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オーラバトラー戦記5 離反
富野由悠季
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)城毅《じょうたけし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)後部|操舵室《そうだしつ》
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(例)[#ここから目次]
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/加藤洋之&後藤啓介
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オーラバトラー戦記5 目次
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ギィ・グッガの戦いより、三年余りの刻《とき》が過ぎた。
バイストン・ウェル、コモン界のアの国の戦士、城毅《じょうたけし》は、その後もたびたびの戦いに動員されて、聖戦士《せいせんし》の名を高めていった。
その呼称は、ジョクには重荷だった。だが、それ以上にジョクはアの国の王、ドレイク・ルフトが仕掛ける戦いに大きな疑問を感じていた。
ギィ・グッガとの戦いでは、ドレイク・ルフトに大義があった。
しかし、以後の戦い、すなわち、アの国の隣国であるケム、リ、ハワの国を併呑《へいどん》する戦いは、ドレイクの覇権《はけん》拡大の戦いでしかなかった。
そして、現在も、ドレイクは、さらなる目論《もくろ》みを隠そうとはしなかった。
それは、アの国に、地上人《ちじょうびと》ショット・ウェポンが降り、オーラ・マシーンという機械を開発したことから始まった。
その強力な機械は、かつて、機械らしいものを有することを許容《きょよう》しなかった異世界バイストン・ウェルにあって、異常な発展をみせ、ドレイクにコモン人としては考えられぬほどの力を持たせた。
一方では、ドレイク・ルフトにギィ・グッガが憑依《ひょうい》したという噂《うわさ》も消えなかった。
ガロウ・ランをたばねたギィ・グッガは葬《ほうむ》られたものの、一度コモン世界に跳梁《ちょうりょう》することを覚えたガロウ・ランたちは、ギィ・グッガの戦いを通して、コモン界に水のように浸透する術《すベ》を身につけた。
これらの急進的な変化が、なぜかくも、同時的に起ったのか、未《いま》だ明確ではない。
しかし、バイストン・ウェルの世界の意思は、次のステップにオーラ力《ちから》を発動すべく、さらに、突出した事件へと我々を誘《いざな》うのである。
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爆発の閃光《せんこう》が終ると、その余韻の頂点に、黒い煙がまるく渦を巻き、その下では、カラカラときらめくような音が、雨のようにふった。
それは、大きく小さく微妙に響いていたが、それに、硬質なものがぶつかり合う重い音響がまじるので、恐ろしく不気味なものになった。
「……頭に気をつけろ!」
「そっちは危険だ!」
徒《かち》の兵士たちは、そんな言葉を交《かわ》しながら、硬質ですべすべと見える石がつくる柱の間を、闇雲《やみくも》に走っていった。
ピイーッ! ピッ! ピッ!
「そっちだ!」
呼び子の音《ね》が、彼等の道案内であるらしい。
兵士たちは、呼び子の鳴った場所で、別の一団と合流して、さらに、前進しようとした時、上空から迫る別の音響に気づき、硬質な柱の間に、ドドッと身を伏せた。
頭上には、柱と同じに見える材質の枝々が、張り出し絡《から》みあっていて、飛ぶ物の影は見えなかった。
ブルルル……シューン!
上空の音は、兵士の皮膚を粟立《あわだ》てるような刺激を残して、す早く通過していった。
兵士たちのひそむ、硬質な水晶のように見える森の高い木々は、低い雲で隠されていたが、雲の流れは早く、時に、青い空が覗《のぞ》かないでもなかった。
パッパッ! ドヴッ! ゴウーン!
機銃の音、爆発、そして、柱に見えるものが崩れる音響などが、遠くに近くにこだまし、兵士たちの前方のやや暗がりから連続する音響は、周囲の硬質な柱の枝々をふるわせた。
この不思議な水晶の森は、今、戦場の様相を呈《てい》していた……。
「下れ! こっちは、塞《ふさ》がれている!」
一方に走った集団の先頭が、たたらを踏めぱ、その後に続いた集団が、後方から押しだす集団に挟《はさ》まれて、左右の柱の隙間《すきま》に押し出され、集団は、また細分化していった。
ビッビーッ!
低重音のなかに、いくつかの呼び子の音色が交錯する。その音を遮断《しゃだん》するように、低重音が、雲が作る薄闇《うすやみ》と共に接近してきた。
その低重音のなかから、機銃の弾《はじ》ける音と、砲撃のこもった音も噴出した。
カラカラカラ!
先ほどのガラスを砕いて降らせるような音が、そこここに起った。
「うわっ!」
「逃げろ!」
兵士たちの悲鳴は、上空を通過する物体の音に掻《か》き消された。
「野砲はどこだ。応戦しろっ! 船が見えるぞ!」
「窪地《くぼち》にはまったら、砲撃どころじゃない!」
「なんのために来たんだよ!」
「撤退しているのか! 前に進んでいるのか?」
「隊長! 中隊長!」
三三五五、硬質な柱の間に集まってしまった兵士たちは、それでも、自分たちの位置を判断しようと悪戦苦闘した。
「ロープをかけてっ!」
「手前《てめえ》! 登るんだ!」
「見つかって、狙撃《そげき》されます!」
「こっちからだって見えねぇんだ! 敵に見えるわけがねぇだろう!」
一人の兵士が、数人の兵に尻《しり》を押されて、水晶の柱に張り出す枝にひっかけたローブにしがみついて、よじ登っていった。
上の方がやや細くなっている枝は、容易に登れるように見えたが、手首くらいの太さの枝は簡単に崩れた。
その破片が、ガラス片のように、下の兵たちに降りかかった。
「ウッ! よく見て!」
「分っちゃいるが、結構、滑るんだ」
枝に登った兵士が、低く怒鳴った。
彼は、いちいち枝を踏んで強度を確かめて、枝と枝の間に足場を固めながら、下の者たちよりは、十数メートルの高さに登った。
「……近いな……」
その兵士は、水晶の林の枝々の間に、前進してくる物体を認めた。
それは、全体にボッタリとしたシルエットで、水晶の林の枝々を押し崩しながら、空中を滑るように前進していた。
ちょうど、川を行く船を林越しに見るようである。
「こっちには来ない。ロマスナに向っているように見える」
「速度は!」
「……そんなもの分らない。分らないが……ウッ!」
ドウンー!
その船のようなものを狙《ねら》ったらしい爆発が起ったが、近くの水晶の木を粉々にしただけだった。
ブバルルルーン!
兵士は、爆発の起った方向から頭上をかすめ遠ざかる音を追ったが、枝々に遮《さえぎ》られてその姿を見ることはできない。
パッパッ! ドヴッ!
兵士は、船らしい影から発射された機銃の閃光に、目を閉じて、次に、水晶の枝から滑り降りていった。
「……どうなんだ。どのくらいで、ロマスナに辿《たど》り着くと思うか!?」
小隊長らしい男が、その兵士の胸倉をつかんで、詰問《きつもん》した。
「分りません。林のなかで見るから、早く見えるけど、それほどでもないようにも見えるし……」
「どっちなんだよ!」
「どっちでも……」
そのとたん、小隊長のビンタで、その兵士の身体《からだ》は、水晶の木の方によろけた。
「……オーラバトラーは、乗っているようです」
「オーラ・シップにかっ!?」
「は、はい!」
兵士は、ようやく姿勢を正して、隊長に答えた。
「フラッタラの連中は、そんなことも確認しないで、攻撃したのか!」
「カットグラが出てきたら、俺《おれ》たちなんて、あっという間ですぜ」
兵士は、横から口をだした副宮らしい下士官に、自分の意見を言った。
「そんなことは、聞いていない!」
下士官が、兵士にもう一度ビンタをくれた。
「痛いな……」
「殴ったんだよ!……隊長……あのオーラ・シップは新造艦に見えます。フラッタラにすれば、オーラバトラーがいるなんて、信じられなかったんじゃないですか?」
「そんなことを言い合っている時か?」
頭上で爆発した枝が、また水晶の破片を雨のように降らせたので、兵士たちは、首をすくめて、四方に散っていった。
「砲兵と接触しなけりゃ、どうにもならん! フラッタラは、我々が、偵察に出ているのを知らねぇのかよ!」
隊長格の士官は、毒づきながら、柱の間を走りに走ったが、馬を入れられないような場所である。そう簡単に、前進できるものではなかった。
「無線が、届かなかったんですよ!」
隊長の背後から声がかかった。
「なんでだよ!」
「この森に入ってから、通信できなくなっているの、隊長も知ってるでしょ!」
隊長は、そんな口のきき方をする兵士を睨《にら》みつけたが、移動するオーラ・シップの脇《わき》にまわるのが精一杯で、怒鳴りつけるのを忘れた。
兵士たちは、水晶の木の間をいなごのように跳ねて、隊長に続いた。
取り残されたら最後、やられてしまうという恐怖感が、兵士たちを駆《か》り立てるのだ。
そのオーラ・シップは、森をジグザグに針路を取りながら、機銃と大砲を使って、水晶の木々の間から迫る飛行機型のフラッタラを迎撃していた。
ドグオーン!
ついに、一機のフラッタラが、黒い煙を吐き出し、翼を千切るようにして、水晶の森に飛びこんだ。無数のガラスの破片が撒《ま》き散らされ、ゴオッ! と黒と黄色のキノコ煙が上った。
「やった!」
その艦の最高部位にあるブリッジで、要員《クルー》が、ドッと歓声を上げた。
「どうだ! 他《ほか》には! 接近してくるものはないかっ!」
艦長が、伝声管に怒鳴ると、女兵士の声がかえって来た。
「見えるわけがない! 水晶だらけで、見えるわけがない」
「それを見つけるのが、貴様の任務だろうっ! 一番目がいいと自慢していたのは、ウソかっ!」
「見ていますよ! 雲が切れて来た! ますます見づらくなった!」
「俺のせいじゃない! 見つけろっ!」
水晶の枝々の間に、太陽の光に似たこの世界の日中の光、オーラ光が筋になって射《さ》し込んできて、視界が逆光で見づらくなった。
「フラッタラは、後退しました! この森じゃ、爆撃したって、我がゼナーには当りはしません!」
得意そうな女兵士の声が、伝声管から聞えた。
「おい! 総員で、周囲の監視だ! 敵の歩兵の影を見逃すな!」
艦長はそう命じると、フッと息を抜いて、ブリッジの中央の椅子《いす》に、ふんぞりかえった。
「後退ですか?」
「ああ……メトーの目は、本当にいいのか?」
「興奮していなければ、結構、確かです」
副長のフオット・ヘラが、一段落ついたブリッジを見回しながら、答えた。
艦長のギムトン・ケネサウスは、数本の伝声管に怒鳴って、周囲の監視状況をきいてから、
「このままで後退する。こんなところにいれば、敵の思うままになってしまう。後退して、パイロットとの合流予定の場所に戻《もど》る」
「しかし……」
「敵の偵察があっても、パイロットがいれば、オーラバトラーが動かせるんだ。そうなりゃ、あのブンブン飛ぶだけの、不恰好《ぶかっこう》なものなどは、一撃で落とせる」
「ハッ! 後部|操舵室《そうだしつ》、開け! このまま後退! 戦闘配備は、このまま! 後退につれて、艦前部は、敵の追撃を封じる!」
艦長は、副長のその命令に満足すると、自ら左右前後の窓から、周囲を監視した。
このオーラ・シップは、船というよりは飛行物体であるが、その外形は船に近かった。オーラバトラーと同じ原理によって飛行する乗り物である。全長は、五十メートルほどで、最大幅二十メートルはあった。
船体の中央部には、数機のオーラバトラーを収容できるデッキとその後部には巨大なエンジン・ブロックがあった。
ブリッジは、デッキの上に塔のようにそびえ、その後部下には、狭いながらもキャビンもあった。
デッキの前に張り出した艦首には、機銃が装備されている。
今は、水晶との接触から艦体を守るために、その周囲には、何本ものフレームが張り出していた。
艦は、今しがた道を開いた狭い空間を、徐々に後退していった。
しかし、操縦《そうじゅう》は楽ではないようだ。
何度も、ガード・フレームを、水晶の幹に接触させて、前進後退を繰り返した。
その間にも、ドバッ、ドバゥ! と艦首の機銃と、デッキに出た兵士たちが小型の弩《いしゆみ》に似た道具で発射する爆弾で、水晶の木を破壊していった。
勿論《もちろん》、空を飛べるのであれば、そんな必要もないのだが、この水晶の森から脱出するにはまだまだ時間を要するのだ。
しかし、ともかく、オーラ・シップ『ゼナー』は、ミの国の歩兵たちが徘徊《はいかい》する地域から姿を消した。
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オーラ・シップ・ゼナーを偵察した部隊とは明らかに違う十数の騎馬が、水晶の森の入り口付近を前進していた。
ゼナーが行動していたころに比べると、水晶の木の密生ぐあいは半分以下といったところだろう。
地面に敷きつめられたような水晶の破片から、馬の脚を守るために、蹄《ひづめ》には皮の沓《くつ》が巻きつけられていた。
「……いや、やはり、聞えていたな。噂《うわさ》に聞いていたミの国のオーラ・マシーンだ」
「そうでありましょうか? 自分には、聞えませんでした」
ジョクの後に続く騎士たちは、不満気な顔を見せた。
「ドウッ! ドウッ」
先頭に立つ騎士は、ゴツゴツした足場を確めるようにして、坂を下り、登り、そして、
「そこは、もっと右の方に寄って、降りて下さい!」
彼の後、ジョクの前を行く騎兵に声をかけた。
「言われなくとも! いいかげんに、放《ほ》っておいて下さい」
騎兵の恰好《かっこう》をしているものの、アリサ・ルフトであった。その顔は薄汚れていて、ラース・ワウやハンダノにいる時の清々《すがすが》しさはなかった。
変装しているのだ。
騎馬隊は、数頭の馬にかなりの荷物を背負わせていたが、しかし、大旅行をするという風でもなかった。
「ここか!?」
先頭の若者ミハン・カームは、森の中の広場という感じのところに出ると、アリサを無視して、早駆《けやが》けしてその周囲を偵察した。
その広場から左右に延びる通路、ことに、新しい通路の処《ところ》で、ミハンは馬を止めた。
「戻って来るようです!」
彼は、あさ黒い顔を上げて、ジョクたちの方に呼ばわった。
「……敵が出ていたのか?」
ジョクは、ミハンの脇に馬をよせて、ゼナーが作ったと思われる森のなかの通路を見やった。
まさに、船腹そのままの幅に押し倒された水晶の屑《くず》の山が、森のなかに巨大な道を作っていた。
その反対の方には、ゼナーが森のなかに入って来た時の通路があったが、そこは歩兵が脚を踏み入れないように偽装されていた。
「敵を掃討《そうとう》していったのでしょう……でなければ、この場所を動くはずがありません」
「そうだな……あの小屋は何だ?」
ジョクは、掘っ立て小屋を顎《あご》でしゃくった。
「あ? はい! キムッチ! デトア! その小屋のなかを調べてくれ! 気をつけるんだぞ!」
そう命令しておいて、ミハンは、ゼナーの作った道筋の方に馬をすすめ、水晶の瓦礫《がれき》の山の手前で馬を降りると、その瓦礫のなかに脚を踏み入れていった。
「ナーム! ミハンの後につけっ!」
ジョクは、後続の若者に声をかけて、自分も広場全体の様子を確認するため、ミハンと同じように、広場を一周した。
アリサは、残った二人の若者と荷をくくった馬とともに、広場に入りこんだところで待った。
ジョクは、ミハンの馬のところに戻り、小屋の中を調べた二人の若者がそれに続いた。
「来ますね!」
そんな声を聞きながら、アリサは、あらためて水晶の森から見える空を仰いで、ひそかに嘆息した。
『結局、こんなところまで来てしまった……』
世上、噂されていたジョクとの結婚を、アリサは拒否し続けてきた。それでも、今日まで、ジョクの城であるハンダノで暮していた。
父のドレイクが、それを咎《とが》め立てもせずにきたのは、子連れの後妻ルーザを娶《めと》ったからであり、なによりも、周辺の国々との軋轢《あつれき》を治めるのに忙しかったからだ。
その父の全《すべ》ての所業が原因で、アリサは、こんな恰好をして、ジョクに従うことになったのである。
その運命は、気持ちの良いものではない。
グググッ……ズズ……。
地を震わせるような重い音に続いて、水晶の細い枝が、パラパラと落ちた。水晶の枝と破片同士がぶつかりあう乾いた音が、こだまするようになった。
「……少し広場の方に出た方が良いでしょう」
アリサは、荷駄《にだ》の馬の手綱《たづな》を持つ左右の若者に言った。頭上の水晶の枝も震えているように見えたからだ。
「ハッ……はい。しかし、どこか頑丈《がんじょう》な木の下の方が……」
一方の若者が言った。
「そうかね。この広場に、船が入るのだものね」
「はい……」
アリサは、ジョクたちが馬首を巡《めぐ》らせた背後の道筋から、ゼナーの影が、接近して来るのを見た。
「……大きな船だこと……」
「はい……恐ろしいものです」
「そうだね」
アリサは、率直に思ったことを口にする若者たちが、好きだった。これは、若い城主、ジョクの性格が移ったのだろう。
ジョクの城、ハンダノのそんな空気が、アリサをラース・ワウに帰らせなかったのである。
しかし、今ここに居るということは、そのハンダノの城にも訣別《けつべつ》することを意味していた。それが実現できるかどうかは、まだ不明なのであるが……。
ジョクは、アリサたちと共に、頭上に天井のように枝が絡みあっている水晶柱の下に身をよせて、オーラ・シップの震動で落ちて来る水晶片をよけるようにした。
ガザザザ……!
ゼナーは、右の水晶の木々に舷側《げんそく》をこすりつけながら、広場にその姿を現すと、船底のランディング・アームを下ろしながら、船底のオーラ・ノズルから暴力的に排気ガスを噴出して、広場に落ちている水晶片を吹き飛ばし、広場の周辺の水晶の木々をなぶった。
もし、ここでオーラ・ノズルを使うのに始めて接したのであれば、ジョクたちは、その暴風のなかで、水晶の破片を全身にあびて、殺されていたかも知れなかった。
ようやくエンジン音が静まり、足下に舞いあがる砂塵《さじん》もおさまっていった。
「ウーッ! なんてえ排気だよ。オーラバトラー百機持って来たって、こんなんじゃねぇぞ」
若者たちは、文句を言いながらも、それでも物陰から馬を出して、ゼナーの舷側の下に立った。
「敵のようすは、どうなのだ!」
艦底から見上げるようにして、ジョクは、甲板に呼ばわった。
「ハッ! お待たせいたして、恐縮であります! 聖戦士殿!」
声をかけて来たのは、艦長のギムトンである。
「挨拶《あいさつ》はいい! ミの国のフラッタラが、出ていたのではないのか?」
「はい、数機の影を見ましたが、一機は、撃墜いたしました」
「いいのか!」
「いえ……分りません。急ぎます……早く下ろさんかっ!」
「は、はいっ!」
艦長の怒声に、ゼナーのオーラバトラー・デッキの脇で、エレベーターを操作しようとしていた兵が、レバー操作を間違えたらしい。プラットホームが逆行し、ガイドレールの最上部にぶつかって、跳ねたようだ。
デッキが揺れた。
「ウッ……!? 貴様|等《ら》! 艦を壊す気かっ!」
「申し訳ありません!」
「聖戦士だからって、伝説のように空を飛べるわけじゃないんだからな」
そんな艦長の声を頭上に聞きながら、ジョクは、エレベーターに馬を乗り入れると、鞍《くら》から降り、馬の轡《くつわ》を取ってエレベーターのバーに掴《つか》まった。
「やってくれ!」
「はっ! 上げます!」
ゴトッという音と共に、ジョクは、ゼナーのオーラバトラー・デッキに上っていった。
「ご苦労であります」
「いや……」
ジョクは、馬をゼナーのクルーに渡すと、部下たちの収容を頼んで、艦長の案内でゼナーのキャビンに上っていった。
アリサを残すことになるのを、ジョクは心配した。
今は、アリサもジョクの部下という扱いで、周囲の者たちもそれを承知はしていたので、うまくやってくれるだろう、という自信はあった。
ジョクたちは、隠密裡《おんみつリ》にハンダノを脱出する計画なのである。
初め、ジョクたちは、アリサ抜きでアの国からの脱出を考えていた。しかし、アリサがこの計画に参加すると言い出した時から、ジョクは、多少、計画を変更して、今日と言う日まで、三か月ほどチャンスが来るのを待っていたのである。
「……で、これが、ロマスナか……ここには、何機のフラッタラがあるのだ?」
ジョクは、キャビンのテーブルに大きく広げられた地図の国境線近くに展開するミの国の軍事的要衝を目にしてから、もっとも近い敵の空軍基地のことを聞いた。
「はい……十数機の規模であります」
「そうか……ロマスナだけでその数だとすると、それは、凄《すご》いな。ミの国全部では、一体何機になるというのだ?」
「六十機ほどでありましょう……最近は、我が国にたいして展開しているようでありますから」
「オーラ・シップは?」
「三隻という話ですが、現在は、この方面には出ていません」
「そうか……ということは、ドレイク様の読みとは違うな? 本当にミの国は、我が国と一戦を交えるつもりでいるのだろうか?」
「我が国への不満を公言してはばからない王をいただいておりますからな。でなければ、こんな方面にフラッタラを配備することなど、考えられません……今しがた我々が追ったのは、越境したミの国の兵でありますからな」
「これで、ミの国には、抗議できるというものだな?」
「はい……ドレイク様は、これを理由に開戦です」
「そうだ。立派な理由だ。我々は、その初動を司《つかさど》るというわけだ」
ジョクは、艦長の言葉を取って、断定したが、本意ではなかった。
しかし、艦長は、正直な男らしい。ジョクの言葉に黙して、ただ地図に見入る姿勢を続けた。そんな意識したポーズというものは、どう隠しても目につくものだ。
「……どうした?」
ジョクは、意地悪になるのを承知で、聞いてみた。
「……いや……いいのです……」
艦長は、曖昧《あいまい》な微笑を浮べると、作戦の話に入った。
「……ミの国の歩兵、一個戦隊ほどが、水晶の森に入っているようです。背後のフラッタラの部隊は、こっちの動きを知っていますので、出て行けば、叩《たた》かれるかも知れません」
「ああ、そうだな……」
ジョクは、椅子に座ると、革兜《かわかぶと》を取ってから、艦長に飲み物を要求した。
「…………?」
艦長は、ジョクの無遠慮さにちょっと驚いてから、当番兵に、飲み物の用意を命令した。
「自分の口から、艦長の私的な意見を、ドレイク王に伝えることなどはしない。率直な意見を聞かせてくれ……奇襲に賛成なのか?」
「……正当では、ありませんな」
艦長は、キャビンに人がいないので、そう答えてくれた。
彼から見れば、ジョクのような地上人で、かつ、聖戦士と呼ばれる騎士は、ドレイク直属の家来という意識が先に立ってしまう。警戒せざるを得ないのが、本当のところだ。
「……誘導尋問のつもりはない……自分だって、そう思うな。最近のアの国の戦争は、一方的だ」
「はあ……」
艦長は、大人である。ジョクがそう言ったからといって、警戒の色は解かなかった。
「……しかし、軍事行動は、命令された通りに、実施しなければならない。前線の狭い判断で、うかつに行動すると、全体の作戦を間違える。そうだな?」
「はい……」
「だから、やるのさ。大義などは、ドレイク様が考えればいい。我々には、関係がない。アの国で生きていくためにはな?」
「そう、です」
艦長は、愁眉《しゅうび》を開いたように見えた。
そう、人は、というよりも、守るべき家族を持った大人たちは、目の前の世過《よす》ぎに正当な理由さえ手に入れられれば、それで良いのである。
それ以上に思うことは、危険であった。
『軍事行動にあって、命令違反は極刑にあたいする』これが、今の行動規範である。もちろん、これは間違いではない。
生死を賭《か》けた戦場で人を使う場合、このように拘束しなければ、集団戦闘は成立しない。集団戦闘が成立しなければ、敵に蹂躙《じゅうりん》される。
つまり、この鉄則は、人の歴史の中で培《つちか》われた知恵の凝縮である。
その時の知恵、その時の思想で変更できない、真理なのである。
人は、その知恵の意味を知っているし、その原理は、少なくとも、一人の人間が従う価値があった。
だから、それ以上の問題を口にすると、人の心は動揺して、現実への対処を間違う。それでは、死に至る道を選ぶようなものである。
ジョクが、なぜ戦争の大義の話をしたか、その真意が分らなければ、艦長は困惑するだけである。
だから、ジョクが、大義などはドレイク様が考えればよい、我々には関係ない、と現実的な部分で話を止《とど》めてくれたことで、艦長は安心したのである。
「ラース・ワウには、ここからは無線は打てないな?」
「はい、この森には、電波を混乱させる働きがあるようです。ですから、伝令をミヤマーガまで出します」
「よし……作戦通りだ。直ちに通信兵を出して、無線を打てば、ラース・ワウに中継されるまでに、半日とかかるまい?」
「はい……ラース・ワウに駐在しているミの国の大使には、数時間で、勧告が出されるでしょう。その後に、出撃すれば、法的には、最低限度の規範は、守れます」
「よし、予定通りに、真夜中に出動しよう」
「はい……」
ジョクは、立ち上った。
「ご苦労だった。ゼナーがここまで進出して見せなければ、ミの国の歩兵は出てこなかったろう。よくやった」
「はい……こちらは、新型のカットグラまで預かっておりましたので、必死でありました」
「こちらも、逃亡したニー・ギブンが出てきた、という噂に振り回されて、遅れてしまった。すまなかった」
「いえ。謀反人のニーが、いよいよミの国の軍に潜りこんで、戦い始めたというのですな?」
「そうらしいが……」
ジョクの顔が曇った。ジョクとニーが、隣り合わせの領地で親交が深かったことを知っている艦長は、ジョクに笑顔を見せて言った。
「いやいや、ドレイク様は、聖戦士殿をご信頼なさっておりますから、我々も、聖戦士殿の動きに合わせるだけでありますよ」
「……そう聞くと楽になる。よろしくな」
「はい」
ジョクは、艦長と握手をかわすと、オーラバトラー・デッキに降りていった。
「ミハン! キムッチ!」
「はーっ!」
新型のカットグラに取りついていたジョクの家の者の間から、二人が駆け出して階段《ラッタル》を上ってきた。
「どうだ? アリサに、気がついた者はいないか?」
「はい。アリサ様も、我々と同じように働いてくれていますから」
「ウン。くれぐれも呼び名に気をつけてくれ」
「はい……アリサ様の方が、偽名を忘れるようで、困ります」
「なるべく、近くに行って、呼ぶんだ。連れ回るようにすれば、遠くから呼ぶことはないだろう?」
「はい……」
ジョクは、オーラバトラー・デッキで働いているこの艦のクルーが、数人しかいないのを見て、安心した。
元来、彼等オーラ・シップのクルーは、海軍の連中で、ジョクたちとはなじみが薄い。艦長レベルならば、ラース・ワウでドレイクに謁見《えっけん》した時に、アリサの顔を見た者もあろうが、まず顔を覚えられてはいないだろう。
こういう時、地上世界のように、写真が流布することがないこの世界は、ありがたかった。
「聖戦士殿!」
「おう! 副長殿。やっかいになります」
「こちらこそ! 改装されたカットグラは、いかがです?」
「いかがもなにも、改装後に乗るのは、今度が初めてだ。分らない」
「そういうものですか? 我々がこれを受領いたしました時に、聖戦士殿は、機械の館《やかた》で、新型のガベットゲンガーを操縦しておられましたが、あれは、なんで聖戦士殿には、回されないのでありますか?」
「あれは、零《ゼロ》号機だ。この前の捜索でテストはしたが、まだ実用出来ないな」
「ほう、機械というものは、そういうものでありますか?」
「一号機は、バーンが使っている。好きなのだろう」
「そうでありますか。ああ……だからでありますか? メカニック・マンとして、お家の者をお連れになったのは、カットグラ専門ということで?」
「そうだ。改装後というのは、整備しなければならないことが、山ほどあるからな……ゼナーのハイキング、できるかな?」
「今ならば、いいでしょう。ちょっと待って下さい」
副長のフオット・ヘラは、伝声管で、艦長から艦内見学の許可をとると、メトー・ライランと呼ばれる愛くるしい女兵士を紹介した。
彼女の案内で、ジョクたちは、ゼナーを見学させてもらった。これは、通常の手続きではないが、特に変ったことでもない。
しかし、下心のあるジョクたちにとって、案内してくれるメトーという兵士には、気の毒な思いがあった。
彼等、ジョクの一統は、最悪の場合は、ゼナーを奪わなければならない、という腹があったからだ。
「なんて言うの? オーラ・マシーンのメカニック・マンに女がいるなんて、信じられない。機関士官みたいなものでしょう?」
メトーはアリサにそう聞いたりした。
「ちょっと違うわね。いろいろな段階の整備があるのよ。機械の部品をリキュールや油で洗うだけの仕事でも、メカニック・マンの仕事だからね」
アリサは、適当にはぐらかす知恵は、身につけていた。
「ちょっとしたものですね。さすがだな」
ティーンエイジャーのメトーには、そんなアリサでも、立派な下士官に見えるのであろう。少女らしい感想をもらした。
「でも、オーラバトラーといい、この艦といい、たいしたものね。これならば、父は、自信をつけてしまうわ」
あらためてアリサは、アの国の力を想像して、ジョクに耳打ちしていた。
「そうだよ。にもかかわらず、周囲の国々は、コモン世界の伝統のなかに居続けて、機械の導入が遅れている。それでは、世界を認識する足場が、決定的に違ってくるものさ」
ジョクは、艦首につづく甲板に立って嘆息した。
「一方的な戦争だものな……アリサは、仕事に戻《もど》って。聖戦士は、メカニック・マンの仕事をするわけにはいかないから」
「ああ、すみません。では……」
アリサは、ジョクに普通の兵士たちがするような敬礼をして見せて、オーラバトラー・デッキに戻っていった。その姿を見て、ジョクは、苦笑した。
回れ右をする時の動きが、訓練された兵士のものではなかったからだ。見る者が見れば、アリサが兵士ではないと見破られてしまう。
「……可愛《かわい》い兵ですな?」
ジョクは、ギョッとして振り向いた。
艦長のギムトンが、艦首の機銃座から、上半身を乗り出したところだった。
「…………!?」
「いや、今夜の作戦のためには、すべてを自分の目で見ておきませんとな。これは海軍のやり方です」
艦長は笑った。
「なかなかできることではない。たいしたものです……艦長、うまくいくと思うか?」
「は?」
「今夜の作戦……」
「ミの国のフラッタラは、機動力もある難しい相手かも知れませんが、敵のパイロットは、実績がありません。新型のカットグラの敵ではないと思います。全滅させられないまでも、多少の戦果は上げられます。今回の作戦は、それでいいのです」
「ここは、艦長に従って、このまま引き下るか?」
ジョクは、結局、再度のさぐりを艦長に入れていた。
「そんなことは申しておりませんぞ」
「フム……そうか……自分の誤解か……」
「大体、先程の歩兵との接触で、敵は、我々が後退したと思っているでしょう。なにしろ、たった一隻ですからな」
「なるほどな。今夜の作戦は、敵の裏をかくことになるか?」
「はい……」
「参考になった。船を中心にした作戦の心理は、ちょっと想像がつかないから……いや、すまなかった」
ジョクは、快活に笑ってみせた。
「聖戦士殿と親しくお話しいたすのは、初めてですが、神経質な方ということなので……」
艦長は、さすがに語尾を濁した。
「そうだよ。自分の成長した地上世界の国は、戦争のない平和な国だ。コモン界に比べたら想像できないような物質文明を謳歌《おうか》した。つまりね、軟弱に育ったんだ。聖戦士になったからって、そうそう豪傑《こうけつ》になれるわけがない」
「ホウ!? そりゃまた……ハハハハ……」
「そうだよ。笑い物さ……」
ジョクは、明るい笑顔を見せて、艦長のわだかまりを払拭《ふっしょく》するように努めた。
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ジョクは、ゼナーのデッキ内で、新型カットグラの可動部分の調整に、時間を費やした。
このカットグラは、新型とはいえ、基本的には、カットグラそのものに、オーラ・バッテリーを搭載《とうさい》して、強化されたものにすぎない。
現在、アの国では、カットグラをベースにした量産タイプの『ハインガット』と、まったく新型の『ガベットゲンガー』の制式採用が開始されていた。
しかし、後者は、まだ二機しか実戦に投入されていない状況で、ジョクは、使い慣れたカットグラを使用していた。
夜食が終ると、ゼナーの偵察部隊が、次々に戻って来て、当面の作戦地域には、敵の影がないと判定された。
「よろしいか? 聖戦士殿」
「ああ、強行しよう」
ジョクは、月と呼ばれている巨大なものが、天空にかかっているのを見上げて、うんざりした。
「明るすぎるな……」
「大丈夫でしょう……ここら辺《あた》りは、元来、国境などは設定されていなかった空白地帯です。なぜだか、お分りでしょう?」
「ああ、嵐《あらし》の壁が出現するところだというな?」
「はい……つまり、近年、よく嵐の壁が現れるのです。その徴候もありますので、うまくすれば、嵐の壁を目眩《めくらま》しに使えるかも知れません」
艦長は、作戦に関しては、自信があるようだった。
「それが分らないのだ。なんだい? 嵐の壁が、現れるの現れないのというのは?」
「嵐の壁はそういうものです。そうとしか言えません」
艦長は肩をすくめると、ゼナーの発進を号令した。
艦全体が震動する轟音《ごうおん》とともに、ゼナーは、一気に垂直上昇すると、水晶の森の梢《こずえ》を薙《な》ぎ払いながら、グングンと高度を取っていった。
ジョクは、デッキ士官のメイザーム・エイとオーラバトラー・デッキに降りていった。
「……どういうのだ? 家の者に聞いても、嵐の壁は、現れるものだと言うが……」
「いきなりブオーッと、こう、嵐の壁が現れるのです。前兆はありますぜ。息をつくような風が何度も起きて、そして、なんといいますかねぇ。巻くような風が吹くんです。それで、嵐の壁が現れると分るのですがね、そして、ドウドウと嵐の壁ができるんです」
メイザーム・エイは、大きな手を立てて、縦《たて》にヒラヒラとさせながら、階段を降りていった。
「現れるのかい?」
勿論《もちろん》、ジョクも、伝承される物語のなかにある、嵐の壁の言い伝えは知っていた。
それは、どこからともなく現れるのである。
竜巻《たつまき》のようなものと思えばいいのであろうが、規模は、それ以上のもので、特定の場所に現れて消滅するという。
書物によれば、以前に嵐の壁が現れた場所であっても、人が住み始めた場所には、嵐の壁は現れなくなるともある。
しかも、その現象を、結界である、とする書物もあった。
つまり、嵐の壁の中には、別の世界があって、そこはフェラリオの住む世界になっているというのである。
そこには、クスタンガの丘という世界があって、あの羽根付きの小さなフェラリオを産み出す花園があり、そこで育ったフェラリオが、コモン界の上にあるウォ・ランドンに住むエ・フェラリオになるために、嵐の壁が移動して、それらを、地の世界から天の世界に移すのであると語られていた。
「単純な竜巻ではない……だから、結界か?」
ジョクは、そこで納得する以外なかった。
世界の構造を概念的にとらえる勉強などしている暇もなく、戦争につぐ戦争となったのは、ドレイク・ルフトが、近隣諸国に『ガロウ・ラン掃討《そうとう》税』とも言うべき、協力金を課したからである。
一年目に、ドレイクは、その負担を倍に上げて、諸国の反撥《はんぱつ》を買ったが、それが、ドレイク・ルフトの狙《ねら》いであった。
反撥から反ドレイク運動の機運を盛り上げて、それを理由に、ドレイクは、アの国の南に隣接する諸国を、唯一の同格の同盟国クの国と共に制覇《せいは》したのである。
その間に、アの国のオーラ・マシーンの戦力は拡大し、数隻のオーラ・シップを建造し、さらには、カットグラをベースとする『ハインガット』のオーラバトラー戦隊とドーメを基幹とする戦隊も拡充した。
つまり、アの国は、かつてない巨大な機械化軍団を持つ国家に、成長していったのである。
しかし、その現象は、諸国にも波及していた。機械技術は、ドレイク・ルフトがいかにその流出を制限しようとしても、外部に洩《も》れるのである。
殊に、クの国と同盟を結んだことが、その技術を広く流出させることになった。ドレイクはそう理解している。
近隣諸国も、アの国に続いて、オーラ・マシーンの開発を始めて、北の隣国、ミの国のように、ともかくも戦闘行為を成し得る飛行機フラッタラを開発して、配備するまでになっていた。
しかし、ドレイク・ルフトの本当の目標は、ミの国ではない。ミの国の背後に控えるラウの国であり、レンの海の対岸に位置する巨大国家、ナの国であった。
それらの巨大国家に対抗する気を起したのは、ドレイクがオーラ・マシーンを手に入れたからであり、それを整備拡充するためには、近隣諸国を制覇して国力を増大していく必要があったのである。
そして、ここに至って、ドレイクはいよいよラウの国を制覇する前哨戦《ぜんしょうせん》として、ミの国を挑発する作戦を開始したのである。ゼナーの動きは、その作戦の一翼を担うものであった。
ひきつづく動乱のなかで、ジョクは、反ドレイクの決意を固め、実行に移すべく、今日という日を待っていたのである。
しかし、それは容易なことではなかった。
ジョクの城ハンダノの隣りに領地をもつニー・ギブンが、彼の父、ムロン・ギブンがミの国の王と親交がなかったなら、この計画は実行されなかったであろう。
ギブン一家は、ある日、アの国を逃亡した。
ジョクは、彼等を捜索する形を取りながら、ニーの協力を得て、アの国を脱出する機会を狙っていたのである。
ジョクの場合、ドレイクの娘、アリサを伴って、脱出しなければならないために、ドレイクの覇権行動を推進しながら機会を待った。
準備は、家の子郎党と共に二年前から始めながらも、南の戦闘では、ドレイクに忠誠を尽して見せたものである。
「どうも、カットグラの具合が面白《おもしろ》くない……」
ジョクは、ゼナーが水晶の森を出た頃《ころ》を見計らって、甲板士官のメイザームに言った。まずカットグラから脱出する計画だったからだ。
脱出作戦の途中、嫌疑《けんぎ》を掛けられるような事態になった時、言い訳の伏線を張ったつもりである。
「出撃できないのか?」
「できないことはない。万全ではないということさ」
「……何が問題なんだ?」
「オーラ・ライフルだ。出力が上らない。しかし、大砲《キャノン》では、スペアの弾《たま》をもっていけないしな」
「危険か?」
「出ると言っているだろう。誰《だれ》が出ると言っているか、分っているか?」
「そりゃ、聖戦士殿……」
「ならいい」
ジョクはウインクして見せると、カットグラの前のタラップを上って、コックピットを覗《のぞ》いた。
アリサが、しゃがみ込んで、油布を使ってリキュール・パイプを掃除していた。
「まだやっているのか? いいのに……」
「ジョクが出るのですから、本気でやっています」
「朝から辛《つら》いだろう?」
「なんということはありません。これから起ることを考えると、総毛《そうけ》立《だ》って、眠気などありません」
「ン……無線の調整をする。黙って……」
「はい……」
ジョクは、カットグラの鉱石式の無線の電源を入れると、ノイズを聞きながら、バリコンを調整して、周波数を合わせた。
「はい! こちらベアー!」
女性らしい声が、ノイズのなかに聞えた。午後、艦を案内してくれた女兵士の声である。
「こちら、ヌース! 現在、無線テスト中!」
「ヌース、聞えますか? こちらベアー」
そんなジョクとメトーとのやり取りを聞いて、アリサは、肩を震わせて笑い声を出すのをこらえていた。
「なんだい?」
無線を切ったジョクが、アリサの肩を叩《たた》いた。
「だって、ヌースって、なんだか知ってます?」
「知っているよ。暗号に使うんだからなんでもいいんだ。森の中に住んでいる虫の名前だろう?」
「そうですけど……ボッテリとしたのろまな虫なんですよ? 臭い匂《にお》いを出す。そんなものが、このオーラバトラーのコード名なんですか?」
そう言ってアリサは、クッククク……と咽喉《のど》を鳴らした。ジョクは、彼女に微笑を返し、コンソール・パネルに見える機械の調子をチェックすると、
「そろそろだぞ」
「はい……」
アリサは、身を隠すためにジョクのシートの後ろに置かれた補助|椅子《いす》の方に身を置こうとした。
ドウッ!
艦全体が、跳ね上るように揺れた。
「あッ!」
アリサの身体が、半分ほど浮き上った。ジョクの目の端で、彼女の脚がふわっと跳ねて見えた。
「うっ……!」
ジョク自身、シートから跳ね上る身体を支えなければならなかったので、彼女を支えることはできなかった。
ドスッと座り込みながらも、カットグラの機体が前に倒れそうになって行くのを感じて、ジョクは、オーラ・エンジンをスタートさせた。
調整の間に、何度かエンジンを廻《まわ》しておいたので、簡単にかかったが、それでも、機体は前傾する。
ジョクは、シートの背もたれにしがみつく、アリサの腰を抱くようにした。彼女を支えて、両足を踏んばって、ジョクはコックピットの前に落ちようとする身体を支えた。
「くそっ!」
カットグラの前部ハッチの上がデッキの壁に激突して、上に引き剥《は》がされるように潰《つぶ》れていった。しかし、まだカットグラの腕を稼動《かどう》させるには早いのだ。
「下を見るな……そのまま身体を支えていて」
ジョクは、コンソール・パネルのエンジン圧力計を睨《にら》みながら、アリサに言った。
「大丈夫、落ちません……」
カットグラは、壁に胸を押しつけるようにして止った。
「どうした! ベアー! こちらヌース! 今の振動で機体が傾いて、ハッチの一部が壊れた」
ジョクは、無線を開いて、ブリッジに聞いた。
「こちら、ベアー! 突風です。嵐の壁が現れる前兆だと艦長は言っています」
「そうなのか!? オーバ!」
ジョクは、ようやくカットグラの腕を稼動させると、カットグラを正立させて、左右の窓から、デッキの外の光景を見やった。
しかし、闇《やみ》以外なにも見えなかった。
先程まで、コモン界の月といわれているものの光で、かすかに見えていた雲の陰影さえも見えなくなっていた。
「ベアー! ひどいのか?」
「壁に入らなければ、どうということはありません……」
メトーの声にかぶって、艦長の声が入った。
「ヌース! 機体の損傷は、作戦に影響するのか!」
「いや、どうということはない。損傷は考えるな!」
ジョクは、そう言っておいて、ミハンやキムッチたちに、外れた梯子《はしご》をかけさせると、歪《ゆが》んだハッチ上部を急いで外させた。
「外すんですか?」
ようやく落ち着いたアリサも手伝う風を見せながら、ジョクに聞いた。
「きちんと閉じるか外すかしないと、ハッチがコックピットに飛びこんでくる。なまじつけて置く方が危険だ」
「メイザーム! 作戦予定地まで、どのくらいだ!」
キムッチが歪んだハッチをクレーンで下ろす指揮を取りながら、怒鳴った。
「待ってくれ!」
オーラバトラー・デッキの後部の壁には、四段ほどにベランダが、回廊風に取りつけられてある。その最上部で、カットグラに関する作業を監督するのが、甲板士官のメイザームである。
彼が、壁の伝声管でブリッジに照会する間に、艦長がラッタルを滑り降りてきて、カットグラの横に位置するベランダから、ジョクを呼んだ。
「大変な損傷ではないですか! 正面の風防がなくては、戦闘速度を出すわけにはいかんでしょう」
「そうだが……ミハン、スペアの取り替えには、どのくらい時間がかかる」
「はっ、三十分とかからんでしょう」
「よし! 取り替えろ」
それは艦長ギムトンの命令だった。
「艦長……!?」
「機体は、固定してな! 揺れは、もっとすごくなるぞ!」
ジョクは、艦長の思い切りの良さに驚き、アリサには仕事を手伝うように言うと、彼を追った。
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「いいのか?」
「聖戦士殿、出撃の命令を出すまでは、自分の任務です」
「分っている」
ジョクは、ブリッジが、まるで戦場のような緊張感に包まれているのに、ゾッとした。左右前後の窓から見える空は暗く、ガラスに当る雨がひどくなっていた。
オーラバトラー・デッキから上って来る間に、横殴りの雨はひどくなっていたのだ。
「そんなに危険なのか?」
「分りません。オーラ・マシーンが、嵐の壁に入った事はありませんので……分りません」
「そうか……」
ジョクは、艦長のシートにしがみつくようにして、身体を支えた。
「……メイザーム! カットグラのハッチの交換、この振動のなかでできるのか!」
「やっています! 大丈夫です」
「我々は、嵐の壁に掴《つか》まったらしい! 振動はもっとひどくなるぞ! 覚悟して交換作業をやるように、メカニック・マンたちに言ってやってくれ!」
「ハッ!」
伝声管からの声も、遠い海鳴りのようにしか聞えなかった。
「艦長! コンパスがメチャクチャです」
「二十度に取舵《とりかじ》固定! 舵を取られるな! ノズル調整同じ!」
「ハッ!」
操舵手《そうだしゅ》と二人の機関士が、緊張してコールする。
ドウッ! 艦体が左から煽《あお》られるのが分った。ジョクは、浮くようになる身体をシートに支えながら、
「艦長、下に降りる!」
「駄目《だめ》です。聖戦士殿は、ここに! カットグラが発進できるまで、ここから動いてはなりません。メカニック・マンを手伝うなど、もっての外です」
ジョクは、艦長の勘の良さというか、自分の性格を知られてしまっていることに気づき、黙った。自分たちの計画を見抜かれているのではないか、とも思った。
「……分った。俺《おれ》は、パイロットだものな」
「そうでありますよ。それまでは、身体を大切にしていただかないと、カットグラがここにある意味がなくなります」
「……ン?」
ジョクは、右の窓には、雨のしずくがかかっていないのに気づいて、目をこらした。
その窓の手前には巨大な無線機があって、あの女兵士メトーが座っていた。
窓からは、風雨が波打つように荒れ狂っているのが分った。
つい、少し前には、嵐の気配などはなかった。たしかに前兆らしい突風が、ゼナーを煽ったのだが、今はもう、嵐の中で船が煽《あお》られているのである。
これで、嵐の壁が現れるという話が、分らないでもなかった。
「…………!?」
ジョクは、その右の窓の向うに、光るものを見つけたような気がした。そのぼんやりとした光は、激流のような風と雨のなかでも、静止しているように見えた。
「艦長、あの光はなんだ?」
「ハッ?」
艦長もジョクの指差す方向に目をこらしたが、上下に揺れ続けるブリッジから、特定の物を見るのは難しかった。
「……駄目です。面舵《おもかじ》に流されています。右ノズル上げます」
「よし!」
「いや。待て! このままもう少し流されてみろ!」
ジョクの制止に、艦長がムッとした。
「本艦の責任者は、自分です」
「分っている。しかし、あの光が何か……」
「あ、花みたい」
無線機の前に座っているメトーの唐突な言葉に、艦長とジョクは、右窓を見た。
「…………!?」
確かに、横殴りの風雨の向うに、ポッと白い花に見えるものがジッと浮いているように見えた。しかし、二人がそれを見たのは、ほんの数秒だった。
「……花?」
「蓮《はす》の花に似ている……」
ジョクは、そう思った瞬間、ストレートに釈迦《しゃか》をイメージした。
脈絡はないが、日本人である。嵐の中の静謐《せいひつ》な白い蓮の印象から、釈迦が大覚《だいかく》を得た時の透徹《とうてつ》した心理を連想したのは、あながち無理ではあるまい。
ジョクは、まだ残像が薄く残っている荒れる空間を凝視して、艦長の耳元で呻《うめ》いていた。
「このままだ……このまま流されていい」
「ハッ……しかし、目的の場所が……」
「ゼナーの力ならば、なんとでもなる。コンパスの誤差をメモしておけ。いいか。すぐに変針するぞ」
「はいっ!」
ゼナーは、流されたようだ。
と、数分、激震があって、ゼナーは、突然、ドスッと落下するような震動を受けて、浮き上った。
「…………!?」
「嵐がやんでいる。いや、左舷は嵐です」
「ン……?」
明らかに左の方は嵐で、右は、ただの暗い闇であった。
「窓を開いて見ろ!」
艦長の怒声にクルーが立って、窓の幾つかを跳ね上げた。
窓枠《まどわく》のしずくが吹き込んだ。その後は、右窓からは間違いなくゼナーが飛行している風切り音と空気が吹き込むだけだった。
左窓からは、雨が吹き込んでいた。
「台風の目に入ったか……?」
ジョクは、開いた窓から外を覗《のぞ》いて見て、艦長に聞いた。
「そうかも知れんが……」
「クスタンガよ……クスタンガ……」
メトーが隣りの小窓から、右舷の空を覗いて、呪文《じゅもん》を唱えるように言った。
「……クスタンガ? なんでそう言える!」
「さっき見えた花が、あるわ……あんなところに……」
ジョクは、メトーが顎《あご》をしゃくった方向の闇のなかに、あの蓮の花がポッカリと浮いているのを見て、開いた口を閉じるのを忘れた。
それは、中空に数十、見え隠れしながら、急速に遠ざかっていく。
「あんなのコモン界にはないわ……」
「高度は!」
「八百といったところです……」
ジョクは、背後の艦長たちのやり取りに、メトーの言うことは間違いではないだろうと思った。
それは、山の中腹に咲く花の姿ではない。
その白い花は、あのスィーウィドーの森の海草のように、中空にそびえ立つ茎に、花を咲かせている風に見えたのである。
そして、そのような絵を、ジョクは、コモン界に伝わる伝説、クスタンガの物語の本の中で何度も見たことがあった。
それらの物語は、『……そのような美しい丘なのですが、コモン界の人びとで、戻って来たものは、誰《だれ》一人いませんでした』という一節で終るのが決りであった。
「カットグラの整備を、急げ!」
艦長は、伝声管に怒鳴ると、
「針路はこのままだ。いいか! カットグラの修理が終ったら、嵐の壁にとび込んで戻る」
と、ブリッジ一杯に響く声を出した。
「…………!」
ジョクは、帰還の可能性があるかどうか聞くのはやめた。黙って、シートの脇《わき》に戻ると、
「下の方は、闇で見えない」
「そうだろう……オーラバトラーのメカニック・マン以外、総員、監視! 変ったものを見たら、知らせろ!」
「嵐の方は、壁のようになって見える」
ジョクは呻いた。
分る、分らないではなかった。事実を見せられれば、納得するしかない。確かに、夜であるためにその現象の詳細は分らなかった。観察しようにも、ブリッジにある窓では、十分な視界は得られないのである。
「外に出るのは、いけないな?」
「当り前です。駄目です」
「いい薫《かお》り……クスタンガの薫りだわ……これ……」
メトーは、うっとりと少女のような気分になって、言った。
「冗談じゃないよ! それじゃ、俺たちは、帰れないじゃないかっ!」
副操舵手が叫んだ。
「黙らんかっ! ゼナーは、嵐の壁を容易に突破できた。戻れる! バカなことは考えるな!」
艦長は、副操舵手を怒鳴りつけると、
「カットグラの修理は! 異状は!」
と次々と伝声管に怒鳴り散らした。
「……どういうところなんだ?」
ジョクは、静かになったブリッジの後方に、メトーを呼んで聞いた。
「フェラリオが生れる花々が咲く丘でしょ? あたしは、戦争やるよりも、ここに残る方がいいわ」
「コモン界の人が、生きていけるのか? こんな小さなフェラリオだろう? そんなものの面倒を一生みるなんて、何が面白い?」
「それは男性の感覚です。いいじゃないですか? こんな蕾《つぼみ》のようなチビちゃんたちの面倒を見るんですよ? そして、百年たてば、ワーラー・カーレンに移るんです。コモン界で、食べるために戦争やるより、ずっといいじゃないですか」
「家族のところに帰りたくないのかい?」
「いません。そんなもの……!」
ジョクは、女兵士メトーの言葉を聞いて、ゼナーは、帰れると思った。
もし、ここが、伝説に語り伝えられる通りの夢のような世界ならば、人の不幸を背負った人びとは、ここに滞在することを許してもらえないだろう、という直感である。
ジョクは、地上世界から落ちた人間である。そのことだけを考えれば、このように別次元というか、ある結界に飛びこんだのも、道理のように思えるが、そうではない。
見方によれば、ジョクも不幸なのである。
だから、夢の世界、理想の世界は、そのような汚濁《おだく》に満ちた存在を排除するのではないか、と思ったのだ。
「メトー、無線を開いて見ろ! 何か受信できないか、確かめるのだ!」
艦長が命令したが、その後の十数分、ゼナーの周囲には、なにも起らなかった。
やがて、キムッチから、カットグラのハッチの修理完了の報告が入ると、艦長が命令した。
「よし、帰還するぞ! 任務を遂行できない空域に入る必要はない」
ジョクは、艦長もまた、現世で生きるしかない、汚濁を身に纏《まと》った人であると思った。
ゼナーは、嵐の壁に直角に船首を向けると、最大出力で、嵐の中に突入していった。
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嵐の壁を突破すると、そこには、静寂があった。
壁という表現が正しいと思えたのは、ゼナーが、嵐にたいして直角に突入したら、巻き込まれた時の半分ほどの時間で、突破できたことである。
行きと帰りの感覚の違いは、やはり通常の嵐とは違うものを感じさせた。
「……損傷確認! 総員、戦闘監視に入れ!」
ギムトン艦長は、その命令を出したあとで、ジョクに微笑して見せた。
「……オーラ・シップはたいしたものでありますな。正直なところ、脱出できないと思っていました」
「本当に、嵐の壁というのは、こういうものだったのかな? 信じられないが……」
ジョクは、意外に簡単に脱出できたので、自分の推察が当っているような気がして、艦長たちコモン人《びと》の考え方を聞きたかった。
今見える闇のなかの景色には、雲の状態といい空気の匂《にお》いといい、間違いなくコモン界そのものの雰囲気《ふんいき》があった。
同じぼんやりとした闇《やみ》でも、その質が違うということは、知覚できるものである。
「クスタンガの丘の話は、機械がなかった時代の伝説ですが、納得できない話ではありませんな。徒《かち》であの嵐を突破しようというのは、そりゃ、難しいでしょう。しかし、我々がクスタンガの伝説を知っているということは、クスタンガを見て伝えた人びとがいた、ということでしょうが?」
「しかし、伝説では、コモン人は、帰って来れないと言うではないか」
ジョクは、無線機の置いてある側の窓から、首を出していた。
あの花は、見えるはずもなかった。ブリッジの近くを流れる雲が、ブリッジの電気の光に映し出されて、後方に消えていった。
「誰も帰って来たものはおりません、というのは、修辞上の問題でしょう」
「そうかな?」
「ええ、教訓でもあります。誰が行っていいというものではない。聖域にしておきたいという作者の気持ちが、含まれているのでしょう」
「分らない話じゃないけれど……」
ジョクが、身を引いてギムトン艦長を振り向くと、副長のフオットが、メモを艦長に渡したところだった。
「……ご覧の通りです。外部のバルブ類には、相当の損傷が見られます」
損傷報告のメモに目を通した艦長は、胸ポケットからエンピツを取り出すとジョクに言った。
「外に突き出ているものが、大抵やられていますな」
「そうか」
「……作戦には、支障がありませんが……」
艦長は微笑すると、メモの上に印をつけながら、
「これと、これ、このバルブの修理は急げ!」
「ハッ……」
フオットは、艦長からメモを受け取ると背中を向けた。
ジョクは、艦長に聞いた。
「では、作戦は予定通りか?」
「はい、……目的地へは、あと十数分というところですな。敵の制空圏に入っています」
「敵が、制空圏という概念を持っていればの話だがな」
「ハハハ……そういうことです」
ジョクの軽口に、艦長は笑ってくれた。
「では、艦長、下に降りる」
「ハッ! 頼みます」
ジョクはブリッジのキャプテン・シートの背後にあるハンドレールに掴まると、オーラバトラー・デッキへ滑り降りていった。
「……ミハン! どうかっ!」
ジョクは、甲板士官のメイザームに敬礼を返しながら、オーラバトラー・デッキを覗いたが、カットグラの足元周辺に、木や土砂などが散乱して、まるで地面そのもののようになっているのを見て捻《うな》った。
「……!? 外に落ちた者は、いないのか?」
ジョクは、ここが左右に開かれたオープン・デッキの構造になっているので心配したのである。
「そんなドジな兵は、いませんぜ」
甲板士官のメイザームは、ウインクをして見せた。
洒落《しゃれ》ているつもりだろうし、ジョクの家の者たちをクルーと思ってくれている証拠でもある。
「結構だ。戦闘が終ったら、艦内掃除が大変だな?」
「ハッ! 身体中アザだらけになってしまいました」
メイザームの笑いを背にして、ジョクは、カットグラのコックピットに近いベランダまで降り、梯子《はしご》を横にしてカットグラのハッチにかけると、その上を渡ってコックピット前にでた。
「…………?」
アリサは、ジョクの動きが分っていたかのように、パイロット・シートの背後に、身を沈める支度《したく》をしていた。
「……キムッチ! いいのか?」
ジョクは、カットグラの脚部の点検をしている家の若者たちに聞いた。
「ハッ! 万事良好です! 嵐の壁の問題がなければ!」
周囲にいる仲間を見回しながら、キムッチは答えた。
「よし、艦長の命令が発令されたら出るぞ! 後は、よろしく!」
最後の言葉に、作戦は予定通り実行する、という意味を込めたつもりだった。
「ハッ! 頼まれました」
手を振るキムッチの背後で、ミハンが、二人の部下にコックピットに上るように命令した。
「シート・ベルトを忘れずにな……」
ジョクは、今の声とはまるで違う押し殺した声で、アリサに確認すると、コンソール・パネルに火を入れ、無線機のスイッチをいれた。
「こちら、ヌース! ベアー!」
「はい、周囲に異常なし。目的地まで、あと五分です」
メトーの声が、ようやく識別できる音量で、すべて紙製のスピーカーから聞えた。
「では、聖戦士!」
デトアとナームが取り付けたばかりのハッチを閉じながら、ジョクに挨拶《あいさつ》したが、彼等の目は緊張しきっている。
「楽にしろ。実戦はこれからなんだ。ギィ・グッガとの戦いのことを考えれば……相手はコモン人だろう?」
ジョクは、微笑を見せた。
「はい! そうであります」
デトアの方が、硬い笑いを作りながら、ハッチを閉じてロックしてくれた。このロックは、ジョクの側からも開けられるようになっている。
「ヌース、発進位置に移動!」
メトーの偉そうな口調を受けて、ジョクは、カットグラをゼナーの左舷の発進位置に歩行させた。
カットグラの右手にはフレイ・ボンムを連射できる巨大なオーラ・ライフルが、腰には、数個の爆弾が装備されていた。オーラバトラー用の大型の手榴弾《てりゅうだん》で、一キロ程の爆薬の入ったものである。そして、左手には、巨大な楯《たて》を装備していた。
オーラバトラーは、本質的には、機体そのものが装甲に覆われているので、オーラバトラーが楯を持つというのは、戦車がさらに厚い装甲板を張りつけるようなもので、ナンセンスである。
しかし、人型の機動兵器が楯を持つことを、開発者のショット・ウェポンもジョクたちも、不思議に思っていない。
オーラバトラーならば、両方の手に武器を装備させる方が、自然であるのだが、人の思考というか、センスの落し穴からこうなったものである。
しかし、それは、人の愛すべき欠点といえる。
現実には、楯のおかげで、機体の損傷がカバーされて、結果的には、なくてはならない武器になっていた。
それに、カットグラの両手《もろて》に武器を持たせれば、安物の西部劇の悪漢になってしまうという意識が、アメリカ人であるショットにはあって、両手に武器を持たせることをしなかったのであろう。
カットグラが、機体の右から、ゼナーの戦闘速度による強風を受けてよろけたので、ジョクは、機体を低くして、オーラバトラー用のバーに楯を当てるようにして、発進姿勢を取った。
「……敵基地を発見! 右前方二時!」
メトーの緊張した声が、飛びこんできた。
「了解!」
ジョクは、コックピットの右にある小窓を見たが、カットグラの腕で何も見えなかった。
これが、オーラバトラーの致命傷で、それをカバーするためには、たえず機体の運動性の良さを利用して視界を確保するしかなかった。人間の視界の悪さをそのままに、巨人化したものが、オーラバトラーといえる。
「行きますよ……」
ジョクの低い声に、アリサの手が背後から伸びて、ジョクの左腕を掴んだ。
「あとは、天と地の霊の導くままに……」
ジョクは、アリサの手を右手で押し包んで、艦長の発進の合図を待った。
「では、よろしく」
艦長の声が、ノイズのなかから聞こえ、「では、発進です」とメトーの元気の良い声がはじけると、ジョクのカットグラは、ゼナーを離れた。
カットグラの背中にたたまれていた四枚の羽根状のものが、バッと音をたてて拡《ひろ》がると、機体は急速に傾いて、ゼナーの下を右舷の方に滑り込んでいった。
「…………!?」
ジョクは、闇に慣れていない目をしばたいた。
空の星に似た輝き、燐光《りんこう》が届かないゼナーの下は闇しかなく、蛍光塗料を塗った計器の数字も針も、うすぼんやりとしか見えなかった。
カットグラの左後方、見上げる位置にあるゼナーのテール・ノズルには排気ガスの光があるのだが、教えられていないので、ジョクには見えるはずはない。
「…………!?」
と、ゼナーの前方から、数個の閃光《せんこう》が走り、それが、ジョクの前方ではじけて、光の輪になった。
照明弾である。その強力な光が、前方の空域を満たして、地上の森と山々の稜線《りょうせん》をくっきりと浮き上らせた。
「凄《すご》い!」
アリサの呻《うめ》きが、ジョクの耳を打った。
「正面に、目標が見えました!」
ジョクは、アリサに報告するように言うと、カットグラを加速させた。
「…………!?」
アリサも、森を切り開いて造られた一本の滑走路を、正面に見ることができた。
「いいのか?」
さすがにアリサは、不安になった。あまりにも、作戦が直線的というか、簡単に進んでいるように感じられたからだ。
「やって見なければ分りません……よろしいですね」
「良い……!」
アリサは、女王の言葉遣いをした。
照明弾は、まばたくような光をゆったりと降下させて、カットグラの影をくっきりと空に浮き彫りにした。
森のなかに切り開かれた滑走路は、一本である。
その左右には数機の飛行機型のシルエットが浮き出ていた。
「行きます!」
ジョクは、最後の声をアリサにかけると、滑走路の上空でカットグラの姿勢を縦《たて》にして、急激に減速すると、正確に滑走路の上を滑るように滑空させた。
左右に見えるフラッタラの影は、まるでダミーのように沈黙していた。
「…………!?」
ジョクには、進入方向が正しいのかどうか確かめる手立てはない。しかし、事は一気に進めなければならないのだ。
「…………!」
滑走路の一方の端が見え、それが、視界から消えた。
ギュリリリ……!
オーラ・ノズルの悲鳴と羽根の抵抗で、カットグラの機体が震えた。ジョクは、視界一杯に広がる森の影を見ていた。
そして、その森の下の闇のなかに、幾つかの揺れる光を見つけた。
「よし!」
ズズンッ! カットグラの脚が地について滑り、その衝撃が、コックピットを揺すった。
「アゥッ!」
衝撃に、アリサの声が、撥《は》ね上ったが、ジョクは、息さえできなかった。カットグラの脚が地を噛《か》み、踏み出して、地上を歩行する態勢に入った。
バリッ! ゴッ! と、機体頭部が森の木々の枝を払って、機体が押し戻されそうになった。
「…………!」
カットグラは、静止した。
その足下に、幾つかの松明《たいまつ》が駆け寄って、次のカットグラの挙動を窺《うかが》うかのように止った。
「聖戦士のカットグラである」
ジョクは、拡声装置を使って、外に呼びかけた。
と、その声に呼応するように、松明がよりはっきりと接近してきた。
ジョクはカットグラの上体を屈《かが》ませ、左手の楯を横にして、胸の下に位置するように固定した。
「ジョクだ! ここでクルーを一人下ろす!」
ジョクは、コンソール・パネルを押し退《の》けると、ハッチを開いた。
「ご苦労であります!」
「こちらへ!」
カットグラの楯に、梯子がかけられるのが、松明の揺れる光のなかに見えた。その光のなかにいる兵士たちは、ミの国の軍の者だ。
「では……」
ジョクは、アリサの手を取って楯に乗せ、梯子《はしご》の方に足場を確保してやった。
「ご苦労様」
松明を持って上って来た女性の声は、ジョクの耳に快《こころよ》かった。
「ニーは?」
「反対側の森のなかで、あなたを待っています」
マーベル・フローズンが、アリサの足元を松明の光で照らすようにしながら、ジョクに答えた。
「これでひとつ終了ね」
「ああ、あとはゼナーだな」
ジョクは、差し出されたマーベルの手を握りしめると、
「君のような人がいてくれるから、できたことだ。気持ちがすっきりとして助かる」
「ありがと。でも、まだまだよ」
「そうだ」
ジョクは、陰影のはっきりしたマーベルの微笑に、キスしたい衝動を隠して、コックピットに登った。
「フラッタラは、出すわね?」
「ああ、頼む」
マーベルに頷《うなず》くと、ジョクは、楯にかけられた梯子が外されるのを確認してから、カットグラの姿勢を立て直しながら、機体を滑走路に正対させていった。
「……さて……ギムトン艦長、すまないが、素直に従ってくれよ」
ジョクは、自分がこれから行おうとしている作戦の後ろめたさに、さすがにゼナーのクルーの家族たちのことを思わないではいられなかった。
「行くぞ! 艦長!」
カットグラを歩行させて滑走路に出ると、ジョクは、そんな思いを吹っ切るように、一気に加速をかけて、ゼナーに向って上昇していった。
そのカットグラの強力な機動力を、百数十人のミの国の兵士たちが、左右の森のなかで、息を殺して見守っていた。
「……あんなのじゃ、我々のフラッタラでは、対抗できないな……」
空戦をこなしていないミの国のパイロットたちは、全身に冷汗をしながら囁《ささや》きあった。
彼等は、翼をもつだけの形態のフラッタラより、カットグラのような人型の機械に驚異を感じるのだ。
超人願望は、おそらく人類発生の頃《ころ》からのものであろう。
中世の産業機械開発の黎明期《れいめいき》には、その願望が薄れた時代があったが、それは、貧弱な機械技術では、人型の機械は製作できないと失望したからで、その時代を除けば、人類は、たえず超人を願望した。
絶対忠実な使用人も、その忠実性をとれば超人的であったし、近・現代のオートマチックに操業してくれる機械やコンピューターも、その働きは超人的である。
しかも、現在のようにすぐれた機械技術をもてば、人は、改めて、人型の機械、超人への願望を抱くのである。
人が、人型そのものに力を感じるのは、その形態が最高のものだと信じているからである。だから、人型に似た形態のものであればあるほど、人は驚異と畏敬《いけい》の念を感じるのである。
ミの国のパイロットたちは、自分たちのオーラ・マシーンが、技術的に劣るから、打ちのめされたのではなく、形そのものの相違に打ちひしがれているのである。
空中戦では、必ずしも人型が有利ではないという真理は、空戦に未熟な彼等には、理解できるはずがない。
今、ジョクは、オーラバトラーの性能のおかげで、有利に作戦を遂行することができた。
「艦長!」
ジョクが、ゼナーのブリッジの前方に滞空した時、ゼナーのブリッジには、異常な緊張が走った。
「どうした!? 攻撃できない理由があるのか!」
艦長の声が、鉱石無線から飛びこんできた。
「いや、違う。当方の作戦を実行させてもらう。我が家の者をブリッジに上げよ! 上げなければ、ゼナーの艦首を破壊する!」
そこには、二人の銃撃|要員《クルー》がいるのだ。
カットグラは、脚でその銃座のハッチを塞《ふさ》ぐようにして立つと、ブリッジにオーラ・ライフルを向けた。
「正気でありますか!? 聖戦士殿!?」
「正気の証拠に、自分は、今、ロマスナのオーラ・マシーン部隊と接触して、支掩《しえん》を依頼した!」
「聖戦士殿っ!」
艦長は絶句した。
「家の者をブリッジに!」
「……やっています!」
オーラバトラーのコックピットの視界が狭いのは、こういう時に不自由だった。
ブリッジを見上げる形では、ジョクには、ブリッジの動きが見えない。
カットグラの頭部の目からの映像は、潜望鏡を通して見ることができるのだが、それでも、ちょっとブリッジの方が高く、しかも、暗いので使いものにはならなかった。
「急げ! オーラバトラー・デッキからの抵抗があったら、ここの銃座のクルーを殺す! 抵抗は辞めさせろ!」
「分っています。教えて下さい! なぜ、こんな事をなさいます!?」
「それは、説明したはずだ。艦長……」
「分りません。聖戦士殿!」
ジョクは、甲板に出てくる兵士たちが、右往左往しているのを見ながら、彼等のなかに、特別に抵抗する気配が見えないので安心した。
一度、オーラバトラー・デッキの壁の陰に、甲板士官のメイザームの姿が見えたが、彼も何かを怒鳴り散らすと、姿を消した。
ルルル……!
カットグラの左右を、上昇して来たフラッタラが数機パスして、ゼナー上空を旋回する態勢に入った。
「聖戦士! ミハンです! ブリッジに上りました」
「ゼナーの抵抗はないか?」
「ハッ! ありません!」
「よし、予定通り、ロマスナの滑走路に着陸させる」
「ハッ!」
ミハンたちは、混乱する艦長を見張って、ゼナーをミの国の最前線基地の滑走路に着陸させるために、針路をロマスナの方角に取らせた。
ジョクのカットグラは、ゼナーの艦首から動かずに、艦内の反乱を牽制《けんせい》した。
しかし、これで万事終るとは思ってはいなかった。
『第一関門は突破だが、アリサの言う通り簡単すぎる……』
とジョクは思っていた。
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ロマスナの前進基地は、フラッタラを隠すために森のなかに暫壕《ざんごう》が掘られて、その中央に滑走路があるだけのものであった。
付随する施設は、幌架《ほろが》けの小屋ぐらいなものである。
ゼナーは、アリサ・ルフトと、ニー・ギブン、マーベル・フローズン、それに、選ばれた三十数人のミの国の兵員を乗せると、ただちに浮上した。
そして、滑走路の左右にたてた誘導灯がわりの焚火《たきび》は、ただちに消された。
護衛のフラッタラはなかった。いや、護衛できないというのが正しい。
ミの国の人びとは、まだ、オーラ・シップに護衛が必要とは考えなかったのである。
それに、ロマスナの基地のフラッタラは、アの国との国境の警備を優先していた。この事件が、アの国に知られるのは、時間の問題であろう。その時のために、動くことはできない。
「聖戦士殿……」
ギムトン・ケネサウス艦長は、キャビンに囚《とら》われの身になったが、別に固縛されているわけではない。
いつも、彼が座っているであろう椅子《いす》に座って、ニーとジョク、それに、この艦に乗り込んだミの国の二人の士官を見やった。
知らない者がこの光景を見れば、ジョクたちが、艦長に訓示でも受けているように見えたろう。
「……どういうことです? これは?」
「この艦に、合流した時に、艦長の気持ちは聞いた」
「そのこと、さきほどもおっしゃいましたが、わたしは、何も申しませんでした」
艦長は、どこまでも用心深かった。
「自分は、この計画をずっと考えていた。ドレイク・ルフトのやり方には、同調できないという気持ちは、艦長にも分かるはずだ」
「……黙秘いたします」
「そうか……協力してくれないかな?」
ギムトンは、両手をテーブルの上で握りしめると、それを凝視して黙ってしまった。
「ゼナーの次の作戦について、教えてもらいたいな」
ジョクに代って、ニー・ギブンが、ミの国の騎士であり士官であるキゼサ・ハームの差し出す質問状に目を通してから聞いた。
「黙秘する。官姓名は申告したはずだ」
「……結構でしょう……以後は、我々の管理下に入ってもらいます」
キゼサが、冷たく言った。こういう仕事には、馴《な》れている風であった。
「……艦長、協力してくれるなら、ミの国は、官職だって用意してくれるのだ。その意思はないのか?」
ニーは、最後の質問をした。
「好意はありがたいが、現在は、翻意する意思はない」
ギムトン・ケネサウスは、どこまでも毅然《きぜん》とした態度を保とうとしていた。もし、彼にも、ジョクのように、多少でも、ミの国の状態が分っていれぱ、協力する可能性はあったが、今は、まだ無理というものだ。
彼は、ゼナーを任されてまだ間もなく、この作戦が、二度目であった。海軍にあって、海に向いていた気持ちを、北の陸地に向けるのには、まだ時間がかかる。
「今後は、捕虜という扱いにさせていただくが、よろしいな?」
「軍法に従って、扱ってもらいたいな」
ミの国の士官キゼサの言葉に、艦長は、臆《おく》せずに立ち上ると、腕を取ろうとする兵士の手を払って、
キャビンから出て行った。
「我々は、ブリッジに上ります」
「ああ……自分もすぐに上ります」
ニー・ギブンは、キゼサとエゼラー・ムラボーに応じると、ジョクの隣りの席に座りこんだ。
キャビンの明りは、テーブルの上のものだけで、それも周囲に黒い布をたらして、窓の外に光が直接|洩《も》れないようにしてあった。
ニーが、アの国を脱出して以来、ジョクとこうして座って話をするのは、初めてのことだった。
「ニーのおやじさんは?」
「ピネガン王と一緒さ。旧《ふる》い友達というのは、いいものらしい。そのおかげで、ジョクとも合流できた」
「痩《や》せたかい……」
「そりゃ、ジョクもだろう。俺《おれ》は、マーベルがいてくれるので、助かっている。彼女がいてくれなければ、麻薬中毒だって治っていなかったよ……何が心配なんだ?」
「うまくいきすぎている、ということかな? そうだろう? ニーたちが、ミの軍を連れて、水晶の森の南に進出した時、俺は、ドーメ部隊を率いて対抗したな?」
「一週間前の事か……あの時に、なんでカットグラで、出てこなかったんだ? あの時が、お前を受け入れる時だと思っていた」
「そのつもりだったが、カットグラの改修に時間がかかって、今夜になったんだ。しかしな、妙なことに、このゼナーは、俺のカットグラだけの護衛で来た」
「数がそろわなかった、と艦長は言っていたじゃないか」
「俺は、新兵のドーメ部隊の指揮をしていたから、ラース・ワウとの連絡には、手を焼いていた……本当の事情は知らない。なにしろ、ハンダノでドーメ部隊と別れて、まっすぐにゼナーと合流したんだからな? 俺がラース。ワウにいない間に、ラース・ワウでは、俺たちの事を知って、誘っているのではないか、とも思っている」
「確かに、他のオーラバトラーがいたりすれば、ゼナーを奪うのは、もっと面倒だったかも知れないが……」
「この作戦は、単純な偵察と隠密の陽動だ。だから、ギムトン艦長は、改装を終えたばかりのカットグラ一機でも不思議でないと信じていた」
ジョクは、冷めたお茶のコップを取って、口に含んだ。
「ン……あの艦長は、こちらの事もラース・ワウの思惑も知ってはいない。ただの艦長だ」
ニーは、同調した。
「そういう艦長の艦を寄越《よこ》した。これも誘いのように思える」
「誰《だれ》のだよ? ドレイクではなかろう?」
「ドレイクの後妻のルーザか、バーンか、あるいは、ショットか?……追撃があって、その部隊を見れば分るな」
「アリサが一緒だと承知で、追撃してくるか?」
「それは、想像していないだろう。俺とニーの関係を疑っているバーンかショットが仕掛けたんだよ」
ジョクは、そう確信した。
身体を動かしている間は、こんな事は考えなかったが、こうしてニーと話してみると、そう思えた。
「バーンな……ガラリアは、どうなんだ? ジョクに一番近い騎士だろうが?」
「ハハハ……だから、彼女には、疑われることがないように気をつけていた……彼女のことを考えると憂鬱《ゆううつ》になる。今夜のことを知れば、彼女は怒る。それで、彼女は、敵に回る」
ジョクの笑いには、力がなかった。
彼女の事は、ジョクにとって、最も辛《つら》いところだった。人を裏切るのは、最も重い行為なのだ。
「……そうだな……ストレートな騎士だからな……しかし、彼女は、アの国での暮ししか考えられない女性だ。今からミの国だ、ラウの国だと思い切る気持ちにはなれないだろう。ジョクの選択は正しいよ」
「そうだよ。彼女は、家を興《おこ》すことを人生の目的にしている……」
「心配は、分った。十分警戒させる。ハモロソンと無線が通じる距離になったら、防空態勢も取らせる」
「できるのかよ?」
「できるよ。おやじがピネガン王と友人だったおかげで、俺は、この艦の艦長になれる資格を貰《もら》っている。たいしたものだよ」
「期待しているぜ」
ニーは、ジョクに、休めよ、と言い残してキャビンを出ていった。
入れ替りに、マーベルとアリサが、キゼサ・ハームに案内されて入ってきた。
このキャビンは、ガンルームであり、パイロットと士官のベッドルームでもある。
この艦では、二人を休ませるのは、この部屋しかなかった。
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「…………!」
ジョクは、他所《よそ》の国の士官の顔を見たので、立ってアリサを迎えた。
「……しかし、アリサ様が、後悔なさっていらっしゃるのならば、お国にお帰しいたします」
キゼサは、そう言葉を続けて、壁ぎわのベンチに座るアリサを見下ろした。
「そんなつもりが少しでもあるなら、聖戦士殿については参りません」
「ハッ……失礼いたしました」
「むしろ、お国のことを憂《うれ》いております」
「ご心配はありがたく存じますが、どの道、この事件で、開戦になります。我々は、敵《かな》わぬまでも、アの国に抵抗いたします。そのため、アリサ様のお国を敵視しなければならなくなりましたことを、お詫《わ》び申し上げます」
「その原因は、すべて父にあります。ご心配はご無用であります。むしろ……」
と、アリサは、ジョクを見た。
ジョクは、次にアリサが何を言おうとしているのか分ったので、頷《うなず》いてみせた。
「……わたくしを人質として使うだけの価値がある……そう判断なされたのなら、そうなさって下さい。そのため、国に送られるのも、殺されるのも構いません。貴国の意思に従います」
そのアリサの申し出に、キゼサは、感に耐えない風に、アリサとジョクを見やった。
「……それは、騎士道にもとる行為です……しかし、最悪、そのような局面に立ち至った場合は、我が国の非力、お笑い下さい」
「そこまでの覚悟をもって、ここまで参りました。アの国に反逆する者が、ゼナーとカットグラを持って、ミの国に入った。そのために、わたしを人質に取ったという汚名を着る覚悟は、聖戦士殿にもあります」
「それは……心より、お心の苦衷《くちゅう》、お察しいたします」
キゼサは、改めて、ジョクにも深く頭《こうベ》を垂れた。
「気にしないで欲しい。騎士キゼサ。自分にとっては、聖戦士であろうが、売国奴《ばいこくど》であろうが、別世界のものだ。正直、なんの痛痒《つうよう》も感じない」
ジョクは真実の気持ちを述べたのだが、その感覚は、コモン界の騎士には想像できるものではない。
キゼサは、眉《まゆ》をしかめて彫りの深い顔をあげて、
「滅相《めっそう》もない……」
と次の言葉もなく、立ち尽した。
「キゼサ殿、こういうことであります。つまり、聖戦士殿のやったことは、アの国、いえ、父にとっては、反逆行為でしょうが、他の国々から見れば、聖戦士殿のなさったことは、まさしく聖戦士そのものの行為である。聖戦士殿は、そこまでお考えの上で、今日のことを決断なさっているということです」
アリサは、正確にコモン界の論理で、キゼサを説得した。
「ハア……了解いたしました。確かに、呼称などは、時代と文化が作るものですからな……価値観は違いますし……ありがとうございます。アリサ様に、そこまでおっしゃっていただいて……」
キゼサ・ハームは、アリサの言葉に感謝して、さらに、彼自身の決意も語った。
「……アリサ様には、お心置きなく、我が国にご滞在願います。我がピネガン・ハンム王もアリサ様のお言葉を、百万の味方を得た思いで聞くことでしょう」
彼は、瞳《ひとみ》を震わせて、ブリッジに上っていった。
「ご苦労様です……」
マーベルがアリサのために、温《める》くなったお茶をポットからコップに注《つ》ぎだすのを見て、アリサは、
「……アルコールが欲しいな。少し……」と言った。
「あります?」
「あるはずだよ。その戸棚に……」
ジョクは、キャビン前部の戸棚を開き、一本の瓶《びん》を取り出してマーベルに渡すと、ついでに、下の段から毛布を引き出した。
「ジョクたちも、ここにいられるな?」
「はい、ゆっくりできるのはここだけですし、艦長室は、作戦で使いますので……」
「そうしておくれ……パイロットは、寝るのも任務のうちなのであろう?」
「はい……」
アリサは、ちょっぴりアルコールを舐《な》めると、ベンチに毛布を敷き始めた。
この時代、王家に育った娘たちも、家事一切の躾《しつけ》をされていたので、アリサも何も考えずに、自分の寝るための準備を始めたのだ。
ジョクもマーベルも、そんなアリサに構わなかった。
ミの国の士官への応対は、彼女にとっては、大きな仕事であった。精神的な緊張に疲れた彼女は、一人にしておいた方がいいのだ。
なにかあれば、口を出すだけの積極性は、持っているのだから……。
「……ハモロソンで、ゼナーの修理をして、ミの軍に編入されるか」
ジョクは、マーベルから、今後の予定をメモした英語の書きつけを見せてもらった。それには、幾つかの想定にのっとった行動が、一覧表的に書きつけられていた。
英語も得意ではないジョクだが、アの国の文字よりは読みやすかった。そんなことをマーベルの書いた文字から感じるのは、同じ地上人だからだろう。
「……そうか……しかし、ゼナーの整備予定の場所は、一か所しかないようだな?」
ジョクは唸《うな》った。しかし、ジョクは、マーベルが隣りに座っているので安心した。甘えるように姿勢を崩していた。
「ジョク、マーベル。すまないが、このまま寝かせてもらいますよ」
アリサは、またアルコールを舐めるとそう言った。
「どうぞ……おやすみなさいませ」
「フフフ……頬《ほお》が、熱くなっているわ……」
アリサは、フッと溜息《ためいき》を残して、上体をテーブルの向うに消した。
ジョクは、マーベルにメモを返して、
「……これから行くハモロソンだけどね、修理工場といっても、ドックはないのよ。本格的な修理をするとなれば、後方のラウの国に入るしかないわ」
「苛酷《かこく》だな……」
「そうね。一時しのぎの抵抗しかできないけれど、ミの国は、かなり昔からラウの国と提携しているのよ。悲観したものではないわ」
「知っているよ。ドレイクは、ミの国とラウは同じだと思っている。だからこそ、今日まで、経済的な基盤を整えていたんだ」
ジョクは、両足を投げ出した恰好《かっこう》で、アリサの手が、ベンチの下に垂れているのを見ていた。もう眠ったようだ。
「地政学的には、ラウの国まで押えないと、ドレイクとしては、面白くないというのは分るのよね」
「ああ……そうだ」
ジョクは立ち上って、テーブルを回って、アリサを覗《のぞ》いた。
姿勢正しくベンチに横になっているアリサは、規則正しく胸を上下させていた。
育ちの良さを思わせる寝姿だが、一方の手をベンチの外に落しているのは、疲れが吹きだしている証拠だった。
「お気の毒ね。階級社会なんて、一方的に上の者が、下の者を支配しているように見えても、苦労は山ほどあるのね」
マーベルもテーブルをまわって、ジョクが、アリサの腕を毛布の中にいれるのを見守った。アリサは、何の反応も見せなかった。
「……この娘は、潔癖になりすぎたようだ……そんな風にしてしまった大人というのは、悪者だな」
ジョクは、もとのベンチに戻りながら、電気の光の向うのマーベルの瞳を追った。
「大人って、子供を作る時に、子供に対する責任を考えないものね……大抵……」
「そうだね……自分は子供が好きだ、という理由で子供を作るのは、間違いだって思うことってあるよな」
ジョクは、キャビンのドアを開いて通路の左右を覗いた。
「外に出る?」
マーベルの若い肉体が発散する熱気が、ジョクの首筋に感じられた。それは、煽情《せんじよう》的だった。
そう感じることは、ニー・ギブンに悪いような気もしたが、構わないとも思っていた。こんな感覚に包まれるのは、平和な証拠だからだ。
戦場で、女性のことや官能的なことを想像するのは、不安を帳消しにしたい衝動が原因になっていることが多い。それにくらべ、直接若い女性の肉体を感じられるのは、暖かく健康な証拠だと思った。
それは、男だけの感覚ではないだろう、とジョクは思いながら、キャビンの背後の通路から、メイン・デッキに降りていった。
後ろに従うマーベルの肉厚な腰は、ジョクにセックスを想像させた。
ジョクは、ここ半年間、そんな衝動をまったく感じることがなかった自分自身の生活を思い返していた。
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「フフフ……アリサさんが、ハンダノに入った時は、若い娘なので期待していたでしょ?」
マーベルは、ジョクの思いを感じ取ったのかも知れない。唐突に話題を変えてきた。
それは、マーベルの優しさであろう。
「そりゃ期待するよ。たとえ世界が違っていても、一国の主《あるじ》の娘だよ? 城持ち、領地持ち、数百の家来を持って、騎士をやるなんて、全盛時代のハリウッド映画の主人公になったのじゃないかって思うものさ」
「ハーレムも作ってね?」
「そうそう……美人を一杯徴用するのは夢だったな」
「わたしも、その中に入ったかしら?」
「もちろん、ナンバースリーぐらいにね?」
「あれま……」
二人は、薄暗い後部のメイン・エンジン前の通路から、オーラバトラー・デッキに出た。
途中の舷側には、ゼナーの主砲ともいうべきものがあった。
その薄暗がりのなかで、ジョクの家の若者が二人、眠っていた。
ジョクは、一番若い二人の本当の気持ちを、聞いていないことを思い出して、かすかに胸が痛んだ。
彼等は、ただ単に聖戦士に仕えることに胸を膨《ふく》らませて、ハンダノの門を叩《たた》いた者である。
ミの国の兵士たちは、オープンのオーラバトラー・デッキで、革鎧《かわよろい》のまま眠りこけていた。
その頭上は、四機ほどのカットグラが置ける空間になっていたが、そこに、カットグラが一機だけボーッと立っているというのは、奇妙な光景だった。
軍においては、日常的な無駄《むだ》というものは、道具の大きさや配置のなかにないに等しい。
効率を重んじるからだ。
だから、この隙間だらけのデッキには、なにか事情があるのではないか、と考えさせられた。
「俺を支掩《しえん》するオーラバトラーを搭載《とうさい》してこなかった理由を、艦長には聞けなかったんだよな……」
ジョクは、マーベルに苦笑してみせた。
「後ろめたい時は、そういうものよ……ね? ラウのオーラ・マシーンの開発は、アの国で想像していた以上に、凄いという話は、知っている?」
マーベルは、オープン・デッキの脇のハンドレールに、身を寄せて、ジョクを正面から見つめた。
「聖戦士ね……悪くないわよ?」
「ありがとう。革鎧というのは、汗臭いのが問題だがね……ラウのことは、何度も問題になった。ドレイクは、オーラ・マシーンの情報を外に洩らしている者は、白状しろって、よく怒鳴っていたな」
ジョクは、マーベルの肩に触れるようにして、ハンドレールに肘《ひじ》をついた。
「フーン?」
「一番、怪しいのは、同盟国のクの国。あそこの若い王様のビショット・ハッタだ。ドレイクは、食えない奴《やつ》だと思っているようだ」
「でも、同盟関係にあるわ」
「そう、ラウの国を陥《おと》すまではね。その後は、分らないよ?」
「それが、戦乱の時代なのね……ミの国だって、ショット・ウェポン自身や、バーンから情報を買ったって噂《うわさ》を聞いたことがあるわ。本当だと思える?」
「思えるね……でなければ、ミの国独自で、フラッタラとかオーラ・シップなど、建造できなかったさ」
こんな状態をニーに見られたら、嫉妬《しっと》されるだろうとジョクは思う。
マーベルは、ギィ・グッガの戦争の後、半年ほどニーの麻薬中毒を治す看護を続けて、それが機縁で、ギブン家に入ったのである。
ジョクには、遠い存在であった。
しかし、時に、こうして話をすると、二人には引き合うものがあるようで、言葉だけでなく態度にも打ち解けた様子が見られるのだった。
地上世界では、国も人種も違う二人だが、こうして異世界にいると、地上人共通のフィーリングがあるのか、同調してしまうのである。
表層での意識の違いが、普段は彼等の関係を遠くしているのだが、接触するとそれは無視されてしまう。
それは他の地上人、ショットやトレンについても同じだった。
ただ、彼等とは行動規範が違いすぎて、生活を共にすることがないだけで、会えぱ、話がはずんだ。
ショットは、典型的に野心的な技術者思考を持っていて、この世界で、機械がどのように人と関係するか、という実験をしているようなところがあった。
トレン・アスベアも技術者で、その上、生き方に自由さを求める主義だから、ショットの革新主義と実証主義に同調して、彼の傍を離れなくなっていた。
殊に、トレンのアイデアであるオーラ・バッテリーの実用化が進むと、ショットとトレンは、地上世界にいた時から、師弟関係があるのではないかと思えるほどの関係になった。
ジョクとマーベルは、良く言えば、自然主義で、なるべくしてなる事態を汚さずに生きていきたいと考えていた。日和見《ひよりみ》である。
殊に、インド仏教趣味のマーベルは、ジョクのなかにある東洋人の感覚に、親近感を抱いたのであろう。
ジョクの厭世《えんせい》的な気分を、マーベルは誤解して、ジョクに求道的なものがある、と信じている気配があった。
ジョクには、買いかぶられたようで重荷ではあったが、何か探し求めていることは事実なので、その部分は、適当にあしらっていた。
「ドレイクの情報網は、狭いのよ」
「そうだな……ショットもドレイクのなすままにさせている。現代的な情報論については、アドバイスはしていない」
「あなたも?」
「それはそうだ。この二、三年は、あの国を出るつもりになっていたし……そう、地上世界のことを、この世界に持ちこむことが、いいこととは思えなかったから、地上の話はしなくなった。それに……ここの生活だって、大変なんだぜ。領地の収穫《しゅうかく》を管理する帳簿は、見なければならない。作付けの号令だって出さなければならない。領内の家々の家計から病人、結婚、葬式の面倒……池の水の掻《か》い出しから、新しい水路の建設までね。その上、戦争だ……まったくハーレムどころじゃない。お祖父《じい》ちゃんの代まで地上世界でやっていたことを、一気にやったんだ」
「ククク……あと十年もやれば、いい領主様になれたでしょうね?」
本当におかしそうに笑ってから、マーベルは言った。
「自信はあるよ。今日までの実績だって、ドレイクが知れば、ぼくがいなくなったことを損失だと思うだろう。あの領地を引き受けた騎士は、楽ができるはずだ」
「なのに、こんな風になってしまった……残念?」
「勿論《もちろん》さ……アリサ・ルフトだって、そう思っているさ……これが運命というならば、どこまで不幸が続くのかって思うな。戦争がなければ、地上に帰れなくとも良かった……」
「そのことと関係があるのよ……多分……」
「何が?」
「思わない? もし、戦争がなければ、あなたにしても、わたしやトレンにしても、ここには来なかったわ」
「嫌《いや》なことを言う……そうだな」
それは、認めたくはないが、平穏であれば次元スリップなどはない、ということである。
事象が揺れているから、このような事が起ったのである。
サラーン・マッキというような地上人を呼ぶことができるフェラリオがいたから、地上人をバイストン・ウェルに呼べたというほど、個体や、異世界どうしの関連が直截的《ちょくせつてき》であろうはずがないのだ。
「……俺《おれ》たちがここに来られたのも、ここが異世界ではなく、我々と同じ界だからだ。そうでなければ、生きてはいけないはずだ……ということかな?」
「そうよ。あなただって、あたしだって、見た目は、地上世界の時と同じでしょう?」
「ああ、苦労した分だけ、大人になったかもしれないがねぇ……」
「そうよ。ニューサイエンスでは、世界にはプラスとマイナスの世界があるらしい、と推測されるようになったけど、バイストン・ウェルと地上世界は、そんな関係ではないわ。SFで言われる、次元の違いでもないわ。もう少し、お互いに近いものよ」
「次元の違いでもない?」
「はっきり断定はできないけれど、もう少し違う言葉で言える関係だと思わない?」
「…………?」
想像がつきにくかった。
「思念の縦の構造とでも言うのかしら? でなければ、物質の存在が、維持される存在世界とそうでない世界ということね」
「この世界だって、ハリウッド映画じゃないって言ったばかりなのに……」
「そうよ。でもね、なんというのかな。違うのよ。異世界なんだし、異次元なんだけど、なんというのかな、今までに使い古された表現では、抵抗があるわ」
「そうだ……そうだねぇ……」
ジョクは、そう言いながらも、半分、眠ってしまった。前兆などなかった。知らずに、頭が腕の上に乗っていた。
「あ……ご免なさい。任務の邪魔をして……」
「任務?……」
「睡眠……」
マーベルは、ジョクの脇の下に腕を入れ、キャビンに上るラッタルの方に引っぱっていった。
「大丈夫だ……」
ジョクはそう言うまでは覚えていたが、キャビンの床に転がり込んだのは、覚えていなかった。かすかに、母親の匂いに近いものを、嗅《か》いだ覚えはある……。
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「確かか!?」
「はい! 私の目に間違いはありません」
彼女、キーン・キッスは、ブリッジの背後にそそり立っている見張り台の伝声管に、力一杯怒鳴っていた。
「一隻なのだな? ドーメ、ドメーロの影は!」
ニーの声を聞くために、朝の寒気で凍りついたように冷たい伝声管に耳を押しつけながらも、キーン・キッスは、今、朝のオーラの光のなかに見える影を凝視していた。
「待って下さい」
キーン・キッスは、大きな瞳《ひとみ》に望遠鏡を当てて、その方向を探った。
「総員! 戦闘配置だ。近くの銃座に入れっ! 操作を知っている者の指示に従って、防戦の用意っ!」
オーラが明けきるにはまだ間があったが、天頂に燐光《りんこう》を残すていどになっていて、キーンは、オーラ光を受けて反射する物体を簡単に見つけていた。
周囲に、雲はあるものの、かなり視界は開けていた。
「現在のところ、ドーメらしい飛行物体は見えません! 間違いなく船です! オーラ・シップです」
ブリッジで、キーンの報告を受けたニー・ギブンは、シートの下でうたた寝をしていたミの国の二人の士官を起して、近くの空域に、ミの国のオーラ・シップが徘徊《はいかい》していないかどうか確認した。
「……いないはずです。いや、いません。ハモロソンは、それなりに防空態勢が取られています。オーラ・シップは、国境沿いにパトロールしています」
エゼラー・ムラボーは、断言した。
「関係は、確認できないか!」
「そんな距離になったら、こちらがやられています!」
伝声管のキーンは、ニーの質問に怒ったようだ。
「お家の娘さんは、気が強いようですな」
キゼサ・ハームは、あくびをしながら、軽口を叩《たた》き、気楽にするように努めているようだった。
「ええ、真面目《まじめ》ですから……甲板士官! 誰《だれ》か! 聖戦士ジョクを叩き起せ! アの国の者で、機銃の使える者は、機銃にかかれっ!」
「ハッ!」
伝声管を通じて、甲板士官のメイザーム・エイの太い声が、這い上って来た。
「よし……ハモロソンに無線を打って欲しいが……」
キゼサ・ハームは、部下の一人に、ニーの要請を命令として伝えてから、ニーの肩を叩いた。
「ニー、貴公が艦長だ。任せる」
「ハッ!?」
「我々よりも、空中戦闘の事を知っているし、この艦は、我々にはまだ馴染《なじ》まない。この戦闘に関しては、任せる」
「ハッ!」
ニーは、思わず敬礼を返す。
「……ミの国には、あんなシルエットのオーラ・シップはありません!」
再度、キーンの声が、伝声管を這《は》い降りてきた。
「緊急命令! 自分は、キゼサ・ハームだ! 只今《ただいま》から、この艦は、ニー・ギブンを艦長とする。彼の命令は、すべて、ミの国の正規軍のものである。総員! 以後の行動については、ニー艦長の命令に従え! この艦にある限り、艦長の命令は、ピネガン・ハンムの命令である!」
ニーは、そのキゼサの命令に異議を唱えるつもりはなかった。キゼサが、伝声管を離すと、それに掴《つか》みかかるようにして、
「こちらニーだ。ミハン、キムッチ! 各員は、対空戦闘用意っ。他の者は、カットグラの発進用意。こちら、ミィゼナーの艦長だ。只今よりこの艦はミィゼナー! 艦長は、ニー・ギブンが務める!」
ニーが、ミィゼナーと言ったのは、ミの国のゼナーというほどの意味である。
艦名がないと、命令をだす上で不都合が生じるのではないかと思って、ニーは、反射的に出た名前を呼称した。
「艦長! われわれが機銃と砲の操作を教えるから、ミの国の兵たちにも、機銃座につくように命令して下さい」
ミハンの悲鳴が、伝声管から届いた。
「……!? 了解だ。ムラーン部隊! この艦には、アの国の聖戦士の家の者が、同乗している。機銃と砲、艦の装備の操作については彼等に教えを乞《こ》え! ムラーン・ソー! 兵を各砲座、銃座に四名ずつ配備! 操作は、聖戦士の家の者の指示に従え!」
「おうっ!」
ニーが名を上げた士官の声を伝える伝声管があったが、それがどの管《くだ》か、ニーには瞬時に識別できなかった。艦長席の左右には、八本ほどの伝声管があったからだ。
「キーン! 敵の艦影はっ!」
「また雲に入りました! 距離は、約二万! 高度は、同じか、ちょい上っ!」
「上昇をかける! 操舵手《そうだしゅ》、出力最大! 取舵十度!」
「ハッ!」
上昇角度を大きく取ったミィゼナーの甲板では、ミの国の兵士たちが、艦を走り回るジョクの一統の者から、機銃やら大砲の操作を教えてもらっていた。
アの国のこれらの装備は、ショットの合理主義のおかげで、基本的には同じような設計であったために、どこで覚えた操作でも通用した。
その上、ジョクの家の若者たちは、今日の決起に備えて、それぞれがメカニック・マンとして、機械操作のエキスパートとして訓練を積んでいたので、これらの操作を教えることができた。
「……来たのか?」
アリサのベンチの横の床で眠っていたジョクは、彼の使用人のなかで、もっとも若いハイエラ・エイデに揺り動かされて、そう聞いた。
「はい、アの国のオーラ・シップと遭遇したようです」
ジョクの耳元で話すハイエラの声に、アリサとマーベルも目を開いた。
「アの国のオーラ・シップ?」
アリサが上体を起した。
「ハッ……申し訳ありません。姫様……艦長の命令で、旦那《だんな》様をお起ししろと……」
「構わないよ。これが、俺の仕事だ」
ジョクは、ハイエラをドアの方に押しやりながら、マーベルと共に通路に出た。
寒気は、革鎧ともパイロット・スーツとも言うべきものを着ている上からでも、ゾクッと迫ってきた。
「……敵が来るとすれば、オーラバトラーは一機と言わずもっといるはずだ。その目的の基地のある処……」
「ハモロソン?」
「ああ、そこには、フラッタラは、ないのか?」
「少しはあるでしょうけれど、オーラバトラーはないわ」
マーベルは、肩をすくめた。
「引っかかったかな? こんなにも追っ手が早いとすれば、バーンだ。偶然ではない」
「そうかしら? そうは思いたくはないわ」
「しかし、昨夜からこっち、うまく行きすぎたよ。むしろ、これで安心できる」
ジョクは、マーベルと別れると、ラッタルを滑って、オーラバトラー・デッキに降りていった。
カットグラのコックピット近くには、ナームとエッケが、付いていてくれた。
「ミハンたちは?」
「はい、ゼナーの対空戦闘の指示をしています」
「そうか……対空戦闘には、ミの国の兵たちが当っているか」
ジョクは、カットグラに火を入れながら、自分の立場が難しいものになっていくのを感じていた。
「ニー艦長が言っていました。船の名前が変りましたよ。ミィゼナーだって」
「そうかい」
この発音はジョクには、馴染めなかった。ミィの『ィ』の音が不明瞭《ふめいりょう》でありながら、発音しなければならないからだ。カタカナ表示では、ミゼナーに近い。
「こちらカットグラ! ジョク! 艦長、どうだ?」
「敵は、オーラバトラーを出したと思われる。確認できない」
「出るぞ?」
「駄目《だめ》だ! ハモロソンのフラッタラが出た。敵と間違えられる」
「なんで出たんだ!」
「初めての敵影《てきえい》に、慌《あわ》てている!」
ジョクは立ち上ると、
「その辺《あた》りにペンキはないか。カットグラの機体に色を塗るんだ。目立つようにな」
「色を塗る!?」
「敵味方の識別の帯みたいなものだ。ペンキを捜し出して、装甲にブッかけろ!」
「そんなこと言ったって、船体補修用のものぐらいしか……」
言いながらも、ナームは、梯子《はしご》を滑り降りるようにして、ハイエラが開いたオーラバトラー・デッキに面した備品倉庫に飛びこんでいった。それにエッケが続いた。
「ありましたが、こんな色しかありません」
「なんでもいい。カットグラの色が、変えられればいい!」
ジョクは、コックピットから覗いて、ペンキが黄色と分るとうんざりしながらも、梯子を降りていった。
「聖戦士殿! なんで出撃をなさらんのか!」
甲板に展開している部隊の中隊長ムラーン・ソーが、ジョクの家の者の動きに呆《あき》れ、噛《か》みついてきた。
「手空《てあ》きの兵には手伝わせろ! 敵味方の識別をつけなければ、出られない。分るか」
「ああ……!? 数人の兵がいます。おい! お前とお前は、ペンキ塗りだ。そっちの二人は予定通り弾丸運びだ。銃座に弾丸を切らすなよっ!」
「ハッ!」
七人ほどの兵士が分散して、ジョクは、缶と大きめのハケを持って、デッキの壁のベランダに駆け上っていった。
「……俺が頭を塗る。胴体を塗ってくれ。関節部分には流し込むなよ。いいかっ!」
ジョクは、梯子を横にして、カットグラの肩に渡していった。
ムラーン・ソーも偉ぶっているわけにはいかずに、一本のハケを持って上ってきた。
「艦は、戦闘回避運動をするぞ! 足場を固定することを忘れるな!」
ムラーンは、ジョクの渡した梯子を固定するのを手伝い、ジョクは、その上をカットグラの頭部まで這っていった。
この数年、何度も戦闘に参加したが、こんなに不様《ぶざま》な事態に出会ったことはなかった、とジョクは思った。
『これでは、やられるだけだ……』
カットグラの頭の装甲を塗るのは、意外とスペースが小さくて簡単だった。つづいて、左右の腕の上面と肩にペンキを撒《ま》くようにして、塗りたくったところで、ミィゼナーが、大きく回頭運動に入った。
「うっ……!」
ムラーンは、へっぴり腰で梯子にかじりついた。
ジョクもカットグラの背中の方に、脚を流して身体をへばりつけ、ペンキまみれになってしまった。
ムラーンの乗った梯子が、ズリッと横にずれた。
「ウッ……!」
彼のハケが、十メートルほど下の甲板に落ちていった。
「ああ……」
胴の正面を塗っていたエッケは、足場から落ち、背中の部分の羽根の下を塗っていたハイエラは、羽根にしがみついて身体を支えた。
「右舷! 来るぞ!」
ブリッジからの声と同時に、舷側の機銃が鳴った。外が見えない者は、その音を聞いて安心したが、当てになるものではない。
ドオッ! 左舷からだろうか。爆発音が起ったが、後方に流れていった。
ジョクは、下にいるハイエラに声をかけて、残ったペンキを肩から背中に流すようにして、それをハケで拡《ひろ》げながら、カットグラの羽根づたいに降りていった。
ムラーンは、肩に拡がったペンキを塗り拡げてから、梯子を降りて、ベランダに戻った。
「結構、塗れたじゃないか!」
ムラーンは、ベランダのラッタル越しに機体を点検して、塗り残しの部分を指示しながら、甲板に降り立ったが、その頃になると、ミィゼナーは、船体を左右に振るようにして連続的に回避運動をしていたので、塗装できる状態ではなくなった。
「黄色のカットグラだな」
ジョクは、コックピットへと梯子を登りながら、甲板から見上げる兵士たちの同意を取りつけるように言った。
「こちらジョク! 艦長! 出撃したい! カットグラは、黄色に塗った。敵と識別がつくはずだ。フラッタラ部隊とハモロソンの基地に連絡してくれ!」
「了解! 味方機、三機撃墜された! 敵のオーラバトラーは、三機だ!」
「了解! 新型のガベットゲンガーの姿は見えないかっ!」
「左舷に回り込まれた!」
「各機銃座に、俺の黄色が発進するのを伝えてくれ!」
「了解!」
機体を固定しているロープを外してもらうと、オーラ・エンジンをフル稼動させてから、ジョクは舷側に出た。
「…………!?」
左から右へ影が走るのを見つけた。それに向って、艦の機銃座から火線が走った。
『味方の銃が、一番怖い……!』
ジョクは、その思いを振っきるようにして、
「射ち落すなよ!」
ブリッジに最後の声をかけると、一気に加速して、機体を空に放った。過激な発進だった。
ブリッジで見ていたミの国の兵士たちは、唖然《あぜん》とした。
「あれだ! 聖戦士のオーラバトラーは、黄色だ!」
その色は、似合わないと感じながらも、はっきりと識別のできるのが、彼等にとっては、心強いものに思えた。
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「こちらミィゼナー! アの国のオーラ・シップを拿捕《だほ》したものです。さらに、黄色のカットグラも同じくミの国に帰属しました。聞えますか! 各フラッタラに、確認して下さい!」
マーベルは、無線電話を使って、ハモロソンの基地に呼びかけていた。ニーの命令で、無線操作に慣れない兵士と代ったのである。
ドゴンッ!
重い爆発音が、ブリッジのガラス窓を震わせた。
ミの国のオーラ・マシーン、フラッタラが撃破された。
「また、やられたっ!」
マーベルは、背後に立つキゼサ・ハームの呻《うめ》きに、チラッと振り向いた。だが、すぐに無線電話に向き直り、同じことを繰り返し叫んだ。
目の前にあるはずのハモロソンの基地から応答がないのだ。
性能の悪い無線電話は、はっきりゆっくりと発音をしなければ役に立たない。
マーベルは、自分の発音がどう聞えるか、気にしてる間はなかったが、こう次々とフラッタラがやられてしまうのでは、こんな通信は無駄だと思えた。
「分っている! 何度も同じことを怒鳴るなっ! 女っ!」
突然、驚くほど鮮明な男の声が、飛び込んできた。
「……バカにしないでっ。受信しているのならば、了解の返答をなさいっ!」
マーベルが怒鳴り返した。
「寄越せ!」
キゼサである。
「いえ……いいです。後で……」
「ああ……そうか?」
「はい……」
マーベルは、虫の居どころが悪いらしい基地の無線士に、キゼサが怒鳴られるのではないかと心配して、無線電話を渡さなかったのである。
二人を右の肩越しに見やっていたニーは、正面を左右から走った敵影に対して、ミィゼナーから迎撃の火線が上らなかったので、カッとなった。
「機銃座! なーにしているっ! もう死んでいるぞ!」
「黙れっ! こっちだって、生れて初めて使う機銃と仲良くしようってんだ! 簡単にいくわけがない!」
キゼサの目の前の伝声管が怒鳴ったから、堪《たま》らない。基地の無線士に向けられるべき怒りが、こちらに爆発した。
「誰《だれ》だ! 今の台詞《せりふ》は、このキゼサが聞いたぞっ! 戦闘が終ったら、どうするか覚えておれっ!」
「騎士キゼサ……!」
ニーは、キゼサの腕を押えてから、伝声管に蓋《ふた》をすると、
「……艦長は自分であります。戦闘中に、クルーを威《おど》すのは、良くありません。機械を使う戦闘では、一兵卒でも力になります。おだてたりすかしたりして使わないと、無駄になります」
「分っている……任せる」
ニーが、頷こうとした瞬間、ドグッ! という音響が、ブリッジを包んだ。
「……アハッ!」
数枚のガラスが、砕けた。
「キーンは、どうした!?」
「見張り台の兵だな? おいっ! 様子を見ろっ!」
キゼサの背後に立っていたエゼラー・ムラボーが、後部ハッチを背に蒼《あお》い顔をしている兵士に、外の様子をみるように命令した。
またも、フラッタラが一機、撃墜されたのが見えた。
『ジョク、頼む! ここを切り抜けなければ、どんな理想を持っていようと、負け犬の遠吠《とおぼ》えになる……』
その思いが、機銃座に号令をかけるニーの声を、ますます大きくさせた。
「後ろに回ったぞ! 敵機がターンする処を狙《ねら》うんだ! 速度が遅く見えるだろう!」
しかし、ブリッジから見える味方の火線の動きは、敵の半分ほどの速さにしか見えない。
たった二機のオーラバトラー『ハインガット』にこの有様では、バーンが出てきたら、フラッタラは一気に撃墜されてしまう。
『こんなことでは、勝てない……』
ニーも、ジョクと同じことを感じた。
戦闘にあたっては、戦闘集団がひとつのかたまりとして指揮官に実感されなければ、勝てるものではない。
ニーとて、ブリッジに立つのは、初めてである。
それでも、ミィゼナーの火砲の動きが遅いのが分るのでは、絶望的である。
ドーメならば、ニー自身でヒラヒラと動かせるが、ミィゼナーはそうはいかない。その違いが、ニーを苛立《いらだ》たせるのだ。
『キチニとマッタがいてくれれば……』
二人は、ニーがドーメを使っていた時のクルーであったが、彼等は今、アの国にいる。
ニーは、亡命する時ドーメの後継機ドメーロを持ってこなかったのである。
「キーン! 大丈夫!?」
マーベルの叫びに、ニーは振り返った。背後のハッチからキーンが引きずり込まれている。キゼサとエゼラーが、彼女の看護を指揮してくれるようだった。
「打撲ていどです」
ニーは、頷《うなず》きもしないで、外の光景を見た。
機体を半分ほど黄色に汚したカットグラが、左舷に迫ったハインガットに、直撃を加えたところだった。
ドグッ!
赤い閃光《せんこう》が、すぐに濃い黄色と紫がかった黒い煙に包まれるのが見えた。
ハインガットは、カットグラをベースにした、量産型のオーラバトラーであるが、その基本性能は、初期のカットグラより遥《はる》かにすぐれていた。
しかし、ジョクが、その一機を簡単に撃破できたのは、改装されたカットグラの性能が向上していたからだろうし、なにより、ジョクの熟練の賜物《たまもの》である。
「カットグラが、一機、撃破! 敵は、右舷の一機のみだ! 集中攻撃! ぼやぼやしていると、次のオーラバトラーが来る! 艦の動きを身体で感じて、射撃するんだ!」
ジョク機は、ハインガットの爆発の下を滑って、前方上空のひとかたまりの雲の上に出た。
「カットグラの改装は、ちゃんとやってくれていたか……」
もし、カットグラの改装についても、追撃者の思惑が働いていたら、改装は表面的なものに過ぎず、ジョクは、戦闘に出た瞬間に、やられていたかも知れなかった。
改装が行われていたということは、追撃者も、ジョクたちの離反行為を、完全に予測していたわけではない、ということになる。
「そうだとしても、そいつは、やはりバーンしか考えられない」
ジョクは、ミィゼナーが、かなり厚い弾幕を張っているのを見て、注意を前方の空域に集中した。
フラッタラは、二機しか確認していないが、戦闘空域全体では、その倍は残っていると見て良いはずだ。
ジョクは、最後に出て来るはずのバーン・バニングスと、一気に接触しなければならないと考えた。
彼を叩けば、追撃して来た艦は、後退するはずである。
同じような戦闘能力を持っているオーラ・シップが追撃しているのであれば、今は、ミィゼナーと追撃艦の艦対艦の戦いなどは、避けたかった。
同じ条件だったら、ミィゼナーは、勝てるわけがないからだ。
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「いないか……?」
ジョクは、望遠鏡でザッと前方空域を索敵してみて、ドーメ、ドメーロ部隊が接近していないのを確認した。
ドメーロは、ドーメを強化したオーラ・ボムである。
オーラ・シップが単独で追ってくるということは、考えられないことなのだが、もし、それらの支掩《しえん》がないとすれば、追撃者は、もっと早く追ってきたはずである。
バーンならば、軍全体の作戦を無視して、そうするだろう。
「フッ……」
ジョクは、望遠鏡を下ろす時に、微《かす》かな息遺いを聞いたが、それは、自分の息だと思った。
革兜《かわかぶと》をかぶっていると、自分の息遣いが聞えることがあったから、気にしなかった。
「あれか!?」
ジョクは、快哉《かいさい》を叫んだ。ドーメ部隊などのオーラ・ボムの動きを考慮して、高度を取ったことが成功したと思った。
ジョクは、ミィゼナーの進行方向の空域に、二機のオーラバトラーの影を見つけていた。それも、三百メートルほど下の高度である。間には、雲の断片もあった。
しかも、そのふたつのシルエットは、大きさが違った。
一機は、今しがた撃破したオーラバトラー、カットグラを量産型に改造したハインガットであり、もう一機は、バーンしか使っていないガベットゲンガーだ。
これは、カットグラの延長線上に設計され、更に強化された機体である。長距離侵攻ができ、武装も強化されて、改装されたジョクのカットグラの一・五倍の力はあるだろうと計算されていた。
ジョクは、今の自分が確保している有利な戦闘位置を考えて、機械の館で語られているような話などは、無視することにした。
「バーン! 自分のズルさを棚に上げて、よくも追って来たっ!」
ジョクは、機体を煽《あお》るようにして、一気に落下させた。
気が入っていたからであろう。
「フッ!」
強い息が、耳を打った。
が、これも、自分の気が入っているせいで、自分の息のこだまが聞えたと思った。
ジョクの視界で、ミィゼナーと同じ高度を侵攻する二機のオーラバトラーのシルエットが急速に拡大したが、彼は、ブレーキングした。
雲を間にすれば、敵の背後から接近できると、確信したからだ。
「ウッ……!」
「ツ……!」
ガクッと荷重がかかって、ジョクは、息を詰めた。
背後で、おなじようなタイミングで、息を吐く音がしたが、細い音だったので、ジョクは、今度も無視した。
「よし……!」
ジョクに勝ち目があるとするならば、バーンがガベットゲンガーを受領してまだ一週間とたっていない、ということにあった。
改装されたカットグラは、なんだかんだと言っても、この数年の間、彼が、使いこなしている機体である。改修の連続で、骨格などは、すでに数回取り替えられ、装甲なども、次々に新しいものに換装《かんそう》されたので、元からのものなどは一切なかった。
たえず、新しい部品を組み込み、しかもその都度、使い込んでいたから、自分の手足以上に馴染《なじ》んでいる機体である。
負ける気はなかった。
「よしっ!」
ジョクは、カットグラの腰の手榴弾《てりゅうだん》の位置を確認してから、加速をかけた。
雲のかたまりをひとつ突き抜ける間に、最大戦速に入っていた。
ギュュュユ……!
「ううーっ……」
オーラ・ノズルの強力な音に、唸《うな》るような息遣いが混じった。ジョクは、かなりハイになっていると自覚した。
カットグラよりひと周り大きい機体が、ドウッと迫ってきた。
雲の向うの二機のオーラバトラーは、意外と近い距離にあった。
一瞬、ジョクは、しまったと思った。
バーン機は、やや高度を上げていたのだ。
しかし、計算どおり、バーン機の後ろにつけたことは、事実だった。
オーラ・ライフルは、照準をわずかにずらすだけで発射できた。
バヴッ!
「うおっ!」
フレイ・ボンムは、細い筋を引いて確実にガベットゲンガーの背中の羽根を焼き、オーラ・ノズルを焼いた。その時、ジョクの耳に、女の子のものに似た細い声が聞えた。
「なに!?」
ジョクは、幻聴だと思った。
このコックピットに、自分以外の人の存在など信じられなかったし、想像することさえできなかった。
その間に、カットグラは、数百メートル落下して、上昇に入った。
「……チ!」
ガベットゲンガーの反応は早かった。
予想していたことであるが、その動きは、カットグラやドーメの動きに慣れた目には、倍近く速いものに見えた。
「…………!?」
しかし、ジョクは、このバーン機の速い動きを想定していたから、フレイ・ボンムを拡散して発射できるようにしていた。
ジョクは、第二射を発射した。
フレイ・ボンムは、大きな束になって、バーン機からのバリアーにはなったが、致命傷を与えることはできなかった。
「駄目《だめ》だ!」
「やられちゃう!」
「やられるかっ!」
ジョクは、自分の悲観的な声に反発するように叫んだ。しかし、その悲観的な声が、若い女の子のものだったのに気づき、奇妙な抵抗感をおぼえた。
ガベットゲンガーは、楯で前面をカバーして、フレイ・ボンムの壁を突破した。
これは、バーンでなければできない芸当だ。
大抵のパイロットは、フレイ・ボンムに向って直進したりはしない。
本能的に避けてしまうのだ。
ジョクでも、三度に一度は、逃げてしまうのだが、バーンは、ジョクの第二射に対しても、楯で押し切って、フレイ・ボンムの閃光の下から、迫ってきた。
「うっ!」
しかし、バーン機の楯は、フレイ・ボンムの直撃で、かなりモロくなっているはずだ。もう一撃すれば、使い物にならなくなるに違いない。
それは、ジョクの身勝手な期待である。
だからと言って、敵の方が強いと思い込んでしまうのも、戦う前から、自信喪失に陥《おちい》るだけで、安易な自信でも、必要な時には、持たなければならない。
それが、戦場である。
カットグラの、楯を装備した左の手が、手榴弾を投げたのは、フレイ・ボンムの第三射と同時だった。
「…………!」
ドグッ!
手榴弾は、バーン機の足下で爆発して、バーン機をふらつかせた。
ガベットゲンガーに対しては、その程度の効果しかなかったが、バーン機に随伴していたハインガットを後退させる効果はあった。オーラバトラーの手榴弾は、ある一定の空域に黄燐《おうりん》と鉄の破片を撒《ま》き散らす構造になっていたのだ。
「行けっ!」
ジョクは、狂暴な形態のガベットゲンガーの下に、いったん機体を落してから、上昇をかけた。
その間に、フレイ・ボンムを絞りこむ。
「行けえっ!」
プレイ・ボンムは細い糸になって、バーン機を叩《たた》き、四散した。バーン機の楯の下部が溶解した。
バーン機は、腰の辺りにも損傷を受けたようだったが、フレイ・ボンムを発射した。
衝撃が、コックピットを揺すった。
「ウッ!」
「ギャーウッ!」
またも、女の子の悲鳴が聞こえた。
「なに?」
さすがにジョクも、その悲鳴にゾッとして、背後を振り返った。
パタパタ! 蝶《ちょう》よりはずっと大きい羽根が震えて、人の形をしたものが、左のレバーの前を走った。
「フェラリオ!?」
金色のものが、羽根と一緒に走ったという感じだった。
ドズッ!
バーン機が剣を突き出した。
ジョクは、カットグラの羽根を使って、機体の上体をブレーキングしながら、脚を蹴りあげるようにして、バーン機の剣の直突《ちょくとつ》をかわした。
カットグラの脚で腰を蹴られたガベットゲンガーは、滑るようにして、カットグラの楯に当った。
グギッとカットグラの肘《ひじ》が鳴り、機体が下方に強く押され落下しそうになった。
「バーンっ!」
ジョクは、訳《わけ》の分らないミ・フェラリオのことを頭から振り払うように絶叫して、カットグラに、オーラ・ノズルの脇に装備している剣を抜かせようとした。
オーラ・ライフルを腕の外に装備しているので、剣を抜くのは難しくない。
「…………!?」
バーン機の剣が、カットグラの左の肩に食いこんでいた。その部分のマッスルを切断されれば、左腕が使えなくなる。
ジョクは、カットグラの右手に剣を持たせて、ガベットゲンガーのコックピット部を狙《ねら》って振り上げた。
ギンッ!
鋼の剣が、ガベットゲンガーの装甲に激突した。
硬質な火花が、ジョクの目に鮮やかに映じた。
「ヒへーッ!」
ジョクの左の方から、細い女の子の悲鳴が上った。
ジョクは、バーン機の下からカットグラの剣をねじ込むように突き上げながら、楯を装備した左腕を押し上げて、ガベットゲンガーのオーラ・ライフルの発射を防ごうとした。
ジョク機のオーラ・ライフルは、発射できた。バーン機の脇を狙うことになった。
「クソッ!」
射った。
直撃ではなかったが、フレイ・ボンムがバーン機のコックピットの前面を覆った。
次は、バーン機のフレイ・ボンムだ。
ジョク機のコックピットの透明なフロント・ハッチが、バッと白熱した。
「アアア……!」
ジョクは、女の子の細い叫び声を耳にしながら、最大加速をかけて後退した。
ジョクは、血液が頭から足元に落下するのが分った。
フェラリオの女の子は、ハッチに身体を押しつけられて、ペタンと張りついてしまった。
「ガへーッ!」
女の子の呻《うめ》きが遠くに聞え、ジョクの意識は、ザウッと音をたてて薄れた。
ジョク機は、上昇した。
ジョクは、無意識のまま、両手で回避運動のレバー操作をしていたのだ。その上昇コースに、別の敵が待っていたら、ジョク機は、手もなく直撃されていたろう。
かすかに、物が落ちる音がした。ミ・フェラリオの女の子が、どこかにぶつかったのだろう。
「…………!」
回避運動をするカットグラの動きは滑らかで、バーン機は、そうではなかった。
強力に見えながらも、油を注《さ》している機械と、そうでない機械の違いであった。
カットグラは、上昇から縦に右旋回に入り、それから水平左旋回に移ったが、それは意識してのことではない。ジョクの身体が、やっていることだ。
バーンは、ジョク機の回避運動をある程度予測して後を追ったが、ジョクの無意識の反応に、一瞬遅れを取った。
「やるっ!」
バーンは、呻いた。
しかし、その間に、ジョクは、意識を取り戻した。
バーン機が、視野の中央で自分に正対するように見えた時、ジョクは、高度が下っているのを知って、一気に降下した。
「あんな処《ところ》を!」
バーンは、端正な顔に冷笑を浮かべて、見つけてくれと言わんばかりの黄色のカットグラを追った。
この状況ならば、逃がすことは絶対にない、と確信したのだ。
「聖戦士殿、どこか、地上人、聖戦士としての驕《おご》りから自信過剰に陥《おちい》っていないかい?」
そう言わせるのは、バーンの自信だ。
損傷でガベットゲンガーの機動力が落ちているとしても、カットグラを撃滅できると思った。
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ジョクは、森の梢《こずえ》をかすめて飛びながら、目立ちすぎる機体の色に絶望し、なぜここにいるのか分らないミ・フェラリオに、気を散らさないようにしなければならなかった。
「救命胴衣の色と蝶々《ちょうちょ》かっ!」
ジョクは、機体を沈めて木々にこすりつけて、乾き切っていないペンキを落そうとした。無駄《むだ》でつまらない衝動である。
そんなバカなことをするのも、フェラリオのせいかも知れなかった。
プラスチックモデルの迷彩色から、ジョクは、空に溶け込む色が、実際はどういう色かを知っていたし、海外旅行の経験から空や陸や海の色が地域によっても時間によっても異なるのを知っていた。
そういった知識からいっても、カットグラに塗った色は、命を縮める色なのである。
その上、この人形のようなスケールのミ・フェラリオである。ジョクには、自分を苦境に追い込むために、バーンが放った刺客《しかく》ではないかと思えた。気を散らすには、最適のものである。
ジョクが、ミ・フェラリオを初めて見たのは、ラース・ワウの城下街に入った時であった。
酔払いの男のフェラリオだった。
その後、数度、同じフェラリオを見たことがあるが、キィキィとした声を出す、神経質な性格を持つわずらわしいもの、という最初の印象は変らなかった。
いずれにしろ、好ましい存在ではないのだ。
コモン界に現れる嵐の壁にまぎれて、クスタンガの丘から迷い出たものとされているが、そう珍しいものではないのである。
ただ、ジョクは、アの国では、その酔払いのフェラリオ以外は、見た覚えがなかった。
ギイ・グッガに代表されるガロウ・ランという、フェラリオに対比される闇《やみ》の存在が、跳梁《ちょうりょう》しているからであろう、と言われていた。
成人前のこのミ・フェラリオは、特に、善行を為《な》すわけではなく、ただ飛びまわるだけなのであるが、クスタンガの丘と呼ばれるサンクチュアリから飛び出してくるという言い伝えを信じているコモン人に歓迎された。
縁起《えんぎ》が良いという信仰のためであろう。
「……まったく!」
罵《ののし》りの言葉を口走ったジョクの気分は、カットグラの動きに現れた。その余分な動きを、バーンが見逃すはずはなかった。
「死ねよ! 聖戦士は、もともと、俺《おれ》が受けるはずだった称号っ!」
バーンは、細い糸にしたフレイ・ボンムを連射しようと狙《ねら》いを定めた。
「…………!?」
ジョクは、機体を反転させて、コックピットを空に向けた。
「ゲバッ! ギュムッ!」
コックピットのなかで、右に左に跳ね飛んだフェラリオは、壁に身体をぶつけては、盛大に喚《わめ》いた。
ジョクは、カットグラの半分残った楯で、コックピットを庇《かば》いながら、オーラ・ライフルの照準を合わせようとしたが、カットグラの羽根を背中に畳んで、小石が水面をバウンドするように、森の上を飛んでいたので、容易に照準をつけられるものではなかった。
これで、進行方向に障害物があったら、ひとたまりもないのだが、ジョクは、構わなかった。
こんな状態では、僥倖《ぎようこう》を期待するしかないのだ。
数度の至近攻撃を受けて、ジョクは、一気に減速をかけた。
ザザッ! カットグラは、仰向《あおむ》けのまま木々の間に滑り込んで、その後頭部に衝撃を受けた。
ドガッ!
ジョクの身体が、コンソール・パネルの方に飛び、フェラリオもフロント・ガラスに激突していた。
「ギャフッ!」
もう彼女の身体は、メチャメチャになったのではないかと思えた。
周囲の木々が、ドウッと火柱に変じた。
「…………!?」
バーンの狙いは正確だった.行き過ぎた細いフレイ・ボンムは、瞬時にもどってきて、カットグラに迫った。
ジョクは、カットグラの機体を木々の間に転がすようにして、直撃を避けながら、オーラ・ライフルで、周囲の木々を焼いた。
それを隠れ蓑《みの》にできないか、と考えたのだ。
「……フッ……!」
ジョクは、木々が上げるすさまじい黒煙と炎の中からじっと動かなかった。
つまり、森に落下したポイントに止るようにしたのだ。
パタパタパタ……!
ようやく静止したコックピットの狭い空間で、フェラリオが飛んだ。
ジョクの視界のなかで、彼女のお尻がフワフワと浮いて、人形の手そのものといってもよい大きさの五本の指が、その腰からお尻を擦《さす》っていた。
「飛ぶな! 気配を消すんだ」
「はい?」
フェラリオは、ジョクの目の前でひどくビックリしたような声を出した。
「飛ぶんじゃない。殺されるぞ」
ジョクは、思わず腹が立って、彼女の脚を掴《つか》もうとした。トンボやハエを取るような要領だ。
「あっ!」
彼女も驚いただろうが、ジョクも掌《てのひら》に感じた触覚が、人形のそれだったので、慌てて、手を引っ込めた。
「ワッ!」
フェラリオは、ジョクの膝《ひざ》の上に落ち、さらに両脚の間に滑り落ちた。
「動くなっ! 静かにするんだ」
ジョクは、視線を上下左右にめぐらして、バーン機を探った。
敵は、カットグラが、森に隠れて逃げる、と考えるにちがいない。
ジョクは、そう信じた。
だから、ジョクは、落ちたところの火中にじっとしていたのだ。
ジョクは、気分を静めようと必死だった。太腿《ふともも》の間で、モソモソするフェラリオに、気を取られることはなかった。
今は、闘争心を殺すのである。もっとはっきりいえぱ、炎に焼かれながらも、自分の気配を消そうとしたのだ。
それは、『痴呆《ちほう》』状態とも、『無我』『自己滅却』の状態とも近い。
ジョクのそんな気配を感じたのか、フェラリオも、フッと身じろぎをしたきり、動かなくなった。
ジョクには、彼女のかすかな体温も、消えたように感じられた。
同化したのかも知れない。
「…………」
熱に耐えられるのも、酸素欠乏に陥るのも時間の問題となったが、ジョクは、そんな不安さえ忘れた。
黒煙が天を覆い、地には熱気が充満した。
瞳《ひとみ》に映るのは、黒煙や炎だけで、それを知覚というレベルにまで上げない。映すだけだ。
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「…………!?」
ジョクは自分の視覚が、重い映像になって、落下するものを見た。
カットグラの頭部だ。
森に突入した時の衝撃で、破壊されていたのだろう。首から落ちたのだ。
その衝撃で、ジョクの意識が、反射的に働いてしまい、カットグラを半歩、前進させていた。
バブッ!
フレイ・ボンムが炎の壁を割って、ジョク機の背後をかすめた。
「エエッ!」
ジョクは、溜《た》め込んだ気を一気に吐き出すと、飛んだ。
天を覆いつくし、激しい気流のように流れる黒煙の下をかすめて飛びながら、カットグラは、フレイ・ボンムの来た方向に、左手で手榴弾を放り投げて、後退をかけた。
そして、すぐに、機体を縦《たて》に回転させる。
「いたかっ!」
黒煙の中から突進して来たバーンのガベットゲンガーが、グワッと壁になって立ちはだかった。と見えた時には、カットグラの右肩が破壊されていた。
さらに、ガベットゲンガーの脚が、正面から迫った。
ドグワン!
頭を下げるのが精一杯だったが、それでも、ジョクの五体は、最後の抵抗を試みていた。
楯を装備したカットグラの左手が、ガベットゲンガーのコックピット・ブロックに強打を打ち込んだのだ。
『五感も冷たくするんだ! 自然の空気と敵の気配を感知する!』
ジョクは、地に落下するコックピットの中で、そう意識していた。
ジョクは落下の衝撃を全身で感じたが、フェラリオの声はしなかった。
「ハァッー、ハハハハッ!」
バーンの笑いが、ひどく生々しくジョクの耳を打った。
「なんだ!?」
ジョクは、ムッと迫る熱気に、目を開いた。熱には重さがあった。口を塞《ふさ》ぐ力を持っているのではないか、と思えた。
カットグラは上からガベットゲンガーに押えつけられていた。カットグラの左手が、バーンのフロント・ハッチを破壊した状態のまま小刻みに震えて、上からの力を懸命に支えていた。
その向うに、バーンの上体が動いているのが見えた。破壊されたフロント・ハッチを、小銃でこじ開けようとしているのだ。
その顔には、勝利を目の前にした、狂喜に似た笑いがあった。
『こいつ……!? なにが、そんなに、嬉《うれ》しいんだ!?』
ジョクには、不思議、であった。
その上、オーラバトラーの戦いに慣れてしまっているパイロットにとっては、このような状態で敵の姿を見ることに、慣れていなかった。
ジョクの『?』の感覚は、増幅された。
バーンが小銃を構えた。
ジョクは、カットグラの左の指が稼動《かどう》しないことが分って、推力を上げた、ガベットゲンガーが押し込んでいるので、二機の機体が、ズルズルと地を滑った。
「引っかかったな! ジョク! 半信半疑だったが、やはりだったな! 長い間、ドレイク様の庇護《ひご》を受けながらも、裏切るとは! よくもなっ!」
バーンは、罵《ののし》るように言うと、銃を発射した。
機体全体が揺れているので、当りはしない。第一、ジョク機のフロント・ハッチは、ヒビ割れもないので、数射されなければ、貫通されることはない。
しかし、こうもはっきりと声が聞えるのは、無線を通しているからだろうか。いや、こちらのハッチにも、どこかに隙間《すきま》があるからかも知れない。煙も熱もコックピットを満たし始めている……。
「よく言える。俺《おれ》も、貴様の裏切りを知っている!」
「わたしが、誰《だれ》を裏切るのだ!」
「オーラ・マシーンの技術をミの国にも売っていたっ!」
「証拠があるかっ! そういう言葉こそ、裏切り者らしい悪あがきだ!」
ついに、ジョクのコックピット前のフロント・ハッチにヒビが入り、次の一発で穴が開いた。
「おうっ!」
ジョクの両膝の間にいたフェラリオが、呻《うめ》いた。
それまで、彼女は、あの絶叫と悲鳴のオンパレードを、我慢していたのだ。
「……貴様こそ、ショットと同じだ。コモン界を機械文明で破壊しようとしている。地上世界が、機械と科学技術で、いかに破壊され汚染されたか、知っているはずだ」
叫びながら、ジョクは、カットグラの左腕を上げた。最大荷重は超えていた。
グギン!
また嫌な音が、機体を伝わって、コックピットに響いた。しかし、バーンが小銃に弾丸《たま》込めをしている隙をついたので、ジョク機はガベットゲンガーの機体の下を擦《す》り抜けていた。
「やらせん!」
さすがに、バーンだった。
ガベットゲンガーの脚が、後退しようとするカットグラの右腕を蹴り上げて、オーラ・ライフルをアタッチメントから外した。
ドガウ!
またも、押し込みにかかったガベットゲンガーは、その剣を振り上げて、突いてきた。
カットグラの右腕が、撥《は》ねるように動いた。
ベギ! その右腕の装甲をガベットゲンガーの剣が抉《えぐ》った。
「駄目《だめ》かっ!」
「これまでだなっ! ジョク!」
狂喜を含んだバーンの声が耳を打った。バーンは、またも小銃を突き出した。右上方では、剣がカットグラの装甲を抉り、マッスルを殺《そ》ぐような震えが伝わった。
「…………!」
ツーンとする気配が、ジョクの目の前で撥ねたように見えた。
と、
「ウヲオッ!?」
バーンの上体が、沈んだ。その動きに合わせるようにガベッドゲンガーも後退した。
ジョクの膝の間にいたフェラリオが、バーンの顔を蹴飛《けと》ばしたのだ。素早い動きであった。
「…………!?」
ジョクは、カットグラの上体を振り上げると、撥《は》ね飛ばされたオーラ・ライフルのところに飛びこんでいった。
その一瞬の間に、フェラリオは金髪を振り乱して、戻ってきた。ジョクは、カットグラの脚の爪《つめ》で、オーラ・ライフルの圧縮可燃ガスのボンベの部分を踏み潰し、ガベットゲンガーの方に放り出した。
ボウゴッ!
カットグラの脚が離れるか離れない間に、ガスが爆発して、ガベットゲンガーの下半身が、火炎に包み込まれた。
「ウワッ!」
短いバーンの叫びが、炎の向うに消えた。
ジョクは、両腕が不自由になったカットグラを、後退させた。再び、ガベットゲンガーの近くで爆発が起ったが、その原因を確認する間はなかった。
カットグラは、火災を起した森の上に出た。
無線の出力を最大にした。
「ジョク……逃がすか! ちっ……うっ!」
バーンの声が、スピーカーから飛び込んできた。
機体にかなりの損傷があったらしく、動揺が激しかった。
「ライフルまで!?」
バーンの声で、ジョクは、二度めの爆発が、ガベットゲンガーのライフルの爆発だったと知った。
「……ハエサ、ハエサ、こちらオード! 撤退する。撤退だ!」
そのコードは、ジョクは知らない。この追撃作戦のためだけに用意されたものであろう。
ジョクは一息つくと、両膝の間で、ジョクの革鎧にしがみつくようにしているフェラリオの金髪を見やってから、カットグラをミィゼナーの高度まで上げていった。
夜は、明けきっていた。
「…………!?」
ジョクは、転舵《てんだ》を始めたバーンの母艦ゼイエガに、数機のフラッタラが攻撃をかけているのを見た。
地上からも砲火が浴びせられていた。しかし、その対空砲火は、ミィゼナーのように貧弱なものではなかった。弾幕は厚く、なによりも、接近するミの国のオーラ・マシーンに吸いつくように放たれていた。
バッ!
赤い閃光《せんこう》が、黒い煙になって、尾を引いた。またもフラッタラが撃墜された。
「…………」
「バーン……どこだっ?」
ジョクは、手榴弾《てりゅうだん》をアタッチメントから直接落す用意をして、足下を警戒した。
ガベットゲンガーの抵抗がなければ、それをゼイエガに、投擲《とうてき》するつもりだった。
「……貴様が、ここに現れたこと自体、ラース・ワウから、命令されていた作戦を実行していなかった証拠だ! この軍規違反、ドレイク王が許すのか!」
「ドレイク王は、わたしの行動は承知だ! この雪辱《せつじょく》は、この手でさせてもらう!」
戦闘距離内ではなかったが、意外と近い距離に、バーンの声が聞えた。
「……ドレイクが知ってる?」
「ニーの亡命以来、わたしは、貴様に目を付けていたということだ」
それだけ言うと、バーンは咳込《せきこ》んだ。煙に苦しめられているのだろう。
「こちらハエサ! オード! オーラバトラーは、全機、応答ありません! オード! 帰投しろ! オード!」
ジョクは、ゼイエガの無線を傍受して、この戦闘は終了したと判断した。しかし、手榴弾は投擲はするつもりだった。
「……もう怖いよ……もう……」
膝から声がした。
「え……?」
ジョクは、目を落した。膝につかまったフェラリオを見てしまった。ブルーの瞳が、ビックリしたようにジョクを見上げていた。
「そうか……無理なのか?……」
ジョクは、手榴弾のことを聞いた。
「……ウン……怖い」
フェラリオは、はっきりと意思表示をした。
彼女は、正確に、手榴弾を投擲した後の展開を予測しているのではないか、とジョクは感じたので、カットグラの機首をミィゼナーに向けた。
なぜ、そう感じたのかは、分らない。
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ハモロソンの郊外の丘陵地帯の窪《くぼ》みに、オーラ・シップの修理工場があった。
周囲の草地を利して、滑走路にしていたので、上空から見ても、軍事施設に見えるとは思えなかったが、ニーたちには、その建物も特別なものに見えるようだ。
ジョクには、この世界のそういうディテールの識別は、なかなか身につかなかった。地上世界の尾を引きずっているからであろう。
ミィゼナーを、その滑走路に着陸させるために、乗組員たちが、右に左に忙しく動き始めた。
「チャム・ファウ?」
「フン……チャム・ファウ……」
マーベルとアリサの質問に、ミ・フェラリオはそう答えた。
「……なんで、こういうことになったの?」
「知らない。嵐《あらし》の壁を見に行ったら……モアイが怖かったから、帰れなくなって……それで、うわーっ! って、なったら、ここだ」
彼女は、そう言って、自分の立たされているテーブルを、ムッとしたように指差した。
「モアイ?」
「おばあちゃんだ!」
「育ての親って意味ですよ。物語に出てきます」
アリサが説明してくれたので、マーベルは納得した。
「どうするの?」
「え? どうするって?」
ジョクは、オープン・デッキの向うに見えて来た 丘陵の清々《すがすが》しい光景に、目を奪われていたので、アリサの質問に慌《あわ》ててしまった。
二人の女たちに、フェラリオのことをあれこれ詮索《せんさく》されるのが、ジョクは、気恥かしかったのだ。
ミィゼナーに戻る間に、チャム・ファウと名乗るフェラリオを観察するにつれて、ジョクは、彼女のあまりに人間の女性そっくりの肢体《したい》に感動してしまった。しかも、その娘が、自分の膝の間に長時間うずくまっていたことを、マーベルやアリサに、知られたくないと思っていたからだ。
若いジョクの感じすぎであろう。
「何も考えていない……彼女にとっては、長旅だったろう」
「わたしたちが、嵐の壁を潜《くぐ》ったおかげで、接触できたんでしょ……縁があるのかな?」
アリサは、つくづくとチャム・ファウの顔を覗《のぞ》きこんだ。
「ムッ……!」
チャム・ファウは、それを睨《にら》めっこと勘違いして、頬を膨らませて、アリサの瞳《ひとみ》を見つめた。
「本当に助けられたの? ジョクは?」
「ああ、彼女の働きがなかったら、カットグラは、潰《つぶ》されていた」
「今でも、かなりの損傷だけれど」
マーベルの嘆息に、ジョクも絶望的になった。
人型の兵器というものは、何の役にもたたない飾りものの頭部であっても、それがないと悲惨《ひさん》に見える。
むしろ両腕の損傷の方がひどいのだが、頭の取り付けだけは、早急にやる必要がある、とプレッシャーを感じるのである。
「ま、どういう風になるにしても、この娘は、取りあえずは、捕虜扱いね」
アリサは、睨めっこをやめて、ジョクに言った。
「捕虜? そうなるのかい?」
「ジョクも言ったでしょう? バーンの放ったスパイかも知れないって」
マーベルは、意地悪く言った。
「話してみて分るだろう? まだ、子供だよ? そんな心配あるわけがない。大体、バーンが、フェラリオを飼っているって話なんか、聞いていない」
「あら? 聖戦士らしくないお言葉ですね」
アリサまで、余裕が出てきたらしく、そんな厭味《いやみ》を言った。
「なんだ、それ?」
「スパイに使うようなフェラリオがいたとしたら、他人に分るように飼います? 内緒で、訓練するでしょう?」
「ああ、あー! こら! どこに行くの!」
チャム・ファウは、ジョクたちの会話が、まったく自分に関係のないテーマになったと思ったのだろう。
舷側《げんそく》の方に飛んでいってしまった。
「よー! 接地ーっ!」
ズズッ!
軽い震動をともなって、ミィゼナーは、修理工場の脇の広場に着陸した。
「チャム・ファウ! 勝手に動き回るな! そんな裸同然の恰好《かっこう》で!」
ジョクは、ハンドレールに掴まっていたチャム・ファウが、プッと外に向って飛んで行ったので、怒鳴ってしまった。
「ホラホラ、そういうのを気にしているんでしょ?」
「ええ……?」
ジョクは、マーベルの厭味が分らなかった。
「あの娘を、他の人に取られるのが、厭なんだ、って言うことですよ」
アリサも、ハンドレールから身を乗り出すようにして、地面に向って飛んで行くチャム・ファウを見下ろした。
「あの恰好、ハイレグそのものだものねぇ」
マーベルが、おかしそうに付けくわえた。
「そんなに、ぼくをいじめて楽しいの? ぼくには、ロリコン趣味はない」
「はいはい……」
と、下の方で、チャム・ファウを見つけた兵士たちが、騒ぎ出した。
「そのフェラリオは、聖戦士殿のパートナーです! いじめないで! チャム・ファウ! 兵隊さんたちのお仕事の邪魔をしてはいけませんよ!」
マーベルの叫びが、兵士たちにチャム・ファウの存在を、知らせることになってしまった。
「ホレッ! 上に行って! ケツを突っつかれていいのか!」
「イヤーン!」
兵士たちが、ドウッと笑って、チャム・ファウを甲板に追い上げてくれた。
「修理は、ここにあるもので、出来るだけやらせるんだ!」
「ハッ!」
キゼサは、エゼラーにそう命令すると、デッキに降りてきた。エゼラーは、もどかしそうに敬礼を返して、ラッタルを下りていった。
「ほう、そのフェラリオが、聖戦士殿を救ったのですか?」
キゼサは、ハンドレールの向うを上って来るチャム・ファウに目をやった。
「そうだ。なんと言うのだろう。自分の意思を受けて、あのバーンの顔を蹴ってくれた」
チャム・ファウは、ジョクの髪の毛の中に手をつっこんで掴《つか》まり、彼の肩に立った。
「どうして、できたんだ?」
「なにが?」
「敵の顔を蹴ったことだよ」
「ああ……! 怖い顔は嫌《きら》いだ」
チャム・ファウは、額の上からジョクの顔を覗くようにして答えたから、ジョクには、彼女の腰から脚が、ボケて見えた。
「人間で言えば、十五歳ぐらいかな……ン?」
「そうですか?」
「そうか?」
チャム・ファウが、キゼサを真似《まね》てジョクに尋ね返し、キゼサに笑いかけたらしい。
「どうなさるので? フェラリオは、危険ですぞ」
キゼサは、苦笑しながら言った。
「どういう風に?」
「口が軽い、どこでも、誰《だれ》にでもなつく」
「そうか?」
「知らない」
チャム・ファウは、プルプルと頭を振ったらしい。
ジョクには、見えない。肩に当っている小鳥のような脚の裏の力加減が、感じられるだけだ。
「……フム……聖戦士殿になついているようですな……ともかく、どうであろうが、仕事の周辺に置くことは、賛成できませんな」
「ぼくだって分らない……勝手に飛んで行ってしまうんだろう?」
ジョクは、チャム・ファウに聞いた。
「あたし? どこに行くか?」
「知らないよ」
「クスタンガに帰る!」
「帰りなさい!」
アリサが言った。
「その方がいい」
キゼサは、そう言うと、ラッタルを下りて行った。
ジョクも、肩のチャム・ファウを気にせずに、キゼサを追った。
チャム・ファウは羽根を持っている。彼女のことなど気にして行動していたら、またまた、マーベルとアリサに、何かを言われると思ったから、ひどく乱暴に動いて見せた。
チャム・ファウも、ジョクの動きなど気にせずに、フィと飛び上ると、ミィゼナーのブリッジの方に飛んでいった。
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「ここで、カットグラの修理は、できるのか?」
二人して下りるラッタルは、大きく揺れたが、ジョクもキゼサも、上手にバランスを取っていた。
「難しいですな。クレーンひとつにしても、ミィゼナーには、十分ではないのです。それに、資材も必要です」
「そうだな」
「集めさせますが、お家の方で、修理のできるところは、やっておいてもらって下さい」
「勿論《もちろん》だ。そうさせる」
「アリサ様には、これから、わたしの使う事務室で、お休みいただきましょう。呼んで下さいますか?」
「すまない。礼を言う」
ジョクは、キゼサをミィゼナーの下で見送ってから、ブリッジの辺りを見上げてみたが、チャム・ファウは見えなかった。
「腹、空《す》いていなかったのかな?」
ジョクは、あの娘たちは何を食べるのだろうかと、くだらないことを考えていた。
『ドッグフードじゃ、固いものな……』
ジョクは、オーラバトラー・デッキに戻ると、備品倉庫をミハンたちに調査させて、カットグラの修理を命じた。
ニーは、ミィゼナーの修理の監督に忙しく、マーベルは、それを手伝い、ジョクたちと顔をあわせる間もなかった。
キゼサは、工場の技術者たちに命じて、捕虜たちを工場の食堂に集合させ、自分は、工場の一角に設けられている事務所を占拠した。
ピネガン・ハンムのキロン城と連絡を取るために、性能のあまり良くない無線の中継を依頼し、連絡用のフラッタラも出して、王の指令を待つことにした。
ジョクは、エゼラーと工場の食堂に入って、ゼナーのクルーたちを説得にかかった。
総員、五十余名であった。
ジョクは、まず、自分の考えを簡単に述《の》べた。
「……諸君等にとっては、自分は反逆者であろうが……自分は、どうしても、ギィ・グッガの戦い以後のドレイク・ルフトの政策に、同調することはできないのだ。そのことは、直接、ドレイク王にも上申した。何度もだ。しかし、却下された。激しい叱責《しっせき》も受けた。このことは、諸君等も噂《うわさ》には聞いていよう」
クルーたちは、平静であった。
ジョクの演説に反撥《はんぱつ》の色を見せる者は、いないと言って良かった。
「……そこで、ドレイク王に政策変更をさせるためには、国内での反乱……下剋上《げこくじょう》しかないとまで思いつめた。しかし、自分には、そんな力はない、とも思った。それなら、アの国に敵わぬまでも抵抗しようとするミの国に荷担するのが、正義ではないかと考えたのである……それが、昨夜の決起である。アの国は、今日にも大軍をミの国に入れるであろう。要員が欲しい。諸君等の中から一人でも多くの協力者が欲しいのだ」
食堂には、朝のオーラが射し込んで、暖かくなってきたが、ゼナーのクルーは沈痛な表情で押し黙っていた。
理屈は分っても、現実的に協力、ということになると、それは、一人一人の暮しにひびく問題であった。
「質問があります」
メイザーム・エイが挙手した。
「なんだ?」
「なぜ、アの国のやり方が、正義にもとるのでありましょうか? 自分には、理解できません」
「本気の質問か?」
「ハッ……。自分は、海軍にあって、諸国を見て回ったつもりであります。アの国に開花した強力な機械文明は、正義であります。泥まみれの文化しか知らなかった我々コモン人《びと》を、近代的な機械力に従わせることは、他国の文物の発展をも促し、将来は、輝かしい機械文明の世へと繋《つなが》るのであります。これは、正義であります」
「それを一人の王が成そうというのだ。それが危険であるのだ」
ジョクは、用心深く言った。
「ドレイク様は独善的な方では、ございません。王は申されております。アの国の正義を実践することによって、世を開くと」
「一人の独善で、世を仕切るのが危険だとは、なぜ考えない?」
「ドレイク王は、コモン人であります。ガロウ・ランのごとく専横であれば、許せませんが、アの国の統治であれば、他国にとっても、たおやかであります」
そう答えたのは副長のフオット・ヘラだった。
「……信心は直せないものか? 今は歴史の勉強をしている暇はない。しかし、言っておく。ショット自身も、一部の騎士たちも、ドレイクを出し抜いて、独自の政治的な地歩を築こうとしている。そのような者が、現在のアの国には幾らでもいると言って良い。なぜそうなったか……それは、機械という強大な力を手にいれたからなのだ。分ってくれ……これは、機械文明を体験した地上世界の人間からの警告でもある……アの国の結束は、いつまでも続かないだろう。それだけは、覚えておいてもらいたい。以後、一人ずつ面接して、賛否を聞かせてもらう」
「聖戦士……」
艦長が、手を軽く上げた。
「どうぞ?」
「反対の場合、我々は、どうなろう?」
「……ン。騎士キゼサを」
ジョクの要請で、エゼラーは、事務所のキゼサを呼んでくれた。
「……ピネガン王は、捕虜として諸君等を収容することにされた。ただちに斬首《ざんしゅ》するような古い手段には、訴えない。それは、保証する」
キゼサの言葉に、クルーたちは、ザワザワと頷き合った。
「ただし、経済的に逼迫《ひっぱく》している我が国としては、十分な待遇をもって収容するような余裕はない。後方で労働してもらうことになる」
「……質問! 収容するって……」
「待て! 捕虜収容について議論する場合ではない。これでおしまいだ」
ジョクは、強く制止した。
ジョクは、ゼナーのクルーたちを数人ずつに分けて、ミの国の兵たちの監視下におき、一人ずつ面接していった。ミの国の士官も数人、立ちあってくれた。
最後に、艦長のギムトンと会った。
「……何人が、合力《ごうりき》することになりましたか?」
「……フム……丁度《ちょうど》、十人です」
「意外と少ないのですな」
「そう思うか?」
「はい……しかし、考えてみれば、ほとんどの者が、南の海岸地帯の出身者です。慣れない山国に籠《こも》ってしまうのが、厭なのでしょうな」
「そうだな。家族の問題、故郷の問題もあろうし、借金などもあろう。一人の王のやり方に反対だ賛成だと、生き方や暮しを変えることなどは、できないものだよ」
「そうですな……そうです」
艦長は、苦渋に満ちた表情で唇を噛《か》んだ。
「……普通の人びとは、その国で暮すのに、王の意向などは、関係ないのです。生まれ育った土地は捨てられません。生きるためには、軍にも入ります。そして、給料をいただき、武勲でも立てて、故郷に錦《にしき》を飾ることができれば、それで十分なのです」
「分るよ。艦長……主義主張など、生きる上で、どれだけ必要なことか……」
「ありがたいですな。そう言っていただけると……」
「それが本音さ。しかし、使われる身は、それで生かされもするし殺されもする。となれば、自分のような立場の人間は、少しでも、ま、正義と言われるものに近い処《ところ》で、働いて見せるしかないのだろうな……」
艦長は、何も答えなかった。
「……ギムトン艦長……今、貴公が、何も意思表示をしないというズルさには、多少、腹が立つぞ」
「……いいですよ」
「……私があまりに身軽なことが、悔《くや》しいのだよ」
「ああ……しかし、だからこそ、聖戦士なのですよ。でなければ、聖戦士ではなくなります」
「勝手だな」
「はい、勝手であります。ズルさもあります。しかし、自分は、家族をドレイクの質《しち》に取られる羽目になることは、できないのです。卑怯《ひきょう》にもなります」
そう言う艦長の目には、光るものがあった。
「分った……捕虜の任務についてくれ。艦長……いつの日か、捕虜交換の時が来るかも知れんし、アの国の勝利によって、解放される時が来るかも知れない……その時は、聖戦士は、国を裏切ってもやはり聖戦士であった、と、そう孫たちに伝えてくれないか?」
「……それは簡単なことです。約束できます」
「頼む……そうでもなければ、我が身が、情けなさすぎる」
「いや、聖戦士ジョク。自分は、あなたの苛酷《かこく》な戦いが、偉大なる勝利を手に入れることを、心底祈っております」
立ち上ると艦長が、オズオズと差し出した手を、ジョクは力をこめて握り返した。
「いつか、一緒に、と言うのはムリかな……」
胸に熱いものを感じながら、ジョクは、艦長を送り出した。
工場の外には、数台の馬車が用意されて、捕虜たちを後方に送る準備が整っていた。
艦長は、残ることになったクルーたちのなかには、軍から逃げ出そうと考えている者や、機関整備にかけては、エキスパートがいることなどを説明すると、馬車の一員になった。
「…………」
結局、ジョクは、身を寄せる場所などどこにもない自分の運命を嘆くしかないのだが、そんなことを嘆いても、何も始まらない。
それが、ジョクの現実であった。
「ジョク!」
ミィゼナーの前方から、馬に乗ったニー・ギブンが、呼びかけてきた。
「おう!」
ジョクは、元気よく応じた。なんの役にも立たないことで頭を煩《わずら》わさないですむのが、嬉しかった。
「午後の便で、キロン城に行く。アリサ様に、ピネガン王に目通りしていただかなければならなくなった」
「そうか……これで一段落だな……」
「ン……一時間でも寝た方がいいが、どうする?」
「カットグラの修理を見るよ」
「ミハンたちが手を焼いている……かと言って、この国では、これ以上の施設はないし……勿論、オーラバトラーの製造工場はあるらしいが、そこから技術者を呼ぶにしても、王の許可がいる」
「ホレ!」
ニーが、手を差し伸べてくれたので、ジョクは、ニーの後ろに跨《またが》った。
「……? あのフェラリオは、どうした?」
ジョクは、なんとなく指で頭上に弧を描いて見せた。
「そうか……可愛かったけどな」
「ああ……それを女たちに言うなよ。徹底的にバカにされるぞ」
「そうだろう。そうだろうな」
ジョクは、オーラ・シップの修理工場の脇《わき》を抜け、北の方向にある倉庫に向った。
そこには、オーラバトラーに使えそうなマッスルやリキュールが、あると聞いたからである。
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バーン・バニングスは、ラース・ワウのドレイクの執務室にいた。
クタクタで身体を直立させているのがやっとだったが、ドレイクの足音に、その疲れも忘れた。
「……ご苦労……」
「ハッ……」
「まあ、座れ」
バーンは、紙|綴《つづ》りを膝《ひざ》の上において、ドレイクのデスクの前に座った。
ドレイクは、シャツ姿でくつろいでいるように見えたが、その頬《ほお》は、やつれの影があった。とはいうものの、破竹《はちく》の勢いで、勢力を拡大している国の長である、全体の印象は、精悍《せいかん》で覇気《はき》があった。
「まず……アリサの件だが?」
「ここに戻る途中、ハンダノに寄りましたが、いらっしゃいませんでした。城付きの下働きの女たちの証言では、アリサ様も旅支度で、城を出られたということであります。管財人のヤエー・ウーヤは、畑の見回りに出て留守《るす》でありましたので、警護の兵、数名を残して、ここに参りました」
「アリサの部屋《ヘや》は見たか?」
「はい……きれいに片付いておりました」
「ン……。そうか……。バーンが、聖戦士の裏切りを予測したのは、ニー・ギブンの脱走があった頃《ころ》からだったかな」
ドレイクは、ニー・ギブン一家の亡命関係の調書を繰りながら聞いた。
「具体的には、もっと後でございます。聖戦士が、ニー・ギブンの捜索を打ち切った時期がございましたな?」
「ああ、ガベットゲンガーの実用テストが始まる頃だったな」
「……はい……あの零《ゼロ》号の高々度テストで、水晶の森近くに入ったことがございます。その時、聖戦士は、越境なさったことがありまして、報告では、事故であったということでした。しかし、その時です。自分は、聖戦士がミの国と接触したのではないかと感じたのです」
「ギブン家とハンダノの城は、隣り同士であったな」
「はい……。それは重々承知いたしておりましたが、聖戦士は、ギブン一家の捜索にも精力的に参加いたしておりましたので、ギブン一家の亡命時には、このようなことになるとは、想像もしていなかったのであります」
「しかし、ガベットゲンガーのテストの時には、聖戦士も怪《あや》しいと感じた……なぜ、そのような疑いがあることを、知らせてくれなかった」
「はっきりとした証拠がなくては、上申できません。自分は、ギィ・グッガの戦い以来、王への忠誠に一点の曇りもなく働くことに遭進《まいしん》いたしておりましたので、ゼナーが、一隻だけで、水晶の森に陽動作戦に出るという話を聞くまでは、聖戦士がどう動くかは、想像できませんでした」
「フム……」
ドレイクは、バーンの話の間、別の報告書を読んでいた。それは、ゼナーの行動計画について、ドレイクのサインの入った許可書であった。
「ゼナーが改装したカットグラ一機の支掩《しえん》で、水晶の森に出る作戦は、儂《わし》も承認したが、目的は、ゼナーの慣熟飛行を、カットグラの聖戦士に支掩させるということであった。確かに、今、思えぱ、その直前まで、偵察のドメーロ部隊を指揮していた聖戦士を、ゼナーに直接、移動させているのは、妙だな……儂の考えが浅かったか……」
「…………」
バーンもそう感じたが、相槌《あいづち》など打つわけにはいかない。
「そうか……儂《わし》は、聖戦士に疑いを抱いていなかったので、きゃつに一連の偵察をさせた方が効率が良いと考えて、許可したのだ……それが、ジョクに、都合が良かったということか?」
「……自分は、ゼナーとカットグラの出撃に関しては、ドレイク様が、聖戦士に嫌疑をかけられたので、そのなんと申しますか、誘いをかけたのではないか、と見ました」
「なら、ゼナーの背後に、もう一隻つけた。儂とて、天霊たちのように目利きではない……まあ……アリサをつけていたので、油断していた気味はあるがな……」
「…………」
バーンは、このドレイクの言葉を信じてはいない。
なぜなら、ゼナーの水晶の森への出撃ひとつにしても、不馴《ふな》れな艦長だから越境した、という言い訳を用意して、ミの国を煽《あお》るのが目的であったのだ。
慣熟飛行が目的ではない。
このことを知らないアの国の将官は、いないのである。
ということは、ドレイクが、ジョクの離反をまったく知らなかったというのも、怪しいのだ。
「バーンは、なぜゼイエガで追尾できた?」
「直感、ただそれだけです。軍規違反とゼナーを奪還できなかったことについては、どのような責めも、覚悟いたしております」
「そうだ……が、まあ、いい。アリサが同乗していたと思えぱ、攻撃も鈍ろう。今回の軍規違反と敗戦については、免責する。ガベットゲンガーの損傷については、直接、責任を取ってもらいたいところだが、これも許す」
「ハッ……」
「ご苦労」
バーンは、起立すると深々と頭を下げた。儀礼ではない。
真実、このことについては、バーンは、言い逃れができないと思っていた。
カットグラ以上の力を持つオーラバトラーで、対決したにもかかわらず、敗れたのである。ドレイクが許してくれても、自分自身、許せることではないのだ。
ジョクの離反劇を許したのは、ドレイク自身の家庭の問題がかかわっていたため、ドレイクの判断と処置が、甘かったことに原因がある、とバーンは考えていた。
しかし、ここでは、バーンは、心からドレイクの温情ある処置に感謝した。
バーンの責任の範疇《はんちゅう》にある問題について免責されれば、彼の行動は縛られないですみ、ただちに、ジョクを追う機会が、得られるのである。
『しかし、ガベットゲンガーの修理を急がせても、次の本格的な侵攻作戦には、間に合うまい……どうする……?』
もともと、ゼナーが計画どおり隠密《おんみつ》行動をしていたならば、次の作戦は、間を置かずに実施されたであろう。
つまり、明日《あす》かあさってには、軍は動いた筈だ。
それでは、ガベットゲンガーの修理は、全《まった》く不可能だったろう。といって、ジョクの裏切りで次の作戦開始が少し延びても、事情は余り変らない。
『まさか、デーモッシュを出すわけにはいかんしな……』
バーンは、単純にオーラパトラーの配備の問題を考えればいいだけなのだが、これはこれで、面倒なことであった。
自分とショットの間で、どうにでもなることなのだが、いかにも時間がなさすぎた。
バーンは、ギィ・グッガの戦いの頃から、ショットと結託して、オーラ・マシーン一般の技術を他国に売っていた。
具体的に、どこへというのではなく、求められれば売る、というやり方である。
それは、ショットが奨励したのである。
バーンは、ショットがそうする理由がよく分ったので協力し、同時に、ショットの技術指導の下、個人的にも、オーラバトラーの開発をすすめていたのである。
それが、デーモッシュである。ドレイクの戦力の埒外《らちがい》の機種であった。
それを今すぐどうするという意識はなかったが、バーンは、これらの行動を隠すために、ギィ・グッガの戦い以後は、ドレイクに忠誠を尽してきたのである。
結果がどうでるかなどは、時の推移のなかで、考えれば良い。
できることは、できる時にやっておく、という考えを実践してきたにすぎない。
バーンの、この思考の柔軟性は、騎士の時代のものではなかった。
明らかに、ショットの影響である。
そして、今日、ジョクを取り逃しはしたものの、少なくとも、かなり前から聖戦士の行動に嫌疑を抱《いだ》きながら、用心深く行動したことが、自分のマイナスになることは決してあるまい、とバーンは考えていたのである。
「あ……?」
バーンは、回廊を向うからやってきた少女が身を引いてくれたので、慌《あわ》てて自分が、通路のわきに身を寄せた。
「どうぞ……考え事をしておりまして、失礼いたしました」
「バーン・バニングス様で?」
侍女《じじょ》をひとり従えたリムル・ルフトは、悪びれずにバーンの前にまでやってくると、微笑を消して尋ねた。
「はっ……姫様におかれましては、ご機嫌《きげん》よろしゅう……」
「ありがとう。城で噂《うわさ》になっている聖戦士殿の逃亡、本当でございましょうか?」
「…………?」
バーンは、答えかねた。
箝口令《かんこうれい》を敷《し》いたにもかかわらず、すでにこの小娘の耳にまで噂が届いているということで、自分の部下たちに不信感を抱かざるを得なかった。
「バーン様にもカットグラが撃墜できなかった……本当でありましょうか?」
「恐れながら、自分からは、お答えできかねます」
「そう……そうなの……」
ひどく冷淡に聞えるリムルの言葉に、バーンは、周到《しゅうとう》な大人の感覚を感じ取って、頭を下げた。
「義父《ちち》は、執務室に?」
「はい……今ならば……」
「数々の武勲、今後とも、よろしゅう」
リムル・ルフトは、自分の冷たい口調に気づいたのか、少女らしい律義《りちぎ》さと勝気さを見せると、すいっとバーンの前を離れていった。
侍女《じじょ》が、目でバーンに挨拶《あいさつ》して、彼女に従う。
「…………?」
バーンは、リムルの物腰に、暗いものを感じて、眉《まゆ》をひそめた。
しかし、二人の女が回廊を行く光景は、バーンには、久しく忘れていた平和なものに見えた。
『女の日常の行動は、平和を象徴するという話……なんで読んだか……?』
そう思いはしたが、バーンは、リムルとの短い応答で感じた、彼女の存在の重さというか、感触を忘れるわけにはいかなかった。
『ステラの処《ところ》に、顔を出してやるか……』
バーンは、リムルから受けた妙な感触を忘れようとして、そう口にしながら、歩み出した。
ラース・ワウの城下街といえぱ、目の前である。
バーンは、そこに通う店を持っていたのだが、ここしばらく行っていないことを思い出していた。
『ステラも歳《とし》を取った……どこか田舎《いなか》に、隠居所をあてがってやっても、罰は当るまい……』
そろそろ、下種《げす》な女遊びは、やめる年齢になったという自覚である。
バーンは、具体的に忙しくなるという予感があった。
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「聖戦士は、ミの国に荷担して出てくると思うか?」
「……さて、自分は、そうは思えませんな。騎士バーンは、打倒ジョクを腹に据《す》えているように見えましたが、無駄《むだ》に終るような気がいたします」
ドレイクの質問に、彼の右腕ともいうべき将軍、ラバン・ドレトが、ドアを背にして答えた。
「ま、楽にしろ」
「はい……しかし、ここは閣下《かっか》の個室でありますので……」
「ここでは、くつろがんか?」
「いや、閣下がよろしければ、いつものように振る舞わせていただきます」
「そうすればいい……聖戦士の件、なぜそう思う」
「戦士は、閣下のやり方に、反対をなさっておりましたが……」
ラバンは、ドレイクが窓際《まどぎわ》のソファに座りこんでしまったので、その前のソファに向いながら、考えを述べた。
「……もともと、地上人です。本質的に、我々のやることに興味は持っておりません。ここで働いたのも、閣下に借りがある、という思いがあったからです。それに、あの若者、一人の青年として見れば、オーラバトラーが面白かっただけの男に見えます。そんな男が、義理を果す相手がいなくなったミの国で、命を賭《か》けてまで、閣下に歯向《はむか》うでしょうか?」
「フン……まあ、それも一理だが、儂《わし》は、お前よりもジョクという男を知っている……」
「は……?」
その時、鈴が鳴って、侍従《じじゅう》がドアを開いた。
「なにか?」
「リムル様が、ご面会を申し出ております」
「後にさせろ」
「待たせていただくと申しております」
「……待たせておけ」
「はい……」
侍従が退《さが》ると、
「……その後、スパイたちからの情報はないのか?」
「はい、そのことですが、ラウの国から、数機のオーラバトラーが、キロン城に入ったらしいという情報がありますが、確認はできておりません」
「確認を、急げよ」
「はい……勝ち続けているからこそ、我々の考えに落ちがあってはならない、と自戒いたしております」
「当てつけか?」
「いえ……閣下の采配《さいはい》に従っているからこそ、今日まで、失敗がなかったのです。己れの範《はん》にするということです」
ソファに座って、ラバンは微笑した。
「フフフ……まあいい……儂《わし》とてコモン界を制覇しようという男だ。自戒に自戒を重ね、用意|周到《しゅうとう》に事を成すことに腐心いたしておる」
強烈な自己顕示の言葉である。
何人《なんぴと》といえども、疑義を挟《さしはさ》む余地はなかった。
「しかし、スパイの養成については、もう少し強化する必要があります。予算強化の計画については、この一両日中に提出させます。ミの国の攻略と並行いたしますが、よろしいですな?」
「そうしてくれ……ン……。地上人、ジョクのことだがな」
「ハッ……?」
話の腰を折られて、ラバン・ドレトは、唇に指を当てた。相手の話を聞く時の癖であった。
「ジョク自身は軟弱であったが、育った世界の違いから、彼の持っている生体力《オーラちから》が、我々以上の力になって発揮された。しかし、ギィ・グッガの戦い以来、ジョクは変った。この三年……奴《やつ》にも思索的なところが出てきた……」
「はい……?」
ラバンは、ドレイクが、何を言おうとしているのか分らなかった。
「つまりよ……聖戦士として育てたのは儂なのだが、奴は、あの旧式のカットグラで、ガベットゲンガーに勝ったという……奴が、本質的な力を手に入れている証明ではないかと推測している」
「……? どういう意味でしょう?」
「鈍い奴だな……奴は、今までは、ただオーラパトラーが好きでやっていたが、今回の離反行動は、心底考えた末のことだ。それは、奴が、世界のことを考えた末のことだと見る、ということだ。男が変る時は、何か刺激があってのことだ。奴は、地上時代の女が死んだ時でも、変らなかったが、あれから、時が経った。この離反の原因は、個人的な感情ではないようだ……つまり、どのような事情であれ、奴は、儂《わし》に歯向ってくる」
「……どうも……飛躍なさっているように聞えます。ジョクと申しましょう。もう、我々にとっては、聖戦士ではないのですから……。彼は、逃げ出したのでありますよ。ガベットゲンガーは、バーンとザナドに取られましたからな」
「忌憚《きたん》ない発言はいいが、考えが浅いそ」
「ハッ……」
「表層的な見方では、己れの首を締める。儂は、己れの手で首を締める愚《ぐ》はせんよ」
「……恐れいります……聖戦士は、世界のなかの己れの位置を看破したとおっしゃるのでありましょうか?」
「そこまで言い切れんが……近いな。だからこそ、次の作戦……ミの国への侵攻については、世人に笑われるようでも良い、確実な布陣を敷いて、一挙にキロン城を落す作戦を描け」
「ハッ……」
ラバン・ドレトは、ドレイクの指令を、大仰《おおぎょう》な、と感じたが、確かに、驕《おご》りを持つ者が計画すれば、軽薄に立てるであろう作戦概要について、再考する余地はありそうだ、と思い直していた。
ドレイクは、ただ用心深いのではなく、結局、確実に勝つ戦争をしなければならない、と言っているのだ。
勿論《もちろん》、人は、負ける戦争などはしない。しかし、負けるのはなぜか?
作戦の立案において、議論を尽せば思慮深く見えるが、実は、議論を尽すことが、敗因になっているケースが多い。
組織が大きくなればなるほど、戦争そのものを考えず、自らの組織の問題だけを考えて、戦争を遂行する。
近代になればなるほど、そうだった。
信じられない話なのだが、近代になるほど、自国の都合だけを考え、敵を十分分析した上での戦争は、少ないのである。それが、敗戦の原因である。
しかし、この考え方は、短絡的で子供じみているとして、概《おおむ》ね排斥《はいせき》されてしまって、ただ単に、戦争遂行の如何《いかん》、つまり、戦争をすればどうなるか、戦争をしなかったらどうか、のみを問うのだ。
それは、勝つことではなくて、『遂行すること』を考えているのであって、勝たなければならない戦争をする、という発想ではない。
これでは、勝つ戦争はできない。
地上世界の歴史で言えば、近代の戦争は、政治的な膠着《こうちゃく》を、戦争によって一方的に突破する、という単純明快な目的意識がなくなって、人の不幸を拡大したのである。
かつては、敗北しても、その戦いが名誉あるものであれば、人は戦闘での死を受容できた。
この論の背景には、現代的な個人の主権意識が圧殺されていた時代という条件がつくが、人は、究極的に、その死に意味が認められれば、無駄死にという悲惨さを感じないですんだ。
近代の戦争は、このような死をもたらさなくなったのである。
勝敗の結果を見るのではなく、戦闘当事者以外の大量死という犠牲を払ってもなお、遂行することに意味を見いだす論理が、構築された。
いさぎよい勝利と敗北という言葉は、戦争から姿を消した。
それが、人の倫理をも無意味なものにする風潮を生んだ。倫理が風化すれば、行為も、歪《ゆが》められるのは当然であろう。
ドレイクは、ラバンが賢《さか》しくなって、官僚的な硬直した考えに捕われるのを諌《いさ》めているのである。
オーラ・マシーンを使う機械化部隊の出現・発展は、より以上に、組織に依存する将兵を作る。
ドレイクは、その危険も指摘して、ラバンに、後方を堅めることを命じたのである。
ラバン・ドレトは、己れが自戒という言葉を使いながら、事態を自分の都合の良い方向にしか考えていなかった非を、ドレイクに詫《わ》びた。
「……聖戦士は、聖戦士として、ミの国に荷担すると考えて、対策を練《ね》り直します。もし、彼が、カットグラを十分に使いこなせば、ガベットゲンガー二機を撃滅し、それによって味方が戦意喪失し、軍を後退させることになるかも知れない……その程度のことは、計算して作戦を立てます」
「そういうことだ。ラバン……現在の我が国は、それができる」
「ハッ……」
「自戒すべきは、急速な組織の拡大によって、百人の部下を持つのが限界であった士官が、千人の部下を持つようになり、それを、自分の能力であると信じている士官が、多いことだ。考えても見ろ、騎兵戦しか知らなかった騎士が、機械部隊の指揮を司《つかさど》るようになったのだ。その変化に順応して、正確に指揮できる士官は、少なかろう?」
「はい……」
返す言葉もなかった。
「儂《わし》も人だ。驕《おご》るのだよ。その時に、ラバン、そちが忠告してくれなければならん。それが、そちの役目だ」
「ハッ……」
ラバンは、このドレイクの意思を、良き方向に開花させようとする意思を持たなければならないと、胆《きも》に銘じた。
しかし、ラバンがそう胆に銘じた瞬間に、彼は、ドレイクの真意がどこにあろうとも、その職務のなかで、ドレイクの意思に従うだけの将軍になったのである。
たとえ間違っていても、己れの器量に応じた判断を進言することによって、ドレイクに別の視点を与えるという立場を、放棄したのである。
「ショットやビショットの腹積りも、気になるし、ラウの国が、巨大なオーラ・シップを建造しているという噂《うわさ》も、儂《わし》は、聞いておる。そういう配慮の網を張るということだ」
「はい……」
ラウは、ミの国の背後にある最大の仮想敵国である。さらに言えぱ、ナの国もあるのだが、それは、当分は考えないで良い。
「……その噂も、確認させる努力はいたしております」
「周辺国も独自のオーラ・マシーン開発に入っているのが、今日までの状況だ。だからこそ、ミの国の攻略は、一気《いっき》呵成《かせい》にな」
「ハッ……」
ラバン・ドレトは、ドレイクの肚《はら》の底まで見た思いを抱《いだ》いて、執務室を退出した。
『クの国のビショット・ハッタは食えん男だが、所詮《しょせん》は、この世界の問題である。が……ショットは……』
と、ドレイクは思う。
『我々、コモン人を試している気配がある……そう、ゲームをやっているというのが、正しいな。ミの国が、飛行機型のフラッタラを開発し、オーラ・シップの建造を始めたのが、三年前か……ラウとナの国が、オーラ・シップの建造に入ったのも、その頃《ころ》だった。技術を流して、双方に戦わせるという魂胆が見え隠れしている……地上人という立場で、儂まで、試しているか……』
ドレイクは、ショットを疑うようになっていた。
だからと言って、彼をどうこうする気持ちはなかった。
まだまだ、貴重な存在であり、トレンを要してからのオーラ・マシーンの改良は、さらに効果を上げ、ガベットゲンガーというコモン界最強のオーラバトラーまで創出した。ドレイクは、その力を、高く評価していた。
「もう少し、女に興味を持ってくれればいいのだが、その方の興味が薄いのが、困る……」
ドレイクは、埒《らち》のないことをブツブツロの中で言いながら、執務室を出た。
廊下の突き当りのコーナーのベランダに、背中を向けて座っている少女が目に入った。
「……あれか?……」
ドレイクは、その少女の背中が、あまりに小きいので、胸をつかれた。
ろくに会っていないので、あれがリムルなのかと疑う思いもあって、家族を忘れている自分に気がついた。
妻によって、家族への思いがあまりにも違うのだ、という実感も湧《わ》く。
先妻、アリシアは、一週間も顔を会わせていなくとも、娘のアリサとの関係をつないでいてくれたし、家庭を意識させてくれた。それは、ラース・ワウのような巨大な石造りの城に住んでいると、貴重な息抜きになった。
が、ルーザは、違った。
ベッドの中ではいざ知らず、生活臭のない女で、自らもアの国の拡大する版図を眺めては、悦に入っているような女なのである。
連れ子のリムルと自分の関係を気づかうような、デリケートなところはなかった。
「待たせたな?」
「はい……お義父《とう》様に、お伺《うかが》いしたいことがございまして……」
リムルは、立ち上って挨拶《あいさつ》するとそう言った。
「なんだ?」
「はい……アリサお義姉《ねえ》様が、聖戦士殿とご一緒に、ミの国にお入りになったことでございます」
「知らぬな。真実であれば、許せぬことだが、どこから聞いたのか? そのような噂話《うわさばなし》に聞き耳を立てるなど、恥かしいことと思わぬか」
ドレイクは、リムルの前の椅子《いす》に座ると、親らしい嘆息を見せた。
「……でも、侍女《じじょ》たちの間では、もっぱらの噂でこざいます。厭《いや》でも、耳に入ります……」
「確認できておらぬことだ……それがどうしたというのだ?」
「……はい。アリサ様は、わたしたちがこの城に入ってから、ハンダノにいらっしゃり、またまた、ミの国にいらっしゃいました……すべて、わたしたちが原因ではないかと思いますと、胸が痛みます……謝罪して済むものではありませんが、どうか、アリサ様に厳しい処断をなさらないように、お願いに参りました」
「…………」
ドレイクが、想像もしていなかった視点であった。
内心、苦笑せざるを得ないが、これが娘というものであろうとも思う。
「お願いできましょうか? お義父《とう》様」
「言った通りだ。まだ、ミの国に行ったと決ったわけではない。そう思い詰《つ》めるな。すべてのことが、自分に責任があると思い詰めれば、それは果てしがない。アリサとて、すでに大人だ。よしんば、ミの国に行ったにしても、それは、リムルとは、全く関係がないことだ。いいかな? 忘れなさい。このことは、今後、一切《いっさい》、口にしてはならん」
ドレイクは、優しくも断固とした口調で言いきかせた。
「…………」
気の強いところは、ルーザに似ていた。
リムルは、への字に結んだ唇を緩《ゆる》めようとはしなかった。
「……なにが気に入らんのだ?」
「滅相《めっそう》もない……何も不足はございません」
「そうか……」
「……ただ、自分が生きていく上で、他人に迷惑をかけるのは、心苦しいのです」
「成程《なるほど》な……リムルは、将来、何をしたいのか?」
「……特に……いつかは知れませんが、外国で勉強をしたいと思っております」
リムルは、ドレイクの気分とは違うことを言った。
「アの国では、不足なのだな?」
「いえ……ですが……わたくしには、息苦しいようです……」
リムルは、自分にとって一番重要なことを言ったつもりだった。
「フン、少女時代には、誰《だれ》でも、そのように思うものだ。今、学ばねばならないことを、しっかり学べば良い。悪いようにはせん……そうそう、近い将来、オーラ・マシーンの性能が上って、地上世界に行けるようになるやも知れん。その時は、アメーリカとかフランチとかいう地上の国に、勉学に行くことも、できるかも知れんぞ」
ドレイクの冗談に、リムルは、ニッコリすると、絹ずれの音をさせて立ち上り、
「アリサお義姉《ねえ》様の件は、くれぐれもお願い申し上げます」
と、ドレイクに深々と頭を下げた。
「それに、お忙しいところを、お時間をいただきまして、嬉《うれ》しゅうございました」
「なにを他人行儀な……相談したいことがあったら、いつでも、遠慮なく来るがいい」
ドレイクは微笑して、通路の作る暗がりのなかに消えて行くリムルの小さな背中を見やった。
ドレイクが、ゼナーをジョクに渡すような杜撰《ずさん》な作戦を許可した理由は、ここにあった。
心のどこかに、血を分けた娘と訣別《けつぺつ》するためには、ゼナー一隻ぐらいくれてやっても良いという思いがあったのである。
だからと言って、ジョクとアリサが、手に手を取って亡命するといった具体的なイメージがあったわけではない。
はっきり意識はせずに、ジョクやアリサが、好きにできる隙《すき》を作ってみせたのである。
バーンが言ったような、粗忽《そこつ》な采配《さいはい》をするドレイクではない。
『フム……聖戦士との訣別も、どこかで承知していたのかな?』
その思いは、ドレイク自身にとっても、意外に感じられないでもなかった。
『さて……あとは、お互い好きにするか……』
ドレイクは、ベランダに出て、鮮やかな緑を繁《しげ》らせている中庭の木々に見入った。
これで、自分はアリサのことを切り捨てられる、と自覚したのである。
それに伴って、聖戦士も、その役割を終えたのだ、と断定できるものがドレイクにはあった。
『地上人などは……裏方となって、油まみれになって働いていれば、良いのだ』
まさに、コモン人としての自尊心が、言わせたことであった。
「フッフフフ……フッハハハ……!」
ドレイクは、心が軽くなり、沸々《ふつふつ》と沸《わ》き上る歓喜に似た衝動に、笑い声を大きくしていった。
その笑いは、中庭に面した壁と柱を震わせて、数十のこだまになって増幅された。ドレイクは、己れの笑いの渦のなかで、全身を震わせたのである。
ドレイクは、ギィ・グッガの声を聞いたと確信し、ギイ・グッガの意思を体現したかのように、行動する精力的な王になっていった。
この部分でも、ジョクの行動は、ドレイクを助けたのである。
ジョクが、そのようなドレイクのメンタルな部分を知らない結果、そうなったのであるが、これも、世界が予定した一連の行動のひとつにすぎないのかも知れなかった。
だからであろう。ドレイクに、アの国が拡大した結果、なにを成そうという野望が、現在|只今《ただいま》、あるわけではない。
あるのは、ただひとつ。
『我が手で、どこまで成せるのか……やって見せよう。ショット、そちの期待以上にやって見せるわ……フフフ……。ビショットごときが、裏でなにを画策《かくさく》しようが、あしらって見せるよ。せいぜい、好きにするがいい』
ドレイクは、自己を刺激するために、肚《はら》に一物《いちもつ》も二物もある、クの若い国王ビショット・ハッタと手を組んだだけのことであった。
『ま……ルーザも、よろしくやって欲しいものだ……』
ドレイクは、ようやく世界の意思を担って、その使命を敢行する出発点に立ったのである。
ドレイクは、世界の意思にとって、道具であった。
しかし、そのような深遠な理解は、当事者たるドレイクにできるものではない。
それは、ジョクやそれ以外の人びとも同じであった。
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「参《まい》りましたわ。お母様!」
エレ・ハンムの幼い声に、パットフット・ハンムは、パッチワークの手をとめて、ベランダの方に歩み寄った。
「まあ……あんなに、大きな船が……」
オーラ・マシーンについては、知らないでもない王女なのだが、キロン城に面したローラグの湖上を渡って来るミィゼナーを目にして、パットフットは感嘆せざるを得なかった。
自分の国で開発されたオーラ・シップ『ナゲーマン』やオーラ・プレーン『フラッタラ』とは比較にならないほど力強いのである。
戦争が、あっと言う間に、巨大な機械による大量|殺戮《さつりく》の時代に入ったことを実感させるものであった。
『こんなもので、王は、戦争をなさるというのか……』
パットフットは、聡明《そうめい》な女性である。
今、目の前に現れたオーラ・シップが、明日にも襲いかかって来るであろうアの国のものであるならば、この力の前に、どれほどの人命と緑の国土が焼き尽されるのか、想像がついた。
ミィゼナーは、真下の水面を飛沫《しぶき》の幕にして、あたかもその白い飛沫を支えにするようにして、接近してきた。
暮れなずむ夕闇《ゆうやみ》を背景に前進してくるミィゼナーのブリッジと船首、船尾、左右の舷側《げんそく》には、輝かしい光の列があった。
キロン城は、まだラース・ワウのように、電気照明を備えていなかったから、ミィゼナーの電気の光が、まるで、魔法の輝きのように映った。
幼いエレが、その輝きに感動するのは当然であろう。
「なんでしょう! あの光……お母様! なんでありましょう! キラキラ、キラキラ! 花火のようでありますね」
「電気と言うものです。この城も、いつか、あのような光に、飾られることもありましょう。あのような……」
パットフットは、うかつに、このキロン城の将来を口にしてしまったことに気づき、声を詰まらせた。
この城には、未来などないのだ。
今も手にしていたパッチワークも、楽しみでやっているのではなかった.エレの育児に手がかからなくなって、この二年続けていたもので、この城を避難する前に仕上げておかなければならない、と決心してやっているのである。
彼女は、一度、この城を出たら、もうこの城に帰ることはないだろうと、予測していた。
そんなことは、まだ頑是《がんぜ》ないエレに、話して聞かせられるものではなかった。
「そうなの! あれが、電気なのですねぇ!」
エレは、あどけない瞳《ひとみ》をパットフットに見せたが、その瞳は、すぐに、湖上を接近するミィゼナーに吸いつけられていった。
ブブッズルルルル……。
城の石壁に反響するからであろう。ミィゼナーのオーラ・ノズルの低音は、人の生理の底を揺するように響いた。
「おお……うっっ……」
パットフットは、手摺《てす》りに掴《つか》まっているエレの手が強張《こわば》って、肩から背中までが震え出しているのを見て、慌ててしゃがみ込んでエレの顔を覗《のぞ》いた。
「エレ……どうしたのです! エレ……」
エレの顔は蒼白《そうはく》になって、見開かれた瞳の焦点が合わなくなり、上下の唇がワナワナと震えていた。
「ヘッセ! お医者様を呼んで! ヘッセ!」
エレの肩を抱いてパットフットは絶叫した。その腕の中で、エレの瞳は、膠着《こうちやく》したように見開かれていた。
「奥様……どうなさいました?」
小太りの侍女《じじょ》が、パッチワークを広げた向うのドアから駆け込んで来た。
「お医者様です。エレが引きつけを起しました」
「は、はい……!」
パットフットは、エレの唇をこじ開けるようにしたが、舌を噛《か》むおそれはなさそうなので、やや安心して、彼女の額《ひたい》に自分の額を当てて、熱があるかないかを調べた。
両腕と額から感じられるエレのおこりのような震えは、尋常のものとは思えなかった。
「おお、天と地の精霊たちよ!」
パットフットは、エレの身体の震えを止めようと力いっぱい抱きしめて、何度も心の中で叫んでいた。
その親子の眼前を、ミィゼナーは、ドウドウと過ぎて、城壁を乗り越えるようにして、キロン城に入城していった。
ミィゼナーは、ハモロソンで最小限度の修理をすると共に、船体の一部を、ミの国の軍色《アーミーカラー》である赤褐色《レッドプラウン》に塗りかえていた。
「凄《すご》いものだ……」
ムロン・ギブンは、ミィゼナーのオーラ・ノズルの吐き出す突風の中で、呻《うめ》いた。
「…………」
隣りに立つピネガン・ハンムは、ムロンの言葉が聞えたが、何も答えたくはなかったので、ただ目を細くして、降下姿勢に入ったミィゼナーを見やった。
ミィゼナーは、キロン城の湖の反対側の中庭に着陸しようとしていた。
そこは、かつては、出陣する軍を謁見《えっけん》するための広場であった。騎士の時代にあっては、もっとも、神聖な場所であったが、今は、オーラ・シップの発着場でしかない。
そこには、ミの国が独自に開発したオーラ・シップ『ナゲーマン』が一隻係留されていた。
ミイゼナーは、ランディング・アームの接地音を響かせて、その横に着陸した。
両艦を比べれば、誰が見ても、圧倒的な威力の違いが見てとれる。
「…………」
ピネガン・ハンムは、両艦の違いを眼前にした時、自分の決定は間違っていなかったと思ったが、現実的には、その決定的な違いに絶句せざるを得なかった。
「……こんなにも凄いものか……」
ムロン・ギブンは、若い王の呻きに、同情せざるを得なかった。
「……自分も知りませんでした……実際に、このオーラ・シップを見たのは、初めてでありますので……」
「……よくもよくも、聖戦士殿は、こんなものを持って亡命してくれたものだ……これが、アの国に数隻あるにしても、少なくとも、我が方は、これによって、有効な一撃を加えることはできる」
「まったくその通りであります。王よ……」
ムロンは、それ以上の慰めを言うことはできなかった。
同等の威力を持つ戦力ならば、その数の比が、何を意味するかは、十分に知っている老いた騎士である。
「そうだ。そうだよ。ムロン……聖戦士は、戦い方で、いかようにも対抗できると言っていたではないか。戦いは、数ではないと……」
「その通りです。王よ。聖戦士殿はお若いが、地上世界の戦争についての学識もおありになるようです。聖戦士の言に従えば、勝つやも知れません」
ムロン・ギブンの家は、もともとミの国から出たといういわれがあった。その真偽は別にしてムロンは、このピネガン王の父と狩り仲間のような関係にあった。そのような時代があったのである。
ムロンは、ラース・ワウに仕えながらも、ハンム家との親交を続け、ピネガンを子供の時代から知っていた。そのことが、ギブン一家の亡命の直接の動機になっていたが、このようなケースは、実は少なくないのである。
「ムロン……わたしは、アの国と対決するという決定は、間違いではないかと不安に思っていたが、これで、我が決定も間違いではなかったと思える」
「御意《ぎょい》……ドレイクは、恐ろしい男でしょう……しかし、大義は、我にあります。ドレイクは、オーラ・マシーンを手にしてから、オーラ・マシーンの生産拡大のために属領から税を徴収し、労働力を増強しております」
ムロンとピネガンは、聖戦士ジョクが、ミィゼナーのエレベーターに乗って、中央|甲板《かんぱん》に登っていくのを見て、ミィゼナーに背を向け、執務室に戻る階段を上っていった。
ムロンは、一歩退って従いながら、言葉を続けた。
「……ハワの国、ケム、リの国はアの国のゴリ押しの政策に苦しんでいます……しかし、機械化の軋礫《あつれき》のなかで、もっとも危険なことは、アの国の人は優秀で、敗北した人びとは、劣等人種であるという風潮が広まったことですな」
「そうだ……これまで、バイストン・ウェル界では、そのようなことはなかった」
階層が高くなったので、ピネガンは、改めてミィゼナーを見下ろしてみた。
隣りのナゲーマンの倍の火力があるのが、よく分った。
「しかし、私がもっとも問題にするのは、ドレイクの意思がすなわち『法』であるという考えが蔓延《まんえん》していることだ、これは、コモン界の歴史のなかでもまれに見る悪だよ。個人の専制は、歴史的に見ても、大衆を虐《しいた》げ、国家を荒廃させるだけだ」
「はい。ですから、王が、抵抗を見せれば、周囲の人びとが蜂起《ほうき》しましょうし、聖戦士の離反は、同じような気持ちを持つアの国の人びとを刺激して、さらに離反する人びとを掘り起すことになります。これらが、反ドレイクの力になります」
「そうだよ。しかし、ドレイクは、オーラ・マシーンという前代|未聞《みもん》の機械技術によって、過去の専制者の悪は排除できると言っている。我々が戦わなければならないのは、機械は絶対だという信仰に対してだ」
ベランダを離れた王は、執務|机《づくえ》の前に座った。
「……これは問題だよ」
「そうです。聖戦士ジョクは、その点を最も恐れて指摘していました」
「ああ……」
「コモン界が、地上世界の繁栄をそのまま引き写すのは、世界の崩壊につながると言っておりました」
「……故に、これに抵抗してみせるは、正義であるさ」
そう言わしめるのは、ピネガン・ハンムという若い王の気概であった。
彼にも、個人的には、幾つかの課題がある。ラウの国との提携もすっきりと行ったわけではない。しかし、最低限度の軍事提携は、締結させていた。
「できるだけ抵抗してみせれば、ラウとナの国が動いてくれる。そうすれば、バイストン・ウェルの大義は、堅持できるさ」
それが、ピネガンの望みうるすべてであった。
「後は、アの国が、いつどこから来るかだな……」
ピネガンは、壁の戦略地図に見入った。ムロンがいることは忘れていた。戦争突入の命令を出すことは、一国の王としては、ゾッとするような仕事なのである。
「素朴さの勝利を信じたいな……」
ピネガンは、地図の幾つかの赤い線を凝視し続けて、ムロンが、退出するのも気がつかなかった。
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「……イテッ!」
ジョクは、横面をなぐり飛ばされて、大きくよろけた。
「……チャム・ファウ!?」
彼女は、パタパタと大きく羽根を震わせて体勢を整えると、またも突進してきた。
ジョクは、その蹴りは避けたが、羽根で、頬《ほお》を打たれた。掠《かす》り傷を受けたのか、痛みが走った。
「なんだよ!」
「なんだとおーっ! 勝手に放《ほう》り出した癖にっ!」
小さい腕を風車のように振り廻《まわ》したチャム・ファウは、またも突進して来たが、今度はその頭を押えつけるようにして、ジョクは、彼女の身体を掴《つか》むことができた。
しかし、手足の力は思った以上に強くて、チャム・ファウは、握り締めるジョクの指を押し開けようとした。
「いきなり、蹴飛《けと》ばすことはないだろう」
「あんたは、蹴られるようなことをしたんだ!」
チャム・ファウは叫ぶと、ジョクの手からスルッと抜け出した。
「どうしたんだ? こいつ」
「ジョクが、あたしを捨てたって、喚《わめ》いているんですよ。ここに来るまで、ズーッとあれですから、堪《たま》ったもんじゃないですよ」
キムッチが、ニタニタ笑って答えた。
「だって、ハモロソンを出た時、いなかったじゃないか。連れて行こうにも……よせっ!」
ジョクは、もう一度、チャム・ファウの蹴りを避けて、
「ミハン! こいつを縛り上げておけ! うるさくっていけない」
ジョクは、蚊《か》や蝿《はえ》を追い払うようにしながら、カットグラのコックピットへ梯子《はしご》を登っていった。
「これ以上、うるさくすると蝿|叩《たた》きで叩くぞっ!」
ジョクは、再度攻撃してこようとするチャム・ファウを怒鳴《どな》りつけた。
ジョクの剣幕に、チャム・ファウは、ウッと息を詰めて滞空し、羽根を震わせる力を抜いて、ズルズルと落ちていった。
「当てつけがましいんだから!」
ジョクは、彼女が羽根を畳んで落ちようが、無視できた。どこかで、まだトンボかカブト虫ぐらいに思っているのだ。
「ヒーッ!」
チャム・ファウの悲鳴が聞えた。ジョクは振り向かずに、コックピットのミハンの手元を覗《のぞ》いた。
「どうなんだ?」
「動きますよ。左腕以外は……」
ミハンは、一人で、レバーとマッスルを調整していた。
この作業が最終のものなのだが、ミハンは、部分的な修理を終えた各段階で、いつでも出撃できるように、カットグラの調整をしていたのである。
無駄《むだ》で、面倒な作業なのだが、そうしなければ、いつ起るか知れない戦闘に対応することはできない。
「肩のマッスルは、交換できないのか?」
「補強に使ったものが、固くって馴染《なじ》まないんですよ」
「ラゲッサ|I《ワン》の物は合わないのか……」
「ええ……リキュールの調合を変えて、性能を上げようとしていますが、今夜一杯かかります」
ミハンは、シートから立って、デッキに置いてある銅製の容器を指差した。
「ああ……あれか」
ジョクは、彼等がミの国の技師たちと協力して、全力でカットグラの修復にあたっていることが、了解できた。
協力態勢については、万全と言えよう。
しかし、問題は、ミの国のオーラ・マシーン技術が、低いということに尽きる。
「午後には、ラゲッサTのオーラ・ライフルが来る。そのアタッチメントをカットグラに合わせるように、改修してくれ」
「はい……オーラバトラーで、戦隊は組めるんですか?」
チャム・ファウの姿が、デッキに見えなくなっているのを気にしながら、ジョクは答えた。
「カットグラを含めて、四個戦隊組める」
「十六機というところですか?」
「二十機だ。一個戦隊五機」
「凄《すご》いな。数だけは……」
「ああ。ラウの国が開発した、ドウミーロックは、それなりに使えるが、昔のカットグラぐらいかな」
「じゃ、ハインガットの方が強いんですか?」
「単純に言えぱ、そうだな。このカットグラUの改修要項をここの連中に伝えて、性能をアップさせたい。そのためのレポートを書いて欲しいんだ」
「今度の戦闘までに、間に合わせろって言うんですか?」
「できればな?」
ジョクは、笑うと梯子《はしご》を下り始めた。
「でもさ、ミハン。俺《おれ》は、フラッタラを使って、ドレイクに泡を吹かせるつもりだ」
「あんなもので?」
「その訓練をこの二、三日やっているんだ。そのためミィゼナーには、戻れなかったんだ」
「へー……どういうことです?」
甲板《かんぱん》に下りたジョクにミハンは聞いたが、ジョクは、手を振って、マッスルを強化している銅製の箱を覗《のぞ》いた。
そこには、濃度をカットグラに合わせて調合したリキュールに、オーラバトラーの動力伝達用の筋肉とも言うべきマッスルが、漬《つ》けられていた。
「……デトアとキムッチは?」
「え……? ああ、チャム・ファウの手当てです」
「なんだと?」
「あの娘、骨折したって、大騒ぎなんです」
「ふーん、そうかい?」
「ウソでしょ? あの手のフェラリオは、口からでまかせが得意ですからね。それより、今のフラッタラの話は、本当なんですか?」
「地上世界では、フラッタラ・タイプの飛行体が主流でな、人型のものはないんだ。だから、フラッタラ・タイプの戦闘の仕方には、歴史があるんだ。それを見せてやるよ」
「そりゃ、凄《すご》いや」
「多分、ミの国が独自に開発したオーラバトラー、ラゲッサより、フラッタラの方が、実戦的だと思うよ。なにしろ、武器は、構造がシンプルな方がいいんだ。保守が簡単な方が、戦場では楽だろう?」
「なるほど……」
オーラバトラーのメンテナンスを習得し始めたミハンたちには、こういう話は、興味があるものなのだ。
「頼むよ、マッスルの方は。俺は、オーラバトラーとフラッタラの実戦配備の訓練に出るから……」
「はい……ご苦労さまであります」
「ミハン!」
「はいっ!」
「ニー艦長とも相談して、クルーは、順次休ませるんだ! いざという時に、使えなくなっては、意味がないからな」
「はい……ああ! マーベルさんに、カットグラをいじらせていいんですか?」
「駄目《だめ》だ。彼女は、俺の方で預かる」
「ハッ!」
ジョクは、キャビンのデッキに上ったが、チャム・ファウのキーキー声を聞いて、うんざりした。
「キムッチ! どうなんだ」
「ああ……ジョク。自分は、知りませんぜ、もう」
「ああ、いい。構うな!」
キムッチは、ジョクの言葉にホッとすると、手にしていた薬瓶を放《ほう》り出して、
「女の恰好《かっこう》しているから、ちょいと助平心で興味があったんですが、ありゃ、蛾《が》ですね」
そう耳打ちするようにして、出て行ってしまった。
チャム・ファウは、右足首に包帯を巻こうと奮戦していた。
人間用のスケールのものなので帯を巻きつけるようで、なかなかうまくいかない。大した怪我《けが》ではなさそうなので、明らかに、当てつけだった。
「……チャム・ファウ……痛むのか?」
「痛いよ……ズッキンズッキンするんだよ……」
と、なおも包帯を巻こうとしていた。
「薬は塗ったのか?」
「あのキムッチは、キムッチは……乱暴なんだ」
チャム・ファウは、ちゃんと巻ききらない包帯をズリッと外したが、ブ厚く塗った塗り薬に、包帯がひっついて離れなかった。
「こんなんじゃ……まったく……」
ジョクは、指先を伸して、薬と包帯を外してやると、塗り薬を指先で拭《ぬぐ》い取ってやった。
「ウッ……ウウウウウ……」
「…………?」
ジョクは、大ベソをかいて美人顔をクチャクチャにしたチャム・ファウを見て、思わず吹き出してしまいそうになるのを堪《こら》えた。
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階段の手摺《てす》りから覗《のぞ》いたガラリア・ニャムヒーは、薄暗い玄関のエントランスに、ボツリと立っている少女が、本当に、リムル・ルフトその人であるのを知って、呆《あき》れていた。
「ご用は、なんなんです?」
ガラリアは、室内着の前を合わせながら、階段を降りてきた。
「あなたが、聖戦士ジョクに、一番近い騎上だと聞きましたので……」
見上げたリムルの顔が、緊張で白く透き通っているように見えた。
「そういうことですか……居間の暖炉は、火が残っているかい?」
ガラリアは、侍従《じじゅう》に確かめると、居間にリムルを案内した。
深夜ともなれば、多少、空気が肌寒く感じられる季節になっていた。
「……よくお城を出られましたね?」
「我儘《わがまま》の通し方は、知っています。毎日、城内で暮すのは、好きではありませんから……」
「そうですか……? ああ、ご苦労、お前たちは寝ていい。今夜のことは、内密にな? 姫様も、この歳《とし》になれば、夜遊びもしたくなろうというものさ」
「はい、では……外でお待ちの方にもご挨拶《あいさつ》をして、休ませていただきます」
「そうしてくれ」
茶を運んでくれた侍従は、二人に丁寧に頭を下げると、退出していった。
ガラリアは、どう考えても、リムルの訪問の意図が分らなかった。
個人的に接触したことなどはない。
このことをラース・ワウが知ったら、叱責《しっせき》を受けるのではないか、という恐れの方が強かったが、ジョクのこと、というのが引っかかったのである。
リムルとジョクは、なにか関係があるのであろうか? それを探りたい気持ちが働いていた。
「騎士ガラリアが、この度の聖戦士殿の行動について、どう感じていらっしゃるのか、知りたいのです」
「裏切られたという感惰しかありません。他に、何を言えとおっしゃるのです?」
ガラリアは、腹立たしさを堪《こら》えて言った。
自分こそ、ジョクと共に同じカットグラを駆使して、長い間、戦った戦友である。その自分は、今回のジョクの行動を、事前に知ることはまったくなかったのである。
ジョク離反の報を聞いたガラリアは、軍務を割いてハンダノに行き、ジョクに仕えていた者たちに詰問して、事情を聞いた。
その時、管財人のヤエー・ウーヤから、ジョクの手紙を渡された。
「ガラリア様には、内密に、これをお渡しするようにと……」
ガラリアは、その手紙を読んで、ジョクの配慮に感謝もしたが、水臭《みずくさ》いという思いにも駆られた。
ジョクは、アの国で功名を上げ、家を興すことを目的にしているガラリアに、自分の考えを伝えれば、彼女がとめるだろうということは分っていた。しかし、ここまでドレイクの専横が激しくなれば、もう、アの国に骨を埋めることは、苦しくなった。地上世界の歴史から考えると、ドレイクの国家的目的意識は、危険に見える。だから、内緒《ないしょ》でアの国を離反するが、ガラリアは、よく功名を立ててくれ、もし自分の首でも取れる機会があるならば、その時は、恨まない、とあった。
『……そういう関係だったか……』
ジョクは、ガラリアの心を知るからこそ、自分は、自分の気持ちを一切伝えられなかった。そのことが、一番|辛《つら》かった、とも書いていた。
その部分を読んだ時、ガラリアは泣いた。
しかし、だからと言って、一枚の紙片で納得《なっとく》できるものではなかった。
女だてらに騎士になるというのは、珍しいことではないのだが、目いっぱいがんばって来たガラリアである。ジョクは、その彼女が、ただ一人、心を許せる男になってくれるのではないか、と期待できた男だったのだ。
アリサという余分な存在が割り込んでこなければ、結婚だって考えられた。それは、ガラリアの少女の部分が、夢見たことである。
同衾《どうきん》する機会がなかったわけではないし、誘い誘われ、暗黙のうちに断り断られもして、戦友愛を深めていった。
だからこそなのである。
「一番の戦友であったつもりなのに、離反の心積りを打ち明けてもらえなかったことが、どのように苦しいものであったか、姫様には、お分りになりますまい」
ガラリアの告白に、リムルは、膝《ひざ》を乗り出していた。あまりにも、自分の問題だけに突き進もうとする少女の悪い態度である。
「そうおっしゃって下さるのなら、はっきりとお尋ねできますが、騎士ガラリアには、聖戦士を追うというお心積りは、ないのでありましょうか?」
「あるわけないだろう!」
ガラリアは、さすがに、声を荒らげた。
しかし、リムルは動じなかった。自分の気持ちに率直なのであろう。聞きたいことを聞く、という姿勢を崩さなかった。
「真実でありましょうか? 騎士ガラリアと聖戦士の噂《うわさ》は、聞いておりましたが……」
「可愛《かわい》くない姫様だねえ……大人になれば、いろいろあるさ。信義にもとる騎士、それが聖戦士であればあるほど、許せないものだ」
「本当でしょうか?」
ガラリアは、暖炉の火で、右の頬《ほお》を赤くしたリムルを睨《にら》みつけた。
「……姫様は、王のスパイかい? あたしの本心を聞きに来たのかい?」
「……!? そんな風に見えましょうか?」
ガラリアが思わず笑ってしまうような驚きの表情を見せてから、リムルは、おずおずと聞いてきた。
「あのね……そう考えぎるを得ないんだよ。聖戦士の離反につられて、アの国を脱出しようとする騎士の噂は、聞かないでもないからね」
「…………」
リムルはしょんぼりと肩を落して、退出する風を見せた。
「ね、本当の姫様の気持ちをさ……聞かせなさいよ。なにを探りに来たんです?」
「義父《ちち》と母にはご内密に……ガラリア様ならば……わたくしを、アの国から連れ出してくれるのではないか、と、そう思いました」
ガラリアは、さすがに絶句した。
二人しかいない部屋であるが、壁に掛けた飾り鎧《よろい》の陰に、スパイでもいたら……と、ガラリアは視線をめぐらした。
「……呆《あき》れたねぇ……それで、なんでそんな風に思ったの? ラース・ワウの暮しが嫌いなのかい?」
「好きではありません……でも、そんなこととは関係ないのです。わたし、今度の聖戦士の離反で、あの方は、なんと申しましょうか……世界の真実をご存じなのではないかと思ったのです……ですから、あの方の側で、勉強をしたかった、と……」
「この国には、地上人で学問もあるショットとかトレンがいるでしょう」
「義父《ちち》と合うような地上人には、興味がありません」
それは、ガラリアにも分った。
城内深く暮すリムルが、そのように理解できているということに、驚嘆したくなる思いさえあった。
しかし、リムルごとき小娘の言葉に乗って、話を合わせるとジョクに同調してしまいそうな自分に気づいて、ガラリアは、話の筋を壊そうとした。
「いいかい? 姫様……あたしは、ジョクのやり方を怒っているんだよ。アリサ様のこともあったが、そんなことは抜きにしても、今回の件は、騎士の信義を踏みにじったんだ。八《や》つ裂《ざ》きにしても、飽き足らない気分なんだよね」
「……そうでありましょうねぇ……騎士であれば……」
リムルは、ゆったりと立ち上って、頭を下げた。
「すみませんでした。お心を乱してしまって……」
そのポツリとした印象に、ガラリアは、うかつに言葉を継《つ》いでしまった。
「なんで、そんなにジョクのことが気になるんだよ? 言ってごらん」
ガラリアは、そう言う自分こそ、ジョクへの未練を吹っ切れないでいると感じていた。
「……聖戦士殿がいなくって、アの国は、空洞になったという感じがしたのです……別の言い方をしますと、聖戦士は、ガロウ・ランに跳ね飛ばされてしまったのではないか、というような恐ろしさを感じるのです。聖戦士が戻ってくれなければ、この国は、滅びないまでも、邪悪なものになっていくのではないか、と感じるのです」
リムルは、居間のドアの方に歩みながら、説明してくれた。
ガラリアは、背筋に、スウーッと冷たいものを通されたような気がした。
心の奥底で、曖昧《あけまい》に渦巻いていた言葉が、輪郭を持って語られた、という感触である。
『小娘でも、そう感じたか……』
しかし、ガラリアの口をついて出た言葉は、違うものだった。
「まるで物語ですねぇ……。いいですかい? あんたの義理のお父上は、ハワの国、ケムの国、リの国と、国力が同じか上の国を負かしたんだよ。ショットとトレンの協力が、ますます強力なオーラバトラーを生み、オーラ・シップを建造して、ドメーロでさえより強力になった。これだけの力があれば、ジョクという一人の地上人の力などは、ただのパイロットとしての力しかないのです。現代は、一人のパイロットよりも、一人の技術者が設計した機械の方が、よほど力になっているんですよ。今や、我国には、ジョクに比せられる技量の持ち主は、一杯いるんですよ」
「でも、聖戦士の称号をいただいた方は、お一人です」
「なに言ってるの。ドレイク様が、地上人をおだてて使うために与えた称号じゃないか」
「そうでしょうか? それだけのものでしょうか?
義父が、聖戦士の称号をお与えになったのは、ギィ・グッガの戦いの前でありましょう?」
リムルは、身体をガラリアの正面に向けて、はっきりと抗議をした。
その態度は、ガラリアが戸惑《とまど》ってしまうほどだった。
「……? 何が言いたいんです!?」
ガラリアは、思わず、声を大きくして、詰問調になった。
「……ギィ・グッガの霊が、義父《ちち》に取り憑《つ》いたという噂《うわさ》がございます」
「今日まで、ドレイク様が、間違ったことをやったかい!?」
「いいえ……よい父です。ご自分の力を信じすぎていますが、よい国王でしょう」
「そうだよ。ドレイク王に、ギィ・グッガが憑依《ひょうい》したなどという噂は、あたしは信じないね」
「でも、なんで、そんな噂が立つのでしょうか? 人びとの直感に、確かな裏づけがあるとお思いになりませんか?」
「デマ。それだけさ……リムル様……ご苦労は分りますが、もう少し心を安らかにお持ちなさいませ……どうか、一人の少女として、すこやかな人生をお送りになって……」
「……そうしたいのです。ですけど、聖戦士殿がいなくなった空白を感じてしまう自分をどうしようもないのです……これは、自分の意思ではないのです」
リムルの表情は、夢みる少女の哀感を漂《たたよ》わせているというような曖昧《あいまい》なものではなく、しっかりとした手応《てごた》えのあるものとして、ガラリアに迫った。
「……やれやれ……あたしは、騎士です。ジョクのことなど忘れることができる力を持っています。姫様……?」
「騎士ガラリアの立場は、よく分りました。最後に、もうひとつだけ教えて下さい」
「あたしで分ることだけにしておくれ」
「サラーン・マッキというフェラリオは、どこかに匿《かくま》われているのでしょうか?」
「ハッ……そういう質問ですか?……知りません。というより、その名前のフェラリオは、もう泡になって、コモン界にはいないんでしょう?」
「……嘘《うそ》をおっしゃる」
「こんな問題で、嘘など言うものですか。姫様……トレンという地上人が、サラーンと寝たという話もありますがね……分りますかい? 地上人とフェラリオが、寝るという意味が……?」
ガラリアは、破れかぶれに近い心境で、言葉をぶつけるように言った。
「はい……セックスが、できるということでしょう?」
「よしよし……話だけでも知っていれば、こっちは言いやすい……そうだよ。トレンとサラーンが、寝たという話を、あたしは信じるんだ。なぜかって、トレンは、もともとサラーンの力で呼ばれた地上人なんだから、霊の気性が合うんでしょうね。でも、これがフェラリオにとっては、大間題でしてね」
「はい……」
リムルは、明快に頷《うなず》いた。
ガラリアは、リムルの顔を見て、彼女の誘導尋間に引っかかった、と感じていた。
「だからです。サラーンは、エ・フェラリオのままではありません。地上人と通じた罪で、コモン界にいつまでもいることができなくなって、今は、泡になってしまったのです。泡になっても、クスタンガの丘に染《し》み出ることもできずに、地に染み込んで、ガロウ・ランの世界に入ったかも知れないんですよ」
「そうなんですか……地上人を呼べたフェラリオならば、聖戦士を呼び戻せるのではないかと想像したんですけれど……」
「そうか……それですよ!」
ガラリアは、一人でいれば考えもしないことを喋《しゃペ》って、ようやく、新しい事実を思いついていた。
「はい?」
リムルは、次のガラリアの言葉を待った。
「あのね、サラーンは、咋日までは生きていたかも知れないんです……でもね、サラーンはアの国から消えた。だから、聖戦士は、アの国から離反した。そう考えることだってできますよ」
「そうですか……そうでしょうね……バイストン・ウェル全体のバランスって、そういうものですものね……」
「そうですよ。そうでなければ、こんなに突然、ジョクがアの国に愛想《あいそ》づかしをする筈《はず》がないもの……」
それは、半分以上、ガラリアが自分自身を納得《なっとく》させるためのロジックであった。
「そうですか……なんと悲しいことを……」
ガラリアは、立ち尽したリムルの瞳《ひとみ》から溢《あふ》れる涙が、暖炉の火を映して震えているのを、呆然《ぼうぜん》と眺めていた。
自身も納得できるロジックの発見に驚いているのだから、他になにもできないのである。
「……姫様……すみませんねえ……あたしは、騎士をやるしかない女ですから、お役には立てませんで……」
しばらくして、ガラリアは、リムルを現実の問題に引き戻そうとして、声をかけた。
「ああ……そうですね……ありがとうございます」
リムルは、指で涙を拭《ぬぐ》って、ドアのノブに手をかけた。
「いろいろと勉強させていただいて、嬉《うれ》しく存じます。騎士のご武運を……」
リムルは、自らドアを開いて、玄関に向った。
リムルが、手にしたショールを頭からかけた時に、ガラリアは、ふっと思いついたことを口にした。
「……あの連中が、どう思っているか知りませんがね、ドメーロ部隊の第二か第三戦隊に、ニー・ギブンと一緒に戦っていたキチニとマッタというパイロットがいます……アの国から脱出するぐらいのことならば、手伝ってくれるかも知れません」
「…………」
リムルは、何も言わずに、ガラリアの屋敷を辞した。
ガラリアは、酒のひとつも飲んでからでないと、眠れない疲れを感じて、寝室への階段を上っていった。
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地を這《は》う霞《かすみ》は、幾重《いくえ》にも白い帯になって、森の木々をくすんだ藍《あい》にそめていた。
その霞を揺するようにして、明けやらぬ空に、三機ずつ編隊を組んだフラッタラが、次々と離陸していった。
それらの編隊は、上空で六機編隊になると、滑走路わきで見送っている貴族、将官たちの頭上を旋回したのち、それぞれの目的地に向って、飛び去っていった。
ほかに、すでに前線で展開している六機のフラッタラ部隊がある。
これが、現在のミの国のフラッタラのすべてであった。
もちろん、今日でも、フラッタラの製造は続いているが、五日に一機を前線に送り込めれば、良しとしなければならないのが、現状であった。
ジョクは、睡眠不足も忘れて、手を大きく振って前線に向う編隊を見送った。
数日という短い時間であったが、ジョクは、フラッタラ部隊に、コモン人が想像しないような戦術を叩《たた》き込むために、狂奔《きょうほん》したのである。
しかし、敵は動き出していた。
訓練の成果など問う間もなく、彼等戦士たちを、前線に送り出さざるを得ないのである。
ジョクの胸が痛まないわけがなかった。
「見事です。聖戦士殿」
ピネガン・ハンムは、即製の台から降りると、ジョクに握手を求めてきた。
「最低限度のことしかできませんでしたが、少なくとも、フラッタラの性能は、これまで以上に発揮できるはずです」
「編隊を組んで離陸するのにも、意味があるのでしょうかな?」
王はまだ若いが、ジョクに対しては、十分すぎるほど気をつかってくれた。
「たえず味方機の位置を確認する訓練になります。同時に、三機が迎撃に出て、高度を取ることができます。空中戦闘は、まず高度差を十分に取ることが肝要です。さらに、これは、地上要員たちの動きを、早くさせる訓練となります」
「成程、我々は、機械を貴重に扱いすぎましたかな?」
「そうですね……それは、言えます」
ジョクは、現代の東京の生活に慣れすぎている自分を、こんな会話の時に感じた。
何も考えずに、乗用車に乗る生活をなつかしく思う一方で、その弊害を感じる時でもあった。
膨大なエネルギーを使う道具なら、自分で整備して使うくらいの汗を流す必要があるのではないか、と考えるのである。
暴走族などは、機械を安易に使いすぎる現代社会が生んだものであって、素朴《そぼく》さが財産であるという考え方を、アナクロと思えなくなっているのである。
ミの国の人びとの機械に対する考え方は、素朴であった。
アの国の軍人以上にオーラ・マシーンを貴重に思うあまり、フラッタラの飛行する能力だけに満足して、水平飛行から地上を攻撃する道具ぐらいにしか考えていなかった。
その考えを改めさせたのが、ニー・ギブンであり、その実地訓練を強要したのが、ジョクであった。
彼らを訓練しながら、ジョクは、機械に対する人びとの素朴な感性を貴重なものと感じた。
しかし、勝つためには、急降下爆撃も教えなければならない、という現実に、ジョクは、痛みを感じるのである。
コモン界を地上世界と同じにして、人びとに機械依存の悪癖を植えつける……。
『これも汚染か……』
その痛みが、痛烈にジョクの胸を打つのである。
「オーラバトラーの編成については了解しましたが、ドウミーロックをミィゼナーに集中しすぎるという批判が出ています。これは、どう考えるのですか?」
ピネガンは、自分の馬車の方にもどりながら尋ねた。
「いろいろな考え方があります。一隻の船に、働きの違う飛行機を搭載《とうさい》するのが、一般的です。その意味では、その批判は、当っています」
「ウン……」
ピネガンは、馬車の踏み台を上った。別に非難がましい表情は見せなかった。
「……しかし、ナゲーマンの甲板は、ドウミーロックには狭すぎます。それに、ミィゼナーと自分のカットグラ、ドウミーロックは、ミの国の物ではありません。ですから、これらをミの国の楯にするつもりになったのです」
「…………!?」
ピネガンは馬車に座って、ジョクを招いた。
「お気持ちは分るが、貴公には、戦い抜いてもらわねばなりません。簡単に死ぬような布陣は、感心しませんな」
「死ぬつもりはありません」
ジョクは遠慮を忘れて、ピネガン王の向いの席に座った。オープンの馬車のシートは、朝の露にかすかに冷《ひ》えていた。
ピネガンは、ジョクよりもたっぷりひと回りは大きい巨躯《きょく》を揺すって、笑った。
「ハハハ……それは良かった。わたしは、人使いが荒いのです。使い切るだけ使うのが、主義ですからな」
「それで結構です。自分も、いくつもの栄誉を身につけて、地上世界に、錦《にしき》を飾りたいという志《こころざ》しがあります。そして、このような世界があることを、地上世界の人びとに知らせたいのです」
「分りますよ」
ふたりは、馬車の快い振動に、身を任せていた。
「地上世界の人びとは、世界全体の破滅が来るのではないか、と恐れています。にもかかわらず、政治的な抗争は終らず、戦争が続き、環境の破壊が続いているのです。これをやめさせるためには、自分は、バイストン・ウェルのような世界があることを、地上世界の人びとに知ってもらう必要があると思っています」
「知ってもらうことで、地上の抗争が終るのですか?」
「はい。この世界は、人間の生体力《オーラちから》でできている世界だ、という考え方がございます」
「ありますな……だから、我々には、地上世界が、自分たちをもたらしてくれたという意識があって、地上世界を崇拝する信仰があります」
「アニミズム信仰のような考え方ですね?」
「そうです。世界にあるあらゆるものには、生があり、我々と共にあると……」
「ですから、地上世界の科学でも解明できなかったこのバイストン・ウェルの世界を提示すれば、地上世界にすむ人間も、少しは、謙虚になるのではないか、とお思いになりませんか?」
「なるほど……最近の地上の異常な人口増加も、このコモン界の動乱の要因だとおっしゃった聖戦士殿の推論は、面白く承《うけたまわ》りました。あのお話は、初めてお会いした晩のことでしたか?」
「そうです……バイストン・ウェルの世界に、地上人の力が流れ込んでいると考えると、コモン界の急速な発展も納得がいきます」
「……環境破壊の説明もいただきましたが、地上世界では、本当に、この丘陵地帯すべてをコンクリートやアスファルトという固い材質で、覆うようなことをしているのですか?」
「ええ、石積みの補強や塀などに使うコンクリートも、品質や強度が上っていますから、高さが百メートルを超える箱のような建物も造れますし、その建物の間には、アスファルトの道路が、何千キロと続くのです」
「それが、環境汚染ですか……」
王は、改めて周囲の光景を眺め渡した。
周囲の木々の間に埋もれるようにして、王を待ってる、三十機ほどのオーラバトラーが見えた。
「……現在、地上世界で問題にされている環境汚染は、もっと悪質な段階に入っています。硫黄《いおう》とか鉛とか、ガソリンが燃える煙が、ここを覆っていたら、どうなると思いますか?」
「臭《くさ》いし、燃えカスの毒が出る。昔は、鉛で水道のパイプを作っていたために、鉛毒で人は短命であった、という考古学的な研究も発表されています」
「はい……現在、地上世界では、それ以上に危険な化学物質が、人びとを苦しめています。知らないうちに毒が身体に入った母親から、奇形児が生れるようなことも起っているのです」
「……信じられん……それで、人は、暮していられるのですか?」
ピネガンにとっては、想像しづらいことであろう。
このことを理解してもらうために、ジョクは、次々に具体的な事例を挙げていった。
そんな事例にことかかない自分たちの地上世界は、本当にひどい処《ところ》だと今更のように思う。
「具体的には、お分りいただけないでしょうが、環境汚染のひどさが、人間の暮しを悪い方向に向わせていることは、事実なのです。もちろん、地上世界は、大変広いのですが、人が住んでいる処、および居住可能な処の被害は、深刻です」
「聖戦士殿のいうことが本当ならば、悪いと分っていることを、なぜ、やめないのでしょうか?」
「ドレイクに、オーラ・マシーンは危険な道具だ、と何度も忠告しました。しかし、便利な道具を手に入れると、人は、なかなかそれを捨てる勇気を持てません」
「成程《なるほど》な……」
この比喩《ひゆ》は、ピネガン王にも、ストレートに分った。
「つまり、地上世界で、科学技術のすすんだ国の人びとは、便利な機械を使いすぎて、機械のもたらす悪い面を考えるのを、やめてしまったのです」
「それが、深刻な環境汚染を作った……?」
「はい、人口の増加もそうです。長生きしすぎる罪というものも、あります」
「それも悪ですか?」
「老人の存在が、社会の良き象徴であったのは、人が短命であったからです」
「バイストン・ウェルでは、短命ということはなかった……が、人が多すぎるという時代もなかったといいます……」
「人が増えれば、世界そのものも拡がったからでしょう?」
「そうらしい……コモン世界の地図は、歴史に記録されるようになってから、拡大しているのが分ります……」
「中世の地上世界でも、そういう考えがありましたが、ある時、世界の大きさの限界が分るようになったのです。そうしたら、人口増加の問題は、悪とはいわないまでも、克服しなければならない最大の問題になってしまったのです」
「バイストン・ウェルは、大丈夫《だいじょうぶ》ではないでしょうか? 生体力《オーラちから》で形成される世界ならば、人が増えるだけ、世界が拡がります」
「そうでしょうか? あるゆる現象には、適切な尺度というものがあります。バイストン・ウェルといえども、肥大しすぎれば、パンクすることだって考えられます。宇宙そのものも無限ではない、という考え方が出てきているのですから……」
「世界は有限と……?」
「はい……」
向うに、一機のドウミーロックが、ゆったりと歩行している姿が、見えるようになった。その後ろには、カットグラと、ミの国が独自に開発したオーラバトラー、ラゲッサが、王の謁見を受けるために、整列していた。
「あれは?」
「はい……マーベル・フローズンのものです」
「フム……慣れたようですな」
「その意味では、オーラバトラーのパイロット達も、使えるようになりました」
半分は、お世辞《せじ》である。
しかし、劣勢の戦力をカバーするために、ジョクとニーは、バーンがギィ・グッガに対したように、ドレイク軍の侵攻ルート上に、可能な限りの爆発装置と火矢の用意をさせたりして、少なくとも、以前のミの国の対応力よりは、増強させたはずだった。
「……ジョク!」
甲高《かんだか》い声が、最後にオーラバトラーの隊列についたマーベルのドウミーロックの方から聞えた。
「…………!?」
と、チャム・ファウが羽根を震わせて、ジョクの肩口に飛び込んで来た。
彼女は、ジョクの頭に取りつき、脚を肩に乗せてとまった。
「無礼だぞ、チャム!? ピネガン陛下だ」
「あーっ! 王様!? 王様なんだ?」
「…………」
彼女を見返すピネガンの視線は、好意的なものではなかった。
「チャム・ファウです。よろしく」
「ああ……ピネガンだ……好かれているようですな?」
「ええ……コモン人たちが、ミ・フェラリオを良く思っていないのは承知しています。しかし、なにかの縁でしょう。お認めいただきたいのです」
「これらは、バイストン・ウェルの世界の掟《おきて》を破って、住む処を間違えた者たちです。糾弾《きゅうだん》されてしかるべきことしかしませんぞ」
「よく、教育します。自分にも、この娘《こ》にも、自制心はあるようですから……」
「いいでしょう。チャム・ファウ?」
「はぁい」
「見たこと、聞いたことをペラペラ喋《しゃべ》るのではないぞ。そのことで、どれほどの人を苦しめるかは、子供であろうとも知るべきである」
「知っている! ミィゼナーのことはミィゼナーでだけ。この国のことはこの国でだけ。世界のことは、世界でだけ。他では、喋らない」
チャム・ファウの演説する声が、右の耳元に降りかかるように響いてきて、ジョクはくすぐったかった。
「ま、油断なさらんほうがいい」
馬車が、ドウミーロック三機が、並ぶ前に停まると、ピネガン王は、堅い表情のまま馬車から降り立った。
ジョクも、王に続きながら、ミ・フェラリオにたいする評価は、かくも厳しいものなのか、と憂鬱《ゆううつ》になっていた。
伝説のなかで語られる格言に、魅力的であるものほど気をつけろ、というのがあるのは、ジョクも知っている。
魅力的なものは、人に、勤勉と誠実さを失わせてしまうことがあるからだろう。それは、サラーン・マッキのような存在を考えれば、容易に理解できる。
小さなフェラリオも、成人すれば、小さいままで、コモン人の性的な慰みの相手になるということは、ジョクにも想像できた。
『ま、ロリコンに近いか……』
なにしろ、ジョクの時代の東京では、青年の間でも着せ替え人形が流行《はや》っているのだから、泣いたり噛《か》みついたりする癖を容認できれば、チャム・ファウなどは、完壁《かんぺき》に愛玩《あいがん》動物になるだろう。
しかし、ジョクには、そのような性癖はなかった。
彼にあるのは、この娘が、バイストン・ウェルの中でも、違うエリアから来た者であるということ、そのことが、自分に、世界のことを考えさせるヒントを提供してくれるのではないか、という期待であった。
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ピネガン王の前には、パイロットたちと、ジョクがハンダノの城から引き連れて来た者たちを中心にしたメカニック・マンとも言うべき、オーラバトラーの保守要員が整列していた。
フラッタラ同様に、オーラバトラーも、今朝を期して、実戦配置につくのである。
ピネガン王は、簡単な訓示を与えると、彼等一人一人と握手をかわして、祝福を与えていった。
「……勝利の輝かしさが、死と敗北を蹴散《けち》らすように……」
最後が、マーベル・フローズンである。
「慣れましたかな?」
「はい。お国の方々が良くして下さいますし、聖戦士殿が、たっぷりと絞ってくれましたので……」
マーベル・フローズンも、第三者の前では、コモン界の常套句《じょうとうく》を使って、ジョクを呼んだ。
「…………」
彼女の革鎧《かわよろい》姿は、ジョクの目には素敵《すてき》なものに映った。骨太で肉付きのよい身体が、重い革鎧を苦もなく着こなしているために、女戦士らしい逞《たくま》しさを感じさせながらも、しなやかに見えるのである。
それは、白人女の強さを証明するもので、コモン界の戦士たちにも劣らないものであった。
『ニーが、惚《ほ》れるわけだ……。昨今のズルけた日本人の若者が、この恰好《かっこう》をしたらどうなるのかね』
ジョクとて、決して逞《たくま》しい青年ではなかったのだが、妙な運命に引きずられた結果、ともかく戦士という形を手に入れたのであった。
しかし、この三年余りの間、忘れかけていた東京の記憶を呼びもどしたい衝動に駆られて、日本人の若者を非難がましく思い出すのだろう。
「……わたしの目から見れば、地上人のマーベルには、大変な力を感じます。よくよく尽して下されば、わたしごときがいなくとも、その力は、聖戦士同様に、広く世界に示されるでありましょう。貴女の栄達が、見えるようです」
お世辞を言うのはコモン人の通性であるが、ピネガンの言葉は、あながちお世辞ではない。
マーベルも、照れもしないで、素直に礼を言った。
「ありがとうございます。お国に身を寄せさせていただいてから、オーラバトラーを触らせて下さったおかげです。でなければ、聖戦士殿の要求に、答えられませんでした。それに、お国の騎士たちが、快くわたしを受け入れてくれたことが、わたしに自信を持たせたのです。これは、王のお心の広さの証明であります。感謝いたします」
マーベルは、よどみなく言うと、他のパイロットたちを振り向いた。
王は、満面に笑みを浮べて、マーベルの手を握った。
「では、オーラバトラーを駆る騎士たちよ! アの国の侵攻に対して、よく国を守りきれば、打倒ドレイクの声は、世界中に起ろう。むざむざと敗北することはない。天霊地霊と共に、その職務を全《まっと》うしていただきたい」
王は、士官たちにそう言い残すと、馬車の人となった。
「なんで、あたしにも、同じことを言ってくれないんだ?」
チャム・ファウは、王の馬車を見送りながら、ふくれた。
「チャムは、まだ子供だろう? オーラバトラーの操縦はできないし、修理だってできない」
ジョクは、チャムが肩にとまっていることなど気にしないで、カットグラの方に歩み寄った。
「子供だって、できることあったじゃないか! ジョクを助けた」
チャムは、ジョクの髪にかじりついて、離れようとしない。
「いつまでも、同じ手が通用すると思うなよ。もっと勉強しなくちゃいけない」
「ここで勉強やっている! クスタンガだけが、勉強する処じゃない」
「うるさいね!」
ジョクは、耳元で怒鳴《どな》られるのが厭《いや》で、チャムの胴を払おうとしたが、逃げられてしまった。
「好かれちまいましたねぇ?」
ソトロウ・レストマーラが、笑った。ドウミーロックのパイロットのなかでは、一番の年長者で、博学の男である。
「……いいことだと思っているよ。女の子に、好かれているんだからな」
「そうです。そうです」
ドウミーロックのパイロットたちが、ドッと笑った。
「笑われている。反省しろ」
ジョクは、頭上をクルクルと飛んでいるチャムに言った。
「勉強するから、ここにいるのに、なんで笑う!」
チャムは、ジョクの髪の中に飛び込んで叫んだが、その声はべソをかいているように聞えた。
「これが、クスタンガに戻らないと、成長しないというのは、本当なのか?」
ジョクは、ソトロウに聞いた。
「本来、このフェラリオたちは、そうしないと天に昇れないようです。世界の境い目には、嵐《あらし》の壁のような結界がありますからね……花の力で、クスタンガからワーラー・カーレンへ入るといいますね」
「ああ……蓮《はす》の花だな?」
ソトロウの説明は、ジョクにはよく分った。お釈迦《しゃか》様が、蓮の花の上に座る構図は、こういう事実から発想されたものではないか、とジョクは想像するようになっていた。
「しかし、妙ですねぇ……」
「なにがだ?」
ソトロウ・レストマーラは、ジョクの髪の毛に頭をつっこんでいるチャム・ファウのお尻《しり》あたりを眺めて、しかつめらしく捻《うな》った。
「泣いているみたいだ……いえね。この娘《こ》の言い方とか、やっていることってね、我々が聞いていたフェラリオとは、違いますね。なんと言うのかな。勝手に振る舞っているように見えますがね、聖戦士の言うことをなぞっているような処がありますね。うまく言えませんが……」
「…………?」
「聖戦士のやることが、分っているようなところがありますぜ」
別のドウミーロックのパイロット、メトーオ・ケトロスがつけ足した。
「そうそう、はすっぱで、色狂いって奴《やつ》で、すぐ裸になるようなのと違うな」
「そんなのいるんですか?」
マーベルが、ドウミーロックの補欠要員ヘサ・ミセッテの厭《いや》らしい言い方に、眉《まゆ》をひそめた。
「いえ、見たことありません。飲んだくれのフェラリオぐらいしか知りませんが、そういう話は、よく聞きますよ。でも、そういうのとちょっと違うんですよ、チャム・ファウと言うんですかい? そのフェラリオは」
補欠要員ではあっても、ヘサ・ミセッテも騎士である。それほど出任せを言うとは思えなかった。
「たとえそうでも、人には、それぞれ居るべき場所というのがあるさ。チャム、作戦が終ったら、ミィゼナーで、クスタンガに連れて行ってやるよ。おい! 発進だぞ!」
「ハッ!」
パイロットたちを追いたてたジョクは、背後に位置したラゲッサが、次々に離陸するのを見上げながら、
「チャム。みんなは行ったよ。もう泣くんじゃない」
と、頭の上にかじりついているチャム・ファウの羽根のあたりを叩《たた》いてやった。
「知っています? あの嵐《あらし》の壁は、もうあそこにはないんですってよ? どうやって戻るんです?」
マーベルは、ドウミーロックのコックピットへと梯子《はしご》を登りながら、言った。
「現れて消えたものならば、また現れるさ。その時に、ミィゼナーで追いかける。カットグラでもいい。そういうことができるようになったのも、オーラ・マシーンのおかげさ」
ジョクはそう言いながら、今しがたまで、王にしていた話と矛盾するようなことを言っている、と気がついていた。
「意気込みは分りますけれど、無理しすぎてはいけないわ」
マーベルは、革鎧《かわよろい》に包まれた形の良いお尻《しり》をコックピットに隠しながら、地上人同士の気安さで、言った。
「そうか……無理なのか……」
ジョクは、確かに、自分は目一杯働きすぎていると感じていた。
『アリサに会って行かないとな……』
ジョクが、そう思った時、チャムは羽根を鋭く撥《は》ね上げると、ジョクの手の下からマーベルのコックピットへ飛びこんでいった。
「……? まさかな……」
ジョクは、ソトロウたちの言葉を思い出しながら、カットグラの梯子を登った。コックピットに座り、左右のドウミーロックに先行するよう合図を送ると、自分も、キロン城に向った。
キロン城の周囲の空域では、ミィゼナーと四隻のナゲーマンが、艦隊列の飛行訓練を続けていた。
それは、キロン城周辺の住民たちと、幾《いく》つかの同盟関係を結んでいる外国の武官に対する示威運動であり、艦隊行動の最終訓練でもあった。
ジョクは、キロン城に入ると、カットグラを降りて、アリサに当てがわれている部屋に向った。
ピネガンよりも早く城に戻れたので、話をする時間はあるはずだった。
「……アリサ様は、まだ部屋にいるか?」
「はい……パットフット様のお呼びをお待ちいたしております」
「そうか……」
ジョクは、侍女《じじょ》の案内で、アリサの待つ部屋に入った。
「ジョク……いいのですか?」
「うむ……。アリサに会うのも、ぼくにとっては、大切なことだ。みんなは分ってくれる」
ジョクは、穏やかなアリサの表情を見て安心した。
「……ジョク……よくやってくれていますね。わたしには、ただ頑張《がんぱ》って下さいとしか言えませんが……勝って下さい」
最後のひと言を、ポツリと切るように言った。
「全ては、運命のなすがままだ。自分の意思は、働かせないようにしているつもりだ」
「もし、それが本当にできるならば、あなたは、真の聖戦士です。世界にとって……」
「ドレイク・ルフトについても、同じことが言える、とぼくは思っている。憎むことは良くない。それだけは、分ってくれ」
アリサは、それには答えず、窓の外の湖の景色に顔を向けた。
「……パットフット様は、良い相談相手になってくれるだろう……いい時間を持たせてくれたことを感謝するよ。アリサ……」
ジョクは、アリサに近づくと彼女の肩を抱いた。胸に彼女の暖かい肉のぬくもりが伝わってきた。
それは、人の生気そのものである。
ジョクは、深呼吸をした。
「……君が来てくれなければ、ハンダノの暮しは、味気ないものになっていただろう……ありがとう」
「それでは、もう会えないみたいな言いようです」
「言い残していることがあるのは、気持ちが良いものではない……夫婦でも、礼は言い合うよ……」
「地上では、そうする?」
「ああ……。君のお母様も、そういう方だったろう?」
コックリと頷《うなず》いたアリサの首筋が震えた。
「ご免なさい……ずうっと、逃げ回って……」
アリサは、初めて体の力を抜いて、ジョクにもたれかかった。
「君の気持ちも分っているつもりだ。この戦いがすんだら、本当に結婚しよう……」
「フフ……でも、今になってウンと言ったら、ガラリアはいいけれど、今度は、あのチャム・ファウが、嫉妬《しっと》するかもしれなくてよ?」
アリサは、ジョクの顔を見つめて言った。
「なにを言って……」
ジョクは、アリサの眼から、頬《ほお》、唇へとキスをしていった。
「ああ……ジョク……勝って下さいね……」
唇を触れたまま、アリサは言った。
その時、ドアをノックする音がした。
「…………!?」
「パットフット様が、そろそろいらっしゃって下さいと……」
「はい……」
アリサは、ジョクの腕の中からすり抜け、ガウンを羽織《はお》ると、もう一度ジョクの腕の中に走りこんで、キスを要求した。
「…………」
アリサの瞳に、厚く涙が震えていた。
ジョクは、それを父を敵にしてしまった少女の涙だと感じて、その涙を吸い、そして、もう一度、接吻した。
ジョクが、アリサに従うようにして中庭に出ると、数台の馬車の向うで、ピネガン王とその妻が、別れを惜しんでいるところだった。
ラウの国のフォイゾン・ゴウの娘であったパットフットを、拉致《らち》するようにして妻にしたという噂《うわさ》の通り、ふたりの立ち姿には、愛惜《あいせき》の情が溢《あふ》れていた。
傍《かたわ》らでは、娘のエレが、悪びれる風も見せずに、夫婦の別れを見守っていた。
背筋を伸したエレの姿は、美しかった。
侍女が立ちどまり、アリサとジョクも、二人の別れがすむのを待った。
「……エレ……」
パットフットが、ピネガンの胸から離れると、娘を呼び寄せた。
まだ幼いエレが、スッと脚を踏み出す姿は、淑女のように端正であった。
その姿は、数少ない見送りの者たちの涙を誘ったが、エレには、そのような俗っぽい感傷には関心がないかのような厳しさがあった。
『……なんという娘なのだろうか……?』
ジョクは、エレのその姿に、尋常でない人の姿を見る思いに打たれた。
ピネガン王の妻と子供が城を出ることは、公表されてはいないので、送る者も送られる者も、必要最小限度の数であった。そのことが、より哀れな空気をかもし出しているように思えた。
ピネガン王は、エレの肩に手を置くと、
「……お前のお祖父《じい》様であるフォイゾン・ゴウは、お前と母が、この城を逃げ出したと知ると、ますますお怒りになろうが、父には、死することが生きる道とは思えんのだ。エレ、お前には、世界を見通す力もあるように見える。よいか……どのようなことがあっても、母の言うことを守り、お前の力を発揮して、いつか、お祖父様のお怒りも解《と》いてくれ……」
「はい、お父様」
エレは、何も知らぬ気に、明るい声で答えたと思ったのは、ジョクの誤解であった。
「そうか……お前のその声をきくと、このキロン城にもまだまだ先があるな?」
「はい……」
エレの答える声がはじけた。
「では、どう読むかな? エレは」
「はい……苦難の道でありましょうが、キロン城が消滅することはございません……でも、その先は、わたしには分りません」
「そうか……しかし、お前のその微笑は、わたしにとって、力になる。ミィゼナーの轟音《ごうおん》を耳にして引きつけを起したそうだが、今のお前を見ていると、とても信じられん。エレ、勝利の可能性は、あると見ていいのだな?」
「広く世界を見れば、そのように感じられます」
ジョクとアリサは、思わず顔を見合わせた。
「ああいう姫様であったか……?」
「気休めでしょう。でも、優しい心が、あのように言わせているのです」
アリサは、ジョクの肩を噛《か》むようにして言った。
「ウム……しかし、もうお前は、八卦観《はっけみ》などはしなくて良い。疲れるだけだ。人の生活は、刻《とき》に身を任せるのが、もっとも自然である、と父は思う」
「御意《ぎょい》……」
エレは、小さい膝《ひざ》を折って挨拶《あいさつ》すると、パットフットに手を伸した。
「おお……アリサ様、いらして下さったか……こちらへどうぞ」
「はい……」
アリサは、一瞬、ジョクを見返ってから、中庭に出ていった。
「そこでありましたか……聖戦士殿……」
ピネガンも、ジョクの姿に、微笑して、中庭に招き寄せた。
「ハッ……申し訳ございません。お許しも得ずに、このような場所まで、出て参《まい》りまして……」
「なんの。カットグラが、先行しておるので、承知しておりました」
ピネガンは、傍《かたわ》らにジョクを立たせた。アリサも、同じ馬車で城を出るのである。
「……では、遠慮なく……」
アリサは、王に深く礼をして、馬車の人になった。
「では、わたしからの手紙が行くまでは、城に戻ってはならぬ。敵が、このことを知れば、虚偽の誘いをするかも知れんからな」
ピネガンは、窓から差し伸べられたパットフットの手を愛撫《あいぶ》しながら、御者《ぎょしゃ》に出発を命じた。
三台の馬車はごく普通のもので、各々の御者が、下働きをしてパットフットたちの生活の面倒をみることになっていた。
行く場所も、城とか砦《とりで》という体裁の処ではなく、狩りの時に使われた山小屋風のものであるという。
その小屋のことは、ピネガンに近い者しか知らず、付き従う者で知っているのは、先頭の御者だけであった。
「行ったか……」
ピネガンは、妻と別れる寂しさを隠そうともしなかった。
「…………」
ジョクは、何も言えなかった。
車輪の音が聞えなくなると、ジョクは王に礼をして、ミィゼナーと合流いたします。アリサ様とお別れする機会を作っていただきましたことを感謝いたします」
「ン……後ほど、視察に行きます」
「ハッ……」
ジョクは寂し気な王を残して、カットグラを待たせてある中庭に向った。その姿は、正に、コモン界の凛々《りり》しい騎士そのものであった。
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ラース・ワウの城全体のざわめく空気をふるわせて、涼やかな音が流れた。
冷たい空気をためこんだ石壁と石柱に包まれた回廊に、その音は清冽《せいれつ》に響き渡った。
ドレイクが、公式の謁見の間に出る合図の音である。
侍従《じじゅう》に衣装を点検させたドレイクは、冷たい廊下を足早に、謁見の間へと向った、
午後のオーラの光が溢《あふ》れる謁見の間は、明るかった。そこからは、底抜けに明るい空も望めた。
きら星のごとく並ぶ将兵たちの数は、千を超えていよう。
「ドレイク王に代って……」
声を張り上げたのは、クの国王ビショット・ハッタであった。
やや細面のその顔は、精悍《せいかん》で狡猾《こうかつ》そうであったが、生れつきの気品が、演台の前に立つ姿を、高貴にしていた。
ビショットの背後のメインの王座に座るドレイクは、彼の後ろ姿に、卑屈さの影を感じていたが、それは、ドレイク故であった。
『だからこそ、この男には、油断できないのだよ』
ドレイクは思いつつ、左隣りの妻ルーザの横顔を見やった。
『この女は、こういう儀式が好きなのだな……』
ドレイクは、しみじみと思った。
「このビショット・ハッタが、ミの国に対する誅伐《ちゅうばつ》を宣言する。諸将の敢闘を期し、むごく長い戦乱を続けることなく、ここに示された目的を、すみやかに完遂されんことを願う」
「たいしたものよな」
ドレイクは、ルーザの方を向いて、ビショットのよく通る声を誉《ほ》めた。
「はい……良き男振りで……本当に良い同盟者を、お上は、手に入れましたこと……」
「全くよな……」
ドレイクは、ビショットの頭の上の背丈《せたけ》の高い帽子を見やって、妙なものだと冷笑していた。
「……ドレイク・ルフトとビショット・ハッタが行う戦いが、コモン界に、永遠の平和をもたらすためのものであることを、諸将は、脳裏に焼きつけて、よくその持てる力を、発揮されんことを、望む! 諸君等の尊《たっと》き戦いの名声は、末代まで語り伝えられることを、誇りに思えっ!」
「おおっ!」
ビショットの誘いに乗って、一同が和した。
「勝利は、我が手にある。正義は、広くコモン人にっ!」
「うおおーっおおーっ!」
ビショットのアジテーションに乗って、場内の歓声は、一段と高くなった。
「よくおやりになる……」
ルーザは、艶然《えんぜん》たる微笑を浮べて、扇子《せんす》を使った。
ドレイクは、ビショットのやり方を肯定しているのか、揶揄《やゆ》しているのか分らないルーザの声音《こわね》に、チラッと目を走らせた。
『……どちらだ?……』
その疑問が脳裏を走った瞬間、ルーザは、ただ楽しんでいるのだ、と分った。
彼女は、もともとアの国の隣りにあるウルという小さい領地を守る領主でしかなかった。
ウルは、国というほどではないのだが、アの国の属領にもなっていない、独立した自治区というべきものであった。
ウルの歩兵は、古来から精強と言われ、ギィ・グッガの戦いにあっては、よく奮戦してくれた。
ルーザは、彼女の領地の小規模な経済では、オーラ・マシーン時代に対応できないと早くから気づいていて、ドレイクの先妻アリシアが没した後、信じられないようなす早さで、ドレイクの歓心を買って、ラース・ワウの第二の女|主《あるじ》に収まったのである。
ドレイクは、彼女の欲深をよく知っていたが、彼は、そのような女を身近に置くことによって、己れの刺激としたのである。
彼女の悟性を満足させるように働けば、アリシア亡き後の空疎な人生を、埋めることができるのではないか、と思ったのである。
そう考えた結果のひとつが、今日の、この出陣式なのであることを、彼は、よく認識していた。
「……ビショットは、真面目《まじめ》に陛下の下働きをやっておりまするな?」
「奴の魂胆は、儂《わし》が先鞭《せんぺん》をつけて開発し育てたオーラ・マシーン部隊のやり方を、根こそぎ手に入れて裏切ることだよ」
「まあ……そのような恐ろしいことを、このような場所で……」
「このような場所だから、安全なのだ。まさか、ここにいる将兵たちが、儂がここで、このようなことを言っているとは思うまい?」
「ホホホ……御意……」
絹の扇子《せんす》で口許《くちもと》を隠して笑うルーザの声を聞きながら、ドレイクは、席に戻るビショットと目を合わせて、挨拶《あいさつ》をした。
「……結構でありましたな。将兵たちの顔が、閣下の覇気《はき》のある演説で、燃えているように見えます」
ドレイクは、右隣りに座ったビショットに、世辞を言った。
「いや、王の人徳ですよ。それがなければ、どのように太鼓《たいこ》を叩《たた》き、笛を鳴らしたところで、兵は踊りません」
ビショットは、シャラッと答えた。
薄い唇がよく動くと思いながら、ドレイクは立ち上ると、ラバン・ドレト以下の作戦参謀が左右に居並ぶ演壇で、簡潔に言い放った。
「ミの国が、我がオーラ・シップのゼナーを奪った事件……これは、明らかに我が国への挑戦である。これを殲滅《せんめつ》し、アの国の北の守りを固める。それが、オーラ・マシーンによる近代化を促進し、旧態依然、頑冥《がんめい》なコモン界へ革新の血を導く道である。わたしは、宣言し、約束する。諸君等は今日の活躍によって、未来|永劫《えいごう》、革新的コモン界の創造を成した偉大な者たちとして語り継がれるであろう。コモンのローマンス高揚のために、諸君、血と汗を瞬時、我れに貸し給えっ!」
ドレイクは、最後に、両腕を天に向って突き上げてみせた。
「うおーっ!」
勝利が約束された戦いに臨む時の将兵は、底抜けに明るく、その歓声は、真実、ラース・ワウを揺るがしたものである。
諸将とあまたの士官たちは、戦勝を確信して、謁見の間を退出した。
しかし、中には、バーン・バニングスやガラリア・ニャムヒーのように、敵に回ってしまったジョクが、危険な存在である、という認識を深く持っている者もいた。
そして、この機会にラース・ワウを脱出しようとしている女性が、一人いた。
「…………」
肩をドンと叩《たた》かれたリムルは、慌《あわ》ててその青年を睨《にら》むようにして、駆け出していった。
周囲を見ることなど、怖くてできなかった。左右前後のパイロットたちの足音が、雪崩《なだれ》のように、彼女を押し包んでいた。
リムルはしゃがみ込んでしまいたくなりそうな衝動を堪えるのが、やっとなのだ。
リムルの前を行くのは、キチニ・ハッチーンとマッタ・ブーンである。後ろには、彼等のクルーになったアイザス・ゲランが従っていた。
キチニとマッタは、もともとジョクの家の者であったが、ジョクがカットグラに移り、ニー・ギブンがドーメのパイロットになってからは、ニーのブリッジ要員として長く働いていたのである。
ニーが亡命した時、彼等が、一緒に行動する機会がなかったわけではない。一度に亡命することは、危険だと考えて、残ったのである。
他にも理由があった。
今、こうして乗り込んでいくドメーロは、ドーメを継ぐ新型のオーラ・ボムである。これを持ち出す機会を狙《ねら》っていたというのが正しい。
彼等は、ニーやジョクと具体的に打ち合わせをしたわけではない。自分たちまで嫌疑をかけられることを、避けたのである。
それでも、ニーが亡命した時も、ジョクがゼナーと合流して亡命した時も、二人はラース・ワウの警察機構から取り調べを受けた。
しかし、彼等は、この二年近く、ドメーロ部隊の専属要員として生活し、ハンダノの家の者と思われるのは、騎士修行時代の名残《なご》りで、それ以上の意味はなくなっていた。
そのために、嫌疑を払うことはできたのだが、取り調べを受けたという事実が、二人にアの国からの離反を急がせることになった。
その上、リムル・ルフトの申し出があった。
彼等は、ついに、ドレイク艦隊の侵攻にまぎれて、亡命する決心をしたのである。
「おい! そっちのアーム! 見てくれない? 先刻のテストの時に、引っかかりがあったんだ」
「ハッ!?」
マッタ・ブーンが、先に自分たちのドメーロに駆け寄って、担当の地上要員の目をそらせた。
「さっ……!」
その隙《すき》に、キチニは、ドメーロのハッチに登るタラップに、リムルを押し上げ、アイザスが続いた。
「今になって、何やっているんだ! マッタ!」
「すみません!」
マッタは、キチニに振り向いて、ハッチに取りついた。
クルーたちと同じ革鎧《かわよろい》を着込んだリムルは、ブリッジの床にしゃがみこむようにして身を伏せた。
キチニは、ドメーロの天上のプラットホームに登り、アイザスがオーラ・ノズルを開いて、マッタが今しがた文句をつけたアームの動きをテストしてみせた。
「直ったみたいだ。すまねぇな!」
「補給基地に着くまでに、テストをして見て下さい。そうすれば、原因が分ります」
地上の担当者が、怒鳴《どな》った。
「おう! そうするわ。こっちのレバー、重いことは重いんだ」
マッタは、窓ガラスを閉じて、プラットホームのキチニに合図した。
ラース・ワウの一角、かつて機械の館のあった広場に勢揃《せいぞろ》いしたオーラボム・ドメーロ二十数機は、一発の号砲を合図に、次々に離陸していった。
「ヨーオーッ! ヨーッ!」
リムルは、外から聞える地上要員たちの声に合わせて、マッタたちが、お互いに掛け声をかけるのを頭上に聞いて、身を小さくしていた。
と、オーラ・ノズルの排気音が激しくなり、機体の震動も激しくなった。
「よーっ! いっよ!」
ギュルル……。
プラットホームのキチニの声に合わせて、リムルは、フゥッと身体が浮くのを感じた。
排気音を押し出すような力が、機体の下から突き上げてきて、リムルの内臓全体を震わせるように響いた。
「……ああ……」
気持ちは悪くはないが、神経まで響く震動は、慣れるまで時間がかかりそうだった。
もちろん、リムルは、オーラ・シップには乗ったことがあるし、ドーメにも乗せてもらったが、今日のこのドメーロは、生理的にまったく違う機械のように感じられた。
「リムル様、もう大丈夫《だいじょうぶ》です。ご覧になりますか?」
マッタが声をかけてくれたので、リムルは、ブリッジの中央のバーに掴《つか》まって立ち上った。
「……まあ……!?」
さすがに、複雑な感惰がこみあげて、リムルは息を呑《の》んだ。
新鋭のドメーロが、列になって飛行する姿は、ドーメ以上に力強かった。
丸っこい機体は、より洗練さを増し、四本のアームの動きもより速く、照準も容易になり、火力も増していた。
そして、背後には、緑の野と山、ラース・ワウを中心にした街の景観が、美しくひろがっていた。
その城こそ、この三年近くリムルが暮した場所であり、しかし、今日の今日まで馴染《なじ》めなかった場所でもあるのだ。
『別れてしまう……』
その思いが、リムルの胸を打った。
『お母様は、国を守ることに執心しすぎて、他の大切なことを、なにもかもお忘れになっていらっしゃる……それが、どんなに狭いものか、なんでお分りにならないのでしょう……』
リムルは、それが、悲しかった……。
リムルは、ラース・ワウに来てからは、子供扱いされなくなった。子供時代との訣別《けつべつ》の象徴、それが、リムルのラース・ワウであった。
ぐんぐんと遠くなっていくラース・ワウと共に、リムルは、重い存在であったルーザの気配までもが遠くなっていくのを感じていた。
『……でも、狭いだけならばいいのです。お母様は、人の不幸を呼び込むような立ち居振るまいをなさる……それがいけないのです……』
そんな思いを抱くことが、自立心を持ち始めた少女にとって、どんなに辛《つら》いものであるか、親は想像できないであろう。
親たちには、守るべき財産や親族や名誉、すなわち歴史があって、苦闘しなければならない現実があった。
そこが、何も持たない子供たちと決定的に違うところなのである。
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五機編隊のドメーロが五戦隊、ラース・ワウ上空を旋回すると、飛び去っていった。
それを謁見の間の前のベランダに立って見送ったのは、ドレイク以下の高官たちであった。
「では……」
ルーザは、扇子《せんす》をソヨッとゆすって、男たちから離れて行った。
まさか、目の前で、娘のリムルが、ラース・ワウを離れていったなどとは想像もしない。
部屋に閉じ籠《こも》りがちのリムルを心配することを、彼女は、やめていたのである。
彼女は彼女で、昔の領地の者たちを、いかにアの国の役所や軍に組み入れるかで忙しく、リムルのことは、家政婦任せになっていたのである。
ルーザの立場にすれば、当然の暮し方であって、母娘の関係が、冷たいということではなかった。
具体的に軍が動き出せば、その勝利の結果起るであろう、軍人たちの論功行賞や、新しい役所の人事で、考えなければならないことが山積していた。
現代人が考えるような、舞踏会|三昧《ざんまい》というような生活は、もっと国力が拡大・安定しない限り、できるものではなかった。
ルーザは真面目《まじめ》な女王で、楽しみといえぱ、毎月、いくばくかの宝石類を買う程度のことで、国家財政に響くようなことはしていない。
「……せめて、あのドメーロがあと三倍動員できれば、一気にラウのタータラにまで攻め寄せられましょうになぁ」
ビショット・ハッタが、肩をいからせて、ドレイクに追従《ついしょう》を言った。
「ハハハ……現在でも、倍の数までは動員できるが、そんなことをしたら、海がガラ空きになる。それに、補給基地の建設は、容易ではない。この部分では、古来からの陸軍の働きが有用だが、その整備が、まだまだ十分ではない」
「そうです。海岸線を無防備にすることはできません。ナの国が建造をすすめている大型オーラ・シップの能力は、心配していませんが、少なくとも、そのような動きがあるということを無視するわけには参りませんな」
そう答えたのは、ドレイクの左隣りに立ち、灰色の総髪《そうはつ》を風になびかせたショット・ウェボンであった。
「……戦いは常にひとつでなければならない。戦力を分散させる戦いは、危険である……しかし、敵はひとつではない」
ビショットが、ショットに相槌《あいづち》を打った。
「そう……それが難しいところだ……失礼する」
ドレイクは、ビショットがかぶる山のように高い帽子が、気に入らない。ショットの肩を押すようにして、ビショットから離れた。
「……貴公に聞きたいことがある。ジョクが、我が国を離反した理由を知っていよう?」
「分りませんな。同じ地上人でも、彼と自分では、民族も人種も違います、器量も違います」
ショットは、すっきりと背筋を伸した。彼も傲岸《ごうがん》な男であった。
「儂《わし》の目とて、節穴ではないぞ。ジョクのカットグラは、バーンとガラリアが使っていたものと性能がちがう。それと関係があろう?」
「確かに、生体力《オーラちから》の大きさが、オーラ・マシーンの性能を拡大します。その力が、ジョクにあるのは認めます。しかし、参考までに申し上げれば、四十年以上戦争を知らない国で育ったジョク、城毅《じょうたけし》は、戦争の何たるかを知りません。一時の正義感に捕われて、離反したのではないか、と考えます。生体力の問題、つまりオーラ・マシーンの問題と今回の離反劇は、関係がありませんな」
「……単純な正義感の問題だと言うのか?」
ドレイクは、ベランダの手摺《てす》りに腰をかけて、背の高いショットを見上げた。
「王とジョクの意見の相違は、漏《も》れ伺《うかが》っておりますが、そのことからも、ジョクの育った国の問題が感じられますな。海に囲まれた小さな国である日本では、人口密度に苦しみ、乱暴な国土開発のおかげで、日本国民は、ヒステリー状態に陥っています。その上、平和すぎました。それらがミックスして……そうですな。すべてが、漫画の物語のように、清廉《せいれん》潔白に行われると信じ込む若者を輩出したのであります。彼は、そういう病にかかっている人間です」
「くだらん……くだらんな……」
ドレイクには、漫画の物語のように、という比喩《ひゆ》は分らなかったが、日本という国が、ルーザの領上のようなものだ、という類推はついた。
だから、ドレイクは、ショットの一方的な推論を否定したのである。
「彼の生体力《オーラちから》から生れる洞察力というのは、考えなくて良いのか?」
ドレイクは、ストレートに質問した。ショットも、答えを曖昧《あいまい》にすることはできなくなった。
「皆無とは申せませんでしょう。バカな男ではありませんでした……しかし、現実的にコモン界の勢力バランスを考えれば、ナの国まで制覇しなければ、戦乱は続きます。今、アの国が、逼塞《ひっそく》していれば、あしたには、ラウなりナの国なりが、突如として、オーラ・マシーン部隊をもって攻め寄せて参りましょう。地上界のヨーロッパでは、そのようにして、ある日突然、敵の機械化部隊に蹂躙《じゅうりん》された国家があります。機械化部隊に騎兵が突撃する戦争の悲惨さは、自分は十分に知っています」
「ン……」
ドレイクは、ショットが生体力《オーラちから》とオーラ・マシーンの性能を、関係があるものとして語るのを避けていると感じたが、別に非難はしなかった。
「……現在のアの国が、なさんとすることは、歴史的な必然です。遅れた文化国をオーラ・マシーンによる改革によって、すみやかに繁栄させ、我々の意思によって統合する。世界が、その使命をアの国にお与えになったからこそ、かくも多くの地上人が、アの国に現れたのです」
「そのうちの二人が、離反したのだぞ」
「地上人の全てが有能ではありません。現に、聖戦士の友人であった女性は、ギィ・グッガに従いました」
「……よい忠告であった。仕事に邁進《まいしん》いたすように」
「ハッ……王にあっては、佳《よ》き日を」
ショットは、立ち上ったドレイクに丁重に頭を下げた。
ショットは、ドレイクの指摘を、無視できなかった。
ドレイクのマントが明るいオーラに映える光景を見やりながら、ショットは密《ひそ》かに嘆息した。
『こちらの手の内をよく知っている……いつまで、好き勝手を許してくれるか……』
ショットのかすかな不安を消し去るような威圧的な光景が、上空に展開し始めていた。
グロロロ……ドウドウ……。
オーラ・シップの轟音《こうおん》が、地に立つ物を地中に押し込めてしまうのではないかと思えるほどに、重く共鳴した。
ゼナーと同じ重巡洋艦のゼィス・タイプと、それに続く軽巡のギュイス・タイプ四隻の艦隊が、五編隊。
それが、東の空から、ラース・ワウを横切るようにして、西北の空に移動を開始したのである。
儀式ばったものではないが、ともかく艦隊は、ラース・ワウに挨拶《あいざつ》をするように、ドレイクたちの立つベランダの前方上空を、堂々と行進し始めたのである。
何人《なんぴと》といえども、これを見て、アの国の国力を疑う者はいないであろう。
ミの国の五倍である。
それでも、これは、アの国の全ての艦隊ではなかった。
まだ、この半分ほどのものが、周辺の国境と海岸線の防衛についているのである。
ジョクにしても、これだけの艦隊が一堂に会したのを見たことは、一度しかない。
もし、これを昨日見ていれば、ジョクとて、アの国を離反したかどうか、怪しいと思えるほどの威圧的な光景であった。
『……このすべてを建造させたのが、俺《おれ》だ。これをもってすれば、ドレイクは、コモン界を制覇できる……それは、俺のなかにある北欧人の血を呼び醒《さま》すことでもある……』
ショットは、さすがに、心がときめくのを押さえることができなかった。
「ショット!」
彼をそう呼ぶことができるのは、フランス人のトレン・アスベアしかいない。
ショットの立つ左側の階段を駆け登って来た彼は、興奮していた。
「あの艦の中には、オーラバトラーが搭載《とうさい》されていると思うだけで、興奮するぜ!」
「そうだ。それも、すべてのオーラバトラーに、ターボ装備だ。昔のカットグラのレベルではない、バッテリーのアイデアといい、トレンがいなければ、これほど威圧感のある光景を拝むことはできなかったな」
半分以上は、お世辞であったが、ショットは、トレンの仕事は、十分に認めていた。
彼が参加してくれたおかげで、仕事にふくらみがでたことは事実なのである。
「ま、これで、新しい土地の女たちに会えるという楽しみができた……来週は、ミの国に進駐するぜ」
「まめなことだな」
「そりゃそうだ。今日まで、とうとうサラーン・マッキとは会わせてもらえなかった。この恨みは、他のもので埋め合わせしなければな」
「わたしにも、どうにもならんことだ。恨むな……いいことは、まだまだあるよ。これだけは、保証する」
「そう願いたいねぇ?」
トレンは、相好《そうごう》を崩して手を揉《も》みながら、艦隊が行きすぎるのを眺めていたが、
「そろそろ、ドーメ部隊が通過するぜ」
「そうだな」
二人は、申し合わせたように、東の方を見やった、
ルルル……。
軽快な飛行音が接近して、幾つもの影が街の屋根屋根を流れたと見ると、六機から十機の編隊を組んだドーメ部隊が、ラース・ワウの鐘楼《しょうろう》をかすめるように、通過していった。
ドーメの軽快な飛行と機動性の良さは、ドメーロに比べれば非力に見えたが、去年までは空中戦闘の主力機であった。
「……まったくさ。この力を、地上世界に持ち出したらどうなるか知れないがさ、ショット。こんなものを地上世界で売り出してみろよ。これだけで、大金持ちになれるぜ。ええ?」
「なんと言うことを考えるんだ? トレン」
ショットには思いもつかない発想だった。さすがに、ショットも笑った。
ギルルル……。
ドーメ部隊は、かなりラフな編隊飛行で、次々にラース・ワウに挨拶《あいさつ》をしては、艦隊を追って、姿を消していった。
「そうかい? ショットは、言っていたじゃないか、地上世界だって、大気層と同じレベルで、オーラが地球を覆っているってさ……つまり、次元リープができれば、地上でも、オーラ・マシーンは使えるって」
「オーラによって、つながっていると仮定した場合の話だ。それと、そのふたつの世界が、共鳴し合う変化があればの話だ」
ショットは、石段を降りながら、答えた。
「お前が気にしていたフェラリオのサラーンが、思った以上に早く泡になって消えた。その意味を考えていたのだが、バイストン・ウェルの世界の変質が、始まっているのではないかと思うな……オーラ・ロードが揺れて、開かれる時期が来ているのじゃないかってな……とすれば、地上世界にも、バイストン・ウェルと同じように、オーラが厚くなっているのじゃないか、と仮定しているだけだ。次元が違うものが、そう簡単につながるかよ」
「地上には帰りたくないのかい? この成果を持って」
「帰りたいさ。この成果を持って帰れば、それだけで、我々は世界的な名士になれるのだからな」
「そうだろう?」
「そうだよ」
ショットは、トレンを馬車に乗せ、続いて自分も乗った。
機械の館でやらなければならない仕事は、山ほどあった。
オーラ・マシーンの製造工場も戦場のようなものなのである。
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過去のアの国の南進の戦いは、一方的なオーラ・マシーンの行使によって苦もなくすすんでいたために、今回の戦いでも同じであろう。
ドレイクたちは漠然とそう信じていた。
ゼナーとカットグラが、ミの国に荷担したにしても、五倍近い戦力差があるのだし、防衛する側は、戦力を二つか三つに分散して、国境を守備しなければならないはずだった。
空からの侵攻ルートは、いくらでも考えられたのだから、アの国の艦隊は、そのどれかの抵抗を蹴散《けち》らすだけですむ、と考えるのは、当然であろう。
その上、ドレイクの命令で、世間から笑われるほど大きな戦力を整えたのである。
この戦力をまとめて侵攻させれば、一挙にキロン城に至るはずであった。
よしんば、ミの国のオーラ・マシーンすべてが迎撃してきたところで、十分に蹴散らしてなお余りある戦力であった。
しかし、ドレイクたちの想定は、やや安易にすぎたのである。
ミの国が独力で整備することができたものに、無線機の設置と、電信の架線工事があった。
この技術が、アの国からもたらされた時、ピネガン王は、経済的に小国であるミの国にとって、これは有力な戦力になると判断したのであった。
ピネガンは、電信の整備を優先し、そのための要員の育成には、アの国以上に力をそそいだ。
ジョクは、この事実を知って、それを、キロン城の守りに利用したのである。
現代の情報化時代の中で育ったジョクだからこそ、できた決定であろう。
通信システムを戦力と考えなければ、少ないオーラ・マシーンを分散配備して、ドレイクの考えるように、ミの国は、簡単に蹴散らされていたであろう。
ドレイクの艦隊が、水晶の森の北側を迂回《うかい》して国境を越えた一時間後には、キロン城は、その規模と進路を知ることができた。
ミの国の将兵は、艦隊の規模に慄然《りつぜん》としたものの、散開していた軍を、ドレイク艦隊の前面に集結させるのに、時間はかからなかった。
国境沿いの五つの基地に散開していたフラッタラは、数時間を経ずして、マハラ村の平地に次々に到着して、爆装の準備に入った。
「偵察に出ていたフラッタラ部隊は、キロン城に後退させろ」
キロン城を望む山に指揮所を置いたピネガン王が、そう指令を出したのは、ドレイク艦隊が国境を越えた数時間後であった。
そして、ミィゼナーを旗艦《きかん》とするオーラ・シップが、マハラに隣接したクオスタの森に到着したのも、同じような頃であった。
コンタヌスとメツムドウの山間部は、もっとも高いものでも、標高四百メートルとないなだらかな山々で形成されて、コンタヌス、マハラ、メッムドウと呼ばれる谷間《たにあい》があった。
ミの国のオーラ・シップ四隻が、マハラに隣接したクオスタの森に船体を潜《ひそ》ませたのは、その日の午後であった。
「……敵の侵攻速度から考えると、午後三時には、コンタヌスの山間《やまあい》に入る。マハラとコンタヌスの二つに分れる可能性もあるが……」
ニーは、ミィゼナーのキャビン一杯に広げた地図に、敵艦隊の動きを描かせて、各艦長に説明をした。
「……それで、自分は、これからフラッタラの指揮をするために、マハラに移動するが、我が艦隊は、フラッタラの攻撃後、第一防衛線を抜ける敵艦隊に対して、徹底的に攻撃をかけて、撃滅してくれ」
ジョクは、地図上のマハラからコンタヌスの谷間を抜けた位置を結ぶ線を示して、各艦長にいった。
「ハッ……」
艦長たちは顔に、ジョクに対する信頼の色を浮べていた。
フラッタラとオーラ・シップの集結までを実際にやってみて、ジョクの作戦が机上のものではなく、実戦的であることを知ったからである。
「質問は?」
ニーの確認を受けて、艦長の一人が、挙手をした。
「我が方の戦力では、いかに巧妙な戦術でも、二十隻の艦隊を全滅することはできないでありましょう。その場合は……?」
「そうだな。三分の一を殲滅《せんめつ》できれば、ありがたいな」
「六、七隻を撃沈できると?」
艦長たちが、驚きの声を上げた。
「そのつもりだ。それ以下の戦果では、成功とは言えない。オーラ・シップは、構造的に海に浮く船よりも脆弱《ぜいじゃく》だ。七隻は、沈めなければならない」
「もし、聖戦士殿がおっしゃる通りの戦果が上げられれば、敵は、侵攻を諦《あきら》めるかもしれない……」
別の艦長が、感動に目を潤《うる》ませた。
「そうだ。だから、今の質問に答えたくない。もし、敵が諦めなかった時は、我々は、第二防衛線で抵抗し、さらには、キロン城でも最後の抵抗をする。そうすれば、ラウの国が、援軍を出してくれよう。敗北などはない」
「ハッ……! 聖戦士殿のお言葉、胆《きも》に命じてっ!」
艦長たちは、ジョクという、軍の指揮系統のなかでは異端である戦士に、快い敬礼をした。
「艦長! 艦隊護衛についているドーメ部隊は、帰投し始めたということです」
キーン・キッスが、ブリッジで受信したメモをニーに届け、それを他の艦長たちにも報告した。
「予定通りだ……新型のドメーロがついているが、これも、コンタヌスの山に入る頃には、引き返す」
「敵までも、すべて聖戦士殿の作戦通りに、動いています」
「そうだ。オーラ・ボムまで相手にしていては、いくら戦力があっても足りないからな」
ジョクは、微笑すると、
「では、フラッタラ部隊に行きます」
ジョクの敬礼に、艦長たちも、もう一度、一斉に敬礼を返してくれた。
ミの国の士官エゼラー・ムラボーは、通路までジョクを送って、握手をしながら言った。
「聖戦士殿……感謝いたします。お考えの通りの戦術で戦えば、むざむざ、討ち滅ぼされることもないでしょう……そして、聖戦士殿が、本当に我が国のことを考えて下さっていることも、身にしみて感じました。艦長たちの士気もあのように上り、光明を見る思いであります。どうか、どうか、我が国と王を……」
「それだけではありません。世界のために、とも言わせて下さい。そのために、戦います」
「はい……。聖戦士殿の大望は、王からも聞いております。よろしく我が国をお守り下さい。さすれば、我々も聖戦士殿のために、命を賭《か》けることをお約束いたします」
「ありがとうございます。騎士エゼラー」
ジョクは、そう言い残すと、ラッタルを滑るようにして、オーラバトラー・デッキに降り立った。
「出るぞ! 諸君!」
「ハッ!」
ミハンを始めとするハンダノの城の者たちが中心に編成されたデッキ要員は、各々手を上げて応じた。
「騎士ソトロウ、騎士メトーオ、騎士ヘサ! 第二波の攻撃をよろしく! 騎士マーベルは、フラッタラ部隊の爆撃|支掩《しえん》に連れて行くが、攻撃が終り次第、後退させ、合流させる。よろしいな?」
いちいち騎士と呼称することを、面倒がってはいけないのである。
なによりも、マーベルの格付けのためには、必要なことなのであった。
「ハッ! 聖戦士殿っ!」
ドウミーロックのパイロットたちは、やや頬《ほお》を緊張させていたが、マーベル以外はもともと騎士である。実戦慣れした物腰を感じさせた。
「では……」
ジョクは、マーベルを呼んで、彼女のドウミーロックに向って歩きながら、戦場の地図を照合させた。
「マーベル……いいのかい?」
ジョクは、マーベルの蒼白《そうはく》な表情が、不安だった。
「ご心配なく。わたしは、今日までいい思いをさせてくれたこの世界に感謝しているのよ。大丈夫。怖いけれど、やれるわ」
「ニーに挨拶《あいさつ》しなくていいのか」
「昨夜だって、十分愛し合ったわ。気はすんでいる」
マーベルは、微笑を見せて、地図を膝下《ひざした》のポケットに入れた。
「それなら駄目《だめ》だな。絶望的だな」
「なんで?」
彼女は、ドウミーロックのコックピットに登る梯子《はしご》に手をかけて、ジョクの冗談にからんだ。
「ボクシングと同じでね、戦争の前に異性を近づける戦士は、使い物にならない」
「よくおっしゃるわ。この世界、そんなに潔白な方たちの集まりですか」
「少なくとも、俺《おれ》はそうだ」
「はいはい……」
マーベルは、その時は、もうドウミーロックのコックピットに上っていた。確かに、マーベルの身体は重いようには見えなかった。芯《しん》の強い女性なのだ。
「地形をしっかりと観察して、頭に入れながら、マハラまで行く」
ジョクは、カットグラの梯子を登りながら、命令した。そして、シートに座ると、エンジンと無線に火を入れた。
「……それにヌースさん」
マーベルの声が、無線でカットグラのコード名を呼んだ。
「なんだよ?」
「これからの任務は、ジョクが自信を持っていらっしゃるフラッタラの急降下爆撃。すぐには、オーラバトラー同士の空中戦闘はないはずでしょ?」
「その後に、君にも急降下爆撃を、やってもらうよ。それに、敵は、こちらの都合で動くんじゃないから、空戦はあるさ」
「だから、その時は、あなたのお尻《しり》について、逃げまわります」
「そうだ。体験を積み重ねて、良い戦士になってくれ」
ジョクは、チャム・ファウがいないな、と感じながら、カットグラをミィゼナーの舷側《げんそく》に出していった。
森の木々が、カットグラの視界を遮《さえぎ》った。
「カットグラ! 発進、どうぞ!」
ブリッジの無線士メトー・ライランの声だ。ゼナーの時代からのクルーである。
「よーし!」
ボブッ!
カットグラは、木々のこずえを払って上昇した。
数秒おいてマーベルのドウミーロックが、ジョク機を追って上昇して来た。
「安定している。よくやる」
ジョクは、マーベルにパイロットの素養があることは知っていたが、改めて感心した。
しかし、十分な訓練をしてやる時間がなかった。それを思うと、ジョクの心に重いものがあった。
「昔の日本軍は、もっとひどかったかも知れんのだ……いいか」
そうでも思わないと辛《つら》かった。しかし、自分がオーラ・マシーンのパイロットになった時の経験を思えば、当然と断定せざるを得ないことでもあった。
物事は、いつも十分に準備してから始められるわけではなかったし、始まれば始まったで、克服しなければならない問題が、次々と生れるものなのだ。
クオスタの森を越える間に、森に潜《ひそ》んでいる味方の艦を振り返って見てみたが、まず、その位置を知らなければ、目撃されることはないと分った。
「……結構だ……」
高度を取ったジョクは、マーベルに編隊飛行の訓練をかねた飛行をさせながら、マハラの上空に達した。
小さな村であるがそこには、キロン城に後退した偵察部隊の六機を除くすべてのミの国のフラッタラが集結していた。
しかし、軍事基地というほど設備が整っているわけではなく、フラッタラが、数回空撃できるていどの弾薬の備蓄倉庫と、通信設備があるだけだった。
むろん、滑走路などもない。
フラッタラは、それなりの平坦《へいたん》なスペースさえあれば、離着陸できたし、オーラバトラーは、そんなものさえ必要としなかった。
ジョクは、村の北側に向って目測で降下すると、村の家々の陰にある数機のフラッタラを見つけて、その一角に立つ赤い吹き流しめがけて着陸していった。
フラッタラは、麦藁《むぎわら》を隠れ蓑《みの》にして、地にうずくまるようにして駐機していた。
「意外と隠れるものだな……」
「見つけたのか?」
やっぱり、チャム・ファウは、コックピットに忍び込んでいたのだ。
「どこに居たんだ?」
「……どこでもいいだろ」
小さいものが動く気配がシートの下でして、油で汚れた布を肩にしたチャム・ファウが、ジョクの脚の間から這《は》い出てきた。
「どうして、俺につきまとうんだ?」
「なに言っているの? ジョクが、来いって言っている癖に……」
チャム・ファウの顔は、機械油で汚れていた。
「そう言った覚えはないがな……あれが、フラッタラと言う、空を飛ぶ機械だ」
ジョクは、チャム・ファウに、外の景色の説明をした。
「ホウ……! 空を飛ぶのか?」
コンソール・パネルの下に飛び上ったチャムは、腰に両手を当てて地上を覗《のぞ》いた。
『……俺が呼んだか……』
ジョクは、彼女の羽根の接続部分とも言うべき背中の肉の盛り上ったところが麻のような布で隠されているのを見下ろしていたが、ふと、フェラリオというのは、人の潜在意識をキャッチする力があるのではないか、と思った。
『ミィゼナーが、嵐《あらし》の壁を突破した時に、俺が呼んだとでも言うのかなあ……』
それは、悪い想像ではない、とは思う。
しかし、どうこうできる相手ではないし、ジョクは、等身大の異性の方が、好みなのである。
『しかし、こうも違うこの娘《こ》の知識を借りれば、世界を知る手立てが見つかるかもしれない……』
それ故、ジョクは、チャム・ファウという存在を、コモン人のように嫌悪していないのである。
チャム・ファウも、ジョクの気持ちを感じるから、彼に近づくのであろう。
ジョクとマーベルが、マハラの司令部がある小屋に入ると、敵艦隊の移動が早くなったことを伝える無線が、入っているところだった。
「……あと、二十分もしないで、コンタヌスに入ります。敵艦隊は、二手に分れようとしている様子であります」
「そうか……予定通りだな。コンタヌスに入る艦隊だけを狙《ねら》うように徹底させろ。攻撃を分散させると、成果は手に入れられなくなる」
「ハッ……」
「ドメーロ部隊の動向は?」
「ハッ……順次、国境に引き返し始めています」
「結構……!」
ジョクとフラッタラ部隊を指揮する士官は、ニンマリと笑った。
国境線上で、ドレイクの艦隊を迎撃したならば、ミの国のフラッタラとオーラパトラーは、ドーメおよびドメーロとの交戦で、半分以上、撃墜されていたであろう。
さらに、今回のドーメとドメーロの部隊は、この地域に、ミの国のオーラ・マシーンのすべてが集結しているとは考えていなかったので、偵察がおざなりであった。
往復の航続距離ギリギリで、順次、後退してくれているのである。
フラッタラが、離陸を始める頃には、ドメーロの全機が、アの国の領内に帰投する途中で、艦隊を掩護《えんご》することができなくなっていた。
しかし、一機だけ例外があった。
その機は、僚機に機体不調の通信を残して、コンタヌスの山間《やまあい》に不時着したのである。
いうまでもなく、キチニをチーフ・パイロットとするドメーロであった。
ドレイク艦隊の旗艦ゼイエガは、そのドメーロの不時着の報告を受理したが、返答は素気《そっけ》なかった。
「作戦終了後、収容する。それまで、そこに待機せよ」
この時点で、そのドメーロに、リムル・ルフトが潜んでいると知る者は、敵にも味方にもいなかった。
「そろそろ、フラッタラを全機、発進させます」
「そうだな。後は、天と地の精霊たちの意思のままだが、俺は勝つぞ!」
「はい……」
ジョクは、司令と敬礼をかわして、カットグラの足元に戻った。
「マーベル、フラッタラが離陸してから、我々も出る」
「はい……」
二人の前の平地では、どこに隠れていたのかと思える百数十人の地上要員が走り出て、フラッタラを遮蔽《しゃへい》物の陰から引き出していた。引き出されたフラッタラは、ピネガン王の前で見せたように編隊を組んで、次々に離陸していった。
三十機のフラッタラが、離陸するのに五分とかからなかった。
ジョクとマーベルのオーラバトラーが、マハラの村を後にして、フラッタラの編隊を追った頃には、ドレイクの艦隊は、二手に分れてコンタヌスの山間とマハラに至る山間に入っていた。
コンタヌスの山間に十二隻、マハラに八隻である。
「……間違って、侵攻してくるオーラ・ボムはいなかったな」
「そうだね。ジョクは、よく知っている」
チャム・ファウは、ジョクを誉《ほ》めた。
「さて……」
ジョクが、捜すまでもなかった。
無線から入る情報と地形を照合して、目をやった時、ジョクは、はるか下に、艦隊がその影を山に落すようにして、侵攻しているのを見つけた。
「フラッタラ! よろしく!」
「お先にっ!」
その声は、ジョクが、この数日、訓練に訓練を強要したパイロットたちだった。
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戦争は、ひどくあっけなく始まり、そして、血と肉の吹き飛ぶ嵐《あらし》となる。
この場合、コンタヌスの山間《やまあい》に侵攻したドレイク艦隊に対して、高度差千メートルに近い上空から、まず、六機のフラッタラが、垂直に近い角度で落下するように襲いかかることから始まった。
ドレイクの艦隊が気づいたのは、先頭のフラッタラが、数個の爆弾を切り離した後だった。
それに遅れること数秒で、二番艦に、次の六機のフラッタラが、急降下攻撃を敢行《かんこう》した。
それが、五戦隊、続いた。
ドレイク軍の一戦闘艦隊と次の戦闘艦隊の旗艦が爆撃を受けて、ドレイク艦隊ははげしい衝撃を受けた。
非力のはずのフラッタラが、あっと言う間に各艦を爆撃し、そのうちの二艦は、爆弾の当りどころが悪かったのであろう。あっと言う間に、山の中腹に激突して、さらなる爆発を起していた。
迎撃しようとした時は、急降下爆撃をしたフラッタラは、その空域から姿を消していた。
フラッタラの動きは、バーンの目には信じられないものに映った。
「……なに……?」
バーンだけではない。ドレイク艦隊の全ての将兵が、突然の敵機の襲撃に呆然《ぼうぜん》とし、次に何を為《な》すべきか知らなかった。
「二艦、撃沈? 何隻がやられたんだ!」
バーンは、オーラバトラー・デッキの伝声管に向って怒鳴《どな》った。
「分らんよ! 属国の連中は、意気地《いくじ》がなくていけねぇ」
「今は、個人的な感想を聞いていない。事実だけを知らせろ!」
伝声管の声の主は、先行する艦艇のクルーの大半が、アの国以外の将兵であることを言ったのである。
バーンは、山腹で爆発炎上する味方艦の炎と黒煙を見て、思わず身を震わせていた。
初めての恐ろしい経験だった。
過去の南の国々への侵攻は、ろくなオーラ・マシーンを持っていない敵に対しての侵攻であった。野砲ていどのものしか持っていない国の陸軍を叩《たた》くのは、眠っている赤子を叩くに似ていた。
その経験から、ミの国の侵攻にあたっても、国境で抵抗がなければ、キロン城まではたいした抵抗がない、とドレイク艦隊のクルーは、信じ切っていたのだ。
バーンとて、この固定観念に捕われていた。
バーンは、オーラバトラー・デッキから、ブリッジに駆け上りながら、
『ジョクかニーだ! 奴等《やつら》の考えで、やらせたことだ。コモン人が、こんな攻撃方法を思いつく筈《はず》がない』
そうは思っても、オーラバトラーをすぐに出すということは、バーンも思いつかなかった。
オーラバトラーは、敵のオーラバトラーか強力な陸軍が出てこない限り、出るべきものではないのである。
つまり、アの国の軍は、近代的な戦術思想に捕われすぎていたのである。
オーラ・ボムの大部隊とオーラ・シップが侵攻した後に、オーラバトラーが、最終的に占領地を制圧する。その上で、陸軍が、占領地に侵攻するのである。
この戦術が定着したのは、ギィ・グッガの戦い以後であるが、この戦術によってもたらされた一方的な戦果が、アの国の軍人たちを呪縛《じゅばく》したのは、やむを得ないと言えよう。
「……ウッ……!?」
見晴しの良いブリッジに出たバーンは、前方の山間に、煙を吐いて隊列を乱す艦隊を見て、息を呑《の》んだ。
「突然、上空から、フラッタラが落下して、攻撃を仕掛けたようです」
ゼイエガの艦長オレッスーオ・レウフが、呻《うめ》いた。
「連中の話では、フラッタラが、落ちて来たと言う。分らん話だ!」
バーンは、ブリッジの最も高い席に座っている武将、ストラド・スケンソンを振り向いた。
「急降下爆撃です。そう見えたのでしょう」
「儂《わし》は、知らん! そんな戦術はっ!」
ストラドは、騎兵大隊を指揮する将軍であったが、オーラ・シップが投入された頃から、率先してこの新しい兵器に興味を持って、艦隊指揮をするようになった。
だが、実戦になると頑固《がんこ》な老人に豹変《ひょうへん》した。
「しかし、地上世界の航空戦では実施されている、と聞いたことがあります」
「ここは、コモンだぞ! 相手はミの国だ!」
ゼイエガは、最後尾《さいこうび》に位置して、先行する全艦隊を指揮していた。
これは、ドレイクの考案した布陣である。王自身が身を挺《てい》して戦う、古来の騎士道に反するものであったが、オーラ・マシーンという画期的な戦力の出現によって、戦争の様相が一変するなかで考案した、新しい艦隊形であった。
「……しかし、ジョクが、荷担していれば、考えられる戦法です。艦長、艦隊には高度を取らせろ。ゼイギス艦隊は、ほとんど被弾したのか?」
「はい……」
ストラドは、無線士から回ってくるメモを読むのに忙しくて、バーンの越権的発言には、気がつかなかった。
「我が方、ゼイゾスとゼイエガは、このままマハラ街道を前進します」
「そうだ。艦隊の針路は、このままだ。ミの国に、どれほどの戦力があるというのか。オーラバトラーは、順次出せ。対空戦闘に入るのだ」
ストラド将軍は、メモを握り潰《つぶ》しながら、バーンとオレッスーオ艦長に命令した。
「キロン城の制空圏にはまだ入っていませんが、よろしいのですな?」
バーンは、ストラドに確認した。
「そうだ。キロン城に至る前に、艦隊が全滅してはならんのだ」
「ハッ……!」
バーンは、遅い決定に腹が立ったが、急いでラッタルの手摺《てす》りを滑り降りていった。
「各艦のオーラバトラー部隊も出させい! 上空を固める。被弾した艦の掩護《えんご》などは、後でいい」
しかし、その時には、敵の第二波の急降下爆撃が敢行されていた。
森に潜んでいたミの国の艦隊が擁していた全てのオーラバトラーが、爆弾を手にして、傷ついた艦隊めがけて降下して来たのである。
上空で掩護《えんご》するジョク機とマーベル機以外の十四機が、隊列を乱したゼイギス艦隊とその後続のゼイエラ艦隊に対して、次々に爆弾を投擲《とうてき》すると、山間に機体をぶつけるようにして、退避していった。
黒煙がボゴッと上った艦が見えた。ややあって、ドドウッ! と津波のように爆発音が、ゼイエガを襲った。
「銃撃できません」
「敵が早すぎます」
各艦隊から悲鳴のような報告が、無線によって、ゼイエガにもたらされた。
「バカな! そんな高性能なオーラバトラーが、敵にあるわけがない!」
バーンは、オーラバトラー・デッキで叫んでいた。
「……騎士バーン! ゼイギスとゼイエラが、沈みました」
伝声管に取りついていたメカニック・マンの一人が、バーンに教えてくれた。
「オーラバトラー、全機、発進する! 対空戦闘用意っ!」
「ハッ! 総員かかれっ! ガベットゲンガー、ハインガット! 拘束ロープ外せっ!」
動揺に包まれていたオーラバトラー・デッキに、緊張がみなぎった。
バーンは、革兜《かわかぶと》をかぶるとガベットゲンガーのコックピットに座った。
『なんで、敵のオーラ・マシーンが、早く見えるのだ?』
バーンは、艦隊要員が実戦に不慣れなためではないかと想像した。
「バカバカしい……」
バーンは、一人|罵《ののし》ると、ガベットゲンガーを舷側《げんそく》に出していった。
「各ハインガット、真直《まっす》ぐに上昇だ。高度を取れよ!」
バーンは、後続機の返答を待たずに、離艦していた。バーンの頭の中には、編隊戦闘の思想はなかった。
ガラリア・ニャムヒーは、バーンの艦隊の前に位置した艦隊の指揮艦ゼイゾスにいた。マハラ街道と暗号で呼ばれるコースの先鋒《せんぽう》を務める艦艇である。
ガラリアは、山の向うで、第一波、第二波の攻撃を受けて被弾した艦隊を、右舷で目撃していた。
全艦が、山の端《は》に隠れていたわけではないので、その様子を、よく見てとることができた。
敵のオーラ・マシーンは、艦隊の後方から、七十度の降下角度で進入して爆弾を投擲《とうてき》した後、そのまま真直ぐに離脱して、艦隊の進行方向に消えていった。
そのあまりに単純な攻撃方法に、ガラリアたちオーラバトラーのパイロットは、呆気《あっけ》に取られるだけだった。
勇敢な戦い方には、見えなかったのである。
「あれでは、逃げるために、艦隊に接触しただけじゃないか」
パイロットたちは、騎士の誇りを持って、ミの国のフラッタラの戦法を笑った。
しかし、艦隊が次々に爆煙を上げたり爆発を起すのを見て、その効果に慄然《りつぜん》とせざるを得なかった。
さらに、オーラバトラーによる第二波が、傷ついた艦隊と後続のゼイエラ艦隊に襲いかかって、確実な戦果を上げたのを知ると、アの国のパイロットたちは、この戦法に対して、恐怖をおぼえた。
フラッタラもオーラバトラーも、逃げるために出ているのではない。一直線に飛び去るので、艦隊の火線に掴《つか》まることもない。
にもかかわらず、四艦が沈められ、数艦が被弾していたのである。
「ギュイスが、三隻大破だ。オーラバトラーは、出せないようだ」
そんな報告が、ゼイゾスのオーラバトラー・デッキにもたらされて、ガラリアたちに迎撃命令が出された。
「こんな戦法を考えるのは、ジョクだけだ! よく踏んだり蹴《け》ったりにしてくれる!」
ガラリアは、自分のカットグラに駆け登って、機体の拘束ロープをブッち切り、舷側に出た。
ガラリア機は、バーンよりは、早く高度を取る位置に入っていた。
「ああいう使い方があったか……」
ガラリアの無念さは、複雑である。
今日まで、コモン人たちは、空飛ぶオーラ・マシーンは、格闘戦をするものと信じ込んでいたのである。相手もいないのに、妙に聞えるが、そうではない。強獣たちとの戦闘などが、彼等、コモン人に、オーラ・マシーンは、格闘するものと思わせていたのである。
オーラボム・ドーメについてもそうで、地上を掃討する場合でも、直線的に行動することはなかった。
前後に行きつ戻りつするなどは当り前であった。
まして、人型のオーラバトラーが、直線的な攻撃だけを敢行するなど、パイロットたちが、、受け入れる筈《はず》がなかったのである。
ガラリアが、高度を上げている時だった。
彼女の左手の山の端から、三機のフラッタラが上昇するのが見えた。非力なフラッタラは、右に左に揺れるように上昇していた。
「あれかい!?」
艦隊を攻撃する時に見せた機動力を考えると、嘘《うそ》のような光景だった。
艦隊を攻撃された時のガラリアの驚きが、そのまま怒りに変った。フラッタラのノロノロとした上昇が、彼女の怒りに油を注いだ。
「いい加減にしてもらうからねっ!」
ガラリアは、カットグラを煽《あお》ると、上昇を駆けて、先頭のフラッタラの頭を押えつける位置につこうとした。
「くそっ! 後続が、あんなにあるのかい!?」
ガラリアは、三機だけでなく、さらに、それに続くフラッタラの影を見て、ミの国の空中戦力が、言われているほど小さいものではないと感じた。
まさか、ドレイク艦隊が通過する目の前にある基地で、爆弾を補給した同じフラッタラが、十分もしないで舞い上ってくるなどとは、思ってもいない。
「あの先頭をやれば……」
ガラリアは、自機を降下させた。
バブン!
「チッ!」
ガラリアは、目の前に走った閃光《せんこう》を、機体を右に捻《ひね》ってよけた。フレイ・ボンムだ。
「どこだ!?」
ガラリアは、背後をまったく気にしていなかった自分のミスに気がついて、必要以上に降下した。
「……ガラリアか……」
ジョクは、牽制《けんせい》攻撃をかけた敵のオーラバトラーが、ガラリア機であることを、その回避運動で知った。
戦場で、一番会いたくないオーラバトラーなのだ。
しかも、同型機である。精神的に、もっともプレッシャーのかかる相手とは、戦わないで済ませたかった。
ジョクの心の揺れを、チャム・ファウは、感じたようだ。
「どうした!? 追え! 落せ! やられちゃうよ!」
チャムは、ジョクが牽制攻撃をかけながら追撃しないで、マーベル機の傍《かたわ》らに引き返したのが不満で、ジョクの耳のそぱで絶叫した。
「今は、フラッタラの背後の警戒が大事だ! 追えるか!」
ジョクは、チャム・ファウの顔の前で、一杯に口を開いて怒鳴《どな》り返した。
「マーベル! オーラバトラーが出てくる。後退して、ミィゼナーの護衛に当れ……艦隊も森を出る頃だ」
「了解!」
「真直ぐにミィゼナーに入るんだぞ! 脇《わき》を見るな!」
「了解!」
マーベルの緊張した声が、鉱石無線からはっきりと返って来た。彼女もガラリア機を見たはずなのだが、それを恐れている風には、聞えなかった。
「女は強いな……お前もさ」
左のレバーの向うに座りこんだチャムの背中に、ジョクは言った。
再度上昇したフラッタラは、前よりは低い高度から、またも艦隊の先頭めがけて急降下爆撃を敢行した。今度はさすがに、艦隊から多少の対空砲火が上ったが、フラッタラの降下を止めるには、十分ではなかった。
三機編隊の攻撃なので、今度は六機編隊以上に狙《ねら》われる確率が高かったが、それでも、フラッタラは、山間に逃げようと速度を落した三隻のギュイス・タイプの艦を撃沈した。
しかし、艦隊から発進した数機のドーメとオーラバトラーに、三機のフラッタラが撃墜された。
「誰が、迎撃させたんだ! こちらの砲撃の邪魔をするだけだろう! 艦長! 味方機の発進で、砲撃ができないぞ」
大半の艦隊の砲撃手と銃撃手が抗議した。
被弾して混乱した上に、味方のオーラバトラーとドーメが飛び立ったことが、艦隊の対空防御を困難にしたのである。
それでも、三機のフラッタラを撃墜できたことで、良しとしなければならなかったろう。
「まったく! 冗談やっているのか!?」
艦隊の砲撃手の気持ちなどは想像もできないパイロットの一人が、あたかも自分を狙って打ち出されているように見える味方の火線に向って、怒鳴り散らしていた。
もう一機のガベッドゲンガーの騎士、ザナド・ボジョンである。ガラリアを追い越して、新型オーラバトラー、ガベットゲンガーを任された俊英《しゅんえい》であった。
彼は母艦ゼミガルが被弾する直前に、艦長の命令を無視して離艦したのである。
彼は、最後にパスしようとしたフラッタラを、背後から撃墜していた。
彼の腕は、なまじのものではなかった。撃墜されたフラッタラ三機のうちの一機が、彼の手によるものであった。
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ドレイク艦隊が通過した山間《やまあい》に、不時着と見せたキチニとマッタのドメーロがいた。
「……まずいな……こんな近くでやられるとは、思っていなかった……」
「帰るつもりでなければ、もっと奥まで飛行して、投降すればいいじゃないか……」
マッタは、どこか気楽だった。
「あのな。今、出ていったら、戦闘空域だ、やられちまう」
キチニは、用心深く木々の向うに見える黒煙を見やって、首をすくめた。
アイザス・ゲランは、さすがにとんでもない先輩たちに付き合ってしまったという顔を見せていた。
「なんだよ! 今さら、文句を言うなよ!」
「ですが、どうなるんです?」
「それを考えているんじゃねぇか!」
キチニは、アイザスの頭をこづいてから、プラットホームにつうじるハッチから上空を見上げた。
「でも、ここに居ても、危険なのでありましょう?」
リムルは、自分は、どこまでも何かから追われる定めなのではないのだろうか、と思ってしまう。
「そうなんだよな……行くかい、もっと先に?」
「そんなことをしたら、艦隊の連中に見られてしまって、事故を偽装したこともバレちまいますよ」
「バーカ! 戻るつもりはないんだよ」
キチニが、足で、アイザスの頭をこづいた。
「足で、なんてことです!」
「ここにいたら、敵に掴《つか》まるか、やられるかも知れねえって言うんだよ!」
一番、下《した》っ端《ぱ》なのに口が多いアイザスに、マッタも説教した。
「いい考えがあります。キチニ。敵の……ミの国の艦艇に飛び込むというのは、どうでしょう?」
リムルは、青年たちが、真面目《まじめ》でないような気がして、口を出した。
「そうできれば、いい考えですね。でも、敵艦隊は、まだ見えていないんですよ。それに、うまくいったとしても、その艦がやられちまったら、こっちも巻き添えを食うかも知れないんだ」
キチニは、プラットホームに上って、ドメーロのエンジンを始動させた。
「戦場では、安全な方法なんてあるのでしょうか?」
「え?」
「戦場で、安全なやり方なんて、ないってよ!」
マッタは、聞き直したキチニに言い、青年たちは、リムルの言うことに納得《なっとく》してしまっていた。
「よし……ちょい、上昇するぜ……アイザスも上れ!」
「はい!」
アイザスもプラットホームに上り、マッタとリムルが、ブリッジで前後を監視した。
キチニが、ドメーロを森のこずえの高さまで上げて、周囲を観察しようとした時だった。
グワラッと炎に包まれた物体が、頭上に流れこんできた。
「うわーっ! 艦が撃沈されました!」
アイザスは、頭を抱えて、プラットホームの床にしゃがみこんだ。
船底からゴウゴウと炎を吹き出したドレイク軍の艦艇の一隻が、左右からオーラバトラーの機体をこぼすようにして、墜落してきたのである。
キチニは、ドメーロの推力を上げると、森から飛び出し、撃沈された艦の横から、山腹を舐《な》めるようにして、北の方向に滑っていった。
「このままキロン城まで、突進して、亡命する!」
「そんな。航続距離が……!」
「手前は、いちいちうるさいんだよ!」
キチニは、思った以上の黒煙が、山腹を這《は》っているのを見て、ドレイク軍がひどくやられたのではないか、想像した。
「……オーラバトラーだ!」
床から頭を上げたアイザスが、上空を指差した。
「こっちに向って来る敵機だけをコールしろ!」
「はいっ! ミの国の? アの国の? どっちのです」
「攻撃を仕掛けてくる奴だ」
キチニは、アイザスの足を蹴飛《けと》ばした。
ドメーロは、いつの間にか、ドレイク艦隊の前に出てしまっていた。
「うっ!?」
ミの国の艦艇が四隻、森の木々を押し割るようにして、前進していた。その四隻は、ドレイク艦隊が第一防衛線を越えたら、迎撃に出ることになっていたのである。
「ゼナーだ! ドレイク艦隊の前に出ようとしている!?」
「色が違いますよ」
「しかし、ゼナーだよ!」
キチニは絶叫した。それを合図のように、ミの国の艦隊は、艦砲射撃を開始した。
キチニたちのドメーロの背後に、ドレイク艦隊の第三戦闘艦隊が、高度を取りつつ突進して来たのである。
しかし、それは、バーンの母艦のように、空中からの急降下攻撃を避けるために高度を取っているのではなかった。あくまでも、被弾した艦艇と速度を合わせるようにして、侵攻する姿勢を崩してはいなかった。
ガラリアの母艦ゼイゾスが大破し、その楯のような位置についていた第二戦闘艦隊の最後尾《さいこうび》のゼィス・タイプが、集中砲火を浴びて撃沈した。
「またやられた!」
「ドレイク軍と言っても、モロいじゃねぇか!」
そう言うキチニの内心は、複雑である。
しかし、ミィゼナーの艦隊の目が、ドレイク艦隊に向けられているおかげで、森の小枝を蹴散《けち》らして飛行するドメーロは、砲火を潜《くぐ》るようにして、ミィゼナーに接近することができた。
ドレイク艦隊はミの国の軍との最初の接触で、その半分に近い艦艇を失っていた。その他に、大破が二艦。無傷で残ったのは、九隻であった。
しかし、それでもなお、ドレイク艦隊は、ミの国に対して、圧倒的な火力を誇っているのである。
ミィゼナーを旗艦としたミの国の艦艇は、ドレイク艦隊の後続艦がグングンと高度を取り始めたのを知って、最も難しい判定を下さなければならない局面に立たされていた。
「うわーっ! 敵だっ! ああっ!」
悲鳴が伝声管から、ニー・ギブンの耳に届いたのは、次の局面に対して、艦隊をどのように動かすのか、迷っている時だった。
「オーラバトラー・デッキ!」
ニーは、伝声管に向って聞き返した。
「どういうことっ!」
「敵オーラ・ボム! 着艦っ!」
「着艦!? どうしたの! なんでだ?」
ニーは、ミハンらしい男の声に、カッとなった。
「どうって、いきなり下から飛び込んで来てっ……! ……キチニかよ! キチニッ!」
「…………!?」
ニーは、そのミハンの声で、何が起ったか了解した。
「艦長、今、右の方向からドメーロらしい機体が、侵攻したのを見ました!」
ミィゼナーのクルーが、ようやく、自分の見たことを報告した。
「確かか? 了解した! ミハン! 状況は了解だ! 諸君、ドメーロ一機が、我が方に投降して来たぞ!」
ニーは、今になって接触して来てくれた仲間に、胸が熱くなるのを覚えた。
「……マハラはどうなっている!?」
「はい……フラッタラは、空中戦闘の用意をして、順次離陸! 第二防衛線に後退です。あと数分で、地上要員もマハラを撤退します」
無線機にかじりついていたメトー・ライランが、教えてくれた。
「よし! 全艦隊、撤退! フラッタラの作る第二防衛線まで後退して、敵を迎撃する。オーラバトラー部隊は?」
「ヌース以外全機、艦隊警護の配置に集結!」
「回頭!」
ミィゼナーを先頭にした艦隊は、恥も外聞もなく、一挙に回頭すると、キロン城の方角に向って、全速前進を開始した。
上空には、オーラバトラーが、各艦艇を護衛するように随伴した。
と、ドゴゴゴッ!
マハラの、フラッタラの補給基地があった村から、膨大な閃光《せんこう》が走ったと見ると、黒煙が、強大なキノコ雲になって、天に昇った。
それは、追撃を開始しようとするドレイク艦隊の前に、あたかも壁のようにそそり立ったのである。
「ええいっ!」
バーンの母艦の艦長は、黒煙が、前方の空を覆い始めたのを見て、罵《ののし》り声を上げた。
「これが、ミの国の力だと言うのか……これがっ……」
「信じられん……こんなことが起るとは……戦わずして、これだけの戦力を失うとは……」
艦隊の総指揮を司《つかさど》るストラド・スケンソンも、呪《のろ》いの言葉を吐いた。
敗北を知らない将軍になっていたから、衝撃は大きく、顔面は蒼白《そうはく》になり、脂汗《あぶらあせ》が浮いていた。
人は、増長していなくても、苦境を体験したことがなければ、いざという時の対処に遅れをとるものである。
「……撃墜しろ! ミの国の艦艇、一隻残らず、叩《たた》き潰《つぶ》せいっ!」
先行する指揮艦の吐き出す煙が、後続の艦艇を包み、高度を千メートルまでとったところで水平飛行に入っていたゼイエガのブリッジにまで、流れて来るのだ。
それがストランド将軍の癇《かん》に障《さわ》った。
「ゼミガルの煙、さっさと消火しろと言ってやれ!」
ストラド将軍の命令に、オレッスーオ艦長は、
「無線士!」と怒鳴《どな》りつけていた。
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ジョクは、ガラリア機が、艦隊の下に潜り込むような運動をするのを見ると同時に、向うの山間から、接近するガベットゲンガーを見ていた。
戦場に出ると彼の視野は、意識しなくとも広がっていた。
俗に言う八方眼《はっぽうがん》である。少なくとも、百八十度を視野に入れることができた。
「敵だ! 敵だ!」
はしっこいチャム・ファウも、教えなくとも、その監視目は、利《き》いた。
「……バーンではない」
バーン機と思いこんでいるチャムの報告を、ジョクは否定した。
ガベットゲンガーのザナド・ポジョンとは、数度手合わせをしたことがある。
オーラバトラー部隊の戦闘隊長を長く務めているケルムト・ドリンの推薦《すいせん》を得たことでも分るとおり、彼は、勘の良いパイロットであったが、まだオーラバトラーの力に振り廻《まわ》されている感じは否《いな》めなかった。
ジョクは、バーン機を気にして、山をはさんで二列に展開する艦隊の正面を走って、ザナド機の方は、無視した。
「……来たよ!」
「ああ……」
油断しているわけではなかった。ザナドの目の良いのも承知していた。
ジョクは、この戦闘の要諦《ようてい》は、バーン機の撃墜にあると思っている。
そのため、多少の危険を覚悟しても、まず、彼と遭遇することを第一にしていた。
しかし、現実には、ガラリアが出、次いでザナドである。
バーンとの遭遇が遅れていた。
オーラ・マシーンの時代になったといえども、まだ、軍隊には、騎士の存在を賞賛し、騎士精神にのっとった戦いに、憧《あこが》れる気風が強いのである。
バーン機とジョク機が、アの国とミの国のシンボルであった。
両雄が激突して、ジョクが、バーン機を葬ることができれば、ドレイク艦隊に決定的な動揺を与えることができるのである。
あの強力無比に見えた艦隊の半分が、コンタヌスの山間に、十数条の煙を吐くだけの存在になっているのであるから、艦隊の戦意がかなり喪失していると見るのは妥当であろう。
その上で、バーン機が撃墜され、ジョクのカットグラが勝利するのを見れば、ドレイク艦隊は、間違いなく撤退しよう。
だからこそ、ジョクは、敵のオーラバトラー全機が出て来る前に、バーン機と決着をつけたかったのである。
バブーン!
細いが狙《ねら》いの正確なフレイ・ボンムが、数条、ジョク機をかすめた。
「おうっ!」
「声を出すな! 気が散る!」
ジョクは、カットグラの機体をひねり、落下させた。そのす早い動きは、ガベットゲンガーに負けない。
「…………!?」
若い騎士ザナドは、息を呑《の》んだ。
上昇速度は、限界である。
それに対抗するように落下するカットグラから狙われた時、ザナド機の回避運動は、必然的に遅くなった。
「聖戦士かっ!」
そう思った時には、カットグラの機体のディテールがはっきりと見えてしまっていた。
ザナドは、母艦ゼミガルが被弾した怒りだけで発進をした、自分の気の焦《あせ》りが、マイナスに働いたと自覚した。
防御のつもりで発射した、フレイ・ボンムが、却《かえ》ってジョクに狙《ねら》いをつけやすくさせたということまでは、想像していなかった。
「……うおっ!?」
ザナド・ポジョンは、生れて初めて、フレイ・ボンムの攻撃を機体に受けた。
パッと目の前が白くなり、気がついた時には、大地が視界一杯に迫っていた。
魔法のようだった。
「どこをやられたっ!?」
楯《たて》で、フレイ・ボンムを防御することを忘れ、脚に直撃を許したらしかった。
「チッ……」
戦闘力は、一切|減殺《げんさい》されていないと信じたかったが、機体の震動はとまらなかった。
ガベットゲンガーの巨大な羽根を広げて、滑空態勢に入り、やっと機体の震動をとめた。
敵のオーラバトラー部隊が展開していれば、狙撃《そげき》されていたはずである。
ザナドは、実戦では、まだまだ素人《しろうと》に近く、すでに、ふたつの重大なミスを犯していたのである。
見上げる視界に、オーラバトラーの影はひとつもなかった。
「……俺は……」
初めて、ザナドは、自分が言われるほど有能でもなければ、実力があるのでもない、と思った。
離艦したバーンが、ジョク機を見つけることができたのは、この一瞬の交戦のフレイ・ボンムの輝きを見たからである。
「……バカ奴《め》っ!」
バーンは、ザナドが、ガベットゲンガーの強力な推力だけを頼りに上昇して、撃退されたのが分った。
「ジョクだ!」
無線に、ガラリアの声が飛び込んできた。言わずもがなのことであるが、ガラリアの気持ちが、バーンにはよく分った。
『……そうだよ。だから、ここで叩《たた》いてしまわねばならん』
バーンは、ガラリアがジョクとつながっていない、とは考えていなかった。
彼等が、一緒《いっしょ》になる前に、ジョク機を撃滅しなければならない。
「…………!?」
バーンは、ザナドが前に出てくれたおかげで、ジョク機の高度が下ったのを利して、斜め上から一気に接近をかけた。
カットグラの力をあなどってなどいない。同じ失敗を繰り返すのは、本当の無能者である。
「見参《けんざん》! ジョクっ!」
フレイ・ボンムを仕掛けた。
手榴弾《てりゅうだん》をめくらましにして、距離を詰め、とどめのフレイ・ボンムをブチ込む。それでも駄目ならば、剣を使ってコックピットを突き通すつもりだった。
数回のフレイ・ボンムを受けたカットグラの楯《たて》が、目の前に迫った。
「…………!?」
バーンは、ガベットゲンガーの剣をアタッチメントから外し、カットグラの楯を払い除《の》けた。
その時だった。
「…………!?」
激しい気が、後頭部を打ったようにバーンは感じた。ガベットゲンガーの剣の動きが、とまった。
「ジョクは、あたしがやる!」
ガラリアだった。
「…………!?」
バーン機の剣の下に、ジョク機の剣とガラリア機の剣が入った。
そして、ガラリア機の剣が、ジョクのコックピットにねじ向けられようとした。
「ガラリアっ!」
「…………!?」
「ヒヤーッ!」
三人の騎士とミ・フェラリオの悲鳴が起った。
彼等の意思が、三本の剣に融合したのだろうか。
刃合わせされた剣が、スパークするように、ボウッと輝きを発した。
その光は、閃光《せんこう》ではなく、波のように律動して、三機のオーラバトラーを包む七色の光になった。
「……うおおっ……!」
律動する光に包まれたオーラバトラーは、機体を震動させて、中に座る騎士たちの五臓《ごぞう》六腑《ろっぷ》を揺すり、彼等の体内にまで光を透過させた。
ボッボッ、ボボボンッ、ボッボッ! ボボンッ……
幾重《いくえ》にもなった丸い虹《にじ》の律動は、四方に広がり、激しい呼吸をするかのように、ドレイク艦隊を押し包み、ニーたちの艦隊も包んでいった。
しかし、その光は、船体を震わせることはない。
船体を透過する光は、視認できるのだが、なんの感触もなかった。
「なんだ。この光は!」
「オーラバトラーの接触があったようです。その方向から!」
ミィゼナーのパイロットが、叫んだ。
「……確かかっ!」
ニーの問いに、伝声管から、
「ヌースが、敵の二機と交戦したように見えました」
ニーには、その報告を伝える伝声管をも、光が透過しているのが見えていた。
「こんな光、見たことがない……なんなんだ」
「影が、影がありません」
無線機にしがみついていたメトーが、身を反《そ》らし、全身を硬直させて絶叫した。
「ブリッジ、聞えますか! この光、なんですか!」
別の伝声管から、キーン・キッスの声が、跳ね上って来た。
「どういうことかっ!」
「どういうことかって、オープン・デッキの壁から、光が透けて来るんです!」
彼女は、オープン・デッキで、オーラバトラーの発進を指揮する位置についていた。三方が、壁に囲まれたブロックなのである。
「オーラの光だ。オーラ・マシーンが、輝いているんだ!」
ニーは、断定した。
真実などはどうでも良かった。今は、将兵を安心させることが先決であった。
「オーラの光か……そうか。そうだな……これは、そう考えなければ解けない。機械が破壊される時の光ではない。爆発の光でもない。オーラ光だ! 総員! 恐れるなよ! この光は、命の光だ。ただ、それだけの光なんだ!」
「バイストン・ウェルを生成した力の源《みなもと》と言われているオーラの光、これだ。これが、それに違いない……」
ニーの席の後ろに位置したエゼラー・ムラボーも、同意を示すように唸《うな》った。
「騎士エゼラー。しかし、しかしです。本当に、機械の在《あ》り様《よう》などとは関係がなく、生体に力を与える光なのでしょうか?」
ニーは、みずから将兵に向かって断言したにもかかわらず、エゼラーに聞き返さずにはいられなかった。
「そうとでも考えなければ、説明がつかんだろ。感じてみろ! この光! 痛いか? きついか? そうではなかろう? 暖かい光だ。心を満たすなにかを持ってきてくれるような光ではないか!」
エゼラーは、軍人らしからぬ感動の声を上げた。
「確かに……敵の仕掛けた兵器が作り出すものではない……確かに、この光は、暖かい……しかも、力がある。巨大な力が……なんで、起っているのだ……」
ニーの疑問に対する答えは、この光の中心にいる三機のオーラバトラーにあった。
そこにあるものは、戦意と憎しみの交錯した感情の渦であった。
「ガラリアか! バーンか!」
ジョクは、瞬《まばた》きもできない瞳に染み込む光の中で、二人の意思の流れを見ていた。しかし、身体全体、機体全体は、上下左右に激しく震えていた。
「裏切り者に、名前を呼ばれるいわれはない」
バーンの声は、鉱石スピーカーの声より明瞭《めいりょう》に聞えた。
「そう言えるほどに、貴様は、清廉潔白か!」
「人の在り様は、こんなものだ!」
「ならば、裏切りなどと口にする必要もない。世界が震えていることを見ようとしない男が!」
「その言葉をそのまま貴様に返す」
「人の情を踏みにじりながら、何が、聖戦士かっ!」
ガラリアは絶叫《ぜっきょう》した。その絶叫には、涙があった。
「聖戦士! ジョクは、聖戦士!」
「なんだと!」
三人の騎士の間に、チャム・ファウが、割り込んできた。
「あたしを救ってくれたんだよ! ジョクがいなかったら、あたしは嵐の壁で、死んでいた!」
「輪廻《りんね》の業を背負ったフェラリオの言うことか!」
「次に、生き返るまで、待っていたら、生きられない!」
「ジョク! せめて、あたしの剣で、死んでくれっ!」
「今は、駄目《だめ》だ! 死んで行けるか!」
「なぜだよ!」
「オーラ・マシーンの存在! これを世界が許した理由を考えて見ろ! ドレイクとショットのやっていることを許せないのだ。これでは、世界が壊滅する!」
「戯言《たわごと》をっ! 世界を拡大して、より巨大に再生するのが、オーラ・マシーンだ! 貴様の考えは地上人の妄想《もうそう》だよ」
「違う! 違うんだ! オーラ・マシーンは、世界の終末を予見するものだ!」
「問題をすりかえるな! ジョク! 人の心を弄《もてあそ》ぶ者が、世界を言う資格はない」
「感情で、世界を見誤るな、ガラリア!」
それらの言葉は、口から発されたわけではない。
一堂に会した意識が、意思をぶつけ合っているのだ。
正に、オーラ力が、その光の波動のなかで、人の孤立する意思を融合して、彼等の表層意識を融和させよと計っているのだった。
しかし、個々の肉体というバリアーを持って存在を許されている人間は、意思と融合しただけでは、融合できない。
意思の力などには、物体を融合させる力はないのだ。それが、現実なのだ。
物体の存在そのものが、世界にとって不幸な現象なのかも知れなかった。
しかし、世界は、己れの必要から、種々様々な物質を生み出したのである。
その理由は、我々には、計り知れないが、単一の融合体として存在することを嫌って、種々相、森羅万象《しんらぱんしょう》を総合した豊かなものを手に入れたかったのであろう、と推測することはできる。
それ故、無数の人……個々の物体、個々の現象を生み育ててきたのであろう。
その生みの苦しみが、終末の苦しみに転化してしまった……それが、ジョクの想像であった。
「……いうなよ! 目の前の現象に捕われる者たち!」
「貴様は、神か!」
バーンの意思が表出した言葉は、コモン界の人びとにはない概念である。
コモン人の信仰は、アニミズムに近い。固有の神をいただくという概念は稀薄《きはく》である。
そのコモン人バーン・バニングスの口から発せられた『神』……。
「そうだ。今は、神にでもなって見せる! 世界を見ろ! 二人共っ!」
「何よっ、ジョク! 何を言っているの! モアイに怒られるわよ! そんなことを言うの!」
「でなければ、バイストン。ウェルも、バイストン・ウェルを生んだ地上世界も消えちまうんだよ!」
ジョクは、全身の細胞を震わせて、絶叫した。
「……ジョク!?」
ガラリアは、ジョクに対して恨みと憎しみを抱いていた自分の心に、一瞬、ジョクの悲しみが針のように滑りこんだのを感じた。
「……なんだと? わたしに、世界を見ろというのか!」
「バーンこそ、ドレイク以上の王になれる男であろう。ならば、より大きな立場に立って、世界を導かねばならん! そのためには、世界を見るんだ」
その意思の流れは、ジョクのものではないように聞えた。
バイストン・ウェルを司《つかさど》る者の声、とでも言おうか……。
四方に拡大していた光が、数十秒の後に滞空している三機のオーラバトラーに凝集《ぎょうしゅう》した。
パフッと光の音が、聞えたように思えた。
そして、光は、天と地を貫く一本の柱になった。
オーラ・ロード!
光の柱が、地上から離れて、天に吸い込まれた。
そして、消えた。
「……天に昇った……」
その光景は、戦場にいた者たちによって、目撃された。
「いません! いなくなりました! 三機です。確かに、ジョク機と他の二機のオーラバトラーが、いなくなっています」
「撃墜された形跡はないのか! 調べろ! いや、オーラバトラーは、艦隊護衛の隊形を崩すな!」
ニー・ギブンは、艦隊をどう指揮したら良いのか分らなかった。
それは、ドレイク艦隊の将兵たち、騎士たちにとっても同じであった。
「……何が起ったのだ……何が……敵艦の位置の確認、バーンとガラリア機の所在を確認させよ!」
ゼイエガから何度も同じ号令が発信された。
その頃、三機のオーラバトラーは、オーラ・ロードの宇宙を走って、地上への道ヘリープしていた。
ジョクとガラリアが、そして、バーンが、チャム・ファウが、次に見るのは、地上世界の街、東京……。
城毅《じょうたけし》の生れ故郷である。
[#改ページ]
[#地付き]「野性時代」一九八九年七月号掲載のものに加筆訂正したものです。
[#改ページ]
底本:「オーラバトラー戦記 5」カドカワノベルズ、角川書店
1989(平成元)年 6月25日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第05巻 離反.zip XYye10VAK9 16,440 2f88f6c5d7094a4380858162b2c4a532
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
2003行目
(p129-上-12) 怒れいります
恐れいります じゃないかと……
2594行目
(p169-上-13) 快くあたしを受け入れてくれたことが、
快くわたしを受け入れてくれたことが、 じゃないかと……
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