機動戦士ガンダムT
富野由悠季
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PART 1
サイド7
「目の前の計器なんて飾りなんだ。計器盤《コンパネ》がなけりゃあ、前か後ろか判《わか》らねえからついてんだ。頼《たよ》りになるのは、眼だ! 眼え! 判るか? 眼ェ!……手前《てめえ》ら、どいつもこいつも節穴《ふしあな》だけの穴ぼこつけやがって、よくもパイロットになろうってもんだ」
唾《つば》をとばして怒鳴《どな》りちらすラルフ中尉《ちゅうい》の前に整列させられた5人のパイロット候補生は、誰《だれ》1人としてラルフの言葉など聞いていなかった。空《すき》っ腹《ぱら》をなんとかして欲《ほ》しいと思う以外、考える事などありはしない。
艦《かん》が慣性《かんせい》飛行に入るや正規《せいき》のパイロットの七人が、コア・ファイターを使って離着艦の訓練を始め、彼ら五人のパイロット候補生は、指揮所《しきしょ》に立ちっ放しで先輩《せんぱい》の訓練ぶりを見学させられた。ただの見学ではない。コア・ファイターが着艦しようとすれば、その先の手順をパイロットがやるより早く怒鳴り散らすのだ。声が小さければ、ラルフ中尉の左手がとんでくる。この左手が、本物と同じようにうぶ毛まである義手《ぎしゅ》だからたまらなかった。一撃《いちげき》くらうと、そのダメージから立ち直るのにかなりかかった。それに無重力ときているから、下手をすれば指揮所内の突起物《とっきぶつ》にぶち当たって、三日間のお休みだ。乗っている艦は、完全に艤《ぎ》装《そう》工事が終わって出港する艦とは違って、本来、クッションでカバーされるところが半分がむき出しなのだ。
ともかく、出撃《しゅつげき》。ともかく、ガンダムの受領《じゅりょう》。ともかく、貴様らパイロット候補生は艦に慣《な》れて、コア・ファイターに慣れろ。身体《からだ》を作戦に合わせればいいのだ。
これが、この艦、すなわち、ホワイトベース・タイプの一番艦『ペガサス』の軍規《ぐんき》であった。
さすが、七人の正規のパイロットは、宇宙空母トラファルガーで、二、三度の実戦を経験したパイロットで、たった三度の訓練でペガサスでの離着艦のコツをのみこんでいた。それから、五人の候補生の地獄《じごく》が始まるのである。教科書通りのプレ・フライト・チェックをし、五機のコア・ファイターに分乗する。彼等にとって、実物のコア・ファイターに乗るのも初めてなら、発艦しようなどというのも初めてなのだ。
「ついて来いよ!」
怒鳴《どな》るラルフ中尉自身、七名の正規パイロットの一人なのだから、中尉がいらだつのも判《わか》るというものだ。もし、六機のモビルスーツが受領され、これを二十四時間フルに稼動《かどう》させようとしたら、十二名のパイロットでは無理なのだ。候補生もへったくれもなかった。自分達が楽《らく》をしようと思えば、若造《わかぞう》どもに、少しでもましになってもらわなければならないのだ。
ラルフ中尉のコア・ファイターが射出《しゃしゅつ》されたのに続いて、リュウ・ホセイ曹長《そうちょう》、カイ・シデン曹長のコア・ファイターが左舷《さげん》ハッチから発進した。右舷《うげん》ハッチから、アムロ・レイ曹長、シアン・クランク曹長、ハヤト・コバヤシ曹長の三機のコア。ファイターが出た。
アムロは左前方に旋回《せんかい》をするラルフ機の赤いランプを目標にして、操縦桿《そうじゅうかん》を軽く左にめぐらした。卵立ての卵をまわすように、軽く、だ。その現実的なたとえを思い出しながらも、アムロは、四方に拡《ひろ》がる星々が、あまりにも静寂《せいじゃく》の中にきらめくのを不思議に感じた。サンバイザーは内側から見る限り無色|透明《とうめい》である。宇宙の静寂さは、そのサンバイザーとコア・ファイターのキャノピーを通してアムロに伝わるのだ。とはいえ、ヘルメットの中、つまり、アムロの耳には雑音が充満《じゅうまん》していた。ミノフスキー粒子《りゅうし》の干渉に《かんしょう》よる雑音の中、ペガサスとラルフの交信音や、他の四人の候補生の呼び合いが、幾重《いくえ》にもこだましていた。
「雑音の中から、自分の情報を選び出すんだ。それがパイロットってもんだ」
ラルフ中尉は、すぐにこう言った。これ以上の論理をもっていない単細胞《たんさいぼう》なのだ。
「ヘッドフォンは自動音量|装置《そうち》がついている。鼓膜《こまく》が破《やぶ》れるなんて心配はやめておけ」
六機のコア・ファイターはラルフ中尉を先導機《せんどうき》として、竿《さお》になって従《したが》った。
アムロ・レイは、右に太陽を、左に順光の中に浮《う》かび上がる母艦ペガサスをみた。それは、ホワイトベースと呼《よ》ばれるだけあって、美しい純白の船体を持っていた。中央のブリッジを中心に、太陽電池を埋《う》めこんだ放熱板が主翼《しゅよく》のように左右に拡がり、前部には左右に分かれたカタパルト・デッキのブロックが伸《の》び、後部も左右に分かれたメイン・エンジン・ブロックがあって、そのシルエットは、ちょうど細身にしたスフィンクスか、地に伏せる犬に似ていた。
そう、木馬《もくば》にも……。
これをペガサスって命名したのは、はまりすぎのきらいがなきにしもあらずだ、とアムロは思う。
「アムロォー!」
中尉の怒声《どせい》だ。アムロ機が右に二度ほどずれたのだ。
「すいません! 中尉!」
アムロは思いきり怒鳴《どな》り返した。中尉の鼓膜《こまく》が破れてくれればいいと思う。
リュウ・ホセイ機が、ペガサスの左前方ハッチの下にセットされた着艦ワイヤーにつっこみ、つづいてアムロ機がコア・ファイターのコクピットの後ろの着艦フックを上げて、右舷《うげん》ハッチに進入する。
この時、ラルフ中尉は艦の着艦用ワイヤーを目で識別しろというが、これが難《むずか》しいのだ。真空《しんくう》では、物の形の細部が見えすぎるために、赤く塗《ぬ》ったワイヤーでもペガサス全体の中での距離《きょり》感がつかみづらいのだ。レーザー・サーチャーと連動したコンピューター・コントロールがないところで着艦する芸当なぞ、十年かかってもできそうになかった。まして、地球上ならワイヤーにひっかかりさえすればあとは落ちるだけだが、こちらは、艦とコア・ファイターの相対《そうたい》速度と距離だけが問題で、ワイヤーのブレーキングの耐《た》えるギリギリの速度でつっこみひっかけなければ、あっという間に艦を追い越《こ》すか激突《げきとつ》する。計器盤《けいきばん》のデジタル表示を教本《マニュアル》通りに持ち込んでゆくのが最も確実なのだが、ラルフ中尉はいう。
「電源が切れりゃあ、計器なんぞメンコ以下の代物《しろもの》だろうが!」
こういう時に、メンコといわれると分りにくいものだ。ま、そりゃそうだろうがさ……。
ペガサスの着艦ワイヤーは、コア・ファイターのフックをひっかけたからといって急激《きゅうげき》な減速などはさせないのだ。そんなことをしてコア・ファイターをペガサスの船体にぶっつけて、虎の子のコア・ファイターを潰《つぶ》すことはできない。
アムロは、ワイヤーが地上の自動車の急ブレーキ程度《ていど》の衝撃《しょうげき》で停止されてくれるのを感じながら、自分でもうまくやったと思う。
停止線のところにデッキにつながるハッチが開き、そこから別のフックが出て、コア・ファイターをカタパルト・デッキにひきあげ、再びカタパルトにセットする。その間、二十五秒。
「コア・ファイター四番機。アムロ・レイ曹長《そうちょう》、発進されたし。進路クリアー」
指揮所《しきしょ》にいる若い士官の生の声に近い音質が耳をうつ。艦内はミノフスキー粒子《りゅうし》の影響《えいきょう》を受けないように有線にしてあるために、不愉快《ふゆかい》そうな声でも出そうものならば、それは評点《ひょうてん》にはねかえってくる。アムロは、必死にパイロット候補生を装《よそお》って叫《さけ》ぶ。
「アムロ曹長《そうちょう》! 発進します!」
再度、アムロのコア・ファイターが、宇宙《そら》に踊《おど》り出た。
コア・ファイター。名前が示す通り『核《かく》』戦闘機《せんとうき》だが、モビルスーツの『中心』という意味である。
今次大戦に出現したモビルスーツは、一年|程《ほど》前に、ジオン公国が初めて実用化に成功した兵器で、地球|連邦《れんぽう》軍はその開発に半年ほどの差をつけられていた。それは、宇宙での白兵《はくへい》戦闘用に開発された人型《ひとがた》の重装甲《じゅうそうこう》マシーンで、いわゆるロボットといわれているものに近く、パイロットが搭乗《とうじょう》して操縦《そうじゅう》する。
今、アムロ曹長《そうちょう》たちが乗るコア・ファイターは、これから受領《じゅりょう》しにゆく地球連邦軍のモビルスーツ『ガンダム』『ガンキャノン』のコクピットに相当するものである。本来、脱出カプセル機能を最大限に発揮《はっき》できるように、胴体《どうたい》に接して折りたためるバーニア内蔵《ないぞう》の放熱板用の翼《つばさ》と、脱出カプセルにしてはややパワーのあるエンジンを搭載《とうさい》しているものなのだが、ファイターというには、ややおこがましい代物《しろもの》なのだ。
「ガンダム、ガンキャノンの時はぁ、操縦はコア・ファイター以上にデリケートなんだ。女を抱《だ》く時以上にだ……! フン! 今次大戦で人間は少なくなっちまってるし、手前《てめえ》ら、本当に女を抱くことを知らねぇ連中には、ジオンを叩《たた》いてジオンの女を抱く以外に、残された道はないんだ! ここんところをよく憶《おぼ》えておけ!」
直立したままアムロはラルフ中尉を見る。左手をいやに振り回す癖があるのは、義手というコンプレックスがあるからだろう。
『ああ、今のことは本当なんだろうな。……フラウ……どうしている……?』
アムロは、ラルフ中尉のいう女性の事を素直《すなお》の認《みと》めながらも、これからアムロが乗ったこの艦『ペガサス』が向かうサイド|7《セブン》に住むフラウ・ボウのことを思い出していた。彼女からは、アムロが軍に入隊した三ヶ月ぐらいはビデオ・レターが届《とど》いていたが、それ以後は音沙《おとさ》汰《た》がなかった。そう、アムロは必然的に、ついこの間まで暮《くら》していたサイド7のコロニーに向かっていた……。
「コア・ファイターがガンダム、ガンキャノンに接続した瞬間《しゅんかん》に、核融合《かくゆうごう》エンジンに切り替《か》わるんだ。こいつはパワーが違《ちが》う!……手前ェ!」
ラルフの鉄拳《てっけん》が空《くう》を切り、それをアムロは右の額《ひたい》に感じた。
自分では身を沈《しず》めたつもりはないのだが、髪《かみ》の毛が打たれたのを感じた。ラルフ中尉は左の拳《こぶし》の慣性《かんせい》にのって身体を大きく泳《およ》がせた。
『義手をうけたら、ただではすまなかった』
アムロは、ホッとするが、その間に、中尉は下半身を軽くひねって重心と慣性のバランスをとって振《ふ》り向き、
「ボッとしてるわりには、ご機嫌《きげん》にかわしてくれたな。歯ぁ食いしばれ! 左右の者、アムロ曹長を固定しろ!」
その号令に、リュウとカイがのろりとアムロの両腕《りょううで》をとった。ラルフ中尉も右手でアムロの衿《えり》をわしづかみにすると、左手の往復ビンタを四回続けた。
「ようし。休憩一時間! 食事|終了《しゅうりょう》後、ブリーフィング・ルームに集合。かかれ!」
少年たちは、はじけ跳《と》んだ。
コア・ファイターの発進デッキから七メートルほど上にあるキャット・デッキから食堂に通じるリフト・グリップにとりつくのだ。通路の左右に埋《う》めこまれたガイド・レールに喰《く》いこんだグリップは、無重力帯で人員を運ぶものである。流れていった少年達がグリップを握《にぎ》ると、そのグリップは秒速二メートルから七メートルで一人の人を移動させてくれた。
「少しは要領良《ようりょうよ》くなったらどうなんだ」
リュウ・ホセイが、赤くなったアムロの頬《ほお》を見て笑った。
*
シャア・アズナブル少佐は、足の爪先《つまさき》で軽く反動をつけるとブリッジに浮《う》かび上がった。
軍靴《ぐんか》のマジック・テープが床面《ゆかめん》を噛《か》む音が耳をうつほどにムサイ・タイプのブリッジは静かだった。
「……あと一五分ほどでサイド|7《セブン》です」
ブリッジに立つドレン中尉が耳ざとく振《ふ》り向く。
「うむ……」
シャアはドレンには目もくれず、前方に展開される光景に見入った。シャアは、このポイントから眺《なが》められるパノラマが好きだった。左下の三日月《みかづき》状の地球が浮かび、さらにルナツーの赤っぽい岩の塊が《かたまり》、鎌《かま》のように輝《かがや》いているのだ。
ルナツーは、もとは火星と木星の間にあるアステロイド・ベルトのひとつ『ユノー』と呼ばれた小惑星であった。それが、二百を超《こ》えるコロニーに必要な鉱物資源を得るために、月|軌道《きどう》上に運ばれて、今では、削《けず》りに削られてその原形を留めてはいなかった。が、その最大直径はまだ八十数キロのレモン型の塊をみせていて、十二年ほど前に、月に正対する軌道上に定置《ていち》して、安定していた。
この空域《くういき》は、開戦前から地球|連邦軍《れんぽうぐん》の宇宙《うちゅう》軍の基地として要塞化《ようさいか》していて、この空域へジオンの巡洋艦《じゅんようかん》が潜入《せんにゅう》することは少なかった。とはいえ、暗礁空域《あんしょうくういき》と呼《よ》ばれるここは、たえず両軍のパトロール隊が出くわして、小競《こぜ》り合いが繰《く》り返される空域である。
「レーザー・スコープを!」
シャアの命令で、ブリッジの左のモニターにレーザーが捉《とら》えた映像が現れた。勿論《もちろん》、その映像は、コンピューター・グラフィックスによって表示されるもので、現実を写し出しているものではない。観測できる事実から類推《るいすい》した結果をコンピューターが解析《かいせき》し、グラフィックス化して見せるのである。モニターは、暗礁空域の向こう、二つほどの小岩が浮遊《ふゆう》する空間に、追跡中の地球連邦軍の戦艦《せんかん》を表示していた。しかし、その新型艦のデータが不足しているために、コンピューター・グラフィックスは、全長百八十メートルほどのトロイの木馬が伏《ふ》せてるようなシルエットを表示するだけだった。
「まるで、木馬だな」
そのシルエットを初めて見た時に、シャアが言った言葉が、この巡洋艦でのコードネームになっていた。上陸用|舟艇《しゅうてい》の趣《おもむき》のある艦は、過去の地球連邦宇宙軍にはなかったタイプである。
「気に入らんな……サイド7には、いつ着くのか?」
モニター前の兵が、コンピューターのキーを叩《たた》き始めた。ふと、シャアはその兵の右肩《みぎかた》のほころびが気になった。モニターの右下にデータが映し出された。
シャアは、防眩《ぼうげん》マスクごしにその数字を見つめた。そう、シャアはヘルメットの下にさらにマスクをしていた。ひどい傷《きず》があるという理由で許《ゆる》してもらっているのだが、それは違《ちが》う。
ザビ家の上層部に自分の素顔《すがお》を見られる事を恐《おそ》れてのことだった。
「サイド7は、開拓《かいたく》が始まってどのくらいたつのかな?」
「二年半ほどであります。シャア少佐」
十歳も年上のドレン中尉が慇懃《いんぎん》に答えた。
「サイド7の一番目のコロニーが三分の一ほど出来上がったところで、開戦でしたから、ま、未開地もいいところで……」
「なるほど。ルナツーの制空|圏《けん》内でもある。な……」
言いかけてシャアは思い当たった。木馬の形状とサイド7に向かうという事。
「V作戦か。地球連邦軍め、モビルスーツを完成させたな」
「モビルスーツ? 連邦が、でありますか?」
シャアは、疑い深そうに応じるドレン中尉の鈍《にぶ》さが燗《かん》にさわった。文官上がりだから仕方あるまい。
「サイド7に軍は駐留《ちゅうりゅう》しているのか?」
「おります。コロニー管理省の部隊が一小隊。パトロール第三方面軍の第八中隊であります。二か月前の情報であります」
モニター前の若い兵が叫《さけ》ぶ。
「古い情報だな。我《わ》が軍もよほど人手不足とみえる」
「ハッ! なお、七か月前のデータによりますと民間人一万三千八百人が……」
「了解したよ。キム」
連邦軍が、モビルスーツのテストをサイド7でやるのは充分《じゅうぶん》に考えられる事だった。偵察《ていさつ》を出す必要があった。しかし、ゲリラ掃討《そうとう》作戦を終えて、帰路についていたシャアの巡洋艦《じゅんようかん》ムサイには、ミサイル弾薬《だんやく》がほとんど底をついていた。メガ粒子砲《りゅうしほう》の四門のうち二門は、作戦前から調子が悪く、作戦中一度使っただけで磁力束帯《じりょくそくたい》が焼き切れて使えなくなっていた。
三機のモビルスーツ『ザク』は健在であるが、ザクが使う百二十ミリ・ライフルの弾丸《だんがん》は二カートンほどしか残っていない。
そもそも、人類が宇宙《うちゅう》に進出した記念すべき年を宇宙世紀《ユニバーサル・センチュリー》、もしくは宇宙暦《うちゅうれき》零《ゼロ》年として、現在は七九年。
地球上の狂気《きょうき》に似た人口増加を、宇宙移民によって円満に解決しようという施策《しさく》が始まって半世紀。旧西暦二十世紀後半に発表された宇宙移民計画、スペース・コロニー計画が実行され、あの古き良き時代の夢《ゆめ》物語の宇宙《スペース》コロニー、直径三キロメートルあまり、長さ三十二キロ強の円筒形《えんとうけい》の『シリンダー』が建設され、現在はその二倍もの容積のコロニーさえ建設されていた。
地球は、有限な石油文化の爛熟期《らんじゅくき》の通弊《つうへい》として危機感だけが蔓延《まんえん》して、資本主義の一番の悪癖《あくへき》だけが残り、安定的な文化生活など営《いとな》めなかった。しかも、石油を燃すしかないエネルギー消費は地球上の温室効果を高め、太陽電池によるエネルギーの移送は、地球のオゾン層を破壊《はかい》して地球上でも、放射能|障害《しょうがい》を受ける危険があった。かつ、地球上の自然体系が人口の増加で破壊《はかい》されることを阻止《そし》しなければならない人類としては、宇宙移民は強制的に行われなければならなかった。そのために、人類のローカル性を無視する強権が発動された。
人類は、人口増によって地球上の自然体系が破壊され、星一つが潰《つぶ》れる愚挙《ぐきょ》だけは回避《かいひ》したかったのである。
太陽と月と地球の引力の中和点ともいえるラグランジェの各ポイントのうち、まず、ラグランジェの第五ポイントに四十|基《バンチ》のコロニーが建設され、その一つの『群』をサイドと呼んだ。そして、ラグランジェの第五点に、サイド|1《ワン》、|4《フォー》の二つのコロニーの群、ラグランジェの第四ポイントにサイド|2《ツー》と|6《シックス》。ラグランジェの第一ポイントにサイド|5《ファイブ》、ラグランジェの第二ポイント、俗にいう月の裏側にサイド|3《スリー》が建設された。
宇宙暦四五年。ルナツーが成立して、サイド1とサイド2への移民が終わった。
そして、サイド3が新興《しんこう》のサイドとして建設される頃から(これ以後のサイド4、5、6の建設は加速度的にすすむわけだ)、二つのサイドから地球離れの思想が芽生《めば》えはじめたのである。
そして、サイド6までの移民が完了《かんりょう》し、サイド7の建設によって最終移民計画が終わろうとする頃、つまり、百年間にわたる移民プロジェクトが終了して、人類の総人口の八〇パーセントが宇宙の民となろうという最近に至って、地球に残りたいとする人々が台頭《たいとう》し始めたのである。
その人々は、地球|連邦《れんぽう》政府の要職に接近して、自分たちだけは地球の在来種として地球に生息することを望んだのである。しかも、彼等はスペース・コロニーに移住した人々(スペースノイド)を管理することはやめなかった。
ここに、地球に残る人々と宇宙移民の間の確執《かくしつ》が表面化した。
その尖鋭《せんえい》的なものが、ジオン公国、すなわちサイド3を中心とした独立政権|樹立《じゅりつ》なのであるが、その前兆《ぜんちょう》運動は、宇宙暦五八年のジオン・ダイクンによるコロニー共和国|宣言《せんげん》にあった。
しかし、その若き革命家ジオンは四年後に死亡して、その後をデギン・ザビが受け継《つ》いだものの、地球連邦政府はコロニーの自治権など認めようとはしなかった。地球に残った人々は、たとえ人類の大半が宇宙の民になろうとも、その支配権を地球上の置きたかったのである。
しかし、サイドの運営を地球から見上げる形で出来るものなのか? ここに地球型思考の古さがあったといって良い。
この地球連邦の一方的|押《お》しつけに、デギン・ザビは独自の力を示すしかないと決意し、人類は宇宙戦争への道を歩み出したのである。
デギン・ザビは、宇宙移民者《スペースノイド》の結束《けっそく》を固めるために、『ジオン公国制』の樹立を宣言し、サイド3独自の軍を組織した。その軍備建設の背後には、ミノフスキー粒子《りゅうし》の発見があった。
この粒子は、数種類の帯電機能を持つ極微粒子を散布することによって、宇宙空間中のプラズマと融合《ゆうごう》を起こさせて不安定イオン状態を作って、電波の反射吸収を起こすもので、発見者の名をとってミノフスキー粒子と呼ばれていた。寿命《じゅみょう》はごく短く、たえずこの粒子を散布しなければならない欠点があるものの、宇宙空間の戦闘《せんとう》の形態を根本的に変えるものであった。
つまり、この粒子《りゅうし》によって、レーダーに類する電波兵器の使用が基本的に不可能になり、その状況下《じょうきょうか》に最も有効な兵器を開発したのが、ザビ家の二人の辣腕《らつわん》家ギレンとキシリアであった。
彼等は、ミノフスキー粒子の弊害《へいがい》を突破《とっぱ》して白兵《はくへい》戦を行い得る兵器、モビルスーツ『ザク』を開発したのである。これによって、ジオン公国は、彼等の言う『ジオン独立戦争』に踏《ふ》みきったのである。
開戦当初の『一週間戦争』は、ギレン、キシリアらの予告通りにすすんだ。
モビルスーツ・ザクは戦艦《せんかん》と同じ核融合《かくゆうごう》エンジンによって、駆動し、その戦闘継続《せんとうけいぞく》時間は長大であった。その上、各種の火器をその用兵によって持ちかえる事が出来たために、ミノフスキー粒子下の接近戦を容易にし、ザクの一撃離脱《いちげきりだつ》の戦闘、内懐《うちぶところ》にとびこむ戦法は、地球連邦のマゼラン・タイプの戦艦さえ沈《しず》める事ができた。
人が操縦《そうじゅう》するスーツという概念《がいねん》も、機体を複合三重ハニカム構造の重装甲化《じゅうそうこうか》では、十六メートルの身長は、ギリギリの大きさといえた。そのために、ザクはパイロットに不自由な点もあった。コクピットの入り口が、操縦パネルの前にきてしまって、出入りが難《むずか》しいのである。無重力のために問題はなさそうなのだが、パネルを汚《よご》すので不評なのである。
ザクが手にする百二十ミリ・ライフルは、手に持つが故《ゆえ》にライフルと呼んではいるものの大砲《たいほう》である。ザクはこれを至近距離《しきんきょり》で使った。その結果、中にはシャアのようなパイロットも出現するわけである。シャアは、自分のザク一機でマゼラン・タイプ三|隻《せき》、サラミス・タイプ巡洋艦《じゅんようかん》七隻を沈めた。彼はこの功で少佐にまで特進し、彼の乗る赤いザクを連邦軍兵士は『赤い彗星《すいせい》』と呼んで恐れた。
*
デニム中尉《ちゅうい》は、五十メートル後方にジーン少尉《しょうい》のザクを従《したが》えて発進した。デニム中尉はサイド7を迂回《うかい》して太陽を背にし、暗礁空域《あんしょうくういき》に浮《う》かぶルナツーの破片を盾《たて》にして、満月のように輝《かがや》くサイド7のコロニーの円筒《えんとう》の中心部を目指《めざ》して侵入《しんにゅう》していった。
直径三キロメートルあまりの物体が、白色に輝いて迫《せま》ってくる光景は恐《おそ》ろしいものだった。真空は、視覚的|距離《きょり》感を混乱させた。目をこらせば、迫るコロニーの壁《かべ》のデテールが見えるのだ。正面のモニターはすでに『壁』しか写してくれない。比較《ひかく》するものがないとますますその距離感は把握《はあく》できなかった。デニム中尉はもう正面の正視《せいし》モニターを見るのをやめて、右の距離計しか見なかった。とはいえ、ザクの右手に持つ百二十ミリ・ライフルの照準《しょうじゅん》は、ザクの単眼《モノアイ》と合せていつでも狙撃《そげき》できる用意はしてある。
コロニーからは何の反応もなかった。左右のモニターは、コロニーの外周部を写していた。建設|途中《とちゅう》の骨組みが数百メートルつき出ていて、それがコロニーの大きさを示す対比物となっていた。今になってそれに気づいて、デニム中尉は舌うちした。
『ジーンの奴《やつ》はいい。俺《おれ》のザクだけを目標にして、俺がぶつかりでもしたら、さっさと逃《に》げる気なのだろうからさ』
デニム中尉はついに巨大な『壁《かべ》』を凝視《ぎょうし》せざるを得ない距離に接近して。やむなく正視モニターを見つめた。
とっくに激突《げきとつ》するはずの壁も、さらによく見ると、ようやく人間の手が描《か》いたと思われる文字や、人間が出入りするために作られたハッチのデテールを見分ける事ができた。作業員のいたずら書きだろう『右にトイレ』『ハーネスと寝《ね》たい』。それ以外にもひどいいたずら書きもあった。
「ひどいものだな」
デニム中尉はいたずら書きに苦笑《くしょう》したのではない。中央ブロックにある貨物用のハッチが開いているのを発見したのだ。囮《おとり》かとも思う。
『が、そうか? まあ、賭《か》けるしかあるまい……壁に接触《せっしょく》したとたんに警報《けいほう》が鳴ったとしても、このザクに対して連邦《れんぽう》のエリートどもに何ができるというのだ?』
デニムはザクを接壁《せっぺき》させた。何も起こらなかった。
ジーンのザクも続く。二機のザクは貨物用のハッチに入り、内壁のハッチに手をかけてみた。信じられなかったが、手動のハッチは開いたのだ。
「人間のやる事ってのは、ジオンも連邦も同じだな」
デニムのザクは、順次、四重のシャッターを開き(最後のは溶接《ようせつ》してあったが、ザクの左手に組みこまれたレーザー・バーナーで焼き切った)コロニーの円筒内《シリンダー》を展望するデッキに出た。しかし、シリンダーの軸《じく》の部分からは、雲が邪魔《じゃま》をして、シリンダー内に三百六十度展開する『陸地』は見ることが出来ない。
コロニー内部は、正確にいうと円筒断面が六等分されて、交互《こうご》に太陽光線を内にとり入れるガラスの部分と人の住む陸地の部分がある。人々は人工陸地を生活の大地として、三キロ上空にあるガラス部分から太陽光線を受け入れる。太陽光線は、それぞれのガラス部分の外に設営された長大《ちょうだい》なミラーによって均一《きんいつ》に投光されるようになっていて、宇宙標準時に合せてミラーの開角度が調節されて夜、昼を作り出した。この調節次第によっては、季節も地域差も演出することができた。
ジーン少尉のザクの左手が、デニム中尉のザクの肩《かた》に触《ふ》れた。ザクの装甲《そうこう》が伝える振動《しんどう》を利用した通話で『お肌《はだ》の触《ふ》れ合い』会話という。ノーマルスーツ(そう、モビルスーツの概念《がいねん》が出来上がったことにより、人が着る宇宙服をこう呼びならわすようになった)のヘルメット同士でもやることだ。
「デニム中尉。蜘蛛《くも》の巣《す》です」
デニムは一瞬《いっしゅん》怒鳴《どな》るのを忘《わす》れて、ジーンのザクの示す方向を見た。なるほど、見事な蜘蛛の巣が左上の隅《すみ》にあった。ジオンのコロニーは昆虫《こんちゅう》に対して厳格《げんかく》で、蜘蛛などは昆虫館以外でみる事はできない。
「ザクを降《お》りて触《さわ》ってみたいものであります」
「戦争に勝ったら、まっ先にここに来ようぜ」
デニム中尉はそれを合図にデッキからとび降りた。完成予定の三分の一の建設で工事の停まっているこのコロニーの雲は、ジオンのコロニーに比《くら》べてやや薄《うす》かった。コロニーのシリンダーの中心部から、シリンダー内部の土地まで千五百メートルほど降下《こうか》しなければならない。
『……ここで敵《てき》に発見されたら、せっかくコロニーに辿《たど》り着いた意味がなくなるぞ……』
しかし、デニム中尉はコロニー内にかなりのミノフスキー粒子《りゅうし》が散布されているのを知って、シャア少佐の勘《かん》は正しいと感じた。
『こりゃ、なにかある……』
レーダーに探知《たんち》される心配はないが、人の目に触《ふ》れるかも知れない。午前四時半という時間を当てにするしかない……と、デニムは思った。
地表が迫《せま》ってきた。同時にこれがサイドの内なのかと驚《おどろ》かされた。確《たし》かに新開地はこんなものだろうと想像していたが、人間工学的に計算されつくしたジオンのコロニーの区画に比《くら》べて、何と雑然としていることか。
しかし、目的地らしい荒野《こうや》、軍事施設らしい区画はすぐに見当がついた。同時に、デニム中尉は、その荒野の一角《いっかく》に光るものを発見した。
「モビルスーツか?」
十数秒後、軍事施設らしきところから三キロほどの地点、土砂《どしゃ》が山積した一角に二機のザクは着地した。デニム中尉はザクの正面モニターを望遠《ぼうえん》に切りかえた。十一キロ前方にコロニーの山が見えた。それはコロニーの反対側の中心軸へつらなる人工の山で、その山頂にあたるところが、港やら産業ブロックがあった。この中心から、さらにその反対側の山頂から平地へと続く。
その山の斜面《しゃめん》に設置されたリフトが動きはじめているのが判《わか》った。そのリフトの上に乗ったむきだしの機体は、明らかに人型《ひとがた》をしたモビルスーツであった。
「完成していないのか」
デニム中尉は思う。リフトは上昇《じょうしょう》する赤い機体は、明らかに上半身と下半身が分けられていたからだが、注目すべき事は、その上半身の方の肩《かた》にミサイル・ポッドらきしものが装備されていることだった。それはひどく単純な形態であったが、デニムはなるほどと思った。
「あれなら手が使えるな。ライフルを持つとなれば手強《てごわ》い……」
「中尉。左下のトレーラー。あの白いのもモビルスーツです」
『お肌《はだ》の触《ふ》れ合い』通話でジーンが呼びかけてきた。巨大な建物からトレーラーで搬出《はんしゅつ》されるモビルスーツは、半分ほど幌《ほろ》がかけられていたが、それはリフトで運ばれているものとはちがう機体のようだ。
「まるで人間じゃあねえか」
デニムは一人ごちた。眼が人間と同じような位置についていた。
「人間に近づけりゃ、強くなるってもんでもなかろうによ」
デニムは、二機のモビルスーツの存在は確認できたが、最終実用テストを行っていたのならば、あと二、三機の機体はあるだろうと思った。
『……どうするデニム?』デニムは自問した。
最良の策《さく》は、目の前の連邦のモビルスーツを捕獲《ほかく》する事だが、あの若い戦闘《せんとう》指揮《しき》官、ザビ家にとり入って昇進したシャア・アズナブルという奴《やつ》に、実戦で鍛《きた》え抜《ぬ》いた実力というのをみせておくのは悪くないとも思う。
『さて……何機のモビルスーツがいるんだ?』
*
サイド7の港に入ったペガサスは、ドッキング・ロックをかけるやいなや、前脚《まえあし》にあたる部分のハッチを開いた。ガンダム換装《かんそう》システムが、モビルスーツを待ち受ける体勢である。
「ガンダム三機。ガンキャノン三機。三分後に搬入《はんにゅう》される! 各員配置につけえ」
アムロら五人のパイロット候補生も左右のデッキに散った。正規パイロットのうちの四人はペガサスから出て、リフト・グリップで港内ハッチへと向かう。役得《やくとく》なのだ。ペガサスの隊員の中で一番始めにモビルスーツを見る事ができるというのは……。
「急がせろよ。モビルスーツ受領後、直ちにサイド7を発進する。ムサイは間《ま》違《ちが》いなく我々《われわれ》を追っているはずだ」
パオロ・カシアス艦長《かんちょう》は二十分前にキャッチした敵影《てきえい》を、その後|暗礁空域《あんしょうくういき》で見失った事にこだわっていた。それに、サイド7周辺のミノフスキー粒子《りゅうし》が濃《こ》すぎるのにも腹が立っていた。モビルスーツのテスト部隊にすれば、レーザー波を攪乱《かくらん》するミノフスキー粒子をばらまいてはおきたいのは分かるが、それは良《よ》し悪《あ》しなのだ。
「物事には程度《ていど》というものがある」
ブリッジの窓越《まどこ》しにパオロは港内のブロックを眺《なが》めた。百メートルほどの鼻さきの壁《かべ》には、港のコントロール・コアがあり、赤っぽい明かりの中、数人の人影《ひとかげ》が浮《う》いていた。いかにも人手不足らしい。と、アラームが鳴った。
「コロニー内から攻撃《こうげき》です!」
通信兵が振《ふ》り向いてわめいた。
「攻撃?」
パオロは冗談《じょうだん》だと思った。
結局《けっきょく》、デニム中尉は自分の功名心《こうみょうしん》に従ったのだ。
二機のモビルスーツが雲の中に見えなくなり、巨大な建物のかげから四機のトレーラーが出て、さらに二分ほど待って後続がないと判断するや、デニムはザクのジャンプ用のバーニアを点火した。慣性《かんせい》重力下でもザクの巨体を八百メートルほどジャンプさせる事ができる代《しろ》物《もの》だ。
ジーンのザクも続いた。山のリフトを登っているモビルスーツに照準を合わせる。ライフルが火を噴《ふ》いた。二発が適確《てきかく》に直撃した。
崩《くず》れおちてゆくリフトは、赤いモビルスーツと思われる機体をつつみこんで山の斜面《しゃめん》をすべった。ジーンのザクは山の麓《ふもと》を一連射《いちれんしゃ》し、一台のトレーラーを火に包んだ。
『今時ガソリンを使うのか?』デニム中尉は黒煙《こくえん》をみて思った。
ザクが着地する。柔《やわ》らかい地盤《じばん》が、ゾロッとザクの足を滑《すべ》らせる。と、左前方から有線ミサイルが滑りこんでくる。狭いコロニー内でミノフスキー粒子《りゅうし》に干渉《かんしょう》されずにコントロールできるミサイルとなれば有線に限るのだ。デニムは、ザクの上体をかすかに傾《かたむ》けてミサイルをやりすごすと、ザクの左手でミサイルのワイヤーをひきち切った。
「が……! こいつがあるって事は、連邦《れんぽう》軍はコロニー内での交戦を想定《そうてい》していたってのかっ」
思ったより抵抗《ていこう》があるぞとデニムは思った。有線ミサイルを装備した電気自動車(一般にエレカと呼ぶ)が数台現れた。ザクのライフルの砲弾《ほうだん》がそれを次々と撃破《げきは》した。脚《あし》の遅《おそ》いエレカの使い方を連邦の連中はまるで知らないかの様《よう》だった。
ペガサスのハッチの前方。五百メートルほど先にある港とコロニーをつなぐハッチが開いた。
と、同時に轟音《ごうおん》がアムロの背中をうった。二機のコア・ファイターが射出されたのだ。
アムロは唖然《あぜん》とした。ろくな戦闘機《せんとうき》でないコア・ファイターが、狭《せま》いコロニー内で迎撃《げいげき》戦をやろうというのは、狂気《きょうき》の沙汰《さた》なのだ。直径三キロで、このコロニーの場合、長さは確か二十五キロしかないはずだ。そんな空間に飛び込んだら、周辺にある地表と太陽光を導くためのガラスの『河』に激突《げきとつ》しないように機を操る《あやつ》のが精一杯《せいいっぱい》で、ろくな迎撃などできるはずがない。
「なに」
デニム中尉は、雲間から降下するひどく小型な戦闘機の出現に息をのんだ。
コロニー内に迎撃戦闘機が駐留《ちゅうりゅう》しているという話は聞いていないということは、あの木馬の搭載機《とうさいき》と考えるしかなかった。が、機銃掃射《きじゅうそうしゃ》でこのザクを倒《たお》せるとでも思われたのが、デニムには軽蔑《けいべつ》されたように感じながらも、照準スコープの中に小型機を捉《とら》えた。
百二十ミリ・ライフルに散弾《さんだん》は入れてなかったが、デニムは狙撃《そげき》をやってのけた。コア・ファイターは粉微塵《こなみじん》になり、その破片《はへん》がデニムのザクに音をたててぶつかった。
アムロたち五人の候補生は、ノーマルスーツを着、無反動ライフルを持って、港のリフト・グリップでコロニー内に向かった。
「二個戦闘中隊がサイド内に潜入《せんにゅう》したらしいぜ」
カイがどこから仕入れたのか、もっともらしいことを言う。
「ペガサスはろくな戦闘中隊もいないんだぜ。大丈夫なんだろうか?」
そのハヤトの声は、隣《となり》にいたアムロ以外には聞こえなかった。
こっちの都合《つごう》に合わせて来ちゃあくれないさ、と、リュウがバーから手を放す。彼の巨体《きょたい》は、巨体|故《ゆえ》に大きな慣性《かんせい》を持って空を滑空《かっくう》した。壁《かべ》のリフト・グリップをブレーキ替《が》わりに、彼はCデッキへとりつく。敵の侵攻《しんこう》が行われているブロックへ下りるデッキだ。
かすかに地上の砲撃《ほうげき》音が空気を揺《ゆ》るがしていた。再び、中央の港口からは二機のコア・ファイターが発進して、シリンダー内の雲の中に吸《す》い込《こ》まれていった。
「たいしたもんだぜ。小型だから旋回《せんかい》性能がいいってのかな」シアン・クランク曹長《そうちょう》だ。
リュウを先頭にエレベーターへ接近した候補生は、そこで初めてモビルスーツ『ガンキャノン』の現物を見た。トレーラーに乗せられている八メートル余りの上半身は、スライドやビデオで見せられていたイメージよりずっと小さく感じられた。ただ、両|肩《かた》の二十八センチ砲が異様《いよう》に巨大な印象を与《あた》えた。機体は真っ赤に染《そ》められ、一か月の実用テストを行った後とはいえ新品同様に輝《かがや》いていた。
「これで出撃すりゃあいいのによ」
「しかし、下半身が来てません」
アムロは、そのガンキャノンの肉厚な装甲《そうこう》を確かめると、乗るならばこちらにしたいものだと思った。
エレベーターは電源《でんげん》が切れて使えなかった。やむなく、彼等は一台の軍用エレカを見つけ出すと山腹《さんぷく》の斜面《しゃめん》を滑《すべ》り下りて入った。次第に重力の世界に入ってゆく彼等は、あらためて肉が腰《こし》まわりに固まって血が下がってゆく重力感を味わった。が、実戦の砲撃《ほうげき》の音に、高まる緊張感《きんちょうかん》を押《おさ》える事ができなかった。全員、初めての実戦なのだ。
砲撃音が、ミサイル発射音が次第に近づいていた。ビチャーン。ヘルメットをしていても、耳を打たれる衝撃音《しょうげきおん》には、一同は頭を下げざるを得なかった。七、八十メートルたらずのところを上昇《じょうしょう》していたリフトに直撃弾《ちょくげきだん》が当たったのだ。
エレカが傾《かたむ》いた。ドウウウ! 金属の塊《かたまり》がふくれ上がり、白熱の火が四方に散った。五人の候補生の体は宙《ちゅう》に舞《ま》い、二分の一の重力下であったにもかかわらず山腹に体を叩《たた》きつけられた。爆圧《ばくあつ》がやや上からかかったためだ。
「サンバイザーを下ろしておくのだった」
アムロは悔いたが、地に叩きつけられた瞬間《しゅんかん》には、サンバイザーは衝撃をキャッチして顔を庇《かば》ってくれた。サンバイザーの防弾《ぼうだん》プラスチックが破られるほどの衝撃を受けた時は、その中の体と頭はきれいに分離《ぶんり》している時なのだ。
「大丈夫《だいじょうぶ》か?」
リュウ・ホセイの言葉に全員がヘルメットを上げる。誰《だれ》も怪我《けが》をしていない。
彼等はあらためてライフルを持つと山を駆け下りていった。雲の下に平地が開けてきた。左右には朝用の太陽光が輝きはじめたその戦場に、断続的な噴射音が《ふんしゃおん》下から上ってきた。コア・ファイターだ。アムロ達の頭上を上り、胴体《どうたい》を山腹にこすった瞬間に《しゅんかん》、それは火を噴《ふ》いた。
「うわー!」
アムロのヘッドフォンに悲鳴がとびこんでくる。もちろん、自動音量調節が大音響《だいおんきょう》を打ち消してくれるが、誰《だれ》の声かは教えてくれた。
「シアン!」
アムロが右に振り向いた時、中身がないようなノーマルスーツが舞《ま》い上がっていた。シアン・クランプのレモン・イエローの戦闘《せんとう》ノーマルスーツの脇腹《わきばら》がえぐられて、鮮血《せんけつ》が尾《お》をひいていた。
コア・ファイターの破片《はへん》の直撃を《ちょくげき》受けたのだろう。一度、山腹の岩にぶち当たったシアンのノーマルスーツは大きく弧《こ》を描《えが》いていった。
『何の布だ?』アムロはシアンのノーマルスーツが、鮮血にまみれさせてなびいている長い帯のようなものをみとめた。あとで、あれは腸《ちょう》だったのか……と思いついた。長いものがち切れもせずになびいていた……。
だがその時は、そんな事を考えている間《ま》はなかった。コア・ファイターの爆圧《ばくあつ》によろめきながら、アムロたちは駆け続けた。後ろからペガサスの戦闘中隊の三十人ほどの兵が、喊声《かんせい》をあげて負いたててきた。
『フラウ・ボウ。大丈夫《だいじょうぶ》なのだろうか?』
アムロは、四年前にサイド7に移住してきた時からのお隣《となり》さんだった一つ年下の少女の事を想《おも》った。父と二人だけの生活だったアムロにとっては、フラウ・ボウの母は、彼の母でもあった。寛容《かんよう》でよく気のつく女性だった。その母の薫陶《くんとう》をうけたフラウ・ボウもまたやさしい少女だった。初恋? それほどはっきりしたものではないが、そういっても間違《まちが》いではない。今、下りつつあるCブロックこそ、アムロとフラウ・ボウの家のあったところなのだ。
『よりによって、Cブロックをテスト場に調達しやがって!』
ゴフゥ! ゴフゥ!
聞き慣れない爆音を足下に感じ、アムロは本能的に地に伏《ふ》した。と、山腹《さんぷく》を掠《かす》めるように上昇《じょうしょう》してくる物体があった。周囲に展開した何人かが、アムロに遅《おく》れて地に伏せた。
迫《せま》ったそれは、まるい頭の目に当たるところに直径七、八十センチの単眼を音をたてて灯《とも》した。それが左右に百七十度ほどに回転する。その間も上昇してゆく巨体は……いや、歩みつつ登ってきただけのジオンのモビルスーツ、ザクだ。
「うおー!」
雄叫《おたけ》びと恐怖《きょうふ》のうめきが湧《わ》き上がると、アムロの周囲の兵がパチパチとライフルを撃《う》ち上げた。ザクの白褐色の《はくかっしょく》機体の装甲《そうこう》がライフル弾《だん》で傷《きず》つくというものではない。
キューン! 冴《さ》えた音がアムロの耳をうった。アムロは駆《か》け出していた。ザクの足の間を走りぬけるのだ。ザクの足がどのように動くか判《わか》りはしないが。大丈夫《だいじょうぶ》だという自信があった。足の機能から考えて、大丈夫なのだ!
アムロは息もつかずに走った。その背後で、兵を直撃する砲弾が炸裂《さくれつ》し、小石がアムロの背中を打った。しかし、ただ走った。一つの岩が数メートル下まで跳《と》んだ。アムロは、まだ一発の弾丸も撃《う》ってはいないが、これが戦うということなのだろうと思った。体が転がっていた。
ドウン……! 地を揺《ゆ》るがす響《ひび》きが再び起こった。山腹《さんぷく》のリフトが炎に《ほのお》つつまれて崩《くず》れてゆくのが見えた。
「一方じゃあないか!」
アムロは一人|叫《さけ》んだ。
アムロに遅れて、リュウ、カイ、ハヤトが軍の退避《たいひ》のカプセル前に集まってきた。このカプセルは、本来コロニーに危険があった時に使われるもので、場合によってはコロニーの回転力を利用して射出《しゃしゅつ》する事ができた。が、今、それで逃《に》げ出すというつもりはなかった。麓《ふもと》で一番目立つ標識があったから集まったにすぎない。
「ザクは二機だけらしいが、コア・ファイターは三機もやられちまったらしい」
リュウ・ホセイは確実な情報だといいながら報告した。
「四基だぜ」
カイの言葉に彼等は『壁《かべ》』の方をみた。炎の塊《かたまり》が河に向かって落下していった。
「コロニーの内でこんなにやったら、コロニー自体が保たない。大体、ザクが二機も来たって事は、近くにいるんだろう? ムサイが! そっちの方が問題じゃないのか?」
アムロはリュウに尋《たず》ねた。
左手の方から四、五十人の一団が麓の《ふもと》エレベーターに向かって殺到《さっとう》していた。民間人だ。老人に女子供がほとんどである。
ザクの一機は山腹《さんぷく》に、もう一機はテスト場の中央を占拠《せんきょ》して、一応の制圧《せいあつ》を完了《かんりょう》したかの様《よう》で、その砲撃がやんだ一瞬《いっしゅん》をついて、民間人が逃《に》げ出したのだ。河を渡って他ブロックへ移動する集団もあったが、山側に逃げた人々は港へ上ろうとしていた。殊《こと》に、人工の山の内部のエレベーターは、一番|遮蔽《しゃへい》された場所に思えるのだ。
アムロは、その集団の中にフラウ・ボウを捜《さが》したが見つからなかった。
と、右手一キロほどに轟音《ごうおん》が響《ひび》いた。戦闘小隊が対戦車ミサイルを装備《そうび》したエレカ五台を押《お》し出してゆくのが見えた。同時に山の斜面《しゃめん》からも、かなり組織的な射撃《しゃげき》が平地のザクに向かって集中した。
その時になってやっと四人の候補生は、自分たちが兵士として無意味な位置にいる事に気づいた。彼等は、山腹内の軍の施設にとびこんで武器を捜《さが》したが、そんなものはここの守備隊が出ていった時に持ち出していったあとだった。しかし、こうやって武器を捜す騒ぎをしているだけでも、戦闘行為をしているという気分にさせられて、少年たちには有り難《がた》かった。
至近弾《しきんだん》が窓《まど》ガラスを破った。ザクの足が林の向こうに接近しているのが見えた。いや、山腹にいたザクがとび下りたのか? ふっとアムロは感じた。
「ここは危険だぞ」
その声がバネになって一同がとび出すと、その直後に、巨大《きょだい》な岩塊《がんかい》が崩《くず》れ落ちてきた。が、次に、ザクに向けられた味方の集中攻撃の下に体をさらす結果となった。
「味方がいるのに撃つなんて!」
ハヤトの絶叫《ぜっきょう》の中、アムロは連邦《れんぽう》の守護隊の連中は、民間人がいようといまいとザクを倒《たお》すつもりになっているのだと分った。現に、林の中の一群の民間人の群に、味方のものかザクのものかは分らない直撃があって、四散した。ザクは、民間人を楯として使うつもりで内《うち》懐《ふところ》中にとびこんできたのだ。
アムロたちは、転がっていたエレカを起こしてスタートさせたが、左手十メートルのところにいるザクが一連射してくれた。その爆圧《ばくあつ》と空薬莢《からやっきょう》が降ってきた。ガラン、ラン!
「くそお!」
リュウは喚《わめ》きながらハンドルをきったが、ドラム缶《かん》ほどの薬莢がエレカのフロントに直撃した。四人の体が宙《ちゅう》に舞《ま》い、アムロは爆撃された穴《あな》に放り出された。そこの土が軟《やわ》らかかったおかげで怪我《けが》もしなかったが、その土のえぐれた下に、コロニーを形成する骨組みが露出《ろしゅつ》しているのを見つけて、アムロはゾッとした。昔のコロニーは、土の厚さを三メートルですませていたが、今は平均六メートルも敷《し》きつめている。それが砲撃でほとんどえぐりとられていた。
『これ以上、ドンパチやられたらたまらないな』
爆撃された穴には二度と直撃はこない、という戦場のジンクスはいまだに生きていた。アムロは出るのをためらったが、前方五十メートルぐらいの林道で直撃を受けて爆煙の中から人の手首が飛んで落ちてきたのを見た時、アムロは爆撃の穴からとび出していた。
子供の手だったと思う。その中指がピクンと動いたように見えた。アムロは、ある目標を目指して走っていた。
アムロは、テスト場内のトレーラーに載《の》せられたモビルスーツが全く手つかずなのを知ったのだ。なぜ知ったのか判《わか》らなかった。落ちた手首の鮮血《せんけつ》を見たからではない。その中指が動いたから、激発《げきはつ》した感情がアムロを信じこませた、というのでもなさそうだった。
アムロは、三百メートルを走った。いくつかの焼け焦《こ》げた死体をとびこえ、次に焼けた木を踏《ふ》んづけた時、アムロは足をとられて滑《すべ》った。アムロのノーマルスーツの靴《くつ》の下で、焼けた木と思えたものの表面が剥《は》げた。そこには肉の色があった。サーモン・ピンクと毛細管の浮き出た美しくなまめかしい肉の色だった。アムロの脚《あし》が焼死体の背中の皮を剥いたのだ。真っ黒に炭化した皮膚《ひふ》の下になぜこんな美しい色があるのだと思いながらも、嘔吐感《おうとかん》が襲《おそ》い、アムロは危《あや》うく堪《こら》えて走った。
ザクが捕獲《ほかく》するつもりで手をつけていないモビルスーツがトレーラーに残っていたのだ。コア・ファイターとユニットされたままである。
アムロは、そのモビルスーツが載《の》っているトレーラーの荷台のタラップを登り、モビルスーツ、ガンダムの腹部にあるコクピットのハッチに辿《たど》りついた。ハッチにかぶせてある幌《ほろ》をはぎとったアムロは、自分の的確な勘《かん》に快哉《かいさい》を叫《さけ》んだ。
ガンダムのエンジンは、アイドリングしたままだった。
アムロは、コクピットに入る前にザクの動きを見た。対戦車エレカ群と攻防《こうぼう》するザクは、当初の余裕《よゆう》はないように見えたが、優勢である事に変わりはなかった。山腹《さんぷく》のザクは五機目のコア・ファイターを撃墜《げきつい》させて麓《ふもと》へと滑《すべ》り下りてくるところだった。
この三か月間、シュミレーションも毎日やらされていたアムロは、迷《まよ》うことなくコクピットにすべり込《こ》んだ。が、コンソール・パネルには、テスト期間中のメモや表示数値の変更のメモが書き込まれた紙が張りつけてあった。かなりの癖《くせ》がある機体らしかった。
アムロは、コア・ファイターからガンダムに操縦系の切り替えが行われているのを確かめてから、左右のペダルを踏《ふ》みこんでいった。
超小型の磁力《じりょく》封《ふう》じ込めに成功した核融合《かくゆうごう》エンジンの噴《ふ》き上がりはひどくデリケートだった。大体、すぐオーバーヒートするといわれていた。一瞬《いっしゅん》のうちにパワー計数をレッド・ゾーンに放り込む。左右の胸の排気《はいき》ノズルから熱いガスがコクピットに流れ込んできたので、アムロは慌《あわ》ててベンチレーターを回した。これはシミュレーションで体験できる事ではない。
前面の三重の装甲《そうこう》ハッチをあげ、同時に、正面のハッチの裏にセットされたテレビ・モニターが映像を写し出す。このモニターは、ハッチ左右のモニターとも連動してガンダムの眼の高さから見た映像をパイロットの視野と同じ比率に換算《かんさん》して写し出すものだ。そのモニターの視野は、現実にパイロットが見るものと寸分違《すんぶんたが》わない距離《きょり》感をもっていた。さらに、コンピューターにバンクされたターゲットならば、コンピューター・グラフィックスによって正確に表示してくれ、未確認物体については、直《ただ》ちに未確認物体の危険表示をしてパイロットの注意を促《うなが》した。
この正視モニターの補助をするために、左右上下に八面の小型モニターがあって、三百六十度の視野を確保した。さらに、それらの映像は任意に正面モニターに切りかえる事もできた。他にも、近距離であれば多少の映像の乱れを我慢《がまん》すれば使うことはできる味方と通信用のモニターが二面あった。
頭部のバルカン砲の残弾が八十発。二射はできるだろう。アムロは、左右のレバーがゆっくりとひいた。立ち上がりへの初動である。ガンダムの脚部《きゃくぶ》のセンサーが、周囲の状況《じょうきょう》を判読しながらたち上がった。ボッ! ボウッ! ノズルに溜《たま》っていた排《はい》ガスが出た。
「ビーム・ライフルは?」
アムロはトレーラーの周囲をモニターでスキャンしたが、その武器は見つからなかった。と、左モニターに、山の麓《ふもと》に立つザクが戸惑《とまど》ったような動きを示した。
「気づいたのか?」
確かにザクがライフルを構えて見えた。アムロは、ガンダムの頭部のバルカン砲を発射した。山腹のザクの周辺に爆煙が上がったが、直撃はしなかった。もともと白兵戦用で砲身がないに等しいバルカンである。そうそう当たるものではない。が、アムロは、照準《しょうじゅん》スコープを使うのを忘《わす》れていたのに気づいた。あわててシートのヘッド・レストの右脇《みぎわき》のスコープを目の前へセットするが、その間に、林の中から麓に攻撃をかけていたもう一機のザクが振《ふ》り向いた。
「…………」
アムロは右のレバーを前方に押し、左の第三ゾーンにひねりこんだ。この時のスピードと握力《あくりょく》、さらに右脚のペダルの踏みこみが、ガンダムの機体を右へ移動させるのだ。山腹のザクのライフルが輝《かがや》き、コクピット全体に軽い衝撃《しょうげき》が伝わった。至近弾《しきんだん》が爆発したのだ。
左上のモニターがピンクに輝いて今の衝撃を表示したのだが、見ている暇《ひま》はなかった。
「シミュレーションよりも重いっ!」
アムロはガンダムの操縦系のすべてが、訓練に使われたモデルと違《ちが》っている事に、動揺《どうよう》していたが、
『死んでたまるか!』
そのアムロの思いは、自分のやった事がうかつではあっても、実戦の怖《こわ》さが思ったほどではないと分った余裕《よゆう》が思わせた事なのだ。
アムロは、ガンダムの上体をかがませると、山腹《さんぷく》のザクの攻撃をよけながら、麓《ふもと》にいるザクへ直進した。針葉樹《しんようじゅ》の林は、ガンダムの機体を隠《かく》してくれる。同時に、アムロの正面の正視モニターがザクを映しだした。周囲に、避難民《ひなんみん》の影《かげ》は見えなかった。
「やれるぞ!」
アムロは一気に気分を昂揚《こうよう》させた。正面のザクは、ガンダムを発見しきれないでいるのが、樹木|越《ご》しにザクの足の動きで分ったが、アムロは、そのざくの足元の爆死体が、ザクの脚《あし》で踏《ふ》みつぶされるのを見た。わずかだが、血がとび散ってコンクリートの床《ゆか》を汚《よご》したように見えた。
「………! あいつぅ!」
アムロは、左から降下《こうか》してくるザクを忘れて、ガンダムを突進《とっしん》させながら、コンソール・パネルの右下のスイッチを入れた。ガンダムが背負った二本のビーム・サーベル用のエネルギー・ケーブルを解放させた。
同時に、ガンダムの右手でビーム・サーベルの柄《つか》をランドセルから抜《ぬ》かせた。手のひらとサーベルの柄のケーブルが接続されて、サーベルの柄の粒子《りゅうし》放射束《ほうしゃそく》が長さにして十メートル弱のビームの刃《やいば》を形成する。三十センチ厚のチタニウムなら一秒弱で切断する事ができるものだ。エネルギー消費が多すぎて長時間使えないのは、ビーム・ライフルと同じ弱点ではあるが……。
そして、コンピューターの計測数値と照合させて、ランドセルと腰《こし》と膝《ひざ》、足首に内蔵《ないぞう》されたバーニアをコンマ三秒|噴《ふ》かす。ズンと軽いGがかかると、ガンダムの機体が針葉樹を飛びこえた。
正面のザクが振《ふ》り向き、その単眼《モノアイ》が恐怖の叫びをあげるようにギラッと輝いた。ザクのライフルが、宙を狙《ねら》ったがすでに遅かった。
「うわー!」
アムロは絶叫《ぜっきょう》していた。
上段に構えたビーム・サーベルが文字通り閃光《せんこう》の尾《お》をひいて、ザクの左|肩口《かたぐち》から右|脇腹《わきばら》へと切りこんでいた。ビーム束《そく》は揺《ゆ》らめき、切り下ろせないかと思わせたが、サーベルのパワーは、アムロたち訓練生が訓練用のアニメーションで見せられたものより凄《すさ》まじかった。ザクの機内回路のショートするスパークが鮮血《せんけつ》のようにはじけ、さらには油圧《ゆあつ》回路の油がはじけとび、生身の体を切断したような壮絶《そうぜつ》さがあった。
そして、アムロはザクを切りすぎていた。
ザクのメイン・エンジンは、ガンダムと同じ腰にあった。ガンダムのサーベルの攻撃は、この核融合エンジンに触《さわ》ったのだ。これは、教程《マニュアル》の教えるところによれば、パイロットとして決定的なミスを犯《おか》したことになった。
「しまった!」
アムロはやりすぎに気づいて、ガンダムの胸のバーニアを全開して後退したが、そのジャンプを山腹《さんぷく》から下りたザクが狙撃《そげき》した。しかし、当たるものではない。
『チッ!』
アムロは、攻撃するザクだって同僚《どうりょう》のザクが致命傷《ちめいしょう》を受けたのは分っているはずだと思った。お互《たが》いに、核爆発から回避《かいひ》しなければならないのだ。もちろん、通常いわれる核爆発とは違《ちが》っても、汚《よご》れもするし通常火薬の爆発力より巨大《きょだい》なのだ。
ジーン少尉《しょうい》のザクは爆発した。山腹をえぐり、一番近いコロニーの外壁《がいへき》は噴《ふ》きとび、その爆風は港のペガサスまでも襲《おそ》った。
ガンダムの機体も爆風にはじけとび、逆噴射《ぎゃくふんしゃ》によってそのスピードを弱くしたものの、四キロ先のBブロックの住宅街に叩《たた》きつけられた。六|軒《けん》の一般《いっぱん》住宅を潰《つぶ》してガンダムはとまった。デニム中尉のザクも同じだったが、彼のザクは、反対側の太陽光線をとり入れるガラス面のスペース、すなわち『河』といわれる処《ところ》までふきとばされて、五十センチ四方のガラスを二百枚ほど破《やぶ》った。
「うかつだったか?」
デニム中尉は悔《く》やんだ。
あっという間にザクを一機失ったのだ。巡洋艦程《じゅんようかんほど》の戦力とはいわないものの、一人の歩兵《ほへい》を失うのとは意味が違うのだ。一機のザクの消耗《しょうもう》は、やはり巡洋艦一|隻《せき》に等しいと常々教えられていた。
「大体、実働《じつどう》可能なモビルスーツが、連邦軍にあるというのが間違《まちが》いだったのだ」
だからなのだ。あの勇猛《ゆうもう》をもって鳴るシャア少佐がいったのだった。
『デニム、くれぐれも偵察行《ていさつこう》だぞ……』と。
デニムは唇《くちびる》を噛《か》んで、一人、撤退《てったい》を決意した。
PART 2
サイド7脱出
「俺《おれ》は信頼《しんらい》されていない」
コロニーから爆発《ばくはつ》の閃光《せんこう》を見た時、シャアは思った。
後続を出してコロニーを叩《たた》くか、後退するしかなかった。が、彼の戦歴からして、後者を選択《せんたく》するのは面白《おもしろ》くなかった。連邦《れんぽう》のモビルスーツの情報を手に入れたのが、シャアである事は、今の彼にとって、重要なことなのだ。彼にとってより早い昇進《しょうしん》は、ザビ家に近づく唯《ゆい》一《いつ》の方法なのだ。
彼の父、ジオン・ダイクンは確かにジオン共和国の創設《そうせつ》者であり、現在の公王デギン・ザビは彼の父の協力者であった。そのデギンが父の死の後に共和制を破棄《はき》して、公国へ体勢|替《が》えをして、ダイクンが残した共和派を放逐《ほうちく》したのは、一四年ほど前であった。幼少のシャアにとっては、体制の変転などは問題ではなかったが、養父ジンバ・ラルの教えによって彼は、ザビ家|打倒《だとう》の野望を抱《いだ》く事となった。父、ジオン・ダイクンは、デギンに暗殺されたかも知れぬ、いや、暗殺であったというのは、ジンバ・ラルの信仰《しんこう》である。
シャアは、いつの頃《ころ》かデギンを討《う》つという決意を固め、一五|歳《さい》の年に、一人ジオンへ入国をし、かつてのダイクン派の人々の協力を得て、シャア・アズナブルの戸籍《こせき》を手に入れ、ハイスクールから士官学校へとすすんだのである。その士官学校で、シャアは、デギン・ザビの末弟《まってい》ガルマ・ザビと親交を得た。
そして、開戦である。これらすべてがシャアにとっては、ジオンで彼が覇権《はけん》を手に得るための道具だてに思えたのも無理のない事だった。まして、短期決戦のはずであった戦いが、持久戦《じきゅうせん》にすすんだ。一朝《いっちょう》ザビ家|独裁《どくさい》の成ったジオン公国ではあったが、これはザビ家体制の屋台骨《やたいぼね》を揺《ゆ》るがすことになろう。その間に、かつてのダイクン派を糾合《きゅうごう》して、内部からザビ家を崩《くず》してゆける。しかし、シャアは、地球|連邦《れんぽう》政府の絶対民主主義の官僚《かんりょう》社会にジオン公国を任《まか》せる気もなかった。
『俺は強運であるはずだ』
そのシャアの信念は、崩《くず》れてはいない。
「デニム中尉《ちゅうい》のザクが、帰還《きかん》します」
レーダー探知の兵が叫《さけ》んだ。
「援護《えんご》しろ!」
巡洋艦《じゅんようかん》のムサイは、数発のミサイルをサイド|7《セブン》に向けて発射《はっしゃ》した。
「ムサイを前進させい。サイド7に偵察行《ていさつこう》をする」
艦長が眉《まゆ》をひそめた。
「そりゃ危険です。少佐」
シャアは、そういう艦長を見なかった。艦を傷《きず》つけて降格するのを恐《おそ》れている赤鼻|野郎《やろう》など嫌《きら》いだからだ。それに、今までサイド7から反撃《はんげき》がなかったという事は、命令|違反《いはん》を犯《おか》して攻撃《こうげき》に出たデニム中尉が、それなりの戦果をあげた証拠《しょうこ》だと判断して良い。
五分後に、デニム中尉のザクはムサイに収容された。
シャアはデニムを怒《おこ》りはしなかった。敵《てき》のモビルスーツの情報になるスチル、ビデオは手に入れたのだし、ジーン少尉のザクが撃破《げきは》されるまでのビデオから、敵のモビルスーツの具体的な性能は割り出せるはずだからだ。
「もう少し偵察《ていさつ》をする必要があるな。サイド7が混乱しているのならば、なおの事、情報が得られるはずだ。ノーマルスーツによる潜入《せんにゅう》を行う」
シャアは七名の隊員を選ぶと、ムサイを発進した。
「すまないな。デニム中尉。行ったり来たりだが、命令違反の罰《ばつ》は受けてもらわねばな?」
シャアはデニム中尉のノーマルスーツのヘルメットに、自分のヘルメットをつけて『お肌《はだ》の触《ふ》れ合い』会話で言った。サンバイザーの下の顔は外からは見えないが、デニムが充分《じゅうぶん》に恐縮《きょうしゅく》しているのが判《わか》った。
サイド7の円筒の『壁《かべ》』が、視界一杯《しかいいっぱい》に展開《てんかい》した。
ムサイはサイド7の港側に牽制《けんせい》攻撃に出、サイド7側もようやく迎撃《げいげき》を初めて、その間に、シャアを含める八名の隊員は、次々とコロニーの外壁に着壁《ちゃくへき》した。
アムロはガンダムから降《お》りる機会は与《あた》えられなかった。損傷《そんしょう》していないガンキャノンをペガサスへ搬入《はんにゅう》する事。避難民《ひなんみん》の救護《きゅうご》。サイド7の修理部隊の資材運搬と支援《しえん》に、十六メートルの身長を持つ巨人は便利に使われた。
パオロ艦長は重傷を負ったという。ガンダムのコクピットの正視《せいし》モニターの上の通話モニターには、ミライ・ヤシマ准尉《じゅんい》とブライト・ノア少尉の二人が交互《こうご》に出て、アムロにあれをしろ、これをしろと指示してくるようになった。官制ブロックには、上級将校がいないようだった。マーカー・クラン曹長《そうちょう》も覗《のぞ》くことがあった。
「一体、上で何があったんだ?」
アムロはマーカーとはよく言葉をかわす仲だ。
「ペガサスの近くに直撃を喰《く》らって、第一|艦橋《かんきょう》がやられちまった。ブライト少尉がサブ・ブリッジで指揮をとっている。サイドに入った陸戦隊の連中は一人も上がってこないんだ。とにかく、ガンダム、ガンキャノンで使えそうなのは上に上げてくれ」
「パイロットを回せよ。誰《だれ》かいるんだろう? シアンはやられちまったけど、リュウだってカイだって……ハヤトはなにやってんだ」
「リュウが第一デッキでガンキャノンをチェックしている」
「アムロ曹長! コロニーからの報告では、ガンキャノンとガンダムが三機ずつあるはずです。残りのモビルスーツの搬入《はんにゅう》を……」
ファイルを見ながら、ミライ・ヤシマ准尉が先刻《さっき》と同じことを言った。
「サイド内で使えそうなのは、今、搬入中のガンキャノン一機だけです」
そう答えながらも、アムロはまだ付属の部品を集め、保守、点検用の機器を探《さが》し出して、運び込《こ》む必要はあると思った。
「父親《おやじ》がいてくれりゃ、助かるのに……」
アムロは、山腹《さんぷく》のリフトにガンキャノンの上半分を載《の》せた。そのアムロの操《あやつ》るガンダムを見つけて、コロニーのBブロックから一台のワゴンタイプのエレカが滑《すべ》りこんできた。
「我々《われわれ》も……!」
そのワゴンには、二十人|程《ほど》の老人や女性が不安な表情をガンダムに向けていた。
リフトに載せてくれというのだ。アムロに、それを拒《こば》む理由はなかった。ガンダムの左手を振《ふ》って乗れと合図した。ガンダムの手のひらに三人ぐらいの人間なら乗せてやる事もできたが、落として怪我《けが》をされたら、軍の手落ちだと非難《ひなん》されるのが分っていたので、それはやめた。
「それよりも、ガンダムのビーム・ライフルだ。どこかにあるはずだが……」
リフトが山腹をガンダムとガンキャノン、それに二十数名の人々をのせて上昇《じょうしょう》していった。
雲海に入り、さらに二百メートル登ると無重力帯に等しい港のブロックとなる。
アムロは、避難民《ひなんみん》たちが一人ずつ、リフト・バーに掴《つか》まるのを確認していった時、別の避難民の群のなかに、フラウ・ボウの姿《すがた》を発見した。不安そうにガンダムの方を見上げ、リフト・バーに流れていくその姿は、ひどく小さく見えた。
「フラウ! 怪我《けが》してるのか おばさんは、どうしたの? いないじゃない!」
アムロは、音声回線をダイレクトに切りかえて呼びかけた。
「なんだよ どうしたんだ?」
その拡声《かくせい》された声に、リフト・バーでペガサスの方に移動しようとしていた人々が、一斉《いっせい》にガンダムを振《ふ》りあおいだ。
ガンダムの顔の造型《ぞうけい》は口こそないものの、光学測定器の黄色の防弾《ぼうだん》熱ガラスは、人間の瞳《ひとみ》を連想させ、その顔が人間的すぎるのだ。そんな巨人がしゃべるにしては日常的すぎる言葉が、人々を驚《おどろ》かせた。
「ガンダムはアムロ曹長が操縦《そうじゅう》している」
アムロは人々の反応に、あわてて補足説明し、コクピット正面のハッチを開いた。同時に視界《しかい》は九メートルほど下をのぞく事になる。重量感はないもののシート・ベルトで体を固定されたアムロにとっては、足下は厳然《げんぜん》として下にあった。
「母も、祖父《そふ》も……死んだわ」
フラウ・ボウが叫《さけ》んだ。
その叫びを合図のように、アムロが救出した人々が掴《つか》まったリフト・バーが、港内へ滑《すべ》り出した。無重力帯で人員移動に使うそれは、直径二メートルのラバー・クッションのリングで、『壁《かべ》』のレールで移動する。が、移動中に手を離《はな》そうものなら、慣性《かんせい》運動にのって数十メートルは飛ばされた。そのため、この慣性運動をなんとかする体力を持たない老人や幼児《ようじ》は、リフト・バーが停止するまで必死にしがみついている必要があった。
「ペガサスに非難《ひなん》していろ。後でいく」
アムロは、フラウ・ボウが三台目のリフト・バーにとりついてスタートするのを見届《みとど》けてから、リフトのガンキャノンの上半身を持ち上げた。重力のない場合は、持ち上げ力《ちから》の働く反対方向にも手を添《そ》え、慣性運動を打ち消すようにしながら持ち上げなければならない。ガンダムは靴底《くつぞこ》(?)のマグネットを作動させ、ペガサスへ向かった。
ペガサスの第一ハッチの処《ところ》で、リュウとメカマンたちが数名、ガンキャノンにとりついていた。アムロがガンダムに運ばせたガンキャノンの上体を下ろすと、通話モニターが開いた。
「アムロ曹長! サイド7のテスト現場のブルー・ノートが手に入った。いいか、良く見て憶《おぼ》えるんだ。いや、コンピューターにコピーをさせておけ」
ブライト少尉だ。眉《まゆ》はつり上がって、声自体も高くなっていた。彼にしてはすでに目一杯《めいっぱい》やっているのだ。が、アムロはブライトのその頑張リズムが好きになれなかった。
アムロは、右前方のモニターで受けた図面をガンダムの記憶《きおく》バンクにコピーし、正面のモニターに拡大してみた。
「コピー拡大中です。説明してください」
その図面は、サイド7のモビルスーツ・テスト場の見取り図であった。
「この図面、誰《だれ》から手に入れたのです?」
アムロは父の事を思って尋《たず》ねたが、ブライトは聞いてはいなかった。
「ガンダムの予備の装甲板《そうこうばん》は、第一テスト場にある。ビーム・ライフルの磁気制御《じきせいぎょ》コイルは……」
ブライトは、ガンダムの備品のある処《ところ》や整備機器の置かれている場所を説明しながら、ガンダムのモニターに情報を送りこんできた。
「最後に、サイド内で破壊《はかい》されたモビルスーツの部品はすべて焼却《しょうきゃく》するんだ。原形を留《とど》めちゃあならん」
「ガンキャノンもよこして下さい。ガンダム一機じゃ時間がかかりすぎます」
「お前にいわれるまでもない。リュウ曹長をいかせる」
セイラ・マスは、今年二十歳。二年前にサイド7に一人で志願移民してきた。宇宙暦七十年も後期に至っての志願移民は少ない。大体が強制移民である。現在地球に残っていられるのは、地球に対して保守的である人々と、地球連邦政府となんらかの関係を持っていられる特権的な人々である。
セイラが、一人移民したのにも、それなりの理由があった。
彼女とあのシャアは兄弟である。ジオン・ダイクンの子なのだ。
彼女は三歳の時に父のジオンを亡くし、シャアとセイラはジオンの側近ジンバ・ラル夫婦に守られてジオン共和国から地球に逃《のが》れ住んだのである。ジンバ・ラル夫婦は逃避行《とうひこう》にそなえて莫大《ばくだい》な資産を用意していた。それで、南欧《なんおう》の名家マス家の家名を買って、いわゆる地球型エリート社会の一員になりすましてセイラとシャアを育てたのである。
セイラ・マスはその時につけられた名前であって、本名はアルテイシア・ソム・ダイクン。
シャアのマス家での名は、エドワウ・マス。本名はキャスバル・レム・ダイクン。
ジンバ・ラル夫婦はことあるごとに二人の父、ジオンはデギン・ザビの陰謀《いんぼう》の前に暗殺されたと語って、二人を育てた。それが、キャスバルのザビ家|討《う》つべしの信念となり、ハイスクールに上がる時に、ジオンに入国する決意を固めさせたのであった。
しかし、セイラ、つまりアルテイシアはこの兄の思いこみと生き方に疑問があった。まして、兄キャスバルは、アルテイシアにやさしかった。アルテイシアはそんな兄を失いたくなかった。
その兄がジオンに入国すると知った時、彼女は、三日三晩泣きつづけたものだった。その時から、アルテイシアは養父母を憎《にく》むようになっていった。ザビ家討つべしは、アルテイシアにとっては、嫌悪《けんお》すべき家訓《かくん》となり、アルテイシアは変わっていった。そして、養父母からも逃《のが》れるべきだと発意《はつい》した頃《ころ》、サイド7という新天地の建設が始まったのを知り、一人ここに移住したのである。老いたジンバ・ラルを説得するのに一年かかった。
「父が、子供の不幸を喜ぶでしょうか?」
このアルテイシアの言葉が、ジンバ・ラルをあきらめさせた。
「アルテイシア様がよろしいならば……」
医師として身をたてる決意をしていたセイラは、サイドの建設が始まると同時に、将来のサイドを支える中堅《ちゅうけん》技師の養成学校に入学して、サイド7の一番目のコロニーである現在の地へ移民してきた。ジオンという名を忘れ、ザビの名をも忘れるために……。
しかし、開戦と同時に彼女も戦争の埒外《らちがい》におかれるわけにはいかなかった。軍の徴用《ちょうよう》にとられ、半年あまりで彼女は無線技師の資格を習得《しゅうとく》し、最近は、軍属になる事をすすめられていた。
連邦軍に限らず女性兵《ウェーブ》が軍の四分の一を占めているのが現状である。殊《こと》に、補給部隊、通信、工廠《こうしょう》のウェーブの比率は高くなっていて、軍は、優秀《ゆうしゅう》な人材ならいつでも欲しがっていた。が、セイラは、今でこそ体制の異なる社会の名であろうとも、少なくとも父の名を冠《かん》した国を敵《てき》として闘う《たたか》ことはできなかった。
しかし、その彼女の決意を揺《ゆ》るがす事件が起こった。
セイラは、テスト場の通信要員として持ち場を離《はな》れるにあたって、重要と思われる書類を掻き集めたのは、ザクの初弾攻撃《しょだんこうげき》のあったすぐ後のことである。しょせん、部内通話のための簡単《かんたん》な符丁表《コード》とか作業スケジュール表の類《たぐい》であったが、何かあったら、生命より先に焼却処分《しょうきゃくしょぶん》にしろと命令されたものだ。
が、ザクの攻撃が近づくにつれて、セイラたち通信班は防空カプセルに移動した。そのコロニーの外に通じるカプセルは、いざとなればコロニーの遠心力でサイドから脱出する事もできるが、ガンダムが最後にザクを倒《たお》した時の爆圧《ばくあつ》によって、カプセルのレールが歪《ゆが》むかどうかしたのだろう。脱出装置が働かなくなっていた。結局、通信班長の伍長《ごちょう》の「ペガサスへ移動する」の号令一下、港へ向かったのである。
その時も、セイラは投げ捨てられた三冊ほどのファイルにも酸をかけて焼却処分にした。
それは他人の後始末《あとしまつ》なのだが、もし、生きていてテスト場の監督官にでも見つかったら、班の全員にビンタがとぶのが厭《いや》だからだ。それに、軍を真似《まね》た体罰《たいばつ》が徴用生《ちょうようせい》にも加えられるのも許せないのだが、体制に事をよせて、スパンキング愛好会の仲間入りのお誘《さそ》いなどは、ごめんこうむりたいということがあった。
遅《おく》れたセイラは、一人、原子野《げんしや》を駆《か》け抜《ぬ》けなければならなかった。モビルスーツや戦艦《せんかん》の核融合《かくゆうごう》エンジンの爆発《ばくはつ》による残存放射能は、心配する必要はないと教えられていた。しかし、それは比較《ひかく》の問題でしかないとセイラは承知していた。それに、コロニーの外壁《がいへき》に穴《あな》があくとその空気もれによる突風《とっぷう》も危険なのだが、それも今は弱まってきた。コロニー内の物が穴を塞《ふさ》いでくれたのだろう。
セイラは、麓《ふもと》に下りているリフトを目指して走った。と、左の半壊《はんかい》した建物の陰《かげ》に赤いノーマルスーツが走るのを見つけた。
「連邦軍に赤いスーツを使っている部隊があるなんて!」
セイラは、一人口のなかで叱《しか》った。その赤いスーツの物腰《ものごし》も気に入らなかった。セイラは足をとめると、傍《かたわ》らに倒《たお》れている兵士の拳銃を《けんじゅう》抜いて、赤いスーツの消えた建物の方へ忍《しの》び寄っていった。
その赤いノーマルスーツは、ザクが倒したガンキャノンの部品の山に向けて、カメラのシャッターを押《お》していた。
「…………」
セイラは、そのノーマルスーツが連邦軍の公報に告知されていたジオン軍のノーマルスーツであると思い出した。兵士でないセイラには、ジオン兵と闘う義務などはないのだが、この時は、そんな理屈《りくつ》など思いつかなかった。赤いスーツの兵の物腰に、セイラは、ある昂奮《こうふん》を押さえることができなかったのだ。惹《ひ》かれていたと言って良い……。
『捕《と》らえなければなれない』
その思いが、彼女の体を遮蔽物《しゃへいぶつ》からとび出させた。
「手を上げて! ヘルメットをとりなさい」
セイラは精一杯《せいいっぱい》の恫喝《どうかつ》をこめて叫《さけ》んだ。
赤いスーツの男、シャアにしてみれば、素人《しろうと》が近づくまでなぜ気づかなかったのか? これも、セイラと同じ事だったのだろう。連邦軍の新兵器のモビルスーツの資料を手に入れる事に頭が一杯で気づかなかった、というのは嘘《うそ》に近い。彼の全身の神経は、四方に隈無《くまな》く警《けい》戒《かい》の網《あみ》を張っているのだし、現に、それができる男だからこそ、彼の操縦するザクは『赤い彗星《すいせい》』と恐れられるまでの働きを示すことができたのだ。
だから、シャアは自失《じしつ》したまま、両の手に拳銃を構えて、腰を開いて立つ金髪の少女を見つめた。しかし、会わねばならない二人であるからこそ、彼の神経の一部分に死角が作られたのだ。
シャアの口元が緩《ゆる》んだ。少女の拳銃がなんと揺《ゆ》れていることか。これで人を撃《う》つことはできない。シャアは跳《と》んだ。一発銃声が聞こえたが、シャアは無視した。彼のスーツの爪先《つまさき》が少女の拳銃を宙《ちゅう》に舞《ま》わせ、少女は声をのんで後ずさった。
その時、シャアは少女のブルーの瞳《ひとみ》をみて『アルテイシア』と知った。
少女は腰をひいてシャアを見つめた。その瞳は恐怖《きょうふ》に怯《おび》えながらも、一歩も退《ひ》かないぞ、という意思が見えた。
「アルテイシア!」
シャアは言った。少女は、え? と腰を伸《の》ばした時だった。山腹をすべり下りるガンダムの足音に、シャアは引き返すしかないと悟《さと》った。少女は地を蹴《け》ってシャアにとびかかってきた。シャアは身をひねりながら、背負った宇宙銃《バーニア》を全開にして宙に飛んだ。
シャアは、少女が地に両の手を落とし『あっ!』という声を耳にしながらも、ガンダムの死角に入るために宙を飛翔《ひしょう》した。
「兄さん!」
セイラが『アルテイシア』と呼んだらしい赤いスーツの飛び去った建物の陰《かげ》に目を凝らした時、
「手に乗って下さい。この辺一帯を焼き払います」
その若い少年の声に、セイラはモビルスーツのガンダムがひざまずいて、その左手を差し出しているのを見上げた。
「手の上に伏《ふ》せて下さい」
セイラはモビルスーツの胸の下、人間の鳩尾《みぞおち》にあたる処《ところ》のハッチが開いてパイロットがのぞいているのを見た。
彼はセイラが手のひらに伏せると、セイラの体を包むようにモビルスーツの指をゆっくりと閉じていった。鋼鉄《こうてつ》の指が自分の体を中心に閉じられてゆくのは、気持ちのよいものではなかった。
セイラは顔を伏せて体を固くした。続いて彼女の体は軽い浮遊感《ふゆうかん》を感じた。ガンダムが立ち上がり、十メートルほど下の地面が移動を始めた。セイラは眼を閉じて、四肢《しし》に力をこめて振り落とされまいとした。鋼鉄の手は人間の体を落ちないように包むようには出来ていないのだから……。ガンダムは山腹のリフトに乗り、右手のビーム・ライフルを発射した。
ナパーム弾がテスト場を中心に爆発した。モビルスーツの資料|一切《いっさい》を焼き払おうというのだろうが、空気が汚染《おせん》されるな、とセイラは漠然と考えた。
港口のハッチがガンダムを受け入れるために開かれた時、セイラは目の前をかすめる赤いノーマルスーツを目撃した。先刻《さっき》の兵士だった。彼は背中の宇宙銃《バーニア》を全開して、無重力帯の港口のドックへ突入《とつにゅう》した。セイラをのせたガンダムの左手がビクンと揺《ゆ》れた。
ガンダムの右手が上がり、ビーム・ライフルが港の方に向けられたが、撃ちはしなかった。一人の人間を狙撃《そげき》するのがビーム・ライフルではないし、二キロ先の直線上にペガサスが係留《けいりゅう》されてもいれば、ビーム・ライフルは使えるわけがなかった。赤いスーツの兵の姿が《すがた》視界から消えるとペガサスの方で銃声が響《ひび》いた。
「兄さん……!」
ガンダムは一歩一歩足音を響かせてペガサスへ接近していった。その時はすでに銃声もやみ、港口の方のハッチから小さな爆発音が響いてきた。
「ジオンの兵がエア・ロックを破って脱出したぞ」
ペガサスのデッキで走り回る兵士の誰《だれ》かが叫《さけ》んでいた。セイラはガンダムから下ろされたが、そんな彼女を気にとめる者など誰もいなかった。
「負傷者の手当てを手伝ってください」
ヒステリックな声にセイラは振《ふ》り向いた。確か、フラウ・ボウという娘だったな、と思いながらセイラは床《ゆか》を蹴《け》って、二層上にあるタラップを目標に体を泳がせていった。
「ガンダムを先行させ、ガンキャノン二機を後方から支援させる。港を出たら最大戦速で脱出する。オペレーター、ムサイの動きを逐一《ちくいち》報告するんだ」
ブライト少尉《しょうい》は、ブリッジ中央のクレーンに陣取《じんど》る二人のオペレーターに声をかけた。マーカー・クラン曹長《そうちょう》とオスカ・ダブリン軍曹は、若いとはいえ正規のオペレーター訓練を受けていた。ブリッジで立ち働いている兵の中では一番当てになった。
操艦《そうかん》に立つミライ・ヤシマ准尉《じゅんい》は、ブライトと同じ学徒召集《がくとしょうしゅう》のグループで、ペガサスの操《そう》舵輪《だりん》にかじりつくのが精一杯《せいいっぱい》だろう。ジオンの巡洋艦クラスに四発しかつんでいないといわれる大型ミサイル、タム・タイプの直撃は、コロニーの四重のコアをつきぬけて爆発して、ペガサスの第一|艦橋《かんきょう》は半壊《はんかい》した。そのため、ペガサスの正規の指揮ルートは壊滅《かいめつ》し、ブライト少尉は、パオロ艦長や負傷者を収容しながら、サブ・ブリッジに移動するとともに、自分を中心にペガサスを操艦するしかないと決意したのだ。
しかし、モビルスーツのガンダムにはアムロ曹長、ガンキャノンにはリュウ・ホセイ曹長とカイ・シデン曹長。ペガサスもメイン・エンジン要員をのぞけば、各|砲座《ほうざ》、ミサイル要員は見事なくらい新米兵《しんまいへい》ばかりになってしまった。
コロニーの四重のエア・ロックが開かれて、ペガサスは発進した。舵輪《だりん》を握《にぎ》るミライ准尉は蒼白《そうはく》な顔をして唇《くちびる》をかみしめていた。
「レーザー・センサーがやってくれる。少し楽にしろ」
ブライト少尉は、そんなミライ准尉の肩《かた》を叩《たた》いてやったものの、その実、自分が黙《だま》っているのが恐《おそ》ろしいのだ。何かをしていなければならない焦《あせ》りが、ブライトをキョロキョロさせた。
前方には、太陽に正対した地球が輝《かがや》く光景が展開し、目を凝《こ》らせば、地球の輝きの中にさらに明るいルナツーの輝きがあるはずなのだが、今はそれは一つの光芒《こうぼう》の中に溶《と》けこんでいた。
「ムサイは、どこにいるんだ? マーカー! オスカ!」
ブライトは不必要に大声をあげた。
「コロニーの陰《かげ》になっているのでしょう。キャッチできません」
「コロニーから何キロ離れたか?」
「さ、三キロです」
ミライの上《うわ》ずった声に、
「モビルスーツは、ペガサスについてこれるのか?」
ブライトは誰《だれ》に尋《たず》ねるでもなく訊《き》いた。応答はなかった。ブリッジにいる誰もが知らないことなのだ。と、後部ハッチが開いて、スキャナーに横たわったパオロ艦長がサンマロ看護兵に伴《ともな》われて入ってきた。
「モ、モビルスーツの性能は心配するな。まず、ムサイを振り切るのだ。少尉」
パオロ艦長は激痛《げきつう》に耐《た》え、脂汗を《あぶらあせ》流しながらも、その目はブリッジの周辺に表示されているデータを読み取るためにせわしなく動いた。
「最大戦速! 後部ミサイル開け!……なお、各ブロックの気密《エア》チェック、再確認しろ」
ブライト少尉は受話器回路をオールにして怒鳴った。
*
ノーマルスーツの宇宙銃《バーニア》で宇宙《スペース》を移動するというのは、やさしいものではない。目標のムサイが見えるわけではない。ルナツーとサイド7のコロニーを二つの基点に天測しながら進むのだが、その時々の基点のとり方(もちろん、太陽はたえず第一基点として置かれる)とか、自分の移動スピードによって、どの方向へ何秒バーニアを撃《う》つか決めなくてはならない。まして、宙《ちゅう》に浮くという生理的な感覚は、どこかに落ちるかもしれないという恐怖感《パニック》にとらわれる。これが宇宙遊泳の一番の敵《てき》であった。
だから、地球の上にいる、でもいいし、コロニーの上にいるでもいい。たえず、自分を『いる』という実在感の中においておかないと溺《おぼ》れるのだ。
「私をキャッチできるか? ムサイ」
シャアは、七名の部下がついているのを確認しながら無線を使った。ミノフスキー粒子《りゅうし》の干渉《かんしょう》がひどいとはいっても、近距離《きんきょり》では通話ができた。
「……識別でき……ます」
「私とデニム中尉のザクを射出しろ。敵がでてくるぞ」
シャアは、自分の目で確認した連邦軍のモビルスーツと闘う《たたか》つもりなのだ。目で見た感じでは、地球連邦軍のモビルスーツがかなりの高性能である事は推測できた。しかし、宇宙空間での性能はどの程度《ていど》のものか、ザクを一機|撃破《げきは》された代償に敵の具体的な性能ぐらい手に入れなければひき合わないと考えたのだ。まして、シャアは『赤い彗星《すいせい》』とあだ名されているのだから……。
アムロ・レイ曹長の正面のモニターの右隅《みぎすみ》に、接近する敵を捉《とら》えたらしいという信号が出た。ミノフスキー粒子下でも、レーザー・センサーはそれなりに正確であった。しかし、ラルフ中尉の言い草ではないが、目で完全に確認しない限り確認ではないのだ。表示はかなり急速度で接近する物体をキャッチしていた。
「質量から割り出すとザクです。しかし、こんなスピードで接近するザクなんてあるんですか?」
マーカー曹長が《そうちょう》クレーンの上からブライトに怒鳴った。
「もう一機のスピードは、間違《まちが》いなくザクです」
オスカ・ダブリン軍曹がつけくわえた。
「対空砲《たいくうほう》用意させろ」
ブライト少尉は叫《さけ》びながら、ななめ後ろのサンマロの方に振《ふ》り向いた。
「ハッ?」
ブライトは、サンマロの前のスキャナーの上のパオロ艦長に耳をよせた。
「は、早いザクなら……シ、シャアだ。連邦の戦艦が、や、奴《やつ》の赤いザク一機で、十|隻《せき》も沈《しず》められた。あ、赤い彗星だ。逃《に》げろ」
パオロの形相《ぎょうそう》はひきつっていた。痛《いた》みよりも恐怖《きょうふ》のためだ。
「に、逃げろ」パオロ艦長は二度言った。
赤い点が星々の間を抜《ぬ》けるように急速度に接近するのを見たアムロは、ゾクッと寒気が走った。
「赤い彗星」
そう思った時には、すでに正視モニターには赤いザクが拡大《かくだい》していた。車のフロント・ガラスのような窓にピンクの単眼がギラと輝《かがや》いた。手に持つライフルの照星と照準を合わせたのだ。
アムロは、左右のレバーを軽く交叉《こうさ》させるようにひいた。ドッとGがかかるや、ガンダムの機体が急角度に右へ回った。ザクの五発に一発の曳光弾《えいこうだん》の軌跡《きせき》が宙にのびた。が、それはたったの一条だった。
それは恐るべき事を物語っていた。ラルフ中尉がこう教えてくれたものだ。
『ライフルでも機関銃でも連射している奴には気をつけろ。どれか一発が当たらんとも限らんからな。しかし、連射している奴は、その銃口を見ていりゃあ死にはしない。見ていられる間は、死んじゃあいないのだから。が、怖《こわ》いのは無駄弾《むだたま》を撃《う》たない奴だ。気をつけるのは、こっちの方だ。あン? なんだと? そういう奴をどうやって見分けるか、だと? 実戦に出れば判《わか》る事だ。そして、判った時は、おだぶつになっている時だ。だから、敵を目撃した時にまずやる事は、敵の奴がドジな奴でありますように、ってお祈《いの》りする事だ。これが、唯一《ゆいいつ》の識別方法だ』
運が、良かったのだ。アムロは、赤い彗星《すいせい》の初弾をかわしたのだ。
左右の情報モニターが、かろうじて幾《いく》つかのデータを表示するが、アムロには充分《じゅうぶん》読みとっていく余裕《よゆう》はなかった。正視モニターの中に流れるシャアのモビルスーツを追いかけるのが精一杯《せいいっぱい》だった。と、一瞬《いっしゅん》、赤いモビルスーツの動きが停《と》まって見えた。急速なターンをやったのだ。アムロは、ビーム・ライフルの引き金に触《ふ》れた。
ガンダムの腰《こし》のメイン・エンジンから誘導《ゆうどう》されたエネルギーは、ビーム・ライフルに内臓《ないぞう》された重金属|粒子《りゅうし》を多極性|超電磁《ちょうでんじ》コイルが発振し加速し発射した。この時に猛烈《もうれつ》な発光を伴《ともな》い、これは敵《てき》に自《みずか》らの所在を知らせるため、たえず移動しながら発射しなければならない。
しかし、その点の不利さも、ライフルの破壊力《はかいりょく》を考えれば問題外だった。ザクは、小型ミサイルの直撃にも耐《た》える装甲《そうこう》を持っていたから、ビーム・ライフルとビーム・サーベルは、一瞬にしてザクを仕とめる事ができる唯一の武器であった。これは、ザクには装備されていない。
ガンダムが発射したビームは、白く発光した尾《お》を曳《ひ》いて宇宙の闇《やみ》を切り裂《さ》いた。しかし、赤い彗星は、そのビームの輝き《かがや》を背にして迫《せま》ってきた。
「…………」
アムロがビームの流れを追っていたら、シャアを見つけられなかったろう。しかし、アムロは引き金に触《ふ》れた瞬間《しゅんかん》に、すでに当たらないと判《わか》って、自分の目の焦点《しょうてん》角度を拡《ひろ》げていた。
赤いザクは、真に赤い彗星《すいせい》のごとく迫り、またも、その単眼を輝かせた。アムロは、ガンダムの額《ひたい》に装備されたバルカンを撃った。致命傷《ちめいしょう》を与えるものではないが、カメラの一つでも潰《つぶ》せればそれでいいのだ。
赤い彗星は左に流れた。まるで九十度曲がったのではないのかと思われる変針《へんしん》である。アムロは、それに反対しようとガンダムを操っ《あやつ》た。左の小型モニターが警告《けいこく》を発する。
アムロがレバーを押《お》しこむ。ガンダムが回避《かいひ》運動に入った瞬間に、二条の曳光弾《えいこうだん》が輝いた。前の倍の弾数《たまかず》を撃ったのだ。シャアは必殺を念じたのだろうが、アムロは避《よ》けた。
アムロの反射神経も良いのだろうが、ガンダムはよくそれに即応《そくおう》した。シャア以外のザクならば鈍重《どんじゅう》に思われたろう。しかし、シャアは一二〇パーセント、ザクの性能をひき出しているのである。チューンナップはしていようが、最大戦速のまま敵に接触する事を恐《おそ》れぬ戦法が、彼をして、赤い彗星たらしめているのである。
しかし、シャアもまた左上に急旋回《せんかい》する白いモビルスーツ、ガンダムを追いながらも舌を巻《ま》いていた。連邦のモビルスーツ開発の情報を聞いた時から、一、二度、ザク同士による模《も》擬《ぎ》戦闘を試みたことがあったが、それは、児戯《じぎ》に等しいと判ったのだ。大体、ビームの輝きを目撃した時、サイド7のコロニーから発射しているのではないかと思ったくらいなのだ。それがあの白いモビルスーツから発射されていると分かった時、シャアは戦慄《せんりつ》した。
運動性がいい機体にビーム・ライフルを持つ。子型にしたビーム砲《ほう》がそれほどの威力《いりょく》があるとは思えなかったが、少なくとも、ザクを一撃|殲滅《せんめつ》する威力は持っていると思われた。
しかし、だから、シャアの血が沸《わ》いた。まだつけ入る隙《すき》があるはずだ。それを見つけ出して、撃墜《げきつい》する。これが、血を沸かせずになんというのだ。
「フフ……。まだ、素人《しろうと》に近い」
シャアは白いモビルスーツのパイロットをそう断定した。何がどうという事ではないが、モビルスーツ全体の動きがぎこちないのだ。大丈夫《だいじょうぶ》! いける! その気合は、連邦軍のマゼラン・タイプの戦艦に仕掛《しか》けるのと同じ昂揚《こうよう》を感じた。異なるのは対象が小型ということだけである。シャアの特性は、物の大小で相手を見くびるといううかつなことはしない。力量というものを直感的に知る能力にすぐれていることだ。
数秒後に推測される敵の行動線にシャアはザクをすすめる。
「見える!」
ライフルの照星と正面のモニター上のスコープの照準を合わせる。そして、最大戦速のまま直進するのだ。この、相手を呑《の》んでかかる事が、敵の懐《ふところ》にとびこむコツなのだ。馬鹿《ばか》にするのとは違《ちが》う。ライフルを撃《う》つ。が、……ここからが、今までの連邦軍の敵と異なった。
白いモビルスーツが避《よ》けたのだ。なぜだ?
「まさか、ニュータイプ?」
シャアは、思ってはならぬ事を思った。
「……あり得んことだ」
少なくとも、ニュータイプの概念《がいねん》は、連邦軍のどの部分でも考慮《こうりょ》されていないはずなのだ。彼自身、この数か月の間に始めてキャッチした概念なのである。フラナガン機関と接触して知ったその概念は、人の革新《かくしん》論である。そのニュータイプが、白いモビルスーツを操《あやつ》っているというのは、信じたくもなかった。単なる戦い巧者《こうしゃ》が連邦にいないわけがないだろう。始めアマチュアの動きに見えたものが、こうも見事に動く。この進歩をシャアは、敵の芝居《しばい》だとは感じなかった。
唇《くちびる》を噛《か》んだシャアはライフルを連射した。その曳光弾《えいこうだん》の尾《お》が、星々の間に消えていった。
「デニム中尉であります。聞こえますか?」
雑音の中、野太《のぶと》いデニム中尉の声が響いた。
「気をつけるんだ。手強《てごわ》いぞ」
シャアは、デニム中尉のザクが四方に強振《きょうしん》する敵味方識別用のレーザー信号を右上のパネルに受信しながらも『うかつな奴《やつ》』と思う。強敵に対してレーザーを発振する事は、自殺|行為《こうい》に等しいのだ。デニムにしてみれば、シャアの誤認《ごにん》や邪魔《じゃま》にならないように自分の位置をはっきり表示しているのだが、それはシャアの技量《ぎりょう》を過小評価しすぎているのだ。善良な人の過大な配慮《はいりょ》なのだ。
「識別センサーを切るんだ」
シャアが叫《さけ》んだ時は、遅《おそ》かった。
木馬《もくば》がいるあたりから数条の砲火《ほうか》がデニムのザクに集中していた。それでも、デニム中尉はそれらを巧妙《こうみょう》に避《よ》け、白いモビルスーツの航跡《こうせき》に迫った。デニム中尉とてルウム戦役《せんえき》以来の勇士なのだ。むざむざ、敵の餌食《えじき》になりはしない。シャアは、一瞬《いっしゅん》彼と連携《れんけい》プレーがとれるかと思った。
が、まさに、その瞬間だった。
デニム中尉のザクに、ビーム砲の直撃が貫《つらぬ》いた。明らかに、白いモビルスーツのビームである。
腰《こし》を撃《う》ち抜《ぬ》かれたデニムのザクが、ゆるやかにビームの帯を散らして、パッと閃光《せんこう》の円を描《えが》いた。ザクは蒸発した。真に、巡洋艦クラスの主砲に使うだけの威力《いりょく》があるものだ。
「デ、デニム!」
シャアは、そのビーム・ライフルの威力《いりょく》に絶句《ぜっく》した。
アムロは、敵味方識別モニター上に不明瞭《ふめいりょう》な発振《はっしん》をキャッチした時、赤い彗星《すいせい》の狙撃《そげき》弾光を右上にやりすごした。射線《しゃせん》でいえば、赤い彗星の上、四度といった処《ところ》だった。赤い彗星の動きに慣《な》れた目には、もう一機のザクの動きなど半分以下に思えた。まして、一連射した後である。三秒という間は手に入れられると判断したアムロは、照準をつけるとビーム・ライフルを二連射したのだ。それは、全く間をおかない二連射である。一条になったと見えるビームが、ザクの腰部《ようぶ》に直撃した。巨大な光芒《こうぼう》をうけたモニターは自動的にフィルターがかかり、白い円盤《えんばん》状の爆光が消えてゆくのをゆったりとみせた。
「一機|撃墜《げきつい》!」
アムロは胸のうちで快哉《かいさい》を叫《さけ》んだが、次の瞬間、消えかかる光を背にした赤い彗星が走り、アムロのモニターがノーマルに戻《もど》った。
ギン! あたかも、赤いザクの単眼が音をたてて灯《とも》るように見えた。アムロは本能的に引き金をひいた。ビームが走り、ザクのライフルの曳光弾《えいこうだん》と宙《ちゅう》に交叉《こうさ》した。もし、音が聞こえたらすさまじかっただろう。百二十ミリ砲の咆哮《ほうこう》と、ビームが発射される時のスーパー・ソニックの轟き《とどろ》に空気が震《ふる》えただろう。二機のモビルスーツは交叉した。
「エネルギーが上がった!」
アムロである。
「残弾《ざんだん》、なしか!」
シャアも同じだった。振《ふ》り向いた瞬間に、白い奴《やつ》に対して直撃が与えられたかも知れないという確信にシャアは切歯扼腕《せっしやくわん》した。最後の一撃分は、帰還する直前まで残しておくのは、セオリーなのだが、あの白いモビルスーツの人間ごとき顔を見た時、シャアは引き金を引きすぎたようだった。振り向いた今なら直撃が与えられるはずなのに、弾丸がなかった……。
「私としたことが!」
シャアは、急速に戦闘空域から離脱《りだつ》した。
アムロにとって、戦闘の終了を知る手だてとか、呼吸を知る術《すべ》はなかった。数度、三百六十度|監視《かんし》というのをやり、あげくに、ペガサスから帰還《きかん》命令が出るまで、戦闘空域をうろうろした。
エネルギーが一度上がったビーム・ライフルが使えるまで三十分はかかるのだ。頭部のライフルの残弾が六発。闘いようがないのだが、昂奮《こうふん》しているアムロにとっては、まだ戦わねばならないという気分に捉《とら》われていた。
ようやくペガサスへ着艦《ちゃっかん》する段になって、アムロは最も安全な方法をとらせてもらった。
ペガサスのメイン・エンジンの出力を最小にしてもらい、後部ハッチから着艦したのである。
四方に誘導《ゆうどう》センサーが働いていて、そのセンサーにのってしまえば、あとはコンピューターがやってくれるという方法であった。
「御苦労。よくやってくれた」
サブ・ブリッジのクレーンにある艦長シートにおさまったブライト少尉が言ってくれた。
「ザク二機を失ったとなると、ムサイとて追っては来まい。赤い彗星の引き上げ方も、弾丸がなくなった証拠《しょうこ》だ。ガンダムとガンキャノンの整備をしてくれ。メカマンもサイド7でのテスト期間中の者がいるはずだ」
「はっ! アムロ曹長。第二デッキに下ります」
アムロは敬礼《けいれい》を返してから、左に背を向けて立つ女性を見た。
『ミライ准尉《じゅんい》だ……!』
アムロは思った。あの優《やさ》しい顔立ちを見たいものだと思ったが、振り向いてくれなかった。
ムサイに帰還したシャアは、ブリッジに上がった。ドレン中尉がお愛想《あいそ》笑いをうかべて言った。
「恐《おそ》るべきモビルスーツです。よくも連邦の連中は……」
シャアは手でそれを制して、フロント・ウインドー越《ご》しに、木馬が去ったと思える空域を見つめた。
ルナツーが、地球の光芒《こうぼう》から外れて、半月状に輝《かがや》いていた。
基本的な作戦が間違《まちが》っているとは思えなかったが、情報収集の仕方のすべてが完璧《かんぺき》だったとはいいかねた。まして、シャアにとって、サイド7のコロニーで、妹のアルテイシアと再会したのは、想像外の事件だった。
ややもすると私情にとらわれそうになる自分に、シャアは強《し》いて作戦上のミスを反芻《はんすう》してみて、一人、呟《つぶや》くのだった。
「認めたくないものだな。若さ故《ゆえ》の過ち《あやま》というものを……」
PART 3
キャルフォルニア・クラッシュ
宇宙世紀|〇〇《ダブルオー》三五。火星と木星の間にある小|惑星《わくせい》群の中にあるユノーを月軌道上まで運ぶ計画が実行に移《うつ》され、十年後にユノーは月軌道上に定置《ていち》した。ユノーの鉱物資源を得るためと、スペース・コロニーの地面の土砂に使用するためである。以後、ユノーはルナツーの愛称で呼ばれ、月軌道上を移動しながらスペース・コロニーの需要《じゅよう》に応《こた》えて、宇宙世紀〇〇六七年、サイド|7《セブン》の建設が決定されると、月と正対する軌道上に定位《ていい》させられた。
しかし、その頃《ころ》までには、レモン型になった最大直径八十数キロメートルのルナツーは、地球|連邦《れんぽう》軍の宇宙軍の基地にも利用されていた。
ジオン公国は、サイド7の建設が開始されて間もなく、地球連邦に対して開戦した。ジオンは、緒戦《しょせん》にサイド1、4、サイド2、5の四つを同時に攻撃《こうげき》し、百数十のコロニーを一挙に殲滅《せんめつ》したのである。この一番目の戦争を総称して『一週間戦争』と呼んだ。この時、ルナツーも雨の様なミサイル攻撃を受けて、地下化していない施設も完膚《かんぷ》なきまでに叩かれ、地球連邦軍の艦艇《かんてい》は、ろくな抵抗《ていこう》もしないままその三分の一を失ったのである。
ただひとつの例外は、サイド5に入っていたレビル艦隊の抵抗であった。ジオンは、緒戦《しょせん》でその艦隊を撃滅《げきめつ》できなかったために、残存《ざんぞん》戦力の大半を投入し再度の攻撃を仕掛《しか》けた。
地球連邦軍も戦力を糾合《きゅうごう》してこれを迎《むか》え撃《う》ち、人類の有史以来始めての大規模《だいきぼ》宇宙艦隊戦となった。
この『ルウム戦役《せんえき》』の結果は、サイド5のコロニーを含めて、両軍の艦隊の大半が沈《しず》んだ悲惨《ひさん》なものになった。
以後、八か月あまりの間、地球連邦軍はルナツーの再建と艦隊の整備拡大《せいびかくだい》に狂奔《きょうほん》し、ジオン公国は月にはグラナダ要塞《ようさい》、かつてサイド1にあった空域《くういき》に宇宙要塞ソロモンを構築《こうちく》して、宇宙にその覇権《はけん》を確立しようとした。それ以外にも小さい拠点《きょてん》争いが続けられて、双方《そうほう》がそれぞれの空域に自軍のテリトリーを拡大しようとした。
そのジオンの拠点《きょてん》の一つに『キャルフォルニア』があった。
これは、黄道《こうどう》面に対して三十度の傾《かたむ》きをもった軌道《きどう》上を回る高々度人工衛星で、そこにジオンの偵察《ていさつ》部隊が駐留《ちゅうりゅう》していた。
地球上の連邦軍の偵察とルナツーの監視《かんし》が主任務で、ルナツーの地球連邦軍からの直撃を避《さ》けるために、たえずアトランダムな軌道をとり、周辺空域には極大な《きょくだい》ミノフスキー粒子《りゅうし》を散布していた。
「連邦のV作戦をキャッチした。モビルスーツの搭載《とうさい》艦、木馬《もくば》型戦艦をそちらに追いこむ。捕捉殲滅《ほそくせんめつ》されたし……か」
そのシャア少佐からの電文を読む白面《はくめん》の青年が、キャルフォルニアの実質上の指導官、ガルマ・ザビ大佐である。
「さすが、首席《しゅせき》でいた男だ。私に華《はな》を持たせてくれるというのか?」
ガルマ・ザビは、額の《ひたい》右に垂《た》れ下がった髪《かみ》の毛に右手の人差し指をからませて、ほほえんだ。
このデギン・ザビの末っ子は、父がジオン公王の座《ざ》に座《すわ》った頃《ころ》、ようやく八|歳《さい》で、その後の環境《かんきょう》がさせたのか、彼の資質がもともとそうだったのか、およそ人を疑うという事を知らずに育った。よく言えば、人に対して寛容《かんよう》であるのだが、その鷹揚《おうよう》さは、将《しょう》としての器と《うつわ》しては脆弱《ぜいじゃく》すぎた。なによりも、まだ若すぎるのである。
シャアは、第二報を待てというが、ガルマは興奮して、基地司令のゾム少将にガウ空爆《くうばく》三機の発進を命令した。
ルナツーとサイド7との間は、ペガサスの戦闘《せんとう》速度なら十時間あまりでたどりつける。
このペガサスの出鼻《でばな》をくじくために、ムサイは二門のメガ粒子《りゅうし》砲を発射して、ペガサスの針路《しんろ》をルナツーのコースにのせないように牽制《けんせい》した。結局、二艦はジグザグのコースをとりながら、シャアの作戦にはまっていた。ブライト少尉《しょうい》がシャアとやり合うには、あまりに位負《くらいま》けしていたのだ。しかし、今や、ムサイとて主要ミサイルはタム・タイプの二発を残すだけなのだ。
「キャリフォルニアの軌道《きどう》が南天にさしかかる時でなければ、出来ることではなかった」
シャアはドレン中尉に笑いかけたが、ドレンは不安の色を隠《かく》さなかった。
「やれますか? 木馬の戦力はかなり高いと推測《すいそく》されますが?」
「やっているじゃないか? ハマン艦長が頑張《がんば》ってくれている」
シャアは久しぶりに赤鼻野郎に振り向いた。ハマン艦長は牽制《けんせい》攻撃ぐらいなら、自分の生命に関係がないのでやってみせるのだ。
「ハマン!」
そのシャアの呼びかけに、艦長は鼻を鳴らして笑いかけた。しかし、次のシャアの言葉に彼は顔色を変えておし黙《だま》ってしまった。
「連邦の新戦力の実体を掴《つか》むためには、ムサイ一|隻《せき》放棄《ほうき》するもやむを得まい。各員に戦闘食を配布しておけ。キャルフォルニアに捕捉《ほそく》させる作戦に入る」
ペガサスには百五人ほどの民間人が収容されていた。本来、拒《こば》むべき性質のものであった。コロニーに一つや二つの穴《あな》があいたからと言って、空気が失《な》くなって住めなくなるというものではない。最低限のコロニー管理機能は残っているのだし、コロニーの基本機能が停止することは考えられないからだ。
太陽エネルギーを基本に運営されるコロニーの最大の利点は、一度コロニーが機能すれば、内の生態系の循環と基本物質の再生利用によって、永久運動に等しいと例《たと》えられていた。もちろん、人工の造器《ぞうき》であるために、永久運動というわけにはいかないのだが、地球上のエネルギー循環に比《くら》べれば、太陽が存在する限りはるかに安定的と信じられていた。
そして、すでにルウム戦役直後に締結《ていけつ》された地球連邦政府とジオン公国の間の『南極条約』によって、コロニーが沈《しず》められる事はなかった。
一週間戦争によって、人類が少なくなりすぎたという事実が、双方《そうほう》を恐怖《きょうふ》させたのである。
*
フラウ・ボウは、ペガサスの重力ブロックに移動して、負傷者の手当てに駆《か》け回っていた。すでに神経が麻痺《まひ》していた彼女は、少しばかり内臓《ないぞう》がとびだした人をみても平気だった。
「まだあるはずです。A型とB型を持ってきて下さい」
眼鏡《めがね》をした神経質そうな看護兵が、フラウ・ボウに輸血用の血液を持ってきてくれと言うのだ。数人の兵士の上をとびこえるようにして、フラウ・ボウは血液バンクに走った。
それにしてもひどいものだとフラウは思った。軍艦《ぐんかん》であっても、軍人がいないようにみえるこのブロックを走っていると、戦争に勝てるのだろうかと不安になった。大体、艦がどこに進んでいるのか判《わか》らないというのも、フラウを苛立《いらだ》たせた。
「アムロ、どこにいるのかしら?」
もう死んでいるのかも知れないという想像がフラウに走るのも、彼女には、アムロはいつもどこかひ弱そうで、目を離《はな》せなかったという印象があるからだ。けれど、今は立派《りっぱ》に軍人をやっているらしいと、あのモビルスーツ、ガンダムのハッチからのぞいていたアムロの姿《すがた》を思い出して、嫌《いや》な想像を忘《わす》れるようにした。
フラウ・ボウは、すでに半分|空《から》になっている血液バンクから、二つの血液型の容器を取り出して、サンマロ看護兵らのいる部屋へ戻ろうとした。
「…………」
行き場のない人々の間に子供の泣き声を聞きつけて、フラウは、十歳にもならない男の子が、半べそをかきながら、二人の幼児をなだめているのを見つけた。
「どうしたの?」
「ママが……」
年かさの少年がそう言いながらも、声をあげて泣き出してしまった。人に声をかけられて安心したのだろう。
「ここにじっとしていなさい。あとで、捜《さが》してあげるから」
フラウ・ボウは、士官室と思われる処《ところ》に三人を座《すわ》らせて、いいわね、ととび出していったが、盛《さか》んに泣いていた一番下の女の子は見憶《みおぼ》えがあった、と思い出した。
「助かります。人手が足りなくて困っていたところです。ルナツーかサイド7の連絡《れんらく》が入ったらとり継《つ》いでくれればいいのです。艦内通話は、直接私の方でとるようにしますが、混線した時は、そちらで……」
ブライト少尉《しょうい》は立ったままセイラ・マスに言った。キャプテン・シートに座るべきなのだが、立っている方が気分が楽なのだ。
「はい、少尉」
セイラは、ブリッジの右の通信パネルの前に流れていった。頭を血でぐしょぐしょに濡《ぬ》らした兵が彼女に白い歯を見せたようだが、そのまま空に漂《ただよ》い出した。絶命したのだろう。
パネルには五つほどのモニターがあったが、その画面がペガサスのどの部分なのか、音声が入っていても、それらの重要度がどのようなものなのか、セイラには判別がつかなかった。メインのレーザー回線は開いているようなのだが、それも沈黙《ちんもく》をつづけていた。
右のモニターに一人の少年兵の顔が大写しになり、何か怒鳴《どな》り出した。セイラはそのモニターの通話ボタンを押した。
「……ガンキャノンの整備は終わった。どうすりゃあいいんだ」
野太《のぶと》く叫《さけ》ぶハーフは、ひどく急《せ》き込《こ》んでいた。
「ガンキャノン? ですか?」
「リュウ・ホセイだ。リュウ・ホセイのガンキャノンを……」
「少尉! リュウさんのガンキャノンが整備できそうです」
セイラは、後ろのクレーンの下に立つブライトに呼びかけた。
「なに?」
受話器を外したブライトが、待機しろと伝えろと手短に言った。
「待機するのはいいが、戦況《せんきょう》が判《わか》らん。教えてくれ」
リュウが、小さいモニターからセイラを見上げるように噛《か》みついてきた。
「戦況を知らせてくれとのことです」
セイラは伝える。
「コントロール・ルームに送るから、そこで見ろと言っとけ!」
ブライトは、初対面の慇懃《いんぎん》さを忘れて怒鳴《どな》り、さらにクレーンにいる二人のオペレーターの一人にも振《ふ》り向いていた。
「各|戦闘《せんとう》ブロックに、戦況をまとめて送ってやれ。急げよ」
「はい!」
オスカ軍曹《ぐんそう》が、半《なか》ば敬礼する仕草を交えてブライトに応じた。その二人のやりとりをみて、セイラは、うまくいっていないな、と感じた。
「判《わか》った! 少尉の怒鳴り声が聞こえたよ」
モニターのリュウ・ホセイが苦笑したようだった。
「俺《おれ》はリュウ・ホセイ曹長だ。暇《ひま》になったらデートしてくれないか?」
ひどくプライベートな言葉に、セイラは反感を抱《いだ》くより先にモニターをのぞいてしまった。黒人と白人のハーフなのか? いや、アラブの血も混じっているようだ。浅黒い肌《はだ》の間からのぞく白い歯がさわやかに笑っていた。
「フ……。チャンスがあったらね。わたしセイラ・マス。よろしくね」
セイラは自分の意思に反した返事が勝手に出たので、内心|驚《おどろ》いていた。
「頑張《がんば》ってな。新米《しんまい》さん」
リュウのモニターが消えるのを待っていたかのように、左|隅《すみ》のモニターに別の兵の顔が大写しになった。と、
「ムサイ接近します! 七時の方向。下、二十五度の角度です」
セイラは、オペレーターのマーカー曹長の声に天井《てんじょう》のパネルを振《ふ》りあおいだ。サブ・ブリッジの天井にも三百度の天空を示すモニターが埋《う》めこまれ、残りの六十度分の視界は後方のモニターに表示された。
「最大戦速です! これは!」
「間違《まちが》いないのだな?」
レーザー・センサーによる画像はミノフスキー粒子《りゅうし》下でも使えはするが、モニターに表示される画像は、コンピューター・グラフィックスによるモデルである。ミノフスキー粒子下の誤差を過去のデータをもとに修正して表示する全くの擬似《ぎじ》モデルである。かつてレーダーがストレートに使えた時代の三次元表示に比べて精度はおちたが、見当はつけられた。こんなものでもなければ、ブライトのような素人《しろうと》艦長にはなにもできなかっただろう。
「モビルスーツ各機、発進させろ! 対空戦闘用意!……い、いや! 対艦戦闘……」
「モビルスーツ、ザクが一機、発進したようです。こりゃあ、赤い彗星《すいせい》です」
マーカーは、彼なりに推量《すいりょう》しているのだった。
「間違いないのか?」
ブライト少尉は、自分でもなぜこうも同じ事しか訊《き》けないのかと苦笑したかった。
ブライトは、正面の艦内チェック・モニターに眼を走らせた。八面のマルチ・スクリーンの左|隅《すみ》が、二機のガンキャノンをカタパルトにセットされる光景を写していた。ガンダムは、腰《こし》を落としてカタパルトの上に射出姿勢《しゃしゅつしせい》をとった処《ところ》だった。ブライト少尉は通話器をとると、
「アムロ曹長! シャアが出てくる! いいな」
「いきまあす!」
ブライト少尉の言葉が終わらないうちに、アムロ曹長の言葉がかぶってきた。監視《かんし》モニターの中央にハッチから射出されたガンダムが横切って見えた。ビーム・ライフルと楯《シールド》を持つガンダムのフル装備《そうび》は、わずかにブライトを安心させた。
「リュウ曹長! 発進します」
「カイ! 行きます」
左のデッキから、二機の赤い機体のガンキャノンが発進していった。
モビルスーツのパイロットの彼等は、まだ見習いである。ブライトはその事を思うと、暗《あん》然《ぜん》とせざるを得なかった。二十歳にもならない少年を、俗《ぞく》に言う棺桶《かんおけ》と呼ばれるコクピットに閉《と》じこめて、そのひよこたちにペガサスの守りを任せなければならないのだ。
「ガンダム、シャアと接触します。ムサイ発進! コース変えません。後部ミサイル……」
「射角《しゃかく》マイナス二・五度。扇撃《おうぎう》ち! 二連射!」
ブライトは叫《さけ》んだ。ムサイは、ペガサスの下に潜《もぐ》り込《こ》むようにコースをとっていた。その先をシャアのザクがかすかに上方にコースをとり、ペガサスの三機のモビルスーツを一人で引き受ける積もりらしかった。
「辛《つら》いわね。見習生の相手が赤い彗星《すいせい》では……」
ミライ准尉《じゅんい》が、操舵輪《そうだりん》を握《にぎ》ったままブライト少尉の方を振《ふ》りあおいだ。そのミライの視線《しせん》を見返しながら、ブライトは何も言わなかった。判《わか》りきった事を言う女だと思っただけだ。
「外れました」
頭上からオスカ軍曹が殴《なぐ》りつけるように叫んだ。八発の後部ミサイルが無駄《むだ》になったのだ。
「機雷《きらい》散布は、あり得るのか?」
「暗礁《あんしょう》空域から外れてますので、まぎれこませるわけにはいきまさん。二式なら気づかれないと思いますが……」
「二式か……ムサイには駄目《だめ》だな」
二式《ニシキ》空間機雷《スペースマイン》。直径が十センチの感応《かんのう》機雷で、目視《もくし》されないように希薄《きはく》にばらまいた処《ところ》で、巡洋艦《じゅんようかん》クラスに役に立つというものではなかった。そんな使い方では、敵艦《てきかん》にかすめもしない。
「高熱源体接近!」
オスカ軍曹が悲鳴をあげた。
「ミサイルか!」
本能的に椅子《いす》の肘掛《ひじか》けをわし掴《づか》みにして、ブライトは天井《てんじょう》のパネルを見上げた。
「タ、タム・タイプのミサイルらしい!」
マーカーも上《うわ》ずった声で叫ぶ。
「数は!」
ブライトは訊《き》く必要はなかった。左のマルチ・スクリーンが一発のタム大型ミサイルを明《めい》瞭《りょう》にキャッチして、コンピューターが予測コースと接触予測時間を示した。
「ミライ准尉《じゅんい》! 回避《かいひ》運動。上角十九度! 面舵一杯《おもかじいっぱい》だ」
緊急警報《きんきゅうけいほう》が鳴り、|G《ジー》が足下にぐっとかかった。無重力に慣《な》れはじめた体にとって、不愉快《ふゆかい》なものだ。頭の血が下がり、血圧の低いものは目まいを起こした。モニターのカウント・ダウンする数字が百分の一秒で走り、ブライトが一・五秒の数字を見た時、ブリッジのフロント・ガラス越《ご》しに白色光が舞《ま》った。
光を感じたガラスは防眩《ぼうげん》フィルターが入って光量をおとしてくれるが、正視することはできない。続いてペガサスは下から一挙につき上げられた。シート・ベルトを装着《そうちゃく》していたブリッジの兵たちはかろうじて体を支え、太腿《ふともも》に喰《く》い込《こ》んだベルトが脚《あし》を折らないことを祈《いの》る。立っていたミライは、天井《てんじょう》と床《ゆか》の間を三度往復したが、この方が安全といえた。
ギシン……! ペガサスの機体が捩《ねじ》曲がり、悲鳴をあげた。シート・ベルトを使わず、ノーマルスーツを着ていない民間人なら、この衝撃《しょうげき》で骨折はするし、負傷兵の中にはこれで死んでいったものもいた。
ブライトは、つき上げられる衝撃がおさまらないうちに、肘掛《ひじか》けに内蔵された受話器をとりあげていた。
「メイン・エンジン! 臨界《りんかい》急げ! 最大戦速加速! 加速だ!」
ミライ准尉《じゅんい》は、胸の打撲《だぼく》を堪《こら》えながら、メイン・エンジンのゲージを見守った。現在九十パーセント臨界である。あと三五パーセントは上げ得よう。
ミライは、ブライトが爆圧《ばくあつ》による加速を利用して戦闘空域から脱出しようという考えが判《わか》った。
「モ、モビルスーツは?」
「そ、それは、あ、あとの事だ」
ブライトが余分なことを気にしたので、背後のパオロ艦長が叱《しか》った。が、クレーンの下に固定されたキャスターの上のパオロの毛布は、ベットリと血がにじんでいた。
「サンマロ! 艦長を!」
今の衝撃《しょうげき》で、パオロの体を固定していたベルトが仇《あだ》となって、傷口《きずぐち》を開かせた。
「損傷《そんしょう》を調べろ」
ブライトは全艦へ命じた。左のパネルにコンピューター・モデルによる損傷表示は出てはいる。ウォール・フィルムによる自動|穴《あな》ふさぎ装置も作動はする。が、人手をかけてやらなければならないのが機械だった。戦闘に直接|影響《えいきょう》がある部分の損傷なら、なおの事、完全に復旧させなければならない。直撃でなかったのが幸いだった。
「タム・タイプのミサイルは、ムサイに何発あるのか?」
「四発です」
マーカー曹長の即答《そくとう》に、ブライトは慄然《りつぜん》とした。
シャアとて癖《くせ》はある。射撃《しゃげき》をする瞬間《しゅんかん》に一直線のコースを二秒ほどとる。が、それを見抜《みぬ》けるほどアムロたちは熟練《じゅくれん》していなかった。
ガンダム・ガンキャノンの使う楯も《シールド》ザクの百二十ミリ・ライフルの直撃を永久に撥《ば》ねとばす事ができる装甲《そうこう》ではない。同じ処《ところ》へ二発の直撃を受ければ保ちはしなかった。ガンダムはすでに数発の直撃を受けて、もう一発直撃を受ければ、使いものにならなくなる。
そう、シャアはガンダムを狙撃《そげき》しつづけているのだった。アムロの頭は、すでに飽和《ほうわ》状態に達していた。
正視モニターでシャアの彗星《すいせい》の流れをキャッチし、スコープに捉《とら》え、撃《う》つ! が、ビームが走った時は、そこにシャアのザクの姿はなかった。一度は、シャアのザクの単眼《モノアイ》が、スコープ一杯《いっぱい》に拡《ひろ》がるほど至近距離《しきんきょり》にとびこんできた。アムロは悲鳴をあげた。
が、その時ガンダムは驚異《きょうい》的な変わり身をした。ジュードーかカラテの達人に似た身のこなしを見せたのである。
アムロは、ガンダムの左|脚《あし》を前に振《ふ》り上げさせて、ゴン! という手応《てごた》えを感じた。左のモニターにその衝撃《しょうげき》力が表示された。が、アムロはそんな表示は見ていなかった。
シャアにしてみれば、一キロ以内に白いモビルスーツをキャッチできたのである。頭を破《は》壊《かい》すればメイン・テレビは殺せよう。その自信をこめた一連射は、猫《ねこ》のようなモビルスーツの動きにかわされたのである。
「…………!」
シャアは息をのんだ。同時に、頭上に衝撃を受けた。正面のモニターが一瞬《いっしゅん》消えた。シャアは急激なGを受けて、体をシートにめりこませた。ザクが白いモビルスーツに蹴《け》とばされたらしいのだ。あまつさえ、頭部のカメラを潰《つぶ》されて、シャアのザクは後ろにはねとばされた。
これは、屈辱的《くつじょくてき》な事件だった。モビルスーツが実用化されて二年とは経《た》っていないが、モビルスーツに蹴《け》とばされたモビルスーツは、シャアのザクが始めてだろう。
「赤い彗星《すいせい》が!」
シャアは本能的な怒《いか》りに燃えた。正面モニターは、すでに補助カメラによる視野《しや》に変わっていた。十五キロほど前方の空間に白いモビルスーツが目視《もくし》された。
「このままには、させん!」
その怒りは深くシャアに記憶《きおく》された。相変わらず当てる事のできない敵《てき》のビームが輝い《かがや》た。
「巡洋艦なみのビーム砲《ほう》といえ、当らんでは!」
シャアは一人|絶叫《ぜっきょう》した。と、二機のモビルスーツの間に弾幕《だんまく》が張られた。ガンキャノン二機による援護《えんご》射撃が始まったのである。やむなく、シャアはジグザグに回避《かいひ》運動をしながら、白いモビルスーツに迫《せま》らなければならなかった。が、どんな敵でも黙《だま》ってターゲットになってくれるわけはなかった。ザクの残弾は少ない。ふと、シャアは焦《あせ》りを憶《おぼ》えた。
「タムです!」
マーカー曹長が叫《さけ》んだ。
「A・M・M発射!」
ブライト少尉は、先刻《さっき》は全く忘《わす》れていた対ミサイル用ミサイルの発射を命じた。当らないにしても、射《う》たないよりは良い。
フラウ・ボウは背中全体の痛みを忘れていた。先刻《さっき》の至近弾《しきんだん》の爆発の時、シート・ベルトをしていなかった負傷兵が、フラウ・ボウの目の前で天井《てんじょう》と床《ゆか》の間を何度か往復した。その彼の傷口《きずぐち》が割れて、吐《は》き出した血が部屋の空間を汚《よご》した。フラウは、その体にしがみついて固定してやった。
その時の負傷兵の血で彼女は血まみれになって、ブラウスの血はまだ濡《ぬ》れたままだった。その光景を思い浮かべると、自分の痛みなど物の数ではないと思った。リフト・グリップを握《にぎ》る手だって、血で滑《すべ》りやすいままなのだ。
士官室に残してきた三人の子供たちは、さかんに泣いていた。が、フラウは、その声が元気なので安心をした。声を上げて泣けるのは、元気な証拠《しょうこ》なのだ。それでも、一番年下の女の子を二人の男の子が泣きながらも、慰《なぐさ》めようとしていた。
「大丈夫《だいじょうぶ》だったのね?」
「う、うん。だけど……こいつがさ」
年かさの少年が言った時、再び警報《けいほう》が鳴った。
「シート・ベルトをするのよ!」
フラウは士官室のソファに三人の子供たちを座《すわ》らせ、シート・ベルトをさせた。同時に、ペガサスの機体に激震《げきしん》がきた。前よりも近い爆発だ。マジック・テープでとめてあるはずのベッド・カバーでさえめくれ上がった。
「ああー!」
「キャーァ!」
三人の子供達の悲鳴は痛みを訴《うった》えた。二、三本のシート・ベルトでは、身体に喰《く》い込《こ》むだけなのだ。
「ゴホン!」
まんなかの男の子が咳《せき》こんだのは、体がすれて胸あたりにベルトの圧力がくわわったからだ。部屋の戦闘時用の灯《あかり》も消えた。
「あっ!」
フラウ・ボウの膝《ひざ》の上に怯《おび》える女の子がしがみついてきた。幼児の弾力ある肌《はだ》を感じながらも、フラウ・ボウは力強く抱《だ》いてやった。非常用酸素、ブリッジにつながるモニター、艦内電話。薄暗闇《うすぐらやみ》の中で、フラウ・ボウはそれらの位置を確かめた。
「じっとしてるのよ」
フラウ・ボウは自分のシート・ベルトを外して立ち上がろうとしたが、女の子、キッカは離《はな》れようとしなかった。フラウ・ボウはやむなく彼女を抱《だ》いたまま壁《かべ》づたいに、士官|机《づくえ》の方へ移動した。懐中電灯《かいちゅうでんとう》が欲《ほ》しかったのだ。かすかに物の形が見えるのは、廊下《ろうか》からの明かりのせいだった。
誰《だれ》が使っていた机だろうか。二|冊《さつ》のファイルが入っているだけだった。懐中電灯はすぐに見つかったが、その脇《わき》に拳銃《けんじゅう》もあった。一瞬《いっしゅん》、持っていた方がいいのかしらと、フラウ・ボウは思う。が、自分にそんなものを使うチャンスがあるようには思えなかった。ライトをつけて、ソファの上の男の子に声をかけた。
「ね? なんていう名前なの?」
「ぼ、ぼく? カツさ。カツ・ハウイン」
「レツ・コ・ファン」
年下の男の子は、ライトの中で目を細くして答え、「ね、母ちゃん、見つかったか」と心
細そうに尋《たず》ねた。フラウ・ボウは返事のできない自分に狼狽《ろうばい》した。
「あなたは?」
「キッカ・キタモト。お母ちゃん、捜《さが》してくれるって、いってた」
「ごめんね。お船の中、まだ、全部捜してないの。戦争終わったら、また捜すからね」
フラウ・ボウは、この子たちと別れる方法がないものかと思った。すでに、民間人が収容される数か所を回っていた彼女は、この子供たちを捜している母親にであってはいなかったのだ。
「大分《だいぶ》変針《へんしん》してくれたな」
ドレン中尉《ちゅうい》は自《みずか》ら双眼鏡《そうがんきょう》で、木馬を観察していた。もう一発、タム・ミサイルをぶっつければより理想的に木馬は変針するのだろうが、それは望むべくもなかった。
「あとは、メガ粒子砲《りゅうしほう》で威嚇《いかく》するしかないな」
「それはいいのだが、ガルマ大佐はキシリア少将|麾下《きか》の宇宙攻撃軍だ。キャルフォルニアに追い込《こ》んでは、あとでドズル中将と一悶着《ひともんちゃく》起こるぞ」
赤鼻のハマン・トラッム大尉が、ドレンを揶揄《やゆ》るように言った。
「少佐の問題さ。私らになんの関係もない」
「儂《わし》は困《こま》る。艦長としての立場がある」
「なら、作戦前に、なぜ断らなかったのかね?」
ドレン中尉にしても、シャアがキャルフォルニアと接触《せっしょく》する前に、ドズル・ザビ突撃《とつげき》機動軍司令に了解《りょうかい》ぐらいつけておくべきだと考えた。が、この暗礁《あんしょう》空域から、ドズルの宇宙|要塞《ようさい》ソロモンは地球の陰《かげ》に位置して、レーザー回線は使えなかった。
「モビルスーツの価値《かち》いかんさ」
連邦軍のモビルスーツの価値が高ければ高いほど、縄張《なわば》り争いなどという内輪《うちわ》の問題なぞ帳消しとなろう。
「連邦のモビルスーツの性能が驚異《きょうい》的である事を祈《いの》るしかないな」
ドレン中尉のその言葉に、トラッム艦長は答えなかった。プイッと傍ら《かたわ》のコンピューター・パネルに目を移した。ドレンは、艦長が俺《おれ》以上にシャア少佐が嫌《きら》いなのだろうと思った。
確かに、いつの世の戦争でも若い勇士は誕生《たんじょう》するものだが、その直属《ちょくぞく》になるというのは気持ちの良いものではない。まして、シャアのように、年上に気を使いすぎる若く出来すぎの少佐などは厭味《いやみ》であった。
階級に関しては、これは言わずもがなのナンセンスものなのだが、それでも、シャアがキャルフォルニアと接触《せっしょく》をとり、士官学校の同期のガルマ・ザビに華《はな》を持たせようとするのは、出世主義に凝《こ》り固まったゴマ擦《す》り男のする事なのだ。いつか、シャアも馬脚《ばきゃく》をあらわすだろう。今までは、彼はたまたま運が良かったにすぎないのだ。そう、ドレンは思っていた。
カイ・シデン曹長は、ガンキャノンのバランスをとる事で精一杯《せいいっぱい》だった。左|脚《あし》に直撃をうけて、左右のバランスをとる事がかなり難し《むずか》くなっていたのだ。
「……いいぞ!……退《さが》って!」
もう一機のガンキャノンからリュウ・ホセイ曹長の声がかすかに聞こえた。
「どこに退りゃあいいんだ!」
カイ曹長は一人コクピットで喚《わめ》いた。ペガサスが何処《どこ》にいるのか全く判《わか》らないのだ。ターゲット発振《はっしん》が停止しているからなのだが、いつまた赤い彗星《すいせい》が迫るか知れない空域である。時間をかけて探《さが》しているわけにはいかなかった。
リュウ・ホセイ曹長は、シャアのザクに対して三度目のスコープ合わせをした。ガンダムとからむように動くので危険は感じたが、ガンキャノンの両|肩《かた》に装備《そうび》された二十八センチ砲《ほう》が、シャアの赤い彗星にむけて三度発射された。しかし、手応《てごた》えはなかった。味方のガンダムに当らなかっただけでも幸いなのだ。
「…………?」
リュウ曹長はあわててスコープから目を離《はな》した。シャアの彗星の流れが消えたからである。
三百八十度|監視《かんし》カメラを開き、レーザー・センサーが空間をトレースする。三十秒たった。一機、敵味方識別信号を発して接近するものがあった。ガンダムである。かなり乱れた映像と共に、アムロ・レイ曹長の音声が届いた。
「……まして……。ペガサスへ……」
「逃《に》げたのか? 赤い彗星は?」
この言い方は、自分ながらおかしいと思った。三機のモビルスーツが出撃したものの、赤い彗星のザクに至近弾ひとつ撃《う》ちこんだわけではないのだ。ガンダムが、リュウのガンキャノンにシールドを差し出して見せた。
「?……」
リュウはそのシールドを見て息を呑《の》んだ。四分の一ほどが破壊《はかい》されたそれは、ハニカム構造の断面をむき出しにしていた。
「そんなにやられたのか?」
リュウはシャアの攻撃が正確であるという事実に息を呑み、かつ、その攻撃をシールドで守ったアムロの才能に驚い《おどろ》た。
「……あ、あいつ……ニュータイプかも知れねえな……」
リュウは最近、耳にした言葉を呟《つぶや》いた。
*
「弾丸がなくなったから後退したにすぎないわ」
そのミライ准尉の断定に、ブライトは「理由は?」と聞いた。
「シャアが、噂《うわさ》通りの戦士である事は判《わか》りましたけど、勇敢《ゆうかん》なパイロットが秀《すぐ》れた戦術家とは限らないわけだし、ザクを小出しにしてきたやり方をみると、ガンダムの情報を手に入れる事を目的にしていたと考えられません?」
そこでミライ准尉は言葉をのみこんだ。
その彼が急に後退したのは、弾丸の補給が必要になったからかも知れないが、それにしても、あまりに引き際《ぎわ》が早かった。
「思いきりが良すぎると言うのか?」
「ええ……。妙《みょう》ですね?」
ブライトは、ミライの瞳《ひとみ》がひどく理知的なのに感動しながらも、絶句していた。
「ブライト少尉。ペガサスはルナツーに下りられないコースにいます」
クレーン上のマーカーの報告に、ブライトはゾッとした。ムサイは、ペガサスがルナツーへ変針しようとするとビーム攻撃をしてくるので、ムサイと対峙《たいじ》する覚悟《かくご》がなければ、ルナツーへは戻《もど》ることができなくなっていた。
ペガサスの主任務はルナツーへ戻る事ではなかったかも知れないが、今のパオロ艦長は、多量の出血が原因で昏睡《こんすい》していた。サイド7でモビルスーツを受領《じゅりょう》した後、ペガサスの作戦任務はなんであったか、パオロ艦長が目覚《めざ》めてくれぬ限り知る術はなかった。
「どうかね? セイラさん。ルナツーとの交信は?」
「敵艦……ムサイですか? 妨害《ぼうがい》してるんです。レーザー発振《はっしん》も歪《ゆが》みがひどくて……」
「そうですか……」
ブライトは、今になってセイラ・マスのショート・カットされた金髪の美しさに気づいた。透《す》けるような細い毛が輝いていた。
「…………。我々《われわれ》は、はめられたんだ。シャアに……」
「どう言うことです。少尉」
入り口近くに立ったアムロ曹長が尋《たず》ねてきた。サブ・ブリッジに集合している兵は、五十人と少しだろう。一同もアムロと同じ思いに駆《か》られてブライトを見やった。
「すでに三時間|経《た》つ。ムサイを振り切れないまま、ペガサスはかなりの速度で移動している。ペガサスが、ルナツーへ下りられないのなら、人工衛星|軌道《きどう》に接触《せっしょく》しながら百八十度|回頭《かいとう》して、ルナツーへ登るコースをとるつもりだ。しかし、一つ忘《わす》れていた事を思い出した。キャルフォルニア・ベースだ」
「ガウが出てくるんですか?」
ハヤト曹長が叫《さけ》んだ。キャルフォルニア・ベースは大した基地でないのだが、不慣《ふな》れな乗組員で構成されているペガサスにとって、二、三機のガウ空爆も巨大な敵に思えた。
「ガルマ・ザビ大佐がいるって噂《うわさ》があるよな」
乗組員たちはざわめいた。キャルフォルニアの位置が、ペガサスを迎撃《げいげき》するのに都合《つごう》がよい位置へくるとなれば、シャアがそれを計算に入れていたのだ。
「反転してムサイを迎撃するか、キャルフォルニアをかすめても、地球の引力を利用してジャンプ航法をとってルナツーに戻るか、諸君の意見をききたい」
「回頭しましょう。キャルフォルニアがなければ、シャアはもっと違《ちが》った攻撃を仕掛《しか》けて来たでしょうし、ムサイに充分《じゅうぶん》な戦力があれば、もっと徹底《てってい》的な攻撃をしてきたでしょうから……」
ミライ准尉はいった。
「賛成だな。ムサイは武器弾薬がないんだ。となればムサイを撃《う》てばいい。キャルフォルニアが、何機のガウを持っているのか判《わか》らんという問題もある……」
リュウ・ホセイが一同の頭を抑《おさ》えるように言った。全員は、無言の賛意を示した。
「各員、再度、ノーマルスーツ着用! ペガサスは、これより反転してムサイを殲滅《せんめつ》。ルナツーへ直進する」
サブ・ブリッジにひしめいていた兵が散った。さらにブライトは艦内に呼びかけた。
「民間人の中にも軍事|教練《きょうれん》を受けたもの、元軍人がいるはずである。それらは、男女を問わず艦内防衛任務につく事を命令する。幼児、児童ならびにその保護者、負傷兵は重力のブロックのE区画へ移動。ムサイとの接触は十五分後の予定である。急げ!」
サブ・ブリッジは静かになった。一瞬《いっしゅん》の静寂《せいじゃく》の中、セイラ・マスがブライト少尉を振《ふ》りあおいだ。
「少尉。ペガサスの艦内配置図ありませんか? 全体の動きが判《わか》らなくて……」
「あ、最上階のパネルに表示できるが……。マーカー曹長?」
「右の引き出しにファイルがあります。見て下さい」
セイラは、マーカーの指示に従って、艦内の配置、通信系統を図示したファイルを呼び出していった。
「コーヒー……飲みたくないか?」
そんなブライトの声に、セイラも改めて自分の咽喉《のど》の乾《かわ》きに気づいた。
「そうですね。タムラ上等兵を呼び出しましょう」
オスカのその言葉が終わるとブリッジにまた静けさが戻《もど》ったが、セイラが艦内図をろくに調べもしないうちに、艦内配備の各パートからの問い合わせと要請《ようせい》、坑義《こうぎ》が殺到《さっとう》しはじめた。ノーマルスーツが不足している、自分はどこに行けばいいのか? 自分の担当機銃座はどこか、素人《しろうと》のセイラに何一つ判る問題ではなかった。ただ、ブライト少尉に中継するだけだった。
「原則は、各|甲板《かんぱん》士官が判断する事だ。つまらん事までブリッジに聞くなと言っとけ」
結局、セイラは艦内モニターで民間人、負傷兵の動きをチェックして、現場にいるサンマロ看護兵に伝言する仕事だけを請《う》け負った。
「二十四ブロックの五人をE区画に移動させます。怪我人《けがにん》はいないようです!」
そんなやり取りのあとで、民間人の少女がセイラに呼びかけてきた。
「フラウ・ボウといいます。子供三人連れています。E区画ってどこですか?」
若いのにすごい子持ちだな、とセイラはかすかに誤解をする。
「貴女《あなた》は、どちらにいるの?」
「士官室です。ナンバーが十六番の」
そんな混乱のサブ・ブリッジに、白髪《はくはつ》の老人が怒鳴《どな》りこんできた。
「艦長はおらんのか! 話にならんぞ。これは……」
「何か?」
「少尉か?……艦長ではあるまいな?」
「パオロ艦長は昏睡《こんすい》状態でして、小官《しょうかん》が代行しております」
「パオロ・カシアスか? 艦長が?」
「はい! 御用件は?」
「これでは、対艦戦闘などは出来ん。無統制もいい処《ところ》だ。本気で……」
「やる以外にありません。御用がなければ退《さが》っていただけませんか?」
面倒《めんどう》な事になるだろうと、ブライトは思った。白髪の老人は、それなりの軍人であったらしい。
「儂《わし》は、ジャルハ・アモフ。この艦の事は知らんが、重巡ブキャナンの艦長を務め上げた男だ。手伝わせてもらう」
そう言うからには、佐官までいった男であろうが、中佐クラスでブキャナンの艦長を十年で辞《や》めた軍人なぞ、コチコチの軍人で、それ以上進級の出来なかった男だ。
「昔と違《ちが》います。レーダー類のない古典戦法しか使えない現在です。運用が違います」
「判《わか》っておる」
「ペガサスの艦内の説明をしている時間がありません。前部二十四基のミサイルの指揮《しき》をしていただけますか?」
「指揮所はどこか?」
「この下のフロアです。ダブリン軍曹がいるはずです。彼に替《か》わってお願いします。ダブリンには、発射管《はっしゃかん》の方に移るように言って下さい」
「……よ、よし」
ジャルハ元中佐殿は不承不承《ふしょうぶしょう》背を向けた。
「レーダーパネルはありますが、使えませんよ」
元中佐は答えなかった。ノーマルスーツでリフト・グリップに掴《つか》まる姿《すがた》は危なっかしかった。
「ダブリン軍曹。今、そこに元中佐殿がゆく。席を替わってやってくれ。貴様は、一番管から前部二十四基のミサイルの指揮をとれ」
「しかし、中佐殿には……」
「あとで、通信回線が切れたとでも言っておけばいい。レーダー時代の軍人だぞ……」
「来ました。了解しました。少尉」
受話器をおきながら、ブライトはうまく追い払ったものだと思う。
「後部ミサイルには誰《だれ》が?」
「トルカム上等兵です。これは専任《せんにん》ですから安心していいでしょう」
マーカーの艦内オペレーター能力は、残弾の数まで憶《おぼ》えているのではないかと思える。
「よし、ミライ准尉。ペガサス回頭《かいとう》するぞ……コーヒー、遅いな」
ブライトは、受話器を艦内オールにつないだ。
「ガウ空爆三機を、ガルマ大佐|自《みずか》ら指揮をなさっているようです。十分後に、木馬に対しての射程距離《しゃていきょり》に入ります」
「あいかわらずのお坊《ぼっ》ちゃんだな……」
「軍功《ぐんこう》が欲《ほ》しいのでありましょう。御自分が飾《かざ》り物の大将になるのは厭《いや》だと、常日頃《つねひごろ》申しておられますから……」
ドレン中尉の物知り顔を見ると、シャアの癇《かん》にさわった。
「だからジオンは連邦に勝てるような戦争ができんのさ。判《わか》るか? ドレン」
最後の二語はシャアのしゃべりすぎだ。ドレンはシャアに背を向きかける姿勢《しせい》をとり、あなたも若いよ、とその背中が語っていた。
「…………」
若ければ若いほど自尊心を傷つけられたと思うものだ。シャアが人と違《ちが》う処《ところ》があるとするなら、ここで妙《みょう》ないじけた出方をしない自尊心があるからだった。これは、若すぎる男にとって武器である。ガルマ・ザビは、当たり前の若者の気負いを当たり前の行動として表すが、シャアは違っていた。
「すると、ガルマのドップは十八機か。上手《うま》くやって欲しいものだ」
シャアは、ドレンとのこだわった会話を忘《わす》れたかのようにスッパリと言った。思わずドレン中尉はシャアに振《ふ》り向いて、口元をほころばせた。
「ガルマ大佐が、木馬をじかに見ていけば、勝てましょうな?」
「そうだな」
シャアは愛想《あいそ》よく答えてみせた。
「ハイパー・バズーカ。あったはずだな?」
ドレン中尉は傍《かたわ》らのモニターの前で、キイを叩《たた》いてモニターの表示を読んだ。
「ハァ……。しかし、弾体が三発しかありません。しかも、三発とも一昨日の作戦の時に、不発でしたものを整備して……」
「充分《じゅうぶん》だ。私も出る」
シャアは、ガルマ大佐が率いるガウ攻撃空母が、ドップ戦闘隊を発進させたと思われる頃《ころ》に、自《みずか》らのザクを発進させた。
ガウ攻撃型空母は全長五十メートル、全幅六十メートル。その胴体《どうたい》部に五機のモビルスーツ、両翼《りょうよく》部分にあるハッチには四機ずつのドップ宇宙戦闘機《スペース・ファイター》を搭載した。その翼の後部にはノズルが団子《だんご》状に並び、二基の核融合《かくゆうごう》エンジンのパワーを開くと、巡洋艦《じゅんようかん》に倍する速度を得る事ができた。さらに二基のメガ粒子砲《りゅうしほう》を装備《そうび》していたが、地球上で言う空母という概念《がいねん》からは遠く、どちらかといえば航空機といえる形態《けいたい》を持っていた。
これに搭載されたドップ宇宙戦闘機は、ジオン軍の初期に開発された旧二十世紀代の面影《おもかげ》を持った機体で、ミノフスキー粒子の出現を噂《うわさ》された頃に実用化されたために、エンジン部とコクピットが二階状に積みあげられた愛嬌《あいきょう》があるシルエットを持っていた。その視界《しかい》の良さは格闘戦《ドッグ・ファイト》に極めて有効で、連邦の戦闘機『フライ・マンタ』なぞ目じゃない、と評価された。しかし、バルカンと小型のミサイルしか使えない火力は、現在ではいかにもひ弱なものになっていた。
シャアが出撃するといい出した時、ドレンは一度はとめた。
なぜならミノフスキー粒子下での敵味方識別信号というものは、どれだけ味方に受信してもらえるか怪《あや》しいものだからだ。つまり、味方に撃《う》ち落とされる可能性があるのだ。
「友情に報《むく》いるためには、そんな危険が何だというのだね? ドレン中尉。私は、一発でも多く木馬にバズーカを撃ちこみ、ガルマを助けたい。彼を飾《かざ》り物にしないためにもな」
ペガサスが百八十度|回頭《かいとう》して、ムサイと雌雄《しゆう》を決してルナツーへ逃《に》げこもうとした時は、遅《おそ》きに失していた。
「三十分前にこれをやっていれば、ザク一機しか持たないムサイは突破《とっぱ》されていた」
シャアは、木馬の艦長の決定が遅れた事を哀《あわ》れんだ。
タム・ミサイルの二クラス下のリム対艦ミサイルを四発装備した十八機のドップ戦闘爆撃機は、曲芸飛行のような旋回《せんかい》能力で、木馬の機銃《きじゅう》をくぐり抜《ぬ》けて迫《せま》り、さらに、ガウ空爆の二門のメガ粒子砲が致命傷《ちめいしょう》を与《あた》える事もたやすかった。
しかし、そのガルマの予定がうかつだったという事は、十分後に示された。
ガウ空爆三機の六条のビームがペガサスを襲《おそ》った時、ペガサスは驚《おどろ》くべき敏捷さ《びんしょう》でこれを回避《かいひ》したのだ。
「…………?」
操艦《そうかん》するミライ准尉にとっても、なぜ出来たことか判《わか》らなかった。背中を貫く《つらぬ》感覚を避《さ》けるように操艦をしただけなのだ。マーカーやブライトの指示に従っていたのではない。ブライト少尉はペガサスの左右をすり抜けてゆくビームの軌跡《きせき》を見ながら、ミライの素早《すはや》さに舌を巻いた。
「……ミライに任せておけば、敵の同士|討《う》ちさえ呼び込《こ》めるかも知れない」
ブライトはそんな期待さえした。
ペガサスを発進した三機のモビルスーツ、ガンダムと二機のガンキャノンは、左舷《さげん》から攻撃を仕掛《しか》けたドップに対決した。ガンキャノンの双肩《そうけん》のキャノンの炸裂弾《さくれつだん》が編隊を捉《とら》えれば、複数機を撃破《げきは》できるのだ。リュウがそれをやり、三機のドップを宇宙の塵《ちり》にした。
「やったァ!」
リュウは始めての戦果に一人手を打った。もう一機のガンキャノンはカイに替わってハヤト・コバヤシ曹長が操縦していた。これも、手にしたビーム・ライフルで狙撃《そげき》するよりも、肩《かた》のキャノンを使ってドップ二機を撃破した。ガンダムは二機……。
シャアのザクは、幸いにも味方に攻撃されることもなくペガサスに接近することができた。シャアはペガサスの銃火《じゅうか》をすりぬけて、彼の得意技《とくいわざ》ともいうべき複合S字コースをとりながら『船腹』という死角へ一直線に向かった。
が、ここで撃ってはだめなのだ。装甲《そうこう》が強化されていて、ザクの使うバズーカやライフルでは撃ち抜《ぬ》けた試《ため》しがない。シャアは、その位置から舷側《げんそく》を舐《な》めるように回りこんで、ブリッジを狙《ねら》い、続いてメイン・エンジンの磁束帯《じそくたい》を狙う。このブロックは、エンジンのブロックでも裸《はだか》同然の部分で、バズーカ二弾で済《す》む仕事であった。
シャアは、ブリッジを狙った。
ところが、あの白いモビルスーツが、何をどの様に嗅《か》ぎつけたのか、シャアが照準をつける刹那《せつな》に彼の眼前に滑《すべ》り込《こ》んだ。
「…………」
シャアは戦慄《せんりつ》したが、シャアはシャアである。恐怖《きょうふ》は、怒《いか》りの言葉になってシャア自《みずか》らの耳朶《じだ》をうった。
「冗談《じょうだん》ではない!」
そう、あり得べからざる現象なのだ。どこにシャアの赤いザクが肉薄《にくはく》する事を気づく者がいるのか? あまりに巧妙《こうみょう》に素早《すばや》く迫《せま》るが故《ゆえ》に、シャアの赤いザクを目撃《もくげき》した人々は、その瞬間《しゅんかん》に宇宙の塵《ちり》になる運命にあったはずだった。
が、奴《やつ》が来たのでる。
それは、シャアの初弾を自らのシールドで受け、白いモビルスーツの機体は大きくよろめいたが、それだけの事だった。ゆらめく機体は、右手に持ったビーム・ライフルを差し上げ、照準をつける動作に入った。シャアは、歯がみして第二弾を撃った。奴のビーム・ライフルも閃光《せんこう》を発した。
偶然《ぐうぜん》なのだが、ビームはシャアの放ったバズーカの弾体を捉《とら》えて蒸発させ、シャアのザクの機体をかすめた。ビーム束《そく》の周辺に拡散《かくさん》する粒子《りゅうし》が、ザクの左|肩《かた》につけたシールドを焼いた。シールドには目に見えない無数の穴《あな》があいて、ボロボロの状態になったはずだ。
『あと一発か!』
シャアは初陣《ういじん》で連邦軍のフライ・マンタ戦闘爆撃機とすれ違《ちが》った時の恐怖《きょうふ》と同じものを感じた。
白い奴が急速度に迫《せま》った。熟練《じゅくれん》したパイロットの気合に似たものが、十六メートルの巨体から放射《ほうしゃ》されているように感じた。が、白いモビルスーツ、ガンダムのパイロットが、まだ二時間余りの滞空《たいくう》時間しか持たないアムロ・レイと知ったら、シャアは即座《そくざ》に思いつくだろう。
『奴は、真のニュータイプだ』と。
白いモビルスーツはもう一度ビームを発射した。シャアはそれを避《さ》けた。と、白いモビルスーツの半壊《はんかい》したシールドを持つ左手が背中に回って、きらめいた。
一瞬《いっしゅん》、白いモビルスーツの背中から爆発の閃光が走った、とシャアは思った。が、そうではなかった。弧《こ》を描《えが》いた閃光は、そのままの勢いでシャアに迫った。ビーム・サーベルである。
それが、明らかにシャアの眉間《みけん》を狙《ねら》って突《つ》き出されたのである。マスクの下の額《ひたい》に氷を当てられたような寒気が走った。正面の正視モニターが露光オーバーに合わせて、露出を低くした。その薄暗《うすぐら》い画面の奥で、白いモビルスーツの眼が笑ったかのように輝《かがや》いていた。
ザクにはビーム・サーベルが装備《そうび》されていない。一か月ほど前に、シャアは、リック・ドムというニュータイプのモビルスーツのテストを見た事がある。それは、ビーム・サーベルを装備していた。柄《つか》にあたる部分と、モビルスーツの手の部分にある接点が、メイン・エンジンと直結すると、柄が粒子《りゅうし》ビームを放出する。それが束《たば》となって空間に十数メートルのメガ粒子の放射束《ほうしゃそく》を形成した。それが、いわば刃《やいば》となるのである。が、その時のリック・ドムのビーム・サーベルは粒子の拡散《かくさん》を封《ふう》じるフィルターの精度が低く、刃にあたる部分が広がりすぎて、実用にはもう一歩という処《ところ》であった。
しかし、この目の前にいる白いモビルスーツのビーム・サーベルは、十六メートルの巨体が持つとまるで人間が持つフェンシングの剣《けん》のようにシャープに刃を形成して、攻撃をかけて来たのだ。
シャアは、ザクの腰《こし》に装備《そうび》されたヒート・ホークをひきぬきながらも後退した。ヒート・ホークも白兵戦《はくへいせん》用に開発された武器だったが、ビーム・サーベルに比《くら》べれば玩具《おもちゃ》に等しい。
そして、シャアが後退した理由がもうひとつあった。ミノフスキー粒子下でも、ガルマ大佐の声を聞くことができたからである。
「ドップ、後退。ガウ、メガ粒子砲発射する。カウント・ダウンとれ!」
シャアは、味方の砲撃で沈《しず》められる愚《ぐ》は犯《おか》せなかった。残った数機のドップと共に、シャアは自《みずか》らのザクを後退させた。
が、その時、信じられぬ事が起こった。二機のガウが撃墜《げきつい》されたのである。
木馬のメガ粒子砲の直撃が、ガウのエンジンを噴《ふ》きとばし四散させた。が、その核融合爆発の巨大な閃光《せんこう》の渦《うず》の中、ガルマ・ザビ大佐の指揮《しき》するガウ空爆の巨大な姿《すがた》が踊《おど》り出た。左右に広がる翼《つばさ》には最大|戦闘《せんとう》速度を得るためのノズルが並び、今や、そのノズルが全開して、あたかも火を噴く怪鳥《かいちょう》にみえた。つんのめるようなガウの鼻づらは、それを木馬にぶつけようとでもするかのように驀進《ばくしん》していた。
シャアは、それをはるか遠くから目撃した。あれは、ガルマだ。あんな馬鹿《ばか》な真似《まね》をするのは、あのお坊《ぼっ》ちゃんのガルマ・ザビだ。シャアは、そう思い絶叫《ぜっきょう》した。
「ガルマ! よせ」
しかし。そのシャアには、もうひとつの全く異なる思いもあった……。
ガルマ・ザビもザビ家の一統《いっとう》である。いいではないか。むしろ、木馬が敵討《かたきう》ちをしてくれるのだ。そう思えば、それを目撃できるだけでも僥倖《ぎょうこう》なのだ。
シャアは目をムサイの方向へ転じた。星々の中にまぎれてムサイの艦影《かんえい》を見る事はできなかったが、ドレンはよくやってくれていた。間断なくビームが木馬に発射されていたのだ。
「木馬には、悪魔《あくま》でも乗り移っているのか?」
シャアは、ムサイとガルマのガウのメガ粒子砲の中にいながら、直撃がないのに驚嘆《きょうたん》していた。
「悪魔……いや……」
シャアは、あらためて戦慄《せんりつ》する言葉を思い出した。
「……ニュータイプの部隊なのか?」
思い当たった事を口にして、そんな事はあり得ない、と否定した。
ニュータイプの事は、彼とキシリア少将ぐらいしか知らない事なのだ。それに、フラナガン機関のフラナガン・ロム博士だ。
木馬の前部に閃光《せんこう》が貫通《かんつう》した。大きく木馬が揺《ゆ》れるのが、シャアの目にも判《わか》った。それが合図のように、シャアのザクを追撃していた白いモビルスーツ、ガンダムが反転した。
シャアは、無駄《むだ》と判っていたが、最後のバズーカ弾を撃ってみた。白いモビルスーツは軽々とそれを避《よ》けていった。
「ジオン……公国に……栄光あれ!」
ミノフスキー粒子下の空域で、ガルマ・ザビのその言葉が明瞭《めいりょう》に聞き分けられたわけではなかった。切れ切れの若いガルマ・ザビ大佐の叫《さけ》びが、シャアにはそう聞こえたのだ。
「ジオン公国に栄光あれ?」
シャアは、ガルマらしいと思った。彼なら自《みずか》らガウの操縦桿《そうじゅうかん》を握《にぎ》る事ぐらいしていたのではないだろうか。
「……お坊ちゃんらしいよ」
ガルマ・ザビは、士官学校時代から右手で前髪《まえがみ》をいじる癖《くせ》があった。死んでも、あの癖は直らんだろうな、と、シャアは物悲しくも思った。
木馬から二十キロという距離《きょり》で、ガルマのガウ空爆はメガ粒子砲のビームを三本ほど受けて、光の輪に変わった。戦場で正直すぎるというのは罪なものなのだ。
シャアは後退命令のレーザー信号を発振《はっしん》しながらムサイに後退した。いつしか、六機のドップが、シャアのザクに従っていた。
「ソロモンに帰りつけるのか?」
シャアは不安になった。
「ドズル中将がうるさいぞ」とも思った。
ガルマ・ザビの死に、もう何の感傷《かんしょう》も湧《わ》かなかった。
彼が少佐になれたのも、ガルマの引きがあったのは事実なのだが、それはガルマの甘さなのだ。士官学校時代の首席のシャアに、ガルマはよく言ってくれたものだった。
「君は、僕《ぼく》の参謀《さんぼう》になる男だ。むざむざと死ぬなよ」
PART 4
ニュータイプ
「よくも生きのびたもの……」
そう言った唇《くちびる》が次には笑っていた。やや厚《あつ》い唇だが、形は悪くない。身長がアムロと同じだという事は、女性として高い方だ。
その中尉《ちゅうい》、マチルダ・アジャン中尉の欠点といえば、やや赤みがかった髪《かみ》をショート・カットにしている事だ。将校が長髪《ちょうはつ》を禁止されていることはないのだが、無重力帯での行動が多くなる軍人にとってショート・カットは不文律《ふぶんりつ》なのである。それさえも、固めのヘアークリームで散らないようにする。しかし、ショート・カットであろうが、彼女の透《す》きとおるブルーの瞳《ひとみ》と唇と赤みの髪と、やや低音だが艶《つや》のある声とその……要するに、アムロは、マチルダ・アジャンに一目惚《ひとめぼ》れをした。
養成期間中はアムロたちはルナツーにいたが、学生であったアムロらが補給部隊の将校と会うチャンスはなかった。
マチルダ・アジャン中尉。ルナツー補給第二十八部隊のミデア輸送艦《ゆそうかん》艦長である。本来、前線での補給を主な任務とするが、次作戦の準備にルナツーに駐留《ちゅうりゅう》していたため、彼女がペガサスの物資補給の指揮《しき》を任《まか》されたのである。
ルウム戦役《せんえき》以後、軍も民間も慢性的《まんせいてき》な人手不足であった。兼任《けんにん》、兼務《けんむ》は当たり前のことで、
それを免《まぬが》れていられるのはひよっ子の間だけで、周囲の状態が判《わか》るようになってくると、あらゆる仕事が待ちうけていた。
アムロ達パイロット見習いも、実戦を生き抜《ぬ》いたのである。自動的に箔《はく》がつき、ルナツーに到着《とうちゃく》するやメカニック・マニュアルが手渡《てわた》されて、モビルスーツの整備の仕事をやらなければならなくなった。マチルダ部隊は、ペガサスの修理部品を処《ところ》かまわず置くと嵐《あらし》のように引き上げ、続いて、ウッディ大尉の工作隊がペガサスにとりついた。
そのために、ペガサスの格納庫《かくのうこ》は、自艦《じかん》の整備兵とウッディ部隊兵が手順争いで喧騒《けんそう》をあげた。もちろん、ノーマルスーツの無線を切っておけば、孤独《こどく》の中で遊んでいられるのだが、そうはいかなかった。作業中は決められた周波数は開いておかなければ、移動中の物にぶつかって怪我《けが》をするのは自分である。そのため、何重にも聞こえる声の中から、自分に必要な音声を聞き分ける事もしなければならなかった。
大体、ここにいるモビルスーツのメカニック・マンは、完成したモビルスーツを扱《あつか》うのは初めてなのである。必要以上に兵が、右往左往《うおうさおう》することになった。
「ケケケ……! 図面演習は三度やったチームだから、少しはましさ」
マクシミリアン上等兵が、アムロ曹長《そうちょう》のノーマルスーツのヘルメットに自分のヘルメットを接触《せっしょく》させて、自嘲《じちょう》したものだ。
「これで実戦配備だってんだから、笑わせるぜ」
これも、ヘルメット同士の共振《きょうしん》が会話を伝えてくれる『お肌《はだ》の触《ふ》れ合い会話』だ。交信する会話よりはよほど聞きやすいので、チーム内ではこの方法で意思を伝達した。
アムロは、手早くガンダムの被弾箇所のチェックとバルカンの弾丸《だんがん》補給にとりかかった。
ハヤト・コバヤシ曹長はアムロに比《くら》べて、モビルスーツの全体を見る才能があるようだった。二機のガンキャノンと一機のガンダムの間を走り回って、整備兵のやる事一つ一つを手伝った。
「アムロ。ガンダムの装甲《そうこう》には頼《たよ》りすぎない方がいい。動きを優先《ゆうせん》した設計のせいなんだろうけど、ガンキャノンに比べて装甲が弱そうだ。至近弾に対しての傷《きず》のつき方が気に入らないな」
そんな事をわざわざアムロに知らせてくれた。
「僕《ぼく》とペアを組んでくれるんだろ? あてにしてるぜ?」
ハヤトの気の使い方に、アムロはお世辞《せじ》を言ってやった。
「配属《はいぞく》は決まってないんだぜ。ブライト少尉が参謀《さんぼう》本部から帰ってきたらの話だよ」
と、再びせかせかとガンキャノンの方へと流れていった。
「まめな奴《やつ》だな」
周囲の人がいなくなったのに気づいたアムロは、格納庫脇のフロアに流れていった。艦内モニターで、ブリッジを呼び出した。
「はい?」
「あ……! あの……民間人の避難民《ひなんみん》のことですが、どこにいます?……判《わか》りますか?」
モニターに出た金髪《きんぱつ》の女性、セイラ・マスは、『何故《なぜ》?』とは訊《き》かなかった。
「まだ艦《かん》の重力ブロックにいるわ」
声が冷たい人だなとアムロは思ったが、
『しかし、この女性……?』
と、まったく別のしこりのようなものを感じた。
「すみません。回線まわしてもらえますか? ここからじゃ……」
「待って……。できると思うわ」
彼女は作り笑いを浮《う》かべ、電話の交換手《こうかんしゅ》っていう職業が昔《むかし》はあったの知っていて? とアムロに訊きながら、
「どうぞ、Eの二十八にしかつながらないけど……」
「いいです」
アムロの返事が終わらないうちに、モニターにサンマロ看護兵が出た。
「なんだ!」
「第二デッキです。避難民の中に、フラウ・ボウって人いませんか? いたら出していただきたいんですが?」
「急用か?」
サンマロは撥《は》ねつけるように言いながらも、アムロの返事は待っていなかった。彼の消えたあと、モニターにフラウ・ボウがぶつかるように流れ込《こ》んできて、覗《のぞ》きこんだ。停泊《ていはく》している間は、ペガサスの重力ゴンドラは作動していないのだ。
「フラウ。僕だ。アムロだ」
アムロは慌《あわ》ててサンバイザーのフィルターを解除しながら、モニターに顔を近づけた。
「アムロ! どこにいるの?」
「モビルスーツの格納庫《かくのうこ》さ。怪我《けが》はしていないのかい?」
「大丈夫《だいじょうぶ》よ。で、でも……」
突然《とつぜん》、彼女の顔が歪《ゆが》み、堰《せき》をきったように涙《なみだ》を溢《あふ》れさせた。
「母さんと、おじいちゃんが、ザ、ザクの攻撃《こうげき》で……」
それだけ言うのが精一杯《せいいっぱい》だった。モニターに彼女の顔が一杯になって、声をあげて泣き出した。
「フ、フラウ! 元気をだすんだ。君は、強い女の子じゃないか!」
フラウ・ボウの母は、アムロにとっては、父以上に近い人だった。実母と六歳の年に別れたアムロは、その後も三度ほど母に会いに地球に降《お》りたことはある。そんな時、母、カマリアはアムロを猫《ねこ》をように可愛《かわい》がってくれた。が、カマリアは決して地球から離《はな》れようとはしなかった。
アムロの父も、それを強要せず、
「アムロにはサイドの建設をみせてやるのだ。それが、新しい世紀に生き抜《ぬ》く強い男をつくるのだから……」
父、テムの教育|哲学《てつがく》はこの一点につきた。
母のカマリアが強制移民の網《あみ》にひっかからなかったのは、サイド建設者としてテムが著名《ちょめい》であって、それなりに役人に対して按配《あんばい》がきいたからだろう。そして、地球を離れられないというカマリアの理由が、夫婦にとって安易に別れられる口実にもなっていた。
しかし、フラウ・ボウの母親ファムは、アムロがサイド7に移った時、男手のアムロ家にひどく同情してくれたものだった。慈善的《じぜんてき》ではあったが、女親を知らないアムロにとっては、渇《かわ》きをいやすのに充分《じゅうぶん》なものだった。
「フ、フラウ・ボウ! やめろよ。周囲《まわり》に人もいるんだろう?」
「ね。会いたい。どこにいるの? アムロ」
フラウ・ボウの声に重なって、アムロ達パイロット候補生に招集が《しょうしゅう》かかった。
「……以上の者は、至急、サブ・ブリッジに上がれ!」
「フ、フラウ! 呼び出しだ。行かなくっちゃならない。移動するような事があったら、必ず言伝《ことづ》てを残していくんだ。いいね。フラウ! 君は、ちゃんとできるよ。強い女の子なんだから!」
アムロは涙を拭《ふ》きたかった。そのために、急いで、エア・ロックに入る必要があった。
ルナツー基地司令ワッケイン大佐の執務室は、遠心重力コアにあった。装備《そうび》品といえば壁《かべ》にかけられたジュペ・ブランの抽象画《ちゅうしょうが》の複製《コピー》ぐらいで、いかにもこの部屋の主の人柄《ひとがら》をしのばせた。当番兵に待つように言われたブライト少尉、ミライ准尉《じゅんい》、機関員のセム・ドワイ少尉、それにアムロ、リュウ、カイ、ハヤトの各曹長は一様にそのジュペ・ブランの絵を評読するかのように見つめていた。
「ハハハ……」
それはレビル将軍のやわらかな笑いだった。ワッケイン司令がドアを開き、含《ふく》み笑いをするレビル将軍を招《まね》き入れた。
「待たせた。諸君」
ぶっきら棒でやや冷たい言い回しだが、アムロ曹長は、このワッケインが詩人だという事を知っていた。『ルナツー・ニュース』という基地のプライベートな新聞に、彼が書いた詩の評論を読んだことがあるのだ。
レビル将軍を実際に見るのは始めてである。無論、あの南極条約の交渉《こうしょう》中に、ジオンを脱出してきた将軍の『ジオンに兵なし』のテレビ放送は何度となく観《み》ている。だから、微笑《びしょう》をうかべた将軍がアムロらに返礼をしながらも、素早《すばや》く兵を観察してゆく冷厳《れいげん》な瞳《ひとみ》には、あの放送の時と同じ凄味《すごみ》を感じた。
アムロは、背筋《せすじ》が震《ふる》えるのを抑《おさ》える事ができなかった。そのアムロを将軍も見逃《みのが》さなかった。
「アムロ・レイ曹長?」
「は、はい!」
レビル将軍は、ニッと白い歯をみせた。
今次大戦の勃発《ぼっぱつ》は、今年の一月であった。ジオン公国の宣戦布告《せんせんふこく》と、サイド1、2、4、5に宇宙《うちゅう》艦隊が襲《おそ》いかかった時間差は、三秒。人はこれを『三秒の布告』と今は呼んでいる。
ジオン公国は、人類史上に類《るい》をみない作戦に、全戦力をそそぎこみ、一気に地球|連邦《れんぽう》軍を殲滅降伏《せんめつこうふく》させる勢いであった。四十数|基《バンチ》のコロニーによって構成されている各サイドは、約十億の人口である。ジオンの艦隊は、これの皆殺しにかかったのである。総数、四十億の人殺しである。
方法は至って簡単でありすぎるがために、ジオンはそれを成し得たのである。
密封《みっぷう》されたコロニーに、|GG《ダブルジイ》ガスを注入するだけの事だった。無色|無臭《むしゅう》。十トンのGGガスの注入には十五分とかからず、二千五百万人が死に至るのに五時間余りである。ジオンは、それを二十時間余りでやってのけ、そして、その直後に、地球連邦軍に降伏を強要すれば、地球連邦軍は降伏をしたかも知れなかった。
しかし、地球連邦政府は、ガス攻撃の直後の『コロニー落とし作戦』を知るに及《およ》んで、徹《てつ》底抗戦《ていこうせん》を選んだのである。四十億を殺された事が理由ではない。これが、人の不思議《ふしぎ》さである。
第一のコロニーが、ニューヨークに落下した光景を見た地球の人々は驚愕《きょうがく》し、地球連邦政府は、コロニーを減速して地球に落下させる準備に忙殺《ぼうさつ》されているジオン軍に襲いかかったのである。
しかし、この奇妙《きみょう》さは、ザビ家のギレンとキシリアにしても同じであった。
彼等もまた、戦争の真の勝利は、ガスによる大量|虐殺《ぎゃくさつ》によるものではなく、コロニーを減速させて地球上の主要都市を叩《たた》き潰《つぶ》して見せて、地球上のエリートどもを震《ふる》えあがらせる事であると信じていた。人は物理的な戦闘行為《せんとうこうい》に戦争を見るのである。
しかし、この作戦がザクの運用には不幸であった。大量のザクがこのコロニー落とし作戦で地球連邦軍の餌食《えじき》になった。これが、実質的に『一週間戦争』として語られるものである。
が、ジオンは所期の目的を達し、そして、レビル艦隊の抵抗《ていこう》によって果たせなかったサイド5(ルウム)には、一週間戦争の一か月後に、再|攻撃《こうげき》したのである。レビル将軍も残存|艦艇《かんてい》を動員してこれに抵抗し、一大艦隊戦が月と地球の間のサイド5を中心に行われた。
しかし、艦艇の数の上での劣勢をモビルスーツ『ザク』でカバーしたジオン軍は強く、連邦軍は主力艦隊の大半を失い、黒い三連星と名乗るザクのチームにレビルの旗艦《きかん》が沈《しず》められ、レビルは捕《と》らわれた。
シャア中尉が名をあげたのも、主にこの『ルウム戦役』においてであった。
ここに至って、ジオン公国のギレン・ザビ総帥《そうすい》は地球連邦政府に降伏勧告《こうふくかんこく》を出して、その交渉《こうしょう》が南極で行われた。
その場でギレン・ザビは言った。
「場合によっては、ルナツーを地球連邦軍本部ジャブローにぶっつけておめにかけようか?」
この恫喝《どうかつ》に地球連邦政府の高官たちは戦慄《せんりつ》した。ジャブローとは、連邦軍の南極の地下にある中枢《ちゅうすう》である。これを叩《たた》かれたら、ジオンに隷属《れいぞく》するしかなくなるのは明白であった。無条件降伏もやむを得ないとの大勢に傾《かたむ》きながらも、連邦政府の高官たちは、ギレン・ザビの前で賛否《さんぴ》の討論《とうろん》に十日を要した。
「連邦のガンは、あの軟弱《なんじゃく》さにある。あれこそ討《う》たねばならぬ」
後事をキシリア少将に託《たく》したギレン・ザビは、そう言い残してジオンへ帰った。
その三日後、いよいよ降伏《こうふく》の調印を結ぼうとする日、レビル将軍が地球に生還《せいかん》をしたのである。
彼は、南米の大|地下洞《ちかどう》にある連邦軍|参謀《さんぼう》本部ジャブローから、『ジオンに兵なし』の放送をした。
「地球連邦に生き残った国民すべてに、私は訴《うった》えたい。ジオンには、すでに兵はいない! 艦もなければ、武器、弾薬《だんやく》もない! なのに、なぜそのジオンに降伏をしなければなれないのか! 国民よ! 討つべきは、連邦政府の軟弱な政府高官である。絶対民主主義の名のもとに隠《かく》れ、何一つ決定する事のできない高官に、連邦の生き残った一人びとりの意思を託《たく》すわけにはゆかない!
ジオン公国のデギン・ソド・ザビが、公国の実権を握《にぎ》った時に語った傲慢不遜《ごうまんふそん》な言葉を思い起こすがいい!
ジオンの民は選ばれた民である、とデギンは言った。地球連邦の民は、旧来の因習《いんしゅう》にとりつかれて、宇宙|圏《けん》を生活の場としはじめた人類の意識が拡大《かくだい》しつつあるのに気づかぬ古き人々であるという。その古き人々の連邦に、ジオンの国民が従ういわれはないと言う! 地球型|官僚《かんりょう》の堕落《だらく》は、確かにデギンの言う通りではある。連邦軍にあってもそれは事実であろう。しかし、連邦の国民よ。デギン・ザビの語る一面の真理にのみ眼を奪《うば》われてはならない。ジオンは地球から最も離《はな》れたサイドであるが、その彼等が宇宙の深淵《しんえん》を見たなどという戯言を誰《だれ》が信じようか!
デギン・ザビが、連邦の一部の堕落に事よせて、ジオン公国の正当性を主張するなど、許せるものではない。しょせん、ジオンの独裁をたくらむザビ家|一統《いっとう》の独善である。百歩ひき退《さが》ってザビ家のジオン独裁を認めたとしても、なに故《ゆえ》に、地球連邦そのものまでがザビ家の前に膝《ひざ》を折らなければならないのか! 地球連邦とは、個人の主権の確立の上に立った政府である。人類が有史以来初めて宇宙に進出したのも、地球連邦という人類の英知の結晶《けっしょう》たる政府があったればこそであろう。しかるに、あのギレン・ザビは言う。討《う》つは地球連邦の軟《なん》弱《じゃく》である、と! 討てばよろしい。軟弱の源を《みなもと》! しかし、四十億の罪なき人々を殺戮《さつりく》したギレン・ザビに何を語る資格があろうか!
ギレンは言う。自然体系の中、一人、人類のみが強大にふえつづけるのは、自然の摂理《せつり》に対する冒涜《ぼうとく》である。それを今こそ管理して、自然体系の中の一つの種《しゅ》として生息しなければならない時、四十億の死は人類の自然に対してなさねばなぬ贖罪《しょくざい》であると! これが、真理か? 一つの種、一つの生命系をその自《みずか》らの手によって抹殺《まっさつ》させるに等しい罪を犯《おか》して、ギレンは何を得ようというのか?……得るものは、ない! 人があって、はじめて独善もふるえようというのに、自らの生命系をも断《た》とうとする暴挙《ぼうきょ》には、我々は素朴《そぼく》に理解しかねるのである。
その男が、またしてもルナツーさえ地球に叩《たた》きつけてみせると言う。何を根拠《こんきょ》にギレンは、それを言うのか? 彼のイデオロギーが絶対真理であるからなのか? 否《いな》! 彼の独善でしかない。連邦が軟弱で腐敗堕落《ふはいだらく》しきっているのか? これも、否である。ジオンの脅威《きょうい》に勇《ゆう》敢《かん》に闘《たたか》った善良有能なる国民は、未《いま》だ健在である。では、ジオンは、連邦に比べて強大な軍事力があるというのか? これもまた、否である。
国民諸君! 聞き給《たま》え! すでにギレンの言葉は脅《おど》しにしかすぎない。不肖《ふしょう》、私は、幸いにしてジオンに捕《と》らわれ、ジオン本国の実態に触《ふ》れた。ジオンの国民は疲《つか》れきっている。軍事力の増強は、明日すぐ間に合うというものではない。ルナツーを地球へぶっつけるなどと、やってもらおうではないか! ギレン・ザビよ!」
レビル将軍は、あたかも、目の前のギレンを睨《にら》みつけるように言ったものだ。
「ルウム戦役ですでにジオンの兵力は尽《つ》きている。一人の兵を育てるのに、何日かかる? ギレンは知らぬわけではあるまい。そして、地球連邦の国民、一人びとりへ私は訴《うった》える。もはや、ジオンに兵はいない! そのジオンに跪《ひざまず》くいわれはないのだ! 起《た》てよ国民! 今こそ、ジオンをこそ、我等の前に倒《たお》すべきである」
キシリアは、その放送を聞いてテーブルを蹴《け》り倒したという。
地球連邦の世論は沸騰《ふっとう》し、結局、南極で終結された条約は、科学兵器と核《かく》兵器の使用禁止と相互《そうご》に資源(主にヘリウム)供給のために木星に出している輸送船団への不可侵《ふかしん》条約を確認して終わった。
とはいえ、レビル将軍も恵《めぐ》まれていたわけではなく、連邦政府の中でレビル降格《こうかく》の話もとり沙汰《ざた》されていたが、国民的英雄となったレビルを連邦政府はどうする事もできなかった。
そして、戦争は終結するチャンスを失って、膠着《こうちゃく》状態に陥《おちい》ったのである。
連邦政府の優柔不断《ゆうじゅうふだん》とジオンの意地が戦争を存続させてしまったのである。が、ひょっとすると、死にすぎた人々の恨《うら》みが地球|圏《けん》を取り囲み、生き残る人々を取りこもうとしていたのかも知れなかった。
後に、ギレンは、父のデギン公王に言ったという。
「殺しすぎましたな。地球圏運営のために人的資源は重要です」
「……かつて、ジオン・ダイクンは言った。人類そのものが変わるだろう、とな……。そうなるのなら、人類はおのずと宇宙の支配者たる人類を生み出す」
「人類が、人類を生み出す?」
「……ニュータイプのな……」
「ならば、それは、私どもです」
「奢《おご》るなよ。ギレン。ジオン・ズム・ダイクンのジオン創業《そうぎょう》の志《こころざし》とは違《ちが》う」
「優良種たる我等が支配する事。ふえすぎた人類をコントロールして、自然の摂理《せつり》のバランスの中で永遠に繁栄《はんえい》するのに、私どもでは不足だと?」
「不足だな。権力|欲望《よくぼう》型の人間は、しょせん、前時代のものだ」
「私が?」
「知っているだろう。アドルフ・ヒットラーという名前を?……貴公は、そのヒットラーの尻尾《しっぽ》だな」
「父上……!」
「ニュータイプは、違うのだ」
ギレンは、この時、かすかに父に対して殺意を抱《いだ》いた。
「諸君も楽にしたまえ」
レビル将軍は、ソファにくつろぎつつ葉巻《はまき》をとり出した。
「香《かお》りが強くてすまんが……」
と、将軍はミライ准尉《じゅんい》の瞳《ひとみ》をみていう。
「どうぞ」
ミライは、少年のように照れる将軍に好意を抱いた。こういう人の命令なら信頼《しんらい》できるという気持ちは、将兵にとって宝に似たものである。もっとも、葉巻の香りを知った時、ミライは断《ことわ》ればよかったと思った。これがニコチンとかいうものの臭《にお》いかと内心、眉《まゆ》をひそめた。
「三機だけとはいえ、モビルスーツを受領《じゅりょう》してくれた事には、感謝の言葉もない。量産ラインが動き出したばかりで|GM《ジム》は三十機とない。連邦軍のモビルスーツ部隊の中核《ちゅうかく》は諸君らの三機なのだから、これは貴重《きちょう》だ。連邦政府の高官たちは、この時点でソロモンを叩《たた》けと冗《じょう》談《だん》を言うのだから困《こま》る……本論は、こうだ。諸君らは、見習い士官の寄り合い所帯だが、ペガサスを回収してモビルスーツを運用しながら、二度の実戦を勝ち抜《ぬ》いた。これは興味ある事実だ。もちろん、ペガサスもモビルスーツも、過去の連邦軍の兵器と比べてはるかに高性能である。勝てて不思議《ふしぎ》ではないといいたいが……違《ちが》うな……」
レビル将軍は、あらためて一同の顔を見回した。
「なあ? ワッケイン君。こんなに若いのだよ。彼らは」
「はい。全く……」
ワッケインの冷静な瞳《ひとみ》が、アムロを一瞥《いちべつ》した。
「私が、ジオンに捕《と》らわれている時に聞いた言葉に、ニュータイプ、というものがある。過去の人類の能力知力といったもの、まあ、総括《そうかつ》的に『認識力』とでも言うべきものなのだろうが、この力が宇宙世代の中の拡大強化された種《しゅ》を、ニュータイプと言うのだそうだ……過去の人類、地球型とでも言うべきものが、宇宙という環境《かんきょう》の中で進化した型とでもいったらいいのだろうな……ま、残念なのは、地球型が政治機構の中枢《ちゅうすう》を占《し》める連邦では、この考え方は認められていないのだが、ジオン公国の内部には、人類ニュータイプ説を説《と》く学説が出現している。もっとも、ジオン政府、まあ、ザビ家ということになるが、ここの正式見解の中では、ニュータイプ説を否定しているのだが……」
ここで言葉を切った将軍は、初めてアムロの瞳を凝視《ぎょうし》した。
その思慮《しりょ》深い将軍の瞳にアムロは寒気を感じた。洞察力《どうさつりょく》の鋭《するど》い人という感覚があった。
「……私は、諸君らの働きを知って、ニュータイプの存在を信じる気持ちになってきたのだ」
アムロから視線をそらしたレビルが微笑《びしょう》を浮《う》かべて言葉をついだ。
「そして、ジオン公国がニュータイプ説を否定《ひてい》するという話を聞いて、こう思った。ジオンは、ニュータイプを実戦に投入する計画があるか、もしくは、ニュータイプを実践に参加させているからこそ、ニュータイプ否定の姿勢《しせい》を打ち出しているのだ、とな……」
「ニュータイプの部隊ですか?」
「ち、超《ちょう》能力者の集団とか?」
「まさかな。世の中、それほど都合《つごう》良くはない。現実の人間は、薄紙《うすがみ》を剥《はが》すほどにも進歩はしない。しかし……例えば、赤い彗星《すいせい》を言われるシャア……少佐か? 彼など、ひょっとしたらニュータイプかも知れんな。戦果がずばぬけている。まあ、ニュータイプといってもその程度《ていど》だ。超能力者ではない。むしろ、ニュータイプ説の素晴《すば》らしい事は、人類そのものが脱皮《だっぴ》して、人類全体の認識力が拡大《かくだい》するという考え方なのだ。これは、空想小説以上にすばらしい事じゃないか。ええ……?」
レビル将軍は、膝《ひざ》の上においた灰皿《はいざら》で葉巻を揉《も》み消しながら、
「藁《わら》をも掴《つか》む気持ちで、諸君らの過去の成績を調べさせてもらった。ニュータイプが実在するのなら、利用するに越《こ》した事がないという年寄りの老婆心《ろうばしん》でだ。しかし……残念ながら、諸君らの成績は、軍の基準でみると極めて優秀な成績とはいい難《がた》い。むしろ、悪いな」
アムロたちは、失笑した。
アムロ個人としては決して悪い成績ではないが、むろん首席ではない。レビル将軍が幼稚《ようち》園《えん》から士官大学まで首席であった成績に比べれば、おそまつなものだ。
「しかし、火事場の馬鹿力《ばかぢから》なのか?……あり得るな。が、それがペガサス運用とモビルスーツの扱《あつか》いすべてに渡《わた》って驚《おどろ》くべき的確さで行われている事に瞠目《どうもく》するのだ。成績のよろしくなかった生徒たちにしては、やりすぎる。これは、おかしい……」
「ハァ!」
ブライト少尉がひどく生真面目《きまじめ》に答えた。二度目の失笑が湧《わ》いた。
「私は信じたいのだ。ニュータイプの存在を。そして、それを諸君ら自《みずか》らが試《ため》してもらいたい」
「試す?」
ミライ准尉《じゅんい》である。
「私たちは必死でやっただけです。それがたまたまうまくいった。将軍のおっしゃる通り、火事場の馬鹿力でしょう。星まわりが良かっただけなのだと思います。ニュータイプかどうかも判《わか》らない私たちが、何をどうやって試すのでしょう? 実戦だって……」
「ミライ・ヤシマ准尉。二度の実戦をくぐり抜《ぬ》けたという事は、素晴《すばら》しいことだ。あえて言わせてもらうが、ブライト中尉|麾下《きか》のペガサスは、すでに第十三独立部隊として編成され、星一号作戦に参加してもらう」
「お言葉ですが、将軍。私、少尉で……」
レビル将軍は、ブライト少尉の言葉を聞かずに立ち上がった。
「私の主旨《しゅし》は諸君に伝えた。後は、諸君らが示してくれればよろしい。その上で、我々は人類全体の事を論ずる時間を持ちたいと考えている。よろしいか?」
「起立! 敬礼!」
ブライトが号令した。レビル将軍は去った。
「ま、二階級特進というのは、位ぜめの連邦軍でも面白くはないので我慢《がまん》してもらう。なによりも、諸君らの階級を上げんことには、他の部隊との釣《つ》り合いがある。辞令を渡《わた》す」
ワッケイン司令は、次々に辞令をアムロたちに渡して歩いた。
「少尉? 僕がですか?」
思わずアムロが声をあげた。
「少尉でも階級としては不足だがな。なにしろ、戦艦《せんかん》なみのビーム・ライフルを使う立場だから、少佐にしてもおかしくはない」
全員が将校になったわけだ。
「パイロット四名で三機のモビルスーツのフル稼働《かどう》は辛《つら》かろうが、しばらくの辛抱《しんぼう》だ。諸君ら以降《いこう》のニュータイプを捜《さが》すのには骨がおれるのでな」
そうワッケインは笑った。
アムロは、自分の体の中に新人類などという奇妙《きみょう》な血が流れているなどとは、思いたくもなかった。現に今は、フラウ・ボウのことだけが気がかりなアムロなのである。
セイラ・マスは、軍事|教練《きょうれん》と志願実績が買われて伍長《ごちょう》の制服を着る事になった。戦争にかかわりを持つ事は避《さ》けていたのにこんな結果になって、セイラは暗い気持ちになっていた。
ザビ家の支配するジオンであっても、ジオンの名は、彼女の父の名前である。若くして、コロニー自治権を主張した父は、サイド3を中心にして起こした革命でジオン共和国を成立させた。父が死ななければ、ザビ家はなかったであろう。
セイラの養父ジンバ・ラルは、きかせてくれたものだ。
「御父上はニュータイプでした。人類が宇宙で生きるべき道を示された偉大《いだい》なお方です。お若くして百万の信者を持ち、デギン・ザビ様のお力を借りて、ジオン共和国をお建てになった。キリストか仏陀《ぶっだ》の再来と称《たた》えられたものでした。すべて、あのギレン・ザビが仕組んだ事なのです。父上の暗殺は……」
昔話はいいと、セイラは言ったものだった。
「今は、平凡な市民なのだから……」
だから、彼女は戦争を避《さ》け、サイド7という新開地で一生を全《まっと》うしたかったのだ。しかし、兄のキャスバルは、ジンバ・ラルの話のすべて信じ、ギレンを討《う》ちジオン奪回《だっかい》を目指すためにジオンに入国してしまった。
「軍人としての巧妙《こうみょう》を得ることが、敵討《かたきう》ちになるの? そんなことでは父が喜ぶのかしら?」
シャアがジオンに旅立った日からのセイラの口癖《くちぐせ》であった。
シャアは……いや、キャスバル兄さんは、セイラにやさしかった。その兄が、猪突《ちょとつ》して死に急ぐようなことはして欲《ほ》しくなかった。
会って話し合い、翻意《ほんい》させたかった。そのためには連邦軍の制服を着た方がチャンスがあるかも知れないと思えた。その思いが、セイラに軍服を着させたのである。今は、民間人がジオンへ渡航《とこう》するなどは不可能であったからだ。
「どうするんだい。じゃあ……」
兵員食堂の隅《すみ》に並べられたコンピューター・ゲームに興ずる三人の子供たちの歓声《かんせい》に振《ふ》り返りながらも、アムロはまた訊《き》いた。
「ここで働くわ。サイド7に帰れって話もあるけれど、知った人なんかみんないなくなっちゃったでしょう……あの子たちだって、両親の行方《ゆくえ》が確認されるまでは、ここの託児施設《たくじしせつ》にひきとられるっていうから……」
フラウ・ボウは、すでに決心した口ぶりである。
「あの子たちの面倒《めんどう》みる積もりかい? 死んじゃってるぜ?」
「あの子たちの両親、でしょ?」
フラウ・ボウは言わずもながのことを口にした。
「今日は疲《つか》れたわ……あんなに重傷《じゅうしょう》な人を見たの初めてよ」
ああ、それでか……と、アムロはやっと思い至った。カツ、レツ、キッカを交えた五人で食事をした時に、フラウ・ボウは肉類を一口も食べなかったのだ。
「フラウたちの住む処《ところ》はどこになるんだ」
「南三十二ブロックのキャラル」
要するに避難民《ひなんみん》収容所である。
「徴用《ちょうよう》でボルトの締《し》めつけぐらいやらされるけど、駄目《だめ》ね。私、ここで車の整備士の免許《めんきょ》をとるわ。一人で食べていかなきゃならないわけだし、こんな時代にデザイナーでもないでしょうからね」
「戦争はいつまでも続かないよ。ファッションの勉強は、続けた方がいいと思うな」
アムロはしかつめらしく言った。事実、アムロにとっては、ファッション・デザイナーのフラウ・ボウを想像するのはやさしいが、油まみれのつなぎの彼女は思いもつかなかった。
「そりゃそうよ。でもね、ルナツーで何年暮すことになるか……」
「ここは、軍事基地だ。いつ攻撃を受けるか判《わか》らない。ギレン・ザビが来たら、地球に落とされるんだぜ」
「うん」
フラウ・ボウは、アムロの冗談《じょうだん》めかした言葉に素直に頷《うなず》いた。
「コイン頂戴《ちょうだい》よ」
一番下のキッカがバタバタと走りよって、フラウ・ボウの膝《ひざ》にかじりついてきた。必要以上に甘《あま》えようとするその子もアムロには警戒《けいかい》の姿勢《しせい》を崩《くず》さない。
「あの兄ちゃんの眼は、怖《こわ》いもん」
これは、後でフラウ・ボウから聞いたキッカの言葉である。
四、五十名の兵がドッと食堂になだれ込《こ》んできたのをしおに、アムロとフラウ・ボウは立ち上がった。結局、言えることは、やってみなければ判らないということだけなのだ。心配したからといって、自分たちで解決できる事は何一つないのだ。
「アムロ」
フラウ・ボウは、アムロの指に自分の小指をからげた。
「…………!」
フラウ・ボウが、意識してこんな事をするのは初めてだった。
サイド7にいる時といえば、フラウ・ボウはいつも姉さんぶって、食事をしたのか、選択《せんたく》物《もの》を出せ、風呂《ふろ》には入ったのか、目やにがついていると、母親のような口をきいていた。
「……あてにしていい?」
「…………!」
当てにする? なにをだ? とアムロは思う。
が、そう思いながらアムロ自身、フラウ・ボウと話をするという行為で、彼女を当てにしている事があると分るのだ。なんなのだろうか? この曖昧《あいまい》でありながら、お互《たが》いに触《ふ》れ合っていられる気分は? 初恋とか、惚《ほ》れている異性……つまり、恋愛《れんあい》なのか? そうではないとアムロは思った。好き嫌《きら》いでつき合っているわけでない。話をする必要性、という即物《ぞくぶつ》的《てき》なものでもない。では、家族、兄弟としての触れ合いなのか?
「僕も、フラウ・ボウを当てにしている。お互いさまさ」
「…………!」
フラウ・ボウの白い歯がこぼれた。
「……好きよ」
フラウが、小さくそう言った。
ああ、これは恋なのだ、とアムロは思った。
PART 5
ジオン
デギン・ソド・ザビ公王は、年の割《わり》には老《ふ》け込《こ》んでいた。長子のギレンが実質的な政務を執《と》って十年になろうか……。
革命家ジオン・ズム・ダイクンから政権を奪取《だっしゅ》し、ダイクン派の懐柔《かいじゅう》に狂奔《きょうほん》している頃《ころ》は、デギンは実質的な首領《しゅりょう》としてその覇《は》を極めていた。しかし、いつしか理想主義者とののしられる様《よう》になり、ギレンを中心とする一派に議会が編成された時、デギンは、ザビ家でありながら傀儡《かいらい》に成り下がっていた。
「親の七光で将軍だ、元帥《げんすい》だと国民に笑われたくありませんからね。父上も御辛抱《ごしんぼう》下さい。必ずや、大きな戦果を私自身の手で収め、将軍としてたってみせます」
ガルマが死ぬ三日ほど前に届《とど》いたビデオであった。デギンは嬉《うれ》しかった。若者の率直《そっちょく》な気負いは、聞いていて気持ちの良いものだった。兄や姉たちと違《ちが》うこの率直さは、母親のナルスに似たためだろう。人の美徳だと思った。
ガルマの資質《ししつ》を尊《たっと》んだデギンは、それまで一切の報道を禁止していたのであるが、士官学校入学のニュース・テープが公開された時、ガルマは一挙に国民のアイドルになった。
やや神経質そうな顔型は高貴《こうき》さに満ち、ややもすると冷たく聞こえた声なのだが、ガルマは言葉を選び、国民に対して、たえずやさしくあろうとする彼の配慮《はいりょ》が聞こえた。
「諸君と話す機会を下さってありがとう」
どのような場合でも、ガルマの第一声はこれだった。私は、末っ子だからといって、卑屈《ひくつ》にはなりません。これも、ガルマの口癖《くちぐせ》として国民の間で知らない者はなかった。そして、デギンは、この国民の反応を子供のように喜んだのである。
今は、傀儡《かいらい》であるが、ガルマを利すればギレンを抑《おさ》える事のできる時代も来るのではないのか? と思うようにもなっていた。これこそ、親馬鹿《おやばか》の真骨頂《しんこっちょう》ではあったろうが、今はガルマは亡《な》かった。
「父上。まだ、この様な処《ところ》に……」
キシリア少将である。
「国民は、すでに父上のおいでを待っております。お立ちください」
「うむ」
デギンは短く応《こた》えると立ち上がったが、なんとしても体が重かった。キシリアを見かえすと、その気持ちを読んだ彼女は冷たく言った。
「公王としてのお役目は、果たしていただかなければ、国民に対してのしめしがつきません」
公王は、歩き出さざるを得なかった。これ以上、小言《こごと》をいわれるのが厭《いや》だったからだ。
ザービ!
ザービ!
ザーァービ!
二十万群衆のコールは、コロニー全体を揺《ゆ》り動かすかと思えた。弔砲《ちょうほう》が轟《とどろ》き、いつしか群衆の足踏《あしぶ》みがコールとともに起こった。
どう、どど、どう、どどん……。
それは形容でなく、事実、コロニーの人工の大地を揺るがせてコンマ数秒かコロニーの回転軸を狂わせた。
群衆の大部分が若い人々なのであろう。デギンは、ふと歯ぎしりをした。
『この世論があれば、ギレンを倒《たお》せたのではないか?』
祭壇《さいだん》上には、五十メートル四方はあろうガルマ・ザビの肖像《しょうぞう》がかかげられ、左右にはなだれこむように生花が生けられていた。デギンは、壇上の公王の席に座《すわ》り、あらためて会場広場を一瞥《いちべつ》した。
『二十万人と、テレビ中継を観《み》る国民は二千万人か……?』
ギレンを倒せるはずではなかったのかと、またも思った。
「……ガルマ……」
デギンにとって、一つ救われたのは妻のナルスがこれを知らずに先立ってくれたことである。彼女が生きていたら、自分は狂《くる》っていたかも知れないと、デギンは思うのだった。
公王としてのデギンの右下に、ギレン、ドズル、キシリアと並び、左には政府高官、さらにザビ家の親族がつらなっていた。
ギレンのやり方が国民に支持される一つに、政府、軍の高官に必ずザビ家とかかわり合いのない人物を置く事であった。それは、ダミーであるかも知れないのだが、中にはニュータイプと思える俊英《しゅんえい》もいた。今、閉会の辞を述《の》べている首相ダルシア・バハロ首相は四十二歳の若さである。彼なぞ、国民一般の人気からすれば真にスターの役にうってつけであった。これが、ギレンの総帥《そうすい》としての凄《すご》さであった。
「シャアは、姉上がひきとると聞き知ったが、面白《おもしろ》くないな」
ドズル・ザビが右|脇《わき》の姉、キシリアに小声で毒づいた。
「儂《わし》はシャアを左遷《させん》した。他の部下に対してのみせしめなのだ。勝手すぎるぞ」
「彼の軍籍《ぐんせき》を剥奪《はくだつ》したのでしょう? なら、私がどうしようと、法的には何の問題のないはずです。ガルマを守りきれなかったシャアの処分《しょぶん》、あなたは適切にやりました……」
キシリアは、ぬけぬけと言った。
「ガ、ガルマが可哀相《かわいそう》だと思わんのか? 姉上」
「時が時でしょう? シャアは有能です。無駄《むだ》にはできません」
その間にも、デギン公王は愛すべきガルマの死を切々と悼《いた》み、自分と同じように悲しんでくれる国民に対して感謝の意を表していた。そして、国民の各階層の代表者の弔辞《ちょうじ》が果てしなく朗読《ろうどく》された。
「ドズル、キシリアとて建前《たてまえ》は通している。からむなよ。それこそ、ガルマに気の毒だぞ。奴《やつ》は、真底ジオンが人類の救世主たらんことを信じていたのだからな」
そういうギレンの表情に、感情というものは一切なかった。
「そうだ。奴こそ将軍になって、儂《わし》をも使う男と望みをかけていたのだ。この口惜《くや》しさは、ギレンには判《わか》るまい? お前は、政治屋だ。陰謀家《いんぼうか》だ。しかし、ガルマは違《ちが》った。奴は、将軍になれた男だ」
「率直《そっちょく》だな。ガルマにいい手向《たむ》けになる」
キシリアは声にならない笑いを浮《う》かべた。
兄弟たちの内輪話の間も、デギンはどこを見つめるでなく公王の席に座っていた。それは、遠目で見れば威厳《いげん》を保つ父親の姿とみえた。
が、ギレンにしてみれば、すでにデギンは汚物《おぶつ》に等しい存在なのである。むしろ人間であるからこそ厄介《やっかい》であった。ダルシア首相が、デギンとの接触《せっしょく》をとっているらしいという噂《うわさ》を耳にしていたからである。父の存在は、面倒《めんどう》にこそなれ何一つ得ることはなかった。今日が、デギン・ソド・ザビの葬儀《そうぎ》でもあれば、事はもっと容易に己《おのれ》の目的へ向かって動いてくれように、とギレン・ザビは思っていた。
「ギレン・ザビ総帥!」
どっと二十万群衆が、ギレンを迎《むか》えるべく足を踏《ふみ》みならした。
ギレンは背筋《せすじ》を伸《の》ばして演壇《えんだん》へ向かった。その長身が歩む様は高貴《こうき》であった。国民の弔辞《ちょうじ》に対して返礼をしなければならないのである。
「……ジオン公国の栄誉《えいよ》ある国民一人ひとりに問いたい!」
空気を切り裂《さ》くギレンの言葉に、二十万|聴衆《ちょうしゅう》、テレビ中継を見守る二千万の国民は息をのんで待ちうけた。
ジオン公国も五分の一の家族が、何らかの形で今次大戦での戦死者を出していた。その悲しみを今、ザビ家も負ったのである。これは、自分たちの悲しみをザビ家が理解してくれる端緒《たんしょ》となる。歓迎《かんげい》すべきことであった。そして、その総帥《そうすい》から、今後の生きるべき目標なり義務なりを聞かせてもらえれば、それは、生きる上でのとりあえずの目標となり、悲しみや辛《つら》さを忘《わす》れさせてくれよう。
「……諸君らの父が、友人が、恋人たちが死してすでに幾月《いくつき》が流れ去ったが、憶《おも》い起こすことを忘れたわけではないと信ずる。しかし、ルウム戦役《せんえき》以後、諸君らはあまりにも自堕落《じだらく》に時を過ごしてはいないだろうか? 地球連邦軍の物量と強権の前に、屈服《くっぷく》も良し、とする心根《こころね》が芽生えてはいないだろうか? なぜ、そのように思うのか? 選ばれた国民であるはずの、諸君らが、なぜに地球連邦軍の軟弱《なんじゃく》に屈服しようとするのか? 我、ジオンの創業《そうぎょう》の闘士《とうし》、ジオン・ズム・ダイクンは、我らに言い残したではないか!」
ギレンにとってジオンの名を出さねばならないという事は口惜《くや》しいことであった。しかし、若くしてコロニズムを提唱して、コロニーの自治権を主張した革命家ジオンは、すでに神格化した存在である。利用しないわけにはいかなかった。
「……宇宙の民が地球を見守り、その地球を人間|発祥《はっしょう》の聖地《せいち》とすべき時代に、地球を離《はな》れる事を拒《こば》む旧世代が、宇宙の民たる我らを管理支配しようとする。宇宙の広大無比なるものは、人類の認識域《にんしきいき》を拡大《かくだい》して、我等は旧世代との訣別《けつべつ》を教えられた。その新しき民である我等が、旧世代の管理下におかれて、何を全《まっと》うしようというのか? 我らこそ、旧世代を排除《はいじょ》し、地球を聖地として守り、人類の繁栄《はんえい》を永遠に導かねばならないのだ。たとえ、銀河辺地にあるこの太陽系にあっても、文明という灯を守り続けなければならない。これが、ジオンの創業の志《こころざし》であったことは、周知《しゅうち》である。にもかかわれず、諸君らは、肉親の死と生活の苦しさに、旧世代に屈服しようとしている。ジオン創業の時代を思い起こしたまえ! 地球より最も離れたこの新天地、サイド|3《スリー》こそ、諸君らの父母が選んだ、真に選ばれた人類の発祥の地である事を思い起こせ! ジオン・ズム・ダイクンのあの烈々《れつれつ》たる演説『新人類たちへ』を知らない者はいない! 思い起こせよ! 我等ジオン公国の国民こそ、人類を永遠に守り伝える新の人類である……!」
ガルマ・ザビを守りきれなかったとドズル・ザビ中将の怒《いか》りに触《ふ》れたシャアは、ジオン軍|突撃《とつげき》機動軍から罷免《ひめん》させられたものの、その直後に、シャアはキシリア麾下《きか》の親衛隊士官の訪問を受けていた。彼は、シャアに中佐の位を持ってくると同時に、
「ニュータイプの件で、中佐がフラナガン機関と接触《せっしょく》されていたことをキシリア少将は大変興味を抱《いだ》かれております。直ちにサイド6のバルダに飛んで、フラナガン機関と接触していただきたい」
そのために、新鋭《しんえい》起動|巡洋艦《じゅんようかん》ザンジバルも用意してあるというのである。これは、ドズル麾下の主力巡洋艦ムサイと比《くら》べて、運動性もパワーもはるかに優《すぐ》れていた。なめらかな船体は、ゴツゴツと突起物の多い出来そこないの積み木細工のようなムサイに比べて、装甲《そうこう》も数段上であった。
「急ぐのだな?」
「はい。キシリア少将は、半年ほど前からフラナガンの具体的データをもとに、サイコミュの開発に協力しておりました」
「……サイコミュ?」
シャアはその若い士官が、シャアをすくいあげるようにしゃべるのが癇《かん》にさわったが、サイコミュの存在をすでに知っているのが気になった。
「……ここでは申しあげられません。フラナガン博士に直接お尋《たず》ね下さい」
「どうせ位攻《くらいぜ》めなら、大佐が欲《ほ》しかったな。もっとも、私には別の理由があって……」
と言いかけてシャアはやめた。ララァ・スンに会えるから命令を受けたなどとは、口が裂《さ》けても言えなかった。
「中佐からフラナガン機関へ届《とど》けていただきたいモビルアーマーがございます。これについては、ザンジバルで技術士官からお聞き下さい」
「モビルアーマー?」
これは初めて聞く言葉である。
「モビルスーツではなくて、まァ、火力主体のスーツに代わるべきものです。エルメスとビットと名づけられております」
「フーン」
シャアはこの慇懃《いんぎん》で油断《ゆだん》のならない士官から中佐の辞令と作戦命令を受けとると、ザンジバルに乗り組み、ジオン公国のズム・シティ・コロニーからサイド6へ向かったのである。
「ドズル中将は、ニュータイプ説には全く関心をよせられなかったのに、キシリア少将はニュータイプの実戦部隊をお考えとはな」
シャアはザンジバルの格納庫《かくのうこ》に収められたエルメスというモビルアーマーをみせられて驚いた。これはモビルスーツのような手足はない。どちらかといえば航空機に近いが、火器といっても二門のメガ粒子砲《りゅうしほう》が装備《そうび》されているだけである。
「計画通りですと、こいつは驚異《きょうい》的な兵器になります」
ムラマサ技師|大尉《たいい》は得意そうに鼻をうごめかせて言う。シャアは、キシリアがドズルから回収したといわれる自分の愛機である赤いザクを見上げて、
「赤い彗星《すいせい》よりもか?」
と皮肉っぽくムラマサ大尉に尋《たず》ねた。
「パ、パイロット次第ではありますが、恐《おそ》らく……」
その大尉の言葉は自信に満ち、バルダに向かう間に彼から具体的な性能を教えてもらったシャアは、あらためてそのニュータイプの性能に息を呑《の》んだ。
『第一番目にエルメスを使うパイロットは、それほどに凄《すご》いのか……?』
サイド6、通称リアは中立サイドであるが、その実情は大分|違《ちが》う。むしろ、ここのランク自治政権はザビ家にとり入り、ギレン、キシリアらの戦略的観点との合致《がっち》して、今後の地球|圏《けん》運営のために戦火に巻き込まれなかったジオンの属領《ぞくりょう》であった。
シャアは、そのコロニーのひとつバルダにあるフラナガン機関のビルのロビーにいた。
「……ララァ・スンの状況《じょうきょう》はどうなのかな?」
フラナガン博士は七十歳に近い。以前に会った時から感じていた事なのだが、科学者の癖《くせ》に俗物で、シャアが好きになれるタイプではなかった。が、その俗物|故《ゆえ》にキシリアにとり入ってフラナガン機関を認知させた功績《こうせき》は認めざるを得ない。
「素質のいい娘です。最高といってよろしいでしょう」
「フム。それはよかった」
自分の予測と物事がピタリ一致していくのは気持ちがよいものだ。
殊《こと》に、シャアが、このサイドの怪《あや》し気《げ》な場所で、戦災|孤児《こじ》のララァと初めて出会った時の不思議《ふしぎ》な感応《かんのう》は、シャアにニュータイプにつながるのではないかと感じさせた。そのシャアの勘《かん》が当ったとなれば、彼に大きな展望を開かせる。
まして、キシリアの援助がフラナガン機関に及《きゅう》んでいるとなれば、ますます自分には運が向いていると思わざるを得なかった。
「しかし、シャア中佐の戦歴を拝見いたしますと、シャア中佐こそ私には……」
「私は俗物だ。私は超《ちょう》能力者やニュータイプの存在は信じてはいない。私はキシリア少将からエルメスとビットを預かってきている。エルメスのパイロット候補生に会わせろ。テストを急がなければならないのだ」
「シャア中佐ともあろうお方が……」
「自分はニュータイプ自体、信じない」
シャアはもう一度つけ加えた。
フラナガンは、疑わしそうにマスク越しのシャアの表情を読みとろうとした。その科学者らしくないフラナガンに、シャアは再度、彼を信じる事をやめた。
しかし、シャアは、フラナガンを中心に行われているニュータイプの研究そのものは、信じているのである。ニュータイプの実用化こそ、ザビ家|一統《いっとう》を倒し、地球連邦を支配するための掛《か》け値なしの武器であるとシャアは見抜《みぬ》いていた。でなければ、ララァ・スンを、こんな男のもとに預けることもしなかっただろう。
現在は漠然《ばくぜん》とした概念《がいねん》であるニュータイプという新しい人間のタイプは、数多くの凡俗《ぼんぞく》を戦士として使うより有効なはずなのだ。まして、モビルスーツを中心とする戦術が展開されている今日、彼らの能力を充分《じゅうぶん》に発揮《はっき》できる局面が多々あろう。その研究、情報機関としてのフラナガン機関は極めて有効に利用できるはずだった。その俗界に身を置きすぎるフラナガンだからこそ利用し、利用されるのである。だから、こういうタイプは、高圧的に使う必要があるとシャアは、思っていた。
絹ずれの音が走った。ララァだった。
「シャア・アズナブル!」
ララァの透《す》き通る声が、シャアの耳に快《こころよ》くとびこんできた。うす黄色のたっぷりしたワンピースの裾《すそ》を、波のうねりのように大きく後ろになびかせていた。
その褐色《かっしょく》の肌《はだ》は黒に近い色に硬質《こうしつ》に輝《かがや》いて、その姿《すがた》は戦士を育てるはずのフラナガン機関の無愛想《ぶあいそう》なロビーにおよそ似つかわしくなかった。
額《ひたい》の中央には、あたかも白毫《びゃくごう》のように黒子《ほくろ》があった。そして、そのエメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》が、たんに東洋人でない彼女の血の複雑さを想像させた。その軽やかな四肢《しし》が流れるようにシャアにとびこんできた。彼女には体臭《たいしゅう》はない。
「ララァなのか? パイロット候補生とは!」
さすがにシャアはフラナガンを振《ふ》り返った。
「はい」
そう答えるフラナガンの眼が好色そうな問いかけをしていた。この半年間で、またいい女になっただろう? と言っている。シャアはどちらかといえば潔癖《けっぺき》な方なのだ。
「ニュータイプの性能というのは……」
シャアはララァの澄《す》んだ瞳を見て、質問をやめようとしたが、フラナガンを揶揄《やゆ》りたい衝《しょう》動《どう》を抑《おさ》え難《がた》かった。そのシャアの一瞬《いっしゅん》のためらいの隙《すき》に、ララァがうなずくように笑った。遠慮《えんりょ》しないで、と言ったようだった。シャアは人知れず愉快《ゆかい》になった。
「ニュータイプの性能というのは、処女《しょじょ》か非処女かで異《こと》なるのかな?」
フラナガンは、こんな処《ところ》からニュータイプの性能論が出ると思わなかったから目をむいた。が、それより彼が恐《おそ》れたのは、シャアが自分の思考を読みとる事ができるかも知れないと考えたからである。彼は、超能力者といわれる種類の人間から、ニュータイプに至るまでの人間に接しすぎていた。
「それについては、その……資料《しりょう》が不足しているので、完璧《かんぺき》なデータはとられてないな……」
フラナガンは、しどろもどろになりながらも否定《ひてい》した。
「気に入らんな。フラナガン機関などと御大層《ごたいそう》なことをいうから、どれほどのものかと思ったが」
「皮肉はやめていただきたいものですな? ニュータイプは明確に概念《がいねん》づけされたタイプではないのです。超能力者ほど明瞭《めいりょう》なタイプなら単純ですが……」
「じゃあ、単純な方をみせてもらおうか?」
「シャア中佐。き、貴下がキシリア閣下《かっか》といかような関係か知りませんが、いやしくもフラナガン機関は、キシリア閣下|直轄《ちょっかつ》の機関です。私を愚弄《ぐろう》する事はとりもなおさず……」
「愚弄したつもりはない。わずかな邪念《じゃねん》を捨てていただいて、ニュータイプの実質的成果をお知らせいただければいいのだ」
シャアはニッと笑ってみせた。
フラナガンは、すでにシャアの中にニュータイプの素質があると信じた。となれば、シャアがどのような質《たち》の能力を持っているか判《わか》らないうちは、その感覚に触《ふ》れてはならないのだ。殊《こと》に、ニュータイプ全般《ぜんぱん》が持っている洞察力《どうさつりょく》の鋭さ《するど》、卑俗《ひぞく》に言う良い勘《かん》には、触《さわ》らない方がよい。
シャアの言葉の中に、それに似た鋭さがあった。
「彼女は、どうなのだ?」
「間違《まちが》いありません。中佐御自身の推薦《すいせん》のあったとおりです。宇宙の第二世代であり、サイド5、ルウムの住人でしたし、あの大戦の時に、彼女の家族が戦火から免《まぬが》れたのも、彼女の能力に依《よ》る処《ところ》が大きいといえます。もっとも、その後の避難行《ひなんこう》の中で両親を亡くしていますが……」
シャアは、そのフラナガンの話から、ララァが幾度《いくど》も過去の話をさせられたと分った。
『……可哀相《かわいそう》なことをした……』
本来なら、痛い思い出などは触らない方がいいのだが、それをさせるように仕向けたのは自分だという自責《じせき》の念が湧《わ》いた。
「よくやってくれた」
「はい」
ララァはシャアを見上げて明晰《めいせき》に答えた。
そのシャアとララァの好意といたわりの心の交流には、フラナガンの介入《かいにゅう》する余地はなかった。
それは、フラナガンにも判《わか》った。男女の一目惚《ひとめぼ》れとか、恋とか愛という不明瞭なものではない。ピンとふたつの精神がつながるというような緊張《きんちょう》した関係である。それは、硬《かた》い……。
「とりあえず、サイコミュと名づけた脳波電動メカニズムです」
若い研究員が頬《ほお》を紅潮《こうちょう》させて説明してくれた。彼は初めシャアに、中佐にお会い出来て光栄でありますと言って、そのマシーンの説明をしてくれた。
「……脳波の意思は極めて微弱《びじゃく》な電気的信号として感知されます。それをこのレシーバーで被験者から探知して、その信号をこちらのパワー・アンプが拡大《かくだい》します。それをこのマジック・ハンドのコントロール・パネルに接続してあるわけですが……接続といっても、脳波そのものを発振《はっしん》するという意味で……」
「やってみせてもらえまいか?」
「ハッ! 中佐!」
フラナガン博士が、その若い研究員に接続の確認をしろと注意し、その研究員はますます顔を赤くして、アンプのケーブルの一つ一つを調べ始めた。が、これにはコーヒー一杯《いっぱい》飲む時間が費《つい》やされた。
「いつもこうなのかね? ララァ・スン」
「はい」
ララァは笑って答えた。
「恐怖《きょうふ》係数……ま、いろんなタイプのマイナス係数だが、それは影響《えいきょう》するのだな?」
「します。これは、間違《まちが》いない処です。たとえば、ララァの場合、死体|処理《しょり》をする作業能率などをみますとマイナスしか出ません。平凡《へいぼん》人以上の拒否《きょひ》反応を示します」
「フム。判《わか》るな……」
ふと、シャアはララァを振《ふ》り向いた。
「何の死体を使ったかね?」
「蛙《かえる》、鼠《ねずみ》、兎《うさぎ》、馬、人間」
シャアは、それ以上聞くのをやめた。
マジック・ハンドは、十立方メートルの透明《とうめい》なケースの中に二十個ほどとりつけられていた。人間の手以上に素早《すはや》く、精巧《せいこう》ですと若い研究員が言った。
「蚊《か》と蝿《はえ》を一匹《ぴき》ずつ放します。ララァ、できるだけ早くつかまえて下さい」
研究員はケースの隅《すみ》から、蚊と蝿を放した。シャアにはよく見えなかったが、確かにとんでいるようだった。ララァはレシーバー・キャップを被《かぶ》り、ケースの中を見つめた。
八秒たった時、一つのマジック・ハンドがケースの中を走った。
「二匹ともつかまえました。潰《つぶ》されていますが……」
研究員はやや残念そうに報告した。
「潰さない時もあるのか?」
「はい。蝿は大体……」
マジック・ハンドの即応力《そくおうりょく》も凄《すご》いものだが、たしかにこのサイコミュというシステムは驚《きょう》異《い》的な増幅器《ぞうふくき》だろう。ララァは、手も足も動かさずに、マジック・ハンドを操作《そうさ》したのである。
シャアは、ケースに歩みよった。
と、マジック・ハンドがシャアの方へゆっくりと近づいてきた。シャアは、数メートル離《はな》れて座っているララァを見た。ララァが動かしているはずのそのマジック・ハンドの指先には、間違《まちが》いなく蚊と蝿があった。
「凄《すご》いな」
シャアは、ララァに微笑《びしょう》した。
「本当に凄い」
「初めは疲《つか》れました。今は、いつでもできます」
「しかし、モビルアーマーの操縦《そうじゅう》はこうはゆかんだろう?」
「キシリア閣下《かっか》が、フラナガン機関にシミュレーターをお貸し下さいました。シミュレイション上では、すでにララァは一流のパイロットでもありますよ」
フラナガンが冷たく言った。
「フラナガン博士。初めは私の態度が悪かったようだ。誤《あやま》る。しかし、博士のへつらうような態度はやめてもらいたいものだ。私は中佐といっても若造《わかぞう》だ。よろしいか?」
フラナガンは苦々しく笑った。
「卑屈《ひくつ》なつもりはないが……慇懃《いんぎん》すぎる態度はあらためよう。シャア中佐」
「助かる。では、早速《さっそく》だがエルメスとビットに、そのサイコミュの取りつけをしてもらおう。ララァには、エルメスに慣《な》れてもらわなければならない」
「作業は急がせましょう。中佐」
フラナガンは右手を差し出し、二人は、初めて握手《あくしゅ》をした。
ララァのテストを見せてもらった後で、シャアはララァを誘《さそ》った。というよりも、今をもってララァ・スンは、シャアの部下になったのだ。シャアの手元には、キシリアのサイン入りの辞令《じれい》もあったのだ。ララァ・スン少尉である。シャアは、彼女を実戦に投入しながら、彼女を真の戦士に育てあげなければならないのである。しかし、シャアには、まだララァはあまりにあどけない少女に見えた。
研究所の食堂には、四、五人の研究員しかいなかった。
その彼等は、ガルマの葬儀《そうぎ》で演説するギレン・ザビの演説のテレビ中継《ちゅうけい》に見入っていた。
『……何の洞察力《どうさつりょく》も持たない地球連邦の旧世代に人類の未来に委《ゆだ》ねては、人類の存続はあり得ないのである。ただただ絶対民主主義、絶対議会主義による統合が、人類の平和と幸福を生むという不定見! その結果が、凡百《ぼんぴゃく》の無能者と人口の増大だけを生み出してゆくのである。その帰結《きけつ》する処《ところ》は何か?……無能な種族の無尽蔵《むじんぞう》な増加は、自然を破壊し宇宙を汚《よご》すだけで、何ら文明の英知を生み出しはしない! 種族の数が巨大になり、自然の体系の中で異常《いじょう》と認《みと》められるに至《いた》った時は、鼠で《ねずみ》あろうと蝗《いなご》、蟻《あり》であろうと集団自殺をして自然|淘汰《とうた》に身を任《まか》せゆく本能を持ち合わせている。これは、生物が自然界に対して示すことのできる唯《ゆい》一《いつ》の美徳《びとく》である。
それがどうだ! 知恵がある故《ゆえ》に、人類は自然に対して傲然《ごうぜん》として傲慢《ごうまん》である。自然に対して怠惰《たいだ》である。ジオンは、諸君らの総意をもって、諸君らの深い洞察力ある判断をもって、自らに鉄槌《てっつい》を下したのである。人類が自然に対して示す事のできる贖罪《しょくざい》を成したのである。時すでに八か月余り! ここに至って諸君らが、初心を忘れたとは言わない!』
「何にするかね?」
シャアは、メニューをララァの眼の前に差し出した。ララァは、この食堂のメニューぐらい空んじているだろうに、それを見て言った。
「食事はいりません。ジュースをもらいます」
「私は食事をさせてもらうが?」
「どうぞ、構わずに……」
その場所は、外から良い太陽光線が入った。
バルダ・シティは、地球の北緯《ほくい》四十五度の気温に合わせていて、標準気候でいえば初春であった。
『……思い起こせよ! 我、ジオンの光栄ある国民よ! 諸君らの肉親の死を追って、我、愛するガルマは死んだ! なぜか!』
「……坊やだからさ」
シャアは一人ごちた。
「え?」
ララァには聞こえなかった。ギレンの演説に全く興味を示さないララァは、食堂の外を見ていたのだ。本当はシャアにいろいろ訊《き》きたい事があるようで、何一つ訊けない自分の心にいらだっていたのだ。
「いや……」
シャアはやさしく微笑《びしょう》した。ギレンの演説は最高潮《さいこうちょう》に達していた。
『……ガルマは、闘い《たたか》に疲《つか》れた我等に鞭《むち》うつために死んだのである! 同朋《どうほう》の死を無駄《むだ》にするなと叫《さけ》んで死んだのである! 彼は……! 諸君の愛してくれたガルマは、ジオン公国に栄光あれと絶叫《ぜっきょう》して死んだ! なぜか! ジオンの、いや、諸君ら、英知をもった人類による人類の世界こそ、真の人類のあるべき姿《すがた》と知るからこそ叫べたのである。ジオン公国に栄光あれ、と! 起《た》てよ! 国民! 今こそ、我等の総意を持って地球の軟弱《なんじゃく》を討《う》つ刻《とき》である!』
「ララァ?」
「はい」
「本当にすまなかったな? 全身を隈《くま》なく調べられ、過去の思い出をあらいざらい……」
「中佐……」
ララァ・スンは、シャアの手の上に自分の手をのせて、首を振《ふ》った。
「中佐は、両親と死に別れて絶望していた私に、生きる目的を下さいました。とても感謝しています。その上、今度は中佐と御一緒《ごいっしょ》になれる。嬉《うれ》しいと思っています」
「そう言ってもらえると嬉しい……」
「……両親と別れて、ジオンの艦《かん》に救助されたあと、このサイド6にくる間に、私は生きのびるために何でもしました。それを強要されました。それは、このサイド6に来ても同じでした。むしろ、あんなに早い時期に……私の心も体もボロボロになる前に、中佐に会えただけでも感謝しているのです。そして、今はこうして中佐と御一緒できる……フフフ……考えても下さい。私は、いつの間にか少尉なんですよ」
「……おかしいものだな、人生は……」
シャアは笑ってやった。
シャアと出会う前の二か月ほどの間、この少女はひどい生活をしたのだ。美しすぎるララァは、もともと男好きする顔立ちであった。
「私は……聖人君子《せいじんくんし》ではない。その辺にいくらでもいる男と同じだ。ララァの生き方を非《ひ》難《なん》できないのと同時に、昔のララァの生活はどうだったのかという好奇心《こうきしん》もある……」
ララァは黙《だま》ってシャアのマスクを見つめた。
シャアは、そのララァの率直《そっちょく》な瞳《ひとみ》をみて、その後の話も続けようと衝動《しょうどう》した。そのためには、うっとうしいマスクをとる必要があると感じた。
シャアは言葉を切って、食堂と見回した。ギレンの演説の終わった後のロビーには、誰《だれ》もいなかった。
シャアはマスクを外して、ララァに向いた。
「……いつ?」
ララァは眩《まぶ》しいものを見るように、シャアの素顔を見つめ、シャアの額《ひたい》に斜めに残った傷《きず》跡《あと》のことを尋ねた。
「士官学校時代に、ガルマ・ザビという男とフェンシングの試合をやってな……」
シャアは嘘《うそ》をついた。
本当の理由は、士官学校に入る前に自分の手でつけた傷なのである。将来、ザビ家に近づいた時、素顔を見せないために作ったのである。醜《みにく》い傷でもあれば、父の面影《おもかげ》の人相も消えるだろうし、マスクもかけられるだろうと思ってつけた誓《ちか》いの傷なのである。
あの痛みだけは、忘れてはならない。
「……しかし、私の個人的なララァへの好奇心は、この半年あまりの間に消えてしまったな。久しぶりで会った君を私は好きだ……ララァ……こんな私をララァは嫌《きら》いか?」
ララァは、シャアの澄《す》んだ瞳《ひとみ》を見つめていた。
「……私のできるやさしさはこれくらいだ」
シャアは自分を若いと思う。それは、悲しい自戒《じかい》でもあった。
「中佐。私も、中佐を好きになるように努力しています」
用心深く言葉を選んだララァだったが、その瞳には涙が溢《あふ》れていた。
「うれしいものですね」
ララァは、言った。
PART 6
テキサス・ゾーン
ジーク・ジオン! ジーク・ジオン! ジーク・ジオン!
ジオン公国のズム・シティでのガルマ・ザビの葬儀《そうぎ》のニュースの最後を飾《かざ》る二十万市民の叫《さけ》びがテレビのスピーカーから湧《わ》き上がった時、アムロはつまづくような気分に襲《おそ》われた。
ひとつには、祭壇上《さいだんじょう》のガルマ・ザビのスチール写真のアップが二度ほど写し出されて、その端正《たんせい》でやさしいマスクに、敵《てき》という恐《おそ》ろしいイメージが何一つなかったからだった。自分たちが無我夢中《むがむちゅう》で闘い《たたか》撃《う》ち落としたガウ空爆《くうばく》をあのガルマ・ザビが指揮《しき》していたなど、全く想像できる事ではなかった。
しかし、ニュースの解説者は言う。
『我が連邦《れんぽう》軍の新鋭戦艦《しんえいせんかん》ペガサスの前に散った若き士官ガルマ・ザビ。これを国威昂揚《こくいこうよう》に利用して、国民を鼓舞《こぶ》させざるを得ないジオン公国こそ、すでに落日《らくじつ》の運命にあります。このジーク・ジオンこそ、最後の灯。《ともしび》火の消える前の一瞬《いっしゅん》の輝き《かがや》であります!』
「全く、ザビ家独裁をもくろむ男が、よく言うよ」
ブライト中尉《ちゅうい》は吐《は》き捨てるように言うと、そこにい合わせた兵たちに振《ふ》り向いた。
「二時間後に、ペガサスはルナツーを発進する。各員の休む時間はない。ガンダムの量産タイプの|GM《ジム》も二十機参戦する。我が艦の三機のモビルスーツに比《くら》べれば、このGMはひどい出来だ。となると、一番当てにされるのが我々だ。いいな。覚悟《かくご》してくれよ」
結局、星一号作戦なるものが発動されて、ペガサスは第十三独立艦隊として三機のプロト・タイプのモビルスーツを搭載《とうさい》して参加することになったのだ。
アムロは、ペガサスに乗り込《こ》む前にフラウ・ボウにテレビ電話で別れを告げた。
「大きな作戦なんだってさ……」
それ以上の言葉は思い浮かばなかった。
「体を大切にしてね……でも、兵隊さんにこんなこというの変かしらね」
「どうなのかな。あ、だけどね。フラウ・ボウ。僕は死なないよ」
「え……?」
「死なない。必ず帰って来るんだ」
「そ、そうよね。その意気込みでなくっちゃね。待っているわ。アムロ」
「ありがとう」
「なーに、ぐだぐだやってんの! アムロ少尉! チェックがあるんだろ! チェックが!」
カイ・シデン少尉が、アムロの肩《かた》をどやして、リフト・グリップですっとんで行った。
「じゃ、フラウ・ボウ!」
アムロは、しゃべり足らなそうな顔つきのフラウ・ボウを眼の隅《すみ》で見ながら、リフト・フリップにとりついた。
あの硬貨《コイン》ならテレビ電話はまだ三十秒はたっぷり話ができたはずだ。しかし、現在のアムロたちパイロットは、昔のパイロットに比べたら尨大《ぼうだい》な量の仕事があった。すべからく人手不足なのだ。マニュアルに決められたメカニック・マンの数がそろっている艦など、どこをみてもないから、補給部隊に補給が終わると風のようにいなくなり、補給部隊もまた同じである。
工具の片づけひとつだって、結局はパイロットの仕事になった。モビルスーツは、ビスの一本ぐらいがマフラーにまきこまれてもオーバーヒートはしないのだが、カタパルト周辺を雑巾《ぞうきん》がけをしておくに越《こ》したことはないのだ。大体ハヤト・コバヤシやリュウ・ホセイなどは、三機のモビルスーツをフル稼働《かどう》させるための補充《ほじゅう》部品調達に、補給|庁《ちょう》まで掛《か》け合いにも行っているのだ。
そして、さらにこの時期になって、新任のメカニック・マンやら砲撃手《ほうげきしゅ》が十名、二十名とペガサスに乗り組んできているのだから、悲惨《ひさん》だった。これでは、戦争などできるとは思えない。
「遅《おそ》いじゃないかァ!」
ブリッジの指揮官《しきかん》マイクがオールになっていたために、そのブライト中尉の怒鳴《どな》り声はペガサス全体に響《ひび》いた。
「しゃあねえでしょう。こっちだって好きできたわけじゃあないんだ。自分の配置を教えてもらいたいもんだな」
「官姓名《かんせいめい》ぐらい名乗ってから文句を言え」
「スレッガー・ロウ中尉、砲撃隊として来た。対艦砲撃の指揮は任《まか》せてもらうぜ」
「私が艦長だ。忘《わす》れんでもらう!」
「中尉殿がかい?」
そこで、艦内オールのドラマは終わった。気を利《き》かせすぎて回線を切った馬鹿《ばか》がいるのだ。そのあとで殴《なぐ》り合いの一つもあったろうに……。
出港十五分前に、補給部隊のマチルダ隊から僅《わず》かばかりの補充部品が届《とど》いた。そして、ルナツーからペガサスが出港した。
「冗談《じょうだん》だろ? 演習だよ。演習。やれるわけないだろうが!」
カイが、へらへらと言いはやした。
ペガサスの前方には、マゼラン・タイプの戦艦『ハル』、ペガサスの後方左右にサラミス・タイプの巡洋艦《じゅんようかん》『シスコ』と『サフラン』が従っていた。さらに六|隻《せき》のパブリク・タイプの突撃艇《とつげきてい》がとりまく円形陣《えんけいじん》で第十三独立艦隊はルナツーを後にしたのである。
「星一号作戦は、ジオン最強の基地である月のグラナダを叩《たた》くことである。これを突破《とっぱ》すれば、ジオン本国にとりつくことが出来るわけだ。本来、国力の差は、我が地球連邦がジオンに優《すぐ》れること十数倍といえる。グラナダを陥《お》としソロモンを抜《ぬ》けば、ジオンは壊滅《かいめつ》したといっていい。我が第十三独立部隊は、テキサス・ゾーンに突入しつつグラナダの艦隊をひきつける。この間に、レビル麾下《きか》の主力部隊が、ソロモンとグラナダを叩く。各員はこの任務の重大な意味を理解して、日頃《ひごろ》の訓練の成果を充分《じゅうぶん》に発揮《はっき》してもらいたい」
ブライト中尉の演説は、堂にいっていた。
「艦長らしくなってくるから不思議《ふしぎ》なのよね」
カイ少尉は相変わらずである。
「しかし、出来るんですか? 我々だけで?」
「難《むずか》しいな。しょせん、我々はダミーだよ。囮《おとり》ってとこでしょうが?」
そういうリュウ・ホセイは覚悟《かくご》ができているのだろうか? アムロ少尉は、まだ自分に自信がなかった。
確かにアムロは、自分が想像していた以上の成果をあげ、モビルスーツのパイロットとしてはやっていけると思うが、恐怖感《きょうふかん》がなくなったわけではない。それでも、生き抜《ぬ》けそうだという自信が芽生えつつあるのは、良い徴候《ちょうこう》だった。
それに、アムロはザビ家台頭の歴史に古めかしい人間の業《ごう》というようなものを感じて、単純な怒《いか》りを感じ始めている事も、彼の安心の材料になった。
旧西暦二十世紀までの人類の歴史は、戦争の繰《く》り返しで、それが文明の進歩だと教えられていた。が、宇宙暦《うちゅうれき》にきりかえられた最大の理由は、戦争をせずに人類が宇宙へ進出した事への記念的意味がこめられていた。それから七十年以上たって、人類が戦争の仕方を忘れようとした時に、今次《こんじ》大戦である。
それがどの様な理由であろうと、戦争という手段によって覇権《はけん》を確立しようとするザビ家の発想は、古代から人間が持っていた権力欲の発露以上の何ものでもない、とアムロは断定した。
それをギレン・ザビは、意識の拡大しつつある新人類、つまり、ニュータイプであるジオン公国が人類を管理するというのである。そんな思想が、真の意識革命を体現したニュータイプなら、アムロは凡俗《ぼんぞく》であるに越《こ》したことがないと信じた。
「レビル将軍も勘違《かんちが》いしているんじゃないのかな? ニュータイプが、新しい人類の型で、それがザビ家タイプの人間だなんて言われたら、ニュータイプになりそこなった人間は家畜《かちく》にされちまうぞ」
アムロはそんなことを仲間たちに言った。彼等もアムロと同じ考え方だった。
「テキサス・ゾーンで討《う》ち死になんて厭《いや》ですね。僕は絶対、グラナダまで行ってみせますから」
ハヤト・コバヤシは、ブライト中尉の演説が終わるときっぱり言った。
「俺《おれ》もそう願いたいね」
カイ・シデンもその尻《しり》うまにのって言った。
アムロ、カイ、ハヤト、リュウたちは、ペガサスがルナツーを離《はな》れると、直ちに三機のモビルスーツの発着艦の訓練に入った。こんな時、ラルフ中尉のあの罵声《ばせい》が聞こえないのは、寂《さび》しいものだった。しかし、たった四人の正規パイロット同士とはいっても、同じ釜《かま》の飯を食べたという連帯感だけでは、実戦チームにはなり得ないものだ。
わずかに年上のリュウ・ホセイを中心としたフォーメーションのおさらいは一つピリッとしないし、リュウ自身、ガンキャノンの専任《せんにん》になりたいというのでは、チームの中心になる意思はないわけだし、その上、ガンダムにのりたいと言い出したハヤトを、カイが、二度の実戦を経験しているアムロに任《まか》せるべきだと言いきかせるとなれば、その実情は押《お》して知るべきであろう。
しかし、艦隊としての訓練は情け容赦《ようしゃ》なく続行されて、アムロは旗艦《きかん》『ハル』の二機の|GM《ジム》と模擬《もぎ》空戦をやらされた。
それで分った事は、近距離《きんきょり》戦での火力はGMが優《すぐ》れていたという事である。すくなからず、アムロはショックだった。GMの眼に相当する部分が、ガンキャノンと同じ一枚のフロント・ガラスのために、GMの照準モニターの方が性能がいいという事なのだ。ガンダムの照準スコープは、モビルスーツの頭部は人間の顔に似せなければならないと思いこんだデザイナーのために、スコープ用のカメラ・ガンを両眼に埋めこんであり、そのセットの仕方がスコープを曇《くも》らせるか、照準を甘《あま》くしているのではないかとアムロは勘《かん》ぐった。メカニズムの形態《けいたい》は、あらゆる場合シンプルであるべきだというのがアムロの持論なのだ。
が、その他の性能では、バーニアのパワーが必要以上にあるガンダムの方が、GMより圧《あつ》倒的《とうてき》であった。
さらに、リュウ、カイの二機のガンキャノンの援護《えんご》の下、ガンダムと二機のGMは『シスコ』を敵艦に見立てて攻撃運動訓練を行い、同時攻撃の場合の縦陣《たてじん》、横陣の張り方。攻撃|侵入《しんにゅう》のタイミング、時間差攻撃等々、アムロにとっても初めての教習が厭《いや》になるほど繰《く》り返された。
そして、咽喉《のど》がいい加減に乾《かわ》いて、ノーマルスーツの下着が汗《あせ》で濡《ぬ》れきった頃《ころ》に、旗艦『ハル』に集合する命令が出された。模擬戦の講評と今後の戦闘フォーメーションの研修のためである。
大体、地球連邦軍は、モビルスーツの戦闘マニュアル自体不完全極まりないもので、実戦を経験していない士官たちがジオンのザクの運用を想像して作り上げたもので、訂正《ていせい》しつけ加えなければならない問題は山ほどあった。戦闘機の運用をベースに、どこから手に入れたのかジオンのザクの操縦《そうじゅう》教程などをベースにしているという噂で《うわさ》ある。連邦なりの独創《どくそう》が加えられない限り、パワーだけで敵を凌駕《りょうが》することは難《むずか》しいというのに、だ。
「お互《たが》いに時間がない。メシを食べながら聞け」
戦術指揮官のラムスキー・ルドルフ少佐はモビルスーツの開発から参加していた技術畑の温厚な将校であった。
「初心者にしては模擬《もぎ》戦は良好であるが、諸君らはモビルスーツの性能を当てにしすぎる癖《へき》がある。モビルスーツがそれほど信頼できるものとは思わんでくれ」
ピュイと口笛《くちぶえ》が無遠慮《ぶえんりょ》にとんだ。
「諸君らに死んで欲《ほ》しくないから言うのだ。兵器の開発は概《おおむ》ねそんなもんだ。特別手当は出んが、諸君らはテスト・パイロットだと思ってほしい……が、考えてもみろ。テスト・パイロットが実戦に出るって話をきいた事があるか? ない、な。連邦の偉《えら》いさん方は、自分たちが兵隊にやらせている事の意味を判《わか》ろうとはせんから、特別手当は出ないって寸法《すんぽう》だ。なら、パイロットを降《お》りたいという者がいたら降りてもかまわん。一緒《いっしょ》に給料も下がるがな」
このラムスキー少佐の言葉で、パイロットたちは彼に好意を持ったのだが、実戦の技量と指揮官の能力はどうなのかは別問題である。
「まず、各艦のオペレーターの合同研修で指摘《してき》された点の一つに、各員のコール・サインの発信が遅《おそ》いということがある。各々の戦局での各員の動きはレーダーでは読みづらい。レーザー・コールが最も確実に各員の動きを知る手掛《てが》かりとなる。まして、艦対戦の間に入っている時なぞ、後ろから、味方に撃《う》たれんためにも、コールは速《すみ》やかに行う」
しかし、ペガサスのナビゲーターにしろオペレーターにしろ熟練兵《じゅくれんへい》ではない。どこまでこちらのコールを聞いてくれるのかも不安なのだ。無線が使える距離《きょり》も、ミノフスキー粒子《りゅうし》下では二十キロ以内がせいぜいで、ペガサスなどセイラ・マスとかいうド素人《しろうと》の伍長《ごちょう》が出るのだ。これでは、話の伝わらないことおびただしい。
「あの声はいいんだけどよ」
カイはアムロに耳うちする。
「背中がゾクゾクってするのよね」
「セイラ伍長のですか?」
アムロはあのとりすましたような声は嫌《きら》いだった。初めてモニターで見た時、美人だとは思ったが、ややとがった顎《あご》が神経質そうに思えて好きになれなかった。その上、
「間違《まちが》った事を言ったりしたら教えて下さい。慣《な》れますから」
その切り口上的なセイラの言葉に、アムロは反撥《はんぱつ》さえ感じた。
「無理して僕らに合わせようとしているのがね」
アムロはカイの眼を見返して言う。
「馬鹿《ばか》。それがあの伍長の可愛《かわい》いとこなんじゃねえか」
「アムロ少尉だったな。ガンダムは」
「はい!」
「頭のバルカン砲は、白兵《はくへい》戦用の補助武器だ。あてにしてはならん。それと縦《たて》ロール運動はもっと小さくできるはずだ。スロットルの使い方が甘《あま》い」
以後、各員のモビルスーツの操縦についての講評が終わった後は、ジオンの各艦船、戦闘後についての具体的な攻撃フォーメーションの研修が行われ、最後にザクについての戦闘パターンの研修になった。
こうなるとラムスキー少佐の机上論《きじょうろん》だけでは話が進まなくなって、アムロたち実戦経験者の体験談になった。無論、これらの話は断片的な表現でしかないので、ザクとの戦闘の戦術論を生み出すものではなかった。それを、ラムスキー少佐が論理的な補助説明をして、アムロたちの断片的な話を大きな概念《がいねん》へとつなげていった。
「ぼ、僕がガンダムにもビデオがあるのを知らないばかりに、シャアの動きを見せられなくてすみません。とにかく、シャアは、他のモビルスーツと全く違《ちが》うのです。ビームの先を見こして回避《かいひ》運動を行っているとしか思えません。縦運動の時にビームを発射《はっしゃ》しているつもりですが、引き金に触《ふ》れた瞬間《しゅんかん》、すでにシャアのザクはその場所にいないのです」
「最近、噂《うわさ》されているニュータイプかな?」
アムロのシャアの説明になると、全員が耳をそばだてて聞き入って、そんな言葉がアムロに返ってきた。
「それは、判《わか》りませんが、今にして思えば、僕も必死でしたのでガンダムは最大戦闘速度で回避運動をしていたはずです。そうでなければ、シャアのライフルにやられていたでしょう。しかし、ザクのライフルに対しては、|GM《ジム》やガンダムの装甲《そうこう》はニ連射ぐらいは保ちます。が、同じ処《ところ》を狙い撃《う》ちされたら駄目《だめ》だと思って下さい」
研修は六時間は続いただろう。その間に、ガンダムとガンキャノンはペガサスに搬入《はんにゅう》され、アムロたちはランチでペガサスに戻った。
*
月の裏側という表現は地球からという意味で、ジオン公国からいえば、正面ということになる。そのソビエト山脈の南極に位置する基地グラナダから、次々と艦艇《かんてい》が発進していた。
活発な動きを示す地球連邦軍に対抗《たいこう》するために、キシリア麾下《きか》の艦隊が月周辺に展開を始めたのである。その中には、重巡を一|隻《せき》、巡洋艦三隻からなるマ・クベ攻撃中隊もあった。彼等の守備範囲はテキサス・ゾーンである。
それは、地球と月の引力の中和|空域《くういき》で、ジオンと連邦の最後の攻防戦『ルウム戦役《せんえき》』が行われた空域である。テキサス・ゾーンと呼ぶのは、最後に残ったひとつのコロニーが、テキサス・コロニーと呼ばれた観光と大牧畜業を専門のコロニーであるからだ。
直径三キロ、長さも三十二キロほどの古いコロニーは、北米西部の景色に擬《ぎ》せられた大平原と山々が造られて、牛の群れと幌馬車《ほろばしゃ》をカウ・ボーイがいたのである。宇宙の人々はそこでキャンプをし、馬にのり、ミシシッピーの河下りを楽しんだ。
ルウム戦役の時の幾度《いくど》かの空襲《くうしゅう》でも決定的な空襲から免《まぬか》れはしたものの、太陽光線をコロニーに導くミラーの開閉機構が破壊《はかい》され、ミラーは夕方の位置で固定されてしまった。空気が残っていたばかりに乾燥《かんそう》がすすみ、この八か月余りで砂漠《さばく》に近い荒野になっていた。
中の家畜はすべてジオンのサイドに没収《ぼっしゅう》させられて、何万人かの居住者は連邦に逃《のが》れるか、ジオンに降伏《こうふく》するかして、今は無人と化していた。
このテキサス・コロニーを中心にした空域にサイド5の残骸《ざんがい》が無数に残り、一つの暗礁空域《あんしょうくういき》を形成していた。これは、ルナツー近くの暗礁などとは比べものにならない。その上ミノフスキー粒子《りゅうし》が相乗効果を起こしていたので、この空域に入りこんだ艦艇を探《さが》し出すのは、至難《しなん》の技といって良かった。
それ故《ゆえ》、ジオン、連邦の双方《そうほう》は、この空域をテキサス・ゾーンと呼んで近づくのを恐《おそ》れていた。敵が見つからず、気づいた時にはやられている可能性が充分《じゅうぶん》にあるのが、この空域なのだ。
マ・クベ大佐は、キシリアの信任が厚い。軍人というより政治家|肌《はだ》の才能が、キシリアに好まれる処《ところ》なのだ。連邦を統治した時にはキシリアの懐中刀に《ふところがたな》もなろう存在であったが、今はまだ、雌伏《しふく》の時代であった。
「シャア・アズナブルな。奴《やつ》が、サイド6でフラナガンとニュータイプの実戦部隊を作るというのは……気に入らんな……あの若造《わかぞう》、なかなかの曲者《くせもの》だ……裏ではかなりまめに働いているのだな……」
マ・クベ大佐がキシリアのやり方で気に入らない点があるとすると、この一点だった。
「ガルマ一人を守り切れぬ男が、ニュータイプを率《ひき》いる能力があるかどうか……」
マ・クベは北宋《ほくそう》の白磁《はくじ》の水差しに、顔を写しながら考えてみた。
「大体、フラナガンという男が信用ならん処に、シャアだ。キシリア様も御酔狂《ごすいきょう》なことでいらっしゃる。ニュータイプ自体の存在が明確に証明されたわけでもないのに、フラナガンなどという俗物《ぞくぶつ》の言い様を信じられるとは……」
マ・クベは、シャアを再任するとキシリアが言い出す直前まで、フラナガン機関への出費を中止させる手はずをとっていたのだった。成果の上がらない研究にこれ以上投資する金があるのなら、ザクの改良型、リック・ドムの開発に回すべきなのだ。それを、エルメスやらビットやらという別種のモビルアーマーのために研究費を消耗《しょうもう》させていることは、本国の監《かん》査《さ》に対して面白《おもしろ》くなかった。
しかも、シャアがグラナダから出る時は、新鋭《しんえい》の機動|巡洋艦《じゅんようかん》ザンジバルまであたえたというのである。その上、エルメス・タイプの制式採用を決めるというのでは、マ・クベの立場などは蹂躪《じゅうりん》されたに等しかった。しかし、キシリアはいった。
『マ・クベの言うように神経質に事を考える必要はあるまいに』と笑ったものだ。
が、マ・クベにはもうひとつの心配があったのだ。それは、シャアのように才が鼻に抜《ぬ》ける男は、将来、自分の敵となるはずだと、はっきり予測できた事である。
『奴《やつ》の言葉には隙《すき》がなさすぎる』からなのだ。『ドズル中将につき、今度はキシリア様。まるで男めかけでははいか』となった。
この中傷的な《ちゅうしょうてき》言い回しをマ・クベは、あえて部下たちの口をしてひろめさせるように仕組みもした。
「奴は男めかけだ。いい尻《しり》をしている」
このシャア評は、マ・クベの思惑《おもわく》通り兵士たちの間で好まれて噂《うわさ》された。
その頃《ころ》、シャアのザンジバルは、サイド6のバルダ・ベイを出港して、『サイコミュ』を装備したエルメスとビットをテストするためにテキサス・ゾーンへ向かった。
それらをいきなり宇宙でテストする事も考えられたが、シャアは万全を期したかった。というより、ララァを急激に広い戦場で使うまでは信じていないのである。
「それ程《ほど》、便利でもあるまい」
ニュータイプの能力といっても超《ちょう》能力的に突出《とっしゅつ》したものではない。勘《かん》がいいという程度《ていど》しかないのだ。
サイコミュはその勘《かん》を電気的に増幅《ぞうふく》し、それによって拡大《かくだい》した意思そのものを発振《はっしん》し受信する一連のシステムである。これは、驚異《きょうい》的といえた。
人の思考を飛ばし、受信する。さらに、それを機械のコントロールに使えるのである。このシステムは、驚異的であった。殊《こと》に、発振《はっしん》されるものは、電磁波的な性格とは異にするものであったためにミノフスキー粒子《りゅうし》の干渉《かんしょう》をリーブしたのである。
しかし、問題もあった。
増幅し得る明確な意思波《いしは》というべきものを発する事が出来る人のタイプは、まだ不明なのである。数を試《ため》すしかないという性質のものであった。ララァの場合も、偶然《ぐうぜん》、シャアとフラナガンの目にとまったというにすぎなかった。
「……私でも使えるかもしれないな? エルメスとビットは……」
シャアは、ザンジバルのブリッジの隅《すみ》の席にチンと座《すわ》っているララァ・スンにほほえみかけた。
「…………中佐ならば、使えます。私より上手《じょうず》に」
ララァに、そのシャアの言葉は聞こえなかったはずだ。それだけの距離《きょり》があった。が、ララァは、シャアの考えをなぞって答えた。
「…………判《わか》るのか?」
シャアは眼を見張った。
「中佐の御考えは理論的ですから、想像つきます」
ララァは咽喉《のど》を鳴らすような含《ふく》み笑いをした。シャアにとって彼女のこの癖《くせ》だけが、唯《ただ》一つ気になる事だった。
「……そのうちにな」
シャアは、ララァに背を向けるとキャプテン・ルームに向かった。それを目で追って、ララァは、ふと私は不幸なのかも知れないと感じた。
なぜ……?
シャアの背中は大きく、いかにもララァ一人を受けとめてくれそうであった。現に、シャアはララァの期待に応《こた》えてくれていた。
しかし、ララァに判《わか》ってきたことがある。シャアが、時折みせる冷たさは、シャアがララァの期待するものとは全く別の目的を持っている事から出てくるものだという事である。
シャアが内に持っているものは、彼が生きてゆく上では大切なことであっても、一般的《いっぱんてき》な人生の目的とは違《ちが》う性質のようなのだ。
ララァのニュータイプの部分がシャアの深層意識域《しんそういしきいき》の中に触《ふ》れてゆく気配《けはい》を感じると、シャアは意識を遮蔽《しゃへい》した。その知覚から想像するとシャアもニュータイプに近いのだろう。とララァは分る。が、その時に触れるシャアの思惟《しい》、対象を概念的《がいねんてき》にとらえようとする精神の奥底に、ララァはシャアの暗い憎悪《ぞうお》をみるのだった。
それがシャアの言動に冷たい形となって現れて、一人いるシャアの心は、いつもその居る場所から離《はな》れていた。
「シャア中佐にとって、私は道具にすぎないのかも知れない」
そう具体的な言葉になったのはつい最近である。その思いつきは、ララァにとって恐《おそ》ろしいものだった。しかし、シャアはララァを愛していないのではない。シャアの愛は間違《まちが》いなくララァに向けられていたし、その確かさは、二人の認識の交流の中に深く存在していた。
「いいのではないのかしら? シャアの道具であっても、シャアの役に立つならば……」
それは、ララァの女としての妥協《だきょう》であった。
士官食堂と兵員食堂は区別されているが、アムロたちにとっては、昨日《きのう》までの兵員食堂の方がずっと気楽で、まだ一度も士官食堂で格好《かっこう》つけた食事などはしなかった。セルフ・サービスの窓口でパイロット用の食事を受け取ると、いつも使っている右|隅《すみ》のテーブルに先客がいた。食事が終わってミライ少尉は立ったが、もう一人の伍長《ごちょう》は立つ気配《けはい》がなかった。
「お疲《つか》れね」
「し、少尉こそ……」
すれ違《ちが》いざま、ミライ少尉は愛想《あいそ》のいい笑顔を送ってくれた。つぶらな瞳《ひとみ》というのは、ミライ少尉のためにとってあった形容だとアムロには思えた。制服の上からもふっくらとした肩《かた》の線がみえて、いかにも姉さんという人柄《ひとがら》は、兵たちの間でナンバーワンの人気があった。
「かみさんね。かみさん。二つ年上の姉《あね》さん女房《にょうぼう》なんて、こりゃいいすよ」
「賛成だな。この件については、カイさんと同意見です」
ハヤトまでがミライ少尉の事となるとこう言った。
本当は如才《じょさい》のない女性で、それでいて、ミライ少尉に殴《なぐ》られたという若い兵も多かった。手抜《てぬ》き作業を神技《かみわざ》のように見つける才能を持ち合わせているのだ。その二つの面がミライを魅力《みりょく》的な女性にしていた。
「おれはドジでないから、まだ一度もひっぱたかれていない」
あのリュウが、そう言うのだ。
「痛くなくって、気持ちいいよォ!」
アムロは、隣《となり》のテーブルに腰をかけようとして、残った伍長をどこで見た女性なのだろうかと考え、その伍長の名前を思い出して、アムロは耳まで赤くなった。
食後のコーヒーを飲みながらセイラ・マス伍長は、何かのマニュアルを読んでいた。
アムロたちパイロットは、モビルスーツの三インチ・モニターの映像の中のドジセイラしか知らないのだ。生身《なまみ》のセイラの識別などは訓練されていなかった。
セイラが通信兵としての能力不足なのは当たり前の事なのだが、誰《だれ》それをAからDブロックへ移動させろと命令されても、それをおうむ返しに伝えているだけでは、兵は動くものではなかった。
兵は、何のためにどのように移動するのか知りたがっているのだが、その時、嘘《うそ》でもいいからお世辞《せじ》のひとつでも言って、『がんばって』と言ってやれば、馬鹿《ばか》な兵隊はセイラさん好きよ、ぐらい言ってすっとんでゆくのだ。命令伝達に女性兵士が多く使われるのは、男どものこの生理を利用しての事なのだが、セイラ伍長は口が裂けてもそんな事は言わなかった。
だから、兵はセイラの伝言をきかなかったし、その結果もまずくなった。だから、ドジセイラなのだ。
アムロは、彼女は伍長で自分は少尉だという妙《みょう》な事を思いついて、これで二人の立場のバランスがとれているのだろうと思った。歳《とし》の差は、階級でカバーできると踏《ふ》んだのである。
「よ、よろしいでしょうか?」
アムロはトレイを持った格好《かっこう》で、セイラの前に立った。
「あ、少尉……」
セイラはとっさにアムロの名前を思い出せないようだ。これでまた通信兵失格。セイラはチラと食事を一瞥《いちべつ》して、なぜわざわざ来るのかという気配の表情をした。アムロはそのセイラを見下ろしながら、話しかけた自分を呪《のろ》った。動悸《どうき》は再び激しくなって、少尉らしく振《ふ》る舞《ま》おうとした意識などふきとんでいた。
「し、失礼します」
トレイをテーブルに置く時にも大きな音をたててしまったと後悔《こうかい》もする。別のテーブルに移ろうかとあらためて思うが、それもまずい。かといって、いきなり食事を口にするのは、もっとまずいと思った。
「……サイド|7《セブン》のゼラビ図書館で、よくお見かけしました」
ああ、もっと別の言い出し方があったろうにと、再び後悔の念にとらわれた。
「あむろ少尉が?」
セイラは微笑《びしょう》を崩《くず》さずに訊《き》き返した。
「は、はい。軍に入る前の二年間、サイド7にいたんです」
「……そう」
セイラの作り笑いが、真底うれしそうに輝《かがや》いた。
この人の笑顔がこんな間近に見られる! これはアムロにとって歓喜《かんき》に近かった。軍隊という処《ところ》は、人種の寄せ集めの集団である。そのために、同じ国やサイドの出身と分っただけで、旧知《きゅうち》の仲に思えたりする。同じコロニーなら、お隣《となり》さんみたいなものだった。
「ご、伍長が、図書館にいらっしゃるの、いつも……いえ、僕はたまにしか図書館に行きませんでしたから……そ、それでも、軍に入る前の十日間、一度でいいから声をかけようと思って……毎日通ったんですけど……とうとう……」
「声をかけて下さればよかったのに……。どうぞ、召《め》し上がって」
「はい」
アムロはフォークをとってスパゲッティを一口、口にしたが味が判《わか》ろうはずがなかった。
「セ、セイラ伍長が、図書館にいらしてた金髪《きんぱつ》さんだなんて……すいません。僕が勝手につけたアダ名なんです。金髪さん……」
「少尉がサイド7の方だなんて心強いわ。ブリッジには一人もいないのよ。私、割《わ》り込《こ》んで入隊したでしょ。判らない事だらけで、ミライ少尉だけが頼《たよ》りだったけど、アムロ少尉の様な天才的パイロットが同じサイド出身なんて素敵《すてき》だわ」
このセイラの言葉に、アムロは天にも昇《のぼ》る気持ちだった。
セイラは自分の饒舌さ《じょうぜつ》に自分で驚《おどろ》いていたが、モニターを通して感じていた、アムロへの同類的な親近感が溢《あふ》れてくるのを止める事ができなかったのだ。
目の前にいるしどろもどろの少年はまさに年下の可愛《かわい》い坊《ぼう》やであったが、モニターを通して感じられるアムロ少尉は別人だった。年齢を超過《ちょうか》して、ブリッジで囁《ささや》かれているニュータイプかも知れないということが、アムロ少尉ならばあり得るとセイラは思っていた。その感覚は、兄のシャアに似たものでもあった。
「ジオン様は、ニュータイプでいらっしゃいました」
セイラは、養父ジンバ・ラルからよく聞かされてもいた。
「それは、人類が宇宙に大きく飛び立つ意識の拡《ひろ》がりですな。それを持ったお方をニュータイプといわずして何と申しましょう。偉大《いだい》なお方です。アルテイシア様も、そのお父上の御子です。ニュータイプとして目覚め、いつの日かザビ家を打倒《だとう》して、人類の真の平和な世界に導かれる方にならねばなりません」
つきる処《ところ》、ジンバ・ラルは打倒ザビ家で話を終わらせるのだが、すでにセイラはアムロを通して、父以外の処でニュータイプの発生があるらしいと感じていたのだ。
そんな夢《ゆめ》物語かも知れないことがなければ、この戦争によって死んでいった人々の霊《れい》は慰《なぐさ》められまいと思う部分が、セイラによりニュータイプ出現を願望させてもいた。
「少尉は……」
セイラの言葉にアムロは、はい、と顔をあげた。
「ニュータイプという言葉、知っていて?」
つい口調が軽くなるのも、年下の少年だと分った安心がセイラにあるからだった。
「レビル将軍から聞きましたが、スーパーマンとか超能力者なんて信じられませんね」
「でも、ザビ家の人たちは、自分たちがニュータイプだと思っているらしくてよ?」
「冗談《じょうだん》じゃないです。もし、そうでしたら僕は今日にでも死にます。ギレン・ザビの演説というのを聞きましたが、あれは独善です。地球連邦の人間が奴隷《どれい》になれってことでしょう? 許《ゆる》せませんね」
その直截《ちょくせつ》なアムロの言葉に、セイラはますます嬉《うれ》しみを感じた。
「本当ね。でも、ジオン・ダイクンの伝説って読んだことあって?」
「教科書で書いてあることぐらいしか知りません。でも、ジオンっていう人は、少なくとも太陽系全域を人間の生活|圏《けん》とするためには、人間はもっと考えるべきだ。地球にしがみついていてはいけないって言ったんでしょ? そのことは判《わか》りますけど、ザビ家ってのは封建《ほうけん》的《てき》ですね?」
おやおやとセイラは笑いをかみしめた。先刻《さっき》の照れ屋さんが雄弁になっていたからだ。
「人間って権力を手に入れてゆくと、その基盤《きばん》にいる国民|一般《いっぱん》のことを忘《わす》れるんですかね。地球連邦政府だってそうです。絶対民主主義って聞こえはいいんですが、議会第一主義で三分のニ以上の賛成がなけりゃあ何もできない。そうすると、議会工作イコール政治でしょ? 国民の方に顔を向ける政治家なんて一人もいなくなるんですから、ザビ家に軟弱者呼《なんじゃくものよ》ばわりされても、やむを得ないんですよ。官僚《かんりょう》組織に振《ふ》り回される連邦の組織から脱しきれない政治形態なぞ、これも潰《つぶ》して欲《ほ》しいですね」
「じゃあ、なぜ、アムロ少尉は闘《たたか》っているの?」
「死にたくないからです。戦争って殺し合いですからね……ああ、ニュータイプのことですがね、連邦の組織を人間の手にとり戻《もど》せる人っていう意味での新しいタイプの人のことでしたら信じたいですね。ほら、人間の意識って判《わか》り合える時ってありますよね。そんな、判り合えるって部分だけがパッとつながって人類が理解し合えて、人類全体が協調してゆくっていうの。それが、ニュータイプというのなら、これは、いいです。僕だってその一員になりたいくらいです」
「ジオン・ダイクンという人は、そういう新しい認識を持ちあえる人のとこをニュータイプと言ったはずなのよ」
「へぇ?」
アムロはセイラのやや寂《さび》しげな瞳《ひとみ》を見つめた。
「よく御存知なんですか? ジオンて人を?」
「ええ……まさか」
セイラは一瞬狼狽《いっしゅんろうばい》した。アムロはそのセイラの反応を妙《みょう》だと感じた。
「ニュータイプ……でも、人間なんてそんな簡単《かんたん》に変われやしませんよ」
「そ、そうね。それに、もし、ニュータイプが現れるとしても、物事にはなんでも生まれる前の陣痛《じんつう》ってのがあるし……」
「…………!」
アムロは直感していた。
「セイラさんは……今がその時代だって、そう信じているんですね」
セイラはそのアムロの切り込《こ》んだ問いに、思わず微笑《びしょう》で反応してしまった。アムロは、そのセイラを凝視《ぎょうし》した。
そして、セイラはアムロと触れ合う中での感応《かんのう》をゆったりとはぐらかしていった。辛《つら》くなると思えたからだ。
「……信じたいわね」
真底セイラはニュータイプが存在するならば見てみたいと思う。それを知って何になるというのではないが、兄とも別れ、深い友人も持たぬセイラにとって、人への興味というものは深くなっていた。
その執着の《しゅうちゃく》中で、人間の真の形が見られるものならば、その中から、兄、キャスバルにつきつけ改心させる芽の一つも掴《つか》めるかも知れないと思うのだった。セイラの父、ジオン・ダイクンはニュータイプだとジンバ・ラルは言った。それは、人類が宇宙の民として飛翔《ひしょう》するルネッサンスなのだ。その概念《がいねん》づけが正しければ、人類はこの大戦の中において、旧世代人類の技から抜《ぬ》け出す鍵《かぎ》を発見することができるはずなのだ。
「みせて欲《ほ》しい。人の光明《こうみょう》を……!」
セイラは、アムロの澄《す》んだ瞳《ひとみ》の中にその思いを叫《さけ》んでみた。そんな辛い思いが、アムロに判《わか》るわけはなかった。ただ真摯《しんし》なセイラの目差《まなざ》しに、アムロは、女性の中には恐《おそ》ろしいものがあるものだと感じるのだった。アムロ・レイ少尉はまだ少年であった。
マ・クベ艦隊《かんたい》はテキサス・ゾーンを大きく迂回《うかい》しながらパトロールしていた。
「ザンジバルです」
兵の叫びにマ・クベは反射《はんしゃ》的に椅子《いす》を蹴《け》って立ち上がった。サイド6から出てきた事は判るが、以後の行動についてはマ・クベは知らされてはいなかった。彼の重巡洋艦《じゅうじゅんようかん》チベの右舷《うげん》ブリッジをかすめるようにして、ザンジバルの巨体が流れて行った。発光信号がきらめいた。
「なんだ?」
マ・クベには、原始的なモールス発光信号を読みとる事はできない。
「マ・クベ艦隊、永遠の御武運《ごぶうん》を祈《いの》る、です」
ウラガン中尉のおし殺したような声が答えた。
「よく言う……」
マ・クベは、ザンジバルの明るいブリッジの灯を眼で追いながら、
「赤い彗星《すいせい》とエルメスの凱旋《がいせん》を期待する。栄光を! マ・クベ、だ」
「エルメス? でありますか?」
「そうだ。最後の、栄光を! を忘《わす》れるな」
重巡チベの発光信号が、ザンジバルへマ・クベの伝言を伝えた。
「マ・クベという男、刺《とげ》がありすぎるのは良くないな」
シャアは、マリガン中尉からマ・クベの伝言を受けて眉をひそめた。もし、機会があるのならマ・クベは抹殺《まっさつ》すべき相手である。
「女の尻《しり》を追いかけている方が、似合うのだ」
そう言うシャアを、マ・クベは、男めかけと言っている。マ・クベ艦隊とザンジバルは粛《しゅく》粛《しゅく》と別れ、そして、ザンジバルがテキサスにとりついた。
一方、マ・クベ艦隊が、ワッケイン指揮《しき》下の第十三独立部隊と遭遇《そうぐう》したのは、その後、しばらくしての事であったが、ともかく、双方《そうほう》が予測していたよりもずっと早かった。
「第三戦闘ライン上! 敵艦!」
「間違《まちが》いないのだな! ここはテキサス・ゾーンなのだぞ」
「コンピューター・データが重巡チベと符合《ふごう》します。質量、型状共に岩にしては似すぎてます」
ブライト艦長の確認に、クレーンのオペレーター席からマーカー曹長《そうちょう》が怒鳴《どな》り返した。
「ハルからも第二戦闘配置の信号です!」
操舵輪《そうだりん》の前に立つミライ少尉が叫《さけ》んだ。ブライト中尉は受話器をとり艦内オールにつなぐ。
「総員! 第二戦闘配置!」
これを二度繰《く》り返す。あとは、ジアル少尉、セイラ伍長らの通信兵が各ブロックの移動、配置の確認をとっていった。
「第一デッキ、第二デッキ、ハッチ開け! 各モビルスーツ、発進、スタンバイ」
セイラの言葉の終わらないうちに、アムロ少尉から返信が入った。
「ガンダム! ビーム・ライフル装備《そうび》! カタパルト・セット終了!」
ガンキャノンのリュウとカイに比《くら》べて三十秒以上早い応答である。
「第二戦闘ラインと接触一分前! 重巡一! 巡洋艦二! ザク、推定十一機!」
マーカーが叫《さけ》ぶ。セイラは、それを各パイロットに伝える。
「倍以上じゃあねえか!」
カイの悲鳴にも似た声が上《うわ》ずった。
「セイラ伍長! カイ少尉に言っておけ! 私語《しご》は禁止だ!」
「はい!」
「四、五、六……十! 十一!」
マーカーのカウントはモビルスーツの数を数えているのだろう。ブライトは天井《てんじょう》のモニターを振《ふ》りあおいで、コンピューター・グラフィックスが創《つく》り出す敵配置モデルに見入った。
「モビルスーツ発進!」
ブライトは命令を下した。
「間違《まちが》いありません。ザクは十一機です」
セイラ伍長の最後の呼びかけが、各モビルスーツにとびこむと、無線は封鎖《ふうさ》された。
六機のパブリク突撃艇《とつげきてい》は空戦用ではないが、巡洋艦に比べれば戦闘機に近かった。ザクの進入方位に対して、六機が八型の攻撃隊形をとり、それに|GM《ジム》、ガンキャノン、ガンダムとタイプの異なる五機のモビルスーツが追従《ついじゅう》した。
先頭のパブリクが十一機のザクの編隊に、二発のリム型大型ミサイルを発射《はっしゃ》すると、身軽になった本体が編隊から離脱《りだつ》し、その時限ミサイルは、ザクの編隊と接触《せっしょく》すると思われる空《くう》域《いき》で爆発《ばくはつ》した。大昔《おおむかし》のレーダーとコンピューターの戦闘を知っている先々代の兵士が聞いたら、呆《あき》れるような仕掛《しか》けである。
閃光が二つザクの編隊を包んで見えたが、それは錯覚《さっかく》でしかない。
閃光《せんこう》が消えない間に、点々と黒い影《かげ》が現れて、五機のパブリクはリム・ミサイルの発射をやめて、小型ミサイルの弾幕《だんまく》を張った。当たったらしい。二つの大きな閃光が湧《わ》き上がり、核融合炉《かくゆうごうろ》独特の光の塊が《かたまり》、一切のスペクトルを消した白色光となって迫《せま》った。正視《せいし》モニターの自動露光調整が働いても、その閃光は眩《まぶ》しかった。
「……来る!」
アムロは、視界《しかい》の右上方から流れこむ輝《かがや》きを発見した。爆発がなければ、見落とすような角度から、一機のザクが降下《こうか》してきた。そのザクの胸元あたりに閃光が湧いた。アムロは、レバーとパワーペダルを同時に踏《ふ》んで、ザクのハイパー・バズーカの弾体を十センチ差ぐらいですり抜《ぬ》けた。
「チッ!」
ガンダムのビーム・ライフルをそのザクに向けた。シャアの赤いザクほどではないが、早い事は早かった。相対速度は二機のモビルスーツを交叉《こうさ》させ、ザクは第二弾を撃《う》つ事はできなかった。
アムロも、ガンダムを振《ふ》り向かせようとしたが、やめた。混戦《こんせん》である。
今のザクは別のターゲットを見つけるか、狙《ねら》われているかのどちらかだし、アムロも左上のモニターが不正確ながら動く目標をキャッチしてくれたので、その目標を正視モニターに捉《とら》えた。
ガンキャノンだった。アムロはスコープを外しながら、自分の移動ルートが敵の流れから外れていると感じた。
黄道《こうどう》面に対していうのなら北、つまり、上に出すぎたのだ。アムロは、自分が敵《てき》との接触《せっしょく》に怯《おび》えて、ガンダムのパワーをあげすぎたのではないかと自分を疑った。右へ大きく旋回姿《せんかいし》勢《ぜい》をとりながら、撃《う》つべき敵を探《さが》した。地球の輝きがモニターを横切った。この一瞬間《いっしゅんかん》横切る地球光《ちきゅうこう》は物の塊に《かたまり》見えて、怖《こわ》い。
『こいつは慣《な》れるのに十年かかるのじゃないか……』そう思った途端《とたん》、ザクをキャッチした。
信じられない事だが、五キロ右手にガンダムと並行して降下しているのだ。そのザクは、獲物《えもの》に真っ直ぐに突進《とっしん》して、そのバズーカの砲身《ほうしん》が照準をつけた処《ところ》だった。アムロは、九十度だけビーム・ライフルを振《ふ》り込《こ》んで引き金に触《ふ》れた。
ギャン!
コンマ何秒かの過大圧力がガンダムの機体を揺《ゆ》るがし、重金属粒子をレーザービームで束《たば》にして発射した。ビーム・ライフルとガンダムの腕《うで》のショック・アブソーバー・システムが働きはしても、多少の衝撃《しょうげき》は伝わった。その振動《しんどう》がアムロの体を包んだ時、ザクの機体は数キロ先にふきとび、ビームの残留|閃光《せんこう》が爆発を彩《いろど》った。次に襲《おそ》う閃光の渦から眼をそらしながら、アムロはガンダムの機体を百八十度回転させた。
今のザクの爆発光の照り返しを受けて、幾《いく》つかのモビルスーツの機体が眼に写ったが、ザクの姿《すがた》が以外に少ないように思えた。
「……撃ち落としたのか?」
GMのパイロットを含めて、味方のパイロットの練度がそれほど高くはない。安心は出来ない。
「…………?」
案《あん》の定《じょう》だった。ワッケイン司令が指揮《しき》する味方艦隊に数機のザクがとりついたようだった。四|隻《せき》の艦は、個々に回避《かいひ》運動を行いながら、対空砲火を四方へばらまいていた。
「舐《な》められても仕方ないが……」
アムロは、右にバズーカの閃光《せんこう》を見つけると急速度に降下し、艦隊に接近する。味方の機銃《きじゅう》とミサイルに気をつけながら、だ。
「……生きるも死ぬも、早いか遅《おそ》いかの違《ちが》いなら!……神様!」
アムロが意識して出した言葉ではない。恐《おそ》らく本人も憶《おぼ》えてはいないだろう。が、あまりにも誂《あつら》えたようにザクがいた。頭部の中隊長機のマークといわれる飾《かざ》り棒が確認できた。が、さすが中隊長機だった。接近するガンダムに守勢《しゅせい》をとりながらもバズーカを撃《う》つ仕草をした。アムロはビーム・ライフルを撃った。その直撃《ちょくげき》をみた瞬間《しゅんかん》、アムロのガンダムは爆発の火球をすり抜《ぬ》けていた。
「二っつ!」
ガンダムの機体が、ザクの爆発に大きく揺《ゆ》れ、チン、チリッ! と何かが焼けるような音がした。パイロットのヘルメットとヘッドフォンは無線用だけではなく、コクピットに伝わる生《なま》の音も再現する回路があった。アムロは、ガンダムの揺《ゆ》れに身を任《まか》せながら、コクピット内を確認した。大したことはないだろう。
脱出しなければならない損傷《そんしょう》の時は、右のパネルにコンピューターが表示してくれるし、コア・ファイターの脱出回路も作動するはずだ。もっとも、それらのパイロット救出システムが先にやられていなければの話しだが……。
しかし、この二、三秒のアムロの確認作業がガンダムを危険に陥れ《おとし》た。
「うわっ!」
三機目のザクが真下から上がってきたのだ。接触回避《せっしょくかいひ》のオート機構《センサー》が働いていなければ、ザクのヒート・ホークで片脚《かたあし》を切断されていただろう。
第一撃をかわされたザクは、左手のレーザー・バーナーを発射《はっしゃ》した。ブン! 燃えた!
ガンダムのシールドがかろうじて機体への直撃を防いだが、ヒート・ホークの第二撃が振《ふ》り下ろされた。
アムロの脳天がスパークしたのが、自分でも判《わか》った。
脳の中央に七色の閃光《せんこう》がつらぬいて、この絶対絶命の中でガンダムの頭部が真二つにされるしかないと見た。が、そのアムロの脳にきらめく七色の閃光が、無色|透明《とうめい》の暗黒に変わった瞬間《しゅんかん》、深淵《しんえん》を見た。それは、現在という刻《とき》をつき抜《ぬ》けた力、アムロをひく引力のようなものの存在である。無色透明の暗黒の存在……を見た……。
そして、なにかがリープした。
アムロの右|腕《うで》が、第二次防衛システムをオーバー・ヒートさせる素早《すばや》さで動き、事実、ガンダムの右腕は悲鳴を上げた。ビーム・ライフルの機関部がヒート・ホークを受け、一秒と何分の幾《いく》つかの間|喰《く》い止めてくれた。ヒート・ホークの刃《は》にあたる部分が赤く発光して唸《うな》った。ビーム・ライフルのレーザー発振《はっしん》部のスパークが、睨《にら》み合うザクとガンダムの間で輝い《かがや》た。戸惑《とまど》ったようにザクの単眼《モノアイ》が消えた。
「勝った!」
その叫《さけ》びが、アムロ自身の認識から発したものであるかどうかは不確かである。あのリープした何かが、存在そのものの力に導かれて勝利のルートを発見したのだ。
それは、アムロから離《はな》れた、リープした精神そのものの快哉《かいさい》かも知れなかった。ビーム・サーベルを捨てたガンダムの右手は、背中のビーム・サーベルの柄《つか》を掴《つか》み、一瞬間たじろいで消えたザクの単眼《モノアイ》が再び輝いた時、ビーム・サーベルはザクの頭から胸部へかけて、ピンクにきらめくビームの刃を斬《き》り下ろしていた。
切断されたザクはその切り口から火山のマグマが噴《ふ》き出すように、溶解《ようかい》した金属片をまき散らして上体を前傾《ぜんけい》させた。ビームの発振を消去しながらガンダムは後退した。ザクの爆発から、逃《のが》れるためだ。が、ガンダムは再度|核爆発《かくばくはつ》の中にとりこまれた。
「三つ……」
アムロはガンダムを旋回《せんかい》させて艦隊を襲《おそ》うザクへ向かった。
ビーム・ライフルがなくなった以上、ビーム・サーベルで接近戦をしかけるしかなかったが、ザクのすべてもバズーカ弾を使い果たしている頃《ころ》だ。次々と艦隊攻撃から離脱《りだつ》するザクの変針《へんしん》の瞬間《しゅんかん》、アムロはガンダムの機体をザクの懐中《ふところ》に滑《すべ》り込《こ》ませていった。四機目のザクは、ヒート・ホークを腰《こし》から外す間もなく胴切《どうぎ》りにされ、五機目のザクは、一度ヒート・ホークでビーム・サーベルの攻撃を受けたのだが、瞬時にヒート・ホークは溶解《ようかい》して、袈裟切《けさき》りにやられた。
「五つ!」
モビルスーツの戦いはそれまでであった。残る四機のザクは後退した。一機はリュウのガンキャノンが、もう一機は|GM《ジム》が倒《たお》した。そして、味方の損害は、パブリク突撃艇《とつげきてい》二|隻《せき》撃沈《げきちん》と四隻の小破。さらに、
「……嘘《うそ》でしょう?」
アムロは息をのんだ。シート・ベルトを外すのも忘《わす》れて、正面上の小型モニターを見上げていた。セイラの言い方は冷たかった。
「事実よ。ブリッジからも確認できたわ」
ペガサスに帰艦したのはガンダムとカイのガンキャノンだけであった。
ガンダムの着艦したカタパルト・デッキのハッチは、未《いま》だ帰らないリュウ・ホセイ少尉のガンキャノンを待つかのように開いたままだった。
戦場の死とは、こうも簡単《かんたん》なものなのだろうか? シアン・クランクの時もそうだった。
今、リュウ・ホセイの時もそうだ。気づいたら、いない。帰って来ない。その表現だけで、一人の人間の死が表現された。
ブリーフィング・ルームに戻《もど》ったアムロは、出撃前にリュウが座《すわ》っていた椅子《いす》を見た。五人いたパイロット候補生はもう三人だけなのだ。カイ・シデンも入ってきたが、何も言わずにアムロの肩《かた》をすくめてみせた。
「どうして、守れなかったんです! リュウさんを!」
艦に残ったハヤトは怒った。
「冗談《じょうだん》じゃあねえよ! おれはそんなにプロじゃねぇ!」
カイも負けていなかった。
「…………」
アムロはハヤトと眼を合わせただけだった。ハヤトは絶望的な表情を残して部屋を出て行こうとした。
「今度の出撃は、お前の番だぞ! アムロの代わりだって連れてきてやんなよ! アムロは五機も撃墜《げきつい》したんだ! それでも、貴様はリュウのお守《も》りをしろってのかっ!」
「分ったよ……!」
ハヤトはカイの剣幕《けんまく》に応《こた》えられるわけがなかった。口とは裏腹《うらはら》に、椅子《いす》に座りこんでしまった。
「まったくさァ!」
部屋を出て行ったのは、カイの方だった。アムロは隅《すみ》のリクライニング・シートに横になって、ベルトで体を固定した。自分でも昂奮《こうふん》がさめないのがよく判《わか》った。ひどいものだと思う。二十四時間|臨戦《りんせん》体制をとらせるのならば、交代要員がもう二人ぐらいいてもよさそうなものだ。
「ハヤト。何かあったら起こしてくれよ」
アムロはハヤトに声をかけて、精神安定|剤《ざい》を飲んだ。眠れはしないが、少しでも体を休めておく必要があった。
今の戦闘で敵は増援を送りこもうとしても、レビル将軍らの主力艦隊はサイド1の空域《くういき》のソロモンに接触《せっしょく》する頃《ころ》である。
テキサス・ゾーンにも援軍が向かっているのだろうが、それが月のグラナダから出るか、ソロモンから出るかで、レビルらの主力艦隊の動きも変わるかも知れなかった。
が、どの道、ペガサス、ハル、を中心としたこの第十三独立艦隊によって『ソロモン戦役《せんえき》』とか『グラナダの闘《たたか》い』と名づけられる大戦へのルートが開かれたのである。
アムロには、ワッケイン司令からザク五機の撃墜に対しての感状《かんじょう》が届けられた。しかし、アムロはその直後、再度出撃しなければならなかった。
グラナダから展開していた敵の艦隊の動きがキャッチされたのである。できる事なら、その前に目の前のマ・クベ艦隊を叩《たた》いて、テキサス・ゾーンで次の艦隊戦に備えなければならないのである。
しかし、ワッケインらは、目と鼻の先のテキサス・コロニーに、シャアのザンジバルがいる事は知らなかった。
PART 7
ララァ
「損害から推測《すいそく》すると、敵《てき》の戦力はかなりだな」
マ・クベは、ザクのパイロットの報告を頭の中で総合しながら言った。
「ハッ。敵のモビルスーツは十機以上は存在する事になります。しかし、一つの撃墜《げきつい》を二人の人間が別々に報告すれば実数よりふえます。しかし、大佐、連邦《れんぽう》軍のモビルスーツの性能がザクに倍するとは思えません。とすると、ザクの七機は多すぎます」
ウラガン中尉の物言いこそ多すぎるとマ・クベは思う。
「少し黙ってくれ。ウラガン」
マ・クベは唐《とう》の白大理石の観音菩薩《かんのんぼさつ》を持ってくればよかったと思いついたのだ。観賞者の魂《たましい》を包んでくれるようなあの温厚《おんこう》な顔は、彼の思索《しさく》が乱れている時に安らぎを与《あた》えてくれるのである。マ・クベは、今回の偵察《ていさつ》作戦で連邦の艦隊《かんたい》に出遭《であ》うとは思っていなかった自分のうかつさに打ちひしがれていたのだ。
「……あの木馬《もくば》だな?……モビルスーツを何機|搭載《とうさい》できると思うのだ?」
「シャア少佐の得た……」
「中佐だよ。シャアは!」
「ハッ! 中佐の得た情報から参謀本部《さんぼうほんぶ》が判断した処《ところ》では、六機から八機ということでありました」
「それだな。性能が我《わ》がザクの倍としても、パイロットは熟練者《じゅくれんしゃ》ではない。とすれば、敵艦隊のモビルスーツは八機がいいところだと思わんか? ウラガン」
「ハッ!」
「テキサスで何をやっているか知らんが、ザンジバルに出動|要請《ようせい》の使いを出せ。あの艦隊は来るぞ。第二の攻撃は、向こうが仕掛《しか》けてくる」
マ・クベの予測は当たった。
アムロは、ワッケインの感状《かんじょう》を受けた二十分後に出撃命令を受けていた。
「大丈夫? アムロ? ブライト中尉がワッケイン司令に強硬《きょうこう》に抗議《こうぎ》してたけど、ザクを発進させた艦隊の動きが掴《つか》めなくなって……」
セイラ伍長《ごちょう》が低い声で教えてくれた。
「あの中尉が?」
意外であった。ブライトはおよそパイロットの方を見ている素振《そぶ》りなどみせなかった。ブリッジから怒鳴《どな》り散らすのが自分の仕事だと心得ている節《ふし》があった。初めは、ハヤト少尉を出させようという案があったらしいが、それはそれでブライト中尉は拒否《きょひ》したらしい。それでワッケイン司令を怒《おこ》らせたのだ。
「ハヤト少尉では、なぜいけないんです? 奴《やつ》なら出ましたよ?」
「ブライト中尉は、あなたを信頼しているのよね」
セイラはこともなげに言った。
「ブリッジから見ても、岩が見えるわ、気をつけてね」
セイラはアムロを知ってからは明らかに口が軽くなった。アムロは、あの食堂での別れ際《ぎわ》のセイラの不思議《ふしぎ》な瞳《ひとみ》の色を忘《わす》れることができなかった。
「金髪《きんぱつ》さん……あの人、何かあるんだ?」
あの瞳の色は、ただ思いつめているというのとは違《ちが》っていた。そのセイラの辛《つら》さのようなものがピリッと感じられた。アムロの思いすぎではない。
「ニュータイプだったりして……」
と、一人、口の中で言いながらアムロはガンダムの装備《そうび》を確かめた。信号|弾《だん》、バズーカ、ビーム・ライフル。それにバズーカの予備弾等々。
「ガンダム、行きます!」
「気をつけて」
射出《しゃしゅつ》のGがこの時は快いものに感じられた。
「死ぬ確率が少なくなるだけ、有り難《がた》く思うんだな。ハヤト」
カイはブリーフィング・ルームのモニターでガンダムが射出される映像を見つめているハヤトに言った。
「僕は補欠ですか? 同じ少尉ですよ?」
「いつの間にか、僕たちはガンキャノン要員だ。仕方がねえじゃあなくって、これは事実だ。第一、俺《おれ》にしたってハヤトにしたってニュータイプでござんすかい?」
「まさか……?」
「だろう? アムロは違《ちが》うと思えねえか?」
「思えませんね。ぼくはニュータイプって存在自体、どういう事なのか良く判《わか》りませんし……」
「まあ、な? でもさ、凡人《ぼんじん》でございます故《ゆえ》に、後方に回ってろっていうの、いいじゃあねえか。リュウの二の舞《まい》はご免《めん》だァね」
ハヤトは何も応《こた》えずに、再びモニターを見つめた。
ガンキャノンの整備のためにメカニックマンが忙《いそが》しく動き出して、パイロットは何もすることがなかった。ハヤトはカイが静かになったので振《ふ》り返ってみた。カイは、リクライニング・シートで寝入《ねい》っていた。
パイロットは選ばれた士官である。自分を無能者だとは思いはしなかったが、同い年のアムロが過酷《かこく》な任務を全《まっと》うしているのをみると、ハヤトはかすかな自己嫌悪《じこけんお》に陥《おちい》った。
ニュータイプが、レビル将軍のいうように人類全体の脱皮《だっぴ》であるなら、超能力者とは違うだろう。人類の総体の中で認識力《にんしきりょく》の拡大《かくだい》が行われて、人類が進化してゆくのならば、それは素晴《すばら》しいことだ。人類の築いた文明を自分たちの手で破壊《はかい》して進化する歴史でなければ、戦争という悲惨《ひさん》なことはなくなるだろう。
しかし、おかしいじゃないか、とハヤトは思う。ジオンに、ニュータイプの部隊の編成プランがあるならば、レビル将軍のいうような人類の総体的脱皮ではなく、あくまでも、超能力者による殺戮《さつりく》者集団ではないのか? ニュータイプとはしょせんは異常な変種なのではないのか? たまに話題にのぼる超能力者といわれている人々で、歴史にあらわれるような業績を示した人をハヤトは聞いた事がなかった。
「異常人格者にすぎないからさ」
ハヤトはそう偏見《へんけん》する。そんなタイプに属するかも知れないアムロと自分を比較《ひかく》する事は、ハヤトにはできなかった。それがハヤトのプライドであった。
直径二キロほどの岩を注意深くすり抜《ぬ》けながら、ガンダムは艦隊の進路予定コースとトレースしていった。しかし、索敵《さくてき》をガンダム一機に任《まか》せるほどワッケイン司令は横着《おうちゃく》ではなかった。残った四機のパブリク突撃艇《とつげきてい》も上下左右に展開してガンダムを援護《えんご》した。ガンダムは五つめの岩をすりぬけて、かつてのサイドの外壁《がいへき》があっただろう一キロ余りの壁《かべ》を通りぬけようとした。
「……いるな……」
アムロはガンダムを下へ向けた。
左前方にテキサス・コロニーが遠望できた。月は、相変わらずの巨大さでアムロの視神経《ししんけい》を刺激《しげき》していた。
もし、壁の向こうに敵がいるのなら艦隊の進行する中心線に待ち伏《ぶ》せをしている事になる。
『何がいるのだ?』
そう思った途端《とたん》に、壁の一角が灼熱《しゃくねつ》して見え、ビームの束《たば》がガンダムを狙《ねら》い撃《う》ちした。猛《もう》烈《れつ》な反射《はんしゃ》神経のスピードがアムロからガンダムに伝えられた。ガンダムの機体が再び軋《きし》み悲鳴をあげた。ビームの周辺に散る粒子《りゅうし》が機体をつきぬけたように感じ、背中にジョイントされていたバズーカが、ビームの余波で外れてふきとんだ。
「なぜ、狙い撃ち出来るのだ!」
思う隙《すき》があらばこそ、ビームの斉射《せいしゃ》がガンダムを襲った! 逃げる! それだけだ。
兵士を壁に潜《ひそ》ませるぐらい、敵だってやるだろうとは思いついた。しかし、このビーム砲《ほう》の束はどうだろう! アムロはガンダムに大きく回避《かいひ》運動をとらせながら、壁の向こう側へすべりこんだ。小さな艦隊があった。
アムロの位置からだと、その敵艦隊の船底を見上げる事になった。散発的なビームとミサイルの攻撃に変わったものの、その数はすさまじかった。三|隻《せき》分なのだ。壁の向こうに、重巡一隻と二隻のムサイ・タイプがあった。初弾《しょだん》攻撃は、その三隻の主砲だったのだ。
「よくも当たらなかったものだ!」
アムロは戦慄《せんりつ》すると同時にガンダムを次の行動に移した。中央の重巡チベに対して手前のムサイが邪魔《じゃま》になって直撃はかけられない。手前のムサイに照準を合わせると、ビーム・ライフルの引き金に触《ふ》れた。三連射がムサイの片眩《かたげん》のエンジンにつき刺《さ》さった。そのムサイが爆発にまきこまれる寸前に、チベと向こう側のムサイが急速発進をした。アムロが、そこまで確認した時、背後《はいご》に潜《ひそ》んでいた二機のザクが仕掛《しか》けてきた。バズーカの連射の一つがガンダムの右|腕《うで》に当たった。
「しまった!」
アムロは、ムサイという大きな獲物《えもの》を仕とめたうぬぼれがあったのだ。その隙《すき》をつくようにして、ザクが襲《おそ》いかかってきたのだ。
「やったなァ!」
この叫《さけ》びは、アムロの増長《ぞうちょう》が言わせることだ。右腕の直撃が関節部ではなかったために、腕は動かせた。しかし、ガンダムのメイン・エンジンからビーム・ライフルへの動力系のどこかにまずいことが起こったらしい。ライフルが使えない。左手のシールドと持ち変えている暇《ひま》はなかった。追い撃《う》ちをかける攻撃をシールドで受けながら、ビーム・ライフルを後ろの腰《こし》の上のジョイントに固定して、ビーム・サーベルの柄《つか》をひきぬいた。ザク二機の間にガンダムの機体をおしこむながらビーム・サーベルを振《ふ》った。ライフルとサーベルのエネルギー系は別系統になっているのだが、それもやられていたら、南無三《なむさん》!
ビン! ビーム粒子《りゅうし》が柄の前方十メートルに放射されて刃《やいば》を形成し、それが一機のザクの左|肩口《かたぐち》にふれた。確かな手応《てごた》えだ。が、それを確認する間もなく、アムロはテキサス・コロニーに激突《げきとつ》するのを避《さ》けるために、ガンダムを操作《そうさ》しなければならなかった。最大戦速をさらに越《こ》すスピードでザクと交叉《こうさ》したのである。
コロニーのミラーを回避《かいひ》しながらアムロは初めて後方のモニターを見た。ザクは爆発したのだろう。一つの閃光《せんこう》が輝《かがや》きを失いながらあった。
『もう一機のザクは?』油断《ゆだん》はできなかった。中隊長機のマークがあったように見えた。
アムロは右|腕《うで》の損傷《そんしょう》の確認をしたかった。テキサス・コロニーの太陽に面した側(といっても、コロニーの管理省の職員もいないままに放置されたコロニーである。自転軸《じてんじく》もずれ、自転そのもの五分の一|程《ほど》遅《おそ》くなっていた)のドッキング・ベイにガンダムの機体を隠《かく》した。
「タフにできている……」
右|上腕《じょうわん》の複合三重ハニカム構造の装甲《そうこう》は四、五センチへこみ、穴《あな》もあいているらしかった。ビーム・ライフルは左手で使うしかなかった。バズーカは要《い》るなと思う。大体、ビーム・ライフルは火薬と異なって直撃しないと意味がない武器で、狙撃《そげき》しなければならないという強迫感に捉《とら》われているのは辛《つら》いことだ。一瞬《いっしゅん》の傲慢《ごうまん》が自分を危機に陥れ《おとしい》るのは、今の戦闘が良く証明していた。ムサイをやった、という快哉《かいさい》はほんの二秒か三秒だったが、その間、周囲への警戒《けいかい》を忘《わす》れ、その背後《はいご》からザクが迫《せま》ったのだ。
敵はどこにいるか判《わか》らないのだ。しかも、アムロは二機のザクのうち一機を撃《う》ちもらしたのである。どの程度《ていど》のパイロットなのか? 手だれであろう。赤い彗星《すいせい》でないにしても、二つの戦闘を通りぬけてきたパイロットだと考えるのが正しいだろう。
「シャアからは応答がないだと」
マ・クベ大佐はカッとした。マ・クベのチベともう一|隻《せき》の巡洋艦《じゅんようかん》クワメルは、連邦軍の四隻の艦隊の前にその船体を晒《さら》してしまったのだ。しかし、敵も決して大きい戦力とはいえなかった。テキサスに入港したはずのシャアの機動巡洋艦ザンジバルは、ムサイ・タイプに比《くら》べればはるかに機動力があった。テキサスからなら数分で出てこれる。敵艦隊の横をつけば四隻ぐらい撃破《げきは》することができるのだ。
双方《そうほう》のビームが岩を砕《くだ》き、致命傷《ちめいしょう》を与《あた》えんものと交錯《こうさく》した。二機のザクは果敢《かかん》にハルにとりついた。マ・クベの将兵は勇敢《ゆうかん》であった。あの白いモビルスーツがあんなに早く現れなければ、待ち伏《ぶ》せの布陣《ふじん》は連邦軍十三独立艦隊を殲滅《せんめつ》しただろう。
ガンダムへの攻撃《こうげき》が早計《そうけい》であったのだ。しかし、マ・クベはこだわりはしなかった。危機を招いたのなら、次はそれを切り抜《ぬ》ければよいのだ。それにシャアの手が借りられれば、最良といえた。ここで、彼に対して私情をはさむほど、マ・クベは割《わ》り切りの悪い男ではなかった。ムサイ・タイプの一|隻《せき》トルメスと八機のザクを撃破された帳尻《ちょうじり》を合わせなければならない。
マ・クベのチベの砲撃《ほうげき》は、敵の旗艦《きかん》マゼラン・タイプのハルに集中した。彼の二機のザクはその砲撃の中をかいくぐりながら、さらに攻撃を加えた。本来、この様な馬鹿《ばか》な戦法をとるべきではないのだが、劣勢《れっせい》を挽回《ばんかい》する手段としてはやむを得なかった。
「ザクは、ロアム大尉とゼリュロス大尉だったな?」
「は!」
ウラガンが、なぜこんな時にそんなことを訊《き》くのかという表情をする。
「二人の働きを有り難《がた》いと思うのだ。私は!」
マ・クベはウラガンに吐《は》きすてるように言った。うわっとブリッジに将兵の歓声《かんせい》が上がった。ハルのメイン・エンジンが閃光《せんこう》につつまれたのだ。
「ようし!」
マ・クベは巨大な閃光がおしよせるブリッジに仁王立《におうだ》ちになって叫《さけ》んだ。
「木馬だ! ターゲットを木馬に絞《しぼ》れ!」
しかし、チベとてビーム砲の直撃を数発うけた。ミサイルは八発。以後も二発は当たった。前部の主砲はすでに使えなかった。後部主砲をフルに使うために、マ・クベは、チベに回頭をさせた。敵に対して右艇を晒《さら》すことになるが、やめるわけにはいかなかった。
「ロアム大尉が左翼《さよく》の巡洋艦にとりついています」
「良好だ! 狙《ねら》いを外すなよ!」
チベの後方の三連主砲がビームを走らせ、敵|右翼《うよく》の巡洋艦サフランが木馬の前に突出《とっしゅつ》してきた。それは全く被害を受けていないのだろう。メガ粒子砲《りゅうしほう》のフル斉射《せいしゃ》が続いた。
「ハヤトが出ただと!」
ブライト中尉は激した。
「艦隊戦の真ん中に出てゆく奴《やつ》があるか! 戻《もど》るように言え」
セイラ伍長は無駄《むだ》を承知でハヤトのガンキャノンに呼びかけた。伝わるわけはないのだが、ブライト中尉の気分をおさめるためには、怒鳴《どな》りつづけて見せた方が良いと思ったのだ。旗《き》艦《かん》のハルが沈《しず》み、気持ちの寄るべをなくしたブライトは逆上《ぎゃくじょう》しているのだ。
「ハヤト少尉! ガンキャノン! 帰艦して下さい! ペガサスへ帰艦です!」
ビームの交錯《こうさく》する中にとび出すという事は恐《おそ》ろしいものだと思っていた。しかし、ペガサスからほんの少し外れると、あのすさまじく思えるビームも糸のきらめきに似て、直撃されるとは思えなかった。
「これだから、当てるのが難《むずか》しいのだな」
ハヤトは一人|納得《なっとく》すると、ビームを発している光源へと突進《とっしん》した。チベは半壊《はんかい》したものの未《いま》だ攻撃をやめてはいない。その後部主砲に狙《ねら》いをつけるハヤトは自分でもひどく冷静なのを知って、一人前になったのかなと自負した。引き金を引いた。両|肩《かた》のキャノンが轟然《ごうぜん》と火を噴《ふ》いた。
「三、二、一……」
口の中でカウント・ダウンをとりながらキャノンの機体を大きく左にひねり、チベの向こうに位置するムサイ・タイプの巡洋艦に狙いを移した。チベの後部主砲がバッと火球を噴いた。
「やった!」
それがマ・クベが指揮《しき》する重巡チベの最後の絶叫《ぜっきょう》であった。ハルの爆発に劣《おと》らない巨大《きょだい》な光芒《こうぼう》が戦場の岩々と、残る艦を浮《う》かびあがらせた。その輝《かがや》きの中、一|隻《せき》残ったムサイ・タイプの巡洋艦クワメルが大きく船首をゆらめかした。味方艦の爆発の中、戦場を離脱《りだつ》しようというのだ。
「させるか!」
狭《せま》いコクピット中で誰《だれ》が聞いているでもない。ハヤトは一人|叫《さけ》びクワメルの背後《はいご》へ突進を開始した。ペガサスは、『終結せよ』の発光弾が上がりそれが点滅《てんめつ》していたが、ハヤトは気づかなかった。
アムロは不思議《ふしぎ》なものを見つめていた。
それを見た時、魔法《まほう》という不思議な言葉を思い出していた。少女が、一人、立っている?
エメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》が、これほどの距離《きょり》をおいているのにもかかわらず、はっきりと見えた。それは、透明《とうめい》に輝《かがや》いて、その瞳の奥に広大な空間があった。そんな拡《ひろ》がりをアムロは視覚《しかく》していたのだ。
少女が、一人、立っている?
「だけど、見たことがある?……」
アムロは漠然《ばくぜん》とそう思い、セイラさんのあの瞳の奥にあったものと同じだと気づいた。何なんだろう? 本当に少女が立っているのだろうか?
中隊長マークをつけたザクはやはりガンダムを追って、テキサス・コロニーに港口へ接近していた。彼は、直径四百メートルほどの港口をかすめる瞬間《しゅんかん》、当てずっぽうに二発ほどバズーカを叩《たた》きこみ、その爆発がおさまりきらないうちに港口にとりついた。
アムロは、港の中央に座礁《ざしょう》した古い輸送船の脇《わき》へ後退した。そこで、潜入《せんにゅう》してくるザクの気配《けはい》を感じながら(そう、コクピットにいながら、アムロは気配を感じたのだ)ひどく突拍《とつぴょう》子《し》もない欲求《よっきゅう》にかられていた。恐《おそ》らく、散弾の弾体を残しているザクのバズーカを奪《うば》い取らなければならないと、そう欲《ほっ》したのだ。
その時だった、少女を見たのは……。
かつての港のコントロール・コアの一角ででもあろう。その監視窓《かんしまど》の三重か四重のガラス越《ご》しに、その少女はさかさまに立っていた。
廃港《はいこう》のコントロール・コアは無人で、常夜灯《じょうやとう》でさえついていると思えなかった。その暗闇《くらやみ》の中に立った少女は、その体の周囲に薄《うす》く光を漂《ただよ》わせているように見えた。アムロは、幽霊《ゆうれい》という唐突《とうとつ》な単語さえ思いついたが、その概念《がいねん》はその少女の実在するという認識《にんしき》によって打ち消された。
彼女は、いる。その強制的な思いこみがどこから発しているのかは判《わか》らなかった。彼女が放射《ほうしゃ》している思惟《しい》というか、彼女が強迫的《きょうはくてき》にアムロに対して思わせている認識力がそうさせるのか?
「誰《だれ》だ?」
アムロは絶叫《ぜっきょう》する思いで訊《き》いた。声に出したわけではない。アムロの頭の中で叫《さけ》んだのだ。
心の中……でもない。
「誰なんだ! 君は!」
アムロの問いは鋭《するど》く、悲鳴に近い形になって空《くう》を切った。
「ぼ、僕を、脅迫するのか!」
その叫びがその少女に届《とど》いたのだろうか? 少女が笑ったのが見えた。少女の額《ひたい》、その中央に透明《とうめい》な輝《かがや》きが貫《つらぬ》くように見えたのは、錯覚《さっかく》だと思いたかった。
今は、よく判《わか》る。漆黒《しっこく》の髪《かみ》を中央からわけて左右にたばねている。肌《はだ》は鮮《あざ》やかな褐色《かっしょく》である。そのためか、エメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》がますます透明に輝いて見えるのだ。
なんという着物なのだろう? ただの布の首まわりをくりぬいただけのドレスを身にまとった姿《すがた》は、アムロには、ひどく大人びた女の型を見る思いがした。しかし、年齢ははっきり認識《にんしき》していた。なぜだか知らないが判っていた。同い年! その生理的な感応《かんのう》は間違《まちが》いないと断定していた。
「わ、笑うなよ……」
その瞬間《しゅんかん》、アムロの大脳全体が拡大《かくだい》する様な感覚が走った。その拡大した知覚が影《かげ》をとらえた。ザ、ク、だ。
奴《やつ》は、ガンダムの後ろをとれた事で図に乗ったのだ。本来なら、ザクは、バズーカでとどめを刺《さ》すべきだったのを、そうしなかった。ヒート・ホークをきらめかせて、ガンダムの腰《こし》の関節を狙《ねら》ってきた。確かに、その一撃《いちげき》が決まればガンダムの動力系に致命傷《ちめいしょう》を与《あた》えることができただろうが、アムロはまたもガンダムの駆動《くどう》系を軋《きし》ませながら、オーバー・アクションを強《し》いて、かろうじてザクの一撃を避《よ》けた。ザクのヒート・ホークは、傍《かたわ》らの輸送船の残《ざん》骸《がい》をカッターナイフがボール紙をきるようにえぐりとっていた。
その隙《すき》に乗じて、アムロはガンダムの左手に持ったビーム・ライフルの銃床を《じゅうしょう》ザクの左|肩《かた》めがけ叩《たた》きつけて、輸送船の外壁《がいへき》にザクの機体をぶち込《こ》んだ。輸送船の残骸が揺《ゆ》れ、反動でザクの機体がゆらめくところをビーム・ライフルの銃身をつきつけた。ザクのコクピットのハッチだ。その向こうにはパイロットがいるはずだった。引き金の感触《かんしょく》は冷たかった。ザクを貫《つらぬ》いたビームは輸送船の船体をも貫徹《かんてつ》して、反対側のコントロール・コアに届《とど》いた。
「フッ!」
大きく息を吐《は》きだしたアムロは、その倒《たお》れたザクの機体を港口に押《お》しやった。一度デッキをこすったザクの機体は、やや方向をかえながら太陽に向かって流れていった。
アムロは、あの少女の前に、自分の倒したザクが倒れているのが厭《いや》だったのだ。
しかし、同時にその作業をしている間、アムロは少女を映しているだろうモニターの方を見ることはしなかった。今の一、二秒の戦闘の間に、あの少女は恐怖《きょうふ》していなくなっている事を恐《おそ》れたのだ。もし、そうなら、それはとり返しのつかない事である。何者か判《わか》らないが、極度にアムロの意思を捉《とら》えた少女……。何者なのだろうという興味以上に、すでに、アムロは、失われてしまったら、それはあまりにひどい事だという恐怖に近い思いこみに襲《おそ》われていた。
そして、アムロに判ったことがあった。
「……僕が、知らなければならない同類なのではないのか……?」
直感であった。ニュータイプとしての……。
しかし、まだ、アムロ自身がニュータイプであると認識《にんしき》したわけではない。ザクを押しやったアムロは、いないかも知れないという恐怖の中、キラと存在するララァの思惟《しい》を感じた。
見た。
まだ……いる……。そう、アムロには、判っていた。
ララァ、いる。
それは今や、確定した事実であった。アムロはハッチの開閉レバーを押《お》した。正面モニターが下にさがると二重のハッチもスライドした。モニター越《ご》しにララァを見るという不満が、アムロにシート・ベルトを外させ、立ち上がり、ララァを正視した。真空でなければ、ノーマルスーツのサンバイザーも外したかった。二人を隔《へだて》てるガラスも壊《こわ》したいところだった。
二人を遮るものが多すぎるからなのだろう。ララァの実体を認識しながらも、その実体はまだ視覚的には不確実にみえた。不安定といったらいいのか?
アムロは、さかさまに立つララァの瞳《ひとみ》を凝視《ぎょうし》して尋《たず》ねた。
「こ、こんな……こんな処《ところ》でなにをしているのだ? ララァ」
通話回線が開いているわけではない。しかし、あたかもララァはアムロの問いかけを聞いたかのように応じた。
ララァの両の手が頬《ほお》に舞《ま》い上がり、透明《とうめい》なエメラルド・グリーンの瞳に翳《かげ》りがさした。そして、悲しみの色が濃《こ》くなって、アムロにも、ララァの思惟《しい》がゆらりとよろめいてゆくのが判《わか》った。
ララァは怯《おび》えていた。なぜ怯えているかまでは、アムロにはさかのぼれなかった。そこまで便利ではない人の認識|域《いき》をアムロは呪《のろ》った……。しかし、アムロはララァの思惟《しい》の存在が、明瞭《めいりょう》にアムロに翔《と》んでくるのは感じていた。
「君は、なにをしていたのだ?」
アムロがその問いかけを発した時、打ちかかるような波《ウェーブ》がアムロの脳髄《のうずい》を襲《おそ》った。
知覚が、翔んだ!
その衝動《しょうどう》に、アムロの意志が揺《ゆ》らめいた一瞬間《いっしゅんかん》、ララァ・スンが滑《すべ》りこんできた。
『来るのが、遅《おそ》すぎたわ! あなた!』
それは悲痛な怒《いか》りだった。
「え?」
『私はもうシャアを愛してしまっている!』
えぐるような切り口がアムロの脳を撃《う》ち、神経を真二つにしたようだ。
ララァ!……それはなんだ? シャア……それは誰《だれ》だ? 遅すぎた? 愛した? 誰をなのだ? シャア?……スン?……君は、一体、誰なのだ?
『なぜ?……』
一度に幾《いく》つかの思惟《しい》の呼《よ》びかけがアムロを撃ち、混乱するアムロにその少女はゆるやかに言葉……思惟を積み重ねはじめた。
しかし、身をもむようなララァの悲しみは消えてはいない。
『なぜ、こんなに遅かったの? あなたが来るのが遅すぎたわ……』
『あなたがいるなんて、あたしは知らなかった!』
それらは明晰《めいせき》な思惟としてアムロの認識域《にんしきいき》に浸透《しんとう》した。
「なぜ遅すぎたと言うのだ?……ぼ、僕はあなたを知らなかった……なぜ、遅すぎた?」
『わたしは、シャアを愛してしまったのよ!』
「それが、僕とどういう関係があるの……か……?」
アムロは問いかけをやめた。
シャア!……赤い彗星《すいせい》のシャアか? シャア・アズナブル!
それらは言葉として交《か》わされたわけではない。テレパシーであろうと、断ずるしか言葉はないが、それとも異なっているようなのだ。意思が思惟《しい》を跳躍《リープ》させるのと違うのだ。思惟が交わされてゆくにつれて、意識外の認識が複合してゆく……。断片的な言葉の積み重ねにみえる交換《こうかん》が、他者の思惟を読みこんでゆくのである。ただの伝達ではなかった……。思惟の|織り込み《ウイーヴイング》……。
つまり、アムロは、その少女、ララァ・スンの悲しみが判《わか》った。
『あなたが遅《おそ》すぎた。わたしは、待っていた人があなただったと、今、判ったのよ。でも、これでは遅いのよ……』
『僕はアムロ・レイ……連邦の人間だ。それを、こんなテキサス・コロニーにいるあなたが待つ……? なぜ?……そうか、君は……共感できる意思を持っていたのか……?』
『そう、それは……新しい人だったのに……それが、中佐ではなく、あなただったなんて……それは、残酷《ざんこく》な事よ……』
『……真のニュータイプならば……そんな間違《まちが》い犯《おか》さなかった……』
そのアムロの思惟《しい》は、ララァにはさらに残酷《ざんこく》だった。
『ひどい人……なんで呼《よ》んで下さらなかったの?』
『ああ……!』
そこでアムロは、自分の脆弱《ぜいじゃく》さを正鵠《せいこく》に認識した。
『僕はニュータイプじゃないから……だから……』
胸の奥にひそやかに慟哭《どうこく》が走った。
『……そ、そうね……私たちは、不完全などうるい……』
『そうかもしれない……なら、こんな僕らに何が出来るのだ? ララァ・スン……敵《かたき》同士の二人に……』
『やり方は知らないわ……けれど、私はモビルアーマーのパイロット。ニュータイプの実戦部隊の第一番目のパイロット。こんなことが、わたしたちニュータイプに与《あた》えられた使命などとは、信じてはいないわ……それは、今あなたに会って判《わか》ったのよ……けれど、わたしは……』
『そうか!』
アムロは洞察《どうさつ》した。
ニュータイプはあり得るのだ。アムロが、いみじくもセイラに語ったような思惟《しい》の伝達の判り合い、数百数千、数百万の認識《にんしき》が重なり合いながら人類が偏見《へんけん》のない叡知《えいち》を掴《つか》むことができるかも知れないと想像する。
でなければ、今、こうして二人の交《か》わす思惟の流れは説明できない。
『そうありたいものだ!』
アムロの冷静な思惟がララァに翔《と》んだ時、ララァは絶望した。
ニュータイプ故《ゆえ》に持つ洞察力が自分の運命を見たのかも知れなかった。アムロはそう感知した。
『でも……それは辛《つら》いわ! アムロ! 受け止めて! 私を!』
『え……』
エメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》。闇《やみ》に溶《と》けこむような褐色の《かっしょく》肌《はだ》。黒く豊かな髪《かみ》をもつしなやかな四肢《しし》。そんなララァが、ゆらめいて二人を隔《へだて》る壁《かべ》を突破《とっぱ》しようとした。そして、少年のアムロは、その唐突《とうとつ》な変化に一瞬《いっしゅん》戸惑《とまど》った。
その時、ララァの背後《はいご》のドアが開き、光の渦《うず》とともに一人の男の影《かげ》が走った。
ザ、ザッザッザア――! 雑音に似た異音が二人の思惟《しい》の交流の中に分け入って、強打を振《ふ》るった。知覚がスパークして、断片的な遮断《しゃだん》ではあるが三番目の思惟が『憎悪《ぞうお》』という形で重なった。
言葉は……ない。異音。ささくれだったノイズ。
男はジオンの士官。白銀に輝《かがや》くヘルメットとマスク。赤い軍服の背には舞《ま》う鳥に似たマントを羽織《はお》った男。シャア・アズナブル中佐。もしくはキャスバル・レム・ダイクン!
「赤い彗星《すいせい》!」と、アムロ。
「ララァ退《さが》れっ!」と、シャア。
「ち、中佐……」ララァは息をのんだ。
それらの現実的な言葉が、各々《おのおの》の認識域《にんしきいき》の中で混濁《こんだく》を生み、哺乳類《ほにゅうるい》の持つ直截《ちょくせつ》な闘争《とうそう》本能に転化した。
シャアは窓越《まどこ》しにガンダムのハッチから身をのりだす連邦軍の若いパイロットをみとめ、ララァはその狼狽《ろうばい》を隠《かく》すことを忘《わす》れてシャアをみた。ララァは、再び人間として一番|卑俗《ひぞく》でありながら、異性として好感を持てる男の可愛《かわい》さをシャアの中に発見して、嬉《うれ》しく思った。
が、今はそれは絶望的に悲しいことでもあると判《わか》っていた。
アムロは、そのもつれあう二人の姿を悲しく見つめ、若さ故《ゆえ》に知らない男と女の世界の中で身悶《みもだ》えするララァを見た。
「遅《おそ》すぎたのかっ……!」
赤い軍服の士官はララァを抱《だ》くようにして開かれたドアの向こうへと泳いだ。素早《すばや》く閉じられたドアが再びそこを無人のコントロール・コアとした。
アムロは危険を感じた。
ララァとの接触《せっしょく》を要求する本能と同時に、アムロはララァの中にシャアを愛する肉の業《ごう》もみたのだ。これは、揺《ゆ》るがせに出来ない現実なのだ。
ビーム・ライフルのエネルギー・ゲインが落ちていた。アムロは、ガンダムのハッチを閉じると、ザクの残していったバズーカを拾った。まだ三発の弾体が残っていた。
『脱出するべきだ!』それは、自分でもまだ判らない衝動《しょうどう》であったが、アムロの第六感ともいうべき新たな感覚《センサー》が洞察力《どうさつりょく》を持つ方向に拡大《かくだい》している証拠《しょうこ》でもあった。
ガンダムは港口に出て、ペガサスと二|隻《せき》の巡洋艦《じゅんようかん》をキャッチした。ガンキャノンの型さえ識別できる距離《きょり》になって、アムロは、哺乳類《ほにゅうるい》の持つ本能的な欲望《よくぼう》が首をもたげるのを抑《おさ》えることができなかった。
「ララァ・スン……」
その身体をじかに見、触《さわ》ってみたかった。そして……。しかし、アムロは、テキサスに巨《きょ》大《だい》な敵が潜《ひそ》んでいるという情報は聞いてはいない。
「ララァ……」
先刻のあの感応《かんのう》はすでになかった。
他人と、しかも女性と同体《どうたい》の感応があったという実感は、性欲の充足《じゅうそく》であろう。しかし、そうではないことも判《わか》っていた。思惟《しい》そのものの重なり合いは巨大な欲望の衝撃《しょうげき》に火をつけたのだ。若いアムロはその衝撃を抑《おさ》えるすべを知らなかった。
ガンダムは踵《きびす》を返して、港口の奥のハッチを次々に開いてはくぐりぬけて、テキサス・コロニーに入った。
港から直結する開口部から、その大地は全く見ることができなかった。太陽光をとり入れるミラーの自動調節機構が破壊《はかい》されて、この数か月間というもの、薄暮《はくぼ》か明け方かの時間に固定されたまま、コロニーの中は暴風に近い気象になっていたからだ。砂塵《さじん》が渦《うず》となってコロニーの中心|軸《じく》に吹き上がり、褐色《かっしょく》の竜巻《たつまき》現象を起こしていた。
港口に立ったガンダムのモニターを通して、アムロはその横い渦巻く竜巻を見つめていた。
ララァが周囲三百六十度に展開する大地のどの方向に行ったのか、感知しようと試みた。
目を閉じて精神を集中する真似事《まねごと》をしてみたが、思いついてできる事ではなかった。
「あの距離《きょり》だったから呼《よ》び合えたのだ」
そう思う。では、アムロはどうするのだ? と自問してみる。
ズッアン! 重くはじけるバズーカを回避《かいひ》しながら、ガンダムはその弾体の来た方向へ跳《ちょう》躍《やく》した。
現在の位置からすれば、右上という事になるが、対地高度五百メートルほどで、褐色の竜巻雲を抜けた。かなりの風が吹いてはいたが完全な温室効果が発揮《はっき》されるわけではなかった。コロニーの外壁《がいへき》部の冷却《れいきゃく》効果もあって、灼熱地獄《しゃくねつじごく》という程《ほど》ではなかった。
ガンダムは、そのテキサス・コロニーの一角へ急降下《きゅうこうか》した。アムロにとって初めて見る壮《そう》大《だい》な景色だった。物心がつくまで地球で暮らしたものの、コロニーの建築技師であった父に連れられて宇宙に出て以来、アムロは地球に下りた事は三度しかないのだ。その三度とも母の故郷《こきょう》のなだらかな山々と温帯地方のゆるやかな気候しか知らず、テキサスのような荒々しい光景は知らなかった。
人為《じんい》的に創《つく》られた大自然というものは、視覚《しかく》効果を考慮《こうりょ》されて造られていたために、どこか整然としていた。U字型の氷食谷《ひょうしょくだに》まで創られた渓谷《けいこく》は蛇行《だこう》する河を従え《したが》、その麓《ふもと》の針葉樹林《しんようじゅりん》帯はかつての景観を想像させるのに充分《じゅうぶん》であった。
なだらかに続く平原も砂漠《さばく》化しているものの、大規模な牧畜業が営まれたコロニーであった。地球の北米大陸でみられたという数百頭の牛の群れをカウボーイが追った光景さえ、ここの牧畜業者は観光客に演じてみせた。観光客たちは、焚火《たきび》の煙《けむり》をインデアンの狼煙《のろし》だといっては喜び、太陽光線をとり入れる『河』にかけられた、自然岩を擬《ぎ》した巨大橋を幌《ほろ》馬車で渡《わた》りながら、中世の人類はこのように苦難の旅を続けたものだろうと納得《なっとく》したものである。
ガンダムの機体が厚い褐色《かっしょく》の竜巻《たつまき》雲から抜《ぬ》け、アムロが強風を通して展開する景色に目を奪《うば》われた一瞬《いっしゅん》、第二撃がきた。
港口に立った時の第一撃もそうだったが、アムロは額の中央に錐《きり》のような冷たい光を感じていた。そして、それは三百六十度に開放された知覚の一角の方向性を示して感知するのである。そして、第二撃も避《さ》けた。
「どこからだ?」
アムロは舌打ちをして眼を走らせた。それはやや傲慢《ごうまん》に近い感覚かも知れなかったが、まちがいなく敵……シャア・アズナブルという赤い彗星《すいせい》に対して、自分が優位であることを感じていた。
「どこだ!」
開放されながらある知覚は、時折、混濁《こんだく》の中にまぎれて、遠いターゲットを知るほどのものではないのが口惜《くや》しかった。
シャアは、ガンダムが侵入《しんにゅう》した反対側の港に停泊《ていはく》させてあるザンジバルへララァを後退させた。フラナガン博士らのチームは、モビルアーマー『エルメス』とそのサイコミュからの発振《はっしん》される意思を受けて攻撃《こうげき》兵器となる『ビット』のテストを行っていた。『ビット』はビーム砲《ほう》なり爆雷《ばくらい》なりが搭載《とうさい》されて、エルメスのパイロットの意思に従って移動、攻撃する。ララァは『エルメス』に座《すわ》って、『エルメス』に搭載されたビーム砲は使わずに、十基の『ビット』のビーム砲を同時に八基まで移動させてテスト・ターゲットを破壊《はかい》する成果をあげていた。
そのテスト終了後《しゅうりょうご》、ザンジバルへ戻《もど》る途中《とちゅう》で、一人港に上がってアムロと会ったのである。
フラナガンのチームは、発進するトレーラーにララァをおしこみ、シャアは敵のモビルスーツ、ガンダムの迎撃《げいげき》に走った。
そのシャアはすでに絶望に近い思いに捉《とら》われていた。
「連邦のパイロットの中に、ニュータイプがいたか……」
初めてあの白いモビルスーツと出会った時の予感が的中したのである。
シャアもその素養があるとみてよかった。大地という絶対的保守の認識《にんしき》にこだわる旧世代人に洞察《どうさつ》できる認識ではない同類への識別力があった。
人は、進化を始めているのだ。それが、この戦時下でどのように胎動《たいどう》を初め、どのような陣痛《じんつう》となって現れるか知らないだけなのだ。
「あの白いモビルスーツを操《あやつ》る男は、ニュータイプだ。ララァほどでないにしても……でなければ、私の狙《ねら》いをこうも外せるわけがない」
シャアは、そう信じなければ赤い彗星《すいせい》の異名《いみょう》をとった自分の経歴に対して唾《つば》する以外ない。あれは、連邦のヒヨッコ兵士が恐怖《きょうふ》のあまりつけてくれた綽名《あだな》だと笑わなければならなくなる。
「冗談《じょうだん》ではない!」
シャアは、針葉樹林帯を抜けながら後方、左右とモニターに敵を探《さが》した。
「…………!」
敵のモビルスーツは第二撃を交わしたあと、急角度に降下して人造の大地に激突するのではないかと見えたが、こちらの動きを予測しているかもしれない。
渓谷《けいこく》の影《かげ》からか? 河の中からか? 林の中からか? どこからとび出してくるのだ?
「ララァのテストのために、ミノフスキー粒子《りゅうし》を播《ま》きすぎたか?」
レーダーのモニターは一層ひどい走査線《そうさせん》の乱れを映すだけだった。
PART 8
はじまり
ブライト中尉《ちゅうい》は、シスコとサフランの二|隻《せき》の巡洋艦《じゅんようかん》をテキサス・コロニーの港外に待機させて、ペガサス一隻だけでコロニーに侵入《しんにゅう》させた。四重のエア・ロックはすべて作動したが、第二、第三ハッチは開いたままとした。コロニー内に通じる最後のハッチが開いてゆく。コロニー内の薄暮《はくぼ》の色と砂塵《さじん》がペガサスをつつんだ。
「伍長《ごちょう》! ガンダムからの信号はキャッチできないのか?」
「……は、はい。ミノフスキー粒子《りゅうし》が異常に濃《こ》くて……」
セイラは蒼《あお》ざめた表情をブライト中尉に向けて、立ち上がった。
「交代を……」
ブライトはそのセイラの表情をみて、まさか仮病《けびょう》を使っているとは思えなかった。
「バンマス軍曹! 替《か》わってやれ。ガンキャノン! ハヤトに替わってカイ少尉! ガンダムの捜索に出ろ! ハヤト少尉は後でブリッジに上がれ」
「停泊《ていはく》したままですか?」
ミライ少尉が舵輪《だりん》を握《にぎ》ったまま訊《き》いた。
「ここにいるのは危険だと思います。反対の港の様子が判《わか》らないのは危険です」
「そうだな……。そうか……?」
ブライトは、ミライの言い方に思わず同調してしまった。
「発進します!」
「……少尉?」
ブライト中尉は、艦《かん》を発進させるための挙動《きょどう》をとるミライ少尉を不思議《ふしぎ》なものを見るように眺《なが》め、制止するのを忘れた。もし、敵が反対の港にいるのならば、彼我《ひが》は一直線上にいると考えなければならない。狙《ねら》わず射《う》っても直撃《ちょくげき》は充分《じゅうぶん》にあり得るのだ。
「やってみるか?」
「価値はあります」
ブライト中尉の主語のない問いかけに、ミライ少尉は反射《はんしゃ》的に答えていた。
「前部! 六式ミサイル一連射!……用意! テェー!」
港のコアから前進して降下《こうか》し始めたペガサスは、十二発のミサイルを三秒|間隔《かんかく》で発射した。
反対の港のコアも直径二百メートルはあった。間違《まちが》いなく直撃はしているはずだった。炸裂《さくれつ》音がコロニーの大気を揺《ゆ》るがした。
ミライとブライトが予測した通り、直撃を受けた反対の港コアにはザンジバルが停泊《ていはく》していたが、幸いな事に、二重のハッチを間において位置していたザンジバルは直撃を免れ《まぬが》た。が、もう一連射を受けたらザンジバルは無事ではなかった。ザンジバルの艦長ブアマンは、手持ちの四機のザクをコロニーに発進させると同時に、ザンジバルをコロニーに突入《とつにゅう》させる決意をした。先刻、マ・クベ艦隊と接触《せっしょく》を持った連邦軍の残存艦隊であれば、四機のザクで叩《たた》けると踏《ふ》んだのだ。
「マ・クベは艦隊戦の素人《しろうと》だ。こちらは新鋭《しんえい》の機動巡洋艦ザンジバルであるし、第一……」
四機のザクのパイロットは、実戦の手だれである。まして、シャアの赤い彗星《すいせい》は健在である。最悪の場合でも、あの性能不明な『エルメス』と『ビット』も戦車よりはましに使えるだろうと計算したのである。
セイラはひどい頭痛を抑《おさ》えようと、拳《こぶし》で頭を叩《たた》きながらも走った。行かなければ間に合わないかもしてない、という強迫《きょうはく》観念が彼女を走らせていた。
「頭痛持ちじゃないのに……!」
あまりの痛さに吐《は》き気さえした。ペガサスが揺《ゆ》れて、セイラは一度転がった。
「ああ……」
ペガサスが着底したのか、それとも敵《てき》の攻撃《こうげき》を受けたのか? セイラは、ぼんやりと考えながらもまた走り出した。この時以外、キャスバル兄さんに会う機会はない、という衝動《しょうどう》は強くなるばかりだった。エア・ロックに入り、ノーマルスーツを着た。それに続く格納《かくのう》庫に、車があるはずだった。
「ペガサスが着底していてくれなければ、困《こま》る……」
頭痛のする頭でそんな事を思いながらも、二度しか試着訓練をうけていないセイラには、一人でノーマルスーツを着るのは難《むずか》しかった。セイラは、自分の運動神経と物|憶《おぼ》えの悪さに腹をたてながらも、ノーマルスーツの手袋《てぶくろ》で顔を拭《ふ》いて、脂汗《あぶらあせ》がはりついている額の《ひたい》髪《かみ》の毛をあげた。
ペガサスは高度を五メートルぐらいにとって前進していたが、セイラは構わずバギーを発車させて、落下した車体は砂を噛《か》んで大きく跳《は》ねあがった。もし、ノーマルスーツを着ていなければ、ショックがモロに身体《からだ》にかかって失神していただろう。空気はあっても砂塵《さじん》よけにヘルメットのサンバイザーを下ろした。進行方向は判《わか》っていた。
シャアは、自分に危険が迫《せま》っているのは感じていた。背筋に寒気《さむけ》が這《は》いあがっていた。恐《おそ》らく右手の針葉樹林《しんようじゅりん》の中から白い奴《やつ》は飛び出してこよう。しかし、それを撃破《げきは》できる自信はなかった。シャアは冷静なのである。自分の実力を知っていた。敵を呑《の》む時は呑むのだが、そうでない時は、極めて用心深かった。そのためには、逃《に》げる事に自尊心を傷《きず》つけられる事はないのだ。
逃げた相手でも、将来、それを殲滅《せんめつ》する方法を講《こう》じる手だてを考えつく自信があったからだ。しかし、今日の相手は違《ちが》った。自分を逃《のが》しはしないだろうと判っていた。白い奴は強敵になっていたのだ。その時だった。ザンジバルの停泊《ていはく》する港に爆発《ばくはつ》が起こった。
「…………」
敵艦が侵入《しんにゅう》してきたとは思いたくはなかったが、あの爆発の規模はモビルスーツが装備《そうび》しているミサイルの量を越《こ》えていると感じた。
「……第一、奴があんな無駄《むだ》な攻撃をするものか」
シャアは断定した。ザンジバルの存在を知っていたとしても、自分という強敵が目の前にいるとは知っている白い奴のパイロットが、他のものに目を向けるとは考えられなかった。
「奴は、賢明《けんめい》だ」
本物の獅子《しし》であれば一匹の兎《うさぎ》を討《う》つためにも全力を尽《つ》くす。それが強者《きょうしゃ》なのだ。
「まして、ニュータイプであればな」
その自分の洞察力《どうさつりょく》をシャアは信じるのだ。
「トレーラーを停《と》めて下さい! 博士!」
ララァは、港に大爆発が起こった時、フラナガンにとりすがった。
「猶予《ゆうよ》できる時ではありません。エルメスで出ます」
「エ、エルメスは完全ではない。それは承知だろう!」
「敵は、今の私たちにとって大きすぎます。一機のモビルアーマーも無駄にできません。このままなら、ザンジバルも沈《しず》みます」
最後のララァの言葉はフラナガンにとって威嚇《いかく》となった。ザンジバルが沈みでもしてテキサスにとり残される様な事態は、彼に容認《ようにん》できることではなかった。
「や、やみを得ませんな。テストでサイコミュの調節はしてありますから……」
フラナガンは科学者らしくとりつくろう事を忘《わす》れなかった。
「ノーマルスーツに着替《きが》えを……」
ララァはそれには応《こた》えずに、トレーラーの運転席からとび降《お》りて、私服のままエルメスのコクピットに収まった。
エルメス。二門のメガ粒子砲《りゅうしほう》を装備《そうび》したその機体は、正面からみると三《み》つ又《また》の銛《もり》のような形をして、中央と左右上方につき出した触覚《しょっかく》状のものがあった。それが、サイコミュを通して拡大《かくだい》されたララァの意思を発振《はっしん》するアンテナの機能を果たした。横からのシルエットはオウムの一種であるコバタンの頭部に似ていないでもないが、それが機体に吊《つ》り合わない強力なエンジンを搭載《とうさい》して、ララァの意思そのものによって操《あやつ》られるのである。
しかもサイコミュを通してリモート・コントロールされる超《ちょう》小型の飛翔体《ひしょうたい》『ビット』十数基は、爆雷《ばくらい》を抱《だ》いてエルメスに従うのである。
四機のザクが低空をかすめて、連邦軍の艦隊が侵入《しんにゅう》したと思われる港に向かってジャンプしていった。アムロは、この四機のザクをやりすごした。
「シャアなら、こちらがザクを攻撃した途端《とたん》に襲《おそ》いかかってくる」
林の中に身を低くしたガンダムの中のアムロは、ザラッとした感覚が、頭の中に開かれたある方向に触《さわ》っているのを感知していた。アムロはその感覚に賭《か》けた。四機のザクがすぎて一呼吸を置くと、ガンダムはランドセルのパワーを一挙にあげてジャンプした。
アムロの視界《しかい》がひらけて、河の向こうに背中を向けようとした赤いザクを見た。アムロの賭けが当たった。砂塵《さじん》が邪魔《じゃま》をした。
「……遅い!」
ガンダムのビーム・ライフルのビームは真一文字に赤い彗星《すいせい》を襲《おそ》った。地面を焼いた粒子《りゅうし》のビームは、光の塊《かたまり》となってふくれあがった。が、アムロは驚きの声をあげた。
「避《よ》けたのか?」
まさに赤い彗星のごとくシャアのザクは虚空《こくう》に舞《ま》っていたのだ。しかし、赤いザクの右|脚《あし》が膝《ひざ》から下がなくなっていた。
アムロはあらためて戦慄《せんりつ》をおぼえた。自分の意思は開かれつつあるのに、その自分のしかけた攻撃をシャアは回避《かいひ》したのだ。
「シ、シャアもニュータイプなのか?」
レビル将軍の言った通りかも知れない。
舞い上がった赤い彗星が機体にひねりを加えたのを、アムロは見逃《みのが》した。アムロはバズーカの弾体を見て、シールドを向けるのが精一杯《せいいっぱい》だった。ズコーン! シールドが噴《ふ》きとばされてガンダムの機体がよろめいた。
「うわっ!」
極度のGが加わる中、アムロは眼を閉じなかった。頭部のバルカン砲《ほう》の一連射で牽制《けんせい》をかけながら、パワーをあげていった。シャアの上に出なければならないのだ。攻撃とはまず威《い》嚇《かく》である。どのような無重力帯にいようと相手の視覚上の上に出るようにするのだ。
が、アムロが意思するほどガンダムにはパワーがない。ザクと比べれば絶対的であっても、アムロの意思に比《くら》べれば非力である。
「駄目《だめ》だ!」
アムロはガンダムに絶望しはじめた。それは、シャアも同じなのだが、そこまで想像できない。
「クッ! パワーが違《ちが》いすぎる」
シャアはビームの爆発《ばくはつ》にのってザクを上昇さ《じょうしょう》せたのである。通常の上昇力に比べれば四倍を越《こ》える速度であったがシャアは絶望していた。敵の白い奴はそのザクでさえ追い抜《ぬ》くほどの上昇力を示して第二撃を加え、ザクの左|肩《かた》のシールドを噴きとばしてくれた。
エア・バックとシート・ベルトがなければ脊髄《せきずい》を痛めていただろう。竜巻《たつまき》が二機の機体を隠《かく》すと二機は共に回避《かいひ》運動をとった。
「あと二発か?」
シャアは残弾を気にした。ザクもビーム・ライフルが使えればと切歯扼腕《せっしやくわん》する。
「だから、こんなことになるのよ。だからこんなこと!」
セイラはハンドルを握《にぎ》りしめてつぶやいた。
父の仇《かたき》を討《う》つ前に、こんな、どことも知れない戦略的に価値のない処で《ところ》死んでいって何になるというのか? その前に、兄の気持ちをひるがえせなかったものか、サイド7で出会った時になぜもっと強くひきとめなかったのか口惜《くや》しくなる。
「父さんは、こんなことを望みはしなかったわ」
それはセイラにもシャアにも判《わか》りはしなかった。しかし、父の理想とした世界観の中に仇討ち話が正当に存在するとは思えなかった。
「なぜもっと世界をみないの? 兄さん」
きらめく閃光《せんこう》を目標にセイラはさらにバギーのアクセルを踏《ふ》み込《こ》んだ。
ペガサスが四機のザクに攻撃を受けた時、カイ少尉はガンキャノンを反転させざるを得なかった。ガンダムの生死が不明であっても、今となれば、その結論は出ているだろう。となれば、守るべき価値のあるペガサスの防戦に加わる方が賢明《けんめい》だと判断したのだ。
しかし、ザクの四人のパイロットにしてもカイにしても、たかが直径三キロの円筒《えんとう》の中で闘《たたか》うには、凡人《ぼんじん》でありすぎた。彼等の方が当たり前なのである。アムロやシャアとは比べようがない。
砂塵《さじん》が視界を殺しているコロニー内は、宇宙の戦闘に慣《な》れたパイロットたちにとっては、地上の重力下での白兵戦《はくへいせん》と同じで、地面をザクでウロウロしてペガサスの心臓部に滑《すべ》り込むわけにはいかなかった。
それはペガサスも同じで、お互《たが》いの銃弾《じゅうだん》とミサイルはいたずらにコロニーの人工の大地を破壊《はかい》してゆくだけだった。まして、ペガサスが強襲さ《きょうしゅう》れていると知った港外の艦艇《かんてい》から発進した三機のパブリク突撃艇《とつげきてい》のうち、二機のパブリク突撃艇は砂塵の中で地面に激突して終わった。さらに一機の|GM《ジム》はコロニーに侵入《しんにゅう》した出会い頭に《がしら》ザクとぶつかり合って、共にコロニーの砂塵の中に消えていった。
そんな状況の中でカイ少尉は、ザクの発射するバズーカの発射光を目撃して、二百メートルを跳躍《ちょうやく》して、ペガサスに第二弾を加えようとするザクの背後に回りこんだのだ。無論、砂《さ》塵《じん》がなければ探知されていたタイミングだったが、カイはそんな事は無視した。
「視界の効《き》かないのは、俺《おれ》も奴等《やつら》も同じだ」
その判断による強攻|策《さく》は成功をして、二発のキャノンの弾《たま》を受けたザクは上半身をふきとばして果てた。エンジンの爆発を免《まぬが》れたのは軌跡《きせき》だった。その上空五百メートルにはペガサスの艦隊が移動をしていたので、もし、ザクの核融合《かくゆうごう》エンジンが爆発していたら、ペガサスもまた致命傷《ちめいしょう》を受けていただろう。
カイ少尉の判断が甘《あま》かったのだが、結果は良かったのだ。カイは次の獲物《えもの》を探《さが》した。
不幸であったのはザンジバルの艦長ブアマンである。二十数キロ先のペガサスの攻防戦の閃光《せんこう》を監視《かんし》していた彼は、一瞬《いっしゅん》、砂塵の間にペガサスを捉《とら》え、四門の前部メガ粒子砲《りゅうしほう》を斉射《せいしゃ》させた。
それでペガサスは前部デッキの左右に直撃をうけて大きく揺《ゆ》らいだ。ブアマンのミスは、この後、もう二連射を加えるべきであったのだが、彼は次の視界が得られるのを待とうと思い留《とど》まったことである。
逆に、ザンジバルのビームの射線《しゃせん》からターゲットを知ったブライト中尉は、生きているメガ粒子砲の連射を命じた。ペガサスの左右|舷側《げんそく》のメガ粒子砲と前部デッキの通常火薬主砲は、ザンジバルが存在するであろう三キロ余りの円をターゲットにして連射した。老練《ろうれん》さがもつ慎重《しんちょう》さと若さの差であろう。ペガサスの二条のビームと主砲とミサイルが三発ずつザンジバルを直撃した。
両艦とも逃《に》げられる空間などありはしない。あるとすれば、お互《たが》いが開けているコロニー外壁《がいへき》の穴《あな》ぐらいであるが、それらはまだ艦艇《かんてい》がすり抜《ぬ》けられるほど大きくなってはいなかった。
エルメスのララァはザンジバルが火を噴《ふ》いたのを悟《さと》り、同時にシャア中佐が危機に陥《おちい》った事も知覚した。なぜそうなったのかは想像はつかなかったが、ガンダムがシャアのザクの懐《ふと》中《ころ》にとびこんだらしいと想像できた。
ララァの知覚の中に二つの意思が混然となって入りこんでいた。そして、あの少年の思惟《しい》が直截《ちょくせつ》に白い閃光《せんこう》となって、シャアの思惟を破壊《はかい》してゆくように感じて、ララァはひどく動《どう》揺《よう》した。
『あの少年こそ、ニュータイプかも知れない』という初対面の悲しい驚き《おどろ》をあらためて思い起こした。ララァは、エルメスのコクピットから抜け出したい衝撃《しょうげき》に駆《か》られた。
「生まれてくるのが早すぎたのだ。あの少年、ア、ム、ロ、が遅《おそ》すぎたのではない。私が、早すぎたのだ」
その裏腹《うらはら》の思いは、すでにララァにとって遅すぎた絶望なのだ。ララァのサイコミュに直結された思惟は、動揺したままではビットを作動させないだろう。しかし、エルメスに乗っているララァはすでに兵器の一部であった。
なぜならば、連邦のパブリク突撃艇の一機が砂塵《さじん》の中をエルメスに接近し、四本のミサイルが尾《お》を曳《ひ》いた時、
「…………!」
ララァは素早《すはや》く回避《かいひ》運動をとりながらも、四本のミサイルに意志を集中した。その強度の認知力《にんちりょく》は潜在《せんざい》する自衛本能を揺《ゆ》り動かして、深層意志の洞察力《どうさつりょく》を刺激《しげき》した。その刺激域《いき》から発振《はっしん》された精神波はサイコミュに受信され、増幅《ぞうふく》され、エルメスに搭載《とうさい》されたビットに受信されて、ビットは稼動《かどう》した。
脳波は電気信号である。フラナガンはそれをコンピューターによってパルス化し増幅するシステムを開発した。が、人の意思は、脳波の電気信号だけで構成されているものでない事をフラナガンは、超能力者の研究を通して発見した。生体そのものが持つ波があり、そのひとつである精神波《サイコウエーブ》を脳波増幅システムにドッキングさせる事に成功したのである。それを可能にしたのはバイオ・コンピューターの開発である。その技術によってフラナガンは、サイコ・コミュニケ―ター、すなわちサイコミュを完成させたのである。が、このシステムは、必ずしもいわゆる超能力者といわれている人の間では充分《じゅうぶん》な機能は発揮《はっき》しなかった。もっと別種の洞察力の拡大《かくだい》しているらしい人々に、初めてあらわれる現象であった。
その実験結果は、フラナガンたちを悩ませた。人のタイプの不思議《ふしぎ》さ、人の能力の千変万《せんぺんばん》化《か》さに苦闘《くとう》したのである。人の能力のパターンを体系づける事が想像以上に難し《むずか》いのである。
確かにサイコミュは、ニュータイプといわれる洞察力のある人々には、シンクロしやすいであろう想像は容易につくのだが、問題は、そのタイプが保守的な人々の中にはいないとは断言出来ず、勘《かん》のいいといわれる人々が必ずしもニュータイプ的でもない。また、芸術家とか科学、文化面で天才的といわれている人々の中に、ニュータイプの芽が存在するらしいことは判明しても、それらの人々の中にニュータイプが遍在《へんざい》しているというものでもなかった。偏狭《へんきょう》な認識力《にんしきりょく》とか自我《じが》の固定した俗《ぞく》に言う堅《かた》い人々の中にもニュータイプの気配《けはい》はあるのだ。
それは、フラナガン機関がララァ・スンと出会った時にも同じだった。彼女は必ずしも高度の教育を受けたわけではなく、知能指数が高いわけでもない。にもかからわず、サイコミュの発振《はっしん》能力は極めて高く、フラナガン機関のデータの意味を覆《くつがえ》してしまう程《ほど》であったのだ。
ニュータイプとは、何なのか? それは、未《いま》だ規定することはできなかったが、一つだけ共通していえそうなことがあった。
過去にいわれていた各種の思想とか認識論を超《こ》えた洞察力《どうさつりょく》を有する人々であるということである。天才とか超人《ちょうじん》とも違《ちが》い、ESP者の超感覚的知力を持った者とも違った。ニュータイプは、個の問題ではなく、外に思惟《しい》を発振する能力を持っている者である。遠感知力とかテレパシー、予知力、念写、テレポーテーション、まして霊媒力《れいばいりょく》とかいうような意味を付加するものでもない。
フラナガンが、一つ優《すぐ》れた科学者であるとするなら、ニュータイプの概念《がいねん》を人類の総体が目指し得る変革のタイプではないかと推論《すいろん》したことである。
これは万人に受け入れられやすい魅力《みりょく》的な推論であった。それ故《ゆえ》、サイコミュの存在が軍事面で利用し得ると知ったキシリア・ザビは、ニュータイプそのものの考え方を公表する事を厳禁《げんきん》したが、人々はいつしか『ニュータイプ人類』の変革への期待というものを語り始めていた。しかし、事態そのものはすすんでいなかった。
そのニュータイプであろう一人の少女が、今、始めてエルメスからビットを操作《そうさ》してみせた。四機のビットは、個々に四本のミサイルを撃破《げきは》して、つづくパブリクをも破壊した。
エルメスとビットを完成させたフラナガン機関とキシリア麾下《きか》の兵器|廠《しょう》の技術者を賞賛《しょうさん》してあまりある成果であった。
結果論的にいえばララァは、ミサイルとパブリクを見てそれに攻撃《こうげき》をかけると欲《ほっ》しただけである。エルメスを介《かい》して直径六メートルほどの核融合エンジンそのもののようなビットのメガ粒子砲《りゅうしほう》は確実にターゲットを読みとって撃破|殲滅《せんめつ》したのである。
この行動はララァに感覚を拡大《かくだい》させた。エルメスのサイコミュの思惟《しい》の逆流作用が起こっていたのだろう。ララァは、アムロとシャアの認識をサイコミュを通して感知していた。
それはララァが恐怖《きょうふ》するものであった。闘争《とうそう》本能の絶叫《ぜっきょう》が濁流《だくりゅう》のように押し寄せてきた。が、それは、言葉ではないのだ。言葉で現すのならこうなるだろう。
『やってやる! やるうぅ! こ、こいつ! こいつ! やれるものか! うぅわ! ああっ! くそ! やるぞ! やられるか! あっ! うっううわー!』
だが、現実は、そう書き現せるものではなく、語りかけてきたものでもない。殺し、殺し合う二つの意識がひしめき・喚《わめ》き・怒《いか》り・恐怖し合う濁流《だくりゅう》。
ララァは恐怖した。殺し合うことは恐ろしいことだと思っていた。想像もできた、と思っていた。連邦軍の二|隻《せき》の艦艇《かんてい》がかすめてララァの住むコロニーを空襲《くうしゅう》した時でさえ、死ぬかも知れないという恐怖に、ララァは全身に鳥肌《とりはだ》をたたせたものだった。はぐれた両親が死んだと知った時の絶望感は二度と味わいたくはないものだと思う。が、それらの思い出はしょせん、殺し合いの中の体験ではない。今、ララァに押《お》しよせる思惟《しい》はいつか殺されるかもしれないという恐怖《きょうふ》を押し払いながら、殺されないために猪突《ちょとつ》せざるを得ない意志の奔流な《ほんりゅう》のである。それは混濁《こんだく》の渦《うず》でしかなく、あたかも二匹の悪魔《あくま》がからみ合い相手の肉を喰《く》らう暗い地獄絵《じごくえ》なのだ。
「中佐!」
ララァは、コクピット正面に目をすえた。ザクとガンダムが刃《やいば》を交えていた。ビーム・サーベルが輝《かがや》き、ザクのヒート・ホークが唸《うな》った。明らかにザクは劣勢《れっせい》である。
その時、ララァは二人の男たちの別の思惟をも知覚していた。混濁《こんだく》の意志の中での、男たちの鋭利《えいり》な透《す》けるような思惟であった。それは技《わざ》というべきものの鮮《あざ》やかで美しい閃光《せんこう》だった。それはなんと皮肉なものだろう。殺し合いを完成するものが、技という美しいものであるとは……!
お互《たが》いを切り裂《さ》こうとする恐怖の中に、その透徹《とうてつ》した力が走ってララァを貫《つらぬ》いた。
「ああっ! こうでなければ、闘《たたか》いは勝てないのだ」
そのララァの認識《にんしき》は、絶望的に悲しかった。
シャアは己《おのれ》のうかつさを悔《く》いてはいたが、寸刻《すんこく》の隙《すき》もみせないガンダムに対して、気を抜《ぬ》く瞬間《しゅんかん》はなかった。
『自分がニュータイプでないのに、ニュータイプに挑《いど》んだ』
この失策《しっさく》は戦士として許《ゆる》されざるミスである。
勝機の万全たるを期して初めて戦いは勝つのであって、気力とか偶然《ぐうぜん》による勝利などは真の戦闘《せんとう》者が行うべきことではないのは戦史が語って久しいのだ。相手が強者であるならば、その対処《たいしょ》の仕方、作戦を立案して布陣《ふじん》をしなければならない。力押《お》しの戦いなぞは、絵物語のことでしかない。
『私も驕《おご》ったな』
赤い彗星《すいせい》という綽名《あだな》に溺《おぼ》れすぎたようだ。すでに受け太刀《たち》一方であった。しかし、この劣勢《れっせい》を全く挽回《ばんかい》できないとは思いたくなかった。
「ニュータイプのパイロットでも、ガンダムがサイコミュを搭載《とうさい》しているとは思えんっ!」
この点にガンダムにメカニックとしての限界が出るかも知れないのだ。連邦がサイコミュを搭載したモビルスーツを開発したという事実はない。シャアは数度目かのビーム・サーベルの刃《やいば》を避《よ》けながら、ヒート・ホークをガンダムの伸《の》びきった右|腕《うで》に叩《たた》きこもうとした。
「チッ!」アムロは舌打ちをする。
ガンダムの駆動系《くどうけい》はすでに極度の作動を強《し》いられて焼き切れる寸前《すんぜん》であった。が、ザクのヒート・ホークを再々度避け、横に機体を泳がせながら、右|脚《あし》を蹴《け》りあげるようにしてザクの右手首を払った。ヒート・ホークが砂塵《さじん》の中に消えた。
「アウッ!」
シャアの悲鳴ではなく、アムロは別の人の叫《さけ》びを聞いたように感じた。
それはアムロの脳の前から後ろへつきぬけ、
「や、め、て」
という音《おん》に近い流れの中に、アムロの思惟《しい》が浮《う》かびあがった。
ドウッ!
「しまった」
ザクの機体がガンダムに激突《げきとつ》して、ザクの左指に仕込まれたレーザー・ビームがガンダムのランドセルを焼き始めた。
「やったなァ!」
ガンダムの左手がザクの単眼《モノアイ》を潰《つぶ》しながらのけぞらせ、右のビーム・サーベルの刃を《やいば》ザクの首のつけ根から斜《なな》め下につっこんだ。
ビルルルーン! ビームが震《ふる》えた。
ザクのコクピットの天井《てんじょう》からコイルのスパークする火花がシャアに振《ふ》りかかった。
「や、やるな!」
やはり凄《すご》いと思いながら、シャアは補助カメラを開き、左指のレーザー発射《はっしゃ》口をガンダムの瞳《ひとみ》に照準して、これを焼いた。
ボウ! とガンダムの鼻から眼にかけて穴《あな》があき、そして、シャアは首を狙《ねら》った。できれば腰《こし》にレーザーの直撃《ちょくげき》を浴びせたかった。ガンダムの右|腕《うで》がビーム・サーベルを引き抜《ぬ》き、ザクの左|脇腹《わきばら》から背中にかけて、それを突《つ》き抜けさせた。
「ええい!」
シャアは意味のない叫《さけ》びを発した。ザクの左|腕《うで》が使えなくなった。
「中佐!」
ララァの聞こえるわけのない叫びがシャアの耳をうった。
ララァは逆上し、その彼女の思惟《しい》がガンダムを襲《おそ》った時、八基のビットが突撃《とつげき》していた。しかし、その時、ガンダムも新たな敵を感知してザクを放して砂塵《さじん》の中に舞《ま》い上がり、八基のビットからのビーム攻撃を回避《かいひ》していた。
「……ああ!」
ララァは恐怖《きょうふ》した。エルメスとビットは圧倒《あっとう》的であるはずなのに、あのガンダムは、それを避《さ》けたのである。
ペガサスとザンジバルがコロニーの中で交叉《こうさ》し、その至近弾《しきんだん》は両艦を極度に痛めつけた。コロニー自体も至近弾によってそこそこに巨大な亀裂《きれつ》を生じさせた。ペガサスの僚艦《りょうかん》であるサフランとシスコはコロニーの舷側《げんそく》の大穴《おおあな》のあいた壁面《へきめん》からビーム砲の照準を据《す》えた。
ブライト中尉とミライ少尉が、ペガサスをザンジバルと交叉させたのは、最後の賭《か》けを仕《し》掛《か》けたのである。
いわゆる円筒形《えんとうけい》に近いザンジバルの方が、ペガサスのような複雑な外型をもつ装甲《そうこう》に比《くら》べて強力であった。が、両艦を接触《せっしょく》させれば、ザンジバルは一撃でペガサスを仕とめようとするか、回避のために速度を増すだろう。その一瞬に、ペガサスはザンジバルのブリッジを撃破しようとしたのだ。
ミライは地上スレスレにザンジバルを回避しながら、ペガサスのブリッジ前の主砲をザンジバルのブリッジと水平にもっていき、そのブリッジを撃ち抜いた。そのために、ザンジバルはコロニーの『山』へ激突《げきとつ》をして、ゆるやかに反動にのって、反対方向へその船体が流れていった。
ミライは、逆噴射《ぎゃくふんしゃ》の制動をかけながら、地上面とザンジバルの間五百メートルほどの空間をすりぬけさせた。そして、ミライはペガサスの前面をザンジバルの後方のメガ粒子砲《りゅうしほう》に向けたのである。ハヤト少尉はその瞬間《しゅんかん》を待って、ザンジバルの最後の砲を撃ち抜いた。ザンジバルはまだわずかなミサイル発射管《はっしゃかん》と機銃《きじゅう》を稼動《かどう》させながらも鉄の塊に《かたまり》化していったと誰《だれ》しも思った。
「少尉!」
ブライト中尉はVサインをミライに出したものだった。が、その時、ザンジバルのメイン・エンジンが咆哮《ほうこう》して、その排気ガスの流れがペガサスの右舷《うげん》前方から激突した。ペガサスは船体をコロニーの大地に激突させ滑《すべ》り、ザンジバルもまた乾《かわ》ききった平原上を砂塵《さじん》と突風を切り裂《さ》くように滑り、山に激突をして停止した。コロニーは地震《じしん》のような現象を起こした。
セイラ・マス伍長《ごちょう》は、ザンジバルのロケットのきらめきに気づきはしたものの地震は感じなかった。バギーは大きく跳《は》ねて走りシャアのザクに接近していたからだ。赤いザクはかなりの損傷《そんしょう》を受けて不時着をしていた。
今しも、ハッチから白銀色のヘルメットと、忘れもしないあのマスクをした青年の赤い軍服が滑り降《お》りた。その姿《すがた》が、着地した時にひざまずいて背中を丸くした。咳《せき》こんでいるようだった。いや、酸素ボンベだろうか? その仕度《したく》をしていた。
セイラはノーマルスーツの気圧計を見た。かなり下がっていた。コロニーには一体|幾《いく》つの穴があいたのだろうか?
「兄さん!」
ノーマルスーツの通話回線を開いてセイラは叫《さけ》んだ。赤い軍服は、腰《こし》の拳銃《けんじゅう》に手をかけながらも驚《おどろ》きの顔をあげた。
「…………!」
「アルテイシアです」
セイラは答えながらバギーを降《お》りた。
「アルテイシア!……な、なぜ、こんな……」
いいかけて、シャアは愚問《ぐもん》であると口を閉じた。
「やめて下さい。ジオン軍にいることを! なにになるのです! 今さら父の仇討《かたきう》ちをして何になるのです!」
「……アルテイシア。もうそういう時代ではないし、そういうつもりで軍に身を投じているのでもない。討論している時じゃない。アルテイシア。ここから脱出するのだ。できるか?」
「連邦に戻《もど》れないのですか?」
「…………? 私は、シャア・アズナブルだ。戻れるわけがない」
「では、ジオン軍から身をひくだけでも!」
「それは出来ないな。ここを脱出することができればの話だが……」
「なぜ……なぜです?」
「ニュータイプの実証を掴《つか》んだ今となっては、私にはやる事が山ほど残されているからだ」
「ニュータイプの実証?」
「父、ジオンは、ニュータイプの先がけと言われていた。その子であるアルテイシアなら感じないか? いま、このコロニーの中に、二人のニュータイプがいる……」
「アムロですか?」
セイラは答えながら、自分の中にそのニュータイプに近い何かがうごめき始めているのを感じていた。
『でなければ、ここに来はしない……!』
そういう思いだった。
「ガンダムとかのパイロットか? そうだろうな……」
シャアは酸素マスクを口もとに固定して、ボンベを腰《こし》にとりつけた。
「アルテイシア。私と来るか?」
「ジ、ジオンに?」
その反問には、拒絶《きょぜつ》が含《ふく》まれていた。
「なら、連邦の軍から離《はな》れろ! 二度と私の前に現れるな。アルテイシアに軍は似合わない。お前は、いい女になればいいことだ。私は、今、ララァ・スンに心を奪《うば》われている」
「キャスバル兄さん!」
「行け! アルテイシア!」
シャアは、アルテイシア、いや、セイラの乗ったバギーにとび乗ると、
「コロニーから脱出しろ! 連邦軍の艦が救出してくれるだろう」と叫《さけ》んだ。
「キャスバル兄さん!」
アルテイシアは、いつもそう呼んでいたような気がした。物心ついた時から、いつもそうだった。そして、キャスバル兄さんはいつもアルテイシアを置いてどこかへ行ってしまうのだ。
小さい時からのアルテイシアの口癖《くちぐせ》……。
「キャスバル兄さん!」
シャアは砂塵《さじん》の中に消えた。
その時、セイラは頭の中にしびれるような刺激《しげき》を感じた。頭脳全体が、痛みではない透《す》き通るような感応《かんのう》を受けた。兄との再会によって起こったものではない。赤いザクの傍ら《かたわ》に立ち尽《つ》くしたセイラは空をあおいだ。ノーマルスーツのオール通信回線に雑音に混じって、『総員退艦』のコールがきこえてきた。ペガサスが沈《しず》んだのだ。
ララァの戦闘意識は今や完全に開いていた。八基のビットは視覚的に遮《さえぎ》られるものを全く無視して、自在にガンダムに攻撃《こうげき》をかけた。その一基がガンダムの左足に直撃して自爆した時、ガンダムの脚《あし》が噴《ふ》きとんだ。
アムロはシート・ベルトに固定されていたはずだが、二、三十センチは体が跳《は》ねた。鎖骨《さこつ》が軋《きし》んだ。
「うぐっ!」
その自分の呻《うめ》きの中で、アムロは残りの七つの物体、ビットの軌跡《きせき》が見えてきた。それは、ビットそのものの軌跡とは違う。ララァの意志の流れなのだ。見えるというのとも違《ちが》った。
頭脳そのものに写るきらめきの線が、今のアムロにはビットの動きに感じられるのだ。
「待つしかない!」
それが判定だった。回避《かいひ》運動を行うだけですでに何度もオーバー・アクションをガンダムの駆動系《くどうけい》に強《し》いたのだ。もう、ガンダムの駆動系はボロボロである。となれば、この見えるきらめきの線を予測して撃《う》つしかなかった。
「や、やる……やれるのか?」
ガンダムのビームが細くきらめく。ビットが墜《お》ちた! 精神のすべてを集中するという事は一点を見ることになる。普通ならば、集中された領域《りょういき》以外は死角になるはずだったが、アムロにはそうならなかった。
第二撃。その軌跡に対しての意識が頂点に達した時、他者の軌跡が足元、背後《はいご》にみえるのだ。
「……行ける!」
アムロは快哉《かいさい》した。そして、次はこの様な攻撃を仕掛《しか》け得る本体に興味が集中した。
「ミノフスキー粒子《りゅうし》下で無線|誘導《ゆうどう》などはあり得ない」
その前提が、この攻撃システムに興味を抱《いだ》かせるが、この思考はあきらかにアムロの隙《すき》を生んだ。残り六基のビットの攻撃に、ガンダムは軋《きし》むだけだった。ともかく、一基のビットを撃破《げきは》するが、そのよろめくようなガンダムの動きに、攻撃システムの本体、エルメスのメガ粒子砲が輝《かがや》き火線を曳《ひ》いた。
が、アムロは、それは易々《やすやす》と回避《かいひ》できた。
明瞭《めいりょう》な意志がアムロに『……!……』と響いたからだった。その憎悪《ぞうお》に似た意志は、ビームの輝きより先にアムロに軌跡《きせき》をみせたのだ。
「なぜだ」
それは攻撃者に対しての怒《いか》りであり、ビームの軌跡をみることができたアムロ自身への問いかけでもあった。
ガンダムは砂塵《さじん》をつきぬけてエルメスに向かって翔《と》んだ。
正視《せいし》モニターにエルメスの炎《ほのお》の型をした機体が迫《せま》ってきたが、アムロにはその機体を透《す》かして一つの悲しみの思惟《しい》をみた。
それは、ララァ・スンも同じだった。
『ああっ……!』
憎悪の裏返しの悲しみ。
一つの思惟が今二つの肉体をつないで輝いた……。
「ラ、ラァ、かっ!」
「あ、あなた!……な、なぜシャアを……」
ララァは問いかけようとしてやめた。判《わか》りきった小さな事だからだ。それは、ララァ自身の小さな恋。小さな愛。ひどく個人的な思慕《しぼ》。人の行為の悲しいまでのいたわりの心……。
アムロとつながった思惟は、いまは膨張し《ぼうちょう》て急速度に拡大した。二つの思惟の流れの融合《ゆうごう》が爆発する時、二人の一つの思惟は永久へと上昇《じょうしょう》する。
この思惟の流れを人が持ち得るということは、人類の再生への芽生えでなくてなんであろう。
「やめようよ! やめよう! ララァ!」
アムロは断定した。
「僕は、ララァを憎《にく》みはしない。やめよう。ララァ」
「ああ、アムロ! シャア中佐への思いが私を間違《まちが》えさせたのよ。でも、もう遅《おそ》い。私は救われない!」
『救われないだと そんなことはない!』
そのアムロの絶叫《ぜっきょう》が、宇宙を翔《と》んだ。
「そんなことはない! 僕がいる! 僕は全力でララァ・スン! あなたを救ってみせる」
「アムロ! あなたは素晴《すばら》しい男よ!」
アムロの絶望的な意識の中に、ララァ・スンのエメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》が拡《ひろ》がり、額《ひたい》の百毫《ひゃくごう》が、閃光《せんこう》の源《みなもと》になって輝《かがや》いた。
「あたしにもアムロ、あなたが見える!」
そのララァの思惟《しい》はすでにアムロに判《わか》っていたのだ。アムロの思惟はララァの中にあり、ララァの思惟はアムロの中にあり、その思惟の拡がりが宇宙に翔《と》んだのだ。きらめきの中、透徹《とうてつ》した思惟の直線が宇宙をきった……。
人が見る究極の思惟の完成、誤謬《ごびゅう》なき人同士の共感……。
アムロとララァの拡大した思惟のきらめきは、確かにその完成した姿《すがた》をはるかな宇宙に見せて、舞《ま》い戻《もど》った。それは、混沌《こんとん》の中に人の姿の形をとって物語られたものだった。
金髪《きんぱつ》さんが、セイラ・マスのノーマルスーツがコロニーをとんでサフランの舷側《げんそく》にふわと降《お》り立った。ミライ少尉がブライト中尉の腕《うで》をとって港へと走った。ハヤト少尉が数名の兵を従えて業火《ごうか》の中を走りに走りコロニーの港へ出た。カイ少尉のガンキャノンがザクを倒《たお》して宇宙へ跳《と》んだ。
シャア・アズナブルがジオン艦隊を指揮《しき》し、セイラ・マスがコクピットから笑いかける。ミライが、ブライトが、フラウ・ボウが風に舞《ま》う。死んだ父や母が宇宙を翔んでいる。母が笑う。
ララァがそのエメラルド・グリーンの瞳《ひとみ》に涙を《なみだ》……なんの泣き声だろうか? 女性の胎内《たいない》に宿る一つの生命が力|一杯《いっぱい》泣いている……誰《だれ》なのだろう? ミライ! セイラ? フラウ・ボウ? マチルダ? 誰? それは、誰だ? ララァか? ララァは……いない……いない。ララァの思惟の流れは悲しみという叫《さけ》びしかあげない……ああ……新しい胎児が、どこかにある暖かさの中で脈打つ生命となって現れてくる。
ドックン、ドックン。ドックン、ドックン。それは規則正しく脈打っている。元気に……! なんと、美しい言葉だろう。元気に……とは。それは豊かさである。
そして、二人の思惟《しい》の波が地球を俯瞰《ふかん》するように流れた。光の激流は、七色から黄金に変わりながら、月のグラナダを発進した艦隊とレビルの主力艦隊の左翼《さよく》の支隊との激戦を見た。レビルはソロモンを跳《と》び越《こ》してグラナダを撃《う》とうというのか? その戦局は、未《いま》だ不明のようである。
が、ペガサスは生き残ると光の奔流《ほんりゅう》が物語った。そうでなければ、あの心臓《しんぞう》の鼓動《こどう》は聞こえまい。それは、元気な生気の象徴《しょうちょう》なのだから……。
ザビ家一党の暗い執念《しゅうねん》……それは、一瞬の光の中に流れ去り……人類は永遠に未来を見続けて生きていく……? それは、この光の流れにのらなかれば見ることはできない。
そう。二人の思惟は直感した。
今、ララァはこの光の流れに身を委《ゆだ》ねようとしていた。しかし、二人のつながりが切れた時、この光の流れを見る事は出来なくなるとも二人のつながれた思惟は判《わか》っていた。
ララァに代わるニュータイプは出現するのか? 出現すると約束《やくそく》された歴史があるからこそ、今、二人は未来への入り口を見つめているのではないのか?
それらの事々《ことごと》は、一瞬の中の物語であった。
ガンダムの最大限のパワーが、その機体をエルメスに激突させたコンマ何秒かの間のことであった。
アムロの思惟は覚醒《かくせい》して、ガンダムのビーム・サーベルの狙《ねら》いを外そうとした。が、すでに遅かった。ビーム・サーベルはエルメスの最も脆《もろ》いコクピットの部分に直撃していた。
それは、コクピットのララァ・スンの若い肉体と魂《たましい》を瞬時《しゅんじ》にして焼き、エルメスのエンジンにまで干渉《かんしょう》した。残ったビットは狂《くる》ったようにコロニーの空に飛び交《か》い、コロニーの陸地に激突《げきとつ》していった。
「あ、ああ!」
アムロは絶望の叫《さけ》びをあげた。
最も必要とする人を自分の手にかけてしまったのだ。
ララァは、永遠の刻の流れにおちこむ光の奔流《ほんりゅう》の中に消えていった。
「な、なにをしてんだァ!」
アムロは絶叫《ぜっきょう》し、ガンダムを後退させた。
その瞬間、アムロは膨張《ぼうちょう》してゆくエルメスの機体を見た。その一瞬後、ガンダムの機体もエルメスの爆圧《ばくあつ》に押《お》しひしがれて、コロニーの地面に叩《たた》きつけられていた。コロニーの外壁《がいへき》が歪《ゆが》み、ガンダムの機体も虚空《こくう》に排出《はいしゅつ》された。コクピットの脱出機構が働いて、ガンダムの上半身と下半身が閃光《せんこう》の渦《うず》の中で分離《ぶんり》して、コア・ファイターとなったアムロのコクピット・ブロックが飛んだ。
「ララァ!……ララァ!」
アムロは混濁《こんだく》する意識の中で叫んでいた。
「ゆ、夢《ゆめ》だったのか? ララァ……」
反問《はんもん》しながらアムロは爆圧でとばされてゆくコア・ファイターの中で失神した。しかし、それはアムロにとって安らかな時間となった。
二人の思惟は、夢をみたのではない。まちがいなく、きらめく未来をいうものをみたのだ。
その事実は、すでにアムロの思惟の中に深く焼きつけられていた。そして、それは二人だけに示されたものであるにかかわれず、二人だけのものでないという認識も示されていた。
それは巨大であった。それ故に、アムロは今、眠ることを許されてたのだ。絶望の中から再生する事を運命として背負わされたアムロにとっては、短い休息は必要なのだから……。
ニュータイプが覚醒《かくせい》したとまだ人は知らない。しかし、人は、新たな歴史の始まりを手に入れた。
時、宇宙世紀〇〇八〇年。戦争は終わってはいない。