父が消えた 五つの短篇小説
〈底 本〉一九八一年三月十日 文藝春秋刊
(C) Katsuhiko Otsuji 2001
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目 次
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父が消えた 五つの短篇小説
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三鷹駅から東京発の電車に乗ると、ガタンといって電車が動いた。電車はどんどん動くので私は嬉しくなった。こんなこと、まったくいい歳をしてばかな話だけど……。でもいつもと反対の電車に乗ると、よくこういうことがある。
私はいままで、この三鷹駅からは東京「行き」の電車にばかり乗っていたのだ。だけど今日は三鷹駅から東京「発」の電車に乗って、八王子の墓地へ行ってくるのだ。電車はいつもの三鷹駅の固まった風景を、もう一枚めくるように動き出した。いつも見慣れていたつもりの風景が、どんどんめくられて通り過ぎて行く。珍しいことである。電車というのは反対に向うとじつにどんどんと動くのだ。この電車が動くという感じが嬉しくなってくる。
そもそも旅行の楽しさというものは、乗物が動くということではなかろうか。
子供のころ、町の中を通る荷馬車のうしろに、こっそり飛び乗って遊んでいた。私にはそれが旅行のはじまりだったと思う。自分の足を動かさなくても、乗っている物がひとりでに動いて行く。それがじつに楽しいのだ。
「でも馬車なんて、見たこともないだろうね」
私は同行の馬場君にいってみた。馬場君は私が東京行きの電車の神田で降りて行く学校の、二年前の生徒だった。いまは雑誌社に勤務している。今日はお休みである。
「馬車はね」
馬場君はむつりと答えた。馬車はねといった「ね」のつぎに、見たことないですよというのがつづくのだろうが、馬場君はそこはもう当然のように略して黙っている。背の高い、目の小さい人で、赤い頬の吹出物が印象的である。『生活』という雑誌の編集部にいる。今日は私のおつき合いである。
「でも不思議だね、昔は町の中を荷馬車が平気で通っていたんだから。道路の真ん中にね、馬糞をボタボタ、あたり前みたいにこぼして」
「へえ。凄いですね」
「凄いよ。いまだったら物凄い迫力ね。むき出しの馬糞だよ」
「むき出しだって……」
「そうだよ。みんなが服を着て通っている町の中で、むき出しの馬糞が上の方からボトン……、て落ちるんだもの。いまだったら大変だね。不衛生、不法投棄、人の迷惑も考えないでって、もう飼主の責任問題になってくるね」
「そりゃもう裁判ですよ」
「でも昔はそれがあたり前だったんだからねえ。いまだったら道路に落ちてるのはコーラの空罐ばかりだけど、昔はあれが全部馬糞だったんだからねえ、ナマの馬糞だよ、むき出しの馬糞」
「あんまりそう馬糞、馬糞て、強くいわないで下さいよ」
馬場君は伏目になって苦笑いしている。
「あ……」
そうか、名前がいけない。いや名前はいいけど、話題がいけない。
「でもねえ、不思議な気がする。あんな風景、たった三十数年前のことなんだから……」
「え、三十数年……」
馬場君はいま二十五歳。私は黙った。ちょっと黙って、当てもなく車内を見回して、右手から左手に吊革を持ち替えてみた。あいた方の右手は、シャツのボタンをいじったりしている。窓の外を見た。電車はどんどん風景をめくって走りながら、風景をめくる風がヒラヒラと頬に当たる。はじめて頬に当たるような新鮮な風である。私はまた楽しくなってきた。これはやはりこっそりと、荷馬車の後に乗っている感じ……。小学校の二年生のころだった。学校から町の清掃にかり出されて、みんなで道路の馬糞を拾い集めた。ブリキの大きなチリ取りを持ち出して、最初は棒の先で拾っていたのが、しまいには面倒になり手づかみになってしまった。人間の糞は体の中をねちねちと通ったみたいで嫌になるけど、馬糞というのは物が素通りしているふうなのだ。物だと思えば平気なのだ。よく考えたら工作の時間にはいつも馬糞紙に触っているではないか。この道路の馬糞にしても、拾い集めたら結局は全部馬糞工場に運ばれて、いずれ馬糞紙になるのだろうと思ったりしていた。だけど馬糞と馬糞紙の関係については、いまになってもその真相を知らないままでいる。馬糞紙って、本当に馬糞から出来ているのだろうか。
「馬糞紙のことだけどね」
「え?」
「いや、図工なんかで使う厚紙だよ」
「あ、ボール紙でしょ」
「あ、そうだ、ボール紙だったな。ボール紙か……」
「まだ馬糞のことを考えてるんですか」
「いや、ボール紙のことなんだけどね……」
私はまた吊革を持ち替えた。ちょっと目の縁をこすってみたりした。どうもいけない。馬糞のことではないのだった。荷馬車のことなのだった。そもそもは動くということなのだ。この頬に当たる風のこと。風景をめくっていく風のこと。
昔やっぱりガタンと動いた汽車があった。九州の大分から引越して来るときだった。夕方の大分駅だった。たぶん夕方だったと思うのだけど、そのころの大分駅といえば、いつも夜中ばかりを思い出す。それも夜明け前の、いちばんドン詰まりの夜中なのだ。兄が旧制の中学を出て上京するときもそうだった。まだ月が出ている、みんな寝静まった町の道路なのだ。オーバーの襟を立てながら、家族全員でぞろぞろと見送りに行った。そんな暗い町を、ほかには誰も歩いていなかった。それでも駅に着くと、まわりには何人かの人がポソポソと汽車を待っていた。電球が一箇所か二箇所だけ、チカリと光っていて、みんな静かに押し黙っていて、何か話すにしてもヒソヒソと小さな声で、ほんの短い単語で、その単語といっしょにもれる息だけが白く、湯気のように出ていた。そうすると夜の向うの方から、これもまた吠える声をじっと隠した、鉄のライオンのような機関車がやって来て、これも近づくとゼイゼイと白い息を吐き出しながら、線路の上に重しのようにズシリと止まる。駅で待っていた何人かの人々は、まるでその獣の殺気に感じたように、みんな緊張して姿勢を正し、荷物をしっかりと握り締める。そしてその鉄のライオンの牙のあたりをチラチラと盗み見て、怒らせて噛みつかれては大変と、体中で気をつけているかのように、そうっと足を踏み入れて、その中に歴史的に乗り込むというふうだった。兄の上京のときがそうだったし、姉のときもそうだった。父の転勤のときもそうだった。いずれのときも夜中の四時ごろに起き出して、暗い中をみんなでぞろぞろ見送りに行くというのが、当時まだ小学生になったばかりの私に、事の重大さを教えてくれた。いま考えると何故いつもそんな時間なのか不思議だけど、たぶん当時のダイヤの都合で、大分駅ではそうなるほかに仕方がなかったのだろうと思う。黒い鉄のライオンがぎしぎしと去って行って、みんなが寒々とうつむいて帰るころ、町の道路がほんのりと白くなっていた。
だけど転勤の父につづいて家族全員が引越すときには、夕方の大分駅になっていた。たぶんその後のダイヤ改正で、大分駅にも便利な時間が出来たのかもしれないけれど、いずれにしてもただ漠然とした子供の頭の記憶なので、あてにはならない。
家族の引越しは十年振りのことだった。それまではほとんど二年おきくらいに引越しをしていたらしい。東京からはじまって、四日市、名古屋、横浜、芦屋、門司、そして大分に来てから十年である。私は横浜で生まれたので、記憶にあるのはせいぜい芦屋からだけど、その前のまだ私のいない家族写真には、端の方に「ねえや」が一人写ったりしていた。だけど私は「ねえや」なんて、吉屋信子の小説でしか読んだことがない。ねえやどころか、私はいつも玄関に立ってじっと中を睨む人の硬い顔を、襖の隙間からのぞき見ていた。その顔は額や頬の筋肉が蟹の甲羅のようだった。それは借金取だと上の兄姉から教えられた。だけどその顔はいつも見たことのある米屋や八百屋や乾物屋の人なのだった。その人たちがうちの玄関にじっと立つと、その顔が脂汗を塗り込んだ蟹の甲羅のようになるのだった。そんな顔をのぞき見ながら、いつも貧乏のコンプレックスというのを人一倍もたされていて、それをまた人一倍奥の方に温存していた。
温存というのもおかしいけれど、私には支えがあったのである。支えといってもマイナスの支えで、私はその引越しの前の年まで、重度の夜尿症に悩まされていた。中学の三年までの毎晩である。一晩に二度三度と漏らすこともあった。私の体はいつもアンモニアの匂いに包まれているようだった。家族は三部屋に分かれて寝ていたけれど、私の寝る部屋の畳は私の水分で徐々にへこみはじめ、へこむたびに布団の場所を変えたりしながら、結局は十年間の私の夜の小便で、その部屋の畳は全部へこまされてしまった。いま自分で考えても驚くほどだ。いまにして思えば自分の肉体が恐しくなってくる。だけどそのさなかにあっては、その恐しい肉体をもてあますことで、貧乏の圧力とのバランスをかろうじて保ってきていたのだった。思えば悲惨な綱渡り。
その引越しの駅には十年分のたくさんの人がいた。私の家は兄弟が多く、それぞれに友達も多かったので、見送りの人たちが団体みたいになっていた。私は上から五番目で、その下に六番目と七番目もいたのだけど、私の友達も大勢いた。コンプレックスを奥に秘めての友達、一番目の親友、二番目の親友、本当は一番好きだった人、本当はそのつぎに好きだった人、そういう人たちが大勢で汽車の方を見送っていた。賑やかで、私には寂しさも悲しさもなく、まるで友達もみんないっしょの旅行のような雰囲気だった。だけどそれは当然ながら旅行ではなく、もう会えない遠い町への引越しなのだった。汽車がガタンと動いたときに、私ははじめてそれに気がついたようだった。あっと思った。私はホームと同じ高さのデッキのところに立っていたのだけど、そのデッキが横すべりに動き出して、友達の顔が一番目も二番目も遠のいて行って、全部がひとかたまりになっていく。あっ、そうじゃない、ちょっと待てよという気持だった。それならそれでちょっとやり残したことがあったはずだと、私は慌てて右手を前に出した。だけど右手は空をつかんで、それがちょうど手を振っているような格好になり、駅のみんなもいっせいに手を振った。回転をはじめた鉄の車輪に揺れながら、その光景がさーっと遠くに去って行き、平穏だった私の表情がさーっと顔面から流れ落ちた。何か大変な失敗をしたという、その冷や汗のようだった。だけどもう取りかえしようもなくゴトンゴトンと汽車は動きつづけて、空をつかんだ右手はハタハタと風に打たれて、駅が遠く縮んで小さな斑点になっていく。あとは客席の窓から風景がどんどん横に通り過ぎるだけだった。私はまるで不安な宇宙船に乗り込んでしまった気分であった。そうやって、私たちは大分からまた名古屋へ引越しをした。
あのときもガタンという大きな鉄の車輪の回転が、その上に乗っていながら目に見えるようだった。いまもこの三鷹駅から乗っている鉄の車輪の回転が、風景をぐいぐいと動かしていく。
「やっぱり反対はいいねえ」
私は同行の馬場君にいってみた。
「賛成ばかりではぜんぜん旅行にもならないねえ」
「え?」
馬場君は、え? と疑問を発しながらも、またその先を省略している。疑問符だけである。もっともよく考えてみたら、馬場君にはまだ何も説明していないのである。大分駅のことも、汽車のことも、車輪の回転のことも。
「いや、旅行というのはただ動けばいいんだなと思って」
「動く」
「動くといってもね、いつもと反対に動く。いつもと反対に動けば旅行ができる」
「うわ、それ、教訓みたいですね」
「うーん教訓というか、でもこれ、やっぱり意外と教訓だよ」
「反対運動ですね」
「そうだ。反対運動だねこれは。反対運動は旅行だね。たとえばね、えーと、たとえばね、自分の家の便所に行くのにね、廊下を行かずに天井裏をはって行く」
「うわ、また、先生のは極端ですよ」
「いや、それはまあそうなんだけど、でも極端にいうとそうなるということ。旅行のコンセプト」
「あ、やっぱり芸術ですね」
「芸術だねえ、それをやれば」
「そうするとあれですね、自分の寝室に窓から侵入して眠ると寝台車」
「あ、いいねえ寝台車」
「いまはやりのブルートレイン」
「そうだよ、自宅で出来るブルートレイン」
今日この反対電車に乗ったのは、八王子霊園という都営墓地の調査と見物のためである。この春に、父が八十歳で息を引きとり、あの世へ行った。父は肉の隙間から外に出て行ってしまったのだ。父は痩せ形で、肉が隙間なく骨に寄っていて、それが布団から出られなくなった最後の一年間はますます細く硬くなっていたのだけど、それでも肉の隙間をつくってそこから出て行ってしまったのだ。死後、閉じていたまぶたがしだいに乾からびて開いていき、その隙間から白い眼球が少しずつのぞいてきたときにそう思った。
父が死んだとき、私は焼酎を飲んでいた。父が死んだのは夜だったけど、危ないという電話があったのはまだ夕方だった。横浜の兄の団地からである。そうっと潜めた母の声で、いま近所の医者が往診に来て、診察をしているところだという。意識がなくなっていて、かなり危ない様子だという。
私は電話を切りながら、やはり慌てて駈けつけるのがふつうだろうと考えた。だけど私はもうその前から父は死んだつもりになっていたので、素直に慌てたりすることができなかった。自分が慌てて駈けつける場面を想像すると、その慌て方がまるで世間に見せるために慌てているようで、かえってそれが恥ずかしくなってしまうのだ。
父はもうその前から少うしずつ死んでいた。一年か二年前、あるいはもっとずうっと前、本当は戦後の動乱で職業を切り落とされてしまったときから、一ミリ二ミリと死にはじめていたのだ。最後に目を見合わせたのは今年のはじめで、もう戦後三十年になっていた。私は久し振りにその顔を見て、ああこれはもうだいぶ死んだなと思わされた。父の顔もこちらをじっと見つめながら、もうだいぶ死んだよといっているようだった。私は母の電話を切りながら、そのときの顔を想い出していた。それから私は前からの約束もあって、友人と焼酎を飲みに出かけて行った。酒ではなくて焼酎なのだった。
父は鹿児島の出身である。鹿児島の男には「雄飛する」という傾向があるようだ。父の兄はアメリカへ渡り、その弟は満洲へ行った。父は外国ではなかったけれど、「雄飛」したのは東京だった。それでも「雄飛」には違いないだろう。まだ十いくつのころだろうか。当時の新興成金の家の書生となって、毎日のランプ磨きがリュウマチの身につらかったとか、そんな話を私は子供のころによく聞かされた。だけどその成金には目をかけられていて、ある時期は大学にも行かせてもらっていたらしい。一度だけ父と二人で神田を歩いたことがあって、そのとき、
「あれがそうだよ」
と指し示された。明治大学だった。だけどその成金はその後破産して、父は大学も途中のまま夜逃げの大八車の後押しをしたという。そのとき私などはまだ肉も骨もなく、目に見えないゴミのように、その大八車の上空をフワフワと漂っていたわけである。
焼酎をたっぷり味わってから横浜の兄の団地に行ってみると、もう真夜中になっていて、父は息を引取っていた。その日兄は出張でおらず、兄嫁とその娘たちが別室にいて、父のそばでは母が夕食のお粥を上げていたという。それが少し固いからと、もう一度火を通して帰って来たら、父はもう静かになっていたという。そんな話を母は少しずつ声を潜めて話してくれた。父の顔には白いハンカチがかぶせてあった。それがこんもりと盛り上げた白い御飯のようだった。もうあきらめていたとはいえ、やはりその場所にいるものはみんな静かにじっとしていて、ときどき台所に動いたり、洗面所に動いたりするときの摩擦の音が、そうっと発生するのだった。何かが終ったというよりも、これから何かがはじまりそうな感じであった。
葬式が全部すんだ帰り途に、私たちはみんな黒い服を着たまま横浜の港へ行ってみた。港には公園があって、そこで休んでいる人たちが、私たちの黒い一団をギョッとして見ていた。だけど遠くには港の倉庫やクレーンが見える。私たちはそんな場所に父の写真を運んだのだ。ぷんとくる潮風が黒い肖像写真を取りまいてきて、妙な取り合わせであった。写真の表面が何か別の化学反応でも起しそうな異物感である。その異物感が何か父の不幸のようにも思われてくる。港が父の仕事場だった。そういうと捩り鉢巻に赤銅色のガッシリと肩の張った男などを思うけれど、父はある倉庫会社に勤務するふつうの気の弱いサラリーマンだった。東京からはじまって四日市、名古屋、横浜、芦屋、門司と転勤のたびに少しずつ出世していって、大分でそれが止まった。終戦だった。それからは勤めを変えるたびに落ちぶれていき、背中はだんだん貧乏に打ちひしがれて、どんどん丸くしぼんでいった。そういう戦後の混乱に落ち込んでしまったときに、それに太刀打ちする用意というのが父にはまるでなかったのだ。そういう混乱がなかったとしたら、たぶん順調に幸せになっていたのだろう。だけど世の中というのはそうは出来ていなかった。
「あ、墓地の広告がありますよ」
珍しく馬場君のほうから声がかかる。吊革を持っている頭の上に、電車の中吊広告がハタハタと揺れている。
「あ、ほんと」
私は片手を伸ばして広告の端を押さえる。
“自然との対話、安らぎの霊園。
所沢聖地霊園
只今七〇〇区画申込受付中”
私は指を離した。墓地の広告がまたハタハタと風に揺れる。
「最近はこういうのがやたらと目につくんだよ」
「やっぱり欲しくなりますか」
「いや、欲しくなるなんて、カメラじゃあるまいし」
「あ、カメラ」
「うん、カメラだったら本当に欲しいと思うからね。広告を食い入るように見たりもするけど、でも墓地の広告を食い入るように見るなんて……」
「あ、それ凄いですね」
「え?」
「いやその、墓地の広告を食い入るように見るっていうの」
「凄いかな」
「いや、何だか無気味ですよ」
「ああ、そういうことか。でも墓地って本当にたくさんあるよ。いざお墓のことが気になってくると、もうそこいら中が墓地の広告だらけ」
本当にそうなのだ。最近の私は、世の中には墓地の広告が何と多いのだろうかと驚いている。いままではそんな墓地の広告なんて、ぜんぜん目にはいらなかった。
昔、質屋の看板にも同じことを思った。私がまだ学生状態から抜けきれないでいるころ、当然のことながら金がなくなり、食べるものがなくなってくる。すると食べものがなくなるのに反比例して空腹感がふくらんでくる。空腹感というのは腹の中にマイナス的にふくらんでくる。そうするとどうしてもマイナスの店、質屋というものにマイナス的に引きつけられることになり、押入れの中から唯一直線的な折目のついた衣服を取出して、それをていねいに、実力以上に見えるように畳み直し、さてどこの質屋に行けばいいのかと、いつもは乱暴に歩いたりする町の中に、このときばかりはおずおずと出かけて行くことになるのだけど……、そんなとき、町の塀や電柱にはこんなにも質屋の看板が多いものかと、それにはじめて気がついて驚いてしまう。それが最近は墓地の広告なのである。
「墓地の広告とマンションの広告とどっちが多いかな」
「え?」
「いや最近は電車の中で見るこの二つがね、どうも同じ広告に見えてしょうがない」
「あ、なるほどねー」
「なるほどなんだよ?」
「いや、そう思いますよ。あとほら、あれも同じでしょう、あれ、結婚式場の広告」
「そうそう。あれね、ブライダルなんとかって、あれも同じだねえ。何だろうね」
「何だか似ていますねえ。広告の、そのう、色合いが似ていますね」
「色合いねえ、色合い。たしかに印刷の色、調子というか、似ている感じだね」
「色合いもそうだし、光り具合も……」
「うん、光ね。輝きが似てるんだよ、広告の輝き具合が三つとも似てるんだよ。妙なもんだね」
「何ですかね」
「そうだね。こういう電車の中の広告って、必要な人に向って輝くんだけど、その輝き方の配合が同じなんだねえ、三つとも」
「あと豪華具合も」
「あ、それもいえる。豪華にも具合があるんだよね、ちゃんと。値段具合で」
「あ、値段具合」
「こういう分譲の墓地だってね、マンションと同じで日当りの良い所が高いんだから」
「ほんと?」
「本当だよ、人間と同じなんだよ」
「ふうん。都営墓地もそうですかね」
「いやこれはでもマンションじゃないからね、これはいわば都営住宅みたいなもんだから、籤引抽選」
頭の上で、墓地の中吊広告がハタハタと揺れている。遠くの方でマンションの広告もハタハタと揺れている。ブライダルなんとかもハタハタと揺れている。電車は風を切って進んでいる。私の口は墓地のことをパラパラとしゃべりながら、目の方はさっきから止まる駅を一つ一つ確かめている。頭の方もいっしょになって、その駅を確かめている。窓の外に一つ一つ、まるで順番に見せるように駅が止まる。
武蔵境。ここには美術学校のときの友人が住んでいた。ノートルダム寺院から逃げ出してきたようなずんぐりとした背中、ぎょろりとした目玉の小柄な男。もう一息で天才といえるような絵を描いていた。コーヒーばかりが無類に好きで、行きつけの喫茶店の女の前で、クリスマスの夜、二十一杯のコーヒーを飲んだ。
東小金井。こんな駅は見たことがない。昔は武蔵境のつぎは武蔵小金井だった。その間に変電所の鉄塔群が蜃気楼のように見えてきて、たしかに長い電車区間ではあったけど。
武蔵小金井。この駅は忘れられない。私が上京してはじめて住んだ所。友人と共同の六畳で三千円だった。私とその友人は武蔵野美術学校に入学していて、この学校はいまは鷹の台に引越して大きな大学になっているけど、当時は吉祥寺駅の北口をフラフラと十分ほど歩いたところに、木造平屋の薄汚れた校舎が一つあるだけだった。戦前の女学校の寄宿舎だったとか古い兵舎だったとか聞いたけれど、廊下はうねうねとして、水溜りがあり、荷馬車の通る農道のようだった。ヒビもなく透明な窓というのは一つもなかった。全部に落書の油絵具が付着してステンドグラスのようになっていた。受験率ほぼ一倍というそのときの入学試験は、実技試験はありきたりの石膏デッサンで、学科試験というのはワラバン紙が一枚くばられてきて、そこに何か適当な論文を書くのだった。たしか「芸術について」というような題だったと思う。試験の途中に近所の子供が何人か教室に入ってきた。教壇の隅の方で新聞か何か読んでいた試験官の先生が、
「こら、○○ちゃんたち! あっち行ってなさい! いま大事なことをしてるんだから」
といって叱っていた。すると叱られた○○ちゃんが、
「だって△△ちゃんが××をしたら□□だってゆったんだもん……」
とか何とか、こちらはいちおう|大事な《ヽヽヽ》試験のためにあまり覚えてはいないけれど、とにかく叱られた○○ちゃんたちは教室の床をガタガタと下駄で鳴らして、試験場から出て行った。それがまたこっそりとのぞいては、キャッといって逃げ出して行くのだった。
私はそんな学校が好きだったけど、よく考えたら絵というものは学校で学んでもしょうがないもので、それにこちらはお金もなくなってきて、一年くらいでやめてしまった。だけどその学校の入学のときには、貧乏な父が入学金を用意してくれたのだ。私はちょっと驚いた。その何枚かの紙幣は、たぶん父の情熱だったのだろう。本当は学問を修めるべき人は兄だった。だけど兄の年齢のときは、家の経済はドン底で、兄は進学をあきらめた。だけどドン底にいるだけでは仕方がないわけで、兄は夜明け前の暗い大分駅から、家族の全員に送られて東京へ行ったのだ。もし兄が大学に行っていれば、それは父の誇りになったはずである。
私がその年齢に達したときには、家の経済はドン底のドンの字だけは取れていた。だけど私が行こうとしたのは美術学校である。現在ならまだしものこと、そのころはまったく無用の学問だった。その先を進んだところで茫漠とした夢のようなものがあるだけで、経済の何の成果も期待できない。だけど私は子供のころから絵を褒められていた。そして大きくなってからは夜尿症の青びょうたんと臆病で、ますます絵の外には何の取柄もなくなっていた。そんな私が行こうとしていた美術学校の現実離れのした入学金を、貧乏な父が何とか工面して削り出したのだ。私はもちろん嬉しかったけど、ちょっと腑におちない思いだった。だけど自分のお金も足して、とにかく美術学校にはいるだけははいったのだ。そのお金にはきっと父の夢があったのだろう。誇りとはまた別のもの、茫漠とした夢。父は若いときから俳句をやっていた。
電車は武蔵小金井駅を発車する。
「小金井小次郎って知っている?」
私は突然だけど馬場君に聞いてみた。
「何ですかそれ」
「いや何だかわからないんだけどね、俺は昔この小金井に住んでいたんだよ。それで夏にお祭りがあるのでボソッと行ってみたらね、何だか青い顔のヤクザ同士の喧嘩があって、その一人が“俺はなあ、小金井小次郎の何トカカントカ……”って凄んでいる。だけど俺は小金井小次郎なんて知らないもんだからぜんぜん凄みが伝わってこない。でもあとで誰かに聞いたんだけど、この小金井小次郎って昔の有名なヤクザなんだって」
「いや、ぼくは知らないですよ」
「いや俺だって知らないけれど、あ、関係なかったかな、こんなこと」
私は妙なことをいってしまった。小金井小次郎なんて、それまでぜんぜん考えてもいなかったことだ。何の意味もないのに、ちょっと思い出して、それをひょいといってしまった。馬場君は黙っている。この人は長身なので少し背中を丸めて吊革を持ち、じっと窓の外を見つめている。小金井小次郎のことをじっと考えているのではないだろうか。そのことを知らないためにプツンと小さなコンプレックスが出来てしまい、それをポケットの中でゆっくりと潰しているのではないだろうか。悪いことをしてしまった。
「あのねえ」
「は……」
「いや……、しかし、小金井も変ったねえ」
私はこんどはおそろしく月並なことをいってしまった。もっと何か弁明するつもりでいいかけたのに、こうなると少し慌ててしまう。まるで前の打席で凡フライを打ってしまい、それで焦ってこんどは守備で凡ゴロをエラーしてしまったような……。私は気持を落着けて、横に流れる窓の風景を見た。しかし小金井も変ったねえというその変ったところを、しみじみと見るふりをした。どうもいけない。何かしら浮わついた心理である。これもやはり旅行用の気分なのだろうか。反対行きの気分なのだろうか。
「人間の頭って、しかし妙なことをいろいろ考えるもんだねえ」
私は正面から発言してみた。こんどは片手でも取れるような平凡なゴロを、体の正面でがっちり取って、一塁に向ってしっかりと投げるつもりで、だけどそれがこんどはあんまりしっかりと投げすぎたのか、剛速球になったみたいで、
「え?」
といって馬場君が驚いている。
「いやね、人間の頭ってコトコト幾つもいろんなことを勝手に考えているでしょう。ぜんぜん脈絡のないことを切れ目なく考えている。本当は切れ目があるんだろうけど、その切れ目のところって、覚えていないのね」
「ああ……」
「いやたとえばね、別にいうと、ものごとを忘れるその忘れる瞬間のことって覚えていないでしょ」
「あ、それはそうでしょうねえ、それを覚えていたら何も忘れられない」
「そうなんだよ。それを現にいろいろと忘れているんだから」
「眠り込むときのことというのもその瞬間は覚えていませんね」
「そうだよ、それがハッキリわかっていたら永久に眠り込まないね。馬場君は意識不明ってなったことある?」
「いや、ぼくはないですけど」
「俺は一度ね、わざとなったことがあるね。子供のころ。だいたいちょっと貧血体質でね。急に立ち上がって背伸びするとクラクラしそうになるんで、いつも慌ててしゃがんだりするんだけど、あるときね、そのまま立ってたらどうなるんだろうって、これ子供だからやっちゃうのね、それで背伸びしてクラクラしながら立っていたらね、やっぱりそのあとわからなくなった」
「どうなったんですか」
「ちょうど下に火鉢があってね、まだ秋で火は入ってなかったんだけど、気がついたらその灰の上に顔を伏せている。どうなったかぜんぜんわからない。たぶんスッと倒れたんだろうね。まわりに灰がもうもうと舞い上がっていた」
「恐いですね」
「あとで考えたら恐かったね、もうそれからやらないけれど」
電車は国分寺の駅にさしかかる。その次が西国分寺で、国立、立川、日野、豊田、そして八王子という具合になっている。
父が一度倒れたのは、死ぬ二カ月前のことだった。まだ横浜ではなく名古屋だった。倒れたといっても立っていたわけではなくて、母と二人、こたつでお昼の食卓に向っているときだった。母がお醤油を取りに台所へ行って、帰ってみると食卓にコトンと頭をついていたという。父は死ぬときも一人で息を引取った。誰にもその瞬間を見られなかった。そしてこの倒れたときも、その瞬間は一人だった。側にいた母も気付かなかった。
「あら、眠っちゃったのかしら」
と思って母が声をかけても返事がない。脳軟化症ということだった。意識はすぐに回復したらしいけど、それからは布団から出られなくなってしまった。もっともその二、三年前から腰を痛めて、寝ていることが多かった。もうそのころから名古屋の団地で母と二人だけの生活だったのだ。
大分から引越して来たときはまだ家族も多かった。兄はもう東京に行っていなかったけど、そのかわりに足を痛めた祖父がいたりして名古屋港の裏側にある六畳二間の市営住宅に、多いときには、九人が生活していた。昼間はみんな出ているけれど、夜になるとその六畳二間の家具の隙間に九人の肉体が全部詰め込まれてギュウギュウと眠り込み、光さえも出られないというブラックホールのような家だった。それはまるで、気の弱い子供たちに生活の自立心を持たせるための教場のようだった。兄弟たちはみんな一人ずつ外に生活を作り上げていった。私はバラックのような美術学校につかまって東京に行き、姉の一人はパチンコ屋のレジスターにつかまりながら名古屋の大学にはい登り、ほかの姉たちも結婚して、ポトリ、ポトリと家を出た。伊勢湾台風で海抜0メートルのその市営住宅が壊滅し、その後運よく海から離れた団地の二階にはいれたときには、父と母のほかにはまだ中学を出たばかりの弟が一人いるだけだった。その弟も間もなく東京に出て生活を作り、結局その名古屋の団地に残ったのは、ちょうど恒星の進化の末期における新星爆発で、外層のほとんどの物質を宇宙空間に吹き飛ばし、わずかに芯の部分だけが残ったという白色矮星のような、年老いた父と母の二人だけだった。
父がコタツにコトンと頭をついたとき、そのこたつにはまるで呼出し用のスイッチが仕掛けられてあるかのようだった。そのこたつから七本の細いコードが各所につながっていて、コトンと押すとそのコードの先の各所で赤ランプが点滅する。非常事態発生である。七人の子供たちは、それぞれがそれぞれの場所でそれぞれの生活を運営していたのだけど、みんなその点滅する赤ランプの信号を見ながら相談をした。東京にいるもの、横浜にいるもの、埼玉にいるもの、あるいは名古屋にいるもの、その間を相談が行ったり来たりした。
医者の診断を母がいうには、症状はいちおうおさまって平穏ではあるけれど、今後はもうこれ以上の父の体力の回復は望めないという。だからどこか別の住まいへ移送するとすれば緊急を要する。あとになればもうどこにも運べなくなる。だけどいま動かすとしても、その途中での不慮の事態は考慮しておくようにといわれたのだった。
不慮の事態という言葉が、まるでゴチックの活字のようだった。いまにもインクがついて、ペタリと印刷がはじまりそうだった。私たちはその活字をじーっと見つめながら、やはり父を動かすことにした。横浜の長男の団地である。ほかの兄弟たちもみんな団地か借家住まいなのだった。どうせ狭い所なら、昔の父の誇りであった長男の側が、父には一番贅沢な場所なのである。
その日、白色矮星がゆっくりと自転していた名古屋の団地に、兄弟の全員が集まった。もう何十年振りかのことである。六畳の部屋に昔の家族の全員がはいり込むと、もうどこにも足の踏み場がなくて、まるで昔のブラックホールの再現である。その狭い場所に、何十年かの時間が圧縮されて、それが瞬間に輝いているようだった。みんなはその圧縮された光を浴びて、嬉しいような、悲しいような、それが複雑に化合して、まるで仙人のような顔になっていた。
父は隣室の布団の中からそんな顔を一人一人見上げていた。目は一人一人を個別に見分けているようだけど、もう口はしゃべらない。母によると、ふだんはもっとふつうにしゃべるのだという。だけどもう自分の気持をわざわざ言葉にして示したりするのが面倒なのだろう。もう目だけで充分なのだろう。だけどその目はもう見たものを分解したり、裏返したり、反撥したりすることはないのだった。ただ見るというだけなのだった。見ることに驚いているようだった。子供たちの一人一人を、まるで神を見るように、布団の中から見上げているのであった。そんな目で見られて、私たちはまるで神のような感じになってしまった。私は思わずそばに行って一言、二言しゃべったけれど、言葉の無駄に気付いてやめた。だけど父はその一言、二言を逃がさずに聞いていて、まるで神の言葉のように聞いていて、そうだ、あなたは寝小便の神様だったと、父の目はそういって枕許の私の顔を仰ぎ見ていた。そういう神になった私の光があふれるように反射していて、それを浴びる父の目が震えながら光っているようだった。
弟は自分の勤めている会社から少し大きめのワゴンを借りてきた。ワゴンの後部座席を倒し、布団を二枚敷いて寝台車に仕立て上げた。私は兄と二人で二階から父を運んだ。寝ていた布団ごと持ち上げて、二人で布団を担架がわりに運ぶのだけど、担架のようには持ちやすくなく、布団はぐにゃぐにゃとしてどこに力を入れていいのかわからない。父の腰のあたりがスーッと沈んで伸びていって、その伸びた布団を慌てて下からかかえ上げると、こんどは布団の端がぐにゃりと垂れ下がる。まるで大きな水玉を運ぶようで、そのきわどい表面張力がいまにもプチリと破れそうだった。その水玉を自動車の後にそうっと置くと、弟は運転席、母と兄が助手席に乗り、私は水玉と並んで横になった。父は目だけ寄せて団地の方を見ているようだった。私にはいつものくせで車酔いのおそれがあった。自動車の金属の上に敷いた布団がふわふわとしていて、その上にごわごわとしたズボンのまま横になっていて、そんな違和感で胃の中が浮足立っている。横になった自動車の窓から、団地の屋上の直線が見え、白い雲が下から見える。動き出したらすぐに酔いそうだと思った。娘たちが手を振っている。父は指先を振っている。
ぐんなりと布団が揺れて自動車が動いた。見えていた団地の屋上がグラリと揺れて動き出した。あ、これで酔う、と思ったけれど、まだそれでは酔わなかった。雲が空に浮いたままなのが、下から見上げて不安だった。名古屋には高校の三年間を住んでいた。東京に出てからも最初の何年かは夏と冬によく帰っていた。そんな間に覚えた街並みの、建物の上の方の一割くらいが窓ガラスの底に並んで見えていて、それが上空の雲といっしょにゆっくりと揺れながら去って行く。そんな一割の風景を不安気に見ながら、あとの隠れた九割を想い出そうとしている。何度も通った街並みもあるし、名前だけ聞きながらまだ一度も通らなかった街並みもある。そんな町名が電柱の上の看板などにちょっと見えたまま通り過ぎる。そんな一割のパノラマが、水玉の上にキラキラと反射して、クルクルと回って通り過ぎる。だけどそれもどんどん揺れて通り過ぎ、あとは青空だけになっていく。
車は高速道路を揺れもせずにスッと走って、富士川のサービスエリアに着いた。道程の約半分である。ここで一息入れるわけで、私は停止した寝台にほっとした。車には酔わなかった。不慮の事態は起こらなかった。例の活字はじっとしている。とりあえずここまでは。
ふーっと息をついて、運転席の弟が降りる。兄が降り、母が降り、後部のドアを上に開けると風景が十割見えてくる。私は足の方からはい出して、横になって緊張していた体をやっと地面の上に立てかけた。私もいっしょにふーっと息をつくと、雲がやっと上空に落着いてくる。だけど父はまだ一割のままである。寝台車に横たわって、一割だけが見える不安な窓の風景である。
車を出ると、目の前に巨大な富士山があった。あまり巨大なので、しばらくは驚いて立ちつくしていた。
まだテレビもカラー写真もないころだけど、昔、富士山というのは日本国民の宝物だった。少年でさえも憧れていた。私が大分に住んでいた小学生のころ、友人が父親に連れられて東京に行って来て、その帰ったところでクラスのみんながまず聞いたのは、
「富士山は見えたか?」
ということだった。聞かれた友人はゆっくりとうなずいて、両手をひろげながら、汽車の窓から見た富士山の様子を得意になって説明していた。みんなはその両手の形をじっと見ながら真剣な顔で聞き入っていた。
その宝物の全景が目の前に見えている。それがまるでレンズでのぞいたように、細部まではっきりと見えている。本物の富士山である。素晴しい天気だった。あまりにも巨大であった。いや巨大というか偉大である。いや偉大というより壮大である。しばらくは茫然として眺め入っていた。長男と夜尿症と運転手。息子三人が同じような思いで茫然としていた。背の高さは年齢とはまったく反比例している。これは明らかに戦後の食糧事情によるものだろう。そんな三人が思わず並んで巨大な富士山を見つめながら、その透明な空気に感謝したいような気持になっていた。ここまで何事もなく来られたことでもう満足していた。息子たちは三人そろって草原に足を投げ出して、その朝母たちが用意してくれたお握りを食べた。母は車中の父の側について、お握りの包みをひろげている。
「お父さん、ほら、富士山ですよ。きれいな富士山……」
そんな母の小さな声が、晴れた空気を通り抜けて来る。
「うん? うん……」
という父の返事も聞えたような気がした。だけどそれは、私たちが昔から何度も聞いていた父の音声とリズムの、その記憶の中での合成だったのかもしれない。息子三人は草むらでお握りを食べながら、そんな車中の父と母をぼんやりと見つめていた。
横浜の兄の団地は五階建で、兄の住居はその五階であった。階段は一階について二度ずつ折れるから、五階までは八度折れて登ることになる。今度は兄がまず先に一人で階段を駈け上がり、布団の担架は私と弟の役目になった。私は弟といっしょにぐにゃりの水玉を持ち上げて、足や肘を踏ん張りながら、階段の折れ目をそうっと曲る。それを何度も何度も繰返しながら、私は夜のデパートの材木運びを思い出した。昔やったアルバイト。閉店後のデパートで材木を屋上まで運び上げる。担ぐだけならそれほどの重さではないのだけれど、それをデパートの壁を傷つけないように運び上げる。階段の折れ目が問題である。直線コースはさっさと上がり、踊り場を曲るときはゆっくりと、その狭い空間を見計りながら、慎重に方向を転換する。材木の両端が白い壁をすれすれに通り過ぎて行きながら、その間私はゆっくりと腰を落して、姿勢を固めて、まるで舞踊をしているようだった。「踊り場」という言葉が、材木といっしょに肩に食い込んでくるようだった。あのときは材木よりも壁が大切だったけど、いまは壁よりも「材木」の方が大切なのである。壁は少々傷つけても、この「材木」を傷つけないように運ばなければいけない。
その団地の五階からも、遠くの方だけど、富士山はきれいに見えていた。だけどそれはベランダの陰になって、立ち上がらなければ見ることができない。父はその五階の畳の上に安置された。それからの父は幸福感に包まれた。そこから立ち上がることはなかったけれど、父はその一番贅沢な場所で、何もしゃべらずに横になっていた。血色も少し増して、その二週間後には八十歳の誕生日を迎えた。そして幸福感に包まれたまま、春に意識を失った。
電車はやっと八王子の駅に着いた。馬場君はもうずうっと黙り込んでいる。だいたいが無口な人である。だけど考えたら私だってもうずいぶん黙り込んでいるのだ。私も無口な人になってしまった。八王子駅で電車を降りて交番で聞くと、「八王子霊園」とはいっても降りる駅は八王子ではなく、あと二つ先の高尾がいちばん近いらしい。何だと思った。だけどもう降りてしまったことだし、お腹もちょっと空いたので、ちょっとチラシ寿司でも食べようかということになった。私は鉄火丼、馬場君はチラシの特である。
「あ、凄いね、特とは」
「え? いやあ」
「特なんて、頼んで大丈夫?」
私は寿司屋の値段に関しては異常なほどの警戒心をもっている。
「でもここはほら、特の上にまだ上があるんですよ」
馬場君はメニューを見ながら平然といっている。よく見ると、特というのは上の下の並よりもまだ安いのだ。私は慌ててしまった。だけど私も平然とお茶を飲んだ。
「馬場君、来月はじめ結婚するんだって?」
「ええ、まあ」
「奥さん、千葉だっけ」
「ええ、千葉の松戸」
「式はいつなの?」
「別に式なんて、しませんよ」
「あれま」
「だってあんなこと、わざわざできませんよ」
「いや、それはもちろん、式をやりたくてたまらないなんて人はあまりいないだろうけどね、でもご両親が……」
「うちはおふくろ一人だけど、別に興味ないみたいですね」
「でもさ、あちらのご両親……」
「向うもね」
「え?」
「いや、別に式は」
「行ったんでしょ? この間、千葉に」
「ええ、そりゃあいちおう挨拶には行きましたけどね」
「だけど田舎の人だと、結婚式なんてもう結納だとか何だとか、大変なことになるんじゃないの」
「そんなことないですよ。式はやらないんだもの」
「でもよく承知したね。何ていったの? 結婚式はやりませんって、ちゃんといったの?」
「いや、そういうふうにはいわないけれど、何となく向うのご両親と、雑談して、酒を飲んで」
「でも、結婚式はどういう形で……なんて、向うのお父さんいわなかった?」
「いやあ、向うの親父さんも何だか照れているふうでしたよ。まあよろしくお願いしますって感じで……」
「ふーん、いいのかなァ、結婚式しなくて」
「何ですか、先生は式が好きなんですか? 何だか無理に式をやらせたいみたいですね」
「いや、そうじゃないんだけどね。だってふつうは親がいろいろいいだして大変なんじゃないの、とくに田舎は」
「別に」
「ふーん」
鉄火丼が来た。鉄火丼は大好きである。これは鮪の赤身だからいいのだ。これがもし全部トロだったら、かえってウンザリするだろうなと思う。だけどやっぱり不思議である。ふつう父親というものは、もっと頑固に何かいい張るものだと思っていたけど、最近は違うのだろうか。
「あの、馬場君の家のお父さんは……、あ、そうか、いないんだった」
「そうです。うちは母子家庭」
「あ、悪い」
「いや別に」
「うーん、でもよく映画なんかだとね、娘が結婚するとかいうと、父親が依怙地になって反対したりとか、何か凄く命令したりとか、よくあるでしょう、父親って」
「でもそれは映画でしょう」
「うん映画だけど、うーん、映画かあ」
「いまはそんなことないでしょう」
「あ、そう?」
「いや、うちはいないからわからないけど」
「あ、いないか」
「でも、先生のところはいたんでしょ……、いや、いたんでしょなんていったら悪いけど……」
「いや、いいよ」
「先生のところは……」
「いや、うちはいたけど、でも最初からいなかったようなもんだったな」
「え?」
「父親というのは金でしょ、財産というか、そういうものがなかったら、別に父親の意見なんてないと思うよ」
「ああ……」
「話はするけどね、父親としての意見なんて何もなかったな」
「自由」
「うん、自由というか、うーん自由ねえ、自由しかないもの」
「あ、自由しかない……」
「そうだよ。寂しいね。自由のほかには何もない。金も、物も、力もなくて、あるのはただの自由だけ」
私は口を休めてお茶を飲んだ。深い湯呑み茶碗の底の方に、粉茶の粉がたっぷりと沈んでいて、苦いお茶である。私は二口飲んだ。馬場君もじっと二口くらい飲んでいる。
「でも父親って、何故こわいのかな」
「さあ、僕にはわかりません」
「いや、俺にもわからない。よく映画とかテレビではね、親父がこわかったり、だから父に向って反抗したりとかってあるんだけど、ああいうことって本当にあるのかな」
「やっぱり本当にあるんでしょう、映画とかテレビの中では」
「あ、それ……、冷やかすなよ」
「いや冷やかしたんじゃないけど、僕は経験がないですからね、だからそういうテレビとか見て、なるほど、父親ってそういう性質のものなんだなって、想像するしかないんですよ」
「ああ、それはねえ、うちも同じだね。実物はいたんだけど、本当はやっぱり想像するしかない……」
「実物ですか」
「いや、実物なんていうと、ちょっといい方が悪いみたいだけど……、でもやっぱり実物だものね。あれが実物……。そうなんだよ、たぶん世の父親というのはですね、そもそも父親像というのを錯覚してるんだと思いますよ」
「うわ、論文になるのかな」
「いや真面目な話、家の中に金とか財産的な力とかがあればね、そりゃあ自然と命令ばかりする父親というのが出来上がる」
「自然と」
「そうだよ、財産を散らばしたら大変だからね、いつも怒鳴ったり威張ったりして、しかも教訓を垂れたりする。あれはきっと自分の複製を作ろうとしてるんだろうね」
「あ、複製能力」
「うん、たぶんそうだよ、自然にそうなってしまうんだよ。だけど財産なんてものがない場合だったらわざわざ怒鳴ったりする必要はないはずなんだけど」
「でも、やっぱりテレビの中では財産なんてなくても怒鳴るようですね」
「うん、あれはしかし、金もないのに怒鳴るというのは……」
「あ、面白いですね、その、怒鳴るのには金がいるっていう理屈」
「ふふ、われながらおかしいね。でもそういうこわい存在の父親像というのが流布されているものだから、父親はみんなその像だけでも作ろうとする」
「銅像みたいですね」
「うーん、銅像みたいなもんだよ。ガランドウなのにね、無理に命令だけ作ったりするんじゃないのかな、父親って」
「先生のところは銅像じゃなかった」
「うん、うちはもう実物だったね。銅像なんて出来なかった。でもたまにはやはり銅像を作らなければと思うのか、ちょっと何か命令的な意見をいいかかったりするんだけど、やはり何といっても金の力がこもってないもんだから、銅像にもならない」
「それ、でも凄いですよ」
「だからこちらもね、たまに銅像でも見上げたいと思っても、すぐにもうあきらめたね。実物なんだからと思って」
「いまは銅像はもうはやらないでしょうね」
「そうだね、いまはね、いまは銅像作ったって置場所がないというか」
「いまの子供たちはすぐ銅像に触っちゃう」
「ははは、触っちゃうねえ、いまは」
「銅像って、触ってみれば銅像だもんね」
「銅像だねえ、触ってしまえば」
私は鉄火丼を食べてしまった。箸を置いて粉茶の沈んだ苦いお茶をじっと飲む。馬場君はまだチラシの特が三分の一残っている。
「あ、よかったらどうぞ」
「いいよ、早く食べちゃいなさいよ」
といいながら、私はイカの白いところをじっと見ている。白い御飯の上に白いイカがのっている。それが白いハンカチのようである。
高尾駅は北口に出た。出るときに妙な感じがした。柱が太い材木である。古くて焦茶色。あれ? と思った。子供のころに戻って来たような、ひょいと懐しい感じ。五、六歩出てから振返ってみると、駅には珍しく和風木造の建物である。古い神社の社務所みたいですっかり気に入ってしまった。さすがは高尾だと思った。遠い駅である。いままでは「高尾行」という電車の名前でしか知らなかったものだから、じっさいにその終点の駅に立ってみると、妙に嬉しくなってくる。まるで前から名前だけ知っていた有名人の前に立ったみたいで、少しアガってしまうのだ。
駅前の交番で聞くと、八王子霊園に行くには造形大学行きのバスに乗るといいという。
「歩くと四十分はかかるよ」
といわれたので歩くことにした。背景に山並みが迫る町は大好きだ。かえってひろびろとした感じに包まれる。東京の都心部のように、どこを向いても山並みひとつ見えない町というのは、かえって息苦しくなってくる。そうか、造形大学というのはいい場所にあるなァと思いながら、駅前からまっすぐ伸びる軽い坂道を踏みしめると、まだ十月の半ばだというのに吐く息が白くなった。ここはまだ東京都なのに、空気がピンと引締っている。これは山の空気だと思う。きっとこの軽い登り坂も、ほんの少し山なのだ。
坂道は楽しい。登り坂もいいし下り坂もいい。坂道を歩くだけでわくわくしてくる。二階屋というのもじつに楽しい。何か秘密が感じられる。平屋にはいつの間にか倦怠感が漂ってくる。二階建にはわくわくしてくる。階段を見ただけで心がはずむ。私は二階建に憧れている。いや家ではなく町のことだった。平たい町には楽しみがない。何か仕事だけがギッシリと詰まっているようだ。坂のある町には冒険がある。
昔、大分の前には門司に住んでいて、そこは坂のある町だった。私たちはその坂の上に住んでいて、まわりにはたくさん坂道があった。まるで二階屋か三階屋のような町だった。私はまだ幼稚園にもいかない子供だったので、坂の下の方の平たい所には行ったことがなかった。ちょっと行っては坂を降り、ちょっと行っては坂を登りという家の近所ばかりで探険をしていた。その後あんな楽しい町には住んだことがない。ところが三年前に仕事で下関に行って来た。これが門司のすぐそばである。だけど門司は九州で下関は本州。海峡をはさんで対岸にある。ところがそのはじめて行ってみた下関というのが門司の町にそっくりなので驚いた。海岸からちょっとはいると、もう坂だらけの町になる。その入り組んだ坂道に迷い込んで、まるで子供のころの門司の町に、一瞬の間に出てしまったようだった。坂道の楽しい傾斜にくらくらとした。この高尾の坂道はそれほどのくらくらする坂ではないけれど、ゆったりと丘陵に向う坂道である。その先の丘陵に、新しい墓地が建設されている。墓地の建設……、どうも妙な言葉だけれど。
道路には気ぜわしい自動車がいつの間にか少なくなって、墓石屋の建物や看板がズラリとあらわれてきた。大変な数である。それが見るからに新興の墓石屋ばかり、しかしよくこれだけの墓石屋が食っていけるものだと、これから見に行く霊園の大きさ、死者の数の膨大さが目に浮かんでくる。いよいよという感じである。
お墓というのは、家の中でいうとお風呂場みたいだ。以前、お風呂場の掃除をしながらそう思った。家の中の人間が、衣服を脱いで裸になってはいるところ、それが町でいうと墓地のようだ。裸の体を囲むのが、ツルンとした白いタイルで、それが体の中の硬い骨に似ているのだろうか。水分をはじいてしまう、硬い石の部屋。やっぱりお墓だ。お風呂場を洗いながらそう思った。
お風呂場の掃除をするのは妙なときである。生活がすさんで、家の中の会話が途絶え、作業が止まり、何も片付ける気がしなくなり、家の中がだらしなく散らかり、まるで生活の中の廃墟のようになってくると、どこか一箇所くらいはキレイにしたところを見せつけたくなってきて、まず簡単にとりかかるのがお風呂場である。お風呂場というのは一番簡素な空間である。衣服のような生活の家財道具が何もなく、だからあれこれと生活のヒダを考えることもなく、水をかけてさっとこすればピカピカになる。それをタワシでピカピカと磨きながら、何か、似ているなと思ったのが、お墓だった。
父の家の先祖代々の墓というのは鹿児島で見た。私はまだ幼稚園のときだった。鹿児島までは、何故か父と二人だけの長い旅だった。汽車の窓から青々とした畠が見えて、点々と働いている動物は牛ばかりで、馬が見えないのが不満だった。父に聞いてみると、馬はみんな戦争に行っているということだった。ときどき車内に伝達があって、乗客はみんな協力しながら一斉に窓の鎧戸をしめた。茶色のニスを塗った木製の鎧戸だった。妙な暗さがしばらくつづいて、みんなじっと待っていて、しばらく行くとまた伝達があり、みんな一斉に鎧戸を開ける。みんなヤレヤレといいながら、また車内がパッと明るくなった。何だと思って父に聞くと、いまは軍の秘密の工場のそばを通ったのだという。汽車の中にもしスパイがいて見られたら大変なので、みんなで鎧戸をしめたのだという。私はスパイというのが気味が悪く、汽車の中をジロジロと見回した。だけどみんなすまして新聞か何か読んでいる。そんな長い旅の汽車の中で、父はちり紙で上手にこよりを作り、そのこよりで上手に馬やキリンを作ってくれた。そうやってやっとたどり着いた鹿児島のお墓というのは、どこか河原に近いところにあったような気がする。たしか背の高い枯れた草原の中にあった。父の弟、満洲に行っていた叔父さんもいた。白い靴のスマートな叔父さんがカメラを持っていて、カチリとシャッターを押した。あ、これが写真だと思い、私が写真を見せてほしいとせがんだら、今は見せられないといわれたのだった。そのときに見たお墓というのは、何かわからないけど、とくに生活には必要ないものという、そんな印象しかなかったようだ。
東京でまだ学生状態にあったころ、母方の叔父さんといっしょに多磨墓地に行った。それは母の実家の先祖代々の墓である。その叔父さんは骨を持っていた。叔父さんは養子に行って離婚したあと一人で住んでいる人で、その骨は十何年か生きた愛犬の骨である。それを先祖の墓に埋めようというのである。だけどそういうことは本当は多磨墓地では許されていない。だから叔父さんは自分で墓を開けたのだ。墓石の手前に敷かれた床の石をグイとやったら、本当に開いた。中にはきちんとした四角い石室があった。いままで墓の下にこんな空間があるとは知らなかった。空間がじっと蠢いているようだった。叔父さんはその空間の中に一歩足を踏み入れた。こじ開けて立てかけた大きな床石を、ちょっと支えていてくれと私に預けた。私はその分厚い石を真剣に支えた。叔父さんはあともう一歩だけその空間に踏み込んで、小さな壺を石の 棚に置いた。石の棚には壺が三つ並んでいた。叔父さんは、
「ああと……うん……ああそうか……」
と呟きながら、その壺の一つ一つの存在を思い返して数え直しているようだった。そこはまたすぐ密閉される空間である。この床石を倒したら、叔父さんはもう石室から出られない。それはちゃんと立てかけてあって倒れようもないはずなのだけど、それはつい間違って倒しそうだった。そのあと叔父さんが上がってから、その床石はそうっと倒されて、その上でお握りとみかんを食べた。
それからもお墓にはいくつかお参りをした。生活の混雑を抜け出ていくと、小さなお墓がポンとある。そのポンとあるのがじつに質素で、私はいつの間にかお墓というものに親しみを持つようになっていた。箪笥もなく、台所もなく、本棚もなく、何という気持のいい場所だろうと思った。それからはお風呂場の掃除のたびにお墓のことを考えた。箪笥も台所も寝室も全部棄てて、お風呂場だけで暮したい。お風呂場も棄ててあの質素なお墓に引越してしまったら、どんなに簡単でいいだろうか。
だけどその後私は、お風呂場で本当に屍体を見てしまったのだ。父と母が出たあとの、誰も住んでいない名古屋の団地である。そこに行ったのは、父が亡くなってから一カ月後のことだった。父と母を横浜の団地に送り込んでから、兄弟たちはみんなホッとしてしまい、名古屋の団地はずうっとそのままになっていたのだ。せっかくの団地がもったいないということもあったのだけど、やはりどう考えてもその場所は手放すしかないわけで、名古屋に住む姉たちがその手続きをした。そして家財道具の整理のために、また兄弟たちが名古屋の団地に集まった。
父の移送のときは、父と母の体のほかには着替えの衣類が二、三枚だけで、ほとんど荷物は運ばなかった。だから名古屋の団地のドアを開けると、中はそのままになっていた。ゆっくりとした白色矮星の回転のあとが、そのまま部屋の中に残されていた。昔、弟が買った古い型のテレビがあった。壁の上には私が高校時代に描き残した油絵が並んでいた。古い机があって、見ると私たちの子供のころの勉強机だった。それは大分から運んで来たものだった。机の縁は小刀で傷だらけになっていて、机の表面にも傷跡がたくさんあった。よく見ると、
「正シク生キヨウ」
という文字が見えた。それはたぶんこの机の歴史からみて、兄ではなく、私か弟かのどちらかである。弟も笑いながら考えたけど、どちらが彫ったのか、はっきりとはわからない。
私たちはそういうさまざまな時間や意味を含んだ物品類を、端から一つ一つ整理していった。棄てなければならないものがたくさんあった。燃えないゴミの日にまだ使えるものがたくさん棄ててある、そういう話をみんなが思い出していた。お風呂がいちばん残念だった。それはまだ最近買い替えたばかりのものだった。丸い檜造りの立派な桶で、買って半年もたたないうちに父が倒れ、使う人がいなくなってしまったのだ。まだほとんど新品同様である。これは何とか運び出したいといじってみたが、どうしても外れない。でもこの際せっかくだから一風呂浴びようと、ホースを垂らし、水道をひねった。さてだいたい片付いたのでお風呂が沸くまで一休みと、弟が罐ビールを一かかえ買って来て、ガランとした部屋で、みんなはほっと一息いれた。お風呂場でチョロチョロと音がする。それがだんだん大きくなってくる。ふつうは水が溜ってくると、ホースの口が沈んで音は小さくなるはずである。それがだんだん大きくなってくる。いまやホースが外れでもしたように、大変な音である。おかしいと思いのぞきに行ってみると、風呂桶から水が漏れているのであった。桶の上からあふれるのではなく横から漏れている。檜の風呂桶の、縦につないだ板と板の隙間から漏れているのだ。そのつなぎ目というのが木の風呂桶にはぐるりと十いくつもあって、その全部の隙間から外に向って放射状に、噴水のように流れ出ている。十何本かのホースが全部いっぺんに外れてしまったようである。そういえば、木の風呂桶というのは使わないときでも水を張っておかなければいけないのだった。もう駄目だと思った。父はもうこれで死ぬだろうと予感した。父はもうじっさいには死んでしまったあとなのに、おかしなことである。 だけど私は予感した。あとになって予感した。父の体はこれでもう死んでしまうのだと思ってしまった。これはもう取り返しようのないものだと悟ったのである。棺の中の父の顔がもう一度思い出された。臨終から約二日たって、もう閉じているまぶたが少し乾からびていて、その細い隙間からうっすらと白眼がのぞいていた。その隙間はもう縮めようのないものだった。その隙間がだんだんとひろがって、白眼がはみ出してくるようだった。その白眼が十いくつもあらわれてくる。風呂桶の縦に走る全部の隙間から、ぎっしりと白眼がのぞいている。その隙間から、父は消えて行ってしまったのだ。ダラダラと漏れつづける水の音が、いつまでも壁に響いて、その音が私の耳の中にはいり込んで、苔のように張りついてしまった。
ゆるい登り坂道は、ゆるいながらも次第に頂上に近づいているようである。墓石屋の一群を過ぎると、道の両側には墓石の頭がぽつぽつと見えて来て、左手にやっと「都営八王子霊園」の門が見えてきた。いよいよである。だけど入口には大きな鉄の柵がしまっている。あれ? と思った。腕を見るともう五時半になる。ちょっと驚いた。やっとの思いで着いたのに、もうおしまいだろうか。いやおしまいなんて、これは映画とか展覧会ではないのだぞ。お墓に終りがあるなんて。私は思わず馬場君と顔を見合わせる。ちょっと失敗した顔である。
鉄柵の間からのぞくと、なだらかな丘陵に墓地の一部が見えている。きれいな芝生の上にきちんと並んだ墓石群は、夕日を受けて、もうほんのりと赤く染まりはじめている。これは慌ててしまう色調である。出足が遅れたり、降車駅を間違えたり、お寿司を食べてしまったりで、もたもたと遅れてしまったのだ。これではもし墓地の中にはいれたとしても、一歩一歩と歩くたびに日はどんどん沈んでいって、ちょうどおあつらえ向きの時間になりそうである。両足がだんだんと縮んでしまうのではないだろうか。
門の右端にくぐり戸があった。くぐり戸には鍵がかかっていない。そうっと押すと、クィーンと鉄のこすれる音がして、中にはいれた。動物園の出口のようだ。その出口の方からこっそりとタダではいるようなはいり方だ。まだ建設中の霊園ということもあって、もうこの時間に墓参りの人影はない。はいって右に管理事務所があって、ドアの上にはもうふんわりと明かりがともっている。消えかけた青空の下の、小さな白いお饅頭のようである。それがまた頼りないような、慌ててしまう明るさである。まず事務所で説明を聞きたいけれど、そうしていると墓地はますます暗くなる。だけど先に墓地を見て来たら、もう事務所はおしまいになる。ここは都営の霊園だから、事務所の人は公務員だ。もう五時半で帰ってしまう。私たちは墓地の方を横目で見ながら、とにかく管理事務所にはいって行った。
中では事務所の人たちが仕事を終えて、お茶を飲みながら雑談をしていた。事務所の広さにくらべると、小ぢんまりとした人数である。これもまた建設中ということだろうか。その中の一人が私たちをみとめると、いやあこれはこれは遠いところをわざわざ……とはいわないけれど、そういう顔でにこやかに迎えてくれた。
事務所の人の説明によると、ここの墓地は面積四均一、永代使用料四万円、管理料年間四百円。主な申込み資格としては都民であること、現に遺骨を持っていること。墓石は造形自由であるが、大きさは縦横六十センチ、奥行四十二センチの範囲内のものに限る。しかし高さが六十センチとすればずいふん小さな墓石である。私は首を伸ばして、もう一度窓越しに墓地を眺める。背の低い同じ規格の墓石がきれいに並び、何かしらもの足りない感じでもある。要するにここでは平等が基本となっているのだ。でもやはり何か不満な感じが残る。私はもちろん貧民大衆であるから結局は平等になるほかないと考えているけど、何でも平等を好むというのではない。たとえば父の墓は一メートルくらいの高さのものにしてその両側に二メートルくらいの山茶花を植えたいとか思っても、平等のもとでは六十センチで押さえられ、樹を植えるのは規則違反ということになる。
「しかしこの霊園はですねェ、墓地というものをなるべく安く都民に提供するためのものですから、これはやはり高さも制限しないとですねェ、墓地は安くても結局墓石が高くついてしまうことになる。そうでしょう。一人が大きい墓石を建てればやはりみんなが大きい墓石を注文することになってしまって、そうすればあなた、安い墓地を提供するという意味がなくなってしまうわけですよ」
事務所の人はそういって説明してくれた。聞けばなるほどと思う。墓地にもやはり見栄とか流行とかいうものがあるのだろう。
「いやお金のある人はね、そりゃあ自由に大きい墓を建てればいいんで、だからこの間、ジャイアンツの有名な選手だけどね、親御さんの墓か何か、この道の向いの東京霊園にしたそうですよ。そりゃもう大きい、立派なやつですよ」
道の向い側には|私営霊園《マンシヨン》があるのだった。坂道をたどり着いたとき、道の両側に霊園が見えて両方とも都営の八王子霊園だと思ったけれど、向い側のはまた別のものなのだった。そちらはお金さえ払えばいくらでも大きな立派なお墓が建てられるという、いわば金本位制の霊園なのである。つまり一本の道をはさんで左側には平等主義の霊園、そして右側には資本主義の霊園があるというのだった。
私たちはおよその説明を聞いたあと、落日のことが気になって早々に事務所を出た。ドアを開けると、墓地はもうヒンヤリと薄暗くなっている。だけど期待したほど恐くはないのだ。昔は夜の墓地といえば、それはもう幽霊と直結していた。そこが墓地だと思っただけで、その暗い空間が無気味に蠢いていた。塀の外を通るだけでも、ちょっと気持がびくついていた。ところがこの都営墓地は、麻雀の牌が整然と並んでいるというような風情であって、そういうどろんとした幽霊の出る余地がない。いや広いのに「余地がない」というのもおかしいけれど、芝生墓地というだけあって木の繁みもない平坦な丘陵がひろがっていて、物陰というものがどこにもないのだ。何かが潜んだり隠れたりするような場所がない。幽霊が出ようにも出られない感じである。
それぞれのお墓に近づいてみると、マッチ箱を横にした形の墓石がほとんどだった。スタイルとしては洋風である。だけどそれが小さくて貧弱である。それに私はこの○○風というのがどうも好きになれない。おまけにこのみんないっしょの形の流行というものも……と思ったが、よく考えるとこれは必ずしも好みや流行というわけではなく、結局この都営霊園の制限のもとではこういう形に落着くほかはないのだろう。
しかし、とやはり考える。お墓にもいろんな個性があっていいはずだ。お墓参りに行くというのは、そういういろんな形のお墓を見て歩くという楽しみも含まれている。それにものごとにはやはり変化というものがなければ……、それにこれではあまりにも墓石が小ぢんまりと小さすぎて……、何だか可哀相な……。
もう太陽は完全に地平線の向う側に落ちていって、この墓地は光も陰もつくらずにただ広々とひろがっているだけだった。まだほんのりと明るさを残した広い空に、ぽつんと一つ一番星、あれはおそらく木星だろう。……私はまるで財産家にでもなったような気持で、墓石の形や大きさなどをせせこましく考えていたのが恥ずかしくなってきた。そんなことはただ生きている人間の気苦労に過ぎないのかもしれない。
こういうでこぼこのない墓地、物陰のない墓地、幽霊の出る余地のない霊園の方がいいのかもしれないと思った。死んだら死んだであの世の仕事があるのだろうから、死んでまでこの世に顔を出したがるというのは、死人としては最低なのかもしれない。しかし生きている人間はどうしてもその最低の墓地を造りたがるのだ。それは死人のためとはいいながら、結局は生きている自分のための作業なのではないか。
遠くから見ると、管理事務所にはまだ明かりがついている。もう規定の時間は過ぎているのだろうけど、まあいまのところはそれほど厳しくもなさそうである。私と馬場君は、夕暮れの静かな芝生にしゃがみこんだ。芝生がまだふんわりと暖かい。夕暮れといっても、もういくつかの星が強い光になってきている。上空は黒いけれどもまだ青いという、私にはいちばん魅力的な色の深まりである。よく夢に出てくるような空である。目の前にひろがる霊園も、光が全部吸い込まれて、夢のような色合いである。遠くのものが近くに見えて、近くのものが遠くに見える。風を止めている空気までが、夢の空気のようである。
「墓相って知っている?」
私は馬場君に声をかけた。
「え? ボソー?」
「うん、墓相。手相みたいにお墓にも墓相というのがあるんだって」
「ああ墓相ね、墓の相」
「そう。この間週刊誌の対談を読んだらね、墓相研究家というのが話してた。それがいちいち的を射ているというか、当っていて面白いんだよ」
「墓相がねえ」
「うん、たとえばよくあるでしょう、屋根から落っこちたり、交通事故にあったり、火事になりかかったり、そういう悪いことばかりが意味もなくつづいて、ちょっと気味が悪くなって人に相談したりしてよく考えてみたら、先祖の墓が荒れていたとか、墓相が悪かったとか」
「そりゃそういうことはよくいいますけどね、先生そういうの信じるんですか」
「いや信じるとかいうんじゃないけどね、そういうつながりがあってもおかしくはない」
「でも手相ならまだわかる気がするけど、墓相で占うといったって墓というのは人工のものでしょう」
「人工のものでも相というのはあるらしいよ」
「うーん、そうですか、そうですかねえ」
「いや、そうですかねえなんて、シャレじゃないんだよ。その中にあった墓相の見方というのが面白くてね。あのう、ふつうのお墓は三段重ねになっているね、いちばん下が平たい石で、その上がちょっと四角い石で、そのいちばん上に柱のように縦長の石があって名前が彫ってある」
「まあそうですね、ふつうはね」
「それでその墓相の見方によると、一番上の石がその人の人格をあらわし、そのつぎの石がその人の財産のうちの動産をあらわし、いちばん下の石が不動産をあらわしている」
「へえ」
「だけどそれでね、ただ不動産の石が大きければいいというものではなくて、人格の石だけがやたらと高くてもいいのでもなくて、その三つの石のバランスらしいんだよ。そのバランスを見て良い墓相とか悪い墓相とかあるらしい」
「ふーん、本当なんですかねえ」
「いや本当かどうかは知らないけれど、でも面白いとは思わない?」
「別に。そりゃ当れば面白いだろうけど」
「あのね、この都営墓地を申し込む人たちって、うちもそうだけど、だいたいあまり裕福でない人、不動産なんかとは縁のない人たちがほとんどでしょう」
「ぼくもそうですよ」
「それでね、ここの墓石の規則というのは墓相とは関係ないんだろうけど、でも結局ここに並んでいるお墓というのは、ほら、不動産も動産もなくて、みんな人格の石が一つだけ」
「あ……」
あたりはまた少し暗くなった。芝生の緑がもうほとんど色としては見えなくなって、低い墓石の並びがぼんやりとしている。「人格」の列が遠くつづいて見えなくなっていて、その向うにはまだ墓石のない敷地だけのところもあって、さらにその向うにはまだ何も手をつけられていない丘陵がずうっとつづき、その先はもうほとんど夜に近い薄暗がりに溶け込んでいる。風を止めた夢のようなまわりの空気が、さらに夢の底に沈んでいくようである。だけどいっこうに恐くはならない。
「人間って、生まれるときに意識がはっきりしていたら恐いだろうね」
「え?」
馬場君はこちらを見て驚いている。
「いやね、われわれは生まれてくるときの記憶なんてもっていないから、それでだいぶ助かっているなあと思って」
「ドキンとしますよ。いきなりそんなこといわれると」
「意識というのはだんだんはっきりしてくるよね。人生の発端の赤ん坊はまったくの空白で、成長につれてだんだん意識が生まれて記憶になってくる。だから死ぬときもね、ちょうど裏返しに、だんだん意識が薄れていって、記憶もどんどん消えていって、最後に空白に至るというのが本当はいちばんいいのだと思う」
「あ、耄碌のことですね」
「そうだよ。耄碌というのは大切なことだね。そこまで行き着かずに、その途中のはっきりした意識で死んでいくのは本当に不幸だと思う。やっぱり最後は赤ん坊のようになってまた元通りに消えていくというのがいちばん幸せだと思う」
「でもその人の死んだあとに、その人の幸せなんてありますかねえ」
「あると思うなあ。死ぬことは人生にはどうしても必要なもので、死に方の幸せってやはりあると思う」
「え、死ぬことは必要ですか」
「うん、必要というか、でも結果としてはその人生に必要だったわけでしょう、生まれてくるのが必要だったのと同じことで。人生というのは時間的にシンメトリーのものなんだから、死に方の幸せというのが、またその人生に逆流しながら反映していくものだと思う」
「………」
「死んでいく人間の心理って、みんな結局は同じ過程を通るらしいね」
「え?」
「これは精神医学者の報告なんだけどね、病気などでどうしても死ぬんだということがわかった場合、その患者はまず衝撃を受けて、つぎにその診断を否認したり、運命に向けて怒ったり、神と取引をはじめたり、つぎには激しく落胆したりといういろいろな段階があって、結局最後には全部の感情を果たしてから自分の死というのをゆっくりと受入れる状態に落着くという」
「うわ、勉強ですねこれは。でもみんなそうなるんですか」
「うん、これはたくさんの臨床例を見てのことらしいけど、みんな最後まで行けばそうなるという。眠るような状態になるという。その最後の状態に至ってはじめて幸せだといえるんだけど、その途中のままで終る人はやはり不幸だろうね」
「嫌ですね。何だかもうそういう話は……」
「その報告で面白いのはね、一生を苦労し尽した人とか、自分の一生の仕事に満足している人というのは、容易にその最後の受入れの状態に達するらしいのだけど、たとえば物質的な財産に囲まれた人とか、政治的な人脈などをたくさん持っている人とかいうのは、やはり最後の状態にまで行くのに相当の抵抗があって、大変な苦労をするらしいね。その途中の不幸な心理のまま息を引取るのが多いという」
「ああ、それはわかりますね。この世に執着が強すぎるというか、その錘りがしっかりとぶら下がっていて、それにいつまでも引張られているんでしょうね」
「うん、ひっつきすぎているんだよ、この世の中に」
私は背中が寒くなってきた。芝生も冷たくなってきている。もうだいぶしゃがみこんでいる。空がもう少しで真っ黒である。
「さて、行こうか。駅についたら、とりあえず少し飲みたいね」
「あ、いいですね」
二人はゆっくりと立ち上がった。背伸びすると、膝や腰や肩の関節がボキボキという。私はもうシンメトリーの中央からまた離れはじめているところだと思う。結局人生というのはアウトラインははっきりしない。それはちょうどこの膨張宇宙のアウトラインと同じような構造だと思うのである。
この墓地は遠くから見ると、無名戦士の墓というのに似ていると思う。むかし外国映画で見たような気がする。この小さな墓石に名前が彫ってなければ、これは無名都民の墓である。私は来年は申し込むつもりで、書類を何かもらおうと思った。事務所にはまだ明かりがついている。ずいぶんゆったりとした明かりである。とにかく帰りに挨拶をして行こう。あの温厚なおじいさんたちは公務員なのだろうけど、昔ふうにいえば墓守ということになるのだろうか。昔は墓守といえばすぐせむし男とか一本足の男とかいう何か怪奇小説的なイメージであったのが、やはり幽霊の出ない平等霊園になると墓守も公務員に変るのである。
事務所に声をかけてみると、墓守のおじいさんたちはもうすっかり仕事を終えて、帰宅前のビールを一杯飲んでいた。あれま、いいことしているなと思ってドアを開けると、ちょっと照れ笑いをして気まずそうな顔もしている。私たちも、あ、すみませんという感じで、そそくさと顔を引込めた。
門を出ると、なるほど道の向いには「東京霊園」という|私営霊園《マンシヨン》があった。門はしまっているけど、やはりくぐり戸に鍵はかかっていない。入口はだいたい同じようなものである。私は馬場君と顔を見合わせる。
「どうしますか」
「うん、ついでだから」
くぐり戸をそうっと押すと、その部分だけはやはり都営霊園と同じように、クィーンと鉄のこすれる音がする。
あたりはもうすっかり暗くなっていた。ほとんど真暗である。だけどどこからか散らばってくるほんのわずかな粉のような光を受けて、墓石の表面がほんのりと浮かび上がっている。こちら側の墓地には、やはり資本主義の名に恥じぬ壮大豪華な墓が並んでいる。暗くて輪郭だけしかわからないけど、まるで記念碑のような大きなものもある。人格、動産、不動産というのがしっかり守られていて、それが大小さまざまに並んでいて、形もいろいろな主張をもったものが、まるでその場所にじっと生きているようである。ほとんどが石垣や生垣に囲まれていて、いろんな樹木が植えられていて、それがみんなたっぷりと物陰を従えていて、そこには何が潜んでいるかわからない。真暗である。誰も知らない暗闇である。まるで幽霊の溜り場である。見知らぬ幽霊がもうもうとした闇の中に、我が物顔に蠢いている。そんな気配が体のまわりに張りついてきて、私たちはまるで錆びついたロボットの足のように、一歩一歩が固くなった。暗闇が緊張している。あちこちの暗闇が無数の糸で引張られている。その無数に伸びる糸が、どこか別の、見えないところにつながっている。その見えない別のところから黒い糸がギリギリと引張られて、暗闇がドキン、ドキンと呼吸している。その呼吸がひと固まりになって盛り上がってくる。真っ黒な固まりである。それが突然バサリと舞い上がった。私たちは突然棒になった。舞い上がったのは黒くて分厚い新聞紙のようなものだった。それがバサバサと、まだ出来かけの模型飛行機のように二度ほど低空を舞ってから、重い体をどこか遠くへ運んで行った。たぶん黒い鳥だったのだろう。それが物陰にうずくまって、真っ黒になって呼吸していた。私たちは棒のまま前に進んだ。やはり資本主義には幽霊が出る。錘りをぶら下げた幽霊である。錘りの先が錨のようになって、この世の不動産にしっかりと食い込んでいる。そうなるともうこの世から出ようにも出られなくなるのは、理屈からいっても当然だろう。私たちはロボットの錆びついた足も忘れて、ぐいぐいと、錆をそぎ落しながら前に歩き、最後はもう逃げ足で|私営霊園《マンシヨン》を出た。
外は明るかった。ふつうの夜である。ゆったりとした坂道を、ときどき自動車のライトが通り過ぎる。とりあえずふつうの世の中のようである。
[#改ページ]
ダイコンと
ジャガ芋と
油揚げを買って
娘の手を引いて帰りながら
一番星を見つけた
娘より先に見つけた
ここ二、三日ずうっと雨がつづいたけれど、今日はやっと雨が上がった。青空がのぞき、陽も差してきて、土の中の水分がほぐれ、頬に触れる空気がお風呂場のようである。庭で蟻が何十匹か動き回っている。だけど実際に見えるのは二匹だけである。いや三匹目も見えた。いや四匹目も見えた。よく見るとたくさん見える。だけど私は四匹目でやめて、遠くの青空を見た。青空を見たのだけど、疲れた目には晴れた青空がとても眩しい。私は青空をやめて、庭のつげの木を見た。目が疲れたときは青空か緑色を見るのがいいという。それも遠くの色を見るのがいいという。小学校の理科の時間に習った。それを何十年と覚えている。もう今年でそれは三十年目くらいになるだろうか。この庭のつげの木は緑色である。だけどこれは目の前の庭に生えているもので、あまり遠くの緑色ではない。これではちょっと近すぎるだろうか。
私は指先をほぐした。鉄筆を持っていた指先が変形している。左手でほぐすとジーンとしてくる。ガリ版を切るなんて久し振りなので、右手の筋肉が必要以上に緊張している。だけど鉄のヤスリの上で油の原紙をガリガリと刻む感触は、久し振りに気持がいい。神経が落ち着いて、充実してくる。世の中の、何か確実なものに自信をもって向っているような気持、ゆっくりと蠢いている世の中の、その鉄の歯車の一枚を自分でもゆっくりと一ミリずつ動かしているような、そういう気持が充満してくる。そんな一ミリが目に見えるはずがないのに、ガリ版というのは不思議とその鉄筆を持った指先に、その一ミリを感じてしまうのである。そんな感じ、ただの錯覚なのだろうけど……。
私は鉄筆を取上げた。
――巻頭言
去年は一九七九年であったが、今年はもう八○年である。八○年代にはいり込んでから、世の中はさまざまに蠢いている。ニコンF3が発表され、ニコンEMが発売になった。アサヒペンタックスにもLXが現われ、南洋堂の編集長が変った。これまでその職にあった花田会員が自由業となり、|鍋蔵《なべぞ》会員がそのあとを世襲した。他の会員の人間関係も、結婚、離婚、出産などの形で離合集散しながら、八○年代の未来へ向けて蠢いている。最近矢川会員の自転車のランプが壊れてしまった。これもやはり八○年代を迎えての新しい蠢きなのであろう。
去年は天王星に輪が発見された。つづけて木星にも薄い輪が発見された。これまでは奇観であった土星の輪の特殊性も、七〇年代をもって終りを告げたのである。ボイジャー1号からの電送写真によって、木星の衛星イオにおける噴火活動が目撃された。この写真は非常に美しく、鮮明で、わかりやすいものだった。人類は感動し、そして気味が悪くなった。あんなに遠い、暗いところで、この地球と同じようなものが蠢いている。
いままではこの地球の専売特許とされていた「生命」と「人類」の特殊性も、いずれこの八○年代以降には一般化されるのであろう。本誌のような、地球上には類例を見ない、と自負している出版物も、いずれ宇宙の彼方でボイジャーの接写レンズが同類を発見し、報告してくるのであろう。
そこで私はまた鉄筆を置いた。鉄筆を持っていた指先がもう変形している。親指と人差指が、鉄筆の丸い軸の通りにピッタリとへこんでいる。左手でほぐすとまたジーンとしてくる。指の肉がまるで粘土のようだ。いや粘土というよりアメーバーのようだ。この鉄筆の動きにそって、ピッタリとついて来ている。
これはロイヤル天文同好会の会報『ゴムの惑星』三号にのせる巻頭言である。この会報は表紙以外は全部ガリ版刷りである。自分の文章は自分で原紙を買ってきて自分でガリ版を切るという方式になっている。出来上がるとみんながそれを持ち寄ってきて、みんなで一挙に刷って、一挙に綴じて、一挙に発行してしまうのである。だけどこの同好会には怠け者が多く、それがなかなか出来上がらない。それをいちおう民主主義で待っているが、いつまで待ってもキリがない。私は会長ではないのだけど、もう勝手に巻頭言を切りはじめている。
最初は印刷方法を何にするかでだいぶもめた。費用の点もあったけれど、編集を誰がやるかということもあって、だけど自分からいい出すのは誰もいないわけで、それなら結局ガリ版がいちばん単純直接でいいということになった。考えてみればガリ版はマスメディアの元祖である。意見陳述の第一手段である。あらゆる抵抗運動はガリ版から始まる。ソ連ではガリ版の道具を持っているだけで逮捕されるらしい、などという話もだいぶこの会員たちをガリ版へ魅きつけた。もっともいまの日本では逮捕どころか、同情されて励まされてしまいそうだけど。
とにかくまずは道具だということになり、謄写版用具専門店というのを探しに行った。学生の巣窟である神田の町に行ってみると、古本屋と古本屋の板挟みになって、小さな物置のような店があった。商品棚は埃だらけで、その埃の中に鉄筆の先が光っていた。それが手術の道具のように何種類もあり、鉄のヤスリの新品の肌ざわりがまた挑発的で、これはもうロイヤルは絶対にガリ版ですよと、物凄い贅沢を見つけたような気持になった。そうなると印刷の最低手段というのが逆転してしまい、ガリ版が手刷りのオリジナル版画のように思われてくる。
よし、それじゃみんなガリ版でいこうと、勇ましい気持になったとき、会員の一人、ふだんは無口な浜野君というのがガリ版の参考書を持ってきた。そういえばこの人は中学生時代に大変なガリ版少年だった人で、そのころ作ったガリ版画集というのを二冊見せられたことがあった。真っ黒な画面に白い花や白い顔などがポツンポツンと描いてあるキレイナもので、だけどとりわけどうということもないと思っていると、説明を聞いて驚かされた。
ガリ版というのは孔版であって、線というのは実際には点の連なりである。ヤスリの上の原紙に鉄筆で線を引くと、その線は自動的に小さな孔の連なりとなり、そこにインクを通して印刷すると、それが紙の上で一本の線につながる。ふつうの文字の場合はそれで問題はないのだけど、図面などで引く長くつづいた実線というのは、印刷の途中で原紙がそこから破れてしまう。一本の線がそうなのだから、まして広い面積を黒ベタにするというのは不可能である。点と点が密集しすぎるとそこがゴッソリ破れるし、用心して離れすぎるとただの点々の砂模様になってしまう。だけど理屈の上では点と点が破れずに密集して黒ベタが出来るはずである。一つ一つの孔を破れないギリギリの範囲に接近させて、原紙の全面をたんねんに刻み込んでいけば黒ベタが出来るはずである。理屈の上では。
浜野君はその理屈の上に挑戦したのだ。あらためてそのガリ版画集を見てみると、それはムラなくべったりと真っ黒で、私はそのただの黒い色が恐しくなってしまった。ところがその浜野君が、みんなガリ版をやるんならと、少年時代の手垢のついた参考書を持ち出してきて、それでまたみんなは一段と恐しい気持にさせられたのだ。読みながらゾッとした。もう道具は買ってしまったけれど、ガリ版なんてはじめてしまっていいのだろうかと思わされた。その本は昭和三十年、田中書店発行の若山八十著「謄写印刷ハンドブック」というものだけど、たとえばその「持続力」という項目は次のようなものである。
謄写文字の修練も、鉄筆の把握からはじまって、平充力、書姿構成、感の獲得、等量整列、速書化とすすんできました。そしてその次は、最後の目的、持続力の獲得ということであります。これはたぶんに、その人の体力と精神力の問題で、いちがいには強要できないでしょうが、なおかつ、これがなくては謄写文字に身を挺した意義がなくなるのです。
いかに美しい文字を書きえても、速書がたくみでも、最後の持続力に欠けていたならば、目的がたっせられないのです。私は謄写の文字をやろうとなさる方に、よくあなたの性格はしつこい型ですか、飽きっぽい型ですかと無遠慮にたずねます。これはいちおうこの仕事の適性の尺度になるもので、だいたいにおいて鈍重型のほうが、向いているようです。才子型は当座はよくても、つねに右こ左べんして、落ちつきがなく、持続ということに、いたたまれなくなるために、ついには、逃げだしてしまいます。
謄写文字の技術者は、他の技術者にくらべて、その性格がゆがんでしまうくらいの、持続力が要求される点で、時々おそろしいと思われることがあります。仕事といえば、いそぎのものばかりで、一日じゅう机の前に根をはやす、すなわち植物生活を、いとなまねばなりません。それが、夜と昼の区別もなく過ぎては、いかなる人間でも、悲鳴をあげないわけにはいかないのです。ゆえにこの持続力になれたころは、その人は、そうとう病的なゆがんだ性格になっており、外面にもその表現がみられるようにまでなります。ひとくちに持続力といっても、この仕事の異様さは、まったく言語にぜっするものがあると思います。この道の人は、これを人間酷使となづけ、嘲笑をもって、自ら慰めています。これはあきらかに、印刷という文明の利器ではなく、たんなる業といえない、家婢のような仕事の性格にあるからではないでしょうか。にもかかわらず私たちは、なおかつ、これをやらざるをえないのです。そうした多忙性こそ、この仕事の最も得意の壇上であると誇り、応接しておるのですから、仕方がないし、こうした点が、他の印刷がやりえない、いや、やろうとしない、独特の安全地帯というのですから、永久に是正されることはないものと、観念してかからねばならぬでしょう。
この持続力の実践こそ、おそらく謄写文字をやろうとする決心を、りっぱに裏づけることになりましょう。少々くらい、書姿が拙くとも、まず営業孔版の実践者は不屈の持続力と、確然とした平充力の駆使さえあれば、よく達しえられると存じます。
ですから何日間もちつづけても、飽くことをせぬ、疲れを感じない腕を、しだいに養成することです。そのためには、練習また練習をつづけるほかに、みちはありません。もっともいちおう、基本が終ると、少しずつ生きた仕事をすることができます。それには、報酬がありますから、たんなる練習よりは、興味と楽しみと共に、仕事がつづけられます。ですから持続力はそうした間に、しだいにきずかれていくもので、いたずらにあせっても、仕方のないもののようにも、思われます。
謄写文字技術者の、一日で書く文字量の標準は約一万字ということです。もちろん文字が乱れず、疲れも覚えず、悠々とあくる日もまた、これをなしうる状態に、たっしたものを、専門家というのだそうです。御参考に供していただきたいと存じます。
私たちはこれを読んで、アングリと口が開いた。ドングリ目も開いたまま、顔全体が茫然としていた。昭和三十年といえば、戦後の十年目、こういう教則本が出版されるくらいだから、ガリ版は隆盛であったのだろう。そのさなかにおいてのこれである。私たちはまだドングリ目が開いたままだった。何というか、この言葉、頂上をきわめたものだけが知る、ドン底の喜び。
この本のおかげでもないだろうが『ゴムの惑星』は最初の一号目から原稿の集まりがぜんぜん悪かった。いや、原紙の集まりがぜんぜん悪かった。みんなガリ版の凄絶なイメージには加担しても、その実行がやはり遅れをとってしまうのである。イメージだけでつい満足してしまうのである。一号目は予定よりも四カ月遅れた。二号目は予定の十カ月後になってやっと全部が集まり、刷ることが出来た。最初は月刊はまァ無理だろうけど隔月で、せいぜい季刊で、などといっていたのが、不定期刊もいいところである。出来上がったのを人にあげるときは晴れがましい気分だけど、みんな「家婢」の作業はもうたくさん、という顔だった。だけど二号目の筋肉のコリがほぐれて一年もたつと、まァ、そういう作業もたまには、などという考えがチラリと横切ってくる。それが二年たつと、チラリというのが堂々と居坐るようになり、やはりどうせなら三号までは出そうということを、ロイヤルの怠け者たちが決意したのだ。だけどそれがやはりゴムの決意なものだから、決意からもう簡単に半年がたっている。むかし天文少年だった田中会長とガリ版少年だった浜野君のほかは、もうみんな怠け者である。だけどこれが商売というなら怠けるのも勝手だけど、自分から物好きでやることをなぜ怠けるのか、ガリ版に加担しながらどうしてみんな家婢になれないのか、ロイヤルとはイメージの家婢ではないのかと、もう今度仕上げて集まらなければみんな絶交だという最後の日にちを決めてから、もう二カ月である。
だけど私は最近になってから、これがじつは「放物刊」であることを発見して悦に入っている。一号から今度の三号まで四年もたっていて、ふつうならこんな雑誌、もうとうの昔に蒸発してなくなっているはずだけど、この「放物刊」に気がついてから、にわかに気運が盛り上がってきたのだ。怠け者も、やっと少し動きはじめた。いままでの怠け者の時間というのがこの「放物刊」の発見により、怠けたままで生きかえったのだ。私はまた「巻頭言」の鉄筆を取上げた。
本誌は不定期刊のように見えているが、この発行日を綿密に観測する読者はある一定の法則を発見するはずである。本誌は月刊、季刊、年間、あるいは不定期刊、等のいずれでもなく「放物刊」であることが明らかになった。
第一号――一九七六年十二月発行
第二号――一九七七年九月発行
第三号――一九八〇年七月発行─今回
この三点をつなぐと、ある放物線の末端があらわれる。それを延長した本誌次号の発行時点は一九九一年二月であると予測される。つまり前回の二号から今回の三号までは約三年の歳月を必要としたが、次の第四号発刊までにはこれから先十年以上の歳月が必要である。その間に予想される問題として、ハレー彗星の接近がある。ハレー大彗星は本誌の留守中に接近し、本誌が留守のまま立去っていく。そこで本誌では今回の号をハレー彗星目撃特集号として、明治生れの各界先輩諸氏から貴重な原稿をいただくことができたわけで、これは天文学上の大収穫であった。
以後、太陽の膨張、地軸の変転、会員による新星発見、観測旅行、自作器材の完成、愛機の故障、ネジの紛失、等々の大現象が次号発刊までの十年間に発生した場合には、随時増刊や別冊の形で本誌を発行することも予想されるため、会員会友とも日常の努力が大切である。(T・Y記)
私は鉄筆を置いた。無事に巻頭言を切り終る。平充力も等量整列もちゃんとしていたようである。誤字脱字もなかったようで、私は晴れがましい気持で原稿を眺める。半透明の膜のような油の原紙に、油脂が鉄筆で掘起されて、文字が白くポロポロと並んでいる。一文字ずつをよく見ると、線がグニャグニャでがっかりしそうになるけれど、全体ではけっこうキレイに揃って見えて、またそうっと自信がわいてくる。私はいま巨大な放物線の上にいるのだ。この第三号のガリ版を切っていくと、その放物線がほんのわずかにあらわれてくる。だけどこれはまだ「放物刊」のほんの糸口である。これを出しても、この次の十年後の一九九一年に第四号を出さなければ、せっかくの放物線が立ち消えになる。第五号はそれからさらに四十年後の二〇三一年六月である。第六号は、えーと……。
私は手近かの紙で計算してみる。一回目の発行間隔と二回目の発行間隔との間の倍率を取出して、それを四号、五号、六号とセットしてみるわけである。そうするとこの『ゴムの惑星』の発行間隔がどんどんと美事に伸びていって、はるか彼方に去って行く放物線が目の前に模型となって見えてくる。それによると、第六号は五号からさらに百五十年と七カ月後、西暦二一八四年の一月である。あ、正月である。いったいどんなお正月だろうか。やはり日本人はお餅を食べているのだろうか。日本の国旗はまだ白地に赤い日の丸だろうか。しかしいまから数えると二百三年も後の正月である。その年にまだガリ版の道具が世の中にあるかどうか心配である。だけどそれがあったとしても、もう私の手では無理なことだ。私にだって寿命はあるだろう。私が直接にガリ版を切れるのは、あと五十年後に予定される第五号までがせいぜいである。その第五号にしても、そのときの私の腕に果たしてガリ版を切る力があるかどうか、平充力と等量整列と、そして持続力があるかどうか、それがちょっと心配である。だけどいまはとにかく第三号だ。いつの間にか放物線を目差して一、二、三、とつづいたその三つ目の点である。
私はその点の上に座布団を敷いて、ぼんやりと庭のつげの木を見ている。指にはまだガリガリという感触が残っている。放物線上のガリ切りである。また自信のようなものがわいてくる。たぶん自信だろうと思う。つげの木は緑色である。それがつげの木になったり、緑色になったりしている。それがまたつげの木になった。
つげの木の根元には繩跳びの紐が落ちている。家には繩跳びが二本あるが、これはピンク色のビニールの方である。白い把手のところに「くるみこ」とひらがなの文字。私がマジックで書いてあげた。一年二組。いまは学校のプールに行っている。最近はヌカ漬けができるようになった。いつも私と二人の食卓に、きゅうりが二本。漬ける時間も心得ている。今日も水着で泳ぐ前の小さな指で、セロリを二本、ヌカを掻きまぜ、ピタピタと上から叩いて漬けていった。誰もいない台所で、セロリがじっとヌカに漬かっている。その間、私はじっと庭のつげの木を見ている。こんなことをしていて、いいのだろうか。
本当はイラストレーションの仕事が三つも溜っているのだ。それを片付けようと机の前にいるのだけど、その糸口がぜんぜん出てこない。その糸口の出るはずのところから、ガリ版の感触がガリガリと、気持よく震えながら私の中にはいり込んでくる。仕事は溜ったままである。もう今日中には無理をしてでも、とにかく白いケント紙を埋めていかねばと思いながら、私はまた鉄筆を取上げた。引出しをそうっと開けて、巻頭言の原紙をそうっと仕舞い、今度は自分の文章である。ヤスリの上に新しい原紙がそうっとひろがる。仕事の糸口はふさぎ込んだままである。鉄筆だけがまた動き出す。これは困る。本当に困る。
〈ぼくの欲しいレンズ〉見ることの研究
[#地付き]――矢川泰平(芸術家42歳)
ぼくはロイヤル天文同好会の会員になってから「見る」ということについてずいぶん勉強させられました。見ることにはいつも自分が関わっている。見る自分が不安定であれば見るものも不安定になる。アポロ宇宙飛行士が月まで行って直かに見てきたことは、この自分の目の延長である、とか、いろいろそういうようなこと。
みんなに「アイツはUFOが好きだからいいかげんな奴だ」とかいわれますが、これもUFOというのは「見た」とか「見ない」とかいう単純なことが最初から最後まで離れない問題だからこそ興味があるのです。だからもしも盲導犬の世話になっているような人が「UFOを見た、絶対に見た」と本当にいうのであれば、少し考えを変えなければいけない。だけどそういう例は、まだ一件も報告されてはいないようです。だからUFOは、まだ目が見る問題としてある。
夜空に星雲を見る作業も勉強になりました。目印になるいくつかの明るい星をたどっていって、その目的の星雲があるはずの場所を見定める。だけどその場所をいくらマジメに見つめても星雲は見えない。星雲というのは形は大きくても薄ボンヤリとしか見えないものだから、見つめれば見つめるほど見えなくなってしまいます。そこでもう星雲を見るのはあきらめて、視線をちょっと外して隣の星を見たりすると、その外した視線の外れの方でボンヤリと星雲が見えるのです。
ふつうは何物かをキチンと見ようとすれば、その物をじっとマジマジと「見つめる」わけだけど、それは必ずしも一般法則とはならないのです。星雲をキチンと見るためには、軽い気持でよそ見したりしながらフイと見ることが必要です。しかもこの場合、星空のこの位置にこういう形の星雲がこういう角度で見えるはずなのだという知識をあらかじめ頭の中に叩き込んでおくと、いざ見るときにそれが見えやすくなってくるという追体験的な認識過程が実際にあるのです。これは科学的にも正しいことなのですが、ふと考えてみると、これは自己暗示の方法と似ていたりするのです。最初に写真で見ているものだから、そういう形に見えるのじゃないか……。そうするとUFO問題のもっともいいかげんな部分、洗脳的というか、信仰的な部分のいいかげんさというものが、まるで正しいみたいにグラついてきたりする。それは非常に嫌なことです。本当はそうではなくて、ボンヤリとした星雲を見るためには目の最大能力を必要とするので、その場合のロスとなる錯覚というものを、あらかじめの知識によってクリアーし、目の能力を最大限に整備しているのです。
双眼鏡による木星の観察も勉強になりました。ニコン7×50IFで見る木星とその衛星たちは、ぼくのいちばん愛する映像です。だけどその白い小さな点の連なりはまるで火にかけたフライパンの上の水滴のように、いつもレンズの中をピンピンと跳ね回っているのです。自分の体から離して地上の三脚に装着した望遠鏡ならともかく、自分の腕で支持する双眼鏡の星の点は、絶対に静止しないのです。これは修業が足りないせいかと思い、気分を冷静にしたり、両腕を逞しく鍛えてみたりするのだけど、覚悟して双眼鏡を両腕でガッチリと支持すればするほど、レンズの向うの星像はピクン、ピクンと規則正しく揺れてくるのです。おや? このリズムには覚えがあるぞ、と思って自分の体を点検してみると、それは自分の脈搏のリズム、自分の心臓のリズムと同じものなのでした。自分の心臓が鼓動しているかぎり、自分の腕が持つ双眼鏡の星像は心臓と同じリズムで揺れつづけているのです。だからこの星像の静止する状態は、生きている自分の目では見ることができない。死ねば心臓は静かになるけど、こんどは目も脳ミソもきかなくなってしまう。結局は自分の支持する双眼鏡も、自分の目も、自分の頭も、生きている間は自分の心臓に揺らされているものだと知りました。
だから双眼鏡には三脚が欲しくなるのです。ぼくの欲しいレンズはそこから拡張していきます。アポロ宇宙飛行士もこの自分から延びる目玉の延長なのだけど、とりあえずここにいる自分のこの肉体の本部には、この自分の人体から離れて立っている硬いレンズが欲しいのです。
私はそこで鉄筆を止めた。白い文字の行列もそこで止まる。とりあえず文章の一区切り。私は鉄筆をコトリと置いた。手を離したヤスリの上で、原紙が一ミリほど浮き上がる。机の上に投げだしたジーンと痺れる指先が、まるでゴトン、ゴトンと汽車に乗っていたようである。あれ? こんな感じ……。
私はまた庭を見た。庭のつげの木の、その緑色を見たのだけど、その視線の外側に、モクモクと黒い煙がわいてくる。昔のドン行列車の煙である。それが私の腕のつけ根から出ているようである。黒い釜の中で石炭をボッポと燃やしながら、いかにも全体を尽くすというスタイルでゴトン、ゴトンと前に進み、それがギシッと止まって駅に着いて、途切れたリズムが宙に浮いてジーンと渦を巻いている。机の上でブレーキをかけた小さな指先が、シューッと、まるで白い蒸気を吐くようにして休んでいる。
私は指を動かしてみた。鉄筆には器用だった指先が、よろよろと不器用に動いている。熱がぼんやりと引いた指の中に、わずかな痛みが漂っている。その痛みの下の方に、ほんのかすかに満足感が溜っている。ほんのかすかな満足感。動くとすぐに消えてしまいそうなもの。
私は指を止めた。これと同じような指先を思い出した。小さな暗い指先である。糊に汚れた小さな指先の、ローソクの光のような満足感。暗く湿った部屋の中を、ピタピタといつまでもつづく雨垂れのようなリズムが支配していて、そのリズムにはまり込んだ指先の労働で、内職の仕事がコツコツと進む。糊を貼って完成したばかりのまだ湿っぽい封筒の山が、ぼーっとした頭の中をチラリと横切る。あ……こんなもの……。
私は庭を見た。また庭のつげの木を見て、その緑色をせっせと目の中にしみ込ませようとしたのだけど、その頭の後の方に、また昔の封筒の山がチラリと横切る。緑色のシットを三つ編みにした紐の山もチラリと横切る。硬い糸のような針金をねじった荷札の束もチラリと横切る。
家には五人も兄弟がいた。いや六人目も生まれた。足の悪いおじいさんもいた。それが寄ってたかって封筒を貼っていた。荷札の針金を一つ一つねじっていた。まるで台風が来て会社も学校も休みになったみたいに、みんなが家でゴロンとしていた。ゴロンとしながら、だるい体が縁側でダランと垂れ下がっていた。私は小学校の何年生だったか、もう忘れたけれど、真面目な顔で封筒のノリシロに糊を塗っていた。重ねた封筒のノリシロを三ミリ間隔でずらしながら、ズラズラとトランプの手品のように並べていって、そこに薄い糊をいっぺんに塗る。塗った刷毛の柄が濡れないように受皿に置いて、置きながらもう左手で一枚目を取って、二枚、三枚と、糊が乾かぬうちにパタパタとノリシロを折って貼り合わせていく。電球が暗いので目も鋭く、指先も鋭かった。作業する大勢の家族の無言の息が、鋭い耳の中を出たり入ったりしていた。そういう何事も押殺したような部屋の中で、同じ作業の繰返しがドン行列車のように、封筒の継目の一つ一つをゴトン、ゴトンと渡っていって、何十枚貼ってやっと一円玉が一つという、それは気の遠くなるような計算だった。だからその作業にはいり込むと、いつもは軽蔑しているような軽薄な一円玉が、まるで顕微鏡でのぞいたように、頭の中で拡大されてくる。だから飴玉一つ舐めるのも、そろりそろりと、顕微鏡でのぞきながら舐めているようだった。飴玉だけでなく、生活のすべてが顕微鏡で拡大されて、目の前に聳え立ってくるようだった。両手はもうその巨大さから遠去かるばかりで、ただひたすら糊と刷毛と封筒のリズムに縛り上げられている。だけどその縛られたところに快感があるのが、何か無気味なマゾヒストのようだった。気がつくと、頭の中の巨大な一円玉が消えていた。ただ両手だけが無謀に動き、無気味なリズムで行き来している。もうお金のことは消えてしまっているのだった。頭には何も考えがなく、まるで両手のリズムが一円玉をすり潰してしまったようだった。
私は目の前の緑色に、ほーっと溜息を吐きかける。あのときの小さな指の満足感が、またいまになって、この鉄筆で痺れた指先にもぐり込んでいる。
私は昔の貴重品を触わるみたいに、手さぐりでそっと指先を揉みほぐした。目は庭の方を向いたままである。庭のつげの木は緑色だけど、本当はちょっと黒っぽい緑色である。葉っぱには薄く埃が溜り、小さく蜘蛛の巣も張っている。こんな緑色を見ていて、私の目は休まったのだろうか。いや本当にこの緑色を見ていたのかどうか、いまはとにかく見ているけれど、私の視線は庭のつげの木に別れを告げて、油の原紙の上に舞い戻り、右手はまた鉄筆を取上げた。〈ぼくの欲しいレンズ〉のつづき。
この間、銀座の「外国カメラショウ」に行って「ミノックスBL」に触わってきました。この超小型精密カメラの存在は前から知っていたのだけど、実際に触わったのははじめてです。触わってからぼくの新しい悩みが生まれました。銀梨地の金属肌を大切につまみ上げて、米粒のようなシャッターボタンを軽く押すと、このマグロのお刺身一切れくらいの大きさのボディの中を、小さな金属膜のシャッターが右から左へシャキーンと動くのが、まるで指の中のことのように精密にわかるのです。「実感」というものはほとんど百パーセントのエネルギー効率をもって意識の中心に到達します。これにくらべたら「学識」というものは、やはりどうしてもエネルギーのロスが多いのではないかと思いました。
ミノックスにはぶら下げ用に細い銀の鎖がついています。長さ六〇センチで、途中に妙な間隔でポツポツとアクセントがついている。何だと思ったら、これは距離計なのです。ミノックスは通常撮影ではピント調節無用ですが、一メートル以内の接写のときは、この銀の鎖で距離を計るのです。この無駄のない物質の、まさかと思う直接主義。ぼくはまた悩ましくなりました。
カタログを見ると「ポケット三脚」というのがありました。卓上用の小さな奴ですが、三本の脚の太さが、太、中、細、となっていて、クルクルと操作すると太い脚に他の二本が順番に格納されて、一本の鉛筆みたいになってしまう。これはまた美事に隙のない道具構造で、また一段と悩ましくなります。双眼鏡アタッチメントというのもあって、それを使うと、ぼくのニコン7×50の片眼がミノックス用の望遠のレンズとなり、残る片眼が肉眼用のファインダーとなって、超望遠撮影ができてしまう。これも考えたらたまりません。ルーペの装備された小さなピンセット、爪切りのようなフィルムカッター、小さな水筒のような白昼現像タンク、小さな電気スタンドのような引伸機、みんな小さくて精密で、ぼくの机の引出しに全部はいりそうで、ぼくの妄想はガリバーみたいになってぐんぐんと悩ましくなる一方です。二十年程前はミノックスのカメラ本体だけでも当時の金でたしか二十万円くらいの遠距離だったのですが、最近は円高のおかげで十万円もしない距離に近づいている。この、無理をすれば手の届きそうな接近感が、いっそうぼくに悩みをうえつけてしまうのです。
ツンと、ほんの小さな、針の落ちるような音がしてから、机の上の電話が鳴った。筆耕中止。ガリン、ガリンと小さな塹壕を掘りつづけていた鉄筆が、ふいに止まる。私は糊付けの体を剥がすように姿勢を起し、右手の鉄筆を置いて、左手で受話器を取上げた。
「もしもし」
「……」
電話は黙っている。何だろうか。
「もしもし……」
ズー、ズルッ……カタン、とかいう小さい音がする。
「もしもーし……、どなたですか?」
「……あれ……」
「もしもし?」
「……あ……もしもし……」
何か動物のような感じ、妙に黙っていて、妙に発音する。電話の向うに何かグニュリとしたものがある。
「もしもしどなたですか」
「……あの……くるみこちゃん、いみゃすか……」
「あ、アヤちゃんか、アヤちゃんね?」
「……はイ……」
一年二組。胡桃子の友達である。白くて目のキョロンとした子。コンニャクが嫌いである。胡桃子は今日はプールだ。あれ? アヤちゃんは……。
「あれ? アヤちゃんはプール行かないの?」
「……」
黙っている。聞えたのだろうか。
「あのねェ、胡桃子は今日は学校のプールだよ。アヤちゃん、風邪ひいたの?」
「……ちがいます……」
違いますか。困ったものだ。
「遊ぶ約束だったの?」
「……」
また黙っている。
「あのね、それじゃあね、いまプールだから、帰ってきたら胡桃子に電話させるからね」
「……」
「アヤちゃん、家にいるんでしょ」
「……いる」
「それじゃ電話するからね」
「……」
「ね」
「……」
電話はしばらくしてから、いきなりガチャンと切れた。いきなりである。凄いと思う。驚いてしまう。グニュリとしているのがいきなりガチャンである。もうあとのまつり。仕方がないね、これは、グニュリだから。私はしばらく青空の下の方を見ていて、また鉄筆を取上げた。
ミノックスは今から約四十五年前、バルト三国の一つラトビアの首都リガに突如出現した超ミニカメラです。大戦中は全世界のスパイに愛用されて大活躍し、映画などでもおなじみだと思います。戦後の生産国は西ドイツに移り、戦争を失った高齢児童(男子)たちに今なお愛用されているようです。スパイカメラとしての機能を全身にみなぎらせたこのミノックスの、平和時における存在というのは非常に興味のあるところです。戦時においては「諜報のため」という大義名分があるからまだいいのですが、平時においてはその大義名分の消失したあとに、その偏執的秘密的スタイルだけが露わになって、フェチ(フェティシズム)が一挙に露出してくるのです。もう申し開きはできません。ナチが脱げたあとにはフェチがヌルリと裸になっているのです。
申し遅れましたが、ナチというのはナチズムのことです。ドイツ・ナチというのは、フェティシズムの軍隊です。軍隊はみんなそうかもしれませんが、ナチの軍隊には特にその性癖が顕著でした。破壊と殺戮のための兵器とはいえ、そのさまざまな精密機械類には、金属の冷たさと親密感との混合された妖しい引力というものが、その隅々に漂っています。もし人間が金属というものに魅力を感じないでいられるとしたら、戦争というのはあれほどまでに進行せずに、始まったとしてもすぐ途中で終ってしまうのではないでしょうか。だけど戦争は終らない。戦争というのは生きるための殺し合いであるという、少くともそういう大義名分で覆われていて、その覆いをつけて人は戦争をつづける。ところがその戦争の場所に湧いてくる幾多の金属機器というものには、その大義名分の下に隠れて、ここぞとばかりのフェティシズムがむっくりと蠢いているのです。勇ましげな破壊と殺戮の機能の下に、粘着する金属愛が隠れているのです。ドイツ・ナチの機甲軍団は、そのような構造の頂点にありました。だからその戦争が終り、大義名分の「有用」性が脱げ落ちると、それらの金属機器には「無用」のフェティシズムだけがむき出しになって見えてくる、ナチが脱げたあとにはフェチがヌルリと裸になっている、そういうことがこの精密スパイカメラにもいえるのです。だから戦時にミノックスを持っているのも普通の人ではないけれど、平時にこのスパイカメラを持っているのも、ただの普通の人ではありません。これはやはり、金属の愛情に悩む人だといえるでしょう。
こういう悩んだ先の人々の集まりに「ミノックス・クラブ」というのがあり、機関紙に「ミノックス・クラブ・ニュース」というのがあります。ここではミノックスの機能をいかにフルに引出すか、その工夫と体験の情報交換、そしてその成果の写真を載せての競い合いなど、わがロイヤルに負けずに頑張っています。
中でも特にミノックス的であった記事――この会員の一人が韓国のソウルに旅行したのです。スイスやハワイやグァム島ならともかく、韓国というのは戒厳令の国。夜は外出禁止で人影一つなく、昼は軍隊が街中を見張っている。とはいえこの会員は日本から来た普通の観光客なわけだから、行く先々で愛用のミノックスをポケットから取出し、名所旧跡などをカシーン、カシーンと撮ったそうです。すると何と驚いたことに、そのカメラがミノックスであるということだけで、KCIAがピッタリ尾行して来るという。
ぼくはこの記事を読んでアングリと口を開けました。そしてそりゃあそうだろうと思いました。だけどそう思いながらさらにアングリと口が大きく開きました。これは何だろう。露骨と露骨のぶつかり合いといえばいいのだろうか。それともフェチとナチのからみ合いといえばいいのだろうか。だけど両方とも普通ではないと思いました。ただの名所旧跡をスパイカメラで撮る人も普通ではないし、そのカメラがミノックスだというだけで尾行する人も普通ではない。まるで防弾チョッキを着込みながら、お尻が丸見えという感じです。しかしいずれにしろこの双方、一方はミノックスの接眼レンズ、もう一方はミノックスの対物レンズ、その両方からこのカメラに吸引されているようだと思いました。
またツン、と針の落ちるような音、それにつづいて電話が鳴った。筆耕中止。ガリン、ガリンと小さな塹壕を掘りつづけていた鉄筆が、またふいと止まる。私はまた糊付けの体を剥がすように姿勢を起し、右手の鉄筆を机に置いて、また左手で受話器を取上げた。
「はい、もしもし……」
「あ、もしもし」
「はい、もしもし?」
「いま何してるんですか?」
「あ、|鍋蔵《なべぞ》」
鍋蔵である。
「何って、ガリ版……」
「あ、ガリ版。ヒマですね」
「……」
私は黙った。庭を見る。ぼんやりと丸い緑色が見える。机の上の原紙から目を上げて急に遠くに目をやったので、焦点が宙に浮いてなかなか合わない。右手の指先も茫然としている。私は親指と人差指を揉み合わせながらじっと黙る。
「あ、悪い。ヒマなんて……」
鍋蔵はあやまっている。どっちにしても口先だけのことなのだ。私は仕方なく口を開く。
「別にいいけどね。鍋蔵はどうせまだなんでしょ、ガリ版」
「いや……」
「まァいいですよ。今度はもう出来た人だけで発行すりゃいいんだから」
「やります」
「いや無理しなくてもいいの。こちらはもうね、巻頭言をすんで、いまはもう自分の分」
「自分の」
「題はね、ぼくの欲しいレンズ」
「あ、欲しい」
「そう、この間ね、とうとうミノックスに触わったんだよ」
「うわ、ミノックス」
「そう、ミノックス。困っちゃったよ。いままではぜんぜん縁がないと思って、意識もしなかったけど」
「縁が」
「そうだよ。だって昔はたしか二十万円……、これは昔だから、いまでいえば七十万円くらいの値段だよ。それがいまは十万円もしなくて手にはいる」
「はいる」
「まだはいらないけどね、この間の外国カメラショウでね、ウィンドウから出してくれたんで触わっちゃった」
「触わる」
「そう。銀のやつ。あの膚がいいね」
「銀梨地」
「そうそう。銀梨地」
「ナシジ」
「そう梨地。困るねあれは。二本指でつまんでね、米粒みたいなシャッターをプチッて押したら、シュカシーン……て。銀梨地の中でね、一人前に小さなフォーカルプレーンがシュカシーン……て。もうたまらないね。あの感触は」
「感触」
「まんざらね、手を伸ばせば届きそうなもんだから悩んじゃう」
「悩み」
「その日帰ってから悩みはじめてね、もう頭がうずいているの」
「うずく」
このこちらの話の単語だけを取出して繰り返している男、鍋蔵というのは、むかし横浜の写真学校にいっていたことがあって、その当時ハッセルブラードを持っていたという。実家がH市の薬屋で、たぶんお金があったのだろう。このハッセルブラードとは何かというと、ニコンも、キャノンも、ライカでさえも持って行ってもらえなかった「アポロ11号」の宇宙飛行士が、ただ一つだけ月まで持って行った高性能カメラ。スエーデン製。6×6判一眼レフ。値段はもう高くてわからない。カメラ雑誌で広告をときどき見るが、値段が書いてない。書いても仕方がないほど高いのだろう。まるで銀座の鮨屋みたいだ。私のその広告に無視されたようだった。どうせ君らは見るだけで買わないんでしょ、といわれたみたいで、私の財布は打ちひしがれた。
いやそんな財布はともかくとして、鍋蔵の場合、それほどのカメラをプロでもないただの学生の分際で「不必要」に持っているというのは、これはもうフェチが露出しているのだというよりほかにいいようがないだろう。
フェチとはフェティシズムの略称である。たとえばヒゲを何度も剃って切れなくなったカミソリの刃を、どうしても棄てるのが惜しくてビンの中に溜めていたり、使い棄てのライターを使っても棄てずに引出しの中にたくさん並べていたり、そういう人のことを私たちは、
「フェチ、フェチ」
と呼んでいる。もっともこういうのは最底辺の、いわば辺境のフェティシズムであって、フェティシズムの最高峰はというと、もっと積極的に、その粘着力が鮮明になってきて、ハイヒールの蒐集からパンティのコレクション、生ゴム研究、革のムチ、鎖、滑車、千枚通し、というふうに、その標的になる物品がだんだんと肉体の方に接近していく。いわゆるSMの世界にはいり込んでいくわけである。だけどそれは限りなく肉体に近づきながらも、そのまま肉体に飛び移るということはないようである。肉体に無限に近づくところの物神崇拝、物質愛好なのである。しかしそんな千枚通しなんて、そこまで近づいてしまうと、肉体からは血が出る。それはもうすでに病人であろう。
ふつうは病気を避けるものである。だからそのようなフェティシズムの最高峰を雲の上に封じ込めながら、ふつうはみんなその麓の方で物質と交際している。カメラ雑誌、自動車雑誌、オートバイ雑誌、兵器雑誌、天文雑誌、そういう金属、ガラス、ゴム関係の雑誌というものは、フェティシズムの麓の方での交際誌である。これらの雑誌愛読者が情熱をもって見つめているのは、いずれも新製品の広告である。読者はその広告の中の眩しい金属製品を、あたかも両手で操作しているような妄想をもって見つめながら、それで満足しようと努力している。だけどその視線は見覚えのあるものである。よく考えてみると、それはポルノ雑誌への視線である。この二本の視線は平行線なのだ。そのことは確実に計算できる。数字で証明することができる。ポルノ雑誌の眩しい肉体写真にそえられた身長、体重、|B《バスト》、|W《ウエスト》、|H《ヒツプ》といったデータ数字は、物質マニアの諸雑誌の中では、排気量、焦点距離、露出時間、最大トルク、分解能、最高速度、ガイドナンバー、鏡面精度、そういったさまざまなデータ数字となって乱舞している。
肉体への情熱は、それが肉体の各駆動部分で内面反射を繰返しながら、物質への情熱となって放射している。これはいつも危険をはらんだ放射である。その放射能が少しずつ偏向しながら一箇所に固まって臨界量を越えてしまうと、しだいに粘着力が増幅し、それが雲を突き抜けて最高峰へと登りつめ、ついには千枚通しへとたどり着いてしまうのだ。鍋蔵の持っていたハッセルブラードは、その後お金がなくなったときに友人に売り渡してしまったという。そのおかげで鍋蔵のフェチは分断されて、千枚通しへと向わずにすんだのである。しかし最近の鍋蔵はオートバイに乗りはじめたという。オートバイは最初ヤマハスポーツRD二五〇で、それをカワサキZ六五〇に乗り替えて、最近はまたカワサキZ四〇〇FXに乗り替えたというのだが……。
「ミノさん、ミノックスさん」
鍋蔵が声をかけてきた。
「あ、ごめん。まだ電話中だ……」
「あれ見ましたか」
「あれって?」
「ミノックス・クラブ・ニュース」
そうなのだ。あのミノックス・クラブ・ニュースは鍋蔵が送ってくれたのだった。鍋蔵の叔父さんが会員なのだ。
「読んだ。それなんだよ。いま切っているガリ版はあれがテーマ。でも凄いね、あの人達」
「クラブ」
「そうだよ、クラブだもんね。あれが凄いと思った。あの“自製ミノックス・フィルムカッターの作り方”っていうの」
ミノックスというのは幅九・四ミリの小さなフィルムを使用している。マガジン入りの専用フィルムというのは高いそうで、それを何とかもっと安く、しかもいろんなタイプのフィルムを使いたいという人は、いま世間にいちばん出回っている三五ミリフィルムを買ってきて、それを自分で暗室の中で四つ割りにして使う。そのために安全剃刀やカマボコ板を利用して作る自家製フィルムカッターというのが、熱心な会員によって何種類も考案されて、図入りで紹介されている。
「あれ結局は、貧乏性の極地だね」
「極地。極点」
「しかも相手がミノックスだから、これはもう超高級の貧乏性」
「超ね」
「でもあれ、本当は自分の秘密なんだよ。きっと」
「秘密」
「だけどね、その秘密を人に教えずにはいられないっていう、あれはもう何というか、構造としては痴漢だね」
「構造」
「そうですよ。もう自分の秘密を人に伝えたくてジッとしていられない」
「ジッと」
「そう、ジッと」
「伝える」
「もういいよ、いちいちオームみたいに」
「お元気ですか」
「うるさい。ガリ版まだでしょ」
「すみません、父子家庭、どうですか」
「何?」
「くるみこちゃん元気?」
「関係ない」
「いや、でもホント、父親にくじけないで」
この人はいつも突然何か妙なことをいい出す。そういえば鍋蔵の両親は昔離婚したという。そんなことをチラと聞いた。だけど鍋蔵にはいまは両親が健在である。
「両親って、片親を並べたようなものですよね」
私が黙っていると鍋蔵はまた妙なことをいっている。
今度は鍋蔵も黙った。ずーっと黙っている。この人はだいたいは躁鬱的な傾向がある。それがすごく短い周期で一日に何回と、いや一時間にも何回となくあらわれてくるようである。黙っているときにはたいてい自分の顔の左下の位置を見つめている。もちろんその位置に何かがあるというわけでもないだろうけど、電話中にあまりにも黙っているので、私は電話代が惜しくなってきた。
「ミノさん」
今度は私の番である。
「ミノさん、ミノックスさん」
「あ、すみません」
「あのねえ、結局ねえ……」
「結局」
「ミノックスの人たちって、本当はやっぱりスパイをしたいんだと思う」
「あ、したい」
「ふつうに撮るんならふつうのカメラでいいんだもの」
「ふつうね。極くふつう。極く」
「だけどミノックスは秘密に使えるように出来ているんだから、それを手にしたらやっぱり秘密に使わないとおさまらないね」
「おさまらぬ」
「そうだよ。本当はやっぱり秘密の使命に憧れている」
「うわ、使命。憧れる」
「そう。使命を帯びる」
「帯びる」
「それでどこか禁止の場所に忍び込んで、ミノックスをコッソリと出す」
「コッソリ」
「それでもって秘密文書をパチリとやって……」
「文書ね」
「あとはミノックスを背広の内ポケットに」
「ひひ、内ポケット」
「あとはまた何くわぬ顔をして通り過ぎる」
「何くわぬ」
私はしばらく休んだ。いったいこの男は何だろうか。私の話から単語だけを取出して、せっせと粘土で型取りしているみたい。まるで言葉のオブジェというか、言葉のレッテルである。言葉の特徴だけを手当り次第に取出して、それでポーズを固めて喜んでいる。言葉のボディビル。筋肉の形だけを盛り上げている。何だろうか。私はまた話をつづける。
「しかしこれはねえ、カメラの機能がスパイを要求してしまうわけだから、そんなカメラを手にしたらもう要求は断れないね」
「断れない。いいなりですよ」
「だからミノックスの人は、平時だって無理にでも秘密を撮るんだろうね」
「無理に。無理に?」
「たとえばね、平時にね、銀座の歩行者天国なんか歩いていてね、何でもない電柱を秘密に撮るの」
「それいい、秘密の電柱!」
「わざわざ秘密にね。パッと撮ってパッと仕舞う」
「あとはもう、何くわぬ」
「そう、何くわぬ。あと上野公園なんか行って、パンダもね、こっそり撮るの。怪しまれないように。群衆に混じって」
「うわ、混じる」
「あと、富士山なんかもね、こっそりね、ミラーファインダーなんか付けて横向きにして、どこか別の方向にカメラを向けてるフリをして撮る」
「フリを」
「そう。富士山なんてぜんぜん興味ないよって、無視しているフリをするのね」
「無視」
「これはもう最高だね。秘密の大行進」
「あれは読みました? ミノックス持って韓国に行った話」
「あれは凄い。あれはもう、何というか、戒厳令はミノックスのためにある……」
「ミノックスの国ね」
「ミノックス主義の国」
「主義」
「だから考えたんだけどね。今度からミノックス持って韓国に行く人は、ふつうのカメラもいっしょに持っていって、いざというときはそのふつうのカメラを両手に構えて、その上にこっそりミノックスを乗せて撮る……」
「それ凄い!」
「もう、これ、現代芸術!」
「みんな秘密をしたくて韓国に行くの。行きたがる」
「そこでまた考えてね。最初から作るといいと思ったのがミノックス用のダミーカメラ」
「あ、ダミー」
「そう。もう壊れていらなくなったようなカメラをどこかから拾ってきて、上の軍艦部を改造する」
「軍艦部、軍艦」
「そこにアダプターを付けておいて、いざ戒厳令の国にはいったら、そのダミーカメラにカシーンなんてミノックスを装着する」
「うひひ」
「張り子の虎じゃないけれど、張り子のカメラね」
「おかまだね」
「というかアクセサリーね、ミノックスの戒厳令用アクセサリー」
「これ投書したい。クラブに」
「役に立つよ、絶対。でも役に立つけど、よく考えたら役に立たないカメラ」
「うひひ」
「そういうカメラを作る工場があったりしてね」
「あるねこれは、工場が」
「そこの労働者が時折考える。こんな使えないカメラの生産に従事していて、自分はいったい何だろうって」
「ひひ、自分」
「でも笑っちゃいけないよね。そんな工場あるはずないけど」
「自分はいったい何だろう」
「鍋蔵は怠け者」
「あ」
「ガリ版のヒマはたっぷりあるのに」
「では」
あれ? と思ったら、もう電話は切れていた。突然である。私はさっきの電話を思い出した。アヤちゃんからのグニュリの電話。あれはいきなりガチャンと切れた。今度のは突然である。鍋蔵という変な男。鍋蔵はいまニコンFMを持っている。双眼鏡はニコンの8×30である。その二つをいつも両方の肩からバッテンジルシに掛けている。私はまた鉄筆を取上げた。半透明の油の原紙がカサリと揺れる。鉄のヤスリの感触が、鉄筆から腕の骨にガリッと響く。
「ミノックス・クラブ・ニュース」からもう一つ。ミノックスによる天体写真というのが表紙に載っているのです。半月と満月の中間あたり、ちょうど見ごろの月面写真です。フィルム実幅8ミリを使用するミニカメラとしては、たしかに優れたものだと思われます。だけど、しかし、万人を照らして隠れもしない月面を、超小型のスパイカメラで撮影するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
ぼくはまた口をアングリと開けながら考えました。考えながら推理しました。これはやはり秘密の月です。ふつう一般には見られない月、おそらくこれは鉄のカーテンの向う側の、これもきっと戒厳令の月なのでしょう。この会員も平和のスパイ、きっと戦争を失った高齢児童(男子)に違いない。それがある日、西側からの旅行者を装いながら、鉄のカーテンの向う側に潜入し「夜間外出禁止」の時間帯に、ゴム底の靴をはいて外に出る。人影のない路上に立ってこっそりと月を見つめながら、背広の内ポケットに手を入れて、「ミノックス」を取出そうとしていると、向うからコツコツとゲーペーウーの靴の音。男は慌ててマンホールの中に潜り込む。鉄の蓋をじっと閉じて、そのまま息を押し殺す。額には油汗がわいてきて、それがプツプツとふくらんでくる。ツルリと一筋、目じりの横を流れ落ちる。ゲーペーウーの靴音は、ちょうど鉄蓋の上に来てコツリと止まり、今度はカツーン、カツーンと、かすかなドップラー効果を残しながら、だんだん遠くの方に歩み去る。あとには自分の吐く息だけが、マンホールの中に響きつづける長い時間。
男は両手でゆっくりと鉄蓋を押し上げる。シンとした道路の向うから、猫が一匹ジロリと振返る。男は肩で重い鉄蓋を押し上げたまま、顔半分を路上に出して、ミノックスのファインダーから月をのぞく。本当は誰も見てはならない戒厳令の月。男は鉄蓋の重みに耐えながら、貴重な指先をわずかに押して、プツンと小さなシャッターを切る。二幕スライドシャッターの薄い鋼板がシャキーンと走り、道路の向うの猫の髭がプルンと揺れる。もう一回シャッターを切ろうとすると、遠くからまたコツコツと靴音が近づいて来て、男は慌てて顔を引っ込め、マンホールの中に潜り込む……。
そういうわけで、ぼくはしばらくこのミノックスに悩みました。お金のこともあるけれど、もし手にしたらもうその小さな金属の要求を断れない。この場合どうすればいいのでしょうか。だけどお金のないのが幸いでした。そしてゆっくりと考えた結果、これはぼくの六十歳の誕生日に買おうと決めました。いまのぼくにはまだ早いと思うのです。いまのぼくは、まだ低齢児童(男子)です。
今度はツンという針の音の予告がなくて、突然電話のベルが、しかも途中から鳴りはじめた。きっとさっきの電話を切るときに、ベルの途中で切れたのだろう。ベルはその途中のままのストップモーションで、じっと受話器の中で待っていたのだ。私は鉄筆をコトリと置いた。しかしよく電話のかかる日だ。じっと静かに鉄筆を持っていて、そこへときどき電話がかかって来て、まるでこれ、糸を垂らした釣り堀である。目の前には半透明の油の原紙。その横で浮きがピクピクと引きながら、受話器の中で魚が暴れる。私は網でバシャンと掬うみたいに、左手で受話器を取上げた。
「もしもし」
「あ、もしもし」
「何だ、鍋蔵」
「そうです」
「いや、どうしたの。電話切ったばっかりで、まだ切りたてなのに」
「切りたて」
「早く、用件をいいなさいよ」
「あのねえ、さっき電話切ってからよく考えたんだけど、アサヒペンタックスからオート|一一〇《ワンテン》が出たでしょ」
「ああ、やっぱり小さいやつで、一人前に一眼レフでレンズ交換もできるやつ」
「やつ」
「何だよ」
「いや、あれ欲しいと思う?」
「そりゃくれるなら欲しいけど……」
「ぼくはあれ、欲しくならない」
「え?」
「いやぼくだってくれるのなら欲しいけれど、それ以上には欲しくならない」
「ん? うん、そういえばそうだね。何故だろう」
「あれはプラスチックだからじゃないですか」
「なるほど」
「もちろん金属も使ってあるけど、あれは主流はプラスチックでしょう」
「うん」
「だいたいアメリカのカメラって、欲しくならない。何かしらプラスチックで」
「ふふ、何かしらプラスチック……」
「それで日本の合理主義というのも、結局はアメリカになるのかなと思って。プラスチックに」
「だから欲しくならない。な、る、ほ、ど。プラスチックはどうしても使い棄てだ」
「アメリカですよ」
「プラスチックには悶えないね。金属には悶えるけれど」
「悶える」
「そう。金属には悶えたあげくにフェチになるけど。プラスチックは……」
「プラスチックはポップですよ」
「あ、ポップ……」
「プラスチックはポップですよ」
「そうか。なるほどね。プラスチックはどうしてもポップになってしまって、何というか、所有できない」
「所有」
「そうだよ、わかったよ。ポップというのは所有できない。身の回りに浮いて消えるだけで、そうか、なるほどね、プラスチックはポップだね」
「金属はフェチ」
「そう、金属はフェチだね。金属はやっぱり所有に向うね」
「向う」
「金属にはコレクションが発生してくる」
「発生」
「金属はドイツだね」
「うわ、ドイツ」
「そう、ドイツ」
「ナチ」
「フェチ」
電話が切れる。今度も突然だけど、これはむしろなりゆきである。
「なりゆき」
頭の中の鍋蔵の声が、まだ言葉を反復している。私は苦笑いした。誰もいない部屋の中で一人苦笑いして、何だか気味が悪くなる。私は両手を顔面に当てて、顔を洗うみたいに上下にこすった。鉄筆に痺れていた指先は、またふつうになっている。何気なく指を鳴らすと、
「パチン」
と音がした。誰もいない部屋の中に、その音が小さく響いて、外の庭にまで聞えたようである。静かなところに突然そんな指の音がして、何かいいアイデアでも思いついたみたいだけど、私は何も思いついていない。私はまた一人で恥ずかしくなる。そうだ、仕事があったのだ。仕事のことが頭の隅の方で、古いオデンのように固まっている。まずそうなオデン。私はまた鉄筆を取上げた。
さてそこで今ぼくの欲しいレンズのことですが、遠慮なく願望してみるとすれば、それはやはり「衛星カメラ」です。ぼくの取っている『某日新聞』の切抜きから引用してみましょう。「情報戦、中越もう一つの戦い」より。
――中国侵攻の初期段階の戦況で、初め伝えられた情報がその後誤り、または不正確とわかった主なものが三つあった。中国軍撤退開始ベトナム北部五省都陥落(実際は三省都)ハイフォン北西部爆撃─である。いずれも“ワシントン情報”が直ちに否定し、その後の経過はそれが正確だったことを証明した。中国軍の侵攻計画をいちはやく予告したのも、米政府だったし、中ソ国境でソ連軍に侵攻の意図がいまのところないことを指摘している。
なぜ、中越戦争でワシントン情報は“当る”のか。その理由の第一は、情報判断の基礎資料に偵察衛星からの精密な航空写真が用いられていることである。タイタンDロケットで打ち上げられる米国の偵察衛星「ビッグ・バード」は、八八・八分に一回地球を一周する。近接点では百三十キロの上空に達し、焦点距離二四〇〇ミリの超望遠レンズで、地上のすべてを写し出す。その解像能力は、気象条件が良ければ、二十五センチのものまで見える、とされている。――
この衛星カメラの高性能を保証するものに、やはりベトナム戦争の話があります。北ベトナム軍の最後の大攻勢に敗退したあと、アメリカ軍はベトナムから追い出されてしまうわけですが、その大攻勢の噂がいやおうなく伝わってきて、それが確実な話として巷間にひろまりながらも、アメリカ軍はゆったりと構えていました。それをただの噂として否定するだけの自信があったのです。それは衛星カメラへの信頼です。大攻勢があるからには参謀本部と前線との間に首脳部の動きが激しくなるはずですが、衛星カメラが見るハノイの参謀本部の出入口では、いつも変ることなく首脳部の顔ぶれが一人一人撮影されていたからです。敵には何の動きもない。だから巷間の噂はやはりたんなる噂である。そう考えてガードの甘くなったところを、顎に一発、噂どおりのアッパーカットを喰らってしまい、アメリカ軍はリングを飛出し場外へ、それがムチ打ちとなって以後ベトナム後遺症に悩むことになるわけですが、しかしそんな優秀な衛星カメラまで持っていながら、どうしてそんなことになったのか。先程の同じ記事からもう少し引用してみましょう。
――七五年一月、北ベトナムのサイゴン攻略作戦の指導をとったバン・チェン・ズン参謀総長は、偵察衛星の目を逃れるための苦心談をその回想録でこう述べている。
「私の行動は厳秘だった。米国の衛星の目をごまかすため、私がハノイを秘密裏に出発したあとも、毎日自宅と参謀本部を私の身代わりが乗った車が往復した。夕方には、彼は兵士たちと自宅の庭でバレーボールに興じた。それが私の日課だったからだ」――
つまりアメリカは二十五センチの解像力のために敗け、ベトナムはその二十五センチの解像力のために勝ったのです。百三十キロの上空から人の数だけでなく人の特徴まで捉える高性能でありながら、その特徴の真贋を見分けるにはまだ低性能であったのです。ベトナムはその高と低の隙間に忍び込んで逆転し、このカメラの解像力をフルに利用して勝ったのです。
でもその勝敗は別にして、これはやはり素晴しいカメラではないでしょうか。私はこのカメラが欲しい。いずれこれが量産化され、日本にも輸入され、低価格になって新宿のヨドバシカメラあたりに出回ってきたら、ぼくは絶対に買おうと考えています。そして買ったら恋人と公園を散歩して、池の前のベンチに坐りながら、急いで時間や位置を計算し、
「君、青空がキレイだね。ちょっと上を向いてチーズといってくれない?」
とか何とか囁やきながら、自分もチーズといって青空を見て、ポケットのリモコンスイッチをパチンと入れる。すると百三十キロの上空では、宙に浮いた金属の機械の中で、二幕スライドシャッターの薄い鋼板がシャキーンと走り……。
だけど、見ることの最大能力とはどういうものなのでしょうか。それは自分というものの中枢からどうやっても切り離すことはできないのに、その先端はどんどん自分の中枢を遠く離れて伸びて行きます。
今年小学校に入った娘が、このごろよく質問をします。
「お父さん。この今見ている物は、ホントウに見えていて、ホントウにここにあるのかなァ」
ぼくはこの娘と同じ年齢のころ、やはり同じような疑問に包まれていたのを想い出しました。いまはもうそれに包まれてはいないけど、その同じ疑問を抱いています。抱いてはいるけど、その疑問はもう小さく縮んで、コロコロに固まって、ポケットにしまえるくらいになっています。この小さなサイコロのような疑問を取出して、バチンと床に叩きつけたら、ぼくはまたそれに包まれるのでしょうか。
鉄筆はそこで止まる。四角い文字がトントントンと並んできて、油の原紙の端の、ちょうど折目のところ。もうそこからは進めない。鉄筆の先がのぞき込む、断崖絶壁。原紙の上の四角い文字が、白いサイコロの行列のようである。
私は鉄筆を置いた。指の腹が、また鉄筆の丸い軸にそってペッタリとへこんでいる。へこんだままなかなか戻らずに、ガリ版を切り終えたのがまだわからないようである。右手の肘が熱くなっていて、目も、両目のまわりがドーナツのように熱くなっている。私は庭に目をやった。庭のつげの木。そこに向う視線がボンヤリと、垂れ下がりそうになる。いや実際に、目はつげの木の緑色を見ているのに、それがいつの間にか下の方に下がって緑色から外れてしまう。パッと上げるのだけど、それがまたじーっと沈みはじめる。私はそれをパッパッと二段くらい上げて、空を見た。
青空にほんのりとオレンジ色がはいってきている。オレンジ色は青空の下の方からほんの少しだけはいり込み、そこからほんのわずかに黄色がひろがり、だけど黄色はすぐに黄緑色になっていて、その先の緑色というのは、もう広い青空の中に消えていてわからない。青空はまだちゃんと青空で、そういう色の動揺というのはまだほとんどわからない。だからオレンジ色といってもほんの耳掻き半分くらいが、青空の一番下の、地平線の一ミリくらいのところに、ハラッと撒かれているだけである。だけどこの青空は、もうじっと見てもそれほど眩しくはなくなっている。私は空から目を落してつげの木を見る。緑色である。夕暮れが近づくと、この緑色が鮮やかになってくる。草の色も土の色も、一段と鮮やかに見えてくる。夕暮れの景色というのは、にわかに鮮やかに発色しはじめる。
玄関にコトリと音がして、引戸がそうっと開く音がする。近所の動物みたいだけど、そうではない。耳の錯覚でもなくて、これはきっと、一年二組、胡桃子である。プールの帰りに寄り道をして、そのいいわけの気持もあって、それを一挙にまとめて私を驚かそうとして、音を立てずに忍び込んでいるのだ。もう玄関の中にはいり込んで、ズックを脱ぎかけている気配……。
私は急いで引出しを開け、鉄筆を仕舞った。原紙を畳もうとするとピラピラと横すべりに舞い上がり、折り目のところで破れそうになる。私は慌てて持ち直し、それをまたそうっとヤスリの上にひろげながら、ふんわりと寝かせる。別に慌てることはないはずである。私はまた姿勢を正し、引出しに仕舞った鉄筆を取出して、ヤスリの横にそっと置いた。
廊下にミシリと音がする。小さな体重である。きっとまたプールの帰り道、空地のところでネコジャラシを二本抜いて、その茎をうまくよじった指輪を二つ、自分のと、私のと、お土産にして隠し持っているはずである。きのうもやっぱりそうだった。きのうの指輪は目の前のラジオの上に置いてある。私はへこんだ指先を揉みほぐした。指の皮が絹のように薄くなっている。その下に赤い色の斑点が、雲のようにひろがっていく。むかし一円玉をすり潰した指。今日は仕事をすり潰した指。まだ指先がジーンと痺れているけれど、指のへこみはもう指の中に隠れてしまった。油紙の下に、鉄のヤスリが透けて見えている。私はまた庭のつげの木を見た。ぼんやりとした緑色である。その緑色の上の方に、やわらかい青空がひろがっている。
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余談だけど、屋上に油が塗ってあってツルツルすべる。しかも屋上というのは水捌けがいいようにというのか、コンクリートの床が周辺に向って少し傾いている。ちょっと見ただけではわからないけど、屋上はみんなそうである。だから屋上でビー玉を落すと、ビー玉は屋上の縁に向ってコロコロと転がって行って、縁からツルンと飛出して、下に向って落ちてしまう。もし屋上の中央に三十個ほどのビー玉を置いてみると、それは放射状に、三十の方向に流れるように転がって行き、屋上の全周からツルツルと飛出して、全部がスーッと、三十ほどの水滴みたいになって下に向って落ちて行く。あとはもう、固い地面が三十の惨劇を待ち構えているだけだ。
屋上というのはそういうふうに、物が落ちやすいように出来ている。だから屋上に立つ場合には、その両足に重大な責任がかかってくる。もしも屋上で足が滑って転んだら、そのとたんに体は硬いビー玉みたいになってしまい、クルクルと屋上の縁まで転んで行って、縁からツルンと飛び出てしまう。縁に柵があったとしても、それは屋上をズズーッと滑って行ってドンとぶつかる体重で、片手でつかまったとたんにボキリと折れてしまうのだ。あとはもう体が水滴みたいになって、スーッと……。
屋上というのはみんなそういうふうである。空中に浮いたムキ出しの床である。しかも外側に向って坂になっている。これはもう潜水艦の甲板である。立ったらもうそれだけで滑って落ちる。まわりはユラユラと波立つ海で、鉄の甲板には足掛かりも何もなく、一度転んだらもうそこで鱶の餌食になってしまう。転んだだけで、たちまち肉の塊りになってしまう。
「あなたあ……」
と声がかかる。妻の声である。遠くの方から呼んだ声なので、聞えたときには小さくなっている。
「うん」
私はすぐ目の前の坐った人に答えるみたいに、小さな声で返事をする。たぶん妻には聞えていないだろう。私は仕事机の前にいるけど、妻の声は家の中からではなく外からのようである。縁側かもしれない。天気がいいので庭かもしれない。庭で洗濯物を干しているのだろう。いや庭ではなくて屋上かもしれない。この間もらってきた屋上である。
「うん……なんて……そんな生返事してないで……」
妻の声だ。意外だった。とても聞えないだろうと思って洩らした返事なのに、向うまで聞えたらしい。今日は凄い天気だ。音がいっぺんに伝わってしまう。精密な機械のようである。
「うっ……ううん」
私はまた小さな声で、電話口で押し殺したような声で返事をした。返事とはいっても、聞きようによっては咳払いに聞えるようにしておいた。
「うっふ……うほっほんっ」
もう一度、これははっきりと痰がからんだような咳払いをして、そういう返事のあいまいさに、さらに念を押しておいた。さっきのが聞えたのだから、今度のもたぶん聞えているはずである。今日は精密な天気である。私は机の前でひきつづき屋上のことを考えている。だけど屋上のことを考えていると、体が水滴みたいになってくる。だから本当は考えたくないのだけど、すくんでいる頭の中に勝手に屋上がはいってきてしまうのだ。月島の大丸君のところからもらってきた屋上である。私は頭の中から屋上を追い出した。そうすると入れ違いに、屋上をくれた大丸君が頭の中に入って来る。デパートの名前みたいな人である。だけどデパートとは縁もゆかりもないらしい。
大丸君の家というのは、月島にあるマンションの一階である。最近そこに引越した。それまではお母さんと二人、江東区にある都営住宅だった。だけどこんど結婚をしたのだ。それで月島のマンションに引越したのだ。貯金で頭金を払ったというが、私は貯金という言葉に驚いた。貯金というのはずいぶん遠い世界のことだと思っていたのだ。でも考えてみたら、大丸君は酒も飲まないし、煙草も吸わないし、だいたい欲望というものが少ないみたい。だから仕事だって最低限しか働かない。そのかわり遊んでお金を使うこともない。だからそうやって地味にじっとしているうちには自然とお金が溜るのだろう。じっとしていれば何でも溜る。仕事も溜るし、エネルギーも溜るし、コンプレックスだって溜ってしまうし、台所の輪ゴムだって溜ってしまう。
でも大丸君が結婚するというので驚いた。大丸君は私の後輩だけど、その結婚の相手も私の後輩で、たしか大丸君と同い年だといっていた。私は先輩なのに、その後の方で後輩と後輩が……、いや、それはいいだろう。それは個人の自由だ。でもその、私は大丸君が貯金が出来るほどにじっとしていて、体もあまり動かさないようにしているようなので、結婚なんていうこともしないだろうと思っていたので驚いた。
それで月島に新居が出来たというので一度行こうと思いながら、なかなか行く機会がなかったのだ。そうしたら大丸君の方から電話がかかって来て、今度屋上が出来たから見に来いという。あれ? と思った。大丸君のところはマンションだけど一階である。おかしいと思って聞いてみると、一階のガラス戸の外は芝生なのだけど、ガラス戸を開けたすぐ外のところはテラスになっていて、そこのところに屋上があるのだという。それが最近また小さな屋上が四個ほどふえたのだという。だから一個あげるという。
「え?」
「いや、いいものですよ、屋上があると。飽きないですよ」
「でもそんな、そんなところに屋上なんて、恐くないの?」
「恐くなんかないですよ。ぜんぜん。一度見に来て下さいよ」
そのときはそういうふうにいっていた。大丸君はこちらのためを思っていったのだろうけど、その言葉がいまになっては脅迫みたいに思い出される。いや、そんな思いは私の勝手にしても、その話はちょっとおかしいと思う。月島のマンションの一階に屋上があるなんて。いや、しかし場合によっては、そんなこともあるのかな……。
たしか秩父の方にドライヴしたときだった。渓谷沿いの道路に面して、料理屋みたいなものが建っていた。私たちは同行五人、とにかくこの辺で名物の虹鱒の塩焼きを食べようということで、車を止めてはいって行った。はいったけど一階は満員で、二階にトントンと昇るとそこも満員で、三階までトントントンと昇りながら、私は嫌な気持になってきた。木造なのに三階まで作ることはないと思う。木の階段がユラユラ揺れる。踏むたびに、床がベニヤ板みたいにブヨブヨとする。柱がバラバラと外れて崩れそうである。そんなところで、みんな平然と虹鱒の塩焼きを食べている。ゆっくりとお酒まで飲んでいる。ふつうではないと思う。ここにいるのはまるで猿とか蛇のような人だと思った。私は手の平がじっとりと汗ばんでいたけど、表面は平気な顔をして、みんなといっしょにトントンと階段を昇って行った。一人だけ昇らないわけにもいかないし、だけど口の中がカラカラになって、早く下に降りて両足で地面に立ちたいと、そればかり考えていた。そしてトントンと昇って三階の廊下に出ると、廊下の外が庭になっていて、そこで鶏が三羽ほどツンツンと地面を突ついたりしている。あれ? と思った。三階なのに地面があって庭がある。庭の垣根を透かして道路まで見えていて、そこを酒屋のバイクが走り抜けて行く。
私はとにかくホッとした。こういう建物もあったのだ。これは地形のせいである。崖の下に地面があって、崖の上にも地面がある。この建物は、その崖に沿って建っているのだ。だから私は三階にいて地面を見ている。鶏がツンツンと突つくたびに、その地面の力強さが感じられる。これはまぎれもなく地面だと思う。私はその木造三階の座敷で虹鱒の塩焼きを食べながら、鶏の嘴ばかり見つづけていた。
しかしそういう建物もあるのだから、一階のテラスのそばに屋上があるという建物も、この世のどこかにはあるかもしれない。だけどこの虹鱒木造三階が建っていたのは、秩父の渓谷沿いの崖である。だけど大丸君の住んでいる月島というのは、東京が海にせり出して行った埋立地である。海抜ほとんど|0《ゼロ》メートルである。そんなところに崖があるはずもない。坂道も石段もないはずである。あるのはビルの階段だけのはずである。
「あなた」
とまた声がかかる。これも妻の声で、今度の声には響きがなくて、すぐ近くである。声の輪郭がはっきりしている。目の前の襖が十五センチ開いて、妻の顔がのぞいている。
「あなた」
妻がまたいう。
「へい」
私は思わず答える。
「んもう。またふざけて。今日は何がいいの? 夕食のおかず」
「うーん、夕食ね」
「これから買物に行くんだから、早く決めてよ」
「きめてよって……、えーとね、そうだねえ、湯豆腐なんて」
「湯豆腐はきのうしたばっかりよ」
「そりゃそうだけど、お豆腐は何度食べても好きだもの」
「だって……何かほかの、早く決めてよ」
たまにスキヤキでも食べたいけれど、妻は卓上に油が飛ぶのが嫌いである。
「じゃあ……、オデンとか」
「またオデン? この間やったばっかりよ」
「そりゃそうだけど、まあ何でもいいよ」
「何でもいいっていったって、困るわよ。早く決めてよ」
たまにカレーライスもいいのだけど、妻はご飯に何かかけるのが嫌いである。
「決めてよっていわれても困るなあ」
俺が作るんじゃないんだから、というふうにここでつづけていうとやはりまずいことになってしまう。
「そうだなあ」
「もういいわよ、何か考えて買ってくるから」
「まかせる」
「まかせるって、またあとで渋い顔するんだから」
「しないよ」
「するわよ」
「しないよ、渋い顔なんて」
「したじゃないの、この間クリームシチュウ作ったら、今日は胸やけがするなんて、スプーン使わずに、お箸の先で中の身だけちょぼちょぼとつまんで」
「あ……」
「すごい何だか、犬の餌でもつまむようにしてたわよ。ビニールみたいな皮膚して」
「ビニール」
「そうよ、すごく軽蔑したみたいな顔して」
「そんなことないよ、ビニールなんて。あの日は胃の調子が悪かったんだよ」
「だって、デラーッと軽蔑そのものっていう顔だったもの」
「軽蔑なんてしないよ。だいいちビニールなんて、軽蔑されることはあるけど、ビニールの方から軽蔑することは出来ないでしょう」
「とにかく渋い顔してたのよ。ビニールなんてどうでもいいの」
「はーい」
「すぐ理屈でごまかすんだから」
「でも俺は何でも好きだよ」
「だって、クリームシチュウは駄目なんでしょ」
駄目ではないけど、たしかにあまり好きではない。グラタンというのも駄目な方だ。シチュウだったらビーフシチュウとかトマトシチュウの方がいい。どうもあの洋食ふうの白っぽいものが駄目なのである。牛乳を使った料理が駄目なのかもしれない。何かはっきりとしたつかみどころがなくて、味も何だかモンヤリとしていて、胃の中にペタンと残りそうで、下手をすると吐気まで持上がりそうで、やはりこれは駄目なのである。食べて食べられないことはないのだけど、やっぱりちゃんとしたお醤油味の方が、はっきり味が確認できていいというか、まあ何というか……。
「じゃあね」
妻の顔が消えた。十五センチだけ開いていた襖が、もうビシンと締まっている。締まり方が冷蔵庫のドアのような素早さである。密閉された感じである。襖の向うでスリッパの音がビタビタと去って行く。廊下のリノリュウムがギシギシと軋んでいる。買物籠がガサッといって、下駄箱がゴンと開く。音がみんな尖っている。うちの下駄箱はふつうはトンと開くのに、スリッパはヒタヒタと擦れるのに、廊下のリノリュウムは音なんて何もしないと思ったのに、それがビタビタ、ギシギシ、ガサッ、ゴン、といって、玄関のドアがバンと開いた。それがビンと締まって、サンダルの靴音がガリン、ガリンといいながら、だんだんと小さくなっていく。道路の砂利の小粒がギリッと飛んだりしている。何かがぶつかって音が出るたびに、そこでガラスの先が砕け散るようである。いや音が出るところに、尖った釘が一本一本打込まれて行くようである。それがブツブツと点線のようにつながりながら、襖の端から廊下、下駄箱、玄関を出て、道路の向うへ伸びていく。
私はぼんやりとした。最近はこれが毎日である。よく考えたら、屋上をもらって来てからのことである。だけどその理由の周辺が、私にはボンヤリしていてよくわからない。いまだって、何かもっと云い方があったのかもしれないけれど、これは文法を変えても仕方がないのだ。妻の顔の中に、釘が溜っているのが見えるのである。顔でなくても体のあちこちで、白い皮膚の下の細胞が一つ一つ釘になって勢揃いしている。それがどんな文法でも溶けないのである。それが体の中でザラザラと混ざりながら、ちょっとしたバランスの揺れによって、妻の動く物音の中に、一本一本打込まれてしまうのだ。その棘々しい点線が玄関から道路にギリギリと伸びて行って、その先端はもういまごろ北町医院の前を通って、乾物屋の角を曲って、青林高校の横をだらだらと進んでいるはずである。そして交番のところで横断歩道の押しボタンを押して、そこから商店街の方にガリンガリンと向っているはずである。あのサンダル靴の底では、まだガラスの先が砕けているのだろうか。足音には一歩一歩釘が刺さっているのだろうか。そうしたら大変なことである。町中の道路が傷だらけになってしまう。巨大な有刺鉄線を引きずり回したみたいになって、あっという間に町中が掻爬されてしまうだろう。
だけど町は安全なはずである。町はヤスリのようなものである。町には八百屋とか美容院とか電柱とか一円玉のお釣りとか、雑多なものがデコボコとしていて、ギリギリと引きずられて行く有刺鉄線も、いずれは擦り減って丸くなる。この襖の端からビシリ、ビタビタ、ギシギシとつづいて行った痛い釘も、もういまごろはサンダル靴の底の方にクニャリとなって、どこにも刺さらなくなっているだろう。
だけどこの部屋のビシリと閉じた襖には、まだ太い釘が打込まれたままである。廊下や下駄箱や玄関にも、まだ釘の頭が見えていて、それがツンツンと突出している。動いたらその釘の頭に体が引っかかりそうで、私は机の前から動けない。
でも私は忘れものをしていた。屋上のことを忘れていたのだ。ビシリ、ギリギリと打込まれた釘の力で、頭の中の屋上が低くなっている。いつの間にかずーっと低くなって、もう地面のすぐそばのようである。屋上とはいいながら、滑って落ちてもペタンと尻もちくらいのものだ。屋上から手を伸ばして石ころが拾えそうだ。屋上から草むしりだってできそうである。これはもう屋上なんてものじゃない。地面に手が届く屋上なんて、そんなものはあなた……。
私は大丸君のところへ電話をしようと思った。いやあどうも、あのねえ、屋上調子いいよ……、そういおうと思ったのだ。屋上っていいもんだねえ、いやホント、もらって来てよかったよ、そちらの屋上はどうですか? 調子は……、そういうふうにも聞こうと思ったのだ。で電話をかけた。
「もしもし」
「はい、もしもし」
「あ、大丸君」
「いや栗太ですが」
高所恐怖症の先生から電話が来ました。大丸さんのところにかけるはずが、ちょっと番号を間違えたとかいいながら、本当は人に話したいことがあったのです。たぶん恥ずかしいことなのでしょう。だから面と向っていうことができない。偶然みたいな顔をして、ああそういえばというふうに、何気なく話を切り出してくるのです。この人はぼくの行っている図学校というところの先輩だけど、そこを出たあとも助手みたいなことをしていて、ぼくたちはみんな先生と呼んでいる。高所恐怖症の先生です。
いや高所恐怖症かどうか、本当のところはわからないけど、たぶんそうだと思うんです。本人も自覚しています。病院に行ってるんじゃないから病気ではないよといいながら、階段を降りるときにはいつも手すりをしっかりと握っています。手すりがないときにはいつも壁際のところを、背中で壁に寄りかかるようにして、一歩一歩、つま先をちゃんと見ながら降りて行きます。まるで絶壁をつたって降りるようです。遠くから見ていると冒険映画みたいです。だけど本人は真剣らしい。
ビルの屋上などには絶対に行きません。屋上でなくても、ビルの上は駄目だそうです。ビルの上でも窓がない部屋ならいいはずなのに、やはり上の階にいると思うと駄目だそうです。エレベーターに乗ってドアが締まり、階数を示す表示ランプが2、3、4、5と変っていくのを見ているだけで、体がカサカサと乾いてくるといいます。乾くくせに、皮膚には油汗がベットリと出てくるそうです。何だか気味の悪い動物の皮膚みたいです。見たことはないけど、恐竜の腋の下みたいです。恐竜の腋の下の皮膚が切り取られて、それが全身にべったりと張りついているみたいで、先生とはいっても気持悪くなります。
だけどそういう恐竜の腋の下のカタマリのようなものでありながら、2、3、4、5という表示ランプに恐くなるというのは何でしょうか。ただの数字を見て恐くなるというのは、これはやはり動物ではありません。これは人間の恐怖です。きっと想像力の恐怖です。想像力が油汗を分泌してしまうのです。いや動物の油汗というのも、よく考えてみれば想像力の圧力で押出されているのかもしれませんが、しかしこの場合の2、3、4というのは、ただの高度をあらわす抽象記号です。こんなものに恐怖するのは、これはもう抽象的な恐怖です。デジタルの恐怖です。これは動物には出来ません。人間だけのものでしょう。いやふつうは人間でも恐怖しない。エレベーターの数字が変っていっても、ふつうの人間は動物と同じように平気な顔をしています。ところがこの先生は、エレベーターの数字だけで恐くなる。これははっきりとした人間の証拠です。つまり先生は非常に人間的な人なのです。いやこれは別に褒めていっているのではないけれど、そんな先生から電話がかかってきたのです。それがいきなり、
「栗太君、猫って恐くない?」
なんて聞くんです。いきなり猫です。いきなり猫といわれても、猫……、猫なんて、恐いも恐くないも、ただ猫じゃないですか。そう考えて、どう答えようかと考えていたら、
「猫は畜生だ」
というのでビックリしました。先生は猫が恐いようです。その、
「畜生だ」
という語感からして、猫を憎んでもいるようです。それはたしかに「畜生」というのは動物の総称だから、猫は畜生です。だけどあらためて「畜生」というからには、先生と猫の間に何かあったのでしょうか。
そうだ、先生の所、猫なんていなかったけど、最近大丸さんのところから仔猫をもらった、と、そんなことを聞きました。
大丸さんというのはぼくの先輩で、最近結婚しました。相手の女の人も先輩で、腕の太いキレイな人です。先輩同士で結婚して、いいなあ、後輩には何も回って来ない、いやこれ、別にひがんでいるわけではなくて、結婚というのは個人の自由だけど、だけど、これやっぱりひがんでいるのかな。
大丸さんたちは結婚して月島のマンションに引越したんです。ぼくも手伝いに行かされました。行ってみたら大丸さんのところはマンションの一階なんだけど、ガラス戸を開けたコンクリートのテラスのところに野良猫が住んでいる。前にいた人が置いて行ってしまったそうで、コゲ茶色の縞柄の、わりと品のいい猫でした。大丸君が面白半分に餌をあげると、その猫は悪びれたふうもなく寄って来てペロペロと食べている。
一週間後、また呼出されて片付けの手伝いに行ってみたら、その猫はもう大丸さんの一階のテラスに定着したようでした。名前はまだついていなかったけど、餌だけは恵んであげるから、あとはそのテラスで適当に暮しなさいという関係のようです。大丸さんは別に好きでもなく嫌いでもないらしい。でも見ていると面白いという。大丸さんはお勤めではなくその自宅でイラストレーションを描いているのだけど、息抜きに寝そべって猫を見るのだという。そうすると猫は、あ、見られたなと思って目をつぶるのだという。
そんなことが春の終りごろで、夏になって今度は仕事の手伝いで行ってみたら、そのテラスに在住の半野良猫には、仔猫が四匹産まれてました。ガラス戸が開け放たれていて、猫はもう大丸さんの部屋のジュウタンの上に堂々と横になっています。そのまわりでまだ産まれたばかりのヨチヨチ歩きの、小さな、何というか、毛の生えたトカゲのようなのが四匹、ピョンピョンと跳ね回っているのです。もうここが自分たちの家という感じです。あたしゃもうマンション住まいよという感じです。だけど大丸さんに聞いてみると、まあ昼のうち人間がヒマなときはこうやって中に入れてあげるんだけど、夜は外のテラスにダンボール箱のベッドが作ってあって、そこで寝てもらうんだといっていました。だから基本的にはまだ半野良なんだけど、じっさいにはもうほとんど野良を脱しきっている感じです。目付きが落着いていて、生活不安がないのです。あたしを簡単に棄てられるわけがないという、自信に満ちた表情です。
四匹の仔猫はみんな真っ黒でした。だけどよく見ると母猫と同じような縞柄がほんのかすかに見えている。でもほとんど真っ黒です。大丸君によると、どうも父親というのが黒猫らしいというのです。ある日、この産まれたての仔猫が四匹揃ってキャアキャア鳴いていたら、下の芝生からテラスの上に、大きな猫がヒョイと飛び上がって来たというのです。それが真っ黒な猫で、キャアキャア鳴く四匹をジロリと見て、クククッと匂いを嗅ぐようにして、まあね、という感じで通り過ぎた、それが父猫に違いないというのです。
猫の雄というのは放浪することになっている。だけど子供を産ませてしまった場合には、一度だけその仔猫を見に来るらしい。見るだけで生活費も何も置いてはいかないけれど、そこはまあ動物なんだから批難しても仕方がない。だけどそんなときにその父猫は、母猫の方をチラリとのぞいたりはしないのでしょうか。雌猫と雄猫の視線がチラリと合って、
「あんた!」
といってキッと身構えたりはしないのでしょうか。そのへんのところは大丸さんに聞きもらしました。それもまあしかし動物だから、人間みたいにはいかないのでしょう。人間は男女平等思想です。だけど猫は畜生です。そうだ、畜生だ、やはり先生は正しいことをいう。ぼくはちょっとたずねてみました。
「もう名前はついたんですか?」
「何?」
「いや、猫の……」
「猫?」
「はい、猫の名前……」
「そんなのないよ」
「え?」
「関係はない」
「はあ……」
「……」
先生は黙っています。何かちょっとまずいことをいったのかもしれない。
「あ、すみません」
といってしまった。でもぼくの方から電話したんじゃないのだから、別にこちらがあやまることはないはずです。何だかどうも気まずい雰囲気です。こんなことはいつまでもつづけられない。ぼくはまた聞いてみました。
「眉さん元気ですか」
「妻だよ」
「いや、だからその、妻の眉さん」
「だから妻なの!」
これもちょっと困りました。そりゃ辞書の上では妻だけど「先生の妻は元気ですか?」なんて、そんな云い方は、何というか、英語というか、SF小説みたいです。だけどどうしたんでしょう。「妻なの!」なんて「妻」という語気が強すぎる。「猫は畜生だ」といった「畜生」という語気と同じようです。何か不穏な感じです。「妻」と「畜生」がどうしたというのでしょうか。ひょっとして先生のところ、夫婦関係がうまくいってないのでしょうか。
「あのう……」
と聞きかけたけど、やめました。だけどもう先生は、
「何?」
と聞き返しています。
「いや、あのですね、あのう、肉体関係は……」
「え?」
まずい、物凄いことをいってしまった。
「いや、猫のですね、その、肉体関係というのは、今後どうなるのだろうか、とか、何とか……」
「猫の肉体?」
「あ、そうか、猫の肉体は、あれだ、どうせ成長したら不妊手術をするんですよね。雄の方はあの、放浪してどこかに行っちゃわないようにって、去勢するらしいですね。で結局あの、最近の飼猫というのは全部、本当はもう雄も雌もなくなっていて、どこの家でも中性の猫だけが飼われているとか何とか……」
ぼくはとにかく話が途切れないように、猫の肉体に関することをペラペラとしゃべりました。そうしないと人間の肉体関係に焦点が合わさってしまうのです。先生は黙って聞いています。ぼくは見過されたのだと思いました。問題の衝突は避けられたのです。ニアミスだけで過ぎたようです。
でも本当に先生のところ、夫婦の関係が、いや関係なんていうとまたその何だけど、関係でなくて間というか、夫婦の間に冷たい溝でも出来たのではないでしょうか。何だかそんな感じがするのです。冷たくて深い溝です。物凄く深くて、何か詰めても埋めようもない溝……。
いや人ゴトだと思って面白がっているのではないのだけど、先生の電話の声の発音で、何だかそう感じてしまうのです。はっきりとした理由はないのだけど、語感というか、語気でそう思ってしまうのです。
だけどそんなことがあるはずがない。先生の奥さん、いや妻か、妻の眉さん、肌の白い、痩せているけど明るい人です。ケロケロとよく笑う。ときどき学校に来るんです。来るときはいつもおやつとかウイスキー瓶とか持って来てくれる。ぼくたちは有難くいただいています。気楽な学校だからそれは構わない。眉さんもお酒の強い人です。昔ジャズヴォーカルをやっていたといいます。それが病気になって先生と結婚したんです。いや、そういうと先生には悪いんだけど、とにかく歌えなくなって先生と結婚したらしい。いや、これも悪いか。とにかくくわしいことは知りません。だけど先生があれだから、デジタル恐怖の人だから、夫婦の間にもいろいろと難しいことがあるかもしれない。でも両方いつも明るいし、溝はないと思います。溝なんて出来たとしても、ピッと爪で引っ掻いたくらいの細い溝で、ペタペタッとメンソレータムか何か塗っておけば、すぐ埋められてしまうに違いない。
「で来週はね、カメラを持って来るように」
先生は急に用事みたいなことをいいました。
「え? カメラ」
「持ってない?」
「ええ、ぼくは持ってません」
「あ、カメラ一台もないの?」
「持ってないですよ、ぼくは」
「そうか、そりゃあ世の中にはそういう人もいるわけだな。でも一台くらいは誰かに借りられるでしょう。友人とか、兄弟とか」
「そうですねえ、あ、姉さんのところにあったかな、姉さんの亭主が持っていた、コニカの何とかいうの」
「そうでしょう。もう最近はね、教室の全員にカメラ持って来いっていえば、どこかから借りるなり何なりしてみんな一台ずつくらいは持って来られるんだよ」
「何やるんですか」
「みなでね、町に取材に出る」
「町を撮るんですか」
「まあいいから、とにかく来週の授業にはカメラを持って来るように」
「はい」
「じゃあね」
電話を切ったものの、屋上のことは何も解決していない。頭はまだ高い屋上に身構えている。襖に打込まれた釘を抜いて隣の部屋に行ってみれば、やはり窓際には屋上があるはずである。小さな屋上である。小さいから足場も何もなくて、だから立つこともできなくて、ほんの一歩でたちまち足が滑ってしまい、体は真っ逆さまに砕け散って蒸気のように消えてしまう。そんな危険な屋上が隣の部屋の窓際にあるのだ。この家は平屋である。だからどこにも落ちることなく安心なはずなのに、その一角にそういう屋上があるものだから、ただの平屋が浮き上がってしまうのだ。ヘリコプターから伸びたロープが、床をぴんぴんと引張っているようである。ロープが鉄棒のようにぴんと張って、床下の柱がいまにも地面から抜けようとしている。
「一個あげるよ」
と大丸君にいわれたときに、本当は遠慮すればよかったと思う。別に屋上がなくても不自由はしない。布団は庭の竿に干せばいいし、洗濯物だって窓に吊しておけばいいし、星の観測なら別に屋上に上がらなくたって、近くの小学校のグランドにはいり込めば、けっこう光害もなくて全天を見渡すことができる。だけど大丸君の話を聞いて、妻は屋上を欲しいといった。妻は高い所が好きなようだ。蚊が来ないからいいというし、見晴らしがいいから気持がいいとかもいう。たしかに蚊は来ないだろう。いや、蚊のことは別に、蚊取線香で解決する問題だけど、そのときは私も、そういわれればそうだと思ってしまったのだ。もうずーっと長い間屋上というものには近づいたことがなかったし、そのときは体から屋上の実感がなくなっていた。
私は屋上のかわりにヴェランダを思い出していた。むかし芦屋に住んでいたときの家のことである。私は三歳か四歳だった。私がいままでに住んできた家の中でのただ一つの二階屋である。その家の全体像はぜんぜん浮かばないのに、ただ玄関の広間から上に伸びていた階段だけが、はっきりと頭の中に残っているのだ。コゲ茶色のニスが鈍く光るがっしりとした手すりがあって、その最初の柱が六角形だったと思う。そのコゲ茶色の階段と隣合わせに、何か漠然とした緑色を覚えている。階段の背景にそんな緑色のステンドグラスのようなものがあったのか、それとも階段の昇り口に緑色の敷物があったのかもしれない。そんな階段を昇った二階にヴェランダがあった。二階にはヴェランダのほかに何があったのか、それもぜんぜん覚えていない。ただそのヴェランダが白いざらつくセメントで、手すりのところにオレンジ色の煉瓦がはまっていて、その煉瓦だけがツルツルしていて、子供の私はそこばかり触わって立っていた、そんな感じがいまでも頭に残っている。私の上には四人も兄弟がいて、その兄や姉たちがよくヴェランダから「魚釣り」というのをやっていた。白いロープの先を小さな輪にして、それをヴェランダの上から長く垂らして、玄関の外側のドアの把手にそうっと引っかけて釣りをするのだ。それは真鍮のピカピカに光った丸い把手で、白いロープの輪がヒュルヒュルと滑ってしまう。私も一度だけやらしてもらったことがある。自分でやったら、ヒヤリと足下の遠くに見える丸い把手が、本当に真鍮の魚に見えた。空気がユラユラと揺れているようだった。
大丸君に、
「一個あげるよ」
といわれて、妻にも、
「え? 屋上……、本当に? そりゃあ欲しいわよ、本当に?」
なんていわれたときに、私はうかつにもその芦屋の家のヴェランダを思い浮かべた。それは幼児の思い出である。夢のような事柄である。もうガラスの向うに飾られているような、手の届かない事柄である。そういう思い出には何の危険も含まれていない。だから私は、
「うん、いいよ。屋上か。いいよね一個くらい、うちにあっても」
と、そういう返事をしてしまったのだ。そのときはまだ屋上というのは、硬いガラスの向う側のものだった。
大丸君のいるところは月島である。月島という名前は前から知っていた。東京の末端の、何というか、あまり人に見られていない場所である。東京の中心にある宮城をじっと見つめたときに、その視野の外れに見えるボンヤリとした島影、それが月島である。そこに屋上をもらいに行くことになって、私は月島という場所を想像してみた。月島とはずいぶんしゃれた名前だ。英語でいえばムーン・アイランドである。きっと月島にはクレーターがあるのだろう。草も木もない広々とした沙漠のような地面に、小さなクレーターがいくつも連なっていて、そこを転がる石コロには光と影がクッキリしている。これは光を拡散させる大気というものがないからである。月島は月面の島なのである。きっと宇宙船の基地があるのだろう。大きな倉庫もあって、たくさんのエネルギー源が貯蔵されている。その一劃にマンションがいくつか建っていて、大丸君たちはきっとそこに宇宙服を着て住んでいるのだ、と、そんなことを思ったりした。犬や猫もきっと宇宙服を着ているのだろう。主婦もお巡りさんも宇宙服を着ている。月島ではきっと泥棒も宇宙服を着ている。大丸君は奥さんに買物を頼まれて、宇宙服に買物籠を下げて、フンワリ、フンワリと飛び跳ねながら買物に行くのだ。ちょっと遠くのスーパーに行くときには円盤に乗って行く。スーパーの入口には駐車場があって、たくさんの円盤が重ねて置いてある。大丸君はその上に自分の円盤をポンと重ねて、さて中にはいろうとすると、入口のところで小間物の半額セールをやっている。しゃもじとか包丁とかお鍋とかずいぶん安い。みんな宙に浮いて飛んで行かないように、透明なカプセルに入っている。大丸君は何か必要なものがあったはずだと思い、栓抜きはあったし、スプーン類は余っているし、おろし金もこの間買い替えたばかりだし、そうだ、落し蓋だと思い出した。丸い木の鍋蓋がバラで売っている。魚や野菜の煮物のときにいつも欲しいと思っていたのだ。大丸君の視線に気がついて、売場のオ兄さんが声をかける。もちろんオ兄さんも宇宙服を着ている。だから声が通じにくいので、オ兄さんはマイクを持っている。すぐ目の前に巨大なスピーカーがある。それに耳を近づけてやっと声が聞える。
「ダンナ、それ買っとくといいよ、落し蓋。煮物なんかでねえ、ふつうの蓋だとすぐ吹きこぼれてしまう、といって蓋取って煮ると味が逃げてしまう。そういうときにこれがものをいうんだよね。意外と必要なんだよこれ。こんな木の蓋なんて古くさいみたいだけど、やっぱこれ煮物には必要なんだよね。絶対買っといて損しない。こんなの安いもんだけどね、いざというときこれがなかなか売ってないのよ」
大丸君も同感である。うんうんとうなずきながら、替ってマイクを借りる。
「いやホント、前から欲しいと思ってたんですよ。だけどちょっといま大きさがわかんなくて」
するとオ兄さんがまたマイクをつかむ。
「まあだいたいふつうはこの十五センチのがあれば間に合うけどね」
大丸君がマイクを借りる。
「ちょっと待って」
それだけいってマイクを返す。まるでカラオケ酒場のステージである。だけど大丸君はいいかげんな買物がきらいなのである。大丸君は宇宙服のポケットから金色のトランシーバーを取出した。スイッチを押すとピーンとアンテナが飛出し、もう一つスイッチを押すとツン、ツツンとノイズが漏れてくる。
「あ、あ、もしもし……、俺……」
大丸君はダイヤルを自宅に合わせながら発信する。
「あ、もしもし……、俺だけど……」
「あ、真ちゃん」
大丸君は真一という名前である。
「あ、花ちゃん。俺」
奥さんは花代という名前である。夫婦が応答をしている。後輩と後輩が応答している。いや、それは個人の自由だけど。
「あのね、落し蓋があったの。買おうと思うんだけど大きさがわかんなくて、どーぞ……」
「あ、落し蓋って、あの鍋の、煮物するときのね、どーぞ……」
「そうそう、あのうちの鍋、何センチかな、どーぞ……」
「あ、あれは二十センチよ、どーぞ……」
「そうか、それじゃ二十センチの買っとくからね、どーぞ……」
「あ、駄目よ、鍋が二十センチだから落し蓋は十五センチじゃなきゃ駄目よ、中に落すんだもの、どーぞ……」
「あ、そうか。わかった、十五センチ。あと何か買うものなかったかな、どーぞ……」
「えーとね、シシャモとね、ジャガ芋とね、キムチも。あと白味噌がなかったわ。それからおビール飲むときのカワハギ……」
なんて、そんな生活が月島というところにはあるような気がする。何しろムーン・アイランドである。月島、月のような島。東京が地球だとすればその衛星、人工衛星なのだろうか。
だけど私は大丸君の所へ行く道順を確かめるのに東京都区分地図を拡げながら、本当に不安になってきた。地図で見ると、月島というのは直線の島なのだ。わずかな斜線を組込んだ長方形の島である。私はその地図で見る直線が不安だった。ふつうのナチュラルな島というのは、ナチュラルな線をしているものだ。たいていはでこぼこと曲った線である。だけどこの月島の海岸線というのは人工の直線なのである。地面が水の上に浮いている。ただのパネルのようなものである。そんな図面を建築雑誌で見たことがある。人工の水上都市。私はあれは危険だと思う。津波や台風が来れば大揺れに揺れて家が海に落ちてしまうし、そんなに大きいものが来ないにしても、いずれは鉄やコンクリートの地面が腐蝕したりヒビ割れしたりして、ズブズブと海の中に沈んでしまう。直線の島にはいつもそういう危険があるのだ。一時的な倉庫とか会社とかにはやむを得ないにしても、人が長く住んで暮すところではないと思う。日直とか夜勤とかでそこに泊るのは仕方がないにしても、そこに毎日住んで子供が出来たり孫が出来たりするところではないと思う。だけどそこにマンションが出来ていて、その一階に大丸君が住んでいる。
そこに屋上をもらいに行く日、私たちは有楽町からバスに乗った。バスは銀座通りを抜けて行く。銀座をバスに乗って通るなんてはじめてのことである。妻はそんなことに浮き浮きしている。思わず座席の前の手すりを、小学生みたいにきちんと両手でつかんだりしている。
「きゃ、銀座……」
などとはしゃいだりしている。妻は銀座のバスというのが楽しいうえに、行先に待っているものが嬉しいのである。私は席がなくて妻の横に吊革をつかんで立ちながら、行先に待っているものが少しずつ不安になりかけていた。最初屋上をくれるといわれたときには、芦屋のヴェランダを思い浮かべてみたのだけど、地図で月島を見てから不安になってきた。屋上というのはどこにあっても屋上なのだろうけど、人工の浮島というのがまず不安の種なのである。埋立地だというけれど、そんなことはない。あの地図で見る直線はただの板切れである。それがまず不安の土台になっている。その上に、大丸君がくれるという屋上がある。
私は揺れるバスの中で、吊革にしっかりとつかまった。立っているので、坐っている人よりも高くから地面が見える。それは当然のことなのだけど、私は不安を笑顔で包み隠して、銀座をバスで通るという粋なおこないに酔うふりをした。
「イキだね」
と妻に話しかけたりもした。
「いいわね、バス」
妻が座席から見上げている。
「わたしはじめてよ、バスで銀座なんて」
「俺だってはじめてだよ」
銀座通りを過ぎると、すぐ左側に歌舞伎座が見えてきた。ここは有名なところである。歌舞伎座といえば築地である。築地ということは地面を築く、ここはもうすでに埋立地なのだろう。昔はここにも海水がチャプチャプしていて、あの賑やかな銀座通りがきっと岸壁だったのだろう。満潮時には銀座通りのすれすれまで海の水が寄せて来る。このバスはいまその銀座の岸壁を飛出して、海の上で揺れている。そう思うとまた不安になってくる。だけどこの築地の歌舞伎座といえばもう何十年と歌舞伎をやっているという。今日も大勢の人が並んだりして、ちゃんと歌舞伎をやっているようである。私は少し安心したような気持になってきた。だけどそれを過ぎるともう何もない。店も人通りもぜんぜんまばらになってきて、バスはグーンとせり上がって「勝鬨橋」を渡って行った。
あの二つに割れるので有名な橋である。昔は隅田川を汽船が通るたびに真中から二つに割れて、ハの字形にせり上がっていた。現在はもうそういう派手なことはやめたそうである。だけどまだそれをやっていた最後のころに、私はやはり車に乗っていてその場面にぶつかったことがあった。この橋にはたしか路面電車も走っていて、橋の切れ目のところで当然ながら線路にも包丁を入れたような切れ目が入っていた。橋といっても車道の横に歩道もあって敷石も敷いてある堂々たる道路だけど、その道路がグィーンと持上がって垂直になっていく。そうすると電車賃のお釣か何か、線路の上に落ちていたアルミの一円玉がズズッとずれて、ズルズルと動き、ついにはコロコロと転がりはじめて、せり上がる道路の折目のところの隙間からポトリと海中に没してしまった。私はギョッとした。停車した車の中で、垂直にそそり立つ道路の路面が恐しかった。まるでギロチンを見ているようだった。一円玉のギロチンである。そのために都電も都バスもタクシーも止まってしまう。下では船までも止まっているのだ。そうやって毎日何度となく一円玉が転がり落ちて、この勝鬨橋の海の底にはいまも大量の釣銭が沈んでいるのに違いない。
バスはそんな勝鬨橋を事もなく渡って、南詰というバス停に停車した。勝鬨橋の南側である。南詰というからには、おそらくこの橋の番人か何かが毎日詰めていたのだろうか。私たちはそこでバスを降りた。そこはもう月島である。バスを降りると、靴底が地面に触れて、その音が月島全体に響き渡った。地面全体がグラリと揺れる。私はハッとした。月島は航空母艦だ。それがここに立ってはじめてわかった。地図で見る島の直線は、飛行場の直線だった。滑走路を切取って海に浮かべた航空母艦、それが東京湾の銀座通りに横付けになっている。そこについ気軽にバスで乗込んで来てしまったのだ。月島の地面は一枚の鉄板で出来ている。その上がコンクリートで覆われている。だからここでは靴音が地面の下の鉄板を伝わって、月島全体に伝達されてしまうのだ。その音を聞きつけて、大丸君はもうマンションの玄関でサンダルを穿き、このバス停の私たちを迎えに出る準備をはじめている。
私たちは降りたところのバス停で待っていた。
「近いのね、銀座から」
「そうだね。歩いても三十分くらいだろう」
「歩いてもよかったわね」
「うん、でも銀座をバスで通るって、やりたかったもんね」
「だけど橋一つ渡って、まるっきり違うのねえ、月島って」
「月面だもの」
「え……」
「ここは月面の島だよ」
「あ、それまた冗談なのね」
「いや、クレーターがあるらしいよ」
「またそんなこと……」
バス停のまわりのコンクリートの地面には、コーラの罐のひしゃげたのが落ちていて、それがほんのわずかに、ときどき右に揺れたり左に揺れたりしている。歩道に小さな水溜りがあって、よく見ると、その水もほんの一センチほど、右に行ったり左に行ったりしている。歩いているとわからないのだけど、ポケットに手を入れてじーっと立っていると、月島の地面全体がユラリと揺れている。妻はそんなことにはまったく気がつかない様子である。コートのポケットに両手をつっ込んで、店の看板を見たりしている。
「カレーライス・二八〇円だって。あら、安いのね」
バス停のまわりには飲み屋とか、カレーライス屋とか、下着屋とか、そういう小さな店がパラパラとかたまって建っている。いや建っているというより置いてある。ダンボール箱のいらなくなったのが一箇所にかためて置いてあるという感じ、それが雨が降ったり風が吹いたりで、置きっ放しのダンボールの根元のところにゴミが溜り、そのゴミがいつの間にか固まってダンボールと地面を接着している。だから建っているように見えるものの、この鉄の地面が傾けば、それはポロリと倒れてズルズルと滑って行って、たちまち一円玉みたいに海中に没してしまうのだ。そんな不安な飲み屋とかカレーライス屋とか下着屋とかが、ガラス戸のペンキの文字が干からびて剥げたりしながら、そんなところに人々がポロリ、ポロリと出入りしている。私は月島の宇宙服のことを思い出した。月島では泥棒も宇宙服を着てる……、そう思ったのだけど、いまはみんな着ていないようである。下着屋の店頭に出ている商品も、透明なカプセルには入っていない。むき出しで置いてある。犬もそのままの姿でスタスタと歩いて通り過ぎて行く。
道路の向うから大丸君がやって来た。まだ遠くなのに、地面の下の鉄板を通してサンダルの音がコツン、コツンと伝わって来る。こちらを見て手を振っている。宇宙服は着ていない。自宅に脱いで来たのかもしれない。だけどズボンの後のポケットには金色のトランシーバーが入っているらしい。それを押さえるようにして、左手をズボンの後のポケットに入れている。もう落し蓋は買ってあるのだ。
「どうも先輩、遠い所を」
「遠いけど近いね、銀座からは」
「そう、銀座からは近いんだけどね、でもやっぱり遠いでしょう」
「そうよ、何だか東京じゃなくて、別の県に来たみたいだわ」
「あ、眉さん、しばらく。元気ですか」
「わたしは元気よ。花代さんはどう? ふふふ、新婚生活」
「ええ、彼女もねえ、けっこう忙しそうにやってますよ」
「大丸君も忙しいんだって? 仕事」
「いや、まあ」
「イラストレーション?」
「ええ、ちっちゃなカットみたいなのばっかりですけどね」
「何かね、ダイマルは結婚したらとたんに働き出したって、評判だよ」
「別に、結婚とは……」
「いや、いいよ忙しいのは。何でもやった方がいいよ」
大丸君のマンションは、この月島の甲板の真中あたりにあった。まわりには窓のない倉庫の建物がたくさんあって、小さな運河も流れている。マンションは十階以上もある高い建物で、大丸君の家庭はその一階である。
「あそこらへんだよ」
といわれても、遠くから見るとマンションの下敷きみたいだ。ぐらぐらするタンスの下に差込む新聞紙、あの小さく折り畳んだ新聞紙の中に住んでいるような、そんな感じで生活に圧力がかかってくるとか何とか、そんなことはないのだろうか。
「ずいぶん下の方だねえ」
「ええまあ、そりゃ一階ですもの」
それはそうだ。
「やっぱり上よりは一階がいいよね」
「ええ、ぼくは別に上の方でもいいんだけど、階段とかエレベーターとか面倒でね」
そうだ、大丸君はあまり動かない人なのだった。ただそれだけで一階にしたのだ。マンションに着いた。すぐ入口かと思ったら、五段くらいの階段をちょっと昇った。一階といっても床がピッタリと地面についているわけではないのだった。
「ただいま。来ましたよ」
大丸君が家の中に声をかけながら、玄関のドアを開ける。
「どうぞ、先輩、靴はそこのところに置いといて下さい」
大丸君ははじめて訪問されてやはり照れくさいのか、廊下とかスリッパとかをわざと乱暴に踏んづけているようである。私の方ははじめて訪ねる家なので、廊下を踏むにもやはり踵から順番に足の裏をそうっと降ろす。
「あらあ、いらっしゃい。先輩、お元気でしたか」
花代さんがエプロン姿で迎えに出て来る。女性から先輩といわれるのは妙な感じだ。
「あ、花代さん、これあの……」
「あ、眉さん、うわあ、立派な壺……」
妻が新居のお祝いの品物を渡している。私は玄関からあまり進まずに、壁や下駄箱を見回している。やはり新居というのは身ぎれいなものである。
「あ、わたしちょっと台所があるから、真さん屋上見せてあげてて」
「そうそう、どこどこ? 屋上……」
妻はもう目を輝やかしている。
「ああ屋上ね、こっちですよ。どうぞ」
大丸君は南側の部屋に通じるドアを開けている。肩越しに振返りながら、
「どうぞ、先輩」
と誘っている。
「ああ……」
私は誘われてしまったので、ゆっくりと右足を前に進める。右足が出れば仕方がないので、次にまた左足をゆっくりと前に進める。途中にキッチンがあったので、私はほっと一息ついて足を止める。花代さんが何か料理をしている。あとでたぶん私たちがご馳走になるのだろう。ピカピカとしたガスレンジがあって、お鍋が湯気を立てている。
「あら、あんまり見ないで、散らかってるの」
花代さんがチラと、片目だけで振返る。
「うわ、でもキレイな台所だね。いいなあ、新しい台所は」
食器棚もピカピカしている。冷蔵庫も新調したようである。調理台の上にザルやボールが重ねてあって、その横に落し蓋が置いてある。
「あ、落し蓋だ」
私は思わず右手で取上げた。直径十五センチほどの、まだ新品の落し蓋。
テラスの方から妻の声がする。
「何してるの、あなた、早くいらっしゃいよ、屋上よ……」
私は落し蓋を置いて、また仕方なく右足をゆっくりと前に踏出す。
「ただいま」
といって妻が帰った。「ただいま」と声を発したところ、もう釘はなくなっているらしい。尖ったところが町の凹凸で削られてしまったのだろう。町はヤスリだ。
「早かったね」
と私はとりあえずの声をかけながら、机の前から立ち上がり、襖をふつうに開けて、2DKのDKのところへ出て行った。妻は買物籠からスーパーの袋を取出している。紙がカサカサと音を立てながらも、紙袋はテーブルの上へそっと置かれる。ここにも釘はなさそうである。妻は袋の口のセロテープをジリリと剥いで、中から一つ一つ品物を出し、テーブルの上にトンと置く。袋にカサカサと右手を入れて、テーブルの上にトンと置く。カサカサ、トン。カサカサ、トン。ホウレン草。甘納豆。ヨーグルト。肉饅頭。そのあともつぎつぎにカサカサ、トン、と出しながら、私の顔は見ようとしない。この辺に何か感じられる。トンには釘がないのだけど、それが伏目の中に隠されている。
「今晩は何かな」
と私は聞いた。
「お刺身よ」
と妻は答えた。答えながら伏目のまぶたがピラリと開いて、目玉がぐいとこちらを向いた。ピンと釘が飛んで来る。太い釘ではないけれど、細い昆虫針のような尖ったやつだ。その尖ったところが、やはり何か挑戦的だ。
私は意外だった。挑戦ならばクリームシチュウと思っていたのだ。それがこれはお刺身である。お刺身とは何だろうか。昔なら大変なご馳走だった。だけどいまはもう大変という感じはあまりしない。むしろ手のかからない簡単な料理ということだろうか。そこに挑戦が隠されているのだろうか。私が黙っていると、妻は昆虫針をパッと抜いて、
「さあ、グラビアちゃんはどうしてたかな?」
と自分だけにいいながら、自分の部屋の襖をそっと開けた。もう日も沈んで薄暗くなっている。だけどまだ空がぼうっと明るくて、その窓際に屋上がある。妻はその屋上にグラビアという名前をつけている。そのグラビアが、襖を開けるとキラリと光った。それが電気を発したような緑色だ。その光が妻を素通りしながら私の方に飛んで来る。私は黙って後を向いた。仕方なくそっと自分の部屋へ歩いて行った。人差指で襖を開けた。手の平に汗はかいていないけど、指のつけ根に汗の前兆が感じられる。皮膚に隙間がなくなっていき、その内側が息苦しくなってくる。やはり屋上が足をすくませる。私は開けた襖をそうっと引いて、コトリというところまでていねいに閉めた。やはり屋上が足をすくませる。私はまた机の前に正座した。やはり屋上が足をすくませる。私は電話を取上げた。ダイヤルがジリジリと回転しながら、私の人差指がその回転にユルユルとついて行く。
「もしもし」
「はい、栗太ですが……」
高所恐怖症の先生からまた電話がきました。今日二回目です。珍しいことです。
「あのね、来週持って来るカメラのことだけどね」
なんていっています。だけどこの電話、真相はカメラのことではないらしい。この前の電話で「猫は畜生だ」と断定されてから、ぼくも猫のことを考えていたのです。先生は電話ではあまりいわないけれど、何か猫の問題にぶつかっているらしい。「猫」と「畜生」とあって、その向うにまた「妻」という問題があるらしい。その組合わせはよくわからないけど、いずれにしてもこの真中に挾まった「畜生」という問題に先生は向き合っている様子です。だけど電話ではわざと黙ってカメラがどうとかこうとか……。これはよほど深い問題なのでしょう。よほど深すぎて、だから人にはいいようがない。いや浅いのかもしれない。あまり浅すぎて、皮膚の下ほんの一ミリくらいの浅い問題だから、人にいっても通じない。いや通じることは通じても、通じただけで通り過ぎる。そういうこともあるかもしれない。ぼくはその通じたところを考えてみました。猫がそこを通じて来るのです。猫は畜生です。その畜生という言葉がぼくにも不思議に見えるのです。その言葉が通じたあと、通り過ぎずに残っている。でぼくも考えました。
猫は畜生です。いきなりこんなことをいうと、最近は猫に迎合的な人たちが流行のように増えているので、そういう人たちには「差別だ!」といわれるかもしれません。それは何故かというと、畜生という言葉は何かヘマをしたり失敗したりしたときに「チックショウ!」というふうに使うのがほとんどなので、どうしても悪い印象ばかりがしみ付いているからだと思います。
それともう一つの使い方としては「犬畜生にも劣るもの」というふうに、畜生の頭に犬をつけてしまう言葉です。この言葉が一般化したために、畜生の、とくに「畜」という字には、どうしても粗野で、下品で、乱暴で、こんなものは殺しても潰しても当然である、というような野蛮な印象がしみ付いてしまっているのです。
ところがぼくは、畜生という文字を見ると、それと並べて「蓄電池」という言葉を思い出すのです。そうするとあの懐中電燈の中に二、三本一列になって入っている小さな金属筒の電池というものが、何かしら粗野で下品で肉的なものに思わされて、何とも矛盾した感情におちいってしまうのです。
貯蓄の蓄にしてもそうです。銀行のステンレススチールで出来たピカピカの大金庫の中に、野獣の糞とか、抜毛とか、餌のカスとかいうものが生臭くこびりついているような、そういう妙な印象が湧き上がってくるのです。
昔あった蓄音機という言葉もそうでした。この金属的でスマートな機械の名前に、どうして畜などという土着的で農本的な文字が紛れ込んでいるのだろうか、とそういう理不尽な気持がはいり込んできてしまうのです。
このように畜という字をめぐるちぐはぐな印象は、ぼくの頭の中では長い間の謎でした。この畜という字の使われてきた長い歴史の背景には、小学校で習う歴史とはまったく違った、思いもよらぬ因果関係が隠されているに違いない、そう考えたのです。蓄電池や蓄音機の発明、あるいは貯蓄や備蓄ということのはじまった歴史の陰には、何か大変な野獣のような事件があったのに違いない。それは「畜」や「蓄」という字を見るぼくの直感でわかるのです。
いやそんなに大袈裟にいわなくても、たとえば蓄音機というと、やはり音を蓄えておく機械のどこかに、犬や猫という畜生をすり潰した油が使われている、というふうにどうしても推理させられるのではないでしょうか。あるいはまた、その蓄音機の箱というものは、昔は犬小屋を改良したものが一般に使われていた、とかいうような印象をもってしまうのです。
貯蓄にしてもそうです。その昔、銀行に行って貯蓄したりすることを始めたのは、非常に生臭くて、犬畜生にも等しいような卑屈な人たちだったのではないだろうか。というような印象をもたされてしまうのです。
蓄電池になるともうこれは陰惨なもので、電気工場の中に薄暗い大きな池があって、そこには犬や猫や鼠や山羊や、ありとあらゆる畜生の屍体が浮いたり沈んだりして混ぜ合わさっていて、骨や毛や筋や油脂などがドロドロに溶けて腐ってタプタプになっていて、その中に|狒狒《ヒヒ》のような、|猩猩《シヨウジヨウ》のような、何とも得体の知れぬ大きな畜生が腰まで池につかりながら、そのドロドロを両手でギョロギョロと混ぜ合わせている。それを工場の人間が遠くから長い柄の杓で汲んで、それをあの小さな電池の筒の中にトロトロとこぼれないように入れて密封すると、それはもうあまりにも汚なくて、下品で、野蛮なものだから、どうしてもそこから電気が発生してしまう。
ところが「畜」という文字をあらためて調べてみると、その文字の源というのは|獣《ケモノ》的な下賤なことをあらわしているのではなく、本来は貯蓄とか蓄積とかいう方の意味をあらわしているのです。畜生の畜にみるような生臭くて野蛮な印象というのは、どうやらあとからついてきたものらしい。直感というのはアテにならないものですね。
手許の漢和辞典をヒモトイテみました。
【畜】「田」と、養いふやす意味の「」の省略形の「玄」とを合わせて、休ませて土地の養分をたくわえた田畑をあらわす。のち、「畜」はおもに「家畜」の意味に、「蓄」は「たくわえる」の意味に使い分ける。
と、そのようなわけで、畜生というのは何かのために何かを蓄えている生き物のことですね。牛とか豚とかいう家畜というのは、人間に必要な蛋白質を蓄えてある動物のことです。人間の食事に必要な肉を、家のまわりに紐でつないで蓄えてある。羊も家畜ですが、これは人間の着ているセーターとかオーバーが着古してボロボロになった時に、また新しく毛皮を剥いで次のセーターやオーバーが作れるようにと、いつも毛皮を蓄えている動物のことです。まったく人間というのは勝手なものです。
しかし、それと同じように、鶏というのは卵を蓄えている家畜のことです。|鸚鵡《オーム》というのは言葉を蓄えている家畜のことです。で、犬というのは番をするエネルギーを蓄えている家畜のことだけど、猫はいったい何を蓄えているのでしょうか。
そこでぼくはもう一度蓄電池という言葉を思い出してしまうのです。
猫は畜生です。猫は家畜です。これは外からは何を蓄えているのかわからないけど、この猫というものは、本当は蓄電池なのではないでしょうか。
いや、まさかそんなことはないとは思うのですが、猫のあのふさふさした毛皮で包まれている足の先には、金属の尖った電極が隠されているのではないか、そう考えてしまうのです。ぼくは電気が嫌いです。電気につながれた金属の先端をチラと見ただけでも、思わず手を引っ込めてしまいます。だけどもうそのとき、頭の中ではビリッと感電してしまっているのです。それとまったく同じことを、あの猫の四つ足の四つの先端に感じてしまう。四本足のうちの一本だけでも、それがぼくのズボンから出ている裸の足の近くにスーッと来ると、ぼくの足は電撃的にビクンと引っ込む。ああいうのは電気のほかにはないものでしょう。ここで先生が声を出しました。
「いずれにしてもね、先端というのは危険だよ。刃物の先端とか、ピストルの先端とか」
「あ、ピストルねえ。あと画鋲の先端も危ないですね」
「画鋲は危ないねえ、あれは」
「コーモリ傘の先端も危ないですね」
「コーモリ傘ね。ああいう長い尖った物は危険だね。あのう、尖端恐怖の人でねえ、昆虫の中でとくに足の長い昆虫見ると身震いするって人がいるね」
「ああねえ」
「蚊の大きいの、いるでしょう。|蜉蝣《カゲロウ》っていうのかな。あんなの人を刺したりはしないんだけど、その人、みんなでマージャンしてるときなんか、部屋の中にあれが一匹はいってきたらもう青くなって何も出来ない。誰かがつかまえて潰すまではブルブルしてる」
「あ、そういえば三島由紀夫は蟹が嫌いだったそうですね。蟹を見るのも嫌で、ほぐした身を一口食べようとしても、その全体像を想像するともうダメなんだって。蟹という文字を見ただけでも油汗が流れたそうですね」
「それはあるね。蟹という文字、何というか、身体がガンジガラメな感じ……」
「ああ、ガンジガラメね」
「で来週はカメラを……」
「それはさっきの電話で聞きましたよ」
「あ、そうか」
「そうですよ」
「それじゃあ、またね」
電話を切ったら、
「聞えないの?」
と妻の声がする。
「え?」
と振向くと、襖が十五センチ開いている。妻の顔が白くのぞき、小さな画鋲くらいのものがプツプツと一列に刺さっている。
「もう……。さっきから呼んでるのが聞えないの? 男のくせに長電話」
「あ、ご飯ね」
「そうよ」
妻はクルリと背中を向けて、スリッパをピタピタと、2DKのDKのところに歩いて行った。襖には画鋲が刺したままだ。
「へいへい」
私も部屋の電気を消してDKに向う。テーブルの上にお刺身の皿がある。その皿が冷たく中央にある。その横にも皿があって、ホウレン草のゴマ和えがある。それを見てほっとする。お茶碗があってお椀もある。お椀から湯気が出ている。
妻の部屋の襖が開いている。窓の外はもう日が暮れている。だから窓際に見えるはずの屋上が、ほとんど見えない。屋上の角の線だけが鋭角的にキラッと光る。だけどそれは窓ガラスの線かもしれない。屋上はもうそこではないのかもしれない。黒くてわからない。黒い毛の生えた屋上である。それが窓際に坐って外を見ている。だけどその様子がわからない。とにかくその窓の一角が暗闇である。その暗闇が少しずつ私の方に近づいて来るようである。
いただきます……といいながら、妻と私が夕食を食べている。私はご飯とおつゆを口にしてから、まずホウレン草に箸を伸ばす。ふつうならお刺身をまず食べるのだけど、お刺身を見る私の目がこわばっている。お刺身の皿に太い釘が一本ビシリと打込まれているような、そんな感じで、箸の先はついお刺身をよけながら、ホウレン草に向ってしまう。だけどホウレン草を食べながら、私の頭は浮わついている。テーブルの下が恐いのである。テーブルの下で、私の両足がこわばっている。屋上がそこに来ている。屋上が、妻の椅子の下を通って、私の足に近づいている。私はご飯の白い粒を見ているのだけど、テーブルの下で、ズボンの裾とスリッパの間の、足首の露出したところに、鳥肌が立っている。
「お刺身、食べないのね」
妻が顔も見ないで声を出す。
「いや、食べるけど……」
食事中の話はそれだけだった。食後私は姿勢を崩さずに、両足をじっと固めたまま夕刊を読んでいる。活字が目の前で右往左往している。活字の前で、私の目は裏側に向いている。目の裏側でテーブルの下を監視している。目の裏側が体の中を通り抜けて、ズボンの先の、露出した足首に張りついている。屋上が目の前である。皮膚とスレスレである。耐えられぬ。私はそんな皮膚の足をそうっと引いて、ゆっくり姿勢を動かした。動かしてから、次に姿勢を動かす理由がないので、私は食器を流しまで運んで行った。
「いいわよ。そこに置いといて」
妻の声が即応して飛んで来る。顔は新聞を見たままである。妻は朝刊を見ている。妻は朝刊の職業欄をじっと見ている。新聞を持つ指のカサリという音が、もうすでに尖りはじめて、欠けたガラスの粉がピシピシと飛び散っている。身動きができない。私は舞台の上の黒子みたいになって、俳優の陰に隠れるようにして、そうっとまた自分の部屋に戻って来た。また襖を引いて、また最後のコトリというところまで、ていねいに襖を閉めた。今後どうしていいのかわからない。机の前に坐っている。閉めきった六畳の穴の中である。私は穴のことを考えた。穴には二種類の穴がある。閉じた穴と開いた穴である。開いた穴はトンネルか破れ穴、閉じた穴というのは墓穴とか井戸のこと、はいって行くとドン詰まりになっている。これは恐い穴である。ドン詰まりというのが恐いのだと思う。閉所恐怖症というものだろう。これは誰にでもあるはずだ。
狭い場所というのは空間が限られていて、空気も限られている。だから長くいれば息苦しくなってくる。それがまだ長くもいないのに、そこの空気が限られていると思うだけでも息苦しくなってくる。実際には一時間くらい呼吸出来るはずの密室に、一歩はいっただけで息苦しくなってくる。その「実際」というのに先回りして息苦しくなるところが閉所恐怖症なのだろう。これは想像力が引起すものだから、ほとんどの人がもっている。多少の症状はあるはずである。だけどその症状が昂じてくると、閉所ということを考えただけでも息苦しくなってくる。考えてみればこの地球の全体が閉所である。地球の空気は限られている。これを無制限に吸っていていいのだろうか。やはり制限しながら吸わないとあとがなくなるのではないだろうか。そう思うと喉の奥がズンと詰まり、空気の出入りが難しくなってくる。喉がどんどん狭くなるようで、指でこじ開けたくなってくる。喉の筋肉が信用できなくなってくる。肺も心臓も、よく考えたら自分の目で確かめたことがないわけで、それが恐しく愚鈍な怠け者に思われてくる。とてもまかせてはいられない気持で、一呼吸一呼吸に目が離せなくなり、全力を呼吸につぎ込みながら、神経がヘトヘトになってしまう。そうなればもう立派な穴の病人である。
さっきから何も物音がなくなって、妻はもう寝てしまったようだ。私も寝てしまいたいと思った。2DKで、寝室は妻の部屋である。布団が二つ敷いてある。私はいつも自分の布団の端の方で、毛布と掛布団に厳重にくるまって、足の指が出ないように、少しの隙間もないように、蓑虫みたいになって眠っている。屋上をもらって来てからはずっとそうである。妻の体にも触れていない。夜になると、妻の布団の中に屋上がある。夜の屋上は、妻の布団に潜り込んでいる。妻の体に近づくと、私の体はそこから真っ逆さまに落ちて行ってしまうのだ。
私は自分の部屋の電燈を消した。襖を開けてDKに行く。テーブルの上の電燈がついたままである。妻の部屋の襖が閉まっている。寝るのにはその襖を開ける必要がある。私は茶碗でも洗おうかと思ったりした。だけど夜のその音に、釘が刺さってしまうかもしれない。流しの横の調理台にボールがある。ボールの中に人参がはいっている。人参は皮が剥いてある。五日前に私が剥いた。五日前、妻の帰りが遅かったので、何か作っておこうかと人参の皮を剥いてみた。二つ剥いたところで妻が帰った。その日も妻はビシビシと釘を刺しながら、私を台所から追い出した。その日の夕食に、その人参は使われていなかった。次の日にも使われていなかった。それからも、その人参は手をつけられずにボールに入ったままである。指でつまんでみると、下の方が水分でドロリとなっている。それをいま棄てるわけにもいかず、またそのままボールに戻す。私はテーブルの上の電燈を消して、妻の部屋の襖を開けた。手探りで襖を閉める。真っ暗である。
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A月A日(晴) 自宅なんか糞っ喰らえ! 私は思い切って外に出た。二日後に引越しなので、自宅の整理をしていたけれど、整理をすればするほど物の系統が複雑になってくる。私はもううんざりしたのだ。私は玄関の戸を、
「ガラッ」
と開けて外に出た。だけど「ガラッ」と開けたと思ったのは、子供のころに住んでいた大分の家の記憶だろうか。それとも小説とか映画の中から借りてきた感触なのだろうか。最近の玄関の戸は、本当は、
「ガラッ」
とはいわない。最近は、
「カチャッ、スイーン……」
という感じ。ドアなのだ。丸い把手をねじって開ける。団地やマンションはみんなそうだ。アパートもそうである。このいまの私の自宅は木造の市営住宅ふうの借家だけど、それでも玄関はドアになっている。だからどうしても、
「ガラッ」
とはいかない。やはり、
「カチャッ、スイーン……」
と開いてしまう。そうするとこの場合、ちょっと気持が困ってしまうのだ。ふつうならこういう場合、自宅なんて糞っ喰らえ! という場合には、目の前のぐだぐだした軟弱なものを払いのけるように、玄関の戸を右手で一気に、
「ガラッ」
と横殴りに開けて、俺あ行くぜ! という姿勢で外に出ないとサマにならない。ところがこれが丸い把手をクルンとねじって、
「カチャッ、スイーン……」
とドアが開いたら、じゃ行って来ます、なるべく早く帰るからね、うんお酒はあんまり飲まないよ、そちらもムリしないでね、愛してるよ、その他いろいろいいながら、ドアをそーっと、
「パタン」
と閉めて、背中を丸め、ポケットに手を入れて、回覧板を隣へ届けに行くような、何だかそんな雰囲気になってしまう。
私はいったん外に出たものの、ちょっとつぎの行動につまってしまった。振返ると自宅がある。糞っ喰らえ! と思い切って外に出たのだけど、これではぜんぜんはずみがつかない。ドアというのは困ったものだ。
私は三メートルほど外に出たまま、じっと自宅のドアを振返る。ドアはピタンと閉まっている。そのピタンという取り澄ました感じが、何か私を挑発しているようである。しかしそうだ、あのドアをピタンではなく、
「バタン!」
と強く閉める手がある。よく夫婦喧嘩なんかでやってるやつだ。何さ、あんたなんか……、何だよ、てめえ……、とかいい合いながら、一方が立上がってコートを取って、勝手にしろ! とかいいながらドン、ドン、ドンと乱暴に床を踏んで家を出る。ところが玄関がドアだから、開けるときはどうしても、
「カチャッ、スイーン……」
と優しい音になってしまう。これがまずいのだ、ここでいつもまた日常のリズムに戻りそうになる。だからよけいにそのあとの捨てぜりふを、このブス! とか、豚! とか、ウスノロ! とか、便秘女! とか、できるだけ嫌悪的なのをビッといって、それでドアを思い切り、
「バッタァーン!」
と閉めて外に出る。そうするとこれはいちおう型になる。俺あ行くぜ! というリズムになって、顎を突き出し、肩をいからして、道路の罐カラを、
「コーン」
なんて蹴りながらズン、ズンと歩くことができるようになってくる。そうだ、それにしよう。
私はまた自宅に戻った。自宅に戻って玄関のドアをまず外側からゆっくり、
「スイーン……」
と開けてみる。私は開けたドアの端のところをゆっくりと指先で触わりながら、しかしそこで考えてしまった。この借家はもう建ててから四十年くらいたっているらしい。ドアもかなり古くなっている。蝶番はだいぶ錆びているし、丸い把手はいつもグラグラとして気になっている。これを思い切り、
「バッタァーン!」
などと閉めてしまったら、把手がポロン、なんて落ちたりしないだろうか。そうなると、糞っ喰らえ! と外に出ても、どうもやはり後方のことが気になってきて、ズン、ズンと歩くわけにはいかなくなってしまう。もう一回戻ってドアが壊れていないのを確かめてから、こんどはドアを優しく、
「パタン」
と閉めて、では外に出ましょうとテクテク歩き、郵便局にでも行って、ハガキでも一枚買って、そのままテクテク帰って来てしまう。これではやはり何にもならない。糞っ喰らえ! の糞というのが、ただの、何というか、アクセントみたいなものに過ぎなくなってくる。それではやはりいけないと思う。糞というのをアクセントに使ったりするのは冒涜だと思う。
私は困ってしまった。玄関の上り口にしゃがみ込んで、頬づえをついて考え込んだ。さっきは、自宅なんて糞っ喰らえ! といさぎよく考えたのに、この玄関のドアのおかげでどうもうまく進まない。これが横にガラッとやる引戸だったら、もういまごろはトントンと外に出て行って、何か物凄いことをテキパキとやっているはずである。だけどこれがドアだったばっかりに、私はまだこの自宅の入口にしゃがみ込んでいる。
やはり建築というのはないがしろにできないものだ。ただ一つの玄関の構造というものが、一人の人間の行動に大きな影響を与えてしまう。これは恐しいことである。
私は背中を倒した。玄関の上り口にしゃがんだまま、横になってしまった。下駄を穿いた足の先が玄関から突き出している。足の先だけが自宅の外にさらされている。その点だけは爽やかだけど、背後では自宅が雑炊のように煮え立っている。引越しを控えた部屋の中に、生活用具がとりとめもなくもつれ合って、それぞれが全部目に見えない糸を引きずっている。その糸がまた全部遠くのものに結ばれていて、セーターと思い出が絡み合い、食器と燃えないゴミが絡み合い、古本とチリ紙交換が絡み合い、そんな糸はこの際バッサリ切り捨てようと思っても、そのあとからまた別の糸が何本もあらわれてくる。まるで分解して失敗して、もうどうにも戻らなくなったラジオの裏側のようである。そんなものを背中にずるずると引きずったまま、私は玄関に寝転んで、足の先だけが自宅の外に突き出している。足の裏と下駄の間を、外の空気がヒュルヒュルと吹き抜けて行く。まるで足先だけ海の中に突込んで、そのまま砂浜に寝転んでいるようである。玄関は波打際だ。寝転んでいると、海から風が吹き込んでくる。足の下の砂の上を、昆虫がゆっくりと通り過ぎる。砂浜は遠浅になっていて、潮が寄せたり引いたりしている。だから玄関の上り口には、いつも古靴やサンダルなどが打ち上げられている。骨の折れた傘もある。ドアの蝶番の錆びついているのが、まるで潮風のしわざのようである。砂浜を郵便屋さんがやって来る。寝ている私の顔の上に、影が落ちる。砂浜に赤い自転車を停めて、
「書留ですよ。判コを……」
といっている。見ると、私が週に一回行っている絵学校の講師料である。私は寝転んだまま右手を上に伸ばして四畳半に侵入し、体をねじらせながら、やっとのことで指先を机の引出しに引っ掛けて、その中からずんぐりとした判コを取出して、
「ご苦労さん」
といって前に差し出す。郵便屋さんは私の判コを受取ると、青い難しそうな書類にギュッと押して、それをペラッと破り、封筒の上に判コをきちんと重ねながら、
「はいどーも……」
と返してくれた。
「ああどーも」
と私がいうと、郵便屋さんはまた自転車をキーキーとこぎながら、海の向うへ去って行った。郵便屋さんがいなくなって、私の顔にはまた日が照りつける。私は受取った封筒を砂浜に置いて、またそこに長く伸びる。砂浜を枯草のひとかたまりが、風に吹かれて転がって行く。そんな風がふわりと止まり、あとはまたポカポカと日が差してくる。今日はほんとにい
い天気。
そんな玄関の前にひろがる砂浜を、近所の住民が横切って行く。横切って歩きながら、私の日光浴をチラと眺める。そのチラというのがチラですまずに、立止まってじっと見ている。何かしら批判的な視線の圧力を感じる。何だと思ってよく見たら、近所の住民でなくて目盛君だ。目盛君は昔の生徒だ。
「先生、どうしたんですか。貧血でも……」
「え」
「いや、そんなところに倒れてるんで……」
「倒れたりしてないよ。寝てるんだよ」
「だけどそんな、玄関なんかに、無理な姿勢で……」
「あのねえ、いまは波打際でね、昼寝なんだよ」
「はあ……。もう荷物は片付いたんですか」
「いやあ、こんなものが片付くわけはないね。いまは自宅でね、雑炊が煮え立っている」
「え?」
「荷物がね、もうドロドロに混ぜ合わさって、シャモジですくうしかなくなっている」
「うわあ、本人がそういうふうじゃ仕方がないですね。手伝えといわれたんで来たんだけど……」
目盛君にはもう引越しを二回も手伝ってもらっている。一回目はまだ彼が在学中のときだった。私はまだ結婚生活のセメダインの中にはまり込んでいるときだった。そのセメダインの中で七年間もがきながら、前にも進めず、後も向けず、回転もできず、全身が擦り減って壊れたネジ釘のようになっていた。あとはもう決意が残っているだけという、そんな引越しだったのだ。
その引越しをするのに、私は喫茶店の階段を降りながら決意した。私は突然だけど、同行の女性に愛人になってほしいと頼んだのだ。その人は罐詰会社の人だった。だけど二年前の生徒だった。デザインの仕事だというので二年振りに会ったのだけど、私には特殊な感情は何もなかった。だからそんなことを冗談みたいにいうことができた。いわれたその人も冗談みたいに聞いていた。曇って雨の降りそうな日で、立っている駅前の道路を通行人が映画のように動いていた。その人の顔も、映画のように微笑んでいた。だけどほんのわずかに慌てた顔色もあった。そして帰りながら、私が渡したはずの仕事用の封筒を、私の手の中に忘れて行った。私はそのとき足にサンダルを突っかけただけだったけど、そのままの姿でふらふらと町を歩き、友人のアパートのドアを叩いた。友人は驚いてサンダルを見ていた。
一週間後、自分の荷物の置場所を決めると、私は目盛君に頼んでレンタカーの一トン車を運転してもらい、昔の自宅に横付けにした。一週間昔の自宅だった。ドアが七年間のセメダインでべとついている。私はドアをギュッと引いた。ドアが粘りながらやっと開いた。私は黙って自分の荷物を運んだ。目盛君も黙々と荷物を運んだ。部屋の中で、薬とアルコールで血走った目がじっと見ていた。その目を擦り減ったネジ釘の目がボンヤリと見返した。そして洋服ダンスを開けて、お揃いのセーターを引き剥がした。血走った目が荷物を廊下にぶち撒けた。私たちはそれを黙って拾い直して一トン車に積んだ。走り出したあと、私たちはミイラのようにグッタリとして、そのレンタカーを返すのを二時間も遅れてしまい、一日分の料金を無駄に払った。そんな引越を、私は「エンテベの戦い」だといって、目盛君の前で自嘲した。
そうやって引越した新しい自宅で、私は罐詰会社の人と一年間いっしょだった。だけど一年たつと、もう言葉が消えていた。だけど目は血走ったりはしなかった。セメダインもはみ出してはいなかった。最初から蓋が閉っていたのだった。ただ映画が終わったようだった。動きの止まったスクリーンに、カーテンがさらさらと閉じていく。その日、私はまた目盛君にレンタカーの運転を頼んだ。目盛君は別にとまどうふうもなく、当り前のように引き受けてくれた。私はこっそりと家を出た。そしてこっそり帰って来ると、荷物は半分になっていた。私は自宅に一人になったのだ。私は荷物の空いた所にじっと坐り、昔やめた煙草をすってみようかと考えたりした。
「引越しの理由もいろいろあるけど、こんどは契約が切れたんですか?」
目盛君が質問している。
「まあね。離婚の理由にもいろいろあるし、戦争の理由にもいろいろあるし……」
私は話しながら、玄関から突き出していた足を引っ込めた。長いこと漬けていた海から足を引き抜いて、冷たい雫が垂れるようだった。
「引越しって、ラジカルだね」
と私はいってみた。目盛君は、
「え?」
といって考えている。どういう冗談を返そうかと思いながら、ラジカルの解釈ができないでいる。
「ラジカルって、過激なこと?」
目盛君はすなおに質問している。
「まあね、この何というか、自宅というのもラジカルだと思わない?」
「あ、自宅ね」
目盛君はとりあえず答えている。
「自宅はラジカルですよね」
目盛君はとりあえず同調している。
「自宅って、本当は不動のものだよね」
「あ、不動産……」
「そう、地面にしっかり画鋲で留めてある。みんなそこから長い紐をずるずる引きずって歩きながら、その紐がしっかりと画鋲で留めてある。自宅って、まあ画鋲だね」
「あ、画鋲はラジカルですね」
「その画鋲がね、引越すんだよ。ボロッと抜けてコロコロと。これはやっぱり危ないね、この、抜けた画鋲というのは」
「あ、踏みそうになりますね。ブチッと」
「うん、画鋲というのはやはりどこかにちゃんと剌さっていないとね」
「その、引越しはいつでしたっけ」
「二日後」
「あ、ぼくはその日、駄目ですね、仕事で」
「大丈夫、大丈夫、手伝いはたくさんいるから」
「すみませんね」
「いやあ、この間にくらべたら楽なもんだよ、精神的に」
「あ、精神的に」
「そう、精神的に」
玄関から出しっぱなしにしていた足が固くなっている感じ。軽くほぐしながら足踏みし、両足を上げて叩き合わすと、下駄の音がカン、コンと、ひとごとのように鳴っている。
B月B日(晴) 自宅が引越した。ダンボールが大変だった。大変というより物凄かった。運ぶものがたくさんあるのだ。ニコンFEとかローライ|一一〇《ワンテン》とかオリンパスXAとか、いやそういうのはほんの一部であとはガラクタばかりだけど、それがダンボールに入れても入れても減っていかない。たとえばニコンのカメラを入れたと思ったら、まだニコンの双眼鏡が残っている。いやそういうのはほんの一部であとはガラクタばかりだけど、いつまでたっても荷物が減らない。とにかく八百屋へダンボールをもらいに行った。いつも買いに行く店である。私はいつも大根やピーマンを買っている。玉ねぎやジャガ芋も買っている。野球帽をかぶったお兄さんが、店の前でダンボールを潰しながらこちらを見ている。ああ、この男か、という顔である。
「ダンボールが二十個くらいいるんだけど」
「ずいぶんいるんだね」
「ガラクタが多いんですよ」
「あ、引越しするの?」
「そうなんですよ。こっちの東町から西町へ」
「近いじゃない」
「うん、だけどいちおう荷物まとめないと」
「そうねえ、ダンボール……。出るよ、何個だって?」
「二十個くらい」
「いまあるかなあ」
といいながら、八百屋のお兄さんは店の奥へもぐり込み、ちゃんと潰して畳んだダンボールをごそごそと引張り出してくる。「群馬ほうれんそう・群馬県経済連」底の方に泥が緑色になってしみついている。畑から来たダンボールだ。畑の拇印が押してある。ホウレン草か。ホウレン草は大好きだ。「キャベツ特撰・保谷市農業協同組合・東京都経済連」キャベツも大好きだ。ただ刻んでもいいし、ただ油炒めにしてもおいしいし、赤味噌のおつけに入れてもおいしいし、それからあの、ロールキャベツ式の煮込んだキャベツもとてもおいしい。「高原レタス・長野県」レタスか。レタスは炒めるわけにはいかないね。「スイカ鹿央西瓜・熊本特産2・3L」スイカはおかずじゃなくて、食後だな。食後の果物。果物だけど八百屋でも売っている。
結局そういうダンボールが二十二個、私は自転車に積んで持って帰った。パタパタと組立ててガムテープを貼り、ゴソリ、ゴソリと物を入れると、ダンボールはあっという間にいっぱいになった。それなのに、部屋の様子は何も変らない。ダンボールがぜんぜん足りない。私はまた八百屋へ行った。
「ダンボールがまた二十個くらいいるんだけど」
「あれ……、ずいぶんいるんだね」
「ガラクタが多いんですよ」
「まだあるの?」
「ええ、何だかぜんぜん減らないみたい」
「え?」
八百屋のお兄さんは、こんどは野菜を持った手を止めている。ダンボールに入れても入れても減らないガラクタなんて、ブラックホール……、じゃなくてその反対のホワイトホール……、なんて、そんなことを思っているのかどうかしらないけれど、
「いまは……」
と店の奥を見渡して、
「いま六個くらいしかないなあ、午後になれば出るよ」
といわれてしまった。どうしようもない。
ところが午後になり、自宅に運送屋の人が引越荷物の見積りに来て、部屋の隅々に目を光らせながら、
「うーん……」
といっている。私はその唸り方がどうも気になる。
「ダンボール、あといくついりますかね、二十個くらいでいいでしょうか」
と聞いてみると、
「四十個はいるね」
といって、運送屋の人は煙草をくゆらしている。うちは禁煙なのに、そんなことをほのめかすヒマもない。
「もっといるかもしれないよ」
といい足したりもする。驚いた。いや驚くなんて、これはもともと自分の荷物なのだけど、これまでにダンボールが二十二個、その上さらに四十個、うんざりしてくる。自宅とはいっても酷いと思う。こんな小さなところにこんなに荷物を飲み込んでいるなんて。腋の下が薄気味悪い。もうこんな自宅とは縁を切りたい。いやじつは、縁を切って引越すのだけど。
で今日、運送屋がやって来た。表通りの角のところに二トンのトラックを停めて、部屋の中に盛り上げたダンボールを一つ、二つ、何も考えずに運んで行く。やはり仕事師の顔である。ダンボールは結局九十六個になっていた。八百屋では足りなくて、薬屋にも行った。画材屋にも行った。町内のダンボールを全部かき集めて来た感じだった。
「ご家庭内でご不要になりました古新聞、古雑誌、ダンボールなど……」
というあの低速運転のトヨエースから、何だか白い眼で見られているような、そういううしろめたい気持になってくる。ダンボールは八百屋のが一番多かった。八百屋でも、トマトやキューリのダンボールは浅いので駄目だった。やはり引越しのダンボールは何といってもキャベツだと思う。つぎに白菜、レタス、ホウレン草。
しかし九十六個というと凄いもので、あと四個足すと百個なのだ。ダンボールのほかにもただ紐で縛っている本や紙袋もあるのだから、本当は百個をゆうに越えている。生きていくのに、こんなに荷物がいるのだろうか。人間はダンボールの一個か二個で生きていけるのではないだろうか。私はあらためてうんざりしてくる。ゆっくりとうんざりしてくる。こんなに荷物が便秘みたいに詰っていたなんて、だらしのない牛の胃袋みたいで、いつもゴミの日に出し忘れている台所のゴミ袋みたいで、もうヘキエキとしてしまう。
運送屋の人はとんとんと働いている。自宅の荷物が一つ一つトラックに運ばれて、荷台の奥から順番に積み上げられる。やはり専門家はうまいもので、机や椅子を積んだ複雑な隙間に、ダンボールや小さな袋をアレコレと工夫しながら、端からミッチリと詰め込んでいく。ピッタリとパズルのようにはめ込んでいく。外すとき、いや降ろすときにどうするのだろうかと思うほど、荷物は幌付きトラックの荷台の上で、キッチリとした一つの立方体になってしまった。それが一回で終らずに、トラックは二回往復し、二回目はとうとう幌の上にも荷物が乗って、二トンの立方体はあちこちに少しはみ出して、デコボコになって揺れて行った。
私はあとの掃除のために、空っぽの自宅に残っている。荷物の抜けたあとの埃は、住んでいたときの埃よりもざらついている。本棚の抜けたあとの襖に、埃にまぶされた蜘蛛の巣が、ちぎれたカーテンみたいにぶら下がっている。いままでタンスの裏側がずっとふさいでいた窓の下は、漆喰の壁に黴が生えている。窓の隙間から少しずつ雨が吹き込んでいたのだろう。その黴が埃を喰って、黒い模様になっている。まるで口の中に鏡を突っ込んで、前歯の裏側をのぞいているようである。
私は自宅をゴシゴシと掃除した。いままで私の荷物の詰っていた自宅、そしていまポッカリと荷物の抜けてしまった自宅……、しかしこれはまだ自宅だろうか。ゴシゴシという雑巾の手がふいと止まった。私はもうこの家で寝ることはない。私の荷物は新しい家に運ばれている。これはもうタダの家、もと自宅だったタダの家だ。私はタダの家をゴシゴシとこすった。このもとの自宅は私の雑炊のような荷物を外されて、サッパリと、すがすがしい空間になっている。
「いいじゃない……」
と思った。またゴシゴシの手が止まった。よく見たらいい部屋だ。こういう何もないカランとした部屋で暮したい。これ、このままもう一度自宅にしてみたい。こんな部屋なら、うまくやっていけそうな気がする。そう思って、私は空っぽの部屋に坐り込んだ。四角い畳が裸になっている。いままでに一度も見せなかった表情である。はじめて触わる、見知らぬ人の肌のようだ。私は埃の上からそんな畳をそっとなでた。でも……、とやはり考える。これがもしまた自宅になったとしたら、またこの部屋にはいろんな荷物がこびりついてくるだろう。まるで船底にこびりついてくる貝殻みたいに、古本とか、古雑誌とか、スクラップブックとか、カメラとか、双眼鏡とか、そういう荷物がまたこびりついてくる。なるほど、船底の貝殻か。自宅の壁は船底だ。
私の手はまたゴシゴシと動きはじめて、掃除を終えた。廊下の汚れを拭き取る雑巾の、その最後の一拭きをサッと引いて雑巾をふわりと持ち上げると、玄関の鍵はそのままにして、もとの自宅を後にした。鍵が開いていても、もう何もない。中には空間があるだけだ。私はサッと引いた雑巾をぶら下げたまま、ゆっくりと新しい自宅に向って行った。もう向うでは引越しを手伝ってくれる友人たちが、ダンボールを降ろしているところだろう。ダンボールの蓋が開いて、荷物がニュルニュルとはい出して来て、部屋の中を見回していることだろう。向うにまた自宅が出来かけている。ポロッと抜けてコロコロと転がって行った画鋲が、また向うでブツリと刺さり、ズンズンと打込まれている。いまはちょうどその間の空白の時間。その空白の中を歩きながら、右手に雑巾がぶらぶらと揺れている。
私は新しい自宅に着いた。新しいといっても古い家で、便所などはまだ汲取式である。台所の流しはステンレスでなくてタイルである。ヒビが入ったところがセメントでふさいである。きっと少しは水が漏れるのに違いない。玄関はドアでなく、ガラッと横に開けるやつである。硬質で男っぽい玄関である。私は引戸に手をかけた。男っぽい気持になってくる。昔かたぎの一本気、一度いいだしたら止まらない、根は正直なのだけど、喧嘩と聞くと血が騒ぐというまったく困ったやつで、私は玄関をガラリと開けた。部屋の中はすでに雑炊のようになっている。もとの自宅の荷物がごっそりと盛り上がり、その山がいくつかの山脈をなしている。それがまるで造山活動のさなかのように、右に左に蠢いている。山の上でダンボールの蓋が開き、荷物がバラバラと分解されながら、あっちでミシリ、こっちでミシリと、部屋の隅にこびりつきはじめている。友人たちが手伝ってくれている。荷物が片付きながら自宅にこびりついていく。やはり荷物が貝殻みたいだ。新しい自宅の壁が、海面の下の船底みたいになって、ゆっくりと迫って来る。もうほとんど目の前まで自宅が迫って来ている。
C月C日(晴) 今日は雨樋を買いに行こう。雨樋を二本。いま一番ラジカルな買物は雨樋だと思う。
最近は、たとえばニコンF3を買って有頂天になっている人がいるかもしれないけれど、そういうのはもう古いと思う。そういうのはありきたりな買物だと思う。そういうのは買いさえすれば有頂天になるのはわかりきっていることなのだ。ニコンF3はもう古い。
これからの買物は雨樋である。晴れた日に雨樋を買うのである。よく晴れた日にゆっくりと金物屋に行って雨樋を買う。曇っていても雨樋は買えるけれど、曇りの日には曇り空に圧迫されて、いまにも雨が降るのではないかと、雨樋を取付けるのをあせってしまう。そういうのはあまりよくない。雨樋はやはりカラリと晴れた日に二本ぐらいを買って来て、ゆっくりと軒先に取付けるのが一番ラジカルである。
私は目盛君に電話した。あの便所のサンダルで有名なミスター目盛。あ、こんなこと、別に有名じゃなかったっけ。とにかく電話した。
「あのね、今日雨樋を買うよ」
「あ、もしもし……」
「あのね、今日雨樋を買うよ」
「あ、先生ですね。こんにちは」
「うん。あのね、今日雨樋を買うよ」
「え、アマドイ?」
「そう。今日は忙しい?」
「いや、別に。そうでもないけど」
「今日雨樋を買うんだよ」
「ああ、雨樋ね。軒先の」
「うん、二本買うから、行ってみない?」
「いや、それはいいですけど、どうしたんですか? 雨樋を……、つけるの?」
「そりゃそうだよ。雨樋は軒先につけるもんだよ。何いってるの」
「あ、そうか。いや、いきなりいうもんだから、ただの思いつきでさ、用もないのに雨樋を買うのかと思って、それは凄いなって思ったんだけど」
「そうじゃないよ。そんな、用もないのに発作的に雨樋だけ買うなんて」
「いや、それ凄いですよ」
「いやあ、そんなの凄くないよ。用もないのに雨樋を買うなんて、そんなのは芸術家のやることだよ。きまりきった芸術だよ。そういうのはもう古いね」
「あ、古い……」
「そう、古い。ぜんぜん古いよ。だいたい芸術というのはもう古いみたいだね、これからは」
「あ、これから、ねェ」
「そう。これからは芸術はもう古い。とくに現代芸術というのが古いみたいね」
「あ、現代芸術ね」
「あのね、引越したんだよ」
「いや、それは知ってますよ」
「それで引越したらね、庭に軒先が出ていてね、雨樋がないもんだから雫がポタポタ一列に垂れている」
「あ、庭があるんですか」
「そう、庭があるんだよ。庭が。これからは庭ですよ」
「うわあ、庭ね」
「そう。その庭にね、芝生を植えたの。これからはやはり芝生だと思って」
「うわ、これから……、ですねェ」
「そうですよ。庭に向って縁側があって、軒先が出ているの」
「あ、こんどのところ、一軒屋?」
「あ、当然ですよ。いまどき二軒屋とか三軒屋なんて、あのほら、十軒屋くらいの、何ていうの、あの、マンションとか何とか……」
「あ、そんな、マンションなんて言葉くらいちゃんと知っているくせに」
「いや、ははは、まあね。でもこれからはさ、やはり一番すすんだ買物というのは雨樋だね。縁側の上の、軒先の雨樋ですよ。マンションじゃ雨樋なんて買おうったって買えないよ」
「あ、別にそんな、マンションをむりやり差別しようとして」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。差別はしないよ。差別なんかしないけどね、でもマンションなんかじゃやっぱり……」
「でもマンションの人だって、その、金物屋へ行けば雨樋は買えますよ」
「そりゃ買えるけどね、だけどそんな使いもしない雨樋を買うなんて、何ていうか、車もないのにバックミラーだけ買うみたいな」
「うーん……」
「でもうちはね、こんど引越したらね、庭に軒先が出ていてね、そこに雨樋がないもんだから雫がポタポタ一列に垂れている」
「……」
「ふふ、困るんだよね、テン、テン、テン、テン、なんて」
「……」
「雫の垂れたあとがね、一列になって庭の芝生に細い溝が出来てしまう」
「まあ、それはそうでしょうね」
「そうなの。庭の土が一列にえぐれてね、土で埋めてもまた雨が降るとすぐ一列になる」
「そういうの、意外と気になるんですよね」
「そう、雫がいちいち跳ねてね、溝はどんどん深まるし、何だか濡れっぱなしというか、雨の中に洗濯物でも出しっぱなしにしているみたいな感じで」
「ありますね、そういう。何かいたたまれないっていうか」
「いたたまれないし、だけどもういったんそういう溝が出来はじめると投げやりになってくる。あのほら、よく絨毯のフチのところなんかを折れ曲ったまま踏んづけちゃって、そこをギュッと直したんだけどまたいつの間にか折れ曲ったまま踏んづけちゃって、もう絨毯にクセがついちゃって、あの絨毯はもうしょうがないんだよというような」
「そりゃそういうの、ありますけど」
「それがうちはね、庭の芝生なんだよね、一列に線が出来る」
「それはもう聞きましたよ」
「マンションだとそういう線は出来ないらしいね」
「またマンション……」
「いやそれでね、軒先に雨樋を付けるんだけど、今日その雨樋を買いに行くの。雨樋を二本。行ってみない?」
午後になって目盛君がやって来た。灰色の作業服みたいなのを着て、電気屋の工員みたいな帽子をかぶっている。例の便所用のサンダルとしか見えないような、中身のはみ出したのを穿いて、ポケットは白い軍手でふくらんでいる。
「あ、こんにちは」
「やあ、ミスター目盛。うわァ、まだそれ穿いてるの」
以前学校のみんなでソフトボールをやったときも、目盛君はこのサンダルでグランドを走っていた。あれ、目盛君、サンダルがないので便所のを穿いてきたの? とみんなが聞くと、いやこれは俺のだよ、と目盛君がいう。え? それ目盛君の? だってそれ便所用のかと思って、俺、便所に行くのに穿いちゃったよ、と誰かがいうと、そうだよ俺も、俺も、とみんながいった。この絵学校の便所というのは汚ない便所で、そこにまた目盛君が汚ないサンダルを脱ぎっぱなしにしておくものだから、みんなはそれを備えつけの便所用のサンダルかと思い、そこでわざわざ自分の履物を脱いで穿きかえて便所に行っていたのだった。だから目盛君のサンダルは、学校の全員に便所で穿かれてしまったのだった。だけど目盛君はそのサンダルで一塁から二塁へ走り、三塁へ走り、とうとうランニングホーマーで本塁を走り抜けてしまったのだ。
「でもいいでしょう。この服。雨樋を買いに行くというんで、いちおうファッションネイトして来たんですよ」
「いやあ、いいねえ。これからはそれですよ。雨樋だもんね。雨樋ルック」
「うはあ、雨樋ルックね。あ、これが庭ですか。いいじゃない。うわ、立派ですねえ。これはもう一人前ですよ。な、る、ほ、ど……」
「それでほら、そこのところ。軒先の雫が一列に垂れて、芝生が何だか、途切れたみたいになってるでしょう」
「ああ、これですね」
「で、そこの上に、ほら、軒先が」
「あ、この軒先ね。ここから一列に垂れてしまうわけ。な、る、ほ、ど……。ここはやはり、雨樋、ですかね」
「ね。じゃあ行こうか」
私たちは雨樋を買いに外に出た。住宅地の外である。午後の道路が静かである。ヨチヨチと、子供が三人遊んでいる。そのそばに主婦が三人立っている。
「いえ、うちのはそんな……」
とかいっている。カラリとしたいい天気、青空がひろがっている。
「いい天気」
「いい天気だねえ、これは雨樋日和だよ」
「え……」
「いや雨樋をつけるのはね、こういう天気のいい日にかぎるね。これからは」
「あ、これから、ね」
「そうですよ。ゆっくりとね、じっくりと雨樋がつけられる。曇りの日は嫌だね。曇りの日に雨樋をつけるなんて」
「あ、曇りねえ」
「もっと駄目なのは雨の日ね。雨の日に雨樋をつけるなんて、あれは最低だね」
「うわ、雨の日ね。でも凄いですね。雨の日に雨樋つけるなんて」
「凄くないよ」
「でも雨がザーザー降る中でね、軒先でビショビショに濡れながら雨樋つけるなんて、凄いですよ」
「凄くないよ。そんな、水の中の雨樋なんて……」
「あ、水の中の雨樋……」
「そういうのはただの詩だよ。それはやっぱり現代芸術だよ、ありきたりの」
「古い?」
「もう古いね。これからは」
「あ、これからは」
二人は金物屋への道をしゃべりながら、チラチラと上を見ている。上空は青空である。だけど青空の下には赤い屋根や青い屋根がたくさんあって、屋根の末端は軒先になっていて、軒先には一つ一つ雨樋がついていて、二人はそういうよその家の雨樋をチラチラと観察している。だいたいがグレーと茶色で、形はカマボコ型がほとんどである。ときどき底の平たい角型がある。それはほんのときどきしかないので、ちょっと気取って見える。
「あれどう思う? 角型のやつ」
「あ、あれね。あれは何というか、ちょっと、キザですね」
「そうだよね。あんな、雨樋の形で自分を主張しようなんて、何だかね」
「何だかね」
「あれ? あの家の軒先、雨樋がないよ」
「あ、ほんと。あれ? ほんと。でも縦の垂直の雨樋はついている」
「あ、そうか。あれは軒先の中に雨樋が組込まれてあるんだよ、きっと」
「あ、なるほどね。あれはプレハブ建築だもの」
「もう工場で出来てるんだよ。ああいう軒先が。雨樋内蔵の軒先」
「あ、内蔵、ね」
「でも、あれもね」
「あれもちょっとね」
「そうだよ。雨樋をわざわざ中に入れて隠すなんて、あれ本当は雨樋を見せびらかしたいんだと思うよ。本当は」
「そうですよね。見せたいんなら堂々と見せればいい。隠すことはないですよね」
「そうだよ。隠すことはない。だけどあれ、表面では雨樋を軽蔑しているね。あんな雨樋なんて原始的で下品なものを、ムキ出しにしておくなんて、日本の家屋は何て程度が低いんでしょう、なんて、教養的な顔をしている」
「ああいうのは、しょうがないですね」
そういいながら、しかし二人は何となく口先が鈍る。その雨樋を中に隠し込んだ軒先から何気なく目をそらす。その軒先にツンとされて、やはり少しは気持がひるむのだ。せっかく雨樋を買いに行くのに、その新式のプレハブ建築は水を差すのだ。雨樋というのは、本当に下品な物なのだろうか。
「しかし、いい天気だね」
と私はいった。さっきまでピンとしていたハードな雨樋が、頭の中でちょっとクンニャリとしてくるようだ。どうせなら派手な雨樋を、なんて思っていたのが、少しなんだか恥ずかしくなる。
金物屋に着くと、雨樋は店の外に立てかけてあった。梯子や鉄パイプや物干竿もいっしょだった。雨樋にはやはりグレーと茶色の二種類があった。みんなプラスチックだ。私は地味なグレーのにした。だけどもちろんカマボコ型だ。一番ふつうのやつだ。タキロン100TJと書いてある。
「これからはやはりタキロンだね」
と私はいった。
「そうですよ。やっぱり100TJですよ。これからは」
と目盛君も笑いながらいっている。私たちは新品の雨樋を二人で担いで帰りながら、その新品の膚をピチャピチャと叩いた。いつもはやや蔑んでいるプラスチックの膚というのが、このときは妙に柔らかい。半径50ミリ。長さは、えーと、三八〇〇ミリ。それが二人の人間の肩と肩の間にまたがって、ユラリ、ユラリと揺れている。子供が三人ヨチヨチと遊んでいる。そのそばに主婦が三人立っている。
「でも、おたくはやっぱり……」
とかいっている。今朝から青空をまき散らしている太陽が、いまはズバリと中天にあり、その光が新品の雨樋のグレーの表面にツルリと滑って、物凄くラジカルである。
家に帰って雨樋を取付けた。こんどの家は庭に向いた縁側が二つあって、軒先も二つある。二つとも雨樋を片流れにして、雨樋から水の流れ落ちるところに玉砂利を散らばせる。この場合、縦の雨樋は省略である。やはり雨樋にも切り詰めた美しさが必要である。
私たちは取付けを開始した。椅子を足場に、はじめて軒先というものを触わりながら、やはり晴れがましい気持だった。生まれてはじめて買った雨樋だ。これは新品の雨樋である。近所の家の二階の窓から、ミシンの手を止めた主婦がのぞいて、
「あら、新品の雨樋よ」
などといっているのではないかと思う。
「まあ素敵、タキロン100TJよ」
「あら、あたしも本当はあれが欲しかったの」
「うちの雨樋はベンツにしたんだけど、やっぱりこれからはタキロンね」
「うちの雨樋はローレックスだけど、やっぱりこれからはタキロンね」
「あらうちはいつもレミーマターンだけど、やっぱり雨樋はタキロンね」
「半径50ミリよ」
「それにグレーが素敵」
「いいわァ」
などといっているような気がして、私はチラリと近所の二階の窓を盗み見る。だけどどの窓もピタリと恥ずかしがって、チョロリとも顔をのぞかせない。
「先生、もうちょっとそっちを下げて」
遠くの芝生の端に立った目盛君が、雨樋の傾きを注目している。軒下で椅子の上に立っている私は、その指示に従って雨樋の位置を下げたりしている。
「ちょっと傾けないと、雨水の流れが悪いんですよね」
「うん、そりゃまあ傾ければよく流れるけれど、しかしあんまり傾けて流れすぎるのも、何だか品がないと思わない?」
「うーん、まあ」
「水が雨樋の底に溜ろうとしながらね、やっぱりちょっとくらい流れようか、なんて、横に五センチくらいツツーッて滑る、そのくらいがいいんだけど」
「はい、そう思います、これからは」
雨樋を取付けてから、私たちは縁側でビールを飲んだ。上空はまだまだ青空がひろがっている。ツルリとした新品の雨樋が、まだ一度も濡れずに、ほんの少しだけ傾いて、青空の下で待ち構えている。そんな雨樋のほんの小さな傾きが、いかにも何かを待ち構えていて、ラジカルである。
D月D日(晴) この間は雨樋を買うのが一番ラジカルだと思ったが、ここ二、三日はやはりドアの把手を買う方がラジカルではないかと思うようになっている。
いまどきドアの把手なんて、なかなか買うことができない。いや金さえ出せば、そりゃあ金物屋に行って買うことができるだろうけど、用もないのにドアの把手だけ買うなんて、それはただの現代芸術……、あ? こんな理屈、もう古いかな。
それはともかく、台所のドアがうまく閉まらないのだ。ギュッと力を入れても把手がぜんぜん回らない。もう少しギュギュッと力を入れればいいのかもしれないけれど、この引越して来た台所はドアも柱も油だらけだ。前の人は掃除なんてぜんぜんしなかったのだろう。掃除なんてするのは損だと思っていたのだ、きっと。だから鍋やフライパンから飛び散った油が溜りに溜って、台所全体がまるでゴキブリホイホイの内壁みたいに、べッタリとなっている。だからこの固いドアの把手を回しながらギュッと力を入れたりすると、思わずよろけて左手をドアについて、そうなったらその左手がベッタリと、まるでヘマなゴキブリみたいにひっついて、台所に捕えられてしまうのだ。物凄い台所。
最初不動産屋の人といっしょに見に来たときから、このドアの把手は回らなかった。それはまったく何というか、やる気のないドアである。把手も回らないし、それより前に鍵が回らない。鍵が鍵穴にはいることははいるのだけど、はいった鍵が回らないのだ。最初にこの「物件」を見せてもらいに来たときも、不動産屋の人はイライラしていた。
「この……うん畜生、鍵のことも……うん畜生、大家さんにいって……うーんもう、直してもらいませんとねえ……うん! うん! うん畜生!」
うん畜生の連発である。
「ガギ」
やっと回った。もうこんな鍵壊れてもいいというつもりで、両手をペンチみたいにしてグイとやると、やっとガギリと回るのだ。不動産屋の人というのは人妻的な女の人だった。ビニールのサンダルをつっかけて、衿元にエポールをのぞかせて、胴長のスタイルでキメている。声のポンポン出る人で、それが力を入れるたびに、いちいち、
「うん畜生」
といっている。錠はもうだいぶ古くなっていて、内部にだいぶ錆がきているらしいのだけど、女の不動産屋にこれだけ「うん畜生」といわれたら、やはり鍵だって回らないわけにはいかないのだろう。だから一回だけ回ったのだ。でもあとはもう回らない。
「だけどねえ、川村さんもこんなドア、毎日開けたてしてたのかしら、ねえもう……」
川村さんというのは、前に住んでいた人らしい。女の不動産屋は両手をパタパタと払いながら、
「これいちおう、鍵。もうキカないみたいだけど、いちおう……」
といって麻紐で結んだ鍵を二本、私の方に差し出した。鍵が二本、昔はやったアメリカンクラッカーのように、互いにチリン、チリンとぶつかり合って揺れている。だけどこんなガタのきている錠前の鍵、もらってもしょうがないようなタダの金具……。私がじっとその揺れているのを見ていると、女の不動産屋もそれを見ている。
「これ……」
しかし「これ……」といったまま、そのあとどうしようもないのである。
「あの……」
これ、のつぎが、あの、である。私は仕方なくその鍵を受取った。受取ってはみたものの、私だってそんなもの、二本の指で濡れ雑巾みたいにつまんで下げて、チリン、チリンと振ってるだけだ。女の不動産屋はそんなものから視線をそらして、ドアの把手を握って引張った。「まあとにかく……」
とにかく何なのか、わからないけれど、鍵の話題をそらしてドアの方にもっていって、とにかくそのドアを開けようというわけである。しかしこんどはそのドアが開かないのだ。鍵はもうガギリと開いているのだから、あとは把手をちょっと回して引張ればいいはずなのに、その把手がガンとして回らない。いや左右にガチャガチャは動くのだけど、それはネジが少しゆるんでズレているという感じで、右にも左にも回りはしない。ドアは接着剤でも塗ったように、ピタリと柱にくっついたままである。
「まあ……これ……」
女の不動産屋は両手で握った。両手で真鍮の把手を握り締めて、まず右にねじろうとする。
「まあ……これ……」
つぎには左にねじろうとする。
「まあ……これ……」
女の不動産屋は両足を踏ん張った。両足を踏ん張りながら両手で把手を握り締めて、右に左にねじり回す。後から見るとまるで自分の腹に刺さった太い槍を、懸命に抜き取ろうとしているみたいだ。ビニールのサンダルがかかとに喰い込み、首にかけたエポールがキラキラと波打っている。肩が伸び上がって胴長がさらに長くなり、非常に迫力のある姿勢である。相撲でいえばつり出しのような恰好になろうとしている。そんな女の不動産屋から、また小さく力んだ声がもれる。
「ちょっと……これ……」
だけどどうしてもつり出しにキメることができない。ドアの方も相当なものである。
「これ……この……」
考えてみれば、これは川村さんという人が毎日使用していたドアなのだ。それがこんなにやってもつり出しに出来なくて、寄り切りにも出来なくて、何だか女の不動産屋の向う側でその川村さんが踏ん張っているようである。ドアの川村さんと女の不動産屋が台所の敷居をはさんでガップリ四つに組んでいる。一方がつり出しにしようと腰を落して踏ん張れば、相手もそうはさせじと腰を落して踏ん張って、台所の入口でウンウンとうめき合っている。
「しかし……川村さんも……また……」
女の不動産屋はとうとう腕の力を抜いてしまった。モロ差しみたいに両手で把手を握っていたのが、片手を離してだらりと下げて、ぐったりと肩を落し、私の方をチラリと振返る。エポールもチラリと振返り、背中の体臭もチラリと振返る。私は何だか慌ててしまい、
「いや……ぼくは別に……あの……」
などといおうとしたが、女の不動産屋は一息入れるとまたドアの把手にモロ差しになった。とにかく開けて「物件」を見せなければしょうがないわけで、またゆっくりと足を踏ん張って、またつり出しの体勢である。私はちょっと批評的な目になった。そんなにいつもつり出しばかりじゃなくて、足ではたいて引落しかハタキ込みにでもすればいいのに、と思っていると、ウーンンン、といっていた女の不動産屋が、
「……生!」
と声を発し、とうとうドアを足で蹴った。把手のところでもちこたえようとしていたドアが、いきなり下の方を蹴られたのだからたまらない。ドアは蹴られたところが内側にのめり込んで、そこをすかさず把手をグイと引かれて、外側に一気にバンと開いた。女の不動産屋は思わず後に一歩下がる。見事な引落しのキマった瞬間である。開けられてしまったドアは、もうこうなったら仕方がないという表情で、ブランブランと無防備に揺れている。女の不動産屋は、
「ふう」
と一つ溜息をついて、
「まァ……こ、れ、は……」
と、あとは絶句して、肩で大きく息をしながらドアをじっと見つめている。両方とも全力を尽しての大勝負であった。
よく見ると、ドアの下の方は傷だらけになっていて、表面の合板が剥げかけている。それはもう永年にわたって靴や下駄やサンダルの角で蹴られた古い傷跡のようである。きっと前に住んでいた川村さん一家も、この台所の出入りのたびにこのドアを引落しにキメていたのだろう。錠の内部を錆びつかせて抵抗しているこの台所のドアも、下のところが弱点なのである。永年の使用によって、川村さん一家はその弱点を見抜いたのだろう。そして毎日その弱点を攻撃しながら、この台所を出入りしていたのだ。そしていまはその同じ弱点を、この女の不動産屋にも見抜かれてしまったのだ。それがまたいっしょにいた私にもバレてしまったのだ。だけどそんな弱点を知らないものには、やはりこれは頑丈なドアである。鍵なんて掛けておかなくても開けられないわけだから、つまり、鍵で開けたくらいでは開けられないドアなのである。
引越した日は荷物が乱雑に積上げられていて、泥棒だって整理が大変だから敬遠するだろうと思い、私は台所のドアなんて足蹴りにしたまま外にスパゲッティを食べに行った。そして帰って来ると例の引落しでやっつけてから家に上がった。だけど荷物がだんだん片付いてくると、泥棒だって一回くらいはのぞきそうな感じなので、ドアはちゃんと閉めなければいけない。そうするとやはり出入りのたびに必ずきちんと足蹴り、引落しということになり、だんだんそれが面倒になり、毎日のそういう勝負にも飽きがくる。結局はこちらに軍配が上がるのだけど、その引落しが一発でキマらないときなど、左右に揺さぶってつり出しを掛けつつ引落しをキメたりしながら、もういいかげんにしろといいたくなってくる。これはやはりアッサリと新品に取替えようという結論にもなってくる。
私はやはり台所のドアの把手を替えることにした。私は目盛君に電話した。この間雨樋をつけるのを手伝ってくれたミスター目盛である。
「あのねえ、今度はドアの把手を買うんだよ。真鍮の」
「え? モシモシ……あのう、目盛ですが……」
「いやそれはわかっているけどさ、ドアの把手を買いに行くんだよ。真鍮の」
「あ……、何だ、先生ですね。イキナリいうんだから。最初はやっぱり電話らしく、モシモシとか何とかいって下さいよ」
「まあそれはそうだけど、把手を買うというのはラジカルだと思うよ。どうかな」
「またラジカルですか」
「そうだよ。把手というのはドアの厚みの中に埋め込んであるんだから、これは凄いね。行ってみない?」
目盛君もヒマな証拠に、三十分もすると自転車で到着した。
「あ、自転車か。いいね。じゃ自転車で行こうか」
私も玄関の横のところから赤い自転車を引出した。私はハンドルを握りながら呟いた。
「自転車ね……」
「あ、ラジカルかな」
目盛君も頭の中がヒマそうである。
「いやあ、これは、まあね」
私たちは苦笑いした。
「どこですか」
「うん、やっぱりこの間の雨樋を買った金物屋。あそこが一番大きいもんね」
私たちは二人並んで自転車をゆっくりと走らせた。人の住んでいる家が一つ一つ通り過ぎる。みんな垣根をキチンと刈り込んでいたり、庭をキチンと掃いていたり、玄関のドアをキチンと閉めていたりしている。この辺はけっこう取り澄ました住宅地である。
「ドアの把手もいろいろありますね」
目盛君が自転車を漕ぎながら声をかける。
「いや、あるけどさ。あれはみんな玄関のドアの把手でしょ。うちは台所だよ。玄関をドアにするなんて最低だね」
「あ、最低……」
「そうだよ。玄関はやっぱり引戸じゃなきゃあ。横にガラッと開けなきゃ玄関じゃないよ。把手をスチャッと回してドアを前後にフィッと開けるなんて、あれは玄関じゃないね。あれは台所だね」
「あ、そうか。先生のところ、こんど玄関は引戸でしたね」
「そりゃあもう当然だよ。あんな台所のドアを玄関につけるなんて、あれは……」
「あれは……」
「あれは……、何だろうね」
「あれは、イナカの玄関でしょう」
「そう、イナカモンの玄関というか、卑怯者の玄関だね」
金物屋に着いた。金物屋には買いたいものがたくさん並んでいる。だけど今日は、ドアの把手を買うのに必然性があるのだ。把手は何種類かあったけど、ちゃんと寸法を調べて「H・BK Inside door set NO・3600 ステンレス製・SIZE BS中 TOKYO JAPAN」というのを買った。二千円だった。真鍮でないのが残念だけど、大きさの合うのはこれしかないのだ。まあしかし台所だから、こんなものでいいだろう。台所はやはり「H・BK」だと思う。
二人で家に帰ってから、まずは途中で買ったシャーベットを食べた。私はメロンで目盛君はストロベリー。目盛君はメロンの方をチラリと見ている。私はストロベリーを見たりはしなかった。だけど顔を上げたときに見えてしまった。でもやっぱりメロンの方がおいしいと思う。二人ほとんど同時に食べ終った。
「さて……」
私は工具箱を持って来て、ドライバーを取出した。ドアの把手を取替えるのははじめてである。前にいたアパートで把手の軸のゆるんだのを直したことはあったけれど、そのときも全部の構造はわからなかった。本当は見えるネジを全部回して外してみたかったのだけど、分解して元に戻らなかったらどうしようと、結局は軸のゆるんだところを直しただけだった。しかし今日は必然性があるのだ。ただの好奇心ではないのである。ちゃんと直す責任があるのだ。だから見えるネジを全部堂々と回していいのである。私はもう何度もドアの把手を取替えたことのあるような落着いた顔をして、ドライバーの先をネジ釘の頭に当てがった。クルクルと回そうとすると、ドライバーの先がツルリと滑った。あれ? と思ってよく見ると、私はプラスネジのドライバーを持っている。見直すと相手はマイナスネジだ。これは古い把手なのだ。私は慌てて工具箱を引掻き回して、マイナス形のドライバーを取出した。目盛君はちょうど向うを向いている。洗剤でドアの油を落しながら驚いている。
「しかし凄いドアですね。この油」
「そうなの。ドアだけじゃなく台所全体がベトベトでね、全面がもうゴキブリホイホイ」
「うわあ、全面ホイホイね」
「あはは、全面ホイホイね、まったく。しかし前の人、よくこんな中で生きていられたね。一つ間違えばペタッとひっついてゴキブリになっちゃうよ」
「よくぞ生き抜いたって感じですね」
「そうだよ、これ、サバイバルだよ」
「うわ、サバイバル……」
私はドライバーでネジ釘をクルクルと回していった。ネジ釘が一本一本外れるごとに、錠の四角い部分がぐらぐらとしてくる。ドアの両面に出た把手の軸を抜き取って、ドライバーの先で錠の四角い端を軽くこじると、ドアの厚みの中に埋め込まれていた箱状の金属本体がゴロリと出てきた。錆びた鉄粉が鼻をついて、小さなゴミや木の粉がチラホラとこぼれ落ちる。ドアの核心にポッカリと穴が空いて、ドアは完全に無防備になった。
「凄い。ラジカル……」
私がわずかに絶句すると、目盛君が洗剤の手を止めて、背中を伸ばして振返る。
「え? どうですか、そちらの調子は」
「いやね、この……、ドアというのは錠のところを抜き取ると、何もないね」
「そりゃそうでしょう」
「いや、そりゃそうだけど……」
ちょうど何というか、銃口を心臓の上に突きつけられて、両手を上げてしまった人体のようである。
私は買ったばかりの新品のピカピカ光る「H・BK」を袋から取出し、そのポッカリと空いたドアの核心に当てがってみた。だいたいうまく収まるようである。試しに一度閉めてみると、錠の飛出しを受ける柱の穴が、ほんの少し食い違っている。その穴の口金を一度外して、柱の穴をノミで少し削り足す必要がある。私はまたドライバーを取出して、その口金についたネジ釘をクルクルと回していった。小さなネジ釘が上に一本、下に一本。その二本を外すと薄い口金は柱からカタリと落ちる。柱に空いた消しゴムほどの四角い小さな穴の奥に、古いゴミが溜っている。いままでドアを開けたてするたびに、錠の小さな飛出し部分がその穴を出たり入ったりしていたわけで、その都度こすれ落ちた鉄粉が溜ったのだろう。それにまた開けたてするドアにあおられて、空中の塵もはいり込んで溜ったのだろう。台所に飛散る油のたぐいも、いつの間にか紛れ込んで少しずつ溜ったのだろう。私はドライバーの先を入れて、その小さな四角い穴のゴミを掻き出した。この家と同じ歴史をもつ小さなゴミが、いまはじめて掻き出されて、台所のコンクリートのたたきに落ちる。おおよそのゴミを掻き出すと、四角い穴の上の方にも黒っぽいゴミがへばりついている。それもついでに掻き落そうと、ドライバーの先を向けると、その小さなゴミがツツ……と動いた。虫である。蜘蛛である。五ミリほどの小さな蜘蛛だ。
「あ……」
蜘蛛はその四角い穴の中で右に左に動いていたが、やむをえず穴の外にはい出して来て、細い透明な足をサワサワと動かしながら、壁にそってよろよろとはって行く。突然穴の口金を取外されて、穴の中を掻き回されて、やはり慌てた様子が見て取れる。これからどこに行くのだろうか。
「どうしたんですか? “あ……”なんて」
「いや、あの……」
「え?」
「いや、あのね、……蜘蛛がいたの。この穴の中に」
「蜘蛛……」
蜘蛛が棲んでいたのだ。錠を受ける柱の小さな穴の中に、蜘蛛の住居があったのだ。そこにも自宅があったのだ。しかし恐しい自宅である。蜘蛛の自宅。蜘蛛はどうしてそこに住んだのだろうか。ほかに住むところはなかったのだろうか。あの四角い穴の中は、ドアが開閉するたびに、分厚い包丁のような金属がジョキン、ジョキンと押し込まれている。蜘蛛はその穴の中に棲んでいて、それをどういうふうに見ていたのだろうか。毎日巨大な包丁のような金属が、轟音とともに自宅の中にはいり込んで来る。人間でいえば四畳半の襖を開けたところから、ぎっしりと分厚いギロチンみたいな鉄の刃物が、ほとんど自宅いっぱいに押し入って来る。蜘蛛はそんな恐しい自宅に住みながら、いつもそのギロチンをよけながら生きてきたのだ。
「凄いよ……」
「え?」
「いや、この、蜘蛛の自宅……」
「あ、自宅……、あ、なるほどね」
しかもその巨大なギロチンは、いつ自宅の中に押し入って来るかわからない。食事中に突然それがガシンと出て来て、刃先が頬をかすめたこともあっただろう。危うく指先を切られたこともあっただろう。そのたびに腰をかがめ、背中がのけぞり、全身が傷だらけになってくる。だけどそういう傷をふやしながら、いつの間にがギロチンの性質を知り、ギロチンの範囲というのをだんだん覚えていって、その恐怖の位置をおずおずと、遠く包むようにしながら、残された変形空間での生活が、一ミリ、二ミリと出来上がっていく。そうやってそこに生活が出来てしまったら、おそらく恐怖というのはその生活の外に追い出されてしまうのかもしれない。食事中の、その食卓の茶碗のフチのぎりぎりまでガシンとギロチンの刃先が迫ってきても、平然と食事ができるようになり、睡眠中の、その鼻の先のぎりぎりまでガシンとギロチンの刃先が迫ってきても、平然と鼾がかけるようになってくる。そうやって平穏に、平和に、何事もなく暮している自宅の中に、ガシン、ガシンと、毎日巨大な刃物が出入りしている。そんなことは、もはや当り前のような顔をしていた、五ミリほどの、小さな蜘蛛のあたふたとした後姿。
「だけどそんな穴の中に張る蜘蛛の巣って、ほんのちっちゃな、人間の鼻毛くらいのものでしょうね」
目盛君も、その柱に空いた消しゴム大の穴を見ながらいっている。
「だけど……凄いよ……」
私はまだ、恐しい悪夢を見ているようである。毎日、生活の一ミリ向う側で見ている悪夢。
「いやそりゃ凄いのは凄いですけど、そんな小さな穴の奥の、しかも人間の鼻毛くらいの蜘蛛の巣に、わざわざ引っかかりに来る虫というのが……」
目盛君はそこまでいって、自分であきれて驚いている。
「やっぱり、いるんでしょうねえ」
「うん……」
私は少し無口になっている。私はその空家になった柱の穴を、ノミで少し削り込んで、そこに新しい口金を新しいネジ釘で取付けた。そこに新しく「H・BK」の肥手をつけたドアを閉めると、
「カチン」
という新しい音で、軽快にドアが閉まる。新しい音が精密である。新しいカメラのシャッターを押しているようである。私はそれをもっと確かめたくて、
「カチン」
「スチャッ」
「カチン」
「スチャッ」
と何回か開閉してみる。もう引落しはいらないようである。これもいずれは錆びついて頑丈になり、いずれはまた弱点をついた引落し攻撃が必要になるのだろうけど、ここ当分はふつうの開けたてでいいようである。私は工具箱にドライバーを放り込んで、蓋をした。
「またちょっと喉が渇いたね」
「あ、それもそうですね」
「シャーベット」
「あ、いいですね」
私たちは台所のまわりを片付けた。新品の鍵を、
「カチン」
と掛けると、また自転車にまたがって、シャーベットを買いに町へ出て行った。
E月E日(曇) 棚足の金具というのは、これはやはりラジカルだと思うが、どうだろうか。いや違うかな? でもやっぱりラジカルだな。棚足の金具というのは。しかもそれが二十八本。
私は押入の襖を開けてみた。ダンボールの並ぶいちばん奥に、不規則に出っ張った紙袋がある。デパートでコートか何か買ったときの、手提げ用の紐のついたかなり大きな紙袋である。それが不規則に引きつっていて、へこむところはたっぷりとへこんでいるのに、出っ張ったところは出っ張りすぎて、その先端が少し破れ、緑色の金属がのぞいたりしている。棚足のL字型の金具である。それが二十八本入っている。もっときちんとはいればその袋の中に楽に収まるものを、その不規則な収まり方がどう組替えてもうまくいかずに、そのことが理不尽で、それを考えていると頭の中がいら立ってくる。棚足の金具というのはどうしてこうなのだろうか。取付けるときにもたいていネジ釘の作業に失敗をする。Lの字の一辺にネジ釘の穴が三つずつ、計六つ。それが全部キレイにねじ込めるときはあまりない。あらかじめその金具を柱に当てがって、穴の位置に印をつけて、そこにキリで空けたはずの三つの穴が、いざネジ釘をねじっていくと三つ目くらいがどうも間違っていたりして、仕方なくその金具の釘穴越しにキリで穴を空けようとすると、キリの角が釘穴のフチにつっかえて進まない。それを無理して進めると、角が取れてしまってキリが一本駄目になる。棚足の金具というのはどうしてこうなのだろうか。その金具を私は二十八本持っている。持っていて使いもせずに持ち腐れにしている。これはやはりラジカルだ。ラジカルものだ。むしろ最高のラジカル、最高級の本格ラジカル。これはやはり目盛君に電話する問題だろう。私は電話を取上げた。
「やはり棚足の金具というのは、ラジカルだねえ」
「……」
目盛君は答えない。
「これは本格ラジカルだよ」
「……」
目盛君は何とも答えない。
「本格だよ」
「……」
「スーパー・ラジカル・デラックス」
「……」
目盛君はまだ黙っている。文字で書けば点、点、点の点線である。
「……」
目盛君の電話からは、この点線というものが、いつまでもズルズルと出ている。点線がズルズルと、芋ヅル式みたいに出てくる。点線が芋ヅル式に引張り出されて一網打尽に逮捕される、そうなったらどうするのだろう。
「目盛君」
「…………」
「目盛君」
「……………………」
「目盛君」
「……………………………………」
よく考えたら、まだダイヤルを回していなかった。受話器を取上げただけだった。私は受話器をそっと置いた。部屋の中が静かになってしまった。誰もしゃべっていない。
「うふ、うほん……」
と一つ二つ咳払いをした。立ち上がって螢光燈をつけてみたりした。螢光燈はピッ、パラパラッと小さく瞬いて、ピッとついた。螢光燈は真面目だ。私は少し恥ずかしくなった。螢光燈は用もないのに真面目についている。私はその光をぼんやりと見ながら、あ、これも少しはラジカルかもしれないな、と思ったりした。人類って、寂しいな。
私はまた受話器を取上げた。こんどはしっかりとダイヤルを回した。
「もし。もし。もし。もし」
「はい目盛ですが」
「君はたしかに目盛君だね」
「あ、何だ、先生か」
「いや、ほかでもないんだけど、棚足の金具のこと、どう思う?」
「え? 棚橋君が、何か、金具を……」
「棚橋じゃなくて棚足。棚の足だよ。棚足の金具」
「あ、ラジカルの話ですか」
「そう。わかる?」
「わかりますよ。棚足はラジカルですよ。ぜんぜんラジカル」
「そうだよね、やっぱり」
「そうだと思います」
「どういうふうに」
「いやどういうふうにって、とにかくラジカルだと思うなあ、棚足の金具というのは。ちょっと説明できないけど」
「そうだよね、やっぱり」
目盛君もそういっている。棚足の金具二十八本を持ち腐れにしているなんて、金具の業者ならともかく一般人ではあまりいないだろう。
「目盛君は棚足の金具、何本持ってるの?」
「ぼくは一本も持っていませんね」
「え? 一本も持っていないの?」
「持っていませんねえ、棚足の金具は」
「じゃあぜんぜんラジカルじゃないんだねえ」
「ええ、あの、まあ……」
「いや凄いよ、棚足の金具は。あんなのただ細長い単純な金具なんだけどね、何しろL字型に曲っているからね、袋に入れるにも入れにくい。ビリッ、なんて破れて、L字型の先が突き出たりする」
「ああL字型って、そういうところがありますね」
「そうなんだよ。きちんと揃えて仕舞えばいいんだとは思うんだけど、いつもきちんとはいかないよね、そうするとL字があっち向いたりこっち向いたりして滅茶苦茶に絡み合って、もう出そうとしても出しようがなくなって、無理に引張るとL字の先が袋のあちこちをブツブツ破って……」
私はもう電話を切った。話しているだけでイライラしてくる。棚足用の金具というのは、どうしてこうなのだろうか。
はじめは二本くらいのものだった。金具が二本で棚が一つ。まだ学生のころ、はじめての下宿だった。最初はたしか小さな石膏像をのせていた。それを引越しのときにきちんと外して、ネジ釘もなくさないようにして、また新しく引越した部屋の壁に取付けていた。そんな引越しを何度か繰返すうちに、棚足の金具は二本から八本くらいにふえていた。棚がふえるということは荷物がふえているのである。引越しのたびに荷物がジリッ、ジリッとふえている。「エンテベ」の引越しでそれはだいぶ減ったのだけど、油断するとすぐふえてくる。一年前、また自宅で一人になりながら、私は床の上の荷物がどうにも重苦しくなっていた。部屋の中で歩く足に荷物が粘着してくる感じ。その重苦しいものを棚上げにして、畳の面積を全部露出させたいと思った。見上げると壁には棚がすでに四つついている。そこにはもうすでに荷物が乗っている。だけどその上の方にはまだ空白がある。廊下の上にも空白がある。台所の上にも空白がある。便所の上にも空白がある。私には勇気が湧いてきた。挑戦者のような気持だった。壁の上の空白が、アルプスの頂上のように見えてきた。私はアルピニストの気持になって、その壁の登頂計画を練り上げた。ああやってこうやってと、棚板の必要枚数を勘定し、それを支える棚足の金具を数えてみると、新しくL字型金具二十本が必要であった。私は札束を用意して荒物屋へ出かけて行った。
「棚につける金具を下さい。L字型の」
というと店の主人が出て来た。私はもう一度いった。
「あのう、棚足の金具がほしいんだけど。あるかな」
「はいはい、ありますよ」
店の主人はありますよといっているけど、私が「あるかな」といったのは、それが果たして二十本もこの小さな荒物屋に置いてあるのかなと、そういう心配をしているのである。全部買い占めるようなことになってしまっては、これからこの町で棚を作ろうとする人たちに申し訳ない。
店の人はごちゃごちゃとした商品の奥の方から、荒繩でゆわえた棚足の金具を引きずり出した。いちおう二十本以上はあるようである。
「何本いるんですか」
「二十本」
私は意気揚々と回答した。
「ほう。そんなに棚を作るの」
「ええ」
私は当然のように回答した。イチイチ説明は出来んが、私は自宅のアルピニストだと、そういう表情をつくってみせた。しかし店の人はそんな表情なんて見なかったようで、黙って荒繩をほどいてガチャガチャとL字型の金具を数えている。
明くる日はそれを取付けるのに、やっぱり目盛君に手伝ってもらおうと思って電話してみた。そうしたら絵学校の別のクラスの女の人が遊びに来ていたらしく、二人いっしょにやって来た。その女の人の名前が思い出せないのだけど、それが玄関からはいるなり、
「うわ、凄い荷物だわ」
といっている。
「やっぱり先生は荷物多いですね」
と目盛君もいっている。まだこの間の引越しをする前のことである。
「やっぱりとは何だよ」
「いや、あの、やっぱり物を大切にしているというか」
目盛君はたぶん最初に考えたのとは別のことをいっている。ほとんどガラタタなのに、ということを本当は考えている。まあそれは仕方がないだろう。私は押入の襖を開けて、買ったばかりの棚足の金具を取出して、何もいわずに二人に見せた。L字型の新品が二十本。どうだ、凄いだろうと、私はそんな言葉が口に出かかっている。それを出さずに口を結んでいるのだけど、それがもう表情に出てしまっている。そうしたら、名前を忘れた女の人がヒョイと見た。
「これ何?」
「棚を作るんだよ」
「ああ、棚の下につける金具ね。昔の家で見たことあるわ」
「うわあ、先生またたくさん買いましたね」
と目盛君もいっている。
「こんなにどうするの?」
「棚を作るんだよ。もう棚板も買ってある」
私は天井の方を見上げながら、アルプスの登頂計画を説明した。
「いやだァ、そんなに棚を作ってどうするの?」
「荷物を乗せるんだよ」
「ええ? その棚の上に?」
その女の人は何故か驚いている。
「そりゃそうだよ。そのために棚を作るんだから」
「だって、頭の上にそんな荷物があったりしたら鬱陶しくないかしら」
「鬱陶しいって、こうやって畳の表面を荷物に占領されている方が鬱陶しいよ。壁の上の方はたくさん空いてるんだから、そこに棚作って乗せておくのがいちばん合理的じゃない」
「合理的って、でもねえ……」
目盛君は女の人がいうのにまかせて、自分は黙っている。別に人が棚を作るのを否定しても仕方がないし、まあどうでもいいと思っているのだろうか。私は名前を忘れた女の人に質問してみた。
「だけど、みんな引越したとき棚を作らないのかな」
「棚なんて作らないわよ」
え? と思って私は反論してみた。
「だって荷物が溜ったらどうするの。本とかいろいろ。畳の上に置いておくよりいいでしょう、棚の方が」
「荷物なんて溜らないもの」
「いや、そうはいっても、やっぱりいつの間にかいろんなものが溜っていくでしょう」
「だっていらないものは棄てていくもの」
「いや、でもなかなか棄てられないものがあるでしょう」
「そお? だっていらないものとっておいてもしょうがないもの」
私は質問も反論も鈍ってしまった。その日は結局三人で駅前にビールを飲みに行った。ビールを飲みながら私は棚の話ばかりしていた。最近の団地やマンションには棚を取付けるところがないという。だから最近の若者は棚というのをあまり知らない。「棚上げにする」という言葉さえもわからないのだから困ったものである。「タナアゲって、ああ、棚を油で揚げたやつね。若鶏の空揚げとか、ああいうふうな……」と口でいいながら、最近の若者は|上《ヽ》げると|揚《ヽ》げるの漢字の違いもわからないのだから、これは問題だと思う。いったい日本の小学校の国語の時間というのはどこへ行ってしまったのだろうか。などと、そういうダジャレを縫いながら棚の話をつづけた。しかし間違いとはいえ「棚揚げ」というのは旨そうだ。巨大な鍋に油が煮えたぎっていて、その中で長い棚がどんどん揚げられている。どんどん棚揚げが出来ている。これは凄い光景だ。そんな大鍋があったとしたら、借金とか、離婚訴訟とか、引越し荷物の整理とか、そういう山積する難題をまとめて放り込むとそれもたちまち棚上げになってしまう、とか、何とか……。
帰ってから部屋の明かりをつけて、私は壁の上のアルプスを見つめた。ちょっとビールを飲みすぎて、頭の中を棚の空揚げが行ったり来たりしている。だけど決意したのだから、やはり一枚くらいは棚をつけようと思った。揺れる頭で、私はまずL宇型の金具を二本取出し、それを棚板と柱に当てがって、釘穴の位置に印をつけた。そしてキリを回して穴を開ける。そこに金具の穴を通してネジ釘をねじ込みながら、二本目のネジ釘のときに、それが古い方の金具だったと気がついた。ただぼんやりと袋の中から取出したのに、いつの間にか古い方から使ってしまう。やはりもったいないと思うのだろうか。この古い金具は「エンテベの戦い」のとき、取り外して持って来たものだ。あのセメダインにまみれた昔の家の、私の机の上の棚だった。あの緊迫した「エンテベの戦い」のさなかに、よくもこんな面倒な金具が取り外せたものだと、われながら驚いてしまっている。その古い棚足の金具は、デザインや構造はいまのものと同じだけど、表面の緑色がだいぶ違う。塗料のせいだけではなく、長い間生活空間にさらされていて、表面に何かぶつかったり、こすれたり、ゴミがついたり、人の息や煙でくすぶったりして、表面が何か古い動物の皮膚みたいになっている。
ぼんやりとドライバーをいじりながら、気がつくと私はネジ釘を何本も無駄にしていた。ドライバーがうまく使えず、ネジ釘の頭の溝がぐにゃりと潰れてしまうのだ。その潰れたネジ釘が無残だった。だけどそれを何度もやり直して、棚板の右と左の金具にネジ釘を六本ずつ、やっと棚一枚をつけ終って、私はとりあえずホッとした。だけどもうあとがつづかない。私はその出来たての棚の上に、とりあえず紙袋を一つ乗せてみた。まだ蓋を開けてないダンボールが十一個、紙袋が八個。一個くらい乗せてみてもどうにもならない。一個だけ乗せた紙袋からピンク色のものが飛出している。丸くて先がとんがっていて目が二つ。キューピーだ。忘れ物だ。罐詰会社の人が忘れて行った。その忘れ物が、一つだけ残ってしまった。
私は立上がってそのキューピーを取出し、棚の上に一人で坐らせた。それから腰をおろして頬杖をつき、その棚の上をじっと見上げる。ガランとした壁の上の方に、棚が一枚。あとのスペースが本当は棚を待っているようである。だけどあとがどうにもつづかない。
それが前の家でのことだった。あの前の家では結局その棚を一枚取付けただけだった。あとの棚足の金具というのは、押入の奥の袋にずっと仕舞い込まれたままだった。このいまの家に引越して来て、私はまだ一枚も棚をつけていない。何だか監視されているようなのだ。壁の上に棚をつけたりしたら、もしかして犯罪になるのではないだろうか。二十八本の棚足の金具は、この家でもじっと押入の中にはいったままである。私はもう一度そっと立って、押入の襖を開けた。ダンボールの荷物を五つほどぐいぐいと取出すと、その暗い奥の方に棚足の金具がある。デパートでコートか何か買ったときの大きな紙袋の中に、L字型の金具が入り乱れてはいっている。Lの字とLの字がギリギリと絡み合っている。飛出した一本をつまむと全体が持ち上がる。
私は目盛君に電話した。さっき一方的に切ったままで、気にかかっていたのだ。
「もしもし、目盛君」
「……」
目盛君はちょっと機嫌をそこねているのかもしれない。
「いや、さっきはヤカンが吹きこぼれたのでね、突然電話切ったんだけど」
「……」
あ、そうだ、またダイヤルを回してないのだろう。私は自分のおこないにショックを受けた。何かが抜けているようだ。でもついでだからと、私はその無人の電話にもう一言呟いた。
「しかし、棚足の金具はラジカルだねえ、やっぱり」
私は受話器を置いてから、もうダイヤルは回さずに、立上がって螢光燈の紐を引いた。紐を一回引くと螢光燈が一本消えて、もう一回引くとまた一本消えて、小さな豆電球が一つ残った。
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「お父さん、優勝して良かったね」
「優勝じゃない、受賞だよ」
「あ、そうか。受賞なのか」
「そうだよ。優勝なんて、高校野球じゃないよ」
「でも大勢の人がいて、お父さんがいちばん優勝したんだよね」
「だから優勝じゃない、受賞だって」
「あ、そっか」
子供というのはしょうがない。文学賞の受賞を優勝といっている。だけど受賞と優勝というのは、たしかに発音が似かよっている。それにその似かよった間柄を薄々知りながら、胡桃子は「優勝」といっているふうなのだ。この二つの言葉の間柄を、胡桃子はどこで知ったのだろうか。どのくらいわかっているのだろうか。
もう夕方の四時半で、ラジオからは何かムツリとした子供の声と、何か説明する大人の声とが入り混じって聞えてくる。
……あのねェ、アヤ子さんダッケ? ……はい……アヤ子さんはいま、トッテモ、なやんでいるワケね……はい……それはねえ、アヤ子さんが大きくセイチョウしているからなんですョ……うん……わかりますか? ……はい……
胡桃子は空気を見ながらラジオを聞いている。目は庭のつつじの方を向いているのだけど、見ているのはたぶんその間にある空気である。胡桃子の栗色の眸に、その空気が映っている。
「胡桃子のクラスにもアヤ子さんているよ」
胡桃子は二年二組である。
「知ってるよ、アヤちゃんのことでしょ。ひょっとしたらこれ、アヤちゃんかもしれないね」
「でもちょっと声がオトナだよ」
「ふーん、でもラジオだと声が大人に聞えるのかもしれないよ」
「うーん、でもね、これは違うねきっと」
胡桃子はまだ空気を見ている。私は鉛筆を置いた。ノートを畳んで台所に立った。まだ早いのだけど、ゆっくりと夕食の時間が近づいている。夕食の時間というのは急いでパッと来るときよりも、ゆっくりと近づいて来るときの方がおいしそうである。私の頭の中で鰺が二匹光っている。鰺のヒレのところに荒塩がこびりついて、それがカリッと少し焦げていて、塩焼きである。胡桃子は鰺の塩焼きを食べるのが上手である。それも骨の形をくずさずに、そっくりそのまま残すのを得意としている。給食で鰺の塩焼きが出るとしたら、胡桃子はいつも百点である。だけど給食では鰺の塩焼きは出てこない。
私の頭の中から鰺は消えていった。考えたら今日は、いつも行く魚屋が休みなのだった。鰺の隣に並んでいたイカも消えていった。帆立やカレイも消えていった。今日は魚はやめにしよう。魚の群れは頭の中からすーっと消えて行った。どこかに飛んで行ってしまった。まるで飛魚である。魚がポッカリ消えたあとには、まだ何も光っていない。私はとにかく流しの下にしゃがみ込んで、籠の中からジャガ芋を取出し、流しにゴロンと転がした。まだ目標はないのだけれど、当てもなく台所に立つと、ついそういうことになってしまう。ラジオはまだ声を出している。
……だけどね、アヤ子さん、あなたはそんなこと、別に考えてもいないわけでショウ……はい、あ、いないっていうか……じゃあ考えたりスルのかな? ……いや、別に……わかった! だからソレハねえ……
私は包丁を持っている。もうジャガ芋の皮を剥いてしまった。頭の中に、何か光りはじめた。つぎは人参だと思った。私はまた流しの下にしゃがんで、籠の中から人参を取出して、流しにゴロンと転がした。
「お父さん、またトマトシチュウ?」
と胡桃子がいった。私はドキリとして流しを見つめた。私の頭の中で確かにトマトシチュウが光っている。だけどこれは別にドキリとする問題ではない。
「いや別にトマトシチュウじゃなくても、カレーでもいいよ」
「でもお父さん、このごろはデマエを取ってないね」
「デマエ?」
「うん、デマエ」
「ああ出前ね。出前はよほどのときじゃないと取らないよ。どこか行って遅く帰ったときとか、何か用事で時間がなくなったときとか、そういう忙しいときだね」
「お客さん来たときも取るよね」
「ああ、お鮨ね。お鮨の出前はそういうときに取るんだよね、あれは」
「前はウナドンもあったね」
「鰻丼ね。この間叔父さんが来たとき」
「あれもやっぱり、忙しいから?」
「うーん、ああいうお鮨とか鰻丼の出前というのはね、何ていうか、お客さんが来たりしてね、その、ふだん食べないようなご馳走を食べたいようなときに取るんだよね」
「ふーん、そうするとラーメンとかギョーザとかは忙しいときで……」
「そう」
「お鮨とかウナドンはご馳走のときね」
「そうそう」
「じゃ今日はご馳走のデマエがいいな」
「だって今日は別に、お客さんじゃないよ」
「だってお父さん優勝したんでしょ」
「あ……」
「あ……、優勝じゃなくてジュショウだった」
胡桃子はそれをもう一度発音し直している。ジュのつぎのショというのがいいにくいねといっている。私は人参を持ったまましゃがみ込んでいる。ゆっくりと近づいていた夕食の時間が、ちょっとそこのところで止まっている。
「やっぱりデマエがいいなあ」
胡桃子はもう空気を見るのをやめて、私の手にした人参を見ている。ラジオはまだ、
……じゃハシモト君は、本当は、ナニをやりたいの? ……いや、何ていうか、ただゲキみたいなものをやりたいと思う……ああ、ゲキね、じゃ、ハシモト君はやっぱり……
とか何とかいっている。もうアヤ子さんは終ってハシモト君のようである。私は人参を籠に放り込んだ。
「じゃあね、お風呂の出前を取ろうか」
「え? お風呂?」
「うん、夕飯にはまだ早いから、その前にお風呂の出前にしようかな。胡桃子はまだ出前のお風呂は入ったことなかったよね」
「ないよ。オンセンならはいったことある。駅のそばの」
「あれは温泉じゃなくて銭湯だよ」
「あ、そっか。また間違えた。セントーね」
胡桃子が大衆浴場というのにはいったのは、二人で九州の別府温泉に行ったときがはじめてだった。胡桃子はひろびろとしたお湯の空間がすっかり気に入ってしまったようだった。私の顔をニッコリ見ながらわざと桶をコーンと置いて、何度もその音を聞いたりしていた。その後、家の風呂が故障したとき、たまにはと思って駅のそばの銭湯に行ったら、のれんをくぐるなり「あっ、オンセンだ」といってしまった。「セントーだよ」と訂正すると「あ、そっか」といいながら、それからはすっかり銭湯のファンになってしまった。それ以来駅のそばの銭湯を「オンセン、オンセン」といい間違えてばかりいる。駅前のそこを通るたびに「またオンセンにはいりたいな」といっている。「温泉じゃない銭湯だよ」と訂正すると「あ、そっか、セントーか」といって、またすぐ忘れてしまうのだ。
「そうなの、銭湯。ああいうのがね、出前であるんだよ」
「うわあ、凄いね」
胡桃子はびっくりしている。私は得意になった。
「じゃそうしよう」
今日はお客さんが来たということにして、出前を取ってもいいだろう。私は電話をかけることにした。
「胡桃子、ちょっとそこの電話帖取って」
「あ、かけるのね」
「持てるかな」
「もてる、もてる」
胡桃子は新聞紙を重ねた下から大きな電話帖を取出して、両手でかかえて持って来る。
「大丈夫かな」
「大丈夫、大丈夫。このくらい」
胡桃子はお腹を突き出して、相撲でいうつり出しのような恰好である。
「よーし。ありがと。じゃあかけるぞ。えーと沢の湯は、沢の湯は……、と、ありました。ゼロヨン、ニイサンの……」
私はダイヤルを一つずつ回していった。胡桃子がそばに来て、その数字を回すごとに声を出して数え上げている。
「ロク……ヨン……イチ……サン……ハチ……キュウ……」
耳に当てた受話器の中で、カチンとかクシャンとかいいながら、電話がつながろうとしている。沢の湯の出前を取ったのは、たぶんおととしのこと、旧友が三人久し振りに集まって、昼間からお酒を飲んだときだった。まるで正月みたいな気分になって、昼風呂もいいなといって沢の湯に電話した。そうしたら出前をするといって持って来たのだ。私たちは昼酒に酔ったまま、夢のようにお風呂にはいった。そして気がついたらお風呂はもう終りになって、私たちはまた畳の上に寝転んでいた。カチンといって電話がつながる。
「はい、沢の湯ですが」
「あ。えーと、もうずいぶん前だけど、たしか一度出前を頼んだことのある矢川ですけど」
「あ、エガワさん」
「いや江川じゃなくて弓矢の矢に三本川、矢川です」
「あ、矢川さんね」
「はい、あのう、これから出前頼めますか?」
「はいどうぞ、どちらでしょうか」
「あ、あのう学校通りを市役所に行く手前に材木屋がありますね、鹿島材木」
「はい、日曜大工のお店をやってる……」
「そうそう、あそこを左に入って百メートルくらいのところなんですけど、左側」
「ああ、左に駐車場がある」
「いや、駐車場じゃなくて空き地……、ああそうか、ときどき車が勝手に停めてあるみたいだけど、あれはでも駐車場じゃない、空き地ですよ」
「そうですか、とにかくその駐車場の、いや空き地の……」
「ええ、空き地の横を入った奥のところ」
「だいたいわかります。平屋でしょう?」
「はい」
「いや、思い出した。前に昼間お届けしたんですよね」
「あ……」
「わかりました。すぐ参ります。ひろげる場所を決めといて下さい」
電話は切れた。しかし凄いものだ。大したものだ。よく覚えていたものだ。
「うわァ、本当に来るのね」
胡桃子の目が輝いている。眸に部屋中のものが映っている。
「来る、来る」
そういいながら、私はちょっと不安である。出前を頼んだのは、もうずいぶん前のことなのだから……、と思っているのに、もうゴトゴトと音がする。ブリキの箱がぶつかるような音である。そのぶつかる相手が自転車のようである。自転車のペダルの端のところである。それがときどきブリキの箱にぶつかっている。そんな自転車がどんどん近づいて来る。受話器を置いたばかりなのに、いやまさか、まだ早いと思いながら、それがまさかではなくて本当にもうやって来たようである。自転車の、かなり使い古したブレーキの、
「キーッ、キェッ、キェーッ」
という音がして、
「ガッチン」
とスタンドを立てる音がして、それを降りた男らしいものが、
「バサ、バサ、バサ……」
と近づいて来る。それが立ち止まり、玄関の前が静かになった。
「カ……カ……チ……」
とほんの小さな音がする。全体が静かな塊りになって、小さな一点だけが動いている。
「カ……カ……」
きっと親指でブザーを押しているのだ。だけどうちのブザーは壊れている。私は首をすくめながら、胡桃子と顔を見合せる。胡桃子も首をすくめて、目玉がいっぱいにひろがっている。小さな音はじれったそうにピタリと止まって、玄関の戸がいきなりガラリと開いた。
「お、待、ち、どー! 沢の湯です」
さあ大変だ。私は玄関へ立って行った。胡桃子もさあ大変とついて来る。いよいよ本当に来てしまった。
「いやあ、早いですねえ、いま電話切ったばっかりなのに」
「いやまあ、これは商売だから」
「いや商売といっても、いまですよ、いま」
「ええ、商売というのはこういうようなものですよ」
胡桃子も一人前に、
「またたくま」
などといっている。沢の湯の人はビニールのレインハットをかぶり、白い前掛けをして、左手におかもちを持っている。四角い縦長のブリキの箱だ。いやブリキではない。アルミニュームだ。ところどころぶつかってデコボコしている。ちょっと見るとラーメンやギョーザの出前とほとんど変らない。というよりほとんどそのままである。前もこうだったのかと考えるけど、何ぶんにもあの日の昼酒が記憶をボンヤリ包んでしまって消している。私は取り澄まして声をかけた。
「それじゃですね、えーとね、こちらの四畳半でお願いしようかな」
胡桃子もマネをして、
「うん、こちらの、よじょうはん……」
といったりしている。
「いいの。胡桃子は」
「はーい」
私は胡桃子の頭をポンと叩いて、沢の湯の人を四畳半に案内した。
「お宅、こんど優勝したんですってね、大したもんだ」
「え?」
「いや、さっきラジオで聞きましたよ。そこへ出前の電話が来たもんだから目をパチクリしちゃった」
「ええ、まあ」
「いやあ目出度いですね、優勝とは」
胡桃子がこっそりこちらを見上げて笑っている。口をしっかり結んで顔の半分だけで笑っている。私も思わずニヤリとなっている。優勝である。やはり高校野球なのである。胡桃子が満足そうな顔になっている。
「いやあ優勝なんて、なかなか出来ないことですよ」
沢の湯の人はそういいながら、アルミニュームのおかもちを四畳半の入口に置いた。そしてちょっとそり返って、四畳半の要所要所をてきぱきと見定めながら、
「な、る、ほ、ど……」
といい、おかもちの手前の蓋を上に引き抜いて、それをバタン、バタンとひろげていくと、それが思いもかけない大きなものになっていって、たちまちのうちに男湯と女湯の空間が出来上がる。私は驚いた。驚きながら、前にも驚いたのを思い出した。あのときもたしか、あっという間の出来事だった。床は白いタイルになっていて、それが水捌けのいいようにちゃんともう斜めの勾配がついている。壁も同じように白いタイルで、中ほどに鯛や金魚の絵のタイルがずうっと横につづいている。沢の湯の人はこんどはおかもちの中からドンブリを二つ取出し、それを男湯の方と女湯の方に一つずつ置いた。それからちょっと遠去かり、じっと見て、置き場所のズレを直したりしながら、それを何度か繰返している。指を立てて、目を細めて、背中をちょっと後にそり返らしたりしている。それがすむと、こんどはおかもちの中からアルミニュームのポットを取出す。ちょうど出前のチャーハンについてくるスープの容れ物みたいなもので、これもかなり年季のいった代物である。沢の湯の人がそのポットを右手に持って、男湯のドンブリと女湯のドンブリにお湯をチョロチョロ等分にそそいでいくと、ドンブリはだんだんとお湯をたたえて、ぐんぐんと大きな四角い湯舟になっていく。湯舟に溜っていくお湯からふつふつと湯気が出て来て、それが高い天井いっぱいに立ちこめてくる。見上げると天井はもう相当高いものになっていて、白いペンキが塗られ、天井近くの壁には明り取りの天窓が開いている。そこから差し込む光線が湯気に当って白く輝き、それが窓枠からの超高速度のトコロテンのようである。正面の壁面には例の大きなペンキ絵があり、男湯の方には富士山、女湯の方は三保の松原、いや宮島かな? よくわからない。沢の湯の人が最後のお湯の一滴をていねいに振りきって、空になったポットをタイルに置くと、その音が湯気の中にコーンと響いた。これはもう完全に銭湯である。
「うわっ、オンセンだ!」
胡桃子がまた間違って叫んでいる。そのあとで私の視線を感じ、
「あ……」
といって一瞬首をすくめて、それからまた、
「セントーだ!」
と叫び直して、思わずタイルの上にピチャリと踏み込み、
「セントー、セントー」
といいながら、流し場でペタペタと足踏みしている。
「滑るから走っちゃいけないよ」
沢の湯の人があらかじめ注意している。
「それに服を着て流し場にははいらないように!」
沢の湯の人は、もう、少しだけ番台の上にいるような口調になりはじめている。私はしばらくじっとしていた。体を縛っていた紐がほどけて、体がふくらんでくるようである。銭湯の空間はいつもこうなる。この広さだけでも気持がゆるんで、気持が湯気のように蒸発していって、もうすでに服の中で体が裸になっている。
「でも本当に信じられないねえ。ドンブリにしてもお湯にしても、あんな小さなものがちゃんとこうした銭湯になるんだから、ねえ」
「まあそりゃあね、昔にくらべたら銭湯も進歩したもんですよ。だって昔はもう出前といえばそば屋くらいしかなかったもんね」
「そうですね、あと、鮨屋とか」
「あ、鮨屋もね」
胡桃子がさっそく口をはさむ。
「あとウナドンもあるんだよ。お客さんのときがおスシ屋さんとウナドン屋さんで、忙しいときがラーメン屋さんとギョーザ屋さんだよ」
沢の湯の人はニガ笑いしている。
「ははは、そうだそうだ。まあそんなもんだよ。だいたいそば屋とかそういう、その、食い物をね、ただここにあるものをあそこに持って行くという、ただそれだけのものだったもんね、昔の出前は」
「そうでしたねえ、昔の出前というのは。何というか、ただのここが、あそこだった」
「まあしかし、出前なんていつだってそういうもんだといわれれば、それはまあそういうもんだけど」
沢の湯の人はそういいながらサンダルを穿いて玄関から出て行くと、自転車から携帯用の番台を持って来た。もうニスがところどころ剥げかけてはいるけどがっしりとした番台である。それを銭湯空間の入口に置いて、一番下の引出しをガタピシと開けて行くと、古い板がたくさん出てくる。それを組合せながらひろげていくと、みるみるうちに脱衣場である。中央には男湯と女湯の仕切りがあって、その両側に大きな鏡がついている。鏡の横には両側ともに兇悪犯人の手配書が張ってある。その横には両側ともに「燃えよ! 寅さん」という映画のポスターが張ってある。体重計も両方の隅にある。扇風機も両方にある。電気アンマ、ドライヤー、ジュースの自動販売機もちゃんと両方についている。両方ともまるでその仕切りの鏡に映したように、同じものが置いてある。
「シンメトリーだ」
私は思わず呟いた。まるでシンメトリーの人体を見るようである。右手があって左手がある。右には右の手袋、左には左の手袋。それが鏡で隔てられている。そういう鏡をはさんで、いつもは裸の男女が向き合っている。男女がすぐそばで向き合いながら、結局はそれぞれが鏡を見ている。ちょうど相手の像のところに自分が立って、そこから自分を見ている。私が黙っていると、胡桃子は、
「シンメトリー」
と呟くマネをしている。
「わかってるの?」
「うん、シンメトリー」
こんどはちょっと発音が乱れる。
「だからシンメトリーって、意味がわかってるの?」
「うん。シンだから、あの、シンがあるんだよね」
「……」
「シンがあって、こう、ひろがっているんだよね」
私は一瞬黙ってしまった。沢の湯の人はもういつの間にかそのシンにある番台の上に坐って、番台の人になっている。番台には銭箱や電卓やカミソリの箱に囲まれて、中央に小さな白黒のテレビが置いてある。番台の人はもう煙草をふかしながらそのテレビを見ている。テレビには、
……いっぽうイラン側はこのヒトジチ問題に関するレーガン大統領の……
とニュースが映っていて、番台の人は、
「ヒトジチか」
といってチャンネルを変えようとしながら手を伸ばし、まだ変えずにもう少し見ている。とにかくもう銭湯は始まっているのだ。
「ようし、いいらしいぞ。胡桃子、行こう」
私は胡桃子の手を引いて台所の方へかけて行った。
「えーとタオル、タオル。それからセッケン」
「お父さん、センメンキ」
「うんそうそう、胡桃子のも持って行くか?」
「でもお風呂屋さんにあるよ」
「あったっけ?」
「さっき見たよ」
「よし、じゃ一個だけでいいね。えーと、あ、胡桃子自分の下着持って来なさい」
「はいはい」
「お父さんのはこれと。あ、お金お金。胡桃子ちょっと、そこのお財布取って」
「胡桃子はいま忙しいの」
「あ、しょうがないな」
私たちは右往左往しながら身仕度をととのえる。
「さあ行くよ」
二人とも台所でサンダルをつっかけると、台所の固い戸をヨイショと開けて外に出た。ここの戸はふだん開けないのでいつも固い。それをまた外から固く閉めて、家の横の細長い空地をコトコト通り、玄関の方へ回って行った。この家は六畳と四畳半と台所がついた木造一軒屋。小さな庭や垣根もあって、家賃四万五千円。胡桃子と私には広々としている。二人家族には贅沢かな? 玄関に着いた。見上げると、屋根の上にはもう高い煙突が突き出していて、もくもくと白い煙まで吐き出している。物凄い早業だ。玄関には両側に「男」ののれんと「女」ののれん。それが妙に露骨に見えている。私は胡桃子の手を引いて「男」ののれんをヒョイとくぐった。
「えいらっしゃーい」
と番台から声がかかる。
「いやあ、久し振りだなあ。いくらでしたっけ」
「大人一人お子さん一人で二百八十五円」
「それとカミソリにシャンプー二つ」
「へい六十円」
「それとリンス」
胡桃子もいちおう声を出している。
「はい、お姉さんはリンスね、二十円」
胡桃子はお姉さんといわれて、絞った手拭いみたいに身をよじっている。私たちは脱衣場の方へはいって行った。足の裏がむずむずとして、床にくすぐられているようだ。お客は誰も来ていない。籠の中に服を脱いでいると、
「あ、これ、うちの籠だよ」
と胡桃子がいっている。なるほど見ると、一箇所折れたところに赤いビニールテープが巻いてあって、中には胡桃子の繩飛びが入れたままになっている。
「あれま、本当だ」
よく見ると、扇風機もうちの扇風機、柱時計もうちのがそのまま使われている。カレンダーもそうである。
「いや、うちの四畳半だもの、いろいろ混じっているんだよ。さあ、早く脱ぎますよ」
私たちはまたむしるように服を脱いだ。いよいよである。脱いでいく肌がぴんぴんしている。胡桃子の肌もヒュルヒュルしている。胡桃子の方が先に丸裸になってしまい、まるで綱渡りでもするように爪先立って飛んで行って、ガラス戸を横にずーっと開ける。
「いっただっきまァーす!」
胡桃子は思わず叫んでいる。
「あれ? しまったかな……」
胡桃子はそういいながら、もうピタピタと歩いて行って、早速カランを押してお湯を出している。私もやっと裸になって、まず脱衣場の仕切りにある大鏡の前に立ってみた。両手を上げて曲げてみる。鏡の自分も両手を上げて曲げている。痩せても肥ってもいないと思う。シミがちょっと出来てきている。鏡まで三十センチ。映っている自分まで六十センチ。そこは女の脱衣場。だけどそこには誰もいない。番台の人はテレビを見ている。私は胡桃子のあとをお湯の方に歩いて行った。胡桃子はもう威勢よくお湯を体にかけている。
「よーく体を流しなさいよ、はいる前に」
「はいはい」
「お尻もね、前のお尻も」
「はいはいのはい」
流し場にはやはりお風呂屋さんの木の桶があった。胡桃子は小さな指をいっぱいにひろげて、お湯を一滴もこぼさないように持ち上げる。それから顎を上に突き上げて、首のところから体に向けて桶をザバリと傾ける。
「うひーっ……」
と大げさにいいながら、空の桶をタイルに置くと、その音が、
「コーン」
と高い天井いっぱいに響き渡り、胡桃子は私を見てニッコリ笑った。私は胡桃子が三つのときを思い出した。三つの胡桃子は私といっしょにお風呂にはいりながら、私の体の黒い部分をじっと見ていた。二人とも流し場に立っていて、そうするとそれは胡桃子のちょうど目の前である。大人の体というのはちょうど三歳くらいの身長の顔の前に、黒い密集地帯が出来ている。裸になればどうしてもそこが目立ってしまう。それが目の前の高さにあればなおさらである。思わず隠そうかどうしようかと考えたりして、私はそんな考えが恥ずかしくなった。胡桃子は目の前の黒い部分を驚いたようにじっと見ていて、それから横を向いてお湯にはいろうとしながら、
「お父さんて、体全体がおちんちんみたい」
と呟いた。私は一瞬喉がつまった。その子供の言葉に不覚にも感動してしまい、応えようにも声が出なかった。それはまだ家庭内のシンメトリーが持ちこたえているときだった。その後そのシンメトリーは崩れ去り、私は胡桃子と二人になっていた。いまはもう胡桃子の身長は、私の黒い場所を通り過ぎて、もうおヘソの上の方まで伸びて来ている。その胡桃子がカランの前にしゃがんで、まず頭を洗おうとしている。私も隣にしゃがんで、自分の頭を洗いはじめた。二人いっしょに白いシャンプー頭をもくもくと掻きながら、胡桃子は、
「お父さん、このお風呂は出前だから、このタイルの下は畳なの?」
と聞いている。
「濡れないのかな」
と心配している。
「大丈夫だよ。向うは専門家だから、ちゃんと……濡れないように……やっている……」
頭の泡がふえてきて、私は下を向いて目を密閉しながらしゃべっている。胡桃子も下を向いて、目も口も密閉しようとしながら、声も途切れ途切れにしゃべっている。
「でも、さあ……お家の、畳の上で……こんな広い、オンセンに、はいるなんて……不思議だ……ね……」
苦しそうなのはわかるけれど、また銭湯が温泉になっている。
「いいんだよ、無理してしゃべんなくても。石鹸が口にはいっちゃうぞ。お父さんはもうゆすぐからね」
「あ、お父さん……久し振りに、二段式やろうか」
「あ、二段式……」
私はまた言葉が止まった。シャンプーを掻く両手も止まって、シャンプーの白い泡がチリチリと一つずつ消えていく音がする。
二段式というのは、胡桃子の発明した頭のゆすぎ方である。その最初の二段式は、胡桃子が五歳、大と小の二人の生活がはじまったときだった。シャンプーはもう一人で出来るのだけど、ゆすぐのは順番である。その日は私が先にゆすいでいて、胡桃子は順番を待っていたのだ。だけど順番を待ちながら、私の頭から流れるお湯がもったいないと思ったのだ。私は目をつぶってゆすぎながら、しかし胡桃子の方がどうも静かだと思って薄目を開けると、その開けて見た私の顔の下に、胡桃子が小さな頭を突き出している。私の頭から顔を通って流れ落ちるお湯で、胡桃子が小さな頭をゆすいでいる。下を向いて懸命に髪の毛を掻きながら、
「ほら! お父さん! 二段式だよ!」
と叫んでいる。私はあっと思った。その発明に驚いた。驚いてから悲しくなってしまった。だけどこれは悲しいのではなく感動なのだと思い直した。そんな動揺で時間ばかりが過ぎていって、私はお湯をいつまでもだらだらと流してしまった。その構図は、二人の生活の記念碑のようなものだった。
私たちが久し振りにその二段式をやっていると、番台で、
「えいらっしゃーい」
と声がする。入口にお客さんである。男の声で、
「シャンプー、カミソリ、あ、タオル貸してもらえる?」
とかいっている。
「いやあ、さっきね、ここで今日は出前場があるとか聞いたもんでね」
ともいっている。見ると角の材木屋のおじさんである。はいって来ながら、目がもう銭湯の空間に見開いている。
「いやーふあーいやいや……」
とかわけのわからぬ歌のような声を出しながら、早くも服を脱いだ体にタオルを前に下げて、ペタペタとタイルの上に踏み込んで来る。
「いやあ、いい天気だねえ」
と挨拶をしている。私も思わず返事をしている。
「ええ、あのう、天気はいいですね」
私は天気のことだけを批評している。胡桃子はゆすいだ髪を拭きながら、材木屋のおじさんをちょっとだけ横目で見ている。とにかく男湯に三人である。このあともまだお客が来るかもしれない。私と胡桃子は浅い方の湯舟にはいった。材木屋のおじさんはお湯をじゃぶじゃぶと使いはじめる。ここぞとばかり荒っぽくしている。
女湯はシンとしている。何も音が聞えてこない。女湯は空っぽである。誰もはいっていない。その空っぽの空間が隣にいて気になっている。仕切りの向うに空洞がある。お湯も空気も動かない、死んだような穴の塊り。その空間が、何か息をひそませているようである。私は横目で少し見た。高いタイルの仕切りがある。その仕切りが背中に空洞をしょって、聳え立っている。タイルが固くツルツルとしていて、取りつきようのない表情をしている。それが昔遠くに去った苦い塊りのようである。うちの場合、本当は男湯だけ出前してもらえばいいのだけど、やはり銭湯の出前となると男湯と女湯が揃っていなければいけないのだそうである。やはりシンメトリーがたてまえだという。私は胡桃子にけしかけてみた。
「あのねえ、なぞなぞしようか」
「あ、しよう、しよう」
「じゃあいうよ。お父さんは男か女か」
「カンタンだよ。お父さんは男だよ」
「じゃあね。胡桃子は?」
「そりゃあ女だよ」
「そうだよね。でもここは男湯だよ。女は女湯にはいるんだよね」
「だってェ、胡桃子は女っていっても、あのう、女じゃないもん」
「じゃ男?」
「男なんかじゃないよ、もう。子供だよ。女の」
そういって胡桃子は仕切りのタイルをチラッと見ている。チラッと見ながら、女というのを少し意識しているようである。
「向うには誰もいないね」
といっている。
「音がしないもんね」
と自分にいいきかせている。
「でもいるかもしれないよ」
と私はいった。
「音をたてずにじっとお湯の中に潜っているのかもしれないよ」
「ほんと? お父さん見て来てよ」
「お父さんは男だから行けないよ」
「あ、そうか」
胡桃子はじっと考えている。
「女湯ってどうなってるんだろう」
「わからないよ。お父さんは生まれてから一度もはいったことないもの」
「そりゃそうだよね」
胡桃子はまたじっと考えている。
「胡桃子は、行っても、いいんだよね」
「そうだよ、そりゃそうだよ。女だから」
「ちょっと行ってみようかな」
「行けるかな?」
「行けるよ、女湯くらい」
「じゃあ行っておいで」
胡桃子は少し恥ずかしそうに湯舟を出ると、濡れたまま脱衣場にペタペタと歩いて行って、番台の前に立止まる。
「すみません。女湯に行かせて下さい」
番台の人はちょっとキョトンとしている。
「ああいいよ。いやいいけど、一人ではいるの?」
「はい」
「あっそう。じゃね、こっちからはいって」
番台の人は、番台の前の戸を指で差した。胡桃子はチラとこちらを振返ってから、そうっと戸を開けてはいって行った。あとはシーンとして何も音がしない。材木屋の人が鏡に向って髭を剃っている。その音だけがゾリゾリとしている。ずいふん固い毛のようである。鏡に向って顎を突き出し、口を曲げて、視線を離さず、まるで鏡に向ってインネンをつけているようである。女湯の方はシンとしたままである。胡桃子は脱衣場を抜けてタイルの流し場まではいったのだろうか。それとも脱衣場から顔だけ出して見ているのだろうか。それとも少し勇気を出して、鏡のようなお湯の水面を指で触わっているのだろうか。材木屋の皮膚がまだゾリゾリといっている。山奥の杉林を、根こそぎに伐採しているようである。
番台の前の戸がそうっと開いて、胡桃子が出て来た。まるでイタズラでもしたみたいに番台の人をちょいと見上げて、そうっとこっちに歩いて来る。タイルに来てやっと足がペタペタとなり、固い背中が少し伸びて、湯舟にチャプンとはいり込んだ。
「どうだった?」
「うーん、何だか、女湯って、恐いよ」
胡桃子はそういって、湯舟に深く沈んでいる。何か聞こうと思ったけれど、私もいっしょに湯舟に深く沈んでいる。材木屋の人が鏡に顎を突き出したまま、目だけチラリと動かしてこちらを見ている。
「なぞなぞしようか」
私はまたいってみた。
「なぞなぞはもういいよ。お父さんのはまただんだん変になるんだもの」
「ははは、それじゃあね、えーと、じゃそうだ、お話読んであげようか」
「お話かあ」
「あのね、この出前のお湯に似合う話、お伽話」
「桃太郎?」
「みたいなんだけど、ちょっと違うの。この間ね、ソンゴクーという雑誌にお父さんが書いたの。そうだ、それにしよう。ちょっと待ってなさいよ」
私は湯舟から出ると、濡れたまま脱衣場にペタペタと歩いて行って、番台の前に立止まる。
「あのね、ちょっと本を取って来たいんだけど」
「え?」
「いや、お湯の中でね、子供に本を読んでやるんでちょっと取りに行きたいんですよね」
「外に出るんですか?」
「いや外じゃなくて、家の中なんだけど」
「いや、中っていったって、うちの銭湯の外でしょう」
「あ……、ええ、まあそれはそういうことになるけれど」
「途中でお客さんに外に出られるのは困るんですよね」
「うわあ、まいったな」
「本て、どこにあるんですか」
「いや向こうの六畳だけど」
「うーん、まあしかし、しょうがないでしょうなあ。ここはいちおうお宅なんだから」
「いちおう」
「そう、いちおう。なるべく早くして下さいよ」
「はいはい、すみません」
私は謝りながらそそくさと玄関に出て、裸なのでもう外の道は回らず、玄関からすぐの廊下を通って六畳へ行った。廊下にポタポタとお湯が垂れる。六畳に来てみると、部屋の様子はそのままだった。それは当然のことなのだけど、丸裸なので何か気恥ずかしい闖入者のようである。自分の部屋とはいっても、いままでは裸ではいって来たことがない。座布団や机や椅子が、眉をひそめてこちらを見ている。そんな視線を浴びながら本棚の前に立ち止まり、
「えーと、ソンゴクー……、ソンゴクー……」
とキョロキョロ探す。肘からまだお湯がポタポタ垂れていて、それを畳の上の座布団がプスッ、プスッと吸い込んでいる。
やっとソンゴクーを探し出し、私はまたペタペタと廊下を通って四畳半へ戻って行った。もう一度のれんをヒョイとくぐると、
「えらっしゃい!」
と声がかかる。
「あ、お宅ですか」
と番台の人はいっている。
「ええ、どうもすみませんでした」
「あーと、その本持ってはいるわけね」
「ええ、いちおう読んでやるって約束したもんだから」
「うーん、困るんですよね。本当はそういう入浴以外の持込みは禁止されているんですよ」
「でも……」
「でもねえ、まあこれもしょうがないんでしょうねえ。いちおうお宅なんだもんねえ」
「ええ、いちおう、ねえ」
「まあいいでしょう、これは。そのかわり絶対湯舟につけちゃいけませんよ」
「はいはい、わかってますよ」
私はガラス戸を横に開けると、ペタペタとタイルを歩いて湯舟へ行った。胡桃子がじっとお湯につかって待っている。材木屋はまだ鏡の前で杉林を伐採している。私はまた胡桃子と並んでお湯につかった。
「ほら、ソンゴクー」
「面白いかな」
「面白いよ。題はね、『花子のドル|平《ひら》』っていうんだよ」
「あ、ドル平、胡桃子もうまいんだよ」
「そうそう、夏はとうとうドル平で五十メートル泳いだもんね」
「そうだよ、それで賞もらったんだよ」
「そうだ、胡桃子も賞もらったんだよね。でもこの花子さんはね、賞はもらわないけど、いいものをもらったんだヨウ」
「何? 何?」
「待ちなさい。いま読んであげるから。いいですか」
――むかしむかし、あるところに、父子家庭が住んでいました。朝起きるとお父さんは山へ柴刈りに、子供は川へ洗濯に出かけます。――
私はチラリと胡桃子をのぞき見る。胡桃子は目が輝いている。目がもう空気を見ている。
私はつづけて読んだ。
――お父さんの名前は剛造といい、子供の名前は花子といいます。
「花子、気をつけるんだよ。洗濯しながら川に落っこちるんじゃないよ」
剛造は花子に声をかけます。
「花子は大丈夫よ。川に落っこちたりはしないもん。川に落っこちても泳げるもん」
花子は軽く手を振って出かけます。
「じゃあ、お父さんも頑張ってね」
花子は今年小学校の二年生です。偉いもんです。二年生でもう一人で川へ洗濯に出かけるとは。――
「あのさア」
と胡桃子が声をかける。
「胡桃子の名前は胡桃子だよね」
「そりゃあそうだよ」
「この人は花子さんだよね」
「そうだよ、それは」
「何か、おかしいんだよなあー」
胡桃子は薄く笑いながら、頭を少しかしげている。
「いいの。ちゃんと聞いてなさい」
私はつづけて読んだ。
――二人は家の前でわかれます。
「はい、じゃあね。花子。夜はトマトシチュウにしようね」
剛造も軽く手を振って出かけます。でもやはり花子はまだ二年生。剛造は少し心配です。まあ川に落ちることはないと思うけど。――
胡桃子がまた声をかける。
「お父さん、トマトシチュウが好きなんでしょう」
「そりゃあ好きだよ」
「好きだから書いたんでしょう」
「別にそういうわけじゃないけど。いいの。そういうことは。いちいち口をはさまないでちゃんと聞いてなさい」
「はい」
「もう今度はいわないんだよ。ずっと最後まで黙ってるんだよ」
「はーい」
私はぎゅっと睨んでからそのあとをつづけて読んだ。
――花子のお母さんは川に落ちて死にました。いつものように朝から酒をカックラッて酔払い、この日は珍しく洗濯物を担いで川へ行き、そのまま川へ落ちて死んだのです。石鹸もいっしょに落ちて川が泡立ち、薄汚れた洗濯物もパラリと落ちて泡といっしょに流れながら、自然にジャブジャブと洗われていき、やっとキレイになった洗濯物に包まれながら、花子のお母さんは下流の橋桁に引っかかって死んでいました。
剛造と花子は、それを見てガッカリしました。死ぬのだったら、もう少しちゃんとした死に方があるはずなのに。二人は真赤な目でその死体を見つめながら、しかし涙は一滴も流しませんでした。アホウと思いました。そしてバカと呟きました。その目の前に転がっているのも結局は人生だけど、それはつまらぬ人生です。自分の力を何も出さずに、ヨソの力ばかりあてにしながら、とうとう溺れて死んでしまった。可哀相な人生です。だけどやはりバカな人生です。二人は二人なりの真赤な目で死体を睨みつけながら、つないだ手をじっと握り締めておりました。その両手の間を、山の風がヒュウと吹き抜けて行きました。
だけどそれはもう五年もむかし、花子がまだ小学校にはいる前のむかしのことです。いまはもう山の風もソヨソヨと吹いていて、二人はその風の中でじっと静かに暮しています。そして朝起きるとお父さんは山へ柴刈りに、子供は川へ洗濯に。
花子は川べりにしゃがみ込んで、ジャブジャブと洗濯をしています。洗濯をしながら、
「二二んが四……二三んが六……二四が八……二五十……」
と算数の勉強をしています。偉いもんです。洗濯をしながら九九をおぼえるとは。
「五三十五……五四二十……五五二十五……五六三十……」
算数の勉強はどんどん進みます。その間に洗濯物もどんどんキレイになっていきます。
「九六五十四……九七六十三……九八七十二……九九八十一。ふーっ、終りーっ」
算数が終るとちょうどもうお昼です。花子は洗濯をやめて、お弁当をひろげました。学校ではいまごろちょうど給食の時間です。だけど花子は川べりで一人で給食です。玉砂利の上に青いゴザを敷いて、その上にお弁当をひろげ、コップに川の水を汲んできました。今日のお弁当はマゼ御飯です。きのうの夜からお父さんが準備して、今朝起きてから炊き上げたのです。花子も卵焼きを手伝いました。
「いっただきまーす!」
花子は川に向ってそういうと、マゼ御飯をほおばりました。いまごろはきっと山の上で、お父さんもお弁当です。川面にピチャリと魚が跳ねます。鮎だろうか。川面に一つ突き出た岩の上に、水鳥がツンととまって、ツンとこちらを見ています。このマゼ御飯が欲しいのだろうか。
「おいしいんだよ」
花子は水鳥に自慢しました。河原の隣には林があって、杉の木が生えています。その根もとから|栗鼠《リス》がのぞいて見ています。その隣には|蟷螂《カマキリ》や|蜻蛉《トンボ》や|蟻《アリ》もいて、|土龍《モグラ》までも顔を出して、じっとこちらを見ています。みんなこれがほしいのだろうか。
「しょうがないなァ」
花子はマゼ御飯をお箸で一口分だけつまみ上げると、ポーンと玉砂利の上に投げました。するとそれを待っていた動物たちが、ササササ……と集まって来て、ムシャムシャとおいしそうにマゼ御飯を食べはじめます。あんまり急いで食べているので、ほかの人の分まで踏んづけています。花子は思わず注意しました。
「一人が一粒ずつだよ!」
あれ? 一人なんて、おかしいかな? 花子は誰かに聞かれたみたいな気持になって、思わずまわりを見回しました。だけど人間は誰もいない。
「リーン……リーン……」
電話の音です。さっき栗鼠がのぞいた杉の木の上に、赤電話がついているのです。
「リーン……リーン……」
動物たちはパッと消えて、もう一匹も見えません。花子は弁当箱を下に置くと、河原の玉砂利を踏んで電話のところに行きました。
「リーン……リーン……」
電話は杉の木の上の方で、子供にはちょっとだけ背がとどきません。花子は下駄を脱いで杉の木をちょっと登り、右手で枝をつかまえて左手で受話器を取りました。
「はい、モシモシ、花子です」
「あ、花子ね」
「あ、なんだ、お父さん?」
「そう。もう食べた? お弁当」
「うん、まだ食べてる」
「お腹いっぱいになるかな」
「うん、だけどあのね、虫とか鳥とかがたくさんねだるからね、一口分だけあげちゃった」
「うふふ。一口分か。まァいいでしょう。今晩は家でトマトシチュウだからね」
「お父さん、柴刈りうまくいっている?」
「うん。快調、快調」
「花子も洗濯快調だよ」
「よし、じゃあ晩御飯のときにね。川に落っこちるんじゃないよ」
「大丈夫だよ、それはもう」
「そうか。それじゃあね」
「じゃ夜にね。サヨナラ」
まだカチンとはいいません。
「何だよ。早く電話を切りなさい」
「お父さん先に切って」
「何だ。それじゃいっしょに切るよ」
「一二、の、三……」
「カチン」
さァまた洗濯だ。花子は杉の木をツルリと降りて、残りのお弁当をパクリと食べて、また川べりへ戻りました。川は相変らずチャウロ、チャウロと流れています。さっきの水鳥が上流を見ています。川の上流から桃が一つ流れて来ます。大きな桃です。
「ドンブリコッコ、スッコッコ……」
大きな桃は揺れながら流れて来ます。花子はそれをジーッと見ました。これはきっと桃太郎の桃です。見ただけでわかります。絵本で見て、そのくらいは知っています。だけど、これ、この場合はどうしようか。花子はちょっと慌てました。これは拾わないといけないのだろうか。それとも自分なんかが拾ってはいけないのだろうか。でも拾いたいなァ。だけどこんなもの拾ってしまったら、うちはいまでも父子家庭なのに、そのうえ赤ん坊がふえてまたお父さんは大変になる。どうしようか。これはやっぱり電話して聞いてみよう。花子は急いで杉の木の赤電話に走りました。下駄を脱いで二、三歩登り、受話器を取ってダイヤルを回します。ゼロヨンニイサンの、ヨンヨンの……、ダイヤルは何回も回っていってカチリととまる。
「はい。モシモシ、剛造ですが」
「あ、お父さん」
「何だ、花子か」
「うん、あのね、いま大変なの、川の上流から大きな桃が流れて来てね、ドンブリコッコ……」
「ああ桃太郎か」
「でも桃太郎とは限らないわよ。ちっちゃな女の子だったら、花子、欲しいな……」
「え?」
「だって花子は兄弟いないんだもん」
「いや、それはそうだけど、わかんないよ。そんな桃。何が出て来るか」
「あ、ひどいわ、お父さん。赤ん坊がはいっているのよ、可愛いのよ」
「いや、たぶんそうだとは思うけれど、犬とか猫がはいっていたらどうするの?」
「いいじゃないの、猫だって。猫可愛いもん。花子は小っちゃい猫が欲しいもん……」
「いや猫ならいいけど、たとえばねェ、たとえば豚とか蛇だったりしたらどうするの?」
「そんなことないよ。あ、もう、ほら、ドンブリドンブリ流れて行っちゃう……」
花子は受話器を離して杉の木をツルリと降りると、川べりに駈けよりました。そばで見ると、やはり相当大きな桃です。これはもう放ってはおけません。だけど桃はもう目の前を通り過ぎて、ゆっくりと下流の方に流されて行きます。花子は迷いました。この中にいるのは女の子だろうか、男の子だろうか。それとも犬かな、猫もいいな、あ、九官鳥もいいのにな……。
杉の木にはコードの伸びた受話器が垂れ下がり、ぶらんぶらんと揺れています。
「モシモシ……花子……モシモシ……」
受話器からは小さな虫のような声が出ています。だけど花子はもう下駄を脱いで、着物を脱いで、パンツになって、水に向って構えています。
「モシモシ……花子……どうしたの? ……」
「ザブン!」
と音がして、花子の体が水の中に沈みました。
「モシモシ……花子……川にはいったりしちゃいけないよ……モシモシ……」
水面から沈んで花子が見えます。両手両足でもがいています。ときどき水面から顔を出して、目玉がドングリみたいになっています。その目玉が桃を目差して、すぐまた頭は沈んでいきます。
「トーン、トーン、待って、パッ」
「トーン、トーン、待って、パッ」
花子の体が力一杯リズムをとります。花子のドル平です。一年生のとき学校でおぼえたドルフィン平泳ぎです。花子はこれではじめて二十五メートルを泳いだのです。
「トーン、トーン、待って、パッ」
川べりにはいつの間にか、水鳥、栗鼠、蟷螂、蜻蛉、蟻、土龍、そういうマゼ御飯をもらった動物たちがズラリと並び、
「フレー! フレー!」
と応援します。
「トーン、トーン、待って、パッ」
花子のリズムがだんだん迫り、とうとう指先が桃の産毛にチラと触わり、次に両手がしっかりと、柔かい桃を抱きしめました。
「ふーっ」
髪の毛から水を垂らしながら、花子が河原にヘトヘトと戻って来ると、杉の木からはぶらんと受話器が垂れていました。あれま。そうだ。
「モシモシ……お父さん……」
聞いてみたけど、もう電話は切れています。あれま。また帰ってから叱られるぞ。花子は受話器をガチャリと置いて、洗濯物を片付けて、桶をかつぎ、しかしその上には桃を乗せて意気揚々と帰りました。
「ただいまーッ」
「花子! 心配するじゃないか! 途中で電話を投げ出したりして!」
剛造は恐い顔をして玄関にいます。
「すみません。だけど、ホラ、桃だもん」
水のしたたる桃を出して、花子は叱られながらも自信満々の顔付きです。
「桃なんかでごまかすんじゃないっ!」
とまだ叱りながら、剛造の恐い顔は目玉から先に丸くなります。剛造も本当は桃を見て喜んでいるのです。
「花子ね、ドル平で頑張ったんだよ」
「うん、それは偉い、偉い」
剛造はニコニコして花子の頭をなぜながら、もうさっそく桃を俎板の上に置き、包丁を持ってきています。
「あ、お父さん、いっぱい切っちゃ駄目だよ」
「うん、そーっと切るよ」
「そーっとでも、切るマネだけよ」
「よしよし、じゃマネだけしてみよう」
剛造は包丁を持って来て、その刃先をそっと桃の肌に当てました。するとその当たったところがピカリと光り、その光がポーッとひろがっていき、桃全体が電球みたいに光り輝き、パン! と割れて、そこには大人が立っていました。
「あ、桃太郎……ではない……」
剛造は包丁を持ったまま驚いています。それは女の人でした。それもいままで見たこともない女の人です。だけど女優よりもキレイな女の人です。全身が桃色に輝いています。ちょっとはにかみ笑いをしています。いったいこれは誰なのでしょうか。花子はゆっくりと考えてから声を出しました。
「お母さん……」――
終りである。私はちょっと口が疲れた。口の中が乾いてしまった。だけど本の方は湯気を含んでふやふやになり、下の方がびしょびしょになっている。最後のページから、ポタポタと温い水が垂れている。それがポタポタといつまでもつづいている。胡桃子は湯舟にもたれかかって、もううっとりと目を閉じて、眠ってしまったようである。
「こら、胡桃子、お風呂の中で眠っちゃ駄目だよ」
というと、
「眠ってなんかいないよ」
と目を閉じたままいっている。
「いいなあ、花子さんは。いまごろどうしているのかなあ」
胡桃子は花子さんになったつもりで、やっぱりなれないでいる。
「えいらっしゃーい」
と番台でまた声がする。また誰かお客さんが来たのだろう。
「はいはい……百五十円……はい……シャンプーはどれに? ……」
番台の人の大きな声が聞える。釣銭の音がチャラチョロと聞えてくる。だけどお客がなかなかはいって来ない。私はゆったりと体をお湯に沈めた。ゆったりとしながら、何故か音に敏感になってきている。じっとしている耳の片方が何かふくらんで行くようである。女湯の方に向いた耳である。仕切りの向うの空っぽの空間に、何か人の気配がしている。片方の耳だけが風船のようにふくらんでいって、もっと大きくアドバルーンのようにふくらんでいって、そのふくらむ先が女湯の仕切りを越えてめり込んで行くようである。
「ピチャン」
女湯の方で、はっきりとお湯の音がした。人がいるのだ。耳の風船はすーっと縮んでいった。胡桃子が目を開いている。胡桃子も小さな音を聞いたのである。じっと私を見ている。目がじっと私の方を向きながら、私の顔の手前の空気を見ている。こんどは胡桃子の耳が、両方とも女湯の方にふくらんでいる。また、
「ピチャン」
と音がした。そのあとで、
「チャプン」
ともいっている。胡桃子が空気をどけて私を見ている。目がビー玉のように輝いている。いまにもこぼれ落ちそうに大きくなっている。もう花子になってしまったようである。そう決めてしまったようである。私はゆっくりとうなずいた。胡桃子は湯舟をピョンと飛出し、濡れたまま走って行った。
(滑るなよ……)
といおうとして、もういうヒマがなく、私は口を閉じた。胡桃子が番台の前の戸をくぐり抜ける。番台の人が、あれ? 鼠でも通ったのかな? という顔でヒョイと見て、また目の前のテレビに見入っている。私はゆっくり目を閉じた。女湯はシンとしている。ピチャリとも音がしなくなった。きっと目だけが輝いているのだろう。目がいいものを見つけたのだ。新しいものを見つけたのだ。目がゆっくりと近づいて行く。そうっと、そうっと接近して行く。そして相手の目にたどり着き、両方の目が二つずつキレイに並んで、お湯にじっと浮かんでいる。
私は胡桃子の目が羨しくなった。自分の目を開けてみた。女湯の仕切りが見える。その向うの空洞が嘘のように消えていて、仕切りが柔らかく見えている。私はお湯に深く、肩までつかった。お湯が湯舟のふちいっぱいまで上がってきている。そのふちのところが表面張力でふくらんでいる。そのふくらみがぷるぷると揺れている。いまにも破れそうである。私はそれを見ながら、体がもっと沈み、顎が沈み、鼻が沈み、額が沈み、とうとう頭のてっぺんまで沈んでしまった。頭と同じ容積の水が、湯舟のふちからあふれ出て、タイルの上を流れて行った。外はいい天気のようである。家の外に出ている溝を、小さなお湯がチョロチョロと流れている。そこをまた頭一つ分のお湯がチョロリとふえた。溝のふちに黒猫が一匹しゃがみ込んで、お湯の流れをじっと見ている。
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初出誌
父が消えた 文學界 八〇年十二月号
星に触わる 海 八〇年十二月号
猫が近づく 昴 八一年二月号
自宅の蠢き 新潮 八一年三月号
お湯の音 文學界 八一年三月号
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文春ウェブ文庫版
父が消えた
五つの短篇小説
二〇〇一年八月二十日 第一版
著 者 尾克彦
発行人 堀江礼一
発行所 株式会社文藝春秋
東京都千代田区紀尾井町三─二三
郵便番号 一〇二─八〇〇八
電話 03─3265─1211
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(C) Katsuhiko Otsuji 2001
bb010803