機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ (上)
富野由悠季
出版社 角川スニーカー文庫
口絵・本文イラスト/美樹本晴彦
口絵イラスト/森木靖泰
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目 次
1 ギギ
2 ラウンジ
3 ケネス
4 ハイジャック
5 ハサウェイ
6 ランディング・グランド
7 ウィズ ギギ
8 ホテル
9 コンタクト
10 ハンター
11 ミノフスキー・フライト
12 ピー・フライトエンド
13 コマンダー
14 ヤング・パイロット
15 キルケー・ユニット
16 ランナウェイ
17 オン オーシャン
18 ダイニング・ルーム
19 ロドイセヤ
20 パスゥー・ウェイ
21 テイク・オフ
22 ショウダウン
刻が忘却をくれるとは、誰が書いた言葉だろうか?
それを言い出した人は、楽天家であったか、真実、絶望の恐ろしさを知っていた人たちだろう。そのどちらであろうとも、言葉というものは、多重性と曖昧さをもって、真実を伝えることはない、といえる。
しかし、言葉を使って語ろうとするこの物語は、いくつもの時代で語られた物語でありながらも、なんどでも語りつぐ必要があるとおもえる。
人の世の悲しみ、人の世があるからこそ作り出してしまった哀切……。
それが生れる原因は、人の存在そのものであるという恐ろしいまでに、単純な構造をもって、我々にせまる。幸せでありたいと願いながら、幸せを取り逃がすかたちを作ってしまう人の間とは、悲しいものだ。
それから解脱し、解放されるのはいつの日かと夢想するだけが、この物語りのなかに登場する人びとのできることであるとするならば、それは人の悲劇だ、と叫びたい衝動にかられる。
刻は宇宙世紀にいたり、人類は、幾度かの世代をかさねて、月軌道圏までを生活圏としている時代……
生活空間の拡大は、いったんは人類によって汚染された地球を、救済する道を拓いたかに信じられ、地球は再生しないまでも、その余命を伸しつつある徴候をしめした。
しかし、生活空間の拡大は、宇宙の広さに比べれば、劇的に矮小なものであるにもかかわらず、人類は、さらに卑小な種の内部にあって、階横闘争と種族闘争と地域闘争をやめてはいなかった。
むしろ、生活空間を拡大しえたと錯覚した人類は、各層、各地域、各思想により部内対立を深めることに狂奔しているようにみえた。
むろん、地球時代は、生活空間が限定されていたために、その末期には、人は、地球の危機的奉遍塞状態をしって対立をやめ、内部分裂を共存するおだやかなフラストレーションの時代を体験していた。
しかし、宇宙移民以後、人類は、圧殺されていた対立と闘争の本能を思い出したかのようだった。テリトリーの拡大が、新しい闘争の芽を内包していたと見るべきであろう。
人は、宇宙に出て、その本能をよりのぴやかに開化させたのかもしれない。
歴史は、逆転したのである……
人は、かくも愚かなのだろうか?
フラストレーションが頂点にたっすれば、対立相手を創造し、攻撃性を爆発させるテロリズムが発生するのは当然であるという倫理がある。
それは不条理だと断定できるのだが、そんな言葉が、人類という種のフラストレーションを解消させることなどはない。
言葉は、おおむね宇宙に拡散するのだから……
西暦一九八八牢十一月五日  著 者
1 ギ ギ
「…失礼……」
「あ、はい……」
ケネス・スレッグ大佐は、あくびを三回ほどしてから、ひとつ空いた席のむこうの二十歳前半という感じの青年に声をかけて立ちあがった。
自分のパソコンで読書をしていた青年は、屈託のない微笑をケネスにむけて、パソコンを膝の上で立ててくれた。
無重力だからといって、シートの上を流れるというのでは、ほかの乗客に嫌われるだけだし、今日のスペース・シップ、ハウンゼンの客の半分は、特権階級の連中である。
彼等の前で、宇宙遊泳など見せれば、ケネスの昇進などは簡単にストップするという状況である。軍関係を統轄する役所の役人がいないだけ、ありがたいというものだが、結果はおなじであろう。
ケネスは、またも地球連邦政府の閣僚の一人が、例の評判の少女にお愛想をいっているのを目のはじに捕えながら、キャビンの背後のトイレに流れていった。
この356便のハウンゼンは、定員、四十あまり。クルーは、五人。
よほどのコネがあるか、大枚の金を支払わなければ、搭乗できない特別便である。
そのため、この舶に乗船しているかぎり、どこのスペース・コロニーでも地球でも、その出入りのチェックは免除される風があった。ハウンゼンに乗れるということで、乗客の身元は保証されていると考えられているからである。
しかも、軍用機以外で、地球に直行で着陸できる便といえば、このハウンゼンだけである。
ケネスのとなりの青年はものおじせず、コネのある家柄を思わせて、ハウンゼンに似つかわしい客といえたが、閣僚の一人からお愛想を言われていたハイティーンの少女は、どこかハスッパな感じがあって、上品な客とはいいがたかった。
「……ギギ・アンダルシアといったな……」
ケネスは用をすまして、鏡の前に立ったときに、乗客の紳士たちの間でささやかれていた少女の名前を思い出した。
背広の前をととのえながら、ケネスは、この種の服は前が涼しい感じがして、好きではないとあらためて感じていた。しかし、自分の男前については、まんざらでもないと思う。
『キンバレーがちゃんとやっていれば、あわてて出てこなくても、良かったんだよな』
それが、ケネスの思いである。
『シャアの反乱』以後、実戦がなくなった地球連邦軍宙軍で、仮想敵もないのにウダウダと新型モビルスーツの開発をつづけていたケネスにしてみれば、久しぶりの実戦の可能性に闘志が湧くという感覚はあったが、地球の勤務は、好きではない。
しかし、若さを自認できる年齢ではある。
マフティー・エリンと名乗る団体の反地球連邦政府運動が、地球で過激になって、その掃討を任務としたキンバレー部隊に、彼の部下にあたるテスト・パイロット、レーン・エイムとともに、新型のモビルスーツ、ぺーネロぺーを送りこんだのは、十日前のことだった。
が、その直後に、こんどは、ケネス自身に、キンバレー部隊の後任司令に就任する命令が出された。一昨日のことである。
そのため、ケネスは、地球におりるもっとも早いこの便に、軍の力を利用して搭乗したのである。
しかし、この便で、地球連邦政府の閣僚たちと一緒になって、あらためて、連中が、どんなにゲスな存在か思い知らされていた。
『マフティー・エリンにブッ殺されても、文句はいえねぇよな』
そう思うようになっていたケネスである。
ネクタイも締め直して、ケネスは、なんでジュリーは、こんないい男と別れる気になったのか、と思わないでもなかった。
彼は、離婚してまだ二年とたっていない。
ケネスはトイレを出ると、ラウンジをのぞいてみた。
三組ほどの閣僚夫婦が、グラスを手に談笑していた。それとは別に、三人ほどの高級官僚が、コンピューター・ゲームをやっているのが、淋しかった。 で、キャビンにもどった。
「…………!?」
ギギ・アンダルシアの席には、話かける閣僚の姿はなくなっていた。
ケネスは、彼のシートの列の前、そのうわさの少女のシートの横まで流れていって、彼女の膝をのぞいた。膝の上のパソコンのディスプレーでは、なにやら絵が動いていた。
その少女は、すっぽりと肩を隠すような長い透明なブロンドの髪をもって、まつげも透明に輝いていた。
その肌が、白人のものならば、見づらい顔ではないかと想像させたが、彼女の肌は、東洋系のきめこまかさとラテン系の色をもっていて、透明なブロンドの印象を引きしめていた。
曲型的な軍人であっても、ケネスは見かけほどの堅物ではない。とはいえ、彼が簡単にその少女に声をかけられたのは、少女のもつ男好きさせる雰囲気のせいといえた。
そのようにして、このハウンゼンの紳士たちは、夫人たちのひんしゅくを買いながらも、次々と少女に声をかけていったのである。
「失礼……?」
「……はい」
少女は、ビックリしたという風でもないものの、期待していなかった男性の声に、驚いたという表情だけは見せた。
その顔を上げる時の速度は、優雅に見えて、ケネスをおやと思わせ、納得もさせた。
「……どうも、話し相手がいなくてね」
いってみて、ケネスは、自分のセリフに苦笑していた。相手は、ただのガキじゃないか、と思いたかったのだ。
その彼の照れが、表情に出たのだろう。少女は笑ったようにしたが、すぐに普通の顔にもどって、ケネスの目に見入った。
初対面の少女に、このようにはっきりと目の中を見つめられるというのは、ケネスには、初体験のように思えた。なにより、少女の瞬間、瞬間のバラエティあふれる表情に、ケネスは胸をつかれた。
「いいかな? そこに座って……」
この3シートの列が、彼女だけだということは、キャビンのすべての乗客が知っていることだった。
「困ります。長い時間は」
少女は、はっきりといった。
「……? 短ければ、いいというのか」
「ええ、数分というところでしょうね」
そういわれる感覚は、決して不愉快ではない。
「そうさせてもらうよ。わたしは、連邦軍のケネス・スレッグだ」
自己紹介をしながら、ケネスは、身体をシートの上に流してすわった。
「大佐さんぐらいでいらっしゃいます?」
少女は膝においたディスプレーを消すつもりもなく、ケネスの動きを透明なブルーの瞳で追った。
「なにを読んでいるんです」
「絵本です。ホラ」
少女が見せたディスプレーには、コンピューター・グラフィクス(CG)の美しい絵が、スムーズな動きをくりかえしていた。二匹のラビットが、蝶を追っている童話のアニメーションで、その絵の下には、数行の文字が表示されていた。
「……流行っているのかね? その話……」
「これは、古典でしょ。そういうの知らないんです。好きなものなら、なんでもいいんです」
「フーン」
ケネスが感心する間もなく、少女は、次の画面に切りかえて見せた。
「ホラ、可愛いでしょ?」
その画面は、かなりポップな動きをしていた。フレームの周囲をグルグル飛び跳ねるラビットと狐の絵だ。中央では、花びらが作る檻に閉じこめられているラビットが、涙をはねとばして泣いていた。
「かなりバラエティがあるんだな……」
ケネスが、その画面に見入っている間に、少女は、まったく別のことをいった。
「軍人さんならば、ひとつおききしたいことがあるんです。マフティー・ナビーユ・エリンって、あなた、どう思われているんです?」
「あ……?」
ケネスは、虚をつかれて、少女の瞳をのぞいた。文節を切ってしゃべるなかに、はっきりと意思をこめている少女に、ケネスは見かけによらない芯の強さを知って、ドギマギとした。
「……? どういう意味でききたいのだね」
冷静に答えようとしながらも、ケネスは、その名前こそ今度の地球行きの理由であるので、さらに、動揺をみせてしまったのだ。
「別に……ごく普通の、ホラ、こういうわたしとあなたっていう、行きずりの人間関係のなかでの会話、ってつもりでしたけれど……?」
少女は、自分の難しいいいまわしに、最後は笑い出していたが、いうべきことをはっきりということは、変りなかった。その明快さは、ケネスには気持ちよかった。
「なにがおかしい……?」
「だって……大佐は、マフティー・エリンを退治に、地球におりるのでしょ?」
笑いながら、自分の言葉にたいする相手の立場を洞察する切りこみ方は、尋常ではないとケネスは感じた。
「……君っ……」
「わたし、ギギ・アンダルシア。君というのは、ちょっと……」
「ああ、すまない。君が、どうしてわたしのことを、推量したかはきくまい」
ケネスのあわてぶりに、少女は、かすかな微笑を消すことはしなかった。ケネスのうろたえたのに、同情するよゆうはあるのだ。
「笑うなよ……わたしは、感情過多の人間らしいということは、承知しているつもりだ……この年齢で、君のような少女から、そういう自分の問題を知らされるというのは、ちょっとショックだ」
ケネスの長い言葉のあいだに、彼女はケネスを忘れたように、パソコンの絵の動きに見入
っていたが、ケネスが言葉をきったとたんに、その瞳がチラッとあがって、『わたしの質問のお答えは?』ときいてきた。
ケネスは、少女の瞳がかたる意味を感じとって、年甲斐もなくあせっていた。
「……マフティーについては……彼は、危険人物だ。地球連邦政府の秩序を乱す者だ」
「公式的ですね。世間は、みんなマフティーが好きみたいですよ。テレビは、いっぱい特別番組をやって、マフティーは、アムロ・レイではないか、シャア・アズナブルが生きかえって、人の思うことをしてくれるっていってますけど?」
ギギは、膝においたターミナルのことを忘れて、上体をねじむけたので、ターミナルが浮きあがってしまい、ケネスは手を伸して、それをおさえると、ギギの方に押しもどしてやった。
「……あっ、ありがとうどぎいます」
ギギは、パソコンを片手で膝の上におろすと、また、自分の質問を忘れたように、ディスプレーの絵をのぞきこんだ。
「……それは極端だな。連邦政府の要職にある人びとを暗殺したあとで、地球をクリーンにするために、人類のすべては、地球から出なければならない政策を実施しろ。それがマフティーの宣言だ。そんな宣言をだすマフティーは、子供じみていると思わないか?」
ケネスは、ようやく少女に対抗できるレベルの言葉遣いができたと思ったが、「でも、子供の論理って、正しいことありますよ」と少女は、簡単に切りかえしてきた。
「考えが足りないな。世の中、そんなに簡単に動いてはいないぞ」
「……ウン……大人の理屈ってわかりますけれど……でも、偉い人って、ぜんぶ偉いんですか?」
さすがに、少女は、最後のほうは、ケネスに身をのりだすようにして、ひどく小さい声できいてきた。
「……そうね……汚職もあるし、情実もあるな……清廉潔白というわけにはいかない……」
「それをどう考えるんですか?」
そのとき、少女の瞳が輝いたのは承知していたが、ケネスは反射的に言葉をついでいた。
「……社会の潤滑油ってところかな」
「あなたって、パターンしかしゃぺらないんだ」
プッとふくれた少女に、ケネスは、かえす言葉がなかった。自分が通りいっペんの言葉でかわそうとしている、と自覚せざるをえない。
「それと、ひとつ訂正しておきたいわ。あなたは、マフティーは、政府の要人を暗殺している、って表現したけれど、モビルスーツを使って殺すの、暗殺ですか?」
「いや……無差別攻撃だな」
「それもちがうでしょ? 無差別でなくって、地球連邦政府の閣僚が、その要職についている人たちだけをねらっているわ。ターゲットは、はっきり設定しているのが、マフティーですよ?」
ケネスは、グウの音もなかった。
ギギは、あらためて、パソコンのターミナルを両手で膝に落ちろけると、そのディスプレーの画面を切りかえた。
ケネスは、ギギのいう『少しの時間』がおわったのだ、と思った。
「……すまなかったな。時間が超過したようだが、最後に、君の意見をきかせて欲しいな」
「可愛いですよ?」
ギギは、ややななめの表情を見せたが、すぐにディスプレーにむいた。
「マフティー・ナビーユ・エリンと名乗る組織が、可愛いと?」
「ええ、スーダン語、アラブ語、占いアイルランド語の合成というより、ひどいメドレー。
名前じゃないわ」
ギギは、暗唱するようにそういったが、目は、ディスプレーからはなれなかった。
「ハハハ……そりゃそうだ……」
ケネスは、もう少しこの少女の感想をきかせて欲しいと思ったが、多少、嫌われたらしいともわかったので、シートから流れでた。
ケネスは、文学青年風に見える青年の前を流れて、自分の席にすわりこむと、その青年を見やって、『なんでこいつは、猫背なのだろう……』と思った。
2 ラウンジ
窓から見える地球が、全体の輪郭を見ることができなくなれば、最後の食事である。
その騒動がおわると、ギギ・アンダルシアは、流れるようにして、後方のラウンジにむかった。
「…………」
ケネスのとなりに座る青年は、チラッとその少女と目をあわせたが、彼は、紳士たちほどに、彼女に興味をしめさなかった。
「…………?」
そのことが、逆に、ギギの興味を引くことになったのだろう。ラウンジにつながるハッチのところで、ギギは、その青年の方をふりかえって、数人の閣僚たちの夫人をあわてさせた。
彼女たち初老の夫人たちは、遠慮のない好奇な目に軽蔑をこめて、ギギを追いかけていたのだ。
「……大人たちはさ……」
ギギは、青年を見やった時、その夫人たちの粗野で物言いた気な視線に、唾をはきたい思いをこらえた。
ギギは、自分の立場がどういうものか、十分に承知していたし、こういう局面に身をまかせていることが、痛快であることも事実なのだ。
『あんたたちの亭主たちは、みんなして、ラウンジにくるんだから……』
ギギは、内心そう思いながら、ラウンジの奥にあるコンピューター・ゲームの方に流れていった。
キャビンが、ギギの考えていた通りになるのには、時間はかからなかった。
連邦政府の閣僚たちは、申し合わせたように、順次席を立ってラウンジにむかうと、こんどは、夫人たちが、キャビンの中央あたりに集って、ひそやかに、しかし、かしましくギギのうわさをしあった。
いつもならば、こんなぶしつけな話題に興じることはない夫人たちだったが、無重力とひとつの密室に詰めこまれている疲れに、感情を発散させる場所を求めていたのである。
「……あの少女の名前が、ふしだらなんではどざいません? あの名前が……」
「昔から思うのですよ。なんで男たちは、お尻の青い娘を追いまわすのかって、これは、永遠の哲学的課題だとお思いになりません」
「わたしたちがいるから、男たちは、あれで遠慮しているつもりなのでしょ?……殿方の神経、お互いに疑ってしまいますもの、ねぇ? こんなこと申して、失礼じゃございませんわよねぇ」
「わたしどもがいるのに、歳なのでしょうかねぇ? 殿方は、白分のやっていることが、わからなくなっているって……?」
夫人たちの笑いをかみころした会話に、ケネスの列の通路側の青年は、しばらく席を外したがいいと思ったのだろう、ひっそりと立ちあがった。
彼は、灰色のジャケットとおなじ色のチェックのシャツに、軽くネクタイをして、使いこんだジーンズのパンツが良く似合ったが、このキャビンでは、少しラフすぎる気配があった。
しかし、彼の品の良い顔立ちは、このキャビンにいても不思議でないという雰囲気をもっていた。
ラウンジのやや暗い照明は、深い緑色のビロードの壁のために、落ち着いた豪華な空間を作っていた。天井は、イミテーションであろうが、それを感じさせない木の梁などをあしらって、重力がある場所ではないかと思わせた。
『贅沢なものだ』
青年は、溜息をつきながら、入口の左にあるカウンターに取りついた。
「なにになさいます?」
カウンターに入っていた三十前後のバーテンダーは、青年の年齢を値ぶみしながら、事務的な口調できいた。
「ホット・ミルクといったら、殴られるのかな」
「いえ……いいですよ。本当に?」
「悪かった。ワイルド・ターキーをオンザロックで……」
「はい……」
バーテンダーは、微苦笑を見せた。本来は、パーサーなのだが、この時間はカウンターに入っているのだ。
『……おやおや、お相手は、全部、連邦政府の閣僚かい』
青年は、ラウンジの奥のコーナーで、ギギを中心にした閣僚たちの談笑を見やって、あきれた。地球連邦政府中央議会の主要メンバーのうちの、六分の一ほどが集合していることになる。
このハウンゼンには、数人の民間人も同乗していたが、彼等は、閣僚たちがラウンジに流れるのを見て、ここに来るのを遠慮したのである。
「……ギギさんのご意見は、反連邦的ですぞ?」
「そうでしょうか。一般的な女子供の意見です。それがすべて、浅慮なのじゃありませんよ。大衆の総意は、時にして、真実を訴えているのは、歴史的にも事実でしょうに」
カウンターの青年の細面の頬には、消えない微笑があって、ギギの青い理屈を耳にしていた。
バーテンダーが、ストローつきのグラスを、青年の前においた。
「ありがとう……大変なのでしょ。こういう船の勤務って?」
「そりゃね。偉すぎる人ばかりですからね」
「そうだろうな。乗っていても、肩がこる」
青年は、ストローつきのグラスから、バーボンを飲むということをするわけだ。
「でも……乗れるからいいじゃないですか」
バーテンダーは、青年とギギの集りを見くらペるようにしていった。
「そうでもないさ。他人には威張れないね。この船にだって、親父の力で、乗れたんだから」
青年は、真実そう思っているらしかった。
「でも、いいですよ。地球にもおりられるし」
「そりゃそうだ。ありがたい身分だね。文句はいっていないつもりだけどな」
結局、バーテンダーは、年齢が近い青年との方が、気分があうのだろう。口が軽くなった。
「地球には、なんでおりるんです?」
「植物観察官候補ってやつさ。まだ研修中だけど……」
「そりゃ、特権的ないい仕事だ。大手を振って、地球を歩けますものねぇ」
「そうだね。大変な特権だよ」
青年は、ニッコリと笑った。その笑顔は、柔らかく、人好きさせた。
ギギを中心にした閣僚のグループ以外のあいた席は、ラウンジの左右の壁にある情景ディスプレーが写しだす海と森の景色が、浮きぼりされていた。
「……地球連邦政府は、マフティーを本気で退治するつもりでしょ? それは、絶対にまちがいだって、マスコミがいっているの、ご存知でしょう?」
そのギギの強い声に、青年とバーテンダーは、あらためてそのグループを見た。
「そりゃ、暗殺団の首謀者だ。極刑に処する。それが、連邦政府の意見だ。知っているだろう」
「じゃなんで、マスコミは、マフティーのやっていることを、賛成しているの?」
「そりゃ、ウソだよ。ギギさん。一部のアングラのマスコミと、低俗な出版物が書きたてていることだ」
「そうかしら? そうだとしても、壁新聞、いたずら書き、みんな、マフティー・エリンは救世主! ニュータイプの再来! マフティーは、地球連邦政府を浄化する! って。スペース・コロニーでも、月でも、そんなのいっぱい書いてあったよ」
「じゃ、我々は、地球連邦政府のレッキとした閣僚だが、そんなに、殺されなければならないほど、大悪人に見えるかね?」
閣僚の一人が、ギギの真面目な抗議に、冗談めかしながらも、真実の実態を直視しろと本気になっていた。
「……マフティーの応援をしている一部の人びとが、まちがっていると思えないかい?」
「分らないから、聞いているのでしょ? ねぇ?」
ギギは、別の閣僚の膝の上にスーツと手を流して、たずねるのだった。
「……よくやるよ」バーテンダーが、青年にささやいた。
「なんであんな娘が、この船に乗れたんだろう?」
青年が、きいた。
「誰かさんの愛人ですよ」
「あんな歳で? 二十になっていないだろう?」
「でしょうね。しかしね、この船に勤務していると、ああいうのに出会うのは、珍しくないんですよ」
「……この船に乗れる家柄の家族でもないのに?」
「そりゃそうですよ……ああ、こんなこと言ったって、ほかでしゃぺらないで下さい」
「パーサーだものな? 大変だね」
青年は、わざと声をだして笑って、むこうの連中に、内緒話をしたと思われないようにした。バーテンダーも、青年の笑いに合せて、適当な笑い声を演じた。
その後は、通り一遍の会話が二人のあいだにかわされて、このラウンジ勤務の、もう一人のスタッフが、奥のハッチから入ってきた。
「メイス・フラゥワーつてのは、コックピットにあがると長いんだよな」
バーテンダーは、入ってきたブロンドの娘を見て、青年にささやいた。
「ようやくラウンジにいらっしゃったわね?」
ブロンド娘は、大きな唇でかたちのよい微笑を青年にみせた。
「ああ……一般大衆にちかい身分では、こういう場所は、とてもリラックスできないからね」
青年は、肩をすくめてみせた。
「そうは見えませんけど?」
ブロンド娘はお愛想をいって、水を一口のむと、
「キャビンの注文をきいてくるわ。最後のオーダーでしょ」
「そろそろだな」
バーテンダーは、カウンターの下にある時計を見て、うなずいてみせた。
3 ケネス
「お目覚めですか?」
メイス・フラゥワーは、最後にケネス・スレッグの席にまわって、おしぼりをハンドピンでつまんで差しだした。
「ありがとう」
「スナック、飲物のご注文はございませんか?」
ケネスは、おしぼりでペロッと顔を拭ってから、
「……目覚しのバーボンのオンザロックをもらおう」
ブロンド娘は、微笑を見せてから、身をひくとラウンジの方に流れていった。
ケネスは、足下にまとめてあった毛布をたたんで、それを前の席の下に押しこんで、鮮かなブルーを見せる地球の雲のディテールを眺めた。
『……険があるというのかな……なんだろう……』
そんなことで身体を動かして、ケネスはギギのことを思ったのも束の間だった。
「どうぞ?」
メイスが、ストローつきのグラスを運んできてくれた。礼をいって、グラスを受け取りながら、ケネスは、ふっと声にならない笑いを見せた。
「なにか、おかしいことありまして?」
メイスは、胸元をチラッとみるようにしてきいた。
「いや、自分のかってな思いこみを思い出してね。それが、おかしかったのさ」
そういった時は、ケネスは、いつもの多少冷徹な感じがする軍人の顔になっていた。
「そうですか……?」
「ぼくは、結局、君のようなタイプが好きだと気がついてね」
「あら? どういう意味でしょ?」
「うかつに説明すると人種差別の思想の持ち主だと勘ちがいされるから、説明はしないが、ブロンドでもいろいろちがうということさ」
「ああ、難しいお話なのですね」
ブロンド娘は、大きく肩をすくめると、赤い口紅がにあう微笑をみせた。
ケネスの前妻は、愛している愛している、といいつづけなければならない結婚生活を強要し、子供の運動会に出席するのも父親の義務だと声高くいう白人女だった。
ケネスにしてみれば、その前にパイロットなのだ、といいたいのを我慢しつづけてのあげくの離婚であったのだが、ケネスは、ブロンドの白人娘が好きなのだと思う。
感情の根の部分では、人種的な発想であったにしても、ケネスにとっては、人種的な問題という表現で区切られてしまうような性質のものではなかった。
もっと好みの問題なのである。
ギギ・アンダルシアという少女を、ケネスが好感できるのは、ギギの存在の重さの部分で、情操的な性質のものではない。つまり、理性で受けとめられるものがあるのだが、それも、もっと直感的なものであって、生理的なものではない、ということだ。
彼女がいる、という事実だけで、プレッシャーを感じるのである。
それは、存在の力としかいいようがない……。
もっと言えば、ギギという存在を見た後ならば、百万ペん、愛しているといいつづけることを要求する普通以下の女の方が、相手としては楽だ、という感じなのである。
「ン……気分を語るというのは、難しいものさ。観念的なものじゃないからね……自分だっていろいろな人と出会ったし、仕事もしたろう。しかし、いま感じたのは、君のようなプロポーションの方が、より好きだってことさ。そういう気分だ」
「中年の入口に立った方の……そう、口説き文句ですか?」
「結果的にそうきこえたって、構わないよ。ミス……」
ケネスは、言葉をのみこんで、目の前のブロンド娘の名前を忘れているのに、ドギマギした。
彼女は、スチュワーデスのユニホームの時は、胸にプレートをつけていたのだが、今は、コンパニオン・サービスでプレートはつけていなかった。
「……メイス・フラゥワー」
「フラワー?」
「いいえ、フラゥワー」
「どこの出身?」
「まるで警察ですね? だから、この船の勤務って、きらいなんですよ。地球は、たびたびなんですか?」
「そんなことはない。今度は、半分は休暇さ。君は、このあと休みがとれるのだろう?」
ケネスは、ウソをいった。
「お誘いですか? わたしは、着陸ポイントのホンコンに部屋を持っていますから、庭いじりですね」
「ホウ……いい身分じゃないか。どこのサイドの出身なの?」
「……宇宙、嫌いなんです。わたし、重力みたいな微弱な力を感じるらしくって、その方がいいんです」
彼女のその言葉に、どういう意味があるか知れないにしても、彼女の方が、ギギよりは好きだな、というリラックスした気分が、ケネスをつつんだ。
「時間があったら、会いたいな」
「そうですねぇ……歳をとるのって、つらいですか?」
メイスは、ハサウェイのシートにもたれるようにして、話しをそらせたが、ケネスは不愉快ではなかった。彼女に考える時間も必要なのだ。
彼は、ストローを一口吸ってから、「そうでもないよ」と答えた。
「どうしてです?」
「そうね……たとえば、君のような美人と話していても、ポッと上ることもなくなった。これは、それなりに楽しい。ティーンエイジャーの時代は、胸がドキドキして苦しくて、結局は、なにも起らない……それよりは、いい」
「ドキドキされる方が、うれしいけど?」
「それは、初恋を知ったころの君の理想が残っているからさ。現実がちがうということは、もう知っている」
「フフフ……いわれてしまったわ」
メイスは、ハッチからあの青年が出てきたので、「では……」という視線をケネスに見せて、その青年とすれちがった。
「すみません。お邪魔してしまって……」
その青年が、ケネスに初めて声をかけた。
「いや……」
ケネスは、こいつは何者だろう、と思いながらも、窓の下に流れるようになった地球を見入りながら、バーボンのストローをすった。
となりの青年が、パーソナル・コンピューターをのぞき初めてすぐに、ラウンジの客が全員、キャビンに移ってきた。
ケネスは、シート越しにギギ・アンダルシアが、紳士たちに守られるようにして、入ってくるのを黙って見つめていた。
『あのヤニ下った閣僚を見れば、マフティーがやったことに、賛成したくなっちまう』
ケネスは、また、彼等、閣僚たちとマフティーの関係を思った。
組織のしがらみのなかで、生きているのが大人であり、それから逃げ出すことができないから、軍人をやっているのである。
『好きに生きていられれば、おれだって、マフティーの仲間になっていたな……』
それは、多少の自意識をもっている人びとの感慨であろう。
しかし、普通の人びとは、自分たちの暮しを守っていくのが精一杯で、自分の暮しの方法を見つければ、それにしがみついて暮すだけなのである。
普通の人びとは、地球連邦政府の閣僚や高官などと接触はもてないし、なによりも、政治という曖昧模糊としたものを相手にして、暮している暇はないのである。
それはケネスもおなじで、モビルスーツが好きだという面があるから、軍にいるにすぎない。
その結果、好きなものをいじって暮していける自分の暮しは、悪いとは思ってはいない。
人型の兵器、モビルスーツは、彼にとって、真底、感情移入できる対象なのである。
『シャアの反乱』の時も、第一線でモビルスーツのパイロットとして戦い、そのなかでエクスタシーに近い感覚まで経験している。
素直であれば、率直にこたえてくれるマシーン。彼を裏切らなかった唯一のものであった。
だから、今日まで、やってこられたのである。
『そうなんだよな……ギギというのがいるから、生臭いことを思い出したが、おれにとっては、女は障害物にしかならなかった……』
ケネスは、そう思う。
4 ハイジャック
ハウンゼンは、人工衛星軌道を周回しながら、大気層の上面をバウンドするようにして減速をしながら、機体をだましだまし濃密な大気のなかに、降下させていった。
スぺース・コロニー時代以前の乱暴な飛行はしないが、それでも、その間、乗客たちは、自分たちのシートにしばられて、多少の振動をがまんしなければならなかった。
宇宙のフライトになれた感覚には、大気のなかを飛ぶというのは、不安を増長させるだけのもので、宇宙に住む人びと、スペースノイドには、嫌われていた。
「空気という奴は、流れているからな。宇宙よりもやっかいだ」
それがケネスたち、プロのパイロットの間での、地球上の飛行の評価だった。
真空という均一な空域は、障害物にであわなければ、安定した飛行を約束してくれた。それが、宇宙のパイロットたちの飛行の概念である。
ケネスは、高度一万メートルから見おろす海面のブルーに日を細くして、機体の振動がどういう性質のものか推測しようとした。
なにか考えていないと、機体の振動音が、神経をさか撫でして、たまらないからだ。
「…………?」
二度ほど、妙なものが飛んでいるな、と思った。それは、下からすべりこんで、上に流れていった。
「古い機体だな……」
そのていどの認識だったが、そのおなじシルエットに見えるものが、上から降下して、窓を横切った時、ケネスは、嫌なものだ、と感じた。
「……あら……」
ちょっとスットンキョウな声が、前の方であがった。あの少女、ギギの声だ。
「……なんです?」
ひとつ席の空いたむこうの席から、青年がきいた。
これが、青年がケネスに積極的に声をかけた二度目である。両手は、しっかりとパソコンのターミナルを押えていた。
「……え?」
ケネスは、ギギの声もその青年の質問の意味も分らなかった。
と、いきなり、ドゥッ! と激しい振動が、キャビンをゆすった。
「キャーッ!」
「おおっ!?」
大人たちの悲鳴が、あがった。
シートベルトが、ケネスのふとももに食いこみ、一人の夫人の身体が、天井にぶつかって落ちるのを見た。
「……ショック・ウェーブ!?」
ケネスは、通過していった所属不明の機体のスーパーソニック・ウェーブで、ハウンゼンがゆさぶられたと思った。
その機体の振動は、ややあってからおさまったが、長くこまかい振動は、静かになる気配はなかった。
「なんだ!?」
「しっかりして!」
キャビンの中央でそんな声が上ったが、ケネスは、外を観察しようとしたが、小さい舷側の窓は視界が極度に狭くて、外にある機体など見えなかった。
「べース・ジャバー・タイプの機体に見えたが……」
「どこの飛行機です?」
となりの席の青年だった。
「わからん……来た!」
別の機体が、ななめ前から後方にまわりこむのが見えたが、そのベース・ジャバーに似たひらべったい機体のどこにも、所属を示すものは描かれていない。
濃緑色にペッタリと塗られた機体は、サビが浮いていて、フロント・ガラスも拭いたあとなどはないラフな扱いだけがわかった。
「ショックが来ます!」
ケネスは、キャビンに叫んでいた。
なんです!?」
「ニアミスだが、意識して接近しているように見える」
「意識している?」
青年が、ケネスのとなりのシートに移動してきた。
「パーサー、状況を知らせい!」
ケネスは軍隊口調になって、キャビンの背後をふりむいていた。
「……あ……?」
その青年が窓に乗りだし、ケネスが見た時は、外の機体の一部が、ハウンゼンの後方に流れて消えた。
「ハウンゼンを追尾しているらしい」
ケネスは、立ち上った。
「大丈夫ですか?」
青年がきくのもかまわずに、ケネスは、キャビンの通路に出た。
ガッ! ガッドウッン……! ショック・ウェーブにハウンゼンが上下左右にゆれたものの、ケネスは、両腕を左右にひらいてシートにつかまって、踏んばっていた。
しかし、別の客、閣僚の一人の身休が、天井に跳ね上っていた。
「そのご婦人をおさえてっ!」
ケネスの命令も、悲鳴を上げる初老の夫人たちにはきこえなかった。さっき、天井に身体をぶつけた夫人の身体が、もう一度、浮いて、落ちた。
「パーサー! コックピットに入れてもらうぞ!」
「ケネス大佐!」
バーテンダーをやっていた青年が、ラウンジの方のハッチから制止しようとしたが、あわてて壁のインターフォンを取ったようだ。
ドーン!
また衝撃が来たが、ケネスはシートに捕まって、身体が浮くのを堪えた。かなり訓練された軍人である。
パーサーの方が身体を天井にぶつけて、インターフォンのコードをひきちぎっていた。
「うおーっー!」
うめきと悲鳴がないまぜになった音声が、キャビンを押しつつんだ。
「……どこの機体だ?」
青年は、ケネスの席にすべりこんで、窓をのぞいた時、正体不明の機体が、後方にチラッとその翼を見せ、また、ハウンゼンの背後につくようにした。
「……ハイジャックです。敵の意図が不明ですが、撃墜されることはありません。落ちついて下さい」
ハウンゼンのキャプテンの放送が流れたが、それっきりだった。
「…………?」
青年は、不可解そうな表情を見せて、パーサーが立ち上ったのを見、ブロンド娘が顔をひきつらせながら、さきほど天井にぶつかった夫人のために、救急箱を持って通路を走るのを見やった。
「さっきの声は、ギギって娘だったな?」
青年はギギの席の方を見たが、シート・ベルトをしたままでは、なにも見えなかった。
青年は、すばやく元の席に移ると、シート・ベルトをしなおして、通路にしゃがみこんだブロンド娘が、附かけから飛び出している夫人の丸っこい足を、シートの方に押しいれようとしているのを見つめた。
その前方のコックピットにつながるハッチの方に、ケネスは見えなかった。
「…………」
ドゥーンー
今度の衝撃が一番大きく、さらに、長かった。
「アゥーッ!」
ハサウェイの視界のなかにいたブロンド娘の身体が、通路から広い空間のある天井部分で、大きく開いて天井にぶつかり、次に、シートの背もたれ部分に、脇腹をぶつけるようにして落下した。
「ゲッ……!」
ブロンド娘は、身体を縮めるようにして、背もたれから背もたれにバウンドするようにして、青年の方にとんできた。
青年は両腕を上げながら、ブロンド娘の腹部で顔をおおわれながらも、その身休を受けとめていた。
「……! 大丈夫ですか……」
「あ……ああ……」
「すわっていたほうがいい」
青年は、右隣りの席にメイス・フラゥワーの腰を入れさせようとした。
「ウックッ……」
大きく喘ぎながらメイスは、青年のとなりにすわりこんだが、せっかくの髪はパサパサになり、頬の血の気もなくなっていた。
「ベルトを……」
「そうね。そう……ありがと」
メイスは、両方の手で自分の身体をさぐってみて、身体に異状がないかどうか確かめた。
「ただ、打っただけみたい……」
背もたれに頭をのせたメイスは、青年をチラッとみたが、青年は、彼女にお愛想をかえしている間はなかった。
「……なんだろう? あの音……」
青年は、キャビンの背後からきこえる音を気にしていた。
ガチャガチャと金属が接触するような音は、メイスの身休を、となりの席にうつすころからきこえていたのだ。
「後部のエア・ロック?」
メイスは、背もたれから頭を上げることもできず、きいた。
「冗談じゃない。マフティーめ!」
それは、ケネスだった。
コックピットにつながったハッチから飛び出し彼は、手に拳銃を持って、ラウンジの方に走ろうとした。
「待ちたまえ。大佐」
「エインスタイン大臣っ! マフティー・エリンです。奴が、乗りこんでくるというんです」
青年のややうしろの席にすわる閣僚が、ケネスを制止した。
「本当にそうならば、拳銃をすてろ。現在のハウンゼンには、かなりの閣僚が搭乗しているんだ」
その大臣は、ケネス大佐の手首をつかんでいた。
青年は、その会話をききながら、シートベルトをはずしていた。
「あのマフティーが、よりによって、このハウンゼンを捕獲しようというのです」
ケネスは、大臣の手をふりはらって、ハサウェイのわきをラウンジの方に行こうとした。
「こんな高空で、信じられん!」
「高度は、六千メートルをきりました。それに、このスペース・シップは、完璧なエア・ロックですから、キャビンになんの影響も与えずに、入ってくることができるのです」
このケネスの声が、ハサウェイの背後に移動した時に、
「そういうことだ。ケネス大佐! 撃銃の撃鉄をおさめて、こちらに投げるんだ! 床にすべらせてなっ!」
その声は、ラウンジの方からあがったようだ。
「見るな」
青年は、隣りのメイスの頭が、動く気配を感じて、短くいった。
「ハイジャッカーとは、視線をあわせないほうがいい」
その青年のわきで、ケネスの腰がコックピットの方に後退をはじめるのが見えた。
「銃をこちらへっ!」
その命令する声は、ややこもった感じにきこえた。ケネスは、青年の横で、銃を床におろすと、すべらせた。
青年は頭を動かさずに、ケネスの腕の動きと、ケネスの引きつった頬を見つめて、背後のハイジヤッカーの動きを予測しようとした。
その動物的な青年の目の動きは、身を引くケネスも気づいていた。
「…………?」
ケネスは、手を上げてさらに後退をした。
「結構だ。大佐」
ケネスの銃をひろいあげたハイジャッカーは、その銃を腰の弾帯のあいだにつっこんで、右手にもつ小型のマシン・ガンをケネスにむけた。
「連邦政府閣僚各位に申し上げる。わたしは、マフティー・エリンだ」
そう宣言する男の声がこもっているのは、ハローウィンの時に、仮装でつかうかぼちゃのマスクをしているからだった。
5  ハサウェイ
かぼちゃマスクが、左石の席をゆったりと観察しながら前進をして、ケネスは、コックピットにつうじるハッチに背中をおしつけて、立ちどまった。
青年とブロンド娘のメイス・フラゥワーの横に、かぼちゃマスクがきた。
かぼちゃマスクにつづいて、アイパッチをした海賊のマスクが、ケネスのわきに走りこむと、コックピットに通じるハッチをひらいた。
二人は、革のジャンパーにジーンズなのだが、その腰には頑丈な弾帯が締められて、手機弾までつるしていた。
腰の拳銃の銃把は、つかいこんだツヤで輝いていた。プロである。
「……閣僚閣下とご夫人各位には申しわけないが、諸君たちは、我々が諸君たちをどうあつかうかは、すでにご存知であろう。大佐は、すわれっ!」
かぼちゃマスクは、ケネス大佐をキャビンの最前列のシートにすわらせると、アイパッチがひらいたハッチを背にした。
「……しかし、今回の作戦は、過去のものとはちがう。なにがなんでも、諸君たちの命をとろうというのではない。無差別攻撃にも、限度というものがある。また、我々、反抗勢力としても、時には、軍資金が必要な時もある。今回は、軍資金調達のための作戦である。諸君たちの命と引きかえに、地球連邦政府から軍資金を調達する。それが完了すれば、諸君は、解放される。ほかの民間人たちについても、各位の身分に見合った解放協力金を調達できれば、解放する」
かぼちゃマスクの口元があいているために、声は、それほどこもることはなかったが、ハローウインのマスクは、こういう時に、人を恫喝するのには、有効な雰囲気があった。
キャビンの背後に、さらに別の仲間が入ってきたようで、パーサーが殴られてうめくのが、ハサウェイにきこえた。
魔女のマスクとアパッチの海賊マスクが二人、コックピットの方にすすんで、コックピット側のドアをひらかせたようだ。
手前のドアは半開きのまま、かぼちゃマスクが、ドアを閉じないように身体でささえた。
彼等は、すべて、軽量のマシン・ガンで装備しているのは、せまいキャビンで、船そのものを傷つけることをさけようとしているのだ。
「命だけは、助けて下さい! 頼みます!」
そんな悲鳴が、老婦人たちのあいだからあがった。
「悲鳴を上げるな! 神経がいらだつ!」
かぼちゃマスクが、夫人たちを恫喝し、キャビンを静寂が支配した。
「結構だ……この状態がつづけば、諸君の命は助かるだろう。我々は、現在、ある場所で軍隊を編成している。地球連邦軍の締めつけにたいして、対抗するためだ。そのためには、金がいる。おたがいに、無駄な血は流さないように協力を要請するわけだ……パーサー!」
「は、はい、これがリストです」
パーサーが、ファイル・パネルをかぼちゃマスクに手渡した。彼の右の頬には、あざが浮き出ているのが、青年にも見えた。
「ン……そこにすわっていろ」
ファイルを受けとったかぼちゃは、パーサーを自分の前の空いた席にすわらせてから、ファイルを見て、「……よし、諸君の点呼をさせてもらう。閣僚閣下にはもうしわけないが、小学生になった気分で、手を上げて返事をしてもらう」
かぼちゃは、マスクの穴からキャビン全体を見回してから、次々と閣僚たちの名前を呼んでいった。
当然、その夫人たちも、挙手と返答を強要された。
マフティーの活動が顕著になってから半年、こんな時期に、これほどの数の連邦政府の中央閣僚会議のメンバーが一隻の船に乗ることは異状といえた。
しかし、ハウンゼンの運航は、軍にも秘匿されているのが建て前であったし、この船だけは、マフティーも手をつけていないという事実が、このような結果になったのであろう。
「諸君等は、どのように、この船の情報をつかんだのかね」
かぼちゃマスクのわきにすわっていた閣僚の一人が、点呼がおわらないうちに、きいてしまった。
「こちらの指示にこたえる以外、質問の必要ない!」
「しかしね、君……わたしたちとしては、君たちの組織の秘密を調べる立場にいるのだから……」
その鷹揚なきき方こそ、議会の海千山千のやりとりに、なれすぎた大人の言葉遣いで、ナーバスになっているハイジャッカーたちの神経を、逆撫でするには十分だった。
「よくしゃべるっ!」
かぼちゃは、彼の手にしたマシン・ガンを短くならして、薬莢をキャビンに舞わせた。一
瞬のことだった。
「オゥーッ!」
うめきを上げて立ちあがった夫人の右頬と肩には、血がにじんでいた。その彼女は、一度、通路に立ったものの、そのまま失神して、反対の席に上体を折るようにたおれこんだ。
「どうした!」
魔女のマスクをした男が、コックピットのほうから飛び出して、かぼちゃマスクにきいた。
「処刑だ。気にするな。ホンコンと連絡をつづけろ。我々の状況と要求を連邦政府に打電して、早急に、信じこませなければならん」
「了解だ」
「いいかいっ! 手前等! マフティー・エリンがやっていることなんだ。それを忘れるなと忠告したはずだ。まだ、立つなよ!点呼は、おわっていないっ! もう一人や二人は処刑する覚悟はあるんだからなっ!」
かぼちゃマスクの怒声をきいてから、魔女のマスクは、コックピットにひつこんでいった。
かぼちゃマスクは、再度、リストを見て、
「ギギ・アンダルシア」
「はい……」かぼそい返事が、シートの谷間からあった。
「若いな? なんで、こんな船に乗っていられるんだ」
マフティーの名前を連呼するかぼちゃが、ギギの席を見たようだった。
「コネがあったから、です」
「事情はあとできこう。ハサウェイ・ノア……」
「はい……」
返事をして手を上げたのは、ブロンド娘のメイス・フラゥワーのとなりの青年だった。
「ハサウェイ・ノア……? お前か?」
「はい……」
青年は、そのかぼちゃマスクと、視線をあわせてうなずいた。
「ハサウェイって……あのハサウェイか?」
「君の想像通りだとおもう」
青年は、はっきりとこたえた。
「そうか……反軍、反思想の持ち主ときいていたが、なんで……いや、いい。あとの話だ。
今は、人質の一人になってもらうぞ?」
最後の声音は、あきらかに好意がふくまれていた。
だからといって、青年は、彼等の言動に気を許す風はなかった。むしろ、身体を緊張させるようにして、顎をひいた。
その小さな彼の動きは、となりにすわっているメイスにはわかった。脇腹の痛みに叩きながらも、メイスは、青年の両方の手が、膝の上で組み合わされていたものの、ゆっくりと開いたり閉じたりしているのを見ていた。
「…………!?」
「ケネス大佐の両手は、縛っておけ」
かぼちゃマスクは、ラウンジの方のハッチを固めているアイパッチの海賊マスクに命令した。
「ハッ……」
海賊マスクは、はっきりと軍隊式の返答をした。
「乗客は、二十二人、クルーは、五人。一人は死亡した。遺体のかたづけは、誰でもいい。やってくれ」
キャビンには、それにたいして応答する者はいなかった。
「仲間だろう? 死亡したのは、保健衛生大臣だ。ええ……!」
かぼちゃの催促に、ハサウェイ・ノアが、手を上げた。
「……できるのか?」
「昔の戦争で、ひどい死体は見ているつもりだが……」
「ン……年寄りは、員数外と考えるか。パーサー君、ハサウェイ君をてつだってやれ」
「は、はぁ!」
パーサーは、情けない声をだして、立ちあがった。
ハサウェイは、パーサーのわきを前にまわって、卒倒した夫人のとなりの席を見た。
「やったな……」
ハサウェイは、脳漿と血でよごれたシートに、三発の弾丸を顔にぶちこまれて、つぶれてしまっている大臣の顔を見て、眉をしかめた。
「しかたがなかった。状況が状況だ。見ていたろう」
かぼちゃマスクが、ハサウェイの背中にいった。
その男の反応に、ハサウェイは、御しやすい男だと感じた。しかし、敵は何人いるのか不明な状態では、うかつに、行動を起すことはできないともわかっていた。
「……毛布だな、パーサー」
ハサウェイは、パーサーにぞんざいにいってから、同じ列の窓ぎわで、目を閉じて天に顔を向けている閣僚のひとりを嘆息する思いで見やった。
「この大臣を移動させたい。いいな?」
通路に立つかぼちゃマスクにきいた。
「おい、科学技術大臣よ! 立てよ。邪魔だろう!」
天井を見上げていた大臣があわてて立ち上って、前のシートの背もたれに、這いあがるようにして、前の席、ギギのとなりに移動していった。
それから、ハサウェイとパーサーは、このキャビンでもっとも忌わしい仕事をはじめた。
その仕事がおわる頃になって、気絶していた夫人が気づいて、毛布に包まれた遺体にとりついて、盛大に泣きはじめた。
ハサウェイが、あまった毛布をまとめて、パーサーに渡そうとしていた時に、「チッ!」というかぼちゃマスクの舌を打つのを聞いた。
「奥さん、声を出すのをやめた方がいい。殺されますよ」
パーサーは、ハサウェイから受けとった毛布を、うしろの席の通路側の席においた。
「主人が、こんなことになるのなら、あたしも、殺された方がいい!」
泣き叫ぶ夫人は、上体をもむようにして絶叫した。
ハサウェイがまずいな、と思った時には、背後からかぼちゃマスクの手が、ハサウェイを押しのけていた。
「俺たちは、比喩的な表現というのが、嫌いでね?」
言葉がおわらないうちに、その夫人の後頭部にマシン・ガンの銃口が押し当てられて、ゴポッとした音が発せられた。
それだけで、キャビンは、また静かになった。
「貴様っ!」
さすがに、ハサウェイは、上体をねじるようにして、かぼちゃマスクの下の目を睨みつけた。
「なんだよ!」
かぼちゃマスクは、反射的に身をひいて、ハサウェイに銃口をむけた。
「マフティーだなんて、ウソをいう連中なんか、やっちゃったら!?」
その少女の声は、鮮烈に、かぼちゃマスクとハサウェイを打った。
「なに?」
そのかぼちゃマスクの一瞬の動揺と、ハサウェイが、その男の顎にアッパーカットを入れたのは、同時だった。
当然、通路の背後にいた海賊マスクが、銃口をむけた。
ハサウェイは、上体をひねりながら、通路側のシートにパーサーがおいた毛布を投げつけながら、通路をころがっていた。
海賊マスクのマシン・ガンの銃声と毛布の束に弾着する音が、頭上でした。
その一瞬、ハサウェイの足は、海賊マスクの足をはらい、下に向けられる銃口を見ながら、その射線の右に身体をおこしていた。
次には、ハサウェイは、両手でシートの背もたれをささえにして、海賊マスクの顔を踏みつけ、踵でマシン・ガンを持つ右手首を、押しつぶしていた。
その背後では、起き上がろうとしたかぼちゃマスクを、ケネス大佐が体当りをかけて、マシン・ガンを脇腹で押えるようにして、床にたおれこんでいた。
ハサウェイは、海賊マスクの手からマシン・ガンをもぎとると、ケネス大佐とかぼちゃマスクをのりこえて、コックピットに通じるハッチに銃口をむけた。
「また、死刑か?」
コックピットで背をむけていた魔女のマスクがふりむいたのと、ハサウェイが引き金をひ
いたのは同時である。
その魔女のマスクは、身体を横にかがめながらも、マシン・ガンの銃口をむけようとした。
ハサウェイは、構わずに前に出ながら、そのマシン・ガンを叩き落すようにして、コックピットにはいった。
最後の海賊マスクと視線をあわせた時、ハサウェイとの距離は、六十センチといったところだった。
ハサウェイは、その男のマシン・ガンの銃口を、手にしたマシン・ガンの銃口で叩いていた。その一瞬の挙動で、敵の戦意はそがれた。
ハサウェイは、マシン・ガンの銃口を、男の右胸にしっかりと押しつけて、
「手を上げて! 味方機に、こちらの制圧は終了したから、離脱しろといえ」
「そんなのは、いっちまった……」
たどたどしい英語だった。
ケネス大佐が、手首をくくられたまま、マシン・ガンを手にしてコックピットをのぞいた。
「すんだか?」
「…………!」
ハサウェイは、外を見ろと目配せしながらも、男の肩からガンベルトを外していた。
「やはり、ベース・ジャバーだ。軍の払い下げを使っていたのか?」
パイロットの声だ。
「ほかには?」
ハサウェイは、ケネスにきいた。
「四人だけだ。コックピットで、連中が接触してきた時に、確認している」
「どうやって?」
「乗りこむ時にいってくれたんだ。それでカッとなっちまってな」
ケネスは、パーサーが持ってきてくれた果物ナイフで、手首のいましめを切ってもらいながら説明した。
コ・パイロットが、ハサウェイが牽制している男の手を、備品入れの中の予備コードで、うしろ手に縛った。
「機内点検してくれ。急いでな」
パイロットが、パーサーに命令した。
「よくもまあ、うまくいったもんだ。失敗したら、どうするつもりだったんだ?」
「どうもしない。一緒に、海に落ちていたか、保健衛生大臣のようになっていただけのことだ」
ハサウェイは、脇の下の汗を冷たく感じて、ようやくホッと息をついた。
「ともかく、こいつは、ラウンジの方に縛りつけておこう」
ケネスは、マシン・ガンを肩にすると、男のアイパッチのマスクを外してから、キャビンに押し出していった。
一応、事態が収まるまでは、警戒する必要があるだろうと思ったハサウェイは、ケネスのあとにしたがって、パーサーが民間人の乗客ともう一人のハイジャッカーを、ラウンジに連れていくのを警戒した。
「……大佐! それと、ハサウェイ・ノア君でしたか? 感謝します」
最前列のシートのあの少女、ギギ・アンダルシアは、ハサウェイと視線をあわせると、かすかに微笑をもらした。
その少女の微笑に、ハサウェイは、彼女の一声があったからうまくいったのだ、と思いついていた。
「…………?」
ハサウェイは、なんで彼女は、ハイジャッカーがマフティー・エリンの名前をかたったと分ったのだろうか、という疑問にとりつかれた。
彼等には、そんな気配はなかったはずなのだ。
しかし、ギギ・アンダルシアは、まちがいなく、この人たちはマフティーではないと叫んだ。それで、うまくいった……そのことになにか意味があるのだろうか? というのがハサウェイの疑問なのだ。
6 ランディング・グランド
ハウンゼンは、ハイジヤッカーのベース・ジャバーに接触された時に、機体に損傷を受けたのであろう。
キャプテンから、着陸地点の変更の放送があった時、キャビンは、騒然としたものの、不規則な振動がつづいていたために、騒ぎもおさまって、ただ重苦しい不安だけが、キャビンを支配した。
「……ダパオと連絡がとれました。二十分後には、ダパオの空港に着陸します」
なん度目かのキャプテンの放送で、着陸地点が明らかにされた。
「おやおや……これからわたしが赴任する基地じゃないか……」
ケネスは、ハサウェイ・ノアに、そんなことをいうのも、共同の仕事をした仲間意識が湧いたからだろう。
「なんでです? ホンコンより遠いのに……」
「ああ……ハウンゼンの垂直尾翼が、調子悪いのさ」
ケネスは、救命胴衣のベルトをたしかめながら、ハサウェイにささやいた。
「直進しかできないか、右に流されているのですか?」
「そういうことだ」
ケネスは、ウィンクをしてみせると、目を閉じて、背もたれに頭を押しつけるようにした。
「ノア君……」
通路をはさんだとなりの席の閣僚が身をのりだして、ハサウェイの肘をつっついてきた。
「はい……?」
文化教育振興大臣のマクガバン氏だ。
「君は、シャアの反乱の時には、モビルスーツを操縦したんだってな? ハウンゼンは、大丈夫かね?」
大臣のむこうの夫人も、不安そうな表情をハサウェイに見せていた。夫の質問の論理が、ひどく飛躍していることには気づかない。
「今は、空を飛ぶもののことは知りません。スペース・シップは、ことにね……でも、ダパオを選んだのですから、大丈夫でしょ」
「そうか。そうだろうね……」
「ぼくも、神に祈っていますから……」
「ああ、そうか、そうか……」
ハウンゼンは、キャプテンの予告通りに、ダパオの西に新設されている長大な滑走路に着陸して、キャビンは、あかるい歓声と拍手につつまれた。
「ま、わたしとしては、移動する必要がなくなったから、楽になった」
ケネスは、救命胴衣をはずしながら、ハサウェイにニタッとした顔を見せた。
「……ここの空港、こんなに大規模だったんですか?」
ハサウェイは、窓から空港の様子をのぞこうとすると、ケネスが、窓に手を拡げて隠すようにした。
「本当は、ここは民間人には見せられないんだ」
「でも、民間航空もつかっているんでしょ?」
「ああ、残念ながら、そうだ。連邦軍だけのものじゃない……」
ケネスは笑うと、
「ハウンゼンから出りゃ、たっぷり見学はできるしな?」
ケネスは、ハウンゼンがエプロンにむかって移動をはじめたので、席を立つとコックピットに入っていった。
「……しかし、こんなところにおりられたら、次の移動はどうするんだ!」
「ここは、不自由な場所じゃなかったのか?」
さきほどまでの緊張などは忘れたように、そんな不満が、閣僚たちのあいだからおこった。
「……いやいや、ここの方が、アデレートには近いのでありますよ? 諸君。南国の空気を楽しむのも一興というものです。アデレート便は、ただちに用意させましょう」
前列にすわっていた内宇宙監視人臣が、同僚の死を忘れたような脳天気な演説をして、ほかの閣僚たちの拍手をかった。
ハイジヤッカーの脅威から助かったという安心感がさせることはわかるのだが、それを見る民間人としては、楽しい光景ではなかった。
「……良くいうよ」
さすがに、ハサウェイはムッとしたものの、黙って窓のむこうに移動する南国の景色を見つめることに専念した。
ハウンゼンは、その空港の管制ビルの前のエプロンに停止すると、ややあって、エア・ロックに、降乗客用のウォークウェイがつながれた。
ここダパオのあるミンダナオ島は、元来、航空便が発達した島である。地球連邦軍は、その設備に付帯するようにして、南太平洋管区の空軍の基地を駐留させているのである。
ハサウェイは、ラウンジに移って、椅子に縛られた捕虜の様子を見た。
「……いやー、ノア君、いい活劇だったぜ」
パーサーの頬のアザは、ますます黒くなっていた。
「良くないよ。暴力は後味が悪い……負傷したハイジャッカーは、ひどいんだろう?」
「死にはしませんよ。すぐに医者もくるでしょうから」
ハサウェイは、捕痺の猿ぐつわがゆるんで、舌でも噛まれないかと心配したが、捕えられた三人には、そんな気配はなかった。
まだまだ生気があり、軍人とはちがう人種に思えたが、彼等なりに、なにか目的があってやっているという自信が、彼等の目に光をもたせていた。
「身体、大丈夫?」
ハサウェイは、メイス・フラゥワーが着替えもしないで、ハッチのわきに立っていたので、声をかけた。
「なんとか……ね?」
彼女はそうはいいながらも、髪をととのえようとして両手を上げたものの、しやがみ込んでしまった。脇腹が痛むのだ。
そのメイスをパーサーがかばって、閣僚たちがおりるのを襟をただして、待つようにした。
「いやいや、ハサウェイ・ノア君、君のおかげで、無事に味方の基地におりられたというものだ。感謝するよ」
閣僚とその夫人たちは、そんなことをいいながら、次々にウォークウェイにむかった。
そこからは、潮気を感じさせるような空気が、多少の熱をもって、ゆったりとラウンジの方に流れてきた。
密閉空間になれた五感には、その異質な空気は、新鮮なものに感じられた。
ことに、ハサウェイにとっては、その感覚は、この数年なれきった空気だったので、ひそかに深呼吸をしながら、閣僚たちとほかの客には、愛想の挨拶をくりかえしながら、見送っていった。
「…………!?」
乗客たちの最後が、ギギ・アンダルシアだった。
ハサウェイは、視線があって、というより、彼女が、ハサウェイと視線があうのを待って、立ちどまった。
「…………?」
「フフフ……」
ギギは、透明なブルーの瞳に笑いをうかべた。
「なに……?」
ハサウェイは、口のなかでそういったが、声にならなかった。そのハサウェイの一瞬のためらいのあいだに、ギギは、彼の前をすりぬけて、ウォークウェイの南の島の空気のなかに泳ぎ出していた。
「俺の部下になる連中がくる。すまなかった」
ケネスが、ようやくキャプテンとラウンジに入ってきた。
「ま、異状はないようです……」
ハサウェイは、捕虜を見やって、ケネスにいった。
「ああ、この連中、ギギがいっていたとおり、マフティーじゃねぇらしいな?」
「騙りだっていうんですか?」
ハサウェイは、わざと知らぬ顔できく。彼には、そのような事情があるのだ。
「調べてみなくっちゃ、分らんがね? 可能性としては、オエンベリに集結しているマフティーの軍隊のかたわれかもしれない」
「……? マフティーの軍隊って?」
ハサウェイには、その話だけは、初耳であった。南の島の暮しになれているからといっても、すべての状況を把握していないのは、月に行っていたからでもない。
「おれも、まだ詳細は知らない」
「オエンベリって?」
「オーストラリアの北部の街だ……その近くに、数万の不穏分子の集結があるってよ」
「ハッ! キンバレー司令は、現在、オエンベリ方面に出動中であります」
「あ……?」
ハサウェイとケネスの間に、割りこんでどなるように報告した士官は、駆けこんできたばかりで、息をセェセェさせていた。
「……ハッ!自分は、キンバレー部隊、陸戦第5分隊のレイ・ラゴイド中尉であります」
「ああ、新任のケネスだ」
ケネスは、ひょっと軽く敬礼をかえしたのを待って、ハサウェイはきいた。
「あの……ぼく、おりていいですか?」
「ロビーで待っていてくれ。調書を取らなければならないし、今夜のホテルの手配なんかもこっちでやらなきゃならんだろう」
「こっちって、大佐の赴任先の部隊がですか?」
「マフティー狩りは俺たちの仕事だ。警察にも文句はいわせない。ハウンゼンの運航会社のパン・スペースにだって、ここに着陸したんだから、こっちの管轄下だ」
「そうなんですか?」
「仕方がないだろう?」
ケネスは、ふくれっ面で抗議をしたハウンゼンのキャプテンに、はっきりとそういった。
「大佐! 自分たちは、なにをすればよろしいのでありますか!」
「ああ、中尉、ご苦労だが、マフティーを名乗ったハイジャッカーを収容しろ。警察とか調査局の連中より前にいただくんだ」
「ハッ……!」
ハサウェイは、そんな彼等のやり取りを背にして、ラウンジの最後尾のシートにすわりこんでいるメイスに手で挨拶をすると、ウォークウェイにむかった。
全身にたまった疲れが、さわやかな暑さにふれて、発散していくように感じながらも、私服の警官らしい男女が、ハウンゼンの方に足早にむかうのを、ぼんやりとした感覚でとらえていた。
ハサウェイにとっては、ケネスの言葉が気になっていたのだ。
オエンベリにマフティーの軍隊があるらしい。その掃討にキンバレー自身がむかっている。
その二点について、ハサウェイは、想像がつかない事件であったからだ。
『どういうことなんだ?』
「……あ、お名前を!」
ハサウェイがウォークウェイを出たところで、数人の空港職員、警官、それに、ここを基地にしている士官たちが、待ちうけていた。
「ハサウェイ・ノアだ……」
「あ、はい……VIPルームで、お待ち下さい」
「こちらです」
いかにもこの島の出身らしい、バネのきいた身体を持った女性職員が、ハサウェイの前に立った。
「ありがとう」
ロビーは、銃をもった兵士たちでかためられて、一般の乗降客とは完全に隔離されていた。
案内されたブ厚いマホガニーのドアのむこうは、空港ロビーの一室にしては、明るく豪華すぎる調度で飾られた広いロビーだった。
一面は、滑走路に面した巨大なガラス窓になっていて、体育館ほどのスペースに、朱色のソファーと紫檀のテーブルが、となりの会話があからさまに聞えない距離で、広く配置されていた。
「刑事警察機構の長官は、どちらでしょうか?」
ハサウェイの前で、眼鏡をかけた中年の男が、二人の部下をしたがえて、この部屋のコンパニオンに聞いていた。
「どちら様でしょうか?」
「連邦調査局の者です。事情聴取については、長官と段取りの打ち合わせをしたいので……」
「長官は……ああ、あちらです」
「すまない」
三人の私服が流れるように、閣僚たちがくつろぐあいだを走っていった。
ハサウェイは、この部屋に似つかわしくない男たちの動きを目で追いながら、太陽の光に吸い寄せられるようにして、窓の方に歩んでいった。
「いやー、英雄の登場だな」
「ハサウェイ・ノア! 握手をさせて下さいな。お若い時は、軍人でいらっしゃったのですってね?」
「死んだハイラム・メッシャーには、気の毒しましたが、あの後、わたしたちが捕虜になっていましたら、地球連邦政府は、重大な打撃をあたえられました。わたし個人の命の問題ではなくて、感謝いたします」
助かって安心した夫人たちは、饒舌になっていた。なかには、孫のようなハサウェイにきつい抱擁と接吻をする夫人もいた。
「いえ、人として当たり前のことをやっただけです」
ハサウェイは、そんな常套句をなん度もいって、ようやく窓ぎわのソファにすわった。
ギギもいるはずなのに、と思う間もなく、白いブラウスに、床にとどくのではないかという黒のロングスカートで身をかためたコンパニオンが、東洋風に深々と頭をさげて、飲み物の注文をとりにきた。
「あ……ジンジャエールを頼む」
「はい……」
彼女と入れちがいに、調査局だと名乗った三人の男たちを引き連れた刑事警察機構の長官がやってきた。
「……同じ船にいながら、自己紹介をしませんでしたな? ハサウェイ・ノア君。思い出しましたぞ。お父上は、宇宙軍、独立13部隊のラー・カイラムの艦長、ブライト・ノア大佐。君は、シャアの反乱の時には、軍のモビルスーツを操縦して、戦ったのでしたな?」
「とんでもない。盗んだんですよ……戦争に勝ったおかげで、罪にもならずにすみましたが……」
「いやいや、たいしたものですよ。わたしは、刑事警察機構のハンドリー・ヨクサンです。調査室の事情聴取には、つきあってもらう必要がありますが、ここのキンバレー部隊と、ちょっともめていましてな……君には、あすまではダパオに滞在してもらいたいのだが、可能かね?」
「構いません。ぼくは、メナドに帰るところですから、ここで、便を待ちます」
「メナド……? スラウェンの?」
長官のうしろにひかえていた、調査局の眼鏡の男がきいた。
「はい、ミナハサ半島で、植物監視官の訓練中です……」
「そうか……あの教授か? アマダ・マンサン?」
「はい……」
「よし。ホテルを手配してやってくれ。キンバレー部隊はここに泊めるというだろうが、構うものか。外のホテルを手配しろ」
「もちろんです」
「我々のホテルは、航空会社がやってくれるはずだ。それは、それ。これはこれだ」
「でも、事情聴取でしたら、今でもいいですよ」
「きょうは、時間だよ。解散、解散。南海のタ日を見ながら、夕食という段取りを、女房共は待っている。こういう苦労は、君には、分らないだろうな?」
長官は、楽しそうに、ハサウェイの肩を叩いて、自分たちの席にもどっていった。
それを待って、コンパニオンが、ハサウェイの注文の飲み物を持ってきた。
ホッと一息つく間もなく、調査局の眼鏡の男がもどってきて、名刺をさし出した。
「……ゲイス・H・ヒューゲスト部長?」
「……頼みがあるんだが、今回の事件は、一般社会には内密でな。いいな?」
その口調は、ちょっと癪に障る。上役がいないとぞんざいになるのだ。
「もちろんです。部長……」
「それにね、長官はああいったが、少しだけ状況を聞かせてもらえないかな? 偉いさんは、気楽でいかんのだ……頼むな」
眼鏡の男は、ハサウェイの返事もきかずに立ちあがっていた。この挙動にも、一般の人間を人間と思っていないところが臭った。
そんな官僚の感覚をかすかに嫌悪しながら、ハサウェイは、ジンジャエールをストローをつかわずに飲んだ。
「…………?」
なんで気がつかなかったんだろう、とハサウェイは思った。
口にしたグラスのむこうのソファーに、ギギがすわっていたからだ。
7 ウィズ ギギ
ギギは、ハサウェイが立った時から、まっすぐに彼を見つめたままだった。長い透明な金髪が、肩をふんわりとおおっていた。
「……さっきは、なんで笑ったんだい?」
簡単にいえた、という安心がハサウェイにあった。
「別に……わたしが嫌いなのに、あの時は、あなたは、わたしを気にしたから……」
笑いをふくんだギギの言葉だった。
「船では、紳士方が声をかけているので、ぼくみたいな若造は、近づけなかった。格が違いすぎるだろ……それに、笑いの件は、違うな。あなたは、別のことを考えていたろ?」
「そう? わたしが?」
いいながら、ギギは、すわって下さい、と手で示した。ハサウェイは礼をいいながら、初めて、ギギを正面からみて、美しいと思った。
「きれいだな。本当に……」
「ありがとうございます」
こういう受けこたえにはなれているギギがいうのだが、少しも嫌味にはきこえなかった。
「本当だ、ウン……」
「フフ……」
肯定と自信に満ちた笑いだったが、それさえも嫌味ではない。そういった言葉をすぅっと受けいれてしまう少女なのだ。
しかし、ハサウェイは、ギギがなにを思いついていたのか、ということについては、具体的なことを思いついていたわけではない。
「……なんで、ハイジャッカーたちが、マフティーの名を騙る連中だと見抜けたんだ?」
別のことをきいてしまった。
「人は身体にあらわれますもの……そう、さっき笑ったのはねぇ、彼等がマフティーの名前を使ったから、思いついたんだけど……」
ギギは、息をついた。
「え……?」
ギギは、ひょっと上体をのりだすと、
「マフティー・ナビーユ・エリン、つまり、正当な預言者の王、という名前を名乗るのは、あなた、ハサウェイ・ノアだって、分ったってこと」
「ハッハハハ……! ぼくはごらんの通り、ごく普通の青年だよ?」
ギギは、そんなハサウェイには、まったく興味がないようだった。あからさまに、ハサウェイから目をそらして、窓の外の空港の広い景色を見た。
ハサウェイは、そのギギの反応に、次の言葉をつづけることができなかった。
「…………」
ジンジャエールを持ってくるのだった、と思った。ギギは、黙ったハサウェイをチラッと目のはじにとらえて、
「正直ね……そういうの好きよ」そういった。
「…………?」
ハサウェイは、膝に肘をついて両手を組みあわせながら、ギギを上目使いに見た。
『この娘は、ウソがわかるんだ……』
そう思うことは、この空港で、捕まる覚悟をつける、ということを意味した。
ここは、マフティー・エリンを捕捉せん滅をするために編成されたキンバレー部隊が駐留している空港なのである。
ケネスがいうとおり、今日までの指揮官、キンバレー・ヘイスン大佐は、相手としては甘い男であった。それが、この半年間のマフティー・エリンとしての行動が、自由にできた理由である。
しかし、そのキンバレーも、今は、オーストラリアに侵攻しているという。となれば、ケネスが、残留部隊の指揮をとることになろう。
ケネスのようなタイプは、怖いのだ。強いぞ、怖いぞと見栄をはるタイプは、御しやすいのは、世の常である。
ハサウェイは、ブルッと身休をふるわせて、またもギギが嫌う言いまわし、「証拠はない」という言葉を思い出していたが、言うのをやめた。
それで、もうひとつのパターンの言い方を思いついた。
「こういう言い方も嫌いだろうけれど……」
「言ってみて?」
ギギは、横を向いたままいった。
「質問をして、逃げるというやり方だ。なんで、君は、そう思ったのかってね?」
「ハウンゼンに乗った、ハウンゼンに乗るにしては歳が若すぎる、なぜあんな風に戦えたか。状況証拠としては、十分よ」
「なんでさ?」
「……人って、自分のことになるとバカになるって、本当ね」
「……教えてくれ……」
「……そうでしょ? マフティーの名前を利用する連中に出会って、カッとしてやっちゃったのよ?」
「ああ……!」
そのギギの言葉に、ハサウェイは、自分がなんであんな危険な仕事をしたのか、わかったような気がした。
ギギは、そのハサウェイを見て、ようやく和いだ笑いを見せた。
「今のことで、ぼくが……いや、いい。……しやべりすぎは、嫌われるよ」
「こんなこと、ほかの人にはしゃべらないよ。嫌われるの厭だもの……本人ならいいでしょ? とてもスリリングだし、楽しいし……」
「なにをいっても、言い返されるからなにもいわないが……時には、言葉で人を殺すことができるということは、覚えておいて欲しいな。これは、比喩ではないよ」
そのハサウェイの言葉に、ギギは、うめくようにして、顎にした手をひいて、上体の背筋をのばした。
顔色が、蒼白になるのがわかった。
「そんな……そんなことは、絶対にいやだ……わたし……」
「…………」
こんどは、ハサウェイが、絶句する番だった。ギギは、無神経でも、しゃぺることが好きな娘でもないのだ。
彼女は、自分でしゃべったことをすべて信じているのだし、言葉の重さを信じるから、あたりさわりのない言葉には、反応しないのである。
それが、相手次第であることは、当然なのだが、すくなくとも、彼女は、ハサウェイと海千山千の政治家たちをゴッチャにしてはいない。自分の興味を刺激してくれる人にたいしては、素直なのである。
「ギギ・アンダルシア……」
「わたし、そういう女ではないよ? 本当だよ?」
「わかるよ。しかし、事実は、注意深くゆったりと進行するものだ、ということも知る必要がある」
「そうだね……それ、最近、わかるようになった……」
「そうか……つらいんだ……」
「……バカ……」
ハサウェイの言葉にギギの瞳が、ギラッと色をおびたようだった。そして、突然、彼女の上体の力が抜けて、背もたれにズシッと沈みこんだ。
その瞳がうつろな色にかわると、テーブルの上の汗をかいたグラスを見つめた。
「よう、英雄!」
また、閣僚の一人が、ハサウェイの肩を叩いて、別のグループの方にいった。
「……推測でも、本当のことをいわれると、つらいことがあるものだ……」
「…………!」
ギギの顎が、鎖骨のあいだに埋まったままうなずいた。
「ここでの会話は、忘れよう」
「忘れないよ……あなただって、そうじゃないか」
ハサウェイは、黙った。
「……失礼……」
ゲイス調査局部長にしたがっていた黒い髪の若者が、横から声をかけてきた。事情聴取を、ギギからやりたいと告げにきたのだ。
ギギは、疲れをはらうように、元気な返事をして立ちあがって、ロビーの入口にむかった。
『参ったな……』
ハサウェイは、この展開のまずさに、覚悟をきめざるを得なかった。
ここから逃げ出すにしては、ハサウェイは、このキンバレー部隊の駐屯する基地の配置を知らなさすぎた。
ハサウェイは、ジンジャエールが残っているテーブルにもどると、窓に向いてすわった。
滑走路には、島づたいの定期便が離陸するところだった。その光景は、この百年、かわりばえすることなくつづいている。
ハサウェイは、一か月ほど前にも、この空港の偵察写真はみているのだが、キンバレー部隊の正確な装備も戦力もわかっていないのである。だからこそ、ハサウェイは、今回、月に行って、新しいモビルスーツの調達に走りまわっていたのだ。
『……今すぐに、ガウマンたちが出てきてくれるほど、タイミング良くはいかないものな……』
ハサウェイは、この一月会っていない同志たちの顔を思い出していた。
しかし、ハサウェイがハウンゼンで帰投することが決った時、幾つかの危機回避の方法は、検討したつもりである。ガウマンが来るという意味は、ハサウェイがなにかの事情で動きがとれなくなった場合、ハサウェイの近くを攻撃するという作戦である。
それで、嫌疑を回避するなり、脱出する機会を手にいれるという作戦である。
ほかにも、ハサウェイの動静をチェックするために、ホンコン・エリアを中心に、かなりのスタッフが配置されているはずだった。
ダパオにかんしては、ハサウェイたちの作戦を実施する目と鼻の先の基地であったので、通常以上の連絡員が潜伏しているはずなのだ。
しかし、今日の事態がチェックできるかどうかは、ハサウェイの立場では、確かめる手立てはない。
このロビーの壁際にある電話は、盗聴されている可能性があるので、触るわけにもいかなかった。
調査局のとりあえずの状況聴取は、VIPルームのとなりの部屋で行なわれて、事情聴取がおわった閣僚たち夫婦は、次々にハサウェイに挨拶をして、指定されたホテルに出発していった。
ハサウェイが、最後になってしまったのは、事件を処理した当事者の一人だと考えられているからであろうが、待たされる側にとっては、絞首刑台の十三階段をあがるのを待っているようなものだった。
ギギは、十分もしないでもどってくると、飲みさしのジュースをかえてもらうように、コンパニオンに頼んでから、ハサウェイの席にきた。
「疲れているの?」
「えっ?」
ハサウェイは、また、ギギの神経と頭の構造を疑ってしまった。
彼女は、さきほどの落ちこみを忘れて、なによりも、彼女のハサウェイについての推測話などは、忘れたとしか思えないような、日常的な言葉遣いをした。
「……そりゃあ……ね……」
ハサウェイには、そういう以外、なにが言えただろう。
「……ホテルまでリムジン出してくれるつて……待っているからね?」
ギギは、手にしたカードをハサウェイの前のテーブルにおいた。タサダイ・ホテル発行の会員券のようだった。
「待つ、つて? なに?」
「一緒のホテルみたいだから、一緒に行こう」
「そう……」
ハサウェイは、そのギギの言葉に、気がぬけていくのがわかった。
ギギのような娘である。事情聴取のあとで、ホテルのことを知らされれば、ハサウェイの宿泊場所もきいたのであろう。ということは、ハサウェイが、逮捕されるようなことは、しゃべっていないということになる。
「……そうか……」
ハサウェイは、あらためて、あかるい窓を背にしたギギのすっきりと背筋の伸びた姿を見つめて、
「……どういう女性なんだろうね?」
ギギは、微笑を作った顔を傾けて、長い髪を片方の手で、ひょっと上げてみせて、
「自由でありたいのよ。ホラ、本当のことって、簡単にわからないでしょ? それをわかりたいと思うと、そりゃ、用心するときもあるよ」
そう言った。
「お待たせいたしました」
「ありがとうどざいます」
ギギは、ていねいにコンパニオンの女性に礼をすると、ジュースのストローを口にした。
ハサウェイの目は、ジュースがすうっと減っていくのを見ていた。
「…………?」
ギギの瞳が、きいてきた。
「いや、ジュースの色、きれいだなって……君の唇もすてきだって……」
「それ、お礼のつもり?」
「それもあるが……君が元気になって、嬉しいのさ」
「……大丈夫、わたし、元気になるために、地球におりてきたんですもの」
「ホンコンに住むの?」
「ウウン……ニッポンの山のなかがいい、って考えている」
「ニッポン……? あそこ、入れるのかい?」
「入れるよ」
「そう……行ってみたいな。ぼくの母方の先祖の出身地なんだ」
「それで、そういう顔しているんだねぇ」
ギギは、グラスをおくと、つくづくとハサウェイの顔を見つめた。
「よせやい……」
「……そんなあなた見ていると、いいたくなっちゃう」
「なにを?」
「マフティーのやり方、正しくないよ」
「ほかのやり方があるならば、教えて欲しいって、マフティーはきくよ」
「……あるよ」
ギギは、真面目な表情を崩さずに、答えた。そのするっとした反応に、ハサウェイが、驚いてしまった。
「なんだい? それ……」
「絶対にまちがわないでやれるっていうならば、理想的な独裁政権の樹立よ」
「ハハハ……」
ハサウェイは、その真実をついたギギの答えに、はじけるように笑った。人のあいだ、つまり社会の組織の問題を度外視すれば、事実、そうだろう。
「おかしい?」
ギギが、初めて甘えるように、不服そうな表情をみせた。
「そりゃ、そうさ。しかし、それができる人間がいるとすれば、それは神様だよ」
「じゃね、あなたが、神様になればいい」
「ウン、そうだが、そんな人がでてくるころは、人類全体が神になっているよ」
「ああ、それが、ニュータイプってこと?」
「そうだね。現実は、きびしいよ。まだまだ、そこまでいかない。ローカルなレベルでの政権をとるのだって、簡単じゃないし、地球連邦政府レベルでの、政権奪取なんて、一人の人間の意思でできるものじゃない」
「……そうなのか……」
「人類がつくった組織は、バカにできないくらい巨大だ。とても面倒だね」
「……だからって、ハイジャックもひどいよ? 怖かったもの……」
「……そうだね」
「だから殺されるっていうのも、もっと怖いよ」
「そうだよ……そう思うよ」
ハサウェイも、本当にそう思っているのだ。
「ハサウェイさん。お願いします」
調査局の若者だった。
「ああ……じゃ」
「フン……待っているわ」
ギギは、膝頭に両手をおいて、ハサウェイにいってくれた。
8 ホテル
「いや、ありがとうどざいます。ノアさん。ホテルにお引きとり下さい」
調査局のゲイス部長は、ボールペンを背広の内ポケットにおさめて、ハサウェイの横にすわっている若者に目配せした。
「ハッ……これが、ホテルのカードです。ご自由にお使い下さい」
「ありがとう。あすは?」
「もう一度ぐらいは、出頭していただくことになりますね。ケネス大佐の方でも、調書を取りたいって、談じこんでるんで、ぜひ……」
「ンーッと、じゃ、どうしましょう?」
「……そう……明日の九時に電話します。それでスケジュールを決めて下さい。ここが気に入ったなら、そのホテルを好きに使って……」
「無期限で?」
ハサウェイは、官僚がやることを試したくなって、冗談めかしてきいた。
「いいですよ。チェック・アウトなさる時には、カードをフロントに渡して下されば」
「ホゥー……そりゃ便利だ」
どこまで本当か知れない話に感心してみせて、ハサウェイは、調査局の若いスタッフがひかえる部屋で、自分のスーツケースを受け取って、フロント・ロビーにでた。
「ギギさんは、車でお待ちです」
「そう……」
ハサウェイは、物めずらしさを装って、ロビーを見回しながら、どんな人の動きも見逃すまいと、内心では緊張していた。
ターミナル・ビルのエントランスは、キンバレー部隊の気配などはどこにも見えない、ごく普通の空港ロピーの光景がある。
「……こちらです」
「はい……!?」
ハサウェイは、その時、一人の同志らしい若者の動きを見つけたが、合図をかわすというわけにはいかず、黙って、調査局の若者にしたがった。
夕方のさわやかな空気のなか、車寄せには、薄いピンク色のリムジンが待っていた。
それは、ちょっと想像していなかった光景なのだが、ギギが立っていると、妙に似あう絵になっていた。
暑さも気にならないていどにおだやかになり、風のない空気は、地球の理想的な解放感をおしえてくれた。周囲の緑がかもし出す香りも、人工物になれた五感には、刺激的に気持ちよかった。
「どうぞ?」
ハサウェイは、ギギを先にすわるようにすすめた。
「ン……ここに立っていると、パーツとした気分になれて、いいんだ」
ギギは、そんなことをいって、頭からリア・シートに潜りこむようにした。
ドアは、調査局の若者が閉じてくれて、車が発車すると、ハサウェイは、調査局の若者にふりかえって手をふった。
しかし、本当は、背後の道路一帯を観察するためだ。
ターミナル・ビルから半周するようにして、ハイウェイに入ろうとする左側には、駐車場からの出口がいくつかあり、そのひとつから出た一台の車が、ハサウェイたちのリムジンの背後についた。
「…………」
ハサウェイは、その事に期待をかけて、ベージュの織り物で取りかこまれたリア・シートに、身を落ちつけた。
「なにが気になるの」
ギギの口もとが、ハサウェイの耳元でささやいたが、それが、あまり間近だったので、ハサウェイは、ギギの息と体温を感じて、ギョッとした。
「……別に、と言いたいが、君に、嫌われたくないからね……」
ハサウェイは、ギギの髪の中に、鼻をつっこむようにしてささやいた。
「……危険になるのはもっと厭だから、しゃべれない……」
そのハサウェイの言葉に、ギギの肩が一瞬ふるえたようだった。そして、
「……フフフ……」
ギギは、ハサウェイの頬に、自分の頬をよせて笑った。
それは、芝居だったのだろうが、ハサウェイには、ギギの女性の本性の香りを感じたような気がして、とても太刀打ちできない、と感じて身をひいた。
そのハサウェイの視界のなかに、ややプッとふくれるギギの表情があった。
「…………?」
ハサウェイの内心に、彼女の表情にたいしての疑問符がわく間に、ギギは、自分のシートにすわり直して、窓の外にむいてしまった。
「…………」
ひどくまずいことをいったのではないか、とハサウェイは思った。が、ギギにすれば、その芝居がかった一瞬を、もっと楽しみたかったのだ。
だから、そんな自分の気分を想像してくれない若い男の子を、相手にしたくないだけなのだ。
その彼女の気分は、緊張しているハサウェイには、想像つくものではない。かすかな後悔と不安を抱いたまま、ハサウェイは、夕方の南の街の郊外をながめた。
二十分もしないで、リムジンは、タサダイ・ホテルに到着した。
それは、百年前の最新技術を駆使したトロピカルなつくりに、時間が積み重なって、重厚さをみせる一流のホテルだった。
エントランスのひろい空間の中央には、ココナツの林がつくられて、天井の明り窓からは、夕方の太陽の光が、フロント・サイドを浮きたたせていた。
ハサウェイとギギが、カードを提示すると、フロント・クラークは、ギギの魅力に目をうばわれながらも、客を物色するような態度は見せず、二人の荷物をポーターに運ばせた。
「…………?」
ハサウェイは、エレべ−クーにむかう間に、さきほど、空港で見た男の影が、背後から駆け寄ってきた女と肩をならべるのを見つけた。
『ミヘッシャか……!』
ハサウェイは、よく知った顔を見つけて、内心ホッとしながらも、ポーターとギギにしたがってエレベーターに乗った。
ミヘッシャ・ヘンスと男は、まちがいなくハサウェイの乗ったエレベーターのようすをうかがっているのを確認できた。
ポーターは、三十六階のボタンを押した。
「最上階は、四十三階? なにがあるの?」
「はい、レストランとバー、それに、ダンス・フロアもあります」
「……へぇ!」
ギギが、歓声をあげた。
エレべーターのドアがひらくと、左側は窓になっている廊下だった。ホテルの廊下とは思えない豪華なつくりで、一方が窓になっていた。
「すごいフロアーじゃないか」
「はい、ここには、長期滞在用のスウィートしかありませんので」
「うわーっ!感激!」
ギギは、海とゆるやかな稜線を見せる光景に歓声をあげながら、ポーターについていった。
この左の光景の右奥に、空港とキンバレー部隊の基地があるはずだった。
ポーターは、その廊下の突き当り近くまで行き、となりあわせの部屋のキーを、二人に渡してから、ギギの部屋に、スーツケースを運びこんだ。
「すごい部屋!」
ギギが、感嘆の声をあげるのも当然であった。正面のかなり広いリビング・ルームからは、岬と水平線がひらけて見えた。
メイン・ベッド・ルームは右。
左には、食堂と補助ベッド・ル−ムがあり、そちら側は、ダパオの街並みが、夕日のうすボンヤリとした空気のなかに、ひっそりとひろがっていた。
旧世紀にくらペれば、人口は、五分の一以下になっているはずの街なのだ。
ハサウェイは、部屋を案内するポーターについて、右側の食堂のベランダに出て、街の方をのぞいてみた。
小高い山が、ゆるやかな稜線を暮れなずむ空に、くっきりとその影を描いて、遠くからは、鳥の鳴き声がきこえた。
「……まいったな……」
ハサウェイは、木造り風に見せた手すりにもたれて、溜息をついた。
このような状況を設定して、逃げ出すことを防ぐという意味では、監禁されたのだ、と思いついたのだ。ホテルの最上階までは、十数階、下までも三十数階。
つまり、上下をおさえられている、という考え方をするのが、今のハサウェイである。
「ああ! ハサウェイのスーツケースも、この部屋でいいわ」
「はい?」
キッチンからバスルーム、化粧ルームと案内されたギギのそんな声が、ハサウェイにきこえた。
「……ギギ! そりゃまずいよ」
クローゼット・ルームから、ポーターに案内されてきたギギに、ハサウェイはいった。
「なんで?」
「ぼくは、となりの部屋でいい」
「いやよ。こんな広いところに一人で寝るなんて、さびしいよ。ハサウェイは、このベッド・ルームを使いなさい」
ギギの論理は、明快である。
「……じゃ、頼む」
ハサウェイは、ポーターを待たせるわけにはいかなかったので、ポーターにチップを渡して、自分のスーツケースを運びこませた。
「フロントにも、そういっておいて……」
「はい……」
「知っているかな? ハウンゼンのお客さん、ここには泊っていないの?」
「ああ、あなた方もハウンゼンでしたか」
「偉いさんたちと一緒ならさ、食堂で会ったりするだろう? 心構えをしておかなくっちゃね?」
「そうでしょうね。おつきあい、ありますものね?」
ポーターは、ハサウェイの荷物を、壁ぎわのキャビネットの上におきながら、三組ほど、はいられたが、お名前は知りません、と言った。
「……他にご用は?」
「お茶となにか甘いもの、持ってきて下さらない」
ギギが、リビング・ルームの方からいった。
「はい……」
端正な容姿を持ったポーターは、きびきびと窓ぎわの小型テーブルの上にのっているメニューを取ると、ギギに手渡した。
「ンー、このタトル二、三種類の盛り合わせと、ミルク・ティー。ハサウェイ、なんにする?」
「果物があれば、頼みたいが……」
ハサウェイは、ギギの前のソファにすわった。
「あるわよ? キウイとかミカンとか……」
「ミカンがいい。それ、日本のものだろう」
「はい……。お飲み物は?」
「わたしと同じ」
ギギの間髪をいれない言葉に、ハサウェイとポーターは微苦笑をかわして、それから、彼は会釈をして、部屋を退出した。
「……ぼくは、シャワーを使わせてもらうが、いいな?」
「いいよ。あたしも使うけど?」
「じゃ、遠慮なく……楽にしたいんだ。君がいるということで、気を遣うことはしたくない」
「同じよ」
ハサウェイは、そのギギの言葉を背に受けながら、自分のベッド・ルームに入って、スーツケースをひらいた。
シャワー・ルームは、ともかく豪華一点張りのタイルでしきつめられて、シャワーの器具も、陶磁器製のものが使われていた。こんなバスタブを使ったりすれば、自分の身体が小さくなるのではないか、というプレッシャーに陥るものだ。
『敵の提供してくれたホテルが、安全だと思うほどヤワじゃないが……あのギギという子をどう考えたらいいんだ……』
水に近いシャワーの感触に、地球にもどってきたという実感を感じながらも、ハサウェイは、なんとかここを出て、ミヘッシャたちと接触をしなければならないと思案した。
『……このホテルの利用は、カードですませられた……名前の記載もなかった。つまり、秘密に使われる場所だ。著名人や高官たちが、愛人を連れこむこともあるだろう……盗聴があるとは思えない……』
しかし、階下にミヘッシャがいるとなれば、ハサウェイには、彼等と接触しなければならないのだ。
バス・ルームの鏡で奥歯の調子をたしかめて、ハサウェイは、洗面道具のケースから大きな毛抜きを取り出した。一見、ふつうの毛抜きなのだが、やや先がカーブをしていて、セットした奥歯をぬくことができた。
親知らずをぬいた部分に、歯の形をしたカプセルをはめこんで、そのなかにマイクロ・フィルムを隠してあった。
着替えをしている時、ドアのむこうからギギの鼻歌がきこえていた。
ハサウェイは、歯から取り出したものを手帳のあいだにはさみ、もう一組の手帳の革表紙のあいだに隠しておいたものは、そのままにして、リビング・ルームに出ていった。
「ギギ……!?」
あきれるより先に、ギギは、こういう少女なのだという警戒感を持つべきだった、とハサウェイは後悔した。
「マッ!」
ギギは、唇をとがらせて肩からバッとタオルをはおるようにしたが、彼女の全裸が、一方の鏡に映っていて、ハサウェイは、彼女のきれいなプロポーションを見てしまった。
「失礼ね!」
「よくそういえる」
ハサウェイは、ピシャリといった。
「え……?」
ギギは、ハサウェイの反応の良きに、すばやく身体をつつんだタオルをととのえた。
「夫婦でもないし、同棲をオーケーしたわけでもない……そうであったにしても、家のなかで、どこかまわず裸でいる女は、嫌いだな」
ハサウェイは、注文のものがきているテーブルの方に歩みよって、新しく用意されたルーム・カード・キーをとった。
その間に、ギギは自分のベッド・ルームのドアを、バタンと閉じて、それっきりだった。
「図星かい……?」
ハサウェイは、いいながらも、紅茶の一杯も飲む時間を使わなければ、外には出られないと計算していた。ポットの紅茶をいれた。
『ひっかけているのか……?』
ハサウェイは、ギギのことを思った。
タルトのかすかな甘さが、ハサウェイの気分をリラックスさせ、なんとか自然に、散歩に
出る段取りができたと思った。
ギギのベッド・ルームのドアをノックして、散歩にでるが、ときいたが、ギギの応答はなかった。
「ギギ……!」
もう一度、名前を呼んだ時、
「……どうぞーっ」
彼女の泣いているような叫びがきこえた。
「ホテルの周りのようすを見るだけだから……」
そういい残して、ハサウェイは、廊下に出た。
『ああいう女なのか……』
ハサウェイは、常道的な言葉で、ギギを意思から切り捨てようとした。それが早計な判断であろうが、こちらの誤解であろうが、ハサウェイには、ギギの気持ちにそって、彼女を理解してやって、彼女の気をひく気はなかった。
『……これで、彼女を敵にまわしてしまうということになれば、軽率だったか……』
エレベーターを待ちながら、そう思った。
仲良くしておけば、味方になってくれるかも知れない。しかし、嫌われたら、調査局かケネスの側につくのも不自然でないのが、ギギ・アンダルシアなのだ。
そのような少女だから、ハサウェイは、気を許しているのである。
それは、逆説的だが、ごく普通の反応をするような少女だったら、ハサウェイは、つきあう気はしなかったろう。
ハサウェイは、そういう青年になっていた。
『……そうだよな』
それが、ハサウェイ自身にとって、危険な一面でもあることも承知していた。その納得が、そんな言葉になって、ハサウェイからもれるのだ。
『クェス・パラヤとおなじか……』
その嘆息は、ハサウェイには重い……
その名前を忘れることに、どれだけ努力したか知れなかった。
そうであっても、彼女の存在が、現在のハサウェイを作っているのは、まちがいのないことなのだ。
だから、ギギのような少女に会うと、無条件でそばにいたくなる……
9 コンタクト
ハサウェイは、フロント・フロアーの柱の影に置いてある観光ガイドのパンフレットをとり、ショッピング・アーケードとコーヒー・ラウンジの方を迂回したりして、いかにも、このホテルを見学しているという風にしてフロント・ドアにむかった。
そのとちゅうで、例の男とミヘッシャ・ヘンスが、追尾してくれるのを待って、ハサウェイは外に出た。
ヤシの葉をゆする風が吹きはじめていたが、まだまだ、暮れるという時間ではなかった。
道路に出ると、そのハサウェイのわきをミヘッシャが、書類袋をかかえて、追い越していった。
「…………」
書類袋を持つ右手が、ふわっと招くようにハサウェイにふられたが、それは、ごく自然な癖のように見えた。ハサウェイは、その彼女を追うかたちになった。
当分、この状態がつづくのだろう。
車の数が多い通りに出ると、街灯やネオンがつき出した。二十分も歩いただろうか。
いくつかの角を曲り、ミヘッシャのわきに潮っ気で錆ついた車が、平行するように接近してきた。
『あれか……』
ハサウェイは、納得する間もなく、ふりむいたミヘッシャが、軽く手で合図をしたので、ハサウェイは駆け出していった。
ミヘッシャが、乗りこんだあとに、ハサウェイも素早くすぺりこむ。車の運転は、空港にいた青年だった。
「ご苦労様」
「これで良かったんですか?」
車休をふるわせるようにして、加速をつけるリア・シートで、ミヘッシャ・ヘンスは用心深い質問をした。
「ベターだ。追われているようすは?」
「はい、ハサウェイさんの前後は、じっくり調べたつもりです」
運転席の髪の真っ黒な青年がこたえた。
「結構だ」
「彼が、ここの専従者のミツダ・ケンジ君」
「ありがとう」
「いえ……」
その東洋人の青年は、オンボロ車のハンドルを力任せに操作しながら、夕方の車の流れのなかに、車をまぎれこませるようにした。
「ひとりで敵のなかにいるとつらい。助かったよ」
「ご迷惑ではなかったのですね?」
ミヘッシャは、こういう点にひどく気がつく女性だった。
「まず、これがガンダムの受け入れのコースのデーターだ。解析して、各磯用にコピーしてくれ」
「どういうことで?」
「オート・パイロット用のデーターだよ」
「ああ! イラムに渡せばいいんですね?」
こういうことには、ミヘッシャは、少しばかりうとい女性だった。
「新型のガンダムは隕石をよそおって、こちらに降下する時間はきまっている。あすの夕方だ。これは、変更しようがない。ロドイセヤに、準備をいそがせて」
「はい、用意はしていますけど……大変だったようですね?」
「ああ、マフティーの名前をかたるハイジヤッカーに、ハゥンゼンが乗っ取られてね……」
そこでようやく、ハサウェイは、ハウンゼンと空港までの事情を説明して、その上で、オエンベリのマフティーの軍隊のことをきいた。
「それ本当なんです。マフティーの基地がオーストラリア大陸にあるって、うわさを信じた連中が集っているんです」
「クワック・サルヴァーがやっていることなのか?」
「ちがいます。自然発生的な事件で、クワック将軍は喜んでいますが、現在時点では、我々は、接触していません」
「どのくらいの数なんだ?」
「三万ぐらいだ、という話です」
「そうか……そういう運動が起るということは、我々の運動はまちがいではなかったんだな……しかし、キンバレー部隊がオエンベリに出たんだって?」
「きのうです。主力部隊が、オエンベリに出撃しました」
運転していたミツダが、説明してくれた。
「新任の司令が来る前にか?」
「そのせいでしょ? えらく急に出動しましたよ」
「なるほどね……それで、キンバレーがあせったんですね? そのおかげで、こちらのガンダム受け入れ準備が、妨害されなかったんですね?」
「ああ……しかし、こんどダパオに来た司令は、そうはいかないぞ」
「分っています。新型のモビルスーツが、ダパオにきたのも、新任司令の力でしょ?」
「新型?」
「確認していないんですが、テストしているようです」
「やはりな……。月での最終調整に時間がかかっているあいだに、地球連邦軍の新しいモビルスーツが入るという情報をきいたんで、強行手段をとったんだが……こんなことで、時間がとられるとはね……確実を期して、ハウンゼンに乗ったら、これだったんだから……」
「騙りをした連中って、オエンベリの組織から出たんでしょうか?」
「それは分らないが、可能性としては、あり得る」
「ハサウェイは?」
「タサダイ・ホテルから、あすの午前中いっぱいは、出られないだろう。連邦政府調査局とキンバレー部隊の監視下にあると思っていい」
「じゃ、陽動をかける必要はありませんか?」
「いや、ケネスは、ぼくをよく調べている。ぼくの経歴を見ていけば、怪しまれる要素はあるよ。やってくれ」
「それと、そのギギですか? 安心できないんでしょ?」
「ぼくにとってのダミ−になるのか、キンバレーのスパイになるかは、まだわからない」
「どういうことです?」
「説明は、勘弁してくれ。むずかしいんだ……だから、ぼくが怪しまれないためにも、目くらましの攻撃はやってくれた方がいい」
「危険ですよ?」
「ああ、ぼくの宿泊している部屋は、中層だ。上の方をやってくれればいい」
「でも……」
「メドナのアマダ教授にも、軍の調査が入るかもしれないといっておいてくれ」
「はい」
「……ガンダムは、時間通りに降下するんだ。いいな?」
「ミツダ君の飛行機で、ロドセリヤにもどりますから……入れちがいに、エメラルダにきてもらいます」
「頼む……」
ミツダの車は、大きく街を迂回しながらも、タサダイ・ホテルにもどるコースにはいった。
10 ハンター
「まずいな……ハンターだ」
「なに?」
ハサウェイは、ミツダの声に、後部席から、前方をうかがった。
繁華街に近い街並みは、人口が少なくなったといっても、夕方の雑踏は、それなりのにぎわいがあった。
その道路中央に、黒いワンボックス・カーが数台、道をふさぎ、その周辺には、黒ずくめの革のユニフォームに身を固めた男たちが、人びとを恫喝していた。
「……どうする?」
「ハサウェイはいいでしょうけど、わたしたちは検挙されるわ」
ミヘッシャは、ジャケットの襟を立てるようにした。彼女は、一度、このハンターにとらえられて、宇宙に強制送還されている経歴をもっていた。二度の逮捕を受ければ『遠島刑』と呼ばれる辺境のコロニー送りになる。
なによりも、ハンターにとらえられたあと、宇宙に送還されるまでの彼等の処置が、恥辱にみちたものであることが、人びとを恐れさせていた。
「……土地勘は、五分五分だからな……」
ミツダが、そんなことをいうと、ゆったりと右の脇道に車を入れた。
「気づかれなかったかしら?」
「逮捕した連中を輸送車に乗せていたからな……」
ミツダは、左右とバックミラーを交互に見ながら、狭い道を行きかう人びとを気遣かっていた。
「フィルムは、ドタン場になったら、噛みくだいてくれ。もうひとつスペアがある」
「は、はい……そうします」
「うわ……この野郎!」
前方から、一台の車が侵入してきたので、ミツダは、あわてて車を右に寄せて、早くやりすごそうとしたために、逆に少し速度が早くなって、次の通りに出てしまった。
ミツダは、一瞬、どちらに曲るか決めかねて、車を停車させてしまった。
「…………?」
ハサウェイは、自分側の窓に、黒いサンバイザーを下した男の顔を見てしまっていた。
彼等、ハンターは、どんな気候であろうとも、仕事をする時は、黒づくめのかっこうである。それだけを見ても、彼等が、人を恫喝することを趣味にしている集団であることは、まちがいがなかった。
「おい……居住許可書!」
男は、警棒のグリップの先で、車のガラスをたたいた。
ハサウェイは、ガラスを下そうとしたが、そのとたんに、ミツダは、車をスタートさせていた。右に走った。ハサウェイも背もたれに身体を押しつけられたが、ハンターの男は、前によろけるようにしてどなっていた。
「手前!」
その次には、ハンターは拳銃を抜いて、威嚇射撃をしながらも、仲間を呼んでいた。
「人がやられたわ!」
ミヘッシャが、背後を見て、うめいた。
温厚そうに見えたミツダの運転は、素晴らしかった。旧式のガソリン車は、あきらかにチューンナップされていて、前方の車を抜きに抜いて、郊外にむかって疾走した。
背後からは、ハンターのパトカーのサイレンが響き、それが、左右からもせまるようにきこえた。
「ハサウェイは、おりて!」
「君たちは?」
「適当なとこで、車に火をつけるか、海にダイビングしますよ」
「できるのか?」
「こんなことのために、幾つか、そういう場所は考えています」
ふたつほど角を曲ったところで、ミツダは、車の速度を急速に減速させて、ハサウェイをおろした。
「すまない。絶対、脱出してくれよ」
ハサウェイの言葉などはきく間もなく、ミツダは、タイヤを焦がしながら車を発進させ、ハサウェイは、その車を見送る余裕もなく、普段の顔になるようにとりつくろいながら、車とは反対の方向に歩き出した。
三台のワンボックス・カーが、一般車を蹴散らすように、ばく進していった。
「…………!?」
それらの車体の上には、機銃が装備され、なにごとか叫んでいるのが見えた。
『……軍隊のつもりでいる……』
ハサウェイは、内心ののしりながらも、タクシーをさがしたが、流しのタクシーは見つからないのにあせった。さらに、ギギと夕食の約束もしないで出たことも、怪しまれる原因になりそうだと、思いついていた。
ミヘッシャとミツダの心配などは、しても仕方のないことなのだ。
ハサウェイは、彼等のことを忘れるようにつとめながら、みやげもの屋を見つけると、誰でも買うようなみやげ物を買った。
「あんた調べられたの? 居住許可書?」
この土地の出身と見える少女が、レジを打ちながらきいた。
「もちろんさ。ここ、多いのかい?」
「地球連邦軍が増強されてからこっち、ひどいね。寝込みだってくるし、なんでマフティーは、ハンターを叩かないのかしら?」
ハサウェイは、レシートを受け取りながら、
「ハンターのウロウロしているところで、そんなことをいうと、強制送還されるぞ?」
「へへへ……。でもさ、マフティーって、気がきかないって思わない?」
「そうだね……ここは、流しのタクシーはないの?」
「右に五百メートルほど行ったら、タクシー乗り場がありますよ。今は、とてもうるさいのよ」
「ありがとう」
ハサウェイは、レシートに日時と時間が刻印されているのを知って、外に出てから、そのレシートをちぎってすてて、やむなく、タクシー乗り場にむかった。
そこは、ハンターが、まだ捜査網をひろげているらしい方向なのだ。
前方に黒いワンボックス・カーをのぞみながら、タクシー乗り場で車を待つのは、今のハサウェイにはつらい仕事だった。
しかも、二百メートルほどのところで、道路をふきいでいたハンターの黒いパトカーが、ジリジリと前進を始めたので、ハサウェイは、逃げ出したくなった。
「あーっ!」
ハサウェイの背後のビルのドアが、ドウッと開くと三人ほどの男女が、放り出されるようにして転がりでて、つづいて、ハンターたちが飛び出してきた。
「舐めんじゃないんだよ!」
「人権じゅうりんだ!」
そうどなった男は、次には、ハンターの革靴のつま先で、顎を蹴りあげられていた。
「やめてぇー!」
ハンターに取りすがる女も、警棒で横づらをなぐられて、横にたおれた。その股間を狙った別のハンターの革靴が、蹴りこまれていった。
「…………!?」
ハサウェイは、パトカーからパラパラと飛びおりた別動隊のハンターたちに、「タクシーなら、そっちで待って! 邪魔だろうっ!」とどなられた。
逮捕を対象にしていない人にたいしての言葉遣いは違っていたが、警棒で押しのけるようにするのは、同じようなものだ。
「ウワッ!」
ビルのなかから、さらに数人の男女が放り出され、次に、銃声がはじけた。
ハサウェイは、タクシー乗り場から離れながら、その銃声が、ビルの三階あたりからしたのに気づいていた。
「手前等ーっ!」
タクシー乗り場に横づけになったパトカーの機銃が連続音を発し、暮れなずむ空を背景に、あざやかな閃光をひらめかせた。
「…………」
数秒の銃撃戦がつづいて、路上のハンターの一人がたおれ、ビルからは、二人のTシャツの男が、こぼれるように路上に落下して、嫌な音がした。
「…………」
ハサウェイは、ほかの市民たちと同じようにおぴえてみせながら、車道に出て、パトカーを迂回するように、流れ出した車の列のなかに、一台のタクシーを見つけた。
「頼む! 乗せてくれ」
運転手は、拒否の手をふったが、
「ハンターが、ここでつかまえろっていったんだよ。タクシー乗り場、パトカーに占領されているだろう?」
運転手は、パトカーの方の険悪な光景をのぞいてから、後部ドアを開けろと手で示してくれた。ハサウェイは、みやげものを入れたビニール・バッグを目立つようにして乗りこむと、タサダイ・ホテルの近くのビルの名前のひとつをつげた。
「この通りをぬけるのに、ちょっと時間かかりますよ?」
「割り増し、高いの?」
「そんなことないね」
バックミラーで、人物鑑定をやっていた運転手と目をあわせながら、ハサウェイは、普通の客がしやべるようなことをいうように気をつけた。
「……ひどいでしょ? ここのハンター」
車が速度をだせて、ホッとした時になって、運転手にいった。
「目の前で銃撃戦をやられたのには、ビックリした。死者だってでたようだ」
「そんなのしょっちゅうですよ。なんでマフティーは、ハンターを叩かねぇんですかね?」
「本当だね。連中こそ、掃除しなければならない連中かな」
「そうですよ。おれ、学がないから、よく分らないけど、地球連邦政府ってよ、かってに宇宙に人間を強制送還しておいて、それがいやだって人間を、つかまえているんでしょ?」
「そうだね……」
ハサウェイは、その乱暴な意見には、あいまいに答えながらも、目の前で集団暴行を公然と実行するハンターたちを、マフティーに討ってもらいたいと思う民意に、ひそかに、安心していた。
ハサウェイたちマフティーも率先して武力をふるっているといわれれば、そうであるからだし、大義があれば、時には、武力行使も正義である、と思いたいのは、武力をふるう当事者の心情でもある。
「……マフティーつて、学がありすぎんですよ。かっこうつけて、偉い奴等やっつけてくれるのはいいんだけど、マフティーだって、最後は、みんなで宇宙に出ようって、いってんでしょ? あれわからねぇんだよな。ダパオ、別に環境汚染されてねぇでしょ?」
「でも、緑は少なくなったって、魚だってとれないだろう」
「けど、島のみんなぐらい、食っていけますよ」
「ハハハ……そうだねぇ。でも、マフティーは、千年先の地球のこといっているようだけど、それでは、駄目なのかな?」
「ケへへへッ……暇なんだね? その人さ? 暮しって、そんな先、考えている暇はないやね」
「暇……?」
その日常的な言葉は、ハサウェイには、衝撃的といえるものだった。たしかに暮しがキュウキュウしていれば、明日のことを考えるのが精一杯というのが庶民であろう。
それを教義や主義を達成するために、と考えた時から、人は、狭視的になる事案は、認めないではない。
「でしょうが? なんとか地球居住許可書を手に入れるんで、それ、偉い人につぎこむ金のこと考えたら、とても、あさってのことなんか考えられないねぇ」
「そりゃ、こっちもそうさ」
ハサウェイは、町並みがきれて、ココナツの並木が走りはじめた夕暮の空をぼんやりと見つめながら、同意した。
運転手やギギのいう通りなのだ。
真実、力があるのなら、こういうやり方のすべてを、今すぐに阻止したいという怒りにかられる。
しかし、調査局のタサダイ・ホテルの宿泊カードの使い方にもみられるように、連邦政府が組み立てた世の中の組織の探さには、慄然とするのである。
そうなれば、この仕組みの深さを破壊するためには、その組織の中枢を慄然とさせなければならない。でなければ、地球連邦の改革はないという論法におちいるのも当然と思えるのだった。
ハサウェイの思考は、その一点に集中して、いらだつのである。
現在は、地球に滞在するためには、地球連邦政府の発行する許可書を所持していなければならない。
それは、スペース・コロニーへの移民が本格化したころから、移民による差別化をなくすために、強制的な移民を実施せざるを得なかったのが始まりで、必要悪であった。
近代文明の発達の結果、その排泄物によって汚染された地球は、温室現象によって地球の平均気温が、二度ほど上昇したころから、人類は、危機意識をいだいた。異状気象から出発した恒常的な食糧危機と自然破壊は、地球に人類の生息をゆるす状況ではなくなり、宇宙移民は必然であった。
だからといって、本当に地球が死に絶えてからでは、人類は、スペース・コロニーを建設し、進出する力もなくなってしまうだろう。
地球連邦政府の創立は、人類は地球と共に死にむかうのではないかという認識が、都市部からひろがった時に創設されて、スペース・コロニーの建設が開始された。
宇宙移民が開始されれば、すべての人種を均一に移民をさせる、という地球連邦政府の政策は、まちがいではない。
しかし、特例事項があったことが、その後の差別をうんだ。地球連邦政府が必要と認めた人びとは、地球に滞在できるという規定である。
条件はあった。
地球を保全するための自然を管理する人びとと、人種固有の文化を保存維持する人びとという規定である。
法律は、理想的にその理念を行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、地球が、死に絶えていると見えないことが、この法律を拡大解釈して、運用されたのも当然である。
さらにいえば、地球から産まれた人類が、重力のフィーリングを忘れることはできるものではないからこそ、そこに、無条件に法を無視したくなる人がうまれた。その欲求は、正しい。
しかし、人類のもっとも深い罪業は、自身の増殖が、地球にとってもっとも危機的なのであるという認識を認知しないことにあった。
しかし、宇宙移民は、その代償を人類みずから支払わなければならない時代であり、スペース・コロニ−時代とは、フロンティアの時代でもなれば、開かれた時代でもないのである。
その認識から生まれたフラストレーションは、ますますスペース・コロニーに住む人びと、スペースノイドたちに、地球回帰の欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。
繁殖した人類という種が、たえず回帰する場所は、地球でしかないという欲求は、人類の二重の罪業である。
しかし、地球を完全に再生させるためには、千年以上は待たなければならないだろうし、千年待つあいだに、人類は、さらに増殖するだろう。
つまり、人類は、すでに、人類全部が地球にすむことはないと、覚悟をしなければならないのである。
これも、人には、容認できる認識ではないのだ。
しかし、現代は、すべての例外規定が排除されて、人類は、スペース・コロニーに逼塞しなければならないのである。
『……でなければ、シャアが起した反乱も、あの時、死んでいった人たちの霊もなぐさめられない……』
ハサウェイは、そう思う。
シャア・アズナブルは、その欲求を地球連邦政府に、つきつけたはずなのに、連邦政府の圧倒的な戦力の前に敗北していった。それが、『シャアの反乱』と語られた事実であった。
ハサウェイは、その時、地球連邦政府の父の軍艦に乗りあわせることができた。
そして、戦場を見た。
クェス・パラヤという少女に出会ったのも、あの戦争があったからであり、彼女は、その戦争を子供のようなあどけない瞳で見て、その感性を飽和させて、死んでいった。
ハサウェイは、その初恋の少女の死と、宇宙の戦場で死んでいった多くの人びとの魂の声をきいた。
それは、信心でしかないのだろう。
しかし、ハサウェイは、シャアの反乱の終末で、多くの絶叫する人びとが、地球を守るためには、敵味方もなく火に焼かれていく絶叫をきいたと信じていた。
それから、ハサウェイは、個人の人と組織の人の問題を学ぼざるを得なかったし、シャア・アズナブルという人の経歴も学んだ。
その結論が、ただひたすら、人類を産んだ地球を滅亡させてはならない、保全すべきだという一点にあることを知って、ハサウェイは、彼に共感した。
しかし、現実は、面倒な現象を人びとの前につきつけるのだ。
地球を無人に近い状態にして、地球の延命策をこうじるというスペース・コロニー移民時代の主旨と、移民法の公平な運用にのっとれば、ハンターと名乗る黒の制服が、不法滞在者を摘発するのが、正義に見えた。
『……例外親定があるかぎり、人は、不正をするんだ……』
ハサウェイは、気のいい運転手と別れると、五分ほど歩いて、タサダイ・ホテルにはいった。
ホテルのフロントには、調査局から明日の十時に出迎えの車が行くというメッセージが届いていた。
部屋には、ギギはいなかった。
ハサウェイは、食堂におりて、ハウンゼンで出会った閣僚たちと挨拶をしなければならないという面倒さをさけるために、ルーム・サービスを頼んだ。
そして、絵はがき類をならべて、食事をするという行儀の悪いことをするのも、ギギにたいしての擬態であった。
しかし、ギギが、彼女の感じたことをケネスにしゃべっていれば、どの道、逃げおおせることはできない、という覚悟もできていた。
それでも良い。
最低、ガンダムだけは、ロドイセヤが回収してくれるだろう。そのためにも、マフティーの組織の中核は、この地域に移動したのである。
ハサウェイは、同志にうしろめたい思いをしながら古びらめのソテーを口にしていた時に、
ギギが帰ってきた。
「よう! なんだい。英雄さんは、こんなところで、メシかよ?」
ケネスである。
「どうしたんだ?」
多忙のはずのケネスが顔を見せたので、ハサウェイは緊張した。
「なーにいって。あたしを放り出して散歩したから、食事の相手にきてもらったのよ。これからいくの。大佐、忙しいのに、優しいんだから……」
ギギは、ケロッとして、自分のベッド・ルームに飛びこんでいった。
「なんだよ。こんなところで?」
ハサウェイは、考えていた言いわけをしながら、ケネスがギギから自分のことをきいた様子がないかと確かめていた。
「どこに食事に行くんだ?」
「教えないね。お前は、今夜、一緒なんだろう? その前にいただいちまうから……」
「どうぞ……構わないさ」
「知らねぇぞ?」
「そういうつもりはない。それより、あすの調査局とそっちの調べは、どうするんだ?」
「クルーと、キャビン前部の閣僚たちには、基地に来てもらうことにした。お前は、調査局の方がおわったら、おれのつくった詞書にサインしてくれればいい」
ケネスは、ハサウェイの買って来たくだらないみやげ品をひねり回しながら、
「趣味が悪いな」
「そういうが、こんなもの買ったことがないんだ。手作りのちゃんとしたもの、少しは欲しいってね……」
「フン……あの活躍にくらべると、ガキなんだな?」
「そうね。大人になれないな……」
「お前さんのことは調べたよ。シャアの反乱の時、ガキのくせに、おやじさんの軍艦に隠れて乗りこんで、結局、モビルスーツの操縦までした。しかも、戦果も上げた。一機、撃墜ってな?」
「………軍規違反でね……親父に面倒かけた」
「訓練もしていなかったのに、できたって話は、たいしたものだ。ま、逆にいえば、軍がいいかげんなところだから、そういうこともできたということだろうがな?」
「そうだな」
「それは、今でも同じだ。キンバレーの仕事を調べてあきれている」
「オエンベリってとこに、出撃しているって話、活躍しているんじゃないの?」
「バカいえ。俺に当てつけているのさ。本来は、俺は、三日の後に、就任の予定だったんだが、ハウンゼンのおかげでこうなっちまった。キンバレーは、それまでに、戦果をあげて、宇宙に帰るつもりだったのさ」
「フーン、いろいろあるんだな」
「あるよ。組織だからな?」
「ご苦労さま……」
「いや、平民の出は、こうさ。いい父親が欲しかったよ」
「父親がプレッシャーになることもあるさ」
「そうかい……」
「お待ちどおさま」
ギギは、両方の肩をだしたダーク・ブルーのワンピースに着替えて、陽気だった。ドレスが気分をかえることができるのが、女の子の特権だろう。
「大佐、紐むすんで。これの紐、フワフワして、結びにくいの……」
「ヘーヘー」
ケネスは、ハサウェイにウィンクをすると、ギギの背後にまわって、ドレスの紐をむすんでやった。
ハサウェイは、紅茶を口にしながら、それを目のはじで見て、ギギのやりようが当てつけがましいものだと思うだけで、すませる努力をした。
11 ミノフスキー・フライト
音速にちかい速度で、海面スレスレに飛行する二機は、夜目にもあざやかに、白いしぶきの帯を海面にひいていた。
地球全体の監視網は、旧世紀末葉にくらべれば格段にうすく、さらに最近は、マフティーの働きで、監視用人工衛星の数もすくなくなって、まずは探知される心配はなかった。それができたのも、スペース・コロニーに時代が定着して、人の意識が、宇宙にむきすぎた結果である。
二機の機体の迷彩では、その所属は判別はつかない。
ハウンゼンを襲ったベース・ジャバーに似ていないでもないが、ひらべったい機体の上の甲板に、二機の人型のマシーン、モビルスーツを搭載しているだけ、彼等が、ハウンゼンを襲ったようなできあいの集団でないことがわかる。
その人型のマシーンは、その形態をより洗練されて、今は、デッキの上で、目を閉じて伏せている人そのものに見えた。
いかつい肩、しなやかな機体、たくましい脚と、頭部をつつむヘルメットは、甲冑のそれであって、肩から背中にひろがる翼状のものは、鎧そのものをイメージさせた。
「我がギャルセゾンの前に、障害物なし。キンバレー部隊に近いぞ。妨害は、瞬時にでてくると思え!」
「了解っ! わかってますよ」
その通話は、モビルスーツを運ぶフラットな機体、ギャルセゾンのコックピットと、モビルスーツ、メソサーの間で有線でおこなわれていた。電波障害をおこすミノフスキー粒子が散布されていれば、通信は、可能なかぎり有線になる。
「2ギャルセゾン。メッサー2のガウマンは了解だが、キンバレーのバカどもが防御にくるのに、十五分はかかるんじゃないの?」
「新しい指揮官が赴任したっていうぜ。それに、新型もあるって話だ。舐めるなよ、ガウマン」
「きのうの今朝で、新任がちゃんと指揮できるかい。キンバレーと同じようなものさ」
先頭の2ギャルセゾンのデッキのメッサー2のパイロット、ガウマン・ノビルは、長い顎を気にするくせがあるようだ。三十歳前後であろう。
一応は、パイロット・スーツに身をかためているが、どこか正規軍でないラフな感じがあるが、だからといって、ハウンゼンのハイジヤッカーのような粗野さはない。
「よーし、もうあくびはすんだな? 合流点は、予定通りだ。万一の場合は、ダミ−を放出して、救助を待て」
「そんな、こわいねぇーっ!」
先頭の2ギャルセゾンの舷側から、原始的なモールスの発光信号が、後続機の3ギャルセゾンに発信された。
それを合図に、3ギャルセゾンは、やや進路を左にとって、接近する左の岬の方向に流れていった。
「キンバレー部隊に捕まったとみていい! いいな!」
「了解!」
ガウマンは、左石を警戒するために、コックピットをつつむ実視《リアル》ディスプレーをひらいた。
疾走する光景が、実際よりはやや明るい視野になって、ガウマンの周囲に映じた。
それは、実視ディスプレーという通り、実際にパイロットが見ている感覚で、周囲の情景を写し出すことができる。その上に、照準をはじめとした情報が、投映されるシステムである。
つまり、この映像は、数台のカメラから得られた映像を、パイロットの視線を起点とした画像として、コンピューターが解析して、作画した擬似実視画像である。水平線をかすかに色どる夜明けの光も、見た目の通りに再現していた。
「俺のターゲットは……」
ガウマンは、マルチ・モニターを右下のディスプレーに、ダパオの地図を写しだして、出撃前に人力したターゲットを重ねてみる。
地図上に、二か所の×印が浮かび、そのひとつがタンダサ・ホテルである。その×印は、実視ディスプレー上の画像と連動して、さらに、機銃なりミサイルの照準システムとも連動しているのである。
つまり、この画像をつくるコンピューター・システムが破壌されたら、モビルスーツというマシーンは、ただの人形になってしまう。
「ま、ダバオに七人からの閣僚が、おネンネしているってのが、アホなんだよな。俺たちマフティーをバカにしているんじゃないの?」
ガウマンは、視線を前方にやった。ダパオのややひっそりと見える光の束が、急速に接近してきた。
「いいか! 最長十分で、戦闘空域を離脱しろ!」
「ヘーヘー。シベットさんよ」
「ふざけていないで、きのうのハンテングのお礼もするんだ。やられるなよっ!」
そういう間にも、海岸線の電気の光がうっすらと左からせまり、次の瞬間、その光の帯がザッと下を通過した。
「…………!?」
ガウマンは、後方の3ギャルセゾンからメッサー4号が、発進したのを見た。それは弧をえがくようにして、ダパオの街の左、西方向に侵攻した。
「出ろよっ! フェンサー!……三、二、一!」
ガウマンのメッサー2のとなりのフェンサー・メインの3号機が発進する。ギャルセゾンの機体全体が軽くなって、フッと浮く。
それが、ガウマンの気分も戦闘にむかって、高揚させる刺激になる。
「三、二、一!」
再度、2ギャルセゾンのシベット・アンハーンからの号令が入った。
「よっ、と!」
次の一呼吸で、ガウマンのメッサー2号が、2ギャルセゾンから発進する。
「…………!?」
重力下でのこのタイプのモビルスーツの動きは、不自由である。
しかし、宇宙の戦闘が恒常化してからは、軍隊の局地戦は、どこであろうと、モビルスーツを使うというくせがついていた。経済的な理由もあるが、結局は、人は、保守的な動物であるという証拠であろう。
地球上でのモビルスーツは、飛行をするというよりも、一気に加速をかけて上空にいき、放物線を描く落下コースを取りながら戦闘をすると表現するのが正しい。その間に、進路変更も減速、加速もできるが、飛行するというのとはちがう。それが、このメッサーであり、キンバレー部隊が現在制式採用しているグスタフ・カールである。
ガウマンは、発進時の加重(G)に耐えながらも、オート姿勢制御機構が、機体を実視ディスプレイとターゲットを重ねあわせているのは確認していた。
ダパイの街の光のかたまりのディテールと山々の形から演繹して、機体をターゲットにむけて侵攻させていくのである。
ガウマンの第一のターゲットは、リージュント・ホテルである。
レーダーではなく、あくまでも、実際に視覚された光景をコンピューターが解析して、ターゲット・ディスプレーと照合して、照準をつけるために、目標に大きな視覚変動要素があると、照準ができなかった。厚すぎる雲が原因になって、ミス・アタックする場合もあった。
「……よーし、巻き添えの方々の霊には、哀悼の意を表する。勘弁してくれ」
ガウマンは、オート・アタックを解除して、リージェント・ホテルの頭上に、ターゲット・ディスプレーをあわせて、トリガーをひいた。
バウッ!
コックピットを取りこむ実視ディスプレーの左右正面から、赤い炎が筋になった。機体は、高度を上げる。
下からドッと膨らんだ光は、一瞬後には後方に飛びさって、さらに、ターゲットは、次の目標を捕捉しようとして、機体を横にずらせていった。
「…………!?」
ガウマンは、攻撃をオートにまかせたまま、周囲のディスプレーに目を走らせる。
パウン!
左方、キンバレー部隊のある空港の方に、数本の赤い火柱が上った。
「ゴルフ! やられるなよ。お前のターゲットが、一番危険なんだ」
ガウマンは、オートからマニュアルに切りかえながら、機体を急速にターンさせた。
次のターゲットは、ハサウェイの泊っているはずのタサダイ・ホテルなのだが、ガウマンは、ハサウェイに逃げるタイミングをあたえるために、時間を稼ぐ必要があった。
もちろん、ハサウェイの情報があっての作戦である。ハサウェイが、素早く行動しているという前提はあったが、それでも、多少の時間は必要であろう。
メッサー4のゴルフの攻撃と今のガウマンの攻撃で、ハサウェイが行動をおこしてくれたにしても、数分は待つ必要があった。
ガウマンが、最後にギャルセゾンから発進したのも、その時間を稼ぐためであり、さらに、ギャルセゾンを長くダパオ空域におくわけにはいかないので、戦闘エリア内で、ガウマン自身が、時間稼ぎをしなければならないのだ。
ザザザッ!
ガウマンのコックピットのディスプレーは、下からせり上った木々によって、その視界をうばわれた。
ジャングルの根の張っている足場は、モビルスーツにとっては、一番安心できる着地場所であるが、それでも、メッサーの重量で、機体全体がズズッと沈んだ。
「…………!」
マルチ・モニターで、ガウマンは、自身の位置を確認する。
「よし……一分三十秒か……たまらねぇな……」
こういう時は、時計を睨むしかなかった。勘でやると半分の時間も消費しないで、動いてしまうものだ。空襲をしかけておいて、さらに、その戦闘域内で、機体を静止させるということは、脱出の機会をみずから放棄するようなものである。
ガウマンは、その空疎な時間をたえた。上空には、迎撃の気配はなかった。
「……おーしっ! ハサウェイ、逃げてくれよ!」
ガウマンは、メッサーの膝をおって、人間がジャンプするように身構えさせてから、メイン・ノズルを全開した。
ギャーン! テール・ノズルの高熱の排気ガスが、周囲の木々を焦がし、数本のヤシの木を押したおしていた。
ガウマンの視界がひらけた。
「フェンサーとゴルフは?」
左に、ミサイルの尾が見えた。
「まず、まちがいなかろう」
ガウマンは、タサダイ・ホテルに攻撃をかけるために機体をひねった。
「逃げていろよ! 坊やちゃん」
しかし、この攻撃は、ケネスきかのモビルスーツ部隊の攻撃も引き受けることになろう。だからこそ、この仕事をガウマンが引きうけたのである。
ガウマンは、実視ディスプレーに、索敵用の拡大モニターを走らせてから、行けるかもしれない、と感じた。
ガウマンは、ディスプレーの照準マークに、目を凝らした。
「来たか!?」
ハサウェイは、ゴルフのメッサー4の攻撃がキンバレー部隊にしかけられた時に、そのかすかな地響きを枕ごしにきいて、反射的にとびおきていた。
下着とわずかな書類をいれたシークレット・ポケットは、身につけていたのは当然である。シャツをはおりながら、リビング・ルームにとびだしていた。
リビング・ルームの足下の常夜灯をたよりに、ベッド・ルームの反対側のフレンチ窓をひらいた。
「あれか……メッサー……!」
ハサウェイは、その時になって、ガウマンのメッサー2の攻撃の火線を見て、ギギの部屋のドアを叩いた。
「ギギ! 空襲だ! 起きてっ!」
ケネスとの食事は、意外と早くすませて、彼女はベッドに入ったはずだった。それでも、ギギの声が聞こえるまでの間に、ハサウェイは、ジャケットを取りに行けた。
「……なに!?」
ギギは、ナイト・ガウンをはおり、手にバッグをもって出てきた。
「靴をはいてっ!ホテルも狙われる」
「なんで!?」
「連邦政府の偉い人が泊まっているだろう。狙われるよ」
ハサウェイのいいわけがましい言菜がおわらないうちに、ギギは靴をひっかけると、廊下に飛び出してきた。
「マフティーなの!?」
「知らないよ。市街地で、空襲だなんて……」
「マフティー・エリンつて、あなたでしょうに!」
そのギギの刺激的な言葉を無視して、ハサウェイはギギの手首をはなさずに、エレベーターにむかった。
「そうだとしても、マフティーは組織だよ。一人であるわけがないだろう」
「ウソ……!」
「オエンベリの私設軍隊の適中かもしれない。分らないよ」
「どうして、そんなにいろんなことをいうのっ!」
「現実は、単純じゃない」
ハサウェイは、ギギのいうことも分ったが、現実についての可能性というものを教えてやりたい衝動にかられていた。
前に走っていた中年の男女が、エレベーターを呼び出すボタンを押したのと、そのわきに、ハサウェイたちが、駆け寄ったのは同時だった。
「君たち……?」
その年配のカップルは、若い二人がこのフロアにいたのを、いぶかったようだ。
「ここの客ですよ」
ハサウェイの、怒ったようないい方に、政府関係者らしい夫婦者に見える二人は黙って、エレベーターのドアを凝視した。気まずい雰囲気が四人のあいだに流れる間もなく、エレベーターのドアがひらいた。
「ギギ……?」
ハサウェイが分らないという風に、ギギを見た。
「大丈夫……乗ろう」
ギギは、言いざまヒョイとエレベーターに飛びのった。ハサウェイがなにもいわないのに、彼の疑問がギギにはわかったのである。
二人の動きに誘われるようにして、その夫婦者らしい二人もエレベーターに乗りこんだ。
「これ、とまるようなことはないんだろうか?」
紳士の方が、室内着の前をかき合わせながら、女の方にきいた。
「爆撃されれば、とまりますよ」
ハサウェイが、おっかぶせながら、ギギが保証してくれたじゃないか、という言葉をのみこんでいた。ハサウェイは、ギギの存在をそのようにして認めていたのである。
中年女の方が、乱れた髪を手でかきあげながら、不気味なものを見るようにハサウェイに眉をしかめてみせた。
狭いエレベーターのなかに、セックスの香りが漂うのは、気のせいではないだろう。ギギが、フッとハサウェイの肩に、頬をよせてきた。
「…………?」
ハサウェイは、夫婦者らしいカップルがいたから、ギギの反応に身体を動かすことはしなかった。
「……どうして、わたしにきいたの?」
上目遣いのギギは、唇をハサウェイの肩に押しつけたまま、いかにも、わきに立つ夫婦者にきかれるのが嫌だという風に、小さくいった。しかし、それもちがった。ギギは、あきらかにハサウェイの肩を噛むつもりで、唇を動かしたのだ。
「……君の勘に賭けたのさ……」
「それなら、さっきのゴチャゴチャした話も、すっきりさせてよ」
そういうギギは、こんどは、はっきりとハサウェイの肩に歯をあてた。
「あとでだ」
「だいたい、あなた、下着をつけて寝ていたね」
ハサウェイは、ギギのその鋭さに、息をつめた。そのハサウェイの反応をギギは、全身で受けとめて言った。
「……やっぱり……怖いことするね。あなた」
ギギは、ハサウェイの肩を舐めるようにした。それは、ハサウェイには、悪魔の舌なめずりに感じられ、上半身の肌があわ立った。だからといって、ハサウェイの生理は、ギギのような存在を嫌悪しない。
ふたりは、同類なのであろう。
「……音、きこえなかったか? 爆撃の音……」
ハサウェイは、とりあえず、話題をそらそうと無駄なことをいった。
「きこえたかもしれない……」
ギギが、そうこたえたのは、ハサウェイをいじめるのはやめようと思ったのではなく、まだ、ふたりの時間は十分にあるとわかっていたからだろう。
しかし、さすがに、ハサウェイは、ギギと別れるべきだと思いついていたが、それが、損得どちらになるか想像がつかなかったので、決めるところまではいかなかった。
敵にするには、危険な少女なのだ、とだけわかるのでは、心はきまらない。
ドウッ!
エレベーターがゆれて、急ブレーキがかかると、エレベーターは停止して、ボックスのなかは非常灯だけになった。
「……やられた!」
「先生っ……!」
年配の男女が、絶望的にうめいた。
「ウウウッ……」
ギギの腕が、ハサウェイのシャツの胸と背中をつかんで、ふるえた。
「……? 早いな……」
ハサウェイは、ギギに自分の正体を気づかれてしまう言葉をはきながら、赤くともる非常ボタンを押して、ドアを手で押しひらいた。
エレベーターは、ちゃんと階層のひとつに停止していた。その正面の暗い廊下を、悲鳴をあげる人びとの影がうごめいていた。蛍光塗料の三階の表示が、ひどく目立っていた。
「急ごう……」
ハサウェイは、ギギの腰を抱いて、階段の方に走った。
「うっうっ……」
ギギは、ただ怯えて、ハサウェイのジャケットをもつ腕に、かじりつくようにした。
フロント前のロビーは、いくつかのライターと非常灯のあかりのなかに、うごめく人びとが、なぜか、積極的に外に飛び出そうとする気配が見えなかった。
「マフティーだ! 放送でいっているようです」
「天誅だといっています。第三チャンネルです」
フロントの方で、そんな怒声があがり、懐中電灯が、ココナツの木々の影を不気味に大きくした。
「まだ空襲が、つづいているのか?」
「こんどは、このフロアーを狙われるぞ!」
そんな声もあがるなか、ハサウェイは、烏合の衆の動きに巻きこまれるのをさけて、フロントわきの小さいドアの方に走った。
「ハサウェイ……」
「……大丈夫だ」
ハサウェイは、さっきの肩を噛んだギギと、ふるえながらかじりつくギギは、同じ少女に思えず、ついかばうようにして、外に通じる路地を走った。
通りにおりる階段を走りながら、ハサウェイは、ギギの頭に自分のジャケットをかぶせると、右の方向に走った。通りは、まだ空襲など知らぬ気に、街灯が、二人の影を歩道にほそながい影を落していた。
東の空の明るくなり初めている方位は、高いビルはなく、ひらけていた。
12 ビー・フライトエンド
バギュー、ンリッチリチリリ……!
その激しい音のあと、やや尾をひくような残響が、一瞬、街路樹をはげしくゆすった。
「うっ……!?」
ハサウェイは、通常のモビルスーツとはまったくちがう爆音に、足をとめた。彼の腰にしがみついてきたギギは、前にまわりこみながら、踏みとどまった。
東のひらけた空間を、一機の黒い影が走って、前方の低い山陰をかすめるように、上昇をかけて、急激なターンをはじめた。
「すごい運動性だ……モビルスーツか!?」
「な、なに?」
ハサウェイのジャケットの下から、ギギが顔をあげた。その顔は、肌の色などは一切透けているように見えた。
「連邦軍のモビルスーツだ」
「あ、ああ……!?」
ギギの見開かれた瞳孔には、なにも映っていなかった。
ハサウェイは、ギギの薄い背中を抱いたまま、また走り出していた。
『あれが新型ならば、アナハイムはやりゃがったってことだ……』
それが、ハサウェイの思いだった。
モビルスーツの飛行は、重力下の空中では自由度がないのが常識であるが、ひとつ例外があった。ミノフスキー・クラフトである。
ミノフスキー粒子の反発力を推力剤として使うエンジンは、科学薬剤を燃焼させるものよりも、小型軽量で、かつ、強力な推力を得ることができた。
しかし、核融合炉でなければ、ミノフスキー粒子に、推力を発生させるだけの熱量を手にいれられないという問題もあり、その技術的なむずかしさと高価な技術であるために、これを装備したモビルスーツは、まだ試作段階というのが現状である。
今回、ハサウェイが、月のアナハイム工場のひとつでテストした新しい|Ξ《クスィー》ガンダムこそ、ミノフスキー・クラフトを採用したひとつであるのだが、それと同じものを地球連邦軍も採用していたのは、予想されながらも、ハサウェイにはショックであった。
ガウマン・ノビルのメッサー2は、ダパオの空域から、まだ脱出できないでいた。
タサダイ・ホテルを攻撃して、まっすぐに洋上にぬける時に、キンバレー部隊の見なれたモビルスーツ、グスタフ・カール四機の迎撃をうけて、上昇をかけざるを得なかったのである。
キンバレー部隊の滞空砲火から脱出したメッサー3と4のフェソサーとゴルフを追尾しようとした部隊だ。
ガウマンが、脱出を期して上昇をかけても、モビルスーツには限界があった。四機のグスタフ・カールが包囲しようとするのを、ジグザグに降下をして、その攻撃を回避しようとした。
こうなると、ガウマンは、街を背景にするしかなかった。そうすることによって、敵にミサイルを発射させることを諦めさせて、接近戦で、各個撃破をもくろむのである。
機体に内蔵されているバルカン砲と、もっともモビルスーツらしい戦い方、ビーム・サーベルによるチャンバラである。
「ええいっ、もっと寄れっ! もっと!」
ガウマンは、落下に入ったメッサー2の右手に持たせたビーム・ライフルを構えて、ビーム・ライフルを連射した。
これは、メイン・エンジンと連動しているので、盛大に使うわけにはいかないし、さらに、メガ粒子砲は、大気中では、その長距離威力が極度に減殺される性質があった。エネルギー消費量の少ないビーム・サーベルを使って、包囲網を突破するしかなかった。
しかし、キンバレー部隊のグスタフ・カールは、ガウマンが、ダパオの街を背にしても、ミサイルを使うことをやめなかった。
誘導ミサイルではないために、ガウマンのメッサーに直撃しなければ、街に落下する。落下しないまでも、その近くで爆発した。
「お前ら! 正気かよ!」
ガウマンは、四機のダスタフ・カールが、街などは意識にないような攻撃にゾッとした。
マフティーのパイロットも、要人を爆撃する以外は、都市にむかって攻撃することはなく、モビルスーツの攻防戦になっても、連邦軍パイロットでも都市を攻撃するケースはなかったのである。
それに、政府要人たちが宿泊するホテルや別荘は、たいてい郊外にあって、マフティー自身、恐れるほどに一般市民を巻きぞえにすることはなかった。
ダパオなどは、例外にちかいのである。
しかし、今は、ちがった。
キンバレー部隊は、きのうまでのキンバレー部隊ではない。この変化は、ケネスの赴任が原因であるのは明白である。
グスタフ・カールは、ガウマンのメッサーが、ダパオの街の上空、数百メートルという高度になっても、追いかけるようにミサイルを発射し、ビーム・ライフルを使った。
そのために、次々に街のそこここに爆発がおこり、黒い煙があがった。
「ウッ!」
ドウッ! と、ガウマンを支持するシートがゆれた。
どんなに装甲が厚くとも、バルカンの直撃は、各部の動きを減殺した。メイン・エンジンを形成するランドセルに直撃すれば、それで核融合炉は、おしまいである。
パフッ!
胸の装甲近くで、バルカンの至近弾がはじけた。
「ウッチッ!」
あいにく、隠れられるような低い雲はなかった。ガウマンは、地上に落下する速度を早めるように、テール・ノズルを噴したが、その時、彼は、さらに別の敵影を認めていた。
それは、かつてのジェット戦闘機そのままに、ガウマンのメッサーのわきをかすめた。
「なに!?」
次に、その機体がくるっとターンをすると、メッサーに突進して、バルカンの砲撃の雨を降らせた。
ドバッ! ドプゥッ!
コックピットが激震を受け、次にガウマンがふりむいた時には、その影は、ふわっと機体を縦にして、空中に滞空するようにした。
ガウマンは、何も考えずに落下速度を加速して、地上に突進した。
その直下に、タサダイ・ホテルがあり、まだその周辺から逃げきれないハサウェイとギギ、それに、ハサウェイのための次の連絡員、エメラルダ・ズーピンがいるはずだった。
彼女は、ミヘッシャ・ヘンスにかわって、タサダイ・ホテルの正面で、ハサウェイの動きを監視して、彼の動きをフォローする役目をもった女戦士だった。
彼女は、モビルスーツのパイロットのテストに落ちて、地球におりてきた二十六歳。
モビルスーツの作戦に連動して、攻撃地点に潜伏するにはうってつけの女性だった。
彼女は、ハサウェイが、正面から離れた出入口から飛びだすのを、自分の車のなかから見つけて、車を飛び出すと車道に躍りでた。
「なんで、反対方向に走るんだい!」
このまま、ホテルから脱出するのが、順当だと思ったのだが、ギギを連れたハサウェイは、エメラルダの車の進行方向とは、逆に逃げたのである。
エメラルダは、ガードレールを飛びこえて、ホテルから吐きだされた人びとの波に隠れるようにして、ハサウェイとの距離をつめていった。
『ガキと一緒ってさ、どういうことなの!』
頭のなかで毒づきながらも、エメラルダは、ハサウェイとの距離を数メートルに取った時だった。
「チッ!」
頭上を押しつけるようなごう音に、彼女は空をふりあおいで、ガウマンのメッサー2が、二機のグスタフ・カールに押しこまれて、落下するのを見ていた。
その上には、さらに、別のモビルスーツが滞空するように、追従していた。
「なにやっているの!」
エメラルダがののしる間もなく、追尾したグスタフ・カールの一機の砲撃が、火線をひいた。それが、前方のアスファルト道路に直撃して、爆発した。
「アフッ」
爆発の閃光が、地に伏せたハサウェイとギギの影を歩道にくっきりと焼きつけ、アスファルトのこまかい瓦礫が、ハサウェイの背中を痛打した。
「ウッ……!」
そんななかでも、ハサウェイは、ギギの背中がふるえるのを、胸一杯に感じて、その若くしなやかな肉体が、自分の肉体を吸いこむ力をもっているのを感じた。
「クソッ!」
ハサウェイは、こんな時にも、そんなことを感じてしまう自分の肉体をふりはらうようにして、頭上を見上げた。
ガウマンのメッサー2が落下するのが、半分明るくなってきた空に見えた。
「ああ!」
「モビルスーツが落ちてくるっ!」
そんな悲鳴が、ハサウェイたちの左右に襲った。
「立って!」
ハサウェイは、ジャケットでつつんだギギの頭を抱きあげるようにして、人の流れにさからわないように走り出していた。
「あうっ!アフッ!」
ジャケットの下で、ギギのあえぐ息遣いがはっきりときこえた。このまま、息がとまってしまうのではないのか、と思えるような苦しげな息だ。
「機械に踏みつぶされていいのかっ!」
エメラルダは、その真うしろについて、ハサウェイのやることを見とどけようとした。
ミヘッシャは、ギギのことを、ハサウェイが面倒なことに巻きこまれている、という風にしか表現しなかったが、エメラルダの見ている光景は、単純に、旅のとちゅうで知り合った女の子を大事にしている男の図にしか見えなかった。
エメラルダは、ハサウェイのそばにまわって、ハサウェイの肩にぶつかって、自分がいることをしらせた。
「ああっ……!?」
ハサウェイは、エメラルダを認めて、ホッと息をついた。
そのハサウェイの反応に、エメラルダは、ハサウェイがやましい根性で、この少女につきあっているのではない、と感じた。
パフッン! またもバルカンの咆哮が、歩道を歩く人びとの頭上でした。
「ギヤッ!」
「あふっ!」
ギギが、つんのめるようにハサウェイの手からはなれて、大きく口を開いて、息をすいこもうとした。
ドパパッ!
前方に、土煙とアスファルト、コンクリートのかたまりが、噴きあがり、人の身体も舞ったようだったが、渦巻く土煙のなかに消えた。
「そっちへっ!」
エメラルダは、ハサウェイだけでなく、周囲の人びとにも叫んでいた。
彼女がハサウェイを押した方向、歩道の石に、公園の入口がポッカリと口をあけていた。
ハサウェイは、エメラルダにうなずくと、一緒になって走りこんで、公園の木々の下に退避した。その木々の下には、かなりの数の人びとの影が走っていた。
「落ちてくるわ!」
エメラルダは、いろいろな意味をこめて、ハサウェイに叫んだ。
「敵をかかえこんでいるんだ。いろいろとなっ!」
ハサウェイも、そんな風にギギの存在をエメラルダに説明した。
「上も下にも!?」
ハサウェイは、ギギがそうだという風に、目配せした。
「…………!?」
エメラルダは、ハサウェイがかばう少女はなにか意味がある、と納得せざるを得なかった。
バギュュュ……ルルル……。
モビルスーツのテール・ノズルの排気音が尾をひいて、頭上をおおうと、次にグワラッ!と、物が激突する音が公国の上空をふさいだ。
ドゥーン! パシャバシャ……! 大量のガラスがはじけ、物がすべって、音が一瞬落ちついた。
ハサウェイとエメラルダは、その轟音の暴力にさからって、ふりむいた。
『……ガウマンっ!』
ハサウェイは、公園の木々の上に、メッサー2の機体が、ビジネス・ビルのひとつに背をよせて、滑り落ちるのを見た。
「あっちにも、連邦軍のっ!?」
エメラルダは、公園の奥の方向をふりむいた。
「……なにっ……!?」
公園の右前方に一機のグスタフ・カールが着陸して、その巨大な二本足が、公園の樹木をへしおったのだ。距離は、二十メートルとない。
ビギャーン!
その閃光と轟音の瞬間、熱風が、ハサウェイとギギを襲い、衣類を身体からはぎとるようにした。
ビーム・ライフルの熱線が、冷たい朝の大気を焼きこがして、ギャパーン! と、頭上に筋になった。
ガウマンのメッサー2が、楯にしているビルの壁とガラスが白熱して、奥にむかって急速に溶けていった。
「うっ……!?」
エメラルダは、身体を大きくよろけさせて、かたわらの木につかまるようにした。
「あああーっ!」
ギギは、バッグを胸に抱いて身体を硬直させると、獣のような声をあげた。
「ギギ! こっちだ!」
ハサウェイは、ギギの細い腰を抱くと、身体をひきずるようにして、左の木々のむこうのコンクリートの厚い壁のビルに、移動しようとした。
しかし、ハサウェイは、ギギの頭ごしに、朝日を受けたメッサー2が、手前のグスタフ・カールのマニュピレーターの攻撃を受けるのを見ていた。
ザウンッ!
両機はマニュピレーターをふるいながら、腰に装備したビーム・サーベルの柄をとろうとした。しかし、互いにそれをけん制しあって、先にダメージをあたえようとする全長三十メートルはあろうかという巨人が、脚と腕をふるい、機体をぶつけあった。
戦車数台が、装甲をぶつけあうと思えばいい。
ゴーン! ゴギッ!
鉄のパンチが、肩のブ厚い装甲に激突すれば、その鋼が擦れあって火花を発し、機体を支えるフレームを軋ませた。
メッサー2の方が、動きが軽やかで、この巨人の格闘戦は、圧倒的のように見えた。
しかし、メッサー2の背後、鋼鉄色に見えるビルの屋上には、さらに、追尾した別のダスタフ・カールが着陸して、天井をぬいた。
その機体が、ドスッと下って、金属片やコンクリートが、四方に散った。
手前でも、グスタフ・カールの足が移動して、アスファルトが飛び散り、歩道の縁石が舞いあがり、街路樹がたおれた。
メッサー2の脚が、蹴りあげられて、ビシンー! 何かが割れるような音がして、メッサーの正面のグスタフ・カールの右手をはねあげた。
ガウマンのメッサーが、グスタフのビーム・サーベルの柄をつぶしたのだ。腰からバフッとかなりの放電スパークがはじけて、ハサウェイの目をうった。
「……! ギギ! 大丈夫か」
ハサウェイが、ギギの身体をビルのコンクリートの壁に押しつけるようにして、ジャケットをはねのけた。
「あふ……あふっ……!」
ギギは、ハンドバッグを胸の前に抱いて、髪をベッタリと顔に張りつかせた蒼白の顔を、金魚が水面下で息をするように、口を開け閉じして、ポロポロ涙を流していた。
赤ン坊のように泣いているのだが、力がはいっていないので、顔からは血の気が引いて、死顔の色に近かった。
耐性をもっていない子供の、恐怖の反応である。
ビィィィーン!
ハサウェイは、公園に着陸したグスタフ・カールが、ビーム・サーベルを伸ばしたのを見上げた。そのピンクに輝く熱源は、すぐに消えたのは、テストだからだ。
ハサウェイは、ガウマンが気になったが、ビルの影からのぞく間がないのでいらだった。
『エメラルダ……!こんなのすてるか……』
ハサウェイは、内心で叫びながらも、ギギの見るにたえられない泣き顔を前に、彼女をかばうようにしている両手を外すことはできなかった。
「……ひどい、ひどいよぉ。こんなの、こわい……」
ギギが、ようやく言葉を口にした。
「ああ……そうだ。本当にひどい……」
ハサウェイは、うかつにも、ギギの言葉を受け入れていた。論理的には、そんな乙女チックな反応は拒否したいのだが、それはできなかった。
しかし、ハサウェイは、自分の感情が、ギギの感傷にすべりこみそうになるのを、食いとめたいと衝動していた。
『エメラルダの方に走っていってしまえば、いい! それだけのことだ』
そういいきかせるのだが、それができないから、ハサウェイは、ギギの恐れおののいているのは、芝居だと思おうとした。
しかし、ハサウェイの手は、ギギの存在を拒否したくない未練にうずいていた。
『……クェス、助けてくれ……』
ハサウェイは、接する人の肌を吸いこんでしまうのではないかと思えるギギの二の腕と腰を抱きながら、絶叫した。
と、ドゥッ! 地響きがした。
「うっ……!?」
ハサウェイは、左を見た。つづけて地がゆれた。グスタフ・カールが後退して、公園の木を押したおすのが見えた。
ガラッ! バラバラ、ゴウン!
頭上から、コンクリ片が、雨になって落下した。
「あーっ!」
ハサウェイの視界一杯に、ギギが絶叫をあげた。まるで、映画館でアップを見るようだ。
ハサウェイは、ギギの身体を公園の方に、押し出し、二人して地にころがった。
ハサウェイたちが、身をよせたビルの屋上に、グスタフ・カールが着陸したようなのだ。
「…………!?」
一瞬の観察では、エメラルダの姿が、見えなかった。
ハサウェイは、空疎な場所に放り出されたと感じたが、そんな感傷は、彼の視界の上空で、二本のビーム・サーベルが激突して、スパークが網膜を焼いた時に、吹き飛んでいた。
ガウマンのメッサー2が、グスタフ・カールを押しぎみに、斬りこんでいた。
バブッーゥン!
スパークが四散して、地と木々を焦がしたが、そのスパークは、ハサウェイたちに直撃しなかった。わずかなビ−ムの粒子の破片でも、バルカン砲の弾丸以上の威力があるのだ。
ハサウェイは、唇を顔の半分ほどにして、ふるわせているギギの手をひくと、彼女の身体が地にひきずられるのもかまわずに、走ろうとした。
「あふ……!」
「走るんだよっ!」
ハサウェイは、つぎのビルをめがけて、ギギの身体をひきずった。その間に、頭上の木々の上で、ビーム・サーベルがスパークして、周囲の空間をイオンと熱でみたし、木の一本がポッと火を発した。
ドスッ! ハサウェイは、背中からビルの壁によりかかると、ギギの身体をおこしながら、抱きとめていた。
ハサウェイは、精神が爆発しきったギギを力いっぱい抱きしめながら、公園と向うの車道を舞台にして、ビーム・サーベルをまじえるモビルスーツたちを見た。
その時、メッサー2の背後に着陸したグスタフの一機が、突進していた。
「…………!」
ガウマンと叫ぶところを、ハサウェイは、ギギの若い肉体を抱いているおかげで、こらえることができた。
ギャブン! ビーム・サーベルが、モビルスーツの装甲を溶解する瞬間の音をきくのは、始めてだったろう。
巨大な溶接機が、一瞬だけ爆発したと想像すればいい。メッサー2の脇のバルブが、滝のように蒸気をふりまいた。
と、ギルルー!
「…………!?」
ハサウェイの知らないあの機体が、上空をかすめ、メッサー2の中空で浮遊したと見えた瞬間、その足が、メッサー2の頭を蹴った。
「あ……!?」
それは、漫画を見るような光景だった。
メッサー2が、左に大きくよろけるのを見ながら、ハサウェイは、壁づたいに身体をずらして、モビルスーツとの距離を取ろうと後退した。
ギギは、しっかりとハサウェイの胸にかじりついたまま、ハサウェイのシャツをベトベトに濡していた。
「ウッ……!」
エメラルダが、木のかげから飛びだして、ハサウェイと視線をあわせると、
「……ああ、ごめんなさい」
彼女は、わざとハサウェイと身体をぶつけながら、ハサウェイのスラックスのポケットに手をつっこんできた。
「…………!?」
メッサー2の機体がよろけたところに、別のグスタフが入り、メッサー2の一方の腕をとった。
エメラルダは、それを確認すると、公園の奥に走っていったが、ハサウェイは、ギギをなだめなければ、走るに走れないのだ。そのエメラルダの走る上空に、一機の連邦軍のベース・ジャバーが、降下の態勢にはいっていた。
「……!? ネジェンに……?」
ハサウェイは、エメラルダが、ねじこんだ紙を取りだしてそれを読むと、ギギをながめながら、片手でその紙を破りすてた。
「ギギ、戦いはすんだよ……ギギ……」
「……こわいのいやだ……こわいのっ……!」
「よくきいてごらん? 静かになったろう……静かに……?」
それでも、ガギィーンとモビルスーツの関節部分が動き、それが地を踏む音をきけば、ギギはおびえた。
「……機械の音、まだしている……」
ギギは、ぐちゃぐちゃになった顔を、ようやくハサウェイの胸からはなして、しゃくりあげながら言った。
13 コマンダー
ハサウェイは、よろけたガウマンのメッサー2に、左右からグスタフ・カールが、ビーム・ライフルをつきつけるようにしたのを、公園の焼け残った木のむこうに見た。
その光景は、人そのもののように見えた。
つまり、メッサーにしても、グスタフ・カールにしても、やられた者はやられた者なりに、勝った者は、これ以上の抵抗をさせないようにけん制する姿勢をとっていた。
その挙動は、人が見せるものそのままの印象をあたえた。
メッサー2は、一方の生きているマニュピレーターを上げて、敗北を意思表示したが、もう一方は、完全に下にさがったままだった。
「…………?」
ハサウェイは、公園の一番たかい芝生に、キンバレー部隊のペース・ジャバーの一機が降下する音に、立ちすくんでいた。このまま、キンバレー部隊の兵土たちと顔をあわせるのは、抵抗があったが、ギギがいる限り、どうすることもできなかった。
ギギは、ハサウェイをふりかえろうとして、しゃくりあげながらも、顔に貼りついていた髪をつまみあげようとした。
「大佐が来てくれるんじゃないの……」
ギギは、切れ切れにそういった。ハサウェイには、メッサーのコックピット前のハッチがひらいて、ガウマンらしい人影がでてくるのを見つめていた。
「モビルスーツから人が出てくる……」
「おわったのね……」
ギギの全身から力がぬけて、ヘナヘナと地にすわりこんだ。
メッサーのコックピットから手を上げて出てきたパイロットのシルエットに、朝日が横からあたって、その影を機体に大きく写しだし、その正面には、同じようにハッチから身をのりだしてパイロットが、自機をメッサー2に接触させるようにした。
VOTL《ヴォートル》性能が勝れたベース・ジャバーが、ほとんど垂直に、公園の丘の上に着陸すると、ハサウェイとギギは、ノズルから噴き出す気流にあおられた。
「…………」
ギギは、肩を小さくして、その風圧に耐えた。
「捕虜を傷つけるなよ! 初めてのマフティーの捕虜なんだからなっ!」
そんな声が、ベース・ジャバーからきこえる間もなく、数人の兵がドッと駆けおりて、ハサウェイとギギなどに興味をしめさず、モビルスーツの方に走っていた。
「さ、寒い……」
ギギは、ナイト・ガウンの前をあわせて、あらためて上体をふるわせたので、ハサウェイは、その背中にジャケットをかけてやった。
「ハサウェイ! ギギ! 無事かっ!」
「大佐……!」
ハサウェイは、このあり得る再開に、自分の立場が、ますます危険になったことを感じたが、動くわけにはいかなかった。
ゆうべもギギはなにごともなく帰ってきて、機嫌よくベッド・ルームにはいっていったのである。今ここから逃げ出せば、かえって怪しまれるはずだった。
「大佐ぁ!」
ギギは、ベース・ジャバーのタラップをおりるケネスを見ると、よろよろと立ちあがって、ハサウェイのジャケットを、スルッと地に落としていた。
『逃げたい……』
ハサウェイの意識は、そう急かしてはいたが、ハサウェイはジャケットをひろうと、自分の挙動が、ケネスから見て不自然でないように、ケネスの方に歩き出していた。
「怪我はないかっ」
「ああ、心配ない」
ハサウェイは、ジャケットをはおりながら答えた。その間に、ケネスは、ギギに駆け寄って、よろめく彼女を抱きとめていた。
「……大佐! 怖かった。こわかったよー」
ギギの背中が甘えるように、ケネスに訴えていた。
「そうか……よく、逃げられた。ホテルにも直撃があったんだろう」
ケネスは、ギギの背中を愛撫するようにしながらも、ハサウェイにきいた。
「ああ、その上、モビルスーツの格闘戦の下を逃げまわった」
「そりゃ、災難だったな……」
「刺激が強すぎた。たまったもんじゃない」
「コックピットに入りなさい。暖かいぞ」
「ウ、ウン……」
ケネスは、ギギの背中をうしろから抱くようにして、ペース・ジャバーのタラップに案内した。
「…………」
その光景は、ハサウェイにとっては、嫉妬を感じさせるようなむつまじさに見えた。
その上で、自分まで、キンバレー隊のベース・ジャバーに乗らなければならないのか、と疑うと、どうしてもケネスに背を向けたくなる。
「頼む! この娘をな!」
ケネスが、ベース・ジャバーのコックピットにどなる間に、ハサウェイは、タラップの下に立ちどまって、モビルスーツたちの方をふりむいた。
朝日が、そのモビルスーツたちの上半身を美しく輝やかせて、その中央には、メッサー2を蹴とばしたモビルスーツが、頭ひとつだけ高い身長をきわだたせていた。
「あれかい? マフティーとかのモビルスーツは?」
「ああ……。そうだろう。俺も実物は初めて見るが……ま、赴任第一日にしては、いい成果だ」
「……そういうことになるな……」
ハサウェイは、ブルと身体をふるわせた。興奮がひけば、朝の冷気と、自分の行動の皮肉さが身にしみるのだ。
「あの大きいのが、すごかったが、なんだい?」
「新型だよ。俺が赴任する前に、送りこんだモビルスーツだ」
「マフティーのを蹴とばした」
「いやいや、まだ性能を引き出していないね。俺は、レーン・エイムの力を過大評価したらしい」
「……新型か……なるほど」
「大変なんだぞ? 武器の調達のために、月とブルッツホルツのコロニーで、何十枚の書類にサインをしたか……そりゃ、あきれるだけだ」
「その点、マフティーの方が、便利なのかな」
「そうだよ。連中をしめあげて、武器調達の方法をききださなければならんな。まったくさ……その上、キンバレー部隊の連中を、鍛え直さなければならん。文官あがりのキンバレーって奴は、軍人をヤワにする才能だけは、たっぷりとあったんだからな」
「大佐! どうします!」
「なーにがだ!」
ケネスは、手首の小型無線機を取り上げてどなった。
「捕虜は、こっちで運びますか」
「バカー。こっちに連れてこい。直接、俺がはこぶ」
「了解!」
「まったく、モビルスーツのパイロットの奴等は、自分たちのすることに、絶対、まちがいがないって自信だけがある。これだから、作戦ができないんだ」
ハサウェイは、寒さに肩をすくめて、腕を組んだままタラップをあがって、コックピットの方をのぞいた。
ギギが、ティッシュで、鼻をかんでいるのが見えた。
「捕獲したメッサーは、運搬させろ! それまで、道路は封鎖だ。キャリアーを呼べばいいだろう!」
ケネスが無線機にどなる声は、よく通った。
確かに、この男が指揮をするようになれば、ハサウェイたちの活動は、面倒になるだろうと思わざるを得ない。
「いいかい?」
ハサウェイは、ケネス大佐にきいた。
「入っていろ。ホテルには、もどれんだろう」
「荷物が多少あるが、やられちゃっただろうな?」
「後で調べさせるよ。おいっ!」
そのケネスの声に、コックピットからパイロットの一人が身を乗り出して、ハサウェイをまねいた。
「すまないな」
ハサウェイは、後部キャビンをななめにコックピットに入った。ベース・ジャバーのコックピットは、構にひどく長くて、船のブリッジに似ていた。
「お邪魔する」
「大変でしたね?」
パイロットが、気さくにいってくれた。
「ああ……」
ギギは、コーヒーカップを両方の手でおしつつむようにして、飲んでいた。
「飲む?」
「え……? ああ……」
ハサウェイは、さっきまでの恐怖をケロリと忘れたギギの言葉に、またも彼女のことをどう考えたら良いのか、と顔がひきつった。
しかし、さすがに、ギギは、ハサウェイの内面の逡巡を想像するまでの余裕は、まだないようにみえた。
「……フン……」
声にならない息づかいをみせて、ギギは、自分のコップを早く受け取れとうながした。
ハサウェイは、「別のコップかと思った」といいながら、それを受けとって、一口飲んだ。
「……ああ……」
ギギが口をつけたカップから飲んだ一口のコーヒーの暖かさは、複雑な安堵感をハサウェイにあたえた。
ギギは、大きくあくびをして、ぼんやりとカップをのぞいているハサウェイを見やってから、頭をハサウェイの膝の上にのせてきた。
「空襲にあったんですって?」
ベース・ジャバーのパイロットが、そんな二人を見くらぺてきいた。
「タサダイ・ホテルにいたから……」
「そりゃ、大変でしたね」
「こわかったね」
ハサウェイは、大腿部にギギの上体の重さを快く感じながら、コックピットの左後ろの公園を見た。
手錠をかけられたガウマン・ノビルが、数名の兵に銃をつきつけられて、ケネスたちに近づいてきた。
ヘルメットを脱がされたガウマンは、やはりみじめに見えた。
ハサウェイは、ガウマンに気づかれまいと、わずかに身をひきながら、コーヒーを口にして、モビルスーツの方に目を転じた。
メッサー2は、左右にダスタフ・カールによって、その機体を点検されていて、身長の高いモビルスーツは、ゆっくりと垂直上昇をかけるところだった。
「ヘーっ、すごいな。モビルスーツがあんな風に、上昇する」
「ああ……ミノフスキー・クラフトなんだ」
ハサウェイの前のコ・パイロットが、ハサウェイと同じように、その新型モビルスーツの動きを追いかけながらいった。
「こっち! 前後左右に、警護しろよ。なにしろ、マフティーのかたわれの初めての捕虜なんだから!」
ケネスを先頭にして、数名の兵が、ドカドカと後部キャビンに上ってきた。
ハサウェイは、背中に神経を集中するようにして、ガウマンの動きを感知しようとしたが、それでも、チラッとハッチを見ることを忘れなかった。あまりジッとしていると、かえって不自然に感じられると思ったからだ。
タラップを上る兵ごしに、ガウマンの下半身の動きが見えた。
「そこっ!」
誰かが、ガウマンに命令した。ガウマンは、ハサウェイの視界から消えた。
「……連邦政府軍のどこにいたんだよ」
「西方百八十三部隊だ」
ガウマンの声だ。
「あんなところか? 遊びっばなしの部隊じゃねぇか」
「そりゃないぜ? シャアの反乱の時は、毎日、実戦訓練だ。実戦よりきびしかった」
ハサウェイは、こういう時のガウマンは、度胸がすわるだろうと思っていたが、これほどとは思わなかった。
「…………!?」
こうでなければ、ハサウェイが宿泊しているとわかっているホテルを攻撃する芸当などはできなかったろう。
「……基地に帰ったら、ゆっくり尋問してやるから、楽しみに待っていろよ。おれは、キンバレーとは、ちょっとばかりちがうぜ?」
ケネス大佐が、そう毒づきながらも、コックピットに入ってくると、「行け!」と命令した。
「この二人、下さなくっていいんですか?」
「カードは、持っているな?」
ケネスは、ハサウェイとギギを見てきいた。
「これ?」
ハサウェイは、シャツの下のシークレット・ポケットからカードを引きぬいて、ケネスに示した。ギギは、ハサウェイの膝枕で、本当に寝ているようだった。
「……よしよし、それを持っていれば、客になれる。お二人は、地球連邦政府のお墨つきの客だ」
「了解!」
その間に、グスタフ・カールが一機、ベース・ジャバーの上部デッキにとりついて、機体がグラッとかしいだ。
「静かにやれと言え」
ケネスは、そう怒鳴ってから、寝入ったギギをのぞいて、「分らない娘だね」と、ハサウェイに小さくいった。
バフーツ!
ジェット・エンジンの遠慮会釈ない轟音が、ベース・ジャバーの機体全体を押しつつんで、軍用機特有の無遠慮な勢いで上昇を開始した。
「……メイビス! きこえるか! ギギとハサウェイの荷物は、ホテルに行って、直接確認するんだぞ!」
ケネスの怒声が、ブリッジにこだましたが、そんなものは、ドアを閉じた後部キャビンにいるガウマンには、きこえなかっただろう。
14 ヤング・パイロット
ほんのふた息という感じで、ハサウェイたちの乗ったベース・ジャバー、ケッサリアは、空港の滑走路を前方にとらえると、キンバレー部隊が占拠している一角にむかって、降下していった。
「……あ、やっぱり、ここがやられたんですか」
「ああ、大変な連中だよ。どこを叩けばいいか、知っていやがる」
ハサウェイもこの基地を上空から子細に見るのは、初めてである。ハゥンゼンの舷側の窓からでは、なにも見えなかったにひとしい。
滑走路中央にあるビルは、攻撃をされた気配がなく、滑走路の南端の格納庫の列に、いくつかの爆撃の跡があって、そのあたりの屋根が黒くすすけていた。
しかし、ハサウェイは、この一か月、地球に不在であったあいだに、ひとつ新しい格納庫が増えていて、そこは、手つかずのまま残っていることに気づいていた。
ケネス大佐が、キンバレー部隊の増強の責任者であるとすれば、それに平行して、戦力はかなり補強されるだろうと実感された。ぺーネロぺーなどは、その一端でしかないかもしれない。
『こちらが、汗水流して一機のガンダムを手に入れれば、これか……』
このめぐりあわせは、神の采配のいたずらといえるのだが、ハサウェイは、これを、『天が、我々に対決を迫っているのだ』と考えた。
ハサウェイのその『天』の考え方は、母、ミライ・ヤシマの影響であるかもしれない。
東洋人の血脈の成せる思考である。
「そんなに珍しいのか?」
ケスネの声が、突然、耳をうった。
「そりゃ、そうさ。こんな整然とした光景は、コロニー以来見たことがないし、いかにも地球を汚染している人工物だと思うな」
「植物専攻の人間の偏見だよ。マフティーが、南太平洋海域に基地をもったって噂がなければ、こんなことはしゃあしない」
「その噂は本当なのか?」
「オエンベリとは連絡がとれた。キンバレーの奴は、集結している私設軍隊を叩くまでは、帰らないとさ」
「キンバレーって、前任者だろ? 君が来るのを知っていて、出ていったの?」
「そうだよ。そういう奴だって言っただろ?」
「どうするの」
「おれは、おれで仕切るだけさ。お上のお墨つきの辞令がある」
ケネスは笑うと、シートのわきから乗馬用の鞭を取りだして、ペタペタと手を叩いてみせた。
「それを知っていなかったのかな? 地球連邦政府のお偉方は?」
「そうなんだよな……あのバカ共は、地球に寄りあつまることの危険を、まったくわかっちゃいないし、マフティーが本気だってこともわかっていないから、今朝も、四人が殺されたのさ」
「そんなに……?」
「あと一時間もすれば、マフティーの宣言が放送されるぜ。電波ジャックでよ」
ドスッ!
軽い衝撃があって、ペース・ジャバーは、無傷の格納庫の前に着陸した。
「ちょっと待っていてくれ」
ケネスは、ひょっと中央のシートから立つと、乗馬用の鞭をならして、後部のキャビンをのぞいた。
「あ……。おりていいですよ?」
パイロットが、ハサウェイに気楽にいってくれた。
「え……?」
ハサウェイの足下の前の床がゴトッとなると、そこが下にひらいて、ラダーが伸びるのが見えた。
「……? いいのかい?」
「もう寒くないでしょ? お嬢さん、いつまでもここに寝かせるわけにはいかないし」
「ああ、そうだね……ギギ、起きなきい。ギギ……」
「あんまり、歩きまわらないで下さい。車、来るから」
「すみません」
「寒いよぉ……」
ギギは、膝をナイト・ガウンのなかに押しこむようにして、上体をおこした。
「外は、暖かくなっている」
ハサウェイは、ギギがとなりの背もたれに上体をよりかからせたので、ラダーに背中をむけたままおりて、ベース・ジャバーの機体のしたに立った。
「…………?」
ベース・ジャバーの脇のハッチがひらいて、下士官が、ハサウェイの姿を見つけたものの、なにもいわずに、キャビンの方にふりむいて、ガウマンにどなった。
「出ろっ!」
その間にも、メンテナンス用の車両、乗員を運搬するワゴンなどが、次々と格納庫前に、集結しはじめていた。
「さっさとおりるんだよ!」
そんな声がベース・ジャバーのキャビンの方からして、タラップをトントンとたたらを踏むように、ガウマンがおりてきた。
「…………!?」
ガウマンは、後ろ手に手錠をかけられていたので、バランスを取ることができず、タラップの途中から、上体が前のめりになって、コンクリートのエプロンの上にたおれた。
その瞬間、ハサウェイは、バッと彼にかけよっていた。
「大丈夫か」
ハサウェイは、ガウマンの脇腹を下からだくようにして、タラップの上の下士官に、「乱暴じゃないか!」とどなった。
ハサウェイを見下した下士官が、ブスッとした時に、「民間人は、軍のやることに手を出してもらっては困るな。ハサウェイ」
ケネスが、乗馬用の鞭をならして、タラップをおりてきた。
「しかし……」
「植物鑑賞志願者には、わからんようだな。マフティーのことを、世間はどういっているか、知っているだろう?」
「知っているさ。こいつが、ぼくの宿泊したホテルを爆撃したんだろ」
ハサウェイは、ガウマンをだきおこしながら、膝あたりのホコリを払ってやろうとした。
それもこれも、ガウマンの動揺をごまかすためのものなのだが、ケネスは、ハサウェイの手を乗馬用の鞭でどけると、
「ハサウェイ、ハウンゼンに同乗した仲だから、優しくしているが、これ以上、わたしのいうことをきかなかったら、叩きだすぞ?」
そのケネスの声は、今までのものとは違った毒があった。それは、敵の臭いだ。
「……すまない。しかし……乱暴はいけない」
「世間はな、マフティー・エリンを現代のジャンヌ・ダルクとまでいって、はやしたてているんだよ。少しすれば、マフティーの軍隊は、本物になっちまう。この情勢は、どういうことだかわかるか?」
「マフティーが、大衆に支持されている気分というのは、わかるつもりだ」
「そうだ。だから、我々はキリキリしているんだ。さっさと、監禁室に押しこめろ! すぐに、尋問をするんだ」
「ハッ!」
ハサウェイは、視線をガウマンにむけるために、わざと頭をかいてみせながら、困ったという風にした。
ガウマンは、そんなハサウェイの視線を見てとって、悔しそうな表情のなかにも、納得顔を見せてワゴンの方にむかった。
「ポヤポヤしていれば、マフティーは、本当の政治闘争のアイドルになっちまう。ジャンヌ・ダルクは、火にあぶられて死ぬんだ。それを実行するために、おれはこの部隊に来た」
「……すごいな……」
ハサウェイの苦笑を、ケネスは、気にする間もなく、ギギが、ベース・ジャパーのラダーでおりてきたので、その方に気をとられた。
「どうだ? 落ちついたか?」
「ありがとう……ここが、大佐の仕事場なのね?」
「そういうところかな」
「いいね、広くて、サッパリしていて」
泣きはらした目がようやく落ちついてきたギギは、きょろーっと周囲を見まわしてから、
「アアッー!」と驚いて見せた。
ベース・ジャバーのデッキから、ダスタフ・カールの巨大な足が、ドスッとエプロンのゴム床の上に降り立ったのだ。
ギギは、さっきの恐怖を思い出したように、ケネスの方に後ずさりをした。
「……エイレン! さっさとベース・ジャバーからはなれろ! こわがっているお嬢さんがいるのが、見えないかっ!」
そのグスタフ・カールは、いったん停止して、ハッチからパイロットがのぞいたようだった。そして、ややスピードをあげて、格納庫の方に移動をはじめた。
「おい、車をよこせっ!」
ケネスは、ベース・ジャバーのクルーを収容するために、駆けつけた車の一台を呼ぶと、その後部ドアをあけてやって、ギギを乗せ、ハサウェイを呼んだ。
「すいません」
ハサウェイは、内心複雑な心境にかられながらも、大形乗用車の後部席に乗りこんだ。
キュルル……。
またあの独特な飛行音が接近してきた。新型のものだ。
「…………?」
ハサウェイは、ドアを閉じながらも、その機体が朝日を背景にして、黒い影をとなりの格納庫の前に着陸する姿勢をとるのを見つめた。
「ああ……ギギ、ちょっと待ってくれな?」
「はい……」
ギギは、またパタンとシートに、上体をたおして、ハサウェイにお尻をむけた。
「レーン!・ベース・ジャバーの前の車だ! おりてこいっ!」
ケネスは、助手席に尻を突っ込んだまま、またも腕の無線機にどなった。
その名前が、新型のモビルスーツのパイロットなのだろう。
そのモビルスーツは、人間が飛びおりるようにしてから、しかも、きわめて優雅に膝を屈伸させて、格納庫前のゴム床に着地すると、その上体をゆったりと立ててから、胸下のハッチを開いた。
そこから現れたパイロットは、ハッチの下にもぐるようにしてから、ワイヤー・ロープを使って、十数メートルをおりて、走ってきた。
ブラウンの髪が、良い青年という印象をきわだたせていた。
ケネスは、助手席からたつと、その青年が走っているあいだから、どなりはじめていた。
「敵のモビルスーツは、みんなガンダムだと思えっ! 蹴とばしたぐらいで、敵のモビルスーツの戦意が、喪失したと思うなっ! なんでとどめを刺さなかった。相手のパイロットが、意気地なかったからいいようなものの、今度もあれなら、ぺーネロぺーは取り上げるからな」
「ハァッ!」
立ちどまってパッと敬礼をする若者に、ハサウェイは、なるほどと納得した。ロクに実戦経験のないパイロットが、新型を使えば、自信過剰になろうというものだ。
そういう自惚れがみえる青年であった。
「行け! ぺーネロぺーを可愛がってやれっ!」
「はッ!」
そのパイロット、レーン・エイムは、こきみ良い音をたてて踵をあわせてから、バッと背中をむけると、新型の機体の方に走っていった。
「テスト飛行パイロットとしては、ズ抜けて優秀な男は、使えんな」
ケネスは、顎でそのパイロットを示すようにして、ハサウェイにいった。
「でも、いい顔をしてるよ」
ハサウェイは、そう答えてから苦笑して、「あれは、まるで、昔のぼくだものな……」と付け加えた。
「ああ……?」
「いやさ。シャアの反乱の時に、軍のモビルスーツを盗んだ時は、ぼくだって、モビルスーツぐらいっていう増長というか、自信過剰になっていたんだって、そんな姿を彼に見る思いがしたんだ」
「そうだったのかい」
ケネスも苦笑をして、レーンがワイヤーを使って、ぺーネロぺーのハッチに上っていくのを見上げた。
15 キルケー・ユニット
ハサウェイとギギは、ケネスの基地にそれぞれに部屋を提供されて、ともかく休むことができた。ケネスが、どうしてこう気がつくのかわからなかったが、ハサウェイに、衣類一式も届けてよこした。
「朝食まで、しばらくここで、お待ち下さい」
衣装を届けてくれた女性士官は、いかにも躾が良い折り目正しい応答をしてさがったが、ハサウェイにすれば、監視されているのではないか、と思えるだけだった。
ギギが、大きな紙バッグをさげて、ハサウェイの部屋に報告にきたのは、それからすぐだった。
「これ、基地の家族用のショッピング・センターでそろえた。支払いは、地球連邦政府にまわすって、いってくれたわ」
「……そりゃ良かった」
ほかにいいようがないハサウェイは、なんで、ギギは、肝心なことをいわずに会いに来たのかと疑ったが、ギギは、紙袋の衣類をすぐに着たいために、その時は、それ以上の会話もせずに、自分の部屋にもどっていった。
「朝食です。こちらへどうぞ……」
衣装を届けてくれたウェーブが、ハサウェイを食堂に案内してくれたのは、それから三十分ばかりしてからだった。
ハサウェイは、廊下に掲示されている建物の案内図を二度ほど見かけたが、そのすべてを記憶したにしても、部屋の配置のディテールは、想像できなかった。
それほど一般的で、肝心なことはなにも書かれていない表示板だった。
建物の東側が、この空港の滑走路と管制《ターミナル》ビルに面し、南側が、格納庫の列があるところだろうと見当はつく。ハサウェイたちの部屋は北側で、その窓に面して、小さな倉庫の列がある。これらの配置からガウマンが囚われている場所は、このビルの南側という程度しか想像できない。
「このビルは、やられなかったの?」
「はい……至近弾が、ガラスを破《わ》りましたけど……」
案内されたのは、士官食堂だった。
カフェ・テリア」方式のそこは、二人三人のチームが入れかわり、そそくさと食事をすると、お茶も飲まずに出ていったりして、いかにも作戦が始まったというあわただしさがあった。
「…………」
ハサウェイは、自分が敵対する部隊の食堂で食事をするとは思いもしなかったので、見学する気分になれない。
おくれて、ギギも、案内されてきた。
「どう?」
部隊内のショッピング・センターで買ったものなので、カジュアルにならざるを得ないが、似合わないでもない。
「ギギの好みのものがないにしては、よく組合せした」
「むずかしくいう……なんだ、まだ食べるもの決めてないんだ?」
「君を待っていたんだろ」
「そうか、そうか……なににする」
「あの……」
ギギを案内してきたウェーブが、ニコニコとわりこんで、「……大佐は、遅れるようですが、同席したいと申しておりました」といった。
「そう……」
「なに食べようかな……」
ギギは着替えをして、気分が変ったのだろう。はしゃぐようにして、カウンターの方に走っていった。
「元気な方ですね?」
この島出身らしいウェーブは、気さくにハサウェイに言葉をついだ。
「調査局の方も、ここに十時にいらっしゃって、お会い致したいとおっしゃっていました」
「大佐の許可は受けているね?」
「はい……」
ハサウェイは、またも自分の動きをとめられてしまったことを呪いながらも、ウェーブに礼をいって、カウンターに向かった。
二人がテーブルについて、食事を始めた頃に、ケネスが、カウンターに寄ってから、テーブルにきた。
「ニュースがあるぜ?」
開口一番、彼はそういった。
「…………?」
ハサウェイは、まさかガウマンの自白のことではあるまいと思いながらも、内心、動揺した。
「キンバレー部隊って名前な、ヤワだろう。だからって、ケネス部隊ってのも自己顕示欲の誇示で、おれは嫌いだ」
トーストをバリバリとやりながら、ケネスはひとり納得顔でいった。
「哲学をやっているんだな?」
「そりゃそうさ。声がでかいだけでは、司令官はつとまらんよ。でな……ギギ……」
肝心なところで、ギギに顔をむけるというのも、要するに、ケネスも子供なのである。「この部隊の名前、いいの思いついたんだ。なんだと思う?」
「……わかんない……南太平洋部隊?」
「バーカね。キルケー部隊だ。いい名前だろう。ギギなら、意味、わかるよな?」
「変なの……強そうじゃない。マフティーに負けるよ」
「キルケーか、きいたことがあるな」
そのハサウェイの言葉をうけて、ギギは、ニッコリした。
「わかった。あのキルケーね? キルケーの魔法は、どう猛な動物をおとなしくさせることができるって……そう、オデッセウスの物語のなかにでてくる、太陽神へーリオスの娘の名前だ」
「正解だ。これなら、マフティーに勝つさ」
「でも、マフティーは、いろんな名前を合成して、ギリシャ、ローマの神話だけの神々に勝とうって考えがあるんでしょ? そう思わない。ハサウェイ?」
「ハハハ……そりゃあるな」
ハサウェイは、ギギの質問の矛先が自分にきたものの、笑いながら、それをかわすことができて、ホッとしていた。ギギが、からかっているのがわかる。
「そこさ。神様の数は、多ければいいってもんじゃない」
ケネスは、真面目にうけると、ベーコンにスクランブル・エッグをのせて、ロにほうりこんだ。
「ここにいるあなたと、隊員の前のあなた、別人格のように見えるなぁ……なんでです?」
「おれにもわからない……」
ホッとした気分が、ハサウェイにそう質問させた。ケネスは、フォークを前に肩をすくめてみせる。
「わたしの前にいると、こうなるだけのことよ」
ギギが、澄まして言ったが、ハサウェイは、それを、彼女の増長とは聞かなかった。
「ウン、君には、男をそうする力があるようだね」
「でも、本当は、わたしのせいかどうかは自信はないよ。わたしは、楽しい男の人しか見たことがないから、そう想像するのよね」
ギギが、エッグ・スタンドの卵を、背筋を伸したまま口にする技術は、大変なものだ。ハサウェイは、かすかにギギに迫れる糸口をつかまえたような気がしていたが、ケネスは、簡単にその会話を横から打切って言った。
「それが、君の美徳だよ……。それでだ、今夜の君のデートは、閣僚たちは死んだんだからキャンセルになったんだな?……つきあえるよな?」
「この忙しい時に?」
さすがに、ギギは、あきれた顔をケネスにむけた。
「ギギとの時間は作る。それが、キルケー部隊のためにもなるんだ。ギギは、男を元気にしてくれるっていったろう? つまりだ。ギギは、幸運の女神なんだな。でさ、おれと寝てくれれば、キルケー部隊は、まさに真実キルケーになる」
「大佐、それは、いいすぎだな。ぼくだって、そう思っているかもしれない」
「え……? お前がか?」
ケネスは、すっとんきょうな表情を作った時に、士官が駆け込んできた。
「司令! 捜索隊は、第四戦隊まで発進させましたが、そのあとは?」
「全部出すんだ。全部!」
「ハ……!」
その間、ギギがハサウェイを覗きこんで、
「……そうなの?」と、肩肘をついてハサウェイにきいた。
「え……? ああ、君のこと、気になるもの……」
「そういういい方は、一般的回答っていうの!」
ギギは、フッと身をひくと、エッグ・スタンドの最後の白味をすくい上げた。
「ホーレ見ろ。お前は、まだまだ軟弱なんだよ」
士官がころがるように出て行くのを見送ってから、ケネスは冷かした。
「だからって、大佐のような大人のなれすぎた言葉遣いも嫌いです。わたしは、どんな風であろうと、男に生気をあげられる力は、ありません」
いいぎま、ギギは勢いよく立ちあがったので、妓女の飲みさしのコップがたおれて、あふれたミルクがテーブルをよごした。
ギギは、士官食堂のテーブルのあいだをすりぬけて、男女の士官たちの視線と口笛を全身に受けながらも、流れるように出ていってしまった。
「……? 知りませんよ?」
「お前が、本音をいうからだよ。ゆうべやっちまっておけば、こんなことにならんのに……」
「嫌いだな。そういう表現……」
「逆だよ。愛している、愛されたなんて言い方の方が、よほど欺瞞的だ」
「そうか……それもそうですね」
「お前は、変なところで、ウブすぎんだよ」
「認めますが、仕方ないですよ。ひどい失恋したから……」
「そうなのかい?」
「ね、先輩、教えて下さい。若いくせに、ギギは、なんであんなに吸引力があるんです?」
「あン? ああ……そうだな。大昔にいた女優、そう、売り出した頃のマリリン・モンローが似ているな」
「ギギみたいな?」
「吸引力が似ているってことだ。マリリンというのは、見た目はセクシーなだけの女優だが、大変な才能があった」
「ギギには、セクシーつていうのでは、ないですよ?」
ハサウェイは、ホテルの部屋で、一瞬見た彼女の裸体を思い出していった。
「そういうことでいえば、あの娘は、芯がガラスみたいなくせに、上っ面は、えらく生々しい若い肉体がおおっているという奴だ……」
「ああ……その表現、わかります」
ハサウェイは、コーヒー・カップを置くと、
「ぼく、調査局の事情聴取を受けたら、一人で帰ります。これ以上のご迷惑はかけられませんから……」
「そうするか。タサダイ・ホテルの荷物は、もうじき届くはずだ。なにかなくなっていても勘弁しろよ?」
「はい、フロッピー類は、また送ってもらえばすむことですから……」
「ああ、そのことだがな。フロッピーは、すべてチェックさせた。これは、マフティーせん滅を任務とする我々の職務権限だ。許せよ?」
「黙っていれば、わからないものを……」
「そうはいかないよ。友達だものな? それに、おれは、この部隊の連中の能力を信じていない。他人のものに傷をつけるような連中は、いっぱいいるからな」
「ああ……難しいんですね。人を使うのって……」
「そうだよ……植物相手には、わからんことだろうな?」
「……ギギは、どうするんです?」
「ハッハァー、気になるだろう?一段落ち着いたらホンコンに送ってやる。住所ぐらい知らせるぐらい、伝えてやってもいいぜ?」
「自分でやりますよ」
「そうだ。それで、男だ」
「じゃ……調査局が来るまでは、寝ます」
「そうしな。こっちは、マフティーのおかげで、当分寝ることもできん」
ケネスも立ちあがって、二人して、トレーをカウンターにもどしにいった。
「でも、あのぺーネロぺーがあれば、一挙にせん滅でしょ?」
「それがちがうな。戦争はどんな小競り合いでも、戦力だ。これは、一機のモビルスーツの性能で決まるもんじゃない」
「でも、マフティーには、ロクな戦力ないんでしょ?」
「ゲリラで仕掛ける方は、それでいい。守るとか、掃討する側はそうはいかんのさ。今日のまで入れて、閣僚は十八人も殺されている」
「……閣僚たちが、地球におりて来るのをやめさせればいいのに……」
「それができんのさ。連中は、地球に家をもっている。その特権をどうしても、忘れることができんのだよ」
「それで、マフティーのやり方が、世論に支持されてしまうんだ。軍として、閣僚たちを宇宙に送還すればいいんだろうに」
「それができないから、我々が、危険な仕事させられるんじゃないか」
「その上で、軍人上りが、マフティーの名前をかたるんじゃ、ますます、マフティーを勢いづけるだけじゃないですか」
「そうだ……? お前、まるでマフティーだな?」
「そこら中の新聞がいっている。週刊誌もさ。その意味では、マフティーですよ。みんな」
ハサウェイは、しゃべりすぎた自分を感じたものの、いいきっていた。
「マフティーの言う正義の爆撃で、いったい何人の民間人が、死んだと思う? 三百人をこえたんだぞ?」
「そうか……」
ハサウェイは、憂鬱になって、自分の部屋にもどろうとした。
「そっちじゃない。民間人は、そっちは出入り禁止だ」
「あ……? ごめん……」
「どうした?」
「いや、マフティーがはっきりとした戦いの目標をかかげても、そんなに人を殺していれば、いつかはマフティーが生贅になるなって、そう思って……」
それは、ハサウェイの実感である。
ケネスは、ハサウェイとの会話のなかから、なにか危険なことを感じたにしても、ここまで会話をしてしまえば、ハサウェイは、彼との関係は、どうでもいいことのように思えた。
しかし、その上でも、この結論にたどりつくのは、切ないものであった。
「そうだよ。おれが、奴の首をはねてくれる」
「……頼むよ。大佐……全面的に賛成はできないが……」
「それはそうだ。おれだって、同じさ。自分の立場に、全面的に賛成しているわけじゃない……」
さすが、ハサウェイは、内心で納得せざるを得なかった。つまり、ここまで、事態がわかっていて、任務を実践する男が怖いのである。少なくともひとつの戦闘局面の全体像を把握する能力はあるからだ。
「おたがい、オーストラリアのオエンベリのマフティーの私設軍隊ってのにはいって、地球連邦軍と戦うか?」
「その話、本当なんだろうか……私設軍隊なんて作れると思えないけどな」
その時は、ハサウェイは必死になって、話の筋をかえようと切りかえしていた。
「地球自体は、人口はうすくなっているから、逆にいえば、集結するのは簡単だな。地球連邦政府は、まだのほほんとしてるのは、ハンウゼンを見ればわかるだろう。キンバレーが、叩き切ってくれるとは思っちゃいない。こっちは、スパイを潜りこませる用意もしなければならん」
「大変だね」
「この廊下まっすぐだ……出る時は、声をかけろよ」
ケネスは、腕の無線器がコール・サインをだしたので、そのまま無線器にどなりだしていた。
ハサウェイは、二時間は寝ただろう。
食堂に案内してくれたウェーブが、迎えに来てくれて、ハサウェイは、そのビルの二階の殺風景な部屋で、調査局のゲイス・ヒューゲスト部長に会ったが、その時も、ハウンゼンのなかでの人の位置確認だけで、事情聴取は終わった。
「……ありがとうございます。これで、再度お呼び立てすることはないですよ」
「ご苦労さま。しかし、ぼくにわからないのは、マフティーの動きが、活発なこの空域に入るのに、なんで、あんな数の閣僚が乗っていたんです。実際、ゆうべだって、タサダイ・ホテルは攻撃されたんでしょ?」
「知りませんね。私もこんな僻地勤務ですから、宇宙のことはわかりません。ポヤポヤしていれば、マフティーは、本当の政治闘争のアイドルになってしまうと心配しているんですがね……」
「そうなんですか?」
「そうですよ。ジャンヌ・ダルクですよ。マフティーが指揮をしなくとも、マフティーの軍は、あっちこっちにできます」
「フーン……」
結局、彼もケネスと同じことをいった。
「あ……これ、他言は無用に願います」
「勿論です……でも、一般的にマフティーを支持する民意というのですか? それは、強いのですか?」
ハサウェイのそんな質問には、もう調査局の部長は答えずに、ドアをひらいて、「ま、彼の戦術は、テロですから、最終的には支持されませんよ」
その眼鏡の奥の目は、笑っているように見えた。
「スーツケースは、もどってきましたので、お部屋に届けてあります」
「ありがとう」
ハサウェイは、ふたたびウェーブの案内で部屋に帰ると、支給してもらったシャツを着替えて、廊下に出た。
「大佐には会えるかな?」
「ご案内致します」
ウェーブは、そのビルの南のブロックに入ると、二階の指令室に案内された。
「かかれっ!それだけだ!」
そんなケネスの怒声が、ドアごしに聞こえたので、ウェーブは、ペロッと舌をだしてから、ドアをノックした。
「誰だ!」
「ハサウェイ・ノアさんをお連れしました!」
「よーし! お前たちは、もどって訓練だ。残留部隊だって、偏屈な考えはすてろ。キルケー部隊の中核は、ここだ。貴様たちだってことを忘れるなっ!」
「ハッ!」
ウェーブがドアをあけると、部屋の男たちが踵をあわせて、敬礼する音が整然とした。ハサウェイは、ドアの左にたって、パイロットたちを見送った。そのなかに、今朝、ケネス大佐がどなりつけた新型の若いパイロットもいた。
彼だけが、緊張の顔をハサウェイにむけて、軽く会釈をして出ていった。
「……いい顔しているね? 新型のパイロット」
「レーン・エイムか? まあな……残念だな。この部隊に来る気はないか?」
「まさか……」
「だってさ、身体はなまってはいない。なんでだい?」
ケネスは、デスクの前のソファにすわって、テーブルの上の調書を取って、ハサウェイに渡した。それには、ハウンゼンの事件の経過がタイプされていた。
「サインは、ここか?」
「そうだ……」
ハサウェイは、デスクのボールペンでサインをしながら、
「ぼくだって、シャアの反乱以後も、しばらくは軍にいたし、大学に入っても、農業仕事だ。コロニーに行けば、農業ブロックで、動きっばなしの仕事をしていたんだ」
「そういうものか……ニュータイプらしい素養があるとにらんだがねぇ。お前さんなら、あのべーネロべーを任せられるかもしれないのにさ」
「二、三年後になるさ。それでは、間にあわないだろう?」
「アムロ・レイの経歴を調べたことがあるが、ガンダムのパイロットになっちまうのにも、あっという間だった。お前は、勝手にモビルスーツの操縦やって、ともかく一機撃墜という実績がある」
「シャアの反乱の時の戦果は、マグレさ。それをガキだからっていうんで、広報にのせてもらえたのも、地球連邦軍が、戦争に勝った余裕からだろう」
「シャアの軍の新型モビルスーツ、アルパ・アジールに接近戦をしかけた実績が、ガキの偶然か?」
「……そう思っています」
その局面こそ、ハサウェイが忘れようと必死になっている事件なのだ。
スペース・シップで、偶然出会った少女クエス・パラヤが、地球連邦政府に反乱を起したシャア・アズナブルのもとに走り、巨大モビルスーツのパイロットになった。
彼女こそ、ニュータイプの要素をもっていたのであろう。ハサウェイは、彼女の吸引力にのって、巨大モビルスーツに接近しただけのことで、その結果、戦闘のなかで、ハサウェイは、人殺しをしたのである。
戦争のなかでは、人殺しは成立しないが、ハサウェイには、愛した人を殺した、という脅迫観念だけが、深く残ってしまった。
それが、クェス・パラヤとの出会いであり、ハサウェイの戦争なのである。
「そうかい。ニュータイプ?」
「……そういう言い方されると、アムロ・レイさんだって、はやし言葉だって、怒っていましたよ」
「フーン、そうか。じかにアムロ・レイともつきあっていたのか?」
「父の友人でしたから」
「そうか……おやじさんは、ホワイト・ベース時代からの生粋の独立部隊の出身者だっか」
「ぼくは、艦長のブライト・ノアの子供でしかありませんけどね」
「マフティーのケリをつけたら、お前のところに、トローリングに行くぜ?」
「どうぞ。このまま、外に出ちゃいますが、いいんですか?」
「ここの空港からの便が、必要なんだろう?」
「そうですが、ついでですから、メナドでの暮しのための買物もしていきます。街に出ます。それで、乗れる便で帰ります」
「ギギには、挨拶は?」
「真っ直ぐ案内されたので、声をかけるのを忘れました。いいですよ。会えば、未練が湧きます。よろしくいって下さい。できたら、遊びにきてくれって……無理かな?」
「あの娘、どこに落着くかしれんが……落着き先を知らせることぐらい言っておく」
「……わからないんですか?」
「怪しいんだよ。住所不定のまま地球におりて来ている。あの娘の申告している住所は、無人のアパートだった」
「ヘーっ? そういうのまで、調べるんだ」
「ここは、マフティー掃討のキルケー・ユニットだぜ?」
「そうですね」
ハサウェイは、へへッと笑ってみせて、ケネス大佐の部屋を辞した。
16 ランナウェイ
ハサウェイは、ケネス大佐の手配してくれたリムジンで、ダパオのショッピング・センターにむかった。
一人になって、ようやくハサウェイは、ギギが、ハサウェイに感じたことも含めて、ケネスに話さなかったのだろうか、と考えた。
『……ロは軽いようだが、そうではない……なぜだろう……』
ハサウェイは、一見、男になら、誰にでも媚を売っているように見える彼女が、まったくちがう少女である実態をかいま見た思いに、ケネスの基地にもどりたい衝動にかられた。
しかし、ハサウェイは、できることならば、ガンダムは自分で回収しなければならないという義務感にかられていた。
『ギギの結論などはださなくてもいい……今、この時間に、ぼくがマフティーの一員だとケネスにしゃべっているかもしれない』
ハサウェイは、自分の心の奥底にある淡い期待をかなぐりすてるように、そういってみた。
虎口を脱したものの、ハサウェイには、時間がなくなっていた。急がなければならないのだ。
「どこで降りますか?」
運転席の下士官が、聞いた。
「ああ、そのあたりのとめやすいところで、結構です」
ハサウェイは、その言葉通りに行動してくれる運転手を信じてはいない。助手席には、もう一人の下士官がいるからだ。
内心、あせりながらも、ハサウェイは、絶対に怪しまれる挙動はしてはならない、と思っていた。
観光案内所の近くには、必ずコイン・ロッカーがあるものだ。
ハサウェイは、銀行に入って、それなりの換金をすると、スーツケースをロッカーに預けて、インフォメーション・センターに入って、メナド行きの船便の時間を確認した。
「……夕方の便にするか……」
ハサウェイは、窓口の女性の前で、意識したひとりごとを言ってから、ダパオ港に出る方向にむかった。
インフォメーションなどの窓口に人がいるのは、人の流れを監視し、不法居住者をチェックするためである。もちろん、地球に残りたい人びとが、官僚組織を利用して、よぶんな職業を発生させるためでもあるのだが、前者の理由によるところの方が大きい。
ハサウェイは、アーケード街によって、老教授が喜びそうなものを買いこみながら、尾行に気をつけながら、仲間との接触をまった。
「……一般人に多少の被害をあたえたことは、衷心からお詫びをいたしたい。しかし、地球にすむ人びとにもわかっていただきたいのは、地球に人類が住むことは、罪悪であると考える時代であることを、心から理解していただきたいのである」
それは、電波ジャックで放送されているマフティーの演説の声であった。
ハサウェイの声ではないが、その定形化した演説の録音には、ハサウェイは、立ちあっている。
「冗談じゃねぇよ!勝手にドカンドカンやっておいてよ!」
「今朝の空襲でひどかったのは、マフティーじゃねぇってよ。知っているかい? キンバレーのモビルスーツの方がひどかったのは、みんなが知っていることだぜ?」
ハサウェイは、すれちがう人びとの声高く話す言葉が、耳に痛かった。
「我々は、宇宙移民をした意味を忘れた現在の地球連邦政府の人びとに反省をうながすために、やむを得ず、攻撃をした。この宣戦布告は、行なっているのに、地球連邦政府は、我々、マフティーの存在を認知しないのである。この怠惰さを、地球に住む人びとは、心より理解していただきたいのである」
ハサウェイは、テレビ、ラジオからの演説からはなれるようにして、アーケード街をでた。
ミツダもハンターの手をのがれたのならば、見つけてくれようし、エメラルダも自分の存在を認めているのだから、心配はないと思えた。
ハサウェイの行く方向は、ダパオ港より南に下ったどこかで、ネジェンのコード・ネームをもつ漁船を見つければいいのだ。
「…………」
ハサウェイは、ダパオ港にそって、南下していった。沖には、サマル島が、防波堤のような島影を見せていた。
しかし、プラプラと散歩をよそおわなければならないのは、苦痛だった。本当は走るか、車を盗んででも、移動したいところだった。
「……宇宙からのお客さんだろ? どうだい? サマル島一周、安くしておくよ」
港の人びとが、人をどこで識別するのかわからないが、小型船を係留した桟橋のある場所では、かならず、そう声をかけてくる男女がいた。
「いや、ありがとう。散歩だから……」
ハサウェイは、彼等のなかに、同志がいるのではないかと期待をしたが、事は、そんなに都合良くすすむものではなかった。
現実は、ゆったりと、他人が見ていれば、あきてしまうように進行する。それが、ハサウェイに、きびしい忍耐を強いるのである。
キョロキョロせず、警戒の気配をみせずに、普通の観光客か、近くに住む人が見物しているという風をすることは、神経をささくれさせた。
それでも、つまらない嫌疑をかけられてはならないので、ハサウェイは、風景に溶けこむ努力をする。
海に面したこの海岸の暑さは、耐えがたいことはないのだが、昼近くになれば、それも身体にこたえた。
『クエス、どうしたらいいんだろう。ぼくに、方法を教えてくれ……』
ハサウェイは、ケネスとの会話を忘れられずに、つい、あの名前を心のなかで呼んでいた。
それが、こだまとなってはじけてくれればいいのだが、そうではなかった。クエス・パラヤという名前は、ハサウェイの心の底によどみ、まだ呪わしい言葉を叫んでいた。
『シャア!』と……。
彼女は、ハサウェイの目の前で、シャアに走っていったのである。そして、それっきり、ハサウェイの前にもどることはなかった。
しかし、ハサウェイにとっては、彼女のそのうしろ姿は、つい、昨日のできごとのように、消えることのない刻印になって残っていた。
そんな記憶にとらわれつづけるのが人であり、それが、現実という狭い空間のなかでの人のありようなのだ。
人は、矮小である。異次元に、その思考を飛ばすことはできない。
「…………?」
なだらかな砂浜は、ココナツのヤシの木々を背おって穏やかにつづいていた。このような場所は、敵なる存在に怪しまれやすいので、ハサウェイに接触しようとする漁船の影などはあるわけがなかった。
「……ネジェンって、知っているだろ?」
その少年は、十五、六歳だろうか? 海水パンツをはいただけの格好で、昔ながらのカヌーの上のへさきにまたがって、ニコニコとハサウェイに聞いてきた。
「……どういうことだい?」
「それを知っているなら、乗りなよ。連れていってあげる。十ドルくれればの話だけど……」
「高いんだな?」
「商売だからね」
「よし、乗ったよ……いつもは、なにをしているんだい?」
「へさきを持ち上げてね? こっちから押すから……」
少年は気さくにいうと、カヌーを砂浜に押し出しながら、「たいてい、ここで、客引きをやっている。こう見えても、許可書は持っているんだぜ。ホラ……」
せっかくの靴がと思う間もなく、ハサウェイは海にさがりながら、少年が首にさげているビニール袋の観光事業主の許可書を見て、あきれていた。
「なんでそんなものを持っているんだ?」
「なんでって、母親の代から、こうやっているもの。宇宙から来た入って、こういうの好きだろう? 乗ってよ」
「ああ……」
ハサウェイは、下半身を海水からぬけだすのに、苦労しながら、しがみつくようにして、カヌーに上体をつっこんでいった。
「下手なんだねぇ……」
少年は、笑った時には、すでにオールをとっていた。
「どうも、水には慣れないな……メナドで暮し始めて三年になるけど……」
「海を見なれていないんじゃないの」
「ああ、植物相手の仕事だから」
少年は、サマル島を左に見るようにして、オールを左右に使いながら、結構のスピードで、沖に乗り出していった。
それは、普段やっていると同じような余裕がみえた。
「景色の説明するかい?」
「いいよ……誰に頼まれたんだ?」
「知らないね。あんたが来るちょっと前に、女が来てさ、さっきみたいにいって、乗せてやってくれってさ、それだけのことさ」
「フーン……?」
「あんた、海に慣れないんだろ? 女の人はそういっていた。こうしているあいだに、出迎えの用意するんだっていってたな……結婚するのかい?」
「結婚……?……ああ、そのつもりにはなっているけど……」
「ハハハ……歳上の女っていいんだってね? いいな、おれもそういう女、見つけたいんだけどね」
「で、彼女は、ぼくをどこまで連れて行けって?」
「知らないよ。三十分ほど漕ぎ出せば、迎えに出るって言っていたよっ一時間かもしれない。そんなこと、どうでもいいことだけどね? 夜までに帰れば、いいんだから」
ハサウェイは、こんな少年と接触して、あとで困るのではないかと疑ったが、ほかにしようがなかった。
『最大一時間か……』
ハサウェイは、こんなあとで、地球に降下するガンダムに間にあうために、このあたりの機動力をフル稼動させるには、時間はすぎているように感じた。『大体、ケネスの目の前に、ガンダムが落下するような結果になる。ケネスは、これをキャッチするはずだ』
ハサウェイたちが、ガンダムの受けとりに、この海域を選んだのは、この時期は比較的海が安定しているからで、同時に、無数の島があって、取りあえずの基地の設営に適していたからである。
なにより、赤道近くであることが、隕石に擬したシャトル投入に有効だったのである。
意識のどこかで、キンバレー部隊、御しやすし、というあなどりがあったことも事実である。
ハサウェイは、数度、海に入って冷をとり、少年の用意してくれた清涼飲料水を飲んだ。
「もう少しで、一時間たつね……」
太陽を見て、時間をはかるようにした少年の視界に、二機のキルケー部隊のケッサリアが、まだキンバレー部隊の識別カラーのままパスしていった。
カヌー近くに、しぶきが白い壁になって、そそりたった。
「ウワーッー」
カヌーが大きくゆれて、少年はオールを使って、そのゆれを殺そうとした。ハサウェイは、
簡単にカヌーからこぼれ落ちていた。
「あれだ! キンバレー部隊の連中はっ!」
「そんなにひどいのか……」
ハサウェイは、カヌーのへりにしがみついてきいた。
「そりゃそうだよ。今朝のマフティーの攻撃で、街はひどいことになったけど、マフティーのモビルスーツが壊した量とキンバレー部隊のモビルスーツが壊したのでは、どっちがひどいか知っている?」
「キンバレー部隊だというんだろ?」
「マン・ハントと同じなんだ。地球連邦政府のやることの方が、よほど荒っぽいんだよ。みんなは、マフティーにやらせればいいんだ、っていっている」
「マフティーの電波ジャックのこと?」
「ああ、若い声でさ、地球は自然にかえせ。そうしないと地球は死ぬってね」「しかし、マフティーは、地球にいる人間はみんな宇宙に住まなければならないっていっているのは、認めるのかい?」
「そこがちょっと賛成できないんだけどね。地球が汚染されているっていう話は、おれにはわからないけど、みんなが宇宙に住んで、地球を自然のままにした方がいいっていう話は、わかるよ。観光だけはやってさ……」
「そうすれば、君は失業しないものな?」
「そうさ……地球連邦政府って、偉い連中は好きに地球におりられて、普通の人は、おりられないってのは、こういう仕事しているとわかるんだ。連中は、金の使い方や口のきき方でわかるからね。偉い連中は、おれたちをバカにしているもの」
「じゃ、ぼくもそうだな……」
「そうだね……特権階級でなければ、地球におりて来られないものな」
「嫌いかい?」
「……それはいいっこなしにしよう。人は、知らないことは知らないまま、バカはバカのままの方が楽だって……」
「すごいな……君は……」
「宇宙の人間は、地球に住めるだけで、幸せだっていっているらしいけど、そりゃウソだぜ? 偉いさんたちの面倒をみる仕事をさせられて、奴隷みたいなのいるんだから。だから、なにも考えないようにしているんだ」
「フーン……」
ハサウェイは、彼が明らかに、どういう仕事を依頼されているのかということを承知している少年であると思えた。
しかし、暮していく上で、知らないですませられるものほ知らないですませるというのは、庶民の知恵の一部なのだ。しかし、彼等がなにも知らない、ということはないのである。
自分たちにとって、知っては危険なことは知らないですませる、ということなのである。
前方から接近して来た大型クルーザーは、トローリングをさせるためのボートに見えた。
「…………?」
ハサウェイは、まさかな、と思ったが、そのクルーザーは、カヌーのダパオ側にまわりこむと、フライデッキにエメラルダが姿を現した。
「…………!?」
と、コックピットの後部からミツダ・ケンジが現われて、カヌーにロープを投げてきた。
「ハサウェイ、代る!」
ミツダは短くいうと、カヌーに飛び移ってきた。
「何か、気になることは?」
「スーツケースが、コイン・ロッカーにある。回収した方がいいだろう」
「了解だ……ジャケットは、もらうぞ」
「急いで!」
フライデッキから、エメラルダが叫んだ。
「ああ……」
ハサウェイは、デッキに手をかけると、クルーザーによじ登った。
「楽しかった。君の名前をききたいが、知らない方がいいな?」
「ああ、また来いよな……」
「そうするさ……」
ハサウェイは、後部コックピットから、キャビンに潜りこんだ。クルーザーは、急速に方向をかえると、全速力で疾走し、次に、その船体を海面から浮かせた。
水中翼船なのだ。
17 オン オーシャン
「……どういうことです?」
エメラルダ・ズービンにつづいて、イラム・マサムとレイモンド・ケインがキャビンにおりてきた。
レイモンドは、操舵輪をにぎってハサウェイをのぞいた。
「ハウンゼンでできちまった妙な人間関係からは、脱出したということさ」
「あのギギ、新しい彼女?」
エメラルダが、ぞんざいな口調できいてきた。
「そうしたかったが、ケネスというキンバレー部隊の新しい大佐は、彼女をマフティーの連絡員だと疑って、放していない」
「そう……?」
ハサウェイは、エメラルダが疑い深い目の色をかえないので、苦笑した。
「……問題はある。彼女は、極度に感性のするどい娘で、ぼくをマフティーだとあてた」
「おい! ハサウェイ!」
エメラルダとイラムが、色をなしてハサウェイにつめよった。
「それはちがうんだ。説明しずらいが、ギギ・アンダルシアは、そういうことを大佐には話していない。彼女からは、ぼくの身元はバレない、と保証はできる」
「そんなの、あてにはならないな。どういう事情かしらんが、ハサウェイの正体を知っているなら、どこかでしゃべる。しやべらないつもりでも、知っていれば、しやべっちまうもんだ」
レイモンドは、操舵輪を抱いたまま、怒鳴った。
「話はそうだが……ちがうんだよ。それは、信じてくれ……」
「気にいらない話だな。ハサウェイ。あんたの弱点が出たみたいな感じがする……」
イラムの思慮深い眠が、ハサウェイにすえられた。
「うム……わかるがね、イラムがそういうのは……」
「そうだ……ちょっとわからないね」
レイモンドは、はっきりとつっぱねた。
「彼女のことは事実なんだ……しかし、どの道、ここはキルケー部隊の傘下だおたがい、覚悟はできているはずだ」
「ムザムザという状況にたいしての覚悟ってのは、いやだね」
「……!? じゃ、ハサウェイ。あんたは、ケネスに泳がされているということ?」
レイモンドだ。
「……レイモンド、やめなさいよ。ハサウェイの直感は、今までまちがったことはないはずだよ? 今は、ハサウェイの話を信じて、任務を遂行すればいい!」
エメラルダは、腹が決まると、男よりも思いきりがよかった。
「やっているだろう!」
「エメラルダ、いいよ。ぼくが判断をまちがえたかもしれないんだから……」「いうなよ。ハサウェイの話は信じよう。エメラルダは、ギギを見ているんだろう?」
「ああ……ハサウェイの話は、わかるような気がするね」
「わかんねぇぞ?」
イラムが、用心深くエメラルダを牽制する。
「ガウマンだって、囚われたままなんだ。どこで自白させられるか、わからないんだから、状況は同じさ」
「自白剤を飲まされたって、ガウマンは、口ほ割らねぇ!」
レイモンドは下唇をつき出すようにして、どなった。
「レイモンド……監視をつづけろ。ハサウェイ、データの解析はすんでいる。現在、ギャルセゾンとブースターベッドの最後の調整をやっている」
「そうか。ミヘッシャは、脱出できたのか……」
ハサウェイは、テーブルの下のクーラーから、飲料水を取り出しながら、息をついた。
「……ただね、少し不明な数字がある。ハサウェイはスペアを持っているな。照合したい」
「ああ、これだ」
ハサウェイは、手帳からマイクロ・フィルムを取り出して、イラムに渡した。
「ン……ミへッシャは、死ぬ思いでもって来てくれたせいだな。フィルムに粒子のアレがあったんだ」
「そんなにか?」
「たいしたことはない」
「その分、手間はかかっちまった」
そう悪たいをつくレイモンドに、エメラルダは立つと、彼の頬をピチャリとたたいた。
「そりゃないだろう? エマ……」
「甘ったれるんじゃないよ。もともと危険な仕事やっているんだろう」
エメラルダは、レイモンドのお尻をたたきながら、フライ・ブリッジにあがっていった。
イラムは、キャビンのコンピューター・トレーサーで、フィルムの再生をして、フロッピーにインプットする仕事を始めていた。
ハサウェイは、仏頂面のレイモンドのわきを通り、フライ・ブリッジのエメラルダのわきにあがった。
「エメラルダ、尾行はなかったよ。ぼくの身体に、探知器を取りつけられたようすもない」
「信じるよ。ハサウェイ」
「しかし……監視は、きびしくなっているはずだ」
「だからダイレクトに、浜には行かなかったのさ」
「すまないな。気苦労ばかりさせて……」
ハサウェイは、エメラルダの手の甲を軽くたたいて、礼をいった。
「幸いなことがあるとすれば、オエンベリの軍隊さわぎで、ケネス大佐の気もそっちに行っているってことだな」
それは、ハサウェイの気休めであった。
「ハウンゼンをハイジヤッカーした連中って、その仲間だね」
「そうだろうな。けどね、キンバレー部隊が静かだったのは、キンバレーが、直接にオエンペリの制圧にむかっているというので、わかるんだが……クワック・サルヴァーはオエンベリの動きは知らないと、ミヘッシャからはきいているぞ?」
「クワックは、これこそ、マフティーの運動をはじめた、真の効果がでてきたって、喜んでいるらしいよ」
「ン……マフティーの意思は、一般大衆の叫びだといっても、具体的な行動にならなければ、打倒、地球連邦政府にはならないんだから、オエンベリの動きは助かるが、本当に、クワックは、仕掛けていないんだな?」
「そうだよ。だって、この一か月で、オエンベリには、三万とかの人間が集ったのに、我々は、どうだった?」
「そうだな……まったくさ。意識してやると、ロクに人の数もそろわないものな」
「そういうものさ。マフティー傘下に、二千人いるかね?」
「そう、分ったよ。地球連邦政府は、直接マフティーせん滅部隊を指揮して、自分たちが働いていることを誇示するつもりで、アデレートでの閣議召集を決めたんだな」
「そういう手順だろう? その上で、休暇と観光をかねてね?」
それは、エメラルダひとりの当て推量ではないことは、ハサウェイは、十分に承知していた。
「……しかし、今朝の攻撃で、四人の閣僚が死んだ……アデレートの閣僚会議は、延期になるか、場所が変るな」
エメラルダが、フロント・ガラスに両肘をついた格好でうなずいてから、ふくみ笑いをした。
「フフフ……あの人たち、マフティー自身と一緒だったなんて、誰も想像しなかったんだろう?」
「ふむ……ケネスは、もうすこしすれば気がつくな。ギギの話などとは、関係なくね」
「そういう男なのかい?」
「自制心があって、狂暴な男だ。ガウマンたちを迎撃した仕方を見てもわかるじゃないか」
エメラルダは、そのハサウェイの言葉にあらためて、納得顔を見せると、
「新型のモビルスーツのパイロットは、強化人間かい?」
「さてね……そこまではわからなかったが、ぺーネロペーの性能は、新しいガンダムか、それ以上かもしれない。今後は、つらくなるぞ」
ハサウェイは、ケネスが怒鳴りちらしていた若いパイロットの顔を思い出して、彼を中心にしたキルケーのモビルスーツ部隊は、強力になってくるだろうと、思わざるを得なかった。
クルーザーは、サン・アグスティンの岬をまわりこんで、その海岸線にそって、しばらく移動すると、すこしばかりの岩がつくる入江にすべりこんでいった。
「危険かもしれないが、これから飛行機で移動するよ。ハサウェイだって、ガンダムの迎えに出たいだろう?」
「そりゃ、自分で積みこんだんだからな」
ハサウェイは、エメラルダたちの準備にようやく愁眉をひらく思いで、笑顔をみせた。
今回の新型ガンダムを受領するにあたって、もっとも効率の良い場所として、ここを選んだのは、マフティーの組織そのものを支援するクワック・サルヴァーである。
彼こそ、マフティーという架空の人物を中心にした反地球連邦政府組織を結成した影の男であった。
彼は、かつては、連邦軍地球方面軍で、要職にあった将軍であるということしかわかっていないが、クワック・サルヴァ−と名乗る将軍は、ハサウェイたちの目の前に現れたし、物資補給とメンテナンス部隊の編成については、信じられないほどの手腕を発揮した。
信じられないとするならば、そのコード・ネームが、インチキ医者というほどの意味にあった。
クルーザーは、入江になっている窪みに入ると、船底を水面に接して、ひとつの岩場に接近していった。
その奥に、濃緑色の迷彩をほどこしたオンボロの典型のようなフロートつきの軽ジェットが待機していた。
そこで、エメラルダが、軽ジェットの操縦かんをにぎって、ハサウェイとイラム、レイモンドが、ロドイセヤというコード・ネームで呼ぶ島にむかった。軽ジェットを警護していた若者たちは、クルーザーでダパオにもどって、キルケー部隊の動静を偵察する手はずになっていた。
そこから、さらに、一時間強。
軽ジェットは、ハサウェイが帰るべきメナドより、さらに、南下して、ハルマヘラ島の赤道直下にちかい部分を東に横切って、東の海岸線上にでた。
「ここまで無事に来られたとなると、ハサウェイの嫌疑は晴れたってもんだな?」
レイモンドも、ようやく持ち前の陽気さを取り戻してくれた。
「ありがとうさん。これも、キルケー部隊が、オエンベリに気を取られているせいだ。なにしろ、月のアナハイムでは、そんなうわさはまったくきかなかったからな……ショックだった」
ハサウェイも気が軽くなった分、ロも軽くなった。
「アナハイムだって、情報収集機関じゃないし、だいたい、ハサウェイのいた工場だって、アナハイムそのものじゃないんだろ?」
エメラルダは、オート・パイロットを、マニュアルに切りかえながら、きいた。
「そうなんだ。そういう企業形態が、諸悪の根源だという考え方もある」
「地球連邦政府と同じさ。人間は、自然に翻弄された時代と、組織に翻弄される時代とに分けて歴史を語る時代になったんだよ」
イラムである。
「しかし、自然発生的なことで、そんなに人は、集るものなんだろうかね?」
「歴史だよ。歴史がさせているんだよ。始まりは、ジリジリとカタツムリのごとく、つづいて、どこかで、バッと膨張するのさ。宗教がひろがるようにね?」
「そういわれると納得するかね?……はいよ、みんな、歯を食いしばって、足を踏んばって!」
「え……? ロドイセヤか?」
「ああ……」
エメラルダの返事がおわらないうちに、機は、一気に高度を下げていった。ジェットは、午後の陽射しが斜めになったために、ぺッタリと見える海面に、あっけなく着水した。
ハサウェイの正面の海面は、まっさおな色にかわって、ココヤシにおおわれた海岸線に直進していった。その海岸線の一角から数隻のゴムボートが、白波をけたててきたが、それがどこから現れたのか、ちょっとわからなかった。
18 ダイニング・ルーム
ケネス・スレッグは、ダパオの基地に残っているモビルスーツ部隊の編成をおわって、その装備と実働プランの検討に忙殺されていたが、それでも、昼食は士官食堂に出むくのは、ギギを待たせているからである。
「……どうもな……あんな娘に、なにかと思うが……」
自分で苦笑していてもはじまらないのだが、キンバレーのやり方に腹がたっている現在、彼女のような存在があることは、悪いことではない。
ハサウェイにいった、ギギは怪しいかも知れないというのは、しょせん、口実なのである。
「……ケネスだ。お客さん用のコテージがあるだろう? ひとつ調達してくれないか?」
食堂にむかうあいだに、ケネスは、腕の無線器で総務部を呼び出して、ギギのための用意をさせた。
「……待たせたな?」
ギギは、ひとり窓ぎわの席で、食事をはじめていた。
「いえ……待つのは慣れていますから」
その屈託のなさに、ケネスは、想像とはちがっていたので、意外だった。
「そうなのか?」
「そうですよ。ハサウェイ、なんでわたしに挨拶なしで、出ていったんです」
「会うと未練がでるから、よろしくってさ。気持ちは、わかるぜ」
「失礼じゃないかしら?」
「男としては、わかる。ギギが、ハサウェイと暮すつもりがあるならば、別だがさ?」
意地の悪い言い方である。
「……そう? ハサウェイは、そんなことは、考えない人よ」
ケネスは、それには取りあわずに、食事をはじめた。
腕のコールがなって、ギギのためのコテージがとれたという報告がはいった。
「作戦が一段落したら、ホンコンに送ってやる。それまでの住いを確保したよ。ゲッチンゲン・ハウスってところだ」
「ご親切に……でも、わたしには、お礼ができませんよ?」
ケネスは、その愛想のない言葉に、さすがに、すぐ反論する気になれなかった。
「……フフ……だから、出ますよ。別のホテルをさがせばいいのでしょ?」
「なんだい? その笑いかたは?」
「わたしの言い方が、気に入らないのわかりますもの。それとも、ご自分の監視下においておかないと落ちつきません?」
「……ン……。調べたんだがね。君が、ハウンゼンに乗るためには、バウンデンウッデンのターミナルを使って申し込んだと……」
一方的に押しきられるのがいやで、ケネスは、口に出す予定のないことをしゃべっていた。
「それが……?」
「あの一族の者なのか」
「まさか……」
ギギは、ブラウン・トーストの最後のひときれをロにいれてから、笑ってみせた。
「それでは、なんでハウンゼンに乗れたんだ」
「……カーディアス・バウンデンウッデンと親しい関係だからです」
「…………?」
ケネスでも知っている大保険会社の創業者の名前である。
「そうきけば、すべてが納得できるでしょうし、わたしのためにコテージを調達したことが、バカバカしくなるでしょう」
「……本当なんだな?」
「そうでなければ、わたしみたいな氏素性が知れない女の子が、ハウンゼンに乗れます?」
それはケネスにとって、グウの根も出ない論拠であった。
「いやいや……カーディアス氏は、八十歳をこえていらっしゃる方のはずだが……」
年に似合わず、ケネスは、ドギマギした。
「そうですよ? ご健康な方でいらっしやいますけれど、お寂しい方でもいらっしゃいます」
「……そうかい……ホンコンの君のアパートは無人だった」
「これからですよ。伯爵に買っていただいて、初めて見に行くのですもの」
「そういうことか……」
そのギギの言葉に、ケネスは、すべてを了解し、納得していた。カーディアス保険会社の創業者、パウンデンウッデンを伯爵というのは、マスコミ関係でも、知っている者は少ないのである。
それをギギが知っているということは、ギギがいうような関係なのであろう。
ケネスの無念そうな表情を見つめて、ギギは、ニッと白い歯を見せて、肩までかかっている透明な金髪をフワッと左右にひろげてみせた。
「どこかで、マフティーの連絡員だ、ぐらいに思っていたんでしょ?」とやゆった。
「そりゃ、仕事柄、そうさ」
「その方が良かったのでしょう? わたしの本当の姿は、薄汚いでしょ? 食事が終ったら、出ます」
そういうギギの背筋の伸びた姿は、どこか男を寄せつけない、毅然とした薫りがあった。
「いや、いてくれていい。君は勝利の女神だ、という勘はあるんだ。これは、ハイジャック以来のおれの信心だ……もっとも、次の便で伯爵が来るというのならば、別だが」
「どうして、そう思うんです?」
「ハサウェイも言っていたろう。君のあの言葉があったから、俺たちは、ハイジャッカーを制圧できたし、君がダパオにいたから、マフティーのモビルスーツも捕獲できた。ぐうぜんにしても、なんというのかな、戦場にいる人間は、ゲンを担ぐんだよ」
「……そうかな……そうならハサウェイは、にぶいのかな?」
「なぜ」
「だって、わたしをさけていたもの」
「本物の軍人をやらなかったから、普通の青年になっちまったんだよ」
「そう……?」
「ひどい失恋したっていうし……ギギ、今、なんていった?」
「そうかなって……」
「どういう意味だ」
「意味って……意味?」
「そう、意味だ……君は、勘がいい。人に対しての洞察力はすぐれている……ハサウェイになにを感じていた? いや、ハサウェイから、なにかきいているな?」
「別に……彼が、なにもしゃべらない人だっていうのは、大佐もご存知でしょう」
「では、なぜ、しゃべらん」
「そんなの、知りません」
「いや、ウソだ。ギギ・アンダルシア……ハサウェイが、なんでハイジャッカーをああも見事に叩けたか知っているな」
ギギは、ケネスがようやくハサウェイにまで気をまわしたと感じたが、だからといって、ハサウェイが、危険になるとは思っていなかった。
事態は、ギギの見えていないところで、進行しているのだろう、とわかっていたからだ。
でなければ、ハサウェイは、ちゃんと挨拶をして、このキルケー部隊を退出していったはずなのだ。彼には、そういうきちんとしたところがあるのを、ギギは、ちゃんと見ているのだから……。
「いや、奴は、アナハイム・エレクトロニクスのターミナルで、ハウンゼンのチケットを手に入れた……あそこにはいろいろな財団もあるし、バイオ・テクノロジー部門もあるから、植物監視員の資格取得をめざしているというのを信じていたが……」
ケネスは、ギギの顔色をうかがいながら、自分の推測を口にした。しかし、ギギが、まったく目をそらさないので、ケネスは、自分の推測がまちがっているのではないかと疑った。
「お父様は、まだ軍にいらっしゃるんでしょ?」
ギギは、紅茶のカップを口にしてから、そうきいた。
「親と子が、同じ人間であるわけがない。ギギ、コテージに行くならば、総務に声をかけろ。手配をしておく」
そういいながら、ケネスは、腕の無線器で、情報部を呼び出していた。
「……そうね、大佐がいうような運をもっているかどうか、わたし試してみる。二、三日ここにいるよ?」
ギギはそういうと、テーブルにセットされていたディスプレーで、観光ガイドを呼び出していた。
「そうするがいい。その方が面白いかもしれない」
「どうかしら?」
「そうだよ。先に失礼する」
ケネスは帽子をとると、食堂を風のように出ていった。すでに、二時をすぎていた食堂は、閑散《かんさん》としていた。
ギギは、今後は、二人に邪魔にならない場所で、観戦させてもらうには、ケネスの紹介してくれたコテージは、ちょうど良いのではないか、と思っていた。
ギギは、観光ガイドをいくつかひろい読みをして、興味がわくものがなかったので、立ちあがった。
隊内に集合命令がかかって、騒然とした空気が建物のなかに波のようにひろがっていくなか、ギギは、総務課に立ちよって、コテージへの案内を頼んだ。このような時、彼女は、部外者の虚無感などに悩まされることなどはなかった。物心ついた時から、このように扱われるのに、彼女はなれていた。
「……車の手配はいたしますが、少し待っていただくようになります。お部屋の方にいらして下さい。担当の者が、お迎えに参ります」
カウンターにすわるウェーブが、愛想良く言ってくれた。
「……そう……お願いしますね?」
ギギは、ハサウェイは、どこかを飛んでいるだろうなと思いながら、部屋にもどった。
19 ロドイセヤ
ロドイセヤは、フタゴヤシの学名で、その種子は、植物のなかでもっとも大きい。この地域のマフティーの拠点につけられたコード・ネームである。
この基地も、いつの時代にかは、地球連邦軍に使用されていた基地である。もともとは海軍の乾ドックが海岸線に面して設営されていた場所で、現在は、海に面した部分がココナツの林で偽装されて、その上空もおなじような軽量プラスチックの林でおおい隠されていて、ちょっとした高度からでは、識別することはできなかった。
そこが、軽ジェットの格納庫になり、ギャルセゾンとメッサーの発進基地になっていた。
このような場所の発見こそ、クワック・サルヴァーのうしろだてがなければ、できないことである。
『ここは、現在の地球連邦軍のコンピューターで検索できないはずだ。補給物資の管轄を長年やっているあいだに、物資や小さい基地を軍籍から抹消する方法は、いくらでも考えだせるのだからな?』
ロドイセヤのコード・ネームなども、そんな意味から採用されたのだろうし、いかにも、中世ヨーロッパで横行した『いんちき医者』というほどの意味のクワック・サルヴァーを自分のコード・ネームにする老人の考えそうなことである。
軽ジェットは、その乾ドックの入口に、はりつくように身を寄せると、その頭上にダミーやココヤシの葉がせりだして、機体を隠していった。
そして、本物とにせ物の林のむこうのドックの窪みに出ると、そこは、一大整備工場になっていた。
ギャルセゾンのカタパルトの上には、ブースター・ベッドに乗せられた1(ファースト)ギャルセゾンが、発進する態勢にあり、その背後には、ダパオを攻撃したメッサーが、ほかのギャルセゾンのデッキに鎮座していた。
それらが、すべて、ダミーの林の下にあるのだ。
「……きれいになっている……」
ハサウェイは感嘆しながらも、イラム・マサムとカタパルトの下のメカニック・ブースに入った。
「どうだ?」
「順調です。調整は、おおむねすませた」
チーフ・メカニック・マンのマクシミリアン・ニコライが、握手をかえしてくれた。
それが、クワック・サルヴァー将軍の手品の種なのである。
「ヴァリアントは、予定通りに出られたのか?」
「はい、今ごろは、ガンダムの着水予定海域に、待機しているはずです。すでに、無線封鎖の時間にはいっています」
イラムの質問にマクシミリアンは、明快にこたえた。
「大丈夫なのか?」
「そりゃ、いちおう、魚獲りの操業はして、偽装しています」
マクシミリアンは、ハサウェイの老婆心を笑った。
「でも、空中でドッキングするんですか? ヴァリアントに任せればいいのに……」
おくれて入ってきたエメラルダ・ズービンがきいた。
「ヴァリアントにまかせると時間がかかる。ダパオの基地の動きも油断ならないのだから、早いに越したことはない。だいたい、オエンペリの状況だって、|Ξ《クスィー》ガンダムがあれば偵察できるし、ガウマンの救出作戦だってある。なんでもかんでも急ぎたいな」
「ハハァ……この]ガンダムは、|Ξ《クスィー》 Gですか?」
メカニック・マンのマクシミリアンは、そんなことに感心するが、ほかのクルーはそうではない。
「しかしねぇ……」
イラムは、はっきりとハサウェイの強行案に難色をしめして、エメラルダの同意をとりつけようとする。
「オエンベリ方面には、キンバレーが出ている。だから、その前にガウマンも助け出して、そのあとで、オエンベリのキンバレーを制圧するぐらいのことは、したいんだよ」
「理想論ですよ」
イラムだ。
「|Ξ《クスィー》ガンダム一機でっていうわけにはいかないだろう? 逆にべーネロぺ−に捕捉されることもあり得る。レイモンドのいったことを気にしているんだろう? やめなよ」
エメラルダ・ズービンは、こうなるとハサウェイの性急な気分を制するように、動いてくれる。お姉さんなのだ。
「エメラルダ、そんな僕じゃないつもりだ。月に行く前の気分にもどっている。メッサーの調子を見る。着がえてくる」
ハサウェイは、メカニック・ブースを出ると、パイロット・ブースにむかった。それを追ったイラムが、
「クルーザーの連中に、ダパオの監視はつづけさせているんだから、気にするな。なんとかなるさ」
「イラム。ケネスをなめてはいけないんだ。彼は、優秀な司令だ。レイモンドのいうことは、本当のことかも知れないんだ」
ハサウェイは、ギギのことを完全に安心はしていない。
「そういう男か……」
「我々をトレースしていると考えた方が自然だよ。ミノフスキー粒子の散布は、戦闘濃度に上げておいてくれ」
「そうしよう……」
イラムは、フロッピー・ケースをかかえて、管制ブースに走っていった。
しかし、事態は、急速に進捗していた。ハサウェイが、パイロット・スーツに着がえているあいだに、ドック全体に警戒警報がなった。
「……なんだ?」
ハサウェイは、ブースのインターカムで管制ブースに照会すると、近くに潜水艦らしいものの影を発見したという報告が、管制ブースのミヘッシャ・ヘンスから届いた。
「なんだと……?」
「ミノフスキー粒子散布中に、敵の電波を傍受しました。キンバレー部隊に打電したようです」
「どっちのキンバレー部隊だ? メッサーで、迎撃させろ」
「はい! でも、キンバレー部隊って、ふたつもあるんですか?」
ハサウェイは、パイロット・ブースから飛び出すと、管制ブースに駆け出していった。
「現在、キンバレーはふたつに分れているんだ。キンバレー・ヘイマン自身は、オエンベリに出動している」
「ああ、そうでした。今、イラムが教えてくれて……すみません」
ミヘソシャは、ちょっと胸に手を上げて、マイクを押えた。
「メッサー3号、フェンサー出る! ギャルセゾンの支援を頼む!」
「了解! あてにしています」
そのミヘッシャの呼びかけは甘く、男たちの土気を鼓舞する威力があった。
「つづいて、4号! ゴルフっ!」
「頼みます!」
ハサウェイは、管制ブースの後ろの窓から、ドックの天井になっているココヤシの林を突きぬけて行くのを見た。
「ギャルセゾンも急がせて!」
「はい……!」
ミヘッシャが、二機のギャルセゾンにコールする。
「……ケネスという新任の司令が、キルケー部隊と名乗っているが、まだ、海軍にまでは、通達がいっているとは思えないんだよ」
「そういうことですか……それで?」
ハサウェイは、そのミヘッシャにはこたえずに、潜水艦から打電された内容をきいた。
「はい、ハサウェイの乗ってきたジェットの着水をどう考えるか、基地にきいていました」
それは、ミノフスキー粒子では、完全に妨害できず、ダパオぐらいまでならば、届くだろうとミヘッシャがいった。
「こんなこと初めてです。ダパオには、潜水艦なんてないでしょ?」
「そうのはずだが……ケネス奴、赴任するにあたって、いろいろ手をまわしているようだ。油断ならないんだよ」
ハサウェイは、あらためて、あの調子が良い男に見えるケネスの顔を思いうかぺていた。
「きのう、きょうと、オエンベリからは、マフティーの第一軍だと名乗った部隊から、平文でマフティーに掩護してくれ、という要請が入っているんですよ」
「やれやれ……」
「キンバレー部隊のグスタフ・カール十数機の攻撃で、街が攻撃されているって……」
「まったく……邪魔をしているのがわかっていないな」
「でも、クワック将軍は……」
「その話は、きいている。どこにいるんだ? 将軍は?」
「ロドイセヤの木にいっています」
『木』という単語がつくと、また別の拠点を意味した。そして、その場所は、まだハサウェイにも知らされていない。
「了解。戦果は知らせてくれ。ブースター・ベッドは出すぞ」
「はい……」
ハサウェイは、身をひるがえそうとして、ミヘッシャの肩を抱くようにして、ふりむいて、
「ありがとう。このあいだは、大変だったんだってね? 身体は痛めなかったか?」
「おかげさまで、ちょっと風邪ぎみです」
「ダイビングしたか……本当にすまなかった」
ハサウェイは、ミヘッシャのちょっとパサバサの頬にキスをして、もう一度、本当にありがとう、といった。
「ギリギリ、どこまで我慢できる?」
「ダパオから、ケッサリアならば、四十分ですね。オエンベリからなら、二時間か……」
ハサウェイは、1(ファースト)ギャルセゾンに乗りこんで、コンソール・パネルで、コンピューター・データーの調整をしているレイモンドから、ハサウェイの乗るギャルセゾンの発進時間をきいた。
「そうか……こっちの滞空時間ギリギリだな」
「どうします……」
おくれて乗りこんできたエメラルダも、パイロット・スーツに着がえていた。
「ガンダムの降下、接触までは、あと一時間です」
「そうか……。本当に、空中受領しかなくなったってことだ……ガウマンを救助するなど、しょせん不可能なことなのかな?」
ドーン! と低い爆発音が海岸のほうからきこえた。
ハサウェイは、コンソール・パネルのマイクをとると、ミヘッシャから潜水艦の状況をきいた。
「……やったのか?」
「不明です」
「上では、わからないのか?」
「もうすこし待って下さい」
「無線の傍受もつづけてな」
「ハイ!」
ハサウェイはあせった。しかし、まちがってダバオの攻撃が来たにしても、予定時間ギリギリまで、ギャルセゾンの発進は待つべきだとも決心していた。
ブースター・ベッドに乗ったファーストギャルセゾンは、ドッキング予定の前後十分と余分に滞空することはできないのだ。
「……レイモンド、エメラルダ、いいな?」
「しかたなかろう……」エメラルダは、ウィンクをして笑ってくれた。
20 パスゥー・ウェイ
「……これでしょうね。一度、湾内に戻ってひきかえしたクルーザー。こいつを追跡できればいいんですが……」
その若い情報士官は、港湾局からまわってきた船舶出入表をディスプレー上に流しながら、ケネスに報告した。
「警察からの情報は?」
「まだですが……」
「港湾局と海軍に、督促しろ。どんな細かい動きでも報告させるんだ。こっちが人手不足なんだ。すこしは協力しろってな」
それに応じるように、ようやく情報士官たちは、部下を督促しはじめた。連中は、自分たちがやっていることが、どういう性質のものか本当はわかっていないようだった。
「……ダパオの署長が出たか? 貸せ……ケネスだ。キルケー部隊のケネス司令だ。知らないだと? 挨拶している間もなく、今朝のマフティーの攻撃だ。キンバレーが話していなくとも関係はない。事実、わたしは、現在、キンバレー部隊の場所にいるんだ。いいか。こっちの要請がきけないというのならば、マフティーとおなじように爆撃をするぞ! どこをだと? 手前のいる警察署だ!」
「ケネス大佐、官報では名前をうかがっていますが、いいです? 我々、地球連邦政府には、役人であろうと軍人であろうと、守るべき節度というものがあります。大佐のように横車を押されては、協力できることも協力できませんな?」
そんな警察署長の言葉におっかぶせるようにして、ケネスは、「新型のモビルスーツをそちらにやる。いいか?」
ケネスは、本気だった。
「奴があやまれば、中止もするが、最後まで建て前をいうような奴は、爆撃しちまえ!」
ケネスは、情報士官たちにどなりちらすと、モビルスーツのパイロットを緊急招集をかけて、
「訓練だが、場合によっては、マフティーとおなじことをやっていい。ダパオの警察署に威嚇飛行、場合によっては、3型爆弾を放り込む!」
「実弾をですか?」
さすがに、パイロットの一人が、声を発した。
「軍人が、オモチャをあつかっているか? ゲームやっているんじゃねぇ!」
ケネスは、乗馬用の鞭をふって、フォーメーション飛行の訓練をかねて、ぺーネロぺーを中心にした六機のグスタフ・カールを搭載したベース・ジャバー二機を発進させた。
「ハハ……警察は、モビルスーツが単独で飛行しているのに、驚いているようです」
キルケー部隊の管制センターは、ダパオの警察の反応を知って、わきにわいた。
「おどしではなく、本気だといえ」
ケネスのその号令のあとは、ことは簡単だった。
ダパオ周辺にちらせてあったハンター部隊と巡回部隊からの報告が、次々とケネスに寄せられ、その中に、ハサウェイたちの乗った軽ジェットの目撃報告が入った。
しかし、すでに、午前五時をまわっていた。
「……海軍からも潜水艦からの情報が入りました。ミノフスキー粒子下で、解析に時間がかかっていますが、どうも、所属不明の部隊らしいものをハルマヘラ島の中央、東海岸にキャッチしたようです」
ケネスは、その報告を受けて、ようやく捕虜を監禁している部屋にいった。「……ガウマン・ノビルさんよ……やっとわかったぜ? 白状させないでもすむってことは、こっちも人道的にやれるって喜んでいる」
「…………?」
「よ、戦力はどの程度なんだ? 今朝の戦闘で大体の推測はついているが、ひとつわからないことがあるな。なんで、あんな場所なんだ?」
「それは知らない。おれだって、一パイロットだ。作戦の全部を知らされちゃいない。知らされては、こういう時に白状しなくちゃならんだろ?」
「理屈だがな、マフティーは、大所帯じゃないんだろ。知らないわけがないな……え……?
ハサウェイ・ノアと今朝会った時のことを、ようやく思い出したよ。妙だと思ったのだがね……? ハサウェイは、マフティーのなんなんだ?」
「……マフティーさ。マフティーそのものを演じている」
「冗談いうな! それならそれで、黒幕がいるはずだ! 誰だ!」
「クワック・サルヴァーだよ」
「てめぇ!」
その名前をきいて、本当に頭に血がのぼったケネスは、反射的に鉄拳をガウマンの頬に飛ばしていた。ガウマンの身体が椅子どと吹きとんでいた。
「なんだよ……」
「インチキ医者だというのか。クワック・サルヴァーとはよくいうよっ! ええ、貴様達の黒幕はっ!」
「そういうものだろう? クワック・サルヴァーよりは、マフティー・エリンの方が信憑性があるよな? しかしよ。何度もいうぜ。全部を知っていたら、ヤバクていけねぇ。本当に知らねぇよ……」
「なら、貴様をマフティーに仕立てて、処刑するぞ」
「しなよ。誰が、おれをマフティーだと信じる? 信じやしねぇよ……ごらんの通り、おれはパイロットくずれの典型だ。これでは、誰も信じないし、おれを処刑した日に、マフティーは別のところで、大活躍をするだろうさ……ダメだね……それじゃあ、なんだね、キルケー部隊かい? その名前が泣くような結果をまねくだけだ」
「しゃべるなっ! ハルマヘラに集結している戦力は、今朝ぐらいだろう。叩いて見せる。それほどの戦力でないのは、知っている」
「なら、やんな。やってみせなよ」
「手前!」
ケネスは、乗馬鞭をふりあげると、ガウマンの顔めがけて打ちこんでいった。
「チッ!」
ガウマンも負けてはいなかった。足を出して、ケネスの脚をはらって、一度は倒したものの、結局は、左右の兵によって、打ちのめされていた。
そして、目がさめた時、ガウマンは、妙なところにいるのに気づいた。
「どこだ? ここは……?」
ガウマンは、手足に手錠をかけられて、自分の膝の上に顎を乗せる姿勢で、縛り上げられていた。
「ごらんの通り、モビルスーツのコックピットだ」
ガウマンの視線の上に、右にはパイロット・シートがあり、その背もたれのむこうにパイロット・スーツに身をかためた地球連邦軍のパイロットが、顔をのぞかせていた。
「……モビルスーツだと?」
「ぺーネロぺーだ。レーン・エイム中尉だ。よろしくな?」
若いパイロットが、いんぎんに自己紹介をした。
「どういうことで、こんなところに、俺がいるんだ」
「ケネス司令がね、君を人質に使えというのだな。つまり、情報を得るにしても、負けそうになったら、ほら、人質を前に出して、楯にしろということだ」
「手前たち! 汚ねえぞ!」
「そうは思わないな。マフティーの無差別攻撃テロにくらべたら、人命の損傷率は君一人の命ですむのだから、安いものさ。しかし、わたしは、そんなことはしない。このぺーネロぺーで戦うかぎり、わたしは、君の命を保障するよ」
うっすらと笑いをうかべたレーン・エイムは、まるで、歌うようにそういった。
ガウマンの視線の正面には、夕日にそまった水平線が、うつくしくひろがっていた。
21 テイク・オフ
潜水艦は沈んだ。
それもしかたがないというのは、旧世紀の代物だったからだ。つまり、二百五十年はたっている骨董品を、南太平洋に配備されている海軍は使っていたのである。
使いつづけていたのではなく、パックされていたものをひきだしたのだが、骨董品は骨董品だった。メッサー二機の至近弾の爆発で、水洩れをおこしてあえなく、浮上することがなくなったのである。
しかし、その一隻のおかげで、ハサウェイたちは、予定より十分ほど早くロドイセヤを発進せざるを得なくなった。
ダパオ方面から侵攻するケッサリア三機と、単独で飛ぶモビルスーツの接近を、電話中継の報告で知ったからである。
そうなれば、すくなくとも、乾ドックからの発進を見られるわけにはいかなかったのである。
「……なんとか、ガンダムの降下する空域で滞空して、時間かせぎをしてみせる」
レイモンド・ケインが、そう保障してくれれば、なんとかなるというものだった。
ファーストギャルセゾンは、カプセルをかぶったメッサー1をデッキに乗せて、乾ドックを発進した。
垂直バーニアと推力バーニアを使う一段目は、ジェット・エンジンのかたまりである。
それらを運搬するのが、長大なブースター・ベッドで、四十度の角度でゆったりと、南海の島をあとにした。
そして、進路を西にむけて高度と速度をあげて、第二弾のパルス・エンジンに切りかえる。
「加速をかける。以後は、オートだ」
音速を越えればパルス・ジェットは強大な推力を発生して、1ギャルセゾンを沈む太陽の光を追うように、高度を取っていった。
潜水艦を掃討したメッサーとギャルセゾンは、いったんドックにもどって、装備補給をすると、|Ξ《クスィー》ガンダムの着水予定海域で操業をしている支えん船ヴァリアントに発進していった。
その頃、マレー半島の上空、高度二百キロあたりまで浸入した隕石に見える物体が、その表面を大気との摩擦熱で溶かしながらも、降下していた。
そして、その溶解したカバーのなかからは、窓ひとつないシンプルな機体が姿を現わした。
旧世紀時代のスぺース・シャトルそのままのカーゴ、『ピサ』である。
その機体の機首のバーニアが、数度、姿勢制御を行なうと、さらに減速をしながら、ボルネオの上空を横切っていった。
無人のその飛行物休は、ただ当初に設定された着水ポイントにむかって、ひたすら降下するだけである。
その着水ポイント近くの空域には、ハサウェイの乗るメッサー1を搭載したギャルセゾンが、ブースター・ベッドに押し上げられて、高度をあげていた。
「……妙だな……北からの追尾は、まちがいないように思える」
「……どこまで高度を上げられる?」
ハサウェイは、レイモンドの不安を無視して、きいた。
「あと五秒だな。五万八千メートルだ」
「カーゴと並進する方位角度をとる」
「待ってくれ。データー・ベースの変数は……可能だ……行くぜ?」
「ああ、頼む……ぼくはメソサーに移動する」
「頼む……」
レイモンドは、一人、ギャルセゾンのコックピットに残って、コックピッ卜の上部のドッキング・チューブを上り始めたハサウェイを不安気に見送った。
ハサウェイは、チューブの内壁のラッタルをよじ登るようにして、メッサー1のコックピットにもぐりこんだ。
「どうだ?」
ハサウェイは、シートにすわりこんで、データをメッサーのコンピューターに入力していたエメラルダ・ズービンにきいた。
「面倒なんだよ。このプログラム、ハサウェイが作ったのかい?」
「まさか……いいのかよ?」
「できましたよ。レイモンドの方がまちがわなければ、あとは黙っていても、メッサーをカーゴにぶつけてみせるよ」
「結構だ……」
ハサウェイは、メイン・シートの背後に取りつけた補助シートに、パイロット.スーツを納めるようにしたが、ひどくきつくて身体をおさめるのに難渋した。
モビルスーツのコックピットは、基本的には、ワン・シートである。
しかし、実視ディスプレーを使うために、シートのあいだには、一人がもぐりこめるほどの隙間があった。そこに、腰と頭をリストするていどの臨時のシートを取りつけてあるのだ。
ハサウェイは、メッサー1の操縦をエメラルダにまかせて、自分は、宇宙から降下してくるカーゴに乗りこむつもりなのだ。
「でもさ、キルケー部隊が、こつちの動きをキャッチしたなら、着水ポイントに移動したヴァリアントが危険になるね」
「しかたがないが、メッサーが防御するはずだ」
ハサウェイは、シートベルトをして、ヘルメットの調子を確認しながら、ヴァリアントに集結している同志たちの顔がうかんで、嘆息がでた。
「……こんどのガンダムで、その動きの全部を制圧して見せるさ」
「|Ξ《クスィー》ガンダムかい? 楽しみにしているよ」
「本当だ。キルケー部隊の新型、ぺーネロペーを見たろう? ミノフスキー・クラフトは、モビルスーツを空に舞う戦士にしたと思っている」
「でも、忘れてならないのは、|Ξ《クスィー》ガンダムは、地球での実戦テストはしていないってことだ」
「それは、ペーネロぺーもおなじようなものさ。ぼくは、あのパイロットの気分を知っている……」
ハサウェイに有利なことがあるとすれば、まさに、この一点につきた。機械は、その扱う人によって、その性能は、どうとでもなるのだ。それが、ハサウェイの信心だった。
「カーゴ・ピサをキャッチした」
レイモンドの声が、ハサウェイとエメラルダのヘルメットに飛びこんできた。
「どっちに!」
「右後方、三十度だ」
「……どれ……? ハサウェイ、あれだ」
ハサウェイが右のディスプレーを見ると、エメラルダは、ひとつの丸をディスプレー上に描いてくれた。
「ああ……見えるな……」
ディスプレーに実際よりは、コントラストを強くして、点を写し出していた。それは、見る間に、接近してくるのがわかった。
「ブースター・ベッドを外すぞ! 三、二、一!」
ドゥッと機体全体が跳ね上るような感じがした。その上で、機体は、降下角度を取りながら、速度を増していく……。
「もつかね?」
「さあね……こんなバカなことは、誰もやっちゃいない……」
ハサウェイは、実視ディスプレーを左石に見ながら、
「エメラルダ、最後の周辺索敵をしておけ」
「了解……」
エメラルダの操作で、実視ディスプレーの上にマルチ・モニターがあらわれて、メッサーのもつ最大望遠の画面が写し出された。しかし、そんなものは、振動する機休から撮影された映像のために、ほとんど用をなすものではなかった。
もちろん、コンピューター制御で、多少振動を打ち消すCGによって写し出されるのだが、静止した状態でないと実用にならないのが現実である。その部分にもパイロットの勘が要求されるのだ。
「……なにが飛んでいるんだ?」
そのエメラルダの声で、ハサウェイは、右下の方位に、夕日に光るものを見つけた。
「気にいらない方位だ……あれか……?」
「ですね……多分……」
「追いつかれるぞ。予定通りにカーゴ・ピサが降下しているのは、連中を有利にする……」
「レイモンド、支援を頼め! 敵が来る!」
「どっちだ……」
その確認をかわすあいだにも、カーゴ・ピサは、その全体のシルエットを、視覚できる距離に接近させていた。
「行くよ……ハサウェイ」
「頼む……」
「自由に飛べないのがいやだがね……トッ!」
エメラルダは、コンピューターをオートに切り変えたのだろう。データーにそって、メッサーをギャルセゾンのデッキから離脱させると、一気にカーゴ・ピサに接近していったが、機体の振動は、激烈だった。
「ウッ……! これが問題なんだよなっ!」
もともと大気中での高速飛行を無視しているモビルスーツを、高速で降下するカーゴ・ピサに接触させようというのだから、無理があった。
「くそーっ! 針路がブレてっ!」
さすがの、エメラルダが、悲鳴をあげた。
「後方から攻めろ! 多少、機体が損傷してもかまわない! ぶつかれっ!」
「そのつもりだ!」
機体の激震が、メッサーの針路を左右にブレさせるのは当然である、それ以前に、機体が、バラバラになる可能性の方が大きかった。
さらに、コンピューターでセットされた針路によって飛行すれば、チャンスは一度である。やり直しなどはきかないのである。
カーゴ・ピサは、潜水を予定しているのだが、ぺーネロぺーが接近している今となれば、着水することで、|Ξ《クスィー》ガンダムは破壊されるか、奪取されることを意味していた。
「来るぞ……! 逆噴射をかけて、その上で加速をかけろ! 機械にはまかせるな!」
「見えています!」
グワッと接近するカーゴ・ピサをまうしろにおいた時に、エメラルダは、ハサウェイのいう通りにして、そして、一挙に落下するようにカーゴの機首に取りついた。
ドブッ!
メッサーのマニュピレーターが、乱暴にカーゴ・ピサの耐熱タイルを吹き飛ばして、その機首の外装をへこませ、マニュピレーターは、手がかりを求めて、無数の破片をまきちらしながら、カーゴ・ピサの機首をまさぐった。
ゴドンッ……!
メッサーの機体が、カーゴの上部に腹ばいになるように、接すると同時に、カーゴ全体の機首がガクッとさがり、カーゴのバランスがくずれていった。
「大丈夫か!」
「わからない。これ以後のシュミレーションは、やっていない。ハッチがある。コックピットのハッチとあわせろ!」
ハサウェイは、シートベルトを外すと、身体を前にはいだしながら、エメラルダの足首をつかんでいた。
「わかっているけどさ、左右にふられるんだ……」
「もたないぞ……いつまでも……」
その時だった。
バゥーッ!
二人の視界の前方に、ビーム・ライフルの火線が走って、ふたりを恫喝した。
「…………!?」
「来たよ」
「ハッチをあわせろ!」
「やっているけど、カーゴが死んじまっては、乗りうつったら死ぬよ」
「そう単純なものじゃない」
「ホラ……ハッチを開く!」
ハサウェイは、メッサーのハッチから伸びたチューブで、力−ゴの機首にすべりおりた。
そこは、操縦ブロックになっているのだが、有人でテストを行なった時の装備が、多少残っているだけで、半分死んだコンソール・パネルの輝き以外に、生きているものはなかった。
ただ、破れた装甲のすきまから吹きこむ猛烈な大気圧が、数すくない部品をまきあげていた。それにあたれば、パイロット・スーツの気密などは、瞬時に破壊され、手足などは切断される。
ハサウェイは、緊急用のチューブを楯にするようにして、床をよじ登って、後部キャビンのハッチに移動した。
そのハッチを開くと、操縦ブロックとはちがって、そこには、静寂のカーゴ・デッキがあった。ハサウェイは、そのハッチを閉じて、操縦ブロックに舞う破片を防御する。
「エメラルダ、離れていい。|Ξ《クスィー》ガンダムに取りついた」
これだけは、無線である。
「じゃあね。キルケー部隊のモビルスーツが来た!」
ドスンッ! とカーゴ全体が、浮きあがったが、ハサウェイは壁にとりついて、身体が浮くのをこらえた。
そして、次に、さらに軽くカーゴ全体が上にあがって、ハサウェイの身体は、床に押しつけられるように加重が働いた。エメラルダのメッサーが、カーゴから離れたのだ。
「ウッ……!」
ハサウェイは、その加重をこらえて、体重がもどったところで、新しいモビルスーツ、|Ξ《クスィー》ガンダムの頭部に手をかけると、よじ登っていった。
「ムッ……!」
その顔づたいに、胸部にはいあがり、コックピットのハッチにむかった。
ハサウェイは、自分の手で、この機体の積みこみをしたので、すべてのディテールを承知していた。機体を国定したジョイントで身体を支えて、ハサウェイは、|Ξ《クスィー》ガンダムのハッチをひらくキーホールドに、キーを押しこんでいった。
「よし……」
コックピットにすべりこみながら、ハサウェイは、あらゆる想定をしておいて良かったと実感した。
こうなれば、カーゴ・ピサが、海面に激突しても、ハサウェイの身体は|Ξ《クスィー》ガンダムの機体に守られるはずだった。
「……さて、出ていいものかどうかわからないが……」
ハサウェイは、電源をいれ、メイン動力をひらき、ディスプレーがひらくのを待つ間に、コンソール・パネルとディスプレーの状態を調べた。目で見る限り、異状はないようだった。
「よく月からひとりで来たものだ……」
ハサウェイは、シートにパイロット・スーツを固定しながら、パイロット・スーツの異状も点検して、システム監視パネルで機休をチェックした。
その間に、メイン・エンジンがあたたまってくれる。しかし、すでに海面ギリギリの高度だと覚悟をしなければならなかった。
「…………!」
ハサウェイは、実視ディスプレーをノーマルにおいて、メイン・エンジンの臨界をあげていった。
と、ガヴッ!
直撃に近い振動が襲い、一方のディスプレーがバッと輝いた。
「やられた……!」
ハサウェイは、コンピューターの戦闘データ・ベースを地球上にセットしおわった時だった。
「…………!」
意識があるうちは、死んでいないのはわかっている。
しかし、カーゴ・ハッチが破壊された直後、自分の機体がどういう状況のなかに放り出されるかは、わからない。その瞬間に、死んでいるかもしれないのだ。
そんなばかばかしいことだけは、したくはないと思いながらも、ハサウェイは、人の死は、往々にしてそういうものなのだということも知っていた。
身構えている時には、死神は来ない。それも戦場の摂理なのだ。
22 ショウダウン
バウッ!
|Ξ《クスィー》ガンダムの機体の外の音が、ヘルメットのヘッドフォーンを通してきこえ、ハサウェイは、まばたきしてしまった。その次に、ハサウェイが見たものは、正面の視界にひろがる夜空だった。
カーゴ・デッキのハッチがふき飛んだのだ。
「…………」
ハサウェイは、戦闘の速度についていけない自分の感覚のモロさに、舌打ちをする間にも、足下に閃光があがり、コックピットに激震がおそった。
頭の血がズンとさがって、目の前が真白になった。意識がうすれた。
「…………!?」
この機体の球形のコックピット・コアは、リニア方式で浮遊し、かつ、コアとシートのジョイント部は、三重のショック・アブゾーバーで支えられている。
それでも、これほどの衝撃ということは、カーゴ・ピサの化学燃料が爆発したのだろう。
ハサウェイは、意識がもどるあいだに、高揚する怒りの感情に、身をまかせていた。
『鈍《なま》っている! ギギのせいかっ!?』
それは、自身にたいしての怒りである。
ハサウェイの視界の闇は走っていても、静止しているようにしか見えないのは、異質なものがゴチャマゼになっているハサウェイの怒りと同じように、ひとつの現実となって、ハサウェイにせまった。
「…………!?」
ハサウェイの視覚の右上から暴力的な光の筋が走り、それが、闇の面のなかに映って、ふた筋の光になった。
ハサウェイは、海面と対面していたのだ。
「チッ!」
ハサウェイの乗るモビルスーツ、|Ξ《クスィー》ガンダムが、重力に対峠《たいじ》していると知った。
しかし、機体をコントロールするコンピューターはまだ作動していて、カーゴ・ピサの機体を回転させて、上昇をかけようとしていた。
ハサウェイの視覚は、闇のあとのかすかな光の流れを見、次に、星の輝きを流れとしてとらえることができた。
「…………!?」
ハサウェイは、右下のマルチ・パネルで、機体が重力にたいして立つ姿勢に入っていくのを知りながらも、重力という微弱な力が、ひどく重いものだと感じた。
月に行ってテスト飛行をしながら、宇宙の感覚を思いだしたあとでは、この飛行は、重力との戦いのように思えた。
「爆撃機か?」
ハサウェイは、左の空に浮ぶ影を拡大して、ギョッとした。
が、そんなハサウェイの思いなど吹き飛ばすように、その影から、一条の光がせまり、かすめた。
メガ粒子砲のビームの閃光が、至近をかすめ、一瞬、膨大な光がコックピットを照らし、大気を震わせて、その衝撃が、カーゴ全体をゆすった。
その振動のなか、さらに鋭角的にきこえるチッチッチという高音は、ビームの本体から散った粒子が、カーゴの機体、|Ξ《クスィー》ガンダムの機体に衝突する音だ。
その衝撃でできる損傷は、微少なピンホールであるが、時に致命傷をあたえた。
幸いなことは、大気中であるために、粒子は極度に減速して、ガンダムの装甲にピンホールもつくらないことだ。
「…………!」
ハサウェイは、|Ξ《クスィー》ガンダムのフル装備をチェックして、その重さを懸念したものの、ガンダムをカーゴ・ピサのドッキング・ベイから離脱させる決心をした。
「行くぞっ!」
ハサウェイには、直進して接近するテール・ノズルの光が、あきらかに力を秘めていると見えた。ハサウェイは、その光の筋に、自分の意思が引きよせられているのを自覚しながら、ガンダムの推力をあげていった。
核融合炉のギリギリの加速である。
そして、パンムッ!
一瞬の閃光が、カーゴ・ピサの機体全体をつつんで、影になる部分も溶かしてしまうように見えた。
ギューン!
大気を震わせたその閃光は、そのバイブレーションを拡大しながら、ガンダムの機体をカーゴ・ピサから離脱させていた。
「なんとでもなるはずだ!」
ハサウェイは、そうおのれに叫ぶ間に、数度、ジグザグして、直進してくる影からの攻撃をかわした。そのメガ粒子砲のビームの筋と逆行するように、ハサウェイの|Ξ《クスィー》ガンダムは、上昇する。
その飛行は、まるで軽飛行機のそれのように身軽で、リモコンのモデル飛行ではないかと見えた。
「よけた!? よけた!?」
レーン・エイムのそのうめきは、ガウマンには、痛快にきこえた。
「マフティーだって、新型を手に入れることができるってことだ」
「ミノフスキー・クラフト機か!?」
ガウマンのせせら笑いに、レーンは冷静さをとりもどしたが、怒気をふくんだ声であるのは、明らかだった。
「見りゃわかるだろうが、おれは知らん。ミノフスキー・クラフトの飛行は、この機体で初めて見たんだから」
「貴様たちマフティーが、調達したものだろうに、それを知らんとはなっ!」「いったろう。秘密保持のためには、おたがい、全部知り合うことはないんだよな」
「しゃらくさい!」
レーンは、彼のモビルスーツ、ぺーネロべーを回転させながらも、あわてて、上昇をかけていた。降下していくカーゴ・ピサから離れた|Ξ《クスィー》ガンダムの上昇力は、レーンが、息をのむほどに早かったのだ。
「あわてて追尾するなっ! 狙われる!」
こんどは、ガウマンがあわてた。
このまま追尾すれば、相手がよほどマヌケなパイロットでない限り、狙撃されるために上昇するようなものだからだ。
「バカにする!」
「貴様の追尾はあまい。おれは、お前と一緒に死ぬ実はないんだ!」
「死にはせん!」
「このままでは、こっちがやられる」
「舐めるな!」
「舐めちゃいない。事実をいってる」
ドフッ! ぺーネロぺーよりは、細いメガ粒子砲のビームが、至近距離に落下してきた。
「ウッ……!」
レーン・エイムは、回頭するようにして、よけてみせた。
「この程度!」
その言葉に、ガウマンは、ガックリきた。レーンという若者は、よけたつもりになっているが、それは違うのだ。今の攻撃は、ハサウェイの牽制である。
「よく見ろ。こんどは、右か左から来るぞ!」
ガウマンは、レーンのシートを支えるアームに補助的につけられたシートに座らされているので、その衝撃は、格段に激しい。身を守ることに、必死にならざるを得ないのだ。
「右に飛べ!」
ガウマンの怒声に、レーンはこたえているようにみえたが、意識してのことではない。
その一瞬後に、ぺーネロぺーのいたところにメガ粒子砲のビームが、落下した。それは、灼熱した鉄のかたまりの滝である。
コックピットが、その照りかえしで赤くなった。
「そのまま上昇をかける!」
「わかっている!」
ぺーネロぺーは、ドッと最終加速をかけた。ガウマンをささえるシートの背もたれが、ギシッときしんだ。
その高度八千メートルあたりでの戦闘に呼応して、上空に散開して接近してきた三機のケッサリアから、六機のグスタフ・カールが離脱して、上空の|Ξ《クスィー》ガンダムにむかって突進していった。
彼等にとっては、ガンダムの発砲した灼熱のメガ粒子砲の閃光は、よい目印になった。
しかし、それは、虫にとっての電気の光にも似ていた。
グスタフ・カールは、ガンダムとぺーネロぺーとちがって、ミノフスキー・クラフトでないために、落下に近い飛行しかできない。つまり、一度か二度、一撃離脱の攻撃ができるだけである。
「…………!?」
ハサウェイは、ようやく、ガンダムのテスト飛行をしていた感覚がもどってきた時に、グスタフ・カールの十字火砲をうけることになったが、あわてなかった。
「わたしは、マフティー・エリンだ! 諸君を無駄死にさせる意思はない! この機体に接触しないように警告する!」
ハサウェイは、ガンダムを上昇と降下をくりかえしながら、地球連邦軍の無線周波数にのせて、そう宣言した。
ミノフスキー粒子下でも、至近距離ならば、受信できるはずで、きかなかったとはいわせない。
その間にも、数射のビームが、ガンダムの近くを走ったが、宣言が、おわった時には、ハサウェイは、一機のグスタフ・カールをとらえていた。
「すまないが、警告をきかなかった罰だ!」
ハサウェイは、左右に飛ぶ砲火などは無視して、照準にその機体のデッキをとらえると、ガンダムの右マニュピレーターに装備されているビーム・ライフルを一射した。ガンダムのその円い光は、過去のビーム・ライフルにくらべて、その初速は倍ちかくあった。
ドゥッ!と一瞬、火球が咲き、ハサウェイは、簡単に一機の連邦軍のモビルスーツを撃破していた。
「…………!?」
次には、ハサウェイは、落下するより以上の速度で降下して、雲のひとつを突きぬけていた。
初めにハサウェイを捕捉したレーンのぺーネロぺーは、味方のグスタフ・カールの展開によって、ハサウェイにたいして迂回するかたちになった。
ハサウェイは、その隙をついて、照準にベース・ジャバーのケッサリアをとらえて、ビームの発射に影響する大気圧の変動数も加算したうえで、引金をひいていた。
再度、下方に火球が咲いた。
その火球の照り返しを受けて、その近くの雲も光った。
落下するグスタフ・カールは、下方にケッサリアのようなベース・ジャバーが待機してくれないと、その行動はきわめて限定される。ハサウェイは、彼等の脚になるべき一機をも撃破したのである。
ミノフスキー・クラフトでないモビルスーツは、その飛行を補完するベース・ジャバーがいないことには、海上でジャンプする足場を手に入れることができない。ために、一機のケッサリアの撃墜は、三機のグスタフ・カールを撃墜したに等しかった。
明らかに数機のグスタフ・カ−ルは、動揺して、自機が退避できる方法をさがすために、戦闘空域から離脱する気配をみせた。
「……次は……?」
ハサウェイのなかに戦闘に対する感覚が開いてきた。と、レーンのぺーネロぺーが接近するのがわかった。
「…………!?」
ハサウェイが、ガンダムの左マニュピレーターに保持しているシールドをあげるのと、そこにメガ粒子砲のビームが直撃するのは、同時だった。
ドバフッ!
シールドが焼け、溶解した金属粒子と強化プラスチック中の繊維が、灼熱した糸になって大気中に四散した。
ハサウェイは、その衝撃のなか、機体を下にした。
「来たかっ!」
まだビームとシールドの焼ける衝撃で熱い空気層のむこうに、ハサウェイは、ぺーネロぺーの影を見た。
本能的にハサウェイは、シールドの影のマニュピレーターの手首から、ビーム・サーベルを発振させていた。
「……こやつっ!」
レーンの怒声が、ハサウェイの耳を打った。
「……ぺーネロぺーのコピーまで持ち出すのかっ!」
それは機体が接触した時に使うことができる接触会話だ。つまり、敵のモビルスーツが、ガンダムのどこかと接触したことを意味する。
しかし、直撃の直後で、その衝撃は体感できなかった。
「冗談じゃないっ!」
ハサウェイは、反射的に怒鳴り返して、ガンダムの左マニュピレーターをふった。
同時に、ガンダムは、後退をかける。
モニターの左には、ビーム・サーベルの行動曲線が描き出されて、何者かと接触したらしいと表示した。しかし、致命傷ではない。
ふるえる大気のなか、あるスルリとしたモビルスーツ、ぺーネロべーの影が見えた。
「……下がれ! やられるぞ!」
「黙れっ、パイ……!」
その言葉の最後の方は、ハサウェイのヘッドフォーンがとらえることはできなかったが、その前の声は、ハサウェイには、聞きまちがえようがなかった。
「……ガウマン!?」
ハサウェイは、敵のモビルスーツの影を捕えたい衝動にかられた。
ビーム・ライフルを断続的に連射しながらも、ビーム・サーベルをもふるい、ハサウェイは、機体を左右から上へと移動させた。
無線を発信する。
「ガウマン! 裏切りか、楯にされているのか! 応答しろっ!」
いま聞いた声を、幻聴だと思いたかった。
ガウマンが、レーンの操縦を妨害しているという雰囲気ではない。だからといって、彼が裏切ることなど考えられないのだが、ハサウェイは、敵のパイロットにたいしての牽制のつもりでそう言った。
一瞬、雲が流れて、そのむこうに追尾するぺーネロぺーの全体のディテールが識別つく距離にあった。
「……楯だとっ! おれが、お前たちの仲間を使って、楯にする男かっ!」
それは、信じられない反応だった。ハサウェイは、その噛みつくような発言に、あきれた。
「なら、釈放しろっ。そうでもして見せなければ、信用するかっ! 卑劣漢め!」
ハサウェイは、ガンダムのビーム・サーベルを斬りつけさせて、桐喝する。ガウッ!
ぺーネロべーもビーム・サーベルで応酬した。
「構いません! こんな新型、やっちまって下さい」
そのサーベル戦のなかで、ガウマンの絶叫が、遠くきこえた。
「ぺーネロぺーのパイロット、レーン! 人質とらなければ戦えないとは、情けない奴なのだなっ!」
「おれの名前を知っている!?」
「ヤサ男にできることは、その程度だろうさ」
「返すっ! 大佐の命令で、乗せただけだ。こんな奴がいなくとも、ぺーネロべーは勝つよっ!」
「返すだと?」
ビーム・サーベルのビーム同士が激突すると、その干渉によって発するスパークが、スーパーソニックを発生させた。そのショック・ウェーブに似た振動が、両機の機体もゆする。
そして、さらに、ビーム・サーベルの激突、数回……
ハサウェイの反問がおわらないうちに、ぺーネロぺーが、スッと後退をすると、威嚇のビーム・ライフルが数射されて、その間に、ぺーネロぺーのコックピットのハッチがひらいたようだ。
「こうだ! 受け取れよっ!」
ハサウェイのヘッドフォーンに、そのレーン・エイムの声が飛びこんだ。
「なに!?」
ハサウェイは、ぺーネロぺーの前部に異変がおきたのを知って、実視ディスプレーを拡大した。
べーネロぺーのハッチから、小さな光が落下するように見えた。人が飛び降りたのか?
「ガウマン!?」
ハサウェイは、それが誘いかも知れないと思いながらも、その落下する光に接近せぎるを得なかった。
機体を仰向けにして、人の落下速度に合わせて降下をかけながらも、シールドを全面にして、ビーム・ライフルを上空のぺーネロぺーに合わせる。
『しかし、大丈夫だ……』
そういう確信はあった。あの律儀で、実戦の校滑さを知らない若者ならば、自分がいった言葉に賭けているはずだ。
いい青年なのである。
光は、ガウマンの腰にした懐中電灯の光だった。
彼は、まるでスカイ・ダイビングのように、左右に伸した四肢で、姿勢を安定させながら、落下していた。
手錠は外されているのだ。これこそ、レーン・エイムという若者の潔さである。
ハサウェイが、コックピットのハッチをひらくと、ゴウッ! と風圧が、さらに身体をシートに押しつけ、ハサウェイは、それにさからって、左右のコントロール・レバーを操作し
た。
ガウマンの心細い光が、その上空にすべりこんできた。ハサウェイは、ガンダムのサーチライトを開いて、その光のなかにガウマンをとらえた。
これでは、左右からのモビルスーツたちの攻撃の目標にされてしまう。
「…………!?」
案の定、ビシッと数条のビームが左右上下に走った。ぺーネロぺーからのものではないのは、当然である。
「やめろっ! 今は、攻撃するな!」
そんな若者の声が、ハサウェイの耳を打ったが、その瞬間、ハサウェイは連邦軍の周波数の無線を切っていた。ミノフスキー干渉の雑音が、神経をいらだたせたからだ。
ガウマンの光の奥、ペーネロぺーは、左右におおきく動いて、味方機に牽制の合図を送っているように見えた。
そんな彼、レーンのいさぎ良すぎる行動に、ハサウェイは感謝しつつも、これで、撃墜されるならば、それはそれで、構うことはないと思った。
これが、運だからではなく、良い敵の前ならば良い、という感覚なのである。
ただ、もうすこし成長したレーン・エイムであれば、もっと良かった。
ガウマンは、ガンダムのサーチライトの光のなかでその位置を固定しようとして、いっぱいに拡げた手足をふんばっていた。
相対速度をゼロにするほどの芸当をやっている間はなかった。ハサウェイは、上昇の推力をかけ、ガウマンが視界の正面に来るようにすると、さらに加速をかけた。
その間に、ガウマンをハッチの中央に固定する。
「…………」
ガウマンの引きつった顔が、ドッと迫ってから、下に流れた。
機体が下から入ったために、ガウマンが受ける風圧が乱れて、ガウマンの身体が大きくかしいだのだ。彼の身体が、ハサウェイの視界の下に流れていった。
「……ガウマン!?」
ハサウェイは、ガンダムの肩のバーニアを噴かした。
ズルッとガウマンの身体がせり上り、ハサウェイの視界のなかを上に流れて、コックピットの天井のディスプレーにぶつかったようだ。
「…………!?」
ハサウェイは、ハッチを閉じた。
ガウマンの身体が、左のディスプレーの面をすべるようにして、横に位置した。
「ギャハッ!」
呻きとも笑いともつかない声が、彼の口からあがった。
「……これからが地獄だぞ」
ハサウェイは言いつつ、べーネロべーをさがした。
「そうらしいな……」
ガウマンが、ハサウェイのシートの背後にまわりこんで、シートのささえバーにまたがったが、ロクに身体をささえるものなどはない。
これで、格闘戦にでもなれば、ガウマンの身体は、コックピットのなかで跳ね飛んで、それで、致命傷を受けるかもしれない。
「待ってやったのは、情けではない! 民間団体には、コピーしか作れないことを思い知らせてやる。ミノフスキー・クラフトのモビルスーツは、こちらが、マザーマシンだということを思い知らせてやる!」
レーンは、そうゆっくりとロのなかで言うと、味方機が、それぞれのケッサリアに、後退していくのを確認していた。
これだけ時間をつくれば、あの見なれないモビルスーツは、ガウマンを収容して、ともかく戦う態勢を整えただろう、レーンは信じた。
それ以上の心配はしない。
すくなくとも、敵対する相手なのである。
武力も、ぺーネロぺーと同じか、それ以上あると思わなければならないし、コピーであればこそ、その能力は、ぺーネロぺーと同等か、それ以上だと覚悟する必要はあるのだ。
レーンは、ガンダムのサーチライトが、消えた空域を拡大モニターで索敵しながら、ぺーネロべーのビーム・ライフルを正面にむけた。
腰のミサイルは、まだ手つかずである。
ハサウェイは、ガンダムを降下させていった。そのために、ガウマンは、シート背もたれの前に押しつけられるようになった。
その間に、ガウマンはともかく三本のベルトで、ハサウェイのシートの背もたれを前にした姿勢のままで、身体を固定した。
「一気に決めたい。できるかどうか……」
「やって見ればいい」
ガウマンは、シート支えのアームにまたがって、身体を押しつぶされるのをこらえながら、呻いた。
ハサウェイは、そのガウマンの声を背にしながら、ぺーネロべーの航跡の閃光を見ていた。
「来るな……!?」
ハサウェイは、降下しながら、後退の姿勢のまま加速をかけた。高度は、三百メートルまでさがっていた。
「ウッ……!」
ガウマンの呻きなどは、無視せぎるを得ない。
ぺーネロべーの航跡の一部から、バッと閃光がふくらんで見えた。ガンダムは、さらに加速をかけていた。
シュッシューン! 教条のミサイルの閃光が走り、それが縦になって、ガンダムを追う。
ガンダムの高度はまだ下がりつづけて、海面上、百メートルを切った。ガンダムは、仰向けの姿勢のままである。
「早いっ!」
レーンは、一気に加速をかけたために、急速に高度がさがっていくのがわかった。数秒で、海面に激突する。攻撃は、あと一度しかできない。そうでなければ、また索敵して、攻撃にはいるという手順を踏まなければならない。
それは面倒なことだ。
戦闘が長くなれば、その時は、どのような局面に出会わないとも限らないのだ。戦闘局面はすくなく、一気にケリをつけるというのが鉄則である。
ミサイルが海面に激突してあげる白い水柱が、筋になって見えた。
その少し前を、敵のモビルスーツが疾走するテール・ノズルの閃光があった。その閃光のうしろに白い筋があがる。
敵のモビルスーツの飛行で、海面にしぶきがあがっているのだ。
「バカな奴だ!」
こうなると照準は容易だった。レーンは、ビーム・ライフルの一撃で、ケリはつくと踏んだ。
レーンは、快哉《かいさい》を叫びながら、ビーム・ライフルの照準をその白い筋の前、当然、その想定コース上に構えて、引金をひこうとした。
しかし、その時、敵のモビルスーツは、さらに加速をかけた。
バッと輝いた光が、前に進行して見えた。
その光は、一見、敵のモビルスーツのテール・ノズルの閃光から別れるようにして、前進して、海面にその光を写し出した。
攻撃から退避しようとする悪あがきに見えた。
「…………!?」
逃すか、という確信と、さらなる加速に動揺しながらも、レーンは、ビーム・ライフルを連射した。とどめという確信があった。
ビーム・ライフルのビームは、波線状の線になって、その敵の光の動きを追い、チカッと爆発の火球も見せた。それは、小さい光の輪だったが、爆光であることはまちがいがなかった。
しかし、その後の事態が、どういうふうに進行したのか、レーン・エイムには、わからなかった。
ともかく、敵のモビルスーツは、なぜかぺーネロべーに対する位置に、あらわれた時には、無数と思えるミサイルをぺーネロぺーにあぴせて、後退したのである。
「うっ……!?」
理由などは、わからなかった。
レーンは、シールドでコックピットの前部をカバーするのがやっとだった。轟音、光の乱舞、激震。
それがおさまった時は、レーンは、黒いものにかこまれて、今度は、激震が、闇のなかのレーンを襲っていた。
「……なんだ!? なんだ?」
意識が回復するのにどのくらいかかったかも、わからなかったが、レーンは、全身の打撲の痛みに、生きている自分に感謝した。そう、自分に感謝したのだ。
運とか神へではない。それが、レーンであった。
それがわかってから、腰のベルトのボタンをさぐつて、パイロット・スーツのヘルメットのライトをつけた。
死んだ実視ディスプレーの面が黒く輝いているだけで、コンソール・パネルの表示は、復活するようすがなかった。
「やられたのか……とどめを刺したと思ったが……」
レーンは、悔しさもわかず、なぜ、こういう事態になったのか、推量しようとして、海に浮いているらしいぺーネロぺーの機体のゆれに、身をまかせた。
上下感覚から、前部のコックピット・ハッチは、下であることがわかった。
「おれが狙撃したのは、モビルスーツではなかった……なんだ……? その隙に、あの見なれないモビルスーツが、おれに接近をして、ミサイルを浴びせた……」
レーンは、頭を激しくふってから、コックピットの状況を確認して、ハッチの面を足場に、パイロット・スーツの生命維持装置をチェックした。
海上戦闘用のサバイバル・セットを引き出して、ハッチをひらこうとしたが、オートマチックでは作動しなかった。
「チッ!」
そのあとで、レーン・エイムは、マニュアル操作でハッチをひらこうとして失敗し、結局、ハッチを爆破して、コックピットから脱出していった。
ぺーネロぺーの機体は、緊急用の空気袋でともかく海上に浮き、レーンは、その機体の背中にはいあがって、救助を待った。
それが、レーン・エイムの二回目の実戦の結果であった。
戦闘空域を離脱したハサウェイとガウマンの|Ξ《クスィー》ガンダムは、低空飛行のまま、支えん船ヴァリアントに接触をして、その機体を収容した。
「ビーム・ライフルがないな」
メカニックマンのマクシミリアン・ニコライが、怪訝そうな顔をハサウェイに見せた。
「ダミ−に使ったんだよ。ガンダムのかわりに、ペーネロべーに狙撃させたんだ。一撃離脱ですませてくれなければ、おれは死んでいた。ハサウェイの機転は、すごいモンさ」
ガウマンは、ようよう自由になれた身体を、屈伸運動をさせながら、説明したものだ。
「どういうふうに?」
「ビーム・ライフルを発射して、飛ばしただけだ。海面スレスレのおかげで、ビームの光は大きく見えたのだろう。敵が、それを狙撃してくれた隙に、接近して、ミサイルの集中攻撃をかけた。しかし、とどめを刺せたとは思えない」
「ああ……そりゃ、アイデアだったね」
エメラルダは首をふって、ニコニコと誉めてくれた。彼女は、レイモンドにはあまく、ハサウェイには、その実力を認めながらも、姉さんぶるくせがあった。
「身体が丈夫なら、このまま、すぐにオエンベリの偵察にでるぞ? わかっているな?」
「もちろん……船長は、そのつもりだよ。マクシミリアンには、頑張ってもらうさ」
イラム・マサムが、ともかくガンダムを回収できたことで、今は、なにもいうことがないという顔をしていたが、マクシミリアンはちがった。
彼は、次の作戦のために、ハサウェイの|Ξ《クスィー》ガンダムの整備を急がなければならないからだ。
「マックスの仕事には、問題があるんですよね」
エメラルダが、自分のメッサーの方に行くのと入れちがいに、ケリア・デースが、ブリッジのラッタルをおりてきた。
「ああ……ケリア、合流していたの?」
「ええ、ホンコンからもどるのなんて、宇宙から帰還するよりは、簡単ですからね?」
彼女は、ハサウェイをホンコンで出迎えるために、出動していたはずだったのだ。愛くるしい笑顔というのは、彼女のためにあるのではないか、と思える女性だった。
ハサウェイと同年のはずだ。
ひどくショートの髪にしているのだが、うしろから見ても、男とまちがえることはない。
「……カーゴ・ピサに搭載されていた補充部品は、半分しか回収できずに、沈んでしまったんです」
「そうか……エメラルダが、ピサの機首を壊してくれたからな」
「それでいいって、ハサウェイがいったでしょ?」
ケリアは、ファイルの下に隠すようにもっていたドリンク剤をハサウェイに渡してくれた。
「ありがとう。まさか、ビーム・ライフルがないというんじゃないんだろうな?」
「さ、どうですか?」
意地悪い微笑をうかべる時は、彼女自身、機嫌が良い証拠なのだが、それは、その裏に別の感情を隠している時でもあった。
ハサウェイは、ドリンク剤をのみくだしながら、「ケリアは、いつもそうだ……」といいながら、彼女が、なにを考えているのかと思った。
「……オエンベリの偵察はいいんですけどね、キンバレーの戦力は、あなどれませんよ?」
「将軍は、どういっているんだ?」
「続行の予定でしょ? 亡くなった閣僚の補充を見ていても、地球連邦政府には、革新をしようとする意思など、まったく見てとることができないんですからね」
「しかし、もう少しで、スペースノイド全体に、地球連邦政府をつきあげる運動がおこる感触はあるんだがな……」
彼女は、肩をハサウェイにぶつけるようにして、ハンドレールに身をもたせた。
「…………?」
「ギギ・アンダルシアですか? 面白かったんでしょ?」
「……? 妙な女の子だった……」
ハサウェイは、ケリアの微笑の底に、女性の薫りを感じて、身をひこうとした。ここにも、ハサウェイの心情にせまる女性が、いるのだ。これは、ハサウェイの失敗といえないでもない女性なのだ。
「……クェス・パラヤを思い出したんでしょ?」
「よせ、いうなよ」
ハサウェイは、ケリアに背をむけようとしたが、ケリアの肩は、ハサウェイの背中に強く押しつけられていた。
「結局、気が多いんだから……」
ケリアの唇が、ハサウェイの耳たぶを噛むように、そういった。
「レーンは、無事だったんですか?」
「ああ、機体の損傷程度からして、生還は奇跡的だ。これも、ギギがいてくれたおかげだ。おれの勘は正しい。君は、幸運の女神だ」
「そう? 自覚はないけれど……」
「君が一人で生きてこられたというのも、強運をもっている証拠さ。おれは、これに賭けるね……」
「でも、わたしだって、予定はありますよ。数日中には、ホンコンに行きます」
「それはそれで結構だよっそれまでに、オエンベリの方のケリはつけるさ」
「わたしは、引越しの準備もしなければならないし……。そうしないと、伯爵に申しわけがありませんものね?」
「そりゃわかる。人には、たえず義務というものがあって、やっかいなものだ」
「そう。義務……でしょうね」
「生きるための……とでもつけくわえた方が、気持ちがいいかな?」
「それほど、生きることには、執着はしていませんよ? わたし?」
ギギは、ハサウェイのことを聞きたがっていることが、自分の顔に書いてあるのではないかと、かすかに恐れなから、夕日に瞳をむけて、その目をほそくした。