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平岩弓枝
御宿かわせみ21 犬張子の謎
目 次
独楽と羽子板
柿の木の下
犬張子の謎
鯉魚の仇討
十軒店人形市
愛宕まいり
蓮の花
富貴蘭の殺人
[#改ページ]
独楽《こま》と羽子板《はごいた》
この初春、江戸は例年になく寒気がきびしかった。
元旦早々から雪国で見るような太い氷柱《つらら》が軒に下って、放っておくと翌日、更に長くなるから、「かわせみ」では毎朝、若い衆が金槌で叩いて落す。
その「かわせみ」で一番、元気のいいのはお吉《きち》で、
「お正月は少し寒いくらいが、お正月らしいものでございますよ」
朝起きるのがつらそうな女中達の布団を片はしからひっぺがして顰蹙《ひんしゆく》をかっている。
「お吉さんも昔は朝寝坊だったが、やっぱり年のせいかね」
と嘉助《かすけ》が笑い、
「なんのことです」
きょとんとしていたお吉が板前から、
「人間、年寄になると、朝早くから目が覚めちまうもんだそうですよ」
と教えられて、かんかんに怒った。
「冗談じゃありませんよ、あたしが年寄なら番頭さんはどうなんです。大年寄、御老体、よぼよぼ爺さんのへそまがりじゃないですか」
「なにいってやがる、梅干婆あになりかかってるくせに……」
毎度のことながら、嘉助とお吉の口喧嘩は「かわせみ」の年中行事で、みんな、にやにやしながら眺めている。
江戸の正月がのどかなように、「かわせみ」の正月ものんびりしていた。
よくよくのことでもない限り、暮から正月を旅籠《はたご》で過そうという客は少くて、公事《くじ》などで長逗留していた客も暮になると、いったんは故郷へ帰って正月を迎える。
で、この年の変り目を「かわせみ」に滞在したのは、一組の老夫婦だけであった。
藤沢で手広く商売をやっている池田屋の隠居の仁左衛門と女房のお芳で、
「だんだんと年をとって参りましたので、せめて達者な中《うち》にお江戸の正月を見物し、七福神詣でなどを致してみたいと思い立ちまして……」
暮の二十八日から七草ぐらいまで厄介になりたいという。
もともと、「かわせみ」の常連で、藤沢の庄屋をしている人の紹介だから身許もはっきりしているし、時折、そういうお客がないわけでもないので、かわせみ側は承知した。
仁左衛門夫婦は喜んで、毎日、江戸の神社仏閣を参拝して廻っているらしい。
元旦は、|るい《ヽヽ》と一緒に八丁堀の兄の屋敷へ新年の挨拶に行き、そのまま、兄の通之進《みちのしん》と一緒に年賀に廻った神林東吾《かみばやしとうご》も、二日は講武所へ顔を出しただけで、はやばやと帰って来た。
居間には新年の挨拶に来た客がいた。
一人は深川の長寿庵の長助《ちようすけ》で、その隣の男は、
「昨年中はまことに御世話になりました。また新規開店の折には、お祝いを頂きまして、ありがとう存じました」
丁寧に頭を下げた。
「いつも、うちへ木綿物を持って来ていた久七さんですよ。暮に深川佐賀町へお店を出しましてね」
るいが傍から東吾にひき合せた。
いわれてみれば、東吾も一、二度、顔を見たことがある。
木綿物の行商人で、松坂木綿や三河木綿、真岡《もおか》木綿、武蔵川越の木綿の他に、久留米や伊予の絣《かすり》木綿まで、良質のものを廉価で売るので「かわせみ」でも、もう何年となく贔屓《ひいき》にしている。そればかりか、るいが知り合いに紹介して、八丁堀や新川の大店《おおだな》にも得意先が随分と増えたらしい。
年齢は、ぼつぼつ四十という所だろうか、いつも大きな荷を背負って歩く商売だから体つきはがっしりして居り、陽に焼けた浅黒い顔をしているが、よくみると、なかなかの男前であった。
「店と申しましても、猫の額ほどのものでございまして……ですが、この年になりまして漸《ようや》く女房子に落ちついた暮しをさせることが出来ました。なにもかも、お客様のおかげでございます」
年賀の手拭を少し余分において、久七は長助より一足先に帰って行った。
「まあ、たいしたもんでございますよ、神奈川から出て来て、それこそ裸一貫、よくあそこまでやったものだと、深川|界隈《かいわい》でも評判でござんして……」
暮の店開きには、商売物の木綿をかなり廉《やす》くして大売り出しをしたのが当って、大晦日の夜まで客が押しかけたと、長助がいった。
「なにせ奉公人一人おくわけじゃございません。内儀《かみ》さんと、まだ十と十二、三の二人の子まで一生懸命働いて居りましてね」
除夜の鐘の鳴り出す頃になって、親子四人が長寿庵に年越し蕎麦を食べに来たという。
「その代り、いい正月が迎えられたことでござんしょう」
もともと、久七夫婦が江戸へ出て来て、最初に腰を落ちつけたのが、長寿庵のすぐ裏の長屋だったという縁で、なにかにつけて面倒をみて来た長助は、我がことのように喜んでいる。
「神奈川から出て来たというが、親はむこうにいるのかい」
お吉が気をきかせて運んで来た正月料理の膳を前に、遠慮する長助に盃を持たせ、酌をしてやりながら東吾が訊《き》いた。
「それが、どっちの親も、もうあの世へ行っちまったそうでして……」
久七の親というのは、けっこう大店の主人だったらしいが、
「米相場に手を出して、身代を潰したあげくに歿《なくな》ったんだとか、おかげで久七さんは随分と苦労をしたようでございます」
しかし、働き者の女房と出来のよい子に恵まれて幸せだったと、二、三杯の酒でもう赤くなった顔を撫でながら長助はいう。
そこへ畝源三郎《うねげんざぶろう》がやって来た。
「どうも、暮から気色の悪い事件が続いていましてね」
形通りの新年の挨拶のあとでいった。
「なにせ江戸は広いので、品川で起った事件と本郷で起ったのと、どうも犯人は同じらしい、手口も一緒だとわかるまでに何日もが過ぎてしまいます。その間に、同じような事件がすでに何件も起っている。結局、奉行所は後手に廻っているわけで……」
「いったい、なにが起ったんだ。わかりやすく話せよ」
東吾が新しい盃を渡しながら、いささか頭に血が上ったような友人を制した。
「この節、押込み強盗の噂を聞いていないが、瓦版に書かれでもしたのか」
暮からこっち、江戸は格別、大きな事件がなかった筈だと、東吾がいい、源三郎が忌々《いまいま》しい表情で盃を口に運んだ。
「押込み強盗のような派手な事件だと、瓦版も書き立てますし、世間に知られるのが早いのですが、大金を盗られたほうが、暫《しばら》くは誰にどうしてやられたのかわからないでいるというのは始末に困ります」
場所も道端であったり、店先であったり、まちまちでというのを、じれったそうに聞いていたお吉が、
「掏摸《すり》ですか」
と先走った。
「掏摸は掏摸ですが、手が混んでいまして」
女が道端で具合悪そうにしているのを通行人がみて声をかけ、介抱していると、連れの男がやって来て、白湯《さゆ》をもらって来たからと薬なぞを飲ませ、礼をいって女を伴って去る。
「別れて家へ帰ってみると、懐中にあった筈の売掛金がそっくり消えているという案配なのです」
最初は途中で落したのか、或いは掏摸にやられたのかと思っても、まさか、自分が介抱してやった相手が張本人とは考えもしない。
「或る大店では、暮の忙しい最中に買い物に来ていた夫婦者の客が気分が悪いという。で、帳場の脇の小座敷なぞで休ませてやると、間もなくもう大丈夫だからと帰って行く。店を閉める頃になって帳場にあった金が消えていて、いったい誰が、というさわぎになるのです」
一軒、一軒で、そうした事件が起った当初は、どこでも犯人の見当さえついていなかった。
「ひどい所では奉公人に疑いがかかったりしていたのです」
お上に届け出る数が増えて来て、調べているうちに、
「どの場合にも、必ず、一組の夫婦者の影が見えかくれして来まして、漸く、これは同じ手口だとわかりました」
そう気がついた時には、件数にして十件余り、盗まれた金は千両近くにもなっていた。
「介抱しながら盗みを働くってのはよくございましたが、介抱されながらってのは新手《あらて》でございますね」
酔っぱらって道端に寝ていたら、懐中物をそっくりやられてしまったという馬鹿な話はあとを絶たないが、
「親切に介抱して、おまけに金を盗られたんじゃあ、ましゃくに合いませんや」
と長助もいう。
「夫婦者って、いったい、いくつぐらいの人なんですか」
お吉が訊き、
「そのたびに姿形、着るものなど変えているようなのですが、大体、男は五十から六十ぐらい、女は四十から五十の間といわれています」
「初老だな」
東吾が呟《つぶや》いた。
「その年頃だと、介抱するほうも気を許す」
「東吾さんのいわれる通りです」
被害に遭った者の中には、自分が介抱した相手が掏摸だったと聞かされても、半信半疑でいるのが少くない、と源三郎は苦笑した。
「それほど、相手は弱々しかったり、品がよかったり、要するに感じのいい老夫婦の印象が強いようなのです」
「化かされたもんですねえ」
お吉が少しばかり首をすくめるようにして笑った。
「どんなに上手に化けても、狐や狸は尻尾がみえるものですよ」
ところで、と源三郎が真顔になった。
「かわせみでは、身許の知れない客を泊めることは、まずないでしょうが、初老の客には充分、注意をして下さい」
なにしろ、今まで被害に遭った場所が、江戸の四方に広がっているのだといった。
「大体、掏摸というのは、自分の稼ぎ場所が、まあ決っていると申します。そのことから思案して、この盗っ人は素人《しろうと》上りの、しかも江戸者ではないような気がするのですよ」
盗っ人夫婦のねぐらは案外、旅籠で、地方から江戸の正月を見物に出て来た金持の夫婦というふうな触れ込みで滞在しているのかも知れないといい、源三郎は長助と共に、そそくさと帰った。
翌日、るいは帳場にすわって、宿帳を眺めていた。
ちょうど仁左衛門夫婦が出かけて行くところで、嘉助が履物を出している。
「今日はどちらへ……」
と嘉助が訊き、仁左衛門が、
「天気もよいので、深川の八幡様をお詣りしがてら、あのあたりを見物して参ろうかと存じますよ」
と答えている。
宿帳をみると、仁左衛門の年は六十三、女房のお芳は四十五と記してある。
夫婦の年齢に差があるのは、お芳が後妻のせいだと、これは到着した時、こちらが訊きもしないのに、むこうから話していた。
出かけて行く夫婦に、るいは帳場から出て頭を下げた。
外まで送った嘉助が戻って来る。
「あの御夫婦は大丈夫でございますよ」
るいの顔をみて、そっといった。
「昨日、畝の旦那がおっしゃったのとは違います」
嘉助が、るいの心配を見抜いていたのに気がついて、るいは赤くなった。
「藤沢の庄屋さんの御紹介ですものね」
客商売をしていると、疑い深くなるものかと、るいは自分を恥かしく思いながら、宿帳を嘉助に渡し、居間へ戻った。
そして夕方、もう暗くなりかけて戻って来た東吾は畝源三郎と二人連れであった。
「源さんと深川へ行って来る」
門前仲町の甘酒屋で、帳場の金がごっそり盗まれた。
「どうも、例の盗っ人の仕業らしいんだ」
遅くなるかも知れないから、飯は先にすませるようにといい、出て行く東吾を見送って、るいは、なんとなく二階を気にした。
つい、さっき、仁左衛門夫婦は帰って来た。
何を買ったのか、お芳は重そうな包を抱えて、二階の部屋へ上って行った。
まさか、と首を振って、るいは台所へ行った。
仁左衛門夫婦の晩餉《ばんげ》は、お吉が自分で運んで行ったという。
暫く、そこに立っていると、お吉が若い女中と戻って来た。
二人でなにやら笑い合っている。るいを見て、すぐにいいつけた。
「田舎の人って、のんびりしていますね」
座布団の上に、巾着の金を出して数えていたという。
「ものを買う時に、お店の人に値段を訊くと、江戸の人は早口だから、よく聞きとれないのですって。それで二度も聞き直すのはきまりが悪いからと、つい、二分銀で払うものだから、巾着の中が小銭だらけになってしまって、それを亦《また》、一文二文って勘定しているんですよ」
るいはうなずいただけで、居間へ戻った。
どうも気になる。
仁左衛門夫婦が今日、出かけた先は深川の筈である。
その深川で甘酒屋が盗っ人にやられた。
甘酒屋というからには、帳場の銭箱には小銭が多かったのではないのか。
長火鉢の前にすわり込んで、あれこれ考えていると、お吉が晩餉の膳を運んで来た。
「今、仁左衛門さんが出かけて行きました」
この寒いのに、と肩をすくめる。
「こんな時分に、いったい、どこへ……」
「思いついたことがあるので、つい、そこまでって番頭さんにいってましたけど……」
「お内儀さんは……」
「お湯に入ってなさいます」
女房が湯に入っている留守に、あたふたと出かけたのは、もしかすると、女房に内緒の女に、江戸の土産でも買いに行ったのではないかとお吉はいった。
「男の人は、いくつになっても、なにをするかわかりませんからね」
お吉も嘉助も、のんきすぎると、るいは不安になった。
深川で事件が起ったことを、二人とも知らないわけではない。
早く東吾が帰って来てくれたら、この話をしたいと思うのに、亭主は相変らずの鉄砲玉で、いつになったら戻って来るのか。
食欲のない顔で、るいは箸を取り上げた。
その頃、東吾は長寿庵にいた。
「とうとう、深川まで荒らしやがって……」
と長助は頭から湯気を立てている。
たしかに、源三郎のいうところの、気色の悪い盗っ人は、今まで大川を越えていなかった。
本所深川は無傷だったのである。
今日、金を盗まれた甘酒屋は、富岡八幡の門前町では一番の老舗《しにせ》であった。
甘酒の他に串団子や饅頭も評判だし、きなこ餅やあんころ餅も名物になっている。
正月は初詣での客が押しかけるので、店は日が暮れるまで大繁盛であった。
その夫婦客が来たのは午《ひる》を少し廻った頃で女房のほうが亭主を抱えるようにして帳場にいた主人に声をかけた。
「申しわけございません。年寄がめまいがすると申しますので、ほんの少々、こちらで休ませて頂けませんか」
と頼まれて、主人は親切に店先では落ちつかないだろうからと、帳場の横の小座敷へ上げてやったものだ。
「どうも、帳場の横の小座敷というのが曲者なんだな」
熱い蕎麦をすすりながら、東吾がいった。
商家の帳場の脇には、大方がちょっとした部屋がある。
知り合いが来た時に茶を出したり、話をするのに都合がよいからで、少々の商談や町内の祭の相談なぞ、一々、奥へ通さなくとも、店先で用事がすむように出来ている。
帳場にいる主人が気軽く応対する所だから、どうしても、帳場に近いし、その帳場には金箱がおいてある。
「盗っ人にしたら、うまく考えたものさ」
これは商家に奉公したことのある人間ではないかと東吾はいった。
「少くとも、侍は思いつかないのではないか」
「この節は侍も、せちがらくなっていますからね」
と応じたが、源三郎も本質的には東吾と同じ意見であった。
「玄人《くろうと》の盗っ人ではないような気がしますよ」
金に困ったあげくに考え出したのか、或いは、
「最初は本当に病気になったのかも知れません。親切に声をかけてくれた人の懐中に、如何にも重そうな財布がのぞいていて、出来心でそいつを盗んだのが、やみつきになったということはありませんかね」
人の親切をふみにじるようなやり方に、源三郎は腹を立てている。
「素人は厄介なんだ」
日頃、江戸の町にとけ込んで、ごく当り前に暮している者の犯罪だと、その周囲の人間もうっかりしている。
「お上がとっつかまえると、まさか、あんな正直そうな人がと、びっくりするんだな」
とにかく、瓦版なぞが派手に書いてくれるとありがたい、と東吾はいい出した。
「源さんたちにしてみれば、面目丸潰れかも知れないが、こういう盗っ人が江戸を荒らしているということが広く知られれば、みんなが用心するし、とっつかまえるきっかけにもなるだろう」
「その代り、世の中から親切が消えますな」
苦い顔の源三郎だったが、明日にも奉行所から町役人《ちようやくにん》に対して通達を出すことにしようといった。
「素人ってのは怖れを知らないからな。今までうまく行ったんだから、今度も大丈夫だろうとたかをくくって、存外、網にひっかかるんじゃないか」
「そうなることを願いますよ」
腹ごしらえをして長寿庵を出たところで、東吾は足を止めた。
どこかで、女の叫び声が聞え、続いて、地面にものの落ちるような音がしたからである。
東吾に続いて長寿庵を出た源三郎も、それを耳にしたらしい。
ふっと二人が顔を見合せて、一足遅れて外へ顔を出した長助が、
「なにか……」
と訊いた。
長寿庵の外は濃い闇であった。
この季節特有の夜霧が立ちこめていて、提灯《ちようちん》のあかりさえもおぼつかない。
「源さんは、どっちに聞えた」
東吾が低くいい、源三郎が首をひねった。
霧に物音が吸い込まれたようで、耳の記憶が頼りない。
「俺は川っぷちのほうじゃないかと思ったが……」
「行ってみましょう」
二人が大川の方角へ歩き出し、なにがなんだかわからない長助は提灯を持ってとび出した。
深川佐賀町から大川へ向うと霧は更にしめり気を帯びて来た。
男三人の髪が雨に濡れたようになる。人通りは全くなくなっていて、耳をすますと大川の川波が石垣に打ち寄せる重い響きだけが連続している。
仙台堀のほうへ行きかけて、東吾は掘割に架っている小橋の手前で迷った。
どうも、そんなに遠くではなかったと思う。
このあたりの表の道は商家が軒を並べているが、どこも、もう大戸を下している。
裏は長屋であった。
小さな下駄の音がして、霧の中から女の顔が、長助のさし出す提灯の灯影《ほかげ》に浮んだ。
「なんだ、おあんさんじゃないか」
ほっとしたように長助がいい、女が腰をかがめた。
「久七つぁんのお内儀さんでございます」
東吾に紹介するように、ふりむいた。
「昨日、あっしと年賀にうかがいました木綿屋の……」
おあんに東吾の身分をささやいたらしい。
「いつも御贔屓になりまして……」
「あんた、どっちから来た」
東吾が訊ねた。
「店から帰って来ましたので……」
自分の来た道をふり返るようにした。
「久七つぁんの店は佐賀町でも仙台堀の近くで……」
そこは店だけで、家族は今まで住んでいた永代橋寄りの裏長屋で暮していると、長助が説明した。
「これから店のほうへ弁当を届けがてら、子供達を迎えに参ります」
つまり、子供達はまだ店を手伝っていて、女房だけが晩餉の支度に一度、家へ帰ったということらしい。
「永代橋のほうから、こっちへ来る途中、誰かに会わなかったか」
おあんがかぶりを振った。
「なにしろ、霧がひどくて……」
店へ提灯をおいて来てしまったので、難儀をしたと、髪にかむっていた手拭の裾《すそ》で顔をおさえた。
「店はもうそこだ。気をつけて行きねえ」
長助にうながされて、おあんはまた頭を下げ、案外、しっかりした足どりで上ノ橋を渡って行った。
それを見送って三人は後戻りをして永代橋へ向った。途中で長寿庵の前を通ることになる。
長寿庵と永代橋との中間あたりで、提灯を低くして、東吾と源三郎の足許を照らすようにしていた長助が、あれっと声を上げた。
「こいつは、小判じゃございませんか」
地面から拾い上げたのは、まさしく小判で、
「おい、そのあたりを探してみろ」
源三郎が声をかけ、長助はもとより、東吾も一緒になって地上を眺め廻したが、小判は最初に長助が拾った一枚きりで、
「こいつは……」
と東吾がつまみ上げたのは、破れた紙の切れっぱしであった。
「どうやら、小判を包んだ紙の一部のようですな」
源三郎が懐紙を出して、その間に東吾から受け取った紙片をはさんだ。
「なんで、こんな所に小判が落ちていたんでございましょうねえ」
拾った小判を源三郎へ渡して、長助が呟く。
「ひょっとすると、盗っ人が落して行ったのかも知れないな」
苦笑して歩き出した東吾が永代橋の橋番に訊いた。
「小半刻《こはんとき》ほど前に、女の叫び声を聞かなかったか」
橋番が首をひねった。
「誰かが喧嘩でもしているようなのが聞えましたが……」
「女の喧嘩か」
「いえ、一人の声は男で……大方、夫婦の口争いだろうと……」
「そいつらは、こっちへ来なかったか」
「参りません。この霧ですから通行人もまばらで……」
「そうだろうな」
長助とはそこで別れた。
「かわせみ」へ帰って来ると、帳場のところに、るいがいて、嘉助とひそひそと話をしている。
「おい、どうした」
と声をかけると、ちょうど二階から足音を忍ばせるようにして下りて来たお吉が、
「小判を数えているみたいな音がしますよ」
ささやくように報告した。
「いったい、なんなんだ」
東吾に訊かれて、嘉助が、
「どうも、手前の見込み違いのようで……」
そっと小鬢《こびん》へ手をやった。
「藤沢の御夫婦が、盗っ人かも知れませんのです」
緊張し切った顔でお吉がいった。
「お嬢さんが、お気がついたんです」
「るいが……」
東吾がふりむき、るいは赤くなった。
「いえ、なんだか、気になることが続いて……」
「しかし、あの夫婦は、藤沢の庄屋の紹介なんだろう」
「それなんでございますが……」
嘉助が帳場から一通の手紙と宿帳を出して来た。
「これが庄屋の藤兵衛さんからの紹介状でございまして……」
今回、仁左衛門夫婦が持ってきたものだといった。
「念のため、藤兵衛さんがお泊りになった時の宿帳の文字とくらべてみたのでございますが……」
明らかに筆蹟が異る。
「しかし、必ずしも、庄屋が自分で紹介状を書いたとは限るまい」
東吾の言葉に、嘉助が遠慮がちに応じた。
「おっしゃる通りでございますが、藤兵衛旦那は律儀なお方でございますので……」
大事な紹介状を人まかせにするとは思えないといい、るいもそれに同意した。
「それに、今日、あの御夫婦は深川へ行くといって、ここを出かけているんです」
その深川の甘酒屋が、例の盗っ人にやられている。
「なんだか妙だな。もし、仁左衛門が盗っ人なら、盗み働きに行く先を、わざわざ嘉助に告げるだろうか」
お吉が東吾の言葉に反撥した。
「でも、若先生、仁左衛門さんは一度帰って来て、晩餉をすませてから、また出かけているんです。おまけに、さっき、まっ青な顔で帰って来て、帳場にいたあたしや番頭さんに挨拶もしないで二階へかけ上って行って……あたしがそっと見に行ったら、お内儀さんとひそひそ話をしながら、お金をかぞえているんですよ」
どう考えてもおかしいじゃありませんかとひらき直られて、東吾も腕を組んだ。
「とにかく、もう少し様子をみよう。今夜は俺が不寝番をする」
幸い、他に客はなかった。
嘉助は余分の心張棒を武器がわりに帳場へ持ち込み、
「風邪をひくといけませんから……」
お吉は行火《あんか》と布団を運んだ。
東吾のほうは居間の炬燵《こたつ》にすわり込んで、熱燗で一杯やりながら、しきりに考えているようだったが、るいが湯から上って来てみると、仰むけにひっくりかえって、軽い寝息を立てている。
「うちの旦那様は、のんきだから……」
一人言を呟いて、るいは掻巻《かいまき》を持って来て、東吾に着せかけた。
何事もなく夜があけて、いつもより早めに飯をすませると、
「深川まで行って来る」
るいにことわって、東吾は急ぎ足に出かけて行った。
そのあとで、嘉助が慌《あわただ》しく居間へ来て、
「仁左衛門さん御夫婦が、お発《た》ちになるといい出されまして……」
予定では七草あたりまでだったのが、急に繰り上げて藤沢へ帰ることにしたといい、旅支度をはじめていると告げた。
「きっと、盗っ人の正体がばれかかっていることに気がついて逃げ出すんですよ」
お吉もあわてふためいていいに来たが、肝腎の東吾はいないし、たいした証拠があるわけでもないのに、八丁堀へ知らせるというのも、ためらわれた。
「若先生は、おそらく長寿庵でしょうから、若い衆を迎えにやりましょう。手前は宿賃の計算に手間がかかるとでもいって、時間稼ぎを致しますから……」
直ちに使いが裏口からかけ出して行き、るいは居間へ戻ったが落ちつかない。
お吉のほうは、せっせと二階へ行っては、やれ、弁当をお作りしましょうだとか、外は寒いから道中、厚着をして行ったほうがよかろうなどと、どうでもいいことを並べ立てながら、夫婦を見張っている。
そこへ、待ちに待った東吾が戻って来た。
「仁左衛門夫婦は、まだ二階か」
と嘉助に訊いているところへ、当の夫婦が下りて来た。
「すまないが、ちょっと話したいことがある。こっちへ来てくれないか」
東吾が夫婦を居間へ連れて行き、二人が勧められた座布団へ腰を落ちつけるのをみてから、
「あんた達は、江戸に娘夫婦を探しに出て来たのだな」
と切り出した。
仁左衛門夫婦は別に驚いた様子もなかった。
むしろ、沈痛に頭を下げる。
「おあんに会えたのは、昨日か」
「おあん……」
と、るいが鸚鵡《おうむ》返しに呟き、仁左衛門がやはり、うつむいたまま肯定した。
「会えました。ですが……」
仁左衛門が語尾を呑み込むようにし、女房のお芳が手拭を目に当てた。
「私が悪かったのでございます。継子《ままこ》いじめをしたつもりはございませんが、やはり、実の娘を可愛がって、おあんには冷たい母親だったと……」
「よしなさい」
夫が制した。
「もう終ったことだ」
「いいえ」
お芳が涙声をふりしぼった。
「私が愚かなばかりに……実の娘に邪慳《じやけん》にされて、漸く、おあんにすまないと気がついても、もう、とり返しはつきませんでした。あの子は、私を許してはくれません」
「そうではない。おあんは許すも許さぬもない、みんな昔のことだといったのだ。ただ、自分達はもう自分達の暮しを持っているから、どうか、かまわないでくれと……」
東吾が仁左衛門を見た。
「娘にそういわれて、あんたは昨夜、百両の金を持って行ったのか」
廊下にひかえていた嘉助とお吉が言葉にならない声を上げ、仁左衛門は更に低く頭を垂れた。
「せめて孫たちに何か買ってやってもらいたいと思いまして……ですが、おあんは受け取ってくれませんでした。親から金をもらっては、今までさんざん苦労した久七にすまないと申しまして……」
「娘に金を叩き返されて、あんたは泣く泣くそれを拾って帰った。かわせみへ戻って来て調べてみたら、一両足りなかったんじゃあないのか」
はじめて仁左衛門が仰天した。
「どうしてそれを御存じで……」
「あんたの拾い残した一両は、幸い、お上の御用聞きがみつけたよ。定廻《じようまわ》りの旦那があずかっている。間もなく、久七夫婦を連れてここへ来る筈だ」
初老の夫婦が顔を見合せた時、嘉助が帳場へとんで行った。
表のほうで源三郎の訪《おとな》う声がしたからである。
畝源三郎に伴われて居間へ来た久七とおあんの様子は明るかった。
「まず、お詫びを申さねばなりません」
久七が敷居に額をすりつけていった。
「若気のいたりとは申せ、大事なおあんさんをそそのかして、かけおち同然に故郷をとび出しましたこと、いつも、すまない、申しわけなかったと藤沢へ手を合せて居りました」
「久七さん、手を上げておくれ」
仁左衛門が、にじり寄って白髪頭を下げた。
「詫びをいうのはわたしのほうだ。あんたがこれほど甲斐性のある男とも知らず、潰れた店の悴《せがれ》に娘はやれないと突っぱねたわたしを、どうか勘弁して下さい。この通りでございます」
父親と手を取り合うようにしている久七をみて、おあんがぽろりと涙をこぼした。
「もう、そのくらいでいいだろう。正月早々、長年別れていた親子がめぐり合えたんだ。一杯やって、たがいの無事を喜んでやることだ」
東吾が声をかけ、早速、お吉が屠蘇《とそ》の台を運んで来て、盃が親子の間を一巡する。
だが、親子の間で会話はそれほどはずまなかった。
やがて、
「狭い店ではございますが、おかげさまでなんとか落ちついて居ります。どうか、お父つぁん、おっ母さんも江戸へお出かけの節には孫の顔をみにお立寄り下さいまし」
と久七がいい、店を開けなければならないからと夫婦そろって帰って行った。
それを見送ってから、仁左衛門夫婦が改めて東吾の前に手を突いた。
「思いがけず、娘夫婦と話が出来、まことにありがとう存じました」
藤沢の店は、今、下の娘夫婦が継いでいるといった。
「母親を前にしてなんでございますが、下の娘はなんでも亭主のいいなりでございまして……」
それはそれでよいのだが、その亭主になった男が、
「小才がきくと申しますか、山《やま》っ気《け》がありすぎるといいますか、どうも今一つ安心の出来ませんところがございまして……」
自分達も年をとって来たので、
「せめて今の中《うち》に、おあん夫婦にも少しばかりのものを渡してやりたいと考えましたが、どうしても聟《むこ》が承知を致しません」
自分の受け継いだものは、釜の下の灰まで自分のものだといって、まとまった金を出すのを拒んだという。
「漸く、百両ばかりの用意を致しまして、江戸へおあんを探しに出て参りました」
かねて、藤沢の庄屋の藤兵衛から、久七が江戸で行商をしていると聞いていたからで、
「実は、こちらへ参りまして、間もなく久七をみつけました」
得意先へ行った帰りだろう、「かわせみ」の前を通りすがりに、嘉助に挨拶をしているのを仁左衛門がみつけ、それとなく女中に訊いて、深川の店のこともわかった。
「ですが、なかなか訪ねて行く度胸がございませんで……」
何日も、店の近くをうろうろして、漸く、昨日、店から家へ帰るおあんをみつけて追いかけて行って声をかけた。
「おあんは久七には内緒で家へ連れて行ってくれまして、そこで少々の話を致しましたが、覆水盆に返らずのたとえ通り、一度、切れてしまった縁は、どうにもおたがいの心が通い合いません」
心を残して一度「かわせみ」へ戻り、夜になって、せめて百両を渡そうと仁左衛門が一人で訪ねて行った。
「叩き返されたお金ではございますが、これだけは娘に渡して帰りとうございます」
源三郎から戻してもらった一両を加えて、丁寧に包み直したのを、仁左衛門は東吾の前においた。
「金をやったからといって、手前どもはおあんの厄介になろうなぞとは金輪際、考えて居りません。藤沢の在所のほうに隠居所を建てましたので、これからはそちらに夫婦で暮そうと思って居ります。二度と江戸へ出て来ることもないと存じます」
風呂敷包を開いた。
新しい、独楽《こま》と羽子板がみえた。
「昨日、深川で求めて参りました。おあんの二人の子に、年玉にと……」
百両の金と、独楽と羽子板を東吾にことづけて、初老の夫婦は「かわせみ」を発って行った。
「いいたかないがな」
ぽつんと東吾が口を切った。
「おあんが長助の女房に話したことがあったそうだ」
まだ夫婦で江戸へ出て来て、苦しい暮しの最中のこと。
「どんなに貧しい暮しでも、藤沢にいた時とくらべると極楽のようだとさ」
「継子いじめはしなかったつもりだとおっしゃいましたけど、やっぱり、実の娘さんと分けへだてがあったんでしょうね」
るいがそっという。
「おあんは泣いたそうだ。せめて父親がもう少し、自分をかばってくれたらと……」
お吉が大きく合点した。
「男の人は、二度目の女房には弱いものだっていいますからね」
それにしても、どうして若先生は仁左衛門夫婦が盗っ人じゃないとおわかりになったんですかと訊かれて、東吾は笑った。
「全くの偶然さ」
長寿庵を出る時に、女の叫び声と、ものの落ちるような音を聞いた。
そのあと、佐賀町を歩き廻っていて、おあんに出会った。
「俺が誰かに会わなかったかと訊いたら、誰にも会っていないという返事だったが、あの時のおあんは逆上したような顔をして、えらく落ちつきがなかったよ。そのあとで永代橋の橋番に訊いたら、近くで男と女の争う声がしたという。橋番は夫婦喧嘩だと思ったらしいが、本当は仁左衛門とおあんの父娘《おやこ》喧嘩だったんだ」
それとは知らずに帰って来たら、「かわせみ」の連中が口を揃えて、仁左衛門の異常を訴えた。
「長助が拾った一両のことと、仁左衛門が帰って来る早々、小判を数えていたのと、よくよく考えて、ひょっとするとと思ったから、今朝、長助のところへ行って、久七夫婦の身許を訊いたんだ。長助よりも、長助の内儀さんのほうが、久七夫婦のことをよく知っていたよ」
子供の頃から好き合っていたのに、久七の店が相場にしくじって破産すると、おあんの親は二人が夫婦になることを反対した。
「おあんは勘当されたも同然で、久七と添いとげたんだとさ」
「かわせみ」へ泊っていた仁左衛門の女房は後妻だと聞いていたので、案外、二つがうまくつながるように思えたといった。
「まあ、百両はともかく、この独楽と羽子板をみれば、おあんの心の氷も溶けるんじゃないかな」
源さんに取り次ぎを頼もうといいさして、東吾は「かわせみ」の連中を見廻した。
「その昔の八丁堀の面々も、そそっかしいぜ。泊り客を盗っ人かも知れねえとはさ」
嘉助が首をちぢめた。
「実は、仁左衛門さんに、庄屋の藤兵衛さんの紹介状のことを訊ねましたんですが……」
藤兵衛は、暮にころんで右の腕を折ったのだという。
「筆が持てねえんで、庄屋の手代さんが代筆したそうでございます」
笑い声が湧いたあとで、お吉が真剣な顔でいった。
「でも、間違いで、本当にようございました。もしも、かわせみが正月早々、盗っ人を泊めていたなんてことになりましたら、若先生の面目が丸潰れでございました」
そして松飾りがとれて間もなく、畝源三郎が知らせに来た。
介抱させたあげくに盗っ人を働いていたのは、どさ廻りの役者の夫婦だったという。
「旅先で大夫元《たゆうもと》が売り上げをもって逃げてしまいましてね。一座は離散です。やけくそで一芝居打ったら、こいつが当った。で、やみつきになって稼いでいたと申すのです」
日本橋の相模屋という小間物屋で、いつもの芝居をしたところ、瓦版などで承知していた店の者が、さりげなく様子を窺い、のっぴきならない現場を押えて捕え、お上に突き出したと源三郎は面白くない顔で話した。
「全く、八丁堀の面目は丸潰れですよ」
苦り切って出て行くのを見送って、お吉がまたいった。
「本当に、若先生のお顔が潰れなくてようございました」
夕方から雪になるのか、江戸はどんよりと曇って、底冷えのする午後であった。
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柿《かき》の木《き》の下《した》
節分の日に、深川の木場で川並鳶《かわなみとび》の筏《いかだ》の初乗りがあるので見物にお出かけになりませんかと誘ったのは、深川佐賀町の長寿庵の主人の長助で、本業は蕎麦屋だが、当人は若い頃から捕物好きで、定廻《じようまわ》り同心の畝源三郎から手札を頂戴して、今は岡っ引の中でも古顔になっている。
その長助がいつも捕物の智恵を借りに来る大川端の「かわせみ」の帳場で、番頭の嘉助と女中頭のお吉に川並鳶の講釈をした。
「こいつは横町の手習の先生から聞いたことでござんすが、川並ってのはお江戸でしか使わねえんだそうでして、木場で筏を操る人足だけを川並とか川並鳶とか呼ぶようです。まあ、御存じのように水の上に浮べてある丸太だの角材をひょいひょいと跳んで仕事をする。みているとなんでもねえようですが、あればっかりは年季を積まねえと乗りこなせませんようで、あっしも若え時分に盗っ人を追いかけて、うっかり材木の上へとび下りたんですが、あっという間に水の中へどぼんです。以来、間違っても筏の上は渡らねえことにしていますが……」
その川並鳶の初乗りは、筏の上で足を使って丸太を水車のように廻したり、さまざまの曲芸を披露する。
「そればっかりじゃござんせん。この節は筏の上に梯子《はしご》を組んで、そいつに登って宙乗りなんぞをやらかします。それも年々、梯子の高さが長くなりまして、並みの人間なら登っただけで目が眩《くら》みそうな所で逆立ちなんぞをみせますんで、これは、ちっとばかり見ごたえがございます」
長助の話を、お吉が早速、晩餉《ばんげ》の時に東吾とるいの前でお喋《しやべ》りした。
「面白そうだな。天気でもよければ行ってみないか」
東吾がすぐその気になって、
「ついでに、富岡八幡に参詣して来よう」
という。
初乗りが始まるのは午《ひる》すぎからで、これはあまり早い時刻だと、筏の上に霜が下りていたり、氷が張ったりしていると、すべって危険だからということらしい。
早めの午餉をすませて、東吾とるいにお吉、嘉助は、
「年寄が木場のからっ風に吹かれたら、ろくなことがありませんからね」
と留守番に廻って、
「それじゃ、ちょっと行って来る」
両手に花の東吾が、笑いながら暖簾《のれん》を出て行った。
外はまあまあの節分日和で、霜どけの道では、子供が鬼の面をかぶって追いかけっこをしている。
永代橋を渡って深川へ入ると、長助が番屋の脇で待っている。
「いい具合に風がありませんで……」
空を仰いでいったのは、あまり風が強いと堀に波が立って宙乗りがやりにくくなるかららしい。
「今日一番の人気は、岩代屋の悴《せがれ》、勘左でございます。なにしろ、他の連中より一尺も高い特別あつらえの大梯子の上で宙返りをやらかそうてんで、本所深川から見物人が押しかけて居りまして……」
門前町を歩きながら、長助がいい、
「岩代屋というと、材木問屋か」
と東吾が訊《き》いた。
「へえ、主に秋田杉を扱っている店で、木曾屋や美濃屋のような老舗《しにせ》ではございませんが、なかなかの商売上手と評判でございます」
「材木問屋の若旦那が川並鳶の真似事をするのか」
川並鳶は人足で、本来なら材木問屋の跡継ぎのすることではなかった。
「おっしゃる通りで……ですが、勘左と申しますのは、子供の頃から相当の悪餓鬼で、或る時期は親ももて余すような暴れん坊でございました」
力も強いが、身も軽く、川並鳶が危がって止めるのもきかず筏の上をとび廻り、やがて誰もかなわないほど川並の腕を上げた。
「人足連中も、相手が大店の悴で、自分達よりも材木の扱いが旨いんじゃあ、頭ごなしにどなられても文句もいえません。いつの間にか川並鳶の大将みてえになりまして……」
角《かく》乗りはもとより、ありとあらゆる曲芸まがいのことをやり尽し、とうとう梯子の宙乗りにまで挑戦している。
「よく、親御さんが、なにもおっしゃいませんね。一つ間違ったら、大怪我をするんじゃありませんか」
お吉が顔をしかめ、長助はぼんのくぼに手をやった。
「一人息子でござんすから、親にしてみれば心配にゃあ違えねえところですが、まあ、なんてったって初乗りの花形でまわりもちやほや致します。当人もいい気分で、親の意見なんざ、馬の耳に念仏でございますよ」
富岡八幡に着いて、四人が揃って参詣し、女二人は境内の茶店へ寄って甘酒の注文などをしている。
東吾はなんとなく境内を見廻した。
節分のことで、午後からは社前で豆まきがあるらしく、世話人たちが社務所へ入って行く。参道は参詣人の姿がみえるが、社殿の裏手の広場は冬枯れていて、がらんとしている。
東吾が目をとめたのは、その奥のほうの大きな木の下で女が一人、合掌していたからである。
そんな方角に末社があったのかと、のぞいてみる気になって玉垣に沿って歩いて行った。
近づいて、東吾は女の後姿があまりにも真剣に祈っているのに気がついた。
両手を合せ、首を垂れ、一心不乱に祈願している。その辺に小さな祠《ほこら》でもあるのかと眺めたが、なんにもない。
「若先生、甘酒は如何《いかが》ですか」
茶店のほうから、お吉が大声で呼び、合掌していた女が、はっとしたようにふりむいた。
すぐ近くに東吾の姿をみると、そそくさと境内を横切って行く。
やりすごしておいて、東吾は女の立っていた場所まで行ってみた。やはり、なにもなかった。目の前にあるのは、大きな柿の木だが、今の季節、葉は落ちて、太い枝が天空へ向けて伸びている。
あの女は、柿の木に向って拝んでいたのかと思う。
茶店へ戻って来ると、長助が甘酒の入った筒茶碗をさし出した。
「ちっとばかし、体を温《あ》っためて行きませんことには……」
受け取って、訊いた。
「あそこの柿の木だが、なにかいわれがあるのか」
長助が変な顔をした。
「つまり、その御神木とか、願をかけるとかなえてくれるとか……」
「さあ、そういう話は聞いたことがございませんが……」
なんなら、社務所へ行って訊いてきましょうかというのに、東吾は手を振った。
「それほどのことじゃあないんだ。ただ、あそこでお参りしていた奴がいたのでね」
甘酒を飲んで、まっすぐ木場へ行った。
ひとくちに木場といっても、かなりの広さで、大きな掘割に向って広い材木置場がずらりと並んで居り、それをまた幾筋かの掘割が分断している。
初乗りの行われる場所は材木置場の一番東側で、縦に四本ある水路の水を行き止りに横に掘った広い水路が受け止める恰好になっている。
見物人はもう殆《ほとん》ど集っていて、水路に沿った岸辺にずらりと並んでいた。
「どうぞ、こちらへお出《い》でなすって……」
と長助が「かわせみ」の一行を案内したのは行き止りの水路の向う側で、そのあたりは材木問屋の主人やその家族たちの見物場所であった。
そうした人々の中には東吾やるいの顔馴染もいて、
「ようこそ、お出かけ下さいました」
丁重な挨拶を受けた。
掘割の中には、すでに丸太や角材が浮んでいて、そのむこうには大きな筏もみえる。
「とうたま、とうたま」
と呼ぶ声がして東吾がふりむくと、顔中、髭《ひげ》もじゃもじゃの大男、永代《えいたい》の元締と呼ばれている文吾兵衛《ぶんごべえ》に抱かれた花世《はなよ》が盛んに手を振っている。
本所の旗本、麻生源右《あそうげんえ》衛|門《もん》の孫娘で、母親は東吾の兄嫁の妹に当る。
とうたま、というのは、母親の七重《ななえ》が、
「東吾様」
と呼ぶのを真似たが、舌足らずのために、とうたま、になってしまったもので、ついでにいうなら、るいは「小母様」が訛って「ばばたま」になり、お吉は「おっきいちゃん」と呼ばれている。
「花坊も来たのか」
東吾が近づくと、花世はすばやく文吾兵衛の腕から東吾の背中にとび移った。
「まるで、女川並だな」
そんなおてんばをすると、お母様にいいつけてやるぞ、と東吾がいっても、きゃっきゃっと喜んで首っ玉にしがみついている。
岸辺には細い股引に半天という威勢のいい恰好の川並鳶の面々が勢揃いし、神官が幣《ぬさ》を持って、彼らの頭上を祓《はら》った。
「あの先頭にいるのが、勘左でございます」
そっと長助がささやいた。
成程、屈強の若者で面がまえも堂々としている。彼が岸辺から一番に丸太へ跳ぶと、見物人の中から女達の黄色い声援が盛んに起った。
「成程《なるほど》、人気者だな」
東吾が笑った時、掘割の中では鮮やかな角乗りが始まっていた。
太くて重い材木が、川並鳶の足さばきで、くるりくるりと回転する。
それが手はじめで、乱れ返し、水車、八艘《はつそう》とび、三段がまえなど、数人ずつ、入り乱れての競演になる。
見物人の間から盛んな拍手や歓声が湧いて、掘割の中は熱気が渦を巻いた。
やがて、大きな筏が中央にひき出されて来る。
筏の上に梯子を立てるのが容易ではなかった。地面ならばともかく、揺れる筏の上のことである。何人かが水に落ち、その度に見物人がどよめいた。
やがて梯子が四、五人がかりで支えられると、一人がするすると登ってといいたいが、なにせ不安定な筏の上のこと、梯子は左右に傾くし、それを傾けまいと支える側が脂汗を流すうちに、やっと上にたどりついたのが逆立ちや片手片足立ちをみせると、これはもう、やんやの喝采であった。
そして、最後にひときわ長い大梯子が筏に運びこまれると、見物は固唾《かたず》を呑んだ。
筏の上に立てるだけで、十数人が死物狂いに力をふりしぼっている。
漸《ようや》く、天へ向けて突き立った梯子の頂上を仰いで、見物人は息を殺した。
もしも、あの上から落ちたら、ただでは済むまいと誰しもが思ったからで、その証拠に大梯子を支えている川並鳶の表情は緊張し切っていた。
「あれに、勘左が登るのか」
東吾がいい、長助がうなずいた。
「どうも、えらいことをやらかすようで……」
その勘左が向う鉢巻で筏の上に立つと、見物人からすさまじい拍手が起った。
勘左はそれらを得意そうに見廻し、女達には片手を上げて歓声に応えた。
それから大梯子に近づくと、
「手前《てめえ》ら、しっかり押えてろよ」
やや甲高い声で叱咤《しつた》した。
が、川並鳶たちは返事も出来ないでいた。大梯子を支え、自分の体を筏の上で安定させるためには、下手に首を動かすことすら危険であった。
勘左が大梯子にとりつくと、見物人の中からざわめきが消えた。みんな、声を消し、木場は水を打ったように、しんとなった。
一足一足、勘左は梯子を上って行く。
時折、梯子が揺れると、
「馬鹿野郎、なにしてやがる」
と、支えている川並鳶に罵声を浴びせ、悠々と頂上についた。
おもむろに、体の安定を保ちながら上段に足を絡《から》めて体を宙に浮すと、足をはなして片手立ちになった。その瞬間である。
絹を裂くような女の悲鳴が上った。
はっとして梯子を支えた川並鳶たちの均衡が乱れかけ、たて直そうとふんばった時、大梯子の頂上から勘左の体がすさまじい勢いで落ちて来た。
新しい悲鳴が湧き上り、華やかな初乗りの舞台が、突然の修羅場に変った。
「まあ、同じ落ちるにしても、堀の水の中ならまだしも助かる道があっただろうに、角材の筏の上に思い切り叩きつけられて、あげくに材木の角で脳天を割られていたっていいますから、これはどうも医者の手には負えませんで……」
事件のあった翌日、
「どうも、立春大吉の日に、こんな話を致しますのは気がひけますが……」
碾《ひ》きたての蕎麦粉を届けがてら、長助が勘左の死を告げた。
「仏になった者に、むごいことをいうようですが、川並鳶の中には、勘左の事故で、ほっとしている者も少くないようでございます」
もともと、筏の上の梯子乗りなぞという曲芸師まがいのことをいい出したのは、勘左で、川並は角乗りが表芸で、なにも火消しの真似をしなくともよかろうという、古い川並鳶のいい分を押し切ってやりはじめたことであった。
「どう考えても、揺れている筏の上の梯子乗りなんざ無茶もいいところでさ。おまけに人足連中がひるむと、意気地なしだの、臆病だのと罵《ののし》り放題だったといいますから、これはみんなからよく思われるわけがありませんので……」
お上から木場に対して、以後、無謀な梯子乗りは禁止とのお達しがあったあげく、三年間、初乗りも遠慮するようにと指示が出て、
「みんな、がっくりしていまさあ」
という。
「ところで、勘左が落ちた時に、女の悲鳴が上ったが、あの女はどこの誰か、判ったのか」
東吾が訊ね、長助が首を振った。
「わかりません。なにしろ、あの時は叫んだほうをみるよりも、落ちた人間のほうにみんなの目が集って居りましたし、続いて、ぎゃあぎゃあといっせいに騒ぎ出しましたから」
勘左の落ちるのをみて、女という女はみんな悲鳴をあげていたし、最初の悲鳴も、その中にまぎれてしまったといった。
「あんな高いところで、逆立ちだの宙返りだのをすりゃあ、つい、悲鳴をあげる女がいても怪訝《おか》しくはありません」
それに気を奪われて落ちたほうが悪いというのが、みんなの意見だったと長助はいう。
「ですから、最初に叫んだのが誰だったかといった御詮議もありませんし、また、詮議のしようもないといったところで……」
「そうだろうな」
と返事をした東吾だったが、長助が帰ると、ぽつんとるいにいった。
「勘左って奴は、あんまり評判のよくねえ憎まれ者だったらしいから、なにも、物好きにことを荒立てるつもりはないんだが、あの悲鳴は仕組まれたものだったと思うよ」
縫い物をしていたるいが、針の手を止めた。
「やっぱり、そうですか」
「るいも、そう思ったか」
「よくわかりませんのですけれど……」
「例えば、剣をとって向い合っているような場合、たがいに呼吸をはかって、今、打ち込むという瞬間があるだろう。その時をねらって、女の叫び声なんぞが聞えたら、そっちに気の動いた奴は必ず斬られている」
つまり、全神経を一つに集中させた瞬間をねらって、思いがけない声や音で、集中力を乱せば、
「相手を梯子の上からころげ落すなんざ、なんでもないと思うよ」
ほんの僅か、均衡が破れただけで、間違いなく勘左を墜落させることは出来ただろうと東吾は断言した。
「東吾様は、あの時、声をあげた女にお心当りがおありなのですか」
「そんなものはないよ」
笑いながらいった。
「俺は、声をあげたのが花世でなくてつくづくよかったと思っているんだ」
ああいう危険な見世物に、幼い子供を連れて行くのは考えものだといい、東吾はその話を打ち切った。
この年、江戸はとりわけ寒気がきびしかったのだが、立春を過ぎると俄《にわ》かに気温が上って、「かわせみ」の天水桶の水も毎朝、氷をぶち割らねばという日がなくなった。
その日、東吾は軍艦操練所の帰りに、花世の好物の串団子を買って、本所の麻生家へ寄った。
昨日、患家を見舞った帰りに、麻生|宗太郎《そうたろう》が「かわせみ」へ来て、
「久しく東吾さんがみえませんので、花世が寂しがっています。おいそがしいでしょうが、たまには顔をみせてくれるよう、おっしゃって下さい」
と、るいにことづけて行ったと聞いたからである。
麻生家へ行ってみると、花世は琴を前にして、母親の七重から、東吾も昔、聞いたことのある手ほどきの曲を習っていたが、入って来た東吾をみると、忽《たちま》ち、琴爪をかなぐり捨てて、
「とうたま、いらっしゃいませ」
と、とびついて来る。
「本当にこの子は、どなたかさんに似てしまったのでしょうか。女の子のくせに、お琴の稽古よりも剣術で、毎朝、父と木剣をふり廻して喜んでいるのですよ」
祖父の源右衛門が祖父馬鹿《じじばか》で、わざわざ花世のために、小さな木剣を注文し、祖父と孫娘が、威勢よく、小半刻もえいえいと叫んでいるのだと、七重は眉をしかめてみせる。
「何をいってやがる。そういうお前さんだって、子供の頃は俺と一緒になって竹刀《しない》をふり廻していたじゃないか。母親似だよ。どなたかさんのせいにされるんじゃかなわねえや」
幼馴染の気易さで、東吾も憎まれ口を叩いて、
「さあ、花坊、とうたまの前で一曲、弾いてみなさい。上手に出来たら、お土産をあげるから……」
七重に片目をつぶってみせた。花世は口をへの字に結んで黙っていたが、観念したらしく、
「おけいこをしますから、むこうへいっていてください」
という。つまり、今すぐ弾いたのでは、とても土産はもらえそうもないと悟ったらしい。
「いいとも、むこうでお父様と話をしているよ」
居間を出て、離れの診療所へ行った。
ちょうど患者はみな帰ったあとらしく、宗太郎は薬研《やげん》を碾いている。
「節分の日は、とんだことでしたね」
東吾の顔をみて、薬研の手を止めた。
「かわせみの面々も、すさまじい現場をみてしまったのでしょう」
「るいもお吉も慌《あわ》てて目をつぶったそうだから、落ちた姿はみていないらしい。あんなものをみたら、当分、飯が咽喉《のど》を通らなくなる」
「東吾さんが花世の目かくしをして下さったそうですね」
咄嗟《とつさ》に東吾は花世の顔を片手で被《おお》った。
そのあと、
「みてはならぬ」
といいきかせ、手拭で目かくしをして文吾兵衛に麻生家へ送らせた。
「しかし、あの子は勘がいいから、なにが起ったかわかっただろうな」
夜半に怯《おび》えて目をさますようなことはなかったかと訊いた東吾に、宗太郎が笑った。
「花世の神経は我々が考えるより、かなり太いようですよ」
そこへ、宗太郎の弟の宗二郎がやって来た。
「父が、薬をあちらへお届けするようにと申しますので……」
「出来ているよ」
棚の上を目で示した。
「尼さんの具合はどうだ」
「慶光院様は、もう峠を越えられました。一番、年とった尼さんがまだ熱が下りませんが、父上は心配ないとおっしゃっています」
「わたしも、明日、うかがってみるつもりだ」
「お願いします。父上が兄上の調合した薬をとても褒めていらっしゃいました。おかげで助かったと……」
「父上の最初のお手当が見事だったからだよ。風邪は特に最初が肝腎だ。薬が効力を現わすのは、その次の段階でね」
「では、これを頂いて参ります」
「ずっと、お前がついているのだろう。なにか困っていることはないか」
「別に……ただ、相手が尼さんですから、もう少しすると女の看護人が欲しくなるだろうと思います。しかし、そんな人は居りませんから……」
改めて東吾に挨拶をして、宗二郎は帰って行った。
「東吾さんは、伊勢の慶光院という尼寺を知っていますか」
薬研にとりつきながら、宗太郎が話した。
「大層、格式の高い寺で、院主は代々、慶光院を名乗り、門跡と同じ扱いを受け、紫衣《しい》を賜るそうですよ」
「その昔、三代様が見染めて還俗させ、御愛妾にした尼さんというのが、たしかそこの寺の院主さんじゃあないのか」
三代家光将軍の御愛妾、お万の方のことであった。
「そういうつまらないことはさておいて、いまの院主は昨年、慶光院の跡目相続をなさったそうで、そのお礼のために新春早々、将軍家へ御挨拶に江戸へ出て来たのですが、道中、たちの悪い風邪をひきましてね」
霊岸島にある慶光院専用の屋敷についた時には半死半生で、早速、宗太郎の父、将軍家の御典医である天野宗伯が呼ばれたという。
「父に応援を頼まれまして、行ってみたら、お供の尼さんもみんなひどい有様でした」
天野宗伯は本来、漢方、本草学だが、悴に蘭学の修業をさせたように、いわゆる西洋医学にも深い関心を持っている。
「成程、父子が力を合せて、尼さん達の看病をしたわけか」
いつものことながら、天野家は兄弟が仲がよく、父親を敬愛している。
いい気分で、花世のおぼつかない琴を聞き、暫《しばら》く相手をしてから麻生家を辞した。
本来なら、大川に沿って永代橋へ出るところを廻り道をして富岡八幡のほうへ足を向けたのは、帰りがけに七重から、申しわけありませんが、永代の元締に届けて頂けませんかと菓子包をことづかったからである。
菓子といっても、それは丹波栗を渋皮ごと柔かく煮ふくめたもので、麻生家が贔屓《ひいき》にしている日本橋の料理屋の特製であった。
文吾兵衛は、花世の縁で麻生家へ出入りをするようになったのだが、平素から悴の小文吾と共に若い者を伴ってやって来ては、薪割りなどの力仕事はもとより、庭の掃除や、宗太郎が栽培している薬草畑の手入れまで、まめまめしく手伝ってくれる。その上、麻生家のほうでいくらいっても、決して心づけを受け取ろうとしない。
で、七重が時折、珍しい食べ物などを用意して持たせてやるのだが、文吾兵衛が目を細くして喜んだのが、実は丹波栗の渋皮つきの煮ふくめだったのである。
「世の中に、こんな旨いものがあったとは知りませんでした」
と相好を崩したのをみて、七重はついでがあると、取りよせて文吾兵衛に渡してやるらしい。
「昨夜、父がその料理屋へ参りましてね。なにせ季節のものですから、もう、これが最後というのをわけてもらって参りましたの」
奉公人に届けさせてもよいのだが、というのを、東吾が、
「ついでだから、届けてやるよ」
とあずかったものである。
小名木川を高橋《たかばし》のところで渡って、霊厳寺の脇を通り、仙台堀のふちを早足で下りて行くと亀久橋へ出る。
文吾兵衛の家は亀久橋を渡って三十三間堂へ向う裏手にあった。
文吾兵衛は浅草へ出かけていて留守だったが、悴の小文吾がいて、
「親父がどれほど喜びますことか。若先生にお届け頂くなんぞ、罰が当ります」
押し頂いて神棚へ載せた。
大川端へ帰る東吾を、
「せめて、永代橋まで……」
見送らせてくれとついて来る。別に送ってもらわなくともよいと思ったが、東吾も小文吾に訊いてみようかと考えていることがあり、小文吾のほうも、どうやら、東吾に聞いてもらいたいことがありそうな様子である。
で、連れ立って永代寺門前まで来ると、富岡八幡の参道を入って行く若い女の姿が目に映った。
ちらとみた女の顔が思いつめていた。後姿になんともいえない悲しみがある。
「すまないが、寄り道するよ」
小文吾にささやいて、東吾は富岡八幡の境内へふみ込んだ。無論、小文吾もついて来る。この前、甘酒を飲んだ茶店のところまで来てみると、女は境内の奥を歩いて、柿の木の前に立った。
合掌するのかと思ったが、今日はただ、そこに立ちすくんでいるだけである。
「どうも、あの柿の木が気になるんだな」
東吾が一人言のようにいい、小文吾が、
「若先生は、あの娘を御存じで……」
と訊く。
「二度目なんだ。この前は節分の日、初乗りを見に行く前にここへ寄ったら、あの娘があそこで合掌していたんだ」
それこそ必死で祈っているように見えたので、あとから行ってみたら、柿の木があるばかりで、墓もなければ、祠《ほこら》もなかったという東吾に、小文吾が思い切ったように顔を上げた。
「実は、若先生に聞いて頂きたいと思ったのは、あの娘、お光のことでございます」
「知っているのか」
「あいつの死んだ兄とは幼友達で……」
「死んだ兄……」
「勇次といいました。父親は川並鳶で、ですが仲間の喧嘩を制《と》めに入って、間違って腹を刺されて死にました。母親のほうはお光を産んで間もなく病気であの世へ逝《い》っちまったそうでして、勇次とお光は祖母《ばあ》ちゃんに育てられたようなもんでして……」
「父親が死んで、暮しはどうしたんだ」
「その祖母ちゃんが、岩代屋へ通いで女中奉公して、まあ、なんとか……」
岩代屋と聞いて、東吾の目が光った。
「勇次は、なんで死んだんだ」
「へえ……」
小文吾が目を上げて、柿の木のほうをみた。
お光は、まだ木の下に突っ立っている。
「あの時、勇次は十一、俺は八ツでした。勇次って奴は名前の通り、勇ましくって、気のいい男で、体も年よりは大きくみえました。木場の川並人足の見習のような仕事をしていて、角乗りなんぞは実に器用にやってみせたもんです」
まだ子供といっていい年頃なのに、大人にまじって必死で働いて、いつか、お父つぁんのような川並鳶になるというのが、勇次の夢だったと小文吾は目をうるませた。
「川並の連中もいってました。あいつは親父以上の川並鳶になる。末がたのしみだって……」
そんな勇次を目の敵《かたき》にしていた奴がいたと小文吾が東吾を仰いだ。
「暴れん坊で、弱い者いじめの名人で、みんなの嫌われ者でした。一人っ子で我儘で、いつでも自分がお山の大将になっていないと気がすまない。金持の子ですから、こづかいはふんだんに持っている。金で子分みたいな仲間を作って、気に入らねえ子供は川へ突き落したり、袋叩きにする。情ねえ話ですが、小さい子供は、仕方がなくて、そいつのいいなりになってました」
それは十五年前の、ちょうど今頃の季節。
「あの柿の木の下でした。そいつがみんなに一人ずつ、柿の木へ登ってみろと命令したんです」
意気地なしめ、これくらいの木に登れねえのか、俺が尻を押してやらあ、とっとと登れ、登らねえとぶんなぐるぞ、と脅されて、子供達は木の幹へ足をかけた。
「そこへ、勇次が来たんです。柿の木は折れやすいから、決して登っちゃいけねえと、祖母《ばあ》ちゃんから聞いている。登るなら、他の木にしろと登りかけていた子供を抱き下しました」
「お山の大将は怒っただろう」
「鬼のような顔をして、今度は勇次を追いつめたんです」
いい年をして、祖母ちゃん、祖母ちゃんか、けっ、よくそれで川並鳶になろうなんぞといいやがる。これだけ大きな柿の木なんだ、ちっとやそっとで折れるわけはねえ。なんなら手前がためしてみろ、手前が登らねえなら、手前の妹に登らせるぞ。
「そいつは仲間に命じて、お光を抱き上げ、遮二無二、下の枝にしがみつかせたんです。勇次が、妹を放せといいました。俺が登るといって……」
「登ったのか」
「ええ、用心深く、少しずつ、枝につかまって上のほうに……そいつはもっと上だ、上へ行けと下からどなり続けました。どのくらい上まで登ったのか、下から見上げている俺達には途方もない空の上のようにみえた時、勇次のつかまっていた枝が折れたんです」
まっさかさまに地上に叩きつけられて、しかし、医者の家へ運ばれた時、勇次はまだ生きていたと小文吾は涙声になった。
「死んだのは、その夜でした」
「そいつ……岩代屋の勘左は、おとがめを受けなかったんだな」
「子供が木に登って落ちて死んだんじゃ、お上はなんとも思いません。勇次の祖母ちゃんだって、自分が岩代屋で働いているんです。訴えられるわけはありません」
小文吾が父の文吾兵衛に事のてんまつを話し、文吾兵衛が岩代屋へ口をきいて、いくらかの金を出させた。
「その金に町内の何人かが金を足してやって、小さな店を出させました」
子供相手に駄菓子や玩具を売る店で、なんとか、祖母と孫娘が食べていけるようにと配慮した。
「その祖母ちゃんが昨年の暮に、風邪をこじらせて、あっけなく死にました」
小文吾が、お光の姿を富岡八幡の柿の木の下でみかけるようになったのは、それからだといった。
「若先生もごらんになったように、あいつは柿の木に必死で祈っていました。あいつが、なにかをやらかすんじゃないかと、俺はうちの若い連中にもいって、そっとお光を見張らせていたんです。ですが……」
「わかった」
早口に東吾はいった。
「お光がこっちへ戻って来る。お前はかくれろ」
小文吾が茶店の内へ入り、東吾は外へ出た。
近づいて来たお光は明らかに泣き腫らした目をしていた。東吾の視線を避けるように参道のほうへ行きかけるのに、
「お前、柿の木に何を話していたんだ」
穏やかに東吾が声をかける。
ぎくりとお光の足が止った。東吾の顔を凝視する。
「柿の木は、お前になにかいったか」
お光が小さく身慄《みぶる》いした。
「お役人ですか」
探るように東吾にいい、次に投げやりな口調になった。
「いいんです。もう、終ったんですから……」
急に走り出した。裾を派手に蹴散らかすようにして永代門前町を抜けて行く。
「若先生……」
小文吾が茶店の奥から出て来ると、東吾は柿の木の下に立っていた。
「まず、首くくりをするとすれば、この枝かな」
東吾の頭の高さに、大きく横に伸びている枝を指す。
「お光が首くくりをやらかすとおっしゃるんで……」
「あいつは思いつめていたよ。兄さんの敵討《かたきうち》はしたが、その先、どうしていいかわからなくなったんだろう」
素人の娘が間接的とはいえ、人を殺したのだと東吾はいった。
「血迷って当り前だ」
「どうするんですか、若先生」
小文吾が悲痛な声で叫び、東吾が制した。
「慌てるな。首くくりは陽のある中《うち》には出来ない」
小文吾をうながして、東吾は長寿庵へ行った。二階へ上って、種物を注文し、小文吾にも食べさせながら、何事かを二人にささやく。
日が暮れて、東吾は一度、富岡八幡へ行った。
そして、
「あとは頼むぞ」
長助と小文吾にいい残して、まっしぐらに大川端の「かわせみ」へ帰った。
その夜更け、東吾は「かわせみ」の帳場にいた。
一杯の茶碗酒をなめるように飲みながら、しんと外の足音に耳をすましている。
くぐり戸が叩かれたのは子《ね》の刻(午前零時頃)を過ぎてである。
「若先生、小文吾でございます」
心得て、東吾はくぐり戸を開けた。
小文吾の息が闇の中に白い。
「来たか」
「参りました」
「枝は折れたんだな」
「へえ、まことに具合よく……」
「宗太郎の所へ運んだんだな」
「へえ、宗太郎先生は寝ないで待っていて下さいまして……」
「怪我は……」
「ほんの打身の程度で……ですが本人には骨が折れているかも知れないので、今夜は動かせないと、離れに泊めて下さいました。長助親分が不寝番をするそうで……」
「長助か」
東吾が少し笑った。
「長助なら心配ないな」
「宗太郎先生が、あとは万事心得ているから、まかせるようにと、若先生に御伝言で……」
「御苦労だった」
るいが運んで来た茶碗一杯の燗酒を、
「寒さしのぎに飲んで行け」
と渡されて、小文吾はいい飲みっぷりで腹におさめ、
「親父が待って居りますんで……」
丁寧に頭を下げて帰った。
居間へ戻ると、お吉が番茶を入れている。
「首っつりに来たんですか」
わくわくしたような顔で訊く。
「来たさ」
「大丈夫だったんでしょうね」
「当り前だ。俺があらかじめ、枝に切り込みを入れておいたんだ」
「でも、その枝じゃないところで……」
「長助と小文吾が張り込んでいたんだ。心配はないさ」
るいが笑った。
「宗太郎先生もお気の毒ですね。なにかというと、あなたのお手伝いで……」
「下手な医者にみせると厄介だからな。なに、医は仁術、人助けの片棒かつがされて喜んでるよ」
昨夜、富岡八幡からもう一度、本所の麻生家へ行って、すっかりわけを話し助力を求めておいた。
「あいつ、変なことを心配したんだ。俺が細工をした枝が、お光が紐をかけたとたんに折れたら、どうなるかなんぞといいやがって。細工はりゅうりゅう仕上げをごろうじろ、さ」
だが、その東吾も小文吾の知らせが来るまでは内心、気が気ではなかった。
「これから、どうなるんですか」
とお吉が訊き、
「まあ、宗太郎がまかせろというんだから、あいつに花を持たせてやろうよ」
東吾は太平楽をいって、さっさと夜具にもぐり込んだ。
もう二日で弥生《やよい》、という日に、麻生宗太郎が「かわせみ」へやって来た。
「まず、御報告します」
笑顔で話し出した。
「お光ですが、ちょうど、父が手が足りないというものですから、当人と相談しまして、お光自身が是非、お役に立ちたいと申しますので、少々、看護人の心がまえや仕事のあれこれを教えまして、霊岸島の慶光院様の屋敷へやりました」
流石《さすが》に、東吾があっけにとられた。
「大丈夫だったのか、そんな高貴の尼さんの所へなんぞやって……」
「どうしても、女の看護人が必要だったのですよ。相手は尼さんで、着がえを助けるのも、飯を養ってあげるのも、男では具合が悪いのです」
それに、お光は実によくやってくれたと宗太郎は嬉しそうに告げた。
「慶光院様はもとより、一番年かさの、少々気むずかしいお供の尼さんにも、すっかり気に入られましてね。朝から晩まで、お光、お光と、お光なしでは用が足りない有様でして……」
元気になった慶光院は三日前、無事に将軍家にお目通りをし、跡目相続の挨拶をすませ、さまざまの寄進の品を頂いて、明日、伊勢へ帰るという。
「そこでお光なのですが、慶光院様にお願いして、伊勢へのお供を許されたそうですよ」
最初のうちは普通の下女奉公だが、やがては当人の意志が変らないならば、出家して尼になり、慶光院様に仕え、修行をすることになるだろうという。
「小文吾とも相談したのですが、お光がのぞむのなら、それが一番、安心な身のふり方ではないかと小文吾も申しました。それで、お光は明日、慶光院様と江戸を発《た》ちます」
「驚いたなあ」
しかし、東吾もお光の決心に安心していた。
兄の敵討には違いないが、人を殺したお光の心の中には、地獄の業火が燃えている。その火を消してやるには、なによりの分別という気がする。
「よし、俺も品川まで見送りに行ってやろう」
「行って下さるのは、けっこうですが、小文吾のお株を取らないで下さい」
「なんだと……」
宗太郎が、この男らしく奥行きのある微笑を浮べた。
「小文吾は、お光が好きだったようですよ」
但し、と小さく、つけ加えた。
「お光は、小文吾の気持を知りません。小文吾も、それでよいと申しています」
それは、侠客《きようかく》の女房になって深川へとどまることが、決してお光のためにならないと承知している男の言葉でもあった。
宗太郎が帰って、東吾は縁側から空を眺めた。
西の空が鮮やかな朱色に染っている。
伊勢へ向って旅立つ女に、このきれいな夕焼はなによりのはなむけのような気がして、東吾はるいに声をかけた。
「おい、明日は上天気になりそうだぞ」
手文庫を開けて、お光へ持たせる餞別を包んでいたるいがいそいそと立って来た。
大川に射す西陽は、もう春のものである。
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犬張子《いぬはりこ》の謎《なぞ》
上野や墨堤、飛鳥山など、江戸の諸方で花のたよりが聞かれて、なんとなく心が浮き立つような一日、神林東吾は兄の代理で、浅草新鳥越の安盛寺へ出かけることになった。
神林兄弟の亡父の知人の法要に出席するためで、兄の話では巳《み》の刻(午前十時頃)までに参集するようにとのことであった。
で、思いついた。
「どうだ、お吉でもつれて、一足あとから来ないか。猿若町に青柳という料理屋がある。せんだって海軍の連中と飯を食ったが、けっこう旨かった。なんなら前もって声をかけておくから、そこで午飯《ひるめし》を食って、今戸の船宿で待ち合せて、帰りは大川から花見と洒落こもうじゃないか」
どっちみち、昼間は宿屋商売の暇な時間ではあるし、お吉は前から花見をしたがっていただろうと、東吾にいわれて、るいは喜んだ。
この節は女ばかりで誘い合せ、やれ芝居見物だ摘み草だと遊び歩くのが流行《はや》っているようだが、るいはどうもそうしたつき合いが苦手で、大抵、商売を理由に断っている。
とはいえ、たまには外へ出てみたいのも人情で、早速、お吉に声をかけると、本当でございますか、実は昨日、買い物のついでに、お稲荷さんへおまいりして、どうぞ今年はお花見が出来ますようにとお願いしたら、忽《たちま》ち、若先生がそんなふうにおっしゃるなんて、霊験あらたかとは、このことでございますねえ、と仰天している。
留守番はいつもの通り、老番頭の嘉助の役で、その嘉助が深川の長助に船の調達を頼んだ。
なにしろ、この季節、猫も杓子も花見船を仕立てて繰り出すから、大方の船宿は前もって頼んでおかないと船が出払ってしまう。
長助が「かわせみ」へやって来て、当日の段取りの打ち合せをしているのを、軍艦操練所から帰って来た東吾がみて、
「なんなら、長助親分も行かないか」
と誘い、長助はぼんのくぼに手をやりながら頭を下げた。
当日は朝のさわやかさの残っているうちに大川端を発ち、老練の船頭が水馴《みな》れ竿を取って悠々と大川を上る。
流石《さすが》にまだ花見船が出て来るには早く、大川を往来するのは、もっぱら商売船で、春光のきらめいている川面を、声をかけ合いながら、すれ違って行く。
今戸橋際の船宿に猪牙《ちよき》をあずけて、東吾はまっすぐ安盛寺に、るいの一行は浅草寺《せんそうじ》へおまいりと二つに分れた。
「まあ、うちの若先生、御紋服をお召しになったら、一段と男ぶりが上って、そこらへんの人がみんな、ふり返って見てますよ」
東吾を見送っていたお吉が嬉しそうにいい、るいは赤くなって慌《あわ》てて歩き出した。
長助と三人で、のんびり浅草寺へ参詣し、門前町の店をのぞいて少々の買い物をしてから、東吾に教えられた「青柳」へ行くと女主人が丁寧に出迎え、用意した小座敷へ通された。
「まあ、あのお内儀《かみ》さん、えらく色っぽいじゃありませんか。こんな所へ若先生、ちょいちょいお出かけになっているなんて、用心しなけりゃいけませんよ」
なぞと、お吉はけしかけるようにいったが、るいは相手にならなかった。
そんなわけありの店へ東吾が自分達を紹介する筈がないと思うし、夫婦になってからの歳月がるいに自信を持たせてもいた。
板前は八百善で修業して来たというだけあって、品のよい中にも江戸風で、これは長助やお吉の好みにも合ったらしく、なにを出されても旨い旨いと感心して食べている。
長助のために注文した酒を二、三杯つき合って、るいもほろ酔いの気分であった。
「青柳」で東吾のために花見の酒と肴を用意してもらい、時刻をみはからって店を出た。
今戸橋の船宿へ向う途中で、るいが足を止めたのは一軒の小店で、子供の手遊《てすさ》びの玩具を売っている。
のぞいてみると、店の奥が仕事場になっていて、頑丈そうな机の上には色とりどりの紙が並び、その横でまだ前髪の少年が竹を削っていた。
るいの目に入ったのは、店に並べてあった犬張子で、大きさもさまざまなら、形も少しずつ違うのは、細工人が型などを取らず、一つ一つ手作りにしているせいと思われた。犬の顔が素朴で、なんとも愛らしい。
一つを取り上げた時、少年が出て来た。
「いらっしゃいまし」
と挨拶した物腰に品があって,利発そうな目をしている。
買う気になって犬張子の品定めをしていて、るいは店の奥の棚の上に、一つだけ、ぽつんとおいてある犬張子が気に入った。
「それも、売り物ですか」
と訊《き》くと、少年は、はい、と答え、渡してくれた。店にあるのと変りはないが、持った感じと犬の表情がよくて、るいはそれを買った。
「包みましょうか」
というのを断って、小風呂敷を出し、袂《たもと》に抱えるようにした時、表で男の声がした。
「深川の長助親分じゃございませんか」
るいがふりむいてみると、猿若町の芝居小屋で働いている男だろう、小粋な身なりの老人が長助に挨拶している。店を出たるいを長助が、
「こちらは大川端のかわせみのお内儀さんで……」
とひき合せ、相手は、
「それじゃ、神林様の若先生の奥様で……」
と応じた。
「手前は猿若座の奥役をつとめる惣兵衛と申す者で、以前、若先生には大変に御厄介になったことがございます」
改めて、丁寧に挨拶をした。
なにしろ、神林東吾は、定廻《じようまわ》り同心の畝源三郎の手助けをして、さまざまの事件に顔を突込んでいるから、けっこうつき合いが広いのは、るいも承知している。それで適当に応対をしてから今戸橋の船宿へ行くと、東吾はたった今、着いたところで、船頭と立ち話をしていた。
「どうも、大変な人出らしいぞ」
入って来たるいをみて笑った。
「大川が芋を洗うようだとさ」
うららかな上天気であった。
今戸橋から仰ぐ青空には雲一つない。
「これじゃあ、花見船が押しかけるな」
船頭に声をかけられて、ぞろぞろと猪牙に乗り移った。
「どうだ、青柳の飯は旨かったか」
東吾に訊かれて、お吉が自分の頬をひっぱった。
「あんな御馳走を昼から頂いて、罰が当るんじゃないかと長助親分と話していたんです。若先生がお精進なのに、すみません」
その代り、お重をもらって来ましたと、風呂敷包をみせた。
「たしかに俺のほうは精進だったが、なかなか凝っていてね」
酒も吟味されていて、だいぶ盃を重ねたという東吾は、みたところ、まるで酔っていない。それにひきかえ、徳利二本で金時の火事見舞みたいないい色になってしまった長助はしきりに額を撫で廻して恐縮している。
向島の堤の桜は、五分咲きというところだった。
「満開よりも風情がありますね」
とお吉がいうように、花が生き生きとして薄紅色が鮮やかである。
堤の上の人出も多かったが、大川を埋め尽すほどの船が並んで、なかには芸者を乗せて飲めや唄えやと、花そっちのけで大さわぎをしているのもいる。
長助が名指しで呼んだというだけあって、東吾達の乗った船の老船頭は巧みに竿をあやつって他の船の間をすり抜け、一度、向島の上のほうまで漕ぎ上ってから、ゆっくりと下りて来た。
「なんて、きれいなんでしょう。皆さんがお花見に血道を上げるのが、よくわかりますね」
るいがしみじみいって、東吾は満足した。
花に堪能しての帰り道、お吉が重箱を開いて、東吾と長助に酒を勧めた。
「あっしはもう……」
と手を振っていた長助だったが、東吾の相手をして二、三杯が四、五杯になる。
大川端へ着いた時には、船尾に横になって高鼾《たかいびき》で、
「起こすなよ。このまま、深川へ送ってくれ」
船頭に余分の祝儀をやって、東吾は女二人と「かわせみ」へ帰った。
居間に落ちついてから、るいが小風呂敷から犬張子を取り出し、東吾にみせた。
「犬張子ってのは魔除けになるそうだから、神棚にでも上げておけよ。どうせ、その中《うち》、花坊が目をつけて、かっさらって行くだろうが……」
東吾が花坊といったのは、本所の麻生家、東吾にとっては兄嫁の実家で当主の麻生宗太郎の娘の花世のことで、始終「かわせみ」へ遊びに来ては、るいに人形の着物などを縫ってもらっている。
実をいうと、犬張子を買ったるいの気持の中には、花世の手遊びにしてもよいというあてがあったのである。
その夕方、東吾とるいが、ぼつぼつ晩餉《ばんげ》の膳を囲もうかという時分に、番頭の嘉助が、
「新鳥越から文治郎さんと申されるお方がみえまして、犬張子のことでお願いしたいことがあるとおっしゃって居りますが……」
と取り次いで来た。
るいが帳場に出てみると、五十なかばだろう、実直そうな職人といった様子の男が恐縮そうに立っている。るいに対して、上りかまちに手を突いて深く頭を下げた。
「突然にお邪魔致し、不躾《ぶしつけ》なことをお訊ね申すようでございますが、こちら様は本日、手前どもで犬張子をお求め下さいましたでしょうか」
遠慮そうにいわれて、るいは手にして来た犬張子を示した。
「これでございましょうか」
文治郎は明らかに、ほっとしたようであった。
「まことに申しかねますが、この犬張子は、或るお方からの注文で作りましたもの、孫がそれを知らず、こちら様にお売りしてしまいました。手前は用事から戻って、それに気づき、いろいろと孫に訊ねました所、猿若座の惣兵衛さんと御昵懇《ごじつこん》のように、おみうけしたと申します。それで、惣兵衛さんにお聞き致しまして、漸《ようや》く、こちら様を教えてもらいまして……」
遠慮そうにいうのを聞いて、るいは微笑した。
「それはかえってお手数をおかけしてしまいました。これは、そちらへお返し致しますので、代りの犬張子を頂戴出来ましょうか」
「ありがとう存じます。お腹立ちでございましょうのに、そのようにおっしゃって下さいまして、なんとお礼を申し上げてよいか……」
背にしょって来た風呂敷包を開き、小|葛籠《つづら》の中から沢山の犬張子を床の上に並べた。
「この中に、お気に召しますものがございましょうか」
るいは丁寧に、それらを眺めた。
「お宅のは、どれも愛らしくて迷ってしまいますけれど……」
一つを取り上げた。
「これを頂きます」
「おそれ入ります。ついてはお詫びのしるしに……」
もう一つの犬張子を取った。
「本来、犬張子は一対のものだったと聞いて居ります。不出来ではございますが、これもお納め下さればありがたいことでございます」
遠慮するるいの手に二つの犬張子を押しつけるようにして、何度もお辞儀をし、早々に「かわせみ」を出て行った。
居間へ戻って東吾にその話をすると、手酌で飲んでいた盃をおいて、犬張子を取り上げた。
「俺は、こういうもののことはわからないが、さっき、るいが持って行ったのと、これと、どこが違うんだ」
るいも首をかしげた。
「私にもわかりませんが……」
手作りの品だから、一つ一つが微妙に違うだろうが、さりとてどこが違うというほどの差はない。
「るいがみても、わからないのか」
「ええ」
「おかしいな」
じっくり眺めて買って来たるいに区別のつかない程度なら、
「注文主に、別のを持って行ってもわからないだろう」
「どこかに、なにか特別の細工があったのかも知れません」
とはいったものの、これが人形なら着物の柄だの、帯の色なぞに好みがあろうが、犬張子のどこにどんな注文が出来るのか、るいにも見当がつかなかった。
「悪いことをしてしまいました。新鳥越からわざわざ来てもらって、その上、一つ、余分に頂いて……」
一対の犬張子を改めて神棚へ載せた。
桜の盛りは短くて、その月のなかば、
「あっけないもんでございますね。今日、御用の筋で、あの近くまで参ったんですが、吹き散らされた花片も残っちゃあ居りませんでした」
長助が「かわせみ」の暖簾《のれん》をくぐりながら報告した。
だが、長助が来たのは、そんな花だよりではなかった。
「昨夜、本所の御竹蔵の近くで人殺しがありまして……」
吾妻橋から両国橋までの本所の大川沿いの道に御蔵橋という小さな橋が架っている。
ちょうど松前伊豆守の上屋敷と、松平|伯耆守《ほうきのかみ》の下屋敷の境に大川から御竹蔵へ向けて短い掘割がある。御蔵橋はその掘割の上に架っているのだが、
「今朝、橋の下の水に人が浮んでいるのを近所の者がみつけて番屋へ届けました」
本所深川は長助の縄張り内なので、知らせが来てとんで行くと死体はひき上げられたばかりで、
「肩先から袈裟《けさ》がけに斬られて居りました」
という。
最初は身許がわからなかったのだが、そのうちに川向うから知らせが来て、新鳥越に住む文治郎という玩具職人が昨夜出かけたきり帰って来ず、娘のおさきから番屋へ訴えが出ているのがわかった。
「呼んで死体を見せますと、父親の文治郎に相違ねえということでして……」
聞いていた嘉助が慌てた。
「ひょっとすると、この前、ここへ来た人かも知れない。お嬢さんを呼んで来なさい」
お吉が走っていって、るいも帳場へ来た。
「まあ、どうして、あのお人が……」
新鳥越の玩具職人で文治郎といえば間違いなく犬張子を取り替えに来た老人だし、長助のいう人相も一致している。
長助がおさきに聞いたところによると、文治郎が出かけたのは昨夜の五ツ(午後八時)すぎで、それまで、さんざん考えていて、
「やっぱり、若先生におすがりしてみよう」
といい、慌てて出て行ったという。
「若先生って……うちの若先生のことですか」
お吉が素頓狂な声を上げ、長助がうなずいた。
「これも、おさきの申したことなんですが、文治郎は二、三日前から、猿若座の惣兵衛を訪ねて、しきりに若先生について訊いていたそうなんで……惣兵衛がいうには、文治郎が訊いたのは、若先生のお人柄ってんですか、まあ、なんといいますか、信用して大丈夫かというようなことでして、惣兵衛はあのお方なら間違いはないと太鼓判を押したっていいます」
すると、文治郎はなにか東吾に相談したいことがあって「かわせみ」へ向ったことになるのだが、浅草から大川端へ来るのに、なんで川向うの本所側で殺されていたのかが不思議であった。
「そこんところは、あっしにはわかりませんが、第一、文治郎はろくに金も持っちゃあ居りません。家を出る時、持って出たのは犬張子が一つで、そんな年寄を辻斬りが襲うものかどうか」
本所の御竹蔵のあたりは武家屋敷ばかりで、夜はあまり人通りもなく寂しいところである。
「蔵前を通って来る分には、町屋続きで五ツごろなら店を開いているところも少くはございません」
わざわざ遠廻りをして物騒な道を歩いた理由がどうにも判断出来ないと長助は首をひねっている。
「その、文治郎さんが持って出た犬張子はどうなったんです」
と訊いたのはるいである。
「盗まれたのですか」
「いえ、御蔵橋の袂に落ちて居りました。畝の旦那にお渡ししてありますが、まっ二つに斬られて居りまして……」
「犬張子が斬られて……」
内側が空洞になっているのかと、るいは思ったが、
「芯まで紙でして……」
固く巻いた紙を芯にして、その上に何枚も紙を貼り重ねて犬張子の型にしてあった、と長助が答えた。
「なかになにかかくせるってものではございません」
と、長助も、るいと同じことを考えたらしく、がっかりしている。
「ともかくも、そういうわけでございますので、どうか、若先生がお帰りになりましたら、よろしく……」
あたふたと長助はとび出して行った。
「なんてえことでございましょうねえ、あの律儀そうな職人が……」
嘉助が憮然とし、るいは居間へ戻って神棚から一対の犬張子を下して暫《しばら》く眺めた。
こんな愛らしい玩具を作った人が危難に遭うとは信じられない気がする。
早く帰って来てもらいたいと思う時に、東吾の帰りは遅くて、るいは何度も居間と帳場を行ったり来たりした。そのあげく、顔見知りの畝源三郎の若党がやって来て、
「若先生は、うちの旦那と浅草へお出かけになりましたので、何分よろしくとのことで……」
と知らせに来た。
すでに、時刻は五ツを過ぎている。
るいは一人で、お吉の運んで来た膳に向い、しょんぼりと箸を取った。
その頃、東吾は畝源三郎と蔵前を歩いていた。
浅草御米蔵は闇の中に各々の棟が肩を並べるようにして一番蔵から八番蔵まで大屋根が聳《そび》えている。
その反対側の御蔵前片町、森田町、元鳥越町などは、店の大戸を下している所が多いが、ところどころに小料理屋や縄暖簾が客を集めて居り、春の夜はかなり賑っていた。
「文治郎は、何故、この道を行かなかったのかと思うのですが……」
浅草から猿若町を抜け、花川戸、材木町、諏訪町、黒船町とたどって来ると蔵前であった。柳橋を渡って日本橋を行く分には、この時刻、まだ人通りもあるし、辻々に番屋も多い。
「人目につきたくなかったのか……それとも……通りたくない道を避けたのか」
東吾がいい、源三郎が、
「通りたくないとは、なんですか」
と訊いた。
「例えば、源さんの屋敷の前は通りたくないよ。通ったとたんにとっつかまって浅草くんだりまで歩かされる」
東吾が笑った時、むこうから三人ばかり、商家の奉公人にしては少しばかり面がまえの荒っぽいのが、黒船町の店のくぐり戸から入って行った。
「今の店は、なんだ」
と東吾。
「菱垣《ひがき》屋ですが、分家のほうですよ」
「あそこも菱垣屋か」
東吾が意外な顔をした。
菱垣屋というのは、もともと堺の商人で、菱垣廻船で財を成したものであった。
江戸や大坂の定期航路を独占していた時期が長く、その後、米商人に転じ、幕府御用を承って、長崎貿易に乗り出した。清国と朝鮮を相手に取引を続けて来たのが、最近はオランダやイギリス、フランスも相手にしている。
本店は江戸の品川にあり、その他、大坂と長崎に出店があるのは東吾も知っていた。
「本家の当主の助左衛門は最近、病死したそうですが、分家は助左衛門の弟の次左衛門が主人で、こちらはもっぱら清国との交易を分担していると聞いています」
「これからは、イギリスだのフランスだのってほうが、旨味があるんだろうな」
軍艦一隻の購入代だけでも莫大なもので、幕府の御用商人ともなると、当然、その間に入って巨利を得ることになる。
「本家も心得ていて、そっちは分家に渡さないそうですよ」
黒船町から諏訪町、花川戸とたどって新鳥越に入ったところで、このあたりの岡っ引で桶屋の助七というのに出会った。
「どうしたんだ。今夜は文治郎のところの通夜ではなかったのか」
源三郎が日頃の彼らしくない強い口調でいい、助七が首をすくめるようにした。
「へえ、その筈だったんですが、おさきさんの亭主が、昨夜、親父の行方がわからず、まんじりともしないで夜があけてしまったので、家族はみんなくたびれ切っている。明日の野辺送りのこともあるので、今夜は、もう引き取ってもらいてえというもんですから……」
「みんな引き上げたのか」
「へい」
「文治郎の家に残っている者は……」
「家族だけで……おさきさんと亭主の藤三郎、悴《せがれ》の徳太郎……」
「見張りも残していないのだな」
「あっしが暫く外にいたんですが、灯りも消えてしまいましたんで……」
「文治郎の家から外へ出た者は……」
「藤三郎が番屋へ来て、厄介をかけたので、お清めにと、酒を届けて帰ったぐらいのものですが……」
何故、定廻りの旦那が次々と訊くのか、助七は見当がつかないらしい。
「東吾さん、行きましょう。どうも気になります」
源三郎が殆んど走るような速さで文治郎の家へ向い、東吾と助七が続いた。
文治郎の家の表戸は閉っていて、家の中は暗い。
だが、源三郎が戸に手をかけてみると、すぐに開いた。
「おさきさん……寝たのかね」
心得て、助七が声をかけたが、家の中から応答はなかった。
東吾が手にしていた提灯を店の中へ突き出す。あっと声が上ったのは、店のすぐ奥の部屋におさきが倒れていたからで、源三郎がすばやく店の行燈《あんどん》に灯をつけた。
「おい、しっかりしろ」
肩に手をかけるとおさきの体はそのはずみに仰むけになった。首に細い紐がきりきりと巻きついている。目をむき、食いしばった歯の間から血が流れていた。
すでに呼吸は止っていた。
「こりゃあ、ひどいな」
東吾があたりを見廻した。部屋中が大風が吹いたように荒らされていた。手箱がひっくり返され、箪笥《たんす》のひき出しから洗いざらい、ものが畳にぶちまけられている。
「なにかを、探したようだな」
「悴と亭主は、どこへ行ったんだ」
助七が名を呼びながら裏口まで行ったが、誰もいない。
おさきの殺されていた部屋の隣には、文治郎の死体が布団に横たえられていて、その前に少々の供え物があったが、これは別段、手を触れた様子がなく、同じ部屋に通夜に来た連中が飲み食いした茶碗や鉢などもそのままになっている。
とすると、兇行があったのは、通夜の客が帰って間もなくということになりそうであった。
ことり、と音がして、三人がいっせいにふりむいた。
表の入口から中年の男が臆病そうにこっちをのぞいている。
「藤三郎さん」
と助七が叫んだ。
「お前さん、いったい、どこへ……」
「うちに、なにかあったんでしょうか」
というのが藤三郎の返事で、
「なにがあったもへちまもねえ。おさきさんが殺されたぜ」
助七にいわれて、へなへなと腰を落した。
東吾が藤三郎の前へ立ち、助七が訊いたのと同じ質問をくり返した。
「どこへ行っていたんだ」
「お寺です。おさきが明日の野辺送りの段取りを和尚さんと相談してくるようにいいますんで……」
「どこの寺だ」
「橋場の……福寿院で……」
「住職には会ったのか」
「いえ、行ってみたら、まっ暗で……戸を叩いても返事がないので、そのまま、帰って来ました」
源三郎が指図をし、医者や、町役人《ちようやくにん》がかけつけて来た。
おさきの死因は首を強く絞められたもので、死んでから半刻は経っているだろうとのことである。
「そうしますと、手前が出かけてから押込みが入ったので……」
藤三郎がおずおずといい、東吾が、
「悴の徳太郎はどうしたのだ」
と訊いた。
「知りません。おさきと留守番をしていた筈ですが……」
まさか徳太郎がおさきを殺したのではといい出して、源三郎がきびしい調子でいった。
「徳太郎が母親を殺す理由でもあるのか」
「そんな筈はありません」
と応じたのは、町役人で、
「徳太郎は母親思い、祖父《じい》さん思いの孝行者でございます。あの子が、なんで、母親を殺すものですか」
藤三郎を睨《にら》みつけた。
「あんた、仮にも父親の分際で、よく、まあ、そんな馬鹿なことがいえたものだ」
どなりつけられて、藤三郎は黙り込んだ。
源三郎が町役人と助七にてきぱきと指示を与えている間に、東吾は医者に訊いた。
「藤三郎というのは、徳太郎の本当の父親ではなさそうだな」
「左様で……」
「本当の父親はどうした」
「歿《なくな》ったと聞いて居ります」
どこの誰かは知らないといった。
町役人の返事も同じようなもので、
「文治郎さんも、おさきさんも、徳太郎の父親のことになりますと、まるで口をききませんので……」
藤三郎が入り聟《むこ》に来たのは、徳太郎の赤ん坊の頃で、
「もともと、文治郎さんの所の細工物を習いに来ていた弟子ですが、あまり職人には向いていないようでして……」
文治郎やおさきの作ったものを行商のように、神社や寺の境内へ行って売る毎日だったといった。
東吾と源三郎が新鳥越を出たのは、四ツ(午後十時)すぎ、空には下弦の月が出ていた。
「しくじりました」
今戸から大川を猪牙で下りながら、源三郎が唇を噛んだ。
「敵が動くだろうとは予想していたのです。しかし、今夜は通夜で文治郎の家には近所の者が集って夜明しをする。まさか、そこで何かをするのは不可能だと考えたのがあやまりでした」
桶屋の助七は、長助のような老練の岡っ引ではないから、源三郎の腹の中が読めなかったので、
「もう少し、念入りの手配を命じるべきでした」
と後悔している。
「源さんが敵というのは、文治郎を殺した奴のことか」
夜の川をみつめていた東吾がいった。
「今のところ、漠然とですが、一応、そのつもりです」
と源三郎。
「文治郎は昨夜、俺のところへ来る気になって家を出た。どういう理由かは不明だが、吾妻橋を渡って本所を抜けようとした。敵は文治郎を待ち受けていて殺した」
どうして敵は文治郎がその時刻、大川端の「かわせみ」へ向ったのを知ったのだろうと東吾はいった。
「それは、敵に通報する者があったからでしょう」
「誰だ」
「東吾さんは気がついているじゃありませんか」
娘のおさきの話では、文治郎はさんざん迷ったあげく、思い切って家を出たという。
「とすれば、そのことを知っているのは家族です」
おさきではなく、また、孫の徳太郎とも思えない、と源三郎はいった。
「あの家で、一人、家族であって家族でないようなのは……」
「藤三郎だな。おさきを殺したのは……」
東吾が飛躍した。
「殺したのは、番屋へ酒を届けに行ってからだろう」
家の周囲に張り込みのないのを確かめて、おさきを手にかけた。
「しかし、文治郎を殺したのは藤三郎じゃない」
「袈裟がけですからね。あれは侍か、剣術を心得たものです」
それにしても徳太郎はどこへ行ったのかと源三郎は眉を曇らせた。
「敵が拉致《らち》したのでなければよいのですが」
「俺は違うような気がするよ」
藤三郎はおさきを殺したあと、家中をひっくり返して探し物をした。
「おそらく、敵に命ぜられたのだろう。文治郎の出かけるのを敵に知らせたのも、おさきを殺したのも、みんな、敵の指示だ」
その探し物の最中に、源三郎達がかけつけて来た。
「裏から抜け出して、適当に寺へ行って来たような顔をして表から入って来た」
今夜の仕事はすべて藤三郎の一人芝居とすると、敵が徳太郎を拉致するところがない。
「では、徳太郎は、どこです」
「おさきが殺される時、徳太郎がそこにいたら、母親を守って藤三郎と戦うだろう。近所に救いを求めることも出来る。藤三郎が不意をねらって襲いかかったのなら、徳太郎も殺されている。そう考えると、徳太郎は母親が殺される以前に、あの家を出た」
「藤三郎が番屋へ酒を届けた留守ですな」
「おさきが危険を感じて悴を逃がしたのだろう。徳太郎は母親が殺されるとは知らず、家を出た。ひょっとすると藤三郎はおさきを殺したあと、徳太郎がいないのに気がついて探しに行っていたのかも知れない」
「東吾さんは、徳太郎がどこへ行ったか、あてがあるみたいですね」
「俺の勘が当ればの話さ」
ふと、東吾は不安を感じた。
「俺が考えることは、敵も考えるか」
急いでくれ、と船頭に声をかけた。
豊海《とよみ》橋がみえる。
船頭が船を着けるより早く陸にとび上った東吾の耳に、刀のぶつかり合う音と男達の叫び声が聞えた。
足が地を蹴る。
「かわせみ」の店の前は白刃をかまえた男たちが遠巻きにしていた。
そして大戸を背にして十手をかまえた長助と、白鉢巻に白襷《しろだすき》の文吾兵衛、小文吾の父子が率いた命知らずの子分が三、四人、決死の面持ちで、敵と向い合っている。
東吾がどなった。
「おい、俺が帰ったぞ」
「若先生……」
文吾兵衛の落ちついた返事が戻って来た。
「御案じなく。こんな奴ら、一歩もかわせみには入れませんぜ」
わあっと声を上げて敵の一人が斬りかかって行った。小文吾の刀が相手の白刃を叩き返す。
「御用だ、神妙にせい」
源三郎が十手で一人をなぐりつけ、東吾も亦、向って来た浪人らしいのの一撃をかわしざまに、その右手を斬りとばしていた。
「逃がすんじゃねえぞ。一人も逃がすな」
文吾兵衛の下知がとんで、永代の元締一家は威勢よく敵の足をすくい、ひっくり返るのを片はしから縛り上げる。
その中に、長助の下っ引が知らせに行ったらしく、八丁堀の組屋敷からも人が来る。
捕えた相手は十一人、半数が負傷している。
「いったい、こいつら、なんなんです」
長助が訊き、東吾が笑った。
「そいつは、これから源さんが調べるさ」
それにしても、よくここへ来ていたな、と東吾がいい、長助が「かわせみ」をふりむいた。
「徳太郎って子が、あっしの店に来たんです。大川端のかわせみを教えてくれってんで」
長寿庵には、たまたま文吾兵衛と小文吾が子分をつれて、蕎麦を食いに来ていた。
「出入り先のお大名のお国入りが決りまして、供揃えの御相談にうかがいまして……」
帰りに小腹が減ったので蕎麦でもと入り込んでいたという。
「長助親分の話では、徳太郎という子は、殺されなすった文治郎という人の孫だという。それに、若先生は今夜、畝の旦那と御一緒に浅草へお出かけだときいたんで、まあ、虫の知らせっていいますか、なんとなく大川端へついて来たんですが……」
帳場で嘉助と話していると、外にいた子分が、妙な連中がこっちへ来ると知らせて来た。
「外へ出ますと、今の連中が、徳太郎が来ただろう、渡せってんで、名乗りもしなけりゃ、理由もいわねえ。冗談じゃねえってんで、まあ、お城を守る城兵ってとこでございますかね」
文吾兵衛は気持よさそうに笑っている。
縛られた十一人は御番所へ曳かれて行き、東吾は内へ入った。
帳場には嘉助とお吉、それにるいが少年をしっかり抱きかかえるようにしてこっちを向いている。
「元締もこっちへ入ってくれ。気つけに一杯やるといい」
東吾が文吾兵衛一家を帳場へ入れ、お吉が女中を指図して、酒だの、とりあえずあり合せの肴を運ぶ。
東吾は徳太郎を連れて、居間へ行った。
「かわいそうだが……おっ母さんは死んだぞ」
向い合って、つらそうにいった東吾に、徳太郎は絶句して棒立ちになった。
「お前、おっ母さんにいわれて、ここへ来たのか」
るいが、小さな紙片をさし出した。
開いてみると、
どうぞ徳太郎をお助け下さい 母
と書いてある。
「お前が家を出たのは、藤三郎が酒を持って番屋へ行ったあとだな」
徳太郎が涙で一杯になった目を、そのまま東吾へ向けてうなずいた。
「どの道を通って深川の長助のところへ行ったんだ」
泣き声になるまいとして、徳太郎は低い、ぶっきら棒な調子でいった。
「浅草田圃を抜けて……上野のお山の脇を通って……両国橋を渡って……」
「おっ母さんが、その道を教えたのか」
たまりかねたように徳太郎が泣き出した。
「随分、遠廻りをして深川へ行ったんですねえ」
東吾のために酒を運んで来たお吉が仰天した。
「その道が、この子を救ったんだ。敵は本所側と御蔵前側を探したが、まさか、上野を廻って行くとは気がつかなかったんだ」
泣いている少年の肩に手をかけた。
「悲しいだろうが、大事なことだ。返事をしてくれ。お前は自分の父親が誰なのか、おっ母さんに聞いたことはあるか」
徳太郎が首をふった。
「では、おっ母さんは昔、どこかに奉公していたという話をしたことはなかったか」
再び、力なく少年はかぶりをふったが、はっとしたように顔を上げた。
「おじいさんが……前に手習をしていたら、難しい字を教えてくれて、お前にとって、大事な字だから、忘れてはいけないよと……」
東吾が机の上の紙を取った。硯《すずり》に水をさし、墨をすりながら訊いた。
「その字を、書けるか」
「はい」
筆を渡されて、徳太郎は真剣な表情になった。丁寧に半紙に線を書いて行く。
「菱垣……か」
畝源三郎の取調べで、「かわせみ」を襲って徳太郎を連れ出そうとした男達は、どうやら、蔵前、黒船町の菱垣屋の分家へ出入りしている連中とわかったが、どういうわけか、口が固くて、誰に頼まれたか、なんのためなのかという点になると押し黙って答えない。
「依頼人は分家の主人、菱垣屋次左衛門と見当はついているのですよ」
奉行所の調べによると、菱垣屋の助左衛門、次左衛門の兄弟は、助左衛門の生前から仲が悪く、殊《こと》に、助左衛門の一人息子で市太郎というのが昨年、病死してから、次左衛門が自分の二人いる悴の中、下の広之助を、本家の跡継ぎにといい出して、助左衛門が拒絶し、いよいよ犬猿の仲になった。
「その一方で、菱垣屋の番頭の話によると、助左衛門はしきりに誰かを探している様子だったが、つい先月、出先で気分が悪くなり、家へ帰って来て間もなく息を引き取ったというのです。医者は卒中と診立《みた》てています」
要するに、菱垣屋本家は今のところ、跡継ぎがない状態であった。
「一方の文治郎の娘のおさきですが、これは幼女の時に母親が歿って、文治郎の妹で大森のほうへ嫁入りしたのが引き取って育てたというのです。それが、突然、十八の時にその叔母さんが死んだといって新鳥越へ戻って来た。それはいいとして、背中に生まれて間もないような赤ん坊をしょっている。文治郎は娘が一度、嫁入りしたが亭主に死なれ、赤ん坊をつれて帰って来たと話していたようですが、その亭主がどこの誰かは聞いた者がいません」
文治郎が孫の徳太郎に「菱垣」という文字を教えたことから考えると、おさきが品川の菱垣屋本家へ奉公に上っていて、主人の助左衛門の手がついて産んだ子が徳太郎だとすると、分家の次左衛門が出入りの無法者を使って文治郎を殺し、おさきを殺し、徳太郎も闇に葬ろうとしたことと平仄《ひようそく》が合うのだが、
「証拠がなんにもないのです」
人をやって大森の、おさきの叔母というのの消息を調べさせているが、その叔母は死んだにしても、家族や近所の者から、おさきの奉公先の名が出たとしても、
「そのことと、徳太郎が菱垣という字を習っていたというだけでは、どうにもなりません」
と源三郎は頭を抱えている。
「おさきは、なにか、助左衛門から自分の子だというような書き物をもらっていないのかな」
あれだけの大商人が我が子の将来に対して、なんの配慮もしていないとは思えないといって、東吾は気がついた。
「文治郎が俺のところへ来る時、持って出たのは犬張子か……」
その犬張子は二つに斬って路上に捨ててあった。
「敵が、あの中から何かみつけたとは思えないな」
何故ならば、その後、藤三郎に命じて文治郎の家の中を探させている。
「犬張子は、これですがね」
源三郎が出してみせた。
胴体が刃物ですっぱり切られている。
犬張子の体の中は幾重にも紙を巻いて作られていて、空洞なぞはない。
十一人と藤三郎は牢に入ったまま、度重なるお調べにも頑強に口を割らず、日が過ぎた。
奉行所の中には、責め道具を使って白状させろという声もあるようだが、源三郎は根気よく、彼らが喋《しやべ》る気になるのを待っている様子であった。
三月の末に大嵐が西からやって来た。
江戸でも屋根がとばされたり、看板が落ちたりという被害があったのだが、その嵐で海が荒れて、船の難破が伝えられた中に、菱垣屋分家の持船があり、しかも、それに分家の次左衛門が乗って居り、船子全員と共に海の藻屑になったことが報じられた。
奉行所が驚いたのは、それを聞いたとたんに十一人が、なにもかも白状したもので、それまで責め殺されても黙り通そうとしたのは、彼らの女房子や親を次左衛門が人質にとっていたせいで、喋らなければ必ず金の力で助け出してやる。もし喋れば家族の命はないと脅されていたせいだとわかった。
その結果、やはり、徳太郎は助左衛門の子で、助左衛門が探しているのを知った次左衛門が先に徳太郎の所在を突きとめ、殺害しようとしたことも明らかにされた。
「面白いといってはいけないのですが、どうして、次左衛門がおさき母子をみつけたかといいますとね。次左衛門は、おさきが本家に奉公している頃に見染めたんですな。くどいたが、おさきははねつけた。よくよく調べたら、兄の助左衛門といい仲だと気がついて、まあ、手を引いたのですな」
長い歳月が過ぎて、次左衛門は浅草の観音様の境内でおさきをみた。尾《つ》けて行って、新鳥越の家を知り、徳太郎の存在もわかったということらしい。
「藤三郎が、べらべら喋ったのですよ。あいつはその時分から、次左衛門に手なずけられて、なんでも御注進に及んでいたそうです」
文治郎は菱垣屋本家の跡継ぎが絶えたことを知り、徳太郎を世に出すかどうか考え抜いたのだろうと源三郎はいった。
「おそらく、なんらかの証拠を持っていたのです。それを、東吾さんにみせて、力になってもらおうと思ったんでしょうが……」
その証拠なるものは、まだみつからない。
徳太郎は祖父と母の野辺送りをすませ、暫くは「かわせみ」にいたが、藤三郎や十一人が処刑されたあと、新鳥越へ戻って、細工物をはじめたという。
「文治郎から習っていたそうですが、それがなかなかいい腕で、少しずつ売れ出しているとのことです」
そんな話をして源三郎が帰ってから、るいがあっと声を上げた。
それは源三郎が、もう不要なのでとおいて行った犬張子である。
二つに割れているのを、一つにしようと、木綿針の先で入念に糊を割れ目につけていたるいが、木綿針の先にひっかかったものをひっぱり出した。
それは犬張子の頭の部分の内側に巻きつけてあったこよりであった。
「あなた、こんなものが……」
るいから渡されたこよりを東吾が少しずつ広げた。
それは一通の文を細く裂いてこよりにしたものであった。
細長い紙片をつなげて行くと、そこに書かれていたのは助左衛門のおさきにあてた手紙で、徳太郎が自分の子であること、もし、菱垣屋本家の相続人が絶えた時は、必ず、この文を持って名乗り出て、家を継ぐことなど、こと細かに記して、印形までおしてある。
東吾とるいは、暫く、その千切れ千切れの文をみつめて胸を熱くした。
職人気質の祖父が、孫の将来を思い、自らの手で犬張子の頭の中に文を封じ込めた本心は、なんだったのか。
可愛がって育てた孫を大商人の跡取りにしたかったのか、それとも、幼い日から手を取って教えた細工を生きる支えにせよと念じていたのか。
源三郎に知らさねばと思い、東吾は立ち上って大小を腰にさした。
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鯉魚《りぎよ》の仇討《あだうち》
うらうらと光のどかな春らしい午後に、八丁堀の組屋敷から、畝源三郎の妻女のお千絵《ちえ》が大川端の「かわせみ」へやって来た。
とりとめもない女同士の世間話の末に、お千絵が話し出したのは、近く柳橋の中村楼で催される書画会のことであった。
書画会とは、文士や書家、画家などの揮毫《きごう》即売会とでもいうようなもので、当日の会場にはあらかじめ用意された作品も多く展示されるし、その一方で客の求めに応じて、扇面や画箋紙、唐紙などに書や画を即席にしたためる。
大体が人の外出しやすい陽気のいい季節に開かれるのだが、早くから案内状や広告などをくばって支度をし、前景気をあおり立てるものであった。
「それが、このたびのは遊魚斎楽水先生の会なのですよ」
お千絵の言葉に、あら、ま、と声を上げたのは茶うけの草餅を運んで来た女中頭のお吉で、
「それじゃ、あの、鯉を描いたら日本一と評判の先生ですか」
と膝をのり出した。
るいは全く知らなかったが、遊魚斎楽水というのは近頃、大層な評判になっている絵師で、かなり風変りな人柄でもあるという。
「絵師というからには、なんでも描くものなのでしょうけれども、その先生は、鯉しかお描きにならないんです。その鯉が千変万化っていうのでしょうか、一枚一枚、微妙に違っていて、まるで生きているようなのですよ」
お千絵の実家は蔵前の札差だが、その縁で同じ札差仲間の家で買い求めた一幅をみせてもらったが、
「今にも水面を叩いて躍り上りそうなのですもの。あんな鯉魚の絵は、みたことがありません」
と、お千絵は口を極めて賞賛する。
お吉はお吉で、
「私は実物を拝見したわけではございませんが……」
深川のなんとやらいう寺の住職が、遊魚斎楽水の鯉魚の絵を持っていて、檀家の人々がそれをみたところ、まるで、夜になったら掛軸の中から抜け出して、寺の庭の池へ水を飲みに行きそうな感じがすると大人気になっているという。
「長助親分のところの助八さんがわざわざみに行ったそうですけど、本当に本物そっくりで息をしているようにみえたと申します」
「やっぱり、お吉さんは早耳ね」
お千絵に賞《ほ》められて、お吉は嬉しそうにお辞儀をした。
「おるい様、御一緒しませんか。噂では一枚も同じものがないという鯉魚の絵が百枚も並べられるとのことですよ」
お千絵がやって来たのはその誘いのためでもあった。
「よろしいのでしょう。東吾様はお船だそうですし、たまには気晴しをなさいませ」
お千絵がいうように、このところ神林東吾は軍艦に乗船して近海を廻っている。
海軍操練所の訓練のためだが、一度、出かけてしまうと、いつ帰ってくるかあてがない。
留守を守る女房の立場でいうと、顔をみるまで心細く味けない日が続くわけであった。
お千絵にしても、そのあたりがわかっているから誘いに来たので、むげに断るのも愛想がないと思い、るいはなんとなく承知した。
喜んだのはお吉で、
「お気に召すのがありましたら、是非とも、一枚、お求めになって下さいまし。鯉は出世魚と申しますし、若先生の御守になりますよ」
と勧める。
小さな宿屋風情の懐具合で買えるものでもなかろうと思いながら、東吾の御守になるというお吉の言葉に心が動いた。
海軍は水に縁が深いし、鯉はしばしば水神としてあがめられる。
いい具合に、当日は風もない穏やかな日和であった。
「御商売にお障《さわ》りがなければ、お吉さんもお連れなさいましな」
お千絵が気をきかせ、それでなくとも、お供をしたくてうずうずしていたお吉は大喜びで支度をした。
番頭の嘉助に見送られて豊海橋の袂から舟に乗る。
船頭は深川の長助の息のかかった男で、船着場には長助が心得顔で待っていた。
「まあ、長助親分も行くんですか」
お吉にいわれて、ぼんのくぼに手をやった。
「うちの若え奴が、きいたふうなことをいいやがるんで、まあ、嘘かまことか、この目で確かめて来ようと思いまして……」
大川も春爛漫であった。
どこから飛んで来たのか、黄色い蝶が舳先《へさき》で舞っている。
大川端から柳橋まで、さして遠い距離でもなく、長助は舟を柳橋の船宿に着け、女達はそこで身じまいを直して、中村楼へ乗り込んだ。
中村楼は、柳橋では万八楼に続く大きな料亭だが、この日は上も下も、立錐《りつすい》の余地もないほどの人出で、部屋ごとに遊魚斎の鯉魚の掛軸が並べられ、客は気に入ったのをみつけると手を叩いて係の者を呼び、商談をまとめている。
「驚きましたね。今朝から始まったというのに、殆ど赤札がついているじゃありませんか」
お吉がそっとささやいたように、一階の部屋に並んでいる掛軸には大半、売約済みの赤い紙がついている。
長助がそれとなく訊《き》いて来たのによると、軸の値段は、絵の大きさや出来ばえにもよるらしいが、大方、三両から二、三十両というところで、骨董では巨勢金岡《こせのかなおか》の観音像の掛物一幅が千両もしたという話があるものの、いくら人気があるからといって、近頃、ぽっと出の絵師の画料としては破格であった。
「なにしろ、紀州様がお気に召して百両でお買い上げになったって話ですから、この先、どのくらい、値が上るかわからない、買うなら今だってことで、買い手にはずみがついちまっているようで……」
とても、こちとらには手が届きませんや、とぼやいている長助にしても、鯉魚の絵の前へ来ると声を呑んで見惚れている。
実際、るいの目にも、その作品は迫力があった。
水中を自在に泳いでいる鯉の姿を的確に捉え、描写し尽している。
鯉の勇ましさ、凜々《りり》しさの上に、穏やかな春光を感じさせるものもあれば、真夏の白日の下に躍動する姿もある。落葉の池だろう、秋の気配の中に悠々と遊ぶ鯉も見事なら、冬のきびしさに耐えている鯉もある。
「鯉なんてものは、みんな同じような姿形をしていると思ってましたが、こうやってみると一匹一匹、違うんですねえ」
首をひねって感心している人々の背後で、るいもお千絵も思わずうなずいていた。
それほど遊魚斎楽水の描く鯉魚の絵には、いきいきとした情感がある。
二階へ上って行くと大広間の入口に近い所に上下《かみしも》をつけた男が三、四人、客に挨拶していた。
その中の、小柄で色の浅黒い、四十がらみの男が遊魚斎楽水で、隣にいる胡麻塩頭のでっぷりしたほうが中村楼の主人の長右衛門だと、これは客とのやりとりを聞いていればすぐにわかる。
もっとも、お千絵は長右衛門と懇意らしくて、すぐにむこうから挨拶に立って来た。
「これは畝様の御新造様、ようこそお出かけ下さいました。まあ、こちらにこちらに」
案内されたのは広間に続く次の間で、そこには茶菓の用意があり、客によっては酒が運ばれている。
「御盛会でおめでとう存じます」
お千絵が改めて会釈をしたのは、中年の痩せぎすな女で、
「こちらは中村楼のお内儀《かみ》さんのおさださんでございますよ」
と、るいにひき合せた。
おさだは料理屋の内儀らしく、主人の長右衛門より更に如才なく、
「よい時にお出かけ下さいました。ちょうど、娘のおしのも戻って来て居りますので……」
手を叩いて女中を呼び、
「おしのにこっちへ来るよういっておくれ」
と命じている。
「おしのさん、紀州様からお宿下りですか」
驚いたようにお千絵がいい、おさだはとろけるような笑顔になった。
「はい、このたびはこの会に合せて、十日ばかりお暇を頂きましたんですが、帰る早々、芝居見物に行きたいの、越後屋へ着物をみに出かけたいのと、いいたい放題で、ほんに我儘娘で困って居りますよ」
口とは裏腹に、それが如何にも自慢らしく声高にいう。
そこへ、緋鹿《ひが》の子《こ》の結綿《ゆいわた》に大振袖の華やかな娘が女中に伴われてやって来た。
「まあ、おしのさん、相変らずおきれいで、また一段と女ぶりが上りましたね」
お千絵がいったのも、満更のお世辞ではなく、おしのという娘はまるで牡丹の花のような美しさであった。
「帰って来るなり、お屋敷風は肩が凝ると申しまして、髪は結い直す、着るものも、ごらんのような町方風で、これではなんのために紀州様へ行儀見習に上げているかわかりませんよ」
おさだはひとしきりそんな言い方で娘自慢をしていたが、新しい客の姿をみつけて、大広間のほうへ出て行ったと思うと、すぐに、
「おしの、おしの」
と娘を呼んで、客にひき合せている。
「中村楼さんも、御商売が上手ですねえ」
小さな声で、お吉がささやいた。
「絵師の先生の人気と、あのお嬢さんを組合せたら、いやでもお客が押しかけますよ」
紀州様へ奉公に上っている、輝くような娘をわざわざお宿下りさせて、この会場で挨拶させれば、
「男の人は、みんな、ぼうっとなって、高い買い物だって、つい見栄を張って財布をはたいてしまうんではありませんか」
ずけずけというお吉をたしなめながら、るいは遊魚斎楽水のほうを眺めていた。
相変らず長右衛門と並んで客の一人一人に頭を下げている彼の前には机もなければ、画紙を広げる毛氈《もうせん》も敷いていない。
普通、書画会の場合は会場で客の求めに応じて即席に揮毫をするものなのに、遊魚斎は一向にその様子もない。るいと同様に、お千絵もそのことを不思議に思っていたらしい。茶を運んで来た女中に、揮毫をお頼みするのは、どこか別の部屋に受付があるのか、と訊いた。
「遊魚斎先生は人様の前では、決して筆をおとりになりませんのです」
というのが女中の返事であった。
「先生は鯉魚しかお描きになりません。そのお仕事は大層、根をつめるとかで、一枚を描き上げるのに、長い時間がかかりますし、とても、こうした所ではお出来にならないそうでございます」
従って、今日は展示してあるものの即売会だけで、
「これだけ、まとまったお作を描き上げるのに、十何年もかかったと聞いて居ります」
まず、今日を逃すと、当分、遊魚斎先生の絵を入手する機会はないだろうといった。
「御主人が御主人なら、奉公人も商売上手。あんなふうにいわれたら、つい一枚でも買っておこうって気になるじゃありませんか」
お千絵が忍び笑いをし、るいもなんとなくしらけた気分になった。
で、ぼつぼつひき上げようと腰を浮しかけた時、
「先生、どうなすったんです。しっかりして下さい」
長右衛門の声がして、居合せた客はいっせいにそっちを注目する。
よろよろと立ち上りかけた遊魚斎が、そのまま腰から崩れ落ちるように畳に突っ伏した。
すかさず長助がふっとんで行く。
「先生、どうなすった……」
肩へ手をかけると、遊魚斎はまっ青な顔でぶるぶる慄えていたが、
「いや、なんでもない、なんでもござらぬ」
と返事をした。
しかし、目はすわっているし、腰が抜けたような恰好で、顔には脂汗が流れている。
「こりゃあ、御病気じゃございませんか」
という者がいて、長右衛門が男衆を呼び、立てなくなっている遊魚斎を左右から抱くようにして裏階段を下して行った。
「先生、大丈夫でございますか」
「しっかりして下さいまし」
長右衛門夫婦が狼狽しながら、その後を追って行く。
あっけにとられて見送っている客とは少し離れたところに、おしのが立っているのをるいはみつけた。
驚いたのは、おしのの美しい顔に、さげすむような薄笑いが浮んでいたことである。
柳橋で軽い午餉《ひるげ》をすませ、実家へ寄って行くというお千絵を長助が送り、るいはお吉と舟で大川端へ帰って来た。
暖簾《のれん》をくぐったとたん、
「どうだ、鯉の絵は買えたのか」
まっ黒に陽に焼けた東吾の笑顔に迎えられて、るいはお吉をふりむいた。
「だから、あたし、出かけるのは気が進まなかったのに……」
何日ぶりかで亭主が帰って来たのに、女房が家を留守にしているというのは、るいの気持としては、たまらなく恥かしい。
「気にするなよ。俺も、たった今、帰って来たんだ」
と東吾がいい、嘉助も、
「本当でございますよ。ほんの一足先というところで……」
まだ、すすぎの水も来ていないといっている最中に若い衆が足を洗う桶を運んで来た。
るいがいそいそと土間にしゃがみ込み、東吾がいいというのもかまわず、せっせと足を洗い出す。
そうなると嘉助もお吉も手の出しようがなくて、お吉は台所へ逃げて行くし、嘉助は東吾の草鞋《わらじ》を若い衆に渡しがてら外をのぞいたりしている。
中村楼の書画会の話が蒸し返されたのは、居間で東吾の着がえがすんでからであった。
品川へ上陸して、まっしぐらに帰って来た東吾は午飯を食べそこねていて、お吉が早速、お膳を運んで来る。
板前が手早くおろした鯛の刺身を、わさび醤油にひたして飯の上に並べ、上からぱらぱらと胡麻ともみ海苔をふりかけたのを、東吾は半分はそのままで食べ、残りはお茶漬にする。
大根の浅漬は、東吾が、どこで食べるのよりもうちのが一番旨いといったのがお吉の自慢で、鉢にたっぷり盛り上げて来たのに、せっせと東吾の箸が伸びるのを、持って来た当人が嬉しそうに眺めながら、中村楼での出来事をるいと一緒になっていいつけた。
「するてえと、絵師の先生が気分が悪くなっちまったんで、鯉の絵を買わねえで帰って来たってわけか」
東吾が箸を休めて訊き、るいは、
「いいえ」
と答えた。
「その前から、やめておこうという気になって……」
「高すぎたのか」
「それもありますけど……」
「気に入らなかったのか」
「絵はいいものでしたけれど……」
東吾がほうという顔をし、お吉が女主人に代ってぶちまけた。
「売り方が、えげつないんですよ。もったいぶったり、看板娘をちらつかせたり……」
「看板娘……」
「紀州様の奥へ奉公に上っているってのが自慢なんですよ。きれいはきれいですけど、なんとなくお高くとまってるみたいなお嬢さんで、あたしは好きじゃありません」
第一、絵師の先生ってのが、もったいぶってて気に入らない、とお吉は続けた。
「そりゃあ鯉の絵は手間もかかるし、あんな場所ですらすらってわけにはいかないでしょうけど、お愛想に花の一枚、蝶々の一匹ぐらい描いてみせたっていいじゃありませんか。それがああいう会ってものでしょう」
「遊魚斎は揮毫をしないのか」
「棒一本、ひいてみせもしないんですよ。人の前じゃ描きませんって」
「変ってるな」
「鯉の絵は、けっこうでしたけど、描いてる人間がいけ好かないと大枚はたく気になりませんよね」
さんざんけなして、お吉がお膳を下げて行き、東吾が笑った。
「遊魚斎先生は、随分とお吉に嫌われたもんだな」
「あの人は好き嫌いがはっきりしすぎていますから……」
弁解らしくいいかけて、るいは小首をかしげた。
「絵というものは、百枚も描き溜めないと、書画会を催すことは出来ないのでしょうか」
「百枚も鯉の絵が並んだのか」
「数えてみたわけじゃありませんけど、中村楼では、そういうことになっていたみたいで……」
東吾が恋女房の顔を眺めた。
「俺も絵のことは全くわからねえが、遊魚斎ってのは、かなり前から有名なのか」
「お千絵さまの話では、そうでもないみたいでした。鯉の絵が評判になって、紀州様がお買い上げになったとか」
今日の会場にも、大名の留守居役とか旗本の隠居といった人々の姿があったし、然るべき寺の住職や、裕福な医者らしい顔もみえた。
「要するに客種はいいってことだな」
それにしても、どんな鯉の絵なのか、一度みてみたいものだといい、東吾は行儀悪く寝そべった。るいが枕と上掛けの布団を持って来た時には、もう軽い寝息を立てている。
軍艦の上では、殆ど不眠不休だと聞いているので、るいは物音を立てないよう、そっと針仕事をひき寄せた。
中村楼での書画会の話はそれっきりで、「かわせみ」はいつも通りの明け暮れをくり返し、るいにしても遊魚斎にこだわってばかりもいられない。
月のなかば、例年より遅れて咲いた藤の花がぼつぼつ散りはじめたところへ、長助がやって来た。
東吾は軍艦操練所から帰って来たばかりで、るいのいれた番茶を飲みながら、藤棚を眺めていた。
庭から廻って来た長助をみて、
「おい、また厄介な捕物の話かい」
不謹慎に嬉しそうな顔をした。
「ここんところ、源さんもさっぱり御無沙汰で、いささか退屈していたんだ」
長助がいそいそと傍へ寄って来た。
「それじゃ、早速、お話し申します」
実は柳橋の中村楼の主人から相談を持ちかけられたのだがと切り出した。
「中村楼というと、遊魚斎とかいう絵師が書画会を開いた所だな」
「御存じで……」
「うちの内儀さんは、なんでも俺に話すからな」
「へえ」
なんとなくぼんのくぼへ手をやって、長助は折柄、お吉が持って来た湯呑を取り上げた。
「あのあと、中村楼はどうなったんです」
お吉が話をひっさらって、訊いた。
「別にどうもなりません。なにしろ、遊魚斎先生の絵はあの日だけで三十本も掛軸が売れたそうですから……」
軽く見積っても数百両の金が集ったことになる。
「それじゃ、遊魚斎は、ほくほくしているだろう」
と東吾が笑い、長助が手をふった。
「それが、そうでもありませんで、中村楼の長右衛門の相談と申しますのも、その絵師のことでして……」
「病気が悪いんですか」
心配そうにいったのは、るいで、あの日、顔面蒼白になって倒れたのを目撃している。
「いえ、病気ってわけではありませんで、長右衛門の話によりますと、あれは、なんでも思いがけない人の顔をみて、仰天してひっくり返ったんだそうなんです」
「思いがけない人というと……まさか、敵《かたき》に出会ったんじゃあるまいな」
笑いかけた東吾を、長助が制した。
「長右衛門が申しますには、遊魚斎が敵のほうじゃねえかと……」
「なんだと……」
まさか、と笑い出したのはお吉で、
「あの絵かきさんが人を殺して、敵とねらわれているなんて、みたところ、虫一匹殺せそうもない人じゃありませんか」
馬鹿馬鹿しいと肩をすくめた。
「俺も最初は相手にしなかったんだが、だんだん聞いてみると長右衛門のいうのも満更のでたらめでもねえんですよ」
あの日以来、遊魚斎は柳橋同朋町の家に落ちついていない。
「同朋町の家は、長右衛門が面倒をみて借りたものだそうでして、その前は浅草の鳥越あたりの長屋にいたと申します」
一応、絵師の住居らしくととのった住居を捨てて、遊魚斎は江戸の知り合いの所を泊り歩いているらしい。
「中村楼には金をもらいにやってきたそうで、長右衛門がいったいどうしたのだと訊くと、当分、身をかくしていないと危いと泣きそうな顔で訴えたとか」
長右衛門がなだめすかしてさまざまに訊いてみると、
「自分は国を出る時、とんでもないことをしでかした」
と打ちあけたという。
「国とは……遊魚斎の生国はどこだ」
「そいつはどうしてもいわなかったようで、とんでもないことと申しますのも、なにやらわかりませんが、長右衛門は大金を盗んだとか、或いは人を殺したとか、そういうことでもないと、あの怯えようは納得出来ないといいまして……」
長助が言葉を切り、るいが訊ねた。
「遊魚斎さんが、思いがけない、といった人について、心当りはありませんの」
あの日、書画会に来た人々は、中村楼から案内状をもらって出かけて来たのではなかったか、とるいがいったのは、入口に受付があって、客はそこに顔を出し、係の者に案内されて店へ入っていたのを思い出したからである。
「それに、遊魚斎さんがその人をみてびっくりなさったというのなら、まわりにいた人も気がついたでしょうに……」
長助が顔をくしゃくしゃにした。
「奇妙なことに、それが誰もわからねえと申しますんで……」
たしかに、あの時、二階の大広間には一杯の客が入って居り、遊魚斎と長右衛門は次から次へとやって来る人々に頭を下げ続けていた。
「でも、遊魚斎さんが倒れた時に目の前にいたお客様だったら……」
隣にいた長右衛門が気がつかない筈がないとるいがいい、長助が慌《あわただ》しく首を振った。
「目の前にいた客じゃねえそうなんです」
長右衛門の話によると、遊魚斎の様子がおかしくなった時、前にいたのは旗本の隠居で加納弥兵衛という侍と橋場の総泉寺の住職の二人で、どちらも長右衛門にとっては店の大得意なら、遊魚斎も前に何度か顔を合せている間柄で、思いがけない人の顔をみて仰天したというには全く当らないのだと、長助は説明した。
「旗本の隠居と坊さんか」
東吾が呟《つぶや》き、
「そんな人から敵とねらわれるわけはありませんね」
お吉が一人合点した。
「ですから、長右衛門は、前にいた客じゃあなくて、別の客、つまり、そいつはあの部屋のどこかにいて、まだ挨拶もしていなかったに違えねえと、こう申します」
「行列に並んでいた人でしょうか」
るいが考え込んだ。
自分達が二階へ上って行った時も、大広間の入口は客で行列が出来ていた。それは入口にすわっている遊魚斎と長右衛門に挨拶するためであり、るいやお千絵が次の間でお茶の接待を受けていた時にも延々と続いていたような気がする。
遊魚斎は、その行列の中に、思いがけない人物を発見し、恐怖の余り昏倒したと長右衛門は考えているらしい。
「しかし、肝腎の遊魚斎がなにも打ちあけないのでは、手の尽しようがないな」
「若先生も、そうお思いになりますか」
長助が大きな息をついた。
「いくら、中村楼の旦那が気を揉んでも、あっしにしたところで手の打ちようがござんせん」
「ところで、遊魚斎先生は、今、どこにいるんだ」
「昨日は橋場の中村楼の別宅にいるってことで、早速、行ってみたんですが、留守番の話だと午より前にふらっと出て行ったきり帰って来ねえってんで……」
夕方、もう一度、顔を出したが、やはり戻っていなかった。
「今朝、うちの若い者をやったんですが、奴さん、昨夜はとうとう帰って来なかったようです」
「行った先は、わからないのか」
「へえ」
それではどうしようもなかった。
「とにかく、遊魚斎をとっつかまえることだ。当人がどうしても事情を話したくないというなら、いくら中村楼の亭主の頼みでも、放っておくより仕方がなかろう」
東吾にいわれて、長助は再度、ぼんのくぼへ手をやった。
「全く、あっしとしたことが雲を掴むような話を持ち込んで申しわけございません」
律儀に何度も頭を下げて帰って行く長助を見送って、お吉が首をひねった。
「長助親分、どうかしちまったんじゃありませんかね。あんな馬鹿な話を若先生に申し上げるなんて……」
だが、東吾はそそくさと身支度をしていた。
「無駄だろうが、ちょっと橋場まで行って来る」
今、聞いた限りでは漠然としすぎていて、とりとめがないが、
「そいつをここへ話しに来たのは、なにか気になることがあるに違いないんだ」
言葉ではいえない、しかし、長年、捕物にたずさわって来た長助の勘が、これはただではすまないと知らせているのではないかと東吾はいった。
「なに、橋場は舟で行けば、なんということもない。晩飯には帰って来るから……」
東吾は颯爽《さつそう》と庭木戸から出て行った。
橋場の渡船場へ猪牙《ちよき》を着けて、近くの煙草屋で訊いてみると、中村楼の別宅はすぐわかった。
大川に面した簡素な住居で、低い椿の生け垣が廻《めぐ》らしてある。
ちょうど豆腐売りが荷を下していて、椿の垣のむこうから初老の女が味噌漉《みそこ》しを手にして出て来た。
豆腐を一丁、賽《さい》の目に切ってもらいながら豆腐屋と話しているのを聞いていると、どうやら、別宅の留守番らしい。
で、帰りかけるところを呼び止めた。
「遊魚斎先生は帰って来たか」
女は驚いたようにふりむいたが、東吾の姿をみて、中村楼の常客かと思い違えたらしい。
「いえ、それが、まだお戻りじゃございませんので……」
「出かけたのは、昨日なんだな」
「ええ」
「何刻《なんどき》頃に出かけたんだ」
「それが、午近くなっても起きて来ませんから、部屋をみに行ったら、もぬけのからで……」
「出て行った時刻は、わからないのか」
「ええ」
女は上目遣いで東吾を眺めていた。あまり頭の回転の早いほうではなさそうだが、長いこと水商売でもして来たような抜け目のなさがある。ひょっとすると、中村楼で仲居を勤め上げ、やはり同じ店で働いている男と夫婦になって、この別宅の留守番をまかせられているのではないかと東吾は思った。
で、財布から小粒をつまみ出して女に握らせると、果して急に愛想がよくなった。
「ところで、ここの家は誰が住んでいるんだ」
「あたしとうちの人が留守番をしています」
「本宅から人が来ることはないのか」
「お嬢さんが御奉公しているお屋敷のお女中なんかが、宿下りの時に泊ったりすることはありますよ」
大川のむこう、向島の秋葉神社へおまいりに行ったりするのに便利だからという。
「中村楼の主人は、紀州家の侍とは親しいようだな」
「御重役っていうんですか、えらい方がよくお出かけになるんですよ。勿論、お勘定なんぞ頂きませんでね。お嬢さんが奉公に上ったのも、そっちの伝手《つて》ですから……」
「随分、くわしいな」
「女中頭をやってたんですよ、昨年まで……」
「いい男の板前と一緒になって、この家の留守役を命ぜられたってわけか」
「いい男じゃありませんがね」
嬉しそうに笑った。
「それにしても、たいして広くもない家で、遊魚斎の出て行ったのも知らなかったというのは解せないな」
入口は一つしかない。
「昨夜はあたしもうちの人も朝帰りだったんですよ」
中村楼のほうに手が足りないから来るようにと使いがあって、夕方から出かけたといった。
「うちの人は朝から毎日、むこうへ通っていますから……」
座敷がすっかり終って帰ろうと思っていると、
「お内儀さんが、どうも持病のさし込みが来そうで心細いから、旦那が帰って来るまで居てもらいたいって……」
「旦那は出かけていたのか」
「お客様が酔っぱらって、心配だから送って行ったそうです」
結局、真夜中になってしまって夫婦で中村楼へ泊り込んだ。
「朝は早くに戻って来たんですけど、先生はてっきり寝ていると思って……起こしに行くまで出かけたことに気がつかなかったんですよ」
「成程」
東吾は笑いながら、もう一つ、小粒を女の手に追加した。
「あと二つばかり教えてくれ。遊魚斎の布団は前夜、そこに寝たようだったのか」
「ええ、そうです。掛け布団がめくってありましたし……」
「部屋の様子はどんなだった。荒らされていたとか……」
「そんなことはありません。いつもと同じようで……」
礼をいって東吾は女と別れた。
このあたり、川っぷちには町屋が建ち並んでいるが、一つ奥へ入ると田畑で、浅茅《あさじ》ヶ原《はら》と呼ばれる原がある。
日が暮れて来て、人通りもない道はえらく寂しくなる。
寺の門があった。
女が急ぎ足に出て来て、東吾の姿をみると一目散に町屋のほうへかけて行く。
まさか辻斬りと間違えたのではあるまいと苦笑しながら、女の出て来た寺をみた。「妙亀山 総泉寺」と彫った石塔が建っている。
「東吾さんじゃありませんか」
寺のほうからなつかしい声が近づいて来て、東吾が応じた。
「源さんか。久しぶりだな」
「随分と焼けて来ましたね」
「定廻《じようまわ》りの旦那並みだろう」
この寺に何か用事だったのかと訊いた。
町方役人にとって寺は支配違いである。
「町廻りの帰りなのですよ」
お供の若党は先に帰して、自分だけがここへ寄り道したのは、
「長助が困っているようなので……」
東吾さんは、おるいさんから遊魚斎の話を聞いていませんか、と問うた。
「遊魚斎と、この寺と……」
「思いがけない人をみてひっくり返った時、遊魚斎の前にいたのが、この寺の住職なのです」
「そうか、そういえば長助から聞いていたよ」
石塔をみて、どこかでと思ったのはそのせいだったといった。
「住職は何か心当りがあるといったか」
「残念ながら、なんにもないといいました。お辞儀をして顔を上げたら、遊魚斎がひっくり返っていたので仰天したと……」
浅茅ヶ原の脇を抜けて今戸のほうへ向った。
「総泉寺というのは、いい檀家がついているんだろうな」
この界隈《かいわい》は寺が多いが、中にはみるからに貧乏臭い破《や》れ寺《でら》も少くない。
「立派な寺ですよ、境内も広いし、そういえば佐竹家の菩提寺でもあるそうです」
佐竹家の本家ではなく、分家の佐竹壱岐守のほうだといった。
羽州秋田新田二万石の大名である。
「遊魚斎の絵ぐらい買える懐具合ってことか」
「手前が方丈へ行った時、佐竹家から使いが来ていましてね。家中の侍、といっても身分は低いようですが、その女房が佐竹家の下屋敷で穫れた大根だの青菜だの、草餅なんぞまでお供えに運んで来たんだそうです」
大名家の下屋敷はどこも広大な土地を持っているので、大方がそこに田畑を作っている。
本所深川などの大名家の下屋敷には、そうした田畑をまかせられている近在の百姓が通いで農作に行っている所もあるが、本国から連れて来るお供の中間《ちゆうげん》や小者が江戸滞在中、田畑を耕しているところもある。
大体、参勤交代の時、必要な荷物をかついで殿様のお供をする最下級の家来は、領地内の百姓が交替で召し出され、御用をつとめる場合が多かった。彼らは士分ではないから、殿様が江戸在府中は下屋敷で百姓をし、御帰国の際にはまた荷をかついでお供をする。
「佐竹様のお屋敷というのは、どこなんだ」
「上屋敷は浅草鳥越、下屋敷は浜町ですよ」
「どちらもまあ近いな」
女が一人で使いに来られないという距離ではなかった。
「どうも田舎育ちのようでしたよ。かなり、訛りがありましたからね」
ところで東吾さんはどちらへ行かれたんです、と訊かれて、東吾は橋場の中村楼の別宅で留守番の女から仕入れて来た話をした。
「長助は果報者ですな」
聞き終えて、源三郎が呟いた。
「今の話を伝えてやったら、あいつは泣くでしょう」
「源さんだって、たいしたもんだ」
定廻りの旦那が自ら、聞き込みに歩いている。
「長助には随分と厄介をかけていますから。それに、わたしは、長助の捕物の勘を信用しているのです」
「俺も同じさ。こいつはなにかあるよ」
だが、二人が大川端まで帰って来ると豊海橋の袂に長助が立っていた。
「畝の旦那のお屋敷へうかがいましたら、橋場の寺へお出かけとききましたんで、大方、お帰りは舟だろうと……」
改めて、源三郎と東吾に頭を下げた。
「あっしのつまらねえ話のために、わざわざ橋場までお出かけ下さったそうで……」
遊魚斎楽水が殺されました、と、口惜しそうに告げた。
「土左衛門になって流されているのを、佃島の漁師がみつけまして……」
舟にひき上げて、深川の番屋へ届け出たという。
長助を先頭に永代橋を渡って深川へ入った。
番屋の前に人だかりがしているのを、長助のところの若い者が声をからして追い払っている。
すでに夜で、番屋の中は、行燈に灯が入り、番太郎が蒼い顔をした漁師二人と低声《こごえ》で話をしている。
遊魚斎の死体は土間に運ばれて、一応、菰《こも》がかけてある。
「中村楼へは知らせたのか」
源三郎が訊き、長助がうなずいた。
「うちの若い者が迎えに行きましたから、追っつけ、かけつけて来る時分で……」
遊魚斎は胸に脇差を突き立てられていた。
「この恰好で流れていたのか」
漁師が番太郎にうながされて顔を上げた。
「そうなんで……俺達は土左衛門をみつけたら、女ならひき上げる、男は竿で突いてそのまんまというのが御定法ですが、みると胸に刃物が突っ立っているんで、こいつは只事じゃねえと……」
番屋へ運んで来たといった。
「助かったよ。このまま、海まで流れちまえば、それっきりだ」
源三郎が馴れた手付きで少々の金を包み、
「お清め料だ」
御苦労だったと漁師に渡した。
そこへ長右衛門がやって来た。遊魚斎の死体をみるなり、立ちすくんで慄えだした。
「先生、いったい、なんだってこんなことに……」
おろおろと叫び出すのを、源三郎が制した。
「気味が悪いだろうが、確かめてもらいたい。遊魚斎の胸に突き立っている脇差におぼえはないか」
「先生のものです。遊魚斎先生御自身の……」
「間違いないか」
「ございません。遊魚斎先生を手前が橋場の別宅へ御案内する時、先生はあの脇差を腰に帯びていらっしゃいました。用心のためだといわれまして……」
「それは、いつのことだ」
「一昨日でございます。先生は昨日の朝、別宅から姿をお消しになり……私どももえらく心配して居りました」
源三郎が死体の脇に立っている東吾をちらと眺め、長右衛門へ向って再び訊ねた。
「遊魚斎は自分の脇差を自分の胸に突き立てているが、自殺するような気配はなかったのか」
長右衛門の表情に戸惑ったものが浮んだ。
「さあ、手前は一向に……」
「自殺ではなく、誰かに殺害されたとは思わぬか」
源三郎が傍にひかえていた長助をうながし、長助が一膝乗り出した。
「旦那はあっしに遊魚斎先生が誰かを怖れて逃げ廻っているとおっしゃったが、その相手とは誰なんです」
長右衛門が首を振った。
「それは、知りませんよ。先生が打ちあけて下さらなかったので……」
「遊魚斎の生まれはどこだ」
源三郎が長助に代って訊いた。
「先生が内緒にしてくれとおっしゃいましたので、長助親分には申し上げませんでしたが、出羽国だと聞いたことがございます。羽州秋田とか……」
「すると、佐竹藩士か」
「いえ、郷士の出だとおっしゃっていたようで……」
「江戸へ出て来たのは……」
「五年前の筈で……」
「国許で人を殺《あや》め、敵とねらわれているというようなことは聞いて居らぬか」
「いえ、ですが、書画会でああいうことがございましてからの先生は、まるで敵が逃げ廻るような感じではございました」
「左様か……」
「なにしろ、それまでは無腰でいらっしゃったのが、急に脇差なんぞをお持ちになりましたし……」
「その脇差は、其方もみたのだろうな」
「はい。やはり、気になりますので、つい……」
「見間違えることはないな」
「とんでもないことでございます。先生の胸に突きささっているのは、間違いなく遊魚斎先生の……」
東吾が死体に近づいて、ゆっくり死体の胸から脇差を抜き取った。懐紙を出して丁寧に拭いをかける。
「これは、俺の脇差だが……」
死体のかげから、もう一本、脇差を出して自分のと並べた。
「みるがいい。長さも違う。造りもまるっきり別だ。柄糸《つかいと》の色も、目貫《めぬき》も……鍔《つば》の形も……」
源三郎が下をむいて苦笑した。さっき東吾が死体から脇差を抜き、手早く、自分の脇差を、さも死体にささっているようにさし替えたのをみて、いったい、どういうつもりかと不思議に思っていたからである。
長右衛門が慄えながら叫んだ。
「間違いました。暗いのと……慌《あわ》てて居りまして……」
「しかし、あんたはろくにみもしないで、遊魚斎の脇差だときめつけた。普通なら近づいてみるとか、手に取らないまでも、柄糸の色は何だとか、訊いてみるものじゃないのか。それを一目見ただけで間違いない、遊魚斎の脇差だといったのは、あんた自身が遊魚斎の胸に、遊魚斎の脇差を突き立てたからじゃないのか」
長右衛門は口がきけなくなっていた。なにかいいそうにして、ぜえぜえと喘《あえ》ぎ出す。
「長右衛門の旦那、あんた、昨夜、客を送って店を出たそうだが、その客はどこの誰だ。どこまで送って別れたのか、時刻は何刻か、お上を甘くみると、とんだことだぜ」
東吾が伝法にどなりつけ、長右衛門は頭を抱えてうずくまった。
畝源三郎の調べで、長右衛門はあっけなく遊魚斎殺しを白状した。
理由は金であった。
「こいつは源さんから聞いたんだが、中村楼は紀州家の侍に取り入って、娘を奥奉公に出したりしたのが祟《たた》って借金がかさんで、どうにも動きが取れなくなっていたそうだ」
美貌の娘を大名家へ奥奉公に出し、箔をつけて玉の輿をのぞんだのが間違いの元だと東吾は苦く笑った。
「たまたま、客に頼まれて面倒をみるようになった遊魚斎から鯉の絵をみせられて、そっちには少々目のきく男だったから、これは売れると判断した」
手を替え、品を替えて遊魚斎の鯉魚の宣伝をし、人気の出たところで書画会を催して大金を稼ごうとした。
「その途中で妙な出来事があって遊魚斎がひっくり返っちまったが、それでも三百両近くの金が入った」
「そのお金の分け方で、もめたんですね」
とお吉。
「長右衛門は三百両を当分、自分にあずからせてくれと遊魚斎に頼んだ。しかし、遊魚斎は自分の絵を売った金だから、自分に渡せ、残りの絵も返してもらいたいといい張った。事情があって、自分は上方へ発《た》つから至急、金と絵を返せと長右衛門を責めたのが命とりになったのさ」
「事情ってなんですか。まさか、敵だとねらわれているからっていうんじゃございませんよね」
お吉が夢中になり、
「まあ、その謎ときはお客が来てからにしようぜ」
東吾がるいと目くばせした。
「本当に、若先生は意地悪ですよ。お嬢さんには何もかもお話しになって、あたしを仲間はずれにするんですから……」
お吉は大いに憤慨したが、東吾のいうところの、お客は、間もなく畝源三郎に伴われて「かわせみ」へやって来た。
「こちらは、佐竹藩の若党、新之助どののお内儀《ないぎ》で、おくわさんといわれます」
源三郎の紹介に、おくわが慌てて手をふった。
「冗談いわねえでけれ。俺は百姓の女房でごぜえます」
亭主の新之助も百姓だが、昨年、殿様のお供に加えられて江戸へ上った。要するに道中の人足をつとめて来たのだが、江戸ではもっぱら、屋敷内の田畑を耕していた。
「この冬、御亭主が病気になって、医者が首をかしげるほど容態がよろしくない。佐竹家の御重役は情のある方で、せめて女房を呼んでやろうと、知らせをやっておくわさんを江戸へ迎えたそうです」
おくわの必死の看病の甲斐があったのか、女房の顔をみて生きる力が湧いたのか、新之助は死の淵から這い上るように持ち直し、三月になって漸《ようや》く起き上れるまでに回復した。
殿様は五月に御帰国になるので、新之助夫婦もその時、お供をして国へ帰るがよいと上役にいわれて、おくわも屋敷の下働きをして故郷へ発つ日を待っていたところ、或る日、使いに行った総泉寺で住職から一幅の鯉魚の掛軸をみせられて驚いた。
絵師の名は、遊魚斎楽水。
「おくわさんの歿《なくな》った父親の号だったんです」
号といっても、当人が遊びでつけた名である、と源三郎はつけ加えた。
「おくわさんの父親は鯉を飼育するのが本業だったんです」
美しい鯉を育てて、然るべき筋に売る。
「絵を描くのが好きで、子供の時に旅の絵師に手ほどきをしてもらっただけだそうですが、自分の育てている鯉を写生した。売られて行く鯉との別れを悲しみながら、一匹一匹、精魂こめて描いていたとのことです」
無論、その絵を売るつもりはなく、葛籠《つづら》の中に溜めておいたのが、長い歳月の中に何百枚にもなっていた。
「偽者の遊魚斎楽水、本名は栄吉というのですが、おくわさんの父、善兵衛さんの下で働いていたもので、その栄吉がなにを考えたものか、善兵衛さんが歿ったあと、鯉魚の絵の入った葛籠をそっくり盗み出して秋田を出奔したのです」
おくわは父親の丹精こめた絵が栄吉に盗まれたと知ったが、手遊《てすさ》びに描いた絵のことで騒ぎ立てるまでもないと、そのままにしておいた。ところが、江戸ではからずも父親の鯉魚の絵に再会した。
「住職に訊ねると、今、江戸には遊魚斎楽水という人気のある絵師がいて、近く書画会を催すというので、おくわさんは当日、住職に頼んで会場へついて行ったわけですよ」
部屋のすみにへばりついて話をきいていたお吉が手を打った。
「あの時、遊魚斎先生……じゃなくて、その栄吉って人がみたのは、おくわさんだったんですか」
栄吉が卒倒したのも無理はなく、折角、遊魚斎になりすまして主人の絵で金をもうけようという矢先、突然、主人の娘が江戸に出て来たのだから、これは自分の悪事がばれて国許から追手がかかったと思い込んだ。
「金と残りの絵を持って上方へ行き、そこで又、遊魚斎に化けようと考えていたようですから、よくよく懲りないというか……」
しかし、その栄吉も金が因《もと》で長右衛門に殺害された。
「今度の調べで、佐竹家へおうかがいを立てたのですよ。総泉寺の住職も、長右衛門が栄吉を殺害したことを知って、安心しておくわさんのことを打ちあけてくれましたので……」
住職が沈黙していたのは、おくわを事件に巻き込みたくないと考えたからで、それとは別に佐竹家の重役に偽遊魚斎のことを知らせ、栄吉を捕えてもらうよう頼んでもいた。
それにしても、奉行所がおくわのために中村楼から書画会の売り上げを取りかえそうとしたのだが、その金はすでに長右衛門が借金の返済に使ってしまっていて、一文も残っていない。借金だらけの中村楼から三百両を取り立てるのも難しかった。
「金はいらねえっす」
おくわがさばさばといった。
取り戻してもらった父親の形見の鯉魚の絵も、売る気はなくて、
「好きな人に、もらってもらうべえと……それが一番、供養になると、和尚さんもいってくれたです」
一本の軸をそっとさし出した。
「おらの気持だで、もらって下せえまし」
明日は殿様のお供をして、夫婦そろって江戸を発つというおくわは、来た時と同じように源三郎に連れられて「かわせみ」を出て行った。
「驚きましたねえ。こんないい絵を、お素人の方がお描きになっていたなんて……」
遊魚斎という落款《らつかん》が堂々として、鯉魚の絵をひき立てている。
「栄吉という人、絵なんてまるっきり描けもしないのに、よく絵師なんかになりすましましたよね」
世の中には度胸のいい人もいるものだと、お吉はつまらないことに感心している。
「でも、結局、この鯉魚の絵が栄吉って人の命とりになったんですから、いってみれば、鯉の仇討ですよ」
お吉はいそいそと床の間に鯉魚の軸をかけはじめた。
それを眺めて東吾は、
「たしかにいい絵だが、高くついたんじゃないのか」
そっとるいにささやいたのは、おくわの帰りがけに、るいがお餞別といって紙包を渡したのをみていたからである。
「おい、いくら包んだんだ。三両か、五両か」
心配そうな東吾に、るいは明るく微笑した。
「殿方は、お金のことなんかおっしゃるものではありません。いい絵はどんな人が描いたっていい絵に違いないのですもの」
もしかすると、夜中に軸の中から抜け出して、大川へ水を飲みに行くかも知れないと真顔でいったるいの肩を、東吾が軽く叩いた。
「よせやい。円山応挙《まるやまおうきよ》じゃあるまいし……」
晩春の一刻、「かわせみ」は床の間におさまった鯉魚の絵を眺めて、ひとしきり賑やかであった。
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十軒店人形市《じつけんだなにんぎよういち》
四月もあと数日で終るという日に、大川端の旅宿「かわせみ」へ珍しい客が着いた。
駕籠《かご》から下りたのは、狸穴《まみあな》の松浦方斎の屋敷で家事一切を取りしきっているおとせで、駕籠脇について来たのが、おとせの一人息子の正吉と、飯倉の岡っ引の仙五郎。東吾《とうご》が講武所の指南役として勤務するようになるまでは、月に十日ほど、必ず狸穴へ行き、方斎の代稽古をしていたから、まことに馴染深い一行であった。
「ようこそ、お出で下さいました」
「まあ、お久しぶりでございます」
番頭の嘉助《かすけ》と女中頭のお吉《きち》がこもごも挨拶しているところへ、|るい《ヽヽ》もとんで来て、
「どうぞ、お上り下さいまし」
早く、すすぎの用意をと指図をした。
「正吉さん、大きくおなりになって……」
るいが感慨深げにいったように、「かわせみ」の人々にとって、久しぶりにみる正吉は背丈が母親のおとせを追い越して、顔はまだ少年の面影を残しながらも、筋骨たくましい若者に成長していた。
「おいくつになられましたの」
と訊ねたるいに対して、板の間にすわり直し、両手を突いて、
「十五歳にあいなりました」
と答える声も、すっかり大人びている。
そこへ東吾が帰って来た。
「方斎先生にはお変りないのだろうな」
早速、訊《き》いたのは、このところ、心ならずも狸穴に足が遠くなっていたからで、
「お変りなく、おすこやかでいらっしゃいます」
というおとせの返事に安心して、るいに大刀を渡した。
ぞろぞろと居間へ通って、改めて挨拶やら近況やら、少々のやりとりがあってから、
「実は、今日、出て参りましたのは、方斎先生のお使いでございまして……」
日本橋十軒店の冑市《かぶといち》へ行くところだと、おとせが話した。
「こちらの仙五郎親分に先月、初孫さんがお産まれになりまして、来月は初節句でございますので、先生が鯉の吹き流しをお祝いにさし上げたいと……」
東吾が小さくなっている仙五郎を眺めて嬉しそうに応じた。
「仙五郎も、いよいよ、祖父《じい》さんか……」
仙五郎の本職は桶屋であった。
当人は世話好きと捕物好きが昂じて、お上から十手捕縄をおあずかりする身分になったが、稼業のほうはもう八十に近い仙五郎の父親が健在で、孫に当る仙五郎の息子に仕事を教え、きちんと跡を継がせた。
その息子の仙吉が、一昨年、嫁をもらい、この三月に長男が誕生したときいて、東吾の頬がゆるんだ。
「そいつはよかった。男の子じゃ、さぞかし家中が大喜びだったろう」
仙五郎が目尻を下げた。
「なにしろ、親父が舞い上っちまいまして」
初曾孫が男ときいて、
「まだまだ長生きして、こいつも立派な桶職人にしてみせると息巻いていますんで、どうも、あっしははみ出しちまったような案配でございます」
と顔をしかめてみせたのが、結局、笑い出している。
それにしても、人形市が立つのは十軒店町が一番、有名ではあるが、他にもないわけはないのに、わざわざ狸穴から出て来た理由は、
「なんですか、十軒店町でしか売っていない鯉の吹き流しがございますそうで……」
松浦方斎の囲碁友達で、広尾の名主をつとめている嶋田伝蔵が話したのによると、
「源七鯉とか、源七流しと呼ばれるものは、鯉の絵柄といい、色といい、大層よく出来ていて、竿に立て、風に泳ぐさまが、それは見事だとのことでございます」
それを聞いた方斎が是非、その源七鯉を仙五郎の孫に求めて来るよう、おとせに命じたという。
「成程、それで仙五郎がつき添って出て来たわけか」
納得した東吾が、そういうことなら、俺も十軒店町まで行こうといい出したのは、一つには、他ならぬ仙五郎の初孫の初節句に、自分もなにか祝ってやりたいと思ったからである。
その上、おとせは出来ることなら今日中に狸穴の方月館へ帰りたいとのぞんでいる。
「方斎先生のお身の廻りのこと、善助さん一人では、心もとない気がしますので……」
方月館の家事一切はおとせにまかせられて居り、古くからの従僕の善助はもっぱら、力仕事や庭の手入れをしている。
「今日の召し上りものの支度はして来て居りますけれど……」
おとせの気持としては、一刻も早く戻りたいとわかって、東吾はすぐに立ち上った。
十軒店は日本橋から今川町へ向う通りにあって、年に三度の市が立つ。
最初が桃の節句の雛市で、これは二月の末から三月二日まで、次が冑市になって四月二十五日から五月四日まで、最後が十二月の羽子板市であった。
この期間は往来に小屋が建ち、そこにも売りものが並べられるので、ただでさえ狭くなったところへ買い物客が殺到し、大変な混雑となる。
実際、東吾たちが日本橋を渡って室町一丁目にさしかかると、前方の十軒店あたりに、大きな幟《のぼり》や鯉の吹き流しがずらりと立ち並んでいるのがみえた。
人が、ぞろぞろと十軒店のほうへ歩いて行く。
本町通りに入ると、雑踏はいよいよひどくなり、うっかりすると連れとはぐれかねない。
おとせが嶋田伝蔵から聞いて来たのによると、源七鯉を商っているのは、佐野徳という人形屋とのことで、東吾が十軒店のとばくちで若い衆に訊くと、
「佐野徳はそこの四軒先だが、鯉はその前の小屋のほうですぜ」
と教えてくれた。
十軒店の人形店では、市の間、店のほうには高価な甲冑や武者人形を飾り、路上の小屋のほうでは幟や旗指物、鯉の吹き流し、それに菖蒲《しようぶ》刀や槍、弓矢などの玩具を並べるようになっているらしい。
「なつかしいな」
派手な飾りのついた木刀の菖蒲刀をみて、東吾が笑った。
「むかし、こいつで兄上と叩き合いをやったよ」
勿論《もちろん》、一廻りも年の違う兄の通之進《みちのしん》が本気になって東吾と剣術ごっこをやったわけではなく、幼い弟の遊び相手をしてくれたものだったが、東吾のほうは夢中になって、がむしゃらにかかって行き、その結果、兄の腕にアザを作ってしまって青くなったこともある。
そんな時、兄は決って東吾を叱らなかった。
「たいしたことではないから、人にいってはならぬ」
といい、さりげなく自分で手当をしてしまった。
「そういえば、飾りものの冑をかぶって遊んで錣《しころ》のところを破いてしまってね。兄上が繕ってくれたこともあった……」
思い出話をしている中《うち》に、佐野徳の店へ着き、そこの手代が、
「源七鯉でございましたら、そちらに……」
と、前の小屋へ案内してくれた。
「お早くお出かけ下さいましてようございました。源七鯉は評判がよろしゅうございますので、大方、四、五日で売り切れてしまいます」
手代が小屋にいた若い男に声をかけて、鯉の吹き流しを何枚か並べさせるのを眺めて、東吾も成程と思った。
たしかに丁寧な仕事をしているらしく、鯉の図柄が見事であった。彩色もけばけばしくないのに、鮮やかに染め上っている。
小屋にはその鯉の吹き流しと並べて、鍾馗《しようき》を描いた旗がおいてある。
東吾がその一つを手に取ったのは、鍾馗の絵がなんとも上品で、鯉と同様、実に丹念な仕事だったからである。
吹き流しも旗も染めであるのに、名人の描いたもののように立体感がある。
「お客様はお目が高うございます」
東吾が取り上げた鍾馗の旗をみて、手代がいった。
「そちらは、源七さんの悴《せがれ》の源太さんの仕事でございまして、こちらも昨年あたりから人気が出て参りまして、源太鍾馗と呼ぶ方が増えましたので」
手代に世辞をいわれたせいではなく、東吾はそれを買うことにした。
鍾馗は、五月人形の代表のようなものであった。
もともとは、唐国で魔除けの神とされていて、年の暮にこの画姿を門戸に貼って厄よけにしたのが、いつの頃からか端午の節句になり、日本でも五月人形や旗の絵柄の第一にされている。
「俺の祝いは、この鍾馗だが、いいか」
と東吾にいわれて、仙五郎は相好を崩した。
東吾とおとせが、金を払っている時、近くで女の叫び声が起った。
続いて、
「人さらいだ」
という声がする。
ふりむいたところへ、人波がどっと崩れて、その中から子供を抱えた女がころがり出た。
続いて、初老の男と若い女がとび出して来る。
「お前さん、ひとの孫をどうする気だ」
男が叫び、地面に這いつくばっている女から、子供を奪い取った。
子供、といっても、せいぜいつかまり立ちが出来る程度の幼児は泣きながら若い女にしがみつき、若い女がしっかりと抱きしめた。
子供をとりかえされた恰好の女は、よろよろと立ち上ると、
「重吉……重吉……」
と呼びながら若い女の抱いている子供に手をかけようとする。それを初老の男が制した。
「この子は、わたしの孫だ」
「重吉……」
「冗談じゃない。この子の名前は芳太郎だ」
三人を囲んで、ぐるりと人垣が出来、その一角をかきわけるようにして二人の男が出て来た。
「相州屋さん、どうなさいました」
女と睨《にら》み合っていた初老の男が救われたように、そっちへ声をかけた。
「佐野徳さん、いい所に、今、お宅へ行く所だったんだが……この人が、いきなり、うちの孫をさらって行こうとしてね、漸《ようや》くとり返したら、なんだか、変なことをいい出すし……」
佐野徳の主人が傍にいた番頭に声をかけた。
「今川町の親分が来てなさるだろう。すぐ呼んで来なさい」
番頭がかけ出して行き、相州屋さんと呼ばれた初老の男が、女にいった。
「あんた、人違いをしたんじゃないのかね、これは、うちの孫の芳太郎だ。よく顔を見てごらんなさい」
「重吉を返しておくれ」
女が再び、若い女の抱いている子供へ迫った。若い女が逃げ、それを追った女の顔が、東吾たちのほうを向いた。
「あれは……安東家の御隠居さん……」
おとせが叫び、仙五郎が応じた。
「違えねえ。たしかにお今さんだ」
「知っているのか」
慌《あわただ》しく東吾が訊ね、二人が同時に答えた。
「麻布の大地主の御隠居さんです」
役人が来たぞ、という声が上って、人垣が割れた。
今川町の親分と呼ばれている岡っ引の金八を先に立てて、町廻りの途中だったのだろう畝源三郎《うねげんざぶろう》の精悍な顔がみえて、東吾はそっちへ手を上げた。
流石《さすが》に定廻《じようまわ》りの旦那だけあって、畝源三郎の手ぎわはよかった。
関係者を今川橋の袂の自身番へ連れて行き、てきぱきと事情を訊く。
相州屋と呼ばれた初老の男は、本石町の木綿問屋、相州屋の主人で良右衛門といい、今日は一人娘のお千賀が昨年、六月に産んだ初孫の芳太郎のために五月人形を求めがてら三人揃って十軒店へ出かけて来たもので、
「なにが驚いたといって、こんなにびっくりしたことはございません。いきなり、その人が、娘の抱いている芳太郎をひったくって逃げ出したので……」
必死で追いかけてとり戻したはいいが、相手の女は、わけのわからないことをいっている。
その女については、おとせと仙五郎が証言した。
「麻布の大地主で名主をつとめなさったこともある安東重兵衛さんのお内儀《ないぎ》でお今さんとおっしゃいます」
どうして十軒店へやって来たのか、人の子をさらったのかはわけがわからないが、肝腎のお今は番屋に連れて来られてからは小娘のように泣きじゃくっていて、埒《らち》があかない。
「おそらく、なにかの間違いでございましょう、そこのところは、あっしがよくお訊ね致しますので……」
仙五郎とおとせが代りに何度も頭を下げ、相州屋のほうは、
「手前どもは、孫も取り返したことでございますし、あとのことはお上におまかせ申します」
と、源三郎に挨拶して、早々に番屋を立ち去った。
そのあとになって、仙五郎が思い出した。
「そういやあ、むかしのことでうっかりしていましたが、重兵衛旦那は子供をさらわれなすったって話をきいたことがありました」
かれこれ二十年近くも昔の話で、仙五郎は自分の縄張り内でもないからくわしいことは知らないが、
「どう探しても行方が知れなかったそうで、ひょっとすると、お今さんはその子と、相州屋の孫を間違えたんじゃありませんかね」
という。
それにしても、二十年近くも昔の赤ん坊が、今も赤ん坊でいるわけはないので、
「陽気の加減で、ちっと、ここが可笑《おか》しくなったんじゃありませんかね」
仙五郎は小声でいい、自分の頭を叩いてみせた。
ともかくも、お今は仙五郎が麻布へ送ることになり、源三郎が金八に命じて、二挺の駕籠を用意させた。おとせも一緒に狸穴へ帰るという。
「正吉はおいて行かないか、折角、出て来たのだ。明日は八丁堀の道場で少し、稽古もしてやりたい。もう一人でも狸穴へ帰れるのだから……」
東吾がいい、正吉は目を輝かせて、母親に、
「お願い申します。先生の所へ泊めて頂いてもよろしいでしょう」
と、大きななりをして甘えている。
「それでは、何分、よろしゅうお願い申します」
おとせが頭を下げ、やがて女二人を乗せた駕籠に仙五郎がつき添って、ぼつぼつ暮れかけた日本橋を発った。
「どうも、木の芽どきというのは、人の気持が不安定になるもののようでして……」
いずれ、むこうの事情は仙五郎が知らせて来るでしょうといい、畝源三郎は小者を従えて奉行所へ戻って行き、東吾は気がついて、正吉を伴ってもう一度、さっきの小屋へ寄った。
「さっき買った鍾馗の旗だが、もう一本求めたい」
と声をかけると、小屋にいた老若二人の男の中の若いほうが嬉しそうに頭を下げた。
「こいつは、あんたが作ったそうだが、親子そろって、こういう仕事をしているのか」
東吾の問いに、若者が父親を眺めた。
「なかなか、親父には及びませんが……」
「そんなことはないさ。若いのに仕事熱心でけっこうだ。爺《とつ》つぁんはいい跡継ぎを持って幸せ者だな」
それに対して、父親のほうが丁寧にお辞儀をした。
二つ目の鍾馗の旗は正吉のために買ったので、いくつになっても、こういった買い物は嬉しいらしく、正吉は大切そうに包を抱えて、東吾について来る。
十軒店で「源太鍾馗」と仇名されているという、その鍾馗の旗は「かわせみ」でも評判がよかった。
「まるでお人形のように、表情がよく出ていますのね」
と、るいが驚き、
「随分といろいろな鍾馗様をみて来ましたが、こんなに神々《こうごう》しいのは、はじめてです」
嘉助も感嘆した。
たかが、布に染めた鍾馗なのに、どういうわけか、人の心を惹く、なにかがあるらしい。
翌日、東吾と正吉は早起きをして、八丁堀の道場へ行った。
久しぶりに稽古をしてやって、東吾は正吉が実に素直な剣を遣うようになっていることに気がついた。のびのびとしていて、癖がない。
あとから、源太郎を伴って道場へやって来た畝源三郎が、
「若い時の東吾さんの剣にそっくりですよ。弟子というのは師匠に似るといいますが、是非、我が家の源太郎も、ああいうふうに育てて下さい」
なぞという。
その源太郎はまだ幼年だが、東吾が基礎からしっかり教えているので、剣筋がなかなか良い。
正吉と源太郎を立ち会わせてみると、それは十歳からの年の開きがあるから問題にはならないのだが、源太郎は正確にきちんと打ち込むし、それを受けている正吉にもいい加減なところは微塵もない。
暫《しばら》く稽古をみていて源三郎は奉行所へ出仕して行き、東吾は次々にやって来る八丁堀の剣士達に稽古をつけて、正午に漸く、面《めん》をはずして汗を拭いた。
源太郎を屋敷へ送り、その足で正吉と大川端へ帰って来て午餉《ひるげ》を食べていると、嘉助が、
「飯倉の親分が、安東重兵衛さんとおっしゃるお方とおみえになりましたが……」
と取り次いで来た。
安東重兵衛といえば、昨日、十軒店で他人の子供をさらって、とがめられた女の亭主だとわかって、東吾は居間へ通せといった。
やがて、仙五郎と一緒に入って来た重兵衛は、麻布の名主をしたこともある大地主というだけあって、それなりの貫禄があるが、腰は低かった。
「昨日は、とんだ御厄介をおかけ致し、まことに申しわけございません。おかげさまで家内は無事に家へ帰って参りまして、今はなんとか落ちついて居ります」
畳に手を突いて、深く頭を下げた。
「それはよかった」
不躾《ぶしつけ》だが、お内儀は心を患って居られるのか、と訊いた東吾に、重兵衛は沈痛な表情でうなずいた。
「昨年、少々、体を悪く致しまして一カ月ばかり床につきましたのがきっかけで、それ以来、尋常でない振舞が目立つようになりました」
最初は近所をあてもなく彷徨するといった程度だったのが、
「忘れも致しません。昨年の暮の歳の市が立ちます頃に、ふいに姿がみえなくなり、夕方になっても戻って参りませんでした」
奉公人や近所の人にも頼んで、手分けして探し廻ったが、行方が知れない。
「三日目に、知り合いが、芝神明様の歳の市に家内がぼんやり歩いているのをみつけまして、私どもへ連れ戻して下さいました」
以来、随分と気をつけていたのだったが、それでも二度ほど、お今は家をぬけ出して町をさすらっていた。
「別に、頭が可笑しくなったのではなく、人に訊ねられますと、自分の名も、身分もはっきり申しますそうで、二度とも、御親切なお方が麻布まで送って下さいまして、ただ、その方々が申されますには、家内は町をさまよっている時、重吉、重吉と呼びながら、他人《ひと》様の子を追いかけていたと……」
それは、東吾も十軒店で耳にしていた。
お今は他人の幼児をさらいそこねたあげく、その子に対して、重吉と呼んで、その子の祖父からどなりつけられていた。
「重吉というのは、お内儀が昔、人さらいにさらわれて行方の知れなくなったお子の名前だそうですな」
東吾の言葉に、重兵衛は、暫くうなだれていたが、決心したように顔を上げた。
「実は、今日、こちら様へうかがいましたのは、そのことについてお力になって頂けないものかと存じまして……」
ちょうど十八年前、お今は日本橋の十軒店の五月人形市で、重吉という、当時、生後十カ月余の男児を失っていると重兵衛は低い声で話し出した。
「昔の恥を申しますと、その重吉といいますのは、お今の子ではなく、手前が奉公人に手をつけて産ませた子だったのでございます」
お永という、その女中は神田豊島町の八百屋の娘で、両親の実家はどちらも麻布であった。
「その縁で、手前どもへ行儀見習に奉公して居りましたのを、年甲斐もなく、手前が不了見を起しまして……」
妊《みごも》ったのがわかって、すぐに神田の実家へ戻し、そこで男児を出産した。
重兵衛にしても、そのまま放り出すつもりはなく、まして生まれたのが男の子だったので、正式に女房に出来ないまでも、生涯、面倒をみるつもりで、親子の住む家なども探しておいた。
「ですが、お永の産後の肥立がよろしくないとのことで、元気になるまでは親許に厄介になりたいと申しまして、当時も神田の親の家に居りました」
そこへお今がのり込んで行って、赤ん坊をさらった。
「お今と手前の間には、娘が一人居りますだけで、手前はさきざき、重吉を手前の跡継ぎにしたいとお今に打ちあけましたのがいけなかったので……」
逆上したお今はさらった重吉を、どうやら十軒店の近くに捨て子してしまったのではなかったかと、重兵衛はいった。
「お永の親のほうから知らせが参りまして、手前が帰っていたお今を問いつめましたところ、赤ん坊の初節句に十軒店で冑でも買ってやろうと抱いて来たものの、あまり重いので下へおろし、自分は店の人形をみていたところ、気がついてみたら重吉の姿がなかったと申します。大方、親があとを追って来て連れて帰ったのかと思い、自分はそのまま麻布へ帰って来てしまったという始末で……」
それが十八年前の五月四日のことで、重兵衛は慌《あわ》てて十軒店へ出かけ、赤ん坊の行方を探したが、全く手がかりはなかった。
「間もなく、お永は歿《なくな》りましたし、世間体もあって、子は人さらいにさらわれたということにしたのでございます」
それから十八年も経って、お今は自分の罪の重さに心を狂わせたものか。
「お医者は、女も年をとってくると、気がふさいで、つまらぬことをいい出したりすることがあるもので、月日が経てば、だんだんに治ると申しますが……」
それはそれとして、重兵衛の心には、十八年前に失った我が子に、なんとかしてめぐり合いたいという思いが年々、強くなって来た。
「死んでしまっているというのなら、あきらめもつきましょう。けれど、もし、どこかで生きているのなら……」
お上の力で探し出せないものかと重兵衛にいわれて、東吾は腕を組んだ。
「いくらなんでも、そいつは無理というものだろう」
子供がいなくなったその日に手配すればまだしも、それでも運が悪ければ永遠に行方知れずのこともある。
「第一、お内儀《かみ》さんが十軒店で見失ったというのも、どこまで信用出来るのか、かわいい盛りの子供を人ごみの中に置き去りにするのからして尋常じゃないんだ。ひょっとして川の中へ放り込んじまったってことも考えられなくはないだろう」
東吾が、いつもの彼らしくない辛辣なことをいい、重兵衛は蒼白になって黙り込んでしまった。
「どうも、いやな話をお聞かせ申してあいすみません」
重兵衛が帰ったあとで、仙五郎が詫びた。
「子供をなくしたことは知っていましたが、まさか、お内儀さんがそんな非道なことをしているとは、ちっとも存じませんで」
重兵衛夫婦にはお八重という一人娘が居り、五年前に儀助という聟《むこ》を取っている、と仙五郎は話した。
「その聟が、どうもあんまり出来がいいとはいえませんで、その上、未だに子供が出来ないところから、重兵衛旦那はさきゆきが心配になって来たのだろうと思います」
十八年も前に失くした子を探し出せないかと、藁《わら》をも掴むようなことを口に出したのも、そういった家庭の事情があればこそだろうと東吾も思う。
「近所の寺の坊さんが、因果応報ってなことをよく説教の時に申しますが、重兵衛夫婦をみていると、つくづくそういうものかと思わせられます」
午餉のもてなしを受け、仙五郎は正吉と共に狸穴へ帰って行った。
「随分とむごいことをしたもんですねえ。いくら、旦那が奉公人に手をつけたからって、子供にはなんの罪もないでしょうに……」
鬼のような女だと、お吉は口を極めて、お今のことを非難したが、るいは黙って縫いかけの単衣《ひとえ》をひろげた。
別にお今という女のしたことを肯定するつもりはないが、夫に裏切られた女房が鬼になる気持はわからないでもない。
たしかに子供には罪がないに違いないが、俗に坊主憎けりゃ袈裟《けさ》までも、という。
東吾のほうは机に向って本を広げていた。
しかし、目は文字を追っていても、心の中がもやもやとして落ちつかない。それが、なんのせいか、東吾自身にも判断がつかない。
あくる日、東吾は講武所の帰りに、神田豊島町へ廻った。
新シ橋の近くで訊ねると、このあたりの長屋の差配をしているという老人が、
「それは、多分、彦三のところだと思いますよ」
と教えてくれた。
但し、お永の両親である彦三夫婦はもう歿っていて、悴が八百屋をやっているという。
その八百屋は路地裏の小さな店であった。
四十くらいの男が、店先で大根を並べていた。声をかけた東吾に怪訝そうな目を向ける。
「こちらさんは、十八年前にいなくなったお永さんの子供のことでお出でなすったんだ」
差配が口をきいてくれて、東吾はその男がお永の兄の松吉だとわかった。如何にも実直そうな男だが、口は重く、実際にたいしたことは知らないようでもあった。
「妹が、奉公先から帰ってきて赤ん坊を産んだのは知っています。親父やお袋は、麻布の旦那が、妹に一軒持たせてくれるし、子供はいずれ、旦那の跡取りになるのだと喜んでいましたが……」
お今が子供をさらって行った時、自分は父親と市場へ出かけていて、何も知らないといった。
「お袋は洗濯に井戸へ行っていたといいますし……」
家へ帰ってみると、お永が泣いていて、麻布の旦那の御新造が赤ん坊をつれて行ったと訴えたが、そのお永も両親も、てっきり本妻が子供をひき取って行ったと考えたらしい。
「親父は商売をほったらかしにして、麻布へ出かけて行きましたが、夜になって帰って来て、子供はどこかへ行ってしまったらしいといいまして……」
「お今が、子供を十軒店へ置き去りにしたというのは聞いているか」
と東吾。
「知りません。麻布の旦那からは子供のことはあきらめてくれと、まとまった金をもらったようで……」
間もなく、お永が病死し、麻布との縁は切れてしまった。
「それじゃ、あんたやあんたの親が十軒店のあたりを、赤ん坊を訊ねて聞き歩いたということはなかったのか」
「ありません。十軒店に置き去りにしたというのは、今、初めて聞きました」
「手間をとらせてすまなかった……」
差配にも礼をいって、東吾は本町通りへ向って歩き出した。
重兵衛は、お永やその家族に、女房の不始末を打ちあけなかったのだと気がついた。
大川端への帰り道、なんとなく足が十軒店へむいた。
人形市は今日も大変な人出であった。
子供が買ってもらったばかりの菖蒲刀をふり廻して、まわりの者に叱られている。
ふと立ち止ったのは、二日前に鯉の吹き流しと鍾馗の旗を求めたところで、今日も源七に源太という親子の職人が、客の応対をしている。
この前にみた時も感心したのだが、吹き流しの鯉も見事だが、旗の鍾馗が実にいい。
思いついて、東吾は鍾馗の旗を一本買った。
それを持って深川の長寿庵へ行く。
長寿庵の長助《ちようすけ》には日頃、厄介になっているし、孫の長吉は東吾になついている。
「十軒店を通ったついでに買ってきたんだ」
と、とり出した鍾馗の旗に長吉は躍り上って喜んだ。
ちょうど町廻りの帰りがけに長寿庵へ寄ったところだという畝源三郎もいて、
「これは、よく出来ていますね」
手に取ってみて感心している。
「親父のほうは鯉の吹き流しの名人で、源七鯉とか、源七流しと呼ばれているそうだ。悴の源太ってのが、この鍾馗の作り手でね」
東吾はいささか得意であった。長助はもとより、釜場から長吉の父親と母親が出てきてこもごもに礼をいう。
やがて、東吾は源三郎と連れ立って長寿庵を出た。
「東吾さんは、なんの用でまた十軒店へ行ったんですか、まさか、長助の孫にあの鍾馗を買うために出かけたのではないでしょう」
歩き出してすぐに源三郎が聞き、東吾は麻布から重兵衛が「かわせみ」に訪ねて来たところから話しはじめて、結局、十八年前の子さらいの一件まで一部始終をすっかり喋《しやべ》らされた。
なにしろ相手は定廻りの旦那だから、訊問はお手のものである。
「そういうことだと、重吉という、その子供の行方はおそらく永遠にわからんでしょうな」
もし幸いにして生きていたとして、どこで何をして暮しているか。
「例えば、守袋を持っていて、それに名前が書いてあったなぞというのは、大方が捨て子です。親は止むなく我が子を捨てる場合、将来、めぐり合えるかも知れない時の形見に、なにかしら証拠を添えておくのが人情なのでしょう。しかし、さらわれて捨てられたとなると、まず、手がかりになるようなものは身につけていないと思いますよ」
拾ったほうは、その子の名前もわからないから、新しい名前をつけることになるし、いよいよ手がかりはなくなる。
「十八年も経ってから、その子の行方を探せないものかというのは、虫がよすぎます」
「仙五郎もいっていたよ、因果応報だとさ」
「十軒店通いの理由はわかりましたが……」
永代橋まで来て、源三郎が思わせぶりに笑った。
「さっきの鍾馗、なかなかのものですね」
なにをいい出すのかと、東吾は竹馬の友の顔を眺めた。
「長助の孫に買ってやって下さったのは感謝しますが、ついでのことに、もう一本、買って下さる気はなかったのですかね」
「源太郎か」
「なにしろ、手前は御用繁多で、なかなか十軒店までは足が及びません」
東吾は笑い出した。
「源さん、よくよく、あの鍾馗の旗が気にいったらしいな」
明日とはいわず、今から十軒店へ行って、もう一本買ってきてやる、と東吾は受け合った。
「源太郎が喜びますよ」
「欲しいのは、源さんだろうが……」
幸いにして日の長い季節であった。
初夏の空は、まだ充分、青さが残っている。
永代橋を渡って左へ行けば大川端町だというのに、東吾はまっしぐらに日本橋を目ざした。
十軒店の混雑はさっきよりは緩やかになっていた。
源七親子の小屋の前に立って紙入れを出し、
「源太鍾馗をもう一本、もらいたい」
というと、父親のほうがおそるおそるといった恰好で、
「お武家様は、たしか一昨日と、つい先程、鍾馗をお求め下さいました筈で……」
という。
「その通りさ、気に入って買ったんだが、そいつをみた奴が、俺の所にも買ってくれといいやがったのでね」
「ありがとう存じます。たびたびのお運びで恐れ入ります」
悴のほうが何度も礼をいい、鍾馗の旗の他に、
「これは、手前が仕事の片手間に染めたものでございますが、もし、御無礼でなければ、お使い頂けませんでしょうか」
一本の手拭をさし出した。
藍染めで、柏の葉が二、三枚、染め出されている。
「気を遣わせてすまなかった」
旗と手拭を受け取って行きかかると今川町の金八親分が、
「若先生、その節は……」
と挨拶した。人形市の立っている間は、毎日のようにこのあたりの見廻りをしているのだが、迷子は出るわ、人ごみで気分の悪くなる年寄があるわで、大さわぎだと笑っている。
「なにしろ、もうあと七日ばかりのことでございますが……」
帰りがけに八丁堀へ寄って、源太郎に鍾馗の旗を渡し、東吾は空腹で目が廻りそうになって「かわせみ」へ帰り着いた。
五月になって、東吾は本所の麻生《あそう》邸を訪ねた。
麻生家は、東吾にとっては兄嫁の実家であり、義妹に当る七重《ななえ》と夫婦になった宗太郎《そうたろう》は心を許し合える友人であった。
その宗太郎から、
「花世《はなよ》が寂しがっています。たまにはお出かけ下さい」
とことづけがあったので、深川で花世の好きな団子を買ってやって来たのだが、花世はお琴の稽古に出かけているとかで、
「もう帰りますから、お待ちになってやって下さいまし」
母親の七重が居間に請じ入れた。
床の間には、麻生家伝来の甲冑が飾られ、そのまわりにはさまざまの武者人形がところせましと並んでいる。
「そういえば、明日はお節句だな」
出された柏餅を食べながら、人形を眺めていると、二杯目の茶を注いでくれながら、七重が、
「東吾様って、案外、水臭いのですね」
という。
「俺が水臭い、なんで水臭いんだ」
「なぜか、胸に手を当てて考えてごらん遊ばせ」
「とんと、思い当ることはないが……」
障子があいて、宗太郎が入って来た。今まで患者を診《み》ていたらしく、筒袖の着物にくくり袴をつけている。
「全く、東吾さんは水臭いですな」
「なんだ。夫婦そろって……」
「教えてあげましょうか」
東吾の前へすわって、自分も柏餅を一つ取った。
「明日は、男の節句です」
「それがどうした」
七重が口をとがらせて、男同士の話に割り込んだ。
「頂いたそうですね。畝様のところの源太郎さんも、長助親分のお孫さんも……それから、狸穴の方月館の正吉さんも、飯倉の仙五郎親分の初孫さんも……」
「鍾馗の旗のことか」
宗太郎が茶碗を手にして、一膝のり出した。
「源太鍾馗というそうですね。東吾さんがぞっこん惚れ込むほどの見事な絵だとか……」
「よせやい」
顔の前で手をふった。
「ここの家には、なんでもあるじゃないか、鍾馗だって、あの通り……」
「あれは人形です、旗はありません」
「いったい、どこのどいつが喋ったんだ」
「おるいさんですよ。この前、かわせみへ寄った時に、おるいさんから聞いたんです」
「冗談じゃねえな」
誰か十軒店へ買いに行かせればいいじゃあないか、というのに、
「そういうことをいわれるから、水臭いと申すのです」
「なんだと……」
「手前は病人で忙しく、七重は小太郎《こたろう》がまだ小さいので……」
「しかし、奉公人が……」
「東吾様は依怙贔屓《えこひいき》です。花世にはいつも、いろいろ買って下さいますのに、小太郎にはなんにも……」
七重が娘の時のように鼻を鳴らした。
「俺に、源太鍾馗を買って来いというのか」
「それが無難ですな、下手をすると、当家の敷居が高くなります」
「全く、なんてえ奴らだ」
しかし、東吾は立ち上っていた。
「待ってろ、花坊が帰って来るまでに買って来る」
「それでこそ、東吾さんです」
とぼけた声に送られて、東吾は本所をとび出した。
新大橋を渡って十軒店へかけつけてみると他の小屋はまだ品物を並べているのに、源七親子のところはもう閉っている。
「源太鍾馗を買いたいのだが……」
佐野徳へ行って番頭に声をかけると、
「申しわけございませんが、あそこのものはもう売り切れまして……」
つい先刻、店じまいをして帰ったといわれた。
「あの親子の住いはどこなんだ」
念のために訊いてみると、
「埼玉|郡《ごおり》、和戸と申すところと聞いて居りますが……」
という返事であった。
「そんな遠くから来ていたのか」
東吾は驚いたが、番頭の説明によると、そのあたりは古くから吹き流しの鯉を作る職人が多く住んでいて、いわば、鯉の吹き流しの生産地だとのことであった。
考えてみれば、今日は五月人形市の最終日であった。
人気のある源七鯉や源太鍾馗がはやばや売り切れても不思議ではない。
「あの親子は、もう国へ帰ったのか」
「それは存じませんが、なんでも国から飛脚が文を届けに来て、源太さんの女房が女の子を産んだと知らされたそうでございますから……」
いそいで帰ったのかも知れないといった。
「あの悴、もう女房がいたのか」
「田舎は何事も早うございます」
止むなく東吾は日本橋へ出て、大川端へ帰ることにした。どうも、本所の麻生家には戻りにくい。
こんなことなら、最初から五、六本まとめて買っておけばよかったなどと後悔しながら「かわせみ」の暖簾《のれん》をくぐると、
「若先生、お客様がお待ちでございます」
今しがた、迎えを本所の麻生家へやったところだと、嘉助が告げた。
上りかまちの奥の客部屋で待っていたのは、
「なんだ、あんたか」
思わず、東吾は破顔した。源七鯉の作り手の源七である。
「実は、今、あんたの店へ行って来たんだ」
源七が不安そうな表情になった。
「なにか、手前どもの品物に不都合でも……」
「そうじゃない。鍾馗の旗を、もう一本欲しいという奴がいてね」
ここは落ちつかないから、居間へ来い、と遠慮するのを強引につれて行った。
「悴はどうしたんだ」
「国へ戻りますので、少々、買い物がございまして……」
あとからここへ来ることになっているといった。
「そういやあ、初孫が産まれたんだってな」
源七が頬をゆるめた。
「おかげさまで……」
るいが新しく茶をいれて、そっと東吾にいった。
「大事なお話でしたら、私はあちらへ……」
源七が手を上げた。
「申しわけございませんが、どうか、御新造様にも聞いて頂きてえと存じます」
さんざん考えた末にここへ来たといった。
「他に、こんな大事なことを、打ちあけられるお方が思い当りませんで……」
最初に東吾が十軒店へやって来た日に、佐野徳の番頭から、東吾の身分を聞いたといった。
「それから、ずっと思案して居りました」
自分も五十をすぎて、いつどこでどうなるかわからない。
「女房は昨年、歿りましたんで……」
自分が死ぬと、このことは一切、闇に消えてしまう。それでは、源太にすまないような気がすると、源七は深い息をついた。
そんな相手を眺めていて、東吾がそっといった。
「こいつは全くの俺の当て推量だが、ひょっとして、源太は捨て子かなんかじゃなかったのか」
源七が驚愕した。
「どうして、それを……」
「なんとなく、そう思ったんだ。俺が最初に十軒店へ行った日、あんたの店の前で、子さらい騒動が起っていた、あんたはそれをみていた筈だ。それで、あんたは源太のことを考えた」
「おっしゃる通りでございます。あの時、少々、気のふれたようなお内儀さんは、子供さんを人さらいにさらわれて、それでおかしくなったとか聞きました。子供を失くした親は何年、何十年経ったところで、その子のことを忘れはしない。どんな親でも、その子を思い出して涙をこぼしていると思った時、あっしは、源太の親のことが気がかりになりました」
「源太は十軒店で拾ったのか」
穏やかに東吾が訊き、源七がはっきり首を振った。
「違います、三味線堀のふちでした」
「三味線堀……」
下谷《したや》であった。
浅草御米蔵の脇から大川の水をひき込む掘割が武家屋敷の間を通って三味線堀で行き止りになる。
「あっしはもともとは佐野徳さんの店に丁稚《でつち》奉公をして居りました。その時分、みようみまねで鯉の図柄を描きまして、御先代の旦那から職人になったらどうだと勧められまして、佐野徳さんへお出入りの幟染め職人のところへ弟子入りしたんでございます」
成程と東吾がうなずいたのは、源七の言葉遣いが根っからの職人にしては丁寧すぎると感じていたせいである。
「十年ほどで一人立ちをしまして、女房をもらい、埼玉郡の和戸と申します村に所帯を持ちました」
一年の大半を鯉の吹き流しの製作に、その他、あらゆる幟や旗、時には手拭のようなものも注文に応じては染めていた。
「なんと申しましても、一番は鯉でございます」
作りためたものを、市の立つ日に女房と江戸へ運んで来て小屋で売る。市が終ると江戸を発《た》って、和戸へ帰る。
「十八年前のことでございます。女房と国へ帰るところで、三味線堀のところへさしかかりました」
「待ってくれ」
じっと聞いていた東吾が源七の話を止めた。
「埼玉郡の和戸というと日光街道だろう」
「へえ、千住から草加、越ヶ谷、粕壁《かすかべ》と参りまして幸手《さつて》の手前から北へ上ります」
「千住へ出るには浅草の御蔵前を通るのではないのか」
「いえ、あちらは道が混雑致しますのと、手前どもが泊って居ります宿は神田でございましたから……」
柳原の近くに、佐野徳の職人の仕事場があって、そこにいつも泊めてもらっていたという。
「新シ橋を渡って三味線堀の前を通り、下谷七軒町を抜けて本願寺様のところへ出るのが近道でございます」
「わかった、話を進めてくれ」
源七は茶を一杯飲み、昔を思い出す顔になった。
「三味線堀のところに赤ん坊、と申しましても、ぼつぼつ歩けるかと思えるような大きさの子供が犬に吠えられて泣いていたんでございます。びっくりして犬を追い、抱き上げました」
あたりを見廻したが、大名屋敷ばかり、通行人もいない。
「仕方がございませんので、七軒町の番屋へ参りましてお届け致しました」
その時、番屋の親父がいうには、この節の江戸は不景気で食うに困った親が平気で子供を捨てる。捨て子はお上に届けると捨て子|溜《だまり》に廻されるが、親が連れ戻しに来るか、いい養い親でもみつからない限り、大方が死んでしまう、折角、届けに来たのに、こういうことをいうのもなんだが、お前さん達で養い親を探してやったほうが、この子のためだと、
「どこかに子供を欲しがっている人がいないかと、逆に相談をかけられました」
たまたま、源七夫婦は一人っ子を病気で失ったばかりであった。
「女房が仏心を出しまして、なんなら、うちで育てようということになり、番屋の親父さんには、拾った時のことを細かく申し、もし、親が探しているようなら手前共のことを教えてくれと頼みまして、子供をひき取りました」
それが源太で、以来、年に一度、江戸へ来るたびに番屋へ寄って、親が探しに来ていないか、子供を失《な》くした人の話は聞かないかと訊いていたが、やがて、番屋の親父も交替してしまい、それっきりになった。
「その源太だが、手がかりになるようなものは何も持っていなかったのか」
東吾が訊ね、源七が情なさそうに答えた。
「守袋もなにもありませんで、着ているものも、ごく当り前の縞《しま》の着物で……」
おまけに源太の体には、親が目じるしになりそうなアザとかほくろのようなものも見当らないのだといった。
「それじゃ、どうにもならないなあ」
お吉が顔を出した。
「息子さんが来ましたけど……」
源七が丁寧にお辞儀をした。
「長話を致しまして、申しわけございません。ただ、源太という悴には、そういう事情がありますことだけ、どうか、お心のすみに留めてやって頂きとうございます。さきざき、もし、源太の親らしいものがみつかりましたら、源太の奴に教えてやって下さいまし」
立ち上るのを送りかけながら、るいが訊いた。
「悴さんは、御自分が捨て子だってことを、御存じなんですか」
「知って居ります」
落ちついた返事であった。
「ですが、当人はあんまり気にしてねえ様子で……」
帳場へ出て行くと、源太が大きな荷を背負って待っていた。
手に鍾馗の旗を一本、持っている。
「只今、こちらの番頭さんにうかがいましたんですが、お客様は鍾馗の旗をもう一本、御所望だったとか……」
東吾が思わず大声を出した。
「そうなんだ。なんとか一本、売れ残りがないか」
「こいつは、もし、国で産まれるのが男の子だったら持って帰ってやろうと、残しておいたもので……知らせによりますと、産まれたのは女の子だったそうで……」
「そいつは余ったんだな」
「へえ」
なんなら、これはさし上げたいというのを、東吾は無理矢理、余分の金を出して源太に押しつけた。
「少いが、産まれた子への祝いだ。とっておいてくれ」
「それじゃ申しわけがありません」
押し問答の末、漸く金をおさめ、礼をくり返して、父親の後から暖簾を出ようとする源太に、東吾がいった。
「お前、もし本当の親が大金持だったら、どうする、会ってみるか」
源太の表情になんの変化もなかった。
「俺の親は、父つぁん一人ですよ」
肩を並べるようにして豊海橋のほうへ歩いて行く親子の背に、初夏の陽が揺れている。
居間へ戻ると、るいがすぐにいった。
「麻布の重兵衛さんの探している重吉さん、源太さんじゃないでしょうか」
お今は神田豊島町のお永の家から子供を連れ出し、十軒店でおき去りにしたといっているが、
「豊島町だったら、すぐ目の前が新シ橋でしょう」
賑やかな町の中を抜けて十軒店へ行くよりも、新シ橋を渡れば向柳原で人通りはぐんと少い。
「あたしだったら、人にいったのとは反対の方へ捨てますよ」
「よせやい」
だが、東吾もそれは考えていた。
十八年前の同じ日のことである。
「でも、麻布へ帰ったほうが、源太さんの幸せかどうか」
るいが呟《つぶや》き、東吾もいった。
「なにしろ、証拠がなんにもないんだ」
番屋の親父が源七夫婦にいったように、江戸に捨て子は決して珍しくない。
「俺は、帰って行くあの親子をみていたら、よけいなことは、なんにもいいたくなくなっちまったのさ」
来年もその次の年も、五月人形の市が立つ日が来れば、源太は江戸へやって来る。
真実が知れる日が来るのかどうか、人智の計れぬところだと東吾は考えていた。
「それより、この紙入れをどうにかしてくれないか」
からっぽになった財布を東吾はるいの膝へ投げた。
「全く、どいつもこいつも。ひとをなんだって考えてやがる、鍾馗の旗一本だって安かあねえんだぜ」
しかし、東吾はその鍾馗の旗を手にしてそそくさと部屋を出た。
「宗太郎の所へ届けてくる」
明日は端午の節句、表には菖蒲売りの声がさわやかに聞えていた。
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愛宕《あたご》まいり
陰暦六月二十四日は愛宕まいりの日であった。
この日、愛宕権現に参詣すると、千日間分の御利益があるというので、老若男女、先を争って御山へ上って来る。
愛宕権現の本山は山城国愛宕山だが、徳川家康が江戸に開府した際、これを勧請《かんじよう》して芝の虎の御門の近く、小高い山の上に本殿を建て、江戸の火伏せを祈願した。
これが、江戸の愛宕山、愛宕権現社で鬱蒼たる木立に囲まれた本殿にたどりつくには、急勾配の石段を八十六段も上らねばならない。
もっとも、拝殿は石段の下にあって、社務所や別当職の居る本坊もそこにあるので、大方の参詣人は上まで登って行くことはない。
けれども、年に一度の愛宕まいりの日だけは、みんな不心得をきめ込むわけにもいかなくて、誰もがぜいぜいと息を切らしながら石段にとりついて行く。
「なにせ、この石段は急すぎまさあ。おまけに、一段の高さが男の足でやっとでござんすから、お女中衆には骨でございますよ」
石段の下で、るいとお吉に声をかけたのは深川長寿庵の長助で、実をいうと足弱の女のためには、裏側に女坂があるので、そっちを廻ったほうがよいのではないかと、暗にほのめかしたのだったが、
「冗談じゃありませんよ。あたしもお嬢さんも毎年、ちゃんと石段を上ってお詣りしているんです。なんてったって、表と裏じゃ、表からのほうが御利益があるにきまっていますからね」
お吉が口をとがらせて、長助の思いやりを一蹴した。
今日は年に一度の愛宕まいりの日、大川端の旅宿「かわせみ」では、毎年、るいがお吉を伴って参詣を欠かしたことがない。
宿屋商売に火の用心は肝腎だから、この日、本殿で火伏せの護符を頂いて、台所のかまどの上に貼りつけるのだが、そもそも最初の愛宕まいりの時に、主人のるいについて行こうとしたのは、番頭の嘉助であった。
「あそこは女の足ではなかなか大変でございます。手前がお供をして参りまして……」
場合によったら、るいは拝殿までにして自分が上まで行って来るといいかけたのに、
「なにをいうんですか。火の神さまを祭るのは台所で、台所はあたしの領分ですから、あたしがお供を致します」
頑強にいいはって以来、必ず、お吉がついて来る。
たしかに女にはきつい石段だが、年に一度ということもあって、女の参詣人も手を取り合い、助け合って本殿まで上って行く者が多かった。
「大体、一回上れば千回分の御利益があるんですから、少々、きつかろうとなんてことはございませんよ」
威勢のいいことをいって上り出したお吉だったが半分も上らない中《うち》に、
「まあ、いつ来てもこの石段の急なこと、まるで天へ梯子をかけて上って行くような気がしますよ」
と、大きな吐息をついた。
その周囲でも、
「ふりむいちゃいけませんよ。ふりむいたら最後、目が廻ってころげ落ちますから」
と注意している声が聞える。
今日のように、ぞろぞろと人が続いている時はふりむいてもたいしたことはないが、誰もいない時の石段を上からのぞくと、まるで絶壁の上に立って谷底をみるような案配で、気の弱い者はめまいが起る。
「ここへ上るたんびに思いますが、曲垣《まがき》平九郎って人は、本当にここを馬で上り下りしたんですかねえ」
さりげなく、るいをいたわりながら、長助がいった。
「人が上るんだって容易じゃねえのに、馬でござんしょう」
上るだけでも難儀だろうのに、下りる時の怖しさは並大抵ではあるまい、と、長助は講釈場で何回となく聞いている曲垣平九郎出世の石段の話を思い出している。
三代将軍家光の時、たまたま増上寺参詣の帰途、ここを通りかかった家光が、この石段を馬で上れる者はないかといい出して、お供の侍たちが尻込みする中に、特に名指されて曲垣平九郎がその期待に応えて、無事、石段を上り切った。ところが、感心した家光が扇でさしまねいたのを、再び、石段を下りて来いという命令かと、平九郎は心得て、それこそ決死の覚悟で急勾配の石段を下りるという条《くだり》は、講釈師の聞かせどころで、るいもお吉も、いや、この石段を上る参詣人の大方が知っている。
それほど、江戸の人々にとって、愛宕権現と曲垣平九郎の話は人口に膾炙《かいしや》していた。
「なんてったって、鞍上《あんじよう》人なく、鞍下馬なしってんですから……」
長助がいい気持そうに講釈師の口真似をし、すぐにお吉が応じた。
「それなんですけど、鞍の上に人がいなくて、鞍の下に馬がないって、どういうことなんですかね。あたしはいつもそこんところが気になってるんです」
「そりゃあその、曲垣平九郎って人が、馬術の達人でござんすから、この石段を下りるに当って、鞍の上に人がいないような、鞍の下に馬がいねえような、つまり、技芸、神に入るってなことじゃねえかと思いますがね」
「でも、鞍の上に人がいなくて、鞍の下に馬がいなかったら、鞍だけが宙に浮いちまって……、人と馬の幽霊かなんかが、この石段を下りて来るみたいじゃありませんか」
まわりから笑い声が起って、お吉が首をすくめ、それからは黙ってせっせと石段を上った。
漸《ようや》く頂上について、本殿に参詣し、御札所で火伏せの護符を授っていると、
「長助親分、あなたも御参詣でしたか」
と声をかけた男がいる。
「こりゃあ、甲州屋の大番頭さんで……」
長助が、傍らのるいとお吉に、
「深川の木場の材木問屋、甲州屋さんの大番頭の喜兵衛さんでございます」
とひき合せた。
で、るいとお吉がこもごもに挨拶すると、
「先程、石段のところで面白い冗談をおっしゃったのは、そちらのお女中衆でございますな。あのあたりは一番、息の苦しいところで、あなたの冗談のおかげで肩から力が抜けて、あとの上りが随分とらくになりましたよ」
という。
その喜兵衛はもう護符を受けて来たらしく、お供の手代と共に、丁寧にこちらに挨拶をして女坂のほうへ去った。
愛宕まいりの日は、上りは石段という人も、帰り道は女坂と決められていた。なにしろ石段が急なので混雑して突きとばされたりすると怪我人どころか、下手をすると死人も出かねないというので、別当職のほうで、そういうとりきめにしたせいである。
「甲州屋と申しますのは、木場でも指折りの大店でござんして、奉公人も川並人足を別にして二十人はいるようで、なにしろ商売の一切合財をあの喜兵衛さんが一人でとりしきっている、なかなかたいした人だということでして……」
長助がいい、お吉が、
「なんで材木屋さんが火伏せのお札を頂きに来るんですか。火事で家が焼けりゃあ、材木屋は繁盛するでしょうに……」
と憎まれ口を叩き、
「なにをいうのです。材木屋さんだって火事を喜ぶ筈がないではありませんか。第一、自分の店が燃えたら、どうするのです」
るいに叱られた。
で、女坂を廻っての帰り道に、長助がとりなし旁《かたがた》、甲州屋の噂話をした。
「大番頭にゃあ違えねえんですが、喜兵衛さんというのは、先々代の御主人の他に出来た子で、年からいうと先代の清蔵旦那の兄さんに当るんだそうです」
そのことは、店の者は勿論、深川|界隈《かいわい》でも知られているという。
「なんでも、先々代が歿《なくな》る時に、喜兵衛さんを呼んで、どうか弟を助けて甲州屋の店を立派に盛り立てるようにと遺言なすったそうでして……まあ、御本妻の産んだ弟が跡取りになり、喜兵衛さんは番頭といった恰好で、ずっと働いて来なすったわけで……」
それは、世間でままあることだが、
「その弟さんの清蔵さんが今から十二年前に四十を過ぎたばかりで歿りまして、悴《せがれ》の清太郎さんが二十そこそこで跡を継いで、まあ、その若さじゃ、あれだけの大店のきりもりは無理でございます。そいつを喜兵衛さんが助けまして、なんとか一人前にという時に、今度は清太郎旦那がぽっくり逝《い》っちまいまして……」
「なんで歿ったんです。まだ、三十をいくつも越えてないでしょうに……」
早速、お吉が目を光らせたのは、ひょっとするとお家騒動かと思ってのことだったが、
「清太郎さんってのは胸を患って居りまして、医者もよく三十すぎまで保《も》ったといってるくらい、とにかく、嫁も貰えないような体でございましたから……」
長助があっさり片付けた。
「お嫁さんも、貰ってないのだと、跡継ぎがありませんね」
口を入れたのは、るいで、
「甲州屋さんは、どうなるんですか」
と訊《き》く。
「清太郎旦那の歿ったのが、つい先月のことでございますから、まだ、なんとも聞いて居りませんが、おそらく四十九日の法事でも済んだところで、喜兵衛さんが旦那におさまるんじゃねえかと世間は噂をして居ります」
長年、番頭をつとめて来たとはいえ、もともとは先々代の悴である。甲州屋を継ぐのは不思議ではない。
「喜兵衛さんにお子はおありですの」
と、るい。
「娘が甲州のほうへ嫁いでいるって話ですが……女房は昨年、歿りました」
長助が知っているのも、そこまでであった。
「でもまあ、よかったじゃありませんか。長年、お店のために尽して来て、年をとってからでも、一応、旦那になれたんですから……」
苦労の甲斐があったというものだとその時のるいも長助も、お吉の言葉にうなずいたものだったが……。
七月なかば、盂蘭盆《うらぼん》が終って間もなくの或る日、珍しく東吾も家にいることだし、井戸につるしたまくわ瓜も冷えた頃だから取り出してお八《や》ツにでもといっているところへ、長助がひょっこりやって来た。
「いいところへ来たな」
と東吾が笑い、お吉が、
「本当に親分は口運《くちうん》がいい人だから……」
いそいそと井戸端へ出て行った。
だが、長助の顔色は冴えなかった。
「どうも、毎度、御厄介を持ち込むようですが……」
空いている部屋はあるだろうか、と訊く。
「ある段じゃございませんよ。この暑さで、江戸へ出て来る方もすっかり減ってしまって、このまんまだと、月末には夜逃げをしなけりゃならないかも……」
るいがいつもより派手な調子で冗談をいったのも、それほど、長助の様子に元気がなかったからで、
「うちへ来て水臭いじゃありませんか。どうぞ、なんなりといって下さいな」
ちらと東吾に目まぜをした。で、東吾も、
「どうせ長助親分のその顔付じゃ、ろくな客じゃあるまい。かけおち者か、それとも親に勘当された道楽息子か。こっちは一向にかまわないから、泥棒以外は誰でも連れて来いよ」
長助が話しやすいように、糸道を開いた。
「お願い申したい客と申しますのは、その、先月の愛宕まいりでおひき合せしました、甲州屋の大番頭の喜兵衛さんでして……」
ちょうど、切ったまくわ瓜を運んで来たお吉が聞きとがめた。
「甲州屋の大番頭さんって、あちら、甲州屋の旦那におさまったんじゃないんですか」
長助が鼻の上に皺を寄せた。
「それがそういうふうに参りませんで……」
甲州屋は親類などが寄り集って相談したあげく、
「歿った清太郎の姉に当りますので、おあきと申しますのが深川の料理屋で柏屋というところに嫁いで居りまして、男の子が二人居りますんで……」
上が辰吉といい十八歳、弟の吉二郎が十七歳。
「その吉二郎を養子に迎えて、甲州屋の跡取りにすることになりましたそうでして……」
どうも納得が行かないといった口ぶりでいう。
「それじゃ、喜兵衛さんは大番頭のまんまなんですか」
流石《さすが》に、るいも気の毒そうな声になった。
たしかに、歿った清太郎に女房子がいなければ、甥の一人を養子というのは順当には違いないが、なんといっても十七歳である。
それよりも、甲州屋の先々代の血をひいている喜兵衛が、とりあえず当主となって、その上で吉二郎というのを養子に迎え、商売を教えるという段取りにしたらよさそうなものだ、と、るいがいい、長助が大きく合点した。
「あっしも、それが筋道だと思います。なんと申しましても、喜兵衛さんは三十何年も甲州屋の屋台骨をかげで支えた人なんでございますから、この辺で一度は旦那と呼ばれる身分にしてあげても罰は当るめえと、まあ、深川界隈の連中は、みんな、そんなふうにいっていますが……」
お吉がまくわ瓜を勧めながら口をはさんだ。
「喜兵衛さんを旦那にすると、そのあとを継ぐ人が、喜兵衛さんの身内になるんじゃないかと御親類は心配したんですかね」
「まあ、多分、そういうことでござんしょうが、仮に、喜兵衛さんの、甲州のほうへ嫁入りした娘の子が跡を継ぐことになったとしても、もともと、喜兵衛さんが甲州屋の血筋なんですから、どうということはねえんですが」
「欲を出したんですよ。清太郎の姉さんのおあきさんって人が……。もしかすると、おあきさんの御亭主の智恵かも知れませんよ」
したり顔でお吉がいう。
「それで、喜兵衛って奴はどうしたんだ」
まくわ瓜を食べながら、大体、話の様子を呑み込んだ東吾が訊く。
「へえ、親類連中は、喜兵衛さんに今まで通り大番頭として働くようにいったそうですが、喜兵衛さんはこの際、お店をやめることにしたそうです」
「喜兵衛さんがやめたら、甲州屋は商売にならないでしょう」
当然、慰留されたと、るいは判断したのだが、
「長年、御苦労だったと、五十両のお手当を出されたってんで……」
るいとお吉が絶句して、長助がぼんのくぼに手をやった。
「喜兵衛さんはとりあえず、甲州の信玄のかくし湯とかいう湯治場へ行って、長年の疲れを除《と》ろうと考えたそうなんですが、何分、この中《じゆう》からの暑さで体の調子がよくない、医者もそんな様子で甲州まで行くのは無理だから少々の間、江戸で静養してからにしろと……そういうことなんでございますが、なにしろ、喜兵衛さんは今まで甲州屋の家作に住んで居りまして、やめた以上、そこにいるのはどうも具合が悪いと……」
「わかりました」
るいがきっぱりいった。
「どうぞ、今日にもお連れ下さいな。お元気になられるまで、かわせみを我が家と思ってのんびりして頂きたいと、あたしがいっていたと……、安心して来て頂くように、親分からそういって下さいまし」
長助が喜んで帰って行き、東吾がるいを眺めて笑った。
「どうも、また、うちの内儀《かみ》さんの女長兵衛が始まったらしいな」
「随分とひどい話じゃございませんか。お嬢さんが同情なさるのが当り前ですよ」
まくわ瓜を片づけていたお吉が、るいの肩を持った。
「どういう御親類が寄り集って相談なすったんだか知りませんが、情知らずというか、血も涙もないというか、あんまりだって気がします。赤の他人のあたしだって、そう思うんですから、喜兵衛さんはさぞかし腹が立ったことでしょうよ」
店をやめようという気になるのももっともだといったお吉に、東吾がやんわりといった。
「たしかに気の毒だと俺も思うが、だからといって、喜兵衛って奴にあんまり同情めいたことをいうなよ、こういう時は、そっとしておいてやるのが一番なんだ。はたがとやかくいうと、かえって当人の心の傷が深くなることもあるからな」
それは、るいも同感であった。
「とにかく、喜兵衛さんにゆっくり、くつろいで頂けるように、注意をしましょう」
夕方、長助が喜兵衛を伴って来た。
つい先月、愛宕まいりで会った時は、還暦というのが嘘のように若々しくみえたのが、今日は年相応の老人らしい。加えて、体から覇気のようなものが消えてしまって、どことなく、ぼんやりしていた。
出迎えたるいに挨拶して、お吉のあとから部屋へ案内されて行く後姿にも元気がない。
「どうも、魂が抜けちまったような案配だな」
帳場の脇からみていた東吾が呟《つぶや》いた。
「かわせみ」に落ちついた喜兵衛は、全く外へ出なかった。
一日中、部屋にいて、庭を眺めていることが多い。三度の食事を運んで行くお吉が、もし退屈なら貸本でも、と勧めてみたが、
「本を読む気もないようですよ」
心配そうに報告した。
たまたま、築地の患家を見舞った帰りだという麻生宗太郎が「かわせみ」へ立ち寄ったので、東吾は喜兵衛の話をした。
「それは、あまりいい状態とはいえませんね」
庭伝いに喜兵衛の泊っている部屋の外まで行き、ちょうど縁側に出ていた喜兵衛と二言三言立ち話をして戻って来ると、
「まあ、頭のほうははっきりしていますから、大丈夫だとは思いますが……」
といったので、東吾は驚いた。
「気がおかしくなったと思ったのか」
「そういう例があるのですよ」
真面目に宗太郎が応じた。
「長年、お家大事といいますか、店のために商売一筋に働き続けて来た男が隠居して商売からはなれたとたんに、ぼけてしまうことがあるのです。まあ、大方は店の主人なら悴が一人前になって来た段階で、ぼつぼつ店をゆずろうかと考える。考えはじめてから実行に移すまでにそれなりの期間というのがありますから、心の準備といいますか、仕事をゆずって隠居をする覚悟のようなものが出来ているので心配はありません。仕事が好きで好きで、とても遊んではいられないような老人は、悴に家督を継がせても、けっこう商売に口出しをする。若いほうはたまったものではないかも知れませんが、それはそれでよいのです」
一番困るのは、心がまえもないのに、或る日、突然、隠居させられ、閑居を余儀なくされるといった例で、
「下手をすると、一夜にして、自分が誰だかわからなくなったりします。姓名はおろか、悴や娘、女房の顔も見分けがつかなくなったりしまして、家族は父親がいやがらせをしているのかと思ったりしますが、その中《うち》にこれは只事ではないと知って仰天します」
一家の主人ではなく奉公人の場合でも、
「長年奉公して、かなりの仕事をまかされていた者が老年になり健康をそこねたりして自分で考え、決心して、暇をもらうというのですと問題はないのですが、自分ではまだまだ働けると思っているのに、急に主人のほうから暇を出される。当人にとっては寝耳に水というような場合、急に耄碌爺《もうろくじい》さんになってしまったということがあります」
「喜兵衛の場合は、それか」
「もっと悪いでしょう」
甲州屋の先々代の息子で、妾腹であったばかりに弟が家を継ぎ、自分は奉公人として働いて来た。
「弟が死んだら、今度は弟の子を主人として仕えて来たわけで、それだけでも当人の気持の中にはかなりつらいものがあった筈です」
甥である当主が歿って、子供もないところから、漸く自分に主人の座が廻って来た。
「六十にして、やっと日の当る場所に出ることが出来ると内心、大喜びしていた矢先、甲州屋の主人はお前じゃない。他から養子が来るといわれて、かっとして店をやめた。これはもう、心の準備どころか、覚悟もなんにも出来ていません。当人が腑抜けになって当り前なのです」
「これから、どうなる……」
「さっき話しかけた時の感じでは、けっこうしっかりした人間のようですから、やがて落ちつくでしょう」
現実に直面してうろたえていた気持がおさまれば、
「将来を考える余裕が出て来ると思いますよ」
「それまでに、どのくらいかかるんだ」
「人によりますからね」
「宗太郎ほどの名医の匙《さじ》加減でも、治らねえかな」
「心の病いは、体の病いより厄介なのです」
鯉の洗鱠《あらい》で酒を少し飲み、大根の千六本を昆布と鰹節のだしでさっと煮たのを、
「これは旨いですね。こういうものを食べていると夏まけはしませんよ」
椀に三杯もお代りをして、宗太郎は本所の邸へ帰って行った。
宗太郎の診立《みた》てを、東吾は「かわせみ」の誰にも話さなかった。
下手にさわぎ立てても、どうなるものでもないし、東吾がそれとなく見るかぎり、喜兵衛は、ぼうっとしているようでも目には力がある。
宗太郎がいったように、時が解決するだろうと判断したからである。
喜兵衛が「かわせみ」へ来て八日目に、はじめて甲州屋から人が訪ねて来た。
「手前は甲州屋の手代で松之助と申します。喜兵衛さんがこちらに御厄介になっていると聞きましたので……」
てっきりもう甲州へ行ってしまったと思っていたという。
取り次ぎを受けた喜兵衛は「かわせみ」へ来て、はじめて笑顔をみせた。自分から帳場まで出迎え、松之助を部屋へ伴って行った。
「もしかすると、甲州屋さんじゃ、喜兵衛さんに暇を出したものの、御商売のことがわからなくて、また戻って来て欲しいというんじゃありませんかね」
とお吉は推量したが、番頭の嘉助は、
「いや、それなら、旦那なり、御親類が来るだろうよ」
と考えている。
茶菓子を運んで行った女中の報告では、
「大層、お話がはずんでいらっしゃいました」
というだけで、なんとも判断はつきかねたが、一|刻《とき》ばかりで松之助が帰ると、珍しく喜兵衛が帳場へやって来た。
泊り客が少いこともあって、嘉助も暇なので、煙草盆を出し、話の水をむけると、
「どうも、気が抜けたと申しますか、松之助の話を聞いて、がっかりするやら、ほっとするやらでございます」
思ったよりも明るい口調で話し出した。
喜兵衛がやめたあとも、甲州屋は順調に商売を続けているという。
「考えてみればもっともなことで、たしかに長年、手前が商売の采配をふって居りましたが、仕事そのものは他の番頭や手代が各々の持ち場をきちんと固め、黙っていても万事が手ぬかりなく進んで居りました」
一年の仕事の段取りは、おおよそ決っていて、材木の買いつけ先も同じところだし、売りさばく相手も大体、長年の取引先であった。
「奉公人はみんな承知して居りますから、手前一人が抜けたからといって、商いが滞ることはございません」
松之助の報告でそれを聞いて、肩の力が抜けたといいながら腰の煙草入れを取り出した。
「正直に申しますと、やめるといいまして、若い主人から五十両の金を出された時は、青天の霹靂《へきれき》と申しますか、それこそ信じられない気持でございました。こんな馬鹿なことが、と何度も思ったものでございます。けれども、それは手前が先々代の血を引く人間だ、ただの奉公人とはわけが違うと考えていたからのことで、甲州屋の身内ならば、六十の年まで夢中でお店のために尽した以上、百両はおろか、千両箱の一つも頂いたところで不思議はないと思い込んで居りました」
黙ってうなずいた嘉助に苦笑した。
「ですが、手前は父親から弟を助けて商売繁盛につとめるようと遺言されたものの、立場は最初から弟が主人、手前は奉公人でございました。奉公人なら三十五年間、無事につとめおおせて退任致します時、五十両頂くのは分相応でございます」
松之助と話をしている中に、やっとそのことに気がついたと、煙草の煙を苦そうに吐いた。
「しかし、そういっちゃなんだが、甲州屋の皆さんは少々、薄情だねえ。長年、番頭さんに世話になっただろうのに、訪ねて来たのは松之助さん一人ってことでございましょう」
嘉助の言葉に、喜兵衛は小さく頭を下げた。
「そんなものでございましょう。あの松之助は手前と事情がよく似て居りますので、手前の気持がわかったのだと存じます」
「あの方も、甲州屋さんのお身内ですか」
昔は八丁堀で鬼と仇名のあった定廻《じようまわ》りの旦那に奉公していたから、嘉助もなかなかの聞き上手である。
「先代の旦那、つまり、手前の弟の清蔵の女房でおくめと申しますのの、甥に当りますんで……」
子供の頃に両親が流行《はや》り病いでたて続けに歿って、甲州屋にひき取られた。
つまり、喜兵衛と同じように、ただの奉公人とは少し違った感じで甲州屋で働いて来た。
「なにしろ、跡継ぎの清太郎が子供の頃から病弱でして、胸を悪くしてからは向島の寮で養生するような有様でしたから、おくめさんにしてみれば、娘のおあきと松之助を夫婦にして甲州屋の跡目をゆずってもよいと考えたことがあったようで、女のことですから、つい、それを松之助にも申していたようです」
ところが、肝腎のおあきが年頃になると、松之助を嫌い、同じ深川の料理屋の若旦那の辰之助といい仲になってしまった。
「双方の親が話し合って、二人を夫婦にしたわけでございますが、そうなりますと、松之助との話は立ち消えになりまして……」
結局、未だに手代として働いている。
「松之助さんのほうは、お内儀さんをもらいなすったので……」
と嘉助。
「いえ、独りでございます。手前も心配していろいろと心当りを訊いてみたことがございますが、帯に短かし、襷《たすき》に長しと申しますか……」
ひとしきり、そんな話をして喜兵衛は自分の部屋へ戻って行った。
その日以来、松之助は殆ど一日おきくらいに「かわせみ」へやって来た。
喜兵衛の部屋で話をして行くのは、最初の時ほど長くはなく、せいぜい小半刻ほどではあったが、時間の少さを補うように、頻繁に顔をみせる。
「他に話し相手がないのでございましょう。手前もそうでしたが、なまじ甲州屋の主人の身内ということになりますと、他の奉公人はなんとなく敬遠するふうなところがございまして……」
そういう意味では、松之助も甲州屋の中では孤独なのだろうと喜兵衛はいう。
喜兵衛のほうは、松之助が訪ねて来てから、急速に自分を取り戻したようであった。
「いつまでも、ぼんやりしているわけにも参りません」
とりあえず、娘の嫁いでいる甲州へ行き、これから先のことを考えて来るつもりだといい出した。
甲州には材木の買いつけに何度となく出かけているし、むこうには知り合いも多いらしい。
八月一日に、喜兵衛は旅支度をととのえ、早朝に「かわせみ」を発《た》って甲州へ向った。
あらかじめ、喜兵衛から出発を聞かされていた松之助も「かわせみ」までやって来て別れを告げ、喜兵衛の後姿がみえなくなるまで見送っていたが、やがて寂しそうに深川へ帰って行った。
「喜兵衛さんの今度のことで、一番、驚いたのは、あの人だと思いますよ。先代の内儀さんの甥だってことが、なんの役にも立たねえというのを、身にしみてわかったと思いますから……」
やはり深川から喜兵衛の見送りに来ていた長助が呟き、
「甲州へ行って、娘さんやむこうの知り合いが、親切にしてくれるといいんですがねえ」
お吉が心もとなげにいった。
その日は朝の内はよく晴れて穏やかな天候とみえたのに、昼を廻る頃から強風が吹き出して、このところ日照り続きだった江戸の町はひどい土埃が上って、太陽までが白っぽく見える有様になった。
「かわせみ」でも、女中達が表に水をまいたが、到底、そんなことでは追いつかず、板の間は拭いても拭いてもすぐまたざらざらになってお吉をがっかりさせた。
風は夕方になって更に激しくなり、こういう日に火事を出したら一大事と、町内の若い衆が町役人《ちようやくにん》に命じられて、拍子木《ひようしぎ》を叩いて用心を触れ廻っている。
「かわせみ」でも、三組ばかりの滞在客に早めに湯に入ってもらい、家の者は残り湯で行水ということにして、火を落した。
で、東吾も講武所から帰って来るなり、それお湯を使って下さい、飯にしますのとせっつかれて、はやばやと雨戸を閉めて暑苦しい部屋の中で団扇《うちわ》をぱたぱたやっていると、
「えらいことで。喜兵衛さんが大怪我をして戻って来ました」
帳場から嘉助が知らせに来た。
出て行ってみると、喜兵衛は駕籠で運ばれて来たらしく、人足二人に嘉助が手伝って、なんとか上りかまちへ運び込んだところであった。
「馬に蹴られたそうですよ……」
るいが東吾に教え、お吉は入口から一番近い部屋へ布団を敷きに行った。
「とにかく、医者に診せなけりゃ、いかんぞ」
東吾が若い衆を近所の外科の医者のところへ走らせ、自分は喜兵衛の様子をみに行こうとすると、それまでぼんやり土間に立っていた若い男が、
「申しわけねえことを致しまして……」
慌《あわ》てて頭を下げた。
喜兵衛を蹴とばした馬は、自分のもので、街道沿いの立木につないでおいたのが、何に驚いたのか急にあばれ出し、綱を千切って走り出したところへ、運悪く通りかかったのが喜兵衛だったという。
場所を訊くと、柏木の先だとのことで、
「喜兵衛さんが、どうしても八丁堀へ戻るといいなさるので……」
駕籠屋を頼み、なるべく静かに運んで来たと聞いて、東吾は財布からいくらかを出して紙にくるんだ。
「そいつはお前も災難だったな。喜兵衛のことは引受けたから安心して帰るがいい」
念のために、ところと名前をきき、駕籠賃を渡してやると、相手はえらく驚いて辞退したが、やがて何度も礼をいい、駕籠屋と共に出て行った。
それと入れかわりに医者が来る。
喜兵衛は馬を避けようとしてころんだ所を蹄《ひづめ》にかけられたようで、左の肩のあたりを骨折しているらしく、医者の手当を受けながら苦痛のためか、脂汗を流している。
その夜の「かわせみ」はてんやわんやで、雨戸に叩きつける風の音さえ、気にならなくなった。
喜兵衛は夜明け近くになって、薬が効いたのか、うとうとしはじめ、それまでつきっきりだった医者も、
「どうせ間もなく夜があけますから、こちらで少々おやすみ下さい」
お吉が気をきかせて隣の部屋に布団を敷いた。
で、るいもあとをお吉にまかせて居間へ戻って来ると、東吾が大川に面した縁側の雨戸を一枚だけ開けて涼んでいる。
「どうやら、川向うに火事があったらしいよ」
という。
「深川ですか」
もしや、長寿庵の長助の家がと心配したるいに、
「いや、火の上り具合からして、もっとむこうだ」
おそらく富岡八幡よりも先のほうだろうし、
「いい具合に風がおさまったんで、どうやら今しがた鎮火したらしい」
団扇を持った手を上へあげて大きくのびをした。
たしかに、るいがのぞいてみても、川のむこうはまだ暗く、どこにも火の手は上っていない。
風はやんでいて、庭に雨の音がして来た。
「どうせ降るなら、風が吹く前に一降りしてくれたら助かりましたのにね」
文句をいいながら雨戸を閉めた。
東吾はもう蚊帳《かや》の中に入っている。るいが帯をほどき出した頃に、雨は急に激しくなったようであった。
翌朝、念のためにと、嘉助が深川まで昨夜の火事の様子をみに行ったが、戻って来るとまっすぐに東吾とるいの居間にやって来た。
「焼けましたのは、木場の材木置場で、それが甲州屋さんのところでございました」
三方を大きな堀に囲まれた広大な材木置場がすっかり焼け落ちて、堀に浮べてある材木も、
「上を火が渡ったとかで、とても使いものにはならないそうでございます」
吉永町の甲州屋の店は無事だったが、商売物の材木があらかた焼けてしまったので痛手は大きいだろうという。
「喜兵衛さんに知らせたものかどうか」
と嘉助はいったが、その喜兵衛は左腕を肩から白布に巻かれていて、朝餉《あさげ》の粥《かゆ》もまだろくに咽喉を通らない状態である。
「あちらは、もう甲州屋の奉公人じゃないのですから、自然に耳に入るまで、そっとしておきましょう」
るいがいい、東吾もそれに同調した。
だが、午《ひる》近くなって畝源三郎が長助を伴って「かわせみ」へやって来た。
「ちょっとみて頂きたいものがあって来たのですが……」
帳場まで出て来た東吾とるいにことわって、懐中から手拭にくるんだ煙草入れを出した。
かなり古くなっているが印伝で、煙管《きせる》も悪くない。
「これは、たしか、喜兵衛さんのものじゃあございませんか」
と嘉助がいい、るいに呼ばれて出てきたお吉も、
「そうですよ。喜兵衛さんのに間違いありません。うちに泊っておいでの時分に、よく床の間においてありましたもの」
と答えた。
「その、甲州屋の喜兵衛ですが、長助の話だと昨日の朝、ここを発ったとか……」
「源さん」
と東吾が話をひき取った。
「昨夜の甲州屋の火事と、この煙草入れが、なにかつながりがありそうだな」
「甲州屋の材木置場の火事は放火だとわかりました」
油をまいて火をつけた痕が歴然と残っていた。
「この煙草入れは掘割のふちに落ちていたそうです」
みつけたのは火消しの若い衆らしい。
「つまり、火つけの下手人は、喜兵衛というわけか」
「煙草入れの持ち主が喜兵衛とわかった以上、喜兵衛が昨夜、どのあたりまで行ってどこへ宿を取ったか、これから調べねばなりません」
「そんな必要はないぞ」
東吾が笑った。
「煙草入れの持ち主は、たしかに昨日の早朝ここを発ったが、運悪く柏木の先で馬に蹴られてここへ運ばれて来た。なんなら、部屋へ行ってみるといい」
長助が思わずといった恰好で、源三郎の後から叫んだ。
「そいつは本当でございますか」
「夕方から医者とお吉と、俺の内儀さんまでがつきっきりだ。おかげで、こっちも寝そびれて、川向うの火事見物をしていたよ」
「東吾さんも人が悪いですな」
源三郎が手拭で額の汗を拭いた。
「それならそうと、早くいって下さればよいのに……」
甲州屋で聞いたところ、喜兵衛が甲州屋を怨んで店をやめて行ったというので、てっきりと思ったと苦笑している。
東吾が嘉助とお吉に訊いた。
「二人とも、喜兵衛がこの煙草入れを持っているのをみたといったな」
ここへ滞在中、喜兵衛は外へ出かけていない。
「煙草入れが一人で歩いて木場へ行く筈はないんだ」
源三郎が麦湯を飲み、訊ねた。
「喜兵衛の怪我はどんな具合ですか、話が出来そうですか」
「少々、無理でも、喜兵衛に訊かなけりゃあ、放火の下手人は挙がるまい」
源三郎に東吾とるいがついて、喜兵衛の寝ている部屋へ行った。
夜が明けてから一度、帰宅した医者が、またやって来て塗り薬を取りかえたところで、喜兵衛はまだ顔色は冴えないものの、気分はかなり落ちついて来ているようであった。
「体の悪い者に、つまらないことを訊くようだが、あんたは煙草入れを持っているか」
東吾がやんわりと切り出すと、喜兵衛は、
「やっぱり、煙草入れは、こちら様へ忘れて行きましたか」
と応じた。
「煙草入れがないのに気がついたのはいつだ」
重ねて東吾が訊くと、ちょっと困った表情をみせたが、
「遠慮せずに正直のところをいってもらいたい。そうでないとあちこちに厄介が出来る」
穏やかな調子で東吾がうながすと、
「実を申しますと、こちら様を出立致します前の晩でございました」
旅の支度をととのえて、ふと煙草入れのみえないのに気づき、探してみたがみつからなかった。
「女中衆に訊ねてみようかと思いましたが、もう夜も更けて居りましたし、それほど大さわぎをする品物でもございません。翌朝は、ただもう気持がせいて居りまして、そのままになりました」
「では、その煙草入れで最後に煙草を吸ったのは、いつだか憶《おぼ》えているか」
喜兵衛はちょっと考えて、
「多分、煙草入れが見当らなくなった日の午餉のあとではなかったかと存じます。手前は煙草は嫌いではございませんが、そう好きというほどのこともなく喫《の》まなくともなんともないので……まあ、手持無沙汰の時に思い出して吸うといった程度だものでございますから……」
仕事が忙しかったりすると一日中、吸わないこともあったといった。
東吾は源三郎から煙草入れを受け取って、それを喜兵衛にみせた。
「これは、あんたのものか」
「左様でございます」
手にとって確かめた。
「間違いございませんが……いったい、どこに置き忘れて……」
「甲州屋の材木置場の堀のそばだ」
喜兵衛が、あっけにとられて東吾の表情をみつめた。
「なんでございますって……」
「甲州屋の材木置場は昨夜、火事で焼けたそうだ、その焼け跡に、こいつがあったというのだが……」
「そんな馬鹿な……」
流石《さすが》に絶句して、まじまじと煙草入れを眺めた。
「そんな筈はございません。手前はこちらさまへ御厄介になって以来、川向うには参って居りません」
改めて顔を上げ、るいに訊ねた。
「本当に、甲州屋の材木置場が火事になりましたので……」
るいがうなずいた。
「そのようですよ、材木はみんな燃えてしまって……でも、お店は御無事だったとか」
喜兵衛がしんとうつむいてしまい、東吾が医者に声をかけて横になるよう勧めた。
「甲州屋の火事は放火だったそうだ。となると、誰があんたの煙草入れを、そんなところへ持って行ったか。この家からあんたの煙草入れを持ち出せる者は、かわせみの奉公人か、あんたを訪ねて来た者か、まあ、あとのところはお上にまかせて、あんたは早く怪我を治すことだ」
東吾が源三郎にうなずき、男二人が部屋を出る。
入れかわりに、お吉が医者に命じられて煎じた薬湯を持って部屋へ入った。
帳場へ戻って来て、源三郎が、
「喜兵衛を訪ねて来た者というのは、誰ですか」
と訊く。
「甲州屋の手代の松之助だよ」
嘉助も答えた。
「松之助の他には誰も来て居りません。あいつは、喜兵衛さんが出立なさる前の日にも、夕方、ちょいと顔を出して別れを惜しんで来たと申して居りました」
「その時だな。多分、煙草入れを盗んだのは……」
翌朝、もう一度、送りに来たのは、喜兵衛が煙草入れを松之助が持ち去ったことに気がついているかどうか、それとなく様子を探るつもりだったのだろうと東吾はいった。
「下手な小細工をするから、かえって|あし《ヽヽ》がついたじゃないか」
「しかし、東吾さん」
慎重な源三郎が考え込んだ。
仮に喜兵衛が柏木で馬の蹄にかけられなかったとして、
「昨夜の泊りは布田か府中、まず八王子までは無理でしょう。いずれにせよ、野宿をするとは思えませんから宿を取る。喜兵衛を火付けの犯人としてお縄にして、昨夜はどこそこのなんという宿に泊りましたと申して、先方に問い合せれば、喜兵衛が間違いなくそこに泊ったという証拠が……」
源三郎の推量に、東吾が首をひねった。
「それはどうかな」
喜兵衛の今度の旅は甲州屋の大番頭としてではない。
「店から暇を取って、娘の嫁ぎ先をたよって甲州へ行こうとする年寄は、無駄な金は一文たりとも使いたくないだろう。とすれば、宿はせいぜい木賃だ」
旅籠屋《はたごや》と違って木賃宿は部屋も入れこみだし、飯も他で食べて来なければならない。いわゆる素泊りであった。
「そういう宿で、果して宿帳をつけるだろうか。泊った客の顔を一人一人、憶えているものだろうか。仮に江戸から問い合せが来たとしても、厄介だと思えば、そんな者は泊って居りませんと返事をしかねないのじゃあるまいか」
源三郎が破顔した。
「たしかに、その可能性はありますな」
松之助を調べてみるといい、長助と共に出て行った。
どう考えたところで、火付けの犯人は松之助以外にはなさそうだが、当人が一筋縄でいかないようだと、取調べが長引いて、なにかと厄介になる。
しかし、夜になって長助が報告に来た。
松之助を番屋へ呼び出して、畝源三郎が、喜兵衛が柏木で事故に遭い、昨夜は「かわせみ」で治療を受けたという話をしたとたんに松之助はまっ青になって慄え出したという。
「それでも、自分からはなんにもいいません。で、旦那が今夜はひと晩、番屋へ泊るようにとおっしゃいました」
深川の番屋には仮牢がある。
松之助はそこへ入れられた。
「腹が減ってはかわいそうだと思いまして、稲荷寿司を買って届けてやったんですが、そうしましたら、急に泣き出しまして……」
長助に、ぽつりぽつりとだが、身の上話を始めた。
「こいつは落ちる、と思ったもんですから、こっちも腰をすえて、じっくりと聞いてやりました」
聞いている中に、つい、ほろりとしたと、長助は岡っ引よりも蕎麦屋の主人の顔になって話した。
「かわいそうといえば、たしかに不憫《ふびん》な生い立ちでして……」
五つの年に両親が病死し、叔母の嫁ぎ先の甲州屋へひき取られた。
「甲州屋じゃ従姉弟《いとこ》に当る、姉娘のおあきが松之助より二つ年上、弟の清太郎は三つ年下ってことになりますんで……」
最初の中は姉弟のいい遊び相手だったが、十二、三歳からは小僧と一緒に働くようになり、一方は主人の娘と悴だが、松之助は奉公人となる。
「いけませんのは、叔母のおくめが、娘のおあきと夫婦にして、さきゆきは店をまかせるようなことを、うっかり当人に喋《しやべ》っちまったことでございます。おくめにしてみりゃ、一人息子の清太郎が病身で、とても頼りにはならない。どうせのことなら自分の血のつながりのある松之助をと思ってのことでしょうが、こいつは、おあきがうんと申しませんので、結局、うまく行きませんでした」
そのことは、喜兵衛が「かわせみ」で話していた。
「やっぱり、おあきさんのことで怨んでいたんですかねえ」
人は恋に迷うと怖しいと、お吉は首をすくめている。
「きっかけは、今度の喜兵衛さんに対する甲州屋のやりくちをみて、明日は我が身と思ったようでございますよ」
娘を餌にさんざん働かされて、その話は立ち消えになり、自分は嫁ももらえない手代の身分であった。
「かわいそうだとは思いますが、喜兵衛さんに罪を着せようとしたところがいけません。それに、火付けは大罪でございますから……」
松之助がお仕置になるのは救いようがないといい、長助は肩を落して帰って行った。
そして、江戸に秋風の立つ頃、再び、喜兵衛は「かわせみ」のみんなに見送られて甲州へ旅立った。
「馬に蹴られるなんて災難だと思いましたが、その災難のおかげで、火つけの犯人にされなかったんですから、人間、なにが不運で、なにが幸せかわかりませんねえ」
お吉がしみじみといい、曲り角のところでふりむいて、もう一度、お辞儀をしている喜兵衛に手をふった。
甲州屋は材木が全焼したにもかかわらず、諸方から材木を買い集め、急場をしのいで商売を続けている。
その噂は「かわせみ」にいた喜兵衛の耳にも入った筈だが、喜兵衛はそのことについて、まるで関心がないようであった。
「甲州の秋は早いといいますから、喜兵衛さんがむこうに着く頃には、山は紅葉になっているかも知れませんね」
るいが呟いて、東吾はその女房の肩を軽く叩いて、暖簾《のれん》を入った。
江戸の朝は晴れていて、夏の名残りがそこここにある。
嘉助が枯れた朝顔の鉢を気がついたように片付けはじめた。
[#改ページ]
蓮《はす》の花《はな》
上野不忍池のほとりの茶屋は、初夏を迎えて早朝から賑った。
この季節、池は青々とした蓮の葉が水面をおおい尽し、その間から紅や白の花が鮮やかに顔を出す。
蓮の花は夜明けに開き、その折に独特の音を発するなどといわれて、花見客は朝がまだあけ切らない中《うち》から池畔に集って来る。
深川の蕎麦屋、長寿庵の主人で、お上から十手をおあずかりしている長助が、へぼ将棋仲間と蓮の花見にやって来たのは、なんと前夜からで、それというのも月に一度の腕くらべの集りを、どうせのことなら不忍池の茶屋でして、そのまま夜明けを待って花の咲くのを見物しようではないかと仲間の一人が提案したのであった。
将棋仲間はいずれも深川佐賀町|界隈《かいわい》の商家の旦那衆で、その中の油問屋、伊勢屋惣兵衛というのが馴染の茶屋に話をつけ、各々、仕事の終った者から三々五々と集って晩餉《ばんげ》の膳を囲み、顔ぶれが揃ったところで、籤《くじ》をひいて対局相手を決め、いそいそと席についた。
なにしろ、口だけ達者な素人将棋のことで、どうねばったところで夜半すぎにはあらかた勝負がついてしまい、あらかじめ用意されてあった酒が出て、どこそこの指し手はしくじりだったの、あの銀の使い方は敵ながら天晴《あつぱ》れだのと、おたがいに褒めたり、けなしたりし合っている中に時は経ったが、それでも夜明けにはまだ間がある。
といって、横になって寝るほどでもない。
「どうでございましょうかな、時間つぶしにお一人ずつ、昔ばなしでも世間ばなしでも、この際、とっておきの話尽しとまいりませんか」
世話役の伊勢屋惣兵衛がいい出して、勝負に負けた順から、みんなの前にひっぱり出された。
まず長助が、若い時分の捕物のしくじり話を一席やって、次が書物問屋の村田屋市之助で、これは商売柄、学識豊富で唐国の皇帝の途方もない贅沢の話、続いて釣道具屋の浜屋東蔵は釣り落した魚が如何に大きかったかという話をして、一座が少し退屈したあとに、遊び人の藍玉問屋、宮本屋安太郎が生まれてはじめて吉原通いをした時の打ちあけ話で笑いを呼んだ。
そして五人目、深川一の会席料理屋、大和茶屋の隠居の治郎八の番になった。
この席では一番の年長者で今年六十五歳、商売は養子にまかせて、若い頃から好きだった芸事に熱中しているといういい御身分の上に、この節は流石《さすが》に年のせいで多少、神妙にみえるが、艶聞にかけては町内でも評判の御仁だったから、さぞかし色っぽい話になるだろうと、みんなが耳をさしのべたところに、
「実は、どうしてもこのことだけは、どなたかに聞いておいて頂かねばと思っていたのでございますが、なかなか話す度胸がございませんで……しかし、手前も寄る年波、こちらには長助親分もおいでのこと、思い切って申し上げようかと存じます」
穏やかな口調で切り出した。
時刻は、ちょうど夜明け前で、あたりはまだ暗いが、空のすみが僅かに白みはじめ、鳥の声が聞えている。
治郎八は、僅かの間、視線を開けはなしたままの障子のむこうの不忍池へ向けていたが、急に激しく身慄《みぶる》いをして、なにかに憑《つ》かれたように語りはじめた。
「十年ひと昔と申しますが、あれは、もう三昔、手前が三十なかばの頃、人を殺したのでございます。そうして、蓮池の中へ沈めました」
ひえっ、御冗談を、と誰かが笑いかけた。
だが、治郎八は顔を伏せたまま、石になったように黙っている。
そこに一座していた人々が顔を見合せ、その視線にうながされて、長助が訊《き》いた。
「いってえ、誰を殺したんで……」
「女房でございます」
ふっと、まわりの空気がほどけた。
同じ町内の面々である。大和茶屋の隠居の治郎八の女房は、この頃、病気がちとは聞いているもののこの三十年、息災であるのは、みんな知っている。
「いけませんよ、悪い冗談をおっしゃっちゃあ……おかげで睡気《ねむけ》がふきとびましたがね」
世話役の伊勢屋がとってつけたように大声でいい、
「いい具合に夜があけて来ましたよ、さあ、皆さん、こっちへ出て花見をしようじゃありませんか」
池へ向った涼み台のほうへ一同を誘った。
「それからは、次々に咲く蓮の花を見物しまして、女中が運んで来た朝飯を食い、適当にお開きになったんですが、どうも、胸んところに何かがつかえたような案配でございまして……」
ここは、大川端の旅宿「かわせみ」の居間、喋《しやべ》っているのは長寿庵の長助。蓮見の朝から二日ばかりが過ぎた午下《ひるさが》りのことである。
聞き手は、神林東吾とるいの夫婦に、茶菓子を運んできたまま、でんと居すわった女中頭のお吉。
「まあ、たしかに伊勢屋の旦那もいわれたように、睡気ざましの冗談だろうとは思うんですが、その……話し出した時の大和茶屋の隠居の様子が、なんとも尋常じゃございませんので……」
「いやですよ。親分、仮にも大和茶屋ほどの大店の御隠居が人殺しなんぞすると本気で思っていなさるんですか」
早速、お吉が笑いとばし、長助がぼんのくぼに手をやった。
「そりゃ、あっしもよもやと思いますが……」
「第一、治郎八旦那のお内儀《かみ》さんは死んでなんぞいないんでしょう」
「へえ」
「なんて名前なんだ、大和茶屋の隠居の女房は……」
長火鉢のむこうから東吾が助け舟を出した。
「お房さんと申しまして、今年五十三になりますんで……」
「古女房だな、そのまえに、治郎八に内儀さんはいなかったのか」
「あっしも、その点が気になりまして、早速、町内の年寄に訊いて廻りましたが、治郎八旦那は、若え時分、かなりな道楽者だったそうですが、女房はお房さん一人きりだそうでして、その前に女房同然といった関係の女はなかったと申します」
「でも……」
と、るいがひかえめに東吾を仰いだ。
「御当人にそのつもりはなくても、女の人のほうで女房気どりってことはございませんか」
最初から遊びでつき合っていた女が、女房を迎えると聞いて荒れ狂い出すというのはよくあることである。
「別れ話がこじれて、そのあげく、といったことはございませんか」
「しかし、それなら、女房を殺したではなくて、女を殺したというだろう」
東吾が長助に訊いた。
「治郎八が女房をもらったのはいつだか訊いて来たか」
「へえ、ちょうど三十の時だとか、お房さんは一廻り年下ですから、十八で……」
「随分、年が離れていますね」
とお吉。
「これも、近所の年寄から聞いたことでございますが、道楽が過ぎて内儀さんをもらいそこね、やっと遠縁に当るお房さんと祝言をあげたんだそうですが……」
「夫婦の間に子は……」
東吾の問いに、
「出来ませんで、十年ほど前になりますか、旦那の甥を養子に迎えたのが、今の大和茶屋の主人の吉太郎さんでございます」
長助が答えた。
その吉太郎に治郎八が店をまかせて隠居したのが三年前、老夫婦は小梅村の別宅へ移ったが、
「隠居のほうは毎日のように店へやって来て、町内のつきあいに顔も出しますし、あっしなんぞにも小梅村は田舎で寂しくって眠れないから、店のほうへ泊りに来るんだなんぞと話して居ります」
六十五という年にしては、まだ娑婆っ気が抜けていない、と長助はいう。
「冗談ですよ。冗談でもなけりゃあ、どうしてそんなことを親分の前でいうものですか。三十年前の話だって、人殺しは人殺し、今更、お上にしょっぴかれて、世間様に恥をさらすような真似をすると思いますか」
お吉が断言し、長助が再び、ぼんのくぼに手をやった。
だが、東吾はなにを考えたのか、翌日、新川の患家を見舞った帰りだといって、本所の麻生宗太郎が「かわせみ」へ顔を出すと、
「いいところへやって来た。たまには外で飯でも食わないか」
あっけにとられている宗太郎をうながして、さっさと外へ出た。
「東吾さん、まさか、おるいさんと喧嘩をしたのではないでしょうね」
永代橋を渡りながら、宗太郎が訊き、
「なに、もう内儀さんは、俺の行く先を知ってるさ」
出がけにるいが渡した財布を叩いてみせた。
深川佐賀町の大和茶屋といえば、一応、名の通った料理屋で客筋も悪くない。
瀟洒《しようしや》な門を入ると、両側に小ぢんまりした植込みがあり、玉砂利を敷いた通路の先に紺の暖簾《のれん》の下った入口がある。
時刻が早かったせいだろうか、女中に声をかけると、すぐに奥座敷へ通された。
もっとも、女中は麻生宗太郎の顔を知っていた。
「小梅のお内儀さんの所でお目にかかりました。本所の麻生先生でございましょう」
という。
「なんだ、宗太郎のかかりつけか」
東吾が破顔して、
「どうも、名医はあっちこっち顔が広いな」
と感心した。
やがて酒肴が運ばれて来る。
「ここの隠居の内儀さんは、どこが悪いんだ」
酒を飲みながら、東吾が訊き、
「まあ、人間、年をとって来ると、あっちこっち具合が悪くなるものですよ」
宗太郎が当りさわりのない返事をした。
「お内儀さんは、あんまり体が丈夫じゃありませんからねえ」
酌をしていた女中が顔を曇らせた。
「生れつき、病身なのか」
「お嫁に来なすった頃は、そんなでもなかったって、女中頭のおかつさんがいってましたけど……」
「これだけの料理屋のお内儀が病気がちでは困るだろう」
「でも、おかつさんがしっかりしてますから……」
「いくつなんだ。その女中頭は……」
「今年が本卦還《ほんけがえ》りだってきいてますけど、まだまだ達者で若旦那も若お内儀さんもまるっきり頭が上らないんですよ。なにしろ、御隠居さんだって頭からどなりつけちゃう人なんだから……」
「いい女か」
「そりゃ若い時はきれいだったと思いますよ。でも、六十ですから……」
勧め上手の東吾に盃を持たされて、あっという間に五、六杯、女中の口はかなりほぐれて来た。
「隠居は遊び人だそうだから、女房が病身となると、それに代るのがいるんだろう」
新しい徳利を取って酌をしてやりながら、東吾が訊く。
「門前仲町の小芳さんのことですか」
「お妾さんか」
「深川から出ていたんだそうですけど、落籍《ひか》して、門前仲町に一軒持たせて……まあ、やきもち焼きで、うちのお内儀さんが焼かない分、あちらがじりじり焼き続け、おまけに大旦那が吉原だの、柳橋だのにおなじみさんを作るもんで、そのたんびに大荒れだったって昔話をよく聞きましたけど、あちらも歿《なくな》って、もう三年になるんですから……」
「死んだのか」
「大酒飲みでしたからねえ。歿る二、三年前から患いついて、最後は何度も、もういけないって大騒ぎして、そのたんびに生き返って……よくよく業《ごう》の深い人だって、おかつさんもいってましたけど……」
「小芳のかかりつけの医者は誰だったんだ」
「最後に看たのは手前ですが……」
宗太郎がおっとり口をはさんだ。
「ここの旦那に頼まれて診《み》たのですが、肝の臓がやられていて、どうにもなりませんでした」
「病気で死んだんだな」
「そうです」
「野辺送りは……、いや、墓はどこなんだ」
「元加賀町の泰耀寺さんですよ。そういっちゃなんですけど、けっこう立派なお墓で……うちの大旦那が施主ですけどね」
女中が話をひき取って、気がついたように空の徳利を下げに立って行った。
「どうも、蓮池の下じゃなさそうだな」
東吾が呟《つぶや》き、宗太郎が苦笑した。
「おかしいと思ったら、東吾さん、大和茶屋の内情を調べに来たんですか」
「内情というほどのことじゃあないんだが」
女中が戻って来る前に、ざっと長助の話を伝えると、宗太郎も考え込んだ。
「女房を殺したといったんですか」
「しかし、治郎八隠居の内儀さんは生きている」
「それで、女房代りの女に目をつけたわけですね」
「小芳は違うな」
「少くとも、蓮池に沈んではいませんよ」
「治郎八は遊び人だったらしいから、昔の女をほじくり出すのは大変だろうな」
「その話は少し変ですね」
廊下を気にしながら宗太郎がいった。
「三十年前にせよ、女が一人いなくなったら、世間が不思議に思いませんか。仮に親兄弟がなく一人暮しだったとしても、近所の者がさわぎ出すでしょう。その結果、女とつき合っていた治郎八隠居、いや、その時分は大和茶屋の旦那でしょうが、案外、名前がばれるのは容易だと思いますよ」
「よっぽど、世間にかくれたつき合いだったとしたら……」
「男のほうはかくし通した気でも、女は喋っていますよ。大体、女の口を封じることが出来ると思うのが大きな間違いです」
「誰かさんは胸におぼえがあるからな」
廊下をけたたましい声が上って来た。
「麻生先生、来て下さい。大旦那の様子が変なんです」
ええっと男二人が腰を浮し、乱暴にひき開けられた障子のむこうから、この家の騒ぎが伝って来た。
大和茶屋の隠居、治郎八が卒中の発作で倒れたという知らせは、すぐに佐賀町をかけ廻ったらしく、まっさきに長寿庵の長助がかけつけて来た。
「こりゃあ、若先生でございましたか」
廊下に立っていた東吾をみて、ほっとしたような表情になった。
「女中が、運よく麻生先生がお客を連れて来ていなすったっていうものですから、いったい、どなたかと思いまして……」
といいかけて気がついたらしい。
「ひょっとして、若先生はあっしの話をお気になすって大和茶屋へお出でなすったんで……」
東吾が手を上げて制した。
「そんなところだったが、隠居が倒れたのには驚いたよ」
「本当に、卒中なんで……」
「間違いない。天下の名医が診ているよ」
「隠居のかかりつけは、すぐそこの玄庵先生ですが……」
「ああ、その医者も来ている。宗太郎と打ち合せをしていたようだ」
やがて、宗太郎が出て来た。
「出来るだけのことはしました。あとは玄庵どのにまかせようと思います」
東吾と長助をうながして大和茶屋を出る。
「どうも、だいぶ前から体の不調を感じていたようなのですよ。まわりは暑さのせいと軽く考えていたみたいでして……」
長寿庵へ向いながらいった。
「で、助かるのか」
と東吾。
「むずかしいところですね。運よく命をとりとめても、寝たきりになる怖れがありますから……」
長寿庵の二階へ上った。
「どうも、飯も酒も中途半端でね」
東吾がいうまでもなく、長助は女房に声をかけて酒と鉄火味噌を運ばせた。
「大和茶屋と違って、こんなものしかありませんが……」
「わたしは蕎麦をもらいます。東吾さんは渋皮のむけた女中に酌ばかりして、まるで飲んでいませんが、こっちは要領よく飲んだり食ったりしていますからね」
宗太郎が東吾に酌をしてやり、長助は板場の悴《せがれ》に蕎麦の注文をしておいて、すぐに戻って来た。
「わたしの勘ですが、治郎八隠居が不忍池の茶屋で話したのは、本当のことではないかと思いますよ。人間、寿命の尽きるのを予感すると、長年、心の中にわだかまっているものを誰かに告白したくなるものらしいですからね」
つきあいに自分も盃を取りながら、宗太郎がいい、長助が膝を乗り出した。
「やっぱり、誰かを殺しているってことでござんしょうか」
「長助は、治郎八の昔の女を当ってみたのか」
東吾が訊き、長助がうなずいた。
「どうも気になって仕方がございませんので、心当りを訊き廻ってみたんですが……」
治郎八の若い頃の遊び仲間というのは、この前、不忍池の蓮の花見の折にも世話人だった伊勢屋惣兵衛と、やはり、同席していた藍玉問屋の宮本屋安太郎の二人で、子供の時から同じ町内、同じ年頃ということもあり、大抵のことは知っていた。
「伊勢屋も宮本屋も口を揃えていうんですが、治郎八旦那はどっちかというと一人の女に執着しませんで、長くつき合ったといってもせいぜい半年か一年、大方は一回こっきりという遊び方で、うっかり、つかまったのは深川の芸者で小芳という、これは女のほうが利口でつかず離れず長続きして、結局、一軒持たせることになったと申します」
その女のことは、東吾と宗太郎も先刻、大和茶屋の女中の口から聞いていた。
無論、長助も小芳のことはよく知っていて、
「三年前に歿った時も、旦那のつき合いで、とむらいに行って居ります」
治郎八の場合、浮気はさんざんしているが長く続いたのは女房のお房と、この小芳しかいない筈だと、伊勢屋も宮本屋も太鼓判を押しているという。
「それに、これも二人の旦那のいったことですが、治郎八旦那は遊び上手と申しますか、金にはきれいなほうで、別れる時には女に充分なことをしているそうでして、まず、いざこざをおこしたという話は聞いていないと申します」
幼馴染に保証されて、長助はいよいよ探索の緒《いとぐち》がなくなっている。
「ところで、治郎八の女房だが、お房という内儀さんをもらう前に、女房のような女がいたということはなかったのか」
東吾の言葉に、長助が大きく手をふった。
「そいつは、うちの嬶《かかあ》の親が、すぐ近まにいるんですが、治郎八旦那が祝言をあげたのはお房さん一人で、その他に家に入れた女なんぞなかったといいやがるんで……」
三十年前とはいっても、その頃のことをよく知っている者が町内にはまだ沢山、健在でいる。
もし、治郎八に女房をもらう前に女の揉め事があれば、世間に知られない筈がなかった。
「三十年前というと、治郎八隠居は三十五ですね」
黙って聞いていた宗太郎が指を折った。
「お内儀さんのお房さんは、今、五十三と聞いていますから、二十三。大和茶屋に嫁入りしたのは十八だったそうですから、三十五年前のことになりますよ」
治郎八を診たのは今日がはじめてだが、お房のほうは小梅村に来て以来の患者なので、よく話をすると宗太郎はいった。
「患者の話を聞くのも、医者の役目です」
東吾や長助が考えているように、お房と夫婦になるに際して、邪魔になった女を始末したというのならば、それは三十年前ではなく、三十五年前でなければおかしい、と宗太郎は指摘した。
「少くとも、三十年前とはいわずに、三十数年前というような言い方になったと思うのですよ」
東吾が冑《かぶと》を脱いだ。
「いよいよ、わからなくなったな」
不忍池を全部、掘りかえせば死体が出て来るかも知れないが、
「出来ない相談だからなあ」
蕎麦が運ばれて来て、東吾はその話を打ち切った。
それから二日ほどして、東吾は講武所の帰りに、麻生宗太郎とばったり出会った。
「大和茶屋の隠居の容態は落ちついているそうですよ」
小脇に抱えていた薬籠を持ち直しながら、宗太郎が報告した。
「そのかわり、商売のほうは上ったりだと聞きました」
料理屋に重病人がいると知っては、客も酒を飲んで大騒ぎをするわけにも行かず、どうしても足が途絶えがちなものらしい。
「悴夫婦としては、小梅のほうへ移したいらしいんですが、到底、無理です」
小梅村からは女房のお房が来ているといった。
「病身の女房に看病が出来るのか」
「病身といっても風邪をひきやすいというくらいで、年中、寝たり起きたりというのではありません。もっとも、病人の下の世話なんぞは、女中頭のおかつという人がやっているようです」
「その女中頭と治郎八の仲はどうなんだ」
この前、女中が話したのによると、おかつという女中頭は治郎八を叱りとばすほど、大和茶屋の中では尊大な存在のようであった。
「案外、若い頃には、そういうことがあったかも知れませんね」
治郎八の容態を、責任上、時々、診に行っている宗太郎は、おかつの態度から病人との仲を推量していた。
「それにしても、女中頭は岩のように達者で、とても蓮池に沈んでいるとは思えませんよ」
悪い冗談をいって、宗太郎は炎天下をとっとと歩いて行った。
治郎八の死を、長助が知らせて来たのは、翌日のことであった。
野辺送りは明日で、菩提寺は元加賀町の泰耀寺だと聞いて、東吾は眉を寄せた。
「たしか、小芳という妾も泰耀寺に墓があると聞いたが……」
「おっしゃる通りで……」
治郎八は自分の家の菩提寺に妾の墓を作ったことになる。
「よく女房が、なんにもいわねえな」
長助が困った顔をした。
「まあ、お房さんって人はおとなしくって、御亭主のいいなりのようですから……」
なんとなく、東吾はお房という女に興味を持った。
「その野辺送りに、仏さんの女房も来るんだろうな」
「そりゃあ、御亭主のおとむらいですから」
喪主は養子だが、女房が顔を出さない筈はない。
「間に合ったら、俺も饅頭をもらいに行くよ」
東吾の言葉に、長助は途方に暮れた表情をした。
治郎八の野辺送りの日は、朝から小雨だったが、本堂で読経が終る頃にはすっかり上った。
寺の境内には供養の饅頭をもらうために近所の子供が集っている。その後のほうに東吾の姿をみつけて、本堂の廻廊にいた長助は仰天してとんで行った。
昨日、ああはいったものの、まさか本当にやって来るとは思わなかったのだ。
長助が近づくと、東吾は少しばかり照れくさそうな顔でいった。
「もうすぐ、みんな本堂から出て来るだろう。どれが隠居の女房か教えてくれ」
法要がすんだあと、遺族や参列者はいったん方丈へ入って休息する。
東吾が長助にささやいた時、本堂から世話役らしいのが三、四人出て来た。続いて若い夫婦と、初老の女と。
「あれが、お房さんで……」
長助が教えた女は、五十三にしては老けてみえた。痩せて小柄な体が一層、小さく感じられる。
「若い頃はさぞかしきれいだったろうが、ああ、しょんぼりしてしまっちゃおしまいだ」
東吾が低く呟き、長助が気の毒そうにいった。
「なにせ、自分の腹を痛めた子が居りませんから、さぞかし、これからが心細いことでございましょうよ」
お房のあとからは、番頭と女中頭のおかつが続いた。どちらもうなだれて、殊におかつはすすり泣いている。
改めて東吾は、お房が泣いた顔でなかったことに気づいた。
人は本当に悲しい時には涙が出ないものだとは思うが、今のお房の様子は、それとも少し違っているような気がする。
「お房の実家はどこなんだ」
何気なく訊いたことだったが、長助がいよいよ暗い調子で答えた。
「それが、もうございませんので……」
お房が嫁入りする少し前に父親が歿り、間もなく母親も病死した。
「あの人は一人っ子ということでして……」
「しかし、親類ぐらいはあるんだろう」
「本所の猿江町に柏屋という菓子屋がございまして、そこが代がわりをする前は、お房さんの親類だったと聞いたことがございますが……」
「代がわりというと、先代は潰れたのか」
「よくは知りませんが、若い主人が商売に嫌気がさして夜逃げをしちまったとかいう話です。なにしろ、昔むかしのことで……」
「その菓子屋は、今もあるんだな」
「へえ、ございますが……」
東吾が歩き出したので、長助は慌《あわ》てた。本来なら方丈へ行って喪主に挨拶するところだったが、まあ、そっちはあとでなんとでも弁解すればよい、と決心して、急いで東吾のあとを追った。
松平丹波守の下屋敷のへりを通って小名木川に出る。
その小名木川へ架る新|高橋《たかばし》を渡って、今度は横川を渡る猿江橋を越えたところが猿江町であった。
柏屋は小さな店であった。
紺地に白く柏の葉を染めた暖簾のむこうはひっそりとしている。
東吾はさっさとその店へ入った。
髪にかなり白いものが目立つ初老の男が店番をしている。東吾のあとから顔を出した長助をみて、ぎょっとした。
「深川の親分、お珍しいことで……」
東吾が笑った。
「俺は饅頭が好物でね、この近くに旨い饅頭屋はないかと訊いたら、長寿庵の亭主が、ここに案内してくれたんだ」
そこの饅頭を二十個ばかり包んでくれといわれて、柏屋の主人は竹の皮を広げた。
「あんたは、この店をやって何年になる」
上りかまちに腰を下した東吾に、主人は手を叩いて女房を呼び、茶の支度をさせた。
「およそ三十年になろうかと存じます」
「その前の、ここの主人は夜逃げをしたそうだが、返せないほどの借金でもあったのか」
主人が当惑したように長助を見、長助が蕎麦屋の亭主から岡っ引の口調になった。
「こちらはお上のお仕事をなすっていらっしゃる立派なお方だ。なんでも神妙にお答えしろ」
主人が慌てたようにお辞儀をした。
「別に、借金があって夜逃げしたわけではございません」
自分は、その若主人の父親の代から柏屋に奉公していた番頭の悴で、当時は菓子職人をしていたといった。
「歿った親父も、手前も、なんで若旦那が急に行方をくらましたのか、未だによくわかりませんのですが……」
柏屋の若旦那、友三郎が行方知れずになったのは、ちょうど三十年前の六月のことで、
「その三年前に大旦那が歿りまして、若旦那は随分と力を落されたのか、急に元気がなくなりました。おまけにその年の春、今度はおっ母さんが歿りましたんで、若旦那は母親思いの人でしたから、よくよくがっかりなすったようで、よく、手前の父がはげましたり、力づけたりして居りましたが、なにかというと坊主になってしまいたいなどと申されまして……」
商売は番頭にまかせきりで、母親が病気になってから死ぬまでを過した亀戸村の別宅のほうへひきこもってしまったという。
「それでも、時々は店に顔も出し、少しずつ元気になって来たようにみえたのでございますが……」
何日経っても店へ姿をみせないので、亀戸村の家へ行ってみると友三郎の姿はなく、それっきり行方知れずになってしまった。
「若旦那が店に顔を出した最後の日が六月二日でございましたので、手前の父親がその日を命日と決めて、お寺へ供養を頼みました」
それが友三郎が帰らなくなって三年目のことで、
「町役人《ちようやくにん》の方がたが、おそらく京へでも行って坊さんになったのかも知れないといわれまして、手前の父親に、このまま、店を守るようにおっしゃいました」
その父親も五年前に死に、今は自分が細々と商売を続けているのだといった。
「それは、どうも気の毒なことだったな」
女房のいれて来た茶を飲み、饅頭の代金を払いながら、東吾がもう一つ訊いた。
「ところで、行方知れずの友三郎は、深川の大和茶屋の隠居の女房と親類に当るそうだが……」
「従兄妹でございます」
どちらも一人っ子で、子供の頃からよく行き来をしていたといった。
「あちらが、まだ大和茶屋へ嫁入りなさる前には、ここへ遊びに来られて,手前もよくお顔をみたものでございました」
「嫁入りしてからは、訪ねて来なかったのか」
「いえ、一年に何回か、お出でになりました。ですが、若旦那が姿をくらまされましてからは一度も……」
勿論、自分は大和茶屋へ出入りはしていないといった。
「どうも、古いことを訊ねてすまなかった。せいぜい商売に精を出すがいい」
饅頭の包は長助が受け取って、柏屋を出た。
猿江橋を渡ったところで、東吾が足を止めた。
「すまないが、柏屋へ戻って、友三郎がひきこもっていた亀戸村の家の場所を聞いて来てくれないか」
心得て走って行った長助が、やがて戻って来て、
「わかりました。宝蓮寺という寺の裏側だそうで、今は誰も住んじゃあいないとのことでございます」
亀戸までだと、橋のある所とない所があって厄介だから舟に致しましょうと、長助は流石に東吾の心の内を先読みして近くを通りかかった猪牙《ちよき》に声をかけ、岸へ寄せさせて東吾と乗り移った。
小名木川を下って横十間川へ入る。
天神橋の袂で舟を下り、亀戸天神の前を通り抜けて亀戸村へ出る。
あたりは田で、青い稲が曇り陽の下で僅かな風にゆらいでいた。
田圃の道が寺の前に出た。
本堂は小さく、方丈らしい建物はない。しかし、境内は広そうであった。
「無住の寺でしょうか」
流石にこのあたりまで来ることはなかったのか、長助が珍しげに見廻した。
寺の入口と思えるところに石塔がある。そこに刻まれた文字が、宝蓮寺。
「ここでございますよ。宝蓮寺は……」
だが、東吾は長助の声を聞いていなかった。
目が吸いつけられたように「宝蓮寺」の文字から動かない。
長助から、
「ほうれんじの裏側……」
と教えられた時、ほうれんじの文字が浮ばなかったものだ。
「ほうれんじ」は「宝蓮寺」であった。
東吾が境内を歩き出し、長助が続いた。
寺も境内も荒れている。
池があった。さして大きくはないが深さはありそうであった。
そして、池には一面に睡蓮の葉が広がっていた。白い花と、紅い花が小さく、点々と咲いている。
暫《しばら》く睨《にら》むようにその池をみつめていてから、東吾は長助と寺の北側へ廻って行った。
そこに、朽ちかけた家があった。
「これが、柏屋友三郎の別宅か」
家の庭に立つと、木の間がくれに宝蓮寺の池がみえる。
三十年前の、ちょうど今頃の季節、友三郎はこの家から姿を消した。
その友三郎と、治郎八の女房、お房は従兄妹に当る。
帰り道、東吾は長助を帰し、一人で本所の麻生家へ寄った。
宗太郎は裏庭の薬草畑で、植木屋と話をしていたが、東吾をみると、すぐに上って来た。
こういった場合、すぐに東吾にとびついて来る宗太郎の長女の花世は、母親に伴われて琴のお稽古へ行っているとかで、いささか、気の重い話でやって来た東吾には、むしろ幸いであった。
柏屋友三郎と宝蓮寺の話をすると、宗太郎が、ほうと声を上げた。
「ひょっとすると、東吾さんの推量が当っているかも知れませんよ」
小梅村の隠居所に暮しているお房だが、世間に病身といっている割には、ごく普通の生活が出来る。少くとも病人ではないといった。
「但し、なんというか、生気がまるっきりないのですよ。生きていることになんの楽しみも持っていない。泣くこともなければ、笑いもしない。およそ、人の感情というものを失ってしまったようにみえるのです」
ここ三年ほど、お房の治療をしていて、気になっていたことだったが、
「その理由が、もし柏屋友三郎の失踪にあるとしたら、平仄《ひようそく》は合いますね」
「お房に当ってみようと思うが、体のほうは大丈夫だろうか」
東吾が訊きたかったのは、その点で、お房の肉体が大きな衝撃に耐えられるかが心配だったからである。
「あの人はみかけよりはしっかりしていますよ。それに、人は命にかけても知りたいことがあるのじゃありませんか」
麻生家を出て、東吾はいったん、八丁堀へ戻った。
すでに夜である。
畝源三郎は奉行所から戻ったところであった。
東吾の話を一言もはさまずに聞いた源三郎は、すべてを語り終えた東吾に訊ねた。
「それで、どうするつもりですか」
「まず、お房に話そうと思う。その結果、俺の推量が当っていると考えられたら、宝蓮寺の蓮池を掘り返してもらいたい」
「友三郎の白骨が出ても、下手人はすでに死んでいますが……」
「治郎八を裁くつもりじゃないんだ。殺された者への供養と、生きている者に真実を知らせるためだ」
「いいでしょう。お寺社のほうには話をつけておきます」
畝源三郎から万事、手配がついたという知らせと共に長助が迎えに来て、東吾が小梅村へ向ったのは、治郎八の野辺送りの三日後のことであった。
お房は、野辺送りがすむと、深川の店には寄らず、まっすぐに小梅村へ帰っていると長助はいう。
「どうも、なんと申しますか、背中がぞくぞく致します」
不忍池の夜明けに、人を殺した、と話した時の治郎八の表情が瞼《まぶた》の中から消えないといい、長助はしきりに冷汗を拭いている。
小梅村の大和茶屋の隠居所の前には、畝源三郎が来ていた。
「役目として、立ち会わせてもらいます」
東吾がうなずき、先に隠居所へ入った。長助が声をかけると、お房が自分で戸を開けた。奉公人は使いに出ていて、一人きりだといった。
「少々、あんたに話があって来た」
という東吾に、少しばかり戸惑ったようだが、
「どうぞ、お上り下さいまし」
居間へ案内した。
西をむいた位置に仏壇があるが、扉は閉ったままにしてある。
「早速だが、あんたは歿った治郎八が不忍池の蓮の花見の折に、人殺しの話をしたことを聞いているだろうか」
東吾の言葉に、お房は目を見張るようにした。小さくかぶりを振る。
「治郎八は、こういったそうだ。三十年前、自分は女房を殺して、蓮池に沈めた……」
お房の視線が宙に浮いた。そのまま、しんと考えている。
「思い当ることはないか、三十年前、治郎八は女房を殺して蓮池へ沈めた。つまり、こういいかえてもいい。三十年前、治郎八は或る者を殺した。そいつを殺すことは、とりもなおさず、女房の心を殺すことだ」
お房の口から、なんともいえない絶叫が起った。
「あそこです、友三郎さんが沈められているのは、宝蓮寺の蓮池の中……」
「やっぱり、そう思うか」
「間違いありません。あの日、あたしは友三郎さんとかけおちの約束をして……一人で千住へ行きました。でも、いくら待ってもあの人は来ず、その代り、朝になって治郎八が来ました。なんにもいわず、ただ、家へ連れ戻されたんです。そのあとで、友三郎さんが行方知れずになったと知って、あたしはあの人が治郎八に殺されたに違いないと悟りました。でも、どうすることも出来ない。証拠はなにもないのです」
涙が白い頬を伝っていた。自分が泣いていることも気がつかないように、お房は話し続けた。
「友三郎さんを失って、あたしは生きる気がしなくなった。あたしの命のような友三郎さんを殺したのは、あたしの夫なんです。どうやって生きて行ったらいいんですか。どんな顔をして、どんな声で喋って、どんなふうに生きたら……」
語尾が嗚咽に消えて、源三郎が東吾にいった。
「行きますか。宝蓮寺に……」
宝蓮寺の蓮池は、その日の中に用意された人足により掘り返された。
白骨化した遺体が発見されたのは、夕暮れになってからである。
遺体は三カ所に漬物石ほどの大きさの石が結びつけられてあった。
「むごいことをしやあがる。これじゃ、浮び上らなかった筈でさあ」
長助が呟き、そっと合掌した。
白骨死体が友三郎に間違いないと判ったのは、腰のあたりから発見された珊瑚《さんご》の玉であった。おそらく、煙草入れの根付ではなかったかと思われたのだが、それは、お房の証言で明らかになった。
「あたしが友三郎さんにあげたものです。おっ母さんの形見の珊瑚玉のかんざしを根付に作り直してもらって……」
友三郎の遺骨は、改めて荼毘《だび》に付され、お房が施主になって供養が行われた。
「そうすると、お房さんと友三郎って人とは恋仲だったんですか」
事件が解決して、精進落しを理由に「かわせみ」へ麻生宗太郎と畝源三郎が集って酒が一渡りした時に、お吉がお燗番をしながら訊いた。
「大和茶屋へ嫁入りする前からいい仲だったのか、俺はむしろ、二人が好き合っているのに気がついたのは、お房が治郎八の女房になってからじゃなかったかと思うんだが……」
男のほうは、幼馴染の女が他の男のものになってから、おのれの本心に気がついた。
「柏屋の今の主人がいっていたよ。友三郎が元気がなくなったのは、友三郎の父親が歿った頃からだと……その二年前にお房は大和茶屋へ嫁入りしているんだ」
女も亦、亭主を持ってから、自分の本心を知ることになる。
「治郎八は道楽者だ。ひと廻りも年上の男の女房になってみれば、男はあっちこっちに女がいる。店の女中までが亭主といい仲だと気がついて、お房はやり切れなかったろう。嫁入りを後悔もしたことだろう。そんな気持をつい、友三郎に訴える。二人がいい仲になったのは、そうしたあげくだろうと俺は考えているよ」
しかし、治郎八は間もなく女房の恋人の存在を知る。
「治郎八が大人なら、お房も友三郎もまるで赤ん坊さ。自分の気持をかくすのも下手だし、すぐにぼろが出る。気づかれないほうが不思議なくらいさ」
「でも、殺さなくたってよさそうなものじゃありませんか。自分だっていろいろと女をこしらえている。お内儀さんのことをとやかくいえた義理じゃありませんよ」
お吉が目を怒らせ、宗太郎が笑った。
「お吉さんの前だが、男にはそういうところがありますよ。自分は外で何をしても、女房は貞女でなけりゃならないと思う」
「勝手ですよ」
「治郎八は女房を寝とられたと知って、怒り狂ったんでしょうな」
源三郎が話をそらした。
「治郎八のいやな所は、怒りを外に出さず、男を葬ったことで、女房を罰したつもりでいる点ですよ」
今となっては想像で判断するしかないが、女房が友三郎とかけおちをするのを知った治郎八は小梅村の友三郎の家へ行き、友三郎に重傷を与えた上で、待ち合せの場所を訊き出したのだろう、と東吾はいった。
「或いは瀕死の友三郎が、お房が千住の宿で待っていることを告げ、お房だけは許してやってくれと頼んだのかも知れない」
友三郎の家のあった亀戸村は、田畑に囲まれていた。
「ちっとやそっと叫んだって、人家がないんだ。おまけに寺はその頃から無住ときている」
深夜に蓮池に死体を沈めたところで、みるものはない。
実際、治郎八の犯行は三十年間、わからなかった。
「よもやと誰しもが思いますよ。あんな大店の旦那が人殺しをするなんて……」
お吉が歎息し、台所から蕎麦を運んで来た長助がそっといった。
「なんだって、治郎八は三十年前の罪を自分からばらすようなことをいったんでしょうかね」
その場に居合せただけに、どうも無気味だと首をすくめる。
「宗太郎がいったよ。人間、死期を悟ると、過去の罪障が気になるもんだと……」
「まあ、本当のところは、お釈迦様にでも訊いてみないとわかりませんがね」
宗太郎が苦笑して長助から蕎麦を取り上げた。
風が出て来て、軒端《のきば》の風鈴がいい音で鳴りはじめ、大川の土手の上で子供達が花火をあげているらしい賑やかな声が聞えて来た。
江戸の夏が終るのは、まだ、だいぶ先のことのようである。
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富貴蘭《ふうきらん》の殺人《さつじん》
日中は夏の続きのようなかんかん照りだが、朝夕はだいぶ凌ぎやすくなったという挨拶がかわされるようになって二、三日、深川長寿庵の長助が、浮ぬ顔で「かわせみ」へやって来た。
午餉《ひるげ》が終って間もなくの時刻のことで、宿屋商売は一番暇、というあたりをねらって来たのは、なにがなんでも「かわせみ」の御連中に聞いてもらいたいという長助の腹づもりか、そこは長年のつきあいで「かわせみ」のみんなが承知している。
で、番頭の嘉助が、
「厄介事なら、ちょうどいい具合に若先生がおいでだよ」
と教え、女中頭のお吉が早速、奥へ、
「長助親分が来ましたよ。なんだか、若先生に御用があるみたいです」
と取り次ぎ、柄にもなく神妙に、阿蘭陀《オランダ》人の航海日誌を長崎在住の唐国人が訳したという厄介な一冊を読んでいた神林東吾が、
「おい、こっちへ通せよ」
と声をかけ、
「井戸につるしたまくわ瓜が冷えているんじゃないかしら」
るいが、針仕事の手を止めて、いそいそと立ち上った。
だが、「かわせみ」のみんなが歓待したにもかかわらず、長助の表情は冴えなかった。
「毎度、つまらねえ話を持ち込むようですが、たかが鉢植えの花が枯れたからって、女中が首をくくらなけりゃあならねえもんでしょうか」
お吉が運んで来た麦湯に手もつけないで、いい出した。
「花が枯れたって、なんの花だ」
と東吾。
「富貴蘭というんだそうです」
長助が懐中から書きつけのようなものを出して東吾にみせた。
「富貴蘭……蘭の一種だろうが……」
東吾が女たちを見廻し、るいとお吉が首をふった。
「あっしも、今度はじめて名前を聞いたんですが、なんでもお大名とか蔵前の旦那方の間で、流行《はや》っているんだそうでして、ちょいとしたもので何十両、いいものになると何百両もするそうです」
「冗談じゃありませんよ。たかが鉢植えが何百両なんて……」
お吉が早速、頬っぺたをふくらます。
「いったい、どこの話だ」
東吾が話を元に戻して、長助が語りはじめた。
長寿庵のある深川佐賀町の隣の今川町の長屋に友の市という按摩が住んでいるのだが、その娘のお戸美が二年ほど前から本所は南割下水《みなみわりげすい》の旗本、河田伊織の屋敷に奉公に上っている。
「近まのことで、あっしも子供の頃から知っていますが、裏長屋にはもったいねえようないい器量で、おまけに心がけのいい娘でして……今年十八になりますんで……」
そのお戸美が、主人からあずかった富貴蘭を枯らしてしまった。
「なんでも、その鉢植えは、河田の殿様が上役に頼まれて、或るところから入手しなすったんだそうですが、鉢植えが届いた時に、ちょうど、その上役の殿様が神奈川に御出張とかで、お帰りを待って二日ほど、お屋敷においておいたのが間違いのもとで……」
二日目の朝、お戸美がその前日と同じく、居間の床の間においてあるのを縁側に出して水をやろうとしたところ、花ばかりか、葉まで黄色く枯れていた。
「むこうのお屋敷の御用人の話だと、何十両だか何百両だかする鉢物が枯れちまったんで、殿様も奥様も仰天なさる。殿様はとりあえず上役のところへ行って一両日の猶予を願う、奥様は新しい蘭の鉢物の調達に出かけなさる。その留守にお戸美は、古井戸の井戸車を吊ってある輪っかに縄をかけて首をくくっちまったというわけでして……」
河田家のほうから知らせが来て、とりあえず友の市夫婦に町役人《ちようやくにん》と長助がついて、南割下水の屋敷へ、お戸美の遺体をひき取りに行った。
「まさか、殿様のお手討ちになったってことじゃありますまいね」
お吉が先くぐりをしていい、長助が、
「いえ、首くくりにゃあ間違えはねえんで、あっしたちが行った時には、裏庭の筵《むしろ》の上に横たえてありましたが、若党の栄三郎というのが、お戸美のぶら下っているのをみつけて、びっくりして下し、御用人を呼んでいろいろと介抱したそうですが、とうとう息を吹き返さなかったと申します」
と答えた。
お戸美の死顔は如何にも苦しげで、
「あっしですら涙がこぼれたんですから、親はたまったものじゃござんせん」
泣く泣く、遺体をもらって野辺送りをしたという。
「そいつはむごい話だが、当人が自分で首をくくったんじゃあ、どこに文句のつけようもねえなあ」
東吾が憮然とし、お吉が、
「まるで講釈の皿屋敷のお菊さんじゃありませんか」
と吐息をついた。
「それで、お屋敷のほうでは、なんとおっしゃっているんですか」
るいが訊《き》き、長助が膝を進めた。
「なにせ、殿様も奥様も、あっしたちに顔もみせちゃあくれませんで……。御用人のいい草は、まあ因果応報だと、こうでござんすから、腹が立って、腹が立って……」
とはいえ、相手が旗本では町人は泣き寝入りするしかない。
「うちで蕎麦をうっているのが嫌になっちまいまして……」
大川端までふっとんで来たという長助に、るいがまくわ瓜をすすめ、お吉が茶碗酒を取って来た。
「なにも、お戸美さんが化けて出るとは思いませんけど、そういうお屋敷はさきざき、ろくなことはありませんよ。因果応報ってことは、そっくりそちらさんにおかえしする言葉だと思いますよ」
まくわ瓜に手をのばしかけた東吾が、ふと訊いた。
「お戸美の親の友の市というのは、長屋住いの按摩だといったな。そういう者の娘が、どうして旗本の屋敷へ奉公に出たんだ」
町人の娘が武家奉公をする例は、この節珍しくないが、それは裕福な家が、娘の行儀見習とか、嫁入りの時の箔づけのためにやるので、貧乏人とは無縁の筈であった。
「実を申しますと、河田ってお旗本の奥方は、松ヶ岡|検校《けんぎよう》の娘なんでございます」
松ヶ岡検校というのは、本所石原町に住む高利貸であった。
本業は鍼《はり》療治である。
幕府は盲人に対しては鍼療治を職業とする者と琴三味線の師匠となる者とに分け、そのどちらにも特定の官位を与えることにし、その本山を京都の久我家と定めた。
盲人の官には四階、十六官七十三の小刻《しようこく》というのがあって、すべてが金で買える。
早い話が友の市という名前も、市号を買って、はじめて名乗れるので、その市号がおよそ四両といわれている。
検校はその最高位で、四階といわれる座頭、勾当《こうとう》、別当、検校の順に位が高くなる。
いわば、検校は数多くの盲人たちの総取締役のような立場でもあった。
金で官名を買わねばならない盲人に対して幕府は私財を高利で貸出し、利息を得ることを公認した。
従って、検校ほどの地位にのし上る者はおおむね、高利貸によってかなりの蓄財をしていて、なかには旗本や御家人にまで金を用立てている。
「すると、友の市は松ヶ岡検校を通して娘を河田家へ奉公に出したのか」
「左様でございます。松ヶ岡検校の娘のお三津さんと申しますのが、河田様の奥様なのですが、そちらから娘を奉公に出せば、その給金で市号をもらってやると勧められたそうでして、吉原へ奉公に出すわけでなし、娘の出世にもなることと喜んで承知したのが、今となっては仇になりました」
話すだけ話して、いくらか気持が落ちついたのか、長助はまくわ瓜で酒を飲み、別に悪酔いしたふうもなく、やがて深川へ帰って行った。
「富貴蘭だかなんだか知らないが、とんだ罪作りをしたものだな」
それを愛好する人々の間では盆栽や万年青《おもと》なんぞが高い値段で売り買いされる話をよく聞くが、富貴蘭というのも、大方、それらの類だろうと東吾がいい、
「その娘さんも無分別じゃありませんか。なにも首をくくらなくたって一生働いてお金を返す気になれば、その中《うち》になんとかなるってこともありますでしょう」
お吉は楽天的なことをいう。
「思いつめたんじゃありませんか。裏長屋に暮す人にとって、何十両、何百両というお金は一生働いても手にすることが出来ないものですもの」
そういうるいにしてからが、どんなに倹約を心がけたとしても、宿屋稼業で一年に備蓄出来る金はどれほどでもない。
二日ほどして、畝源三郎が「かわせみ」へやって来た。
「長助がお話ししたそうですが……旗本の屋敷へ奉公していた女中が首くくりをした一件です……」
縁側で所在なげに風鈴の音を聞いていた東吾がふりむいた。
「首くくりじゃなかったのか」
「自分で首をくくったにしては、ちと合点の行かないことが出て来ました」
相手が旗本だと、あとになって間違いがあっては弱い者が貧乏くじになるので、念入りに調べていたのだと源三郎はいう。
「死んだお戸美には、幼馴染がいまして、まあ、おたがいに好き合っていたのでしょう。今川町の大工で勘太郎というんですが、そいつがたまたま南割下水の水野という御家人の屋敷へ仕事に行っていました」
近く嫁をもらうことになって、古い屋敷内の手入れをはじめていたのだったが、
「水野家というのは、お戸美の奉公していた河田家と目と鼻の先の近さです」
お戸美が首をくくった日の朝、勘太郎がいつものように水野家へ仕事に行こうと通りかかると、お戸美がとび出して来て勘太郎を堀端へさそい、
「吉原へ身売りをしたいが、どこか知り合いはないかと訊いたそうです」
源三郎の話に、お膳を運んで来たお吉がびっくりした。
「吉原へ身売りでございますって……」
「勘太郎も驚いて事情を訊ねると、大事な富貴蘭を枯らしてしまって、奥様からお叱りを受けた。百両もするものをどうしてくれるといわれたので、いっそ、吉原へ身を売ってその金で返したいといったというのです」
「勘太郎は、なんといったのだ」
「そういうことなら、なにも身売りをするには及ばない。うまい具合に、つい先だって無尽の金が当って五十両ばかり受け取ったのを、いずれ所帯を持つ時のためにと親方にあずけてある。残りの五十両は姉の嫁入り先へ頼めば、必ず用立ててくれる筈だから心配するな、と申したそうです」
実際、勘太郎の姉のおすみは、深川の木場でも指折りの材木問屋へ嫁入りしていて、その舅《しゆうと》に当る人は勘太郎を大層、気に入っていて自分の隠居所を造る際にも、店の一部の建て直しをした時も、全部、勘太郎にまかせていた。
「しかも、勘太郎は自分の姉の嫁入り先だというので、どういっても手間賃を一文も取らなかったそうでして、そんなことから困った時にはいつでもいって来い。百両、二百両の金なら右から左へ都合してやるといわれていたようです」
で、勘太郎はそのことをよくよくお戸美に話し、決して無分別にしてくれるな、明日までには百両、耳を揃えてもって来るからと約束して、お戸美と別れた。その日は約束の水野家の仕事をして、帰りがけに材木問屋、檜屋《ひのきや》へ寄って事情を話して五十両の借金をし、親方からはあずけておいた五十両を戻してもらい、翌朝、河田家へ行こうとしている時に、お戸美が首をくくったという知らせを受けたという。
「どうです。ちょっと奇妙でしょう」
源三郎が鼻をうごめかし、東吾が考え込んだ。
「その勘太郎という男に会ってみたいが……」
「そういい出すと思いましたよ」
嬉しそうに笑って、源三郎は東吾を誘い出した。
勘太郎は、親方、といっても伯父に当る吉兵衛の家に同居しているといい、源三郎は永代橋を渡って今川町に向った。
佐賀町の中ノ橋の袂に長助が待っていた。
「早速のお出まし、ありがとう存じます」
いそいそと先に立って今川町へ入る。
勘太郎は、吉兵衛の家にいた。
「なんですか、体中の力が抜けちまったようで、飯もろくすっぽ食いません。嬶《かかあ》が心配するんで仕事を休ませているんです」
三人を出迎えた吉兵衛がなんともいえない顔でいい、女房に二階にいる勘太郎を呼んで来いと声をかけた。
「早速だが、勘太郎に無尽の金が入ったというのは間違いないな」
源三郎が念を押し、吉兵衛が大きく頭を下げた。
「あいつは二十の時から掛金を払って居りまして……今年五十両当りましたのは、講中のみんなが知っていることで……」
「その金をお戸美のために使うことに、あんたは同意したんだな」
「あいつの金をあいつが使うことでございます。まして、さきざき女房にしようという女のためでございますから、あっしも嬶も苦情はございません」
二階から力のない足どりで、若い男が下りて来た。如何にも大工らしいがっしりした体つきで、格別の男前ではないが、誠実そうないい顔をしている。しかし、肌の色は悪く、目がくぼんで、態度はどこか投げやりにみえた。
「勘太郎でございます」
吉兵衛が源三郎たちにひき合せた。源三郎が、ちらりと東吾をみる。
さりげなく東吾が前に出た。
「あんた、死んだお戸美といいかわしていたのか」
勘太郎がうつむき、東吾が穏やかに続けた。
「夫婦約束はいつから出来ていたんだ」
「なんとなく、子供の時からで……」
低く勘太郎が応じた。
「しかし、はっきり口に出して、女房になってくれろと頼んだことはあるのだろう」
「お戸美ちゃんが河田様へ御奉公に上る時に三年経ったら、お暇をもらってと、いってくれました。俺はそれまでに一生懸命稼いで……」
勘太郎の目がまっ赤になり、唇が慄えた。
「お戸美とは、ずっと会えなかったのか」
女は屋敷奉公であった。
「そんなことはありません。あちらのお屋敷の奥様は、よく外へお出かけになるんで、お戸美ちゃんはお供について行きました。その時に俺の仕事先へ顔を出してくれたりして、ほんの立ち話ですが……」
東吾が首をかしげた。
「奥様のお供をしていて、どうして、お前の仕事先へ行けるんだ」
「お戸美ちゃんは、奥様の用事が済む間、どこかで待っていることが多かったんです」
「用事……」
「お戸美ちゃんの話だと、お屋敷へ嫁入りする前の友達と肩の凝らない話をしたり、三味線なんぞを弾いて気晴しをするんだそうで……」
「お戸美が待っているのは、どのくらいの間なんだ」
「その時にもよりますが、大体、二刻《ふたとき》(四時間)くらいだと……」
「待つ場所は……」
「奥様の実家《さと》へ行っているようにと……」
東吾が源三郎をふりむいた。
「松ヶ岡検校の家は本所石原町だったな」
南割下水の河田家から、そう遠くはない。
「すると、お戸美はお前と会ったりして適当に時間つぶしをしてから、松ヶ岡検校の家へ行き、そこで奥方と落ち合って、屋敷へ帰るって寸法だったんだな」
勘太郎が黙ってうなずいた。
「ついでにもう一つ、訊こう。お戸美は奥様が亭主にかくれて間男しているというような話はしなかったか」
勘太郎が手をふった。
「とんでもねえ。お戸美ちゃんはお屋敷の話は滅多にしませんで……こっちが訊こうとしても話したがらねえ様子でしたから……」
第一、お戸美が会いに来るといっても、そこは勘太郎にとっては仕事先の普請場で、
「人の目もありますから、ほんの立ち話なんで……あんまりたち入ったことは話せもしません」
という。
「いろいろと訊いてすまなかった。ところで、お前はお戸美が首をくくったことについてどう思う」
勘太郎の目が光った。
「信じられねえんです。前の日に、俺が金の都合をしてくるといったら、お戸美ちゃんは本当に喜んだ。お金を返してお詫びがすんだら、どっちにしてもお暇だろうし、そうしたら二人で所帯を持って、あたしも精一杯働くからと……俺の腕の中で泣いていたんです。それが、なんで首なんぞくくらなけりゃならなかったのか……」
「お戸美の口から、死んでお詫びをするというようなことは聞いていないな」
「聞きません。あっしのところへ来た時のお戸美ちゃんの考えは、吉原へ身を売って百両作ろうということだったんですから……」
「わかった、つらいだろうが、あんまり歎いて体をこわすな、あの世でお戸美が成仏出来ねえぜ」
東吾に肩を叩かれて、勘太郎は声を殺して泣いた。
「こいつは最初《はな》っから洗い直さなけりゃならないぞ」
長寿庵に落ちついて、東吾がいい、源三郎や長助と額を集めて相談をした。
ざっと打ち合せがまとまって、源三郎と長助と別れて、東吾は本所の小名木川沿いにある麻生|源右《げんえ》衛|門《もん》の屋敷へ向った。
麻生家は、東吾にとって兄嫁の実家であり、当主の源右衛門は旗本で、西丸御留守居役を務めている。
その娘の七重の聟《むこ》になった麻生宗太郎は将軍家、御典医の天野宗伯の悴《せがれ》で、母方の祖父は典薬頭《てんやくのかみ》、今大路成徳であった。が、当人は親から勘当されて長崎へ遊学し、蘭方を学んで来たという経歴が物語るように、飄々《ひようひよう》としてみえるが、けっこう苦労人であった。
東吾とは肝胆相照らす仲でもある。
勝手知った屋敷のことで、用人の取り次ぎも待たず、奥へ通ると、宗太郎が七重とさしむかいで茶を飲んでいる。
「どうも悪いところへ来たようだな」
東吾が笑い、
「今日は朝から患者が多くて、やっと一服したばかりです。東吾さんの話し相手をするには都合のいい時ですよ」
とぼけた顔で宗太郎が応じた。
子供達は乳母がついて、近所の旗本の屋敷へ遊びに行っている。
「七重の女友達のところなのですが、同じ年頃の子供がいまして、やはり子供は子供同士がよいものらしく、近頃、入りびたっています」
「花世も小太郎も大きくなっただろうな」
このところ、海軍操練所の仕事で軍艦に乗る機会が多かったから、花世が「かわせみ」へ来ても、会うことがなかった。
「親は毎日みていますから、さほどには思いませんが……」
七重が茶と米《よね》饅頭を東吾のためにも用意して、東吾は早速、饅頭をつまんだ。
「この家は夫婦そろって、こんな甘いものを食っているのか」
「東吾さんだって、おるいさんにつき合ってわらび餅なんぞを突っついているじゃありませんか」
宗太郎が逆襲し、
「宅《たく》は、私よりも甘いものが好きですの。患者が多かったりしますと、お茶の時、二つも三つもあがるんですよ」
娘時代と同じ顔で、七重がいいつけた。
「饅頭の話はどうでもいいが、南割下水の河田という旗本について、なにか聞いていないか」
茶を飲みながら東吾が水を向けると、七重が悪戯《いたずら》っぽい目になった。
「やっぱり、お化けが出ますの」
「なに……」
「女中が町で聞いて来たんですって。富貴蘭の鉢を枯らしたお女中が井戸端で首をくくって……」
「幽霊が出るのか」
「知りません。でも、そういうのって、よく出ますのでしょう」
七重が変な手つきをして、東吾は大笑いした。
「相変らず、ここの奥方はのう天気だな」
「家の内が明るくて助かります。患者が死んで憂鬱になって帰って来ても、すぐに気がまぎれます」
「患者が死んだのか」
「名医は滅多に殺しません」
「どうも、ここの夫婦と話していると、調子が狂うな」
茶碗をおいて、東吾は首をくくったお戸美と大工の勘太郎とのいきさつを打ちあけた。
「成程、そこで東吾さんは、これはただの首くくりじゃないと考えたわけですか」
でも、と七重が口をはさんだ。
「勘太郎という人と別れたあとで、思いつめたってことはございませんかしら。好きな人にお金の苦労をさせたくないと……」
「お戸美は吉原へ身売りすることは考えても、死んでお詫びが出来るとは思っていなかった。そこが武士の娘と、按摩の娘の違いだと思うんだが……」
お戸美の父親は友の市という按摩だといった。
「娘が奉公に出た給金で市号を買ったくらいだから、そう金が貯っているとは思えないが、小金が出来れば高利貸をはじめるだろう。それとも、もう烏金《からすがね》を貸しているかも知れない。なんにしても世の中万事、金次第の考え方がこびりついている筈だ」
金を基準にものを判断したら、
「申しわけありませんと首をくくったって、一文にもならない。富貴蘭とやらが活《い》き返るわけでもないんだ」
武士の社会なら死んでお詫び、が通用するが、金貸の場合は、
「死んだら、元も子もなくなる筈だろう。だから、お戸美は身売りは考えても、首くくりは考えない筈なんだ」
宗太郎は東吾の言葉にうなずいた。
「すると、誰かがお戸美を殺して、富貴蘭のせいにしたのかも知れませんね」
河田伊織という旗本は、御書院番組に属している筈だと宗太郎はいった。
「松ヶ岡検校の娘を妾にしてから、金廻りがよくなって上役にだいぶ胡麻をすっているというのは評判ですよ」
「宗太郎は、富貴蘭を知っているか」
「残念ながら、実物をみたことはありませんが、だいぶ以前に義父上《ちちうえ》が話されましたね。蘭だか万年青だか知らないが、武士たる者が鉢物に血道を上げるとは奇怪至極、そんな金があるなら、この御時世、弓矢を蓄え、鎧の修理でもして、いざ出陣に備えるべきだと……」
「麻生の伯父上らしいな」
新しい茶をいれていた七重がいった。
「富貴蘭と申すのは、松ヶ岡検校というお人が、柳島村で弥助とか申す百姓に作らせているとのことですよ」
「なに……」
「とてもお金がかかるのですって。ですから検校のような大金持でないとそんな道楽は出来ません」
「松ヶ岡検校というのはそんな大金持なのか」
「娘さんの持参金が千両箱一つ、その他に、毎月百両ずつお化粧料の仕送りがあるのですって……」
宗太郎が笑った。
「東吾さん、これだから女は怖い。女の地獄耳には長助も兜《かぶと》を脱ぐでしょうよ」
「待ってくれ」
東吾が制した。
「さっき、松ヶ岡検校の娘は妾だといったな。正式に輿入《こしい》れしたのではないのか」
「東吾さんらしくもないですな。旗本が按摩の娘を奥方には出来ません」
「しかし、金を使って、然るべき武家の養女にして……」
「松ヶ岡検校は、そんな無駄な金の使い方はしないようです。その代り、待遇は奥方並み、決して正式の奥方を迎えないようにと一札取っていると聞きましたよ」
「それも、女達の地獄耳かい」
「河田家も、そのほうが世間体がよいでしょう。検校の娘を他家の養女にして祝言をしたといわれるより、妾にする分にはどんな身分の女であろうと問題はありませんからね」
「河田伊織というのは、どんな男だ」
「出世欲は強そうですね。富貴蘭も上役にとり入る手段でしょう。但し、けっこう男前ですよ」
女中が、新しい患者が来たと取り次いで来て、東吾は麻生家を辞した。
足を小名木川沿いに東へ向けたのは、七重が、富貴蘭は柳島村で弥助というのが栽培しているといったからで、午下りの往来はまだ暑く、川を行く舟の船頭はみな日よけ笠をかむっている。
新高橋のところで北に折れて横川沿いから竪川に出た。あとは再び東に竪川の流れを眺めながら汗を拭き拭き歩く。
七重はただ柳島村といったので、東吾は平河山法恩寺の裏側辺りに見当をつけて行ってみたのだが、そのあたりで訊いてみると、花作りの弥助というのは、更に東、亀戸八幡の裏手、梅屋敷に近いほうだと教えられた。
で、天神橋を渡って亀戸天神の社前から龍眼寺のほうへ行きかかると、むこうから身分のある医者でも乗っていそうな立派な駕籠がやって来た。
お供には総髪の侍が従っているが、東吾がみるところ、どうも浪人のようであった。
道を避けている近在の百姓に、
「どなたのお通りか」
と訊くと、
「松ヶ岡検校様が、弥助どんの所へ来なさったようだ」
という。
ついでに弥助の住居を訊くと、それは龍眼寺の脇の道を入って行ったところで、道の突き当りは柳島村のところから流れて来る川っぷちになる。
「東吾さんじゃありませんか」
思いがけない声に、東吾は苦笑した。
「源さんは、松ヶ岡検校を追っかけて来たのか」
「そこで、検校の駕籠に出会ったでしょう」
「高利貸が、ごたいそうな乗り物に乗っていやあがる」
「弥助の家は、そこですよ」
指した所はかなり広い敷地を竹垣が廻らしてある。
「松ヶ岡検校が弥助の家から出て来るのを待っていて話をきいたのですが、思ったよりも神妙でした」
しかし、お戸美については、花を枯らしたことを苦にして首をくくったと聞いているだけで、なにも知らないといい、親のほうからも、これといって苦情めいたことはいって来ていないと返事をしたらしい。
「ここまで来たのですから、弥助のところで富貴蘭という代物をみせてもらって行きましょう」
源三郎の発案で、長助が先に立ちぞろぞろと垣根の内に入った。
が、驚いたのは、いきなり若い女が仔牛ほどもある犬を曳き出して来たことである。
「入らねえでくれ、ここは爺《じつ》ちゃんの仕事場だ」
犬は激しく吠え立てるし、流石《さすが》に三人とも、その場に立ちすくんだ。
「待ってくれ。俺たちはあやしい者ではない。ここの主に少々、ものを訊ねたくてやって来たのだ」
東吾がいったが、娘は今にも犬の曳き綱をほどきそうな様子である。が、その時、
「お梅、お役人様に御無礼があっちゃあならねえぞ」
しわがれた声がして、背の高い、痩せぎすな老人が姿をみせた。
筒袖の木綿の着物に股引という恰好は百姓の親爺にみえる。
「なにかお訊ねがあるとか、手前が弥助でございます」
老人が手を振ると、犬は吠えるのをやめたが、両肢をふんばって、すぐにも跳びかかれるような体勢は変えない。
「申しわけございません。この節、富貴蘭の名を知る者が増えまして、先頃も枯れた鉢が一つ盗まれましたので、孫が心配致しまして……」
丁寧に腰を折って弁解した。
「あんたが富貴蘭を育てているのか」
東吾が穏やかに訊き、弥助が頭を下げた。
「もともと、蘭の花が好きでございました。甲州、信州、または房州の山へ分け入りまして、蘭を採って参りまして、さまざまに根分け致し、育てて居りますが……」
弥助が視線を向けたあたりには、沢山の鉢が並んでいて、そこに蘭のようなものが植えてある。
「富貴蘭というのは、どれだ」
「ここにはもうございません」
「ないのか」
「はい、あれは大層むずかしい蘭でございまして、美しい花を咲かせますには何年もの歳月がかかります」
この夏のはじめに二鉢ばかり、見事に花の咲いたのを松ヶ岡検校の許へ届けたといった。
「富貴蘭を育てますについては、検校様から大枚のお金を頂いて居りますので……」
「すると、その一つが、河田家で枯れた富貴蘭か」
東吾がいい、弥助が慌《あわ》てたように手をふった。
「いえ、その二鉢は検校様から河田様へ参り、御身分のある殿様に献上されたと聞いて居ります」
先日、河田家で枯れたのは、三つ目の鉢だといった。
「今更、なにを申しても後《あと》の祭でございますが、検校様から、どうしてももう一鉢とおっしゃられまして、よんどころなくお渡し申しましたのが最後の一鉢でございまして、本来ならば手前どものところにおいて、親株として根分けをして育てれば、三、四年後には数株の鉢に丹精出来ましたので……」
おかげで元の木阿弥だと、肩を落している。
「お疑いとあれば、どうぞ家なり庭なりをお調べ下さい」
「すると、さっき、松ヶ岡検校がここへ来たのは……」
「富貴蘭をもう一鉢、なんとかならぬかとの仰せでございました。なんとおっしゃられましても、ないものはないので、お役に立つなら決して出し惜しみは致しませんが、検校様には御不興のようで……」
もはや、蘭作りに金は出さないと立腹して帰ったらしい。
「その富貴蘭だが、枯れやすいものなのか」
河田家の富貴蘭は一夜にして枯れた。
「確かに手入れの厄介なものではございますが、最後の一鉢は花こそ、その前の二鉢に劣りますが、根がしっかり張って居りまして、まさか、枯れるとは思いもよりませんでした」
そのために女中が死んでいるのも耳にしていたらしく、暗い表情になった。
「しかし、以前にも枯れた富貴蘭を盗まれたと申したが……」
「はい、あれは虫がつきまして、薬をかけましたが、やはり枯れました。他にうつるといけませんので焼き捨てようと、そのあたりに別にしておいたのが、誰が持ち去ったのか失《な》くなりました」
別に門もない家のことで、庭へは誰でも入れる。
「さわがせた上に、暇を取らせてすまなかった。富貴蘭はともかくも、いい蘭を育ててくれ」
東吾の挨拶に、老人は心を動かされたようであった。
「人の命にかかわるような蘭は二度と育てる気はございません。只今のあなた様のお言葉で目がさめたような気持が致します」
東吾が他の二人をうながして弥助の家を出ると、あとから犬を曳いた娘が追いかけて来た。
「お役人様……」
息をはずませながらいった。
「爺ちゃんの育てた蘭がもとで、人が死んだと聞きました。爺ちゃんにおとがめはありませんか」
源三郎が笑った。
「心配はない。花が枯れたのは弥助のせいではないのだ」
東吾は娘の曳いている犬を眺めた。さっきあれほど吠えたのに、今は神妙に三人を眺めている。
「随分、ききわけのよい犬だな」
「利口なんです」
娘が自慢をした。
「一度、顔をみた人のことはおぼえているんです。あたしや爺ちゃんが吠えるなといえば二度と吠えません」
川っぷちを男三人が遠ざかるのを、犬を曳いた娘は、いつまでも見送っていた。
お戸美が自殺するわけはないとなると、残るは、誰がお戸美を首くくりにみせかけて殺したかということになる。
「案外、殿様が好色心《すきごころ》を出して、お戸美がいうことをきかねえんで絞め殺したなんてことじゃありませんかね」
長助がうがったことをいったが、下手人が誰にせよ、今のところ証拠がない。
「奥方のお三津が、少々、気になるな」
お戸美を供に連れて出かけ、途中からお戸美と別れて、どこへ行っていたのか。
「昔の女友達のところへ遊びに行くなんてのは、子供じゃあるまいし、通用するわけはない」
「逢引ですかね」
源三郎も同意見であった。
「妾にせよ、れっきとした旗本の旦那のある身で、不義密通となると露見すれば二人とも重ねておいてまっぷたつですよ」
「お戸美が、それに気がついたとしたら、どうなんだ」
「とりあえず、奥方の不義の相手というのを探ってみましょう」
長助が若い者と交替で張り込みをし、出かけるお三津のあとを尾《つ》けて、どこで誰と会っているのか突き止めようということになった。
「厄介だぜ」
と東吾がいったのは、仮にお三津が間男しているとわかっても、それがお戸美殺しに結びつくかどうか、相手が町方の支配違いの旗本の家の中のことだけに、どこまで源三郎の手に負えるか不安だったからである。
「とにかく、やれるだけはやってみますよ。侍からみれば、たかが女中の死なんぞ、虫けらのようなものかも知れませんが、お戸美とて人の子に違いはないのです」
親兄弟も、頼もしい恋人もいた。貧しくとも幸せな一生が目の前にあったのだ。
「源さんのいう通りだ。俺に出来ることがあれば、なんでもいってくれ」
夕風の中を東吾は源三郎と別れて「かわせみ」へ帰って来たのだが、それっきり、源三郎からはなんの知らせもない。
月が変っても、江戸は残暑であった。
久しぶりに長助が「かわせみ」へやって来た時、東吾はるいと朝顔の種子を採っていた。
「どうも、とんだ世話場をみられちまったな」
笑いながら立ち上った東吾に、長助は情なさそうな表情を浮べた。
河田家の張り込みは全く成果をあげていない。
「奥様はたまに出かけるんですが、行く先は実家でござんして……」
南割下水から目と鼻の先の石原町の松ヶ岡検校の家ときまっている。
「うちの若えのが、お供に訊いてみたところ、例の富貴蘭が手に入らなくて殿様がお困りなんで、親の検校に相談に来ているんだそうです」
いくら親をせっついたところで、肝腎の弥助のところに一鉢も残っていないのだから、どうしようもないのに、と長助は苦い顔をしている。
「お供というのは、女中か」
お戸美のあと、新規にやとったのかと東吾は考えたのだが、
「いえ、若党で……毎度、若党の栄三郎ってのがお供をして来ます」
河田家には、若党は一人きりしかいないらしく、
「殿様がお城へ出仕なさる時も、そいつがお供をして行くんで……」
殿様が御城内へ入ると、未《ひつじ》の刻《こく》(午後二時頃)を過ぎないと退出しないから、お供はいったん屋敷へ戻って、時刻をみはからってお城へ迎えに行く。
「その間にゃあ、庭の掃除だの、奥方のお供だの、武家奉公ってのも、楽じゃございませんようで……」
縁側で東吾と長助が話していると、裏の犬小屋から飼犬の|しろ《ヽヽ》がやって来た。
随分むかしに、捨て犬だったのをるいが拾って、以来「かわせみ」の番犬になっているが、長助をみると尻尾を振って愛想をふりまいた。
「こいつ、長助親分には吠えないんだな」
見知らぬ者が、うっかり庭へ入って来ると老犬とは思えない声で吠える。
「しろちゃんはお利口でございますから、お馴染さんの顔は一遍でおぼえますんです」
麦湯を運んで来たお吉が、毎度の犬自慢をし、ふと、東吾は似たようなせりふを弥助の所で聞いたと思った。
「俺としたことが、うっかりもいいところだった」
柳島村の弥助のところへ行って、枯れた富貴蘭が盗まれた夜、犬が吠えなかったかどうかを確かめてくれ、といった。
「もう一つ、日頃、弥助の家へ出入りをしていて、犬と顔馴染なのは、誰々か」
威勢よく長助がとび出して行き、東吾は再び、朝顔の種子採りを手伝った。
二刻ばかり経って、長助が戻って来た。
枯れた富貴蘭が盗まれた夜、弥助の家の飼犬は吠えなかった。
「あの家に出入りする者は、思ったよりも少のうございまして……」
近所隣は別にすると、
「松ヶ岡検校は金を出しているせいか、月に二、三度は来ていたそうです」
その他には、やはり富貴蘭をみに、河田伊織と妾のお三津。
「お戸美は供をして来たのか」
「いえ、お戸美さんは来たことがなかったとかで、お供は若党の栄三郎だったようです」
弥助の話によると、河田伊織は富貴蘭の前には、珍しい蘭の鉢をいくつか買って行ったという。
「鉢物はけっこう重とうございますから、お女中衆のお供では無理ってことじゃあございませんか」
しんと東吾が腕をこまねき、長助は河田家の張り込みに戻って行った。
更に十日、新川の鹿島屋へ患者を診《み》に行った帰りだといって、麻生宗太郎が寄った。
「河田伊織どのが切腹したのを御存じですか」
のっけからいわれて、東吾は驚いた。
「いつだ」
「三日ほど前のようです。もっとも、河田家では伊織どのの切腹をひたかくしにして、病死と取り繕うようですが……」
「切腹の理由は……」
「近所の噂では、上役に届ける富貴蘭が調達出来なかったせいだというのです」
無論、その上役は然るべき幕閣の実力者に献上する予定だったのだろうと宗太郎はいった。
「この御時世に、花の鉢物なんぞに執着する大名がいるというのからして腹が立ちますが、ともかく、そいつは富貴蘭に目がない。それを承知で伊織どのの上役は、必ず見事なものを献上すると約束をしたんでしょう。実際、柳島村の弥助の丹精した何鉢かは、その上役を通じて、そちらの大名の手に渡っていたかも知れない」
珍品を収集する人間の欲にはきりがないから、
「まだないか、もう一鉢と責め立てられて、伊織どのの上役は安請合いをして、伊織どのに調達を命じたところ、その富貴蘭が枯れてしまった」
「弥助のところには、もうないんだ。この後、富貴蘭を育てる気はないといっていた」
「上役は責め立てる、花はないとなると、切腹でもするより他はないのですかね」
たかが、花の鉢物で、人が二人死んだ。
「河田家の跡は、どうなるんだ」
「お三津という女が産んだ子が三つになるそうです。三歳では跡目相続は無理ですから、当分、親類などから適当な人間が送り込まれて、後見人としてお届けを出すのでしょう」
武士の家では、よくあることであった。
宗太郎が帰るのと一足違いで、畝源三郎がやって来た。
「河田伊織が死にましたよ」
「宗太郎が知らせに来た。切腹だそうだな」
「長助ががっかりしています」
「お戸美殺しの下手人は、伊織だと思っているんだな」
「東吾さんは誰が下手人だと考えているんですか」
庭に心細そうな蝉《せみ》の声がしはじめている。
「証拠が、なんにもないのだが、俺は奥方のお三津じゃないかと思う。もっとも、手を下したのは若党の栄三郎だろう」
「奥方の相手が、若党の栄三郎だというのですか」
流石に、源三郎が目を大きくした。
「栄三郎という奴、案外、男前じゃないのか」
「年は三十そこそこですかね。苦み走ったといいたいところですが、少々、険《けん》のある顔ですな」
「女は、えてして、そういうあぶなっかしい男にひっかかるものなんだ」
「お三津は栄三郎と外で逢引していたわけですか」
「出来ないことはないさ。栄三郎は殿様のお供をして辰の刻(午前八時)にはお城へ行く。その帰りに奥方と待ち合せて、しっぽり濡れるには充分の時間がある」
場所は両国あたりの出会い茶屋ではないかと東吾はいった。
「本所からだと、橋向うだ」
「しかし、お戸美が、奥方の密通に気がついたぐらいで殺されますか」
「奥方の様子が怪訝《おか》しいと、用人あたりは気がつくんじゃないのか」
仮にも旗本の奥方が、殿様の留守に始終出かけて行く。
「用人だって、奥方が昔の女友達の所へ遊びに行くという口実をまともに信じやしまい」
お供のお戸美を問いつめる。一応は知らぬ存ぜぬで切り抜けたが、そのことを知った栄三郎が奥方に御注進に及ぶ。
「生かしておいては、いつ、口を割るかも知れないと考えたわけですな」
「ただ殺しては、具合が悪いから、奥方は亭主が献上する富貴蘭に目をつけた。前に弥助の所へ行った時に、枯れた富貴蘭があるのをみている。で、そいつを栄三郎が盗み出し、枯れてもいない富貴蘭とすり替えて、お戸美に罪を着せる」
「わかりましたよ。東吾さんがもう一度、長助を柳島村へやったのは、その辺を調べるためだったんですな」
そこで、源三郎が首をひねった。
「そうしますと、枯れていない富貴蘭がもう一鉢、奥方か栄三郎がどこかにかくしてある筈ですね」
河田伊織が上役に責められて困っている時に、奥方がどうしてその鉢を持ち出さなかったのかと、源三郎はいった。
「早い話が、松ヶ岡検校の所にもう一鉢あったと、ごま化してもいいわけでしょう」
東吾が視線を宙に上げた。
「出しそびれたのか」
「まさか、切腹するとは思わなかったのですかね」
二人の目が合って、東吾が叫んだ。
「奥方の浮気に気がついたのが、用人でなく、殿様だったら、どうなるんだ」
「お三津と栄三郎にとって、殿様は邪魔者というか、下手をすると二人とも、お手討ちですよ」
「お戸美と同じ、手口だな」
なにかの方法で河田伊織の自由を奪い、手に短刀を握らせて、背後から抱きかかえるようにして切腹させる。
源三郎もいった。
「河田どのは華奢《きやしや》で小柄です。栄三郎は筋骨隆々です」
出来ないことはないとわかったが、こっちも証拠はない。
「推量だけでは、縄はかけられません」
だが、あきらめられない気持で、東吾は本所の麻生家へ行った。
「体の自由を奪い、抵抗をなくさせるぐらい、わけはありませんよ」
東吾の問いに、宗太郎が答えた。
「しびれ薬を飲ませてもよいし、そうだ、河田どのの妾は按摩の娘でしたね」
急所に鍼を打てば、簡単に殺すことが出来ると宗太郎はいった。
「死体がこわばって来ない中に、手に刀を持たせ、切腹させるのはなんでもないでしょう」
状況証拠は揃ったが、やはり手は出せない。
「東吾さんの推量が当っているとすると、男も女も相当にしたたかですよ。ちっとやそっと責めたところで、白状するとは思いませんね」
河田家には、なかなか立派な後見人が入った、と宗太郎は近所の噂を教えた。
「伊織どのの姉の子だそうですが、当年二十八、まだ独り者なので、親類の中には後家になったお三津と夫婦にしては、という声もあるそうです」
無論、それはお三津の親から莫大な金を出させる腹づもりだし、松ヶ岡検校も娘と孫の行く末を思えば、千両、二千両の援助は惜しまないだろうと世間は面白がっている。
「不快だな」
このままでは、悪が栄えるのを手をつかねて眺めている他はない。
「まあ、もう少し、様子をみませんか。男と女のことですから、このまま、すんなり納まるとは思えませんね」
宗太郎の予言が的中したのは、更に半月後のことであった。
石原町の松ヶ岡検校の家から、番屋に知らせが来て、たまたま町廻りの途中だった定廻《じようまわ》りの旦那がかけつけて行ってみると、河田家の若党の栄三郎が血刀を下げて突っ立って居り、その前に、血に染ってこと切れているお三津と松ヶ岡検校の死体があった。
奉行所の調べに、栄三郎が白状した結果は、ほぼ、東吾の推量通りであった。
「お三津は、若くて男前の後見人にのぼせて、栄三郎を見限ったんですな。女に裏切られて、男はかっとなって、親の検校まで斬殺した。まあ今度こそ因果応報というところです」
栄三郎は獄門にかけられ、河田家はお取り潰しになったが、
「上役の何某と、富貴蘭に凝っている幕閣の諸侯には、なんのおとがめもありません。まあ、そういうものだとは心得ていますが……」
「かわせみ」へ報告に来た源三郎の口調はもう一つ冴えなかった。
江戸はもう十日続きの長雨で、夏の気配はきれいさっぱりと消えていた。
ちなみに松ヶ岡検校の家からみつかった一鉢の富貴蘭を源三郎は柳島村の弥助に返却させたという。その富貴蘭が、その後どうなったかは東吾達の知るところではない。
初 出 「オール讀物」平成7年1月号〜9月号(8月号をのぞく)
単行本  平成8年1月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成十年十一月十日刊