ラノベ部 第3巻
平坂 読
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[#小見出し] 自在《じざい》書房《しょぼう》にて (インターナショナル版)[#「自在《じざい》書房《しょぼう》にて (インターナショナル版)」は太字]
公立|富津《とみづ》高校から自転車で三十分くらいの距離にある繁華街に、自在書房という書店がある。
県下で二番目か三番目くらいに大きな書店で、ライトノベルの品揃《しなぞろ》えもなかなかいい。
ある金曜日の放課後、リアはその店の入り口に立っていた。
リア・アルセイフ、十五歳。
日本に留学中の、アイルランド系アメリカ人。
プラチナブロンドの髪に色白の肌、翡翠《ひすい》色の瞳《ひとみ》、細身の身体、知的な面差《おもざし》しの、掛け値なしの美少女である。
『自在書房』――。
その店の看板の文字を読み、リアの顔に自然と笑みが浮かんだ。
日本にやってきて約二週間。
友達の物部文香《もののべふみか》に「ライトノベルの品揃えがいい」とこの店の存在を教えられたリアは、ここへ来ることをものすごく楽しみにしていた。
部屋の片付けや本棚の整理……特にアメリカから持ってきた大量の本の整理が終わらないうちに新しい本を増やすのは自殺行為だからこれまで本屋さんに行くのを自重していたのだが、昨日の夜、ようやく一段落ついた。
クラスメートでもある文香に「今日は部活には行かず自在書房に行く」と伝えると彼女は自分が案内しようかと言ってくれたのだが、その申し出は辞退した。
店の場所はネットの地図で調べて把達していたし、基本的に買い物には一人で行くのがリアの方針だった。
友達とお喋《しゃべ》りしながらショッピングをするのもそれはそれで好きなのだが、リアには割と気まぐれなところがあって、ちょっと気になったお店にふらっと入ってみたり、逆になんとなく雰囲気が気に入らないと思ったら入って十秒で出たりとか、あまり計画的に動くのが苦手なのだ。
友達と一緒にデパートなどに行くとほぼ確実にはぐれてしまう。
いい感じの小物屋さんなどでは、一つ一つの商品をじっくり吟味し、友達にいつまで見ているのかとげんなりされてしまう。
ましてや大好きな日本の漫画やライトノベルがたくさんあるという、ずっと行きたかった本屋である。
自分のペースで好きなように見て回りたい。
口元をモニョモニョ動かしてにやけた笑みを消し、いざ店内へ。
店に入ったリアが真っ先に思ったことは、「狭っ!」だった。
リアのかつて住んでいたアメリカの街の書店はどこもかなり広くて、テーブルが幾つも並ぶ読書用のスペースまであるところも多かった。
対してこちらは、狭い店内に本棚がぎっしりと並び、本棚と本棚の間は人が三人並ぶのがやっとの幅。
両側の本棚に立ち読みしている人がいたら、通るとき接触するのは免れない。
窮屈《きゅうくつ》な印象は否めないが、限られたスペースに限界まで本が入っているという空間は、これはこれで嫌いじゃない。
自在書房は三階建てで、文香の話では二階が漫画やライトノベルの売り場になっているらしい。
しかしリアはすぐに二階へは向かわず、まずは一階の雑誌や一般書籍などのコーナーを見て回ることにする。
置いてあるのはもちろん基本的には日本語の雑誌ばかりなのだが、ファッション誌、車の雑誌など、表面的な雰囲気はアメリカとそれほど変わらない。
しかし、
(うわ……)
漫画雑誌のコーナーに差しかかったとき、リアの足がぴたりと止まる。
大胆な水着を着た女の子が扇情的なポーズをしている写真が表紙の本が幾つもある。
(こ、ここはもしかして猥褻《わいせつ》な雑誌のコーナーなのでしょうか……?)
真っ赤になって慌てるリアだったが、しかしそのエッチな表紙の本たち(「ヤング○○」というタイトルの雑誌が多かった)の近くには電撃大王とか少年エースとかコミックアライブとか、リアが読みたいと思っていた日本の漫画雑誌も普通に置かれている。
そのすぐ近くのコーナーには少年ジャンプやサンデーなどが置かれた週刊漫画誌のコーナーもあるし、子供や親子連れの客が普通に漫画コーナーの前を通っていく。
(……こ、子供が普通に通る場所で堂々とこんなえっちい本が陳列されているなんてそういえば日本はアメリカよりも猥褻な物に対する規制が緩いのですね……)
堂々と水着グラビアの雑誌を立ち読みしている人もいるし、他の人たちも別にそれを気にする様子もない。
日本では、これは全然普通の光景なのだ。
日本人はこの程度のエロスなど何とも思わないのだ。
(……そう一言えば、あの恥ずかしがり屋の暦でさえ、部室で堂々とぱすてるインク先生のコスプレをしていましたね。初めてぱすてるインク先生の変身シーンを見たときもそのいやらしさに衝撃を覚えましたが、日本はなんてフリーダムなのでしょう……!)
好奇心がむくむくと湧《わ》いてくる。
この雑誌には一体どんな漫画が載っているのだろう?
リアはポーカーフェイスを装い、そーっとヤングなんちゃらという雑誌に手を伸ばす。
手に取ることに成功。
ドキドキしながらぴらっとページを開く。
表紙よりももっと大胆な写真が載っていた。
(うぅ〜〜〜〜〜〜〜わあ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜)
こんな幼い顔の女の子が、こんなヒモみたいな水着でこんな大胆なポーズを……。
恥ずかしくなって急いでパラパラとページをめくる。
(リ、リアは漫画を読んでいるのです! 漫画を読んでいるだけなのですよー!)
頭の中で誰にともなく言い訳しながら適当なページを開く。
偶然開いたページでは、女装した男の子がお母さんの前で全裸の美女をビデオカメラで撮影していた。
「どういうプレイですか!?」
思わず声を上げてツッコんでしまい、周囲の客が一斉に振り向く。
「……ワ、ワタシニホンゴワカリマセン[#この行は小さな文字]」
リアは真っ赤になって雑誌で顔を隠す。
うつむき、雑誌を小さく開いて読んでいく。
(ヒロインがダッチワイフって……日本の漫画って凄《すご》い……というか、日本人頭おかしいです……日本人のHENTAIぶりは極まってますね……)
リアは幼い頃から父親に日本の漫画や小説を買ってもらっていたのだが、父はMANGAというものにあまり良い印象を持っていないらしく、小説なら頼めばいくらでも買ってくれたのに漫画はあまり買ってもらえなかった。
ネット通販を利用して日本の漫画を買ってはいたものの、金銭的に限界があるので欲しいものを好きなだけ買うというわけにはいかなかった。
わかっていたこととはいえ、日本にはまだまだ自分の知らない漫画がたくさんあるのだなあとリアは感銘を受けた。
と、そのとき。
いきなり横から声を掛けられた。
「リア?」
「ひゃう!?」
慌てて雑誌を閉じて振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。
竹田龍之介。
リアが所属する宮津高校軽小説部――通称『ラノベ部』の先輩だ。
「よう」
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軽く挨拶《あいさつ》する竹田に、リアは顔を赤くしたままぺこりとお辞儀し、
「りゅ、龍之介先輩も今日は部活お休みですか」
「ん。欲しい本があったから」
ラノベ部はかなりユルい部活なので、欲しい本やゲームの発売日とか他に用事があるといった場合はそちらを優先する部員が多い。
部員全員が揃《そろ》う日の方が珍しいくらいだ。
「それはえーと……」
竹田がリアの持っている雑誌に目をやった。
「あー、たしか『べルセルク』とか『三月のライオン』が載ってるやつだっけ?」
その二つは有名な作品なのでリアも知っていたが、この雑誌に掲載ということは知らなかった。
しかしリアは力強く頷く。
「そ、そうなのです! 龍之介先輩も読んでますかこの雑誌」
「や、俺は基本的に単行本派だから」
「そうですかー」
リアはそう言って、さりげなく雑誌を棚に戻した。
「? 読んでたんじゃないのか?」
怪訝《けげん》な親をする竹田に、
「いえ、リアも単行本派なので。一寸《ちょっと》手に取ってみただけです。単行本より進んでいるので話が解りませんし」
「ああ、そういやこっち来てまだ二週間くらいか? 日本の雑誌まではさすがに向こうじゃチェックしてないか」
「そうですその通りです」
納得してもらえたのでリアはその場から歩き出す。
竹田もリアに続く。
「上か?」と竹田。
「はい。龍之介先輩は?」
「俺も上。今日発売日だから」
二人はエスカレーターで二階へと上がっていく。
「発売日に新刊が買える環境というのは素晴らしいですね」
「東京とかじゃ発売日どころか公式発売日の五日前とかに並ぶこともあるらしいけどな。羨《うらや》ましい」
「発売日に買えるだけでも贅沢《ぜいたく》というものです。通販だと注文して届くまで何日も得たされますし送料もかかりますから」
「……そりゃ国外はなあ。でもそうやって苦労したぶん、手に入れた時の喜びもひとしおなんじゃないか?」
「苦労せずに入手出来るならその方が良いです。リアは待つのが嫌いです」
「そうか」
そこでエスカレーターが二階へ到着する。
「Marvelous!」
リアは興奮して思わず叫んだ。
漫画が陳列された棚がフロアいっぱいにずらりと並んでいる。
「小説はこっちな」
竹田がフロアの北側へと歩いていく。
リアもとてとてとそれに続く。
右を見ても左を見ても日本語の漫画。
まあタイトルが英語の本もあるけど作者名とかは日本語だ。
こんなにたくさんの日本の漫画が並んでいる光景は初めて見る。
目を見開いてきょろきょろと左右を見ながら歩くリアに、竹田が苦笑した。
「めちゃくちゃ嬉しそうだな」
「はい! 歩いているだけで楽しいです!」
満面の笑みを浮かべてリアは答えた。
ラノベのコーナーが見えてくると、リアは竹田を追い抜いて小走りに駆け寄った。
ずらりと並ぶライトノベルの数々。
リアが持っている本もあるし部室に置いてある本もあるのだが、こうして書店でライトノベルが並んでいるのを見ると壮観だ。
「感動です……」
「大袈裟《おおげさ》だな」
竹田が笑う。
「そういや、リアは何を買いに来たんだ?」
「未だ決めていません。これから選びます」
「……おすすめな本の紹介とかしていいか?」
おずおずと言う竹田にリアは首を振る。
「それはまた今度で。初めての日本の本屋さんなので自分だけで選びたいです」
「そうか……」
竹田は微妙に残念そうな顔をして、新刊コーナーの方へ歩いていく。
リアは一番端の柵から見て回ることにする。
まずは平積みになっている本を一冊一冊注視し、気になる絵やタイトルがあったらそれを手に取り、あらすじを読む。
日本の本屋に来たら絶対にやってみたいと思っていたことがリアにはあった。
立ち読みだ。
アメリカにいる時は表紙、タイトル、あらすじ、作者、あるいはネットでの評判などから判断して買う本を選ぶしかなかったのだが、やっぱり自分で実際に中身を見て決めたい。
絵がもの凄《すご》く好みであらすじも面白そうな一冊を手に取り、立ち読み第一号はこれにしようとページをめくる。
リアは小説はあとがきから読むので、まずは後ろからページを開く。
面白くもなければつまらなくもない、ごく普通の作者の近況報告だった。
最後の方で続きは十一月に出る予定だと書いてあり、棚を見ると四巻まで出ていた。
奥付を見ると去年の八月に初版発行、今年の五月に第七刷と書いてある。
発売されてから今年の五月までに六回重版がかかったということだが、それが売れているのか売れていないのか、リアにはよくわからなかった。
それはともかく、いったん本を閉じ、今度は表紙の方から本を開く。
冒頭にはカラーイラストがあって、その絵は可愛くて好みだった。
わくわくしながらリアはページをめくる。
どきどきしながら文章を目で追い、頭で想像する。
序盤から一気に引き込まれた。
文章も読みやすくて、簡潔なのに情景が目に浮かぶ。
この本は「当たり」だとリアは確信した。
さらにページをめくる。文章を読む。イラストを楽しむ。物語を楽しむ。
あまりにも面白くて引き込まれ――……。
……――気づいたら全部読んでしまっていた。
ページ数二百四十ページくらいの少し短めの本だったとはいえ、
「……な、何という迷惑な客でしょうか……!」
「自分で言うなよ」
愕然《がくぜん》として呻《うめ》いたリアに横からツッコミが入った。
見れば竹田がおかしそうに肩を震わせている。
「い、居たのですか」
赤面するリア。
そこでハッと腕時計を見る。
この店に入って軽く二時間以上経っていた。
竹田の手には店の紙袋があって、既に買い物を済ませたあとらしい。
「……リアが読み終わるのを待っていたのですか?」
「ん、まあ」
「何故ですか?」
「や、黙って先に帰るのもどうかなーと思ったし、あと大した理由じゃないけど……お前が何を買うのか、ちょっと興味があった」
「はあ……有り難う御座いま……す?」
とりあえずお礼を言った。
「まあ、本屋なら適当にぶらつくだけで軽く時間|潰《つぶ》せるしな。下で雑誌とかも読んでたし。読み終わりそうなあたりからしばらく見てたけど」
「全部読んでしまう前に教えて下されば宜《よろ》しかったでは御座いませんか」
「いや、めちゃくちゃ楽しそうに読んでるのを邪魔しちゃ悪いだろ。表情ころころ変わって面白いなお前」
からかうように言う竹田に、リアはまた顔を赤くした。
竹田は微笑《ほほ》む。
「でもまあ、気持ちはわかる。俺もそれめちゃくちゃ好きだ」
「龍之助先輩も読んだのですか!」
「ん。こないだ四巻がやっと出たからすぐ読んだ。……で、それ買うのか?」
「勿《もち》ろ――」
頷こうとして、リアは現在財布に二千円しか入ってないことを思い出した。
日本に来て生活必需品などを買い揃《そろ》えたら、お金がかなりピンチになってしまったのだ。
本の値段を確認する。
読み切ってしまった一巻だけでなく、四巻まで出ているこのシリーズ全てを。
一冊約六百円なので、三冊しか買えない。
すぐにでも続きを読みたいので二巻、三巻は確定として、どうせならシリーズ一巻から買いたいけど三巻を読んだあと四巻がものすごく読みたくなってしまったら――……
たっぷり一分ほど迷ったあと、リアは一〜三巻を手に取った。
「くっ……こ、この三冊を買います……!」
無念そうに四巻をちらちら見ながらリアは言った。
「四巻は買わないのか?」
「……お金がないので先ずはこれだけです……」
「ふうん」
三冊の本を持って、リアはレジへと向かう。
レジを済ませると、何故か竹田も後ろに並んでいた。
既に買い物を済ませた筈《はず》なのに? と怪訝《けげん》に思い竹田がレジに出した本を見ると、リアが買ったシリーズの四巻だった。
「……?」
ますますわからない。
竹田はこのシリーズを全部読んだと言っていたのに。
美咲や堂島にでも借りて読んで自分では持ってなかったのだろうか? でも何故四巻?
「じゃ、行くか?」
「あ、はい」
リアは買った本を鞄に入れて、竹田とともにエスカレーターを下り、店の外へ出た。
もう日が沈む寸前で、太陽の眩《まぶ》しさにリアは顔をしかめた。
「ほら」
竹田がリアに、先ほど買った一巻が入った紙袋を差し出してきた。
「……?」
とりあえず受け取ったものの、きょとんと首を傾げるリア。
「おごりだ」
「えっ」
竹田は少し早口で、
「いやそれ三巻がすげー引きで終わってるからさ、読み終わったら絶対すぐ四巻読みたくなるからマジで」
「はあ、そうなのですか」
「ん。だから四巻も持ってけ」
リアは微笑む。
「解りました。ご厚意感謝致します。お金は次の部活の時に必ず」
「あー、いい、俺のおごりでいい。俺が勝手に買ったんだし……こないだバイト代入ったばっかだし」
「しかし……」
「気にすんな。まあ……えーと……引越祝い……いや留学祝いか? まあそんな感じで」
竹田は苦笑いを浮かべる。
「それに…………待つのは嫌い、なんだろ?」
リアはしばらく呆然《ぼうぜん》と竹田の顔を見つめ――、
「有《あ》り難《がと》う御座いますっ、龍之介先輩!」
花が咲いたような満面の笑顔で、竹田にお礼を言った。
すると竹田は照れたように少し顔を赤くして頭をかいた。
「……ん、まあ、気にすんな。そんじゃな」
「あ、はい、さようなら」
踵《きびす》を返し、竹田が駅の方へと歩いていく。リアはその背中が小さくなるまで見つめていた。
「……竹田、龍之介、先輩……」
四巻の入った紙袋を、胸元できゅっと抱きしめてリアは呟《つぶや》いた。
「――父上以外の殿方から本を頂いたのは初めてです……」
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[#小見出し] リレー小説『涼官冬馬《すすみやとうま》の|U1《ゆういち》』[#「リレー小説『涼官冬馬のU1』」は太字]
ある日の放課後。
ラノベ部の部室には珍しく部員全員が集まっていた。
物部文香、藤倉暦、リア・アルセイフ、浅羽美咲、竹田龍之介、桜野綾、堂島潤、吉村士郎の全八名。
「部局が全員|揃《そろ》ってるとなると、やっぱり恒例のアレをやるべきなのかしらね」
美咲が言うと、部員たちの間に緊張が走った。
「……またアレをやるのか?」
竹田かイヤそうな顔をした。
「…………ふう」
暦も憂鬱《ゆううつ》そうなため息をついた。
「頑張るッス!」
張り切っている吉村。
「ハートフルなお話になるといいね」
堂島はにこやかに言う。
「今度こそBL希望ですわ」
綾が「ロリコンは病気、ショタコンは才能」と書かれた扇子《せんす》を開閉しながら言う。
「リアさんが入ってから初めてですね」
文書が眠そうな顔で言った。
「アレとは何ですか?」
一人だけ事情がわからないリアが不思議そうに尋ねる。
「リレー小説です。みんなで順番に小説を書くんです」
「成る程。其《そ》れは面白そうですね」
「まあ、ある意味面白いけどな……」
竹田が顔をしかめる。
「今度はちゃんと完結させたいわねー」
美咲が言うと暦が顔を赤くして俯《うつむ》いた。
前回のリレー小説はぐだぐだな出来で終わり、そのトリを務めたのが暦だったのだ。
「ルールはいつものように40文字×17行のMF文庫フォーマット。ページの最後まできたら途中で文章が途切れてても次の人に回す。順番は……今回は予《あらかじ》め決めるんじゃなくて、一人が書き終わってから次の人を決めるのはどう?」
美咲の提案に、特に異議は出なかった。
綾が自分のノートパソコンの文書作成ソフトを立ち上げる。
「そいやリアちゃんパソコン使える?」
「超得意です」
美咲が尋ね、リアが答えた。
みんなでじゃんけんをして負けた人が最初の一ページを書くことになり、トップバッターに決まったのは暦だった。
パソコンの前に座り、暦は無表情で考える。
前回のような無茶ストーリーを上手くまとめるよりは一番手になった方が楽だとは思うけど、自分の文章が話の基本になるというのもなかなかプレッシャーが大きい。
普段は家で一人で書いているから自分の思った通りに書けるし気に入らなければ書き直すことも簡単なのに。
「がんばってください藤倉さん」
文香が言った。
「……がんばる」
暦は顔を赤らめて小声で答えた。
以前書いた妄想|百合《ゆり》小説みたいなのを書こうかと考えてやっぱりやめる。
前に考えてボツにしたネタから適当に拾《ひろ》ってくることにしよう。
[#ここからゴシック体]
【暦パート】
高校に入学して最初の日。
特に特徴のないごく普通の男子である涼宮冬馬のクラスでも、恒例の自己紹介が行われていた。無難に済ませる者、笑いをとりにいく者、この時期どの学校でも行われているであろう特筆すべきこともない普通の光景。
クラスの半分ほど紹介が終わったところで冬馬の番がやってきた。
「西中出身、涼宮冬馬です。ただの人間に興味ありません。この中に宇宙人とか超能力者とかがいたら俺のところに来なさい――」
人気小説のヒロインの台詞のもじりである。名字が偶然そのヒロインと同じなので軽いジャブのつもりで言ってみた。この後は「――みたいな台詞が有名な某小説のヒロインと同じ苗字です」と続けるつもりだった。涼宮冬馬、多分笑いのセンスはあまりない。
しかし冬馬の台詞は途中で遮られた。いきなり教室の前の方に座っていた少年がガタンと乱暴に席を立ったのだ。驚いてそちらを見る冬馬に少年は鋭い声で言う。
「超能力者はかかってこいだと? いいだろう! その挑戦、受けて立つ!」
「は?」
戸惑う冬馬。少年に続き、今度は数名の男女が次々と立ち上がった。
「こんな堂々と宣戦布告とは良い度胸だ」「腕が鳴るわね」「くくく、俺の最強の超能力で貴様など粉々にしてくれる!」「待て、最強の超能力者はこの俺だ!」
[#ここでゴシック体終わり]
「うわっ、なんか面白え!」
暦の文章を読んで吉村が言った。
「……普通に続きが気になるな」と竹田。
「暦|凄《すご》いです! プロの様です!」
リアのストレートな賞賛にぎくりとするが、悪い気はしない。
能力バトルもののネタで、導入に他作品のパロディというのがアレだったのでボツにしたのだが……こんなに好評だとは思わなかった。
「次はどうなるのですか!?」
「それを聞くのはルール違反よリアっち。まあ、あたしも知りたいけどね」と美咲。
「藤倉さん、とうまくんの自己紹介、だいばくしょうなんですけど。笑いのセンスありまくりだと思います」
文香の感想にこくこく頷いたのはリアだけだった。
続きを書く人を決めるため、暦を除いた七人でじゃんけんをする。
負けたのは竹田だった。
「俺かよ……これの続きって結構ハードル高いぞ……」
[#ここからゴシック体]
【竹田パート】
口々にわけがわからないことを言い出したクラスメート達に、冬馬はますます混乱する。
「ククク、まさかこんなにも早く≪儀式≫の時が訪れようとはな……」
騒ぎ立てる生徒達を見て担任の教師が邪悪な笑みを浮かべた。
「……いいだろう、今から臨時で戦いの時間だ!≪力≫を見せてみろ!」
「ええええ!?」
悲鳴を上げる冬馬に、何人もの生徒が追ってくる。
「ふふふ……覚悟するがいい――死にたくなければ力を見せてみよ」
生徒達が冬馬を取り囲み――、
「――なーんてな」
恐怖で目を閉じた冬馬の前で誰かが軽い口ぶりで言った。
「ヘ……?」
ぽかんとする冬馬を取り囲み、生徒達が笑っている。
「おいおい冗談だよ冗談! ハハハ、そんなマジでびびんなよ」
担任も苦笑する。
「さ、そろそろみんな席つけー。ノリのいい奴が多いみたいで先生嬉しいぞー」
[#ここでゴシック体終わり]
いい展開がまったく思いつかなかったので冗談というオチにした。
「日和《ひよ》ったわね龍ちゃん……」
竹田の原稿を読み美咲がジト目で言った。
「…………すまん」
気まずそうに謝る竹田。
竹田は舞台オチや狂言オチがあまり好きではないのだが、同じようなことを自分でやってしまい恥ずかしい。
部員たちの間にも「なんだかなあ……」という空気が流れる。
気を取り直して残りの六人でじゃんけん。
三番手は堂島になった。
「龍くんの後ろにぼくが繋がるって、言葉にするとちょっとドキドキだよね」
「そんな残念な感性はお前だけた」
ジト目で言う竹田。
そんな二人を見て綾が「これはこれで……」と呟いた。
[#ここからゴシック体]
【堂島パート】
「じょ、冗……談……?」
冬馬は呆然として立ち尽くす。そんな冬馬をクラスのみんなはクスクスと笑っている。
からかわれた――自分のスベった自己紹介を逆手にとって、からかわれたのだ。
担任まで。クラス中がよってたかって俺をからかった。ただの無害な一般人であるこの俺に……何の落ち度もない純粋なこの俺にこの俺にこいつらは辱めを与えたのだ!!
「許せない……絶対に許せない……」
目に憎悪の炎を燃やし冬馬は呻いた。
「ははは、おいおいそんなマジで怒るなよ!」
近くの席の生徒が笑いながら言ったが冬馬の耳には入らない。
「許せない。許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せな許せ許許許許許許許許許許詩許許許許許許許許許許許許許せななああああああいいいいいいいいいいい!!!!!!!」
冬馬は絶叫し、目を血走らせて鞄の中から大振りのナイフを取り出した。
「冗談だと!? フザケルナァッ! そんな冗談は認めない! 戦いだ! 戦争だ!」
冬馬はたまたま目があった近くの席の女子生徒の首に容赦なくナイフを突き立てた。ぶしゅうぅぅぅ! 頚動脈にナイフを突き立てられ女子生徒が血しぶきを上げて倒れる。即死だった。それを境に平穏な教室は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変化する。殺す、みん
[#ここでゴシック体終わり]
「こええッスよ堂島先輩!」
原稿を読み終えた吉村が叫んだ。
「オレの鳳風寺紅蓮もゲス野郎にされたし……なんで毎回流血沙汰になるんスかー」
「諦《あきら》めろ吉村。堂島は根っからのサイコ野郎だ」
「酷いなー龍くん。ぼくは龍くんがヘタレたせいで盛り下がった展開をテコ入れしてあげただけだよ。やっぱり暴力はいいよねー」
美少女のような顔でにこやかな笑みを浮かべて言う堂島に割と本気で引きつつ、部員たちは次に書く人を決める。
四番手は美咲になった。
[#ここからゴシック体]
【美咲パート】
な殺してやる殺してやるぞうおー。
「きゃー」
「うわー」
悲鳴を上げて逃げ回る生徒達。
冬馬はナイフを振り回し追いかけて教室を出た。そこで、
「はいカットー」
監督が言ってナイフを持って暴れていた冬馬は動きを止めた。
逃げまどっていた生徒達も戻ってくる。
「いやーいい演技だったよ冬馬くん」
監督に褒められて冬馬は嬉しかった。
今は映画の撮影で、冬馬は主役だった。
「迫真の演技だったわね冬馬くん」
「それほどでもないですよ」
死んだ女の子役の女優さんに褒められて冬属は嬉しかった。
「さあていよいよ次はヒロインとのラブシーンだ」
監督が言った。
[#ここでゴシック体終わり]
「……みさ――」
「すいませんあたしも日和《ひよ》りました」
原稿を読んだ竹田が何か言う前に美咲は顔を赤くして謝った。
「……せっかく思う存分に虐殺シーンが書けるようお膳立《ぜんだ》てしてあげたのに……」
堂島が不満そうな顔をする。
「お膳立てされても。あたしグロシーンって読むのは平気だけど書くのは苦手なのよ」
「大丈夫ッス! オレは読むのも苦手ッスから、この展開でいいと思うッス!」
微妙に申し訳なさそうな美咲に、吉村が力強く言った。
「冗談オチに続いて映画オチですか」
あや綾が苦笑した。
「意外なてんかいにびっくりです」
「やりますね美咲先輩。流石《さすが》部長様です」
文香とリアだけは本気で感心していた。
じゃんけんで、次に書くのはそのリアに決まった。
「リアちゃんがどんなの書くのか楽しみね」と美咲。
「御期待に応《こた》えられるよう鋭意努力致します」
力強く頷いてリアはパソコンに向かった。
[#ここからゴシック体]
【リアパート】
ヒロイン役の女優がやってきました。彼女は日本刀を持っていました。冬馬は吃驚します。ラブシーンなのに何故刀など持っているのだろう。その女優は長い黒髪の美少女でセーラー服を着て眼帯をして外套を着ています。彼女は冬馬に憎悪の眼差しを向けます。
「あのナイフ捌き、間違いない。お前は超魔龍幻流の使い手だな。ずっと探していた」
「エッ、どうして俺の正体を」
冬馬は驚きました。実は俳優というのは冬馬の世を忍ぶ仮の姿で、本当は伝説の忍術として裏の世界で恐れられている超魔龍幻流の継承者だったのです。
「女優として日本中を回ればいずれ貴様に巡り会えると信じていた。超魔龍幻流は絶対に滅ぼす。我が名は冥凶院刹那。超魔龍幻流に滅ぼされし一族の仇、今こそ討たせて頂く」
そう言って彼女は冬馬に襲いかかって来ました。凄い速さで日本刀で攻撃します。
しかし冬馬はガシっと凄い速さの真剣自刃取りで受け止めました。
「待ってくれ。俺はもう忍者を辞めたのだ。超魔籠幻流とは関わりがない」
「左様な戯れ言、聞く耳持たぬ」
その瞬間、冥凶院刹那の髪が突然赤く輝きだしました。そして刀の刃から凄い炎が噴き出したので、堪らず冬馬は刀を放し、刹那から飛び退ります。
「往生せい涼宮冬馬」
「ぬう、仕方あるまい。あまりの恐るべき強さに封印せし右腕の封印を解くより他なし」
[#ここでゴシック体終わり]
「……ある意味凄いな」
どうコメントしていいのか解らず、竹田は難しい顔で言った。
「お褒めに与り光栄です龍之介先輩!」
「え、褒め? ああ、うん……」
笑顔でお辞儀するリアに竹田は言葉を濁した。べつに褒めてはいないのだが。
「またしてもどとうのてんかいですね。リアさんすごいです」
文香の方は本気でそう思っているらしかった。
「……っ! ……! っ……ッ!」
暦は顔を真っ赤にしながら必死で声を抑えていた。
あまりにあんまりな展開が笑いのツボに入ってしまったのだ。
残る吉村、文香、綾の三人がじゃんけんをし、負けたのは文香だった。
「頑張ってくださいね文香」
「はい。リアさんのようなすごいお話にしたいです」
[#ここからゴシック体]
【文香パート】
冬馬が右腕の封印をとくとすごいパワーが出ました。
冥凶院|殺邪《(ママ)》はふっとばされて壁にげきとつしました。
「二度とこのおそるべき力は使いたくなかった。かつてたけしを殺したこの力を」
冬馬はとても残念そうに言いました。
「なんてゆう強いいりょくだ。これが超|馬《(ママ)》流幻龍のしんのパワーだとゆうのか」
殺邪《(ママ)》は共学《(ママ)》しておそれおののきます。
「こうさんするんだ。おれは君を殺したくない。しかしどうしてもおれの命をねらうならようしゃはしない。たけしのように殺してしまうだろう。坂本くんだけはゆるせないです」
「わたしのしんの力をあまくみるな。これがわたしの芯《(ママ)》のエナジーだ」
殺邪はさけぶとワープしました。そしていきなり|と馬《(ママ)》の目の前に出てきました。
「なんてゆうすごいでんせつのオーラだ。これはてかげんできない。こまったなあ」
「くくく。ざまあみそしる」
またしても殺邪《(ママ)》のすがたが消えました。その瞬間、冬馬は自分のまうしろに近くのつくえの上にあったプリンを投げました。つぎの瞬間、そこに殺邪《(ママ)》がワープしてきます。殺邪《(ママ)》のワープしてくるところを冬馬は予想していたのです。
ちょうど殺邪《(ママ)》がワープしてきたところにプリンがあったので、殺邪《(ママ)》の心臓の内側からプリンが出てきて、殺邪《(ママ)》の心臓はこなごなに破裂しました。
[#ここでゴシック体終わり]
「エグいな!」「エグいわよ!」「エグい!」
竹田と美咲と吉村が同時に叫んだ。
「何という頭脳的な勝利でしょう。矢張り駆け引きこそ能力バトルの醍醐味《だいごみ》です。見事です文香……!」
リアは感銘を受けていた。
その後ろでは暦が机に突っ伏して全身をぴくぴく痙攣させていた。笑いを堪えるのが大変で窒息しそうだ。こまったなあ。
吉村と綾がともにイヤそうな顔でじゃんけんをする。
負けたのは吉村だった。
「……これ、どう続けりやいいんスかね……」
本気で頭を抱えながら、吉村は執筆を開始する。
[#ここからゴシック体]
【吉村パート】
「くっ、俺はまた人を殺してしまったのか……」
冬馬は後悔した。しかし。
「馬鹿め。私はまだ死んでいないぞ!」
「なんだって!」
確かに心臓にえーとなんかプリンが直撃して死んだ筈の刹那が身体を起こした。
「ククク、実は私の身体は心臓が破壊されても死なないのだ!」
「そうだったのか! だったら手加減はしないぜ!」
冬馬は右手の力をさらに解放した。ピキーン! 手の甲に龍の紋章章が現れ眩い輝きを放つ。キラーン! 超魔龍幻龍はただの忍術ではなく究極の陰陽術でもあるのだ。正統な継承者にのみ受け継がれる龍の紋章は≪アカシア≫と呼ばれる位相空間と接続し万能虚粒子Ωをこの世界へと引き込むことで様々な超常現象を引き起こすことが可能である。冬馬の右手に巨大な剣が出現し、その背中からは巨大な黒い翼が現れた。
「この俺を本気にさせたことを後悔するがいい!」
ズトーン! ドカーン! バキューン! ガカーン!
冬馬の究極必殺技ファイナルドラゴ二ックバスターが剣型戦術級兵器≪ラグナロクブレイド≫の剣先から放出され刹那に命中する。光速を超える究極の破壊光線の超スピードには刹那がテレポートで逃げる暇すらなかった。刹那は木っ端微塵になって死んだ。
[#ここでゴシック体終わり]
「やってみたら結構ラクに書けたッス!」
書き終えて吉村は満足げに言った。
「……うん、まあ、キミが楽しかったならそれが一番じゃないかな」
堂島は生温かい眼差しを吉村に向けた。
「ふう……」
暦が無表情で嘆息した。
「な、なんなんだよ藤倉そのため息は!?」
「……べつに」
心の底からどうでもよさげに暦は言って、椅子《いす》に座って本を読み始めた。
「くぅぅ……なんかわかんねぇけど腹立つ……!」
悔しげに呻《うめ》く吉村の肩を美咲が苦笑しながらぽんぽんと叩く。
「士郎くんは頑張ったわよ。あとは綾がなんとかしてくれるわ」
「……あまり期待されても困るのですけれど」
気乗りしなさそうにアンカーである綾はパソコンに向かった。
[#ここからゴシック体]
【綾パート】
――そんな悪夢で俺は目を覚ました。
「ハァ……ハァ……夢か……」
ベッドで荒い息をつき、むくりと起き上がる。すると、
「ン…………ふぁぁ……」
隣で寝ていた刹那が目を開けて俺を見た。
「……ん……どうしたんだい冬馬。すごい汗だ……」
「……酷い悪夢を見たんだ。俺がお前を……殺してしまう夢」
すると刹那は俺の身体に腕を回した。肌と肌がふれ合い刹那の体温が俺の身体に伝わる。
「ただの夢だ。俺はちゃんとここにいるよ。いつでも――お前の傍にいる」
「刹那……刹那、刹那ぁ……!」
俺はたまらず刹那の唇にキスをした。
「ン……冬馬……ふぁ……ン、くはぁ……っ」
ドサッ! シーツを乱してもつれあい、俺たちはそのまま激しく求め合う。
「そう言えばさ、刹那……さっきの夢の中で、お前は何故か女の子になってたんだ……」
身体を重ねながら俺が言うと刹那は荒い息を吐きながら笑った。
「ハハ、やっぱりただの夢だったんじゃないか。俺は男で……ずっとお前を愛してる」
俺はさらに強く刹那を抱きしめる。この温もりこそ、確かな真実なのだ――。 FIN
[#ここでゴシック体終わり]
………………。
…………。
重い沈黙があった。
「ゆ、夢オチ……だと……!?」
竹田が戦慄《せんりつ》の表情を浮かべて呻《うめ》く。
「いくら綾でもあそこからBLに持って行くのはさすがに無理だろうと思ってたけどまさかこんな禁じ手を使うなんて……」
美咲も竹田と同じ顔でおののいていた。
「うふふ、わたくしも日和《ひよ》ってしまいましたわ」
しれっと綾が言う。
「ぜんぶとうまが見ていた夢で、じつはさつやが男の子だったなんて……すごいびっくりしました。こんなおどろくべき話、読んだことがないです」
「リアもです。綾先輩|凄《すご》いですプロの小説家が書いた話以上の衝撃的展開です」
文香とリアが口々に賞賛した。
「そりゃプロの作家は絶対にやらないからねこんなの」
堂島が苦笑する。
「……でもま、冗談オチに映画オチに夢オチの三段構えかー。ここまでやると逆に清々《すがすが》しいかもね」
「前回と違って無事に完結したんだし、いいじゃないッスか! って、藤倉、なんで睨《にら》むんだよー?」
「…………べつに」
吉村の発言に前回オチ担当だった暦は不機嫌そうな無表情のまま赤面した。
そんな感じで、リア加入後最初のラノベ部リレー小説は幕を閉じた。
[#改ページ]
[#小見出し] わたしは勉強ができない[#「わたしは勉強ができない」は太字]
リアが部室に行くと、中には竹田と美咲と暦がいた。
暦は部屋の一番端の席で本を読んでいる。
竹田と美咲は入り口近くで隣り合って座っている。
美咲は机の上に置かれた問題集とノートを睨《にら》んでいて、竹田の方はそんな美咲の様子をジト目で見つめていた。
暦はちらりとリアの方に目を向け微妙に頭を下げたが、竹田と美咲はリアが入ってきたことに気づいていない。
と、
「……ふう」
竹田が嘆息《たんそく》し、美咲が不機嫌そうな顔になった。
「……籠ちゃん、今あたしのことアホだと思ったわね?」
「思ってないぞ」
「ウソね。顔でわかるわ」
「アホだなんて思ってない。ダメだなあと思っただけだ」
「それアホよりひどくね?」
「そう思われたくなければ早くこの問題を解いてみろ」
「ぐ……」
悔しげに顔をひくつかせる美咲に、「ふ」と微かな笑みを浮かべる竹田。
それから淡々と、
「……その問題は数字が変わってちょっと複雑になってるだけで、基本的には前のページの問い2と同じだ」
「前のページの27……あー、これかー! たしかにこれと似てるなあとは薄々感じてたのよねー」
へらへらと笑う美咲に竹田はジト目になる。
「……今のは嘘《うそ》だ。その問題と似てるのは本当は4番で、使う公式から何までほぼ一緒。2はまったく違う」
「……おのれ龍之介、謀《はか》ったな……!?」
「……お前はもうちょっと真面目《まじめ》にやれ。こんな問題で躓《つまづ》いてるようだと期末テストマジでヤバいぞ? ひょっとしたら進級までヤバいかも……」
「よ、世の中勉強だけが全てじゃないわー」
苦し紛れに言う美咲に竹田は嘆息《たんそく》する。
「そんなことは当たり前だ。だが世の中、『勉強ができる』ことがプラスに働くことは多々あっても、『勉強ができない』ことがプラスになることなんてめったにない。勉強ができないことなんてどうでもいいくらい他のことが優れた人は世の中に大勢いるけど、進学校に通う一般高校生のお前に勉強ができないことを補うほど大きなプラスになる何かはあるのか?」
淡々と問う竹田に美咲は言葉に詰まり、ほのかに顔を赤らめて、
「………………か……可愛い?」
「……ふぅ…………」
可哀想な生き物を見る目になって深々とため息をつく竹田に、美咲はますます顔を真っ赤にして怒鳴る。
「わーったわよ! 真面目にやればいいんでしょ眼鏡野郎!」
「だからさっきからそう言ってるだろうが逆ギレすんなよ!」
「ふん、あたしが本気になればこんな問題余裕なのよ。……龍ちゃんがついてるしね」
「……いーからさっさと取りかかれ」
少し悪戯《いたずら》っぽく微笑む美咲に、竹田は微妙に頬《ほお》を赤らめて憮然《ぶぜん》とした顔になった。
そして美咲は再びノートと問題集を睨《にら》む。
それを竹田は、微妙な苦笑を浮かべで見守る。
(…………むー)
なんとなく面白くないものを感じながら、リアは二人を迂回《うかい》して暦に話しかけた。
「暦。あの二人は何をやっているのですか?」
暦は無表情のまま本から顔を上げ、
「浅羽先輩の宿題を竹田先輩が手伝っている」
「成る程……所謂《いわゆる》勉強会と云《い》うやつですね?」
「…………」
暦は微妙に釈然としない顔をしつつ、
「……まあ、大体そんな感じ」
どうでもよさげにそう答えた。
そこでようやく美咲と竹田がリアに気づく。
「あ、リアちゃんおはよー」
「よう」
「押忍《おす》です、先輩方」
リアが挨拶《あいさつ》した。それから、
「……お疲れのようですね、龍之介先輩」
竹田は苦笑する。
「まあな。ほんとにこいつはアホで……」
「やっぱりアホって思ってた!」
「ああ、すまん。ほんとにこいつはダメで……」
べしっ!
わざわざ言い直した竹田の頭を美咲が割と本気で叩《たた》いた。
「いてえ」
「……暴力系幼なじみ……実在した……」
誰にも聞こえない声で暦が呟《つぶや》いた。
「……教えてやってるのに叩くことねえだろ」
「今のは龍ちゃんが悪いわ」
「いや、お前の頭が悪いことが悪い」
「頭頂部の具合が悪い龍ちゃんよりはマシよ」
美咲の言葉に竹田は顔を引きつらせる。
「だから……俺はハゲない……!」
「ククク、果たして十年後も同じ台詞《せりふ》が吐けるかな……?」
「二十七歳でハゲてたまるか!」
「ねえ龍ちゃん、世の中には若ハゲという言葉があってですね?」
「知らん。そんな言葉は俺の辞書にはない」
「ナポレオンかよ。いいじゃない、ロシア革命の指導者レーニンも若ハゲだったし、日本の侍だって若い頃からハゲてたんだし」
「俺はレーニンを評価してないからかぶってもまったく嬉《うれ》しくない。そして侍はハゲてたんじゃなくて剃《そ》ってただけだ!」
「ところで知ってた? ちょんまげって本来は髪の少なくなったお爺《じい》さんのためのヘアスタイルで、今世間一般でちょんまげって言われている時代劇とかで見かけるやつとは別物なんだって」
「だからなんだ」
「龍ちゃんもハゲたらちょんまげにすればいいんじゃね?」
「死ね!」
言い捨てて、竹田は美咲の席から離れて本を取り出して読み始めた。
「あーあ、拗《す》ねちゃった」
「拗ねてねえ」
苦笑する美咲と、仏頂面の竹田。
(……これが世に言う夫婦漫才《めおとまんざい》というやつでしょうか)
リアは思った。
まるで事前に打ち合わせでもしてきたようにものすごく息のあったやりとりだったのに、何故かあまり楽しい気持ちにはなれなかった。
「さて、気分転換もできたし勉強再開しますか龍ちゃん」
「一人でやれ」
そっぽを向く竹田に美咲が苦笑する。
「そんなこと言わずによー。どうせ最後には手伝うことになるんだしー」
「俺は今までお前を甘やかしすぎた。一度くらい留年すりやいいんだ」
「そんなこと言って結局助けてくれるのが龍ちゃんなのよね。オラオラ時間ないから早くデレろよこのツンデレが」
「ぐ……っ!」
「……美咲先輩。宜《よろ》しければリアがお手伝いしましょうか」
ふとリアが言うと、美咲と竹田が驚いた顔で振り向いた。
「教学は比較的得意です故、お力になれるかと」
すると美咲はぱたぱたと手を振った。
「いやいや、さすがに一年生に二年生の問題は」
「……リアは飛び級でアメリカの高校卒業済み」
ぽつりと暦が言うと、先輩二人は目を見開いた。
「そうだったのか……」
「へー、飛び級って実在するんだ」
リアは少し得意な顔になる。
「ちょうどいいからリアに見てもらえよ」と竹田。
「え!? あ、いや、あたくしにもプライドというものがありましてですね、飛び級とはいえ年下の子に勉強を教えられるというのはちょっとと……」
「留年したらその年下と同学年になるんだぞ」
「う……」
ジト目で言う竹田に美咲は呻いた。
「……というわけで、遠慮なくこの残念な先輩をしごいてやってくれ」
「お任せ下さい龍之介先輩!」
リアははりきって頷《うなず》き美咲と竹田の間の席に座った。
「ふん、見せてもらおうじゃないの留学生の実力とやらを……」
何故か悪人のような口調で美咲。
「範囲は46ページから54ページの問題全部」
「了解です龍之介先輩」
リアはざっと問題集に目を通す。
問題の難易度はともかく、連休でもないのに一度に出される量としてはかなり多いように思われた。
「……ふむ……二年生の宿題とは随分多いのですね」
「それ教学の先生が病気で一週間休んでたときの自習用に出されたやつだからな。本来なら授業中に終わらせるべきものだ」
「それを何故今やっているのですか?」
首を傾げるリア。
「このアホ、自習のときは漫画読んでたらしい」
竹田があきれ顔で言うと、美咲が抗議する。
「またアホって言ったー! せっかくの自習で真面目《まじめ》に勉強する方がおかしいのよー。他のクラスで授業やってるときに自分たちだけ遊べるなんて、めったにあることじゃないわよ? それを生かさずにどうするの?」
「……成る程、一理ありますね」
「ねえよ」「ないわよ」
真顔でリアが頷くと、竹田と美咲が同時にツッコんだ。
「何故美咲先輩まで……!?」
「や、ボケのつもりだったんで真面目に感心されるのはちょっと。リアちゃんが不真面目な子になっちゃったら困るし」
「……成る程……会話というのは難しいものですね」
神妙な顔でリアは呟《つぶや》いた。
いつかは美咲と竹田のように息のあった漫才《まんざい》ができるようになりたい。
「……そんじゃ、そろそろマジで時間ないからはじめよっか。よろしくねリア先生」
「御意です」
*
特に努力しなくても勉強ができてしまうタイプにありがちなことに、リアの教え方はあまり上手くなかった。
それは教えているリア本人が一番よくわかっていた。
しかし美咲は、竹田に教えられていたときとはうってかわって真面目《まじめ》に問題に取り組み、リアの拙《つたな》い説明も茶化さず真剣に聞いてくれた。
つい「何故こんな問題が解らないのですか?」とストレートに言ってしまっても怒らなかったし、ヒントではなく直接答えを教えてしまったときは「どうしてそうなるのか」を細かく尋ねてきて、リアもだんだん教え方のコツを掴《つか》むことができた。
聞き上手の美咲に、むしろリアの方が『教え方』を教わっているような気配すらあった。
竹田が手伝ってくれたこともあって、どうにか宿題の提出期限である六時までには全ての問題を終わらせることができた。
「んじゃ、あたしせんせーに出してくるから」
数学のノートを持って美咲は部室を出て行った。
リアはぽつりと呟く。
「……龍之介先輩は美咲先輩に、『勉強ができないことを補うほど大きなプラスになる何かはあるのか』と仰りましたよね」
「あー、言ったな」
竹田は頷く。
「……有るではありませんか。プラス」
すると竹田は苦笑を浮かべた。
「それ本人には言うなよ? あいつすぐ調子に乗るから」
その「全部わかってる」感じの口ぶりと優しい眼差しに、何故かリアは胸にちくりと刺すような痛みを感じた。
[#改ページ]
[#小見出し] 声に出して読みたい日本語[#「声に出して読みたい日本語」は太字]
[#本文より5段階大きな文字]「ゲシュタルト崩壊!」
部室にて本を読んていた美咲がいきなりそう叫んだ。
部屋には美咲の他に綾と文香と暦がいる。
美咲の叫びに綾と暦はびくっとして振り向き、文香は眠そうな目を美咲に向けた。
「……一体なんですの浅羽さん」
『お前のものは俺のもの。お前の痛みや悲しみも全て俺が引き受けよう』と書かれた扇子《せんす》を開閉させながら、綾が顔をしかめて尋ねる。
美咲は難しそうな顔で答える。
「……いや、唐突にそんな言葉が頭に浮かんたもんでつい叫んじゃった。なんたっけゲシュタルト崩壊って。聞いたことはあるのよね」
「げしゅたるとほうかいですか。なんとなくかっこいい気がします」
文香の言栗に美咲は「でしょう?」と笑った。
そこで暦が淡々と言う。
「ゲシュタルト崩壊――『ゲシュタルト』はドイツ語で『形態』という意味。全体性をもった構造から全体性が失われ、バラバラにしか認識できなくなる心理現象。たとえば一つの文字を長時間じっと見ていると『この字は本当にこんな字だっただろうか?』と感じるようになるような現象」
「おおー」
「はー」
「博識ですわね藤倉さん」
三人に拍手をされて、暦は顔を赤らめた。
「ところで実際にあるんですか? そのげしゅは。なんだかこわいです」
「あたしは経験したことないかなー。そもそも一つの文字を長い間じーっと見つめることなんてめったにないしね」
「ですよねえ」
美咲が答え、文香が相づちをうつ。
「……私は一度だけ。『ねくろま。』四巻85ページで」
暦が小声で言った。
「わたくしは頻繁に経験しますわよ」
「ひんぱんですか?」
綾の発言に、文香たちは興味探そうな顔をする。
「ええ……例えば難しい数学の間題を解いているとき、]という文字をじっと見つめていると『あれ、これは本当に]なのでしょうか? 実は×ではないのでしょうか』と本気でわからなくなってしまったり、つい先日も赤道斎《せきどうさい》×仮名史郎《かなしろう》か仮名史郎×赤道斎かというきわめて深刻な命題に直面した際、紙に書いてじっくり検討していたところ、いつの間にか文字が形を失い、右目には赤道斎×仮名史郎、左目には仮名史郎×赤道斎という二つの映像が同時に再生されていたのです。ちなみに性格的には赤道斎攻めの方が王道でしょうが若本《わかもと》ボイスの渋いおじさまが速水奨《はやみしょう》ボイスで甘い言葉を囁《ささや》かれ骨抜きにされてしまうというのも非常にそそるものがあってですねっ、」
「それ絶対ゲシュタルト崩壊とは違う現象だから。ていうか多分病気だから」
だんだん興奮してきた綾の言葉を美咲は遮った。
「……まー具体的な体験談は置いとくとして、なんかさー、意味なんてわからなくてもかっこいいわよね『ゲシュタルト崩壊』って。なんとなく言葉の響き? 雰囲気? が。FFのラスボスが使ってきても違和感ないっていうか。……『ゲシュタルト崩壊』――ゴゴゴゴゴゴゴ……宇宙の法則が乱れる!」
「……っ」
ネオエクスデスが『ゲシュタルト崩壊』というすごい攻撃を使ってくる画面を想像してしまい、暦は小さく吹き出した。
「すごい必殺技とか奥義の名前でもアリよねゲシュタルト崩壊。『BLEACH』で卍解の代わりに使われても違和感なくない?」
「……っ」
そのシーンを想像してしまい、暦はぴくぴくと身体を震《ふる》わせた。
「なんかさー、『ゲシュタルト』っていう単語がかっこいいのよね。クールなライバルキャラとかの名前でもありそう。俺の名はゲシュタルト……覚えておけ……」
「……っ」
「つーかなんにでも使えそうよねゲシュタルト。ゲシュタルト粒子《りゅうし》100パーセントチャージ完了! ゲシュタルト砲、て――っ! ダメです、敵ゲシュタルトのゲシュタルト量が大きすぎてゲシュタルトできません! こちらのゲシュタルト臨界点突破! このままではゲシュタルトが崩壊します!」
「……っ、っ……っ!」
暦は顔を真っ赤にして机に突っ伏した。
暦の脳内で様々な漫画や小説やアニメの決め台詞《ぜりふ》や必殺技の名前、キーワードが全てゲシュタルトに変換され、「あれ、ゲシュタルトってそもそも何だっけ……?」と脳が混乱をきたす。
「……これが……真のゲシュタルト崩壊……」
「さっきからどうしたの暦ちゃん?」
怪訝《けげん》な顔をする美咲に、「なん……でもない」と声を絞り出す。
「ゲシュタルトに限らず、ドイツ語にはかっこいい単語が多いですわね。シュトーレンだのザッハトルテだの、お菓子にすらどことなく必殺技臭が漂っていますわ」
綾が言った。
「そういえばあいつら数字の教え方までかっこいいのよね。アイン、ツヴァイ……あと知らんけど」
「ドライ、フィアー、フュンフ、ゼクス、ズィーベン、アハト、ノイン」
「ズィーベン!」
なぜか嬉しそうにリピートする美咲だった。
「個人的にはゼクスとノインがイチオシですわ」
綾が微笑んだ。
「そういえば人の名前もかっこいいですわね。ラインハルトとかウォルフガングとかオーベルシュタインとか」
「ぎんえいでんの人たちの名前はドイツ語だったんですか」
ぼーっとした顔で文香が言った。
「朝の挨拶《あいさつ》ですらグーテンモルゲンですしね」
「グーテン……モルゲェェェェェェンッ!!」
「こちらもグーテンモルゲン……ですわ……ッ!」
美咲がシリアスな顔で叫び、綾も真面目《まじめ》な顔で謎のポーズをとって応じた。
「グーテンモルゲンソード!」
「グーテンモルゲンシールドですわ!」
「やるわね。しかしワシのグーテンモルゲンは108グーテンモルゲンまであるぞ……」
「うふふ、わたくしのグーテンモルゲン能力は全てのグーテンモルゲンを無効化する究極のグーテンモルゲンですわよ。あなたのグーテンモルゲンで対抗できますかしら?」
「あたしは……自分のグーテンモルゲンを信じる!」
「残念ですがあなたのグーテンモルゲンがわたくしの雄々《おお》しくそそり立つバームクーヘンをシュトーレンすることなど絶対にシュトゥルム・ウント・ドラングですわ!」
「そんなヴァイスシュヴァルツはないわ。信じるウィトゲンシュタインがあればどんなゾンタークだって必ずニュルンベルグることがオイレンシュピーゲるってあたしはザッはトルテる!」
「ふふ、ならばそのヴァイスをフランクフルトにヴィルヘルムってさしあげますわ」
意味のわからない会話を繰り広げる二人に、文香は眠そうな顔で呟《つぶや》く。
「……ドイツの人は朝からたいへんなんですね。わたしは朝のあいさつはおはようごさいますがいいです。ふぁぁ……」
あくびをして、机に顔を伏せ目を閉じる文香。
睡眠モードに移行する文香に暦は小さく呟《つぶや》く。
「……グーテ……ナハト」
[#改ページ]
[#小見出し] パンツじゃないから恥ずかしくないもん[#「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」は太字]
サッカー部の練習が早めに終わったので、吉村士郎は掛け持ちしているラノベ部の部室に向かった。
部室には竹田龍之介、堂島潤の男子二人、そして部長の浅羽美咲がいた。
「ちわッス」
「んー」「や」「ういー」
挨拶《あいさつ》すると、本を読んでいた三人の先輩たちも軽く挨拶を返してきた。
そして三人は再び読書に戻る。
せっかく浅羽先輩に会えたのに会話がすぐに終わってしまったのが残念だか、顔を見られただけでよしとしよう。
吉村はとりあえず自分も何か読もうと部室の本棚を物色する。
ちなみに部室の本は、あまり長期間でなければ家に持ち帰っても構わないことになっている。
吉村は基本的に本は自分で買う。
前に美咲が、「好きな本があったら作者への応援もかねてなるべく自分て買うようにしている」と言っていたから、吉村もそれに倣《なら》っているのだ。
だから部室では、自分ではなんとなく買いにくい本を借りることにしている。
吉村はラノベ部に入るまでは熱い展開のファンタジーとかSFっぽい表紙(そういうのは表にかっこいい主人公とかが描かれていることが多い)の本ばかり読んでいたのだが、最近ラブコメも読むようになった。
しかしラブコメの表紙は基本的に女の子の絵なので妙にレジへ持って行くのが恥ずかしいのだ。
いや、単に女の子が描かれているだけならそこまで抵抗はないのだが、本によってはパンツが丸見えになっていたりやたら露出度が高い格好をしていたりする。
特にこの『パラレルまりなーず』の二巻だとか、『れでぃ×ばと』の全巻だとか、ググってもらえれば多分一発で納得してもらえるような表紙の本は、実にこう、その……困る!
何よりもどかしいのは、別に吉村はそういうイラストが嫌いというわけでは決してないということだ。
むしろ見たい。
プロのイラストレーターが渾身《こんしん》の力を込めて描いた、エッチな格好をした女の子の鮮烈なイラスト。
そんなもん、見たいに決まっているだろう!
自分はエロいことに興味なんかないのだと自分を偽るほど吉村は子供ではなかった。
しかし自分はエロいものが大好きだと堂々と主張できるほど開き直ってもいなかった。
……そんな中途半端な吉村士郎にとって、パンチラやパンモロやエロ衣装や、あとノーパンとかの表紙は、実に困る相手なのだ。
かといって表紙ではないページにそういうちょっとエッチなイラストがあった場合、気づきにくいという恐れがある。
特に『ねくろま。』の六巻だとか『魔女ルミカの赤い糸』シリーズのように、表紙は普通なのにページをめくるといきなり表紙の女の子が全裸になっていたりすると、うっかり書店で開いてしまったりレジでカバーをかけてもらうときめちゃくちゃ気まずい。
ああいうのは不意打ちでズルいと思う。
カラーでエッチなイラストがあったら、嬉しいか嬉しくないかで言うと、そりゃまあ、嬉しいですけど。超嬉しいですけど。最近は特に『ハイスクールD×D』が最高だ。だってメインヒロインが先輩で部長でしかもエロいんだぜ。
閑話休題。
ここにパンツがあるぞ! 貴様が望むエッチなものがここにあるぞ! と強くアピールしてくる表紙には、ある種の潔さすら感じる。
その潔さに応《こた》えてやりたいさ! 男の子だもの!
でも恥ずかしい! 男の子だもの!
そういうジレンマに、吉村は書店でちょっとエッチな表紙の本を見かけるたびに襲われる。
レジが若い女の人だと尚更だ。
その点、部室の本なら別に手にとっても恥ずかしくない。
何故なら自分ではない誰かが買った本なのだから。
持ってきてくれた人の厚意に応えて読むだけなのだから。
だからオレは今から堂々とこの、数週間前に本屋で初めて見かけたときからずっと気になっていた、ほぼ全裸の女の子が表紙の本を手に取るぜ!
「……さっきから何をブツブツ言ってるんだお前は」
いきなり竹田に声をかけられて吉村は跳び上がるほど驚いた。
「た、竹田先輩……」
「なんか探してる本があるのか?」
「ち、違うッス、ちょっと考え事を……」
「考え事?」
竹田は訝《いぶか》しげな顔をする。吉村は適当に誤魔化そうとして――
「エ、エロい本って買いづらくないッスか!」
嘘《うそ》が苦手なので何の誤魔化しもなく正直に言ってしまった。
「な、なんでこんなところでエロ本について考えてるんだ……!?」
竹田がわけのわからないものを見る顔になった。
「若いわねー士郎くん」
美咲もニヤニヤ笑う。
「へ……?」
二人の反応に吉村は首を傾《かし》げ、ハッとなる。
「あー! ち、違うッス! エロ本のことじゃなくて! オレが言ってるのは表紙がエロい本のことッス! これとか!」
慌てて吉村は一冊の本を本棚から取り出して見せる。
表紙は女の子のイラストで、スカートが翻ってパンツが思いっきり見えている。
「あー。そういやたまにあるな、そういうパンチラの表紙」
納得顔で竹田。
「なに吉村くん、そういう表紙の本を買うのに抵抗があるの? 若いねー」
堂島が少女のような顔にニヤニヤした笑みを浮かべて言う。
「せ、先輩たちは平気なんスか!?」
竹田は少し考え、
「……まあ、昔はちょっと恥ずかしかったけど今は別に平気かな」
「昔はえっちな本を買うためにわざわざ二駅以上離れたところの小さな本屋さんまで行ってた龍ちゃんもオトナになったものよね」
「……? 何故それを……!?」
美咲の言葉に竹田は顔を引きつらせた。
「竹田先輩もエロ本なんて買うんスか」
「黙れ吉村それ以上言うと殺す」
完全に据わった目で竹田は言った。
「エロ本くらいでそんな恥ずかしがらなくてもいいのにねー。思春期の男の子なら誰もが通る道だよ」
堂島が笑った。
と、美咲が不意に真剣な顔になる。
「……そういえば、潤くんもえっちな本を買ったりするの? ていうか……売ってもらえるの?」
「…………」
堂島はムスッとした顔になった。
「……その様子だと売ってもらえないみたいね」
堂島の顔立ちはまるで少女のようで、身長も低く体格も華奢《きゃしゃ》だ。
十八歳以上に見られることはまずないだろう。
「レジに持ってくと店員の野郎が必ず聞いてくるんだ……身分証明書はお持ちですかつって……。あいつら絶対に許せない……この恨みは一生忘れない……」
「いや店員は悪くねえだろ。本来なら十八歳に見えようと見えなかろうと年齢確認は必要なんだし」
竹田が冷静にツッコむが、堂島はスルーした。
「……いっそ女の子の格好して買いにいこうかな。そしたら案外すんなり売ってくれそうな気がする」
「そこまでしなくても……そんなにやらしー本がほしいなら龍ちゃんのコレクションを分けてもらえばいいんじゃないの?」
美咲が言った。
「待てコレクションってお前そんな何冊も持ってるわけじゃないぞいやマジで」
そんな竹田の抗議を無視して、堂島は真剣な顔で首を振る。
「ぼくはただエロ本がほしいわけじゃないんだ。ぶっちゃけあんまり興味もないし、手に入れる方法だったら人にもらうとかネットで買うとかいくらでもある。でもぼくは、自分の力で栄光をつかみ取りたいんだ! それが誇り高き狼《おおかみ》の生き方だと思うんだ」
「おお、それでこそ男……いや、漢《おとこ》ッス堂島先輩!」
「モノはエロ本だけどな」
感銘を受ける吉村に竹田はジト目で言った。
「……つーかさー、他の子がふつーにできることをぼくだけできないっていうのがムカつくんだよねーなんとなく」
ぶーたれる堂島。
「お前、普段はさんざん自分の外見を自画自賛してるだろうが」
「ふん、だから多少の不利益は我慢しろって? 龍くん、それは可愛い女の子に対して『容姿に恵まれて普段から得してるんだから痴漢やセクハラくらい我慢しろ』だの芸能人に対して『プライバシーを侵害されることくらい有名税だと思って我慢しろ』とか言っちゃうアホ論理と同じだよ」
「同じじゃねえ。お前以外のやつがエロ本を買えることの方が間違ってるんだから」
「ああ言えばこう言う……龍くんは正論ばっかでうぜー。一人PTAうぜー。もしくは一人教育委員会うぜー」
「お前の一人しゃべり場もしくは一人中学生日記も十分うぜえ」
「ぼくは思春期なんだよ」
「自分で言うな」
「絶望したー。思春期の少年がエロ本を買えない社会に絶望したー。ぼくがグレて盗んだバイクで走り出すようになったらぼくにエロ本を売らなかった店員と龍くんのせいだからね」
「それはさすがに俺も責任を感じるな。罪滅ぼしに、もしもお前が死んだら墓前にエロ本を供《そな》えてやるから遠慮なく死ぬがいい」
「わーい温かい友情に涙が止まりませんよ。だったらぼくは龍くん秘蔵のエロ本の乳首という乳首に尾崎の顔を貼《は》り付《つ》けてあげる」
「エ、エロ本の話はもういいじゃないッスか!」
ちらちらと美咲の方を見ながら、赤面して吉村は言った。
好きな女の子の前で乳首とか言わないでほしい。
「いつものことだけど脱線したわねー」
美咲が笑う。
「えーと、最初はちょっとえっちな表紙の本の話だったっけ?」
「そ、その通りッス」
「まーぶっちゃけ、本屋の人はお客さんがどんな本を買ったかなんて全然気にしないと思うわよ。ラノベだろうと漫画だろうとエロ本だろうと。そんなのいちいち気にしてたら商売なんてできないでしょ」
「……そういうもんスかね」
「そういうもんそういうもん。だから士郎くん、あなたはあなたの欲望のおもむくままにパンチライラストが表紙の本を買えばいいと思うわ」
「お、オレは別にそういう本が欲しいわけじゃ……!」
小声で言う吉村だったが、美咲は再び読書に戻ってしまった。
「…………」
吉村は再び本棚の方に向き直り、先ほど取ろうとしたエッチな表紙の本に手を伸ばし――やめた。
学校帰りに本屋に寄り、吉村は堂々と胸を張って部室にあったエッチな表紙の小説と、これまたずっと気になっていた『|C3《シーキュブ》』全巻をまとめて買って帰った。
少し大人になった気がした。
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[#小見出し] 夏休みの計画[#「夏休みの計画」は太字]
「もうすぐ夏休みねー」
ふと本から顔を上げて、美咲が言った。
部室にはラノベ部の部員全員が揃《そろ》っている。
今は七月上旬――夏休みまで、あと二週間ほどである。
「みんな夏休みはなんか予定あるの?」
「家で期末テストに備えて猛勉強して過ごす」
淡々と竹田が答えた。
「うげー。楽しみが減るようなこと言わないでよー」
公立富津高校は二学期制なので、期末試験は夏休み明けの九月にある。
七月に試験がある学校と違って教師生徒ともに夏休み前の期間も落ち着いて過ごせるのはいいが、テスト範囲はそのぶん広くなるし長い休みで習ったことを忘れてしまうといったデメリットもある。
実際、美咲の去年の期末試験はボロボロだった。
「つーか龍ちゃん、いつもは試験勉強なんてほとんどしないじゃない」
「ああ、まあ今年も宿題やるくらいで特に勉強を頑張るってこともないだろうな。今のはお前への嫌がらせで言ってみただけだ」
「うわ最悪だこの眼鏡野郎」
美咲はむくれた。
「……まあ、実際は特に予定なしだな。バイトして本読んで適当に遊ぶ、ただ学校が休みってだけの普段の生活だ」
「つまんねー。人生でただ一度の高二の夏休みがそれでいいの?」
「うるせえな。そういうお前はどうなんだよ」
「……バイトして本読んで適当に遊ぶ」
憮然《ぶぜん》として尋ねる竹田に美咲はばつが悪そうに答えた。
「ぼくは予備校の夏期講習」
堂島が言った。
「夏期講習……!? お前が……?」「潤くんが勉強……!?」
「うわこの幼なじみズ超うぜえ」
愕然《がくぜん》とする竹田と美咲に堂島はジト目になる。
「ぼくだってそんなの行きたくないけど親が勝手に申し込んだんだよ。こないだの実テがアレだったから……」
「大変だな。まあせいぜい頑張れ」
「これっぽっちも心がこもってない励ましの言葉をありがとう龍くんファッキン」
憂鬱《ゆううつ》そうに堂島は吐き捨てた。
美咲は次に綾へと目を向ける。
「綾は……あー、コミケか」
「ご明察ですわ」
『友達を大切に byソ○トバ○ク』と書かれた扇子をバッと開いて綾は言った。
「こみけ……ってなんですか?」
文香が眠そうな顔で首を傾げると、綾は愕然とした顔をした。
「コミケを知らない娘がこの部にいるなんて……!」
「いやそんな驚かんでも。ていうかあたしも実はよく知らないのよねーコミケって。乃木坂春香《のぎさかはるか》とか俺妹《おれいもうと》でも出てきたけどそんなに楽しいもんなの?」
すると綾は真剣な表情で、
「人による、としか。自らの目と耳と手と足を使いどん欲に全力で楽しさを求めることができる者にとってはパラダイスと言えますわ。逆にお客様気分で受動的に楽しませてもらうつもりで行っても、得るものは何もないでしょう」
あまりにも真面目《まじめ》な口ぶりに、美咲はゴクリとつばを飲む。
「コミケ……同人誌即売会……リアは是非とも行ってみたいと思っていました」
リアが言った。
日本の漫画やラノベは海外でも通販で手に入るが、同人誌はそうはいかない。
特に去年の冬コミでMF文庫Jで活躍する現役ライトノベル作家十七人が合同で創ったという伝説の同人誌「みみっく!」を手に入れることができなかったのはリアにとって痛恨の極みで、「もう一年上に飛び級していれば……!」と本気で嘆いたものだ。
「うふふ、宜《よろ》しければご一緒しましょうかリアさん?」
「本当ですか綾先輩」
綾の提案にリアはぱあっと顔を輝かせた。
「ええ、いいホテルなども教えてさしあげますわ」
「有《あ》り難《がと》う御座います綾先輩!」
「いえいえ、こちらこそ思わぬところでファンネルが増えて嬉し……あ、いえ、海外からの同胞をご案内できるなんて大変光栄に思いますわ」
表面上はじつに華やかな微笑《ほほえ》みを浮かべる綾だった。
「なんかよからぬことを企んでる気がするけど……まあいっか。文香ちゃんたちはなんか予定あるの?」
「わたしはお盆にしんせきのおばあちゃんちに行くくらいです」
「あー、そういやあたしもお盆はそうだったわ。忘れてた。暦ちゃんは?」
美咲に尋ねられた暦はしばし考えたあと、
「……特に何も」
無表情で淡々と答えた。
本当は超忙しくなる予定なのだが。
高校生プロ作家である暦にとって、夏休みは一気に原稿を書き上げるチャンスなのだ。
「士郎くんは?」
「オレもお盆にばあちゃんちに行って、あとは……あ、そうだ、サッカー部の合宿があるッスね」
「合宿!」
吉村の答えに、美咲がいきなりぽんと手を打った。
「うっし、うちらも合宿しよーぜ!」
「は?」
部員たちか怪訝《けげん》な顔をする。
「だから合宿よ。ラノベ部の」
「……ラノベ部の合宿って……なにするんだよ」
竹田があきれ顔で言う。
「えーと……みんなで読書をしてチームワークを高める?」
「チームワーク高めてどうするんだ」
「細かいことはいいじゃない。ぼくはさんせーだよ」
堂島が言った。
「ようするにみんなでどっかに泊まって遊びましょうってことでしょ? お題目が必要ならほら、『集団生活を通して、物語を受け取るための豊かな感性を身につけるため』とかそんな感じで」
「ナイスよ潤くん。あたしはそれが言いたかった」
「……お前よくとっさにそんなもっともらしいことをでっち上げられるな」
美咲が賞賛し、竹田も呆れつつ感心した。
「楽しそうなのでわたしも行きたいですけど、具体的にはどこでなにをやるんですか?」
文香が微かに首を傾《かし》げた。
「うーん、やっぱりベタだけど合宿といえば海かな?」と美咲。
「べたなんですか?」
「ラノベとか漫画の部活モノの合宿って大抵海じゃない? で、女の子キャラたちの水着イラストがどばーんって描いてあるの」
「み、水着……! 先輩の……」
吉村が顔を赤くした。
「まあ海に決まりってわけじゃないけど、他に行きたいところとかある? 山も楽しそうかなってあたしは思うんだけど」
「う、海がいいッス! 海だったら絶対行くッス! たとえサッカー部の合宿休んででも行くッス!」
「元気ねえ士郎くんは」
美咲は苦笑した。
「わたしも海がいいです。あんまり行ったことがないので」
「たしかにうちの県は海がないからな。機会がないと行かない奴は全然行かないか」
竹田が呟《つぶや》くと美咲は笑う。
「中2までは龍ちゃんちとうちの家族で毎年のように行ってたけどねー海水浴」
「家族公認……!」「羨《うらや》ましい……!」「むー」
リアと吉村と文香がそれぞれ微妙な顔をした。
「海にしましょう。山で虫をつかまえたりするのはいつでもできますし」
「む、虫?」
文香の発言に竹田が怪訝《けげん》な顔をする。
「かぶとむしとかです。あと上流の方までいってお魚を捕まえたりもできます。でもいのししには注意しなければいけません」
「猪《いのしし》!?」
「……文香ちゃんって意外と野生児?」
「そういや物部の出身は金花中だっけか……たしかに近くに山多いしな……」
「あ、金花なの?……たしかあのへん、あたしらが小学生の頃に熊が出たってニュースになってなかった?」
小声で囁《ささや》き合う竹田と美咲。
「あと鬼ごっことかも楽しいです」
「鬼ごっこ?」
「山の中から出てはいけないルールの鬼ごっこです」
「……危なくない? それ」
美咲が言うと文香はきょとんとした。
「武器は禁止なので安全ですよ」
「武器……!?」
「文香、トラップはどうなのですか?」
リアが普通に尋ねた。
「道具を持ち込まなければOKでした。だから踏むとばちーんってなるやつとか、樹につるされてしまうやつくらいしか作れません」
「成る程。それなら安全ですね。リアのところでも火薬系とチェーンソーなどの機械類は当然禁止でしたが、鎌やノコギリの持ち込みは可でした」
「なるほど。うちとはちょっと違うんですよね」
「はい。所謂《いわゆる》ローカルルールと言うものでしようね」
「……おい、なんかトランプの話でもするようなノリですげえ会話してるぞ……」
「……リアル北条沙都子《ほうじょうさとこ》もしくは相良宗介《まがらそうすけ》がいらっしゃる……」
戦慄《せんりつ》の表情を浮かべる竹田と美咲だった。
「と、とにかく山はいろいろアレっぽいから行くとしたら海ね!」
「海となると……水着を新調しなくてはなりませんわね。お約束で学校指定の水着という手もありますけど」
「綾。もしも海水浴場にスク水なんて着てきたらあたしは他人のフリするからね?」
「うふふ、冗談ですわ。ですが物部さんと藤倉さんならきっと……思い切って白スクというのも……」
綾が怪しく微笑んだ。
「……!」
ぶんぶん首を振る暦と、きょとんとした顔をする文香。
「藤倉さんは海はいやですか?」
「……そ、そんなことない……い、行きたい」
顔を赤くして暦は言った。
「暦の白スクはとても似合っていましたよ」
リアが暢気《のんき》に言う。先日自分が着たぱすてるインク先生のコスプレを思い出し暦は真っ赤になって突っ伏した。
「どしたの暦ちゃん?……まあとにかく、決まりね! 帰ったらいろいろ調べてみるから、具体的な場所とかは明日」
「……ほんとに急に決まったな。俺も別に予定ないから他の奴らが行きたいなら反対はしないけど」
竹田が嘆息しつつ賛成した。
文香が柔らかく微笑んで言う。
「夏休みは部活がないのでちょっとさびしいと思ってたんですけど、みんなであつまれる日ができてよかったです」
「ん? ベつに夏休み中も来てもいいわよ?」
美咲がきょとんとした顔で言った。
「はへ?」「……?」「?」
文香と暦と吉村が不思議そうな顔をする。
「や、夏休み中も普通に学校開いてるからね。他の文化部も夏休みだって活動するトコ多いし、ラノベ部も同じ。鍵はいつものとこだから、部室に来たかったらいつでも来ていいのよ。あたしも読んでない本がいっぱいあるからちょくちょく顔出すつもりだし」
「ぼくもたまに夏期講習サボって来るつもり。予備校から近いし」
堂島がさらりと駄目なことを言った。
てっきり夏休み中は活動しないと思っていた一年生たちの間に、驚きと喜びが広がる。
「それじゃ、夏休みもこうしてみんなでおしゃべりしたりできるんですね」
「そゆことー」
「これは重畳《ちょうじょう》です。望外《ぼうがい》の喜びです」
「んな大げさな」
大喜びするリアに美咲は苦笑した。
「嬉しそうだなお前ら……まあ、俺もたまには顔出すか」
ぽつりと竹田が言った。
「竹田せんぱい、たまにしか来ないんですか?」
「家が遠いからなー。八月は定期買うつもりもないし」
「あたしはダイエットのためにチャリで通うつもりよ?」
「……日射病で死ぬなよ?」
本気で心配そうな竹田だった。
「……龍之介先輩、あまり来てくれないのですか」
「……ざんねんです」
……ふみかリアと文香が同時にぽつりと漏らし、
「……?」「……?」
二人は少し不思議そうに顔を見合わせた。
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[#小見出し] シット[#「シット」は太字]
放課後になり、文香と暦とリアは一緒にラノベ部の部室へと向かった。
まだ誰も来ていないらしく部室には鍵《かぎ》がかかっていたので、文香は鍵が入った箱へと手を伸ばす。
ダイヤル式の南京錠で施錠してあるのだか、文香は暗証番号を覚えていなかった。
箱の下側に貼《は》り付けてある付箋《ふせん》には暗証番号のヒントが書かれているため、文香はそれを読み上げる。
「ええと……『つうかさあ、俺の妹マジかわいくね?』」
「……っ」
暦は噴きそうになった。
文香の口から妹という単語が出ると、雪華《ゆきか》のことを思い出す。
自分の秘密を知る、家族と出版関係者以外のただ一人の少女。
「雪華はたしかに可愛いですよね」
リアが言った。
「……暗証番号は、243」
赤面しながらも、暦はヒントから暗証番号を導き出した。
暗証番号とヒントを考えるのは美咲なのでたまにかなり苦しい語呂合《ごろあ》わせがあるけど、今回のはすんなり答えが出せる良問だったと暦は評価する。
「ええと、にー、よん、さん」
南京錠が外れ、文香は鍵を取り出すことに成功する。
鍵を開け、三人は部室に入った。
「やっぱり藤倉さんはすごいですね。わたしはあんまり作家さんの名前を覚えないのでヒントを見てもわからないです」
「ん……べつに……」
暦は少し赤面した。
南京錠の暗証番号はライトノベル作家名の名字か名前を数字にしたものとなっているのだが、そもそも作家名を知らなければヒントを出されても解けない。
「リアも作者の名前はあまり覚えないですね。『日日日《あきら》』みたいにインパクトがある名前だと、自然と覚えてしまうのですけど」
「ですよね。あとは『聖剣の人』とか『アリアの人』という感じです」
リアと文香が口々に言う。
「……それだと、面白かった本の作者が新作を出したときわからなくなる……」
暦がおずおずと言った。
「あ、そういえばそうですね」
本当に今気づいた様子で文香は言った。
文香はまだライトノベルを読み始めて三ヶ月くらいなので、「好きだった作品の作者がいつの間にか新作を書いていたことに気づかなかった」という経験がないのだ。
「リアはこれまで基本的にネット通販でしたから、アマゾンなら商品ページに行けば作者名のリンクが張ってありますし、他のサイトでも基本コピペで済みますからね」
「……名前を覚えなくても困らない、と?」
「はい」
リアは頷いた。
「あと絵の人もそうですね。名前を言われてもあまり判らないです。『ハルヒの人』みたいに言われると直ぐ判るのですが」
暦はなんだか複雑な気持ちになる。
作家やイラストレーターの名前を覚えない読者が大半だということは暦も編集者から聞かされて知っていたのだが、やっぱりそうなんだなと実感した。
考えてみれば暦だって、同業者だから読んだライトノベルの作者名は意識して覚えるものの、漫画や一般文芸や実用書の作者名は覚えないことが多い。
実は毎週ジャンプの連載漫画を全部読んでいるけど、作者名を言われて作品名がすぐに浮かぶ(あるいはその逆)のは半分くらいだ。
娯楽作品の作者と作品は基本的に分けて考えられるべきだし、作者名を覚えないからこそつまらなかった本の作者の新作を先入観を持たずに手にとってくれる人もいるから、別に悪いことではないのだが、やっぱり寂しい。……
そんなことを思いながら暦は部室の奥の方の席に座って、読む本を取り出すため鞄を開ける。
「あっ!」
本棚を見ながらリアが嬉しそうに声を上げた。
「どうしたんですかリアさん?」
「石皮雨《いしかわあめ》先生の本が揃《そろ》っています!」
さっき作者名を覚えないと言ったばかりのリアの言葉に、暦は驚いた。
「つい先日『赤月のレイリア』を四巻まで一気に読んだのですが、新刊が待ち遠しくて前作も買い集めようかと思っていたところだったのです」
石皮雨の最新作『赤月のレイリア』は今そこそこ人気のある作品で、暦も好きだ。
特に三巻ラストがものすごく気になる感じで終わっていて、三ヶ月後発売の四巻が出るまで読むべきじゃなかったと後悔したくらいだ。
三巻と四巻を一気に読めたリアがちょっと羨《うらや》ましい。
あと、リアに名前を覚えてもらっている石皮さんが羨ましい。
普段作者名を覚えない人が作者の名前を覚えてしまうほどに面白い小説を書いていることに少し嫉妬《しっと》してしまう。
「レイリアはすごい面白いですよね」
「はい! 糞《くそ》面白いです!」
「!?」
リアの発言に暦は目を見開く。
「く……くそ……?」
聞き間違いかと思ったが、文香まで面食らったような顔をしているので暦の聞き間違いではないのだろう。
「糞面白いです、『赤月のレイリア』早く五巻が出て欲しいですよね」
「……あの、リア、く……くそ、というのは」
顔を赤らめて暦が言うと、リアはきょとんとした顔をして、
「糞がどうかしましたか?」
「や、あの、……ど、どうしてそんな言葉を?」
「こないだの休み時間にクラスの男子が言っていたのです。なんとかというテレビ番組が糞面白かったと。彼らによれば、『糞』という言葉には『すごい』とか『非常に』という意味もあるそうです」
「そういえばあるかもしれませんね」と文香。
「…………ある……といえば、あるけど…………スラングの類」
暦は小さく言った。
「英語ではなんていうんですか? うんこのこと」
「ぶっ」
眠たげな顔で淡々と尋ねる文香に暦は噴いた。
「本来の意味だと――Shitですね」
これまた淡々とリアは答えた。
……「シット」って、かなり下品な言葉だと思っていたのだが……
「……ファッキンシット?」
そういえば何かの映画で「シット」はこういう使われ方をしていたなあと思いだし、何気なく暦は口にした。
するとリアは顔を真っ赤にし、愕然《がくぜん》とした顔で暦を見た。
「こ、ここ暦、いきなり何ということを言うのですか!?」
「……?」
「い、いきなり、そんな、もう、あの、その……」
「……ファッキンシット?」
「暦っ!?」
叫ぶリアに暦はびくっとする。
「お、おおおお女の子がそんな、そんな破廉恥《はれんち》で挑発的でお下劣《げれつ》なことを言ってはなりませんッ!?」
「……え、ご、ごめんなさい」
戸惑《とまど》いながら暦は謝った。
そういえば「ファック」という言葉も映画の字幕などでは「くそったれ」と訳されることが多いけど、日本人の「くそったれ」に対する捉え方とネイティブスピーカーの「ファック」に対する捉《とら》え方《かた》は実は全然違うと聞いたことがあるのを思い出した。
……まったく、ややこしい。
シットもたしか「くそったれ」と訳されたはずだが、「シット」も「ファック」も「ファッキンシット」もそれぞれ向こうではニュアンスが全然違うのだろう。
他にニュアンスが難しい言葉といえば……
「サノバビノチ……」
[#挿絵(img/3-096-097.jpg)]
「……こ、暦はリアのことが嫌いなのですか?」
泣きそうな顔をするリアに、暦は慌ててぶんぶんと頭を振った。
何かの本で『son of bitch』とは『お前の母ちゃんでべそ』と同じような意味であると書かれているのを見たのだが、絶対違うだろうと暦は確信した。
「…………む、難しい……」
暦は冷や汗混じりに呟《つぶや》いた。
「まったくもう……暦がいきなり凄いことを言うものだからリアは糞《くそ》驚きました……大人しい顔してまったくとんでもない娘だよ……」
何故かおばちゃんみたいな口調で言うリア。
「リアさん、くそはちょっと下品なのでやめたほうがいいですよ」
文香が淡々と言った。
「ふむ、そうだったのですか……矢張《やは》り日本語は複雑ですね……」
しみじみと呟くリア。
日本語に限ったことではないと暦は思う。
『〜の|ような《ヽヽヽ》意味の言葉」は決して『〜という意味の言葉』とイコールではないのだ。
「……兎に角、『赤月のレイリア』はとても面白いということです。四巻までまとめて読めてよかったです。龍之介先輩に感謝しなくては」
「……? 竹田せんぱいがどうかしたんですか?」
微妙に驚いた顔で文香。
「はい。リアが『赤月のレイリア』をまとめ買いしたとき、三冊しか買うお金がなかったのですが、龍之介先輩が『三巻を読んだら絶対すぐ四巻を読みたくなるから』と言って四巻をプレゼントしてくれたのです。留学祝いということで」
少し頬《ほお》を赤らめて、嬉しそうにリアは言った。
「……そう、なんですか」
微妙に声のトーンを落として文香が言った。
「はいっ!」
「むー……せんぱいから本をプレゼント……」
羨《うらや》ましそうな……少し妬《ねた》むような文香の様子に気づかずに、リアは本棚から石皮雨の前作を取り、近くの椅子に座った。
文香もそれきり何も言わず、適当な本を読み始める。
暦は妙にハラハラしてしまい、あまり読書に集中できなかった。
[#改ページ]
[#小見出し] オビ[#「オビ」は太字]
放課後。
文香はいつもより少しだけ浮かれた様子で教室にやってきた。
教室には美咲と綾と堂島がいた。
「文香ちゃん、なんだか嬉しそう? ね?」
ちょっと自信なさそうに美咲が言った。
「はい、見ての通りとてもるんるん気分です」
見ての通りと言われてもせいぜい口の端が微妙に上を向いているとか足取りが少し軽いといった程度で、あとはいつものように感情の読みにくい眠そうな顔なのだが、とりあえず正解だったことに美咲はホッとする。
「なにかあったのですか?」
『そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!!』と書かれた扇子《せんす》を扇《あお》ぎながら綾が尋ねる。
「昨日思い切って、本屋さんで見かけてすごい気になった本をまとめて買っちゃったんです。一巻から七巻までどーんって。それを読むのがとても楽しみだったんです」
「おおー、ナイスガッツよ文香ちゃん。立ち読みとかはしたの?」
「してないです」
「ほー」
文香の答えに堂島たち三人が驚いた顔をする。
「まったく未知のシリーズを一巻から七冊まとめ買いなんてぼくらでもなかなかやらないよねー」
「自分の直感だけを頼りに買うなんて漢《おとこ》ですわ物部さん」
感心する堂島と綾に、文香は少し照れた顔をする。
「じつは直感だけを頼りに買ったわけじゃないんです」
「そうなの? ネットで評判を調べたとか?」
「いえ、違います」
文香は小さく首を振って、
「オビに書いてあったんです。『アニメ化』とか『百万部突破』とかって。あと、なにかの賞もとっているみたいです。絵もかわいかったし、これだけ大人気ならきっと大丈夫かなって」
「なーんだ。案外無難な買い方じゃない」
少しがっかりした顔で堂島。
「すいません……」
「や、べつに全然悪くはないよ。大ヒット作品だろうと外れるときは外れるし。ところで何を買ったの? 七巻まで出ててアニメ化決定してて百万部っていうと……えーとなんだろうヒントは?」
「MF文庫の本です」
「MFで? えーと…………あ」
堂島の顔が微妙に引きつった。
ちらりと綾と美咲に目を向けると、二人も何かに気づいたようで冷や汗を垂らした。
「あー……もしかして……あ……こ、答えを聞かせてもらっていいかな」
「これです」
文香は嬉しそうに鞄の中から件の七冊の本を取り出した。『えむえむっ!』シリーズだった。
「…………」
「…………」
「…………」
堂島と美咲と綾は沈黙した。
たしかに文香の言う通りオビには『アニメ化[#「アニメ化」はゴシック体]』だの『笑えるライトノベル部門第一位[#「笑えるライトノベル部門第一位」はゴシック体]』だの『おかげさまで累計100万**突破!![#「おかげさまで累計100万**突破!!」はゴシック体]』だの、輝かしい……|ように見える《ヽヽヽヽヽヽ》文章が踊っている。
「すごいですよねえ百万部って。わたし、あんまりアニメを見たことがないんですけど、これのアニメは見ようと思います。それでアニメの前にこれを読んでおいて、時代を先取りしちゃうのです。とても楽しみです」
ほわほわと幸せそうに語る文香に、三人は切ない目を向ける。
「……文香ちゃん」
深刻な顔で美咲。
「はい?」
「そのオビ、よーく見て?」
「はい?」
言われて文香は六巻のオビをじっと見る。
「おかげさまでるいけいひゃくまんぶとっぱ」
「も、もっとよく」
「? 100万………………………………!?」
文香の目に驚愕《きょうがく》の色が浮かんだ。
「100万……えむ……えむ……?」
100万の下に付いている単位は、『100万|部《ヽ》」ではなく、『100万|MM《ヽヽ》』という謎の単位だったのだ。
他のもよく見てみる。
三巻のオビの『アニメ化』の下には目立たない色遣いで『したい!』の文字。
「……アニメ化……したい?」
掠《かす》れた声で読む文香。
二巻の『MM−文庫Jアワード 笑えるライトノベル部門第一位』の下には、小さく『「MM−文庫Jアワード」は「えむえむっ!」に関わる人たちの脳内にのみ存在するあくまでも架空の賞です』という注意書きが。
五巻の『コミック化決定!!』の下には2008年7月より月刊コミックアライブにて連載開始という文章が書かれているが、恐らくこれも嘘《うそ》なのだろう。月刊コミックアライプなんて雑誌は現実には存在しないに違いない。
「…………」
本を片手に動かなくなった文香を、美咲たちは不安げに見守る。
「…………だましたんですね?」
ぽつりと文香は呟《つぶや》いた。
「や、騙《だま》したっていうかちょっとしたジョークっていうか……」
「…………裏切ったんですね…………」
「う、裏切る……!?」
見れば文香の目は『ガンダムSEED』のキャラが種割れしたときや『スクールデイズ』最終話の言葉様《ことのはさま》のように目のハイライトが消えていた。
「こわっ!?」
びびる美咲。
文香は死んだ目でじっと表紙を見る。
「……松野秋《まつのあき》……なる? …………せんぱい、この松野さんという作家さんは、わたしの許せない人ランキングでたけしくんを上回りました……」
「お待ちになって物部さん。たしかオビを考えるのは小説家ではなく編集者の仕事だとどこかで読んだ覚えがありますわ」
「そうなんですか」
文香はぱらぱらとページをめくる。
するとタイトルの書かれたページの裏側に、編集者の名前が書いてあった。
「……この本の編集さんは、笹尾《ささお》、という人のようです」
「ククク、それが君の真の敵の名だよ……」
堂島が邪悪な笑みを浮かべて言った。
「こらこら無駄に煽《あお》らないの潤くん」
「ごめんごめん」
美咲に注意されて堂島は笑い、文香に言う。
「でもまあ『えむえむっ!』は面白いからねー。まずは読んでみてから、騙されたって恨むかどうかを決めればいいと思うよ」
「……そうします」
釈然としない顔で文香は頷いた。
「でもやっぱりオビで買う人っているのねー」
美咲は言う。
「あたしは基本絵買いだからね。オビってあんまし気にしないのよ。近くの本屋さんなんて古い本のオビすぐに外しちゃうし」
「前にテレビでやってたけど、結構大事らしいよオビ。それで売り上げが結構変わるんだってさ」
「ふーん……」
堂島の言葉に興味深そうにする美咲。
「どういうオビだと人気になるのかしらね」
「それがわかるなら出版社の人は苦労しませんわ」
綾が笑った。
「だよねえ。うーん……」
美咲は少し考え、
「あ、『|SH@PPLE《しゃっぷる》』のオビはすごいわよね。あんだけ豪華だと普段オビなんかに興味なくてもオッと思うわ」
「あー」
堂島が納得顔を浮かべる。
富士見ファンタジア文庫の『SH@PPLE』のオビは、普通よりかなり大きめのサイズで、にぎやかで楽しげなイラストがフルカラーで印刷してある。
さらに面白いのは、あらすじの後半が隠れてしまうのでオビにもあらすじが書いてあるのだが、そのあらすじは「宇宙に行く」とかまったくのデタラメな内容で、オビを外すと真のあらすじが読める仕組みなのだ。
「あれはすごいよねーほんとに」
堂島は続けて、
「そういえば漫画だけど、オビが本の半分以上の大ききで、表紙は普通の女の子のイラストなんだけど、オビを外すとその女の子がハダカになるっていう本もあったよ」
「中世ヨーロッパでも、裸婦画《らふが》を隠すために上からもう一枚服を着た絵を重ねて飾っていた方がいらっしゃいますから、それは案外伝統ある手法なのかもしれませんわね」
綾が本気なのか冗談なのかわからない口調で言った。
「あはは、昔から男の人はしょーもないわねー」
美咲が笑った。
「あと、裏表紙に四コマ漫画が描いてあるんだけど、オビに描かれた四コマ目とカバー本体に描かれた四コマ目でオチが違うっていうのも見たことあるね」
「ほへー。いろいろ考えるのね。全部の本のオビが『SH@PPLE』とかそういうのみたいだったら面白いんだけど、やっぱりそういうわけにはいかないのかしらね」
「いかないんじゃない? 手間かかってそうだし」
「そっかー。じゃあ他にはどんなのだったらいいのかしらね」
すると綾が、
「ベタなものでは、有名人の推薦文でしょうか」
「すいせんぶん、ですか?」
文香が少し首を傾げる。
「『「読み終わったあとボロボロ泣きました。」女優○○氏絶賛!』みたいなのですわ」
「あ、そういうオビ見たことあります」
「ああいうのはどうなの? 女優とか人気作家が感動した! っていうのは、買う気になるものなの?」
「好きな作家とかタレントの推薦文だったら買う気になるんじゃないかな」
美咲の疑問に堂島は言った。
「じゃあその作家やタレントが知らない人とか興味ない人だったら?」
「……それでもまあ、『へー、この本で感動した人がいるんだー』くらいには思うよ。少なくとも悪い印象はないんじゃない?」
「じゃ、嫌いな作家やタレントだったら?」
「そりゃ、中には『あいつが褒めてる本なんて絶対買わない!』って人もいるんじゃないかな、多分……。まあ知り合いでもない作家やタレントをそこまで嫌える人ってのもなかなかいないと思うけど」
「ふーん……」
と、美咲はふと思いついた顔で、
「ていうかさ、ぶっちゃけ有名人じゃなくてもよくない?」
「というと?」
「例えば『浅羽美咲大絶賛!!』とか。オビにでかでかと書いておけば、きっと有名人の名前だと勘違いしてくれるわよ。誰も知らないから悪印象を受けることもないだろうし」
「そうかもね。『あの竹田龍之介が泣いた!!』とかどう!?」
堂島が言うと美咲は笑った。
「それいいわ。『あの』って付けとけばきっと勝手に『こういう有名人がいるんだな』って思ってくれるって絶対。実際はただの高校生なんだけどね。……うーんあとは……適当にすごそうな人をでっちあげるとか。『ノーブル物価学賞受賞作家マルチーズ・オジャパメン大絶賛、「これは歴史に残る感動的大傑作だ!! 読み終わったあと震えが止まらず眠れなかった!!」』とかどうよ」
「権威に弱い入っているからねー。ほんとにそれで買っちゃう人がいそうだよね」
堂島はおかしそうに笑った。
「……竹田せんぱいが泣いた本ならわたし読みたいです」
眠そうな顔で文香はぽつりと言った。
「権威といえば『○○賞受賞!!』とかも宣伝になるのではないでしょうか」
綾が言う。
「芥川賞とか? でもラノベだとあんまりないわよね賞」
「新人賞受賞作くらいだよね。よく金色のオビがかかってる」
「賞でなくても、『20]]年 このライトノベルがすごい 第一位!』というのもいいのではないでしょうか」
「……『MM!文庫Jアワード 笑えるライトノベル部門第一位』みたいにですか」
淡々とした文香の言葉に場の空気が少し冷えた。
「ま、まあ、そういう賞みたいなのも適当に書いちゃえば本当に信じる人もいるかもねー」
「そうですね。わたしみたいに」
冷や汗混じりの美咲の台詞に、またも淡々と文香。
「逆に考えるんだ。『「MM!文庫Jアワード」は「えむえむっ!」に関わる人たちの脳内にのみ存在するあくまでも架空の賞です』ということは、少なくとも関係者の脳内にはちゃんと実在する賞なんだと考えるんだ。それだけ自信をもって世に送り出された作品だということなんだよ」
堂島が言った。
「なるほど……」
文香は微妙に納得した顔をした。
「いっそ自信がある作品についてはどんどん勝手に賞を作ってしまうのがいいかもしれませんわね」
綾が言う。
「『この「かぐや魔王式《まおしき》!」がすごい! 第一位』とか『この「かのこん」がすごい! 第一位』とか」
「それ競争相手が他にいなくない?」
「競争相手は常に過去の自分自身なのですわ」
「無駄にかっこいい!」
呆れつつ感心する美咲。
「だったら『この三浦勇雄《みうらいさお》がすごい! 第一位』とか『この赤松中学《あかまつちゅうがく》がすごい! 第一位』みたいなのもアリじゃない? 最新作のオビは今後全部それていくの。作家にとって最新作が常に最高傑作なんだっていう意志表示にもなるわよ」
「それもなかなかかっこいいですわね」
「新人のデビュー作もそれでいけばいいんじゃない? きっとこの人は過去に何作も出してる有名な作家なんだなって勝手に判断してくれるよ。候補が一冊しかないから一位ってのも嘘じゃないし」
「もういっそ『この俺がすごい! 第一位』というのでいいのではないでしょうか。全部の本に流用できてリーズナブルですわ」
「俺が俺がって自己主張しまくりね!」
書店で一面『この俺がすごい! 第一位』を名乗る本が並んだ光景を想像してとてもアレな感じになる美咲だった。
「作家なんて自己主張してナンボですわ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
堂島が笑う。
「合わせ技で、『あの有名な竹田龍之介が、このライトノベルがすごいなあと思った! 第一位』とかどう?」
「すげー……。龍ちゃんがなんかライトノベル界の権威みたい」
美咲が苦笑した。
それから堂島はふと、
「まあアホなネタばっかり言っといてアレだけど、ぼくはやっぱり作品の内容にバッチリ合ったオビが好きかな。オビを含めて『本』だと思うんだよね」
「ほー」
真面目な顔で言う堂島に美咲は感心した顔をする。
「内容に合ったオビというと……作中の名台詞がそのまま使われているオビというのがたまにありますけど、あれは個人的に好きですわ」
「あー、いいよね」
綾の言葉に堂島は頷いた。
「名台詞そのままっていうと……具体的にはどんなの?」と美咲。
「いろいろありますが、やはり筆頭はあれですわ」
綾は自信に満ちた顔で言う。
「『ナイトは妖《あや》しいのがお好き※[#ハート黒、unicode2665]』のオビです」
「? 知らないタイトルね」
「あの伝説の名文句――『そう そのまま飲み込んで。僕のエクスカリバー……』」
「……あれって実際に作中にある台詞なんだ……」
美咲と堂島は冷や汗を浮かべた。
「えくすかりばーというのは聞いたことがあります。飲みものなんですか?」
文香は暢気《のんき》な顔で言った。
*
その後。
いつものように雑談して部活が終わり、文香は家に帰った。
家に帰ったあと、文香は『えむえむっ!』を読んだ。
素直な感想――とても面白かった。
特に主人公のお姉さんのキャラクター造形にリアリティを感じる。
姉妹っていうのはどこの家庭もこんな感じなんですね……と親近感を覚えた。
『アニメ化したい』とか『100万MM突破』というオビが、文香がこの面白い本を読むきっかけになったわけで――編集者笹尾氏の名は、文香の許せない人ランキングから外れたのだった。
[#改ページ]
[#小見出し] いかんせん[#「いかんせん」は太字]
「そーいえばさー」
部室にて美咲がいつものように唐突に言った。
美咲の他には竹田と文香とリアと暦がいる。
美咲はかさごそと鞄《かばん》をあさり、中から一冊の本を取り山した。
小説ではなく、国語の問題集だった。
「それはなんですか?」
眠そうな眼で文香が尋ねる。
「中二の頃の国語の問題集。本棚の整理してたら出てきたのよ。最初の方を読み返してみたら我ながらすっげーバカでね。よく進学できたなーって不思議に思っちゃった」
「中二っていうとお前がまだ小説を読み始める前の頃か……そうだな、あの頃のお前は本当にバカだった……」
しみじみと竹田が言うと美咲はジト目で呻《うめ》いた。
「……そんな素で言われるとわりと本気でムカつくわね」
そこでリアが興味深そうに言う。
「国語の問題集ですか。リアはやったことがありません」
「そりゃそうね」「そりゃそうだろ」
美咲と竹田がハモった。
「どのような問題があるのですか?」
「問題自体は高校の国語とそんな違わないわよ。漢字の読み書きとか、四字熟語の意味を書けとか、このときの彼女の気持ちを五十文字程度で説明しなさいとか」
それを聞いたとたん、文香が微妙に顔をしかめた。
もともと文香は国語が苦手で、ラノベ部に入部したのも苦手な国語を克服しようと文芸部を探していたのがきっかけだった。
小説を読むようになった今でも、国語への苦手意識は変わらない。
それどころかむしろ制限時間内に文章を読んで問題に答えさせられるとかたった数十文字で人の気持ちを説明しろとか、ますます国語のテストというものを理不尽に感じることが多くなった。
「他にはねー、副詞や接続詞を正しい箇所に当てはめろとか、なんとかという言葉を使って何か文章を作れ、とか」
「ほほう。面白そうです」
ますます興味探そうな顔をするリア。
「それじゃためしにやってみよっか」
美咲が言った。
「やる?」
竹田が怪訝《けげん》な顔をする。
「間題出すからリアちゃんが答えるの。せっかく問題集あるしね」
「受けて立ちましょう」
リアが楽しげに言った。それから、
「文香と暦もやりましょう」
「わたしもですか?」
「はい。みんなでやった方が楽しいです」
「はあ……わかりました」
あまり気乗りせず文香は答えた。
「ん……」
暦もめんどくさそうに小さく頷《うなず》いた。
「じゃ、問題出すからそれぞれ紙に文章を書いてね」
リアと文香と暦がそれぞれ紙とシャープペンを用意した。
*
そして突発的に始まった国語の小テストの時間が終わった。
美咲が三人の解答が書かれた紙を回収する。
「それじゃ答え合わせするねー」
[#ここからゴシック体]
問一 「いかんせん」を使って四十文字以内で文章を作成せよ。
【藤倉暦さんの答え】
とても欲しい本があるのだが、いかんせん非常に高額なので買うことができない。
[#ここでゴシック体終わり]
「……教科書どおり、という感じだな」
「淡々とマルをあげるしかない答えよね」
「強いて言えば、どうしても買えないような高額な本のことが気になるな」
「荒俣《あらまた》先生の蔵書とかかな?」
淡々とした竹田と美咲のコメントに暦は顔を赤くした。
[#ここからゴシック体]
【リア・アルセイフさんの答え】
時利あらずして騅《すい》逝《ゆ》かず。騅逝かざるを如何《いかん》せん。虞《ぐ》や虞や汝を如何せん。
[#ここでゴシック体終わり]
「……読めないんですけど」
美咲が難しい顔で言った。
「「垓下《がいか》の歌《うた》』だな。垓下の戦いで劉邦《りゅうほう》軍に追いつめられた項羽《こうう》が、愛人の虞美人《ぐびじん》に向けて詠んだ詩だ」
「流石《さすが》です龍之介先輩」
嬉しそうに言うリア。
竹田は思案顔で文章を睨《にら》む。
「つーかよくこんなもん何も見ずに書けたな……まあ、一応『いかんせん』の使い方としては合ってる、よな……。……あ、でも待った! 『文章を作成せよ』って問題で既存の文章そのまんまは駄目だろ!」
「何と。其《そ》れは盲点でした……!」
本気で意外だったらしく、リアは目を丸くした。
[#ここからゴシック体]
【物部文香さんの答え】
きのう食べたいかんせんがとてもおいしかったです。
[#ここでゴシック体終わり]
「「「ぶっ!」」」
竹田と美咲と暦が同時に噴き出した。
「……さては物部、『いかんせん』をいかせんの仲間か何かだと思ってやがるな?」
「流石文香、斬新《ざんしん》な発想です……」
リアだけは何故か感心していた。
「そういえばリアはいかせんを食べたことがありません。あ、えびせんは好きです」
「えびせんっておいしいですよね」
「かっぱえびせんと白いやつの中に小さいエビが丸ごと入っているやつではどちらが好きですか?」
「白いやつです。かっぱえびせんは種類がたくさんあってついていけなくなりました」
何の関係もないまったりトークをするリアと文香だった。
[#ここからゴシック体]
問二 「すべからく」を使って四十文字以内で文章を作成せよ。
【藤倉暦さんの答え】
今日は国語のテストがあったのだが、その問題はすべからく簡単だった。
[#ここでゴシック体終わり]
「あ、これってたしかよくある誤用よね」
「ああ、そうだな」
「……?」
美咲と竹田の反応に、暦は不可解な顔をした。
「暦ちゃん、『すべからく』は『すべて』って意味じゃないわよ」
「え……!?」
愕然《がくぜん》とする暦。
これまでずっと『すべからく』=『すべて(ALL)』だと思っていて、自分の書いている小説でも普通に『すべて』の意味で使っていたし編集でも校正でも直されることなく、そのまま出版されている。
竹田は丁寧に解説する。
「『すべからく』は『そうであるべき』とか『そうであるのが当然』みたいな、当然とか義務といったニュアンスを持つ言葉だ。具体的には『すべからく――すべし』といった感じで使われる……っておい、藤倉?」
暦は顔を真っ赤にし机に突っ伏してぶるぶる悶絶《もんぜつ》していた。
間違えていただけでも恥ずかしいのに、「国語の問題が簡単だった」という回答文がさらに拍車をかける。
「あは、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのにー。あたしもたまたまテレビで見て知ってただけで、小説でも『すべて』って意味で使われてるの見たことあるし」
「だな。プロでも間違えるんだからそんなに気にするな」
事情を知らない美咲と竹田は気楽な調子で言った。
[#ここからゴシック体]
【リア・アルセイフさんの答え】
明日は国語のテストがあるので、学生はすべからく家で勉強をするべきです。
[#ここでゴシック体終わり]
「……あ、うん、こういうのが模範解答」
「こっちは誤用じゃないってはっきりわかるわね」
「えへへ」
リアは可愛くはにかんだ。
暦はますます真っ赤になった。
「……どうでもいいけど、国語のテストってネタが被ってるな。藤倉の回答と好対照になってる」
竹田が何気なく言うと、
「実はリアのところから暦の回答が丸見えだったので其《そ》れを参考にしたのです」
「……おーいリアちゃん」
「堂々とカンニングを告白するんじゃねえ」
妙に得意げなリアに美咲と竹田はジト目でツッコんだ。
[#ここからゴシック体]
【物部文香さんの答え】
昨日食べたいかんせんはちょっとすべからかったです。
[#ここでゴシック体終わり]
「…………こ、この…………この……ッ……ッ」
顔を引きつらせてわなわなと震《ふる》える竹田。
「さーて、次は……と……」
美咲は見なかったことにした。
「文香。リアはちょっと辛めのえびせんが好きです。橙色《だいだいいろ》で丸くて大きなやつ」
リアは嬉しそうに言った。
暦はまだ震えていた。
[#ここからゴシック体]
問三「おしなべて」を使って四十文字以内で文章を作成せよ。
【藤倉暦さんの答え】
期末テストが近かったので、学生達は勉強のためおしなべて急ぎ家に帰った。
[#ここでゴシック体終わり]
「ん。これは正解だな。『すべて』という意味なのは『おしなべて』だ」
竹田は言った。
暦はまだ突っ伏していた。
[#ここからゴシック体]
【リア・アルセイフさんの答え】
期末テストが近かったので、学生達は勉強のためおしなべて急ぎ家に帰りました。
[#ここでゴシック体終わり]
「ちょっとはカンニングを疑われないように偽装くらいしろよ!」
最後の部分をちょっと変えただけでほぼ暦の回答そのままな文章に、竹田は全力でツッコんだ。
リアは少し照れたように笑って、
「……文章を考えている途中で飽きてしまって……」
「飽きるの早っ!? 三問目だぞ!?」
「……何故リアは部活の時間にこんな風に小テストごっこなどしているのでしょうかとふと我に返ってしまい……」
「お前が『面白そう』って言ったからだろうが!?」
「はい、リアは確かに面白そうだと思いました。が、やってみたら別に面白くも何ともなったのです。このような経験は龍之介先輩にも有るのでは?」
「あるよ! そりゃあるけどな!?」
ハキハキと言うリアに、竹田は泣きそうな顔になった。
「龍ちゃん、あんまり興奮するとハゲるわよ」
「ハゲねえ!」
冷静に言った美咲に叫び、竹田は荒い息を落ち着けるため深呼吸した。
「はぁ――……。……気を取り直して次だ……」
[#ここからゴシック体]
【物部文香さんの答え】
たけしくんがプリンを食べてしまったので、よく熱したおなべでおしなべて殺しました。
[#ここでゴシック体終わり]
「なんでここにきていきなりプリンなんだよ! 普通ここはいかんせんだろ!? いかんせんを食べるべきだろ!? たけし空気読めよ! 二回でやめるなよ! 繰り返しのボケをやるならちゃんと徹しろよ!」
「龍ちゃん! なんかツッコミが変になってるわよー? お笑いのダメ出しみたい!」
「うう……疲れた……」
竹田はぐったりして机に突っ伏した。
暦もまだ突っ伏していた。
[#ここからゴシック体]
問四「よしんば」を使って四十文字以内で文章を作成せよ。
【藤倉暦さんの答え】
番組改編期は寂しい気持ちになるけど、見よしんばんぐみが今期は期待できそうだ。
「藤倉ああああああああぁぁぁぁぁ!?」
[#ここでゴシック体終わり]
竹田は裏切られた顔で暦(まだ突っ伏している)を見て絶叫した。
もちろん暦は「よしんば」の正しい使い方など知っていて、これはあんまり真面目な回答ばかりだと盛り下がるかもしれないし全問正解しちゃうと国語が苦手な文香がちょっと可哀想かもと思って意図的に混ぜたボケ回答だったのだが、文香とリアの珍回答のクオリティが想像以上だった上に当の暦自身は二問目にして間違えてしまったことでまだ突っ伏していたので盛り上げる効果はまったくなかった。
「ここでボケてくるとはねー。暦ちゃん、やっぱり結構ウケを狙ってくる人よね。なんていうかそうね 『クールなお調子者』って感じ?」
突っ伏したままでも美咲の言葉は聞こえていたので、ようやく収まりかけていた顔の火照りは再び酷くなり耳まで真っ赤になった。
「はぁ……はぁ……思わぬ不意打ちをくらったぜ……」
竹田は苦しげに言って、緊張した面持ちで次の回答に日を向ける。
[#ここからゴシック体]
【リア・アルセイフさんの答え】
よしんばという言葉の響きがちょっと可愛くてリアは好きです。
[#ここでゴシック体終わり]
「超投げやり! もはや正解しようという意思すらありませんかそうですか!」
「聞いて下さい龍之介先輩」
「ああ?」
「『住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」という阿智《あち》太郎《たろう》先生原作のアニメで主人公の妹の幼女が『よしんばっ!』と叫ぶシーンがあって、リアはそれ以来ずっと『よしんば』って可愛いなあと思っていたのです。ちなみにその妹は本当は妹ではなくて宇宙人なのです」
「だからどうした!?」
超マイペースで語るリアに竹田はマジ泣きしそうだった。
そんな竹田をリアは不意にじーっと見つめた。
「…………」
「な、何だよ」
訝《いぶか》る竹田に、リアはくすっと柔らかく微笑んだ。
「龍之介先輩は案外可愛いですね」
「な……っ!?」
竹田は顔を赤くする。
「ああもう、わけわかんねーこと言ってないで次だ次!」
「あっ! 次は文香ちゃんの答えよ! 見る前に心の準備を――」
美咲が慌てて警告したが遅かった。
[#ここからゴシック体]
【物部文香さんの答え】
昨日プリンといかんせんを食べすぎたせいでよしんばになってしまいました。
[#ここでゴシック体終わり]
「よしんぶるぅぁぁぁぁあっ!」
竹田は謎《なぞ》の奇声を上げ、
「いかんせんとプリンを一緒に食うんじゃねえええええええ――――ッ!!」
「お、落ち着いて龍ちゃん! なんかもう龍ちゃんの中でいかんせんが完全に食べ物として認識されてるわよ!? ここでのツッコミは『よしんばになるって意味わかんねえよ!』とか『お前はよしんばを歯の病気か何かだと勘違いしているだろう?』とかでしょう? はいりぴーとあふたみー、『よしんばになるって意味わかんねえよ!』」
美咲がツッコミの仕方をツッコむが、竹田にはそれに応える気力すら残っていなかった。
「…………い……いかんせん……」
力尽きた竹田は一言そう呻《うめ》くとぐったりと机に突っ伏した。
リアと文香はというと、
「文香。ドッコイダーは非常に泣けるので絶対に観た方がいいです」
「泣ける話なんですか。お笑い系だと思っていました」
「笑いもあり燃えもあり萌えもあり涙もありの、痛快娯楽超大作です。よければ一緒にDVDを観ましょう」
「ありがとうございますリアさん。今度またお泊まり会しましょうね」
まったり会話をしているマイペース娘×2の横では、相変わらず暦が突っ伏したままだった。
この二人のクラスを担当している国語教師に竹田は本気で同情した。
……ちなみにこれから約二ヶ月後、リアと文香のクラスを受け持っていた国語教師が期末テストの採点中に泡を吹いて卒倒するというちょっとした事件が起きるのだが、それはまた別の話――……。
[#改ページ]
[#小見出し] 儚《はかな》くも永久《とわ》のカナシ[#「儚《はかな》くも永久《とわ》のカナシ」は太字]
放課後、文香は部室で古文の宿題をやっていた。
珍しく文香の他に部室には誰《だれ》もいない。
普段一緒に宿題をやる仲の暦とリアは買いたい本かあるとかで今日は帰ってしまった。
宿題の内容は文章を現代語にせよというものなのだか、なかなか進まない。
なんで日本語なのに辞書が必要なのだろう。
ライトノベルを読むようになってからこれでも一応ボキャブラリーは増えているのだが、かえって古文はわかりにくなってしまった気がする。
現代とまるで意味が違う言葉が多いので、現代語の知識が足を引っ張るのだ。
[#ここから行書体]
肝心も失せて、防がんとするに、力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「猫またよや、猫またよや。」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こはいかに。」とて、川の中より抱き起こしたれば、連歌の賭物とりて、扇、小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。
[#ここで行書体終わり]
(「こはいかに。」……こはいかに……こわいかに…………こわいカニ?)
怖い蟹《かに》が現れたので「ギャー! こはいかにが出たー!」とびっくりしているのだろうか。きっとそうだ。
文香の訳によれば、ここは山で猫またに追いかけられて川に飛び込んだというシーンなので、カニが出てきてもおかしくない。
「……猫またに襲われたりこわいカニに襲われたり、この人はたいへんですね……」
短い文章なのに猫またが出てきたり突然カニが出てきたり、唐突にもほどがある。
ジェットコースターのように展開する物語は好きだが、この話は正直あんまりデキがよくないと思う。
と、そのとき部室の扉が開かれた。
入ってきたのは竹田だった。
「よう」
「はい」
軽く挨拶《あいさつ》してくる竹田に、文香の頬《ほお》が少しだけ熱くなる。
竹田が文香の向かい側の席に座る。
文香の頬はさらにほんの少しだけ熱くなる。
と、竹田の視線が机の上で開いてあった古詩辞典に移った。
「……古文の宿題か?」
「そうです。むずかしいです」
「物部はたしか現代文が苦手だったんだよな?」
「な、なぜそれを?」
少し驚いて尋ねる。
「前に美咲に聞いた」
……そういえば、ちょっと前に部活でみんなと、苦手な科目について話題になった気がする。そのときは竹田はいなかった。
「……浅羽せんぱいに聞いたんですか」
「ああ」
「…………」
文香は再び教科書へと目を向けた。
さっぱりわからない。
「古文も苦手なのか?」
「現代の文章もわからないのに昔の文章がわかるわけないじゃないですか」
「な、なんか怒ってるのか?」
竹田は少し戸惑《とまど》った顔をした。
「むー……べつにそんなことはないですけど」
少しだけ唇をとがらせて文香は応えた。
そしてまた教科書へ。
竹田も鞄から本を取り出して読み始めた。
「……………………」
「……………………」
ばさっ……と竹田が本のページをめくる音が無音の室内に妙に響く。
「…………」
…………集中できない。
ただでさえわからないものが、集中できないせいでもっとわからなくなった。
どこを訳していたのかもわからない。
ノートに「こわいカニが出てきた」というメモ書き。
……カニが出てきたのはどのへんだっただろうか。
ノートと教科書を交互に見比べる。
頭がゆっくりと上下に揺れて、だんだん瞼《まぶた》が落ちてくる。
視界が徐々に狭くなり――
ぱんっ!
「――!?」
いきなり音が鳴ったのでびくんとして顔を上げる。
どうやら竹田が手を叩《たた》いたらしい。
おかげで目が覚めた。
「ありがとうございます。せんぱい」
「……苦戦してるみたいだな」
竹田は少し面白そうに言った。
「だいくせんです――古文の文章ってなんでこんなに今のと違うんでしょう」
「……奥山に猫またといふもの……ああ、去年やったなあ……」
竹田は反対側から文香の教科書をのぞき込んで懐かしそうに言った。
不意に顔を近づけられ文香はどきっとする。
「徒然草《つれづれぐさ》はたしか、七百年くらい昔の文章だったな。徒然草で七百年、枕草子《まくらのそうし》とか源氏物語《げんじものがたり》なんて千年以上昔。それだけ経てば当然意味も変わるだろ」
「むー……わかっては、いるのです」
眠そうな目で文香は呟《つぶや》いた。
「あ、そういえば」
「ん?」
「こないだここでやった国語の問題とかですけど」
「……アレがどうかしたか」
竹田は心底イヤそうに顔をしかめた。
三人の後輩の文章で危うく正気を失いかけたことなど思い出したくもない。
「どうせ時代が流れれば意味が変わるなら、本来の意味を正確に覚えたってしかたないんじゃないでしょうか」
「…………」
文香の台詞に竹田はしばし考えた。
「……まあ、確かに言葉の意味なんて時間の流れで変化していくものだ。誤用の方の意味が広く使われるようになって、本来の意味に取って代わるなんてこともあるしな」
「『情けは人のためならず』とかですか?」
誤用――情けは人のためにはならない。
本来の意味――人に情けをかければ巡り巡って自分にいいことがある。
「ああ。『役不足』とかもそうかな」
誤用――その役目をこなすには力不足である。
本来の意味――能力に対してその役目は軽すぎる。
「言葉なんて基本的には芸術品とかじゃなくて意思伝達のための『道具』だから。世間でより広く流通している意味……つまり道具として実用的な方が主流になるのは当然だ。言語学的には『正しい言葉』なんてものは存在せず、『正しい言葉』という言葉自体が実は正しい言葉じゃないしな」
「へえ」
文香は意外な顔をした。
竹田はもっと言葉の正確な意味にこだわる人だと思っていた。
「多分こないだの『すべからく』だってそのうち辞書に『全て』という意味もあると書かれることになるだろうし、『煮詰まる』とか『確信犯』とかも誤用の方が正式な意味として扱われる日が来ても不思議じゃない。もともとは『些細《ささい》なことを気にする』という悪い意味だった『こだわる』が、『妥協をしない』というポジティブな意味で使われるのが当たり前になって現在では一部の辞書にも載ってるみたいに」
「『萌《も》える』というのはどうですか?」
文香はふと思いついて言ってみた。
「……萌え……それは正直よくわからん。広く流通してるみたいだからそのうち載るかもしれんが、端的に説明できないから辞書によって書いてることが全然違うみたいなことになりそうな気がするな」
竹田は微妙な顔をした。
「……まあとにかく、言葉は基本的に変化するものだってことだ」
文香は少し考え、
「……つまり言葉なんて通じればいいんだから、国語のテストでやらされるみたいにげんみつに考えなくてもいいということですよね?」
「いや、俺はそうは思わない」
「?」
首を傾げる文香に竹田は言う。
「言葉が時とともに変化してしまうものだからこそ、少しでもそれを防ぐために正しい意味――正確には、その言葉の本来の意味や、現在広く流通している意味をしっかり把握しておくべきだろうと思う」
「なんでですか?」
矛盾を感じて首を傾げる文香に、竹田は素っ気なく、
「言葉は道具だ。同じ言葉でも人によって使っている意味が違っていたら、普通に考えて不便じゃないか。せっかく人類が持ってる便利なツールなのに、黴《かび》が生えたり錆《さ》びたり分裂していくにまかせて手入れをしないというのは、道具の使い勝手を自分から悪くしてしまうようなものだ。そんなのは非合理的だろう」
「道具を長く使うために手入れをしましょうということですか」
「ん」
竹田は頷いた。
「『言葉は変化するものだから、本来の意味なんて覚えなくても通じさえすればそれでいい』という考えには、基本的に同意する。だが『通じさえすれば』なんて簡単に言うけど、言葉を自分の意図した通り相手に伝えるってのは、相当難しいぞ」
「……」
「言葉は難しい。たとえ『この言葉はこういう意味だ』という共通理解があったとしても、使う場面や口調や表情や相手との関係によって全然追うニュアンスになったりする。意味を知ってる言葉でさえ自分の意図した通りに伝わるとは限らないのに、相手と自分の中にある言葉の意味自体が違っていたらなおさら伝わるわけがない」
「……わかります」
文香は神妙な顔で言った。
「あとはまあ――」
竹田は文香の教科書に目を移す。
「今とは違う時代に書かれた素晴らしい小説や素晴らしい話がわからなくなるってのは、単純に……寂しいことだと思うんだ」
少し照れながら竹田は言った。
――言葉は道具であり、変化を防ごうとするのはその方が合理的だから。
そう言い切る人なのに、今度はずいぶんと感傷的な発言だなあと文香は思った。
じーっと竹田を見つめる文香。
竹田は微妙に気まずそうな顔で視線をさまよわせる。
と、机の端の方に、『機動戦士ガンダム|00《ダブルオー》(セカンドシーズン)』のDVDが置いてあるのを見つけた。
桜野綾の私物だ。
「……かなし」
なんとなく竹田が呟いた。
「は?」
文香が首を傾げる。
「いや、そこのガンダムの主題歌が『儚《はかな》くも永久《とわ》のカナシ』だったなあって……」
「せんぱいはガンダムが好きなんですか?」
女子に真顔で聞かれると結構恥ずかしい質問だったので、竹田は少し顔を赤くした。
「……ガンダムが嫌いな男なんていないんだよ」
無茶なことを断言してみた。
「そうなんですか」
「ああ。……まあ俺とガンダムのことはとりあえず置いといて、『儚くも永久のカナシ』の話をしよう」
「かなしいんですか?」
誤魔化す竹田に尋ねる文香。
「今お前の言った『かなしい』は、漢字だと「悲劇」の『悲』だっただろう?」
「はい」
「だが『儚くも永久のカナシ』の「カナシ」っていうのは古語で、悲しいという意味じゃない」
「へ?」
「……『かなし』という言葉は昔は『愛《かな》し』……悲劇の悲じゃなくて、『愛』という漢字を書いたんだ」
「愛《あい》しと書いて愛《かな》しですか」
文香は不思議そうな顔をする。
「……ほとんど逆の意味ですね」
「ああ」
「じゃあその『カナシ』は、儚くも永久の愛、みたいな意味なんですか?」
「まあ、大体そうかな。だがもともと『かなしい』という言葉は『愛しい』だけじゃなくて、可愛いとか、今の言葉の『悲しい』という意味とか切ないとか、『強く心を揺さぶられること』全般を含む言葉だったんだ。そこから現在の悲しいという意味だけが広く使われるようになって、漢字も変わった。だからあえてカナシという言葉を使っている以上、『儚くも永久のカナシ』はやっぱり『儚くも永久の愛』でも『儚くも永久の悲しみ』でもなくて、『儚くも永久のカナシ』でしかないんだと俺は思う」
「…………」
文香は竹田をじっと見つめた。
竹田は少し顔を赤くして、視線をさまよわせた。
「どうしたんですか?」
「……いや、愛とか愛しいとか言い過ぎてちょっと恥ずかしい……あと『永久』も口に出して言うとなんとなく恥ずい」
小声で竹田は答えた。
「ま、まあそんな感じで、とにかく言葉は難しいってことだ。古文の有名どころだと『をかし』とか『あはれ』とかも難しいな!」
「…………」
話題を打ち切ろうとする竹田を、文香はさらにじっと見つめた。
「な、なんだよ?」
微妙に気まずそうに竹田。
「…………」
文香は答えずさらにじーっと見つめ、竹田はそわそわと挙動不審になる。
「あー」
たっぷり三十秒ほどの変な沈黙のあと、唐突に文香が言った。
「な、なんだ?」
文香はくすっと笑った。
竹田はどきりとする。
「たしかに、言葉を勉強することって大事ですよね」
妙にしみじみと文香は言った。
「物部?」
「……なんかあの、胸がちくってなるとか、どきどきするとか、顔がちょっと熱くなるとか、ほわほわするとか、そういうの、『こいしい』っていうのはちょっと違和感があって、『いとしい』っていうのも気取ってる感じで好きじゃなくて、『すき』っていうのはたしかにそうなんですけどずばりその一言で表現できているかというと違う気がして、『尊敬』はちょっとしてるんですけど別の話で、『したう』というのもなんだか違って、『なつく』っていうのはわたしそんな子供じゃないんですけど……という感じで、最近ちょっとずっと困ってたんですけど」
「? ? ?」
淡々と言う文香に竹田はますます怪訝《けげん》な顔をする。
「ようやくしっくりきました」
「なにが……?」
文香は口を微かに開き、目を微かに細め、頬を微かに染めて、竹田に向けて柔らかく微笑《ほほえ》んで言った。
「わたしは、竹田せんぱいがかなしいです」
言葉の意味がよく理解できず――竹田はきょとんとした。
教秒後、脳内で『かなしい』という言葉が『愛しい』に変換される。
「へ!? あ、あの?」
戸惑《とまど》い、狼狽《うろた》える竹田を文香は真っ直ぐ見つめて、淡々と言う。
「せんぱいがかなしいです。……この言葉の共通理解はありますよね。使う場面や、口調や、表情や、相手との関係を考えて――ちゃんとわたしの伝えたいことを正しく受け取ってください」
たっぷり三十秒ほど硬直し――ごくり、と竹田は唾を飲んだ。
「伝わりましたか?」
「……つ、つまり、」
竹田は絞り出すように口を開いた。
「……え、ええと……使う場面や、口調や、表情や、相手との関係や、あと文脈とか、雰囲気とか、ノリとか、それらを総合的にじっくり吟味した末に俺が出した結論といたしましては…………つ、つまり好きだから付き合ってくれとかそういう感じで受け止めればよろしいのでしょうか?」
何故か敬語になった。
「付き合うですか。……いかんです」
「遺憾なのか!?」
素でツッコんでしまった。
「まちがえました。いかんせん」
淡々と文香は訂正した。
「よく考えると、付き合うということはあんまり考えてなかったのでいかんせんと思ったのですが、もしそうなるとうれしいかもしれません」
「ちょ、ちょっとタンマ」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになる竹田。
饒舌《じょうぜつ》に言葉のウンチクを垂れていた時とは大違いで、その様子がまたかなしいと文香は思う。
「あー、えーと、その……なんだ……」
「はい」
「ええと…………」
「…………」
じっと竹田を見つめる文香。
ちらちらと文書の顔をうかがい、目が合うとすぐに逸らす竹田。
「……ええと、その……ちょ、ちょっと考えさせてくれ」
「わかりました」
文香は微笑《ほほえ》んだ。
そして、
「わたし、こくはくって初めでしたんですけど、くそどきどきしますね」
頬を紅潮させて微笑む文香の顔がなんというか、妙に艶《あで》やかで、竹田の心臓の鼓動はますます激しくなった。
何も言えず、竹田は逃げるように部室を出て行った。
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[#小見出し] 経験値上昇中[#「経験値上昇中」は太字]
家に帰った竹田はベッドに寝転がって悶々《もんもん》としていた。
まさか物部文香に告白されるとは思わなかった。
しかもあんな唐突に。
……まあ、唐突なのはいつもマイペースでよく突飛なことを言い出す彼女らしいとも思うけど。
――わたしは、竹田せんぱいがかなしいです。
あの時の文香の顔を思い出すだけで、顔が熱くなり心臓が激しく脈打つ。
これまでは子供とか小動物みたいな、『好き』じゃなくて『萌え』の対象になるような少女だという認識だったのに。
(女こええ……女わけわからん……)
思い出しながら恥ずかしくなる。
女の子が怖くてわけかわからないことなど、幼なじみで十分承知しているつもりだったのに、死ぬほど動揺し情けなくも後輩の前から逃げ帰る醜態《しゅうたい》をさらすとは。
(うああ……どうすりゃいいんだよ……)
ベッドの上で意味もなくブリッジをしてみたりとか腹筋をしてみたりしながら悩む。
それもこれも文香が「かなし」なんて言葉を知ってしまったのが悪い。
何故文香がその言葉を知ったかというとそれは竹田が教えたからで、何故教えたかというと部室でUVERworldの『儚《はかな》くも永久《とわ》のカナシ』が主題歌に使われた『ガンダム00《ダブルオー》』のDVDを見つけたからで、何故『ガンダムOO』のDVDが置いてあったかというと桜野綾が「わたくしがガンダムですわ!」などと言いながら部室でDVDを観ていたからであり、なぜ綾が「わたくしがガンダムですわ!」などと言い出したかといえば綾の最萌えキャラである刹那《せつな》・F・セイエイがメインヒロイン(外見が長い黒髪の美人なので綾はかなり自己投影して観ていたらしい)よりもガンダムの方が好きという変態だからだ。
論理的に考えて、つまり全ては刹那・F・セイエイが悪いということになった。
「ふう……刹那にも困ったもんだぜ」
ロックオン・ストラトスっぽく言ってみた。
我ながらちょっと似てると思ったが死ぬほど恥ずかしくなった。
(……現実逃避はこのへんにしておこう)
しかし冷静になって考えようにも頭がぐるぐるしてまともに働かない。
本を読んだり勉強するテンションでもなかったので、ゲームをやるかテレビでも観ようかと考える。
と、そのときいきなり部屋の窓が外からドンドンと叩かれた。
「!?」
びくっとしてベッドから飛び起きる。
それからすう――っと深呼吸して、窓のカーテンを開ける。
「オッス、オラ悟空」
「十四点」
「けっこう似てたと思うんだけどなー」
屋根づたいに窓から入ってきたのは美咲だった。
竹田の家と美咲の家は隣同士で、屋根から行き来できる。
美咲の手にはニンテンドーDSがあり、竹田は彼女の目的を理解した。
「ちょっと待ってろ」
「んー」
竹田は机の上にあった自分のDSを起動させ、美咲は竹田のベッドに腰掛ける。
美咲が自分のDSを開いてワイヤレス通信の準備をする。
ソフトはドラクエ9。
美咲は昔からドラクエ、FF、メタルギア、無双シリーズといった有名どころだけ遊ぶというライトゲーマーで、竹田もそんな感じ。
高校に入ってからは二人とも綾や堂島に借りて(強引に貸されて)たまにちょっとマニアックなゲームもやるようになった。
通信で、竹田の主人公リュウ(ドラクエをやるとき竹田はいつもこの名前にしている)は美咲の世界に飛ぶ。
「なんか手伝うのか?」
「んー。ちょっと装備買うから待ってて」
ゆるい感じで美咲が答える。
「ん」
竹田は美咲の世界の街をうろつく。
美咲の準備が終わったら、美咲のキャラみさきちと一緒に冒険に出かける。
あまり会話はなく、みさきちが回復してほしそうだったら回復魔法《ホイミ》を使ってやり、さっさと倒した方が被害が少なそうな敵を攻撃魔法《メラミ》で潰《つぶ》したりする。
「あたしやる」
「ん」
美咲が範囲攻撃魔法《ベギラマ》を使い、弱った敵をみさきちの仲間やリュウが通常攻撃で一匹ずつぷちぷちと始末していく。
「やっぱ危なげないなー」
美咲は言った。
「お前もな」
竹田も言う。
お互い「やって」とか「いくから」とか「頼む」といった会話ともいえない最小限の会話だけで、どういう行動をしてほしいか具体的に言わなくても大体伝わる。
「なんで二人ともベギラマ使うんだよMPもったいないだろ!」といったことは一度もない。
絶対に手助けが必要なほど困っていたわけではなく、せっかく通信プレイができるんだからやろうぜ的なノリだったので、サクサク進めていける。
「そういや」と不意に竹田。
「んー」
「最初にこうやって協力プレイしたのっていつだっけ」
「FF4。プレステ版の」
美咲が答えた。
「あー、FFだったか」
ファイナルファンタジーの4〜6は、戦闘中操作するキャラをコントローラー1と2に割り振ることで二人プレイができたのだ。
それ以来、二人で遊べるゲームを買ったら大抵二人プレイも試している。
「たしか小学校低学年だな」
「FF4?」
「ん」
「そうねー」
もう十年近いコンビだから、ゲームが変わってもお互いどういう行動をすればいいのか大体わかる。
言葉を必要としない関係というのは――心地よいと竹田は思う。
一年前に振られたけど。
こうして何も変わらず一緒にゲームをやったり部屋でまったりできるなら、振られたことなんてどうでもいいように思える。
「……なあ」
DSの画面から視線は離さず、竹田は言う。
「なに?」
こちらもゲームに集中したまま美咲。
「……例えばさ。お前に付き合ってる奴がいるとして、そいつが自分のいないとき部屋で他の女と一緒にゲームやってるのって、どう思う?」
美咲は無言だった。
竹田も無言でゲームを続ける。
ドラクエの音だけが部屋に響く。
何度か戦闘を繰り返し――――|ててててってってってー《レベルアップのファンファーレ》。
みさきちのレベルが上がった。
「文香ちゃんに告白された?」
いきなりの美咲の言葉に竹田は絶句した。
「な……な……!?」
美咲はにんまり笑う。
「おー、ついにやったか文香ちゃん」
「な、なんで……?」
「や、例え話から察すると龍ちゃんは誰かに告られた。なら可能性が一番高いのは文香ちゃんかなーって」
「な、なんで……?」
竹田の「なんで?」の意味を美咲は正確に察し、
「もう二ヶ月前くらいからずっとラブ臭が出てたからねー。文香ちゃんが龍ちゃんのこと好きなのに気付いてなかったの、龍ちゃんだけだと思うわよ。綾と潤くんは鋭いから当然気づいてただろうし、暦ちゃんは文香ちゃんがラブ臭を発するたびに可愛かったし。あ、士郎くんは気づいてないかもね」
「そうだったのか……」
吉村と同レベルの鈍《にぶ》さだったということが割と本気でショックだった。
「そっかそっかー、ついに告ったかー。で、まだ返事はしてない、と」
「な、なんで……?」
なんで返事をしてないことまでわかるのか、という竹田の問いには答えず、美咲は楽しげに笑う。
「カレシとかカノジョが部屋で他の異性とゲームするのをどう思うかっていうとね、人それぞれだと思うわよ。要するに、男の子と女の子の間に友情が成立すると思うかどうかって話でしょ?」
「……え、そんな話なのかっ」
「そんな話そんな話。で、その答えは人それぞれなわけ。個人的には気にしないかな」
「……そうか」
少しホッとする竹田に美咲は続ける。
「でも龍ちゃんが文香ちゃんと付き合うことになったら、龍ちゃんの部屋には来ないようにするかな。佐野くんのときに龍ちゃんがあたしを部屋に入れなかったみたいにね」
悪戯《いたずら》っぽく美咲は言った。
「……そういやそうだったな」
佐野というのは美咲が一年くらい前に付き合っていた竹田たちと同じ中学の少年で、二人が付き合っている間、竹田は「佐野に悪いだろ」と言って美咲を部屋に入れなかった。
佐野と美咲が付き合っていたのは高校入試の日から数週間という非常に短い期間だったので、またすぐに竹田の部屋に出入りするようになったし、部屋に入れなかったのは佐野に義理立てしたというよりも、他の男と付き合って幸せそうな美咲をあまり見たくなかったという理由の方が大きいのだが。
「龍ちゃん、早くコマンド」
不意に美咲が言った。
いつの間にか戦闘画面になっていた。
「……あ、ああ」
慌ててコマンドを入力。
「まあやっぱり変な関係だからねーあたしと龍ちゃんって。そのへんのケジメはしっかりしとかないとね」
「……まあ、そうだな。……まあ、まだ付き合うって決まったわけじゃないけど」
「龍ちゃん」
美咲はスッと目を細めて竹田を見据えた。
「な、なんだよ……?」
「付き合うって『決まる』じゃないでしょうっ 龍ちゃんが『決める』の」
「う……」
竹田は呻《うめ》く。
「……まさかお前に正しい言葉遣いを指摘されるとは思わなかった……」
「男子三日会わざれば刮目《かつもく》して見よってやつよ」
「『男子じゃねえだろ』『呂蒙《りょもう》かよ』『基本バカキャラだけどな』」
「三通りのツッコミを同時にするとは……やるわね」
美咲は楽しげに笑った。
「ま、龍ちゃん基本へタレだからね。せいぜい悩むがいいわ」
竹田は憮然《ぶぜん》として、
「どうせ俺はヘタレだよ。……つうか、お前だってあいつはどうするんだ」
「あいつ?」
「吉村」
「あー」
やっぱり美咲は吉村が自分に好意を持っていることに気づいていたらしい。
鈍感な竹田ですら気づくほどわかりやすかったから、美咲が気づいてないわけがないと思っていた。
「……気づいてるのに気づかないフリをするってのは、残酷だと思うぞ」
経験者である竹田は心の底から言った。
美咲は困った顔で笑う。
「いやまあ、あたし的には、士郎くんが告白してくれたら付き合ってもいっかなーって思ってるんだけどね。あの子もスポーツ少年なのにヘタレよね」
「……運動バカってなんとなく奥手なイメージがあるけどな」
竹田は複雑な顔をした。
「……でもそうか……吉村に告られたら付き合うのか……」
「妬《や》いちゃう?」
「べつに」
悪戯《いたずら》っぽく笑う美咲に憮然《ぶぜん》として竹田は答えた。
ててててってってってー。
ドラクエを続けながらそんな会話をしている間にリュウのレベルが上がった。
「……よく考えると『かしこさ』ってどうやって数値化してるんだろうな」
「そういやそうね。腕力や体力や素早さは測れそうな感じだけど」
まさかただの学力テストではあるまい。
生き抜くための賢さを測れるテストがあるのなら、是非ともその正解を見せてもらいたいのだが。
「ま、なにごとも変わらずにはいられないのよ」
妙にわかったようなことを言う美咲に竹田は苦笑し――ため息をつく。
「はあ……なんかめんどくさいな、付き合うとかそういうのって……」
「うわ、高校生男子とは思えない枯れた発言」
竹田の呟《つぶや》きに美咲は笑った。
「でもまあ、めんどくせーっていうのには激しく同意」
「……めんどくさいからこそ面白いのかね。恋愛経験豊富なみさきち先生的には」
「惚《ほ》れっぽさでいえば昔の龍ちゃんには負けますわい」
「昔の話はその、やめようぜ」
「傷の抉《えぐ》り合いになるからねー」
二人して苦笑する。
「あー、やっぱ龍ちゃんといるとヌルくて心地良いわねー」
「まあな」
ぽすん、と美咲はベッドに仰向けになった。
「もうさー、結婚でもしよっかー」
「はあ!?」
さすがにドキッとする竹田。
「結婚っすよ結婚。そしたらめんどくせー恋愛とかしなくていいわよ。可愛い後輩が告白してくることもないだろうし」
「……振った相手にそれを言うか。付き合わないけど結婚はするってどんなだよ」
竹田が憮然として言うと、
「や、恋愛と結婚って別じゃね? あたし龍ちゃんのことカレシとしては見れないけど、ダンナにするなら結構アリかもなーって、今なんとなく思った」
「…………」
竹田は顔を真っ赤にした。
「……マジ照れすんなよ……あたしも照れるじゃない……」
美咲の顔も赤くなった。
二人は無言でドラクエを続け――街に戻り、通信プレイを終えた。
「……大体、物部は俺なんかのどこがいいんだ」
美咲は苦笑した。
「それ、自分で言うことじゃないわね。どっかでフラグを立てた覚えは?」
「まったく心当たりがない」
「ま、原因なんてどうでもいいでしょ。大事なのは、今そうであるという事実よ」
「そういうもんか?」
「そういうもん。原因がわかれば何か変わるもんでもないでしょ」
ぱたん、と美咲はDSを閉じる。
「付き合うことになったらちゃんと教えてね。来ないようにするから」
「……これがお前とやる最後のドラクエかもな」
「そう考えると寂しいわね」
あっさりした口調で言って、ベッドから起きあがり美咲は窓へと歩いていく。
[#挿絵(img/3-163.jpg)]
竹田はぼんやりその後ろ姿を見送る。
窓を開け、美咲は不意に振り返った。
「……この先言う機会がないかもしれないから一つ告白しとくわ。一年前に龍ちゃんを振った日ね、あたし家に帰ったあと部屋でめっちゃ泣いたの。そりやもう一晩中わんわん」
泣いているような笑っているような曖昧《あいまい》な顔で美咲はそう言った。
「自分でもわけわかんなかったんだけど、なんだったのかしらね、アレは」
「……そんなん、知るか」
竹田としては、そう答える他なかった。
「だよねー」
美咲は窓から部屋を出て行った。
美咲が出て行ったあと、竹田はばたんとベッドの上に倒れた。
「やっベー」
顔が熱い気がする。
「……俺これ多分まだ好きだわ美咲……」
*
……翌朝。
窓を開けたままタオルケットも掛けずに寝た竹田は風邪をひいてしまい、その日――夏休み前の最後の一日――学校を休むことになった。
[#改ページ]
[#小見出し] 往復書簡[#「往復書簡」は太字]
浅利美咲と竹田龍之介がドラクエをやっていたのと同じ頃。
暦が仕事の小説を書いていると、携帯電話にメールが来た。
相手は物部雪華――文香の妹。
……先日文香の家に泊まりにいったとき雪華に暦が小説家であることが発覚してしまい、妙に懐かれた。
ケータイのアドレスも交換し、たまにこうしてメールが乗る。
【From】物部雪華
【件名】今日のお姉ちゃん
【本文】なし
添付ファイルを開くと、お風呂上がりらしくパンツ一枚でアイスクリームを舐《な》める文香の写真だった。
濡《ぬ》れた髪に上気した表情が妙にエロティック。
雪華はいかに姉が素晴らしいかを暦に伝えるため、文香の写真を送ってくることがある。
暦的には、大歓迎だった。
「……はぁ※[#ハート黒、unicode2665]」
とろんとした顔で雪華に返信する。
【TO】物部雪華
【件名】なし
【本文】ぁりがとお雪華m(__)m チョット原稿煮詰まってたケド文香の写真からエネルギー補給できたおかげで元気めっちゃ×2でできたよお\(^O^)/今夜も頑張るね(^o^) ぁと私からもお礼※[#ハート黒、unicode2665]
休み時間に撮った文香の寝顔の写真を添付して雪華に送った。
ちなみに暦はたまにケータイで小説を書でいるので、文章を打つスピードはめちゃくちゃ早い。
いわゆるケータイ小説ではなく、仕事の小説を学校とかお風呂とかで書いてパソコン用のアドレスに送るのだ。
作業効率はあまりよくないし誤字脱字も多いのだが、気分転換にはなる。
【From】物部雪華
【件名】ありがとう
【本文】ありがとう暦さん!ゆきのお姉ちゃんの寝顔コレクションがまた増えたよ!さっそくパソで印刷してラミ加工するね!ハァハァゆきなんだかコーフンしてきちゃったよお今夜寝られるかなあ※[#ハート黒、unicode2665]
「…………」
メールを読んで微かに微笑み、暦は再び小説を書き始める。
と、しばらくしてまた雪華からメールが来た。
【From】物部雪華
【件名】はぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜※[#ハート黒、unicode2665]
【本文】はひゃ〜〜〜〜ん!お姉ちゃんがアイスこぼしちゃった!お姉ちゃんが神々しすぎるよう!お尻お尻お姉ちゃんのお尻だよ綺麗すぎるよお舐めたいよお!お姉ちゃんのお尻にちゅっちゅしたいよお!お姉ちゃんのてらてら輝くお肌が眩《まぶ》しすぎて眩《まばゆ》すぎてゆきの頭がフットーしそうだよお〜〜〜〜〜〜!
「〜〜〜〜〜〜っ!」
添付ファイルを開いて悶絶《もんぜつ》した。
添付されていたのは文香が少し困った顔でパンツを脱いでいる最中の写真だった。
もともとパンツだけの状態だったので、ほぼ全裸である。
「……これは……いけない」
暦は顔を真っ赤にしてその写真をパソコンのアドレスに送った。
「ふう……」
これで万一このケータイが壊れても安心だ。
これは雪華にお礼をしなくてはいけない。
【To】物部雪華
【件名】お礼
【本文】雪華のキモチとっても伝わったよ(*^_^*)チョーぃぃものを見せてくれたお礼に私もとっておきの画像をぁげるね(*^_^*)
フォトフォルダを開き――かなり迷った未、一枚の写真を選ぶ。
それは先日リアと文香が部室でコスプレしたときのもので、『イコノクラスト!』の姫巫女《ひめみこ》の衣装を着た文香の写真だった。
ぶかぶかでスケスケで、しかもノーブラのためちょっと動くだけで危険な部分がチラチラするという非常にエロい格好。
しばらく自分でまじまじと見てそのエロさを堪能したあと、雪華はどんな反応をするだろうと思って暦はそれを送った。
しかし。
即反応が返ってくるかと思いきや、しばらく待っても雪華からのメールは来ない。
「……?」
怪訝《けげん》に思いながらも暦は執筆を再開する。
その一時間後、メールが着信。
【From】物部雪華
【件名】Re:お礼
【本文】ちょっと気絶しちゃってた(^_^;)返信遅れてごめんなさい暦さん。この写真すごいすごいすごいすごい!! 超すごいよおおおおお!! ただでさえ神聖なお姉ちゃんがこんな神々しい格好をしてるなんて奇蹟《きせき》を見てるみたい! やっぱりお姉ちゃんは地上に降臨した女神様だったんだね・・・。お姉ちゃんの神聖な輝きがこの穢《けが》れた世界を遍く照らしますように・・・
「…………」
雪華の本気っぶりが文面から伝わってくるようで、暦はちょっと引いた。
その直後、新しいメール。
【From】物部雪華
【件名】今のお姉ちゃん
【本文】なし
添付ファイルの写真に写っていたのは、ソファの上で猫みたいに丸まって寝ているパジャマ姿の文香だった。
「か、可愛い……」
思わず声に出して赤面する暦。
と、そこでまたしても雪華からメール。
【From】物部雪華
【件名】今のお姉ちゃん2
【本文】なし
今度の添付ファイルも今の文香で、前の写真より少しアップで撮られたものだった。
安らかな寝息の聞こえてきそうな写真に暦は大いに和む。
さらにメールが届いた。
【From】物部雪華
【件名】今のお姉ちゃん3
【本文】なし
撮影する角度が微妙に変わった文香の寝姿だった。
数秒後、また着信。その放秒後、さらに着席。さらにその数秒後、着信――
今のお姉ちゃん4、今のお姉ちゃん5、今のお姉ちゃん6、今のお姉ちゃん――……
数秒おきにどんどん送られてくる文香の写真。太もものアップ、胸元のアップ、ローアングル、白い二の腕、腋の写真――。
今のお姉ちゃん26まで来たところで暦は返信した。
【To】物部雪華
【件名】Re:今のお姉ちゃん26
【本文】撮りすぎ(苦笑)
……この(苦笑)の部分から、暦が少し……いや、かなり引いてることを察してくれるといいのだが。
送信後、少し間があった。
次に届いたメールは、さっきまでとは毛色が違うものだった。
【From】物部雪華
【件名】今お姉ちゃんが寝言を言ったんですケド
【本文】「たけだせんぱい」って誰か知ってますか???
「…………」
……寝言で竹田せんぱいと呟《つぶや》く文香を想像して不機嫌な顔になり、暦はしばらく考えてから返信。
【To】物部雪華
【件名】竹田先輩
【本文】うんこ野郎。
[#改ページ]
[#小見出し] プリーズ プリーズ[#「プリーズ プリーズ」は太字]
夏休みに入って約一週間が過ぎたある日のこと。
文香がラノベ部の部室に行くと、そこには竹田がいた。
「あ……せんぱい……」
「……おう……久しぶりだな」
竹田は少し暗い顔で文香に言った。
文香が竹田に告白したあの日以来、二人が顔を合わせるのはこれが初めてだった。
夏休み前の最終日に竹田は風邪をひいて学校を休み、前に「家が通いから夏休みはあまり部活には顔を出さない」と言っていた通り、今日まで一度も竹田が部室に来ることはなかったのだ。
少しときどきしながら、文香は竹田の隣の席に座る。
すると竹田は鞄の中から一冊の本を取り出して文香に渡してきた。
「これ美咲から預かってきた」
渡されるとき指が触れて文香は少しドキッとする。
竹田が持ってきたのは、前に文香が近所の小さな本屋さんでたまたま見つけた既に絶版になっている小説で、美咲が最近ハマった作家のデビュー作らしい。
夏休み前に美咲に貸して、今日返してもらう約束だったのだ。
「浅羽せんぱいはどうしたんですか?」
文香が尋ねると、竹田はますます表情を翳《かげ》らせた。
「美咲は……知り合いの葬式……いや、葬式には出ないか……」
「……誰か亡くなったんですか?」
聞いていいのか迷いながらも文香が尋ねると、竹田は小さく頷《うなず》いた。
「――同じ中学のやつで、美咲の友達と付き合ってたやつ。美咲ともその縁でちょっとは交流あった。美咲はあんまり好きじゃないみたいだったけどな」
「…………」
「んでその友達が彼氏亡くしてめちゃくちゃ落ち込んでるから、美咲と他の友達数人で見舞いに行ってる。……あー、そういや、お前にドタキャンして悪いって謝っておいてほしいってさ」
「いえべつに、本を返してもらうのなんていつでもよかったですし……」
そのおかげで久しぶりに竹田せんぱいに会えましたし……とは、いくら空気の読めない文香もさすがに言わなかった。
重い沈黙が流れる。
と、不意に竹田が沈黙を破った。
「今朝ニュースでやってなかったか? バイク事故。無免許だったんだとさ。夜中仲間と一緒に猛スピードで走ってたらカーブで仲間のバイクと接触してクラッシュ。仲間は骨折で済んだけどそいつは即死」
ニュースは見ていないが……竹田の話を聞いて『自業自得』という言葉が真っ先に浮かんでしまった自分は冷たいのだろうかと文香は思った。
「……ぶっちゃけ自業自得なんだよ」
竹田が文香の思ったのと同じことを言った。
「……いやもう、正直何の弁解の余地もないくらい自業自得だと思うんだけどさ。それでも相原……相原っていうのはその美咲の友達の名前な……あいつにとっては、大事なやつだったんだ」
竹田は嘆息した。
「……俺とはクラスも違ったし、ぶっちゃけそいつ不良だったから、三年間一度も喋《しゃべ》ったこともなかったんだけど……まあ、学年一緒だから顔くらいは知ってる……俺とは顔だけは知ってる程度の関係でしかなかったんだ。ぶっちゃけ、ただの他人だな。正直、顔も今朝卒業アルバム見返すまで忘れてた」
「…………」
「……でもそいつのことで一つだけ覚えてることがあって……中二のとき交通安全の講習みたいなのが学校であったんだよ警察の人呼んで。そのとき俺、みんなで体育館に移動する最中に急にトイレに行きたくなって、一人で戻ったんだ。そしたらたまたま通りかかった空き教室で、そいつとその仲間連中がタバコ吸ってるのを見かけたんだ。べつにそいつらがタバコ吸ってることなんて教師含めてみんな知ってたし正直心底どうでもよかったから、俺はさっさとトイレ済ませて体育館に戻った。もちろんその後あいつらが体育館に来ることはなかった」
訥々《とつとつ》とした竹田の話を文香は黙って聞いている。
「……んでその講習会でさ、ビデオとかスライドで、事故現場の写真とか交通事故の映像とか見せられたんだよ。なんか運転免許の講習でも使われてるやつらしくって、中学生に見せるのはどうかと思うようなグロい写真とか衝撃映像もいくつかあって、ドン引きしてるやつも大勢いた。中にはもちろんバイク事故の生々しい写真もあってさ……正直、怖かった」
竹田は苦笑する。
「……まあ、個人的にはいい講習だと思ったよ。眠くなるような集会じゃなくて、交通事故には気をつけようって本気で思ったからな」
竹田は深々と嘆息《たんそく》した。
「……でもさ、講習終わって教室に戻るとき思ったんだよな……。あの講習が本当に必要だったのは、空き教室でサボってたあいつらなんじゃないかって……」
竹田は顔をしかめ、自分の髪をわしゃわしゃとかき回した。
「……べつにサボらずあのとき講習を受けてれば死なずに済んだのにー、なんて言うつもりはねえよ。でもなんだろうな、講習終わったあとマジで顔青くしてる女子とかもいて、あの映像はやっぱり刺激強すぎだろと思ったりして、でもちゃんと意味のあるいい講習会だったことはたしかで、でも、そのいい講習会は、あれを最も必要としてるやつには届かなかった……それがなんか……なんだろう、なんか……うん」
適当な言葉が見つからなかったようで、竹田はうつむく。
それからさらに続けた。
「……俺さあ、小説だけじゃなくて実用書とかもけっこう読むんだ。経済の本とか法律の本とか、ためになるなーうんうんとか思いながら読んでるんだよ。漫画や小説もなんつーか……社会派? 結構固いテーマがある話が好きでさ……よく読む。闇金の話とかな。最近は「闇金ウシジマくん』って漫画がすげー面白い……っていうか、すげーイヤな話でさ、ためになるいい作品なんだ。あれ読んだら絶対に闇金に手を出そうなんて思わないと思う。でも冷静に考えてさ、今まさに闇金から金を借りようとしているくらいどん底まで追いつめられてるやつがウシジマくん読むかっつったら、絶対に読まねえと思うんだよな。じゃあ実際にそれを読んでる俺が将来闇金に手を出すようなことになるかっつったら、多分ウシジマくん読んでなくてもそうはならないと思うんだよなー……。わざわざ漫画に教えてもらわなくても、成人した俺は闇金に手を出さない程度の賢さなら自然に身につけてると思うし、そこまで追いつめられた人生を送る羽目になる可能性も、自惚《うぬぼ》れじゃなく冷静に自分の能力を鑑みて、かなり低いと思うんだ。交通安全の講習会にしたってそうでさ、講習会で真面目《まじめ》に話を聞いて、よし交通安全に気をつけよう! って思えるやつって、べつにそんな講習会に出なくたって、もともと気をつけられるやつだと思うんだ」
竹田は疲れたようにため息を吐いた。
それから文香の方をちらりと見て、寂しそうに笑った。
「……ごめんな。よくわからん話をして」
「……いえ、そんなことないです」
竹田はまた嘆息する。
「なーんかなー、なんなんだろうなー……。なんで俺こんなに凹《へこ》んでんのかなー。あいつが死んで悲しいとかじゃないんだ……多分。いやまあ、そりゃそういう気持ちもあることはあるけど……同じ中学だしな……でも、同じ中学ってだけだしな。……どんなにためになる教訓や素晴らしい物語も、本来真っ先に届けるべき、現在進行形でそれを必要としている人間にだけは届かないってのが……なんつーか、寂しい……? いや、虚しい……? ……悲しい……切ない……ムカつく……苛つく…………あー、ごめん。わからん」
竹田は困ったように首を振った。
文香はそんな竹田を見てくすっと笑った。
柔らかな笑みを浮かべ、
「竹田せんぱいでも、自分の気持ちを言葉で表せないことがあるんですね」
竹田は苦笑する。
「……そりゃあるさ。ありまくりだって。言葉ってほんとに不自由なツールだなあって常々思うよ」
泣いているような笑みを見せる竹田に、文香は少し顔を赤くした。
「……あの、せんぱい」
「ん」
「ちょっとぎゅってしていいですか。しますね」
「は?」
怪訝《けげん》な顔をする竹田に、文香はいきなり一方的に言って抱きついた。
「ちょっ、も、物部!?」
顔を真っ赤にして慌てる竹田の胸に、文香は顔をうずめる。
「……あ、あの、物部氏《もののべうじ》?」
硬直する竹田に、文香は淡々と言う。
「すいません。急にせんぱいをぎゅってしたくなりました」
「急にって……お前ほんとに突拍子もないことするな……」
困惑して嘆息《たんそく》する竹田。
「……あの、一応言っとくけど、今ちょっとほんとにそういう甘酸っぱい感じの心境じゃなくて、こないだのアレの答えとかはまだ待っていただきたく……」
「……せんぱいがかなしいです」
「……いや、だから」
文香は頬《ほお》を紅潮させて言う。
「悲劇の悲で、悲しいです。竹田せんぱいが悲しいと、わたしも悲しいです。だからぎゅってさせてください」
「……ふう」
困った顔で竹田は笑う。
文香が文香なりに自分を励《はげ》まそうとしていることに気づいたのだ。
竹田はそっと、片手で文香の頭を撫《な》でた。
[#挿絵(img/3-183.jpg)]
「ふぁ……」
文香が気持ちよさそうな声を漏らす。
「物部……お前っていいやつだな」
文香は少し憮然とした顔になる。
「せんぱい。『いいやつ』というのは好きな人に言われてもあまりうれしくない言葉です」
すると竹田は苦笑した。
「よく知ってるよ」
「……浅羽せんぱいに言われたことがあるからですか?」
「…………」
無音で肯定する竹田に文香は唇をとがらせる。
「……それであえて『いいやつ』って言うなんて、せんぱいは性悪眼鏡ですね」
「ああ。だから嫌いになってもいいぞ」
「そういういじわるなせんぱいも、ちょっといいかもしれません……。ところでせんぱい、わたしはけっこういじめがいがある子だと自負しております」
竹田は顔をしかめる。
「……なんかいじめると逆襲されそうな気がする。物部が見た目通りの小動物じゃないことに最近気づいた俺です」
「安心してください。たけしくんのときのようなしゃれにならないことはしませんから。もう子供ではないので傷害罪くらい知っています」
「ほんとに逆襲してたのかよ……。前から気になってたけど、そのたけしくんとやらはお前のことが好きだったんじゃないか? なんつーか、好きな子に意地悪しちゃう小学生心理というか」
「あ、はい。そうだと思います。でもわたし、ツンデレって子供っぽくて嫌いなのです。ツンデレが許されるのは小学生までです」
「……たけしくんは小学生じゃないのか?」
「いえ、たけしくんは近所のお兄さんで、わたしが小学一年生のとき中学生でした。お母さんの話では、今は家を出てどこかの大学に通っているそうです」
「……どんどんお前の恐ろしい過去が明らかになっていくな」
「せんぱいにわたしのことを知ってもらえてうれしいです」
「そうか。俺はちょっと引いた」
そして竹田は文香の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「でもま、おかげで妙に塞《ふさ》いでた気分も晴れた。ありがとな」
「じゃあお付き合いしましょうか」
「なにが『じゃあ』なんだ。その話はまあ、また今度……」
「……へたれ」
そう言って、文香は竹田の身体に回していた腕をほどき、くっつくのをやめた。
その視界に、部室の入り口が入る。
扉は開いていて、そこには金髪の少女が立っていた。
「リアさん」
淡々と眠そうな顔で彼女の名前を呼ぶ文香。
「み、見てたのか……!?」
竹田が赤面する。
「…………あ」
無言で二人を見つめていたリアの碧《あお》い瞳《ひとみ》から、一筋の涙が零れた。
リアは慌てて涙を拭《ぬぐ》い、走り去っていく。
「へ!?」
わけがわからず動揺する付出を横目に、
「ちょっとリアさんとお話をしてきます」
静かに言って立ち上がり、文香はリアを迫って矢の如く駆け出す。
「……なんなんだ一体……」
文香の去った部室で、竹田は呆然《ぼうぜん》と呟《つぶや》いた。
*
「リアさん」
文香は、生徒玄関で靴を履こうとしているリアに追いついた。
「……文香」
切なそうに笑うリア。
「どうして帰っちゃうんですか?」
「はい。それはリアが龍之介先輩のことが好きだからで、文香が先輩に抱きついて仲睦《なかむつ》まじげに話しているのを見て自分でも意外なほどに衝撃を受けたからです。端的に言えば、リアは文香に嫉妬《しっと》しています」
リアは的確に説明した。
「わたしはせんぱいと付き合ってるわけじゃないですよ。告白はしましたけど、まだ返事はもらえてないです」
「告白はしたのですか……先を越されましたね」
リアは微かに笑った。
「やっぱりリアさんも竹田せんぱいが好きだったんですね」
「……『やっぱり』ということは、文香は気づいていたのですね。私の気持ちを知りながけら、それでも龍之介先輩に告白したのですね」
「そうですね」
事実だったので、淡々と文香は肯定した。
「……つまり文香にとって、リアよりも龍之介先輩の方が大事だということですね」
感情を抑えながら淡々と糾弾するリア。
「そういうわけじゃないです。そういうわけじゃないと、思います」
「ではどうしてリアの気持ちを知りながら抜け駆けするような真似をしたのですか!」
声を荒げるリアに、文香は黙り……しばらく考えた。
「ええと……………………うーん………………………………………………」
たっぷり二分三十秒ほど考えて、
「なんとなく、ノリで」
「ノリで!?」
端的に言い切った文香に、リアは驚愕《きょうがく》の色を浮かべた。
「……そ、その答えは予想外でした……」
神妙な顔で沈思《ちんし》し、
「…………そうですか……ノリですか…………むー……ノリでは仕方ないですね……」
不満そうに言った
「まったくもう……文香とは好みが合うと思っていましたが、男の子の好みまで同じでなくてもいいのにと思います」
「そうですね。せちがらいです」
文香は曖昧《あいまい》な表情で頷《うなず》いた。
リアは微笑む。
「文香。もしもリアが今から龍之介先輩に告白して、先輩と恋人になってしまったらどうしますか?」
「しっとします」
文香は微かに口の端を吊《つ》り上《あ》げて即答した。
「では、文香。リアが先輩と恋人になっても、友達でいてくれますか?」
「はい」
これも即答だった。
微笑むリアに、文香も微笑みを返す。
「わたし、どろどろした三角関係とかは、お話の中だけでいいと思うんです。好きな人を取り合って友達同士がギスギスするお話って、とってもはらはらして面白いんですけど、自分がそんなお話の主人公になりたいとは思わないです。友達とぎすぎすしたくないです。したくないことは、しません。もちろん現実にはそれはむずかしいかもしれないですけど、それでも、大事な友達とは友達でいられるように努力します」
文香は柔らかな口ぶりでそう言った。
それを聞き、リアはにっこりと笑った。
「やっぱり、本当に文香とは気が合いますね」
*
[#本文より5段階大きな文字]「リアと文香、どっちと付き合いますか!?」
文香とリアは部室に戻った。
部室で待っていた竹田に、リアは開口一番そう言った。
「……は?」
意味がわからずぽかんとする竹田。
「リアさん、それはちょっとはしょりすぎです。せんぱいはにぶちんですから」
「成る程」
文香のアドバイスにリアは頷き、
「リアも龍之介先輩が好きです。文香ではなくリアと付き合って下さい」
顔を真っ赤にしてリアはまっすぐに竹田を見て言った。
「……あ、頭痛くなってきた…………」
竹田はふらつき、こめかみを押さえて唸《うな》った。そしてジト目で、
「……つーかなんで『どっちかと付き合う』っていう二訳になってるんだ?」
「そこはまあ、お気になさらずに」
「気にするわ!」
眠そうな顔で言う文香に竹田は全力でツッコみ……嘆息《たんそく》したあと、
「……ちょっと考えさせてくださいお願いします」
泣きそうな顔で言う竹田に、文香とリアは顔を見合わせてくすくすと笑った。
[#改ページ]
[#小見出し] 竹泡対談 〜それでも世界は廻《まわ》っている〜[#「竹泡対談 〜それでも世界は廻《まわ》っている〜」は太字]
七月最後の日。
竹田は新しい水着を買うために、家からバスで三十分ほどのところにある大きなデパートに来ていた。
八月の最初の週にラノベ部の合宿があるのだ。
場所は隣の県にある海水浴場近くの合宿所で、二泊三日で一人三千円。
美咲がクラスの友達の伝手を頼り、格安で使わせてもらえることになった。
中三のときは受験だったし去年は海やプールには行かなかったから、新品の水着が必要になりこうして買いに来た。
水着コーナーで竹田は適当に自分の体格に合った、地味すぎず派手すぎない無難な柄のトランクスタイプの水着を選び、試着することもなく購入した。二千五百円だった。
そして試着コーナーにいる|連れ《ヽヽ》に声をかける。
「おいいつまで待たせるんだ? 俺もう買ったぞ」
するとカーテンが開いた。
「きゃっ、のび太さんの強姦魔《ごうかんま》!」
中にいた人物が、慌てて何も付けていない胸元を手で隠す。
「死ねよ馬鹿野郎。で、まだか?」
ジト目で竹田は言った。
中にいたのは堂島だった。
堂島は黒いブーメラン型の水着をはいていた。
「んー、いまいちしっくりくるやつがないんだよねー」
試着室の中には、堂島が持ち込んだ様々な水着。
正直竹田は水着なんて近所の店で買ってもよかったのだが、堂島に誘われてわざわざ大きな店までやってきた。
「適当に決めちまえばいいじゃねえか……」
げんなりしつつ竹田はブーメランパンツ姿の堂島をじっと見る。
「……やだぁん、あんまりじろじろ見ないでくださぁい竹田せんぱい※[#ハート黒、unicode2665]」
くねくねしながら文香(?)の真似をする堂島にジト目を向けながら、
「…………お前、腹筋割れてんだな」
すると堂島は顔を真っ赤にして、慌てて腕でお腹を隠した。
「だ、誰が隠れマッチョだよ!」
「言ってねえよ。思ったけど」
「べつにいいだろ! GACKTやタッキーだって綺麗な顔で腹筋割れてるんだし!」
「……あの人らは背ぇ高いし男らしい顔なんだが」
女の子のような童顔で背も低く身体も細い堂島の腹筋が割れているのはかなり違和感があった。
「……まさかこんな辱めを受けるなんて……もう上半身も隠れるやつにする……ダブルオーでリヒティが着てたようなやつ」
「……ああいうのって競泳用だから専門店じゃないと売ってなくないか?」
涙目の堂島に、竹田はどうでもよさげに言った。
*
水着を買ったあと(フルボディの水着は売ってなかった)、竹田と堂島はデパート内のイタリア料理屋で食事をした。
「こうしてると、まるでデートみたいだね※[#ハート黒、unicode2665]」
「寝言は寝て言え。その後永眠しろ」
「おめーが死ねよおこの眼鏡がァ」
……そのあと、二人は当然のように店内の本屋へと足を運んだ。
この店の本屋はそこそこ大きくて、ライトノベルの品揃《しなぞろ》えもそれなりにいい。
特に目当ての本があるわけでもなかったが、ぶらぶらと店内を見て回る。
ラノベコーナーにはちょうど発売日を過ぎたばかりだったのでMF文庫Jの新刊が平積みされていた。少年向けレーベル、少女向けレーベル、その奥にはボーイズラブ、さらに奥にはジュブナイルポルノ。
表紙の肌色率高めのコーナーの前で平然と立ち、堂島は言う。
「そのうち小説も規制とかされるのかなー」
「規制?」と竹田。
「最近エロゲーの規制が急に厳しくなったからさ。アニメとか漫画とか小説もそうなるんじゃないかなって」
「あー。最初は抵抗の弱そうなところから潰《つぶ》して、それを足がかりに徐々に他のも潰していくってのは常套手段《じょうとうしゅだん》だしなー」
うんざりした顔で竹田は答えた。
堂島はつらつらと有名な詩を暗唱する。
「彼らが共産主義者を攻撃したとき、私は共産主義者ではなかったから何もしなかった。
彼らが社会主義者を攻撃したとき、私は社会主義者ではなかったから何もしなかった。
彼らが労働組合員を攻撃したとき、私は労働組合員ではなかったから何もしなかった。
彼らがユダヤ人を攻撃したとき、私はユダヤ人ではなかったから何もしなかった。
そして彼らが牧師を攻撃したとき、私は牧師なので行動したが、私のために行動してくれる者は誰一人残っていなかった――ってやつだね」
「マルティン・ニーメラーの詩っていろいろ応用きくよな」
「だよねー。
彼らが陵辱系ゲームを規制したとき、私は陵辱ゲームをやらないから何もしなかった。
彼らが純愛系エロゲを規制したとき、私はエロゲーをやらないから何もしなかった。
彼らが一般向けギャルゲーを規制したとき、ギャルゲーファンの私のために行動してくれる者は誰一人残っていなかった」
「……ふむす」
「彼らがエロ漫画を規制したとき、私はエロ漫画家ではないから何もしなかった。
彼らが少女漫画を規制したとき、私は少女漫画家ではないから何もしなかった。
彼らが少年漫画を規制したとき、私は少年漫画家ではないから何もしなかった。
彼らがライトノベルを規制したとき、ライトノベル作家の私のために行動してくれる者は誰一人として残っていなかった」
「……便利だなホントに。シャレになってないけど」
竹田は苦笑した。
「原文ではナチスに該当《がいとう》する『彼ら』には何が入るんだ?」
「具体的に言ってもいい?」
「……あ、やめとく……」
「具体的には野d――」
「今日は暑いな!」
「具体的には日本ユn――」
「今日は本当に暑いなあ!」
「どしたの龍くん?」
堂島はくすくすと笑い、それからいきなり不機嫌そうな顔になって嘆息した。
「……まーね、そりゃぼくだって陵辱モノやロリ系のエロゲーに引いちゃう気持ちはわかるよ。でも、たとえどれだけ低俗、反社会的、非生産的な内容の出版物であろうと、規制反対派がたまに言うような犯罪抑止効果があろうとなかろうと関係なく、他者の権利を直接的に侵害するものでない限り、それを発表する自由は最大限保証されるべきなんだ。反社会的出版物のもたらす被害なんかより、国家権力が有害だと見なしたものを自由に弾圧できる社会になってしまうことの方が何億倍も怖いことだから。にもかかわらず、『性犯罪が増える』とか『子供に悪影響を及ぼす』といった有害性を証明するソースすらなく『なんかキモいから』って感情論だけで焚書《ふんしょ》を行い近代社会の基盤の一つである表現の自由を平然と蹂躙《じゅうりん》するなんて、あいつらこそ子供の人権どころか社会そのものにとって有害だよね。ソースは歴史」
「歴史か」
あまりにも端的だったので、竹田は思わず笑った。
「『図書館戦争《としょかんせんそう》』みたいに銃持って規制派とドンパチやるようなことにならなきやいいけどな、ほんとに」
「わかんないよー? 人間はたまに想像以上に馬鹿だから。ソースは歴史。あと現実」
それから二人は漫画のコーナーへと移動した。
漫画コーナーには小さいが特設スペースとして、アニメ化した作品ばかりが集められたコーナーが作られていた。
そのコーナーにあった『けいおん!』の単行本を見て堂島、
「そういやまだKRコミックスの新刊買ってないや」
そう言って新刊コーナーへと向かった。
「最近なんか人気あるみたいだな、そういうなんだっけ、日常系? みたいな本」
堂島の手にした本を見て竹田が言う。
「『けいおん!』や『らき☆すた』みたいなやつ? まんがタイムきららとかの」
「ああ」
特に大きな事件などが起きるわけでもなく、キャラクターたちが学校へ行ったり部室でお喋りしたり遊んだりするだけの日常を描いた作品が最近人気らしい。
「そういうの何冊か読んでみたけど、何が面白いのかよくわかんなかったんだよな」
「龍くんみたいに幼なじみや可愛い後輩たちとキャッキャウフフな日々を送ってるモテモテリア充野郎からすれば、たしかに退屈かもねー」
「う……」
堂島が笑って、竹田は顔をしかめた。
堂島には、先日文香とリアの両方に告白されたことを言ってある。
どうすればいいか全然わからなくて、しかし美咲は中学の友達とのことで忙しそうで、とにかく誰かに相談に乗ってもらいたかったのだが、よりによって堂島に言ってしまったことはあとで激しく後悔した。
「……まあ、こういうの好きな人にもいろんな理由があると思うよ。可愛いキャラや面白いキャラを見てるだけで楽しめるとか、のんびりした雰囲気に癒されるとか、難しいこと考えず気楽に読めるからとか、あと『らき☆すた』とかゲーム部とかどろ高図書委員会なんかはあるあるネタに共感できるって人も多いだろうし、『苺ましまろ』とか『日常』なんかはキャラが可愛いだけじゃなくてギャグ漫画としてレベルが高いと思う」
「ふーん……」
説明されても、竹田にはいまいちピンとこなかった。
「じゃあ、お前はどうしてそういう本が好きなんだ?」
竹田の問いに堂島は少し考え――、
「世界が優しいから」
端的にそう言った。
「世界が優しい?」
訝《いぶ》しげな竹田に、堂島は続ける。
「そ。……長い歴史を振り返っても、世界が人間に優しいものだったことなんて過去に一度もないし、きっとこれからもないよね。老病死苦からは逃れられず、愛する人との別離もあれば、会いたくない人と会わなければならないこともある。傷つけ傷つけられ、奪い奪われる戦場にぼくらは常に立たされているんだ」
目だけ笑っていない笑みを浮かべて堂島は語る。
「身近なところでは、学校で受けたくもない授業を受けさせられて嫌な教師に理不尽な理由で叱られて不条理なルールを押しつけられて、尊敬できない先輩や教師の命令に従わされる。親や友達との確執、失恋、孤独感、いじめ、将来への不安に社会への不満……傍目にはいくら脳天気に見える子だって、誰もがどうにもならないことに悩みながら生きてるんだ。もちろんぼくや文香ちゃんやリアちゃんもね」
堂島は左右非対称の笑みを浮かべる。
「いわゆる日常系と呼ばれる作品群で描かれる『どこにでもあるようないつまでも続く平凡な日常』なんてものは、実はこの世界のどこにも存在しないんだと思う。むしろよくある物語の主人公のように、どれだけ頑張っても勝てないような強大な敵と戦ったり、どうにもならない不条理で理不尽な現実に必死で抗うことこそ、誰もが日常的にやっていることだと思うんだ。物語の主人公と現実に生きるぼくたちとの違いは、敗北し膝《ひざ》をついたまま終わることがあるかどうかでしかないんだよ」
「だからお前は、現実のメタファーでしかない困難に立ち向かう勇者の物語ではなく、『優しい世界』という究極のファンタジーを描いた日常系作品を好むと?」
「うん。あとギャグみたいに人が死にまくる中身スカスカの残虐エログロ話も好き」
「極端すぎる!」
竹田はツッコんだ。
そして、
「……まあ現実観や日常観なんて人それぞれだから、お前の言ってることもなんとなくわかるけど 一つだけ」
「ん?」
首を傾げる堂島に竹田は言う。
「たしかにお前の一言うとおり、優しい世界なんてものは存在しない。だけど、世界が人に優しくなることはなくても、人が人に優しくなることはできると思う」
「人が優しく、ね」
「お前の話聞いてて思ったんだけどさ、きっと『けいおん!』とか『らき☆すた』の世界だって、描かれてないだけで理不尽なこととかあるだろうし、事故も病気もいじめも戦争もあるし、イヤな教師や同級生もいるんだよ。みんなどっかで我慢してるはずなんだ。俺の想像だけどな」
「うわ、なんてイヤな想像」
「別にイヤじゃないだろ。むしろすげえと思う。どこにでもあるような平凡な日常を維持するために、みんな陰で努力とか我慢をしてるんだ。誰かがキレて刃物振り回すだけで砕け散るような脆《もろ》い日常を維持するための努力や我慢のことを、きっと『優しさ』と呼ぶんだと俺は思うよ。俺は優しい世界よりも、優しくない世界でそれでも優しくあろうとする人間の方が尊いと思う」
「…………」
「そしてそんな優しくない世界の中でも、『人が優しくあれる場所』を創ることは可能なんだ。俺の幼なじみが、自分の力で『ラノベ部』って空間を創り上げたみたいにな。優しい人間がその優しさゆえに傷つき苦しみ死んでいくドストエフスキー的世界観なんてくそくらえだ。選ばれた特別な存在でも何でもない美咲でさえ小さな楽園を創ることができたんだから、きっと誰もが、自分の手で優しい場所を創り出すことが可能なんだ」
竹田は微かに笑う。
「かつてブギーポップは『笑うのは君たちの仕事だ』と言った。優しくないこの世界で足掻《あが》き、不条理な現実の前に悩み苦しみそれでも抗い続け、そして最後に|幸せ《笑顔》になるのは、『世界の敵と人知れず戦う』という非日常的幻想物語のキャラクターである自分《ブギーポップ》ではなく、日常の物語を懸命に生きる人間たち一人一人の役目だと。世界は優しくないが、別に敵意をもって襲ってくるわけでもない。剥《む》き出《だ》しの世界が優しくないのなら、世界を一人一人の優しさで埋め尽くしてしまえばいいんだ」
竹田が言うと、堂島は左右非対称の表情を浮かべて竹田をじっと見た。
「な、なんだよ」
照れて少し顔を赤くする竹田に、堂島は言う。
「やっぱり竹田くんはいい人だなあ」
「……ブギーポップ顔で茶化すなよ」
「ごめんごめん。ところで、そんないい人な龍くんに質問。文香ちゃんとリアちゃん、どっちと付き合うの?」
「…………」
竹田は気まずそうに、無言で堂島から目を逸らした。
「可愛いなあ聴くんは」
堂島は意地悪っぽく笑う。
「人間とか世界について考える前に、龍くんには片付けなきゃいけない問題があるみたいだね。気分転換に大きな物語について思考を遊ばせたそのあとは、目の前の小さな物語に向き合わないとね」
「うっせーなー……わかってんだよそんなことは……」
ふてくされたようにそっぽを向く竹田の横顔に、堂島は優しい眼差しを向けた。
決して報われぬ恋の相手を見つめるような、切なくも愛おしげな優しい眼差しを。
[#改ページ]
[#小見出し] Cagayake! GIRLS[#「Cagayake! GIRLS」は太字]
八月一日、土曜日の昼下がり。
暦は文香の家を訪れた。
文香の家に来たのはこれが二回目で、今日も前回と同じくリアも一緒のお泊まり会なのだ。
今回は文香が好きだという入浴剤も手みやげに持ってきて、ぬかりはない。
チャイムを鳴らすと玄関が開き、
「あっ! 暦さんお久しふりです会いたかったですっ!」
文香によく似た小柄な少女が、満面の笑みを浮かべて暦に言った。
物部雪華――文香の一つ下の妹た。
「……久しぶり、雪華」
微かに顔を赤らめて、暦は答えた。
「えへへ、ゆき暦さんに会えるの楽しみで昨日は眠れなくて一晩中暦さんのことを考えてハァハァしちゃった※[#ハート黒、unicode2665]」
「そ、そう……」
そんなことを告白されても困るのだが。
玄関に入ると、既にリアの靴があった。
「お邪魔します……」
暦はあまり他人の家に行くことがないので、緊張しながら靴を脱いで家に上がる。
嬉しそうな雪華にリビングへ案内されると、文香とリアが出迎えた。
「あ、暦。ご機嫌よう」
「いらっしゃいませ藤倉さん」
「ん……」
赤面し、小さくこくんと頷く暦。
遠慮がちにおずおずとソファに腰掛ける。
「ささ、暦さん、召し上がれ」
雪華が暦の前のテーブルにケーキと紅茶を並べた。
「……!」
暦の目が輝く。
ケーキは暦が大好きなブルーベリーが入ったレアチーズケーキで、昨日メールで好きなケーキを訊《き》かれたのは、このためだったらしい。
「それじゃお姉ちゃん、暦さん。ゆきはお夕飯を作るね。ゆきなんかの料理をお姉ちゃんと暦さんに食べていただけることを神様に感謝しつつ未熟ながら心を込めて作るから待っててね。食材の牛さんや鶏さんたちもきっとお姉ちゃんと暦さんに食べてもらうことを心待ちにしてるに違いないよ」
暦は小走りにキッチンの方に行った。
「雪華ちゃん、こないだから藤倉さんにすっかりなついちゃったみたいなんです。けっこう人見知りする子なんですけど……なにがあったんですか?」
文香が不思議そうに首を傾《かし》げた。
リアも真剣な表情で尋ねてくる。
「リアもそれ非常に気になります。暦とリアとで、雪華の扱いが全然違うのです。見て下さい」
リアの前にちょこんと置かれていたのは、酢こんぶとカリカリ梅だった。
「雪華|曰《いわ》く『外国人のお客様のために和菓子を用意しました』とのことなのですが……」
「…………」
和菓子というより駄菓子だった。
「まあリアは酢こんぶもカリカリ梅も好きなのですが。どうすれば暦のように雪華に懐いて貰《もら》えるか是非伺いたいものです。あとチーズケーキ半分下さい」
「……ひ、秘密。チーズケーキもあげない」
申し訳なく思いつつも、暦はリアから目を逸らした。
紅茶をすすりながら、暦はテーブルの上を見る。
お茶とケーキの他には、ツタヤの袋と、『住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー』のDVDのパッケージがいくつか置いてあった。
ツタヤの袋から覗《のぞ》いているDVDのタイトルを見てみると、『機動載士ガンダム』だった。
SEEDとかダブルオーではない、いわゆるファーストガンダムと呼ばれる一番初めのガンダムで、暦はしっかり観たことがないのだがゲームや本で知織はあった。
「……なんでガンダム?」
怪訝《けげん》な顔をする暦に、
「竹田せんぱいがガンダムが好きだって言ってたので借りたんです。三日かかって全部見終わりました」
「成る程、龍之介先輩はガンダムがお好きなのですか。リアはダブルオーはネット配信で観たのですが実は他のシリーズは未見なのです。合宿の日までに観なければ」
「それがいいですよ」
リアの台詞に文香は微笑んだ。
そんな二人に、暦はおそるおそる尋ねてみる。
「……あ、あの……文香とリアは、竹田先輩のこと…」
「好きですよ」
「好きです」
二人して答えた。
その瞬間キッチンの方でがしゃんと皿の割れる音がしたが、暦はそれどころではなかった。
「……ふ、二人とも?」
文香とリアは互いに顔を見合わせて仲良さそうに微笑んだ。
「はい。先日、一緒に告白もしました」
[#本文より5段階大きな文字]「うんこ――――ッ!!」
再び皿の割れる音とともにキッチンで雪華がそんな悲鳴を上げた。
しかし暦はそれどころではなかった。
「こ、こく、はく?」
顔を真っ赤にして聞き返すと、文香とリアは頬《ほお》を染めて頷《うなず》いた。
今の二人の表情は、暦がこれまで見た二人のどんな表情よりも可愛かった。
「まだ返書はもらってないんですけど、うきうきどきどきしています」
「リアも同様です。合宿の日に龍之介先輩と会うのが楽しみです」
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
立て続けに皿が割れる音。
「……そ、そう……こく……はく……」
暦は頭が真っ白になっていた。
*
それから三人は、リアが持ってきたドッコイダーのDVDの鑑賞会をした。
文香とリアはものすごく楽しそうだったのだが、暦は内容がさっぱり頭に入ってこなかった。
DVDを半分ほど見終わったあと、雪華も一緒に夕食を食べた。
今回は中華料理で相変わらずものすごく豪華だったのだが、その味はとても雪華が作った料理とは思えないほど不味かった。
しかし暦と雪華は味などさっぱりわからない心理状態で、文香も「なんだか今日はちょっと変わった味つけなんですね」などと言いながら普通に食べていた(恐らく「妹の料理が不味いわけがない」という思い込みから来るプラシーボ効果だろう)。
リアはというと、「みんなは普通に食べているのにリアのだけこんなに不味いということは、矢張《やは》りリアは雪華に嫌われているのでしょうか……」と一人で悩んでいた。
夕食後は再び鑑賞会を再開してドッコイダーの残り半分を観た。
その頃には暦の心も比較的落ち着いてきて、DVDに集中することができた。
暦は原作を読んでいたので前半を観てなくても話には問題なくついていけた。
原作を生かしつつもアニメ独自のアレンジが施《ほどこ》され、しかもそれがもの凄《すご》くいい方向に作用しており、特に最後の盛り上がりは本当に素晴らしかった。
これぞ理想のアニメ化だと思う。
DVDを買おうと暦は決意した。
「ふぁ〜、おもしろかったです」
文香が少し赤くなった目をこすりながら言った。
「……面白かった」
暦も小さく言った。
リアは二人に満面の笑みを浮かべる。
「でしょう? 喜んで貰えて嬉しいです!」
と、そのとき雪華がリビングにやってきた。
「あの、お風呂《ふろ》沸いたよお姉ちゃん」
「ありがとうございます雪華ちゃん。それじゃあお風呂に入りましょうか」
そのとき、リアが突然真剣な顔で言った。
「雪華! リアと一緒にお風呂に入りましょう!」
「へ!? はあ!?」
戸惑《とまど》う雪華にリアは、
「日本人と仲良くなるためには裸の付き合いが一番だと様々な本に書いてありました。リアは雪華と仲良くなりたいです。さあお風呂に入りましょう。雪華と一緒に一番風呂を頂いてしまっても宜《よろ》しいですか文香!」
「え? あ、はい。リアさんと雪華ちゃんが仲良しになるのはいいことだと思います」
眠そうな顔で文香が言った。
「お、お姉ちゃん!?」
「さ、行きましょう雪華!」
リアは嫌がる雪華の手を引いて、強引にお風呂場へと連行していく。
「な、なんでゆきかあなたとお風呂に入らなきゃいけないんですか!? ふええん、助けて暦さん! ゆき、ゆきはお姉ちゃんの入ったあとのお風呂のお湯を飲むのが人生で最大の楽しみなのにっ! ゆきが入浴したあとの汚いお湯にお姉ちゃんが入るなんてゆきには耐えられないよう! あっ、で、でもゆきが入ったあとのお湯がお姉ちゃんの身体をゆっくりと包み込むように迎え入れて、ゆきのいやらしい体液とお姉ちゃんの神聖なエキスがお風呂の中で絡まり合って溶け合って――あはぁっ、そ、想像したらコーフンして体中から変な汁が出てきちゃったよぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「ど、どうしたのですか雪華!? 凄《すご》い汗ですよ!? 早くお風呂で洗い流しましょう」
雪華とリアの声は次第に遠ざかっていった。
「雪華ちゃんとリアさんが仲良くなるといいですね」
のんびりと言う文香に、暦は冷や汗を浮かべた。
そして文香は、
「藤倉さん、わたしの部屋に行きましょうか」
「う、うん……」
顔を赤くして、暦は頷いた。
*
二人は文香の部屋に入った。
前回来たときと同じように、暦は真っ先に本棚へと目がいってしまう。
本棚にぬいぐるみが飾られているのは前回と同じだったが、ライトノベルが増えて棚がかなり埋まっていた。
「えへへ、前よりも増えてるでしょう?」
少しはにかんで文香は言った。
「面白いですよね、ライトノベル。わたし、ラノベ部に入ってよかったです」
なにげない文香のその言葉に、暦は心臓を貫かれたような気持ちになる。一人のラノベ作家として、一人のラノベ好きとして、一人の女の子として、自分の好きな子が自分の好きなものを好きだと言ってくれるほど嬉《うれ》しいことはない。
いつものことだが文香はずるい。
こんなふうに不意打ちで暦を動揺させる。
心臓がどきどきして身体が熱くなり文香の顔がまともに見られない。
挙動不審になって暦は視線をさまよわせ――さらに心臓が跳ね上がるものを発見してしまった。
文香の机の上に無造作に置かれた一冊の小説に、暦は驚愕《きょうがく》して目を見開く。
タイトルは『リトルキングダム』。
作者は――富士河月詠《ふじかわつくよみ》。
暦のデビュー作だった。
「そ、それ……!」
混乱しながら暦が指さすと、
「あ、それはわたしの本じゃないんです。雪華ちゃんがすごく嬉しそうに読んでたので、こないだ勝手に借りちゃいました」
「よ、読んだの……? 文香……」
おそるおそる尋ねると、文香は「はい」とあっさり頷いた。
「藤倉さんも読んだことありますか? これ」
暦は真っ赤になってこくこくと頷いた。
それからさらに尋ねる。
「……文香は、どうだった、これ……?」
文香は少し困った顔で答えた。
「うーん……個人的にはこれ、嫌いです」
はっきりと言われ――先ほどまでの幸福な気持ちが、一気に萎《しぼ》んでいく。
「そ……そう……嫌い……」
「主人公の悩んでる様子とか、一人ぼっちで寂しい気持ちとかはとてもよく伝わってきたんですけど、それ以外の……なんか、人を好きになる気持ちとか、せっかく仲良くなった友達とけんかしちゃって落ち込む様子とか、幸せな気持ちとかが、全部作り物みたいな感じがしたんです」
暦は愕然《がくぜん》とする。
物語前半の主人公の悩みや孤独の描写は全て執筆当時の暦の気持ちそのものなのだが、ドラマを盛り上げるために入れた恋や友情の描写は全て暦の想像で、審査員や編集者には「中学生の少女らしい瑞々《みずみず》しい感性で恋する気持ちがよく書けている」と評価されたのだが、自分ではとても違和感があった。
「でもそれはちょっとの違和感なのでべつにいいんですけど……」
文香はさらに続けた。
「一番嫌だったのは、後半で、悠子《ゆうこ》が病気になって外国へ手術に行ってしまうっていう展開です」
悠子というのは主人公のクラスメートの少女で、ある事件をきっかけに主人公と友達になり、のちに主人公と同じ男の子を好きになる。
華やかな容姿で快活な性格の可愛い娘で、積極的に男の子にアプローチするのだが、最後は難病に冒《おか》されて外国へ手術に行く。
病に倒れた彼女の看病で主人公とヒーロー役の男の子は絆《きずな》を深めていき、彼女が外国へ行ってしまったのを機にお互いの気持ちに正直になり、ハッピーエンド。
……今思えば酷い話だと思う。
恋愛要素を入れてみたのはいいが、自分がモデルの地味で根暗な主人公が悠子に恋愛で勝つ方法がどうしても思い浮かばなくて、悠子を病気で退場させるという安易な方法を取ってしまった。
文香は、珍しく微かな怒りさえ感じる声で言う。
「わたしは、浅羽せんぱいやリアさんが病気になって外国に行ってしまうなんてことになったら絶対に嫌です。わたしは、大事な友達がいなくなった世界で好きな人とくっついてのんきに笑っているようなことはできません。そんな終わり方をハソピーエンドだなんて絶対に思いません」
と、そこで文香は不意にきょとんとした顔をする。
「ど、どうしたんですか藤倉さん?」
慌てる文香に、暦はなにも答えられない。
「……ぃっく……ひっく……ぐずっ……ぇぐ…………」
暦は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
涙がどんどん溢《あふ》れてきて止まらない。
文香の言うことは何一つ間違ってなくて、自分の書いた小説が都合のいい妄想ストーリーだということくらい自分でもよくわかっている。
現実には、恋のライバルが都合よく難病に冒されて退場してくれるなんてことはまずありえない。
また、容姿端麗で文武両道に秀でた金持ちのイケメンまたは美少女が、何故か都合よく人格だけは劣悪で、ヒーローやヒロインは彼らではなく冴えない主人公の優しさやら美しい心に気づいて好きになってくれるなんてこともない。
そんなことは、この物語を書いた中学生の頃から十分にわかっていたのだ。
自分は現実逃避だと知りながらこれを書いたのだし、こういう都合のいい物語を求めている人だって大勢いるんだからいいじゃないかと思う。
それでも無性に悲しくてたまらない。
自分の一番大事な親友に、拙《つたな》いけどもの凄《すご》く強い思い入れのある、過去の自分そのものだと言っていいくらいの大事な物語を否定されてしまったのがとても悲しかった。
他の誰に批判されようとも、文香にだけは、自分の物語を拒絶されたくなかった。
「…………ふぇ……ふぇ……ふぇぇああぁぁぁぁあああああん!! ぅぇぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
ついには声を上げて子供のように大泣きしてしまう暦に文香は戸惑うしかない。
「ど、どうしたんですか? なんで泣いてるんですか藤倉さんけ あ、あの、もしかして藤倉さん、この小説のことそんなに好きだったんですか? あの、それなら悪く言ってすいませんでしたけど、でも、雪華ちゃんもこのお話好きみたいですし、今のはあくまでわたしの個人的な感想で……」
暦の大泣きは止まらない。
こんなふうに他人の前で声を上げて泣くのは、いつも感情を見せずに一人で過ごしてきた暦にとってものすごく久しぶりのことだった。
「こ、困りました……」
文香はうろたえて、とりあえず暦の身体を抱きしめた。
「ええと、よーしよーし……暦ちゃーん、泣きやんでくださーい」
赤ん坊のように背中をさすって暦をあやす文香。
その甲斐《かい》もなく、暦はたっぷり十分以上は泣き続けた。
*
泣き疲れて、ようやく泣きやんだ暦は、今度は自分の醜態《しゅうたい》が猛烈に恥ずかしくなって文香をふりほどき、近くにあったベッドから布団を引っ張って自分の上半身をぐるぐる巻きにしてうずくまった。
「あ、あの、藤倉さん……? どうしてそんな、『電波女《でんぱおんな》と青春男《せいしゅんおとこ》』のヒロインのエリオちゃんみたいな格好を?」
「うう〜〜〜〜」
恥ずかしさのあまり布団にくるまったまま悶絶《もんぜつ》しうなり声を上げる暦。
長い長い気まずい沈黙の末。
ぽつりと、
「……その小説……『リトルキングダム』…………」
「あ、はい」
「……その小説を書いたの…………私…………」
*
それから暦は、布団を巻いたまま、吶々《とつとつ》と、何度も何度も詰まりながら、泣きそうになりながら、羞恥心《しゅうちちん》に身悶《みもだ》えしながら、文香に自分のことを話した。
自分がプロのライトノベル作家であること。
小説を書き始めたきっかけ。
小説を読み始めたきっかけ。
寂しかった幼い頃のこと。
寂しかった幼くはなくなった頃のこと。
ラノベ部に入って、文香やリアや美咲と出会って、今は楽しいということ。
話を終えて、顔を真っ赤にして布団から頭を出した暦を、文香は抱きしめた。
「言ってくれて、ありがとうございました」
文香が微笑む。
「わたし、ガンダムのアムロとかシャアじゃないので、そばにいるだけできゅぴーんってなって心が通じ合うなんてこと、できないです。伝えたいことは言葉にしてくれないと、わからないです。もちろん言葉だけじゃ伝わらないことだってあって、藤倉さんの小説家としての悩みとかは、説明されてもあんまりよくわからないところもあるんですけど、それでも、まずは言葉にしてほしいと思います」
「ん……」
暦は小さく頷いた。
そんな暦に、文香は言う。
[#挿絵(img/3-222-223.jpg)]
「わたし、ようやく本当に藤倉さんとお友達になれた気がします」
文香の言葉に、暦は嬉しくてまた大泣きそうになった。
身体を震わせながら暦は思う。
自分は本当に未熟だ。
作家としても、人間としても。
これまで人とほとんどかかわらず、小説の世界にのめり込んで生きてきた自分は、同世代の女の子と比べても明らかに未成熟だ。
だからこの先、今日みたいな恥ずかしい目に遭うことも何度もあるだろう。
それでも暦は、文香やリアたちと一緒に歩いていきたいと思う。
どれだけ恥ずかしいことになっても、その恥ずかしい経験を糧《かて》として成長していきたい。
幸いにして、自分は小説家だ。
どんな恥ずかしい経験も、取り返しのつかない失敗も、悲しみも悩みも痛みも苦しみも、全部物語に変換して、あわよくば本にしてお金まで稼いでしまう術《すべ》を持っているしたたかな錬金術師だ。
親友の前で全てをさらけ出した今、暦に恐れるものなどなにもなかった。
暦は、自分を抱きしめる文香の身体に、腕を回して抱きしめ返した。
顔が熱くなり心臓がどきどきする。
「……藤倉さん?」
眠たげな顔の文香に、暦は告げる。
最後に残った、自分の気持ちを。
「文香……私は、あなたが――……」
そのとき部屋のドアが勢いよく開いた。
暦はびくんと飛び跳ねるように文香から身体を離した。
「ふうー、良いお湯でした!」
パジャマ姿のリアが部屋に入ってくる。
リアの後ろには、パジャマ……ではなくスケスケのネグリジェ姿の雪華が立っている。
「あ、リアさん。雪華ちゃん。二人も仲良しになれましたか?」
文香が訊くと雪華は湯上がりの頬をさらに紅潮させ、潤んだ目でリアを見つめた。
「うんお姉ちゃん。……ゆき、リアお姉様に……ハァ……ハァ……いっぱい……ぁはァン……可愛がってもらったよ※[#ハート黒、unicode2665] ゆき、あんなポーズさせられたの初めて……※[#ハート黒、unicode2665]」
「お姉様……!?」「可愛がる……!?」
文香と暦が一緒にぎょっとする。
「いっぱい可愛がりました!」
何故か元気よくXサインをするリア。
一体何をしたのだろうかと暦は疑問に思うものの、なんか怖くて聞けない。
「それじゃお姉様、ゆきはお夜食を作りますね※[#ハート黒、unicode2665]」
「お願いします雪華」
「あの、お姉様。美味しく作れたら……ゆきのこと、もっといじってくれる……?」
「おや、ちょっとチューニングしてあげただけでそんな犬のようにコロリと懐いてしまうなんて、雪華はとんだ阿婆擦《あばず》れストラトキャスターですね」
「ああんっ、お姉様、そんな意地悪言わないでくださいっ! ゆきはお姉様専用の楽器なんですぅっ!」
「ふふ、可愛い子ですね。後でゆっくりカスタマイズしてあげます」
リアが頭を撫《な》でると、雪華はやたらエロい恍惚の表情を浮かべた。
「……あふぁ……お姉様ぁ……?」
……雪華が夜食を作るため一階へと降りていったあと、
「リ、リアさん! 雪華ちゃんになにをしたんですか!?」
呆然《ぼうぜん》としていた文香が、珍しく本気で慌てた様子で問いつめた。
リアはくすっと悪戯《いたずら》っぽく笑い、
「いえ、ちょっといじっただけですよ。雪華はとても良い音で鳴るのですね」
「な、鳴る……!?」
卒倒しそうになる文香を、暦は慌てて支えた。
物部文香にリア・アルセイフ――趣味嗜好《しゅみしこう》や身体能力がよく似ている二人だが、どうやら『女の子を虜にしてしまう』という特性まで共通しているらしい。
……多分野良猫の躾《しつけ》とかも得意なんだろうなと暦はなんとなく思った。
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[#小見出し] エピローグ -journey through the Decade-[#「エピローグ -journey through the Decade-」は太字]
あれから十年の年月が流れた。
私、藤倉暦は、執筆活動を続ける傍《かたわ》ら、地元の大学に進学し一年留年してしまったもののどうにか卒業もして、今でもライトノベル作家として生きている。
十代の頃のような瑞々《みずみず》しい感性はもうないけど、小説の技術はあの頃よりも格段に向上し、今では実力派作家としてそれなりに名前が通っている。
相変わらずそんなに売れてないけど。
ちなみに今は、学園モノのラブストーリーを書いている。
高校が舞台の物語を書くときは、どうしても十年前のことを思い出さずにはいられない。
ラノベ部という部活で過ごした、私の人生で最も輝いていた時代のことを。
当時の部員たちはみんなそれぞれの道に進み、会う機会もあまりない。
初代部長の浅羽美咲だけは今でもたまに連絡を入れてきて、部員たちの近況を知らせてくれる。
浅羽美咲は、高校卒業後は大学に進学し、大学を卒業してOLになった。
そして二年前、七年近くも交際を続けていた恋人との間に子供ができたのをきっかけについに結婚した。
結婚後は退職し、子育てに専念している。
美咲の結婚相手というのはもちろん竹田龍之介だ。
高校卒業後は一流の国立大学に進学し、卒業後は東京の一流企業に勤めている。
エリートサラリーマンとして毎日忙しい身の上だが、休日は必ず家族サービスに努め、いい父親ぶりを発揮している。
現実の男には一切興味がないと公言していた桜野綾は、高校三年の春に恋人ができて、なんと在学中に結婚してしまった。
ボーイズラブ小説もそれ以外のアニメや漫画からも完全に手を引き、高校卒業後は家庭に入って今では二児の母である。
堂島潤は高校卒業後自分探しの旅に出ると行って世界中を飛び回り、現在はその時の経験を生かしてフリーのジャーナリストとして活躍している。
高校時代はあれだけ嫌っていた英語も今ではペラペラらしい。
どうやら世界中に恋人がいるらしく、リアルで『シスタープリンセス』の世界が実現しそうな勢いだとか。
リア・アルセイフは私たちと一緒に高校を卒業後、アメリカへと帰国した。
その後は日本の漫画やライトノベルを出版する会社に入り、ちょくちょく日本にもやってきている。
最近は日本のとある大ヒットライトノベルのアメリカでの展開を独占する契約を取り付け、『敏腕美人エージェント』としてマスコミへの露出も多くなった。
リアが契約に成功した日本の某大ヒットライトノベルの作者というのはもちろんリアの親友であるこの私――ではなく、吉村士郎だった。あいつ死ねばいいのに。
『ばけらの!』というライトノベル作家を題材にした小説を読んで感銘を受けてしまった吉村は、小説家を志して独学で小説の技術を学び見る間に上達。超人的な執筆速度で次々と作品を書き上げていくつもの賞に応募し、高校二年のとき五つの新人賞を同時受賞して『日日日《あきら》の再来現る!』と騒がれた。死ねばいいのに。
理系の大学に進学後もその執筆速度はまったく衰えず、一年間で平均十二冊のペースで作品を発表し続け、あっという間に人気作家の仲間入りを果たした。死ねばいいのに。
そして三年前に出版した小説が、アニメ化、映画化、ドラマ化と『涼宮《すずみや》ハルヒ』シリーズをも超える空前の大ヒットを飛ばし、現在のライトノベル界のトップクリエイターとしてなおも躍進を続けている。ああもう本当に死ねばいいのに。
そして――物部文香。
彼女の行方はわからない。
十年前の冬のある日、文香は突然家から姿を消した。
警察の必死の捜索にもかかわらず、彼女は見つからなかった。
妹の雪華とは今では十年来の親友となっているが、こないだ会ったときも「お姉ちゃんはきっとどこかで生きている」と言っていたものの、その声には諦《あきら》めの色が濃かった。
「文香……どうしてるのかな……」
気分転換にマンションのベランダに出て夜空を見上げながら、私はぽつりと呟《つぶや》いた。
まさにその瞬間。
「暦ちゃん!」
懐かしい声とともに空が金色の光を放ち、その中心から神々しい光に包まれた一人の少女がゆっくりと降りてくる。
あの頃の姿のままで、可憐《かれん》な笑みを浮かべて。
衣服はなく生まれたままの姿で、背中には真っ白な翼があった。
空から私のもとに降りてくる全裸の物部文香を見上げて、呟《つぶや》く。
「…………ない。これは、ない」
*
ジト目でツッコんだところで目が覚めた。
もちろん夢でした。
ぼーっとした顔で暦はむくりとベッドから起きあがる。
昨夜は興奮してなかなか寝つけなかった上におかしな夢まで見てしまい、寝覚めは最悪だった。
一部を除《のぞ》き妙なリアリティのある夢だったけど、夢は所詮《しょせん》夢だ。
未来がどうなるかなんて、誰にもわからない。
将来の自分はきっとすごい売れっ子作家になっているに違いないと信じたい。
そんな自分の未来図を信じられるように――夢の中でさえ売れない作家を続けてるなんてことがないように――もっと頑張ろうと暦は思う。
ふと時計を見る。
午前七時半――夏休みなのでいつもなら寝ている時間だ。
二度寝しようと思って目を閉じかけ――なぜ昨夜興奮して寝つけなかったか思い出して飛び起きる。
「ああああ!?」
今日はラノベ部の合宿の日だ。
八時に駅に集合で、暦の家から駅まではバスで二十分以上はかかる。
「おかあさーん! 今日六時に起こしてってゆったやあん!」
泣きそうな顔で一階に下りて、のんびりと朝食を食べていた母親に文句を言う。
「あ、忘れてた……」
母は少し頬を赤らめて暦に振り返り、
「な、なんで私があんたのためにわざわざ早起きしなきゃいけないのよっ! ばっかじゃないのっ!?」
そんな台詞《せりふ》を吐いた。
「う〜〜〜、お母さんのツンデレ〜〜〜っ!」
暦は大急ぎで服を着替え顔を洗い髪を整える。
合宿に持って行くものは昨日のうちに用意しておいたのでどうにか準備は終わったけど、今から家を出ても乗る予定だった七時三十五分発のバスには絶対に間に合わない。
仕方なくケータイで遅れることを連絡しようとした暦に、母が言う。
「準備できたの暦。早く行くわよ」
その手には車のキーがあった。
「お、お母さん……!」
感動する暦に母は赤面してそっぽを向く。
「か、勘違いしないでよねっ! 急に駅前のパン屋さんのパンが食べたくなっただけなんだからっ! ベ、べつにあんたのためじゃないんだからねっ!」
*
母親に車で乗せていってもらい、暦は八時ちょっと過ぎに駅に到着した。
集合場所である駅前広場の時計の前には、既に他の部員たちが全員集まっていた。
「おせーぞ藤倉」
そう言う吉村を暦はキッと睨んだ。
「な、なんだよ? やんのか!?」
「…………負けない……」
夢の中で何故か大人気作家になっていた男に、暦は呻《うめ》くように呟《つぶや》いた。
と、そこで竹田龍之介が暦に近づいてきた。
神妙な顔で、他の人には聞こえない小さな声でひそひと、
「あ、あのさ藤倉……物部とリアがその……アレなのは知ってるか?」
無表情で暦は頷いた。
すると竹田は少しだけホッとした様子で、
「……そ、そうか。だったらその、あれだ……くれぐれもその、軽はずみな行動は慎むようにと注意しておいてくれ。正直あの二人の行動は俺にはまったく読めん。ラノベや漫画を参考に、よ、夜ばいとか、露天風呂《ろてんぶろ》に侵入とか、本気でやってきそうで怖すぎる。美咲や桜野は逆に煽《あお》りそうな気がするし、お前だけが頼りなんだ……頼むぜ?」
暦はジト目で竹田を見ながら小さく頷いた。
なんでこんなへタレのことを文香もリアも好きなのかさっぱり理解できない。
言われなくても文香とリアが考え直すよう働きかけるつもりだった。
竹田が離れたあと、堂島がやってきた。
「おっはよー暦ちゃん。今日はいい天気だねー」
「……ん」
妙に親しげな様子の堂島に、暦は少し戸惑《とまど》いながら頷く。
堂島は暦の肩をぽんと叩《たた》き、目を細め、どこか底知れない、様々な感情が入り交じった笑みを浮かべて囁《ささや》く。
「ふふ、お互いいろいろ大変だけど頑張ろうねー」
「……?」
やっぱりよくわからず首を傾げる暦。
堂島は楽しげに微笑んで離れていく。
「うふふ、暦さん、ちゃんと白いスクール水着は持ってきましたか?」
桜野綾が『裸だったら何が悪い!』と書かれた扇子を開閉しながら、嫣然《えんぜん》とした笑みを浮かべて言った。
顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振る暦。
「あら残念……わたくしの水着姿に対抗できるスペックをお持ちなのは、正直タイプが真逆の暦さんだけだと思っておりましたのに……」
何を期待しているのか知らないが、暦の水着はごく普通のものだ。
学校指定以外の水着を買ったのは初めてだったので、選ぶ基準とか今年の流行とか自分に似合うかどうかとか正直さっぱりわからなかったけど、多分普通だと思う。
「……ま、それはさておき何やら波乱の予感がしますわ。……うふふ……たまにはリアルの三角関係だとか四角関係も愉しいものですわね」
妙に鋭いことを言って妖《あや》しげな笑みを浮かべる綾だった。
「楽しみですねー暦!」
心の底から楽しそうな顔でリアが近づいてきた。
暦は少し赤面しつつ「ん……」と頷く。
生まれて初めての、仲良しの友達(&その他数名)との旅行。
今の自分はすごい青春してると暦は思う。
「……いっぱい楽しもうね、リア」
「合点承知之助《がってんしょうちのすけ》っ!」
太陽のような笑顔でリアは頷いた。
「充実した合宿にすべく準備も万端なのですよ。水着、浮き輪、花火、ウノ、トランプ、ドリル、双眼鏡、シュノーケル、男装セット、鈎縄、暗視ゴーグル……」
……後半の、どうも先ほど竹田が懸念していたような用途に使われそうなアイテムの数々に、暦は冷や汗を浮かべた。
と、そのとき、部員たちに向かって部長の浅羽美咲が声を上げた。
「それじゃー全員|揃《そろ》ったし、そろそろ出発するわよー。あ、切符はもう全員分買ってあるからねー」
美咲を先頭に軽やかな足取りで歩いていく、富津高校軽小説部のメンバーたち。
竹田だけは「ああどうしようどうしよう……」と深刻な顔で呟いていた。
暦もみんなに続こうとして――部員の中で一人、文香だけがうつむいてその場から動かないでいた。
「文香……?」
もしかして日射病にでもなったのかと慌てて駆け寄る暦。
「…………すぅ……すぅ……」
文香は立ったまま寝ていた。
その寝顔はとても安らかで汗一つかいていない。
「…………」
本当に困った子だなあと暦は思う。
それから暦はふと思いつき――自分の荷物をとりあえず地面におろした。
そして文香の頬《ほお》に自分の唇を近づけ――……
――ちゅっ。
ぱちっ。
その瞬間、文香が目を開けた。
「……!」
暦は慌てて顔を離す。
「ふぁ……すいません、寝てました……あれ? 藤倉さん?」
寝ぼけ顔の文香に、暦は微笑む。
「……文香、早く行こう。置いていかれる」
改札口の方に歩いていく部員たちの姿を見て、文香はやっと状況を理解したらしい。
「あっ、そうでした、今日は合宿でしたっ!」
慌てて自分の荷物を持ち、文香と暦は並んで部員たちを早足で追いかける。
歩きながらふと、文香は不思議そうに首を傾げた。
「あの、ところで藤倉さん、さっき何かしました? ほっぺたがちょっと冷たかった気がするんですけど……」
「ん……した」
暦は顔を真っ赤にして文香を見つめ、はっきりと言った。
「文香に、キスした」
「へ? は? はれ? キ、キスですか?」
顔を赤くして狼狽《うろた》える文香に、暦は悪戯《いたずら》っぽく笑い、日差しの眩《まぶ》しさに目を細めた。
天気予報によれば、向こう一週間はずっと晴れるらしい。
かつてない高揚感に暦の胸はときめく。
夏も、藤倉暦の物語も、まだ始まったばかりだ。
[#地付き](終わり)
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各話あとがき[#「各話あとがき」は太字]
【自在書房にて(インターナショナル版)】
自在書房は高校時代によく行った書店をモデルにしていますが、話を作りやすいように構造などはいろいろ変更しています。また、可愛い後輩とのフラグも一切立ちませんでした。立ちませんでした。
【リレー小説『涼宮冬馬《すずみやとうま》の|U1《ユーイチ》』】
構成上リレー小説を入れる場所がなかったので最初にもってきました。ちなみに|U1《ユーイチ》というのは二次創作で主人公に「実は神の血を引く」といった設定を勝手に付け加えるなどして最強キャラにすることらしいです。
【わたしは勉強ができない】
全然関係ありませんが次回作のタイトルは『僕は友達が少ない』です。よろしく。
【声に出して読みたい日本語】
全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸(『ねくろま4。』より抜粋)
【パンツじゃないから恥ずかしくないもん】
ラノベ部の1、2巻はパンチラなどしていない普通の表紙なので買いやすいですよね。
【夏休みの計画】
ネットは基本的に公的空間であるという考えなので、ググればすぐわかるネタを内輪ネタだとは思いません。だからこの作品に内輪向けネタは一つもありません。
【シット】
いろんなシットを入れてみました。個人的にはアニメ化作家はみんなサノバビッチ。
【オビ】
『ライトノベル試験in第8回ライトノベルフェスティバル準優勝作家、平坂読《ひらさかよみ》の最新作!!』というオビはどうでしょう。あと『アマゾンランキング〈は〉行の作家部門でわずかの期間一位になったことがあるラノベ部の最新作!!』とか。一応事実です。
【いかんせん】
気づけばラノベについてではなく言葉そのものについての話が多くなりました。『物語』というモチーフを扱う上でのテーマ的な必然と、あとネタ切れが原因です。
【儚《はかな》くも永久《とわ》のカナシ】
好きなガンダムは箱ガンダムと、よう太《た》さんデザインのガンダム・ホルスタインです。
【経験値上昇中】
時事ネタは風化するのでやめた方がいいという考えもありますが、ラノベ部では「今」を描くために績極的に使っています。作品が長く読み継がれるに越したことはありませんが、全ての作品が不朽の名作である必要はないと思います。ラノベ部も多分数年後には本屋さんで見かけなくなるでしょうが、数年後の読者さんは、数年後に書かれたその時代に最適化されたラノベ部みたいな小説を読めばいいと思います。ラノベ部他無数の作品の遺伝子は、ちゃんとその中に受け継がれている筈です。
【往復書簡】
メールやプログだと人格が変わる人っていますよね〜(^_^;) 俺とかな!
【プリーズ プリーズ】
りゅうのすけ君(17つ)の夏休みお悩み相談教室。もしくは絶望と希望の話。
【竹泡対談 〜それでも世界は廻《まわ》っている〜】
臆面《おくめん》もなく言ってしまえば『ラノベ部』ではただの現実でもただの妄想でもない、果てしなく遠いが実現可能性は残されている「理想」の世界を書いているつもりです。それは具体的にどういうものかと説明する時「ギャルがライブに行った帰りにアニメショップに寄ってラノベを買うような光景に違和感がない世界」という例えを好んで使います。それは人が自分の目や耳や手や足で探し、自分の頭で考えることができる世界で、価値観を一方的に蹂躙《じゅうりん》されることのない、好きなものを好きだと言える世界です。
【Cagawake! GIRLS】
月詠《つくよみ》さんのデビュー作タイトルは僕が昔書いた小説の中からテキトーに選びました。
【エピローグ -journey through the Decade-】
考えてみると僕の小説では一ヶ月とか一年といった長い期間を一気にすっ飛ばすことがほとんどなく、作中で半年以上経過したシリーズが一つもないです。あとで振り返ると「朝起きて学校行って家帰って寝た」としか記せない一日でも、十代の頃の一日というのは世界観が一気に変わってしまうような可能性を常に孕《はら》んでいるものだと思います。
あ、ちなみに暦ママの名前は琴子《ことこ》です。2巻で出す予定でしたが入りませんでした。
【あとがき】
というわけで『ラノベ部3』でした。ラノベ部はこの巻で終わりです。もともと三巻くらいで終わるのが丁度いいかなと思って始めたシリーズでしたが、三巻どころか二巻の半で既にラノベ系あるあるネタは苦しくなり担当さんや他の作家さんからネタを頂戴してどうにか形にし、三巻では主題をラノベから物語そのものにシフトして、書くべきことは全部書いたつもりです。なので、竹田や文香や暦の物語は終わりませんがラノベ部という作品はこれで終わりです。
イラストのよう太さん、担当さんをはじめ、このシリーズに関わった全ての人に心からのありがとうを。そして読者の皆さんが今後もよい読書人生を――よい読書と、よい人生を送られることを祈っています。
【ボーナストラック】
作品は読者に届くことで初めて完成するものだと思います。昔のアルバムを見返すようにたまに本棚から取り出して「あいつらどうしてるかな?」と想いを馳せるような物語を書きたいし、そんなふうに物語と向き合える読者でありたいと思っています。
【宣伝】
次回作『僕は友達が少ない』も『ラノベ部』と同じような形式の気軽に読める感じの日常系ラブコメですが、ラノベ部でちょっとテーマに縛られすぎた反省から、かなりフリーな設定になっています。ラノベ部では扱いにくかった雪華とか綾みたいなキャラが存分に暴れられるようなアホなノリの話なので、ぜひ読んでみてください。
[#地付き]二〇〇九年六月下旬 平坂読《ひらさかよみ》
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[#小見出し] ボーナストラック 〜ソラにウサギがのぼるころ〜[#「ボーナストラック 〜ソラにウサギがのぼるころ〜」は太字]
夏休みも残り数日となったある日のこと。
吉村が部室で一人本を読んでいると、美咲がやってきた。
「あれ、今日は士郎くん一人?」
「うぃっす」
「ふうん……そっか……二人きり、か」
意味ありげに言って、美咲は本棚を物色し始める。
吉村は読書に戻る。
「なに読んでるの?」
美咲か尋ねてきた。
「BBBの最終巻ッス」
吉村が答えると、美咲は少し驚いた顔をした。
「あれ? BBB最終巻って士郎くん、発売日に速攻て買ったって言ってなかった? また読んてるの?」
「違うッス。これが初めてッス」
BBB――『|BLACK BLOOD BROTHERS《ブラック・ブラッド・ブラザーズ》』は吉村がめちゃくちゃハマっているシリーズの一つで、その完結編である十一巻は五月――つまり今から三ヶ月ほど前に発売された。
「なんで今頃になって?」
不思議そうに尋ねる美咲。
「……や、これで最後だと思うとなかなか読めなかったんスよね……」
寂しそうに言う吉村。
好きすぎて好きすぎて、読み終わるのか惜しい。
終わってしまうのが寂しい。
だからなかなか読むことができなかった。
発売されるのをめちゃくちゃ楽しみにしていて、発売日にはサッカー部の練習を休んでまで急いで本屋さんに行ったほどなのに、これまで読めなかった。
本格的に小説を読み始めたのが去年からの吉村にとって、こんな気持ちになる本は初めてだった。
「なるほどねー……あたしも『とらドラ!』とかマリみての最終巻が出たときは終わっちゃうのが寂しくてなかなか読めなかったわ。まあそれでも話が気になるって気持ちの方が強くて、その日の夜には我慢できなくて読んじゃうんだけど」
「浅羽先輩もそういうことあるんスか……」
「滅多にないけどね」
美咲は笑った。
終わってしまうことを寂しく思うほど大好きな本。
世の中に面白い本は数あれど、そこまでの本に出逢えることは滅多にない。
だから美咲は、後輩がそんな本に出逢えたことを、軽小説部という部活動の部長としてとても嬉しく思う。
それから美咲は吉村の邪魔をしないように、適当な本を取り、少し離れた席に座って読み始めた。
吉村は読書に集中している。
他人のいる場所での読書が苦手な吉村だったが、今は本当に、物語の世界にのめり込んでいた。
そんな吉村を見ながら美咲は微笑む。
(すごい集中力ねー。さすがサッカー部。……あ、違うか……集中してるんじゃなくて、夢中になってるのか)
本を読み進めながら、美咲はちらちらと吉村の様子を観察する。
吉村の目は少し赤くなっており、ときどき洟《はな》をすすっている。
美咲も三ヶ月前に読んだけど、BBBの最終巻は最初から最後までクライマックスの本当に凄まじい傑作で、読みながら何度も泣いた。
吉村もあのときの美咲と同じく、登場人物たちの生きざまや散りざまに心を震わせているのだろう…………美咲がいるということをすっかり忘れて。
(可愛いなー士郎くん)
ニヤニヤしながら見つめる美咲だったが、無言で本を読むその横顔はたまにものすごく凛々《りり》しく見えて、不覚にも何度かドキッとさせられた。
(……やば。なんかちょっとときめいてきたかも)
吉村のことは面白い子だと思うし、前に竹田に「告白されたら付き合うかも」と言ったように好意は持っているのだが、こんな気持ちは初めてだ。
(うひ〜〜〜〜どうしましょうどうしましょう!?)
顔を火照らせて、ちらちらと吉村の様子を窺《うかが》う美咲だったが、吉村は気づかずひたすら本を読み続けている。
――そして、約五時間が経過した。
時刻は既に午後七時をまわっている。
吉村が本を閉じた。
ついにBBB最終巻を読み終わったのだ。
「ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
満ち足りたような、それでいて切なそうな、とても複雑で深みのある表情で、吉村はゆっくりと息を吐き出した。
「読み終わった?」
「おわっ!? あ、浅羽先輩!? な、なんで!?」
美咲が声をかけると吉村は驚いた顔をした。
「なんでって……ずっといたのに」
くすくすと笑う美咲に、吉村は顔を赤くした。
「すごい夢中になってたわねー。……どうだった?」
吉村は本を見つめ、しみじみと答える。
「……最高 だったッス。そうとしか言いようがないッス。でも……これで終わりなんスね……あとがきにあった続編ネタ、ほんとにやってくんねえかなあ……」
「それは読み終わった誰もが思うことよ」
美咲は微笑んだ。
「寂しいッス。でも、綺麗《きれい》に終わってよかったッス。なんかすげー複雑ッスね」
「綺麗に完結するっていうのは作品にとって幸せなことよ。それだけは絶対に絶対」
「……そうッスね」
断言する美咲に、吉村は頷いた。
世界に生み出されてきた無数の物語。
その全てが、幸せな結末を迎えられたわけではない。
売れなくて続きが出せなくなってしまったシリーズなんて、それほど読書暦の長くない美咲でさえいくつも挙げられる。
たとえ大人気のシリーズだろうと、作者が亡くなって、完結の可能性が絶たれてしまうことだってある。
だから喜ぶべきなのだ。
自分が大好きな作品が、幸せな結末を迎えられたことを。
「それにさ、物語が終わっても……消えてなくなるわけじゃないし」
「というと?」
どちらからともなく席を立ち、美咲と吉村は部室を出る。
沈みかけの夕日が部室棟の廊下を赤く染め、東の空にはぼんやりと月が昇っている。
美咲は吶々《とつとつ》と続ける。
「だってさ、物語が終わったあとにだって、その世界の中で生きてる人たちの人生は続いてくわけじゃない。あたしさー、授業中とか夜眠れれないときとか、たまに思うのよね。大河《たいが》とか竜児《りゅうじ》って今どうしてんのかなーとか、祥子《さちこ》お姉さま元気かなーとか、ルナとシオンは仲良くやってんのかなーとか、ウルクとリセリナはどんな感じでゴニョゴニョなのかなーとか……」
すると吉村は微かに笑った。
「わかる気がするッス」
美咲は笑う。
「でしょでしょ? なんかさー、たまに二次元キャラなんて現実には存在しないんだから思い入れなんて持っても無駄だとか言う人もいるけどさ、架空の人だろうが実在する人だろうが、出逢《であ》いには変わらないと思うのよね」
吉村は黙って美咲の話に耳を傾ける。
「だって現実の世界だって、中学卒業したら会わなくなって、この先一生会うことがない子とかいるわけじゃない。今はすっごい仲いいクラスの友達だって、高校卒業したら会わなくなる子もきっといるのよ。それはもう、絶対に仕方のないことなのよね。でもそんな人たちだって、あたしの知らないところでそれぞれの人生を生き続けてるわけよ」
「……ッスね」
「うん」
美咲は笑う。
「出逢って、いろんな思い出を共有して、別れて、たまにあいつ何やってんのかなーって思い出したりして――それって、現実の世界と物語の世界で何が違うの?」
そこでふと、約一ヶ月前に事故で亡くなった同級生の少年のことを思い出し――美咲は少し目に涙を浮かべ、そっと拭《ぬぐ》った。
「生きてる人だけじゃなくて……死んじゃった人もそうよ。出逢ってきた人たちのことって、みんなあたしの人生を構成する大事な経験なわけよ。その経験を無駄にするかしないかって、結局は本人次第じゃない? 物語が無駄なんじゃなくて、物語を無駄にしちゃう人がいるだけよ。そのキャラが現実に存在しなかったらどうだってのよ? 中田英寿《なかたひでとし》やジタンに『キャプテン翼《つばさ》』なんて人生の無駄だー、なんて言ったら蹴《け》り殺されても文句言えないっつーの」
「ッスよね」
吉村は笑いながら頷く。
美咲は苦笑する。
「って、こんなの今更士郎くんに言うことじゃないか。サッカー漫画読んでサッカー始めてウィザブレ読んで科学者目指してるんだよね」
「うぃっす。『ファンタジスタ』はオレのバイブルの一つッス。ウィザブレの新刊も超よかったッスよ。物理学者マジやべえッス!」
吉村は快活な笑みを浮かべた。
「ま、士郎くんはちょっと極端すぎてあたしには真似できないっぽいけどさ。経験を生かして――自分の人生を幸せにする。絶対にそうしてみせるってあたしは思うのよ。断言しちゃうけど――物語は、人生の役に立つ! あたしは立たせてみせるわ!」
力強く美咲は言った。
「かっこいいッス先輩!」
吉村が笑う。そして、
「オレも決めたッス!」
「え? 何を?」
「BBB読んで、他にもラブコメとか読んで――言葉にできなかった気持ちとか、言葉にして掴んだ幸せとか、こ、恋っていいなあって思ったこととか、そういう『経験』を生かしてオレ――――こ、告白しようと思うッス!」
「!!」
美咲はドキッとする。くるのか、ついに来ちゃうのか……!?
吉村は顔を赤くして続ける。
「……夏休みが明けて学校始まったら……絶対にオレ、告るッス……!」
「……?」
なんで夏休みが終わるまで待つのだろう?
二人は校舎を出て、駐輪場の近くを歩いている。周囲には誰もいない。
今ココで、勢いに乗って言ってくれればいいのに。こっちの心の準備はできてるのに。
戸惑《とまど》う美咲に、吉村はとても清々《すがすが》しい笑顔で力強く意志を表明する。
「先輩オレ、絶対に告白してみせるッスよ! 藤倉に!」
[#本文より6段階大きな文字]「は?」
超特大の疑問符が美咲の頭に浮かんだ。
[#挿絵(img/3-255.jpg)]
吉村は照れ笑いを浮かべて早口で言う。
「そ、そんな意外そうな顔しなくてもいいじゃないッスか先輩。なんつーか、藤倉って最初はただのちつこくて生意気なヤツだって思ってたんスけど……だって無愛想だしオレにだけやたら辛辣《しんらつ》だし……でも、なんか夏休みあたりから急に可愛く見えるようになって……合宿のときなんかヤバかったッスよめちゃくちゃ可愛いじゃないッスかあいつ! 水着だってあんな素っ気ない顔して……やべ、思い出したらドキドキしてきたッス」
「……や、や、いやいやいや、た、たしかに合宿のときの暦ちゃんはめちゃめちゃ可愛かったですけど!? 水着もたいそうエロかったですけど!? え……え、え、えええ!? はああああああああ!?」
みさきちは混乱している!
と、不意に吉村は時計を見て、
「あっ、やべっ! そんじゃ先輩、オレそろそろバス来るんで失礼するッス!」
ぺこりと一札して、吉村は慌てて校門の方へ走り去ってしまった。
とんでもない俊足で、あっという間に吉村の姿は小さくなった。
その後ろ姿をぽかんと見送り
「……え、あれ……? あれれれ……? あれ、もしかしてあたし、また失恋した?」
釈然としない顔で呟《つぶや》き――……、
[#本文より5段階大きな文字]「なんっじゃそりゃあああああ―――――ッ!!」
天に向かって美咲は吼《ほ》えた。
「……はぁ……はぁ…………いやー、この展開はないわー。萎《な》えるわー……。……これ伏線とかちゃんと張ってあった? 伏線なくね? ないよね? すっげー唐突じゃね? いやたしかに暦ちゃん士郎くんに特に辛辣だったけど、あれ絶対ツンデレとかじゃなくて士郎くんみたいなおバカキャラが素で嫌いだからと思うんだけど? むしろそこに惚《ほ》れたの? え、もしかして士郎くんってM? つーかいつの間にあたしから暦ちゃんに乗り換えたわけ!? やっぱ全然気づかなかった油断した思い込みってこわぁ……」
泣きそうな顔で駐輪場の前に立ち尽くし――。
はぁ……と嘆息《たんそく》し、呟く。
「……それでも物語《人生》は続いちゃうのよね。あーあ……ほろにげえッス」
自分の自転車を引っ張り出して、美咲は一人家路についた。
汗を垂らしながら自転車をこいで、「やっぱり龍ちゃんと結婚するかなー」なんてことを、かなり本気で考えたりしながら。
「……今んとこ、龍ちゃんはまだフリーみたいだし、ね」
夏の日の夕暮れ。
浅羽美咲は、嬉《うれ》しいような寂しいような安心したような悲しいような、をかしでもあり、あはれでもあり、愛《かな》しでもある、人間のありとあらゆる感情がそうであるように言葉では決して完璧《かんぺき》には言い表せない複雑な想いを胸に抱え、笑った。
[#地付き](終わり)