機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ (下)
富野由悠季
出版社 角川スニーカー文庫
口絵・本文イラスト/美樹本晴彦
口絵イラスト/森木靖泰
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目 次
1 ローカル ブロードキャスト
2 カモフラージュ アグレッシブ
3 ディファレント プレース
4 イン ザ モーニング
5 タッチ アンド ゴー
6 ピンポイント ディフェンス
7 ゲット アヘッド
8 アンダー ザ フォリスト
9 アゲィン
10 ビー ディファーティト
11 ウィリ ウィリー
12 ビフォー ザ ディ
13 シューティング
14 アフター ザット
15 マランビジー
1 ローカル ブロードキャスト
オーストラリア大陸の南部のアデレートは、白人たちが植民した以外は、世界的な潮流《ちょうりゅう》にもまれることなく、旧世紀の雰囲気がそのままのこっている数少ない街である。
植民地時代のイギリス風の街なみと最後のキリスト世紀末葉のスマートなビルの対比が、深みのある街にしていて、スペース・コロニーの人工的な造形にあきた人びとが、地球にまいもどるには、もっとも適した場所といえた。
なによりも、たいした補修をしないでつかえる街の建築物は、地球連邦政府のトップたちにとっては、好ましい光景にうつった。
だからこそ、連邦政府のトップは、この街にこだわったのである。
そこで開催される議会の詳細についてしらべる興味のない者にとっては、閣僚たちの密閉空間になってしまったこの場所には、マフティ−のようなかたちで介入しないかぎり、人の目はむけられないのかもしれなかった。
その日のアデレートには、中央閣僚会議に出席する全閣僚が、参集することができた。
多少の危険があるにしても、連邦政府には、大臣候補はくさるほどひかえていて、欠員になったポストに、新しい大臣をすえることなどは、造作もないことだった。
昼ちかくには、各省庁のトップによる会議のつめの作業がおこなわれて、キルケー部隊を中心にしたアデレートの警備は、一段ときびしくなった。
ケネス・スレッグ大佐の左右には、参謀本部からも補佐官が派遣され、ケネスには、准将《じゅんしょう》の地位がふってきた。
階位責《かいいぜ》めなどということは、連邦政府や軍にとって、常套手段なのである。
「今回のアデレート会議は、連邦政府そのものが指揮をとって、地球浄化作戦を遂行《すいこう》することにある」
宇宙軍の幕僚《ばくりょう》長官、メジナウム・グッゲンハイム大将は、ケネスを空港にでむかえてそう下命《かめい》すると、フェスティバル・センターの会議にはしったものである。
ケネスは、やれやれと思う間もなく、ギギを同道《どうどう》した部隊の全滅を知った。
「マフティーか……」
ギギの予測があたり、結果は、マフティー側に傾いたのである。
「ギギ・アンダルシアは、マフティーに拉致《らち》されたということです」
そう報告するスタッグ・メインザー中佐は、ギギの存在については、ダパオでの印象しかないために、エアーズ・ロックに取りのこされた連中が、ギギのことを報告したことについては、苦々《にがにが》しく思っていた。
「そうか……勝利の女神はむこうにいったか……」
「女神ですか?」
メインザー中佐は、ケネスの言葉を怪《あや》しんだ。
「ああ……。これで、パイロットたちの士気が落ちなければいいがな」
「そうでありますか……?」
ケネスは、中佐の曖昧《あいまい》な返答をききながら、ギギの存在を伝説化しようとしたロマンチックな願いが、子供じみていたことに、思い知らされるのだった。
しかし、他人から、そう簡単に評価されてもらっても困るのだ。
『……人の運勢というものをもうすこし見たかったのにな……ギギ……』
空港ビル内に設営された総合警備本部にはいりながらも、ケネスは、ギギヘの未練《みれん》を断ちきれるものではなかった。
しかも、ギギを拉致したモビルスーツは、例のガンダムもどきであるという。
『まさか、ギギとマフティーの誰かとつながりがあるとは考えたくないが……しかし、ああも突然、エアーズ・ロックの観光に行くといいだしたのは……』
そう考えれば、ケネスもハサウェイとおなじように、ギギがキルケー部隊の動静をさぐるために、自分に接触してきたのではないか、とも解釈できた。
『小娘が、会いにきてくれたことを、単純によろこんでしまったのかい……』
それがほんとうならば、ギギをちかづけたことは、ケネスの汚点になる。臍《ほぞ》を噛む思いである。
『しかし、それはありえん……』
自分の執務室から、エプロンにならぶベースジャバー、ケッサリアBJ―K232とモビルスーツ、グスタフ・カールFD―03の列をながめやった。
予定の数、ともかく揃《そろ》っているようだった。
が、ともかく、ケネスには、個人的な感傷にひたっている暇はなかった。
「ええっと……准将?」
「ああ……?」
中年の盛りをすぎた秘書のフランシン・バクスターは、ケネスが昇進したことをすでに知っていたから、ケネスの軍服の階級章にはまどわされなかった。
「准将の肩章《けんしょう》は、あとで自分が取りかえますから、これにお目通しを……警備情況のシフトと、参謀本部からの命令と連絡事項、各種です」
彼女は、いかにもキャリアーを誇示するかのように、山のような書類をケネスが見やすいように、テキパキとデスクの上にひろげていった。
「すまないな」
ケネスは、上着を秘書にわたしながら、上の書類から目をとおしていった。
「……そうか……第十三独立艦隊がきてくれるか……」
ケネスは、ブライト・ノア艦長のひきいる艦隊が、アデレートに面したセント・ビンセント湾にうかぶ光景を想像して、ニンマリとした。
しかし、その笑いは、増援を受けられることについてではない。
増援がくるならば、その前にマフティーのすべてを掃討《そうとう》してみせる、という目標設定ができたので笑ったのだ。
ケネスには、そういう気力があった。
それは、ギギのことが彼の汚点になるばあいも想定して、すみやかに軍功をあげておく必要も考えてのことである。
「バリアーの設営については、どうなっているのだ?」
「それは、メインザー中佐が、直接ご報告したはずですが?」
「フン……! 呼んでくれ」
フランシンは、ケネスの上着を手にしたまま、隣の部屋の中佐を呼びだしていた。
中年にしては、鮮かな身のこなしであった。
「妙だな? いまになっても、まだマフティーたち不穏分子の動きは、どこにも見えないのか……?」
ケネスは、書類に目をとおしながらも、偵察部隊のコンピューターの表示に目配りをするのも忘れてはいない。
さらには、秘書の背後の大型ディスプレーには、アデレート周辺のチャートが表示されていて、偵察部隊の動きは、逐一《ちくいち》インプットされていた。
アデレートから半径二百キロは、虱《しらみ》潰しに偵察しているはずなのだが、十機のケッサリアの目では、いかにも少ないと知れた。
「……いまから、ヨーロッパ地区の航空機《マシーン》の投入は不可能なのか?」
ケネスは、大型ディスプレーのしたに陣取っている参謀本部から派遣されてきた士官たちに、詰問《きつもん》した。
「無理です。不穏分子の動きは、この地区だけではありませんし、だいたい、その用意は、もっと早くにしていただかなければ……」
「冗談じゃない! ダパオで要請《ようせい》しておいたはずだ」
「きいていません」
「おれの命令はきかなくっても、自分たちの身の安全を考えたら、手配しただろう!」
「ハッ……」
四人の士官は、デク人形のような顔をするだけだった。
「フン、そういう調子ならば、マフティーがもっているガンダムもどきが、ミノフスキー・クラフトだということもきいていないな?」
「え? まさか?」
「ほんとうだよ。な! 中佐?」
ようやくはいってきたメインザー中佐とミネッチェ・ケスタルギーノ大尉に、ケネスはいった。
「はい……そのことはペーネロペーがやられた報告とともに、参謀本部にも報告しました」
中佐は、ケネスの前に、バリアー設営の作業進行表をさしだしながら、出向してきた士官たちにこたえていた。
彼等、四人の士官たちは、あわてて電話をはじめたが、あきらかに、セクショナリズムのなかに安穏《あんのん》と暮していた連中のやりそうなことだった。
「まったくよ! キンバレーもなにもやっていなかったし、おれを呼ぶのも一か月おそかった。その上、中佐? この作業進行どういうことだ? 今日の朝までには、バリアーの設営は、終了していなければならんのだぞ?」
「電力回線の設営に時間がかかって……」
人の良さそうなケスタルギーノ大尉が、なんとか取り繕《つくろ》おうとする。
「それが分っているから、中佐を先にここに派遣したんだろう! 夜にならんうちに、テストさせろ」
「ハッ……!」
中佐も中佐ならば、縫いものをはじめたフランシンの背後で、コソコソとしている士官たちも同類だった。なにひとつ、手足にはならない。
ギギがアデレートに合流できなかったという報告を笑ったのは、レーン・エイムたち、ペーネロペー旗下の士官たちだった。彼等は、もともとギギとケネス周辺のはしゃぎぶりに反発していたので、この結果は痛快だった。
「おれたち独自で、アデレートの防備を完全にやってみせれば、中央の偉いさんたちの目の前だから、ケネスの手柄だけになるってことはないぜ!」
彼等は、ケネスなどとは関係なく、自分たちの出世の目を、今回の作戦に見つけたのである。
その認識は、キルケー部隊のパイロットたちのあいだに、あっという間にひろがって、ケネスが心配するような士気の落ちこみはないようにみえた。
しかし、その日の午後、彼等を、唖然《あぜん》とさせるような事件がおこった。
マフティーの戦宣布告の放送である。
アデレートでただひとつオンエアをしているチャンネルに、音声が混線して告知されたので、余白のチャンネルで、かなりの人びとが、その放送をみることができた。
マフティーの電波妨害の件は、予備会議の議長につたえられて、会議場の大型ディスプレーで、高級官僚たちは、それを目撃した。
もちろん、閣僚たちのほとんども、個々の宿泊場所や会議室でみた。
「……自分が、マフティー・ナビーユ・エリンであります。きょうまで、自分を中心とした組織が、地球においでになった連邦政府の閣僚たちを粛正《しゅくせい》してまいりました。そして、そのたびに、なぜ、こんな暗殺団まがいのことをしてきたかを、説明してきました。それについては、かなりの世論の支持を得ていることは、連邦政府の関係者もご存知のはずです。にもかかわらず、連邦政府は反省の色もみせずに、ここアデレートでは、さらに、地球汚染を再開するような法案の成立をもくろんでいます」
テレビ・カメラのなかの逆光のなかで語る青年は、知る者でなければ、ハサウェイとは判別はつかなかった。
しかし、アデレート空港の総合警備本部で、その放送をみたケネスには、ハサウェイ・ノアだと分った。
「電波発信場所を逆探知だ!」
ケネスの命令が出るまでもなく、ケッサリアと数機のモビルスーツが発進した。
「いいかっ! 電波発信している場所をつかんでも、無闇《むやみ》に爆撃をするなっ。証拠物件として確保しろ。爆破装置が仕掛けられていたら、それを排除しろ!」
ケネスは、電波を発射している場所をさぐりにゆく部隊に、そう命令することをわすれなかった。
「……本格的な閣議は、明日からはじまり、マフティー掃討のためには、どのような支援も行なわれるであろうという合意がなされます。しかし、それは、連邦政府の関心が、われわれにむけられているという程度の問題でしかありませんから、それについて糾弾《きゅうだん》はいたしません。テロは、あらゆるケースであろうとも、許されるものではないからです」
そうおだやかにしゃべるハサウェイのシルエットに、ケネスは、ハサウェイが死を覚悟していると感じた。
が、
「おい! 今、マフティーがいったこと、本当か?」
「ハッ?」
ケネスの背後でテレビをのぞいていたメインザー中佐が、目をまるくした。
「会議の進行次第だ! マフティーのいったことは本当かどうか、確認しろ」
「ハッ、はい!」
中佐は、あわてて受話器をとった。
「……我々はマフティーの名前のもとで、|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムとともに、連邦政府と戦うのは、組織におぼれた人びとを粛正《しゅくせい》する目的があるからです。これが、理想の戦いでないのは知っているのですが、宇宙移民法にあるとおり、すべての人びとが宇宙に出なければ、地球は、ほんとうに浄化されることはありません。現在、人類は、宇宙で平等に暮していけるのです。オエンベリでは、地球に不法居住しようとする人びとが、軍を組織しようとした非はあります。しかし、それを力ずくで排除したのは、幾多《いくた》の種を絶滅させた旧世紀人のやり方と同じではないでしょうか? 問題は、新しい差別を発生させて、連邦政府にしたがう者のみが、正義であるという一方的なインテリジェンスなのです」
「准将。マフティーがしゃべった議題の進行スケジュールについては、昨夕、決定されたばかりだそうです」
「そうか……こりゃ、どこかの省庁のトップに、マフティーに情報を売っている奴がいるんだ」
ケネスは、テレビの前でうなった。
「その調査を?」
「そうだ……。ヨクサン長官と会う段取りをつけろ」
「ハッ!」
中佐は、また受話器にとりついた。
「……今回のアデレート会議が、この連邦政府の差別意識を合法化するための会議であることは、どれだけの方がご存知でしょうか? アデレート会議二日目の議題のなかに、地球保全地区についての連邦政府調査権の修正、という議案がありますが、これはとんでもない悪法なのです」
シルエットのハサウェイは、手にした紙を、背後のライトに照してみた。
かすかに、シルエットの顔に光があたって、ケネスの目には、まちがいなくハサウェイであると了解した。
「この第二十三条の追加項目にある文章は、官僚の作文なので意訳しますが、たとえば、連邦政府の閣僚から要請があれば、オーストラリア大陸に土地を所有している方々からも、任意にそれらの土地を提供しなければならないことになります。もちろん、正規の居住許可をもっていらっしゃる方からでも、土地を取りあげることができます。代償は、収容する土地と同じ面積の土地を所有者の指定するスペース・コロニーに請求することができるというものです」
「……本当なのか?」
さすがに、ケネスはあきれて、ドアの横のデスクで、テレビをのぞいていた秘書と参謀本部の士官たちにきいた。
「わたしは、そんなこまかい内容は知りません」
「官僚が考えそうなことですねぇ……」
「どうしてだ?」
「ユニバーサル・センチュリーの新大陸建設をここでやるという話は、だいぶ前から出ていますよ?」
大尉の一人が、説明してくれた。
「おれは知らねぇな……」
ケネスが、テレビに顔をむけた時、中佐の前の電話がなった。
「はい……准将、偵察にでたケッサリアからです」
「ン……」
ケネスは、ハサウェイが別の用紙を取り出して、アデレート会議で決定される他の法案についての説明をみながら、偵察部隊の電話にどなった。
「駄目だ! 放送は続けさせろ!」
「なんでです!? 二台のトレーラーは、無人なのです。マフティーの電波ジャックをしている電波は、ただちにとめられます」
戦利品を目の前に興奮したパイロットの声がした。
「あのな……おれたちにとっても、勉強になるんだよ。マフティーだって、地球連邦がすこしでも良くなるならば、と提案していることがあるんだ。それよりも、そのテープで、マフティーは、次の攻撃目標を予言してくれるかもしれないし、放送がおわったら自爆装置がはたらくかもしれん。用心しろ!」
「ハ、ハッ!」
「それよりも、そのトレーラが、どの方面からはいってきたか調査しろ」
「了解……!」
ケネスは、ハサウェイが、結構いろいろなことをしゃべったらしいと思いながらも、全部をきけなかったので、一人、ムッとした。
「……これらの法案が、アデレートで可決されれば、地球の自然が復活する芽も摘《つ》みとることになります。それでは、人類が苦難をのりこえてスペース・コロニーに移住した意味がなくなるのです。考えてみてください。特権階級の数万の人びとが、地球にもどりたいための法案が可決されれば、地球にもどる人びとが、数十倍になるのは簡単なことなのです。もう一度、思い出してください。旧世紀の最後の一世紀だけで急増した人類が、地球そのものにも、瀕死《ひんし》の重傷をおわせたのです。しかも、スペース・コロニー移民がはじまって一世紀もたっていない現在、地球の海は、まだまだ化学薬品が残留しているのです。雨にも、まだ化学物質が混入したままなのです。まして、植物と小さい生物たちの命は、じゅうぶんに復活していません……それは何を意味するか? そうです。地球には、まだ人類はもどってはならないということです。なのに、連邦政府は、人類が地球にもどれる準備をはじめて、その前に、自分たちの既得権《きとくけん》を手にいれようとしているのです。それが、このアデレートで行なわれようとしている会議の真相なのです」
そのハサウェイの弁舌は、すべてケネスには了解できた。
「本当ならば、お前のいうことの方が正しい」
「……で、中央閣僚会議が、これらの法案を廃棄《はいき》しないかぎり、閣僚たちの粛正をここで実行することを宣言します。この放送をきけば、関係者はアデレートを一斉に逃げるかもしれませんが、これ以後、アデレート周辺から逃亡するものは、無差別に粛正の対象にします。しかし、我々は一般人をまきぞえにするつもりはありませんので、関係者以外は、これから二時間のあいだに、アデレートから退避してください。その後、アデレートから出ようとする乗り物と人は、すべて我々のターゲットになるものと思っていただきます」
「予告攻撃です……」
参謀本部の士官たち四人は、立ったまま一斉にうめいた。
「そうかな……こんなことをやったら、閣僚どもは逃げ出して、マフティーは何もできないはずだがな……?」
ケネスは、棒のようにつっ立っている参謀本部の士官たちをチラッと見て、笑った。
「攻撃の徴候《ちょうこう》はないし、大体、留守になったアデレートに長距離ミサイルをつかったって、意味はないだろう?」
「そうですが……」
ザーッというノイズがはいって、マフティーの放送はおわった。
「……わからんな? マフティー側に、これで成算があるのか?」
「閣僚会議が延期されることを、マフティーは狙《ねら》っているのではないでしょうか?」
「それはあまいんじゃないのか?」
参謀本部の大尉が、中尉にこたえた。
「准将、中央議会の議長からです」
秘書が受話器をきりかえながら、おしえてくれた。
「ン……ケネス・スレッグ准将です」
準備会議場から議長じきじきの電話だった。すぐに、会議場にきて、アデレートの防衛体制について説明してくれというのだ。
「君の意見によっては、会議を中断することも考慮しなければならないしな……」
「了解ですが、マフティーには、放送終了後に、閣僚を粛正できるほどの戦力があるとほ思えませんが?」
「連中がやろうとしていることは、粛正ではない、暗殺だ!」
「ハッ……失礼いたしました」
「もちろん、こんな子供|騙《だま》しで、中央議会を中止するつもりはない。連邦政府の威信にかかわるからだ。しかし、関係各位を説得する必要はある」
「軍としては、一般市民の逃亡をくいとめるよゆうはありませんが?」
「そりゃ、やむを得んが、われわれが動揺をみせなければ、一般人がいなくなることはあるまい?」
「そりゃそうです」
「準備会といえども、正式の場所だ、答弁に失言はなしだぞ?」
「はい……」
ケネスは、新しい肩章のついた上着をはおると、フェスティバル・センターにむかった。
2 カモフラージュ アグレッシブ
ケネスは、偵察部隊の展開によって、長距離ミサイルなどの攻撃はないだろうと証言し、マフティーの放送はあくまでも、情報戦争の手段として、自分たちの行動の正当性をアピールして、我が方を混乱させるものだ、と証言した。
しかし、なかには、外宇宙軍省のオノレ・バレストリエーリ代議員のような神経質な者もいた。
「アデレートに侵攻する場合は、街の北から東にのびる山ぞいから、モビルスーツが飛びこんでくるか、その方面からのミサイル攻撃であろうが、それについての対策はどうか?」
この期《ご》におよんで、そんな質問をする。
「ハイウェー三十二線より東の警戒は、重点的にやっております。例の電波の発信場所が、真東のウライルダあたりですから、その方面からの攻撃はないと断言できます」
「同じ方位から侵攻しないと、誰が断言できる? 電波発信こそ陽動かもしれんぞ?」
「そうですが、あらゆる問題にたいして、万全であれというのは……」
ケネスは、ついに、腹をたてて、意識して代議員に失言をした。
「スレッグ准将! あすの議会では、マフティー・ナビーユ・エリンの逮捕についての動議が採択されるのです。そうすれば、准将は、責任ある立場にたって、不穏分子の掃討に全力をつくしていただかなければならないのです。それはお分りかっ!」
オノレ・バレストリエーリ代議員の発言に、周囲の代議員がしかつめらしくうなずく光景をみれば、ケネスは、今すぐ、ここにミサイルが叩きこまれた方がマシだと思った。
「議長? 小官には、現実的な問題があります。退席してよろしいでしょうか?」
ケネスは、そういう以外、適当な言葉を思いつかなかった。
「いや、最後の質問がある。バリアーの件はどうなっている?」
それは、議長じきじきの質問だった。
「設営中であります」
「いつ完成するか?」
「今夜、あるいは明日の早朝です」
「それでは、マフティーの勧告《かんこく》には、対応できないではないかっ!」
正面からみて左側の席にすわっているバレストリエーリ代議員が、ひたいに青筋をたてて、絶叫した。彼は、自分の発言の矛盾には気がついていない。
「ハッ! その監督を督促するという緊急の任務があります。退席させていただきます」
ケネスは、再度、退席しようとした時、議長は、背後の事務官から何事か耳打ちをうけていた。
「チヨット……」
議長の手が、ケネスに待てといってから、
「静粛《せいしゅく》に! 今、あたらしい情報がはいりましたので……」
議長の巨躯《きょく》が、議場を制してから、演台のケネスに、書記官のデスクの受話器をとるように命じた。
「……ケネスだが?」
「あ、メインザー中佐です。面倒な時にすみません」
「そんなことはいい。なんだ」
「ハッ、ストーン・ウォールの線の、海岸線から二十五キロはいったところで、核融合エンジンらしいものの爆発が観測されました。現在調査中ですが、どうも、我が軍以外のモビルスーツが爆発したらしいということです」
「妙だな?……軍施設のないところだな?」
「もちろん、ただのサウンド・リッジの荒野ですが、その周辺空域からは、ミノフスキー粒子が散布されたらしい形跡もあります」
「該当《がいとう》する軍のモビルスーツでもベース・ジャバーでもないのだな?」
念を押した。
「もちろんです」
「専門の調査スタッフは?」
「今、発進させました」
「よし……いいニュースと考えていいな?」
「多分。最低、二回の大爆発を観測していますが、現在も小さい爆発はつづいているようです」
「了解だ……」
ケネスは、その電話をきると、演台にもどって、その説明をした。
「……推測でありますが、あの放送直後、マフティーの一角のモビルスーツ部隊に事故があったようです。これは、われわれにとっては、良い徴候《ちょうこう》かと報告させていただいて、この場を退席させていただく」
ケネスは、議長の顔色をうかがったが、もう遠慮する気はなかった。
議長も、マフティーの攻撃が、すぐにはないのではないかという確証が得られた気になって、議会にケネスの退席を同意させた時には、彼は、議場を出ていた。
ストーン・ウォールは地名ではないが、俗称として定着していた。
その名のとおり、岩のおおい砂地のなかでも、ことに突出した石が壁状につづく地帯をそう呼称していた。アデレートの西北西、三百二十五キロほどのところにある。
「マフティーですか?」
議場を退出したケネスに、出入ロに待ちうけた法務省の役人がきいてきた。
「マフティーが、あんな放送をした直後にこれだということは、興味があることだがね、議会の連中にはなにも分っていない」
ケネスは、役人にかってな推測をいわないように気を配りながらも、そのいかにも官僚の典型という縁《ふち》なし眼鏡をした男にいった。
「ご同情は禁じえませんが、議員はもっと面倒です。われわれは、毎日、あの手合いの子守りです」
「そういうあんたは、官僚失格だな?」
「そうかもしれません。こちらは、あす可決されるマフティー掃討に関する条文づくりだって、まだ完成していないんです。気分のかわる方々がそろっていますから……」
そんなことも生真面目な表情のままいえるのは、優等生のキャリアーを踏んできた縁なし眼鏡の自信であった。
「なんだよ?」
ケネスは、いつまでも離れない縁なし眼鏡につっかかった。
「いまの報告は、マフティーが自滅したということですか?」
「知るかい」
「それはないでしょう? われわれは、ミサイルにおびえながらも、条文作りもしなくてはならないのです」
「だったら、マフティーを捜しだすんだな」
「……ハッ?」
さすがに、縁なし眼鏡は、足をとめかけた。
「閣僚のなかか、君たち官僚のトップのなかで、一番良質な頭をもっていて、短気な奴がマフティーの黒幕、クワック・サルヴァーだ」
「インチキ弁護士って、どういうことです?」
「詐欺師《さぎし》の古い言い方だが、マフティーの黒幕のコード名だ。そいつを捜しだせば、連邦の官僚組織だってすこしは賢くなるし、条文作りの時間だって、たっぷり手にはいるさ」
「そりゃ、興味あるご指摘ですな」
階段をおりながらも、縁なし眼鏡の声は、冷静だった。
これは、自分に関与するらしいテーマがあらわれると、本能的にそこから逃げて、別の質問をしたりして逃げる宮仕え特有の才能である。彼も、そうした。
「バリアーって、なんなんです?」
「それは、軍機《ぐんき》だ」
ケネスは、自分でリムジンのドアをひらくと、縁なし眼鏡をにらみつけて、後部シートにすわった。
「……アデレートの郊外で、マン・ハンターにやらせていることでしょ?」
「ノーコメントだ」
ケネスは、バタンとドアを閉じると、リムジンを発車させた。
ケネスは、官僚がこわいのは、ああいう頭のいいスタッフがいることだと実感したが、同時に、彼等は、しょせん政治家たちの手足にしかすぎないということも、思い知った。
彼等では、戦力にはならないのだ。
組織を改変するためには、外部からバカをやってくれるマフティーのような存在が必要なのだ。
『……ああいう世間を知らん連中が、法律をつくるというのが許せねぇ……』
ケネスは、つくづく、世襲制におちいった閣僚たちの存在が厭になった。後部シートにのこしておいた乗馬用の鞭《むち》を手にすると、ビシッと自分の掌《てのひら》をうった。
『スペースノイドは、自分たちの地盤に利益導入をしてくれる候補者を選ぶから、こういうことになるんだ。外のことをみていねぇ……』
絶対民主政治を支える多数決制度の面倒さと危険な面が露呈《ろてい》したのが、現在の連邦政府の制度なのである。
「……まったくよ……マフティーに、寝がえるか?」
そんなことを口走っているあいだに、リムジンは、アデレート空港に到着した。
そして、総合警備本部の自室にはいった直後、次の事態がおこっていた。
「……スペンサー湾の沖合に、数機の所属不明機を発見。三0六ケッサリアからです」
参謀本部派遣の士官たちが、大型ディスプレーに、その発見場所をインプットするのを眺めながら、ケネスは、おや? と思った。
「動きが急《いそ》ぎすぎるな……?」
「自爆したようです!」
通信室からのモニターに、興奮した若い士官がどなっている顔がうつった。
「なんでだ?」
ケネスは、きいた。
「あ、いや……自爆したかどうかは、まだ不明ですが、すごい水柱がたっているようです。しかし、こちらは、ミノフスキー粒子の干渉がつよくて、受信は……しばらく待ってください」
その後、新しい事態はなかったものの、アデレートから発したグスタフ・カールが、ストーン・ウォールの爆発現場からは、トレーラーやらモビルスーツの破片が、多数発見されたという報告がはいった。
「……これで、ひとつの推測がなりたちます」
「…………!?」
ケネスは、なにもいわずに、メインザー中佐の次の言葉をまった。
「放送直後に、マフティーは、アデレートの総攻撃を予定していた。が、その準備中に彼等のモビルスーツ部隊に事故がおこって、それから逃れたモビルスーツ数機が、洋上に退避した。しかしながら、爆発の余波で、なんらかの被害をうけたモビルスーツは、カンガルー島の沖合五十キロで自爆した」
「フン……いいストーリーだが、だったら、スペンサー湾沖ではなくて、なんでアデレートに突撃してこなかったんだ? ストーン・ウォールあたりから直進してくれば、ポート・リンカンあたりのレーダーにだってひっかかるはずだ。そういう報告はなかった」
「ミノフスキー粒子の散布状態をしらべさせます」
「そうしろ」
通信室に飛びこもうとした中佐は、ケネスにふりかえって、
「これらすべての動きが、マフティーの陽動だとおっしゃるのですか?」
と、きいた。
「そうだよ。これでは、できすぎだ」
オエンベリの時も、マフティーのモビルスーツは、北西から侵攻したらしいのだ。今の事件はそれと符丁《ふちょう》があいすぎるのが、ケネスには気にかかったのだ。
「……マフティーが速成の部隊だから、事故はありうるが、放送してから、これだということは、できすぎの作戦か、ほんとうの事故か……どっちだ?」
できすぎの事態というのは、中庸《ちゅうよう》がなく、右か左の原因しかない。
まようところだった。
「閣僚会議をつぶし、全閣僚を血祭りにあげるつもりならば、東からのミサイル攻撃でできる……が、連中は、モビルスーツ戦にこだわっている。閣僚暗殺だけをめざしているからだ……それならば、我々の目を西にむけさせる意図は、東からのモビルスーツ侵攻か?」
しかし、その考え方こそ、順当すぎた。
ケネスはまよい、まずは、ハサウェイに第一の裏をとられた、と感じた。
『ハウンゼンとオエンベリ以後の事態の推移は、奴にも、なんらかの緊張をしいたはずだから、いままでの暗殺方法はやめて、取りあえずの成果をあげることを急ぐのではないかと思ったのだが……』
そう考えてみて、
「どうも、それはちがうようだな……やはり、モビルスーツ戦か?」
ケネスは、ハウンゼン以来のハサウェイを考えてみた。
あの温厚で優しい青年が、マフティーであるというのも、ハウンゼンでのハイジャックを押さえた手並みを考えれば、当然であろう。あの手並みは、過去に戦歴があるくらいでは、説明できない。
実戦の渦中《かちゅう》にいる男の身のこなしか、でなければ、よほどの武芸のたしなみがある者のやることだった。
さらに、新型のモビルスーツが、地球に降下した時間的なことを考えれば、彼が、ハウンゼンを利用したということも辻褄《つじつま》があった。
「……そして、ギギだ……」
彼女との会話のなかでも、ハサウェイという青年の行動が、どこか得心《とくしん》がいかない部分があったのも、思い出すことができた。
「……よくやってくれるぜ……」
ケネスは、あのするりとした青年が、結構の覚悟をもって、対抗してくるのを実感して、ひそかに嬉しくなった。
友人というのは、できがいいほど、自慢できる宝になる。
ケネスは、ハサウェイに、そんな複雑な感情をいだきはじめていた。
そして、現実の立場のちがいが、そういう友人と知恵比べをさせる。それは、ケネスのロマンチストの部分を刺激して、男を際立《きわだ》たせる時がきた、と実感させるのである。
若がえった気分、というのは、こういうことをいうのだろう。
「……クワック・サルヴァーについては、一番はじめにアデレートを逃げだす奴か、爆撃にあわないところにいる奴、とみるのが順当だが……いや、それもないな。連中は、ハサウェイのいるホテルも攻撃してみせた。つまり、ダミー作戦が得意なんだ……」
とすれば、ストーン・ウォールの爆発もカンガルー島沖合いの飛行物体の爆発も、すべてカモフラージュのためのものであると考えて良い。
ストーン・ウォールにはいったレーン・エイム中尉たちからも、数機のモピルスーツの破片を発見したという報告がはいった。
「マフティーはいなくなった?」
参謀本部から出向した士官たちは、そう結論づけようとした。
確認しなければならないのは、スペンサー湾沖で爆発した物体が、ダミーではないかということだが、ここには、海軍はいないので、スキューバーダイバーをさがしだして、調査させるしかないから、手間がかかる。
「はい……正式の調査報告を待たなければならないのですが、まあ、わが軍の管轄下ではないモビルスーツらしい物が爆発した、ということだけは、確認できました」
ケネスは、中央議会の議長にそう伝えた。
「結構。これでとりあえずの危機はなくなったな。あの放送が終了して、一時間後におこった一連の現象は、マフティーのモビルスーツ部隊の爆発事故だと断定できる。いや、愉快だよ」
議長は、そう笑った。
「しかし、カモフラージュである可能性もまだあります」
「そりゃそうだ。それを解明して、もしそうならば、それを防御するのが、君の仕事だ」
「了解であります」
「ともかく、あすからの閣僚会議は、アデレートで続行する」
「はい……まあ……」
「不服か?」
「いえ、この風光明媚《ふうこうめいび》なアデレート、退避したくはないものです」
「そうだよ。閣僚の全員一致の意見がそれなのだ」
ケネスは、受話器を投げだしたくなるのをこらえることができたのは、自分が、ハサウェイの計略にのってしまって、彼が、いつ、どこから攻撃してくるのか、まったく分らなくなってしまったからだ。
3 ディファレント プレース
『……なんで邪魔をするんだ! クェスッ……!』
ハサウェイの眼前には、あどけない少女そのものといったクェス・パラヤの表情がくずれゆく光景があった。
それが夢であることが分っていても、恐ろしかった。
『あんたは、あたしといっしょに行くんじゃなかったの……』
唇は動かず、声もきこえてこないのだが、そういっているのが分り、そのきこえない音響がエコーになって、迫ってくる。
『クェスは、求めすぎたんだ……そのうえで、ぼくから逃げていったじゃないか……! さそう権利なんて、クェスにはないんだよ!』
『ハッハハハハハ……ひがんでる! そういうんだから、あたしをまちがって殺してしまったんだ! それは酷《ひど》いよ! 本気で殺してくれるなら、それはいいんだよ? でもね、まちがいで殺されるほうはたまらないよ……おいでよっ! ハサウェイ!』
右に左に大きくゆれるクェスの顔が、左右にズリッ、ズズッと変形しながら、こんどは、大音声《だいおんじょう》でいった。
その声は殷々《いんいん》とひびいて、ハサウェイは、耳をふさがなければならなかったが、彼の手は無いようだったから、それはできなかった。
『いちばんきたない人殺しなんだよぅっ! ハサーッ!』
その単語のひとつひとつが、ハサウェイの胸をえぐり、彼の骨格から肉体をバラバラにしていった。
その崩壊《ほうかい》にいたる『無』を感じてしまう空虚……
『シャア・アズナプルを愛した女のできそこないがいうことかっ!』
そのハサウェイの絶叫は、つい今しがたまで、ハサウェイが存在したであろう場所――そこは、すでに肉体が崩壊したあとなので、なにもない――から発するのを、ハサウェイは、きいていた。
『ああ……ぼくの肉声をきいている耳は、どこにあるんだ? 無か空か……それでは、悲しみもない……孤独もない……無そのもの……』
その認識さえも、薄れていった。
眼前には、空虚だけがただよい、いつしか、それが一点の暖かさにむかって、雪崩《なだ》れこんでいった。
『そうか……暖かさが、実在の原点か……』
その認識は、歓喜だった。
安心でもある。
おのれの感性で自覚される目が、ひらいた。
その視界のなかに立ちあがってきた自分の両の手のその手首からは、ぐんぐんと暖かさが増して、それがハサウェイの全身を、内奥から暖めていった。
『……いいんだ……これでいいんだ……』
ハサウェイは、そのぬくもりから身をひこうとしたのは、暖かさをあたえてくれる実態が想像できなかったからだ。
ますます手首に熱を感じて、自分の手首をみた。
そこには、別の女性の手が、からみついていた。
「ハサウェイ……大丈夫?」
自分の手のむこうには、ギギ・アンダルシアの顔があった。
「ギギ……」
「うなされて……」
「ああ……そうか……」
ハサウェイは、ギギの手が、寝袋の首元のファスナーをひらいてくれるのを感じて、首をのばしてみた。
汗が、シャツの襟元を冷たくしていた。
「……どうするの? 薬、のむ?」
「なんの薬?」
「精神安定剤かな……それと、風邪薬……」
ギギが身をおこすと、ようやくハサウェイの目に、彼女の背にしているテントが、バタバタと激しくはためいているのがみえた。
『この風の音のせいか……』
四人用のテントを二人でつかっているのだが、登山用のものなのか、十分にスペースがあるというものではなかった。
ギギは、ハサウェイの寝袋の足下で、懐中電灯の光をたよりに、救急セットから薬と水をとりだすと、ハサウェイにわたした。
「ありがとう」
「……フン……」
ギギのバサバサになった金髪が、腰の高さにおいた光にキラキラとかがやいて、光を大きく作っていた。
薬もミネラル・ウォーターも、口にひどくまずかった。
「その若さでは、やりすぎなんじゃないかなって……思うよ」
ギギが、そういった。
「…………」
ハサウェイは、突然、そういわれても、ギギが、なにをいおうとしたのかは分る。
が、反論しなかった。
ギギは、ハサウェイの疲れた目をのぞくようにして、
「人の生き方は、いろいろあるんじゃないかなって……」と言葉をついでから、手拭《てぬぐい》をくれた。
「……走りだした車は、目的地まで走らせないと、可哀相じゃないか」
ハサウェイは、その手拭で、首から胸元をぬぐった。それだけで十分、リラックスできるように思えた。
「そういうつもりはないよ……だけど、あたしが、邪魔しているんだね?」
ギギは、ハサウェイのぬくもりと汗がしみこんでしまった手拭の重さを、すなおに受けとめられないような気持になって、そうきいてしまった。
「いいさ。スパイ嫌疑《けんぎ》をかけられれば、誰かが監視しなければならないんだ。それをこんな形でいいって許してくれている仲間には、感謝している」
「そうだね……それはそうなんだ」
ハサウェイは、襟《えり》をあわせると、また、寝袋に身をしずめていった。
「ウン……おかしい。マフティーのみんなは、優しすぎるんだよ。なのに、テロリストだものねぇ」
ギギは、懐中電灯の光の手前で、ハサウェイを遠くからみるようにした。
「世間がそういうのか?」
「世間はマフティーの味方だよ。だけど、テロは感心しないよ」
「そこにピストルだってある」
ハサウェイは、気分に棘《とげ》ができて、懐中電灯をのせたアルミ・ケースのことをいった。
「いやだよー」
ギギは、懐中電灯のスイッチをきると、闇のなかで、寝袋にもぐりこむ音をさせた。
ハサウェイは、腕時計の蛍光塗料の文字盤をみて、まだあと二時間は寝られることを確認すると、
「……ぼくは、まえにニュータイプといわれた人びとに会ったことがある。彼等は、年齢に関係がなく、大人社会にくいこんでいったけど、いい結果を手にいれられなかった。それに、ぼくには、ニュータイプ的な才能はない……となれば、地球を中心にした体制にふくまれている毒をとりだして、根源的な問題を、人類のすべてに認識してもらうためには、こんなことしかできないな」
慨嘆《がいたん》である。
「……でも、いまハサウェイがやっていることは、人の血を噴き出させるだけでおわるよ」
そういうギギの息が、ハサウェイの頬《ほお》にかかった。
ハサウェイは、不愉快になった。
「……勘がいいくせに、狭いな」
「いけない? あたし、ハサウェイが好きだから……」
「ありがとう……でもね、愛しあうということを上手にやれる人ばかりではないのが、世間なんだ。だから、こんなことを、やらなくっちゃならなくなる……」
ギギの息がハサウェイの頬に、フゥーッ、とかかった。
その溜息《ためいき》がどういうことか、分らないではない。
しかし、今は、ゆれるテントのおかげで、ギギの微妙な反応を感じないですむのは、ハサウェイには、ありがたかった。
「そんなこという方が、狭いよ……あたし、大佐のゲン担《かつ》ぎに出されたんだけど、エアーズ・ロックにきたときには、ハサウェイの運がひらけるように祈ったよ」
それは、少しだけウソがまじっている言葉だったが、今のギギには、それが真実だと思えた。
「それが、個人的な感性の中に、ギギが埋没している証拠だよ。ハウンゼンに乗っていた時のギギは、ぼくにでもなければ、ケネスにでもなく、ニュートラルな立場で、なにかを感じたよね? マフティーの行動も、その視点でとらえなければ、まちがうよ」
「そんなの、個人としては辛《つら》いし、つまらないだけだよ」
ギギは、プッとふくれたようにして、むこうにいった。
「でもさ、近代の個性の時代といわれていた時代にこそ、人類は、消費拡大をして、その商業主義が、地球まで殺したんだ……人類ひとりひとりに自由を、という思潮がのこっているかぎり、人類はスペース・コロニーをつくったって、地球を食いつくしてしまうんだ」
「それは、家庭という小さい平和も否定することだよ?」
「まっとうき全体というものに人類が収斂《しゅうれん》されなければ、地球は存続できない時代になってしまったんだ。それは、思い出して欲しいな……」
「人類がすべて解脱して、良き集合体になるなんて、そりゃ、ニュータイプの集団だわ」
「そうだよ」
「……そんなの、セックスだってなくなっちゃう」
「そうかな。そういう行為だって、本当は、透徹したものをめざすためのものになったはずなんだ……」
「冗談?」
「ちがうよ。オーガズムだって、快感というよりも、その行為のむこうにあるなにかを認識することができると思うな……。そうでなければ、インテリジェンスを発達させた人間が、セックスするなんて、恥かしいことだよ」
「それ、観念だよ。知性と動物的なことって、ふたつのバランスをとるから、人間らしいし、セックスのちがいがあるから、人間って……」
「セックスがあるから、欲がある。セックスも欲の一部にしちまうのが人間だろ」
「分りたいけど……、なぁ……」
ギギが、はっきりとハサウェイにからだをむける寝袋の音がした。
「ハサウェイだって、クェス・パラヤという名前を忘れるために、しなければならないことを捜して、こんなことをしているんでしょ? それが人間よ? それでいいじゃない? 可愛いじゃない?」
やはり、ハサウェイは、夢をみているあいだに、クェスの名前を口走っていたのだ。
それは、自分の脆弱《ぜいじゃく》さの証明に感じられる。
「……そういう人間の時代は、おわったといっている」
一息ついてから、ハサウェイは、そういった。怒りもあった。
「過激なんだ」
「そうだ。しかし、現実のぼくは、ギギをそういう昔のことを忘れるための道具にしているんだよ」
「それが人間でしょ? そんなハサウェイを、あたしは好きだよ」
「……それがくやしいんだ……!」
洞穴《どうけつ》に吹きこむ風は、必要以上に激しく、ふたりの横になっているテントを叩いていた。
ハサウェイは、もう言葉遊びはやめようとした。
「それに、クェスのことは、ちがうよ……ハサウェイは、あたしと接近すると危険だと感じるから、昔の恋人をバリアーにしているけど、それは、マフティーのことをやらなければならないって意識があるからで、使命感がさせることなのよ」
ハサウェイは、いまは、そんな解説をきく気分はなかった。
「……!? ギギ……。朝になったら、ぼくの前から消えろ」
そのハサウェイの声は、ギギには、闇を突き破るように感じられた。
「…………!?」
しかし、ギギは、ハサウェイがそんないらだちのままに、行動する青年だとも思っていなかった。
ギギは、しばらくはようすをみようと、からだを堅くして、しばらく待ってからいった。
「自信をもってよ。あなたには、ニュータイプになれる星があるのに……」
「…………」
ハサウェイは、なにもこたえてくれなかった。
ギギは、ハサウェイの寝袋の上に手をのばして、そっとなぞってみたが、ハサウェイのからだはなんの反応もみせなかった。
『あたしが、神のように透徹していれば、人の行く先をみとおせる……それができないから、からだを売ったんだよ……!』
ギギは、そう叫びたかったが、その事実があるからこそ、ギギは、ハサウェイを説得できる言葉をもてないのだ、とも実感した。
『……消えろ、か……』
そのハサウェイの発言は、マフティーの組織に、彼女を連れてきた彼の立場をまったくわすれた発言である。
しかし、ハサウェイの希望であることは、まちがいはなかった。
どれだけ風とテントのはためく音を、きいただろうか……。
ギギは、寝袋のファスナーをひらくと、身を起こした。
マフティーに支給してもらったウインドブレーカーは、脱ぐわけにはいかなかった。
ギギは、ホンコンのアパートメントを出るときにもってきたただひとつのバッグをかかえると、ほんとうにテントを出た。
そのわきには、|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムの機体がそびえて、そのむこう、洞穴の入口には、ベースジャバーのギャルセゾンが一機、あった。
その足下には、メカニック・マンたちのテントがふたつ、風に身をふるわせながらも、隠れるように並んでいた。
外の暗い海は、チラチラと白い波頭をみせていた。
ガンダムの機体容積は大きいので、この幅のせまい洞穴には、これだけが隠されて、同じならびの他の洞穴には、一戦闘小隊ごとに分散された十二機のメッサーMe・2Rと、九機のギャルセゾンが、総攻撃前の眠りについていた。
ケネスたちが知ったマシーンの事故をしかけるにあたって、一機ずつのギャルセゾンとメッサーを自爆させたものの、この朝まで、マフティーは、これだけのマシーンを用意できたのである。
ギギは、風がふきすさぶ岩場に、足をのせるところをさがすようにして、ゆっくりと東のほうに歩きだした。「……誰だ!」
歩哨《ほしょう》の誰何《すいか》する声があって、ギギの前にひとつの影があらわれた。
「……ギギ・アンダルシアです。ハサウェイに、追いだされました」
そう影にこたえながらも、ギギは、その東洋人の影の自信にみちた態度を、うらやましく感じた。
「本当か? 敵に内通するために、逃亡するんじゃないの?」
そういわれても、ギギは、腹もたたなかった。
ギギは、ハサウェイが連れだした協力者であるという発言は、仲間のあいだでは、半分は信じられているものの、歩哨がいうように評価されている部分もあるのだ。
「ハサウェイに確認する。ベッチー! ギギをみていてくれ」
影は、ガンダムのとなりの洞穴のほうにどなった。
「ギギだって!? ほんとうか? チャングッ」
そんな声がして、岩を飛ぶようにして、もう一人の影が、ギギにちかづいてきた。
ギギは、海岸線をつくる崖《がけ》のうえの空が白みはじめたので、それを見上げた。
鷹が一羽、弧を描いてあらわれたが、風にあおられて、よろけるように崖のむこうにきえた。
そのとたんに、ギギは、声を出したくなった。
「ハサウェイを、起こしたくないんだけどっ!」
「仕方がないじゃないかっ」
ベッチーにかわって、ガンダムの下に走ったチャング・ヘイが怒った。
「…………」
数メートル先には、インド洋の波が激しくうちよせて、ときおり、しぶきが飛んできた。
ギギは、すべてのことが億劫《おっくう》になって、このまま、海に飛びこみたくなかったが、こんなところで飛び込んでも、かすり傷をつくるだけで、波に押しもどされてしまうだろう、とそんなことを漠然と考えていた。
「なんで追いだされたんだい?」
ベッチーがきいた。
「……あたしがわがままで、面倒なのよ。それは、あたしだって認めるわ。あたしのような動き方をすれば、疑われないほうが、不思議ですもの」
「そりゃそうだけど……ハサウェイが、あんたを連れてきてくれてから、作戦が順調すぎるくらい順調なんだよな。電波ジャックのトレーラーをはこんだファビオたちは、うまく脱出できて、次の補給地にむかえたし、ストーン・ウォールでの爆発事件だって、ダミー・モビルスーツの撃墜もうまくいった」
「それは、オエンベリ軍のあんたたちに、力があったからだよ」
ギギは、自分の存在を忘れていないその若者の説明に感謝した。
「そりゃそうだけど、オエンベリの時は、アテナは、いなかったもんな」
「あたしは戦いの女神じゃないよ。マフティーに、力があったんだよ」
ギギは、その若者がギリシア神話に出てくる固有名詞をもちだしたので、びっくりして、ハサウェイたちの功績のことをいおうとした。
「おい! ベッチー! ギギは、レイモンドにあずけておけってよ」
チャング・ヘイが、身軽に岩のうえを走って、ギギの前にきた。
「つまんないことで喧嘩したんだろ? 作戦は、今日でケリがつくんだ。それまでは、おとなしく、ここにいろよ」
チャングは、笑いながらそういってくれた。
ギギは、マフティーにあとから合流した彼等が、あまり、ギギを毛嫌いしないので、感謝した。
『ハサウェイとケリアのことを、知らないせいかもしれない……』
そんな風に考えながら、ギギは、チャングとベッチーにしたがって、1ギャルセゾンを隠してある洞穴にむかった。
「……ハサウェイが? フーン……」
レイモンドといっしょのテントにもぐりこんでいた、エメラルダ・ズービンは、ギギを見下して、
「まあさ、今朝ぐらいは、ハサウェイを静かにしておいてよ」
「すみません。言葉のいきちがいで……」
「タクッ……! なんで、寝るだけにしておかなかったのさ。ツキがなくなったらどうするの?」
「すみません……」
ギギは、えらくストレートなエメラルダの対応に、この人は好きだなと思う。
「ギギ! キンバレーたちと一緒じゃぁ、嫌だろう?」
ノソノソとテントから出てきたレイモンド・ケインは、ギギをあおぐようにきいた。
「……あたし、捕虜ですか?」
「ギャルセゾンのブリッジの方が、暖いんだよ」
「ああ……!?」
それでも、ギギは、レイモンドとエメラルダが、なんで外のテントで一緒に寝ていたかというようなことを、気づくよゆうはなかった。
雲のうごきがはやくなって、切れ間が出たようだった。
太陽の光が、数条の筋になって、海の面に突きささった。
4 イン ザ モーニング
かつてのフリーウェイにまだ電話回線がのこっているのは、この大陸に住む人びとがいるからであり、それを今日まで黙認してきた連邦政府があるからだが、今は、この回線が、マフティーにとっての重要な伝達手段になっていた。
ルルル……、ルル……、ルルル……。
午前7時。フリーウェイぞいにある一台の公衆電話ボックスで、呼び出し音が、四回なってから、きれた。
「…………!」
そのボックスのドアを押しひらいたまま、煙草を吸っていた青年は、その音がやむと、ゆっくりとフリーウェイの前後を見渡してから、オフロード用のタイヤをはかせたバイクに歩みよった。
ウインドブレーカーのフードをとって、周囲の音に耳をそばだててから、ようやくガソリン・エンジンをかけた。
エレカが主流のこの時代に、このエンジンは、人びとの聴覚をおびやかす力をもっていたが、彼にとっては、その音はなにものにもかえがたいもののようだ。
ドゥッ!
ブッシュを跳ねとばしたバイクは、一気に海に突入するのではないか、という勢いで発車して、岩が突出した砂地のあいだをすりぬけると、今度は、急な坂を駆けおりていった。
崖をわずかに削っただけの道を、転がり落ちるようにして、不精髭の青年のバイクは、波打ちぎわに降りていった。
「コールは、四回!」
その青年の怒声に、洞穴の影から数人の男女が飛びだして、
「よーし!」
「クワック・サルヴァーが、閣僚会議は定刻通りに開催されるといってきたぞ!?」
「マフティー! 予定通りに、総攻撃だっ!」
「ハサウェイッ!」
彼等は、それぞれの洞穴に駆けいって、担当の戦闘小隊に報告した。
「……ガウマン! 予定通りだよ!」
エメラルダは、有線電話をつかって、数キロ先の洞穴に待機していたガウマン・ノビルたちの小隊に報告した。
「マフティーさんよ」
エメラルダは、朝食をとりにきた|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムのクルーの最後尾についてきたハサウェイをみつけると、手招きをした。
「……いうなよ。分っているから……ファビオ隊は、ミノフスキー粒子散布のために出したんだな?」
「とっくに、出ましたよ」
エメラルダにギギのことをいわれないために、ハサウェイは、素早くメカニック・クルーのあいだにはいって、スープのカップをとった。
テントのひとつを風ふさぎにして、彼等は、簡単な朝食をとり、ビタミン剤と精神安定剤を口にした。
「ヴァリアントのウェッジ艦長以下の冥福《めいふく》を祈るためにも、今日の作戦は、成功させる。きのうの陽動作戦で、キルケー部隊のみならず、アデレートの連邦政府の関係者は、我々が健在で、アデレートを攻撃するとは思っていない。よしんば、きのうの作戦が、ダミーだと思っている人びとがいたにしても、彼等は、どの方位から、我々が攻撃するかは、想定できないはずだ。だから、今日の作戦は、成功する。攻撃目標は、街の中央の公園にある白い建物、フェスティバル・センターのみ。会議の開催から三十分のあいだに攻撃できれば、我々の粛正作業は、完全に達成できる。不安要素は、ただひとつだ」
そこで、ハサウェイは、咳《せき》をひとつしてしまった。
「大丈夫かい?」
エメラルダがいってくれた。
「ありがとう……不安要素は、バリアーということだが、これについては、クワック・サルヴァーからも、なんの情報も得ていない。郊外の線にバリアーが設置されているというのだが、その能力は分らないし、設置が完了しているかどうかも不明だ」
「ビーム・バリアーだろう」
シベット・アンハーンが断定的にいうのも、それが常識であるし、それ以外のものがあるとは思えないからだ。
しかし、地上にバリアーを設置するというアイデアは、これまで語られてはいても、実施されたことなどはなかった。
その意味では、このことは、大きな不安材料であった。
「ああ……。出力も配備状態も、閣僚には知らされていないからね、キルケー部隊もよくやる」
「ゆうべ検討した配置図以上の情報は、ないのか?」
レイモンド・ケイン以下のギャルセゾンのキャプテンたちが、そのことを一番気にするのは、彼等には、攻撃終了後のメッサーを収容する任務があるからだ。
「残念ながらそうだ。ギャルセゾンの対空する空域は、アデレートの郊外の線からは、はずれるように気をつける以外はない」
「ま、あとは、やるっきゃないね?」
その場のギャルセゾンのパイロットたちをなだめるには、そういうしかなかった。
「マサム……。カウッサリア、グレッシエンド、ハミルトン、レイヨーに、その点の再確認を頼む」
「了解だ」
「では、時間合わせをする。電話を!」
そのハサウェイの命令で、マサムは、この場に集合できなかった小隊につながる有線電話の受話器をハサウェイの前においた。
「……アデレート作戦のAコード時間合わせ……各、戦闘時計、時間合わせっ!」
こういうことも、すべて人手をつかうのは、あらゆる電波障害に対応するためと、士気の高揚にあった。
ひとつのことに、全員一致してのぞむ。
そんな気合をいれる儀式なのだが、それは、どのような時代であっても、必要なことだった。
この時間経過を基準にして、各マシーンが、予定された作戦を実施するのだが、事態の変化によって、作戦行動を数段階設定している。
戦闘ゼロ時間は、午前八時。
その三十分後には、各マシーンが、発進をするのだ。
「いいのかよ?」
時間合わせがおわった直後に、レイモンドが、ハサウェイに顎をしゃくるようにして、その洞穴の奥の1ギャルセゾンの方を振りむいた。
「いいよ……」
「場合によっては、キンバレー・ヘイマンも釈放するんだろう? ギギはどうするんだ? おれは、あの娘も捕虜あつかいだと今朝がたきいたが、それでいいのか?」
「そう理解したなら、同じようにあつかえ」
こうなると単純なレイモンドの方が、ハサウェイの態度を冷たいと感じるのは、当然だろう。
「おいよ!」
レイモンドは、ハサウェイの肩に手をかけると、
「……決死の覚悟はわかるけど、おれは他の連中ほど、ギギを怪しいなんて思っちゃいないんだぜ?」
「ありがとう。そういってもらえるのは嬉しい」
レイモンドは、ハサウェイの他人行儀な口のきき方にムッとしたが、それよりも先に、ハサウェイは、彼の手をはずすと背をむけようとした。
「ハサ、お前さ……?」
「いいんだよ……ほんとうに……」
さすがに、ハサウェイの肩が、一人にしてくれといっているのが、レイモンドにも分った。
「レイ……」
エメラルダの声に、レイモンドは、ああ、と歩みよって、彼女のお尻をつつむようにしながら、
「死ぬ気だな……奴さ……」
「そんな簡単じゃないよ。ああみえても、ハサウェイは、強い。集中力はあるんだから」
エメラルダは口ではそういいながらも、腰をレイモンドに押しつけるようにしてみせた。
「そう信じたいが……」
「ン……大丈夫。だから、ハサウェイは、ギギを離したんだ。ハサは、任務に実直なんだ」
「了解だ。エメ……」
レイモンドもエメラルダの腰にこたえるように、自分の腰にたっぶりと力をいれながらも、
「今朝がたは良かったぜ。また、今夜もガッチリと愛してやるからよ」
「フフフ……そうでなきゃね……生きているかいがない……」
最後は、言葉にはならなかった。エメラルダの唇が押しつけられて、レイモンドの口のなかに彼女の舌がからみつくようにはいってきた。
「…………」
それは、これからの作戦が、死と背中合わせのものであることを象徴するように、重く苦しく切ないものだった。
「すまないがお二人さん! 発進用意っ!」
その抱擁《ほうよう》を制止する声は、イラム・マサムだ。
「…………!」
エメラルダもレイモンドも、もう何もいうことはなかった。
唇をはなしていきながら、エメラルダは、キッパリとレイモンドから目をはずすと、ギャルセゾンのわきのラダーを駆けあがっていった。
レイモンドは、そのブリッジにはいった。
もうその目は、エメラルダをさがすようなことはしなかった。
ギャルセゾンのデッキにあがったエメラルダは、自分のメッサーのロープに取りついて、コックピットにすべりこむと、モビルスーツのパイロットになった。
「ギギさんよ。どういう会話があったかしれねぇが、許してやってくれよな?」
「ハサウェイのこと?」
レイモンドのブリッジの一番すみの席にすわっていたギギ・アンダルシアは、レイモンドのその言葉に目をまるくした。
「ああ、ちょっとばかり、集中する作戦でね? だから、面倒な話は嫌だったんだよ」
こんなことをわざわざいってしまうあたりが、レイモンドのいいところだし、無神経なところでもあった。
「ありがとうございます。妙な心配ばかりかけてしまって……作戦が始まってしまえば、あたしがスパイでここにのこっても、みなさんの迷惑にはならないでしょう?」
「だから、置いていってくれという話は、おれはきかないね。あんたは、運を呼ぶんだから、そういうものは、捨てられないぜ?」
「…………」
レイモンドは、コンソール・パネルの異状がないのを左右のクルーに確かめながらも、自分のいい方が、仲間に誤解されることを恐れて、
「それに、あんたにも、戦闘の怖さというのは、味わってもらうのさ。そのくらいのことは体験しておいた方がいい」
「そうでしょうね。そのくらいの罰は受けなくてはね……」
ギギは、いかにも人が好い無骨な男というレイモンドに、微笑をみせた。
「一番機! 出ます」
「おーし!」
コ・パイの声に、レイモンドはキャプテンらしく吠《ほ》えた。
ギャルセゾンの前方に待機するマサムたち作戦スタッフとメカニック・マンたちが、左右の洞穴のマシーンと発進状態を確認しあって、それをしらせてきたのだ。
赤い懐中電灯が大きく左右にふられて、レイモンド機の発進をうながした。
彼等メカニック・マンたちは、一機だけのこしたギャルセゾンで、次の合流地点に移動する手はずになっていた。
レイモンド機のエンジンが、機体をゆすった。彼は、マイクをとると、
「後部キャビンのキンバレー・ヘイマン大佐各位に! これから、アデレートにむかう。戦況によっては、諸君をそのちかくで釈放する。が、それまでに撃墜されたら、ゴメンネ、だから覚悟してくれ」
搭載《とうさい》した武器弾薬以外のよぶんなものを搭載しているのは、このレイモンド機だけであった。
ギギとへイマン以下四人の捕虜……。
彼等もまた予備ミサイルの弾頭やら爆弾に押しつぶされそうになりながらも、監禁させられていたままなのだ。
「……大佐……ケネス・スレッグは、我々を救出する行動をとったのでしょうか?」
副官のそんな言葉は、最後のグチにしかならなかった。
「…………」
キンバレー・ヘイマンは、ただ、宇宙にもどれなくなった自分の運命を悲しむのに疲れはてて、薄暗い闇のなかで、しばたきをわすれて目を床に落とすだけだった。
レイモンドの言葉がおわった時、正面の沖合いに、|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムの機体が、右から左にゆったりと流れていった。
発進である。
5 タッチ アンド ゴー
アンクシャス湾に面した洞穴《どうけつ》から発進したマシーンのうち、六機のギャルセゾンが二機ずつメッサーを搭載して、二機は、別個に第二波用の武器弾薬を搭載している。
|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムだけが、それらを先導するように一機である。
アデレートへの距離は、直線にして約四百キロ。
多少、迂回《うかい》コースをとるので、三十分はかかろう。
音速をだせないのが、モビルスーツを搭載したギャルセゾンの致命傷であった。それを補完《ほかん》するものが、ミノフスキー粒子で、飛行コースに想定される空域に、先行したオエンベリ軍の地上支援要員が、散布することになっていた。
そのために、けさ、フリーウェイぞいの電話ボックスを利用したように、マフティーの連絡員たちは、民生用の電話で、簡単な暗号《コード》をつかって、作戦の推移について連絡をしあうのだ。
ハサウェイ・ノアは、もっとも左翼を飛行する|4《フォース》ギャルセゾンのメッサー2号機の上空に接近すると、その肩にガンダムのマニュピレーターを接触させて、ガウマン・ノビルとお肌の触れ合い回線をひらいた。
「面倒かけたな。新品のメッサーと良いパイロットを連れてきてくれてさ」
「シーラックスの補給が、うまくいっただけだ。後方要員に、礼をいってくれ」
「ここにくるまでに、新人をけっこうシゴイたというじゃないか? ギャルセゾンの編隊も見事だよ」
ハサウェイは、右に追従する|5《フィフス》ギャルセゾンのパイロットが新人なので、そのことをいった。そのギャルセゾンのデッキに乗るメッサーの一機は、フェンサー・メインで、僚機には新人パイロットのメッサーで、作戦に出る。
それぞれに、神経をつかうことばかりだった。
しかし、ガウマンにしてみれば、今さらなにをいうのか、とハサウェイのことが心配になった。
ガウマンのコックピットの実視ディスプレーの頭上には、ガンダムがおおいかぶさるようにしていて、いかにも頼もし気にみえるのだが、それをあやつるパイロットは、精神的に参っているらしい。
「……ギギのことが、気になっているのか?」
「まさか……もうすんだ」
ハサウェイの声に、張りが出たようだ。
「追い出そうとしてか?」
「ケネスのスパイだという容疑を払拭《ふっしょく》できなかった」
「だったら、締めあげる方が先だろう? 追い出すのは逆だ。愛してるくせによ……ケケケケ……」
ガウマンは、意識して嫌らしく笑ってやった。
「ガウマン!」
「……いいじゃないか。たいていのクルーは、ハサウェイが、あの娘を愛しているのを隠すために、一番疑っているような芝居をしているっていってるぜ? そっちの方が、みっともない」
「善意の解釈だ」
「ちがうよ。この作戦がおわったら、やっちまえばいいんだよ」
「…………」
ハサウェイの声がなくなって、頭上のガンダムの機体が、左右に揺れたようにみえた。
「行けよ! ギギとやることだけを考えろ! そうすりゃうまくいく」
「了解! ガウマン隊は、内陸にな?」
「あいよ」
お肌の触れ合い回線が切れて、ガンダムがはなれると、ガウマンのコックピットが明るくなった。
「なんだい?」
下のギャルセゾンのカウッサリア・ゲースがきいてきた。
「あきれたよ。ゆうべ、ギギと一緒にしてやったのに、やらなかったんだってよ!」
「ヒヒヒヒ……! 精力を無駄づかいしたくないってんだろ? ハサウェイらしいよ」
「あのな? 女のお前がいうことか?」
「すみませんね」
ガウマンは、ガンダムが三機のギャルセゾンを引き連れて、海上を直進してゆく姿を見送りながら、
「サポーターは、任せておけよ」
ガウマンは、年長者らしく若者たちを補佐してやろう、と覚悟した。
ハサウェイには、助けられたこともある。そのお返しもしなければならない、というガウマンの意気であった。
ハサウェイは、戦友というのはどこかで通じているものだとも実感しながら、海上ルートをゆく一隊の先頭にたった。
この二日間、作戦がいそがしくて、合流したガウマンとは、ロクな話もしていなかったのだが、いまのみじかい会話で、気が楽になった。
『ギギみたいな娘をそばに置いていて、手を出さなかったら、逆に、笑われるのか』
その考え方は、単純すぎて、真理だと思う。
「……ギギとやるか……」
ハサウェイは、ガウマンの大人らしい卑俗《ひぞく》な言い方を真似てみて、それが少しも猥雑《わいざつ》な感じがしなかったので、ますますそう思った。
「ケネス……ギギとやるようにするからな?」
ミノフスキー粒子を散布される空域をつたうようにアデレートに接近しながら、ハサウェイは、何度か、そう口にした。
しかし、エアーズ・ロックまでは、知ってる敵だったから、懐中《ふところ》に飛びこむのはたやすいと感じていたが、一昨日あたりから、アデレートの防備の輪郭《りんかく》がわかると、ケネスも苦労しながらも、手堅い防衛線を張っていると分るようになった。
ことに、バリアーについては、不安がのこった。
ビーム・バリアー装置が実用化されているにしても、それは、それほど巨大な装置ではないはずだった。そのテストでもないかぎり、しろうと目には、その配備実態は掴《つか》めるものではない。
しかし、ハサウェイのいだく不安感は、そういう物理的なものではない。
『潔癖にやろうとしすぎたんだ……』
ガンダムの速度を増して、いよいよという頃になって、ようやくハサウェイは、そう思いついた。
あの電波ジャックをやって放送したビデオは、ストーン・ウォールの線上に到着して、すぐに録画した。
その作戦は、自分の自信|過剰《かじょう》がさせたことではないか、ということだ。
ギギにいわれるまでもなく、マフティーのやっていることはテロである。
それを、どこかで正当化し、正義|面《づら》をしたいばかりに、したことではないのか、という欲……。
そんなことで、疑義を申しいれるクワック・サルヴァーではないものの、立場を忘れた自分勝手な行動ではなかったのか、と不安なのだった。
しかし、この事前通告については、第一線のスタッフたちは、みんな積極的に支持をしてくれた。
誰しも、暗殺行為などは嫌いだし、大義を説かれても、実践がテロに類するものならば、なんとか、正義に近づけたいと考えるのが、戦士たるものの欲求だろう。
だから、ハサウェイは、カメラの前に立ったのである。
ギギが、そのことをきいた時に、ほほえんでくれた。
『いいよ? やったら?』 と。
しかし、その時のギギの反応にも、ハサウェイは、冷たいものを感じた。ギギには、見ているしかなかった局面である。マフティーではないからだ。
だが、どこかで、はっきりとした保障の欲しかったハサウェイにしてみれば、冷淡すぎるギギにしかみえなかったのだ。
その時から、ハサウェイは、より一層、ギギとのあいだに距離をつくるようになった。
それが、今朝方の会話になったのだろう。
ギギを誰何《すいか》したチャング・ヘイが、ギギを追い出すのは危険ですよ、といってくれた時、マフティー全体の情況のなかで、保留にしておくしかない問題だと感じたから、レイモンドにあずけただけなのである。
しかし、今のガウマンの言い方は、ハサウェイに気力をあたえてくれた。
『ギギにいてもらって良かった……』
そうも肯定《こうてい》できた。
それは、ハサウェイに、喜びさえ感じさせた。
前方の海面は、すさまじい勢いで後方に流れて、次第に後続のギャルセゾンの編隊が、はなれていった。
「みんな友達なんだよな」
ハサウェイは、予定通りの飛行であることをチャート上に確認すると、さらにガンダムを加速させた。
「ファビオ! 予定地点に到着していてくれよ!」
ガンダム独自の第二波攻撃用のミサイル弾薬は、アデレートの東の山中に待機できたかどうか、それだけが確認できないことであったが、それこそファビオ・リベラ本人がやってくれていることなので、その心配もやめた。
キルケー部隊は、電話盗聴によって、各所でかけられるマフティーの通話とミノフスキー粒子の散布情況を、総合的に検討すれば、アデレート周辺に展開するマフティーの戦力は推測させられてしまう。
そんな不安を解消するために、爆発事件などを演出して、キルケー部隊の警戒心をすこしでも緩《ゆる》めようとしたのである。
もう、やることはやったのだ。
|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムは、音速を越えた。
中央議会は、全閣僚が出席する正規の閣議の第一日目。
その開催、十分後。
キルケー部隊直轄の地上警備部隊は、もっとも緊張が持続している時間だった。
対空防衛上の問題があるとすれば、ケネス・スレッグが心配していたバリアーの設営が、結局、おわらなかったことだ。
「完徹!? 当然だろう! その割り増し給料だって出すといっているのに、まだ、テストもできないのか!……昼!? 冗談じゃない! それまでにマフティーがきたらどうなる! くることがないというのは、デマだぞ! きのうの爆発などダミーだよ!」
ケネスが、怒りにまかせて、乗馬鞭で何度かデスクを叩いてみても遅いのだし、メインザー中佐が、なまけていたわけでもない。
マフティーのモビルスーツが自爆したらしいというニュースが、将兵全体の士気をゆるめさせたのは、当然であったのだ。
ケネスが、その電話の受話器を置くかおかない時に、防空部隊から、各所にミノフスキー粒子が散布されたことが報告されて、それが、ディスプレーにインプットされた。
「四方から侵攻する!?」
参謀本部から出向した士官たちが、青くなった。
アデレートの四方にミノフスキー粒子を散布することで、侵攻方位を特定させないのは、初歩的な手段である。
モビルスーツを搭載したケッサリアの発進が命令され、パイロットたちが、自分たちの機にはしりだした。
「きたっ!」
その声が、防空部隊のモニターから届いた時に、ケネスは、自分の失敗をさとった。
『新型だ……!』
ミノフスキー粒子が散布されれば、モビルスーツがその空域を侵攻してくるのには、十数分後と考える常識がくつがえされたのである。
アデレート空港の西の海上八十キロにあるヨーク半島を飛び越えたガンダムは、マッハ2にちかい速度で侵入してきた。
大気中では、モビルスーツの形態そのままでは、ミノフスキー・クラフトでも音速をこえることはできないのだが、それは、マッハ2以上なのである。
防空ミサイルが射出されたが、ホーミングはきかなかったし、弾幕をはるほどの量もなかった。
「バリアーを!」
ケネスは、そんな声を背後にききながら、海上の方をみた。
「…………!?」
大気の干渉を無視したその飛行は、ウソにみえたが、ガンダムは、アデレート空港を射程にいれたところで、急激に減速をすると、搭載しているミサイルのすペてを空港に叩きこんで、再加速すると、一気にパスしていった。
ギャーン!
ドゥッ! 音速の衝撃波。
「ウッ……!? 伏せろっ!」
ケネスは、ミサイルの束が走る閃光と、その背後を飛びぬけてゆくものの影をみた。
ドグッ! ドヴッ、ドグッ!
その音響と地響きが、床に伏せたケネスたちを襲った。
「アーッ!」
フランシン・バクスター秘書の悲鳴が尾をひいた。
バグッ! ドバッーン!
ベース・ジャバーの待機しているエリアからの爆圧で、ビルのガラスがつぎつぎに割れて、その破片は、ケネスを飛びこえて、部屋の奥に散乱した。
ボウンッ!
大型ディスプレーが、異様な発光をすると、その透明プラスチック板にヒビがはいって消えた。
直撃をうけた倉庫群は、マシーンの整備をするエリアで、モビルスーツの支援物資を保管している倉庫群が、一瞬のうちに炎につつまれて、備蓄されている弾薬ミサイルの誘爆《ゆうばく》が、はじまった。
「准将!」
「通信回線の確保! 待避|壕《ごう》に移動用意っ!」
士官たちのおびえた声をどやしつけながら、ケネスは立ちあがって、破れガラス窓のむこうに、すさまじい爆発の狂演をみた。
移動をはじめたグスタフ・カールのなかには、脚に直撃を受けて横転するものがあった。
そのわきでは、ケッサリアが、ミサイルをはじけさせた。
「……待避だっ! 核融合炉の爆発もあるかもしれんっ!」
デスクの下からお尻をつき出している秘書を引きずり出すようにしながらも、モビルスーツのメイン・エンジンを直撃されなかったことを、ケネスはウソのように感じていた。
『ハサウェイが、手加減をしてくれたのか?』
そんな風に思えてしまうほどだった。
誘爆《ゆうばく》は、武器庫にまでおよんで、地を揺《ゆ》する震動が、ケネスたちの総合警備本部のあるビルを踊らせた。
ミサイルの弾頭が、大型でないことが幸いしたのだ。
ケネスは、秘書を若い士官たちにあずけながらも、デスクの電話のいくつかを取ってみたが、すべて死んでいた。
「チッ……!?」
ケネスは、受話器を叩きつけて、部屋を出ようとしたが、割れたガラスのむこうを、数機のグスタフ・カールが、地上の誘爆をさけるようにして離陸するのがみえた。
「ペーネロペーは!!」
ケネスは、一瞬、籤運《くじうん》がわるいペーネロペーとレーンのことを思った。こちらでは、そこそこの戦果をあげても、初めの運の悪さの印象は、なかなか消えないものだ。
部屋にも、油と火薬の匂いがただよいはじめ、ケネスは、混乱する廊下を駆けぬけていった。
6 ピンポイント ディフェンス
レーン・エイム中尉が、ぺーネロペーを発進させるため、コンソール・パネルを立てた時に、わきの格納庫に直撃をうけた。
失敗だったのは、接近戦を想定していたために、ペーネロペーは、モビルスーツの形態のまま直立していたことだ。
武器庫の誘爆がはじまった時に、機体がたおれてしまった。
「ウッ……!?」
まだショック・アブソーバーも作動していなかったから、レーンは、実視ディスプレーに身体をぶつけ、その一枚のディスプレーを割ってしまった。
戦場でないところで、こんな目にあったことで、レーンはカッとしながらも、ペーネロペーは、運をはこばない機体なのではないかと思った。
しかし、ヴァリアントを撃沈させた時のペーネロペーの運動は、宇宙でテストしていた頃に想定していた運動をすべてやってくれたのだ。
「マフティーの好きにさせんよっ!」
レーンは、あの放送のシルエットがハサウェイだと識別できるほど、彼を知らなかったが、あのシルエットの青年には、反感をもっていた。
「偉そうなことをいってよ」
そういうことである。
軍のような公的な組織での苦労を知らない民間人! 自由主義をはきちがえた青年。そういう印象なのである。
ことに、あの余裕ありげにみえる物腰は、レーンの癇《かん》に障《さわ》った。
もし、奴がレーンを撃墜したガンダムもどきのパイロットであったら、という想像は、レーンに、屈辱を想起させた。
しかし、パイロットがあんな風に、敵に宣言する立場に立つとは思えないという常識が、まだ、レーンをすこしばかり冷静にさせていた。
「誰もが好きに生きられたら、世の中メチャメチャになっちまう」
その一言は、連邦政府の巨大な組織が、組織の悪癖《あくへき》に隠れておこなわれる好き勝手さについて、投げかけられても良いものなのだが、軍人のレーンには、その発想はなかった。
彼は、若い。
まして、モビルスーツのパイロットである。
パイロットとして秀《すぐ》れた資質をもてばもつほど、その感性のすべてが、パイロットをやっているだけで充足してしまうために、組織という概念を敵にすることはしないし、他の部分に想念を敷衍《ふえん》することもない。
だから、彼にとっての敵は、人そのものになってしまって、時には、ケネスやギギが、彼の敵になるのである。
レーンは、まずマニュピレーターだけを稼動《かどう》させて、機体の傾斜をもどしながら、メイン・エンジンに火をいれていった。
自重による倒壊はない強度が保障されている機体でも、フライト・フォームに可変する部分に、異状が出たようだった。
しかし、今は、フライト・フォームにするつもりはなかったので、そのことは気にしなかった。エンジンの吹き上がりはいい。
「いくぞっ!」
レーンは、習慣でデッキ・クルーに呼びかけていたが、機体の周辺には人影はなかった。
ドグーン!
背後の武器庫の爆発が、ますます迫って、機体がまた煽《あお》られた。
「ええいっ!」
レーンは、ミノフスキー・クラフトとメイン・ノズルの出力をあげて、その排気ガスで、機体をつつむ煙を大きくはらって、視界をひろくした。
ドゥッ!
右の倉庫の誘爆は、ミサイルの束を空に噴きあげ、その閃光が、自機につききさるようにみえた。
ビューンッ! ルルル……!
それら味方のミサイルの爆発を逃げるようにして、ペーネロペーは、滑走路を走って、空港ビルの前をかすめた。
「チッ! 振動があるのか……!?」
コックピット全体を揺する嫌な振動も、飛行には関係がないと判断すると、先行したグスタフ・カールを追って、レーンは、ペーネロペーに地を蹴らせた。
先行した数機のモビルスーツは、各機にあたえられた次の待機場所に、流れはじめていた。
それが、ジャンプ・フライトをするグスタフ・カールの戦闘手順なのである。
「…………!」
レーンのペーネロペーの発進がおくれたといっても、空港が直撃をうけてから、一分と経過していない。
それでも、ガンダムもどきは、すでに視界のなかにいるわけがなかった。
「……奴だってのにっ、なんだってんだ!?」
レーンは、モビルスーツの形態をもつ物体が、音速で飛べる可能性を考えたのだ。
「機体全体が、光につつまれているように見えたよな?」
空港をパスした瞬間の|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムのシルエットを思って、さらに、ガンダムに撃墜された時の戦闘をかさねあわせて、ペーネロぺーの開発時に検討していたことを思い出していた。
ビーム・バリアーである。
機体の進行方向に波形をかえたビームを放射することによって、大気の干渉を拡散させて、音速突破を可能にする技術である。
ペーネロペーの場合は、それがまだ完全ではないのだが、それでも、音速を越えることはできる。
「こっちで完壁にできなかったものを完成させている……」
その脅威《きょうい》は、技術開発の背景にある組織の問題なのだが、レーンは、単純にその技術開発に負けている自分の立場だけを呪《のろ》った。
「第二波……閣僚を狙ったモビルスーツ部隊がくるのは、どっちだ!」
ペーネロペーの機体を海にむけながら、レーンは、ペーネロペーのもっているすべての武器を瞬時に発射できるように身構えさせながら、白兵戦にもちこめば、速度の問題などはないと判断していた。
『なんでこうも簡単に侵攻された?』
今は、そちらの方が重要なのだ。
対応の問題にかかわるからだった。
が、そう自問をしたレーンは、次に、ギギ・アンダルシアの名前を思い出していた。
『エアーズ・ロックでマフティーに捕われたから、運がむこうにまわったのか?』
レーンは、首を振って、ギギが、運をもってくる少女だというような根拠のない噂《うわさ》を忘れようとした。
「それでは漫画だよ」
しかし、それにしてもギギがいなくなってから、キルケー部隊全体が、なにかうまくいっていない感じもするのだが、レーンには、それは、連邦政府のバカ共がちかくにいて、いろいろな仕事を部隊におっつけてくることが原因なのだと思えた。
連中が、ツキを悪くしているのだ。
しかし、アデレートに着いてから、ケネスは、突然昇進させられたし、指揮官らしい采配《さいはい》もしていた。
「ケネスが、ギギにふりまわされているようにはみえなかった……」
それでも、全体の印象としては、まずくまわっている、という印象は否《いな》めなかった。
レーンは、エアーズ・ロックで、ギギが自分にかかわりがあると感じたのは、こういうことだったのか、と思いながらも、それを否定して、
「そうだよ。現実を支配しているのは、事実だけなんだ」
と、レーンは、感じられることとは、裏腹の断定をしていた。
「……どうくるんだ? ガンダムもどき一機の空襲で、連邦政府が全滅したとは思ってはいまい?」
レーンは、あらためて街の方位を見やった。
「ウッ……!?」
やられた、と思った。
空港から巻き上がる黒煙のむこうに、レーンは、別の小さな影がながれるのをみつけていた。
「ツキは、マフティーにむいたか!?」
愕然《がくぜん》とした。
ガンダムもどきがくる方位から、二番手がくると信じすぎたのだ。
数機のモビルスーツの影が、街の中央に旋回をして、フェスティバル・センター付近を爆撃していた。
その閃光と爆光は、目の前の爆発騒動にくらべれば、光景のなかの一部の点描という風に小さくみえたが、それを見逃していたレーンにすれば、屈辱的な光景だった。
ガウマン・ノビルの隊が、フェスティバル・センターに、攻撃を敢行《かんこう》しているのである。
「くっそーっ!」
先行しているグスタフ・カール四機が、海の方を気にしながら散開していって、まだ街のほうの変事には、気がついていなかった。
「街だ! やられているぞっ! うしろだっ!」
レーンは、絶叫しながら、彼等グスタフ・カールの前に踊り出るようにした。
無線がとどく距離にいるはずなのだが、戦闘濃度のミノフスキー粒子のノイズのひどさは、レーンの絶叫を消していた。
二機のグスタフ・カールは、ペーネロペーの挙動で、街に方位をかえる運動をはじめ、ペーネロペーは、高度五百メートルまであがりながら、その敵影に迫った。
「間にあうか……!?」
レーンは叫びながらも、フェスティバル・センターの煤《すす》けた白いビルが、爆発と黒煙のなかに、ほとんど瓦礫《がれき》の山と化しているらしいとみた。
レーンは、四機のマフティーのモビルスーツが、彼の位置から攻撃できない街の上空にいるので、それを誘い出すために、ミサイルをはなった。
連邦軍のモビルスーツは、街の中央空域では、戦闘行為を禁じられていたが、そんなものには、かまっていられなかった。
そのミサイルの閃光に、マフティーの二機のモビルスーツが、退避行動にはいった。
「生意気なんだよ!」
レーンは、そのメッサーのうちの一機を、ミサイルの第一射で撃破していた。
バフッ!
衝撃波は街全体をおおい、爆破の直下の家屋は、溶けて拡散していった。
しかも、ペーネロペーのミノフスキー・クラフト性能も、ガンダムに劣るものではなかったために、その衝撃波にもまれながらも、大きく東にまわりこみすぎて、旋回に時間がかかってしまった。
「クッ……!」
レーンは、自分が加速をかけすぎたことを後悔しながらも、機体の振動もおさまらないので、焦《あせ》った。
なによりも、敵機を郊外に退去させて撃墜できなかったことに、自分の未熟を知った。
「……ドメステがやられたっ! 待避だっ!」
ガウマンは、核融合炉の爆圧に翻弄《ほんろう》される自機を上昇させながら、フェスティバル・センターの攻撃から、離脱する僚機《りょうき》に絶叫していた。
「あれかっ!」
それでも、ガウマン・ノビルは、僚機が離脱する時間を与えるために、あたらしい敵に対するために、メッサーの機体を東にむけていた。
その間に、後続のメッサー三機は、爆圧のなかに残った街並にその機体を隠しては、ジャンプをするフライトにはいって、追撃してきたグスタフ・カールと応戦をはじめた。
ビルの影からビーム・ライフルで、相互に狙撃をしあっては、飛行するという戦闘法である。
「…………!?」
ガウマンは、ペーネロペーの鈍重《どんじゅう》にみえる機体が、低く遠い山の稜線《りょうせん》を背にして、突進してくるのを正面に捕《とら》えていた。
「落ちろっ!」
ガウマンは、数十条のビーム・ライフルの弾幕をはった。
「退避などさせんっ!」
レーンは、自分にむけられたビームよりも早く、ガウマン機に突進しながら、ファンネル・ミサイルを扇状《おうぎじょう》に斉射した。
「チックッ!」
ガウマンは、巨大なペーネロペーに気圧《けお》されることもなく、自機に、ビーム・サーベルを抜かせると、ミサイルと交差するように突撃をかけた。
ガウマンの勢いに、ミサイルがよけたとしかみえなかった。
「グッ!」
その時、レーンは、ファンネルの操作に集中できなかったのだ。
「……なんだとっ!」
ファンネルを回避してせまるガウマン機は、下にしてよけたと思ったが、ガッ! と小さな衝撃を感じた。
損傷表示ディスプレーが、右足の装甲に点《とも》った。
レーンは、アデレート空港に新しい爆発をみて、ファンネルの操作に集中できなかったのだ。
ドウッ! バッ!
それは、誘爆という性質のものではなく、退避しきれなくなったモビルスーツのメイン・エンジンが、爆発したものだ。
ペーネロペーは、その爆圧に、ガグッと速度までが落ちた。
当然、その爆圧を背にした敵機は、郊外に離脱していた。
フェスティバル・センターに第一撃をかけたマフティーのモビルスーツ部隊も、離脱した間合《まあい》だった。
「クッ……!」
巨大なキノコ雲が、アデレート空港をおおうように咲いた。
その雲の手前!
レーンは、別のマフティーのモビルスーツ部隊を目撃していた。エメラルダたちのモビルスーツだ。
空港とフェスティバル・センターに第二波攻撃を敢行《かんこう》したのだ。
「ええいっ!」
ペーネロペーは、一気に残ったファンネル・ミサイルを吐き出していた。
今の失敗があったから、レーンは、先頭の一機にしか意識を集中しなかった。
「……行ける!」
バグゴーンッ!
それは、エメラルダ機だったが、そんなことはレーンの想像するところではない。
エメラルダも、敵影を正面にみた時は、彼女のすべては、霧散《むさん》していた。
「!」
またもアデレートは、核融合エンジンの爆発のなかに翻弄《ほんろう》されたが、爆風の狂乱のなか、三機のメッサーがペーネロペーに直進した。
「ウッ!」
レーンは、ペーネロペーに最大加速をかけさせた。
シートの三重《さんじゅう》のショック・アブソーバも乗りこえて、レーンのからだに振動が襲った。機体のどこかが不調で、大気圧でゆさぶられているのだ。
ビーム・ライフルは、正常に作動した。
バヂヂヂヂッ!
閃光だけの輪がいくつか空中に咲くのがみえたのは、ビーム・ライフルのビーム同士が激突して炸裂《さくれつ》するからだ。
「やるなっ!」
パスしようとする敵のモビルスーツと相対速度を相殺するように減速しながらも、ペーネロペーのビーム・ライフルを一射した。
ドガッ!
そのメッサーは、空中に転がるようにして、流れていった。
が、他の二機のメッサーを防戦するので、息をつく間もなかった。
「…………!?」
退避行動にはいったメッサーに、攻撃をかける位置になったと思った時に、レーンは感じた。
あの忌《いま》わしいモビルスーツ、ガンダムもどきが、アデレートの戦闘空域に、再度、出現した。
「…………!?」
同時に、マフティーのベースジャバー・ギャルセゾンが、各個に退避行動にはいったメッサーの下にすべりこむように侵入していった。
レーンは、それらのマシーンの動きに、均整のとれたチームワークを感じた。
「…………!?」
一気に後退をかけたペーネロぺーは、アデレート空港の上空に咲くキノコ雲のなかに退避していった。
それは、レーンが、若くても優秀なパイロットである証拠である。
それは、|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムのハサウェイにもいえた。
彼は、もっとも頑強な敵とみたペーネロペーの追撃をやめて、ギャルセゾンを追撃しようとするグスタフ・カールに攻撃を集中した。
ぺ−ネロペーの存在を知っていても、それを追うことをしなかったハサウェイの我慢は、パイロットである以上に、マフティーであることを承知しているからだ。
「…………」
空港上空に渦巻く雲のなかから、ゆったりとその上体をあらわしたペーネロペーは、ガンダムが、グスタフ・カールの動きを牽制《けんせい》し、味方機を退避させる光景を観察して、ガンダムもどきのパイロットのことを思った。
「…………」
悔《くや》しさに震えた。
しかし、レーン・エイムが、ガンダムもどきの姿に打ち負かされたのではない。あくまでも、防衛行動全体のなかで、無理はできない局面だと判断したからであって、その判断は正しいのだ。
ここで、若者の血気《けっき》だけで、ペーネロぺーをガンダムのまえに出していたなら、爆発の影響で、機体整備が不調におちいっていたペーネロペーは、一瞬で、ガンダムの餌食《えじき》になっていただろう。
まして、一瞬でもペーネロペーがモビルスーツの白兵戦に巻きこまれていれば、周囲に展開していたグスタフ・カールもその戦闘に参加して、キルケー部隊のモビルスーツは、壊滅《かいめつ》していたかもしれないのだ。
「……くっそっ!」
レーンは、ペーネロペーが保有するミサイルのすべてがなくなっていることを確認すると、焼けただれた空港の滑走路に降下していった。
「ギギが、マフティーの守護神になったのか……」
そうつぶやいて、ケネスのような中年男の信心にも、意味があるのではないか、と漠然と思いついていた。
「そうでなければ、マフティーが、三波《さんぱ》にわかれて侵攻したといっても、こうも簡単に、全閣僚があつまる議場を爆撃されることはなかった……」
幾つかの爆撃穴のあいた空港ビルを前にして、レーン・エイムは、そんな自分の言葉のなかに、現実を見つめなければならない人の知恵というものが、不確かなものの中《なか》にもあるのではないか、と謙虚に思い至《いた》るのだった。
迷信とかちょっとした信心……。
そういうものが、事実を作る時もあるのではないか、という想像である。
7 ゲット アヘッド
ケネスは、レーンが、機転良く行動したことを誉めた。
「ほんとうに誉めて下さるのならば、嬉しくぞんじますが……?」
「おれのいうことが分らんとは、ほんとうに若いな。これが、実戦の実態だ。交戦して敵のモビルスーツを撃墜するだけが、戦闘じゃない。逃げたのがいいんだ。それを意思してできるようになれば、貴様はいいパイロットになれる。しかも、ペーネロペーは、四機のモビルスーツを撃墜している」
「いやっ、自分は、三機しか……」
「地上におちた機体から判断すると、貴様は、四機撃墜している」
「そうでありますか……」
ケネスは煤《すす》けた顔のまま、レーン・エイムの顔をみつめて、
「なんでそんなに殊勝《しゅしょう》になった?」
「はッ?」
レーンは、胸のうちをのぞかれたようで、ドギマギした。
「えらく素直にみえるな……おれがギギと一緒だった時には、そんな顔はみせなかった」
レーンは、ケネスがどこにいても部下の顔色までみているのかもしれないと思うと、さすがに視線をはずさざるを得なくなった。
「いえ……なんていうんですかね……ギギ・アンダルシアを、大佐が、いえ、准将がなんでそばにおいていたのか、分ったような気がして……」
「気のせいじゃないの? 偶然だよ」
今度は、ケネスが逆のことをいった。
「そりゃそうです。そう思いたいのです。ギギが、こっちにいる時とむこうにいる時で、事態の結果が、ピッタリとあっているような気がして……」
「そんなことあるものか。今は、マフティー側にだって、いないかもしれん」
「あ……。そりゃそうですね」
そのレーンの背後で、フランシン秘書が電話をとって、ハンドリー・ヨクサン長官が、命からがら逃げてきたとつたえた。
「ン……お迎えさせて、怪我の手当てはすんでいるのかもきいてな?」
「はい……」
フランシンが、また受話器にもどったので、
「いつでも出撃できるように、準備をしておけ」
「ハッ……!」
レーンは、ケネスにさっぱりした表情で敬礼をかえすと、司令センターを出ていった。
「長官は、第二救護室のとなりの応接室にはいりました」
秘書の報告に、ケネスは、かび臭い地下の通路に、自分の足音を反響させた。
シュッ! ビシッ! 手にした乗馬鞭を振ってみたが、イジイジした気持ちを晴らしてはくれない。
『こんな場所に、いつまでもいるものかっ!』
シュッ!
手になれた鞭が、するどい音をたてた。
「……よくご無事で」
ハンドリー・ヨクサン刑事警察機構長官は、左腕を包帯でまいてもらったところだった。
「どうです?」
「コンクリートにはさまれて、指をつぶした」
ヨクサン長官は、しかめっ面をむけた。
「では、午後になったら、もう一度、傷を調べます」
看護兵は、そういって、応接室を退出していった。
「……爆撃があるまで、寝ていたのか?」
長官は、あらためて、ケネスに厭味《いやみ》をいった。
「……面目《めんぼく》ありません。いいわけは致しません。よゆうがあるならば、首にしていただいても結構です」
「そういう時か?」
ハンドリー・ヨクサンはさすがに、冷静な男だった。
「いえ、しかし、閣僚の半分が死にました。負傷者の中で、生き延びられる方《かた》が、どれほどいるか……」
「そうだ。君を更迭《こうてつ》するぐらいのことは、いつでもできる。いまは、防空体制の整備だ。バリアーひとつ役にたたないまま、閣僚が全滅させられるのでは、連邦政府の威信にかけてもできんぞ?」
「愚痴《ぐち》のひとつもいえんのですか?」
「ひとつならばいい。コーヒーをたのむ」
ハンドリー長官は、ケネスに命じたので、ケネスは、インターカムで、その依頼をしてから、
「時間がなさすぎました、それだけです」といった。
「そうだろうが、地球におりられたんだ。文句はいうな、というのが閣僚の意見だろうな」
「ええ……バリアーの回線は確保できました。第二波は、阻止《そし》できます」
「ホウ……。それでこういう話か? しかし、キルケー部隊のモビルスーツ、数はないんだろ」
「マフティーも限界でしょう。稼動できるモビルスーツは、もう五機とありますまい」
「よし……では、市内から退避しないぞ?」
「結構でしょう……」
そのとき、秘書のフランシンが、コーヒーを運んでくれた。
軍関係の閣僚が死亡したいま、アデレートの防衛の事実上のトップにいるふたりの男のあいだに、しばしの静謐《せいひつ》な刻《とき》がながれた。
「……ごぞんじでしょう? ギギ・アンダルシア……」
「ああ?」
コーヒーの一口目をのんだ長官が、なんの話だという風に目をむけて、その少女の名前を思い出していた。
「……あの娘が、キルケー部隊のちかくにいました時、えらくいろいろなことがうまくいきました」
「ハウンゼンが、ダバオに着陸したときか?」
「その時だけではなく、その後もすこし……で、こちらにきてから、マフティーに拉致されました」
「エアーズ・ロックの交戦か? あの少女を部隊のべース・ジャバーにのせたな」
「ゲン担《かつ》ぎでして……」
「フーン……で……そうか。マフティーにギギがいったということか?」
「笑いますか?」
「大人気《おとなげ》ないな」
口ではそういいながらも、ヨクサンの目は、笑ってはいなかった。
彼もハウンゼンでのハイジャック事件を目撃していた一人で、ケネスのような指揮官の立場も、感情的には分らないではないからだ。
才能のあるトップは、組織の末端で行なわれていることのすべてを知らなくても、大局的な事態の推移がどういうものであるかは知っている。
理屈だけですむことは少ないもので、そういう小さな事柄が、なんらかの作用をきたすであろうことも夢想するのだ。
「……しかし、それはロマンチックすぎるな」
長官の『しかし』といった意味を、ケネスは理解できたが、この問題について、これ以上口に出さないのが、大人というものだった。
あとは、事態の推移にまかせ、椅子にすわって待つのが大人なのである。
ことに、『待ち』の哲学は、連邦政府の体質であった。
だからこそ、マフティーのような不穏分子が、跳梁《ちょうりょう》する土壌をつくるのである。
が、さすがに、ケネスは、そのこともいわなかった。
今は、軍人として、マフティーに一矢《いっし》を報《むく》いたいだけなのである。
こうも見事に一撃をうけて、ムザムザと引きさがったり、トップから首にさせられるだけでは、ケネス・スレッグの自尊心にかかわるのである。
彼は、その自負心の強さゆえに、前妻のジュリーに離婚されたというのが、本当のところであろう。
「マフティーがもう一度くるとすれば、どこを爆撃する?」
「フェスティバル・センターではないでしょう。空港の残存戦力の掃討でしょう」
「フム……この上が一番か?」
長官は天井を見上げたが、
「ここには、核爆弾が直撃しても、安全です」
「そうか? そう信じたいがね」
長官はそういって、コーヒーの残りをすすってしまった。
「どう思うんです? この事件を前提にして組閣される新内閣は、すこしはマシになりますか?」
ケネスの発言に、長官は、腕の痛みをこらえながら、
「その質問は、マフティー寄りだな」
「一般的な願望ですよ」
「……例の法案は、可決されたのは知っているのか?」
「いつです?」
「今朝だ。爆撃をうける直前に成立している」
「冗談じゃない」
「通信施設の発達は、法案を連邦政府の全部の組織に流すことを可能にしている。地球移住が官僚と政府に支配されるよ」
「廃案にすればいいでしょう? それこそ、マフティーの行為を正当化するやり方じゃないですか」
「そういうことをする連中がいるから、我々には仕事がある。そう思え」
「こちらは、命がかかっている」
「そりゃ、わたしだって、そうだ。死にかけた」
「そうですか?」
ケネスは、ハンドリー・ヨクサンがもっとコーヒーをほしがっているのを承知しながら、それを無視して、話をつづけた。
「マフティー側とおもわれる報道関係者の検挙《けんきょ》は、やっているのでしょうな?」
「マン・ハンターは軍隊じゃない。それに、わたしの方には、そういう人物が徘徊《はいかい》しているという報告ははいっていないぞ? アデレートの爆撃は、マフティーにとって不利になるだけで、オエンベリとはちがう」
「そうですが……偵察とか連絡員とか、そういう輩《やから》のことをいっているのです」
「フム……挙動不審で検挙した連中がいるが、それをフェスティバル・センターの瓦礫の山の上にでも出すか?」
「いいアイデアですな。バリアーになる。物理的なバリアーよりは、その方が効力があるでしょう」
「そうするか?」
「それが、無駄な仕事になるようにするのが、ペーネロぺー以下のモビルスーツ部隊の仕事でしょうな」
「ああ……そうすれば、ここでの議事録も作成できる。官僚は実直だからな?」
「そういう話をきくと、マフティーに手を貸したくなる」
「今度それをいったら、反逆罪で逮捕して、秘密裁判の味をあじわわせてやるぞ?」
「……ま……それは、アデレート以後ということで……」
ケネスは、初めて、ニタリと白い歯をみせて、手にした乗馬鞭でピタンピタンとテーブルのすみを叩いた。
その頃、地球の人工衛星軌道にはいった第十三独立艦隊のラー・カイラムをはじめとする三隻の艦艇が、地球突入のコースにはいっていた。
それらの艦艇は、ミノフスキー・クラフトを装備して、重力下の大気中でも、飛行することができる艦艇である。
「…………」
ラー・カイラムのブリッジにすわるブライト・ノア艦長は、あざやかなブルーと白い雲の波紋で飾られた地球を前方にながめていた。
「艦長! 全艦、準備良し!」
「ン……」
そういわれて、ブライトは、息子のハサウェイが馴《な》れない南の島で、風邪でもひいていないものかと心配していた自分に、あわてた。
キャプテン・シートに、自分のノーマルスーツを固定するようにすると、
「よーしっ! 大気圏突入! 総員、その場に固定っ!」
三隻の艦艇は、その船員の前方に厚いビーム・バリアーの幕を展張して、ゆったりと降下角度を深くしていった。
その下方にあるのは、ブルーの太平洋だ。
艦隊は、地球を一周するようにして、その南部に侵入していくのである。
「ま、風邪よりは、女の心配でもした方がいいのかな?」
ブライトは、大気圏進入によっておこる艦艇の振動に身をゆだねながらも、男親らしい想像をしていた。
8 アンダー ザ フォリスト
ケネスとヨクサン長官が、鼻をつきあわせている頃に、ハサウェイたちは、アデレートから東南に五十キロほどのところの山あいに、集結していた。
千五、六百メートルの山脈を越えれば、アデレートというところである。
まさか、こんな近くで合流するとは、敵は考えまいという場所だった。
ガンダムが着陸しても、その全身を隠してしまう樹木が密生している傾斜地である。
「ファビオ……ご苦労だった。川下りで、アレキサンドリア湖とかエンカウンター湾に出るのもいい。逆に内陸にはいって、ほとぼりがさめてから、大陸から脱出するか?」
「ハハハ……それは任せなよ。どうとでもする。しかしな、ギャルセゾン二機とメッサー六機を撃墜されて、やられすぎじゃねぇのか?」
「いや、こんなものだ」
「この攻撃がおわったら、ロドイセヤにもどるのか?」
「ああ、順次、各個に離脱する」
「じゃ、こんどは、南の海でな?」
「ン……チャングたちにもよろしく」
ハサウェイは、ファビオたちが、トレーラーで、このアデレート周辺から無事に離脱してもらうためにも、もう一度、アデレートを爆撃しなければならないのだ。
それは、アデレート周辺に潜伏している連絡員の脱出を助けることでもあった。
ハサウェイは、ガンダムのコックピットにのぼるロープであがりながら、木々の梢《こずえ》の下に隠れていくファビオ・リベラたちに最後の微笑をおくった。
彼等がいたからこそ、ガンダムは、アデレートで第二、第三撃までできるミサイルの補給を受けることができたのである。
ハサウェイが、ガンダムのコンソール・パネルを立てるころに、下の方でトレーラーのスタートするエンジン音がした。
彼等は、すでに、野菜を運搬するトレーラーに偽装をして、脱出することになっていた。
「…………!」
ハサウェイは、ガンダムの頭部からバルーンをあげて、それに取りつけてあるカメラで、周囲に展開しているギャルセゾンとメッサーの姿をさがした。
メッサーは、ギャルセゾンに搭載されている予備のミサイルを自力で補給して、再度の攻撃に出るのである。
ガンダムのカメラは、二機のメッサーの頭部と、モモイロインコの群を写した。
「戦果は確実だぜ。ギギを追いださなくってよかったよ」
ガウマン・ノビルは、カウッサリア・ゲースの4ギャルセゾンに着床《ちゃくしょう》して、ミサイル・ポットの交換をしながら、ブリッジの接触回線にどなった。
「あたしたちの運がいいからだ、って思いたいがね」
カウッサリアは、ちょっと反発をした。
「それは嫉妬《しっと》ってモンだぜ。カウッサ。フェスティバル・センターは、ほとんど全壊したんだ。こうもうまくいくもんじゃない」
「モビルスーツの半分がやられているよ。エメラルダだって、やられちまって!」
カウッサリアの白い頬に、血の気がのぼると、左右のクルーがビビるのだ。
「……キャプテン、冷静に頼むぜ」
「うるさいっ!」
コ・パイになぐりつけるばかりの剣幕だった。
「覚悟の上だろ。いうなよ。いいか。同じギャルセゾン仲間だろ? レイを心配しなっ! 奴に元気を出させないと、みんなが自棄《やけ》になって、エメラルダを追いかけるようなことになっちまうぞっ!」
ガウマンの叱る声が、カウッサリアのレシーバーにひびいた。
「…………!?」
悲しむのは、作戦がおわって敵がいなくなって、裸になれる時であって、今は、ちがうのだ。
ガウマンのいっていることが分れば、カウッサリアは、自分の怒りをたたきつける対象を、ギギに求めるしかなかった。
「あたしは、ギギってのが、キルケーに通報していると思っているんだ! あの女のせいだよ!」
「そう思うなら、この作戦がおわったら、銃殺にでもしなよ」
ガウマンがそういうのも、彼女の気分を了解しているからだし、できる相談でもないからだ。
「…………!?」
ズオオオッ……!
ガウマン機の頭上スレスレにガンダムが、レイモンドのギャルセゾンの潜伏している方向に移動していった。
木々が左右に激しく揺れた。
「そろそろだ。いくぞ!?」
「おせっかいすぎるよ……」
最後に、ガウマンのレシーバーにカウッサリアの声がひびいた時は、それは、涙声になっていた。
「…………!」
ハサウェイは、レイモンド機の取りついているメッサーが、ゴルフ機一機だけなのをみて、さすがに、胸が一杯になった。
本来ならば、そこに、エメラルダのメッサーが、搭乗していなければならないのだ。
「ゴルフ! レイモンドに、捕虜の釈放を!」
「あ? 了解」
ハサウェイは、ミサイル・ポットの交換をおえたゴルフ機に、ガンダムのマニュピレーターを接触させてそうつたえると、ゴルフが、レイモンドにそれをつたえた。
「……今、やるようです」
「そうか……」
ゴルフの返答を待って、ハサウェイは、ゴルフ機から離れると、ガンダムの高度をとった。
ユーカリの林が、重い梢をゆすり、その下のつた類が左右になびいていった。
「…………」
その木々とギャルセゾンのあいだに、人影が降りてゆくのが観測された。
キンバレー・ヘイマン以下の捕虜の姿だ。
そして、ややあって、ギギの小さな身体が、ユーカリの木のあいだにすべりこむように見えた。
「…………!!」
ハサウェイは、ギギをみた瞬間、反射的に高度をあげていた。
もちろん、降下して別れの言葉をかわしたかった。が、その衝動を打ち消すためには、そうするしかないのだ。
『ギギ、ありがとう。楽しかった……!』
そういいたいのだ。
しかし、また会えるかも知れないという期待もある、とも思いたかった。ユーカリの大木の影で、ギギは、ヘイマンたちに何かをいったようだが、また、林のなかにはいっていってしまった。
ガンダムの方を気にしてくれるようすはなかった。
『…………』
それがハサウェイには、冷たいように思えたが、それでも、また会えるから、と自分にいいきかせて、機体の方位を西にむけていった。
不確かでも、なにかを残しておくことが、戦争に生き残れる秘訣《ひけつ》だから、そう思いこむのだ。それは、人の悲しい習性だろうが、愛すべきものであろう。
ハサウェイは、自分が、その人間の一人である辛《つら》さを、今は、ありがたいと思った。
「…………!」
視線を左右にして注意を、上昇をはじめたギャルセゾンにむけた。
メッサーを一機ずつ搭載したギャルセゾンが、五機。
単独は、二機。
それが、稼動《かどう》できる残存戦力である。
|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムが、ゆったりと山の傾斜をなぞるように前進を開始すると、ガウマン機が、4ギャルセゾンのデッキからジャンプして、ガンダムの背中にのるようにしてきた。
軽い振動が、ハサウェイの感傷的な気持ちを吹きはらってくれた。
「……なんだよ!」
ミノフスキー・クラフトの有利なことは、メッサー一機の重量ぐらいは、ささえることができることだ。
「キンバレーもギギも、まだ利用価値はあるんじゃないかねぇ?」
ガウマンは、わざわざそういいにきたのだ。
「こちらは特攻の覚悟だ。捕虜を巻きぞえにしたくない。ギギも余分の人員だ。ギャルセゾンの機体を軽くする必要がある」
「それがさ、ちょっと敗北主義じゃないのか?」
「心配か?」
ハサウェイは、のこしておいたものがある方がいいと感じていた矢先だったので、ガウマンの方が弱気なのではないか、と思えた。
「ちょっとな……」
「フフフ……いいのさ。キンバレーをのこしたことは、マフティーのよゆうをみせてやることになる。ギギは、ケネスへの当てつけさ。今後の牽制《けんせい》になるよ」
ハサウェイは、当てこすりっぽく理屈をいった。
「アデレートのあとの戦いのことを考えているということか?」
「もちろんさ。キンバレーは、われわれが、なんの拷問もかけずに釈放した生き証人になるだろ? やつらが、ウソをいったって、無傷で生き残った姿をみせれば、世間から非難されるのは確実だ。それはマフティーにとって、有利なことだよ。そろそろ再突入するぞ?」
「ま、了解だが、特攻っていうのは、考え直してくれ」
「すまない。訂正する。絶対に戦場を離脱するさ」
ハサウェイのその声に、ガウマンは、ハサウェイが味方のパイロットの損失に、それほど力をおとしていないらしいのを知って、ホッとした。
指揮官は、ここでは、冷たすぎるぐらいでいいのだ。
ガウマンは、今度は、1ギャルセゾンの方をみた。
その飛行は、安定していた。
エメラルダに死なれたレイモンドにも、意気消沈されてもらっては困るのだが、山にそって、低空で編隊飛行をするギャルセゾンの動きをみれば、パイロットの気分を知ることはできた。
「奴なら、エメラルダの仇討《あだう》ちのつもりになってくれている……」
「いくぞっ!」
そのハサウェイの声につづいて、バフーン! と、閃光が発した。
それは、ガウマン機を背負うようにしていたガンダムのメイン・ノズルが、最大出力を発したのだ。
「ハサウェイ!?」
ガウマンは、自機の足場がなくなって、落下していったので、バーニアを調整しながら、前進する1ギャルセゾンに接近をかけて、そのデッキに接触した。
ゴルフ機が身をひいて、フォローしてくれた。
「レイはどうだ?」
「元気だよ」
「そうか……」
ガウマンは、ゴルフの声をききながらも、実視ディスプレーのマルチ・モニターに、レイモンド機のブリッジの天窓に焦点をあわせた。
レイモンドの肩が、かすかにみえた。
『ま、良さそうだな……』
ガウマンは、それで仲間たちの心配はやめたが、
『……あと数分で、こっちが泣かれる立場にだってなる……』
そう思った時に、ガウマンは、マフティーに参加して以来、恋人一人つくれなかった中年のハンディキャップを、痛いものに感じた。
それは、自分が死んでも、本気で泣いてくれる人がいないということである。それは、死ぬことをおびえさせるものだ。
「いい女か、子供をつくるまでは、死ねねぇな……!」
ガウマンは、そう口にしてみて、
「そうでなければ、なにをしに生きてきたか、分らねぇじゃねぇかっ」
その気合は、相手がどうであろうとも、生き抜いてみせる、という男の覚悟になった。
ギャルセゾンは、峨々《がが》たる稜線《りょうせん》をひとつ越えて、次の峰を越えようとした。
そのむこうにアデレートがあるのだ。
しかし、その時には、すでに加速したガンダムの機影は、みえなくなっていた。
「お嬢さんよ。待ってくれよ!」
そう猫撫で声をさせる軍人たちからは、距離をとるしかなかった。
ギギは、梢のむこうに去っていったガンダム以下のマシーンを見送るぐらいは、ゆっくりやりたかったのだが、それはできなかった。
必死に、つたの生茂ったあいだをぬけて、傾斜を上に上にとあがっていった。
「君は、鍵をもっているのだろうっ!」
「ベース・ジャバーのパイロットは、そういっていたぞっ!」
キンバレー・ヘイマン以下の四人の男たちは、そのギギを追っていたが、後ろ手に手錠をかけられていたので、走るのも、坂をのぼるのも、不自由のようだった。
ギギは、彼等との距離が、かなり開いたところで、レイモンド・ケインから預けられた革袋をひらいてみた。
「…………!?」
そこには、やはり、五つの鍵がはいっていた。
しかし、ギギは、この革袋を渡された時に、レイモンドからいわれたことに、反発していた。
『連中を助けてやれば、得することもあるんじゃないか』
バラララ……。モモイロインコの鮮やかな色が、群になって頭上を飛んでいった。
「…………!」
気づけば、森いっぱいに、鳥たちが呼びあっていた。
「君は、我々の監視をするために下《おろ》されたのだろう! 鍵はもっているんだよなっ! お嬢さんっ!」
太った体躯《たいく》をもだえるようにして、林のなかを追ってくる中年男の姿というものは、みたくもなかった。
「まさか……あたしだって、マフティーに拉致されたのよ。鍵をあずけられる立場ではないわ」
ギギは、ウソをいいながら、さらに、山の傾斜をのぼっていった。
「君は、ギャルセゾンのブリッジにいた。捕虜ではない」
「でもこの格好をみれば、マフティーのクルーではないことも分るでしょ!」
ギギは、かかとで小石をふみはずし、よろけた。
「…………!?」
ザワザワとつた類を押しのけてあがってくる男たちの足音が、恐ろしくきこえた。
「クッ……!」
コケで手がすべり、昆虫を踏んづけた靴底がすべった。
「……あたしは、マフティーからもあんたたちからも、逃げだしたいのよ」
ギギは、そうわめきながら、さらに数本の木々を抜けると、舗装《ほそう》をした跡のある坂道にとびだしていた。
「…………!?」
その道は、アスファルトで舗装されていたのだが、ヒビ割れのあいだからは、木や草が生茂っていて、よく見なければ、道にみえなかった。
「ハッ……ハッ……!」
それでも、車が走った形跡ものこっていた。
ギギは、その飛び石のようになったアスファルトをつたうようにして、はしった。
「おーいっ! 少女!」
男たちの声は、かなり下の方になっていた。
ギギには、その声が、わざと同情をひくもののようにきこえた。
ギギは、そのアスファルト道の角を、何度かまがってから、男たちの声がする右下の方をのぞいた。
木々のあいだに、捕虜たちの頭が、チラチラと見えた。
「……あんたたちーっ! これが鍵にみえて!?」
ギギは、革袋をかざして、さけんだ。
「鍵をもっていたのかっ!」
「マフティーから命令されたの! こうしろって……いいっ!? このなかに鍵がはいっていると思うなら、自分たちでさがすのよ。そうすれば、両手は自由になるわ!」
ギギは、そういうと、その鍵束を一方の林のなかに、力一杯投げた。
ガッ!
遠いとも近いともいえないところで、こもった音がしたが、それは余韻などはひびかせなかった。
「貴様っ!」
「こうしろっていわれたのよ。勘弁してっ!」
ギギは、またウソをいった。
捕虜だった男たちのなかでも、若いとみえる三人が、音のした方に駆けあがっていくのがみえた。
ギギは、あとは、後ろをみることなく、必死ではしり出していた。
アデレートに一歩でも近づかなければならない、と信じこんでいたのだ。
「ハッ……ハッ……」
ギギは、なんでこんな風にはしっているのだろうと思う。
ハサウェイは、さよならをいったのだ。そんな男の死に場所にむかって、はしることなどはないはずだった。
でも、ギギは、はしった。
「アッ……!」
アスファルトの割れ目に足をとられて、たおれた。
手がすりむけたような痛みがあった。
太陽は、筋になって、ヒビ割れのアスファルトらしい道を照し出して、蒸してきた。下草の高さには、蒸気がわきたっていた。
「…………」
タイヤの黒い跡をこびりつけたアスファルトをみて、ギギは立ちあがった。それは、アデレートに続く道標《みちしるべ》にみえた。
この小さな山脈をこえれば、いいのだ。
しかし、この坂道をいったところにアデレートがあるならば、その方向からくる車は、連邦軍のものであろう。
そうなれば、ギギは、彼等に掴《つか》まるかもしれなかった。
「……どうしよう……?」
左右の森は、あまりに下草がおおくて、そこをいく自信はなかった。
「……よく捜せっ! 絶対に鍵のはずだ!」
かすかに、そんな声がこだまの余韻のように、ギギにせまった。
「……軍の車でなければ、乗せてもらえるかもしれない……」
ギギは、はしりかねて、歩きながら、そう思いついたが、その場合でも、やりすごさなければならない、と決めた。
下からあがってくる車で、軍のものでなければ、アデレートまで乗せていってもらえるかもしれないと思ったが、その時は、その車はキンバレーたちに、先に押《おさ》えられてしまっているだろう。
デコボコの激しいアスファルト道を、ともかく、はしるようにした。
ハサウェイのことを確かめなければ、これから以後、ひとりで暮すにしても、どう暮すかも決められないと思った。
このために、ギギは、ホンコンで送れるはずの快適な生活も棄《す》ててきたのである。
ギギは、はしった。
胸が、苦しかった。暑かった。
「…………!?」
が、ついに、恐れていたことが起った。
グルルッ!
数台の車の音が、よろめくようにくだってくる音がした。
ギギは、道路のわきの繁みに隠れた。
数台にしかきこえなかったエンジンの音は、まちがいだった。その数倍だった。
二十台を越える車が、一団となって凹凸のはげしい坂道をくだっていったのだが、そのほとんどが、エレカ、つまり電気自動車だったから、エンジン音がすくなかったのだ。
「……軍人……!?」
民間車両なのに、乗っている人びとのほとんどが、軍服を着ていた。
しかも、ボロボロに破れ、煤《すす》けて、敗惨者《はいざんしゃ》の群にみえた。一回目のマフティーの攻撃で敗れた人びとだった。
これでは、この後も、同じような車が多いだろう。
ギギは、この道路は、使えないと思った。
しかし、その前に、キンバレー・ヘイマンたちが、この車両の群をとめて、手錠をはずさせて、自分を捜索するためにあがってくるだろうと思いついた。
ギギは、絶望的になった。
『あたしは、いつも、隠れるだけなんだ……』
そう思いながらも、結局は、どこかの誰かの手に落ちてしまう自分の運命に、ギギは、悲しくなった。
9 アゲィン
「車両の用意ができたようです」
調査局のゲイス・ヒューゲスト部長が、油と煤《すす》でまぶしたような上着のまま、ハンドリー・ヨクサン長官を出迎えにきた。
「おお……!」
「長官、痛みは?」
ヒューゲスト部長は、長官の包帯姿を気づかうようにした。
「生きのこりの閣僚たちは、よろしくアデレートから退避を」
「それほど深刻には考えていない」
長官は、ケネスに気弱な微笑をみせると、ヒューゲスト部長をしたがえて、エレベーターにむかった。
ケネスは、こんな機会に長官のちかくにいたことで、ゲイスは出世をするだろうと思いながらも、二人をエレベーターまでおくった。
「では、防衛の方は、よろしく頼みます」
そのような希望のもてる未来を感じるからであろう。ゲイスは、煤でよごれたソフト帽をちょっと上げて、ケネスに挨拶をした。
「いや……!」
暑くなる時間である。ソフト帽は、日除けにもプロテクターにもなろう。
地方回りの調査局任務で、這《は》いずりまわっていた男の実直さというものに、男のみじめさをみる思いがした。
「さてと……そろそろくるな? ハサウェイ」
ケネスは、乗馬鞭で、自分のふとももを叩きながら、司令センターにはいっていった。
「准将、ご苦労」
「ああ……わざわざ……」
ケネスは、内心の狼狽《ろうばい》を押えて、その二人の男たちに、敬礼をした。
統合本部のメジナウム・グッゲンハイム大将とリチャード・クレッシェンド大将が、参謀本部のスタッフ数人をしたがえて、そこにいたのだ。
「お怪我は?」
「参謀本部のホテルは、ガラスが割れただけだが、空港に面したガラスは、全部だった」
老いた将軍の一人、グッゲンハイムは、頬に貼りつけた救急バンドを指さして、笑った。
「指揮は任せるから……ここで、観戦させてもらう」
「それがよろしいでしょう……」
彼等、トップのスタッフは、ケネスのすわるべき席の背後にならぶ、一段上の席に陣取ったものの、実戦の指揮を観戦する機会などはなかった男たちである。
民間人のように緊張していた。
中央の戦術ディスプレーには、十機ほどのグスタフ・カールとケッサリアの配置がしめされていたが、その配置は、南にかたよっていた。
アデレートの真南は、フリンダース山脈が海におちこんでゆくなだらかな傾斜地であり、緑地帯がひろがっている。むかしの市街地は、木々の陰影のちがいで識別するしかないという地区だ。
ケネスは、マフティーが再度アデレートに侵攻する場合は、この方位しかないと感じていたから、そうしたのだ。
そこに、出遅れているペーネロペーも配置するのだが、まだ、空港から動いていなかった。
「……ペーネロペーのフライング・フォームのパーツははずしたんだろう?」
「ハッ……。現在は、はずしたあと調整をしています。メカニック・マンがいなくなっていたので、時間がかかりましたが、おわります」
若いクルーが、サンドイッチを口にしながらいった。
「エイム中尉です」
別のクルーが、ペーネロペーのコックピットを写し出したモニターをしめした。そのフレームのなかに、まだヘルメットをしていないレーン・エイムがはいってきた。
「レーン! きこえるか? ケッサリアの部隊は、北に展開している風にみせているから、貴様は、南に潜伏して、ガンダムもどきを迎撃しろ」
「ハッ……」
ヘルメットをかぶりながら、レーンがカメラをみた。
「支援はグスタフ・カール二機だけだが、それでいいな?」
「ハッ。結構でありますが、ペーネロペーには、宇宙のテスト以来、慣れ親しんでいた機体なので、外装の一部をはずしちまうと、ちょっとうすら寒い感じがします」
「それは、分るが、まあ、マフティーがもう一度攻撃してくるかどうかは、分らんのだ。神経質になるな」
「そうですが……一度ぐらい、ガンダムとはちゃんとやってみたいものです」
ヘルメットの下のレーンは、そういって笑顔をみせた。
ケネスは、ようやくレーンがパイロットとして仕上ったと感じた。
「確認するぞ? さっきの後退のタイミングと同じでいいが、バリアーを利用することは、わすれるなよ」
「ハッ、一人|勝手《がって》の戦闘は気をつけます」
「よし」
おだてて調子にのるだけの部下ならば問題外だが、おだてたぶん、がんばる気力をもってくれる部下ならば、彼自身が生きのこることができれば、戦果もあがる道理である。
いまのレーンならば、まずは大丈夫だろう。
「司令センター! ペーネロペー、出ます」
レーンからのコール。
つづいて、ペーネロペーに随伴するグスタフ・カール二機からのコールがあり、左の滑走路を映し出すディスプレーに、三機のモビルスーツが滑走をはじめた。
滑走路にたまった煤の山を舞いあげながら疾走したペーネロペーと二機のグスタフ・カールは、爆発で飛ばされた瓦礫を蹴散らすようにして、発進していった。
その光景は、まるで、映画のように、格好のよい画面をつくりだしていた。
そして、フライング・フォームを維持する時のミノフスキー粒子を散布するパーツをはずしたぺーネロペーは、いかにも軽快で、白兵戦ではその能力を十分発揮するようにみえた。
「…………」
そんな光景に満足しながらも、司令センターの中央の椅子にすわったケネスの心境は、複雑だった。
それは、今しがたヨクサン長官と協議をした問題が、頭にあったからだ。
ここで、マフティーがアデレートにとどめの攻撃を敢行してくれて、それを迎撃、殲滅する方が、事態は簡単だということだ。
殲滅でないにしても、マフティーにはかなりの打撃をあたえれば、その再起を遅らせることができる。
問題なのは、マフティーがこのまま撤収して、新しい局面にたいする準備にはいってしまうことだった。そうなれば、今日のマフティーの奇襲が、不穏分子のあいだに、絶対的な勝利として宣伝されて、その戦力基盤はふくらむであろう。
それは、困難な事態が、地球上に長期的にひろがることを意味した。
『長官は、いい予測をしている』
その考え方をきいた時、ケネスは、軍に迎撃準備を督促することをやめた。
マフティーによる第一撃で、アデレートは隙だらけになって、マフティーに再攻撃をさせるようにしむけたのである。
その上で、問題のガンダムをペーネロペーとバリアーで叩いておく。それが、戦略というものである。
単純に、モビルスーツの力押しによる戦果をあげることが、戦果ではないのだ。
「バリアーの電力供給は?」
ケネスは、バリアー設置の監督にいっていたメインザー中佐の方にきいた。
「予定通りです……」
そういう中佐だが、まだ、彼は、各バリアー発生装置のテストをしている部隊からの報告をコンピューターにインプットして、その出力計算をしている最中だった。
彼のジャケットも、油のシミとほころびがあった。
つい今しがたまで、バリアー発生装置の監督に現場をはしりまわっていたのである。
そのため、モビルスーツ一機を撃墜できるであろう出力は確保できていた。
が、ケネスは、ガンダムもどき機体を確実に殺すためには、その倍の出力を確保することを命じていたのだ。
「警報っ!」
そのコールが司令センターにおこった時は、レーンの編隊は、まだアデレートの防衛線を越えたばかりだった。
「よし! 中佐、検索はいいっ。S18ラインに電力を集中させておけ!」
ケネスは、戦術ディスプレーの警報サインが、予定の方位からのマフティーの機影が接近することを知らせていた。
ケネスは、嬉しかった。
これで、最悪の懸念はなくなるのだ。
「ハッ! 一度発振すれば、発振器は焼け切れてしまう出力が集中します。それで、よろしいですねっ!」
「かまわん! それでこっちの勝利だ」
百にちかいディスプレーのならんだ、最上部のものが、南方面の空を映し出していた。
「……あれか?」
「ハッ! 三番、拡大!」
チェッカー・マンが、そのディスプレーのズーミング操作をする。
キューンという音がするように、その画像が拡大されて、数個の飛翔《ひしょう》する影を拡大していった。
ペーネロペーとグスタフ・カールだ。
そして、ガンダムもどきが突進してきたのが、識別できた。
「第一前衛のグスタフ・カール、二機、撃墜」
「……もうか!?」
そんなうめきがクルーのあいだに起ったが、その光景をキャッチしたディスプレーもモニターもなかった。
「北のケッサリアをまわせ!」
ケネスは、簡単に命令をした。
緊張した空気が、地下センターを支配した。
「ガンダムだ!」
チェッカー・マンたちには、目がいいスタッフをそろえているので、反応は、ケネス以上に早かった。
「…………!?」
ケネスは、ガンダムをとらえたディスプレーの中央に、閃光がきらめいたのをみた。
「ガンダム、すごいです!」
「グスタフ・カール、撃墜!」
事務的なチェッカー・マンの声があった。
ケネスは、モニター群の中央にある戦術ディスプレーをみあげた。
南方面で起った戦闘が、アデレートの南に設置したバリアー線上に、どのように接近するかという予測ラインを描き出した。
「……ガンダムの後続は、どこから出てくる」
「南南東! 四度にアンノウンッ!」
「それだ!」
「六度にも、アンノウン!」
所属不明機という意味だが、マフティーである。
「マフティーの数はっ!」
「六っ、八っ! 以上!」
「機種……モビルスーツ、四つ! いや三つ!」
「アンノウン一機、撃墜!」
「結構! バリアー用意……」
「ハッ……S18要員、退避っ!」
メインザー中佐が、バリアー設営スタッフに命令を発していた。
「敵ベース・ジャバー、一機撃墜!」
「六度のライン! 防衛線突破! ケッサリア、迎撃おそいっ!」
経過報告と前線パイロットの指令が、混乱しはじめた。
「いい……やらせておけ」
ケネスがそんなことをいう間に、ズズズッッ……と地響きが司令センターをかすかに揺すった。
「早いな……手慣れたものだ……」
ケネスは、感心した。
空港を再度爆撃されれば、フェスティバル・センターとその周辺もやられているだろう。
「早すぎないか?」
「ハッ……?」
ケネスの背後で、この戦闘局面を他人事のようにいう声に、ケネスは振りむいた。
グッゲンハイム大将より若くみえるリチャード・クレッシェンド大将だった。
「つまり、ガンダムよりも前に出て、攻撃をした」
大将は、ガンダム以外のマシーンが、地上攻撃をするとは、思っていなかったようだ。
「ああ、さっきはベース・ジャバーは陸撃をしませんで、モビルスーツの支援だけでしたが、今度は、ベース・ジャバーがやったんでしょう」
「ああ、ギャルセゾンね?」
将軍たちは、それで納得しながらも、
「この近くには、マシーンはいないな?」
「そのはずです」
そんなことを言い合うのは、核融合炉の爆発を恐れているのだったが、そんなことには、ケネスは相手をしなかった。
戦闘の局面は、ドラマのように長いことはないし、それでいて、その一瞬で決着がついて、その一瞬の結果が、彼我《ひが》の局面を逆転させるのである。
それは、ギャンブルのカードの目とおなじことで、ハートのエースが出たということが、人の人生を狂わすのとおなじなのだ。
大勢の推移とは、かかわりあいがないような事態の決着が、大勢を支配し、人に生か死を強制する。
そんな時に、一人、しろうとみたいな大将や将軍を相手にして、ジョーカーなどは引くわけにはいかないのだ。
「使えるカメラを振って、敵影を捕捉しろ! ボヤボヤしていると、このシェルターに、マフティーのモビルスーツが攻めてくるぞ!」
そのケネスの絶叫が、彼の背後にいる将軍たちに、ここも絶対安全ではないと教えるのにじゅうぶんな効果があった。
そのていどの緊張感を、もっていてもらわなければ、将軍とはいえまい。
ケネスは、そう思いながら、半分以下になったモニターとディスプレーに、目をはしらせていた。
10 ビー ディファーティト
ハサウェイたちは、アデレート空港とフェスティバル・センターにとどめを刺して、退避する。
それが予定だった。
それにしても、残存したギャルセゾンとメッサーが、フリンダース山脈の東側の山あいで合流するのに手間取った。
そのために、キンバレーとギギは放出されたのである。
予定通りの時間で合流していれば、1ギャルセゾンはアデレート周辺に遊弋《ゆうよく》して、メットーの収容任務だけに徹しておわるはずだったのだ。
アデレートの第二波の作戦が中止される場合は、残存戦力がギャルセゾン一機とメッサー二機の一戦闘単位になった場合だけであり、その場合は、ガンダムの撃墜も計算されていた。
その考え方は、ガンダムは、第二波攻撃でも、空港に二撃をあたえなければならないという苛酷《かこく》な任務があったからだ。
そして、この第二波攻撃までは、途中協議はなし、とされていたから、二、三段の予定プランにしたがって、行動したのである。
しかし、フリンダース山脈を越えて、アデレート方面をチェックしたハサウェイは、キルケー部隊のケッサリアは、北に展開していたので、一気に侵攻空域の掃討にはいった。
作為的な隙をつくるほどの間はなかったケネスであったが、ハサウェイには、やはり隙にみえた。
この作戦は、順当にいくと感じられた。
『バリアー』と呼ばれているものについては、作動はしないだろう。そう断定するしかなかった。
しかし、ケッサリアがいないからといって、前方に展開する緑地帯に、なにもないことはないと警戒するのは、当然である。
それが、ハサウェイの三機のグスタフ・カールの撃墜であった。
そして、ハサウェイは、空港にむかって、ミサイルを発射していた。
バフッ、バッ、バッ、バッ……!!
そのミサイルの尾は、アデレートの街に飛びこむ前に、いくつもの火球に変じて、まっさおな空を背景にして、黒い煙の輪を咲かせた。
「きた……!?」
ガンダムのミサイル攻撃は、南下している途中のレーンのペーネロペーに阻止されたのだが、その間に、東寄りから侵攻したレイモンドたちのギャルセゾンが、空港とフェスティバル・センターの空域に侵攻して、地下壕《シェルター》の将軍たちを不安にさせたのである。
「…………!!」
ハサウェイは、高度をとった。
ペーネロペーをおびき出すのだ。
その左右のグスタフ・カールは、ガンダムの後続のメッサーに気づいて、動きが一瞬おそくなった。
「…………!?」
ぺーネロぺーは、余分の装甲をはずしたおかげで、以前よりもその機動性は俊敏《しゅんびん》だった。
ハサウェイは、ペーネロペーへと背後の空港の位置を直線上におくと、ミサイルを発射した。
ペーネロペーへの威嚇《いかく》と空港爆破。
ペーネロペーのビーム・ライフルが、ミサイル一発を狙撃したが、のこりは空港に吸いこまれていった。
レイモンド部隊が、パスするのと同じくらいに、ガンダムのミサイルが、空港ビルに直撃していた。ほんらい、やっていけないことだった。
「ウッ……!」
ファンネルが射出されて、それは、ガンダムに集中した。
ビーム・ライフルを乱射しながら、ビーム・サーベルの一本ビームを拡散させながら、ファンネルを阻止した。
「できた……!」
確かに、ペーネロペーの攻撃は、以前とはちがった。
ドゥッ!
それでも、ガンダムの方が、機動性は、良いようだった。
ペーネロペーの姿勢制御のバーニアが、完全ではないらしいのだ。
「くそっ!」
レーンは、そのことで苦心した。
前の戦闘で、ガウマン機から受けた損傷が、右足にのこっているのだ。
ビーム・サーベルをペーネロペーに持たせ、頭上にまわったガンダムに対して、加速し、旋回し、双方のビーム・サーベルが激突して、干渉波と閃光を爆発させた。ビユュュンーッ!
空中戦闘は、巴戦《ともえせん》にもちこまれた。
「力がある!?」
ハサウェイは、巨人に対する人間と思えたが、潜在的な力は、同等かガンダムの方が上なのだと確信した。
「レーン・エイム!」
ハサウェイは、そのパイロットの名前を叫びながら、ガンダムのファンネルを斉射していた。
意識を一点に集中する。
ペーネロペーの心臓、レーン・エイムに!
しかし、同じ脳波コントロールによるファンネルを、ペーネロペーも持っている。
ガンダムに呼応するように、ペーネロペーのファンネルが、ガンダムのファンネルを迎え射った。
キャンキャンッ!
そんなように空に独楽《こま》のようにいくつもの閃光が走り、そのあいだをビームがはしった。
「……!……!!」
前後左右、上下。
なんどとなく、ビーム・サーベルとビーム・ライフルのビームが、閃光を発してファンネルは、相互に撃破された。
ドドドウッ! バウババンッ!
その爆光のなかで、二機のモビルスーツが、まさに、白兵戦を演じた。
ジュンッ!
その一瞬の灼熱の閃光は、ガンダムのシールドを焼く音であり、次のスパークと閃光は、ペーネロペーの腰の装甲を空に舞わせた。
「ハッ……!」
背景の緑が、流れ、その照準のなかに、ハサウェイは、ペーネロペーを捕える。
その呼吸は、レーンにも伝わるのかもしれなかった。同時に、ペーネロペーの接近戦用のミサイルの散弾が、パッと咲いた。
ドグンッ!
数十の散弾がシールドに激突しても、一瞬の衝撃しかない。
ヂューン!
ビーム・ライフルに損傷があったようだった。
「チッ!」
ハサウェイは、そのビーム・ライフルのエネルギー・パックにメイン・エンジンからチャージしながら、放出する。
トグーンッ!
エネルギー・パックが過圧によって爆発して、目くらましになった。
「ツゥ!」
一瞬、後退するペーネロペーに突進して、ガンダムのサーベルが、ペーネロペーの胸を真横に焼いた。
致命傷ではない。
「…………!?」
レーンは、その衝撃のなかで、バリアー戦の存在を意識した。
両横の空中戦闘の間隙《かんげき》をついたガウマン以下の四機のメッサーは、さらにのこりのミサイルを放つために回頭した時に、最後尾のメッサーにケッサリア三機の集中攻撃をうけて、撃墜された。
バブーン!
核融合炉の爆発が、その直下の海が沸騰《ふっとう》して白い壁になった。
ガウマンは、そんななかでも、フェスティバル・センターに、もてる対地ミサイルのすべてを叩きこんで、衝撃波から離脱しようとした。
後続のフェンサー機もゴルフ機もそれにしたがうようにみえたが、北に展開していたケッサリアと二機のグスタフ・カール三機が、弾幕をはった。
「フン! 遊びじゃないことは、承知しているが、結構、手堅いぜっ!」
ガウマンは、自機を左にふって、それに対して牽制《けんせい》しようとしたが、敵の方が早かった。
フェンサー機は、黒煙を楯にフェスティバル・センターにミサイルを射ちこむことにこだわって、グスタフ・カールの餌食になったのだ。
ズゴウッ!
フェンサー機は、地に落下すると数度跳ねて、ビルのひとつの根元で爆発を起した。
ドグッ! ゴヴーンッ……!!
その核融合エンジンの爆発は、フェスティバル・センター周辺に退避していた人びとにとって、悲劇を倍加させ、アデレートの半分が、一瞬にして、灼熱の海におおわれて、爆風は、その周辺に迫る森林をも舐めるように荒れくるった。
「ウッ……!?」
フェンサーの僚機のゴルフ機は、その爆圧に翻弄《ほんろう》されて、一度ビルに激突してから、大きくバウンドするようにして、数百メートルの上空で機体を制御した。
白兵戦専門のモビルスーツにとっては、このていどの衝撃には、コックピット・コアにすわっているゴルフ自身は、踏んばるていどの衝撃ですんだ。
「フェンサーがっ……!?」
ゴルフはうめいて、爆風から離脱するケッサリアの一機を間近かにみて、照準をとっていた。
「野郎っ!」
ビャン! ドヴンッ!
そのケッサリアが、フェンサー機を撃墜したものかどうかはしれなかったが、一瞬の溜飲《りゅういん》はさげた。
その思いが、ゴルフのなかでよゆうになった。対地用のミサイルを使わなければならないと思った。
「……みていろよっ!」
ゴルフは、機体を横ざまにターンさせて、アデレート空港にもどろうとした。爆風のとおりすぎた後の空港は、新しい炎と煙のなかにあって、めぼしいターゲットはないようにみえた。
ズューンッ! スガッ!
「うっ!?」
数条のビームが、ゴルフ機に激突し、その衝撃でゴルフ機は、下に下にとさがって、空港ビルの爆発の閃光のなかで、それらすべてを凪《なぎ》はらうように、巨大な閃光に変じた。
再度の核融合炉の爆発である。
ドゴーンッ!
荒れ狂う閃光のなかで、アデレートはすでに、高いものはないようにみえた。
「バカ野郎ーッ」
ケネス・スレッグ准将は、震える地下壕のなかで絶叫した。味方機が、場所を考えずに攻撃をするからだ。
ズンッ!
天井板のパネルの一部がはずれて、埃がサラサラサラッと舞い落ちて、ムッとした息のつまるような臭いが、ひろがった。
「お、おい。大丈夫なのか?」
ケネスの背後の将軍たちがうろたえた。
「バリアーはっ!」
ケネスは、そんなお偉方を相手にせずに、メインザー中佐にきいた。
「稼動可能です」
「なんでだ!?」
「だって……発振装置自体は小型ですし、電力回線は地下に埋蔵のものです」
「よーしっ! いくぞ! ガンダムもどきはっ!」
「これです!」
「担当モニター番号っ!」
「三十四番っ! バリアーS十八番!」
ケネスは、クルーの絶叫に、ようやくガンダムを掴まえているモニターを捕えることができた。
しかし、今や市中を監視するカメラのほとんどが全滅して、センターの部屋は、重苦しく感じられた。
「レーンにいえっ! ガンダムを誘導しろとっ!」
「ハッ! レーン! レーンッ!」
ケネスの命令を受けて、絶叫するスタッフの声は、無線であろうとも、きこえているはずだった。
「……よしっ!」
四十一番のモニターから三十九番のモニターに移動するペーネロペーとガンダムの行動は、ミサイルとビーム・ライフルを交互につかうペーネロペーが、ガンダムを南の防衛線上に追いあげていくようにみえた。
「バリアー用意っ!」
南のバリアーの発振を担当するスタッフが、メインザー中佐の命令に、復唱した。
「あわてるなよ……」
ケネスが、いった。
ハサウェイは、ペーネロペーの全面の装甲が、ズタズタになっていながらも、その動きのすさまじさに、金髪のレーム・エイムの勢いの良さを思い知った。
もう一度、攻めさせて、逆襲!
そう思った。
「クッ……!」
ハサウェイは、ガンダムの機体を南側に横転させるようにして、次に高度を中位にとった。
バラララッ!
サンド・バレルが右マニュピレーターに受け、ガンダムの脇腹にも衝撃があったが、そこでハサウェイは、ビーム・サーベルを打ち下ろした。
ドビッウッ!
ペーネロペーのビーム・ライフルが切断して、それが爆発した。
ペーネロペーはその衝撃から逃げるようにして、アデレートの街に後退をする。高度が急激にさがった。
「追う!」
ハサウェイのつけいる隙だ。
ペーネロペーの頭上から、ガンダムは、サーベルを振りおろして、致命傷を与えられるはずだった。
が、事態は、ハサウェイにとって、最悪の方向になだれこんでいた。
「ウグワーーーッ!」
叫びは、自覚されず、目に白色の電球を押しあてられたようだ。神経のすべてが直立したと思えた。
ギャーンッ!
鼓膜が破れ、意識の中枢が、爆発したという感覚だ。
ハサウェイにとっての感覚は、それでおしまいになった。
地上に設置されたビーム・バリアーが、ガンダムの機体をつつんだ時、ペーネロペーは、数百メートルとはなれていなかった。
「……奴が……」
レーンは、ぼうぜんと全身を硬直させたガンダムの機体が、その機能をとめて、落下をするのを見つめていた。
ガンダムは、爆風でななめになった木々をクッションにするようにして、地に落ちると、その瞳にあたる部分にともっていたかがやきを、急速に消していった。
「そうだ……!」
レーンは、あわててガンダムの上空に降下すると、手の部分のエネルギー・チューブを埋めこんである部分をビーム・サーベルで焼いて、ビーム類を使えないようにした。
そして、いくつかのバーニアも溶解させた。
ガンダムは、両方のマニュピレーターを左右に広げるようにして、硬直していた。
あとは、コックピットをひらくだけだった。
ズズッ!
ペーネロペーの脚が地を噛むのをまって、ペーネロペーの姿勢を前かがみにさせて、ななめに横倒しになったガンダムの機体をのぞくように固定した。
レーンは、コックピットをひらくと、ロープを使って、ガンダムのハッチにおりると、その緊急開放レバーを押してから、ひいた。
ゴグッ!
装甲の奥の方で、火薬が咳をするように吠えて、三重のハッチがひらいていった。
「…………」
マニュアルにしたがって、拳銃を構えて、そのコックピットをのぞいた。
バイザーをはずしているので、コックピット内から焼け焦げた臭いがした。
「…………!?」
パイロット・スーツはうなだれて、ヘルメットが顔をかくしていた。
レーンは、そのヘルメットを上げてみた。
ヘルメットの下には、皮膚が全体に焼けただれて、パサパサになった青年の顔があった。
「…………?」
例の放送でみた顔に似ていると感じたのは、観念的なものである。
それよりも、レーンが感じたのは、どこかで会ったことがある顔だ、ということだった。
「……こいつ? ああ、こいつか……」
レーンは、それがキルケー部隊でみた顔だと思いついて、戸惑ってしまった。
「こいつが、マフティーなら……?」
その次の言葉は、口にできなかった。
ケネス・スレッグが、マフティーの協力者であることは、どう考えても、納得いくものではない。
そのパイロットのパイロット・スーツは、さすがに強力な電気ショックで、うっすらと帯電した埃などをつけていたが、もともと宇宙で使うものである。
焼けた損傷はみられなかった。
しかし、その力をなくした人間の形をしたものは、なんと、情けなく、悲しい姿なんだろうと感じた。
レーンは、拳銃をしまうと、ガンダムのコックピット・コアから、出た。
「…………」
ヘルメットをはずした。
この事態をどう考えたらいいのか、しばらく用心しなければならないと思うと、レーンは、重い心をかかえこんでしまった自分に、暗澹《あんたん》とした。
上空には、すでに静寂がもどって、暑さと小鳥の声がもどっていた。
11 ウィリ ウィリー
ハサウェイが気づいたのは、痛みがつくりだす幕のようなむずかゆさに、全身がおおわれていたからだ。
しかし、そのむずかゆさからくる焦燥感で、意識が突き動かされることはなかった。
まだ、身体がいうことをきくという感覚はなかった。
視覚には、おだやかな白色光がうつっていた。
こんな静かさは、ずっと昔に経験したことがあるけれど……と、思いつくていどで、また意識は、眠りのなかにすべりこんでいった。
むろん、アデレートではない。
そこから南東に十数キロくだったゴールワの郊外にあるコテージを改装した連邦軍の管理する病院の一室に隔離されていた。
ハサウェイは、それから何度か、そのようにして、意識を回復してゆくのだった。
一度は、少女の見舞いがあったようにも記憶しているが、それも、半分は夢のようにしか覚えていない。
ギギらしかったが、それもはっきりしなかった。
もう、現実のシーンでは、ギギには、会えることはないと信じていたハサウェイにとって、それは夢でしかなかった。
「火傷はひどいの?」
「そういうことはないが、全身まんベんなくだからね。心臓もダメージをうけている」
ケネスとギギの声……。
それは、夢でなくて、なんであろう。
そして、本当に、意識が覚醒して目覚めたとき、ハサウェイは、ケネス・スレッグをみることができた。
「………よう……いいようだな?」
「……大佐?」
唇を動かしてみて、それがザラザラの感覚でありながらも、自分の意識で動くことに安心をした。
「ああ、てこずらせてくれた。誉めてやるぜ」
「フン……」
せせら笑ったのではない。
そういう風にしか、声が出なかったのだ。
「手足は、あるのか?」
「……あるよ。五体満足だ。全身火傷と打撲だが、軽少だ。|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムかい? 良くできた機体だった。アデレートに仕掛けたバリアーの全部の出力を集中させたはずだったが、パイロットは殺せなかった。防御システムが、良かったんだよ」
「……そりゃ、研究したさ」
「そうだろうな? アナハイム・エレクトロニクスのどこの工場で建造したんだ?」
「……水はのめるのかな?」
ケネスは、隣りの部屋をのぞいて、看護婦に水のことをきいてくれた。
「のめるそうだ……」
ケネスは、吸飲みを看護婦から受けとると、ベッドのかたわらの椅子に腰をおろして、ハサウェイの唇にあてがってくれた。
「…………」
まぶたが厚ぼったく感じられ、目で合図をするのもおっくうに感じられたが、ケネスは、そんなハサウェイを見逃すまいと、用心して水をながしこんでくれた。
「ああ……すてきだ……」
喉から食道をながれこんでゆく水が、次第におだやかな熱をおびて、胃にしみてゆくのがこころよかった。
「ビーム・バリアーか?」
「そうだ。設置に時間がなくってな。苦労した。お前の陽動にひっかかって、陸戦部隊は安心しちまうし、よく考えてくれたよ……ああ!?」
「そりゃな、こっちはもっと手がないんだ。苦労した……バリアーで、ガンダムはどうなったんだ?」
「ウン……アデレート空港に置きっぱなしにしてある。修理には、時間がかかるな」
「そうか……コックピットのバリアーは作動したのか」
「ああ……しかし、コックピット・コアと装甲の距離がなさすぎたんで、パイロットが痺《しび》れちまったんだな」
「大佐のバリアーの直撃をうけていなければ、なんとかなったかな?」
「レーンは、敗北を認めているよ。いい経験をさせてもらったって感謝している」
「そうか。おれは、パイロット養成要員か?」
ハサウェイは、意識の切れた状況が判明したので、ひどく楽になった。
「……撃墜されてから、どのくらいになるんだ?」
「四日だ」
「…………」
そんなものか、と思った。
「な、ハサウェイ? クワック・サルヴァーとは、誰なんだ?」
「いなかったのか? アデレートに?」
「さあな……率先《そっせん》をして退避行動をとる連中の監視は命令しておいたが、発見できなかった。誰なんだ?」
「ぼくだって、会ってはいない」
「ま、いいさ。身体が楽になったら、正式に尋問させてもらうぜ?」
そうはいったものの、ケネスのいうことは、ウソであった。
マフティーの尋問は、恐らくないはずだった。
それは、きのうの臨時閣僚会議で決定されて、参謀本部もそれを受諾したのである。
それを知ったケネスは、ほんとうに腹を立てて、統合本部に辞任願いを出した。
今回の作戦を通じて、ケネスは、連邦政府傘下の組織がつくづく厭になってはいたが、尋問がないというのは、即、マフティーの処刑を意味した。
そんな組織の一員でいることは、耐えられないということだ。
だから、辞任願いとはいっても、アデレートの防衛をまっとうできなかった責任をとって退職するという主旨のものにして、まちがいなく、受理されるようにした。
公式的な責任所在をあきらかにするのが、好きな連邦政府の中央官僚は、ケネスのように、率先して責任をとってくれるのは、大歓迎なのである。
ケネスぐらいになれば、たいていが、部下に責任を転嫁するのが常套手段になってしまって、それが仕事に化してしまうのが、この世界だからだ。
「やむをえないさ」
ハサウェイがそういってくれたので、ケネスは、苦笑をみせて立つと、
「ギギが見舞いにきたんだが、気がつかなかったな?」
「やっぱり……そうだったのか……」
「ああ……しかし、もう会わすことはできそうもない」
「そう?」
「周囲がうるさくて、おれの職権乱用というやつで、ホンコンにもどしたんだよ」
これもウソだった。
まだギギは、ここにいるのだが、退官願いを出した時点で、そうそうギギをこんな場所に、連れてくることができなくなったのである。
コテージを利用させてもらっているとはいえ、ここは、軍の病院であり、そのなかでも最重要人物であるマフティーに、誰でも面会できるシステムというのは、あるわけがない。
「そうか……それはよかった。収容してくれたんだ……」
「ああ、キンバレーもいただいたよ。あのバカ、元気すぎて、恥というものを知らん。困ったものだ」
「懲罰には、ならないのか?」
「そんな殊勝な奴じゃない。ボヤボヤしていると、キルケー部隊に復帰するつもりになるからな?」
「…………」
ハサウェイは、仲間以外のことで気になっていることは、すべて知ることができたので、安心をしたのだろう。
ドッと疲れが出た。
「寝るか?」
「ああ……そうしたい……」
「いいだろう」
ケネスは、ハサウェイのその返事にウインクをすると、隣りの部屋から看護婦を呼んで交替した。
『ケネスか……』
いい敵にあえたと思う。
が、仲間たちは、どうしただろう? 何人か生きのこったのだろうか? 今度は、それをきかなければならない、と思いながら、すぐに眠りにはいっていた。
ケネス・スレッグ准将は、憂鬱だった。
マフティーの活動は、ガンダムの撃墜によって終息して、その後、アデレート周辺では、不穏分子の作動の気配はなくなっていた。
きれいさっぱりと、撤退をしたのである。
残存戦力は、ほとんどなくなっていたにしても、その引きぎわも鮮《あざや》かであった。
マフティー・ナビーユ・エリンに荷担《かたん》した者たちは、地下に潜伏してしまったのである。
長官と心配したことの一部は、現実の問題としてのこってしまったのだ。
この捜索は、面倒なことになろう。
しかも、連邦政府内部も面倒なことが、くりかえされた。
彼等、生きのこっていた政府の閣僚たちは、後任を選定して、それらの委任状をとりあつめると、中央議会を成立させて、マフティー以後の不穏分子掃討作戦について、軍と協議をはじめたのである。
その破廉恥《はれんち》な早業は、連邦政府議会の真骨頂であった。
なにも懲りていないのだ。
そして、きのうの夜、ゴールワの臨時会議では、マフティー・ナビーユ・エリンの処刑が決定されていたのである。
マフティー、すなわちハサウェイ・ノアは、自力で立てるようになったら、即刻処刑されるのである。
その前に、軍事裁判で裁かれるという手続きはあったのだが、それも、今朝になって、形式だけの裁判も実行されない可能性が出てきたのである。
アデレートの惨劇を体験した者にとって、マフティーにたいしての報復を要求する権利があるのは認めるにしても、子供じみた決定としかいいようがない。
しかし、各地に潜伏した不穏分子に、見せしめをしなければならない、という脅迫観念が閣僚たちを拘束しているのは、彼等の気質を考えれば、当然のことであろう。
その意味では、マフティー一統を殲滅できなかったケネスの非は、大きいのである。
「いつ退役できるんだ?」
ケネスは、午後の強い陽射しのなかに出ると、病院にしているコテージから、道路ひとつを横切って、生茂った並木道の日陰をつたいながら、キルケー部隊の司令本部にしている屋敷にもどっていった。
「准将、ブライト・ノア艦長が、いらっしゃっています」
玄関口の広間のデスクを陣取っている秘書のフランシン・バクスターが教えてくれた。
ドキッとする。
ケネスは、ハサウェイとブライトの関係は知っている。しかし、ブライトは、マフティーがハサウェイだとは知ってはいない。
「ああ……そうだったな……」
ケネスは、階段わきのドアの前に立って、深呼吸をした。
『息子に会って、父親に会う……』
こういう時こそ、ギギの運をいただきたいと思うが、まだケネスには、ふたりの関係を観念としてしか捕えていないところがあった。
それでも、ひらくドアが、重く感じられた。
暖炉を背にして、端正な表情を見せるブライト・ノアと、彼の副艦シーゲン・ハムサットが、ケネスを待ちうけていた。
「お待たせいたした……今しがたマフティーが気づいたというので……」
「ホウ……それはそれは……。収穫はありましたか?」
「まさか……あの若さに似ず……」
ケネスはそこまでいって、今までは、ハサウェイはハサウェイ、マフティーはマフティー、ブライトはブライトと別個に考えていた自分に気づいた。
今、ケネスがしゃべろうとしていることは、目の前にいる父親の息子のことなのだ。
ケネスは、とんでもない重さをかかえこんでしまったような感覚にとらわれて、次の言葉が、咽喉《のど》から下に落ちていくのを感じながら、目まいにさえ襲われていた。
ブライトが、アデレートに着任したのは、ガンダムを撃墜した翌日であった。彼の艦隊は、マフティーの防衛には、間にあわなかったのだ。
それでも、この四日間、ケネスは、マフティーの残党狩りをブライトの旗下のモビルスーツ部隊にも要請し、救出されたギギの面倒をふくめて、事後処理に忙殺されていたので、ふたりの関係に深く思いいたることがなかった。
ブライトのことは、どこかで大きな問題があると感じながら、わすれていたのだ。
それがいま、ケネスの前で、輪郭をもった壁として、立ち塞がったのだった。
『おれは、この男と会ってはならんのに……』
ケネスのその思いを吹き払うように、ブライトがきいてきた。
「辞職願いをお出しになったというのをききましたが、本当なのですか?」
「閣僚の大半を殺しちまったんですよ? 当然でしょう。後任に、ブライト・ノア艦長がいらっしゃってくれれば、閣僚たちも納得します」
「なにをおっしゃる。ケネス准将の場合、時間がないところで、マフティーの主力モビルスーツを撃墜されることまでなさったんです。受理されませんよ。現に、自分の場合などは、この三年間、辞職願いは、放り出されたままなのですから」
「ああ……いつもの軍であればそうですが、今回は特別です。偉いさんは、決断が早いですよ?」
ケネスは、自分の感傷を打ち払らえる話題になったので、饒舌《じょうぜつ》になった。そうでもしないと、この場をもたせられない、という感覚である。
「……ノア艦長の場合、なぜ、退職願いが受理されないか、ご存知ですか?」
「いや……?」
「こういう噂があります。艦長は、ニュータイプの統轄《とうかつ》なさる部隊にいらっしゃったから、なんというか、連邦軍の人質みたいなものだったんですよ」
「人質? 自分がですか?」
「まあ、表現は悪いんですがね、アムロ・レイやらカミーユ・ビダンですか? そういうニュータイプといわれる突出したパイロットを部下にして、あつかえた方です。つまりね、連邦軍の内部に、ニュータイプの再来とか反逆があった場合、楯にするという意味で、拘束していたんですよ。そういう考えがあったとききますな」
「……楯ね……」
ブライトは、副艦の方をみて、
「そんな器量が、おれにあるのかな?」
と、苦笑した。
「ありますよ。この考えは、官僚たちに強いようで、軍もそれにしたがっていたんです。それに、ブライト・ノアが政治家にでもなられて、ニュータイプ的な発言をされたら、一番困るのが政治家であり、軍のトップでしょう? だから、拘束なんです」
ケネスは、ききかじりのことを並べたてながら、ハサウェイと、この父親のことを考えることをやめようとしていたが、意識すればするほど、それはできない相談だった。
それでも、ブライトの艦隊に、不穏分子の掃討戦を続行してもらう問題についての協議を必死の思いで終了させると、ケネスは、彼等を司令部から送り出した。
先日の戦闘指揮以上の疲れに、ケネスは、ヘドが出そうになった。
フランシン秘書の見える広間のソファにすわると、ケネスは、お茶をのみ、栄養剤をのんで、息をついた。
『参った……』
参謀本部の幕僚長官のメジナウム・グッゲンハイム大将が、沈痛な表情をつくって、現れたのは、そのケネスが執務室にもどる階段を、あがっている時だった。
「将軍?」
「……いや、いいんだ。君の部屋にあがろう」
グッゲンハイム大将は、ケネスの尻にしたがうようにして、階段をあがってきた。
「どうぞ? なにか?」
「ン……君の退役願いは、参謀本部でも、受理することに決めた。その報告でな?」
「自分が、参りましたものを……」
ケネスは、デスクの前の椅子を将軍にすすめながら、恐縮《きょうしゅく》してみせた。
「なにをいうかい。准将の願いは、今日の会議で十分審議をした上で、受理することにしたんだ。君のいさぎよい進退について、我々は感服している。本来ならば、|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムの撃墜とマフティーの殲滅の軍功によって、君の非は相殺《そうさい》されるはずなのだが、損害が閣僚だろう? 軍としても、すべて免責《めんせき》というわけにはいかなかったんだ」
その配慮だけでも、ケネスには、組織のトップの連中にも、多少の人情をもった者がいると思えた。
しかし、そのケネスの思いは、次の会話で陰鬱なものになった。
「きょうですか? 退役?」
「いやー。ひとつ了解して欲しいことがあってな……つまり、免責分の減俸というやつだ」
「ハッ……?」
「退役後の恩給というのが、現在の位のままというわけにはいかんで、一級の減俸、大佐資格で支払われるようになるがな……」
「ああ、それはそれで、十分であります。で、いつから?」
ケネスは、将軍の気遣いがズレていたので、すぐに、質問をもどした。
「ウム、それはケリをつけてからということで、マフティーの処刑までということでな?」
「処刑? 自分が指揮をとるので?」
「そうでなければ、アデレート作戦のケリはつかんだろう?」
「ハァ……そうでありますが……」
ケネスは、背後の窓に椅子を回転させてしまった。
「…………!?」
外の赤い色が、目に痛かった。
その窓に面した南向きの斜面には、葉も茎も赤っぼく、花はより真赤な植物が群生して、太陽の光を頭上にうけていた。
それでも、ケネスは、しばらくは、将軍を所在ないままにさせた。
「……自分の後任は、どなたに?」
「ああ、ブライト・ノア大佐だ」
「彼は、自分よりも早く依願退役を願っているんですよ?」
ケネスは、椅子をもどして老いたグッゲンハイム大将を凝視した。
「知っているよ。それについては、ブライト・ノア艦長の希望どおりになる。三か月間、ここにいてもらって、そのあいだに後任をおくることにする」
「なるほど……で、マフティーの処刑は、いつ?」
「病院には、リチャードと寄ったが、元気な若者じゃないか」
リチャードは、ここに出向しているもう一人の大将のことである。
「あすの早朝だな。不穏分子どもが、マフティーが生きていると知れば、いつ反撃してくるかもしれないから、急がねばならん」
「軍事裁判、ということは……?」
「きのうの決定通りだ。軍事裁判は、敵を処断するものじゃない。あくまでも、内部の軍規違反について検討されるべきところだ。反逆者については、臨機応変だよ」
「しかし、そのへんは……」
ケネスは、バカバカしくなったが、もうひとつの懸念に気づいて、その質問をいそいだ。
「マフティーの処刑については、閣議決定されたのならば、処刑の実施命令は、閣議の名前で行なわれるのでしょうな?」
「それはない。閣議は、そういうものの汚名を着る気はない」
「ハァ?」
「太平洋地区の軍管区司令の君の名前だよ。まさか、後任のブライト・ノア大佐ではなかろう?」
「…………」
ケネスは、天を仰ぎながらも、父親が息子を処刑するよりは、穏当なことなのだろう、と思いきるしかなかった。
12 ビフォー ザ ディ
ケネス・スレッグは、天井をにらむのをやめて、メジナウム・グッゲンハイム大将をみた時、老人の目ヤニに、はじめて気がついた。
「…………?」
「大将は、今のマフティーの正体は、ご存知でしょうか? 彼も、たしかにマフティーの一人でしょうが、マフティーそのものではありませんよ」
「そんなことは分っている。マフティーが組織で、次にまた新しいマフティーがあらわれるだろう。だから、今のマフティーの正体になど、興味はない。しかしな、閣僚暗殺をこうまでやったマフティーにたいして、連邦政府がなんの報復処置もとらんでは、人心にあたえる影響はおおきい」
「……そうですが……。このことは、自分の胸におさめておくには、ちょっと苛酷《かこく》すぎますので、大将、ご内密に……」
ケネスは、さすがに弱気になってから、こんなことをしゃべろうとしているのだ、と思ったものの、やめることができなかった。
「なんだ? 口を割らせたのか?」
「まさか……彼は、しゃべりません。しかし、偶然、自分は、今のマフティーの正体を知ってしまったのです。彼は、ハサウェイ・ノアといいます」
「ノア?」
「ええ……あのノアです」
「……父親は、そのことを知っているのか?」
将軍は、さすがに、目を落してから、こんどは、部屋を見まわすようにして、人生とはこんなものだ、という風にした。
「良かったよ。君を即日退役にしていたら、我々は、父が子を銃殺刑にする光景をみなければならなくなる。神のご加護だな……」
「自分は、どうなります?」
「任務だよ。准将」
その老人の言葉には、ケネスは反抗できなかった。
ケネスが、ここで反抗したりすれば、ハサウェイの処刑が、ブライトによって執行されるのは、簡単であろう。
「……業務の引き継ぎは、いいのかな?」
「ノア大佐と?」
「ああ……」
老人は、立った。
「アデレート周辺の問題だけですから、すんでいるみたいなものです。自分は、任務が終了次第、この地を離れてよろしいでありましょうか?」
「そうしろ。いろいろこだわりがあるようだな。地球に居住するならば、その希望もかなえてやろう」
ケネスは、温厚な表情にもどったその将軍の言葉は、信じなかった。
こんなことをいってしまえば、将軍は、ケネスを潜在的な不穏分子の一人ぐらいには思うはずだからだ。
しかし、そのことは、翌日、そうではないことが証明された。
官僚組織のどこでまちがえたのか、意識してそうされたのか、ケネスとギギは、合法的に地球に居住できる連邦政府発行の地球居住許可をもらうことができたのである。
しかし、それは、まだあとの問題でしかない。
「妙な決定ですね? 自分の退官願いは、受理されるときいていましたが?」
ブライト・ノアは、ラー・カイラムの艦長室で、リチャード・クレッシェンド大将の命令を受理しながらも、自分の進退のことを確認した。
「三か月だけのことなんだから……それは、参謀本部として約束するし、心配ならば、大統領のサインももらってやる」
「新大統領は、まだ、ここに到着していませんが?」
「きてからだよ。それにさ、大佐? マフティーの抵抗がもっと激しければ、今頃は、戦闘中だったんだぞ? 三か月ぐらいの作戦のつもりはあったんだろう?」
「そりゃそうです」
「なら、この地区での不安は、だいたいが排除されたんだ。ケネス大佐が、あすにでも、マフティーの処刑をすませれば、なにも仕事をしないですむ。アデレートの再建のために出動するぐらいなんだ」
「そりゃそうですが、そこまでおっしゃっていただければ、骨休みのつもりで……」
「ああ、そのつもりになってくれれば結構だよ。艦長のご子息は、こちらの方で植物観察官の勉強をしているんだろう? 会いにいってやればいいし、そうだ。忘れていた。こういう状況ならば、家族も呼びたまえ、地球降下の許可はとってやるよ」
「ありがとうございます。ハサウェイに会いにいくのは、可能でしょうが、家族は……」
「なんでだ?」
「部下にたいして、しめしもあります」
「ハハハハ……。そう実直だと、部下が遊べないと文句をいう。全員を順次遊ばせてやれ。そのためには、君が休んでみせないと、それこそしめしがつかん」
クレッシェンド大将は、ご機嫌だった。
「ランチを出してくれ。これから、グッゲンハイム大将とマーレー川を偵察に行くんだ」
「川の偵察?」
「釣りのね?」
「ああ……!」
ブライトも立って、将軍と握手をかわした。
「まあ、マフティーに類する活動があるにしても、今度はべつの場所だし、マフティーの再建だって時間はかかる。君は、軍生活の最後を、この赤い大陸で、ゆっくりと楽しみたまえよ」
「ありがとうございます」
ブライトは、大将をのせたランチが、海岸にむかう光景を眺めながら、これが昔の海軍の光景なのだろうと思った。
宇宙船のラー・カイラムは、広い入江にその船体を浮かべて、この大陸特有の夏のひざしのなかに、船体をかがやかせているのだ。
「……潮か……」
ブライトは、周囲が、突然、日常の華やかさにつつまれ出したのを感じた。
戦闘がないということが、こんなにも心を軽くするものか、という感慨であった。
ラー・カイラム以外の二隻の艦艇は、アデレートに面したセント・ビンセント湾に着水して、アデレートの復旧作業に、そのモビルスーツ部隊を投入しているはずだった。
「どうします?」
「ン……将軍がいうように遊べればいいが、艦は、アデレートにもどって、自分は、夜半までに、ここにもどる。マフティーの処刑は、早朝の五時だというから、それには、立ち合うつもりだ」
「そんな必要はありません。今の将軍の話ならば、スレッグ准将に任せれば、いいのですから……」
副艦のシーゲンが、ブライトの凡帳面さにあきれた。
「そうだが、後任に指名されたんだ。業務引き継ぎもある。准将の顔をみるだけでも、やった方がいいと思うな」
「そうでしょうが、そりゃ、親切すぎますよ」
ブライトは、シーゲンの言葉に、手を振って笑いながら、
「発進させろ」
と命令した。
その日の夕方、空が真赤にそまるアデレート空港に上陸したブライト・ノアは、空港の南はじの比較的被害のすくない場所に鎮座《ちんざ》している|Ξ《|Ξ《クスィー》》ガンダムの機体の前に立っていた。
ここに到着して、この機体を遠くからはみていたのだが、近くでみる機会は、いままでなかったのだ。
「…………」
ガンダムの名称を受け継ぐだけの容姿は、その機体にみてとれたが、それでも、かつてのガンダムにくらべれば、どこかいかつすぎているように思えた。
「どこで製造されたんだ?」
ブライトは、一人だけ連れてきたメカニック・マンにきいた。
「キルケー部隊の報告では、不明だということです。物証がなく、製造工場をしめすものは、一切ないということです」
メカニック・マンは、手にしていた携帯用のコンピューター・データをみながらいった。
「フン……、このつくりは、アナハイム・エレクトロニクスだよ」
ブライトは、機体の印象がそう断定できた。
「しかし、その嫌疑もかかっていますが、キルケーでも、参謀本部でも、調べはついていないそうですよ?」
「そういうのが、大人の世界なんだな」
装甲全体が、うっすらと焼けただれているようにみえたが、本質的なダメージは少ないようにみえた。
ただ、左右に水平にひらいたままのマニュピレーターが、ガンダムの姿をまるで十字架を背負わされているようにみせ、手の部分が、焼けてダンゴ状になっているのが、痛々しかった。
整備台をあがって、かぶせてあったシートをめくれば、半分ハッチのひらいたままの、コックピットを覗くことができた。
「…………」
実視ディスプレーの面にヒビ割れがはいっているのをのぞけば、すぐにでも使えるようだった。
「フム……ガンダムらしいが、このなんというかな、マシーンとしては、複雑になっていく一方なのが、気にいらんな」
ブライトは、このコクピットに、自分の息子のハサウェイがすわっていたことなどは、想像がつくことではなかった。
「でも、艦長。不穏分子がつかうモビルスーツに、ガンダムという名称をつかうなんて、許せないでしょう?」
メカニック・マンが、整備台でいった。
ブライトは、シートの下から抜け出し、ガンダムの煤まみれの顔を見上げて、
「そうでもないさ。歴代のガンダムは、連邦軍にいても、いつも反骨の精神をもった者がのっていたな。そして、ガンダムの最後は、いつもこうだ。首がなくなったり、機体が焼かれたり、バラバラになったり……。しかし、反骨精神は、ガンダムがなくなったあとでも、健在だったものだ」
「そういうものですか?」
メカニック・マンは、整備台を降りはじめたブライトのあとから、ガンダムを振りあおぐようにしてつづいた。
13 シューティング
「あす早朝、銃殺刑……」
ハサウェイは、ベッドに横になったまま、その二人の男たちをみた。
「はい。急でありますが、貴下の容態の回復をお待ちしてのことであります」
「待った?」
「はい。即刻処刑をというトップの要請を今日まで、阻止してまいったのであります。むろん、貴下の処刑を阻止する運動も軍、連邦政府部内にもあったのでありますが、今夕、正式に決定されました」
ハサウェイは、そんな言葉は、すべてウソだときいた。
「……貴下等の戦士としての健闘には、敬意を表しております。これは、ケネス・スレッグ准将以下のキルケー部隊からの、伝言であります」
その言葉だけは、いままで黙念と、同僚の事務報告をきいていた中佐がいった。
「……? 大佐ではなかったか?」
「ハッ……貴下等の攻撃に対決する軍功を認められて、スレッグ准将に……」
「そう……それは良かった」
「ハッ……」
「では、明朝、四時五十分に、お迎えにまいります」
「あ……気になることがひとつあるんだが……」
敬礼をしてハサウェイの部屋を退出しようとした二人の士官が、足をとめた。
「つまり、ぼくの処刑について、絞首刑も検討されたのか?」
そのハサウェイの質問に、士官はチラッと顔を見合わせてから、少佐の方がいった。
「閣僚のバカには、そういうのがいました。三日前に、意識のないままでもいいから、そうせよと……」
さすがに、中佐の方が、そういう少佐の腕をひいて、
「では、お心やすらかに」
と、退出していった。
ハサウェイは、目を閉じた。動揺はなかった。
マフティーの活動にはいったときから、捕えられれば、こうなるということは、覚悟していたからだ。
今日までのことを考えれば、一年と数か月。
むしろ、どこかで意思していたプレッシャーが、霧消《むしょう》してゆくような軽さを感じていた。
それを予感していたからであろう。
ギギにたいしても、あんな態度に出ていったのかもしれないと、思いいたるのだった。
『ケリア・デースには、それっきりだった……』
ダーウィンのポイントでも、会うこともできなかったというのが、心残りといえば、そうだった。
ドアが軽くノックされて、看護婦長のヘレナ・マクガバンが顔を出してくれた。
「ワープロは、必要ですか?」
彼女のようすは、ハサウェイの処刑をきかされたからだと分る優しさと気づかいがあった。
「……? なんでだ?」
「遺書を書かれるならば、と……」
すっかり忘れていることだった。
ヘレナは、ハサウェイがおだやかな表情をみせているので、ゆったりとベッドのわきに立ってくれた。
その中年の看護婦長は、ちょうどハサウェイの母親のミライと同じような年格好だった。
胸が大きいのが、ちがった。
「……書くつもりはないが、書くかもしれない。置いておいてもらいたいな」
「はい。他に、ご希望は?」
つくり笑いなのだが、それは、慈悲に満ちたものだった。
「そうだな……リンゴは、手にはいるのだろうか? 黄色いリンゴが食べたい」
「どこかにあると思いますよ。そのつもりになれば、軍だって、スレッグ准将は、あなたにとっても好意をよせていらっしゃるようですから……」
寛大そのものと思える女性だった。
ハサウェイは、最後の晩に、このような看護婦に出会えたことを感謝した。
「アデレートは、ぼくたちがメチャメチャにしてしまったものな……一般の方々には、ほんとうにすまないことをした」
「ええ……でも、あなたの攻撃勧告があったおかげで、大半の市民は助かったのです。攻撃の仕方には、問題はないと思います」
「ありがとう。ヘレナ」
「ではね? マルガリータに持ってこさせますから……」
「すまないね。封筒もいるかもしれない」
「ええ、ええ……!」
ヘレナは、右手の親指と人差指で輪をつくってから、出ていった。
『責任者がケネス・スレッグか。これも、因縁という奴だな……』
ハサウェイは、全身の痛みがうすらいで、ともかく、手足は、少しでも動かせる状態になっていたので、今夜の決定を不満には思えなかった。
『……できることならば、意識がないうちに殺して欲しかったが……フフフ……それでは、処刑にはならないものなぁ……』
ハサウェイは、少しまどろんだ。
次に目をさました時は、看護婦のマルガリータが、ハサウェイに気づかれないように、ワープロをベッドサイド・テーブルに置いて、ドアの方にうしろむきのまま、出ていこうとした時だった。
彼女の瞳孔《どうこう》のひらいた濃いブルーの瞳と目があった。
「あ……!? ごめんなさい……」
「いや……」
微笑した。
と、彼女の瞳から、みるみるうちに涙が溢《あふ》れでた。
「マルガリータさん……」
「だって、だって、あんまりにも急ですもの……」
ハンカチを捜しながらも、マルガリータは、「ごめんなさい」といって、ドアのむこうに消えていった。
「…………」
ワープロのわきには、数種類の紙がきちんと並べられて、封筒もいろいろなものを用意してくれていた。
そして、サイン用の万年筆は、茶色の漆塗りの鞘《さや》のものが、紙押えとしてのせられていた。
看護婦たちの気づかいに、ハサウェイは、感傷的になってしまいそうなので、また天井を睨むようにして、最後ぐらいは、冷静にすごすのだ、と自分にいいきかせた。
『……死ぬぐらいは、みんながやってきたことだ。ぼくにだって、ちゃんとできるはずだ』
そんな言葉を、呪文のようにとなえつづけた。
夕食は、まだ流動食だった。
ヘレナ・マクガバン看護婦長が、その介添《かいぞ》えをしてくれた。
しかし、リンゴは出なかったので、そのことは、忘れたようにふるまった。
「この調子ならば、明日の朝は、ふつうの食事にしましょう? なにをご希望?」
ヘレナは、トレーを下げながら、看護婦長らしくきっぱりとした微笑をみせながら、きいてくれた。
「早いし、処刑があるし、こなれのいいものがいいな」
「オートミール?」
「おかゆ、知っています?」
「もちろん、チャイニーズ風、ジャパニーズ風、タイのもの? いろいろあるわ」
「ジャパニーズ・スタイルのもので、シンプルなのがいい」
「了解。マフティー」
ハサウェイは、ベッドサイド・テーブルのワープロをみつめて、時間をすごした。
手紙を書くべき相手は、両親と妹のチェーミンしか思いつかなかったが、手紙を書けば実名を使うしかないのが、ハサウェイに手紙を書かせなかった。
ケネスに依頼する機会はあるのだろうが、それでは、情けないと思う。
ドアがノックされたのは、夜もかなりしてからだった。
「どうぞ……」
看護婦長のヘレナ・マクガバンが、ドアからのぞくようにして、
「准将から、リンゴが届きましたけれど、お食べになります?」
「ああ、食べたいな」
「じゃ……」
「ヘレナ……」
「はい?」
「ちょっと立つ練習をしてみたい。手を貸してくれるか?」
「よろしいですけれど……」
ヘレナの方が、そのことについては、おくびょうになっていた。
「朝には、立たなければならないんだ。練習しておきたい」
「はい……」
ヘレナは、ベッドサイドのテーブルをどけて、掛けていた毛布をあげてくれた。
「…………」
ハサウェイは、ゆっくりと身体を動かしていって、ベッドのわきに足を下していった。こわばった皮膚が、バリバリと音をたてるようだった。
「…………!?」
こらえたが、額に青筋がたち、脂汗がふきだすのが分った。
「無理ですよ」
ヘレナが、ハサウェイの足を抱くようにして、ベッドの上にもどそうとした。
「駄目だ。立つんだ!」
「はい」
ヘレナは、やむなく、ハサウェイの足をおろしていって、そして、彼の上体を抱いてくれた。
中年の女性の体臭が、ハサウェイを敗北の淵《ふち》に誘いこむのは、それが男にとって、永遠に母親の連想につながるからだろう。
「…………!」
ハサウェイは、ヘレナに上体をあずけたまま、足を床におろしてみたが、今度は、足の裏から鈍痛《どんつう》が、全身につきあげてきた。
それをこらえて、ヘレナの肩にかけた指に力をいれるのだが、包帯をまかれた指からも、神経を突き刺すような痛みがはしった。
それでも、立とうとした。
「……いいか?」
「どうぞ……」
ヘレナは、患者の心理状態を直感して、それを満たす能力を発揮してくれた。
ハサウェイの背中にまわした腕に力をこめて、ハサウェイが立つタイミングにあわせて、上体を持ちあげるようにしてくれた。
「…………!!」
ズシッと、体重が、脇腹から腰、大腿部《だいたいぶ》に落ちていった。ギシギシと骨と皮膚が鳴ったようだ。
「大丈夫?」
「立っているだろう? 銃殺刑なら、十分も立つ必要はないんだよね?」
「さあ……わたしは、それ、知りませんから……」
ヘレナは、さすがに、しどろもどろになりながら、ハサウェイから腕をはずしていった。
「准将には、儀式ばったことをやめて、苦しめないでくれって……」
「お伝えしておきます。リンゴを持ってきましたら、その後で、かならず……」
また同じようにゆっくりとベッドに横になると、ハサウェイは、息をついた。
準備はできたように感じられた。
リンゴは、マルガリータが持ってきてくれて、ハサウェイのわきで皮を剥《む》いた。
それを、食べさせてもらった。
カリッと堅く、期待していたサクサクとした歯ざわりでなかったことが、残念だった。
「…………」
ゆっくりと動くハサウェイのかさぶただらけで、乾いた皮膚が浮きあがった顔を見下して、マルガリータは、また涙を流した。
彼女は、声も出さずただ涙を流して、そして、次のリンゴをフォークにさしたまま、
「やっと顔の皮膚が、ちゃんとしそうになったのに……」
といった。
「おいしかった。それは、君が食べるといい……」
「そうですか? そんなことできないわ」
フォークのリンゴをみつめたマルガリータは、うらめしそうにいうと、左手で胸に十字をきって、リンゴを片付けると、黙って出ていってしまった。
『……父さん、母さん』
自分を生み育ててくれた両親に先立って、死を迎える。
しかも、それをみずからの主義によってやってしまうのは、個人主義的すぎると思った。
『……ぼくは、ニュータイプに出会ったために、自分の能力をかえりみることなく、ニュータイプになろうとしたことの結果なんだなぁ……クェス・パラヤのこととか、戦争とか、そんなことで、こんなことになったんじゃない』
真夜中をすぎて、そういった言葉が、ハサウェイの頭にならんだ。
しかし、それとてもきちんとしたロジックではなかった。
『ギギも、そんなことをいっていたみたいだった……。夢だったな……夢をみていたみたいだ……ずっと……』
ギギ・アンダルシアは、ケネス・スレッグの使っている屋敷の隣りの住宅に、宿泊していた。
ケネスが、この地をはなれる時まで、監禁されているという形をとらされたのである。
その頬には、数枚の救急バンがはってあるのも、キンバレーたちに見つけられないために、かなり長いあいだ森のなかを徘徊《はいかい》したせいだった。
ケネスの派遣した捜索隊のなかに、アリス・スプリングで親切にしてくれたミネッチェ・ケスタルギーノ大尉がいたおかげで、ギギは、捜索隊の救出をうける決心をしたのである。
彼等は、ギギがもどってきてくれたおかげで、戦勝を手にいれることができたと歓迎してくれて、ギギをケネスのもとに引き連れてきた。
ギギは、夕食の時に、ケネスから電話をもらうと、すぐにシャワーを浴びて着替をすませた。
ジャケット以外は、軍のものをもらえたので、なんとかこざっぱりとした恰好《かっこう》にすることができた。
CDひとつ置いていないギギの部屋は、ただ、遠くで鳴く鳥と獣の声がするだけだった。
もう、マシーンの喧騒は、どこにもなかった。
一度だけ、ベース・ジャバーの着陸する音が、遠くでしただけだった。
アレキサンドリア湖は、星の影を映し出して、カーテンもない窓を飾っていた。
「…………」
なにもなく、それでいて、眠ることはできなかった。
だからといって、ハサウェイのことを考えることもしない……。
ケネスから、ハサウェイの処刑の場所が、ギギの宿舎から二百メートルもいかない軍の徴用している屋敷の庭で行なわれることをきいてから、こうするしかないと覚悟していたのだ。
「死んじゃうなんて……」
数時間のあいだに口にした言葉は、それだけだった。
リンゴーン……。
一時間ごとに数えていた時計のチャイムが、玄関口の方で四回した。
それからの三十分は、もっと長かった。
チーン!
四時三十分のチャイムだ。ギギは、ホンコン以来着ているジャケットをはおるようにして、その家を出た。
「どちらへ?」
警備の兵が、尋ねた。
「マフティーの処刑のあるお屋敷です」
「見られやしませんよ?」
「いいのよ。准将に会うだけですもの」
「すぐにお帰り下さい。准将に叱られるのは自分ですから」
「ええ、そのつもりです」
早朝の空気は、悲しいくらいさわやかだった。
小石の道路には、革の車両がつくった轍《わだち》がいくつも残っていて、ここも平和な場所ではなかったことを知らせていた。
ギギが、処刑のある屋敷の前に着いたところで、一台の軍用ワゴンが、ガソリン・エンジンの音をひびかせて到着した。
「…………?」
ギギが、そこの前庭にはいろうとしたところで、屋敷前に立っていた護衛が、走り出してきた。
ギギは、兵の動きを気にしながらも、ワゴンからするりと立った士官をみて、それが、ハサではないかと、錯覚《さっかく》した。
「ヒッ……!?」
声にならない音が、ギギをふるわせた。
ワゴンから下りたった士官の目はハサウェイそのものだった。その頬も、そして、全身からかもしだす雰囲気も……!
息を呑んだギギは、駆けよった護衛に押しのけられるままになった。
「ノア大佐! ご苦労様であります!」
兵の挨拶が、ギギに、少し事態を了解させた。
『で、でも……なんで!? なんでここにいるの!?』
そう絶叫したかった。
「准将は、屋敷で、お待ちであります」
「ン……!」
それだけの返事で敬礼するその大佐の姿は、ギギの目には、ハサウェイそのものに見えた。
息づかいも、挙動も、すべてがハサウェイなのだ。
『……どういうのっ……』
ギギは、力の抜けた膝小僧をあわせるようにして、ともかく倒れるのを我慢してるあいだに、その大佐は、ギギに怪訝《けげん》な視線をおくりながらも、屋敷にむかった。
「……あの少女は……?」
そんなことを出迎えの兵にきく大佐の声が、ギギをふるえさせた。
『ハサウェイの声だっ!……ハサウェイが、お父さんに会いたがっていたの?』
ギギは、ブライト・ノア大佐が、屋敷にはいるのをぼう然と見つめながら、そう考えてみたが、大佐の雰囲気は、処刑される息子に会いにゆくというものではなかった。
『どういうことなの……ケネス、教えてよ……』
ギギは、もうここにいてはいけないと思ったが、どうにも、身体に力がはいらなくて、舗道《ほどう》と前庭を仕切っている低い石垣のひとつに、腰を落してしまった。
「ギギ……!?」
屋敷からケネスの声が飛んで、
「くるんじゃないかと思ったが、これ以上はいったら、追い出すぞ」
ケネスは、ギギの両腕をつかんで、低くいった。
「本気なの! ハサウェイを、父親の前で殺すの!?」
ギギは爆発したが、ケネスの手が、ギギの口をふさいだ。
「ノア大佐は、マフティーがハサウェイとは知らないんだ。処刑だってみせない努力をしている。黙っていろ!」
ギギを押えるケネスの腕は、万力《まんりき》のようだった。
「そんなこと、できるの?」
「おれがハサウェイの処刑を引きうけたのも、ノア大佐にマフティーはハサウェイだと知らせないためだ。それ以外の理由なんかあるか」
「ハサウェイが、お父さんに会いたがったんじゃないの?」
「そういう奴じゃないことは、お前だって知っているだろう!」
ケネスは、ギギのからだをグイッと押しやると、
「最後ぐらい静かにさせてやれ」
そのケネスの表情は、夜明けの光のなかで、鬼のようだった。
「あたし、会いたいもん……」
「男の仕事だ。ハサウェイも、その覚悟でいる。かえれっ!」
「大佐っ……」
ギギの言いなれたケネスの呼称だった。
「今は、女は、ダメなんだよ」
ギギは、涙を流すと、ケネスを背にすると、バッとはしりだした。
その同じ道を、反対側からきた変哲《へんてつ》もない軍用ワゴンが、移動ベッドにのせたハサウェイを移送してきた。
「…………!?」
ギギは、すれちがうその車のなかに、ハサウェイがいるなどとは、思いもしなかった。
『なにが男の仕事よっ! なにが軍隊よっ!』
そんな言葉が、頭のなかに荒れ狂って、ギギは、はしるだけだった。
ハサウェイをのせたワゴンは、ギギがすわりこんだ前庭の横手にまわって、裏庭に直接はいっていった。
その庭は、左右には、つたのからんだレンガの塀に取りかこまれて、東側は、夜明けの光のなかに、よどんだ色を沈ませるアレキサンドリア湖が、展望された。
その中央に、湖を背にするようにして、一本の柱が立てられて、屋敷側からあてられたスポット・ライトのなかで、ハサウェイを待ちうけていた。
ハサウェイは、ベッドのままワゴンから下ろされて、そのベッドは、柱のわきに据《す》えられた。
「…………」
光以外は、ハサウェイには、なにもみえなかった。
スポット的にあてられている光の背後には、暗い屋敷があるようにみえた。
ケネス・スレッグの顔が、逆光のなかに、ヒョイとハサウェイの顔のうえに出てきた。
「……マフティー・ナビーユ・エリンだな?」
「そうだ……」
「では、地球連邦政府参謀本部の命令によって、貴下の処刑を実施する」
そういうとケネスは、左右の士官たちにハサウェイを立たせるように命じた。
「…………!!」
また、痛みとの格闘がはじまった。
男たちの手が、看護婦長より優しいことはなかったが、ハサウェイは、これは、任務なのだと自分にいいきかせるようにして、こらえた。
ケネスの背後には、十数人の士官と一人の牧師がいたが、彼等は、白い顔を硬直させているだけだった。
ブライトの姿が、その庭にいないのは、ケネスの裁量《さいりょう》である。
ブライトは、背後の屋敷のなかに待機して、ケネスの仕事がおわるまで、待つように言いふくめられたのである。
柱を背にして立てた。
ハサウェイは、看護婦長のヘレナの伝言は、ケネスに伝わっているのだろうか、ききたくなった。
包帯が巻かれたままの手首には、柱をまわした手錠がかけられて、兵士たちは、照明の下の方にはしっていった。
「最後にいいたいことはないのか?」
「マフティーとしていいたいことはいった。いつかは、人類の健やかな精神が、この地球をまもると信じている。それまでは、人の犯した過ちは、今後ともマフティーが、粛正しつづける」
スポット・ライトの逆光のなかで、ケネスの顔が歪《ゆが》んだようだ。
「懺悔《ざんげ》したいことは?」
若い牧師が、ケネスの前にすすみ出てきた。
「これまで、ぼくに関係してくれて、ぼくに豊かな人生を提供してくれた人びとすべてに、心から感謝する」
そのハサウェイの言葉がおわると、黒い目隠しを手にしたケネスが、ハサウェイの前に立った。
「……手首は、痛くないか?」
「ちょうどいい」
「ン……ハサ、好きだぜ?」
「ありがとう」
ケネスは、そのハサウェイの返事を待って、目隠しをしてくれた。
「……いつまでも、友達だと思っている。わすれないぜ?」
「ああ、ぼくもだ。大佐……」
ハサウェイは、ケネスの声を耳元にきけて嬉しかった。
そして、ケネスの芝生を踏む足音が、遠くなっていった。
「…………!」
ハサウェイは、歯をくいしばった。
全身から絶叫を発しそうになる衝動をこらえた。
『ケネス! 急いでくれっ!』
そのハサウェイの命の震えをケネスは直感したのだろう。彼は、ロクな間もおかずに、乗馬用の鞭をふりおろしていた。
「射てーっ!」
その銃声は、ギギにはきこえなかった。
それが風のせいなのか、ギギが離れすぎていたのか、それは、ちょっとわからなかった。
ただ、ギギは、自分の涙はとまることがないだろう、と絶望しながら、夜明けの道をはしりつづけていた。
14 アフター ザット
庭をてらしていた照明は消されて、暑さを想像させる青空が、湖をそめ出していた。
かもめだけでなく、数種類の水鳥が、いくつもの群をつくって湖面に弧をえがきだして、朝のにぎわいがはじまっていった。
マフティーことハサウェイの遺体は、柩《ひつぎ》におさめられて、蓋《ふた》をささえた兵が、こわばった表情のまま、そっと蓋をのせたところで、ケネスは、それを背にした。
やってしまえば、なにごともあっけないものだった。ハサウェイもケネスも恐れていたほど、取り乱すことなく、任務を完了したのだ。
ケネスは、砂を噛むような思いにかられて、屋敷にむかってゆくと、湖に面した窓に、ブライト・ノア大佐が近づいてくるのが見えて、ドキッとした。
「…………!?」
まさか、ハサウェイの顔をみたのではないかと恐れたが、ガラス越しのブライトの表情は、そういう雰囲気はなく、あくまでも同僚の仕事を観察する、という風があった。
ケネスは、ブライトを玄関口の応接室に、朝の食事と甘いものを用意して、処刑がおわるまでは、そこで待機するように命令したつもりなのだ。
もし、ハサウェイと知れば、ああいう反応はしないだろう。
くつろいでいた。
銃声をきいて、処刑が一段落したとみて、ブライトはケネスの出迎えに、その居間にきたのであろう。
そういう実直さが、ケネスのような立場を困惑させるのである。
「ごくろうでした」
ケネスが、ブライトの立つ居間のドアをひらくと、彼の事務的ながら、好意のこもった声が、ケネスを迎えた。
「いや……」
「どうでしたか?」
「ハッ? なにが?」
「マフティー・エリンのようすです」
「ああ……いさぎよい。堂々としていました」
ケネスは、チラッと柩のほうをみて、蓋が釘で固定されたので、このタイミングならば、もうブライトがどう近づいても、大丈夫だと安心した。
「前任者の任務とはいえ、すべて任せっきりで良かったのかな。立ち合いもしないで、家のなかで、ヌタヌクとしてたが……」
「なにをおっしゃる。ここまでが小官の任務です。これからが、ブライト大佐のお仕事ということになります」
「やはり、気持ちの良いものではないでしょう?」
ブライトは、柩が、ワゴンの方に運ばれるのをみてから、ケネスの前のソファにすわった。
「そりゃね……戦死してくれるほうが、どれほど良かったか……」
ケネスは、秘書を連れてくることを忘れたので、コーヒーは、飲めないと気づいた。
「その意味では、マフティーは、頑強だったということですか?」
「そうですね。彼の死は、これでおわりません。尾をひきますな」
ケネスは、ブライトと会話をつづける勇気はなかった。
「どういうことで?」
そのブライトの質問をききながら、ケネスは立ちあがると、玄関にむかいながら、
「連邦政府は、ここでマフティーを処刑したことで後悔する、ということです」
「……世論を煽ると?」
「そうです。スペースノイドも黙っていないでしょうな」
「准将!」
玄関口で、医師と牧師が、ケネスを押しとどめた。
「あ?」
「検分書にサインをしていただかないと……」
「すまない。どうも、なれない仕事だとこれだ」
ケネスは、ブライトに笑ってみせると、医師からぺンを借りて、玄関わきの小机の上で、サインをした。
そこには、ハサウェイの名前などはない。
『……では、ハサウェイはどうなるんだ?』
そう思いながら、書類を医師にかえすと、それは、すぐに執行官たちのファイルのあいだに挟《はさ》まれてしまった。
これですべてが、完了である。
「火葬したものは?」
玄関のドアのわきに立ったブライトがきいた。
「どうするんだ?」
ケネスが、執行官にきいた。
「さあ……書類といっしょに参謀本部にもっていきますが、その後は……」
二人の執行官は、肩をすくめた。
「まったくよ。アデレートに軍の墓地をつくるんだろう。敵だって立派に戦ったんだ。ちゃんと埋葬するように、要請しろよ?」
「ハッ……!」
「大佐からも、参謀本部には、せっついて下さい。頼みますよ?」
これだけは、ブライトの目を見て、申し送るつもりで、ケネスはいった。
「そりゃ、直接、闘った准将がおっしゃるならば、ぜひ」
「くだらん敵ならば、そんなことはしなくてもいいんですがね」
結局、道路に並べた車まで、ケネスはブライトと肩をならべることになった。
「……大佐も、アデレートの任務がおわれば、除隊でしょう? どうなさるのです?」
つい、沈黙をうめるのは、ケネスの方だった。
「サイド1のロンデニオンで、女房とレストランのおやじをやります」
「そりゃうらやましい。独身は、こういう時はつらいものです」
ケネスは、車のドアを自分の手でひらくと、うしろのワゴンにのろうとしたブライトに、
「業務引き継ぎは、わたしの司令部の方で、予定通りに?」
「ええ。でも、准将がよろしいのならば、今からでもよろしいのですが?」
「今から……?」
「よろしければ……。眠くもないし、九時からというのでは、ちょっと間がもちません」
「そうですか……朝食はとりたい。七時からということで?」
「結構です」
ブライトは、屈託ない微笑をうかべて、勝手をいってすみません、といってワゴンに消えた。
こういうマメさをハサウェイは受けついだのだ、とケネスは実感しながら、車にのりこんだ。
車で三分かからない司令部に着くと、フランシンに朝のお茶の用意をしてもらって、ギギに電話をした。
彼女は、部屋にもどっていた。
「昼には、出発できる。いいな?」
「……いいよ」
ギギは、なにかいいたそうにしたが、それだけ答えた。
捕われの身にちかいギギは、そう答えるしかなかったのだし、ケネスの高圧的な態度のなかに、なにか感じることもあったのだろう。
ケネスは、その後で、ギギのいる家の護衛に、ギギを外に出すなと命令することも忘れなかった。
そして、予定通りにブライト・ノア大佐たちとの引き継ぎの会議にはいったが、メインザー中佐は、ブライト旗下自身、ここのキルケー部隊にのこるので、説明は、形式的なものでおわってしまった。
「では、参謀本部に挨拶をして、アデレート経由で、退散します」
「ご健勝で!」
ブライトとケネスは、そこで最後の握手をかわした。
『この父と、あのハサウェイ……!』
ケネスは、ハサウェイとまったくウリふたつに見える瞳を見入って、つい、涙をにじませてしまった。
「……地球連邦軍のやり方、ご無念でしょうな?」
「あ、いや! 忘れますよ。自由放浪の旅にでます。なにしろ、地球居住許可書は、発行してもらっていますから……」
さいごは、冗談めかしていうことに全力をつくすと、ケネスは、玄関口の秘書のフランシンにさよならのキスをして、司令部を退出した。
ゴールワからアデレートまでの山越えは、軍のリムジンを使わせてもらった。
隣りの席には、ギギがいた。
「……このあたりで、発見されたのか?」
ケネスは、うっそうとした筋のように走る光の乱舞する山道に、ようやく口をひらいた。
「そうでしょうね……よくわからないわ……」
ケネスは、そんなギギの態度に不愉快だった。
こちらの苦労などいっさい想像せずに、自分がハサウェイを処刑したことだけを、怒っているようにみえたからだ。
アデレートの空港は、きれいさっぱりとなにもなく、午後の遅い陽射しのなかに、瓦礫の山の影を深く落していた。
それでも、滑走路の一部は補修されて、ダバオからのビッグ・キャリアーの一番機が、翼をやすめていた。
スペース・コロニーの時代、即効アスファルトの技術などがあるおかげで、このていどの補修は、容易なのである。
ケネスは、ギギをキャリアーのキャビンに追いあげてから、キャリアーのかたわらに並ぶ生き残りのモビルスーツの前にいった。
そこには、レーン・エイム以下のキルケー部隊のパイロットたちが、居並んでケネスを待っていた。
「全員! 礼っ!」
昇進したレーン・エイム大尉の号令があって、百人にちかい将兵の礼をうけた。
本来ならば、軍楽隊のラッパのひとつもあるところだ。
「われわれは、ケネス・スレッグ准将のもとで、貴重な実戦を経験して、いろいろなことを学ぶ機会を得られたことを光栄に思っております! ペーネロペー小隊以下のすべての隊員たちのカンパによって、これを進呈いたし、お礼の気持ちにかえさせていただきます」
レーンの挨拶のあとで、ケネスは、小さなプレゼントを手渡された。
形式的な挨拶はうけても、こんなものをもらえるとは思っていなかったので、ケネスは、思わず頬をほころばせて、一言、二言、礼の言葉をいうと、指揮につかっていた乗馬鞭をレーンに渡したものだ。
そして、ビッグ・キャリアーの人になった。
空《から》のキャリアーは、ダバオで、アデレートで入用な資材をはこんで、トンボ帰りをするのである。ケネスとギギは、ダバオからは完全に民間人となって、軍の傘下から一切はなれるのである。
そのキャリアーのなかでも、ギギは、こわばった表情のまま時をすごした。
ケネスは、所在なく、眠った。
際限なく眠れる感じだった。
ダバオに到着した時は、夜半ちかくになっていた。
堅い表情をした三人の士官が出迎えてくれたが、ケネスは、民間用のロビーに移動して、そこのカウンターでリムジンをチャーターした。
その間、士官たちは、所在なげに、ケネスとギギを見つめていたが、ギギは、彼等にひどく冷たいものを感じた。
それは、ギギがいつも受けていた蔑視《べっし》とはちがう、硬質なもので、どこかケネスとギギを警戒しているような態度なのだ。
「では……!」
見送りの士官三人は、ケネスに名残借しそうな顔を見せてくれたものの、それが儀礼的であるのは、当然のことだ。
ケネスは、リムジンが発車してから、電話を使ってホテルの予約をしようとした。
こんな遅い時間に予約をとるのが難しかったのは、マフティーが、大きなホテルを爆撃したせいもあった。
リムジンは、ケネスの命令でかなり高速で移動して、市街地を出てしまったが、ケネスは、何度か背後をうかがうようにしながら、ひとつのホテルをつかまえた。
「ミラブ・ホテルだ」
「はい……」
そのホテルの名前をきくと、リムジンは、市街地にもどるコースをとった。
「君、こんなもので我慢して欲しいが、おれたちは、この辺りで降りたことにしておいてくれ」
ケネスは、運転席と仕切ってあるプラスチックについている小窓から、数枚の紙幣を出していった。
「ええ? ああ」
運転手は、それだけいって、紙幣を受けとった。
ホテルは、空港ちかくの裏通りにあるこぢんまりしたものだった。
ケネスは、そのホテルの二部屋を偽名で借りたのだ。
「なぜ。怒っている?」
ケネスは、ギギを部屋に送りこんで、ようやくきくことができた。
「……大佐が、ご苦労だったと思うと……なんもいえないよ」
そうして、ギギは、ドアを閉じた。
「…………」
ケネスは、ふたつほどはなれた部屋にはいって、今のギギの言葉に胸がつまった。
「…………!」
ケネスは、胸の奥底に隠しもっていた箱の蓋がひらいたように感じて、力がぬけた。
ベッドでいっぱいのような部屋でも、ドアからベッドにたどりつくには、数歩は歩かなければならない。
友人を処刑してしまった自分が、いかにひどい立場なのか、ケネスには、今、分ったような気持ちに襲われた。
ドウッと、ベッドにからだを投げ出すと、ケネスは、突然、声を上げて泣き出していた。
ずっと抑えていた感情が、切れたのだ。
肩が、背中が、波のようにゆれて、
「ウッ、ウッウウウウ……」
そのケネスの悲痛な泣き声が、狭いシングル・ルームを満たすのに、時間はかからなかったし、それは、やむこともなかった。
15 マランビジー
ドアを叩く音にケネスは、目覚めた。
ベッドに、倒れこんだまま眠っていたことに、気づいて少しだけあわてた。
ドアの外の切迫したギギの声に、腫《は》れぼったい目をもむようにして、ドアをひらいた。
「大佐! これっ……!」
ろくに朝日もささない廊下に、蒼白な顔をみせたギギが、朝刊をつきだして、
「ハサウェイが、マフティーだって書いてあるっ!」
「なんだと!?」
ケネスは、目の腫れがひくような衝撃に、新聞をとって見出しをみた。
全身の力が抜けて、よろめくようにして、ベッドの手前の床にすわりこんでしまった。
マフティー処刑さる。キルケー部隊アデレートの報復。狂暴なマフティー。地球連邦政府の倒壊はあるのか!?
そんな見出しの下に、マフティーの正体、その裏に隠された地球連邦軍の苦衷《くちゅう》という記事に、地球連邦軍士官の息子だったマフティー、という暴露記事が掲載されていた。
「……どういうことなんだ……!?」
その記事の小見出しに、ブライト・ノア大佐の名前を見れば、記事など読む必要はなかった。
ケネスは、ぼう然とした目をギギにむけた。
ギギは、床に拡げた新聞をキョロキョロと読みだしていた。彼女も、記事など読んでいなかったのだ。
ケネスは、そのギギの透けたような横顔を凝視するようにしていたが、なにも見ていなかった。
『リーク!? 誰の?』
そのことだけを、グルグルと考えていた。
マフティー関係の記事は、すべて、連邦政府と参謀本部が、公式に発表したものだけである。
だから、処刑については、その経過記述などはなく、処刑を執行した責任者は、新任の南太平洋管区の司令官ブライト・ノア大佐であり、マフティー・ナビーユ・エリンは、その大佐、つまり、父親の手によって、処刑されたとだけ書かれていた。
見出しだけが、新聞社独自のものなのである。
『息子が、マフティーであったという事実は、アデレートに到着して知ったことでありますが、アデレートでの連邦政府の甚大な被害を知れば、自分の手でマフティーを処断しなければならないと決断するのは、軍人の使命であると覚悟したのであります。もちろん、妻も妹もこの自分の行為は、容認し得ると申してくれました。それで、今朝、午前五時、ゴールワの臨時軍司令部において、銃殺刑に処した次第であります』
ブライト・ノアの苦衷に満ちた談話は、そのように掲載されていた。
それらの記事の最後には、このような形式で処刑が行なわれたのも、あくまでも、ノア大佐の強い希望であって、地球連邦軍も政府もそれを中止させることができなかった、という参謀本部の談話がしめされていた。
「誰の談話だとなっている?」
「……ええと……メジ…メジナウム・グッゲンハイム大将……」
「そうか……」
ケネスは、その大将の名前をきくと、立ちあがって、あの大将にハサウェイのことをしゃべった自分のミスに気づいた。
「奴が、しくんだ芝居だ……」
しかし、表面の記事は、いかにブライト・ノア大佐が、地球連邦政府に忠誠を尽して、軍人の本分を全《まっと》うしたか、それは、筆舌に尽しがたい、英雄的な行為であるという構成になっていたし、マフティーことハサウェイ・ノアは、父の諌《いさ》めをいれて、マフティーとして行なった行為の非人道的テロリズムを反省して、いさぎよく処刑についたとまとめてあった。
が、全体の印象は、地球連邦政府は、ここまでしても不穏分子をつぶす、という恫喝《どうかつ》になる記事なのだ。
ケネスは、もう言葉はなかった。
「捏造《ねつぞう》、デッチアゲにしても、こんなんなら、ハサウェイの家族は、どうなるの?」
ギギは、ザッと記事を読んでから、ヒィッとうめくような声をあげた。
ケネスは、電話をしていた。
「ダバオから、一番遠いとこに出る便というのはないかね?……ああ? ゆうべ、遅く着いた者だ」
「…………?」
ギギは、ケネスが、とんでもなく陰鬱そうな声で、受話器にむかっているので、唖然《あぜん》とした。
「……どうしたの?」
「こんなところにいたら、消されても文句はいえん」
ケネスは、芝居がかった暗い声から、悲痛な決断を口にした。
「ああ……」
ギギのその声は、咽喉《のど》にひっかかっていた。
「そうか……ニホンね? ニホン? 高い? いくらだ? ああ、二枚いるんだ」
ケネスは、ギギの瞳を見つめながら、応答した。
ギギは、ようやく、ケネスの芝居がかった陰鬱な声に、自分たちの情況が分った。ケネスは、ギギを愛人に仕立てたのだ。
この場合は、それが、周囲の目をごまかすもっとも良い方法だろう。
「え? 一時間後には出る? いいだろう。車は手配してくれるな? え……。ホテルの汚い車? 結構だよ」
ダバオの郊外にある民間航空機用の空港から、気象観測用のバルーンを飛ばすジェット機が離陸したのは、それからちょうど一時間後だった。
ケネスとギギは、隙間風の吹きこむキャビンの小さなシートに身を沈めるようにして、ダバオをあとにした。
「あんなデッチアゲで、連邦政府が、いかにマフティーたち不穏分子に蹂躙《じゅうりん》されたかとアピールして、世間の同情を買おうとしているが……これは、逆になるな……」
ケネスは、緑の色が濃いミンダナオ島の景色が、遠くなっていくのを見つめながらいった。
「そうかもしれない……」
どういうことかはしれないけれど、ケネスのいうとおりだ、とギギは思った。
「ブライトのインタビューなんて、テレビには出やしないし、世間だって、政府と軍が思うような反応なんかするものか……」
「そうだよねぇ……」
ギギは、あの律義《りちぎ》そうなブライト・ノア大佐の姿を思い出して、切なくなった。
「どうなるんだろう?」
「世界が?」
「ちがうよ。ノア大佐……」
「……ブライトは、あの新聞で、はじめて、自分の息子がマフティーと知って、それからその事実関係を調べるな……しかし、その時は、証拠はどこにもない。マフティーが誰かも分らない。ブライトは、当惑する。そして、そのまま退役だ」
「なんで、そうなるの!?」
ギギは、ケネスの大人らしい推測に、はじめて伯爵に会った時以上に驚いた。
「この記事は、マフティー側が流したものだといって、逃げることは簡単だよ」
ケネスの言葉は、ギギには衝撃だった。
「そんな……! だって、あの記事……!」
ギギは、混乱しそうになった。
「軍が発表したのは、事実関係だけだから、そのくらいのシラは、誰にだってきれるもんだよ。それにな、ギギ……。事実関係の証明っていうものは、事実に直面している時以外、できるものじゃないんだ」
「大佐が……」
ギギは、いいかけてやめた。
ケネスは、ブライトとハサウェイを会わせることを食いとめた男なのだ。それが善意であっても、正しいことかどうかは分らないのだ。
が、ケネスには、それ以上のことなど、できるわけがないだろう。
「すみませんね? ちょっと仕事しますんで……」
コックピットのほうからきた青年が、気象観測機器を下げた気球を放出する仕事にかかった。
その小さな窓から、ケネスとギギは、盛大な風の洗礼を受けた。
「次は、三十分後です」
「ご苦労だな?」
ケネスは、ギギにもうひとつのスカーフを巻いてやりながら、笑った。
「じゃ、ごゆっくり」
ジェットは、フィリッピンの島々から、離れつつあるようだ。
「……父に息子を処刑させた。そんな地球連邦政府や軍を、世論は、許すか? むしろ、マフティーの主義を知っている連中は、ますます、マフティーを支持する」
ケネスは、ギギにそう教えた。
「そうかな?」
「そうだよ」
ケネスとギギは、台湾のタイトンの空港に到着すると、同じ種類の仕事をする別のジェットが待機していた。
「……ニホンに行くのは、あんたたちだね?」
「ああ、そうだが?」
「昼食と水は、別料金だが、払ってもらえるかな?」
と、パイロットは、とんでもない高価な料金をいった。
ケネスは黙って、その料金を支払った。
「……いい覚悟だ。事情がありそうだな? 新聞ファックスは、読むかい?」
「いつの版だ?」
「今日の夕刊のやつだ。プリントしたやつは、まだ出ていない」
「いくらだ?」
「いいさ」
そういってパイロットは、かなりのロール紙をケネスに渡すと、
「キュシューだけど、いいな?」
と、ケネスとギギには、分らない土地の名前をいった。
「ニホンなら、いいわ」
「いい声をしてんだな?」
パイロットは、そういうとコックピットのドアを閉じて、ジェットを離陸させた。
すぐに海上に出た。
「……見なよ。ギギ。マフティー側からの反論が出ている」
ケネスは、ギギに、ファックス用紙を示した。
『……ハサウェイ・ノアは、シャアの反乱軍のモビルスーツを撃墜した経歴をもつニュータイプであったということであります。その彼が、マフティー・ナビーユ・エリンを名乗って、連邦政府の地球再生になんの配慮もみせない政策にたいして、抗議の行動をとったのであります。にもかかわらず、連邦政府は、そんな抗議にはいっさい耳をかさず、ハサウェイ・ノアにたいする報復手段として、その父親に処刑の執行をさせるという、人道を無視した信じられない行動に出たのであります』
そんな論旨の記事が、いくつか掲載され、読者の投書というかたちで、マフティーの意見を代弁するものがあった。なによりも、マスコミ各社は、連邦政府の性急な処理を抗議しはじめ、なぜアデレートが爆撃されたか? という論旨が強くなっていた。
「このパイロットは、おれたちを、マフティーと思ったかな?」
「そうでしょうね。アデレートから、脱出したマフティー、いっぱいいるもの」
「ニホンって、ハサウェイの国だって知っていました?」
「母方の出身地だったな……」
ケネスは、サンドイッチを口にして、答えた。
「ウン。あたし、だから、嬉しいんだ……友達の国に行けるっていうの、こんなの、はじめて……」
ケネスは、そうか、と思う。
そんなやるせないギギだからこそ、ケネスは、惹かれていたのだろう。
それはケネス自身の変化でもあった。
強いものに魅かれていたものが、いつしか、生身の魅力を発見し、その庇護者になる。
それこそが、男のポジションなのだ、と。
「……君にとっては、いい場所になるのかもしれないってことか……」
「人も少ないし、気候もいいっていうし、そこで死ぬわ」
ジェットの音だけが、二人の心をゆすった……。
「大佐はどうするの?」
「そうだな……今の連邦政府がなくなって新しいなにかができたって、また組織の悪癖も出るだろうしな……そのために、次のマフティーをつくる用意でもするか?」
「次のマフティー?」
「ああ、百年後かもしれないが、そのために、シャア・アズナブルとかハサウェイ、アムロでもいいな。そんなのが、復活するような組織をつくってみたいな」
「そうか……。大佐は、元気なんだ」
「どうかねぇ……ほとぼりがさめたら、メイスのところに寄って、謝ってみるよ。若い女に騙《だま》されて、ごめんねって……その次だな。そういう仕事をやるの」
「エヘヘヘッ! ……若い女ねぇ……」
「ああ、ひでぇ女だった」
右手に小さな島の列が見えるようになった。
「ニホンかな?」
「まだだろう?」
ギギは、これから、ハサウェイ・ノアの名前は、人類の生活エリア全域で、真実、正当な預言者の王という意味をあらわすマフティー・ナビーユ・エリンという呼称によって、枯れることない水道というアボリジニの言葉、マランビジー、そのようになるだろう、と想像した。
それは、伝説とか神話といわれるものだ。
けれど、今はまだ、なまなましい現実が、この世界のそこここに散在しているのである。
父の苦悩。母の悲痛。妹の絶望……。
そして、ギギも悲しいと思う。あの伯爵も……。そして、ギギの隣りで、高価な水をのむケネスも……。
そして、まだ、もう少し、ハサウェイの体温の記憶がなくなるまでのあいだ、ギギにとっては、辛《つら》い時間がつづくのだ。