといっていいほど、このキダイが使われています。
塩焼き、煮つけなどにして賞味しますが、煮浸《にびた》しは、塩味を少し利かせた吸いもの仕立てにして、吸ったとき感じない程度の少量の砂糖を入れて煮ます。また、折詰のタイをいただいたときは、一度湯に入れて、塩の状態を見て、煮浸しにすると、おいしくいただけます。
田麩《でんぶ》にするときは、頭も尾も入れたまま水に浸して、砂糖と酒、しょうゆを少量と塩で煮ます。ゆっくり煮ていると、自然と骨と身が離れますので、離れた骨は端から取り、身を炒《い》りつけます。時々陽に透かすと、小骨が光って見えますので、取り除きます。
[#小見出し] ゆ ず[#「ゆ ず」はゴシック体]
[#ここから2字下げ]
柚の実のころころと一つ落ちぬ 冬のあした日うららか をどりたる柚子の実なるかな 笑ふにやあらむ われは旅人 天城を越ゆる 柚子の実のたわわになれり 雪にやあらむ 悲しきか柚子の実 草山の小かげ われは旅人 けふ伊豆を立つ
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]吉田絃二郎(柚の実)
わが国には、古くから冬至《とうじ》に柚湯《ゆずゆ》に入り、ゆずみそを食べる|ならわし《ヽヽヽヽ》がありますが、これは夏の土用の丑の日の丑湯、五月節供の菖蒲湯《しようぶゆ》とならぶ一種の禊《みそぎ》の名残りかと思われます。また、一面「柚湯」に入ると、からだがよく温まり、カゼをひかない――ともいわれ、養生についての古人の配慮のほどが窺われます。
「柚《ゆ》」は木の名、「柚子《ゆず》」は果実のこと、「柚酸《ゆず》」の意で、果実が酸っぱいところから、かくは名付けられたといわれます。原産地は中国。夏から初秋にかけて出回るゆずは、俗に「青柚《あおゆ》」といわれ、文字通り青々としています。青柚は、色が急激に変りやすいので、お使いになる前に必ず水に浸《つ》けます。切ったものは、なるべく早く使い切るようにしましょう。秋も十月頃になりますと、そろそろ「黄柚子《きゆず》」といって、黄色味のあざやかなゆずが出回りはじめます。これは、かおりがよく、色どりも美しいので、吸い口に利用したり、皮をおろし金でおろし、ちょっと煮ものに散らしたり、薄く輪切りにして、刺身の下に敷いたり、焼魚に添えたりします。
吸い口にするときは、皮を厚くタテに剥《む》いてから、裏面についている海綿状の白い部分を、ていねいに包丁ですき取り、せん切りやそぎ切りにして用います。
柚味噌なめて舌頭に是非を分ちけり 蝶衣
[#小見出し] ふ ぐ[#「ふ ぐ」はゴシック体]
こんな話が江戸期の随筆にあります。「鰒は食べてもよいか」と、患者が医者の許に手紙を書いた。患者はその字をフグと思い、医者はアワビと解していたと見え、早速「よろしい」と返事を認《したた》めた。患者は安心してフグを喰い、中毒して死んでしまった――というものです。医者もウカツでしたが、患者も患者で、中国の文字を、真俗二様に書きちがい、読みちがえ、あたら一命を落すとは……、哀れにも愚かな話。なぜ河豚と書かなかったのでしょう。
貝塚からフグの骨が見つかるところから、フグは大むかしから食用にされていたとみられ、江戸時代にも、さかんに庶民に愛好され、「あら何ともなやきのふは過てふくと汁」と、芭蕉の句にあるように、元禄期には、フグ汁を喰ったことが、芭蕉の手紙にも書かれています。
街に木枯しが吹く頃ともなると、不思議にフグが喰いたくなります。季節への義理というものでしょうか。フグ料理といえば、まずなによりも刺身。フグの刺身は「見る料理」といわれる日本料理の中でも、とりわけ美しいものです。
河豚の皿赤絵の透きて運ばるる 吐天
フグさしは、ガラス細工の花かと見まごうように、繊細で、皿の色まで透きとおすように大きな花弁状にひろげられ、ひときれ、ひときれ、箸でくずすのが惜しいほどです。みじん切りにしたあさつきの青、もみじおろしの朱、透きとおったふぐの白身――と、色どりも美しく、おいしく、味の淡泊な割りに、こくがあり、あとあじのよさは、たとえようもありません。皮もおいしく、皮と身との間の|とおとおみ《ヽヽヽヽヽ》も、しこしこした歯ざわりが忘れ難い。ちり、雑炊も楽しい。
[#小見出し] か ぶ[#「か ぶ」はゴシック体]
蕪《かぶ》汁や霜のふりはも今朝《けさ》はまた 其角
赤いかぶもまじって、八百屋の店先は、みずみずしい小かぶでいっぱいです。東京あたりで見られるこの季節のものは、埼玉辺のものですが、大小かまわず七個を一束に出荷されます。かぶといえば、どなたもだいこんの親戚だと思います。だいこんは長く、かぶは丸いといいますが、だいこんの中にも、桜島のように丸いのもあり、かぶでもだいこんにそっくりの長いものもあります。廿日だいこんのように小さい小かぶもあれば、赤や紫、青色のかぶもあります。
しかし、だいこんとかぶは、まったく別のもので、かぶはむしろ、はくさいや京菜などと、親類筋になります。かぶはどちらかといえば、地方的なもので、地方地方に特殊な品種が残っています。名のあるものを挙げると聖護院、天王寺、近江、津田、米子《よなご》、伊予緋《いよひ》、日野、谷口、小かぶなどです。
原産地は北欧といわれ、栽培歴は古く、すでに二、三千年前から作られています。日本でも上古の時代から栽培されていたようです。しかし、現在、名ある品種はそれほど古いものではなく、せいぜい二、三百年前から栽培されたものです。一般のかぶは球形をしていて白く、小かぶ、中かぶ、大かぶと分けられます。小かぶは直径が三センチくらいで、もっとも若いうちに穫ることもあり、葉もやわらかくておいしい。夏の終りから蒔き始め、やはり秋から冬にかけてがいちばん作りやすく、一カ月もあれば収穫できるので、値段も比較的やすい。
きゅうり、なすにつづく漬けものの主役で、洗ってぬか漬けや、きざんで即席漬けに。新しい葉もよく洗って、いっしょに漬け込んでください。葉にはビタミン類が多くふくまれています。
[#小見出し] ずわいがに[#「ずわいがに」はゴシック体]
福井、石川の両県の沖合いでよく獲れるところから、越前ガニの名で呼ばれ、山陰地方では松葉ガニ、丹後ではタイサガニ、秋田地方ではタラバガニの名で親しまれています(もちろん北洋で獲れる本場のタラバガニとは別の品種)。
数多い日本産のカニ族の中でも、タカアシガニに次いで大きいカニで、甲の幅は十五センチとほぼケガニと同じ大きさなのに、足を伸ばすと七十センチにも達します。越前のひとたちは、ズワイのズは「頭」、つまりかしらの意味だから、ズワイガニはカニの王者だと、自慢します。
いかついトゲや剛毛もなく、同じ仲間のケガニやサクラガニにくらべると、スマートで、ちょっと女性的な雰囲気をただよわせる姿態をしています。味も割合淡泊で、飽きが来ません。水深四十〜三百メートル、水温五度以下の砂泥地に棲み、色はやや黒味がかったレンガ色をしていて、雪空つづきの日本海側の暗い鉛色の風物の中で、ひときわ目立つ色調をしています。
ズワイガニにかぎらず、カニはゆでかげんがむずかしく、ゆですぎると、水分がなくなるし、さりとて、ゆでが足りないと、カニの関節が紫色や黒味を帯びて来ます。釜からあげたときはわかりませんが、時の経つに従って、はっきり紫色になるのですから、始末におえません。
十一月の解禁直後は、湯が吹き上がってから十分でいいのに、雪が一度降ると、カニの身が充実するので、ゆでる時間を長くする、といった|あんばい《ヽヽヽヽ》で、土地っ子は「カニを見てから、ゆでかげんを決める」と、いうほどです。風味のよいのはオスで、おもに足の肉を賞味し、越前あたりでは、ゆでたての、まだ湯気の出ているカニが、姿のまま皿に盛られて出されます。包丁を入れると、味が落ちると、それを手でむしりながら、二杯酢か酢だけで食べるのです。
[#小見出し] は た は た[#「は た は た」はゴシック体]
「秋田|音頭《おんど》」の一節に、秋田名物|八森鰰男鹿《はつもりはたはたおが》で男鹿ぶりコ……≠ニ、あります。ハタハタは北日本にひろく分布し、とくに東北の日本海沿岸で多く獲れる、冬の代表的な魚です。
雷火ござんなれはたはた舟出発 裸馬
魚ヘンに※[#「示+申」]の字や、雷を書いた字を用い、また、カミナリウオと呼ばれるのも、ハタハタが雷の鳴る頃、たくさん獲れるからです。ふつう、雷といえば、夏と相場が決っていますが、北国では寒冷前線の影響で、冬にも雷鳴がとどろき、十一月下旬から十二月の初旬にかけて、ハタハタの漁期の頃の雷を、土地では鰰雷といっています。この雷の鳴るときには、よく時化《しけ》るそうで、この頃、沿岸二、三十|浬《カイリ》のところに、十五、六度の温水帯が発生し、ハタハタの接岸は妨げられますが、時化のために、温水帯が破られ、冷水帯となったときに、大挙して押し寄せるそうです。
ハタハタは、秋田の郷土料理として有名な「しょっつる」(塩汁)の原料となるほか、煮つけ、すし、塩焼き、みそ汁など、各種の料理に用いられ、秋田のひとたちは、「この魚を食べないと、冬が来たような気がしない」といって、さかんに賞味します。炉辺で焼きながら食べると、味も淡泊だし、柄も小さいので、割りとたくさん食べられます。
鰰の背骨反らして焼かれけり 順風
ことに卵がおいしく、はち切れんばかりに卵を抱いたメスを、焼きながら食べるおいしさは、土地っ子に声援を送りたくなるほどです。ことに、卵を包むヌメリが心地よく、また、卵膜が固いので、噛むとプツプツと気持のよい音がします。土地では、卵のことをブリコといい、生のまま、しょうゆをかけて賞味します。
[#小見出し] 鳥《とり》 貝《がい》[#「鳥《とり》 貝《がい》」はゴシック体]
ザルガイ科には、ザルガイ、ナガザルガイ、エゾイシカゲガイ、それに鳥貝があります。鳥貝はこの中でも殻がもっとも薄く、殻幅は厚く、ハート形にふくれています。表面に四十六条内外の放射肋があり、殻の内面は、淡紅紫色をしていて、殻長は十センチくらいあります。水深数メートルの泥土質の浅海を|すみか《ヽヽヽ》とし、とくに伊勢湾・大阪湾が産地として有名。八月から翌年の四月頃にかけて、桁網《けたあみ》で採取します。
鳥貝の名の起りについて、たいていの本には「鳥肉に似た味がするので、この名がある」と、記されていますが『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』には「肉ノ状、鳥の啄《クチバシ》ノ如シ、故ニ俗ニ鳥貝ト名ヅク」と、名の由来を記しています。どうやら鳥貝の肉を見ると、このほうが、命名の由来としては、ぴったりしています。肉には特有の風味があり、やわらかく、むかしから珍重され、前記の三才図会にも「其ノ肉|炙《アブ》リ食テ甘ク美《ウマ》シ、煮テモ亦佳シ」と記されています。すしダネとして広く用いられるほか、酢のもの、刺身の盛り合わせ、酢みそあえなどにして賞味されます。また、水煮の罐詰や、乾燥して干し鳥貝としても加工されます。
産卵期は五月から十月。おいしい季節は、冬から春先にかけてです。おもしろいことに、三才図会には「猫、鳥蛤《トリガヒ》ノ膓ヲ食ヘバ、則チ耳脱ケ落ツ也、又云フ鳥蛤ノ腹ニ小キ蟹《カニ》有リ、大キサ豆ノ如シ、是レ此ノ瑣※[#「虫+吉」、unicode86e3]《サウキツ》之類カ、食フ所之蟹カ」と、記されています。猫が鳥貝のはらわたを食うと、耳が脱け落ちるかどうか、まだ実験したことはありませんが、いずれにしても前代未聞の珍説ですね。鳥貝は加熱すると、肉が固くなるので、食べるときは、酢で味を補って生食したほうが、しこしこした歯ざわりが楽しめます。
[#小見出し] ざ ぼ ん[#「ざ ぼ ん」はゴシック体]
人語なし朱欒《ざぼん》が熟るゝ島の昼 貞
ざぼんは九州南部、長崎、熊本、鹿児島の各県の、農家の庭先に植えられています。子どもの頭ほどもあり、みかん類の中では、もっとも大きな果実です。
ざぼんのほか、うちむらさき、ぶんたん、ぼんたんなどとも呼ばれます。九州辺に多いのは、オランダ船の来航のはげしかった十七世紀頃、海を渡って南方から持ち込まれ、長崎周辺で栽培され、たまたま九州の温暖の気候や地味が、ざぼんの気質に合い、広まったからです。一説には、安永元年(一七七二年)秋、薩摩国阿久根港に暴風雨を避けて逃げこんできた清国の船がもたらしたものだといわれ、船長|謝文旦《しやぶんたん》の名にあやかって「文旦」の名がついたといわれます。
かおりの高いくだものですが、果皮が厚く、苦味が多いところから、むかしは黒砂糖をつけて食べられていたようです。現在は、品種や産地によって、苦味の少ない、甘味の多い果汁に富んだものもあります。たいていは、厚い皮を砂糖漬けにして、「文旦漬」あるいは「ざぼん漬」といい、おみやげ品として売られています。
長崎県平戸あたりで生産される平戸ぶんたんは、扁円形のざぼんで、比較的、肉質がやわらかく、果汁も多く、重さは一キロ以上、甘味に富み、国内産としては、もっとも品質のすぐれたものです。これは弘化二年(一八四五年)、肥前国北松浦郡の藩主松浦侯が、長崎でジャガタラ渡来のぶんたんを献上され、これを賞味し、そのタネを臣下にわかち与えたものから生じたと伝えられています。十二月頃熟し、穫れたての頃は、酸味が多いですが、貯蔵後は風味もよくなり、甘味も出て、おいしくなります。
[#小見出し] 貽《い》 貝《がい》[#「貽《い》 貝《がい》」はゴシック体]
イガイは、カラスガイに似た真っ黒な貝で、「黒貝」の名でも呼ばれます。カラスガイが沼や湖に棲む淡水産の貝であるのに対して、イガイは海水産。肉は食用になるばかりか、時季のものは、おいしい。
新井白石の『東雅《とうが》』(享保四年、一七一九年)には「貽貝イガヒ(中略)イガヒとはイは即ち胎字の音を呼びカヒは貝の字の訓を呼びしと見えたり(中略)昔或人の云ひしはイガヒとはアコヤノカヒといふ者なり、其貝より出でし珠をばアコヤノタマと云ふなり、と云ヘリ、後に西行法師の歌を見るに、あこやとるいかひのからをつゝみおきて宝のあとを見するなりけり、とよみたり、さらば今アコヤノカヒといひて其殻のハマグリといふよりは長くて黒き珠を生じぬる蚌《ぼう》といひしもの是也とぞ見えたる」(蚌はドブガイ、カラスガイ、ハマグリのこと)と、記されています。殻の内側は紫黒色をしていて、殻の長さ十〜十二センチ、幅五センチほどの二枚貝で、黒くて強靭な糸をもち、これで水深十〜二十メートルくらいの潮流のある岩礁に群がって着生し、相当強い波に洗われても、ビクともしません。しかし、みずから場所を変えるときは、足を好きなところに伸ばし、そこから側糸を分泌し、在来のものを捨て、たやすく移動します。白石の書いたように、ごく稀に、真珠があるそうですが、品質はあまり上等なものとはいえないそうです。
むかしはすしダネとして、さかんに賞味されたらしく、『令義解《りようのぎげ》』や『延喜式《えんぎしき》』にも「貽貝鮓《いがいずし》」(酢漬け)と記され、また『土佐日記』には「ほやのつまのいずし」として、イガイが登場しています。現在は十二月から冬中、吸いものダネをはじめ、酢のもの、巻きずしの具にして賞味されます。干したイガイは「淡菜《タンツアイ》」といって、中国料理では珍重されています。
[#小見出し] し し ゃ も[#「し し ゃ も」はゴシック体]
ニシンを春告魚と呼ぶなら、シシャモは、さしあたり、冬の到来を告げる冬告魚ということになりましょう。北海道の澄んだ青空が、ナマリ色に変る頃、たくさん獲れはじめるからです。いまでは、郷土色豊かな北海道地方の名産品として、全国に知れ渡り、とくに左党仲間には、酒のサカナとして、おなじみです。シシャモには次のような民話が伝わっています。「むかし、釧路近くのアイヌ族が、ひどい飢饉《ききん》に見舞われ、頼りにしていたサケも不漁で困っていたとき、あるメノコがなんとか親だけでも養いたいもの≠ニ、川のほとりにきて、一生懸命、神様にお祈りを捧げました。すると、孝心が神に通じたのでしょうか、川岸の柳(ネコヤナギのことか)の枯葉が次々に川面に落ち、これが水に入ると、とたんに魚に化して、ピチピチ泳ぎはじめました。その数はみるみる増えて、川にあふれ、人々は大喜びですなどり、飢えをまぬがれることが出来た」というものです。
この民話からシシャモを一名、柳葉魚ともいいます。これは、シシャモがアイヌ語のシュシュハム、つまり、柳葉のなまりであることによる――といわれます。
北海道の太平洋に面した地方で獲れ、サケと同じく、二、三年魚が主で、十一月の初旬から下旬にかけてのわずか半月の間に、鵡《む》川、沙流川、十勝川、新釧路川などに、大群が現われて、そのため、川が盛り上がるほどだといわれます。小ザカナだけに、傷みやすく、殆どが甘塩の干ものになっています。十尾ほどを頬刺しにして干したもので、土地っ子は、「シシャモはアユよりもうまい」と自慢。艶のある、いくぶんやわらかめのものを選び、軽く焼いて、あつあつのうちに食べましょう。店頭売りは全部がメス、オスは骨が固く、腹子もないので入荷しません。
[#小見出し] に ん じ ん[#「に ん じ ん」はゴシック体]
「にんじんは中を補い、五臓を安んじ、食を健ならしめ益ありて損なし」などと、古くから精力のつく野菜として知られています。寒い季節には、栄養的な食べ方からいって、にんじんをおすすめしたいものです。おろしだいこんに、にんじんを一、二割おろして加え、いわゆる「もみじおろし」にして、酢じょうゆで味つけしてのシラスボシなどは、おいしいものです。カゼを引いて食欲のないとき、こうしたものを出すと、案外、食欲がすすむものです。この頃、細長いにんじんは、すっかり影を潜め、殆ど短いにんじんになっています。それというのも、長いのより、やわらかく、味もいいからでしょう。
落水やにんじん洗ふ手の赤き 錦朗
にんじんは欧州原産のセリ科の越年性草本で、二千年くらいの栽培歴があるといわれています。十五世紀にフランスで改良されてから世界各国に伝わり、わが国には、約三百年前、中国を経て渡来し、改良を加えて今日に至っています。
にんじんの名は、朝鮮の薬用植物として有名なウコギ科の「人参《にんじん》」に、その根の形が似ているからだといわれ、葉がせりに似ているところから「せりにんじん」または「やまとにんじん」と呼ばれていたのですが、いつしか「にんじん」の名を、占有するようになりました。長目で赤紅色の東洋系と、長さが十五センチ内外と短か目で樺色の西洋系に大別でき、有名なものとしては、東京の滝野川にんじん、群馬県の国府《こくぶ》にんじん、大阪の金時にんじんなどがあります。
和風には、煮〆、なます、白あえ、生食が一般的ですが、きんぴら、かき揚げにしてもよく、サラグやぬか漬けにもおすすめできます。また、料理の色どりの美しさからもぜひ……。
[#小見出し] ぶ り[#「ぶ り」はゴシック体]
鰤網《ぶりあみ》を越す大浪の見えにけり 普羅
寒風吹きすさぶ厳寒の海上で行なわれるブリの網おこし風景は、まことに豪快そのもの。網を引くごとに、たぐるごとに、ブリはここを先途《せんど》と暴れ、しぶきをたててもがきはじめます。その頃ともなると、漁師のからだは、湯上がりみたいに湯気がたち、汗でびっしょり。ひとりにかかる網の目方は、数十キロという重さ。数十人が一糸乱れず網をおこす光景は、海の男とブリの凄絶な闘いの舞台です。
寒鰤のいのち闘ふひびきかな 晩紅
温帯性の回游魚であるブリは、水温十〜二十度の温度を求めて移動し、夏には暖流に乗って、北海道近くまで北上し、晩秋から春にかけて、沿岸沿いに南下して来ます。三、四月頃、本州中部以南で産卵するため、北の海から南下する親ブリで、真冬にかかる頃のものを、俗に「寒ブリ」の名で呼びますが、脂も乗り、冬いちばんのおいしい魚です。鮮度のよい寒ブリは、刺身がいちばん。白身の魚と同じように薄身につくり、本場もののわさびで食べる味は格別。照り焼き、塩焼き、みそ漬けにしてもよく、関西の正月に、なくてはならぬのがこのブリで、関東で歳末に塩ザケがさかんに売れるように、関西、ことに九州、中国、山陰方面では、この時期に塩ブリの需要が急増します。塩漬けは、本来はブリの漁場で、獲れるとすぐ腹を開き、内臓を取り出し塩を詰めてつくるものですが、家庭で仕込む場合は、ブリの切身が塩でかくれる程度にして漬け込みます。だいたい十五日から二十日で食べ頃になり、焼いたり、椀ダネにして賞味します。
同じ寒ブリでも、一般に日本海産のブリのほうが、水温のせいか、脂の乗りがよく美味です。
[#小見出し] な ま こ[#「な ま こ」はゴシック体]
ナマコはウニ、ヒトデなどと同じ棘皮《きよくひ》動物の仲間。ふつうのナマコ(マナマコ)をはじめとして、キンコ、フジナマコ、オキナマコ、ジャノメナマコなど、種類が多く、このうち、一般に食用に供される、単にナマコと称される種類は、日本全国に広く分布しています。
尾頭のこゝろもとなき海鼠哉 去来
この句のように、一見しただけでは、どっちが頭か尾か分りませんが、口のあたりには触手二十本、背と側面にはイボ足があり、腹側には管足を備えています。大きさは三、四十センチにも達し、からだの色は、棲む場所によって、黒味がかったもの、赤味がかったもの、また黄色味を帯びたものとさまざま。夏の間は比軽的深い場所で、餌も摂らずに夏眠していますが、九、十月頃には眠りから覚めて、浅いところに移り、冬の間中、夜間元気に這い回り餌を摂ります。餌漁りが夜専門と、ネズミに似ているところから「海鼠」の字をあてるようになったといわれます。
ナマコの口については『古事記』におもしろい話がのっています。すなわち「天孫ニニギノミコトが豊《とよ》葦《あし》原《はらの》 瑞《みず》穂《ほの》国《くに》に降臨されると、大小さまざまの魚たちは集まって来て、みなミコトにお仕えすることを誓言した。その中にただ一匹、ナマコだけがおし黙っていた。側にいたウズメノミコトがこの口は返事のできない口≠ニいって、小刀でその口を開けてやった」というものです。
秋頃から味が乗り、冬至の頃には、黄|柚子《ゆず》のかおりと相性がよく、酢ナマコにして賞味します。酢のものになっていればこそ食指は動きますが、ぬめぬめしたからだを店頭にさらしているときは、ちょっと手を出しかねます。ナマコの腸を塩辛にしたものがコノワタ。
[#小見出し] あ ん こ う[#「あ ん こ う」はゴシック体]
その以前あんこう食ひし人の胆 抱一
実際、押しつぶしたチャックのカバンのような、グロテスクなアンコウの風采を見たら、抱一ならずとも、こうつぶやきたくなります。食卓にのぼるアンコウには、単にアンコウと呼ぶ種類とクツアンコウとがあり、うまいのは、やはりアンコウ。しゅんは寒中。
アンコウは運動しないせいか、からだがグニャグニャとやわらかく、しかも粘りが強いので、ふつうの魚を切るときのように包丁を入れたのでは、思うように切れません。そこで発明されたのが吊し切りで、皮を剥《は》いだアンコウの頭に鈎を打ち込み、梁《はり》に吊し、口から水を流し込み、重みをつけて切ります。むかしの川柳子は、こんなありさまを、「竜宮の芝居鮟鱇高尾役」と、(遊女高尾は隅田川の三股にて舟中で仙台侯に吊し斬りされたということから)的確に詠み込んでいます。
「アンコウの七つ道具」といってトモ(肝臓)、ヌノ(卵巣)、水袋(胃袋)、エラ、皮、肉、ヒレに分けられ、捨てるところなく食べられます。肉よりは皮や内臓(とくにトモ)のほうがうまい。
東京のアンコウ料理専門店「いせ源」主人の話によると、「アンコウなべ」は、アンコウと野菜の量を半々ぐらいに用意し、コツはアンコウのどろくさい感じを抜くため、一度熱湯にさっとくぐらせてから水にさらし、それを煮ること。野菜はみつば、うど、さやえんどう、ぎんなん、生しいたけ、ほかに焼きどうふ、ゆずなど。わりしたは、だし五杯に対し、しょうゆ一〜一杯半、同じ容器で計ってみりん四分目、砂糖六分目を加えます。なべを楽しんだ残りのつゆに、ごはんと薬味と生卵を入れ、ぞうすいにするのも、また結構。
ふるさとの雪の明け暮れ鮟鱇鍋 寿泉
[#小見出し] 紀州《きしゆう》みかん[#「紀州《きしゆう》みかん」はゴシック体]
暮れも押しつまってくると、八百屋さんの店先に、化粧箱入りのみかんが山と積まれ、正月の間近いことを知らせます。
蜜柑積んで年の瀬ちかき小店かな 三幹竹
みかん類には、温州みかん、紀州みかん、柑子、ぽんかん、|たちばな《ヽヽヽヽ》などがありますが、中でも紀州みかんは、一名小みかん、本みかんとも呼ばれ、有名な有吉佐和子さんの小説『有田川』は、ヒロイン、千代が小みかんと温州みかんのちがいを、老男衆の茂太ん≠ニ話し合うところから始まっています。千代が、温州のほうがタネがなくて食べやすい、というと、茂太んは、タネがあるのはほんもの=i本物)の証拠だ、だから別名、本みかんともいうのだ、と小みかんの「正統」を主張しています。
たしかに、七百年ほど前に、中国南部より渡来して以来、紀州の小みかんは、明治の中頃まで、日本の柑橘類《かんきつるい》の本流でした。歴史上、とくに、紀州みかんの名を広めるのに功績のあった人物は、ご存知紀国屋文左衛門です。貞享二年(一六八五年)、のちに豪商紀文大尽の名をほしいままにした別所文平(当時十七歳)が、荒天を冒して、みかんを満載した幽霊丸を江戸に回送、折柄、フイゴ祭りに使うみかんにも事欠いていた江戸市民を喜ばせ、紀州みかんの名は、文左衛門の侠気とともに、江戸市中にパッと知れ渡りました。一説によると、文左衛門が江戸に回送した小みかんは、加茂谷《かもだに》産(現、海草郡下津町)だったといわれます。
丸いもの、扁平なものと、形はまちまちですが、いずれも小柄で、種子が多いのが難。種子なしの温州に追い抜かれたのもこの種子が主因でしょうが、甘味は強烈で、そのさわやかなかおりとともに、一度口にしたら忘れられない|みかん《ヽヽヽ》です。
[#小見出し] 伊《い》 勢《せ》 え び[#「伊《い》 勢《せ》 え び」はゴシック体]
亀の背に海老ほの赤し初日出 鬼貫
正月の鏡餅《かがみもち》・蓬莱台《ほうらいだい》、または注連飾《しめかざり》などに添えられるが、赤くゆでた伊勢エビ。正月にエビを尊ぶのは、エビのようにヒゲが長く伸びて、腰の曲るまで長命でおるように、と願うこころからです。「海老」という漢字をエビと読ませるのも、そのような形態から海の老人に象《かたど》り、付けられたものだと思います。俗謡にも、
エビは生まれながらの翁にて 腰に梓の弓を張り 目は出目にて めでたかりける千代の春
と、いい、祝いごとには、必ずといっていいほど、登場しています。
伊勢エビは千葉県以南の太平洋岸、それに九州の西岸に棲んでいます。和歌山、高知、三重、千葉県などが主産地。そのむかし、伊勢湾はエビの宝庫だったので、この名がついたわけですが、いまは産額がぐっと減っております。ほかのエビ仲間とちがって、黒潮がじかに洗う、波の荒い外海の浅いところに、好んで居を構え、昼間は岩陰に隠れ、闇夜に出て、食物を漁ります。威厳に充ちた鎧兜《よろいかぶと》の盛装をして、一見強そうに見えますが、意外に弱虫で、月夜には月の光を恐れて、活勤しないため、身は痩《や》せて、おいしくありません。秋から春にかけてが漁期で、夏の産卵期には、乱獲防止のため禁漁となります。おいしい時季は、寒い季節ということになります。
刺身、酢のもの、具足《ぐそく》煮、鬼殻焼き、サラダなどにして食べますが、そのほか、殆どあらゆる料理に用いられ、洋風料理にしても、なかなかいいものです。この頃は、冷凍ものが多く出回るようになりましたが、料理にはなるべく生きたものを使いたいものです。生きのいいものへ小砂を食わせ、冷暗所へ置けば、二、三日は生きています。
[#小見出し] だ い だ い[#「だ い だ い」はゴシック体]
入江相政氏の最新の随筆集『行きゆきて』を読むと「文化勲章がタチバナの花によって図案化された」由来が、次のように記されています。
昭和十一年に文化勲章が制定されることになり、その意匠が練られつつあった時、広田内閣から出されたのはサクラの図案。サクラは国花だからとのこと。陛下は、それはそれにちがいないが、サクラはあまりにもはかなく散っていく。文化現象には永劫性が無ければならない。田道間守《たじまもり》は常世の国から「時じくのかぐの木の実」をもたらした。常世の国に永劫の力を認めて、タチバナをもとにして図案を練ってはどうかとおっしゃった
こうして、文化勲章は、タチバナの花によって図案化されるわけですが、陛下のお示しになられた田道間守の故事は『古事記』垂仁天皇の項に記され、「時じくのかぐの木の実は、これ今の橘なり」と見えています。しかし、ほんとうの正体は何か、今もって定説はありません。田中長三郎博士は「たちばなは日本原生種であるところから、|だいだい《ヽヽヽヽ》だ」と主張され、牧野富太郎博士は「食用となる柑橘《かんきつ》すなわち小みかんである」と主張されています。
だいだいは熟しても採取せずに、そのまま木に残すと再び青くなり、十一月頃からまた橙色となります。そんなことから、その家が子孫|代々《だいだい》相伝えてつづき、絶えることのないように、縁起ものとして、古くから用いられてきました。果肉は酸味がきつく、もっぱらその絞り汁を酢の代りに「ぽん酢」として用います。ゆずよりも汁が多く、かおりも高く、水たきやちりなべに、欠かすことはできません。むかし、ぽん酢に砂糖をまぜ、熱湯を注いだものを、カゼ薬として、よく母に飲まされたものです。これが不思議と利きめがありました。
[#小見出し] 小《こ》 松《まつ》 菜《な》[#「小《こ》 松《まつ》 菜《な》」はゴシック体]
先日、森下敬一先生にお会いしたとき、伺った話ですが、「最近、若い女性に多い貧血症は、終戦当時の栄養失調によるものと様相が変り、動物性たんぱく質の過剰摂取によるものが殆どで、わたしのところに相談に見えた方には、できるだけ小麦|胚芽《はいが》を食べ、菜食をするように勧めています。いわれたとおりに食生活を改善したひとは、ご自身でもおどろかれるほど、早く治っています」と、いうことです。
近頃はまた、美容のために、減食したり、自己流の低カロリー食を摂ったりする女性が増え、どうやらこれも、貧血症、低血圧症の原因となっているようです。貧血症ばかりでなく、菜食、とくに緑野菜を摂ることは、からだのためにはよいことで、女性に多い便秘症も、繊維の多い野菜をたくさん摂ることにより、治っている例を、数多く聞きます。ほうれんそうをはじめ、小松菜、高菜、キャベツ、はくさいなどは、ビタミンCの供給源としては、適したものです。
女の幸冬菜が覗く買物籠 吉男
数多い冬菜の中でも、小松菜はいちばん親しまれているもので、関東地方で主に栽培され、ことに東京江戸川の小松川で、明治初年から作られたので、この名が生まれました。北国の寒い地方では、春先のウグイスの鳴く頃、ちょうど食べられるので「ウグイス菜」と呼んでいます。
ほうれんそうのようなアクはなく、おひたし、ごまあえ、なべもの、みそ汁の実によく、ごま油でレバー炒《いた》めにしてもおいしく、しょうゆで油揚げと煮ると格別の味。霜にあうと葉質がやわらかくなり、品質がよくなります。
さかしまに樽置き上に冬菜置き 虚子
[#小見出し] え び い も[#「え び い も」はゴシック体]
京の悪口をいった八犬伝の作者、滝沢馬琴《たきざわばきん》も、京にて味よきものとして麩《ふ》、湯葉《ゆば》、芋《いも》、水菜《みずな》、うどんの五つをあげ、「その余は江戸人の口にあわず」といっています。味よきものの一つ「芋」は、おそらく「いもぼう」のいもではなかったかと思います。もともと、|いも《ヽヽ》と|ぼうダラ《ヽヽヽヽ》を煮て食べるのは、京の町家の古くからの|ならわし《ヽヽヽヽ》で、一日、十五日には、決ったように行なわれる行事食のようなものでした。
いも──といっても、サトイモ科の植物は、十数種あり、こんにゃくやしょうぶもその同属で、そのうちの「さといも」には、とうのいも、やつがしら、やまといも、あかめ、みずいもなどがあります。「いもぼう」のいもは、そのうち「とうのいも」(唐の芋)を用います。エビのようなかたちをしているところから、「えびいも」(海老芋)の名でも呼ばれます。
京名物、「いもぼう」の平野家では、そのむかし円山で栽培したものを使っていたそうですが、のちには、近郊の農家に作り方を教えて作らせ、毎年収穫したものの中から、もっともよいと思われるものを、あくる年の種いもとして残し、長年にわたって淘汰改良して来たものだそうです。ともかく、舌の上でとろけそうな、ねっとりとしたえびいものやわらかさは、料理するひとの心意気と執念を感じさせます。
京都東寺付近の名産だったえびいもも、近頃では河内、岡山、静岡、和歌山などへ移植され、栽培されています。しゅんは十二月頃から翌年二月頃まで。ふつう、皮を剥《む》いてから、姿のまま蒸すか、煮るかして、やわらかくなってから、煮ものに入れるか、好みの形に切って汁の実に用います。姿、形の正常なもので、尾先を折り取って、肉質が真っ白で、緻密なものが良品。
[#小見出し] ふ な[#「ふ な」はゴシック体]
わが国の淡水魚のうちで、もっとも広く知られ、親しまれているのはフナでしょう。村はずれの小池、町中の用水堀、潮の流れ込むクリーク、河川湖沼、まずこの魚を見ないところはありません。繁殖力は実に旺盛で、悪水毒水にも、抵抗力の強い魚です。戸籍の上からは、コイの兄弟分で、体形も実によくコイに似ています。フナも形態や、色合いなどのちがいに従って、さまざまな種類があるようにいわれますが、元を質《ただ》せば、殆どみな同一種です。コイ同様、俗名というものがなく、どこの地方へ行ってもフナで通じますが、ある地方では、マブナ、モウズ、ニゴロ、ガンソなどともいわれます。
落葉ごと寒鮒網に入りにけり 乙字
寒さのきびしいこの頃が、フナのおいしい季節。フナの風味は、作り、すなわち、刺身で食べると、源五郎系よりもマブナ系のほうがおいしく、マブナの中でも、初春の頃の、肉のやや赤味を帯びた、俗にヒワラ(緋腹)がうまい。フナ全体からいえば、やはり、寒ブナがおいしい。
秋にまるまると太り、いま頃は脂もほどよく乗り、寒気のために、身も引き締まっています。日本の各地で獲れますが、魚屋の店先にならぶのは、殆どが養殖もの。ひとによっては、「フナは泥臭い」といって、毛嫌いしますが、その点、養殖ものは天然ものより臭みがなくて、心置きなく召し上がれます。
小さなものは、佃煮業者に買い取られるため、出回っているのは、二十〜二十五センチ程度のもの。大き目のものなら二枚におろし、比較的小柄なものは串刺しにして、みりんじょうゆのつけ焼きにします。食べるとき、さんしょうの粉をふると、味が引き立ちます。
[#小見出し] く わ い[#「く わ い」はゴシック体]
八百屋の店先に、薄緑の芽を出したくわいが、水桶の中に浸《ひた》され、剃りたての小坊主頭が寄り合うような恰好でならんでいます。
曲らずにくわゐの角や春の水 巣兆
くわいは、オモダカ科の多年生草本で、沼、川、水田に自生し、また栽培もされます。漢字の「慈姑《くわい》」という名は、味が甘く、慈み深い姑(中国では母のこと)の乳になぞらえたといわれ、また「一根に毎年十二子を生じて、慈姑の諸子を乳する如きに似ているので慈姑」(『本草網目《ほんぞうこうもく》』の説)と称するようになった、といいます。その味から、一名「地栗《じぐり》」ともいいます。和名の「くわい」は、新井白石の『東雅《とうが》』(享保四年、一七一九年)の説によると、「くわ」は農具の鍬、「い」は野菜の芋の略で、すなわち「鍬のような葉の形をした芋」の義だと記されています。
秋に二、三弁の白い小さな花をつけ、これが散ると、根茎に養分を貯えはじめ、このふくらんだ根茎を食べるわけです。年末から初春にかけてがしゅんで、関東の青くわい(新田くわいとも呼ぶ)、大阪の吹田《すいた》くわい(自生種、地くわい、姫くわい、豆くわいとも呼ぶ)、京都の壬生《みぶ》くわいなどが、とくに味が優れているので有名です。どちらかといえば「古典的な野菜」といえるもので、若いひとたちの間では、くわいの味を知らずに育ったひとも多いと思います。
小さ目のものを甘煮にして、正月の重詰から八寸に。また薄く切って油でから揚げして、塩をふりかけ、洒のサカナや八寸に。だいこんおろしですって、片栗粉を加え、丸《がん》として浮しに使ったりします。くわいは蓚酸石灰をふくんでいて、渋味があるので、煮る前に一度、ゆでこぼさないといけません。
[#小見出し] た ら[#「た ら」はゴシック体]
「鱈腹《たらふく》食べる」というたとえのとおり、腹の皮がはち切れんばかりに食べる大食漢でおなじみのタラは、雪の降る北海道で、冬場にたくさん獲れる魚です。
はためきて鱈場の標旗雪待てる 春彦
北海道釧路、網走あたりで獲れるマダラが切身で売られています。今ごろの季節に出回るタラは鮮度がよいのが特徴ですが、切身のはだがつやつやと光っていて、みずみずしいのが良品。鮮度の落ちたものは、肉質が白っぽくなるので、かんたんに見分けがつきます。
太平洋岸では仙台以北、日本海岸では山陰以北に分布しています。タラにはマダラ(一般にタラと呼ぶのはこの種)、スケトウダラ、ヒゲダラなどの種類があります。
寒くなるに従って、なべものがしばしば食膳をにぎわしますが、タラちりなどは、なによりのごちそう。とくにおいしいのは腹やカマの部分と肩あたりのいわゆるアラの部分です。腹部はやや塩味が強いので、さっとゆがいて塩だししてから使うとよく、切身、ちりにする場合でも、一度さっと熱湯にとおして、霜ふりすると、匂いや汚れがとれます。
ちりにする魚は、概して味の出る淡泊な白身魚(タラ・タイ・コチ・オコゼ・フグ)が向き、野菜もなるべくクセのない、さっぱりしたものを取り合わせ、すっきりした味に仕上げるのがコツ。年齢にかかわりなく、すべてのひとに好まれるタラコは、スケトウダラの卵巣で、生タラコ、塩タラコのいずれもおいしく、戦前は朝鮮からたくさん送られてきましたが、現在は産額が少なくなっています。このほか、タラはムニエルにもよく、酒をふりかけて蒸し、白ソース、カレーソース、ポン酢などをふりかけても若い人向きに喜ばれましょう。
[#小見出し] い の し し[#「い の し し」はゴシック体]
広重の『名所江戸百景』のうちの「比丘尼《びくに》坂」を見ると、降り積む雪景色の左手前隅に、墨痕《ぼつこん》あざやかに「山くじら」と大書した看板が描かれています。「山くじら」はイノシシ肉の隠語で、江戸の中期、明和の頃(一七六四〜七一年)から、麹町平河町の「ももんじ屋」は獣肉販売の店として、かなりな繁昌ぶりだったようで、「狩場ほどぶっ積んで置く麹町」と、古川柳にも見え、店先には死屍が山と積まれていました。
ふだんは口にしない獣肉、ことにイノシシ肉(牡丹)、シカ肉(紅莱)などを、精力をつけるために病人などが食うのを、俗に「薬喰《くすりぐい》」といって、ひそかに愛用していたようで、「冷症で廿日程喰ふ冬牡丹」補精のためには、なにより利くとあって、「毒になるやつが煮ている薬喰い」
嫁さんのうちは、おとなしくしているものの、甲羅を経た古女房ともなると「薬ぐい女房きせるをひったくり」と、いやがらせもいいところ……。牡丹を賞美するのも、容易なことではなかったようです。シシなべのシーズンは、十二月中旬から二月いっぱいで、この頃は木の実や山のいも、それにミミズ、サワガニなどを食べ、寒さから身を守るために、皮下にたっぷり脂肪を蓄え、いちばんうまい時季です。「イノシシは当歳」といい、親よりも仔イノシシの肉がやわらかくておいしく、脂もブタ肉の三枚に似て小味です。
イノシシを煮て食べるには、三州みそがょく、三州の渋味を抜くため、酒を入れると、味もなれてきます。むかしから「イノシシだいこん」といわれますが、まさにそのとおり、だいこんはイノシシ肉の味によく合い、だいこんそのものも、おいしく食べられます。
薬喰ひ隣の亭主箸持参 蕪村
[#小見出し] 国光《こつこう》りんご[#「国光《こつこう》りんご」はゴシック体]
りんごは寒い土地を好む果樹で、暖かな地方では、枝葉が伸びるだけで、ある種のものを除けば実が成ることは、めったにありません。わが国では、長野県の高冷地が栽培の南限で、それより西の地方では、殆ど栽培していません。
ちなみにりんごの発祥地は……というと、中央アジア。現在でも原始的な林が残っているそうです。人類に親しまれ、栽培されはじめたのは石器時代といわれ、栽培果樹としては、たいへん古いものです。旧約聖書のはじめに出てくるアダムとイブが、思わず手にした禁断の木の実は、後代、いつの頃か、はっきりしませんが、りんごということになっていて、中世以降の泰西名画には、あらかた、りんごの絵が描かれています。
「国光りんご」は、名前から推すと、純日本種のように思われますが、どうしてどうして、明治初年に米国から伝わった外来種で、わが国では古い品種に属しています。栽培が容易で、ひと頃よりは人気が落ちたとはいえ、晩生種でこれに代るほど貯蔵性に富むものがないので、りんごの生産量の中では、かなりの量を誇っています。主産地は青森県。食べどきは一月から三月頃まで。国光は紅玉にくらべると、身がしまって固く、酸味がいくぶん少ないのが特徴です。
国光にかぎらず紅玉などの人気が落ちたのは、水分が少ない、酸味が強いという食味上の欠陥ばかりではなく、あまりにも一般に知られすぎてしまって、目新しさがなくなり、その間に、いろいろな新しい、おいしいものが進出してきて、特別にりんごを賞味することがなくなったせいとも考えられます。このため、産地では、現代の消費者の好みに合うスターキングと国光を交配してできた「富士」に作りかえるところが多くなっていると聞きます。
[#小見出し] き ん か ん[#「き ん か ん」はゴシック体]
金柑は今も親しい咳《せき》の薬 いとけなきより食ふものとせず
植村寿樹という方の歌ですが、きんかんはむかしからカゼや咳の薬になるといわれ、「カゼがはやるときんかんが売れる」ということわざまであります。きんかんにかぎらず、みかん類は皮の部分にとりわけ多くのビタミンをふくんでいますが、中でも、きんかんの皮には、百グラム中実にビタミンCが二百ミリグラム、Aが千五百国際単位というほど、高単位ふくまれています。咳止め、カゼ薬として、むかしは多くの場合、煎《せん》じて飲んでいたようですが、、それよりも砂糖煮にして食べたほうが、よく利き、とくにお子さま用として、おすすめできます。出盛りは十二月から二月の真冬です。種類として、にんぽきんかん(寧波金柑)、丸実きんかん、長寿きんかんなどがあります。
にんぽきんかんは、今から百四十四年前の文政九年(一八二六年)の一月一日、駿河国榛原郡吉田村住吉に漂着した清国寧波の船にのっていた鉢植えから生じたもので、静岡に根をおろし、各地に広まった品種です。別名「明和金柑《めいわきんかん》」「天明金柑《てんめいきんかん》」ともいい、形は楕円形をしていて、俗に長実きんかんの名で親しまれ、わが国で栽培されているきんかん類の中では、いちばん大きく、生のまま齧《かじ》ってもおいしく、また蜜煮、砂糖漬けにも適しています。丸実きんかんは、揚子江沿岸から安徽《あんき》省にかけて野生種があるといわれる品種で、わが国では主に福島県で栽培され、直径二センチの球形をしたきんかん。愛玩用に鉢物にしたり、生食、蜜煮に適したものです。蜜煮にするときの作り方は、きんかんをさっと湯通しし、砂糖、水、ブランディで手早く蜜を作り、冷ましてから、きんかんをいっしょに、弱火でじっくり煮上げます。
[#小見出し] む つ[#「む つ」はゴシック体]
ムツは日本各地の沿岸の二百〜四百メートルの深海に棲み、関東以北の太平洋岸に多い魚です。黒紫色の艶々とした光沢、口の大きさ、歯の鋭さは、深海魚の特徴を物語っています。
仙台では旧藩主伊達家が陸奥守であったところから、ムツという名を遠慮し、ロクノウオと名付けられ、富山ではカラス、小田原ではムツメ、高知でモツ、長崎ではメバリ、鹿児島ではムツゴロウなどと呼ばれています。
黒紫色の肌色とは対照的に、肉は白く、ちょっと魚とは思えない濃艶な味を持っていて、脂肪が多く、味を一段と引き立てています。深海魚のせいでしょう、釣り上げられると、水圧の急激な変化で、胃袋が口の中に飛び出すクセを持っています。体長は六十センチと大きく、冬季、十二月頃から三月頃になると、常の|すみか《ヽヽヽ》の深海から浅場へやって来て産卵します。ムツの釣り時季はこの頃で、とくに夜間は、容易に釣り上げることが出来ます。
初春の産卵期の前がしゅんで、この頃の腹子、つまり卵巣はとくにおいしく、タラコやタイの卵巣に優るとも劣らない美味を誇っています。寒ムツといわれるくらいで、脂もこの時季にはよく乗り、味も淡泊なので、タイ代りに用いられ、刺身、煮つけ、照り焼き、それにちりなべにすると、殊においしい。白子もまたうまく、煮つけやなべものに使われます。
最近、海洋開発の名のもとに、深海における水産資源開発の問題がクローズアップされていますが、食料資源確保の上からいっても当然のことといえましょう。もちろん、この構想が生まれる以前から、バラメヌケ、サンコウメヌケ、キンメダイ、それにムツなどの重要魚類が、底曳網によって漁獲されてはいましたが、今後ますます研究の進められることが望まれます。
[#小見出し] あ ま だ い[#「あ ま だ い」はゴシック体]
アマダイの名は、割合広く行なわれていますが、京都ではグジ、大阪ではグズナ、鹿児島ではカワスギ、長崎ではキツゴ、徳島では単にタコ、また秋田ではキスコと呼んでいます。
これもタイとは縁のない戸籍|詐称《さしよう》のタイで、アマダイ科に属し、種類は、白・赤・黄の三種のアマダイがあり、それぞれ名まえの体色をしています。味は白・赤・黄の順においしく、関西は白アマダイをグジ、またはグチとも呼び、東京ではシラカワ。赤アマダイをアマダイの名で呼んでいます。
体長は六十センチくらいになり、水深三十〜百メートルと、かなり深いところに棲んでいます。いずれの品種も、深いところに棲む魚としては、めずらしく水っぽいので、一日くらい乾かして食べると、水分がほどよく抜けていて味を増します。産地では、獲りたてを食べるので、未だ充分に味が出ていないため、味の点からは下級魚扱いされていますが、京都では、むかしは日本海沿岸で獲れたものを、若狭あたりから人力、または馬力によって運搬して持ち込み、そのため、一日くらい乾かされることになるので、独特の風味が生まれ、うまい魚とされています。
とくにグジは、むかし塩をして、笹の葉を敷いた竹籠に詰められ、夜を徹して運ばれたため、運搬する際の振動、容れものの巧みな水切り、一塩のなれ具合が、うまく作用して、絶妙としかいいようのないほどのうまさを生み出してくれました。京都のグジに対する扱いが、今日、東京や大阪にも伝わり、これらの都市でも、アマダイは上等魚の扱いを受けております。
椀ダネ、酒焼き、照り焼き、いずれもおいしく、懐石では一塩ものを細作りにして、向付に用います。いかめしい頭部をコンガリ焼き、熱燗《あつかん》を注いだグジ酒も、左党の喜ぶものの一つです。
[#小見出し] も ろ こ[#「も ろ こ」はゴシック体]
諸子釣り琵琶湖狭しと並びたり 虚子
琵琶湖は、さすがにわが国淡水魚の本場といわれるだけあって、他にはない珍しい、おいしい魚がたくさんいます。コイ科に属するモロコもその一種です。寒波の周期の第一日が豊漁といわれ、寒さがきびしくなるにつれ脂が乗り、味がだんだんよくなります。体長わずかに十二センチほどの魚ですが、上方のひとたちには、非常に親しまれています。
漢字では魚ヘンに巴を当てはめ、また、子孫繁栄を賞《め》でて諸子とも書いて、数の子と同じように、お正月の祝い肴にも加えられています。モロコにもいろんな種類があり、ホンモロコ、スゴモロコ、タモロコ、イシモロコ、ヤナギモロコなどが、その主なものです。少々寒がり屋で、多くは十一月頃から、翌年二月末頃にかけて、湖心の深い場所に潜って越冬します。産卵期は四、五月の頃で、卵ではち切れそうな腹をした銀白の魚の群れが、いっせいに細流にまで入り込んで来て、芦の根、泥底に沈んでいる女笹《めざさ》の枝などのそこかしこに、春の営みをつづけます。
食べてうまいのは、やはり、ホンモロコ。他の諸地方に産するものは、多くはタモロコ。わずかのものがスゴモロコなので、さほどおいしくなく、従って殆ど食用に供しません。
琵琶湖のホンモロコは、からだも大きく、秋から冬にかけて、とくに骨がやわらかになり、一月下旬から二月頃の卵を持ちかけの頃が、いちばん味もよい季節ですが、惜しいかなその頃になると、湖の深いところに移っているので、あまり釣れません。串に刺した丸焼きの熱々を、酢みそにころがすか、照り焼き、魚田、飴だき、それに、にぎりずし……と、頭から尻っぽまで、丸ごと食べられるので、育ちざかりの子どもには、なかなかの栄養食といえましょう。
[#小見出し] ぎ ん ぽ[#「ぎ ん ぽ」はゴシック体]
ギンポは、平たくて細長く、外見は、ちょっとドジョウに似ています。その形から、カミソリウオ、カミソリ、ナキリ、あるいはウミドジョウなどと呼ばれています。
ニシキギンポ科に属し、とくに北日本の内湾に多く棲んでいる磯魚で、深さ三十メートルの岩礁の海藻の間に身を潜め、夜間に餌を求めて泳ぎ回ります。蛇行《だこう》する泳ぎ方は、気持のよいものではありません。
十一月から一月頃にかけて、海藻に産卵し、オスは、その卵塊をからだで巻いて保護する父性愛の持ち主です。霜の降りる頃からおいしくなり、桜の花時がもっともおいしい時季とされ、この時季をはずすと、食べられたものではなく、殊に夏にはいちじるしく味が落ちます。皮が固くなるばかりか、肉は痩せ細り、味というものがなくなり、商売人にいわせると、「どうにもこうにも手のほどこしようがなくなる」というふしぎな魚です。
黄褐色の地肌に褐色の斑紋がついていて、成長すると体長は十八センチほどになります。背ビレは、八十一本のトゲから出来ていて、一本一本のトゲの先は刃物状をしていて、うっかり握ろうものなら、ギザギザに手を切られることがあります。カミソリウオといわれるゆえんです。
むかしから東京湾沿岸各地が本場とされ、アナゴとともに、てんぷらのために生まれて来たような魚と珍重されています。事実、衣をつけて揚げると他の追随を許さぬ持ち味を発揮します。
「ギンポは死ぬと同時に極端に味の変る魚だ」といい、死んだギンポなら、生きているものの四分の一にも値が下がるといわれるほどです。そのため、生きているうちに割いてしまわなければまずくなる、始末の悪い魚です。総じて、メスの方が、肉もやわらかく味もよいようです。
[#小見出し] ひ ら め[#「ひ ら め」はゴシック体]
大鮃つと身を起し泳ぎ出す しゅこう
ヒラメは南は九州から、北は北海道まで、広い海域の、砂泥地に好んで棲む定着魚です。昼間は始ど砂に潜《くぐ》って、頭だけ出し、夜間出て泳ぎ回りますが、昼間でも餌を追って泳ぐこともあります。フラットフィッシュ(平たい魚)という英語で呼ばれるように、ヒラメは片側は薄い褐色、その裏が白色の平べったい魚です。幼魚の頃は、眼が両側にありますが、成長するにつれて、移動し、成魚は褐色側に、二つの眼が寄っています。
俗に「寒ビラメ」といわれるように、晩秋から冬にかけてがしゅんで、この頃は脂も乗り、身が締まっておいしい季節です。産卵期は三〜七月頃で、この頃になると深海から這い出し、浅いところへ移って来てたくさん獲れますが、味は落ちています。
しゅんのヒラメを、東京付近では刺身として尊びますが、他の地方では、その割りに喜ばないようです。もっとも、ヒラメはカレイの仲間では、いちばん大きく成長し、刺身にするには至極都合のいい魚です。青森県あたりでは小さいのをユノミ、大きいのを刺身ガレといい、やはり大きいのは、刺身に適していると考え、珍重しています。刺身にすると、白身の魚だけに味は淡泊でおいしく、すしダネとしても、ありがたがられ、洗い、酢のもの、こぶ〆などにしても、その上品な味が喜ばれます。また、家庭では、煮つけ、バター焼き、フライなどにしてよく、とくに上下のヒレの付け根にならんでいる骨を担鰭骨《たんきこつ》といい、その間にはさまった柱状の肉を「ヒラメの縁側」と呼び、煮て食べると、身が締まっていて、特別においしい部分です。他の魚なら、唇、頬、砂ずりという腹の薄肉や、マグロでいうトロみたいにその美味がたたえられます。
[#小見出し] せ り[#「せ り」はゴシック体]
近頃都会地では野草の芽ぶく余地がなく、摘み草をする習慣も失われてしまったようです。
子どもらと手携《たずさ》はりて春の野に 若菜を摘めば楽しくもあるかな
良寛さまの歌ですが、お休みの日など、家族中で、郊外に摘み草に出かけ、自然との触れ合いを楽しむこころの|ゆとり《ヽヽヽ》を取戻したいものです。
「七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、七草、なずな、手に手に摘んで……」と唱えながら、包丁でトントン調子をとりながらきざむ七草。
この七草は地域によって、多少異なりますが、たいていは、
せり、なずな、御行、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これぞ七草
と、覚えやすく歌にしてあります。
七草のはじめに登場するせりは、早春の雪解けの頃から、畦道《あぜみち》などに生える香気の強い野ぜりと、流れや水田などに、群生している水ぜりとがあります。
いずれも密生して、逼《せま》り合って生ずるから、セマリのマを省略して「せり」と名付けたといい、また一説には、一カ所に競《せ》り合って生えるからせりというのである――ともいいます。漢名は水※[#「斤+斤」、unicode65a6]ですが、後世、※[#「斤+斤」、unicode65a6]を俗に芹と書いたのです。
小芹つむ沢の氷のひま絶えて 春めきそむる桜井の里 西行法師
採取時期は三月頃から、ふつう四、五月。アクが強いので、ゆでて水にさらします。ただし、かおりが生命ですから、ゆですぎや、さらしすぎは禁物。マヨネーズあえか、ごまあえ、酢のもの、煮びたし、てんぷらなどに。
[#小見出し] 金《きん》 目《め》 だ い[#「金《きん》 目《め》 だ い」はゴシック体]
魚市の目に止め来る金目鯛 夏子
キンメダイは、深海魚特有の大きな眼をしています。名まえから受ける感じは、タイの仲間のように受け取れます。からだの赤い色や、からだの恰好は確かにタイによく似ていますが、全然種類のちがう魚です(キンメダイ科に属する)。これも、タイ好きの日本人の嗜好にあやかった名まえで、キンメダイにいわせれば「いい迷惑」かも知れません。いずれにしろ、しろうとにはタイと見まちがえやすい魚のひとつです。眼の虹彩がネコの眼のように、金色に輝いているところから「金目ダイ」の名が付けられました。相模湾や、駿河湾、房州沖などの二百メートルぐらいの深海に棲息し、ムツ釣りの外道として揚がるので、わずかに釣り魚の仲間に入っています。
体長は四十センチぐらいで、正月頃から二月までの寒中に獲れる魚。白身で、やわらかく、脂もよく乗り、タイに劣らないくらいおいしい味を持ち、冬のちりなべには、もっともふさわしい魚です。鮮度もよく、産地では刺身にもします。そのほか、甘辛く、やや濃い目の味で煮つけると、喜ばれましょう。煮つける際は、きざみしょうがを少しふり入れて。肉質がやわらかく、身崩れを起しやすい上、脂が溶け出すので、焼きものにはあまり向きません。蒸しものにすると、適度に身も締まり、持ち味をフルに生かすことが出来ます。
蒸し上げてレモンの香立ちぬ金目鯛 春子
伊豆の漁村では、だいこん、ごぼう、ねぎ、さといもなどを取り合わせて、タイの頭や中骨もいっしょに、みそ汁仕立てにします。俗に「キンメのみそ汁」と呼ばれるもので、煮えばなの熱々を、ふうふう吹きながら、いただくとからだの芯まで、ほかほかと温まって来るからふしぎです。
[#小見出し] み つ ば[#「み つ ば」はゴシック体]
三葉芹摘みその白き根を揃ふ 秋を
寒晒《かんざら》しのそうめんを束ねたような純白の細い軸に、薄緑色のかわいい葉をつけたみつばが出回っています。みつばは、セリ科の多年草で、わが国のあらゆるところに野生種がありますが、古い時代には食べられなかったらしく、十八世紀のはじめ(江戸時代、享保頃)より食用に供されるようになったようです。みつばには、とくに品種はありませんが、栽培法のちがいによって、次のような分け方をしています。
*切りみつば――軟化《もやし》みつばともいい、四、五月頃、種子を蒔き、これを掘り取って、醸熱物や電熱を利用した軟化床に密植されて促成したもので、三十日前後で三十センチくらい伸びた時に、根際より切り取って収穫します。最近は四季を通じて店頭に出回っていますが、最盛期は、十二月中旬から一月頃まで。
*糸みつば――三月中旬頃から七月頃にかけて種子を蒔き、蒔いてから六、七十日で、葉柄の長さが十〜十五センチになったところで、根つきのまま、水洗いして束ねて出荷します。五月中旬から市場に出回り、秋にまで及ぶもので、暑いさかりにとくに喜ばれます。
*根みつば――四、五月頃蒔いて、越冬した根株の上に、二月頃から、一回に九センチずつの厚さに土を二、三回盛り上げ、四月頃、新葉が盛り土の上にあらわれたとき、これを根つきのまま掘り取って、束ねて出荷します。
かおりをいただく野菜だけに、使う間際に切ること、料理のできる直前に入れることがコツ。おひたし、あえもの、お吸いもの、鶏肉、豚肉などと卵とじに、と、用途はさまざまです。
[#小見出し] 平《たいら》 貝《がい》[#「平《たいら》 貝《がい》」はゴシック体]
終戦後間もなく、すしダネに使われる平貝が、わたしの田舎、東京湾南部の千葉県富津沖で大発生し、漁民は平貝景気を謳歌したことがあります。しかし、この景気は、わずかしか続きませんでした。無計画に稚貝まで獲り尽す乱獲が祟ったのだと、当時、ウワサされたものですが、その後はトンと景気のいい話を聞きません。一度定着すれば移動の出来ない貝だけに、慎重な配慮をし資源保護すべきだったかも知れません。
現在、主な産地としては、東京湾のほか、伊勢湾、瀬戸内海、有明海などがあります。水深三十〜四十メートルの泥の海に、とがったほうに近いところから、足糸を出し、泥の中に逆立ちしたように群棲するので、一名タチガイともいわれ、十一月から翌年三月頃までの漁期に、潜水夫によって採取されます。産卵期は五〜九月で、この直前の初春の頃が、もっともおいしい時季です。三年目で、長さ二十五〜三十センチほどの不等辺三角形の大きな二枚貝に成長し、食用にする貝類の中では、もっとも大きな貝に属します。殻はもろくて、乾燥するとヒビが入りやすく、運搬上不便なので、市場に出、魚屋さんで売られるときは、殆ど貝柱だけになっています。
食べるのは、もちろん、その貝柱ですが、うまいのは刺身。子どもの頃、近くの漁家から俵詰になった獲りたての平貝を、毎日一、二俵はもらい、シーズン中は連日食膳にのぼりました。鮮度のいいものだけに、刺身にすると、やわらかく、わずかながら特有の甘味もあって、それはおいしいものでした。柱ばかりでなく、蝶番《ちようつがい》の役をしている小柱や、貝柱の周辺にあるひれひれの部分(外套膜というのでしょうか)も、佃煮にして食べるとうまい。このほか、フライやきざんでかき揚げ、また中華風のうま煮、照り焼き、吸いものダネにしてもおいしい。
[#小見出し] 陸奥《むつ》りんご[#「陸奥《むつ》りんご」はゴシック体]
戦時中の甘味不足の反動でしょうか、近頃は煮もの、あえもの、なべものをはじめ、くだものまでも甘味のきついものが多くなっています。くだもの類の中でも、とくに、りんご、みかんなど、日本のくだものの王座を占めるものに、この傾向が強いようで、国光や紅玉などの酸っぱい味のものが、甘いデリシャス系に押され、衰退の傾向をたどっています。
こうした現状をなんとか打開しようと苦心の結果生み出されたのが、りんごの新品種です。国光とデリシャスをかけ合わせ昭和三十九年に東京市場に初出荷された「富士《ふじ》」、ゴールデンのタネをシナなしの果樹園に植えてできた「王林《おうりん》」、それにここに登場する「陸奥《むつ》」などがそれです。
赤ん坊の頭ほどもあるキングサイズのむつは、まさしく横綱の風格を備えたりんごで、昭和五年、青森県りんご試験場長の須佐寅次郎氏によって、「ゴールデン・デリシャス」に「インド」を交配させ、育て、七年に「倭錦」に高接《たかつぎ》して、十二年にはじめて結実し、これを「陸奥」と名付けました。果型、果色ともゴールデン・デリシャスによく似ていますが、いくぶん丸味があり、やや色が淡く、十月下旬から十一月上旬にかけて採取します。採れたときは、あまり食味はよくありませんが、しばらく貯蔵しておくと、芳香、風味ともに増し、一月の下旬から四月頃までが、食べ頃となります。
大きくて、一人では、一個とても食べ切れません。ねだんも張るので、たいていは贈答品として用いられます。店頭にて長くさらしたものは、見映えはよくても果汁が少なく、甘味も落ち、カスついておいしくありません。なるべく箱入りの外気に触れないものをお求めください。
[#小見出し] 白《しら》 魚《うお》[#「白《しら》 魚《うお》」はゴシック体]
九州の天草地方の漁民の間で、もてはやされる料理に「白魚のおどり食い」というのがあります。とうふと白魚を、一つなべの中に入れ、だし汁を水からたきます。とうふの周りを気持よさそうに泳いでいた白魚は、だんだん水が熱くなってくると、冷たいとうふの中にもぐり込みます。結局、とうふが煮える頃には、白魚はとうふの中で、おどったような恰好で、ほどよく煮えているという、ちょっと残酷な料理です。
先年、九州のある放送局で「白魚のおどり食い」を、郷土の風物詩として放送したことがあります。そのとき、アナウンサーが「白魚」を「シロウオ」といったことから、物議を醸《かも》しました。ところが、実は「白魚」には二種類あるのです。『水産動植物図説』によるとシラウオの項には
「一般にシラウオと云ふ。是に似たシロウオは形が小く、円筒形であるが、シラウオは稍《や》や大きく、側扁した体をもつてゐる。シラウオには他の方言がないが、シロウオには種々の方言がある。シラウオは鮭鱒に近いから、背部に脂鰭《あぶらびれ》があるが、左右の腹鰭は互に離れてゐる。シロウオはハゼ科のものであるから脂鰭は無く、小いながら左右の腹鰭は癒合し、猪口形をなしてゐる。」
と、記されています。つまり、シラウオとシロウオとは学問上、まったく別の種類の魚なのです。
味はシラウオよりもシロウオのほうがうまい。けれども、シロウオは死ぬと、にわかに味が落ち、死んだものは売りものになりません。その点、シラウオは死んでも、にわかに味を落さないので重宝です。ですから「おどり食い」するというのも、シロウオなのです。アナウンサーが「シロウオのおどり食い」と紹介したのは、正しい呼び名に従ったまでのことです。シラウオは、卵とじ、吸いもの、白煮などにして賞味します。
[#小見出し] 芽《め》キャベツ[#「芽《め》キャベツ」はゴシック体]
芽キャベツは、キャベツの茎が伸び、それにたくさんの小さなキャベツの芽が結球する品種で、和名は子持カンランとも姫カンランともいい、縁起をかついで、結婚式の披露宴などに出されます。原産地は、英語名「ブラッセル・スプラウツ」、フランス語名「シュー・ド・ブリュッセル」の示すように、ベルギーの首都ブラッセルの近郊といわれ、おそらく、この地方で作り出された品種だろうとみられています。ほかのキャベツの歴史にくらべればたいへん新しく、一般に知られるようになったのは、たかだが三、四百年前ということです。わが国には明治以後、キャベツとともに渡来しました。
芽キャベツは、寒い気候がながく続く土地でないと栽培しにくく、ヨーロッパの北部やイギリスのような寒い土地柄が性に合い、日本でも主産地は長野県で、静岡、茨城などの暖かな土地では冬場に生産されます。結球のはじまるのは夏の終りからで、寒くなり、霜に会うと巻きもよく、質もよくなるといわれ、晩秋から冬季中の野菜となっています。
キャベツの一族としては割合水分が少なく(約七%)、たんぱく質や糖質はキャベツよりも多く、カルシウムや鉄などの無機質はやや少なく、ビタミンはカロチン、B2、Cなどに恵まれています。
洗ってばらばらにしないように、根元のところをうすく剥《む》き、十文字に包丁で浅く切れ目を入れ、塩水にはなして虫をとってから、塩湯で、七、八分青くゆでて、そのままザルに揚げ、熱したバターの中でさっと炒《いた》めて塩、こしょうで味を整えて、つけ合わせに用います。また、やわらかく煮ると、甘味も出てきますので、グラタンや煮込みにもよく、ビネグレットソースに漬けておくと、前菜にも使えます。このほか、裏ごししたものをスープに用いたりします。
[#小見出し] ほ っ け[#「ほ っ け」はゴシック体]
戦中、戦後の食糧難時代に、スケトウダラ、サメなどとともに、配給魚として配られた魚です。当時は味などおかまいなく、ただ目方さえ合えば……ということで、はるばる北海道から、ろくに氷も入れられず運ばれ、まずい魚の代表みたいな悪印象を与えてしまいました。
戸籍はアイナメ科に属するとはいうものの、味に格段の差があります。とはいっても、それは産地を遠く離れて、東京あたりで食べるからで、産地で鮮度のよいホッケの刺身を口にすると、ヒラメと区別がつきかねるほどの味を持っています。からだの色は、北海に棲む魚だけに、南の海に棲む魚のような派手な色ではなく、灰色の地に、やや不明瞭な淡褐色の横縞《よこじま》があります。
体長は四十センチぐらいの、あまり大きくない魚で、十一月中旬から十二月の中旬頃までの産卵期には、群れをなしますが、それ以外の時季には、群れを作らないのがふつうです。産卵のため、浅いところに来て、たくさん獲れ、漁期は四月から五月。
産卵の群れは、浅海の岩礁やこぶし大の石がごろごろしている地帯に集まり、夜になると、メスは岩の小さな裂け目や、石と石のすき間の上にじっと止まり、二叉に交叉している尾ビレの後縁を、左右に巧みに動かし、からだをこすりつけるようにして卵を産みつけます。そのあとで、オスが精子をふりかけます。産卵中はオスは殆ど餌を摂らず、メスだけがエビなどを食うため動き回ります。そのせいか産卵期にはメスが多く、オスは殆ど獲れないという現象が起きます。
刺身以外に産地ではフライにしますが、産額が多いため、大部分は安い竹輪や、その他の練製品の材料となり、余ったものは養殖ウナギの餌になります。うまいのは、四、五月。
[#小見出し] レ モ ン[#「レ モ ン」はゴシック体]
レモンといえば、どなたもまず想い起されるのは、『千恵子抄』のレモン哀歌≠ナしょう。レモンは、高村光太郎の詩心を動かすに足る幻想的な色と形をもっています。
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で わたしの手からとった一のつレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱっとあなたの意識を正常にした……
輸入品のレモンには、たいがい「サンキスト」の青いスタンプ印が押してありますが、これは、アメリカ、カリフォルニアのサンキスト出荷組合のレモンです。同じ輸入もののサンキストでも、ねだんに開きがあるのは、レモンの大小によるもので、品質とはあまり関係ありません。輸入ものは、少々値が高くても、皮が薄く、果肉の部分が多く、かおりも高いので、効率からいえば、割安といえましょう。このように、外国産のレモンがすぐれているのは、土地柄、気候のせいで、栽培技術とは関係ありません。
喫茶店に入って、紅茶を頼むと、近頃はたいてい、レモンの薄片を添えてきます。これ以上は薄く切れないといった、まことに芸術的(?)な包丁さばきの薄片ですが、レモンを滲出させるには、このほうが効果的です。ご家庭でレモンティをお飲みになるときも、レモンはできるだけ薄切りにしてください。レモンにはビタミンCやクエン酸が多くふくまれ、肌をなめらかにし、夏バテ、ストレス解消に役立ちます。お買いになるときは、表皮のキメの細かいもので、持ったとき、ずしりと重いものを。こうしたものなら、新鮮な上、果汁をたっぷりふくんでいます。
[#小見出し] わ け ぎ[#「わ け ぎ」はゴシック体]
益軒先生の『大和《やまと》本草《ほんぞう》』(宝永六年、一七〇九年)の葱《ねぎ》の項に、「葱ハ本朝四種アリ、大葱、ワケギ、カリキ、アサツキナリ、(中略)小葱二種アリ、根トモニ分テ取アリ、ワケギト云、是、冬葱ナリ、夏葱ヨリ味性マサレリ、三月以後老テ食ニ堪ヘズ、本草ニ凍葱夏枯ルト云是也」と、記されています。また、『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』(正徳二年、一七一二年)葷草類《くんそうるい》、分葱《わけぎ》の項には、「二三月根ヲ取リ分ケ、生ニテ膾《なます》ニ和ヘ、醋味《さんみ》醤ニ和ヘテ食フモ亦胡葱《あさつき》ニ同ジ、而シテ夏月ハ硬メ食ハルベカラズ、根ヲ採取八月之ヲ栽ル、法胡葱ノ如シ、蓋シ分葱、胡葱並根葱之種類也、故和訓、紀ノ字ヲ下ニ附ク」と、出ています。
わけぎはこのように、ねぎの仲間の春野菜で、十二月半ば頃から春頃までがしゅん。食べ頃になると、茎(葉鞘)が分れるので、この名がついたといわれます。茎や葉も、ねぎより細目で、やわらかく、とりわけ、これから三、四月に入り、ねぎのトウが立つようになって固くなると、わけぎのシーズンになります。耐寒性があまり強くないので、冬に生育するといっても、寒冷地向きではありません。九月に株分けして定植し、十二月に入ると、葉が繁って収穫期になります。東京近郊では千葉、埼玉あたりで多く栽培され、出盛り期は、二月下旬から四月まで。
ねぎと殆ど変りなく使えますが、料理する際は、やわらかさの特徴を生かして、わかめといっしょの|ぬた《ヽヽ》もおいしく、軽くゆでての、からしを加えた酢みそあえも、またおいしいものです。このほか、細かにきざんで、吸い口、薬味、つま、なべもののあしらいなどにしても楽しめます。アサリの剥き身との酢みそあえにすると、アサリの磯臭さを消し、浅いみどりが、いかにも早春にふさわしい色どりを添えてくれます。
[#小見出し] ぼ ら[#「ぼ ら」はゴシック体]
ボラは、成長の早い魚で、満一年で体長二十四、五センチにもなります。成長に従ってオボコ、イナ、ボラ、トドと名まえの変る出世魚で、むかしから祝儀の膳に用いられて来ました。
就職に母が工面の鰡《ぼら》料理 紫玉
春、沖で孵化したオボコは、群がって磯に泳ぎ、潮だまりなどで、活発に遊んでいます。それから六、七月頃に内湾や潮入池に入ったり、川を遡《さかのぼ》ったりして二十センチくらいに成長します。これをイナと呼び、仲秋の頃、上げ潮をねらって潟いっぱいに群れをなして押し寄せ、勢いよく跳《は》ねるさまは壮観な眺めです。
さらに晩秋になると、イナは川を下って海に入り、年を越して二歳となれば、これをボラというようになります。ボラは冬になると、冷たい水のため、眼の上にある脂瞼《しけん》といわれる脂肪質のものが白濁して、いちじるしく視力が鈍って来ます。白濁したように見えるこの脂瞼は、ボラのボラたるゆえんで、こうならなければ、ボラとはいえないと、魚学者はいいます。そうして翌年の夏、また潟や池に入り、秋深く海のほうへ帰って、これが三歳魚となって天寿をまっとうします。眼の白濁したボラは俗に「目白ボラ」といわれ、この頃が充分脂が乗ってうまい時季です。
主に塩焼き、つけ焼き、刺身、煮つけなどにしますが、肉は少し泥臭味を帯びています。それはボラが好んで泥土を口にするためです。また、ボラにはヘソがある――と、よくいわれますが、これはボラの胃の幽門部のこと。ボラはなかなかの大食漢(それだから成長も早いといえますが)で、河口に沈んだ穀粒や珪藻を食べるので、胃の幽門部の筋肉が厚くなり、その外観は、ちょっとソロバン玉に似た形をしています。焼いて、粉ざんしょうをかけるとうまい。
[#小見出し] ぽ ん か ん[#「ぽ ん か ん」はゴシック体]
ぽんかんは温州みかんよりもやや大きめで味は数あるみかん類の中でも、とびきり上等です。
明治二十年の大日本農会報告には「潮州柑《ちようしゆうかん》」の名で記されていて、わが国のぽんかんは、当時、清国から鹿児島へ移入されたものといわれています。原産地はインド。かなり古くから中国では知られていたようです。主な栽培地は台湾、それに中国南部の湖州や※[#「さんずい+章」、unicode6f33]州です。このほか、現在では、ジャワ、フィリッピン、アメリカなどでも栽培されています。わが国での主産地は、鹿児島、高知、熊本の各県ですが、生産量も少なく、品質の点でも、かつての台湾産のものにくらべると、いちだん落ちるようです。戦後は台湾が日本の領土でなくなり、おまけに、わが国には発生を見ない、ミカンコミバエという恐ろしい害虫に対する防疫上の見地から、青果のままでは輸入が禁止され、現在はこのうまいみかんを食べることはできません。しかし、台湾でミカンコミバエについての消毒方法が見つけ出されたといわれますから、遠からずこの郷愁の味も輸入され、わたくしたちに口福を与えてくれるでしょう。
ぽんかんは漢字で書くと椪柑。これは台湾での俗字だといわれます。実のつけ根の周りが突き出ているところから、はじめ凸柑といわれていたのが、のちに、台湾語の発音が類似する椪の字が当てられるようになったといいます。もっとも、中国本土では、はじめ乳柑(横にしてみると乳房の形に似ているので)と呼ばれていたようで、形ばかりでなく、特有のかおりと甘味は、赤ちゃんに欠かすことのできない乳に象徴されるほどの真価をもち、また、そのように、古代の中国人に認められていたからでもありましょう。色付きのいいもので、重量感があり、表皮のなめらかなものなら、まず大丈夫。大きなものより、中ぐらいのもののほうが、味わいにコクがあります。
[#小見出し] さ よ り[#「さ よ り」はゴシック体]
「魚冰《ひよう》に上る」とは、孟春発陽の気に乗じて水中の魚が動き出し、氷の上にも上り遊ぶというのですが、日本のこの季節には、池のコイやフナは、まだ底深く沈んで動こうとしません。一方、海魚はと見れば、鉛色の冬のとばりをあげるかのような、スマートな魚、サヨリが店頭に姿を現わします。銀色に輝くからだの背に、青緑色のショールをはおり、長い下アゴの先にピンクの紅をさしたような感じのサヨリは、春を招くにふさわしい美しい魚です。細魚、水針魚、竹魚、針魚、針嘴魚……などの漢名は、みなその体形から生まれたもの。体長三十センチくらいになり、南日本、西日本方面に多く、いま時分のものは、常磐沖から九十九里沖あたりで獲れたものが出回り、三月頃が漁の最盛期です。四月〜八月が産卵期のため、一月から三月頃までが味のしゅん。東京でサヨリ、和歌山でヤマキリ、土浦ではヨド、またはサイレンボウといいますが、一般には多くの地方でサヨリといっています。東京では、大きいものをカンヌキザヨリといいます。
海の上層を群れをなして泳いでいることもあり、ときには三十余|尋《ひろ》の深さに沈んでいることもあります。いずれにせよ、海岸付近のもので、沖合いにいるものではありません。
そうざい用の魚としては、ちょっと高級魚ですが、料理としては、淡泊な上品な味が喜ばれ、鮮度のよいものなら、刺身(糸作り)、こんぶ〆、吸いものダネ、てんぷらやフライにしてもおいしいものです。淡泊な魚だけに鮮度が落ちると、腹側が褐色に滲《にじ》んで来ます。お買いになるときは、充分注意し、冷蔵庫にしまうときは、内臓を取り出し、開き身にしておきましょう。
文結びして椀種のさよりかな 萩女
[#小見出し] か も[#「か も」はゴシック体]
むかしから「カモの長浜」といわれ、琵琶湖の北岸には、季節になるとカモの大群が飛来します。猟期はだいたい十月半ばから翌年の四月中旬頃まで。猟期のはじめに獲れたものは、どこか塩辛い味があるといわれます。ここに渡ってくるカモの道筋は、およそ五つのコースが考えられ、カムチャッカ、シベリア、旧樺太、満州方面から、北海道、北陸などを経ての道筋だそうです。渡ってきはじめの頃は旅の疲れのためか、痩せこけているのに、半月も琵琶湖にいると、丸々と肉がつき、見るからにおいしそうになります。「一月に入らないと、カモはうまくならない」と、土地の猟師はいいます。
日本に渡って来るカモの種類は三十余り。夏には北方のシベリア方面で雛を育て、九月上旬から十一月頃に大群をなして渡って来て、三月上旬から五月にかけて、再び北を目指して帰って行きます。むかしから詩人たちの心を動かし、数多くの歌が残されています。『万葉集』に、
葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の 寒き夕し汝をば偲ばむ
とあり、寂しいカモの鳴く音に、しきりと懐郷の念を催しております。
数あるカモのうちで、もっとも多いのはマガモ。青首のアヒルと殆ど同じ色で、形も大きく、味もよいので、もっぱら食用に供されます。
肉は赤味を帯びていてやわらかく、野鳥の中でも、最上位にランクされるうまさです。カモ料理も食通になると、三度くらいなべを換えます。それというのも、皮下に蓄えられた脂肪で味がくどくなることをきらうからで、カモのすきなべにせりを使うのも、味を中和させるためです。
澪すじも鴨のなかなるもどり舟 柳芽
[#小見出し] こ い[#「こ い」はゴシック体]
「緋鯉はぼしゃりと又|跳《は》ねる。薄濁りのする水に泥は沈んで、上皮丈《うはかはだけ》は軽く温《ゆる》む底から、朦朧《もうろう》と朱い影が静かな水を動かして、浮いて来る。滑《なめら》かな波にきらりと射す日影を崩さぬ程に、尾を揺《ゆす》つてゐるかと思ふと思ひきつてぽんと水を敲《たた》いて飛びあがる。一面に揚る泥の濃きうちに、幽かなる朱いものが影を潜めて行く。」(夏目漱石)
コイはフナとともに、淡水に棲む魚としては、いちばんよく知られている魚で、また、食用に供される数多い魚族の中で、世界を通じて、その名のもっとも知れ渡っている魚でもあります。東洋では、日本も中国も、ともに鯉という字を使っています。
わが咳けば寒鯉鰭をうごかしぬ 風生
コイは日本では、たいへんめでたい魚とされ、地方によっては、今でも祝儀の際には、必ずコイを用いる習慣があります。中国でも、コイをめでたい魚としていることは、むかし孔子のところに子が生まれたとき、孔子の主君であった曾君が、コイを祝いに贈ったとのことで、孔子はそれを非常に喜び、その子の名を「鯉」と名付け、字を伯魚といわせたことでも分ります。
コイが縁起のいい魚として、喜ばれたについては理由があります。水から揚げても一日くらいなら生きているし、俎板《まないた》の上に載せれば、これを前世の宿縁と諦めたかのように、死を見ること帰するが如きありさまは武士道に通ずる魚でもありました。こんなことが元来は中国大陸原産で、日本には、あまり縁のない魚なのに、よく飼われ、その習俗まで伝わるもとになったようです。
コイは洗いがよく、わさびじょうゆか酢みそで賞味します。また、頭を落して胆嚢を除き、丸のまま筒切りにしての|こいこく《ヽヽヽヽ》も、また一段とおいしい。
[#小見出し] ブロッコリー[#「ブロッコリー」はゴシック体]
ブロッコリーは花やさい(カリフラワー)と同様、キャベツの一種で、ふつうカリフラワーからブロッコリーが生まれたと見られ、本場のイタリアでは、両方合わせてブロッコリーと呼んでいます。この名は、イタリア語で「芽」の意味。近年、ビタミンAとCの供給源として、アメリカでもほうれんそうに次いで注目されている洋野菜です。わが国では、カリフラワーほど一般的ではありませんが、一度口にすると、忘れがたい風味に、再々所望するようになります。淡泊な味わいは和風料理にも向き、もっと生産を向上させ、ふだんのそうざい料理に採り入れたい野菜です。
原産地は地中海沿岸または、小アジアとみられ、ローマ人が好んで口にしたといわれます。本場はやはりイタリアで、一名イタリアン・ブロッコリーともいい、イギリスではイタリアン・アスパラガスの名で呼んでいます。それというのも、ブロッコリーの茎がアスパラガスのようにやわらかいからで、フランスでもアスパラガス・キャベツといっています。ブロッコリーは次々とつぼみの塊りが穫れ、まるで菜の花がたくさん集まったように可愛く、青くゆで上げれば、そのままおひたしにしていただけます。中央に黄色い花弁の見え出していない濃緑色のものが良品。
花蕾の下十二センチの花梗(茎)はやわらかく食べられるので、外側の太い葉をのぞき、塩水に約十分程度つけ、つぼみの中にいる虫やゴミを落します。また、花蕾の周囲の小さな葉は、いっしょにゆでて食べられます。ふつうのゆでものと同様、熱湯に一つまみの塩を落し、大きいまま入れたら、弱火《とろび》にしてフタをせず十分程度ゆでます。ゆで上げたら、茎の太いものは二〜四つ割りにし、つぼみは適宜ほぐします。和風には椀ダネ、辛子あえ、おひたしに。
[#小見出し] 京《きよう》 菜《な》[#「京《きよう》 菜《な》」はゴシック体]
京の名物を詠み込んだむかしの狂歌に「水、水菜、女、染物、みすや針、お寺、豆腐に、鰻、松茸」というのがあります。この歌は、おそらく文化文政頃の作でしょうが、それ以前も、だいたいこのとおりであったようです。今日もまた、依然として、京の名物です。とくに水のよいことは事実で、美人の多いことも茶のうまいことも、京のひとたちは、ことごとく水のせいにして、羽二重絹《はぶたえぎぬ》のような、なめらかさをもった雪の肌、それは加茂川の水で産湯《うぶゆ》を使ったせいだとし、茶は宇治の玉露、それをうまく飲ませるのも、京の水だというくらいです。この水と切り離せないのが、とうふと酒と漬け菜で、京のとうふや酒のうまさは、造り方も巧みでしょうが、やはり根本は水質でしょう。とりわけ漬け菜は地味に影響されやすく、地味の筆頭は水質――ということに誰も異論はないでしょう。
京菜洗ふ青さ冷たさ歌うたふ 知世子
関西では、これを水菜といい、関東では、これが京都から来たものというので京菜といいます。古く、関西地方、ことに京では水田に作られていたので、この名が生まれたと聞きます。益軒先生の『大和《やまと》本草《ほんぞう》』に「京都ノ水菜ハ水田ニウフ、味尤スクレタリ、之ヲ食ヘバ脆美ニ〆《しめ》シテ、滓《かす》無ク他邦ニナキ嘉品ナリ」と記されています。しゅんは二月。霜のあるうちがやわらかく、味もいい。関西では、葉柄の細いもの、関東では太く、白いものが喜ばれます。
あえもの、おひたし、薄塩の塩圧しのほか、「いりがら」(クジラの皮に近い油の層で、油をとったあと干したもの)といっしょにたく「はりはりなべ」。京のひとが「水菜はしゃりっとしているうち、あんまりたかんとさっとあげた方がおいしおす」と、いうように、くたくたに煮てはいけません。
[#小見出し] う ぐ い[#「う ぐ い」はゴシック体]
かがり火の光にまがふ玉藻には うぐひのいをもかくれざりけり
[#地付き]神祗伯顕仲朝臣
竿《さお》の捌《さば》きに引きずられながら、水際に最後の抵抗を試みるウグイは、あざやかな腹の朱線を際立たせ、美しく水面に躍ります。和名ウグイは、東日本で広く呼ばれている名。東北地方ではハヤの名でも呼ばれ、方言の甚だ多いコイ科の魚です。主に川にいますが、多少塩分のある内湾へも入り込み、東北地方では海岸にもおり、いずれの地方でも、たいへん重宝がられております。
コイ科に属するといっても、コイのような口ヒゲはありません。海に下ったものは、割合大きくなり、三十センチくらいのものも珍しくありません。川に棲むものは、比較的小柄です。
しかし、滋養分は川のもののほうがよいようですが、小骨が多く、肉はアユように美味ではありません。山国では、これでよく|すし《ヽヽ》を作ります。皮の固い魚ですので、皮を剥《は》ぎ、ていねいに小骨を取れば、にぎりずしによく、また、いったん焼いたのは魚田、照り焼き、甘辛煮。鮮魚は筒切りにし、むかしはみそ汁に入れて、お乳の出をよくする魚として、珍重されました。
まずいのは春の産卵期で、秋口から寒中は調理次第で、おいしいおそうざいになります。
釣り魚として見たウグイは、たいへん|すばしこい《ヽヽヽヽヽ》魚で、澄んだ川では、人影を恐れて逃げるので、釣りびとは姿を水に映さないよう気を配り、風が立って小波のあるときか、薄濁りのときがいいといわれます。
産卵期には、一時、白い追星と紅色帯があらわれて、そのあでやかな姿は、桃花魚という名にふさわしく、寒暑を問わず、活発に群れをなして泳ぐので、観賞魚としても楽しめます。
[#小見出し] あ お や ぎ[#「あ お や ぎ」はゴシック体]
アオヤギなどというと、妙に|よそよそしく《ヽヽヽヽヽヽ》、やはり、バカガイ(馬珂貝、馬鹿貝)といったほうがピッタリします。アオヤギなんていい方は、東京あたりにかぎったいい方で、地方では、貝にも、その貝柱に対しても、もっぱらバカガイ、また略してバカが通り名。いつも殻をあけ、赤い口(足)を出しています。このように、殻をあけているところが、口許の締まらない顔付きを連想させ、バカガイと名付けられたのでしょう。
東京近辺では、埋立前の千葉県五井あたりが本場中の本場とされていました。旅のものとしては、伊勢、神戸などがありますが、柱にしても、形の大粒な割りに甘味がうすく、色合いも本場もののような冴えた赤味がなく、全体に白っぽくて、やはり一級品とは、いいがたいようです。
東北地方から南にかけて、広く分布し、比較的塩分の低い深さ三、四メートルの砂泥の中に棲んでいます。一年でりっぱに成熟し、富津岬の遠浅の海には、例年大量発生し、夏、海に入ると、足の裏一面がバカの稚貝で、獲り尽くせないほどいっぱい。ちょっと風でも吹こうものなら、長い砂浜の波打ち際は、打ち上げられたバカガイの死屍累々で、暑いさかりはすぐ腐り、異臭に思わず鼻をつまむような惨状を呈します。
獲りたてのものをさっとゆで、わさびを薬味の二杯酢で食べるとおいしい。ただし、砂をたくさん噛んでいるので、貝殻から取り出すとき、ゆで汁で一々丹念に洗わないといけません。
貝柱はかき揚げの材料として珍重され、吸いものダネ、酢のものにしてもおいしい。五目ずし、煮ものなどに、取り合わせるにしても、煮すぎないのがコツ。
馬鹿貝の歯ごたへしかと若さあり 良子
[#小見出し] か ら し 菜《な》[#「か ら し 菜《な》」はゴシック体]
からし菜の花に春行なみだ哉 青蘿
みどりも色濃いからし菜が出回りはじめています。春の青菜の中では、漬けもの用として人気のあるもの。益軒先生は『菜譜《さいふ》』に「凡芥《およそからし》はつけもとして味よし、されども性よからず、一種実多して、葉のすくなきあり、実がらしといふ」と、記し、味はいいが、食べものとしての性質は、あまりよくないとしています。からし菜には、葉からし菜、根からし菜、セリフォン、銀糸芥、あざみ菜、高菜、多肉性高菜、大心菜などの種類があります。『菜譜』にも、「芭蕉からしと云あり、其葉ひろし、いらなといふものあり、葉の両旁きれてきざみあり、芥の類なり、菜となして食す、つねの芥にまされり」などと、記しています。数あるからし菜のうち、葉からし菜は東北、関東地方に多く栽培されています。浅漬け用、油用に適したものです。名の示すように、この葉の中には、他の青菜より多く、辛味をふくんでいます。
からしを採るからし菜は、種子の色が黄色いため、黄がらし菜とも呼ばれ、漬け菜としては、葉の辛味が強く、漬けものとして、一種特有の風味があります。ザルにひろげて、根元七分の葉三分程度の割合に、手早く熱湯をかけ、水に取って、急激に冷やして水を切り、二パーセント程度の塩をふって漬けると、辛味のよく出たおいしい漬けものが出来ます。
塩漬けしたからし菜を、細かにきざんで、牛のひき肉といっしょに炒《いた》め、しょうゆ、砂糖、酒で、からっと味つけしたものも、わるくありません。そのほか、ゆでておひたしで食べるのも、かおりのある辛味が舌にさわやかで、他のおひたしでは味わえない、独特のうまさがあります。
[#小見出し] すけとうだら[#「すけとうだら」はゴシック体]
このタラはスケトウダラと呼ぶのが正しく、スケソウダラとか、スケトウと呼ぶのは本来の呼び方ではありません。戦中、戦後の食糧難時代を過ごして来たひとたちには、スケトウダラは苦い思い出とともに、よみがえって来る魚です。スケトウダラ自身の罪ではないのに、あまり印象のいい魚ではありません。
狂い降る雪に鱈場の灯のほそり 峰泉水
マダラとともに、雪が降りはじめると、多く獲れるようになり、味もよくなる北海の魚です。タラ類の特徴は、背ビレが三つに分れていることや、下アゴにヒゲのあることで、これはタラもスケトウダラも同様ですが、からだの形からいうと、タラが肥《ふと》っているのに対して、スケトウダラはやや痩《や》せて、ほっそりしています。しかも、スケトウダラはタラとちがって、からだの両側に、黒色に少し黄色味を帯びた斑点があります。また、タラが深海の海底近くに棲んでいるのにくらべ、スケトウダラはタラよりも沖の深海にいますが、底ではなく中層を泳ぎ回っているのがふつうです。産卵期もタラよりは、ずっと遅く、三、四月頃であり、タラのように大食漢ではなく、また食べるものも、タラがイカ、タコ、カニ、小魚なのに、スケトウダラは海の中層を泳いでいるプランクトンの類《たぐい》です。
肉は、タラにくらべるとややまずく、タラほどには重んじられませんが、淡黄色のアケビを二つ並べたような卵巣に、いっぱい詰まったタラコは、肉のまずさを補ってあまりあるほどのうまさです。生タラコは一月から三月頃まで、塩漬けは一年中出回っています。少々高くても、色つきでない鮮度のよいものをお選びください。
[#小見出し] しゅんぎく[#「しゅんぎく」はゴシック体]
春菊の香や癒えてゆく朝すがし まり子
原産地は地中海沿岸といわれ、欧米では、もっぱら観賞用に栽培されていますが、中国や日本では、食用野菜として愛用しています。中国には十一世紀に伝わり、薬用に改良され、わが国には、中国を経て四百六十年くらい前にもたらされ、すでに『天素往来《てんそおうらい》』(一六六八年)、『大和《やまと》本草《ほんぞう》』(一七〇九年)、『菜譜《さいふ》』(一七一四年)には「しゅんぎく」の名が見えています。
益軒先生は、『菜譜』に次のように紹介しています。「※[#「くさかんむり/同」、unicode833c]蒿《カウライキク》 本草時珍云八九月にたねをうふ、冬春とり食す、茎肥て其味からく甘し、よもきの香あり、四月|薹生《ククタチ》す、花黄色なり、花はひとへの菊に似たり、花も食して性よし、本艸綱目日平無毒主治安[#(シ)][#二]心気[#(ヲ)][#一]養[#(ヒ)][#二]脾胃[#(ヲ)][#一]消[#(シ)][#二]痰飲[#(ヲ)][#一]利[#(ス)][#二]腸胃[#(ヲ)][#一]又千金方にも出たり、倭俗|春菊《しゆんぎく》を毒ありと云は誤れり、八月にうふへし、花も又よし、農桑通訣には二月にうふるといへり、是は春の食にせんとなり、時々うふれは、常に苗あり、故に俗に無尽草と云」――と、まことに意を尽した説明をしています。
関西では「菊菜《きくな》」の名で呼びます。葉はきくの葉の形に似ていて、黄緑色をしていてやわらかく、よもぎや菊に似た高い香気があります。さっとゆでて、おひたし、ごまあえ、白あえに用い、また、汁の実、揚げもの、炒《いた》めものに用いるほか、なべものには欠かせぬ香味野菜です。ゆでるときは、茎の部分を揃え、茎のほうから先に入れると、ムラなくゆで上げることができます。しゅんぎくは繊維が少なく、やわらかいので、ゆですぎると、クタクタになってしまいます。熱湯に入れて一分か一分半で引き上げます。
根を切り落したものは、仕入れてから、日を経たものですから、ご用心。
[#小見出し] こ の し ろ[#「こ の し ろ」はゴシック体]
むかしの武士は、コノシロという魚を、縁起が悪いといって、決して喰わなかった――という話が『塵塚談《ちりつかばなし》』という古書に載っています。それというのも、この「コノシロを喰う」ということばは「この城を喰う」という意味に通ずるからだそうです。『屠竜工随筆』には、「切腹の人の膳に鯉を焼物にして付るは、血をおさむる物なるよしなり。又、下部を切るには必このしろといふ魚を喰はすなり。此魚又血をよくおさむるより、世にこのしろ酒といふ血の道の薬の酒ありと人の語しに付て、麁末《そまつ》なる料理に、このしろを細く作りて鯉の指身に似せて喰はするをおもへば、このしろの鯉に性の似たる所あるならん」と記されています。そのせいでしょう、コイもコノシロの焼き魚も、絶対に口にしませんでした。一朝有事のときの魚であり、また、不吉な魚でもあるからでしょう。
コノシロは、コノシロ科に属する魚で、体の背側は黒青色で、ウロコに黒点があり、腹側は銀白色に輝いています。体長二十センチくらいで、大きさによって名まえが変り、東京あたりでは、十五センチ以上のものをコノシロと呼び、十センチ前後をコハダ、それ以下のものをシンコと呼びます。一方、関西では、大形のものは、東京と同じくコノシロと呼びますが、中小形のものはツナシの名で呼びます。一年中、味の変らない魚ですが、冬がおいしいとする向きが多く、脂肪の多い固く締まった身が好まれます。南日本、支那海などの沿岸寄りに多く、北は東京近海まで広く分布しています。海底の泥とか、珪藻土を主な餌としているため、胃壁が厚くなっています。
コノシロの頭、内臓を除いたものを、酢につけ、粟ととうがらしをまぶした「粟漬け」は、正月料理でおなじみのもの。主にすしダネ、酢のものの材料になるコハダを用います。
[#小見出し] うるめいわし[#「うるめいわし」はゴシック体]
うるめやく雀が宿は古りにけり 青々
東京の銀座には、世界各国の料理店が軒をつらねていますが、仔細にみると、その中にも、料理材料を一つか二つにかぎった専門店がいくつかあり、イワシだけを売りものの「いわしや」という店などもあります。この店の主人は、「長崎生まれの母が、猫も食べない程イワシの残骸を料理してしまうのを子どものときから見もし、食べさせられもし、他人にも自慢をしておりました。こんなことがきっかけでイワシを扱うようになりました」という変りダネです。
たかがイワシというなかれ、ここで食べたイワシの塩焼きがうちのそれよりうまいのは、こんなコツがあるのです。すなわち「塩焼きは金串を打ち、炭火で直火焼き、最初に荒塩を振り、強火の遠火で、イワシの脂で炎がたち、黒く焼けてしまうので、ウナギを焼くように、ウチワでハタキながら焼きます。盛付けが左頭ですから、上側になるほうをまず程々に焼いて、ひっくり返して下側を充分に焼きます。これは魚の焼き方ですが、表三分に裏七分焼き、こんな気持です」だいこんおろしに、しょうがじょうゆで、冷めないうちに召し上がるのも、うまく食べるコツ。
火の色の透りそめたる潤目かな 草城
ウルメはイワシの中で、いちばん丸味を帯びた種類で、厚い脂瞼《しけん》という透明な脂肪の膜が、まぶたのように目の前にかぶさり、うるんだように見えるところから、ウルメ(潤目)という名が出たといわれます。マイワシよりやや大型で、東北地方まで、分布していますが、南日本に多く、外洋性で、四月から六月頃が産卵期のため、冬の間がうまく、とくに二月頃がしゅん。煮て食べては、おいしくありませんが、目刺しにしたり、丸干にしたものは、なかなかおいしい。
[#小見出し] ふきのとう[#「ふきのとう」はゴシック体]
永い冬の寒気に耐えて伸びるには、うどにしろ、ふきにしろ、また、たんぽぽにしろ、よほどの生命力を必要とします。おしなべて早春の野草は、アク味が強く、苦味をふくんでいて、かおりも強烈なものが多いようです。
早春、雪どけとともに、土手や庭先に、ぽつんと土を割って顔を出すふきのとうは、ふきの花のつぼみ。円い球のような形は、見るからに愛らしく、新鮮なみどりは、あざやかに眼に沁みます。
ほろ苦き恋の味なり蕗の薹 久女
すがすがしい土のかおりと、特有のほろ苦味が身上。なるべく、つぼみの開かないうちが珍重されます。料理するときは、これらを生かした使い方をするわけですが、懐石では、細かくきざんで、箸洗いの浮かしものに使い、かおりから春を味わいます。ひとによっては「苦味がきらい」だといいますが、むしろ苦味こそ、ふきのとうの個性味といえるもので、苦味を取ろうと、ゆでてから水にさらして煮込むようなことはせず、しょうゆと清酒と梅干を補助味にして、からっと煮上げれば、ほろ苦味が美味となって楽しませてくれます。固いつぼみを姿のままか、二つ割りぐらいにして、火にあぶり、ねりみそをぬると、結構な酒のサカナになります。また、油でいためて、だし割りのしょうゆに浸《ひた》したものもよく、さらに精進揚げとしても勧められます。
むかしから「春苦味、夏は酢の物、秋辛味、冬は油と合点して食へ」といわれていますが、春は、冬場からだに蓄えた塩分や脂肪を和らげ、段々と夏の暑さに対する準備をしなければならないときで、その点、苦味は塩分や脂肪分を緩和するのに役立ち、ふきのとうはそれにふさわしい材料です。
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おもな参考文献
水産動植物図説・田中茂穂ほか・大地書院
実用魚類図鑑・岡田弥一郎ほか・東京魚商協同組合連合会
実用魚介方言図説・田中茂穂・風間書房
さかな異名抄・内田恵太郎・朝日新聞社
魚拓・佐藤魚水・内田老鶴圃
淡水の動物誌・宮地伝三郎・朝日新聞社
おいしい魚図鑑・クック編集部編・千趣会
趣味の淡水魚・目黒広記・杉山書店
四季のさかな/魚のシュン暦・金田尚志・石崎書店
魚貝藻記・村上義威・いさな書房
日本食品事典・井上吉之・医歯薬出版株式会社
食品事典・河野友美編・真珠書院
くだもの読本・東京都青果物商業組合編
くだものと野菜の四季・加藤要・北隆館
くだもの紳士録・朝日新聞社編・朝日新聞社
蔬果と芸術/魚介と芸術・金井紫雲・芸艸堂
西洋野菜の本・鈴木博 持丸与助・婦人画報社
山菜全科・清水大典・家の光協会
俳句歳時記・富安風生編・平凡社
海の歳時記・監修富安風生・文芸出版社
花の歳時記・居初庫太・淡交新社
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しゅんもの一覧表
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*この一覧表は東京を中心に作成しました。回遊魚など場合、地域によってしゅんがズレます。
*くだもの、野菜は露地ものを基準としています。
*かれい、まぐろ、ぶどう……など、種類によって、しゅんの時季が少しずつ異なります。
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しゅんもの一覧表/魚類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
あいなめ | | | |◇|◇|◇|◇| | | | | |
秋 さ ば | | | | | | | | |◇|◇|◇| |
あこうだい |◇|◇|◇|◇| | | | | | | | |
あ じ | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
あ な ご | | | | | | |◇|◇| | | | |
あまだい |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
あ ゆ | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
あんこう |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
いいだこ |◇|◇|◇| | | | | | | | |◇|
い さ き | | | | |◇|◇|◇|◇| | | | |
石がれい |◇|◇|◇| | | |◇|◇| | | |◇|
石 だ い | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
いしなぎ |◇|◇|◇| | | |◇|◇| | | |◇|
いしもち | | | |◇|◇|◇|◇|◇| | | | |
伊勢えび |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
い な だ | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
いぼだい | | | | | |◇|◇|◇|◇|◇| | |
い わ し | | | | | | | | |◇| | | |
い わ な |◇|◇|◇| | | | | | | | | |
う ぐ い |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
う な ぎ |◇| | | | | |◇|◇| | | |◇|
うみたなご |◇|◇| | | | | | |◇|◇|◇| |
うるめいわし |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
お こ ぜ |◇|◇| | | | |◇|◇| | | | |
が ざ み |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
かたくちいわし | | | | | | | | |◇|◇|◇|◇|
か つ お | | | | |◇|◇|◇| | | | | |
かながしら |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
か ま す | | | |◇|◇|◇|◇| |◇|◇|◇|◇|
か れ い |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
かわはぎ | | | | | | |◇|◇| |◇|◇| |
かんぱち | | | | | | |◇|◇| | | | |
き す | | |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | |
ぎ ん ぽ |◇|◇|◇|◇| | | | | | | | |
金目だい |◇|◇| | | | | | | | | | |
くるまえび | |◇|◇| | | | | | | | | |
くろだい | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
毛 が に |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
こ い |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
こ ち | | |◇|◇|◇|◇|◇|◇|◇|◇|◇| |
このしろ |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
ご り | | | | | | | |◇|◇|◇|◇|◇|
さ け |◇|◇| | | | | | |◇|◇|◇|◇|
さ ば | | | | | | | | |◇|◇|◇| |
さ よ り |◇|◇|◇| | | | | | | | | |
さ わ ら | | | |◇|◇| | | | |◇|◇| |
さ ん ま | | | | | | | | |◇|◇| | |
し い ら | | | | | | | |◇|◇| | | |
ししゃも | | | | | | | | | | | |◇|
舌 平 目 | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
芝 え び |◇|◇| | | | | | |◇|◇|◇|◇|
し ゃ こ | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
白 魚 | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
すけとうだら |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
す ず き | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
するめいか | | | | |◇|◇|◇| | | | | |
ずわいがに |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
た か べ | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
た こ | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
たちうお | | | |◇|◇|◇| | |◇|◇| | |
た ら |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
たらばがに |◇|◇|◇|◇| | | | | | |◇|◇|
手長えび | | | | | | |◇|◇| | | | |
どじょう | | | | | | |◇|◇| | | | |
とびうお | | |◇|◇| | | | | | | | |
な ま こ |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
にじます | | | | |◇|◇| | | | | | |
に し ん | | |◇|◇| | | | | | | | |
は ぜ | | | | | | | | |◇|◇|◇|◇|
はたはた |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
は も | | | | | | |◇|◇| | | | |
ひ が い |◇|◇|◇| | | | | | | | |◇|
ひ ら め |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
ふ ぐ |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
ふ な |◇|◇| | | | | | | | | | |
ぶ り |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
ほうぼう |◇|◇|◇|◇| | | | | |◇|◇|◇|
ほたるいか | | | |◇|◇| | | | | | | |
ほ っ け | | | |◇|◇| | | | | | | |
ぼ ら |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
ま い か |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | | | |
まがれい |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
ま ぐ ろ |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
ま だ い | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
まながつお |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
ままかり | | | | | | | | |◇|◇| | |
む つ |◇| | | | | | | | | | |◇|
むろあじ | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
め ぬ け |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
め ば ち | | |◇|◇| | | | | |◇|◇| |
め ば る | | |◇|◇|◇|◇| | | | | | |
も ろ こ |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
や ま め | | | | |◇|◇|◇| | | | | |
やりいか | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
れんこだい |◇|◇|◇| | | | | | | | |◇|
わかさぎ |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
しゅんもの一覧表/貝類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
あおやぎ |◇|◇|◇| | | | | | | | | |
赤 貝 | |◇|◇|◇|◇| | | | | | | |
あ さ り |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | |◇|◇|
あ わ び | | | | |◇|◇|◇|◇| | | | |
貽 貝 |◇|◇|◇| | | | | | | | |◇|
う に | | | |◇|◇|◇| | | | | | |
か き |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
さ ざ え | |◇|◇|◇|◇| | | | | | | |
し じ み |◇|◇| | | | |◇|◇| | | |◇|
平 貝 |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
とこぶし | | | | | |◇|◇| | | | | |
鳥 貝 |◇|◇|◇|◇| | | | | | | |◇|
はまぐり |◇|◇|◇|◇| | | | | | | |◇|
帆 立 貝 | | | | | | | | |◇|◇|◇|◇|
み る 貝 |◇|◇| | | | | | |◇|◇|◇|◇|
しゅんもの一覧表/海藻類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
こ ん ぶ | | | | | | | |◇|◇| | | |
の り |◇| | | | | | | | | |◇|◇|
ひ じ き |◇|◇|◇|◇| | | | | | | | |
わ か め | | |◇|◇|◇| | | | | | | |
しゅんもの一覧表/野菜類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
赤芽いも | | | | | | | | | | |◇|◇|
あさつき | |◇|◇| | | | | | | | | |
アスパラガス | | | | |◇|◇| | | | | | |
アーティチョーク | | | | | |◇|◇| | | | | |
いんげん | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
枝 豆 | | | | | | |◇|◇|◇| | | |
えのきだけ |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
えびいも | | | | | | | | | |◇|◇|◇|
えんどうまめ | | | | | | |◇|◇| | | | |
オ ク ラ | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
か ぶ |◇|◇|◇|◇| | | | | | | |◇|
かぼちゃ | | | | | | |◇|◇|◇| | | |
からし菜 | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
カリフラワー |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
キャベツ | | | | |◇|◇| | | | | | |
きゅうり | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
京 菜 | |◇|◇| | | | | | | | | |
ぎんなん | | | | | | | | | |◇|◇| |
く り | | | | | | | | | |◇|◇| |
グリンピース | | | | |◇|◇| | | | | | |
く る み | | | | | | | | | |◇|◇| |
く わ い |◇| | | | | | | | | | |◇|
小 松 菜 |◇|◇|◇| | | | | | | | |◇|
さつまいも |◇|◇|◇| | | | | | |◇|◇|◇|
さといも | | | | | | | | |◇|◇| | |
さやいんげん | | | | | |◇|◇|◇| | | | |
さやえんどう | | | |◇|◇|◇|◇| | | | | |
サラダ菜 | | |◇|◇| | | |◇|◇| | | |
山 椒 | | | |◇|◇| | | | | | | |
山 東 菜 | | | | | | | | | | |◇|◇|
しいたけ | | | | | | | | | |◇|◇| |
し そ | | | | | |◇|◇| | | | | |
し め じ | | | | | | | | | |◇| | |
しょうが | | | | | | | |◇|◇|◇| | |
しろうり | | | | | | |◇|◇| | | | |
しゅんぎく | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
新ごぼう | | | | | | | |◇|◇| | | |
新じゃがいも | | | | | |◇| | | | | | |
せ り | | |◇|◇| | | | | | | | |
セルリー | | | | |◇|◇|◇| | | | | |
そ ら 豆 | | | |◇|◇|◇|◇| | | | | |
だいこん | | | | | | | | | | |◇|◇|
だいだい |◇| | | | | | | | | | |◇|
高 菜 | |◇| | | |◇|◇| | | | | |
たけのこ | | | |◇|◇| | | | | | | |
たまねぎ | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
玉レタス | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
たんぽぽ | | |◇|◇|◇| | | | | | | |
つ く し | | | |◇|◇| | | | | | | |
つまみ菜 | | | | |◇|◇| | | | | | |
とうがん | | | | | | | |◇|◇| | | |
とうもろこし | | | | | | | |◇|◇|◇| | |
ト マ ト | | | | | |◇|◇|◇|◇| | | |
な す | | | | | | |◇|◇|◇| | | |
菜 の 花 | | | |◇| | | | | | | | |
な め こ | | | | | | | | | |◇|◇| |
に ら |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | | | |
にんじん | | | | | |◇|◇| | | | |◇|
にんにく | | | | | |◇|◇| | | | | |
ね ぎ |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
野 沢 菜 | | | | | | | | | | |◇|◇|
はくさい | | | | | | | | | |◇|◇|◇|
パ セ リ | | | |◇| | | | |◇| | | |
はつたけ | | | | | | | | |◇|◇| | |
葉とうがらし | | | | | | | | |◇| | | |
浜 防 風 | | |◇|◇| | | | | | | | |
ピーマン | | | | | | |◇|◇| | | | |
ふ き | | | |◇|◇| | | | | | | |
ふきのとう | |◇|◇| | | | | | | | | |
ふだんそう | | | | | | |◇|◇|◇| | | |
ブロッコリー | |◇|◇| | | | | | | | | |
ほうれん草 |◇|◇| | | | | | | | |◇|◇|
マッシュルーム | | | | | | | | | |◇| | |
まつたけ | | | | | | | | | |◇|◇| |
み つ ば | | | |◇|◇| | | |◇| | |◇|
みょうが | | | | | |◇|◇| | | | | |
芽キャベツ | |◇|◇| | | | | |◇|◇| | |
やまうど | | |◇|◇|◇| | | | | | | |
やまのいも | | | | | | | | | | |◇|◇|
夕 顔 | | | | | | | |◇|◇| | | |
よ め な | | | |◇|◇| | | | | | | |
落 花 生 | | | | | | | | | |◇|◇| |
らっきょう | | | | | |◇|◇| | | | | |
ラディッシュ | | | | | |◇|◇| | | | | |
レッドキャベツ | | | | | | | | | | | |◇|
れんこん | | | | | | | | | |◇|◇|◇|
わ け ぎ | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
わ さ び | | | | |◇|◇| | | | | | |
わ ら び | | | |◇|◇|◇| | | | | | |
しゅんもの一覧表/くだもの類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
アボガード | | | | | | |◇|◇| | | | |
あまなつかん | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
いちじく | | | | | | | | |◇| | | |
伊 予 柑 | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
祝りんご | | | | | | |◇|◇| | | | |
梅 の 実 | | | | | |◇|◇| | | | | |
紀州みかん |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
きんかん |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
グレープフルーツ | | | | | | | | |◇| | | |
国光りんご |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | |◇|◇|
さくらんぼ | | | | | |◇| | | | | | |
ざ く ろ | | | | | | | | |◇| | | |
ざ ぼ ん |◇|◇|◇| | | | | | | |◇|◇|
三 宝 柑 |◇|◇|◇|◇|◇| | | | | | | |
す い か | | | | | | |◇|◇| | | | |
スイートメロン | | | | |◇|◇|◇| | | | | |
す も も | | | | | |◇| | | | | | |
ダナー苺 | | | |◇|◇|◇| | | | | | |
夏みかん | | | |◇|◇|◇| | | | | | |
二十世紀 | | | | | | | | |◇|◇| | |
ネーブル | |◇|◇|◇| | | | | | | | |
パイナップル | | | |◇|◇| | | |◇|◇| | |
白 桃 | | | | | | |◇|◇| | | | |
八 朔 |◇|◇|◇| | | | | | | | | |
バ ナ ナ | | | |◇|◇|◇| | | | | | |
び わ | | | | | |◇| | | | | | |
福 羽 苺 |◇|◇| | | | | | | | | | |
ぶ ど う | | | | | | | | |◇|◇|◇| |
富 有 柿 | | | | | | | | | | |◇|◇|
ぽんかん |◇|◇|◇| | | | | | | | | |
まくわうり | | | | | | |◇|◇| | | | |
マスクメロン |◇|◇|◇| | | |◇|◇| | | | |
みかん(早生温州)| | | | | | | | |◇|◇| | |
陸奥りんご |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
も も | | | | | | |◇|◇| | | | |
ゆ ず | | | | | | | | | | |◇|◇|
ゆすらうめ | | | | | |◇| | | | | | |
洋 梨 | | | | | | | | |◇| | | |
レ モ ン | |◇|◇| | | | | | | | | |
しゅんもの一覧表/肉類
名 称\しゅんの月|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|
いのしし |◇|◇| | | | | | | | | |◇|
か も |◇|◇| | | | | | | |◇|◇|◇|
〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年十二月二十五日刊