平三郎の首 人斬り弥介 その二
峰隆一郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)中山道《なかせんどう》、
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二月|初午《はつうま》の日に、
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走《そう》  狗《く》
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中山道《なかせんどう》、新町宿と倉賀野宿との間には、烏川《からすがわ》があり、舟渡しになっている。
新町宿は、上州《じょうしゅう》縁埜《えんの》郡である。天領と旗本領で、江戸から二十三里三十四町四十間の所にあり、家数は二百八十六軒、新町宿と改められたのは、昨年のことで、それまでは、新宿と呼ばれていた。人口は千三百余である。
一方、倉賀野宿は、上州群馬郡、高崎藩領で、江戸から二十五里十二町四十間。宿場内の往還は三十九町余あり、人家四百三十七軒、人口は二千人余あった。
つまり、新町宿は中山道では中程度の宿場であり、倉賀野宿は、大きな宿場に属していたのである。
地元の人は、烏川を柳瀬川《やなせがわ》といい、渡しを柳瀬の渡しと称していた。中山道を往来する旅人は、この川を渡ることになる。
道中記によると、渡し場近くの柳瀬川の川幅は常水時に二十間、増水時には五十間になるとある。もちろん、降雨による満水時には川留となる。ちなみに、渡し賃は一人十文であった。
この柳瀬の渡し場に、新町宿から街道を上って来た浪人の姿があった。齢《よわい》三十もなかばと見え、濃淡の鼠縞《ねずみじま》の着物を着流しにして、黒塗りの饅頭笠《まんじゅうがさ》を頭にしていた。腰には朱塗り鞘《ざや》の佩刀《はいとう》がある。背丈は五尺八寸ばかりもあって、逞《たくま》しい体つきである。肩幅ががっしりと広いのは、膂力《りょりょく》を秘めているものであろう。
この浪人には、三十前後と見える町人風の連れがあった。股引《ももひき》に手甲脚絆《てっこうきゃはん》の旅姿で、腰には同じ朱塗り鞘の道中差しがある。
浪人にも町人にも、朱塗り鞘は、いかにも似合っていなかった。鞘の朱色だけが目立ってしまうのである。
八月の空は、炒《い》りあげるような暑さで青く晴れ渡っていたが、少し風があった。
渡し舟を待つ旅人たちは、渡し場を中心にして、それぞれに木陰を求めて散っていた。渡し場には、此岸彼岸に休み茶屋がある。床几《しょうぎ》が並べられ、天井を簀《す》の子《こ》でおおってあり、その簀の子に、藤が巻きついて、いかにも涼しげに見えた。
浪人と町人は、その休み茶屋の床几に腰を降ろし、女が運んで来た冷し麦茶を飲んでいた。渡し舟は、客を乗せて、彼岸を離れたところだった。
この浪人の名を小田丸弥介という。連れの男は仁助《にすけ》といった。主従のように見える。
「旦那、暑うござんすね」
仁助は笠をとって汗を拭《ぬぐ》う。風があっていくらかしのぎやすいが、暑さには変わりない。
小田丸弥介は、不機嫌そうにむすっとしていた。街道を歩いて来て、汗をかいた様子もない。だが、かれの肩から背中にかけて、暗い翳《かげ》りが滲《にじ》んで見えた。
この休み茶屋からは、柳瀬川、渡し場、そして周辺が一望に見渡せる。木陰や草むらに渡し舟を待ってたむろする旅人たち。その中に、浪人の姿もある。四人ほどが陽を避けて坐《すわ》っている。いずれも、いかにも尾羽《おは》打ち枯らしたというにぴったりの身形《みなり》である。この浪人たちは、どこに行くという目的《あて》もないようだ。目つきに落ち着きがない。常に、双眸《そうぼう》をきょろきょろと動かし、坐っていてもじっとしていられないようだ。
上州もここまで来ると、浪人の数も増して見えた。流れ歩けば、どこかに金になる仕事があるのか、飯や酒にありつけるのか。落ちぶれていても、むかしはそれぞれに大名の家臣であった者たちである。
貧すれば鈍《どん》すという。浪人たちは鈍していた。浪人の二人が立ち上がり、歩きだした。その先に、商人の夫婦連れと見える二人が草むらに座していた。浪人二人が何か夫婦に話しかける。恫喝《どうかつ》しているのだろう。浪人の一人が片手をさし出し、その手に商人が何かを載《の》せた。何かではなく、金そのものだろう。摘《つま》んだ手つきに見えたから、一朱《いっしゅ》か一分《いちぶ》か。
浪人二人がもどって来て、木陰に坐り、残った二人に何か言っている。
ふと、弥介の目が、浪人四人の手前の木陰にいる人物に止まった。毬栗《いがぐり》頭の坊主に似た男である。麻布と思える衣服を身につけ、五尺ほどの棒を手にしていた。体つきは弥介に似て逞しい。三十年配と見えた。
江戸で、この身形の男を何人か見かけたことがある。町の人たちに願人《がんにん》坊主と言われる者たちで、物乞《ものご》いの一種だった。だが、木陰に座す男は、身形もさっぱりとして、乞胸《ごうむね》には見えない。それに、弥介はこの男の体から発散する陽炎《かげろう》に似たものを見たのである。
「ただ者ではないな」
低く呟《つぶや》いていた。
肩幅広く、胸も厚そうだ。食も足りているのに違いない。ただの願人ではない。願人は横顔を見せているが、弥介はかれが、じぶんを意識しているのがわかった。弥介が願人に目をつけ、気にしたように、願人もまた弥介を気にしているのだ。
「この願人だったか」
という思いもある。
江戸から、ここまで二十余里余。江戸を発《た》って、四日目である。三泊したことになる。板橋宿からずっと、弥介は誰《だれ》かに見張られているような気がしていた。振り向いても、その姿は目にすることはできなかったが、いま願人を見て、思い当たったのだ。もちろん証《あかし》があるわけではない。
願人の体の周りに見た陽炎に似たものは、願人の気迫だろう。
弥介も仁助も、行くあてがあって中山道を歩いているのではない。関八州を歩きまわるだけである。犬も歩けば棒に当たるの譬《たとえ》もあるが、この三日、何にも出会わなかった。願人の姿を見て、はじめて何かに出会った気がした。
弥介は、床几に座したまま、殺気を放ってみた。その殺気に触れて、仁助がギクリとなったようにかれを見たが、願人には何の変化も見られなかった。
渡し舟が着いて、舟に乗っていた旅人たちが降りて、街道を新町宿に向かって歩き出す。同時に、散っていた旅人たちが、渡し場に向かって集まりはじめる。弥介と仁助も腰を上げた。
舟に乗って待ったが、願人は乗ってこなかった。舟が岸を離れて対岸に着く。そこは岩鼻村である。この岩鼻に代官所が置かれるようになったのは、五、六十年後のことだ。
この渡し場から次の宿場、倉賀野宿まではほぼ一里の道程である。旅人たちは、急ぎ足に中山道を去っていく。弥介と仁助は急ぐ旅ではなかった。
弥介は脳の奥に、願人の姿を押し込めた。再び出会うことがない、とは思えない。いつの日か、命を賭《か》けて、鋒《きっさき》をまじえることになるはずだ、と思った。
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弥介は、緩慢な足どりで歩きながら、時折、何かを思い出したように唇を歪曲《ゆが》める。その弥介の斜め後ろ一歩ほどのところを仁助は歩いていた。
仁助は背丈が五尺そこそこ、弥介に比べるとかなり低い。だが、この仁助もただの男ではなかった。気迫があり、技を持っている。その気迫は細い目の奥に、ひそめられている。おのれの気迫を隠すために、すれ違う旅人に目を向けようとはしない。仁助は、じぶんの目が常人と異なるのを知っていた。だが、殺し合いとなれば、煌《ひか》る目を剥《む》くのだ。
時折吹く風が、街道の土埃《つちぼこり》を舞い上げる。強い陽に乾ききっていた。
街道は曲がっていた。その曲がり角を曲がったところで、弥介は、そこに一人の男が人待ち顔で立っているのを見た。四十年配のまがまがしい目つきの男である。
男は、弥介の姿を認めると、小走りに寄って来て、腰を折った。
「小田丸の旦那、お久しぶりでござんす。この度はおめでとうございやした」
男の顔には媚《こび》が浮いていた。せいいっぱいの媚態《びたい》を見せているつもりなのだろう。険相であり、悪相である。頬骨《ほおぼね》が高く、眼窩《がんか》が深い。つまり奥目で狷介《けんかい》に見せている。
「銀兵衛!」
弥介の口から重い声が洩《も》れた。
「へえ、このところ、役目で、関八州を回っておりやしたが、この度、大岡さまのお言葉で、旦那の道案内をさせていただくことになりやした。よろしくお願い申しあげやす」
「江戸には、おらなかったわけだな」
「へい、このあたりで旦那と出会えると思い、お待ち申し上げておりやした」
銀兵衛が諂《へつら》って笑った。
「おめでとう、とか言うたな」
「へえ、旦那もこれで、公儀のお手先になられたわけで」
「手先か」
弥介は、冷たく笑っておいて、体内に貯《たくわ》えた殺気を放った。その殺気を浴びて、銀兵衛は、目を剥き、ぶるると体を震わせた。
「だ、旦那、ご冗談は止《や》めておくんなせえ」
「銀兵衛、わしは越前の走狗ではないぞ」
「えっ、それは、しかし……」
銀兵衛は、逃げようとしたが体が動かない。この暑いのに、冷水を浴びたように震え、血の気を失った顔に、一気に脂汗を噴き出させた。
「お、大岡さまが……」
「越前がどうしたというのだ。おまえのためにわしのむかしの仲間が、十数人も死に、わしの妻と娘が攫《さら》われた」
「そ、それは……あ、あっしは、ただ、大岡さまの……」
「わしは、越前に雇われたわけではない。まして手先なんぞではない」
「だ、旦那、お、おゆる……しを……」
その言葉が終わらないうちに、弥介は刀を抜き、刀柄に左手を添えると、一閃《いっせん》した。
「旦那」
と叫んだのは、仁助だった。
刃は銀兵衛の左肩を一尺ほども斬《き》り下げていた。一呼吸おいて、弥介が右側に体をのかせたとき、銀兵衛の肩から胸に、噴水に似た血飛沫《ちしぶき》があがった。
弥介は、背を向けて歩きながら、刀を鞘に収める。仁助は、いまだ倒れない銀兵衛を振り向きながら、追って来た。
「旦那、あの男は」
「むかし、深川の目明しだった男だ」
「旦那らしくもござんせん」
「斬らずともよかったか」
「へい」
たしかに、弥介には悔《くや》みが生じていた。斬る価値のある男ではなかった。だが、弥介は銀兵衛の顔を見たとき、カッと血が頭に昇った。それに油を注いだのは、銀兵衛の言葉だった。
「仁助、わしは越前の走狗になったつもりはない」
「へい」
腹立たしさと悔みが渦を巻いた。以前に比べて短気になっているのはわかっていた。江戸で三十七人の浪人を斬った。それが、滓《おり》になって胸底にたまり、弥介の気を苛立《いらだ》たせるのだ。
享保《きょうほう》五年二月|初午《はつうま》の日に、小田丸弥介は、妻|与志《よし》と娘志津を攫われた。妻娘の命が情しければ、浪人を斬れ、と得体の知れない男たちに言われ、弥介は浪人を斬り続けた。
同時に、深川のむかしの仲間である浪人たちも、左柄《さがら》次郎左衛門と九沢半兵衛の他は、みな討たれてしまった。
これが、南町奉行大岡|越前守《えちぜんのかみ》忠相《ただすけ》の、江戸の治安を守るための浪人狩りだとわかったのは、半年後だった。その大岡越前の手先となって動いていたのが、元目明しの銀兵衛だった。
弥介が、いきなり銀兵衛を斬ったのは、大岡越前への憤怒だったのかもしれない。銀兵衛に、公儀の手先になっておめでとうござんす、と言われ、弥介の右腕は動いていたのである。
大岡越前は、弥介を牢《ろう》に入れながら、使える者は犬でも狼でも使うと言い、弥介と仁助を関八州に放ったのである。
それを拒めば、妻と娘の首を刎《は》ねる、と恫喝した。いまだ妻娘は越前の人質になっている。抗《あらが》うことはできなかった。
人質の妻娘のことよりも、越前への激怒が銀兵衛を斬らせたのかもしれない。
仁助は、女房のお俊を人質に取られても、それなりに納得しているところがあるようだが、弥介には、越前のやり方を認めることはできなかった。
「仁助」
「へい」
「このあたりで別れたほうが、よいようだな」
「旦那」
仁助は、あわてて弥介の顔を覗《のぞ》き込んだ。
「わしは、越前のために働くつもりはない。おまえとは少し考えが違うようだ」
「旦那、かんにんしておくんなさいよ。あっしは、旦那のお供をしているつもりで」
弥介は、先に歩き、仁助を突き放すように足を速めた。その弥介を仁助は追う。
「旦那、あっしはどこまでも、お供させてもらいますよ。たとえ旦那が悪党でもね、刺青者《いれずみもの》のあっしには、旦那しかいねえんだから」
やがて、弥介は歩調をゆるめた。苛立ってみてもどうにかなるものでもない。だが、銀兵衛を斬った感触は腕に残っている。
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倉賀野宿は上州群馬郡である。
宿場の入口に、中山道から分かれて、日光例幣使街道《にっこうれいへいしかいどう》が北へのぴている。その分かれ道のそばに掛け茶屋があった。江戸の茶屋のように華やかなものではない。足の疲れを休め、咽《のど》の渇きを潤す店である。
弥介は、その茶屋の長椅子に腰を降ろした。奥から出て来た老爺《ろうや》に酒はないかと聞く。濁酒《どぶろく》ならあるという。その濁酒を頼んでおいて、一息ついた。
仁助が、長椅子の端に小さくなって坐っていた。
たしかに江戸を出て、のどかな旅ではなかった。歩きながら苛立ちが膨れ上がっていた。越前の走狗になるつもりはない、とおのれに言い聞かせながら、妻娘の首を刎ねると言われれば、抗うことはできない。
胸がつっかえたような重い気分だったのが、銀兵衛の顔を見たとたん、小さくはじけた。はじけて焦燥感がいくらか楽になったのであればいいが、そこに新しく慙愧《ざんき》が胸を埋めるのだ。
「旦那、かんにんして下さいな」
「仁助、もうよい言うな」
「そうですかい、かんにんして下さるんですかい」
仁助は、わざと大きく息をついて見せた。弥介に比べると、仁助のほうが図太く強い男なのだろう。
濁酒が運ばれて来た。弥介はそれを一気に呑《の》み干す。酒で誤魔化《ごまか》そうとするおのれもまたやりきれない。もう一つ爆発しなければ、弥介の気持ちは収まりがつかないかもしれない。
五尺八寸の逞しい体躯《たいく》で、凄絶《せいぜつ》な刀法を使いながら、豪胆にはなれない。そこが弥介の人柄なのかもしれないが。
江戸で、三十七人の浪人を斬った。それぞれに剣の手練《てだ》れだった。その浪人たちに勝ったという思いは弥介にはなかった。斬った浪人の一人一人の身の上を案じたものである。案じてどうなるものでもないのに、すぐに、親兄弟、妻や子もいるのだろうに、と考えてしまうのだ。
また、人斬りの旅になるかもしれないと思えば、双眸の翳りも納得できる。
考えれば、江戸の神田・雅子町《きじちょう》の長屋に住み、妻と娘と共に、版木彫りとして生計《たつき》を立てていたころの弥介が、最も弥介らしい生き方だったのかもしれない。
弥介は、二杯目の濁酒を呑みながら、街道を倉賀野宿のほうから、ぶらぶらと歩いてくる四人連れの浪人の姿をぼんやりと見ていた。この街道のどこにでも見られる浪人たちであった。
四人は、弥介の前を通りすぎて、十間ほど行って足を止めた。そして、弥介を振り向き何かを談合し、中の一人が、両手を懐中にしたまま歩み寄って来て、彼の前に立った。垢《あか》が臭《にお》った。饐《す》えた臭いだった。
「貴公!」
と無遠慮に声を放った。弥介は顔をもたげて浪人を見た。仁助が動こうとするのを、かれは手で倒した。
「わしのことか」
「さよう。拙者は須山作左衛門と申す」
「…………」
弥介の胸中には、さきほど銀兵衛を斬った慙愧があった。刃物を手にせず害意のない者を斬ったのは、はじめてだった。
「拙者らは、ちと酒代に不自由しておる。いくらか借用したい」
四十にいくらか足りないと見える浪人は、にたりと笑い、指で鼻孔のあたりを擦《こす》って、手をさし出した。
「乞胸浪人か」
「なにっ」
浪人は、目を光らせ、威圧するように肩をしゃくり上げた。その双眸は濁っていた。四人の中では最も腕が立つからやって来たのか、それとも順番なのか。
弥介は懐中をさぐって、一朱銀一枚を摘み出すと、浪人の背後に投げた。
「拾って立ち去るがよい」
「きさま」
髭面《ひげづら》が青くなり、そして赤くなった。まだどこかに武士の矜持《きょうじ》とやらを持ち合わせていたようだ。
「拙者は、借用したいと申しておる」
「借りて返すあてがあるのか」
弥介は、そのまま立ち上がった。顔と顔とが擦れ合うような近さにあった。二寸ほど弥介が高い。それだけ、浪人を見下げる形になった。
「明日のことは誰にもわかるまい」
「借りて返すあてのある者はそれなりの暮らしをしておる。乞胸浪人に金を貸す者などいまい。一朱は呉《く》れてやる。拾って立ち去れ」
「おのれ、宥《ゆる》さん!」
浪人の濁った目に血が走った。刀柄に手をかけるのを見て、弥介はその手首を掴《つか》んで、突き放し、よろめいた浪人が踏みとどまり、改めて刀を抜いたときには、弥介も腰を割って抜刀していた。
仁助がふところに手を入れるのを見た。ふところには常に小石が四、五個は入っている。その石を掴んだとみえた。
「仁助、手出しはするな」
叱咤《しった》したとき、浪人の切っ先が上がった。上段に振りかぶって、一気に斬りつける気である。弥介は、体を引かず逆に、つつっと体を寄せていた。
狼狽《ろうばい》する浪人の顔を見ながら、わきをすり抜けた。刀刃は存分に浪人の腹を裂いていた。
一瞬の出来事だった。
一呼吸あって、浪人は叫びを放ち、おのれの腹を抱きかかえるようにして、二、三歩歩き、そこで足を止め、そのまま、音をたてて倒れた。
そのときには、むこうにいた三人の浪人が抜刀して走っていた。弥介はそれを、両足を踏んばって待った。先頭の一人が近づいたとき、袈裟懸《けさが》けに一閃した。
刀が風を裂いて唸《うな》った。
返す刀で、三人目の胴を薙《な》いだ。四人目は目の前で竦《すく》み立った。そして逃げようと背を向けた。その背中に、弥介の刀刃が深々と食い込んでいた。
弥介は、斬った四人の浪人の刀を一振り一振り調べて、中の一振りを腰に差した。腰に残った朱塗りの鞘は捨てた。かれは、大岡越前に与えられた、この朱塗り鞘が気になってもいたのである。
仁助は、瞠目《どうもく》したまま、弥介のすさまじい人斬りの技を見ていた。この技は江戸で何度か目にしたことがあるが、いかにも人斬りと言われた激しい技だった。
四人の浪人はそれぞれ一太刀で斃《たお》れていた。胴を裂かれた二人は、それでもまだ手足を攣《ふる》わせてはいたが。
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倉賀野宿の入口だった。
「あの、お武家さま」
弥介の前に商家の手代風の男が腰を折っていた。
「わしに、何か用か」
「はい。江戸の薬種問屋、肥前屋の手代で利八と申します」
男はよどみなく言った。商家の手代らしく腰は低いが、顔つきにはふてぶてしいものがあった。ただの手代ではあるまい。
「その利八が、わしに何の用だ」
「てまえどもの主人に、お会いいただけますまいか」
「会ってどうする?」
「主人から、お武家さまに、お願いしたいことがございます」
「断わる!」
にべもなく言った。利八のそばをすり抜けて、歩き出すと、かれはあわてて弥介の前に回り込み、
「お願い申します」
と腰を折る。
それを押しのけて通ろうとすると、利八はその場に両膝《りょうひざ》をつき、両手さえついたのである。
「お願い申し上げます。なにとぞ」
「おまえは、わしが浪人を斬るのを見ておったな」
「はい」
「ならば、主人の頼みとは、わしの刀法だな」
「はい、左様にございます」
「もっとも、頼まれ甲斐のあるのは、わしには刀法しかない」
四人の浪人を斬ったばかりの弥介の目は荒《すさ》んで、妖《あや》しく煌っていた。その目で、弥介は嗤《わら》った。
「せめて、主人の話だけでも聞いてやっていただけませんでしょうか」
弥介には煩わしかった。
「その主人は、どこにおる?」
「はい、倉賀野宿に寄宿しております」
「ならば、話だけは聞こう」
「ありがとうございます」
裾《すそ》を払って立ち上がった利八は、先に立って歩きはじめた。
倉賀野宿は、高崎藩領である。江戸から二十五里十二町余、旅籠《はたご》は六十一軒あった。これらの旅籠には飯盛り女を置き、そのために高崎城からも男たちが通ってくるほどだという。
利八が案内したのは、中でも最も大きな『上州屋』という旅籠だった。旅籠も上、中、下と分けられ、飯盛り女がいるのは、中と下の旅籠であるが、上旅籠にも女がいないわけではなかった。
上州屋の斜め向かいに『柳瀬屋』という小さな旅籠があった。そこで待つように、仁助に言いおいて、弥介は上州屋に入った。
足を洗って座敷に通された。二階の街道に向いた座敷で、この上州屋でも上等の部屋と見えた。
利八が去って、やがて、宿の女中と見える女がよく冷えた麦茶を運んで来た。それを飲み干したころに、熱い茶を持って来た。
やがて陽が落ちる。次の宿場高崎まで足をのばすつもりではいたが、この倉賀野で宿をとっても、何の不都合もなかった。
座敷の中が薄暗くなったので、さきほどの女中が、行燈《あんどん》に火を入れに来た。上の旅籠であるだけに、女中の立ち居振る舞いもいやしくはなかった。二十五、六の細身だが、色香のある女中である。
隣室の襖《ふすま》が開いて、大柄な女が入って来た。三十二、三歳か、肉づきよく色白の、男をはっとさせるだけの美貌《びぼう》だった。
女は、弥介の向かい二間のところに座し、
「お待たせ、いたしました」
と手をついた。
「わたしが、肥前屋の女将《おかみ》お勢《せい》と申します」
利八が言った主人とは、この女だったのか。瓜実《うりざね》顔とまではいかず、いくらか角ばってはいるが双眸に張りのある貌《かお》である。この女の涼しげな美しい目に、弥介は、大岡越前の手先だった小料理屋の女将お若を思い出していた。お若はわりに小柄な女だったから、もちろん、体つきも顔形も異なりはする。
「お武家さまのお名をお聞かせ下さいませ」
そう言われて、お勢に見とれていたおのれに気づき、苦笑した。
「わしは……左柄半兵衛と憶《おぼ》えておいてもらおうか」
「左柄半兵衛さま、でございますか」
とっさに、弥介はじぶんの名を変えた。左柄半兵衛は、むかしの仲間、左柄次郎左衛門と九沢半兵衛の姓と名を借りたもので、以前どこかでこの名を名乗ったことがあった。
「薬種問屋を商うと聞いたが」
「はい、日本橋は平松町でございます」
弥介はお勢の膝のあたりを見ていた。膝の位置が高い。量感のある体のようだ。かれはしばらく女の肌に触れていない。銀兵衛と四人の浪人を斬ったこともあって、お勢の豊かな体つきに、股間《こかん》が疼《うず》いた。
最後に抱いたのはお若だったか、船宿の女将お藤《ふじ》だったか。この二人には別れの言葉も言わずに旅立った。
「女将の話というのを聞こうか」
「あの、確かに左柄半兵衛さまでございましょうか」
「左柄半兵衛では悪いか」
「いえ、一度、江戸でお見掛けしたような」
「そなたのような美形と会っておれば、忘れるわけはない」
「左様でございましたか」
「話を聞こう」
「首を奪っていただきたいのです」
「首を?」
弥介は、意外なことを聞いたように、お勢の顔を見つめた。
「この中山道を、首を背負った仏生寺《ぶっしょうじ》兵衛《ひょうえ》と申す浪人がやってまいります。いまごろ熊谷《くまがや》あたりかと思われますが、明日には深谷《ふかや》、本庄《ほんじょう》と参りましょう。その仏生寺が持っております首が欲しいのでございます」
「何者の首だ」
「平三郎の首とのみ申しておきます」
「わけを聞かしてもらおうか」
「平三郎の首は、もともとわたしのものでございます」
「何故《なにゆえ》に?」
「それは、いまは申し上げることはできませぬ。その首を、わたしにお届け下されば、三百両をさし上げる用意がございます」
「三百両!」
浪人が、いや、町人でさえなかなか手にできない金額である。
「大金だな」
「失礼ではございますが、手付けとして」
とお勢は帯に挟んでおいた紙に包んだものを膝の前に置き、指で押しやった。その包みには一枚の小判があるものと思えた。
それを見て、弥介は薄く笑った。
「その平三郎の首とやらは、三百両もの価値のあるものなのか」
「はい、わたしには、金に代えがたいものと思うております」
「面白いな」
「お願いできましょうか」
「断わる!」
「は?」
「わしは、三百両に興味はない」
お勢は、はっ、となり、そして、かすかに唇をゆがめた。
「浪人が、三百両に興味がないと言うてはおかしいか」
「はい、これまでに、三百両に興味がないと申された方は、左柄さまがはじめてでございます」
「なるほど、この話を頼むのは、わしがはじめてではないということか」
「はい、十三人目でございます」
「十二人はどうした?」
「一両をふところに、逃げ出したか、仏生寺兵衛に斬られたか……」
「断わらせてもらう」
「は?」
「わしは、女の座興につきあう気はない」
「座興ではございませぬ。わたしは、肥前屋とわたしの命を賭けております」
「そなたの命をか」
「はい」
「ならば、三百両の代わりに、そなたのそのふくよかな体を抱かしていただく」
「…………」
「それも、後払いではなく、前払いしていただく。無理であろう」
弥介は、座を立とうとした。
「お待ち下さいませ!」
お勢の激しい声が響いた。弥介は中腰のまま、
「待ってどうする」
「わたしのこの体に、三百両の値があると思われますか」
「女将が、平三郎の首とやらに三百両の値をつけたように、価値は人によって異なるもの」
弥介は、立ち上がっていた。
「いま一度、お坐りいただけませぬか」
お勢の双眸が奥で妖しく揺れた。弥介はそこに坐り直した。
「わしに、抱かれようというのか」
「はい」
「奇特な人だ。得体も知れぬ浪人に」
「浪人を四人、鮮やかに斬った左柄さまを見ていたという利八に賭けまする」
「利八の目に狂いがあったらどうする」
お勢は、かすかに首を振ると手を拍《う》った。しばらく間をおいて、廊下に向いた障子が開き、そこに利八が膝をついているのを見た。なぜ、女中ではなく利八であるかを、弥介は深く考えてはみなかった。
「ご酒をお持ちなさい」
「承知しました」
と、利八が答え、障子が閉まった。利八は廊下を挟んだ向かいの部屋にでもひかえていたのだろう。
江戸には美女が多い。旅に出ればめったに美女にはお目にかかれない。そのためもあってか、弥介は、お勢がひどく美しい女に見えた。肉づきもいいし、肌もいかにも白そうだ。膝にした手もふっくらとして白い。その白い手の肉づきが、そのまま、お勢の肌を思わせた。加えて商家の女将としての貫禄と落ち着きがあった。
「ご亭主は?」
「七年ほど前に他界しました」
「ほう、それで、平三郎の首とか申されたが、その平三郎と女将との関りは」
「いまは申し上げたくございません。首がもどったときまでお待ちいただきます」
もちろん、理由《わけ》はあろう。理由なくして首を奪おうとはしないはずである。
障子が開いて、利八が酒膳《しゅぜん》を運んで来た。それをお勢が受け取って弥介の膝前におく。
お勢が立ったり坐ったりする間に、空気が動いて、女の匂《にお》いを運んでくる。脂の乗りきった女体である。白粉《おしろい》の香りと女の匂いが混じり合って、甘い匂いが弥介の鼻孔をついた。
お勢が、銚子を手にして酌をする。弥介は盃《さかずき》を把《と》った。茶屋で呑んだ濁酒の酔いはさめていた。
口の中で酒がとろりと甘い。弥介は、このような酒は口にしたことがない。酒には辛口と甘口とある。そのことは知ってはいたが、好みを言うほどに、暮らしがよかったわけではない。
「女将は?」
「わたしはいただけません、お酌だけさせていただきます」
三杯目の柄を酌したお勢は、しばらくお待ちを、と言って座を立って、襖のむこうに姿を消した。あとは手酌である。
キュッ、キュッ、と鼠の鳴くような音がした。お勢が帯を解いているのだ。その音にかれの股間が反応した。脳にお勢の裸身が浮かび上がる。妄想である。
やがては、夜具に横たわって、弥介を呼ぶことになる。お若もお藤もそうした。襖を開ければ、緋色《ひいろ》の長襦袢《ながじゅばん》姿で夜具に仰臥《ぎょうが》しているお勢の姿を見ることになるはずだ。
弥介は、女の肌の触り心地を忘れていた。乳房の弾力、肌のなめらかさ、そしてはざまの手ざわり、そのあとにおのれの一物が女の秘肉に包み込まれることになる。
「がらにもなく」
弥介は自嘲《じちょう》した。だが、自嘲とは裏腹に胸はときめき、股間には淫気《いんき》が集中しはじめていた。
窓障子は閉められ、行燈の灯りが妙になまめいて見える。外はすでに夜になっていた。妻与志の顔が脳裡《のうり》をかすかによぎった。いまは、与志も遠い人になっている。
「左柄さま」
はっきりとお勢の声を耳にした。その声に弥介はドキリとなり、盃を膳においた。すでに一本の銚子が空になり、二本目が半分ほど残っていた。
鞘ごと抜いた刀を手にして、立ち上がった。とたんに足がよろめいた。酔いにしては早いが、酩酊《めいてい》に似た揺曳感《ようえいかん》があった。
襖を開けて、かれは目を見開いた。行燈の灯りの中に、鮮やかな萌黄色《もえぎいろ》があった。お勢は夜具に仰臥していた。長襦袢が萌黄色だった。商家の女将ともなると、このような長襦袢を着るのか。
弥介は、後ろ手に襖を閉めると、よろめく足で、夜具にたどりつき、そこに膝をついた。刀をそばに置き、手をのばして、長襦袢の上からお勢の体に触れた。
長襦袢にはすでに腰紐《こしひも》はなく、衿《えり》から褄《つま》、裾を左右にめくれば、白い豊かな肌を、さらすことになる。
絹物と思える布のさらりとした手ざわりと共に、女体のぬくみが手に伝わってくる。弾力のある肌である。腿《もも》から腰、脇腹《わきばら》を撫《な》でまわしておいて、衿に手をかけ、ゆっくり剥《は》ぐようにめくった。
そこに豊満な乳房が灯りを受けて鈍く光って見えた。乳暈《にゅううん》はやや広く、くすんだ紅色の乳首がそこにうずくまっていた。乳房の美しさを乳暈と乳首がひき立たせている。
その乳房を下から支え上げるように掴んだとき、弥介は、うむ、と唸《うな》った。全身に痺《しび》れが走り、体の力が抜け、そのまま女の胸に突っ伏してしまった。
「どういうことだ」
かれは狼狽を覚えた。わけがわからず、あわてて両手をついて体を支えようとしたが、腕に力がなく、お勢が体をのけた拍子に、かれは反転して仰向けになっていた。
そこで、しまった、と思った。起き上がろうとしたが、すでに動けなくなっていた。
「不覚!」
刀法者としては不覚である。酒の甘さを思い出していた。一服盛られていたのだ。迂闊《うかつ》だった。相手は薬種問屋だったのだと気づいても遅い。
「わしをどうする気だ」
舌も痺れ、どうにか声が出ただけだった。
お勢はそばに坐って弥介を見ていた。
「申しわけございませぬ。わたしは、平三郎の首がもどるまでは、男を断《た》っております」
「おのれ、欺《だま》したな」
と叫んでみたが、言葉にはならなかった。女に盛られるとは刀法者として、不覚にすぎた。全身に痺れを覚えながら、背筋に冷水が走った。
当利散という痺れ薬があることは聞いていたが、利八という男が使ったのが、それかどうかはわからない。お勢が手を拍って、宿の女中ではなく利八だったわけが、いまわかった。
「わしの負けだな」
と言葉にならない呟きを洩らして、次の瞬間、弥介は、アッ、と思った。そばに座したお勢は、かれの着物の裾をめくり、下帯を外して、そこに屹立《きつりつ》する一物を握っていたのである。
「何をする!」
もちろん、声にはならないが、頭ははっきりしていたし、目も見えた。おのれの一物を女の手に握られた感触もわかっていた。ただ手足の自由が利《き》かないだけである。
「おゆるし下さい。わたしがいましてあげられるのは、これくらいのものです」
「止めろ、赦《ゆる》さん!」
一物だけが妙に力強く屹《そそ》り立っているのだ。痺れ薬ならば、すべてが痺れなければならないのだが、一物は脈打っていた。そういう薬があるのだろう。
弥介の胸に屈辱が生じた。男の矜持を傷つけるやり方だった。肌を許さぬのであれば、はじめから、そう言えばよかったのだ。許さぬつもりのお勢が、なぜ、痺れ薬まで飲ませて、弥介を愚弄《ぐろう》しなければならないのか。かれがお勢の体を求めた仕返しなのか。
たしかに、弥介には自惚《うぬぼ》れがあった。江戸では、お泉《せん》に慕われ、お若とお藤に惚《ほ》れられた。それがあって、弥介は女に恋慕されて当然という思いがあったことはいなめない。
お勢の指が一物をなぞり、そして、屹立した雁首《かりくび》に何か膏薬《こうやく》に似た粘りのあるものを塗りつけた。そして、五本の指で握ると、その手をゆっくり上下させ、一方の手でふぐりを握られたのである。
「おのれ!」
体が自由になれば、腕さえ動けば、お勢を叩《たた》っ斬るところである。いや手が動けばお勢を突き放せる。
一物とふぐりの感覚だけが生きていた。その一物がカッと熱くなるのを覚えた。塗りつけられたのは媚薬のたぐいか。またひと周り膨らんだような気さえする。
柔らかい手の感触と、ふぐりを優しく揉《も》まれる感覚ははっきりしていた。股間の奥のあたりに、何か熱い塊が生じ、精汁が洩れ山すような気持ちになっていた。
お勢の手は上下し、指が雁首に当てられ、軽く擦られ、更に鈴口から裏の縫目あたりに這《は》いまわる。油に似た塗り薬でそこはなめらかになっており、指が雁首の淵《ふち》をなぞりはじめたとき、かれは呻《うめ》き声をあげていた。体の自由が利かないのに、快感はある。いまにも噴出しそうな気持ちに、かれは、体をよじろうとしたが、それもできなかった。
弥介は、じぶんの一物を見つめるお勢の美しい横顔を見ていた。美しい女ほどむごいことをするという。かつて弥介は女にこれほど屈辱的なことをされたことはない。
きりきりと矜持が痛むが、その代わり、体はすでに歓喜していた。一物は精汁を洩らすとき、一瞬膨らむ。それを知ってか、お勢は紙を先端に当てた。
それを待っていたように、弥介は、噴出させていた。
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弥介の体に力がもどりはじめたのは、半時《はんとき》(約一時間)ほど経ってからだった。お勢の手で一物を※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]《こ》がれ、精汁をほとばしらせてから、しばらく眠ったようだ。
眠った間に夢を見た。まともな眠りではなかったからだろう。だがその夢のことは醒《さ》めたいま、憶えていた。
弥介が斬った浪人たちの顔が一つ一つ過ぎていき、そのあとに与志と志津が顔を出した。「旦那さま」「父上」と言った。志津を抱きかかえようとして、影のように手ごたえがないのを知った。
次に大岡越前が姿を見せ、あの疳高《かんだか》い女のような声で言った。
「弥介、死ぬことはならんぞ。おまえが死ねば、妻と娘は余計ものになる。始末せねばならん。まだまだ余のため公儀のために働いてもらわねばならん」
恫喝だった。
お勢に一服盛られた油断をいましめているのだろう。たしかに弥介としては不覚だった。女だという油断があった。
そのあとに、弥介のために舌を噛《か》んで死んだお泉が姿を見せた。淋《さび》しげな、哀《かな》しげな顔をしていた。
薬効が薄れて来たとみえ、まず指が動いた。手足の指を何度か屈伸させて、腕と足を動かし、首をひねった。うつぶせになって、どうにか起き上がった。下帯は締められ、裾の乱れは直してあった。
刀を掴み、それを杖《つえ》にして立ち上がり、よろめいたが、どうにか踏みとどまった。
「おのれ!」
声を言葉にしてみた。二歩、三歩、四、五歩と歩いて襖を開けた。その座敷の行燈の灯りの中に、お勢が座していた。お勢は、きっとした顔を弥介に向けた。
「わたしを、手込めになされますか、それとも、お斬りになりますか」
お勢は開き直っていた。強い女のようだ。わけはわからないが、平三郎の首とやらを取りもどすために、肥前屋の財産と命を賭けていると言った。その気迫は充分にあった。
「わしは女は斬らんし、手込めにする興《きょう》もない。だが、わしは、おまえを忘れはせん」
「平三郎の首をお持ちいただければ、わたしのこの体、存分になさって恨みは申しません」
「首は約束はせぬ」
弥介は、そう言って障子を開けて廊下に出た。板廊下のひんやりとした冷たさが快かった。
「もし」
背中に、お勢の声がかかった。弥介は足を止めただけで振り向かなかった。
「まだ、わしに何か用か」
「まこと、左柄半兵衛さまでございますか?」
「なぜ、わしの名にこだわる」
「いいえ」
声はそこで途切れた。
弥介は、ゆっくり廊下を歩き、階段を一歩一歩確かめるように降り、三和土《たたき》の草腹をつっかけたところで、体がどうにかもとにもどったことを知った。
上州屋を出て斜向《はすむ》かいの旅籠柳瀬屋に入って、仁助のことを聞く。女中に案内されて、暗い廊下を歩く。障子を開けると、夜具の上に、仁助が女といた。女は飯盛りだろう。すでにことは終わったあとらしく、仁助は女を部屋から追いだした。
宿をとる度に仁助は飯盛りを抱く。これが仁助の唯一のたのしみなのだ。路銀も充分にある。仁助のたのしみに文句をつける気は、弥介にはなかった。
弥介は、手を拍って女を呼び、酒を頼んだ。
「旦那、いかがでござんした?」
弥介は笑った。自嘲があるだけだ。
「仁助、たのみがある」
「へい、何をすればいいんです」
「明朝、江戸にもどってくれぬか」
「わかりやした」
仁助が坐り直した。弥介の役に立つのが、いかにもうれしそうだ。
「日本橋の平松町に、肥前屋という薬種問屋がある。おそらく、この十日以内と思うが、その肥前屋に何かがあったはずだ」
「へい」
「肥前屋の亭主は七年前に死んで、いまはお勢という女将が店をとりしきっている。そのお勢は、いま上州屋におる」
「その肥前屋と女将のお勢を調べればいいんですね」
「そのお勢は、平三郎の首というのを求めている」
「首!」
と聞いて、仁助は瞠目《どうもく》した。
「生首ですかい」
「そのようだな。その首を持っているのが、仏生寺兵衛という浪人だそうだ。その仏生寺は、明日、本庄宿あたりをこちらへ向かうそうだ。わしは本庄宿までもどってみる」
「わかりやした」
と仁助は股引をはき、脚絆をつけはじめた。すぐに発つ気らしい。弥介はそれを止めなかった。女を抱いたあとで身も軽いのだろう。仁助が出て行ったあと、飯盛りが酒膳を運んで来た。女が媚びるのをかれは無視した。女はしばらくもじもじしていたが諦《あきら》めたように出て行った。
お勢と飯盛り女ではいかにも違いすぎた。お勢の手の感触がまだ一物に残っているような気がした。柔らかく優しい手であり、男の一物をあつかうのに、いかにも手馴《てな》れていた。
「不覚!」
と呟いて、行燈を引き寄せた。手酌で酒を呑む。水っぽい酒だが、酒の味がした。
上州・倉賀野まで来て、やっと待っていたものが起こったという気がする。越前は、ただ関八州を回ってくれればよい、と言った。回っていれば何かが起こる。そのはじめが肥前屋お勢だったのか。
「平三郎の首か」
それだけでは、何のことだかわからない。だが、女が首を求めるというのは、ただごとではないのだ。
たしかに弥介には興味のあることだった。大岡越前が、何か画策したのかという思いがある。弥介と仁助に金を使わせて、ただ関八州を回らせるわけがない。
平三郎の首が、越前の策謀ならば、それを暴《あば》いてやりたい。その前に、平三郎の首が何であるかを知りたかった。仁助がそれを調べてくるまでには四、五日はかかる。
一本の銚子が空になって、弥介は夜具に横たわった。さきほどまで、仁助と飯盛りが絡み合っていた夜具である。そのことはさして気にならない。
股間の一物が疼いていた。お勢の手を思い出したのか。肉づきのいい白い手だった。
弥介は片手で股間を押さえ、一物が怒張しているのを知った。
「お勢か」
気になることが一つあった。お勢が、左柄半兵衛の名にこだわったことである。小田丸弥介と名乗れば、お勢の接し方は違ったのか。
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翌朝――。
弥介は、倉賀野指を発った。中山道をもどることになる。柳瀬の渡しを渡った。
そこに、ふたたび願人坊主を見た。昨日と同じ場所に立っていた。背丈は弥介と同じほどある。昨日からここにいたわけではあるまい。あるいは、弥介がもどってくるのを知っていたかのようだ。
弥介は、街道を行きかけて、何か思いついたようにもどってくると、願人の前に立った。背丈も肩幅もかれと同じほどだった。向かい合ってみると、やはり眼光が鋭い。鼻梁《びりょう》が高い。
「何か」
低くて太い声を発した。
「そこもとの名を聞いておきたい。わしは小田丸弥介と申す」
「示現《じげん》」
無造作に言った。
弥介は、軽く会釈して背を向けた。越前の手先かと思ったが、ただ、ここで誰かを待っているのかもしれない。
新町宿に足を向ける。新町宿から本庄宿までは二里、並足でも一時《いっとき》もあればたどり着ける。
今日も、昨日と変わらず、炒りあげるような陽が上空にあった。ときどき吹く風が砂塵《さじん》を舞いあげる。
「示現か」
気になる男である。鋒《きっさき》を交えるとすれば、示現の武器は五尺の棒ということになる。棒術というのがある。弥介は、まだ棒術と立ち合ったことがない。もちろん、示現はまだ敵意を見せたわけではない。だが、かれにはいつか敵としておのれの前に立ちふさがるであろうという勘のようなものはあった。
午前《ひるまえ》には本庄宿に着いた。
本庄宿は武州のうちである。町並み十七軒、旅籠が四十四軒、飯屋、あるいは飯屋を兼ねた居酒屋が三十軒ほどある。
町の中まで来たとき、
「弥介、弥介ではないか」
と声をかけられ、首を回すと、そこに左柄次郎左衛門が、懐かしそうな顔で立っていた。
「次郎左」
この男は、江戸・深川のころの朋友《ほうゆう》である。赤穂《あこう》浪士の生き残りでもあった。
「いや、会えてよかった。おまえが中山道から関八州に向かったと聞いて出て来たのだが、こうも早く会えるとは思ってもいなかった」
次郎左のそばに、旅芸人と見える小柄な若い女が、弥介を上目遣いに見ていた。猫の目を思わせる目つきである。次郎左はそれに気づいて女を紹介した。
「この女はお新という。途中で連れになった」
浪人数人に手込めにされかけているのを、助けたのだと説明した。旅芸人だから、当然|三味線《しゃみせん》を抱いていた。
「弥介、立ち話もできまい。そのあたりで飯でも食おうか」
ちょうど午時でもあった。弥介と次郎左が目についた飯屋を兼ねた居酒屋に入る。もちろん、お新もついて来た。
店の中は、半分ほどの客が入っていた。薄暗い店だが、目が慣れるまでのことである。外が明るいだけに、暗さが目に慣れるまで時を要した。履物を脱いで小座敷に上がる。座卓があり、隣席とは衝立《ついたて》で区切られてあった。
弥介と次郎左は饂飩《うどん》をたのみ、お新は飯をとった。食い終わったところで酒をたのんだ。
「内藤新宿以来だな」
弥介は、内藤新宿で、九沢半兵衛を斬るために、浪人十数人と乱闘を演じ、結局、半兵衛は逃がしてしまい、かれはおのれから町奉行の縛《ばく》についた。
「そのことは、ゆるりと話そう」
酒が運ばれて来て、盃を交わす。
赤穂浪士が吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》の首をとって、十七年になる。吉良を討つために、赤穂浪士は第三陣まであった。第一陣の大石|内蔵助《くらのすけ》他四十七士が、あっさりと上野介を討ったため、二陣、三陣の浪士たちは、無念のまま散った。左柄次郎左衛門は、第二陣に配され、結局は死に場所を失い、いまだこうして生きている。
次郎左は、大石を恨み、死に場所を求めて生きていた。
「なかなか死に場所はないものだ」
と照れたように笑う。
禄を離れて、空腹をかかえて彷徨《ほうこう》する浪人たちは、ただ死ぬためにのみ生きている。禄を得ているときは、主君のために死ねるという思い込みがあった。だが、その主君を失ってしまった浪人たちは、おのれのため以外には、何一つ生きる支えがないのだ。そのあげくには犬死同然の死に方しかできない。
「きゃーっ!」
突然、悲鳴をあげたのは、この店の小娘だった。客の目が、一人の浪人に集まった。弥介も首をひねっていた。
並んだ長い食卓の一つに、蓬髪《ほうはつ》の浪人が坐り、卓上に奇怪なものを載せていた。それが生首であることを知るには一呼吸あった。下に柿渋紙を敷き、浪人はその生首に、塩をすり込んでいたのである。更に首を逆さにすると首の切り口にひと掴みの塩を振りかけ、まぶした。
弥介の目がわずかに細まった。
肥前屋お勢が言った平三郎の首とは、これに違いない。生首を持ち歩く者がざらにいるわけはないのだから。すると、蓬髪の浪人は仏生寺兵衛ということになる。
弥介は、仏生寺兵衛が同じ居酒屋にいたことが気に食わなかった。弥介らがこの店に入ったときには、この浪人はいなかった。
仏生寺は、生首を塩でまぶしておいて、柿渋紙で包むと、小さな木桶《きおけ》に収めたのである。その桶には紐がついていて、背負えるようになっているようだ。
その首桶をそばに置くと、仏生寺は小娘に飯を頼んだ。こわごわと、盛り飯と味噌汁《みそしる》を小娘が運ぶと、かれは汁を飯にぶっかけて、掻《か》き込みはじめた。店の客たちを全く無視したやり方だ。
たしかに生首は塩漬けにしないと、この暑さでは、すぐに腐ってしまう。だが、ものを食う店で、首を卓上に出して見せることはなかった。
「次郎左、あの男に興味があるか」
「あるな」
「あの首をなんと見る?」
「あの男の仇《かたさ》の首であろう。それ以外には考えられん。仇の首をとって、国元に帰るところだ」
首を持ち歩くとすれば、たしかにそれ以外には考えられない。仏生寺の齢《とし》は、ほぼ弥介と似ていた。
この首を肥前屋お勢が欲しがっている。仇の首をお勢がなぜ、三百両もの賞金をかけて奪おうとするのか。
お勢は、すでに十二人の浪人を放ったと言った。利八という手代が選んだ浪人たちである。手練れであったはずだ。
弥介は、仏生寺を見て嗤った。昨夜のお勢の姿が重なってくる。昨夜お勢を抱いていれば、この仏生寺兵衛を斬らなければならなかったろう。仏生寺が黙って首をさし出すとは思えない。
もっとも、仏生寺を斬れるかどうかは別にしてである。あるいは弥介が斬られるかもしれない。それだけの技は秘めていると見えた。
弥介は、顔をもどした。正面に坐った次郎左が、仏生寺を見つめている。どうやら興味を抱いた様子である。
「次郎左、あの浪人の首を奪い取ろうとしている者がおる」
「なにっ!」
と言って次郎左は弥介を見た。
「どういうことだ!」
「あの首には三百両の賞金がかけられている」
「三百両だと」
次郎左は目を剥いた。
「弥介、どうしてそれを知っている」
「わしが、頼まれた。その者はいま倉賀野宿におる。わしはあの首を求めてここまでもどって来たのだ」
「弥介!」
「わけはまだわからん」
「あの浪人を斬るつもりか」
「さてな」
弥介は、笑った。
浪人にとって、三百両は、想像もできない金である。一カ月一両もあれば、四、五人の家族が楽に暮らしていける世の中である。三百両で三十年は暮らせる。といっても物価の高騰があるが、それはそれとして、大金であることには違いがない。腕に自信のある浪人が、おのれの命を賭けたくなるのも当然である。
「仇の首を奪ってどうなる」
「まだ、仇の首と決まったわけではなかろう」
「他に、首を持って歩く理由はない」
次郎左は、そう決めつけている。たしかにその他の理由は考えられない。
仏生寺は、小娘を呼んで銭を払っている。それに続いて次郎左も亭主を呼んだ。どうやら次郎左は仏生寺を追うつもりのようだ。弥介もまた、仏生寺の様子を見るつもりだった。
「払いは、わしにまかせておけ」
弥介には路銀が充分にある。
仏生寺が店を出るのを見て、弥介と次郎左も履物をはいた。お新もついてくる。店を出て、次郎左が仏生寺に声をかけようとするのを止めた。
「急《せ》くことはない、様子を見よう」
「それもそうだな」
弥介が手を出さない限り、お勢は別の刺客を放つに違いない。すでに刺客がこの中山道を歩いているのかもしれない。
仏生寺兵衛は、十間ほど先をゆっくりと歩いている。その歩調には疲れが見えていた。十二人の刺客を相手にしたのであれば疲れていて当たり前だろう。
かれは襤褸《ぼろ》をまとっていた。袴《はかま》をつけてはいるが、布のあちこちが裂かれて、埃にまみれて見えた。
「半兵衛はどうした」
「あれ以来、姿を見ない」
あれ以来とは、内藤新宿の乱闘である。二人は、仏生寺の背を見て歩く。お新は、二人のあとからついてくる。
本庄宿を出て小嶋《こじま》村というあたりまで来た。左手に観音堂を見て、道は曲がっていた。更に五丁ほど歩くと左手に古めかしい修験堂がある。大乗院行者堂という文字は、昨日見ていた。
このあたりは、左右に、神社、寺、稲荷《いなり》が多い。
仏生寺が、ちらりと振り向いて、弥介と次郎左を見た、が、そのまま歩いていく。仏生寺としては、気になろう。もちろん、お勢に背負った首を狙われていることは知っている。
五丁ほど歩いて、仏生寺は足を止め、振りむいた。同時に弥介も次郎左も立ち止まっていた。二、三歩こちらへ歩いたが、思い直したように、くるりと背を向け、もとの歩調で歩き出した。
そのころになって、仏生寺のむこうに、三つの黒い影が現われた。その姿が浪人であることは、一目でわかった。
商人、町人、女、武士、そして浪人と歩き方はそれぞれ異なる。浪人の他は、用があって旅をしているのだ。旅は楽ではない。早く目的地へ着きたい。そのためにどうしても足早になる。
次郎左が前に出ようとするのを弥介が止めた。三人の浪人は、たしかに仏生寺を狙っている。かれの姿を見た三人の浪人は道幅いっぱいに開いたのである。
「三人は、仏生寺に斬りかかるつもりだ」
「仏生寺の腕を見てみようではないか」
「斬られたら、どうする?」
「仏生寺に運がなかったことになる。首は奪い返す」
次郎左は弥介に止められて不服そうだった。
「高みの見物といこう」
先に足を止めたのは仏生寺だった。その五間ほど先に三人の浪人は、それぞれに間をおいて立った。
「仏生寺兵衛か」
「左様」
中央の浪人が口をきいた。
「背負った首をいただく」
「肥前屋お勢にたのまれたか」
「おまえの命までは取ろうとはいわん。首を置いて立ち去れ」
「断わる」
と言いながら、仏生寺は腰をひねって刀を抜いた。背の首桶がゆれた。三人の浪人もそれぞれに刀を抜いて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
正面の浪人が二間ほどに間をつめて、刀を正眼に構えると、左右の浪人が、仏生等の左右に寄って来た。
「三人で一人前の腕か」
三人対仏生寺で、ちょうどいい勝負と弥介は見た。だが、次郎左は仏生寺に助勢したいようだ。
「弥介、やらせてくれ」
「止めておけ」
弥介は次郎左の手首を掴んだ。
仏生寺が動いた。いきなり左に走った。左の浪人は、あわてて道を開いた。仏生寺は畑の中に逃げた。それを三人が追う。浪人の一人が叫び声をあげてのけぞった。次の瞬間、仏生寺は転がっていた。刀を薙いで浪人の脚を切り、三人目に、転がったまま刀刃を向けている。
「なかなかやる!」
弥介は誰にともなく言った。
立って正眼に構えた者よりも、仰臥して刀を突き出している相手のほうが斬りにくい。残った一人はそれを知ってか、一歩退いていた。その間に仏生寺は、ゆっくりと起き上がり立っていた。
浪人が一閃したと見えたとき、刃と刃が叩き合う音がした。次の刹那《せつな》、浪人が肩を裂かれていた。
三人を倒しておいて仏生寺は、刀を鞘にもどそうとしたが、刀刃が曲がって鞘に収まらない。浪人の一閃を払ったとき曲がったのだ。かれは、はじめに斬った浪人の手首を踏みつけ、曲がった刀刃を胸につきたてた。
そして、刀を浪人の胸に残したまま、指をこじ開け、刀を奪いとり、史におのれの鞘を捨てて鞘をとると、刃を収めて腰に差した。
胸を貫かれた浪人はすでに動かなくなっていたが、他の二人は、まだ手足を攣わせ、呻き声をあげていた。
仏生寺は、それらに背を向け、街道にもどると、何事もなかったように歩き出した。
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新町宿を通り抜け、再び柳瀬の渡しにさしかかった。舟は川岸に着いていて、客はすでに乗っていた。
仏生寺と弥介ら三人は、同じ舟に乗るしかなかった。仏生寺は、三人が気になる様子で目を走らせるが、声をかけてくる様子はない。いつ剃《そ》ったかわからぬ黒々とした髭の中に、双眸だけが潤んだように煌っていた。
このままいけば、倉賀野宿にたどり着く。そのとき、お勢はどうするのか? 倉賀野宿に入るあたりで、仏生寺を迎え討つつもりか、それとも、先に行って、仏生寺を討てる浪人を探すのか、その辺はわからない。
舟が岸に着き、仏生寺は四、五人の旅人と共に降り、弥介ら三人が続いて降りた。その渡し場には、舟待ちの茶屋があり、周りには十数人の旅人がいて、三人の博徒風の男たちがいた。
弥介は、小柄な浪人が何気なく仏生寺に歩み寄るのを見ていた。やられる、と思ったときには、浪人が刀を鞘走らせ、仏生寺の胸のあたりを薙いでいた。
仏生寺がのけぞる。浪人が抜いた刀に左手を添えて、二閃目を叩きつけようとしたとき、次郎左の手が動いて、何かを投げつけた。
浪人の胸のあたりに、もやっとしたものが湧《わ》きあがり、狼狽するのを、弥介が走りよりざま、浪人を斬っていた。
浪人の首根から血が噴出するのを避けて、腰を蹴《け》った。浪人はそのまま川岸に転がって、びくとも動かなかった。
次郎左が投げたのは、灰をつめた鶏卵だった。常にこの男は、目潰《めつぶ》しを用意している。これが次郎左の武器でもあった。
そこに横たわった仏生寺を次郎左とお新が手当てをしている。そこへ、三人の博徒が走り寄って来た。そして腹に巻いている晒布《さらし》を解いて、仏生寺の胸に巻きつけた。
小柄な浪人は、居合いの名手と見えた。たしかに、仏生寺に一閃した技は充分に迅速だった。さすがの仏生寺もこれは防ぎきれなかった。
ただ、居合いの一閃は片手斬りである。二閃で存分に斬り下げるつもりだったのが、次郎左の目潰しを俗びて戸惑った。もちろん、次郎左がいなければ、仏生寺は命を失っていたところである。
「動くな、そのままでいろ」
次郎左が仏生寺に声をかけていた。
「かたじけない」
仏生寺の声がした。
弥介は、博徒の一人に声をかけた。
「このあたりに医者はおるか」
「へい、いま、若いのを走らせやした。うちに外道にくわしい先生がいやす」
手当てが早ければ、仏生寺の命は取り止めるはずである。だが、胸に巻いた晒布に鮮血がにじみ出ているのが見えた。
どこからか戸板が運ばれて来て、仏生寺の体は戸板に載せられ、いつの間に集まったのか、四人の博徒が戸板の仏生寺を運んでいく。弥介もそれに続いた。次郎左は、戸板のそばに付いている。
「おまえの名を聞いておこうか」
「へい、あっしは倉賀野一家の重七と申しやす。且那は、もしかしたら、小田丸弥介さまではございやせんか」
「なぜ、わしの名を知っている」
「やはり。いま凄《すご》いお手並み、拝見させていただきやした」
「わしの名を知っているわけを聞いている」
重七と言った、三十前後の男は、頷《うなず》いて笑った。
「旦那を、お待ち申し上げておりやしたんで」
「なぜだ」
「それは……、あとで親分がご挨拶《あいさつ》申し上げやす。お聞き申し上げていた以上のお方でございやした」
わからん。だが、それは倉賀野一家の親分というのに会ってみればわかる。
「旦那、一つお聞きしてもようござんすか」
「何だ」
「お腰のもの、なんで朱鞘でないんで」
「朱鞘がどうかしたのか」
昨日、四人の浪人を斬ったとき、朱鞘の刀は捨てた。
「いいえ、旦那をお探しするのに、朱鞘が目印だったもんで」
江戸を発つときに、大岡越前は、弥介に朱鞘の大小を渡した。だが、そのときには朱鞘の意味をたいして考えなかった。むしろ、朱鞘の刀は目立ってしようがないし、弥介の身形には合わなかったのだ。
弥介は、重七と連れだって歩きながら、朱鞘のことはとにかく、さっき斬った浪人のことを考えていた。
居合い、抜刀術ともいう。その技の素迅《すばや》さを思い出していた。弥介はまだ、抜刀術の浪人とは対峙《たいじ》したことがない。殺気を秘め、それとなく近づいて、いきなり斬りつける。恐るべき技だった。仏生寺兵衛が全く動けなかったのだ。
もっとも一閃には威力はない。片手では刀刃に力が入らない。薙ぎ斬っても、皮と肉を削《そ》ぐくらいのものだろう。それで仏生寺は助かっている。もっとも、出血を止められなければ、やがて死ぬことになる。
――よいものを見た。
弥介は、昨夜はお勢に不覚をとっている。抜刀術の手練れに虚を衝かれたら防ぎようがなかったに違いない。
相手の虚を衝くには、殺気を体内に秘すだけの能力がなくてはかなわない。その能力を持った浪人だったのだ。
向かいから、博徒と共に五十年配の浪人が小走りにやって来て、戸板をそこに降ろさせた。重七が先生と言ったのは、この浪人だったのだ。
傷口に焼酎《しょうちゅう》を吹きかけられ、仏生寺が呻いた。暴れようとするかれを、次郎左が押さえつけていた。
「命にはさわりはないようだが、四、五日は熱を発するな」
浪人医師は、そう言って手当てをした。
倉賀野一家の屋敷は、宿場のむこう外《はず》れ、上州屋の一丁ほどかなたにあった。博徒の住まいにしては大きな造りの家だった。
戸板は、屋敷の中に運び込まれ、弥介、次郎左、お新の三人は、奥まった座敷に案内された。
涼しい風が通る。
若い博徒が、冷えた麦茶を運んで来て、そのあとから、さきほどの浪人医師が入って来て坐った。
「わたしは、大竹|休閑《きゅうかん》と申す。この家の親分に世話になっておる。傷ついたご浪人は、お仲間か」
「いや、通りがかりのものだ」
と次郎左が言った。かれには、この家に案内された理由がわからない様子である。
「大竹どの、あの浪人と話ができますか」
「いや、無理じゃな。四、五日は痛みと熱でどうにもなるまい」
大竹休閑が去ると、次郎左は、弥介を向いた。
「弥介、ちと妙だな、手回しがよすぎる。まるで仏生寺が斬られるのを待っていたようだ」
「いや、あの者たちは、舟渡し場でわしを待っていたようだ」
「待っていた?」
「越前の手が回っている」
「大岡越前か」
次郎左は、中空を見る目つきになった。弥介が大岡越前の手に捕らわれ、この中山道に放たれたのを知っていた。だからかれは追って来たのである。その弥介の状況をいくらかは判断したとみえた。
「すると、おれとお新は余計者だろう」
「いや、いてくれなければ困る。おまえにも働いてもらうことになりそうだ」
「おれが、働く?」
「仇の首だとすれば、仏生寺を国元まで送ってやらなければなるまい」
「たしかに」
「しかし、ここに世話になるのは……」
「わしにまかせておけ」
重七は、小田丸弥介を待っていた、と言った。待っていたわけがあるはずだ。それを親分と称する者に聞いてみればわかる。
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柳瀬の渡しは、仁助と共に昨日も渡った。だが、渡し場には博徒らしい男の姿はなかった。重七らは、弥介が今日、柳瀬川を渡ると思い込んでいたことになる。
朱鞘の刀が目印だったと言った。昨日、渡しを渡ったときには、まだ朱鞘の刀は腰にあったのだ。四人の浪人を斬って、朱鞘は刀と共に捨てた。朱鞘が何かの目印らしいということはわかってきたが、いま一つ合点がいかない。
舟を降りたところで、仏生寺が斬られたのは不測の事態だった。まさか、予定されていたものではあるまい。仏生寺が、居合いの手練れに斬られたのは、かれの未熟もあるだろうが、かれが弥介と次郎左に気を奪われていて油断があったとも考えられる。
それにしても、博徒が人を助けるのか、しかも仏生寺は乞食浪人さながらである。弥介は、博徒はごろつきだと考えている。江戸の博奕《ばくち》打ちは、そのほとんどが小悪党でごろつきである。そのごろつきが、人助けなどするはずがないのだ。ただ傍観するか無視するか、それがごく当たり前のはずだ。
それなのに、重七らは、すぐにじぶんの腹に巻いていた晒布を解いて仏生寺の傷口に巻きつけ、戸板を運びそれに載せ、医者を呼びに走ったのだ。
あまりに手回しがよすぎる、と次郎左が言ったのも当然だった。仏生寺の受けた傷は、深くはないが、放っておいて、体を動かせば、よけいな血が流れるし、この暑さでもあり、傷口が膿《う》んで命を失うことになりかねない。
もっとも、重七という男は江戸の博奕打ちとは違って、まがまがしい目つきではなかった。悪党にもごろつきにも見えない。
重七が入って来た。
仏生寺の傷は肋骨《あばらぼね》の右下から斜め上に向かっているが、膚と肉を裂いただけで、骨で止まっていたという。つまり、臓腑《ぞうふ》には傷はついていない。重七はそう言った。そして、
「小田丸の旦那、親分がご挨拶申し上げてえと言っておりますので」
と弥介を誘い出した。
奥深い屋敷とみえ、廊下をいくつか曲がり、ひっそりとした座敷に通された。そして、重七と入れ違いに、商家の旦那とも見える身形の四十五、六と見える半白髷《はんぱくまげ》の男が入って来て、弥介の前に端坐し、両手をついたのである。
「私は、倉賀野一家を束ねます、実左衛門《じつざえもん》と申します。よろしくお見知りおきを願います」
と丁重に挨拶した。弥介が面喰《めんく》らうほどであった。
「わしのことは、知られておるのか」
「はい、三日前に、大岡越前守さまから、お達しがあり、お待ち申し上げておりました」
「その達しを持って来たのは、銀兵衛か」
「左様でございます」
「その銀兵衛は、わしが斬った」
「存じております」
「越前と気脈は通じておるようだな」
「はい、公儀の手札《てふだ》をいただいております」
弥介には、奇怪なことに思えた。南町奉行の大岡越前が、博徒の突左衛門とつながっているとは。越前は、江戸市中を取り締まるだけの奉行ではなかったのか。
「実左衛門、いや親分かな」
「実左衛門でよろしゅうございます」
「わしは、その辺の事情にうとい。町奉行がなぜ、おまえらとつながっている。支配違いであろうが」
「それは……、大岡さまがまだ勘定奉行であられたころ、もう七年ほど前になりますが、関八州のわれら博徒に、手札を下されました」
関八州は勘定幸行の支配である。公儀の役職は、勘定奉行、町奉行、寺社奉行と、位が上がっていくことになる。大岡越前が、町奉行になったのは、三年前、それまでは当然、勘定奉行だったわけである。
ここで、関八州の司法行政について少し触れておかなければならない。例えばある藩で殺しがあり、下手人《げしゅにん》が他領へ逃げたとする。その場合、藩の役人が直接他領へ下手人を捕らえに行くこともできないし、また、大名同士が、合議することも禁じられている。
その下手人を捕らえるには、まず公儀へお伺いを立て、その返事を待たなければならない。その期間が三カ月以上かかる。これでは下手人がどこへ逃げてしまうかわからない。
つまり大名同士の横のつながりは全くないし、法として公儀はそれを禁じていた。そこで公儀は関八州に横のつながりを持つ者を探し、博徒に目をつけたのである。
はじめのうちは勘定奉行が博徒に頼んで、下手人を探索させていたが、大岡忠相が勘定奉行の職についてからは、各地の博徒の親分に手札を渡し、江戸の目明しと同様の捜査、逮捕権を与え、その見返りとして博徒に、賭場《とば》を開くことを許可し、歌舞伎《かぶき》、旅芸、芝居などを興行する権利を与えたのである。
たしかに博奕は法に触れるし、公儀もこれを禁じてはいるが、この勘定奉行の手札を貰《もら》っている博徒の賭場だけは許可したのだ。
大岡忠相は、勘定奉行のときに、関八州に網の目のように探索網を張った。その功績を将軍|吉宗《よしむね》に認められ、四十一歳の若さで南町奉行に抜擢《ばつてき》されたのであって、ただの町奉行ではなかったのだ。
そう聞いてみると、越前の力が、この実左衛門に及んでいるのも納得できるというものだ。
江戸の博徒と違うわけだ。弥介は越前の威力を更に知らされることになったのである。これで、銀兵衛が越前の手先として、関八州を回っていた理由もよくわかった。つまり、弥介と仁助のことは、関八州の博徒たちに知れわたっていることになる。
「よろしく、お引き回しのほどをお願い申し上げます」
と実左衛門は改めて頭を下げた。
いま、弥介は、はっきりと大岡越前という虎の皮をかぶせられていることを納得しなければならなかった。
「わしが、銀兵衛を斬ったことはどうなる」
実左衛門は、顔をほころばせた。が目は笑っていない。
「銀兵衛は小者でございます。おそらく銀兵衛に無礼があったものと、思っております」
そこに若い男が、酒膳を運んで来た。同じものを次郎左の部屋にも届けたという。
「まず一献」
と実左衛門が銚子を手にしたのを見て、弥介は唇をゆがめた。肥前屋お勢に盛られたことを思い出したのだ。酒を注がれた盃を膳に置いた。
「実左衛門、少し頼みがある」
「はい、何なりと」
「一つは、わしの連れが江戸からもどってくる。二、三日のうちだろう。仁助という者だ」
「はい、手配いたします」
「もう一つは、上州屋にまだ、肥前屋お勢という女が泊まっているかどうか調べてくれ」
「はい」
と言って、実左衛門はすぐに手を拍って子分を呼んで上州屋に走らせた。
「仏生寺兵衛、傷ついた浪人だ。この者のことは知っているのか」
「いや、存じ上げませんが、小田丸さまに関《かかわ》りのある方と」
「関りはないが、興味はある。せいぜい面倒を見てもらいたい」
「はい、そのことならば、わかっております。あの、小田丸さまは、ご酒は召し上がらないので?」
「呑まないわけではないが、いまは止めておこう。ところで、さきほどから、物音が聞こえておるが、あれは何だ」
実左衛門は、後ろを振り向き、笑った。
「よろしければ、ご案内いたしましょうか」
弥介が頷くと、実左衛門が先に立った。廊下を渡って戸を開けると、そこは、広い剣術道場になっていたのだ。
博徒が剣術道場まで持っているとは奇怪である。
道場では、十数人の若者たちが、おかしな棒を持って叩き合っていた。あとでわかったことだが、その棒は、竹を細く割ったものを和紙で巻き、革袋で包んだものだった。木刀ほど長くない。博徒が使う長脇差の長さだろう。
道場の上座には、神棚まであった。
「刃物を使えなくては、お上《かみ》のご用には立ちません」
叩き合う棒は、それぞれに鋭い。誰か師匠がいるものとみえる。
「浪人でも雇っているのか」
「いえ、私が教えております」
「親分が」
「はい、馬鹿念流《まにわねんりゅう》を少々いたしますので」
弥介はあきれた。棒打ちを見ていても、そこらをうろつく浪人など、かなうまい、と思われた。
「小田丸さま、一手、お教えいただけますまいか」
「わしは棒打ちなどやらん」
「木太刀も用意してございますれば、ぜひ」
乞われては断われない。実左衛門は、大岡越前が見込んだ小田丸弥介という浪人の技倆《ぎりょう》を見てみたいのだろう。それなりの自負もあるようだ。
実左衛門の一声で、若者たちは棒打ちを止めて、道場の端に並んだ。実左衛門は二本の木刀を持ってくると、その一本をさし出した。
このとき、弥介は、江戸・下谷《したや》車坂町の町道場を訪れ、そのときに左柄半兵衛と名乗ったことを思い出していた。
道場の真ん中に向かい合って立った実左衛門は、木刀を正眼に構えた。しっかりした構えである。博徒剣法ではなく、剣法の法にかなっていた。
弥介は、木刀を右手に下げて立った。隙《すき》だらけである。実左衛門の目が揺れた。戸惑いである。これでは、弥介の技倆はわからない。
馬庭念流のことは弥介も聞いていた。変わった練習をする。座布団のようなものを頭に載せて打ち合うという。手首にも綿を包み込んだようなものを巻く。
実左衛門の切っ先がわずかに動いたと見えた次の瞬間、きえーっと激しい気合いを発して打ち込んで来た。その刹那、重い音がした。
互いに場所を異にしたとき、実左衛門の木刀の中ほどから先がなく、
「参った!」
と実左衛門が叫ぶと同時に、折れとんだ木刀の先が、床にけたたましい音をたてて落ち、かれの手に残った木刀の半分も手から滑って転がり落ちた。
実左衛門は、目を剥いて床に膝をついていた。確かに打ち込んだはずの木刀が空を斬り、あっ、と思ったときには手が痺れていた。かれは、弥介の木刀の動きが見えなかったのだ。居並んだ若者たちにも、実左衛門の木刀がどうして折れとんだか、わからなかったに違いない。
「小田丸さまの腕を試そうなどと、私の思い上がりでございました」
「実左衛門の一振りも鋭かった」
左柄次郎左衛門と実左衛門はいい勝負かもしれない。次郎左は、赤穂藩では十指に入る使い手だったのだ。実左衛門が次郎左と同格とすれば、博徒とあなどることはできない。
重七が姿を見せ、肥前屋お勢は一時ほど前に、上州屋を出発したという。一時前といえば、舟着き場で仏生寺が居合いの浪人に斬られたすぐあとである。
お勢は、旅仕度をして知らせを待っていたものとみえる。次郎左と弥介がいなければ、居合いの浪人は仏生寺を斬り、平三郎の首を奪い、お勢に届けていたことになる。その足で、江戸にもどるつもりだったのか、失敗したときは先に行く用意をしていた。もちろん、倉賀野一家の動きも知っているのだろう。
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蒸し暑い夜だった。
弥介は、行燈を消して夜具に入った。
寝る前に仏生寺兵衛を見舞った。高熱を発し、熱い息を吐き、低く呻いていた。平三郎の首桶は枕元に据えられていた。首に魂があれば、熱にうなされた仏生寺を、平三郎は笑って眺めているのであろう。首を刎ねられた平三郎が成仏できているわけはなかったのだ。
弥介は、このところ眠りが浅い。暑さのせいだけではなさそうだ。神経がきりきりと張りつめているのだ。その神経に触れるものがあると、すぐに醒め、それに対応しようと体が動く。
かれは一つの部屋を与えられていた。この屋敷には小部屋が多い。旅の博徒や旅芸人を泊めるためのようである。次郎左もお新もそれぞれに部屋を与えられている。
雨戸は開かれたまま、障子も風が通るようにと隙間がつくってあった。その代わり藪蚊《やぶか》が多い。当然、蚊帳《かや》が吊《つ》ってあった。弥介は、何度か寝返りを打って、眠りに誘い込まれた。
どれほど眠ったろうか。障子が開けられる徴《かす》かな音に、弥介の手はのびて、枕元の脇差を手にしていた。眠りは醒まされていた。
部屋の中の斬り合いになれば、二尺八寸の刀よりも脇差のほうが使いやすい。
黒い影が部屋に入って来た。女の影であった。実左衛門が女を夜伽《よとぎ》によこしたのであれば、このような訪れ方はしない。その女の影はお新だった。殺気はない。かれは脇差を置いた。
次郎左が連れていたお新である。お新は畳に這った。そして蚊帳の裾をめくると、体を入れて来た。
「女の夜這いか」
と呟いて苦笑した。
はじめて会ったときから、お新は猫の目のように煌る目で弥介を見ていた。かの女は弥介のそばに坐って、しばらく動かなかった。
「小田丸さま」
押し殺したような声で言い、男の胸に上半身を重ねて来た。そして浴衣《ゆかた》の衿を開き、厚い男の胸を手で撫ではじめた。
「どうした?」
「体が熱くて眠れません」
「次郎左に抱いてもらえばよかろう」
お新は黙って、男の胸に頬を押しつけ、唇を這わせた。その唇は男の小さな乳首を探り当て、それを吸った。肉親の情の薄い女は、男の乳首を求めると聞いたことがあった。お新もそのたぐいの女なのだろう。お新がこうやって、弥介のもとにやって来たのは、よくせきのことがあったからだろう。ここで拒むのは酷のように思えた。
お新の体を抱いて、そばに仰臥させ、腰紐を解き、褄を左右に拡げ、手で乳房を探った。浅黒い肌のようだ。夜目には白く見えるが小麦色の肌なのだろう。たしかに手に触れた肌は熱かった。まるで病んで熱でもあるかのように。
手は乳房を包み込んでいた。よく張った乳房で弾力が強い。もっともそれほど大きい膨らみではない。男の手に手ごろであった。掌《て》の中で乳首がしこって立っていた。その乳首を指の股《また》に挟みつけておいて、乳房を揉みしだく。その乳房も熱かった。
お新は、月のうち三日か四日は、体がこのように熱くなるのだという。体の熱さを静めるためには、男に抱かれるより他はないのだそうだ。
「次郎左でもよかったろうに」
それには応《こた》えず、お新は低く呻き声をあげ身をよじった。五尺足らずの小柄な女で、肉づきも薄い。
「小田丸さまのことは、江戸のころから存じておりました」
「なに」
「わたしは、両国の芝居小屋におりました。一座の男衆がよく小田丸さまの噂《うわさ》話をしていたんです」
人斬りとしての弥介を知っているようだ。たしかに、江戸では人斬りの異名をとり、人にも知られていた。知られすぎていた、というべきだろう。内藤新宿での浪人たちとの修羅場が、弥介の名を更に高めたようだ。
だがそれも裏に生きる人たちの間でである。浪人たちの間では、口から口へと伝わっていた。芝居者たちの間で噂されたとしても、ごく当たり前のことだろう。
お新の息が乱れはじめた。それと同時に汗ばんだ足が絡みついてくる。そのぬるっとした足までも熱かった。かれの足はその女の足によって搦《から》めとられた。
女の乳房を揉みしだきながら、お勢の乳房を思い出していた。指がめり込んでしまいそうな柔らかい乳房だった。もっともその乳房を手にしたとたんに、体が痺れて横転していたのだ。苦笑がわいた。
お新の手がのびて来て股間を探った。下帯を解いて、そこにある一物を掴み出していた。一物はまだ柔らかかった。それを掴んだ女の手が前後する。
お勢の手に※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]《こ》がれた慙愧があった。だが、その感触は失われてしまっている。男というものは、女を肌で思い出すことはできないものらしい。すべては脳に刻み込まれているだけなのだ。
弥介は、体つきにしては大きすぎる乳首を咥《くわ》えた。その乳首を吸い、しゃぶり、そして舌で転がした。丸い乳首である。転がってはすぐに立ち上がる。その乳首は根元でくびれ、その先を丸いものにしていた。何人かの男に揉まれ吸われた乳首だろう。
乳首に軽く歯を当て咬《か》みながら、手を肌に這わせた。色は黒いが肌は磨かれた象牙《ぞうげ》のようになめらかだった。はざまの阜《おか》に、茂りは申しわけ程度に生えていた。その阜を撫でまわしながら、手を谷間に滑り込ませる。
そのはざまは一段と熱く、潤いは切れ込みの外にまで及び、切れ込みの左右の膨らみまでぬらしていた。
女の腿が少しずつ開いていく。男の手を存分に動かさせるためである。指を浅く埋めた。ぬめりが指にからみついてくる。お新の体はこの部屋に忍んでくる前から潤んでいたのに違いない。
指が切れ込みに沿ってなぞるように動く。お新の体がピクッと動いた。指腹が木の芽に似たものを捉《とら》えていた。
「お情けを……」
と消え入りそうな声で言って、身を揉むのだ。かれの一物は、お新の手の中で怒張していた。
「いくつになる?」
「二十歳《はたち》を二つ過ぎました」
二指を露にまみれさせて、いまは熱い沼になっている深みに没入させる。指は襞《ひだ》を掻き分けるように進み、指の根元まで埋まった、が指先はまだ底にはついていなかった。子壺《こつぼ》さえも触れない。意外に深い沼だった。
指を交叉《こうさ》させ、屈曲させる、と襞が指に吸いついてくるようだ。その指の動きに合わせて女の腰は揺れはじめた。あー、とか細い声をあげた。
その沼も、まるで湯のように熱いのだ。腰を揉むように動かしはじめてから、子壺が指の先に触れて来た。
弥介は、女の体には疎《うと》い。指折り数えて、このお新が五人目だった。越前の謀略がなければ、一生を妻与志だけで済ましていたのかもしれないと思う。女との交媾《まぐわい》には、わりに淡白な体質でもあったのだ。
浪人を斬ってはじめのうちは嘔吐《おうと》した。嘔吐がなくなったとき、体が女を求めた。だがいまはそれもない。それもないだけに、浪人を斬ったあと、胸中に鉛を抱くことになる。銀兵衛と四人の浪人、加えて居合いの浪人を斬った。それがいま澱《おり》のように胸底に沈んでいた。以前はそれも、女を抱き、女の体の中に精汁を放出することによって、澱は霧散していたのだ。
いまは、澱と同時に、大岡越前の大きな影がのしかかってくるようで、鬱々《うつうつ》としていた。その重苦しさからは、逃れようはないようだ。
弥介は、体を起こし、開かれた腿の間に体を割り込ませ、腰を進める。お新の手は一物を支えて切れ込みに当てていた。その手を何度か上下させておいて深い沼の淵に当てた。
腰を進めるにつれて、女の手はそこから離れ、男の胴に回された。両腕が男の体を締めあげ、疳高い声を放って、女の体が弾んだ。その声を消すために口を唇でおおっていた。気がいくと叫び、全身をつっ張らせ、こきざみに攣わせる。その瞬間、かれはおのれの一物が強い力で締めつけられるのを覚えていた。
お新は肩で息をしていた。乳房が、胸が、ふいごのように、膨らんだり凋《しぼ》んだりしている。その息も次第に収まり、反り返った体からも力が抜けていく。
「なぜ、江戸を出て来た?」
「一座の人といざこざがありました」
「行くあては?」
「ありません」
両国広小路には芝居小屋から見世物小屋まで、多くの小屋が客を呼んでいる。その中の一つにいたのだろう。
弥介は、両国橋で、朋友と思っていた九沢半兵衛に斬りつけられ、危うく命を落とすところだった。手当てが遅ければ、死んでいたろう。油断があった。朋友を信じてもいた。人は緊張を続けられない。どこかで息を抜かなければならない。朋友の前では息を抜けると思ったのが間違いだったのだ。
仏生寺兵衛も同じような状態にあった。仏生寺も、弥介と次郎左に気を奪われていなければ、居合いの浪人の一閃は躱《かわ》せたかもしれないのだ。
お新は、下から腰を持ち上げて、尻を振り回した。それに応えて弥介は押しつけた。ああ、と声をあげ、男の体を抱きしめた腕に力が入る。
弥介はおのれの一物に甘いうねりを覚えていた。それが気をやる一瞬、強く締まるもののようだ。お新はかれの肩に唇を当て、おのれの声をくぐもったものにして、体を震わせる。続けざまに、気をやって、歎息《たんそく》して、体の力を抜いた。
「わたしの父も、小田丸姓だったと聞いております」
お新は、いきなり言った。
「なに!」
弥介は思わず声をあげていた。まさか、と口の中で呟き、小田丸姓は他にもある、と思った。一瞬、兄妹かと思ったのだ。お新が二十二歳だとすれば弥介とは十二歳の違いがある。兄妹ではないと言い切れないが。
「父を知らんのか」
「はい、幼いころ、芝居一座に売られたということです」
弥介は、三十四年前に、相州・大山の阿夫利《あふり》神社の前にある鳥居の根元に捨てられていた。もちろん双親《ふたおや》を知らない身だった。
「だから、わたしは、小田丸さまが他人とは思えなかったのです」
「小田丸姓は一つだけではあるまい」
「はい、でも……」
本庄宿で、お新が弥介を、猫の目のように煌る目で見ていたのも、わかったような気がした。口減らしのため、子供を捨てる親は多い。
弥介は、お新と情を絡めるのを怖れた。お泉という女|掏摸《すり》は、人質に取られ、弥介の前で舌を噛み切って死んだ。女子供を質にとられると、弥介は動けないのだ。
小田丸姓がどこに発したのかは知らない。もし小田丸一族というものがあったとすれば、お新もまたその一族の血を受けた者かもしれない。
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大岡|越前守《えちぜんのかみ》忠相《ただすけ》は、私邸の書院に座し、机に両肘《りょうひじ》をついていた。両手の拇指《おやゆび》で両頬骨《りょうほおぼね》を押さえ重い頭を支えている。かれがものを考えるときの姿勢である。
このとき忠相は四十四歳である。背丈五尺三寸、顔は丸く、体には贅肉《ぜいにく》が付いていた。肉づきのよさに比べて、声は疳高《かんだか》かった。色白の貴相であったと記してある。
忠相は丸窓の外に目を向けた。手入れのよくゆき届いた庭があり、池があった。池には十尾ほどの鯉《こい》が泳いでいる。さほど広い庭ではないが、多種の樹木が植えてあった。
ここ数日、糠《ぬか》のような雨が降り、蒸し暑い日が続いていた。夏の雨である。
忠相の耳には、ずっと大勢の人のざわめきが聞こえていた。聞こえてはいたが、かれの耳には入らない。つまり気にならないのだ。顔を上げて、
「今日は、午《うま》の日であったか」
と小さく呟《つぶや》いた。
今月は北町奉行の月番である。北と南で一カ月交代で勤める。非番の月には、評定所に出る以外は、奉行所には出ない。私邸で書類の処理をする。非番の月でも暇はなかった。
この大岡邸には、豊川|稲荷《いなり》がある。月に三度の午の日には、門を開いて庶民の参詣《さんけい》を許している。その参詣者のために、屋敷の者たちが奉仕していた。その多くの参詣者のざわめきは、朝からずっと続いていた。このざわめきは暮れ六ツ(午後六時)に門を閉じるまで続くのだ。
忠相は、机上に置いてある六寸ほどの大毛抜きを手にし、髭《ひげ》の一本を抜く。
「ちっ」
と舌打ちに似た声を発する。もちろん毛を抜けば痛みが走る。ものを考えるとき、忠相は、一本一本、間をおいて髭を抜く癖がある。
申《さる》の七ツ(午後四時)には、奉行所から私邸にもどる。もどっても、おのれの時間があるわけではない。問題は山積しているのだ。それらの問題をどう処理するか、脳中は渦を巻いている。
いま、忠相の脳で蠢《うごめ》いているのは、両替屋の問題だった。その問題を起こしたのは公儀である。その尻拭《しりぬぐ》いが忠相にまわってくるのだ。
浪人問題にしてからがそうだった。上様はただ「巷《ちまた》に浪人が多すぎる、どうにかせよ」と老中に申しつけられる。浪人は町奉行の支配として、忠相のところに持ってくる。
浪人を巷にあふれさせたのは、大名廃絶策をとる公儀である。たしかに江戸に浪人が多いのは、将軍家のお膝元《ひざもと》として気になることである。
もちろん、浪人をどう処理するかは、忠相にまかされている。浪人処理に公儀の名が出なければ、手段はどうでもよいのだ。
忠相は、一年の準備期間を置き、策を練った。そして一年でほぼ目的を達したのである。もちろん、多くの浪人が死んだ。
いま、江戸の浪人は、一年前に比べると半減している。商人、町人たちは、それぞれに安堵《あんど》し、住みやすくなっているはずである。
「小田丸弥介というたな」
忠相は呟き、抜きかけた髭をそのままにし、大毛抜きを机の上に置いた。続けざまに抜いては、抜く髭がなくなってしまう。毛を抜きはじめてすでに三年経っている。いつまで町奉行をやらされるのかわからない。抜きたいが、残しておかなければならない。髭がなくなったときが町奉行を辞めるときになる。
忠相は、小田丸弥介の刀法は見ていない。凄《すさま》じい斬《き》り方だという。たいていは一閃《いっせん》で、相手を斃《たお》してしまう、と聞いた。かれは小田丸弥介の腕を試す意味もあって浪人の中から使い手、達人といわれる者たちを向かわせたが、ことごとく弥介に斬られて果てた。
弥介を人斬りにするために、妻と娘を人質に取った。
「情に脆《もろ》い男であった」
その情を利用して、腕の立つ浪人を斬らせた。忠相は、小田丸弥介と対面したとき、
「わしのために働け」
と言った。弥介は、
「首を刎《は》ねろ」
と応《こた》えた。だが、
「妻と娘を質にとっていることを忘れたか」
と恫喝《どうかつ》したとき、弥介は首を垂れた。情に脆い男は使いやすい。また、金に弱い男は更に使いやすい。
いかに忠相の頭が冴《さ》えていても、忠相一人では何一つできない。やはり人を使わなければならないのだ。その人選がむつかしい。
忠相の家臣に、朝印奈《あさいな》兵三郎《へいざぶろう》という切れる男がいた。生きていれば、加増して役に付けたところであるが、小田丸弥介と対峙《たいじ》して、斬死《きりじに》した。朝印余には小田丸弥介の技倆《ぎりょう》を見る目がなかったことになる。慢心があった。
人を見る目がなくては、人を使うことはできぬ。弥介の能力は知らぬ。だが、刀法の技倆は捨てがたい。役に立つと思えば使わねばならない。たとえ、人質を取り恫喝してもである。
この江戸に弥介に及ぶ者がない、となれば、それだけでも能力がある。忠相は奉行所の与力、同心などあてにしていなかった。もちろん中に能力を持つ者がいれば重用しよう。だが、いまの世襲の町奉行配下に能力のある者は少ない。
将軍|吉宗《よしむね》は能力主義者である。そのために大岡忠相は四十一歳の若さで町奉行に登用されたのである。だから、忠相も能力主義者であった。家系とか家柄、育ちなどというものは何の役にも立たないのだ。
忠相が使っていた目明し銀兵衛を、小田丸弥介が斬ったと聞いた。また、銀兵衛のような使い捨ての者も必要なのだ。
忠相は、小田丸弥介を野に放った。これからがたのしみだと思っている。
「それはとにかく」
と、かれは毛抜きを手にしたが、思い直したように、机の上に置いた。今日は少し毛を抜きすぎている、と思ったのだ。机の上には、半透明の毛根をつけた毛が貼《は》りついている。それを一本二本と数えてみた。その三分の一は白毛だった。
「おのれ、両替屋め!」
十日ほど前に、江戸の両替屋千人余りに対して、南町奉行所に出頭するよう触書《ふれがき》を出した。ところが、出頭して来たのは、すべて代理の者ばかりで、当人は一人も姿を見せなかったのである。番頭か手代、そして女房たちだった。怒った忠相は、そのすべてに入牢《にゅうろう》を申しつけた。
これには伝馬町《てんまちょう》の牢奉行の石出《いしで》帯刀《たてわき》が文句をつけたが、そんなことなど無視した。
新井|白石《はくせき》は、その建議書の中で、
「天下の利権は両替の者共の掌《て》の中に落候」
と書いている。
公儀をなめた商人どもである。
公儀は金《きん》不足に悩んでいた。豊臣秀吉が大坂城に残した竹流しの黄金百万両あまりも使い果たしていたし、佐渡の金山からの発掘も少なくなっている。
黄金不足の公儀が、財政収支のために、貨幣を悪鋳し、乱発した。もちろん旧貨を全国から集めてである。大名は旧貨を出ししぶったが、公儀は各地の大名を恫喝して放出させたのだ。
ところが、江戸の両替屋が、旧貨を隠匿《いんとく》している。大坂の通貨はほとんど銀だから問題ないが、悪貨のために銀相場がぐんぐん上がる。
公儀は、金一両に対して銀六十|匁《もんめ》と決めている。それが享保《きょうほう》三年には、金一両が銀四十匁までに下がってしまった。つまり、銀が高騰したのである。するとそれだけ、物価は高騰することになるし、一両の価値が半減することになるのだ。
旧一両が没収されてしまっていれば、金一両銀六十匁で通用させることは、公儀の力で出来る。ところが、旧一両が裏で通用しているのだ。旧一両に対して、新一両は、それに二分を加えないと通用しない。つまり五割増しの値である。
商人たちの間では、旧一両を新小判一両二分で買う者がいる。貯《たくわ》えておけば、そのうちまた値上がりすると考えているのだろう。
新旧が通用していては、公儀としては、財政の収支がつかないのだ。もちろん、両替屋には、旧小判を新小判と交換するように命じてある。だが、両替屋たちは、公儀を甘く見てか、旧小判をみな隠匿して出さない。
また、旧小判を持っている者たちは、両替屋まで走り、一分金五枚と換えてもらうのだ。一分金四枚で一両のはずが、五枚出してくれる。当然、両替屋に旧小判が集まることになる。
また、両替屋の中には、旧一両と銀六十匁を交換して、銀をため込んで大坂に流している者もいる。
もちろん、これも公儀がおのれでまねいた事件である。新一両は金の含有量が二、三割少なくなっている。商人が新貨をよろこばないのは当然であった。だが、公儀は新貨でも一両は一両として通用させなければ、経済が安定しない。
「ちっ!」
忠相は舌打ちをして、堪《こら》えていたのに髭をまた一本抜いてしまった。
ある公儀おかかえの学者が忠相に言った。
「両替屋三十人ほどを礫刑《たっけい》にすれば、効果があろう」
と。
千人の両替屋の中から、主だったもの三十人を選び出して磔刑にするのは易《やす》いことだ。忠相にはそれができる。権限がある。それを老中に伺いを立てれば許可が出る。たしかに両替屋に対しては効果がある。みんな旧貨を吐き出すかもしれない。
だが、忠相は、公儀の権力を表立って使う気にはなれないのだ。三十三年前の貞享《じょうきょう》二年に、公儀は天下に生類憐《しょうるいあわれ》みの令を発し、二十四年間続いた。生類を殺した者、害した者をすべて罰した。
これは、公儀にとって得策ではなかったのだ。忠相は、何かをやるには、裏でやらなければならないと思っている。江戸の浪人の多くを裏で始末したように。
両替屋三十人を磔刑にすればどうなるか。忠相はそれを考えていた。江戸の庶民は怯《おび》えるに違いない。庶民を怯えさせては、江戸の繁栄はないのだ。
両替屋三十人を始末するなら、裏でやらなければならない。裏で始末してしまうだけの組織を、忠相は持っている。
だが、両替屋は浪人と同じではない。江戸の商人であることには違いがないのだ。どうすれば、両替屋たちが、旧貨を吐き出すか。そこが忠相の能力が問われるところでもあった。
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廊下に足音がして、部屋の前で止まった。
「殿」
障子の外から声がかかった。用人・戸田|治右衛門《じえもん》である。
「申せ」
「両替屋万田屋が、お目通り願いたいと申しておりますが」
「会わん、追い返せ」
「はっ」
「まだ、何か用か」
「示現《じげん》が来ておりますが、待たせましょうか」
「ほう、示現か、庭に通せ」
「わかりました」
治右衛門は、顔も見せずに去っていく。
「千人の代理人か」
呟いて、忠相はにやりと笑った。入牢を申しつけた両替屋の代理人たちを、お下げ渡し下さいませ、と毎日、何十人となく、両替屋たちがやってくる。もちろん、それ相応の賄賂《まいない》は持って来ている。だが、忠相は賄賂は取らない。必要な金は公然ととるが。
「代理人一人につき百両ずつを出させる。それも旧貨でだ」
そうすれば旧貨十万両が集まることになる。それを公儀に入れて、新貨で十万両を受け取り、各問題の費用に使う。一挙両得ということになる。もちろん、老中にお伺いを立てなければならない。老中が反対するわけはない。両替屋三十人を磔刑にするというお伺いにも許可は出るはずだから。
浪人の始末については、金がかかりすぎた。まだ関八州についても金がかかる。
庭に人の気配がし、毬栗《いがぐり》頭の男が姿を見せた。願人《がんにん》示現である。
「お奉行」
「上がるがよい」
示現は、足音もたてず、障子の音もたてず、影のように入って来て、忠相の背後に座した。忠相は、机に両肘をついたままである。
忠相は、しばらくしてから、
「聞こうか」
と言った。
「いまのところ、浪人が結集する様子はありません」
「そうか」
「だが、埒《らち》があきませぬな」
「なぜだ?」
「他国から、浪人が次々と関八州に流れこんで来まする」
「して、目ざわりなのは?」
「いまのところは、八人ばかり、他は雑魚《ざこ》でございましょう。不穏な動きはありません」
「それでよい。おまえの仕事、埒があくことはあるまい」
示現は十人余の手先と共に、関八州の動きを見張っている。核になる浪人がいれば、不平浪人が群がり集まりたがる。その核になる浪人は剣の使い手ばかりとは限らない。忠相が怖れるのは、由井《ゆい》正雪《しょうせつ》のような、軍学者である。人を説得するのに能力のある人物である。
心ある浪人は死に場所を求めて彷徨《ほうこう》している。これらの浪人を口説《くど》ける人物が現われれば謀反《むほん》が起こる。それを防ぐために、示現らが動いている。
たしかに関八州は、勘定奉行の支配だが、四人の勘定奉行では、その謀反は防げないのだ。第一に権力はあっても実績がない。組織を持たないのだ。
「江戸もいまのところは平穏じゃ。浪人の数も減った。だが、いつまた激増するかはわからん。示現、気が抜けぬな」
「江戸は、終わりましたか」
「いや、いまも配下の者が動いておる」
浪人の始末は一応の目的は達したが、完了したわけではない。江戸にしろ、関八州にしろ、忠相の仕事が完了するわけはなかった。いずれは未完のまま、次の町奉行にゆずることになる。
浪人は半減した。だが、半減したままではない。江戸に入ってくる新しい者もいるわけだ。
「ところで」
と忠相は、やっと示現に向き直った。示現に比べると体は小さいが、よく肉がついている。示現は五尺八寸、逞《たくま》しいが肉は削《そ》げていた。武芸者として、贅肉がつく暇はないのだ。
「小田丸弥介に会うたか」
「声をかけられました」
「見破られたか」
「そのようでございます」
「弥介をどう見る?」
「さて、どうとは」
「示現、弥介に勝てるか」
「お奉行が、殺せと申されれば殺しましょう」
「ふむ、殺せるか」
「はっ」
「やつには、まだ衒《てら》いがある」
「小田丸は、越前の走狗《そうく》ではない、と申しておるげにございます」
「そこが、示現とは異なるか」
「はっ、それがしは、お奉行の走狗にございます」
「まあ、そういうな」
忠相は、咽《のど》をひくつかせて笑った。それが、ケッ、ケッと聞こえる。
「それがしは、お奉行に命ぜられるままにございます」
示現はにこりともしない。
「その目ざわりの八人、一人一人片づけねばなるまいな。芽は早く摘んでおくがよい」
「はっ、承知」
「一度、小田丸弥介と立ち合うてみるか」
「殺すことになりますが」
「死ねばそれでよい。それだけの男だったということになる」
「それがしが小田丸に敗れても、同じことでございますな」
「そういうことだな」
忠相は穏やかに笑う。この男は、人の生死に関《かかわ》ることを、雑談にまぎらわしてしまう。たとえ、示現が小田丸弥介に敗れ、斬死しても眉《まゆ》一つ動かさないだろう。
「弥介は、わしの思う通りには動くまい。だが、それならばそれで使いようがある」
「鋏《はさみ》となんとかは使いよう、でございまするか」
忠相は頷《うなず》いた。人を思うように使えなければ、かれの職は務まらない。ただの町奉行とは異なるのだ。
「一人百両では少ないな、二百両、いや三百両にするか」
「はあ?」
忠相は、ときどき、わけのわからないことを口にする。もちろん示現には何のことやらわからない。だが、忠相の頭の中では、唐突な言葉ではない。さきほどの両替屋代理の一件である。
忠相は、立って手文庫の中から、切り餅《もち》四個を持ってくると、示現の前に置いた。示現は一個一個ふところにねじ込む。百両の大金を無造作に出す。だが、この男、私腹を肥やすことはない。
人を殺すときは表を避け裏でする。だが、金を集めるときには表で当然のように堂々と手にするのだ。浪人始末に必要な金は、江戸の大商人三十人から、千両ずつを出させた。これは老中の許可を得てのことだった。
「もうよい、下がれ」
と言いおいて、忠相は机に向かって、両肘をついた。そのときには、示現は音もなく去っていたのである。障子が開いて閉まったのも、忠相の耳には入らなかった。
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大岡越前守の屋敷は、赤坂御門前、表伝馬町二丁目にある。午《うま》の日とあって、開かれた門内、門前には、小雨の中を、参詣者がひしめいていた。
江戸市中には、五千からの稲荷がある。武家の屋敷内にある稲荷も少なくない。そのほとんどは、門を閉ざして、参詣者を受けつけない。
大岡越前だけは、わざと門を庶民に開いたのである。それも南町奉行になってからである。南町奉行の私邸内ということもあって、この豊川稲荷は、江戸の庶民の人気を得た。特にご利益があるかどうかはわからないが、人の気持ちとして、ご利益のありそうな稲荷に参詣することになる。
加えて、屋敷の者たちが、参詣人に奉仕する。冬は甘酒と赤飯、夏は冷えた麦茶に、蕎麦《そば》といったように。
大岡越前が表向きには人を殺さない理由はここにもあった。公儀は、ご政道のためと称して、簡単に人を殺す。
だが、越前はたてまえだけでも、町奉行は庶民の味方でなければならない、と考えている。三十人の両替屋を磔刑にするのは簡単である。他に策がなければ、徳川将軍家のために、そうしなければならないところだろう。だが、そうしないですむ策を大岡越前は考える。それが役職だと心得ている。
それでいて、裏においては、今度の浪人始末に見られるように、三百人の浪人を斬殺始末しているのだ。
大岡越前は、三百の浪人を殺しても、穏やかな貌《かお》は崩さないのだ。その越前の表裏の顔を知っている一人が示現だった。
示現は、参詣者の群れにまぎれて、門を出た。示現ら裏の者が出入りするのは、門が開く月に二、三度の午の日に限られていたのである。もう一つの表門から出入りするのは公用の者に限られていた。
半時《はんとき》(約一時間)後には、日本橋伊勢町にある小粋《こいき》な料理茶屋の一室に収まっていた。湯屋以外の風呂は禁じられていたが、この料理茶屋には湯殿があった。大岡越前とつながりのある店だからである。
旅の垢《あか》を落とした示現は、浴衣《ゆかた》姿でくつろいでいた。旅に出れば一年に一度か二度しか江戸にはもどれない。示現は耳を澄ます。人の訪れを待っているのだ。江戸にもどったときには、必ず会う女がいた。その女を待っている。
酒膳《しゅぜん》を引き寄せ、手酌で呑《の》む。いまは酒よりも女である。酒の味もわからないほどに、体が女を待ち焦がれているのだ。股間《こかん》に疼《うず》きがあった。手で股間を押さえておいて、口辺に苦笑を浮かべる。
旅に出ている間、女の肌に触れないわけではないが、やはり江戸にいる女は格別だったのだ。
「走狗か」
念頭に小田丸弥介の姿がある。越前に言われて小田丸の姿が脳に宿ってしまったようだ。柳瀬《やなせ》の渡しで会ったときには、それほど気にはならなかった。多少腕は立つかもしれないが、示現の目から見れば、ただの浪人だった。
銚子一本を空にしたころ、廊下に足音を聞いた。仲居が、おみえになりました、という。障子が開いて、入って来たのは、三十前と見える武家女だった。その女は座敷に入ってから御高祖頭巾《おこそずきん》を取った。
貌の白い女である。その女は示現を、
「兄上」
と呼んだ。
「由紀、しばらくだったな」
小走りにやって来たのか、息をはずませている。双眸《そうぼう》は張り艶《つや》があった。目鼻立ちのはっきりした美貌《びぼう》ある。細面《ほそおもて》で形のいい唇が紅《あか》い。紅をさしているのではない。
示現は、盃《さかずき》をさし出した。由紀はそれを手にして酌を受ける。端座した膝の位置が高い。それだけ肉づきがよいのだ。腿《もも》から尻へのなだらかな線に女の色香が匂うようである。
由紀が笑いかけた。笑顔がじぶんをより美しく見せることを知っている笑いである。きれいに並んだ歯が白い。細い指も肉づきよく、指そのものにさえ女を感じさせるのだ。
「兄上、江戸にはいつまで?」
「明日には発《た》たねばならん」
「そんなに早く?」
「兄上は止《よ》さぬか、そなたの兄はすでに死んでおる」
由紀は三杯の盃を干して、示現に返した。そして酌をする。かの女は大きく溜息《ためいき》をついた。わけもなく溜息をつく女は、すでに兆しているという。
示現は由紀の手首を掴《つか》むと引き寄せた。由紀の体が男の膝の上に崩れた。話していればそれだけ時が流れてしまう。時が足りなかった。せわしない交媾《まぐわい》になる。かれは肉づきのいい女体を抱き上げて唇を重ねた。それを由紀が受けて舌をからませてくる。
亥《い》の四ツ(午後十時)には町々の木戸が閉まる。それまでには、由紀は小川町に着いていなければならないのだ。武家妻が外泊できるわけがなかった。
お互いの唾液がからみ合い、舌が躍る。由紀が呻《うめ》いた。かの女は男の体を押しのけると、
「寝間へ」
と言った。襖《ふすま》のむこうには夜具が延べられ、さきほどから行燈《あんどん》に灯りが入っている。
由紀が立ち襖を開ける。示現もそれに続いた。夜具の裾《すそ》のあたりに由紀は背を向けて立ち、絹の擦れる音をたてて帯を解く。示現は、先に夜具に仰臥《ぎょうが》して、由紀の姿を見ていた。
着物がなだらかな肩からすべり落ち、白い裸身を見せた。腰にはまだ二布《ふたの》がまつわりついている。背中から二の腕あたりの肌の白さがきわ立って見えた。
由紀はそのまま、夜具に上がると、男のそばに座したのである。男の手が乳房にのび、下から支えるように把《と》ると、ゆたゆたと揺れた。量感のある形のよい乳房で、すでにそそり立った乳首が上を向いていた。
乳首が濃い紅色をし、その根元でくびれている。男の指にその乳首を摘《つま》ませておいて、由紀の手は、浴衣の上から男の股間を押さえた。そこにあるものは、さきほどから怒張したままである。由紀はくくっと笑った。
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示現は、もとの名を取手《とりで》又四郎といった。旗本の三男であった。
旗本、御家人の男児は、十二歳になると、素読吟味を受けなければならない。これは、武家の男の子が、文事の点で一人前になったかどうかを試す試験で、内容は『四書五経』の素読である。吟味は毎年十月に湯島聖堂で行なわれた。
素読吟味は、番入り、家督相続の資格試験で、この資格を取っておかないと、公儀の役職にも就けないし、嫡子《ちゃくし》であっても家を継げないだけでなく、他家への婿入《むこい》りも許されない。
取手家千六百石は、小普請組に入っていた。取手家の当主孫九郎は、直参旗本の中では一刀流の達人としてその名が高かった。
孫九郎は、取手家の次男として生まれている。そのために子供のころから剣術に興味を持ち、剣術道場に通い、剣術|三昧《ざんまい》の日を過ごしている。天性もあったのだろうが、十八歳のとき、その師をして、及ばぬと言わせたほどの技倆だった。かれは、取手一刀流を称していたが、所詮《しょせん》は冷や飯食いの居候にすぎなかった。
その孫九郎に運が向いて来た。兄孫一郎が流行病《はやりやま》いで、あっさりと他界した。孫一郎に子供がなかったため、孫九邸が取手家の当主となった。
孫九郎には三人の男児と一人の女児があった。嫡子又一郎と、次男又之介は、一度で、しかも優秀な成績で素読吟味を通ったが、三男の又四郎だけは、吟味に落ちた。落ちた者は、翌年願い出て、再吟味を受けることができるが、三度落ちると、その資格を失ってしまうのである。
又四郎は、ごていねいにも三度とも吟味に落ちたのである。又四郎は、二人の兄に比べると、背丈も大きく体格だけは秀れていたために文事を好まず、武芸に興味を持っていた。
同輩どもは又四郎を嘲笑《ちょうしょう》し、兄たちは家名を汚すものとしてののしり、妹の由紀までもが侮った。
父の孫九郎だけが、この件については一言も口にしなかった。
「父上、武芸をお教え下さい」
又四郎は、文事が駄目なら、せめて武芸に秀れたい、そのような殊勝な心掛けを孫九郎に示したかったのだ。
孫九郎の目に、皮肉な嗤《わら》いが浮いた。
「又四郎、武芸の第一義は死の安心じゃ。死をもって生を求めんとするのが武芸。いつでも死ねる心構えがなくては、武技のみ学んでも無駄なこと、又四郎、死ねるか」
「はい」
「何のために死ぬ?」
「忠孝のためにです」
又四郎は、おのれの言葉に満足した。父の喜ぶ顔を待った。だが、かれが見たのは、魚の鱗《うろこ》に似た、凍りつくような父の目の煌《ひか》りだった。
「では、いま死ね」
又四郎は驚愕《きょうがく》した。耳の錯覚ではなかった。父に喜ばれようと言い出したことが、逆に父を怒らしてしまった。このとき、又四郎十五歳だった。素振りもしていたし、町道場にも通っていた。だが、孫九郎の前では、当然、ただの子供に過ぎなかった。
「おまえは、たった今、死ねると言うたぞ、武士に二言はないはずだな」
孫九郎は、青ざめた又四郎を庭へ引きずりおろした。そして、茫然《ぼうぜん》と立つ又四郎に鞘《さや》を払った刀を持たせたのである。
十五歳の又四郎は孫九郎の激しい殺気を浴びて震えた。歯の根が合わなかった。双眸を閉じた。
「目を見開け!」
達人といわれた孫九郎の殺気を浴びては、又四郎でなくとも身動きもできない。体が強直して、金縛りにあったようなものである。
又四郎は、目玉だけを動かして、あたりを見まわした。又一郎、又之介、由紀、それに母、郎党など屋敷の者たちが、囲むように集まっていた。
当時、由紀は三つ年下の十二歳。たぐいまれな美貌であった。母もまた美形だった。
――父に斬られて死ぬ!
又四郎は、そう思った。母を見た。その母の目も冷たかった。冷たく笑みを浮かべていた。由紀も同じ目だった。又一郎と又之介の目には嘲笑があった。
誰《だれ》一人として止めに入る者はない。声を掛ける者もいない。誰もが、又四郎が孫九郎に斬られて当然と思っているようだった。
その戦慄《せんりつ》の中で、又四郎の魂が変形した。
「又四郎、命が惜しいか」
野太い孫九郎の声がした。それまでかれは命などということを考えたことがなかった。病い一つしたことがなかったのだ。
命が惜しいかと言われても答えようがなかったし、第一、声が出なかった。ただ慄《おのの》きと攣《ふる》えは止まらなかった。殺気というものが、これほど凄じいものだと知ったのも、このときがはじめてだった。
改めて、母と由紀の顔を見た。二人の顔に残酷な笑いが刷《は》かれていた。
「死ね!」
又四郎は刃鳴りを耳にした。その刹那《せつな》、血が逆流するような衝撃を受けて意識を失っていた。
蘇生《そせい》したのは三日目であった。そばに下女が一人|坐《すわ》っていた。お時という下女に看病されたようだ。生きているのが不思議だった。
右肩に長さ一寸ほどの傷があった。傷は浅くたいしたことはなかったが、かれの魂の傷は深かった。
体の傷は癒《い》えたが、心の傷は癒えることなく、いつまでも残った。
それから三年間、又四郎には剣術だけが生き甲斐だった。遊ぶ暇は一時《いっとき》もなかった。町道場で何かに憑《つ》かれたように木刀振りに励み、型を学び、家に帰っては、暇を惜しんで素振りを続けた。当然、体には膂力《りょりょく》がついた。背丈ものびた。
兄二人には剣術など、はじめから興味がなかったようだ。武芸が何かの役に立つ時世ではなかったのだ。世は泰平、世間が倦《う》んでいた。
某日――。
又四郎は十八歳になり、由紀は十五歳になっていた。もともと由紀には淫蕩《いんとう》な血が流れていて、それが芽を出しはじめていた。
いつものように又四郎が素振りをしているところへ、由紀が、飼っていた犬を連れて現われ、嗾《けしか》けたのである。
犬が吠《ほ》えかかるのに、又四郎は一閃していた。犬の首が血を噴いて転がった。それを見て由紀は青ざめながらも笑ったのである。
「やはり、兄上には魔物が宿っている」
由紀の目に妖《あや》しい淫《みだら》さが湧《わ》いた。
「魔物だと?」
「兄上」
と言って、由紀は目でかれをうながした。由紀が誘ったのは暗い納戸《なんど》の中だった。そこで、由紀は帯を解き、裾を左右に分け、はざまに又四郎の手を誘ったのである。
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その納戸の中で、又四郎は、由紀の口から意外なことを聞かされた。
小普請組はいくつかの組に分かれていて、組それぞれに組頭《くみがしら》がいた。取手孫九郎の組頭寺田|主水正《もんどのしょう》は二千七百石、色好みの旗本だった。かれの組の中に松島|啓之進《けいのしん》という者がいた。家禄八百石である。その松島の妻|美弥《みや》は美貌だった。
寺田主水正は、この美弥に目をつけ、これを手込めにした。それだけならまだよかったが、美弥が孕《はら》んでしまったことで事が大きくなった。実は、松島啓之進には子種がなかったのである。
寺田は手込めにしたあとも、何度か美弥を呼び出しては楽しんでいた。
松島啓之進は、妻美弥の体の変化に気づき美弥を問いつめた。妻に姦通《かんつう》されては、姦婦姦夫を斬らなければ、松島家が成り立たないのだ。
「相手は誰だ!」
「取手孫九郎さまでございます」
「なに」
と啓之進は目を剥《む》いた。取手孫九郎では斬りたくても斬れない。啓之進はいくらか武芸の心得はある。姦通の相手が、寺田主水正であれば斬っていたかもしれない。達人といわれる一刀流の取手孫九郎では、はじめから太刀打ちできなかった。
美弥は、夫に問いつめられたときには取手孫九郎の名を告げよ、と寺田に言われていた。もちろん、寺田主水正は、孫九郎にそのことは頼んであった。
孫九郎が、なぜ寺田のその頼みを呑まなければならなかったかについては、由紀は知らなかった。由紀にすべてを語ったという母も知らなかったのか。孫九郎にはそれを拒否できない弱味があったのに違いない。そうでなければ、武骨者の孫九郎が姦通の代理など引き受けるはずがなかったのだ。
松島啓之進は、激怒した。もちろん、啓之進が孫九郎に向かって刃を抜けなければ、姦通は隠してしまうしかないのだ。
そんなとき、啓之進は、取手孫九郎が二年前に、馬場で馬を駆っていて落馬し、ふぐりを裂いたという噂《うわさ》を聞いた。
啓之進は、美弥の姦通の相手が寺田主水正ではないかということは薄々知っていた。だがその手証があるわけではない。かれは孫九郎がふぐりを裂いたという噂を聞いて合点していた。
取手家を訪れた啓之進は、
「美弥が孕んだ子が、取手どのの種という証《あかし》に、妻女の懐妊を見たい」
と恫喝した。
「もし、妻女が懐妊されれば、それがしはすべてを闇《やみ》のものといたそう」
そう言いきった。そして六カ月を待とうと言った。孫九郎はふぐりを裂いている。すでに子種があろうはずはない。
啓之進は、孫九郎が困惑するのを腹の底で嗤った。
だが、孫九郎は、その日のうちに一人の乞食を屋敷に連れて来たのである。
この乞食は願人坊主であった。乞食同然の願人が江戸の町に姿を見せはじめたのは、慶長に入ってからである。
鞍馬寺《くらまでら》大蔵院の書によると、当院の坊人《ぼうにん》を願人というとある。仏教の僧を坊主というのに対し、神道では坊人と称す。源義経が奥州下向《おうしゅうげこう》のとき、坊人が本尊|多聞天《たもんてん》に心願して随従し、武運を開かれたので、源公願人と称した。それ以来、坊人は諸国を徘徊《はいかい》し、加持祈祷《かじきとう》をなし、札守秘符を務める俗法師になった。
公儀からお尋ね者(隠密《おんみつ》御用)のときは、関八州を回状を持って巡回した。つまり、慶長のころから、願人は公儀の隠密として働いていた。それがいつしか、世が泰平に馴《な》れてくるに従って、願人は乞食坊主に堕《お》ちたのである。
もちろん、孫九邸はそれを知って連れて来たのではない。ただの乞食坊主を拾って来ただけだった。その願人に、孫九即は妻を与えたのである。
六カ月を待つまでもなかった。妻は二カ月目に、月役《つきやく》が止まり、懐妊したのである。妻の懐妊を知った孫九郎は、願人を連れ出して斬り捨てて、死体を大川に投げ込んだ。
松島啓之進を欺くためとは言え、おのれの妻の体を願人に与えた孫九郎のやり方は異常というべきだろう。松島は、それを知って臍《ほぞ》を噬《か》みながらも、美弥の姦通を秘してしまった。
孫九郎の妻八重は、十月十日を経て男児を産んだ。それが又四郎だったのである。
又四郎は、青ざめて由紀の話を聞いた。この話が事実とすれば、父孫九郎は、父でないどころか父の仇《かたき》ということになる。
寺田主水正、孫九郎ばかりでなく、直参旗本の風紀は乱れ、腐り果てていた。
「女の腹は借り腹といいます。又四郎どのとわたしは同じ腹から生まれましたが、兄妹ではなく、他人です」
と由紀ははっきり言った。
由紀もまた、孫九郎の娘ではあり得なかった。孫九郎に由紀を産ませる種があるわけはない、とすれば由紀の種は誰なのか。かの女は得意気に言った。
「私の父は寺田主水正です」
と。孫九郎の妻八重も寺田主水正と通じたのだ。あとで知ったのだが、八重は、孫九郎の兄孫一郎の妻であった。
又四郎は、話を聞いた翌日に、取手家から、そして江戸から姿を消した。
又四郎が、江戸にもどって来たのは、享保元年。十年が過ぎ、又四郎は二十八歳になっていた。神田小川町にある取手の屋敷の周りをうろつきまわり、他出してもどって来た孫九郎に出会ったのは四日後だった。
「取手孫九郎、父の仇」
又四郎は五尺の棒を手にしていた。
「又四郎ではないか」
孫九郎は、笑いながら、又四郎を父の目で見た。あの鱗のような無気味な目の光は、そこにはなかった。
「孫九郎、刀を抜け、抜かなければ、そのまま打ち殺す」
「又四郎、棒術を極めたか」
そう言って孫九郎は刀を抜いた。取手の家督は嫡子又一郎にゆずって隠居の身だったが、正眼に構えた孫九郎の姿には風格があった。
棒と剣で対峙した。
なぜ、孫九郎が寺田主水正の言いなりにならなければならなかったかは、のちに大岡越前が調べて教えてくれた。
孫九郎は、兄孫一郎の妻八重と関りを持っていた。風紀の乱れはすでに孫九郎、八重が絡んでいたものである。孫九郎は、八重との関りを寺田主水正に相談した。そして孫一郎が風邪《かぜ》に臥《ふ》せったところを、薬と称して毒を盛ったようだと。つまり、孫九郎は八重と共に千六百石の取手家を得たのである。
その弱味があるために、寺田の頼みを断わりきれなかった。
又四郎の種である願人を斬って捨てたのは、取手家の秘密が世間に洩《も》れるのを怖れたからで、孫九郎には、乞食同然の願人を斬り捨てるのに、痛痒《つうよう》はなかった。
又四郎と刀を抜いて対峙したとき、孫九郎は五十五歳であったが、かれの剣にはまだ衰えはなかった。
「又四郎、おまえにわしが討てるか」
孫九郎は、構えた正眼の刀刃を少しずつ上げた。上段にまで運ぶと、気合いと共に袈裟懸《けさが》けに斬りおろした。
その瞬間、戛然《かつぜん》と鳴った。
孫九郎は目を剥いた。手にした刀刃が鍔元《つばもと》から折れていたのである。又四郎の棒が刀刃を撥《は》ねたのだ。孫九郎には刃が折れるとは、思いもよらないことだったのに違いない。
孫九郎は、うろたえて一歩を退き、脇差《わきざし》に手をかけたが、時すでに勝負はついていた。棒は伸びて、孫九郎の脳天を打ち砕いていたのである。
一刀流の達人も、棒術の前には技もなく斃れた。それを四、五人の者が見ていた。取手の屋敷からも、何人かがとび出して来た。
又四郎は、その場に立ち、
「父の仇、取手孫九郎を討ったり」
と大声を放っていた。
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享保元年六月十七日、評定所において、十二件の評定が行なわれ、その中に取手又四郎の刃傷《にんじょう》も入っていた。
このとき、評定所には、老中、若年寄、側衆《そばしゅう》、大目付、それに寺社奉行四人、町奉行二人、勘定奉行四人が、ずらりと居並び、留役《とめやく》五人が、それぞれに罪状を読み上げ、老中以下が裁定を下すのである。
十二の事件はその日のうちに片づけなければならない。一件に時間をかけるわけにはいかないのだ。
この末席に、大岡忠相は勘定奉行の一人としていた。忠相は翌二年に南町奉行になり、越前守を名乗っている。
又四郎の件が回って来たとき、留役の一人が「父殺し」と言った。父殺しは磔刑である。町奉行の一人は「仇討《あだう》ち」と称した。町奉行は又四郎を捕らえ、事情を聞いたものとみえた。
「父殺しと仇討ちとは、ずいぶん開きがある。くわしく聞きたい」
大目付が言った。
大岡忠相は、このときはじめて取手又四郎を知り、興味を持った。一刀流の達人といわれた取手孫九郎を、棒一振りで殺している。その技倆に目をつけたのだ。
だが、仇討ちとすれば、寺田主水正、松島啓之進、その妻美弥、取手家、孫九郎の妻などの事件をすべて明るみに出さなければならない。評定所としては、簡単にけりをつけたかったのだ。
また仇討ちとすれば、まず寺田主水正を罰しなければならないし、主水正が呼び出されれば、孫九郎が、兄孫一郎を毒殺した件にまで及ばなければならない。
三家を改易にするには、それなりに調べなければならない。手間がかかる。
「死罪申しつける」
と老中の一声で、一件は落着したのだ。老中は磔刑を死罪にした。又四郎の情状を思ってのことだろう。
大岡忠相は、このとき、何の言葉もさしはさまなかった。
翌日、忠相は、老中松平|伊賀守《いがのかみ》邸を訪れている。
「取手又四郎の一命、それがしに下しおかれますまいか」
松平伊賀守は唸《うな》った。
「関八州を押さえるには、又四郎めの技倆が必要にございまする」
大岡忠相は、山田奉行のときに、吉宗将軍に見込まれ、勘定奉行に据えられた。このときには、すでに、南町奉行の職が決まっていた。
「ならぬ。取手又四郎を死罪にせい。死罪を行なうにおいては、必ず、取手又四郎の名を確かめてからにせよ」
翌日、取手又四郎の首は刎ねられた。首の座についたとき、その者は、取手又四郎とはっきり名乗った。身代わりを使ったのだ。
その日、大岡忠相の屋敷には、願人示現がいた。頭を毬栗にし、白衣《びゃくえ》をまとっていた。取手又四郎は、この世から姿を消し、示現が残ったのである。
それから五年の歳月が経っていた。
示現は、雲水の如く関八州を歩きまわった。関八州のことなら、隅々までわかる。これまでに示現の棒にかかって死んだ浪人は百人に余る。
大岡越前は、南町奉行の職に就いたとき、示現のような武芸達者な者を八人ほど集め、その下に手先をそれぞれ十人ほど付けて、関八州に放っていたのである。
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「由紀」
示現は、由紀の体を抱き寄せた。嫋《しな》やかな体である。肌が柔らかい。どこもかしこも、女そのものだった。
乳房を揉みしだき、掌で押さえつけ、膨らみをゆさぶる。そのさまは水母《くらげ》を思わせた。由紀もいまは二十九になっている。熟れきった女体だった。
いまは、由紀も、旗本四百石、室井《むろい》浅右衛門の妻となり、一子をもうけていた。寺田主水正と八重の血を受け継いだ由紀である。亭主一人で落ちついているわけがなかった。種は異なると言え、又四郎を納戸に誘って、男の手を股間に誘った由紀である。
示現は、掌の中で崩れてしまいそうな乳房を揉みしだきながら、そそり立った乳首を口に咥《くわ》えた。それを音をたてて吸うと、由紀が声をあげて背中を反らせる。
淫蕩な女体ほど男を酔わせるものである。口の中の乳首を舌で転がす。舌ではじかれた乳首はすぐに立ち上がる。その乳首に歯を当て甘く咬《か》む。
「又四郎……」
由紀は、声をぬらし、男の股間に手を泳がせる。一物を捉《とら》えた手は、そのままふぐりにのびていた。ふぐりを掴んでそれを揉《も》み、再び一物を手にすると、その手を上下させる。手は、かれをしきりにうながしていた。
かれは、乳首をしゃぶり、手を這《は》わせて、はざまに滑り込ませる。そこは熱く膨れ上がり、切れ込みの外までも露をあふれさせていた。指で切れ込みを割り、ぬめりをからませておいて、熱い沼に没入させる。由紀の腿はいっぱいに拡がり、二指を迎えた襞《ひだ》はしきりに伸縮していた。
「はやく」
と男を急《せ》かせる。由紀の手が男の腕を押しのけた。すでに指で探る必要はなかった。かれは体を起こし、開かれた腿の間に体を割り込ませ、体をつなぐ。
ああ、と由紀が哀しげな声をあげてしがみつき、嫋やかな腰を打ち振る。かれの体の下で女の体が弾んだ。ひとしお身悶《みもだ》えて、
「またしばらくは会えません」
とつらそうに言う。
「わしにも務めがある」
「明日一日」
「無理をいうな」
「今宵《こよい》はもどりたくありません。朝までこのままでいたい」
「旗本の妻が家を空けるわけにはいくまい」
「浅右衛門のことなど、どうでもいい」
示現は、いきんでみせた。それに応《こた》えて、由紀は腰を振る。
「でも、由紀はこの日まで、いい子でいたのですよ」
「いや、由紀は、あくまでも室井の妻でいなければならぬ」
「いやです、いやです」
と身を揉み、また、全身をふるわせて、絶頂にたどりつき、大きな溜息を洩らしては、男の体にしがみついてくる。
由紀に会《お》うたのは、取手孫九郎を斬って、一年ほど関八州を回り江戸にもどって来たときである。由紀が室井に嫁しているのは知っていた。この料理茶屋で休息を取り、店の者を使いに出したのだ。
由紀は、又四郎と知らずにやって来て、目を見張った。刑死したはずの又四郎がそこにいたのである。もちろん、由紀の口は封じた。それから、示現が江戸にもどる度に、由紀はおのれから抱かれるようになっていた。
「もう一日、江戸にいて」
「そうしよう」
と示現は答えた。明朝発つと言えば、由紀は離れまい。
「まことに」
と念を押す。
由紀は男の腰を締めつけていた腿を閉じると体を繋《つな》いだまま反転して、男の上になった。茶臼《ちゃうす》である。再び腿を開き男の腰を腿で挟みつけて尻を回すのだ。そして、
「せつない」
と潤んだ声を発した。
由紀は、いい子にしていた、と言ったが、室井浅右衛門だけで足りているとは思えない。それなりに男はいるのだろうが、示現はそれをせんさくする気にはなれなかった。一年に一度か二度、こうして由紀の体を抱ければ、納得できていた。それだけに、かれは由紀の体で燃焼したいと思った。
示現は、女の襞が甘くうねるのを覚えた。男を包み込んだ襞がしきりに蠢動《しゅんどう》している。かれは、目の前で揺れる乳房を見ていた。由紀がじぶんでゆさぶっているようにも見える。
眺めてたのしめる乳房である。青みがかった白い乳房で、やや重たげではあるが、まだ垂れるほどではなかった。
かれは、由紀の細腰を抱き寄せ、更に尻に手をのばした。張りは小さいが厚い尻である。いくらか冷ややかな肌触りで、その尻を掴んで、乳房のように揉む。
下から突き上げてやると、かの女は甘い声を放った。そしてはざまを擦《こす》りつけ、気をやる意味の声をあげ、嫋やかな体を強張《こわば》らせるのだ。
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由紀を帰した。もちろん、店の者が神田・小川町まで送っていく。
示現は夜具に仰臥して、天井を見た。布団には由紀の匂いがまだ残っていた。せわしない交媾ではあったが、かれには充ち足りたものがあった。
「また、明日」
と笑ってかの女は部屋を出て行った。明朝、この料理茶屋を訪れて示現が発ったことを知れば、由紀はどのような顔をするのか。
かれは、思いを、柳瀬の渡しで会った小田丸弥介に向けていた。顔に翳《かげ》りを刷いた浪人だが、その双眸は煌っていた。威力を秘めた目であった。目に力がある、というべきか。
「わしは越前の走狗ではない」
と口走って、目明し銀兵衛を斬った、と手先の男から聞いた。
小田丸弥介は、大岡越前の手先であることを潔しとしていない。越前に抗うことで矜持《きょうじ》をどうにか保っている。妻と子を人質として捕らえられ、妻子を殺すと恫喝されて、うつむいたと聞いた。妻子がいるから、生きながらえているのか。
小田丸が、越前の手先として動いているのであれば、示現も気にかけなかった。越前は、小田丸にはまだ衒いがあると言った。走狗ではない、と言ったことについて、越前はそう評価したのだろう。
「小田丸に比べ、わしは……」
と口の中で呟いた。
示現は越前の家臣ではない。それこそただの走狗にすぎないのだ。たしかに死罪になるところを救われた恩はある。
「余のために働いてくれ、それが公儀のためにもなる」
越前にそう言われたとき、示現には一も二もなかった。取手孫九郎を討ったとき、かれは死を覚悟していた。牢につながれ、ただ死を見つめていたのだ。父を仇と言った。だが、それを評定所が認めるわけはなかったのだ。死を見つめながら、願人であった父の仇を討った爽快感《そうかいかん》はどこにもなかった。
八重の腹にかれが宿ったとき、願人は殺されていた。父とは言えないかもしれない。それでも、かれは孫九郎を討つことに十年をかけたのである。その執念は、十五歳のとき、孫九郎の殺気を浴びて震えたときに生じたのかもしれない。
示現にとって、やはり父は願人ではなく、孫九郎だったのだろうと思う。ただ一刀流の達人といわれた孫九郎を武芸の上でしのぎたかった。
だが、孫九郎をしのいだときには、かれの身には処刑が待っているだけだった。死ぬには若すぎた。おのれの生き方をしきりと問うた。孫九郎をしのぐには、他に方法があったのではないか、と。
牢に座して、死にたくない、と思った。この世に未練がありすぎたのだ。由紀を抱きたいと、切に思ったのもこのときである。処刑されるのは覚悟の上であったはずなのに、死にたくない、と思いはじめていた。座していていたたまれず、「助けてくれ」と叫びたかった。
叫びが咽にまでせり上がっていた。
孫九郎を打ち殺したことを悔みさえしたのだ。膝に涙が落ちた。未練である。孤独感がひしひしと体を締めつける。息苦しくて溜息を吐《つ》いた。
十日ほど経って、牢役人に牢から引き出された。そのときに膝が笑った。武芸者としては不覚である。十五歳のとき、孫九部は、武芸の第一は死の安心じゃ、と言った。死に安心などない。かれの胸は死ぬことに慄《ふる》えていたのである。顔面|蒼白《そうはく》であったに違いない。生きたいと思った。生きられるものなら、何でもすると思った。
そのまま、かれは首の座に連れていかれるものと思った。だが、かれは縄目のまま駕籠《かご》に乗せられたのである。駕籠は大岡忠相の屋敷に運び込まれた。
「取手又四郎は、昨日死罪になった。そのほうは、すでに又四郎ではない」
大岡忠相にそう言われたとき、かれは床に額をこすりつけて泣いた。
そのときの感動はいまだ胸に刻みつけられている。余のために働いてくれ、と言われ、生きられるものなら、どのようなことでもできると胸底で思った。
願人として、十年間を棒術に注ぎ、示現という名を持っていることを告げた。
「それでよかろう」
と大岡忠相は言った。
その場で髷《まげ》を切り落とし、白衣を身につけた。神妙であった。大岡忠相に抗う気などあるわけはなかったのだ。そのまま、勘定奉行の手札を懐中にして関八州に旅立ったのである。
「走狗か」
言うまでもなく示現は完全に越前の走狗である。走狗であることに疑いを持ったこともない。走狗としてしか生き道がないのであれば、走狗に甘んじるしかないのだ。
いまは、小田丸弥介の出現で、その考え方が変わった、というのではない。小田丸弥介という男が、妙に気になり出したのだ。
妻と娘を人質に取られた小田丸は、浪人を次々に斬った。かれに斬られて死んだ者の名簿がある。点鬼簿である。名のある剣士の名が並んでいた。武芸者はお互いに相手のことを知りたがるものである。おのれをしのぐ技倆があるかどうかが気になるからである。当然、名簿の中の八人までが、示現の記憶にあった。
そして、内藤新宿で四、五十人の浪人と乱闘を演じ、そのあとおのれから縛《ばく》についている。当然、このとき、小田丸は死を覚悟したはずである。
大岡越前に、余のために働いてくれ、と言われ、小田丸は、断わる、とにべもなく言っているのだ。
「そこが示現と異なるところだな」
越前の言葉が耳の底に残っている。たしかに示現は死にたくなかった。死が怖ろしくもあった。死の安心は、示現にはなかったのである。
取手孫九郎は、示現の棒に頭蓋骨《ずがいこつ》を砕かれたとき、微笑した。その孫九郎の顔も記憶に残っていた。孫九郎には、死の安心があったのだろうか。
「あのとき、死ぬべきだったのか」
弱い呟きだった。
十年間を賭《か》けた棒術が、このまま死んではもったいないと思った。それはただの弁解にすぎず、真実は命が惜しかったのだ。命が惜しくては卑怯《ひきょう》なのか、とおのれに問う。
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取手又四郎は、十八歳で取手家をとび出した。行くべきところがあった。日本橋・橋本町に、願人ばかりが集まっている所があることは以前から耳にしていた。橋本町は日本橋と神田の境あたりにある。
尋ねて探し当てるのに苦労した。人に聞いて、やっと細い路地裏に、願人ばかりが住む長屋を見つけた。四棟の古い長屋に百人余の願人が住んでいた。乞食の集団のようにさえ思えた。
「お武家の来るところではない」
乞食同然の願人が又四郎を押しのけようとした。かれはその手首を掴んだ。十八歳にして、すでに五尺七寸、剣術で練《きた》えた腕には膂力があった。
「おれは、取手又四郎という。頭《かしら》に会いたい」
そこに五、六人の願人が現われた。悪臭を放っている。六人がこそこそと囁《ささや》き合い、一人が長屋の奥に消え、しばらくして、又四郎は奥の家に案内された。そこに肩幅の広い背の低い男がいた。身形《みなり》は願人だが、目の光が他の願人とは違っていた。
「わしら願人になにか用かな」
中年を思わせるようなその男が言った。
「あんた、願人の頭か」
「用を聞いておるんだが」
「おれの父親の名を知りたい」
「はて」
「十八年前、あんたたちの仲間の一人が、旗本取手孫九郎に斬られて死んだはずだ」
「聞いてどうなさる」
「おれの体には、願人の血が流れている」
「だから、どうだというんだ」
「父の仇を討つ」
「取手孫九郎を」
周りにいた願人が、それぞれに顔を見合わせた。
「そうだ。だから、おまえたちの力を借りたい」
「どうすればよろしいのかな」
「おれは武芸を極めたい。いまのおれには孫九郎は討てぬ」
「なるほど」
「まず、父の名を知っておきたい」
この願人たちは、たしかに十八年前に孫九郎に斬られた願人のことは知っていた。その様子だった。
「和眼《わげん》というた」
「和眼か。頭の名は?」
「天元《てんげん》」
願人は、すべて名にげん[#「げん」に傍点]の一字をつけるという。げんはすべて当て字である。げんはそのまま源に通じる。源義経を主人としたむかしの鞍馬寺の坊人《ぼうにん》を因としている。つまり仏徒に対する神道者たちである。
「いくらかは、剣を使われると見たが」
いくらかは、と言われて、又四郎はカッとなった。それを見抜いたか、天元は四尺二寸の棒を手にすると、又四郎をうながして表に出た。
「又四郎どの、刀を抜いて、わしを斬るつもりでかかって来なさい」
又四郎は刀を抜いた。正眼に構え、少しずつ切っ先をもたげ、気合いと同時に一歩踏み込み、斬りつけた。
瞬間、又四郎は、おのれの身に何が起こったかわからなかった。手が痺《しび》れ、刀をとり落とし、すくみ立っていた。天元が手にした棒が動いたのがわからなかった。
「又四郎どの、棒を学ばれてはいかがかな」
たかが乞食坊主と侮っていたわけではない。手が痺れたのは、刀刃を棒で払われたからだろうが、又四郎には、棒の動きが全く見えなかった。天元が、かれを殺す気なら一撃だったろう。
又四郎は、膝を折り両手をついていた。
「お願いします」
「わかった。又四郎どのは、わしらと同類のようだ。播州赤穂《ばんしゅうあこう》へ行きなさい。そこにわしらの師がおられる。そこで、十年修行されるがよい」
「赤穂へ?」
「供を一人つけよう」
又四郎は、その場で髻《もとどり》を解かれ、ざんばら髪になり、衣服を改めて、四尺二寸の棒を持たされた。願人は願人の身形で旅をする。それで関所は自由に通れるのだ。
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赤穂には、九鬼神流棒術道場があった。道場主は、四代大国鬼兵良定である。百数十人の門人がいた。又四郎はその門弟の端に加えられた。
流祖、大国鬼兵重信は、薙刀《なぎなた》の名手であったという。一流を編み出すことを志して、氏神に祈願をかけ、毎夜、神前において、薙刀の技を練り究めていた。
そして、三七、二十一日の満願の夜、仮寝中、突然九匹の鬼に襲いかかられ、薙刀を持って、鬼と闘ううち、薙刀の刃先を折られ、残った柄で、九匹の鬼を退治した。その夢で棒術の奥義を知り、一流をたてて、九鬼神流棒術と称した、と伝えられている。
剣の流祖の伝説には似たものが多い。だからと言って、ただの伝説とは言いきれない。
棒が武器として用いられたのは、剣よりも古い。鉄のないころ、棒が唯一の武器だったのだろう。『義経記《ぎけいき》』にも、櫟《くぬぎ》棒、八角棒、チギリ棒などの名称が出てくる。義経の供をした坊人たちは棒を武器にしたものと思われる。そのころから願人たちの間で、棒術は受け継がれて来たのだ。九鬼神流はその一つに過ぎない。
チギリ棒は、契木でT字形の棒である。だが後世、棒の先に、分銅をつけた三尺ほどの鎖を仕かけた振棒をチギリ棒と称した。
棒を杖《じょう》と称したりして、棒術もさまざまに変化をみせている。棒の長さも、六尺棒から、半棒と称した三尺棒、その他、四尺五寸、七尺五寸、また鼻ねじりという短棒もあり、流派によって棒の長さはそれぞれに違った。
九鬼神流では、四尺二寸の棒を基本として門人にはすべてこの長さの棒を使わせた。又四郎も、四尺二寸の棒を与えられ、まずその棒に慣れることからはじめた。もともと膂力のあった又四郎は、上達も並みはずれて早かった。
宮本武蔵の『二天記』に、棒術を使う夢想権之助勝吉という武芸者が出てくる。この者は名を平野権兵衛と称し、木曾|義仲《よしなか》の臣平野大夫房覚明の裔《えい》で、香取神道流の剣を学び、棒術をよくしたが、武蔵に敗れて発奮し、筑前《ちくぜん》の宝満山《ほうまんやま》に登って神託を得て、四尺二寸一分、径八分の杖の用法を発明したといわれる。
この平野権兵衛の道歌に、
『突けば槍《やり》、払えば薙刀、持たば太刀、
杖はかくにも、はずれざりけり』
とある。
棒術は、突き、払い、打ちを技とする。剣術との違いは、刃のある刀と違って棒には刃がない。当然のことだが、この違いは大きい。
道場における剣術の稽古《けいこ》は、ほとんど実戦の役には立たないことに比べ、棒術の道場の稽古はそのまま実戦に使えるという利点がまずある。
竹刀や木刀を持って敲《たた》き合う分にはかまわないが、真剣にて立ち合うとき、刀刃は敲き合いはまずない。なぜなら刀刃は、打ち合っては刃がこぼれ、折れるからである。刀が折れては、そのまま死を意味する。
棒術においては、打ち合いこそが実戦そのものである。加えて技の多様さがある。敵の刃を受けては棒を寸断されることもあるが、これを払う分には、危険はない。
棒術においては、敵の面を打つことによって頭蓋骨を砕き、小手を打っては手首の骨を折り、足を払っては足首を折り、腹を突き、打っては臓腑《ぞうふ》を破る。
また、剣術においては利き手が右か左かによって技が異なるが、棒術では左右両肢を等しく使い技を練るのである。
更に、棒術の棒は、先を竜頭、尻を竜尾と称し、中央を中柄《なかつか》という。剣は切っ先は一つであるが、棒では、竜頭が必ずしも先ではなく、竜尾が竜頭になることも希《まれ》ではない。
刀と対峙したとき、まず中柄を握って応じ、それを突き出せば槍となる。払えば薙刀である。剣術の中に足を払う揚心流《ようしんりゅう》という流派があるが、剣術のほとんどは、刀を上半身に向ける。そのために、棒術と対したときには、足を払われやすい。
もちろん、棒術の利点は多いが、それを極めるには、技と同時に棒の迅速さにある。加えて棒を使うには、膂力を貯えることでもある。
示現は、十年間でおのれの背丈と膂力に合わせ、四尺二寸の棒を五尺にし、径を九分、櫟材で作った。
示現の名は、師大国鬼兵が付けてくれたものである。示現の現は源に通ずるものである。
取手孫九郎と対峙したときには、髷を結い、衣服を改め、刀を差した浪人の体《てい》であった。
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翌朝六ツ(午前六時)――。
示現は、料理茶屋を出た。半蔵門から麹町《こうじまち》へ出て、内藤新宿から、甲州街道に入るつもりで歩を運んだ。江戸ともしばらくは別れである。
「小田丸弥介」
口に出してみた。いまは憎悪が増していた。小田丸弥介を打ち殺せば、大岡越前がどのような顔をするか、見たいものである。
「必ずや、打ち殺してみせる」
刀刃は棒に劣る。小田丸弥介に敗れるとは思えない。小田丸のどこか翳りを刷いた顔を思い浮かべた。
半蔵門のあたりまで来たとき、背後から声をかけられた。
「示現どのでござるか」
振り向くと、身形のいやしくない武士が立っていた。四十年配に見えた。
「どなたでござる」
「室井浅右衛門と申す」
示現は、はっと胸を衝かれた思いがした。もちろん動揺は顔には出さない。由紀は木戸が閉まる前に、屋敷にもどったはず。室井とははじめて顔を合わせる。室井がここにいるということは、あとをつけられたのか。
「それで、わしに何か用か」
次の言葉をうながした。室井は、由紀との関りを知っている様子だ。昨日、由紀が料理茶屋に来るとき、尾行されたのに違いない。
「少し、話したいことがあり申す」
浅右衛門は、先に立って、堀端の草むらに立った。半蔵門が見えていた。
かれにとって示現は妻由紀の姦通の相手である。斬る、と言われれば、それに応じなければならない。だが、浅右衛門の体に殺気はなかった。穏やかな人物のようだ。
「一度、貴公に会うてみたかった」
「…………」
「でき得れば、貴公を斬りたい。だが遠く及ばぬようだ」
及ばぬとわかるだけでも、かなりの使い手であろう。
「貴公は、取手又四郎どのか」
「示現でござる」
取手又四郎はとうに死罪になっている。だが、浅右衛門は、示現と又四郎を重ねて見ているのだ。
「由紀をもて余しておる」
浅右衛門は堀の水面を見ていた。
「わしは、寺田主水正どのに、由紀を押しつけられた。もちろん、わしにも異存はなかったが……、寺田どのと由紀の関りを教えてもらえまいか」
「願人のわしが知るわけはない」
由紀が寺田主水正の娘とは口が裂けても言えない。
「由紀は、寺田家によく出入りしている」
示現のどこかで納得するものがあった。表むきは他人だが、父と娘である。淫蕩な由紀がおとなしく浅右衛門だけで我慢しているわけはない。畜生道か、と示現は胸の中で呟いた。寺田の血を継いで、由紀は美貌と淫蕩をそのまま持っていた。
由紀の昨夜の白い裸身が目先にちらついた。かの女は三度示現に求めたのである。
「離縁なされてはいかが」
「離縁できれば苦しみはせぬ」
「理由《わけ》がおありか」
「室井家の体面ではない。わたしも未練がある」
なるほど、と示現は口の中で呟いた。だが、由紀の欲求をまともに受け入れては、浅右衛門の身体がもたない。
浅右衛門は、寺田家、取手家の事情を知らないようだ。かれにもどう説明してよいかわからない。何かを口にすれば、すべてを語らなければならなくなる。
「由紀の姦通の相手を知っても、わしには由紀は斬れん」
姦通の相手だけを斬っては、その相手が直参旗本であれば、室井家は潰《つぶ》れ、浅右衛門は切腹になるだろう。
「示現どのは、これよりどこへ行かれる」
「関八州、あてのない旅でござる」
「ならば、行かれるがよい」
浅右衛門は背を向けたまま言った。
「それでは」
と声をかけて、示現は歩きだした。
室井浅右衛門は、料理茶屋から示現をつけて来て、その間に、かれはかれなりに示現を斬れるかどうかを確かめたのだ。
浅右衛門の背には、妻の姦通を知りながら、どうにもできぬ男の焦燥が貼りついていた。もちろん、由紀と寺田の関りには気づいているはずだ。
四谷大木戸から、内藤新宿を通り、甲州街道に入ったあたりから、示現は足を速めた。一日に二十里近くは歩く。
八王子宿に着いたのは夕暮れに少し前だった。
宿場の入口に、旅商人風の男が立っていた。笠の中で目だけが煌っていた。
「頭」
商人は声をかけて、示現に肩を並べた。
「清七」
この男は、四十を過ぎているが、背に荷を負って、示現に歩調を合わせる脚力があった。むかしは江戸で目明しをしていた男である。享保の改革で、表向きは目明しを使えなくなった。その日明しの中から選んで、越前が関八州で使っているのだ。
「小田丸弥介は、越後《えちご》・高田に向かうようでございます」
「一人でか」
「はい、そのようで」
平三郎の首のことは、示現も知っていた。清七ら手下に調べさせてもいた。仏生寺兵衛が浪人に斬られ、倉賀野の博徒の屋敷で傷養生していて、小田丸弥介が共にいることも、かれの耳には入っていたのである。
「仏生寺とかいう浪人は、元高田藩士というたな」
「はい、小田丸弥介は、仏生寺がまこと高田藩の者かどうか、不審を抱きはじめたようでございます。それで調べに行くのでございましょう」
「なぜ?」
と示現は自分に問うていた。
清七を連れて、飯屋を兼ねた居酒屋に入る。飯どきでもあった。今宵はこの八王子宿に足を止めることになりそうだ。泊まりは木賃宿である。
まず飯を掻き込み、酒を頼んだ。店には六人ほどの客が入っていた。
小田丸弥介の動きはわかった。だが、この男を見張るのが仕事ではない。
「高田へ向かうか」
と呟いておいて、小田丸弥介と対峙することを考えていた。一撃で葬ってやる、とおのれに言い聞かせた。
示現の懐中には、越前から渡された百両の金がある。二十五両ずつを四個に包んである。そのうちの三個を清七に渡した。他の手下に配るためである。
「して、浪人たちは」
「塚田|一刀司《いっとうじ》は、いま甲府におります」
示現の仕事は、関八州の目立った八人の浪人を斃すことだった。それを思い出したのだ。
飯を終えた清七は、店を出て行った。甲州街道を北へ走るのだ。まず、塚田一刀司なる浪人を始末しようと考えた。一刀流の使い手と聞いている。清七が先行して、塚田の動きを調べるのだ。
酒がうまいわけはなかった。示現の頭の中では、小田丸弥介、由紀、室井浅右衛門らが渦を巻いていた。
一本の銚子を空にすると、銭を払って宿場の中ほどにある木賃宿に入った。客は、ほんの数えるほどしかいない。十畳ほどの広間に雑魚寝《ざこね》である。もっとも、じぶんの空間を作りたければ屏風《びょうぶ》を貸してくれる。
示現は畳の上に仰臥した。旅商人、旅芸人、その他旅をする者たちが泊まる。もっとも金があれば旅籠《はたご》に泊まるのだ。木賃宿は素泊まりだから、旅籠に比べると安い。もちろん、風呂に入りたければ、薪《まき》代を出さなければならない。やがて、行燈に灯が入れられる。布団はじぶんで敷くことになる。
示現は、寺田主水正に肌を探られる由紀の裸身を思い描いた。室井浅右衛門は、由紀が寺田家によく出入りしていると言った。用があるわけはない。由紀は主水正に会いに行くのだ。主水正はおのれの娘と知りながら、由紀の体を抱く。
主水正は、すでに六十に近い、それでも女の体を必要としているのだ。色好みは年齢とは関りないようだ。六十男に肌を探られて、悶え狂う由紀の裸身が瞼《まぶた》にあった。淫蕩だが美しい女である。
室井浅右衛門も、由紀に未練がある、と言った。脳を灼《や》き、腸《はらわた》は煮えくり返っているのに違いない。
白い豊かな乳房がある。柔らかくて熱くぬれたはざまがある。露にぬれて柔らかい壺《つぼ》は淫らに蠢動している。
出立をもう一日遅らせて、由紀の体を抱きたかった。示現が寺田主水正に嫉妬《しっと》するのは筋違いかもしれない。だが、主水正に乳房を揉まれ、はざまを攪拌《かくはん》されて悶え狂う由紀の裸身が、脳を掻き乱すのだ。
示現は一日に二十里の道を歩く足を持っている。翌日の夕刻には、甲府の手前の宿場、石和《いさわ》についていた。そこには、先行した清七が待っていた。
清七の話では、塚田一刀司は、石和の旅籠『大和屋』に寄宿しているという。客としてではない。大和屋の亭主吉兵衛というのが、五、六人の浪人に因縁をつけられ脅されているところに、塚田一刀司が現われ、浪人たちを追い払ったため、吉兵衛はそれを恩に着て、いまは一刀司の面倒を見ている、ということだった。
「頭、塚田は六人の浪人のうち三人を斬り倒したということです。何でも一刀流の達人とか」
よくある話である。もちろん、恩返しもあるのだろうが、吉兵衛は塚田一刀司を用心棒として雇っているようだ。旅籠ではよく客同士の喧嘩《けんか》や騒ぎがあり、旅籠の者では手に負えないことがあるものだ。用心棒の一人くらい飼っていても損はしない。
その日も、示現と清七は木賃宿に入った。薪代を払って汗を流した。酒を呑みたければ、外に出る。どこの宿場にも居酒屋はあるものだ。
「その塚田一刀司とはどういう男だ」
「へい、四十に少し前、三十七、八というところでしょう。体つきは細くて、とても剣の達人とは見えません。もっとも、衣服は改めて、ましな身形でございます」
衣服は、吉兵衛が与えたのだろう。大和屋にいる限りは、むさい姿ではいられない。一室を与えられて、そこで寝起きしているという。
「顔も荒《すさ》んでいなくて、穏やかな浪人でございます」
浪人はすべて荒んだ顔をしているとは限らない。その荒みを内に秘めているのだろう。
清七は、先に宿にもどって寝た。昨夜は眠っていないのだ。示現は清七を帰して、ひとり盃を手にしていた。
二十五、六と見える酌女が、さきほどからちらちらと示現を見ている。その身のこなしに由紀を思い出していた。肌の色は由紀ほど白くないし、顔も似ているわけではない。それでいて、由紀を思い出させるものを持っている。
それは何だろう、と思った。体つきなのか、身のこなし方か。その女と目が合った。女は微笑する。だが、その目は笑わない。よく光る目である。その目が示現を誘っている。由紀の目がそこにあった。淫蕩な目である。
その女を呼んで、いま一本の銚子を頼んだ。銚子を運んで来た女は、示現のそばに坐った。名を聞くとお杏《きょう》と言った。源氏名だろう。
お杏が酌をする。女にもう一つの盃を持って来させ、酒を注いでやる。
「土地の者か」
相手と金次第によっては春をひさぐ女である。お杏はかれの膝に腿を押しつけて来た。着物を透して女の肌の温もりが伝わって来た。
「二階へ上がれるのか」
お杏は猥《みだ》りがましく笑った。お杏は奥へ入って店の亭主と話し合っているようだ。もどってくると、階段を上がった右手の座敷で待っていてくれという。
示現は履物を脱いで上がった。灯りのない部屋だったが、窓から外の灯りが流れ込んで来ている。しばらく待つと、お杏は酒膳を運んで入って来た。そして行燈に火を入れる。
「お坊さんは、どちらの方です」
「京は鞍馬山だ」
お杏は、くくっ、と肩を震わせて笑った。もちろん泊まるわけではないので夜具など敷かない。座布団を当てて体を繋ぐことになる。
淫情があったわけではない。由紀を思い出さなければ、この女を買うことはなかったのである。
示現は、お杏を抱き寄せて、衿《えり》の間から手を入れて乳房を掴んだ。乳首は小さくうずくまっているようだ。乳房の膨らみは充分だったが、由紀の乳房の感触とは違っていた。肌が荒れている。
指をめり込ませると、弾力があった。どちらかというと硬い。張りが強すぎるのかもしれない。
「よい乳をしている」
お世辞のつもりである。由紀のあの柔らかい乳房を思い描いていたのだ。
お杏は、手を男の股間に潜り込ませて来て、下帯の上から一物に触れ、撫でた。一物はそこにうずくまったままだったのだ。女の手が一物を掴み出して、指でひねくり回す。
「気にするな、さきほど風呂に入ったばかりだ」
お杏は笑い、盃一杯の酒を口に含むと、そのまま男の股間に顔を埋めて来た。萎《な》えた一物は女の口に吸いとられ、舌で転がされる。
酒がしみ、熱さを覚え、一物は女の口の中で一気に膨らみを怒張していたのである。女はそのまま体を繋ぐことを求めた。早くすましてしまいたいのだろう。
示現は、女に重なり、女の巧みな腰の使い方に、あっさりと放出していた。
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12
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翌日――。
清七が宿に駆け込んで来た。塚田一刀司が大和屋を出たというのだ。示現は、棒を掴んで走り出ていた。しばらく走ると、浪人の姿が見えていた。
宿場外れを笛吹川《ふえふきがわ》が流れている。塚田は、笛吹川の河原に向かっていた。背丈は五尺六寸ほど、体つきも、そこいらを流れ歩いている浪人たちよりも細く見えた。腕は立つ。
示現が大岡越前に報告した八人の浪人のうちの一人だった。着流し姿である。かれは浪人が左腰に差している刀の鞘を見た。いくらか長いようだ。ふつうの刀の長さは二尺八寸前後だが三尺近くはあるようだ。
塚田一刀司は砂利を踏み、流れのそばに立って、顔を川面《かわも》に向けたまま動かなくなった。示現は、塚田の背後五間ほどのところに立った。
「わしに何か用か」
塚田は背を向けたまま言った。一度も振り向かなかったが、気づいていたようだ。あるいは、つけられているのを知って、この河原に誘い込んだのかもしれない。
「塚田一刀司か」
「わしを知っておるのか」
「わしは示現、貴公の命をいただく」
「わけを聞こう」
「わけなどない」
「わけがないとは合点がいかぬ。わけもなく人を殺すのか」
塚田一刀司は、ゆっくりと向き直った。その目には気迫があった。たしかにただの浪人ではない。細身に見えるが、膂力はつけているものと見えた。
塚田は、腰をひねって刀を抜いた。やはり刀刃は三尺近くあった。二歩三歩歩み寄ると足場を決めて、刀を正眼に構えた。それに応じて、示現は棒の中柄を掴み、ゆっくりと回した。竜頭、竜尾の区別はない。棒の先から三寸あまりのところで打つ。その部分を万力という。
棒の重さと加速度で、三寸の部分に力が集中するのだ。棒を回しながら間をつめる。刀同士の斬り合いでは、お互いに相手の切っ先と拳に目をつける。そのどちらかが動かないと斬り込めない。
だが、相手が棒では目のつけ所がないのだ。棒は常に動いている。動きながら技に移る。竜頭竜尾のどちらが出てくるかわからない。槍にもなれば薙刀にもなる。
その棒の動きを見ているだけで目が回ってくる。もちろん、棒の動きは一定ではない。さまざまに動きを変えるのだ。
塚田一刀司は、正眼に構えた刀刃を引いて八双《はっそう》に構えた。正眼では刀刃を叩き折られることを知っているのだ。右胸に刀刃を立ててぐいと引きつける。
「なかなか巧みな棒の使いようだ」
塚田は少しずつ退きながら、唇をゆがめて嗤った。取手孫九郎が、正眼の構えから斬り込んで来たのは不覚だった。棒術に対しては構えを変えなければならないのだ。
示現の一振りが、塚田の衣服を掠《かす》めた。八双から、塚田の両腕がゆっくり伸びた。伸びきったところで、刀刃を水平にした。
その瞬間、塚田は鋭い気合いを発し、一閃させた。刀刃が示現の肩に斬り込まれた、と思ったとき、音が発した。棒が刀刃を打ったのである。
塚田がよろめいた。構えが崩れ、隙を生じたところに、棒が塚田の腰を打った。腰骨が砕けたはずである。次の瞬間、竜尾がぐんと伸びてきて、塚田の側面、右耳の上あたりを打った。頭蓋骨が砕ける感触を示現は覚えていた。
塚田は棒を刀で受けたつもりだったが、加速度のついた棒は受け止められなかったのだ。示現は一歩を退いていた。塚田の両眼は衝撃でとび出していた。
それでもまだ立っていた。一瞬にして強直したように。示現は背を向けて歩き出していた。十歩ほど歩いて、振り向くと塚田一刀司は砂利の上に倒れていた。
斃れた塚田一刀司の姿に、示現は小田丸弥介を重ねて見ていた。刀が棒にかなうわけはないのだ。師、大国鬼兵に及ばぬといわせた示現の腕である。小田丸弥介が刀法を極めているとはいえ、おのれの棒の技の前には、屈するより他にはないと。
たしかに、小田丸弥介の一閃は迅速である。その迅速さにおくれはとらない。武芸は、刀法、槍術《そうじゅつ》に限らず、巧妙さよりも拙速をよしとする。いかに巧みに刀を使ってみても、迅さの前には及ばないのだ。
示現と清七は、甲州街道を北へ向かう。やがて中山道《なかせんどう》の下諏訪《しもすわ》に行きつく。その下諏訪から中山道を洗馬《せば》まで西下して、そこから、善光寺街道を北にとることになる。善光寺の手前の追分《おいわけ》で、中山道から来る北国《ほっこく》街道に入ることになる。
小田丸弥介は、越後・高田に向かっているという。北国街道のどこかで小田丸と出会うことになるのだ。
示現は、小田丸弥介を打ち殺して、大岡越前の鼻をあかしてやりたいと思った。越前は小田丸弥介を買いかぶりすぎている。小田丸弥介には及ぶまい、そんな顔つきだった。それほど越前に思い込まれている小田丸弥介に妬心《としん》したのかもしれない。
「小田丸が、わしに及ぶわけがない」
そう呟きながら、示現は小田丸弥介が、浪人と対峙して、斬ったところを見たことはなかった。だが、いかに刀刃を迅《はや》く使おうとたかが知れているという思いがあった。
示現は、すでに手の棒で百余人の浪人を打ち殺しているのだ。百余人の浪人を殺したということは、それだけ人殺しに馴れているということでもあり、腕を上げたということにもなるのだ。
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暗  鬼
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八月というのに、梅雨《つゆ》のような雨がしとしとと降っていた。湿気が強く蒸し暑い。
小田丸弥介と左柄《さがら》次郎左衛門は、縁側に坐《すわ》り雨に濡《ぬ》れた庭を見ていた。庭の隅には百日紅《さるすべり》の古木があり、紅《あか》い花をたくさんつけていた。暗い空だが、紅の花のために、庭は妙に明るく華やいで見えていた。
百日紅の幹が雨にぬれてのっぺりと光沢を放っていた。この紅い花はいきが長い。咲いた花は散るが、次々に咲いてくる。だから、長い間咲いているように思える。
傷ついた仏生寺《ぶっしょうじ》兵衛《ひょうえ》は、これまでの疲れも噴き出したのか、熱にうなされていた。二人とも仏生寺の様子をさきほど見て来た。
浪人医師の大竹|休閑《きゅうかん》が、傷の手当てをしたあとだった。
仏生寺は、目を開いて弥介と次郎左を見たが、その目は熱のためか血走っている。唇を動かしたが、言葉にはならなかった。
肥前屋お勢《せい》は、板鼻宿に宿をとっていると実左衛門《じつざえもん》が教えてくれた。若い衆が探して来てくれたのだ。『大友屋』という旅籠《はたご》だという。
倉賀野の先が高崎で、板鼻はその先の宿場になる。
お勢も、仏生寺が傷ついて倉賀野一家に保護されているのを知っているはずだ。これではお勢といえども手は出せない。
お勢が狙う平三郎の首は、仏生寺の枕元に据えられている。この首にお勢は三百両の賞金を掛けると言った。
実左衛門が、三百両の首と知ったら、という懸念はない。三百両がいかに大金であろうと、弥介がいる限り、実左衛門は手が出せない。大岡越前に楯《たて》つくことになるからだ。この一家は大岡越前の保護のもとに成り立っている。賭博《とばく》と興行の権利を失えば、家業がなり立たないし、五十人からいる子分を養うことはできなくなる。
もっとも、実左衛門はすでに平三郎の首の意味を知っているのかもしれない。
この倉賀野宿には旅籠が多い。その旅籠には多くの飯盛り女がいる。これらの女は遊女である。この遊女を抱くのはなにも旅の男ばかりではない。近郷近在の男たちが集まる。高崎からも、新町宿からもやってくる。その男たちは、実左衛門の賭場の客にもなるのだ。
男たちが集まるのは、飯盛り女が多いからだけではなく、いい女を揃《そろ》えている、ということもある。本庄《ほんじょう》、新町、そして高崎、板鼻にも旅籠があり、飯盛り女はいる。それが倉賀野に客が集まるのは、やはり女の質だろう。
加えて、実左衛門は、芝居興行を打つ。もちろん、農閑期である。芝居を見るために、老若男女が連れだってやってくるのだ。それだけ実左衛門のふところは潤うことになるのだ。この土地では、実左衛門以外の者は興行は打てないのである。
実左衛門は、五十人の子分を持っているが、かれの兄弟分、その子分と合わせると二百人以上だといわれている。この界隈《かいわい》の実力者でもあるのだ。それに、実左衛門は、お上の御用を承っている。ただの博徒ではなかった。
もちろん、それだけの人望がなくてはならない。一家の若い衆も、ごろつきにはなれないのである。
旅の博徒、旅芸人たちは、中山道《なかせんどう》を通るときは、倉賀野一家に草鞋《わらじ》を脱ぐことになる。関八州の大岡越前に属する博徒はたくさんいるが、いわゆる旅人《たびにん》といわれる旅から旅へ渡り歩く博徒も多い。中には悪党もいるが、この土地で悪事を働いた者以外は泊めてやる。
ただし、差紙《さしがみ》の回っている悪党は別である。差紙はいわゆる、公儀から出される手配書である。これをいまは、勘定奉行が大岡越前を通して出している。差紙の回っている悪党は見つけ次第捕まえなければならないが、そうでなければ、一宿一飯をゆるされるのだ。もちろん旅籠や木賃宿ではないから金は取らない。
旅の博徒や旅芸人は、金がなくても旅ができるようになっている。もちろん、それだけ恩を受けることになるわけだ。
「弥介、お新のことで、おれに気がねしているのではあるまいな」
次郎左が、思い余ったように言った。
「それならば、気にしないでくれ。お新はおれの女ではない」
かれも、お新が弥介に抱かれたことを知っているのだ。隠してもお新の様子で知れてしまう。
「雨はいかん」
弥介が、ぽつりと言った。
「次郎左、道場で汗を流してくるか」
「よかろう」
次郎左が先に立っていた。道場に行くと、この蒸し暑さにもかかわらず、若い衆が棒を振り振り、汗を流していた。熱心なものである。
道場の壁には、短冊《たんざく》形の名札がずらりと並んでいる。実左衛門を筆頭に、強い者から順番に並べられているようだ。この順番は、実左衛門の判断で三カ月に一回、並べかえられるのだという。それだけ下の者は励みになるようだ。
武士が武芸を忘れたいま、博徒だけが武芸を鍛練しているというのは、考えればおかしなことである。各大名の家臣たちも、武芸に情熱を持って芸を練っている者は一割に満たないと言われている。
武芸は武士にとって必要なものではなくなっている。泰平の世の中、天災や飢饉《ききん》はあっても、戦《いくさ》はない。すでに武芸は無用の長物と化しているのだ。
実左衛門の下方六番目あたりに重七の名札があった。その重七が、次郎左に革棒を渡し稽古《けいこ》をつけてくれと言った。
弥介は、木刀を手にそれを見ていた。重七は次郎左には及ばないが、それでも上手に使っている。
実左衛門は、一年に一回、用心棒を募集する。百数十人の浪人が集まってくるが、実左衛門の子分の上手《うわて》の者に勝てる浪人がほとんどいない。すごすごと引き下がる。
実は、この用心棒募集は、大岡越前のさし金だという。つまり、腕の立つ浪人がいれば、その氏名、年齢、人相を記して、越前にさし出すのだ。
各地の博徒の親分がこれをやれば、関八州を通る浪人のうち、剣術に秀でた浪人の名は、すべて越前の帳面に集められてしまうことになる。
これを聞いて、大岡越前の周到さに、弥介は舌を巻いた。いまさらながら、ただの町奉行でないことを思い知らされる。
弥介は、木刀を振りはじめた。空気を叩《たた》く音が響く。振り下ろす度に、ボワッ、ボワッと音を発する。若い衆がそれを見ている。
振り下ろすのと、横に薙《な》ぐのと同じ音である。この木刀の迅《はや》さを見れば、一閃《いっせん》で人の肩を一尺ほど裂くのは容易だろう。
だが、弥介は、木刀を素振りしながら、無心にはなれなかった。お新のことがある。血のつながった妹とは思っていない。小田丸姓は他にも多いはずだ。それはよい。だが、女として情を絡めてくるのが怖ろしいのだ。お泉《せん》の先例がある。お泉は六人の浪人に攫《さら》われ弥介の楯となった。女を人質にとられては、弥介はおのれの刀を捨てるしかない。お泉は弥介が刀を捨てる前に舌を噛《か》んで死んだ。
女の情を断ち切る強さは弥介にはない。すでにお新は弥介に情を絡ませている。お新を抱くべきではなかったのだろうが、かれはそれを拒みきれなかった。
妻|与志《よし》と娘志津を、大岡越前に人質としてとられている。母娘の首を刎《は》ねると越前に恫喝《どうかつ》されて、弥介は走狗《そうく》となった。
走狗になったつもりはない、と銀兵衛を斬《き》ったが、越前は気にもかけまい。弥介と銀兵衛を天秤《てんびん》にかければ、銀兵衛など物の数ではないのだ。
関八州支配は勘定奉行であるはずだが、実左衛門はその名さえ知らない。知る必要がないのだ。越前は、関八州に鎖を張った。実左衛門はその鎖の一環でしかないのである。
「越前め!」
声を言葉にして吐き出した。
左柄次郎左衛門は、吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》の首を取った大石|内蔵助《くらのすけ》を恨むことだけで生きている。弥介も大岡越前を憎悪することが生き甲斐になるのかもしれない。
お新が人質にとられ、それを楯にされたときには、やはり刀を捨てるしかあるまい、と考える。
お新は、幼いころ芝居一座に売られ、甘える親のぬくもりも知らず生きてきた。それだけに淋《さび》しさもあり、弥介に情を絡めたいのだ。
「小田丸の旦那」
と呼ぶ声に、素振りを止めた。近くに若い衆がいた。
「仁助さんがお着きになりやした」
その声に、次郎左も重七との打ち合いを止めていた。二人で風呂場で汗を拭《ぬぐ》ってから仁助の待つ座敷に足を運んだ。
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「旦那」
「ごくろうだった」
弥介は、仁助に次郎左を引き合わせた。口はきいたことがないが、江戸では顔を合わせていた。
若い衆が、三人のために酒膳《しゅぜん》を運んで来た。頼みもしないのに、実左衛門は、弥介らをせいいっぱいもてなすつもりなのだ。
「話を聞こうか」
弥介は、仁助をうながした。
「へい、平松町に肥前屋はございました。江戸でも五指に入る薬種問屋だそうで、立派な店構えでござんした。旦那の金右衛門《きんえもん》は七年前に病《やま》いがもとで死んでおりやす。六十二歳で」
「すると、女将《おかみ》のお勢は後添《のちぞ》えか」
「いえ、金右衛門の娘だと聞きました。気性の強《こわ》い女だそうで、亭主も持たずに、店を切りまわしていたとか」
少し話が違った。弥介は「亭主は七年前に死んだ」とお勢に聞いた。弥介の聞き違いか、お勢の言い違いか。
「そのお勢が惚《ほ》れたのが、青木平三郎という浪人だそうで」
「青木平三郎か」
「その平三郎は、二年ほど労咳《ろうがい》を病んで、臥《ふ》せっていたそうで。それでも惚れた一念か、傍目《はため》にもいじらしいほどの看病のしようだったと聞きました」
「誰《だれ》に聞いた?」
「三番番頭の庄吉という男で。ところが、この平三郎は仇持《かたきも》ちでございやした」
「やはり」
と言ったのは、次郎左だった。
「仇討《あだう》ち者が仏生寺兵衛というわけか」
「へえ、そのようで」
「仏生寺が平三郎の首を取ったのは、武士として至極なこと、それをなぜお勢がとりもどそうとするのか」
次郎左は、憤然と言った。
「その青木平三郎が、もと属していた大名家は聞かなかったか」
「へえ、越後《えちご》・高田藩藩士と言っておりやした」
「すると、仏生寺も高田藩の者ということになりそうだな」
「そうとは限らんが」
青木平三郎が浪人してから、人を斬ったのであれば、仏生寺が高田藩藩士とは限らないが、おそらく同じ藩士であったと思われる。
仏生寺兵衛が平三郎の首を高田まで持ち帰り、藩庁に届け、青木平三郎の首と認められれば、仏生寺家はもとの家禄をもどされ、再興できる。あるいは家禄に五十石程度の加増があるだろう。
「仁助、よく調べてくれた」
「あっしは、旦那のお役に立てるだけでうれしいんで」
と仁助はいかにもうれし気に笑った。弥介が仁助に酌をしてやった。
仏生寺は、越後・高田にもどるつもりだったことはわかった。平三郎の首を奪われては、これまでの苦労が水泡に帰す。高田へ行くのに、甲州街道とこの中山道の二つの道がある。
次郎左の酒が早い。興奮しているようだ。
「おれは、仏生寺を守って、高田まで送り届ける」
次郎左はこの十数年を、死に場所を求めて生きていた。仏生寺兵衛を守ることに命を張る気になったようだ。
「旦那、この家はどういうことで」
弥介らがこの倉賀野一家の世話になっているのが、合点がいかない様子なのだ。弥介は親分の実左衛門が、大岡越前の手先であることを手短に説明してやった。実左衛門の若い衆は、この雨の中をちゃんと柳瀬《やなせ》の渡し場で仁助を待っていたという。
「お勢という女が、平三郎の首を奪いたがっているのは、どういうことだ」
意気込んで次郎左が言った。
「わからんが、さし当たり、女の情か、女の意地か、そんなところだろう」
「太いことをする女だ。仇を討って首を国元に持ち帰るのは当たり前のことではないか。お勢は公儀の法に逆らっていることになる」
「女というのは、わけのわからんことをすることがある」
「ほんとのところは、お勢に聞いてみなければわからんがな」
弥介は嗤《わら》った。心の中では、なにも仏生寺とお勢に関《かかわ》り合うことはないと思っている。かれが、関り合う気になったのは、お勢に一服盛られ、一物を手で※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]《こ》がれたことにあった。
「旦那、あっしのやることは、もうねえんですかい」
「ある。おまえの剣をここの若い衆に教えてやってくれ、実左衛門もよろこぶ」
「え?」
仁助はきょとんとした目をした。この男は八丈島で七年間を、剣と礫《つぶて》術を命賭《いのちが》けで練《きた》えているのだ。また江戸では、弥介よりも多くの浪人を殺している。殺しの呼吸はすでに身につけているはずだった。
その夜、仁助は次郎左を連れて、倉賀野宿の旅籠に飯盛り女を買いに行った。案内したのは一家の若い衆である。仁助は、女がなくては、体がもたない男だった。
弥介は、居間に仰臥《ぎょうが》していた。そばにお新が、うつむいて坐っていた。二人の姿を行燈《あんどん》の灯りが包み込んでいる。
仁助や次郎左のように女を買うことができれば、もっと気が楽なのだろうが、かれにはそれができなかった。そのためについ女と情を絡ませてしまうことになるのだ。
お新という若い女をそばにおいて、弥介は股間《こかん》を疼《うず》かせていた。あとを引くという言葉がある。内藤新宿で九沢半兵衛に煽動《せんどう》された浪人を斬り、町奉行所同心の縄におのれからかかり、大岡越前に恫喝されて旅に出た。その間女の肌に触れず、久しぶりにお新を抱いた。それがあとを引いていたのだ。
疼きはあるが、じぶんからはお新の体に手を出せない。そんなおのれを嗤った。
お新が、かれの胸に重なって来た。そして衿《えり》を開くと、そこに手をのばして撫《な》でまわす。女の手とはなめらかなものだと思う。その手が男の小さな乳首を撫で指でついばむ。
そして、お新はそこに唇を寄せて来た。唇が小さな乳首をついばみ、お新の手は、かれの体を撫でまわし、股間を着物の上から撫で、そこにあるものを確かめる。指で探り、一物が勃《そび》え立っているのを知ると、お新はうれしそうに笑った。
お新は音をたてて乳首を吸うと、男の褄《つま》をかき分け、下帯を引いてゆるめると、そこに屹立《きつりつ》しているものを手にした。
そして、そっと指を這《は》わせ、ふぐりまでも指で探る。一物のあつかい方は心得ているものとみえた。芝居一座に売られた女である。早くに男を知ったものだろう。
「兄《あに》さん」
とお新に言われて、弥介は目を剥《む》いた。
「わしは兄ではない」
わかっていることは、お新の父親が小田丸姓であったということだけだ。それもお新の口から聞いただけで、真実かどうかはわからない。弥介に近づく手段なのかもしれない。
「血がつながっているとは思いません。でも、兄さんと呼ばせて下さい」
そう言われれば、拒否するわけにはいかない。身寄りのない淋しい女だ。仮の兄妹でいてやってもいい。身寄りのないのは弥介も同じだった。
弥介は手をのばして、お新の尻を撫でた。弾力のある尻である。尻を撫ではじめると、お新はじぶんで、帯を解いた。そして衿を開くと、乳房を男の胸に近づけ、紅くそそり立った乳首をかれの乳首に押しつけ、手で乳房をゆさぶった。
かれは着物の下に手を潜らせ、お新の背中を撫で、そして今度はじかに尻に触れた。半球形をした尻である。なめらかで冷たかった。
「なぜ、一座を抜けた」
答を探しているのか、お新は答えない。その答が出たのか、
「いやな男が、わたしを追いはじめたからです」
「何者だ」
「博徒です。遊び人です」
「男がいなかったわけではあるまい」
「いました。でも、その男は遊び人に脅されて引っ込みました。それに……」
「それに何だ」
「小田丸弥介が江戸を出た、とある浪人に聞きました。一度お会いしたいと思って」
「わしを兄だと思ったわけではあるまい」
「何だか、他人のような気がしなかったのです」
弥介は、お新を仰臥させると、口を吸い、乳房を掴《つか》み、揉《も》みしだいた。お新の躍るような舌がからみついて来て、かれの舌を吸う。こうやってお新の顔を見ると、多少色は黒いが、目鼻立ちははっきりしているし、上目遣いで見る目には力と張りがあった。
女の体が畳を擦った。
揉みしだいていた乳房に口を移すと、手を肌に滑らせた。そして乳房に円を描くように唇を這わせ、その円を狭めながら、乳首にたどりつく。手は、脇腹《わきばら》から腰に、そして腿《もも》を撫で、内腿に滑り込ませた。内腿を撫であげ、はざまにたどり着く。
そこは熱く膨らんでいた。その膨らみを掌《て》で包み込み、撫でまわしておいて、手をゆさぶる。お新は熱い息を吐いた。
指を折り曲げて切れ込みに埋めると、そこにはすでに熱い露がわいていた。切れ込みをなぞるように指を使うと、指先に小さな粒が触れて来た。その粒を撫で上げると、お新の体が攣《ふる》えた。
女の体のあつかい方を教えてくれたのは、お泉、お若、お藤の三人だった。妻の与志とはただ体を繋《つな》ぐだけの交わりに過ぎなかった。女のはざまに手をやるのは、ただ潤みを確かめるだけだったように思う。与志との交媾《まぐわい》はすでに忘れてしまっている。
与志は、女の悦《よろこ》びを知らずに志津を産んだ。そのあと、わずかに体をくねらせ、息を荒らげる程度だった。長屋住まいでは高い声をあげるわけにもいかず、といって、声を忍び耐えるほどの歓びはなかったようだ。
――妻か!
と思ってみた。妻とは一体何なのか。子供の志津にとっては、母かもしれないが、弥介とは他人だった。縁あって結ばれた、ということか。妻をいとしいと思ったことはない。志津は娘として可愛《かわい》い。おのれの血が志津の体の中を流れていると思うからか。
妻と娘を人質として大岡越前に取られた。そのために越前の走狗にならざるを得なかった。娘がいなくて妻だけだったら、どうだろうと考えてみる。だが答は出ない。
「兄さん」
お新の声に我に還った。二指は切れ込みの深い淵《ふち》にあった。淵の天井にある多くの粒々を二指で掻《か》き出すように指を使っていた。
「これで、わたしをいっぱいにして」
と手にした一物を引いた。
弥介は、体を起こし、お新の下肢に回った。そして開かれた腿の間に体を割り込ませると、女の手が一物を切れ込みに誘った。
腰に力を加えると、一物は柔らかい淵の中に埋まった。とたんに、かの女は、男の体に両腕を回し、しがみついて声を放った。
「兄さん」
そう呼んで、お新の体はのけ反った。背中に半円の隙間《すきま》ができ、次に尻が浮き上がり、体がつっ張り、こきざみに攣え、達する意味の声を放った。
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越後・高田藩、松平家は十一万石である。松平|越中守《えっちゅうのかみ》定達《さだみち》の家中に、仏生寺左衛門がいた。仏生寺家は山奉行配下で百二十石を禄していた。
左衛門は剛直で武芸のたしなみもあったが、短慮だった。ある日の夕暮れに、左衛門は青木平三郎と出会った。青木平三郎の父平右衛門と左衛門は朋友《ほうゆう》とはいかないまでも、仲のよい間柄でもあった。
左衛門は、平三郎を呼び止めた。そしていきなり、
「おまえは、それでも男か」
とののしった。
平三郎は、青木家の次男で、城下の商家に婿入《むこい》りする話が進んでいた。嫡子《ちゃくし》はいるのだから、次男、三男は他家に婿入りすることになる。それは慣習でもあったのだ。左衛門がののしるいわれはない。
だが、左衛門は、のっぺりした役者|面《づら》の平三郎の顔が気に入らなかった。その上に、平三郎は、婿入りする商家の娘と恋仲だった。娘のほうが平三郎を気に入り、恋慕して、婿入りの話にこぎつけたのだという。
左衛門は、平右衛門からこの話を聞いていた。もっとも、他人の息子のことである。左衛門がとやかく言うことではない。だが、この日、左衛門は酒気をおび、虫の居所も悪かったようだ。
平三郎は、左衛門にののしられながら、黙って立っていた。それを城下の町人数人が見ていた。
「男は米糠《こめぬか》一升あったら婿に行くなという。青木家は、それほど貧しくはあるまい。しかも町娘に恋慕するとは武士の風上にもおけぬやつだ。平右衛門が泣くぞ」
「よけいなことを」
平三郎は呟《つぶや》くように言った。
「なにっ!」
左衛門は、平三郎の顔を殴った。その次の瞬間、平三郎は腰をひねって、刀を抜き、左衛門の腹を裂いていた。
「おのれ!」
と左衛門が刀を抜いたときには、平三郎は走っていた。大騒ぎになり、仏生寺家の者たちが駆けつけ、戸板で左衛門を家に運び医師を呼んだ。
左衛門は、三日間|苦悶《くもん》して死んだ。かれの腹は、臓腑《ぞうふ》まで裂かれていた。
時に仏生寺兵衛は二十歳、弟の兵之助は十五歳だった。左衛門を討たれた仏生寺家の家禄は、藩庁預かりとなった。つまり、好むと好まざるとにかかわらず、兵衛が平三郎を討ってその首を持ち帰らない限り、仏生寺家の禄はもどされないのだ。
非は左衛門にある。誰の目にもそう見えた。目撃者が何人もいた。だが是非の問題ではない。父を殺された子は、仇を討たなければならない。
「兄者《あにじゃ》、平三郎はおれが斬る!」
弟の兵之助は、ひとり意気込んだ。たしかに、兵之助は藩中の少年組では剣を使えるほうだった。
甲州街道、韮崎《にらさき》宿で、青木平三郎を探し当てたのは、五年目だった。その五年間に兵衛、兵之助兄弟は、互いに剣の腕を練えていた。だが、青木平三郎は、役者面のくせに、剣の手練《てだ》れだった。そのために兵衛は、用心し、打ち合わせをし、待ち伏せたが、血気|旺《さか》んな兵之助は、自制をすることができず、とび出し、父左衛門と同様、平三郎の刃に腹を裂かれたのである。
兵衛が駆けつけたとき、平三郎の姿はなかった。兵之助は、腹を裂かれた姿で刀を杖《つえ》に棒立ちになっていた。兵之助もまた、父左衛門に似て短慮だった。
「兄者、おれは死にとうない」
兵之助は泣いていた。かれの腹からは白い内臓が出ていた。無駄だと知りながら、兵衛は、その内臓を掴んで押し込んだ。腹を裂かれては助からない。当時の医学では手段がなかった。兵之助は苦しみ抜いて、翌日の明け方に息をひきとった。兵衛は、父の短慮を恨んだ。
それから更に十年目、兵衛は、江戸・日本橋平松町に青木平三郎をやっと探し出した。十五年目である。兵衛は三十五歳になっていた。
平三郎は、平松町に店を開く薬種問屋、肥前屋の裏の離れ座敷に病臥していたのである。労咳で何度も血を吐き、痩《や》せ衰えていた。
この肥前屋の女将はお勢だった。どうしてお勢と平三郎が知り合ったのかは兵衛は知らないし、そんなことはどうでもよかった。平三郎は五年ほど前から、肥前屋の用心棒のように、離れ家に棲《す》んでいたと聞いた。
兵衛は、裏から木戸を開け、離れ家に乗り込んだ。平三郎は、上半身を起こし、枕もとの刀を掴んではいたが、痩せ衰え筋肉も失《う》せて、胸元に肋骨《あばらぼね》を深く刻んでいた。
「平三郎、十五年目に見つけたぞ、よく生きておった」
兵衛は刀を抜いた。
そこに気配を知って駆けつけたお勢が、座して両手をついた。
「平三郎の命は、あとわずか。お医者の話では保《も》って十日。それまで待って下さいませ」
お勢は必死だった。
「ならぬ」
兵衛はお勢を押しのけたが、かの女は兵衛の足にしがみついた。
仇を討つのに死ぬまで待ってくれとは難題である。死首を持ち帰ったのでは仇討ちにはならないし、藩庁もそれを認めはしない。家禄ももどされないし、仏生寺家の再興もならないのだ。
もちろん、お勢もそのことは知っている。だから、このことは秘すと言った。だからと言ってそれを聞き入れるわけにはいかない。万一にも待つ気はないが、もし待ったとすれば、お勢は平三郎のために用心棒を雇わないとは言えない。
そこに情をさしはさむ余地はなかった。
「そこをのけ」
「平三郎の命、一日十両で売って下さりませ」
お勢は兵衛の足にしがみついた。
「お願いでございます」
青木平三郎が咳込《せきこ》みながら言った。
「お勢、止めてくれ、十日やそこら生きのびたとしても何になる」
「いやです、わたしはいやです」
とお勢は激しく首を振った。平三郎は激しく咳込み、肩で息をしていた。
「お願いします」
「お勢、もうよいではないか。その男にわしの首を呉《く》れてやれ」
そう言いながら、平三郎は、どうにか刀の鞘《さや》を払っていた。士《さむらい》として討たれるつもりになったのだ。だが、病んで久しいらしく、刀を支え持つ力も残ってはいず、刀刃を畳の上に置いた。
お勢は、急に立ち上がると、兵衛の目の前で帯を解きはじめたのである。
帯を足もとに落とし、体に絡みつく何本かの紐《ひも》を解くと、肩をあらわにし、二布《ふたの》姿になった。萌黄色《もえぎいろ》の二布だった。その二布もとったのである。
よく脂ののった美しい裸身だった。重たげに乳房が弾んだ。まだ子を産まぬ女体だった。兵衛が、お勢の気迫と裸身には狼狽《ろうばい》したという。
「わたしを抱いて、そして十日を待って下さいませ」
お勢は兵衛に体をぶっつけるようにして抱きついて来た。
「放せ!」
振り払うようにすると、お勢はそのまま体をずり下げ、かれの腰を抱き寄せると、男の股間を探ったのである。
「何をする!」
払いのけようとするのを、必死でしがみつき、一物を掴み出すと、手を前後させて※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]《こ》ぐと、ためらいもなくそれを口に咥《くわ》え、音をたててしゃぶりはじめたのである。一物は女の口の中で膨らみ怒張した。
兵衛は、目を剥いていた。お勢のこの行為が信じられなかった。女とは、これほどまでに男に惚れきるものなのかと。武骨な兵衛は女の情というものをこれまで知らなかった。武家の女ならば、かなわぬと知りながらも、懐剣を抜いて突いてかかるのに違いないが、商家の女は、懐剣を抜かぬ代わりに、おのれの裸身を武器にするのか。
かれは、ただ呆然《ぼうぜん》としてお勢の紅唇の間を出入りするおのれの一物を見ていた。のっぺりした役者面の平三郎に嫉《ねた》みがあった。平三郎の体が女をこれほどまでにひたむきにさせるのか。
十五年前、高田城下で、平三郎と夫婦になるはずだった商家の娘は、かれが左衛門を斬って逐電《ちくでん》したため、身重の体で自害し果てた。兵衛は仇討ちの旅に出てから、そのことを風の便りに聞いた。
女がじぶんの男が斬られるのに、斬る相手にしがみついてそれを阻むところまでは、わからないではない。だが、素っ裸になって、しかも、敵である男の一物まで口に咥えるとは! 兵衛にはわからぬことだった。
兵衛は眼下の白くてよく張ったお勢の尻をぼんやり眺めていた。その尻は妖《あや》しくくねってさえいたのだ。
気勢を削《そ》がれた思いがした。平三郎に少しでも力があれば、その間に逃げ出していたはずだが、その力はすでに残されていなかったようだ。
平三郎は、削げて骨だけになったような顔で嗤った。
兵衛の淫情《いんじょう》が強ければ、お勢を突き転がしてのしかかったであろう。あるいは弟兵之助の無念な姿を見ていなければ、あるいはという気がした。兵之助が、「兄者、死にとうない」と泣いた声が、耳の底に貼《は》りついていた。
「一日十両、十日で百両」
とお勢は、口の中のものを出して呟くように言った。
だが、兵衛は思い直し、気を取り直して、お勢の体を突き放した。そして、寝床に坐った平三郎の前に立った。抜いた刀刃を振りかぶると同時に、平三郎が刀を薙いだ。それが残された最後の力であったようだ。兵衛は、その刃を跨《また》ぎ、刀刃を平三郎の首筋に叩きつけ、血飛沫《ちしぶき》が上がるのを避けて、背後に回り、平三郎の首を刎ねた。
お勢はその場に坐り、平三郎の返り血を浴びながら、目を据えて見ていた。
「たかが百二十石!」
妙に枯れた声でそう言った。
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仏生寺兵衛は、それだけのことを一気に喋《しゃべ》った。兵衛の周りには、弥介をはじめ仁助、次郎左、そして実左衛門がいた。
兵衛は、髭《ひげ》を剃《そ》られ、髷《まげ》もきれいに結い上げられていたが、頬《ほお》の削げた顔色は、蒼白《そうはく》だった。
やっと起き上がれるようになったのだ。もっとも胸の傷は毎日手当てを受けていて、快方に向かっている。だが、高田に向かって旅立つまでには、まだまだ日時を要する。ただの旅ではない。お勢がさし向ける刺客と戦わなければならない。傷が治ったとしても、更に体力をつけなければならない。
弥介らは、その座敷を出た。そして一つの座敷に集まった。
「お勢という女が、平三郎の首を奪いたがっているのは、女の意地か、それとも情か」
次郎左が言った。
「そんなところだろう」
「太いことをする女だ。女というのはわけのわからんことをする」
仁助は黙っていた。少し離れてお新が庭を向いていた。
「わしは、これから高田まで行ってくる」
「何で?」
次郎左と仁助が同時に言った。お新が振りむいた。
「何のためにだ。高田まで行ってどうするのだ」
「わけはいずれ話す。十日もあればここにもどれよう。二人で仏生寺を守ってやってくれ。お勢がどのような刺客を送り込むかわからんからな」
「旦那、あっしも連れていっておくんなさい」
「おまえは少し体を休めておけ」
次郎左は頷《うなず》いていた。
「実左衛門にあとを頼んでおかなければなるまい」
と弥介は立っていた。
部屋を出て、廊下で出会った若い者にそれを言うと、実左衛門の居間に案内してくれた。
「小田丸さん、どういうことで?」
「そのわけは聞かないでくれ」
「わかりました」
と、実左衛門は、背後の戸板を開けて、朱鞘の刀をとり出した。
「そのお腰のものではご用に立ちますまい」
たしかに弥介がいま手にしている刀は、斬った浪人から奪ったものである。血のりは浮いてないが、刀刃のところどころが錆《さぴ》ついていた。まともに斬ればせいぜい二人だろう。三人目は刃が滑るか折れ曲がるか。
弥介は、朱塗り鞘の刀を手にとって鞘を払ってみた。美しい刀刃だった。しかも白研《しらと》ぎにしてある。いかにも凶々《まがまが》しく斬れそうだ。先反りで、切っ先が鋭かった。
「さぞかし、名のある刀工のものであろう」
「無銘でございますが、村正《むらまさ》と聞きました」
「千手院《せんじゅいん》村正か」
村正の刀は、徳川家が嫌った。そのために村正の銘はほとんどが削られている。
「わしに似合いの刀かな」
弥介はそう言って笑った。二尺八寸二分だという。
「朱塗りというのは気にくわないが、借りておこう」
「小田丸さま、その刀は、宿場外れの追分《おいわけ》で斬られていた浪人四人のそばにあったものでございます。それをわたしのほうで研がせました」
弥介は浪人四人を斬って刀を捨てた。その刀がもどって来ただけなのだ。実左衛門はあえて、弥介の刀だとは言わなかった。
まだ午《ひる》を過ぎたばかりだった。弥介は朱塗りの刀を差して倉賀野一家の屋敷を出た。旅仕度など要《い》らぬ身である。
宿場を出たあたりで、お新が追ってくるのが見えた。
「兄さん!」
手には商売用の三味線《しゃみせん》を持っていた。
「わたしも連れてって」
「それはならん」
「なぜです」
お新は猫の目のように光る目を潤ませていた。
「聞きわけてくれ。これからどのような敵に遭《あ》うことになるかもしれん。おまえを楯にされたら、わしは刀を捨てねばならん。おまえはわしを殺す気か」
お新はうなだれた。
「わしを好いておるならば、おとなしく待っておれ、よいか」
お新は答えなかったが、その場に立って、弥介の姿が街道に消えるまで、じっと立って見ていた。
弥介は、なぜ、越後・高田まで行こうというのか、弥介じしんよくわかってはいなかった。行かねばならないような気がしていた。
かれには疑心が生じていた。仏生寺兵衛の話は面白かった。だが、お勢と仏生寺の関係が、大岡越前が策謀したのであれば、と思ったのだ。それは単なる疑心暗鬼かもしれない。
大岡越前が怖れているのは、腕の立つ浪人である。江戸市中での剣の手練れといわれる浪人は、ほとんど弥介が斬った。そして浪人の数も半減したといわれた。
だが、関八州には、まだまだ腕利きの浪人は多い。それを始末させるために越前は弥介を関八州に送り込んだ、と思っている。無為に関八州を旅しろと言ったのではあるまい。どこかに策があるはずだ。
肥前屋お勢は女の意地で、平三郎の首を奪おうとしている。首を奪うために大金を使って、腕に自負のある浪人を雇い入れる。それらの浪人が、仏生寺に斬られれば、一人一人と腕利き浪人は減っていくのだ。もちろん仏生寺だけでは不安がある。だからそこに弥介と仁助を絡ませる手段をとった。
考えてみれば、弥介と仏生寺の出会いはいかにも不自然だったのだ。弥介は本庄宿で、左柄次郎左衛門と久しぶりに会い、居酒屋に入った。そのあとから首を背負った仏生寺が入って来て、卓上に生首を置いたのである。
たしかに塩が足りなくて腐りかねなかったのかもしれないが、なにも生首を卓上に置いて塩をまぶすことはなかったのではないか。いま思うと、どこか不自然である。
お勢の件にしても、気になるところがあった。まこと、弥介が会ったお勢は、肥前屋お勢なのかという思いがある。たしかに仁助が調べて来たところでは、話は合っている。お勢は江戸を離れていた。
だが、弥介が会ったお勢と、肥前屋お勢が同一人とは限らないのだ。
弥介が、越後・高田まで行こうと思ったのは、仏生寺兵衛が、まこと高田藩、松平家の家臣であったかどうかを確かめたかったからである。
仏生寺左衛門が青木平三郎に斬られたときの藩主は松平越中守定達だったが、十五年経ったいまでは、定達の子|定輝《さだよし》が藩主となっている。高田城主としては三代目である。だが、十五年前の出来事は、家臣たちも知っていなければならない。もちろん城下の商人、町人たちも、この事件は知っているはずだ。
妻と娘は越前の人質にとられてはいるが、弥介は越前の走狗になることを、いさざよしとしなかった。越前に一矢報いたかった。
――仇討ちなんぞであるものか。
という気が弥介にはあった。手の込んだ猿芝居に違いないのだ。猿芝居を暴いてやりたかったのだ。
中山道・高崎から板鼻宿に着いた。一つ先の安中《あんなか》宿まで行くつもりだったが、板鼻にお勢が宿泊しているのを思い出し、いま一度会ってみる気になった。
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宿場の中ほどにある旅籠大友屋に入った。飯盛り女たちが弥介を迎える。下女が盥《たらい》に水を汲《く》んで来た。
「この宿に、江戸の肥前屋お勢という者が泊まっているはずだが」
そう言われて、番頭らしき男が二階へ駆け上がった。待つ間もなく現われたのは手代の利八だった。
「これは、小田丸さま」
と利八は言った。
「お勢に会えるか」
「はい、女将さんは、小田丸さまが、おみえになるだろう、とお待ちかねでございます」
「お待ちかねだと」
部屋に通されると、そこにお勢が妖艶《ようえん》に笑って座していた。
「わしが来るというのが、何故《なぜ》わかっておった」
「小田丸さまこそ、なぜ左柄半兵衛などと申されたのでございます」
お勢には、おのれの男の首を奪われた窶《やつ》れはなかった。
「仏生寺兵衛の傷は治りましたか」
「よくはなっているようだが、まだ旅に出るまでには日時がかかろう」
「そうでございますか」
「二、三聞きたいことがある」
「なんなりと」
「そのほうは、まことに肥前屋お勢か」
「はい」
お勢は間髪を入れずに言った。
「なぜ、お疑いなのです」
「美しすぎるからだ」
「それは光栄でございます」
「次に、この間、わしが左柄半兵衛ではなく小田丸弥介であれば、わしに抱かれたか」
お勢は艶然と笑った。そして、
「はい」
と答えた。
「なぜだ?」
「小田丸さまならば、必ずや平三郎の首を取りもどしていただけるものと考えました」
「左柄半兵衛では心もとなかったというか」
「だから、わたしは何度も念を押しました。たしか江戸でお目にかかったはずだと」
利八が酒膳を運んで来た。膳には盃《さかずき》が二つあった。この酒には苦い思いがある。それを察してか、お勢は先に酒の毒見をした。
「小田丸さまの名は、江戸でも高うございましたし、お目にもかかっております」
「どこでだ?」
「憶《おぼ》えておいでではございますまいが、神田川ほとりの船宿の女将、お藤《ふじ》さんとご一緒のところを」
お勢が言っていることは違うな、と思った。
「わたしは、お藤さんとは懇意でございます。小田丸さまの話は、お藤さんから、よく聞いておりました」
「お藤は、わしが人斬り弥介だとは知らなかったはずだ」
「それはあなたさまの思い違いでございましょう。お藤さんが、好きな男の素姓を知らぬはずはございません。ただ知らぬふりをしていただけです」
お勢の言葉にはよどみがなかった。お勢に酌されて酒がすすむ。先日の酒ほど甘くはなかった。
「その話は置こう。仏生寺兵衛が語った。青木平三郎がいかに好きな男であろうと、仇持ちでは、首を奪われても仕方あるまい。なぜに、そのようにむきになって首を取りもどそうとする」
「平三郎の胴は、離れ座敷に塩漬けにしておいてあります。首をつなげて葬ってやりたいのでございます」
「それは、女としての意地か」
「はい、意地でございます」
「執念深いことだな。首をつないでも生きかえるわけではあるまい」
「たかが百二十石、一年にして三十両足らず。暮らしむきは、一生わたしが面倒を見ようと申しました」
百二十石の家禄がなぜ一年に三十両なのか。一石一両とされている。だが、大名はすべて財政|逼迫《ひっぱく》し、家臣たちの禄高の半分は借りあげとなっている。すると六十石である。これを百姓と五分五分で分けるとすれば三十両になる。
「わたしは、年に八十両さし上げようと申しました。それも、家も家具も用意して。これならば家族五、六人いても一年をゆっくり暮らしていけます」
「仏生寺がそれを拒んだか」
「はい」
「仏生寺には、金よりも家名が欲しかったのだろう」
「力ずくで平三郎の首を持ち去りました。ならば、わたしは金ずくで首を奪おうと思ったのでございます」
「肥前屋を潰《つぶ》しても、女の意地を通すつもりか」
「はい、わたしはそのような女とお思い下さってけっこうでございます」
「お勢、おまえは越前の手先ではないのか?」
「は?」
訝《いぶか》しげな顔をした。
「大岡越前だ」
「お奉行さまが、なんでわたしのような女と関りがございますの」
したたかな女だ。もし、越前の手先であればである。もし、手先であれば、化けの皮をひん剥いてやる。したたかな女でも美しい。
「女将と仏生寺兵衛はぐるだな、ぐるで芝居をしている」
「まさか」
「わしは、これより高田に行く」
「高田と申しますと、越後の高田でございますか」
「左様」
酔いが回って来た。お勢は弥介と対等に呑んでいる。白い貌《かお》に赤みがさして来た。肌が桜色に染まっている。酔いのためか、体に淫情が湧《わ》いて来た。股間が勃然《ぼつぜん》となっている。痺《しび》れ薬を飲まされたときの、抜けるように白いお勢の肌を思い出していた。
「何かご用でも?」
「仏生寺兵衛が、まことに高田藩士であったかどうかをわしの目で確かめたい」
弥介は、酔いのために企《たくら》みを喋ったのではない。わざと手の内を見せた。もし弥介が疑ぐっている通りだとすれば、かれの行く手を阻む者が出てくることになる。
それを期待した。
加えて、弥介は人を斬りたくなっていた。もちろん腕の立つ相手でなければ斬る快《よろこ》びはない。
柳瀬の舟着き場では居合いの浪人を斬った。だが、その浪人は次郎左に目潰しをくらわされ、盲人同様だった。
腕が鳴るという。美酒に酔って、弥介の腕が鳴っていた。
人を斬ることに慣れていた。はじめの五人までは、浪人を斬ったあと嘔吐《おうと》した。六人目からは、浪人を斬ったあと女の肌を求めた。そして三十人を超えたときには、女を抱きたいという淫情も湧かなかった。
いまの弥介は斬りごたえのある相手を求めている。
弥介は、お勢の手首を把《と》って引き寄せた。酒膳は押しのけた。抗《あらが》うかと思ったが、お勢はかれの膝《ひざ》に崩れてきた。薄物の下の体は弾んでいた。重量感のある体だった。膝を崩し、裾《すそ》の間から、白いふくらはぎを覗《のぞ》かせている。
かれは女の背中を撫でた。薄物の下に肌襦袢《はだじゅばん》があるかどうかはわからない。女の肉づきのよい肌は弾力があり熱かった。
お勢の顔を仰向けにして紅唇に唇を触れた。舌で唇をこじ開けると、そこに歯があった。歯茎を舐《な》めまわした。すると歯はじぶんから開き、男の舌が入るのをゆるした。
女の厚い舌が躍った。そして、男の舌を吸い込みしゃぶった。弥介は口を離した。
「男を断《た》っているのではなかったのか」
皮肉である。
「方便でございました」
女はしたたかである。弥介は、平三郎のために男を断っているのかと思った。それが方便であったとは。
弥介は、女の舌を吸い出し、しゃぶった。甘く歯を当てた。そして、八ツ口から手をさし入れて、乳房を探った。
重量感のある大きな乳房だった。その乳房は、指がめり込むほどに柔らかい。その柔らかい乳房を掴んだとき、股間の一物が、更に怒張するのを覚えた。肌がぬめった。汗ばんでいるのか。
掌の中で乳房が形を変えるのがよくわかった。熟れた女の乳房である。男に揉みしだかれた乳房である。その男は平三郎だけだったわけではあるまい。
やがて、掌の中で乳首がしこってきた。お勢が低く呻《うめ》いた。
「寝間へ」
低い声で言った。続きの部屋をとっているのだ。襖《ふすま》のむこうには夜具がある。いつかの萌黄色の長襦袢を思い出していた。あのときは不覚をとった。お勢に辱《はずかし》めを受けた。いまは女のほうからその気になっている。
乳首を指で摘《つま》んだ。三十女らしく、摘み甲斐のある大きさだ。
「寝間へ」
と言ってもう一度身を揉んだ。
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お勢は、寝間に入ると、夜具の端のあたりで、弥介に背を向けて帯を解いた。女としては大柄である。着物を肩から滑り落とすと、長襦袢姿になった。枕元には閏紙《ねやがみ》が置いてあった。
はじめから弥介を夜具に誘うつもりだったのか。お勢は夜具に仰臥して、じぶんで腰紐を解いた。
弥介は、両刀を枕元に置き、帯を解いた。男は女ほどは体に紐を巻きつかせてはいない。単衣《ひとえ》一枚で、下には下帯があるだけだった。
裸になって、お勢のそばに胡坐《あぐら》をかいた。そして、襦袢の上から女の体に触れた。撫でまわした。手が肌の温《ぬく》みを覚えた。
衿元を拡げて、乳房をあらわにした。一度目にした乳房だが、その形も色合いも美しかった。鮮紅色の乳暈《にゅううん》と乳首が、花が咲いたように彩りを添えていた。
重なりあっている裾の一方をはねた。そこに白い脚があった。膝頭に手を触れ、そのまま撫であげた。大腿は肉が厚い、が硬い肉ではない。内腿の肉はひどく柔らかい。女の体の中で最も柔らかい部分だという。
お勢は仰向けのまま薄く瞼《まぶた》を閉じたまま、男の股座《またぐら》に手をのばして来た。そして下帯の上から撫でまわし、指で一物が怒張しているのを確かめると、安堵《あんど》したかのように手を引き、熱い溜息《ためいき》を吐《つ》いた。
女はわけがわからないいきものだ、と思うほど、弥介は多くの女を知っているわけではない。女は知れば知るほどわからなくなる、と言った男がいた。女は子壺《こつぼ》でものを考えると言った男もいた。
だが、弥介は女に対してはいまだ未熟である。だが、いま、お勢が何を考えているかと思った。隙だらけでお勢はかれに体をまかせようとしている。男は、隙だらけにはなれない。どこかで敵に対応できるものを保っている。
いま、いきなり刺客が襖を蹴破《けやぶ》ってとび込んで来ても、どのように応じるかは、脳の裡《うち》にあった。本気でお勢が体をまかせようと思っているかどうかは弥介にはわからないのだ。
内腿を撫でまわし、その感触をたのしみながら、指を鼠蹊部《そけいぶ》に当ててなぞった。肉づきがいいだけに、はざまには脂が充分に乗っているようだ。もっとも、まだはざまは襦袢の端に隠れていた。それをはねのけると、ふっくらと丘をなしたところに、びっしりと茂りが生えていた。広がりはないが、黒々としてよく縮れ、光沢のある恥毛である。その茂りは、こんもりと盛り上がっている。その茂りを手で包み込むようにして、撫でた。かさかさと乾いた音がする。
茂りの膨らみを撫でまわしていると、再びお勢の手がのびて来て、かれの下帯を解きはじめた。そして下帯の中から、一物が屹立したのである。その一物に肉づきのいい白い手がのび、優しく包み込み、握った。
「仏生寺に、口取りまでしたそうだな」
お勢は目を開いて弥介を見た。その双眸《そうぼう》は泣いているかのように潤み光っていた。
お勢は一物を手にしたまま体を起こそうとした。その肩を押しつけた。
「それをしてもらおうと言うたのではない。それほど平三郎の命が惜しかったか」
「一日でも、一時《いっとき》でも」
弥介は、はざまの膨らみを掌で包み込むようにし、その手を上下させ、そして揉みしだくようにした。
「それほどに惚れていたか」
「はい」
小さな声で言った。
「平三郎の首を奪って、胴につなげれば、それでお勢の気はすむのか」
「はい」
お勢の手はゆっくり上下しはじめた。その手は、いかにも優しかった。
弥介は中指を折り曲げた。指がそのまま切れ込みに埋まった。指の先は潤みを覚えていた。切れ込みをなぞるように撫であげると、指先が粒に触れた。木の芽のような形をしているように思えた。その芽を下から掬《すく》い上げるように指を運ぶと、お勢の体がぴくんと弾んだ。
いまは、何も考えることはなかった。この女体に溺《おぼ》れ込めばそれだけでよい。かれは、お勢の胸に上体を重ね、乳房に唇を触れた。乳房がたゆむ。その乳房に円を描くように唇と舌を這わせ、その円を次第に縮めていって乳首を咥えた。
とたんに、お勢は熱い溜息をもらし、体をよじった。
弥介の指は切れ込みを這いまわり、指に露を絡ませながら、熱くなった沼に埋めた。指で壺の中をさぐり、更にもう一指を加えた。そしてその二指を交叉《こうさ》させ、屈曲させて、壺の感触を確かめた。
弥介は、お勢の体に一物を繋いだ。滑るような感触で奥まで達したとき、お勢は叫び声をあげ、豊かな体をゆすって、歓喜を迎えていたのである。
かれが抜き差ししようとすると、あわてたようにお勢の両手が尻を押さえ、
「そのまま」
と乾いたような声をあげた。
「動かないで、あなたさまをそこに覚えていたい」
弥介は押しつけたまま、続けざまにいきんでみせた。すると、笑いとも呻きともつかぬ声をあげて、わずかに尻をもたげたのである。
「違うな」
「え、何か」
「いや、何でもない」
何かが違っている。仏生寺兵衛の一物を咥えたというお勢と、いま体の下に組み敷いているお勢とは、どこかぴったりしないのだ。
越前の手先かと聞いて、そうだと答えるわけはない。
弥介は、まず、平三郎の首と称する生首を居酒屋で見せられたときから、釈然としないものを覚え、疑いを膨らませて来た。
お勢を抱けば何かがわかると思うたが、疑心暗鬼は、ますます深まるばかりである。たしかにお勢は脂の乗りきった女盛りである。旅先で弥介に抱かれたとしても当然という気もある。この体では、男なくしては三日も保《も》つまいと思える。
もちろん、熟女だからと言って、男なしでいられないというわけでもないだろう。女は肌に触れられなければ、欲情しないともいう。
弥介は笑った。じぶんに女がわかるわけはない、と。それにしても、この女が、仏生寺兵衛に死にもの狂いでしがみついたとは思えない。
黒目がちの張りのある目に、翳《かげ》りがなくはなかったが、その翳りは、平三郎とは別もののように思えるのだ。
「疑心暗鬼か」
仏生寺の話も、お勢の話も面白すぎた。もっとも、平三郎の首が作られたものであるという証は何もない。世間には奇怪な話も、面白い事実もあるのだ。
お勢がまこと肥前屋お勢だとしよう。肥前屋が江戸で五指に入る薬種問屋であることは事実だ。商人は金の価値を知っている。また金を持っているだけに傲慢《ごうまん》である。金の力でたいていのことはできると考えたがる。
お勢が、情人の首を金の力で取りもどそう、必ず取りもどせると考えているとしても、不思議ではないのだ。事実、次郎左と弥介がいなければ、いまごろは平三郎の首は、お勢の手に渡っていることになる。
そう思って弥介はおのれを納得させようとしたが、やはり納得できないものが、どこかに引っかかっていた。
弥介は出し入れをはじめた。緩く抜いて急に差す。お勢はひときわ高い声をあげて、体を攣わせ、腰を振る。続けざまに気をやっているのがわかっていた。その度に一物を包み込んだ襞《ひだ》がうねっていた。
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小田丸弥介は、中山道を歩いていた。雨はどうにか上がっていた。
安中《あんなか》から、松井田、坂本、そして碓氷《うすい》峠を越える。軽井沢、沓掛《くつかけ》、そして追分で北国《ほっこく》街道に入る。小諸《こもろ》、田中、海野、上田と宿場が続く。中山道では何事もなく無事に過ぎた。
黒塗りの饅頭笠《まんじゅうがさ》を頭に、灼《や》けるような陽を浴びて、弥介は歩く。
交媾が終わったあと、お勢は「平三郎の首を」と言うかと思ったが、そのことについては一言も口にせず、
「平三郎の首は諦《あきら》めぬか」
と言ったときだけ激しく首を振った。
弥介は歩きながら、お勢の女の匂《にお》いが、体にまつわりついているような気がしていた。
腰のあたりに何か頼りなげなものがあり、久しぶりに満ち足りたという気分もあった。
歩きながら、弥介はどこからか、殺気に似た蕀々《とげとげ》しい空気が流れていることに気づいていた。前にも後にも、人影はない。この北国街道は旅人の姿も少ない。
むこうに百姓の道具|小舎《ごや》とも見える小さな小舎が見えていた。その前には、赤い首掛けを掛けた石地蔵が立っているのが見えた。
人が潜むとすれば、そのどちらかだろう。弥介は、その手前まで来て足を止めた。かれは、そろそろ出てもよいなとは思っていた。かれを高田へ行かせたくない者がいるはずである。
弥介は、左手で刀の鯉口《こいぐち》を切り刀を抜いた。刀刃が陽をはねて、鈍く光った。相手が出て来ないのを見て、弥介はおのれから殺気を発した。
影がゆれて、小舎のむこうから、浪人者が姿を見せた。その浪人も刀を抜いて右手に持っていた。
そのとき、弥介は誰かに見られているような気がした。街道には、その浪人の他には人影はない。浪人を前にして、神経を鋭くしたために、何かが神経に触れて来たものだろう。
「わしの首がいるか」
「首はいらぬが、金がいる」
「名は聞くまい、誰に頼まれた?」
浪人は黙した。そして間を三間ほどに取ると下げた刀をもたげて、正眼に構えた。自信ある構えである。
四十近いと思える、のっぺりした貌の浪人で髭も薄い。そこが酷薄そうに見えるのだ。ぼろを身にまとい、破れてぶら下がるような袴《はかま》をつけていた。
弥介は村正を右手に下げたまま動かなかった。
「わしを斬れば、いくらになる」
浪人は答えない。双眸が血走って、異様に光っていて山犬の目に似ていた。
「もちろん、人違いではなかろうな、わしは小田丸弥介……」
浪人に動揺はなかった。小田丸弥介と知って行く手を阻んだのだ。
「多く喋る者は早死する」
かすれた声でそう言った。弥介は嗤った。どうやら、斬り甲斐のある相手にやっと出会えたようだ。
陽は西に傾きかけたばかりである。浪人は刀を正眼に植えたまま、石地蔵のように動かなかった。相手は弥介が動くのを待っている。おそらく弥介の技は誰かに聞いて知っているのだろう。
対峙《たいじ》したまま時が流れた。
空を悠々と飛んでいた鴉《からす》が、あわてて羽ばたきをして、むこうの森にとび去った。
浪人は、無心になろうとしている。だが、何かが、そうはさせないようだ。欲があれば体の動きが自由にならない。
もちろん、浪人が行く手を阻むには、何かがなければならない。金が欲しい、と言った。その金は、何かに必要なものだろう。
「妻子がいるのか」
その言葉に、浪人の顔色がわずかに動いた。それを境にして、浪人の顔に汗が浮きはじめた。すでに全身汗だろう。汗が粒となり滴り落ちる。
ようやく、浪人に焦りの色が見えて来た。弥介は無造作に斬る気はなかった。どうせ斬るのであれば、大事に斬ってやりたかった。
「うぬっ」
唸《うな》り声を発した。その顔にためらいの色が刷《は》かれた。右手に刀を下げただけの弥介の技倆《ぎりょう》を測りかねているようだ。
動かねば、相手の腕はわからない、が、動くことは、そのまま死に通ずることも知っている。
弥介の顔に汗はなかった。先に汗を流したほうが、分が悪い。汗は目にも入る。滴り流れれば痒《かゆ》くもなる。浪人の首のあたりに汗が光っていた。
堪《こら》えきれなくなった浪人は、ようやく足を摺《す》った。ぎりぎりまで間をつめた。それでも弥介は動かない。浪人の姿に焦点を置かず、体全体を視界に入れていた。
切っ先を上げずに、刀刃を水平にした。そしてその刃を、すーっと右後ろに引いた。体を左に動かしながら、敵の胴を薙ぐ構えである。
浪人は一歩を踏み込み、一閃した。その一閃を弥介は見ていた。浪人の体は左へは動かなかった。
そのまま刀刃をひねって、真っ向から斬りつけてきた。弥介は、浪人の体が前のめりになったのを見て、刀刃を首根に食い込ませていた。
浪人が低い声を発した。
「ばかな」
と聞こえた。
弥介は浪人の斜め後ろに立っていた。次の瞬間、浪人の首根から噴出する血の音を聞いていた。
「む、むすめを……たのむ」
浪人は絶え絶えの声でそう言うと、ゆっくり上体を傾かせ、そのまま、前につんのめった。
小舎の端から、十二、三と見える少女が姿を見せた。浪人の娘であろうか、娘は澄んだ強い目で、弥介を見ていた。かれは眉《まゆ》をひそめた。
頼まれても困る、と言って、捨てておくわけにはいかない。日焼けして色の黒い少女だが、目ばかりが光っていた。
お新の目に似ていると思った。
弥介は、刀を鞘に収めて、娘に近づいた。
娘は二、三歩退いた。
「名は何という」
「…………」
「この浪人は父親か」
「…………」
「どこへ行く」
身形《みなり》は貧しい。膝がどうにか隠れるくらいの着物を着ていた。足にはすりきれた草履をはいていて、細くて長い足は汚れていた。
「わしは好んで、おまえの父親を斬ったわけではない」
「…………」
「娘を頼むと言った。わしにどうせよというのだ」
娘は口をきかない。双眸だけが光っている。厄介なことになった。
弥介が歩き出すと、後からついてくる。足を止めて振り向くと、娘も立ち止まる。歩くとついてくる。十間ほどの間を置いて。
田中宿に入った。小さな宿場である。弥介は、後ろを振り向き、飯屋を兼ねた居酒屋に入った。饂飩《うどん》を二つ頼んで、それが卓に置かれたとき、娘が店の入口に立った。
弥介が饂飩を食いはじめても娘は入口に立ったままだ。
手でまねいておいて、饂飩を指さすと、娘は少しずつ寄って来て、向かいの長椅子に坐ると、饂鈍を食いはじめた。
弥介は、酒を頼んだ。二合入りの銚子を三十ばかりの女が運んで来て、娘を見た。
「この娘を知っているか」
「はい、昨日、浪人さんが手を引いて歩いているのを見ました」
「名は、なんという」
「そこまでは」
と言って女は去っていった。
「娘、名だけでも聞かせてくれぬか」
「まき」
とはっきりした声で言った。口がきけたのだ。
「まきか、あの浪人は父親か」
まきは、わずかに首を振った。
「母はおらんのか」
これには頷いた。
「天涯孤独というわけか」
呟いて盃を口に運ぶ。
弥介は、さきほどの酌女を呼んで、まきの着物と履物を買わせ、裏の井戸で手足、顔を洗わせた。とにかく突き放すわけにはいかないし、といって、連れて歩くにはあまりにも汚れていたのだ。
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まきも疲れているようだし、田中宿に宿を取ろうと思った。
小さな宿場で旅籠は数少ない。その一軒に入った。
まきが弥介について入ろうとしたとき、番頭らしき男が出て来て、まきを拒んだ。
「おまえの入るようなところではない。あっちへ行け」
「番頭、その娘はわしの連れだ、何をする」
「でも、お武家さま、この子は……」
弥介はまきを連れて店を出た。そして、別の旅籠を探した。まきが番頭に嫌われたのはその身形の貧しさなのか。それだけではない。番頭は、まきの顔を知っているようだった。
次の旅籠も同じように断わられた。三軒目でようやく部屋に通された。
まきを連れて風呂に行く。
弥介は、まきの姿を娘志津に重ねていたわけではない。流しに立ったまきの裸身は痛々しいほど細かった。そして、全身が垢《あか》にまみれていたのである。
「よく湯でふやかして、垢を落とせ」
かれはまきと一緒に湯舟にひたった。流しには米糠《こめぬか》をつめた袋が置いてある。だが糠袋を使う前に垢を擦《こす》り落とさなければならない。
まきの背中に回って、弥介は指を使った。垢がぼろぼろ落ちる。まきも、じぶんの手の届く部分を擦っていた。小さい体だ、それほど時間はかからなかった。
次は髪を洗わせる。もう何カ月も洗っていない髪である。
先に風呂場を出ては、まきが心細がるだろう、と思って、弥介はまきが髪を洗い終わるまで待ってやった。
「父の名は何という」
「本間与兵衛」
とはっきりした声で言った。
風呂を出て部屋にもどる。
「きれいになったではないか、器量はいいようだな。大きくなったら美しくなる」
まきは、照れたように笑った。だが目だけは光ったままだった。目で笑うのを忘れているのかもしれない。
十三歳だと言ったが、そのわりには体は小さい。肉づきも細い。父本間与兵衛が浪人では、食い物も充分ではなかったのだろう。
夜具が二組敷かれていた。
行くあてはどこにもない、と言った。となれば連れて歩くしかない。考えれば弥介も宿なしだった。実左衛門の所にでも預かってもらうしかない。
「ゆっくり休め」
と言いおいて、弥介は行燈の灯りを消して夜具に横たわった。
一度、夜具に入ったまきは、起き上がって着ているものを脱いで裸になった。そして、弥介の夜具に入って来た。
何をするのかと奇異に思った。まきはかれの胸に顔を埋めると、
「おじさん、してもいいよ」
と言った。
「何をするんだ」
「男と女のこと」
「なにっ」
弥介は、闇《やみ》の中で目を剥いた。
「おじさんなら、お鳥目《ちょうもく》いらない。もう痛くなくなったし」
まきは、手をのばして、かれの股間をさぐった。
「あたい、これを口ですることもできるんだ」
弥介は唸った。
本間与兵衛はこの娘に体を売らせて、飯代を得ていたのか。旅籠の番頭がまきを拒んだのは、その辺のことを知っていたからに違いない。
腹を充《みた》し、風呂に入れてもらって、まきはまきなりに、弥介に何かお返しをしたかったのだろう。かれに与えるものがあるとすれば、じぶんの体しかないと思い込んだようだ。
弥介は、まきの細い体を抱き寄せた。抱きしめれば折れてしまいそうな体だった。
「まき、そんなことは考えなくていい」
「おじさん、あたいが嫌いか」
「嫌いではない。だが、男と女のことをするには、まきはまだ小さい」
垢を落としたせいか、肌はつるつるしていた。だが、指には小さな骨が触れていた。
「このまま眠れ、わしが抱いていてやる」
もう痛くないよ、とまきは言った。すでに男たちに抱かれているのだ。もちろん十三歳では痛かったろう。その痛みだけが記憶に残っている。無惨なことだと思った。
まきは、疲れていたとみえ、すぐに軽い寝息を立てはじめた。弥介が体を離して、そばに横たえると、眠ったままかれに抱きついてくるのだ。あどけない寝顔だった。この齢《とし》で生きることの苦しさを知っている。辛酸を舐めて来たのである。
男の一物を口ですることも知っていると言った。この可愛い唇が男の一物を咥えるのは哀《かな》しい。もっと悲惨な事はこの世には多い。だからといって、まきがその一つだとは考えたくない。このまきが志津だったら、と思うと弥介は慄然《りつぜん》としてくるのだ。
辻《つじ》斬り強盗武士の倣《なら》いという。年端もいかないこの子に春をひさがせるくらいなら、強盗でもやったほうがましだ。本間与兵衛はかなりの使い手だった。なぜそれをやらなかったのか。
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まきは朝飯を驚くほど食った。食い盛りだったのだ。いつも腹を空かしていたのに違いない。
旅籠を出て北国街道を行く。この街道は高田を経て、新潟まで延びている。富山の薬売りと、御金荷の道だった。佐渡の金山で掘られた黄金がこの道を運ばれる。そのために街道は整備され、常に手入れはされていたが、険路であることには変わりはない。
まきは喋った。弥介が斬った浪人は本間与兵衛ではないと。まきの父親は病死した。そのために仲間の浪人に拾われたのだという。
そうだったのか、と安堵めいたものがあった。だからといって肩の荷が下りたわけではなかった。
街道は、海野、上田、中ノ条、坂城《さかき》、戸倉、屋代《やしろ》、丹波島、善光寺と宿場が続いている。
もちろん、御金荷はいつも通るわけではないし、薬売りの姿もなかった。
まきは元気に歩いた。道端の野花を摘んで髪にさし、弥介を振り向いて笑いかける。その目には媚《こび》があった。
斬り合いに、まきを巻き込みたくない。そう思うだけに弥介は神経を張りつめていた。
前方に浪人の姿があった。かすかな蕀のある空気を肌に感じていた。
「まき、どこかに隠れていろ」
まきの体が、びくんとなった。そして、夏草の中にとび込むと、姿が見えなくなった。弥介は、浪人が近づくのを待った。
三十すぎと見える浪人は、そこいらの浪人と同じようにぼろをまとっていた。腰には長刀が一振りだけ。あたりの風景を眺めるような風情で歩いてくる。
弥介は浪人に歩み寄りながら、刀の鯉口を切り刀を抜いていた。先に刀を抜いたほうが斬り合いは有利である。
浪人はできるだけ弥介を見ないようにして歩いてくる。口には野草の茎など咥えていた。だが、体から放出される微弱な殺気が、弥介には見えていた。
柳瀬の渡し場で見た、抜刀術の小柄な浪人を思い出していた。迅速な一閃だった。浪人は何気ない風を装って、左手で刀の鯉口を切り、ふっと弥介を見て、竦《すく》み立った。
弥介が刀を抜いて待っているのを知らなかったのだ。できるだけ斬る相手を見まいとする。
五間の間があった。
「抜いたらどうだ」
「な、なんのことだ」
浪人は狼狽した。おのれの技を見破られた衝撃がそうさせたのだ。
「抜かねば、そのまま斬るぞ」
「せ、拙者はなにも……」
「鯉口を切っておる」
まきを連れていた浪人は、弥介に斬られた瞬間、まさか、と呟いていた。おのれが斬られたのが信じられなかったのだ。この浪人もおのれの技が見破られたのが信じられなかったのに違いない。
もっとも、抜刀術だけが得意技ならば、見破られたときに負けである。だが、抜刀術は一つの技にすぎない。見破られたときも、敵に応じる技はあるはずだ。
弥介は無造作に歩み寄った。浪人は刀柄に手を載せ、ゆっくりと掴みながら腰を落とした。
浪人は、鞘走らせると共に一閃していた。鋭い一閃だったが、構えを立て直そうとしたとき、
「わっ!」
と声をあげた。
右手首が切断されていたのである。浪人には弥介の一閃が見えず、手首を切断された瞬間も気づかなかったようだ。
左手だけで持った刀柄に、右手首がぶら下がって、血を滴らせていた。浪人は一歩退いた。
「誰に頼まれた」
「うぬっ」
「剣を使うものは、おのれの未熟さを知らねばならぬ」
浪人の顔に血の気が失せた。
「血止めをしてやる。命を失わなくてすむ。それとも左手までも失いたいか」
気力もすでに萎《な》えていた。
「わしを、小田丸弥介と知ってのことだな。どうしてわしがわかった」
「その朱塗りの鞘だ」
「なるほど、で、頼み主は誰だ」
「九沢半兵衛」
「なにっ」
弥介のほうが目を剥いた。
「たのむ、血止めをしてくれ」
浪人は片膝をつき、刀を投げ捨てていた。
弥介は、浪人の下げ緒を解き、それを二つに切って、一本を肘《ひじ》の上に巻きつけた。そして棒切れを拾うと、緒の下に差し込み、それをねじり上げた。ねじりあげた棒の先をもう一本の下げ緒で結びつけた。
これで血は止まるはずである。
「九沢半兵衛は、どこにおる」
「善光寺だ」
「わかった。医者に行け」
と言い、一両を浪人の手に握らせ、刀から右手をもぎ取って、鞘にさしてやった。
「かたじけない」
「死ぬなよ」
弥介はまきが潜むあたりにもどりかけた。
「小田丸どの」
と浪人が声をかけた。
「あんたは、九沢半兵衛を知っているようだな」
「むかしの仲間だ。だが、半兵衛ではあるまい。誰かが半兵衛の名を騙《かた》っている」
浪人は、人相風体を喋った。九沢半兵衛に似ていた。
「そやつ、刀を構えるのに妙な形をとる。正眼に構えた刀を水平にする」
「…………」
弥介は中空を見ていた。九沢半兵衛は独特な構えをする。浪人が言った構えはまさに九沢半兵衛の構えだった。
「わかった。上田まで行けば医者もおろう」
浪人は会釈して歩いて行く。
弥介は、まきを呼んだ。
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九沢半兵衛は、弥介の深川のころの朋輩だった。少なくとも、かれはそう思い気を許していた。それが両国橋で、いきなり半兵衛に斬りつけられたのだ。
腹と肩に斬りつけられたが、幸い命だけは取り止めた。内藤新宿でその半兵衛を斬ろうとして、浪人十数人を斬った。半兵衛には逃げられたのだ。
それ以来、半兵衛の名は耳にしていない。左柄次郎左衛門も知らないと言った。その半兵衛が、弥介を狙っているとは!
大岡越前は、「九沢半兵衛と申す浪人は、おまえが怖ろしいと言ったそうだ」と言った。内藤新宿で、半兵衛は、「おまえの首に賞金がかかっている」と言った。
飯屋に、まきを連れて入っていた。戸倉宿だった。千曲川《ちくまがわ》沿いにある宿場で、温泉が出た。そのために湯治客が多い。
まきは、飯を掻き込んでいた。
「まさか」
弥介の脳裡《のうり》を何かがよぎった。
善光寺にいるのは、九沢半兵衛本人かもしれないと思い出した。その半兵衛が弥介に刺客を送り込む。しかも、半兵衛はこの北国街道を高田まで弥介が行くことを知っている。なぜだ? その答は一つしかない。
まきは、空《から》になった丼を見ている。食い足りないのだ。弥介は店の亭主を呼んで、飯を持って来させた。その丼飯に味噌汁《みそしる》をぶっかけて胃の中に流し込むのだ。食えるときにたくさん食っておく、という習慣がついているのかもしれない。
「半兵衛の奴《やつ》、越前の走狗になりやがったか」
半兵衛が、弥介の動きをすぐに捉えられるほどの手勢を持っているとは思えない。しかも浪人を雇うには金がなければならない。そんな金を半兵衛が持っているはずはないのだ。
弥介は、内心、まさか、まさか、と呟きながら、酒を呑んでいた。
かれが高田へ行って仏生寺兵衛の身元を確かめたい、と思ったのは気まぐれである。それを知っているのは、倉賀野の実左衛門、左柄次郎左衛門、仁助、お新、それに肥前屋お勢である。
大岡越前でさえ、まだ弥介が高田へ向かったということを知らないはずだ。半兵衛に見張られていたのか、そんなことはない。たしかに江戸を出て常に誰かに見られているような気はしていたが、それが半兵衛であるはずはない。半兵衛の姿は一度も見なかった。
弥介が、五年ぶりだったか九沢半兵衛と会ったのは、今年の二月|初午《はつうま》の日に、大岡越前の屋敷内にある豊川|稲荷《いなり》に参詣《さんけい》しての帰りだった。その夜に与志《よし》と志津が攫われた。
そのころから半兵衛は、越前の走狗ではなかったのか。そう思うと、両国橋で弥介に斬りつけたのもわかる。越前は九沢半兵衛のことを知っていた。
そのときは浪人の中に密偵《いぬ》がいると思っただけだったが、半兵衛じしんが密偵だったのか。越前は、
「使えるものなら犬も狼も使う」
と言った。その言葉がいまはっきりと甦《よみがえ》って来た。半兵衛が犬で、弥介が狼だった。
――怖ろしい男だ。
なにか、大岡越前の怖ろしさの一端がわかって来たような気がした。
「ごちそうさま」
と言って、まきが合掌した。
弥介は、酒を呑みながら、酒の味がしなかった。
九沢半兵衛が越前の走狗ならば、左柄次郎左衛門もわからない。だが、次郎左はしきりに仏生寺にこだわっている。本庄宿で次郎左に出会ったのは偶然ではないのかもしれない。次郎左は、仏生寺を護衛しながらついて来たのではなかったのか。
「気に入らん」
ひとり呟いた。
まきが卓に両肘をつき、手に顎《あご》をのせて弥介を見ていた。あの強い目の光は柔らかくなっていた。
その夜は、屋代宿に宿をとった。善光寺に着いたときには、九沢半兵衛は先行しているに違いない。
まきと一緒に風呂に入り、まきが弥介の背中を流してくれた。まきはその背中に顔を埋めて来たのである。
十三歳、乳房は小さくとがっていた。もちろんはざまに茂りはない。垢を落としたあとのまきの体は、顔、手を除いては白かった。腰の張りもなく、少年のような体つきをしていた。
「九沢半兵衛か」
弥介と違って、半兵衛は大岡越前に人質をとられているわけではない。いつか次郎左が話していた。深川の居酒屋で、次郎左がもと目明しの銀兵衛と喋っているとき入って来た半兵衛は、銀兵衛によそよそしかった。そして、半兵衛の姿を見た銀兵衛はこそこそと逃げるように店を出て行ったという。それっきり、銀兵衛の姿は江戸から消えていた。
銀兵衛も半兵衛もお互いに越前の手先であることを知っていた。それを二人は次郎左に悟られたくなかったのか。
「はっ」
となったとき、弥介の一物は、まきの手に握られて勃え立っていた。
弥介は、あわててその手を振り払った。
まきは流しにうずくまって泣き出した。
「泣くな、泣くことはない」
「だって、あたい、おじさんに何もしてあげられないんだもの」
「そんなこと考えるな」
「だって」
弥介はまきを抱き寄せた。十三歳で男を知っていてもおかしくはない世間だった。
極貧の百姓は、六、七歳で娘を売る。売られる先は、たいてい宿場の旅籠である。そこで七、八年は飼われる。まさに飼われるというにふさわしい生き方だという。肌の色を白くするために陽には当てない。体の骨を細くするために、食事も餓死しない程度に与える。十二、三になると、男客のあつかい方を教える。十四、五になると店に出し、客の相手をさせるのだ。
骨組みが逞《たくま》しくて労働力になるはずの体質の娘たちが、大人になっても半病人のような体で、男客に接するようになる。男たちがそんな華奢《きゃしゃ》な女を好むからだ。
まきは、浪人の娘だった。父本間与兵衛に生計《たつき》を立てる能力はなかった。母|律《りつ》は、食うために体を売った。そのために体をこわして病床についた。そして血を吐いて死んだ。労咳だったようだ。続いて父与兵衛も同じ病いで床についた。与兵衛は、仲間の浪人にまきを売ってくれと頼んだ。
売られたくなかったまきは、じぶんで男を誘ったのだ。まきは母が男を誘い込んで戯れるのを幼いころから見ていて、どうすれば男から金を貰《もら》えるかを知っていたのだ。
幼い手で男の一物を※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]ぎ、わずかの金を貰った。そしてまた一物を口にもした。その男の一人がまきの幼い体を貫いたのである。
激痛に気絶した。その次からは痛みを耐えた。
そのあとは浪人に連れられて旅に出た。旅の途中でも、何人もの男に買われた。そしていつの間にか痛みもなく男の一物を受け入れられるようになっていたのである。
まきは、一言ずつ句切るような喋り方で、そのようなことを語った。
「おじさんの、あたいの口でしてあげたい」
まきは十三歳にして、男の一物のあつかい方を心得ているのだ。哀しい知恵というべきか。
「わしを父上のような者だと思え、父にはそのようなことはすまい」
「おじさんは、父上ではない」
まきは肉の薄い肌をかれの胸に押しつけてくる。
「あたい、おじさんにだったら何でもできる。してあげたい」
まきの双眸が涙で潤んでいた。
「あたい、このままじゃ、おじさんについてはいけない」
「どうしてだ」
「受けた恩は返さねばならないって」
「父上や母上がそう教えたか」
まきは頷いた。
「あたいにお返しできるのは、あたいの体だけ……」
まきは、かれの手をとると、その指をじぶんのはざまに当てた。
「ここに入れて」
「わかった。それでは十年待とう。いや五年でいい、そのときにわしはまきを女として抱こう。それでよかろう」
まきは返事をせずに、弥介の胸に顔を押しつけ、泣きじゃくった。
夕餉《ゆうげ》の膳も何一つ残さずに食べた。飢えていたのだろう。弥介の顔色をうかがいながらもよく食べた。
そして、夜具の中で弥介に抱かれて眠った。安心しきった寝顔だった。可愛かった。五年も経てば、よい娘になるに違いない。
人の一生は生まれによって決まるもののようだ。幸いに弥介は弥兵衛に拾われた。この娘は生まれたときに不幸を背負っていたようだ。母親が男に買われるのを見て育っている。だから、女は体を売れば生きていけるのだという考えを持つに至った。
まきが、小さくて細い指で男の一物を握りしごき、あるいは口にし、そして体に受け入れる。その光景を思い浮かべるとむごい。だが、そうしなければ生きられなかった。
神が、まきにこのような運を与えたのか。
弥介は袂《たもと》をさぐった。そこには三枚の稲荷銭があった。豊川稲荷で妻や娘の除災を願って求めたものである。願いは逆に祟《たた》りとなって現われた。妻と娘は攫われた。もっともいまは豊かな暮らしをしているはずである。妻と娘にはかえって幸福だったのかもしれない。
かれは、いまだこの稲荷銭を持ち歩いている。ただ捨てる気にはなれないだけだった。
弥介は再びまきの寝顔を見た。ひとりぼっちの娘である。おのれで生きていかなければならないのだ。弥介の唇がゆがんだ。体を売る代わりに盗みをせよ、とは言えない。
弥介は異様な感触に目をさまして、思わず呻いた。夜は明けていて、白々しい光が障子から流れ込み、部屋の中を明るくしていた。
まきはかれの腰のあたりに坐り込み、屹立した一物を手にしていたのである。もう一方の手がふぐりを探っていた。まきの体を押しのけようとして思いとどまった。
この娘にも武家の娘としての矜持《きょうじ》があるのだろう。弥介の世話になっているだけでは矜持がゆるさないのだ。
一物を勃起させているおのれに慙愧《ざんき》があった。撫でさすられ、ふぐりを揉まれて快感を覚えていた。
まきは、父の朋友である浪人と旅をして来た。その浪人はまきに体を売らせて、腹を充していた。ひどい奴だ、と思ったが、その思いは変化していた。浪人は、強盗や人斬りをやって、まきの腹を充してやっていたのだろう。それに報いるために、まきはじぶんから旅の男たちを誘ったのに違いない。
弥介に挑んだのも、金のためだったのだ。
弥介の胸に痛みが走り、眉を顰《しか》めた。浪人を斬ったときに、まきを突き放すべきだったのか。
まきは手にしたものの突端《せんたん》に唇を押しつけてきて舌をのばした。そのまきの小さな頭を押しのけた。
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北国街道は、善光寺の先から、二つに分かれている。右の街道は、飯山を経て、新井宿に達する。左の街道は、柏原、野尻、関川、関山、松崎と宿場を経て、新井宿でつながる。どちらも、北国街道だった。
善光寺に着いたが、九沢半兵衛の姿があるわけはなかった。かれは、九沢半兵衛が刺客を放っていることにまだ疑惑を持っていた。半兵衛の名を騙った何者かであって欲しかった。
夏の空気が次第に爽《さわ》やかなものになってくる。
まきは、弥介の前後を走りまわり、まつわりついて、ついてくる。そんな姿はたしかにまだ子供だ。だが、今朝方《けさがた》のまきを思うとなにか羞恥《しゅうち》さえ覚えるのだ。
何人かの浪人や、旅人がすれ違った。その度に弥介は緊張した。ひとりであれば、それほど気を遣わなくてもすむ。まきが人質にとられるのが怖ろしいのだ。
まきが、人質にとられれば、刀を投げ出せるか、自信がない。あるいは見殺しにしてしまうのか、と思うと、気が重い。
こうなると、高田の城下に行くのはどうでもいいように思えてくる。仏生寺兵衛が何者であろうと、弥介には関りはない。だが、足は高田へ向かって歩いている。
前方から、二人連れの浪人がやってくる。充分に気を配った。まきを手もとに引き寄せた。
二人の浪人は、弥介をちらりと見たが、そのまますれ違った。ただの浪人だったのだ。
まきをどこかに金を渡して預けようか、とも思ったが、引きとってくれる家などない。あるとすれば、旅籠に渡すくらいだろう。するとまきには自由がなくなる。飯盛り女として将来が決まってしまう。
街道から少し離れた森に寺を見つけ、和尚《おしょう》にまきを預けようと頼んだ。和尚は預かる、と言ったが、まきがいやだと言った。その寺の和尚だって信用できるわけではない。
そのときからまきの様子が少し変わった。妙におとなしくなったのだ。
「あたい、おじさんと別れるのはいや」
と言ったのだ。光の強い目で弥介を見た。
「まきを売るわけではない」
「あたい、足手まといにはならない」
「わかった」
柏原宿に足を止めた。次の宿場は野尻、つまり野尻峠を越えなければならない。高田の城下は、もうそれほど遠くないところにある。
風呂で汗を流し、夕餉の膳についた。まきの食べる量が少なかった。
「どうした、もっと食え、飯は余している」
まきは首を振った。まきを寺に預かってくれるように頼んだのが気に食わないのだろう。
「機嫌が悪いな」
弥介は、二合入りの銚子を空にした。酒を呑むかれを、まきがちらちらと盗視しているのはわかっていた。
行燈の灯りを消して夜具に入ったが、まきはかれの夜具に入って来なかった。女は少女でもあつかいにくい。拗《す》ねているのか、男にはわかりにくい。
もう眠ったのかと思ったが、寝息は聞こえて来ない。闇の中で、あの煌《ひか》る目で、じっと見つめているような気がしていた。
弥介がふと眠気に誘われたとき、空気が動いた。そして、まきがもぐり込み、かれに抱きついて来たのだ。
しばらく抱きついていて、かれの手をとると、じぶんのはざまに誘ったのである。
「あたいに、して」
弥介は黙った。
「おじさんは、今朝、あたいのすることを、いやがった」
「いやがったわけではない」
「あたいにしてくれないと、明日、別れる」
「なに?」
「あたいが邪魔なんだね。あたいが嫌いなんだよね」
「そうじゃない。まきはまだ子供だ」
「だけど、あたいの体は、男のひとをたのしませることができる」
「押し売りはいかんな」
そう言って、しまった、と思ったが、遅かった。まきは、身を翻すようにして、自分の夜具にもどったのである。押し売りという言葉はよくなかった。これまで、まきはじぶんの体を売って生きて来たのだ。
このままでは、まきは弥介のそばを去る。どこかへ消えてしまうに違いない。そうは思うがまきの要求に応ずるわけにはいかないのだ。
まきが、弥介を離れたらどうなるのか。十三歳の少女が一人で生きていけるほど、世の中は甘くないのだ。いずれは、攫われてどこかに売られるか、殺されるかだろう。
そう考えはじめると眠れるわけがない。弥介は、起き上がり手をのばして、まきの体を抱き寄せた。まきの体が釣りあげたばかりの鮎《あゆ》のように撥《は》ね躍った。
「わしの言うことを聞け」
「いやだ」
十三歳の娘をどうあつかっていいのか、弥介は困惑した。
暴れる細い体を両腕で抱きかかえたが、体をくねらせて腕から逃れようとする。
「じっとしていろ、話して聞かせることがある」
そう言っても静まろうとしない。弥介にはこの娘をどうあつかっていいのかわからないのだ。小娘でも女を主張している。肥前屋お勢の女の意地とどこか共通するものがあるのだろう。
「放して、もういいよ、もういいよ」
と暴れる。
女は男にとっては、あっかいにくいものである。弥介にはまきを納得させる方法がなかった。唯一方法があるとすれば、まきと体を繋ぐことだろうが、それはできない相談だった。もちろん、交媾しようと思えばできないことではない。まきの体はすでに男を受け入れているのだから。
「おじさんなんか、嫌い!」
嫌われてもいい。まきが安全で、生きていてくれればいいのだ。
「おじさんにも、まきのような娘がいる。だから、まきと男と女のことはできないんだ」
「だから、もういいのよ」
腕の中で、まきの体が嫋《しな》やかにくねる。
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北国街道は、千曲川から分かれた荒川沿いに延びていた。
左手に赤倉山、妙高山、火打山を望み、右手は斑尾《まだらお》山、三方《みかた》ヶ山など頸城《くびき》丘陵が遠望できた。つまり、北国街道は、谷間に作られた道である。それだけに蛇行している。
弥介には、まきを連れて歩きながら、なにか予感めいたものがあった。勘というやつである。その勘はしきりに危険を訴えている。
このまま、高田へ行くのを諦めて、倉賀野へもどれと、勘が告げている。もっとも引き返せば安全とは限らないが、進むよりも安全なのはわかっていた。
それでも、弥介は踵《きびす》をかえすことを拒んだ。越前の鼻をあかしてやらなければならない。越前の走狗であることには、我慢がならなかった。
柏原宿を発《た》って、道幅が急に狭くなったような気がした。深い荒川の渓流があり、視界が広がらない。
まきは、弥介の五間ほど後を歩いていた。昨日までの元気がない。抱いてやるべきだったのかという思いがあるが、いかに女に飢えていても、まきを抱くわけにはいかなかったのだ。それはあと五年経てばわかることだろうが、問題はいまである。
弥介のもとから去れば、それはそれで仕方がない、と思ったが、まきは後からついて来ていた。
一人の浪人がすれ違った。風に蕀はなく和んでいた。それで気を赦《ゆる》したわけではない。神経は張りつめていた。どこでどのように襲われるかもわからないのだ。
道はその先で曲がっていた。左側は深い谷になっていて、右側は屏風《びょうぶ》を立てたような崖《がけ》が屹立していた。
弥介一人ならば、むしろ戦いやすい。だがまきがいる。手枷足枷《てかせあしかせ》になるかもしれない。
右曲した道を曲がったところで、弥介は、道端に三人の浪人が坐り込んでいるのを見た。三人が、それぞれに首をねじ向けて弥介を見た。その三人の周辺だけに、陽炎《かげろう》を見たのだ。殺気である。
弥介は眉を顰め、まきに、
「隠れろ」
と言っていた。だが、隠れる場所などない。まきは、いま来た道を走り去った。まきの姿が曲がり道に消えるのを待って、歩き出した。だが、三人はかれの姿を見ているだけで立とうとはしない。
三人の浪人は、それぞれ荒《すさ》んだ顔をしていて険相だった。ただの浪人ではない。そのとき、弥介はまきを手元から離すべきではなかったのではないか、と思った。さきほどすれ違った浪人が気になった。
弥介は三人の五間ほど手前で足を止めた。まきが一緒なら黙って通る。もっとも黙って通してくれるわけはないのだろうが。三人が立ち上がるのを待った。
「おじさん」
まきの声に振り向いた。そこにまきの姿があった。そのまきの体をさきほどの浪人が抱き止め、抜いた刀刃をまきの首筋に当てていたのである。
危惧《きぐ》が現実のものになった。
勘が当たってしまった。勘の通りに動けばよかったのだ。悔んでもはじまらない。弥介は刀を抜いて右手に持った。
そのときになって、三人の浪人はおもむろに立ち上がったのだ。
後ろから来た浪人は、七、八間のところで、足を止めた。刃がまきの細い首に当てられている。だが、まきは、弥介の腕を信じきっているのか、目に怯《おび》えも慄《おのの》きもなかった。
三人組が、ゆっくりと間をつめてくる。弥介は、どうする、と自問した。刀を投げ捨てて、浪人たちに斬り刻まれて果てるか。
「おまえらは、子供を人質にしなければ、わしを討てんのか」
「そうだったな」
と三人組の一人が笑った。
「おい、子供は放してやれ。子供を楯にしては、われらの名がすたる」
「子供は返してやろう」
後ろの浪人が言った。その浪人は刃をまきの咽笛《のどぶえ》に当てたまま、細い肩を押したのである。
「まて!」
と叫んだが遅かった。
肩を突かれて、前に二、三歩歩いたまきの首からは、血がほとばしっていた。咽笛がぱっくり口を開いていたのだ。
「おのれ」
弥介は目を剥いて、その浪人に向かって走っていた。まきはよろめきながら、弥介に抱きついていた。そして、そのままずるずると膝を折って、うつぶしていた。まきの唇が動いたが、声にはならなかった。
「おのれら、子供まで殺すのか」
弥介は、まきを跨いで、一人の浪人に迫った。その浪人があわてて刀を上段に振りかぶるのを見て、弥介の刀刃が、高い位置で水平に閃《ひらめ》いた。
浪人が声をあげてのけぞったとき、かれは浪人の背後に立っていた。肋骨と肋骨の間を刃は裂いていた。
左腕から鮮血を噴き出させながら、よろめいた。その腰を蹴った。浪人が谷底へ向かって落ちていくのに一瞥《いちべつ》をくれておいて、刃を三人に向けていた。
「おのれら!」
三人は、刃を並べ、唇をゆがめて笑っていた。かれの腸《はらわた》は煮えくり返っていた。だがここでいきり立てば、三人の餌食《えじき》になる。調息した。
四人の目的は、弥介を逆上させることにあったようだ。調息の術は心得ていた。息を二十回ほどにちぎって吐き切り、そしてゆっくりと吸い込むのだ。これを三回くり返せば、もとの呼吸になる。
道は狭い。先に背後の一人を斬り捨てた。仲間が四人だけなら背後に回られる心配はない。前面の敵ならば、どのようにも応じる術がある。
三人の中央の一人が一歩前に出て、腰をかがめて姿勢を低くした。双眸だけがまがまがしい。むかしはそれなりの武士であったのだろうが、いまは獰猛《どうもう》な野良犬と化していた。飢えた山犬か。
低く構えた刀刃を後ろに引いた。道場剣法には、このような構えはない。自得した剣だろう。それに対して、弥介は刀刃を峯《みね》にかえした。
弥介の体内は殺気で充満している。浪人の後ろに引いた刀刃が閃いた。かれの腹のあたりを流れた、と同時に、弥介が動いていた。
切っ先三寸のあたりで、浪人の脳天を叩いていた。骨が砕ける手ごたえがあった。刀を斬るだけのものと考えれば、刃がこぼれ、脂で滑る。峯で打てば骨を折ることもできる。
四十人ほどを斬って、弥介はそのことを知った。
その浪人は目を剥いた。剥いたのではなく眼球がとび出していた。次の浪人が、その浪人の腰を蹴った。邪魔だったのだ。一人目の浪人と同じように谷底に墜落していく。
「小田丸弥介、おまえの噂《うわさ》は聞いていた。噂にたがわぬ技のようだな」
三人目の浪人は、弥介と同じほどの背丈があった。手にした刃も並の刀ではなく幅の広い重たげなものである。胴太貫《どうたぬき》という重い刀がある。それに似ていた。刃を打ち合えば、並の刀は折れてしまう。
たしかに浪人は、打ち合いを狙って、打ち込んでくる。弥介はわずかに退いた。怖ろしげな刃鳴りである。
剣には残心というものがある。一閃したあとの構えである。一振りして構えが崩れればそこに隙が生ずる。その隙につけ込まれるのだ。その浪人には残心の心得があった。一閃は腰のあたりで止まっていた。
そこにつけ込めば、腹を抉《えぐ》られることになる。
弥介は、次の一閃を待たず、下げた刀をそのまま振りあげた。上から斬り下げるのと、下から斬り上げるのと、同じ速度の力がなければならない。切っ先が相手の頻を掠《かす》めた。
浪人が目を剥き唸った。
重い刃を肩の上まで振りあげ、一歩を踏み込んで斬り込んで来た。必殺の一閃である。風が鳴って、弥介の胸のあたりを掠った。
その刹那《せつな》!
弥介は存分に腰を落とし、相手の左肩を斬り下げた。その一閃には憤怒がこめられていた。浪人の肩から胸下まで、傷がぱっくりと口を開き、血は噴出せず、水桶《みずおけ》をかぶったように、胸から下が血に染まった。
浪人は、目を剥いて弥介を見ていた。すでに体は動くわけがなかった。口を大きく開き、何かを叫んだが、声にはならない。口の中も鮮血に染まっていたのである。
目に、光が次第に薄れていく。血走った目は、すでに死人のものだった。そいつが、ごろりと横たわるのを見たときには、刀刃は四人目に向けられていた。
四人目の浪人は、三歩後ろに下がり、刀を正眼に構えていた。痩身《そうしん》の浪人で背が高い。そして刀の長さは三尺を超えて見えた。
「なるほど、越前が見込んだだけのことはある」
「九沢半兵衛がそう言うたか」
三人を斬って、弥介の呼吸は乱れていなかった。息があがっていれば、言葉は吐かない。
「公儀の犬め」
「半兵衛も、越前の犬に堕《お》ちたようだな」
「なにっ」
弥介は、相手の刀刃の長さを目で測っていた。その長さを間違えると、おのれの肉を裂かれることになる。かれの刀刃は二尺八寸二分。三尺を超えていれば、三寸ほどの差がある。切っ先三寸あれば、充分に肉を裂ける。
弥介は、脇差を抜いた。それを見て、浪人は一閃した。かれは一歩退き、脇差を浪人の顔に向けて投げた。
チン、と脇差のはねられる音を聞いたとき、弥介は一気に間をつめていた。かれの刃は、浪人の首筋にぴたりと当てられていた。
浪人は、顔をゆがめた。
「負けだな」
浪人の手から、刀が落ちて転がった。
「なぜ、子供まで殺さねばならなかった」
「殺せ!」
「聞いても無駄なようだな」
弥介は、首筋に当てた刃を、ゆっくり押した。
ぷつん、と小さな音がして、血管が裂け、鮮血が音をたてて噴き出した。
「半兵衛が、越前の犬とはまことか」
枯れた声で言った。
「そのようだな、わしに斬らせるために、腕の立つ浪人を雇い、関八州から骨のある浪人を消そうとしている」
「おのれ、半兵衛」
半分は、弥介の耳には入らなかった。
浪人はよろめき、おのれから谷に身を投げたのである。
弥介は、まきの体を抱きかかえると、関川宿まで足を運び、寺に葬《とむら》いを頼み、永代供養料を納めた。
再びこの寺を訪れることはあるまいが、寺の名だけは記憶した。九品寺《くぼんじ》といった。
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越後・高田の城下町は、町の中央に田圃《たんぼ》のあるおかしな町になっていた。この高田は、徳川幕府二百六十年の間に、藩主が何回も代わっていた。
享保《きょうほう》のころは、松平|越中守《えっちゅうのかみ》だが、その前に小田原城主|稲葉《いなば》丹後守《たんごのかみ》が高田に転封されたときに、城郭をせばめ、武家屋敷を整理して開墾させた。そのために城下町の真ん中に田圃がある町になってしまった。
松平家も、伊勢桑名から高田に転封されたもので、家禄は十一万三千石、いまは、三代目の定輝《さだよし》の治世になっていた。
越後諸藩のうちでも、高田藩の松平家は、徳川家と親戚《しんせき》関係にあるので、格式だけは、優位にあったが、領地はわずか十一万石、加えて痩地《そうち》であった。伊勢桑名の温暖の地に比べると、寒さの厳しい土地で、はじめから、松平家は転地を公儀に願い出ていたのである。
以前は、高田領であった刈羽《かりわ》郡と頸城《くびき》郡はいまは天領となっている。
示現《じげん》は、この高田の城下町に入っていた。小田丸弥介が、高田に来ることを知ったからである。手先の清七とは別れていた。
示現の手先十人は、関八州で浪人の動きを追っている。
もちろん関八州は上野国《こうずけのくに》までである。越後は管轄外ということになるが、示現たちは八州の外へも動くのだ。
示現にとって、高田ははじめての土地ではなかった。町を歩いて、古い居酒屋に入った。ひっそりとした重苦しい店である。店の亭主は示現の顔を覚えていて、そのまま、奥座敷に案内し、酒肴《しゅこう》を運んだのである。
「亭主、騒動はすんだかな」
「はい、どうやらけりはついたもののようでございます」
短く答えて、亭主は退った。六十をすぎた老爺《ろうや》だった。示現は横になった。体を休めるためである。また横になるのが好きな男だった。
城下の士《さむらい》たちは、どこか殺気立っていた。それが活気ともなっているのだ。
坐《すわ》り直しては、酒を盃《さかずき》に注ぎ口に運ぶ。小田丸弥介が何のために高田に来るのかは知らない。だが、清七をはじめ手先の者たちから、情報は入っている。
仏生寺《ぶっしょうじ》兵衛《ひょうえ》という者が、首をこの高田に運び込もうとしている。その首は仇討《あだう》ちの首だという。首の主は青木平三郎。仏生寺も青木も高田藩の者である。
その平三郎の首を奪おうとしている者がいる。肥前屋お勢《せい》という美女だという。もっとも、示現はそのお勢なる女に会ってはいない。
仏生寺兵衛は、お勢の刺客によって傷つき倉賀野宿で傷養生していると聞いた。だが、小田丸弥介が何のためにこの高田にやってくるのか、わからない。小田丸を高田に入れまいとする者があって、かれがすでに七、八人の浪人を斬《き》ったことも示現の耳に入っている。
示現は旅の疲れもあって、うつらうつらとまどろみはじめた。
しばらく経って、人の気配に目を醒《さ》ますと、坐り直した。入って来たのは、伊左次という男だった。示現の手先の一人である。まだ三十前の男で、この男も江戸で目明しをしていた。
「お頭《かしら》、どうもおかしいんで」
「何が」
「仏生寺家も、青木家もわからねえんで。青木という家は二軒ありやしたが、仇討ちには関《かかわ》りないようで」
「もう十五年もむかしのことだからな」
「でも、仇討ちならば、そんなに数多い話じゃねえ」
「騒動で、それどころじゃないのだろう。して、小田丸の動きは?」
「へえ、明日あたりこの城下に入るようで」
「まあ、急ぐことじゃない。ゆっくりやれ」
仏生寺家も青木家も、山奉行配下だったという。調べてわからないというのはおかしい。仏生寺兵衛が江戸で父の仇《かたき》青木平三郎を討ったことは、江戸の高田藩邸にまず知らせが入っているはずである。そのことは、すぐに高田藩庁に連絡されていなければならない。
もっとも、仏生寺兵衛は、藩庁に平三郎の首を届け、その首が青木平三郎の首と認められるまでは、浪人なのだ。藩士が仏生寺を援護することはできない。
藩士たちは殺気立っている。それも示現は知っている。
頸城騒動が起こったのが一年前である。
公儀は享保の改革の一環として、農民に耕地を確保させるために、質地条目を公布した。その趣旨は、百姓が借金のために質入れした田地を質流れにしないようにし、農作に励まさせることが目的だった。
ところが、吉岡村の百姓市兵衛らが、条目を故意に曲解した。
つまり「すでに質流れになった田畑でも、借金を返さなくても取りもどすことができ、現に質入れしている田畑も、農作物を作って年貢さえ払えば、借金を払わなくてすむ」と。
市兵衛らは、何も知らない百姓たちを煽動《せんどう》して回ったのである。
これには、田畑を質にとった高利貸したちがあわてた。
頸城郡の各地で、百姓による田畑の強奪がはじまったのである。
何度か、高利貸しと百姓たちの間で、江戸訴訟がくり返されたが、決着がつかず、百五十ヵ村数千人の暴徒が発生した。
こうなっては、天領の代官の手には負えない。このとき、示現ら大岡越前の手先も動いた。主謀者探しである。その首領が市兵衛ら七人であることを探し出したのは、示現たちだった。
暴徒を抑えきれなくて、公儀は高田藩に騒動の鎮圧を命じた。藩主松平越中守定輝は、即刻、厳格に、暴徒を一網打尽にした。捕らえたのは、百姓三百余名だといわれている。
その三百余名のうち、百六人が、城内の牢《ろう》に閉じ込められている。その刑が決まるのは、ここ数日のことと聞いた。
「百姓は生かさず殺さず」の家康の思想はそのままずっと生きていた。百姓が勝手な真似《まね》をすると、公儀は厳しい弾圧を加える。
もっとも、頸城騒動について、すでに示現は関りなかった。傍観者であったのだ。
泰平の世に、たとえ百姓相手でも、藩士たちは出陣した。その興奮がいまだ続いているのだ。興奮はなかなか静まる気配がない。藩士たちの野性の部分が暴動鎮圧によって刺激された。
伊左次を去らせて、示現は再び横になった。快い疲れの中で、股間《こかん》が妙に疼《うず》くのを覚えた。そうなると、どうしても江戸の由紀の裸身を思い出してしまう。
女がやって来て、行燈《あんどん》に火を入れる。示現は、女の着物の裾《すそ》を引っぱり、よろけるのを抱き寄せた。この居酒屋の酌女である。この店の亭主の遠縁の女と聞いていた。
「示現さま」
女は、わずかに抗《あらが》って力を抜いた。半年前にこの高田に来たときも、この女を抱いた。名を甲《こう》という。まだ二十四、五だろう。出もどりと聞いていた。嫁して子をなさなかったせいもあるが、もともと淫蕩《いんとう》な体だった。そのために嫁ぎ先を追われた女である。
お甲は、相手によっては春をひさぐ。だが、好みの男でなければ体を開かないと言っていた。
示現は、いきなり衿《えり》を開き、乳房をあらわにし、手に掴《つか》んだ。柔らかい乳房である。乳房を申しわけ程度に揉《も》みしだいておいて、裾から手を入れて、はざまを掴んだ。
容姿、肌ざわり、すべての点で由紀に及ぶべくもなかったが、疼いた体を静めるくらいは、この女でも間に合うのだ。
高田は雪国である。雪国の女は肌がなめらかで柔らかい。色も白い。だが、やや調和に欠ける。胴長なのだ。いま一つ、欠点をいえば、お甲の切れ込みは、やや下つきであった。切れ込みと菊の座が近いのだ。つまり俗に言われる蟻《あり》の戸渡りが短いのである。だから、下品《げぼん》といわれている。
お甲は、じぶんの手で帯を解き、両腿《りょうもも》を高く掲げた。男を上に乗せるのに、体を屈曲しなければ、一物を迎えられないのだ。
示現は、お甲の両腿を肩にかつぎあげて、いきり立った一物を切れ込みに埋没させた。お甲があーっ、と声をあげて男の体にしがみついて、体をゆする。更に示現は、お甲の両腿を右肩にかかえ腿を閉じさせて、出し入れをした。腿を合わせることによって、男を迎える淵《ふち》が狭くなる。それが男の歓びにも通じるし、また女をより刺激することにもなるのだ。
お甲は体を二つに折ったまま、声をあげ、二度三度と気をやり、四度目に示現もまた噴出させていた。
枕紙の用意がなかったが、お甲は二布《ふたの》で一物を拭《ぬぐ》い、そしてじぶんの股間に当て、乱れた姿のまま、去っていった。
示現は、冷えた酒を口に流し込んだ。
「走狗《そうく》か」
小田丸弥介が、越前の走狗ではない、と言ったことにまだこだわり、考え込んでいるのだ。
示現は越前の走狗として、頸城騒動でも働いた。そこに何の疑問も、抵抗もなかった。
示現は、越前に人質を取られているわけではない。また、越前の家臣でもないのだ。かれの血は、たとえ幕臣|取手《とりで》孫九郎の妻の腹を借りたが、願人《がんにん》のものである。
居酒屋が騒々しくなっている。その騒ぎが示現の耳にも入っていた。客が多いのであろう。ときおり女の悲鳴も耳に達する。この店には、お甲と、いまひとり若い酌女がいる。酔客が、酌女の尻でも掴むのか。
越前の走狗でいる間は、食うに困らず、酒を呑み、女を抱く金も出るのだ。空腹を知らないですむということだけでも、恵まれている。
「小田丸弥介を打ち殺せば、おれのこの気は晴れるのか」
少量だが、呑み続けた酒は、じわりじわりと示現の脳を酔わせていた。
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小田丸弥介は、高田城下に入った。町を歩く藩士たちが妙に力んでいるのが、奇怪に思えた。もちろん、弥介は頸城騒動を知らない。
仏生寺兵衛の仏生寺家は山奉行配下と聞いていた。仏生寺家の家禄は藩庁預かりになっているが、その親戚や知人はいるはずである。すぐにわかると思った。
すれ違う藩士たちに、仏生寺家を聞いたが、いずれも首を振った。青木家は二軒あった。十五年前、仏生寺左衛門は城下で青木平三郎に斬られたという。それは城下の話題になったはずである。
それが城下の町人に聞いても、首を傾げるだけである。奇怪であった。
「やはり、越前の企《たくら》みであったか」
越前は、平三郎の首を作りあげた。仏生寺兵衛が抱いている首は、どこかの労咳《ろうがい》浪人の首に違いない。すると仏生寺兵衛も、越前の手の者ということになるし、肥前屋お勢も偽者《にせもの》ということになりそうだ。
仇討ち者と、その首を奪うお勢を作りあげ、お勢に金を与え、仏生寺の首を奪わせるという形をつくる。お勢が金で腕ききの浪人を集めて仏生寺に向かわせる。浪人たちは金に飢えている。当然この罠《わな》にかかり、ごく自然に、斬死《きりじに》していく。
越前ならば、こういう組織を作るのは簡単だろう。その企みに無条件に乗ったのが左柄《さがら》次郎左衛門だった。いまは仁助もこれに乗っている。
だが、越前の企みであるかどうかの手証は何もない。越前は、弥介が仏生寺の身元を調べるとは予想しなかったのだろう。
弥介は、飯屋で午飯《ひるめし》をとって、表へ出たとき、ばったり九沢半兵衛と出会った。
「半兵衛!」
「あっ!」
と声をあげた九沢半兵衛は、一瞬逃げようとしたが、諦《あきら》めたように向き直った。
「弥介、久しぶりだったな」
照れたように笑った。
「やはり、おまえだったか」
「何のことだ?」
弥介は、ゆっくりと刀を抜いた。半兵衛の体がぴくりと震えた。
「半兵衛、おまえはいつから越前の走狗になっていた」
半兵衛を斬る。斬る前に聞いておきたいことがあったのだ。
「いつからだ?」
「そう、赤坂御門の堀端で、おまえに会ったときには、すでに、大岡越前の手先だった。あのときは、豊川|稲荷《いなり》に参詣《さんけい》するためではなく、大岡越前に会うためだった」
「おのれ」
「弥介、おまえとは会いたくなかった」
「深川の仲間を売ったのは、おまえだったのか」
「違う、おれではない」
「わしの妻と娘が攫《さら》われるのを、あのときおまえは知っていたな」
「いや、知らなかった。ほんとだ」
「両国橋では、わしを斬れと越前に言われたか」
「そうだ、百造《ひゃくぞう》の一人にそう言われて迷った」
「迷ったあげくに、わしに斬りつけた」
「そうだ、おれに気を許しているおまえを斬れると思った。だが、仕損じた」
「わかった。半兵衛、抜け」
半兵衛は顔をゆがませて、刀を鞘《さや》ごと抜いて、わきに捨てた。刀が地面に音をたてた。
「刀を把《と》れ」
「いやだな。刀を抜いても、おまえに及ぶわけがない」
「ならば、そのまま斬る」
「仕方あるまい」
弥介は黙した。敵に回ったとは言え、半兵衛は朋友《ほうゆう》だった。朋友だと信じていた弥介が甘かったのかもしれない。その朋友を奪ったのも越前なのだ。
「半兵衛、なぜおまえは、越前の走狗になり下がった?」
「弥介、おまえとて、さして変わりはないぞ」
わしは越前の走狗ではない、と言おうとして、言葉を呑《の》んだ。妻と娘を人質にとられて越前に反抗できないでいる弥介だったのだ。
半兵衛は、急に諸肌《もろはだ》脱ぎになった。そしてくるりと背を向けたのである。
その左肩に、抉《えぐ》られたような刀傷が深い溝を作っていた。息を呑むほどの傷だった。
「越前の内同心に斬られた。越前の目の前でだ。斬っておいて、命が惜しいか、と越前は言った。生きたければ、空腹もなく酒も呑め、女も抱ける。選ぶのはそのほうだ。越前はそう言った。おれの背中には血が流れていた。治療しなければ死ぬ。そばに外道の医師もいた。おれはそのとき死ぬべきだったのだろう。だが、生きることを選んだ。越前の走狗になることを選んだのだ」
「…………」
「おれは武士の矜持《きょうじ》を越前に売ったのだ。その代わり」
「その代わりだと?」
「次郎左だけは、死なせたくないと思うた。次郎左は何も知らんが、おれが越前に頼まなければ、とうに始末されていた」
はじめて聞く話だった。
たしかに、深川の浪人仲間では、弥介、半兵衛、そして左柄次郎左衛門の三人だけが生き残った。弥介はおのれの刀法で生き残った。半兵衛は越前の走狗になって生き残った。左柄次郎左衛門が生き残ったのは偶然ではなかったのだ。
半兵衛にも友情はあったのだ。
「越前のやりそうなことだ」
「だが、いずれは、地獄へ行くであろうことはわかっている。弥介、斬れ」
「言うな、半兵衛。わしが無腰の者を斬れぬことを知って刀を捨てた。そうだろうが」
半兵衛は嗤《わら》った。朋友であった。お互いにお互いの胸中はわかるのだ。
「去れ、半兵衛」
「弥介よ、久しぶりだ、酒でも呑まぬか」
「そんな気にはなれんな」
少女まきの死が、まだ脳裡《のうり》にあった。無惨だった。まきの細くて折れそうな体を抱いた思いもある。
半兵衛は刀を手にとると腰に差し、背を向けた。歩き去ろうとする半兵衛に声をかけた。
「待て、半兵衛」
半兵衛は、足を止めて振り向いた。
弥介はじぶんから、居酒屋を探して入った。薄暗い居酒屋の卓を挟んで坐った。酒が運ばれて来た。肴《さかな》は鰯《いわし》の開きを焙《あぶ》ったものだった。口にするとひどく塩からい。盃を四、五杯干したところで、弥介が口を開いた。
「半兵衛、わしがこの高田に来ることをどうして知った」
「おまえの動きを知らせる者がおる」
もちろん、半兵衛が浪人を金で雇うのは、弥介を斬らせるためではなく、弥介に斬らせるためなのだ。
「弥介、おまえとこうして酒を呑めるとは思わなかった」
しみじみとした口調で言った。半兵衛も淋《さび》しかったのかもしれない。
「半兵衛、平三郎の首、知っているか」
「平三郎の首? 何のことだ?」
「仏生寺兵衛の名は聞いたことないか」
「聞かぬ名だ。そやつ何者だ?」
「やはり」
平三郎の一件を知っているのは、仏生寺とお勢、それに越前のみかもしれない。走狗には知る必要のないことだ。半兵衛が知っているくらいなら、弥介にも知らされているだろう。
半兵衛にそれを隠す必要はない。仏生寺兵衛と肥前屋お勢の一件を手短に喋《しゃべ》った。
半兵衛はしばらく考えていて唸《うな》った。
「それが、大岡越前の策謀だというのか」
「わしはそう考えた。だから、仏生寺の身元を確かめようと思うて、高田までやって来た」
「おまえが高田をめざしている理由は知らなかった」
知らなくて当然かもしれない。越前がおのれが企んだことを、おのれの犬に喋るわけはないのだ。
「次郎左は」
「倉賀野にいる。仏生寺がまだ動けないのでな」
酒が回ったらしく、半兵衛の顔が赤黒くなった。むかしと比べれば、酒も弱くなったようだ。
「弥介、高田の女を買うてみる気はないか」
「ない」
半兵衛は薄く笑った。
「おまえは、昔からそういう男だった」
「半兵衛、どこか体が悪いのではないか」
「わかるか」
さきほどの半兵衛の顔色は悪かった。じぶんに出会ったため、青ざめたのだ、と思ったが、そうではなかったようだ。
「ちと、腹の具合が悪い」
思い出した。
初午《はつうま》の日、久しぶりに半兵衛に会ったときも、ひどく顔色が悪く見えた。病んでいるのか、と思った。
半兵衛は、多くの浪人を斬り、また金を与えて多くの浪人を斬らせた。それを気に病んでいるのか。そんな気の弱い男には見えなかったが。
「どうせ、よい死に方はできまいて、わかっておる」
内藤新宿でも、半兵衛は逃げ出し、多くの浪人を弥介と仁助に殺させている。
大岡越前は、すでに四、五百人の浪人を殺させている。だが直接手を下すわけではないから、気に病むこともない。それに公儀のためという大義名分がある。
そう言えば、弥介にも妻と娘のためという言いわけがあった。だが、半兵衛には何もない。あるのはおのれだけである。何一つとして失うものを持っていない。身軽なだけに、気を病むのかもしれない。
居酒屋の前で別れた。
「また、共に酒を呑めるときがくればよいな」
と半兵衛は背を向けて歩き出した。その背には黒い翳《かげ》りが貼《は》りついているように思えた。
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弥介が歩き出そうとしたとき、
「しばらく」
と声をかけられた。そこには二十七、八と見える武士が立っていた。頭の切れそうな顔つきである。
「拙者は、当藩の徒目付《かちめつけ》、大村俊太郎と申す」
「なにか、わしに?」
「貴公は、仏生寺家を探しておられると聞いたが」
「仏生寺をご存知か」
「案内申そう。仏生寺兵衛の従兄《いとこ》吉沢|嘉兵衛《かへえ》という者がおり申す」
「仏生寺姓は、他にはないのか」
「兵衛の家、一軒だけだった」
それにしても、町の者、藩士たちが知らなかったのは合点がいかない。
「いま一人、兵衛の腹違いの弟がおり申す。次之助と申して、いまは百姓。次之助の母親は、仏生寺家に奉公していた百姓の娘で、左衛門がこの娘に手をつけて産ました子であると聞いている。いま十八だという」
十八歳ならば、次之助三歳のときに、左衛門が青木平三郎に討たれたことになる。兵衛には異母弟になるわけだ。
吉沢嘉兵衛の家は、入り組んだ武家屋敷の奥深い所にあった。大村俊太郎が声をかけると、奥から四十すぎと見える無愛想な男が出て来た。この男が吉沢嘉兵衛だった。
「兵衛のことを聞いてどうなされる」
「仏生寺どのが、仇討ちを成就されたことは」
「聞いている。だが、当藩はそれどころではなかった。頸城騒動でな」
嘉兵衛は居丈高《いたけだか》だった。迷惑そうでもある。
「吉沢どのは、まこと仏生寺どのの従兄か」
嘉兵衛の唇がゆがんだ。
「何か疑ぐっておられるのか」
疑ぐってかかるだけの材料がこちらにあるわけではなかった。弥介は、兵衛が怪我して倉賀野宿に養生していることを告げた。
「わざわざそれを知らせにまいられたのか、ご苦労なことだ」
「一つお聞きしたい。仏生寺家の家紋は」
「三ツ亀甲《きっこう》だが、それがどうかしましたかな」
大村俊太郎は、弥介のそばについていた。弥介は、多くを聞かずに吉沢家を辞した。玄関での立ち話で、嘉兵衛には迷惑そうだった。
もちろん身内の少ない一族というものはあるだろう。それにしても、仏生寺に関りのある者が少なすぎた。
「小田丸どの、ご納得されましたかな。よろしければ、次之助にも会っていただきたいが」
「いや、それには及ばぬ」
大村俊太郎とは別れた。
「下手《へた》な芝居しやがって」
とうそぶいた。なぜ、徒日付の大村俊太郎なる男が出て来なければならなかったのか。すでに、越前の手が回って来たということか。越前も弥介が高田に向かって、仏生寺の身元を調べようとは、予想しなかった。だから急いで手を打った、ということか。
「三ツ亀甲か」
念のためと思って、家紋を聞いた。それに対して、吉沢嘉兵衛は、うろたえねばならなかった。猿芝居であるのならばだ。弥介が何を聞くかは、誰《だれ》にもわかっていない。嘉兵衛が、間をおかずに、三ツ亀甲と言いきったところに、弥介の迷いがあった。
三ツ亀甲はありふれた家紋ではない。
これで高田に来た用は足りた。これ以上、高田にとどまる用はない。青木平三郎の住居はあるまい。一家離散しているか。探れば探るほど欺《だま》されそうな気がする。
振りむくと、大村俊太郎が会釈した。弥介は見張られていたのか。かれはよそ者である。よそ者には、藩士たちは語りたがらない。だからかれの問いに知らぬで通したのか。
大村俊太郎の出方も唐突だった。弥介は城下の旅籠《はたご》に宿をとった。その宿にも飯盛り女はいた。越後《えちご》の女は肌が白いという。半兵衛が高田の女を抱いてみないかと誘った。あるいは半兵衛は、酒と女で日々を過ごしているのかもしれない。
宿の座敷に通されて、大村俊太郎が、この宿まであとを尾行して来たことは知った。風呂で汗を流して、夕膳《ゆうぜん》に向かった。飯盛り女が、酌をする。膳には二本の銚子がのっていた。もちろん、かれが頼んだものである。
二十二、三と見える若い飯盛りだった。美形というほどではないが、肌はいかにも白そうだ。女は媚《こ》びた目つきでかれを見る。
「手酌でやる、去ってよい」
弥介が冷たく言うと、女は顔を膨らまして去っていった。障子が音をたてた。
かれの瞼《まぶた》には、咽笛《のどぶえ》を裂かれて死んだ少女まきの顔があった。飯盛り女に、まきを重ねて見ていた。飯盛り女になっても、生きていたほうがよかったのに違いないのだ。
その夜、弥介はまきの夢を見た。まきは、弥介と出会わなければ死なずにすんだのかもしれないのだ。それがまきの運命だったとしても憐《あわ》れである。まきが、かれの腕の中で泣いていた。
まきが「おじさん、ありがとう」と言った。咽から血を噴いて死ぬ寸前である。その声に眠りから醒めた。
「いましばらく、まきと旅をしたかった」
その思いが、まきを死なせる結果をまねいてしまった。まきを思いながら、再び眠りに吸い込まれていった。
明け六ツに宿を出た。
弥介は、じぶんがなにかむなしいことをしているように思えた。仏生寺兵衛とお勢がどうであろうと、弥介には何の関りもないはずだった。
関りを持ってしまったのは、弥介のほうだった。越前の鼻をあかしてやろうと思った。衒《てら》いだったのか。ただ関八州を旅していれば、それだけでよかった。あるいは、まんまと越前の罠にはまってしまったのかもしれない。
高田城下の出入口に、一人の男が立っていた。
毬栗《いがぐり》頭のあの示現だった。
五尺の棒を手に、ゆるやかな殺気を放っていた。
「小田丸弥介、立ち合ってもらう」
「越前がそう言うたか」
「そう申された」
「なるほど」
間は五間ほどあった。拒んでも示現は棒を使うだろう。棒術というのを弥介は知らない。ただ、示現の持つ棒で打たれれば、骨が砕け、臓腑《ぞうふ》が破れるだろうことはわかっていた。
弥介は、柳瀬《やなせ》の渡しで、示現に声をかけ名を聞いた。名を聞くのが目的ではなかった。棒の長さ、径、そして棒の材質を知るためだった。長さはちょうど五尺と見た。径は一寸足らず、材は櫟《くぬぎ》だった。この棒とどう闘うかは、すでに脳の中にあった。
かれは刀を抜くと、それを右腰に下げて引き寄せた。
示現は棒の中柄《なかつか》を握っていた。中柄を握って振れば、二尺五寸の長さになる。かれの刀刃が二尺八寸二分である。三寸二分の差がある。だが、その棒は、使い方によって、長さが変わる。竜尾を掴んで腕ごと突き出せば六尺にもなるだろう。
「参る」
示現が構え、棒がゆっくりと動き出した。その動きに速度が増す。棒に対して、刀を正眼に構えても役に立たない。たちまち刀刃を折られてしまうに違いないのだ。
殺気も膨れ上がってくる。
弥介は、ただ棒の動きを見ていた。容易には斬りつけられない。払われれば、刀が折れる。千手院《せんじゅいん》村正《むらまさ》の練《きた》えた刀刃は曲がりはしないだろう。折れるだけだ。
棒が唸った。空気を掻《か》きまわすような音だ。棒が伸びて来て、弥介の体を擦過する。棒が伸びる分だけ、弥介は退いていた。退かなければ打たれる。
はじめ北国《ほっこく》街道を行く旅人が足を止めた。そして、次々に人が集まって来て、人垣を作った。
その中には、松平家の家臣もいた。そして、大村俊太郎の姿がその中にあるのを弥介は見ていた。城下町を弥介が出て行くまでは気になるのだろう。
弥介はただ退るだけだった。棒の動きを見つめる。棒の動きには一定の律動があるはずだと弥介は思い、それを見きわめようとしていた。
棒の律動がわからなければ刀の出しようがないのだ。弥介には、飛翔《ひしょう》する蠅《はえ》を両断する目があった。
棒の竜頭と竜尾が、交互に動く、そしてその棒が、急に長くなって頭を狙う。あるいは足を払う。めまぐるしい動きである。
突き出される棒の先が、竜頭か竜尾かわからない。左右同様に出てくる。棒術には右利きも左利きもないことがわかった。右でも左でも同様に打ち、突き、払うのだ。
弥介は、棒が唸る音を聞いた。その音に違いがあった。そして、律動が読めて来た。
棒が足に来た。それを躱《かわ》しておいて、右手の刃をそのまま一閃《いっせん》させた。示現の足が止まった。刀を上に斬り上げ、刀柄に左手を添えて、斬り下げた。
ガチッ!
と音がした。
棒はほぼ中ほどで両断されていた。示現はその棒を両手に持ち、×の字にして、弥介の刃を受けていた。
棒を両断されても、示現は両手の棒を自在に使えるはずである。勝負がついたわけではなかった。
「示現どの、棒を引いてもらいたい」
「小田丸弥介、いずれは決着をつけねばならないようだな」
示現は、そのまま、つつと退くと、大股《おおまた》で歩き去った。
弥次馬が散りはじめた。もちろん、弥次馬には勝負は見えはしない。だが、大村俊太郎だけは、目を大きく見開いたまま動かなかった。
大村俊太郎は、高田藩では屈指の剣士だった。一流の剣士のつもりでいた。藩中でじぶんに及ぶ剣士はいないという自負があった。だが、棒と弥介の刀刃の動きを見て青ざめていた。かれには棒を寸断した弥介の一閃が見えなかったのだ。
弥介は、歩き出した。歩きながら、よろめいた。よろめきを見られたくないと思い、ゆっくりと歩いた。
傍目《はため》には打たれたとは見えなかったが、ふくらはぎを打たれて、すでに腫《は》れ上がっているようだ。折れてはいない。それに左腕、右腕、それに胸を棒に擦過されている。みみず腫れになっているに違いない。
かれは街道を歩き、小さな流れを見つけると、道を外《はず》れ、裸になって、小川に体を浸した。打たれたところを冷やさなければならない。
水は冷たかったが、その冷たさが快かった。
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示現は、居酒屋の奥座敷に坐って酒を呑んでいた。お甲が酌をする。
「示現さん、顔色が悪いけど、どうなさったんです」
示現は答えなかった。
かれは、小田丸弥介を甘く見ていたわけではない。おのれの棒に対して、小田丸は退るだけだった。方法がなかったのだ。刀刃で応じれば、棒で折る。折った次の刹那《せつな》には相手の頭蓋骨《ずがいこつ》を砕いているはずだった。
示現は、呻《うめ》いた。
小田丸の、下から擦り上げるような一閃が見えなかった。あわてて、棒で受けた。受けたその棒が切断されていた。その一閃を払う余裕がなかったのだ。
だが、次の一閃を、二本の棒で危うく受けていた。そんなはずがない、という思いがあった。
示現は、お甲の手を掴んで引き寄せた。お甲の体が崩れる。
「示現さん、まだ朝ですよ」
「朝でもかまわん」
衿を押し開いて、乳房を掴んだ。
「痛い」
とお甲は身をよじった。その乳房を荒々しく揉みしだいた。そして、裾を大きく捲《まく》りあげた。そこに白い足が腿まであらわになった。
片手で下帯を解くと、そこにある一物を掴み出しておいて、お甲の髷《まげ》を掴むと、おのれの股間に押しつけた。
一物は萎縮《いしゅく》したままだった。淫情があったわけではない。こうしないではいられない何かがあった。お甲は凋《しぼ》んだ一物を口に吸い込んだ。音をたてて吸い、そして口の中で柔らかいそれが転がされる。
「小田丸弥介か」
棒を寸断され、二本の棒で一閃を受けたとき、示現の体に悪寒《おかん》が走った。かつてこのようなことは一度もなかった。凄《すさま》じい一閃だった。剣法にはない刀刃の動きだった。
小田丸弥介と立ち合ってみるがよい、と大岡越前は言った。まこと小田丸弥介の技倆《ぎりょう》を知っていたのか。殺すことになり申す、と示現は言った。
すると、越前は笑いながら、死ねばそれだけの男、と言った。
もちろん、棒を両断されても闘える。だが、棒を両断された衝撃があまりに大きすぎた。
「おれは、小田丸に負けたのか」
棒を引け、と言った。そこに屈辱があった。小田丸弥介は勝ったつもりだったのか。たしかに五尺の棒を使う棒術が、棒をたたっ斬られては負けである。
どうして、下からの一閃が出たのか示現にはわからない。当然、刀は振り下ろすか薙《な》ぐかのどちらかである。下から斬り上げるという剣の流派を知らない。だから、そこに油断があったというわけではない。棒の使い方に隙《すき》が生じたのか。
小田丸弥介が、棒の動きと音を、目と耳で探っていたことは示現にはわからなかった。
一刀流の達人といわれた取手孫九郎でさえ示現の棒を躱しながら、刀を上段から斬りつけた。それを棒で払った。刀刃は折れとんだのだ。
二本の棒で、がちりと刀刃を受け止めた。だが、小田丸の次の一閃がもしあれば、腹か肩を裂かれていたのか。
お甲が顔を上げた。そこに一物は屹立《きつりつ》していたのだ。どうする、上になる? というような目でお甲は示現を見た。かれは、お甲を転がすと、そこに押しつけ、裾を左右に払って、臍《へそ》のあたりまでさらすと、腿を割った。
切れ込みは、すでに潤んでいた。ゆるんだ切れ込みが、まるで生きもののように、蠢動《しゅんどう》した。指が荒々しく切れ込みを分け、二指を深みに突き入れた。
「あっ」
とお甲は声をあげた。
「乱暴はいやです」
といいながら、腰をゆする。
かれは両膝《りょうひざ》をお甲の胸に押しつけた。体を二つに折られてはざまがむき出しになった。そこへ、一物を指で支え持って誘い、貫くように埋めたのだ。お甲が声をあげてしがみつき、腰をゆする。切れ込みが下つきのため、膝を折り立て、尻を浮かすという真似はできない。
声を放って気をやった。それを見て、示現はお甲の体をうつぶせにした。それを心得て畳に這《は》った。白い尻をむき出しにしておいて、後ろから貫いた。
「あーっ」
尾を引く声をあげて、尻をゆさぶる。下つきであるために、この形のほうがお甲にはぴったりである。かれは腰を引いては、はざまにぶち当てる。その度にお甲は声をあげる。
示現には安堵《あんど》があった。おのれの一物が立たぬかと思ったのだ。小田丸弥介に怯《おび》えがあれば立たぬ。立てば小田丸に負けたわけではない、と思い、淫気もないのに、お甲を押し倒したのだ。
今度、小田丸弥介と会うときは生死をかけることになる。あの下からの一閃は、小田丸のやぶれかぶれのものだった。開き直りの一閃だったのだとおのれに言い聞かせた。
示現は棒術を極めた。師の大国鬼兵も、示現と対峙《たいじ》して、何本もの棒を折った。鬼兵の棒は径七分、打ち合えば、細い棒が折れる。師をしのいだ。そのことだけで、敵する者はいないと自惚《うぬぼ》れていた。自惚れではない。実力なのだ。そのために十年をかけたのだ。
お甲は何度か声をあげ、尻を振り、ついには、両手両足の力が失せ、うつぶせに這っていた。それでも示現の一物は、お甲の体の中にあって息づいていた。
「もう、死ぬ」
お甲は叫んだ。下つきのため、繋《つな》いだ部分は外れないのだ。
示現はお甲の腹に両腕を回して抱き上げた。かれは胡坐《あぐら》をかき、お甲は、男の膝を跨《また》いで、背中から交わっている形になった。両腿を裂けるほどに拡げられている。お甲は両乳房を男の両手で掴まれて呻いた。乳房がもがれてしまいそうな痛みがあった。だが、その痛みが歓びに変わっていく。
乳房を掴んでいた片手がはざまにのびて来て、指先が木の芽のような肉の突起を擦《こす》った。
「あー」
お甲は声をあげて、体を強直させてこきざみに震えた。その瞬間、示現がしたたかに精汁を放った。お甲は再び叫んだ。
体を離して、お甲は二布をはざまに当て、体を曲げて男の股間に顔を埋め、力なくうなだれた一物を口に吸いとり清めはじめた。
精汁を放った、そのときから、示現は怯えを覚えはじめた。
一度は自信を取りもどした示現だったが、小田丸の一閃が脳裡から離れないのだ。
かれは、お甲の髷を掴むと、股間から引き離し、
「酒を持って来い」
と怒鳴っていた。お甲はそそくさと去る。
「おれが、なぜ、小田丸に怯えるのか」
体の中で、これまでの自負が崩れた。棒を切断されたときに、何かが壊れた。径九分の、しかも櫟の棒である。たとえ、一閃を受けたとしても両断されるはずはなかった。
「まだ、未熟だったのか」
夢想権之助こと平野権兵衛は、宮本武蔵と立ち合って敗れたと師鬼兵から聞いた。『二天記』にあるこの話は嘘《うそ》だと鬼兵が言った。平野権兵衛が宮本武蔵に敗れるはずはないと。
だが、いま示現は思う。やはり平野権兵衛は宮本武蔵に敗れたのだと。武蔵に棒を斬り離されたのに違いない。
示現は、叫び出したかった。叫び暴れて醜い姿を見せたくないという自制が働いたが、叫び暴れたほうが、気分が晴れたに違いない。
お甲が銚子を二本運んで来た。熱燗《あつかん》にしてある。その一本の銚子を手にすると、そのまま口をつけた。
「示現さん」
お甲は示現を見つめた。示現のこのような乱れぶりをはじめて目にした。
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倉賀野宿にもどった弥介は、左足を引きずっていた。途中で出会った富山の薬売りから膏薬《こうやく》を買って貼っていたが、痛みは引かないのだ。
倉賀野一家では、左柄次郎左衛門、仁助、それにお新、貸元の実左衛門らが出迎えた。仏生寺兵衛は、もう歩けるようになっている。もう数日したら発《た》てるという。もちろん、以前のような気迫はないし、体力ももどっていない。
それを次郎左と仁助が警護するという。弥介は、仏生寺の部屋を訪れた。そしていきなり聞いた。
「仏生寺さん、あんたの家の紋は?」
仏生寺は訝《いぶか》しむように弥介を見て、
「三ツ亀甲だが、それがどうかしましたか」
「いや、ちょっと気になることがあってな」
仏生寺は、弥介が高田まで行ったことを知っているのかどうか。部屋を出ると、弥介は仁助に聞いた。
「誰か仏生寺に会いに来なかったか」
「さあ、知りませんが」
従兄と称する吉沢嘉兵衛は、仏生寺の家紋を三ツ亀甲と言った。仏生寺兵衛も、ためらいなく同じ答を出した。
お新が、あの猫の目のように光る目で、弥介を見ていた。その目に死んだまきを思い出していた。
部屋にもどって、濡《ぬ》れ縁《えん》に坐って庭に目を向ける。そこに百日紅《さるすべり》の明るい花があった。
弥介は、仏生寺兵衛も肥前屋お勢も、越前の手先だろう、と思っている。だが確証がない。わざわざ高田まで行って知ったことは示現の棒術だけだった。棒術の怖ろしさを知ったが、棒術を破る自信は持った。足を打たれて、示現に引けと言った。
たとえ、二尺五寸の二本の棒をいかに振りまわしても、すでに五尺ではなくなっている。つまり、二尺五寸以上に伸びないということだ。いかに打ち込まれても躱すのは容易だ。だから示現に棒を引けと言った。
あの場合は、浪人たちとの斬り合いとは違っていた。果たし合いである。勝負がついたのに、それ以上闘うことはなかったのだ。
お新が後ろに坐っていた。
「何も変わったことはなかったか」
「どこからか、男が一人、仏生寺さんに会いに来ました」
「まことか」
弥介は振りむいた。
「実左衛門の子分ではありません。同じ博徒のようでしたが」
やはり、と思った。高田藩徒目付と言った大村俊太郎が出した使いなのか。家紋三ツ亀甲を伝えに来たのだろう。仁助はそれに気づかなかった。お新は何かを察して、仏生寺を見張っていたのかもしれない。
次郎左には、九沢半兵衛の一件は伝えなかった。半兵衛は越前の手先となっても、次郎左だけは守った。だから次郎左は消されずに生きている。それを知れば次郎左の矜持が傷つくに違いないのだ。
その夜、お新はやはり、弥介の夜具に這《は》って来た。そして、かれの胸に顔を埋めて来たのである。小さな声で、抱いて、と言った。
衿を開いて乳房を手で包み込むようにして柔らかく揉みしだく。
この夜も、仁助と次郎左は、飯盛りを買いに出かけていた。金は足りている。女も抱けるときに抱いていないと、いつ抱けなくなるか知れないのだ。
実左衛門は、すぐに弥介の千手院村正を預かると研《と》ぎに出した。櫟《くぬぎ》の棒を切断したが、刃こぼれ一つなかった。
「兄《あに》さん」
とお新が言った。そう呼ばれることはうれしくないが、それを拒否はしなかった。
腰紐《こしひも》を解いて素肌を撫《な》でまわし、脇腹《わきばら》のあたりを指で摘《つま》んだりした。
お新は低く呻き声をあげて、肌を擦りつけてくる。熱い肌だった。だが、どうしてもまきを思い出してしまうのだ。
弥介が仰臥《ぎょうが》すると、お新はためらいがちに手をのばして来て一物を手にした。それは膨らんではいるが硬さがなかった。当然、口取りすることになる。
越前の手先には、示現のような男が何人かいることだろう、と思った。あるいはその中におのれをしのぐ技の持ち主がいるだろう。示現は、越前に立ち合えと言われた、と言っていた。立ち合えばどちらかが斃《たお》れることになる。どちらが残るかを、越前はたのしみにしているのかもしれない。
これまでに、越前は、精鋭だけを集めて来たのに違いない。負ける奴には用はないのだ。越前という男には、女郎|蜘蛛《ぐも》を戦わせるような遊びがあるのだと思う。
江戸でも同じだった。手練《てだ》れと手練れを斬り合いさせる。生き残った者には、次の手練れをさし向ける。弥介はそうやって生き残って来た。勝ち残った蜘蛛は可愛《かわい》い。だから首を刎《は》ねなかった。その蜘蛛に次の強い蜘蛛を合わせる。
その予感が弥介にはあった。だから示現とは途中で引き分けた。
お新が、かれの腰を跨いで、一物を切れ込みに誘い込んだ。男の腰を両腿で挟みつけ、勝手に腰を使って喘《あえ》いでいる。
弥介はただ天井を眺め、ときおりお新に応《こた》え、腰を持ち上げていた。
三日後――。
仏生寺兵衛は、倉賀野一家の者たちに送られて発った。仏生寺の左右を次郎左と仁助が、固めていた。一緒に宿場女郎を買いに行き、この二人は息が合ったのかもしれない。
弥介はお新と並んで、三人のあとを歩いた。次郎左は、仏生寺を高田に送り届けることに生き甲斐を見つけたのだ。赤穂《あこう》浪士四十七人のように華々しく死んで名を残すことなど、いまはない。仇討ち者は義士である。それを助けることに命を賭《か》けているのだ。
空は晴れていて暑かった。肩に陽光が染み込んでくる。弥介の足も、三日間休んでどうにか治っていた。
高崎を過ぎた。板鼻宿、安中《あんなか》宿、松井田宿と続く。弥介はお新と共に、仏生寺らとは一丁ほど間を開けて歩いた。もちろん仏生寺が襲われれば、間に合わない。それを知って一丁の間をとったのだ。
弥介には、仏生寺を守る気はなかった。仁助と次郎左二人がどこまで仏生寺を守るかだ。
肥前屋お勢の刺客はまだ現われない。お勢は仏生寺が発ったことは知っているはずだ。お勢が手先を何人使っているかは知らないが。
お新は黙って弥介についてくる。仏生寺らからいくら遅れても彼女は弥介のそばにさえいれば不満はないのだ。
一行は松井田宿で足を止めた。次の坂本と軽井沢の間に碓氷《うすい》峠がある。
弥介は、お新と共に部屋をとった。仏生寺ら三人は一緒のようだ。もちろん仏生寺は首桶《くびおけ》を背負っている。
風呂に入って、夕膳には銚子二本をつけた。お新がうれしそうに酌をする。お新の三味線《しゃみせん》を一度も聞いたことがない。そういうとお新は三味線をかかえて爪弾《つまび》きはじめた。
いい音色である。
その音色を聞きつけてか、次郎左が姿を見せた。
「弥介、どういうつもりだ。仏生寺どのを守らぬつもりか」
「おまえと仁助にまかせる」
次郎左にも仁助にも技がある。二人を同時に相手にできる浪人がいようとは思えない。仁助には礫《つぶて》術、次郎左には目潰《めつぶ》しがある。
次郎左は、おのれの部屋にもどった。
「わしと仁助にまかせると言いおった」
「ようござんす」
と仁助が笑った。
「お二方」
と仏生寺兵衛が二人に言った。
「頼んでおきたいことがある」
「何だ」
「わたしに万一のことがあったら」
「おい、仏生寺、何を言う」
「いや、万一のことがないとは言えぬ」
「左柄さん、聞いておきやしょう」
と仁助が言った。
「わたしが万一のときには、わたしの腹違いの弟次之助というのが、百姓をしている。その次之助をもって仏生寺家を再興していただきたい。高田には、わたしの従兄吉沢嘉兵衛が何もかも承知している」
「わかりやした。憶《おぼ》えておきやしょう」
と言った。あるいはこのとき、仏生寺兵衛は死を予期していたのかもしれない。人はおのれの死を七日ほど前から予知することができると言われている。
「いや、万一はない。おれたちがあんたを守る」
守るのがいかに難しいことかは、次郎左は考えていないようだ。
翌日――。
坂本宿を過ぎ碓氷峠に向かった。
峠に七分というあたりで、森の中から十数本の矢が放たれたのである。刀を抜く余裕もなかった。仁助はどうにか矢を避けた。が、次郎左は右腿に矢を受けていた。
「仏生寺どの」
次郎左が叫んだ。
仏生寺兵衛は首筋を矢で貫かれていた。病み上がりの仏生寺は、体が動かなかった。いや矢のほとんどは仏生寺を狙って放たれたのだ。かれにはその矢を払いのける技がなかった。
矢を放った者たちが、首桶を奪うために襲いかかるものと、仁助と次郎左は待ったが、森は静まったままだった。そこに弥介とお新が駆けつけて来た。
「弥介!」
「わしがいれば、仏生寺は助かった、というのか」
「仏生寺さんは、今日のことを知っておいでになったんですね」
と仁助が、二人を取りもつように言った。人は死ぬときには、あっけないものである。
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高田城下は、異様な興奮に包まれていた。
頸城《くびき》騒動によって捕らえられた百姓百六人に対し藩主松平定輝が判決を下した。
磔《はりつけ》  百姓市兵衛以下   七人
獄門 百姓吉左衛門以下 十一人
死罪 百姓喜兵治以下  十二人
遠島          二十人
田地取上、所払     十九人
過料三貫文      二十八人
百姓百六人のうち、無罪放免が九人、死罪以上が三十人である。
その日のうちに市兵衛らは、刑の執行を受けることになり、高田の南、矢代川《やしろがわ》の今泉河原に竹矢来が組まれた。その矢来の外に、百姓、町人たちがどっと集まった。
この判決までに、高田藩の拷問、病気などで、入牢者百六人のうち五十五人が牢死していた。死者もまた、死罪以上の者は、河原まで運ばれ、生きている者と同じに、磔にされ、首を刎ねられるのである。
生きて牢を出て、家族のもとへ帰ったのはたった二人だった。無罪放免の九人のうち、七人までは牢死していた。死体だけが家族に引き取られたのだ。藩の追及がいかに厳しいものであったかを示していた。
竹矢来の外に集まった群衆の中に、示現の姿があった。
まず、百姓市兵衛以下七人が、十字に作った材木に縛りつけられ、それが立てられる。その七人のうち三人は死人であった。長槍《ながやり》でかれらが突かれるのは最後だった。
死罪、獄門の二十三人が、刑士の手によって首を刎ねられる。二十三人のうち、十一人が死体であった。先に死者の首を刎ねる。そして獄門の者の首は、台に載せられ、晒首《さらしくび》となるのだ。
生きている十二人の者たちの首が刎ねられるときが来て、群衆の中に騒ぎが起こった。叫ぶ者あり、泣く者あり、念仏をとなえる者ありだった。
刑士たちは、刀を抜き、刀刃を水で湿らせておいて、気合いと共に刃を打ち込む。一気に首を刎ねられる者はまだよかった。腕が未熟なせいで、肩や後頭部に刀刃を叩《たた》き込まれたために、百姓は暴れ叫ぶ。その無惨な光景に、百姓や町人は思わず目を閉じていた。
一閃で刎ねきれない首は、刀刃で鋸《のこぎり》のように引き切られる。このほうが百姓を怯えさせるのに充分すぎるほどの効果があった。
「百姓は生かさず殺さず」と家康公は言ったが、公儀に逆らった者はこのように処刑するのだ。
示現は、一人一人が首を斬られ、鋸で引かれるように切り取られるのを、じっと見ていた。みせしめである。これで百姓はおとなしく働くようになる。
これによって、松平家は、公儀に対して手柄を立てたことになる。
大岡越前は、裏で浪人三百人を殺した。だが、江戸の町人商人はこのことを知らず、名奉行と見る。
高田藩では、三十人の百姓が処刑されて、藩主松平定輝に怯えるのだ。怯えは反抗心を閉ざしてしまう。
百姓が一人一人死んでいくのを、示現は見ていた。その中から何かを得ようとしているのだ。
武芸の極意に無念無想ということがある。脳を空っぽにすることだ。小田丸弥介と闘ったとき、示現は恐怖を覚えた。棒を二つに切られたとき、背中を寒気が襲った。
棒術を極めた、と自負があった。これまでに百余人の浪人を棒で殴り殺して来た。そのときには何も考えなかった。無念無想になれている、と思ったのだ。
百姓の死を見つめながら、おのれの未熟さのみが見えていた。大岡越前の笑っている顔が見えていた。
「示現、小田丸弥介には及ぶまい」
越前の声が聞こえる。
百姓が泣きわめいて逃げようとする。髷を掴まれて引きもどされる。肩を斬られて、ギャア、と絶叫する。
斬手はやたらに刃をたたきつける。血が飛び散る。斬手の士《さむらい》も興奮していた。
河原に腥《なまぐさ》い匂いが立ち込める。だが、竹矢来には百姓町人がしがみついていた。
百姓の一人が竹矢来まで逃げて来た。その顔は恐怖にゆがんでいた。主謀者の市兵衛だけは磔の柱に縛りつけられて、平然としていた。
示現は、その市兵衛に目を向けた。死を前にしてうつろになっているのではない。目にはまだ煌《ひか》りがあった。竹矢来にしがみつく人たちをゆっくり眺めまわしている。騒動に失敗した自嘲《じちょう》だけがあるようだ。
示現は、矢来を離れて歩き出した。後に手先の清七と伊左次がついて来た。高田の城下を出て、北国街道を関八州にもどる。三人とも口をきかなかった。空腹であることも忘れていた。飯など胃の腑《ふ》に入るわけはなかった。食えばすぐに吐いてしまいそうだった。
宿場の居酒屋で酒だけを呑んだ。宿場を出たところで、後からやってくる十人ほどの浪人に気づいた。奴らはつけているのだ。少しずつ距離をつめてくる。
「清七、伊左次、先に行け」
「お頭」
「わしにかまうな」
浪人に気づいて、二人は小走りに去る。浪人たちは小走りにやってくる。示現はゆっくり歩いた。
「おい、乞食坊主」
飢えた浪人たちである。もしかしたら示現の懐中にある金を見たのかもしれない。越前から貰《もら》った百両のうち、七十五両は清七と伊左次の手によって、手先に配らせた。まだ二十両ほど残っている。
もっとも、路銀がなくなれば、関八州の各所に都合できる所がある。
「わしは坊主ではない。願人である」
「願人でもよい。懐中の金を出してもらおうか」
十人の浪人は、たかが坊主一人と侮っていた。多勢に無勢ということがある。浪人が十人寄れば、強奪もやる、女を攫う、人を殺す。そういう浪人の群れである。
「くれてやろう」
示現は懐中の財布を路上に投げた。それを拾おうとした浪人の後頭部を棒で叩いた。鈍い音がした。そのときには、一人の浪人の腹を薙ぎ、三人目の浪人の額を打っていた。
四人目が刀を抜きかけた。その手首を打った。
次の瞬間、棒を返して相手の頤《おとがい》を砕いていた。
残った浪人が、やっとそのとき刀を抜いていた。竜頭と竜尾を一瞬の間に打ち払った。棒が風車のように音をたてて回った。
立っている者は二人だった。二人は背を向けて逃げ出した。その背に、倒れた浪人の刀をもぎとって投げた。
そのとき示現も走っていた。逃げた二人のうち、一人は刀刃で胸を貫かれて死んでいた。一人が逃げていた。
「逃げても無駄だ」
その声に、浪人は坐り込み、両手をついた。
「助けてくれ、この通りだ」
手にした刀をとうに捨てていた。
「命が惜しいか」
「死にたくはない、助けてくれ」
示現は手にした五尺棒を、無造作に振り下ろした。浪人の頭がぐしゃっと潰れる音がした。竜頭の三寸あまりの部分を万力という。それだけの重さが、かかるのだ。
立ちもどると、八人の浪人が倒れていた。血反吐《ちへど》を吐いて死んでいるのが四人、あとの四人は呻き悶《もだ》えていた。
生きている一人一人の頭を割って回った。どうせ助からぬ浪人たちである。殺してやるのが功徳というものだろう。
死骸《しがい》の下になっている財布を拾うと、懐中に押し込んだ。
先に清七と伊左次が待っていた。示現は小田丸弥介と立ち合ってから、はっきり変わっていた。清七も伊左次も近づけないほど、荒《すさ》んでいた。それまでは強敵に出会っても悠々としていた示現だったのに。
「清七、伊左次」
「へい」
「わしは、ここでおまえたちと別れる」
「お頭」
「おまえたちは栂尾《とがのお》左内の組に入れ」
「でも、お頭」
「わしは、小田丸弥介に敗れた。そう言うてくれ」
二人は、顔を見合わせた。二人とも示現の変わりように怯えを見せていた。
「早くいけ」
伊左次も清七も、示現の凄じい棒術は知っていた。浪人を棒で打ち殺すのを何度も見た。だが、小田丸弥介だけは殺せなかったのだ。棒が両断されるのを見た。そのときから示現の目がまがまがしい光を持ちはじめたのだ。
二人は、小走りに去っていく。示現は立ってそれを見ていた。天下におのれの棒術に敵するものはいないとの自負があった。自負が崩れて焦燥に変わったのだ。
栂尾左内も、大岡越前に腕を認められた一人である。神道無念流の達人で、その技は卓抜していた。齢《よわい》四十を超え、飄々《ひょうひょう》とした男で、もとは改易になった大名家で武術指南役だったと聞いている。
示現は五尺の棒を片手に歩き出した。小田丸に両断された棒は捨て、新しく棒を作っていた。長さを五尺二寸に伸ばし、径を八分にした。二寸伸びた分だけ、径は一分ほど細くしたのである。材は樫《かし》にした。それで手にした重さはいくらか軽くなっていた。
結局は、棒の長さや太さではなく、おのれの技倆なのだ。それがわかっているだけに示現は鬱々《うつうつ》としていた。
歩きながら、小田丸弥介の構えを思い浮かべた。刀刃を右手に下げて、後ろに引きつけるように構えていた。剣の流派にあのような構えはない。そして、かれがくり出す棒の長さだけ退くのだ。
「見切りの術か」
五尺の棒の長さを心得ている動きだった。何度か棒の先が掠《かす》めたのは知っていた。だが相手の戦力を奪うまでには至らなかった。
刀刃ならば一閃ごとに隙が生ずる。その隙をできるだけ庇《かば》うのが技である。棒術にはその隙がない。竜頭が出た次の瞬間に竜尾が出、中柄を持てば、棒は風車のように回転する。
小田丸弥介は、一歩一歩|退《さが》りながら、棒の動きを読んでいたのか。棒の動きが読めるわけはないと思う。だが、棒の動きを読んでいたとしか考えられないのだ。
一歩一歩退きながら、小田丸弥介は、棒の動きを見つめていた。そして、確かな一閃を下から放った。予想もしない一閃に、かれは狼狽《ろうばい》した。
示現は呻いた。
「わしの棒術が及ばないわけはない」
そう言葉を吐いても焦燥は去らないのだ。
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碓氷峠の山道に倒れた仏生寺兵衛の周りに三人の男がいた。小田丸弥介、左柄次郎左衛門、仁助の三人である。お新は少し離れて立っていた。
「仏生寺は、何か言わなかったか」
「言えなかったろう。首を貫かれては、声も出ない。何かを言いたげに口をぱくぱくはさせていたが」
仏生寺兵衛は、すでに死んでいた。
弥介は、仏生寺が背負っていた首桶の紐を解いて、桶を手にした。
「この首は、わしが貰う」
次郎左と仁助が、弥介を見た。
「弥介!」
「旦那!」
同時に言った。
「この首のことは忘れろ。肥前屋お勢に届けてやる」
「何を言うか弥介。おまえは金が欲しくなったか、それともお勢という女に……」
「わけは、やがてわかる」
弥介は、それだけ言って歩き出した。
「待て、弥介」
追おうとした次郎左を仁助が止めた。ひとりお新だけが弥介のあとを追った。
弥介は足を速めて峠への道を登っていく。歩きながら、首桶を背負った。首桶を奪ったのには、いくつかの理由《わけ》があった。さし当たりの理由は、森林の中にこの首を奪おうとする者がいる、ということだ。次郎左は矢によって傷ついている。
その上に首をそこに置いておけば、再び矢が飛来することになる。次郎左と仁助は、敵を見ずして、矢に射られて死ぬことになる。敵が見えないでは、仁助の礫術も、次郎左の目潰しも役に立たないことになる。
弥介は、森に気を配って歩いた。いつ矢が飛来するかわからないのだ。かれには矢の飛来が見えるし、耳でも聞ける。一度に五本の矢までは払える技を持っている。
一度に六本の矢で狙われれば、そのときは仕方がない。弥介の技は五本までが限度だ。
もっとも、例えば五人の射手が三本ずつの矢を持っていて、次々に弓に矢をつがえるのであれば、十本であろうと二十本であろうと、躱し払いのけることはできる。
後からお新がついてくるのは知っていた。
「もどれ!」
と何度か叫んだが、お新は去る様子がない。殴り倒してでも追い返したかったが、いまはその余裕がない。
いまのところ、森に人の気配はなかった。先行して待ち伏せているものとみえた。おそらく峠あたりだろう。
峠が近づいた。そこに七、八人の人影が見えた。弥介は目を遠くに向け、人数を確かめた。七人いて、そのうちの三人が短弓を手にしていた。
「三人か」
と呟いて弥介は安堵した。三本の矢ならば容易に払える。山賤《やまがつ》には見えない。浪人の集まりだろう。
十間ほどの間をとって、弥介は足を止めた。
「浪人、その背の首桶をそこに置いて立ち去れ。命だけはゆるしてやる」
弥介は、紐を解いて、首桶を近くの木の枝に結びつけた。首を背負っていては動きにくいのだ。首一つと言ってもずしりとした重さがある。
「この首が欲しければ、取ってみるがよい」
弥介は、刀を抜いて右手に持った。
「射殺せ!」
頭らしい浪人が言った。
三人の浪人が短弓に矢をつがえて構える。矢が放たれるのを見ていた。弥介の体に向かってとんでくる。
弥介は動かず、三本の矢を刀刃を峯《みね》にかえして、払いのけていた。次の瞬間、弥介は走っていた。十間の間をたちまち縮めた。飛来した矢の一本を躱し、二本を払った。そのときには、浪人たちのそばまで来ていた。先に弓の者を狙った。弓の弦を切った。
刀刃は唸っていた。不意をつかれて、浪人たちは、あわてふためいていた。胴を抉り、肩を裂いた。刃を浪人の首根に食い込ませた。
残るは四人、斬り伏せるのは軽い、と思ったとき、
「小田丸弥介」
叫び声を耳にした。
首桶を結びつけた木のあたりに、浪人がお新を抱きすくめ、刀の刃をお新の首筋に当てていた。
「小田丸、刀を捨てろ、さもなければ、この女の首を裂く」
弥介は、体の力を抜いた。やはり危惧《きぐ》通りになった。
「これまでだったか」
女は常に災いの因《もと》である。
残った四人の浪人が笑った。
弥介は、浪人に首を裂かれて死んでいった少女まきの姿を思い浮かべていた。お泉が人質にとられて舌を噛《か》んで死んだ。お新に舌を噛めとは言えない。肌を重ねた女である。その女を質にとられては、弥介は闘いようがなかった。
斬りきざまれるのか、そう思って、お新を見たとき、弥介は、おや? と思った。
「刀を捨てろ、首を裂くぞ」
浪人が叫ぶ。
不思議なことに、お新の顔には、恐怖も怯えもなかった。そればかりでなく、お新は弥介に向かって笑いかけたのである。
弥介には、お新の三味線がゆっくり動いているのが見えた。舌を噛んで死ぬ気でないことはわかった。
三味線の棹《さお》が浪人がつきつけている刀刃に触れた。
とたんにお新の体が沈んだと見えたとき、更にお新が躍った。
浪人が叫んだ。わめきながら、刀を一閃させたとき、お新は転んでいた。浪人が心の臓に刃物を突き立てられ、よろめくのを見た。
次の瞬間、弥介は残った三人に向かって、刃を閃《ひらめ》かせていた。
一人一人を斬り裂きながら、お新という女は何者だろうと考えていた。
逃げだした一人の浪人を追って、肩口を深々と裂いた。
四半時(約三十分)後、弥介は、渓流で刀を洗っていた。
お新は、そばに立っていた。
千手院村正はよく斬れた。ほとんど手首に衝撃を受けないで斬れた。刀刃についた脂は、洗ったくらいでは落ちないが、砂石で撫でるように磨ぐと、どうにか再び斬れるようになる。
「お新」
「はい」
「おまえは何者だ?」
「…………」
「あの技はどこで憶えた」
三味線には三本の刃物が仕込まれていた。体を翻した技はただの女ではなかった。千枚通しに似た刃物は、浪人の心の臓を確かに貫いていたのだ。
「兄《あに》さん」
とお新が言った。
「わたしは、殺し稼業の者です。江戸は麻布《あざぶ》の長谷寺《ちょうこくじ》で会った阿比古《あびこ》兵馬《ひょうま》という浪人を憶えていますか」
弥介は思い出した。殺し稼業の浪人阿比古兵馬は、どす黒い凄惨《せいさん》な顔をしていた。長谷寺そばの蕎麦《そば》屋で酒を呑んで別れた。弥介はこの浪人を斬る気になれなかった。それを恩に着た阿比古は、内藤新宿での浪人の群れとの乱闘の中で、弥介に味方して斬死した。
「わたしは阿比古兵馬の妹です。兄からよくあなたの名は聞かされました。技は兄が教えてくれたものです」
弥介は唸った。女の身で、殺し稼業をやっていたとは。それなりの事情があったのだろう。殺し稼業では、男よりも女のほうが、殺す相手に近づきやすい。隙を見て刺し殺す。そういう技をお新は心得ているのだ。
「だが、おまえはわしに、父の名は小田丸姓だと言うたぞ」
「方便でした」
お新は頭をたれた。はじめて会ったときにお新は猫の目のようによく光る目を弥介に向けていた。この目の煌りが、いまやっとわかったような気がした。
「江戸の詮議《せんぎ》が厳しくなって旅に出たか」
「はい」
弥介は、お新に何か教えられたような気がした。技は秘してはじめて威力を持つものである。弥介はお新の殺しの技を予想さえしなかった。
「江戸で人を何人殺した」
「十八人です」
とても殺し稼業の女とは見えない。
技は秘さなければならない。生きのびるためには。弥介は、宮本武蔵という刀法の達人を知っている。
宮本武蔵は、左利きであったと父弥兵衛に聞いたことがあった。父弥兵衛は九州の生まれである。宮本武蔵の伝説をよく耳にしたと思えた。
武蔵が左利きであったことは『二天記』にも『五輪書』にも見ることができない。武蔵は書画をよくした。武蔵の自画像と見える絵には、右手に長刀を、左手に脇差風のものを握っている。父弥兵衛は、この自画像に、武蔵が左利きであることを見破ったと言っていた。剣の法からいえば、長刀と脇差は逆でなければならないのだそうだ。
もちろん、そのころの弥介には何のことやらわからなかった。世に伝えられているところでは、武蔵は左手を右手と同じように使うために、左手でよく書や画を描く練習をしたといわれている。
実はその逆だった。右手を左手と同じように膂力《りょりょく》をつけるために、常に素振りは右手でした。
加えて、父弥兵衛は、左手に持った脇差は、実は脇差のように見せて、刃のない練《きた》えた鉄だったという。敵を斬るのは、常に右手の長刀である。左手の脇差では、敵の刀刃を受け払い、そして打つだけだった。脇差の刀刃では、受け払うことはできない。折れ、あるいは曲がるからである。練えた厚みのある鉄棒でなければならなかった。
武蔵の父無二斎は十手《じって》術の名人であったと記録にある。左手の鉄棒と十手は似ている。
武蔵が左手に脇差を抜いて闘ったのは、鎖鎌の宍戸《ししど》某、棒術の平野権兵衛、そして吉岡一門との一乗下がり松の決闘の三度だけである。最後の舟島での佐々木小次郎との決闘には、櫂《かい》を削った棒だけだった。
なぜ、利き腕の左で脇差を抜かなかったのか。細川家の家臣が大勢見ていたからである。宍戸某との決闘のときには、鎖を右手首に巻きつけられて、左手を使うより勝てる方法がなかった。棒術の平野権兵衛との決闘も同じだろう。この宍戸、平野の場合には、他に見物人もいなかった。
右手だけで勝てるときには、左手は使わずに隠した。つまり武蔵は、利き腕の左手を死ぬまで秘したのである。
いま、弥介は、刀法者として、奥の手を持たなければ、生きのびられないのだ、ということに気づいた。父弥兵衛の教えが、いまわかった。お新にそれを教えられたような気になっていた。
棒術の示現の棒の振り方は凄じかった。棒を両断された示現は、次に出会うときには、弥介に負けない工夫をして現われるに違いない。
示現が敗れたのは、弥介が得意とする、下から天へ向かっての一閃を知らなかったからだ。
弥介の右手が動くのを知った示現は、その刀刃がどう動くかに迷って足を止め、本能的に棒の中央で受けてしまった。
弥介は洗った刀を鞘に収め、お新をうながして街道へもどった。
「わたしは、兄が内藤新宿へ行くと言ったとき、泣いて止めました。でも、兄は行かないでは武士の一分がすたる、と申しました」
そうであったか、と弥介は思った。
「兄は、殺し稼業でも武士の矜持は持っていたと思います」
弥介は頷いていた。
「あなたさまを、兄と呼ばせて下さい」
「わかった」
弥介は短く言った。
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「なに、示現が小田丸弥介に敗れた?」
栂尾左内は、目を剥《む》いた。左内は四十五歳になる。神道無念流だが小太刀もよく使う。かれは刀と同時に十手に似た鉄の棒を脇差の代わりに差していた。
左内は、中山道《なかせんどう》・奈良井宿の旅籠にいた。酒好きの男だった。大岡越前にその腕を見込まれて、関八州に放たれて三年になる。十人の手先をつけられ、浪人たちの動向を洗っていた。
もちろん、左内は示現とは立ち合ったことはない。何度か顔を合わせたことがあるだけだった。
「小田丸弥介とは、それほどの使い手か」
「示現さんは、棒を二つに切られやした」
清七が言った。かれは、小田丸弥介と示現の立ち合いを見ていた。示現の棒の前には小田丸弥介は手を出せずただ退るだけだった。もちろん清七には棒を両断されたところは見えなかった。
左内も、小田丸弥介の名は聞いていた。江戸にはむかしの浪人仲間が何人もいた。
「人斬り弥介か」
呟《つぶや》いてはみたが、左内には小田丸弥介と、刃を交える気はなかった。いまの仕事が気に入っていた。明日の飯のあてもない暮らしから、いまは、空腹を知らぬどころか、好きな酒を好きなだけ呑める金があった。それでいて、体を粉にして働くこともなかったのだ。
月に一度、手下が調べて来た浪人どもの動向を書状にして大岡越前に届けるだけでよかった。気が向いたときは、悪党浪人を斬るくらいのものである。
「栂尾さま」
「よい、わしの組に入っていればよい。示現は小田丸弥介を斃す工夫をしているのだろう。示現の気持ちがわからないではないが」
そう言っておいて、左内は、人斬り弥介の腕を見てみたいものだな、と考えはじめていた。
大岡越前が認めたほどの男だから、ただの剣客ではなかった。それなりの技倆を秘めている。だから、ときにはおのれの腕が疼き出すこともあるのだ。
左内は、つまらんことを聞いたものだ、と思った。酒を盃に注いで呷《あお》った。体に酔いが回らなくなった。かれはこの宿にもう十日も腰を据えている。居心地のいい旅籠だった。酒だけでなく女もいた。飯盛り女だが、飯盛りとは思えぬいい女だった。越後の生まれだと言っていた。
「退ってよい。しばらく体を休めておけ」
清七と伊左次に言った。もちろんこのことは越前に書状で知らせなければならない。
左内は、お京を呼んだ。飯盛り女だが肌が白くてなめらか、それに骨が細かった。百姓の生まれとは思えない細い体つきである。器量も悪くなかった。
抱き寄せておいて八ツ口から手を入れて乳房を掴んだ。まだ二十二歳といっていたが、乳房は大きく三十女のそれのように柔らかいのだ。乳首だけは大きく紅《あか》い。お京は左内に体を擦り寄せてくると、男の膝を撫でまわし、手を股座《またぐら》に入れた。そこにある一物は、力がなかった。その柔らかい一物を指の間で弄《もてあそ》ぶ。
「越前が、示現をたきつけたな」
左内には示現の気持ちがわかった。示現はまだ若い。三十代になったばかりだ。おのれの棒術に自信があればあるほど、小田丸弥介に挑んでみたくなる。それを示現は自制できなかった。左内にしても腕の疼きを覚えるのだ。示現が挑んで当たり前だったのだ。
「人斬り弥介が、なぜ示現を殺さなかった?」
清七の話だけでもわかる。五尺の棒を両断した小田丸弥介には、示現を斬るのは容易《たやす》いことだったに違いない。示現の棒を両断する技があったのだから。
お京が鼻を鳴らして、ねえ、という。乳首は手の中で、硬くしこっていた。だが、左内は、いつまでも柔らかい乳房を揉みしだいていた。乳房を手にしているだけで、左内の心は和んでくるのだ。
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そのころ示現は、善光寺街道の丹波島宿にいた。善光寺から、中山道の追分《おいわけ》までを、俗に善光寺街道と言っている。善光寺参詣の人たちの往来が多いからだ。
示現は、小田丸弥介に敗れて十日ほどを経ていたが、いまだ平静さを取りもどしきれないで、ますます焦燥を深めていた。丹田《たんでん》に力がなかった。自信に充ちているときは、丹田に力がこもっているものだが。
「おれを苦しめるために、小田丸はおれを斬らなかったのか」
夢の中にまで弥介が出て来て、巨大になりおおいかぶさっているのだ。
いま示現には、小田丸弥介が大きく見えていた。弥介が小さく見えるようになるまでは勝てない。技よりも気後れがある。これでは技も充分には出せない。弥介が小さく見えるようにするにはどうしたらいいのか、いまの示現にはわからないのだ。
居酒屋で軽く飯を食った。むりして胃の腑に流し込んだ。店を出た。
「おのれ」
と口の中で叫んでみる。おのれじしんをののしっているのだ。
むこうから、善光寺に参詣するのだと思える夫婦連れがやってくる。男は三十二、三。商家の旦那だろう。連れの女は二十七、八歳、女房と見えた。姿がよく、顔が白い。女が亭主を見て、何かを話しかけ笑った。その貌《かお》に、示現は、江戸の由紀の貌を重ねていた。
夫婦とすれ違ったとたん、示現は、
「わっ」
と叫んだ。二人がびっくりして足を止めて振りむいた。
その瞬間、棒が伸びて、亭主の顔を突いていた。鋭い突きだった。顔がひしゃげて血を噴いた。両目がとび出していた。
「きゃーっ」
と女房が叫んだ。
その女房の鳩尾《みぞおち》あたりに拳を当て、落としておいて肩にかついだ。示現は走っていた。森の中に入ると、女を肩から降ろして、帯を解きにかかった。
女房は、ふくよかな白い肌をさらした。由紀の体に比べると淫蕩な光沢はない。だが、乳房の膨らみも、腿の太さも美しかった。はざまの盛り上がった毛が、風に吹かれてそよいだ。由紀の剛毛に比べ、いかにも柔らかそうだった。その茂りの中に、かすかに切れ込みの端が見えていた。
示現は、何かをしないではいられなかったのだ。淫情が膨らんでいたわけではないが、他にやることがなかった。何かをやらないと、狂い出しそうだった。
かれは、小田丸弥介に敗れてみて、おのれの弱さを知った。怯えさえあるのだ。そんなおのれが信じられないのだ。
「あのとき、斬られて死ぬべきだった」
弥介は、棒を引いてくれぬか、と言った。いずれは、決着をつけよう、と言ったが、それは、いま思えば、強がりにすぎなかった。だが、これほど小田丸弥介の姿が大きく膨れ上がるとは思ってもいなかったのだ。
乳房を掴んだ。張りのある乳房だ。乳房の弾力が快かった。由紀の乳房はもっと大きく、乳首も大きく色も黒ずんでいた。美しい乳房である。両手でその乳房を揉みしだいた。
女が目を開き、その日が大きく瞠目《どうもく》し、男を撥《は》ねかえすようにして起き上がり、示現の手を払いのけた。その手は陽にさらされた肌を繕おうとした。
とたんに、示現の手が女の頬《ほお》に続けざまに鳴った。女が叫んだ。
背を向けて這い逃げようとするのを、示現の手が裾を掴み引きもどした。そこに転がった女を仰向けにした。
「わーっ」
と声をあげ、慟哭《どうこく》した。亭主が顔を血まみれにして倒れたのを思い出したのだ。
慟哭しながら、身をよじり、示現の手を拒む。それにかまわず、かれは、乳房を掴んで荒々しく揉みしだく。女の白い体が撥ねた。いまは、袖《そで》に両手を通しているだけで、肌のほとんどをさらしていた。豊かに張った白い尻が躍っていた。
示現が女の腿をおのれの膝でこじ開けようとしたが、股はぴたりと合わさって開かない。腿の間に男の膝がねじ込まれれば、はざまに男の手が入ってくることになる。それでは拒みきれなくなる。
かれは、女をうつぶせにして、その細腰に跨った。そこに男の腰を据えられては、撥ねかえることもできない。着物をたぐり寄せて尻をむき出しにした。
陽光の中で尻が白く輝くのを見て、示現の淫情が膨らみはじめた。眼下の白い尻を両手で掴んだ。ひややかで柔らかい尻だった。
「示現よ、おぬしは狂うたのか」
おのれに問いかけてみた。
「狂うより他になかろうが」
自問自答である。
尻を乳房のように揉む。女が尻をくねらせる。
「お助け!」
と金切り声をあげる。その声の届くところに人はいない。人が駆けつければ殴り殺す気である。
慙愧《ざんき》はある。だが、それを無理に呑み込み圧《おさ》えつけた。おのれが鬼になっていることはわかっている。脳に鬼を孕《はら》んでいた。それをどうすることもできないのだ。
尻の溝を分けた。その底に鈍く光るものを見た。手をのばして、指を埋めた。切れ込みはすでにぬめっていたのである。女の尻が左右にくねる。
かれは、位置を変え、女の腿をこじ開け、そこにくぐまり、尻を持ち上げ、切れ込みに一物を押しつけた。
その夜――。
示現は、屋代宿の旅籠の一室で、女と共に座していた。
丹波島宿から屋代宿まで、二里余ある。その道中を商人の女は、うつむきながらも、示現について来たのである。名をお房《ふさ》といい、二十八歳になった、と言った。
「わたしが、善光寺|詣《まい》りをしようと旦那さまに持ちかけなければ、このような災難に遭《あ》わなかったものを」
と慟哭する。
夫婦の間には子がなかった。子を授けて下さいと恃《たの》むつもりだったという。
「あなたを殺したい」
と泣きじゃくる。
示現は、そんなお房を、じっと見ていた。このお房の亭主を殺した。非道である。だが、その非道には実感がなかった。わずかに悔みがある。
お房は、示現のあとを追って来た。むりやり連れ込んだのではなかった。亭主の仇を討つつもりか、とも思ったが、そうではなかった。示現の前で、よよと泣き崩れるのだ。
かれが手をのばして、女の背に触れると、その手をお房が払いのけた。
「わたしのいとしい旦那さまを……」
と言っては、しゃくりあげる。そのさまがいかにも憐れだった。
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碓氷峠を越え、軽井沢宿に至る。宿場を通りすぎて、沓掛《くつかけ》宿に至る途中で、弥介は利八に声をかけられた。
いずれどこかで声をかけてくるだろうとは思っていた。
「小田丸の旦那」
利八は、弥介の背中にある首桶を見た。肥前屋お勢は、沓掛に宿をとっているという。お勢は、弥介が平三郎の首を手に入れたことを知っているものとみえた。
弥介のそばにお新の姿はなかった。碓氷峠で、お新は別れを告げたのである。わけはわからないが、殺し稼業であったことを、弥介に喋ったために、居づらくなったのか。
利八が先に立って歩き出した。弥介の背中で首がことことと音をたてていた。
沓掛宿の入口に、上州と信州の国境があった。弥介は信州に入ったことになる。
平三郎の首をお勢に渡そうと思ったのは、賞金の三百両が欲しかったわけではないし、また、お勢の体を抱いたからでもなかった。
この平三郎の首が越前の企みであれば、それを早く終わらせたかったからに過ぎないのだ。
高田に行っても、疑いは残るものの、仏生寺兵衛が偽者であるという手証は得られなかった。それよりも、肥前屋お勢を江戸に連れ帰ったほうが早かったのかもしれない。
もちろん、お勢は平三郎の首を手にすれば、江戸にもどらなければならない。平三郎の胴は塩漬けにして保存してあると言った。お勢が首を胴につなげるまで見届けるつもりでいた。
そこで、仏生寺とお勢の関係が本物か作られたものであるかは明白になるはずである。仏生寺はすでに死んだ。仏生寺の従兄という吉沢嘉兵衛は、兵衛には腹違いの弟次之助がいると言った。まことの仇討ちなら、平三郎の首を高田藩庁に持ち込めば、次之助をもって仏生寺家は再興されることになる。
弥介は利八によって『山形屋』という旅籠に案内された。
お勢は、奥の広い座敷に座していた。弥介を迎えて、妖艶《ようえん》に笑う。
「約束したわけではないが、平三郎の首を持って来た」
「有難うございました。小田丸さまならば、必ずやと思っておりました」
「それで、どうする?」
弥介は、肉づきのいいお勢の腿のあたりを見ていた。座して高い膝が、女の色香を匂わせる。そのぴたりと合わさった腿の奥に潤んだ女の壺《つぼ》がある。
「三百両は、お払いいたしますが……」
「金はいらんと申した」
「はい、心得ております。でも、ついでと申しては失礼でございますが、江戸までお運びいただかなければ、胴とはつながりません」
「それも心得ておる」
「左様でございますか」
お勢はほっと溜息《ためいき》を吐《つ》いて肩の力を抜いた。
「仏生寺兵衛は死んだ」
「はい」
「知っていたのだな」
お勢が利八のような男を何人使っているかは知らない。だが、これまでの仏生寺の動きはすべて知っていたようだ。
お勢は、首桶を後ろの床の間に置いた。
「酒でも?」
「いただこうか」
手を拍《う》つと、利八が顔を出し、しばらくして宿の女中が酒膳を運んで来た。それをお勢は、わざとらしくなく毒見をした。
弥介は、お勢の白い肉づきのよい手を見ていた。指のつけ根にえくぼができる。肉づきがよくてふっくらとしているが、品よく長い指である。男ならば、その指におのれの一物を握らせてみたい、と誰もが思うはずである。
体に比べると、顔はやや小さく見え、面長で、双眸《そうぼう》に張りと煌りがあった。潤んで男を誘うような目である。唇は煽情的にやや厚みがあり、下唇には多くの皺《しわ》が刻まれていた。このたて皺の多い下唇の女は、壺の襞《ひだ》の多さを物語っているという。
弥介も一度はこの女を抱いている。だが、その壺の感触も、襞の多さも、体を離したとたんに、男の体は忘れてしまうのだ。逆に女は壺で男の一物の味わいをいつまでも憶えているものだと聞いたことがある。お勢が弥介の一物を憶えているかどうかはかれにはわからない。
容色の点から言えば、このお勢とお新では比べものにならない。若さと熟れの違いもあるだろう。
ふと、お勢が何かを思いついた顔になった。
「どうした?」
「まこと、平三郎の首でございましょうか」
「なにっ?」
背後の首桶を、お勢はじぶんと弥介の膝の間においた。そして紐を解き、簪《かんざし》で蓋《ふた》を開けた。柿渋紙で包んである。これを紙ごととり出して畳の上に置いた。紙をめくり開く。
お勢の顔色が変わった。お勢は、首を弥介のほうへ向けた。
「どういうことだ!」
平三郎の首ではなかった。その顔には見憶えがあった。弥介が倉賀野宿の入口の茶屋で斬った四人の浪人のうちの一人のものだった。
どこかで、すり換えられた。
仏生寺兵衛が背負っていた首桶を手にしてからは、一度も手放していない。お勢に渡してからも、床の間にあり、それは弥介の視界にあった。たとえお勢が手妻《てづま》を使ったとしても、弥介の目を欺すことはできない。
とすれば、仏生寺は、倉賀野一家の屋敷を出るときから贋首《にせくび》を背負っていたことになる。すり換えたのは、仁助か、左柄次郎左衛門か、もう一人倉賀野一家の貸元|実左衛門《じつざえもん》がいる。
あり得ないことではなかった。弥介は仏生寺の身元を調べるために高田まで行って来た。その間に、三人で談合があったのかもしれない、と思うて、碓氷峠での次郎左の様子を思い出した。
次郎左は、仏生寺に加勢して平三郎の首を高田まで運ぶのに命を賭《か》けると言っていた。それを思うと、弥介が首桶を手にしたとき、仁助はとにかく、次郎左はあまり逆らわなかった。
弥介は、かなわぬまでも次郎左が首を持ち去る弥介に斬りつけてくるのではないかと、思わないではなかった。次郎左の諦めがよすぎた。
「次郎左め!」
怒ってみたが、怒っても仕方がない。してやられたという苦笑しかなかった。
「してやられたな、お勢どの」
弥介は盃を置いた。
「出なおすことにしよう」
かれは刀を掴んで立とうとした。そのとたん、お勢は、
「いやです」
と言った。お勢の目は潤んでいた。酔いのせいだけではないようだ。潤んだ目が、弥介をじっと見つめていた。
弥介が、お勢の裸身を思い描き、腿の間の切れ込みを妄想していたのと同じように、お勢もまた弥介に抱かれることを予期していたのだ。
「しかし」
「いやでございます」
強い声で言った。
弥介は坐り直すしかなかった。
お勢は、首を紙で包み、桶に入れると、手を拍つと利八を呼んで始末させた。
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四畳半ほどの部屋に、行燈がつけられ、夜具が敷いてあり、その上に花|茣蓙《ござ》があった。その上にお勢は湯上がりの体を横たえ、素肌の上に萌黄色《もえぎいろ》の長襦袢《ながじゅばん》が掛けてある。
弥介がそばに体を横たえると、お勢は長襦袢をはねのけて、しがみついて来た。水でもかぶって来たのか、肌は冷たかった。だが、体の底はすでに燃えているようだ。体を冷やしたのは、男への思いやりだろう。肉づきがいいだけに、湯上がりの肌は熱い。
「弥介さま」
と形のいい唇を押しつけてくる。そして、お勢のほうから舌を入れて来た。厚いぬめった舌である。それをかれは吸い歯を当てた。長襦袢は、いつの間にか二人の腰をおおっていた。
「お待ちしていました」
「そなたは、平三郎の首だけが恋しかったのではないのか」
「それとは別でございます」
とお勢は足を男の足にからめて来た。
「おまえにとっては平三郎は恋しい男だった」
弥介は意地悪く言った。
「いまは、意地だけでございます」
お勢は男の厚い胸に唇を這わせた。いまのお勢がわからないわけではない。この熟れきった体が、男なしでいられるわけはない。弥介の体だけが欲しいものとみえた。そうでなければならない、と弥介は思ってみた。
女の手は、弥介の肌を撫でまわしていた。
弥介は、お勢の体をうつぶせにして、白い背を撫でた。傷一つないなめらかな背中である。背骨の左右に膨らみがあり、それが腰のあたりまで、みごとな溝をつくっている。
うなじに毛が乱れている。それを撫であげておいて唇を触れた。お勢が声を発した。うなじから背骨を伝わって唇を這わせる。その下に盛り上がっている尻を見た。細腰には充分なくびれがあるため、尻は丸い丘になっていた。
どこにも骨を感じさせない女体である。唇を這わせながら、手は尻の膨らみを撫でた。尾※[#「「低」の「てへん」に代えて「骨」」、第3水準1-94-21]骨《びていこつ》を感じさせない。尾※[#「「低」の「てへん」に代えて「骨」」、第3水準1-94-21]骨の出た女は上品《じょうぼん》ではないとされている。
細腰のあたりまで唇を這わせておいて、脇腹を唇でついばんだ。そのあたりをついばんでまわった。お勢の体が蠢《うごめ》き、
「弥介さま」
と潤んだ声をあげた。
大岡越前の手先に女がいても不思議ではない。この女は手先だろうと思う。弥介ははじめから、すべてを疑ぐってかかっていた。肥前屋お勢ではあるまいと。だが、その証となるものは何もない。
江戸・平松町の肥前屋には、たしかに青木平三郎がいた。そして労咳を病んでいた。それは仁助が調べて来た。肥前屋の女将お勢が、平三郎に惚れていたのも事実かもしれない。
それを大岡越前が利用した。仇討ち芝居に仕掛けた。肥前屋お勢は、越前に頼まれて湯治にでも行っているのに違いない。
お勢になりすましているこの女は、越前がこれまで使っていた手先に違いない。だが違いないと思うだけで、弥介にはその先を調べようがないのだ。
吐かせようとしても、この女は何一つ喋るまい。
女の肌がしっとりと湿って来た。さきほどまでの肌の冷ややかさはなかった。
弥介は尻の膨らみに唇をつけた。それを拒むかのように、女はじぶんから仰向けになった。白い豊かな乳房に、花茣蓙の形がそのままついていた。
潤んだ女の目が弥介を見ていた。黒目がちの吸い込まれそうな目である。乳首が屹立して鮮紅色に染まって、白い乳房を彩っている。
お勢の手が、ためらいがちにかれの股間をさぐり一物を手に包み込んだ。その白い手は熱かった。
「わからん」
「何がでございます」
「お勢という女がだ」
お勢はかすかに笑ってみせた。歯が白い。乳房を手に包み込んだ。男の手によって揉みしだかれたのか、指がめり込みそうに柔らかい。底のあたりに弾力がある。
「わしが好きなわけではあるまい」
「好きでございます」
「左柄半兵衛では気に食わなかったか」
お勢は目を伏せた。
「さしずめ、わしを好きだというのは、人斬り弥介を好きだということになる」
「女のわたしには、むつかしいことはわかりません」
女は強い男を好む、という単純な考え方がある。船宿の女将《おかみ》お藤《ふじ》が言った。あなたには女を迷わせるものがあると。それは人斬りになった弥介の翳りと思えた。
乳房に唇を当て、乳首を中心にして円を描くように這いまわり、円を小さくして乳首に近づく。乳首を口に咥えたとき、お勢は、呻吟《しんぎん》した。
そして、男の腿を腿の間にたぐり寄せて、腿の上部にはざまを押しつけて来たのである。
女の手は一物を※[#「「峠」の「山」に代えて「てへん」」、第3水準1-84-76]《こ》がなかった。その硬さと熱さと息づきを確かめておいて、その手をふぐりにのばして来たのである。二つ玉を指で挟みつけておいて、指に力を加える。すると、玉はすべって指から外れる。それを何度となくくり返すのだ。玉を挟みつけられると、疼くような痛みがあった。
弥介は、乳首を咥え舌で転がし、歯で咬《か》んでおいて、手を腹に這わせた。そこにはよく縮れた剛毛があった。その毛をかきわけて、はざまに手を滑らせて、その膨らみを手で包み込み、ゆさぶった。
「弥介さま、離したくない」
「二人目の平三郎にするか」
お勢は首を振った。
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斬《ざん》  伐《ばつ》
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信州・上田は、松平|伊賀守《いがのかみ》五万三千石の城下町だが、北国《ほっこく》街道の宿場町でもある。
示現《じげん》は、この宿場に、お房《ふさ》と共に三日も泊まっていた。お房はかれのそばを離れようとはしない。かれがお房の体を抱き寄せると、拒みながらも、ついに男を受け入れるのである。男と女が同じ部屋に寝れば、そうなることは至極もっともなことだ。
お房は、江戸・神田に錺物《かざりもの》を商う大友屋宗吉という者の女房だった。示現が突き殺したのは、その宗吉だった。
「江戸にもどれ、店があろう、店の者もいよう。宗吉の親もいよう」
「いやでございます」
と怨恨《えんこん》をたたえた目で見る。
「わしが憎いか」
「わたしは、幸せでした」
幸せから不幸の奈落《ならく》へ落ちた女である。
「わしを殺したいか」
「殺したい」
呻《うめ》くように言った。
「なぜ、わしについて来た?」
その問いには答えない。ついて来たのには意図があるのか。あるいは隙《すき》を見て、刃物で突いてくる気かもしれない。
「あなたと共に、地獄まで行きます」
「地獄までか」
示現は呟《つぶや》いて笑った。
「だが、わしはまだ死ねん」
小田丸弥介を斃《たお》すまでは、死ぬわけにはいかないのだ。小田丸に勝てるまでに、勝てるという自信をとりもどすまでに、どれだけの日時を要するかは、いまのところはわからない。
示現は、お房の手首を掴《つか》んで引き寄せた。膝《ひざ》に崩れて来たが、膝を押しのけ起き上がろうとする。それを背中から抱きかかえておいて着物の上から両方の胸を掴んだ。両腕を男の腕にかかえ込まれて藻掻《もが》く。衿《えり》を拡げられ、白い膨らみをあらわにして抗《あらが》いを止《や》めた。
「江戸にもどれ、わしには邪魔だ」
「もどりません。あなたのそばを離れません」
「何故《なぜ》だ」
「旦那さまを殺されては、おめおめと帰るわけにはいきません」
「野盗に襲われて殺されたのだ。そう言えばよい」
示現は左乳房を掴んだ。乳首も乳暈《にゅううん》もくすんだ色をしていた。これがやがては充血して鮮紅色に彩られるのだ。揉《も》みしだくと、白い乳房がさまざまに形を変える。
かれは、お房のうなじに唇を押しつけた。うなじにほつれ毛が貼《は》りついていた。唇を首筋から頤《おとがい》のあたりへ進め、耳朶《みみたぶ》を唇に挟みつけて引っぱる。耳孔に舌を押し込んだ。お房が声をあげた。舌を躍らせる。
「いずれは、あなたは地獄へ行きます」
「そうだろうな」
裾《すそ》が乱れて、白い足が腿《もも》の上あたりまで覗《のぞ》いていた。由紀に比べると……と由紀の面影を探したが、そこにあるのは小田丸弥介の姿だけだった。女を抱きながらも、脳裡《のうり》を小田丸弥介が支配しているのだ。
片手でお房の帯を解いた。腰紐《こしひも》を外《はず》した。長襦袢《ながじゅばん》の褄《つま》が乱れて、肌をさらす。その下には二布《ふたの》があった。
お房はじぶんから、そこに仰向けになった。諦《あきら》めきったように瞼《まぶた》を閉じた。示現がかの女の体を求めるのはわかっていた。男の手がのびて、下腹の茂りをさぐる。
示現には、女の気持ちがわからない。また、お房にもじぶんの気持ちがわかっていないようだった。
愛《いと》しい宗吉を棒の一撃で殺した男である。憎くないわけはない。宗吉を殺され、お房はこの男に凌辱《りょうじょく》された。男のものを体に受け入れたのである。抵抗は無駄だった。男は怖ろしい力を持っていた。鬼だと思った。だが、その鬼は煩悩を抱いて暗い目をしていた。その暗い目に魅《ひ》かれたわけではない。
男の手が、肌を撫《な》でまわしている。脇腹《わきばら》を指がゆさぶり、腿が指で突つかれる。乳首が男の口に咥《くわ》えられたとき、お房は、あーっ、と声をあげていた。
体の奥のあたりに熱い塊が生じた。それが溶けだしているようだ。疼《うず》きとむず痒《がゆ》さのため腰をゆすった。男の指の動きは執拗《しつよう》だった。これまで五日間、お房は男に押し入れられても人形のように為すにまかせ、男のほとばしりだけを待った。
だが、今夜は異なるようだ。奥深いところで女の虫が鳴いていた。男の手がはざまの切れ込みを分けたとき、お房は声をあげ、体を反りかえらせていた。
二指が深みに埋もれ、攪拌《かくはん》していた。お房は腿を大きく開き、男の指の動きを易《やす》くし、それと同時にごく自然に腰が揺れはじめた。
全身に甘い慄《おのの》きが走った。かの女はこれを待っていたのかもしれない。男の逞《たくま》しい体に抱きつき、せつなさのために、じぶんから男の股間《こかん》を探っていた。
一物を手にして、お房は泣いた。涙がこぼれ落ちるのを止めようがない。脳裡には宗吉の面影がある。一物を握った手を上下させた。
「体をつないで」
とじぶんの気持ちを言葉にしていた。声はうわずって潤んでいた。それがお房にもわかるのだ。
男が体を起こし、一物を切れ込みに当てた。お房は息をつめて、それが奥に達するまで待った。それが底まで達したとき、かの女は全身でしがみつき、浮かした腰を打ち振って、絶頂に達していた。脳天から何かツーンと抜けるものを覚えていた。
示現は、お房を抱きながら、挫折感《ざせつかん》に打ちひしがれていた。次に小田丸弥介と出会ったときには斬《き》られて死ぬ、その思いしかない。かれには発憤がなかった。棒を切断されただけで挫折感と焦燥だけを孕《はら》んだのだ。敗れたわけではない、とおのれに言い聞かせても敗北感は強かった。
小田丸弥介の刀刃に、腹を裂かれ、肩を斬り裂かれ、脳天を叩《たた》き割られる夢を見る。下から斬り上げる小田丸の一閃《いっせん》を思い出しては慄きさえするのだ。
「示現、やはり小田丸には及ばなかったな」
大岡越前の嘲笑《ちょうしょう》さえ聞こえてくる。
赤穂《あこう》に行っても、師大国鬼兵に学ぶものは何もない。
「あーっ」
お房が声をあげて下から腰を持ち上げた。それに応《こた》えて、かれは腰をしゃくり上げるように使った。それだけで、かの女の体が弾み突っ張り、こきざみに攣《ふる》えるのだ。
「越前の走狗《そうく》ではない」
小田丸弥介はそう言った。越前に抗うことは、そのまま公儀に抗うことになる。その強靱《きょうじん》な性格が示現にもわかりかけて来たような気がした。
示現は、はっ、となった。部屋の外にうずくまる人の気配を覚えたのだ。お房を離そうとしたが、しがみついて離れない。武芸者としては不覚だった。
「そこにいるのは誰《だれ》だ」
「伊左次でございます」
示現は体から力を抜いた。
「伊左次が何の用だ」
示現はゆっくりと出し入れをはじめた。ゆっくり抜いてゆるやかに埋める。それをくり返すと、三たびお房の体がしなりはじめ、歓びの声をあげる。
その声を伊左次は聞いているようだが、障子は開けなかった。
「栂尾《とがのお》さまが、おみえでございます」
「栂尾さんが、どうして」
「菊の間でお待ちでございます」
「わかった」
栂尾が、示現の居所を探すのは簡単である。手の者が動いている。だが、栂尾がどうしてこの宿を訪れたかがわからない。
「お房、放せ」
「いやでございます。精を放って下さいませ」
お房も変わった。昨日までは人形のように体を与えていただけだったのが、今日はすでに二度気をやっていて、しかも放そうとはしない。
示現の抜き差しが早くなった。お房は喘《あえ》ぎ疳高《かんだか》い声を放って痙攣《けいれん》をくり返す。続けざまに気をやっているのだ。かれは一物を捉《とら》えた柔らかい襞《ひだ》がうねるのを覚えていた。精を噴出させたときには、更に大きな声をあげ、こわ張った体をこきざみに攣《ふる》わせていた。
そして、示現が体を離したときに、
「殺したい」
と呟くように言った。
示現は部屋を出ると湯場に行き、水をかぶった。水の冷たさが肌にしみ、筋肉がひき締まるのを覚えた。
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栂尾左内は、くつろいで酒を呑んでいた。
「示現、まあ坐《すわ》ってくれ」
左内の両刀は、床の間の刀架にあった。
「栂尾さん、わしに何の用だ」
栂尾は示現より一回り年上である。かれは胡坐《あぐら》をかいて坐った。
「小田丸弥介に敗れたそうだな」
「それで?」
左内は、伊左次に席を外すよううながした。盃《さかずき》の酒を続けざまに呷《あお》った。どこかいつもの栂尾とは異なる。
「わしは、小田丸弥介と立ち合ってみる」
示現は目を剥《む》いた。
「わしにもよくわからんのだ。あんたが敗れたと聞いて、わしの腕が疼きはじめた。まだ会ったこともない小田丸を夢にまで見る。まるで恋しい女子《おなご》にでも会うような気持ちだ」
「うむ」
示現は唸《うな》った。
奇怪なことに、示現も小田丸弥介に挑むまでは、栂尾と似たような気持ちだったのだ。
「栂尾さん、止めたほうがいい」
「わしもそう思う。小田丸弥介と立ち合って、負けるような気がする。だが避けられんようだな」
「気の弱い」
栂尾左内もまた、剣を把《と》って敵と対峙《たいじ》して一度も敗れたことのない男だった。
「わしは、小田丸弥介に斬られて死ぬ運命にあるようだ」
示現は、膳《ぜん》に伏せてある盃を手にした。左内が酌をした。
「わけを聞きたい」
「わけはようわからんが、ふとしたときに、見えるはずのないものが見えたりする」
「どういうことだ」
「例えば、壁のむこうが見えることがある」
「……?」
「五日ほど前だったかな、夜中に目を醒《さ》ました。すると、わしから三間ほど離れたところに、男と女が抱き合っていた。交媾《まぐわ》っていた。一間足らずのところに壁があるはずだった。それが透けて見えていた」
「夢だ」
「わしもそう思った。男と女が激しく交媾ったあと、男が道中差で女の胸を突き刺し、それでおのれの首を掻《か》きおった。駆落《かけお》ち者の心中だったとみえる。わしは夢だと思うて、そのまま、また眠りについた。朝、宿の騒ぎで目が醒めた」
「…………」
「商人の手代が、その商家の内儀を刺し殺し、おのれも首を裂いて死んでいた。わしが夜中に見たそのままだった。顔も見たこともないのに、手代と内儀の顔は、夢と思えたそのままだった」
示現は黙った。信じられないことではなかった。示現はこのような話を以前どこかで、聞いたことがあった。おのれの死を知った人は、五、六日前から、見えないものが見えてくるというのだ。左内の命も長くはないようだ。
「無駄に死ぬことはない。小田丸弥介と出会わなければよい」
「駄目だな示現。小田丸は沓掛《くつかけ》宿にいる」
「まことか」
「明日か明後日には出会うことになる」
「無理に出会うことはない。避ければよい」
「それが不思議なことに、わしは小田丸のところに引き寄せられているような気がする。それに武芸者としてのわしは、逃げることを拒んでいる」
小田丸弥介の居所は、元目明しの手下を使えばすぐにわかる。左内にも武芸者としての矜持《きょうじ》がある。その矜持が、小田丸弥介に近づけさせているようだ。小田丸に人をまねき寄せる念力があるわけはない。
どうやら、左内と小田丸の立ち合いは避けられそうもない。
「だが、栂尾さん、あんたが敗れるとは限らない。あんただって、神道無念流を極めている。腕には自負があろう。なぜ敗れると決めてかかる。栂尾さんのこれまでの気迫はどうした」
といいながら、示現もまた、おのれが気迫に欠けていることを知っていた。
「それで示現どのに頼みがあって来た」
「なんなりと」
「わしが小田丸弥介と立ち合うところを検分してもらいたい」
「わかった」
この男には、小太刀の技がある。小太刀の名人に富田《とだ》勢源がいる。宮本武蔵と舟島で闘った佐々木小次郎の師と言われている。小太刀は所詮《しょせん》は小技である。技倆《ぎりょう》の差があれば、小太刀も通用する。だが、技倆に差がなければ、小太刀は長刀に比べて損である。
左内の小太刀は小田丸弥介には通用しまいと示現は思った。
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仁助と左柄《さがら》次郎左衛門は、北国街道を肩を並べて歩いていた。平三郎の首は、仁助が背負っていた。仁助のほうが動きが早い。次郎左は首を背負っては動きが鈍る。
仁助には正確な礫《つぶて》術がある。仁助が石を投げ、次郎左が斬る。互いにそう決めていた。次郎左も赤穂藩では五指に入る使い手だった。
「わしらは、弥介を裏切った」
次郎左には、忸怩《じくじ》たるものがあった。むかしの仲間である九沢半兵衛が、小田丸弥介に斬りつけた。そのときには半兵衛を罵《ののし》った。それがいまは、次郎左も半兵衛の立場になったのだ。
弥介は、越後《えちご》・高田に発《た》った。仏生寺兵衛の身元を確かめるためである。それ以外には考えられなかった。なぜ弥介が仏生寺の身元を確かめなければならないのかは、次郎左にはわからなかった。仏生寺に疑う余地があろうとは思えなかったのだ。もっとも次郎左は、大岡越前の手先ではない。だから越前のやり方など知るはずもないのだ。
次郎左は、弥介が留守の間、仁助を仲間に入れた。飯盛り女を買いに行き、意気投合したところもあった。
平三郎の首に三百両の賞金がつけられていることは知っていた。また弥介が肥前屋お勢《せい》という女と、むつみ合ったらしい、ということも、実左衛門の子分重七から耳に入っていた。
次郎左は、仏生寺に義憤を覚え、そこに命を賭《か》ける価値を見出したのである。それでなくても、かれは死場所を求めていた。
その仏生寺が、碓氷《うすい》峠で何者とも知れぬ賊の矢で、首筋を射抜かれて、あっけなく死んだ。だが、その前に、次郎左と仁助は、仏生寺に、もしわたしが死んでも、平三郎の首だけは、高田藩庁に届けてくれ、と頼まれていた。高田には、仏生寺の従兄《いとこ》の吉沢|嘉兵衛《かへえ》がいるし、腹違いの弟次之助がいる。次之助でも嘉兵衛の次男、三男をもってしてもいい。仏生寺家を再興してくれと。
弥介の意図がわからない次郎左と仁助は、孤独寺にも知らせずに、平三郎の首をすり換えたのである。その予感が当たった。弥介は、首桶《くびおけ》を持ち去ったのだ。次郎左と仁助は顔を見合わせた。
二人は、倉賀野にとって返し、隠しておいた平三郎の首を別の首桶に入れて、中山道から、北国街道に入った。
善光寺までは、何事もなかった。それを過ぎてから、行手を阻む浪人が出現した。
「首を置いて立ち去れ」
という。
仁助が石を投げた。続けざまに三個の石を投げる。その石は相手の目を潰《つぶ》す威力があった。仁助に礫術があることを知っていれば、それに対応する方法があるが、知らなければ剣の達人であろうと狼狽《ろうばい》する。そこを次郎左が斬る。
浪人たちは、次郎左に焦点を定め、仁助はただの供くらいにしか考えない。そこに礫術の効果があった。
「旦那、小田丸の旦那のことは忘れましょうや。ここまで来てしまったんだ」
「それもそうだ」
と頷《うなず》きながらも、やはり次郎左は釈然としなかった。
「弥介は、金に目が眩《くら》むような男ではない、とすると、女の色香に迷ったのか」
「旦那」
仁助に声をかけられ、前方を見ると、浪人二人が歩いてくる。仁助は何度も白刃の下をくぐって来ている。相手の殺気を覚える術は本能的に身につけていた。それがわからないと、命を失う。
「敵か」
「そのようでござんすね」
二人とも、次郎左と仁助に気づかぬ風を装い、まわりの景色など眺めて歩いてくる。不意打ちに来るものと見えた。居合術は柳瀬の渡しで見た。
「様子がおかしゅうござんす」
そう言われてみれば、そのように見える。二人の浪人は左右に開いた。
五、六間ほどに近づいたとき、
「ぎゃおっ!」
と次郎左が叫んだ。抜刀術を破る一つの手である。二人の浪人は驚いて次郎左を見る。そのときには術は破られていた。
抜刀術の勝敗は鞘《さや》のうちにある、と言われている。つまり刀刃を抜くまでに、相手にさとられぬことを言う。相手に気づかれてしまっては、ただの剣士にすぎない。
次郎左は刀を抜いて一人に向かって走った。
あわてて刀を抜こうとする浪人の顔を礫が襲った。
「わっ」
叫んだとき、次郎左は浪人の左肩を裂いていた。二人目が一閃した。それを飛んで躱《かわ》したとき、その浪人の顔を続けざまに礫が襲った。両眼が潰れていた。
「おのれ」
とやたらに刀を振りまわす浪人を、次郎左は、少し離れて眺めていた。その浪人はやがて、疲れて、その場に膝をついた。
次郎左は、刀を鞘に収めた。
仁助は、浪人に歩み寄ると、朱鞘の道中差を抜いて、浪人の首筋に一閃させた。血が音をたてて噴出した。仁助の道中差は、鎧通《よろいどお》しだった。
浪人が血を噴きながら、暴れ回る。
「仁助、あの浪人まで殺すことはなかった」
「左柄の旦那」
仁助は笑ってみせた。
「あっしの礫術は知られたくないんで」
左柄の旦那、あんたはまだ甘い。そんな目で次郎左を見た。もちろん両眼を潰された浪人には、すでに戦意はなかった。だが、両眼は潰されても口はきける。
これを敵が知れば、敵は次郎左よりも仁助に目をつけ、石を警戒する。そうなれば、斬り合いは不利になる。仁助はあくまでも、次郎左のお供の立場でいたかったのだ。
仁助は、小田丸弥介に礫術を見破られて、近づかなかった。礫術も抜刀術と似ていた。小石が懐中にある間が勝負なのだ。仁助の礫術に比べると次郎左の目潰しは、まだ術とは言えないのだ。もっとも敵の不意を衝《つ》くには効果があったが、仁助の礫術は、武芸の一つとして極めたものだったのだ。
次郎左は、不機嫌を隠さずに歩き出した。仁助はそれに黙ってついていく。もちろん、平三郎の首を高田まで運ぶには、おのれ一人では心もとなかったし、仁助の礫術が必要なことは心得ていた。
首を狙う浪人たちは、金のためとは言え、それぞれにおのれの腕に自信があってのことである。
仁助は、それまでに江戸で、次郎左くらいの技倆の浪人は何人も斃して来ている。江戸の浪人、あるいは関八州を往来している浪人の中で、俗に腕が立つといわれる浪人は、次郎左の程度である。
仁助にとって、小田丸弥介は、とび抜けて強い男だった。第一に目がいい。勘が鋭い、そして刀刃の迅《はや》さが他の浪人と比べものにならなかった。刀の使い方の巧みな浪人はいくらでもいた。だが、いくら巧みでも、小田丸弥介には及ばず、それぞれに斬死《きりじに》していった。
もちろん、仁助はとうてい弥介には及ばない。だから、弥介の下についた。また弥介という浪人が好きでもあった。ただ恐怖はない。もし、弥介が斬ろうとしたら、石を投げて逃げ去ることができる。もともと船大工であった仁助には、逃げることで痛むような矜持の持ち合わせはなかったのだ。
「旦那!」
声をかけても、次郎左はむすっとして答えない。それを仁助はくすっと笑った。
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弥介は、風呂場で汗を流して、酒膳を前に座していた。お勢の体は堪能した。男を酔わせる女体だった。そのお勢はかれに寄り添って酌をしていた。もちろんお勢の着物には乱れはなかった。帯をしかと締めていたが、膝だけは崩していた。
弥介に抱かれながら、お勢は、離したくない、と声をあげてしがみついて来た。
「わしを好きか」
「はい」
「わしもお勢を好きになった。これまで、わしは女子を好きになったことはない」
「でも、奥さまが」
「妻は好きというのではなかろう。何かの縁で夫婦になる。好き合うて夫婦になる者は少ない」
これまでに、お泉《せん》がいた。料理屋のお若がいた。船宿の女将《おかみ》お藤《ふじ》がいた。そしてお新がいる。もちろん、嫌いでは交媾《むつみ》あうことはない。
だが、お勢に対しての思いは、これらの女とは別だった。
「うれしい」
とお勢は肩を寄せて来た。坐り直しては、盃を手にして、弥介の酌を受けた。
「わしは、はじめて女に惚《ほ》れたような気がする」
「わたしも、弥介さまに惚れました」
「ふむ」
と弥介は息をついた。
弥介は、まことお勢がじぶんに惚れているのか、と思う。お勢は大岡越前の手先ではないかと疑ぐっている。それがいま一つ釈然としないのだ。
お勢は、弥介の顔を覗き込んだ。女の勘は男にないものだ。弥介の気持ちを察したようだ。
「わたしの心をお疑いですか」
「わしを好きならば言うてくれ」
「何をでございます」
「仏生寺兵衛とおまえの関りは芝居であろう」
「わたしは、弥介さまを好きになったから、平三郎の首は捨てました」
「つまり、女の意地を折ったということか」
「はい、わたしの胸の中から、平三郎のことは消えました。意地も張らなくてすみます」
「おまえは、越前の手先ではないのか」
「どうして、わたしがお奉行さまのお手先だとお考えなのですか」
「刀法者の勘とでもいうべきものかな」
「わたしは、お奉行さまとは関りはございません」
お勢は静かに言った。
お勢が越前の手先だったと言えば、それはそれなりに納得して、お勢と行動を共にすることはできる。だが、お勢が手先ではないかと疑いながらでは、胸底に滓《おり》が生じて不快になる。だから、その点を明白にしておきたいのだ。
「おまえが越前の手先でもよい」
「関りないと申し上げております」
「ならば、わしの問いに答えてくれるか」
「はい、何なりと」
「まず、おまえは、亭主の死んだあと、一人で肥前屋を切りまわして来た、と言った」
「それは、弥介さまの聞き違いではございませぬか。わたしは父の死後と申したはずでございます。わたしは一度も嫁しておりませぬし、亭主も迎えたことはございませぬ」
このことは仁助が江戸で調べて来た。弥介は、亭主が死んだあとと聞いた。仁助は肥前崖の旦那が亡くなったあと、と言った。
「わしの聞き違いだったか」
「はい」
「次に、はじめておまえに会ったとき、おまえは左柄半兵衛と名乗ったその名にひどくこだわった。何故だ。わしが朱鞘の刀を差していなかったからではないのか」
朱鞘の刀は、大岡越前に渡されたものである。この朱鞘の刀を、四人の浪人を斬ったときに捨てた。もっとも、倉賀野の貸元|実左衛門《じつざえもん》がこの刀を拾い研《と》ぎ直して弥介に返した。その刀が千手院《せんじゅいん》村正《むらまさ》であったことは、そのときに知った。
「はい」
とお勢は答えた。
朱鞘の刀は、越前の手先としての証みたいなものであることを弥介はあとで知った。仁助も朱鞘の道中差を差している。
「わたしは、弥介さまのお顔を存じませんでした。お藤さんからは、よくあなたの話を聞きましたし、また巷《ちまた》の噂《うわさ》で人斬り弥介の名はわたしの耳にも入っておりました。人斬り弥介ならば、必ずや平三郎の首を取り返していただけるものと」
「どうして、人斬り弥介が朱鞘の両刀を腰にしているかを知った」
「手代の一人が、小田丸さまが、板橋から中山道《なかせんどう》へ入られたことを知らせてくれました。その目印が、朱鞘の両刀だったのでございます。でも……でも、あなたはなぜ、左柄半兵衛などと名乗られたのでございましょうか」
「本意ではなく、わしは越前の走狗という形になった。江戸では人斬り弥介の名は、あまりに知られすぎた。わしは越前の走狗にはなれない男だ。できることならば、妻と娘の命をわしの手で絶って、腹を裂いたほうが納得できた。越前に、妻娘の首を刎《は》ねると恫喝《どうかつ》されて、わしは越前を憎んだ、怨《うら》みにさえ思うておる。そのわしがおのれから小田丸弥介の名を口にできなかった」
「わかりました」
「いま一つある。おまえはいま、手代の一人というた。利八という手代も同じだが、ただの手代ではあるまい」
「はい、いかに平三郎の首を取りもどしたくとも、わたし一人ではどうにもなりません。あの者たちは、金さえ出せば、いくらでも雇えます。わたしは七人の手代を雇いました」
お勢の答には、よどみがなかった。みごとというべきだろう。だが、弥介はそれだけでは納得できなかった。はっきりと、わたしはお奉行さまの手先でございました、という言葉が欲しかったのだ。
「まだ、納得いただけませぬか」
「できぬな」
「わたしが、お奉行さまのお手先でございました、と申し上げれば、よろしいのでしょうか」
「はじめから、そう言ってくれればよかった」
「わたしは、肥前屋お勢でございます」
「それも江戸へもどってみれば明白になる。お藤と朋輩《ほうばい》だったということもな」
「万に一つ、わたしが肥前屋お勢でなかったとしても、わたしは弥介さまと、江戸までの道中、ご一緒できれば、それだけで幸せでございます」
「わしは、江戸へはもどらぬ」
「ならば、わたしも弥介さまと、どこへでも旅をいたします」
同じような言葉を、誰かに聞いた、と弥介は思った。そう、お藤が言った。好きな殿御と褥《しとね》を共にするのは、一夜も一年も同じことだと。いまお勢は、江戸までの旅で幸せだと言った。同じ意味だろう。
「肥前屋お勢でないということか」
「いいえ、そうは申しておりません」
お藤と朋輩で、肥前屋お勢が、越前の手先であっても何の不思議もないのだ。越前がお勢を見込んで、この猿芝居を頼んでもおかしくない、ということは、お勢が口を割らない限り、この壁は破れないことになる。
「わたしが、お奉行のお手先であったほうが、弥介さまのお気に召すのでしたら、それでかまいません」
弥介の越前に対する憎悪は、所詮、お勢にはわからぬことであった。許せぬ男であった。卑劣な男である。
越前も一度は、妻と娘を返そうと言った。暮らしの面倒は見てやる。その代わりわしのために働け、と言った。弥介には、すでに半年まえの貧しくとも親子三人の暮らしにもどることはできぬ。すでに人斬りである、と拒んだ。人斬りが妻と娘と共に暮らせるわけはなかった。
たしかにあのとき、妻娘を貰《もら》いうけて、斬り殺すべきだったのかもしれない。だが、そのようなことのできるおのれでないことは、弥介じしんがよく知っていた。
「越前の企《たくら》みは、おまえに腕の立つ浪人を金で雇わせて、わしらに斬らせることだった。まだ、それは続いている」
「でも、それは違います。わたしはもう浪人を雇ってはおりませぬ。平三郎の首はもういらないと申し上げました」
「だが、まだ九沢半兵衛が、高田にいる。平三郎の首をすり換えた次郎左と仁助の二人がまだ高田に首を運ぼうとしている」
「わたしは、九沢半兵衛という方は存じませぬ」
「九沢半兵衛は、昨年から越前の走狗になり下がっていた。おまえが知らいでも、越前がよく知っておる」
「わたしには、何のことやらわかりません」
「平三郎の首は、ただの道具であろうが」
「いいえ違います」
「お勢、ここで別れよう」
「なぜでございます」
「そなたには、わからぬことだ」
「わかりませぬ。あなたさまは、わたしを好きだとおっしゃいました。惚れたとも。ならば、それだけでよいではありませぬか。わたしは、弥介さまがいて下されば何も欲しくはありません」
「男と女の違いだな」
「わたしはいやでございます」
お勢は弥介にしがみついて来た。それを弥介は払いのけて立った。
その足をお勢が抱きしめた。
「好きだ。はじめて女に惚れた。だからこそここで別れたほうがよい」
弥介は、お勢を蹴《け》とばすようにして、刀を手にすると廊下へ出た。お勢は追って来た。階段を降りて草履をつっかけ表に出た弥介をお勢は裸足《はだし》で追った。
「弥介さま、おもどり下さいませ、お願いでございます」
お勢が叫んだ。
街道を往《ゆ》く旅人たちが視線を集めた。
女の意地で平三郎の首を取りもどそうとしたお勢が、いまは、肥前屋の女将という矜持も体面もかなぐり捨てているのだ。
そのお勢を、手代の利八が抱き止めた。
「女将さん」
「放しておくれ、弥介さまが行ってしまう」
お勢は、すすり泣いていた。
その叫びを聞きながら、弥介は振り向かなかった。
「おのれ越前!」
弥介は、呟いて唾《つば》を吐いた。腹の底が煮えくり返っていた。女は男がいればそれだけで生きられる。男は女がすべてにはなれないのだ。
かれは、もう一度、高田へ行ってみようと思った。仁助と次郎左が、平三郎の首をかかえて、高田に向かっているはずだからである。
高田藩庁へ、首を持ち込めば、まこと平三郎の首であるかどうかは明白になる。そう思ったのだ。
途中、店で編笠を求めて頭にのせた。黒漆塗《くろうるしぬ》りの饅頭笠《まんじゅうがさ》は、お勢のもとに置いて来た。
弥介は、ふと足を止めた。仏生寺《ぶっしょうじ》兵衛《ひょうえ》の話を思い出したのだ。
仏生寺が青木平三郎の首を取ろうとしたとき、お勢が着物を脱ぎ捨て素肌になって、抱いて心を静めて下さい、としがみつき、ついには仏生寺の一物を引き出して、それを口に咥えた、と言った。
そのお勢の情の激しさが、いまのお勢の乱れ方と同じだった。
「わしの間違いだったか」
声を落とした。
お勢は、情人《いろ》の敵である男の一物を、情人のあと十日の命を欲しくて口にした。その話を弥介は、よく出来た面白い話だとして聞いた。
だが、いまのお勢の乱れようは、仏生寺の話に合っていた。女の情の哀しさを知らされたような思いがした。お勢はまこと平三郎に惚れていたのだろう。それを仏生寺に無視されて、意地になって首を奪おうとした。
理屈に合っていた。道理にかなっていた。弥介は大きく息を吐いて歩き出した。
「わしには、女はわからん」
女にとっても、男はわからない生きものなのかもしれない。
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「仁助、首は重かろう」
左柄次郎左衛門は、声をかけた。
「へい」
「代わって持とうか」
「いえ、気にしねえでおくんなせえ」
仁助は、背丈に比べて肩幅が広い。それだけ力もある。膂力《りょりょく》も貯《たくわ》えている。それだけに、かれが投げる石は迅い。いままでその石を躱したのは小田丸弥介だけだった。
「島では苦労しただろうな」
「へえ、生きるために、死ぬ思いをしやした。おかしゅうござんすね。島帰りが江戸で生きていくには、武術を身につけなきゃ、と思い込んでいたんですね。それがこんな人殺しになろうなんて、思ってもいやせんでした」
「そういうことだ」
「だけど、いくら人殺しの技が巧みでも、町人には違いありやせん。やはりただの船大工で、へえ。お武家さんの心は、あっしなんぞには、わからねえんですよ」
「弥介のことか」
「ええ。左柄さんも同じですが」
「聞かしてくれ」
「銀兵衛って、目明しがおりやした」
「おれも知っている」
「小田丸の旦那は、わしは越前の走狗じゃねえ、とおっしゃって、一刀のもとに銀兵衛をお斬りになりやした」
「ああ、弥介に聞いた」
「走狗って何でござんす?」
「犬だ、密偵だな。弥介が言ったのは大岡越前の手先ということだろうな」
「でしょうね。でも、どうして、大岡さまの手先じゃいけねえんでしょうかね。いえ、何となく小田丸の旦那の気持ちはわかっちゃいるんですがね。あっしとしちゃ、大岡さまの手先でいれば、刺青者《いれずみもの》でも、関所も堂々と通れて、有難てえと思うんですよ。それに金に不自由することもねえし、宿場宿場じゃ飯盛りも抱けるし、酒も呑めやす」
仁助は笑った。
「そうだな」
「もちろん、これだけ人を殺して、畳の上で死ねるとは思っちゃいませんよ。どこかで野たれ死がいいところでさ。でも、それはそれで、どうってことはねえんですよ。こうして飯にも酒にも女にも飢えずに生きていられるんですからね。大岡さまさまでござんす」
「人間、至る処《ところ》に青山《せいざん》ありか」
「青山って何でござんす?」
「死ぬるところ、墓だな。どこで死んでも同じことだという意味だ」
「よろしゅうござんすね。その人間いたるところに青山がありというのは、あっしはそれでいきます」
だが、次郎左は死場所を求めて生きていた。犬死はしたくない。死甲斐のある死に方をしたいと思い、元禄十四年以後を生きて来た。
「仁助、おまえは気楽でいい」
「へえ、左様で。人殺しを別にすれば、いまほど楽な暮らしはこれまで一度もございませんでした」
仁助には屈託がなかった。
二人は、高田城下に入るまでに八人の浪人を斬殺した。城下に入ったときは夕刻だった。城下に宿をとった。藩庁へ首を持っていくのは翌朝である。
宿の亭主を呼んで、わけを話した。どのように藩庁に話を通せばいいのかわからない。もちろん藩庁は高田城内である。まともでは入れるわけはなかった。
「それは、おめでたい話でございます」
亭主は、藩|徒目付《かちめつけ》役の大村俊太郎という者と懇意にしているから、明日の朝、宿の者を走らせましょうと言った。
「それは助かる」
次郎左は、酒を運ばせた。仁助はそわそわしている。
「首の番はわしがしている。飯盛りを抱くがよい」
「よろしいんで」
「かまわぬ」
「そうですか。いえね、越後の女ってのは、色白で肌が柔らかいって聞いていたんで、一度は抱いてみたいと思っていたんです」
「それで、ここまでついて来たのではあるまいな」
「そりゃ、仇討《あだう》ちの本懐というやつに義ってものを感じたからでござんすよ。でもね、左柄の旦那……」
「わかった。わかっておる」
次郎左は、手を拍って、女を一人呼んでくれるように頼んだ。
「若くて、きれいなのを」
やって来た飯盛りは、きれいではなかった。それでも十人並で、歳《とし》も三十に近かったが、仁助はそれで満足して隣室に引っ込んだ。
次郎左は、肩の力を抜いた。途中で斬死しても、それでもよいと思っていた。たいした死にざまでなくとも、仇討ちに手を貸したのだ。納得出来る死甲斐のある場所なんてものは、めったにあるものではない。
この平三郎の首を届けて、仏生寺家が再興されれば、おのれの名も残ることになる。仏生寺家の人々は、かれを恩人とするに違いない。いや、その礼が欲しかったわけではない。おのれが納得できれば、それで足りる。
「男というのは、いや士《さむらい》はと言うべきかな。死ぬときにわずかでも納得できれば、それが死甲斐というものだろう」
酒を口に運びながら、そう呟いた。ここまで来れたのも、仁助の力である。首を背負って、八人の浪人を斬れる自信はなかった。だから、仁助が女を抱きたいためであろうと何であろうと、恩に着なければならないのだ。
大石内蔵助以下、四十七士は、よろこんで首の座についた。士の本懐であったろう。それはいまでも次郎左の頭の中にあった。四十七士を羨望《せんぼう》し、大石を恨むことだけで、今日まで生きて来たのだ。
「これで、おれもいつ死んでも悔いはない」
笑みがこぼれた。
大石らが吉良《きら》上野介《こうずけのすけ》の首をあげて、十七年が経っている。赤穂浪士の仇討ちのあと、四十七士のそれぞれの過去が文人たちの手によって掘り起こされた。
堀部《ほりべ》安兵衛《やすべえ》が、剣の達人と称された。次郎左はこれを笑った。赤穂藩中、堀部安兵衛は五指の剣士には入っていなかった。堀部弥兵衛老人が惚れ込んで娘の婿《むこ》にしただけの男。婿がなければ、堀部家は弥兵衛の代でつぶれるところだった。婿養子になる男に、たいした男がいるわけはなかったのだ。
だが、安兵衛に運があった。弥兵衛に惚れ込まれただけで、四十七士の仲間に入ることができたのだ。
「おのれ、安兵衛!」
と小さく叫んで、自嘲した。運というものはどうしようもないものだ。中山安兵衛は、弥兵衛に惚れられなければ、ただのそこいらの浪人に過ぎなかった。高田の馬場の決闘など、造られたものだった。
酔いが回ってくると、さまざまなことが思い出される。
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行燈《あんどん》の灯りの中に、白い乳房が浮き上がっていた。その乳房を仁助の大きな手が掴んだ。ひどく柔らかかった。それだけで仁助は体を震わせて唸り声をあげた。
大岡越前に攫《さら》われたお俊が恋しくなくはなかったが、お俊は気楽に暮らしていることでもあるし、こうして女を抱けるのが、仁助にはうれしかった。
八丈島での八年を思えば、極楽である。八丈島にも島の女はいたが、仁助などに抱かれてくれる女はいなかった。それでも、船大工の腕があり稼ぎもよかった。それで年に何回かは女を抱くこともできたが、いつも女の肌に飢えていたような気がする。
それがいまでは、毎夜でも女が抱けるのだ。もっともこのところは、三日に一度くらいだ。それでも、江戸を出るとき、大岡越前の内同心というのが渡してくれた金は、まだ残っていたのだ。
女は、すぐにでも仁助を迎えようとする。飯盛り女の常である。もちろん商売だから、早く体に迎えてすましてもらいたい。
仁助は、女の手に一朱銀を握らせた。
「これは祝儀だ、わかるな」
女の態度は、これでがらりと変わって、仁助に抱きついて来た。旅に出てからは、女の買い方も心得て来た。売れっ子の美しい女でないほうが、より楽しめることも知った。
仁助は、女の股座《またぐら》に手をのばした。一朱が効いているから、女は拒まない。
飯盛りも江戸の岡場所の女も、当て紙をする。つまり、客を早くさばくために枕紙にたっぷりと唾をぬりつけ、それを切れ込みに当て、擦りつけて、客にそこがいかにも潤んでいるように見せかけ、客を体に迎え入れるのだ。そして一呼吸二呼吸甘い声をあげてみせれば、たいていの客は、それだけで精を放ってしまう。
また詰め紙というのがある。仁助は詰め紙をした女に当たって、一物の先がすりむけたことがあった。枕紙をよく揉んでそれを壺《つぼ》の奥へ押し込んでおく。その紙に客の精汁を吸い込ませる。つまり孕まない手段であるし、また、情人《いろ》への義理立てで、客の一物を子壺に触れさせないための目的もあるのだ、と聞かされた。
もちろん、飯盛りは祝儀を出せば、切れ込みもいじらせてくれるし、本気になって気をやるのもいる。その女と気が合えば、口取りだってしてくれるのだ。当たり外れはある。だから当たったときには、仁助は有頂天になる。今夜の女も、どうやら当たりのようだった。
女の切れ込みは潤みかけていた。肌も柔らかいが、切れ込みも柔らかだった。これだけでも高田まで来た甲斐があったと思う。
「親分さん、裏を返しておくれよ」
女がそう言って仁助にしがみついて来た。肉の厚い体である。抱き心地はたっぷりだった。乳房をやたら舐《な》めまわし、黒ずんだ乳首を吸った。
「わかった。この高田の用は二、三日はかかりそうだ」
「うれしいよ、親分さん」
「名は何という」
「お絹」
この女にお絹はふさわしくなかったが、名前などにこだわることはない。目と目の間が広くて鼻が丸い。唇はぼってりと厚い。そこがどこかお人好しに見え、色っぽくもあった。
切れ込みがぬめって来た。女の切れ込みが熱いのは、それだけ本気になっている証でもある。それに柔らかい切れ込みの女も久しぶりだと思った。
「そんなにしちゃ、気がいくよ」
とお絹は身を揉んだ。ただ股を拡げられて体を繋《つな》ぐだけじゃ味気ない。男が女を抱くということは、女の体の中に精汁を放てばいいというものではないのだ。
仁助は、指だけでお絹の気をやらせておいて重なった。お絹の両腿がかれの腰を締めつけ腰を震わせる。
ふと、仁助の目がうつろになった。小田丸弥介のことを思い出したのだ。
「旦那はどうしているのかな」
弥介を裏切ったことは、仁助にも気になっていたのだ。
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行燈を引き寄せ、酒膳を前にして、示現は酒を呑んでいた。その向かいに坐ったお房《ふさ》が、じっとかれを見つめていた。濡《ぬ》れて潤んだ目である。その目には恨みがこもっていた。亭主を殺されたのだから当然だろう。
小田丸弥介が沓掛を発ったという知らせが入っていた。明日は、上田と小諸《こもろ》の間で、栂尾左内が小田丸弥介に斬られることになる。左内はそれを承知しているのだ。九分九厘、左内は小田丸に斬られる。左内はそれをすでに納得して、逆に静まっていた。悟りかとも思う。
敗れると知って左内はなぜ小田丸に挑むのか。左内じしんがわからぬものを、示現にわかるわけがなかった。左内は神道無念流を極めている。小田丸弥介は、おのれの剣法を刀法と称していると聞いた。剣法は刀法には勝てないのか。
今回、左内と立ち合ってみた。小田丸と技倆の差があるとは思えない。大岡越前に役に立つ男だと認められた一人である。それなのに左内は、はじめから小田丸に斬られると覚悟を決めているし、示現もまた、左内が小田丸に斬られて果てると思い込んでいる。
左内は、以前から示現に一目置いていた。その示現が小田丸弥介に敗れたと聞いて、じっとしておれなくなった、と言った。君子危うきに近寄らず、という。左内は逆に吸い寄せられるように、この上田の城下までやって来た。
酒が苦《にが》い。それでも盃が置けない。いかに呑んでも酔いがまわらないのだ。
お房が何か言った。示現は顔をあげてお房を見た。
「何か言ったか」
「わたしを殺して下さい」
お房の目に青い燃えるような光を見たと思った。
「棒で撲《なぐ》って下されば、ひと思いに死ねます」
示現は答えなかった。これまで示現はわけもなく人を殺したことはなかった。それが、このお房の亭主を撲殺《ぼくさつ》してしまった。ただの商人だったのだ。その商人を殺させたのは、小田丸弥介だ。
示現は、小田丸に敗れた。そのときなぜ小田丸は斬らなかったのか。斬られ果てていればお房の亭主を殺すこともなかった。
かれは、左内から脇差を貰った。すでに不要と言って呉《く》れたのだ。その脇差はいま腰にある。それを鞘ごと抜いて、お房の前に投げた。お房はそれを手にし、鞘を払い、青く光る目で刀刃をじっと見つめている。
その刃で突いてくれば、それでもいいと示現は思ったのだ。黙って刺されてやるか、あるいは躱すかは、かれにもわからない。また、刃でお房がおのれの咽《のど》を突くかもしれない、とも思った。
示現は、じっとお房を見ていた。そのまま時が流れた。お房は研ぎすまされた刃に何かを見ているようだった。
だが、かの女は、刃を鞘に収めて、示現に投げ返したのだ。脇差が重い音をたてて転がった。
示現は酒膳をわきに押しやると、手をのばしてお房の手首を掴んで引き寄せようとした。すると、お房は強い力でその手を振り払った。抱き寄せると、必死で抗う。それをその場に押し倒し、衿をこじ開けるように拡げた。
白い乳房がはじかれたようにとび出した。かれは、その乳房に頬《ほお》を押しつけ、擦《こす》りつけた。
お房は声をあげずに抵抗する。だが、かれに咥えられた乳首は、口の中で膨れ上がっていた。その乳首をしゃぶり、舌で転がし、歯を当て咬《か》む。
「うっ」
とお房は嗚咽《おえつ》した。そして、かれの両手を振り払うと、じぶんの顔を両手で覆った。かれの手が女の裾をはね、ふくらはぎから大腿へと這《は》いまわる。ぴたりと合わさった両腿はこじ開けるまでもなく、自然に隙間をつくり男の手をはざまに誘い込んだのである。
「わたしを殺して下さい」
とくぐもった声で言う。
はざまは、脂が乗り、弾力があって熱くなっていた。上下に撫でておいて、中指を折って切れ込みに埋める。そこにはすでに熱い露が湧《わ》き出していた。そのぬめりを指にからめ、なぞるように撫であげると、お房の体がぴくんと攣《ふる》えた。
示現に淫情《いんじょう》はなかった。だが、こうしてやるより他に方法を知らなかったのである。
木の芽に似た小さな膨らみがあった。それに指を当てていると、お房の腰が動き出す。お房にも淫情があるわけではない。だが、女の淫情は触られることによって噴き出す。
いまの示現にとってもお房にとっても、時を過ごすには、こうしてざれ合うしかないのだ。
「うっ」
と声をあげ、身をよじる。さきほどのむせび泣きとは異なった声だった。そこにもう一指を加え、露にまみれさせておいて、深い沼にすべり込ませる。女の腿は男の指が動きやすいように開いていくのだ。
二指が熱い壺に埋まっていた。その二指が交叉《こうさ》し、攪拌《かくはん》する。そして二指を揃《そろ》えて二つに折る。指先は浅く上部に当たっていた。指先に多くの粒々が触れた。その粒々を掻き出すように指を使う。
お房が、声をあげて腰をくねらせ、尻を浮かした。かれには喘ぎが聞こえていた。指を使う度に、露があふれ出す。
示現が指を埋めたまま、女の下肢に体を回し、開かれた腿の間に蹲《うずく》まった。女は体を繋ぐのだと思い、いっぱいに腿を開く。そこにかれは顔を埋めた。
「あっ」
と声をあげたお房は、体を起こし、男の頭を持ち上げようとしたが、男に腰をしっかり抱きかかえられ、かなわぬと知って再び仰向けになった。
男の舌が、そこに動くのを知って、お房は声をあげ、腰をゆすり、両手で男の頭を押さえつけた。
示現は、そこに湧いて出る露をすすった。舌を這わせ、やたらに舐めまわす。脳が灼《や》けていた。お房の脳もまた赤く灼けていた。示現は女のはざまに口をつけたことはない。由紀にもしたことはない。だが、そうしたい衝動があった。
お房もまた、男の一物は口にしたことはあったが、はざまに男の口を迎えたことはなかった。
「示現さま」
と叫んでいた。
勝手に尻が浮き震えるのだ。その尻がしっかりと男の腕に抱きかかえられている。体の奥に生じた熱い珠《たま》が溶け出していくのを覚えていた。
「お情けを」
と叫んだ。
男が体を起こして腰を寄せた。お房は手をのばして男のはざまを捉《とら》えると、手を前後させながら、切れ込みに誘った。それが一気に体を貫いたとき、お房は狂っていた。
このまま死にたいと思った。なぜ体がこれほどまでに燃えるのかわからない。燃える体が恨めしい。このまま燃えつきたいと思う。
続けざまに体が震えた。
お房は、薄目を開けて示現を見た。亭主を打ち殺したときの怖ろしげな顔ではなくむしろ、ずっとむかしからごく馴染《なじ》んだ男の顔のように見えた。
「わたしたちはどうなるのです」
「わからん」
この男を愛しいとも思う。だが、その裏には怨みがある。亭主を殺されたいま、死ぬのに未練はない。だが、さきほど示現に脇差を投げ与えられたとき、男を刺すこともできなかったし、おのれを刺すこともできなかった。
「ゆるせ、とは言えん」
「ゆるしません」
そう言って、お房は再び三たび、逞しい男にしがみついていった。
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上田を出て、七丁ほどのところに、神川が流れている。その木橋の上に、栂尾左内は立っていた。左手に寺が見えていた。信州・国分寺とある。
橋のかなたに示現の姿があり、その後ろ十間ほどの所に、立木によりかかるように、お房が立っていた。
左内は、橋の欄干に両手をつき、水の流れに目を向けている。朋友《ほうゆう》とでも、この橋の上で待ち合わせているかのような様子である。これから斬り合うのだという高ぶりはどこにもない。
小田丸弥介は、この道を通って越後・高田に向かう。小者がそう知らせて来た。
「四十五か、齢《とし》に不足はないようだな」
と低く呟いた。
かれは、さる小藩の徒目付だった。小藩だけに、剣術指南など置いていない。わずかに剣術道場はあった。その道場で剣術師範を兼ねていた。師範としての禄があるわけではない。もっとも剣術に興味を持って通ってくる門弟は少なかった。武士であっても、武芸は無用の長物と化していた。武張《ぶば》ったことは、藩士たちの侮蔑《ぶべつ》の目を浴びることさえあった。
重い両刀を腰に差しているのは、それがしきたりであったからに過ぎない。刀を抜く機会などなかったのだ。藩士たちの中には、刀刃を細く削って、軽くする者も多かった。
そんな中で左内だけは、おのれの神道無念流の技を練って来た。徒目付は下士を取り締まる立場にある。加えて、泰平の世とは言え、何があるかわからない。万一のときには、藩のため、藩主のために働かなければならない。そう思い込んで、剣法のことは片時も忘れたことはなかったし、また剣法はかれの趣味でもあったのだ。
ところが、藩主が酒色に溺《おぼ》れ、狂って五人の侍女を斬った。それが公儀に知れて、改易となったのである。もっとも藩主には嫡子《ちゃくし》もなかった。
それから、左内の流浪がはじまった。浪人に挑まれて、それらを斬った。その数五十を超えていた。
二年前、大岡越前の内与力という士に呼ばれ、「大岡さまのために働け」と言われた。左内に異存はなかった。金はどこからか運ばれてくる。懐中には大岡越前の手札があった。それが道中どこでもものを言った。
浪人の群れの中にあって、浪人たちの噂話、浪人の動きを、書状で越前に知らせるだけでよかった。
「行く川の水は、二度とかえらず、か」
と声に出して、小さく笑った。
示現が小田丸弥介に敗れた、と聞いたとき、死を予感した。もちろん、その理由《わけ》はわからぬままである。見えないはずのものが、見えて来た。ぼんやりとしているときなど、旅籠《はたご》か木賃宿にいて、表の街道を歩く人が見えたりした。寝ていて、夜空の月が見えたこともあった。気づいて表にとび出して空を見ると、そのまま月があったのだ。
そして、まるで吸い寄せられるままに、ここまでやって来た。剣には自負がある。だが、死の予感の前には、その自負も何の役にも立つまいと思えた。
むこうから男が走って来た。伊左次である。
「来ました」
と左内に声をかけておいて、走り去った。
橋のむこうには、棒を手にした示現が立っている。一目《いちもく》おいていた示現が、小田丸弥介に敗れて焦燥に身を灼いている。会ってみてはじめてそれがわかった。いまの示現には、わしさえ斃せまい、と思えた。自負を削ぎ取られていたのだ。
むこうに、人影が見えた。小田丸弥介であろう。偉丈夫である。その男がゆったりと歩いてくる。ゆったりと歩いているように見えて歩調は早かった。歩幅が広いのだ。
左内は、欄干から手を離し、迎える姿勢になった。背丈五尺八寸ばかり、胸板が厚そうだ。肩幅も広い。
この男が小田丸弥介か、と思った。双眸《そうぼう》に鋭い煌《ひか》りがあった。全身に翳《かげ》りがただよっている。その翳りが陽炎《かげろう》のように見える。
小田丸は橋のたもとで足を止めた。
「拙者は……」
と名乗りを上げようとしたとき、小田丸は刀を水平に抜いて、右手に下げたのである。左内は、殺気を放ったつもりはない。だが、小田丸はそれを感じたのか。
左内は、嗤《わら》った。機先を制されたような気がした。斬り合うのに、尋常な立ち合いというものはない。
間はまだ五間あったが、左内は三歩退いて、鯉口《こいぐち》を切り刀を抜いた。技は通じまい、と思った。
左内のほうから足を摺《す》って間をつめた。三間の間である。
「拙者、栂尾左内と申す。憶《おぼ》えておいていただきたい」
「わしが小田丸弥介であることは、すでにご承知のはず」
小田丸はそれだけ言った。隙だらけの構えである。右手に下げた刀刃が、天に向かって閃《ひらめ》くとは、示現に聞いていた。示現の棒をことごとく躱したとも聞いた。見切りに熟達しているものだろう。
左内は、肩の力を抜いてゆったりと正眼に構えた。構えには隙はない。相手がどのように斬り込んで来ようと、それに応ずる技はある。
お互いに正眼に構えたときは、その切っ先と拳を目に入れておく。そのどちらかが動かなければ、斬り込んでは来ない。だが、小田丸のように、刀刃を右手に下げられては、どこを見ていればよいかわからない。
二人はそのまま凍りついたように動かなかった。
対峙して時が流れた。
隙は技と技との間に生じる。動けばそれだけ隙を生むことになる。動くとも見えず、二人の距離は二間に保たれた。一歩踏み込んで一閃すれば、切っ先三寸が相手の体に届く距離である。もちろん、お互いにそのことは知っていた。
お互いの体に殺気はない。殺気は斬る瞬間にほとばしらせるものである。
陽が雲間から出て、二人の影を地面に焼きつける。風が吹いて砂塵《さじん》を巻き上げた。
小田丸は、右手を上げて、腰に据えると、刀刃を水平に構え、無造作に一歩、二歩と前に出て来た。その構えが、左内にはわからなかった。かれの考えでは、いかにも無謀である。
左内の切っ先は、小田丸の胸から一尺足らずのところにある。一閃すれば相手の肩を裂ける。隙だらけである。斬り込みたい誘惑に似たものが胸中に生じた。だが、正眼の構えが、守りの形であり、刀刃を上げるか横に引くかしないと相手を斬れないことを忘れていた。
もちろん、切っ先を上げて、相手に刃を叩きつけるのは、刹那《せつな》である。そこに隙が生ずるとは思わなかった。
左内は素迅く、切っ先を上げた。次の瞬間、小田丸が動いたのを見た。刀を振り上げながら一歩退いた。相手の刀刃が閃いたのを見た。充分に躱したつもりだった。だが、敵の切っ先が予想以上に伸びて来たのだ。
左内は、再び正眼にもどした。そして、おのれの腹が裂かれていることに気づいた。ほんの切っ先一寸ほどだろうが、背筋に凍りついたものが走った。
横に裂かれたのだから、帯は切れない。だが、傷口から、じくじくと流れ伝うものを知った。
再び対峙したが、すでに左内には余裕がなかった。腹から血が流れ出している。このままでは、相手に斬られなくても倒れることになる。決着を早くつけなければならない。捨身の一閃しか左内にはない。このときすでに左内は敗れていた。
左内が切っ先を上げたとき、小田丸の右手にした刀刃が動いた。目の前に閃きがかすめたとき、左内は斬り込んでいた。だが、その刀には何の手ごたえもなかった。体は前のめりになっている。次の瞬間、閃きが首のあたりを水平に走るのを見た。
示現は、左内の首が飛ぶのを見た。胴から首が離れ、欄干で弾んで川へ落ち、一呼吸あって、首が川水に達した小さな音を聞いた。その音を耳にし、左内の首を失った胴が橋の板に倒れるのを見た。
剣に残心というものがある。敵を斬ったあとの構えである。小田丸弥介は、左内の首を刎ねた刃を、そのまま、示現に向けていたのである。
小田丸は、ゆっくり歩み寄って来た。刀刃は、右手に下げたままである。この男には左内を斬って、まだ、余裕があった。
凄《すさま》じい斬り方だった。このように人が人を斬るのを示現は、これまで見たことがなかったのだ。
「示現!」
小田丸弥介は、示現を睨《にら》み据えていた。示現はその眼光に惨《むご》いものを見た。
「小田丸弥介、刀を引いてもらいたい」
示現はそう言って、二歩三歩と退った。更に三歩下がると、くるりと背を向けて歩き出した。
その示現に女が寄り添うのを小田丸弥介は見ていた。
二人の姿が見えなくなって、弥介はふとおのれに還ったように、刀を鞘に収めた。
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左柄次郎左衛門は、高田城下の旅籠で、平三郎の首を枕もとにおいて眠りについた。この首のために神経はささくれ立ち、敏感になっていた。ほんのわずかな音にも、目が醒めた。仁助は女を抱いたまま眠ったようだった。
夜が明けた。
高田藩の徒目付、大村俊太郎がこの宿を訪れることになっていた。そこで首を渡し、仏生寺家の再興を約束してくれれば、肩の荷は下りるのだ。
仁助が起き出して来て、照れたように笑った。
「どうだった?」
「そりゃ、もう……」
と仁助は頭を掻く。
朝食を終えて、亭主が姿を見せた。
「大村さまは、午前《ひるまえ》には、こちらへおいでになるそうでございます」
「造作をかけるな」
平三郎の首のわけは話してある。
次郎左はのんびりした時を過ごした。胸中には充実感があった。障子を開け放して、城下町を見る。奇妙な城下町だった。町の中央に田畑がありそれを家屋が取り囲んでいるのだ。
城下の町中まで畑にしなければならないわけが次郎左にはわからない。
七日前に、町の南側を流れる矢代川《やしろがわ》の今泉河原で、百姓三十人が処刑されたことは、宿の亭主に聞いていた。だが、次郎左は頸城《くびき》騒動を知らない。ただ百姓の叛乱《はんらん》とだけ耳に残っていた。その処刑のために、町そのものがどこか殺気立って見えていた。
百姓も町人も、処刑の衝撃から抜けきれないでいるのだ。
この越後は、むかしは百姓たちも、わりに楽な暮らしをしていたが、公儀によって天和《てんな》検地が行なわれ、隠田《かくしだ》、歩延《ぶのび》など、重箱の隅をつつくような厳しい検地で、租税が重くなり、四公六民の税が、五公五民で取り立てられるようになり、百姓は困窮し、それが原因で、頸城騒動が起こった。
約束通り、大村俊太郎は姿を見せた。だが、
「一両日、お待ちいただきたい」
とのみ言って帰っていった。
なぜ待たなければならないのかは、次郎左にはわからない。待てといわれれば、この宿を動くわけにはいかないのだ。それに平三郎の首がある。狙われるかもしれないという危惧《きぐ》もないではなかった。高田藩に首を引き取ってもらわないことには、この一件は落着しないのだ。
一両日待て、と言われて次郎左は戸惑いを覚え、落ち着かなくなっていた。高田藩としては喜ぶべきことのはず、次郎左はそう思い込んでいる。藩の重臣が仰々《ぎょうぎょう》しく列を組んで首を受け取りに来てくれるとは思わないが、仏生寺兵衛の従兄がいると聞く。腹違いの弟もいる。また親戚《しんせき》、友人もいよう。それくらいの顔は揃ってもいいはずだ。
部屋の隅には首桶が置いてある。それに一瞥《いちべつ》をくれ、立ったり坐ったり、部屋の中を歩きまわり、次郎左は落ち着きを失っていた。
大村俊太郎は、高田藩の代理としてやって来たはずである。藩の態度がはっきりしないのか。なぜはっきりしないのか。次郎左には心外なのだ。
「旦那、気にしたってしょうがねえんじゃないですか」
「一両日待てとはどういうことだ」
「お大名にも都合というものがあるんでござんしょうよ」
「仇討ちに都合があってたまるか」
仁助はにこにこしている。この男には平三郎の首などどうでもいい。ただ、お絹という飯盛り女に裏を返せることだけがうれしいようだ。
次郎左は、不機嫌に刀を抱いて窓辺に坐り込んだ。仇討ちは名誉なこととされている。親の仇《かたき》を討った者は、その苦労を労《ねぎら》われ、藩士の羨望を集めるのが常である。
赤穂浪士事件は、実際には仇討ちではなく、単なる復讐《ふくしゅう》であった。それでも、江戸の人々は喝采《かっさい》を送り、いまでも語り草となっている。
父の仇を討った仏生寺兵衛は、藩にとっても、城下町にとっても、名誉の士ということにならなければならない。たとえ仏生寺が死んだとしても、仇を討ったことに変わりはないのだ。それなのに、平三郎の首は無視されている。それが次郎左には不快だった。
翌日の午すぎに、大村俊太郎は、再び宿に現われ、次郎左の部屋に上がって来た。大村は部屋の中を見回し、床の間に据えられた首桶を目にすると眉《まゆ》をひそめた。その大村の顔を次郎左は見ていた。
大村が、首桶を背にして坐り、次郎左が向かい合って下座《しもざ》についた。その後ろに仁助がひかえた。
「あれが、仏生寺兵衛どのの父の仇、青木平三郎の首です。残念ながら兵衛どのは、その首を奪わんとする賊の手にかかり相果てられた」
大村は、わずかに頷いた。
「拙者と、この仁助の二人で、ここまで首を運んでまいった。その間、八人の浪人に襲われましたが、どうやら無事に……」
「ご苦労でした」
大村は、小さな声で言った。何か言いにくそうな様子である。次郎左は苛立《いらだ》った。
「仏生寺家は、再興できるのでしょうな」
「それは……」
と言いよどんでおいて、まだ思案している。
「実は、当家の重臣の方々が、いまだ評議中でして」
「いまさら、何を評議されることがあるのか。それよりも、まず、首を改めていただきたい」
「いや、それには及びませぬ」
「大村どのが、仏生寺家再興をお約束いただければ、われわれはこれで立ちのくつもり」
「少し、問題がござる」
「問題とは?」
「仇討ちと申すものは、当人が当藩庁に仇の首を持参してこそ成就するものと考える」
「それは……」
「たしかに、仇討ちは、当藩にとっても名誉なことです。その名誉の士が、賊に討たれたとあっては、かえって不名誉になり申す。そこをいま評議中でござる」
「それは、それは理屈にすぎぬ。仇討ち成就の件は、すでに当藩の江戸屋敷に届けられているはず。江戸屋敷では、この届けを受け付けていないと言われるか」
「いや、そうは申していないが、とにかく、いま一両日、お待ちいただきたい」
大村が座を立った。
「大村どの」
「評議は、今日中にでも決するはずです。とにかくお待ちを」
大村は、部屋を出て行った。
次郎左は、恩賞を求めて、わざわざ首を運んで来たのではない、という思いがある。それにしても、大村が首桶を見たときの顔は、次郎左を不快にした。
いま、重臣たちが評議しているのは、仏生寺兵衛じしんが、平三郎の首を藩庁に運び込まなかったことについて、と聞いた。たしかにそれも理屈ではある。だが、江戸藩邸で仇討ち成就を認めていれば、その時点で仏生寺家再興は決まっているはず。いまさら評議する必要などない。
次郎左の苛立ちは昂《こう》じた。部屋に首がある限りは外に出るわけにはいかない。肥前屋の手の者が、盗みに入らないとは言えないのだ。
「わけが、わからん」
吐き出すように言い、かれは畳の上に寝転んだ。そしてまた坐り直す。
その夜、二人の部屋に曲者が忍び込んだ。苛立って、酒を呑みすぎた次郎左は、旅の疲れが出て、眠りこけていた。
ただ、仁助が飯盛りのお絹を抱いたあとで、まだ眠りについていなかったのが幸いした。かれは、物音に起き上がり、石を握り、道中差を腰にして、襖《ふすま》を開けた。暗闇《くらやみ》の中に黒い影があった。
影が首桶を抱いたとき、仁助の礫が飛んだ。わっと叫ぶその声で、次郎左はとび起き、刀を掴んでいた。仁助が、
「旦那、灯りをつけておくんなさい」
と落ち着いた声で言った。
かれは船大工でも、武芸者である。盗人を捕らえることくらいわけないことだったのだ。
行燈に灯りがついたとき、仁助は曲者を腰紐で後ろ手に縛りあげていた。
四十近い職人風の男だった。
次郎左にしてみれば不覚だった。首を盗まれては、これまでの苦労が水泡に帰す。
「誰に頼まれた!」
男はふてくさって笑っている。ただの盗人ではない。
「首を盗んで、どうしようというのだ」
「へえ、首だったのかい。金目のものと思ったんだけどな」
男はうそぶく。
「肥前屋に頼まれたか」
「一体、何のことだい」
男は、上目遣いに次郎左を見た。その目つきは、肥前屋お勢を知らないもののようだった。
「旦那、こいつの口を割らせやしょうか」
仁助の目が煌った。
「いや、こちらの藩の役人に渡したほうがよかろう」
「旦那、こいつはただの盗人じゃありやせんぜ」
次郎左は黙った。
平三郎の首にそれほど執着のない仁助には何か脳に閃くものがあった。それは大村俊太郎のそっけない態度と結びついていた。
「あの大村という徒目付に頼まれたんじゃありやせんかね」
「馬鹿な、大村どのが、このようなことをするいわれがない」
仁助は、小田丸弥介が、碓氷峠で平三郎の首を持ち去ったときのことを思い出していた。そのときには弥介がなぜ、首を持ち去るのかわけがわからなかったが、こうして盗人まで入ってみると、理由《わけ》がありそうな気がして来たのだ。もちろん、明白なことは仁助にわかるはずがない。
「旦那、こいつの口を割らせてみやしょうよ。役人に渡すのはそのあとでも」
これまで、首を狙って来たのは、浪人たちばかりだった。盗人ははじめてである。次郎左は困惑するばかりである。
「あっしにまかせておくんなさい」
そう言って、仁助は盗人を蹴転がしておいて、道中差を抜いた。先が鋭く尖《とが》った諸刃《もろは》の刃物だった。
かれは盗人の腹を踏みつけ、帯を裂き、着物の裾をはね、下帯の間に刃物を押し込んだ。音をたてて下帯が裂けた。
「な、なにしやがる!」
男の目に怯《おび》えが浮いて出た。
仁助は平然とした顔で、赤い糸を男の凋《しぼ》んだ一物の根元にぐるぐると巻きつけ、それを締め上げ、結んだのである。一物はみるみる膨れ上がり、暗紫色に変色し、更には異様に大きくなった。
その巨大なものに、仁助は刃物をぴたりと押し当てたのである。
男は目を剥き、そして顔もどす黒くなった。
「おれは気が短けえんだ。一度しか言わねえから、よく耳を立てて聞きやがれ。返答次第ではぷつりといくぜ。もっとも血止めはしてやる。死にはしねえ」
「わ、わかった。助けてくれ」
「だから、殺しはしねえと言ってるんだ。ただ、女を抱くことはできなくなる。それに立ち小便もできなくなるな。女のようにしゃがんでするんだな」
「言うよ、大村さまに頼まれた。大村俊太郎さまだ」
聞きもしないのに、男は叫ぶように言った。
「まだ、何も聞いてはいねえぜ」
男にも、仁助がただ者ではないということがわかったとみえた。
「まず、名を聞こうか」
「ま、松造ってんだ」
「松造さんかい。首桶を盗みに来たんだな」
「そうだ」
「口のきき方に注意しないか」
「そうでございます」
「大村俊太郎っておさむれえと、どんな関《かかわ》りがあるんだ」
「あっしは、大村さまのお屋敷に出入りしてる植木屋でございます」
「植木屋が、なんで盗人なんかになりやがった」
「ですから、大村さまに頼まれて」
松造の顔が苦痛にゆがんだ。一物は一段と膨れ上がっているようだ。
「何で首桶を盗むのか、聞かなかったのか」
「高田藩のためだ、ということで」
「藩では、盗人までやらせるのか」
「え?」
剥いた目が、きょろきょろと動いた。
「旦那、どうしやす」
「もうよい、放してやれ」
次郎左は顔をそむけた。
高田藩松平家にとっては、平三郎の首は迷惑だったようだ。理由はわからないが、大村俊太郎の顔色だけでもわかったし、このようなこそ泥を向けるとは、一体どういう気だ、と次郎左は、夜具の上に胡坐をかいた。
この松造という盗人を頼んだのは、大村俊太郎だろう。いまは疑いようがない。首が松造に盗まれていれば、それですべては終わっていたのだろう。高田藩が浪人の言うことなど受けつけるわけはない。たわごとで済まされてしまうのだ。
「どっちにしても、おめえは、ただじゃすまねえな。徒目付が盗人をたのむわけはねえし、もし、おめえの言うのが本当だったら、高田のお殿さまにも災難が及ぶことになる。松造さんよ、ほんとのことを言ってもらおうかい」
松造は泣いていた。痛みに身をよじってもいた。
「たすけてくれ。その糸を解いてくれよ」
「いいかい松造さんよ、おれは江戸南町のお奉行さま、大岡越前守さまのお手先だい。これを見なよ」
と仁助は、懐中の通行手形を出して見せた。旅をするには手形がいる。越前の内同心が、朱鞘の道中差を渡したときに、手形ももらったのだ。
「げっ!」
脂汗だらけになった松造は、再び目を剥いて手形を見た。
「仁助、止めておけ」
次郎左がにがにがしく言った。
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小田丸弥介は、北国街道を高田へ向かって歩いていた。すでにかれを迎え討つ浪人はいない。九沢半兵衛が再び、刺客を放つとは思えないし、肥前屋お勢は平三郎の首を諦めた。
その首は、とうに高田藩に届いているのか。届いているとすれば、どこかで次郎左と仁助に会えるはずである。その二人から結果を聞きたいと思った。
「次郎左のことだ。仏生寺家が再興されるまでは粘るはずだ」
いまは、平三郎の首にこだわりすぎた、という思いがあった。弥介ははじめからこの首を疑ぐっていた。大岡越前のやり方に憎悪があった。その憎悪が疑惑を生んだ。
その結果がこれである。もし、越前が仕組んだ芝居であれば、弥介が好むと好まざるとに関りなく、越前は目的を達したことになる。
弥介も仁助も、次郎左も、越前の手の中で勝手に踊ったに過ぎない。
だが、弥介も望みを失ったわけではなかった。高田藩が仏生寺家を再興すれば、芝居ではなかったことになる。それを肥前屋お勢のためにも願った。
お勢を疑ぐって、とことん追いつめたが、かの女は、みごとに言い抜けた。そのお勢のためにも、平三郎の首は本物であって欲しかった。
お勢の白い貌《かお》がある。白い豊かな肌があった。二度とお勢を抱くことはかなうまい。かれを呼びもどそうとしたお勢の叫びが、耳の底に残っている。
「はじめて惚れた女か」
声に出してみた。
体は、お勢の乳房も、はざまも忘れている。一物を握った手も、そして、一物を咥えた口も、奥深くまで一物を埋めた壺も、すべて忘れてしまっている。その一つ一つを脳だけが憶えていた。だが、記憶は時と共に薄れていくものだ。
お勢を恋しい、と思ったのは栂尾左内といった浪人と出会うまでだった。左内と対峙したとき、女への恋慕の情は消えていた。
「わしは、情について淡白なのかもしれん」
と思う。だが、お勢の体の部分部分は忘れ難い。いま一度抱きたいと思う。それはやはり情とは異なるものだろう。
街道のかなたに、黒い影が立った。浪人である。弥介を待つ風に、街道の真ん中に両足を踏んばるように立っている。
弥介は歩速を変えずに歩き、歩きながら刀の鯉口を切った。敵であれば斬るより他はない。橋の上で斬った栂尾左内という浪人も、弥介の予測しない敵だった。なぜ栂尾が挑んで来たかは、弥介は知らない。使い手だった。だが、かれが江戸で斬った浪人たちも、栂尾に劣らない剣士だったのだ。
弥介は、鯉口を収めた。そこに立っていたのは、九沢半兵衛だった。もちろん、両国橋の上で浴びた一閃を忘れたわけではない。二度と刀刃を浴びるつもりはない。
「弥介、待っていた」
歩く弥介に、半兵衛は肩を並べていた。
「決着はついたのか」
「まだ、ついていないが、次郎左が危うい。助けてやってくれぬか」
「おまえも、次郎左のこととなると放ってはおけぬようだな。半兵衛、おまえがやればよいではないか」
「おれは次郎左の前に顔を出せぬ」
「越前の走狗になり下がってしまったからか」
半兵衛は笑った。
高田の城下に入り、居酒屋を求めた。小座敷に向かい合って坐り、酒を頼んだ。
「半兵衛、栂尾左内というのを知っているか」
「知っている。神道無念流の達人だ」
「その栂尾がわしに挑んで来た」
「なぜだ」
「それを、おまえに聞いている」
「栂尾は、越前の手先の一人だ。なぜ、おまえに挑まねばならぬ。越前がおまえを斬れと言うたのか」
「いや、そうではあるまい。静かな男だった」
栂尾は静かにゆったりと刀を構えた。越前に斬れと言われたのであれば、気迫がなければならない。
酒が運ばれて来た。お互いに酌をして盃を交わした。
「それはそれでよい。済んだことだ。次郎左の話を聞こうか」
「次郎左は、いま仁助と共に、平野屋という旅籠にいる」
「首は、松平家に渡ったのか」
「いや、まだ次郎左の手もとにあるようだ。藩庁でも困惑しているようだ」
「なぜだ。仏生寺兵衛は、松平家の臣ではなかったのか。そうではないのか」
半兵衛は、酒を呷った。江戸にいたときと同じように暗い顔である。
「百姓次之助というのに会うてみた。その母親は仏生寺家の下女をしていたというたな」
弥介は、前にこの高田に来たとき、半兵衛に事情を話し、調査を頼んでおいたのだ。
「そう聞いた。その下女に仏生寺の父左衛門が手をつけて産ました子だと」
「その女は、たしかに仏生寺家に奉公していた。そして仏生寺左衛門が手をつけ、次之助を、親のもとで産んでいる。その次之助はいま十八歳でいい若者になっている」
「うむ」
と弥介は唸った。
仏生寺兵衛の異母弟に当たる次之助は本物だったのか。もっとも、その次之助は、仏生寺家とは関りなく生きている。
「間違いないか」
「なさそうだな」
すると、高田藩に仏生寺家はあったことになる。藩徒目付の大村俊太郎を、弥介は信用していなかった。次之助に会うかと聞いたが弥介は断わった。大村俊太郎の言ったことは全くのでたらめではなかったようだ。
「三ツ亀甲《きっこう》!」
と呟いた。これも本当か嘘《うそ》かはわからない。謎が多すぎた。
「大村俊太郎は、次郎左をもて余している。松平家としては、仏生寺家を再興できるわけがない。それでは次郎左が承知しまい。とすれば、次郎左を始末したほうが早い」
「次郎左は、あの首をしっかり守っているのか」
「次郎左のことだ。仇討ちと聞いては一歩もゆずるまいて」
「そこが次郎左のよいところか」
「そういうことだ」
半兵衛は、煎《せん》じた薬でも飲むような顔で酒を呑んでいる。酒はうまいわけがないのだ。ただ、酔うために呑んでいる。
半兵衛は、むかしから妙に次郎左に肩入れしている。次郎左が可愛《かわい》いのに違いない。もちろん、そのことを次郎左は知らないはずである。
「弥介、次郎左を救ってやってくれ。やつは平三郎の首に命を賭けている。なかなか引き下がるまい」
「わかった」
弥介は、平野屋の場所を教えられて、居酒屋を先に出た。
小田丸弥介は、旅籠平野屋に入ろうとして、首を回し、大村俊太郎の姿を目にして、ものかげに姿を隠した。そして、弥介は表で待つことにした。
遠くに、藩士と見える十数人の姿が、ちらちらと見えたからでもある。大村は、次郎左と仁助を討ち取るつもりのようだ。二人を消し、首を始末してしまえば、この事件のけりはつくのだ。
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部屋では、大村俊太郎と左柄次郎左衛門が対座していた。
「昨夜、貴公のこの部屋に盗人が入ったと聞いた」
次郎左は、頷いただけである。襖のむこうに仁助が植木屋松造を縛って付いている。
「その者を、お渡し願いたい。当家で処罰いたす」
「渡してもよい。だが、仏生寺家の再興はできるのであろうな」
「それは……」
「仏生寺家の再興を約束していただければ、その他は、何も言うことはない」
「まだ評定は続いている」
「何も、それほどむつかしいことではないはずだが」
「とにかく、左柄どのも、旅籠にいては物入りでござる。評定の決着がつくまで、当家のほうで宿を用意いたした。ご同道下されるな」
「同道いたす」
次郎左は、仁助によびかけた。
襖が開くと、そこに松造が縛られ、泣きべそをかいている姿があった。
「大村さま」
松造が、情けない声を出した。
「わしは、おまえのような盗人は知らん」
と睨み据えた。
「大村の旦那、猿芝居は止めにしやしょうや」
仁助が笑いながら言った。
「なにっ、無礼な」
大村はいきんだ。次郎左は仁助を制した。
次郎左には、盗人のことなどどうでもよかった。ただ仏生寺家の再興がなれば納得できるのだ。それは赤穂浪士の生き残りの意地でもあったのだろう。首に関しては一歩も引かない頑固さがあった。
「旦那、この植木屋も連れていくんですかい」
仁助はわざと植木屋と言った。大村は仁助に鋭い一瞥を向け、
「そこに置いといてくれ。あとで当藩の者が受け取りに来ることになっておる」
「左様でござんすかい」
と仁助は、松造を蹴転がしておいて、紐で足首まで縛った。そのあとで仁助は首桶を抱きあげ、そのまま背負った。
二人は、大村に従って平野屋を出た。大村と次郎左は肩を並べる。そのあとから歩きながら、仁助は手ごろな石を拾って懐中に入れる。
それを、大村が不審気に振り向いた。仁助は刺青者である。何か危険を察知したものとみえた。石を拾い、それを眺めて、懐中の石の中から選んで気に入らないものを捨てる。石の形によって石の飛び方が違うのだ。
大村俊太郎は、町を南へ向かった。
「大村どの、おれは仏生寺家が再興されるのをこの目で確かめるまでは、城下を立ち去るつもりはない」
「ずいぶんの思い入れでござるな」
「仏生寺兵衛と約束した」
「仇討ちは当家にとっても名誉なことだが、先日申し上げた通り、当人が賊に殺されたとあっては、名誉も帳消しになりかねない」
「そのような話は聞いたこともない」
「藩にはそれぞれ決まりがござる」
仁助は、石を拾いながら、大村俊太郎を見ていた。まだ三十前だが、その腰の振り方からして、剣の熟練者と見た。この高田藩でも屈指の達人に違いない。その自負が動きに、歩き方に出ている。
左柄の旦那が斬られる、と思った。だが、それを止めようがない。次郎左は仏生寺家の再興だけしか考えていない。この徒目付に不満はあっても、疑ってはいないようだ。
三人は川岸へ出た。矢代川の今泉河原である。ここで十日ほど前に、百姓三十人が処刑された。
荒涼とした風景だった。ただ水がかすかな音をたてて流れている。河原には、小石が無数にあった。拾うまでもなかったのだ。
川べりには芒《すすき》が茂り青々として、風にそよいでいた。
大村俊太郎が、そこで足を止め、振り向いた。仁助が、次郎左に囁《ささや》いた。
「旦那、どうやら囲まれましたぜ。三十人ぐらいで」
「なに!」
次郎左は、目を剥いた。島帰りの仁助のほうが、勘が鋭かったようだ。
「左柄どの、ここで死んでいただく」
次郎左は、一歩退いて刀を抜いた。大村俊太郎も腰をひねって刀刃を右手にしていた。
「仏生寺家の再興など、当藩にとっては迷惑なことでござる」
「なぜ」
俊太郎は笑った。
左手を上げると、草むらにひそんでいた者たちが立ち上がった。仁助の言った通りその数は約三十ほどだった。一方は川である。半円に囲まれていた。
その中から藩士が一歩走り出て来て、次郎左の背後に迫った。二人とも俊太郎に気をとられて気づかなかった。
「旦那!」
と仁助が叫んだときには、藩士の切っ先が、次郎左の背を裂いていた。次の瞬間、仁助が藩士の脇腹を鎧通しで抉《えぐ》っていた。
石を投げるには、俊太郎の位置が近すぎた。仁助は次郎左をかばって前に出た。
「下郎!」
俊太郎が、刀を上段に振りかぶったとき、背後で、藩士たちの叫びと悲鳴が上がった。一人二人と虚空を掴んで倒れる。そこに浪人の姿があった。
浪人は、刀を峯《みね》に返し、その峯で声もあげずに、藩士たちの頭を打っていたのである。一呼吸のうちに、五、六人が倒れていた。
弥介だった。
「小田丸の旦那!」
「仁助、次郎左を守れ!」
叫んで走り込んでくる。
俊太郎は、斬りつけたが、一閃を仁助に撥《は》ねかえされた。そこに弥介が走って来た。あわてて俊太郎が刀を正眼に構えるのを見て、弥介の刀刃が一閃二閃した。
「うむっ」
と俊太郎が呻いたときには、両方の二の腕を打たれていた。当然、骨は折れていた。弥介は俊太郎が落とした刀を拾い、じぶんの刀は鞘に収め、相手の衿首を掴んでいた。
「仁助、この男を楯《たて》にしろ」
言いおいて、弥介は走っていた。輪を縮めてくる藩士たちに向かった。気合いも発せず、一人一人を斬る。一人を斬った瞬間、次の一人を斬り下げる。薄士たちは木偶《でく》のように斬られた。
俊太郎が選んだ藩士だろうが、かれらには弥介の刀刃の動きが見えないようだった。弥介は背後に回られると走る。川の流れの中に踏み込み、追ってくる者を斬る。
五、六人を斬ったところで、刀を相手の胸に突き刺して、おのれの刀を抜いた。が、それは峯に返す。刃で斬っていたのでは、脂が浮いて斬れなくなる。峯で相手の頭を狙う。胴に叩きつける。
この技を弥介は、示現と闘ったあと思いついた。峯で打てば十人でも二十人でも相手にできるのだ。
「待て、みなのもの引け、引け」
大声が響いた。
「わしは久松十郎左衛門だ、引け」
叫んだ者は馬上にあった。
藩士たちに動揺が起こった。藩士たちは馬の方へ走った。
弥介は、次郎左と仁助のもとにもどった。次郎左は、そこにうつぶせになって倒れ、そばに大村俊太郎が坐り、咽元に仁助の鎧通しをつきつけられていた。
久松十郎左衛門が馬から降りた。城内から駆けつけて来たものだろう。
馬のもとへ駆けもどった藩士は、十二名を数えた。三十余人いた藩士の残りはすべて地に這っていた。弥介の刀法のもの凄《すご》さを物語っていた。
背中を裂かれた次郎左は生きていた。襲いかかった藩士に一閃で命を奪うほどの力倆がなかったのだ。仁助が次郎左の手当てをしていた。
馬から降りた久松十郎左衛門と名乗った武士は、その場に膝をついた。
「それがし、松平家の次席家老、久松十郎左衛門と申す」
「わしの名は、小田丸弥介と憶えておいてもらいたい」
「存じおり申す」
「ならば話は早い。ご家老にこの決着をつけてもらいたい」
「仏生寺兵衛は、たしかに当藩の者でござった。異腹の弟、次之助をもって、仏生寺家百二十石を継がせ申す」
「違うぞ、ご家老」
大村俊太郎が立ち上がった。
「当松平家に仏生寺という家などなかった」
「俊太郎、黙らぬか。おまえは頸城騒動の手柄をふいにする気か」
久松十郎左衛門も立っていた。
「ご家老、拙者ら藩士の矜持がある」
「言うな、俊太郎、何事も松平家のためだ」
久松が刀柄に手を掛けた。その手首を弥介の刀刃が押さえた。
「大村どのの話を聞きたい」
「俊太郎、口にするでない」
大村俊太郎は、それを無視した。二の腕で折れた両腕をだらりと下げていた。
「小田丸どの、当藩にも探索|方《がた》はござる」
「うむ」
「まず、申し上げる。仏生寺兵衛なる者、当松平家とは関りない。わが松平家がこの高田に移封されたのは、十年前でござる」
「なに」
「十五年前の高田城主は、戸田能登守さまであった。当然、青木平三郎も仏生寺兵衛も戸田家の者でなければならない」
「まさか」
「いま、戸田家は下野国《しもつけのくに》宇都宮である」
「わからん。ならば仏生寺兵衛は宇都宮に向かわねばならぬ」
「大岡越前どのが間違われた、ということは仏生寺兵衛なる者は、偽者《にせもの》であった。探索方の調べでは、たしかに仏生寺兵衛は仇青木平三郎の首は取った。そして、戸田家の江戸藩邸に届け出たよし。だが、その仏生寺兵衛は、何者かの手によって消された。そして、偽者の仏生寺兵衛は、この高田に向かった」
「越前が間違えるわけはない」
「大岡どのも人の子であったということだろう。人は間違いを起こすものだ。その大岡どのから、小田丸弥介が高田に向かったという早飛脚が来て、ご家老たちは狼狽した。そして私がその件について一任されたのだ」
「わからん」
「私は、奔走した。戸田家との間違いであることを大岡どのに早飛脚を走らせた。だが、大岡どのの返事は、いまさら変更はできぬ。適当に処理されたいということだった」
「…………」
「私は、貴公に吉沢嘉兵衛を引き合わせた。仏生寺とは関りない者だが説き伏せた。それで貴公にはお引き取り願うた次第。だが、当家に関りのない平三郎の首を受け取るわけにもいかないし、仏生寺家を再興させることなど思いも及ばないこと。そこの二人を抹殺して事件を片づける気になった」
「一つ聞きたい。肥前屋お勢なる者も、越前の手の者であったのか」
「そこまでは知らぬ。だが、平三郎の首には間違いはなかったようだ。この事件のすべては大岡どのの間違いから発したもの。当松平家としては迷惑千万」
「…………」
「小田丸どの」
大村俊太郎が声をあげた。
「小田丸弥介どの、最後に頼みがある」
「何だ」
「介錯《かいしゃく》をたのむ」
俊太郎は仁助を向いた。
「そこの小者、拙者の腹を切ってくれ。おまえもよう働いた」
仁助は弥介を見た。弥介が頷いた。俊太郎はこのまま助かっても、藩意にそむいた。詰め腹を切らされることを悟っているのだ。
俊太郎が砂利の上に正座した。仁助が刀を拾って来て、それに俊太郎の袖《そで》を引きちぎって、刃に巻きつけた。そして右側に回った。弥介が左側に立っている。
「かたじけない、お頼み申す」
仁助が切っ先を俊太郎の左脇腹に突き立てた。その刹那、弥介の刀刃が閃いた。首がかれの膝の前に落ちた。
「小田丸どの」
再び久松が声をかけた。
「この度のこと、大岡どのには内聞に願えまいか、責めはそれがしにもある。俊太郎にまかせたのは、それがしである。この者たちともども、腹を切ってお詫《わ》びする」
「そこまですることはあるまい。大村どのが一人責めを負って切腹された。それだけでよいはず」
「いや、この者たちも、俊太郎と共に謀議に加わった者どもでござる。罪は同じ」
「ご家老、それほどに越前が怖ろしいか」
久松は応えなかった。
松平家はこの高田からの転封を願い出ている。そのために頸城騒動には藩の勢力を注ぎ込んだ。残酷を極めた百姓三十人の死刑にもそれを見ることができる。その手柄を今度の仏生寺の一件で帳消しにされるのを、松平家の重臣たちは怖れているのだ。とすれば、それは大岡越前の幕府における威力を知っていることにもなるのだ。
越前の間違いで、松平十一万石が狼狽しているのだ。
久松は立って、生き残った十二人の藩士に、
「そのほうら、ここで腹を切れ、家名は立つようにしてやる」
十二人はうなだれた。
「ご家老、この者たちに腹を切らせたとて、何の得にもならぬ、と言っておく」
仁助が町の者四人を連れて来て、戸板を探し出して来た。それに次郎左をのせた。背中の傷がいつ開くか知れないのだ。
「ご家老、腹を切らせるよりも、わしの仲間の傷の手当てをたのみたい。死骸《しがい》の片づけにも手間がいる。そのほうを先にやるべきではござらぬか」
久松十郎左衛門は頷いた。
次郎左は、旅籠平野屋に運び込まれ、半時(約一時間)後には、藩医が駆けつけ治療した。
弥介は、仁助を次郎左の看病に残して、高田城下をあとにした。城下の出口に九沢半兵衛が待っていた。
「次郎左は助かるのか」
半兵衛としては心配でならなかったようだ。
「傷は浅い。半月で治ると医者も言うておった」
「そうか、よかった」
半兵衛は、弥介と肩を並べて歩く。
「越前が間違えるわけはない」
十年前に、戸田家と松平家が交代していたことを。もちろん、仏生寺兵衛の仇討ちについては、戸田能登守に話をつけていたものだろう。
「越前のやつ、わざと間違えやがった」
何のために。それは弥介も知らないし、知る必要もなかった。ただ、次席家老が、越前に怯えていたのは確かだった。弥介は、再び大岡越前の威力を思い知らされたような気がした。
「弥介、これからどこへ行く」
「わからんな。関八州を回っていれば、また何かにぶっつかるはずだ。越前がわしを遊ばせておくわけはないからな」
弥介は、途中、善光寺に詣《もう》でてみようかと思った。豊川|稲荷《いなり》は祟《たた》った。善光寺も祟るかもしれない。そんな思いがあり、唇をゆがめて嗤った。
高田・松平家は、当主|定輝《さだよし》の孫|定賢《さだよし》の代、つまり二十年後に、頸城騒動鎮圧の功績を認められ、奥州・白河領へ栄転になった。
[#改ページ]
新書 一九八三年一二月 青樹社刊
底本
集英社文庫
一九九三年二月二五日 第一刷