ラノベ部 第2巻
平坂 読
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[#小見出し]   ラノベ部はじめて物語@ 『電撃的な彼女』[#「ラノベ部はじめて物語@ 『電撃的な彼女』」は太字]
遡《さかのぼ》ること約一年前のある日。
時刻は夜九時を回った頃。
竹田《たけだ》が部屋で学校の宿題をやっていると、窓から女の子が入ってきた。
竹田|龍之介《りゅうのすけ》、十五歳。
一週間前に公立|富津《とみづ》高校に進学したばかりの高校一年生。
知的な面差《おもざし》しで、眼鏡《めがね》をかけている。
「ういーっす」
「おう」
宿題のノートから顔を上げもせず、竹田は少女に素っ気ない挨拶《あいさつ》を返した。
窓から入ってきた少女は浅羽美咲《あさばみさき》。竹田とは赤ん坊の頃から家族ぐるみで付き合いがある、いわゆるひとつの幼なじみ。
年齢も同じで、高校も同じ。
格好はジャージ=彼女の部屋着。
今まで寝ていたのか、前髪の一部が寝癖《ねぐせ》でびろーんと立っている。
それから、眼鏡をかけている。
普段外出するときは服も髪もメイクもしっかりしており、眼鏡ではなくコンタクトなのだが、竹田の部屋に来るときだけはこのように色気のない格好のままである。
竹田の家と美咲の家は隣同士で、竹田の自室である一番西側の部屋と美咲の自室である浅羽家の一番東側の部屋へは、屋根伝いに行き来できるほど近接している。
一階に下りて玄関から出入りするよりよっぽど早いので、幼い頃からこうしてお互いの部屋に窓から出入りするのは日常的なことだった。
……もっとも、「お互いの部屋」といってもここ数年、竹田の方から美咲の部屋に入ったことはないのだが。
ちなみにカーテンを閉めていないと窓からお互いの部屋の様子が丸見えだったりする。
せめて着替えるときくらいカーテンを閉めろと竹田は思う。
「龍ちゃん、それ宿題?」
竹田の後ろから、美咲が机の上のノートをのぞき込む。
ふにゃ、という感覚が背中に当たる。
「おう。数Aの」
努めて素っ気なく、竹田は答えた。
「龍ちゃんとこの数Aのせんせーって誰?」
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「岡村《おかむら》」
「そんならあたしのクラスと同じね。明日数Aあるから同じ宿題出るねきっと」
「写させねえぞ」
前もって竹田が牽制《けんせい》すると、美咲は不満げな顔をした。
「えー、けちー」
「ケチじゃねえ。常識だ」
「ジョーシキに縛られたくねー。大人が決めたルールに従いたくねー」
「なら校舎の窓ガラスでも割って盗んだバイクで走りだしてろ」
それから竹田はふと真剣な顔になって美咲の方を振り返り、
「…………本当にやるなよ?」
真顔で注意する竹田に美咲はジト目で、
「龍ちゃんがあたしのことをアホだと思ってることがよくわかったわ」
「わかってもらえたようで何よりだ」
「そのアホの子と同じ高校に通ってるんだけどね、龍ちゃんは」
「……そういやなんでお前うちの高校に入れたの?」
「真顔で聞くなよ受験勉強を超頑張ったんだよ!」
(……まあ、知ってるけど)
中三の夏まで赤点の常習犯だった美咲は、中学最後のテストでは全教科で竹田を微妙に上回るくらいの成績になり、県内では偏差値五番目の富津《とみづ》高校に見事に合格を決めた。
竹田が勉強を教えてやったりもしたが、そこまで成績が上がったのは何より彼女の地道な努力の賜《たまもの》だ。
毎晩毎晩、竹田が寝る時間になっても美咲が机に向かっていたことを覚えている(しばしば机に突っ伏して爆睡していたが)。
「受験勉強のときの集中力でこれからも頑張れよ」
「ええー……」
露骨に顔をしかめる美咲に、竹田は嘆息《たんそく》。
ちなみに美咲がそこまでして富津高校を目指したのは竹田と同じ高校に通いたかったから――ではもちろんなくて、美咲が当時好きだった同級生の男子が富津高校を受験することを知ったからだ。
入試の翌日、美咲はそいつに告白し、二人は付き合うことになった。
恋人同上で同じ高校に入学できるなんていいですね別に羨《うらや》ましくなんかないし悔しくなんかねえよと竹田は思っていたのだが、合格発表の日、美咲が合格してその同級生は落ちていた。
美咲の方は違う高校に行っても交際を続けるつもりだったのだが、男の子のプライドの問題があったのかどうなのかは知らないが結局その一週間後に美咲は振られた。
美咲はしばらく落ち込んでいたのだが、春休みの間には吹っ切れたらしくいつもの元気さを取り戻した。
……だが、二人が別れたことを知って一瞬ホッとしてしまった自分のことを、竹田は今でも思い出すたびに殴りたいと思う。
「ま、明日の宿題のことはどうでもいいわ」
あまり続けたい話題でもなかったのか、美咲は話を切り替えた。
「龍ちゃん、部活ってもう決めた?」
「ん、まだ」
富津高校には数多くの部活動があり、生徒は必ず何かの部に所属しなければならない決まりになっている。
現在は見学期間中で、竹田も幾つかの部を見学したがまだ決めかねている。
中学の時にやっていた陸上か、同じ中学出身の友達に誘われているバドミントン部か、それとも文化系にするか。
文化系の部はまだ見学していないが、興味を惹かれる名前の部が幾つかあった。
「だったら龍ちゃん、あたしと一緒に新しい部活作らない?」
美咲は悪戯《いたずら》っぽい笑みを浮かべてそう言った。
竹田はきょとんとする。
「は? 作る?」
「そ。うちの学校、三人以上の生徒と顧問の先生を用意すれば、新しい部を作れるんだって。一年生でも」
「部活案内のパンフを見たときやたらと数が多いと思ったらそういうことか……」
得心しつつ、
「で、お前はどういう部を作りたいんだ?」
「ラノベ部」[#「「ラノベ部」」はゴシック体]
美咲は即答した。
が、竹田は首を傾《かし》げる。
「……らのベ?」
聞いたことがあるような、ないような。
「ライトノベル」
「あー」
なんとなくわかる。
たしか、表紙になんか漫画やアニメみたいな感じのイラストがついている小説のことだったか。
近年直木賞を獲《と》った作家がその『ライトノベル』というジャンルの小説の出身だということをテレビでやっていて初めてその単語を知ったのだが、そういう本の存在は書店で見かけるから知っていた。
漫画すら滅多に読まない竹田にはなんとなく気恥ずかしく感じられて、買ったことは一度もないけど。
「ライトノベル、ねえ……あれって小説だろ? お前小説読むのか?」
竹田が本を読んでいてもまったく興味を示さなかったのに。
たしか中学時代にケータイ小説をいくつか読んで「なんか合わなかった。ジャンプの方が好き」と言っていた記憶はある。
国語は(他の科目に比べれば)受験で猛勉強を始める前からそこそこ得意だったけど、国語の教科書や問題集以外で活字の本を読んでいる姿を見たことはなかった。
いつの間に小説など読むようになったのだろうか。
「いやー、春休みに『気分転換に読書でもしてみよっかなー』って読んでみたらハマっちゃって」
気分転換。
なんのために気分転換をする必要があったのか……とは聞くまでもない。
「ふーん……で、具体的にそのラノベ部ってのを作って何をするんだ? やっぱりみんなで小説を書くのか?」
竹田が尋ねると、
「さあ?」
美咲はきょとんと首を傾げた。
「さあってお前……何かやりたいことがあって作るんじゃないのか?」
「うーん……強いて言えば『語りたい』かなあ。なんかほら、友達と好きなものについて語るのって楽しいじゃない」
竹田は呆《あき》れる。
「そりゃまあ俺《おれ》だって仲が良い奴とたまに好きな小説とか音楽のことを話題にしたりはするけど、それってわざわざ部活を作るほどのことか? そんなもん教室でもどっかの店でも公園でもできるだろ」
「だから『強いて言えば』って言ったじゃない。なんかさー、なんかをやりたいのよね、なんか、自分で」
論理性に欠けた曖昧《あいまい》な言葉に竹田はますますわからなくなる。
美咲はたまにこういうよくわからない言い方をする。
自分の気持ちを上手く言葉で言い表すことができなくて、それでも何か強い気持ちは確かに中にあるのだろう。
「自分で部活を作っちゃうのって、なんかスゴいっぽくない? こう、アガらない? ガガガーって、主人公っぽい感じ。漫画でもたまにあるよね? 廃部寸前の野球部とか吹奏楽部とかがメンバー集めるって展開」
「あるのか?」
「あるのよ!」
「でも別に俺たちは漫画の主人公じゃないしなあ」
それがわからないほど竹田は子供ではないし、美咲もそうだろう。
しかし美咲はちっちっちっと芝居がかった仕草で指を振った。
「もちろん現実とお話の世界は違うわよ? だからいいんじゃない。現実の主人公っつーのはね、神様とか作者とか運命とかに勝手に選んでもらうんじゃなくて、自分でなるもんなのよきっと多分。頑張って動いてみたら意外となれるんじゃないかなー主人公……ってあたしは思うんだけど」
「ふうん……」
美咲のこういうポジティブというか、良くも悪くもバカっぽいところは昔から変わらないなと竹田は思う。
あれこれ考える前に突っ走ることで手に入るものもきっとあるだろう。
リスクもあるけれど、リスクを知った上で突っ走ることを選んだのなら誰にも文句は言えない。
「……まあ、どうしても作りたいって言うんならやってみればいいんじゃないか」
竹田が言うと美咲はぱあっと顔を輝かせた。
しかし、
「でも部員集めは俺じゃなくて他をあたってくれ。そもそも俺、ライトノベルってのを読んだこともないわけだし」
至極当たり前のことを言っているつもりだった。
ラノベ部とやらを作るなら、やっぱりライトノベルが好きな連中を集めるべきだろう。
「じゃ読んで?」
あっさりと美咲は言った。
「は?」
「今から超オモシロかったやつ何冊か持ってくるねー」
「え? ちょ、みさ――!」
竹田の言葉も聞かず、美咲は窓から出て行った。
屋根を渡り、窓から自分の部屋へと入っていく美咲。
(……いかん……この流れは……強引に巻き込まれる流れだ……!)
「ただいまー」
「早っ!」
一分もしないうちに美咲は再び竹田の部屋に戻ってきた。
手には三冊の文庫本。
最初に部屋を訪れる前から選んであったのかもしれない。
「はいこれ」
「……おう」
なし崩し的に本を手渡される。
三冊とも、書店で見かける『ライトノベル』と同じように、表紙に漫画のようなイラストが描いてあった。
(……これが……ライトノベル)
「んじゃねー」
竹田がまじまじと表紙を眺めている間に、美咲は窓から出て行ってしまった。
「って、おい美咲!?」
「早めに読んじゃってねー」
笑顔を浮かべて、美咲は自分の部屋に入っていった。
残された竹田は深々と嘆息《たんそく》。
美咲は行動力はあるが、決して他人に気を遣えないわけじゃないし空気も読める。
「これ絶対いいから! 絶対に気に入るから!」と本やCDを押しつけるのは友達でも結構ウザい、ということだって勿論《もちろん》わかっている筈《はず》だ。
なのに竹田にだけは、平然とこういうことをやってくるのだ。
『他人』だとは思われていないだろう。
恋人では勿論ないし、もしかしたら友達とも違うのかもしれない。
(なんだろうな……家族……兄弟? ……あー、ひょっとしたら……自分の一部、だとでも思ってるのかもな)
竹田は再びため息をつく。
それが別に嫌じゃない自分が嫌だ。
「……まあとりあえず、読むか」
宿題の大半は終わっているので、残りは学校の休み時間で十分片付くだろう。
問題集とノートを閉じ――竹田はとりあえず、一冊目の本を開いた。
[#改ページ]
[#小見出し]   コスプレ[#「コスプレ」は太字]
文香と暦がいつものように部室に行くと中には部長の浅羽美咲がいた。
しかしその格好はフツ校の制服ではない。
というか、普通の格好ではなかった。
赤を基調にした制服に、頭の上には天使の輪っか。
そして手にはトゲトゲの付いた金属バット。
机の上で入り口の扉に背を向けて立っていた美咲(スカートの中身が丸見え)は、文香たちが入ってきたことに気付かず回りながら叫ぶ。
「ぴぴる――」
「……」
「……」
こっちを向いた美咲と文香の目が合った。
合ってしまった。
美咲が金属バットを振り上げたポーズのまま硬直する。
かぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜と、徐々に顔が真っ赤に染まっていく。
「…………」
「…………」
文香と暦はなんとなく美咲から目を逸《そ》らして顔を見合わせ、
「……すいません、部屋をまちがえました」と文香。
「…………」
無言で憐《あわ》れむような眼差《まなざ》しを向ける暦。
そのまま踵《きびす》を返して部室を出ようとする二人を、美咲は慌てて呼び止める。
「ちょっ、ちょっと待って、これはその、違うの! ちょっと間違えちゃって!」
「……生き方を?」
「おおう暦ちゃんのナイフのような一撃! って違う、そこまでは間違ってない! まだ引き返せる! ちょっと服を間違えちゃっただけなの本当なの」
テンパりすぎて何の説明にもなっていなかった。
近くの椅子には美咲のものと思《おぼ》しき富津高校の制服が畳《たた》んであり、彼女がこの部屋で今の衣装に着替えたのが分かる。
椅子の上の制服と美咲を交互に見比べる文香と暦。
その無言の圧力に耐えかねたか、
「そうよその通りよ!」
何がその通りなのかは文香にはさっぱりわからなかった。
美咲といい綾といい、部室で一人になると奇行を繰り広げるのはどうしてなんだろうなあと思った。
「わたくし浅羽美咲十六歳は、部屋に聖ゲルニカ学園の制服と|トゲバット《エスカリボルグ》を見つけてムラムラしたというかついカッとなったというか、とにかくそんな感じで気付いたら着替えていたことを認めます! 着替えた直後は今誰かが部室に来たらどうしようとかあたし一体何やってるんだろうとか思ってたけどせっかくだからケータイで自分の姿を撮ってるうちになんか楽しくなってきちゃって机の上に乗ったところを文香ちゃんと暦ちゃんに見られました! 以上です!」
早口でまくし立てる美咲。
暦は無表情で淡々と、
「ちょっと違う。私達が見たのは……」
「机の上に乗ったところじゃなくて、ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜って唱《とな》えようとしている姿でしたよね」
美咲が勢いで誤魔化そうとした事実を淡々と突きつけるクールな後輩二人組に、美咲は今にも泣きそうな顔になった。
「ぐぅ……相変わらずこいつらは容赦《ようしゃ》を知らねえぜ……」
「そこまで恥ずかしがることもないと思いますけど……」
慰め半分、本音半分で文香が言う。
「……暦ちゃんには生き方を間違えたとまで言われた気がするわよ?」
すると暦は淡々と、
「……大丈夫。人は誰しも恥ずかしい部分を抱えているものだから……」
「やっぱり恥ずかしいんだ!」
頭を抱えて机に突っ伏す美咲だった。
「それはそうと、どうしてそんな制服が部室にあったんですか?」
文香が尋《たず》ねる。
「なんかそこのダンボール箱の中に入ってたのよ。これ以外にもいろいろ」
見れば部屋の隅に見慣れない大きなダンボールが置いてあった。
文香と暦がその箱を覗いてみると、美咲の言ったとおり中にはいろいろな衣装が詰まっていた。
制服っぽいものだけでなく、マントとか、スクール水着とセーラー服を組み合わせたようなデザインのものまである。
「かなりしっかり作ってあるから、市販品かしらねー」
美咲の言葉に文香と暦が振り返る。
美咲は上半身ブラだけの状態で、脱いだ赤い制服をまじまじと見ていた。
「な、なぜ脱ぐんですか?」
文香の問いに美咲は怪訝《けげん》な顔で、
「や、いつまでもこんな格好でいるわけにもいかないでしょうに」
「なるほど。きわめてろんりてきな回答です」
美咲はそのままスカートも脱ぎ、完全に下着姿になる。
均整のとれた肢体。
グラビアアイドルのようにやたら胸が大きかったりやたら細かったりということはないものの、そこにあるのはまさに『女子高生』という印象の瑞々《みずみず》しい身体《からだ》。
ちょっと……いや、|かなり《ヽヽヽ》発育の悪い文香と暦は、無意識のうちに自分の身体と美咲の身体を見比べて微妙な顔をした。
後輩二人の羨《うらや》むような視線を受けながら、美咲は自分の制服に着替えていく。
「……美少女の生着替え[#この行は小さな文字]」
「ん? 何やら懐かしのおっさんワードが聞こえたような……」
「……気のせい」
少し顔を赤らめて暦が言った。
「……そう?」
そんなこんなで着替えが終わる。
美咲は赤い制服を畳《たた》み、ダンボール箱に入れる。
「で、結局このコスプレ衣装はなんなのかしらね。ひょっとして綾《あや》のかな?」
この場にいない女子部員の名前が挙がる。
綾――桜野《さくらの》綾。
現実に一切興味がないと断言する、ラノベ部随一の|濃い《ヽヽ》少女である。
「桜野せんぱいはこすぷれをするんですか?」
「んー、どうなのかな。即売会とかはよく行ってるみたいだけど」
「わたくしがどうかなさいましたか?」
部室の扉が開き、二人の部員が中に入ってきた。一人は桜野綾。
おしとやかな印象の黒髪の美人、ただし先述の通り中身はアレげ。
もう一人は堂島潤《どうじまじゅん》。
二年生で、男子の制服を着ていなければ確実に女の子と間違えられるような可憐《かれん》な容貌《ようぼう》の持ち主。
「あ〜綾、このコスプレ衣装の詰め合わせってあんたの?」
ダンボール箱を指して美咲が言うと、綾は首を傾げた。
「さあ? 心当たりはございませんわ」
「あー、それよかったら自由に使っていいよ」
そう言ったのは堂島だった。
「ヘ? じゃあこれって潤くんのなの?」
美咲が尋《たず》ねると、
「うーん……ぼくのっていうか、友達にもらったんだよ」
「潤くん、友達がいたの!?」「堂島君、友達がいらしたの!?」
本気で驚く美咲と綾に堂島は撫然《ぶぜん》と、
「……そりゃいるよ友達くらい。龍くんを含めて三人」
「えらくリアルな数字ね……」
「ほっといてよ。友達は数より質だよ」
何故《なぜ》か暦がこくこくと頷《うなず》いていた。
「わ、わたくしより多いなんて……!」
綾の愕然《がくぜん》とした呻《うめ》きを美咲は聞かなかったことにした。
「ま、まあ潤くんの交友関係はさておき、なんでまたコスプレ衣装なんてもらったの?」
「ぼくの友達が……念のために繰り返すけど脳内友達じゃないよ?」
「わかったから」
脳内彼女ならともかく、そんな寂しい概念を美咲は初めて聞いた。
「ん。ぼくの実在する友達に、こういうコスプレ衣装とか作るのがすごく得意な人がいるんだ。で、その人の従兄弟だか親戚だかが、今度コスプレのお店を開くっていうんで、その人に衣装の製作を頼んできたんだよ。特に指定とかはなくて可愛ければなんでもいいよって言われたんで、友達は自分の好きなアニメとか漫画のキャラのコスチュームを選んで作ったんだ」
「それがこれ?」
「うん」
「お店で使うための衣装がなんでここにあるの?」
堂島は苦笑いを浮かべ、
「どうも依頼主と友達との間に認識の違いがあったみたいで」
「?」
「なんかね、その依頼した人の開くコスプレのお店って『シャチョーさんシャチョーさんカワイイ娘いるよー』的な、いわゆる夜の商売だったみたいで」
「……?」
理解できず文香と美咲と暦は怪訝《けげん》な顔をする。
しかし綾は得心がいったようだった。
「つまりコスプレ衣装と言っても二次元キャラの格好ではなく、もっと汎用《はんよう》的な風俗……バニーガールさんやミニスカナースさんやミニスカポリスさん的なものが求められていたということですわね?」
「そうそう。……で、作った衣装が無駄になっちゃうのもアレだから僕が引き取ったってわけ」
「ふーん」
美咲は頷きつつも、
「…でもラノべ部にコスプレ衣装なんて持ってこられても使い道ないんだけど」
「あるよー」
「どんな?」
堂島は指をピンと立て、意地悪な笑みを浮かべる。
「罰ゲーム用とか。主に龍くんのための」
ぽん、と美咲が手を打った。
「じゃんけんに負けたらコスプレするとかいいわね」
「ちなみに中には女性キャラのコスしか入ってないよ」
「あたしだって罰ゲームで着ることになったら結構恥ずかしいけど、龍ちゃんはもっと恥ずかしい……!」
そこで文香、
「あのう、堂島せんぱいが着ることになる可能性もあるんじゃないですか?」
「ぼくは何着ても似合うからいいよ」
断言された。
……まあ、下手な女の子よりも似合うのは確かだろう。
「あとはまあ、文化祭でまた部誌の配布とかやるならそのときにみんなで着るのもいいかもね」
「なるほど。なにげにうち、粒《つぶ》ぞろいだしね。そんじゃまあ、そのコスプレ衣装は部の備品ってことで――っと」
ふと思いついたように美咲は文香と暦の方を見た。
「文香ちゃんたち、今ちょっと着てみない?」
「着ない」
暦は即答した。
しかし文香の方は、
「あ、わたしは着てみたいです」
「おっ、マジで?」
「はい。さっき浅羽せんぱいがドクロちゃんの格好をしていたのが可愛《かわい》かったので」
「あ、あのことは忘れてくださいお願いします」
美咲は真っ赤になった。
「へー、美咲ちゃんぼくらが来る前にもう着てたんだ」
「うるさいわね。ちょっとムラムラしただけよ!」
「ムラムラて。……まあいいや。で、文香ちゃんはどれ着るの?」
「ええと……」
文香はダンボールの中を物色する。
中には十着くらいのコスチュームが入れてあったけど、アニメや漫画にはあまり詳しくないので何のキャラの衣装なのかわかるものがほとんどない。
「……あ、メイドさん」
メイド服を見つけた。
さすがの文香も最近メイド喫茶《きっさ》というのが流行《はや》っていることくらいは知っている。
「あら、でもメイド服単品しか入っていませんわね。これではどのキャラの衣装なのかわかりませんわ」と綾。
「べつにいいんじゃない? 似合ってれば」
美咲がそう言うと堂島は、
「いやいやいや。コスプレの真髄《しんずい》というのは単にそのキャラクターの格好を真似するだけでなく、中身まで近づけることで違う自分に変身することにあるんだよ。それは自分の中に新たな一面を発見したり作り出すことでより人間的な深みへと到達することにも繋《つな》がり、その他の創作活動と比べてコスプレを非生産的な趣味だという連中はそのへんをわかってないというか………………あ、ごめんなんでもない」
「……潤くん、実はコスプレ好き?」
「……少し」
少し頬《ほお》を赤らめて堂島は頷いた。
「文香ちゃん、とりあえずそのメイド服着てみる?」
「あ、はい」
頷き、文香は早速制服を脱ぎ始める。
リボンタイをしゅるりと外し、前のボタンを外し――
「って、潤くんは着替え終わるまで外に出てなさい!」
当たり前のように文香の着替えを見ていた堂島に美咲が慌てて言った。
「え、ぼくは気にしないけど」
「気にしなさい」
「でもぼく、本当は熟女にしか興味がないんだけど……」
「さ、さらりとなにカミングアウトしてんのよBL要員!」
「冗談だよ」
「笑えないわ……」
「ちなみに何か誤解があるようだけどぼくは別にオカマじゃないからね。普通に可愛い女の子も好きだよ。ただぼくより可愛い女の子がいないだけで……」
「文香ちゃんは潤くんより可愛いわよ?」
「なん……だと……!?」
「そんなブリーチで新設定が出てきたときみたいな反応で驚かないでよ……ほらほら、いーから出る」
「なん……だと……!?」
美咲によって強引に追い出される堂島を尻目《しりめ》に、文香は着替えを続けた。
そして約十分後。
「潤くん、もう入っていいわよー」
美咲が部屋の外の堂島に向かって声をかけると、堂島だけでなくもう一人の少年が入ってきた。
竹田龍之介だった。
「あ、龍ちゃんも来たんだ」
「ああ……」
竹田はジト目で部室内を見回す。
「堂島が今は入ったら駄目とか言うから何かと思えば……なんちゅう格好をしてるんだお前らは……」
お前『ら』。
文香だけでなく、美咲と綾もそれぞれコスプレ衣装に身を包んでいたのだ。
美咲の格好はショルダーガードにライトアーマー、手には長剣というエルフの戦士のコスチューム。
綾は何を血迷ったか白いスクール水着にセーラーカラーを足したような魔法少女の格好なのだが、サイズがまったく合っておらず胸や尻《しり》が今にもはみ出そうなくらいぱつんぱつんで、もはや風俗の領域だった。
そして文香はというと、綾とは逆にメイド服のサイズが大きすぎて、袖《そで》は余りまくっておりロングスカートの裾《すそ》は地面に付いてしまっていた。
堂島が苦笑する。
「うーん、綾ちゃんと文香ちゃんの衣装は逆の方がよかったよねー」
「…これはこれでアリ[#この行は小さな文字]」
「ん? 暦ちゃん何か言った?」
「……なんでもない」
ぶかぶかメイド服の文香をじっと見ていた暦(彼女だけはコスプレをしていない)は顔を赤くした。
「美咲ちゃんのは……うーん、まあ似合ってるといえば似合ってるけど……」
美咲は少し肩をすくめた。
「へいへい、言われなくてもわかってる。再現度はイマイチなんでしょ。元キャラ知らなきや絶対にエルフってわかんないだろうし」
「やはりファンタジー系のコスチュームは日本人には少々難しいですわね」
純和風美人の綾が少し残念そうに言う。
堂島も頷く。
「外人のレイヤーさんにはたまにめちゃくちゃクオリティ高いのがいるからねー。前にネットで見たスネークとか真紅なんて一瞬本物かと思ったもん。まあ箱ガンダムとかもいるけど、あれはあれで外人すげーと思ったし」
「あ。そういえば今度うちのクラスにアメリカから留学生の人が来るみたいです」
文香が言った。
外人の話になって唐突に思い出したのだ。
「へー、なんか中途半端な時期に来るのね」
と美咲。ちなみに現在、六月上旬。
「本当は四月から来る予定だったんですけど、なんか手続きでトラブルがあったとかでおくれたみたいです」
「アメリカ人留学生かあ……地球連合の軍服とかイコノクラストの姫巫女《ひめみこ》の衣装着てくれないかな……」
「……潤くん、やっぱり相当コスプレ好きでしょ?」
しみじみと言う堂島に美咲はツッコんだ。
そこで綾が、
「ここはやはり堂島くんと竹田くんにも着ていただくしかありませんわね」
「待て、堂島はともかくなんで俺まで!?」
焦る竹田に美咲はニヤリと笑う。
「せっかくだから龍ちゃんもやっちゃおうよコスプレ」
「断る! なんかそこに手を出すともう引き返せない気がする!」
「コスプレをバカにするな!」
竹田の発言に堂島が鋭い声で言った。
「ば、馬鹿にしてるわけでは……いきなりマジ切れすんなよ……」
ややびびりつつ言う竹田に堂島は微笑《ほほえ》む。
「それじゃあ一緒にしようよ龍くん。大丈夫、怖いのは最初だけだから」
「…………一回だけだぞ、あとあんまり変なのは絶対に断るからな」
「おっけー。龍ちゃんならどれが似合うかな……」
美咲が箱の中を漁《あさ》る。
「あ。アッシュフォード学園の制服」
「……コードギアスのやつか。あれならまあ……」
「女子のしかないけど別にいいわよね」
「違う、間違っているぞ美咲!」
「ノリノリじゃない龍くん」
「あとはそうねえ、生徒会シリーズの制服とか、聖ゲルニカ学園の制服とか、ハルヒの学校の制服とかがあるわ。……女子の」
「全力で断る!」
結局、竹田は部室から逃亡してしまった。
女性キャラの衣装しかなかったのだが、堂島の方は嬉々としてミニスカートやらメイド服やらを着た。しかもやたらと似合っていた。
ひとしきり遊んだあとは衣装をしまって、いつものように雑談をしたり本を読んだりして過ごした。
五時半をまわったあたりからぽっぽつ部員達が帰宅していき、部屋に残っているのは暦だけになった。
夕陽《ゆうひ》の差し込むオレンジ色の部室。
読んでいた本がちょうど切りのいいところまできたので、暦もそろそろ帰ろうと本を閉じた。
と、そこで今日みんなが盛り上がっていたコスプレ衣装の箱が視界に入る。
「…………」
ゆっくりと近づき、中を覗《のぞ》いてみた。
フタを開けた一番上に、眼鏡がちょこんと置いてあった。
なんとなく手にとって、掛けてみる。
暦はしばしその場で沈黙し、椅子《いす》に座った。
「あー……あー……ごほん」
咳払《せきばら》い。本を開き、淡々とした口調で、
「…………私は情報統合思念体によって造られた……た、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース…………〜〜〜〜〜〜〜〜……っ!」
ぽっ!
誰も見ていないけど猛烈に恥ずかしくなって暦は顔を真っ赤にし、逃げるように部室をあとにしたのだった。
[#改ページ]
[#小見出し]   ラノベ部はじめて物語A 『終わらないクロニクル』[#「ラノベ部はじめて物語A 『終わらないクロニクル』」は太字]
美咲が置いていった三冊の本を、竹田は一晩で読み終わった。
ページ数はどれも三百ページ未満で改行も多めだったので、海外の翻訳小説や歴史小説などを読み慣れている竹田にとってはちょっと読み易《やす》すぎて逆に戸惑ってしまったくらいだった。
最初に読んだのは超能力を持った高校生が主人公のバトルもので、一つ危機を乗り越えるとまたすぐ別の危機が訪れるという激しい展開が続くのだが、クライマックスのシーンなどは結構しんみりする感じだった。
……読者に考える暇を与えないような怒涛《どとう》の物語に身を任せることで、美咲は失恋の苦い思いを振り払ったのだろうか?
二冊目に読んだのは女子校を舞台にした話で、文章も登場人物もストーリーも非常に上品で優しい雰囲気の作品だった。
なんというか、ホッとする。
……美咲もこの優しい物語で癒《いや》されたのだろうか?
三冊目はギャグ小説だった。
やたらエキセントリックなキャラクター達がエキセントリックな言動を繰り広げる。
いきなりヒロインが主人公を撲殺してその一行後に謎《なぞ》の呪文《じゅもん》で生き返らせたときはなんだこれと本気で頭を抱えたのだが、読み進めるうちに慣れてきて、無茶なギャグの連発に思わず何度か噴き出してしまった。
笑える小説、というものを竹田は初めて読んだ。
……美咲は笑うことで元気を取り戻したのだろうか?
(……駄目だ……)
竹田は嘆息《たんそく》する。
どうしても「これを読んだとき美咲は何を思ったのか?」という視点が混入してしまい、純粋に小説単体を評価することができない。
他人から薦《すす》められた作品とは厄介なものだなあと竹田は思った。
翌朝。
竹田は美咲を迎えに行き、一緒に学校へ向かう。
竹田と美咲の家から自転車で十分のところにある水帆《みずほ》駅から電車に乗り二駅目で下車、こからさらにバスで二十分くらいかかるところに富津高校はある。
めったに座ることができない満員電車&すし詰めのバスでの朝の通学はかなり億劫《おっくう》で、かといって自転車通学だと数ヶ所にある急な坂道と舗装されていない砂利道を通らねばならず、これはこれで大変。
もしかしたらフツ高を選んだのは失敗だったかとも思う。
竹田がフツ高を選んだのはもちろん美咲が受験するからなどではなく、特に気合を入れて受験勉強をしなくても無理なく入学できる高校がたまたまフツ高だったのだ。
志望校を決めたのは美咲より早かったからこれは本当。
知識が増えたりわからなかったことがわかるようになるのは単純に嬉しいから勉強自体は割と好きで、中学の頃から授業の予習復習をやる習慣がついているが、テスト前の一夜漬けや受験勉強のような『勉強のためではない何かのための勉強』は好きじゃない。
無理にレベルの高いところへ行って周囲についていくのに必死になるより、自分のレベルに合ったところでじっくり学んだ方が最終的には実になると思う。
べつに東大だの京大だのに行きたいわけでもないし。
だから自分のレベルに合った高校を選んだのは正しい選択だと思っていたのだが……通学の大変さは計算外だった。
近場の高校なら朝の時間をもっと有意義に使えたのに。
賢く効率よく生きようとしても、なかなか上手《うま》くはいかないようだ。
(それはそうと部活どうするかなあ……)
朝練がある運動部だと、朝がますますキツくなりそうだ。
「ふぁぁ……」
バスに揺られながら考えているとあくびが出た。
「龍ちゃん眠いの?」
隣で立っている美咲が尋ねてきた。
「……三時くらいまでお前に借りた本を読んでたから」
「どれ読んでたの?」
「全部」
「全部読んじゃったの?」
「おう」
「早いなー。あたしなんて一冊読むのに六時間くらいかかるんだけど」
「慣れれば早くなるだろ」
感心する美咲に竹田は素っ気なく言った。
「で、どうだった?」
期待するような目で見つめられ、なんとなく目を逸《そ》らす。
「……まあ、三冊とも割と面白かった」
「うっし。じゃあラノベ部に入ってくれる?」
竹田は首を横に振る。
「えー」
残念そうな美咲に、
「……入らないとも言ってない。もうちょっと考えさせてくれ」
「おっけー。期待してるわ」
「期待はするな。……ふあぁ」
またあくびが出た。
放課後。
竹田は駅に向かうバスを途中で下りて、繁華街にある自在書房《じざいしょぼう》という書店に一人でやってきた。
三階建ての立派な書店で、竹田の家の近所の本屋とは比べものにならないほどに品揃《しなぞろ》えがいいので、小学校の頃から近くに来る用事があるたびに立ち寄っている。一階の雑誌コーナーや一般文芸コーナーをざっと見て回ったあと、漫画やライトノベルの置いてある二階へと上がる。
二階のほとんどは漫画の棚で埋められており、それに比べたらライトノベルコーナーなど微々たるものだが、それでもかなりの数の文庫本がそこにはあった。
どれを選ぶべきか迷い、ふと『先月の売り上げランキングベスト20』というコーナーが目に止まった。
売り上げ一位から二十位までの小説が、上から順に並べてある。
本でもCDでも映画でもなんでも、『ヒットしているもの=いいもの』とは限らない。
また、『いいもの=自分にとって面白いもの』かも全然別の問題だし、『自分にとって面白いもの=いいもの』でも『自分にとって面白くないもの=よくないもの』でもない。
が、大勢の人に支持されているからにはそれなりに理由があり、ある程度の目安にはなると竹田は考える。
だから竹田は、ランキングの一位から二十位までの作品を全部買うことにした。
しかし半分以上がシリーズものの続編だったので、それらはまず一巻を探して買ってみることにする。
割と無茶な買い方だよなあと竹田は内心で思う。
今は貯金もあるし親戚《しんせき》から高校の合格祝いを貰《もら》ったりして割と裕福なので、前々からこういうドカ買いをやってみたかったのだ。
まあ『ライトノベル』とやらについて自分なりに何か語れるようになるためには二十冊程度では全然足りないだろうけど、ラノベ部に入るかどうか決める目安にはなるだろう。
二十冊の本をレジに置くと、店員のお姉さんが微妙に驚いた顔をした。
ちょっと……いや、かなり恥ずかしかった。
「カバーをおかけしますか?」
「結構です」
……いつもならかけてもらうのだが、全部にカバーをかけるのは相当の手間だろうし一刻も早く離れたかったので遠慮した。
(……あー、俺いま絶対、あの店員さんにものすごい重度のライトノベルマニアだと思われたよなあ)
そんなことを考えながら帰宅。
今日は宿題もないので、部屋に戻ってさっそく読み始めることにする。
ちなみに明日は土曜日。
月曜日までに買ってきた二十冊を全部読んでしまうつもり、だったりする。
食事の時間以外はほぼ自室にこもりきりで、竹田は小説を読み続けた。
金曜日の夕方から現在――土曜日の夜にかけて、読んだ本の数は十冊。
買ってきた本のちょうど半分を読み終えたことになる。
すごく面白かった話も、そこそこ面白かった話も、つまらなかった話もあった。
二百ページ程度の本もあれば、五百ページを超える分厚い本もあった。
改行が多くて表現もわかりやすいものばかりの文章で書かれた本があれば、翻訳小説ばりに文字がぎっしり詰まっている本もあったし、饒舌《じょうぜつ》な一人称で書かれたものや詩のような文体で書かれたものもあった。
ファンタジー世界や近未来を舞台にしたものや、現代日本を舞台に超能力や魔法が登場する話もあれば、現代日本が舞台で特に何の特殊な設定もない普通の高校生たちの学校生活を描いた作品もある。
あまり難しいことを考えずに笑いながら読める本もあれば、やたら観念的で不条理な印象の物語や、現実の社会や世界について驚くほど深く切り込んだ作品もある。
たった十冊でもこんなにバリエーションに富んでいることに竹田は驚いた。
ライトノベル、というジャンルが具体的にどういうジャンルなのかさっぱりわからない。
|軽い《ライト》。
何が軽いのか、と考える。
もしかするとそれは、『ジャンルの意味』、『カテゴリーの価値』なのかもしれない。
『これこそがライトノベルだ』『こんなのはライトノベルではない』というナワバリ意識がとても希薄な気がする。
ジャンル分けに意味がない。
カテゴライズに価値がない。
ライトノベルの|軽い《ライト》とは、『ライトノベル』というカテゴリー名自体の持つ意味や価値の軽さ――|どうでもよさ《ヽヽヽヽヽヽ》のことなのかもしれない。
厳密な定義や伝統や権威に縛られていないからこそ、多種多様な物語が自由に共存できているのかもしれない。
日曜も、朝から読書を始め、昼食後に再び本を開く。
今読んでいるものを含めると残りは五冊。
読んでいるのは現代日本を舞台にしたラブコメ小説で、超能力とか魔法は出てこない。
キャラクターの性格はとても個性的なのだが、主人公やヒロインの抱えている悩みやコンプレックスが妙にリアルというかいかにも等身大の高校生という感じで、非常に親近感が持てる。
それに何より、主人公には好きな娘《こ》(メインヒロイン)がいるけどその彼女には他に好きな男がいて、主人公のことは友達としてしか見ていないというのが竹田の境遇とモロ被りだった。
その好きな男にもまたヒロインとは別に好きな娘がいて、メインキャラ全員が片想いという関係性が生み出すすれ違いが軽妙な文体で面白おかしく描かれている。
基本的にはドタバタコメディで笑えるのに、竹田には他人事《ひとごと》のように思えず、ヒロインが主人公に恋愛相談を持ちかけるシーンなど、「気付けよこの女、鈍いにもほどがあるぞ……!」と思わず歯ぎしりしてしまうほどだった。
中盤あたりから一気に引き込まれ、休憩のために淹《い》れたコーヒーを飲むのも忘れて最後まで読んだ。
最後は、主人公の気持ちがヒロインに通じ、二人はめでたく結ばれた。
「……やっべ、泣ける……」
呟《つぶや》き、竹田は眼鏡を外して不覚にもこみ上げていた涙を拭《ぬぐ》った。
そのとき、
――カシャ
「――ッ!?」
窓の方からシャッター音がして竹田は慌てて眼鏡をかけ直して振り向いた。
そこにはケータイのカメラを構えてにまにまと笑う美咲がいた。
本に集中しすぎて、部屋に入ってきたのに気付かなかったらしい。
(ふ、不覚……!)
「うぇっへっへ、ラノベを読んで感動の涙を流す龍ちゃんの写真ゲットー」
誰のせいだと思ってやがる! ……と言いたいのをグッとこらえて、
「……勘違いするな。本の読みすぎで目が疲れただけだ」
「泣ける〜とか呟《つぶや》いてたのに?」
意地悪そうに言う美咲に竹田は少し顔を赤くしつつも、
「……『泣ける』と言ったときに本当に泣くとは限らないだろう? お前だって、実際は泣いてないけどちょっと感動的だったドラマのことを他人に話すときに『あれマジ泣けるよ』とか言うことだってあるだろうが」
「そりゃまあ、あるけど」
「俺が泣けると言ったのもただの言葉のあやだ。修辞表現だ。目を拭ったのは本当に目が疲れていたからだ」
「ええ〜?」
なおも疑わしそうな美咲に、
「……見ろ。一昨日の夕方からほとんど寝ずにこんだけ読んだ」
机の上に積んである、読了した十四冊の本を指さすと、美咲は目を剥《む》いた。
「うぇっ!? こんなに読んだの!?」
「ああ」
「……そりゃ目だって痛くなるわね……。つーかよく見たらその本ラブコメだし……」
ちょっと面白くなさそうに言う美咲。
どうやら納得してくれたようだ。
本当は睡眠は十分にとってるし、一冊読むごとに休憩も挟んでいるので目はそんなに疲れていないのだが。
(……今回は誤魔化せたが、もう人前で本を読むのはやめよう……。あと、窓の鍵《かぎ》もちゃんと掛けておこう……)
竹田はそう決意した。
「でも龍ちゃん、そんなにラノベを読んでるってことは、一緒にラノベ部作ってくれるってこと?」
「それはまだ決めてない」
「つれないなあ……」
「ツンデレだからな」
「え?」
「……いや、なんでもない」
昨日読んだ小説で覚えた用語を使ってみたのだが、やたらと恥ずかしかった。
「それより、俺以外の部員は集まったのか? あと顧問も」
創部には三人以上の部員と顧問の先生が必要なのだ。
「んー、一応目星はついてるかな。同じクラスの子が一人。顧問の方も大丈夫」
「そうなのか」
美咲のことだから、竹田の協力がなくてもなんだかんだであと二人集めて部活を作ってしまうかもしれない。
そのことに微妙に不満を覚えてしまう自分は本当にどうしようもねえなあと竹田は自嘲《じちょう》気味に思い、冷めたコーヒーを喉《のど》に流し込んだ。
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[#小見出し]   超能力[#「超能力」は太字]
「超能力ってあるじゃない」
部室にて『ぴにおん!』を読んでいた美咲が、いつものように唐突に言った。
「あるんですか?」
「あるんスか?」
「あったらいいですわね」
「…………(ちらりと視線を向けただけでほぼ無反応)」
部室にいた四人の部員たちがそれぞれ反応を返した。
物部文香、吉村士郎、桜野綾、藤倉暦。
美咲がこの手の話題を振るときは大抵竹田龍之介がいて、「ねえよ」みたいに否定的な見解を示すのだが、今日はいなかった。
ツッコミ役がいると話が広がりやすくていいのに、この場にいる美咲以外の四人は全員どちらかというとボケ役だった。
「まあ一応みんなわかってると思うけど、ラノベとか漫画での話よ?」
「現実にはないんですか?」
文香がいつもの眠たげな顔で聞き返す。
美咲は首をひねる。
「え……。現実には……う〜ん……どうなんだろ……?」
文香はさらに、
「そもそも超能力って具体的にどういうのがあるんですか?」
「どんなの……たとえば手を使わずにものを動かすとか?」
「念動力《サイコキネシス》というやつですわね」と綾。
「どうして手を使わないんですか?」
「え、最初の疑問はそこなの?」
文香の予想外の反応に美咲は戸惑いつつ、
「そりゃ、高いところにある物を取るときとかに便利じゃない?」
「なるほど。そういえばこないだ本屋さんに行ったとき、興味のあるタイトルの本があったのですが、本棚の一番上の段にあったので困りました。ねんどうりょくがあればそんな苦労をせずにすみますね」
「……店員呼べばよくね?」
吉村が冷静にツッコむ。
「買うつもりはなくてちょっとどんな表紙か見たかっただけなのにわざわざ店員さんを呼ぶのはなんとなくめいわくかも……って思ったんです」
「あー。気持ちはわからなくもねえかなあ……」
「ちなみに文香ちゃん、そのときはどうしたの?」
「ジャンプして取りました」
「その方がよっぽど迷惑だろうが!」
全力でツッコむ吉村。意外とツッコミ気質。
「…………っ!」
本を読みながら話だけ聞いていた暦の顔が赤くなった。
本棚の前でぴょんぴょん跳《と》びはねる文香の姿を想像して萌《も》えてしまったのだ。
「高いところにある物を取る以外の使い道はあるんですか?」
「手を使わずにスカートがめくれるというのはどうでしょう」
『俺がガンダムだ』と書かれた扇子《せんす》を閉じたり開いたりしながら、綾が変態的なことを言う。
「……超能力って人間の能力を超えた力ってことよね。それをスカートめくりに使っちゃうわけ?」
「美少女のスカートをめくってもバレないのですわよ? 人智《じんち》を超えた神の技と言っても過言ではないでしょうか?」
「うーん……吉村くんはどう思う?」
「な、なんでオレに聞くんスか!?」
「いや、男の子だし。もしも自分に念動力があったら、スカートをめくったりする? 女の子のパンツ見放題」
「う……」
美咲に真顔で尋《たず》ねられ吉村は真剣な顔で考える。
その視線は何故か美咲の腰がある方向へと向けられている。
「念動力で、バレないように……めくり放題……」
吉村の顔が急に赤くなり、
「や、やっぱり駄目ッス! そんなことは男のすることじゃねえッス!」
「おー。さすがね吉村くん。うんうん、男ならやっぱり好きな娘のスカートは自分の手で堂々と脱がしたいわよね」
「うっす……って、なんかその言い方は語弊があるような……」
「なるほどー。さすがかつて堂々と机の下から私のスカートの中を覗《のぞ》き込んできた吉村くんですね」
「あ、あのときは悪かったよ……だからもう言わないでくださいお願いします」
過去の過ちを無造作に抉《えぐ》る文香に、吉村は気まずそうに謝った。
「吉村くんは神に頼らず自らスカートめくり道を極めんとする求道者《ぐどうしゃ》なのですね。わたくし見直しましたわ」
「な、なんでそういうことになるんスか! スカートの話はもういいじゃないッスか! スカートめくり以外にも例えば念動力を使えば……例えば……あ! 熱い鍋《なべ》とかを火傷《やけど》せずに運ぶことが出来るッスよ!」
「鍋つかみを使えばいいじゃない」
「鍋つかみを使えばいいと思います」
「鍋つかみを使えばよろしいのでは?」
「鍋つかみを使えばいい」
「総ツッコミ!? 藤倉まで!」
愕然《がくぜん》とする吉村に、美咲がダメ出しをする。
「うーん吉村くんチミねー、話題を変えるんならサイコマンティスばりに面白いことを言ってくれないとねー」
吉村はうなだれ、
「す、すいませんッス……じゃ、じゃあサッカーやバスケで微妙にゴールから外れそうなシュートを念動力で軌道修止してゴールに入れるってのは……」
「……吉村くん、あなたスポーツを何だと思ってるの?」
「男らしくありませんわよ」
「そんなのはズルいと思います」
「…………クズ……」
「そんなみんなして無表情で言わなくてもいいじゃないッスかあ! つーか藤倉のツッコミは酷《ひど》すぎる! 前から思ってたけどお前オレに対して辛辣《しんらつ》すぎじゃね!?」
吉村は泣きそうな顔になった。
「うーん、思ったより使えないわねー念動力。他の超能力はどうかしら」
「発火能力《パイロキネシス》などはいかがでしょう?」
綾が言う。
「おお、ライター要らずと評判のあの能力ね。ライター使えば?」
「ですが超能力バトルものでは主人公クラスの能力として大人気ですわよ。ライターで代用できるような火ではなくて、敵を焼き尽くすような炎を出して戦うのですわ」
「たしかに炎系の能力者って多いわよねー。やっぱり派手だからかな。でも考えてみたらあれって結構エグいわよ。あたしが小学校四年か五年くらいのときね、キャンプファイアーをやってるときに突然中で燃えてた木がばちーんて弾けて近くにいた子の腕に直撃しちゃったのね。そしたら――」
「ストーップ!」
急に吉村が大声を張り上げた。
「ど、どうしたの吉村くん」
「……いや、その話はどう考えてもグロ方面に行くと思ったんで……」
「うん、たまたまその子からほんの数メートルのところにいたあたしの耳にはハッキリと『じゅっ』っていう音と肉が焦《こ》」
「う――あ――あ――ツ!! だ、だからやめてくださいよ先輩! オレほんとそういうの苦手なんスよ!」
「あ、そうなの? まあ、幸い大ごとにはならなかったんだけどねー」
少し残念そうな顔をして美咲は話をやめる。
「…………なるほど」と暦がぽつりと呟《つぶや》く。
「な、なんだよ藤倉、その『いいことを知った』みたいな呟きは……」
「べつに……」
淡々と言って暦は目を逸《そ》らした。
「なんかないかなー便利な超能力」
「ワープはどうでしょう」と文香。
「ワープ……瞬間移動《テレポート》の方が正確かもしれませんわね」
「おー、確かに便利っぽいわよねテレポート!」
「ですよね。しゅんかんいどうができれば、いつもより遅くまで寝ていても遅刻しなくてすみます」
美咲が苦笑《くしょう》する。
「うお、文香ちゃんと発想がかぶった。やっぱり通学が超便利になるってのが大きいわよねー。時間が短縮できるのも大きいけど、あたしは電車やバスが毎朝混雑しててすごい大変だからそれがなくなるのがいいわね。できるようになんないかなーテレポート」
「確かに便利ですけど……ロマンがない気がしますわ」
「ロマン……綾に最も似合わない単語が飛び出したわね」
「どういう意味ですのそれは。わたくしほどのロマンチストは滅多におりませんわよ」
「はいはい。で、テレポートはロマンがないってのはどういうこと?」
綾、
「考えてもみてくださいな。登校も下校もテレポートで一瞬だったら、青春の王道である嬉《うれ》し恥ずかし一緒に登下校イベントがなくなってしまうではありませんかー」
「あ!」
ハッとする美咲に綾は続ける。
「二人乗りの自転車で夕暮れの道を走ったりとか! バスが急に揺れたことで肩と肩が触れて『こいつの肩って男なのに華奢《きゃしゃ》だよな……ドキッ』とか『○○くんの肩、大きい……』とか、満員電車で背中越しにあの人を感じて『すごく……大きいです……』『呑《の》み込《こ》んで、僕のエクスカリバー……』とか、そんな萌《も》えイベントもなくなるのですわよ!」
「心配しなくても元々そんなイベントはねえ!」
全力でツッコむ美咲。
「あー……綾にまともな意見を期待したあたしが馬鹿だったわ……なんで全部男同士になってるのよ。満員電車でぎゅうぎゅう詰めになって胸が当たってドキッ! ってのならまあわかるけど」
「あら、美咲さんはそういう経験がおありですの?」
「んー、ドキッ! は別にないけど、龍ちゃんと一緒に電車に乗ったらすごいキッくつてほとんど抱きついてるみたいな感じになっちゃってるときはたまにあるかな」
「な!」「え!」
吉村と文香が同時に動揺の声を漏らした。
「ほんとに朝の電車は異常っていうか……ん? どしたの?」
「な、なんでもないッス……なんでも……」
「わたしもなんでもありません」
平然としている美咲に、吉村と文香はそれぞれ誤魔化した。
「ふーん? ……あ、そういやテレポートでずっと不思議だったんだけど、テレポートした座標ジャストのところにたまたま他の人がいたらどうなるの?」
「えげつないこと考えますわね浅羽さん……。まあ普通に考えて、死ぬのではないでしょうか。恐らくは両方とも……。少なくともテレポート先にいた人はいきなり自分の身体《からだ》の中から別の人がどばっと出てきて――」
「ギャー! やめてくださいやめてください!」
綾の台詞《せりふ》をグロ苦手の吉村が遮るが、
「……破裂。突如腕から生える別人の手、原型も留めず飛び散るかつて自分だった真っ赤な肉片と黒い臓物の欠片《かけら》を呆然《ぼうぜん》と見つめるしかない白濁《はくだく》した眼球が地面に転がり……」
「うぁぁ、やめろっつってるだろ藤倉ぁ!」
吉村はマジ泣きしそうだった。
「じゃあさあ、テレポートした先がコンクリートの中とかだと」
「生き埋めですわね、普通に。いしのなかにいる」
「ふうん……でも待って、じゃあテレポートした先にもともとあったぶんのコンクリートとかはどうなるの? 人がいた場合は身体をぶち破って出てくるとして、堅いコンクリートだと……」
「ええと……やはり人体とコンクリートの質量同士の漬《つぶ》し合いでしょうか? 中に異物の発生したコンクリートの壁は砕《くだ》け散り、欠片に混じってぐちゃぐちゃになった――」
「うぎゃああああ! 聞こえない聞こえないオレは何も聞こえない――」
「ほんとに苦手なのねえ……」
美咲はちょっと反省の色を浮かべる。
「ま、テレポートも怖いってことで次いってみよう」
「では透視はどうでしょう?」
「透視かー。それも使えたら面白いかもね」
「ええ。透視能力者の前では服などないものと同じ。美少年も美少女もみんな生まれたままの姿になるのですわ。立ち読みでは見えない雑誌の袋とじの中身も透視能力を使えば丸見えです」
「やっぱりそういうエロ路線か」
「それ以外に何があると?」
「……まあ、あんまり思いつかないけど。でも常に服が透けてるってことは、見たくないものまで見ちゃうかもしれないわよ? 道行く人がみんな美少女や美少年ばっかりとは限らないわけで……」
「……! た、たしかに、間違って美しくない人のアレなど見てしまった日には立ち直れる気がしませんわ……透視……恐ろしい諸刃《もろは》の剣ですわね……」
生々しい想像をしてしまったらしく、綾は歯をガクガクと震わせた。
「なんかあんまりいいもんじゃないわねー超能力。人間は普通が一番、ってヌルい結論でOKなのかしら?」
そうなのかなーと文香は思った。
(……でもまあ、それは超能力に目覚めてから考えればいいですよね)
[#改ページ]
[#小見出し]   メタ論 -cogito ergo sum-[#「メタ論 -cogito ergo sum-」は太字]
世間でメタ小説だと言われているらしい小説を読んでみた。
ライトノベルを読むのが好きな少年少女たちがライトノベルについて語り合ったりする日常を描いた小説なのだが、私は正直、これをメタだと言うことに違和感を覚えた。
個人的にメタというのは、『登場人物が自分達のことを物語の中の住人であると自覚しているような要素を含んでいる』ことだと思っていて、例えばギャグマンガの最終回などでたまにある「このマンガ今回で最終回なんだぜ」的な言動や、あるいは作者や観測者の存在が作中で明示されていたり、ループものの作品でたまに見られるように登場人物達が自分達の生きている世界の上位のレイヤーに自覚的だったりするというのが正しいメタではないだろうか。
件《くだん》の小説内には「もしもこれがラノベや漫画だったら〜」というような台詞《せりふ》はあったが、これは別に人物の自覚ではないので、先述の最終回発言とは違って『メタ的な小ネタ』ではあっても厳密にはメタではないと思われる。
例えばこれが『登場するキャラクターによって書かれた小説』という設定の物語であれば、「作者」という上位レイヤーが明確に存在しているので、メタであると言えると思うが、最後まで読んでもその小説にそういった設定はなかった。
その小説と、その他の「メタではない」とされている小説の違いとは、実は「この物語は現実の世界と関係があるのだ」ということを読者に気付かれやすいか、そうでないかという度合いの差でしかないような気がする。
人間が出てきたり太陽があったり月があったり重力があったり物理法則があったり土があったり水があったり植物があったり動物がいたり、愛や憎しみや友情や争いがあったり、何より人間の言語で物語られている以上、ファンタジーだろうがSFだろうがラブコメだろうが伝奇だろうが、全《すべ》ての物語は現実のメタファーであると言えると思う。
もしかすると、実在のライトノベルや漫画やゲームを登場させているからメタなのだ、という意見が出て来るかもしれない。
だったら歴史上の人物が登場する時代小説や、作者本人を主人公とした小説である私小説はメタなのだろうか? また、『文学少女』シリーズでは様々な実在の小説や小説家のことが題材として扱われるが、あれもメタ小説なのだろうか?
他の小説に実名で登場しているマクドナルドやローソンや東京タワーや富士山や日本やアメリカやベンツやポルシェやTSUTAYAや少年ジャンプやグーグルやニコニコ動画やかーずSPやアキバBlogや宮沢賢治《みやざわけんじ》やエミリー・ブロンテと、その小説の作中に登場する『ねくろま。』他様々な実在の小説との間に、形而的な次元の違いは存在しない。
ライトノベルの中でライトノベルについて語るという自己言及がメタなのだとしたら、現実世界のメタファーでありパロディでありオマージュでありパクりである、この世に存在する全ての物語は、「メタである」と言えることになる。
よって、殊更にメタだメタだと言うのはナンセンスではないかと個人的には思う。
しかし世の中には、『メタフィクション』という「それが作り話であることを意図的に読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する(Wikipediaより引用)」という作品ジャンルがあるらしい。
そういう意味では確かにその小説は『メタフィクション』に位置づけられると言えるのだろうが、前述の通り全ての物語は虚構なれど絶対に現実と関係があるし、物語の作者は現実に存在し、同じ次元の現実に生きる読者に向けて物語を物語っている。
メタフィクションであろうとなかろうと、どんな物語であっても感性と知性を十全に発揮して向き合えば、人は必ずそこから自分自身の現実に関する何かを得られるのだと私は信じている、というか、信じたい。
……そんなようなことを昨夜お風呂《ふろ》で延々と考えていたら、翌日風邪をひいた。
「……藤倉さんが何を言っているのかよくわかりませんでしたけど……」
昼休み。
朝から調子の悪かった藤倉暦が、昨日お風呂でメタ小説だと呼ばれていたある小説を一時間半くらいかけて読んだあとさらに一時間ほどぬるま湯につかりながら考えていたことを、お昼ご飯を食べる気力すらないままにつらつらと、意識が朦朧《もうろう》としながらも文香に説明した。
すると文香は、何故《なぜ》か少し怒ったような顔になった。
変化に乏《とぼ》しく基本的にはいつも眠そうな表情をしている文香がこんな顔をすることは非常に珍しく、暦は驚いた。
そんな暦のおでこに、文香は自分のおでこをくっつけてきた。
ひんやりした文香のおでこの温度を感じながら、暦は自分の体温がさらに上昇していくのを実感した。
「……ほら、やっぱりすごく熱いじゃないですか……顔だって真っ赤ですし……」
心配そうな口ぶりで言う文香。
「だ、大丈夫だから――くちゅんっ」
……くしゃみが出た。
「……ふ・じ・く・ら・こ・よ・み・さ・ん」
怖い顔で文香が言う。
[#挿絵(img/2-073.jpg)]
「すぐに保健室に行きましょう。というか、今日はもう帰ったほうがいいです」
「…………ん」
文香に付き添われ、暦は保健室に向かう。
廊下を歩きながら文香が言う。
「まったくもう……。難しいことをいっぱい考えるのはいいですけど、無理しないでください」
「…………ん……」
「藤倉さんはほんとに真面目《まじめ》なんですから……わたしなんてちょっと熱があったら学校を休んじゃうのに」
「…………」
朦朧《もうろう》とする頭で文香の言葉を反芻《はんすう》し、暦は自分自身に驚いた。
小学生や中学生の頃の自分なら、今朝よりも全然辛くなくても、ちょっとでも熱っぽかったらこれ幸いとばかりに学校を休んでいた。
そんな自分が、こんなふうに体調が悪化することを予想しながらも無理をして学校に来たのだ。
それが自分でも信じられなかった。
自分がそんなふうに変わったのは……。
「だ、大丈夫ですか? 保健室までもう少しですから頑張ってください!」
暦に潤《うる》んだ瞳《ひとみ》で見つめられて慌てる文香が可愛《かわい》かった。
保健室のベッドに寝かされて、薄れていく意識の中で暦は考える。
仮に、この世界がプロの小説家である自分が書いた、自分や文香、それに浅羽美咲や竹田龍之介を登場人物とする小説の中の世界であるとしたらどうだろう?
タイトルは……例えば『ラノベ部』とかそんな感じで。
その場合、昨夜風呂場で延々と考えていたメタについての考察は一体どういう位置づけになるのだろう?
メタについてメタ小説の人物が思考を巡らすメタメタさをどう認識すればいいのか。
ごく普通の少年少女たちが、ライトノベルを読んだり、リレー小説を書いたり、一緒にお弁当を食べたり、どうでもいいことを喋《しゃべ》ったりする他愛もない日常を断片的に切り取っただけの小説――そんな思い切り内輪向けの小説を書くつもりは今のところないし書いている暇もないから、あくまで仮定の話だが。
でも、もしもこの世界が小説の中だとしたら、それはそれで悪くないと暦は思う。
自分自身の幸せな現実が物語として永遠に保存されるのなら、それは結構、素敵なことだと思える。
そう思えることを、暦は嬉《うれ》しいと思う。
たとえここが虚構の世界でも、この幸せは本物で、自分は確かに今、ここにいる。
熱に魘《うな》され朦朧《もうろう》とする意識の中で、この確信がどれだけ確かなものなのかはわからないけれど――おでこに残るひんやりした感触が、暦の不安を吹き飛ばし、安らかな眠りへと誘ってくれる。
[#改ページ]
[#小見出し]   AURA 〜光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士〜[#「AURA 〜光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士〜」は太字]
ある朝、富津高校へと向かうバスの中。
竹田龍之介と浅羽美咲は、珍しく座席に座ることができた。
文庫本を読んでいた美咲が、隣でうたた寝をしている竹出の横で言った。
「ねえ、≪暗黒の伏龍《ふくりゅう》≫」
……目は覚めたが、どうやら自分が声をかけられたわけではないと竹田は判断し、目は開けない。
「起きてるんでしょ≪暗黒の伏龍≫」
誰に向かって言っているのかは知らないが、変な呼び名だなあと竹田は思う。
「おいこら龍ちゃん」
「……あぁ? なんだよ?」
ようやく竹田は目を開け、美咲を見る。
「さっきから呼んでるじゃないの」
「……暗黒のなんとかってやつか? あれはもしかして俺のことだったのか」
「うん。あたしがさっき三秒で考えてあげた龍ちゃんの二つ名」
竹田は怪訝《けげん》な顔をする。
「二つ名?」
「漫画とかラノベでたまに出てくる、キャラの通り名っていうか別名みたいなやつのことよ。≪青色サヴアン≫とか≪赤い彗星《すいせい》≫とか」
「あだ名とどう違うんだ?」
「さあ? 二つ名の方が大袈裟《おおげさ》な感じなんじゃないの?」
「曖昧《あいまい》だな。≪黒い三連星≫は?」
「通り名」
「織田信長《おだのぶなが》の≪第六天魔王≫は?」
「それは自称」
「上杉謙信《うえすぎけんしん》の≪越後《えちご》の龍《りゅう》≫」
「二つ名かな」
「≪ロックオン・ストラトス≫」
「それはコードネーム」
「≪天壌《てんじょう》の劫火《ごうか》≫」
「それは真名」
「≪ハンカチ王子≫」
「マスコミの嫌がらせ」
「≪天才卓球少女≫」
「それも嫌がらせじゃないかなあ」
「≪ゴジラ松井《まつい》≫」
「それはアリ」
「……ややこしいな」
「まああんまし深く考えなくてもいいんじゃない? というわけで龍ちゃんは≪暗黒の伏龍≫。かっこよくね?」
「よくねえ」
「むーん……」
不満そうに呻《うな》る美咲。
「……二つ名|云々《うんぬん》はその本に刺激されたのか?」
カバーをかけているのでどういう本かはわからないが、多分ライトノベルだろう。
美咲は頷く。
「うん。なんか脳内で勝手に他人の二つ名を付けるのが趣味の主人公なの」
「変な趣味だな」
意味がわからない。
「いいじゃない二つ名。じゃあ≪漆黒《しっこく》の硝子細工《がらすざいく》≫っていうのはどう?」
「なんで俺が暗黒だの漆黒だの呼ばれなきやいけないんだ?」
げんなりしつつ竹田はツッコむ。
「漆黒っていうのは龍ちゃんの髪の色を表しているの」
「このバスに乗ってる人間の七割以上は黒髪ですが。……ガラス細工は?」
「眼鏡」
「……眼鏡かけてる奴もいくらでもいるだろ。もっとこう、その人間ならではの特徴を生かすべきじゃないのか?」
「一理あるわね……」
美咲は竹田の顔をじっと見つめてきた。竹田は思わず目を逸《そ》らす。
「うーむ……眼鏡を抜くと取り立てて特徴のない顔ね」
「余計なお世話だ」
「その特徴のなさを逆に二つ名にすればいいかも。≪先天的隠密性≫」
「ふざけんな」
「≪雑草魂≫」
「パクるな」
「≪地味王子≫」
「嫌がらせにもほどがある!」
「……わがままねえ。人がせっかくかっこいい二つ名を考えてあげてるのに」
勝手なことを言う美咲に、
「……だったら俺もお前の二つ名を考えてやろう」
「ほう。かっこいいのを頼むわね」
「そうだな……」
目を閉じて黙考。
(…………≪天真爛漫《てんしんらんまん》≫、≪太陽の笑顔≫、≪健《すこやか》やかなる美少女≫…………あー、死のう)
考え直す。
「……ええと………………………≪奔放なる創世者≫」
「へえ」
美咲は目を見開いた。
「≪奔放なる創世者≫。なんかふつーによくない?」
「そうか。気に入ってもらえて何よりだ」
「ちなみに由来は?」
「小学校四年生の冬に」
ごつっ!
速攻で文庫本のカドで思い切り殴られた。
「まだ何も言ってねえ!」
文句を言う竹田に美咲は顔を真っ赤にし、小声で、
「……小四の冬って言ったらアレじゃない……!」
「ああ。お前がびっくりするほど派手な世界地図を布団に痛っ!」
……もう一回殴られた。
どうやら本気で機嫌を損ねてしまったらしい。
さすがに女の子相手におねしょの過去をいじるべきではなかったと少し反省する。
「ちくしょ〜、秘密にしてって頼んだのにお母さんが龍ちゃんに言うから……」
「まあ気にすんなよ。終わったことだ」
「龍ちゃんが蒸し返したんでしょ!」
いまいましげに呻《うめ》き、
「こうなったらなんか変な二つ名付けてやる……過去のトラウマが蘇《よみが》って悶絶《もんぜつ》するような酷《ひど》いやつを……」
「ふん。俺にそんな恥ずかしい過去なんて……」
思い出してみる。
…………ありすぎて困った。
「≪飲むヨーグルト≫」
「ぅぐッ!」
美咲は竹田にとって忘れたい過去を的確に突いてきた。
「≪ドラゴンりゅうのすけ≫」
「……! て、てめえ」
「『ぼくのかんがえたさいきょうモンスター、ドラゴンりゅう』はたくさんの小学生の男の子が通る道だけど、そこに自分の名前を加えて破壊力を高めちゃうのはさすがというほかないわね」
「く……」
歯噛《はが》みする竹田に美咲はさらに強烈な一撃を放つ。
「≪HARRO DEAR ONESAN≫」
「ななななんでお前がそれを!?」
それは十年前、美咲の家に遊びに来ていた親戚《しんせき》のお姉さんに竹田がこっそり渡したラブレターの最初の一文だった。
お姉さんはフライトアテンダントを目指していたので、頑張って全文を英語で書いた。
「ちーちゃんが『龍ちゃんにラブレターもらったのよ〜』ってあたしに見せてくれたのよ。龍ちゃんかわい〜」
「あ……う……が……!」
衝撃の事実に顔を真っ赤にして悶絶する。
「あとは……≪ぼくハムスターのお母さんになる≫」
「それもう二つ名じゃなくて昔の恥ずかしい発言そのままじゃねえか!」
「読むみ方を変えればよくない? ≪|ぼくハムスターのお母さんになる《ネバーイートチルドレン》≫とか」
「いいわけねえだろ……」
悔しげに呻《うめ》く。
「えーと他にはねー」
「……≪ふんどしタオル≫」
「……ッ!」
ボソリと言った竹田に美咲の顔が強張る。
竹田はさらに反撃する。
「……≪将来はマリリン・マンソンのような女優になります≫」
「そんなのただの台詞じゃない!」
「じゃあルビ付けて≪|将来はマリリン・マンソンのような女優になります《アンチクライスト・スーパースター》≫」
「この鬼め……。……≪蒼《あお》い稲妻ダークムーン≫」
「なんでそんなことまで覚えてる!? この≪ビールケースの住人≫が……!」
「やめてよあのときの怖かったこと思い出しちゃうじゃないの! ≪フリーザ様の最終形態≫。……やば、思い出したら笑えてきた。坊主《ぼうず》頭で全裸で股間《こかん》に」
「お、俺の人生で最も頭が悪かった時代を思い出させるな! ≪ねりけしイーター≫」
「! あ、あたしだって自分が何であの時ねりけしを食べようなんて思ったのかわかんないのに! ≪吉岡《よしおか》さんってハーマイオニーに似てるよね≫」
「……女に面と向かってキモいって言われたのはあれが初めてだ……」
当時のショックを思い出してしまった。
「ならこっちは……≪わたがし≫」
「!!」
美咲の顔が引きつり、竹田はたたみかける。
「≪犬のおまわりさん≫」
「コンボで来たか……!」
「≪迷子の仔猫《こねこ》ちゃん≫」
「やめてよホントに!」
かつて「わたがしを買いに行く」という意味不明な発言を残し泣きながら家出した美咲は、パトカーに乗せられて帰ってきた。
それから暫く美咲の母親が『犬のおまわりさん』を歌うと恥ずかしさのあまり逃げ出すようになったというエピソードは、今でもたまに浅羽家の話のネタになる。
「じゃあ≪ねりあめヒヨコ≫。……お前って食べ物関係のアホな過去多いよな」
「う、うっさいわね……」
「≪人類の胃袋を超越せし者≫とかどうだ?」
「超越なんてしてないわよ。普通にお腹《なか》壊してたんだから」
「なら≪食い意地は知能を超えて≫……ルビはもう……『アホの子』とかでいいんじゃねえの?」
「この野郎……」
竹田の連続攻撃に美咲は唸《うな》り、反撃してくる。
「……≪俺は諸葛亮孔明《しょかつりょうこうめい》の生まれ変わり。龍の名はその証《あかし》≫」
「ぁぐッ!」
「≪マイベストソングCD 〜慟哭《どうこく》のrezonance〜≫」
「……! 押し入れの中に隠しておいたのに……!?」
「≪作詞・RYU≫……曲も作れないのにね」
「が……ッ!」
「≪なあ美咲、佐伯《さえき》さんってもしかして俺のこと好きなのかな? よく目が合うし≫」
「っぉげ!?」
「………龍ちゃんはなんかアレよね。中学生にありがちな恥ずかしいイベントを軒並みこなしてる感じよね。もしかして狙《ねら》ってやってたの?」
「そんなお前に≪全裸ビックリマンシール≫……俺のフリーザの百倍恥ずかしいと思う」
「うぐ……幼児期の羞恥心《しゅうちしん》のなさは怖いわね……≪摩擦熱《まさつねつ》でファイヤーブレード≫」
「……≪出られないトイレ≫」
「ち……ならば必殺技、≪エントロピー系能力『オメガ』≫」
「俺の精神に深刻なダメージー! ……≪くらげ胸パッド≫≪ハイレグスカート≫」
「セクハラ系のネタはやめてよ! ……≪進化論によれば腕を一秒に百回くらい動かせば鳥に進化できる≫……で、その後鳥になれましたか?」
「つ、憎むべきは知識と知性をはき違えていた小学校時代の俺……! ≪鼻からならコーラ飲んでも骨は溶けない≫……正直、中学生でこれは……」
「炭酸飲料で骨が溶けるって俗説を信じてただけでも恥ずかしいのに! ≪ちんちんから鼻水が出たよぉ。病気かなぁ≫……あれは本気で引いたわ。性教育って大事」
「お、お前のセクハラの方がよっぽど酷《ひど》い! ……なあ、このままだと両方死ぬからちょっと攻撃力落とさないか。≪ゴランノスポンサー≫」
「軍縮ね。わかったわ。……≪俺ってもしかしたらどこかの国の王子なのかも≫」
「≪遠い親戚《しんせき》にプレステの社長がいる≫」
「≪ぐっ……静まれ俺の右手よ≫」
「……俺そんなこと言ったことあったか?」
「ごめん言ってない。≪俺の心を読んでるんだろ? わかってるさ≫」
「……それは授業中によく思ってた。≪チョークイーター≫」
「≪遺伝子工学によれば宇宙は危ない≫」
「それ攻撃力高くないか。≪電車が急に来たので宿題を忘れました≫」
「龍ちゃんの方が酷くない? ≪憲法第三十九条に書いてあるからあっちの道だ≫」
「……なら軽めに。≪歯磨《はみが》き粉牛乳≫」
「それあたし的には全然軽くないんですけど。≪マイベストソングCD(邦楽版)〜終わりなき革命《revolution》〜≫」
…………
……
二つ名の付け合いというか古傷の抉《えぐ》り合いはバスが学校に到着するまで続き、バスを下りた時には二人とも消耗しきっていた。
「……おかしい。座ってたのに普段より疲れてるわ」
「……俺もだ」
「……ふう……幼なじみはマジ危険ね……彼氏にすら言えねえ恥ずかしいエピソードを知り尽くしてやがるわ……」
「……そうだな」
複雑な表情で竹田は頷いた。
「……じゃ、あたしが最後にとっておき」
「まだあるのか!?」
慌てる竹田に美咲はニヤリと笑い、囁《ささや》くように、
「≪大人になったら結婚しよう≫」
「……………ッ!!」
恐るべき攻撃力だった。
(覚えてやがったのか……!)
苦悶《くもん》の表情を浮かべる竹田に、美咲は笑う。
「そんじゃねー。あ、『ラノベ部』のことちゃんと考えといてね」
校門の前に友達の姿を見つけたらしく、美咲は走っていく。
その後ろ姿をぼんやり見送りながら竹田は思う。
(……つーか、お前だってあのときOKしただろうが)
自分にとって他に並ぶものがないくらい恥ずかしいエピソードでも、美咲には大した過去ではないらしい。
あのジョーカーがある限り、絶対に勝ち目がない。
(まあ、勝ち目がないことは最初からわかってるんだけどな)
いわゆる――惚《ほ》れた弱みというやつだ。
竹田龍之介、高校一年生。
幼なじみの部活作りに誘われて四日が過ぎた日の朝の出来事だった。
AURA 〜光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士〜[#「AURA 〜光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士〜」は太字]
改め、
ラノベ部はじめて物語2・5『セキララ』、おしまい。
[#改ページ]
[#小見出し]   リレー小説『鳳凰寺《ほうおうじ》紅蓮《ぐれん》最後の闘い』[#「リレー小説『鳳凰寺紅蓮最後の闘い』」は太字]
放課後、軽小説部の部室にて。
物部文香、藤倉暦、浅羽美咲、桜野綾、竹田龍之介、堂島潤、吉村士郎――いつもは掛持ちしている部活動を優先したり本屋に新刊を買いに行ったりでなかなか揃《そろ》う機会のない七人の部員が珍しく全員集合していた。
「今日はみんな揃ってるんスねー。またリレー小説とかやったりするんスか?」
吉村が何気なく言った。
「わたくしは構いませんわよ」
『クラナドを人生なんかと一緒にするな』と書かれた扇子《せんす》を開き、綾が賛同する。
「やるのか……?」
竹田が少し嫌そうな顔をする。
「いいじゃない。ぼくらこないだ書かなかったし」
堂島が言う。
先日部員が全員揃ったときリレー小説をやったのだが、文香が彼らの順番が回る前に作品を完結させてしまった。
「今度はちゃんと気をつけます。りべんじします」
文香が言って、暦も無言で頷いた。
「んー、それじゃやろうかなー。ルールは例によって40文字×17行のMF文庫規定で一人一ページずつ。ページの最後まで行ったら文章が途中であっても次の人に交代。あとまあ、なるべく最後の人が完結させること」
「りょうかいです」
「うっすー」
「じゃあまずは順番決めじゃんけんねー」
あっという間にやることが決定になり、じゃんけんで勝った者から順番を決めていく。
順番はこんなふうになった。
@吉村士郎
A堂島潤
B桜野綾
C物部文香
D竹田龍之介
E浅羽美咲
F藤倉暦
「…………」
暦が無言で小さくため息をついた。
まとめるのが最後の人間の役割なので誰もやりたがらず、じゃんけんでビリだった暦が当然のようにアンカーになったのだ。
「頑張りましょうね、藤倉さん」
文香が眠そうな微笑みを浮かべて言った。
「……ん。文香がそう言うなら」
プロ小説家の意地にかけて、どれだけカオスな物語になっていようと見事に集束させてみせようと暦は思った。
[#ここからゴシック体]
【吉村パート】
俺の名は鳳凰寺紅蓮。旅の傭兵だ。身長は185センチで、クールで知的な顔立ちをしている。彼女はいない。
ある街にたどりついた俺は、路地裏で身長一六〇センチ弱、茶色の髪をした活発そうな印象の女の子がチンピラどもに囲まれているところにでくわした。
「お願い、たすけて!」
「わかったぜ」
どかーん! バシッ! ドカッ! バシッ! ドドーン!
「ぎゃーやられたー、覚えてやがれ」
「ちくしょう、強くて知的で背も高いなんてとてもかなわねえぜ」
俺のサッカーボール型魔術デバイス≪黒きファルコンフェニックス≫にこてんぱんにやられてチンピラどもは逃げていった。≪黒きファルコンフェニックス≫は一見サッカーボールのような外見をしているが、大気中に無数に存在する、帝国歴1549年に物理学者アインス・ヴィクター博士の発見した多次元粒子≪ミゴル≫を脳量子波によって操作し様々な化学反応を誘発することで炎やプラズマなどの現象を発生させることができる魔術デバイスであると同時に、硬度を変化させ物理攻撃を行う武器としても使うことができる俺の頼れる相棒だ。
「たすけてくれてありがとう!」
[#ここでゴシック体終わり]
「どうッスか!」
その自信がどこから来るのかわからないが吉村は妙に胸を張って言った。
「……………おいこら鳳凰寺《ほうおうじ》紅蓮《ぐれん》くん。自分で自分のことをクールで知的な顔とか言っちゃうのはどうよ」
ジト目で堂島がツッコんだ。自分のことを棚に上げて。
「魔法を使うためのアイテムがサッカーボールっていうのは結構新しいな」と竹田。
「書きたい部分とそうでない部分がはっきり出ていますわね。作者がどんな話をやりたいのかだけはとてもよく伝わってきますわ」
「そ、そうッスか? へへ」
綾の言葉に照れ笑いを浮かべる吉村。
褒《ほ》めてないのだが。
「まあいいや。それじゃ次はぼくだねー」
吉村と交代で、堂島がパソコンの前に座った。
[#ここからゴシック体]
【堂島パート】
助けてやった少女が俺に礼を言ってきたぜ。グヒヒヒ、よく見ればなかなかの上玉じゃねえか。せっかくだからこの俺がおいしくいただいてしまうとしよう。なあに、あのまま俺がチンピラどもから助けてやらなければもっと酷い目に遭わされていたのは間違いないのだから、それよりはずっとマシだろう。ブヒヒヒ、たっぷりと楽しませてやるぜえ。
「こんな物騒な場所で女性の一人歩きは危ないよ。俺が家まで送ろう」
「は、はい」
少女は頬を染めて頷いた。ゲへへ、この女、俺に気があるな。まあ俺は長身でクールで知的な顔立ちの美青年だから当然か。グへへへ、望み通り太いのをぶちこんでやるぜ。
「じゃあ行こうか、美しいお嬢さん」
俺は少女に背を向けた。
「ええ、先に行っていてください――地獄へな!!」
次の瞬間、俺の身体を激痛が襲った。何が起こったのかわからない。俺は恐る恐る自分の腹部を見た。巨大な杭のようなものが俺の身体から生えていた。後ろから貫かれたのだ。「がはっ」俺の口からどす黒い血が吐き出された。本当に、何なんだこれは? 急激に体温が下がっていき、やがて痛覚さえ薄れていく。最後の力を振り絞って俺はなんとか頭を後ろに向けた。薄れゆく意識の中で俺が最期に見たものは、口を耳まで届きそうなほどに裂いて嗤う俺が助けた筈の少女――正確には直前まで少女だった何かだった。
[#ここでゴシック体終わり]
「浅羽せんぱああああい!」
「え、な、なに?」
「あ、いや、なんでもないッス……」
堂鳥の原稿を読んで思わず叫んでしまった吉村だった。
「なんでこんな酷《ひど》いことするんスか堂島先輩!」
「いやー、なんか殺したくなっちゃって。いいじゃん、こいつ本性はゲスっぽかったし」
美少女然とした笑顔で真っ黒なことを言う堂島。
「ゲスにしたのは先輩ッスよ! 本当の鳳凰寺紅蓮はすげーイイ奴なんです!」
「あれ、そうだっけ? まあいいじゃない死んだ人のことは」
「あはは、潤くんは本当に人を殺すのが好きねえ」
美咲が苦笑した。
「うう……さようなら……オレの鳳凰寺紅蓮……」
素で凹《へこ》んでいる吉村を尻目《しりめ》に、今度は綾が執筆を開始する。
[#ここからゴシック体]
【綾パート】
少女の手にはいつの間にか杭のようなものが握られていた。
それは多次元粒子≪ミゴル≫を利用した伸縮自在の暗器である。
鳳凰院紅蓮が息絶えたのを確認したあと少女は杭を死体から引き抜き、
「仇はとったよ……亜騎斗……」
呟きながら、少女は自分の裂けた口を手で掴んで下に引っ張った。
するとめりめりと顔が剥がれていくではないか。
醜い口裂け女の顔の下から出てきたのは、見目麗しい紅顔の美少年だった。
銀色の長い髪に、右は紅、左は蒼のヘテロクロミア。男にしては華奢な体躯である。
彼の本当の名は憐城院凍夜という。
親友であり最愛の人でもあった猟月亜騎斗を殺した傭兵、鳳凰寺紅蓮がこの街にやってきたことを知った凍夜は、紅蓮を油断させるため、か弱い少女に変装して金で雇ったちんぴらに自分を襲う演技をさせたのだ。
罠にかかった紅蓮を、凍夜は仕留めることに成功した。
悲願だった復讐を果たした凍夜は、溢れ出る涙を抑えることができなかった。
十年前に亜騎斗の仇をとることを誓ったあの日の故郷の夜空と変わらぬ、無数の星々が瞬く空を見上げ、凍夜の胸に亜騎斗との甘い蜜月の日々を思い出していた。
こんな日々がずっと続いていくのだと疑わなかったあの懐かしき日々を――。
[#ここでゴシック体終わり]
「あれの続きからでも強引にBLにしちゃう綾ちゃんのことを、ぼくは心の底からすごいと思うよ……」
本気で戦慄《せんりつ》した様子で堂島が言った。
「なんか普通に先が楽しみなんだけど。ここから主人公の過去軸に突入するわけね?」
美咲が言うと綾はおっとりと微笑んだ。
「うふふ、お願いしますね物部さん」
「がんばります」
文香がパソコンの前に座る。
「……あの、ところでこの人達の名前ってなんて読むんですか? あわじょういんこおよる………」
「『れんじょういん・とうや』ですわ。恋人の方は『りょうげつ・あきと』」
「わかりました」
[#ここからゴシック体]
【文香パート】
れんじょういんとうやくんとりょうげつあきとくんは同じ小学校で、三年生になったときに初めて同じクラスになりました。
それはある日の給食の時間のことでした。
「やめてよお。ぼくのプリンとらんといてよお」
いじめっこのたけしくんが、とうやが最後に食べようと残しておいたプリンをとったのです。それだけは人間として絶対に許せません。何故かというとプリンはとても美味しいからです。私はたけしくんだけは許せません。坂本たけし君は悪魔だと思います。
「やあいやあい、かえしてほしかったらとりかえしてみろよお」
いじわるなたけしは背が高いので、とうやはジャンプしても届きません。
「うわあん。プリン返してよお」
私は泣きそうでした。しかしそこへあきとがやってきました。
「やめろよ。人のプリンをとるなんて悪魔のやることだぞ。人間のやることじゃない」
「なんだと。おまえなまいきだなあ。なぐってやる」
「かかってこい邪悪の化身め。てやあ」
「うわあ。なんてすごい聖なる力だ」
あきとはたけしからプリンを取り返して、とうやにわたしてくれました。とうやはあきととプリンを二人ではんぶんこして食べました。たけしは首の骨が折れて死にました。
[#ここでゴシック体終わり]
[#本文より6段階大きな文字]「「「殺すなよ!!」」」
部員たちは一斉にツッコんだ。
暦だけは笑いのツボにハマってぶるぶると身体《からだ》を震わせている。
「さつばつとした世界観を表現してみました」
眠そうな顔で文香は淡々と言った。
「そこだけ殺伐《さつばつ》とされても……!」
苦笑する美咲に文香はきょとんとした顔で、
「でもプリンをとられたんですよ」
「いや、たかがプリンで……」
「……たかが《ヽヽヽ》?」
文香の顔から急に表情が消えたので美咲は息を呑んだ。
「……ご、ごめんなさい。人のプリンを取るなんてたけしってホント酷《ひど》いわね」
「ですよねえ」
文香は柔らかく微笑《ほほえ》んだ。
「……はあ……次は俺か」
竹田があまり乗り気ではなさそうに言い、執筆を開始した。
[#挿絵(img/2-103.jpg)]
[#ここからゴシック体]
【竹田パート】
プリン事件以降、凍夜と亜騎斗は急速に友情を深めていった。そんなある日の夕暮れ、校舎の屋上に凍夜を呼び出して亜騎斗は言った。
「凍夜、実は俺、好きな人がいるんだ」
「なんだって。それは誰なんだ?」
凍夜はドキッとした。もしかしたらそれは自分のことではないかと思ったのだ。共に過ごす中で、凍夜は自分の中に、友情以外の感情が芽生えているのを自覚していた。
しかし亜騎斗の口から出てきたのは凍夜の期待していた言葉ではなかった。
「……同じクラスの冬木深春さんだ。俺、来週の運動会に勝ったら、あの子に告白しようと思ってるんだ。応援してくれるよな、凍夜」
亜騎斗の告白に、凍夜は胸の痛みを押し殺しながら笑った。
「ああ、もちろんだ。お前なら絶対に上手くいくって」
そして運動会の日がやってきた。凍夜と亜騎斗の属する赤組は白組の猛攻の前に劣勢に立たされていた。しかしまだ次の選手代表リレーで赤組が勝てば逆転の目はある。凍夜は選手代表のアンカーだった。
――このまま赤組が負ければ亜騎斗が冬木さんに告白せずにすむ……。
凍夜は自分の胸に芽生えた親友への裏切りの気持ちを押し殺し、全力で走ることを決意
[#ここでゴシック体終わり]
「凍夜せつねええええええ!!」
何故《なぜ》か琴線に触れてしまったらしく吉村が興奮した様子で叫んだ。BLとはいえ絶賛片想い中の身には響くものがあるらしい。
「竹田くん……」
綾が潤んだ瞳で竹田を見つめた。
「な、なんだよ」
「失礼ながらわたくし、これまで竹田くんのことをただの眼鏡のオプション程度の存在だと思っておりましたけど……」
「本気で失礼だな」
「でも、あなたはやればできる子だったのですね。竹田くん、わたくしだけの作家になっていただけませんか?」
「断る」
「いけず……」
潤んだ瞳で上目遣いに自分を見つめる黒髪ロングの和風美人に竹田がちょっとドキッとしたのは秘密。
竹田がドキッとしたことに文香が気付いてちょっとだけムッとしたのはもっと秘密で、その文香がムッとしたことに気付いた暦の眉毛がぴくりと微妙に動いたのは誰にも知られてはならない。
「なんか仄《ほのか》かにBL臭が漂いつつも爽《さわ》やかな学園モノになってるみたいだけどこれホントに終わるの?」
堂島が疑間を述べる。
「……一応死亡フラグは入れておいたが。つーかそもそも桜野の設定がマズいだろこれ。紅顔の美少年が十年前に復讐《ふくしゅう》を誓うとなると、少なくとも小学校低学年の時点で亜騎斗は死ぬ必要があるわけだし……まあその、頑張れよ」
美咲と暦に竹田は言った。
「自分のノルマが終わったからって気軽に言ってくれるわね龍ちゃん……」
少し緊張した様子で、美咲はパソコンに向かった。
[#ここからゴシック体]
【美咲パート】
した凍夜に、ついにバトンが回ってきた。
バトンを受け取り全力で凍夜は走る。親友の恋のために。
しかしそんな凍夜を狙う一人の男がいた。凍夜の家は大金持ちで、その跡取りである凍夜の財産を狙う親戚に雇われた傭兵だ。
その男の名は鳳凰寺紅蓮。
学校の屋上から紅蓮はスナイパーライフルで凍夜を狙っていた。
バキューン!
疾走する凍夜の心臓目がけて弾丸が発射された。
それに気付いたのは亜騎斗だけだった。
亜騎斗は凍夜を身を挺してかばった。
亜騎斗の胸に真紅の血の華が咲いた。
「亜騎斗――!」
泣きじゃくる凍夜に青ざめた顔の亜騎斗は弱々しく笑った。
「最後に聞いてくれ凍夜…俺は本当は、冬木さんじゃなくてお前のことが…」
自分の胸の中で急速に体温が失われていく亜騎斗の身体。
「うおおお、許さない、絶対に許さないぞ! あの星に誓って絶対に復讐してやる!」
凍夜は星の瞬く夜空に、必ず親友の仇を討つと誓ったのだった。
[#ここでゴシック体終わり]
「……この学校では夜中に運動会をやるのか」
「あ!」
竹田が指摘すると、美咲は焦った声を上げた。
「伏線を回収しようという姿勢はいいですけど、親友が殺されるのと夜空に誓うのを一緒にやらなくてもよかったのではないでしょうか?」
「むー、なるほど。あたしもまだまだ末熟ね……」
綾の言葉に、美咲は恥ずかしそうに顔をうつむける。
「…………はぁ」
小さく嘆息《たんそく》し、暦は美咲と交代する。
プロフェッショナルとして、このぐだぐだな小説に見事な終止符を打ってやろう。
[#ここからゴシック体]
【暦パート】
……そして十年後。見事に凍夜は鳳凰寺紅蓮を討ち果たし親友の仇をとった。これでようやく自分は未来に向かって歩き出すことができる。凍夜がそう思った矢先、
「ぐぶぶぶ、まだだ、まだ終わってはいないぞ……」
なんと、身体の真ん中に大穴を開けられた紅蓮がゆっくりと立ち上がったではないか。
「くくく、俺の中にはもう一つの魂があり、一度殺されただけでは死なないのだ」
身の毛もよだつこの邪悪な気配を、凍夜は過去にも感じたことがあった。
「……まさかお前……たけしかッ!?」
「よく気付いたな。今度こそ貴様からプリンより大事なものを奪ってやる。それは命だ」
膨れあがる異様な波動。紅蓮の持つ≪黒きファルコンフェニックス≫が漆黒の輝きを放ち邪気の弾丸を撃ち出す。圧倒的な威力の攻撃を受けて凍夜は倒れた。
「くそっ、こんなところでやられてたまるか! 亜騎斗、俺に力を貸してくれ!」
すると夜空を斬り裂いて一筋の光が凍夜のもとに降り注いだ。いつの間にか凍夜の手には眩い光を放つ光の剣が握られていた。
「ありがとう亜騎斗……お前はいつも俺を見守ってくれていたんだな! いくぞ鳳凰寺紅蓮、いや、たけし! 今度こそお前を倒してやる!」
「うおー、おのれえ! 愛など幻想に過ぎぬことをこの俺が教えてやろう!」
そしてついに最終決戦の幕が上がる! 長い間応援ありがとうございました!!  (完)
[#ここでゴシック体終わり]
……綺麗《きれい》に終われなかったので仕方なくボケてみる暦だった。
「打ち切り漫画かよ!!」
美咲の的確なツッコミに、暦は頬《ほお》を真っ赤にした。
「……け、結末は……みんなの心の中にある」
「! なるほど……結末はみんなの心に……」
ジャンプを読まない文香が普通に感動していた。
「そうッス! きっとこのあと鳳凰寺紅蓮も正しい心を取り戻してくれるッス!」
「吉村の鳳凰寺紅蓮に対する入れ込みようは何なんだ……?」
竹田が怪訝《けげん》な顔をした。
「うふふ、当然、そのあと人を愛する心を知った鳳凰音紅蓮くんと憐城院凍夜くんは激しく求め合うのですわよね?」と綾。
「ま、なんにせよいつものようにカオスな感じになったな。プロの作家が絶対に書かないような変なものを読むのもたまにはいいと思うが…………って藤倉、大丈夫か? なんか顔がやたら赤いけど」
「……なんでも、ない……」
どこか拗《す》ねたように暦@プロ作家は答えた。
「藤倉さんの文章はよかったと思いますよ。特に『プリンより大事なものを奪ってやる。それは命だ』という台詞《せりふ》はぐれんのざんぎゃくな性格がとてもよく表れていると思います」
「……それ、個人的に一番書いたのを後悔してるところ……中途半端な諧謔《かいぎゃく》に自己嫌悪しか感じない……」
文香の賞賛に、暦はちょっと泣きそうになった。
そんな感じで、本年度第二回ラノベ部リレー小説は終了した。
[#改ページ]
[#小見出し]   留学生[#「留学生」は太字]
六月も半ばに差しかかったある日、文香のクラスに留学生がやってきた。
本当は四月から他の新入生と同じように入学してくる予定だったのだが、手続きでトラブルがあったとかでこれまで遅れていたのだ。
文香が入学した当初は、「そういえば本当はうちのクラスって留学生が来る予定だったんだってねー」的な、まだお互いをよく知らない相手同士がするための話題として重宝されていたのだが、六月ともなればみんな留学生の存在などすっかり忘れたように日常を送っていた。
少なくとも文香は二週間ほど前に担任の先生がホームルームで「近々留学生が来るぞ」と報告するまで忘れていた。
「――本日付けで皆様と同じ学舎で勉強させていただくことと相成りました、リア・アルセイフと申します。学兄の皆様方におかれましてはご指導ご鞭撻《べんたつ》のほど、何卒宜《なにとぞよろ》しくお願い申し上げます」
朝、担任に案内されて教室に入ってきたその留学生の少女は、流暢《りゅうちょう》すぎるくらい流暢な歯切れのいい口調で、多分平均的な日本人高校生よりも堪能《たんのう》ではないかというくらいの完璧《かんぺき》な日本語で丁寧に挨拶《あいさつ》をした。
美少女だった。
どれくらい美少女かというと、まるで学園モノの漫画やアニメで美形の転校生がやってきたときのようにしばらくクラスの間でざわめきが収まらなかったほどだ。
さすがに昔の学園ドラマのようにいきなりスリーサイズを聞いたり好きなタイプを聞いたりするような生徒はいなかったが。
身長は一六〇センチあるかないか。
細身で、胸はラノベ部の美咲と同じくらい。
色白の肌に翡翠《ひすい》のような瞳《ひとみ》で、プラチナブロンドの髪を三つ編みにしている。
顔立ちそのものはあどけなさが残っているが、目は少し鋭く、落ち着いた表情と相まって知的な印象を受ける。
担任がへたくそなアルファベットで黒板に彼女の名前を書く。
Lia Alsafいう綴《つづ》りらしい。
「教諭閣下。リアの綴りは『L・i・a』ではなく『L・e・a・h』です」
「え? ああ、すまん」
淡々と間違いを指摘され慌てて書き直す先生に、リアは口の端を微《かす》かに吊《つ》り上げた柔らかい微笑《ほほえ》みを浮かべた。
「いえ、リアの親戚《しんせき》ですら偶《たま》に間違う位ですのでお気になさらず」
「そ、そうか」
四十代の中年男性教師はリアの微笑に見とれポッと頬《ほお》を染めた。
「まあそんなわけで、今日から三年間、お前たちと一緒に生活することになるリア君だ。仲良くしてやってくれ」
「三年間も?」
生徒の誰かが聞き返した。
「それじゃウチらが卒業するまで一緒ってこと?」
「あっちの高校とかは大丈夫なんすか?」
「あー、リア君は既に高校卒業資格を持っているんだ」
先生の言葉にまたもざわめく生徒たち。
「すげー、飛び級だ……」「天才少女だ……」
そんな彼らにリアはまたも柔らかく微笑んだ。
「向こうでは三年位の飛び級はよく有ることですから、天才は言い過ぎです。リアは十歳という訳でも御座いませんし」
「十歳?」「なんで十歳?」という声が微《かす》かに上がったが、「それでもやっぱりすげーよなあ」みたいな驚きの声に軽く流された。
朝のホームルームが終わると、さっそくリアの席の周囲にはクラスの中でも社交的な生徒たちが集まって交流をはかっていた。
廊下の方にも留学生を見に来た野次馬が何人かいて、彼らによって「留学生はすごい可愛い」という評判が広まり、野次馬の数は休み時間が訪れるごとに増えていった。
昼休みには、廊下から教室の中をさりげなく覗《のぞ》き込む上級生まで現れ始めた。
「リアさん可愛いですねえ」
いつものように窓際の席で暦と一緒にお昼を食べながら、文香は言った。
リアは教室の真ん中あたりで他の女子生徒と一緒に食事をしている。
「ん……」
あまり興味がなさそうに暦はもぐもぐとおにぎりを咀嚼《そしゃく》し続ける。
「藤倉さんも可愛いですよ」
さらりと言う文香に、暦は顔を真っ赤にした。
そしてリアと文香の間で視線を彷徨《さまよ》わせながら、
「文香も……文香の方が……」
「はい?」
「……なんでもない」
リアの周囲はあまり騒がしくなく、割と和《なご》やかな空気だった。
多分本人がかなり上品で落ち着いた雰囲気だからだろう。
「ライトノベルとかの外人さんってすごいテンションの高い人が多いですけど、リアさんは違いますねえ」
「ん……」
暦はちらりとリアに視線を向けた。
すると何故か、同じタイミングでリアがいきなり暦たちの方を向いた。
目が合った……気がした。
「……?」
気のせいかと思いつつ暦は文香へと視線を戻す。
リアの方も他の女子達との会話に戻る。
「大人っぽくて憧《あこが》れてしまいます。わたしもせめてリアさんや浅羽せんぱいくらいの身長があればいいんですけど」
「……私も」
文香と暦はともに背が低い。
他のクラスメイト達と並ぶと、とても同い年には見えないくらいだ。
「そういえば堂島せんぱいが外国人の人にこすぷれをしてほしいって言ってましたよね」
「ん……。……ん?」
文香が『コスプレ』という単語を出した瞬間、暦の視界の端で、リアの動きが急に制正した気がした。
「どしたのリアちゃん」と他の子が聞いているので、暦の勘違いでもない気がする。
「リアさんならたしかにエルフの格好とかも似合いそうですよねえ」
「ん……」
……その後も、リアは他の子達と談笑しながらも文香と暦の方に意識を向けている感じで、たまにちらりと視線を向けてきたりした。
「……?」
不思議に思いながらも特に気にしないことにして、暦は文香との食事を続ける。
が、
「――一寸《ちょっと》失礼します」
向こうの会話が一区切りついたところで、リアがいきなりそう言って席を立った。
特に気にせず暦と文香はご飯を食べる。
しかしリアは、そんな二人の方に近付いてきた。
どうやら自分たちに用があるらしい。
リアは二人のすぐ近くまで寄ってきていきなり言った。
「――あなた、タイが曲がっていてよ」
強烈なデジャヴに文香は目を見開く。
ラノベ部の部室の前では羽美咲と初めて会ったとき、彼女に同じことを言われたのだ。
驚きつつも、文香は微かな笑みを返した。
「身だしなみには気をつけないといけませんね。マリア様がみてますからね」
文香の応対にリアは文香と同じような、可憐《かれん》な笑みを浮かべた。
「では、ごきげんよう」
そう言って踵《きびす》を返し、再び元の席へ戻っていく。
周りで見ていた他の生従たちは、今のやりとりは一体何だったのかと不思議そうな顔をしている。
暦は何だか猛烈に恥ずかしくなり、赤面して顔を俯《うつむ》けた。
「面白い人ですねーリアさん」
文香が呑気《のんき》に笑う。
これがリア・アルセイフと物部文香&藤倉暦のファーストコンタクトだった。
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[#小見出し]   マイペース娘×2[#「> マイペース娘×2」は太字]
「つまりその留学生の子、ラノベ好きってこと?」
今口の昼休みの出来事――留学生のリアが、文香と軽くマリみてネタの応酬《おうしゅう》をしたという話を聞いて、堂島はやたら真剣な口調で言った。
部室にいるのは堂島と文香と暦と吉村。
「ライトノベルが好きかどうかはわかりませんけど、マリみてを知ってることは間違いないと思います」
ぼんやりした顔で文香が言うと堂島はもどかしげに、
「く、くぅ……! な、なぜそこでライトノベルが好きかどうか尋《たず》ねない……!? むしろ何故ラノベ部に勧誘しなかった……!?」
……こんなに悔しそうな堂島を文香は初めて見た。
「いくらなんでもあそこでかんゆうなんてふしぜんだと思います」
「それはそうかもしれないけどさー。そこをあえて、文香ちゃんの持ち前の空気の読めなさで強引に……!」
「わたし空気読めなくないです。ねえ藤倉さん」
「…………文香は、やれば出来る子」
暦は何故か目を逸《そ》らし、かなり遅れてそう答えた。
「ほら、藤倉さんだってこう言っています」
「うんわかった。読めてないね」
堂島は深々と頷いた。
「先輩、なんでそんなに留学生に入部してほしいんスか?」
吉村が尋ねると、
「だってパッキンの外人だよパッキン。しかも二年の教室にまで聞こえてきた噂によれば、かなりの美少女って話じゃない。そんな美少女にはぜひともコスプレをしていただきたいねぼくは」
文香は部室の片隅に置かれた大きなダンボール箱に目をやる。
堂島の友達が作ったというやたらデキのいいコスプレ衣装がたくさん入っているその箱は、この部屋にやってきた当日こそみんなでコスプレしたりして盛り上がったものの、それっきり開けられることすらなく放置されていた。
正直、邪魔だった。
「……『コスプレ』とか『ライトノベル』とか『エルフ』といった単語を出すたびにこちらに意識を向けていた気がする」
暦が淡々と言うと堂島はさらに興奮した。
「それもう間違いないじゃん! パッキンの外人がこの部に入ってくれれば念願のリアルフェイトとかリアルメリニとかリアルステラとかリアルアグリアスを間近で好きなだけ見ることができるんだよ! おさわりとかもできちゃうんだよ!」
「こすぷれえっちですか?」
「相変わらずさらりととんでもないことを言うよねキミは。そんなわけないじゃない。ぼくはコスプレした女の子をそんな下卑《げび》た欲望の対象で見るようなことはしない。それはいわば芸術なんだよ。つまり生きた等身大フィギュアだよ! いっそガラスケースで保存したい!」
堂島は堂島でとんでもないことを言い出した。
前に、言っていた新しい自分の発見とやらはどうなったのだと文香は思う。
「あー、なんかムラムラしてきた。ちょっと今から勧誘してくる」
「え?」
驚く文香に堂島は完全に真顔。
「まだ教室にいるの? その留学生ちゃんは」
「いえ、他の子に誘われて部活動の見学に行くみたいでした」
「くっ、先を越された……! 入部を決めてしまう前にゲットしないと。どこの部?」
「わかりませんけど、運動系の部活だと思います」
「よし、それじゃグラウンドに行こう文香ちゃん」
「え? わたしもですか?」
「下級生の女の子にいきなり声をかけるなんて恥ずかしいじゃない」
……妙なところだけ常識的な堂島だった。
堂島と文香、それに暦も一緒にグラウンドに出た。
陸上部や野球部が練習していたがリアの姿はなく、三人は次に体育館へ。
体育館ではバスケ部とバドミントン部と卓球部とハンドボール部がスペースを分け合って使っていた。
「……いた」
暦がハンドボール部の練習場所を指さす。
体操着姿のリアは、文香のクラスの大河内《おおこうち》さんとボールの投げ合いをしていた。
大河内さんの投げるボールはかなりの速球だが、リアは難なくキャッチしている。
その姿に堂島が感嘆の声を上げる。
「美少女! 美少女じゃないか!」
「そうですね」
「いや確かに美少女って聞いてはいたけど所詮《しょせん》は噂《うわさ》だし過度な期待はしない方がいいかもって思ってたのに……想像以上のクオリティだよ高品質で黒船で文明開化だ!」
「よくわかりませんがよかったですね」
「うんよかった」
ものすごくイイ笑顔で堂島は頷く。
と、ちょうどいいタイミングで大河内さんが先生に呼ばれ、リアはフリーになる。
リアはその場でドリブルを始めたが、体育館の入り口にいる文香たちに気付くとボールを持ったまま近付いてきた。
そして文香から十メートルくらいのところでいきなり、
「パスです」
文香に向かってボールを投げてきた。
「わ!?」「!」
相当なスピードだったので、堂島と暦が驚く。
しかし文香は眠そうな顔のまま、その速球を『ぱすっ』とやんわりキャッチした。
そしてリアにボールを投げ返す。
びゅん!
腕以外の動作はものすごく緩やかなのに、リアのパスと同じくらいの速球だった。
「……文香ちゃん、ハンドボールやってたの?」
「ヘ? なんでですか?」
堂島の問いに、文香はのんびりと首を傾《かし》げる。
「ナイスパスです」
そう言ってさらにリアが近付いてきた。
「ごきげんようございますリアさん」
文香が柔らかく挨拶《あいさつ》をすると、リアはハキハキした口調で、
「御機嫌よう。ところでリアは貴女《あなた》の名前を存じ上げません」
「物部文香です。こっちは藤倉暦さん」
「文香。文が香る、という字で宜《よろ》しいですか?」
「あ、はい」
話し言葉に堪能《たんのう》なだけでなく、名前で漢字を把握するほどの日本語力を持つらしい。
「リアさん、ハンドボール部に入るんですか?」
尋《たず》ねるとリアは首を振った。
「否、まだ決めていません。まずは色んな部を拝見してから選択する所存です」
「だったらラノベ部においでよ!」
テンション高く堂島が言った。
「文香、こちらは?」
「わたしの部活のせんぱいです」
「文香は何の部に入っているのですか?」
「ラノベ部です」
「ラノベ?」
「軽小説部……ライトノベル部です」
「ライトノベル! ライトノベル部が在るのですか? ちょべりぐです!」
リアは何故か嬉しそうに言った。
ちょべりぐとはどういう意味だろうかと文香は少し不思議に思った。
日本人の文香より日本語に詳しいなんて凄《すご》いと思う。
「リアはライトノベルを愛好しています」
「やっぱりそうなんですか?」
「……アメリカでも日本のライトノベルは出版されている」
暦が淡々と言う。
「ほへー、そうなんですか」
「暦の申す通り、翻訳版も出版されています。されど未《ま》だ数は寡《すくな》いです。リアは幼少の頃より、貿易関係の会社に勤務する父君が日本に行く度《たび》に、片っ端から小説や漫画を送って貰《もら》っていました。他にはアマゾンで通販したり。日本語も其《そ》れで習得しました」
「だからそんなに上手なんですねー」
「そう言って頂けると光栄です」
リアは少しはにかんだ。
「これはもう決定だね。ぜひウチの部においでよ」
堂島が再び誘うと、しかしリアは首をゆっくり横に振った。
「ラノベ部様にはまた後日見学させていただきます」
「なんで? 今から来ればいいじゃない」
「本日は此《これ》からテニス部と合唱部と美術部を見学する事に為《な》っています。明日は漫画研究会と茶道部と剣道部の先約が有ります。その他、ラノベ部を含め興味の有る部は全《すべ》て見学します。故に正式に決定するのは一週間か二週間ほど後になります」
「あ、そうなの……」
堂島は少し面食らったような顔をした。
「折角お誘い頂いたのに御無礼お許し下さい先輩閣下。見学には必ず行きますゆえ」
そしてリアは先生と話している大河内さんの方に向かって大声で叫んだ。
「恵《めぐみ》! リアはこれにて失礼させて頂きます!」
「うーっす。気が向いたら入ってねー!」
手を振って答える大河内さんに、リアは深々とお辞儀する。
「あざーっしたーっ!! 再見《サイツェン》っ!!」
何故《なぜ》か体育会系の挨拶をしてさらに何故か中国語の挨拶をしたあと、今度は文香達に一礼してリアは体育館を出て行った。
「リアさんの日本語、もしかしてちょっと変じゃないですか?」
「……文香、いま気付いたの……?」
文香の言葉に暦が少し驚いた顔をした。
「なんか文香ちゃんとタイプは違うけどマイペースな子だよねー」
去っていくリアの後ろ姿を見ながら堂島は苦笑する。
「せんぱい。わたしはマイペースじゃないです。空気もばっちり読める人です」
「はいはい。それじゃ戻ろっかー」
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[#小見出し]   ラノベ部はじめて物語B 『春は出会いの季節です』[#「ラノベ部はじめて物語B 『春は出会いの季節です』」は太字]
美咲と同じ一年三組に、桜野綾という少女がいる。
サラサラの長い黒髪が印象的なものすごい美人で、立ち振る舞いも優雅。
入学初日の自己紹介によれば、実家は老舗の旅館で特技は日本|舞踊《ぶよう》だという。
どこか浮世離《うきよばな》れした印象があり、普段は一人で物憂げに窓の外を眺めていることが多い。
話しかけられれば物腰柔らかに応対するものの、あまり他人と積極的に関《かか》わろうとはせず、特に仲の良い友達もいないらしい。
昼ご飯も一人で食べているのだが、それがまた絵になるので寂しそうとか可哀想《かわいそう》という印象は浮かんでこない。
嫌われているわけではない(特に男子生徒の間での人気はかなりのものらしい)のだが、敬遠されている――それが桜野綾のクラスでの立ち位置だった。
フツーに社交的でフツーに友達もいてフツーに可愛《かわ》い美咲とは、あまり接点のないタイプの少女。
美咲も他のクラスの友人達と同じように、『なんとなく住んでる世界が違う人』みたいな印象を持っていた。
綾の鞄《かばん》にとあるキーホルダーを見つけるまでは。
シックなデザインのショルダーバッグに付いていてもそんなに浮くことはない、結構お洒落《しゃれ》に見えるキーホルダー。
幾何学模様のようなそのデザインは、アニメ化もしたある人気小説に出てくる紋章を模したものだった。
その作品を知らない人が見ても普通のアクセサリにしか見えないタイプのグッズを、実は美咲も幾つか持っていたりする。
綾の鞄のキーホルダーに気付いた翌日、美咲はある人気小説のグッズである割と好きなデザインのブレスレットを付けて学校に行った。
そして休み時間、綾に声をかけてみた。
さりげなく袖《そで》の下のブレスレットをアピールしつつ、
「ねえ桜野さん、数学の宿題やってあったら見せてくれない?」
綾の視線が一瞬ブレスレットに集中したことに美咲は気付いた。
「いいですわよ」
ブレスレットには何も言及せず素っ気なく言って、綾は鞄を机の上に置いた。
ちらりと美咲の視界の隅に入るアニメのキーホルダー。
「そのキーホルダー、可愛いね」
「ありがとうございます」
またも素っ気なく答え、綾は数学のノートを取り出した。
「どこで買ったの?」
「他の方にいただいたものですので……」
そうきたか。
「へえ……どっかで見たデザインなんだけど、思い出せないのよねー。なんか頭の片隅に引っかかってて」
「さあ? 有名なブランドではないと思いますけれど……」
すっとぼける綾。
美咲は髪をいじる素振りを見せつつ、再びブレスレットをちらりとアピール。
「浅羽さんのブレスレットも素敵ですわね」
「ありがとう」
「それはどちらでお買い求めに?」
「うーん、どこだったかなー。銀宝町《ぎんぽうちょう》あたりの露店で適当に売ってたやつかもしんない」
本当は銀宝町にある小さなアニメや漫画のグッズ専門店なのだが。
「桜野さんのキーホルダーも同じとこで見かけたような、違うような……」
「あら、そうですの? そういう偶然もあるのですわね」
相変わらずとぼけた様子で話しつつも、綾の表情が普段より微妙に軟らかくなっていることに美咲は気付いた。
美咲も同じような薄笑いを浮かべている。
こういう腹の探り合いみたいな会話も別に嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど、
「いっつもこんなことばっかしてて楽しい?」
笑みを浮かべたまま美咲は尋《たず》ねた。
本当のことを話さず、適当に相手をやり過ごすためだけの話。
美咲だってそういう会話をすることはあるし、常に自分の趣味をオープンにして生きることがいいことだとも思わない。
アニメのことでも漫画のことでもライトノベルのことでもそれ以外の小説のことでもドラマのことでも芸能人のことでも音楽のことでも勉強のことでも政治のことでも世界のことでも、話題にすべき場があって話題にすべきでない場があって話題にすべき相手がいて話題にすべきでない相手がいる。
そんなのは当たり前だと美咲は思う。
思うけど、いつでも誰に対しても自分を隠し続けるのもまた違うだろうと思う。
だってそんなのは、楽しくない。
「楽しくはありませんわ。ですが、楽です」
端的にもほどがある、『こんなこと』の具体的な内容すら明らかではない美咲の質問の意図を正確に読み、桜野綾はこちらも余計な装飾をせず核心だけを端的に答えた。
――楽。
それはそれで、行動の基準としてはアリだろう。
アリだろうけど、その価値観に美咲は踏み込んでみることにする。
腹の探り合いみたいなこの短い会話の中にある言葉や声や表情や仕草《しぐさ》という様々な情報から、もっと踏み込むだけの価値を浅羽美咲は桜野綾に見出した。
つまるところ、このコは面目いと美咲は思ったのだ。
「なら、あたしと一緒に楽しい場所を作ってみない?」
綾がスッと目を細めた。
黒い瞳《ひとみ》で値踏みするように美咲を見つめる。
「……楽しい場所、ですか?」
「うん。新しい部活を作るの」
「……部活?」
「ラノベ部っていうんだけど。どうよ」
すると綾は淡々と答える。
「わたくし、小説はBLしか読みませんわよ?」
「あは、別にいいんじゃない? もう一人男の子が入ってくれる予定なんだけど、その子もラノベを全然読まない人だし」
「ライトノベル好きの集まり、というわけでもないのですね」
「趣味で繋《つな》がる関係はいいもんだけど、趣味でしか繋がれないってのはなんか寂しいじゃない。あたしが声かけようと思ったきっかけはそのキーホルダーだけど、誘ったのは桜野さんが面白いからよ」
漫画やラノベが好きな女の子は美咲と綾以外にもこのクラスにいて、彼女たちは彼女たちでコミュニティを作っている。
地味な印象で実際普段は全然目立たないけど、休み時間などに四人くらい集まるとアニメや漫画の話を離れていても聞こえるくらいの声で楽しそうにしている。
話してみれば面白い子たちかもしれないと思って以前声をかけてみたのだが、そそくさと話を打ち切られ解散してしまった。
せっかくの楽しげな空気を壊してしまって悪かったなと反省はしつつ。
つまんねー、とも素直に思った。
まあそれはさておき。
「浅羽|部長《ヽヽ》も面白いですわね」
そう言って、綾は同性でさえ思わず見とれてしまうような可憐《かれん》な笑みを浮かべた。
「よろしくお願いいたします、部長」
入部を承諾した綾に、美咲もニカっと快活な笑みを向ける。
「うん、よろしく!」
そう言って、美咲は綾の席から離れる。
綾はいつものように物憂げに窓の外を眺め、美咲はいつものように仲の良いグループの輪に入っていく。
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[#小見出し]   フレンズ・ウィズ・ナイーブ[#「フレンズ・ウィズ・ナイーブ」は太字]
放課後、文香と暦がラノベ部の部室に行ったところ、部屋には鍵《かぎ》がかかっていた。
どうやら中に誰もいないらしい。
「そういえば二年生のクラスは今日何かの集会があるって言ってましたね」
「ん」
ラノベ部に三年生は一人もいないし、吉村は掛け持ちしているサッカー部の練習がある日なので来ない。
となると、今日は文香と暦だけということになる。
とりあえず文香は部室の扉の下の方に取り付けてある金属製の箱に手を伸ばす。
箱の中には部室の鍵が入っている。
箱はダイヤル式の南京錠《なんきんじょう》で施錠《せじょう》してあり、三桁《みけた》の暗証番号は不定期で変更される。
「今のあんしょう番号って何番でしたっけ」
文香が尋《たず》ねる。
「……忘れたの?」
「いえ、そもそも覚えてもいません。たいてい浅羽せんぱいか誰かがいるので……。それで藤倉さん、あんしょう番号は」
「………………ヒントは?」
「……藤倉さんも覚えてないんですね」
文香が指摘すると暦は顔を赤くした。
「……覚えてないわけじゃない。忘れただけ」
「はいはい。ええと、ヒントは……」
箱の下側に付箋《ふせん》が貼《は》り付けてあり、そこには暗証番号のヒントが書いてあるのだ。
文香は付箋を取り、書かれた文字を読み上げる。
「ヒントは『裏が三つ』です」
「…………じゃあ130」
暦がヒントをもとに暗証番号を答えた。
「いち……さん……ぜろ。あ、開きました」
文香が130に番号を合わせると南京錠が外れ、箱が開けられるようになった。
このヒントは、例えば『平坦《へいたん》な坂道になっている』だと暗証番号は『043』、『連なる位置にある』だと『771』、『奥義!』だと『314』、『スターハウス』だと『075』とという具合に、ある法則に則《のっと》っている。
部室内にあるのは基本的に本だけで、わざわざ盗む価値があるような希少本もないから、防犯というよりは単なる遊びだった。
鍵《かぎ》を取り出し、文香と暦は扉を開けて部室の中に入る。
普段から何か特別な活動をしているわけでもないので、部屋に二人しかいなくても特にいつもと違うことはない。
暦は鞄から本を取り用し、読み始める。
文香も部室の本棚から何かめぼしい本がないか物色しながら、
「藤倉さん、最近おもしろかった本はなんですか?」
「ん……タイトル忘れた……」
「作者さんは?」
「覚えてない……たしか新人のデビュー作。戦記もの」
「戦記ものですか。そういえば前に竹田せんぱいが『ぎんえいでん』という戦記ものがとてもおもしろいと言ってました」
竹田の名前が出ると、暦はほんの少しだけ顔をしかめた。
「藤倉さんは読んだことありますか? 『ぎんえいでん』」
「ん……」
暦は頷《うなず》く。
「おもしろかったですか?」
「超おもしろい」
淡々とした口調で暦は言い切った。
「ちょうですか……それなら読まないといけませんね」
「ん」
こくんと頷く。
「部室にありますかねー『ぎんえいでん』……」
文香が探している棚のすぐ隣の棚にずらりと並んでいる『銀河英雄伝説《ぎんがえいゆうでんせつ》』シリーズ(徳間デュアル文庫版)がまさにそれなのだが、文香はそれをスルーしてしまった。
面白いので暦はしばらく見ていることにする。
「うーん……ぎんえいでん、ぎんえいでん…‥あ。『流血女神伝《りゅうけつめがみでん》』。これも竹田せんぱいが面白いって言ってました。藤倉さんは読んだことありますか?」
「ん……」
小さく頷き、微妙に渋々ながら、
「……超おもしろい」
竹田が褒《ほ》めたものを素直に認めるのはなんだか癪《しゃく》に障り、しかし超面白かったものを面白くなかったと言うことなどできない。
「これもちょうですか。じゃあこれも読まないといけませんね」
「ぜひ読むべき」
その結果、文香が竹田と銀英伝や『流血女神伝』について熱く語り合う未来が待ちかまえていようとも、暦は薦《すす》めないわけにはいかなかった。
文香が飽きるまで自分と語り合えば竹田とのトークは回避できるし。
「あ、『Dクラッカーズ』……これもすごい面白かったって竹田せんぱいが」
「……それを読まないのは人生を損している」
なんでよりによってあの男は暦が死ぬほど好きな作品ばかり文香に薦めるのだろう。
暦はプロ作家としての勉強もかねてかなり幅広く色んなジャンルの本を読むのだが、小説の好みとしては伏線の張り方が上手《うま》かったり展開が巧《たく》みだったり世界観が緻密《ちみつ》だったりといった、割とカッチリした作品が好きだ。
自分が書き手として未熟だから技術的に優れた作品に憧《あこが》れるということもあるが、多分頭が固いからというのも大きいと思う。
展開にあまり起伏のない話や平凡な日常系、不条理系の話など、いわゆる『どこが面白いのかがわからない』と言われがちな、感性が必要だったり自分から能動的に楽しさを見つけなければならない作品はちょっと苦手だ。
設定に粗があったりするとすごく気になるし。
多分あの眼鏡《めがね》男も、頭で納得しないと心が納得しないタイプだろう。いかにも細かいことを気にしそうな顔をしている気がする。
と、不意に文香の視線が部屋の隅に移った。
そこにあるのはコスプレ衣装の入った大きなダンボール箱。
「…………藤倉さん」
暦はとても嫌な予感がした。
「……着ませんか」
予感的中。
浅羽美咲といい文香といい、思いつきで行動するタイプは不意打ちでとんでもないことを言い出すから困る。
「……き、着ない」
顔を赤くしつつ暦は断る。
「たまには衣装だって着てあげないとかわいそうだと思いませんか?」
「思わない」
「そうですか……」
文香は少し残念そうな顔。
その顔に、暦は罪悪感を覚える。覚える必要なんてまったくないのに。
「……わたし、藤倉さんがかわいいかっこうするのを見てみたかったです。ちょうど二人きりですし」
二人きり。
文香的には深い意味などないのだろうしあったらそれはそれで困るのだが、暦の顔はさらに赤くなる。
……先輩たちはしばらく来ないから、文香以外に見られる心配はない。
それに正直……普段は絶対に着れないような可愛い服を着てみたいという欲求は、暦にだってある。メイド服とか、可愛いと思う。
「……着る」
暦は小さく呟《つぶや》いた。
「え?」
「……着る。文香の前だけでなら……」
「本当ですか? 嬉しいです」
ぽわぽわした微笑を浮かべる文香。
「じゃあさっそく着てみましょう」
そう言ってダンボール箱を開け、中を物色する。
「……メイドさんの服……は、たしかサイズが大きかったんですよね……」
文香と暦の身長はそんなに変わらないので、文香に大きすぎる衣装は暦にも大きい。暦は前に文香が着たときのことを思い出す。
ぶかぶかのメイド服に身を包んだ文香は、とても可愛かった。
「あ、これならサイズが合うと思います」
文香が取り出したのは前に綾が着たきわどい衣装だった。暦は真っ赤になる。
「それはやめて……」
「だめ、ですか?」
「着る」
残念そうな目で見つめられて、暦は反射的に答えていた。
「よかったです」
「ん……」
文香から衣装を受け取る。受け取ってしまう。
見れば見るほどきわどい衣装だった。
白いスクール水着(しかも前がスカートのようになった、いわゆる旧型スクール水着だった)にセーラーカラーを組み合わせたデザイン。
これをデザインした人間は一生英語しか喋《しゃべ》れなくなる呪《のろ》いにかかればいいと思う。
「……向こう、向いてて」
「わかりました」
文香が暦に背を向ける。
意を決し、暦は制服のリボンを外し、服を脱ぐ。
水着なのでもちろん下着も脱ぐ必要があり、暦は自分は何故こんな目にあっているのかを考えずにはいられなかった。
大切な友達と二人きりの部屋で、背を向けているとはいえすぐ近くに文香がいるのに、パ、パパパ、パンツを、脱いでいるなんて。
お風呂場でも更衣室でもない文化部の部室で、本に囲まれた落ち着いた空間で、自分、藤倉暦が一糸|纏《まと》わぬ裸身を晒《さら》しているなんて。
も、もももももしも今、文香が振り返ってしまったら、全部、全部全部、何もかも暦の恥ずかしいところが余すところなく全部見られてしまう。
「……ぁはあ※[#ハート黒、unicode2665]」
何故か変な声が漏れた。
「どうしたんですか? 藤倉さん」
「な、なんでもない……だから絶対こっち見ないで」
顔を真っ赤にして暦は急いで着替える。
そして、
「……終わった」
着替え終わった。
人生において何か大切なものを失った気がした。
「とっても似合いますよ藤倉さん」
文香がそう言ってくれたのが唯一の救いだった。
「ところでこれ、なんのキャラなんですか?」
「……『もえ――」
暦が答えようとしたそのとき、
「お頼み申す!」
いきなり部室の扉がガラリと開いて、一人の少女が威勢のいい声を上げて入ってきた。
留学生、リア・アルセイフだった。
「あ、リアさん。こんにちは」
[#挿絵(img/2-145.jpg)]
のんびり挨拶する文香と、完全に凍り付く暦。
リアの視線が暦に向けられる。
[#本文より5段階大きな文字]「Fantastic!!」
驚愕《きょうがく》に目を見開き、英語で叫んだ。
「……リアさんが英語をしゃべるのを初めて聞きました」
「おっと此《これ》は失敬」
リアが表情と声音をいつもの上品なトーンに戻し、微《かす》かな笑みを返す。
「扉を開けたら突如目の前にぱすてるインク先生が出現したので吃驚《びっくり》してしまいました。てっきりリアが二次元世界に迷い込んだのかと……これは勿論《もちろん》冗談ですが」
「リアさん、このキャラを知ってるんですか?」
「はい。ネットでアニメ版を観たのですが、並の萌《も》えアニメから頭一つ抜けた、極まった変態ぶりにリアは感動を覚えました」
「変態……」
別に自分のことではないのだが、暦はうなだれた。
「極めて佳《よ》く似合っています、暦。非常に破廉恥ですけど」
「そうですよ藤倉さん。かわいいです。すごくえっちいですけど」
「うう……」
暦は限界まで真っ赤になった。
「ところでリアさん、どうしてここに?」
「約定《やくじょう》通り、部活動の見学に参りました」
何も今日、このタイミングで来なくてもいいのにと暦は激しく思った。
「見学ですかー。今日はせんぱいたちがいないので、藤倉さんにこすぷれをしてもらっていたんです」
「成る程。コスプレも部活動の一環なのですね。確かに『もえたん』の原作には、桑島由一《くわしまよしかず》先生の小説も付いていたと聞きます。ライトノベル部の活動として相応しいものと言えるでしょう」
何故かリアは納得してしまった。
それからリアは室内を見回す。
入り口の扉の部分以外、四方全ての壁が本棚で埋められた部屋。
本棚には部員達が持ち寄ったライトノベルや漫画やその他の本がたくさん。
「Marvelous...」
リアは感嘆の吐息を温らした。
「ふ、文香、この部に入ればこれら全ての本が読みたい放題なのですか?」
「あ、はい。部室の本は自由に持ち出してもいいことになっています」
「はぁ……※[#ハート黒、unicode2665]」
うっとりした表情でリアは本棚を見つめる。
「ライトノベルや漫画がこんなにいっぱい……はぁ※[#ハート黒、unicode2665]」
「リアさんもたくさん日本の本を持ってるんですよね?」
文香が確認すると、リアはこくりと頷き、
「然《しか》り。されど購入は主に父上に頼り切りだったため、リアが興味の有る本を好きなだけ入手と言う訳にはいかなかったのです。父上が日本に行く度に片っ端から目に付いた本を買って来て頂いて、勿論《もちろん》其《そ》れは非常に有り難いのですが、シリーズもので途中の巻が抜けていたり同じ本が二冊も三冊も有ることなどざらでした。抜けている巻がアマゾンの海外便で届くまで生殺し状態です」
「それは困りますねえ」
「更には父上、漫画や萌《も》え系のイラストとそれ以外のイラストの見分けが付かないらしく、『灼眼《しゃくがん》のシャナ』の表紙を見せて『こういうような表紙の小説をたくさん買ってきてほしい』と頼んだところ、時代小説が百冊くらい送られてきてどうしようかと息いました。確かにみんな表紙に日本刀は描いてありましたけど。思えば、リアが自分で日本に行きたいと強く思うようになったのはあれが切っ掛けだったのかもしれません。……まあ、時代小説は時代小説で面白かったのでいいのですが」
妙に小難しい言葉遣いなのはそのためだろうか。
「故に、日本に留学する事になって、自分で好きな本を手にとってページをめくって吟味することが出来るのが極めて嬉しいです。末《ま》だ荷物の整理が終わっておらず新しく本を買う余裕は無いので本屋さんには行けていませんが、非常に非常に楽しみです」
リアは可愛らしく顔を綻《ほころ》ばせる。
「ライトノベルを買うなら自在書房というところがおすすめですよ。このあたりの本屋さんはあまりライトノベルの品揃《しなぞろ》えがよくないのですが、その本屋さんにはとってもたくさん置いてあるんです」
「何と。貴重な情報感謝します文香」
「えへへ、本屋さんのことならまかせてください」
すっかりラノベ通気取りの文香だった。
それからリアは再びぐるりと部屋を囲む本棚を見回した。
「はふぅ……素晴らしい眺めです……リアは将来、自分の書斎を持つのが夢なのです。周囲全部を本棚で囲まれた部屋で暮らしたいです」
「……それはいいかも」
暦が呟《つぶや》いた。
自分の書斎、それは本好きの人間の夢だ。
「もう入部しちゃったらどうでしょう? 他にめぼしい部はあったんですか?」
「運動部との掛け持ちが可能なので、一つはインラインスケート部に決めました」
「スケートですかー。わたしもスケートはけっこう好きです。昔は雪華《ゆきか》ちゃんと一緒によくやりました。文化系はまだなんですね?」
「はい。今日はこの後、オカルト研究会と科学部の見学をしようと思っています」
「そうなんですか」
「はい。ところで文香」
リアは暦の方に視線を向ける。
じーっと見つめられ、暦は真っ赤になる。早く制服に着替えたい。
「リアさんもコスプレしてみたいんですか?」
「御明察」
リアは頷いた。
「いいですよ。この箱の中にある服から好きなのを選んでください」
言いながら、文香は自分でも何か着ようと物色する。
「ふむふむ……凄《すご》く出来の良い衣装が揃《そろ》っている気がします」
「もともとはお店で使うために作られたものらしいです」
「ほう……あ、メイド服……」
「メイド服はかわいいですよね。リアさんならサイズも合うんじゃないでしょうか」
「おや、これは……服?」
「あ、これは堂島せんぱいが『外人の子がいたらぜひ着てもらいたい』って言ってた衣装です。『イコノクラスト!』の姫巫女《ひめみこ》の衣装」
「成る程。……とても艶《あで》やかですね」
「はい。えっちです」
「…………見れば見るほど蠱惑《こわく》的ですね。折角なのでリアは此を着ようと思います」
「おおー、勇気がありますねー。……じゃあわたしはこれ」
「これは……ボンテージですか?」
「魔界ヨメの衣装です」
「……!」
話を聞いていた暦が唖然《あぜん》とした。
文香が、あんな、今の暦の格好より遥《はる》かに露出度の高い格好を……!?
「文香も勇気がありますね」
「せっかくなのでだいたんふてきになります」
「良い心懸けです。何事も本気でやらねば面白く有りませんからね」
……そして文香とリアは一緒にとてもエロい格好をした。
暦は直視できず悶絶した。
その後も小一時間ほど、文香とリアは何着かの衣装を試した。
コスプレ好きの堂島があとで聞いたら死ぬほど悔しがりそうな光景が繰り広げられた。
「文香、暦、楽しかったです」
リアが他の部へ見学に行くので、三人は制服に着替え衣装を箱にしまった。
「わたしも楽しかったです。リアさんが入ってくれるとうれしいです」
「前向きに検討させて頂く所存です」
それからリア、ふと思いついたように、
「文香、もし良かったら何冊か本を貸して頂けないでしょうか。この部屋にはリアが読んでいない本が沢山有ります」
「いいですよー」
文香は頷く。
リアは部員ではないが、文香だって最初、部長の美咲から三冊のライトノベルを貸してもらったことがきっかけで入部を決めたのだ。問題はないだろう。
「感謝します」
リアは微笑《ほほえ》み、本棚から本を見繕う。
「文香から何かお薦《すす》めは有りますか?」
「そうですねー……」
文香はしばらく棚を眺め、
「あ、そうだ。これは読んだことありますか?」
文香がリアに差し出したのは、十年くらい前に出たマイナーなライトSFだった。
脇役《わきやく》の一人に、酒場で働くリアという少女が出てくる。
タイトルと表紙を見て、リアは首を横に振る。
「いえ、知らない作品です」
「とてもおすすめです」
「そうですか。では有り難く借りて行きます」
嬉しそうに本を受け取るリアに、暦は声を掛けようか迷う。
文香がとても面白いと言ったあの本は、暦的には特に見るべきところもない凡庸な作品で、読み返してみても、文香がとても共感できると言った酒場の娘リアが出てくるシーンもやっぱりピンと来なかった。
いくらでも続けられそうな設定で今後の伏線らしきものも散見されたにもかかわらず続編が出ていないということから鑑《かんが》みても、多分、あまり大勢に支持される内容ではなかったのだろう。
正直、ラノベ部で借りる記念すべき最初の一冊には到底おすすめできないと暦は思う。
もしもリアがあの本を気に入らずに、文香とは趣味が合わないと判断して、前向きだったラノベ部への入部の件も考え直すことになったら――……なったら、どうだというのだろ?
……暦は結局、何も言わなかった。
「それではまた明日。御機嫌よう」
「ごきげんよう」
文香から借りた本の他に数冊の本を借り、リアは部室を出て行った。
「リアさん、楽しんでくれるといいなあ」
「……そう……」
期待する文香に、暦は微妙な顔で呟《つぶや》いた。
そして翌朝。
「文香!」
朝の予鈴の少し前という、普段の登校時間よりかなり遅めに教室にやってきたリアは、他のクラスメートへの挨拶もそこそこに、真っ先に文香の方にやってきた。
目が少し赤い。
「文香が薦《すす》めてくれた本、甚だしく面白かったです! 寝る前に読み始めたのですが、つい最後まで読んでしまいました。御陰《おかげ》で寝不足です」
興奮した様子でリアが言うと、文香はいつもの眠そうな微笑みから、少し大きく目を開いた。
「本当ですか? それはよかったです」
文香にとって、自分が薦めた本をこんな風に喜んでもらえたのは初めてだった。
「わたしも、とてもうれしいです」
薦められた本を文香が面白かったと言ったとき美咲がいつもとても嬉しそうな顔をする理由を、文香は初めて実感した。
自分の『面白い』が他の人にも伝わるのって、すごい嬉しい。
微笑む文香にリアは続ける。
「特にリアがとても切なかったです。あ、リアというのはリアのことではなく酒場『銀色《ぎんいろ》子鹿《こじか》』で働く少女のリアです」
「ですよねえ」
「もしや文香、だからリアにあの本を貸してくれたのですか?」
「実はそうです。面白い本がたくさんあるので迷ったんですけど、リアさんの名前がリアなのであれが一番かなって」
「お心遣い痛み入ります文香」
リアは感極まったように目を細めて微笑んだ。
文香ほどではないがリアも普段それほど大きく表情が動く少女ではないので、その笑顔には破壊力があった。
思わず見とれる文香に、リアは続けて言った。
「文香。リアはラノベ部に入部します」
[#改ページ]
[#小見出し]   幽霊[#「幽霊」は太字]
「幽霊っているじゃない」
唐突に、小説を読んでいた美咲が言った。
部室には美咲の他に、竹田と文香と暦と吉村、それに三日ほど前に入部したばかりの新入部員、リアがいる。
「いねえよ」
竹田がいつものように、美咲の台詞《せりふ》がラノベや漫画の話であることを承知した上であえてツッコんだ。
が、美咲はいつものように『ラノベや漫画の話よ』とは言わず、怪訝《けげん》な顔をした。
「え? 何言ってるの龍ちゃん」
「は? フィクションならともかく現実には幽霊なんていないって言ってるんだが……」
美咲はますます訝《いぶか》しげな顔をする。
「……本気で言ってるの?」
「……お前こそ何言ってるんだ」
「だって……ねえ暦ちゃん?」
美咲は暦に微苦笑を向けた。
暦は無表情のまま、微《かす》かに小首を傾《かし》げた。
「……もしかして……気付いていないの?」
「な、何をだよ?」
完全に真顔で言われて竹田は少し焦りの色を浮かべた。
「……そう……見えないのなら仕方ない……」
「まあ、たしかに|あんなもの《ヽヽヽヽヽ》、見えない方がいいかもね……忘れて龍ちゃん」
「だから何の話だよ!?」
「……もう一週間も経《た》つのに……」
暦がまたも淡々と言った。
「い、一週間?」
「……ねえ龍ちゃん、本当に気付いてないの?」
「…………」
どこか切なそうな美咲の微笑に息を呑《の》む。美咲はゆっくりと、竹田の後ろを指さした。
「……ずっと……そこにいるのに……」
「……っ!?」
竹田は身震いし、戦慄《せんりつ》の表情で後ろを振り返った。
そのとき、
「なーんてね、冗談よ」
笑いながら美咲が言った。
「じょ、冗談……? ……て、てめえ……」
「あははは、龍ちゃんマジで怖がってる!」
竹田は顔を赤くする。
「こ、怖がってなんかねえ!」
「はいはい。そーゆーことにしておきましょうか」
「く……っ」
悔しげに呻《うめ》き、竹田は再び本を読み始めた。
「それにしても暦ちゃんが話を合わせてくれたおかげで助かったわ」
「ん……」
暦は小さく頷いた。
どうやらさっきのは完全にアドリブだったらしい。
「最近気付いたんだけど暦ちゃんって意外とノリいいよねー」
美咲の言葉に、暦は顔を真っ赤にしてうつむいた。
と、
「……あ、冗談だったのですか」
「……じょうだんだったんですね……」
リアと文香がぽかんとした顔で言った。
「てっきり本当に竹田せんぱいの後ろに幽霊がいるのかと思ってしまいました」
「リアもです。暦が余りに真顔で言うからすっかり騙《だま》されました」
口々に言う二人に、暦はますます顔を赤くした。
「オレは別に騙されなかったッスよ」
吉村が口を挟んだ。
「ほー、そうなんだ。あたしですら実は『あれ? 話を合わせてくれてるだけよね? ホントに何か見えてるわけじゃないわよね?』とかちょっと不安だったのに」
「や、オレ幽霊ってまったく信じてないッスから……」
「そうなの?」
「うっす。幽霊なんて非科学的ッス」
吉村の台詞に美咲は少し不満そうな顔。
「世の中、科学で説明できることばっかりでもないわよ?」
「それは違うッス。『今のところ科学的な研究が不十分なものがまだ残ってる』ってだけッスよ」
「この理系め……」
「す、すいませんッス……」
「……基本的に俺《おれ》も吉村に賛成だな」
竹田が無愛想な顔でぼそりと言った。
「幽霊が存在すると主張するならそれを証明する必要があるわけだが、今のところ幽霊が存在するという科学的に有効な証拠は一つもない。存在しない証拠もないが、それを出せというのは悪魔の証明だろう。『存在しない証拠がないこと』は『存在する』ことの根拠としては不十分すぎるし」
「……びびってたのに」
美咲が唇を尖《とが》らせて言うと、竹田はまたも顔を赤くした。
「俺は幽霊がいると本気で思ったわけじゃない。いたら嫌だなあと思って少しだけ焦っただけだ」
するとリアが言う。
「龍之介先輩。『いたら嫌だなあ』と思ったということは、『もしかしたらいるのかも?』という可能性を完全に捨て切れてはいないということでは?」
「…………まあ、そう……なるのかな?」
竹田は渋々頷きつつも頭をひねり、
「……いやでも待て、普段あんまり冗談とか言わないと思ってた奴にいきなり真顔であんな反応されたら、誰だってもしやと思うんじゃないか? 『いるかも?』じゃなくて『いた方がなんとなく面白いかも』くらいだ」
「リアも基本的に幽霊は存在しないと考えますが、『いた方が面白いなあ』とは思います。でなければ怪談やホラー小説等も楽しめませんし」
「わたしも竹田せんぱいと同じ感じですねー」と文香。
「あたしもそうかな。別に信じてるわけじゃないけどユーレイの話は好きだし。士郎くんはお話だとどうなの?」
美咲が尋ねると吉村、
「そうッスね……例えば幽霊退治モノの小説とかだったら、『何らかの理由で幽霊が実際に存在する、オレたちのいる世界とは違うファンタジー世界の話』として解釈して読むことにしてるッス」
「現代モノでも?」
「うっす。魔法が出てくるファンタジー小説の『魔力』とか、SFに出てくる架空の粒子とかと同じようなものがあるのかなって。でもまあ正直、好きな題材ではないッスね。どうもピンとこないんスよ。あんまり怖いと思ったこともないッスね」
「とことん幽霊否定派なのね」
「別に幽霊出てきても話が面白けりやいいんスけどね。でも幽霊がメインで出てくる前って内容も暗いこと多くないッスか?」
「それはなんとも言えんが……まあ幽霊って要は死んだ人間だからな……設定自体が暗いからあんまりポジティブ全開のスカッとするような話には合わないかもな」
竹田が同意し、それからふと思い出したように、
「あー、そういや堂島の奴も幽霊モノはあんまり好きじゃないとか言ってたな。ゾンビの方がいいとかなんとか」
「ゾ、ゾンビっスか……」
吉村が微妙に顔を引きつらせた。
「どしたの士郎くん?」
「……いや、ゾンビはオレ苦手なんで……」
「幽霊は平気なのに?」
「だってあいつらグロいじゃないッスか!」
「そりゃまあ、基本腐った死体だからねー」
「特にバイオハザードとかのウイルスに感染してゾンビになったっていう設定とか、何らかの科学技術で死体が動いてるみたいな、それっぽい根拠があるゾンビが特にイヤっすね。何が楽しくてあいつらゾンビなんて作るんスか!」
「あたしに言われても……アンブレラの偉い人に聞いてよ」
美咲は苦笑いを浮かべた。
「ふむ……リアはそういう細かい設定があると逆に萎《な》えますね。訳がわからない理由で幽霊やゾンビになった方が訳がわからなくて怖いと感じます」
リアが言うと文香も頷いた。
「わたしもそうです。科学でかいめいできちゃったら幽霊とかゾンビの怖さが薄れちゃいませんか?」
「そっかあ? 科学で解明できる現実的な存在だから『もしかしたらいつかオレもあんな目に遭《あ》う可能性があるんじゃ?』って怖くなるんスけど」
吉村が首を傾げた。
「あたしはどっちもわかるような気がするかなー。全然意味不明で理解不能なやつってのも怖いし、リアリティがある設定のサイコホラーとかも怖いし」
「俺もまあ、話として楽しむぶんにはゾンビ化の設定はどうでもいいな。堂島もたしかグロければなんでもアリとか言ってた気がする」
美咲と竹田がそれぞれ言った。
「……いろんな楽しみ方があるんですねえ」
妙に感心した顔で文香。
「藤倉さんはどうですか? 幽霊とかゾンビとか」
暦は無表情で淡々と答える。
「……どう思うも何も……見慣れたものだから……今も文香の後ろに……」
「「……!?」」
暦の台詞《せりふ》に文香たちの表情が凍り付く。
暦は少し顔を赤らめて、
「…………冗談」
ぽつりと呟《つぶや》いた。
[#改ページ]
[#小見出し]   ラノベ部はじめて物語C 『ブギーポップを笑わない』[#「ラノベ部はじめて物語C 『ブギーポップを笑わない』」は太字]
幼なじみからラノベ部に誘われてちょうど一週間目の昼休み。
竹田は図書室でライトノベルを読んでいた。
夏場の昼休みなどは生徒たちが涼みに米る場所として人気の図書室だが、現在は利用者の姿はほとんど見当たらない。
竹田がいま読んでいるのは全二十巻くらいの長編ファンタジーで、出版されたのはもう十年以上も前らしい。
学校にこういう本が置いてあるのはちょっと意外だった。
これくらいの長いシリーズを全部集めようと思ったらかなりの出費になるから、ありがたく読ませてもらっている。
ここ一週間で読んだライトノベルは三十冊以上。
ラノベ部とやらの設立に協力してもいいかなと、竹田の心は概《おおむ》ね決まっていた。
(俺ってホントにいい奴だな)
幼なじみに協力を求められたからといって、それまで興味もなかったジャンルの本をこうしてコツコツと読み、今ではライトノベルのことをそれなりに好きになっている。
|都合がいい奴《ヽヽヽヽヽヽ》にもほどがあると思う。
ゲームだったら主人公的な立ち位置で、フラグ立ちまくりの筈《はず》だ。
フラグとは三日前に読んだ小説で知った概念で、本来はコンピュータ用語なのだがゲームではゲームを進行させるために必要な条件のことを指すらしい。
特に恋愛モノのアドベンチャーゲームの場合だと、幼い頃に結婚の約束をしたりとか、うっかり裸を見てしまったりとか、満員電車でほとんど抱き合うような状態になってしまったりとか、その手のイベントをこなせばフラグとやらが立ち、特定ヒロインのルートに進むことができるようだ。
……その手のイベントを幾つかこなしている筈《はず》なのに、今のところ美咲ルートに突入する気配などまったくないのだが。
ちなみに修復不可能なほど決定的に嫌われるような行動などをしてしまうことは『フラグが折れる』というらしい。
何気ない不用意な言葉で相手を深く傷つけ、そのまま絶縁状態になってしまうことが現実にあることを竹田は知っている。
フラグを立ててもハッピーエンドになるとは限らず、しかしフラグを祈ったらクリアは不可能。
人間関係は難しい。
フラグという概念を知ったその小説はいわゆるラブコメディで、主人公は眼鏡をかけた冴《さ》えない少年だが周囲に女の子がたくさんいてモテモテになる。
「……あ〜、俺も勇気とか優しさでモテてえ」
思わずそんな呟《つぶや》きが漏れた。
「……ぷ」
不意にすぐ隣でそんな笑い声が聞こえた。
見るとたまたま近くを歩いていたらしい一人の男子生徒が竹田を見て笑っている。
自分の駄目な独り言を聞かれてしまったらしい。
(しまった……)
恥ずかしさのあまり真っ赤になる竹田。
何事もなかったように読んでいた本に視線を戻す。
(はやくどっか行ってくれ……!)
しかしその男子生徒はというと、
「ここ座っていい?」
そう言って竹田の隣の椅子《いす》に手をかけた。
「……ああ」
竹田は仕方なく頷き、男子生徒の顔を見る。
まるで女の子のような可愛い顔をした小柄な少年だった。
ネクタイの色は竹田と同じ、一年生。
手には分厚い本を持っている。
芥川龍之介《あくたがわりゅうのすけ》全集。
「図書館って自分じゃ買えないような高い本があるからいいよねー」
美少女みたいな顔ににこやかな笑みを浮かべて少年は言う。
「……値段か。それはなかなか新鮮な基準だな……」
「そう?」
「まあ、個人的には」
竹田は本自体にはあまり執着がない。
全集が出ているような作家だったら大抵は安い文庫本がでているからそれを読めばいいと思うし、昔に出版されたものよりも百円ショップで売っているような名作シリーズの方が印刷的にも読みやすいからいいと思う。
ケータイアプリの過去の名作を読めるコンテンツを試してみたことがあったけど、操作性がもっと向上、できればページをパラパラめくるのが可能になってくれれば、ああいうのが小説の主流になってもいいとさえ思っていた。
「俺は同じ内容だったらハードカバーより文庫の方がいいかな。軽いし」
「ぼくは断然ハードカバーが好きだな。特になんか『古本屋』っていうより『古書店』って感じのお店で並んでるようなちょっと古びた感じのやつ」
「紙がなんか黄色っぽくなってるやつとかか?」
「そうそう」
「なんでまたそんな……」
「なんかかっこいいじゃない」
「あー……」
なんとなくわからなくもなかった。
「物憂げな顔でいかにも年季の入った感じの古書なんか読んじゃってるぼくのアダルトな魅力にぼくはもうメロメロだよ」
「かっこいいってお前本人のことかよ」
「当たり前でしょう」
当たり前らしかった。
なんか変な奴だなーと竹田は思った。
「そういえばキミ、名前は? ぼくは4組の堂島潤《どうじまじゅん》」
「2組の竹田――」
ちらりと堂島の前に置かれた芥川龍之介全集に目をやりつつ、
「――龍之介」
「龍之介!」
堂島が目を見開いた。
あー、やっぱりそういう反応されるかーと竹田は思った。
「その名前ってやっぱり、お父さんかお母さんが芥川龍之介のファンだから?」
これまでに同じ質問をした奴が三十人くらいいる。
「――って質問をした人が過去に何十人もいそうだね」
思っていたことを堂島に指摘され、竹田は苦笑する。
「ご明察」
「で、名前の由来はそれで合ってるの?」
「……まあ、母親が芥川好きだから付けた名前って意味では正解。俺の母親、芥川作品どころか小説なんてほとんど読まないけどな」
「? どういうこと?」
「芥川龍之介の顔が好きなんだとよ」
竹田の両親は高校時代に交際を始めたらしいのだが、そのきっかけは若い頃の父が教科書に載っていた芥川龍之介の顔に似ていたからだという。
「ぶはっ」
堂島が噴いた。
「顔って! たしかに芥川龍之介って結構イケメンだけどさー。あははは、キミのお母さん面白いねー」
「笑い事じゃねえよ。今はあんまり気にならないけど子供の頃はこんな昔の人みたいな……っーか実際に昔の人の名前なんだが、この名前が嫌で嫌で仕方なかったんだ」
「いいじゃない。インパクトあるし」
「親が芥川ファンだからって理由で龍之介って名前を付けられた奴って、実は全国に結構いると思うけどな」
「あー、そういやぼくの中学にもいたよ龍之介くん」
「そんな近いところにも……!?」
微妙にショックだ。
というか、堂島と同じ中学なら同じ高校になっていた可能性もあるのではないか。
……しかしまあ、この名前に感謝していることもある。
両親ともに本などほとんど読まない人間なのだが、有名な文豪の名前を付けられてしまったその息子は当然ながら自分の名前の由来になった人物に興味を持ち、芥川龍之介の作品を読み始めた。
それが竹田が本を読むようになるきっかけだった。
「そいや、竹田くんは何を読んでるの?」
堂島が竹田の読んでいた本の表紙を見る。
芥川全集を読むような男は、こんな漫画みたいな表紙の本を馬鹿《ばか》にするのではないかと少し不安に思ったが、
「おー、オーフェンじゃん。超かっこいいよねオーフェン」
堂島は人懐っこい笑みを浮かべた。
「まあ、かっこいい、かな?」
竹田としてはかっこよさよりも、凄腕《すごうで》の魔術士なのにやたらと苦労性なところに親近感を持っているのだが。特によく女性に振り回されるところとか。
ともあれ堂島は、文学だけでなくライトノベルも読む人間らしい。
こいつをラノベ部に誘ってみたらどうだろうかと竹田はふと思った。
割と面白そうな奴だし、美咲とも上手《うま》くやれそうだ。
「あのさ」
「ん?」
「部活ってもう決めたか?」
「んー、まだ。誘われてるところはあるんだけど。何で?」
「いや、俺の知り合いがラノベ部ってのを作ろうとしてるんだが、こういうのが好きならお前もどうかなと思って」
「作る? 部活って作れるの?」
興味を引かれたようで堂島が食いついてきた。
「三人以上の部員と顧問がいれば、一年生でも新しく部活を作れるらしい」
「へえー。……ラノベ部ねえ。竹田くんも入るの?」
「まあ……一応そのつもり」
「ふうん、じゃあ入る」
「は!?」
あっさりと言われ、竹田は驚いた。
「いいのかそんな簡単に。誘われてる部があったんじゃないのか?」
「んー、そっちは別にいいや」
「そ、そうか……」
こんなとんとん拍子に決まってしまっていいのか。
というか自分がラノベ部に入部することがいつの間にか決定事項になっているのだが本当にそれでいいのかと竹田は思った。
と、そのとき。
「ちょっと堂島くん!」
すぐ近くの机に座っていた、少し背の高いひょろっとした印象の少年がいきなり席を立ち堂島に詰め寄ってきた。
眼鏡をかけていて、ネクタイの色は竹田や堂島と同じ一年生。
「ああ山下《やました》くん、いたんだ」
山下というらしい少年は何やら語気荒く、
「堂島くん、日本文学研究会に入るって約束はどうなるんだよ」
日本文学研究会。
竹田の記憶にもある名前で、美咲からラノベ部の話をされる前、見学に行ってみようかと考えていた文化部の候補の一つだった。
「約束なんてしてないよ。考えてみるとは言ったけど」
「……堂島、誘われてる部があるって言ってたのは……」
竹田が尋ねると、堂島は頷いた。
「うん、彼に」
「……いいのか?」
「うん」
「よくないよ!」
憤慨する山下に堂島、
「しーっ。図書館では静かに」
「う……」
山下は顔を赤くした。
「聞いてたんなら前は早いよね。ぼくは他の部に入ることにしたから、キミの誘いは断らせてもらうよ」
淡々と言う堂島の言葉に、山下は何故か竹田の方を睨《にら》んできた。
とばっちりは勘弁してほしいなあと思いつつも竹田は、
「……まあ、こういうのは本人の意思を尊重すべきじゃねえの?」
「そうそう。竹田くんの言うとおり。らぶー」
「キモい」
ぴしゃりと言う竹田に堂島は苦笑。
山下はというと、なおも竹田を不愉快そうな目で睨み、その視線を竹田の読んでいた本に移した。
「……たしかライトノベルとか言うんだっけ? そんな漫画みたいな低俗な本より、高尚な文学作品を読んだ方がよっぽど有意義だと思わないか」
竹田と堂島の両方に向かって山下は言った。
嘲笑《ちょうしょう》的な物言いだったが、竹田は特に怒りを覚えることはなかった。
こういう認識の奴もいるだろうなあとは思っていたので、自分の予想が当たったことを微妙に苦笑するだけだ。
堂島はというと、これまた苦笑していた。
……しかしその目がまったく笑っていないことに竹田は気付いた。
「堂島くんだって文学が好きなんだろう? よく教室でも読んでるし、今だって芥川龍之介全集持ってるし……」
笑みを貼《は》り付《つ》けたまま堂島は頷く。
「そうだね。ぼくは文学作品が大好きだよ。ラノベもそれなりに読むし、特にブギーポップは大好きだけど、ブギーポップの一番好きな話と、世間で文学と呼ばれている作品の中で真ん中くらいに好きな作品……たとえば『暗夜行路《あんやこうろ》』とか『山月記《さんげつき》』を比べてみても、やっぱり文学の方が好きかな。人物やストーリーがどうこうじゃなくて、昔の文学作品の文章の方がなんとなく心地よく感じるのが大きいんだよね」
堂島の言葉に山下は笑みを漏らした。
「だよね。だからラノベ部なんてやめて日本文学研究会に……」
「えー、やだよー」
へらへらと笑うがやっぱり目は笑ってないことに、山下は気付かない。
「なんでだよ?」
堂島は笑いながら、
「だってさー、キミより竹田くんの方が面白そうだもの」
「な……!?」
絶句する山下に堂島は、
「読書って基本的に一人でするものだよね。部活ってみんなでするものだよね。だったら大事なのはどういう本を扱うかより、自分以外の部員のことでしょう? 好きなものについて語り合うのは基本的に楽しいけど、やっぱり面白い人と喋《しゃべ》った方が面白いし有意義だと思うんだよ」
「僕のどこがそいつに劣ってるんだ! そんなくだらない本を読んでる奴に……」
憎々しげに言う山下に、やっぱり堂島は笑みを崩さず、
「山下くん……高尚な文学作品っていうのは、読んだ人の心を豊かにし、視野を広げ、人間的に成長させてくれる、本当に素晴らしいものだと思わない?」
「は? そりゃ、うん、その通り。文学は素晴らしい」
いきなりの質問に山下は戸惑いつつも頷いた。
「うんうん。……ところでさ山下くん。自分と異なる価値観の人間がいるということを想像もせず、読んだことすらないものを主観によってくだらないと断じ、他人の趣味を低俗だと無神経に罵倒《ばとう》する、そんな人を山下くんはどう思う? 高尚な文学作品を何十冊と読んでとても有意義な読書経験を積んできて、心が豊かで視野が広く人間的に成熟した高尚な人間であるところの山下くん」
「う……」
さすがの山下も、堂島が実は全然笑ってないことに気付いたらしい。
笑顔のまま淡々と、じわじわと嬲《なぶ》るように堂島は言う。
「あのね、山下くん。念のため言うけど、ぼくは文学を貶《おとし》めたいわけじゃない。もちろん文学の愛読者を貶めたいわけでもない。|キミという個人を馬鹿にしているんだよ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。文学とライトノベル、どちらが優れていてどちらが劣っているかとか、そんなことには興味がないし、まあぶっちゃけ個人的には文学の方が高尚だとは思うけど、芸術と娯楽をそういう次元で比べるのも無意味だよね。低俗上等じゃない、娯楽はパンツ見せて内臓ブチ撒《ま》けてナンボだよ。それに高尚な作品を読んでいる人間が高尚な人間だとは限らないしね。キミが鏡を見ればそこにその実例がいるわけで。どれだけ優れた小説や優れた映画や優れた音楽に触れてこようと、それは自分自身が優れていることの担保には一切ならないことがなんでわからないの? 読書が好きでありながら、美しい言葉や素敵な物語に何度も心を震わせたことがありながら、どうして言葉に対してそこまで無自覚でいられるのか不思議なんですけど? 一時的に気持ちよくなるためだけの読み捨て読番を否定する気はさらさらないけど、何十冊も何百冊も本を読んできてなお、言葉に現実的な力があることにさえ気付けないのなら、いくらなんでも読書のスキルが低すぎじゃない? 優れた作品をたくさん読んでるくせになんでその程度のアタマしか――いたっ」
竹田が堂島の側頭部に軽くデコピンをした。
「そのへんにしとけ堂島」
唇を震わせて立ち尽くしていた山下は、何か言いたげに堂島を睨《にら》んだものの、結局何も言い返さずに荒々しい足取りで去っていった。
「むー。言葉が暴力になることをわかりやすく実演してあげようと思ったんだけど。それにぼく、間違ったことは言ってないよね?」
デコピンされたところを触りながら不満そうに言う堂島に、
「……間違ってないかもしれんが、間違ってないだけなんだよ。そういうのは俺は好きじゃない。正しいだけで優しくない」
「でも最初に酷いことを言ったのはあっちだよ? ていうか、ぼくじゃなくてキミが馬鹿にされてたんだけど」
「……まあたしかにあいつの物言いにも問題はあったと思うけど……だからって自分に好意的な奴をあそこまでこき下ろすことはないだろ。無自覚な暴言もアレだが、自覚的なのもそれはそれでタチが悪い。血の気が多い奴ならあのままリアルファイトに突入してもおかしくなかったぞ」
「ぼくはそれでもよかったんだけどね。殴り返される覚悟もなく殴ったりはしないよ」
「意外と血の気の多い奴だな……」
竹田は少し驚いた。
「…………だってムカつくんだもん」
堂島は拗《す》ねたような顔でぼそりと呟《つぶや》く。
「ムカつくって……」
「イヤなんだよ。自分が好きなものを持ち上げるために他のものを貶《おとし》める奴。それは自分の好きなものの評判を自分で落としてるんだってことがわかんない奴。そういう奴と趣味が同じっていうのがイヤ。そういう奴のお仲間だって思われるのがイヤ」
今度はまるで純情な少女みたいな感覚だなと竹田は苦笑する。
攻撃的だったり乙女だったり、生きにくい奴だなあと思う。
生きにくい奴は、嫌いじゃない。
タイプこそ様々だが、小説の主人公やヒロインの多くも何かしらの生きにくさを抱えていて、竹田は恋愛もバトルも仕事も何でも器用にこなせる人物より、そういう不器用な人物にこそ共感するのだ。
「……まあ、お前の言うこともわからなくはないけどな。世の中いろんな奴がいるさ。『いろんな奴がいる』ってことがわからない奴ばっかりでもねえよ、多分。それに『一緒に部活をやりたい』と思って前々から誘ってた同好の士を、会ったばっかの奴にいきなりかっさらわれたんじゃ、ムカつきもするだろ。そこは考慮してやれよ」
「む……」
堂島は押し黙る。そして、
「…………山下くんにはあとで謝る……」
憮然《ぶぜん》としながらも、意外と素直にそう言った。
「ん、それがいい」
頷く竹田に堂島は、
「竹田くん、君はいい人だなあ」
笑っているような泣いているような左右非対称の表情を浮かべてそう言った。
竹田は苦笑い。
「……ブギーポップみたいな顔でブギーポップみたいなこと言うんじゃねえよ」
その日の放課後。
竹田は堂島と一緒に美咲のクラスに向かった。美咲はクラスメイトらしいすごい美人と話していた。
「あ、龍ちゃんちょうどよかった」
竹田に気付くと美咲の方から声をかけてきた。
「竹田くん、『龍ちゃん』って呼ばれてるんだ」
堂鳥がからかうように笑い、竹田はばつが悪そうな顔をする。
「龍ちゃん、このコが部員になる予定の桜野さん」
「桜野綾ですわ。お初にお目にかかります」
綾は優雅にお辞儀してみせた。竹田は綾にぺこりと会釈しつつ、
「美咲。こいつもラノベ部に入るってさ」
「4組の堂島だよ。よろしくねー」
美咲が驚く。
「龍ちゃん、部員まで集めてくれたの!? なら龍ちゃんも……」
「……ああ、入るよ」
三人集まっているので自分は不要なのだが、堂島を誘っておいて自分が入部しないわけにもいくまい。
「うっし、それじゃこれでラノベ部設立確定ね」
「顧問は?」と堂島が尋ねる。
「英語の井上せんせ。ラノベとか漫画も読むんだって」
「へえ……結構意外だな」
英語の井上先生は、入学して間もない生徒たちの間でもかなりお堅い先生という評判が定着しつつあるのだ。
「ふふ、どうしてみんなこう、さりげなく趣味をアピールしたがるのかねー?」
言いながら美咲は何故か綾に意味深な視線を向けた。
「さて、どうしてなのでしょうね?」
綾は鞄を触りながら、素知らぬ顔で微笑みながら首を傾げた。
「イノセンかあ……ぼく英語の先生ってなんか苦手なんだけどなー」
「他にもいっぱい顧問やってるから部室に来ることはほとんどないって言ってたわよ」
「あ、それならよかった」
堂島が安堵《あんど》の息を吐いた。
「この紙にみんなの名前書いて先生に出せば正式に手続き完了よ」
美咲が鞄から取り出した新部活動設立届けには、部員や顧問の記名欄、そして一番上には作りたい部の名前を書く欄があった。
部活名を含め、まだ白紙。
そこでふと、竹田は思った。
「……なあ、ラノベ部って名前はやめないか?」
「え? なんで?」
美咲が不思議そうな顔をする。
なんでだろう、と竹田は考える。
ここ一週間で三十冊以上の色んな本を読んできて、カテゴリーに縛られていない自由な感じがライトノベルのいいところなのかなと思えてきた。
だからこそ、あえて『ライトノベル』や『ラノベ』というジャンル名を取っ払ってしまうのも面白いんじゃないかとなんとなく思ったのだが……なんか意味あるのかそれは。
あるような気がしたし、なくてもいいような気もした。
しかし竹田は美咲のように曖昧《あいまい》な感情を曖昧なまま口にすることが苦手だった。
なので、
「……なんとなく苦手なんだ、カタカナの名前って」
適当な理由を付けて誤魔化す。
こんな理由でみんなが納得するわけがない……そう思ったが、
「ふーん、じゃあ漢字にして『軽小説部』でどう?」
美咲はあっさり改名案に乗ってきた。
「ぼくは別にいいよー」
「わたくしもそちらの方が対外的な印象が良いと思いますわ」
堂島と綾も賛同する。
「……まあ、それでいいと思う」
軽小説部。
本当になんとなくだけど、その名前には『軽いぜ? 軽くて凄《すご》いだろう?』という、ジャンルの名前にすら縛られないほどの圧倒的な自由に対する自信や自負のようなものが感じられる気がした。
竹田が頷くと、美咲は快活に笑った。
「そんじゃ、早くこれ書いて出しに行こう。で、ラノベ部……じゃなくて軽小説部設立を祝ってみんなでご飯でもどう?」
こうして、公立|富津《とみづ》高校に新しい部が誕生した。
部活名は『軽小説部』
メンバーは浅羽美咲、竹田龍之介、桜野綾、堂島潤。
物部文香や藤倉暦が入学してくる、一年前のことである――。
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[#小見出し]   妹がこんなに可愛いわけがない[#「妹がこんなに可愛いわけがない」は太字]
留学生リアがラノベ部に入部して、一週間ほどが過ぎたある日のこと。
文香と暦とリアはいつものように部室で本を読んだりお喋《しゃべ》りをしたりして過ごし、日が暮れたので家に帰ることにした。
校舎を出る。
文香は自転車通学で、家までは約十五分。
暦の家はバスで十五分、徒歩で五分くらい。
文香の住む地区と暦の住む地区は、フツ校までの距離という点でいえばそこまで大差ないのだが、方向的にはほぼ真逆となっている。
「其《そ》れでは文香、暦、また明日」
リアがぺこりとお辞儀した。
「そういえば、リアさんってどこに住んでるんですか?」
「学生寮《がくせいりょう》です」
「へえ。学生りょうってどこにあるんですか?」
「此処《ここ》から歩いて十五分位ですね。道が入り組んでいて一寸《ちょっと》解《わか》り辛《づら》い所です」
リアが答えた。
「毎日歩いて通ってるんですか?」
「然り。自転車を未だ買っていないのです」
「不便じゃないですか?」
「いえ、特に困ることは無いですね。朝食と夕食は寮で用意して貰《もら》えますし、近くにコンビニも有りますし」
「一人ぐらしなんですか?」
「一人部屋です。しかし沢山の学生が住んでいるので一人暮らしとは言えませんが。御風呂《おふろ》も御手水《おちょうず》も共同ですし」
「おちょうず?」
「便所です」
「……それはトイレって言いましょうリアさん」
珍しいことに文香がツッコミに回った。
「でもまあ、明日には自転車を買いに行く予定です。部屋も片付きましたし、そろそろ本屋さんに行きたいので」
明日は土曜日。学校は休みだ。
「寮生活って大変そうですねえ」
「そうでもないですよ。寮の皆さんも良くして下さいますし。唯《ただ》、ご飯があまり美味《おい》しく無いのは嫌ですね。最もそんなに多くないですし」
「ご飯が美味しくないのはたしかに嫌ですね……」
文香の家の食事はいつも美味しい。
両親が共働きのため、基本的に妹の雪華が料理を担当しているのだが、そこらのお店の料理よりもよっぽど美味しいと思う。
「あ、そうだリアさん。明日自転車を買うなら、そのままわたしのうちに来ませんか?」
「……!」
これまで黙って文香とリアの話を聞いていた暦がぴくりと反応した。
「文香の家ですか。御邪魔して宜《よろ》しいのですか?」
「お父さんもお母さんも土曜日の夜は忙しいからいつも会社に泊まるんです。だからうちにはわたしと妹の雪華ちゃんしかいません」
「文香にはリアル妹がいるのですか」
「はい。雪華ちゃんの料理はとても美味しいんですよ。特にイタリア料理が得意です」
「なんと……イタリア料理はリアも好物です」
「わたしも好きです」
リアは文香をまじまじと見つめた。
「それではご相伴《しょうばん》に与《あずか》るとしましょうか」
「うれしいです。あ、よかったら泊まっていきませんか?」
「とま……!」
暦が絶句する。
「文香の家にお泊まりですか。世に云《い》うパジャマパーティーと言うやつですね?」
「はい」
「御迷惑でなければ是非」
「一緒にごはんを食べて、夜までリアさんとお話できますね」
「とても楽しみです。…………図々しいですが、ラザニアを所望しても?」
「ラザニアは雪華ちゃんの得意料理です。わたしがレストランで食べたのが美味しかったって言ったらよく作ってくれるようになりました。とてもおいしいですよ」
「文香とは本当に好みが合いますね」
リアが言った。
ここ一週間ほど交流してわかったのだが、好きな料理だけでなく、いろんなことの好みが文香とリアは似ていた。
文香が面白いと思って薦《すす》めた本はリアも面白いと感じ、リアが面白いと薦めてくれた本は文香にとっても面白かった。
学力の面では既に高校卒業資格を持っているリアの方が断然上だが、リアもアメリカの学校時代は国語が苦手だったと言う。
成親が悪かったわけではないが、嫌いだったらしい。
向こうの国語(に限らず学校の授業全般)は日本よりも型にはまらない自主的な発想、自主的な姿勢が強く求められるが、リアから言わせればそれは『型にはまってはいけない』という『型』に生徒をはめているに過ぎないように感じるのだとか。
クラスメートの女の子がアメリカは自由でいいねえと軽い調子で言ったとき、「日本では出る杭《くい》は打たれると云《い》いますが、アメリカでは出ない杭は引っこ抜かれます。知的・経済的な上下の格差は日本の比ではなく、高い層は半端なく高いですが低い層は悲惨極まります。まだリアは日本を知識でしか学んでおらず感覚的には識らないのですが、少なくともどちらが良くてどちらが悪いと簡単に言い切れるものでは無いと考えます」と大真面目《おおまじめ》に語り周囲をぽかんとさせたのはつい三日前の休み時間のことだ。
暦は文香の固定観念に囚われない柔軟な見方に驚かされることがよくあるが、それと同じものをリアにも感じるのだった。知識は文香より遥《はる》かに豊富で、ついでに言えば空気を読む気のなさも文香以上のマイペース娘。
「文香が美味《おい》しいというのなら期待出来ますね」
「期待してください」
笑顔を交わす文香とリア。そこへ、
「……あ、あの」
暦はおずおずと声をかけた。
「なんですか? 藤倉さん」
「わ、わた……」
顔を真っ赤にし、渾身《こんしん》の力を振り絞って暦は言葉を紡ぐ。
「……私も、行っていい?」
文香は一瞬きょとんとした顔をした。
その顔を見て、暦はますます顔を俯《うつむ》ける。図々しいことを言ってしまった。空気読めてないかもしれない。
文香は普段通りの顔で微笑む。
「もちろんです。藤倉さんも泊まっていきますか?」
暦はこくんと小さく頷いた。
「それじゃあ、明日は三人でパジャマパーティーですね」
翌日。
夕方五時に富津高校の校門前で待ち合わせして、文香と暦とリアは自転車で文香の家に向かう。
途中、舗装されていない砂利道やあぜ道があったりして(文香がいつも使っている近道らしい)暦はときどきバランスを崩しそうになったりしたが、文香とリアはのんびりした顔で、しかしかなりのハイペースですいすい進んでいく。
二人から引き離されないよう、暦は必死でついていった。
十五分ほど走り、文香の家に到着する。
ごく普通の二戸建てで、良い匂《にお》いが外まで漏れてきていた。
玄関の扉を開ける。
「ただいまー」
「御邪魔いたします」
「……お、御邪魔します」
リアはいつものように丁寧に、暦はかなり緊張気味に言って、文香の家に上がる。
「どうしたのですか暦。元気がないようですが」
「……なんでもない」
尋ねるリアに暦は誤魔化す。
暦にとっては、友達の家に泊まったり夕飯をご馳走《ちそう》になるどころか、遊びに来たこと自体が実は初めてのことだった。
文香に案内されてリビングに通される。
ダイニングキッチンとの仕切りはなく、キッチンでは文香によく似た少女が料理をしていた。
三人が入ってくると、少女は火を止め、リビングへやってきた。
「妹の雪華《ゆきか》ちゃんです」
文香が紹介すると雪華は礼儀正しくぺこりとお辞儀して、にっこりと笑顔を浮かべた。
「雪華です。いつもおねえちゃんにお世話になり、ありがたく思ってください」
……不思議な挨拶《あいさつ》だったが、もしかしたら年上の人間を前に緊張しているのかもしれないので暦はツッコむのをやめておいた。
「リア・アルセイフです。姉君にはいつもお世話に為っております」
「そうでしょう」
……どこか誇らしげに雪華は胸を張った。
「……藤倉暦」
軽く頭を下げる。
「おねえちゃん、お料理あと一時間くらいで出来るから待っててね。おねえちゃんをお待たせするなんて無能なクズでごめんね」
「楽しみにしてますよ雪華ちゃん」
「うん! 身命を賭《と》して頑張るよおねえちゃん! ゆきはおねえちゃんの期待に応えられなかったら死ぬ覚悟だから!」
そう言ってキッチンに戻っていく雪華。
「……面白い? 妹様? ですね?」
リアが若干《じゃっかん》釈然としない顔で言い、
「あ、そうだ文香」
リアが持っていた鞄を開け、中から包装紙に包まれた直方体の箱を取り出した。
「これ、お土産です。お使い下さい」
「あ、これはごていねいにどうも。中身はなんですか?」
「入浴剤です」
「わあ、好きなんです入浴剤」
社交辞令ではなく喜んでいる文香に暦は焦る。
「お、お土産……」
暦は手土産など用意していない。一晩お世話になるというのに土産すら用意してこないなんて、非常識な人間だと思われたらどうしよう。
「ちょっとお風呂場に置いてきますね。リアさんたちはくつろいでいてください」
そう言って文香がリアのお土産を手にリビングから出て行く。
リアと暦はリビングのソファに座る。
「暦はお土産はないのですか?」
聞きにくいことをずばりと聞いてくるリアに暦は顔を引きつらせる。
「……ない」
憮然《ぶぜん》として答えると、リアは何故か顔を曇らせた。
「矢張《やは》り友人宅に泊めて頂くのに、手土産など不要だったのでしょうか……私は文香の事を気の置けない友人だと思っているのですが、お土産を用意してきたことで他人行儀だという印象を与えてしまったのでは……」
本気で心配そうなリアに暦は少し親近感を抱いた。
「……お土産を持ってきたのは良いと思う。礼儀正しくて、あなたらしい」
「本当ですか?」
リアは安堵《あんど》の表情を見せた。
そこへ文香が戻ってきた。
「文香、リア達も妹様のお料理をお手伝いすべきでは?」
リアが言うと、
「食器とかももう並べてありますし……雪華ちゃんのお料理で、わたしが手伝えることはほとんどないんです。リアさんたちはお料理できますか?」
「壊滅的です」
「…………」
暦もさっぱりだった。
「雪華ちゃんの料理に期待してくださいね」
キッチンで雪華が「おねえちゃんがゆきに期待してくれたおねえちゃんがゆきに期待してくれた神の期待に応《こた》えるためにゆきはこの料理を絶対に美味しいものに仕上げてみせるのそのためならたとえ悪魔に魂を売り渡し死後地獄に堕《お》ちようともかまわないの!」と奮起《ふんき》していたのだが、暦たちには聞こえなかった。
料理ができあがるまで、文香たちは普段部室でしているのと同じように、最近面白かった本のこととかを話して過ごした。
場所が変わっても会話の内容とかは特に変わらない。
リビングにはテレビがあったけど、ゲーム機もなく、夕方六時とか七時台の番組は誰も見ないので電源を入れられることすらなかった。
そうこうしているうちに料理ができあがり、文香たちはテーブルにつく。
「四人でご飯を食べられるなんて嬉しいですよね、雪華ちゃん」
文香が言うと、文香の隣に座る雪華は、
「おねえちゃんの喜びがそのまま雪華の喜びだよ。士曜日の夜はおねえちゃんと家で二人きりで過ごせることが雪華の人生で最大の楽しみと言っても過言ではなくて、お友達が来るなんて聞いたときは雪華の心は煉獄《れんごく》の業火《ごうか》に焼き尽くされそうだったけど、おねえちゃんが喜んでくれただけで雪華の醜い心は浄化され天にも昇る気持ちになるの」
うっとりした顔でそう言った。
「こうして並ぶと、文香と雪華はそっくりですね」
リアの言葉に暦も頷いた。
「……ん。文香より少し大人っぽい」
一歳年下なのに身長はほぼ文香と変わらず、顔立ちは雪華の方が若干《じゃっかん》大人びた印象があり、胸もやや文香より大きい。
しかし雪華はぶんぶんと首を振り、
「そんなことないです。目の形も唇の形も外の形も耳の形も眉毛《まゆげ》の形も顔の大きさも胸の大きさも足の細さも腕の細さも腰回りも手首も指の長さも手の美しさも肌のつやも声も内臓も血液も、ゆきがおねえちゃんに及ぶものなんて何もないです。ゆきなんておねえちゃんと比べたらうんこに等しいです」
食事前にうんことか言うなと暦は思った。
「雪華ちゃん、お食事のときにうんこなんて言ってはいけませんよ」
文香がツッコんだ。
明らかにツッコむところを間違えており、しかも自分でも言ってる。
「それにしても美味《おい》しそうですね」
リアが話題を変えた。
テーブルにはリアが希望したラザニアの他に、ラビオリ、アランチーニ、ミネストローネ、カルパッチョとイタリア料理がずらりと並んでいた。
「デザートにはティラミスを用意してあるよおねえちゃん」
「……ティラミス……!」
暦が唸《うな》った。
暦はあんまり食べ物に興味がなくてお昼はいつもコンビニのおにぎり二個で済ませているくらいだが、お菓子やケーキは別だった。
ティラミスって家で作れるのか……と本気で驚く。
「此《これ》だけ一人で作るのは大変だったでしょう?」
「はい。ゆきはこの程度の料理に三時間かかりました。ぐずでのろまなクソ性能の妹でごめんねおねえちゃん」
そもそも料理などできない自分たちはどうなるのかと暦は思った。
料理は文香が言ったとおりものすごく美味しかった。
小食の暦はすぐに満腹になってしまったのだが、文香とリアは華奢《きゃしゃ》なくせにかなりの健啖《けんたん》ぶりを発揮し全ての料理をぺろりと平らげてしまった。
「ぁはん※[#ハート黒、unicode2665] おねえちゃんがゆきの作った粗末な料理全部食べてくれたよお※[#ハート黒、unicode2665] ゆきの料理がおねえちゃんの身体の一部になるなんて光栄極まるよう※[#ハート黒、unicode2665] まるでゆき自身がおねえちゃんに食べられたかのような心持ちだよお※[#ハート黒、unicode2665]」
「とても美味しかったです、雪華」
「そう言ってもらえるとありがたいです。おねえちゃんのお客様に美味しくない料理を出してしまったらおねえちゃんに迷惑がかかりますから。それじゃおねえちゃん、ゆきは食器を片付けるね」
「……手伝う。皿洗いくらいならできる」
「リアも手伝います。こんなに食器があったら大変でしょう」
暦とリアが言うと、
「いいえ結構です。大変なんてとんでもないです。ゆきがお姉ちゃんのために労働することはゆきにとって至上の喜びなんです」
「もしかして雪華はシスコンなのですか?」
「……!」
暦が聞きたいと思っても口に出せなかったことをリアがズバリと尋ねた。
すると雪華は真顔で否定した。
「そんなんじゃないです。ゆきはおねえちゃんがおねえちゃんだから愛してるんじゃないんです。おねえちゃんがあまりにも神聖で神々しくて完璧《かんぺき》で素晴らしいから崇拝しているんです。誰だって神聖なものには敬意を抱くでしょう?」
「……」
シスコンどころではなかった。
「雪華ちゃんはおおげさですねえ」
文香がのんびりと言った。
食事のあと、三人は二階の文香の部屋に行った。
取り立てて特徴もない普通の部屋だが綺麗《きれい》に片付いていた。
ベッドはセミダブルで、枕の他にクッションとグルーミーのぬいぐるみが無造作に置かれている。
カーテンは可愛い花柄。
広さは八畳ほどだが、かなり広々とした印象がある。
本棚に入りきらない読み終わった本の入ったダンボールやまだ読んでない本が積み上げられた本のタワーで空間が圧迫されている暦の部屋とは大違いだった。
本棚に注目すると、半分も埋まっていなかった。
ライトノベルは十冊もない。
中学校時代の教科書とか参考書、ちょっと古い少女漫画、あとは空いているスペースに色違いのグルーミーが二体。
本棚にぬいぐるみを置くなんてなんという贅沢《ぜいたく》なスペースの使い方だろうと暦は愕然《がくぜん》とする。
ともあれ、文香が普段生活している部屋を見ることができて、暦は少し嬉しかった。
これが現役女子高生の部屋か、小説の執筆の参考にしよう……という、ちょっとアレなことも思った。
「文香はあまり本を持っていないのですか?」
リアが言った。
暦と同じく真っ先に本棚をチェックしていたらしい。
「ラノベ部に入るまで本を全然読まなかったんです。今も部室で借りてくることが多いですし。リアさんの部屋はどんな感じですか?」
「既に本棚に本が入りきらなくなっています。実家からかなり厳選して持ってきたつもりなのですが」
「お父さんにアメリカに送ってもらった日本の本を日本にまた持ってくるなんて、ぎゃくゆにゅうというやつですね」
「違います」
「違う」
文香の発言にリアと暦は同時にツッコんだ。
「暦の本棚はどんな感じですか?」
「……ちょっと溢《あふ》れている」
本当はちょっとどころではないのだが。
「……入りきらないから、本を二重にして入れている」
「基本ですね」
リアが言った。
「……二重ですか?」
よくわからず尋《たず》ねる文香。
「……本棚に本を入れて、その段にさらに別の本を入れる」
「それだと奥にある本がわからなくなりませんか? 取り出すときも大変ですし」
「勿論《もちろん》わからなくなる」
「当然取り出す時が面倒です」
「でも」
「そうするしかないのです」
交互に言う暦とリアに文香は少し驚いた顔をした。
「ちなみに暦。二重ならどうにか大丈夫ですが、三重にするとあまり丈夫でない本棚の場合、仕切りの板が本の重みに耐えきれずに折れてしまうことがあるのでご注意を」
「ん……」
知っていた……というか、経験があった。一度本棚を駄目にしてしまい、それ以来三重にはしないようにしている。
「部室みたいにたくさん本が詰まってる本棚にちょっとあこがれてたんですけど、あんまり集めすぎるのも考えものですね」
文香が言うと、暦は小さく首を横に振った。
「……ぎっしり詰まった本棚を見るとなんだか落ち着く」
「あ、それはリアもわかります。こんなに持っていてどうするのだと自分に呆《あき》れつつも微妙に誇らしくなりますし、本棚を眺めると読んできた本の記憶が蘇《よみがえ》ったりもします」
「……本棚の整理をするのも少し好き」
「同感です暦。偶《たま》に奥の本と前の本を入れ替えてみたり、出版社別に並べてみたり、面白かった順に上から入れてみたり」
こくこくと暦は頷いた。
特にテスト前とか〆切の直前とかになるほど、本棚から全部本を出して並べ替えてみたりしてしまう。
「むー、リアさんと藤倉さんの言ってることがさっぱりわかりません………」
文香は微妙な顔で首を傾げた。
「そういえばパソコンも無いのですね」
「お父さんの部屋にならありますよ。あまり使ったことないですけど。リアさんはパソコン持ってるんですか?」
「然《しか》り。日本の本やアニメの情報を仕入れるのにパソコンは欠かせませんから。ネット通販も出来ますし。アマゾンがなければ生きていけません」
「べんりそうですねパソコン。桜野せんぱいがやってるみたいなゲームもやってみたいですし」
「……パソコンは諸刃《もろは》の剣」
暦がぼそりと言う。
「……特にインターネット」
「確かに危険ですね。凄《すご》い勢いで時間を吸収されます」
「そうなんですか?」
「……好きな作家のブログとかを読んでリンク先からさらに他の作家のページに飛んだり、ウィキペディアの『三国志の登場人物』や『戦国大名』の項目を読んでいたらいつの間にか五時間くらい経《た》っていたりとか……」
「わかります!」
リアが力強く頷いた。
「単語や人名にリンクが張られているので知らない人名があったら直《す》ぐにその人の項目に飛べるのがまた憎いです。しかも別に必要があって調べている訳ではないので記憶に全然残らないのです。だらだらと色んな人のページを流し読みしていたら何時の間にか数時間。その数時間にどんなページを見ていたのかは全然思い出せないという……! あとゲーム関連の攻略wikiなども危険です。無双シリーズの各キャラ毎の難易度修羅での立ち回り方とか技の威力解析とか、そこまでやり込まないヌルプレイヤーの自分には絶対に必要のない情報までついつい読み耽《ふけ》ってしまうのです。本ならたとえ内容をすぐ忘れてしまっても『この本を読んだ』という明確な現実が残るのですが、ネットだと自分がどれだけの情報を無為に消費したのかも判《わか》りません!」
「ん……」
身に覚えがありすぎて暦の頬《ほお》に冷や汗が伝う。
「……インターネット、駄目絶対……」
特に〆切前は厳禁だ。
知識が増えるのだから小説の執筆にも役立つかもしれない、だから無駄じゃない……というエクスキューズがあるのが余計にタチが悪い。
「……よくわかりませんでしたけど、パソコンが怖いものだということはわかりました」
文香は少し引いていた。
……それからも二時間ほど三人の雑談は続いた。
場所が変わってもいつもの部活のノリとあんまり変わらなかった。
「おねえちゃん、お風呂を入れたよ。ゆきはいつものようにおねえちゃんのあとで入るからね。おねえちゃんの入ったあとのお湯は聖水だから飲むと無病息災《むびょうそくさい》になるの」
雪華が部屋に知らせに来た。
「それじゃあお風呂に入りましょうか。リアさんがくれた入浴剤も入れましょう」
雪華が飲むとかなんとか言っていたような気がするが、暦とリアはあえて聞かなかったことにした。
「文香、三人で一緒に入るのですか?」
「……!」
リアの言葉に暦はドキッとする。
たしかに漫画やライトノベルではよく女の子が一緒にお風呂に入るシーンがあるが、暦は自分の身体を見られるのがものすごく苦手だった。
誰もそんな同性の、しかも暦の貧相な裸になど興味はないとわかっていても恥ずかしい。
さらには、他人の裸を見るのもなんとなく気恥ずかしい。
小説のイラストや漫画だったら全然平気なのに。
小学校や中学校の修学旅行のときでさえ恥ずかしくて一人でさっさと身体を洗って湯船には入らずに出てしまったくらいだから、一緒に入浴など難易度が高すぎる。
「うちのお風呂、そんなに大きくないんですよね。二人ならなんとか大丈夫だと思うんですけど」
暦はホッとする。
「……それなら、私は一人でいい」
しかし文香とリアは、
「そんなのはよくないです」
「左様です。友人を一人だけハブにするなど有り得ません」
……その気遣いは嬉《うれ》しいけど、普段は遠慮なんてしないくせになんでこんな無駄な気遣いだけはするのかと、暦は二人の天然を恨めしく思う。
「……じ、実は私は……お、お尻《しり》に青痣《あおあざ》がある。それを見られるのが恥ずかしいから」
仕方なく嘘《うそ》をついてしまう。
「なるほど、だからこすぷれするときもあんなに嫌がったんですね……」
申し訳なさそうな顔をする文香に、申し訳ない気持ちになる。
「それなら仕方ありません……文香、二人で入りますか? それとも一人ずつ?」
「わたしはどっちでもいいです」
「では二人で入りましょう。リアは漫画や小説でよく有る様な、女の子同士が一緒に御風呂に入り『まるまるちゃんまたおっぱい大きくなったんじゃない?』『いやあん、やめてよどこさわってるのよばつばつちゃん』という会話を是非やってみたかったのです」
「………!」
暦は想像するだけで顔が赤くなった。
「……また大きくなったもなにも、わたしはリアさんの以前の胸の大きさなんて知らないんですけど……あとさわっちゃだめですよ?」
「なん……だと……!?」
リアはブリーチ顔で愕然《がくぜん》とした。
「リアはそれこそが本日のお泊まり会のメインイベントだと思って、胸はどの様な角度から揉めば良いのか、どの様な強さで揉めば良いのか等を昨夜色んな漫画を読み返して研究したのですが……そうですか、駄目なのですか……日本では其《そ》れが常識だと思っていました……」
お前は一体日本をどんな国だと思っていたんだと暦はツッコみたかった。
うなだれるリアに文香、
「むー……さわるのはちょっとだけですよ?」
「本当ですか!?」
焦ったのは暦だ。そんな素敵……いや、危険な行為をリアにさせるわけにはいかない。
「……ふ、文香……! 文香の胸は揉《も》むほどない……」
「…………」
文香は無表情になった。
「成る程。暦の言う通りですね……物理的に揉めません……其《そ》れではリアの胸を文香に揉んで頂くことにしましょう」
「……わたしがもんでそれ以上リアさんの胸が大きくなるとイヤなのでお断りします」
「Jesus!!」
思わず英語で嘆くほどショックらしかった。
文香とリアがお風呂に行ってしまい、暦一人が部屋に残された。
持ってきた本でも読もうと思って鞄を開ける。
未読の本が三冊に加え、文香に貸そうと思った本が五冊。
貸そうと思っていた本のうちの一冊を手に取る。
作者の名前は『富士河《ふじかわ》月詠《つくよみ》』――暦のペンネームだった。
中学二年生の時に初稿を書いた、暦のデビュー作である。
実は今日、これを文香に見せて、自分が小説家であることを告白するつもりだった。
……が、やっぱり恥ずかしいのでやめよう、リアもいるし。
そんなに売れている作品じゃないし世間的な評判も高くないから今後も文香の目に止まることはないだろうが、もしも文香が偶然これを読み、しかも面白いと言ってくれたときだけ、告白しようと思う。
そう思って暦は本をしまおうとした。
と、そのとき、ドアの外からノックの音がした、
本をベッドの上に置き、ドアを開けるとそこには布団を抱えた雪華がいた。
暦とリアのために運んでくれたらしい。
黙々と部屋に布団を遊び入れる雪華。
「……手伝う?」
「結構です」
微妙に刺々《とげとげ》しさを感じるような返事が返ってきた。
少し気まずさを覚えながら、暦はベッドの傍《そば》で立ったまま雪華の作業を見守る。
「それではごゆっくり」
敷き布団と掛け布団を二枚ずつ部屋の隅に遊び、雪華は淡々と言った。
と、その雪華の視線がベッドの上の本に向けられる。
「……あ、その絵可愛い」
ぽつりと言った。
「ん」
暦は頷く。
内容は今の暦からみればかなり稚拙《ちせつ》だが、イラストの方は表紙もそれ以外の挿絵も素晴らしいと自信を持って断言できる。
繊細《せんさい》な感じで男性からも女性からも幅広く支持されているイラストレーターなのだが、担当にイラストの希望を聞かれて個人的にファンだったその人の名を挙げてみたところ、希望が通った。
あとで知った話では、イラストは基本的に担当が決めることが多く、作家側の希望通りになるケースはかなり少ないのだとか。
表紙とはいえ、自分の本が褒《ほ》められて暦は嬉しくなる。
「…………読む?」
「いいんですか? あなたが読んでたんじゃ……」
「ん。私はもう何度も読んだから」
「……じゃあ、お借りします。明日の朝までには読みます」
「ん……でも返すときは文香とリアがいない時にして」
「はあ……わかりました」
怪訝《けげん》な顔をしつつ、雪華は本を受け取って部屋を出て行った。
文香とリアがお風呂から上がったあと暦もお風呂に入って、それからはまたリビングや文香の部屋でいつものように雑談をした。
夜中の二時くらいに文香とリアはほぼ同時に眠気のピークに達して眠ってしまったが、普段から睡眠時間の少ない暦は枕《まくら》や布団が違うこともあって全然寝付けなかった。
思えば修学旅行とかでもいつも一番最後まで起きていた気がする。
部屋の時計のカチカチいう音が妙にうるさい。
こういうとき、暦は無理に寝ようとはせずいつも本を読むことにしている。
明日は日曜日だし、徹夜でも問題ない。
枕元《まくらもと》に置いてある自分の鞄から音を立てないよう慎重に本を取り出して布団から出る。
そっと部屋のドアを開け、外に出る。
廊下の電気のスイッチを探すのにちょっと苦労したがどうにか明かりをつけ、階段を下りて一階のリビングへ。
修学旅行先の宿泊施設ならともかく他人の家の中を勝手に歩き回っていいのだろうかと今更思い至るが、開き直ってリビングの電気をつけ、ソファに座って読書を開始する。
つい最近発売されたばかりの新人のデビュー作で、作者は去年高校を卒業したばかりの十八歳らしい。
文章も展開も暦のデビュー作とは比べものにならないほど巧みで、これが中学生と高校生の実力の差かと愕然《がくぜん》とする。
デビューした以上は年齢など関係ないのだが、やっぱり意識はしてしまう。
もっと人生経験を積み、色んなことを勉強してからプロになった方がよかったのではないかとたまに後悔することがあるけど、今もそれを強く感じる。一時間ほどで三分の二くらい読み進めたそのとき、
――とん、とん、とん
階段の方から足音が聞こえた。誰かが起きてきたらしい。
リビングの扉が開かれ、入ってきたのは雪華だった。
「どうしたんですか? こんな夜中に」
「……眠れなくて読書」
「……そうですか。ゆきもさっきまで本を読んでいたところです。あなたに貸してもらった本」
雪華の目が少し赤い。
「…………どう、だった?」
暦はおそるおそる聞いてみる。
「…………すごく………………すごく感動しました!! すごい、すごい感動しました」
感動したことだけは伝わってきた。
「……そう」
ストレートに気持ちを伝えられて暦は顔を赤くした。
ファンレターならこれまでに三通だけもらったことがあるけど、読者に面と向かって直接感想を言われるのは初めてだった。
「はい! なんか、主人公の気持ちにすごい共感できたんです。なんかクラスで寂しかったりとかみんな騒いでるのに自分一人だけ楽しくなかったりとかそういうの」
「そ、そう」
暦は顔だけでなく身体《からだ》全体が熱くなるのを感じた。
その小説は一人称で、当時の暦自身の感じていた寂しさとかがそのまま反映されていたりするのだ。
「あの本を書いた人って中学生なんですね。だからかなあ」
「……だからかも」
技巧的にはアレだが、たしかに現役の中学生とのシンクロはしやすいかもしれない。
審査員の人にも中学生の瑞々《みずみず》しい感性がどうとか言われてたし。
「……ちなみに、その作者は今は高校生」
「そうなんですか。じゃあ他にも何か新しいのも出てるんですか?」
「……ん……一応」
「なら買わなきゃ! あの本もあとで自分で買います。また読みたいし」
「あ、あげる!」
雪華の言葉が嬉《うれ》しくて、思わず暦はそう口走っていた。
顔を真っ赤にし、
「……あげる……あの本……あなたに……」
「へ? いいんですか?」
「ん……家にまだ九冊あるし……」
そう言ってから、しまったと気付く。
作者である暦には出版社から見本誌が十冊送られてきたのだが、配る相手がいないので全部暦の部屋に置いてあるのだ。
「九冊!? なんで九冊も!?」
「…………ふ……布教、用……?」
苦しい嘘《うそ》をついた。
「じゃあおねえちゃんにもあげたんですか?」
「……あげてない」
「なんでですか?」
「……文香にはあんまり合わないと思ったから……」
「そんなの読んでもらわないとわからないと思います」
「……と、とにかく文香には駄目……」
「…………布教用って嘘ですね? ゆきは嘘ついてる人ってすぐにわかるんです」
「……」
暦は押し黙る。
「本当はどうしてなんですか?」
…………自分の小説をこんなに喜んでくれた子にこれ以上嘘をつくことが、暦には耐えられそうになかった。
「……私が、作者だから」
顔を真っ赤にして告白する。
雪華は驚いて目を見開いた。
「嘘っ! …………………………じゃない、みたいですね?」
「……本当」
「わあ……」
雪華は目をキラキラと輝かせた。
姉の文香が絶対にしないような、感情を全面に出した表情だった。
「す、すすすすすすすごいすごいすごいすごーい! さすがおねえちゃんの友達だけあってすごい! あ、ああああああ握手してもらっていいですか!!」
「……ん……」
照れながらも暦が手を差し出すと、雪華はぎゅっと手を振りぶんぶん振り回した。
「あ、握手しちゃった……握手しちゃった……」
目を潤《うる》ませる雪華に、暦まで嬉しくてちょっと泣きそうになる。
が、どうしても言っておかねばならないことがある。
「…………文香たちには内緒にしておいて」
「なんでですか? すごいのに……」
「文香には自分の口から言いたいから……お願い」
この重度のシスコンの妹が姉に隠し事をしてくれるだろうかと心配だったが、
「……わかりました。富士河《ふじかわ》先生のお願いとあらば、ゆきは神をも欺《あざむ》く背徳の徒となることも辞さない覚悟です」
「……あ、うん……ありがとう……」
やたら大仰な台詞《せりふ》回しに呆《あき》れつつ、とりあえず安心する。
……そういえばあの作品も、背伸びして普段絶対使わないような大袈裟《おおげさ》な言葉選びをしていた気がする。
今となっては正直恥ずかしいのだが……それが雪華の感性にガッチリ合ってしまった理由かもしれない。
「あ、あの……富士河先生」
「ペンネームで呼ぶのはやめて……」
暦は顔を赤くする。
実は本当にすらペンネームで呼ばれるのが恥ずかしくて、本名で呼んでもらっていたりする。
「わかりました! ……ええと…………………………お名前なんでしたっけ?」
どうやらこれまで『おねえちゃんの友達A(またはB)』としか認識されていなかったらしい。
「…………藤倉暦」
「わかりました、藤倉先生!」
「先生もやめて……」
ともあれ。
こうして暦に、家族と業界関係者以外に自分の秘密を知る者ができたのだった。
[#改ページ]
[#小見出し]   入れ替わり[#「入れ替わり」は太字]
「入れ替わりってあるじゃない」
いつものように美咲が突然そんなことを言った。
「定番のネタですわね」
綾が『性剣の刀鍛冶』と書かれた扇子《せんす》を開閉しながら頷いた。
現在、部室にいるのは美咲と文香と暦と綾の四人。
「いれかわり?」
眠そうな顔で文香が首を傾げる。
「そ。なんか他の人と頭をぶつけたりしたときに自分と相手の身体が入れ替わっちゃうのよ」
「そんなことがあるんですか?」
「フィクションの話よ。さすがに現実にはないでしょ」
「脳をこうかんしてもだめですか?」
「え……駄目ですかって……えーと、どうだろ」
素で尋《たず》ねられて美咲は戸惑う。
「うふふ、人格の根本は記憶ですから、記憶を司る脳を移植すれば違う身体に人格を入れ替えることも可能かもしれませんわね。人間の神経は非常に複雑ですからそう簡単に移植などできないでしょうけれど、そういう研究は各国で昔から行われているそうですわ」
綾の解説に美咲は少し引き気味だった。
「ま、まあそういう専門的っていうか生々しい話はいいや……あたし的には一時的に他の人と入れ替われたら面白いなーって思っただけなんで……」
「たしかにおもしろそうですね」
文香が言った。
「でしょう? ちなみに文香ちゃんは、もしも入れ替われるとしたら誰と入れ替わってみたい?」
「そうですね………………」
文香は三十秒ほど熟考し、
「きょにゅうの人がいいです」
「巨乳かあ……その発想はなかったな」
美咲が苦笑する。
「文香ちゃん、巨乳に憧《あこが》れてるの?」
「いえ、いろいろ大変そうなのでそんなにでっかくなくてもいいんですけど……一度くらいは『きょにゅうなんておもたいしー、じゃまだしー、おとこのしせんがうざいしー、ぜんぜんいいもんじゃないわよー』って、すごい上から目線で言ってみたい気がします」
「なんか実感がこもってるわね。巨乳女に嫌な思い出でもあるの?」
「べつにそういうわけじゃないんですけど。せめて浅羽せんぱいやリアさんみたいに、人から哀れみの視線で見られないくらいの体型にはなりたいです」
文香の隣で暦がこくこくと全力で頷いていた。
「……そういえば、桜野せんぱいってけっこうきょにゅうですよね……」
じっと胸元を見つめる文香に綾、
「確かに同年代の平均サイズよりは大きいようですわね。ですが胸など大きかったところで邪魔になることが多いですし重くて肩が凝りますし男性の視線も鬱陶《うっとう》しいですし、全然いいものではありませんわよ」
「……まさにそういう台詞を言ってみたいんです。身をもって実感してみたいんです」
「……ん」
文香と暦はジト目で綾を見つめるのだった。
「……本当にそんな良いものではないのですけれど」
自分の豊かな胸をふよふよと触りながら綾は言う。
「わたくしはむしろ、物部さんや藤倉さんと入れ替わりたいですわ。かつてとある偉人も『貧乳はステータスであり希少価値である』と申しておりますし。わたくしがもしも物部さんと入れ替わったあかつきには、藤倉さんの華奢《きゃしゃ》な身体《からだ》を思う存分に貪《むさぼ》る所存ですわ」
「……!」
想像して暦は顔を真っ赤にした。
「わたしの身体を使ってへんなことしないでください」
ちょっとあきれ顔で文香が言った。
「綾、あんたって百合《ゆり》もいけたの?」
「ホモもヘテロも百合も可愛いものならオールオッケーですわ」
「あっそ。……ともあれ綾が文香ちゃんと入れ替わるのは危険すぎるわね。一瞬で十八禁の世界に行っちゃうから。文香ちゃんと暦ちゃんはちょっと離れたところからニヤニヤしがら愛《め》でるのが正しい味わい方なのよ」
「浅羽せんぱいは浅羽せんぱいで何か変なことを言っているような気がします……」
文香は釈然としない顔で首を傾げ、暦はますます顔を赤くするのだった。
「そういえば、浅羽せんぱいは入れ替わるとしたら誰がいいんですか?」
「あたし? あたしは……お金持ち? 超|贅沢《ぜいたく》な生活を体験してみたいんだけど」
「……ふつうですね」
「極めて普通ですわね」
「……普通」
美咲の発言に二人は冷めた反応を返した。
「……へいへい。どーせあたしは一般庶民ですよー」
少しいじける美咲に文香、
「ところでちょうぜいたくな生活ってどんなのですか?」
「え? 具体的にはそうねえ……リムジンで送り迎えとか毎日三つ星レストランの料理を食べるとか……」
「藤倉さんは入れ替わるとしたらどなたですの?」
「っておいリアクションすら無しですか!?」
美咲の抗議は二人に無視された。
「…………私は…………………………猫」
数秒間悩んだ末に暦は答えた。
「あー、ねこいいですね〜」
「うふふ、とっても可愛らしい発想ですわ」
「ん……」
暦が頬《ほお》を染める。
「……あたしとの反応の違いは何?」
美咲はジト目で三人を見つめるのだった。
「あ、そうだ。じつさいにやってみたらどうでしょう」
唐突に文香が言った。
「……?」
首を傾《かし》げる暦たち。
「入れ替わったという設定で動いてみるんです。こすぷれのようなものです」
「コスプレとはまた違うと思うけど……まいっか。入れ替わったつもりになって行動すればいいのね?」
「はい」
「ふーん、じゃあ今からあたしセレブ。セレブざます」
「……口癖が『ざます』ってこれまたステレオタイプなセレブ像ですわね……」
あきれ顔の顔に美咲は少し顔を赤くする。
「う、うるさいざます。綾は今から文香ちゃんね。文香ちゃんは綾、暦ちゃんは猫になるざます。セレブの命令ざます」
「猫……!?」
絶句する暦に、綾と入れ替わったという設定の文香が微笑《ほほえ》む。
「うふふ。かわいらしい猫ですわね」
笑い声すらも棒読みだったがそれでも暦は赤面する。
「…………にゃ、にゃあ……」
顔を俯《うつむ》ける暦ののど元を文香が軽く撫《な》でる。
「はにゃぁっ※[#ハート黒、unicode2665]」
瞳《ひとみ》を潤《うる》ませる暦に文香は相変わらずの棒読みで、
「うふふ。この猫はうけでしょうか。せめでしょうか」
文香という設定の綾はジト目で、
「……入れ替わると、他の人が自分のことをどういう人間だと思っているのかもわかってしまうようですね。わたくし……わたしだって、愛玩《あいがん》動物を普通に愛でることくらいありますよー」
美咲が暦の頭を撫でる。
「ん……」
眠たげな顔で微《かす》かな吐息を漏らす暦に美咲はうっとりする。
「あー可愛いなあ……ざます」
「このセレブはうけでしょうか。せめでしょうか。猫かけるセレブでしょうか。セレブかける猫でしょうか」
「わたくし……じゃなくてわたし、いくらなんでもペットと飼い主を見かけて即カップリング妄想するほど病んではおりませんわ……ですよ〜。物部さん……じゃなくて桜野せんぱいったらひどいと思います」
抗議しつつ、綾も暦を撫でる。
「かわいいですねー、藤倉さん、食べてしまいたいですー」
「〜〜〜!」
文香という設定の綾に言われて暦は顔を真っ赤にした。
「うふふ。せんぱ……じゃなくて物部さんはうけでしょうか。せめでしょうか。文香かける猫がいいと思いますけどりばーす? や、猫のさそいうけ? もありですわね」
「文香ちゃんがいつの間にか妙な専門用語覚えてる……! あ、ざます」
美咲は愕然《がくぜん》としつつも猫暦を愛《め》でる。
「あ、そうだ」
ふと手を止め、机の上に置いてあった自分の鞄を漁《あさ》る。
中から取りだしたのは結構人気のあるチョコレート菓子だった。
六粒で三百円と学生的にはそこそこお高い。
「ほーらネコヨミちゃん、高級チョコレートざますよー。あーんして〜※[#ハート黒、unicode2665]」
「ん……」
赤面しつつ暦もそのお菓子は好きだったので素直に口を開き、美咲が暦の口にチョコを入れる。
「チョコレートはうけでしょうか。せめでしょうか。うふふ」
「ん……」
美味しかったので暦は微妙に顔を綻《ほころ》ばせる。
「……桜野さ……せんぱい、猫にチョコレートは確か危険だった筈《はず》ですわですよ〜」
緊張感のない声で文香という設定の綾が言う。
「え、そうなざますの?」
「チョコレートに含まれるカフェインなどの物質が猫にとって有害……ゆうがいです。しんけいけいにいじょうをきたすおそれがあるそうですよー」
「大変です。猫さんが死んでしまいます……わよ」
「え……」
そんなことを言われても暦は困るしかない。
もうチョコは飲み込んでしまった。もう一個食べたい。
「猫さん。大丈夫ですか…しら」
「…………」
……仕方なく、神経系に異常をきたした猫の真似《まね》をやってみようとする。
「……にゃ、ぐにゃあ……? にゃぎゃあ(棒読み)」
「大変です。藤倉さんが苦しんでいます、わ」
「ど、どうすればいいのセレブ的には? じつにぼくは二千四百円の損害だ、とか言えばいいのざます?」
「とりあえず吐かせてみては……」
「……!?」
真顔で動揺する三人に暦は焦る。
「ええと、みぞおちとかを殴ればいいのかなざます?」
「! ……にゃ、にゃぎゃあ、ぎゃ、ばた…………死んだ」
慌てて死んだことにして暦は机に突っ伏した。
「ておくれでした……」
「どこかの似非《えせ》セレブのせいで……」
「じっに二千四百円の損害ざます…………つーかなにこの流れ」
不意に我に返った美咲が苦笑した。
「あー、やめやめ」
ホッとして暦はむくりと起きあがった。
「藤倉さん、猫と入れ替わったときは食べ物に注意しないといけませんね」
のんきな顔で文香が言った。
「ふう……入れ替わったふりというのもなかなか難しいものですわね。特に一般人が突然セレブになってもろくな対応ができないことがよくわかりましたわ」
綾の言葉に美咲は顔を赤くした。
「うっさいなー。だったら今度はもっと身近な人でやってみるわよ」
そして美咲は不意に目を少し細め、真面目《まじめ》っぽい顔になった。
「みぢかな人?」
「どなたと入れ替わるおつもりでしょう?」
「…………」
三人に注目された美咲は、何故《なぜ》か眼鏡《めがね》もかけてないのに眼鏡のブリッジを中指でそっと持ち上げるような動作をした。
「……な、なんだよお前ら……ジロジロ見るなよ……」
戸惑い顔で言う美咲に、文香たちは驚愕《きょうがく》する。
「たけだ……せんぱい?」
声や外見は似ても似つかないのに、美咲の仕草《しぐさ》や口調はまさしく竹田龍之介そのものだった。
「ああ? 何か用か、物部」
「あ、いえ、べつに……」
竹田のフリをしているだけで本当は美咲なのに、文香は何故かどきっとした。
「はあ……まるで本当に竹田くんと入れ替わってしまったようですわね」
「入れ替わる……? 何をおかしなこと言ってるんだ」
「……すごい、本当になりきっていますわね……」
心底感心する綾。
「竹田くん、あなたの身長をお聞かせ願えますか?」
「身長? 172だけど………っておい、まさか妙な同人誌の資料とかに使うんじゃないだろうな!?」
「……本当に竹田くんですの? さ、最近読んで面白かった本は?」
「最近か……『重力ピエロ』かな……出たのは結構前だが」
「な、なんとなくそれっぽいですわね……」
「好きな食べ物は?」
「……お前、そんなこと知ってどうするつもりだ?」
「こんなふうに微妙に素直じゃないあたりも竹田くんっぽいですわ……」
「あの、す、好きな人はいますか?」
唐突に文香が言った。
「は!? おま、物部まで何言い出すんだよ……」
動揺した演技(?)をする美咲。なんと顔まで赤くなっていた。
「いるんですか?」
「い、いねえよ……そんな……」
ばつが悪そうに美咲は顔を背けた。
文香はホッとしたのか残念そうなのか曖昧《あいまい》な表情を浮かべた。
「ほら、もういいか? お前ら変だぞ……」
当惑の色を浮かべて美咲は嘆息《たんそく》する。
その瞬間、雰囲気ががらっと変わった。
「ふー、どうだった?」
その仕草《しぐさ》や快活な笑顔はまさしく浅羽美咲のものだった。
「本物みたいでしたわ。……そっくりすぎて逆に引きます」
「だったらどうすりゃいいのよ……」
綾の言葉に美咲は憮然《ぶぜん》とした。
「……すごかったです。本当に竹田せんぱいのことをわかってないとあんなに上手《うま》くはできないと思います」
文香が少し寂しそうに言って、それを聞いた暦も微妙に顔をしかめた。
「まあ龍ちゃんとは付き合い長いしね。あれくらいなら別に楽ちんかな」
「……そうなんですか」
「ま、龍ちゃんの物真似が出来たからって別にいいことなんか何もないしね。色々知りすぎてるってのも結構問題あるわけですよ」
そう言って、美咲は何故か遠い目をした。
「……?」
よくわからず、文香は首を傾げた。
[#改ページ]
[#小見出し]   ラノベ部はじめて物語D 『ビター・マイ・スウィート』[#「ラノベ部はじめて物語D 『ビター・マイ・スウィート』」は太字]
「幼なじみっているじゃない」
唐突に美咲がそんなことを言った。
つい三日ほど前に設立されたばかりのラノベ部――公立富津高校軽小説部の部室。
室内にはテーブルが置かれているだけで、本棚すらない。
「……そりゃまあ、いるな」
竹田はそう答えた。
事実として目の前に幼なじみがいるので、そう答えるしかなかった。
現在、部室にいるのは竹田と美咲だけ。
残りの二人の部員――桜野綾と堂島潤はまだ来ていない。
「漫画とかラノベでも幼なじみって結構よくいるのよ」
「あー……たしかにそうだよな」
ここ最近ライトノベルばっかり読んできた竹田だが、主人公に幼なじみがいる作品はかなり多かったと思う。
「で、大抵の幼なじみって実は主人公のことが好きだったりするじゃない」
「……そう、だな」
それも、内気だったり奥手だったりツンデレだったりで、本当は主人公のことが好きなのだがその気持ちを主人公に打ち明けられないでいる奴ばかりだった。
主人公は主人公で、幼なじみの気持ちに気付かない鈍感な奴ばかりだった。
「幼なじみが出てくる話の主人公ってさ、なんであんなに鈍感なんだろうね」
美咲が言った。
「すっげー可愛い幼なじみの女の子が毎朝起こしにきてくれたり朝ご飯やお弁当作ってくれたり看病してくれたりするのよ。主人公が他の女の子とベ夕べタしてたりしたら怒ったり嫉妬《しっと》したりすんの。それでどうして好意に気付かないのかしらね」
お前が言うなよと竹田は思った。
「……そうだな。鈍感にもほどがあるよな」
「うんうん、普通は気付くよねえ」
「……そうかなあ」
竹田は微妙な苦笑を浮かべて首を傾《かし》げる。
「そうよー」
「……そうか?」
「うん、絶対そう」
美咲は自信満々に頷く。
「あたしが主人公だったら絶対気付くもん」
「……そうかよ」
竹田はちょっと腹が立った。
そこへ、
「だって龍ちゃん、あたしのこと好きでしょう?」
竹田の身体が硬直した。
美咲は柔らかく微笑《ほほえ》む。
「違う?」
「……………………………………………………………………………………違わない」
顔を赤らめ、憮然《ぶぜん》として竹田は美咲の言葉を肯定した。
事実上の告白だった。
「……気付いてたのか?」
「そりゃ気付くわよ」
「いつから?」
「うーん……二年くらい前から?」
「…………」
竹田は唖然《あぜん》とする。
幼稚園だか保育園の頃、大人になったら結婚しようと約束したときは、なんとなくこのまま美咲と結婚するのかなーと思ったから結婚しようと言ってみて、美咲の方も多分なんとなくOKしただけだった。
幼稚園の先生とか美咲の従姉妹とか小学校のクラスメートとか、色んな人のことを好きになって、美咲への気持ちなどいつのまにか消えていた。
それが変わったのが大体二年くらい前のことだ。
背が伸び胸も膨らんで急に女っぽくなっていく幼なじみのことを、竹田はいつの間にか強く意識するようになっていた。
そんな昔から自分の気持ちに気付いていたのか。
「……知ってて、それでもあんな無防備な態度をとってたのか」
非難するような口調になったのは否めない。
二年間――自分は遊ばれていたということだろうか?
それはあまりに、残酷ではないか。
いくらなんでも自分が惨めすぎるではないか。
「パンツ見られたり抱き合ったり胸触られるくらいなら別にいいわよ。龍ちゃんになら」
「……だからそういう誤解を招きそうな発言はやめろ」
「誤解って、『このオンナ俺に気があるんじゃねーの?』とかそんな感じの誤解? 他の男の子ならともかく、龍ちゃんだけは誤解しないでしょう?」
「…………」
竹田は押し黙る。
それはある意味、圧倒的に強い信頼だった。
美咲が竹田の恋心をすぐに悟ったように、竹田の方も『彼女は自分に対して恋愛感情など持っていない』ということを絶対に理解してくれるだろうという、残酷な信頼。
「龍ちゃんとはずーっとこのままの関係でいたかったのよね」
美咲はぽつりと言った。
「龍ちゃんはあたしにとって特別なのよ、やっぱり、すっごく」
「…………」
「物心つく前からの知り合いで、お互い他人にはゼッタイに言えないような恥ずかしいこともいっぱい知ってて、そばにいるのが当たり前で、平気で相談できて、平気で頼れて、平気で迷惑かけられて、平気で傷つけられる。そんな人、他にはいないし、これから先どんなに仲がいい親友ができても、どんなに好きな恋人ができても、誰も龍ちゃんの代わりにはなれないと思う。絶対に」
特別。
「……特別すぎて、いまさら恋人になんてなれないよ」
どこか寂しげに、美咲は呟く。
「主人公と幼なじみがくっつく小説や漫画っていっぱいあるけど、あたし達はそうじゃなかったみたい。幼なじみじゃなかったらよかったのにね。そしたらあたし、龍ちゃんに転んでたかも。龍ちゃん、めっちゃいい奴だし」
「幼なじみが当て馬で終わる小説も多いけどな。俺たちもそうだったんだろ」
今のところ、竹田の物語にも美咲の物語にも、メインヒロインやヒーローらしき人物は見あたらないが。
「……ちなみに俺は逆に、幼なじみじゃなかったらお前を好きになったかどうか正直自信がない。俺は頭が悪いから、お前の良さに気付かなかった気がする」
「……世の中うまくいかないもんね」
「……そうだな。そんなふうに簡単に割り切りたくはないけどな」
「誰だってそう思うよ」
「そうだな」
誰も望んでなどいないのに、事実として世の中はうまくいかず、人間関係は難しい。
美咲はため息をついた。
竹田もため息をついた。
そして問いかける。
「……なあ、なんで今頃になってそれを言うんだ?」
「ん……」
「これまで気付かないフリをしてきたんなら、これからもそうすればよかったのに。つーか、そうするべきだろ人として。……いま俺、結構辛いぞ。つうか、泣きたい」
竹田はそう言って弱々しく笑った。
「……無事にラノベ部を作れたから、もう俺は用済みってことか?」
言葉に刺《とげ》が混じったのは否めない。
美咲は寂しそうに笑う。
「区切りをつけるなら今しかないかなって」
「区切りをつける? この関係をか?」
美咲は頷いた。
「今はまだ部活の見学期間。つまり一年生は誰も、正式には部活動に所属してない」
「…………」
「ラノベ部への入部をとりやめるなら今だよってこと。部員数が三人に満たなかったら正式に部を設立できなくなるんだけど、龍ちゃんが堂島くんを連れてきてくれたおかげで、一人抜けても部は作れる。逆に今を逃したら、少なくとも一年間はずっとあたしと同じ部に所属しなきやいけない」
美咲の顔から笑みは消えていた。
「あたしを見捨てるタイミングは、今しかないわよ」
そんな美咲の言葉を――
「はっ」
竹田は鼻で笑った。
「……龍ちゃん?」
「そう言われてやめられるわけねえだろ。なめんな。さっきお前、俺が特別って言ったたけど、それは俺だってそうだ」
「…………」
「特別すぎて、振られたくらいで他人になんてなれるかよ」
竹田の言葉に、美咲は呆《あき》れたような安堵《あんど》したようなため息を漏らした。
「……ホントに龍ちゃんって生きにくい人ねえ」
「……自分でもそう思う」
「じゃ、まあ、これからもよろしくね、龍ちゃん」
「ああ」
こうして、竹田龍之介は失恋した。
そしてこれが、この先ラノベ部で何度も行われる雑談、浅羽美咲の『●●ってあるじゃない?』シリーズの記念すべき第一回だった。
[#挿絵(img/2-247.jpg)]
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[#小見出し]   ヤロートーク[#「ヤロートーク」は太字]
サッカー部の練習がない日だったので、吉村士郎はラノベ部の部室にやってきた。
部室にいたのは男子二人――竹田龍之介と堂島潤。
喋《しゃべ》りもせず適当な席に座って、黙って本を読んでいる。
「今日は先輩たち二人だけッスか?」
「んー」
「そうみたいだね」
竹田と堂島からそれぞれ一言だけ返事が来て、また二人は読書を再開する。
「…………」
なんとなく居心地の悪さを感じる吉村。
よく考えると、男子部員の三人しかいないという状況は初めてのような気がする。
せっかく部室に来たのにすぐ帰るというのもアレなので、自分も適当な本を読むことにした。
手近な棚を物色すると、ちょうどこの前美咲が面白いと言っていた本が見つかったのでそれを手に取る。
あらすじを読む限り、吉村にも合いそうだった。
近未来世界でロボットを使った特殊な競技を勝ち抜いていくという、熱そうな感じのストーリーだ。
吉村は読んだあとスカっとする熱い話が好きで、どちらかといえば魔法よりハイテク技術もしくは超能力が出てくるのがいい。
あとラノベ部に入ってからはラブコメ系も読むようになった。
いかにも『恋愛小説』という感じのしっとりした話ではなく、なるべくコメディ色が強くて賑《にぎ》やかなのがいいと思う。
適当な椅子《いす》に座り、吉村はページをめくる。
男三人が黙々と読書。
二十ページくらいまで読んだところで、吉村は文字を追うのを止めた。
なんか読書に集中できない。
静かな環境というのはむしろ読書に適している筈《はず》なのだが、同じ空間に複数の人間がいるのに無言というのがどうも馴染めないのだ。
図書館とかも苦手で、マックとかグラウンドとか周囲がある程度ざわついている方が吉村は読書に集中できる。
(どうすっかなー)
美咲もいないし帰ってしまおうかと迷いながらも、また文字を追う。
と、そこで一つの単語に目が止まる。
『萌《も》え』
よく聞く単語なのだが、実はそれがどういう意味なのか吉村にはよくわかっていなかったりする。
「……ちょっと質問いいッスか?」
吉村が言うと、
「なにー?」
本を読みながら堂島。
「……『萌え』ってなんすか?」
竹田と堂島のページをめくる手が止まった。
「……難しい質問だな。つーか、俺も実はよくわからん。好きとは違うんだよな?」
竹田が妙に真剣な顔で言うと堂島、
「なんかねー、好意は好意なんだけど、『好き』って言葉で表すと微妙に違和感を感じるみたいなね……」
言いながら堂島も頭をひねった。
「……ごめんぼくも上手《うま》く説明できないや。言葉で理解するものじゃなくて心で感じるものだと思うし」
「心で感じる……ッスか。先輩たちはどういうときに萌えるんスか?」
「ぼくはそうだねー……可愛いもの……可愛い子とか可愛い行動とかを見たときにきゅんとなる感じ、かな?」
「エロとは違うんスよね?」
ちなみに普段吉村は、女の子が部室にいるとき堂々とエロとか言わない。
「エロとは違うよ」と堂島。
「でもあれッスよね。エロいゲームってあるじゃないッスか。ああいうゲームに出てくるキャラのことを萌えキャラって言うんじゃないんスか?」
「ああいうゲームのキャラ|も《ヽ》萌えキャラって言うし、ああいうゲームに出てくる萌えキャラに萌えたりもするね」
「でもあれッスよね? その萌えキャラにエロいことをするんスよね?」
「するね」
「それはやっぱりエロじゃないんスか?」
「萌えるコにエロいことをしたい、萌えキャラのエロいシーンを見たいっていうのはエロなんだけど、でもやっぱりそのエロ欲求自体は萌えとイコールじゃないんだ」
「よくわかんねえッス……」
首を傾げる吉村。
「萌えエロなんて言葉もあるくらいだから、エロと萌えの親和性は高いと思うよ。でも萌えとエロはイコールでもないしどっちかがどっちかの延長線上にあるわけじゃないとぼくは思うんだ。ぼくは可愛い女の子や男の子に萌えるけど、その子と付き合いたいと思うことはあんまりないし、その手がエッチしているところを見たいという気もあんまり起きないし。世の中には『マルドゥック・スクランブル』に出てくるネズミのウフコックみたいに普通の人はまず性欲の対象には見ないキャラに萌える人だっているんだから、やっぱり基本的にエロと萌えは別物だと思うよ」
「…………俺、ウフコック萌えは正直、なんとなくわかる」
竹田がぽつりと、少し恥ずかしそうに言った。
「だから俺としても、性欲っていうより父性とか母性? 子供に対する保護欲に近いものだってことにした方がしっくりくるな」
「性欲も父性や母性も根本にあるのはどっちも遺伝子の自己保存本能じゃないッスか?」
「……まあ、それはその通りなんだよな……」
竹田は釈然としない顔をしながら頷く。
「ふむ……だったら萌えってのは、父性や性欲と別ラインに派生した、自己保存本能の変形したものの一種? 突然変異? そんな感じでいいのか?」
「いいんじゃない?」
どうでもよさげに堂島。
「言葉で理解したところで実際に萌えられるわけじゃないしさ。いろいろ本読んだりゲームやったりしてれば、いつの間にか自然と何かに萌えてるんじゃない? このキャラ可愛いなーとか思うことくらいあるでしょ?」
「……萌えを体得するために頑張るッス」
「努力して体得するようなものなのか……?」
決意する吉村に、竹田があきれ顔で言った。
会話はそれで途切れ、再び無言で本を読む三人。
十数分後、沈黙を破ったのは堂島だった。
「萌えで思い出したんだけどさ」
「うっす」
「おう」
「ラノベ部って可愛い娘多いよね」
「萌えで思い出すなよ」
ジト目で竹田。
「たしかに物部と藤倉ってなんかちっこいッスねー。男女問わず、可愛い可愛いって言ってる奴が結構いるみたいッス」
「士郎くん的にはどうなの?」
「うーん……正直、ちっこいなーとしか思わないッスね。特に藤倉の方、なんか俺に対する態度が冷たいんスよね。あれならうちで飼ってる犬のが可愛いッス。懐いてくれるし」
「ペットと比べてやるなよ……さすがに失礼だろ」
竹田が注意すると、
「んじゃ龍くんは文香ちゃんと暦ちゃんのこと、女の子的に見て可愛いって思う?」
「あ? ……まあ、かなり可愛い方なんじゃないか?」
「抱ける?」
「……お前なあ」
堂島のストレートな言い方に竹田はジト目になる。
「なら婉曲《えんきょく》に。父性と性欲のどっちの方がしっくりくる?」
「それ婉曲か? より本質的な問いになってる気がするが。…………まあ、父性かなあ」
律儀に答える竹田。
「じゃあアイツはどうッスか? 新入部員の外人」
「リアちゃんはすっごい可愛いよねえ」
「……確かに」
多分それを否定できる男子もあまりいないだろう。
「父性と性欲どっち?」
「…………」
無言の竹田に堂島はニヤニヤする。
「エロいなー龍くん」
「エロくねえ。年下に見えない女に父性なんて発揮できるかよ」
「年上すら包み込んでしまうのが男の包容力だよ?」
「知るか」
憮然《ぶぜん》として竹田は言った。
「でもまあ、たしかにこの部ってレベルたけーッスよね」
「綾ちゃんがいてさらにリアちゃんまで入ってくれたことで、フツ校の和風洋風二大美女を独占しちゃってるよねー」
「あー……桜野なあ……」
竹田は探々とため息をついた。
「……桜野先輩は……うーん……」
吉村も残念そうな顔。
「……まあ、言いたいことはわかるよ」と堂島も苦笑。
綾の見た目がパーフェクトなのは三人とも認めるところなのだが。
「桜野先輩って教室でもあんな感じなんスか?」
「いや、美咲の話では部室以外では物憂げなお嬢様キャラとして通してるらしい。まあさすがに入学して一年以上も経てば本性に気付く奴も結構いるみたいだが」
「そ、その浅羽先輩はどうッスかね!?」
吉村が少し顔を赤くして言った。
「美咲ちゃんはふつーだよね。ふつーに可愛い感じ」
「……まあ、普通かな」
二人の答えに吉村は驚いたような顔。
「そ、そうッスか? じゃあリアと浅羽先輩を比べたら……」
「リアちゃん」「客観的に考えてリア」
「物部と浅羽先輩は……」
「将来性を考えると文香ちゃん」「物部じゃないか?」
「そ、そうッスか……」
「……でもまあ、外見がいいイコール魅力を感じるってわけでもないからな。吉村が美咲の方が好きならそれでいいんじゃないか?」
淡々と言う竹田に吉村は顔を赤くする。
「ベ、ベベつにオレ浅羽先輩が好きとかそういうわけじゃ……!」
「ん? そうなのか。まあどうでもいいけど」
「ぼくもどーでもいいかな」
「そうッスか……どうでもいいッスか……」
どうでもいいと思われるのもそれはそれで凹《へこ》む吉村だった。
「……にしても、女子部員に聞かれたらまずいよなこの会話」
竹田は苦笑した。
「たしかにかなり失礼な発言もあったッスね……」
「でもま、ぶっちゃけ女の子の方がもっと容赦《ようしゃ》なくてヒドいけどねー」
「そうなんスか?」
堂島は頷く。
「うちの部の子たちはあんまりそういう感じじゃないけどね、同級生の女の子たちと一緒にケーキ食べに行ったりするともうすごいよー?」
「女子と一緒にケーキを食べに行く堂島先輩がむしろすげーッス……」
なにやら尊敬の眼差しを向ける吉村。
「ケーキとかパフェとかオレ結構好きなんスけどね……」
「え? なら食べに行けばいいじゃない」
「……」「……」
あっさり言う堂島に、吉村と竹田は目を合わせた。
「オレにはサッカー部の連中とマック行くのが限界ッスから……」
「ふーん?」
美少女のような顔で堂島はきょとんと首を傾げた。
「……なんつーか先輩、勝ち組って感じッスよね」
「そう? でもまー、こんなぼくにも触れれば切れるナイフのように戦士ティブな時代だってあったのさー」
「……とても敏感《sensitive》な奴の発言とは思えん。まあ実際、いろいろあったけどな」
一年前の堂島を思い出しつつ、竹田は苦笑した。
「いろいろない人なんていないと思うけどねー」
堂島が笑い、
「あー、ケーキの話したら急に食べたくなってきちゃった。これから行かない? 美味《おい》しいお店があるんだよ。甘いもの苦手な龍くんでも多分あそこのならいけると思う。コーヒーも美味しいし。お客さん女の子ばっかだけど」
「……遠慮しておく」
「オレも……」
断りつつも竹田、
「でもまあ、俺も少し腹減ったな。マックでも行くか」
「マックならぜひご一緒するッス」
「こ、これは龍くんからデートのお誘い……!?」
「死ね」
「おいおい龍くんよー。外面だけはいいこのぼくが一緒に飯食ってやるって言ってんだぜー? 素直に喜べよー」
「そうか、なら内側から腐って死ね」
「言葉は暴力になるんだよ? 死ねば?」
「うるせえ死ね」
「死ねっていうやつが死ね」
「黙れ腐れ」
「ハンバーガーぼくが奢《おご》ってあげるから死なない?」
口々に罵《ののし》り合いながら部室を出て行く二年生二人のあとを吉村は慌てて追う。
ぶっちゃけ、ラノベ部には浅羽美咲目当てで入ったけど。
たまにはこういう日も悪くないかなと吉村は思った。
[#地付き](終わり)
[#改ページ]
各話あとがき[#「各話あとがき」は太字]
【ラノベ部はじめて物語@】
ジャージいいですよねジャージ。あと寝癖《ねぐせ》!
【コスプレ】
初めてのコスプレには拙著『ねくろま。』のメインヒロインがおすすめです。常に全裸なので衣装を用意する必要がなくてとってもお手軽! 逮捕されないよう注意。
【ラノベ部はじめて物語A】
職業柄、ライトノベルの定義についてはたまに考えたりしますが、竹田君の考えイコール作者の考えではありません。なるべく多くの違った考えを書いていきたいです。
【超能力】
たまに「テレポートした先にある空気はどうなるのか?」と考えることがあり、怖くて眠れなくなります。教えて科学に詳しい人。
【メタ論 -cogio ergo sum-】
おでこをくっつけて熱を測るというシチュエーションが大好きです。前半部分はさらりと流すのがいいかと。
【AURA 〜光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士〜】
二つ名について真面目に(?)語る予定だったのですが、何故かこんなことに。話がどんどんずれていくのが雑談の醍醐味《だいごみ》だとも思います。
【リレー小説『鳳凰寺紅蓮最後の闘い』】
文香パートが一番書きやすいです。他の連中は文体の使い分けが難儀。
【留学生】
新キャラ初登場。リアの台詞《せりふ》は漢字の変換が面倒です。
【マイペース娘×2】
「ちょべりぐ」とは「超ヴェリーグッド」という意味の古代精霊語です。
【ラノベ部はじめて物語B】
綾さんが本格的におかしくなったのはラノベ部に入ってからです。【フレンズ・ウィズ・ナイーブ】
よかったら暗証番号クイズは自分でも作ってみてください。
【幽霊】
実はデビュー作が幽霊の話だったのですが、オカルトは全く信じてないです。
【ラノベ部はじめて物語C】
載せるべきか大いに迷った話。できれば堂島君を嫌わないであげてください。
【妹がこんなに可愛いわけがない】
雪華視点のモノローグが十ページほどあったのですが、過激すぎたので削りました。
【入れ替わり】
あまりにも平凡で恐縮ですが、美少女と入れ替わりたいです。
【ラノベ部はじめて物語D】
一年後の竹田君の恋にご期待ください!
【ヤロートーク】
男ばっかで益体《やくたい》もないことを駄弁《だべ》っている雰囲気って個人的には大好きです。
【あとがき】
そんな感じで『ラノベ部2』でした。今回もイラストのよう太《た》さん、担当Kさんをはじめ、大勢の人の力があってどうにか本の形にすることが出来ました。ありがとうございました。それではまた次の本でお会いしましょう。
[#地付き]二〇〇八年十二月二十四日 平坂読《ひらさかよみ》
【追伸】
MF文庫Jのホームページで『ラノベ部』の立ち読みが出来ます。他の本より読める量が大幅に増えているので、周囲に読んでない人がいたらぜひ教えてあげてください。