機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ (中)
富野由悠季
出版社 角川スニーカー文庫
口絵・本文イラスト/美樹本晴彦
口絵イラスト/森木靖泰
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目 次
1 スタンディング ポジション
2 ケリア・デース
3 ヴァリアント
4 パス スルー キャナル
5 マーク オブ オエンベリ
6 マフティー・ナビーユ・エリン
7 ギギ & ケネス
8 アパートメント
9 アンダーウェアー オン ザ ベッド
10 アプローチ ウォーク
11 ガール アンド ウーマン
12 ディパーチャー フロム ダーウィン
13 インフォメーション
14 ダメージ イン ダークボトム
15 ギギズ スプリング
16 ボース ロンデニオン
17 ウルル
18 ナロウ スペース
1 スタンディング ポジション
ギギ・アンダルシアは、シャワーあがりのほてったからだのままコテージのベランダにでて、全身を夕方の空気にさらした。
海上をはしってきた空気は、ギギの細胞を内奥から活性するようだった。
「フーン……」
両手で髪をバッとうしろに跳ねあげて、首筋にも風をいれた。髪をタオルでくるんでアップするような重苦しさは、好きではない。
ギギは、そのまま手すりに上体をもたせかけて、暮れなずむ海面を見渡した。視界の左右には、おだやかな稜線が海にのめりこんで、西側のそれは黒く浮きたって、おだやかな海面は、濃紺から黒色にしずんで、夜にはいる準備をしていた。
『ハサウェイ・ノアちゃんか……』
神経質そうに見えながらも、瞬発力のある青年が、この海のむこうにいるかと思うと、ギギの気持ちは、つい浮きたった。
しかし、ギギのいるこのコテージからたいして離れていない基地には、ハサウェイに敵対するだろう男、キルケー部隊のケネス・スレッグ大佐がいた。
そんな男たちを見ることは、老人に身を売るしかなかったギギにとっては、心楽しかったのだ。
だからといって、ギギに何ができるというものでもない。
その行くすえを考えると不安だった。
だから、自分にかかわる問題は考えないようにと、シャワーをたっぷりと浴びて、こうしてベランダに立っているのだ。
それでも、ハサウェイとケネスというふたりの男性のあいだにいる自分の立場が、ギギを刺激した。
「…………」
頭上には、南国特有の高く白い雲が林立して、さらにその上の霞のむこうには、数個の星がするどい光をはじけさせる刻《とき》になった。
『……予定をかえよう……急いだほうがいいな』
彼女の活性した意識が、そう直感させた。
ピンポーン!
玄関のチャイムに、ギギはあわてて居間にとびこむと、バス・ローブを身にまとい、髪にブラッシをかけながら、インターホーンの上にある小さなモニターをのぞいた。
昨夜、顔をみせたメイドのおばさんが、愛想のいい笑顔を見せていた。
士官用のゲッチンゲン・ハウスのコテージに出入りする人びとは、軍が雇用しているので、その身元は安心できた。
彼女は、ギギの夕食と翌日の朝食を配達してくれたのだ。
「今夜もいい夜だってのに、誰かさんはこないのかい?」
おばさんは、そんなことをいいながらも、暖めなおすものはオーブンにかけ、そうでないものはテーブルに配膳して、去っていった。
配達のおばさんにいわれるまでもなく、ギギは、一人でいることの辛さも知っているし、それを我慢することも知っていた。
たいていの人生は、一日の楽しさのために、三百六十五日の我慢があるものだ。
しかし、本当に良い一日があれば、一年の淋しさは我慢できる。
ひとつの社会的な成功をおさめても、もてはやされるのは、たった一度、数日間であることでも、人は、そのために、数年といわない孤独で泥まみれの努力をする。とうぜん、蔑まれるようなことをつづけた結果であることもある。人の暮しというものは、そういうものだ。
ギギは、選びようがないくらいに少ない有線テレビのチャンネルで、地方のニュースをみながら、ひとり夕食をした。
「…………」
いつかくる想像できない事態に直面した時、判断をまちがえないために、多少の情報は手にいれておかなければならない。
そんな意識が、ニュースを見させるのだ。
しかし、ダバオのスタジオにいるはずのニュース・キャスターは、ケネス・スレッグ大佐が新しい司令官として着任して、キンバレー部隊はキルケー部隊に改称されたという古いニュースを、事務的にしゃべるだけだった。
『みんな内緒にしてさ……。連邦軍のやりそうなことだな』
だからといって、ギギは、情報収集に便利なキルケー部隊内に居残ればいい、とは思ってはいなかった。
ギギが本気で頼めば、ケネスは、基地ちかくのホテルの手配もしてくれただろうが、それでは、ギギは、精神的にケネスに身を売るような形になってしまうと直感した。
だから、彼女は、ケネスの言い出したこのコテージを利用することにした。ここならば、基地とは距離があったからだ。
ハサウェイとケネスの関係は、ギギにとってもまだ明確ではない。
だからこそ、両者から距離をとりたかったのだ。
気温があがっている地球にとって、赤道付近は、人が暮すのには苛酷だった。
スペース・コロニーへの移民が開始された当初、この地帯の人びとは、ほとんどが宇宙に強制移民させられた。
それでも、自然保全と歴史的な遺跡の保全のために残された人びとの数は、南太平洋地区全体では、百万はいるだろう。
しかし、スペース・コロニーの時代が定着するにつれて、この地区の観光と自然保全地区としての価値は高くなって、スペース・コロニーからの居住者はふえていた。
そのことが、反地球連邦運動家の侵入を許して、連邦政府は、その監視に神経質にならざるを得なくなっていたが、海が大半をしめるこの地域では、容易なことではなかった。
連邦政府は、そのために、警察と軍のあいだに新設したスタッフで、不法居住者の摘発にあたらせた。
しかし、連邦政府は、その組織を巨大にすることをさけた。
連邦政府でも、官僚組織の悪癖を知っていたから、特権を利用して地球に居つく人の数をふやすことを回避しようとした。その部分では、連邦政府にも見識はあった。
しかし、数の少ないスタッフが、作業の効率をあげようとすると、その仕事は極端になった。彼等は、情報の確度の高低にかかわらず、かなりラフに不法残留者を摘発し、隕石採取のような仕事に人びとを移送した。
そのために、マン・ハンターと陰口を叩かれることになったのである。
それが、ハサウェイが、ダバオで見たマン・ハンターたちの動きである。
しかし、地球周辺に点在する数百のスペース・コロニーを含めた治世をおこなう地球連邦政府が、マン・ハンターたちのやり口を黙認したのは、連邦政府の中枢にある人びとが地球に居住するようになり、不穏分子の排除は、益こそあれ、不都合なことにはみえなかったからである。
それが、近年の連邦政府の地球管理の態度であった。
にもかかわらず、ケネス・スレッグが、急遽、新型のモビルスーツ、ペーネロペーをもって、太平洋管区のキンバレー部隊に転属させられたのは、去年あたりから、全地球的にマフティー・ナビーユ・エリンと名乗る組織の活動が活発になり、その時期に、オーストラリア大陸の南部の都市アデレートで、連邦政府の中央閣僚会議が開催されるからであった。
マフティー・ナビーユ・エリンの名前は、正当な預言者とでも訳せる意味をもっていて、反連邦政府の急先鋒として、連邦政府の要人暗殺をしている組織である。
ケネスが赴任する以前、キンバレー・ヘイマンが統率していた太平洋管区は、このマフティー・エリンに振りまわされていた。
それが、モビルスーツ開発にあたり、アデレートを防衛するアイデアも持ったケネス・スレッグに、閣僚会議の防衛を命じられたのである。
しかし、この時点では、キンバレー・ヘイマン大佐の対マフティーの最後の作戦は、オーストラリアの北の小さな町オエンベリで、まだおこなわれていた。
彼は、後任のケネスの着任前に、なんとか軍功をあげて左遷を回避したかったのである。
ギギのコテージに面した海のむこうに、そのオーストラリア大陸があった。
それが、ギギの思いを海のむこうに馳せさせた。
そして、ギギの予測では、地球におりるシャトル『ハウンゼン』で知りあったハサウェイ・ノアは、オエンベリに集結している私設軍隊と合流するはずだった。
『レーン・エイムのペーネロぺーが撃墜されたというのも、新型のガンダムもどきだって話だし……』
その話をキルケー軍からきいた時、ギギは、その仕事は、ハサウェイがやったのではないか、と漠然と想像していた。
それは正しかったのだが、まだケネスもその確証は得てはいない。
それが、その夜の三人の居場所だった。
2 ケリア・デース
ヴァリアントのせまい無線室は、ドアを開けっばなしにしていても、蒸し暑い空気は動こうとはしなかった。
ベタナギの上に、船の進行方向と空気の流れる方向がおなじだったためで、船体が押しわける波の音だけがきこえた。
「どうなの?」
ハサウェイが、首筋にふきだした汗を拭いながらのぞいてきた。
「オエンベリは、変化なしだな……全滅したんじゃないの?」
上半身裸のチャチャイ・コールマンが、レシーバーをとなりのヨーゼフ・セデイにおっかぶせながらいった。
「そう簡単じゃないだろう。無線機がやられただけということもある」
「深刻であることにはかわりがないな」
チャチャイは、ハサウェイの手から、紙コップをとりあげると、そこに残った清涼飲料水を飲んだ。
「ああ……」
ハサウェイは、曖昧な返事をしながら、中央甲板のほうをのぞいてみた。
モビルスーツの整備をしているクルーたちの動きが静かになったので、そろそろ出動の時なのだ。
「それと、これ、ダバオから、コワンチョウとホンコンへむけた無線が、多くなっている問題……」
チャチャイは、デスクから数枚のファイルを取って、ハサウェイに示した。
「コワンチョウに、陸戦隊と警官をあつめろっていう指示だろう?」
ハサウェイは、無線の内容をチラッと一瞥して、警察関係の無線の多さに、眉をしかめた。
ホンコンの奥にある都市コワンチョウは、旧世紀から温存されている都市のひとつで、連邦政府の閣僚たちが好きな場所である。
「マサムも、やらせ、だっていっている」
「ン……。オエンベリの不穏分子、ハウンゼンの襲撃、そんなことから、閣僚会議をアデレートから別の場所に変更するという風にはみられるけど……みえすぎだよ。え?……そう思わないか?」
「艦長もそんな気分をいっているけどさ、結構マジだぜ?」
「どっちにしても、出撃する。傍受はつづけてくれ」
「もちろんだけど……敵の交信が陽動だっていうの?」
「だってさ、お前たちにしては、傍受しすぎるんだよ。それが、ワザとらしい交信の証明みたいなものだ」
「すみませんねぇ」
ヨーゼフの方が、無線機の前でふくれた。
ハサウェイは、飛行コースのチャートの用意をたのむと、中央甲板にむかった。
中央甲板全体をおおう幌は、潮っ気でかなり痛んで、繕った部分も千切れそうになっていたが、そんな補修をする手はなかった。
船そうまで吹き抜けになったそこには、六磯のモビルスーツが肩をすれあうようにあって、そのあいだには、数台の整備台車が貼りついていた。
「いいのか?」
「はい……いつでも……ちょっと時間がかかりすぎですかね?」
メカニックマンのチーフ、マクシミリアン・ニコライが、疲れた顔をみせながらも、実直そうにメカニック・デスクから取り出したレポート・ボードを出してくれた。
ハサウェイは、そのモビルスーツ全般の補修と補給の一覧表に目を走らせながら、
「詳細は、ブリッジにあげておいてくれ」
「了解」
マクシミリアンの声が、船そうに消えていった。
「……ハサ!」
|Ξ《クスィー》ガンダムの寝かせてある後部甲板に面したハッチからケリア・デースの声がした。彼女は、ぐうぜんハサウェイと会えたので、うれしそうな笑顔を見せた。
「なに?」
「……なにって……別に……ほんとうに出るの?」
丸ぽうずにちかいケリアの頭が、くるっとハサウェイの前でまわって、そのからだがハサウェイの前にきた。
「キンバレーのやっていることを確認しなければならない。今後のマフティーの活動に利用できるかもしれない」
最後の言葉は、ケリアが嫌うことだろうと思ったが、あんのじょうだった。
「あなたの頭のなかは、主義だけね……それだから、マフティーに祭り上げられているということ、わかっていて?」
彼女の眉のあいだに、はっきりと縦皺がよった。
「力がない組織としては、仕方がない。誰かがやらなければならないことさ」
「悪いのは、組織ということ?」
「今は、これで精一杯なんだ。君だって理解しているはずだ」
ハサウェイは、彼女のいうことは彼女の勝手なのだ、と思う心を抑えがたく感じながらも、ケリアにたいする彼の負い目が、このうっとうしい会話を堪えさせた。
ほんとうは、堪えるというようなものではない。
ハサウェイが、ケリアのことをこう感じるようになったのは、ギギ・アンダルシアを知ってからのことで、ハサウェイのほうが勝手なのだ。
人の心が、どこまでも無欲で、禁欲的であることはむずかしい。
その意味では、ハサウェイは、まだまだどこまでも普通の青年であって、マフティー・ナビーユ・エリンの名前を騙《かた》れるような青年ではなかった。
もちろん、マフティーの名前を背負うようになってからは、ハサウェイは、謹厳実直《きんげんじっちょく》であることをめざしたし、内向する部分では、さらに、精神的な高邁《こうまい》さをもとめているところがあった。
しかし、ギギの出現は、ハサウェイに現実的な欲望を刺激していた。
そのハサウェイの精神的な変化が、ケリアとのあいだに、溝を生みはじめていた。
「何があったの? ギギとかいう娘と?」
「危険な少女と接触してしまった。それを始末することもできずに、ガンダムに乗りこまざるを得なくなった。そういうわだかまりさ」
その説明は、ハサウェイとギギが、ダバオのホテルを一緒に逃げ出したのを、仲間に目撃されてからの公式的な発言のくりかえしだ。
しかし、若い者たちの集りであるマフティーの組織のなかでは、そんなハサウェイの発言は、プライベートなことを公の問題にすりかえるものと理解されていた。
「それはきいたわよ」
ケリアは、かすかに悲しい色をその声にもたせた。
「……本当のことだよ」
そういってしまってから、ハサウェイは、自分の声が、間男が女房にするいいわけそのものの声だと感じた。
「ええ。認めるわ。あなたが嘘はいわないのは、分っている。それに……」
何ともいえない色をもったケリアの瞳が、ハサウェイを見た。
「……蓋然《がいぜん》的にいえば、嘘はいわないでもすむものね?」
それは、ハサウェイにとって手厳しい評論だった。
ハサウェイは、ケリアの瞳をさけるようにして、彼女のわきをすり抜けようとした。
「ハサ……。嫌いになったの?」
そのケリアの声が、ひどく遠くにきこえた。
「……!? 嫌いだ好きだというように、二者択一にできるようなことじゃない……けどね、そういうからみ方をされれば、好きなものでも嫌いになるよ」
これが、物のはずみというものだろう。
感情的に、ささくれだった。
しかし、いってしまって、ハサウェイは、後悔していた。
相手の意思を自分のつごうが良いほうにゆくようにしむけて、自分の方で決めなければ、こちらに責任はないというのは、とてもずるいやり方なのだ。
「…………!」
ケリアは、むこうを見たままだったので、ハサウェイは、ガンダムの方にゆったりと歩み出しながら、現在の自分は、まだこういうレベルにしかいないのだ、と痛烈に思っていた。
『未熟なんだよな……』
ハサウェイは、ケリア・デースに負い目もあれば、彼女に感謝する気持ちもあった。
だから、彼女にたいして、決してウソはいえないのだ。
それは、マフティーという立場を演じる以上に、ハサウェイにとっては、大切なことなのだ。
だからといって、今、ギギのことで何かをいわれることも辛い。
そっとしておいて欲しい。
それは、かってな言い草だということは分っていても、そうなのだ。ギギは、ハサウェイにとって、ひどく興味のある存在なのである。
ひょっとしたら異性である以上に、何かを感じさせるものなのだ。
そうハサウェイはいいたかったが、それは通用する話ではないだろう。だから、それは絶対に口にすることができないことなのだ。
「ハサ……!」
「すまない。いまは、仕事をさせてくれ」
「自分で仕事をつくっておいて……!」
ケリア・デースにしては饒舌《じょうぜつ》な言葉だった。
が、それが最後で、ケリアは、ハサウェイを追おうとはしなかった。
彼女は、頭髪のみじかい頭に、草の野球帽を深々とかぷって踵《きびす》をかえすと、船首のほうにむかった。
頭をひどいショートにしてしまうような彼女である。
性格に反して、瞬間的な判断は、おどろくほど割り切りがいいところがあった。
ハサウェイは、ガンダムの機体の影にはいりながら、サッサッと脚をのばして船首のほうに歩いてゆく少年のような彼女を見やった。
ドッと首筋に汗が吹きだすのが分った。
「…………」
ハサウェイは、彼女がそんな風にきっぱりとした物腰をつづけている気持ちを、痛いほど知っている自分を見つめていた。
ケリアは、ハサウェイが、反地球連邦政府運動のひとつマフティーに参加して、本格的に活動するまでは、ハサウェイの主治医そのものといってよい人だった。
『シャアの反乱』と呼ばれる宇宙での局地戦争があったとき、未成年のハサウェイは、民間人のままモビルスーツ戦に巻きこまれて、そんな戦いの渦中、彼は、身近にいた人びとが次々に死んでゆくのを目撃し、さらに、初恋の少女を自分の手で殺してしまうような経験までした。
その経験は、ハサウェイに、絶望だけを残した。
戦後、ハサウェイは、軍事裁判にかけられたものの、敵のモビルスーツを撃墜した功績を評価されて、彼の行動は不問に付された。
しかし、鬱病がつづいていた彼は、その治療と植物観察官の研修生に任命されたことを契機にして、地球におりることができた。
彼の父、ブライト・ノアが歴戦の艦長であったことが、有利にはたらいたのである。そういう背景がなければ、植物観察官の研修生にもなれないのが、現在の地球圏である。
それでも、地球上には、各地で自給自足できるほどに人が住んでいるのも、たえず例外規定を生みだす社会の通癖《つうへき》があればこそである。
地球生まれのハサウェイにとって、地球の環境は彼に良くはたらいて、それだけで治療効果はあったが、ハサウェイは、ホンコンで植物監察官の実習をうける審査のあいだ、ひとり、アパート暮らしをした。
その時に、ケリア・デースと出会った。
それは、ハサウェイの精神をより安定させ、将来の希望を育てるものにまでになった。
ハサウェイが、植物観察の実習のために、アマダ・マンサン教授の住むスラウェシ島のメナドに行ってからも、彼女は、何度となく見舞いにきてくれたし、一緒に暮らすような真似事までした。
しかし、ふたりは結婚ができなかった。
彼女が、非合法地球居住者であったからだ。
そんな時に、ハサウェイは、マンサン教授のもとに来訪するクワック・サルヴァーと自称する人物から、マフティーの組織の存在を教えられた。
彼は、連邦軍で将軍にまでなった初老の男だったが、クワック・サルヴァー、つまりインチキ医者とか詐欺師の代名詞となるこの偽名をつかうその初老の男は、ハサウェイの父、ブライト・ノアが、連邦軍に在職していることを残念がった。
『お父上は、地球連邦政府という組織そのものが、現今の悪の根源であるということをご存知のはずだが』
『父は、将来、政治家を目指しているのではないのでしょうか?』
ハサウェイは、当て推量でそんな風にこたえた。
『しかし、地球上では、連邦政府の虐殺がつづき、特権階級者たちの移住は、ますます激しくなっていることをご存知か? 連邦閣議のなかでは、一億ぐらいの人間が住んでも、汚染した地球が復活するための余地は残しておけるといって、そういう政策がすすんでいるのです』
クワック・サルヴァーは、スペース・コロニーでは知られない地球の現状について、いろいろとハサウェイに説明してくれた。
『その一方では、居住資格がない者は、マン・ハンターに殺されつづけているのです』
『どのくらいの数です?』
『年に数十万の単位であるのが、この数年の状況です』
『…………。不法居住をしている人びとに、問題はありませんか?』
『それはあります。しかし、連邦特権といわれるものは認められないといって、活動している人びとがいるのです。彼等の意見は重要ですぞ? 彼等は、世襲の官僚体制と政治家の世界が問題だと糾弾《きゅうだん》しているのです。それらの大半の家族が、地球に居住しているのは、ご存知でないでしょうな?』
『大半?』
『そう、統計的にいえば、六十八パーセントというところでしょう』
『そんなに……』
『だから、それらの人びとの生活を維持するために、若干の一般人の居住を認めざるを得ないのです。寂しいところに、人間は住みたがらんでしょう』
『そうでしょうね……。だからホンコンのような街も生まれる?』
『そうです。これを放置すれば、地球の再生もなにもあったものではありません。工業施設は規制されたままといいますが、人が多くなれば、すべての製品をスペース・コロニーからの輸入にたよっていられるものではない』
ハサウェイとケリアは、どこかでキナ臭いことを望んでいるらしいその男のなかにも、真実、黙視できない背景があることを教えられた。
それに、クワック・サルヴァーの精悍《せいかん》さは、ハサウェイのパイロットの資質を刺激するのに十分な人物であった。
その後、ハサウェイは、アマダ・マンサン教授からの実習をうけながら、マフティーの組織を学ぶために、各地に飛ぶことが多くなった。
ケリアもハサウェイが積極的に変ってくれることを喜び、ハサウェイが彼女とおなじ非合法居住者になってくれることを期待した。
が、ハサウェイが、マフティーの活動をはじめて一年ほどたつと、彼は、マフティーの中枢の戦闘員となって、ケリアからはなれていった。
やむなくケリアは、地区|支掩《しえん》要員としてマフティーに参加するようになった。それが、二人の経歴である。
ハサウェイは、その過去を否定するつもりなどはない。
自分のなかのギギの扱いをどうするか、だけの問題なのだから……。
3 ヴァリアント
ハサウェイ・ノアたちが乗るヴァリアントに随伴するようにして、もう一隻の船があった。
旧式の鉱物運搬船をヴァリアントとおなじように改装したシーラックで、二隻は、バーサス島にそってチモール海を南下していた。
もちろん、大陸全体の支掩態勢は、それだけではなく、他にも二隻の船が、南に展開していた。
ともに、モビルスーツとそれを支掩するベース・ジャバー、ギャルセゾンを支持する空母的な役割をはたす船である。
「シーラックから、ギャルセゾンの発進準備、オーケーです」
手旗信号による確認をおわったクルーの呼びかけに、ヴァリアントのブリンクス・ウェッジ艦長は、Tシャツの前をまくりあげながら、
「ハサウェイのガンダムはっ!」
「ハサウェイ! シーラックの隊を発進させるぞ?」
副艦長席にすわっているイラム・マサムは、額の汗を拭うのを忘れていた。
「そうしてくれ。ジュリアが神経質なんだよ!」
「了解! 艦長」
イラムが、ふりかえった。
「そうしろよ」
「ハイ!」
艦長は、手旗信号を手にどなりながら、それがなければ艦長に見えないという帽子をとって、パタパタと胸をあおりはじめた。
ブリッジにも、エアコンは効いていなかった。風は、熱風である。
雨季にはいるまでには、まだ間があって、腹が立つくらいに蒸していた。
これも温暖化現象のひとつではないかと思えるし、そう思ってしまうのが、現在の人びとの精神状態だった。
マフティーの組織は、艦長の恰好でもわかるとおり、階級とか任務による上下の差別はなく、将来、マフティーが、階級などを必要とする時代がくれば、それはさらに不幸な時代を意味するだろう。
ハサウェイたちのモビルスーツ部隊は、日没までには、目標のオエンベリに到着して、その目で、キンバレー部隊が掃討していた戦場を確認するのだ。
場合によっては、キンバレー部隊のモビルスーツ部隊との交戦もあろう。
しかも、その交戦に手間どったりすれば、キンバレー部隊の後任になったケネス・スレッグのキルケー部隊から、増援がくるかもしれなかった。
オエンベリに展開している軍隊は、ハサウェイたちのマフティーとは、真実、関係がない集団である。が、反連邦政府運動の一角であることはまちがいがないのだ。
無視することは、できなかった。
なによりも、この南太平洋全域をカバーする地球連邦軍のモビルスーツが展開しているのである。この部隊に打撃をあたえて、後続部隊であるキルケーの脚をとめなければ、今後の連邦政府の閣僚を粛正《しゅくせい》する作業に、支障をきたすのである。
シーラックから、一機のギャルセゾンが、その背に二機のモビルスーツ、メッサーMe2Rを搭載して発進した。
ドヴッ!
ヴァリアントの前部甲板から、二機のギャルセゾンが、おなじように垂直に上昇した。計六機のモビルスーツが発進したことになる。
しかし、ヴァリアントとシーラックには、まだ一戦闘小隊ずつのマシーンが残っていた。
「ジュリアっ! 急いでくれっ!」
ハサウェイは、ギャルセゾンの轟音を頭上に、ガンダムのコックピットのシートから立ち上るとどなりつけていた。
『……わかっている! もうおしまいだ!」
ジーンズのショーツに整備用の道具一式をおさめた革ベルトをしたメカニックマン、ジュリア・スガは、ガンダムの腰の上にようやく立ち上った。
「まだか……!」
ハサウェイは、その姿を見上げて、そのあとの言葉を飲みこんで、コンソール・パネルの計器の表示に日を走らせた。
ジュリアは、腰のベルトにドライバーをおさめながら、その褐色の上体をコックピットにかがませた。
「Tシャツぐらい着ろといったろう」
「そんなことより、こんな無謀な作戦、あとがどうなっても知らないよ?」
ジュリアの健康さを誇示するような乳房が、ハサウェイの目の上にあるのを、彼女は気にしていない。
「敵に増掩がくる前にやれれば、こちらの増掩に、敵の目がいかないようにできる効果もある」
ハサウェイは、彼女の胸に自分の視線がとまらないようにして、ジュリアの生真面目な顔を見上げた。
「そりゃ分るけどさ、先手必勝の手がつかえないんだろう?」
「大丈夫だよ」
「敵だって考える奴は考えているし、戦力はあるんだよ」
「分っているが、オエンベリに集結した私設軍隊の消息をこの目で見なければ、次のことが決定できない。せっかくのおっぱいを怪我させないように、シャツぐらい着ろ」
「男だけがトップレスでいい、っていう歴史感覚は嫌いだね。あたしたちは、昔からこうしていた。悪いおっぱいじゃないだろうにさ」
ジュリア・スガは、ひょいと立つと、ハサウェイの視界から消えていった。
ハサウェイは、その瞬間のジュリアの若くツンとした乳首を網膜に記憶しながらも、
「アタッチメントを外してくれ!」
ブリッジと甲板要員《クルー》につながる回線に、命令していた。
ズン! ガシーン!
ハサウェイの足下で鉄が鳴った。
ハサウェイの頭上に、三重のシェルターがはしり、コックピット・シートの周囲が、三百六十度の実視ディスプレーになった。
ハサウェイは、甲板に飛びおりたジュリア・スガの健康そうな姿を追いながらも、彼女の指摘が正しいことは承知していた。
横になったガンダムの機体が、ヴァリアントの船尾にむかってすべりだしたので、ハサウェイは、コンソール・パネルに顔をむけた。
ドウッ!
ハサウェイの周囲が、渦巻くしぶきと水中の光景にかわった。ガンダムの機体がレールをすべって、脚から海中にすべりこんだのだ。
「…………!?」
緊張した。モビルスーツで水中にはいるのは、はじめてなのだ。
しかし、メイン・エンジンの排気ガスがおこす渦のために、周囲の海中の光景など見ることはできなかった。
白い泡立つ海水のなかで、コックピットが上下左右に不規則に揺れた。
ハサウェイが、各部の動きをチェックしているあいだに、機体は深度を深くしていった。
水深三十メートルほどになったろうか。
機体の各部のバリアー能力は、異状がないようだ。
このように、気密性とバリアーの状態をチェックするのは、水中に沈めるのが一番手っ取り早く、確実な方法なのである。
「よし……」
ジュリアたちが、寝る時間を惜しんで整備してくれた成果はあった。
ハサウェイは、彼等に感謝すると、メイン・ノズルの推力をゆったりとあげて、ガンダムを前進させていった。
その間に、両方の腕に装備されているシールドとビーム・ライフルが、外圧にたいして十分な強度があることも分った。
モビルスーツの主要部分は、水深数百メートルの圧力に耐えるほどのものでなければならないのは、これが白兵戦用の兵器であって、航空機などと根本的にちがうところだった。
海水の抵抗で、コックピットに不規則な振動がきた。モビルスーツの流体力学を無視したデザインがおこす欠陥である。
ハサウェイは、その振動に機体が耐えられるのを確かめてから、水面上にあがっていった。
宇宙と、人間が通常に暮らす気圧差は、たかが一気圧であるが、水中であれば、簡単に数十気圧の外圧をうけるのである。
これが、人類に海中への進出をはばみ、宇宙での巨大建築を可能にさせた原因である。
もちろん、宇宙には温度差と放射能の問題があって、それが人類を苦しめたが、それらの解決と重力を振りきって宇宙に移動することは、十数気圧の外力を防御するよりは、安くついたのである。
ガンダムの頭部が水面上に出て、しぶきを左右にわけた。
その航跡が白く尾をひいて、次第にガンダムの姿を空中にさらし、機体各部に浸入した水が、数十条の筋になって尾をひいた。
ガンダムは、水上スキーをはいているように疾走しながら、速度を増していった。
航跡が白い幕になって、ガンダムが方向転換をすると、そこにいくつもの小さな虹があらわれた。
そして、ガンダムの爪先《つまさき》が水面をはなれると、一気に、上空に集結するギャルセゾンを追って上昇していた。
海面をおおう霞が、東の空に消えてゆくそれらの姿をかくすのには、時間はかからなかった。
「…………」
ケリア・デースは、その光景を悲しい思いで見つめながらも、自分の未練がましい気持ちを振っ切ろうとして、残酷な言葉を思いおこしていた。
『……ハサが、もどってくる保証はない作戦なんだ……』
四つの機影が見えなくなって、大分たってから、ケリアは、ブリッジにあがっていった。
さすがに、自分の思いついたことが、本当かどうか確かめずにいられなくなった。
「マサム」
ケリアは、ブリッジによどむ空気が、少しおだやかになっているのを感じながら、ウェッジ艦長を気にしながらも、イラム・マサムの肩ごしに声をかけた。
「……なんだい?」
マサムの前のディスプレーには、無線室からあがってくる情報やら、時にレーダーが捕捉するデーターが表示されていた。
ケリアは、イラムの褐色にちかい肩の肌を見つめたまま、
「ハサウェイは、なにもいっていなかったけれど、この作戦、危険なんでしょ?」
「いつも危険さ」
マサムの肩が笑った。
「いつもとは、レベルがちがうでしょうってこと」
「戦場はいつもこんなものさ。今回が特別ということはない」
マサムは、ケリアの気持ちがわかるから、そういうしかないのだが、あまりにも素っ気ないと思って言葉をついだ。
「ガンダム……あれは特別だから、大丈夫だよ」
イラムの手が、ケリアのお尻を軽くたたいてくれた。
「……ええ。でも、キルケー部隊にも、同じようなミノフスキー・フライトをするモビルスーツがあるんでしょう」
「そいつには、ハサウェイは勝っている。ガンダムの装備が不十分なままでね」
マサムは、キラッと白い歯を輝かせた顔を、ケリアにむけた。
「……了解」
ケリアは、こんな会話をもちだす自分が、いかに未練がましいかと感じて厭《いや》になった。
汗っぼいイラムの肩をたたくと、ケリアは、自分を盗み見している艦長に、思いきって声をかけた。
「艦長。マサムと相談したんですけど、どこかここ以外の監視任務につけて下さい。お願いします」
「……? ああ。考えているよ。ダーウィンに飛んでもらうようになるかもしれんな。そうだろう。マサム?」
マサムはそんな相談はうけていないという顔をしたが、艦長のウィンクに、「はい」とこたえた。
進路を変更しはじめたヴァリアントは、迎え風を強くして、ハッキリしないケリアの気分を晴してくれるようだった。
「ホラホラッ! 足下をかたずけておかないと、怪我するだろう!」
ジュリア・スガの元気の良い声がきこえて、ケリアはその健康そうな褐色の肌を見下していた。
『トップレスで気がすむなんて、簡単なんだよな……』
そう思いながらも、それは自分の羨望だと自覚していた。
ヴァリアントとシーラックは、次の増掩うけいれのポイントに移動をして、さらにその次、その次と、人と物資の補給をしなければならないのだ。
それは、十分な人員がいないマフティーの宿命であった。
同時に、それは、ミノフスキー粒子という電波干渉粒子のために長距離無線がつかえず、前もって想定される合流地点をいくつも設定して、補給を行なっておかなければならないという時代の要請でもあった。
無駄を承知で、最低、三段階ていどの合流地点を想定するのである。
本来、戦闘行為というものは、このていどのリスクに対応しなければならないのだが、奇妙なことに、無線とコンピューターによる広大な情報収集が可能になった時代、人びとはこれを忘れて、堅実な準備がおろそかになるケースが続出したものである。
情報収集能力の高さを信頼しすぎると、その情報収集作業にひっかからないケースは無視され、さらに、迅速に対応できる補給システムがあると信じると、現実にどのように対応できるシステムであるかという検討は、忘れられるのである。
まして、そのシステムが三重の回線によって不測の自体に対応していると語られれば、それは万全に思えた。
旧世紀の末葉は、そんな情報化の混沌の時代であった。
ベトナムという場所では、近代装備を持った軍と地元のゲリラ戦があって、誰がみても近代装備をした軍が勝つと信じたのだが、その結果は逆であった。
しかも、ゲリラが勝つにあたっては、実は、ある時点から近代的な装備に転換していたのだが、その事態を把握できず、緒戦の近代軍の陣容を信じた戦いをつづけた近代的装備の軍が負けたのである。
近代の危険は、利便性をささえるシステムそのものにあって、システムが稼働している限り、人は、危機にたいする想像力を低下させていったという事例には、こと欠かなかったのである。
スペース・コロニーは、すくなくとも、そのような事例を教範にして建設され、ミノフスキー粒子の出現は、人を用心深くさせた。
ヴァリアントとシーラックとは光によるモールス信号で、おたがいの健闘を祈りあいながら別れて、それぞれ次の任務地に船首をむけた。
ヴァリアントは、薄糊のような海面に航跡も残さず、ジリジリとバザースト島の低い島影に接近していった。
4 パス スルー キャナル
『このままだと、俺は、どこまでも勝手な男になる。ギギとまた会える保証などないはずなのに、ケリアには冷たくあたってしまった……』
ハサウェイの胸のうちに重いしこりがのこるのは、自業自得だと思う。
しかし、ハサウェイは信じていた。
ギギ・アンダルシアとの再会はまちがいなくあるのだ。それまでは、うかつなことはできない、と………。
そういう漠然とした確信をいだかせるのは、ギギのあの美しく人を魅きつける容姿とその性格にあった。
それは、悪魔性なのかもしれないと思うのは、ハサウェイがまだ若いからだ。
今、ハサウェイたちは、ふたつの島のあいだを、発進したときの高度、百五十メートルほどで飛行していた。
海峡上なのだが、左右に遠望される島の光景は、平坦で変化のないものがつづいた。
多少の起伏と海岸線が遠く近く移動するだけで、いざというときの遮蔽物をチェックしなければならない作業が、面倒になるような光景だった。
しかし、その狭い海峡からクラレンス海峡に出れば、そこから東は内海ながら、広い海上である。
さらに高度を下げて、一気に目標地のオエンベリにむかった。
もし、オエンベリに集結したキンバレー部隊が、マフティーたちの支掩を想定すれば、この方位からの侵攻は想定しないはずだった。
オエンベリの東側に位置する山波を楯にして、接近すると読むであろう。そのために、ハサウェイたちは、この侵入方向を選んだのである。
海岸線から数十キロはいったオエンベリではあるが、その地は海抜などはないに等しい。遠望のきく危険な侵入方位だった。
二百キロの海上は十分弱で通過して、オエンベリにつづく湿地帯にはいった。
ハサウェイは、ガンダムをギャルセゾンの前に出した。
「偵察。そして、協議。戦闘」
ハサウェイは、戦闘用意のサインを、ギャルセゾンの背中にはいつくばっている各モビルスーツに発振した。
数条の道路の跡らしいものが、地を区切っているのが見えた。
そして、さらに数秒。
「…………?」
ハサウェイは、流れる他にうすくたなびく煙の筋をみた。
自動車の砂塵かもしれなかった。
いくつかの人家を見たのも、錯覚ではない。
「オエンベリだ……」
ハサウェイは、赤茶色の大地を飾る緑のむこうに、建造物のかたまりのシルエットをみた。
旧世紀時代、オエンベリと呼ばれていたその町の名称は、スペース・コロニーの移民時代に、連邦政府の移民局が、そのスペルをまちがえてコンピューターに登録したときから、オエンベリになったといわれている。
「…………!?」
ハサウェイは、追従するギャルセゾンが高度をとりながらメッサーを放出していくのをみてから、ガンダムの高度をさらにさげていった。
頭部に搭載した偵察用のビデオ・カメラが、作動を開始した。
「…………!」
シューン!
ミサイルがはしったと思えた。パスした。
ここの他に集結した私設軍隊は、モビルスーツはもっていないはずなので、ここで出てくるモビルスーツは、キンバレー部隊に所属するものだ。
「…………!」
ハサウェイは、左方向から走った閃光にむかって、脚の長いミサイルを数発、発射した。
閃光と白い糸のような煙の筋が交錯《こうさく》したときに、地上十数メートルで、大きな火球が生まれた。
オエンベリの町の跡は、とっくに後方に流れて、砂漠の光景が眼下にはしっていた。
「…………!」
ハサウェイは、ガンダムを急角度にもどして、もう一度、オエンベリの町を正面にいれた。
「…………!」
追尾するモビルスーツが、上昇したようだ。
ハサウェイは、ギャルセゾンとメッサー六磯が、後方の山に突進するのを確認しながらも、さらにシールドの裏に装備したミサイルを連射した。
それは、追尾する敵にたいして有効なはずだったが、それを確認している暇はなかった。
ガンダムは一気に加速をかけて上昇して、追尾するミサイルにサンド・バレルのバリアーを張った。
それは、無数といえる鉛の粒で、ミサイルと高性能の弾丸にたいするバリアーになった。その投入が早すぎれば、敵の第二第三の攻撃に無用のものになったが、まずは、五十パーセントの確率で有効だった。
ガンダムの場合は、最後のバリアーがあったが、今の場合は、その必要はないとハサウェイは読んだ。
ガンダムが、ゆるやかな山肌に激突するように高度をさげる間に、ハサウェイは、下方に数個の火球がひらくのをみた。
そのかがやきが終息した頃には、太陽は、地平線のむこうに沈んでいた。
ハサウェイは、後退しながら撮影したビデオ・カメラの映像を静止映像に転換させながら、それをオエンベリの地図上に照合する作業をはじめていた。
おだやかな隆起をみせる山あいに進入したガンダムは、山ふたつ越えたクリークに降下していった。
そこには、もどったメッサーを背負った三機のギャルセゾンが、水のない川底のなだらかな平地に、機体を寄せあうようにして、着陸していた。
|1《ファースト》 ギャルセゾンの前に、ガンダムが着地すると、そのブリッジの上の小さなアタッチメントに、ガンダムの指を挿入した。
フロント・ガラスから、キャプテンのレイモンド・ケインが、オーケー・サインを送ってきて、ガンダムのコンピューターが手にいれた映像を、|1《ファースト》 のコンピューターに送りこむのである。
その作業が完了する間に、ハサウェイは、コックピット前のロープをつかって、ギャルセゾンのブリッジ上に降りたった。
「よう……」
ガウマン・ノビルが、天井のハッチをひらいてくれたので、ハサウェイは、そこからブリッジにすべりこんでいった。
「どうだ?」
「ン……!」
エメラルダ・ズービンを中心にしたパイロットたちが、1ギャルセゾンのコンピューターが解析した画像をプリント・アウトしたものに見入っていた。
「すぐに出よう。オエンベリに展開していた私設軍隊は全滅にちかい」
「全滅?」
「ホラ……」
エメラルダが、一枚のプリントをハサウェイに手渡した。
「こいつは……!? 死体か?」
「それ以外に考えられるかい?」
そのプレた画像には、人の死体らしい物体が、無数にならんでいた。
「キンバレー奴《め》、ケネスが来たってんで、焦っているんだ。そうでなけりゃ、丸腰同然の集団をこうはしない」
レイモンドほ、別のプリント・アウトしたものを睨んでいた。
「間にあうかな……むこうだって、もう用意しているぞ?」
奥のほうにいた|3《サード》ギャルセゾンのキャプテンのへンドリックス・ハイヨーがいった。
「戦力は五分五分だ。いけるさ。それに、これだ。ジャビル方面に移動しているらしい。こいつ……」
エメラルダは、自分が手にしていたプリントを一同のまえに差し出した。
「ああ……? 自称マフティーの陸軍というやつか?」
ハサウェイは、サイン化した物体のプリントが、かなりの数の車両だと分った。
「マフティーの陸軍は、まだ戦力が残っているらしいのさ」
「だれの撮影したものだ?」
「おれだ。一番高度をとったからな……」
メッサー七号機のロッド・ハインが、とくとくとした顔をのぞかせた。
「目撃したのか?」
「そりゃ、していないが……」
「コンピューターの解析は現在のところ、まちがいがない。キンバレーが叩き殺してくれた数は、数千ということだな」
レイモンドが、ほかのギャルセゾンのキャプテンたちとコンピューターのプリント・アウトしたものを照合しながらいった。
「確かなの?」
メッサー六号機のパイロット、ハーラ・モーリーが、ヘンドリックスの肩越しに、細い頬を震わせた。
「郊外に、テント村らしいものがあったが、それも、全滅だ。百の単位で死体が、ゴロゴロしている」
「了解したが、正面きった戦闘だぞ」
ハサウェイは、指令した。
「そのつもりで出てきた」
ガウマンたちが、嬉しそうに応じた。
「迫撃が来ている。上がれるか?」
「上がるさ!」
エメラルダの声は、もう外に出ていた。
ハサウェイがまよったのは、オエンベリに、従来からの住民が生存しているのではないか、ということと、オエンベリに集結した軍隊のスタッフと接触しなければ、あとの情報収集ができないと恐れたからだ。
が、コンピューターの画像解析は、オエンベリの町に無事に残っている家はほとんどなく、無人にちかいことを示していた。
敵のモビルスーツ、十機を確認でき、ここに展開していた集団の一部は、捕捉できると分った。
これ以上の正確な情報を手にいれるには、オエンベリを占拠するしかないのだ。
「辛いぞ。闇討ちではないからな?」
ハサウェイは、パイロットたちにそう確認をしたが、じつは、それこそ彼等の望むところなのだ。
マフティーの作戦は、究極的には暗殺にかわりはない。そんなことが、人を平常にしておくわけはなかった。
ことに、パイロットたちは、いつの時代でも、自分たちを騎士だと思っていた。一騎討ちこそ、彼等の本分なのである。
これこそが、軍人たちを勇気づけ、男たちにとっては、懐古に身を委《ゆだ》ねることができるのである。
「いいの! いいの!」
「やってみせましょう」
彼等は、口々にそんな声を残して、外に飛びだしていった。
しかし、ここに着陸してから十分弱である。
この時間の損失は、大きかった。
この行動こそ、ケリア・デースが、もっとも懸念していたことなのだ。
が、ハサウェイとイラムが、当初からこの行動にこだわったのは、パイロットたちの気持ちを配慮したこともあるのだが、この方面の放送とアマチュア無線の報告からまとめたキンバレー部隊の数万の虐殺についての確認であった。
ウソなのか、真実なのか?
アマチュアたちの報告は、誇大ではあったが、ウソではなかった。
パイロットたちの正義感を刺激するには、十分すぎるオエンベリの惨劇であったのだ。
「……死体の数は、二千をちょい越えるといったところだ」
レイモンドが、ブリッジの天井ハッチから上体を出したハサウェイに、報告した。
「ン! それを、皆にも教えてやってくれ」
「了解だ」
ハサウェイは、一気にロープでガンダムのコックピットにすべりこむと、間を置かずに離陸していた。
「…………!?」
キンバレー部隊の機影が、ハサウェイの前のディスプレーに表示されたのは、ガンダムが、山の稜線を越えると同時だった。
ディスプレーは、カメラの映像をそのまま投影するのではなく、コンピューターで解析されたコンピューター・グラフィクスとして表示される。
そのために、インプットされている敵機であれば、正確に表示された。
もちろん、空気層のゆらめきがひどい場合は、その識別は不能なのだが、今の場合は、正確な情報と信じて良い。
ハサウェイは、それを無視して、上昇をつづけた。
その間に、三機のギャルセゾンも離陸をして、その背中に乗せたメッサーも戦闘状態にはいった。
その正面切ったモビルスーツの戦闘は、ガンダムというミノフスキー・クラフトによる自由な飛行性能を持ったモビルスーツがあったために、ハサウェイたちの戦勝に終った。
ギャルセゾンから離脱したメッサー六機が、キンバレー部隊の十二機のモビルスーツ、グスタフ・カールFD−03に対略した時、そのうちの六機が、ガンダムを追った。
それが、敵のミスであった。
ガンダムは、重力下の空中戦闘能力の低いグスタフ・カール三機を容易に撃墜した。
その間に、同数のメッサーとグスタフ・カールが空中で遭遇したが、共に、ジャンプ・フライトしかできないモビルスーツは、こぜり合いていどで、十数秒の時間をついやした。
ガンダムに半数のグスタフ・カールを撃墜された部隊は、瞬時に後退をして、ハサウェイは、モビルスーツ戦を交えている上空から、グスタフ・カールを狙撃していった。
それは『七面鳥射ち』といわれるような一方的な展開になった。
僚機が撃墜されるのに気がついたグスタフ・カールには、後退するものもあったが、それらはメッサーに撃墜されて、ハサウェイたちが取り逃したのは、三機にすぎなかった。
グスタフ・カールを支掩するベース・ジャバー、ケッサリアは、交戦当初に味方軍の不利を見てとって、後退した。
ともすれば、取り逃した三機のダスタフ・カールは足がなくなって、ジャンプ・フライトで後退するしかなかった。
「オエンベリまで押しだす」
ハサウェイは、無線でそう命じると、高度五十メートルを前進した。
後続のメッサーは、ギャルセゾンにその身をまかせると、ガンダムを追尾した。
5 マーク オブ オエンベリ
|Ξ《クスィー》ガンダムは、後退するグスタフ・カールを見つけた。
「すまないが……」
ハサウェイは、グスタフ・カールのバーニアの集中している足を狙って、ビーム・ライフルを発射した。
核融合炉の爆発を誘発させないで狙撃するのは、意識すると難しいものだが、この時、ハサウェイはそれができた。
姿勢を制御しているバーニアの損傷は、重力下のモビルスーツにとっては、堪《たま》ったものではなかった。
そのグスタフ・カールは、真横に機体を回転させるように落下して、傾斜面に肩をぶつけるようにして、乾燥したクリークにころがっていった。
のこったバーニアを制御するコンピューターは作動しても、排気ガスの循環を変換させるシステムは、コンピューター内を走る電気信号より早いことはない。
乾燥したクリークに落ちたグスタフ・カールの処理は、後続のメッサーがするだろう。
モビルスーツのパイロットは、武器がつかえても機体が動かなくなれば、抵抗はしない。ひたすら自身の生存を考えるからだ。
「うっ!? 逃げるのか?」
オエンベリの町の廃墟といったシルエットから、影をわけるようにして離陸する機影があった。
接近するか、距離はあるがここから狙撃するか!? 敵味方識別のコンピューターは、その機影が、連邦軍のベース・ジャバー、ケッサリアであることの識別をためらった。
「…………?」
その間、ガンダムは、さらに接近していた。
敵影は、攻撃はしてこなかった。
「どうした?」
と、その機影がふたつになった。少しずれながらふたつの機影がカメラにとらえられた為に、コンピューターが識別をまよったのだ。
「…………!?」
ハサウェイは、ビーム・ライフルを発射した。
それは、手前の一機を直撃し、ガンダムは、その爆発のうえを飛び越すようにした。
赤から白に変じた爆光は、その周囲から黒い煙を渦状に巻きあげていったが、その下に、もう一機のケッサリアが、地に伏すようにすべっていくのがみえた。
「…………!」
ハサウェイは、そのケッサリアは、捕獲できると思った。周囲に敵のモビルスーツの支掩はない。
「…………!」
ハサウェイは、後続のモビルスーツ隊に、ガンダムの身振りで、周囲を堅めろというサインをおくると、そのケッサリアにむかって落下した。
ザグンッ!
ケッサリアのブリッジの一方にあるミサイル・ランチャーの発射口を蹴飛ばして破壊した。
それは、落ちたビルの屋上から、さらに下の階層の屋上に横すべりをして、停止した。
爆発したケッサリアの破片が、雨のようにふって、さらに、その黒煙の上空には、味方のギャルセゾンとメッサーが、夕方の明りがのこっている空に、その機体をかがやかせた。
ガンダムの装甲にぶつかるケッサリアの破片が、乾いた音をたてた。
ハサウェイは、ビーム・ライフルの銃口を、ケッサリアのブリッジにむけた。
「クルーは、武器をすてて、外に出ろっ!」
外部音声にして、ハサウェイは命じた。
ガンダムの背後のビルは、落下したケッサリアの破片で、火がついたようだ。
「足場がない」
そのケッサリアのハッチからのぞいた連邦軍の士官がさけんだ。
「ロープを使えばいいっ!」
ハサウェイは、そんな彼等のあわてふためいた反応に、腹をたてた。脱出用のロープぐらいはあるはずだし、彼等に、その行動を取らせることで、丸腰であることを確認しなければならないのだ。
「エメラルダ! ハーラ、ハイン! 消火だ!」
ハサウェイの指令に、三機のメッサーが降下し、のこりの三機は、さらに前進していった。
「オエンベリ軍の連中を追うぞ!」
ミノフスキー粒子の干渉ノイズのなかから、ガウマンの声がきこえた。
「そうしてくれ!」
ハサウェイの目は、正面のケッサリアのハッチから動くことはなかった。
三人の士官らしい影が、縄梯子で数メートルの高きをおりると、パイロット・クルーが二人、梯子にとりついた。
「動くなっ! 動いたらビーム・ライフルで焼くぞ! 貴様たちがここでやったことを考えれば、そうなっても、文句はいえまいっ!」
ハサウェイはそう宣言すると、コックピットのハッチをひらいて身をのり出した。
が、機体の背後から火事の熱風が、機体前面に巻こんでいて、その熱さにハサウェイはギョッとした。
「…………!?」
内心、敵の士官たちがおびえる理由がわかったものの、それは無視して、ハッチの厚みを利用した物容《ものい》れから、一本のロープと手錠を取り出すと、彼等のちかくに投げた。
「そのロープで、全員の両手をうしろ手に縛れ。最後の奴は、その手錠を、自分の手首と近くの固定物にかませるんだ!」
「こんな火のちかくは、勘弁してくれっ!」
一番上の階級の士官が、両手をふりまわして、哀願した。
「道路の反対側までの移動はみとめる……そうだ! そこまでだ!」
ハサウェイは、威嚇のための拳銃をふって、彼等の行動を牽制《けんせい》した。
なんどか、火の粉が、彼等のほうに舞った。
ハサウェイは、背後の消火作業がおさまりはじめるのを見届けてから、ギャルセゾンを降下させて、捕虜たちを警護させた。
ハサウェイは、ガンダムをオエンベリの町の郊外へジャンプさせて、カメラが写しだした惨状の現場に降下していった。
「……これは一方的だったんじゃないか」
その原野の累々《るいるい》たる死体は、どのくらいの数があるのか、ちょっと見当がつかなかった。
キンバレー部隊が、ここにはいって数日である。
その間に、これだけの数の死体をならべられるということは、その戦闘がどういう性質のものだったか、想像がつく。
熱帯気候のこの場所では、すでに腐敗をはじめた死体がほとんどだった。その匂いは、地上から十数メートルのコックピットにまで漂ってきた。
ハサウェイは、サーチライトを一度だけ流して、それを消してしまった。
一瞥《いちべつ》しただけのハサウェイには、白骨化してバラバラになったものは見えなかったが、いくつかのディンゴ(野犬)のうごめく影はみえた。
「これが人間のやることか……」
オエンベリは、人口千にみたない鉱山開発の町である。つまり、この死体のほとんどは、外からきた者なのだ。
「集結してマフティーを騙《かた》る連中も連中だが、これをこういう形で粛正《しゅくせい》するというのも尋常ではない……」
なにかすべてが狂っていると実感せざるを得ない。
その瞬間、ハサウェイは、自身の行為の正当性については、思いいたらなかった。
すさまじい現実を前にすれば、こんなことをする連邦軍の行動を阻止しょうとするハサウェイたちの行動は、まったく正当なものに感じられるのだ。
「…………!?」
ハサウェイは、シートの前のななめに倒したコンソール・パネルのスピーカーが鳴ったので、マイクをとった。
「ちょっとひどいよ。火事のあったビルより、北に数軒きたところにいる」
エメラルダ・ズービンの声は、怒っていた。
「ああ……こっちもひどいものを見てしまった」
ハサウェイは、シートにすわるとハッチを閉じもしないで、ガンダムをジャンプさせた。
その勢いで、コックピットにこもった死臭を消したかったのだ。
煙が消えないビルをまたぐようにした。
メッサー二機が立っている左の三階建てのビルの二階から懐中電灯の光がふられた。鉱石やウラン採掘業の事務所があつまったレンタル・ビルのようだ。
「こっちです!」
二階のベランダから懐中電灯をふっていたロッド・ハインが、呼んでくれた。一階の右半分は、スーパーストアーになっているようで、消えたネオンの列が見えた。
「スーパーの食料品は?」
「みんななくなっています」
ハサウェイは、ロープで二階のベランダに降りた。
「地下は?」
「コンテナ類でいっぱいですが、たいていカラです」
「どうしたんだ? エメラルダは」
「キンバレー部隊のつかまえた捕虜がいたんです。このビルが、キンバレー部隊のベースになっていたようです」
ロッドが、ハサウェイの足下を懐中電灯で照しながら、事務所のひとつを横切って、廊下にでた。ハサウェイも手にした懐中電灯をつけた。
「嫌な臭いがするでしょう?」
ロッドが眉をひそめたが、ハサウェイにはなにも感じられなかったので、軽く首をふった。
「そうですか? 嫌だな。肉の腐った臭いですよ」
ロッドは不服そうに、ブイッといった。
「ああ……もっとすごい死体の数をみてきたばかりだ。鼻がバカになっているんだ」
「……そうだったんですか」
ロッドは、すぐ気分を直してくれたが、すぐにこわばった声で、
「ホラ……!」
右手の部屋に懐中電灯をむけた。数体の遺体が、懐中電灯の光のなかに転がっていた。
「かなり痛めつけられたようです」
「らしいな……」
ハサウェイは、背中をむけた男のうしろ手にされた手首に針金が巻きつけられているのを見てとった。指先もペロンとした印象に見えたので、その理由を捜したが、すぐに分った。
爪がなくなっているのだ。
「ハサウェイはきたの?」
前方の廊下に懐中電灯が走って、エメラルダとハーラ・モーリーの影が出てきた。
「ここだ!」
ハサウェイは、こたえながらも、自分のふった懐中電灯が、別の部屋のなかに吊されている男の全裸の姿を浮きぽりにした。
からだ全体が黒く焼けているように見えたのは錯覚ではないだろうが、もう一度見直す勇気はなかった。
「奥には、まだ息のある者がいるらしいんだ」
「そうか……」
ハサウェイが答えたとき、その前方の光のこぼれている部屋から、ハーラが出てきた。
「水、取ってきます」
ハサウェイは、ハーラの動きに納得して、続いて出てきたエメラルダに懐中電灯をむけた。
「しゃべれるのか?」
「さあね……」
エメラルダは、ハサウェイの前に立ちふさがるようにしたので、ハサウェイは、明りのこぼれている部屋を彼女の肩越しに見やった。
「女か?」
「ああ……メチャメチャにされている。ぽやぼやしていると自殺するかも知れない……そのほうが、いいかも知れないけど……」
エメラルダはロッドの腕をつかんで、明りのこぼれている部屋には行くなと顔をふった。
「でも、気を取り直したら、自殺するんでしょ? 黙認するんですか?」
ロッドは、エメラルダの処理に文句をつけた。
「あのな。今はできないよ。そんな力はない」
「どういう状態なんだ?」
「ハーラ、説明してやんな」
エメラルダは、もどってきたハーラの手から水筒をうけとると、光のこぼれている部屋にもどった。
「この階は、ほとんど私設軍隊。つまり、オエンベリ軍の捕虜が監禁されていたところです。生きのこっているのは、今、エメラルダの行った部屋の女だけで、あとは全滅。なかには、死後、数日というのもあります」
ハサウェイは、道路ぎわの事務所のひとつに行きながら、ハーラの報告をきいた。
「……連中がいたところはどこだ?」
「上の階です。屋上から、ダスタフ・カールのコックピットに乗れますから」
「ああ。そうだろうな。道路ぎわの事務所は、監禁にはむいていないものな」
ハサウェイは、普段のようすを残した事務所に電灯を走らせてみて、そんなことをいった。
「連邦軍の捕虜をここに呼ぽう」
ハサウェイは、当てつけがましいことを承知で、そういった。そのくらいのことは、しなければならない、とも思ったのだ。
『嫌なことだが……』
ハサウェイは、そんな自分の感情の反応を嫌悪したが、抑えることはできなかった。
6 マフティー・ナビーユ・エリン
夕食がおわったギギ・アンダルシアは、ケネス・スレッグから電話をうけた。
「すみません。おいそがしいなか……」
「ああ、そうだよ。なんだ?」
「明日はやくホンコンに行きたいんだけれど、飛行機あるかしら?」
「……なんだと? もういなくなっちまうか?」
「あたしにだって仕事はあるよ。伯爵のために、すませることはすませておきたい。そうすれば、また、こっちにもどってくることもできるかもしれない」
「そうか……それなら、おれのところから出る便がある。それに乗るか? ええと……明日のC三十八の出発は何時だ」
ケネスは、奥にいる部下にきいた。
「……今夜は、もう遊びにきてくれないんだ?」
ギギの甘えも、計算のうちである。
「あのな? こっちは、閣僚の護送計画を押しつけられたり、いそがしいんだよ」
「だって、きのう今日って、けっこう輸送機が出ていったじゃない? 行ったり来たりさ」
「スパイやってんのか?」
「誰のために?」
「……ハサウェイだろ?」
ケネスが引っかけてきた。
「ここにいれば、基地から出る輸送機が見えるのは、大佐だって知っているでしょ?」
「分ったよ……今日まで、アデレートの支掩作戦がうまくいっているのは、ギギがいるせいだと思っていたがな……」
「そう思ってくれて嬉しいわ。でも、これから遊びにいっても、会ってくれないんだ?」
「今夜はな。あすは、迎えにいける」
「つまんない」
「つまらんな……しかし、ギギ……」
「人生なんて、こんなものさ」
「……出発は八時だ。七時には迎えにいく。それでいいな?」
「はい。じゃ。大佐、おやすみなさい。あたしの夢をみてもいいよ」
「すまんな、そうさせてもらうから、きれいにしておけよ」
「はーい」
ケネスの機嫌のよい声にも疲れが感じられたのは、ギギの耳のせいではなかった。
息のあるオエンベリ軍の女性については、エメラルダもほかの二人の女性クルーも口をとざして、男たちには、彼女の名前さえ教えてくれなかった。
「……どうして、こうなった? キンバレー・ヘイマン大佐?」
「……ノーコメントだ。マフティー・ナビーユ・エリン」
ヘイマン大佐は、マフティーのフル・ネームをいいながらも、若いハサウェイをマフティーとは信じていなかったので、ハサウェイの背後に立つクルーのなかに、本物のマフティーがいるのではないかとさぐる目つきをしていた。
「マフティーの声明をきいたことがあるだろう? ぼくの声はちがうか?」
「どうせ合成したものかなにかだろう。ききわけられんよ」
溜息まじりに首をふりながら、ヘイマン大佐は、左右の部下たちの反応をうかがうようにした。
「官僚体制の年功序列になれていれば、若いマフティーなどは信じられないだろうが、コネクションがあれば、年齢など関係がなく出世できるケースも知っているだろう?」
レイモンド・ケインがそういっても、五人の捕虜は押し黙ったまま、目だけをキョロキョロとさせた。
「我々だって自白剤などはもっていない。拷問で締めあげますか?」
ガウマンが、ドアのところでワザとらしくいった。
「それをさせるならば、オエンベリ軍の連中にやらせるさ。な?」
「連中の手に渡すのか!?」
さすがに、ヘイマンのわきにすわっていた少佐が、上体を乗りだすようにして叫んだ。その顔は蝋《ろう》のようにすきとおって、頬にはかすかに毛細血管が浮き出ていた。
「ここに収容した連中を、諸君らがどう処理したか知れば、そりゃ、諸君らは、報復はうけるだろうな」
「それだけは、勘弁してくれ」
その定形すぎる少佐の哀願に、ハサウェイは厭になった。
「諸君は、ここに集結した軍隊らしい集団を、マフティー・エリンの一翼《いちよく》だとデッチあげたが、連中と我々はまったく関係がないのは、こうしてみれば分るはずだ」
ハサウェイのその言葉に、ヘイマン大佐は、床に落した視線をあげずに、口許に耳をよせなければならないような声でいった。
「連中だって、我が軍のパイロットを切り刻んだ。これは、彼等にたいする見せしめだったんだ」
「…………!?」
それでは、子供の喧嘩ではないか。
ハサウェイは、彼等軍服を着た男たちが、精神的にものすごくモロい大人たちではないかと疑った。
「おれたちは、閣僚の粛正で分るとおり、ターゲット以外にはなにもしない」
「拷問をしなくても、情報は山ほど手にいれられるからな?」
ガウマンの言葉に、レイモンドがせせら笑うようにつけくわえた。
「彼等に、少しは、死臭の厭さかげんを知ってもらう」
ハサウェイはそう言いのこすと、ガウマンとともに、階下におりていった。
ガソリン発電機の音が、ベランダのほうでやかましくしていた。
しかし、そんなものも十分な数はなく、廊下の足場は不自由だった。
「……どうするの? 連中?」
「捕虜は大切にあつかう」
「しかしな、連中は、キルケー部隊とは別のものになっちまったんだぞ? 今後の対策になる情報も知らない連中なんだ」
「足手まといにはなるが、捕虜交換などで利用できる」
「ケネスという奴は、そういう玉かよ?」
ガウマンは、ケネスによって人質にされた身であった。ケネスのやり方が、普通でないのは、ハサウェイ以上に骨身にしみていた。
「世論に訴えるばあいには有効だよ。その程度の利用方法でも、ないよりはいい」
ガウマンは、ハサウェイの言葉には答えず、廊下を右にまがった。
その廊下のほうから、人が安堵の時にみせる笑い声と私語がきこえた。そのざわめくドアを、ガウマンがひらいた。
道路に面した事務所の臨時の照明は、ハサウェイの目にはまぶしかった。
「…………!」
ザワッとした空気がシンとなり、ガウマンの呼びかけが、ならず者のような人びとのかもしだす空気をふるわせた。
「ファビオ。ファビオ・リベラ! マフティーだ」
ハサウェイの視力が、逆光のなかでなれる間に、数人の人影が立って、そのなかのひとつがズイッと迫った。
「どいつがだ?」
ひどいスペイン訛《なまり》のある英語だった。
「……あんたかい? マフティーを騙《かた》っていた男は?」
ハサウェイは、目の高さにあるファビオ・リベラと呼ばれる男の顎鬚《あごひげ》を凝視した。
「……? まったくよ。これが、冗談でなければ、おれは、ヒヨッコの名前と知らずに騙って、おれの名前を落としちまったらしいな? ええっ!?」
その声に呼応して、背後にたむろする数人の男女が、ドッと作り笑いをあげた。
「……それは、あんたの想像力が不足しているからだろう」
「なんといった?」
そういった顔が、ハサウェイの前に降りてきた。
「考え方がステロタイプだといった。しかし、それは、ぼくの方もおなじで、他人をバカにはできないと思っているよ。このオエンベリでマフティー軍だと騙っている者がいるとしたら、その人は、インテリジェンスがある人だと思っていた。できることならば、そのリーダーに会いたいが、死んでしまったか?」
「なんでそう考える?」
「そういう人物ならば、モビルスーツを相手に、拳銃でも戦うような人物だ。この戦場で死んでも不思議はない。それは、ぼくの想像力のないせいで思いついたことか?」
「いいたいのは、それだけか?」
「そうだ。生きのこりのなかで、リーダーというのは、貴様か?」
男の鼻息をよけるように、ハサウェイは、半歩だけ身を横にずらした。
「このファビオ・リベラが、ここの土地で抵抗線をはる号令を出した。連邦軍の物資の横流しを利用して、空軍の編制まで考えたんだ。それは、このおれに反連邦政府運動の理念があったればこそだっ。貴様のような若僧よりは、キャリアはあるつもりだ」
言葉遣いは粗野だが、いうことは確かなようだ。
これならば、確かに、人を統率する能力があるだろう。
人心をつかむということでは、彼のような性格の方が、たやすいことかもしれないとは、ハサウェイにも了解できた。
しかし、負けている場合ではなかった。
「それほどの男ならば、マフティーを騙ることはなかったはずだ。しかし、マフティーを騙ったのは、姑息《こそく》だったな。言い出したのがあなたなら、魂胆が汚いな?」
ハサウェイは、はじめてファビオの視線の中に、視点をあつめた。
「ホウ!……よくいうな? フフフフ……。どう汚いのだ?」
「我々マフティーの動きを、目くらましに使った。しかし、キンバレーが、意外と強気で出てきた。それが、この結果だ。リーダーならば、この結果の責任を取るぐらいの覚悟はなければならない」
「……フッ……!」
ファビオ・リベラは身を引くと、ハサウェイの言葉を真正面からうけとめて首をふった。
「……だから、おれは逃げなかった。だがな、そのことでいえば、貴様たちマフティーの動くのも遅かった。そのために、こうなったということはある」
「知るかっ。勝手に動いてっ」
「こっちは、クワック・サルヴァーと連絡をとる方法も分らなかったんだ」
ファビオは、両肩を大きくすくめながら、背後の部下たちにも、謝罪するようにした。その姿は、見た目より実直な中年男と見えた。
「……君たちオエンベリの軍は、不法居住者を中心とした陸軍の結成をめざして、アデレートで、閣僚たちを一気に殲滅《せんめつ》するつもりでいたのだろうが、脚がなかった。それでハウンゼンの強襲だ。やりかたが杜撰《ずさん》でドロナワ的だ」
「ファビオッー! 我々は、その若僧がいうほど、失敗はしていない。ビデオを持った連中が、宇宙に脱出すれば、風はまた我々の方に吹くんだ」
不精髭で顔がうまった青年が、ファビオの背後で叫んだ。
「……!? 今、その若者がいったことは、どういうことだ」
「なに、この戦場でキンバレー部隊がやった虐殺行為を撮影したテープを宇宙に持ち出した仲間がいるんだ」
「たどりつけるものか」
ガウマンが、はじめてハサウェイの前に出た。
「我々だって、全員が全員、不法居住者じゃない。それに、地球から宇宙にあがるチケットは、簡単に手にはいるのは知っているだろう?」
「どういうテープなんだ? コピーはないのか?」
「そんなよゆうはなかった」
「……あのね。あたしたちは、退路をふさがれて、モビルスーツで踏み潰され、握り潰されたんだ。そういうやり方をしたのがキンバレーなんだよ!」
デスクの上であぐらをかいていた女性クルーが、金切り声をあげた。だいぶアルコールがはいっているようだ。
「……モビルスーツでか?」
「ああ……あたしたちは遊ばれたんだ!」
ハサウェイは、その彼女の言葉で、あの郊外の死体の光景が納得できた。
しかし、モビルスーツでそんな行動をとるのは、きわめて効率の悪いやり方である。
見せしめにやったにしても、ここの戦場のことは報道されることはないので、その効果も期待できないはずで、ちょっと信じられない話なのだ。
しかし、一部のモビルスーツにそういう行動があって、それを見た者にとっては、キンバレー部隊全体の作戦だと思いこむことはある。
「メイホウ、やめなよ。マフティーなんていったって、こっちの苦労なんかは、ロボットの頭越しにしか見てない連中だ。キンバレーと大差ないんだよ」
その女性クルーの背後から、そんな声がとんだ。
「誰だ! そういったのは!」
拳をふりあげたガウマンをハサウェイは制すると、その手首をとって部屋をでた。
人がふえると事態が複雑になって、混迷するだけである。そんななかで、次の行動指針をしめそうとすると、どうしても力づくになる。
これが、マフティーの組織をつくるときに、クワック・サルヴァーが、もっとも腐心《ふしん》したところである。
ハサウェイには、今の局面は、そんな風にみえた。
「なんだよ!?」
ガウマンは、暗い廊下でハサウェイにかみついた。
「ここを撤退する」
「しかし、あんなに好きにいわれて……!」
「マフティー!」
ふたりの背後からファビオの声があがり、事務所の光のなかから、彼の巨体が、ハサウェイの方にはしってきた。
「なんで今後の相談をしない? マフティーといわれている男ならば、もう少し先のことを考える頭だって持っているはずだ」
「本当のことをいって、あなたを怒らせたくなかった。だから、黙って引き上げた」
「いうな……小僧……」
「そういうあんただから、手を握る気はないってことだ」
ガウマンは、噛みついた。
「しゃべるな! マフティーさんよ? おれの話は、筋ちがいか?」
「あなたの推測では、五千人ぐらいの生きのこりが、オエンベリ周辺に散ったということだが、散った連中が再集結しても、我々には食わせていける力がないんだ。だから、お互いに将来はない。だからこのまま別れたほうが賢明だ」
「……おれの睨んだとおり、おまえらは意気地なし共だな?」
「経済のことを考える頭はあるよ」
その三人のようすを覗くようにした影が、事務所の光のなかから、近づいてきた。
「奴はチャング・ヘイだ……だから、おれたちは、独自の資金源をおさえたかった。それがハウンゼンの襲撃だった」
「ラフすぎたよ。乗客は閣僚だけではなく、キンバレーの後任のケネス・スレッグ自身が乗っていた。彼がハイジャッカーを制圧した」
「よく知っているな。……どうするつもりなんだ? マフティーは?」
ハサウェイは、ファビオの気分がおだやかになったので、ガウマンにちかくのドアをあけさせると、そこにはいっていった。
腰の懐中電灯をデスクの上において、それをファビオにむけた。
「……今まで通り、堅実に閣僚粛正を続けるだけだ」
「アデレートでか?」
「いかんか?」
懐中電灯の小さな光の中からはみだしたファビオの薄汚れた巨体が、忙《せわ》しげに揺れながらも、ニタリとした。
「そりゃない話だな。おれたちは近くの空港を襲って、航空機を奪う。そして、コワンチョウに飛ぶぜ」
「コワンチョウ?」
ハサウェイは、今日チャチャイたちがいっていた中国の都市名を思い出して、その位置を頭に描いてみた。
「……地球連邦政府の閣議が開催される場所が、そっちになったんです」
ファビオのうしろにたったチャング・ヘイが、断定的にいった。
「……おれたちは、その情報は、ダミーだと思っている」
ガウマンの言葉に、ファビオがチャングの方に手を出したので、チャングは、ウインド・ブレーカーの懐中《ふところ》から数枚の紙を取りだして、そのなかの一枚をファビオに渡した。
「……この電文だ。ダバオからホンコン政庁に出した無線だ。キンバレーが使ったミノフスキー粒子が薄くなった直後に、偶然傍受した……ええと……刑事警察機構長官ハンドリー・ヨクサンからアジア地区刑事機構へ、コワンチョウへ陸戦隊を増援しろという指令だ」
「フン……」
ハサウェイは、あらためて、ハウンゼンとダバオの空港で会った端正な身だしなみの長官の顔を思い出して、ファビオにしゃべらせたままにした。
「ハウンゼンのこと、ハンドリー・ヨクサンのこと。これで、閣僚会議がコワンチョウに変更になったとみるな。ほかにも似たような無線が、ひんぱんに傍受できている」
「ハウンゼンには、全閣僚の三分の一が乗っていたんだぞ? 傍受される無線で、そんな連絡をすると思っているのか?」
「では、どこだ?」
ガウマンの強気な発言に、ファビオが動揺したようだった。
「アデレートだよ。変更はない」
「なんでそういえる?」
「閣僚共は、年寄りのおっくうがりなんだよ」
「ハハハハ……!」
ハサウェイの言葉にさすがに、ファビオが大声で笑った。
「それこそ、論拠がないってもんだ。手前こそ、杜撰だぜ? まぁ、健闘をいのる」
ファビオは立ちあがると、懐中電灯の光のなかから消えた。
チャングが、懐中電灯の光のなかに残った。
「でも、マフティー。我々のテープが宇宙で公開されれば、現在の連邦政府の閣僚は、総辞職を余儀なくされます。それで、マフティーの目的のひとつは達成されましょう?」
「フン。それが本当ならば、人殺しなどはしないですむってものだ。テープ一本で世論はさわいでも、連邦政府は、地球で安穏とするよ!」
ガウマンは、頭から否定した。
「それも知っていますから、私設軍隊をつくってでも、戦う姿勢をみせなければならないんじゃないですか」
「チャング・ヘイ。君のような人が、オエンベリ軍にいることは心強い。しかし、我々は、ダバオを叩かなくてはならないところを、君たちのおかげで、その時期を逸した。新型のモビルスーツを叩くチャンスを潰したんだ」
ハサウェイはそういうと、ドアの外に出た。
ハサウェイは、エメラルダたちにも撤退指令を出すと、キンバレーたち捕虜を|1《ファースト》ギャルセゾンに移動させた。
「オエンベリ軍の連中は、ロクな救急車も持っていない。息のある者たちもこちらに収容しろ」
そのハサウェイの命令に、エメラルダが肩をすくめた。
「…………?」
「死んだわ。ファビオさんたちに知らせて、彼等に埋葬させたら?」
「あの娘が……」
「ええ……」
「そうか。仲間だった者に葬式を出させるほうがいいか……」
そうして、ハサウェイたちは、オエンベリを撤退した。
7 ギギ & ケネス
「マフティーを取り逃がしたよ。きのうのうちにオエンベリに追いついていれば、連中の主要なマシーンを殲滅できたんだがな」
翌朝、ケネス・スレッグ大佐は、約束どおりギギのコテージの前にあらわれて、そんなことをいった。
しかし、彼は、眠そうでもなければ、本当に因っているという風でもなかった。
「そうかしら? 本当は、ペーネロペーの修理に手間取ったんでしょ?」
「そうだがな。しかし、レーン・エイムだって実戦を経験した。これでもう、海に叩き落されることはないさ」
ケネスは、このコテージのメイドが運んできたギギのスーツケースを受けとると、それを道路上の車に運んでやった。
彼は、自分がしていることのバカさかげんは知っていた。
二十歳になるかならないかのギギのような少女のために、作戦中に、その荷物運びをするのは、道化《どうけ》以外のなにものでもない。
それでも、彼女の前にでると、三十すぎたケネスが、これでいいと思いこんでしまうのである。
「その上に、閣僚の護送もあって、負担なのね?」
ギギは、自分の手荷物のなかから、気にいった衣裳を身につけることができたので、機嫌が良かった。
運転席には、中年の下士官が、仏頂面をしてすわっていた。
「そうなんだよな。それでもな、閣僚といわれるほどの人たちだ。いちおうは、ダミー情報を流すことぐらいは命令してくるから、こっちの仕事がふえるだけで、部隊の仕事ができなくなっちまう」
ケネスは、結局この娘の前では、無自覚にロが軽くなってしまうのである。
これも、人生の華《はな》なのだ、とわり切るしかなかった。
几帳面《きちょうめん》だけが、人の生き方ではあるまい。
女房がいればみっともないことだが、今のケネスにはそういう存在もない。あるとすれば、あのハウンゼンでホステスをやっていたメイス・フラゥワーのような女がちかくにいた時だと思うが、それはそれで、ケネスにとって別の楽しみなのである。
部隊に落ちついて、ハウンゼンがホンコンにもどった直後に、彼は、彼女のアパートメントに電話をしておいた。
彼の立場で、そんな電話番号を手にいれるのは容易なことなのだ。
留守番電話で、彼女が当分ホンコンにいることが分ったので、ケネスは、こちらの電話番号を録音しておいた。
そんなことも、ギギのスーツケースを運ぶのと同じくらいに、他愛のないことなのかも知れない。
彼女が、バカな男から電話があったと思って忘れてくれれば、それまでのことで、それは、すこしばかり屈辱的なのだが、それがどうしたといえば、それだけのことである。
メイスから電話があって、会いたいわ、とでもいってくれれば、それはそれで儲けものである。
実戦に巻きこまれるかもしれないという可能性がみえたときから、ケネスのなかに眠っていた助平根性が、丸出しになったのである。
そんな対象として、メイスは少しばかり若すぎて、ケネスの負担になりそうだったが、ギギほどではない。
この娘は、特別で、ゲン担《かつ》ぎの要素があって、それはそれで、軽視できないのである。
ケネスは、ギギのとなりにすわっているだけで、娘をかたわらに置いているような楽しさを感じていた。
これで、セックスができればいうことはないのだが、テーブルをどけてまで襲いかかろうとは思わなかったし、それをやったら、ゲンが落ちるかもしれないという恐れもあった。
「ギギ……」
「なあに?」
「気になることをいったな? さっき……」
「え……? 閣僚の護衛のこと?」
そのギギの言葉に、ケネスは、やはり、彼女の感性はすごいと直感していた。
今のケネスは、一言しかいっていない。
その彼の言葉から、コテージのメイドはいい人だ、とかの他の話にもちだすのが普通であろう。しかし、ギギはそうではなかった。
ケネスにしても、ギギの感性をためしたくて、言い出したことではないのだが、ギギのその反応に、彼女の悟性《ごせい》のありようを探らなければならないと緊張した。
「……ああ。そう感じたのは、なぜだい? おれは、閣僚護衛というように目的語を話していないがな?」
「難しいのねぇ……どこで、そう生真面目になるんだろう?」
「真面目か……ハハハハ……そうだな……。宇宙にいるあいだは、モビルスーツの開発をやっていた。つまりな、管理する技術者はいても、最終的には、開発する品物を相手にしていただけだ。しかし、ここにきてから、味方も軍隊という組織であるよりは、できのよくない人間そのものだ。そして、敵っていうのも人間だ。となるとな、なんというか、人間にたいしてナーバスになるんだよ」
「フーン、フンフン。管理職になると大変なんだ」
「そうだ。そうだ」
ケネスは、ギギのうなずく呼吸をまねて、相槌《あいづち》をうってみた。
しかし、ケネスの質問に答えられる人間などはいるものではない。
「わかんないよ。女の勘……そう思いなさい」
「それが知りたいんだ。その勘というのは、どこから出るのか、さ」
「そりゃ、あたしの方がききたいわ。男の理屈ってあるでしょう? 女には理解できない一方的なもの」
「そうかい? 男のそういうものが……どこから出るか?」
「ウン」
ケネスは、ギギの言葉にドキッとして、彼女の横顔をみた。
この言葉の応酬の巧みさは、愛人をやっているギギの経歴がいわせることなのだろうかと思った。
横から見たギギのブルーの瞳が、なにも写していないように見えて、そのむこうに流れる緑の光景が、ギギの横顔を吸いこむようにはしっていた。
「……分らないね。自分がもともと持っているものって、説明できないな」
「そうよ。そうなのよ。あたしの心は淋しいのよって、その理由なんか、説明できないよ」
ギギは、いたずらっぽくケネスをのぞくようにすると、
「ね、ハサウェイ・ノアの住所おしえて……」
「ああ、これだ。会いに行くのか」
ケネスは、約束していたことなので、用意してあったメモを、懐中からとりだした。
「フン……この住所、ここから、陸つづき?」
「まさか。ここから南は、島、島、島。オーストラリアまで全部島だ。続いているところなどはない。それでこっちの勘が狂うんだ」
「なら、オーストラリアならいいんだ?」
「陸続きだっていっても、オーストラリアは、旧世紀時代からロクに人間が住めなかった大陸だろう? スペース・コロニーとは違うな」
「そうねぇ……。スペース・コロニーの密閉空間は、人間の理性を狭くしたかも知れないけれど、それは、地球にいても同じだって感じたわ……あたしには、引力ってすごく重苦しいみたい。だからさ、宇宙に出ることが必然だったって、人間が考えたのは、いいことだと思うな」
ギギは、平気で話をそらしたが、意識しているようではなかった。
一人、放っておかれたので、そんなことがしゃべりたかったのだと、ケネスには思えた。
「そうだな。地球にいた頃よりは、人間の大脳皮質の働きは活発になっている、ということは、もう少し宇宙で訓練すれば、人間はみんなニュータイプになれるかも知れないな」
「そうね……ニュータイプか……革新した人間……そういうのっているんだよね」
「いるよ。悟りを自分のものにするだけではなくて、その周囲の人にも共有させるだけの力をもった人間という奴はねぇ……」
「それがニュータイプか! 大佐は、宗教家なんだねぇ」
「まさかよ。宗教なんて、そんな教義の檻みたいなものにとっつかまってたまるか。宗教じゃないよ。人間がもともと持っている……なんというかな、資質の話だぜ?」
「ああ! すごいねぇ。大佐……でも、そんな大佐が、なんで狂暴になるんだろう?」
「狂暴?」
ケネスにとっては、心の底で自覚するからこそ、嫌な言葉だった。
「別のいいかたをすれば、瞬発力がすごいっていってもいいわ」
「優しいんだな……フラストレーションだろ? 肉体をもち、感情をもって、解脱できないつまらない人間……オールド・タイプだから……それでイライラしている」
「マフティーも?」
「そうだろう……そうだな」
ケネスは、マフティー イコール、ハサウェイという図式を頭に浮かべたが、それを打ち消して笑ってみせた。
車は基地のゲートに入ったので、いったん停車して警備の兵の敬礼をうけると、エプロンにはしり出ていった。
ギギは、そこからキルケー部隊に所属する輸送機、ビッグ・キャリアーで、ホンコンにむかった。
同乗者は、閣僚会議の下打ち合わせでもするためにホンコンに飛ぶ数人の官僚がいたが、ギギの知らない人びとだった。
だから、ギギは、冷たい態度をよそおって、軍属であるように努めた。
が、その輸送機のなかで、ギギは、彼等の会話のなかにもアデレートという都市の名前が出てくるのを小耳にはさんでいた。
8 アパートメント
ギギ・アンダルシアがホンコン空港につくと、同乗していた官僚たちの出迎えに隠れるようにして、キルケー部隊の少尉が、ギギのスーツケースをとって、空港ロビーまで案内してくれた。
「新任の隊長さんが、きびしくて大変ね?」
「いえ、自分は、軍はこういうものだと思っていましたので、スレッグ大佐のやり方は、苦になりません」
若い少尉は、愛想良くギギがリムジンに乗るまで護衛してくれて、この街は、不法居住者の巣窟《そうくつ》だから、気をつけるようにといってくれた。
「ことに、ギギ様のいらっしゃる場所やリムジンを使うことは、すべて特権的な行為です。運転手には、チップを先に渡した方がいいでしょう。そうしませんと、身ぐるみはがされるようなことがあります」
「軍人のあなたが頼んでも?」
「はい。連邦政府のしめつけが激しくって、庶民を狂暴にしているというところがあります。マン・ハンターなどをつかった報復が、特権階級にくるのです」
「ありがとう。いい忠告をきかせていただいたわ」
「何かありましたら、この名刺の電話に」
そうして、少尉は、ギギを送り出してくれた。
彼には、このあと、ダバオにひきかえす便で、三人の閣僚とそれをサービスするために同乗するメイス・フラゥワーを出迎える仕事があった。
ハウンゼンに勤務して、ホンコンで休暇のはずのメイスは、ケネスの電話をうけてから、この閣僚を接待するという緊急の仕事を、会社から命令されたのである。
それはそれで、気晴らしになるつごうの良さがあって、メイスは、ダバオに飛ぶことにした。
そんなことを知らないギギは、旧世紀の遺跡になると思えるビルが林立している市内に、予想以上の人びとが往来しているのに驚嘆していた。
「それでも、旧世紀の繁栄した頃にくらべれば、十分の一ですよ」
リムジンの運転手は、そんな風に説明してくれた。
市街地をぬけて、山にむかう道路は、完壁に舗装されていた。
「自然環境のなかの道路がこんなに立派だなんて、これもスペース・コロニー以上ねぇ」
「最近の連邦政府の地球指向はすごいですからね。ユニバーサル・センチュリーも、もう一世紀です。地球汚染も緩和されたってんで、市内もこういう高級住宅地区にも、連邦政府の高官たちは、自分たちのために……」
リムジンの運転手は、ギギがその高級住宅街にむかっていることを思い出して、あわててロをつぐんだ。
「いいのよ。あたしは、そういう階級の人間じゃないの。愛人っていう情けない職業の女なのよ」
ギギは、運転席とキャビンをわけているプラスチック板をとおすような大きな声でいった。
運転席のバックミラーで、運転手とギギの視線があった。
「ハハハハ……お上手ですねぇ。ありがとうございます。そういっていただいて、気が軽くなりました」
かなり高度があがってから、リムジンは、瀟洒《しょうしゃ》なアパートメント・ビルの前に到着した。
正面のゲートの守衛が厳《いか》めしい顔をのぞかせて、運転手に、キャビンに乗っている客は誰か、ときいた。
「……ギギ・アンダルシア……きいていましょう?」
ギギは、ガラスを半分もあけずに守衛にいってやった。
倣岸不遜な態度が有効な場合というものがある。ここがそういう場所だった。
もちろん、そのやり方は、彼女のパトロン、カーディアス・パウンデンウッデン伯爵から教えられたものである。
「ああ……! ごゆっくりとしたお着きで、心配いたしておりました」
「ハウンゼンで降りてきましたから……」
「あ、はい! それはご災難でございましたな……。少々お待ち下さい」
守衛がゲート内にもどると、正面ゲートの厚いシャッターがゆっくりとあがっていった。
無線とか光センサーを使う方法を採用しないのは、ゲートを管理する人間を二十四時間やとっておけるというステイタスの象徴である。
さらには、職業を創出するという意味もあった。
かつての時代にくらべて、極度にすくない人手によって、食料と居住空間と日常消費製品を産みだせるようになると、働く必要のない人を増殖させたが、それは、人に良い結果を与えなかった。
完全福祉社会を実践した結果などから分るとおり、人は、一生遊びながら、人生を十全《じゅうぜん》に暮らすには、極度の才能と意思が必要だ、と理解されるようになった。
無条件で平穏に暮らすためには、その人が、生来《せいらい》そのような暮らしができるおだやかな性格を有しているか、堅固な意思をもつ場合に限られている。
そういうものがない場合、人は自堕落におちいった。
かつて、地球各地に散在していた少数民族にたいする完壁な福祉政策などが、その端的な例であろう。墓場まで生活ができる保護政策は、良い形での混血さえ行なわせず、その小数民族の文化的遺産をのこす能力まで剥奪した。小数民族者は、生活に不安がなくなった時から、暮らしの戦いを放棄して、民族なり種族のプライドも伝統も喪失させていったのである。
その結果は、民族の消滅であった。
善的な様相をみせる棄民《きみん》政策があることを知るのに、人類は膨大な出費を強いられたのである。
そして、ユニバーサル・センチュリーにいたり、民族の混合がおこなわれるなかで、人はようやく福祉政策を限定した弱者にのみむけるようになり、人のアイデンティティを堅持していくためには、労働も必要なことであるという再評価が定着した。
「最上階です。眺望は、それはすばらしいものですよ」
「……そうでしょうね。ガッカリさせられたら、こんなところにくる意味がありませんもの……」
「ごもっともです……」
管理人は、東洋人特有のやや暗い愛想笑いをみせながらも、ギギのスーツケースを押して、赤いドアの前まで案内してくれた。
「ベッド・メイクなどの最低のしたくはさせておきましたが、新しい物がご入用ならば、すぐに、業者を呼びます」
管理人は、二つのシリンダー錠をつかって、木製の赤いドアをひらいた。この錠も、こういう機械的なものが安全であるとされているのだ。
彫りの深い赤いドアは、すこしも派手にはみえず威厳があり、そのドアのむこうの玄関口には、弧を描くように階段があって、その左には、小さなエレベーターもあった。
「車椅子はつかえますね」
「エレベーターですか? もちろんです」
「インテリアと家具の業者は、すぐに呼んで下さい。すこし変更したいところがあります」
ギギは、ホンコンの中心街をのぞめる居間から、食堂、メイン・ベッド・ルームと見てまわって、そう命じた。
「はい……」
下の階にある台所は、このアパートメント仕様の食器とダイニング・セットで我慢できると思ったのだが、階上の方は、早急に取りかえる必要があるとギギは判断したのだ。
「食器の業者も呼んで下さい」
「はい……」
「今夜と明日の食事は、配達は頼めます?」
「たいていの物ならば、ご注文に応じましょう。ああ、それに、とりあえずいれてあります家具類でも、お気に入りのものならば、このままお買上げ下さっても結構です」
管理人は、メイン・リビング・ルームにいれた応接セット一式と食卓セットと、メイン・ベッド・ルームのベッドのことをいった。
「そうね……」
ギギは、リビング・ルームにもどると、テーブルに置いてあった数冊のぶ厚いカタログを一瞥して、この管理人とそれぞれの業者が結託しているらしい雰囲気を感じながらも、ともかく手配を頼むと、管理人を追いだした。
夕方前には、数人の業者と値引き合戦をやって、一部屋分の壁紙の貼りかえと、カーテン類の注文まで出した。
本当は、良いものを手にいれるためには、時間も必要だったし、配慮すべきいくつものことがあった。
それが、今のギギに十分にできないのは、伯爵にたいする裏切りであったが、ギギは、急がなければならないのだ。
ギギが、カーディアス・バウンデンウッデン伯爵に評価されているのは、まさに、このような局面で、ある階級に属していると演じることができる才能にあった。
つまり、よい趣味をもって、商品を識別し、それを配置させ、それによって周囲を心服させる力である。
そのための仕事は、価格交渉から、仕事師の監督にまで及ぶのである。
そんなことであっという間に時間がすぎて、このアパートメント・ビルに働く中国人の中年女性が、食事を運んできてくれた。
「…………!?」
彼女は、ギギが食事をのせたトレーを受け取ったときに、あからさまに手をだして、チップを要求した。
ギギは、その彼女の無愛想な態度に反感をもったし、その彼女の雰囲気こそ、伯爵がもっとも嫌うものであった。
ギギは、彼女にチップを渡しながら、
「いつでも、チップが出るとは思わないで下さいね? そういう態度では、ここをやめてもらうことになります」
その女は、何もいわず、プッと頬をふくらませた。
それで、ギギは彼女の解雇を決定すると、彼女を送りだしてから、すぐに、管理人に電話をいれて、その意思を伝えた。
「退職金は出します。いくらでしょう?」
管理人は、ギギの剣幕に驚きながらも、結構な値段をいった。それならば、彼女も納得するだろう。この街で半年は暮らせる額だからとつけくわえた。
「……ホウさん? 明日からやとう人は、あなたとは違う姓の方にして下さい。そうなさらなければ、こんどは、あなたにやめていただくことになるでしょう」
彼は、中国系統の姓はとても少ないから、それは無理だと抵抗をした。
「中国の姓の数は、韓国よりは多いのでしょう? それに、日本系とか東南アジア系とか、今でもいろいろな人がこの街にはいるはずです」
そのギギの言葉に、管理人は、すべてご意思に従いますと宣言をした。
これも、ギギの仕事なのである。
ギギは、広い食堂で、一人、バカみたいに明るい照明のなかで、ダイアモンドにくらべることができない貧相なホンコンの夜景を見下しながら、食事をした。
そして、疲れを感じながらも、目の前のぶあついカタログに目をとおして、明日注文する家具のリストをパソコンに入力し、発信できるものは電話回線で注文した。
「…………」
ようやく、衣裳のすべてを脱ぎすてられる時間がきた。
ギギは、ハサウェイ・ノアが、自分の裸を見たときの反応を思い出しながら、メイン・バスルームをつかった。
ホテルに泊っているつもりになれば、前もって用意されたここの備品にも腹はたたなかった。
「……ハサウェイか……」
ギギは、何度かその名前を口にしながらも、彼が今、泥まみれになっているだろうと想像していた。
そして、ギギ自身、このような立派なバス・タブを使えるのは、今夜だけかも知れないと分っていた。
『それもいいさ……そう……!』
そして、ギギは、このアパートメントのお仕着せのダブル・ベッドのすみに小さくして、ひとり眠った。
9 アンダーウェアー オン ザ ベッド
ハサウェイたちが、ヴァリアントにもどった時は、明け方になっていた。
ガウマンたちは、発進した時と同じようにシーラックに合流するために、さらに南下していった。
「……ケリアをダーウィンに出したのか?」
「ああ、小型のジェットでな」
ケリアの話になると気が重いものの、パイロット・スーツの前をはだけていれる風のこころよさは、その重さを少しだけ拭い去ってくれる。
「誰が操縦しているんだ?」
「艦長が文句をいっていたが、ジュリア・スガを出した。むこうで受け入れ態勢の準備もあるしな」
「ああ……そうだな」
二人乗りのジェット機は、民間スポーツ用のもので、取りはずしのきく主翼をたためば、船のどこにでも置けるようなものである。
航続距離も現在のヴァリアントからダーウィンまでがギリギリという代物で、そんな小さな機体で、相性のよくない二人は行ったというのである。
ハサウェイは、二人の身を案じるより、内心、息をつけたという思いを実感して、そんな自分が情けなくなった。
『……死臭をかいだあとに、ケリアのことで思い悩むか……』
こんな世事というほどのことでないもので心が揺れてしまう自分に、ハサウェイは、唾棄《だき》したい気持ちだった。
修行がたらないのだ、とそう思う。
『おれには、世直しのインパクトを世間にあたえるという大義があるはずだ。そのためのギギであったはずだ……』
ハサウェイは、自分のいうことを信じてくれない周囲の若い空気には、疲れる思いがありながらも、やはり、ギギの魅力に惹かれている自分を認めないわけにはいかなかった。
その部分が、口惜しいのだ。
『どうかして、この肉体と感情的な欲望から離脱しないと、おれは救われないぞ……』
乾燥した風から、よどむ船室の空気のなかにもぐりこみながら、ハサウェイは、どうしたものかと思い悩んだ。
マフティーを受けてたった時から、ハサウェイは、かなり、内省的になっていた自信があった。観念にはしったといっても良い。
だから、ケリアをすこし忘れることもできた。が、ギギの出現は、そんなハサウェイの心をゆさぶり続けているのである。
『ギギがいたおかげで、ケネスという敵を知ることができた……それが、おれに余裕を持たせて、キルケー部隊に対していけるのだ』
そういう小理屈を頭にのせて、ギギのことに対処しようとした。
「けどね。ダバオが、アデレートをめざしているという確証を得たいためだし、大陸に展開している支掩部隊との連絡もある。だから、ケリアを出したんだよ」
イラム・マサムは、狭い船室のデスクに広げてあるチャートを示しながら、ハサウェイの憂鬱そうな気分をおもんばかってくれた。
「そんなことは、ダーウィンに潜伏している連絡員にまかせればいいことじゃないか」
ハサウェイは、冷蔵庫をのぞきこみながら、考えていることとは、ちがうことをいっていた。
「そうはいかんよ。さっきハサが話してくれたオエンベリ軍のファビオか? 連中の動静だって、こっちには利用できるかもしれないんだ。そうなれば、こちらの気分を知っている者を送りこむ必要はある」
「……ああ」
ハサウェイは、冷蔵庫からベーコンとブロッコリーの塊を出して、船窓の下のデスクに置いた。
「あれ以後、ダバオとホンコン、コワンチョウとの無線のやり取りが、ますますわざとらしくなっている。しかし、南下する輸送機も多いんだ。どちらも陽動という線は、まだ考えられるんだよ」
マサムは、チャートに書きこまれたキルケー部隊のマシーンの動きをしめした。
「しかし、そこまでの余裕は、キルケー部隊にもないよ」
ハサウェイは、パンにべーコンをはさんで食べながら、チャート上に、今後の自分たちの行動のルートをたどってみた。
「そう思うがね、キンバレー・ヘイマンにくらペて、ケネス・スレッグがきてからのダバオの動きはえらく活発なんだ。さすがにやり手だ」
「フーン……そうかい」
ハサウェイは、自分の知っている敵について、そういう評価を得られるのは嬉しかった。
好感が持てるだけでは、友人ではない。それにともなう実力があってこそ、他の友人に誇れる友人となるのだ。
しかも、ガンダムをもって対決する敵となれば、貧相では困る。
それは、ハサウェイが、戦場で知ったパイロットたち、ひいていえば、戦士たちの倫理であるとも信じていた。
弱者を倒しても、それは戦士でもなければ軍人でもない。
まして、パイロットではないし、騎士でも侍でもないのだ。
「ビノエ・ハーバーでも、少しは補給があるんだろう?」
「ああ、その予定だ。エアーズ・ロックとゴーラーの件は、ケリアがキャッチしてくれるだろう?」
そのマサムの見解をきいて、ハサウェイが蒸し暑いベッドにもぐりこんだのは、太陽がまたあつい陽射しを投げかける頃だった。
その同じ日の朝、ギギは、まだ半分眠っていながら、ハサウェイに電話をしなければならないと思いついていた。
「ああ……!」
気にいらないカーテンでも、それをとおす朝日の光はすてきに見えた。
全身の筋肉をのばしながら、その思いつきがまちがいでないと感じると、すばやくジョギング・スタイルになって、アパートメントを飛び出していった。
当直の守衛が、あきれながらも、そんなギギを怪しみもしなかった。
ギギは、帰りの登り坂のことを考えるとうんざりしたが、公衆電話を見つけるためには、街のほうに駆け下るしかなかった。
ギギのアパートメントの住所を知っているケネスのことである。監視はしないまでも、盗聴はしていると考えるのが、順当であろう。
ようやく、かなり下ったアパートメントの集合した通りに、数台の電話ボックスをみつけた。
「……ハサウェイ・ノアさん、いらっしゃいます?」
「いや留守だ。実習に出ていて、ここにはいないな」
海底ケーブルをとおした陰鬱そうな老人の声は、神秘的なものにきこえた。
が、ギギが驚いたのは、ケネスが教えてくれたハサウェイの居留地の電話番号が正しかったことだ。
これでは、うかつな連絡などはできない。
「アマダ・マンサン教授でいらっしゃいますか?」
「どなたかな?」
「ギギ・アンダルシアと申します」
「ハサウェイからきいた名前だが、どういうご用件かな?」
はじめにきこえた声は、すこし雰囲気をかえて張りのあるものになったが、警戒は解いていなかった。
「お伝えできますか? 今度のデートは、アデレートにしませんかって?」
「アデレートでデート? 突拍子もない話ですな」
「昨日、そうきめたんです。ダバオでは、次の約束の場所をきめられなくって、ケネスおじさんに相談したら、この電話番号を教えてもらえたんで、そう決めたんです。そう伝えて下さいません?」
ギギは、恋人の見知らぬ父親に電話をするように、緊張していた。
「今は、どちらにいなさる?」
「ホンコンです。本当は、そちらに遊びに行きたいんだけれど……ハサウェイは、先生が怖い人だからって……」
そういう言い方で、ギギは、教授にさぐりをいれた。
「それは、本人にきかんとな。彼は、電話のない場所に行くのが仕事だから、彼から連絡がないかぎりわたしにはどうしようもできん」
「でもね、わたしもまだ、自分のこと、よく分らないんです。ケネスおじさんのところに行くかもしれないし……」
「ケネスおじさん? ああ……。忙しい方なんだな?」
「そうなんです。あたしのファン多いでしょ? でも良かった。この電話つながって……また電話していいですか?」
さすが、ギギは、普通の人と思える歳上の人に、自分を誇示するような言い方をするのは恥かしかったが、話を軽く感じさせるためには仕方がなかった。
「それは構わんが、わたしだって、いつもここにいるとはかぎらんし……」
「そうですか……でも、今日こうしてあなたとお話しできただけでも、良かったと思うわ」
ギギは、この電話が盗聴されているというような忌《いま》わしいことがないことを祈りながら、坂道をゆっくりと駆けのぼっていった。
ダバオで大量|殺戮《さつりく》が行なわれたというニュースが、ケーブルTVのローカル・ニュースで報道されたのは、その日の午後、ギギが注文した家具が、搬入されている時だった。
映像は、ダバオのメイン・ストリートで血まみれになっているいくつかの死体を見せただけで、その背景にキルケー部隊とマン・ハンターと呼ばれる特殊警察の人影が、チラッと写っていたが、カメラが、彼等によって阻止《そし》されたようすはなかった。
しかし、映像自体はみじかいものだった。
「……どういうこと?」
ギギは、家具の配置を監督しながら、そのニュースの信憑性を怪しんだが、ウソとは思えなかった。
アナウンサーは、キルケー部隊が指揮をした不穏分子の掃討で、五百を越える逮捕者と百を越える死者が出たと語った。
夕方までに、趣味の悪い一部屋の内装が突貫工事で完了して、そこにも家具が運び込まれた。
その仕事がおわると、ギギは、一人、ベランダで食事をとった。
これで、二週間後に訪れるであろうこのアパートメントの主を迎えるための最低限度の準備はおわったことになる。
が、簡単にすましすぎた後悔は、どうしようもなかった。
なによりも、新品に取りかこまれた落ち着きのなさを嫌う老人のために、日常の匂いを刷り込まなければならない大仕事があるのだが、それは、今のギギにはできなかった。
「もし、伯爵が来るまでにもどってこれたら、足らないことはやってあげるんだけれど……』
そう思いながらも、もう、ここには戻らないだろうということは分っていた。
あのニュースは、一度、流れたきりだった。
ギギは、落ち着かないまま、眠った。
自分の前ではやさしいスレッグ大佐とハサウェイが、夢のなかに頻繁《ひんぱん》にあらわれては消えた。
翌日、ギギは、きのう使った普段着が、多少乱雑に部屋に配置してあるのを確認し、さらに、居間のテーブルには、書きさしの紙切れと、カーディアス・バウンデンウッデンと一緒に撮影した小さな写真を、アクリル板の写真立てにいれて置いた。
いくつかのスタンドも夕方になると電気がつくようにタイマーをセットし、バス・タブにも、夜ごとにお湯がみたされるようにした。
換金のために、いくつかの高価な装身具を身につけたが、それでも、伯爵に申しわけがないように思えた。
「ごめんなさい……まだ少しは、生きていきたいの……」
そう口にしてみたが、それは、悔しいことにかわりはなかった。
その上でさらに、キャッシュ・カードの銀行口座をチェックしてしまうのは、なにか必要な時の資金は用意しなければならない、という意識が働くからだった。
『…………』
しばらく考えてみたが、必要がなくなったところで、伯爵にかえせばいいのだと思いついて、ギギは、自分の口座のキャッシュ・カードは身につけ、ギギと伯爵のあいだで、公金的な意味をもつ口座のキャッシュ・カードは、ベッド・テーブルの引き出しにしまった。
そして、着替えをすませると、ベッド・カバーのうえに、今まで使っていた自分の小さな下着類をほうり出してみて、その配置が不自然でないようにと一生懸命、考えてみた。
ピンクとやや濃いピンクのレースがついたキャミソールとパンティ……。
ベッドの下には、脱ぎすてられた風に配置されたソックスとジーンズと長袖のTシャツ……。
「…………」
金髪をたばねた時につかった黒いゴム輪は、枕のわきに配置した。
ギギは、これこそが最後の餞別《せんべつ》なのだ、と自分にいいきかせながらも、こんなことをしなければならない自分の運命に、涙を流してしまった。
『……伯爵も可哀想……』
ギギは、ショルダー・バッグひとつで、夕方の道路に出た。
守衛と管理人が、車はいいんですか? ときくのを笑ってかわすと、坂道をズンズンと下っていった。
『アデュー!……わたしのパトロン。わたしは、死ににいくのかもしれません』
そんな言葉を頭にならべるギギに、午後の暑さを想像させる陽光が、降りそそいでいた。
10 アプローチ ウォーク
ヴァリアントは、ヴァーサス島とメルビィル島のあいだの狭い海峡を一気にぬけると、ダーウィンの沖合をビノエ・ハーバーにむかって南下していた。
ケリア・デースとジュリア・スガは、民間機をよそおった軽飛行機で、きのうのうちにダーウィンに入っているはずだったが、ヴァリアントが、ビノエ・ハーバーの複雑な海岸線に身を隠して、次の補給を受けられると分らないかぎり、彼女たちと連絡はとれなかった。
ケネスのキルケー部隊の動きが活発で、無用な交信は危険なのだ。
「教授から?」
「ああ、解読がまちがっていなければ、ギギからの電話連絡で、ケネスの口からも、アデレートで会議は開催されるということだ」
「ギギ?……そうか……彼女からか……」
ハサウェイは、手書きのメモを見ながら、胸をつかれた。
そのメモが、チャチャイ・コールマンの汚い文字でなかったなら、涙を流していただろう。
艦長室の開けはなした丸窓から、いい風がはいっていた。
「大丈夫かな?」
艦長は、いろいろな意味をこめてきいてきたのを承知しながらも、ハサウェイは、
「……あの娘は、気分がコロコロかわるという意味では、特別な少女のようです」
暑くても静かに睡眠をとれると、こんなにも元気になるものかと思いながらも、ハサウェイは、汗と垢のういた胸を手でこすった。
「そうかい?」
ウェッジ艦長は、ハサウェイの冷淡によそおう態度にも、同調する気配はみせなかった。
「……? 知っているのかい? ギギを?」
「ギギのような女は、珍しくないさ」
その艦長の言い方は、ハサウェイのプライドをかすかに傷つけた。
自分の知る者は、特別であって欲しいものだ。こう簡単に表現されると、バカにされているように感じる。
「そうか……」
ハサウェイが電文を艦長にかえすと、彼は、ライターでそれを燃やした。テーブルの上に、わずかに硬質の熱がひろがった。
「……どうぞ?」
艦長がドアのノックにこたえると、イラム・マサムがはいってきた。
ハサウェイは、自分の機嫌を直すために、思いついたことをいった。
「……ひとつおもしろい可能性がある。ファビオ・リベラたちが、ビノエ・ハーバーに進出しているかもしれない」
そんなハサウェイをウェッジ艦長は、おもしろそうに見やって、
「一昨日《おととい》から昨日あたりのキルケー部隊らしい輸送機の動きを、連中は、どうみるんだ?」
「キルケー部隊が、ファビオたちをあの大陸に張りつけておくための陽動とみるさ。そういう意味では、ファビオたちは利口すぎる」
マサムが、白い歯をみせて、
「……ハサウェイが、ダバオにおりた直後から、ダバオとホンコンの通信は、多くなっていたから、連邦政府の閣議が、コワンチョウに変更になったらしいと信じる背景はあるがね」
「それに、刑事機構のハドリー・ヨクサンも切れ者だ。マン・ハンターを動かしたのも、彼とケネスの仕事だろ」
「ということは、今日か明日、閣僚全員が、アデレートに移動するな」
「そうだ。ホンコンあたりには、何人ぐらいいたんだ?」
「十二名というところかね。南米からもくる便もあるし、輸送力は強化されている」
「キルケーのモビルスーツ部隊は?」
「正確には分らないが、ヨーロッパ方面のモビルスーツが少し投入された形跡がある。八機かな?」
マサムは、手持ちのコンピューターのデータをのぞいて教えてくれた。
「こちらは?」
「うまくいけばゴーラーで、五機追加だ」
「それなら助かるが、敵がアデレートにこだわってくれたおかげだが、閣僚会議をアデレートにこだわったのは、どういう魂胆なんだ?」
艦長は、さすがに、問題を元にもどした。
「連邦政府は、キルケー部隊と刑事警察機構をつかって、我々を徹底的に潰すつもりなのさ。その陣頭指揮をとっているつもりになっているから、アデレートなのさ」
ハウンゼンに集った閣僚たちの小市民的な感覚をみているハサウェイには、その考え方には自信があった。
「それほどに単純か?」
「ああ、連中は、アデレートを前進基地のつもりでいるし、なによりも、今後の連邦政府の首都にするには、絶好の場所だからな」
「分らんな……どこか考え方が、逼塞《ひっそく》している」
「だから打倒連邦政府なんでしょう?」
艦長が唸って、マサムが笑ったところで、艦内電話《インターカム》がなった。
「なんだ? ハサ? いるよ…………ああ、了解だ……パイロットたちが集合した」
艦長が、ハサウェイとマサムに伝えた。
ハサウェイは、マサムを先に艦長室から出すと、艦長にきいた。
「ギギ、そんなに一般的な性格なのかい?」
「知らないね。エメラルダやミヘッシャたちの評価だよ」
「ミヘッシャは感じすぎるタイプだ。彼女の意見は、参考にならない」
ハサウェイは、そう捨て台詞をいってみたが、ミヘッシャ・ヘンスの人物評というのは、かなり正確なのである。
『もういいさ……』
ハサウェイは、暗いラッタルを駆け上っていった。
「……ビノエ・ハーバーでの補給は、これです」
マサムは、当初から計画されていたリストをハサウェイの前にしめした。基本は、ベース・ジャバーの脚を伸ばすための補給と、補充機のリストだ。
「いいな。不足があると思うならば、今、上申しろ。湾内にはいる前、ロドイセヤに打電しなければならない。それ以後では、ヴァリアントの場所を敵におしえることになる」
ゴルフ、エメラルダ、ハーラ、ロッドとパイロットたちを見やりながら、べース・ジャバーのクルーにも、リストを点検させた。
「あたしたちの交替要員は、大陸の臍《へそ》にもいないの?」
「それは、ないものねだりだ」
エメラルダの質問に、ハサウェイはそう答えざるを得ない。
それに関しては、クワック・サルヴァーに一番努力してもらっているところなのだが、自由になる問題ではなかった。
「でも、ベース・ジャバーの補充があるなら、誰か、俺たちの知らない新人をつれてきているかもしれないぜ」
|2《セカンド》ギャルセゾンのキャプテンのシベットが、全員をなだめるようにいった。
「それを神に祈るのか?」
「そうしたいですね」
ゴルフが、へらず口をたたいた。
ともかく、アデレートにモビルスーツ全機が移動できる支掩はあるのだ。
そうなれば、あとは、ビノエ・ハーバーからアデレートまで、キルケー部隊の網にかからずに、移動するだけのことである。
「シーラックのガウマンたちとは、どこで合流するんです?」
「ゴーラーまで合流できないが、モビルスーツの増掩があるようだ」
「ヒョーッー! マフティーもバカにはできないな」
レイモンドが、その勢いでエメラルダのお尻を叩いて、エメラルダがそれに応えるように腰を振ったのを、ハサウェイは見てしまった。
「…………」
そんな屈託のない二人を、ハサウェイをかすかに羨《うらや》んだ。
しかし、そういう思いこそハサウェイの勝手なのだ。マフティーがなく、ギギがいなければ、ハサウェイは、ケリアと良好な関係を維持できたはずなのだ。
それができなくなったのも、ハサウェイが、このような現実をすべて請負《うけお》うと決断したところに、出発点があるのだ。
「問題は、臍ポイントが、地球連邦軍の補給地であるアリス・スプリングに近いということだが、タイミングが良ければ、キルケー部隊の先鋒を叩ける」
「それは、こちらが叩かれるということでもある」
|3《サード》ギャルセゾンのキャプテン、ヘンドリックスが、ハサウェイの気休めを笑った。
「いうなよ。こちらには、大量の偵察を出す余力はないんだから……」
「ヘーヘー!」
全員がこの問題については、笑ってすますしかない。
「……すまないが、アデレートにつくか、やられるかだけだ。こらえてくれ」
「代償は?」
「ない。それなりにできることをやった、という自己満足だけだ」
「きびしいねぇ……」
そのエメラルダの冗談めかした声に、新人のパイロット、ドラブ・リッドとビランテス・スエッケンは、硬直した顔をみせた。
「エメ、やめなよ。ドラブ、ビランテスには、冗談にきこえないようだよ?」
シベット・アンハーンが、若いパイロットのお尻を叩くようにしたので、さすがに、ドラブとビランテスは、照れた。
「そんなことないですよ」
「こっちだって、覚悟の上ですから」
「よし、いい覚悟だ。では、諸君の不安をなくすためにも、ジックリと情況を検討しよう」
ハサウェイは、それを潮に、マシーンの補給と修理状態をチェックして、補給部隊との合流をした場合の警戒態勢のプランの説明にはいった。
レーン・エイムは、ペーネロペーをベース・ジャバー、ケッサリアのデッキに固定したところで、あきれるような光景を目にした。
「大佐の神経は、どうなっちまってんだ!?」
もちろん、レーンは、人には職権乱用もあるし、特権があっても良いと思っているのだが、物には、ほどほどということがある。
まして、先の作戦で、マフティーの一員であるガウマン・ノビルを人質につかうことを強制させられたレーンにしてみれば、それは、唾棄すべき光景にみえた。
ケネスが、コントロール・タワーの下に、民間人の少女を連れ出していたのだ。キルケー部隊にも女性隊員はいるし、女が問題なのではない。
少女が民間人で、乗馬硬を小脇にしたケネスの顔がゆるみっぱなしなのが、遠目にも分るという光景は、デートにしかみえない、ということなのだ。
「ここんところ、大佐が連れていた女とはちがうよな?」
レーンは、ペーネロペーのコックピットからのりだして、下のケッサリアのブリッジのクルーにきいた。
「ちがう。ちがうぜ」
そのクルーのケネスを冷かすような声に、レーンは、自分の偏見で大佐に反感を感じているのではない、と安心した。
「これから遠征しようって部下の前で、ガキ相手にチャラチャラしてみせるっていう根性は、いったい何なんだろうねぇ……」
レーンは、そのクルーがそんなことをいう間に、ケッサリアのブリッジにおりて、彼のわきの席にすわった。
そのクルーは、自分のつかっていた双眼鏡を、レーンに渡してくれた。
「ン……」
べつに怪しみもせずに、レーンは双眼鏡で、ケネスのわきにたつ少女に焦点をあわせた。
「……!? ギギ? そんな名前だったな」
数日前まで、ケネスが隊内で引き連れている少女だと分った。
彼も彼女とすれちがった覚えもあったが、スレッグ大佐の親族だろうぐらいにしか考えていなかった。
しかし、ギギについては、いつの間にか隊員たちのあいだでは、『大佐のお守り』という表現がされていた。
まさか、愛人にはみえないし、父娘《おやこ》でもないからだろう。
「…………」
レーンは、双眼鏡のなかのギギの金髪が、太陽にキラキラとかがやくのを見つめながら、なんで、あの少女がケネスに信頼されているのだろう、と考えながら、ふと、彼女は自分にも関係があるのではないか? と疑った。
そんな親近感は、不思議な思いつきだった。
それは、きのうケネスがひきつれていた長身のブロンド娘には、感じなかったものである。
おなじ金髪なら、その女、メイス・フラゥワーのほうが、レーンには美人にみえたし、恋人にするには、いい射程距離にいるようにも感じた。
しかし、ギギに感じた関係があるだろうと予感するものは、なかった。
男女の関係というものではない、なにか……。それは、一体なんなのだろう、とレーンは自問してしまった。
そのぶん、双眼鏡をつかう時間が長くなってしまったので、それを貸してくれたクルーが、横からレーンの手にした双限鏡を奪ってしまった。
「けっこう美人じゃない? 大佐の隠し子かな?」
「どこが似ている」
レーンは苦笑しながら、シート・ベルトをした。
「八番機、了解っ! 発進ヨーイッ!」
ケッサリアのブリッジに、キャプテンの声がひびいた。
ミノフスキー・クラフトのペーネロペーもケッサリアで大陸まで運ぶのは、パイロットを少しでも休ませて、それ以後は、レーンにペーネロペーを操縦させるというケネスの命令である。
こういうところの、ケネスの配慮は、痒《かゆ》いところに手が届くという感じがあった。
マン・ハンターまでが、キルケー部隊の指揮下に糾合《きゅうごう》されて、多忙をきわめながらも、ケネスは、直属のモビルスーツ部隊の隊員たちには、きびしい時と気をぬかせる時と緩急の采配《さいはい》をみせた。
使われている方からみても、不服はなかった。
だからであろう。
そのケネスが、メイスという得体のしれない女を呼びこんだという話は、おもしろおかしく隊員たちに伝えられても、それにたいする反発はなかった。
しかし、レイ・ラゴイド中尉という信頼すべき情報源によれば、メイスという女性は、ハウンゼンのスチュワーディスであって、その身元は保証されているというようなつまらない話は、却下されて、メイスは、ホンコンに住む不法居住者で、ケネスから情報をとるためにマフティーから派遣されているスパイだ、ということになっていた。
八番機のケッサリアの前方には、二機ずつのグスタフ・カールを搭載した七機のケッサリアが、縦の編隊になって高度をとっていた。
しかし、それも五千の高度になると、二機ずつ左右に大きく展開して、偵察行動をしながら南下した。
それは、後続するビッグ・キャリアーもおなじで、哨戒任務は、全員に命令されていた。
『……キンバレー部隊の全滅は、オエンベリ方面でのマフティーの活動が、活発になった証拠だ。絶対に、マフティーの支掩基地はある。それをさがせっ!』
こんな命令を出すあたりが、ケネスの厳しいところなのだが、旧世紀の末のように、高性能な軍事偵察人工衛星がなければ、人間の目に頼るしかないのも当然である。
紺碧《こんぺき》の空とちょりつする真白な雲の柱。
それをぬうようにして、レーンのケッサリアは、七番機と機体をならべて、オーストラリア大陸に直進した。
11 ガール アンド ウーマン
「ひどいところなのよ。それで帰ってきたの。伯爵のことなんて、もうどうでもいいの」
部隊のオーストラリア進駐前のとんでもない時に、ギギが忽然《こつぜん》とあらわれて、開口一番そういった時は、さすがのケネスもいう言葉がなかった。
ダバオにいる刑事警察機構長官のハンドリー・ヨクサンの傘下《さんか》の特殊警察のスタッフとクルーを統括して、アデレート会議を死守するための態勢づくりをして、バリアーの設備をアデレートに運び出し、さらにダバオでの陽動作戦も実施して、さて、その次にという時に、メイス・フラゥワーがホンコンの閣僚たちを運びこんできた便で舞いこみ、そして、基地から追い出したはずのギギももどってきたのだ。
多少タフを自認していても、疲れを感じてしまう。
「……分るがね、しばらくは相手にしていられない」
「アデレートにいくんだ?」
「そうだよ」
「じゃ、ハサウェイのところにでも逃げこもうかな。伯爵だってメナドにまでは、追いかけてこないでしょ?」
「そうだな……」
ケネスは、自分の執務室に、彼女を連れていかざるを得なくなったものの、彼女のツキには、こだわっていた。
「どうだ。メナドは、行く途中にある。おれの乗っていくキャリアーでいくか?」
「ヘーつ! そういう位置関係なんだ」
「荷物はどこにおいた?」
ケネスは、執務室のある建物の階段を軽やかにあがりながら、乗馬鞭を振ってみた。それが、いい音がしたので、ギギが返答するのにちょっとした間があったのには、気がつかなかった。
「……ホンコンの荷物預かり所っていうのをみつけた。そこにある」
「送らせよう。荷札はもっているんだろう?」
「分らないな。ハサウェイに怒られたら、ホンコンに帰らなくちゃならないでしょ?」
「そしたら、おれのところに来ればいい。何とかする」
「でも、ダバオは、きのう、怖いことがあったんでしょ。いやよ」
「あれっきりさ。あとはない。アデレート会議が、ずーつと続くわけじゃないし」
ケネスは、当番兵が執務室のドアをあけてくれるときに、ギギを紹介した。
「こんちは」
ギギの屈託のない会釈に、その当番兵は、なぜか戸惑った表情をみせた。
「…………?」
ギギは、その兵のようすと先にはいったケネスが、秘書の女性隊員とふたことみこと言葉をかわしながら、ギギをちらっとみたので、
「はずしましょうか?」
ギギは、軍機にかかわることでもあるのかと思って、そうきいた。
「出発します?」
その女性の声とともに、奥の執務室のドアがひらいて、長身のメイス・フラゥワーがあらわれた。
「ああ……! 機密事項があったんだ。大佐、あたし、一人でなんとかします」
ギギは、メイスをみた瞬間に、彼女が誰か分ったので、卑屈ではなくそういった。
「あ? いや、かまわんよ」
「でも……」
「ギギ・アンダルシアさん?」
メイスの嫣然《えんぜん》とした微笑は、ギギがみてもゾクッとするもので、ギギは、満ち足りたセックスのあとの薫りを感じた。
それは、大人であれば、悪いものではないのだが、その相手がケネスであることが、厭だった。
メイスとケネスでは、はまりすぎにみえて、そんなところで妥協するケネスに、ギギは、反発したくなった。
「ええ……。あたしは、大佐に甘えっぱなしで……。フフフ……そういうことなんです」
そのギギの曖昧な言い方を、メイスは了解した風にみせた。
その大人ぶった態度も気にいらなかった。ギギは、この女を追い出してやろうと決心した。
「出発でしょう? 大佐」
「ああ、ギギも途中まで連れていく。ちょっと待ってくれ」
「ええ……」
ケネスが執務室に消えると、メイスとギギは、秘書の前のソファにすわった。メイスが、ギギをさそったのだ。
「……ずっとダバオだったんですか?」
「いえ、今日、ホンコンから帰ってきて……」
「あたしのほうが早かったのね。ホンコンから偉いさんたちのお相手で、またダバオにまわされて、休暇がなくなってしまったわ」
「マフティー対策では、偉い方たちは、知らない人をつかいたくないんですよ」
「あなたも、ここで、皆さんに好かれているようね?」
「それがいやだったの。それを大佐が救ってくれて、というのが正確ですね」
「ああ……。男性って、子供だから?」
メイスのそのさぐりをいれるききかたにも、ギギは、反発した。
こちらのいおうとしていることは、無視している。
「あたしは、大佐の軍人としての運試しをみたかったんで、大佐のそばにいたんです」
「運……?」
「ええ、あたしだって、ふつうの生活をふつうにしたいですものね」
「フーン、それで中年おじさんなの?」
その言葉に棘《とげ》があった。
ギギは、この女は、男を喰うタイプだと感じた。
ギギは、ひょいと上体をメイスの方に伸すようにすると、彼女の髪に唇がさわるのもかまわずに、いってやった。
「……大佐、セックス上手でさ、オーラルもアナルも要求されたでしょ?」
メイスの首筋がピタッと浮きたつのをみながら、ギギは、クククッと喉をならして笑った。
「…………!?」
メイスの上体がさがると、その左手がギギの頬に飛んできた。
ギギは、それをよけなかったので、まともに大きな音がした。
ギョッと秘書が目をあげたものの、ギギは、どうということもなくメイスをみつめ、やや緊張したメイスの左手が、フラリとおりただけの光景に、何があったのか分らないようだった。
人をひっぱたく音があっても、そのリアクションがないと、瞬間的には、事態を想像できないものだ。
覚悟ができていたギギにとっては、頭の芯まで痺《しび》れるような打撃は、ともかくこらえた。
「なんなの!? あんた!」
メイスは、平常にみえてしまうギギの頬が、みるみる赤くなるのを、唇をふるわせて凝視していたが、ズイッと立ちあがった。
「……あたし、いくわ」
「そうして下さいな」
ギギは、ソファに上体をズシリとしずめながら、そうこたえた。
「…………!」
メイスが廊下に面したドアをとじた直後に、ケネスが執務室から出てきた。
「どうした? いまの大きな音?」
「メイスさん、帰りますって……」
「……ホンコンへか?」
「ええ……」
立ちあがったギギは、ひっぱたかれた右の頬をケネスの方にむけながらも、彼の腕に手をまわした。
「……追い出したか?」
「うん……」
「やっぱりな……」
「あたしじゃ、かわれないかな?」
「そうだな……ちょいと趣味がちがうというか、そう……おれは、まだ伯爵ほど年はとっていないと思いたいな」
ケネスは、秘書にいくつかのメモを渡すと、ギギをつれて廊下に出た。
「ごめんね……でもさ、あの女は、今はいけないよ。大佐の精力を吸っちゃうからさ」
「そうか……ギギがそういうなら、本当だろうな……」
「お尻とおっばいぐらいなら、触っていていいよ?」
「そりゃすまんな」
ケネスが、ギギのことを咎《とが》めだてをしなかったのは、彼も、ギギと同じような感性をもっていたからだろう。
むしろ、作戦中に、大人の男の部分を制御できなかったことを教えられて、感謝したい気持ちさえもっていたのもしれなかった。
ケネスは、ギギをともなって、ビッグ・キャリアーに搭乗した。
今日出る三便のうちの最後の便だという。
コックピットの背後のキャビンには、軍用機らしくそっけのない十数人分のシートがあって、そこに先着した士官たちは、スレッグ大佐がメイスではなくギギを同道したので、なんともいえない居心地の悪そうな表情をみせた。
「…………」
ハウンゼンと同じで、ギギはこういった人びとの冷たい視線にはなれていたので、かすかに微笑をつくると、左右の席の士官たちと視線をあわせる挨拶をしながら、最後部の席にすわった。
コックピットに寄ったケネスが、メイン・エンジンの始動がはじまってから、キャビンにあがってきた。
「どうだ? こんな肋骨《ろっこつ》むき出しの飛行機ははじめてだろう?」
「ええ……緊張する」
「そうか……どうだ? うまくいくかな?」
「作戦全体のことかしら? この輸送機のこと……」
「どっちもさ、なにもかもだ」
「あたしは、予想屋じゃないよ? でも……うまくいくと思うよ。マフティーのなにかを捕まえられるか……ああ、ちがった。捕まえられないんだ。水の下にいっちゃうんじゃないかな」
ギギは、窓からコンクリートのエプロンのかがやきに目をほそくしながらいった。
「水の下? なにかが沈むのかな?」
「そうねぇ……そういう、なんか、大佐の得になるようなこと、ありそうね」
「もしそれが当たりならば、さっきの件は、本当に感謝することになりそうだな? そうでなければ、ああはならんだろう?」
「そうでしょうねぇ。男の人と女の人の関係って、そういうものあるもの……」
その言葉だけは大佐の耳元でいったのは、前の席で耳をそばだてている士官たちがいるからだった。
「まっ、ギギがそういってくれて嬉しい……人の運勢って奴は、呼びこむもんだからな。期待するよ」
ケネスは、ギギの膝をたたくと、コックピットにおりていった。
その直後にキャリアーは離陸して、三機の後続機と編隊をくむと、一路南下していった。
「…………!」
ギギは、薄っぺらなシートに全身をあずけながらも、ホンコンを離れてこの機にのるまで、一気だったという思いが、疲れを思い出させた。
闇ルートでダバオ行きのチケットを手にいれ、ケネスが会ってくれなければ、次の行動をしなければならないという緊張もあった。その上で、メイスである。
ギギは、眠ってしまった。
「ギギ!」
そのケネスの声で、彼女は、目覚めた。
「メナドを通過する時に、声をかけようと思ったが、よく眠っていたのでやめたよ。そろそろオーストラリアだ」
「……そう……?」
窓は、まだ海の色だけがひろがっていた。目をもどして、ギギは、大佐がなにをいおうとしているのだろうかと思った。嬉しそうなのだ。
「一番はじめに、ギギに報告しなければならんと思ってな……」
「…………!」
ギギは、かたい席のおかげでからだが痛くなっていた。
「マフティーのな、船を一隻撃沈した。確実な情報だ。ギギのいったとおりになった」
「そう。良かったね」
ギギは、その船にハサウェイが乗っているなどとは思わなかった。
事実そうなのだが、この時は、その可能性も一切感じることがなかったのは、ケネスの立場で事態が良かれと推移することを願っていたからである。
「本当ですか!? 大佐!」
前の席にすわっていた二人の士官が立ちあがった。
「ああ、不確実情報だが、我々がM−3と読んでいる船だ。マフティーのコードではなんといったかな?」
「ヴァリアントです! そうですか! 本当ですか」
「マフティーの補給線は、かなりほそくなります。大佐、やりましたね」
「ああ、ペーネロペーだ。エイム中尉がようやく仕事らしいことをやってくれた」
「ホウ! 中尉が!?」
「そうだ。ここでようやく諸君にこの少女を紹介できるな。この少女がこの戦果を予言してくれたんだ。こういう結果がなければ、恥ずかしくって、こんな紹介はできないんで、今までイライラしていた」
「そうですか……噂はきいていましたが……!」
「ギギ・アンダルシアさんが?」
「ま、信じる信じないは、諸君等のかってだが、隊長としては、実戦で少しでも部下が生き残ってくれるよう祈れば、こういう縁起もかつぐんだ。勘弁しろ」
彼等の方が、ギギのことを知っている風に、そのキャビンは、ギギの予言を誉めそやす声にわいた。
ギギは、その場でキルケー部隊に、正式に認知されたのである。
12 ディパーチャー フロム ダーウィン
ケネスが、ヴァリアントの撃沈を報告する三時間ほど前に、撃沈されるヴァリアントは、ビノエ・ハーバーにはいっていた。
ハサウェイたちは、旧世紀につかっていた町とか港の跡は利用しないで、その湾の西がわに隣接する名もない小さな入り江にはいった。
わずかな起伏しかないこの土地は、船一隻かくすのも難しいところで、当然、ヴァリアントは、そのための迷彩をほどこしていた。
ケリア・デースと先発したジュリア・スガは、そこに集結していた支掩部隊と無事に接触をして、ヴァリアントからのマシーンの受けいれ態勢をつくってくれていた。
それでも、湿地帯の上に数枚の鉄板を敷くのが精一杯なので、支掩部隊からの物資をギャルセゾンへ運ぶのは、ミノフスキー・クラフトの|Ξ《クスィー》ガンダムが利用された。
先着していたギャルセゾン三機には、すでに支掩物資が満載されて、ヴァリアントには、新たにモビルスーツ数機分の補給部品が搬入された。
同船は、さらに、南に南下するルートにはいって、大陸から後退する時のマシーンの支掩を任務にする予定だったのだ。
その二時間ほどの補給作業中に、ハサウェイの予想したとおり、ファビオ・リベラが、チャング・ヘイとフェデリコ・マルティーニをひきつれて、ヘリコプターであらわれた。
「待っていたよ」
ハサウェイは、苦笑した。
「蛇の道は蛇っていうが、こんな辺鄙《へんぴ》な場所で合流できるとは思わなかったぜ?」
ファビオたちは、マフティーの動きも活発なので、見直してくれたようだ。
「で、なんだ?」
「ベースジャバーが、七機もあるじゃねぇかよ? 大将。二機ほど貸して欲しいんだよ。そうすれば、ダーウィンの空港の制圧も簡単だ」
「こちらも、ごらんのとおりガンダムを使役《しえき》につかうほど、マシーンのよゆうはない」
ハサウェイは、若いパイロットにまかせたガンダムの飛行作業を示して笑った。
「……コワンチョウではないのか?」
「ああ、確実な情報で、アデレートだということが分った」
「フーム。百名ほどの仲間で、ダーウィンあたりで、船を調達するために潜伏していたが、それは無駄だったってことか……」
ファビオは、うなった。
「キルケー部隊の動きで、アデレートだとは分ったんだろう?」
「今朝あたりには、コワンチョウは、ちがうらしいとはな……」
ファビオたちは、肩を落して、ハサウェイたちの予測を認めた。
「どうだろう? 諸君たちに協力してくれる気があるのならば、やってもらいたいことはあるんだが……?」
ハサウェイは、マサムとウェッジ艦長にファビオを紹介してから、切り出した。
「なんだ? コワンチョウでなければ、おれたちだって、無理して大陸から出るつもりはないぜ」
「まだ諸君たちが元気ならば、という条件がつくが、これからすぐにダーウィンに攻撃をかけることと、アデレート近辺での陽動作戦に、三十人ほどのスタッフを貸して欲しいのだ。そうすれば、こっちの奇襲は、完全なものになる」
「これから、すぐにダーウィンかい?」
気の強そうなフェデリコ・マルティーニが、さすがにあきれた。
「ああ……マサム……」
ハサウェイは、マサムに、ハサウェイたちの考えている作戦の概要を説明させた。
「つまり、日中にダーウィンを攻撃してくれれば、マフティーのオエンベリ軍が、コワンチョウに移動するつもりで、泡を食っているとみせることができます。そうすれば、ここで補給作業があったことなど、敵に想像させないですむでしょう」
「そうか……今後のために、少し時間稼ぎは必要だな」
ファビオが納得すれば、話は早かった。
「港に待機している連中を五、六十人をつかえば、ダーウィンの攻撃はすぐにできますね」
チャング・ヘイは、保証した。
「携帯用のミサイルを十基くれるってんなら、成功させてみせますぜ?」
フェデリコが、自信あり気にいってくれた。
「よし、じゃ、チャング・ヘイ。お前は、ギャルセゾンでおれを迎えにきてくれ。おれは、アデレートにいく三十人の人選をしてくる」
「はい……われわれに貸してくれるギャルセゾンは?」
「リドリックの機をまわそう」
「はい……」
ハサウェイは、リドリックを紹介して、ファビオとチャングたちに、合流地点の協議をさせた。
「だが、急《せ》くな?」
「そりゃそうだ。閣僚の移動は、今日中におわって、あさってには、アデレート会議が開催されるらしい」
「たいした情報網だ。了解だよ。マフティーさん……しかしよ、そのあとの補償はどうなるんだい?」
ファビオが、最後の握手をしながら、ハサウェイにきいた。
「食い緑《ぶち》の問題は、クワック・サルヴァーと交渉してもらうしかないな」
「教えてくれるか?」
「艦長、彼の相談にのってやってくれ。ヴァリアントは、もう出港しなければならないが、どうかな?」
「いいでしょう……ファビオ。いろいろマフティーなりの規制はあるが、それは呑んでくれるな?」
「ああ、こちらも軍資金は必要だ、と骨身にしみているよ」
ハサウェイは、とりあえずの作戦が進行しそうになったので、ジュリア・スガたちの補給作業と整備を確認しにいった。
「問題は?」
「あるよ。モビルスーツがもう数機、ここにきていなければならない」
さすがに、ジュリアはTシャツを着ていたが、乳首は、ピンととがっていた。
「来年にでもなれば、検討するさ。それと、ケリアのこと、頼む。また、しばらく会えなくなるから」
「ああ、あの娘とは、けっこう話はあうよ。でもね、作戦がおわったら、優しくしてやんなさいな。ハサは、ハードにマフティーをやりすぎて、ケリアがかわいそうだよ」
「そうだが、頼む……」
正面から、そういわれてしまえば、抵抗することなど、なにもできなくなる。
「しかたがないんだ……」
そのハサウェイの言葉に、ジュリアは、フン! と肩をすくめると、ヴァリアントにつながるアルミ板のステップの上をトントンと、はしっていってしまった。
「…………」
ひどく叱られたという感じだ。
ハサウェイは、ヴァリアントの出港をみおくり、ファビオとフェデリコのヘリコプターをみおくり、そして、ギャルセゾン部隊が、内陸部に発進するのをみおくった。
「チャング、リドリック。最後に残って心細いだろうが、頼むぞ?」
「はい」
彼等は、ファビオのスタッフと合流してから、アデレートに移動するのだ。
ハサウェイは、マサムを|Ξ《クスィー》ガンダムの補助シートにすわらせると、ダーウィンの方向に移動した。
ダーウィンに潜入したケリアたち情報収集スタッフと接触するためである。
ハサウェイは、ガンダムを地にすりつけるように飛行させて、ダーウィンの対岸にある丘に到着した。
しかし、ケリアは、きてくれていなかった。
彼女の代理という青年が、三人きていた。
ハサウェイは、彼等の健康そうな表情をみると、ジュリアになんとなくケリアへの伝言を伝えておいて良かった、と思った。
ケリアの伝令という青年たちは、今日の昼までにダーウィン空港によったビッグ・キャリアーの数を教えてくれた。
「……キャリアーのなかに、陸戦隊の連中はいましたが、今日の便では、マン・ハンターもきたようです。ダバオでのマン・ハンター騒ぎは、ごぞんじですね?」
「テレビの音声電波は、受信できた」
彼等の背後には、緑につつまれたダーウィンの街が遠望されて、緊張をわすれさせてくれるように、おだやかな光景をみせてくれていた。
「その連中と、ホンコン系もかなりいました。ダバオからホンコンやコワンチョウに発信された警備態勢を強化しろという依頼は、ウソだということです」
「気になるのは、きのうまでの便で、かなり大量なエレクトロニクス関係の大型機器が、運搬されていることなんです」
そんなことを報告してくれた。
「それについては、アデレートの電気関係の補強のためだろう?」
マサムが、怪訝《けげん》な顔をみせた。
「でも、アデレートは、コロニー落しなど受けてませんから、大規模な補強は、必要ないはずです」
ハサウェイは、その大規模な電気関係という意味に、思いつくものはなかった。
彼等三人は、大出力のトランスは確認できたけれど、とんでもない数らしいということしか分らないというのだ。
「こちらも用心したつもりで、ファビオたちを呼んだが、そんなものじゃないらしいな」
マサムが、不安気にうめいたが、
「ご苦労だった。連邦政府の警備の状態は、推測できた」
「はい……」
ハサウェイは、かれら青年たちの努力を誉めてから、ケリア・デースのことをきいた。
「彼女は、空港ちかくのホテルで、監視しています」
「警察か軍の臨検には気をつけさせて、空港からの距離もとらせてくれ。重大な作戦変更があった。ファビオ・リベラというオエンベリ軍に動いてもらうことにしたからだ」
「ホウ……あの連中に?」
「知っているのか?」
「そりゃ、友達だっていますから……」
一番年長の青年が、嬉しそうにいった。
「彼等に有効に働いてもらえば、我々も助かる。彼等の行動も観察して、クワック・サルヴァーに報告してくれと、ケリアにいってくれ」
「はい……では、ご武運を」
「ありがとう」
かれら三人が、ボートでダーウィンにむかうのを見届けると、ハサウェイとマサムは、ガンダムにもどって、その場を離脱した。
その直後、ヴァリアントが、ビノエ・ハーバーの沖合にでたところで、キルケー部隊のペーネロペーに撃沈されたのである。
しかし、地表ひくく飛行するハサウェイは、そのことは、その夜にエアーズ・ロックの中継点につくまで、知ることはなかった。
ハサウェイたちが、決定的ミスをしたとすれば、ファビオたちを動かすのが、遅かったことだ。
ケネスとギギをのせたビッグ・キャリアーが、ダーウィンに着陸した時に、フェデリコ・マルティーニたちの空港攻撃があれば、ケネスもギギも、そこでおしまいになっていたかもしれないのだ。
が、フェデリコたちの攻撃は、ケネスの乗るキャリアーが、ダーウィンに待機していた連邦政府の十数人の高官たちを同乗させた直後であった。
その時も、ギギは、関与した。
「……大佐……あたし、この空港は嫌いだな……」
そのギギの発言に、ケネスは、バカみたいに率直に反応したのである。
「離陸は、一刻も早くする!」
そのケネスの命令で、空港に待っていた役人たちは、持つものも持たずに、キャリアーに飛びこんだのだ。
「どういうことか!? 大佐?」
通産省の役人などは、半分以上観光の気分で地球に降りてきたものだから、マフティー騒動など、切迫したものと理解していなかった。
汗を流して、はしらされたことを抗議したのだ。
「いろいろありましてな。どうも……」
ケネスは、官僚を相手にする気などはなかったので、随伴《ずいはん》機が、まだ次の乗客やら、閣僚会議出席の人のための果物の搬入などをしているのを横目にみながら、キャリアーを発進させてしまった。
「大陸縦断。お先に……!」
そんな気楽な挨拶が、キャリアーどうしにかわされて、ケネスたちのキャリアーの機影がダーウィンの地平線に消えたころに、空港に迫撃砲と短距離ミサイルが射ちこまれた。
二機の後続キャリアーが炎上し、ダーウィン空港ビルが半壊した。
その攻撃の直後に、ダーウィンの放送局は、マフティーのオエンベリ軍という表現をつかって、その攻撃をつたえた。
そして、その攻撃に参加したフェデリコの一統は、空港にあった民間の輸送機を奪取すると、ほとんど無傷でダーウィンを離脱してしまった。
ケリア・デースは、その騒動のあいだに、ダーウィンの空港ではなく、郊外にあるもともと民間用の小型機の空港から、北に脱出した。
「……信じられますな……」
ケネスは、階下のキャビンにすわる連邦政府の役人たちにいった。
「コワンチョウにむかうマフティーたちが、ダーウィンを強襲したというのか?」
汗で張りついたワイシャツの気持ち悪さを忘れて、高級官僚たちは、ケネスの報告をきいた。
「ええ、連中は、モビルスーツを支掩するベースジャバーはもっていますが、陸戦部隊を運ぶだけの輸送力はありません。それが欲しかったんでしょう」
「キルケー部隊の作戦が、成功したということだな。これを予測していたのか?」
「まさか、それほど我々も十分な人手はありません。ですから、その分の予算の増額をお願いしたいのです」
ケネスは、質問を無視して、部隊にとって、一番大切な問題をいった。
「それは、内宇宙大臣たちも考えているようだ。増掩艦隊はくるし、予算自体増額されるんじゃないかな」
「そりゃ、ありがたいですな」
「我々、通産のものとしては賛成しかねるが、まあ、命拾いさせてもらったからには、支掩するよ」
「ありがとうございます」
「この機は、なんでマフティーの攻撃を予測できたんだ?」
「なに、八卦見《はっけみ》ですよ。こんな話は、だれも信じてはくれないでしょう。ですから、こまかいことをお話することが憚《はばか》られたのです」
ケネスは、照れ臭そうにそんなことをいうと、役人たちの前を退出して、上のキャビンにいった。
そこでは、ギギは、ちょっとしたヒロインになっていた。
一度ならず、ギギが何気なくいったことが当たったので、士官たちには、彼女が救いの神にみえだしたのである。
「どうして感じるんです?」
女性士官たちは、ギギの周囲に陣取って、女らしいおしゃべりをはじめていた。
ケネスは、ギギがそのようにして周囲の部下たちに認められれば、彼女をひきつれていることで、顰蹙《ひんしゅく》を買うこともなくなるので、嬉しかった。
だから、そこでギギに声をかけることはやめて、コックピットの自分の席にもどった。
「大佐、こういうことってあるんですねぇ」
「なんだ?」
「縁起ですよ。縁起。そういうものを運んでくる奴っていうのはいるんですね」
「俺のことか?」
ケネスは、キャプテンにまぜっかえした。
「ええ、ええ! そうです、大佐が呼んだんですよね、ギギ・アンダルシアは」
コ・パイも嬉しそうだった。
「キンバレーには、そういうところがなかったものな?」
ケネスにとっては、かすかに予想していたことではあったが、ギギは、キルケー部隊にとって、女神になるだろうと確信した。
こういうことが、実戦部隊という生死と隣接する場所では、絶対に必要なのである。
周囲の人びとが、自信をもてる思いこみがあれば、ギギの力によるものでなくても、良い結果を産むことはできる。
そして、その良い結果が、ギギがいるからだと信じられれば、ギギは、良い運を運ぶ女神になるのである。
しかし、ケネス個人にしてみれば、ギギが、メイスにかわる女性ではない。
同衾《どうきん》するパートナーであれば、前妻でなれていることもあって、ごく変哲のない大人であるメイスの気性の方が好ましかった。
そんな彼女を、ギギは一言で退けたのである。
どういったかはしれないが、その鮮やかな手口は、穏当《おんとう》なものではないだろう。
そういうことも気になって、ケネスは、ギギを当分、そばに置いておく方がいい、と思うのだ。
13 インフォメーション
オーストラリア大陸は、人が居住する開発には消極的だったが、旧世紀|末葉《まつよう》、地球汚染問題が深刻になると、そんな一政府の政策などは蹂躙《じゅうりん》されて、廃棄物の堆積場に化した地域が出たりもした。
それは、この大陸も先進諸国の一員であったからだ。
人類にとってもっとも新しい大陸も、旧世紀の経済の拡大と人口の増大のなかに埋没していったのである。
人類がキリスト世紀をすてたのも、この世紀において、局部的な都市生活者を生かすために、地球を汚染したという認識があるからで、ユニバーサル・センチュリーという言葉のひびきが、初期のSF小説がうたったようなかがやかしい未来社会に冠した呼称とはちがって、悲壮な色をおぴているのは当然である。
人類は、未来を喪失した代償に、スペース・コロニーを建設したのである。
ハサウェイたちが、連邦政府のアデレート会議にこだわるのは、この中央会議で『地球帰還に関する特例法案』が可決されることにあった。
これが可決されると、地球上に居住できる人びとは、連邦政府が認知した者以外は、まったくできなくなる。
そのことは、スペース・コロニー時代からの不文律《ふぶんりつ》としてあった考え方なのだが、強制宇宙移民時代の臨時宇宙移民法より簡単に、不法地球居住者を排除できるところに問題があった。
ユニバーサル・センチュリーも一世紀ちかくになれば、自然発生的に地球居住者がふえてもいるのだが、それらの人びとも、簡単に地球から排除できるのである。
マン・ハンター的な行為が、合法とされるのである。
さらに問題なのは、地球連邦政府機構の直轄にいる者は、好きに地球に居住できるという背景が設定されて、それは、官僚独裁の傾向に拍車をかけるものとなることであった。
連邦政府の官僚と議員たちの社会が、世襲制の様相をていしている現在、その政策のもとに展開される現実は、差別政策である、と断ずることができた。
しかし、法律文章上では、その問題はいっさい予見できないのが、連邦政府の巧妙なところだった。
だからこそ、ハサウェイたちは、閣僚の粛正を行ない、中央官僚から世襲と血縁による体制を揺さぶろうとしたのである。
本来、それは民意によって打倒されるべき性質のものなのだが、歴史は、繰り返さない。
人類の生活の場が、地球だけであれば、地政学的に民意が中央に反映されるという可能性があった。
しかし、スペース・コロニー時代、隔離された空間に密閉された人の意思は、中央の連邦政府にまでは、届かないのである。
地政学にかわる星運法則があったにしても、それが人の深層意識に定着するまでにはいたらず、それを人類の歴史のなかに取りいれるには、スペース・コロニーの時代は、まだ黎明期《れいめいき》そのものなのである。
シャアの反乱が、小さく逼塞《ひっそく》して終ったことも、それを象徴していよう。
ギギ・アンダルシアのようなケースならば、官僚か公務員になる道を踏まなければならないか、親族になるしかないのであるが、それは不可能であろう。
人の性情として、その逆に流れることはあっても……。
ハサウェイたちが、次の中継地に移動をはじめたその日の夕方から、アデレートには、つぎつぎと閣僚たちが高級官僚を引き連れて参集して、それぞれに護衛があついホテルに宿泊した。
つまり、街は、連邦政府の中央議会で占拠されるかたちになって、一般の人びとは排除された。
しかし、どの道、万をこえる住民が住んでいたわけではないアデレートは、連邦政府そのものとなった。
そのための防備の準備は、キンバレー・ヘイマン時代から準備されていたことだし、ケネス・スレッグのアイデアによる施設の設営がはじまれば、閣僚会議の場所を変更するのは、もともとむずかしかったのである。
「……長官、ごらんになりましたか?」
ハンドリー・ヨクサンが受話器をとったとたんに、その声が耳をうった。
「もちろん」
ホテルの窓から、警備すべき中心的建物、フェスティバル・センターの四角い白いビルをながめながら、ヨクサン長官は、電話のむこうのマクガバン文化教育振興大臣なら、あわてるのも無理はないと思っていた。
「あれでは、連邦政府の威信が、失墜することになります」
「まぁ、そういう見方もありましょうが、大丈夫です。情報通信関係のスタッフとも打ちあわせ中です。ご心配なく」
「しかしね、キンバレー部隊のモビルスーツが、人間をつかんで握りつぶしている、足で押しつぶしている。これは、どんな理由があっても、一般大衆に見せてはならんものです。ドラマではないんだ。カメラは、モビルスーツの機体にかいてある部隊のマークまで写し出していたんですよ。どう釈明できるんです」
ヨクサン長官は、そのながい説明をうんざりした気持ちでききながら、フェスティバル・センター周辺の車の動きを観察していた。
このプライベートにつかっている部屋は、直属の部下にもつたえていない。知っているのは秘書だけで、彼等を公式の部屋に待機させて、電話をまわすようにさせている。
それが、彼のやりかたである。
「大臣のご懸念は重々承知いたしております。三人の官房長官ともすでに協議にはいっておりますので、あのビデオを放送した局にたいしては、なんらかの手をうちます」
これでは、同じ説明である。
「乱暴なことはいかんよ。乱暴なことは……」
「そうですが、ニュースの捏造《ねつぞう》であるというぐらいの措置はとらざるをえないでしょう」
「それでは、報道関係に処分者が出るということじゃないか。SPTVは、手強《てごわ》い局だ。それはできんぞ」
「そうでしょうか? あの会長を別件で外すことは……」
ここまでいわせる閣僚はアホだ、とヨクサン長官は思う。
「リークできる問題でもあるのか?」
「あります。独占禁止法のほうとかで……」
「ああ……そういうことをいうなら、誰だって停職ぐらいにはさせられるが、それは汚くないか」
「開港は、連邦の威信にかかわる問題である、そう大臣もおっしゃったはずですが?」
「そうだが、あくまでも、例外処分として処理はできるな?」
「そりゃ……」
「じゃ、早急にニュースをとめさせてくれ……ああ、この話はわたしはもう知らんぞ?」
「もちろん、大蔵省|管轄《かんかつ》の問題で動きますから、わたくしも失念させていただきます」
「それがいい」
ヨクサン長官が電話をおいたときには、次の電話がはいっていた。
「なんだ?」
「はい、オエンベリ虐殺のニュースの件で、情報通信省の方は動いてくれますが、相手が、ロンデニオンのSPTVなので、時間がかかると……」
「誰からだ?」
「ハッ! パピヨット・ハルマッチ大臣の秘書の……」
「ン……情報省との交渉は継続させて、大蔵省ともコンタクトをとってくれ」
「それが、次官の到着は、あと数時間かかるようですが」
「ン……ロンデニオンとの回線は、いつまで確保できる?」
「直接回線は、あと二十分。アメリカ大陸経由回線は、海底ケーブルですので、申し込み中です」
「不自由なものだな。で、参謀本部の次官との約束はとりつけたか?」
「待って下さい。連絡がはいったようです」
「ン……」
この夕方、一時間ほど前に、サイド1のスペース・コロニー、ロンデニオンのテレビ局が、オエンベリの虐殺事件というニュース・ビデオをながしたのだ。
ファビオの一統《いっとう》の一人が、サイド1まであがって、局に持ちこんだビデオで、キンバレー部隊が、オエンベリに集結したファビオ・リベラ旗下の私兵を制圧している画像である。
番組では、その人物のインタビューまでを報道した。
とうぜん、それは一スペース・コロニーの報道ではなく、百数十基のスペース・コロニーのネットにのったし、ロンデニオンと直線上に位置する地球上でも、受信できるニュースであった。
アデレートの場合は、閣僚があつまるために、地球各地にあるアンテナから、各サイドの電波を受信していたので、そのニュースを知るのは容易であった。
人工衛星が反連邦政府運動のおかげで、ほとんどつかえない情況が続いていても、最低限度の施設をたえず稼働させていられるのは、連邦政府のすごさである。
「参謀次官は、いますぐでも良いということですが?」
「プラザ・ホテルだな? すぐ行くとつたえてくれ」
「はい……」
ハンドリー・ヨクサンは、秘書にそう命令すると、ゲイス・H・ヒューゲストをともなって、車で五分とかからないプラザ・ホテルにはいった。
そのホテルは、すべてが参謀本部の宿泊するところになっていて、ヨクサン長官は、宇宙軍の武官たちが占領している最上階まであがっていった。
「……ここに到着して、シャワーもあびていないのに、これです。まいりました」
参謀次官のブラッド・レービェと名乗った大佐が、開口一番そういった。
「大臣が到着するのは、今夜か?」
「はい。異状がなければですが」
ヨクサンの剣幕に、観光気分のぬけきらない大佐が、ネクタイをしめなおした。
「ケネスのキルケー部隊は、知っているな?」
「ええ、明朝には、本人がここに到着するという話ですが、バリアーの建設は、三日前から精力的に実施しているようで、いや、大変なものですな……」
ヨクサン長官は、さすがに、ゲイスと目をあわせて、宇宙から降りてきた連中の、鷹揚《おうよう》さにあきれたものだ。
その点、地方に飛ばされたというコンプレックスをもつゲイスの方が、よほど働いてくれていた。
ヨクサンが、ハウンゼンのハイジャッカーの取り調べもそこそこにさせて、ゲイスを連れ出したのも、中央の連中が使いものにならないからだったのだ。その意味では、ゲイスは、ダバオでのキルケー部隊とマン・ハンター部隊の調停役も、こなしてくれたのである。
「スレッグ大佐も苦労しているんだ。閣僚たちが、好きかってなことをいってくるんだからな?」
「そのようですな……」
「どう考えているんです?」
「どう? なにを?」
ヨクサン長官の前の大佐は、まるで何も知らない男のようだった。
「キルケー部隊の掩護《えんご》のことです」
「それは、ホンコンに到着したときから、参謀本部の問題として検討しています」
「部外者がなにかをいうのはおもしろくないでしょうがね、オエンベリであんな下手なことをやったのは、指揮官に問題があっただけでなく、組織の問題です。いいですか? そのためには、実戦の経験者がすぐ欲しいんです。ロンデニオンには、独立第十三部隊があるという話を大臣に思い出させてほしいのです」
「それをいいにわざわざ?」
「ええ……」
「我々は、地球専門の軍ではありません」
「参謀本部のスタッフでしょう?」
「だから、それを全体会議で検討していると……」
長官は、この大佐はタチの悪い官僚の一員と覚悟をして、辛抱づよく説明した。
「いいですか? わたしの所轄の署員までが、キルケー部隊の指揮下にいれられたのは、わたしにとってもおもしろくないけれど、スレッグ大佐だって面倒をしょいこんでいるんです。それもこれも、閣僚たちが自分たちの身の安全を思うばかりに、強権発動をして押しつけたんだ。となれば、今、大佐がおっしゃったことは、閣僚会議の意向を無視する発言だ、ということをご了解いただきたい」
「……威《おど》すのですか?」
「あさってから、正式に閣僚会議がはじまるのです。その前にしなければならないことは一杯あるということです」
「…………」
ようやくその大佐は、自分の首がかかっている問題があるらしい、と想像したようだ。首筋をなでながら、天井をにらんだ。
「……独立第十三部隊のブライト・ノア……若くして、実戦経験豊富なニュータイプ。ちがいますか?」
ハンドリー・ヨクサンは、その名前をダバオの空港で、ハサウェイに会った時から、思い出していることはすっかり忘れて、確認するようにいった。
「し、調べてみましょう……」
ブラッド・レービェ大佐は、ぼんやりとそういいながらも、その名前をメモすることは忘れなかった。
14 ダメージ イン ダークボトム
大気の汚染が完全にもどっていないといっても、サザンクロスを中心とした星座は、克明《こくめい》な光の粒《つぶ》を彫りおこして、大地はその星々の光を映すのではないかと思えるほど、深く艶やかに漆黒をよこたえていた。
しかし、静寂はなかった。
右から左、左から右。
ときには、星座の光をよごすようにのびた閃光《せんこう》が、狂暴な獣《けもの》を思い出させる。
局部的に激しい意志をみせるものは、それが物であっても、自然にたいして狂気を発しているとしかみえないものだ。
ドヴーッ!
閃光が火球にかわり、それがつくる音響は、漆黒の大地をすべって四方に拡散した。それは、音が透明であると知らされる現象だった。
「やったっ!」
「確認した! マニューグッ!」
「下だ! テール・ノズル光がみえるっ!」
「深追いはするなっ! 威嚇だけでいいっ」
そんな交信がミノフスキー粒子の干渉のなかでも飛びかうのは、彼等、モビルスーツが至近距離にいるからだ。
「離脱しないと……」
地にはうような閃光がきらめき、それにたいして、やや上空から雨のように光がふった。
しかし、そんな走る光もこの大地と星々の下では、なにかちょっとした変化をつけたくなったための点描にしかみえなかった。
そして、その変化を彩るために、さらなる赤い光がひろがり、それが、ながい筋になって大地にはねた。
その光は、周囲の瓦礫と膨大なゴミの山を浮き彫りにしたものの、撃墜されたモビルスーツの光は、急速に消滅するようにみえた。
ややあって、思い出したように野火《のび》が起きあがって、徐々にその炎の筋を四方の闇の中に浸食させていった。
その頃になると、モビルスーツの轟音《ごうおん》は、その闇のなかから消滅して、星々は、ゴミの山を舐めはじめた炎の饗宴が拡大するのを、見守るだけだった。
その炎の筋を左の地平線上に目視したハサウェイ・ノアとイラム・マサムは、嫌な予感にとらわれて、|Ξ《クスィー》ガンダムのコックピットで顔を見合わせた。
最大望遠のカメラで拡大された画像では、その野火はかなり広範にひろがっていた。
「いまどき、焼き畑でも、山焼きでもなかろう?」
正規のシートのわきに急拵《きゅうごしら》えのシートにすわっていたマサムが小さくいった。
ダーウィンのテリトリーを離れてからは、チャング・ヘイをのせたギャルセゾンが、ファビオ・リベラ以下の三十名ほどの戦闘員を収容して、エアーズ・ロックにむかうのを確認したあとは、なにひとつ不安な材料はなかったのだ。
それが、エアーズ・ロックにあと一息というところで、原因不明の野火である。
「そうだ。荒地《こうち》だものな。このあたりは……」
二人は、意識して別のことをロにしあって、ハサウェイは、マルチ・スクリーンにした望遠画像で、三百六十度の視界を確認すると、天測でわりだした方位は、とりあえず安全らしいと判断した。
「……ジール山はとっくに越えたものな……」
ハサウェイは、いわずもがなのことをいって、嫌な予感をふりはらおうとした。
「行ってみるかい?」
マサムの手が、ハサウェイのパイロット・スーツの上から、彼の手の甲を叩いた。
「……気になることは、チェックするしかないな」
ハサウェイは、野火の方位に機体をむけると、一気にその方位に距離をつめていった。
小さな山々にみえるものが、ゴミの山なのだ。いろいろな色の炎と煙があがっているのが、そのゆらめく光のなかにみえた。
火は広くひろがって、まるで、マグマが地表に押しだしたのではないかと思えるような光景を展開していた。
「なんで火がついたんだ……?」
「自然発火だろう」
いいながらもハサウェイは、そんなことではないと分っていた。嫌な予感は、ますます激しくなるだけだった。
「風上は、こっちだな」
ハサウェイは、風上に機体をながしていった。ガンダムの機体のおこす風圧で、真下の炎がはげしく火の粉をまいあがらせた。
「…………!?」
マサムもハサウェイも、声にならない息を吐き出していた。
予感は的中した。
とおのいた炎の明りのなかに、メッサーの脚が一本、天をあおいでいた。本体の爆発で、飛ばされたのだろう。
ほかにはモビルスーツの機体の破片らしいものはみえなかった。
ハサウェイはコックピット部を機体本体の胸の位置にまでさげると、マニュピレーターで焼け跡に立つメッサーの脚をつかみあげた。
「モーリーの機体だ……」
ハサウェイは、踵《かかと》のつけねの製造番号をよみとってうめいた。
あのクルッとした感じの肢体をもつ彼女が、火に焼かれたかと思うと、痛烈な痛みが胸を突きあげてきた。
「ほかは……」
二人は、周囲の警戒をわすれずに、大きな爆発があったらしい場所を中心にして、モビルスーツの残骸をさがしてみたが、炎にまみれているゴミの堆積で、みつけることができなかった。
僚機《りょうき》は、ロッド・ハインのメッサーと、ヘンドリックス・ハイヨーの|3《サード》ギャルセゾンだ。
「…………」
「この窪みはメイン・エンジンが爆発してできたものだろうな……」
「ゴミの堆積の仕方の問題じゃないのか」
ハサウェイの観測は、だれがみても楽観的なものでしかない。
「敵のモビルスーツの移動コースとみたほうがいい。いこう」
マサムが、ハサウェイを急かした。
ガンダムは、再度、コックピット部をあげると、エアーズ・ロックの合流ポイントにむかった。
ふたりは、まだヴァリアントが、撃沈されたことは知らないのだ。
またも闇のなかで、天測だけをたよりに、漆黒の大地を星々と大地のあいだをとんだ。
「このあたりだ……」
ガンダムの接近した場所は、かつては、この大陸でもっとも有名な観光地であったところなのだが、今は、その独特な岩の頭を闇のなかに識別することはできなかった。
カメラを作動させてから、ガンダムの標識灯を数度点滅させると、ふたりは、周囲を交互にみまわした。
「あった!」
マサムが、地上で数秒だけ点灯されたふたつの光をみとめた。
「まだ距離がある。二十四キロだ」
ハサウェイは、カメラでふたつの光の距離を計測させて、機体を降下させていった。
高度が十五メートル、合流ポイント百メートルというところで、地上に車両のヘッドライトの列が点灯した。
赤っぽい大地の面がフワッとうきあがり、なによりも、その前方には、岩の壁が迫ってみえた。
「くっ! こんなにエアーズ・ロックにちかいのかよ!」
マサムが怒っているあいだにも、ハサウェイは、ガンダムの機体をヘッド・ライトの光のあいだに、降下させていったが、十数のトレーラーの光は、ガンダムのランディグ・ギアが接地するかしないかで、消えてしまった。
そして、かわりに小さな懐中電灯の光が数個、ガンダムにちかづいてきた。
そこに待っていたのは、悲壮な報告だったが、それでも、3ギャルセゾンは、無事だというのだ。
「……すみません。ふたりを助けられなくって……」
ギャルセゾンのキャプテンのへンドリックス・ハイヨーがベソをかいて、ハサウェイに報告した。
「敵の追撃を振りきって、ここまで君がたどりつけただけでも、立派だったよ」
ハサウェイは、無念さを押し殺して、ヘンドリックスをなぐさめながら、トレーラーのキャビンにむかったが、そこで、ヴァリアントの撃沈をきかされた。
「ウェッジにしろ、モーリー、ロッド。みんないい奴が先に死んじまうか……」
一方が助かれば、一方がやられる……知ってはいることだが、ハサウェイは、足をとめてしまった。
「それでも、リックは、敵の目をくらますために、大きく動いてくれて、今しがたここに到着したばかりだ。冷静だったよ。おれだったら、敵を連れてきちまったかもしれねぇ」
レイモンド・ケインは、同僚の功績を誉めながら、ハサウェイに気合をいれてきた。
「……そりゃそうだろう。たいしたものさ」
ハサウェイは、他人がいるところでは、意気消沈してみせてはならないと自分にいいきかせて、トレーラーに足をむけながら、笑ってみせた。
「……マフティー」
チャング・ヘイの声が、奥の闇のほうでした。
「ああ! ご苦労だった」
レイモンドをすり抜けたハサウェイは、チャングと握手をかわしながら、ファビオたちはもう休んでいるときくと、
「作戦については、あすにでも協議をしてくれ。ここは、ローウェストたちに任せて、今夜は、ゆっくりと眠ってくれ」
「はい。そのつもりです。よろしく」
ロック寄りのトレーラーの闇のなかに消えていくチャングに、ハサウェイは、良い仲間ができるかわりに、いなくなってしまった仲間がいる自分の立場に、さらに、マフティーの組織の危さを感じるのだった。
これは、ただの戦争ではない。ひどくバランスの悪い戦いなのだ、と。
「ロゥ! ヴァリアントのことは、敵の無線を傍受してのことだというが、ダーウィンあたりから確認できる方法をとって……」
「……ああ、それはやらせているが……」
このポイントの責任者、ローウェスト・ハインリッヒは、自信に満ちたようすで、ハサウェイと握手をかわした。
「……ダーウィン空港で、二機のキャリアーがつぶされたようだな?」
「それはオエンベリ軍にやらせた。知っているだろう? ファビオ・リベラ」
「そいつは知らないが、そういう経過ならば、納得だ。またモビルスーツの一機もなくなっちまったんじゃないかと心配していた。嫌なことというのは重なるからな」
「……ガウマンたちは、うまくいっているのかな?」
「妙な無線はきいていないから、大丈夫だろう……」
ハサウェイは、テーブルにひろげられた大陸の地図をのぞきこみながら、ローウェストの言葉に、息をつくと、ようやくコーヒーに手をのばした。
「……どういうことだったの……」
ハサウェイは、マサムがローウェストと肩をならべたので、レイモンドたちギャルセゾンのキャプテンの方をみやった。
「ああ……」
ヘンドリックスは、コーヒーのコップを両手につつんだまま、その事情を説明してくれたが、経過は、簡単だった。
キルケー部隊の一隊にキャッチされたリック隊も、迎撃は遅くはなかった。
リックたちに不利な点があるとすれば、この合流ポイントの方位を察知されないために、ロッド機とモーリー機を分散させたために、各個撃破されてしまったことにあるのだ。
「なんで、ギャルセゾンは、追撃されなかったんだ?」
「敵とこっち、同じ一戦闘小隊だったんで、二機の撃墜を目撃して、気がすんだようだったな……」
「敵に打撃はあたえられなかったのか?」
「モーリーの機が、グスタフ・カールをやったはずだが、おれとロッドで、ケッサリアをやったはずだ」
「なんだよ! 落しているのか!?」
シベットやレイモンドたちギャルセゾンのキャプテンは、あきれた。
その報告は、されていなかったらしい。
「まったく……こっちは、敵の監視に躍起になっているのに……! 敵のモビルスーツが残ったにしても一機か……それでは、追撃はしてこまい」
さすがに、ローウェストが苦笑をみせた。
「そうか……」
ハサウェイは、シベットとレイモンドのあいだに、小さくなっておさまっているへンドリックスの肩を叩くと、
「戦場というのは、こういうものだ。いつまでもくよくよしているとやられるぞ? それでは、モーリーにもロッドにも笑われる。すぐに寝ろ。薬をのませてな?」
ハサウェイは、左右のふたりに面倒をみるように目配せをすると、そのキャビンから退出させた。
「……」
ハサウェイは、キャビンのドアの前の暗幕を背にして、三人を見送りながら、クェス・パラヤが死んだのを知った時の戦場の痛みを思い出していた。
「ひどかっただけだ……」
あれは、地球がまじかにせまる隕石の上だったはずだが、そんなことは何ひとつ思い出せず、腹からこみあげる錘《おもり》のようなものが、いつまでも溶けない苦しさだけが記憶にあった。
あれからだった。
悲しみには重さがあると実感するようになった。
それを思えば、ケリアとのことは、世俗的な行為の末端のことにすぎないのだ。
そして、ギギのことは、潜伏《せんぷく》する肉欲の触手が、欲望していることでしかない。
「恥だ……」
ハサウェイは、闇にもどったエアーズ・ロックが星々を隠す線を、目でたどりながら、つぶやいてみた。
しかし、その言葉を発した時に、なぜか勃然《ぼつぜん》とした欲情を感じて、ハサウェイは、おのれの業《ごう》の深さにあわてるのだった。
15 ギギズ スプリング
アリス・スプリング。
エアーズ・ロックより北東、三百五十キロほどにあるこの町は、昔は、エアーズ・ロック観光の拠点であったが、大陸で不穏分子が動き出してからは、刑事警察機構の支部が置かれて、マン・ハンターの基地になっていた。
この郊外の夜景は、ハサウェイたちの合流ポイントとは、まったくちがって、重く垂れさがる闇をはねのけるように、煌々《こうこう》たる誘導灯が、大地に二条の列をつくって、人工の光のきらびやかさを誇示していた。
ミノフスキー粒子が散布された空域でも、強力なレーザー発振がビーコンがわりになったし、ハサウェイたちとおなじように天測によって、ケネス・スレッグとギギをのせたキャリアーは、そこの立派な滑走路に着陸をした。
ケネスにしてみれば、一気にアデレートにいきたかったのだが、後続のキャリアーがなくなれば、無理をしてでも、ここに駐留するマン・ハンターを収容しなければならなかったし、次の便の手配もしなければならなかった。
ダーウィンでの騒動を無線で知って、ここに寄らざるを得ないと判断した時、ケネスは、グチったのだが、ギギは保証したものだ。
『寄る意味はありますって。たとえばさ、先行したモビルスーツ部隊が、マフティーのモビルスーツをやっつけるとか』
そういうギギを、さすがに周囲の士官たちは、白い目でみた。
『ダーウィンの予言はみとめますがねぇ、そこまで当ったら、なんていうのかな、コミックですよ。二度あることは、三度あるという諺《ことわざ》はありますがね』
『それがあたったら、ギギさんの予言者としての能力を信用しますよ』
士官たちはかなり好意的に、それでも、ひやかし半分にいったものだった。
しかし、ギギが一時間前にいったことが、アリス・スプリングに到着してみると当っていたと分った。
マフティーのものと思えるモビルスーツ部隊と接触したのは、ダバオから発して、もっとも西寄りのコースからアデレートにむかう部隊であった。
ケネスたちのキャリアーが到着したとき、アデレートに直行するはずのその部隊のモビルスーツが一機、損傷の修理を受けていた。
その戦隊は、一機のグスタフ・カールとケッサリアを大破させられたものの、残った一機のグスタフ・カールは、途中までケッサリアと同道して、ケッサリアが飛行できなくなると、四人のクルーを乗せて、アリス・スプリングにたどりついたのである。
それでも、マフティーのモビルスーツ二機撃墜確実の戦果に、アリス・スプリングは湧いていた。
ギギの予言は、味方機の損失については、なにも語られていなかったが、それでも、もう、ギギと同道してきた士官や役人たちは、ギギの能力を疑うことはしなかった。
「殊勲賞というよりも、ほとんど的中だ。予言者を自称している連中はいっばいいても、こうはいかんさ」
ケネスは、じゅうぶんご機嫌になった。
こうなれば、ギギのことは、士官たちにまかせておいても、粗雑《そざつ》にあつかわれることはないし、ケネスの指揮にも力がはいるというものだった。
ケネスの補佐官のミネッチェ・ケスタルギーノ大尉は、人工の池のみえるホテルのスイートに、ギギを丁重に案内したものだ。
「ありがとうございます。大佐は、どちらにお休みになるのかしら?」
「今夜もおそくまで仕事がありますから、むこうの電気のついている階層におります」
大尉は、窓のカーテンをひらいて、池の反対側のホテルの窓をしめした。
「じゃ、ここの場所は、大佐はご存知ね?」
「はい。すぐに、お知らせいたしておきます」
大尉は、ベランダに出て、左右の景色を確認すると、
「ご用はホテルの者にいいつけて下さい。このエリアのすべてが、軍の調達になっていますから、ボーイフレンドご用達以外は、文句はいわないはずです」
大尉は、その冗談がとても気にいったという風に、ひとりで笑った。
「本当にありがとうございます」
「いえ、自分は、誰がなんといおうとあなたのような存在は、お守り札に感じられるのです」
大尉も、ご機嫌だった。
「お守り札ですか?」
「はい……妻子持ちになると迷信深くなるんでしょうかね。あてにしています。ですから、どうでしょう。この先のことはどうです? 感じますか?」
最後のそれをききたくって、中年男は、必要以上にギギにまとわりついていたのだ。
「……そうね……そう。ま、無事かしらね……でも、わたしは予言者ではなくてよ」
「了解しています。ありがとうございます。今夜はごゆっくりお休みになって、また新しい力をみせてください」
「本当にご親切にしていただいて、ありがとう」
ギギは、中年男とありがとうの応酬をする気がなかったので、彼のわきをすりぬけて、部屋のドアの方に歩き出さなければならなかった。
「……絶対、あなたはわれわれの守護神になります」
「努力するわ。おやすみなさい」
そこまでいったのでようやく大尉は、退出してくれた。
彼は、けっしてギギに色目をつかったのではなく、素直に感動してくれているのだが、その進退が下手なのである。
ギギは、そんな中年男のブザマさに苦笑してしまったが、そのおかしみの感情がひいていくと、ギギは、自分のやったことはまちがいではないか、と思いついていた。
きのうは、ハサウェイの居留地の身元引き受け人のアマダ・マンサン教授に電話をしておきながら、きょうは、ケネスの立場について、しかも、自分の運勢でケネスの味方をしているのである。
それは、ハサウェイとケネスの真ん中で、二人の男性の葛藤をみせてもらうという単純な自分の願いとはちがうことだった。
「…………」
たっぷりとお湯をみたしたバス・タブのなかで、ギギは、いろいろなことがちょっとズレてしまっていると確信できた。
「きょうのことは、大佐が引いた運だと思うな。あの人は、指揮官としては有能だわ。みえないところで、準備することは、準備しているもの」
ギギは、自分の前にいるときは、やさ男そのものといったケネス・スレッグの評価をまとめてみて、自分の考えはまちがいがないと思った。
「ハサウェイたちが、ドロナワ的なんじゃないかな。彼、どこか爪先立ってもがいているものなぁ……」
それは、ケネスの情況と対比すると、ひどく悲しいものに思えた。
そう、ギギは、ハサウェイが、マフティーの一員として、ちかくで働いていると感じていた。
からだ全体の力をぬくと、下半身がお湯に浮いた。
その浮遊感のなかで、ギギは、自分の運勢を占うように、頭のなかを空白にしていった。
爪先が浮きあがって、膝小僧が、左右にお湯をわけてからまた沈むと、手前に、ひらべったいお腹が、ひどくひろい面積をみせて、お湯の面に浮いた。
「…………」
ふと悲しくなった。
このお腹に、頭をあてて眠るのが好きだったカーディアス・パウンデンウッデン伯爵の、染みがいっぱいある頭を思い出したのだ。
セックスをかわしたことは、一度か二度しかなかったが、そのことでいやだったという記憶もなかった。
たいてい、ギギのとなりで眠るだけで、ときにギギのお腹を枕にしたのは、伯爵にすれば、ふざけているつもりだったのだろう。
そのていどの関係でありながら、孫以下のギギと一晩すごすことを楽しんでくれた。
特別な会話などはなかったのだが、ギギとの軽い夜食と朝食の時間を、伯爵は心安らぐものだといってくれたものだ。
「かわいそうなのよねぇ……。死ぬまで、会社のことと遺産のことで悩まされ続けて、だれからも早く死ぬことを期待されている男……」
もちろん、世界的な保険会社の創業者である老人が、身辺のことを具体的に、ギギに話すことなどはなかったのだが、一年以上のつきあいともなれば、なんとなくいろいろなものを感じることはできた。
二度目に下半身が浮いたときに、お湯の面からでた爪先が、左のほうに浮きあがっていた。
それについては、ギギは意識していない自信があった。
『きまりだわ……』
ギギは、このあとの自分のいくべき方向を、爪先が右か左のどちらに浮くかで決めてしまったのだ。
自分が本当に好きなのは、ハサウェイかケネスかということになれば、そんなことはきまっていた。
それでも、ケネスの方にきてしまったのは、ギギの心理のなかに、年長者に身をもたれかかりたいという潜在的な欲望があるからだろう。
『ファーザー・コンプレックスなんだなぁ……』
気が楽になったころ、バス・タブのわきのチャイムがなった。
「はい……?」
「ケネスだ。すこししたらそっちに寄るが、いいかな?」
「……どうぞ?」
ギギは、その受話器をおくと、やや冷たいシャワーでほてったからだを冷やして、すばやく身仕度をととのえた。
ケネスがドアをノックしたのは、ギギが飲み物のルーム・サービスを頼んだ直後だった。
「いい部屋じゃないか……よかった。こんな場所に、こんなホテルが残っているなんて、ラッキーだったな」
「そうね……世紀の驚異よ」
「連邦政府のトップには、このあたりの何万エーカーもの土地を、自分名義にしている連中がいるらしい」
「なんなの? それ?」
「そうねぇ……ステイタス。人が最後に欲しがるのは、それさ。そのために、連邦政府内部には、そういう物を手にいれるために、連邦政府を利用している連中もいるってことだ」
「おー、嫌だ。大人って、なんでそうなるの?」
「想像力がないからさ」
ケネスの答は、簡単だったが、それこそ、ギギにとって明快な解答になった。
ステイタスを維持するために、身を飾るものが欲しいのは、自身にステイタスを誇示するものがないからであろう。
野心家であれば、百年後の地位と財産保全を考えて、投資を意識するという社会的動物であることは、ギギにも容易に分った。
それこそ、伯爵の薫陶《くんとう》である。
しかし、それが永遠のものであるという保証がないのが、現実の社会なのだ。
死ぬときに、人はなにをもっていけるのか?
恐れることなく死んでいければそれでよい、という心境を得ることこそが、最大のものではないのだろうか?
長く生きたいとするのは、人の業《ごう》なのだ。やりのこしたことがある、やらなければならないことがあると欲《よく》するのが、それである。
ひとりの人で、人類と世界にとって、死なせてはならない人物などはいない。
人が動物でありながら、生と死の輪廻《りんね》の埒外《らちがい》にあると欲望する心が、このことを忘れさせているということは、ギギは、伯爵から学んだ。
人の無情というものをも、老人からみせてもらったという気持ちがあった。
だから、今、こうして、中年にさしかかるケネスをみていても、さっきバス・タブで決めたことは、まちがいではないとも思うのだ。
『若い時は、若い時にできることをやる』
そうでなければ、後悔する。
それでは、よく死ねないだろう。それが歳を重ねてゆく人のありようなのである。だから、ギギは、ハサウェイのところにいくのだ。
「……大佐、ヘイマン大佐の消息は、分らないんですか?」
「なんだ? 急に……」
「ついているついでに、キルケー部隊の最後の懸案事項が解決すればいいなって……」
「わからないことをいう」
ケネスは、苦笑をみせた。ギギにたいして、娘のような寛大さであるのだ。メイスを押し退《の》けた少女という嫌悪感は、わすれていた。
「……この近くにエアーズ・ロックというのがあるんでしょう? 明日の朝、出発までにそれをみることができないかしら? 観光をしたいの」
「おいおい、とんでもない横道になっちまう……。まさか、それとキンバレーのことが関係があるのか?」
「分らないわ。ただ、そう思いついたの」
「そうか……?」
ケネスは、そのギギを見下して、
「……今夜、マフティーのモビルスーツを撃墜したところからは、真南あたりだがな……」
ケネスは、ギギが考えていることを見透かそうとしていたが、
「行くか? キンバレーがいるんだな?」
「そうはつなげてはいないけれど……」
ギギは、苦笑しながらも、内心では、もしそうならば、ハサウェイは、ケネスのうつ手に負けないような手立はしているだろうか……と不安になった。
「モビルスーツ隊を出そう。アデレートの方には、レーンたちの部隊を先行させる」
「でも、ここに寄った目的は、マン・ハンターの回収でしょう? 大佐は、まっすぐに、アデレートにいく」
「ああ……。おれは、キャリアーで直行するが、ギギは、ケッサリアで、エアーズ・ロックの観光にいけ」
「無駄になったら?」
「それはそれでいい。ギギと一緒にいく連中が、よろこぶんじゃないかな?」
「そうかしら?」
「そうだよ。もう、みんな、ギギの噂は知っているから、文句をいう奴はいないさ」
ケネスは、ギギのひたいにキスをして、早く寝ろと命令口調でいうと、足早にギギの部屋を出ていった。
16 ボース ロンデニオン
「地球に? いつ?」
「明後日、早朝に降下する」
ミライ・ヤシマは、夫のブライト・ノアのその言葉に、ぼうぜんとした。
「だって、ニューハンプシャーシーに、店を見にいく予定の日よ?」
「そうだが……明日にでもいけないものかな?」
「あなた。本当に軍に辞職願い出したの?」
「それを承知で、実戦経験豊富な艦長ということで、決定されたらしい。なにしろ地球で実戦をやった艦長なんて、このロンデニオンには、そうそういないしな……そのかわりといったらなんだが、この作戦が終了したら退役させてくれるという約束はとりつけた」
「冗談じゃないわ……」
ミライは、そのあとの言葉をのみこんで、ブライトの手をとっていた。
「……明日にでも、店を見せてもらえるように、不動産屋にたのんでみたら?」
「でも、こちらの一方的な理由で、あさってにしてもらっていたのよ」
そういいながら、ミライは、もう電話のプッシュ・ボタンを押しはじめていた。こういうところの反射神経は、まだまだホワイト・ベースというスペース・シップの操舵手をやっていたころと同じだった。
彼女とブライトは、戦友という縁で結婚したのである。
しかし、二人は、まだ壮年期にもはいっていないのに、軍隊経験が早かったばかりに、ブライトの実戦キャリアは、十分すぎるほどにあった。
だからこそ、ブライトは、シャアの反乱以後は、退役することを考え出して、半年ほど前に、その願いを出していたのである。
歴戦の勇士から政治の世界に入る者もいたが、ブライトのように、予備役の頃から実戦を経験した者は、恩給がつく最低期限を生きながらえることができれば、退役するケースの方が多かった。
精神的な疲労が激しいからだ。
老成《ろうせい》する、といってもよい。
ブライトの場合は、かなり激しく目の前で部下が死んでいく光景をみてしまったので、ことさら、その思いは深い。
戦争などの事態が起らないよう、社会そのものを変革する仕事につくのが経験者の職務であるとは、考えもする。
しかし、ブライトは、政治家になる気力は、のこっていないように感じていた。
第一線にいて、中央から使われる身にたつと、軍であれ官僚であれ、その組織そのものが内在する問題を実感することができる。
現有能力のレベルの人類では、組織そのものが生み出す悪癖《あくへき》を改革することなどは、とうてい無理だと知るのである。
聖人であっても、ふつうの人びとがつくった組織に参画するかぎり、組織内で自然発生する個々人の生み出す齟齬《そご》などは、とうてい変革できないと思えるのだ。
組織がうみだす悪癖の解決策は、すべての人が清廉潔白《せいれんけっぱく》になるしかない、というのがブライトの結論であった。
それは、ニュータイプ指向をうむ土壌《どじょう》でもある。
ブライトは、それを部下たちの死と直結する情況のなかで、思い知った男である。
となれば、どうしようもない、というのが、ブライトの決心なのだ。
しばらくは、小さなレストランの経営などをやって、世俗のなかで、行く先を考えてみようというのは、ふつうの人としては当然であろう。
「…………」
ブライトは、ソファにすわりこんで、ミライが受話器をもって頭をさげるうしろ姿を見ながら、日本人の血が、そんなムダな行為をさせるのだろうと苦笑した。
レストランの経営のあいだに、心境がかわって、政治にうって出るかもしれないが、その時は、ジオン・ダイクンの二番煎じであろうが、人類がニュータイプに変革しなければならない、という高邁《こうまい》な理想をかかげることになろう。
それは、理想主義でアホウよばわりされるだろうし、選挙での票集めにはならないかもしれない。
しかし、ブライトの場合、そうでもしなければ、宇宙の戦争で知ったことをすべて無駄にするのではないか、という予測があった。
その方法論を身につけ、実力をつけるためには、まずは、市井《しせい》の生活からはじめるべきだと決心したのである。
そのための職業としては、衣食住という人が生きていく上で必要な職業につく、というところから、レストランにする建物捜しがはじまったのである。
ハサウェイの妹、チェーミンが、手伝ってくれるとは思えなかったが、湖に面した家屋を改造したレストランで、ミライといっしょに厨房にたつのも悪くないはずだった。
そのために、ブライトは、免許をとるためのクッキング学校に行く予定もたてていた。
そんな矢先の地球降下命令なのである。
「……あすの午後一番でどうかしらって。時間とれます?」
「それはとる。上の連中にも、それは納得させる」
ブライトはソファをたつと、ミライにいれかわって受話器をとりあげて、艦と連絡をとった。
あさっての出撃であろうとも、ブライトが現在まかされているラー・カイラムのスタッフならば、出撃準備などはまかせっばなしでも、心配はなかった。
ブライトには、そのていどの軍務を、硬直した官僚的|杓子定規《しゃくしじょうぎ》にすすめる気などは毛頭なかった。副長のレーゲン・ハムサットと手短な確認をとると電話をきった。
「……そのかわり、そのあとは、まっすぐに艦にいって、そのまま出撃するぞ」
「そうでしょうね……。仕方がないわ」
ミライは、ちょっとだけ肩をすくめながらも、
「でも、今回の任務は、楽よね……そんな気はするわ」
「ああ。地球におりる面倒さはあるが、太平洋管区のキルケー部隊の支掩だけだ。どうということはない」
ブライトは、二階にあがってシャツの着替えをして、おりてきた。
「オエンベリの虐殺って事件があったでしょう? あれが直接の原因?」
「そうだな……。キンバレー・ヘイマンの経歴はしらべてみたが、文官上がりなんて、あんなもんじゃないかな。異常じゃあない」
「でも、モビルスーツに人を握りつぶさせるなんて、ちょっとモロすぎるけれど?」
ミライは、玄関脇の椅子でお尻をひっかけて、ブライトの軍服の肩口から出た糸くずを抜きとったりしていた。
「実戦経験がない男が、陸軍らしい敵をみれば、ああなるだろうな」
「陸軍ね。スペース・コロニーでは、知らない存在よね?」
ミライは、その上着をパタパタと手ではたきながら、立ちあがった。
「ゲリラとモビルスーツの対決っていうのも、ちょっと想像がつかないわ」
ブライトは、その上着をはおりながら、
「象みたいな武力を持っていながらも、蟻のようにまとわりつかれたら、自分の力をどう制御したらいいのかは、難しい問題だよ」
「そりゃ、そうねぇ……」
ブライトは、ミライがさしだす軍帽を手にすると、彼女の頬に軽くキスをした。
「……ハサウェイに会えるかも知れませんね」
「ああ……作戦がおわったら、植物実習をやっている島というのには、寄ってみるよ」
ブライトは、ミライからはなれると、前庭に置きっばなしにしてあったエレカに乗りこんでいった。
「今夜、夕食は?」
「しないが、まちがいなく帰る」
「そう……いってらっしゃい」
ミライは、エレカのドアをとじてやりながら、ふっと感じた不安な気持ちをふりはらうように大きな微笑をつくって、ブライトをおくりだした。
このサイド1のスペース・コロニー、ロンデニオンは、スペース・コロニー時代初期のコロニーだから、このような名称がついていた。古代ローマ語の『荒れた土地』という意味で、イギリスの首都であったロンドンの語源である。
一世紀ちかくたてば、ロンデニオンも落ちついた歴史的な風情をもつコロニーになっていたが、人心《じんしん》はブライト夫妻がかたるように、まだまだ旧世紀のままであった。
そして、オーストラリア大陸の中央は、人類が征服しきれずに、ロンデニオンのまま、夜明けをむかえていた。
「冗談やっている場合かよ?」
夜明けの光のなかにクッキリとしたシルエットをみせるペーネロペーの影の下で、レーン・エイム中尉は、滑走路の一方をみやった。
ケネスを先頭にした一隊が、まるでピクニックにでもいくように、一機のケッサリアの前にいくのが遠望された。
ダバオでの光景そのまま、エアーズ・ロック観光を目的にした一隊の発進なのである。
ギギ・アンダルシアを前にして、ケッサリアと二機のグスタフ・カールのパイロットたちは、この縁起のいい少女が、自分たちの小隊と行動をしてくれることを喜んでいた。
「いいか? ギギをのせたケッサリアは、後方で待機するんだぞ? まちがっても、戦闘空域にははいるな」
「……ヒヒヒヒヒ……!」
ケネスのいわずもがなの命令に、パイロットたちは笑った。
「マフティーのモビルスーツ部隊の展開は、ありうるんだ。我々は、エアーズ・ロックなんて目立つところに、マフティーが潜伏するなんてバカなことは考えなかったが、その偵察だ。油断はするな!」
「ハアーッ!」
ケネスとギギを前にした男たちは、その時だけは、規律ある敬礼をすると、ケッサリアのブリッジのラダーを俊敏に駆けあがった。
「ギギさん! どうぞ!」
先行したコ・パイが、下部ハッチからギギをさそった。
「はい、おねがいします」
ケネスは、そのラダーからブリッジにあがるギギの小作りながら、ふっくらとした少女らしいお尻をみあげながらも、エアーズ・ロックに一隊をまわすのは、作戦としてはよい配慮だと確信した。
ギギの提案がなければ、実施しないところだ。
「昼飯の手配はしておくからな?」
「頼みます。大佐」
そういってギギは、ブリッジに消えた。
そんな光景のディテールは、レーンの距離からは分りはしないが、彼も、ギギを同乗させたケッサリアと二機のグスタフ・カールが、なんでエアーズ・ロックにいくかは、今朝、仲間のパイロットたちからきいていた。
単純なゲン担《かつ》ぎの作戦であることは、レーン・エイムにも理解はできた。
が、
「……しかし、実戦部隊の実働に、しろうとの女の子をのせるってのは、アホウの極みだよ。ありゃ、技術畑を歩いてきてボケた大佐のやり方だ」
レーンはそう思ったし、それを受けいれてしまうパイロットたちの体質も異常に思えた。
それだけ、この部隊の存在、この部隊を動かしている大人たちの世界が、歪んでいる証拠なのではないか、という想像である。
大陸に侵攻してからは、ペーネロペーの性能は順調にあがって、自分も順応できるようになった。
メカニック・マンたちもペーネロペーになれてくれて、実戦機として慣熟してきた。
しかし、レーンは、ガンダムもどきに撃墜された印象を、わすれることはない。
あれは、ケネスの命令で、モビルスーツの実戦で人質をつかったという負い目がこだわりにのこって敗北したのだ、とレーンは信じていた。
もう、ケネスと関係のあるギギのような少女の縁起をもらうことでは、マフティーのあの新型のモビルスーツには、勝てないと思うのだ。
「実力しかない。縁起、予測、そんなもので、モビルスーツ戦の決着がつくものか」
軍務にかんするかぎり、ケネスは強持《こわも》てであっても、ギギをマスコットにするようでは、ケネスの人格のバランスがどこかで狂っているとするのが、レーン・エイムである。
ガウマンを人質にしたことと似ている、という断定である。
「もう、ガンダムもどきにはやられはしない……」
しかし、レーン・エイムに欠けていたのは、人質にしたガウマンの補佐があったればこそ、致命傷を受けずにガンダムから離脱できた、ということである。
その直線的な思考は、若さゆえのものである。
ブルルル……。
二機のグスタフ・カールを背中に搭載したケッサリアは、百メートルも滑走しないで浮上すると、コントロール・ビルの前に立つケネスに挨拶をするようにホバリングをして、ゆったりと高度をとっていった。
それは、ペーネロぺーの頭上で西南に機首をむけたので、レーンは天にむかってどなりつけていた。
「マフティーが、エアーズ・ロック付近にいるわけはないだろうっ!」
そんなレーンの叫びを打ち消して加速をかけたケッサリアは、夜の色をのこす空に消えていった。
レーンと同じように、部隊の誰しもが、エアーズ・ロックにマフティーの部隊が潜伏していると断定できなかったために、この一戦闘小隊の出撃が後に与えた損害は、莫大なものになったのである。
もし、ケネスが、ギギの気紛れを明確に予言と信じて、この時に倍の戦力を送っていれば、マフティーは、この時点で殲滅《せんめつ》され、アデレートの惨劇は阻止できたのである。
ことに、レーンのペーネロペーであれば、より確実な戦果をあげていただろう。
これも、運であろう……。
それから十数分としないあいだに、ケネスとレーンたちは、アデレートにむかってアリス・スプリングを離陸していった。
17 ウルル
白人たちが、この大陸を侵蝕する前、原住民のアボリジニーが『ウルル』と呼んで、聖地にしていたエアーズ・ロックとマウント・オルガ。
夜明けの光は、その巨大な一枚岩の岩肌を灼熱の土色の赤にそめて、荒野にその岩だけの姿をそびえさせる。多少の空気汚染によって、横からの太陽光は、ますます岩の色を赤くしていた。
その一方の巨岩、エアーズ・ロックの頂上に設置された聴音機は、その麓《ふもと》にやすんでいるハサウェイたちを叩き起こしていた。
「全員! 退避!」
かつてのアボリジニー人たちの神々が教えてくれたのではないかと思えるほど、その探知は早かった。
風上からの音だったからにすぎないのだが、そう思えた。
「モビルスーツは、予定通りにゴーラーに移動!」
「ロゥっ! 退避できるか?」
「さぁな。敵の数しだいだろう?」
ローウェスト・ハインリッヒは、からだのとおり気性も豪胆《ごうたん》だった。
むろん、そういう男でなければ、一番近い海岸線まで七百キロはあるこの場所に、車でくるような仕事を請負《うけお》うことなどはない。
それは、金のためだけでできる話でもないし、野心家であっても、その将来はみえにくいポジションなのである。よほどの野放図な人物か、自由人であろう。
この場合、彼が簡単に脱出を保証してくれたので、ハサウェイは気が楽になった。
ガンダムにのぼると、その足元にファビオ・リベラの一統が駆けこんできた。まるで、夜盗《やとう》の群だった。
「よう! マフティーさんよ! 大丈夫かっ!?」
「防いでみせる! 作戦会議は、アデレートでやる! いってくれ!」
「おうよ! 死ぬんじゃあねぇぞ!」
「ああ……!」
|Ξ《クスィー》ガンダムのエンジンは、小気味好くふきあがった。それと同じように彼の気持ちも楽になった。
ローウェストもそうだが、ファビオのような人物も、絶対に必要だと、実感した。
「敵は、二機! ベースジャバー 一機……!」
その連絡が、ローウェストのトレーラーからはいるころには、六機のギャルセゾンとガンダムは、地をはうようにホバリングをはじめていた。
しかし、ここに集結したマシーンのうち、モビルスーツは、ゴルフとエメラルダ機以外では、二機が増えただけで、四機のギャルセゾンには、モビルスーツは搭載していない。
ヘンドリックスは、昨夜の戦闘で僚機をなくしての退避行動で、心理的に不安があった。
「くそーっ!」
ハサウェイは、ミノフスキー粒子のノイズのなかに、くやしそうなリックの声をききのがさなかったが、何もいわなかった。
ローウェストの指揮する八台のトレーラーは、西にむかって次々に発進をしていったが、平坦な荒野は、その影をどこまでも見える位置においた。
「各ギャルセゾンは、敵を無視して、南下しろ!」
ハサウェイは、ガンダムを使って、最後のトレーラーがのこしてくれたコンテナを、エアーズ・ロックとマウント・オルガのあいだに、二段に配置した。
十六基のロケット・ランチャーである。
六発ずつを三段重ねにしたロケット弾は、モビルスーツ仕様のものなのだが、ゲリラ戦を想定するマフティーならではの改造をしたものである。
二個の外部小型カメラも、それらのロケット・ランチャーの左右において、照準のかわりにした。
マウント・オルガの風の谷の一番東よりの岩陰に、ガンダムの身をしずめて、二個の外部カメラの画像をディスプレーに接続して、それにランチャーの射角をインプットする。
すでに、敵影は、そのディテールを識別できるところまで接近して、そのうちの一機は、むかって右方向に移動するようにみえた。
レイモンドたちのギャルセゾン部隊を追撃するつもりになったのだ。
「ここに動きがあるのを、無視するのか?」
ハサウェイは舌うちをすると、ガンダムの機体を上昇させて、風の谷の西に移動してさらに、北に南にとうごいてみせた。
こちらの機数を多くみせたのだ。
そんなことで、南に移動しようとしたベース・ジャバーが、エアーズ・ロックの南から北に進路をかえた。
「よほど単純なんだな……」
ハサウェイは、偽装したうごきをみせる間に、ローウェストたちのトレーラー隊がかなり西に後退しているのをみて、ひとまず安心をした。
が、ミノフスキー粒子の濃度が濃くなってきたので、カメラの電波とランチャーのリモコン電波を受信するのが、むずかしくなってきた。
どうしてもそれらの電波を直線上の一、二キロという範囲で受信するしかないのだ。
パフッ!
凶暴な閃光の束が、マウント・オルガの風の谷に集中した。
「…………!」
ハサウェイがカウントをとった間合できたので、離脱できた。
ガンダムは、マウント・オルガの北から西にすべるように後退をして、南に出た。
と、その正面に直進する二機のモビルスーツが、小型カメラの電波で受信できた。
が、電波の量がすくない。
ランチャーの位置をディスプレー上に確認して、照準することなどできる相談ではなかった。モノクロの静止映像なのだ。
「クッ……!」
ビーム・ライフルを発射して、自分の位置を敵にしらせるようにした。
かつ、瞬時にマウント・オルガを楯にするようにして、後退するのではなく前に出る。
それで、ランチャーとの距離をつめた。
二機のグスタフ・カールは、左右にわかれて、マウント・オルガを北と南からまわりこもうとした。
ハサウェイは、北の機体にビーム・ライフルを発射しながら、ロケット・ランチャーを連射した。
ドギャー!
一瞬にして膨《ふく》れ上がった爆発は、残りのロケット・ランチャーも爆発させていただろうが、識別などはできない。
夜明けの光をも押し退けるような閃光だった。
その間に、ハサウェイは爆発の勢いを背にうけるようにして、北にまわったグスタフ・カールにせまった。
ビュンッー!
ビーム・サーベルを抜き放って、一気に肉薄することができた。
「よしっ!」
背後の爆発が核融合エンジンのものであったために、敵のパイロットの動揺が大きかったのが、ハサウェイにとっての付目《つけめ》だった。
ビビピッン!
ビーム・サーベルは、過大なエネルギーは必要としない。
ガンダムのビーム・サーベルは、グスタフ・カールのビーム・ライフルから、それを保持するマニュピレーターの基部にあたる肩までを切断していた。
姿勢制御系統も破壊しているはずで、ガンダムの脚は、グスタフ・カールの頭部を蹴りあげると、その機体から離脱し、地をはうようにして東にまわりこんだ。
「…………!?」
砂塵《さじん》のなかにけむる風の谷のむこうに、連邦軍のケッサリアが、よろけるように見えた。
地上十数メートルというところだ。
砂塵は、爆発がおこった所から、まだ、周辺にむかって走っていた。
ガンダムは、その砂塵にかくれるようにして、そのベース・ジャバーにむかったが、信じられないことだが、それでも、そのケッサリアは、回避運動をしないで、前後左右にプレる機体を制御しようと苦心していた。
「…………!」
ハサウェイは、ガンダムを砂塵の流れのなかから飛び出すようにして、ケッサリアのデッキにとびのった。
ズンッ!
機体がしずみ、ガンダムの機体を落とそうとするかのようにしたが、すぐにもちなおした。
「……投降を勧告《かんこく》する! 抵抗するならば、頭上からビーム・サーベルを突きいれる!」
ハサウェイは、接触回線でブリッジにいった。
「抵抗はしないっ! 命はたすけろっ!」
「着陸するが、爆発ポイントから離れたいんだっ!」
そんな声が、接触回線特有の遠い声になって、ハサウェイの耳にとどいた。
「南に移動しろ……!」
「放射能がこわい。我々は通常装備しかしていないんだ」
「いけっ!」
ハサウェイは、ガンダム一機でもモビルスーツ二機分はある重量に、敵がかなり動揺したと想像した。
「……いけばいいでしょう!」
「やっている!」
ブリッジでいいあう声の一方はギギのものだった。
「ギギ!?」
ハサウェイは、自分の耳がバカになったのではないかと思いながらも、その状況がどういうものか想像がつかなかったので、それ以上、声を出すことはこらえた。
ハサウェイがケネスの側にたっていて、捕虜になったガウマン・ノビルを出迎えた時の心境を思い出した。
ケッサリアは、スルーッと素直な飛行になって、エアーズ・ロックをはなれた。
その上空には、朝日にかがやくキノコ雲が、その巨体を脹《ふく》らませ続けていた。
「クルーは、出ろっ!」
ハサウェイは、ケッサリアを平原に着陸させると、クルー全員をおろした。
彼等は、自分たちの機のデッキに立つみなれないモビルスーツに絶句しながらも、自分たちの身を案じる風だった。
「それだけかっ!?」
ハサウェイが、外部スピーカーをとおしてどなった時、ケッサリアのブリッジの天井のハッチが下からひらいた。
「…………!?」
やはり、ギギ・アンダルシアの姿があった。
「あたしを捕虜にして」
ギギは手にもったマイクをつかって、接触回線でハサウェイに呼びかけた。その声は、コックピットのハサウェイにしかきこえないものだ。
「ああ……!? ああ……」
ハサウェイの曖昧な返事のあいだに、ギギはハッチから姿を消すと、ブリッジの横のハッチから外におりていった。
なにを考えているのか? なにをしていたのか?
ハサウェイは、ギギが目の前にいる現実を、どう理解していいか分らないあいだに、彼女は、ケッサリアのクルーの方に歩み出していた。
「その女はなんだ!」
それでも、声に出せば、思わぬところでギギに出会えた嬉しさが、声になってしまうようで、意識しながら、威嚇《いかく》するように叫んだ。
パイロットのひとりがなにかいった。
「……人質か! 悪辣《あくらつ》な連中|奴《め》!」
ハサウェイは、パイロットたちのいいわけがましい言葉などはきかずに、そうどなりながら、ガンダムを地上に着地させると、クルーとケッサリアのあいだにはいって、ギギの方にガンダムのマニュピレーターを差し出していた。
「女は、これにのせろっ! おいっ! 手伝ってやるんだ!」
ハサウェイは、ガンダムの掌《てのひら》までの高さを気にして、パイロットたちにどなった。
「俺たちはどうするんだ」
「殺しはしない。しかし、ケッサリアは破壊する」
「どうやって帰ればいいんだよっ!」
「諸君の味方が、あのキノコ雲に気がつかないはずはない。すぐに救掩はくるっ」
ギギは、シールドを装備されたガンダムの掌に、ケッサリアのクルーの手をかりてよじのぼってきた。
「…………!?」
その仕草といい恰好《かっこう》といい、本物のギギだ。
その感動に、ハサウェイは、ケリア・デースにこだわらざるを得ない自分の立場をも思い出して、苦いものを噛む思いもしたが、ここでは、ガンダムのマニュピレーターをコックピットの前まで上げるしかなかった。
「諸君たちの本隊の動きは、我々の仲間がアリス・スプリングでも監視している。すみやかに諸君たちが救出されることを!」
ハサウェイは、そう呼びかけると、ゆったりとガンダムの機体を立てて、ギギをガンダムの胸元にそえるようにして、上昇をかけた。
「少女、耳をふさげ!」
ハサウェイは、クルーたちの耳を意識してそう呼びかけると、ビーム・ライフルを一射して、ケッサリアのブリッジ部だけを破壊した。
それだけで、ケッサリアは、頭を大地にこすりつけるようなポーズになって、わずかに、火を噴きだした。
ミサイルに火がまわれば危険だったが、エンジン部に火がまわって大爆発したりすることはないはずだ。
ハサウェイは、ゆったりと高度をとりながら回頭して、ウルルの戦場をあとにした。
18 ナロウ スペース
ハサウェイは、ガンダムをホバリングにちかい速度にすると、コックピット前のハッチをひらいた。
それでも、かなりの風がふきこんで、目の前のギギの上体がゆれているのが分った。
「ギギッ!」
ハサウェイは、コンソール・パネルがたおれると、空中に身を乗り出していった。
「ハ、ハサウェイ……!」
彼女は、ガンダムの指にかじりつくようにしているので精一杯のようにみえた。
ハサウェイは、手をのばしながら、足元の隙間から、その下を走ってゆく荒野の面をみてしまった。
ハサウェイがみても、宇宙の底無しの光景より、気持ちのよい光景ではない。背筋に悪寒がきた。
「サッ……!」
ハサウェイは、ギギの腰をだくようにしながら、さらに抱《かか》えこむようにするために、足を左右にひらいて踏んばった。
ギギは、自分の身体をささえるために伸びたハサウェイの腕を、恐るおそる見守っていた。
「ぼくにむかって、からだを投げ出せ」
「ハサウェイのほうに……!?」
「そうだ。ほかのことは考えるな。思いきって、風にながされるままに!」
ハサウェイは、いったん自分の背後のシートの位置を確かめながらも、胸にギギの体温を感じた。
「いち、にい……さんっ!」
ギギは、ハサウェイの合図にあわせて、ガンダムの指をだいていた腕をグッとのばすと、一気にハサウェイのほうに体をあずけた。
ハサウェイも両足を蹴るようにして、からだを後方にながしていった。
ズシッ!
シートがかすかに鳴り、ハサウェイの胸に、ギギのからだの心地良い重さと厚さが、のってきた。
「……ハサウェイ……!」
「こんなところで会えるなんて、どうしたんだ……!?」
ハサウェイは、ギギを膝のうえにのせたまま、コンソール・パネルをあげた。
「……だって!」
そのギギの声は、ハサウェイのヘルメットのむこうにした。
ハサウェイは、背後のキノコ雲を左後方にしながら、ガンダムの速度をあげていった。
ハサウェイの膝の上にすわった恰好のギギは、ヘルメットに頭をぶつけないように前に身をのりだしながら、ちょっとお尻を動かして、ハサウェイの顔をのぞこうとした。
「こんなときに、ハサウェイは、パイロット・スーツみたいなもので防御して……」
「え……?」
ハサウェイは、そのギギの言葉がなにをどのように表現しているものか、見当がつかなかった。
が、その一瞬のハサウェイの戸惑《とまど》いが、ギギの心を硬直させた。
「いいの……」
ハサウェイは、そのギギの反応を、安心したせいの冗談だと思った。
そういえば、このように抱きあうような姿勢になったのは、はじめてのことなのだ。
「ギギ……」
ハサウェイは、おもわず彼女の腰をだく腕に力をいれて、
「会いたかったんだ。こんなところで会えるなんて、思ってもいなかったんで、すごく嬉しい」
「ハサ……」
「分っているよ。目も感覚も外にむけている。せっかく会えたんだ。こんなところで、時間がなくなるようなことはしたくない」
ハサウェイは、そういいながらも、実際に、実視ディスプレーに視線をはしらせていた。
「…………」
ギギは、ハサウェイに抱かれたままだったが、そのからだは、しなやかにはならなかった。ハサウェイは、そのギギの硬直さに気づかず、ギギに指摘された現実にたいする対応を急ごうとした。
「このまま操縦するというわけにもいかないな。ギギには、横の補助シートにすわってもらう」
「椅子なんてないよ」
ギギは、ハサウェイにわがままをしていたいような声を出したが、それは、ハサウェイを傷つけまいとする配慮だった。
「いまセットする。このままでは、ぼくがギギとずっと一緒にいたいと思っても、敵に対応できる状態にしておかなければ、あっという間に、ふたりして死んでしまう」
「……それは理屈だわね?」
ギギはそういいながら、反対からハサウェイの顔を見ようとして、彼の膝の上で腰をねじった。
そのギギの挙動は、ハサウェイには、彼女が甘えてのことだと思えた。
さらに、この身のこなしは、老人を相手にしている商売女のやることか、とも考えることができた。
ハサウェイは、まだ完全にギギに溺《おぼ》れることはできないのだし、ケリアのことを思ってしまった罪悪感から解放されてもいないのだ。
が、ギギは、またハサウェイが思いつかないようなことをいった。
「今、ハサウェイがいったこと、ウソだ」
「……? なにがウソなんだ?」
ドキッとするようなギギの言葉だった。
「あたしとずっと一緒にいられて? あなた?」
そういってのぞきこむギギの瞳のブルーは、底なしに透明で、ハサウェイのすべてを知っているぞ、といっているようにみえた。
「……ぼくのことをどこまで知っているんだ?」
ハサウェイは、そのギギの態度に、誤解した。ケネスのことが、心配になった。
「いやだな。こちらの返事しだいで、答えることをかえるんでしょ」
ギギは、そういった。
ふたりのあいだに、明瞭な溝《みぞ》がうまれた。
「そういわれても仕方がないききかたをしたか……」
ハサウェイは、ガンダムのコックピット部をあげて、その震動がおさまるのを待って、シートを支えているアームの横から、補助シートを出してやった。
「……そりゃ、ギギの想像するとおり、ぼくの身辺《しんぺん》だっておだやかじゃない。すぐに一緒にいられるようにはなれないけど、今言った気持ちは、まちがいじゃない」
「それでも、そういう言葉は、うかつに口にして欲しくないな。それは、ヤワ男のやることだよ」
ギギは、補助シートにすわりながら、キチッといった。
「すまない。恥じる」
ハサウェイは、彼女に指摘されて、ギギの気持ちの底にあるものがなんであるのか、かすかに想像することができた。
それは、ハサウェイのように家庭があることと、そうでない者の生い立ちのちがいなのだ。
ガンダムは、小波のような起伏をみせる赤い大地の上を低くとんだ。
「……こらえ性《しょう》のない、ということなんだな。反省するよ」
「…………」
ギギは、シートの上に身を堅くして、なにもこたえなかった。
その沈黙を維持する若い肉体の熱のようなものを、ハサウェイは、悲しい重さに感じながら、ガンダムをいっそう低くして、次の目的地、ゴーラーにむかった。
「……ぼくは、キルケー部隊が、ぼくらのことをどれだけ知っているのか気になったんだ。それを知りたかったんだ」
「……ああ……そのこと……」
かなりしてから、ギギはハサウェイにこたえてくれた。
ハサウェイは思わず、こたえてくれたギギの横顔を盗み見するようにして、その表情がおだやかになっているので、少しだけ安心した。
「……いいんだよ。ハサウェイがそういってくれたことが厭なんじゃない。だけど、あたしは、ハサウェイはもっと強い男だって思っていたいんだ。そうでないのは、悲しいからね……」
「ありがとう……そういってくれるまで、ぼくは、ギギの気持ちを、自分とおなじだと思ってしまう迂闊《うかつ》なところがあると反省している……ぼくが、ふつうすぎるからなんだろうな。こういう暮らしかたをしている奴の鈍感なところなんだ」
ハサウェイは意識して正面のディスプレーをながめたまま、饒舌《じょうぜつ》すぎたと反省した。
そのために、またも、沈黙がつづいた。
「……大佐は、ハサウェイのこと怪しんでいるけど、ハサウェイがマフティーだなんて知らないよ」
「そうか……そいつは、寂しい気もするな……」
それは、ハサウェイのほんとうの気持ちだった。
「ウソじゃないよ。あたしは、大佐とハサウェイのあいだにいて、ふたりがどうなるのかみたいだけ。だけど、このモビルスーツをみて思うんだけど、ハサウェイは、マフティーそのものなの?」
「ああ、ギギの期待通りの強い男ではないが、そうだよ」
面倒になったからではない。
ここまできては、ギギには、ウソは通用しないと思えたし、そうでなければ、こんな風に、ギギがハサウェイに接近してくることなどもなかっただろう、とハサウェイは思ったのだ。
ギギはすくなくとも、キルケー部隊の捕虜という風にはみえなかった、ということは、その秘密はあるはずなのだ。
ハサウェイは、ギギに猜疑心《さいぎしん》がわくのを意識したが、またも、ギギは、ハサウェイの思いを裏切るようなことをいった。
「そんなのはいけないよ。やりすぎじゃない」
「なぜ? ギギは、それを予測したんだろう?」
「マフティーそのものだなんて……。マフティーって人の名前だけれど、組織の名前なんでしょう?」
「しかし、事実上、ぼくが現在のマフティーの役をやっている」
「そうか……損な役を背負ったんだねぇ……」
そのギギの言葉は、ハサウェイの猜疑心を打ち破る力をもっていた。
真実、同情の声音《こわね》であり、ケネスのスパイなどという役をもらっている少女がいえるような言葉ではないとハサウェイにはきこえた。
「…………!」
ハサウェイは、彼女が自分になにを期待しているのか、想像つかなくなった。
ギギがいったように、彼女は純粋に中立的な立場にあって、それ以外のものは一切ないということであるならば、ギギのいったことは理解できそうだった。
しかし、今のハサウェイには、その理解が一番困難な立場にいるのだ。
「ダバオでの強行逮捕のニュースとか、オエンベリの虐殺のこと知っている?」
「ああ……」
「あれで、世論が、連邦政府のやっていることを、非難するようなことにはならないのかしらね?」
「世論といっても、スペース・コロニーの世論だよ。スペースノイドになりきった連中は、地球になど興味はもたないし、スペース・コロニーの世論が、地球に押しよせることなんてないから、閣僚たちと中央官僚は、地球に降り出しているんじゃないか」
ハサウェイは、ギギに会ってはじめて、マフティーらしい考えをしゃべったと思えた。
「……そうか……ハサウェイは、マフティーか……」
ハサウェイは、そういうギギに振りむいたが、彼女は、右の実視ディスプレーのかわらぬ光景をジッとみつめていた。
「…………」
その瞳は、すずしく、それでいて、悲しみの透明さをうつしていた。
そんな無防備なギギをみれば、あのケネスが、彼女をスパイにして送りこんでくるようなことはないと断定できた。
スパイで送りこむならば、ケッサリアを使うこともないし、モビルスーツが撃墜されるような編成でちかづくこともないのだ。
ハサウェイは、赤と黄色、それに緑の色をうきたたせるブッシュが連なる以外は、なんの変化もない赤茶けた大陸の光景に目をほそくして、ギギと同じように悲しくなっていた。
マシーンにつつまれた密室の二人は、同質の悲しみを抱きながらも、そのいる場所が、すこしだけズレているのだ。