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オーラバトラー戦記10 重層の刻《とき》
富野由悠季
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)窮屈《きゅうくつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)兵器|工廠《こうしょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/加藤洋之&後藤啓介
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オーラバトラー戦記10 目次
1 目覚めのあと
2 もう一人の女
3 迷い虫
4 ミィゼナーのアリサ
5 ジョクの薫り
6 たくらむ者
7 ゴラオンの気圧
8 もつれあわせて
9 病床
10 トモヨ
11 チャムとステラの戦線
12 少女達の内緒話
13 惜別は一瞬
14 身支度
15 のこされた戦士
16 暗号はトロゥ
17 交錯
18 アリサとチャムとリムルと
19 チャムの怒り
20 ウィル・ウィプスの壁
21 ドレイクという父
22 アイリンツー
23 刻への接近
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「いつまで寝ているの、この子は! そらお起き! クスタンガの丘は良い天気よ。風もないし、雨もない。オーラの光が肌をさすこともない、とってもいい朝だよ」
その声はいかめしくきこえるけれど、やさしい人のものだとわかっていた。
けれど、今のこの気持ち良さから、出ていくなんてできない。
別に寝ているわけではないし、こうしているのがおっくうでもないのに、なんでここから出ていかなければならないの?
頭はボンヤリしているけれど、からだにふれるものすべてがうっすらと気持ちをやさしくしてくれているのだから、それ以上のことは望まないし、わざわざ出ていって確かめる必要もない。
「クスタンガはね、おまえさんたちの肌を守ってくれている花びらとおなじくらいに、やさしく暖かくって、気持ちもさっぱりとするんだよ。そんな狭いところで、からだを丸くしていて、なにが気持ちいいものかね!」
『ああ、うるさいなあ……うるさい、うるさい、うるさいうるさい……』
頭のなかで、そんな言葉をつなげていく……いや、自然につながっていくのだ。
すごいっ!
今度は、心がフルフルとふるえて、さらに頭がはっきりしてきた。
いわれてみれば、たしかにからだ全体がちょっと窮屈《きゅうくつ》なのだ。
気持ちはいいのだけれど、気持ちぜんぶがクチャとしているように感じないでもない……。
「おまえたちを生んでくれた花たちのことを考えてみてごらん。おまえたちのからだが大きく重くなってしまって、花たちがささえきれなくなったら、茎は折れてしまうんだよ!? そうしたらどうなる? ドスンと落ちるんだよ? そうしたら、花びらにつつまれているおまえたちだって、痛い目にあうんだ。痛いんだよ。痛いってことを知らないから、そのまんまでいいと不精《ぶしょう》を決めこんでいるんだね。仕方がないこった。いいかい、痛いっていうのはね、こういうことさ!」
ブルルルン!
『おうっ!?』
からだ全体がドドッと揺れて、チャム・ファウは、からだが内側から一杯に膨れあがって、外に出てしまうのではないかと思った。
それほど大きくぜんぶ[#「ぜんぶ」に傍点]が揺れた。
「それは痛いんじゃないよ。痛いっていうのは、もっと痛いことなんだ。気持ちはささくれだって、ひどいことなんだよ!……おお、フェン・ファー! いい子だよ。起きる気になったらしいね。そうそう、花びらがひらく前に起きるんだよ。いい子だ。いい子……そうだ、あとはゆっくりと花びらがひらききるまで、手と脚《あし》と羽根をのばしていって、羽根が乾いたら立つんだよ。それまでは急いじゃあいけない。ゆっくりね……急ぐと花びらから落ちて、本当に痛い目にあうからね」
いかめしくきこえていた声は、慈愛あふれる声音《こわね》にかわっていた。
チャム・ファウの心に徐々にやさしさとおだやかさが芽生えていった。
『……あ、ずるいなぁ……』
フェン・ファーがどういう子か知らないけれど、そのように誉《ほ》められる子をチャム・ファウはとてもうらやましいと思った。
チャムは、脚を胸の前に抱くようにしてうずくまっていた。それでも、苦痛とは感じていない。背中からお尻までが接している花びららしいもの、それはつまり、チャム・ファウのすべてが形成されていった世界であり、チャムそのものであるともいえる。チャムがその感触を嫌いであるはずがなかった。
チャム・ファウは、花びらにくるまれて、自分の金色の髪に指をからげたり、髪を舐《な》めてみたり、ひっぱったりして時を過ごした。毛のつけ根がひっぱられる感触は新鮮だったし、ときには、足の指と手の指をながめて、その指の長さのちがいや動きを観察していたりするだけで、ずっと飽きることがなかった。
しかも、日ごとにちがう感触――甘かったり、ちょっとしぶかったり、にがかったりする味覚のようなものが、からだ全体で感じられるのである。
それは、チャムを育ててくれている花があたえてくれる滋養《じよう》の変化なのだ。
大地と空中にふくまれた養分は、花の茎をとおして、チャムをつつむ羊水から臍《へそ》の緒《お》をとおって全身にながれこんでいる。
その味が、その日その日の天候と花の機嫌《きげん》によってかわるのである。
その変化の意味はわからなくても、このここちよさのちがいは何なんだろうと考えているだけで、一日という時間はあっという間にすぎていくのだった。
「トト・キョロ! いい子だよ。そうだよ。ゆっくりとね、ゆっくりと立てばいいの。すぐに立てるわけはないでしょう? そうそう、そうして、花びらの上で寝ていなさい。そうすれば、羽根は乾くわ。それからよ、地面に降りるのは……」
またあのおばあさんの嬉《うれ》しそうな声が、チャムの耳をうった。
そうなのだ。
チャムの丸くしているからだのまわりにはすでに羊水はなく、このままの状態では、からだ全体がパサパサになってしまうのではないかという予感があった。
『あのおばさんのいうことは、きかないといけないのかなぁ』
と思う。
けれど、まだまだこのままでいいようにも感じる。
指にからんだ髪は金色に輝いていた。
花びらを透《す》けてとおる光が、チャムの世界を明るくみたしていた。
『いい色だなぁ……』
言葉はいつ覚えたのだろうか……そんな疑問もない。
外からきこえる言葉もその人の息遣いも、チャムが意識をもったときからずっと知覚していたものだから、すべて知っていることなのだ。
知らないのはその形だけなのだが、それでさえ想像がついていた。
外の世界は、知らない世界ではないのだ。
「……オオ、おお、おーっ!」
ずっと遠くからそのおばあさんの歓声、がチャムの耳にとどいた。
『そうか、きょうはとってもいい日なんだ』
チャムは、ウンッ、と腕を左右に拡《ひろ》げてから、脚ものばしてみた。サァーとチャムをつつんでいた最後の羊水が足下から引いていった。
「おおっ!」
キュンと肌を刺すような冷たいものが、チャムの微小な世界にながれこんできた。
『ウソじゃないか! ちっとも気持ちのいいもんじゃないっ!』
そう感じたが、チャムはその感じを上手に口にすることができなかったので、チャムは思いっきり泣いてしまった。
それがチャムのコモン界へ通じる界、クスタンガの丘での誕生だった……
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1 目覚めのあと
必死だったので、闇《やみ》にむかって飛ぶだけだった。
闇の中で木々の梢《こずえ》にぶつかり、枝に張りついていた枯葉をけちらしたり、ザザッと風に舞った枯葉の群が、からだに当ったりした。それでも飛びつづけた。
重い革鎧《かわよろい》を着ていたから、風に吹き上げられることはなかったが、そのために、飛ぶ速度は早くはならなかった。
そのあせりがチャム・ファウをますます必死にさせた。
どうしてドレイク・ルフトの率《ひき》いるアの国の軍艦のなかにいたのか。どうして、その軍艦のなかのオーラバトラーの腰の部分らしいところで目が覚めたのか。考えている暇はない。
兵士たちの声に気づいて、物陰からのぞいたチャムは、軍艦の灯火のなかで立ち働く整備兵たちの姿を見てパニックにおちいってしまった。
ガス灯と懐中電灯の光がまじりあうデッキで、整備兵たちが罵《ののし》りあいながらオーラバトラーの整備をしていた。
チャムは、オーラバトラーと整備用の機器がつくる影をたどるようにして、外に出られる方向をさぐりながら飛んだ。
ギュルル……。
デッキの喧騒《けんそう》とはまったく異質の音がきこえた。
伸びあがって音のする方を見ると、ドレイク軍のオーラ・マシーンであるドメーロが一機、接舷《せつげん》するところだった。
『…………!!』
その機械の姿を見て、まちがいなくアの国の軍艦のなかにいると確認したチャムは絶望的になった。
『どうしよう……!?』
身を沈めて影のなかにうずくまり、善後策を考えようとしたが、なにも頭に浮かばなかった。
「……急いでゼミエガにっ!」
「ハッ!」
デッキの喧騒のなかで、そのするどい声がチャムの耳をうった。
「…………!?」
チャムはどこかできいたことのある声だと感じた。
チャムは、一縷《いちる》の望みをいだいて、反射的に隠れている物影のなかから身を乗り出すようにした。
舷側《げんそく》に接触しているドメーロに、紫がかってみえる長い総髪《そうはつ》の騎士――いまではパイロットと呼ばれる――が気忙《きぜわ》しげに乗り込んでいくのが見えた。
「…………!?」
つづいてもうひとりの兵士が乗り込んでいくと、そのドメーロはオーラ・エンジン特有の内臓をふるわせるような轟音《ごうおん》をひびかせて舷側からはなれ、闇のなかにきえていった。
『どこで見たんだろうか……?』
声もきいたことがあるし、その後ろ姿も知っている。
が、そのときは、その声と姿が誰のものであるか思いつけなかった。
敵中からどうやって逃げ出すかで頭がいっぱいだったのだ。
「…………」
チャムのしゃがみこんでいる暗がりは、壁ぎわで、オーラバトラーに持たせる楯《たて》などの備品の置かれている処《ところ》だった。
ドメーロを見送った数人の将兵がいなくなると、その一角に人影はなくなった。
チャムは左右をのぞいてみた。
オーラバトラー・デッキをかこむ壁ぎわの通路にも人影はなく、天井からさがったクレーンの鎖がかすかに揺れているのが見えた。
バタバタと人が走る音がしたが、それもチャムの隠れている場所から遠ざかっていった。
「……よし……!」
確信などはなかったが、チャムは自分を力づける気合を口にすると、両手に力をこめて上体をはねあげ、全身で羽根をふるわせて飛び立っていった。
下手をすると飛び出した瞬間になにかにぶつかったり、あるいは、狙撃《そげき》されることもあるかもしれないのだが、そんなことは実戦に参加したチャムにはいくらでも想像できた。
チャムは、落下するようにデッキの出入り口にむかって降下して、外との境界になっている壁をくぐり抜けると、グンッと高度を上げた。
あとは必死だった。
風のある夜の森を飛びに飛んだ。
軍艦が見えなくなるところまでは、うしろも見ずに飛んだ。敵のコモン人の目に触れなくなる距離をとるまでは、ともかく飛ぶしかないのだ。
その間に、背後から射《う》たれたり網にひっかかったりしたら、運がなかったと諦《あきら》めるしかない。
そういう思いっきりの良さを、チャムはジョクから学んでいた。
「クハッ……!」
息をついた。
周囲に風の音しか感じられなくなったからだ。
羽根を左右いっぱいにひろげて滑空の姿勢をとり、チャムは何度かハッハッと大きく息をついた。
そして、滑空しながら、いま飛び立って来た軍艦をさがしてみた。
夜になって大分たつのか、オーラの光に夕方の色はほんの少しも残っていなかった。
雲が山並を隠すように走っていた。
地上界の星のかわりというべき燐《りん》の光も、見ることはできなかった。
風が息をつき、そして、またチャムのからだをなぶるように走った。
からだ全体が浮き上り、羽根が左右にギュッと捩《ねじ》れるような恰好《かっこう》になった。チャムはそのまま風に乗るようにしてからだを一回転させてから、地上に降下していった。
軍艦がひそんでいる森の反対側の、よりいっそう暗い闇をつくっている一角にむかった。
木々はまだ葉をじゅうぶんにつけている時期だったが、風だけは冬が近いことを教えていた。
チャムは、瞳《ひとみ》をこらして木々のようすを観察した。もうからだを痛めつけたくなかった。
「…………!?」
たとえ真の闇であっても、外にいる限り、チャムは視覚を失うことはなかった。ミ・フェラリオというのはそういうものなのだ。五感を総合すれば、周囲の状況をかなりの確度で想像することもできた。
だから、チャムは、闇を恐れはしない。
恐れるのは、得体《えたい》の知れないものだけなのだ。
冬支度をはじめた木々のあいだをすり抜けながら、チャムは、近くの道をかなりの人馬が移動する物音を耳にした。ときどき、それにオーラ・マシーンの飛ぶ音が混じる。
チャムは、ふつうの人の気配を恐れることはなかった。心の準備ができていたからだ。
勇敢になったチャムは、人馬の音のする方にむかった。
木々の葉が、ときにカサッと音をたてた。
と、前方下に、松明《たいまつ》の列のゆらめきが見えた。手前が小高くなっていて、いままで見えなかった光だ。
「…………!?」
チャムは、かなりの数の人が移動していると見当をつけた。
右方に別の色の光、懐中電灯のものがゆれた。
もちろん、地上世界で見た懐中電灯の光よりは、暗くおぼつかない光度である。しかし、松明にくらべれば安定した光で、便利この上ないものだということをコモン人も知りはじめていたし、士官の携帯品にもなっていた。
ようやく、チャムは経緯の想像はつかないものの、アの国のドレイク軍のオーラバトラーに乗ってしまって、その艦隊が集結している処に来てしまった自分の立場を理解した。
『ジョクとガベットゲンガーの、すごかったモンな』
ジョクのカットグラとザナド・ボジョンのガベットゲンガーが空中で白刃を交えた白兵戦のことである。
チャムは、その戦闘中にジョクのコックピットから飛びだしてしまい、二機のオーラバトラーの白刃が激突して放たれたオーラの閃光《せんこう》を受けて気絶したのだ。
その後、どこでどうなったか、チャムは、ザナド・ボジョンのオーラバトラー、ガベットゲンガーに乗ってここまで来たらしいのである。
「……フーン、輸送部隊か……?」
山間《やまあい》の街道筋を見おろせる梢《こずえ》に腰を落ち着かせて、チャムは、懐中電灯をもった騎馬の士官たちに追い立てられるようにして進んでいる荷駄《にだ》の多さに感心した。
とんでもなく長い列が、右から左にあえぐように移動しているのだ。幌《ほろ》をかぶせられた荷駄車は、ほとんどが四頭立てで、チャムが逃げ出してきた艦艇にむかっているように思えた。
別の艦艇への補給物資かもしれなかったが、残念なことに、チャムは交戦中の敵地にいながら、敵情を視察して情報を得なければならないとは考えなかった。
知性が低いとか余裕がもてないからではなくて、フェラリオは、それほど理路整然と物事を考えられる生き物ではないのである。
「…………!?」
チャムはただ、できるだけ敵兵に出会わないようにすることだけを考えていた。
梢の上に立って荷駄車がすすんでくる右の方向をうかがってみて、チャムは、そちらの方が暗くて安全に思えた。
が、
「そうか……しかたないけど……」
無事にここから逃げ出すためには、目立ちすぎる革鎧は脱いだほうがいい。
さいわい、チャムの立っているのは葉を残しているサンザシの木だったので、革鎧を隠しておくには便利だった。
「……こんな時にさ……」
チャムは、冷たい風が吹きあれる山岳地帯で、革鎧を脱がなければならなくなったことを恨《うら》めしく思いながらも、脱いだ革鎧を枝分れしているところにひっかけて、蜘蛛《くも》の巣の糸をからげて落ちないようにした。
「ウウ……」
寒い。
革鎧のための下着として、シャツと半ズボンに相当するものを身につけて、いつもの水着かレオタードに近い姿ではなかったので気休めにはなったものの、防寒にはならなかった。
もともとミ・フェラリオは寒暖にたいする抵抗力はコモン人《ぴと》以上にあるのだが、このカラカラ山塊《さんかい》の北の寒さは、アの国やミの国よりはるかにきつく、チャムにとっても、この寒さに慣れるのは容易ではなかった。
サンザシの木を離れたチャムは、寒さを忘れるために力いっぱい羽根をふるわせて、荷駄隊とは距離をおきながら、小高い山の背をひとつ越えた。
「ホウ!?」
谷間《たにあい》をのぞける位置に出て、チャムは歓声に似た声をあげた。
木々のむこうにいくつもの光の列があった。
人のさんざめきもきこえた。
そのようすから、ここは陣というものではないとすぐにわかった。かなりの女たちの嬌声《きょうせい》がまじっていたからだ。移動する松明の光も上下にゆれたり走ったりして、楽しそうな気分がうかがえた。
左右や前方の闇のなかからも光が湧《わ》き出て、その光の列のあるところに集まっているように見えた。
「お祭じゃないよな……」
自分も浮かれそうになりながら、チャムは光のかたまっている方向に接近していった。
「ハハァ……女が男を呼んでいるんだ……むつみあうんだ……」
チャムは、耳学問で知った言葉を口にしたが、すぐに敵地にいることを思い出して身を硬くした。
しかし、チャムは、情況がわかってくるにつれて落ち着きを取りもどした。
そうなると、生理的な欲望をおさえられなくなった。
寒いしお腹《なか》もすいている。これをなんとかしなければならない。
だから、風の通り抜ける林のなかで、腰から下を剥《む》き出しにした男女がからみあっている光景を見ても、チャムは、コモン人のやることは醜悪だとか、彼等は無節操な最下等な動物なのではないかと思うだけである。
しかし、その種の動物がこんな山岳地帯に、突如として店をならべ、道筋を作り出してしまうというのがチャムには不思議だった。
鉄を打つ鍛冶《かじ》の音や馬のいななき、それに喧嘩《けんか》の怒号《どこう》までもがきこえるようになった。
「ウハッ……つめたいっ!」
思わずふるわせた羽根で葉の上の夜露が飛び、それがチャムのからだに跳ね返ってきた。かなり湿気の多い谷間《たにあい》なのだ。
思った以上に葉がしげっている一帯を越えると、幌掛けの小屋やむしろ小屋、そのへんにあった木々と木の皮で囲いをした小屋などが建ちならんでいる店筋《みせすじ》に出た。
店筋といっても、急ごしらえの道の左右に即席の囲い小屋が建てられて、たまたま街道らしいものになったというていどのものである。
それでも、左右に二、三十の屋台と小屋がならび、騎馬と将兵たちが闊歩《かっぽ》し、遣手婆《やりてばばあ》たちが客引きをしていた。
しかも、そんな遊びを業《ぎょう》とする店筋の前後には、飲食店のほかに、衣類や陶器や小物、それに各種の食料品を売る店、武具を売る店、鎧《よろい》や馬具の修理をする店、鍛冶屋などの床を張った小屋やよしず張りの小屋があった。
ちょっと長い合戦があろうものなら、どこからともなく現れた人びとが、この種の店筋をつくりだすのが古今の習いなのだ。
普通の人びとのたくましさはこういうところに顕著《けんちょ》であり、じつのところ、この種の人びとの動きを見れば、軍の動向もつかめるのだった。
笑えない話なのだが、ときにはこの種の人びとの動きの方が、軍の動きよりも早いということが、歴史上一再ならずあったのである。
彼等、商人たちは、どのような形であれ自分たちの利益になりさえすれば、ガロウ・ランたちを相手にしてさえ商売をするのである。
地上界では、かつて、アメリカ・インディアンに銃を売りつけて儲《もう》けた白人たちの例もあるし、コモン女をガロウ・ランに売りつけることを生業《なりわい》にした剛の者もいた。
機械の時代に突入したコモン界、ことにアの国の軍の移動する周辺では、歩兵と騎馬の時代以上に消費活動が盛んになって、この種の商人たちの動きをいっそう活発にしていた。
機械を主軸とした戦闘は、軍人たちに精神的なプレッシャーをあたえることが多くなって、戦場でフラストレーションを吐き出しきれずに、後方に戻ってくる将兵が多くなったからである。
しかも、ひとつの艦に多数の将兵が乗り組んでいる。一過性の市場であっても、その瞬間風速的な消費の量は、平時の街以上のものがあった。
それで、商人たちは、将官や騎兵たちに取り入っては、次の戦地をききだすことに必死になり、どれほどの市場がどこに形成されるかを予測するのである。
なかには、ドーメのようなオーラ・マシーンまで払い下げてもらって、商品を移送する商人も出てきていた。
そのひとつが、今、チャムが目にしている店筋なのである。
さすがに、チャムはその店筋に出ることはなかった。
食料と布切れを手に入れる隙《すき》がないものか、と店筋を林の方からうかがうようにして、チャムは木々のあいだを飛んでいった。
「ウッ……」
また、足下の葉をけとばして、チャムはブーツを濡《ぬ》らしてしまった。
「参ったな……」
バタバタとしずくを両手で払いながら、木陰を楯にして飛ぶことをあきらめて、チャムは地上近くに降下していった。
まだからだの調子が本格的でないチャムは、自分の羽根と周囲のものとの距離感が正確につかめないのだ。
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2 もう一人の女
ドレイク軍の艦艇の動きを追って商売をする人びとがつくったかりそめの店筋に、チャム・ファウが近づく少し前に、もう一人の女が、カラカラのカタムの谷間にあるその店筋に到着していた。
車体を金で塗りたくった三輪車は、小型のオーラ・エンジン特有の甲高《かんだか》いノズル音をなだめるようにして停車した。
「さあ、残りの金をもらうよ。お客さん!」
助手席にすわった成金そのものといった恰幅《かっぷく》のいい商人が、太い胴体をまわしかねて背後に怒鳴った。
その声をきくまでもなく、背後の荷台にすわっていた四人の人影は、ぬかる地面を気にしながら運転席の方にまわって、それぞれの懐中袋から小銭をとりだしていた。
商人は、足下が濡れるのを嫌っていささかも身体《からだ》を動かすことなく、金銀の装身具をからめた手をさしだして、小銭をうけとった。
荷台には、彼の商売ものの食料品が山とつまれていた。乗客は荷台のわずかな隙間《すさま》に腰をひっかけ、横にわたされたロープ一本で身体をささえて山越えをしてきたのだ。
それでも、誰ひとり文句をいわず残金を払うのは、客たちが正直者だからではない。
少なくとも、そのうち三人は、この即席の店筋で商売をする者たちで、後難をおそれてのことである。
この種の人びとには、その場所で商売する人の序列をみる目が本能的にそなわっているのだ。
三輪車が停車したのは、店筋が正面にみえる林を切りひらいた広場で、そこはすでに商売人のテリトリーである。そんな処で横暴にふるまえる車持ちの商人となれば、かなりのものであろう。
黙って金を渡しておくに限るのだ。
四人目の最後の客は、男か女かわからない風体《ふうてい》をしていた。足首まで隠れるようなマントを着ているので、ブーツだけしかみえず、ちょっと見には男女の区別がつかなかった。
「ンア……! たしかにな」
宝石で飾りたてたターバンを巻いた商人は、四人目の乗客がボロ布のようなマントのあいだからさしだした小銭をうけとりながら、めずらしく上体を前かがみにさせて、つばひろの帽子を目深《まぶか》にかぶったその客の顔をのぞきこんだ。
「……飛び込みで働こうってんだろう? だったら店を紹介してやる」
その客が、つばひろの帽子の下から細い顎《あご》をふり上げるようにして形のよい唇をムッとさせたのは、女と見破られ、魂胆《こんたん》を見抜かれたからだろう。
「きれいじゃないか? ええ? 飛び込みだと、店に好きにされちまうぜ」
マントの女が歩き出したので、商人は運転手に三輪車をゆったりと前進させ、女と並進させた。
小柄ながら、肩の張りぐあいやその闊達《かったつ》な歩きっぷりから女には見えないものの、目的地に着きながらも行く方向がさだまっていないという不確かさは見受けられた。
商人の狙《ねら》いは、まちがっていないのだろう。
「…………」
彼女は用心しているのか、生来そのような気性なのか、不機嫌そうな表情をみせながらも、目だけは前方の店筋の左右にともるアセチレン・ガスの華やかな明りの列をさぐっているようだった。
「あんたの美貌《びぼう》なら高く売れるんだがな」
車の商人は、半分は冷やかしで、半分は商人の冷静さでもう一度だけそういった。それで反応がなければ、それ以上声をかける気はなかった。
商人が運転手に速度を上げるように指示しようとしたとき、女がいった。
「店、持っているのかい?」
女は足はとめずに、ターバンの商人のほうに目をやった。
「わしは食べ物屋だ。隣によく知っている店がある。主《あるじ》は昔からの友達で善良なんだ。損はさせん」
「店の名前はさ?」
女は、どうやら、商売をさせてくれる店を物色する気になったようだ。
「マスカラーサ。海産物の食べ物屋だ。紹介する店は、この左の筋のむこうから三軒目にあるゲッソ・ハッサだ」
商人はそれだけいうと、豪華な宝石を埋め込んだ毛皮の手袋をふり、あとで来いよ、というサインを出して、車の速度を上げさせた。
オー卜三輪車に似たデザインの車は、ブシューッというノズルの甲高い音とギアの噛《か》み合う音をたてながら、店筋を埋めているアの国の軍人たちを無遠慮にかきわけるようにして坂の上に消えていった。
「ヘッ……!」
つばのひろい帽子を目深にかぶった女は唾《つば》を吐くと、マントの前をより一層ふかくあわせ、肩からさげた帆布のバッグを肘《ひじ》でおさえるようにして、歩幅を大きくしていった。
帽子のつば越しに木々の梢の上を見上げるようにしたのは、天候を気にしたからなのだが、この山間部では夜空のぐあいなどわかるはずもなかった。
「道をあけろ!」
怒声《どせい》が横手からした。
松明をかざした兵士に先導された騎馬が、林の闇を割るようにして現れたので、マント姿の女はやむなく一方の林に身をよけた。
「ここか、ここか! いやー、まるで街ではないか!」
馬上の騎士たちの上ずった歓声があがり、轡《くつわ》を取る兵士たちも、口々に、ひとときの慰安を期待して気持ちを盛り上げていた。
「だんな様方のお馬は当方でお預かりいたしますので、ご家来衆《けらいしゅう》もくりだして下さいまし!」
抜け目のない商人たちは、即席の店筋の出入り口にあたる処に、馬をあずかる店を用意することも忘れてはいない。
こうすれば、刻《とき》をおしむ兵士たちも、ためらいなく即座に客になってくれるというものである。
「…………」
マントですっぽりと身を隠すようにした女は、林の暗闇《くらやみ》に身をおいて、そんな軍人たちと商人たちのやり取りを観察した。
「……バーンさまのいらっしゃる部隊に近いのはまちがいない」
そうひとりこちる声には、艶《つや》があった。
そう、彼女は、バーンの知り人であるステラである。
ラース・ワウの裏筋で、バーン・バニングスに飲み屋をやらせてもらっていた女だ。
騎士であるバーンにとっては、ステラという怪し気な女との逢《お》う瀬《せ》は一服の清涼剤ではあったが、傍《はた》からみれば若気《わかげ》の過《あやま》ちといえなくもなかった。
しかし、ステラは、そんな店をもっていたおかげで、地上人のジョクこと城毅《じょうたけし》とも会っているのである。
バイストン・ウェルのコモン界に現れたジョクが、まだこの世界がなんたるかもわからずにいる時に身を隠し、はじめて羽根つきのフェラリオを見たりしたのがステラの店なのであった。
ジョクとは因縁浅からぬ仲といえた。
さらに、地上人ジョクがオーラバトラーの聖戦士といわれるようになるにつれて、バーン・バニングスもパイロットとして時代の寵児《ちょうじ》となり、ギィ・グッガとの戦いのときには、ガロウ・ランの一統の人質になったステラを助けたこともあった。
が、その後、バーンとジョクが敵味方になって戦うにおよんで、ステラはバーンに忘れられていった。というより、バーンが会いにくる機会がなくなってしまったのである。
そのことをステラは恨みに思ったりはしない。
もともと、釣り合いなど取りようのない関係だったからだ。
店を持たせてもらっただけで、感謝していた。一生食うに困らないだろうし、次の男がいないわけでもない。
しかし、それでいいんだと心を決めるまでにはまだ至っていなかった。
虫の報《しら》せのようなものを感じたからであろう。
いつの間にか、バーンに忘れられてしまったというのでは堪《たま》らない、とステラは思ったのである。
その上、隆盛するアの国の情況がステラの気持ちを駆りたてもした。
アの国の軍が周辺国家に版図《はんと》をひろげ、さらにはミの国に侵攻し、ラウと事を構えるときいたステラは、バーンとの距離がますます隔絶するにちがいないと思ったのである。
『……ドレイク・ルフトさまの威光が増すにつれて、バーンさまの力も増している……だから、バーンさまがどこかの国を治めるようなことになれば、ラース・ワウには戻ってはこないし、こらしめた国の女王さんや王妃《おうひ》さんと結婚することもあろうし……』
そのこと自体に嫉妬《しっと》は感じない。
それは、いいのだ。
が、その前に、もう一度ぐらいは可愛《かわい》がってもらって、それで別れよう。身体を大事にな、ということぐらいはいって欲しい。このていどの要求なら罰は当らないだろう、とステラは思ったのである。
それだけのことでステラはバーンを追って、このカラカラの南端にある谷、カタムに来たのだ。
純真というのでもないし、強欲というのでもない。が、未練ではある。
しかし、本当にそれだけかといえば、それもちがう。
世の中の変遷《へんせん》が一人の女に行動をおこさせたのである。
ステラのように、コモン人のなかでも、どこの馬の骨とも知れない女、そう、ガロウ・ランの血を引くかもしれない怪しさ、曖昧《あいまい》さをもった女が、なにごとかに惹《ひ》かれるようにして動き出したということは、その時代の事象《じしょう》と有形無形の関係があると考えて良いだろう。
しかし、それは、あくまでも深層心理的な因果関係をもちだすようなものであって、格別ステラが意識したことではない。
「よっしゃ……!」
ステラは、手際良くバーン・バニングスの居場所をさぐり出すためにはどうしたらよいか考えようとしたが、すぐに、考えても詮《せん》ないことだと思った。
うかつに兵隊に部隊の所在をきくなどはもっての外であったし、見当をつけた部隊を追いかけるというのも、歩兵部隊ならいざ知らず、空を飛ぶオーラ・シップの場合は不可能に近いのだ。
身体を売る商売にことよせて、寝物語に停泊地をききだすしかないが、それは、ステラのような女にとっては、それほど面倒なことではなかった。
疲れに身を任せて野宿するにしても、店筋だけは調べておく必要があった。まず店構えを調べて、どこかの店に飛び込む。それで問題が起りそうなら、それこそ、さきほどの商人に声をかけようとステラは決心した。
左右の店のガス灯に浮き彫りにされるようにして歩いても、ステラを女だと見抜く者はいなかった。
だいたい、この道筋を歩く者たちの興味や関心は左右の店にあって、道行く人に目をくれている暇などはないのだ。
兵隊たちは騎士であれ士官であれ作戦中であった。寸暇を惜しんで命の洗濯にきているのである。
目的を果したら、所属の部隊や艦にとんぼ返りしなければならない。
精力的なコモン人には、軍務のついでにこの店筋に寄って、用をすませるという手合いもめずらしくないのである。
だから、この店筋の活況には、小さな嵐《あらし》そのものといった観があった。
「……あんた、どこからきたんだい!」
女をあつかう店の遣手婆が一人だけステラを女と見破って、因縁をつけてきた。
「知り合いのところに行くんだよ」
ステラのその一言に、背に瘤《こぶ》のある老婆は、
「ウソとわかったら、ただじゃおかないよ」
と毒づいた。
老婆の言葉で、ステラはこのかりそめの店筋にも縄張りはあり、きちんと取り仕切られているらしいと感じた。
成上りらしい、あの三輪車の商人のいうとおりだった。
マスカラーサという海産物の食べ物屋とゲッソ・ハッサという店はならんでいたし、なによりも、両方の店とも、この店筋では一番という豪勢な造りをみせていた。
マスカラーサの方は、天幕張りながらかなりの広さがあり、高級将校用という感じだった。店の前には馬がならび繁盛していた。
ゲッソ・ハッサは、板とよしずで間仕切りをした小屋ながら、入口の左右の壁には豪華な絨毯《じゅうたん》をかけ、ひさしの高さには赤や黄色のちいさな提灯《ちょうちん》をならべたてて、いかにも好色な男たちが喜びそうな雰囲気をあおりたてていた。
入口の絨毯の前にたって客を送り出している三人の女たちも、他の店にくらべれば、ずっときれいだった。
その光景を目の端にとらえながら、ステラはあの成金の商人はいい目をしていると共感した。
『あたしを上等の部類と踏んでくれた……』
男風にしている自分を高く値踏みしてくれたことに、悪い気はしない。
残りの五軒の店は格がずっと落ちるようだ。バーンが遊びにくるとすれば、ゲッソ・ハッサだろう、とステラは見当をつけた。
「しかしね……」
店筋を抜けたステラは、鍛冶屋の音を耳にしながら、林のなかにはいっていった。
あの店で働けるようになったからといって、バーンが遊びに来るとは限らない。また、たとえバーンが遊びにきてくれたとしても、ステラがうまいぐあいにバーンと会える保証はない。
他の客の相手をしているあいだに、バーンが別の女の客になっていれば、それっきりなのである。
だからといって、バーンを捜していることを見ず知らずの遣手婆に伝えて、手助けしてもらうわけにはいかないだろう。
ステラは、あれこれ考えながら枯葉と枯木をあつめて焚火《たきび》をつくった。
この火を見て近よる男たちもいようが、それを撃退する覚悟ぐらいはステラにはあった。
ステラは、ズダ袋のようなバッグから小麦粉をとりだして銅のカップにいれ、水筒の水を流しこんで焚火にかけた。
「……戦争をしているさいちゅうだから、時間はないんだよなぁ……」
マントを風よけにして、店筋の方から焚火が見えないように気をつかいながらも、つい嘆息がでた。
旅をつづけてすでに半月ちかく経《た》っている。バーンの近くに来られたという安心感が、ステラに疲れを感じさせたのである。
天をあおいでもう一度嘆息すると、ステラはバッグを膝《ひざ》の上において、チーズと乾燥させた巴旦杏《はたんきょう》の実をとりだした。
うわべこそ貧相にみせているものの、ステラは、マントの下の衣裳《いしょう》などは、店に出ていたとき以上に気張ったものをつけていた。
バーンに会えたときのために準備したもので、ステラの心意気を示すものである。
チーズをかじりながら、火にかけた銅のカップのスープをみているうちに、ずっと続いていた車に揺られている感じも薄れて、落ち着いてきた。
店筋の方から上ってくる人影がある。ステラは、帽子をあおぐようにして、するどく牽制《けんせい》の視線を投げた。
「あ、へへへ……」
なにを勘違いしたのか、へつらうような笑い声を残して、その兵士は店筋の方にもどっていった。
「チッ……」
舌打ちをして、懐中のナイフを腰のうしろにまわすと、ステラはまたチーズを頬《ほお》ばった。
そして、ようやくトロリとしてきた小麦粉だけのスープに塩をふり、もう一度煮立ててから、それを口にした。
特別にひどい食事ということはない。
アワやヒエのように、口のなかでもゴソゴソするものにくらべれば、どんなに挽《ひ》きが粗くても小麦粉である。飢鐘《ききん》のとき、土を水にといて飢《う》えをしのぐことを思えば、豪勢なものだった。
乾燥肉だってあるのだが、それは明日のごちそうにするつもりで、いまは出さないだけである。
口直しの乾燥果実もあるのだから、文句などなかった。
それでも、疲れのせいで、スープをすこし残してしまった。
「…………」
しばらくはもつように焚火を調節すると、ステラはマントを掻《か》き合わせて、身体全体をマントが二重におおうように身つくろいした。このようなときのために、必要以上に大きな布でマントを作っておいたのである。
寒くなる前に寝ておこうという算段である。あとのことは、あとで考えればいいのだ。
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3 迷い虫
ゼミガルのオーラバトラー・デッキに収容されたガベットゲンガーの陰で、チャム・ファウが失神から覚めたのは、ステラが焚火のわきで寝入ってしばらくした頃である。
だから、チャムが荷駄隊の進行方向と逆の方に飛んで、この店筋に近い林にきたころには、ステラの焚火は、熾火《おきび》がかすかな赤味を残すだけになっていて、銅のカップに残ったすこしばかりの小麦粉のスープは冷めはじめていた。
パラパラと夜露がステラの帽子のつばをうった。
「もう……! 濡れちゃったじゃないか!」
頭上で不服そうな声がして、ブンッと羽根の音が降下してきた。
「…………!!」
ステラはその音に眠りを覚されて、ムッとした。
「シッ!」
マントを押し上げるようにして、ステラは頭上に滞空しているチャムを脅《おびや》かした。
「オウッ!」
チャムは、突然の叱責《しっせき》にピョンと高度をあげた。
ステラは、薄目をあけて見た。フェラリオの姿が眼にはいった。ここに臥《ふ》せっている人間がいることに気づかなかった間抜けで貧相なミ・フェラリオだ。
そんなドジなフェラリオなら、相手にする必要はない。ステラはまた目を閉じて寝返りをうった。
店にアルコール中毒気味のオスのフェラリオの出入りを許していたステラにとっては、チャムのようなフェラリオはめずらしいものではなかった。
この連中は、放っておけばいつの間にかどこかに行ってしまうものなのだ。
「ハァッ……」
チャムは木の枝に頭をぶつけるようなことはしないですんだものの、木の下に人が寝ているということに気づかなかった自分が嫌《いや》になった。
「…………?」
チャムは、自分を追い払おうとした気配で、この人は自分にとって敵性の人間ではなさそうだということがわかった。
だから、クルッと身体をまわして木の幹を背にすると、チャムは丸くなっている人影を用心深く観察した。
「あっちに行っちまいな。羽音《はおと》がうるさいんだよ」
ステラはうるさそうにいうと、頭をマントのフードでつつむようにした。
チャムは羽根をとめて、フワッと焚火のわきに着地した。
ステラは、木の根の上にバッグを置いて枕《まくら》がわりにし、身体全体をマントでつつんでいた。チャムにはそれが山のように見えた。
「…………?」
ドロだらけのステラのブーツが、ゴソリと動いた。
そこには風も吹きこまず、焚火のほんのりとした暖かさがここちよかった。
「…………!?」
チャムは、焚火のわきに置いてあるカップからただよう匂《にお》いに、そのなかをのぞいてみた。おいしそうだった。
「…………」
人の食べ残しを口にする羞恥心《しゅうちしん》はフェラリオのチャムにはなかったし、中味がすくなくなって、カップはチャムに扱いやすい重さになっていた。
「あの、このスープ、下さい」
誘惑に負けたチャムは、ステラを見上げておそるおそる尋ねてみた。
「うるさいね……」
半分、寝ぼけているような声がした。
「いただきます」
チャムはカップを抱くようにしてステラの気配をうかがったが、マントの山はコソとも動かなかった。
チャムは、コモン人用のカップを上体全部でささえて持ち上げ、冷えはじめているスープを口に流しこんだ。
ぬるい、ねっとりしたスープは、滋養になるし、美味《びみ》でもある。
「フッ、ハッ……! おいしい!」
ひとり感嘆すると再度、銅製のカップを口許《くちもと》によせて、また飲んだ。
「……ングッ……!」
一息つけた、とチャムは思った。
身体も芯《しん》から暖まって、元気が出てきそうだった。さいごの一口をもらってしまおうとカップの縁《へり》に口をつけたときだった。
「このっ!」
声よりも先に、羽根が掴《つか》まれていた。
「アッ……!?」
カップがドサッと焚火のわきに落ち、最後のスープがこぼれてジュンと音をたてて灰が舞った。
「あたしの残り物に手をつけるとは、度胸のいいフェラリオだ」
ステラは押し殺した声で叱《しか》りつけた。
「断った。食べていいかって、きいたでしょ!」
チャムの声のほうが大きかった。
「黙れっ!」
女の手がチャムの小さな身体を挟《はさ》むようにしたので、チャムは身体が潰《つぷ》れるのではないかと思った。
「ゲヘッ! 助けてよーっ!」
チャムの大声にステラの手がとまった。
「バカッ! 静かにしなっていったろうがっ!」
「だったら放して、死んじゃう!」
チャムのキーキー声に、ステラは辟易《へきえき》して力をゆるめた。
「……チッ! 一気に潰さないとギャアギャアわめくのかい?」
「そういう覚悟よ」
チャムは、焚火をあいだにしてステラの反対側に飛びおりると、クシャクシャになった羽根をピンと張るために、背中の神経に力をいれながら、両手で羽根の端をなぞるようにこすった。
「……こんなところで、なにやってんだい?」
ステラは、マントの前をかきあわせながら、訊《き》いた。
「なにって……迷っちゃったんです」
「フェラリオがかい? フン、阿呆《あほう》なこった……」
「あたしにだって、いろいろ事情はあります。そうでなければ、こんなとこに、あたしのようなフェラリオがいますか?」
「…………!?」
ステラはチャムの理路整然とした物言いに、どういう種類のフェラリオかと興味をもったようだ。
目をしばたいてから、
「どこから、コモン界にきたんだ? どこにいたんだい?」
今度はチャムが警戒した。けれども、敵ではないとわかっていたので、
「クスタンガの嵐の壁に巻きこまれて、気がついたらラース・ワウにいたり……」
「ラース・ワウに? わからないね。そんなのが、なんでこんなところにいるんだ?」
「なんでって……ホラ、オーラ・マシーンっていうのあるでしょ? あたし、あれに隠れて遊んでいたりしたら、こんなところに出てきちゃったんだ」
これはウソではない。
「……ヘン、そういうことかい……間抜けで、意地汚いところは、トロゥと同じだねえ」
ステラは、焚火に息を吹きかけて、火をおこしながらそういった。
「本当に断ったんだよ、スープ食べるの。ごちそうさま。元気が出てきそうで、とっても嬉しいわ」
「フン、口がたつんだね?……フーッ!」
ステラはチラッとチャムを一瞥《いちべつ》しただけで、焚火の火を大きくすることに集中した。
チャムは、一方で焚火をしながら、一方では人の目を気にするという、どこかチグハグなものが感じられるステラに、どういう種類の女性なのだろうかとちょっと考えこんでしまった。
「…………」
チャムはあたりにある枯枝を集めだした。腕いっぱいになると、ステラが手にした枝が飛んでこないかと警戒しながら焚火の方にはこんだ。
「ウンショ……」
さいわい、チャムが差し出した枯枝に火がつくまで、ステラは何もいわなかった。
焚火を睨《にら》んでいるステラの瞳は、チャムにはうつろなものに見えた。
「ン……」
火が大きくなり、ステラがうなずいてくれた。
勇気を得たチャムは、さらに数本の枯枝をあつめて、焚火のほうにはこんだ。
「……ラース・ワウにいたフェラリオが、なんでこんなところにいるんだ?」
ステラがまた同じことをきいた。
「いったでしょ? オーラバトラーに乗るのが好きで、隠れていたらここに来ちゃったって……」
「ああ……アの国にいたっていうのは、言い逃れだろう?」
「ちがいますよ。ドレイク・ルフトさまが王さまの国で、ラース・ワウのお城の上はよく飛んだもの」
「そんなことは、誰でも知っている」
「アリサさまとかリムルさまという姫さまだっている」
チャムは警戒して誰でも知っているような名前をあげたつもりなのだが、知りすぎている人の名前をふつうにいうのは、とても難しいことだと感じた。
「そんなのも、誰でも知っている」
ステラは愛想がなかった。また、マントのあいだから手を出し、焚火を大きくするのに精を出していた。
「……バーン・バニングスなんて立派な騎士がいるのも知っているし、ジョクって地上人の騎士がいたことも……」
ムッとしてしゃべってしまって、チャムはあわてて口をつぐんだ。焚火はかなり大きな炎をあげるようになっていた。
「バーン? 見たことがあるのかい? その騎士さんを?」
炎に顔を赤く染めたステラの瞳が、キラリと輝いた。
「あ、あれ、バーンだったんだ!」
チャムは、ステラがどういうつもりでそんな風にきいてきたのだろうと怪しむ間もなく、そう口にしていた。
チャムが今しがた逃げ出してきた艦で声をきき、その紫がかった長い総髪の後ろ姿を見て、どこかできいたことがある、見たことがある、と気になりながら思いだせなかった騎士とバーンという名が直結したからだ。
こういうところが、チャムのうかつなところだった。
「なんだと!? バーンのいる処を知っているのか?」
声とともにステラの上体が、チャムのほうにのしかかるように乗りだしてきたので、チャムはあわてて身をひいた。
「バーンと声が似ている、バーンかも知れないって、そういうことなんです。後ろ姿を見たときには、誰だかわからなかったのが、いま、わかったんだよ」
「どこで見たんだ? その口ぶりでは、ラース・ワウのことではないな?」
ステラの迫力に、チャムはパッと羽根をふるわせた。
「行かないでくれ。教えろ。騎士バーンをどこで見たのか、いつ見たのか……!」
「あんた……どうしたの!? どういうのさ」
必死の形相《ぎょうそう》が鬼のようになってしまったステラに、チャムはチャムでなにか異常なものを感じた。だが、その場から逃げ出してしまうという踏んぎりもつかなかった。
ステラの手がとどかない高度に滞空しながら、彼女の必死さの底に、なにか悲しい色があることに気づいたのである。
「あたしはステラっていってね、ラース・ワウで商売をしていたんだよ。それで、バーンという騎士は知っているのさ。どこで見たんだい?」
「ああ……バーンを知っている……?」
「いつ見たんだい?」
「いまさっき、といっても、だいぶ経つよ……」
チャムはまたステラに掴まれるのが厭《いや》だったので、距離はたもちながら、逃げ出してきた艦のオーラバトラー・デッキできいた声のことと、パイロットの後ろ姿のことなどを説明した。
「……これさ、食べな。まだ食べられんだろう?」
チャムが記憶をたどりながらしゃべっているあいだに、ステラは乾燥させた巴旦杏《はたんきょう》の実をさしだしてくれた。
「……すみません……」
チャムは遠慮せずにその実を口にいれた。甘酸っぱくてスープの口直しとしては申しぶんなかった。
「……姿からすれば、騎士バーンだね……」
「でもオーラ・マシーンに乗っていってしまったから、その、あたしが逃げ出した艦《ふね》には、もういないと思うな。足がニョロニョロある機械に乗っていったんだよ」
「ドーメとかいう機械かい?」
「ちがうよ。ドーメより大きいし、もっと怖そうなの……」
チャムは、口のなかでゴロゴロする巴旦杏の種をひとつずつ、プップッと炎のなかに飛ばしていたが、それがおわると立ちあがった。もっと薪《たきぎ》がいると思ったのである。
「行っていいとはいってない」
「もっと薪をくべないと、消えちゃうよ」
「ああ……」
ステラが簡単に手をひっこめたので、チャムは暗がりのほうに行って枯枝を集めながら、ステラのほうをうかがって、バーンを知っている女とならすこしいっしょにいたほうがいいかもしれないと思った。
『……ちょっと考える間っていうのは、こうやって手にいれないといけないんだな……』
それにしてもなんでこうなったんだろう、とチャムは思った。
『……おばあさんが助けてくれたのかな?』
ジャコバ・アオンのことである。
ジョクが地上からのオーラ・ロードにのったときに、コモン界にはいる直前でまぎれこんだ別の界、ウォ・ランドンで会ったチャムたちフェラリオの長《おさ》にあたる老婆のことである。
ジョクとジャコバ・アオンは、いろいろな事を話し合ったらしかった。
その上、ジャコバは、ジョクがあやつるオーラバトラー、カットグラが使う剣までくれたのである。
ジャコバは、界を異にしながらも、ジョクとカットグラとチャムのことを考えつづけてくれているのだ。
だから、よほどのことが起れば助けてくれるのではないか、とチャムが思ってしまうのは当然であろう。
しかし、おばあさんがこちらの都合の良い時だけ助けてくれる人でないことは、チャムにもわかっていた。
理由はよくわからない。
が、大人というのはたいていそういうものだ、とチャムは理解していた。
その意味でいえば、チャムたちミ・フェラリオのお姉さんにあたるエ・フェラリオたちは、大人の形こそしているものの、なにをすることもなく毎日暮していて、およそ年上の思慮のある人たちにはみえなかった。
実際は知らないのだが、コモン人たちからきかされるお姉さんたちは、ただの色狂いで、男を漁《あさ》る妙な魔法をつかう女たちということになっていた。
人を助けることなどはしない。
だから、おばあさんだって、そんなものの代表かもしれないと思うこともあるのだが、それでも、ジャコバおばあさんは、ジョクと難しい話をいっぱいしたのだから、おばあさんがチャムのことを心配していないということはないと思えるのだ。
今夜の経緯は、そうでも考えなければ、あまりにもチャムにとって都合よくできすぎているように思えた。
腕いっぱいに抱えられるだけの枝をあつめると、チャムはそれを引きずるようにして焚火のほうにむかった。
「……おうっと!? 冗談じゃあねぇやね。火があれば、商売やっているんじゃねえかって思うじゃねぇか」
「だったら、蓑虫《みのむし》みてえに、そこらの暗がりにぶらさがっていてくれや」
男たちの声に、チャムはドキッとしてステラのほうをうかがった。
枯草が陰になってくれていたので、チャムは男たちには気づかれなかった。
「ここに着いたばかりなんだよ。あすには、そのあたりの店で顔見せするから、来ておくれでないか」
口調はおだやかだが、ステラの態度は裏腹で、胸の前で細身のナイフを光らせて、全身から殺気をはなっていた。
それは、チャムにも感じられるような力強いものだった。
「…………!?」
どういう種類の女なんだろう、とチャムはおぞけをふるい、枯枝を抱え直した。
「わかったよ。気持ち良くなる前に、ナイフを突っこまれちゃあ、男が台無しになるってもんだ」
「なんて名前で出るんだよ?」
「いいからっ!」
図々《ずうずう》しくそんなことをきく男の腕を、一方の男がひいて、店筋のほうにとってかえした。
『いいか……』
チャムは、自分にたいする先ほどまでのステラの態度を信じて、枯枝を引きずり、焚火のかたわらに出ていった。
「大丈夫でした?」
「どうということはないさ」
ステラは殺気を消しながら、チャムの運んできた枯枝を焚火にくべていった。
「……あんたは、好きなんだろ? チンチン」
「ハッ?」
チャムには、想像もつかない言葉だった。
「ミ・フェラリオっていったって、コモン界にでてきた連中はハズレ者だからさ。男のチンチンの面倒をみる奴だっているのは知っているよ」
「あー、そういうんじゃないな。そういうのまだ知らない」
「いつ生れたんだい?」
「ついこのあいだだモン」
「フン、それじゃあねぇ……なんでだい?」
「なにが?」
「なんでお前みたいなのがコモン界にまぎれこんだんだい?」
「クスタンガの嵐の壁に巻かれたっていったよ」
「そうかい?……ごめんよ。悪いことをきいちまって……」
「いいですよ。フェラリオだから、すぐあたしだって助平になるんでしょ?」
「ハハハ……そりゃそうかもな。ガロウ・ランもフェラリオも同じだってからな」
「それは、絶対にちがいます。あたしはクスタンガのフェラリオなんです」
「ハハハ……」
チャムがあまりにも真剣に怒るので、ステラは笑った。が、すぐに、手を伸ばしてチャムの頭を撫《な》でると、
「行こうか?」
「どこに!?」
「お前さんが逃げ出した艦《ふね》にさ。あたしを連れて行くんだよ」
「……!? だって、疲れているから、ここで寝ていたんでしょ? 艦だって動いているかも知れないし、騎士バーンはいないよ」
「うるさいね。食べさせてやっただろう?」
「ちゃんとした食事じゃなかった」
「冗談いうんじゃない。行くよ。男が来ないうちにさ」
ステラは、身体をつつんでいたボロ布状のマントを改めてはおり、バッグを肩にかけると、火がついている枝を大きくひろげて、足で消していった。
「お前は、あたしのマントのフードに入って隠れるんだ。人に見られない方がいい」
「いいんですか?」
こういう誘いは、チャムたちフェラリオがもっとも警戒することだった。そういっておいて、ぶったり、唾をかけたりするコモン人はめずらしくないからだ。
「いいんだよ。兵隊はガラが悪いからね」
「はい……」
チャムはできることなら、ここで横になりたかったのだが、あきらめてステラの背中に垂れているフードに飛びこんでいった。
ステラの髪は垢臭《あかくさ》く、フードにも体臭がこもっていたが、そんなことはどこでも同じことなので、チャムは気にもしなかった。
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4 ミィゼナーのアリサ
スィーウィドーは、天と地をつなぐ柱、もしくは、天をささえる柱ともいわれている。
バイストン・ウェルのコモン界では、これまで誰一人として、スィーウィドーの海草に似た草が、天にいたっている部分を見たものはいなかったし、オーラ・マシーンが実用化の時代になった現在もその頂《いただ》きにいたったものはいない。
海草そのものに見えながらも、万を越える高度まで伸びるスィーウィドーは、コモン界の上に位置する界、ウォ・ランドンの最下層の界ワーラー・カーレーンにいたって花を咲かせていると考えられている。
もちろん、地上界であろうとコモン界であろうと、人の想像力は果てしないものであって、スィーウィドーは、ウォ・ランドンに行きつき、その界をささえる系として、ウォ・ランドンの底に網の目のように張りめぐらされているという説もあれば、ウォ・ランドンを抜けて、地上界にいたって拡散して、世界全体をおおう網の目、つまり、星々の界を形成するという説もある。
さらに、コモン界の地の下の界、ボッブ・レッスにいたるスィーウィドーの根は、トゥム、ネイザ・ラン、ノムという闇の世から精気をもらっているから、ガロウ・ランのような悪気を拡散させるものとも語られていたし、さらに、スィーウィドーは世界の上下に伸びているだけでなく、袋状になってバイストン・ウェルをつつんでいる、つまり、世界を毬《まり》のようなものにしているとも語られていた。
コモン界もスィーウィドーの地下茎の隙間にできているひとつの界でしかなく、コモン界のようなものが、スィーウィドーのあいだには無数にあるという説もあるのだ。
その説にしたがえば、地上界も地上界の外にある真の宇宙も、スィーウィドーの地下茎の隙間のひとつでしかなく、コモン界ではひとつの実体のあるものとして現れているスィーウィドーも、他の世界では、実体のあるものとして顕現しているのではなく、世界を成立させる存在そのものである、というような論もまことしやかに語られていた。
このスィーウィドーに関する考えかたは、コモン界では、時代により地域によって、かなり異なっているのである。
ともあれ、コモン界のスィーウィドーは、人びとの探求心と好奇心をたえず刺激するものとして存在していた。
だから、コモン人には、この森に住むとか利用するという発想は皆無である。
この森に踏みこんでいってもどった者はいないとされ、ましてや、その頂点を確かめようと登攣《とうはん》していってもどったものなど、皆無であるという。
そのスィーウィドーの巨大でおどろおどろしい壁のような景観も、いまは夜の闇にまぎれ識別することはできない。
が、その存在は空気がおしえてくれた。
ズズズズ……
大地を数百頭の象の皮をひろげて引きずっている音とでもいおうか。
あるいは、重い波の音、と表現できなくもない。
しかし、その音響には波のようなうねりはなく、ひらったく、ときには無音になることもあった。
その音が、空気全体を押すようにせまっては、一方に拡散して、挙句《あげく》のはてに空気を逆流させたりもする。
風がなくとも、スィーウィドーの長大な海草たちのゆらめきが起す波動は、間断なく周囲の空気をゆるがしていた。
ミィゼナーは、スィーウィドーの波動の圧力をうけないように、カラカラの山塊《さんかい》の北の谷間に、その脆弱《ぜいじゃく》そうにみえるシルエットを沈めていた。
「発信していいぞ」
「はいっ!」
メトー・ライランは張りのある明るい質《たち》の声で応答すると、すぐさまリズミカルに電鍵《でんけん》を打ちはじめた。
「来ます! 七時の方向!」
伝声管からの女性の声は、キーン・キッスのものだ。
「よし! 灯火用意! ギリギリでつける。どこに敵の目があるか知れないからな!」
外の闇とおなじように暗いブリッジで、ニー・ギブンの怒声があがった。
「ちゃんと来ているの?」
「こちらの電波を目印にしていればね」
マーベル・フローズンの声のわきで、メトー・ライランの多少皮肉っぽい声がした。
「どういうこと?」
マーベルの不安げな声。
「あーっ! 近すぎるわ!」
上ずったキーン・キッスの声が、伝声管からはじけた。
「なに!? あのバカ艦《ふね》がっ!」
ニーのひきつったような声が、ブリッジの前でした。
突然だった。
ブルルッオ……という低く重いオーラ・シップの接近する音が、ミィゼナーのブリッジを襲った。
「切られます!」
キーンの声だ。
「風船ははずせっ!」
「むりですよ! 遅いわ! ワイヤーが見えません」
キーンの声と同時に、ザリザリとなにかが艦体とこすれるような音がしたかと思うと、ビンッと金属がはじける音がつづいた。
かすかにブリッジに震動が走った。
「風船のワイヤーを切りやがった! ソトロウ! 火をつけろ!」
空は曇っていて燐光《りんこう》も見えない。頭上から接近する艦の影を識別することができなかったのだ。
だからこそ、ミィゼナーは、風船にアンテナをつけて上げて電波を発信して、接近する艦に位置を報せていたのである。
しかし、電波の発信距離を正確に読みとる無線機ではなかったから、艦同士の距離を特定するのはむずかしく、谷底に停泊するミィゼナーには、その艦の接近する音もきこえなかったので、警告を出すことができなかったのだ。
だが、さいわいなことに、ミィゼナーのもっとも高いマストでも、前後左右の崖《がけ》よりは低かったために、倒されることはなかった。
ミィゼナーはあわてて左舷《さげん》に数個の電灯と松明を灯《とも》して、その所在を頭上にながれる艦に報せた。
「……確認してくれました」
「よし、無線封鎖だ……あの艦が谷に降りたところで移動する。手信号用意!」
「はいっ!」
マストから降りてきたキーンは、舷側に灯されたかすかな光のなかで、懐中電灯を捜し出し、それをメトーにわたした。
「これで点滅信号ね。やったことあるわよね?」
「ええ……暗号でなくっていいのよね?」
「そうだ。これからが面倒だぞ。総員、監視!」
ニーが少女たちの会話にわりこんできた。その視線は、ミィゼナーの前方に降下しはじめた艦のほうにむけられていた。
ミィゼナーと接触しようとしたラウの補給艦メラガラウが谷間《たにあい》にしずむと、両艦は、その谷をゆったりと南下したのち、ようやく舷を接した。
もし谷に沈んだポイントを敵に目撃されていれば、敵の初弾をうけることになろう。それをさけるための行動であった。
「ご苦労であります。我がミィゼナーにかくも迅速《じんそく》な補給のお手配、感謝いたします。メイザーム! 総員で物資搬入急げっ。明り洩《も》れは最小限度にしろ!」
ニーは、型どおりの挨拶《あいさつ》をする間も惜しんで、オーラバトラー・デッキに待機していたすべての兵員に号令をかけた。
それに応じて、マーベル・フローズン以下、陸戦隊のムーラン・ソーの部隊までが整備クルーに負けじとクレーンの操作にかかり、メラガラウの舷側に飛び移っていった。
「騎士ソトロウは駄目です。あなたは自分とガン・ルームに来ていただきたい」
ニーは、最年長のパイロットのソトロウ・レストラーマまでが、メラガラウに駆け出して行こうとするのを制止した。
「なんでだ?」
「メラガラウの士官たちと協議があります。騎士ムーランにも同席していただかなければなりません。彼はどこに行きました?」
「わかった。呼んで来る。メラガラウに上ってしまったようだ」
「頼みます。ガン・ルームです」
「了解だ」
見るからに屈強そうな体躯《たいく》のソトロウは、身軽に渡り板の方に走っていった。
「あれがミの国の噂《うわさ》の騎士、ソトロウか?」
「はい、聖戦士のよき協力者であります」
「まるで海賊でありますな」
「は?」
「勢いがですよ。艦ぐるみで戦っているという気迫がじゅうぶんに伝わってきます」
「必死なのです。ラウのために自分たちは何ができるのか、滅ぼされたミの国の怨念《おんねん》をいかに晴すかという宿命を背負っておりますから……」
若いラウの士官たちに説明しながら、ニーは多少自責の念にかられた。ミの国の騎士たちほどの覇気《はき》が自分にあるのかと疑ったのである。
「そうでありましょう。その気迫がなけれぼ、アの国の軍から脱出して戦いつづけることはできますまい。艦長、この救急医療用品は、どこに置けばいいのか?」
フォイゾン・ゴウの乗艦ハンラウゴから来たと自己紹介した士官キャンア・ゾラが、四人のうちで最も若い士官が抱えている箱をしめした。
「医薬品で?」
「ああ……」
「自分がもちましょう。ガン・ルームに運ぶしかないのです」
「ガン・ルーム? ほう……上りましょう。しかし、荷は騎士タルレに持たせます。機械の時代になったのです。騎士だ騎士だと自惚《うぬぽ》れていては、時代に負けるとおしえているのです。な、そうだな? 騎士タルレ?」
「ハッ!」
ダンボール箱をもたされた若い騎士は、何とも答えようがないらしく、釈然としない様子で型どおりの返答をした。ニーは、その若い騎士の表情に内心苦笑しながら、彼等をガン・ルームに案内した。
意識改革は口でいうほどやさしいことではない。
一生かかってもできない場合のほうが多いのだ。
「敵艦艇は、いつ動き出すとギブン艦長はお考えでしょう?」
「……ウィル・ウィプスの補給次第でしょう。アの国もまだ巨大戦艦の運用にはなれていないようでありますから……あと三日か四日といったところでしょう」
ニーは、ガン・ルームのドアをひらいて、メラガラウの士官たちを招じいれた。
「はっきりなさっていますな?」
「むしろ、お国の艦艇の動きがよくわかりませんので、いつうって出てよいか判断に苦しんでおります」
「成程……」
「あ、すぐ出ます」
誰もいないと見えたガン・ルームの奥で声がしたので、ニーもラウの士官たちも、ギョッとしてそちらを見た。
アリサ・ルフトが、部屋の中央にあるテーブルのむこうから立ちあがった。
「アリサさま……?」
「アリサ? アリサ・ルフトさま……?」
「はい、現在、この艦で看護を主務にして、雑役をいろいろとやってもらっています」
アリサが、父ドレイク・ルフトのおさめるミの国を脱出して敵国ラウに身を寄せている事情を知っているラウの士官たちは、ニーの率直な説明に、驚きと納得をないまぜにした表情をみせた。
「……まだ済んでいなかったのか?」
「申し訳ありません。意外と消耗がはげしくって、配分がむずかしいのです」
アリサは、足下の床を見下していった。
「騎士タルレ、運んでいただいたその救急物資をアリサにわたしてやって下さい。彼女は、その配分をやっていまして……」
ニーはいいにくそうに、アリサをひとりの兵士としてあつかう言葉遣いをした。
「ハッ……!」
騎士タルレは、取り散らかっている床に何度か足を取られそうになりながら、抱えていた箱をアリサのほうに運びこんでいった。
「アリサ・ルフトは、そのまま作業をつづけて……」
「はい、艦長……」
アリサにとっては意外な展開だったにちがいないが、彼女は鷹揚《おうよう》に答えて、騎士タルレが床においた箱の梱包《こんぽう》を解きにかかった。
「騎士キャンア、自分は、医療関係の品はここに運びこむよう指示しに降りてよろしいでしょうか?」
「そうしてくれ。ご苦労だ」
タルレは、アリサの手伝いができることが嬉しいという態度をあからさまに見せてガン・ルームを飛び出していった。
ニーとキャンア、それに二人のラウの国の士官は、苦笑してタルレを見送ると、テーブルの片隅を片付けて、地図をひろげた。
入れかわりにソトロウとムーランが入室してきた。
「まずは、フォイゾン・ゴウからのお礼の言葉をお伝えいたしたい」
キャンア・ゾラは、ミィゼナーを訪れたフォイゾン・ゴウの旗艦ハンラウゴが、スィーウィドーのゴラオン建造基地に戻る途中でドレイク軍のオーラバトラー部隊に襲われたときに、ミィゼナーのオーラバトラー部隊の支掩《しえん》によって助かったことについての礼をいった。
そして、ゴラオンに収容した聖戦士ジョクのその後の経過は安定しているとも語った。
「……重傷ではありませんが、医師団の見解によると、しばらくは安静になさるほうが良いということであります」
「丁重なご報告に感謝いたします。聖戦士の戦線復帰は、いつごろと考えればよろしいでしょうか?」
「フォイゾン王は後方に送ることもお考えのようですが、聖戦士殿がそれを拒否なさっておりますので、しばらくは、ゴラオンにご逗留《とうりゅう》ねがうことになりましょう」
「後方に……?」
「ご心配は無用であります。聖戦士殿からも、くれぐれもギブン艦長にそう伝えるようにということでありました。それに……」
「…………?」
「エレ・ゴウさまとリムルさまですか? お二人の姫さまにあらせられましても、聖戦士殿がいらっしゃるとご安心のようです」
「そうでありますか……」
ニーとしてはそう答えざるをえない。
実のところは、ジョクを引き取りに走りたいのだが、その衝動をこらえているのである。
ミィゼナーも、エレとリムルの気持ちとおなじなのだ。
ラウという他国の艦隊のなかにあって、前線の守りについているミィゼナーにとって、ジョクのような戦士は、たとえ負傷していてもいてくれるほうが心強いのだ。
まして、アリサにとっては、その思いはより深い。
彼女は、床の上で医療品の仕分け作業をしながら、ニーと士官たちの話に耳を澄ましていた。
しかし、ミィゼナーの立場としては、いまは艦同士の補給に関する業務引き継ぎと、艦隊の配置についてラウの艦隊の意向をきかなければならない。
「…………」
士官たちの話が軍務のことになったので、アリサはただ医薬品の仕分け作業に没頭するように努めた。
このように頭をおさえられて、質問ひとつできない立場は、なんと焦燥感をつのらせ、人をみじめにするものだろう。
アリサは実感する。
『こんなことで……!』
初めから承知していたことであるから、歯を食いしばってもこらえなければならないのだ。しかし、
『……もっともっと屈辱的なことだってあったし、不安になったこともあるのに……こんな何事もないふつうの情況のなかで、なんでこうも空《むな》しくなるのか……』
手と目は仕事をしていながら、頭のなかではそんな言葉が渦巻いていた。
ジョクとの生活で市井《しせい》の暮しぶりになれたアリサは、父の急進的な覇権《はけん》主義に抗議をして国を裏切ったのである。
それは、身体的には苛酷《かこく》なことではなかったが、心理的には思った以上の苦痛があった。だから、その経験をとおしてアリサは、自立していく覚悟と自信を手にいれたはずであった。
しかし、いまこのとき、戦闘のないしずかな時間のなかで、その自信と覚悟が、ゆるやかに瓦解《がかい》していくのをアリサは感じていた。
『……ジョクがいてくれればいいのに……そのジョクの、わたしの夫であるはずの人の容態ひとつ直接にきけないというだけで……こうも脆《もろ》くなるものか……』
アリサは痛切な思いに溜息《ためいき》もつけなかった。
アリサは、ただ黙々と、目の前にある箱から紙袋を取りだしてそれを並べ、数量を確認して、それぞれの救急箱に仕分けていった。
が、そんなことではすこしの慰めにも気晴しにもならなかった。
「これが補給品のリストです。ドウミーロックの修理部品は、まるまる一機分しかわけられませんが、艦用の砲弾はじゅうぶんすぎるほどです。搭載する余地はありますかな?」
補給艦の士官の底抜けに明るい声は、アリサの耳に障《さわ》った。
「半分しか受けいれられないでしょう。ミィゼナーの格納スペースは、お国の同型艦ほどではありませんから」
「それでも戦果がよろしいというのは、砲撃手の能力の問題ですか?」
「そういうことになりましょうな」
ニーもソトロウもムーランも闊達《かったつ》をよそおっている。その声音《こわね》がますますアリサの心を重くした。
騎士タルレが、部下の兵たちとさきほどに数倍する医療品をガン・ルームに運びこんできた。アリサは一兵士として元気をよそおって礼を述べた。
ニーたちの協議がまた深刻なものになったのは、今後の軍の作戦についての意見交換になったからだが、アリサは、地図をなかにした、そんな細かな軍事のことなどに興味はなかった。
『なんでここにジョクがいないんだろう……』
アリサの気持ちは、その言葉に集約された。
これでは、アの国を出てきた意味がない。
ふたりして、夢をみられると思ったまちがい、とはっきり自覚できるようになったことが、心を重くしていくのだった。
医療品の仕分けがおわった。
アリサは、ころあいをみて立ち上った。
「これを配ってまいります」
「頼みます。ご苦労です」
ニーは、目上の者にたいする言葉遣いをしたが、そのことを非難したりする者はいなかった。
十にちかい救急箱を抱えたアリサは、騎士タルレにドアをあけてもらって、ガン・ルームを出ていった。
ガン・ルームの片付けは、彼等が帰ってからやらなければならないと思いながら……
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5 ジョクの薫り
アリサは、上部デッキの各所に救急箱を届けに行ったが、兵員はすべて物資搬入に駆り出されていて誰もいなかった。
アリサは、最後の救急箱をオープン・デッキに面した最上部のデッキに届けようとタラップを上った。そのとき、ジョクの気配を感じたような気がした。
『……なに?』
その唐突に感じられた『知っているもの』の気配が足下から突きあげてきて、アリサはオーラバトラー・デッキを見下した。
「ジョク!?」
思わず声にして、デッキに面したハンドレールから大きく身を乗り出した。左右に人がいたら怪しまれたにちがいない。
ジョクの体臭を感じたのは、カットグラがデッキに搬入されていたからだ。
一瞬そう理解し、同時に、これはちがう、とも感じた。
補給艦が接舷しているデッキの上で、まわれ右をしたカットグラらしくみえる機体の装甲は真新しく、顔もちょっと違うように見えた。アリサはハンドレールから身をひいた。
「……補充用のカットグラ!? なんでだろう?」
ジョクのカットグラと似ているその機体に、アリサがジョクの体臭を感じたのは、まちがいがない。
ジョクが気持ちよくアリサに全身を開いているときに見せる、パアッとしたおおらかさのようなものが感じられたのだ。そんなとき、アリサもまた同じように、そこぬけにおおらかに肉だけの感性のなかに心をしずめていけたものだ。
あのときの、暖かさとやわらかさと、に・お・い……。
それを感じて、心というよりも、身体の芯がザワッとゆれたのである。
「…………」
だが、見下した機体の外見はこざっぱりとして、どこかよそよそしかった。アリサは小鼻をふくらませるようにして、不愉快だ、と思った。
「まだ整備が残っているんです! ここはまずいでしょう!」
カットグラの足下で、整備兵が怒鳴っている。
ミィゼナーの要員ではなかった。
「なんだと!? 直しきらないで、ここに運びこんだのか!」
キムッチ・マハをはじめとするミィゼナーの整備兵たちから怒声《どせい》があがった。
アリサは、自分の思いちがいに腹立ちをおぼえながら、救急箱をデッキ・クルーの備品入れにおしこんだ。
「ともかく動けるようにしてやったのは、我々の善意であったと理解してもらわないと、ここまで運んだ甲斐《かい》がないというものです」
「任務と善意をゴッチャにするな!」
若い上に軍の組織の末端にいる兵たちは、ラウの兵たちにたいしても、気楽というか遠慮がなかった。
ミの国が滅んで勝手にラウの軍隊の中に割り込んでいったミィゼナーの立場など、整備兵も甲板要員も感じていないのだ。ラウの軍人たちにたいしても、ミィゼナーのクルー同士のように、家庭的な言動、規律や身分にこだわらないルーズさで応じているのである。
そんなことではラウの兵士たちに嫌われてしまう、とアリサは心配になって、もう一度、デッキを見下した。
フォイゾン王が訪れてくれたことが、ミィゼナーの兵員たちの自尊心を高くしているのはわかるのだが、ラウの軍人たちとの兵同士のつきあいも大切にしてもらいたいのだ。
厳格に育てられたアリサは、彼等のやりとりをきいていると、気がもめてしまう。
母アリシアからアリサがおそわったことは、王族であっても、多少ガサツな生き方をする庶民の邪魔をしてはならないということであった。その上で、今日という日をカスカスで生きながらも、明日も生きたいと必死になっている庶民に、ときには、一年後、十年後、あるいは死ぬまでの目標を持てるようにしてやるのが王族の務めである、ともおしえられた。
簡単にいえば、ガサツな庶民の心を鼓舞し励まして善き方向に導いてやらなければならない、ということだ。
しかし、アリサは、アリシアの教えを、今の父王ドレイクの下で実践する気にはなれなかったのである。
そんな思いも、アリサにジョクの後を追わせた理由のひとつであった。
『まずいなぁ……』
ジョクの体臭からはじまって、思わぬ方向に連想がはたらいてしまった自分の落ちこみようは、自覚しているよりずっとひどいものらしい……。
アリサは唇を噛んだ。
先ほどガン・ルームを逃げるように出てきたのは、こんなつらい思いから逃れるためだったはずなのに、また同じような思いにとらわれてしまったのだ。
結局、兵たちのことには、頭がまわらないのである。
「……アリサさま、こんなところで……?」
ミハン・カームが、自機のコックピットから乗り出すようにして、アリサを見上げた。
「ああ、救急箱の配布をおわったところです」
「ご苦労さまであります。姫さまにそんなことまでやっていただき……」
「わたしは、ここでは一兵卒です。あのカットグラ、どういうのです?」
「たいしたものですよ。ジョクが使っていた機体を、ラウの兵器|工廠《こうしょう》が突貫工事で全面的に補修してくれたんです」
「ああ、そう……それは凄《すご》いことですね」
アリサは、ミハン・カームに自分の気持ちを見抜かれないように明るく応対した。
今しがたジョクの体臭を感じたのは、自分の錯覚ではなかったのだ。
カットグラは、オーラバトラーである。
アの国から脱出していらい、ジョクが使いこんだ機体には、ジョクの生体力《オーラちから》が封じこめられているはずなのだ。
カットグラの駆動索のマッスルは、ジョクの意思に反応し、機体を駆動させるオーラ・エンジンもジョクの生体力に反応してきたのである。
つまり、ジョクの使いこんだ機体は、ジョクの感性の一部、ジョクの力の一部を内包しつづけているのである。死後、間もない肉体が、その死者の意思の反応を残存させているように……。
だから、そのカットグラが搬入されたときに、アリサがジョクの匂いを感知したのは、不思議なことではなかったとアリサは思いつけたのだ。
『でも、それにしても……』
アリサはまたしても過去に捉《とら》われている自分に気づいた。
「…………!!」
アリサは、自分のこだわりを忘れ去ることはできない。
ゴラオンで治療をうけているジョクが、好《よ》い方向にむかっていると信じてはいる。しかし、すぐにジョクがミィゼナーにもどったとしても、ガン・ルームで感じた寂寞感《せきばくかん》を払拭《ふっしょく》することはできないだろう。
あの寂寞感は、いまやアリサにとりついてしまっているのだ。
「駄目駄目、まだこれは使いものにならないから、こんな処においたら邪魔になるだけ。一番奥に入れ替えましょう!」
マーベル・フローズンが、そのカットグラのハッチから顔を出して、上下にいる整備兵に叫んだ。
「ぜんぶ入れ替えですか!?」
「戦闘には邪魔になるでしょ。この機体の整備は、ハマンサ部隊に任せましょう」
ラウの整備部隊が、カットグラの補修の面倒をみてくれ、今後も、ミィゼナーに配属されて最終整備まですることになっている。
「そうして下さい。こっちだってまだ死にたくないから、活躍できるオーラバトラーの邪魔はしたくない!」
カットグラの足下に立った数人の整備兵たちが、ミィゼナーのクルーに命令するように叫んだ。
「冗談じゃないぜ! これだけ取り散らかしておいて……!」
「ミハン、オーラバトラーで荷物の片付けを手伝ってやればいいでしょう?」
オーラバトラー・デッキの騒動を見下したアリサは、自機のコックピットのなかでモソモソやっているミハン・カームにいった。
「はい! そのつもりでありますが、狭いところの片付けなんて、ドウミーロックは苦手なんです」
「命令です。ラウの整備兵の機嫌をとっておかないと、困るのはあなたたちパイロットなのでしょ?」
「ハッ!」
アリサの微苦笑をみせた命令に、ミハンは軽い敬礼をするとコックピットにすわった。
そのとき、アリサは思い出した。
アリシアのもうひとつのおしえを。
実践して範を示すのも王族の役目なのだ、と。
ならば、自分は、いつまでもジョクのそばにいて、ミィゼナーのクルーとして、楽をしていてはいけないのではないか、とアリサは思ったのだ。
アリサはガン・ルームにもどろうとタラップのほうに足を踏みだした。そこへ、ムーラン・ソーに先導されて、補給艦の士官とハンラウゴの四人の士官が駆け下りてきた。
「姫さまのご武運も我等に!」
彼等は次々にアリサに挨拶をして、中央デッキにおりていった。その様子から、ガン・ルームでの話し合いはうまくいったにちがいない、とアリサは推察した。
「…………?」
アリサも兵らしく几帳面《きちょうめん》に敬礼をかえしたが、ニーたちは見送りに出なくて良いのだろうかと気になって、ガン・ルームのデッキに上っていった。
ニーとソトロウが、ガン・ルームにひっこむところだった。
「よろしかったのですか?」
「はい。アリサさまのお仕事の邪魔をいたして、申し訳ありませんでした」
「いえ、そのことではなくて、ラウの士官たちのことです」
「彼等は、まだこの艦を偵察したいらしいのです」
「ああ……!」
アリサは、ニーの開けっぴろげな反応に、なんとなく了解した。
緊張を強いられるミィゼナーにあっては、艦長は大きくおおらかであって欲しい。そうでなければ、つきあうクルーが参ってしまうだろう。
いまのニーには、そんな良い意味での茫洋《ぼうよう》としたところがあった。
テーブルの上の地図をかたづけると、ソトロウは、茶の用意をはじめた。
「……明日《あす》、自分はゴラオンに参ります。作戦会議に呼ばれました。アリサさまもいらっしゃいますな?」
ニーはアリサに椅子《いす》をすすめながら訊いた。
「艦長のお許しをいただけるのでしたら、ぜひ……でも、大丈夫なのでしょうか?」
「戦況ですか?」
ポットを手にしたソトロウが、心配ないという顔をみせた。
「いましがたの彼等の説明で、聖戦士殿がアの国の艦隊にあたえた打撃が、かなり大きなものであると判明しまして、驚いているところです」
「申し訳ありません。騎士ソトロウ、わたくしがやりましょう?」
ソトロウが茶をいれだしたので、アリサは腰をうかせた。
「いや、兵共《へいども》がおりませんから、昔どおりにさせて下さい」
ソトロウは逆に恐縮して、ポットから茶をこぼしそうになった。
「さすが、粗茶《そちゃ》でございますが、という言葉はでなかったな?」
ニーが笑った。
「ありがとうございます」
アリサは、ソトロウが無骨な手でつまむようにして差しだしてくれたカップに、頭を下げた。
「……フォイゾン王がここにいらっしゃったときの、騎士ソトロウと騎士ムーランの態度を見て、自分は決心したのです」
「はい?」
アリサはカップを手にして、ニーを見やった。
「お恥かしい……」
カップをにらむようにして、ソトロウがうめいた。
「なにをおっしゃる。騎士のあの態度で、自分は艦長として決心したのです」
「なにをです?」
「姫さまがおっしゃった、ラウの士官たちに対する自分の態度のことです」
「ああ……!」
アリサは、やはり口のききかたには気をつけなければならない、と思う。デッキでアリサが問うたことを、ニーは気にしているからだ。
「自分は彼等に、ミィゼナーでは無礼講《ぶれいこう》でやっているといってしまいまして、彼等に、軍律がとれないのでは困るといわれましたが、ま、きさくな騎士たちです。わかってもらえました」
「そう、それで良いでしょう、ミィゼナーは……」
アリサは、安心をした。ニーの言葉に、本当の意味での覚悟が感じられて嬉しかったのだ。
そうでなければ、アリサがみじめになるのだ。
ミィゼナーは、アリサの父ドレイクがつくらせた艦である。しかし、この艦が存在したからこそ、また、この艦の気風が格式ばらず自由であったからこそ、アリサは国を離反し、この艦に今日までの運命を託すことになったのである。
だからこそ、ミィゼナーが毅然《きぜん》としていてくれなければ、アリサは自分の行為まで踏みにじられるような気になってしまうのである。
それでは、さきほどこのガン・ルームで感じた空しさを通り越して惨《みじ》めになろう。
「ミィゼナーは、この国にとっては他所者《よそもの》の集団ですから、ラウの軍との折合いをつけるのは、ま、艦長としては最重要な課題でして……」
「……そうでしょうね? ニーは、生真面目《きまじめ》ですから……」
「はい、しかし、無礼講でやっていては、戦争はやれまいという不安はあったのです」
「それが、騎士ソトロウと騎士ムーランの涙を見て、ふっ切れたということですね?」
「はい……心情さえ真摯《しんし》であるなら、他人の顔色をうかがうようなことをしなくても、相手も理解してくれると教えられました……そんなことに気をまわすより、戦いに勝つことに神経を集中させよう……と、こうです」
「騎士ソトロウ……よろしいのですよね?」
「無論です。八方美人のつきあいは平時の政治の場でやればよろしい……ま、持論でありますが……」
ソトロウは苦笑した。
「でも、ニーにはよぶんな苦労をかけているようですね? わたくしやリムル、この国にとっては、敵国の王家の者がついてきてしまったのですから」
「いや、お二人は、自分たちにとって苦労ではありません。むしろ力になっております」
「ありがとう。そういっていただければ……当てつけで申すのではないのですが、わたしたちが人質になることで、みなさま方が戦いやすくなるなら、それでも良いのですよ」
「いや……一面ではそうでありましょうが、それだけのことではありません」
「というよりも、現代ではアリサさまのお考えは古風でありますな」
ニーの答えにくそうな声をうけて、ソトロウがいった。
「古風?」
「はい、失礼ながら、今の大戦は、姫さまおひとり、おふたりの質《しち》でカタがつくものではありませんので……」
ソトロウの言葉は、最後のほうが消えるように小さくなった。
「おっしゃっている意味はわかります。その意味でいえば、昔だって、高貴な者の人質としての価値は、一見高いようであっても、戦局を左右するほどのものではありませんでした」
「ハッ……!」
ニーもソトロウもそろって頭を下げてしまった。
そのタイミングにあわせるように、ドアがノックされて、
「ムーランです。入ります」
「入れ!」
頭をあげながら、ニーが型通りに答えた。
「どうでした?」
「連中、少し放っておいてくれということでしたので……」
ムーラン・ソーは苦笑しながら、医療品の山をどけてテーブルにすわった。ソトロウはムーランの前にもカップをおいてやった。
「痛みいります。騎士ソトロウ」
「故郷《くに》にもどれたら、この借りはかえしてもらうぞ」
「いや、これは高いお茶になりそうでありますな」
ニーは伝声管を使って、補給艦に動きがあったら報せるようにブリッジに命令した。
「でも、難しい位置にいるようですね、ミィゼナーは?」
アリサは気が楽になって、口が軽くなった。自分のなかにうずまきはじめている決意をかためるために、周囲の情況を知っておきたいという思いもあって、饒舌《じょうぜつ》になったのであろう。
「……ご賢察のとおりです」
ソトロウは、先ほどここで協議したことを思い出したのか、天井を睨《にら》むようにしていった。
「ラウの艦隊の一翼を担《にな》う、ということに問題があると?」
「自由でなくなりますから……」
茶を喫《の》みながら、ニーはちょっと暗い表情をみせた。
アリサがいうとおり、ドレイクの娘がラウの軍の管轄下《かんかつか》にあれば人質である。人質を提供し、さらに、聖戦士を擁《よう》しているのであるから、ミィゼナーの存在は、ラウの艦隊のなかにあっても絶対的である。
短期決戦であれば、ミィゼナーが傲慢《ごうまん》にふるまっても、それもミィゼナーの力として、なんら問題にされないかもしれない。
しかし、この戦争の行く末のことは、誰にも予測がつかないのである。
軽挙妄動《けいきょもうどう》はつつしまなければならず、慎重すぎても戦いは乗り切れるものではない。
ニーは、ミィゼナーがいかなる行動を取るべきか、ひとつ見えないのである。
ニーをアの国から離反させたもうひとつの要因に、アの隣国のピネガン・ハンム家があった。ニーは、もともと精神的にミの国のピネガン王を次に恭順《きょうじゅん》すべき王と決めていた。
封建社会の枠組のなかにあっては、自分のよりどころとなる礎《いしずえ》があるというのは、人の思考と行動を単純化させる。ニーの場合がそうであった。
だから、ピネガン王がいなくなって、ニーは呆然《ぼうぜん》自失したのだ。が、ニーにとって幸いだったことに、戦闘状態が継続したために、精神的なダメージに押しつぶされている暇がなかったのである。
しかし、カラカラの山塊にいたって、ニーは拠《よ》るべきものを求めなければいけないと考えるようになった。
ラウの勢力下にはいったが、地縁のないフォイゾンを自分が恭順すべき王とはすなおに思えず、厳しさで定評のあるフォイゾン王にとりいる術《すぺ》など思いつきもしなかった。
古くからの騎士として矜恃《きょうじ》を高く保つということぐらいしかニーは思いつかなかったのである。
マーベル・フローズンという地上人に同調し、好奇心を満たしていればすむ時代もおわっていた。
そんなときに、間近で見たソトロウとムーランがフォイゾン王の前で号泣する姿と、彼等に見せたフォイゾンの鷹揚な態度、いやそれ以上に親和的な態度が、ニーに啓示をあたえたのである。
『厳格を旨《むね》とするフォイゾンにしてそうか……』
自らの誠心を賭《か》けていけば、恭順すべき者も、行くべき道も見つかるであろう、と納得したのである。
ドレイク・ルフトにも、オーラ・マシーンがアの国にあふれる前、アリシア王妃と慈《いつく》しみあっていた時代には、フォイゾンがみせたような大きさがあった。
しかし、ガロウ・ランの王ギィ・グッガを駆逐してからドレイクは豹変《ひょうへん》した。
そして、ニーはマーベルから教えられる地上界の歴史や事例と対照させて、ドレイクの治世に疑問をいだくようになっていった。
アリシア時代のドレイクを愛するからこそ、ドレイクの豹変は、激しい疑惑となってニーを苦しめたのである。
このドレイクの豹変については、ドレイクにギィ・グッガが憑《つ》いたという噂もあるし、オーラ・マシーンの開発とその威力がドレイクを増長させたという説もあった。
機械が、素朴な農業社会の構造を破壊し、近い将来、世界そのものをも破壊するだろう、という末世思想まで生れていた。
オーラ・マシーンが世界を構成するオーラを吸い尽くし、世界を縮小させて、世界という『界』そのものがなくなるというのである。
その原因についても、ガロウ・ランとコモン人《びと》の抗争の歴史から、まことしやかに解き明かすものもいた。
長年にわたるちがう界の者の抗争と混交が、世界の規律を乱すにもかかわらず、これをやめることを知らないコモン人とガロウ・ラン。
それに輪をかけて、その抗争をおもしろがるだけのフェラリオの跳梁《ちょうりょう》。
地上人がコモン界に現れて、オーラ・マシーンをしめしたのも、これら界の規律を正すためであったにもかかわらず、権力の一部に組み込まれてしまった。
この、いつまでもつづく騒乱が、地上人までも狂わせて、世界そのものを揺るがせているのである。これは、世の終りの徴候である、というのである。
このような情況では、いくらニーの胆《きも》がすわっても、現実の問題として、ミィゼナーの取るべき行動をそう簡単に選択できるものではない。
ハンラウゴから来た士官のキャンア・ゾラは、ミィゼナーの位置を全艦隊に報せよ、そして、ピネガン・ハンムの意思を体して今日まで生きのびたミィゼナーは多大の教訓を得ていようから、その戦訓を教えてもらえ、とフォイゾン・ゴウから申しつかってきた、とまでニーにいったのである。
「……そんな全面的に我等を認めているようなラウの士官たちの言葉を、額面通りに受けとっていいものなのでしょうか? 結構すぎる待遇で、戸惑っているのです」
ニーは、ラウの士官たちの話したことをアリサに説明した。
「彼等は、ミィゼナーが好きではない、ということですね?」
「はい……艦艇の配置を見せられました。ミィゼナーは、ラウの中核に位置づけられていまして、これは、見方をかえれば、ラウの艦隊に包囲されているともいえますからな」
「ああ……ニーは、ゲリラ戦になれましたものね、それでは不自由でしょうね?」
なによりも、この艦の配置は、ミィゼナーの将来の生き方をも左右する性質の問題を含んでいる、とアリサは理解した。
「……皮肉なものです……」
ニーの一言は、ソトロウとムーランの実感でもあった。
「でも、気にすることはないでしょう。ミィゼナーは、ミィゼナーなりに働き場所を見つけるであろう、というのがフォイゾン王の見解でありましょう? わたくしは、そうききましたが?」
「そうでしょうか?」
この疑問も、また、ニーひとりのものではなかった。
「え……?」
「アリサさまは、王族であらせられますから、フォイゾン王の言葉をそのようにおききになったのでしょうが、我等にとっては、そうは解釈できません」
ムーランが言葉遣いに気をつけながらいった。
「そうか?」
「はい……」
「我等の家の存立は……」
ソトロウは、ちょっと言葉を切った。
「教えて下さい。みなさま方の考え方を……」
「我等の家の存立は……王族同士の関係を良き方向で維持させるために、我等は何をしなければならないか、これを洞察して実行する気配りがなければ、我等の家の安泰はないのです。ニー殿はそれを気遣っておられるのです」
「……? わたくしの命は、ジョクに預けた。わたくしに気遣う必要は何もない」
「だとしてもです。将来、フォイゾン一人が王として残ったとしても、右にも左にも気遣う配慮がなければ騎士は存在できない、ということであります」
ソトロウは、アリサの高飛車な表現に眉《まゆ》をしかめてみせてから、老人のような賢明さで、忠誠のありようを一般化して説明してくれた。
「…………」
アリサには、もう継ぐべき言葉がなかった。
「……アリサさま、これは、アリサさまに安心してもらうためにいうのではないのです。戦乱の世であればあるほど、臣下の者は、情実ではなく何を為《な》したかによって、その軽重を問われるのです。それで、家の運命もきまるのです……が、それは……王家においても同じか、いやそれ以上でありましょうな……勝利か敗北かしかないのですから……我等|下賤《げせん》の者には勝ったほうにつくという究極の方便をつかう余地が残されていますが……」
「よい、ソトロウ……ドレイクのために、苦労をかける」
アリサは、ついにいってしまった。
「ご無礼を……そんなつもりはありませなんだ……ご容赦、ご容赦のほど……」
「騎士ソトロウ。自分が心配しているのは、ミィゼナーが、新しくフォイゾンを王にいただくとしても、独自の戦い方を見せておかなければ、忘れられてしまうだろうという点なのです」
ニーが、アリサとソトロウのあいだにはいってくれた。
「戦争で評価されるのは、前線での戦果ひとつです。ミィゼナーはきょうまでは将来につながる良い結果を手にいれてはいるが、明日もというわけにはいきません。フォイゾンはきびしい王であるとつねに自分を戒めているのです」
「そう、明日の作戦会議では、ミィゼナーが独自的行動をとれる位置をなんとしてでも確保するか、中核にあっても、たえず敵の機先を制する行動を取れるようにしませんとな……」
ムーランが熱をいれていった。
「そうですね。ミィゼナーが、本来アの国のものであることは、フォイゾン王ご自身が確認しにきたのですから、王は、本艦に独自の働きを期待しているのです。そうでなけれぼ、戦訓などという話はでなかったでありましょう。むしろ、現在の位置は、ラウの全艦隊にミィゼナーをアピールできる位置であると考えるのが順当でありましょう」
「なるほど……」
アリサの指摘に、三人の騎士たちは納得した。
補給艦のメラガラウが離艦するという報告がブリッジからきたのを潮に、男たちは立ち上った。
アリサは、ミハン・カームという若く、屈託のないパイロットに会う決心をして、オーラバトラー・デッキにむかう途中で、マーベル・フローズンとすれちがった。
「艦長は?」
「ブリッジです」
「ありがとうございます」
この美人の地上人もコモン界にすっかり馴染《なじ》んで、戦闘を喜んでいるのではないかと思えるほどだった。
アリサは、それがうらやましかった。
『だから、わたしも気がすむようにさせてもらう……そうしないと、いつまでたってもドレイクの娘でしかないし、ジョクに寄生する女でしかないことになる。それでは飾り物の人形と変わらない』
その言葉は、パットフットという滅びゆく国の王妃の生きざまを見てきたアリサの、自分自身の生き方への反省であると同時に、自分の身のふりかたについての解答なのかもしれなかった。
アリサには、パットフットに語ったことを実行する気になっていたのだ。
ミハンに会うのもそのためだった。
それは、自分の身の置きどころに決着をつけたいというアリサの決意の表明なのである。
「あたしにも、できることはあるはずなのだから……」
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6 たくらむ者
「正面にくる騎士らしいあの男、知っているよ」
チャム・ファウは、ステラの髪の毛のあいだに顔をつっこむようにして、ステラの耳元に囁《ささや》いた。
「知っている?」
「ウン、どこで知ったんだろう。騎士バーンの近くにいるパイロットじゃないのかな?」
「バーンの近く?」
ステラは、通りの端になんとなく身を寄せるようにして、そのパイロットのグループを観察していたが、少しずつ後退して焼き肉の屋台の陰に隠れた。
チャムは、ステラのマントのフードのなかで立ち上っていたが、頭にフードをひっかけるようにしていたから、他人《ひと》の目に触れる気づかいはなかった。
「ラース・ワウにいるときに、バーンの近くにいたパイロットなんだな?」
ステラは通りの方を見ながら、チャムにきいた。
そのとたんに、チャムは、バーンがいつもジョクの敵として自分の近くにいたために、その長身の男を知った人と感じるのではないか、と思いついたが、ステラに自分の本当の立場はおしえていないから、全部をしゃべるわけにはいかなかった。
チャムは、その、まだしゃべっていないことをステラに気づかれないようにするには、どうしたらいいのか、と一瞬考え、混乱した。
「……たぶんねぇ、覚えていない」
「フン……」
チャムの曖昧な言葉をうたがいもしないで、ステラは、店筋を行く将兵たちの集団を屋台の陰から見つめていた。
「……じゃあな。ザナド、先に失礼する」
一人のパイロットが客引きの女に引かれるままに、よしず張りの店に入っていった。
ザナド・ボジョンとその上官のレッグス・グロだけが店筋にのこり、
「……おい、ザナド、もうちょっとむこうに、いい店があるという噂だ」
レッグス・グロが、長身のザナドの腰を押すようにして、店筋の坂をあがっていった。
すでに、真夜中である。
人影はさすがに少なくなっていて、店にもいい女がのこっているという時間ではない。
「……ドーメも帰っちまったし、いまさら、艦にもどるわけにはいかないんだから、覚悟して、少しは頭を冷すんだな」
レッグスの声が、ステラの前をすぎていった。
「正直すぎて強い感じだな……」
さすがに客商売の女である。ステラは、一目でザナド・ボジョンをそう評価した。
「まちがいないね?」
「ウン……」
チャムは見た顔だと確信できたものの、どこで見たのか具体的なことはなにひとつ思い出せなかった。実をいえば、チャムは、ジョクのカットグラのコックピットから放り出されたときに、カットグラと白兵戦を演じていた敵機のコックピットにすわるザナドを見ていたのである。
しかし、空に放り出されてオーラのスパークに感電して気絶したチャムに、そのときにザナドを見たという記憶などあろうはずがなかった。
「……どっかに行ってな。仕事するからさ」
ステラは身をゆするとザナドとレッグスの後を追いはじめた。
「お仕事?」
「ああ、直接、バーンの居場所をきくんだよ。できるかどうかはわからないけどさ」
「そう……」
ステラがどうやるのか見当もつかなかったが、チャムは、ステラの居心地のいいフードから出なければ怒られるという気がした。ステラとの関係を良い方向にもっていくためには、いわれたとおりにするしかない。
フードの陰から周囲の人の動きを見やったチャムは、一気にフードからとびだして上昇をかけると、枯葉がたばになった枝の陰に飛びこんだ。そして、ステラの姿を追った。
距離が離れすぎるのが怖くて、チャムは枯葉を散らして低く飛んで、ひとつの屋台の屋根の上に身を伏せた。
「……上官の命令ではありますがね、おれにだって趣味はあるんだ。あんなババアは勘弁してもらいたいな」
一軒の店から出てきたザナド・ボジョンが肩をいからせて、レッグス・グロに毒づいたときだった。
ステラの細身のマント姿が、ザナドの前にふわっと流れるように近づいていった。
「あ、ごめんなさいまし」
ステラは、なぜかマントの前を左右に開くようにしていて、ザナドの前にかがむと、銀の腕輪をひろった。
落ちていたのではない。拾うように見せかけたのである。
「へーッ!」
その瞬間に、チャムは、ステラがマントの前を開いている理由も、その動作の意味もわかった。
チャムも、男の気をひくことが好きな気性があるといわれるフェラリオだからだ。
ステラの作戦は図星で、ザナドは、身をよけながらも、ステラのマントのしたの他所《よそ》行き風の派手な衣裳に目をとめ、つばひろ帽子も後ろに上げるようにしていたステラの顔をのぞきこんでいた。
「なにか?」
「い、いや、このあたりの方かなと、ちょっと……」
こういう場所になれていないらしいザナドはしどろもどろだったが、レッグスの反応は早かった。
「姉さん、声かけていいのかな? ちょいとここは初めてなんでねえ。通りすがりかい?」
「そうですけど? ちょいとお使いで、いま帰ってきたところなんです」
チャムには、信じられないようなことをステラはしゃあしゃあといって、歩き出した。
それでは、誘えないじゃないか、と屋台の屋根の杉板にへばりつきながら心の中で毒づくと、チャムは隣の大きな店の方に移動していった。
「今夜は、もう店に出ないのかい?」
レッグス・グロがさぐりをいれた。
彼も、ステラのマントの下の衣裳が、普通の女性が身につけているものよりは派手なのを見て、商売をしている女と踏んだのである。
「お客さん次第ですから……このお店にも用があるのです。ことづてを頼まれているだけですから、すぐにすみます。お待ちいただけます?」
「いいよ。すぐなんだな?」
「すぐですよ」
「どこの女《こ》なの?」
「その隣のゲッソ・ハッサです」
ステラはそういいのこすと、チャムが取りついている小屋の軒下に入ってしまった。
「本当なのかな……!?」
チャムは、ステラのあまりに物馴《ものな》れした態度に呆《あき》れた。ここに着いたばかりといったのは、まったくのウソだったのではないかと思った。
「あの店なら一流だ。今夜は、戦争のことなんか忘れて、楽にしろ。バーンがお前に目をつけているのは、ライバルだからだよ。ライバル……」
レッグスがザナドにそんな風にいうのをきいて、チャムは、自分の勘は当っていたと得意になった。
が、そうなるとステラのウソの方が気になった。
魚臭い料理の匂いに閉口しながらも、チャムは店の裏口にまわってみた。
「……客をとったんだと? フン、事情は明日にでもきかせてくれるな?」
「もちろんです」
「ひとつだけ確認させてくれ。ラウの間者《かんじゃ》だなんていうことはないだろうな?」
「ラース・ワウの中小企業組合に照会してくれれば、あたしの身元ははっきりしますよ」
「ハハハッ……よーくいった」
厨房《ちゅうぼう》の裏口にあたるところの小部屋から、そんな野太い声とステラの声がきこえる。
チャムは、軒板にへばりついて下をのぞいたが、ふたりの姿を見ることはできなかった。
そのとき、板一枚のドアが開いて、大柄で豪華な身なりだけが取柄といった感じの商人が出てきた。
「わたしが、裏口から行って店に部屋を用意させておくから、あんたは表から客といっしょに入ってくるがいい」
「ありがとうございます」
ステラの声は、厨房のざわめきの中からきこえた。
「なんだろう?」
推測がつかないではないが、チャムの頭では、すぐに事情が整理できるものではなかった。ただ、チャムがステラと会ったときの事情は、ウソではなかったらしいとはわかった。
となれば、ザナドを見て、バーンの近くにいたパイロットだとチャムが特定できたことが、まちがいなく意味をもってくる。
「……フン、いいんだ……」
チャムはひとり納得した。これで、逃げ出してきた軍艦にステラを案内する必要がなくなったらしいとも思いついた。
そうなるとステラがザナドというパイロットと付き合っているあいだの自分のねぐらのほうが心配になった。
食べ物屋とゲッソ・ハッサという店の隙間から通りをのぞくと、ステラがザナドともうひとりの男を先導するのが見えた。
が、すぐに、男のひとりはもどって、反対側にいってしまった。
チャムはあわてて、ゲッソ・ハッサの入口をのぞける位置に飛んだ。
中で遣手婆《やりてばばあ》らしい女のダミ声と男の声が錯綜《さくそう》していたが、待つほどのこともなく、
「さあさ、お客さま、いい娘をご指名なさって、あなたさまのこ武運が強いことの証拠ですよぉ」
遣手婆に手をとられたザナドが、店のなかにはいるのが、提灯のあいだからのぞけた。
チャムは、下からきこえる男女の交合のうめき声やら、酒に乱れた声々におぞけをふるいつつ、ステラの声をさぐるために、その店の杉の皮でふかれた屋根の上を這《は》っていった。
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7 ゴラオンの気圧
「どこへ行くのかっ! とまれっ!」
「聖戦士殿の命令であります」
「いかん! 聖戦士殿は重傷の身であらせられる。そんなことを命令されるわけがない!」
「ご命令であります」
「貴様はアの国の間者かっ!?」
「なんと!? 自分は第五整備大隊の……」
男たちだけではない。なかには女性兵士の怒声もまじっていた。
「聖戦士殿はここにいらっしゃるのです!」
「カットグラまで行く、通せっ!」
ジョクは担架《たんか》に乗せられて、六人の兵士の頭上にささげられていた。
果敢《かかん》な兵士たちは、混乱の極に達しているオーラバトラー・デッキの整備兵と機械のあいだをすり抜けるように走っていた。
それを数名の士官たちが追って、制止しようとしていたのだ。
「……聖戦士殿っ!」
「許されよ。自分が彼等を威《おど》しました。通して下さい!」
ジョクは天井にむかって怒鳴った。腹部と足の傷がズキンと鳴ったが、ゴラオンで気がついたときにくらべれば、ずっと軽いものになっていた。
「しかし、上からの発進許可は出ておりません」
「聖戦士とは独自のものである。許可は必要と認めない」
ジョクは、カサにかかってそう吠《ほ》えた。そうでもしないと、制止されてしまうと感じたのだ。
フォイゾン・ゴウが直接指揮をとるこの新造の巨大戦艦には、選《よ》りすぐりの士官たちが搭乗していた。彼等は、できがいいだけに律義《りちぎ》で、面倒な相手なのだ。
ゴラオンに収容されて傷の治療をうけてから、ジョクはフォイゾンとエレの見舞いをうけ、王から戦況についてもきいたし、このあとの作戦についての基本的な考え方も知ることができた。
フォイゾンの好意がみえればみえるほど、多少の怪我《けが》で寝込んでいる暇はないと感じるのだ。
一歩でも前線に近いところに立っていなければならない。ミィゼナーとゴラオンの先鋒《せんぽう》になる位置に身をおいておかなければならない、とあせるのだ。
そうしなければ、ミィゼナーというラウの国の軍にとって他所者《よそもの》である軍艦の存在などは忘れられるか、露骨に他所者あつかいをうけるだけなのである。
最悪の場合、ミィゼナーは働く場所も見つけ出せずにおわってしまうかもしれない。
フォイゾン王のミィゼナーへの配慮を知れば知るほど、有効な働きをして、その存在をラウの軍の全将兵に認知させたいのだ。
そうでなければ、ミィゼナーの将来に安心はない。
安心……。
それはミィゼナーで生きのこった人びとにとっての最大の関心事である。むろん、納得できる死に場所を得られればそれで良いというのが、大部分のクルーの気持ちである。
しかし、それだけが戦士の目的ではあるまい。
局所的にみれば、ジョクのあやつるカットグラがあげた戦果は、ラウの国を挙げて賞賛されるほどに絶大である。
しかし、その戦果は、ミィゼナーのクルーすべての将来を保証するものではない。
ジョクがゴラオンから出るのを制止しようとする士官たちは、ジョクのこれまでの働きも知っているし、ミィゼナーとの関係も理解しているのだが、ラウの末端の兵士がミィゼナーの存在意義を認めるところまでには至っていない。
それでは、ミィゼナーのクルーは、昔の流浪する無頼《ぶらい》の騎士と同じ運命をたどるかもしれないのだ。
ジョクがなかば威すようにして、担架を担《かつ》がせている兵士たちにとっては、アの国にいるときから聖戦士と称《たた》えられていたジョクでさえ、正体不明な地上人でしかない。
彼等は、ジョクの命令に、これ幸いと、厄介者を追い出すようなつもりで病室から担ぎ出してくれたのである。
「とめよ! 聖戦士殿は、ゴラオンで数日、待機される」
士官の一人が担架をささげ持つ兵士を抱くようにしていった。
「しかしっ!」
担架がグラッと傾いた。
ジョクは腕で身体をささえながら、二機ほどむこうに立つカットグラの機体を目にした。
頭がさがった。
「……ご配慮には感謝します。しかし、このゴラオンを満たすオーラ力、尋常のものではありません。自分にも力をあたえてくれているのです」
ジョクは一人の兵士の肩に腕をまわすようにして、担架からすべりおりた。ズリッと両脚が床におちた。
「クッ……!」
痛みが脚から頭までつきあげたが、ジョクは多少うつむく姿勢をとっただけで、持ちこたえた。
「……ご苦労だった。カットグラの修理はすんでいるらしい。感謝する」
ジョクは担架を運ぶ指揮をとっていた下士官に礼をいってから、制止した士官たちに微笑をみせた。
脂汗を額《ひたい》に感じた。
「王とは有効な協議をさせていただいて、恐懼《きょうく》いたしているのです。ですから、自分は一歩でも前線に近いところで、次の下命を待ちたいのです」
しゃべるか奥歯を噛みしめていないと痛みで倒れそうだったからジョクは必死だった。
それでも、ジョクは痛みのありかを意識しながら、歩み出していた。
傷の所在を意識するのは気持ちの良いことではない。できることなら忘れていたいのだが、すこしでも身体を労《いたわ》るためには、その傷口を意識してかばうようにしなければならない。
「このような聖戦士殿のお姿を拝見したからには、フォイゾン王の聖戦士殿にたいするお心を知っている自分たちは、黙認するわけにはいきません。今夜だけは、このゴラオンでお休みいただきたい」
「お顔は蒼白《そうはく》であらせられます」
ジョクを追う士官たちが、口々にいった。
「気持ちは奮い立っております。痛みも薄らいでおります。フォイゾン王には、朝になってからよしなにお伝えいただきたい」
「しかし、王のお目覚めまでに聖戦士殿になにかあったら、我々には申し開きができません」
「そうです。ミィゼナーには補給艦も接触しております。ご心配にはおよびません」
「道をあけてっ!」
制止しながらも士官たちはジョクの行く手をじゃまする兵士と整備器材をどけさせた。
「本当に貴官等の好意、気遣いには感謝いたします」
ジョクは、カットグラのコックピットにあがるタラップの前に立ちどまると、
「では、こういたしましょう。カットグラのオーラ計測メーターが、レッド・ゾーンにまで上らなければ、朝までここで休ませていただきます。メーターが自分の気力が正常以上であると示してくれれば、そのまま出立してミィゼナーにもどります」
オーラ・マシーンのオーラ計測器の針がレッド・ゾーンに飛びこむということは、パイロットの意識と生体力が異常に高いということであって、ジョクについても、そのようなことは戦闘中以外あるものではないのだ。
この申し出は、ジョク自身のなかに、休養する言い訳を見つけたいという卑劣《ひれつ》な気分があって、したことなのかもしれなかった。
しかし、一刻も早くミィゼナーにもどらなければならないという気持ちはウソではない。
「結構です。それなら、我々も申し開きができます。しかし、誤解しないでいただきたい。我々は申し開きができないことを恐れているのではありません。ときには乾坤一擲《けんこんいってき》の勇をもち、ときには時を待つことも知っているつもりであります」
そんな士官の真摯《しんし》な忠告を背に、ジョクは足をひきずるようにタラップを上っていった。
『言い訳になどするものか!』
そう思う。
ジョクとゴラオンの指令要員である士官たちのやりとりを、カットグラの周囲で数十人の整備兵たちが手を休めてきいていた。
『…………!?』
ジョクは緊張したが、彼等の好奇心こそ自分の力になると感じた。
「おい、オーラ計測器をこちらの整備台でも見られるようにせよ」
女性士官の一人が、かたわらの整備兵を怒鳴りつけた。
「大丈夫で?」
コックピットのハッチ脇《わき》に立っていた整備兵長が、ジョクに腕を貸してくれた。
「すまない」
ジョクは強がって、ひとりでコックピットのシートにすわってみせた。
全身に脂汗を感じて、つらかった。
「コックピットまわりのマッスルは、みんな取り替えてしまったのか?」
「いえ……筋力は上っておりましたので、損傷した分だけ交換しました。三十パーセントというところです。まずいですか?」
「いや、それで良い。二、三回飛行すれば馴染むはずだ。そのためにも、少しでも早く飛行させたくってな」
「そうでありましょうが、お怪我はまだ……」
「いや、いいのだ」
ジョクが負傷するまで使っていた革鎧は損傷し血によごれていたので、いまジョクが身につけているのは、ラウのパイロットたちが使うのと同じ革鎧であった。その姿を見るかぎり、整備兵長にはジョクの言葉が信じられた。
「……電気系統はいいな……」
スイッチをいれると、コックピット内の計器は正常以上に暖かくともり、つづいてオーラ・エンジンが始動を開始した。
「さて……」
オーラ・エンジンの熱量を急速に上げるがかまわないか、と整備兵長に目で問う。その挙動も、整備兵長には、聖戦士の体調が良好以上であることを示しているように感じられた。
「どうぞ」
整備兵長は、聖戦士の生気を感じたのだろう。
ジョクに微笑をみせてから、機体各部の稼働部位をすばやく目でチェックした。
ギュルルルル……。
オーラ計測器の針がジリジリと上っていった。
順調である。
「いけますね……」
整備兵長は、コックピットのハッチをなかば閉じて、身をひいた。
出撃をするなら、次にタラップを引いて、ジョクがハッチを閉じ、そして、タラップをカットグラの前から横にずらすだけのことだ。
ズオーン!
一気に針が狂気のように跳ね上って、最大振幅を示した。
「おおっ!」
タラップの前でオーラ計測器のメーターをにらんでいたゴラオンの士官たちが歓声をあげた。
タラップの上でジョクの表情に自信が満ちていくのをみてとって、整備兵長は、タラップを横に移動させる合図を出そうと下をみた。
タラップの下の士官たちが戸惑ったような視線を自分のほうにむけていたので、整備兵長は、もう少し間合いをとってから合図したほうが良いと判断した。
「…………!?」
ジョクは、あきらかに賭けに勝ったと思った。ときに機械というものは、本人以上にその状態を読みとるものである。血圧計とか心電図がいい例だろう。
ジョクは、内心、自分の気力が想像に倍する数値を示したので、タラップの上に立つ整備兵長にニタリと笑ってみせて、シートの左横にあるハッチを閉じるためのレバーに手をのばそうとした。
カットグラの周囲では、この機体を整備したチームの面々が、満面に自信をみなぎらせて、カットグラの発進を待っていた。
ジョクを制止しようとした士官たちも、なかば無念そうに、それでも、ジョクとの約束を破棄する決断もできずに、タラップ前の計測器から後退していった。
「すさまじいものだ……」
「いや、聖戦士殿がおっしゃっていた、このゴラオンには異常なオーラ力が作用しているというのは本当のことなのではないか?」
「それで、聖戦士殿の傷も急速に治癒しているというのか?」
「そうであろうよ……」
士官たちは、そんなことを囁きあってカットグラを見上げていた。
が、
「聖戦士殿っ!」
タラップの上に立った整備兵長があわててハッチを開いた。
「…………!?」
土官たちはゾッとした。
コックピットにもぐりこんだ整備兵長が、計器板を横に押しやりながら、シートのほうに身をかがめた。
「どうした! 駄目かっ!」
息をつめるようにしていたゴラオンの士官たちが、タラップを駆け上っていったときには、整備兵長が足下のレバーに上体をもたせかけているジョクを、肩を抱くようにして起したところだった。
オーラ計測器の針が急速に降下し、ジョクがうめいた。
「聖戦士殿……!?」
「コックピットの外に! 身体全体をささえるようにしないと、お身体を痛めるぞ」
若い士官たちは狼狽《ろうばい》し、ともかくジョクをタラップの上に運び出そうと狭いハッチに入りこんで、身動きができなくなってしまった。
「姫さま!?」
タラップの下では、そんな兵たちの声がさざ波のように広がった。
「どういうことですか!」
その場にふさわしくない少女の細い声が凛《りん》とひびいた。
「ハッ……聖戦士殿が……」
「どうなのです?」
タラップの下に駆け込んだのは、エレ・ハンム、おおやけにはエレ・ゴウと名乗る少女である。
リムル・ルフトと二人の家臣をしたがえたエレは、ナイトガウンをはおっただけというくだけた恰好でいかにも子供という感じだったが、その態度には臆《おく》するところは微塵《みじん》もなかった。
「ハッ……聖戦士殿が、眩暈《めまい》を感じると……」
「おろしなさい。今夜は、養生していただかなければなりません」
「ハッ……」
そう答えた士官は、整備兵長に上体をささえられたジョクに、
「姫さまも案じられてのご命令であります。いざ!」
「……そ、そうしよう……」
ジョクは、時間を待つしかない自分の肉体を呪《のろ》った。
生体のもつ限界――形あるものは無限ではなく、意思の力とか精神力だけでは鍛えることができないものだと実感していた。
『まったく笑っちまうぜ、計器などまるでアテにならないじゃないか……!』
看護兵でない素人のあつかいは、ジョクに痛みを感じさせるだけだったが、そんなことを口にすることができる立場ではない。
「……すみません。自信過剰もいいところでした」
「まったくです。ジョクがこんなにおバカさんだとは思いませんでした」
エレの叱責を黙ってうけるしかなかった。
「さ、担架を膝の高さに保持して下さい」
リムルは、ジョクが横になりやすいように左右の兵たちに指図した。
「エレさまがお叱りになるわけです」
担架に横になったジョクにリムルまでが苦笑してみせた。
最終|艤装《ぎそう》が完了し、オーラバトラーを搬入して兵員の最終訓練を行なっているゴラオンのデッキには、スィーウィドーの地と天をゆるがす轟音はきこえなかった。
しかし、オーラ・マシーンであるゴラオンは、その艦内にバイストン・ウェル世界をささえるオーラ力を吸収するかのように、スィーウィドーの森に鎮座《ちんざ》していた。
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8 もつれあわせて
ザナド・ボジョンをくわえこんだステラは、まさにゲッソ・ハッサの店の主人と遣手婆の阿吽《あうん》の呼吸にささえられて、奥の隙間風《すきまかぜ》がしのびこむような一室におさまっていた。
しかし、ステラにすれば、店に受けいれられてこのまま束縛されてしまっては一大事だから、そこから逃げ出す算段もしなければならない。
前には店の問題、後ろにはザナド……ステラは緊張せざるをえなかった。
ザナドが、こういう店はこんなものか、とステラにきく間もなく、枕と錦《にしき》織りのカバーをかけた毛布を手にした遣手婆が部屋にはいりこんできて、
「お客さまは、シャワーのひとつもお浴び下さって……お飲み物などをお部屋に用意させますですから」
ていよくザナドを部屋から追い払った。
店としてはステラの品定めをするのが先決なのである。
「……今しがたマスカラーサの旦那《だんな》からきいたばかりだから、あんたの全部を信用するわけにはいかないんだよ。前借金があってあんたを縛ったわけじゃないから、あんたは好きにできようからね。けど、一度、足を踏みいれたからには、仁義は切ってもらわないとね?」
「どういうことです?」
「持っている金がないとはいわせないよ。その恰好、どう考えても理由《わけ》ありにみえるから部屋代をもらうってことだよ。商売をつづけるなら、預かった金と稼いだ金は、節季《せつき》ごとに支払うから……」
遣手婆とは、同性を売ることを商売にして恥じない中年女である。やることに抜け目がなかった。
「部屋代? いくらさ?」
「あんたのもっている全部だね」
「……そういうことかい……お見通しのとおり、理由はあるさ。けどね、男のために衣裳に金をかけたおかげで、これしかないけど?」
ステラは衣裳の胸元に手をつっこみながら、マントとバッグ、なによりも、腰のうしろのナイフに気を配った。それだけは遣手婆には感づかれたくなかった。
小銭いれの革袋を出して、袋ごと遣手婆に差し出した。
「……冗談のつもりかい? これじゃ食事代にもならないよ。もうひとつ財布をもっていよう?」
遣手婆はバッグを顎でしめした。
「……汚いね……」
「きれいな商売じゃあない」
ステラは殊勝げによそおって、バッグの底から札入れを出して、いかにも惜しそうに手渡した。
「……お宝一枚かい」
「あたしたちみたいなのが、現金を持てると思ってかい?」
「商売やっていたんだろう?」
遣手婆はあくまでも抜け目がなかった。
「まあ、いいか。……客はね、朝一番に帰すんだ。けどね、お客が起きる前には起きて、化粧はちゃんとして送り出すんだよ。軍人さんなんだから、あとあと来てもらえるように気持ち良く出ていってもらわなくちゃならないんだ」
遣手婆はいうべきことを全部いうと、引きさがっていった。
入れちがいに、ザナドが店のナイトガウンをはおってもどってきて、長身を折るようにして、ベッドの横のスツールに腰をおろしながら、
「幌掛けの店というのは落ち着かないものだな」
「そうですね、あたしもちょっと足と手を洗ってきますから……」
ドアのノックにあわせて、ステラは立ちあがった。
遣手婆の呼吸はみごとなもので、ちゃんと酒肴《しゅこう》を持ってあらわれたのである。
「ちょいとシャワーを」
「ああ、それまでは話相手になってあげようさ」
今しがたのステラとの厳しい話などは、別世界のことのような顔をして、愛想のいい笑顔をみせた。
通路の奥に張り番をしている男が、ステラを正面からにらみつけた。
「シャワーは、どっちなの?」
ガロウ・ランのように底知れぬ暗い雰囲気をもったその男は、総髪を油でひからせて束ねていたが、その長さは腰まであるようだった。
男は、黙って右手を指し示したが、そのタイミングのズレから、ステラにも耳がきこえないらしいとわかった。
左右のドアごしにきこえる男女のむつみあいの声にステラは嫌悪感をおぼえたが、こらえるしかなかった。
シャワーはふたつしかなく、客と共用のようだった。
暗いガス灯がその闇の隙間のような空間を浮き出させていた。
湯気の暖かさがありがたかった。シャワー室の足下のすのこの下に、熱湯がはってあるのだ。このような場所では、それだけで豪勢な施設に感じられた。
腰湯ぐらいのつもりでいたステラは、金を払ったぶんシャワーを浴びることに決めて、スカートの下から本物のお宝をいれてある財布をとりだすと、シャワーの止め金に引っかけてから裸になった。
手早くシャワーをつかったものの、水浴びをしてからだいぶたっているステラには、全身がとろけるようにここちよかった。
が、バーンに出会うまではなんでもやってみせるという覚悟が、ステラを甘えさせなかった。
すぐにあの遣手婆が渡してくれた下着、といっても腰布一枚なのだが、それを身につけていった。
が、
『あのフェラリオと捜した方が確かかもしれないのに、なんで、こんなことになっちまったんだ?』
ステラは、腰布のサラリとした清潔感に、死に装束《しょうぞく》を身につけたような緊張感をおぼえた。
『……あの男がちょっとちがったんだな……』
ザナドという長身のパイロットが、バーンに近いものをもっていると感じて魅《ひ》かれたのだ。そうでなければこうはなるまい。
財布をお尻の方にぶらさげ、ナイフを腰紐《こしひも》のところに押しこんでから、衣裳を身につけた。
「いつまで客を放っておくの」
遣手婆が、仕切りの絨毯をはねあげて抜け目のない目を見せた。ステラが髪を拭《ふ》いているところだった。
「お母さんのお使いで、髪まで埃《ほこり》だらけでしょ? それでは、お客さまに失礼でしょうからさ」
お宝を隠したあとの余裕で、ステラはシャラッとウソがつけた。
「あ? ああ、そうだよねぇ……そうだ。あんたはマメすぎる娘だからねえ。シェラザーゼ」
遣手婆は、ステラの芝居にたいして同じようにウソをかぶせてきた。その瞬間、ステラのこの店での源氏名《げんじな》が決った。
「はい、お母さん」
そんなやりとりでますます覚悟をつけたステラは、部屋にもどっていった。
「ごめんなさい……」
「おう……一段とあでやかになったな、女」
こんな横柄な口のききかたは、部屋にはいるまでのザナドにはなかった。ステラは緊張した。
『こういうパイロットだったか……?』
ステラは、たじろぎを気取《けど》られないように、腰にしなをつくって言葉をついだ。
「あたしにも、一杯……」
「おうさ……」
ザナドはグラスを渡しながら、一方の手でステラの腰を抱くようにして自分の膝の上にすわらせた。
「一気にやれよ。そしたら、やろうぜ」
「芸のない旦那だよ」
ステラはいわれるままにグラスの白い液体をあおった。と、間髪をいれず、ザナドの手がステラの股間《こかん》にのびてきた。
「…………!!」
ステラはゾッとした。
バーンとはちがうと思った。
好き者のやりかたとか、初めての客が不慣れで乱暴になるのとはちがっていた。もともと相手の気持ちなど斟酌《しんしゃく》する気もない粗暴《そぼう》さが感じられた。
「どうしたんです?」
ステラはその無遠慮な手の動きに、グラスの酒を半分ほどこぼしてしまい、口を手の甲で拭《ぬぐ》った。
「商売でやってんだろ? 文句をいうなって。好きなんだよ。おまえがさ」
ザナドはステラの尻を乗せた膝を揺するようにして、ステラの脚のあいだにごじいれてきた。
「……ちょっと……たまんないね」
ステラはこらえながら、適当にあしらえる相手ではないと思った。
酒の味は悪くはない。あと口はいいはずだから、一気にやらせてしまったほうが簡単だろうが、この調子では、こっちの知りたいことをしゃべってくれそうもない、とステラは不安になった。
「アッ……」
息を呑《の》んだ。
ザナドの頑丈な膝が、スカートの腰布を裁《た》ち割るようにして、ステラの恥骨にゴリッと男の筋肉質の力を押しこむようにしてきた。
「へへ……この、女のツルッとした感じはいいもんだ。軍艦のなかじゃあ、ちょっと感じられねえもんだからよ。ホレ、もっと飲めって……飲んで、ブハッと股《また》を開いてみせろってんだ」
ザナドは片手で、ステラの手にするグラスに酒をそそいだ。
腰にからみつくザナドの腕は万力のようで、ステラを逃がすことはない。
「あっ、ああ……ちょっと静かにしておくれよ。飲めやしないじゃないか」
ステラがグラスを口にすると、またもザナドの脚の震動がはじまった。ステラは飲むふりをしながら、グラスの酒を半分以上こぼすことに成功した。
酔っぱらって前後不覚になったことはなかったが、これ以上飲んでもうまくはないし、ザナドのペースにだけははまりたくなかった。
「フッ……アアア……」
ステラは酒が利いたという風にしながらグラスをテーブルにおいた。それから口を両手で拭き、ちょっといい、という風に腰をひねってみせた。
「ホッ……ホホホッ……」
ザナドもグラスをあおり、唇をとがらせて笑うでもなく吠えるでもない歓声をあげた。
「ククク……いいなあ、乳はいいなぁ……え!?」
ザナドの両手が、もう若くはないものの、張りのあるステラの乳房を揉《も》みしだきだした。ステラはそれを受けるように胸を突き出して、こうなったら意地でもこいつの気を抜いてみせると心を決めた。
「こいつ、感じやがるのか? ええ!?」
「そりゃ、騎士らしい男に会えればねぇ。デク相手じゃ駄目なんだよ。あたしはさ……アの国にはとんでもなくいい騎士がいるっていうんで、ここに来てんだからさ……それがあんたなら最高だけど、どうなんだい?」
ステラは乗ってみせた。
「いるさ。ここにな……! 結構な騎士さまがよ」
ザナドはステラの衣裳の前の革紐《かわひも》を引き抜くようにして、ゴソッと手を腹部にいれ、ステラをもろ肌脱ぎにした。
「ハハハ……でもさ、聖戦士さんには見えないねぇ……」
ザナドに乳房を揉まれながら、ステラは糸口を見つけられるかもしれないと思った。
「ヘッ、あんなものはとっくにアの国にはいやしねぇし、おれが倒してやるってもんだ」
「あら!? 冗談でしょ? ジョクとかバーンとかって聖戦士……」
「おれはな、ザナド・ボジョンだよ。バーンが聖戦士だって。ありゃ二番せんじのコモンの騎士でしかねぇ。当世風のパイロットの、おれが聖戦士になってみせるわ」
ザナドは、ステラの乳房の一方を揉みしだき、一方の乳首を舐《な》めながら、膝でステラの恥骨を責めるのにも熱を入れていった。
「ふふ……知っているよ。どうでもさ、聖戦士はすごいってからねぇ、アの国のバーンとかいう有名な聖戦士は、あんたみたいな人かもって思ったから、声をかけたんだけどね。こんなところでは、ウソの名前でとおす人がいるもんだしね」
「バーン・バニングスがここにいるわけがねぇだろう。奴の艦《ふね》は山ひとつ向うだからな」
「どこのさ?」
「なに間者みたいなこといって! ホレ、腹を見せろ! 全部とっちまえってんだ」
ザナドは両腕でステラの腰を抱くと、ヒョッと自分の両脚のあいだに彼女を立たせた。
小柄なステラの乳房はザナドの唇の高さと同じになった。そのままの姿勢で、ザナドの手が衣裳をひきずり下していって、ステラは腰布ひとつにさせられてしまった。
「クッ……ククク……」
涎《よだれ》をながさんばかりのザナドは、かぶりつくようにステラの乳房を口に含むと舌を這わせては乳首をすすり、そのくびれに歯をたてたりした。
「…………!」
ステラは、言葉がでなかった。
嫌悪感からではない。一気にまくしたてていって、怪しまれてしまったら元も子もないと警戒したのだ。
ステラは、腰布の紐のところに押しこんでいたナイフを後ろ手に抜き取り、ベッドの方に投げた。
その下、ステラのお尻のところでは財布が揺れていた。
「ン……?」
ステラの腕の動きに、乳房に唾を塗りたくるようにしていたザナドは、ベッドを見、財布にも気づいてそれを手にした。
「ア……それは駄目だよ」
「ナイフはなんだよ?」
「面倒なお客さんがいるときの用心さ」
ステラは、財布をザナドの手から奪い取りながらいった。
「お客さんのような人には、隠したりしないさ」
「……フン? 財布は?」
ザナドはまた乳首を噛みはじめた。
「お店のお母さんには内緒の財布。これだけはあたしの命なんだよ……アン……痛くしないでよ」
「そうかい、大事にしな……」
ザナドは、舌で犬のように乳房全体を舐めながら、両手をステラの腰から股間へ侵入させていた。
ステラは財布をナイフの上に放り投げた。そのとき、腰がザナドの指を迎えいれるようになってしまい、ひたすら股間の割れ目をめざしたザナドの指が、遠慮なく突きささってきた。
「怪我させたら、できるものもできなくなっちまうってこと、わかるでしょう?」
ステラはザナドの頭を抱き、その耳元に息を吹きかけるようにして囁いてやった。
「ククク……わかっているって……」
くすぐったがりながらも、ステラの股間を責めるザナドの手の動きはゆるむことがなかった。ステラを立たせたまま、足を拡《ひろ》げさせようとする動きは執拗《しつよう》だった。
ステラはそれを受けて、腰を下してやりながら、
「でもさ、バーンさんならさ、こういう風に激しくっても良くしてくれるんだ?」
「ヘへへ……ゼイエガのバーンはな、ありゃパイロットをやめようって魂胆なんだよ、クククッ……」
乳房と股間をいじりまわされているステラの頭の芯に、ピーンと冷たい思考がはしった。
「どうしたんだ!?」
乳首をくわえたままザナドが怒声を発した。
「アア……そこ感じちゃうじゃない……」
ステラは、必死でザナドにもてあそばれているようによそおった。
ザナドは、一瞬の冴《さ》えを感じさせる男だった。危険なのだ。
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9 病床
新造艦のゴラオンにとっては、ジョクこと城毅《じょうたけし》が最初の戦傷兵である。
士官用の病室は、壁のペンキがまだ乾ききっていないのではないかと思えるほど真新しかった。
二段ベッドの据えつけはおわっていても、梱包《こんぽう》されたままの布団や毛布がまだベッドのわきに山になっていた。
「では、姫さまも早くおやすみ下さい」
軍医と看護婦の一団が、病室のもっとも奥のカーテンをひいて引き上げると、ひとつだけベッドをかこったカーテンの外には、エレ・ゴウづきの侍女と侍従の老人と武宮のひとりが、所在なげに立つだけになった。
病室には非常用の緑の電球が四、五個ともるだけで、寒気が薄暗闇のなかで勢いを増していた。
かすかに、スィーウィドーの重い音響がきこえる。
スィーウィドー自体のゆらめきが起す空気の圧迫、というほうが正確なのだが、その音響が病室を支配していた。
カーテンの中には、薄暗い電球がひとつだけあって、二人の少女の姿を浮きあがらせていた。
「……傷口があんなに閉じているとは、わたくしもはじめて見せてもらいました」
「はい、信じられません。お医者さま方もおどろいていらっしゃいましたよね」
エレの言葉をリムルがうけた。
「お恥かしい……」
ベッドの上のジョクは、少女たちに傷口を見せてしまったことを謝した。
「なにをおっしゃいますか……さすが、聖戦士でいらっしゃいます」
「この治癒の経過は研究しなければならないと、先生方は申しておりましたね?」
リムルは冗談のつもりでいった。
「ハハハ……そのときば、おとなしく観察材料になりましょう」
リムルの気持ちを汲《く》みとって、ジョクは笑ってみせた。
リムル・ルフトの立場では、このような些細《ささい》なことに余裕を見出《みいだ》すしかないのだろう。それは、ジョクも同じであった。
しかし、そういう自覚は、自分たちの立場をより一層痛々しいものに感じさせられて、気が滅入《めい》りもする。
「聖戦士殿?」
透明なブルーの瞳が、責めるようにジョクを見た。
「はい、お姫さま……」
「お願いでありますから、単なる気負いすぎの行動はおやめ下さい。昨日までの聖戦士の働きでもうじゅうぶんなのでありますから……気負わずともあそこまでできるお方なのですから、ご自分の力を過小評価なさらないで下さい」
「ハッ……恐れ入ります……」
「ありがとう……ジョク。精神にしても生体力《オーラちから》にしても、そのありようによっては、あるべき物を大きくも見せれば、小さくもいたしますから……」
エレは、いいすぎたと感じてか、最後の方は声を消すようにした。
「はい……」
ジョクは、この少女の前では、なにひとつウソもいえなければ、強がることもできないと感じた。
「明日には、ギブン艦長もここにいらっしゃるでありましょう。アリサさまも……」
「……そうなので?」
「王がジョクに会ってからきめられました。お伝えいたそうとしたときには、お休みでしたから……」
「……いや、そうであればあるほど、自分はミィゼナーに残っていませんと……」
「ジョクは、フォイゾン王とお話しになったことを忘れていらっしゃいます。戦況は、この二、三日、大きく動くことはないのでしょう?」
「そうですが……」
「ジョク……」
エレの背後から、リムルがおずおずと呼びかけた。
彼女はジョクをそう呼ぶことにはなれていない。
けれど、パットフットの山小屋での生活以来、そう呼ばなければならないということはわかっていた。
「……わたくしから拝見いたしましても、つきつめすぎていらっしゃいます。お願いですから、わたくし共にも楽をさせてくださいませ。それは、ジョクさまにとってもよろしいことと存じます」
それは、ジョクへの思いやりから出た言葉であることは確かだった。脆弱《ぜいじゃく》で曖昧な立場にいるはずのリムルにそういわれてしまっては、ジョクはもうごまかしの苦笑をすることもできなかった。
「……はい……姫さま……」
「人の意識は良きにつけ悪《あ》しきにつけ独善的なものだと思います。周囲の情況と対照きせて下さいませ」
リムルの言葉に、エレがニコリと大きな笑みをみせた。
「……ニーまでもここに呼んだということは、ゴラオンがいよいよ進水するということですね?」
「はい、ウィル・ウィプスの動きしだいでありますが、クの国の動向も考慮せねばなりません。やむをえないことでしょう」
「ゴラオンが動くということは、国を動かすということです」
「はい、ラウにとっても大きな負担です」
エレは、そういいきった。
エレは、霊感があるとみられている少女である。理屈で理解し想像する以上に、事態の重大さを予感しているのであろう。
重い言葉だった。
ジョクは目を閉じた。
エレの言葉を受けてしまえば、延々と話がつづくことになろう。しかし、もう、言葉は不要に思えた。
ただ、エレに頼んでおいたチャム・ファウの捜索の進み具合をききたかったが、それもやめた。
報告がないということは、見つかっていないのだ。
この少女を急《せ》かせるような言葉は慎むべきだ。
ことに、エレは母親のパットフットとともに隠れすんでいた山小屋で、チャムとはとても仲良くしていた。すべてに共感しあえるという感じだった。
捜索の手配が、いいかげんなわけはない。
しかも、いまやエレ・ハンムはエレ・ゴウとして軍の参謀という地位にあった。
チャム・ファウひとりのために、捜索部隊を編成させることがどういうことかも知っているのである。
ひょっとしたら、チャム・ファウの捜索を、フォイゾンに願い出ることをしていないのかもしれないし、捜索そのものが難航しているのかもしれない。
そんなことはきけなかった。
「今は、もうおやすみなさいませ」
エレは深刻な表情をしたジョクの顔を見下すと、かけてある毛布の上に手をそえて、少女らしいあどけない微笑を見せた。
そして、リムルにむいて、
「わたくしは、やすみます。リムルさまは、すこし聖戦士殿のおそばにいられると良い」
「はい?」
「……いきなり皆がいなくなっては、ジョクがお寂しいでありましょう?」
ジョクは、思わずエレの横顔を見上げてしまった。こういうことをいえるエレをとんでもない少女だと痛感した。
「……は……ありがとうございます」
リムルは、自分でも気づかなかった欲求を指摘されて、うろたえた。そして、ジョクと同じように、エレの不思議な洞察力を身にしみて感じるのだった。
「でも、あまり遅くなってもいけませんよ」
「もちろんです」
ずっと年下の少女にそういわれて、さすがにリムルも苦笑した。
「すみません、生意気ですね、わたくし」
「それとはちがいます。エレさまは……お気になさらないようにして下さい。これは本当のことです」
ジョクは、年上の青年としてそれだけはいうことができた。
「ありがとう」
エレは、チャム・ファウのことはなにひとついわず立ち去った。
『……あのお方は……子供のくせに、おれを追いこんでいく力をお持ちだ……』
ジョクは、自分がより以上の能力、つまり、器量をもっていればどうということはないのだと思いたかったが、いまとなってはすでに遅いと思わざるを得ない。
エレとそれにしたがう二人の侍者《じしゃ》の気配が遠のくと、リムルはおずおずと、ジョクのベッドのかたわらにスツールをよせてすわった。
リムルとジョクが二人だけになるのは、はじめてだった。
「……フォイゾン王がエレさまを水先案内になさるというお話、どういうことかよくわかりませんでしたが、今、わかったような気がいたします」
「はい……そうですね」
「聖戦士になぞらえれば、聖姫《せいひめ》とでも?」
「そうでしょう」
さすがに、こういうときにジョクは無用な遜《へりくだ》りかたはしない。
「なんでありましょう。霊力、霊感、そんなものがあるとはパットフットさまもおっしゃっていました。それで、あの山小屋に上ったのも、エレさまのそういったものを鍛えるためでもあったと……」
「……仙人ね……」
「はい……」
そう返事したあとリムルはひと呼吸おいた。ジョクは彼女が日頃考えていることをしゃべるのだろうと感じた。
エレがリムルを残していったのも、それを感じていたからだと納得した。
エレは、嵐の大海に投げだされたようなリムルを身辺に置くことで、彼女を庇護《ひご》していたのである。それは母親のパットフットから倣《なら》い覚えたことであろうが、その意志を崩さずに、このゴラオンにまでリムルを伴って来ているのである。
少女のやることとしては、できすぎていた。
「……エレさまの洞察なさったとおりです。自分ひとりで悩んでいるばかりで、方法は思いつかなかったのですが、こうして、聖戦士殿のおそばにいると、聖戦士殿にお願いすれば、具体的な行動がとれるという気がいたします」
「はい……?」
ジョクは、緊張はしなかった。
「ショットさまのお館《やかた》にも潜入できたとおっしゃいましたね? わたくしを、母のルーザのところに連れて行って下さいませんか?」
「なんのために?」
「アリサさまと同じ動機です。母のルーザを説得して、ドレイクさまにラウの国へ軍をすすめることを思いとどまるようにしていただくか、せめて、ビショット・ハッタさまがドレイクさまに協力することを断念なさるよう進言させたいのです」
そう決心したのか、と納得はできる。
アの国の最高技術顧問であるショット・ウェポンの意見をきいたジョクには、そんなことで、戦争が回避できるとは思えなかった。
世界全体とはいわないまでも、アの国を中心としてコモン界全体のほぼ四分の一ぐらいと推定される範囲にある国々が、時代という波頭にのって戦争へと突っ走っているのである。
それを、人智《じんち》でとめることはできない。
しかし、リムルは何かをしなければ気がすまないというところまで追いつめられているのは理解できる。それは、疲れがありありとうかぶリムルの顔を見れば痛いほどわかった。
光度がじゅうぶんでない電球のせいばかりではない。リムルの目の下には、幅広く隈《くま》が浮きあがっていた。
「甲斐のないことのように思われますが、リムルさまのお気持ちはよくわかります。ですから、協力して差し上げたいのですが……」
「ジョクさまが次にカットグラに乗るときに、なんとかご一緒させていただいて、アの陣営のどこかにお連れ下さいまし」
「もちろんです……」
「ありがとうございます……」
リムルの語尾は消えいるようになった。実行するときの難しさに思い至って、戸惑っているのだろう。
「リムルさま……」
「…………!?」
「エレさまは、リムルさまのそのお気持ちをご承知で、このように自分との時間を作って下さったのでしょう。ですから、リムルさまが本気で世界のためになる行動をなさるのなら、エレさまがチャンスは作って下さいます」
「そうでしょうか?」
リムルは息を呑んで、エレが消えていったカーテンの方を眺めた。
「そういう方だと、話しあったばかりでしょう」
「それは……そうですけれど……」
影の薄い少女、リムルが作り笑いをした。
そして、異世界の男性を相手にしている気安さからか、混乱しているからか、ヒョイと上体をかがめてジョクの顔をのぞきこんだ。
「カーテンのむこうには、わたくしの監視役の武官がおります。彼が報告するということだってありますでしょう?」
「ありえましょうが、もしそうだとしても、エレさまが普通の少女だったら、あのような配慮をみせましょうか?」
「ああ……」
リムルは、嘆息を隠すように、動作をワザと大きくして上体を起した。
「事態は……一瞬に切迫したものになるかもしれません。だから、自分がどこまで好きにできるかは保証できません」
「はい……」
リムルは両手を前に組むようにして立ちあがった。
「では、おやすみなさいませ。また明日にはうかがえましょう」
「ありがとうございます。リムルさまもよい夢を」
ジョクは、コモン人流の挨拶をしてから、
「申し訳ありません。あの電気を消して下さいませんか」
「…………!」
リムルは、ベッドの頭の上のスイッチを押して消してくれた。ベークライト製で大きなスプリングが内蔵されたスイッチは、大きな音をたてた。
カーテンの外にある非常用の常夜灯の光を背にして、リムルがカーテンをひらく影がみえた。
「おやすみなさいませ」
シャーッとカーテンのリングが鳴った。
リムルの足音にかぶるようにして、武官のブーツの踵《かかと》の鋲《びょう》が床をうつ音が、ひそやかながらも規則的に遠ざかっていった。
「…………」
ジョクは、士官用病室のかたすみでひとりになった。
肩口がヒンヤリとするものの、寒いというほどではない。
下半身に集中していた痛みを感じなくなっていた。
ジョクはゆっくりと上掛《うわが》けの毛布をひきあげて肩をつつんだ。
キラッとジョクの視野のなかに、一人の女性の顔が走った。
つづいて、老婆の顔も走った。
常夜灯のほの暗い光がとどいている天井が視野いっぱいにあって、そこに、その二人の女性の顔が走ったのだ。
「バアちゃん!?……杏耶子《あやこ》さん?」
ジョクは、反射的に田無《たなし》の家で寝込んでいる祖母を呼び、やや遅れて若い女性の名を呼んだ。若い女性の名を反射的に思い出せなかったことにジョクはあわてて、
「……フロイトなんか!」
と口のなかでゴチョッと否定するように吐き出し、生囓《なまかじ》りのフロイトの精神分析学など否定したかった。
まちがえるとか、すぐに思い出せないということは、精神分析学的にみれば、その対象を遺棄《いき》しようとしている潜在的な欲望があるというような説だ。
『杏耶子はちがう。あれは、絶対にぼくにとっては、まちがいなく必要な存在なんだ』
ジョクは意識下で絶叫するように、東京都下の田無市にあるジョクの家にあらわれた日本女性、中臣《なかおみ》杏耶子の名前を呼んだ。
突然出現したカットグラにあわてふためく周囲の騒動のなかで、ちょっとだけ知り合って、意気投合できる相手ではないかという感触を得ただけで、むつみあうこともなかった女性なのだ。
その後も、彼女がジョクの家にいてジョクを待ってくれていることなどは、もちろんジョクは知らない。
『杏耶子……どうしたらいいんだ? 今夜は静かだが、次に起ることは面倒というレベルを越えるかもしれないんだぜ』
ジョクは目を閉じて、端正な姿かたちのなかになにか不思議な洞察力をもっているように感じられた杏耶子を思い出そうとしていた。
ひとつだけ確実にわかることは、杏耶子といっしょにいた青年、常田俊一《ときたしゅんいち》がかならずしも彼女のよい友人ではなく、彼女はジョクのような青年をもとめていたということである。
杏耶子は、ジョクの身辺に起ったあらゆる事象にたいして、極度に感じやすい感性を発揮して、それらの事象がどういう意味をもっているのか探り出そうとしていた稀有《けう》な女性だった。
それも、恐れ、という面からその結果を知りたい、知らなければならない、ということを、杏耶子はジョクに教えてくれたのである。
『彼女の黒髪はかたかったな……』
杏耶子の髪にチャムがからんでしまったときに、それをほどいてやりながら、杏耶子がみせたむきだしの好奇心をジョクは思い出した。
『彼女の関心がぼくにからんでいた……』
チャムとソリがあわないということもふくめて、杏耶子はジョクに近い存在なのである。
「どう考えたらいい? 杏耶子……このゴラオンもそうだし、ウィル・ウィプスもそうなんだ。クの国でも巨大戦艦を建造したという……これはおかしいことだよ。できるはずがないと思われていたことを、いまやコモン人はやっている。やってはいけないことを、コモン人は技術革新のすばらしさと信じてやっちまっている……これは、おかしなことだ……」
また足の傷が痛みだしていたが、それは傷がなおる徴候《ちょうこう》のように感じられた。
『エレ・ハンム……あの女の子はこうやって、ぼくが杏耶子といっしょになにかを考えることも予想してるんじゃないのかな……』
ラウの王フォイゾン・ゴウにとって、エレは外孫のチビでしかない。
王に人をみる目がなければ、事情がどうであれ、あの少女をエレ・ゴウとして軍艦にのせるようなことはないはずである。
フォイゾン・ゴウは、肉親を溺愛《できあい》するタイプではないのだ。
とすると、ジョクがエレから感じるプレッシャーを、フォイゾン・ゴウは、彼女の力として見抜いているということである。
エレがジョクの見舞いにくることも、知っているのであろう。
『ラウの国……フォイゾンとエレとパットフットさま、それに、ピネガン・ハンムもだが、ひとつの意思につながっている人びとにみえる……なのに、ピネガンは死に、ミの国は破れた……なぜだ?』
フォイゾンが出るのが遅かったというだけのことではないように思われる。
肉親の確執だけが原因でもない。
『なぜだ?』
それは刻の流れ、時代の趨勢《すうせい》?
そう断じられるか?
ジョクは、ひっかかった。
「怪しいな……杏耶子……?」
そんなことを考えながら、ジョクは、いつしか眠りに落ちていた。肉体には、睡眠はシステムの一部として組み込まれているのである。
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10 トモヨ
杉の皮でふいた即席小屋の屋根にはいくらでも隙間があって、そこにはけっこう枯葉がたまっていた。
枯葉は下の部屋の暖気で暖められていて、そのあいだにもぐりこめば、寒さを苦にせずに寝られそうだった。
気になるのは、下からきこえる男女のむつみあう声のほう。苦しんでいるのでも、いじめられているのでもないとわかっていても、切迫してきこえる声には生理的に閉口する。
が、それも、まだまだ子供のチャムには、はなれてしまえばどうということはなかった。
チャムの癇《かん》に障《さわ》るのは、商売でやっている女たちが、男を誘うためにわざと発する甘い声、下手な芝居のほうだ。
女たちの小狡《こずる》い魂胆がみえるからだ。
それでも、ステラの声にはバーン・バニングスを捜したいという切迫感があって、気にならなかった。
人は、気持ちをなだめるためには、どんなことでもやってしまうのだ。
どんなことをやっていようとも真実味のあることは許せる、とチャムは納得していた。
『ステラに頑張ってもらって、バーンの近くにいられれば、ジョクのところに帰れるかもな……』
理屈でなく、チャムはそんな風に感じていた。
こうして、敵地深くにいて、知る人もなく手がかりもない情況は、どうしようもなく不安なものだ。
それが、ステラという気の合いそうな女と知り合い、バーンを捜すことになったのは、ちょっとした安心である。その上、敵ではあっても、一度はいっしょに地上に出た仲のバーンとなら、ジョクのところに帰れるかも知れないとチャムは思うのだ。
『……そのときは、バーンとジョクは戦うことになるんだろうけど、そのときはそのときでバーンを殴ってやる』
そのていどの覚悟はあったから、あとは、ステラが呼んでくれるまで待つだけなのである。
『ずっと気絶していたから寝ていたようなものなのに、なんで寝られるんだろ……?』
チャムは、暖かい枯葉のなかでトロトロと眠りに入っていった。
その屋根の下では、ステラがバーンの艦艇の停泊場所とか移動する先をききだすタイミングを狙いながら、ザナドの激しい攻撃に身をまかせていた。
ギュルル……。
ドーメ・タイプのオーラ・マシーンが、ひどい低空飛行でこの店筋にある林の上空を通過した。
「うるさいな……」
ザナドたちを送ってきたドーメがそうであるように、半舷《はんげん》上陸のときパイロットたちがドーメなどをつかうことは黙認されていたので、飛行そのものは不思議ではない。が、その飛行のしかたが異常だった。
引き返しては、また林の梢《こずえ》をなぎはらうように店筋の真上をゆったりと飛んだ。アの軍のオーラ・マシーンではなく、クの国で建造されて、独自のフォルムをもつ『ドッフオ・タイプ』の機体だ。
「なんだよ……」
チャムは真上を見た。その機体がなにか嫌な気配《けはい》を持ちこんできそうな感じがした。
ザワッ! ギュルン!
その機体は、四本の触手状のフレイ・ボンムの射出口をひろげたまま、わざと機体を落すようにして林の梢を折ってみせた。
バラバラッと四散する枝が、店筋を構成する小屋の上に舞い落ちた。
「ウワッ!」
チャムが寝ているところにもそれが降ってきて、屋根が壊れるのではないかと思えた。
「どこの部隊だっ! 軍にいいつけてやれっ!」
そんな声が、小屋のあいだからあがった。
商人たちの動揺など眼中にないのか、その機体は、またも店筋の上空にもどってきて、枯枝を払いながら、
「ザナド! ザナド・ボジョンに用がある! これから降りるっ! 顔を出せよっ!」
スピーカーの音響は、コモン人には雷のようにきこえるものだった。
「あーっ!」
チャムは、耳を押えて上体をかがめた。
その声そのものに威かされたのではない。そのスピーカーをとおした女性の声が、予感したとおり不快感をともなったもの――危険な存在が接近した――とわかったからだ。
幸いだったのは、オーラ・マシーン、ドッフオの轟音のおかげで、チャムの悲鳴が下の部屋にいるザナドにはきこえなかったことだ。
「……トモヨ・アッシュだ! 急ぎ会いたいっ!」
スピーカーは山間部の空気をふるわせると、ザナドたちのドーメが着陸した広場に降下していった。
「……旦那さん…!?」
屋根の下で、ステラのおびえたような声がした。
「……気にするな、あのバカ、どういうつもりだ……」
興醒《きょうざ》めしたザナドは、店の外に出てみる気になったようだ。
男と女のあいだに充満した動物の匂いが、チャムのところまで沸きたつように臭《にお》った。
杉板と枯葉のあいだから這い出ながら、チャムの気持ちはささくれだった。
「……トモヨ・アッシュだって!?」
きいたことがない名前だが、その響きが気持ち悪かった。
「もう一発やりたかったよな、ええ……?」
「そりゃあね、いいかげんだったから……」
チャムには、ステラの世辞の声もいらだっているよう思えた。ザナドからじゅうぶん情報をききだせないために困惑しているのだ。
「おめえはいい腰してやがっからよ」
ザナドの声が、通路のほうに移動していった。
チャムはブルッとからだをふるわせた。冷えこんだ夜気《やき》のためではない。怖いもの見たさに似た気持ちで、チャムは小屋の正面の方に飛んでいった。
「…………!?」
その女、トモヨ・アッシュの影はすぐにわかった。
木の枝が視界を邪魔していたが、歩く人影などまったくない店筋を、こちらにむかって歩いてくる、派手なピンクに染め上げたクの軍の革鎧《かわよろい》と、同じ色の風よけのマントで身を固めたシルエットだ。
チャムは、足速《あしばや》にあるくその影を見て息を呑んだ。
「……なに……?」
全身から、身につけている衣裳とはおよそ不釣り合いな、重く、ほの青い光がたちのぼっていたのだ。
オーラ光である。
妖気《ようき》そのものとしか思えない不気味な青い光が、ゆったりと炎のように動いて見えた。
屋根の杉の皮をつかんでいるチャムの両手に、その皮をはぎとるほどに力がこめられた。
「…………!?」
チャムはただ、店筋の中央をサッサッと歩むその女性の影を、瞳孔《どうこう》をいっぱいに開いた目を貼りつけるようにして追った。
チャムの真下で、ザワッと気配が立った。
小屋の入口にいたザナドが、
「ウーッ! さぶっ……!」
と、小屋から持ち出した毛布を肩にして、トントンと軽い足踏みをした。大柄なザナドには似つかわしくない軽快な足音だった。
「…………」
チャムは息をついた。ザナドの気配がチャムとトモヨをつないだ緊張の糸を断ち切ってくれたのだ。
「……トモヨか?」
「気は抜いたかよ?」
トモヨは、ザナドの正面に歩み寄りながらそんな風にいった。
チャムは、なぜか、間近にトモヨを見下す勇気はなかった。杉皮をつかむ両手はそのままだったが、腰がひけてしまって、ペッタリとすわりこむような姿勢になっていた。
「……無礼この上ないな」
「やらせれば、文句はないかい?」
トモヨの笑いをふくんだ声は、チャムにおぞけをふるわせた。チャムは両腕のあいだのふところの小さな闇をにらむようにした。
「バカぁいえ。男はな、デリケートなんだよ。殺気をただよわせているような女とまんこができるか?」
「感じすぎさね……こういう雰囲気ならその気にもなろうよ。フン……あんたの男ぶりもあんがいいいようだ。どうだい?」
その声に、チャムはわずかに妖気のようなものが遠退《とおの》くのを感じて、おそるおそる顔をあげた。
「…………!?」
トモヨは、ザナドの前にしなをつくるようにしてすり寄ってピンクのマントをひろげた。
しかし、その動きにも刃《やいば》のように研《と》ぎ澄まされたところがあった。その女のすごさを見せつけられたチャムは、ギュッと目を閉じた。
「商売女の匂いを消してくれるなら、しっぽりやろうじゃない?」
「……なんでこんなところまで来たんだ」
「ちょいとあんたの話をききたいのさ。あんたは、ジョクと戦って生きている」
その言葉は、チャムに取りついていた恐怖を一瞬に振り払った。
「…………!?」
チャムは、身を乗り出してしまった。
そのとき、ザナドがトモヨの腰を抱いて入口をくぐらなかったら、気づかれていただろう。
「……恥晒《はじさら》しだ……他人に話せるようなこっちゃねえ」
「あたしだって、他人に話をききに来るのは、股ひらくより恥かしいよ」
移動していくふたりの声が、屋根をとおしてきこえる。
「お客さん!」
「お客さん、どうなさったんです?」
ステラの商売用の声に、遣手婆《やりてばばあ》の声がかさなってきこえた。
「部屋代も女の金も払った。文句はないはずだ」
「こちらにも示しというものがありまして……」
「なにかをいえる立場じゃないんだろう? ここを焼き払うことだってできるんだぜ」
ザナド、遣手婆、トモヨの声がかさなり、
「素人同士なら、ここを出ていってもらうのが筋でしょ! お母さん。あたしの面子《メンツ》だって……」
「腐《くさ》れまんこがなにをいうっ!」
ステラの抗議に、トモヨのすさまじい言葉が飛んだ。
「……あんた……!」
ステラの次の言葉には殺気があったが、
「ふざけんな!」
トモヨの怒声と同時に、ステラが殴られたらしい音、絨毯に身体がぶつかる音などがした。下の物音にあわせて、屋根までが揺れた。
「やめとくれ! ほかのお客様に迷惑じゃないか!」
「お客さん、軍人さんだって、無法はご法度《はっと》なんだ! 場合によっちゃあ、軍の人を呼びますぜっ!」
男の声がからみ出した。
「チクショー! あの女の言い種《ぐさ》は、許せるもんじゃないんだよ!」
「ステラ……!?」
小屋のなかをのぞいてみたかったが、そうするわけにはいかない。チャムはあわてた。
あの妖気をただよわせるトモヨ・アッシュという女は、尋常な女ではないのだ。
チャムは裏口の方に飛んで、ドアが開くのを待った。怒声はまだつづいていた。
『……ステラ、あんなのを相手にしちゃまずいよ』
「……シェラザーゼは奥で寝てな。そうしなって!」
男の声がした。
「あたしは、そのお客さんにもう一度遊ぼうって誘われてんだ! その部屋を使うんなら、あたしがお客さんを楽しませているのを、あんたが見物してからだよ……!」
「黙れって、シェラザーゼ!」
ステラは、商売女を演じていることなど忘れているようだ。
「……どうしよう?」
チャムは枝のひとつにかじりつくようにして、からだを硬直させた。ステラが殺されて、裏口のドアから放り出されるのではないかと恐れた。
「ちょっと頭を冷して来な!」
ドアがドスッと鳴ってもつれるような音がしたかと思うと、再びドアがきしんで、マントとバッグを抱えたステラが転がり出てきた。
「ムステド! 女を外に出したぞ!」
ステラを放り出した男の声であろう。そんな声が、厨房とシャワー室のあいだでひびいた。
「ステラ……」
チャムは林と小屋の隙間の闇のなかに飛び出してみたが、あまりに無防備なのであわてて木の陰にもどった。
外に放り出された恰好のステラは、マントとバッグを抱いたまま大きく空気を吸ってから、ドアのほうに行こうとした。バッグの下の手が、ナイフをさぐっているようだ。
「ステラ! 駄目だよっ!」
飛び出したチャムは、ステラの髪を力いっぱいひいた。
「……あの女を殺す!!」
「駄目だ。無理だよ。あの女は危険だよ!」
チャムはステラの髪のなかに飛びこんで制止した。
「無理……!? 知っているのか?」
ステラの上体が、ギョッとしたように硬直した。
チャムは裏口のドアの奥の明りを気にした。数人の影があわただしく動くのが見えた。
「店に入るところで話をきいたんだよ。聖戦士を殺す相談をしていた女だよ」
「聖戦士を?……」
ステラはドアに手をかけたまま、ふっと全身の力を抜くと、
「……少しここにいますからね! 外の空気を吸わせておくれよ。お母さん!」
ステラの突然の口調の変化に、チャムはステラも生半可な女ではないと感心した。
「いいけどさ、ムステド! 女が外に出てんだぞ!」
厨房の方から、また男の怒鳴る声がした。
その声をきくと、ステラは身体をまわした。チャムはあわててステラの顔を楯《たて》にするようにして飛んで、裏口から見られないようにした。
「あの女、怖いんだ。青い炎を光らせていたんだよ」
「……わかるよ。その感じは……」
ステラはグッと怒りをこらえながらも、瞳をふるわせていた。
「ステラ……!?」
「逃げるよ、ここを……」
「どうすんの?」
「あの女に舐《な》められたんだよ。なんとしてでも殺してみせる」
ステラは、背後の小屋の気配を気にしながら、しだいに足を早めていった。
「いいの?」
「荷物は持っている」
いいざまステラは、林のなかを走りだしていた。
チャムは、ステラの変化に舌を巻いたものの、彼女の行動には納得できるところがあった。
「そうか……ね!」
チャムも興奮してきた。トモヨとザナドの怖さは承知しているのだが、いまがチャンスだと思ったのだ。
「なんだい」
ステラの息がはずんできた。
「あのオーラ・マシーンをかっぱらえないかな」
チャムはいってしまって、自分の思いつきにビックリした。
「なんだって?」
「あの女の乗ってきた機械をつかうんだよ」
チャムは、あの男と女がむつみあっている間に絶対にできると思った。
「兵隊はいるんだろ?」
「二、三人はね! 見てくる」
「ああ、騎士バーンの居場所の見当はついたんだ。足があったほうがいい」
チャムは全部まできかずに、広場のほうに一直線に飛んでいった。
『そうなんだよ。あのふたりはジョクに会わせちゃいけないんだ!』
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11 チャムとステラの戦線
チャムが林を抜けて広場に出ると、クの国のオーラ・マシーン、ドッフオのハッチの下に立っていた兵が、ブリッジに上っていくところだった。
「冗談じゃないぜ。朝まで待たされるのか?」
そんな声と同時に、ハッチが閉じられた。
「フーン……」
チャムはドーメ・タイプの機体には、たいてい三人の搭乗員がいることを知っていた。
もし、そのうちの二人を機体からおびき出せれば、あとは、ステラがなんとかするだろうと思った。
林のなかを走ってくるステラの影を見定めると、チャムは、とっておきの決心をした。
フラフラと蛇行するように広場に飛んで出たのだ。
酔っぱらっているふりをしているつもりだった。
上下にも大きく波をうつようにして、「ヒック!」とやってもみせた。もちろん、ブリッジの窓から見られるように計算して飛ぶ。
「ヨシ……」
ステラの声がした。チャムのやることに林の陰からうなずいたのだ。チャムは勇気づけられた。
チャムは、よりいっそう大きく上下に飛んで、羽根をとめて落下する真似《まね》までした。
「…………!!」
さっきハッチを閉じた兵が、ブリッジの窓からのぞくのがみえた。
ヘッドライトの光がチャムにむけられた。チャムはよろけながら、ドッフオからすこしはなれた。
「やっぱり、フェラリオだぞ!」
ハッチがひらかれた。
「ライトは消して、消して! 酔っぱらっているんだよ」
ブリッジから二人の兵が飛び出し、チャムのほうに小走りに忍び寄ってきた。チャムは、彼等にあわせるように、よろよろと降下しては、舞い上ってみせた。
「来るぜ!」
「よしよし。いい娘《こ》だ。こっちに来い。可愛がってやる」
裸にしていじりまわきれるだけならなんとか我慢のしようもあるが、まちがって捕まえられて、羽根を千切られたりするわけにはいかない。
「…………」
緊張しているのに酔ったふりをするのは難しい。薄目をあけて距離を取りながらも、誘うようにしなければならない。
「ウイーッ!」
チャムは必死の思いで、地にころげ落ちる芝居までした。
「いいぞ! オスじゃねぇな!」
二人の兵が、駆け寄ってきた。
林からはなれたステラが、マントにつつんだ身体を、ドッフオのほうにすべらせるようにして行くのが見えた。
「ヒック!」
地に両手をついてふらっと上体をゆらせながら、チャムは立ちあがってみせた。
「ヒーッ、ヒヒヒヒヒ……」
兵との距離を測《はか》るために、両手を左右に開いて笑ってみせた。が、怖い。
兵がいま一歩というところまで近づいたところで、また飛び上った。
「こら、待て、可愛がってやろうってンだろ!」
「こっちに来るんだよ」
二人の兵が左右からはさみうちにするようにして近づいてきて、一人の兵の手がチャムの足に触れた。
「…………!?」
チャムは一気に高度をとった。ステラの姿がオーラ・マシーンのブリッジの中に入っていくのが見えた。
もう一度低空にもどって、四本の腕が舞うあいだを林の方に流れるように飛ぽうとしたとき、一本の腕がチャムのからだを打った。
「グヘッ!」
オスかメスか判別がつかない不様《ぶざま》なうめき声が出てしまった。
ヒヤッとしながら、チャムは林に飛びこむようにコースをかえた。
「チッ! 正気にしちまったぞ!」
怖かった。チャムはもうコモン人に触られたくなかった。
「こいつ! 逃げるぞ!」
ふざけていた兵たちは、すこし本気になって追って来た。
「クッ……!」
チャムが林の木のあいだで一気に高度をとって、枯葉の束を蹴散《けち》らすようにしたとき、オーラ・マシーン、ドッフオのエンジン音が闇をふるわせた。
「……なんだぁ?」
「どうした?」
チャムを追っていた兵たちは、異変が起きたとは思わなかったようだ。彼等は、再び梢越しにチャムを捜しはじめた。
ドッフオがフワッと離陸した。二人の兵は異変に気がついた。
チャムはマシンにむかって全力で飛んだ。
ハッチを開いたまま、ドッフオは、一気に高空にかけあがる気配をみせた。そのため、ハッチから飛びこんだチャムは、ブリッジの床に叩きつけられる恰好になった。
「うわっ!」
ギュルルル……!
床に張りつけられそうになったチャムは、四肢に力をいれてすべるからだをささえた。
「よくやった!」
「ハッ、ハハッ……!」
ひきつった笑顔をステラにむけるのが精いっぱいだった。
「気を抜くんじゃないっ! あの小屋を焼くんだよ!」
「そ、そんなっ!」
ステラに背後からはがいじめにされたパイロットは抵抗しようとしたが、ステラが彼の首を絞めたまま、ナイフを顎の下に押し当てていた。
ステラの足は、パイロットの背中をささえるハンドレールの上に乗っていた。
小柄なステラはそうしないとじゅうぶんに兵士の首を絞めることができないのだが、それができるということは、身体を使うことになれている証拠だった。
「……そんなことはできない」
ステラに背申に乗られる恰好になったパイロットは、彼女の命令を拒否した。
ギリッ!
ステラは顎の下に当てていたナイフを立てるようにして、頬に刃の先端を突きたてた。血がボデッとした山になって吹きあがるのを、ステラはナイフの刃で掬《すく》って、パイロットの唇に押しあてた。
「自分の血をもっと舐めるかい?」
「や、やる……!」
ステラはナイフの峰を、再びパイロットの顎に押し当て、
「店の左の筋をフレイ・ボンムで焼くんだ! 変な操縦をするとあたしの手元が狂って、あんたの首を斬《き》るよ」
「わ、わかっている」
チャムはステラの横に飛んでいって、もしパイロットが妙なことをしたら、蹴《け》りのひとつもいれてやろうと身構えた。
ドッフオは流れるように方向をかえると、正面に店筋を浮き出させているガス灯の列をとらえた。
バダン!
ハッチが激しい音をたてて閉まった。
「左の小屋の列、奥の方が狙い目だ」
「は、はい!」
首を絞めあげるステラを背負いながらも、パイロットは上体を固定させて、狙いをつけようとした。
ドッフオの機体のまわりに装備されてある四本のフレキシブル・アームが前方にむけられたが、その間に、店筋は視界から消えて後方に流れていった。
「なにやってんのっ!」
「やり直します」
パイロットがそういって機体をターンさせた。ステラの足がハンドレールの上をすべり、そのためにナイフがパイロットの眼前で躍った。
「グヘッ!」
チャムの反対側で、パイロットがうめいた。
「いったろう! 殺されたくなければ、やりなっ!」
さっきとはちがう角度で、店筋の光の列が、ブリッジの窓から見えた。
「正面右のむこうっ!」
チャムがするどく叫ぶ。ジョクとの協調プレーのときの癖だ。
「はいっ!」
おびえきったパイロットが絶叫するのと、窓の外にフレイ・ボンムの閃光が走り、光り輝くのとが同時だった。
バフッ! バボンッ!
四条のフレイ・ボンムの筋が闇にのびて、地に突きささった。
チャムは、これもジョクと飛行しているときの癖で、背後の窓を見たが、爆撃は確認できなかった。
が、ジョクと飛行しているのではないと気づいたチャムは、黙ってパイロットの次の行動を待った。
「もっとだ! 確実に焼くんだっ!」
ステラの絶叫が、フレイ・ボンムの発射音以上に大きくブリッジにひびいた。
「はいっ!」
顔一杯に汗を吹き出させたパイロットは、泣くような声を張りあげて機体を傾けた。
またもフレイ・ボンムの筋が窓の外にきらめいて、闇の中に真赤な閃光を噴きあげさせた。
ドフン! バオウッ!
チャムの目にも地上にはじける炎の塊が、木々をはらい、小屋を薙《な》ぎ倒しながらひろがるのが見えた。
「いけっ! やれーっ!」
炎の色は感情を激発させる。ステラが興奮した。
チャムは、炎のなかで、ザナドとトモヨという、ジョクのことを話していたふたりのパイロットが焼かれることを念じた。
そうでなければ、ジョクが危険なのだ。
まさか、その周囲で、百数十の人びとが業火《ごうか》に焼かれていることなど想像もしなかった。
それは、ステラも同じなのだ。
トモヨが自分を罵倒《ばとう》したから、殺さなければならないと思ったのではない。自分が侮辱《ぶじょく》されたていどのことなら、殴り合いですませられるステラである。
しかし、自分の客であったはずのザナドが連れてきた女騎士トモヨ・アッシュは、クの国のパイロットであった。ザナドとねんごろにしながらも、女としての自分を投げ与えることにも傲慢《ごうまん》で、しかも、ザナドからジョクのことをきき出そうとしていた。
クの国のパイロットで、そのような行動をとる女が、バーン・バニングスと良好な関係をたもつ者とは思えなかった。
直感的に、バーンを後ろから射《う》つ女だと思ったのだ。
そして、同性であるステラにたいするあの罵詈《ばり》雑言《ぞうごん》。
ステラにはチャムが見たような妖気の炎は見えなかったものの、トモヨという女の存在は、危険で無視できるものではないと感じられたのだ。
チャムが、なぜこの機械を使えといったのかはわからなかったが、この機械に乗りこんでパイロットを制圧した瞬間に、ステラは、この機械を使えば、確実にあの凶悪な気を発散する女騎士を殺せると思った。
結局、フレイ・ボンムの斉射は、数回にわたってつづけられた。
が、これは戦闘行為ではない。
犯罪である。
しかし、ステラの頭にあるのはトモヨ・アッシュのことだけなのだ。
「ステラ、もうメチャメチャだよ」
「そうか……よし、ゼイエガが停泊している場所にむかえっ!」
「そんなっ……!?」
「そうしたら解放してやる」
ステラの恫喝《どうかつ》は、パイロットにウムをいわせなかった。
見下すと、煙が林を舐め、谷間を覆うようになっていた。
ステラは、ザナドとトモヨを焼いたと思いたかった。
「まちがいないな?」
「え? ええ……店はメチャメチャになったよ」
さすがのチャムも、破壊のすさまじさに言葉を失っていたが、かんじんの二人の殺害の確認はとりようがなかった。
チャムは不安になった。
「下に降りて確かめたいが……」
「見てみる?」
「……いや、偵察部隊だって来る。ゼイエガのほうに移動したほうがいい……低空でな」
「は、はい……」
片頬を斬られたパイロットは、血で汚れたままの顔に涙と汗と鼻水をながして頷《うなず》いた。
しかし、チャムとステラの不安は的中していたのだ。
ザナドとトモヨという秀《すぐ》れたパイロットが、ドッフオのフレイ・ボンムの攻撃から逃げ出すことは難しいことではなかった。
操縦者が、ステラの脅迫にしたがっていやいや攻撃をかけてきたために、その爆撃行動は直線的ではなく、実戦ほど切迫したものでもなかった。
二人が交合しているときであれば、ステラとチャムの期待する結果が得られる機会もあったであろうが、攻撃が早すぎたのである。
ザナドは勃起《ぼっき》したものをなだめる暇もなく逃げ出さざるをえなかったが、それさえも、二人にとっては取りたてて悔しがるほどのことではなかった。
翌、早朝、出迎えにきたドメーロで母艦に帰還したトモヨとザナドは、そこで、お互いに気を抜いたのである。
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12 少女たちの内緒話
「エレさま。失礼いたします」
「はい?」
エレづきの侍従長クタス・カズンが呼んだので、エレはひどく素直にアリサとリムルの前を立って隣の部屋にいった。
アリサとリムルには、ふたりだけの時間が必要だろうと見越してのことである。
少女たちは、ゴラオンのエレ・ゴウの部屋にいた。
円窓の外には、スィーウィドーの長大な茎と葉をささえるための気嚢《きのう》のひとつが、ふわりと浮いているのが見えた。
機械の動きは見えない。
この部屋は、ゴラオンの上部構造物の一角にあった。
「……わたくしは、これからミィゼナーに帰る便で抜け出して、国に帰ります。どうなさいます?」
ふたりはひとつのソファにならんですわっていたが、アリサはリムルの方を見向きもしないで、単刀直入にそういった。
「あ……。はい、同道させていただけますなら……」
「いいのですね?」
「はい……」
阿吽《あうん》の呼吸というほどのものではなかった。
アリサとリムルは、似たような立場にいながら、これまで別々に行勤しなければならなかった。
しかし、このように、時をおいて会えば、その思いは同質なものであろう、とお互いに想像がついていた。
「こんなこと、ミィゼナーの誰も許してくれませんから、ミハンを説得するのに時間がかかりました。わたくしが乗り込む前に、ミハン機に乗せてもらうように……」
「はい」
リムルも背筋を伸ばして返事をしたものの、アリサを見ることはなかった。
ゴラオンでエレの相手をして日々を送るしかなかったリムルにすれば、ずっと思い悩んでいたことを解決する方法が、突然目の前にあらわれただけのことなのだ。
「エレさまには、内密で……」
「はい……」
リムルは、アリサに現実的な問題を指摘されて胸をつかれた。
お茶に手を伸ばして、動揺をとりつくろおうとした。
「……ギブン艦長たちの作戦会議は、もうじきおわるようです」
エレは、二人の内緒話がおわった頃合をはかるようにして、部屋にもどってきてくれた。
「そうですか……よかった……」
「よかった?」
「はい、ミィぜナーは人手不足ですから、早く帰ってやらなければと……」
アリサは口にして、そのミィゼナーを裏切ろうとしている自分の立場に、身が引き締まった。
それが態度に出たのだろう。
「……気になることがおありですか?」
エレの意地悪ではない。アリサの態度に何か含みを感じて、エレはふだん滅多に見せない年端《としは》のいかない少女の顔をのぞかせたのだ。
アリサとリムルを姉と慕っている甘えであろう。
アリサは自分たちの秘密のことを悟られないように、言葉づかいを丁寧にした。
「はい、ギブン艦長がお願いしていることが、フォイゾン・ゴウ王に認められれば嬉しいのですが、ミィゼナーはお国にとっては他所者《よそもの》の艦ですから心配なのです」
「ああ……兵員の補充のことでしたら、心配はないと思いますよ」
あきらかにアリサを慮《おもんばか》った答がかえってきた。
「ありがとうございます」
アリサは深く頭をさげ、リムルもそれに倣《なら》った。
「まあ、お姉さま方おふたりとも、どうなさいました?」
そういって微笑をみせるエレの瞳は、笑ってはいない。
「…………!?」
頭をあげたアリサは、そのエレの瞳に答えることができない。
自分がやろうとしていることがまちがいなく成功するとわかっているなら口にもしよう。しかし、ミィゼナーからの脱出は、自分が納得したいだけのためであるという側面を否定できないのだ。
だから、ここで自分の計画のことは、口が曲ってもいえない。
そして、そんなアリサとリムルを前にするエレもまた、あらためて問い質《ただ》すことができないでいるのである。
エレがどれほどのことを察知しているのかわからないが、こちらの態度を容認してくれているということは、こちらの思いを決行して良いという意味であろう。
アリサは、エレの反応をそう判断した。
エレはそういう少女なのだ。
それは、フォイゾン・ゴウという希代《きだい》の王が、この少女の存在を認めているからという権威の問題ではない。
「……エレさまのお姿は日ごとに神々しく感じられまして、つい頭《こうべ》が垂れてしまいます」
「なにをおっしゃいます。お爺《じい》さまの威光に隠れて虎《とら》の皮をかぶっている姫にすぎませんのに」
エレのその表現さえ、アリサにはすさまじいものにきこえてしまう。
「過大のご謙遜《けんそん》は姫さまでも許せませんよ。将兵、臣民に慕われるぶん、その思いに応《こた》える毅然《きぜん》とした態度と洞察力をお見せいただいて、国を導かねばならないのが姫さまのお立場ですから、わたくしもただの世辞《せじ》で申し上げたのではありませぬ……威しかもしれませんよ?」
アリサは、新しいお茶の用意をするために、入口のわきに用意されているポットを取りに立ちながら、辛うじて、いつもの姉らしい口のききかたをした。
フォイゾンから申し渡されていたエレの勉強係という役を意識してのことだ。
年上の女としておしえてあげられることも、これが最後かもしれないという意識がアリサを急《せ》きたてた。
「怖いことを……そんなことは、わたくしにはできません」
エレは自分の椅子にちょこんとすわって、背筋を伸ぼしたかわいい姿勢のまま、アリサの姿を目で追った。
「はいはい、できないことは承知しております」
アリサはおどけるような口調でいいながら、エレのカップにお茶をそそいだ。
「そのお姿をお見せ下さるだけで良いのです。エレさまのお姿を拝見するだけで、エレさまをお守りしたい、エレさまにご不安なくお暮しいただけるようにと、下々は頑張るのです。そう思わせるようにお姿をお作りになればよいのです……なんと申しますか、心棒におなりになれば良いのではないでしょうか?」
「いればいいだけ、とおっしゃるのですね?」
エレは、アリサの言葉の意味を推量して口を尖《とが》らせ、不服そうな表情をみせた。
「はい……ジョクから……いえ、聖戦士殿から、かの国のことをきいたことがございます。聖戦士殿のお国には、天皇という国の象徴になる方がいらっしゃるのだそうです。けれど、コモン界でいう王とか領主とちがって、国の政治についての責任は一切とらないのだそうです。それでも、王のように国の象徴でいらっしゃるのだそうです」
「テンノー?」
「世襲制ですから政権が交替することがあっても、天皇は変らないのです。新しい政治を司《つかさど》る王がきまれば、まちがいのない政治をせよ、とおっしゃるだけなのだそうです」
「それですむのですか?」
「聖戦士殿のお国では、それですんでいるのだそうです。歴史的にはいろいろ問題があったり、天皇が人質になって、時の権力者の意のままになることもあったようですが……」
「そうでしょうね」
「でも、天皇が殺されても、すぐに天皇の世襲制を守ろうとする勢力が出てきて、天皇家を守ったそうです」
「そんな人は、人形ではありませんか?」
「似ていましょうな。わたくしにもよくわからないのです。でも、ジョクのいうことでよくわかることは……」
アリサは、ここでは聖戦士殿と言い直すことをわすれた。
「……そのような天皇制は異民族の集まった領土をまとめていく上で、有効だったのではないか、ということです。つまり、その時々に、武力をふるう権力者があらわれて国を統治しますが、そういう人たちの上に天皇のような国の象徴になる人をおくのです。そして、武力や政治的な権力をもった人びとは、下々の信用をとりつけなければ、国を治めることはできませんから、天皇の権威を利用して、天皇がこういった、天皇がこう望んだという風にとりつくろって、政治の決定権が天皇にあるようにみせかけたりするのです」
「そういうときに、天皇は権力者がまちがっていれば、諌《いさ》めたりはするのでしょう?」
「しないのです」
「はい?」
話の展開は、エレの想像力をこえていた。
「天皇は、その時の権力者にしたがってしまうのです」
「一番、偉いのに?」
「制度的には、一番偉いところにいるのに、実権は発動しないのです。そう、家にとってのお爺さんのようなものですね」
「天皇が、国のお爺さん?」
「はい、それを国家の単位でやっているのです……さて、先ほどの、いればいいだけのお話にもどりましょうね?……そういう不思議な人を国の一番上におくと、国家の体制を根本的に変える必要がなくなるというのです。人が、心棒になるから……」
「家があって、お爺さまがいれば、主人がなにをやっても、家にしろ、その家の伝統にしろ、のこるということでしょうか?」
「そうですね……ジョクがいうには、昔、まだ日本という国がなかった頃、いろいろな場所からいろいろな人びとが集まって国造りが始まったときに、それまでに、王が変るとすべてが変ってしまうような、いろいろな国の歴史などをみてきた人びとが、もっと有効な国の造り方はないのかと考えた末の結論ではないかということです……つまり、国の中心になる絶対的な存在を、だれかの魂とか世界を造った神さまではなく、また、その時々の力の強い者や能力のある者でもなく、天皇とすることで、国家というものが永遠につづくようにしたのです。天皇制とは、要するに国家に永続性をもたせるために生み出された政治体制であろうということです」
「聖戦士殿がおっしゃった?」
「はい……内緒話ですけれど、王国が永遠に優秀な跡継ぎを手に入れることはありませんものね」
「お爺さまもそれで悩んでおいでですから……」
「あ、申し訳ありません」
「いいのです。おつづけ下さい」
「ですから、一軒の家を例にとっても、隠居してしまったお爺さまであれお婆《ばあ》さまであれ、その方がご立派であれば、一家の押えと申しますか重しになります」
「はい……その方がいるだけでいい……ということですね?」
「そうです。家長が少し怠惰《たいだ》であっても、まちがいを犯しても、お爺さまお婆さまがまちがいを正すことができましょうし、家長よりも長生きをして、次の家長を待つこともできます。そのとき、実権をお爺さまお婆さまがもっていなくとも、です」
「わかります。いるだけでも、国を正し人を正せる徳を体現せよと……」
「御意……」
その間、リムルはエレの顔を息をつめるようにして凝視しているだけだったが、エレの受け答えをきいていて教えられることが多かった。アリサの説明にたいするエレの一つ一つの反応が、リムルの教師だったといってもいいほどである。
「さて、リムル、わたくしたちは失礼して、ギブン艦長の帰投のお手伝いをいたさねば……」
「はい……はい、エレさま、アリサさまは聖戦士殿へのご挨拶もありましょうから、わたくしはオーラバトラー・デッキでのお見送りの下見にいって参ります」
「そうしておくれ、頼みます」
リムルが意外に気丈に挨拶をしてみせたので、アリサは感心した。リムルもアリサ以上に悩み、迷い、決断がつかずに機会を待っていたのだろう、とアリサは思った。
「……クタス・カズン、武官たちには、お姉さま方を案内したら、ここにもどるようにと伝えて下さい」
エレは、アリサとリムルを見送りながら、侍従長に命じた。
『ああ、エレさまは、すべてを見抜いておられる……』
アリサは、通路に待ちうけるふたりの武官を目にして、エレに手をあわせたい気持ちになったが、それは許されることではない。
ごくふつうによそおって、アリサはジョクの部屋にむかい、リムルはオーラバトラー・デッキに降りなければならないのだ。
「お義姉《ねえ》さま、ありがとうございます。ミハン機のところに降りますから……」
「おたがいに、エレさまのお気持ちを無駄にしないようにしないと……もう甘えてはいられませんからね?」
そういってアリサは、侍従長からエレの命令をきかされている武官たちのほうを見やった。
「はい……」
ふたりの姫はそれぞれ武官をしたがえて、それぞれの通路にむかった。
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13 惜別は一瞬
「では、自分はエレさまのお呼びがありますので……お帰りまでにはもどってまいります」
「はい……」
アリサを案内した武官はそういってから、ジョクの個室のドアをノックした。
「どうぞ!?」
ふたつの声がした。
武官がドアをひらいてくれた。アリサの目はニー・ギブンの姿を認めた。
「艦長……」
隠し事のあるアリサは、ジョクしかいないはずの部屋にニーの姿を見て動揺した。武官は、すでに背をむけて退出していってくれた。
アリサは、ドアに一歩踏みこんだところで、立ちどまってしまった。
ジョクは、ベッドの上体をささえる部分をあげてすわるようにしていた。
「よかった。ほんとうに、ジョクの怪我はたいしたことがないのでありますね? これなら、次の戦闘には間にあうというものです」
ニーはアリサに屈託のない顔をむけた。
「ニーは艦長でありましょう。すこしはジョクの身体のことを考えて、一戦ぐらいはジョクなしでやって下さいませ」
戯《ざ》れる気持ちなどは寸毫《すんごう》もなく、アリサはそういった。
「申し訳ありません。ジョクがこんなにも回復しているとは考えてもいなかったので、嬉しさについ……ジョクの聖戦士たるところを眼《ま》の当りにして、つい当てにしてしまいました」
ニーのいうとおりなのだ。
アリサにもそれはわかる。
だが、最後の別れをしようという覚悟を抱いてきたアリサにとっては、ニーのきさくな態度が癇に障ってしまうのだった。
「すまないな。ジョク、ゆっくり休んでくれ」
「気にするな。アリサの我儘《わがまま》だよ。ニー相手だからいえるのだ」
夫婦であるから、その種のジョクの言葉も、日本人特有の謙遜言葉として、アリサも聞き流すことができるようになっていたのだが、いまは情況がちがっていた。
なぜ、こんなときに我儘をいってはいけないのか、別れの挨拶ぐらいは、ふたりだけでさせて欲しいと思うのがなぜいけないのか、とアリサは思った。
いつものジョクの口ぶりが冷たく感じられて、情けなかった。
「じゃ……またな……」
ニーはベッドわきのスツールの上に置いた革兜《かわかぶと》を手にした。
「どうした? アリサ……?」
ジョクが目をみはり、ニーもアリサを見た。
「……アリサさま?」
アリサはあふれる涙の筋を頬につくっていたのだ。自分でも、こうまでも涙がこみあげてくるのに戸惑いながらも、肩が上下に波だつのも抑えられなかった。
「アリサ……」
ふたりの男は、ポロポロと涙を頬にしたたらせるアリサに呆然とした。
「……失敬する。見送らなくていいぞ」
ニーはあわててジョクに声をかけ、握手もわすれてアリサの脇をすり抜けるようにして外に出ていった。
ドアが閉じられた。
「アリサ……すまない。よけいなことをいったか?」
ジョクは、つい口にしてしまった日本人的な謙遜の言葉のことを気にした。
「いえ……ちがうのです……」
アリサは鼻をつまらせながら首をふった。
前に出られなかった。
「どうちがう?……どうしたのだ? つらいことがあるのはわかるが……」
ジョクは両手を伸ばすようにした。
アリサにはそのジョクの手までの距離がとんでもなく遠いように感じられた、ただ肩をふるわせて嗚咽《おえつ》するばかりだった。
いざとなると全身に力がはいらない自分を感じて、いっそう情けなかった。
「……ジョクが考えているようなことではないのです……」
アリサは意識さえも殺して、涙の意味だけは隠さなければならないと思った。
ジョクは、テレパシーに似たようなもので相手の意思を知ることができるのだ。
しかし、情けなさにとりつかれてただ涙するアリサから、ジョクに伝わるような明確な意思はない。
身体が不自由だということもあって、ジョクのアリサにむける気持ちは優しかった。
そのことも、いまのアリサの胸には痛烈にこたえるのだ。
だから、情だけがあふれているアリサの意識が伝わって、ジョクの感情を刺激し、ジョクをも動揺させるのである。
「アリサ……」
あまりにアリサが立ちつくしたままなので、ジョクは足をベッドから降ろした。
「…………!?」
アリサは泣きながらも、ジョクを動かさせては傷のために良くないと思った。
が、鳴咽はとまらずに、ジョクを制止する言葉は何も思いつかなかった。
ジョクがアリサのほうに歩いてきた。
痛みを感じていないような歩き方だった。
アリサは、ジョクの身体をささえなければならないと思い、足を前に出した。
「……寂しいのはわかる……しかし、どうしようもできないのだ。許してくれというしかない」
「そういうことではないのです。そういう……」
アリサは手を伸ぼした。
ジョクの指先が触れて、アリサはズシリとした男の重さを感じた。
『ああ、この感触をわたしは手放してしまうのだ!』
鳴咽のなかで、アリサの意識が絶叫した。
それはジョクに伝わった。
「どういうつもりなのだ? アリサ……」
「ウッ、アーッ!」
ついに声を出して、アリサはジョクの肩口に額《ひたい》を押しあててしまった。
「アリサ!?」
「いいんです。もう、あたしもドレイクの娘ですから、ドレイクの娘ですから、ときに、力を見せてみたいんです。もうきかないで下さい」
それだけいった。
「……なにを考えているのか、わからないが……アリサ」
ジョクの腕が背中にまわった。その暖かさが嬉しかった。
「……嬉しい、嬉しい……気持ちいいんです。これでいいんですよ」
アリサはジョクの傷を慮りながら、それでも、ジョクの背中いっぱいに両方の掌《てのひら》を這わせて、その感触を記憶にとどめようとした。
「……アリサ、アリサ、アリサ……」
ジョクのうめきに似た呼びかけは、アリサには鈴の音のようにきこえた。
アリサは、手と腕でジョクの肉厚な身体を撫《な》で、記憶し、そして、ジョクの唇に自分の唇を重ねた。
「愛していますのよ……愛して……」
「ぼくもだ。アリサ。アリサはぼくの花だ……泣かないでくれ……」
唇をあわせたまま、ジョクは言葉をからませた。
「ああ……ジョクが……! ジョクが世界をみせてくれるというのに!」
アリサは抽象的な思考に走った。
そうしなければ、ジョクに計画を読まれてしまうと恐れたからだ。
「……アリサ、手伝えることがあるなら……」
「ジョク、いいの……あたしはドレイクの娘だといったでしょう……」
アリサはジョクの舌先を吸うようにしたままいった。
それがジョクを求める先ぶれになった。
「ああ……ジョクは聖戦士、あたしひとりのものであるより、どこまでも聖戦士なのよ……」
アリサはジョクの唇を自分の唇にうつしとりながら、両方の掌を、ジョクの脇腹《わきばら》の厚味をはかるように、なでおろしていった。
「……大丈夫……?」
アリサは、肉欲だけに集中することにした。そうしなければならないのだ。
それが、アリサの最後の防衛線なのだから……
「大丈夫? アリサ……!?」
ジョクの唇がアリサの頬から瞼《まぶた》の上に這っていった。
先ほど感じた腕の暖かさとおなじくらい、アリサには嬉しかった。アリサはその感触を味わうことに没頭しようとした。
「……ああ、ジョク……あたしの男でいて欲しいのに……」
「アリサの男だ……」
アリサは、他のところには傷があるから触れるのが怖いから、と頭の中でいいわけをしながら、ジョクの男性自身に触れてみた。
「…………!!」
ジョクの唇が応えて、アリサの唇を吸い、舌をもとめてきた。
アリサは口をひらいてジョクに舌のぜんぶをあずけた。身体はジョクにあずけないように気をつけながら、両の手でジョク自身の力のみなもとを握りしめていた。
『熱い……この熱気を!』
アリサの意識がはじけた。
ジョクもアリサの手に応えて、律動した。
ブブブッ!
男だと、アリサは全身で感じられた。オーラの律動だ。
『ジョク、ジョー・タケシ、世界のものっ!』
アリサの意識が別れの言葉をならべようとしたので、アリサはあわててジョクの腰のものをおろしていって、その脈動するものだけを感じるようにした。
「ジョク……いいですね……」
「アリサ……?」
瞼をおおうようにしていたジョクの唇から言葉が洩れた。
アリサはジョクの唇を逃れ、上体を降下させると、もうひとつのジョクを正面に見つめてから、それに唇をあててゆっくりと含んでいった。
ドクッ、ドクッと脈打つ力が、アリサの口腔《こうこう》をみたして、頭の芯まで空白にしてくれた。
もっともっと溺《おぽ》れたくても、表層の意識をジョクに読まれたくないアリサとしては、それができなかった。
潜在意識は、そのもどかしさに怒りを感じていた。
それはジョクも同じだった。
ジョクを待ちうけている戦場は、死霊の舞う舞台でしかないのだから、いまこの刻《とき》をアリサのなかに埋もれて全身で満喫したいのだ。
「ムウッ……」
そのふたりのうめきだけが、ふたつの肉体にあたえられた共有の刻であったが、それは、刹那《せつな》と呼ぶほうがふさわしかった……。
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14 身支度
「下見にいらっしゃった?」
ミハンは、武官のうしろにたつリムル・ルフトの小さな姿を見て、何をいうのかと思った。
「自分はすぐにエレさまのもとにもどらなければなりませんので、それまでリムルさまをお預かりください。ご出発のときにはまいります。リムルさま、よろしいですね?」
武官は、ミハンとリムルを均等に見て、デッキの奥にもどっていった。
ドレイク・ルフトの後妻ルーザの連れ子であるリムルに、ミハン・カームは馴染みなど感じない。
それでも、発着艦デッキの備品窓口から黄色の傘をもらうと、それをリムルに渡した。
「なんです?」
「自分の機体は、このデッキの外にありますので、いろいろ降ってくるんです。スィーウィドーの胞子《ほうし》や昆虫の死骸《しがい》なんか、すごいです」
スィーウィドーの織りなす音響が発着艦デッキをみたしているから、ミハンは怒鳴るように説明した。
黄色のデッキ用の傘をさしていれば、このデッキで自由に行動することができる。
そのうえ、ミハンの着ているアの国の革鎧《かわよろい》は、聖戦士ジョクに近い者という証明になって、ラウの将兵たちから畏敬《いけい》の念のこもった視線をうけられた。
天井のない外のデッキには幌布《ほろぬの》の庇《ひさし》がかけられ、オーラバトラーはその下に置かれていたが、横手からもスィーウィドーの茎に付着した苔《こけ》やら粘《ねば》ついたものが飛んできたりするので、傘が必要なのだ。
頭上をおおうスィーウィドーの茎々は、霞《かすみ》のなかから垂れ下るようにして揺れていた。
その重く低い音響が、ズルズルと周囲の空気をふるわせて、ゴラオンはその音響の下に鎮座《ちんざ》しているのである。
ミハンは型通りに機体の各部の説明をして、リムルをタラップに案内した。
「とても簡単に見えますが、操縦はむずかしいのでしょう?」
コックピットをのぞいたリムルの質問にはこたえず、ミハンは逆に訊いた。
「自分にご用がおありなのでしょう?」
「え?」
コックピットに上体をかがませたまま、リムルはチラッと目だけをミハンにむけた。
「……はい……アリサさまのご計画はききました」
「はい……?」
ミハンは、リムルがその計画を中止させにきたのかと思った。
「それで……アリサさまがわたくしもいっしょに連れて行って下さるというので、ここに参りました。ミハンは気が利くから任せよと……」
ミハンはリムルの話を半分もきかないうちに、周囲を警戒するようにタラップの上から発着艦デッキを見まわした。幸い、機体の足下に整備兵はいなかった。
「リムルさまもですか……?」
ミハンは、やはり面倒がとびこんできたと厭になった。
アリサがこの計画をいいだしたとき、ドレイク・ルフトが乗っているはずの巨大戦艦ウィル・ウィプスに接触できる保証はないとミハンは拒否したのだ。が、アリサは、それならアの国の首都ラース・ワウまで逃げこんでくれといった。
そうなれば、機体は軽いほうがいいのだ。
「アの国の、地上軍からもオーラバトラーからも狙われるんですよ?」
「……覚悟の上です。頼みます」
「そうですか……」
「この機会しかありません」
ミハンは、リムルのことなどルーザの影に隠れている人形という印象しかなかったので、リムルのきっぱりした口調に意外な思いがした。
「……わかりました……そうなれば、このデッキを行ったり来たりするのはまずいでしょう。このまま、コックピットにもぐりこんでいただけるなら、なんとかなるかもしれませんけど、アリサさまもお乗りになるのですから窮屈ですよ」
ミハンは横にした傘と自分の身体でハッチを塞《ふさ》ぐようにしながら、リムルにコックピットの奥にはいるように促した。
「三人は無理なのでしょうか?」
「空中で白兵戦になったら、どうしようもないです。死にます」
答えながらも、ミハンは何度となくデッキ上の兵員の動きを気にした。周囲に整備兵がいないからといって油断はできない。デッキのそこここに兵員の動きがあるのだ。
「……シートのうしろにしゃがんでください。自分は、ここにいらっしゃったリムルさまを送っていったという風をよそおうために、一度機体を離れます。お隠しいたすためのシートなども必要ですから……」
ジョクの内縁の妻であるアリサ、昔ならばアリシアの娘というだけで畏敬の念をもてた姫が同道を許した少女のいうことである。ミハンは、受けざるを得ない。
が、どうせなら、すこしぐらいの意地悪はしてやろうという気分があった。
「はい……」
「そのあいだ、整備兵たちに見つからなければ、お連れいたします」
「わかりました。よろしく頼みます」
リムルは、コックピットのシートと背後の壁、マッスルがむきだしになっている隙間に身体を小さくしてかがんだ。
戦闘に突入するかもしれない艦、ゴラオンに移乗したリムルは、キュロット状のスカートを穿《は》いていたのでそんな姿勢がとれるのだ。王侯貴族の婦人たちが好んで身につける強獣《きょうじゅう》の骨でつくった骨組みのはいった巨大な裾拡《すそひろ》がりのスカートなどを身につけていれば、そんなことはできなかった。
「その姿勢で結構です」
「でも見つかったら……」
「昔からの兵と会えたんでここで遊んでいた、ぐらいはいってみてください。それでも、機体から引きずり下されたら運がなかったのです。まだ整備が完了していませんから、ハッチを閉じるわけにはいかんのです」
ミハンは傘を手にとると、タラップを降りていった。
シートの背後の床にすわったリムルが見せた、まさにひな鳥のような哀れな表情を思い出して、ミハンは多少|溜飲《りゅういん》をさげた。
ミハンは、傘を発着艦デッキの奥の備品管理の窓口にもどしながら、
「すまないが、一メートル四方ぐらいの薄い幌をわけてもらえないだろうか?」
と頼んだ。
「官姓名と所属部隊名、使用目的を具体的にいってもらわないとな」
備品係の士官は、返却リストの伝票を整理していて顔もあげなかった。
「ミィゼナーのミハン・カームだが、所属部隊は……」
「ミィゼナー!? こりゃ失礼いたしました……ああ、リムルさまの傘でありましたか……ご無礼いたしました」
「いや……」
ありがたいということは、こういうことだ。これで、リムルは、このデッキから帰ったことになる。
「所属部隊名は結構です。我々もよく知らんのでミィゼナーだけでじゅうぶんであります。どういう幌がご入用で?」
「スィーウィドーで機体が汚れすぎて、困っているのだ」
ミハンはそれだけいった。
相手が一方的に好意をもってくれている場合、あとは相手に任せたほうが良い。
「ああ……ミハン機の場所は天井なしですからな。そりゃ、ご苦労でありましょう。機体清掃用の布を 通りそろえましょう。ボロ布ばかりというわけではありませんぞ」
「では、姫さまのことがあるので、ちょいと出るが、すぐにもどる」
「はい……! 直ちに用意させます」
備品係の士官には、リムルを見送るのだろうと思わせながら、ミハンはその場からもっとも近いトイレをつかっただけで、備品係の窓口にもどった。
用意された幌と清掃用の布の束は、腕いっぱいにかかえるほどの量があった。
発着艦デッキは、ゴラオンの作戦会議に出席していた艦長たちが、それぞれの所属艦艇にもどるところで、発着艦デッキはますます喧騒《けんそう》が激しくなっていた。
「ミハン!」
「はい……!?」
アリサが、一方の通路から駆けよってきたが、さすがに、その顔はこわばっていた。
「リムルは?」
「コックピットに隠れていますが、見つかっているかもしれません。それしかできないのです」
「そう……艦長にも内緒です……。本当にご苦労さま。リムルは部屋に帰った? 元気がないようでしたが、どうしたのでしょう?」
途中から声を大きくしたのは、近づいてくるエレ・ゴウとそれにしたがうニーとジョクにきかせるためだろう。
「ジョク! いいんですか!?」
ミハンは重傷で寝ているはずのジョクがトロトロながら歩いてくる姿を見て、歓声をあげた。
「まだ駄目だ。姫さまがお許し下さらない」
肩をすくめてみせたジョクは、負傷兵が着せられる白いうわっばりの上に、騎士らしいローブを羽織っていた。
「ジョクは明日にもミィゼナーにむかわせられますが、ミハン・カームも大変腕をあげたとききました。本当は、ミィゼナーにジョクは必要なくなったのではありませんか?」
エレ・ゴウは、ミハンを見上げながらいった。
ミハンは、エレの異常な気安さにしどろもどろになって、
「そんな……!? このすさまじいゴラオンがあるのですから、ジョクはミィゼナーに来てもらわないと、バランスがとれませんよ」
ミハンはうかつに、ミィゼナーの中でつかうような気安い口のききかたをした。
「ミハン! ここはゴラオンだぞ!」
ニーが色をなして叱った。
「ハッ……!? ああ、申し訳ありません。姫さまがあまりに……」
「それにしても、だよ! では、エレさま失礼いたします」
ミハンを肘で押しあげるようにして、ニーはミハンに傘をさしかけ、ミハンの機体のほうにむかった。
アリサは、一言、二言、エレと挨拶をかわすと武官から受けとった傘をさした。
ミハンには、先ほどのアリサの芝居がかった言葉で、ニーとジョク、それにエレが騙《だま》されたとは思えなかった。いまの挨拶のなかで、アリサはエレをいいくるめたのだろうと思うしかなかった。
エレとジョクが侍従長と武官をしたがえて、オーラバトラー・デッキの脇の回廊にあがっていく姿を見上げながら、ミハンは、歩行運動をするオーラバトラーがデッキ中央を通りすぎるのを待った。
エレは、舷側まで出てオーラバトラーの発進を見送ることは許されていないのであろう。発着艦デッキの中央あたりのキャット・デッキにたたずんで、デッキを見下していた。
ミハン機は、コックピットにタラップをつけたままで、なにも変ったことはなかった。
周囲で立ち働く整備兵たちと、発進するオーラバトラーを誘導する甲板員の怒声が、スィーウィドーの音響のなかにはじけていた。
「あ、艦長は、こちらの機体です」
「おお、上まで傘はいらないのか?」
「庇がありますから」
ニーはミハンにいわれるままに、ミハン機の隣のゴラオン所属のドウミーロックのタラップの前に立ちどまって、ミハン機にむかうアリサを見送った。
ミィゼナーからこのゴラオンに来るについては、ゴラオンの所属機が各艦隊の艦長を運んだのである。
アリサを送りとどけたミハン機だけが、ゴラオンに接触することを許されたただ一機の他艦のオーラバトラーだった。
帰りもまた、ニーとアリサは別々のドウミーロックでミィゼナーに帰投する手筈《てはず》になっている。
タラップを上りながらミハンは、背後から上ってくるアリサを見やった。
緊張の面持ちをみせたアリサはタラップのとちゅうで立ちどまって、エレとジョクの方に傘を差し上げた。いつものように演技してみせる、ということであろう。
『妙なんだよな……ドレイクだってアリシア時代のドレイクじゃないのに、なんでおれはこんな厄介な仕事を請負っちまったんだ?』
ゆうべから考えていたことが、また頭をよぎった。
アの国の反逆者であるミハンがアの軍と接触して捕まれば、終身刑か処刑である。
だが、ラウの国の捕虜になったとみられているアリサをドレイクのもとに送り届けたことで、罪が軽くなるという可能性も考えられないわけではない。その場合、リムルがいっしょに帰国するのは悪いことではないはずだった。
しかし、ミハンには、別の期待があった。
昔は、反逆者でも捕虜を奪還して送り届ければ、その後、敵味方として、いさぎよく戦場でまみえるために黙って釈放してくれたという。
騎士道華やかなりし時代の話である。
現代では夢物語かも知れないが、ミハンは、そこにかすかな希望を見出したのだ。
「……おれはそんなにロマンチストかよ……?」
自嘲《じちょう》はしてみるが、ミハンは、ヒーローになるか処刑されるかという運命の岐路《きろ》に立つことが、恰好良い生き方かもしれないと憧《あごが》れる青年だった。
農民上りの朴訥《ぼくとつ》な青年が、いきなり仕えたのがジョクという聖戦士であったための不幸といえよう。
ミハンはアリサの懇願《こんがん》をきいたとき、物語の主人公になる夢をみたのである。
「あ……大丈夫でよかったですね?」
ミハンはシートの陰をのぞいて、思わず声をかすらせた。
身分の高い少女が膝をかかえて椅子の陰に隠れるようにすわっていた。ミハンの顔を見ると、彼女は力なくも嬉しそうにしてみせた。その光景に、ミハンの意地悪な気分も失《う》せてしまった。
抱えてきたポロ布の束から、薄手の新品の幌をとりだして、ミハンはそれをリムルにかぶせようとした。
「あ、いるのですね?」
タラップを上ったアリサの声が、ミハンの背後でした。
「床に伏せていてください。発進する前に、必ず整備兵がここをのぞきに来るのです。これはパイロットでも拒否できないのです」
「造作をかけます」
幌の下からリムルの声がした。
「……アリサさま、このリムルさまのお身体のあいだに足を置いて、来たときと同じように立っていて下さい」
ミハンはシートにすわり、いつもの手順にしたがって発進前の点検をしながらいった。
「……ドウミーロックの手に乗せて下さい」
「ハッ……!? スィーウィドーを抜けるのです。そんなことは危険です」
ミハンは青ざめた。
「マントはあります。あとはミハンの操縦の腕次第でありましょう?」
「しかし……」
「ミハン、ここで待ちます。手をこれに! ジョクにもエレさまにも、わたくしの姿を見ていてもらいたいのです」
アリサの声は凛《りん》としていて、タラップの下で隣の機体の発進準備を待つニーをもギョッとさせた。
「どうなさった?」
「ジョクを驚かせてやるのです。ドウミーロックの手に乗って帰ります。ミハン、急ぎなさい。整備兵が参りました」
「は、はいっ!」
ミハンはコンソール・パネルを前にまわしてエンジンを始動させた。
「失礼!」
アリサの立つタラップに、甲板士官が駆け上ってきて、
「発進するなら、報せてくれなけれぼ、困るではないかっ!」
と怒鳴ったが、それは形だけである。甲板士官としては、そうしなければ下の兵にたいして示しがつかないのだ。
「すまない。姫さまがあのとおりだ」
ミハンは顎をしゃくり、苦笑半分という顔をみせた。
「まったくな……では、すぐに誘導するぞ。隣の三十三番機といっしょだな?」
「そうだ」
甲板士官は型通りにコックピット内を一瞥《いちべつ》してから、ハッチを閉じた。
ミハンは、自機の左手をアリサの横に上げて、アリサがその掌《てのひら》にすわるのを待った。
甲板士官はミハン機の左手の指が、アリサの身体をささえるのを確認してから、タラップを移動させた。
「よーし! ミィゼナー五番機、ゴラオン三十三番機、発進位置に!」
突然、ミハンのコンソール・パネルの前のスピーカーに、鉱石無線特有の激しいノイズとゴラオンの発着艦デッキの管制官の声が飛びこんできた。
「ミィゼナー五番機、ミハン、発進位置に移動します」
「どうぞっ! 急いでっ!」
ニーが隣のドウミーロックのコックピットに乗り込み、そのタラップが整備兵の手で機体の横に移動されるのが見えた。
ミハン機の左手にすわったアリサは、キャット・デッキのエレとジョクのほうに大きく手を振って、はしゃいでいるように見せた。
エレも手を振っているようだった。
「…………」
ミハンは、そのアリサを見、背後にリムルを感じて、自分はとんでもないことをしようとしているのではないかと空恐ろしくなった。
甲板士官の旗が発進をうながすように振られた。
ミハンはエンジンの回転をあげて、オーラ係数がレッド・ゾーンに飛びこむのを待った。
「ミィゼナー五番機、発進します!」
ブルルルルル……!!
ミハンは自機の羽根をつかった。
それで可能なかぎりゆっくり機体を離艦させて、アリサに不安を感じさせるような風圧をあたえないようにしながら機体をまわして、アリサの正面にエレとジョクが見えるようにした。
その間に、ニーを乗せた同型機が離艦した。
「……リムルさま、もうよろしいでしょう」
ミハンはいった。
「あ? はい!」
幌布がゴソゴソと動き、リムルが顔をのぞかせて立ち上った。
「ああ……! これがゴラオンなのですね……!」
「はい、これが動く光景を想像すると、恐ろしいです」
ゴラオンの全体を視界にいれるには、かなりの距離、後退しなければならないのだが、その距離の大きさが、ミハンにあらためてゴラオンの巨体さを認識させた。
すでに艤装《ぎそう》作業を完了したその巨体は、スィーウイドーの木洩《こも》れ陽《び》を受けて輝きをましていた。
ミハンは、発着艦デッキの人影が識別できなくなったので、速度をすこしだけ増しながら、ニーを乗せたドウミーロックを追う姿勢をとった。
ドウミーロックの左手の上のアリサは、マントを頭からかぶって、身体を小さくしている。
「三十三番機。アリサさまをコックピットに収容する」
「急いでくれ。あとから発進する連中からどやされるからな!」
ミハンはスィーウィドーの海草の葉の上に機体を滞空させるようにして、アリサに高度を感じさせないようにすると、ハッチをひらいて、左手をハッチ前にもってきた。
「アリサさま、どうぞ」
「すまない。厄介をかける」
「いえ、このようにしていただけましたので、みんなの目をごまかせました」
ミハンはアリサに手を貸しながら礼をいった。
こうして、ふたりの姫がミハンのシートの背後に立つ形になった。
あとは、随伴するゴラオン所属のオーラバトラーをどう撒《ま》くかだけであったが、それはこれまでの作業ほど難しいものではないとミハンは計算していた。
『ニー艦長、すみませんが、勝手やりますぜ?』
ミハンは胸のなかでそういうと、スィーウィドーの森を抜ける直前で速度を落し、三十三番機を追えなくなってしまったという風に見せかけて、ニーを乗せた随伴機から離脱していった。
ミハンは、そこまでパイロットとして成長していたのである。
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15 のこされた戦士
「エレさまも、おわかりだったと存じますが……」
「情況的にわかっていたということと、現実にリムルさまがいなくなってしまったと識《し》ることとはちがいます」
エレは感傷を抑えていたが、そのぶん、声はふるえていた。
まるで、成熟した女性が、親の死にたえて弔問《ちょうもん》の挨拶をうけているという風情だ。
ジョクは、気をつけの姿勢を硬直させるだけで、なす術《すべ》もない。
アリサがミィぜナーに帰るときに、リムルの姿がないことを意識して看過《かんか》したという気はする。
それは、エレも同じだった。
直立するジョクは、痛みがまたぶり返してくるように感じられた。ズキッとはいあがってくる痛みは、萎《な》える意識と連動しているらしかった。
アリサを見送ってから、ぶり返した痛みに、ジョクはしばらくベッドに横になっていた。
が、リムルの姿がなく、ミハン機も行方不明になったという報せがきたとき、ジョクは自分の足で歩いて、エレの部屋にきたのである。
しかし、また痛みが神経の配列を頭に刻みつけるように激しくなったのだ。
エレは、テーブルの本を閉じて、
「勉強をおしえてくださる方が、ひとりいなくなりました」
といった。
それは歴史の教科書だった。
「申し開きできません……が、あのふたりにとっては、姫さまとフォイゾン王のご好意が厚すぎて、耐えられなかったのでしょう。アリサは自分の内縁の妻であります。処罰が自分におよぶのなら、それは甘受いたします」
エレはジョクのいうことなどきいていなかった。
「フォイゾン王には、無用な捜索などさせないほうがよいと伝えておきます」
「自分のことにつきましても、ご判断を仰ぎます」
念を押すジョクに、エレはようやく顔を上げた。
怒っていた。
「そんなことをいうなら、わたくしだって知っていたのですから同罪です」
「アリサは、自分の妻でありますから」
「存じています、そんなこと……聖戦士殿は休むがよい。ラウのためミのためにじゅうぶんに働いてもらわなければならないのです。それが罰といえば罰であります。フォイゾン王も同じお考えであることは、わたくしが保証いたします」
「ハイ、よしなに……」
「退《さが》って良い」
「ハッ……」
最後の一言は、エレにしては投げやりで、自分の感情を扱いかねている風だった。
ジョクは頭を垂れて退出した。
ドアのかたわらに侍従が立っていた。ジョクは彼と視線をあわせただけで、自室にもどっていった。
ひとり寝なければならないベッドの部屋。
アリサの香りの残滓《ざんし》もなかった。
そのベッドに、横になった。
「…………!!」
アリサ……自分は、あの女性を便宜的に扱いすぎていたのではないか。
あのハンダノの城での短いままごとのようだった生活は、やはり幻想だったのだ。
そうではないと信じたかった。
アリサは、ドウミーロックに乗る前に、この部屋を訪れて、あの肉のざわめきに身をゆだねてくれた。
あの感触は、現実のものだ。
あれにはジョクとアリサの真実があったと思う。
とすれば、ハンダノの暮しだって、本物だったはずだ。
しかし、索漠とした思いが、胸を空洞にしてゆくようだった。
ジョクの頭の中のスクリーンに、その空洞になった胸の内面がじょじょに外にひらいていき、ジョクの内臓を押しつつむ内殻までがひっくりかえって、虚無の虚空に面するイメージが映し出された。
ジョクが、浮遊する感覚を得たときに、そのイメージは拡散した……
「…………!?」
眠りの感覚……?
そうではない。
索漠感?
そうでもない。
空《くう》に涙があふれ、はしる。
そう知覚できた。
が、それも怪しい。認識、意識が錯綜《さくそう》しているだけのことだ。
絶望的な空《くう》の感触が霧消したとき、ジョクは眠気におそわれた。
それでも、ジョクの全身の神経が泣いていた。
その悲しみに神経節はたえまなく痙攣《けいれん》して、表皮一枚で形成されているジョクという存在を波うたせた。
そして、また言葉が生れる……
『オウッ、オッオッ……かなしいよ、かなしい……ウッウッ……こんな言葉であらわすことができるのは、その悲しさを忘れはじめているからだ……オッ、オッ、オッ……
ああ、人間って奴はただの畜生だよぉ……オッオッオッ……絶望的な悲しみさえも忘れられて、腹がすく……小便をたれる……肉がそれを要求する……オッ、オッ、オロロン、オッオッオッ……
これが人間の器官だとよ……オロロン、オロロ……』
ジョクの意識が夢のなかで、すがれるもの、甘えられるものをもとめて、涙のうねりのなかを泳いでいた。
ダッポリ、ダッポリ、ダブリ……
おぼれちまう……
『杏耶子《あやこ》さんっ……さん、さんっ!』
涙のなかを泳ぐのはこんなにも重いのか!?
涙というやつは、いつまで粘るのだ。泳ぎながら、ジョクはののしった。
『アヤコッ……ここはさ、同じなんだよぉおぉぉ……! アヤコッ、その手をのばして、掬《すく》い上げてくれっ! もうみんないなくなっちまったんだ……!』
涙のうねりのむこうにドウッと飛沫《しぶき》がふくれあがって、白い山になった。その飛沫の山はゴウゴウと波を前後左右にはじき飛ばしていた。
グッハッン!
うねりがジョクの眼前を襲い、そのときジョクの眼《まなこ》は、杏耶子の腰を捉えた。飛沫をはじき飛ばしていたのは、杏耶子の腰だったのだ。
『そこに行くまでっ!』
涙の海の上にあらわれた山が杏耶子の腰なら、その涙の下には杏耶子の芯があるにちがいない。
そこにもぐりこめば、悲しみは忘れられるはずだ。
『アヤコ、アヤコ、アヤコッ……』
香《かぐわ》しい薫りが涙の海を豊饒《ほうじょう》の海にかえるのだろうか?
ジョクの腕と脚が狂ったように波をかきわけて、杏耶子の腰の山に突進していった。
白い壁は杏耶子の肌そのもの……
その中心はどこだ? 杏耶子の核はどこだ?
杏耶子、そばにいるのなら、ぼくを救ってくれっ!
『ああ……杏耶子が崩れる。涙の海に沈む……泡になるな。杏耶子、ぼくの男は竿《さお》になって、涙の海をかきまわしているのだぞ! それを感じて、ぼくの前に塊になれっ!』
* * *
その日、ラウの戦線の中核に位置するミィゼナーは動くことはなかった。
フォイゾン・ゴウは、エレの進言をよくきいて、いった。
「ミィゼナーには、二機のオーラバトラーを補給するように手配して、聖戦士殿の帰艦のおりに、同道させよう」
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16 暗号はトロゥ
「ゼイエガであることはまちがいないのか?」
「この暗号表を見ればわかるだろう?」
顔半分を包帯につつんだパイロットは口がよく動かない。
部厚い暗号表の一ページをステラにしめして、ますます情けなさそうな顔をみせた。
その艦影を、山ふたつほど前方に捕捉《ほそく》して、ステラに従うパイロットはその無線から艦名を特定したのである。
パイロットの腰は太いロープでくくられて、そのロープの端はブリッジの中央にまるく設置されているハンドレールに繋《つな》がれていた。
パイロットの両手を拘束するわけにはいかないので、ステラとチャムにとって気の抜けない情況がつづいていたのだが、そのロープが幾らかは気休めになっていた。
「よし、無線でトロゥと呼びかけるんだ」
「トロゥ? なんだ?」
「よけいなことをきくんじゃない。トロゥだけで用はたりる!」
ラース・ワウのステラの店に居ついていたオスのフェラリオの名前である。
夜が明けてから、ステラのドッフオは、何回かドレイク軍のオーラバトラーを目撃した。そのたびに、山肌に這いつくばり、森にもぐりこみ、川にまではいって逃げた。
それでも、ステラは前進をやめなかった。
ステラのドッフオは、アの国とクの国の将兵が遊んでいたカラカラの山塊《さんかい》のカタムの谷に設営された店筋を炎上させたのである。トモヨ・アッシュとザナド・ボジョンは殺せたとしても、二人の所属部隊の連中が恨みを晴そうと、ドッフオの行方を追っているにちがいない。
とすれば、バーンの乗る艦艇を特定できたからといって、ノコノコと接触するわけにはいかないのだ。
バーンなら、トロゥの名前を知っている。
この名前を受信すれば、バーンが迎えにきてくれるだろうとステラは読んだのだ。
ステラとチャムの捕虜になっているパイロットは、なれない手つきで電鍵《でんけん》を叩いた。
「トロブになっている!」
チャムが、コンソール・パネルの上から怒鳴った。
「なんだって!?」
ステラがナイフを持つ手に力をこめた。
「えっ!? そうか? ちゃんとやっているぜ」
包帯顔の憔悴《しょうすい》しきったパイロットは、ステラのナイフにおびえて額に脂汗を吹き出させた。
「最後は、トントンツーでしょ!」
チャムはモールス信号風の符号を正確におぼえているわけではない。が、ミィゼナーに同乗していたおかげで、いくつかの信号は知っていた。
「正確にやるんだ。ゆっくりでも、いいはずだろ」
「ああ、やるから……まちがいないよ……」
パイロットは、額の汗を拭いもせず電鍵を数度叩くと、ドッフオの機体を下げていった。
「……しばらくしたら高度を上げて、あの艦の動きをみる……」
「どうなるんだ? いつまでもこんなことやってると、いつか撃墜されちまう」
「いまの暗号電文で、迎えがくることになっているんだよ。そうすれば、無事釈放だ」
「そんなバカな……」
「ホラ、前が崖だ! 高度を上げたら、また無線だ」
「あ、ああ……」
ブリッジの小さな窓に断崖《だんがい》がせまった。ドッフオはそれを乗り越えるように飛行した。
視界が開けた。
「オーラバトラー!?」
チャムが、ひきつったような声を出した。
「来たか?」
「こっちにむかっている!」
「トロゥだ! 打電しないと攻撃されるぞっ!」
ステラは、パイロットの腕が飛んでこない距離をたもちながら、前方の窓をのぞいてみたが、均質な板ガラスではないから、歪《ゆが》んだ光景しか見えなかった。
「まちがいないのか?」
「ウン、あの船のところから出たはずだよ。オーラバトラー、四機だ」
「……こちらのことを認めてくれたのなら、なにか反応があるはずだ」
「そ、そうなのか?」
パイロットは再び打電すると、高度を下げて谷間に隠れようとした。
「あ……きた!?」
「なんだい?」
「ステラ、ステラって……そうきこえるが……?」
パイロットはブリッジの窓の上のスピーカーからきこえたノイズのような断続音を解読した。
「それが暗号だっていうの! こちらの位置を教えるために、トロゥはここ、ステラはここ、って、そう発信してよ。位置を報せるんだ!」
チャムが命令した。もう完全にカットグラかミィゼナーにいる気分だ。
チャムのいうことはとんでもなく的を射ている。
ステラは、数度、頷いてみせた。
「……やんなさいなっ!」
チャムはそう怒鳴ったとたん、フェラリオとしては機械のことを知りすぎていることをステラに気取られてしまったと気づいた。
チャムは、パイロットが電鍵を叩く音をききながら、ガラスのもっとも透けて見える部分に顔をよせて、山並のむこうに大きくなってくる機影を凝視した。
『バーン・バニングスが来るの……? どうしよう!?」
バーンに姿を見られてはいけない。かといって、機械がなくてはミィゼナーにもどることもできない。
チャムは、困惑した。
「ステラ、ステラってはっきり呼びかけています」
「よし、これで絶対攻撃されない……あたしは、上に迎えに出るからね」
ステラはブリッジの中央のハンドレールに足をかけると、中央天井のハンドルをまわし、ハッチを開いた。
ゴウーッ!
風が吹き込んで、ブリッジ内をまわった。
「……くっ……!!」
チャムは窓枠にかじりついて、からだをささえた。
ステラは風にさからいながら、ブリッジの屋根にあるプラットホームに上っていった。
それを見てパイロットは速度をおとした。オーラバトラーの戦闘空域にはいってしまった今、助かるためにはステラのいうとおりにするしかないと判断したのだろう。
「……音声受信に切り替えるぞ!」
パイロットがプラットホームのステラに呼びかけた。
「なんだい!?」
プラットホームに立ったステラが、ハッチから怒鳴ってきた。
「接近するオーラバトラーのパイロットの声が拡声器できけるようにするんだ」
「そんなことができるのか!? そうなら、さっさとそうしなよ!」
ステラは、額に青筋を浮かべた。
「……トロゥを騙《かた》る者は、ステラなのか!」
ひどく性能の悪い無線機から拡声器で増幅された声は、ノイズが多くてききとりにくい。だが、まちがいなくバーン・バニングスの声だ。
ハッチから逆さまに身を乗り出してステラはその声をきいた。
「そうだといえ。こちらステラです! だ」
ステラの声は感極まってひっくりかえっていた。
ステラの声をきいて、チャムも、良かった、と思う。
が、接近しているのは、チャムがよく知っている敵のパイロットなのだ。チャムひとりではどうすることもできない情況がせまっているのだ。
『逃げるしかないのぉ……!?』
窓枠にかじりついたままチャムは迷った。どんどん大きくなるオーラバトラーの影に、チャムの困惑もふくらむばかりだ。
「そんなの……こっちは声は発信できないんですよ!」
顎をじゅうぶんに動かすことのできないパイロットは、真青になって電鍵を叩いていた。
「そこで待機! こちらから接触する……!? ドッフオの後方、追尾する機影っ! 所属部隊はどこかっ!」
『え!?』
スピーカーからきこえるバーンの声が、今までとはまったく違うことを叫んでいる。
チャムは、ステラの方を振り仰いだ。
ハッチからは、プラットホームのハンドレールにすがるようにして乗り出しているステラの背中がのぞけた。
『バーンは誰に呼びかけたの!?』
チャムはパイロットにきこうとしたが、包帯だらけのパイロットは前方のオーラバトラーの動きに戦々恐々としてチャムのことなど眼中にない。
「クッ……!!」
チャムはプラットホームのハッチにむかって飛んだ。
「うわっ!」
ハッチから吹き込む猛烈な風にあおられ、羽根をうしろにひっぱられたチャムは、ブリッジ内に飛ばされてしまった。
「ステラ! 何か来てるのっ!」
窓ガラスにぶつかって、壁にそって転がりながら、チャムは絶叫した。
チャムは、羽根が折れたような気がした。羽根はうしろにひっぱられたままになっている。それでも、チャムは、吹き荒れる風から脱出しようとして、羽根に全力をこめてはばたかせた。
「クッ! こんなのっ!」
戦闘中のカットグラから放り出されるほうが、よほどひどいと自分にいいきかせ、吹き込む風にさからってチャムはハッチの縁に掴まった。
「ステラッ!」
プラットホームにからだを押し上げながら後方の空を見上げたチャムは、息を呑んだ。
声が出なかった。
雲ひとつむこうに、接近してくるピンクのオーラバトラーがいた。
雲ひとつむこうといっても、それほどの距離ではない。ミ・フェラリオとして空を飛ぶ習性を身につけているチャムの反応は早かった。
「五時、上四十度! 敵機! 逆に逃げるんだ!」
チャムはジョクに呼びかけるように、パイロットに絶叫していた。
「えっ!?」
チャムの足下にいるパイロットが、肩越しに振りかえった。
『それでは遅いんだ!』
チャムの前に立つステラの足が動いた。チャムの声にステラが空を振り仰いだのだ。
チャムは、ステラの足のむこうにバーン機の機影を認めると、もう一度、後方を振り仰いだ。
ピンクの機体は、すでに攻撃態勢にはいっていた。フレイ・ランチャーの狙いは定まったはずだ。
「ステラッ! 下にぃっ!」
絶叫した勢いにのって、チャムはステラの踵《かかと》のあたりに飛びつくつもりで上体を乗り出した。
ドッフオが退避運動にはいって、気流がチャムのからだをプラットホームから引きはがすように働いた。
「おいっ!?」
ステラの顔と、その手が、チャムを捕まえようとして差しのべられるのが、チャムに見えた。
空に泳ぐステラの指はとても美しく伸びやかだった。が、その顔は緊張していた。
ステラには、次になにが起ろうとしているのか予測がついているのだ。だから、その恐怖を忘れるために、チャムを助けることに意識を集中させようとしていると見えた。
「ステラ!」
そこに立っていてはいけないんだ、といいたかった。
が、遅かった。
フレイ・ボンムの筋がチャムの目を射、次にステラを中心にして、炎の柱をつくった。
「うわーっ!」
熱気がチャムを襲った。
小さなからだは空を舞い、なかば気絶した状態で、チャムは落下していった。
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17 交錯
ドッフオの機体の上部のプラットホームに立つ人影が男か女か識別はつかなかったが、バーンは無線のやりとりから、それがステラだと確信していた。
「…………!!」
身体つきや髪型などがはっきりする距離までもう一息となった。バーンは自機を加速させて、僚機をずっと後方に引きはなした。
「ステラかっ!」
その人影が、手を振るのが見えた。
接近するオーラバトラーを、バーンが操縦していると知っている風に振られている両腕!
「バーン!」
女が、そう叫んでいるとバーンには思えた。
「ステラ、なんだ! なんの用だ! 会いに来てくれたのか!」
バーンは、俗世のしがらみを忘れてそう叫んだ。
ステラの店に住みこんでいた酔払いフェラリオの名前などは、よほどの常連でなければ知らない。
この戦場で知っている者などいるわけがなかった。
パイロットごと奪われた手配中のクの国のドッフオが、バーンの母艦ゼイエガに接触を要請して発信した語句を、オーラバトラー部隊のパイロット詰め所できいたとき、バーンはステラが来たと直感した。
『……トロゥと発信しているというのか?』
無線室の情報士官にドッフオの無線内容を確認すると、バーンは自ら接触すると申し出て、許可も待たずに出撃したのである。
店を持たせておきながら、地上界から帰ってからは会ってやってる暇がなかった。
しかし、ステラは、そんなことで愚痴をいう女ではなかった。
バーンがラース・ワウに帰還しているときに、屋敷に押しかけて来るような無粋なこともしない。
身分と器量をわきまえている女というか、気位の高い女なのである。
「なんでステラが……?」
怪しい。理屈ではありえないことだ。
だからバーンは、適当にいいつくろって、自ら偵察に出たのだ。
ドッフオの機影を確認し、そのプラットホームに人影を見た。
顔が識別できた。まさしくステラだった。
ステラと確認できても、怪しむ気持ちが解消することはなかった。
バーンは、勃起《ぼっき》するような思いにとらわれながらも、どういうことだ! とステラに問いかけた。
そのときだった。
ステラの姿がフレイ・ボンムの炎のなかに消えた。
ドッフオを追撃していたのであろうトモヨ・アッシュのピンクのオーラバトラーのやったことだ。
「トモヨ……!!」
バーンの思いは、おおやけに口にできる性質のものではなかった。
カラカラ山塊のカタムの谷間で奪われたクの国のドッフオを目撃したら、ただちに撃隊して良いという命令が全軍に発令されていたのである。
噂では、そのドッフオはトモヨが女を買うために調達したもので、それをミの国の残党が奪い、後陣の店筋を焼いたという。
ならば、それをトモヨが追って撃墜した行為は、正当なものであった。
機体中央を直撃されたドッフオは、フレキシブル・アームを四散させ火の塊となって、山と畑のひろがる地上に黒煙の筋を伸ばしていった。
バーンは、気休めと承知で、ドッフオが直撃をうけた空域にすべりこんで、ステラの身体が見つからないものかとさぐった。
「トモヨ……!?」
黒煙が薄くたなびく空域でホバリングするディーモッシュのコックピットから、バーンは、接近するトモヨ・アッシュの機体を振り仰いだ。
機体に塗られたピンクの色がバーンの目には痛かった。
「責任上、あたしがやらせてもらった」
いきなりトモヨ・アッシュの声が、バーンの耳を打った。
「……我が艦との接触を要請していたようだった。手が早すぎるな……」
バーンはそれだけしかいえない。
「そうかい? 奴等には恥かかされたんだよ」
「そうらしいな……軍用機を私用に使ったからだ」
「なんとでもいえっ! 私用ではなかった」
トモヨ機は、バーン機にフレイ・ランチャーの銃口をむけた姿勢のままホバリングしていた。
無神経なのではない。
場合によっては、射ってくるかもしれないという『気』が感じられた。
「……長距離飛行をしてきたのだろう。我が艦で機体の点検をして帰投するがいい」
バーンは、そういなした。
「そうさせてもらう……あたしだけじゃないのでね」
ピンクの機体がバーンの視界の上方にパッと消えると、三機のオーラバトラーの編隊が雲間からあらわれ、トモヨ機と合流した。
「トモヨの編隊を誘導してさしあげろ」
バーンは、僚機に命令し、僚機がトモヨの編隊に合流するのを確認すると、まっすぐに母艦にとって返した。
「ステラ……こんなところまで何しに来たんだ?」
バーンはトモヨの編隊を背にしながら、あらためてつぶやいていた。
* * *
「……騎士バーン・バニングス?」
長身のトモヨ・アッシュが近づいてくる姿には、風に吹かれて梢をさわがせている大木がすべってくるような威圧感があった。
バーンは、彼女を正面に見すえながら、革兜をとって総髪に風を入れた。
「ご活躍だな?」
ピンクの機体はよく知っているが、このようにトモヨに対するのは初めてである。
「皮肉はいい」
「一射で仕留めたのは見届けた」
バーンの目に冷笑があると感じたのだろう、トモヨは眉間《みけん》に険悪そうな皺《しわ》をよせていった。
「聖戦士の威力に気絶して、戦線を離脱した情けない女パイロットだよ、あたしは」
その声も、バーンには大木の梢がザワザワと鳴っているようにきこえた。
トモヨの背後に見晴らせる発着艦デッキの構造物にあたった風が渦を巻いていたせいではない。
トモヨは、自らいうように、先の戦闘でオーラ光に包まれた艦にはねとばされて気絶した。しかし、それはトモヨなればこそであって、ふつうのパイロットなら撃墜されていたような事態だったのである。
「そう謙遜できるのは、貴公が優秀なパイロットである証明だ。次には偉大な戦果をあげよう。それを祝福しておこう」
「世辞ではないと自惚《うぬぼ》れていいのだな?」
「もちろんだ」
そう答えながらバーンには、トモヨという大木の枝が逆立ったように感じられた。
「聖戦士のひとりといわれる騎士バーン。その本領を見せてもらえると嬉しいな」
「貴公にはもともと力量がある。ディーモッシュでもピンクのガウベドにはかなわんかもしれないという感じがするよ」
「フン、騎士の家の出というのは、あたしたちとちがって口がたつ。形だけの謙遜や世辞はいいんだよ」
ビシッ!
トモヨは真赤な唇を歪ませてみせると、一方の手に握った手袋で、あいたほうの掌を叩いた。
「わたしは、パイロットとしては貴公より実績があって、いろいろなパイロットをみてきた。そのわたしがいうことをすこしは信用しろ。貴公に負けないように、叱咤《しった》激励の言葉を自分に投げかけているのだ。だが、むざとは負けんぞ」
「そうしてみせて欲しいな。世界の層を縦に走った騎士は、バーン・バニングスだけなのだからな」
「それは自惚れている」
バーンの返答を待たずに、トモヨはヒョイと背をむけた。
「…………!!」
トモヨの背中が、バーンには、険しい断崖絶壁に見えた。
バーンは、ステラのスの字も口にできなかった自分にギリッと奥歯をならした。
『そうか……ステラはこれを見たか……!?』
バーンは突然、ステラがなんで自分のところに来ようとしていたのか納得できた。
ステラは、バーンがいま目にし、心に刻んだのと同じ、傲慢で、尊大で、不気味で、危険きわまりないトモヨの実像を知ったのだ。
だから、身を挺《てい》して教えにきてくれたのだ。
ステラとは、そういう女なのだ。
バーンはステラのそういうところを愛したからこそ、離れていても、身分が決定的にちがっていても、忘れることができなかったのである。
ステラは山暮しの女であった。ラース・ワウの市に薪《まき》を売りに来た彼女をバーンが見初《みそ》めて店を持たせた。
山出しの女に人づきあいができるのかと危ぶまれながらも、ステラはそれをやってみせた。
地上人《ちじょうぴと》ジョクが最初にラース・ワウに現れたとき、まずステラの店に隠れた。
ステラは、ガロウ・ランの一統の人質になったりしながらも、いつも、バーンの働き場のどこかにいてくれる女だった。
今回、ステラのとった行動の経緯などは、バーンには想像さえつかない。
しかし、ステラは彼女自身が意識していなくても、目の前で起った事象をつなげて全体像を構築できる力をもった女なのであろう、という想像はついた。
しかし、ステラは敵を誘《おび》き出せるような立場にはいなかったし、なにかにつけ運を呼びこめるような女でもない。
『偶然で、こんなに近くまで来れるわけがない』
バーン・バニングスの母艦ゼイエガは、この一昼夜、動きまわっていたのである。
昨夜、ステラがカタムの谷にたどり着いたころには、ゼイエガは補給のために後方のミの国にある艦艇の工場群の町テッテサマに移動していた。
そして、この昼には、アの国とミの国の国境ちかくの水晶の森に接する村、クッタウラーガに移動している途中だった。
ドレイク・ルフトから、バーン・バニングスの戦隊にあずけるものがあるから次の艦隊戦の前にゼイエガをウィル・ウィプスに接触させよという命令が出ていたからである。
『こちらが動きすぎで、ステラを苦労させた……』
このように昨夜からのゼイエガの行動を振り返ってみれば、なおさら偶然以上のなにかが働いたと考えるしかなかった。
『あの女は、丸腰のステラを殺した……この仇《かたき》、とってやる』
トモヨの実像に接することができた僥倖《ぎょうこう》をステラに感謝し、バーンはそう決心した。
しかし、バーンは、ふくらはぎの横に短剣を装備していたにもかかわらず、それを抜くことはなかった。ステラへの哀惜の念にとらわれて、バーンは、それを忘れていたのである。
もし、このとき感情に任せてトモヨに対していたら、バーンは殺されていただろう。
「騎士バーン! 艦内電話がはいりました。無線室に上ってくれということであります」
甲板士官のひとりが知らせてくれた。
「今度はなんだ」
バーンは、無線室に上って、またも所属不明機があることを知った。
「トモヨ・アッシュたちが来ているのだ。その僚機ではないのか?」
「ちがいます。ラウの国の投降機であります」
無線室に駆け込んだバーン・バニングスは、無線士の背後にあるデスクの上の地図に目をやった。が、数種類の色のピンが林立していて、問題の機がどのピンで表示されているのかすぐにはわからなかった。
「赤の大きいピンが我がゼイエガで……」
「そのていどのことはわかっている。この茶色のピンか?」
バーンは、ゼイエガの飛行コースに沿うように一直線に表示されているピンの列をさした。
「そうです。このコース、奇妙だと思いませんか? 投降の意思表示をしながらも、途中の我が観測所の指示にしたがうことなく、直進しているのです」
「フム……機影を捕捉してからどのくらいたつのだ?」
「はい、ミの国の国境線を越えたこの観測所で、このオーラバトラーの投降の意思表示を受信してから、一時間たちます」
「接触した機体はないのだな?」
いわずもがなのことをバーンは訊《き》いた。
地図をみればわかるのだが、そのコース上に定点観測所は三カ所あるのだが、いずれもオーラ・マシーンが駐留する基地ではなかった。
「問題なのは……」
無線室のドアがひらいて、ストラド・スケンソン作戦司令がはいってきた。
「そのドウミーロックは、まるでウィル・ウィプスの所在を知って飛行しているように見えるということだ」
地図の前に立ったストラドは、残りすくない白髪を両手でうしろに撫《な》でつけた。
「……トモヨ機が撃墜したドッフオとの関係は?」
「まったく見えません。ドッフオは、我が艦を追う気配がみえましたが、その進入方向や時間から考えあわせて連携行動をとっているとはみえません……それで……」
「騎士バーンの所見をききたくて呼んだ」
ストラドが無線情報士官の言葉を受けた。
「偶然ではないのでしょうか?」
そういいながらも、バーンは、ストラドの懸念はもっともだと感じた。
ミの国とラウとの国境を越えてからは、ゼイエガよりもずっと効率的にウィル・ウィプスが係留《けいりゅう》されているクッタウラーガの村に接近していた。
「投降なら、コースをかえてどこかの基地に降りるわな?」
「そうでありますが……なにがご心配で? このまま我がゼイエガが進行すれば、たいして時間を要せずに、オーラバトラーで接触できる距離につめられますが?」
バーンは、無線情報士官から表を受けとり、茶色のピンの移動時間を確認した。
「偶然にしても、だ、ウィル・ウィプスの所在を知っている飛行物体が、前線の小競り合いを抜けてここまで来たとなれば、よほどの覚悟であろう。腕もたつパイロットにちがいない」
バーンは、ストラド・スケンソン司令の言葉を黙ってきいてやった。
騎馬の戦争しか知らなかったスケンソンが機械をつかう戦争を知ったのは、初老になってからだ。
彼はいま、機械をつかう戦争を理解し、それに適応しようと努力しているのだ。
「でな、騎士殿……このドウミーロックの投降の意思表示は芝居であって、ウィル・ウィプスの所在を確認したら、なんらかの方法で後方の敵部隊がウィル・ウィプスに襲いかかる意図があるとは考えられんか?」
ストラドの家とバーンの家は、隣接した土地の境界などをめぐって係争中だったが、このような場では、ストラドはいつも率直にバーンに質問し、バーンの意見を求めた。というより、そうなっていってくれたのだ。
「それはないでしょう。聖戦士の機体はまちがいなくザナド・ポジョンが損傷させていると判定できますから……」
バーンは、スケンソン司令の想像を否定した。
だが、もしジョクが生きているなら、そんな作戦を提案して、ラウのオーラバトラー部隊に実行させるだろうと思った。
ミの国のオーラ・マシーン部隊の戦いぶりが手強《てごわ》くなったのは、ジョクがマシンのネットワークを組んでからのことであったと、その後の調べでわかっているのだ。
「高空の監視はどうなっているのだ?」
バーンは考え直して、情報士官にきいた。
ストラドは、バーンの態度に安心したのか、ようやく地図の前の椅子にすわった。
「現在のところ、各観測所では高度一万五千メートルを越えたオーラバトラーの動きは確認できません」
「雲のためか?」
「観測機器も整備されておりませんので……」
急進的に機械の生産が拡大しているアの国であるが、それは武力の増強に直結して威力を発揮するものにかぎられていて、前線で使用されるこまかい道具の生産と補給には、まだ手がまわらない状態なのである。
戦線を拡大しすぎたゆえの問題点である。
「……トモヨの編隊はどうした?」
「きいてみます」
無線室の一角で、下士官が発着艦デッキに連絡をとって、トモヨたちはすぐに帰投すると伝えてきた。
「トモヨたちには、投降の意思表示をしているドゥミーロックと接触させるな。この機体については、なんとなく気になる。乗員の尋問の機会もなく、トモヨの流儀でパタパタと落されては、ロクに情報収集もできないぞ」
バーンの命令は、受話器を手にした下士官から、甲板士官にまで伝えられた。
その間に、ストラドがすまなそうにバーンに話しかけてきた。
「騎士バーン、行ったり来たりですまないが、そろそろオーラバトラーの足で捕捉できる距離になる。このドウミーロックと接触してくれんか?」
「一番近い艦の任務ですが……?」
なんでまた自分なのか、とバーンは一瞬思った。
トロゥという言葉をきいてかってに偵察に出てしまった自分への当てつけかと思った。
「いや、他の者でもいいのだがな、なんというか、投降の意思表示をしているにしては、このドウミーロックの動き、切迫しすぎていると感じるのだ」
「あ……わかりました。自分が出ます」
老いれば勘がにぶる、という一面の真理をバーンは疑うこともなく受け入れていたのだが、このときは、歴戦の勇士でもあるストラド・スケンソンの一言に直感的に共感していた。
再度、バーンが、ディーモッシュのコックピットにすわったときには、あの目障《めざわ》りなピンクの機体のガウベドの姿は、発着艦デッキからいなくなっていた。
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18 アリサとチャムとリムルと
チャム・ファウは、あの、母親の胎内にも似た平穏なクスタンガの丘の夢をみていた。というよりも、夢のなかにいたというほうが正しいかもしれない。
ウラシマソウのような仏焔苞《ぶつえんほう》にからだ全体をつつまれたチャムは、立ったままでも少しも怖くはなかった。
クスタンガのものがすべてそうであるように、その仏焔苞も固く冷たい感触でありながらからだにはやさしかった。
だから、チャムは眠るつもりだった。
それでも、仏焔苞から直接出ている茎がグングンと伸びているのを、チャムは感じていた。
頭上には、まるで翼のように葉が左右にひろがっており、花序《かじょ》軸から伸びたつり糸のような糸は前方に大きく伸び、茎全体がむかうべき方向をさぐるアンテナのようにうごめいていた。
『どうしたのよ! どうしたの!? あたしは、もう寝ていたいんだよ。疲れているんだよ。おばあちゃん……!』
叫んでみても、チャムの声を受けとめてくれそうなもの、たとえば、モアイとかジャコバ・アオンとか、エ・フェラリオのお姉さんたちは見えなかった。
チャムの視界を占めているのは、空間だろうか……。
オーラ・ロードではない。
雲につつまれているようにも感じられる空間。しかし、その実感はとぼしい。
たとえていえば、夢と知りつつ夢をみているとき、夢のなかでは広いイメージの空間にいながら、自分は本当は布団のなかにいるのだとわかっている――そういう感じであった。
しかし、周囲はながれていた。
力いっぱい飛んでいるときのようなスピード感があるのだ。
チャムを乗せたウラシマソウの先端のアンテナが、くるっとチャムの方に縮むのがわかった。生《なま》ものが乾燥してそりかえるのによく似ていた。
それにあわせて、翼のようにひろがっている葉もそりかえった。
と、チャムを包んでいたはずの仏焔苞までが、外にむかってそりかえって、チャムは外にはじきだされそうになった。
「あっ……あ――っ!」
チャムは、思わず叫び声をあげた。落下する恐怖に襲われたのだ。
ザーッ!
空気が耳元をながれて、髪が後方にひっぱられ、羽根が背後にそりかえってふるえた。
雲のなかといった感じの実感にとぼしい空間が消え、突如、現実の空間が出現していた。
大地のディテールが見えて、それがクルクルとまわっていた。いや、チャムのからだがまわっているのだ。
「うううーっ!」
羽根をひらいた。
フワッ! からだが浮いた。
チャムは、滑空にはいった。
いつもの外を飛ぶ感覚がようやくもどってきたが、それでもまだ、落下の恐怖はのこっていた。
「ううう……」
唇がふるえた。とんでもなく寒い。
「下に降りないとっ!」
チャムのような羽根をもった小さな個体が落下する速度はそれほど早くない。チャムは羽根をふるわせて、大地にむかって降下する姿勢にはいった。
『なんだ、なんだったの! いまの花はさっ!』
ようやく意識が正常にもどったチャムは思考を働かせようとした。が、その思考もすぐ掻き乱されてしまった。
グオンッ!
一方からせまった音響で、チャムのからだは弾《はじ》きとばされ、次の瞬間、チャムのからだは空でゴムまりのように跳ね返った。
ドウミーロックがチャムの視野いっぱいにせまってみえた。逃れられないと思った。
「チャム!!」
とてもするどい女性の声がチャムの耳を打ったが、チャムにはその声の主が誰か理解する間はなかった。
チャムは、からだを立て直すだけで精一杯だった。
そのドウミーロックが、フワッフワッとチャムの視野を出たり入ったりした。
「……アリサだった……!?」
声の印象から、チャムはアリサの名前を口にしたが、まだ、夢のなかのような感じだった。
上下感覚がもどってきた。
チャムは正面にドウミーロックをとらえた。
「チャム!?」
また足下の方から、アリサの声がした。
「…………!?」
アリサ・ルフトがズイッと下からあがってきた。
それも目の前に。
「アリサ!? 本物のアリサ!?」
呆れると同時に、正気にもどったと思った。
眼下に山の斜面に生える木々の梢のディテールが見分けられる高度だった。
アリサは、ドウミーロックの左手の上に乗るようにしていた。
「チャムよね!? チャム・ファウよね?」
ドウミーロックの指にかじりつくようにしたアリサがチャムの方を見上げていた。
「チャムに決っているじゃない! あたしはっ!」
チャムは、アリサの質問がとてもバカバカしいことにきこえて怒った。
それでも、こんなところにアリサがいるのを不思議と感じないではない。
「……チャム、こっちだ。乗れっ! こんなところでとまっていたら、やられちまう!」
コックピットのハッチから男がチャムを叱りつけた。ミハン・カームだった。
「ミハン!? なんなの!?」
「話は乗ってからだ! アリサさまとリムルさまを乗せたままやられたくはない」
「わかってるわ。こんなところになんでいるの!」
チャムはミハンに怒鳴り返すと、アリサの顔の近くによって、
「ここ、ミの国かアの国ですよね?」
「そう。チャムがこんなところにいるなんて……」
アリサの手が伸びて、チャムの胴体を抱いた。
つづいて、ミハンがアリサの乗ったドウミーロックの左手をコックピット前に近づけてくれたので、ふたりはコックピットにすべりこんだ。
「みんなで心配していたのよ。ジョクも心配しっぱなしだった。でも、大怪我をしていてジョクは動けないで……まさか、こんなところにいるなんて……」
ミハンはハッチを閉じると、また速度をあげていった。
「どうしてこんなところにいたの?」
「どうしてって、いろいろあったんだよ。ジョクはどうしたの?」
チャムはリムルとミハンに囲まれ、アリサの手のぬくもりにくるまれてようやく安心した。
「大丈夫です。怪我をしましたが、もう、元気になっています」
「そう、よかった……ミハン、水あるでしょ? ちょうだいよ」
「水筒、借りていいですね?」
「え? ええ!? やってくれますか? すみません」
リムルは、ミハンより先にシートの横についている水筒を手にして、キャップをはずしてくれた。
「こんなところにいるなんて、よほどのことがあったのね?」
「そりゃそうです。あ……! ありがとう」
チャムはヘッドレストの上に立って、リムルが手渡してくれたキャップから水を飲んだ。
「あはーっ! おいしいっ! けど、まずい水だ」
「……それで、どうしたんだ?」
ミハンがいらいらして訊いた。
「バーンのオーラバトラーを見たんだよ。ステラっていう友達とバーンを追いかけてたんだけど、ステラはピンクのオーラバトラーにやられて死んじゃって、バーンも見えなくなっちゃって、気がついたらここなんだ」
「バーンやピンクの機体がこの近くにいるのか!?」
ミハンは上体を振り向かせて、噛みつくようにきいた。
「威かさないでよ! いるよ。あたしが乗っていたドッフオが、やられたんだから」
チャムの説明をきくと、三人の同乗者は顔をひきつらせるようにして、周囲に目をはしらせた。
「……爆発なんか見えませんでしたよね?」
「ええ、オーラバトラーだって見えませんでした。右の高い山のむこうにでも飛んでいたのかしら?」
「この空域で戦闘があったっていうのか!? チャム?」
「そうよ! あたしは爆発に飛ばされて気絶しちゃって、気がついたらこのオーラバトラーが目の前にいたのよ」
「気絶していた? どのくらいだ?」
「そんなの気絶している人にわかって?」
チャムのいうことのほうが、正しい。
ミハンは、ムッとして前方の空域を見やり、
「追跡機らしいのはみんな振り切ってきたのに……」とうめいた。
「場所がちがうのではないでしょうか? チャムさんには、景色のちがいはわかりませんか?」
リムルがおずおずときいた。
「フン、そうねぇ……変なの……ここ違うわね……全然……!」
「景色見ただけでわかるのか?」
「あたし、空飛べるのよ? ミハンより空から見る景色のちがいはわかるわ。この山、ちがうもの……」
チャムは、右手に流れていった高い山のことをいった。
「どういうんだ?」
「……あのね、ドッフオでゼイエガを追ったでしょ?」
「ゼイエガ? バーンの母艦だな?」
「そ……ゼイエガが山のむこうにいたんだけど……」
チャムはパタパタと羽根をふるわせて、ハッチの正面や背後の窓をのぞいたりした。
「フーン……そんな無線、傍受していませんよ」
「チャムが風に飛ばされたということは、考えられません?」
ミハンとアリサの話も漠としたものである。が、この山と荒地のつづく空域は平穏に見えた。
「……みんな、どこに行くんだ?」
「戦争をやめてもらうように、ドレイク・ルフトにお願いしに行くつもりなのです。リムルも協力してくれるというので、ミハンに危険を冒して飛行してもらっているんです」
アリサの説明に、チャムは不安になった。
「そのこと、ジョクにいったの?」
「いいえ、相談すれば無駄なことはやめろといわれるでしょ? ですから、無断でゴラオンとミィゼナーにお別れしてきました」
「別れた!?」
アリサがそんなことをするなんて、とチャムは仰天した。
「だって、アの国の軍に行けば、捕われの身になってしまいます。もうジョクのところには帰れないでしょうね……」
「そんなの……!? いいんだよ。あたしのことは気にしないでさ、ジョクと仲良くやればいいのに」
チャムは、ヘッドレストにとまって、アリサは嫌いじゃないよ、という顔をした。
「ありがとう。できればそうしたいのよ……」
アリサの嘆息が、チャムの前をすうっと風のように流れた。
チャムは悲しくなって、フッとその場から飛びあがると、ミハンのかたわらに飛んでいった。
ミハンは、地表スレスレに飛行しながら、たえずジグザグのコースをとるようにしていた。
「どこに飛んでんだ?」
「ラース・ワウへの直線コースをとっている……」
「そうか……でも、掴まっちゃうよな?」
「そうなったときにも、撃墜されないようにしなけりゃならんのだよ」
緊張がつづくミハンは、チャムに優しくなかった。
「……ミハン……ゼイエガの位置は、その無線機ではわからないのですか?」
リムルが思い出したようにきいた。
「受信している電波なんて、ご存知のとおり不明瞭《ふめいりょう》ですし、お互いに暗号も使っていますからね……」
そういわれれば、無線機のスピーカーからは、たえずノイズに似た交信音が流れていた。
「チャムだって、オーラ・ロードを往復したフェラリオですから、それに似た現象を体験して、こうしてわたくしたちの前に現れたのではないでしょうか?」
「それでは、チャムは我々に有益な情報のひとつでももってきたというのですか?」
「え?」
ミハンのつっかかるような質問に、リムルが大きく瞳を見開いた。
「だって、ジョク、いってましたよ。オーラ・ロードをくぐり抜けたからには、なにか意味があるはずだ。世界から託された任務といったもの……それを感じるって……だからでしょ? この戦闘でジョクが聖戦士としてとてつもない戦果を上げたのは……そういうことがチャムにはないのかって、ふと思ったんです……いまのチャムの話には、なんら有効な情報はないんですよ」
「……聖戦士殿は、ものごとはそれほど性急に展開するものでもないし、だいたい、思っているほどの成果は上っていないとおっしゃって苦しんでいらっしゃるんですよ?」
「チャムはちがうよな?」
「なにがだ?」
肘掛けの奥で背もたれに背中をあずけたチャムは、半分あくびをしながらいった。
「これですよ」
「疲れているんですよ。大活躍じゃないですか」
「ミハン……!」
アリサが背後からミハンの肩を叩いた。
「ハッ……」
ミハンは機速をおとし、さらに高度を下げた。
山肌が迫って、岩くれがゴロゴロしている斜面が眼下を走り出した。
そのときだった。
「ラウの国の投降機っ!」
いきなり、男の声がコックピットをゆるがした。
「バーン!? なんで、すぐ来れなかったのよっ!」
スピーカーからあふれたその声に、真先に反応したのはチャムだった。
「チャム!?」
アリサとリムルは、チャムの激しい反応にビックリした。
チャムは、コックピット内を一周すると間をおかずにつづけた。
「こういう風にすぐ来てくれれば、ステラは殺されなかったんだよ! バカがっ! なにやってんの、ミハン! 四時、上五十度だよ!」
「そ、そうかっ……!」
前方空域にはなにも見えない。ミハンは狼狽しながらも、減速して狙撃されないようにした。
「バカな騎士なんだよ。こんなところで上手にやったって、自分の女を目の前で殺されてしまったらどうしようもないじゃないか! ステラがどんなに苦労したか、知らないのかー!」
チャムは背後をのぞける小窓に張りついて絶叫しながら、涙をあふれさせていた。
アリサもリムルもチャムの本当の気持ちを推し量ることができず、ただオロオロするばかりだった。
ゼイエガを発したバーン機とその僚機は、チャムを助けた騒動で対空監視を怠っていたミハン機の背後から接近して、射程距離に捉えてから通信してきたのである。
「よし、接触する。フレイ・ランチャーは楯の上に乗せて、こちらが接触するまで、その空域に滞空しろ!」
バーンは、ミハン機のリアクションが投降機のものであるのを確認すると、三機の随伴機に左右と背後から接近させて、自分はミハン機の正面にはいることにした。
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19 チャムの怒り
フレイ・ランチャーをもつドウミーロックの右腕を頭上にあげ、機体をホバリング状態にすると、ミハンは計器板を横にすべらせて、ハッチをひらいた。
投降の意思表示である。
三機のガベットゲンガーが左右と背後を固め、もう一機の黒いオーラバトラー、ディーモッシュがゆったりとミハン機の頭上から前にまわって、ハッチを開け放した視界のなかにはいってきた。
「あのオーラバトラーがステラを呼んだ奴なんだよっ!」
コックピットの三人にいいつけると、チャムはコックピットから飛び出そうとした。
「ちょっと待てよ! チャム!」
ミハンが制止した。
「バーンなんだよ! バーン!」
ミハンに両足を掴まれてチャムはもがいた。
威圧感のある黒い機体が、オーラバトラーの腕をお互いに伸ばせば接触できるほどに接近してきた。
「待ちなさい、チャム!」
「だって、あのバカのおかげで、ステラが死んだんだ!」
ヒステリーもここにきわまったという感じのチャムは、ミハンの手を振り切ると、ディーモッシュの開いたハッチに飛びこんでいった。
「このバカヤローがっ!」
「……!? なんです!?」
チャムを払うようにしながら、バーン・バニングスは、アリサとリムルを目にとめていた。
「ステラが命がけで機械を盗んで、あんたに会いに行ったのに……!」
チャムが狭いコックピットのなかを飛びまわって襲いかかろうとするので、バーンはアリサに声をかける余裕はもてなかった。
「……なんでピンクのオーラバトラーが襲うのをとめられなかったんだっ!」
チャムはバーンに足蹴《あしげ》りのひとつもくわえないと気がすまないのだ。
「ステラがどうしたんだ!? このフェラリオはなんなのです!」
バーンは両手を振りながら、アリサたちにきいた。
「チャムは、ステラという人といっしょに行動していたらしいんです」
ミハンがコックピットから身を乗りだして教えた。
「このフェラリオがか!?……ウッ!!」
チャムの足蹴りが、バーンの頬にあたった。
「フェラリオ! やめろ! ちゃんと説明してくれないか!」
「説明もくそもない! ステラがやられるのを見ていたくせにっ!」
ようやく、バーンはチャムの悲鳴のような言葉のなかに整合性を感じて動揺した。
「やめろっ……アッ!!」
バーンは後頭部を蹴飛《けと》ばされ、前に流れてきたチャムのからだを捕まえることができなかった。
何回かバーンにダメージをあたえたチャムは気がすんだのか、ミハンたちのコックピットに飛びこんでいった。
「チャム、ちゃんと説明してあげなければ、騎士バーンにはわかりませんよ」
アリサは、チャムを両手で掴んでいった。
「放して! あいつは敵なんだ。みんなの敵だ」
「わたくしたちはバーンとお話をしたいの。あなたのように頭ごなしでは、大事な話ができないでしょう」
「あたしは大事な話をしている!」
「フェラリオの娘、すまない。間にあわなかったのはわたしのまちがいだ。ステラがあのドッフオに乗っていたというのを、なんで知っているのだ?」
「あたり前でしようがっ!」
アリサに胴体全体を抱かれていたので、チャムは飛ぶことも殴りかかることもできなくなっていた。
「あのとき、アリサさまもご覧になっていたのでありましようか?」
「は? いえ……チャムとは、今しがたここで出会いましたので……その、ちょっと前です」
アリサはチャムの顔を片手で包むようにして口を封じた。これは上手にやらないとチャムの歯に指を噛まれる。
「チャムはステラの機械に乗っていたのです」
「……騎士バーン、チャム・ファウは、ドッフオが撃墜されてから、ここまで移動してきたことについては記憶がないのです。オーラ・ロードのようなもので、ここまできたのではないかと考えられます」
ミハンは、足下がなにもないのを気にすることもなく、ハッチから身を乗り出して怒鳴るように説明した。
日焼けした端正なバーンの顔が、つらそうな表情を見せた。
それを遠目に見て取って、アリサはステラという女とのことは事実なのだろうと理解した。
「チャムが夢をみていたというのは、オーラ・ロードかも知れないというのですか……」
リムルの声がアリサにきこえた。
リムルにとっては、チャムは馴染みにくい元気さをもっていた。
が、そのミ・フェラリオが、ジョクと同じように、ふつうのコモン人以上にいろいろなものを体験しているということに、リムルは驚嘆しているのだ。
「……事態の輪郭《りんかく》はわかりました。チャム・ファウとか……ともに、地上界へも行った間柄である。あらためて、わたしの不明を謝罪する。我が身のためにも……!」
バーンの謝罪も怒鳴り声だったが、いっている真情はその声にあらわれていた。
「本当に、そう思っているんだね!」
「そうだ。だから、どうか貴公の知っている事情について、もう少しコモン人の我々に理解できるように説明していただきたい」
コックピットから身を乗り出すようにしてバーンは絶叫した。その絶叫はオーラバトラー二機の羽音を凌《しの》ぐほどひびき渡った。
「そういうの全部、説明したよ!」
チャムはすこしは機嫌を直したものの、まだ釈然としないようだ。
「バーン、その前に、わたくしたちは父のいるところに行きたいので、こうして戻って参りました。そのお手配を願えませんか!?」
チャムが口をつぐんだので、アリサはようやく自分たちの目的を口にできた。
「ハッ……! それはできましょう。お待ちください。チャム殿はすこし、すこし待っていただきたい」
バーンは無線機をつかうために、シートにすわった。
「……あれがバーンか……ジョクの敵……」
アリサの掌につつまれるようにして、ヘッドレストの上に立っていたチャムも落ち着いたようだ。
「……アリサさま、どうなさいます? むこうに移りますか?」
すわっているミハンがアリサを見上げた。
「そうですね……チャムといっしょに……」
「あたしは厭だ!」
「でも、チャム、バーンは決してジョクを憎んで戦っているのではありませんよ? ステラさんのことでも心を痛めていらっしゃるのです」
「そうだぜ。チャムの話はバーンの話と合わせないと信じにくいんだから、アリサさまにきいてもらって、判断してもらわなくっちゃ」
「あたしはウソなんかついてない!」
「それはわかっていたのよ。チャムさん……」
チャムがミハンに噛みつこうとしたので、リムルまでが牽制するようにいった。
「ンッ……もう! トモヨがジョクをやっつけるっていうのは、あたしがきいたんだけど、バーンを殺すといっているのは、ステラが教えてくれたんだ……バーンは、あたしたちの敵だから、敵同士で殺し合うのはいいんだよ。でも、ステラはバーンが好きで、いい人なんだ。あたしは、ステラのごはんをもらったんだから……」
「そう……そういうことを順序良くバーンにも話してあげてくださいな」
アリサはチャムを抱き上げ、キスをしてやった。
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20 ウィル・ウィプスの壁
ミハンのドウミーロックとバーンのディーモッシュが、ハッチを合わせるようにして空中で接触する姿は、人の抱擁を思わせた。
ちがうのは、両機が巨大な羽根をふるわせていることぐらいである。
アリサがチャムを抱いて、ディーモッシュに乗り移ると、四機のオーラバトラーは、バーン機を先頭にして直進を開始した。
ウイル・ウィプスにむかうのだ。
バーンの母艦であるゼイエガも、その編隊を追うようにして、ウィル・ウィプスにむかっているのだろうが、その艦影はこの空域からは見えない。
この距離の隔絶を、バーンとチャムは埋めたのである。
しかし、チャムがどのようにこの距離を跳ねたかは、想像を働かせるしかなかった。
チャムはいった。
「……モアイが助けてくれたんだよ。あのおばあさんは口はうるさいけど、あれで案外、優しいからね……」
「そうでしょうね、クスタンガの丘にいらっしゃる乳母《うば》ですね?」
アリサはそうこたえてやった。
バーンは、その女同士の会話にはくわわらずに、チャムの話してくれた肖像から、まちがいなくステラ本人が来てくれていたことを確信した。
『……トモヨにザナドもからんでたか……』
そう判明しただけで、バーンにはじゅうぶんだった。
『ステラの魂よ、まよわずに天にいたれ、地に這うなよ』
とバーンは念じた。
「…………!?」
チャムは、シートの横に押しこまれている、機体を拭くためのボロ布の上にしゃがみこみ、モソモソともぐりこんでいった。
寝るつもりらしい。
「この席をお貸しいたしましょう。ウィル・ウィプスが見えるまでは、自分が立ちます」
「気になさらず……こんな戦場で、バーンと会えて僥倖だと思っています」
もう攻撃をうけないですむとわかってアリサは安心したが、そこまで甘えるつもりはなかった。
ふたりが敵味方であったことはないのだ。アリサにすれば、バーンは昔から見知った騎士である。
子供の頃から俊英といわれて、早くからラース・ワウへ出入りを許されていたバーンは、没落しかけたバニングス家をしょってたつ騎士と誉めそやされていたものである。
ジョクというとんでもない存在が現れなければ、アリサの夫になっても不思議ではない男性なのである。
「……教えて欲しいのですが……」
「どうぞ?」
チャムは、足下のポロ布のなかで眠ってしまったようだ。
「ミハン・カームは、どうやってウィル・ウィプスが停泊している場所を知ったのでしょう?」
アリサは、パイロットというのはそういうことを気にするのかと思ったが、それが軍人なのだろうと納得するしかない。
「そんなことは知りもしませんでした。ただラース・ワウにもどるつもりで直進していただけです」
「え……!? そういうことで?」
「ラウの情報収集能力は、ジョクが期待しているほどのものではありませんでした。無線にしても、有線の通信にしても、ミの国ほど整備されていませんし……」
壁にもたれかかって目を閉じようとしていたアリサは、漠然とした気持ちでそんな風に説明した。
「なるほど……」
「……でも、ミハンはラウの軍が掴んでいた情報から、アの軍の展開の薄いところを通ってきたつもりのようですけど」
「なるほど……」
バーンの同じような声音の合槌《あいづち》がかえってきた。
アリサは頭を壁にもたせかけて目を閉じた。
「……アリサさま?」
アリサの気配が消えたので、バーンは身体を大きく横にしてアリサを振り仰いだ。
「…………」
やや上にあげるようにしたアリサの顎の下の白い肌がひどく生々しかった。マントを前で深く合わせていたので、そこだけがますます鮮やかにバーンの目にうつった。
感情が波立った。
バーンは、あわてて正面にむき直り、機体がエア・ポケットなどに飛びこんでアリサの姿勢が崩れることがないように、と念じた。
『……なんという出会いであるか……ステラとわたしの関係のすべてを洞察しているこのフェラリオは、こうしてわたしの前に現れ、アリサさまもここにいらっしゃる……そして、わたしはわたしでオーラ・ロードをつかい、地上界にさえ行った……地上界から帰ってきたときには、エ・フェラリオともまぐわってしまった……ジョクはワーラー・カーレーンでジャコバ・アオンという長《おさ》と出会ったともいう……そういうことをわたしに教えてくれたのはあの地上人、ショット・ウェポンだ……こうもつごうよく偶然がかさなっているということはない……確かに世界が関与しているのだ……』
革兜などはかぶっていないのに、バーンの額には汗が吹き出ていた。
『……世界がひとつのものに収斂《しゅうれん》されているとするなら、どういうことになるのだ?』
そこまで考えたとき、バーンは、この思考の行き着く先は、とんでもなく不幸なことではないのかと感じた。
「そうであってはならん!」
低い声ではあったが、バーンは力つよく言い放った。
しかし、不吉な予想を振り払えるものではなかった。
胃の腑《ふ》といわず胸といわず、体内全体に澱《おり》のような物が沈澱《ちんでん》したという感触が、意識するとしないにかかわらずバーンを支配していくのだった。
* * *
かすみのなかに、いっそう白く輝くところがあるとすれば、それが水晶の森である。
バーンは、その輝きの左端といったところにコンパスを合わせ、左右の地形も観察した。
その上で、地図と照合して飛行方向を確認すると、自機をゆっくりと縦に回転させていって、ミハン機の正面に接触する姿勢にはいった。
背後の壁を背にして眠っているアリサを起さないように気をつけたつもりだったが、
「ウッ……」
チャムが床の上を一方にすべっていき、姿勢が崩れたアリサが目を開いた。
ミハン機も縦になって、二機は機体同士を正対させるようにした。
バーンは、こんな至近距離で無線をつかうつもりなのだ。微弱な電波なら、盗聴される心配はない。
「騎士ミハン・カーム」
バーンは、成上りの青年を騎士の称号をつけて呼ぶのには抵抗があったが、ミハンの技量は、すでに正規のパイロットの域に達していると認めてはいた。
「ハッ!?」
緊張したミハンの声が無線機のスピーカーから飛び込んでくると同時に、ハッチ越しにミハンがバーンの方をのぞくのが見えた。
両機のハッチの窓ガラスは、二枚越しにみてもお互いの姿を認めることができる透明度をもっていた。
バーンは、手のサインで無線機のボリュームをさげるように命じた。
「ああ……はい?」
ミハンはバーンのサインの意味がすぐにわかって、無線のボリュームを絞った。
「ミハンは、捕虜になる覚悟か?」
「はい、自分はアリシアさまとアリサさまには、目をかけていただきました。ご本人は我々下々にどのようなお声をかけたかなどはお忘れでありましょうが……」
「よけいなことはいい。覚悟をききたい」
「むろん、覚悟の上です。ただ、この機体を敵の中枢に運んだことで、ラウの国に負担をかけることになるのが心苦しいのであります」
「そうだな。それはうかつだった……が、気に病むことはない。このディーモッシュにしろクの国のガウベドにしろ、性能的には貴公のドウミーロックと同等かそれ以上だ。ドウミーロックの機体の性能を我等が知ったからといって、ラウが不利になることもなければ、我等が有利になることもない」
「はい……」
「多少の尋問の覚悟はしておけ。ラウというか、ミィゼナーに帰る気はあるのか?」
「それは……」
「正直にいえ。故郷に帰りたいのか?」
「誰もいませんから、そんなことはないのです。聖戦士殿と共に戦いたいだけです。アの国が相手でなければ、気持ちがいいのですが……」
「よくわかった。釈放の方向で働きかけてみるが、期待はしないでくれ」
「ああ、はい! ありがとうございます。騎士バーンのそのお言葉だけでじゅうぶんであります」
「それ以上はいい」
バーンは機体をもとの飛行姿勢にもどすと、アリサを振りかえった。
「お起しいたしまして……」
「なんの……。バーンの心遣いに感謝します」
「……造作がないこととはいえませんが、努力はしてみます。チャム殿の件はどういたしましょう?」
「なにがチャム殿だ?」
足下からチャムの声がはじけた。
「そろそろウィル・ウィプスだ。敵の艦に到着するということだが、チャムも捕虜になるか?」
「嫌なこった!」
「……だとすれば、敵の兵隊の目に触れないようにしなければならない。この機に隠れていれば、なんとか逃がす方法を考えないでもないが……」
「ここにひとりで隠れろっていうの!?」
チャムはふてくされてボロ布のなかでプッと頬をふくらませた。
水晶の森の北端が眼下にせまっていた。かすみが薄れ、水晶石の輝くディテールがはっきり観測できるようになった。
「チャムには、ここで見たことをジョクに伝えて欲しいのです。けど、あなたの力ではジョクのところまで飛んでいけないでしょう?」
「…………!?」
ムッとアリサをにらみ上げたチャムは、
「みんなであたしを嫌いなの……?」
そういって、見る見る涙をあふれさせた。
「そうではないですよ……チャム。ミハンは捕虜になってしまうから……」
「どうした? 気の強いフェラリオが?」
「あ、あたしはどこにも行けないの? ここにしかいられないの?」
チャムは自分がとんでもなく難しいところにいて、自分ではどうしようもできないのが悔しいのである。
チャムはポロポロ涙をながしながら飛びあがり、アリサの首にかじりつくようにした。
「騎士バーン、この娘《こ》は自分でもわからないほどいろいろなことを経験したようで、そのことを理解しかね……」
「わかります。こういう情況では、我々コモン人でも感情がたかぶってしまいます……が、ウィル・ウィプスは目の前です。チャムは、ウィル・ウィプスの連中の目に触れないようにしないと……」
「チャム、騎士バーンは悪い人ではありません。いまは、バーンに匿《かくま》ってもらいましょう。そして、ミィゼナーに戻るのです」
アリサは、チャムの折りたたまれている羽根をやさしく撫でてやりながら、辛抱強くいいきかせた。
「バーンは、ジョクの敵なんだよ……」
「でもさっきチャムは、バーンの敵はトモヨとかザナドだといいましたね?」
「ウン……」
「バーンにも、本当の敵がわかったのですから、大丈夫。わたしもリムルも不自由な身になるでしょうから、ここは、バーンの助けを借りなければならないのです」
「……騎士バーン、ジョクのところに帰してくれる?」
ようやくチャムはからだをバーンにむけた。
「無論だ。戦闘中で絶対という保証はできないが、約束する。貴公には借りができてしまったのだ。それは騎士として返させてもらいたい」
「キコウ? キシ……よろしくお頼み申します」
チャムはバーンの物言いに驚きの瞳をかえしてから、アリサにからだをささえられたまま頭をさげた。
涙の露がチリリと散って、それがバーンにも見えた。
「……ン。チャム殿も、堪《こら》えてくれ」
バーンは無感動をよそおいながらいった。
「……そろそろです。アリサさま……」
「ああ……!!」
「チャム殿は、ここにはいるがいい」
バーンはシートの下の備品入れのわきから、革鞄《かわかばん》を引きだすとそのベルトをはずして、なかにあった着替えなどをとりだした。バーンは地上界に不時着して以来、日常の生活に必要な最小限度の備品を携帯するようになっていた。
「はい……」
アリサの手をはなれたチャムはそのバッグのなかに自分のもぐりこめる場所をつくりはじめた。
バーン機は水晶の森の西寄りのところを飛行していた。
やがてはここも水晶の森となるのであろうが、無数の火山岩が峨々《がが》とそびえ立つ地形であった。
そこここの岩のくぼみに土が堆積《たいせき》して緑の盆地を形成して、川がその地形をこまかく分断していた。
その盆地のひとつ、北西に隆起した岩にそってできた谷のようなところには、段々畑をせおった十数戸の村クッタウラーガがあり、その奥に、ウィル・ウィプスが隠れることのできる規模の谷間があった。
岩山のいくつかが眼下に走り、墓地がながれ、川がはしった。
そして、ウィル・ウィプスの偉容がアリサの視界にはいってきた。
その艦の先端にバーン機が触れんばかりに接近したとき、アリサは打ちのめされた。
『こんなものを造らせてしまったら、誰でも後にひけるものではない』
アリサの全身に悪寒《おかん》が走った。
アリサの国で建造された巨大戦艦ウィル・ウィプスは、谷底に係留されていても、眠っているという雰囲気はなく、艦体から妖気を放っているように感じられた。
もともと、オーラ・マシーンであるのだから、そのような『気』が感じられるのは当然なのだが、アリサは、ウィル・ウィプスが潜在的にもっているオーラ力がどのような性質のものか想像せずにはいられなかった。
『これはアの国の人民すべてのオーラを吸っている……』
これを同じ巨大戦艦であるゴラオンに感じなかったのは、敵味方の関係とか、善悪の関係ではなく、ただゴラオンがスィーウィドーという、コモン界でもまったく別の世界《フィールド》に静止していたために、その『気』が撹乱《かくらん》されていたからであろう。
ゴラオンとて、そのオーラ・エンジンに生気が注入されて、スィーウィドーを出たときには、このウィル・ウィプスと同じような『気』を発散させるであろうと、アリサは想像した。
「どうなさった!?」
バーンがアリサの異変に気づいて、振りむいてくれた。
「いえ、風邪《かぜ》のような感じで、ちょっと悪寒が……大丈夫です」
「急ぎます」
バーンはウィル・ウィプスの発着艦デッキの監視所と進入についての短い交信をすると、まずミハン機を中央甲板に着艦させた。
それを確認してから、バーンは自機をデッキの正面に向けて着艦体勢に入った。
ウィル・ウィプスの構造物のディテールが、巨大な壁になって迫り、そこに無数といえる円窓がならんでいるのをアリサは認めた。
「…………!!」
そのどれかの窓から、父のドレイクが見ているのではないかという思いがアリサの頭をよぎり、アリサは鉄槌《てっつい》でうたれるにひとしい絶望感に打ちのめされた。
『来るのではなかった……こんなものを造らせた父に、戦争をやめさせることなどできはしない』
よしんば、父ドレイクに戦争をやめる意志があったとしても、この物体の存在自体がそれを拒否するであろう、とアリサは思った。
物体が見せる圧倒的な威力は、具体的すぎて愛矯《あいきょう》がない。
造られてしまった物体は、実在することで動くことを要求しているのである。
いまや無力感だけがアリサの胸を占領していた。
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21 ドレイクという父
ウィル・ウィプスの周囲には、数機のドメーロとオーラバトラーが、どこかに行くつもりで僚機を待っているという風にゆったりと飛行していた。
ウィル・ウィプスを中心とするアの国の艦隊は、後方でも動きが活発なのだ。
バーン機はゆったりと着艦して、デッキ上を数歩すすんでから停止した。
甲板要員がすばやくタラップをコックピット前につけると、近衛《このえ》師団の士官が数名駆け上ってきて、外からハッチをひらいてくれた。
その間に、バーンは足下の鞄《かばん》のなかに身をひそめたチャムに一声かけてから、蓋《ふた》をしてベルトを軽くかけた。
「アリサさまで?」
「…………」
アリサは、バーンが計器板を横にすべらせてくれるのを待って前にすすみ出た。
「リムル・ルフトは?」
「ハッ、我が近衛師団の者が、お出迎えさせていただきました」
その士官の物言いに、アリサは内心安心した。
士官たちに見守られてタラップを降りていきながら、アリサは、前方左に位置しているミハン・カームの機体に目をやった。
アリサがタラップの前に立っているリムルの姿を認めたとき、近衛士官たちがアリサの視界をさえぎった。
「騎士バーン……」
タラップの下で、アリサはいま降りてきたばかりのハッチを振り仰いだ。
「ハッ……」
タラップ上に立つバーンはアリサの一言に頷いて、近衛師団の士官たちに何事かいった。
「御前《おんまえ》に……!」
アリサは慇懃《いんざん》な督促《とくそく》の言葉をあびせられて、歩をすすめざるをえなかった。
発着艦デッキの奥にある待機所を背にして、リムル・ルフトが数人の士官たちに囲まれてアリサを待っていた。
ミハン・カームは、タラップの上、ドウミーロックのコックピットの前に直立して、数人の士官に取りかこまれたままだ。
「…………!?」
アリサはミハンに目礼を送って、リムルと肩をならべるとそのまま艦内奥深くに案内されていった。
「これへっ!」
一度、通路を九十度に曲ると、いくつも小部屋がならんでいた。
アリサとリムルは、四人の近衛士官を左右と背後にしたがえる恰好で、その小部屋のひとつにはいっていった。
一人の士官が、部屋のすみのハンドルをまわすと鉄格子状のシャッターが閉じられ、次にボタンを押すと、その小部屋が上昇をはじめたようだった。
頭上でワイヤーが緊張して触れ合って鳴る音がして、金属レールをすべる滑車の音がした。
「…………!?」
アリサとリムルはエレベータにあまり馴染みがなかった。ゴラオンで使ったぐらいである。
絢爛《けんらん》たる軍服に身をつつんだ近衛士官たちは、ふたりの少女にとっては馴染みの者たちであるが、いま、彼等は、このふたりの姫たちに自分たちの主人がどのような裁定を下すのか想像がつかないために、石のように黙し、ただ案内するだけの人形と化していた。
エレベータのドアが開くと、そこは内甲板のひとつだった。
一方が空にひらけ、一方が、艦の構造物の壁になっていた。
「……よくもどってきた」
ひどく唐突に左の何もない空間から、ドレイク・ルフトが影になってアリサの視界にはいってきた。
エレベータを一歩出たところだった。
「あ……お父上……」
なにからいおうかと考えていたはずだったが、その明るいドレイクの声をきいた瞬間に、すべてのことがスッポリと頭から抜け落ちてしまった。
「リムルもよくも無事で。ウム……大過ないようすで嬉しい……アリサも結構だ。肌の色艶《いろつや》もよいようで、瞳も輝いておる」
ドレイクは、ふたりの姫を前にしたときはいつも、養女となったリムルの名前を先にいうという気遣いをみせたものだが、それを忘れてはいなかった。
「お父さまにも、ご健勝であらせられまして、ご武運ますます隆盛とのこと、なによりと存じます」
リムルはしっかりと礼式にのっとった挨拶をした。
「それでこそ、我が姫だ。帰還してすぐではあるが、リムルは我が名代として、ただちにクの国に行ってくれまいか? ちょうどルーザが出立しようとしていたところにおまえたちがもどるという報せがあったので、こういうことになった」
呆然としているところにさらに追い討ちをかけるようなドレイクの依頼に、アリサは、敗北感から全身の力が抜けてしまった。
膝が折れて、まっすぐに身体をデッキに落してしまった。
「姫さま!?」
「お義姉《ねえ》さま?」
「いえ……いえ、大丈夫であります。お父上の、王のあまりに寛大なお言葉に、気が緩んでしまって……」
意識だけははっきりしていた。口もきけた。しかし、身体に力がはいらない。
アリサは力なくドレイクを振り仰いだ。
アリサの目に映ったドレイクの姿には威圧感はなく、その顔に皮肉な表情もみられなかった。
娘ふたりがもどってきてくれたことを嬉しがっている父親という姿しか映らないのだ。
『これでは、予定が狂うのに……!!』
アリサの意識はそう絶叫していたが、敵たる王ドレイクの前でひよこのように膝を屈してしまった自分が情けなかった。
「ウィル・ウィプスが明日にも出撃できる目安がつき、クの国のゲア・ガリングも舳先《へさき》をそろえて、艦隊の前に出てくれるという。その上、おまえたちである。これは我が大望《たいもう》が成就《じょうじゆ》する徴候であろう」
ドレイクはリムルに正対して、その肩を抱いた。
「ご同慶のいたりであります。心よりお祝いいたします」
「他人行儀を責めはしないが、もうすこし馴染んで欲しいな。ええ……!? これまでは時間がなかったのだからやむをえないが、戦争が終結したら、すこしは儂《わし》にも時間をくれよな? リムル……?」
「もったいないことを……」
「ン……アリサとリムルをそこの待ち合い室に案内せい……アリサ、歩けるか?」
ドレイクは、近衛士官に左右をささえられたアリサの足下を心配そうに見やりながら、リムルを抱くようにして、デッキの一方の出入り口に案内した。
「足下が高くなっている。気をつけてな……」
「は、はい……」
リムルは、あまりにも優しさをよそおうドレイクに身体を硬くして、艦内につうじる通路にはいった。
左手すぐのところのドアが開いていた。
「…………!?」
その部屋のテーブルの上でバッグの片付けをしていたルーザ・ルフトが振りむいた。すでに旅装をととのえている。
「リムル……よくもまあ……」
「叱るでない。姫たちには姫たちなりの悩みがあってのことであろう。それをきいてやれなかった我々夫婦に問題があったと認めねばならない」
「……王のお口より、恐れ多いお言葉を……アリサさま!? どうなさいました?」
「疲れのようだ。安心して気が抜けたのだろうが……」
ドレイクは、近衛士官にささえられるようにして、アリサがソファのひとつに横になるのを見やりながら、父親そのものといった態度をみせた。
そのドレイクの物腰はけっして、芝居を演じているようには見えない。
それが、アリサには不気味だった。
「……リムル、ルーザはおまえの旅支度をしているのだぞ?」
「もったいない……わたくしが……」
「旅というほどのことではない。オーラ・マシーンの時代、半日も飛ぶことなくクの国へは参れるようになりましたからな」
「はい、でも、どういうことでありましょう?」
リムルの質問に、ルーザの眉間《みけん》が険しくなったようだが、口調はおだやかだった。
「クの国の巨大戦艦、ゲア・ガリングが進水するのです。その式典に王の名代としてわたくしが出席いたします。リムルにとってもアの国の同盟国を視察するよい折りであろうと王がご配慮くださったのです」
「あのビショット・ハッタさまのお国でも、ウィル・ウィプスのような巨大戦艦を?」
「もちろんであります。ラウを倒すには、ウィル・ウィプスでじゅうぶんでありますが、王の目的は国を倒すことではありません。民を宣撫《せんぶ》し、機械の時代の到来を知らしめ、このコモン界を根本的に改革なさるという、コモン人として至高の願望をおもちなのです。そのためには、巨大戦艦はひとりアの国のものであってはならない、とクの国にも建造をお許しになったのです」
「ルーザ、理屈は良い。リムルは賢い姫だ。事象を見れば理解できる。そのためにも、ルーザに同道させて、ゲア・ガリングを見せてやりたいのだ」
「御意……」
「そのようなご配慮でありましたら、よろこんで行かせていただきますが、こんなに急に帰って参った上で……」
「おまえたちの帰還がわかってから支度をさせていたのだから問題はない……問題はな、リムル」
「はい?」
ドレイクが、いたずらっぽい表情をみせたので、リムルは微笑を返さざるをえなかった。
「式典で、ゲア・ガリングの命名式もあるから、この名前は知らないという顔をしていなければならぬ。そして、命名式ののちには、恐ろし気な感じはするもののすばらしい名前でこの艦にふさわしいものであります、ぐらいの世辞はいわなければならない。できるかな?」
「お芝居でありますな」
「芝居ではない。それがつきあいというものだ」
「はい……それは……もう……」
リムルをソファに横たわって眺めていたアリサには、リムルの覚悟といったものが感じられた。
アリサの視界をさえぎるようにして、老女がグラスについだ飲み物と薬をもってきてくれた。
「アリサさま、お薬を一服……精がでます」
ドレイクの指図であろうからことわる面倒をさけて、アリサは黙って口に苦い煎《せん》じ薬を飲んだ。
それは、漢方薬に類するもので、アリサが小さい頃から暑気あたりなどのとき飲んでいたものだ。
「アリサ、儂はまだ艦の采配《さいはい》のことがあるので出るが、ルーザが発《た》つときまでにはもどる。それまでここにいるが良い。おまえの部屋の整備もさせている最中だからな……」
「はい。造作をかけます」
「なに……ルーザ、リムルの支度がじゅうぶんではないが、ビショットも事情は知っているのだ。不足の衣類などは、あちらで調達させろ。趣味があわんというなら、ラース・ワウに電信して取り寄せるもよい」
「ああ、それなら、必要品をラース・ワウに電信してガリングに届けさせるようにしましょう。そうすれば、明日にも手にはいりましょう」
「そうさせろ」
ドレイクは上機嫌な声をのこして、自らドアを閉じて出ていった。
「…………」
アリサには何かひっかかるものを感じるのだが、口にできることではない。
リムルは、アリサを気にしながらも、ルーザが用意してくれたバッグの中味を確認して、ルーザに礼をいった。
『……機嫌が良ければ、話をきいてもらえる時間もとってくれるかもしれない……』
アリサは、物事をよい方向に考えることで、気を晴そうとした。
「アリサさま、母はわたくしの旅支度一式をととのえて下さったのですよ、信じられます? こんな軍艦のなかで……!」
リムルは、ルーザの気持ちを推し量って喜んでみせた。
「よかったわ。こうやって無理をして帰ってきて、本当に良かった。これからは、良い姫になって、お母さまのおいいつけを守って下さいな」
アリサは上体を起して、ルーザの達観したような姿に礼をいった。
「……リムルさままで巻き込んでしまいまして、本当に申し訳ありませんでした。王のお怒りもなくまるで、天国にもどってきたような気持ちでございます。これも、お義母《かあ》さまの広いお心の賜物《たまもの》であろうと感謝いたします」
「なに、王のお心がもともと広いだけです。わたくしは、王の申されるとおりに身を処するだけです。むしろ、アリサさまには、なにかと気配《きくば》りのないリムルが厄介をかけたのではないかと心配でありました」
「ラウの囚《とら》われ人のあいだ、リムルさまはご立派にルフト家の姫の衿侍をたもっておいででした」
「そうおっしゃっていただけて、ありがとうございます」
そういうとルーザは、さらに侍女たちが用意した荷物の点検にとりかかった。
彼女は、癇《かん》の強い女王である。ドレイクの命令でリムルを叱ることを堪えているのは明白であった。
しかし、この旅を理由に、アリサとリムルを引き離すことが、ドレイクとルーザの目算なのであろう。ルーザの物腰は、あきらかに事務的な手際の良さがみえた。
「……お義姉《ねえ》さま……本当によろしいのですね?」
ソファのすみに腰をおろしたリムルが、アリサの手にそっと触れた。
「本当に父の反応の優しさに気が抜けたのよ……でも、これだけでおわるはずがないわ」
「…………」
リムルは返事のかわりにアリサの手を握りしめてきた。
「……式典がおわりましたら、またお会いいたすことを楽しみにしています」
「わたくしも……」
アリサもリムルの手を握り返して、ホッと息をついた。もう言葉などはなんの役にも立たないのだとわかっていた。
ドスッ、と床が揺れた。
「機械の用意ができたようですよ、リムル。着替えは機械のなかでできるようですから、出立いたしましょう。おまえのおかげで、出発が遅れたのですから」
「はい、でも、ドメーロで着替えができるのでありますか?」
リムルは、アリサとできるだけ長く手をつないでおくようにしながら立ちあがった。
「わたしたち用に改装したドメーロがあるのですよ。アの国は、機械の先進国だということをお忘れでない」
「はい」
「さあ、荷物を機械の方へ!」
ルーザの命令で、侍女たちがバッグのいくつかを抱えて出ていった。
ルーザはリムルに先に行くように手でしめしてから、アリサに別れの挨拶をした。
「……ビショット・ハッタさまにもご武運をと」
「申し伝えましょう」
ゆったりとルーザが退出すると、アリサも彼女を追うように部屋を出た。
ドレイクは、二機のドメーロの中央に立って、ルーザとリムルを出迎えた。
なるほど、ルーザのいったとおり、甲板上のドメーロは機体全体を黒の漆《うるし》で塗装し、窓やハッチには金箔の彫り物がほどこされていた。またチラッと見えたブリッジ内は、ビロードで張りつめられているようだった。
「では、行くがいい」
馬車とちがって、機械の見送りはあっけないものだった。
二機のドメーロが上昇すると、上空に待機していた三機のドメーロが先導し、左右を六機のオーラバトラーがかためるようにして、南の空に消えていった。
「アリサは……」
「はい……」
「すこし休め。晩飯はつきあえるな?」
「はい……」
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22 アイリンツー
捕虜の尋問をする下士官たちが、裏切り者や反逆者へきびしく当るのは当然のことである。
バーンは、ミハン・カームの尋問をする下士官たちの態度を牽制するつもりで、その尋問に同席させてもらっていた。
「……妙な話だな。ミハン。ミィゼナーはラウの艦隊の最前線に立って、我が艦隊と戦闘をしているんだ。そんな艦にアリサさまとリムルさまを預けっぱなしとはな! ラウは、おふた方を捕虜にする価値もないと考えていたのか!?」
下士官たちは、ミハンの供述など頭から信用していなかった。
「ですから、フォイゾン・ゴウ王がミィゼナーにも訪問されまして、ミィゼナーの戦闘能力を信用してくださったから……」
「こちらは、フォイゾンが旗艦にしているハンラウゴの動きは承知している!」
尋問をしている下士官がテーブルを叩いた。
「ミハン、次の戦闘開始のときに、ラウの艦隊はミィゼナーを楯にするつもりで、姫さまおふたりをミィゼナーに乗せていたのではないのか?」
バーンは尋問室のドアを背にして、下士官たちの頭越しに尋ねた。
「それはありえましょうが、フォイゾン王はミィゼナーを訪ねられましたときにも、ただ、相次ぐ戦闘におけるミィゼナーの戦いぶりをお誉めになるだけでありました」
「騎士トマラーザ、どう思う?」
バーンは、尋問の責任者に声をかけた。
「……単純すぎますな? フォイゾン、そんなものですか?」
「さあな……わたしはフォイゾンを知らん」
「どうなんだ? ミハン。ハンラウゴがスィーウィドーで補給することは考えられる。戦争をやっているんだからな? そうなれば、フォイゾンはアリサさまとリムルさまをハンラウゴに収容しようが? 最後の切り札になるかもしれんのだからな」
「おかしいですよ。いま尋問官は、フォイゾンが姫さまは捕虜の価値がないとみなしているといって、こんどは逆のことをいう……」
「……逆らうな! こっちは可能性を考えているんだ。貴様の話はできすぎていて、ウソっぽいんだ」
「ミィゼナーは他所者の悲哀をうけている艦です。ラウの艦隊から出る命令を黙ってうけて、協力せざるをえないのでありますから、ラウの艦隊の動きを具体的に知ることなどありません」
「それがウソだっていってんだろう! ええ!?」
「ミィゼナーにはフォイゾンが来たんだろう!? つまりだ、ラウの艦隊から当てにされている艦なんじゃないか! そんな艦に捕虜を置いておくか!?」
尋問の下士官たちが左右からミハンに吠えた。
「ニー・ギブン艦長もフォイゾンに会ったんだよな?」
ミハンの正面のトマラーザが、ミハンを下からのぞくようにして訊いた。
「ニーは神経が参っているようで、口もロクにききません」
ミハンは投げやりになった。
これではミハンは尋問に耐えられないのではないか、とバーンは内心不安になった。
「それもおかしいんだ。そんな艦長の艦なら、我が艦隊がとっくに撃沈している」
「聖戦士がおります」
ミハンは両方の足を左右いっぱいにひらき、膝に手をおいて、尋問官をにらむようにした。開き直ろうとしているのだが、虚勢でしかない。
『気張らずに受けなければもたないぞ? ミハン……』
バーンがそう思ったとき、背後のドアから近衛士官の一人がはいってきて、バーンに耳打ちをした。
「ン……お召しならばすぐに行こう。騎士トマラーザ、頼みます」
「ハッ……」
トマラーザが立って、バーンを送ってきた。
通路に出たところで、バーンはいった。
「私見だが、騎士の出でないパイロットだ。ろくな情報はもっていないと思うが?」
「しかし、敵艦隊の一翼をになっていたのです。見聞したものだけは吐き出させませんとな」
「そりゃそうだ……が、急げよ。ドレイクさまはミハンなどはすぐに釈放しろというだろうからな」
「そうでありましょうか」
「可愛いかどうかは知らんが、実の娘とルーザの連れ娘を返しにきてくれたんだ。ドレイクさまにとっては、ルーザさまに貸しをつくっておきたいだろうし、ニー・ギブンがミィゼナーごとこちらに戻りたいという意思表示かも知れんしな?」
「虫がいい話だ」
「反逆してみたら、アの国の良さがわかったということも考えられる」
バーンは自分は何を考えてこんなことをしゃべっているのだろうか、と思う。
「それこそ騎士道に悖《もと》ります」
「そういう連中だ……ウィル・ウィプスが出られるのだから、正面からの力押しでラウの艦隊などは破ることができる」
「ハッ……ああ、そりゃそうでありましょうが、ああいう顔を見ると無性に許せんのです」
トマラーザがいった。
「それも認めるさ……」
バーンは、自分は完全にミィゼナーのクルーの気分になっているのではないかと感じた。
切り上げ時だ。
任せる、といいおいて、バーンはトマラーザに背をむけた。
ウィル・ウィプスの艦橋に近い頂上部に、ドレイクの戦闘指揮所があり、その直下といったところに王の居室があった。
「……騎士バーンがいらっしゃいました」
当番兵の案内を待って、バーンはドレイクの部屋にはいった。
三面がガラス窓で、左右に細長い部屋の中央には、ブリッジとつながっている螺旋《らせん》階段があって、その正面の壁によせて巨大なソファがしつらえられていた。
「…………」
真紅の塊がバーンの目に飛びこんできた。
その絹のロングドレスをまとった、白い肌の小柄な女がひどくくつろいだ姿勢でソファにすわっていたのだ。
トモヨとは思わなかった。
ひどくおだやかで、ふっくらとした気配だったからだ。
まさか、以前、ドレイクが口にした自分の花嫁候補ではあるまいと思いながら、バーンは、そのおだやかな気配をただよわせている女性を見つめた。
たっぷりと絹をつかった、ドレスの袖は手首のすこし上でしぼってあった。袖からのぞく手も驚くほど白く、指もしなやかだった。
彼女は、手にしていた手帳から視線をはずさなかった。
バーンの視線が泳いだ。
ドレイクの姿はない。
視線をその女性に戻したとき、バーンは『あっ!?』と声を洩らしそうになった。
いつの間に立ちあがったのか、その女性がバーンの数歩前にいたからだ。
彼女の背丈は、バーンの肩ぐらいまでしかなかったが、正面からバーンを見つめるその瞳には艶というより、閃光のようなものがあった。
「バーンさま」
「ハッ?」
ソファから立ちあがる気配も、テーブルに手帳を置いた気配も、バーンは感じなかったのだ。
が、さいこの二歩、彼女が歩いたときにはっきりとドレスの絹ずれの音がきこえた。
まさか、魑魅魍魎《ちみもうりよう》ではあるまい……。
「……ドレイクさまはすぐに降りて参りましょう」
「……ハッ……? あなたは?」
その女性は、ゆっくりと、かすかな微笑をつくった。
そして、いった。
「ガルガンチュアのアイリンツーです。ご昵懇《じっこん》に……」
彼女がそういい終ったとき、バーンは、白い手の甲が自分の顔の間近で踊っているのに気がついた。
「…………!?」
そこにキスをしろというのだろう。
貴人ではない女に、いや、氏素性を知らない女にたいして、騎士たるものができる挨拶ではない。
と、バーンはまたも、なんの前兆もなくその女性の眉間にかすかな影のような筋が浮くのを見た。
彼女の手がひらりと躍った。
バシッ!
頬を打った音が、バーンの頭にひびいた。
バーンは、足場こそ動かさないですんだものの、その掌の衝撃は鞭《むち》のようにするどかった。
左頬に走った痛みが頭にこだまし、顎骨《がっこつ》の芯までふるわせた。
「…………!!」
とても形の良いアイリンツーの唇がかすかに割れて白い歯がのぞいていた。ふたたび彼女の手の甲がバーンの前にさしだされた。
「いや、自分は寡聞《かぶん》にして、噂でもあなたを知りませんので……」
バーンは、アイリンツーの黒い瞳の奥に輝くものを恐れながら、つぎは、彼女の指が飛んできて、眼球を挟《えぐ》り抜かれるかも知れないと警戒した。
おだやかな少女の殻のなかから、真紅の『気』をのぞかせる女だ……。
「……結構ですね? さすが噂の騎士バーン・バニングス。聖戦士であろうという噂を信じましょう」
アイリンツーはヒラと掌をかえしてみせた。
バーンが逆襲に出る番だった。バーンは、閃光のような早さで引っこめられるアイリンツーの右手首をつかむことができた。
その手首を背中にまわすようにして、逆手にとった。
「クッ……!?」
アイリンツーの顎があがった。
どのような武芸者であろうと、からみあった体勢で逆手をとられれば、よほどの膂力《りょりょく》がなければはね返すことはできない。
バーンは、アイリンツーの束ねられた黒髪の油の香りを胸苦しいまでに感じながら、
「爪《つめ》に毒を塗りつけておいて、よくいうな? アイリンツー。ドレイク王のご命令であったとしても、冗談ではすませられん。この腕を折って自分の爪でその白い肌をひっかいてみせるか!?」
「……そんなことがわかるはずがない。よしんば毒をぬったにしても、臭いがしたり色が変るようなものを誰がつかうものか!」
アイリンツーの声には棘《とげ》がありすぎた。
「その貴公の気力あふれる声音が証明している。ドレイク王の威光を笠《かさ》に着るにしても、貴公の態度、やりすぎである」
バーンがそこまでいったときだった。
「バーン、許してやってくれまいかな?」
頭上からドレイクの声が降ってきた。
「ハッ?」
螺旋階段の上でハッチがひらかれ、長靴の鋲《びょう》が鉄を踏む音がした。
「王よ……!?」
「毒が塗ってあるという話は冗談にしてもらいたいな、バーン」
ドレイクが階段を降りながら、おかしそうに笑った。
「しかし……おききになっていらっしゃったのならおわかりでしょうが、そう思うしかないようなアイリンツーの態度でありました」
「そうなのか? アイリン……?」
「はい……痺《しぴ》れ薬を用意いたしました。すべてが芝居では、真の気はうかがえません」
「……そういう女だ。バーン、アイリンツーが、自分の上に立つ騎士の力量をどうしても試しておきたいというのでな……こやつの我儘には、儂も弱い。許せ……」
「恐れ多いお言葉……無礼を重ねました」
「なんの、儂も貴公に安心をした。いまほどの手際をみせてくれなんだら、騎士としての貴公の技量、能力を疑ったところだ」
「…………!?」
ドレイクは迷っている、とバーンは感じた。
こんな女がいることをバーンに知られたからということでもなく、アリサとリムルが帰ってきたことが、今後の戦局にどのように作用するか気にしているというような性質の問題でもない。
もっと根本的なところで、ドレイクは落ち着いていないように感じられたのだ。
「あらためて紹介しよう。アイリンツーは、ガルガンチュアのパイロットである」
「ガルガンチュア?」
「ショットに造らせたよ。貴公のディーモッシュと同形であることは、ディーモッシュをみてわかった。まったく、ショットのやること、信用できん」
ドレイクは、ショット・ウェポンとバーンがディーモッシュを内密で建造したことをいっているのだ。
「…………」
バーンは黙するしかなかった。
この問題では、ショットから何もきかされていなかったので、口裏をあわせようがないからでもある。
「……いまは身内の問題などで心を煩《わずら》わされるつもりはない。打倒ラウが急務である。それについて、気になるのは、バーンの身辺が寂しいということで、アイリンを用意したのだが、的中したようだ……」
「ハッ……?」
「ザナド・ボジョンか? あれとクの国のトモヨ・アッシュは、バーンを食うつもりでいる」
「…………!?」
これにも答えようがない。
「怒るなよ。儂がかってに感じていることで、バーンの力量を心配してのことではない。時代の趨勢《すうせい》ということだ……でな、アイリンツーのようなパイロットをバーンにつけることを前々から考えていたのだ。この娘は、儂の故郷で、猿のように暮していたのだが、パイロットとしてショットも誉めるほどの素養をもっておる」
「……はい……」
「隠し弾《だま》になる素質をもっていることは保証する。ディーモッシュとガルガンチュアの戦闘小隊はよく協調して、先鋒の任を果せ」
「ハッ……!」
バーンに許されている返答はひとつしかなかった。
「バーンには、どうしても聖戦士として前に立ってもらいたいのだ。そのための補佐に、ザナドでは力不足である」
「御意。心配はひとつ。パイロットのアイリンツーは、よろしいので?」
バーンはあらためて、ソファにすわっているアイリンツーを見やった。
彼女はふたりの会話などはききもせずに、爪に塗った痺れ薬を綿をかぶせた布で拭っていた。
「どうか? アイリンはこのバーンでよいか?」
「なっとくです」
ドレイクの前でもソファに腰をおろす女なら、ドレイクの寵愛《ちょうあい》もうけているにちがいない。もしそうなら、パイロットとしての技量は信用するわけにはいかない。
しかし、バーンはこの女との初対面の瞬間のことを忘れるわけにはいかなかった。
「信用できないのか? バーン」
「いえ、信じております。パイロットのアイリンツーの力量……自分がフォローできるのかと怪しんでいるくらいでありますから」
「ガルガンチュアと模擬戦をやる必要はないのだな?」
「勿論《もちろん》です」
そのバーンの返答に、アイリンツーは、爪を拭っていた道具をかたづけて立ちあがると、
「騎士バーン、よろしくお願い申します」
膝をかすかに折り、軽く頭をさげて礼式にのっとった挨拶をした。
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23 刻への接近
「調べていない。ジョクがもどれるのなら、ジョクが調べてくれるほうがいいと思ったからだ」
ニーは、ジョクの歩き方を気にすることはやめていった。
「どう?」
タラップの下からマーベルが声をかけた。
「大丈夫だよ。ちょっと疼《うず》きがのこっているけど……」
ジョクは中甲板にあがると、自分とアリサのために提供されている小部屋のドアをひらいた。
窓ぎわに小さいデスクがある。
ジョクは、その引き出しをあけてみた。
「やはり、あったよ。アリサからの置き手紙だ」
ニーとマーベルはドアのところで待っていた。
ジョクは覚悟をしてアリサの手紙をひらき、ザッと目を通していった。
最後の方の一文に目がいくと、
「できるものか……!」
とうめいた。
『……ウィル・ウィプスに接触できましたら、内部から瓦解《がかい》させたいと思っております……』
それは、アリサの心意気でしかない。
前文には、ミハンを巻きこんですまないがこうでもしなければ、ドレイク説得には出られないであろうということが認《したた》められ、最後には、ジョクのおかげで楽しい暮しができたと思っている、感謝している、とあった。
「……ずっと考えていたことだった」
ジョクは、アリサの真情あふれるプライベートな手紙をニーとマーベルにみせるのは抵抗があったが、やむをえなかった。
ふたりはその手紙にザッと目を通した。
そして、マーベルがきちんと封筒に便箋《びんせん》をおさめて、ベッドに腰をおろしているジョクの膝の上にもどしてくれた。
「……リムルのことが書いていないのは、リムルの脱出は、アリサがゴラオンに行ってから決めたことだったんだな」
「そうでしょうね、あたしたち、リムルさまには冷たかったから……」
「どうしようもない。後妻の姫さまだった」
ニーも、ミィゼナーにクルーとして残っているアの国の他の将兵たちも、ドレイクの前の后《きさき》であるアリシアを慕っているのである。
ルーザの時代になって、アの国策が先鋭的になり、騎士たちにも、戦功を目論《もくろ》み、戦争で身を立てることに汲々《きゅうきゅう》とする輩《やから》ばかりが目立つようになった。
戦闘集団としては便利な人材であっても、平時の国の運営に適する者たちではない。
それが顕著になったのが、ルーザの時代のアの国なのである。
心ある騎士たちが、ルーザやその連れ子であるリムルをこころよく思わないのは当然であった。
ジョクたちはブリッジにあがっていた。
ミィゼナーは数個の風船でアンテナ線をあげて、カラカラ山塊の渓谷をくだっていた。
「……どうだ。まだきこえるのか!?」
「きこえます。距離はとんでもなく遠いんですが……」
「敵艦隊の動きは活発になっているようで、それが周波数の分離を悪くしています」
メトー・ライランとキーン・キッスのふたりは、ヘッドフォンを耳にして先ほどから無線機にかじりついたままだった。
「来ました! こちらミハン、チャム、です」
「ン……近くなっているのか?」
「同じようですね。さっきからこういっているんです……チャムとミハン、どうしていっしょなんですか?」
「そんなこと知るか。なにかの暗号かもしれないだろう?」
「しかし、チャムとミハンですよ?」
「囮《おとり》だな……」
「背後になにがいるんだ?」
「ピンクの機体とバーン、それにぼくを負傷させたガベットゲンガーだな」
そういいながらも、ジョクはその表現の矮小《わいしょう》さに嫌悪感をおぼえて、全身をゾクッとさせた。
ガベットゲンガーの一言ですむものを、『ぼくを負傷させた……』などという瑣末《さまつ》で末梢的なことをつけ加えてしまった。
結局、パイロットという立場は、歯車の歯の一枚にも相当しない存在なのだと、ジョクは実感するのだ。
『……世界もくそもあったものじゃない。おれひとりの命とか、この艦の生死だけが問題で、他のことに興味をもつ暇もなく、まして、解決策を見出すこともない。情けない立場に陥ってしまっている……』
アリサ、なんでおれを寂しくさせたんだ。
杏耶子、日本語で相談できる相手が欲しいんだよ!
テレパシーに似た表現手段は、とんでもなく曖昧で、ロジックが伝わらないんだ!
しかし、言葉が、イメージや概念を共有する手段として不完全であることも、ジョクはこの世界にきてからじゅうぶんに学習していたのだ。
『バアちゃんよー、どうしよう?』
左右の断崖絶壁が流れる速度が、しだいに増しているように感じられた。
このまますすめば、ミィゼナーはカラカラでの最前線『望楼の布団』にいたるはずであった。
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[#地付き]「野性時代」一九九二年六月号一挙掲載号掲載のものに加筆したものです。
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底本:「オーラバトラー戦記 10」カドカワノベルズ、角川書店
1992(平成四)年5月25日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第10巻 重層の刻.zip XYye10VAK9 17,034 31bbb70c9a18a3b0aa6f3018f7de2e5f
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
特になし
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