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オーラバトラー戦記1 アの国の恋
富野由悠季
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)頑張《がんば》っている
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)夏期|休暇《きゅうか》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/出渕裕
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オーラバトラー戦記1 目次
1 ロスアンジェルス
2 オーラ・ロード
3 体 術
4 城下街
5 居酒屋
6 ショット
7 オーラ・ボム
8 アリサ・ルフト
9 戦 雲
10 止《とど》 め
11 酔いの中で
12 強《きょう》 獣《じゅう》
13 ガラリア・ニャムヒー
14 ガロウ・ランたち
15 発 進
16 ドーメの殺戮《さつりく》
17 敵の顔
18 荼毘《だび》の煙《けむり》
19 ドレイクの陣《じん》
20 捜《そう》 索《さく》
21 影《かげ》
22 獣 檻
23 犠《いけにえ》の血
24 ガラリアから
25 静寂《せいじゃく》の勝利
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1 ロスアンジェルス
城《じょう》 毅《たけし》は、通称はジョク。漢字の読みがなまって、こう呼ばれている。
ここの飛行学校でも、彼はジョクで通っていた。
ロス市内から車で五十分ほどのセシリアプレースの小さな飛行場にある飛行学校で、ジョクは、軽飛行機のライセンスをとるために、日夜|頑張《がんば》っているというわけだ。
大学二年の夏である。
夏期|休暇《きゅうか》をフルに利用して、ライセンス取得《しゅとく》までいってしまおうというのだから、かなり無理をしていた。痩《や》せた。
飛行訓練に使われる英語は決まっているのでたいした苦労はなかったが、日常会話は、いまだに不自由だった。高校時代からこの事を予定してNHKの英会話などはマジメにやっていた。が、実際の会話となるとまだ耳がついていかなかった。
「私だって英語会話は、個人レッスンで一年やってたけど、あいつ、まるであたしのお尻《しり》を触《さわ》るのが目的みたいな先生だったモンナ」
デイパックを背《せ》負《お》った田村《たむら》美井奈《みいな》が、走るようにして追いかけて来たが喋《しゃべ》るのはやめなかった。ジョクに会えて嬉《うれ》しかったのだ。
ジョクは、この遠来の客を持てあましていた。
これから午前中のフライトに出ようという処《ところ》に飛び込《こ》んできたのだから……。
「全く……!」
ジョクは、キャンキャン喋りかける美井奈を黙《だま》らせたかった。
美井奈は美井奈で、思った以上に無愛想なジョクに腹を立てて、英会話の先生がお尻《しり》を触《さわ》る話など持ち出してジョクに牽制《けんせい》をかけてきた。
それでも、ジョクは無関心を装《よそお》って真直《まっすぐ》パイパー・チェロキー機に向かって大股《おおまた》に歩いていた。
『軽飛行機だって、こうも数が並《なら》んでいれば感動しなければならんだろ。そんなセンスを持てないようじゃ、田村にはグライダーにだって乗る資格はない……』
ジョクは、パタパタと追い掛《か》けてくる美井奈の足音を聞きながら、美井奈に飛行場の住所を教えてしまった自分のうかつさを後悔《こうかい》していた。
この夏中、アメリカにいるから会えないという意味の手紙を書いたのは、ここに来て一週間とたっていなかった。その手紙に使った便箋《びんせん》が、ここの飛行学校のブリーフィング・ルームにそなえ付けのもので、その便箋に、学校の名前と住所がしっかりと印刷されていたのだ。
彼女はそれを見て、ツアーのフリー・タイムにタクシーを走らせて来たのである。
美井奈とジョクの関係は、それほど深いものではない。大学のグライダー部の先輩《せんぱい》後輩の関係でしかない。
大体、ジョクはもてるタイプではない。
可愛《かわい》くない男の子なのだ。そのジョクが、この夏期|休暇《きゅうか》のグライダー部の合宿には行かないと言った時、奥井奈はとても不思議そうな顔をしたのである。
彼女にしてみれば、グライダー部の中でも硬派《こうは》に入るジョクが、合宿に出ないというのがビックリものだったのだ。
ジョクは、美井奈のような女の子にはそういう風に見られていた男の子であり、美井奈もそう感じるような女の子なのだ。
しかし、ジョクにしてみれば、遊び半分でグライダーだ、スカイ・ダイビングだと言うような女の子の代表選手に、そういう見られ方をされて面白くなかった。ジョクは、単純に今年中に軽飛行機のライセンスを取るまでは、忍耐《にんたい》の一念で硬派《こうは》をやっているだけのことなのだ。
が、ガチガチの学生に見られた侮《くや》しさがあった上に、飛行訓練以外には、ロスの観光もしていない乾《かわ》いた生活が女の子に手紙を書かせたのかも知れなかった。
勿論《もちろん》、二学期になったら、深くお付き合いするキッカケになればいいといった助平《すけべい》根性はあった。
それだけのことだったのに、美井奈はトコトコとセシリアプレースくんだりまで来たのである。
「先輩《せんぱい》がどんなとこで、リッチにやっているのかなってサ、気になるじゃない?」
美井奈は、飛行学校のロビーで会うなり言ったものだ。
「…………!」
ジョクは、見学に来ても良いとは書かなかったはずだと思っていた。
「どうするの……?」
「どうするのって? 見学……! 少しは時間取れるんでしょ? 話、聞きたいです」
ジョクは、その気楽な美井奈の言葉に呆《あき》れながら、パイパー・チェロキー機に向かった。
「三十分で降りてくる」
ジョクは、美井奈を振《ふ》り返った。
「はいー フライトを待つのは、グライダー部で慣れましたから!」
美井奈は、顔|一杯《いっぱい》に笑みを浮《う》かべて応《こた》えた。
「ああ……!」
アメリカに来て四日目、ツアーの同行者以外の日本人で、しかも知っている日本人に会えたという美井奈の嬉《うれ》しさは、ジョクにも分らないではない。
が、ジョクにしてみれば、日本語を排除《はいじょ》して勉強しているのだ。三人いる同期のフライト仲間《なかま》の日本人ともあまり言葉は交わさないでいる。そんな時に、父兄参観でもあるまいし、予告なしで覗《のぞ》きに来られたのでは堪《たま》ったものではない。
「ガール・フレンドなのか? 可愛《かわい》いじゃないか」
教官のカルロスが笑って、機体点検をするジョクの尻《しり》を叩《たた》いたものだ。
「ありがとう」
ジョクは、それ以上答える元気はなかったし、なにより実技の授業は緊張《きんちょう》する。美井奈のことは忘れるようにした。
機体を時計回りにチェックして、操縦席に上がった。
美井奈は、チェロキー機の隣《となり》のセスナの翼《つばさ》が作る日陰《ひかげ》に腰《こし》を下ろして、ジョクとカルロスのやる事を嬉しそうに見つめていた。
「…………!」
エンジン始動の手順も間違《まちが》いなく済ませると、コントロール・タワーに離陸《りりく》許可を貰《もら》って、滑走路《かっそうろ》に出る。
「リラックスできたか?」
「え? ええ!」
ジョクは、操縦|桿《かん》を握《にぎ》りしめながら、掌《てのひら》の力を抜《ぬ》いた、
最後の交信をコントロール・タワーと交わして、フル・スロットルにしていく。今日もタッチ・アンド・ゴーの反復練習である。
左右に並《なら》ぶ軽飛行機の列を抜け出したパイパー・チェロキー機は、金網《かなあみ》越《ご》しに褐色《かっしょく》に広がるブッシュを見ながら離陸《りりく》した。その左手には新興住宅の群が見える。
飛行学校所有の滑走路《かっそうろ》は、離陸した滑走路の隣《となり》にある。そこを目掛《めが》けて着地し、十数メートル滑走をして直ちに離陸する。かなり慣れたとは言え、神経を磨《す》り減らす訓練であることに変りがない。
ジョクの今日の予定では、午後は高度を取った二機編隊の飛行訓練もあった。要するに、他人に一番会いたくない日なのだ。
しかし、美井奈は、そんな事情は構ってくれない。
「午後はトレーニングは休むんだろう?」
「えっ?」
タッチ・アンド・ゴーの繰《く》り返しが終って、着陸する時になってカルロスがそう訊《き》いてきた。
「なんで?」
「なんでって、彼女、日本から会いに来たんだろ?英語|喋《しゃべ》れないものな?」
「…………!」
ジョクは、ムカッとして着陸をラフった。
「午後は、彼女に付き合ってやれよ」
「知るかっ!」
「じゃ、俺《おれ》が付き合っていいのか?」
「そりゃ駄目《だめ》だ、あんたは手が早いから」
カルロスはニターッと白い歯を見せて、パイパー・チェロキー機から飛び降りると出迎《でむか》えに立った美井奈に手を振《ふ》って、飛行学校のプレハブに向かった。
「他人《ひと》のことだと思ってさ!」
美井奈は、機体の点検をするジョクの尻《しり》に、カルロスと同じようにひっついて回った。
「ジョク! 彼女、紹介《しょうかい》しろよっ!」
飛行学校のメカニック・マンのジャックが陽気に声をあげて駆《か》け寄って来た。
「カルロス奴《め》!」
「ワッ! 凄《すご》い! 先輩《せんぱい》、ひとりごとも英語ですね」
「え?」
ジョクは、その美井奈の言葉に、唾《つば》を吐《は》く思いだった。
「まったくさ……」
ジョクは、ジャックと美井奈のトンチンカンな会話を無視して、機体使用書にサインをしてジャックにそれを渡《わた》す。そして、美井奈の腰《こし》を抱《だ》いた。
「来いよ!」
「気安くありません?」
「あのな! みんなは田村を俺《おれ》の恋人《こいびと》だと思っているんだ。そう思われるのも当り前だろ? お前、自分の事なんて言った? 日本から俺に会いに来たって言ったろ? なら、そう思われても仕方がないだろう。だったら仲良くして見せなければ、ジャックが言い寄る。カルロスもだ! みんなそういう奴《やつ》なんだ」
「ヘーェ? 先輩って東京にいる時より饒舌《じょうぜつ》ですねぇ! 感動しちやった!」
美井奈は、そう言いながらも、パイパー機の下にいるジャックに手を振《ふ》ったものだ。
「よしなよ!」
「フフフ! 妬《や》いてるんですか? 私が白人の恋人《こいびと》つくっちやいけないんですか?」
「あのね!……」
ジョクがブリーフィング・ルームに入ったので、美井奈は口を利《き》くのを止めた。
ジョクは、受付にフライト・レポートを提出して、それで午前中の授業が終るというわけだ。
受付の年増女《としまおんな》のクリスチーナが、上目使《うわめずか》いにジョクと背中に張りつくようにしている美井奈を見比べて、
「午後のフライトどうするの?」
「やめます。ちょっとつめすぎて疲《つか》れたし、友達《ともだち》来ているから」
「フンフーン!」
クリスチーナが高い鼻を鳴らして大きく頷《うなず》くのを見て、この女は、はっきりとキャンセル料の請求書《せいきゅうしょ》を寄越《よこ》すだろうなと思った。
「腹減ったろ?」
「はい!」
「この辺りはロクなものないぞ?」
「いいです。先輩《せんぱい》と食事できれば! なんか安心したらお腹《なか》が空《す》いちゃった!」
「分るよ」
ジョクは、近所を歩き回るために購入《こうにゅう》しておいたホンダの中古のバイクに美井奈を乗せると飛行場を後にした。
『なんでこいつは、こうも遠慮《えんりょ》なく俺《おれ》の腰《こし》に抱《だ》きつけるんだ?』
ジョクは、美井奈のわずかな胸の脹《ふく》らみを背中に感じながら思った。
しかし、頭と感情は美井奈の行動に反発しながらも、生理は大人《おとな》になりかけの日本人の女の子の肉体の感触《かんしょく》に絶叫《ぜっきょう》していた。
「田村! なんで、会いに来てくれたんだ?」
「アメリカだからでしょ?」
『ああ、そうか』
ジョクは、美井奈の簡潔《かんけつ》な理由に納得《なっとく》した。
カリフォルニアの空気はカラッとしている。空の色だってはっきりと着色されている。その空気は、確かに東京とは違《ちが》った鷹揚《おうよう》さと簡潔さを教えてくれる。
「……それは分るけど、ツアーから離《はな》れて単独行動を取るの怖《こわ》くなかった?」
「なんでですっ?」
「いかにも観光客ですって女の子が一人でほっつき歩いてたら危険だよ」
「だって、昼間ですよ?」
「あのね! 白人とかメキシカンが危険なんじゃないんだよ! 日本人! 同じ仲間《なかま》が一番危険なんだよ!」
「道理で! タクシーの黒人の坊《ぼう》や、親切だったわ」
「そういうもんさ。免許《めんきょ》持って働いている連中はプライド持っているから、観光客を狙《ねら》っている日本人より安全さ。仲間意識のある者同士で悪いことやろうっていう連中はね、アメリカ人の警察には分りにくいのさ。だから、悪い連中っていうのは、仲間意識のある連中をカモにするんだ」
「それで、日本人に気をつけろって言うんですか?」
「そういう事だ……あそこでいいな?」
「イヤダーッ! マクドナルドですかぁ?」
「ここではマドナルドって発音する。Dにアクセントがある」
ジョクは、構わずにバイクをマクドナルドの駐車場《ちゅうしゃじょう》に乗り上げていった。
「ヘッー! そうか、マクドナルドのcって、小文字ですもんね?」
昼食時の店内は混んでいた。奥《おく》のコーナにしか席が取れなかった。
「我慢《がまん》しな。お前が勝手に押《お》しかけて来るからいけないんだ」
「はい! すいません。でも……! ダウン・タウンのマクドナルドよりいいわ。郊外《こうがい》だとお客もアメリカらしくって……」
「東京で言えば、ここは埼玉みたいなもんだからな……」
「ハハハ……! オカシイッ!」
「事実だよ」
「そうですね? ディズニーランドってどっちなんです?」
美井奈は、ダブルバーガーを口に入れながら訊《き》いてきた。
「知らない」
「エッ……? まだ行ってないんですか? 先輩《せんぱい》っ?」
「そんな暇《ひま》あるわけない。八月|一杯《いっぱい》でライセンスを取るのが目的なんだから……ハードなんだよ」
「マジなんですねぇ……先輩……」
「すまないね」
ジョクもチキン・バーガーを頬《ほお》ばっているので、会話がようやく普通《ふつう》のスピードになる。
「どういたしまして……」
そう言う美井奈のプックリした頬《ほお》は豊かで、ちょっと厚い唇《くちびる》がキリッとしていて、バーガーを頬ばっても品《ひん》がないとは言えなかった。
育ちは悪くない子なのだ。
「どうする? 俺《おれ》みたいなのに会いに来て?」
「御迷惑《ごめいわく》でした?」
「……迷惑だけど……嬉《うれ》しいよ……田村が会いに来てくれるなんて思ってもいなかったから……」
「本当ですか? 良かった! 正直言うと、先輩《せんぱい》に嫌《きら》われたらどうしようかって不安だったんです」
「フーン……。ありがとう。そう言われると照れるな……」
ジョクは、アメリカに来てありがとう″という言葉を、英語のサンキューと同じ使い方で言えるようになっていた。
強《し》いて言えば、この事が二人の間に誤解を生んだ。
「ハハハッ!」
美井奈が弾《はじ》けるように笑った。その声に、左右に座っていた白人の老夫婦とプエルト・リコ人風の家族が美井奈を見た。
「先輩! 本当は、可愛《かわ》いんですね?」
「ありがとう。どう可愛いかよく分らないけれど……」
ジョクは、自分が可愛くない学生だと言うことを知っていたが、そんなことで議論する気はなかった。
こんな時間を持ってみると、自分が疲《つか》れていることがよく分った。
「どうする?」
同じことを美井奈に訊《き》いた。
「先輩《せんぱい》はどうします?」
「午後の授業、キャンセルしたのは聞いたろ? 田村が厭《いや》でなければつき合うし、厭ならば、俺《おれ》は急遽《きゅうきょ》学校に戻《もど》って授業を……」
「先輩はぁ……」
テーブルに顎《あご》をつけるようにして見上げた美井奈が言葉を突《つ》っ込《こ》んで来た。美井奈のパチッとした瞳《ひとみ》が、ジョクを真直《まっす》ぐに見詰《みつ》めていた。
「……どっちがいいんです?」
「田村はいつまでここに居るんだ?」
「じゃ、帰ります!」
「田村! お前と居る方がいいに決まっているじゃないか!? だから、田村の予定が気になるんじゃないか」
「……本当ですか?」
「本当だよ」
ジョクの生理に、バイクに乗っていた時の美井奈の胸の厚味の感触《かんしょく》が鮮《あざ》やかに甦《よみがえ》っていた。
「でも、今の先輩の言葉は、日本人の女の子なら誰《だれ》でもいいって感じですね?」
「……! 言葉のアヤだよ。それに……俺と美井奈の関係って、それ以上になにかあるわけ?」
「厭だぁー。そういうんですか? 先輩も?」
「…………」
ジョクは、答えずにコーヒーを飲むと、立ち上がった。
「……! 怒《おこ》ったんですか?」
「違《ちが》うよ……言われてみれば、照れくさくってさ……」
「ハハ……! 言い過ぎたって?」
「ああ……!」
「可愛《かわい》いんですねぇ! 先輩っ!」
ジョクは、外に出るとスッキリと抜《ぬ》けた青空を見上げて、人懐《ひとなつ》かしさに駆《か》られていた自分を感じた。
『気をつけないと、ヤバイな……』
ジョクは、バイクに跨《またが》ると美井奈がかじりつくのを待って、
「どこに行きたい?」
「分らないですから、先輩の知っている処《ところ》でいいです」
「……俺《おれ》だって、どこ行っていいか……ロス知らないんだ」
と、エンジンを掛《か》けた。
「ああ! ずっと行きたいと思っていた処があった。クイーン・メリーとその隣《となり》にあるスプルース・グース。コースに入ってた?」
「ロングビーチですね? ウウン!」
で、ジョクは、一気にロングビーチの観光コースに向かった。
飛行機好きならば、一度はスプルース・グースの愛称を持つ巨大《きょだい》な飛行|艇《てい》を見ないわけにはいかなかった。それは学校が終ったら、一人で見に行く予定にしていた。が、こういう風《ふう》にして見に行くのも悪くないとジョクには思えた。
二人は、ドームに入った白い巨大な飛行艇を見て、隣の桟橋《さんばし》に停泊《ていはく》しているかつての海の女王のクイーン・メリーを見学した。それだけで結構時間を使ってしまった。
「夕食は、ツアーのクーポンなんだろ?」
「クーポンなんて! ハハッ!」
「なんだよ!」
「御仕着《おしき》せの食事バッカじゃ、堪《たま》りませんわ」
「そうだな。捜《さが》して食べるのが楽しいんだもんな……」
この二人の時間は、午前中のジョクの気分のわだかまりを消してくれた。
ジョクは、この突然《とつぜん》のフリータイムが、後の飛行訓練に良い影響《えいきょう》を与えてくれるにちがいないと思った。
「感謝するよ。今日来てくれてさ。とてもリラックスして、もっと一緒《いっしょ》にいたいな。夕食は豪華《ごうか》にするか?」
「奢《おご》ってくれるんですか?」
「ウ……! いいよ! しかし、予定はないのか? ツアー仲間《なかま》と……?」
「高校時代の仲良しグループは、適当にやってるわ。みんな……」
それから、ハイウェイを回ってサンタモニカの魚を食べさせる小さな店に入った。
二人の格好では入りにくい店だったが、案外スンナリと入れてくれた。で、ちよっとムーディな食事を摂《と》りながらジョクは訊《き》いた。
「明日の予定はどうなっているの?」
「朝、九時にディズニーランドに集合のはずです。ボナベンチャー・ホテルまで送ってくれます?」
「いいよ。今夜の予定もあるんだろ?」
「いえ……!」
「フーン……」
ジョクは、僅《わず》かな間《ま》を感じて、
「来る? 俺《おれ》の使っている宿舎へ」
「え?……ええ! 見たいです」
「いいのかな? 他の仲間に」
「だから、ホテルに寄って様子見て、明日の予定聞いて行きます。先輩《せんぱい》の予定はどうなんです?」
「問題ないよ。講義をひとつ休むだけで済むんだから……。フライト訓練は午後から受ける」
ロス市内のそのホテルのロビーには、ロス周辺の観光から戻《もど》って来た日本人の観光客がウロウロしていた。
「ミィーナッ!」
結局、ジョクは美井奈をホテルのロビーまで送った時に、彼女の仲間《なかま》に見つかってしまった。
「どこ行ってたの! あーら、彼氏《かれし》? 今晩は!」
「ああ! 今晩は。ここで待っているから……」
「じゃ……!」
美井奈は、ちょっと気取った様子で仲間の四人の女子大生に囲まれてジョクに背を向け、オレンジのエレベーターの方に向かった。
「ちょっと、ちょっと格好いいじゃない! 先輩なんでしょ?」
そんな嬌声《きょうせい》が、美井奈の周囲に弾《はじ》けた。
「……まったく、間《ま》が悪いとこういうもんだな……」
ジョクは、フロントの前のソファに座りこんで、女子大生たちのポテンとしたお尻《しり》を思い出した。
「白人の男は、あのお尻がいいって言うんだよな……」
ジョクは、颯爽《さっそう》と歩いていく黒人のホテル・レディのツンとつき上がったヒップ・ラインを目で追いながら、それでも、美井奈のお尻は他の女子大生たちよりはスリムだったと思っていた。自分の好みが間違《まちが》っていなかったと納得《なっとく》したわけだ。
が、その瞬間《しゅんかん》に自身の男性自身が勃然《ぼつぜん》とするのを感じて、慌《あわ》てて足を合わせた。
「そうか……」
ジョクは、このホテルの二階か三階のショッピング・フロアにドラッグ・ストアがあるのを思い出して、スキンを買っておこうと立ち上がった。ちょっと歩きにくいのを我慢《がまん》すると、股間《こかん》はまた大人《おとな》しくなった。
初めてのジョクと美井奈だったが、若さは十分に二人を楽しませた。
カリフォルニアでの出会いだからだ。
眠《ねむ》ったのは朝方だった。だから、すぐに目覚《めざ》ましで起されたという感じだ。
「ディズニーランドまでは、どのくらいで行けます? 先輩《せんぱい》」
化粧《けしょう》をしている美井奈が聞いた。
「遅《おく》れたって捜《さが》せるよ。ディズニーランドで人を捜すコツがあるんだ。初めてなんだろ、あの娘《こ》たち?」
「はいっ!」
「左回りで、カリブ≠フ海賊から捜して行けば見つかるよ。インフォメーションもあるしさ」
ジョクのバイクは、飛行場の脇《わき》の道路を抜《ぬ》けてフリーウェイに出る。
車は混んでいた。帯のように流れる車の間に、ジョクは一台分のスペースを見つけるとバイクを滑《すべ》り込《こ》ませた。
「間に合いそうだな……」
「すいませんね。疲《つか》れてるのに!」
「美井奈が素敵《すてき》だったから、いいのさ!」
そんな事を大きな声で話せるのは、壮快《そうかい》だった。
「厭《いや》だぁ!」
美井奈が、ギュッとジョクの腰《こし》を抱《だ》いた。
「…………」
その美井奈の力に、ジョクはまたも勃起《ぼっき》する自分を感じた。
その時だ。
なんの音だろうと感じる間もなく、前方にフワッと迫《せま》る黒いものをジョクは見た。
「…………!?」
その時になって、ジョクは、初めてセンターラインのガードを乗り越《こ》えた車の轟音《ごうおん》を聞いた。
対向車線から小型のトラックが跳《は》ねて来たのだ。
前の車が横に滑《すべ》るのが見えた。その正面にトラックの黄色の車体が滑った。
「エエィッ!」
ジョクは、自分で思った以上にハンドルを左に切っていた。背後から迫った乗用車が、ジョクと美井奈の乗ったバイクを撥《は》ねた。
バイクは空に飛んだ。
「あっ!」
美井奈の悲鳴が聞えた時は、ジョクの手がハンドルから離《はな》れていた。
「うわっ!」
美井奈の手がジョクから離れたようだった。
その瞬間《しゅんかん》、ジョクは、カチンという冴《さ》えた音を聞いたように感じた。
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2 オーラ・ロード
城《じょう》 毅《たけし》はまだ死んでいない。
気絶したまま、ジョクの肉体が飛んでいた。
それは、現実には視覚されることがない時空間を走っていた。
しかし、そのような表現は、全《すべ》て正しくない。
肉体が確固たる存在として存在し得ない時空間。
その時空間にジョクが存在するのは事実なのだが、いかに言葉を駆使《くし》できたとしてもそれ以上の表現をする概念《がいねん》を人は持たないはずだ。
だから、死んでいないという表現も、また、飛んでいるといった移動を表す言葉を使うことも、不適切である。
ジョクの存在は、走っているのでもなく、漂《ただよ》っているのでもなく、まして落下しているのでもなく、上昇《じょうしょう》しているのでもない。
ジョクが存在する時空間は、それと示し得る時空間ではない。
しかし、ジョクの存在そのものが移動していることは確かだった。
ジョクの意識が覚醒《かくせい》していれば、確実に移動感覚だけは知覚していただろう。しかし、この時空域の存在を知覚するセンサーを人は持っていない。
三次元存在のものが、異次元でモノとして存在したとしても、低次の存在である人が高次の世界を知覚して、認識することはできない。
モノの存在そのものが圧縮され拡散し、しかもモノとしては確かに存在するのをどのように説明したら良いのか?
周囲の次元を形成する存在に紛《まぎ》れて、それでもジョクの存在は意志という求心力によってかすかに形成されている。それが事実だ。
その存在が維持《いじ》されている間に、ジョクは、存在そのものを許す法則に則《のっと》って移動していた。
ジョクは、過去《かこ》に四度、死に損《そこ》なうようなことがあった。
一度は、父と遠泳にいった時のことたった。
風があったのに、父の見通しが甘《あま》かったのが原因で、十|歳《さい》のジョクは半日|潮《しお》に流されて、泳ぎ出した海岸から二十キロも離《はな》れた別の海岸に流れついたことがあった。
その間、二度ばかり意識がなくなった。その意識がなくなる寸前が、死んでしまうかもしれないという恐怖《きょうふ》が入りこむ隙《すき》であった。
二度目は、今朝《けさ》のロスと同じように、反対車線から跳《は》ね飛んだベレット1800GTが、車体ごと正面から殴《なぐ》り込《こ》んで来た時だ。
ベレットは、助手席に座っていたジョクの側のドアをへこまして、後方に滑《すべ》っていった。その時、ジョクは左|腕《うで》を骨折する怪我《けが》をした。もう少しの差で死ぬところだったと思う。
中学の時だった。
その翌々年、ジョクは、怪我をした腕を強くしたいという衝動《しょうどう》から、カラテを習い出した二年目、筋《すじ》が良いというので天狗《てんぐ》になっていた頃《ころ》だ。
本物のヤクザと喧嘩《けんか》して、袋叩《ふくろたた》きにあった。その時、喧嘩とカラテは違《ちが》うという事に気がついたが、気がついたのは喧嘩をした三日後の病院のべッドの中だった。
道場からは破門《はもん》された。
四度目は、高校三年の夏休みに北海道旅行をした時である。
まずあり得たいと思われた手負《てお》いのエゾ羆《ひぐま》に襲《おそ》われるという事件に出会った。
カラテで対抗《たいこう》するなどマンガだと思った。動転し恐怖心《きょうふしん》に襲《おそ》われて、逃《に》げるのが精一杯《せいいっぱい》で、転び、エゾ羆《ひぐま》にのしかかられた。その羆の口の中を見た時、羆の唾《つば》が頬《ほお》にかかった。その瞬間《しゅんかん》、銃声《じゅうせい》が耳のそばでして助かったのである。
しかし、一方的に負けていたわけではなかった。羆を射《う》ち殺してくれたハンターが、よく羆の腕《うで》を払《はら》ったと誉《ほ》めてくれた。
覚えてはいないが、自分でも、そうか、と納得《なっとく》した。
ジョクには、そういった奇妙《きみょう》な運を呼ぶものが身にそなわっていたのかも知れない。
そんな経験がジョクを強くしたのだろう。
大学に入ってからは、小学生の頃《ころ》から好きだった飛行機の免許《めんきょ》を取るためにグライダー部に入った。実行するという意志の強さは、これらの体験から生れていると言える。
ジョクの意識が、凝縮《ぎょうしゅく》し始めた。
『結局、親父《おやじ》は仕事以外に関心がない男だったんだ……』
『お袋《ふくろ》だって、財産があると言ったって、それはお袋の力じゃない。嵩《かさ》にかかって好きにするから親父とうまくいかないんだよ……』
『俺《おれ》が生れてからこっち、あの二人はセックスなんてしてないんじゃないのか……』
ジョクは、そういう理解を持てる少年になっていた。
だから、奇妙な運が重なる……。
ジョクの意識が凝縮し始めた。
ロスのハイウェイで知覚したカチンと音をたてるような光の感触《かんしょく》を思い出していた。
『……! 頭がスーッとする……!』
夢《ゆめ》をみながら目覚《めざ》めが始まる感触に似ていた。
『落ちてる……ミイナ!……あったかいセックス……ミイナッ! 死んじゃいけないっ……! 御免《ごめん》よ! 痛かったろ………バイクから道路に落ちたのか? 体が潰《つぶ》れて死ぬんじゃ痛いよなっ……っ……っ……っ』
『聖戦士《せいせんし》よ! 助けてっ! 聖戦士っ!』
ジョクの意識の凝縮《ぎょうしゅく》作業のなかに、別のたえなる声、いや、意思が響《ひび》いた。
『聖戦士っ! ああっ! 助けてっ! この世に、聖戦士はいるはずなのにっ! なぜっ! 私を助けてくれないのっ……! 聖戦士!』
凝縮を始めたジョクの意識がその別の声[#「声」傍点]を聞いた。
『セイセンシ?』
『いやっ! いやぁーーっ! 嫌《きら》いだ! こんなの嫌いだっ!』
『嫌い……?』
ジョクはその声というか、意思を発するモノを知った時にゾクッとした。
ジョクの男がまた勃起《ぼっき》した。
そう、ジョクの存在そのものが、形になろうとしていた。
そして、そのジョクの存在が異次元をすり抜《ぬ》けようとしていた。
これが、オーラ・ロードだ。
『あああっ! 男が入っちゃうっ! 厭《いや》ぁっー! 汚《きたな》いのがぁーぁ……ぁ……ぁ! ウッグッ!』
その最後の呻《うめ》きは、ジョクが美井奈《みいな》の股間《こかん》に割って入った時の美井奈の呻きに似ていた。
しかし、美井奈のそれは期待の嗚咽《おえつ》だった。いい声なのだ。
が、いま聞えた呻《うめ》きは、苦痛と嫌悪《けんお》だ。それも絶望に近く……その上、甘美《かんび》な誘惑《ゆうわく》の匂《にお》いもあった……。
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3 体 術
ジョクは、眼前に醜悪《しゅうあく》で巨大《きょだい》な男の顔を視覚した。その知らない髭面《ひげづら》の顔は、目の前五十センチとない距離《きょり》にあった。
その顔は眼《め》を一杯《いっぱい》に開いて、その瞳孔《どうこう》の左右の白目には赤い血管を浮《う》きたたせていた。しかも、グヘッと聞かれたロの中の半分の歯は黄色く、頬《ほお》から顎《あご》、鼻の下には黒と茶で汚《よご》れた剛毛《ごうもう》がムラとおおっていた。
「……グッッ……!」
そんな呻《うめ》き声に乗って、歯の隙間《すきま》から飛び散った唾《つば》がジョクの顔に飛んだ。
ジョクは、尻《しり》が柔《やわ》らかいものの上に座っているらしいと分っていたが、それが何か分る間もなかった。目の前にある訳の分らないもの、恐怖《きょうふ》の対象を払《はら》い除《の》けようとして腕《うで》を振《ふ》った。
「ウェェッ!」
目の前にあった男の顔が、急速に離《はな》れてジョクの視界から消えた。
「なんだよっ!」
ジョクは叫《さけ》びながら立とうとした。
バイク・シューズの底が当る場所は、尻が当った部分とは違《ちが》って、ともかく踏《ふ》んばる堅《かた》さがあった。
「…………!?」
足がもっと有利な足場を求めて本能的に滑《すべ》った。カラテをやっていた時に覚えた仕草《しぐさ》だ。が、そのブーツの踵《かかと》に柔《やわ》らかいものが当った。尻《しり》に当った感触《かんしょく》と同じだ。
『……!? 美井奈?』
そう思ったのも無理はなかった。
今朝《けさ》方まで、たっぷりと観賞させて貰《もら》った美井奈の下半身そっくりの光景が、ジョクのブーツの間にあったからだ。
その裸《はだか》の白い足が縮まる瞬間《しゅんかん》に、ジョクにはその女の股間《こかん》の薄《うす》い毛が濃《こ》い緑のように見えた。
それが、ますますジョクを混乱させた。
ジョクは、正面、左右と見た。ようやく、正面の男がジョクを異物だと分ったのだろう。
「デッチッ!」
分らない声が上がり、拳《こぶし》がジョクに迫《せま》った。ジョクはそれを避《よ》けたものの、数回の鉄拳《てっけん》を避けるというわけにはいかない。ジョクのブーツがむきだしの女の脚《あし》にひっかかってよろけた。
「ジェットォォ!」
粗暴《そぼう》な鉄拳がジョクに迫った。ジョクはその鉄拳が当る瞬間に、わずかにその勢いを流すように顔をそむけて直撃《ちょくげき》をさけた。
それで頬《ほお》の骨が砕《くだ》かれずにすんだ。ジョクの体が飛んだ。
次の瞬間、ジョクは別の人影《ひとかげ》が自分に飛び込《こ》んでくるのを読んでいた。上体が地に落ちると同時に、女の横たわっている場所から離れるように転がった。
「…………!」
敵らしい男は三人、と視覚が捕《とら》えた。ジョクは脚を横に払《はら》った。
「アゥッチ!」
その動きが、左から飛び込《こ》んできた男を倒《たお》していたが、ジョクも弁慶《べんけい》の泣き処《どころ》に痛みを感じた。久しぶりのカラミで体が鈍《なま》っているのが分った。
「クソッ!」
ジョクは、自分の体のヤワさ加減を呪《のろ》った。
が、そんなことで迫《せま》ってくる敵が手を抜《ぬ》いてくれるわけではない。二つの影《かげ》が転がるジョクに駆《か》け寄ってきた。
「クッ!」
ジョクは歯を食いしばって、一方の男の懐《ふところ》に飛び込むようにして膝《ひざ》を蹴《け》り上げて、男の金的を撃《う》った。
「グヘッ!」
前のめりになる男を無視して、ジョクはもう一人の男に体を回して倒した男の顔面を蹴《け》り上げた。
カラテは肉体のカラミを論理的に教える。それを知った者と素人《しろうと》では根本的に体の動きが違《ちが》った。
とは言え、カラテの初心者には無我夢中《むがむちゅう》で襲《おそ》いかかってくる素人をあしらうことはできない。あるレベルまで訓練をしなければ、必死の素人に勝つのは難しいものだ。が、ジョクは、幸いにそのレベルに至っていた。
今のジョクには、相手にしている男たちが粗暴《そぼう》な挙動をしているだけの素人に見えるようになった。動きが恐《おそ》ろしく直線的なのである。力と体の大きさだけで勝負していた。
ジョクは、初めに殴《なぐ》りかかった髭面《ひげづら》の男の正面に体を向けた。その男は、左に流れた。
「…………!」
その動きから、尋常《じんじょう》一様《いちよう》の喧嘩慣《けんかな》れではないと見た。ジョクは、その男が手になにかを持っているのを見てとった。ジョクは跳《は》ねた。
迫《せま》る敵の頭上にフワと隙《すき》が見えたからだ。
ジョクは飛び蹴《け》りは得意《とくい》ではなかったが、左右《ひだりみぎ》と脚《あし》を蹴上げた。それが、得物《えもの》を振《ふ》り上げようとする髭面《ひげづら》の男の手首と顔に当った。ジョクは、そのまま勢いに乗って、よろけた男の顔に膝《ひざ》を固めて落下した。
「ッゲッ!」
その男の頬《ほお》にジョクの膝がはっきりと食い込《こ》んだ。
ジョクは恐怖《きょうふ》心から、さらに突《つ》きをその男の首に入れながら地に落ちた。
髭面の頬骨《ほおぼね》が砕《くだ》けたと感じた。
「ダッ! ハッハッ……」
劇痛《げきつう》に身を捩《よじ》って男は転がった。
その男の身悶《みもだ》えを見て、他の二人の男たちはよろけるように背中を向けた。
「…………」
ジョクは、迷った。
髭面の男の大きな背中を見下ろした時、とどめを刺《さ》した方が良いのではないかと思ったのだ。しかし、今やった格闘《かくとう》がそういう性質のものかどうかは分らなかった。凌辱《りょうじょく》される女を救っただけで良いのかも知れない。
「あ、あッツッ……!」
呻《うめ》きながら男たちが駆《か》け込《こ》んでいった場所は木が繁《しげ》っていた。
『森か……』
ジョクは、ハアッと大きく息を吐《は》き出して、改めて両手に残る痛みに掌《てのひら》を見た。骨が久しぶりにギシリと鳴った。
「…………?」
緑色の髪《かみ》の女性が体半分を雑草の繁《しげ》みに隠《かく》すようにしていた。
ジョクが救った女、いや、ジョクが突然《とつぜん》、その腹の上に座り込《こ》んでしまった女性がそこにいた。
『逃《に》げる間はなかったのか?』
そう思った。
その女性は、特徴《とくちょう》的な緑の瞳《ひとみ》をしていた。ジョクは、アメリカに来てから髪と瞳の色を識別する癖《くせ》がついていた。彼女の身につけているラフなワンピースは、コム・デ・ギャルソン風だ。
『ゴルチェかな……?』
そうも考えた。
ジョクは、この訳の分らない状況《じょうきょう》を理解する糸口を捜《さが》そうと、想像がつくところから考え始めた。
人間は分らない状況に立たされたら、知っている事から考えようとする。客観的に状況を把握《はあく》しようとすれば、なぜ緑色の髪の女がいて、なぜ森の見える場所があって、なぜ皮を身に纒《まと》った臭《くさ》い匂《にお》いのする男たちが女を襲《おそ》っていたのか考えればよい。
が、それは理屈《りくつ》である。
しかも、昼間だ。ロスでも真昼間の婦女暴行はかなりラフな事件である。
他にも、ジョクが想像できる範囲《はんい》で考えなければならない問題があった。
あの事故はどうなったのか? 美井奈はどこにいるのか? そして、ここは、どこなのか?
「……ありがとうございます……」
その女の口が動いて、その言葉の意味がピンとジョクの頭をうった。
「…………?」
それも奇妙《きみょう》な感触《かんしょく》だった。
「いや……」
ジョクは、そう言ってから、ようやく周囲を見廻《みまわ》した。
正面に森があり、背後にはなだらかな丘陵《きゅうりょう》地帯が広がっていた。そして、左の奥《おく》、距離《きょり》にして四キロくらいの処《ところ》に城のようなものが見えた。
一度ツアーで行ったパリの郊外《こうがい》の景色に似ていると思った。
「……ここは、どこだ?」
ジョクは、英語で訊《き》いた。
繁《しげ》みの中の女が明らかに、ブルッと身を震《ふる》わせたようだった。
「あなた、地上人《ちじょうびと》か?」
女の口が動いたが、言葉が聞えるというのではない。またも、ジョクの頭にピンと言葉の意味が飛び込《こ》んできた。
「地上人?」
ジョクは、ブーツが隠《かく》れるくらいの雑草の中を近づいていった。
「どういう意味なんだ?」
これも英語で言った。
「天の上にある地上の世界の方……」
「え?」
『この女は何を話しているのだ?』
ジョクのブーツが堅《かた》いものに当った。博物館にでも飾《かざ》ってあるような西洋風の長い剣《けん》が落ちていた。
肩《かた》にでも掛《か》けるような長い革《かわ》のベルトもついていた。
ジョクは、女の言うことを考える間《ま》をとるためにゆっくりとかがんで剣を取った。ズシッとした剣の重さは、ジョクを身震《みぶる》いさせた。直刀《ちょくとう》である。
「…………」
柄《つか》に手を掛《か》けて引いた。シャラッと滑《すべ》る鉄の音が冷たかった。かなりの幅《はば》のある刃《は》はところどころが欠けて、刃には脂肪《しぼう》と血痕《けっこん》が付着していた。それは動物の脂《あぶら》かそれとも……。
「天って、空にあるといわれている天か?」
「はい、その天の上にさらなる地上があるという伝説が、このバイストン・ウェルの世界にはあります」
女はようやく気を取り直したのだろう、立ち上がってスカートの裾《すそ》についている草を払《はら》いながら、上目遣《うわめづか》いにジョクを見た。
その眼《め》は奇妙《きみょう》にジョクにからんだ。
『……こいつ?』
ジョクは、かすかに女に対して嫌悪《けんお》感を抱《いだ》いた。
背丈《せたけ》のすっきりと伸《の》びた美しい女性なのに、挙動にどこか隙《すき》があるのだ。
言ってしまえば、気品を持っていながら、強姦《ごうかん》されるような色気を持っているということだ。
『コットンか……』
ジョクは、また女の着ているものを見ていた。
コットンのワンピースに見えるが、ひどく簡単なものだった。襟《えり》は、まるでくりぬいただけに見え、胸から腰《こし》にかけては体に合わせてあるように見えるが、要するに小さすぎるのだ。腰には、申しわけ程度の幅広《はばひろ》の布を巻いていた。
『まるで時代遅《じだいおく》れな……』
「ありがとうございます」
女はそう言うと、突然《とつぜん》、身を翻《ひるがえ》した。
「…………?」
馬の蹄《ひづめ》の音が聞えたからだ。
しかし、ジョクは、どうしたら良いか分らず、馬蹄《ばてい》の音がする方を見た。
『先刻の男たちの仲間《なかま》か……』
剣《けん》のベルトを掴《つか》んだままジョクは後退して、緑色の髪《かみ》をした女が駆《か》け込《こ》んだ森の一角に身をひそめた。
数|騎《き》の騎馬《きば》は、城の見える方向から上がって来た。
『……! なんだ?』
ジョクは、またも絶句した。
その騎馬は、時代劇映画そのままだったからだ。
馬上の男たちは、なめし革《がわ》のガッチリとしたデザインのものを身に着け、その背中には分厚い帽子《ぼうし》のようなものをくくりつけて、腰《こし》には剣を吊《つる》していた。
鞍《くら》にライフル銃《じゅう》を収めた革袋《かわぶくろ》をつけた騎馬もあった。
『参ったな……』
ジョクは、夢《ゆめ》をみているのだと思いたかったが、自分の感覚の全《すべ》てが目覚《めざ》めているのは良く分っていた。
『なんなんだよ……ここは……。それに俺《おれ》だ……なにをやってるんだ?』
「間違《まちが》いなくこっちの方向なんだな?」
言葉の意味そのものがジョクの頭の中に飛び込《こ》んできた。奇妙《きみょう》な感覚だった。
しかし、声も聞えてくる。
「フェラリオの女の足などたかが知れています」
「ガロウ・ランの輩《やから》が追っていたというではないか! だとすれば、股倉《またぐら》を裂《さ》かれて殺されているんじゃないのか?」
ひどく不穏当《ふおんとう》な言葉がその男たちの間で交わされた。ジョクは、何をどう考えて良いのか分らなかった。
「フェラリオの女は、ガロウ・ランの連中には御馳走《ごちそう》だぜ。そう簡単に殺すものか。好きもののフェラリオだから、このコモン界に降りて来たんだぜ。そういうフェラリオは、昼も夜もやり続けても股は緩《ゆる》まないって言うぜぇ」
「ゲヒャヒャヒャ……」
そんな会話に笑い興じる男たちであったが、話している内容から人を推量することはできない。七人の中の隊長格らしい男は、そんな会話に耳を貸す様子も見せず周囲を観察していた。
長い髪《かみ》を後ろで束《たば》ね、細い顎《あご》のその若者は精悍《せいかん》さをみなぎらせていた。
『兵隊か……』
ジョクは、ようやく考える糸口になる言葉を発見した。
「ここで揉《も》みあったな……。フェラリオひとりならば河に逃《に》げるはずだしな……」
その総髪《そうはつ》の男は、周囲の雑草をあらためてから、
「森の中を捜索《そうさく》する勇気のある者はいるか?」
と問いかけた。猥雑《わいざつ》な話に興じていた男たちは一斉《いっせい》に口を閉ざした。
「夜になりますし……」
おずおずと言う兵を総髪《そうはつ》の若者は見もしなかった。
「……そうだな……よし、この周囲を捜索《そうさく》したら、ラース・ワウに戻《もど》ろう」
その言葉に兵たちは安堵《あんど》の色を見せて、馬の腹を蹴《け》った。
『……角《つの》があるのか?』
ジョクは、移動を始めた騎馬《きば》隊を目で追って、あらためて馬が特異なものであることに気づいた。
モンゴル馬に似《に》たその馬は、額《ひたい》に数センチの角を持っているのだ。
『なんだ? 先刻の女は、バイストン・ウェルとか言っていたけど……なんだ?』
ジョクは、ようやくSFで言われている異次元とか、次元世界とか言う言葉を思い出していた。
『次元スリップでもしたっての? 俺《おれ》……』
ジョクは、剣《けん》のベルトを握《にぎ》りしめている手が震《ふる》えているのに気がつかなかった。
『……もしそうなら、俺の体はどうなるんだ?』
ジョクは、自分の体が次元の境目でひしゃげているのではないかという不安に駆《か》られた。
ベルトは、手の汗《あせ》でべッタリと濡《ぬ》れていた。
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4 城下街
ジョクは森から出て、城らしいものが見える斜面《しゃめん》に座り込《こ》んでいた。
城の手前には、中世のヨーロッパそのものといった田舎《いなか》の光景が広がっていた。
麦畑の畝《うね》がひろがり、ところどころに小さく林が見え、木々の間に人と馬車の動きが見えた。
その動きのテンポは、ミレーの絵画を見ているような雰囲気《ふんいき》があった。
自動車の影《かげ》は全くない。
『……ここが別の世界だってことは確からしいけど……冗談《じょうだん》じゃないな……』
ジョクは、バイクがハイウェイの上で吹き飛んだ瞬間《しゅんかん》に見た光のようなものと、その後に体験した、と感じている落下する夢《ゆめ》の記憶《きおく》を重ね合わせて、その意味をつなぐ作業をしていた。
『やっぱり次元スリップかなぁ……そうとしか考えられないけど……まるで時代劇のような現実があるなんて……。でなけりゃ、夢の世界の中で目を覚ましているっていう、夢スリップってやつだな……』
冗談ぽく考えてみても、自分を納得《なっとく》させることはできない。
『……参ったな……』
城のシルエットのところどころに明りが点《とも》された。
蛍光灯《けいこうとう》の光とは違《ちが》った青味を帯びた光だった。
城の手前に見える家の数は、八|軒《けん》。城の向うにも村か街らしいものがあるように感じられたが、ジョクのいる処《ところ》からは見えない。
家々の煙突《えんとつ》から煙《けむり》が出るに及《およ》んで、ジョクは、空腹を感じ始めた。
急速に辺りは暗くなっていったが、ジョクは、奇妙《きみょう》なことに気がついた。
『……? 太陽は、森の向うに沈《しず》んだのか?』
空をグルリと見廻《みまわ》してみたが、一方の方向から入る光を見ることはなかった。雲もあり、それが流れているのも分った。しかし、夕陽《ゆうひ》の方向性は感じられないのだ。
『……? 全く……冗談《じょうだん》、やめて欲しいな……』
ジョクは、自分の思いつきにゾクッとして首をすくめた。太陽の光はないという思いつきだ。
周囲は、全体的に暗くなっていくように思えた。
『……アラ?……一番星があんなところか?』
頭の真上に星の光が見えた。都会育ちのジョクでも、頭上に一番星が見えるのは嘘《うそ》っぽいと感じるだけのセンスはある。
『どうも、やっぱし……全然|違《ちが》うみたいだな……』
体の節々《ふしぶし》が痛み出しているのを感じながら、今夜、どうしたら良いのかと考えないわけにはいかなかった。
『兵隊たちは、森の中を怖《こわ》がっていたな……』
だから、ジョクは森の中に入らなかった。立ち上がった。真暗になる前に、なんとか手だてを見つけなければならないと決心したのだ。
『俺《おれ》は日本人だからな、やっぱり、人がいる方に行きたくなる……』
ジョクは、自分の格好がこの世界の人々と全く違うことを忘れて、剣《けん》を引きずって城の方に向かう畔道《あぜみち》に降りていった。
西欧《せいおう》の中世風の農家は、明りをほんのりと点《とも》して家の中でも仕事をするようだ。なにかを打つ音や家畜《かちく》の鳴き声が農家や離《はな》れの棟《むね》から聞えた。
それは生活の息吹《いぶき》だ。
『ほんと……田舎《いなか》だ………』
犬が吠《ほ》えていた。
前方の城の影《かげ》が大きくなり、その下の闇《やみ》の中から揺《ゆ》れる光が近づいて来た。
『…………』
ジョクは、傍《かたわ》らの麦畑に身を伏《ふ》せた。周囲の蛙《かえる》と虫の鳴き声が一斉《いっせい》にやんだ。
『……まずいな……』
そんな気の使い方は初めてである。神経が異常に高ぶっているのだろう。
馬車の車輪の音と蹄《ひづめ》の音が、数人の人の声を運んできた。
「……ドレイク・ルフト様は、グッカと言ってたなぁ」
「……そりゃあ、本当にガロウ・ランかよ?」
「お触《ふ》れには、ギィ・グッガって書いてあったんじゃねぇか?」
「怖《こわ》い話だぁねえ……ガロウ・ランって、子供を喰《く》うって話じゃねぇか?」
「そりゃ、違《ちが》う。喰《く》わねぇ、喰《く》わねぇ。そりや、昔《むかし》の話だ。近頃《ちかごろ》のガロウ・ランは、フェンダ・パイルから這《は》い上がって、このコモンの世界の儂等《わしら》を使いたがっているってぇ話だ……」
「ドレイク様のように、領主になろうって魂胆《こんたん》かい? ガロウ・ランが?」
「コモンの俺《おれ》等を使おうってのかぁ? 太い野郎たちだ……」
「ガロウ・ランって、あれが太いんだろ? いいんだってね! あんたたちと違って、夜明けまでやってくれるってさぁ!」
野太い女の声だ。
「一杯《いっぱい》やりたがるってさ、あたしゃ抜《ぬ》かれてみたいねぇ」
「前の穴と後ろの穴がつながってもいいのか? ふざけてやがると、すぐ殺されちゃうぞ?」
一頭の馬に曳《ひ》かれた馬車は、ゴトゴトとジョクの前を過ぎていった。暗くてよく見えなかったが、その馬の額《ひたい》にも角《つの》があるようだ。
都市ガスに似《に》た炎《ほのお》を持つカンテラがひとつ、かすかに三人の男と一人の太った女と若い娘《むすめ》を浮《う》き立たせていた。彼等《かれら》は、あの騎兵《きへい》たちと同じように猥雑《わいざつ》な話をしながらも、かなり真剣《しんけん》な問題を語っているようだ。
しかし、麦畑に身を伏《ふ》せるジョクには、固有名詞らしい単語の意味が分らなかった。
『……黒人はいないな……』
このジョクの感覚は、ロスの生活が身について来た証拠《しょうこ》である。人種を問題にしないセンスと同時に、本能的に人種を見分けるセンスが身についてきたのだ。
そして、黒人がいないということからも、この辺りがどういう処《ところ》か判断したがっているのだ。
再びジョクは歩き始めたが、引きずっていた剣《けん》のベルトを肩《かた》に掛《か》けた。
『…………』
右肩の後ろに伸《の》びた柄《つか》に手を掛けてみたが、上手《じょうず》に剣を抜《ぬ》けるとは思えなかった。
『抜けたにしても、どう使うんだよ……』
ジョクは、絶望的になりながらも、剣を捨てる気にはなれない。
木の間から突然《とつぜん》光が湧《わ》き出して、街の入口に辿《たど》り着いたと分ったのは、それから間もなくだった。
『ヘッ……? 街だ……』
同時に、財布《さいふ》に入っているドルは使えないだろうと思った。
木の柵《さく》が建つ向うに、何本かの街灯《がいとう》が並《なら》び、何|軒《けん》かの家が見えたが、それはちょうどフランスの片田舎《かたいなか》の街といった風情《ふぜい》である。
『張り番と……人の数が少ないのが問題だな……』
ジョクは、またも嘆息《たんそく》した。その途端《とたん》に腹が鳴った。
街の入口には、左右に番小屋を置いた門があって、それに続いて、木の柵《さく》の囲みがあった。それが街全体を囲っているというのは容易に想像できた。
二人の兵の影《かげ》があった。
城の影はより近く、星々の光を隠《かく》して黒くのしかかっていた。
『メシは、絶望的だな……』
情けなくなったジョクは、番小屋の兵にでも掴《つか》まって事情の分る人物に出会うほうが良いかとも思った。
『しかし、戦争でもやっている土地|柄《がら》なら、問答無用でブチ殺されるかも知れないな……。パスポートが有効だとも思えないし……』
ジョクは、しみじみパスポートに書かれている『この者が日本国民であることを証明する。事ある時には、この者の保護を政府の名をもってお願いする』という文章の意味をダテではないなと感じた。
『試《ため》してみる価値があるとは、思えないものなぁ……』
そんな時だった。
数|騎《き》の馬蹄《ばてい》の響《ひび》きがして、ジョクは深く木陰《こかげ》に身を寄せた。このままだと永遠にこうして身を隠す癖《くせ》がついてしまう。
『卑屈《ひくつ》な人間になるぜ……』
そう思う間もなく、ジョクはそれが、先刻、森の近くで見かけた部隊であることが分った。
「歩けってんだっ! マウンテン・ボンレスの裾《すそ》の森に入り込《こ》んだって、男なんていないんだよっ!」
そんな怒声《どせい》が上がった。騎馬《きば》の群の先頭に立つ一騎が先行して番小屋に駆《か》け寄った。総髪《そうはつ》の若者である。
「おお! バーン・バニングス様っ!」
番小屋の兵が言いざま木戸《きど》を開いた。
「フェラリオは掴《つか》まえた」
「それはそれはっ!」
ジョクは木陰《こかげ》から身を乗り出して、騎馬隊の方を見た。騎馬の間にひとりの女が引きずられるようにしていた。
『あの女?』
番小屋の松明《たいまつ》の光の中に女が入って来た。女の緑の髪《かみ》が見えた。
「私は、先に城に帰る」
「ハッ!」
番小屋の兵の言葉を待たずに、総髪の若者は馬首を巡《めぐ》らした。
それに続く騎兵《きへい》たちは、ジョクが助けたはずの女を荒縄《あらなわ》でくくって曳《ひ》き、木戸を潜《くぐ》り抜《ぬ》けた。
『…………?』
ジョクは、せっかく助けてやったのにと思いかけてやめた。
「こいつか! フェラリオって……本当、毛が緑だぁ! ヘッー!」
「触《さわ》るな。精を扱い取られちまったら、かかあとできなくなるぞ」
「こんな別嬪《べっぴん》とならやらせて貰《もら》って死ぬってぇのも悪かあねぇ……!」
番小屋の兵が緑の髪の女のスカートをめくったりしながら冷やかした。
「ンならっ! やって見せるかよ!」
縁の髪《かみ》の女の縄尻《なわじり》を持った騎兵《きへい》が縄をひいて、スカートをめくった兵の方に女をよろけさせた。
「ヒャアァ……!」
兵は、スカートをめくった勢いも忘れて慌《あわ》てて身をそらした。兵たちの嘲笑《ちょうしょう》が上がり、番小屋の兵たちも騎馬《きば》隊を追ってわずかに番小屋から離《はな》れた。
ジョクは、その隙《すき》に街に滑《すべ》り込《こ》み、番小屋に接した民家の陰《かげ》に身を滑り込ませた。
「街の者たちに見せたくない……! 静かにしろ!」
そんな声が馬上から上がった。
ジョクは、緑の髪の女が兵たちから何を言われようが柔順《じゅうじゅん》に曳《ひ》かれていくのを奇妙《きみょう》に感じた。
『複雑な人種問題がありそうだな……』
ジョクは息を詰《つ》めて、次の暗がりに走った。
『…………!?』
と、裏の路地《ろじ》にあたる細い石畳《いしだたみ》を一|騎《き》の騎馬が乾《かわ》いた蹄《ひづめ》の音をたてて近づいてきた。
ジョクは、身を翻《ひるがえ》した。それが間違《まちが》いだった。
「おいっ!」
気合に似《に》た声がジョクの頭の中を打った。
同時に蹄の音が接近した。早い。
表通りに出るのは、躊躇《ためら》わなければならないと思った。その迷いが、ジョクの足を鈍《にぶ》らせたのだろう。騎馬は一気に接近した。ジョクの顔の脇《わき》で馬の息が震《ふる》え、馬の体臭が鼻を襲《おそ》った。
ジョクの眼前に刃《やいば》が突《つ》き付けられた。
「…………!!」
生れて初めてのことだ。剣《けん》が敵意をもってジョクの眼前で揺《ゆ》れた。
「何者だっ!」
それは、今しがた番小屋から先に城に帰ったはずの総髪《そうはつ》の若者の声だった。
「……何者って……」
「クッ!」
ヒラとジョクの目の前で翻《ひるがえ》った刃《やいば》が、その若者の気合にのって走った。
「…………!」
ジョクは、肩《かた》から背中に冷気が走ったのを感じて上体を前に泳がせた。ガラッ、とジョクの背中にした剣《けん》が石畳《いしだたみ》の上に落ちた。
総髪の若者が剣のベルトを斬《き》ったのだ。
「ガロウ・ランとも思えんが……何者だっ!」
ジョクはよろけた上体を立て直しながらも、半身《はんみ》振《ふ》り向いた。闇《やみ》の中でも、若者の鋭《するど》い眼光は分った。
真直《まっすぐ》に向けた切っ先は、ジョクを微動《びどう》だにさせない。
「あの女が地上人《ちじょうびと》だと言った。日本という国の城《じょう》 毅《たけし》。ジョクって呼ばれている………」
「…………」
数歩、馬蹄《ばてい》が鳴った。
路地《ろじ》の奥《おく》の方から、酒に酔《よ》った男や女たちの嬌声《きょうせい》が湧《わ》き上がった。それまで、ジョクの耳には、そういった周囲の音が聞えなかった。
「あの女?……番小屋の前の繁《しげ》みに隠《かく》れていたのは、あのフェラリオを奪《うば》うつもりで待ち伏《ぶ》せていたのか?」
「俺《おれ》はここがどこだか分らない人間だ! どういう世界か分らなくて、心底困っているんだ!」
「……フム……。剣を背負《せお》っていた。ガロウ・ランと思われても仕方がない……妙《みょう》な服を着ているな……」
総髪《そうはつ》の若者は、剣《けん》をズイとジョクの前に突き出した。ジョクは退《さが》った。
ジョクは、傍《かたわ》らの小窓からこぼれる光の中に入った。
「……ガロウ・ランの着る物とも思えん……」
剣だけがほのかな光の中に浮《う》き上がり、馬上の若者の上体は闇《やみ》の中だ。
ガタッと傍らのドアが開いて人影《ひとかげ》がよろけ出た。
「外でなーにやってんのぉ……! 入って、入って!」
そういう男は、ジョクと馬上の若者を見もせずに、ジョクの背後で小使をし出した。
「……地上人《ちじょうびと》……フェラリオが呼んだか……証明をするものを持っているか?」
若者の語気が和《やわ》らいだようだった。
「証明……」
ジョクは思わず、ジャンパーのポケットに手をつっ込《こ》もうとしたが、その手は剣先で横手に払《はら》われた。
「手を動かすな!」
若者のドスの利《き》いた声がして、ジョクの眼前に若者の体がフワッと降り立った。若者は、巧《たく》みに剣先をジョクの首に向けたまま、ジョクのポケットを探《さぐ》った。
「……ドル紙幣《しへい》か……?」
「…………?」
「確かに、地上人らしい……」
若者は、ジョクの財布《さいふ》の中身を片手で改めてから、剣を鞘《さや》に収めた。
「オイッー 騎兵《きへい》かよ、こんな処《ところ》を……」
小便をすませた酔《よ》っ払《ぱら》いは、呻《うめ》くように言うと慌《あわ》ててドアの向うに消えた。
「困っていると言ったな?……少年……来い……」
若者は手綱《たづな》を取って、馬の前に立った。
ジョクは、とりあえず危険がなくなったと思う以外なかった。
「ああ……」
ジョクは、馬の腹と並《なら》んで暗い路地《ろじ》を歩んだ。
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5 居酒屋
若者は、二十メートルも行かないところで馬を繋《つな》いだ。
ジョクは、その前方に黒く影《かげ》を落とす城内に入るものと信じていたから、戸惑《とまど》った。
看板らしいものがさがっているが、読めるような文字ではない。
若者は、かがまなければならないような小さいドアをこじ開けるようにして入った。
「あらーっ! バーン様っ」
低いが若い女の声が奥《おく》から聞えた。
ジョクは、若者の頭|越《ご》しにその店を覗《のぞ》いた。
左手にカウンターがあるものの、人が座れば後ろがすぐ壁《かべ》になってしまうほどに狭い。新宿《しんじゅく》の小使横丁の飲み屋そのものといった風だ。
ボロ屑《くず》のような上着を纏《まと》った男が一人、カウンターに向かっていた。若者は、その男の背中に革《かわ》の衣服を擦《す》れさせながら奥に入っていった。
「奥《おく》を借りるぞ……?」
「ええ? 汚《きたな》くしてますよぉ」
カウンターにいる女は、小柄《こがら》で頬《ほお》がプックリとした少女だ。
「……バーン様ぁ、おめぐみを……」
その声は、低い天井《てんじょう》から聞えた。前を行く若者が、その声の方を見て、
「ステラ。トロゥに酒をやってくれ。その代り、トロゥ、外の馬を見張ってくれよ」
「そりやぁ……!」
ジョクは、その声と共に暗い店の光の中に現われた人間を見て、愕然《がくぜん》とした。
羽根をつけた体長三十センチほどの人の形をしたものなのだ。
それが羽根を震《ふる》わせてバーンの前に降下して頭を下げ、カウンターに降り立った。
「……なんだぁ?」
ジョクの驚《おどろ》きの息遣《いきづか》いは、カウンターに座っている男の怒声《どせい》で掻《か》き消された。
「こんな処《ところ》にも、フェラリオがいるのかぁ! 冗談《じょうだん》じゃあねぇ。俺《おれ》がこんな奴《やつ》と一緒《いっしょ》に呑《の》める訳ねえ!追ん出せぇ!」
男は、ボロ布のような衣服をゆすった。
「なら、あんたが出てっとくれよ!」
ステラと呼ばれた少女は、顔に似合《にあ》わないドスの利《き》いた声で、客に言い放った。
「説明する。地上人《ちじょうびと》……」
総髪《そうはつ》の若者はジョクの腕《うで》を引いた。
階段やら洗面所、トイレのあるらしい暗がりを通り抜《ぬ》け、その突当《つきあた》りの部屋にジョクを引っ張り込《こ》んだ。
青白い光の中に、六|畳《じょう》ほどの広さの部屋があった。
「……臭《くさ》いな……」
若者はそんなことを言いながら一方の窓を開いたが、そとには間近にレンガの壁《かべ》が一杯《いっぱい》にあった。
「……さて、地上人《ちじょうびと》……どうしてここに来たか教えて貰《もら》おう」
「……聞きたいのならば、まず、名乗ってからにして貰いたいな……」
ジョクは、思ったより若者が若いのを知って、強がってみせた。今の若者の声も、店の中の男の声も、直接ジョクの頭に響《ひび》くように感じられたのは忘れてはいない。
「フフフ……私はバーン・バニングスだ。アの国の騎士《きし》と言っても、分るまい?」
ジョクは、分厚い一枚板のテーブルの前の木のベンチに座った。
「ああ……教えてくれ。しかし、その前に、なんでバーン・バニングスという騎士が、俺《おれ》のことを、バイストン・ウェルの伝説的な存在と言われている地上人だと分ったのだ?」
「難しい聞き方をするな……ジョク……」
バーンと名乗った若者は、背中に括《くく》りつけていた革《かわ》の帽子《ぼうし》を外してテーブルに乗せ、ジョクの向いに座った。
「革兜《かわかぶと》だ」
バーンは、ジョクの視線を知って説明してくれた。
「さて……。今の質問への回答だが、私が君を地上人と分ったのは、私が実在の地上人を知っているからだ。その私の知っている地上人がドル紙幣《しへい》を持っていた。だから、お前を地上人だと信じることができた。パスポートなるものも持っているな?」
「ああ……」
ジョクは、バーンを信じた、というよりも、自分の存在を証明したい衝動《しょうどう》に駆《か》られていたので、パスポートを取り出してバーンに渡《わた》した。
「……ン」
バーンは、ジョクとパスポートを見比べてから、
「難しい文字が書いてあるな」
「そうだな……ドル紙幣《しへい》を持った地上人がいるのか?」
「我々もドレイク・ルフト様もショット・ウェポン様を地上人だと信じるまで時間がかかった。私がショット様を知らなければ、あんな処《ところ》で剣《けん》を持ってウロウロしているその奇怪《きっかい》な格好、ガロウ・ランだと思われて殺されても、文句言えないな……」
「……らしいな……」
ジョクは、剣先を突《つ》き付けられた時のあのゾクッとする感覚を思い出して、身を震《ふる》わせた。
「バーン様……」
「ああ……入れ」
ステラが、盆《ぼん》に酒|瓶《びん》を乗せ、入口のボロ布をのけた。
「召し上がりものは?」
「夕食をとっていない。フェラリオ追いでな……」
「はい……こっちの人は?」
「腹が空《す》いているのじゃないのか? ジョク?」
「あ、ああ……何か?」
「ン……ステラ、肉を焼いてやってくれ。それとクレープだな。野菜もあった方がいい」
バーンは、そう言うとステラの尻《しり》を叩《たた》いて、部屋から出て行けと言った。
ジョクは、今日体験をしたことの全《すべ》をバーンに話した。
バーンは、ジョクの言う車とバイクの実体を知っていたが、この世界にはそういった機械はないと答えた。
ジョクは、バイストン・ウェルに降りて、緑の髪《かみ》の女を救ったらしいが、女を襲《おそ》った男たちとバーンたち騎馬《きば》隊の関係などが全く分らないと言った。
バーンは、陶器《とうき》製のコップを置いて、「このアの国は、ガロウ・ランの一統、ギィ・グッガと敵対関係にある。緑のフェラリオを追ったのはその手の者だ。が、緑の髪の女サラーン・マッキは、また別の世界の女でな。フェラリオという種族だ」
「今、店に居た羽根がついた人形《ひとがた》もフェラリオと言ってたようだが?」
「ああ……同族だという説、そうでないという説といろいろある。しかし、羽根がついたのもフェラリオ、サラーンのような女もフェラリオだな……」
「同一種族とは見えないが……」
「いろいろある。一度に説明しても、分らんだろう?」
「ああ……」
ステラがジョクの様子を探《さぐ》るようにしながら、食事を持って来てくれた。
「喰《く》え。口に合うはずだ」
バーンのすすめで、ジョクは肉にかぶりついた。
「ステラ、今夜、私がここにこの男を連れて来たことは内密《ないみつ》だぞ。ギィの手の者には勿論《もちろん》だ」
「分っているよ。見れば分るさ。普通《ふつう》の人じゃないモン……」
「そうだ。今夜は、ここに泊《と》めてやってくれ」
「この部屋しかないよ?」
「構わん。やむを得ん」
バーンは、ジョクの眼《め》を見て言った。ジョクは、食事をしながら頷《うなず》いた。訳の分らない世界で泊《とま》るところがないほど心細いものはない。多少でも安全に眠《ねむ》れるのならば、それで十分だった。
「バーン様は、いつ来てくれるのさ?」
「明日は来る。きれいにしておけ」
「本当ね?」
「ああ、だから、引っ込《こ》んでいてくれ。この男とまだ話がある」
「はい!」
厚い肉を感じさせる尻《しり》を振《ふ》りながら、ステラが、店の方に消えていった。
「フェラリオは、ガロウ・ランともあんたたちとも違《ちが》う種族で、中間的な存在なのか?」
「……ン。そんな処《ところ》だ。が、ジョク。君は、そのフェラリオの念力《ねんりき》で、この世界に呼ばれたのだ。そうショット様は考えていらっしゃる。フェラリオの面倒《めんどう》なのは、そこのところだ」
「女に呼ばれた?」
「サラーンのようなチ・フェラリオの能力には、そういうところがあるらしいのだ」
「…………」
野菜が新鮮《しんせん》でカリフォルニアのものより旨《うま》い。
「だから、戦略的に利用したくなるが、なかなかうまくいかん……」
「戦略……?」
「冗談《じょうだん》でフェラリオを飼《か》っているわけではないが、 コモンに逃《に》げ込《こ》んでくるフェラリオは、はすっぱな女が多い。生殖器《せいしょくき》そのものという女たちでな。なのに子供は生めんのだよ。全く! フェラリオの癖《くせ》にガロウ・ランと同じなのだ」
あの種の女はよほど嫌《きら》われているらしい。ジョクは、農民らしい風体《ふうてい》の男女の会話を思い出していた。
二時間ほどの会話で、ジョクはバイストン・ウェルという世界の中のア国の実体について、最小限度の知識を得て落ち着けた。
「明日、迎《むか》えに来る……それまでは、ここを出るな。その格好では危険だ」
「そうする。他《ほか》にしようがない……」
「よい覚悟《かくご》だ……用はステラに言いつけてくれ」
ジョクは、帰るバーンを店のところまで見送った。
ステラが、グダグダと外まで付いて行った。
代りにトロゥと呼ばれた羽根つきのフェラリオが、ヨタヨタと酔《よ》っ払《ぱら》ったような飛び方をして、カウンターの上に戻《もど》り寝転《ねころ》がった。
羽根は気にしていない。ゴロッと横になると、いびきをかいて寝入ったのだ。
ジョクなど、まるで目に入っていない。
ジョクは外の会話を気にしながらも、その羽根つきの人を観察した。赤い顔に赤い鼻。とうてい可愛《かわい》い人形という訳にはいかない。それがドロドロに汚《よご》れたチョッキ風のものと半ズボンを身に纒《まと》って、味噌《みそ》っ歯を見せていびきをかいているのだ。舌があるのが分った。
「………珍《めず》しいんですか?」
ステラが、ドアに閂《かんぬき》をしながら訊《き》いた。
「ああ、初めて見るから……」
「本当に地上人《ちじょうびと》なんですね? あたしたちと何も変んないように見えるけど……。
話だって、あんたはこの国の言葉を知らないんだってね? バーンは、テレパシーだって言っていたけど……」
テレパシーという単語もバーンがショットから教えて貰《もら》い、それをステラはバーンから聞いたと説明してくれた、
そう言われれば、ジョクにも納得《なっとく》できる感覚である。直接頭に意味が飛び込《こ》むような感覚は、他に説明のしようがない。
「ここで待ってて。奥《おく》の部屋を寝《ね》られるようにしますから……」
ステラはジョクを擦《す》り抜《ぬ》けて奥の部屋に入った。
そのもっこりとした背中には、寒い地方の女性特有な可愛《かわい》さが感じられた。
「あんな娘《こ》が、ひとりでこんな店をやっているのか?」
ジョクは、再びカウンターで大いびきをかいているフェラリオ、トロゥの醜悪《しゅうあく》な顔を見下ろした。
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6 ショット
「借りたパスポートだ」
バーン・バニングスは、ジョクに赤い表紙のパスポートを返してくれた。
ジョクは思わず微笑《びしょう》した。バーンヘの不安が無用なものだと分ったからだ。
「鑑札《かんさつ》など、どうとでもなるのに、そんなに大切なのか?」
「我々の地上世界では、自分を証明できる唯一《ゆいいつ》のものだ」
「フン……! 自分の証明は、自分でするしかなかろう?」
「しかし、ショットという人は、これを見て俺《おれ》を信じたろう?」
「ああ……こんな鑑札《かんさつ》は、バイストン・ウェルのコモンの世界のどの国でも使っていない。商人の鑑札とは違うしな……おいっ!」
バーンは、入口からジョクを覗《のぞ》き込《こ》んでいた騎兵《きへい》を呼んだ。
「着替《きが》えがある。今、着ている服は、ステラに預かって貰《もら》え」
「分った」
ジョクは、頭に直接|響《ひび》く意味に対応するために、はっきりとした言葉を使うようにした。
「じゃ……」
ジョクは、衣服を受け取ると奥《おく》の部屋に入った。
昨夜は、ステラがベンチで作ってくれたベッドに横になったが、美井奈《みいな》のことを思い、パスポートを預けたバーンのことを思ってなかなか眠《ねむ》れなかった。
が、体は疲《つか》れていた。眠ったと思ったら、すぐに、ステラの声で起されたという感じだった。
バーンが、持ってきた衣服は、麻《あさ》と木綿《もめん》の細身のスラックスと、襟《えり》が高くベルトがついたジャケット風の上着と革《かわ》のブーツである。衣服の仕立てはハンド・メイドのしっかりとしたもので、革のベルトもブーツも、ロスならば高級品として通るようなものである。
ジョクは、その待遇《たいぐう》に内心満足をして店に戻《もど》った。
「馬に跨《またが》るくらいならできるな?」
「馬?……できる」
「よし……」
ジョクは、バーンに従って路地《ろじ》に出た。
路地で待ち受けていたのは、全《すべ》て騎兵であった。
ジョクは慣れない身のこなしで馬に跨った。鞍《くら》の上から馬の額《ひたい》にある角《つの》が見えた。
「操《あやつ》れないが……?」
「キムッチ。地上人《ちじょうびと》の手綱《たづな》を!」
「ハッ!」
ジョクの傍《かたわ》らに位置した騎兵《きへい》が、ジョクの手から手綱を奪《と》って前に出た。そして、バーンに従って、路地《ろじ》を巡《めぐ》り、堀沿《ほりぞ》いに城門に出た。
「…………!」
「ラース・ワウだ」
バーンの号令に、正面の門の間に立てられていた橋が降りてきた。橋が手前の堀の縁に落ちると左右三本ずつ橋を支えていた鎖《くさり》が鳴った。
「…………」
バーンを先頭にジョクを中心にした騎馬《きば》隊が橋を渡《わた》った。
こんなに警護の兵がいる城は、ヨーロッパのどんな観光名所にもない。映画の撮影《さつえい》ならば、もっと素人《しろうと》っぽい感じがあっても良いはずだ。兵たちの生真面目《きまじめ》さは、本物と思うしかなかった。ジョクは、馬の蹄《ひづめ》が木の橋を渡るのを聞きながら、左右に広がる堀の幅《はば》とか城壁《じょうへき》のすさまじさに息を呑《の》んだ。
城内に入ると日本の城内と同じように曲りくねった坂道が続いていた。
バーンは、城の中心に向かっているわけではなかった。そんな城内の位置関係ぐらいは、ジョクにも多少分った。
『……どこに連れて行くのだ?』
ジョクは、角々に立つ兵たちを見て、銃《じゅう》を持つ以前の時代の装備《そうび》であることを確認した。
『参ったな……。事実であるなら、どうしたらいいか教えて欲しいもんだ。これじゃあ、逃《に》げ出せやぁしない……』
ジョクは、城の道を形作る石積みの壁《かべ》の一部が、日本の城と同じようなカーブを持っているのに気がついた。
『忍者《にんじゃ》返《がえ》しかよ……?』
ジョクは、石積みの建築力学的な知識などは持ち合わせていない。この種の事物に対しては、まず、ミーハー的な反応をする。
『…………!?』
突然《とつぜん》、バーンは広場に出た。
そこには数十の騎兵《きへい》が走っていた。端《はし》の方では、歩兵《ほへい》らしい部隊が喚声《かんせい》を上げて、長い槍《やり》を突《つ》き出す訓練をしていた。
『……軍事訓練か……?』
バーンは、さらにその広場を右に見ながら、下り坂に向かった。
「機械の館《やかた》だ」
バーンが振《ふ》り返って、得意《とくい》そうに言った。
なるほど、正面の木々の間から幾棟《いくむね》かの屋根が見え、煙突《えんとつ》は勢いよく煙《けむり》を吐《は》き出していた。それらの館は、城の中心からは明らかに離《はな》れていて、軍事訓練をやっていた広場から見えた城の中心、日本で言えば天守閣《てんしゅかく》に当る部分は、かなり遠のいていた。
「…………?」
ジョクは、城を振り返り、近づく機械の館なるものの屋根を見下ろした。
その男は、かすかな微笑《びしょう》を浮《う》かべて、ジョクに手を差し出した。
「ジョクと呼ばせて貰《もら》っていいな? 日本人の名前は私には難しい」
その男は、ショット・ウェポンと名乗った。
くすんだ灰色の髪《かみ》はザンバラで顎《あご》先の骨が鋭《するど》いものの、学究|肌《はだ》であることは分った。
「仕事の邪魔《じゃま》をして申し訳ない」
「お世辞《せじ》はいい。私に聞きたいことが山ほどあるのだろう?」
「ええ……。すいません」
「まあ、いい、とは言いたくないんだ。今、仕事の山場《やまば》に来ていて面白いところなんだ。その上に、戦時に対応しなければならないという義務もあってな」
ショットは、そう言いながらも、ジョクが現われたことを不愉快《ふゆかい》には感じていないようだった。
機械の館《やかた》の従兵に茶をいれさせて、椅子《いす》に座った。
「バイストン・ウェルの概要《がいよう》について地上人《ちじょうびと》の観点でかいつまんで話してやろう。それが一番、てっとり早い」
よほど切れる頭を持った男なのだろう。人間の不安の原因は、不明で曖昧《あいまい》になっている部分があるからだということを良く知っている。
「しかし、君のパスポートを見せて貰《もら》って、バイストン・ウェルと地上世界の時間経過がかなりズレていることを知った時は、私もショックだったがな」
ショットは肩《かた》をすくめて笑った。
「地上時間で言えば、私は君よりも、十年ほど早くバイストン・ウェルに落ちたのだが、バイストン・ウェルの時間経過で言えば、まだ三年と少ししか経《た》っていない……。思っていた通りだと言いたいが、その証明を手に入れるためには、君のように私の次にバイストン・ウェルに降下してきた地上人《ちじょうびと》を待つ以外なかったわけだ」
ショットはそう言って、バイストン・ウェルが、地上世界と隣接《りんせつ》した次元に存在する異世界らしいと説明した。
勿論《もちろん》、バーンの説明よりも、明快にジョクには理解できた。
「……しかし、異世界と言っても、次元論で言う異次元世界ではないらしい。たとえば、ここで使われている天然ガスの出る地質と、我々が知っている天然ガスの出る場所とは全く違《ちが》うんだな。ここの天然ガスの出る場所は、あまりにも人が住んでいくには都合良すぎる処《ところ》から噴出《ふんしゅつ》してくれる。他《ほか》にもある。バイストン・ウェルは、フェラリオの住む世界とガロウ・ランが住む世界が上下に位置して語られ、その中間にこのコモンの世界がある。この世界の存在の在り方はなんだ? その理由はなぜかと考えていった時に気がついたのは、このバイストン・ウェルの世界には、モデルがあるということだ」
「モデルが……?」
「東洋人には想像がつかんか?」
「バイストン・ウェルのモデル……?」
「ああ……。仏教だよ。仏教で言っている地獄《じごく》、極楽《ごくらく》の考え方だ。あれは、バイストン・ウェルの世界の構造を示している」
「そうなんですか?」
「……君は、学生なんだろう?」
ジョクは、そのショットの言葉に俯《うつむ》いた。
「ダンテの『神曲《しんきょく》』も知らんな?」
「は、はぁ………」
「まぁ、いい……。その考え方を引き写しているこの世界は、次元論では説明できないと分ったのだ。そう分った時に、私は何を考えたと思う?」
ショットは、ジョクの回答などは期待していなかった。
「バイストン・ウェルは、地上世界の人間の想像、妄想《もうそう》が生んだ世界だと分ったのさ」
「我々の妄想が、こんな実態のある別次元の世界を作ったんですか?」
ジョクは、呆《あき》れた。
「そうとしか考えられない。理由をこまかく説明する気はないが、簡単に言えば、このバイストン・ウェルにある文物は、全《すべ》て地上世界の歴史が残したもののコピーなんだ。もしくは、伝説とか神話とかで語られ続けたもののコピーが実在しているんだ。こう気がつけば、この世界に現われている文物、事象に、我々が知らないものは、なにひとつないということの説明がつく」
「ああ……! 多少、分る気がします……」
ジョクは、耳から直接聞える言葉に安心感をおぼえた。しかし、ショットは、早口のために何度か聞き返さなければならなかった。
「……バイストン・ウェルの人々は、我々が神を語るように地上世界の事を語るが、その理由は、地上世界がバイストン・ウェルより先に存在していたことの証明だな。だとすれば、我々の妄想が作り出したのが、バイストン・ウェルだと推論するのは自然だということになる」
「この世界は、我々地上世界の夢《ゆめ》の産物だと?」
「そう、夢とか妄想というのが気に入らなければ、意思の力でもいいし、イデアでもいい。そういった人間の意思と認識力がエネルギーになって場《フィールド》を形成したのがバイストン・ウェルだ……人間の意思の力の集まったもの、想像の力の集まったものが作った世界だな」
「『ネバーエンディング・ストーリー』じゃないですか?」
「知っているか? そんなものだ」
「じゃ……ダンボもいるっていうんですか?」
「いるらしい。見たことはないが、耳の大きな象に似た動物を見た者はいる」
「冗談《じょうだん》じゃない!」
「君がどう思おうと勝手だが、事実はそうだ。人間の妄想が作っている世界ならば、それを証明するものがあるのだろうと考えて、私は調査した。まずは、天の上に水の世界があるというのならば、気球でも作って飛んでみれば良いことだ。が、面白いことに、コモンの世界の人間には、空を飛ぶことはタブーだったんだ。激《はげ》しい抵抗《ていこう》があった。このタブーの原因もバイストン・ウェルの世界を成立させるために仕掛《しか》けられたものだろう。で、私は気球で飛んだ。あったよ。天の上に水の世界がな……。勿論《もちろん》、その水の世界の中までは、気球では飛んで行けない。そうだな、この地上から三万メートルといったところに天がある。水の天井《てんじょう》だ」
「ヘー?」
ジョクは、思わず窓から外を見上げようとしたが、見えるものではない。
「まあ、後で外に出てゆっくり観察するがいい。でな?……その天にある水の世界が落ちて来ないのはなぜか? スウィーウィドーが支えているという訳でもない」
「スウィーウィドー?」
「後で説明してやる。私はエネルギー・フィールドの専門だから、あの質量のある天を支えるエネルギーというものは何かと考えた。が、ここでニュー・エイジ・サイエンスで言われ出した、宇宙もミクロ世界も構成する要素は同じものではないかという考え方が参考になった」
「……ニュー・サイエンス? 知ってます。その考え方は、かなり進化しているようです」
「ならいい。でな、バイストン・ウェルは、その考え方の証明でもある。人間の生体エネルギーの集大成された場が、バイストン・ウェルだな」
「生体エネルギーがそんなに具体的な力を持ち得るのですか?」
「持ち得るな。過去《かこ》の技術では、重力は測定できなかった。生体エネルギーは、もっと微弱《びじゃく》なものだからだ。しかし、億兆という生体エネルギーがひとつの場に集積すれば、場《フィールド》は具体的な形を取る。我々の知っている宇宙だってそうかも知れないだろ?……私は、その生体エネルギーをオーラ力《パワー》とした。オーラ・フィールドという考え方を設定した。そうすると、私にしても君にしても、なぜ地上世界からバイストン・ウェルに来ることができたか説明できる。全くの異次元世界であれば来ることはできないし、移動できたにしても、異なる次元では地上と同じ形のままでは存在ができない。しかし、バイストン・ウェルが地上の人間の持つオーラ力で構成されている世界ならば、こうして存在することは不可能ではない」
「それは……分ります」
「ン……。でな、プロセスは省略するが、この世界を構成しているオーラがあるのならば、オーラ・ジェットとでも言うべきマシーンだって作れると考えた。見るか?」
「オーラ・ジェット?」
「来い……オーラ・ボムのドーメとオーラ・バトラーのカットグラだ」
「オーラ・ボム、オーラ・バトラー?」
またも、ジョクには分らない単語がショットの口から飛び出した。
ショットはその部屋を出て、隣接《りんせつ》する工場区画に出ていった。
そこには、数々の工作機械が置いてあったが、それらは蒸気によって動かされているとショットは説明した。
「……だから、こんなに仰々《ぎょうぎょう》しいものになってしまった。紡績《ぼうせき》機械の抜術を流用して作らせた」
「なるほどね……」
ジョクは、納得《なっとく》した。
「強獣《きょうじゅう》の甲殻《こうかく》にある薬品を加えて加熱すると強度を増してな、ジュラルミンの代用になる。その加工をしている」
「…………」
かなりの悪臭《あくしゅう》がエ場|一杯《いっぱい》に満ちていた。ある機械に取りついている人々は、マスクをして、サングラスに似たものを掛《か》けていた。
「しかし、この世界の人々が、地上世界という言い方をしているが、あれは、真実ではないと思っている」
ジョクは、かなり早い脚《あし》で歩むショットに遅《おく》れまいとして大きな声で聞き返した。
「……君はこの世界に落ちるまでの感覚を覚えているだろう? あれは、落下の感覚だが、そのことがバイストン・ウェルが地上世界の下に存在する証明にはならないと言ったのだ」
「じゃ、どこにあるんです?」
「ロマンチックな言い方をすれば、バイストン・ウェルは陸と海の間にある。そう言えば素敵《すてき》だろう?しかし、地球上のどこにバイストン・ウェルが存在するかは特定できないな」
ショットは白い歯を見せてから顎《あご》をしゃくって見せた。
「オーラ・エンジンの組立てだ」
「本当だ……ジェット・エンジンに似ている……」
「分るか?」
「飛行機のライセンスを取得《しゅとく》するためにアメリカにいたんだ」
「ああ……そうか……そりゃあ……」
ショットは、ひどく嬉《うれ》しそうに頷《うなず》いてから、
「エア・インティクの部分が、オーラ・インティクの働きをするが、見た目の構造とオーラを駆動《くどう》システムのエネルギーに転化するシステムは、ジェットと根本的に違《ちが》う。エネルギー転化の媒体《ばいたい》になるのは、マシーンの働きではない」
「空気を圧縮して、別の燃焼媒体を使ってエネルギーを発生させるのではないと?」
「ジェット・エンジンはそうだが、これは、オーラ・エンジンだ。エンジンとしての機能の媒体になるものは人だ」
「人?……人がエンジンになるとでも言うのか?」
「極端《きょくたん》に言えばそうだな。人の生体エネルギーがスターターになるし、パワーの増減も決定する。アクセル、スロットルだな」
「ナンセンスだと思いたいな……」
「言ったろう? バイストン・ウェルは、生体エネルギーのオーラで作られた世界だ。オーラが満ちている世界だ。そのオーラは地球上の空気だと思えばいい。ジェット・エンジンはその空気をエネルギー発生の酸化|剤《ざい》にして燃料を燃焼させてエネルギーを得ているが、オーラが空気と違《ちが》うのは、酸化剤という媒体《ばいたい》ではなくて、エネルギーそのものに転化できることだ。その性質があるからこそ、こうして世界そのものを形作ることだってできた。なら、ものを動かす力ぐらいにはなる」
「しかし、あなたは、オーラは、極度に微小《びしょう》なエネルギーしか持っていないとも言った」
「重力を物を動かせるだけの力に蓄積《ちくせき》するのは難しいが、オーラは違う。オーラ力そのものがエネルギーだから。それを凝縮《ぎょうしゅく》するだけで推力にすることができる。しかも、その性質は人間が持っている力そのものであるから、人を媒体にしてそれを発動する力をコントロールすることができる」
「……分ったけど、それができれば、地上のエネルギー問題などはあっと言う問に解決できるな」
「ああ、地上のオーラは拡散して存在するから、それをこのエンジンの推力にするには、もっと強力にしなければならない。オーラ・バッテリーという考え方にもチャレンジするつもりだ」
「オーラ・ターボ・ジェットか?」
「そうだな。勉強しているじゃないか?」
「ありがとう。しかし、信じられない」
「現物を見れば信じられるさ。こっちだ」
ショットはジョクを別棟《べつむね》に案内した。
「だから、オーラ・エンジンは、地上で言うエンジンとは違《ちが》う。オーラを吸引するシステムは確かにあるが、エンジンとして機能させるためには、コックピットと連動したオーラ系とつなげてパイロツトの意思をアクセルにする」
「了解《りょうかい》したよ」
ジョクは、そう答えながら、天窓《てんまど》の光の中に鎮座《ちんざ》する奇妙《きみょう》なものを見上げて、足を止めた。
「これがオーラ・ボム、ドーメだ」
「…………」
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7 オーラ・ボム
そのマシーンは、半球に近い形状をした機体を持ち、中央の機体の下にはジェット機のテール・ノズルというかホバー用のバルブに似たものがあった。
機体の上部中央には、ぐるりとコックピットの窓があり、機体の横には出入り用のハッチがあった。窓の上の装甲《そうこう》には手摺《てす》り状の太めのバーがあって、天井《てんじょう》が、プラットホームになっているようだった。
機体の下部、排気《はいき》システムのやや上側からは四本のフレキシブル・アームが伸《の》びていた。それは金属のリングをつなぎ合わせたアームで、その先端《せんたん》には短い砲口《ほうこう》に似たものが装備《そうび》されていた。
「火炎《かえん》放射器だよ」
その先端についた武器のようなものを説明するとき、ショットは初めて照れ笑いを見せた。
「火炎放射器?」
「現在、このアの国が敵対する敵に対してはこれで十分でな」
ジョクは、そんなに脆弱《ぜいじゃく》な敵かと想像しようとして、やめた。
「しかし、ここの人々にとっては深刻な敵だ。我々の目から見れば、所詮《しょせん》、鹿狩《しかが》りみたいな戦争なのだが、相手は知恵《ちえ》を持った人間だ。深刻だよ」
ジョクは、ショットという男が『ディア・ハンター』という映画を知っている年代なのかどうか、すぐに思い出せなかった。そのうえ、アの国が、バイストン・ウェルのコモン界でどのような位置づけの国家なのか知らないジョクである。
迂闊《うかつ》な評論をして自分の価値をおとしめてしまうのは損だと感じて、ロを噤《つぐ》んだ。
「ホバー・クラフトとでも考えなければ空中に浮《う》くとも思えないが……飛ぶんだな?」
「もう実戦に投入しなければならない段階だ。すぐに納得《なっとく》させてやるさ」
ジョクは、ハッチを登ってコックピットを覗《のぞ》いてみた。
「どっちかと言うと船のブリッジだな」
四、五人が立てるスぺースはあるが椅子《いす》はない。
コックピットの中央には、天井《てんじょう》の上に抜《ぬ》けるタラップがあり、それを中心にしてパイロットが尻《しり》をひっかけられるようにバーがめぐらしてあった。
ハッチに接する機体の装甲《そうこう》は、堅《かた》いのだがジュラルミンとは違《ちが》う。
「これが強獣《きょうじゅう》の甲羅《こうら》を加工したものなのか?」
「そうだ。強度はジュラルミンよりある」
ジョクは、機体の装甲を叩《たた》いてみて、そのザラついた表面が確かな強度を持っているように感じた、
「しかし、このラース・ワウの周辺は、それほど戦時下という感しばしないけどな」
ジョクは、短いステップを降りながら言った。
「近代の戦争とは違《ちが》う。中世の戦争だ。それだけ無残でもあるがな……」
「…………?」
「厭《いや》でも分る時が来る……ジョクは地上人《ちじょうびと》だ。地上人は、コモン界の人間よりもオーラカがある。これに乗って貰《もら》うようになる」
「俺《おれ》に戦争をしろと言うのか? こんな訳の分らない乗り物に乗って?」
「パイロットの訓練も受けているとなれば、基礎《きそ》的な飛行感覚はできているわけだ。期待しているよ」
「冗談《じょうだん》じゃない! 俺は、まだ二十時間しか乗っていない!」
「十分だよ。ここのパイロットは、空を飛ぶという概念《がいねん》から教えなければならなかった」
「ドレイク・ルフトの命令か?」
「……? 知っているのか?」
「概要《がいよう》はバーンから聞いた」
「……なら、君のような男の協力だって必要だと分るはずだ」
ショットは、ケロリと言った。
「でな……」
と、ニタリと笑ったショットは、子供のように悪戯《いたずら》っぽく見えた。
「まず、彼等《かれら》からドーメの概念を教えて貰え。その上で、次の訓練に入る」
「……まるで、ロスの飛行学校じゃないか……」
冗談《じょうだん》めかして応じたものの、ジョクは逃《に》げる手段はないものかと考えた。
中世の戦争の実態は知らないが、戦争であることに変りはない。そんな苛酷《かこく》な状況《じょうきょう》に放《ほう》り込《こ》まれれば、生き延びて元の世界に戻《もど》れるメドだって立たなくなるだろう。
ショットがドーメを整備している工兵たちに、地上人だと紹介《しょうかい》したために、ジョクは工兵たちに好奇と羨望《せんぼう》の目で迎えられた。
そして、ジョクは、工兵たちからオーラ・マシーン、ドーメの説明を聞いた。
「ショット様は、ドーメをオーラ・ボムとおっしゃっています」
ある工員はそう言って、コックピットからつながるエンジン系に至るシステムの説明をしてくれた。
「これが、人間の生体エネルギーを感知するセンサーであります」
工兵たちも、センサーとかエネルギーという言葉は、言葉として発音しているらしかった。口の動きが合っている。
「こんな簡単なシステムで、なんで生体エネルギー、オーラ力を感知できるのだ?」
「理論的なことはよく分りません。自分は組立てを教えられているだけでありますから……」
工兵の戸惑《とまど》いを見ながら、ショットがドーメの下から補足してくれた。
「もともと動物は生体エネルギーを感知できるセンサーを持っている。何かを感じる感覚があるだろう? ホレ、気分とか気合を感じたり、真剣《しんけん》だとか真剣でないとか感じられる能力だ。あれだな。だから、そのようなことを感知させるには、動物の神経系を使うしかない。それで、パイロットのオーラ力を感知させている。センサー系そのものは生きているものだから、それを維持《いじ》させるためのバイオ・セイバー・リキュードの管理は難しい」
ジョクは、あらためてコックピットを見回した。
「この筋肉の筋《すじ》に似たものがその神経系で、塗《ぬ》ってあるものがバイオ・セイバー・リキュードか?」
「ハッ! そうであります」
「機械的なコントロール系はこれか?」
「ハッ! ノズルは八基ありまして、メインが四基、姿勢|制御《せいぎょ》用に四基。このスロットルでコントロールすることができます」
「フーン。面倒《めんどう》そうだな」
「ハッ! しかし、パイロットのポジションがここと、上のプラットホームにあります。このポジションであれば、任意にドーメをコントロールできるのであります」
「ああ、パイロットはアクセルか?」
「ハッ! パイロットはスロットルの機能も果します!」
若い工兵は、生真面目《きまじめ》に答えた。
見れば見るほど、ジョクは冗談《じょうだん》じゃないと思った。
もし、こんなシステムが完成しているのなら、身障者が使う義足など、簡単に製作できるはずである。
ジョクは、改めて、コックピットを見回して、その壁面《へきめん》に装備《そうび》された細い糸のような束《たば》を見つめた。それぞれの束は、数種の色の和紙に似た紙で束ねられ、それぞれの機能を示していた。
コックピットの周囲には、六面の窓があって視界を確保し、三か所の窓の下には簡単な計器があった。高度計、水平儀《すいへいぎ》、燃料計に相当するもの、火炎《かえん》放射器に付属する計器と照準器、他にも幾《いく》つかの使途《しと》不明の計器があった。
ジョクの目から見れば、それほど複雑なシステムとは思えない。しかし、機械に慣れていないこの世界の工兵たちにしてみれば、脅威《きょうい》的な機械を整備しているという自信を持っているのだろう。
「こんな簡単な機構で、この機械が飛ぶとはな……」
「地上には、これ以上に複雑な機械があるのでありますか?」
工兵のひとりが、驚嘆《きょうたん》してジョクに尋《たず》ねた。
「ああ、もっと複雑な機械にしないとこのドーメのような小さい機械を飛ばすことはできない……地上世界は不自由な世界なんだ」
ジョクは、多少、コモンの人々の感覚が分って来たから、そう説明してやった。
「それは、地上世界がいろいろな素晴《すば》しい仕掛《しか》けでできているからでありましょう?」
「素晴しいとは言えないな。シンプル・イズ・ベストって言うぜ」
「ハァ……」
若い工兵が、理由もなく溜息《ためいき》をついた。
「……だからさ、このようにシンプルな機械で空を飛べるっていうのは、オーラに満ちたバイストン・ウェル世界の方が素晴しいって証拠《しょうこ》だ」
ジョクは、軽口《かるくち》をたたく気分になっていった。急いでも何にもならないと身にしみて分って来たからだった。
「ショット様っ!」
数人の兵が駆《か》け込《こ》んで来た。
「…………?」
ジョクは、ドーメの四本のアームのひとつに足を掛《か》けて下を覗《のぞ》いた。
女性にしては、その身のこなしがキビキビした騎兵《きへい》がショットに駆け寄った。
「なにか?」
「ドレイク様がお帰りになりました。急ぎ、城内にお越《こ》しいただきたいと」
「戦場から?」
「ハッ! お急ぎです」
「フム……。分った。ガラリアはバーンと共にドーメのテストを続けてくれ。ジョク! ガラリアにも紹介《しょうかい》しておく。降りて来い!」
「はい……」
ジョクは、ドーメから飛び降りて、二人の前に立った。
ガラリアと呼ばれた騎兵は、やや目の吊《つ》り上がって、いかにも気性《きしょう》が激《はげ》しい女性に見えた。
「バーンが言っていた地上人《ちじょうびと》か……?」
ガラリアは、微笑《びしょう》を返して手を差し出した。ジョクは、その女らしくない骨ばった手を握《にぎ》り返した。
「外でドーメのテストをする。見るがいい」
「ショット! オーラ・バトラーのカットとか言うのは……!」
「カットグラか? 隣《となり》の棟《むね》にあるが、全くのプロト・タイプだ。その内に見せる機会もあろう。それまで待て!」
ショットは、そう言うと駆けるようにして、外に出ていった。
ジョクは、ガラリアに案内されて、機械の館《やかた》に接した広場に出た。その間に、ショットは馬に跨《またが》って城に向かって行った。
「…………」
ジョクは、地上人《ちじょうびと》同士という仲間《なかま》意識を抱《いだ》き出したショットの後姿を見送りながらも、どこか尊大な感じのする男だ、と感じた。
広場には、四本のアームを機体に収容させる感じで畳《たたみ》み込《こ》んだ別のドーメがあった。
そのコックピットの上のプラットホームにバーン・バニングスがいた。
「よろしいです! バーン様!」
「よーし! 標的の処《ところ》にいる兵には退避《たいひ》するように言えっ! フレイ・ボンムの一斉射《いっせいしゃ》をやるっ!」
「ハッ!」
「ガラリア! フレイ・ボンムの方向性を調べてくれ」
「了解《りょうかい》だ! バーン」
ガラリアが答える間もなく、ドーメの機体全体から奇妙《きみょう》な音が響《ひび》いた。シンセサイザーの発する低い音に似ているが、それよりも生理に響いた。肉的な音といったらよいか。
機体の下の草が揺《ゆ》れて、機体が震《ふる》えた。
コックピットの上に立つバーンは、プラットホーム上の太めのバーで体を支えているだけに見えた。
『あいつが、エンジン・キーだって言うのか?』
ジョクには、信じがたかった。もっと別のシステムが働いているとしか思えない。
丸っこい奇妙な形をしたドーメの機体がフワッと浮いた。その動きは、ホバー・クラフトそのままである。そして、次第に高度をとって、三十メートル程の高度をとると、機体に収容される形をとっていた四本のアームを四方に伸《の》ばした。
『ヘー……』
ジャンボ・ジェットなどを見慣れた目には、脅威《きょうい》的な飛行物体と見えた。しかも、特異なシルエットには、ロマンチックな気分があった。
高度を維持《いじ》しながらドーメは、四本のアームを動かして速度を増し、広場を離《はな》れて前方に広がる原野に向かった。
旋回《せんかい》をし、バンクの真似事《まねごと》などをするその飛行は、軽快そのものである。
『魅力《みりょく》的な乗り物だ……』
ジョクは、工兵や騎士《きし》だちと共に広場を横切って、城郭《じょうかく》に接した原野の見わたせる位置についた。
その原野の二キロほどの処《ところ》に、こんもりとした山があり、標的を示す黄色の旗が上がっていた。その間には、レンガ色をした標的らしい建造物が置かれ、さらにその左右には白い旗が数本立っていた。監視《かんし》をする兵たちでもいるのだろう。
それに接近したバーンのドーメの一本のアームから、小さく火炎《かえん》が噴《ふ》いた。
「射撃《しゃげき》をするぞっ!」
誰《だれ》かが叫《さけ》んだ。
スルルルと二本のアームの先端《せんたん》から火炎が帯となって伸《の》びて、樹木の間のレンガ色の標的に当った。その瞬間《しゅんかん》に、黒い煙《けむり》の山が盛《も》り上がり、それが炎《ほのお》の色に変ってドオッという音が響《ひび》いた。
『音の伝わる速度は、地上と同じようだ……』
ジョクは、そんなことを考えて、周囲の兵たちの感動の喚声《かんせい》を耳にした。
その後、ドーメは何度か標的に向かって、火炎《かえん》の帯を発射しながら飛び回った。
『夢《ゆめ》の世界のできごとだな……』
最後には、バーンのドーメは四本のアームを同一方向に向けて、そのフレイ・ボンムの帯を伸《の》ばした。
そのフレイ・ボンムの炎《ほのお》は、樹木と標的にしたレンガの壁《かべ》の一切を灰にした。
それは、地上の戦車の砲撃《ほうげき》のように脅威《きょうい》を与《あた》える光景ではなかった。
夢のように美しく見えた。
「……そうか……人のオーラで作ったのがバイストン・ウェルならば、人の意思、人の夢がこのような形で存在しても当り前なんだ……」
ジョクは天を仰《あお》いだ。
しかし、ショットが言う水の天井《てんじょう》は見ることができなかったし、また、太陽のような光源がない空には慣れていない自分に気がつくだけだった。
コモン界の昼夜は、バイストン・ウェルの世界を形成するオーラ力そのものの周期で変化するのである。そして、四季もまたそのようにして……。
気候の地域差は、そのオーラカの分布の差によって生じるようである。
「……バイストン・ウェルか……妙《みょう》な名前だな……」
頭上には、雲を抱《いだ》く空か見えるだけだった。
「昨夜は、星だって見えたが、あれは一体なんなのだろう? 水の中に星があるとでも言うのか?」
コモン世界の空もまたロスの空のように青く、雲を浮《う》かべていた。
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8 アリサ・ルフト
「ジョウ・タケシ。通称、ジョクであります。この地の礼儀《れいぎ》作法《さほう》を知りません。その点をお許し下さい」
ジョクが、ショットの紹介《しょうかい》を受けて、あらためてこう言ったのには理由《わけ》があった。
礼儀作法は、もとは戦いに明けくれた人々が、自己防衛のために定めたものである。
作法があれば、それを守っているだけで、自分の本心を敵に見せないですみ、敵に対して無礼《ぶれい》にならないですむ。また、作法を決めた方も、他の理由をあげることなく、作法|故《ゆえ》に武器の携帯《けいたい》を許せないと言うことができ、敵の武装《ぶそう》を解《と》くことができる。
作法がなければ、お互《たが》いの素性《すじょう》、本心が知れるまでは警戒の連続となる。
それでは、人は疲《つか》れる。
また逆に、敵意があっても、作法を守ってみせれば、敵意がないものと相手に思わせることもできる。それが礼儀作法の始まりであり、本来の目的である。
そのことをジョクは思い出して、そう言ったのである。
それは、ジョクの用心深さである。
ジョクの本心がテレパシーでドレイク・ルフトに読まれても、ジョクの用心深さが伝わるだけであろう。それは、伝わって悪いことではない。
「ウム……。我が国は、凶悪《きょうあく》な敵の脅威《きょうい》にさらされている。力になってくれれば、この地に骨を埋《う》めるのも良かろう。私の力で良いようにする」
ドレイク・ルフトは、初対面の地上人《ちじょうびと》に優しく言った。
「自分には何ができるか分りません。ですから、力を貸せるとは思えません。なぜならば、私はショット様のような能力を持っておりません」
ドレイクは、巨躯《きょく》の上に禿頭《とくとう》。しかも、戦場から抜《ぬ》け出てきたばかりである。ジョクがこれまでに見知った日本人にはない精悍《せいかん》さがあった。
眼光は、強く、しかも生気に満ち、生死の境にいる激《はげ》しい緊張《きんちょう》感を示していた。
カラテ道場には、ドレイクに似た雰囲気《ふんいき》を持った有段者がいないでもなかったが、凄《すご》みが違《ちが》った。
国主でありながら、武人として戦場に赴《おもむ》き、帰ってきたばかりである。王様として収《おさ》まっているような人物ではない。あえて言えば、野心に溢《あふ》れた人物と言えよう……。
「地上人《ちじょうびと》にもいろいろあるというのだな。なら聞こう。オーラ・ボム、ドーメをどう思うか?」
「地上世界にはない素晴《すばら》しい機械です。あのように簡単な仕掛《しか》けで動くのには感動しました」
「世辞《せじ》ではないな?」
「はい……」
「主《ぬし》は、空を飛んだことがあるか?」
「はい……地上の機械で飛ぶ訓練を受けておりました」
「うむ……。ショットから聞いた。飛行機という機械に乗る訓練か? ならば、主《ぬし》には力がある。地上の機械で飛ぶには、ドーメを使う以上の困難があると聞いた。十分である」
ドレイクはそう言うと、マントをひるがえして謁見《えっけん》の間《ま》を出た。
ジョクは、ドレイクの巨躯《きょく》に隠《かく》れていた椅子《いす》のあまりの豪華《ごうか》さに息を呑《の》んだ。幾《いく》十もの宝石に飾《かざ》られた椅子は、リヒテンシュタインの城の調度と同じに見えた。
ドレイクの姿が一方のビロードの幕の陰《かげ》に隠《かく》れるのを見届けてから、ジョクはショットを見た。
「……そうなのですか?」
「飛行のことか? ああ……ドレイク様が言う通りだ。バイストン・ウェルに落ちる地上人《ちじょうびと》というのは、よりオーラカが強い。バイストン・ウェルの意思と感応できるのだからな。ならば、すぐにドーメのコントロールができる」
その言葉を、ジョクは、直ちに戦場に出てもらう、という意味だと思った。
「……戦争って、どういう事なんだ?」
「昼食をしながら説明しよう。まるで知らないというのでは困ったものだからな」
ショットは苦笑して、謁見《えっけん》の間《ま》を退出した。
「済まない。手間《てま》をかけて……。ショットだって訳も分らずに死にたくないだろう?」
「勿論《もちろん》だ。まあ、郷《ごう》にいっては郷《ごう》に従えというしか……」
回廊《かいろう》は、中庭に入る光で、ほんのりと明るく暖かだった。
「……強がりだが、多少はこの世界にも興味が出てきた」
「ああ、カリフォルニアより面白いことは保証するよ」
幾《いく》つかの角を曲って、多少|天井《てんじょう》の低くなった廊下《ろうか》に出た。
今度は、右に中庭があり、左の壁《かべ》には天空を浮遊《ふゆう》する女とか、蓮《はす》の花に乗る女たちの姿が描《えが》かれていた。しかし、東洋的というよりは、西洋絵画に近いタッチだ。キリスト教的な堅《かた》さはない。
「美井奈《みいな》?」
思わず、ジョクは呻《うめ》いた。
前方の左のドアのひとつから出て来た少女の横顔が美井奈に似ていた。
その少女は、ショットとジョクの気配《けはい》に気がついて振《ふ》り向いた。正面の顔から見ると、横顔ほどは似ていなかった。
その少女は、淡《あわ》いブルーの瞳《ひとみ》を向けて微笑《びしょう》した。美井奈よりキリッとした雰囲気《ふんいき》があった。
「ショット・ウェポン様……!」
微笑を見せた少女は、エプロンの下の長いスカートで床《ゆか》を掃《は》くようにして滑《すべ》って来た。
「アリサ様!」
「お食事の用意ができました。どうぞ」
「アリサ様もお手伝いですか?」
「はい……」
「姫《ひめ》様がそのようなことをなさるのが分りませんな。私が困ります」
「そちらの方が、新しい地上のお方ですか?」
「ジョク・タケシです。アリサ様」
ショットは、ジョクの名前を混乱して覚えたようだ。
「……ジョク。こちらが、ラース・ワウの王女、アリサ・ルフト様だ。家事をなさるのは、このルフト家の伝統でな。他の城でもこうするようだ。良い家風だが、仕える身としては疲《つか》れる」
「よろしく……」
ジョクは、軽く頭を下げながらも、そう言うショットとアリサに好意を持った。
殊《こと》に、アリサの王女らしからぬ姿が良かった。
しかも、若い男に対して羞《はじ》らいをみせるアリサの仕草《しぐさ》は、なんとも言えず愛らしかった。
『美井奈は、こうじゃないな……』
ジョクは、かすかにそう思った。
「アリサ様……お世話になっております」
「慣れない生活で、お疲《つか》れでありましょう。さぁ、どうぞ」
アリサは、自分の頬《ほお》に手をやりながらサッと背中を向けた。ジョクは、その頬が赤く染まるのを見逃《みのが》さなかった。
ショットは、そんなアリサとジョクの挙動などには全く関心を示さずに、ジョクの肘《ひじ》をこづいて部屋に入って行った。
かなり広い食堂は、厚い石壁《いしかべ》と松《まつ》の太い梁《はり》と柱で重厚に仕立てられていた。
「……お口に合うかどうかは……大丈夫《だいじょうぶ》ですね?……」
アリサは、下働きの女たちにそんな指図をしていた。
「地上人《ちじょうびと》、こちらへ……」
アリサは、ジョクの名前は呼ばずに、ひとつの椅子《いす》を示した。
「ありがとうございます」
ジョクは言われるままに、窓を正面にして座った。遠くに山があり、カラスが横切るのが見えた。
「バーン殿は?」
ショットの質問に、アリサはすぐに来るはずですと言って退出した。給仕《きゅうじ》まではしてくれないらしい。
「先に始めるか? このあたりがさばけているところでな……」
ショットは、純白とは言いがたいナプキンを広げて、パンを手にした。
女たちは、素早《すばや》くスープをふたりの前に置き、続いて肉料理を持ってきた。
「菜食主義だったらやめるんだな。ここでは、肉を食ってみせないと馬鹿《ばか》にされる。そういった階級のものだと見られる。それは生きていく上で損だ」
「はい……」
近代文明で洗練されすぎたものを食べ慣れた口には、黒パンはうまいものではない。城の食事がこの程度ならば、ステラの店の食事が特別に悪いものとは思えなくなった。
やや遅《おく》れてバーンが席につき、食事とその後の短い時間に、ジョクはアの国の戦争の状態を聞き知った。
ジョクは、粗末《そまつ》なエンピツと紙を貰《もら》ってメモを取った。殊《こと》に、固有名詞を覚えないことには、話にならないからだ。
そんなジョクの手元を、バーンは面白がって覗《のぞ》いた。
「堅《かた》い形の文字だな。いかにも書きにくそうだ」
「英語という言葉も書けるが、あまり得意《とくい》ではない……」
「ショット様がお使いになる文字か? あれは、コモンのカタマーラ文字に似ているな……」
そんな時間は、あっという間に過ぎた。
ジョクは大体の状況《じょうきょう》を知ったものの、楽ができない状況であることを知っただけである。
「……ドーメの操縦ができるのならば、俺《おれ》も戦場に出ろと言う結論だな?」
立ち上がったジョクは、嘆息《たんそく》した。
「逃げ出すのもいいが、逃げ出してどうなる? 一緒《いっしょ》にバイストン・ウェルに落ちたかも知れないお前の女を捜《さが》すか?」
「その確率が高ければそうしたいさ。その方が、気持ちとしては納得《なっとく》する」
「しかし、同じ場所に落ちていなかったとなれば可能性は低いな。テレポーテーション、すなわち、オーラ・ロードに乗り切れずに、別次元に落ちたという可能性だってある」
「死んだというのか?」
「死んでいればいい。なまじ妙《みょう》な次元で歪《ゆが》んだ状態のまま存在しているよりはな……」
ショットのその言葉は、ジョクには冷酷《れいこく》に聞えた。
それは、ジョクが想像し、恐怖《きょうふ》した事であったからだ。
「……日本人には、一宿《いっしゅく》一飯《いっぱん》の恩義という考え方がある。一晩の宿の礼に、命を賭《か》けるという考え方だ……昔《むかし》の話だがな……」
最後の一言は、誤解されては困ると思いついて、慌《あわ》てて言い足した。
「ホウ! それは、リーンの翼《つばさ》伝説のような理想的な習慣ではないか!」
バーンは、仕事に向かう脚《あし》を止めて振《ふ》り返った。
「昔の話だよ。今の日本人には、そんな律義《りちぎ》な考え方はない」
ジョクは牽制《けんせい》した。
「……? そうだろうが……フフフ……ジョクはそう言ったのだ。と言うことは、ジョクにはまだそういった考え方というか、美徳を実行してみたいという気持ちがあるのだな?」
見事なのせ方である。
「バーン、俺《おれ》はヤクザでもなければ武士や騎士《きし》でもない。普通《ふつう》の商人の子供だ」
「商人の子供が、空飛ぶ機械に乗るのか?」
アの国では、まだ封建《ほうけん》時代の士農工商《しのうこうしょう》の感覚である。
「地上では、商人が騎士《きし》より偉《えら》いんだよ」
ジョクは、乱暴な言い方をした。二人の前を行くショットは、そんな話には興味がないようだった。
「ショット様! ジョクの言うことは真実でありますか?」
「あ?……ああ……地上では、商人が世界を動かしているな」
ショットの言葉にバーンは『バカな』と呻《うめ》いた。
「ジョク様……」
ジョクの耳にはその『様』が、とても重い尊称として聞えた。
慣れていないために背筋《せすじ》に悪寒《おかん》まで感じた。
「アリサさま……?」
ジョクが立ち止るのを見て、バーンは広場で待っていると言いながら、ショットと共に石壁《いしかべ》に囲まれた階段を降りて行った。
「何か?」
「先程は、ミ、イ、ナ、とジョク様は、おっしゃいましたね?」
アリサは、わずかに目を伏《ふ》せていた。
その両方の手は、エプロンを外した腰《こし》の前できっちりと組み合わされていた。
「ミイナ……?」
ジョクは、アリサが何を言いたいのか分らなかった。アリサがミイナと発音したとき、ジョクはすぐには美井奈を意味するものだと気がつかなかった。
「私を見た時におっしゃった言葉でした。それがとても私を驚《おどろ》かせたので、一体どういう意味の言葉なのか知りたいと思って、お待ちいたしておりました」
「…………」
ジョクはアリサにそう言われてようやく、美井奈と言ってしまった自分のことを思い出していた。
「驚かせてしまったのなら謝ります。けど……なぜ、驚いたのです? それがよく分りません」
「…………?」
アリサが目を上げた。
わずかに揺《ゆ》れている淡《あわ》いブルーの瞳《ひとみ》は、刺激《しげき》的だった。
『……? 俺《おれ》はアメリカ人の中で暮《くら》していたはずだ。青い瞳などは珍《めずら》しくないはずなのに……?』
「なぜって、私……ミイナと聞いた時に、私の敵だと感じたのです。でも、私たちの敵は、ガロウ・ランです。私は、ミイナという言葉は知りません」
「ガロウ・ラン? 今、アの国が敵にしている恐《おそ》ろしい者たちですね?……美井奈は……ガロウ・ランではない。地上で僕《ぼく》が知っていた女の子です」
「地上で……? ジョク様が知っていた御婦人?」
そのアリサの敬語を含《ふく》めた言葉づかいは、ジョクには重く感じられた。
勿論《もちろん》、言葉として聞えてくるのではないのだが、その敬語の持つフィーリングは伝わるのだ。ジョクのような若者は、このフィージングに慣れていない。
「アリサ様……僕は商人の息子《むすこ》です。まず、僕の名前を呼ぶ時に様をつけるのをやめて下さい。そして、女の子のことをご婦人とおっしゃるようなこともやめて下さい」
「私の質問に答えている言葉とは思えませんが?」
「そうですが、まず、意思が伝えにくいのです。我々は知らない人にたいして、アリサ様のように敬語を使うということはないのです……」
「…………」
アリサは不服そうにジョクを見上げた。少女らしい苛立《いらだ》ちがあった。
王女というよりも、気の強そうな少女そのものといった感情が顔に現われていた。
「アリサ様……」
「はい……」
日本語で言った『様』の気持ちが正確に伝わっているようだ。
「丁寧《ていねい》すぎる言葉では、質問に答えるのにも緊張《きんちょう》してしまうのです。なんて言うのか……そう、言葉に負けてしまうのです」
「でも、ジョク様は、地上人《ちじょうびと》でいらっしゃいます。地上の商人でも、バイストン・ウェルのコモン界の人々よりは上です」
「そうですか。では、今はそのアリサ様のお言葉に甘《あま》えて、美井奈のことを説明します。美井奈は友達《ともだち》です。学校、分ります?」
「分ります。我が国にもあります」
「その学校で知り合った友達です。アリサ様が美井奈に少しだけ似ていたのです。僕《ぼく》が、地上からバイストン・ウェルに落ちる直前に一緒《いっしょ》にいたのです。ですから、美井奈もバイストン・ウェルに落ちているのではないかという期待があって……」
「……恋人《こいびと》なのですか?」
「え? 恋人……」
ジョクが動揺《どうよう》したのは、まだ美井奈の肌《はだ》のぬくもりを覚えていたからだろう。
「恋人ではありません。まだ、そうとは決まっていない……」
「でも、恋人のようにミイナと言う名前をおっしゃいました。でなければ、私が敵と感じるわけがありません」
「違《ちが》います。決まっていません」
「寝《ね》たのでしょう?」
「ハッ……?」
ジョクは、息を呑《の》んだ。初対面の少女から、そう言われるとは思っていなかった。
「ジョク様が息を通じ合った相手でなければ、私が敵と感じることなどはないのですから……」
アリサの勝手な断定である。彼女のカッチリとした瞳《ひとみ》が、ジョクの眼を捕《とら》えていた。
「…………」
城の中で育ったアリサも紛《まぎ》れもなくコモンの世界の女なのだ。
「嫌《きら》いです。本当に……!」
ジョクは、因縁《いんねん》をつけられたと思う以外なかった。
「しかし、僕《ぼく》は、美井奈を恋人《こいびと》だとは考えていません」
「なら、地上人《ちじょうびと》もコモンの男だちと同じようにふしだらなのですね」
それは、まるで我儘《わがまま》な少女という他《ほか》はない言葉である。
アリサは踵《きびす》を返すと、食堂の方に走っていった。
「参ったな……。どうも……」
美井奈を思い出させられたことも手伝って、ジョクは、憂鬱《ゆううつ》になった。
まだ、アリサが一方的にジョクに一目惚《ひとめぼ》れしたとは気がついていない。
『男と女の倫理《りんり》観が違《ちが》うから、あの歳《とし》でも、こんな言葉を使うんだよな……』
ジョクは、そう心の中で美井奈に語り掛《か》けた。
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9 戦 雲
それからの数日、ジョクはオーラ・ボム、ドーメの試乗から始まって、実戦訓練に入っていた。
否《いや》も応もなかった。
他にやることもなかったし、只飯《ただめし》をたべさせて貰《もら》えるほど、ラース・ワウに余裕《よゆう》がないことも分ってきた。
初め、ジョクが緊張《きんちょう》感を感じなかったのは、城の客分として迎《むか》えられていたからである。その立場では、状況《じょうきょう》を断片的にしか知ることはできない。
城中の軍事訓練も、ジョクには本物の軍事訓練に見えなかった。ジョクは、軍事訓練といえば、テレビで見るチーム・スピリットの訓練のようなものと思っていた。ラース・ワウの槍《やり》や刀の訓練などは、運動会のマス・ゲームにしか見えなかったのだ。
しかし、状況が理解できるようになると、ラース・ワウは、近くに不可解な敵を置き、平和に見えるのは、城付近の農民に限られていると分った。
そう分れば分るほど、ジョクは、ラース・ワウの外に出て、生きていけるとは思えなかった。
さらに、バイストン・ウェルの全体状況を知るには、民間にいるよりも、城という高い立場にいた方がより早くできるだろうとも思っていた。
そんな鬱々《うつうつ》とした中で、ジョクは、オーラ・ボムの操縦訓練を続けた。
しかし、このマシーンを扱《あつか》うと、気分が晴れた。軽飛行機とは違《ちが》ったスリルと快感があったからだ。
基本的な操作は軽飛行機と同じなのだが、微調整《びちょうせい》はパイロットの意思のままにできると言って良い。
それはジョクのように少しばかり飛行訓練を経験した者には、麻薬《まやく》に似た働きをする。
「まるで、念力《ねんりき》マシーンだ」
「ウィルパワーか? そんなものだな」
ショットは、機嫌《きげん》が良かった。
「地上の世界から落ちて来た者には、良い感応力があるな。ジョクのドーメの動きには、他の者とは違う、ジョクの持っているオーラの力が出ている。期待しているぞ。地上に帰れないのならば、ここで土地でも貰《もら》って面白おかしく暮《くら》すのだな」
それは、ジョクの胸に痛い言葉であった。
「俺《おれ》には、ショットのような才能がない。パイロットで暮していけるのか? バーンもガラリアも騎士《きし》の出だ。俺は、商人の出だ」
「こだわるなよ。地上人《ちじょうびと》であればそれだけで十分だ。商人と言うのはやめろ。損だぞ。今のままでいける。楽しい思いもできる……」
「戦争に勝ってからの話だろ?」
「そういうことだが、な……しかし、ドレイク・ルフトは野心家だ。従っていれば、面白いことだけは請《う》け合う」
ショットは、ジョクの肩《かた》を叩《たた》いた。
「明日には、出撃《しゅつげき》する」
「…………!」
ショットは最後の言葉を唐突《とうとつ》に言った。
出撃《しゅつげき》は近い、という予想はあったが、まさか、本当に戦争に出るとは思えなかった。ジョクは、答えることも忘れていた。
その夕方、ドレイク・ルフトは、新たに二千の兵を城に集めて歓送式を行なった。
儀式《ぎしき》は質素であったが、士気は十分に高揚《こうよう》した。
ジョクは、バーン、ガラリアと共にドーメを操《あやつ》って、城内の広場に集まった軍勢の上をゆっくりと旋回《せんかい》して見せた。
オーラ・ボムの威力《いりょく》を兵に示した後、ドレイク・ルフトの野太い声が安直なスピーカーから流れ出て、兵を鼓舞《こぶ》した。
「ドーメこそ、ガロウ・ランどもの知らない新兵器である。この威力をもってすればガロウ・ランの強獣《きょうじゅう》ごときは一挙に殲滅《せんめつ》し得る! 我がアの国に平和をもたらすものである。我が国の名前を背負《せお》い、家の名に恥じないわが勇敢《ゆうかん》なる兵士たちよ! 今回の作戦は、ただ、このオーラ・ボム、ドーメの前進基地を設営するだけで足りる。命、恐《おそ》れるな! この機械の威力をもってガロウ・ランごときは一挙に殲滅し、我等《われら》は、アの国の名をコモンの世界に高めようっ!」
その演説に使われたマイクとスピーカーは、ショットが作ったものである。
ドレイク・ルフトの演説が終ると、五百|騎《き》の騎馬《きば》と千五百の歩兵《ほへい》、四十|輛《りょう》の馬車部隊から一斉《いっせい》に鬨《とき》の声があがった。
「うお、お、お、おーっ!」
その声は城を揺《ゆ》すり、上空を低く飛ぶドーメのプラットホームに立つジョクの腹にも響《ひび》いた。
「アニメだよ……こりゃ……!」
ジョクは、目撃《もくげき》している光景に圧倒《あっとう》されまいとして、冗談《じょうだん》めかして言ってみた。
しかし、腹の底からこみ上げてくる興奮《こうふん》を押《お》さえることはできなかった。興奮というより、恐怖《きょうふ》かも知れない。それに信じられないといった気持ちが、ないまぜになった感情である。ひょっとしたら、これが、武者震《むしゃぶる》いというものかも知れないと思った。
事実、体が震えた。
『参ったな……』
男たちと馬が発する臭気《しゅうき》が、モワッとドーメまでをも包んだ。
間違《まちが》いなく現実の光景と納得《なっとく》せざるを得ない。ジョクは、着慣れ始めた革鎧《かわよろい》の感触《かんしょく》をうとましいものに感じた。
ドレイクの立つ演壇《えんだん》の背後の天幕には、ドレイクの妻のアリシアとアリサの姿があった。そのアリサの姿は、いかにも王家の気品と力強さを感じさせるものだった。
『生れた時から、こんな感覚に慣れているのと慣れていないのとの違《ちが》いかな……』
ジョクは、この一週間、アリサに会っていないことを思い出していた。
騎馬《きば》隊五百騎が移動を開始し、それに歩兵《ほへい》部隊が続き、最後に補給部隊の馬車が城を出て行った。
その間、近衛《このえ》兵団《へいだん》に守られた形で、ドレイク一家と周辺の貴族たちが、その軍団を見送った。
ドーメ三機もバーンの指令に従って、城門の上空まで軍団を見送るのである。
兵たちはドーメを見上げ、直ちにドーメが前線に出てくることを期待する喚声《かんせい》が果てしなく続いた。
「…………!」
バーン・バニングスもガラリア・ニャムヒーも明らかに興奮《こうふん》と自尊心に包まれて、それらの兵たちに答え、手を振《ふ》り、ドーメを降下させたり舞《ま》い上がらせたりした。
そんな彼等《かれら》を見ると、ジョクも手を上げて、笑顔で兵たちに答えた。
それだけで兵たちの士気があがり、敵に勝ってくれるのならば、ジョクは戦わなくても済む。密《ひそ》かに、そんなことを期待した。
最後の補給部隊が城門を出たところで、バーンのドーメは軍勢に踏《ふ》み荒《あら》された城内の広場に降下した。ガラリアとジョクは、それに倣《なら》った。
ドレイクは、その三人のパイロットたちを馬上から満足そうに見下ろした。
三人の騎士《きし》は、ドレイクの前に立った。
ジョクもパイロットとしての実績が認められた時点で、自動的に騎士の位を与《あた》えられていたのである。
ドレイクは、赤銅《しゃくどう》の磨《みが》き抜《ぬ》かれた板金鎧《いたがねよろい》に身を固めていた。彼もまた近衛《このえ》兵団《へいだん》とともに軍団を追い、指揮をとるのである。
ドレイクは、まだまだ若く、生気に溢《あふ》れている。
ショット・ウェボンは、ドレイクの脇《わき》に立ち、天幕から降りて来たアリシアとアリサを迎《むか》える姿勢になっていた。
「バーン、待っているぞ。それまでに、軍が壊滅《かいめつ》していればやむを得ん。その場合は、アリシアとアリサを立ててアの国を再興してくれ」
「滅相《めっそう》もないお言葉……」
バーンは恐懼《きょうく》し、ガラリア・ニャムヒーもそれに倣《なら》った。
「……ショット、いいな? 間に合わせてくれよ」
「ハッ!」
「その地上人《ちじょうびと》、主《ぬし》の参加で三機のドーメが参戦できるのは僥倖《ぎょうこう》である。騎士《きし》に列しはしたが、軍功なければ正式ではない。見事、力を示してくれ。そうすれば、正式に騎士に任じ、領地も与《あた》えるであろう。主《ぬし》の力、アの国に貸してくれいっ!」
「はいっ!」
ジョクはそう答えてしまった。頭を下げざるを得なかった。
ドレイクの威厳《いげん》がそうさせたのである。
アリサは、そんなジョクを半ば冷たく凝視《ぎょうし》していた。
『……まぁ……いいか……』
ジョクは、アリサの視線を感じながら、ドレイクの一行を見送った。
「よい若者のようですね。アリサ……」
アリシアがアリサに言った。彼女は、初めてジョクを見たのである。
「地上人は、見ただけでは分らないと申します」
アリサの答えは、簡単であった。
「おや……お前らしくない……」
アリシアは、アリサの素《そ》っ気《け》ない返事に、ジョクを知っていると感じた。
アリシアは王家と血筋のつながったツタラムの貴族の家に生れ育った女性だが、世事《せじ》、人情には厚い。
戦国の世である。貴族の娘《むすめ》であっても、家事一般を教えられ、下働きの女たち男たちを指揮して、城という大規模な世帯を指揮することを教えられて育った。
アリシアは、城の女主《おんなあるじ》としての器量《きりょう》を十分に持っていた。
朝は城一番に起き、夜は一番|遅《おそ》く眠《ねむ》る。手の荒《あ》れは、城じゅうで一番かも知れない。
そんな女性であれば、娘《むすめ》を見る眼《め》も厳しく鋭《するど》かった。
「……でも、確かにそのようですね……」
アリシアは簡単に答えて、城館に向かって歩み出した。
城籠《しろごも》り用の保存食を仕込《しこ》む仕事が山ほどあるのだ。女王として列席した儀式《ぎしき》が終れば、またも酢《す》と塩と香辛《こうしん》料にまみれる生活に戻《もど》るのである。
「…………?」
アリサは、こだわりのない母の後姿を見送ってから、ジョクを見た。
ジョクは、ドーメのハッチに足を掛《か》けたところだった。
アリサは、ドーメの形がどうしても好きになれなかった。ゴツゴツとした固まりにしか見えず、なぜこのように物が動き、飛ぶのか分らない。空を飛ぶものは鳥たちだけで十分だと感じてた。
それは、大半のコモン世界の人々の感想でもあろう。
だから、その中に入って行くジョクが、アリサにはやはり、別世界の特殊《とくしゅ》な人に思えた。けれど、アリサはジョクが言った美井奈《みいな》という言葉の語感にこだわっていた。
その敵意を感じる言葉は、現在アの国が敵対している敵、ギィ・グッガの名前よりも、アリサの胸を激《はげ》しく打つのだ。
『ミイナに会ってみたい……』
ドーメの中央部分の窓からジョクの顔がアリサを見たように思えた。
アリサはムッとした顔を向けてから、ドーメを背にした。
かすかな震動《しんどう》がドーメの機体を揺《ゆ》すり、内臓にシンクロするような低い響《ひび》きが地を伝った。
「アリサ様!」
侍女《じじょ》の一人が、アリサに急いでドーメから離《はな》れるようにと言った。
アリサは、多少、走った。
ドーメが砂塵《さじん》を巻き上げ、飛翔《ひしょう》した。
「私にちゃんとした挨拶《あいさつ》ぐらいすればいいのに……」
ドーメの飛行を見やりながら、アリサは口の中で言ったが、その時は、三機のうちのどれがジョクのドーメか分らなくなっていた。
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10 止《とど》 め
その夜。
ドーメの機体の整備に追われた機械の館《やかた》は、灯《ひ》が消えることがなかった。
ジョクには、ドーメのオーラ・センサーをジョクに合うものに代える作業が残っていた。
ショットに言わせると、神経系の繊維《せんい》は捕獲《ほかく》した強獣《きょうじゅう》の性質によって幾《いく》つかのタイプがあるのだ。それをジョクの発するオーラの波に合わせなければならない。その上、機械系のワイヤ等は、補充《ほじゅう》用として数倍の数を用意しなければならない。
「今度の実戦は、実用テストを兼《か》ねている。多少でも機械を知っている君が来てくれて助かっている……」
ショットは、そう言った。
「俺《おれ》は、機械屋になるつもりはなかったんだがな……」
「愚痴《ぐち》るなよ。ドレイク様も言った通りだ。領地のひとつも貰《もら》えれば、いい暮《くら》しができる。テレビぐらいは、いつか作って見せるから……」
「日本人がテレビ好きだって、当てつけか?」
「そうなのか? 知らんな。私は、技術開発の問題を言っているだけだ。このバイストン・ウェルには、他《ほか》にも何人かの地上人《ちじょうびと》が落ちた形跡《けいせき》がある。その中に技術者がいれば、その技術情報をつなぎ合わせて、もっといろいろな物の開発が可能だと言ったのさ」
「すまないな。俺は、無能で……」
「ああ、そうだ。材料工学のひとつぐらい、専攻しておいて貰《もら》いたかった」
「……そうかい? 俺は、もっと宗教と心の問題を哲学《てつがく》する基礎《きそ》学力を身につけておけば良かったと思うよ」
「ホゥ? じゃあ、君の飛行機|趣味《しゅみ》というのは何だ?」
「……東京から離《はな》れたかった。そのためのものだ……」
「そういうことか?」
「そういうことだ。……オーラの実証科学なんていうものは、もっと研究が必要なんだろ?」
「それは、私の独占《どくせん》にするさ。それで、博士号を取る」
「アの国の博士号かい?」
「地上でだよ……」
「審査《しんさ》はどうするの?」
「地上に出る。そのシステムを開発してみせる……」
ショットはやはり尊大だとジョクは感じた。ジョクは、周囲の空気がザワついているので振《ふ》り向いた。
「敵だっ!」
そんな声が、遠くでした。
「ショット様!」
「ジョク様! 地上人《ちじょうびと》っ!」
兵たちの警戒を呼び掛《か》ける声が工場に迫《せま》った。城の方向から近づいてきた十数|騎《き》の騎馬《きば》の蹄《ひづめ》が工場を取り巻こうとしていた。
「どこだっ!」
ジョクは、腰《こし》に短いながら剣《けん》をぶら下げていたが、そんな声を聞くとまっさきに工場の出入口の脇《わき》にある兵の溜《たま》り場に駆《か》け込《こ》んで小銃《しょうじゅう》を手にした。
数少ない小銃は、特別の者にしか与《あた》えられていない。ジョクには、そのひとつが与えられていた。
ジョクは、グアム島でライフルと拳銃《けんじゅう》を使ったことがあったので、地上から見れば旧式の小銃の扱《あつか》い方にすぐ慣れることができた。ジョクにとっては、とりあえず剣よりは武器になりそうに思えた。
「多いのかっ!」
「いえ! しかし、城の中に潜入《せんにゅう》した数は、十を下《くだ》りません!」
「機械の館《やかた》に火を掛けられるなっ! 城内の警備は万全なのだなっ?」
「ハッ!」
闇《やみ》の中で、バーン、ガラリアの声に交錯《こうさく》して興奮《こうふん》した兵たちの声が走った。
「そんな少ない数でか?」
ジョクの独言《ひとりごと》を駆《か》け込《こ》んだガラリアが聞き咎《とが》めた。
「そうだな。数が少ない……! バーン! サラーン・マッキだ! あのフェラリオを奪《うば》いに来たガロウ・ランではないのかっ!」
闇《やみ》の中からバーンが騎馬《きば》に跨《またが》って現われた。
「そうかっ! ガラリア、良く気がついたっ!」
バーンは言うや、背後に従う騎馬に向かって続けと号令した。
「サラーン?」
ジョクの言葉に、キッとした顔のガラリアが現われて白い歯を見せた。
「貴公《きこう》の証言だと、貴公を呼んだフェラリオだな?」
その言葉には、ちょっとした猥雑《わいざつ》な気分が含《ふく》まれていた。
「…………?」
「貴公とつながっているフェラリオだと言ったのさ」
ジョクはその言葉に、顔に似合わない卑俗《ひぞく》な女という感じを抱《いだ》いた。
「水牢《みずろう》は知らんのか?」
「ミズロウ?」
分らない言葉だった。
「バーンが行く! 行ってみるがいい!」
ガラリアはジョクの肩《かた》を叩《たた》いた。彼女がジョクの体に触《ふ》れたのは、それが初めてだった。
ジョクは馬寄せに駆け寄ると、まだ慣れ切ってはいなかったが馬上に跨った。
「ミズロウに行く! 敵が潜《もぐ》り込んだところだっ!」
遅《おく》れた数人の兵が、ジョクに倣《なら》って馬上の人になった。
「灯《あかり》を!」
「しかし!」
「俺《おれ》が持つ! ダミーになる!」
理屈《りくつ》はよく考えていなかったが、そう言った。
「危険です!」
そう言いながらも、ジョクの手にカンテラを渡《わた》してくれる兵がいた。
「よし!」
ジョクは、前を行く騎馬《きば》の後を追って、城の方向の坂を駆《か》け上って行った。
ジョクの後姿をガラリアは、鼻を鳴らして見送った。
機械の館《やかた》から、ひとつ城門を潜《くぐ》り、さらに坂を駆け上る。護衛の兵がいるとは言うものの、軍団の出陣《しゅつじん》した後の城である。この数日のような人の気配《けはい》はなく、敵につけ入る隙《すき》があると感じさせるうすら寒さがあった。
「…………!?」
ジョクは気配を感じた。
左手にカンテラを持ち、右手に小銃《しょうじゅう》を持って手綱《たづな》を使うジョクは、かすかに馬の方向を変えた。
ドッッ! 重いものが、背後に落ちた。
「…………!!」
ジョクは、何かを避《よ》けた。
いつの間にか、ジョクは巧妙《こうみょう》に馬を操《あやつ》る技術まで身につけていたようだ。
「…………?」
再度、ジョクは背後に冷たい気配を感じた。
体を捻《ひね》った。黒いものが落ちているのが見えた。カンテラを落とす。ガスを使ったカンテラが、地に落ちて転がりながらバッと燃えた。
その脹《ふく》らんだ光の中に巨体《きょたい》が手にする弓が見えた。
ジョクは、飛び道具の力を知らない。知らないから必要以上に怯《おび》えた。だから、ジョクは助かった。
振《ふ》り向こうとして、馬上から落ちたのだ。背中を強打し呻《うめ》いた。銃《じゅう》は放さなかった。銃を抱《かか》えて転がった。
その頭上に矢が走ったのは、気がつかなかった。
巨体が燃えるガスの最後の光の中で走るのが見えた。ジョクは抱《だ》くようにしていた銃を撃《う》った。巨体が跳《は》ねたようだった。
前方に走った騎兵《きへい》たちが、戻《もど》ってくる蹄《ひづめ》の音がした。
「地上人《ちじょうびと》!」
背中にその声を聞いたジョクは、味方の気配《けはい》がどんなに心強いものか知った。
巨体が地に倒《たお》れた。
「…………!」
左右に駆《か》け込《こ》んだ騎兵たちが、ガロウ・ランだ! 臭《くさ》い野郎《やろう》だ! 仕留《しと》めましたかっ! 等の声を掛《か》けながら、巨体の背中を囲んだ。
思ったほど大きな男ではない。
『こういうものだ、恐怖《きょうふ》心があるから……』
ジョクは命が助かったという安心感と、地上人と誉《ほ》めそやされている自負心《じふしん》から、気を取り直した。
「水牢《みずろう》へっ!」
「とどめを! 地上人!」
「とどめ? 水牢の方が気になる。任せた!」
ジョクは兵が連れて来た馬に跨《またが》ると、城の中庭に向かって走った。人を殺したという嫌悪《けんお》感はなかった。
周囲の雰囲気《ふんいき》が戦場の気を含《ふく》んでいるからだろう。
ギャッ!
闇《やみ》の中に叫《さけ》びが聞えたが、よく見ると周囲の石壁《いしかべ》にはガス灯《とう》がともっていて、真暗《まっくら》ではない。
「あそこだっ!」
その声にジョクは見上げた。
外側の城壁《じょうへき》の上には、歩哨《ほしょう》の為《ため》の通路がある。その女牆《じょしょう》の間から落ちる人の形を見た。
「…………!」
別の影《かげ》が、その間を走っているのが見えた。後方から追う兵が矢を放った。
ジョクは馬から飛び降りると、その影に照準を合わせて撃《う》った。城壁の上から歓声があがった。
騎兵《きへい》たちは、城の塔を背にして、警戒線を引いていたのだ。
バーンが、塔と壁の間の回廊《かいろう》で指揮をしているのが見えた。
「敵は、いなくなったようです」
「館《やかた》の方はっ!」
「異常はないようです。伝令っ!」
そんな声が飛びかった。
周囲に次第にカンテラの灯《あかり》が増えて、騎兵と歩兵《ほへい》たちのざわめきが塔を包んだ。
ジョクは、騎馬《きば》隊の前に立って、集まってくる兵たちの発散する重苦しい汗《あせ》と皮の脂《あぶら》の臭《にお》いにロを噤《つぐ》んだ。
「………ムトセ隊は、バラモーの隊と共にここで警戒を続けろ! 他の者は解散だ! 機械の館《やかた》も手抜《てぬ》きをするな!」
バーンが、周囲の兵たちに命令を伝えながら降りて来た。
「ジョク殿!」
バーンが兵の中にジョクを見つけて近づいて来た。
「報告を聞いた。二人の敵を倒《たお》したそうだな。銃《じゅう》の腕《うで》はよくよくのようだ」
「まぐれだ」
「……ン! 民間人だったか? そうかも知れんが、偶然《ぐうぜん》では二人も倒せんものだ。ショット様が言うようにオーラ力があるのかも知れん」
「…………?」
ジョクは、バーンの饒舌《じょうぜつ》さが気になった。
数人の兵が気を利《き》かせて、カンテラを二人の回りに差し出した。
「……とどめを刺《さ》さなかったようだな?」
バーンは肩《かた》を擦《す》り寄せて、小声で言った。
「…………?」
ジョクの直感が当った。
「とどめか……。やり方を知らなかった……まずいのか?」
「ガロウ・ランごときを相手にしてとどめを刺せんのでは、兵たちにしめしがつかん。私はジョク殿の事を知っているが、兵たちの全《すべ》てが、教養があって理解力があるとは限らない。とどめを刺さなければ、ガロウ・ランは復活すると信じている兵たちの恐怖《きょうふ》心を助長するだけだ。それでは、兵たちは安心して、騎士《きし》に従ってはくれない」
「しかし、そんな事をやっている間に、他の敵が来たらどうする?」
「やるのだ。騎士がやらねば、兵たちはついて来ないぞ。後から兵に刺されてもいいのか? 教えてやる……」
バーンはジョクの肩《かた》を掴《つか》んで押《お》した。
ジョクは、フラッと歩を進めた。
「……ガロウ・ランだ……」
バーンは、先刻、ジョクが撃《う》った男を見下ろして言った。
まだ息があるようだ。ゼーゼーと胸板が上下していた。皮の粗末《そまつ》な衣服の下から流れ出る血はまだ止っていない。
その姿がカンテラの明りの中で、深い陰影《いんえい》を作っていた。
悪臭《あくしゅう》を放つのは、ガロウ・ランの特徴《とくちょう》なのかも知れない。垢《あか》の臭《にお》いが立ち込《こ》めていた。
「首か、左の胸だ。即死《そくし》させてやれ。それが、騎士《きし》たるものの作法《さほう》だ」
「作法か……」
ジョクは、自分なりにその意味を咀嚼《そしゃく》して、日本にもそういった言い方があったと思い出した。
しかし、そんな言葉は、ジョクの年代の者にとっては、とっくの昔《むかし》に死語になっていると思っていた。
「皆《みな》の者っ! 地上人《ちじょうびと》は、まだこの地に慣れておらん! 我が軍の騎士の在り様《よう》を知らなかった! ここに、この地の作法に倣《なら》うとおっしゃる! 見てくれっ!」
バーンの配慮《はいりょ》であった。
周囲の兵たちがざわついた。
「ジョク……剣《けん》を抜《ぬ》け。兵どもが見ている」
バーンはジョクの耳元で言った。苛立《いらだ》っていた。
「騎士たるもの、選ばれた者の使命だ。分らんか」
「…………」
ジョクは剣を抜いた。
バーンが自分の剣先《けんさき》で、地に仰向《あおむ》けになっているガロウ・ランと呼ばれる男の胸を開いた。
「思い切って、真上から突《つ》けば済む」
ジョクは、両の手で柄《つか》を掴《つか》むと、剣先を垂直にして上げた。剣が震《ふる》えているのが分った。
同時に、カンテラを掲《かか》げ、息をひそめている兵たちの視線も感じた。
『この世界で生きていかなければならないのならば……尊敬を受けなければ……生き難《がた》い……』
ジョクの頭は、そのように論理を追った。
ガロウ・ランの一統とは言え、間違《まちが》いなく人の形をしていた。
ジョクは、フッと涙《なみだ》を自分の瞳《ひとみ》の端《はし》に感じた。
「エッツ!」
一気に剣を突き下ろした。ドッと掌に抵抗《ていこう》があった。
それを無視してカラテの突きを入れる感じで、さらに力を集中した。何か堅《かた》い手応《てごた》えがあったが、そう感じた時には、剣が止っていた。ブリリッと柄が震えた。
ガロウ・ランの口から、液体が盛《も》り上がって溢《あふ》れた。
「あげろっ!」
バーンの掛《か》け声に、ジョクは剣を引いたが、一方の手が滑《すべ》って柄から離《はな》れた。
「…………!」
ジョクは、慌《あわ》てて柄を掴み直すと、剣を捩《ねじ》るようにして引いた。
全身の感覚が掌に集中して、ゾゾッという感触《かんしょく》と共に剣が軽くなって、ジョクは大きく後ろによろめいた。
「……ウッ……!」
「吐《は》くなっ! 兵が見ている」
バーンの手がジョクの腋《わき》の下に入って、体を支えてくれた。
「ま、いいだろう。選ばれた者は、兵たちがやらん仕事をやって見せる。これが義務だ。それをしなければ、兵たちは騎士《きし》の命令などは聞いてはくれない。分るか?」
「あ、ああ………」
ジョクは、嘔吐《おうと》を堪《こら》えながら頷《うなず》いていた。
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11 酔《よ》いの中で
「水の中に……?」
ジョクは、数個のカンテラが照し出した鉄格子《てつごうし》を見下ろした。
その下には、苔《こけ》むした水面があり、藻《も》にからまれるようにして女の姿があった。
サラーン・マッキである。彼女は、バーンとジョクが鉄格子の上に現われると水面に顔を出した。
ジョクが会った時着けていた衣装《いしょう》が水の中で揺《ゆ》れていた。
「なんで……?」
ジョクには状況《じょうきょう》が分らない。俗に言う水責《みずぜ》めなのだろうかと思いながらも、口に出せなかった。そんなことを言って、SM趣味《しゅみ》の持ち主だと思われたりするのが厭《いや》だった。日本の出版事情の説明をしなければならなくなったらまた面倒《めんどう》になる。
「なんで水の中にいるかというのか? この手のフェラリオは、水の中で飼《か》っているのだ」
ザワと水面が波立って、
「もうやらないよっ!」
水面に上半身を浮《う》かせたサラーン・マッキが叫《さけ》んだ。
「…………?」
その瞳《ひとみ》は、バーンに対して敵意をあらわにしていた。そのサラーンを見て、ジョクは、初めに藻《も》と見えたものが、彼女の髪《かみ》の毛であることに気がついた。
「……ガロウ・ランは、この種の女を好物にしていてな……」
「私は、ガロウ・ランは好みでない! 見くびられたものだ」
サラーンは、はっきりとそう言った。
「フン! 色好みのフェラリオでなければ、このコモンの世界に降りてくるフェラリオはいない。ガロウ・ランが厭《いや》でも、男の一物《いちもつ》を見れば受け入れるのが、お前たちの習性であろう」
「心底ふしだらなフェラリオに地上人《ちじょうびと》を呼ぶ力があるもの! 私はその男を地上から呼んだ。今しがたガロウ・ランがこの水牢《みずろう》を襲《おそ》ったらしいが、それも、地上人を呼べる私の力を必要としたからだ。私は、正当なフェラリオだ」
「フ……! ぺラペラとよく喋《しゃべ》る。そのマウンテン・ボンレスの清水《しみず》から出られるか? 出られまい? フェラリオは、もともと天の水の精であるはずだ。それがコモンの空気を吸いたいと欲望するのは、堕落《だらく》したフェラリオだ。正当なフェラリオと言うならば、この水で身を溶《と》かしてワーラー・カーレンに帰って見せろっ!」
サラーンは、ゴボッと音をたてて水の中に潜《もぐ》った。バーンの言葉は、彼女に痛烈《つうれつ》であったらしい。
「どういうことなのだ?」
「このコモンの天の上にはフェラリオたちの住むワーラー・カーレンという水の世界がある」
「ああ、ショットから聞いた」
「あれらは、その世界からコモン界に堕《お》ちて来た女だ。この水牢《みずろう》の水は、ワーラー・カーレンの水に近い湧《わ》き水だ。これに放《ほう》り込《こ》んでおくとフェラリオは、心地良いものらしい。よほどのことがない限り自ら出てくることはない。殊《こと》に、フェラリオの掟《おきて》を破るような気の弱いフェラリオはな」
「しかし、逃《に》げられたのだろう?」
「……ああ……。番兵がこのフェラリオと情交したらしい。その隙《すき》を突《つ》かれた」
バーンは、塔の入口に戻《もど》った。
「その兵は、磔《はりつけ》にした」
「ああ……」
今度は、ジョクが頷《うなず》く番だ。
「……しかし……そんなフェラリオが、なんで地上人《ちじょうびと》を呼べるのだ?」
「ふしだらなフェラリオは精力が強いのだろう。天にいるフェラリオが、地上人を呼んだという伝説はないが……」
「…………」
ジョクは、改めて水面を見下ろした。
サラーンは、水の底に身を潜《ひそ》めているのだろう。その姿は見えにくくなっていた。
しかし、ジョクには、一見、清楚《せいそ》で気品に溢《あふ》れて見える女性が、堕落《だらく》したフェラリオだというのが生理的に理解できない。
『……俺《おれ》は、女に甘《あま》いのかな?』
ジョクの思いを見透《みす》かしたようにバーンが言った。
「こんなフェラリオに見込《みこ》まれてみろ。三晩も四晩も放してもらえんぞ。その上で、精を吸い取られて捨てられる。次の男を捜《さが》しに行くのだ」
「……? ステラの店にいた小さい奴《やつ》との関係はどういうことなんだ?」
バーンは、ジョクを鉄の扉《とびら》の方に呼び戻《もど》しながら、
「……あの小さいフェラリオは、コモン界にある渦巻《うずま》く嵐《あらし》の壁《かべ》の向うにあるクスタンガの丘《おか》で生れ育ったものだ。大きくなると天の上にある水の世界、ワーラー・カーレンに住む。さらに、その上には男たちのフェラリオの住むインテランの世界があると言う。酒場にいた小さい方は、間違《まちが》って嵐の壁に巻き込まれてコモン界に入ったフェラリオだ。しかし、あのサラーンは掟《おきて》を破って、コモン界の男と情交を結びに来たものだ」
「フェラリオを生むクスタンガがコモンの世界の中にあるのか?」
「コモンとワーラー・カーレンの間にある世界だな。コモンを土壌《どじょう》としてワーラー・カーレンにつながる世界だ……」
「そうか……」
話だけでは分らない事は、黙《だま》って聞くしかなかった。細かく説明されればされるほど分らなくなりそうなのだ。
「……で、あのフェラリオは、どうするのだ?」
「地上人《ちじょうびと》を呼べるだけの精力がついたらまた放す。そして、ガロウ・ランが襲《おそ》ってくれれば、恐怖《きょうふ》に怯《おび》えてまた地上人を呼ぶだろう……」
「…………!」
ジョクは、バーンの白い歯が光ったのではないかと思った。
「地上人《ちじょうびと》を呼ぶ? なんのためだ?」
「貴公《きこう》のことでも分ろう? 科学技術に理解ある人々は戦力になる。バイストン・ウェルに落ちてくる人は、オーラカが強い。即《そく》戦力になる」
「そういうことか……」
ジョクは、サラーンを閉じ込《こ》めた水牢《みずろう》の塔を見上げてから、改めてバーンを見た。
「汚《きたな》いな……」
「今は、戦争中だ」
「ショットもそうして呼んだのか?」
「まさかな……これはバイストン・ウェルの世界の構造を知ったショット様のお考えだ」
そのバーンの一言で、ジョクは、このラース・ワウが正義の味方の集団だとは、単純に思えなくなった。
自分がサラーン・マッキの美しさに気を奪《うば》われて、判断を誤っているのかも知れない。
しかし、バーンの言った事が本当の狙《ねら》いだとすれば、それは人を人とは思わない行為《こうい》だと思う。
「どうも、フェラリオの道徳的な性格が分らないな、良いことをやっているのか、悪いことをやっているのか……」
それが、ジョクの精一杯《せいいっぱい》の探《さぐ》りの言葉だった。
「ハハハ……先刻のとどめの刺《さ》し方も上手《じょうす》だった地上人らしい。律義《りちぎ》な考えようだ。が、危険だな」
バーンは、塔の上の兵たちの様子を見上げてから、ジョクに向き直って、
「フェラリオが正しいとするならば、我々に敵対するガロウ・ランも正しいことになる。コモン界の人間に形が似ているからと言って、我々と同じだと思ってもらっては困る。似たものほど危険だと言うぞ?」
「ああ……その辺りの気分は分っているつもりだ」
「兵たちに気を許してはならないのと同じだ。危険なものは己《おの》れに近いものだ」
「……俺《おれ》にとっては、ショットということか?」
ジョクは、一方的に言われたのに腹が立って意地悪く言った。
「これは……ハハハ……言い過ぎというものだな?譬《たと》えは分ってくれ」
「……分るよ。騎士《きし》バーン!」
ジョクは、最近になって口にすることができるようになった敬称を使った。
「……結構だ」
何が気に入ったのか、バーンは、鋭《するど》い眼《め》でひどく嬉《うれ》しそうにジョクを覗《のぞ》き込《こ》んで、ジョクの肩《かた》を叩《たた》いた。
その夜、就寝《しゅうしん》する為《ため》に機械の館《やかた》に戻《もど》ったのは明け方になってからだった。
ジョクは与《あた》えられた部屋で着替《きが》えをする時になって、あのとどめを刺《さ》した時の感触《かんしょく》を思い出していた。
掌が、ゾロリと重いのだ。
シャワーを浴びながら、単純な生理的な嫌悪《けんお》感なのだと信じ込もうとしたが、そうしようとすればするほど、あの直接的な肉の感覚が掌《てのひら》にこびりついているように思えた。
「くそっ……!」
騎士《きし》になりたいとは思わない。
そう断定したかった。しかし、未知の世界に突然《とつぜん》飛び込んだ人間が、このような待遇《たいぐう》を受けなかったとすれば、すぐに死ぬような目に会っていたかも知れないのだ。
今後、生きていく為《ため》にも、ある程度の社会的な地位はあった方が良い。
『現代的な考え方だけど……功利的だと決めつける事もできないよな……』
その資格を得るためには、バーンが言ったような資格がいるのだ。しかし、そのための儀式《ぎしき》が殺人だとは思いもしなかった。
「……くそっ!」
ジョクはシャワーを終るとガウンを羽織《はお》って、工場ブロックに降りて行った。
ジョクは、強獣《きょうじゅう》の甲羅《こうら》を乾燥《かんそう》させたり、成型するためのプレス機械の間を通って、兵たちの溜《たま》りに行った。
「……おっ……騎士殿《きしどの》っ!」
兵たちの朴訥《ぼくとつ》な言葉がジョクを迎《むか》えた。明らかに、以前に増して畏敬《いけい》の念と親しみが込《こ》められていた。
「酒を分けて貰《もら》えないか?」
ジョクは、ドレイクから下付された金貨を一枚出した、
「ハハ……そりゃ駄目《だめ》です。高すぎます」
「そうか?」
「何も知らないお方だから、騙《だま》してもいいんですかねぇ……」
そこに集まった十数人の兵たちが、ドッと笑った。
「俺《おれ》だって、ここで生活するんだ。釣りは欲しいな」
「ここには、騎士殿が口にするような酒はありません……おい! クッタン! カクバランの店に行って買って来い!」
「ハイッ!」
兵たちの背後に座り込《こ》んでいた少年が、ピョンと跳《は》ねると闇《やみ》の中に走って行った。
「すぐに戻《もど》ってきます。お届けしますよ」
「いや、待っている……いいよな。ここにいても……」
「そりゃ……」
小隊長らしい男が屈託《くったく》なくベンチを空《あ》けた。
テーブルには、カンテラがひとつ点《とも》されて、その光の中に夜食にまじって何本かの酒|瓶《びん》があった。
「……地上の軍隊の経験はないが、軍は勤務中は酒を飲まないぞ」
「そりゃ、ドレイク様がいらっしゃれば、酒は御法度《ごはっと》ですがね……ククク……騎士殿もいけないとおっしゃるので?」
その小隊長は、ドブルクと名乗った。
「いや……それほど堅《かた》く考える方じゃない。ここの者は夜明しなのだろ?」
「はい……聞かせていただきたいもので……地上の話を……」
「ああ………何を聞きたい?」
ジョクは、兵たちに聞かれるままに地上の話をした。それは、ジョクの気持ちを十分にほぐす役割をした。
買って来て貰《もら》った酒を兵たちに振舞《ふるま》い、ジョクもかなりの量を飲んだ。
しかし、酔《よ》ったあげくに自室に戻っても、掌と腕《うで》に残る殺人の嫌悪《けんお》感は消えなかった。
「くそっ!」
ジョクは、一人|呻《うめ》いて瓶に残った最後の酒を呷《あお》った。
それこそジョクにとって、とどめの酒だった。
一気に酔《よ》いがこみ上げて来る。
「クッ……!」
ジョクは掌を擦《す》り合わせるようにして、ベッドに転がった。
「美井奈《みいな》……」
美井奈とのセックスの時の感触《かんしょく》を思い出そうとした。ベットリと掌に吸い付いた美井奈の肌《はだ》の感触を思い出して殺人の嫌悪《けんお》感を消したいと思った。
ジョクは、両の手を股間《こかん》に抱《だ》くようにして、遮二無二《しゃにむに》擦り合わせた。
『あ……認められたのか?』
そんな中で、突然《とつぜん》、ジョクは兵たちとの歓談を思い出した。
しかし、それも掌に沸《わ》き上がってくる嫌悪感を忘れさせはしなかった。
酔いが、ジョクを短い眠《ねむ》りに誘《さそ》ってくれた。
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12 強《きょう》 獣《じゅう》
ドーメは快調に飛んだ。
ジョクは、高度百メートルほどから目にするコモンの世界の景観が、見れば見るほど中世のヨーロッパそのままだと思った、勿論《もちろん》、ジョクの持っている知識の範囲《はんい》内でそう思うだけである。
『大体、今のヨーロッパは日本と違《ちが》って昔《むかし》のまんまに保存しようとしているもんな。あえて中世って言うほどのこともないか……』
ジョクは、そういった雑なセンスも持ち合わせていた。
ジョクを乗せたオーラ・ボム、ドーメの飛行は心地好い、明らかにバイロットの気分を反映して飛行しているのだ。
搭乗者《とうじょうしゃ》の気分が爽快《そうかい》だと、オーラ・マシーンのオーラを吸入する性能が高くなるようなのだ。飛行も軽くなる。
そのために、ドーメの飛行を見れば、パイロットとクルーが旨《うま》くやっているかどうかが分ってしまう。技術だけではカバーできない。
『こっちの気分をみんな見抜《みぬ》かれてしまうってのは、厭《いや》だな……』
ジョクは、プラットホームの足下からコックピットを覗《のぞ》いた。
ジョクのドーメには、メカニック・マンのマッタ・ブーンとコ・パイロットのキチニ・ハッチーンが同乗していた。
この一週間の訓練で、彼等《かれら》はジョクのファンになっていた。
殊《こと》に、マッタ・プーンは、ジョクのオーラ係数がバーンよりも高いと言って喜んでくれた若者である。
「内緒《ないしょ》ですよ。そんなことがバーン様に聞えたら私は嫌《きら》われます。気位《きぐらい》の高いお方ですから。尤《もっと》も、ガラリア様のほうがもっと手強《てごわ》い相手ですけれどね」
「そうだな……」
そんな内緒話をできるようになった事がいっそう仲間《なかま》意識を育てた。キチニも共に笑ったものだ。
「強獣《きょうじゅう》です!」
第一発見者のガラリアの声が無線を通してジョクのドーメに伝えられた。それをコックピットのマッタ・ブーンが、ジョクに伝えてくる。
ショットは、鉱石ラジオに似た簡単な無線機を開発してドーメに搭載《とうさい》していた。勿論《もちろん》、性能は悪いが、ショットにはこれ以上の無線を開発する意思はなかった。
「できるからと言って、異常に進んだ文化を与《あた》えるのは良くない。大体、オーラ・ボムだってオーラ・バトラーだって、作って良いものだとは思っていない。これは、必要悪だ。私がこの世界で生きていくためのな? アの国が生きていくための必要悪でもあるが……」
「……? そう信じたい……な」
ジョクは言ったが、ショットは、それには答えなかったものだ。
ガラリアは、三機の中でもいつも一番高度を取った。バーンはそれを嫌《きら》いながらも、制止することはなかった。
「危険な目に会って、命を落とすのもガラリア自身だ。彼女の判断に任せればいい」
それが騎士《きし》たちの考え方の基本なのだ。
そのガラリアはドーメの機体を揺《ゆ》すり、上昇《じょうしょう》した。
「…………?」
ジョクは、実際の強獣《しょうじゅう》を見ていない。不安になった。
バーンはガラリアとは違《ちが》って、ドーメを木々の梢《こずえ》スレスレに降下させた。
ジョクは一瞬《いっしゅん》迷って、自分のドーメを上昇させた。
視線をガラリアのドーメの前方に向けて、その空域と地上に目を走らせた。
「……あれか?」
森と平原の間の、湿地帯《しっちたい》に見える処《ところ》に動くものを見つけた。
ガラリアは、機体を一直線に降下させた。
「…………!」
本物の強獣《きょうじゅう》を見たことのないジョクは迷った。単純に、強獣を見たいという衝動《しょうどう》と、どのように危険なものなのか分らないといった雑然とした思いが、ジョクの行動を鈍《にぶ》らせた。
バーンのドーメが湿地帯《しっちたい》の上空で旋回《せんかい》しようとした。
と、ガラリアのドーメが二本のフレイ・ボンムを発射した。
ドオッ!
炎《ほのお》の色が、地を這《は》い、湿地を抉《えぐ》った。
バーンのドーメが左右に揺《ゆ》れて、森の近くで機体を上昇《じょうしょう》させるや、一気に接近してガラリアのドーメを掠《かす》める。
その間に、ジョクのドーメが降下した。
「あれか!」
トリケラトプスに似た恐竜《きょうりゅう》の形が見えた。それが土色のしぶきを上げながら湿地帯を走っているのだ。
「まさかっ……!」
そんな言葉は、なるべく言うまいと決心をしていたのだが、口から出てしまった。
恐竜というよりは獣《けもの》のイメージが強い。それは、二本の角《つの》を持ち、沼地《ぬまち》に足を取られながらも森の中に駆《か》け込《こ》もうとしているように見えた。
「ズガスーンだっ!」
キチニの叫《さけ》びが、コックピットから上がった。
ドーメのフレイ・ボンムは、森をわずかに舐《な》めて数本の木を炎上《えんじょう》させていた。
「騎馬《きば》隊?」
ジョクは森を掠《かす》めながらも、木々の下に幾《いく》つかの騎馬隊と歩兵の群を見つけた。
ガラリアとバーンのドーメは、再度|並《なら》ぶようにして、その強獣《きょうじゅう》に接近しようとしていた。味方の騎馬隊と見たのは、ジョクの錯覚《さっかく》なのか?
ガラリアのドーメは、再度、フレイ・ボンムを発射した。
「バーン様がガラリア様に攻撃《こうげき》をやめろと言っています! 下にいるのは、味方の騎馬隊です!」
マッタが、ハッチから顔を覗《のぞ》かせてジョクに報告した。
「そうかっ! しかし、強獣がいるからには、強獣を操《あやつ》るガロウ・ランがいるはずだ!」
「そのはずです! 騎馬隊が掛《か》かっているのです! ギィ・グッガの強獣軍の一部のはずです!」
ジョクはその説明を聞きながらも、森を背にする形になって、ズガスーンと呼ばれる強獣の前に出た。
ギィ・グッガの軍は、数|匹《ひき》の強獣を単位にして、攻め込《こ》む一団だと言うのである。つまり、各種の強獣を戦車のように前面に立てて進行する軍なのだ。
その実体は、この一匹のズガスーンを見ただけでは分らないが、炎《ほのお》を見て逃《に》げる強獣の動きは素早《すばや》かった。頭が森の木々の間に消えてしまった。
「チッ!」
ジョクは、フレイ・ボンムのアームを前方に展開して、一瞬《いっしゅん》、ドーメの機体を滞空《たいくう》させた。
「来ますっ!」
キチニの声が上がった。
ジョクは振《ふ》り向いた。
バハバッ!
その音は、波の音に似ていた。
「うっ!」
「ハバリーだっ!」
数|匹《ひき》と言えば良いのか? 数頭と言えば良いのか? ともかく、獰猛《どうもう》な感じの鳥に似た獣《けもの》が急速に接近して来た。
「ハバリー?」
ジョクは、教えられている知識を動員する暇《ひま》はなかった。その鳥は、頭に派手《はで》な羽根を植え込《こ》んでいたが、その全体は鷹《たか》に似ている。
生臭《なまぐさ》い空気が震《ふる》えた。翼《つばさ》がジョクのドーメを打った。
中の一頭が、ジョクを狙《ねら》ったのは明らかだった。ジョクはプラットホームの下に上体を屈《かが》めた。
ドーメが大きく揺《ゆ》れて傾《かたむ》いた。
「うっ!」
ハバリーの全長は七メートル。翼を広げると二十メートルを超《こ》える。翼は羽根でなく、一種の被膜《ひまく》で構成されている。
ババリーの猛禽《もうきん》類そのものといった眼《め》が、ジョクの網膜《もうまく》に焼き付いた。
「六匹だった……」
確信はない。森の木と接触《せっしょく》する寸前にドーメを水平にしながら、ジョクは七匹のハバリーが旋回《せんかい》するのを見た。
「撃《う》つぞっ! キチニッ!」
「はっ!」
ジョクは、機体を水平にしたまま、ハバリーの正面に向けた。
ハバリーの方も得体《えたい》の知れない獲物《えもの》の様子が分ったのか、今度は、その眼光をまっすぐジョクに向けて来るように見えた。
「この!」
ハバリーの眼光が、ジョクの胸に嫌悪《けんお》感をこみ上げさせた。
ジョクは、プラットホームのバーに設置されたトリガーを引いた。
フレイ・ボンムが四本同時に火を噴《ふ》いた。
バヴン!
その内の二本が一|匹《ぴき》のハバリーに当り、あっという間に火を噴いた。翼《つばさ》から燃えた。
「やった!」
「一撃《いちげき》だっ!」
コックピットから若者たちの歓声が上がった。
プラットホームのジョクは、別のものを見て息を呑《の》んだ。
「あいつっ!」
ジョクは、一匹のハバリーの上に人影《ひとかげ》を見つけた。
それは、ハバリーの首の部分に跨《またが》って手綱《たづな》を握《にぎ》っていた。
「なんだっ!」
まさか、鳥に人が乗って操《あやつ》っているとは思っていなかった。
「……あれが、ギィ・グッガ!?」
短絡《たんらく》な思考であるが、そう思わざるを得ない威圧《いあつ》感を感じたのである。
「これは教えてくれなかった!」
ジョクは、一瞬《いっしゅん》、何も教えてくれない人々を呪《のろ》った。人は常識として知り過ぎている事を他人に教えるのは不得手《ふえて》である、という事は分る。しかし、ジョクは、そうののしらずにはいられないほどのショックを受けたのだ。
「くそっ!」
ドーメを右に廻《まわ》した。
三匹のハバリーが翼《つばさ》をはばたかせて、ドーメの上方に回り込《こ》んだ。
ジョクはようやく、その太い脚《あし》に二本の鋭《するど》い爪《つめ》を見つけて、自分に一瞬《いっしゅん》に観察する力のないのを呪《のろ》った。
「下だっ!」
ジョクは叫《さけ》びながら、プラットホームのバーのスティックを引いた。ドーメの機体は、急速に降下して、ハバリーの爪の攻撃《こうげき》を避《よ》けた。
が、それが精一杯《せいいっぱい》だった。次のハバリーの翼がジョクの掴《つか》まるバーを打った。ジョクは、体をハッチからコックピットに落とした。生臭《なまぐさ》い空気がコックピットを満たした。
「狙《ねら》えっ!」
ジョクは言いつつ、コックピットのスティックを握《にぎ》った。機体が、下から突《つ》き上げられた。
木にぶつかったドーメが跳《は》ねた。
その瞬間《しゅんかん》、ジョクは、木々の間に、トリケラトプスに似たズガスーンの頭を見つけた。
「撃《う》てっ!」
「ハッ!?」
キチニだ。
「撃つんだよっ!」
ジョクはコックピットの窓から、四本のフレイ・ボンムの光が伸《の》びるのを見た。
それは、梢《こずえ》を薙《な》ぎ払《はら》いながら、ズガスーンの頭に集中した。
「う?」
ジョクはその見事すぎる結果に目をみはったが、感動している暇《ひま》はない。今は、上空を飛翔《ひしょう》するハバリーの群の方が問題なのだ。
「バーンとガラリアはっ!」
ジョクは叫《さけ》びながらも、第二波の攻撃《こうげき》の時に見たハバリーに乗った人の憎悪《ぞうお》に燃えた眼《め》を忘れてはいなかった。彼の乗ったハバリーは、あきらかにババリーの群の指揮を取っていた。
あの男を撃《う》たない限り、ハバリーの群は去りはしないだろう。
「バーン様です!」
マッタが叫んだ。バーンのドーメがハバリーの攻撃に参加したのだ。
「よしっ! ガラリアはっ!」
「左! 後ろっ!」
ジョクは、強獣《きょうじゅう》の肺《はい》の被膜《ひまく》を乾燥《かんそう》させて作ったという透明度《とうめいど》の酷《ひど》く悪い窓|越《ご》しに、周囲を一瞥《いちべつ》した。
「上昇《じょうしょう》する! 周囲、警戒!」
ジョクはスティックを力|一杯《いっぱい》引き、自分の意思をドーメのコックピット一杯に発散するように叫んだ。
ドーメには、ひどく雑な照準器しかない。
ジョクは、正面左に位置するアームをなるべく正面に持ってきて、下に見え始めたハバリーの群に向かって射撃《しゃげき》するつもりだった。
バーンとガラリアのドーメが、左右からフレイ・ボンムの帯を発射した。赤い火の球が沸《わ》き上がった。一|匹《ぴき》、撃墜《げきつい》である。
「撃つぞっ!」
「はいっ!」
キチニの緊張《きんちょう》した声が上がった。フレイ・ボンムの管理も彼の任務である。
ジョクはトリガーを引きながら、アームの調整をするスティックを操作する。
照準を合わせていくのだが、当然、敵のハバリーはフレイ・ボンムの帯を見て避《よ》ける。その避ける方向を予測して、攻撃《こうげき》するというのはファミコン・ゲームそのままである。
ファミコンが、実戦的でないのは繰《く》り返しが利《き》くことと、プレーヤーが撃墜《げきつい》されることがないことだ。
しかし、今は違《ちが》う。
襲《おそ》われるリスクを背負《せお》った時、ファミコンのように余裕《よゆう》をもって対処《たいしょ》することはできない。
大体、無制限に発射ボタンを押《お》すことは許されないのだ。
ジョクは、フレイ・ボンムを回避《かいひ》される度《たび》にドーメの震動《しんどう》が激《はげ》しくなっているのに、気がついていた。
「墜《お》ちろっ!」
ジョクは、群れ飛ぶハバリーの群の五つの影《かげ》に向かって、フレイ・ボンムを乱射した。
「…………!」
ようやく一|匹《ぴき》が、ジョクのフレイ・ボンムに当り翼《つばさ》を燃やして落下し、その煙《けむり》が森の中に吸い込《こ》まれていった。
その時になって、四匹のハバリーが大きく展開して、後退する気配《けはい》を見せた。
「ジョク様っ! やりましたっ!」
マッタとキチニの歓声は、ジョクにはくすぐったかった。
「様ってつけるのは、やめて欲しいんだよな……」
ジョクは、口の中で言った。
左右からバーンとガラリアのドーメが、接近してくるのが見えた。
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13 ガラリア・ニャムヒー
「兵がいるっ!」
「兵がいようといまいと構うものかっ! それだけの失敗をした!」
バーンは、ガラリアの頬《ほお》を打った手をヒラリと返すと、ガラリアに背を向けて、戦死者の遺体を積み上げた馬車の方に向かった。
ジョクは、ガラリアがショート・カットの髪《かみ》に手をつっ込《こ》んでかきむしるのを見ながら近づいた。
「……きつい人だな」
「自分が一番正しいと思っているのさ。森の中に味方の隊がいるとは思えなかった。そうだろう? 強獣《きょうじゅう》は一頭だったんだぞ!? ギィの軍団がいると誰《だれ》が思う? まして味方の騎馬《きば》隊がいるなどとは――」
やや吊《つ》り上がった眼《め》が、いつにも増してきつくなった。ジョクは、夜叉《やしゃ》のようだと思った。
『若いのに、なんだってこんなに頑張《がんば》っているんだ?』
そう思いながら、ジョクは言った。
「誰だって間違《まちが》いはある。殊《こと》に、初めてのオーラ・ボムの戦闘《せんとう》だ。宙を移動しているものから地上のものを見るのは、バーンが言うほど簡単なことじゃない」
「本当にそう思うか? 地上人《ちじょうびと》?」
ガラリアは大きく息をついて、髪を掻《か》き上げた両の手を払《はら》った。
「思うさ。ガラリアが軽率な部分もあったが……」
「……ン……」
ガラリアはジョクが驚《おどろ》くほど素直《すなお》に頷《うなず》いてみせた。そして、溜息《ためいき》をつきながら周囲の様子を見た。兵たちはドーメの整備、怪我人《けがにん》の世話、夜営の設営と忙《いそが》しく、誰《だれ》もジョクとガラリアを見ていなかった。
「ガラリアはバーンが嫌《きら》いなようだな。なんか、もともと家の問題とか因縁《いんねん》が深いようだが……?」
「同じ騎士《きし》同士だ。問題はない。私は女の騎士を蔑視《べっし》する風潮が嫌いなだけさ」
「……そりゃ、地上だって同じだよ。しかし、国によっては女性が男と同じに働くことを認めている。その分、男がだらしなくなっているがね」
「あんたも女が騎士をやるのは厭《いや》なのか?」
「……まあ、そうだが、俺《おれ》の国では女たちも男と同じに働いている。気になるのは、女が男と同じになると、男がだらしなくなることさ。俺は、戦争の時代を知らないから分らないが、戦争は男がやるもので、戦争がなくなると男は何をして良いか分らない動物になってしまうように思うんだ。男は平和な時代では生きていけない動物らしい……」
ジョクは、同じことをしつっこく言った。ガラリアは戦友である。どこかで仲良くしておいた方が良いと考えているのだ。
が、ガラリアは、別のことを言った。
「地上世界では戦争がないのか? そりゃ変だな。国があれば、戦争の種は尽《つ》きないはずだ。人がいれば家を興《おこ》し、家がまとまれば国を支配したがるのが人間というものだ」
ジョクは、整備兵を乗せた馬車が自分のドーメの前に停《とま》るのを見て、その方に歩み出した。
マッタとキチニがドーメから身をのり出して、整備兵を指揮し始めた。
「戦争を続けている国もあるが、俺《おれ》の国では、四十年以上戦争がない」
「本当か? それでは天国ではないか。まさに、地上世界はバイストン・ウェルの上にあるものだ」
ガラリアの言葉は、コモン一般の常識である。
「天国ねぇ……。全部が全部、いい処《ところ》じゃない」
ジョクはそう話しながら、神話の世界でも神々の抗争劇《こうそうげき》が延々《えんえん》と描《えが》かれていることを思い出していた。
『……人間って、絶対平和の世界を構築したくとも、いつも、敵を想定しないと生きていかれない動物なのかな……?』
そう思ったが、そうではないだろうとも思う。
『悪がなければ善は見えない。暗くなければ輝《かがや》くものが見えない。だから、いつも暗いものを想定しなければならないって……そう考えるのか? メフィストフェレスは、どんなレベルであれ存在するってことか?』
が、ジョクは、そう思いながらも別のことを言った。
考えていることを上手《じょうず》に口にする事はできないと思ったし、またこんな落ち着かない場所で、まだよく分らないガラリアと混《こ》み入った話はすべきではないとも思ったからだ。
「俺の国では、戦争そのものが悪だというのさ」
「フフフ……ジョクが言う男と女の役割があるのならば、それでは、男がいらない世界になってしまって、女は困るな?」
「そうだが……ヘー、俺の言う男女に関する一般《いっぱん》論をガラリアは認めるのか?」
「話は分る。そんなに頭の堅《かた》い女ではない」
ガラリアは、ひとしきりジョクのドーメの整備を見て納得《なっとく》したのだろう。自分のドーメに向かった。
ジョクはかすかに迷ったが、ガラリアの後について行った。
「……だがな……」
「私は、国の長《おさ》として立ってみたいのだ。国を守るためにも、その長にならなければ好きにはできないだろう?」
「野心家なのだな? どういう国作りをしたいのだ?」
「男を使ってみたいだけさ」
ガラリアは自分のドーメの前に立って、ジョクを振《ふ》り向いた。ひどく蠱惑《こわく》的な光が切れ長《なが》の眼《め》の中にあった。
「平和のためにか?」
ジョクは、その瞳《ひとみ》に惑《まど》わされて愚問《ぐもん》を発した。
「平和? 戦争がない世界のことか? それでは、生きている甲斐《かい》がなかろう? 生きるということは戦うことさ。戦わなければ、生きていけない」
「土地を耕し、物を売るためには、平和の方が良かろう?」
「それが、地上世界の考え方か?」
「まあ……基本はそうだ」
「バカバカしい。上地を耕すのは戦う勇気がないか、穀物を売って儲《もう》けたいと思っている賢《さか》しい人間のやることだ。商売は、金で国を買いたいと思っている輩《やから》がやる仕事だ。そうでなければ、戦いの危険は騎士《きし》と兵隊に任せて、金儲《かねもう》けだけをする卑怯《ひきょう》な人種だ……世界は、全《すべ》て戦いだよ」
「きついな。そうだろうけど……!?」
ジョクは、上体を引いた。ガラリアが、身を寄せてきたのだ。
「こういう話は難しくって厭《いや》だな?」
「……ああ……」
「私は本当は、好きな時に、男のチンポを並《なら》べてみたいって、な?」
言い終るやハハハハ……とガラリアは笑った。
「参ったな……」
「本気だよ。私は……」
「ウソだとは思えないけど、さ。……そうあっけらかんと言われると困っちまう……」
ガラリアは、中指を立てて頭を掻《か》いたようだ。
「だがな……。女で国の長《おさ》として立ちたいと思っているのは特別だな。最近の考え方だ」
「最近の?」
「ああ、コモンの世界だって昔《むかし》のことを考えれば、少し変って来た。この三百年は、新しい時代だと言われるようになった。ものを考える学問も出ている」
「俺《おれ》のように、地上世界から落ちてきた者が増えたとか?」
「それもあるな……地上人《ちじょうびと》が現われるのが増えたとは、歴史学者が言っていることだ。フェラリオがコモン世界に落ちる傾向《けいこう》も増えている……」
「フーン……どういうことかな?」
「そりゃ、学者の考える事だ」
ガラリアは、ジョクに身を擦《す》り寄せて言った自分の言葉を思い出して、ニーッと白い歯を見せた。
ジョクには、それが分った。
ジョクはガラリアのような騎士《きし》たちが、かなりラフな考え方をする、つまり、自分たちがなんで戦争をするのかといったことは考えないで、現状|肯定《こうてい》の世界に住んでいる人間である事を理解し始めていたので、それ以上の会話はやめた。
ガラリアとこんなに話ができただけで良しとしなければならない。戦友としての共感はわかち合ったはずだ。
「この世界に生きて行く上で参考になった。ありがとう」
「いや……たまには、地上世界の話も聞かせて貰《もら》いたいな」
ガラリアの尖《とが》った顎《あご》が揺《ゆ》れた。照れたようだ。
「……勿論《もちろん》さ。俺《おれ》は戦争に出るとは思っていなかった。今後、命が幾《いく》つあっても足りそうにないなら、なるべく自分の知っていることをこの世界に伝えておきたい」
「ジョクならば大丈夫《だいじょうぶ》さ?」
そう言ってヒョイと腰《こし》を捻《ひね》ったガラリアの仕草《しぐさ》は、妙《みょう》になまめかしかった。
「ありがとう………ハイストン・ウェルに落ちてから、ちょっと猜疑心《さいぎしん》が強くなっているから、自分のことも確信が持てないんだ……」
ジョクはガラリアがちょっと顎《あご》を上げて見下《みくだ》すようにする癖《くせ》を、悪い癖だと思いながら言った。
「大丈夫だよ」
ガラリアはまたそう言った。
「ドレイク様だっ!」
森の奥《おく》から、そんな声が聞えた。
「また、叱《しか》られるか……」
ガラリアは苦笑して、両の手で髪《かみ》を掻《か》きあげた。ジョクは自分のドーメの方に駆《か》け寄った。
近衛《このえ》軍団を引き連れたドレイクは、板鎧《いたよろい》を身につけたままである。
「バーン! ジョク! ガラリアッ!」
近衛軍団のマタバ・カタガンが騎馬《きば》を揺《ゆ》すって駆け寄った。
「ドレイク様がお召しである!」
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14 ガロウ・ランたち
その夜、ラース・ワウからは、河とふたつの町をおいた、八十キロほどの距離《きょり》にあるカワデム湖に面した街、アの国でも由緒《ゆいしょ》ある古い街、ツタラムにギィ・グッガの一団が侵入《しんにゅう》していた。
ドレイク・ルフトは、騙《だま》されたのである。
ジョクたちドーメが相手にした強獣《きょうじゅう》ハバリーの群による攻撃《こうげき》は、陽動《ようどう》作戦であった。
ツタラムには、強獣を引き連れないガロウ・ランだけの軍が押《お》し寄せたのである。
ギィ・グッガの軍団は、もともと地の者と言われるガロウ・ランたちの集まりである。
ガロウ・ラン。
彼等《かれら》は、コモン界とは判然と異なる他界、地の中の世界ボッブ・レッスに住むと信じられている。
ボッブ・レッスの住人ガロウ・ランたちは、自堕落《じだらく》で猜疑心《さいぎしん》にこり固まり、強欲《ごうよく》で、共喰《ともぐ》いに似た生活を続けて、コモン界に上がることはないと語り継《つ》がれていた。
しかし、フェラリオがコモン界に降り始めた頃《ころ》から、刻《とき》を同じくしてガロウ・ランが、コモン界に跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》し始めたのである。
それぞれの世界を区切っていた狭間《はざま》に綻《ほころび》びが生じたのである。
コモン界の博士たちは、ガロウ・ランがコモン界に出入りし始めた事実を確認しながらも、理由が発見できないまま、ボッブ・レッスとコモン界の狭間に、ガロウ・ランたちが逼塞《ひっそく》する界があるらしいと想像した。
フェンダ・パイルとかトゥムとかいう界である。
しかし、それらの説は、所詮《しょせん》、想像であって確認されてはいない。
なぜならば、真実を見極《みきわ》めようとした博士たちは、実地調査に赴《おもむ》いたまま帰ることがなかったからである。
ガロウ・ランに喰《く》われたか、ガロウ・ランの中に身を投じたとたんコモン界の理性などは失ってしまって、コモン界に帰ることを忘れたのであろう。
フェンダ・パイルもしくはトゥムと呼称される界は、ボッブ・レッスとコモン界がつながる破道《はどう》である。
ふたつの界をつなぐ道である。
フェラリオを産むクスタンガの丘《おか》が、コモンの世界に隣接《りんせつ》していながら、その場が存在しつづけているのは、嵐《あらし》の壁《かべ》がバリアーになってコモン界の人々を拒否《きょひ》しているからである。しかし、地へつながる道は違《ちが》う。
それは、地獄《じごく》に落ちる道のような存在であり、その破道《はどう》に近づいたガロウ・ランたちは、ボッブ・レッスに戻《もど》れずに怯《おび》えているのである。
それをトゥムと呼称することはできる。
そして、恐怖《きょうふ》から逃《に》げようとしてコモン界に間違《まちが》って這《は》い上がってきた者たちが、過去《かこ》には知らなかった光を見て逼塞《ひっそく》する場が、フェンダ・パイルと呼べないでもない。
フェンダ・パイルに這い上がったガロウ・ランたちは、地上世界に近い人の暮《くら》しを覗《のぞ》き、コモン界の人のオーラカを感じ始めた時から、強欲《ごうよく》というものを身につけ始めるのである。
逼塞《ひっそく》した者たちが目覚《めざ》めた時、その邪悪《じゃあく》な欲望が爆発《ばくはつ》するのである。
フェンダ・パイルという破道《はどう》の出口から飛び出す欲を持ったガロウ・ランたちは、コモン界に出てから、一挙にその狂暴《きょうぼう》さを開花させるのである。
かつて、バイストン・ウェルでは、その破道を越《こ》えるものはなかった……。
ギィ・グッガの軍。
それは、ドレイク軍では、強獣《きょうじゅう》を率《ひき》いる軍団と認識されていたが、その夜、ツタラムの街に侵攻《しんこう》したギィ・グッガの軍団は、ガロウ・ランだけの騎馬《きば》と歩兵《ほへい》の軍団であった。
夜の者たちの暗躍《あんやく》は陰惨《いんさん》である。
ツタラムの街にはドレイク軍七百がいたが、ショット・ウェポンが開発製造した小銃《しょうじゅう》は小隊ごとに一|挺《ちょう》あるだけで、あとは火縄銃《ひなわじゅう》と中世そのままの武装《ぶそう》であった。
その軍に三千のガロウ・ランの騎馬と歩兵が襲《おそ》いかかったのである。
彼等《かれら》は、闇《やみ》を味方にして地に伏《ふ》せ、湖の水を楯《たて》にしてツタラムに侵攻《しんこう》したのである。
ドレイク軍は、一挙に崩《くず》れて数少ない小銃《しょうじゅう》もガロウ・ランの手に落ち、ツタラムは、夜半には壊滅《かいめつ》した。
全《すべ》ての兵の左の耳が殺《そ》がれて、ツタラムの街の中央広場に山と積まれた。
ツタラムの街の男たちは、幾《いく》つかの街の広場に集められて、ガロウ・ランがドレイク軍から捕獲《ほかく》した小銃の標的となって殺された。
それは、ガロウ・ランたちにとって最大の余興であった。
引金を一回引くだけで、屈強《くっきょう》な男たちが血を噴《ふ》いて倒《たお》れるのである。しかも悶絶《もんぜつ》する男の急所を一撃《いちげき》すれば、即死《そくし》である。このような光景を見るのは初めての者たちである。
「ギッキギギキギッ!」
ガロウ・ランたちの嬌声《きょうせい》が厚い闇《やみ》を揺《ゆ》すった。
「手前《てめえ》たちっ! 男を残しておけってっ!」
そう叫《さけ》ぶのは、ガロウ・ランの女戦士たちである、
彼女たちは、嬲《なぶ》りものにする男たちがいなくなることを恐《おそ》れて、戦友の男たちの遊びをやめさせるのに必死になった。
ガロウ・ランの女たちは、ツタラムの街の男たちと同衾《どうきん》し、その男たちの陰茎《いんけい》が勃起《ぼっき》するのを待って斬《き》り落としたりした。
大体、虜囚《りょしゅう》になった男たちは勃起するものではない。
しかし、ガロウ・ランの女たちは、そのような男たちには、彼女たちが知っている催淫剤《さいいんざい》を陰茎に塗《ぬ》って勃起させるのである。ガロウ・ランの女たちは、両の手で催淫剤《さいいんざい》を男たちに塗《ぬ》り込むことを面白がり、 弄《もてあそ》んだ。
その上で、女たちは自分たちを満足させることを要求した。しかし、ガロウ・ランの女たちには十分ということがない。果てしないのである。
その結果、女たちは満足させてくれなかったと言っては、勃起《ぼっき》した陰茎《いんけい》を斬《き》るのである。
充血《じゅうけつ》した肉棒を斬り落とすと、信じられないくらいの血が噴《ふ》き出す。それが面白いのだ。
夜明けになって、その淫乱《いんらん》な行為《こうい》は一層|激《はげ》しくなった。
石畳《いしだたみ》の広場に並《なら》べられた五十を数える半裸体《はんらたい》の男たちは、股間《こかん》を屹立《きつりつ》させて慟哭《どうこく》した。
その股間のものを掴《つか》んだ女たちは、一方の手に持った刀でそれを殺《そ》ぎ落とすのである。噴出《ふんしゅつ》した血が斬った女を濡《ぬ》らし、女たちは足を踏《ふ》み鳴らして喜ぶのだった。
ガロウ・ランの女たちにも、こんなことが飽《あ》きるまでできるのは、そうそうないことであった。
次々と男たちの絶叫《ぜっきょう》が広場に響《ひび》いた。
しかし、奇妙《きみょう》なことに、捕われの人の中には、仲間《なかま》のそんな惨劇《さんげき》を見て、その股間のものをより高くそそり立たせるものもいた。
こんな虜囚《りょしゅう》は、ガロウ・ランの女兵にとって、格好のいじめの対象になった。
その勃起したものを叩《たた》き、しゃぶり、あげくの果てには、その勃起したものに革紐《かわひも》を括《くく》りつけて広場を引き回すのである。
腰《こし》を前に付き出した半裸体の男が駆《か》け出す様は壮絶《そうぜつ》だった。その男は、仲間の血で汚《よご》れた石畳の上で足を滑《すべ》らせて転び、その勃起《ぼっき》したものの皮を革紐《かわひも》でひき剥《は》がされた。
「ギァハハハッ!」
女兵たちは腹を抱《かか》えて笑い興じた。
その挙句《あげく》に、その勃起したものを叩《たた》き斬《き》ってののしるのだ。
「こんなもの、喰《く》いものにもならん!」
「こんなもんでコモンの女が満足するものかっ!」
「喰わせてやれ! 自分の物の味を分らせてやんなっ!」
ガロウ・ランの女兵士たちは、斬ったものをその男の口に捩《ねじ》り込《こ》むのである。
一物《いちもつ》を斬り取られた劇痛《げきつう》に身をよじる間もなく、凶器《きょうき》でロをこじ開けられ、血塗《ちまみ》れの自分の一物を押《お》し込められた男は悶絶《もんぜつ》する。
しかし、意識の残った者の中には、抵抗《ていこう》するものもいた。
「舐《な》めんじゃないよ! この面《つら》っ! もう男じゃないんだろう!」
女たちは、そんな男の頬《ほお》に凶器をぶち込むと、両方の頬を一気に斬り裂《さ》いたりした。
女兵士たちでさえこのありさまである。
男たちが占領《せんりょう》地でやることは、地上の古今《ここん》の戦いの歴史に見られた事と同じであった。
老人と赤ん坊《ぼう》はその場で殺され、女たちは一人残らず裸《はだか》に剥《む》かれて強姦《ごうかん》された。
その宴《うたげ》は朝になってもやまず、輪姦《りんかん》されて股間《こかん》が切り裂かれた女たちはうち捨てられ、逃《に》げる気力のある女は騎馬《きば》隊の慰《なぐさ》み物になった。
投げ槍《やり》の目標になって惨殺《ざんさつ》され、馬の蹄《ひづめ》にかけられて泥《どろ》のように打ち捨てられるのである。
コモン界のオーラの光が、ツタラムの望楼《ぼうろう》をほんのりと明るく浮《う》かびあがらせる頃《ころ》になると、市門《しもん》の左右には幾《いく》つもの柱が立ち並《なら》んだ。
血に塗《まみ》れた女たちが、股間《こかん》や口にその柱を喰《く》わえさせられた。
そして、広場には腹を裂《さ》かれ胎児《たいじ》を引き出された妊婦《にんぷ》の遺骸《いがい》が転がったりもした。
ツタラムの住民たちの血は、街の傍《かたわ》らの美しい湖に流れ込《こ》んで、水面を朱《あけ》に染めた。
「あとひと揉《も》みでラース・ワウだな?」
ツタラムを占領《せんりょう》したガロウ・ランの軍団の大将、ビダ・ビッタは、いましも十四、五歳に見える少女の中に気をやってから言った。
「ええいっ! 若いのは股《また》の使い方も知らん!」
ビダ・ビッタは、自分の一物《いちもつ》をその少女から引き抜《ぬ》こうとしたが、
「おう! それを貸せっ!」
ビダは、傍らで壷《つぼ》から酒を浴びるようにして飲んでいる男の腰《こし》から鎧通《よろいどお》しを引き抜いた。
「可愛《かわい》がってやったんだ、少しはいい思いをさせろっ! 女っ!」
ビダ・ピックは、鎧通しの切っ先を、背骨の浮《う》き出たか細い少女の背中に振《ふ》り下ろしたのである。
「ゲッ!」
股間を斬り裂かんばかりの暴力の上に、さらに少女は凶器《きょうき》を肺腑《はいふ》に受けたのである。
「クックククッ! 多少は締《し》まるか?」
ビダ・ビッタは、再度少女の背中に凶器を突《つ》き立てながら、少女の体が自分の股間から離《はな》れないようにした。このようなことには巧妙《こうみょう》なのである。
少女は、背中と股間《こかん》から血を溢《あふ》れさせながら絶叫《ぜっきょう》した。
「いいなッッッ!………ヌッッ……。今夜はここで休んで、明日の朝一番で移動するぞっ! 聞いてんのかっ!」
突然《とつぜん》、ビダ・ビッタは、喚《わめ》く少女の声に負けない大声を張り上げた。
「おおっ! 明日の朝、発進だな!」
生け贄の男女の血と体液に溢れる広間のどこからか返答が沸《わ》き上がった。
ビダ・ビッタにすればそれで良かった。
所詮《しょせん》、ガロウ・ランの軍団である。なるようにしかならなかったし、これで結構うまくいっていると思った。
「ええいっ! キャアキャアうるさいっ!」
ビダ・ピックは、自分の一物《いちもつ》を咥《くわ》えさせていた少女にとどめの一撃《いちげき》を加えると、少女の全身が硬直《こうちょく》する時の少女の股間の味にしばらく身を震《ふる》わせた。
そして、自分の一物を引き抜《ぬ》くとケロリとして立ち上がった。
「片付けろっ!」
それは、足枷《あしかせ》をはめられたツタラムの虜囚《りょしゅう》の仕事であった。
ビダ・ビッタは、少女の血と体液に濡《ぬ》れた一物を手で拭《ぬぐ》うと、皮の下穿《したばき》きをはき、腰《こし》には太いベルトをした。
そして、酒に漬《つ》けた干肉《ほしにく》を頬《ほお》ばりながら、自分の行く手を邪魔《じゃま》する男たちを払《はら》い除《の》けながら外に出た。
ビダ・ビッタが占拠《せんきょ》した建物は、ツタラムの庁舎に相当するものである。ツタラムの行政の中心であるから、街全体を掌握《しょうあく》するのは易《やさ》しい。
その前の広場では、未だ陰惨《いんさん》な宴《うたげ》が続いていた。
「全く、明るいところでよくやる……」
ビダ・ビッタは、朝の気が払《はら》われた広場で、若いガロウ・ランたちがやる股裂《またさ》きゲームを見やった。
ビダ・ビッタにはそういった理性があった。理性というよりは好みというべきかも知れない。
「おいっ!」
ビダ・ビッタは、手にした鎖《くさり》を振《ふ》って、その先についた鉄球を庁舎の壁《かべ》にぶち込《こ》んだ。
「ヘッ?」
近くで女の股間《こかん》に杭《くい》を打ち込み、眼球を抉《えぐ》る遊びをしていたガロウ・ランの若者たちが、跳《は》ねるようにしてビダ・ビッタに近づいて来た。
六人である。
「手前等《てめえら》っ! 聞こえねぇとは言わせねぇぞっ!」
ビダ・ビッタは、庁舎の陰《かげ》で太った女の腹の脂肪《しぼう》を殺《そ》いでいた若者たちに向かって、その鉄球を投げた。鉄球をつけた鎖は壁の角で曲って、太った女の山のような乳房《ちぶさ》に当った。
「ギャボッ!」
すでに気絶していた女が、最後の絶叫《ぜっきょう》を上げる間に、三人の若いガロウ・ランが跳ね飛んで来た。
「よーし! ラース・ワウを落とせば、お楽しみはズッと続けることができるんだ! 少しは我慢《がまん》てぇもんを覚えなくっちゃ、一生いい目に会うことは適《かな》わねぇぞ」
これも、ビダの理性が言わせた言葉である。
「コモンの女は、ボッブ・レッスの女のように腐《くさ》っちゃいめぇ? ああ?」
「ああ! いい! ここの女たちは、肉がプリプリしてよ」
「体が保《も》たねぇのが難《なん》だけど、いいよ!」
「そりゃ、男だってそうだ。女たちはそう思っている! 嬉《うれ》しがって俺《おれ》たちには見向きもしねぇ」
ビダ・ビッタは言った。
「あれらは、コモンの男が可愛《かわい》いみてぇだ」
若者の一人がロを尖《とが》らせた。
「そうだ。それが悔《くや》しいか? なんならコモンの男のようにヤワになってやれや!」
ビダ・ビッタの言葉に、若者たちがドッと哄笑《こうしょう》した。
「だからよ、今、あれこれするのもいいが、明日も戦争だ。ちょっとばかし辺りを調べる! 馬を持って来いっ!」
「へいっ!」
ビダ・ビッタの命令に三人の若者が跳《は》ねた。
「手前《てめえ》は、モドドを捜《さが》してこいっ」
「どこに居るんで?」
「捜せねぇようならば、あの女のように手前《てめえ》の尻《けつ》の穴に、柱の一本もぶち込《こ》んでやるっ!」
「へっ! へへへへっ!」
その若者は卑屈《ひくつ》な笑いを残して、庁舎の中に駆《か》け込《こ》んでいった。
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15 発 進
ドレイク・ルフトが、ツタラムの街の全滅《ぜんめつ》を聞いたのは、ビダ・ビッタが、馬に跨《またが》ってツタラムの街の周辺の偵察《ていさつ》に出ている頃《ころ》であった。
「全滅《ぜんめつ》だと?」
「ハッ……! 無念ながら……」
その言葉を最後に息を引き取る兵もいた。
ツタラムから、命からがら逃《に》げ出してきた兵は五十を超《こ》えていた。それらの兵の話を総合した結果、ギィ・グッガの軍団の全容は知れた。
しかし、占領後の街の惨状《さんじょう》については、正確には知りようがなかった。かろうじて、街が完全に占拠《せんきょ》されたらしいということが判明しただけである。
「どうなさいます……」
ドレイクの傍《かたわ》らに座したマタバ・カタガンが沈痛《ちんつう》な声で聞いた。
無論、聞くまでもないことである。
しかし、こうも簡単に自軍の動きを読まれて、ギィ・グッガの主力と見られるビダ・ビッタの軍に機先を制せられたのである。
この屈辱《くつじょく》を呑《の》む時間が、マタバ・カタガンは欲しかったのである。
「……街の全滅《ぜんめつ》の仕方が問題だな……。ガロウ・ランの一軍に占拠されたのならば、生き残るものはいまい……。しかし、まだ残った部隊が伏《ふ》せ、住民たちも抵抗《ていこう》を続けているとなれば、ドーメをうかつに動かすわけにはいかん……。軍を動かす以外ないか……」
ドレイクは、幕舎《ばくしゃ》の前の机《つくえ》の上に広げた地図に、朝のオーラの光で木立の影《かげ》が落ちているのを見つめるだけだった。
微動《びどう》だにしない。
「ツタラムに入ったのが本隊か……?」
ややあって、ドレイクが言った。
「いえ、ツタラムに入ったのがガロウ・ランだけの部隊だとすれば、ギィ・グッガの本隊の強獣《きょうじゅう》軍団は、間違《まちが》いなくこの森の前方に終結[#集結と思われ]しつつあります。
グランキャの谷です。
ここならば、前に平原をのぞみ、強獣の餌《えさ》には不自由しません。つまり、ギィがツタラムに出ることはあり得ないのです。我が軍は、間違いなくギィに正対いたしております」
マタバの傍《かたわ》らに座す将官が、自分の部下の差し出す地図と照合しながら、最も新しい情報をドレイクの地図の上にエンピツで書き加えていった。
地上のエンピツよりは粗雑《そざつ》な出来であるが、濡《ぬ》れても消えず書き込《こ》んだ後でも消すことができるその筆記用具は、このコモン界では新奇な道具として珍重《ちんちょう》されていた。
新奇な道具とはいっても、その歴史は二百年を超《こ》えるようで、コモン界では文物の進歩にしても地上よりゆったりと進むらしかった。
「……フム……この森を突破《とっぱ》されれば、ラース・ワウまでひと揉《も》みか……」
ドレイクは、ようやく事態を納得《なっとく》したようだった。
机の上に置かれた冷《さ》めた茶を口にしてから、小麦粉をダンゴ状にしたチッタと呼ばれるものをロに入れた。さらに、干肉《ほしにく》をひと齧《かじ》りする。
「バーン以下のドーメ隊を呼べっ!」
ドレイクは己《おの》れの禿頭《とくとう》を撫《な》でると、ドーメの部隊が駆《か》けつける間に、またチッタを口にして、茶を喫《きっ》した。
「ドーメ隊、参りましたっ!」
バーン・バニングス以下、ガラリア・ニャムヒーとジョクこと城《じょう》 毅《たけし》。それに搭乗員《とうじょういん》たちが、若々しく、赤味のさす頬《ほお》を見せて居並《いなら》んだ。
ドレイクに呼ばれるのを待っていたという風である。
「ン……ツタラムの街の件は聞いていよう……」
ドレイクは、マタバに現在までの状況《じょうきょう》を説明させた。
その間にも、さらにツタラムの街を脱出《だっしゅつ》してきた瀕死《ひんし》の兵士が馬に引きずられるようにして本陣《ほんじん》の森に入って来た。
「ツタラムで逃《に》げられなかった者は、全《すべ》てガロウ・ランたちの慰《なぐさ》み物になって殺されました……じ、自分は、ドレイク様にこの事を報告しなければならないと考えて……街の住人を見殺しにして来ました……」
一同は黙《もく》した。
「マタバ!」
ドレイクの命令で、その兵は、マタバの部下の近衛兵《このえへい》によって止《とど》めを刺《さ》された。それは、ジョクがガロウ・ランに対してやった止めとは意味が違《ちが》うようだった。
「…………」
「……そういうわけである。我輩《わがはい》は三機のドーメで、このツタラムの街に入った軍を駆逐《くちく》できるならば、たとえツタラムの街が灰燼《かいじん》に帰《き》そうとも耐《た》える。掛《か》かってくれ……」
ドレイクは、王に似合わない悲痛な声でバーン以下のドーメ隊に命令した。
「ハッ!」
バーンは、短く答えると踵《きびす》を返した。
ジョクは、そのドレイクの姿を目の端《はし》に捕《とら》えながら、バーンに倣《なら》って自分のドーメに駆《か》け戻《もど》って行った。
「ガラリア!」
ジョクは、左手前に駆け込《こ》んできたガラリアに聞いた。
「ドレイク様はどうしたのだ?」
「……ああ、ツタラムの街な、きれいな街なのだ。その街が、今のお館様《やかた》の奥《おく》様の故郷《ふるさと》だからな……」
ガラリアは、クスッと笑ったようだった。
「何がおかしい?」
「そうだろう? これは戦争だ。ドレイク様は、甘《あま》いよ」
ジョクは、ガラリアの意見を、とても個人的なものだと感じた。毒があるのだ。ジョクは答えなかった。
『つっぱってんだよな……この女。歳《とし》を聞いておけばよかった……』
ジョクは、ドーメに駆け寄ると一気にその周囲を見て回った。見た目に不都合な処《ところ》はないようである。強獣《きょうじゅう》の鳥、ハバリーの攻撃《こうげき》を受けてへこんでいるところはあったが、機能的、強度的な不都合はなかった。
「……いよいよ本当の戦争か……」
ジョクは、強獣相手では戦争と実感できなかったのである。
あれは、バイストン・ウェルの世界が持つセンス・オブ・ワンダーの一種という感覚なのだ。
「マッタッ! 敵は、機関銃《きかんじゅう》とか大砲《たいほう》などで武装《ぶそう》してはいないのか?」
「なんです?」
彼には、ジョクの言っている意味が分らないようだ。
「ギィ・グッガの軍には、ドーメを撃《う》ち落とせるような武器はないのか?」
「……! ああ! ギィの軍には飛び道具は、弓矢ぐらいしかないようです!」
「本当だなっ!」
ジョクは、コックピットに登るステップに足を掛《か》けて言った。
「ハバリーだけですっ! 問題なのはっ!」
「ンッ!」
ジョクは、コックピットに三|挺《ちょう》の小銃《しょうじゅう》が置いてあるのを確認したものの、弾丸《たま》のスぺアが少ないのを心配した。しかし、補充《ほじゅう》には二日待たなければならない。
「行くぞっ!」
ジョクはコックピットの窓から、バーンがコックピットの上のプラットホームに立って、上昇《じょうしょう》の合図を送って来るのを見た。
ジョクも自機のプラットホームに上がり、ガラリアの機がオーラ・ノズルを噴《ふ》かし始めたのを目の端《はし》で見て、
「オーラ・エナジー! 上昇! 確認っ!」
「確認っ! エナジー係数、良好っ!」
コックピットに入った二人の若者の顔が、ジョクの足の下の丸いハッチから顔を覗《のぞ》かせて、反復した。
ブブッ!
軽い震動《しんどう》と共にドーメの機体が浮《う》いた。左右の木々の梢《こずえ》が揺《ゆ》れた。
ジョクは、その梢の下に赤いマントをひるがえすドレイク・ルフトの毅然《きぜん》とした姿を認めた。
遠目《とおめ》には、先程見せた逡巡《しゅうじゅん》の色はどこにもなかった。
「よしっ!」
ジョクは一人、気を引き締《し》めるようにして顔を上げた。
先行する二機のドーメの丸い機体を追いかけるように、自機のパワーを上げていった。間違《まちが》いなくジョクの意思に反応してドーメの機体が踊《おど》った。
ドーメの装甲板《そうこうばん》に当る強獣《きょうじゅう》の甲羅《こうら》そのものにも、人のオーラ・パワーを感知する性能があるように思える。
「ショットが、全部を俺《おれ》に説明しているとは思えないな……」
ジョクは、バーンと話したことをかすかに思い出していた。
ビダ・ビッタは、湖に流れ込《こ》む河に沿って馬の歩を進めながら、自分の跨《またが》っている馬の額《ひたい》についている角《つの》を引き抜《ぬ》いたら面白かろうと思った。
「この戦争が終ったらやってみるか?」
「ハァー?」
ビダの背後についていた若者が、ビダの独白に体を乗り出した。
「関係ねぇよっ!」
ビダは反射的に怒鳴《どな》ったかと思うと、突然《とつぜん》、笑い出した。
「……! ヘーっ! ヘッヘヘヘヘッ、フワッハハハハ!」
ビダは、自分の思いつきが気に入って、顔|一杯《いっぱい》をロにして天に向かって笑った。ビダのご機嫌《きげん》が良いのを見て、周囲の若者たちも安心して身を揺《ゆ》すった。
こんな時は、ビダの腰《こし》にぶらさがっている鎖《くさり》が突然飛んで来ることはない。
「ラース・ワウは、ドレイクの城だな?」
ひとしきり笑ったビダが、またも突然《とつぜん》、背後の若者たちに向かって吼《ほ》えた。
「へ──っ……!?」
「今、ドレイクは城から出ていると言ったな?」
「へ──っ……!」
「城の中は、まるで空《から》か? そうではあるまい?」
ニタニタ笑うロの端《はし》から涎《よだれ》が流れた。ビダはそれを手の甲で拭《ふ》いた。
「へ──っ……!」
「つまりよ、ラース・ワウには、ドレイクの身内がいるって考えた奴《やつ》はいるか?……いねぇな? ハハハハハハッ! だから、ガロウ・ランって、コモンの奴等《やつら》からバカだって言われんだよっ!」
さすがに、最後は真顔《まがお》になってビダは言った。
「ギィ・グッガ様は、もう少し時間が掛《か》かる。万一の時のことを考えれば、ここは一番、ラース・ワウから人質《ひとじち》を取っておくってのも悪くねぇ」
「人質?」
若者たちには意味が分らないようだ。
「分んなくっていい! いいか! ドレイクの身内だ。親がいりゃ、子がいる理屈《りくつ》だろ。だからよ、ラース・ワウに潜《もぐ》り込《こ》んでドレイクの身内をさらって来い。ただし、だ。人質だぞ? 女だってそいつの股《また》を広げちゃあなんねぇ。噛《か》みついてもなんねぇ。ただ、掴《つか》まえてくるだけだ。この仕事ができる奴がいるか?」
「女をやっちゃあいけねぇってのが解《げ》せねぇな……?」
モドドが、多少考え深げに言った。
「人質《ひとじち》が分んねぇのか?」
「難しかねぇか……?」
「バカがっ! 人質って言うのはな、なんかって時に使うために取っておくもんだ。いいか。モドド。手前《てめえ》が敵に掴《つか》まったとする」
「俺《おれ》は掴まんねぇ」
「掴まんだよ。掴まった時に、モドドと交換《こうかん》できる敵の大将がこっちにいてみろ。モドドを取り戻《もど》すことができるだろ?」
モドドは背後の若者を見やって、
「俺が掴まんのか?」
「話だけだろ? ンなら、分る話のようだ……」
心もとない話である。
「全く……! いいかよ。そん時、交換できる敵の人間がいてみろ。なんかの時に助かる。それを人質って言うんだ。だから、人質に傷をつけたら人質になんねぇって、そういう大事な話があるんだ!」
ビダは、忍耐《にんたい》強いようだ。
「……分んなくっていいから、ラース・ワウからドレイクの子供か女、ドレイクの親でもいい。そんなのを掴まえて、生きたまま俺のところに連れてくるんだ。出来た奴《やつ》には、他の女を五人やる!」
「女五人?」
「ああ、ズッとやれる女を見つけてやる」
「……くれた女は死ぬまでそばに置いていいんですか?」
「当り前だ。尤《もっと》も、コモンの女が黙《だま》ってお前の側にいるとは思えんがな……?」
ガハハハ! と周囲の男たちが笑った。
その大きく開いたロから覗《のぞ》く歯は、黄色に汚《よご》れて半分も残ってはいない。それでも地上で言えば、青年という若さであるようなのだ。
「笑えよっ! キッヘヘヘッ! やりますぜ。敵の女の股倉《またぐら》を好きにしちゃあいけねぇってのが分らねぇが……今は、我慢《がまん》しますぜ。大将」
「いいぞっ! テッテア! 好きな連中を連れて行って来いっ!」
テッテアと呼ばれた青年はケヘヘヘヘッと笑うと、馬の脇腹《わきばら》を蹴《け》った。
その姿を見届けると、ビダもまた馬を進めた。
テッテアの率《ひき》いる騎馬《きば》隊が、ツタラムの市門《しもん》を出た頃《ころ》、その街道の上空を横切ったものがあった。
ジョクたちの三機のドーメである。
ドーメが発する音響《おんきょう》は、テッテアたちガロウ・ランが初めて聞く奇怪《きっかい》なものであった。
「オオッ! なんだっ!」
テッテアの頭で考えられるのは、大きな鳥という程度のものである。
ツタラムに向かって飛翔《ひしょう》するその姿に、不安がかすめたものの、テッテアは街を後にして、まっしぐらにラース・ワウに向かった。
半分は恐怖《きょうふ》を追い払《はら》うため、半分は好きにできる女が手に入るというので夢中《むちゅう》になっていたためである。テッテアの騎馬隊は、ドーメの第|一撃《いちげき》がツタラムの街に落ちる前に、街道沿いの杉《すぎ》に似た木々の間に姿を消していた。
ドーメ隊が地上数メートルを飛翔して、ツタラムの街に接近したのは、ジョクの発案であった。
バーンもガラリアも、空を飛んで敵の占領《せんりょう》する街に侵攻《しんこう》するのは初めてである。
基本を知らなかった。
ショットが書いた操縦の基本手引きはあったが、戦闘《せんとう》に際しての細かい教本ではない。
ジョクは、映画、小説で見知った知識をもとにしてバーンに提案した。
「敵地に侵入《しんにゅう》する時に、高度をとっては敵に見つかりやすい。一気に敵地に侵攻して攻撃《こうげき》を掛《か》けるためには、低空侵攻が条件だ。これは、地上で長い間研究された、飛行機の侵攻方法だ」
こんな簡単な理由で、プライドの高いバーンもガラリアも納得《なっとく》した。
ジョクの受けた飛行訓練が初歩的なものにすぎないという理解は、まだ、バーンにもガラリアにもできなかった。
空を飛んだことがあるという事実だけで、ジョクはこのコモンの世界、アの国では、エリートなのだった。
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16 ドーメの殺戮《さつりく》
ジョクは、ツタラムの街の城壁《じょうへき》にそって並《なら》んだ柱を見つけた。
それは、血にまみれた半裸《はんら》の遺体の列だ。
「……………?」
ジョクは、その形が分り、その状態を目にして、言葉が出なかった。
想像を絶するものを見た時、理性は、その状態がなぜ現われ、なぜあるのか理解できない。錯乱《さくらん》するだけのようだ。
コックピットにいる二人の若者の方は、はっきりと絶叫《ぜっきょう》を上げていた。
「街の連中が……!」
「なんてっ……!」
その怒《いか》りはすさまじかった。ドーメが、プラットホームに立つジョクを振《ふ》り落とすような勢いで揺《ゆ》れた。二人の若者の意思が強力にドーメに作用したのだ。二人の意思は、ドーメの機体を降下させようとした。
ジョクは、慌《あわ》ててドーメのスロットルを引いた。
「駄目《だめ》だっ! うかつに降下するなっ!」
ジョクは、プラットホームの操縦|桿《かん》を押《お》しやりながら他の二機のドーメを見る。
『……まずいな……』
ジョクは自分の感覚が一瞬飽和《いっしゅんほうわ》し、ドーメの揺《ゆ》れで初めてパイロットとして反応していたことに舌打ちをした。
自分の現代人的な感覚のヤワさ加減に気がついたのだ。
郷《ごう》に入っては郷《ごう》に従えという諺《ことわざ》の意味は、その土地の人の反応に合わせないと危険だという意味である。その諺の意味を儀礼《ぎれい》的なものとしてとらえるのは、人間が肉体的に常に危険にさらされているという状態が少なくなった近代の理解の仕方である。
現代人の感覚で理解できない現象に遭遇《そうぐう》して、理解できるまで待ってくれ、と言うのは無菌《むきん》文化の中で育った人間の発想なのだ。
眼前の現象が正しいか正しくないか、歪《いびつ》か歪でないか、そんなことを考えている暇《ひま》はない。それが今、ジョクが直面している現実なのである。
『これでは、俺《おれ》は死ぬな……』
バーンとガラリアのドーメの反応は、ジョクのドーメのコックピットに立つ若者たちと同じかそれ以上に早かった。
すでに、ドーメを急降下させながら、街の広場に向かって攻撃《こうげき》姿勢をとり始めていた。
その素早《すばや》い飛行を見れば、二人の頭にどれだけ血が昇《のぼ》っているか分る。
ジョクもドーメを街の広場に向けながら、その広場を中心にした全体を視界に入れようとした。
敵の全軍の動静というか、布陣《ふじん》を見ようとした。
コックピットに立つ若者よりは、少しでも冷静でありたいと欲したからだ。
が、高度を三十メートルまで取った時、ジョクの目は厭《いや》でも城壁《じょうへき》に並《なら》ぶ無残な柱の光景を見てしまった。それが、先行するバーンとガラリアのドーメが叩《たた》きつけたフレイ・ボンムの明りを背景にしてくっきりと浮《う》き上がった。
「冗談《じょうだん》じゃないよっ!」
ようやく、眼前にある光景にシンクロしたジョクの怒《いか》りの言葉が出た。
「これが戦争だって言うのか……!?」
ジョクは、多少|不謹慎《ふきんしん》な現代的日本人の一人である。SM雑誌も知っていれば、日本人特有のいい加減さも持っていた。が、股間《こかん》に棒を打ち込《こ》まれた全裸《ぜんら》の女性や、手脚《てあし》をもぎ取られた子供の体が空中に浮いている光景を想像したことはない。
日本人と言えども、このようなSMの光景を想像する人はいないだろう。
「ガロウ・ランの仕業《しわざ》なのかっ!」
「そうです! こりゃ、ギィです! ガロウ・ラン以外にやれる奴等《やつら》はいません!」
マッタ・ブーンがコックピットの丸いハッチから叫《さけ》んだ。
ジョクは、広場の向うに見える馬の群を狙《ねら》って、二基のフレイ・ボンムを発射させた。
その時、ツタラムの南の市門《しもん》の下では偵察《ていさつ》から帰ったビダが、フレイ・ボンムの炎《ほのお》を息を詰《つ》めて見上げていた。
もう少し、馬を早く走らせていたら、得体《えたい》の知れない空飛ぶ物の炎《ほのお》に焼かれていただろう。
「なんだあっ!」
ビダは、市門の下で馬を横に倒《たお》しながら地に伏《ふ》せる姿勢を取った。
炎の後には、数十人の仲間《なかま》の黒い死体があった。
その体から立ち昇《のぼ》る煙《けむり》を見ながらも、ビダは建物の屋根に隠《かく》れていくドーメの丸い形を見上げた。
生きているようには見えないものが飛んでいる!
そのショックは、ジョクが城壁《じょうへき》に並《なら》ぶ惨殺《ざんさつ》死体を見たとき以上である。ビダは、半ば開いた口から涎《よだれ》が流れ、顎髭《あごひげ》を汚《よご》すのも気がつかなかった。
それは、ツタラムの街の一角で虜《とりこ》にした街の男たちを弄《もてあそ》ぶガロウ・ランの女兵たちも同じであった。
鳥には見えない形をしたものが、翼《つばさ》でもない四本のアームを泳がせながら飛ぶのである。
「何、騒《さわ》いでいるんだ?」
広場が攻撃《こうげき》されるのを見なかったガロウ・ランの兵士たちの反応である。
「……それよりさ、なんだよ?」
斬《き》り落とした男の生殖器《せいしょくき》をその男の口に捩《ねじ》り込《こ》んでいた女兵が不安そうに言った。
旋回《せんかい》したドーメが、またも炎の帯を空に描《えが》いた。
それが、自分たちに迫《せま》るように見えた時、彼女たちは動揺《どうよう》して、自分たちの得物《えもの》を捜《さが》した。
三機のドーメは、街の広場で晒《さら》しものになっている虜囚《りょしゅう》の姿を見つけた。庁舎前の広場は十分に焼き払《はら》われてはいないために、まだ血の海が残っていた。
バーンはその色を見て、怒《いか》りがむやみに高まるのを承知していた。
「見える敵を狙撃《そげき》しろ!」
「街の人がっ!」
「全員殺されたと見えるっ! 容赦《ようしゃ》するなっ!」
「ハッ!」
そんな短いやりとりが、コックピットの搭乗《とうじょう》員とプラットホームのバーンの間であった。
バーンは、広場に残った血の海の上を逃《に》げまどう敵に向かってフレイ・ボンムを発射した。
プラットホームのバーに備えつけられた原始的な照準器の中に、それらの敵の姿が炎《ほのお》に巻き込《こ》まれるのが見えた。
「即死《そくし》できるだけでも、有難いと思えっ!」
バーンは市庁舎の屋根スレスレに飛び、さらに、ドーメの機体を捻《ひね》って路地《ろじ》の間に敵の姿を捜《さが》した。
「チッ!」
屋根の間から白い裸体《らたい》がバタバタと舞《ま》い上がった。哀《あわ》れな被害者《ひがいしゃ》が、まだなぶりものにされているのだ。
「こんな時になっても遊んでいるのかっ!」
バーンは、その全裸《ぜんら》の肢体《したい》が生きている甲斐《かい》のない状態になっていると知ると、ドーメを急転直下させ、その路地を一本のフレイ・ボンムで掃射《そうしゃ》していった。
バーンは、空に舞《ま》った白い肢体も間違《まちが》いなく狙撃《そげき》したと確信した。
フレイ・ボンムは、バーンの怒《いか》りそのままにかなりの時間、路地《ろじ》から路地に掃射《そうしゃ》をし続けた。
ガラリアも同じだった。殊《こと》に、串刺《くしざ》しになった被害者《ひがいしゃ》のほとんどが女性であったことが、ガラリアの嫌悪《けんお》感を激発《げきはつ》させていた。
ガラリアのドーメは、街の屋根と塔を舐《な》めるように飛び、人の形と見ると狙撃《そげき》した。
「こんな敵が、コモンにいちゃあいけないんだっ!」
ガラリアは、ののしり続けた。
城門の下に身を寄せているビダたちガロウ・ランは、そんな攻撃《こうげき》で、いつまでも地に伏《ふ》しているような輩《やから》ではない。
勿論《もちろん》、中には、建物の陰《かげ》に身をひそめるような意気地《いくじ》なしもいたが、それはそれで彼等《かれら》の特性である。
が、自分に向かって敵意を剥《む》き出しに襲《おそ》いかかるものに単純に反応するのもガロウ・ランである。
ビダ以下の男たち女たちは、ドーメが三機だけと知ると攻撃したい衝動《しょうどう》に駆《か》られた。ドーメの実態などを考える癖《くせ》はない。
彼等は、ドーメを空飛ぶ強獣《きょうじゅう》の一種と納得《なっとく》したのだ。
フレイ・ボンムの炎《ほのお》が遠のくと、ビダ以下の戦士たちは、地を蹴《け》って建物の陰《かげ》から飛び出し、塔に、市壁《しへき》に、駆《か》け上がった。
彼等は、ドーメのプラットホームに立つパイロットを見つけて、矢を射《い》、槍《やり》を投げた。
ジョクは、数本の矢がコックピットの周辺に当るのを見た。
「…………!」
ゾッとした。銃《じゅう》の弾《たま》ならば見えないが、矢は撥《は》ね返されて見えるのである。ドーメを上昇《じょうしょう》させながら、ジョクはコックピットに滑《すベ》り込《こ》んだ。
「攻撃《こうげき》して来た! あんなものでドーメを落とせると思っている」
ジョクが苦笑してみせたのは、若者たちに自分の怯《おび》えを気取《けど》られないようにするためだ。
「でも、火薬だって使うはずです」
コ・パイのキチニ・ハッチーンが用心深くジョクの指示を促《うなが》した。
「そうか……。では、一番|手強《てごわ》そうな敵の集団を捜《さが》せ!」
「はいっ!」
ジョクのドーメは降下した。街の赤いレンガ色の屋根が迫《せま》った。その中には幾《いく》つかの塔があった。塔には宗教的な意味はない。個人の財力を誇示《こじ》するものである。
その塔の一角に伏《ふ》せたガロウ・ランの一団は、接近したジョクのドーメに向かって、火箭《ひや》を放った。
火薬が括《くく》りつけてある。その数本がドーメに当って、バッと弾《はじ》け、ドーメの機体を揺《ゆ》すった。
「こいつ等《ら》っ!」
ジョクは、花火でドーメを落とそうとした敵の戦士たちにカッとなった。
それは、生れて初めて殺されるかも知れないという恐怖《きょうふ》とないまぜになった怒《いか》りだ。
ジョクはドーメを滞空《たいくう》させるようにして、四角の塔のベランダに三本のフレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》した。
塔の上部が炎《ほのお》に包まれて、石の破片とフレイ・ボンムのガソリンが小さな炎になって飛び散った。
それは派手《はで》なショウに見えて、威力《いりょく》はそれほどではないのだが周囲に対する牽制《けんせい》にはなった。その塔の下の道路、路地《ろじ》、広場からドッとガロウ・ランの戦士たちの集団が逃《に》げ出すのが見えた。
「追うぞっ!」
ジョクは、湧《わ》き出るガロウ・ランの群に向かってフレイ・ボンムの掃射《そうしゃ》を続けた。
ジョクは背中を向けて眼前を走る戦士の群に炎《ほのお》の帯を叩《たた》きつけながら叫《さけ》んだ。
「もっと他に強力な敵はいないかっ!」
二人の若者は意味が分らなかったようだ。ジョクは、二度同じことを叫んだ。
「馬ですっ! 騎馬《きば》隊が出ます!」
「それだっ! よしっ!」
ジョクはドーメを反転させて、キチニの指し示す街道の方角にドーメの正面を向けた。
「ウッ!?」
ドーメの機体が揺《ゆ》れた。
「うわっ!」
『敵の攻撃《こうげき》!?』
ジョクは冷汗《ひやあせ》を感じながらも、機体を立て直そうとした。
「周囲の監視《かんし》をちゃんとしろっ!」
ジョクは怒鳴《どな》った。
窓の向うでバーンのドーメが上昇《じょうしょう》した。ドーメ同士で接触《せっしょく》したのだ。バーンのプラットホームのバーが歪《ゆが》んだ。
「申し訳ありませんっ!」
窓からバーン以下のクルーが怒鳴《どな》っているのが見えた、その声が鉱石ラジオを通してかすかに伝わった。
「すまないっ! バーンっ!」
ジョクは、怒鳴《どな》ると遁走《とんそう》を始めようとしている騎馬《きば》隊をフレイ・ボンムの炎《ほのお》で包んでいった。一挙に十数騎の騎馬が灰になった。
しかし、ビダたちの騎馬隊は別の方角に移動していた。
ツタラムの街の北の森の陰《かげ》に集結し、最後の抵抗《ていこう》を試みようとした。
ラース・ワウの城攻めに使う予定の弩《いしゆみ》を使って、ドーメを狙撃《そげき》しようというのである。
「ガダの束《たば》をあれを目掛《めが》けて撃《う》てっ! ひとつでも当れば、落ちるっ!」
ビダは、遁走《とんそう》する後続の騎馬隊がうまい具合にドーメ二機をおびきよせてくれているのを見て思いついたのである。
ガダは地上で言えば、ニトログリセリンに似た組成の火薬である。衝撃《しょうげき》を受けると爆発《ばくはつ》する。
またも街の出口に当る処《ところ》で、数十の騎馬隊がフレイ・ボンムの炎に焼き殺された。
「クソォッ!」
ビダは、つい先刻までの街での勝利の宴《うたげ》がウソであったように感じた。さらに、空を飛ぶ奇怪《きっかい》なものを弩《いしゆみ》で落とさなければ、後退せざるを得ないことも分っていた。
「よーし! 来るぞっ!」
ビダは、三基の弩が発射態勢を取ったのを見届けると、迫《せま》るドーメに目をやった。
確かに、ドーメは強獣《きょうじゅう》の一種ではない。しかし、翼《つばさ》がないものが飛ぶということが分らなかった。
『なんだよ……ありゃ……』
ビダは、頬《ほお》一面に生えた剛毛《ごうもう》を震《ふる》わせた。
二機の丸っこい形をしたものは、四本のクネクネと動く腕《うで》らしいものの先端《せんたん》から炎《ほのお》を噴《ふ》き出しながら接近し、最後の騎馬《きば》隊の一団を掃討《そうとう》し終った。
その空飛ぶものの動きが変ろうとした。
「テェェーッ!」
三基の弩《いしゆみ》が跳《は》ねるようにして、ガダの束《たば》を放出した。それは、小石をバラ撒《ま》くようにしてドーメの飛ぶ空に広がった。
ドッ! ドドッ!
ガダの爆発《ばくはつ》は巨大《きょだい》な爆煙《ばくえん》と閃光《せんこう》を発した。地に落ちたガダもまた土柱《つちばしら》を上げる。
「やったっ!」
ビダは、快哉《かっさい》を叫《さけ》んだ。
一機のドーメに当ったようだ。グラッとそのドーメの機体が安定を失うのが見えた。降下する。別の一機は街に向かって飛び去る気配《けはい》を見せた。
「畜生奴《ちくしょうめ》っ!」
ビダは、本能的に飛び出した。
降下した空飛ぶものを、近くで見られたら、それが何であるか分るかも知れないと思い付いたのだ。その中に敵の兵士がいれば、占領《せんりょう》した街から追い出された鬱憤《うっぷん》を晴らせるかも知れない。
数十の騎馬《きば》が、ビダの馬に倣《なら》って森|陰《かげ》を走り出た。思いはビダと同じなのである。
「オオッ!」
弱った獲物《えもの》に止《とど》めをさそうという勢いは、恐《おそ》ろしいものがあった。
ジョクは、ドーメの機体を安定させようとしながらも、ビダたちの騎馬《きば》隊が森から麦畑に飛び出すのを見ていた。
ドーメの神経|索《さく》の何本かが切れたらしい。殊《こと》に機体の下部にあるそれは、物理的に操縦をコントロールする神経索で、飛行機のワイヤーの働きをする。そのピッチング調整索がやられたとなると操縦は難しい。
風に煽《あお》られた。
ジョクのドーメは、決してビダたちの騎馬《きば》隊に向かって降下しているのではない。が、ジョクにはそう見えた。
「ええっ! 不時着《ふじちゃく》するぞ! 三、二、一!」
しかし、ドーメは一度機体を浮《う》き上がらせて麦畑を滑《すべ》り、何かにぶつかって跳《は》ねてから停止《ていし》した。
「銃《じゅう》を持って!」
コンソール・パネルに顔をぶつけるようにして、ジョクは背後の二人の若者を見た。
「ハッ!」
二人の若者は、床《ゆか》に転がった小銃《しょうじゅう》を手にし、そのひとつをジョクに渡《わた》してくれた。ジョクは、天井《てんじょう》のハッチを開いて上半身を覗《のぞ》かせた。
ビダの騎馬隊が森を背にして迫《せま》って来た。距離《きょり》は三百メートルと言った処《ところ》だろう。
「バーンとガラリアに掩護《えんご》を頼《たの》めっ!」
ジョクに命令されて、初めてキチニが無線のマイクにとりついたが、聞える距離《きょり》かどうか怪《あや》しい。
「バーンのことだ。気がついてくれるはずだ!」
ジョクは、自分自身を励《はげ》ますように言ってから、小銃の撃鉄《げきてつ》を上げ、正面の騎馬隊を凝視《ぎょうし》した。
彼等《かれら》は、麦の波を押《お》し分けてまっしぐらに迫った。
ジョクは、敵の騎馬隊の中から銃声《じゅうせい》が聞えないのに気がついた。と、パンパンという銃声がすぐ傍《そば》でした。
マッタ・ブーンが、ドーメの機体の脇《わき》のハッチから銃撃《じゅうげき》を始めたのだ。
「バカッ! 弾《たま》が届く距離《きょり》じゃないっ! よく見ろっ!」
ジョクは怒鳴《どな》ってから、初めて自分が多少冷静であることに気づいた。
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17 敵の顔
ジョクは、麦の穂波《ほなみ》の向うに迫《せま》る敵の獰猛《どうもう》な顔を見た。
まるで、出来の悪いハリウッド映画の悪役の集団だった。ジョクには、いかにも作ったという感じがするのだ。
確かに、ジョクは、今日までのアの国の生活で、バイストン・ウェルの世界を観念的に理解することはできるようになった。しかし、ツタラムの街の上空から見た光景のように、あまりにも地上の生活とかけ離れたものを見ると、平衡《へいこう》感覚が揺《ゆ》さぶられ、ジョクはそれを事実として受け入れる事を生理的に拒否《きょひ》した。
その感覚が、騎馬《きば》隊を見るジョクを、妙《みょう》に冷静にさせたのだろう。
その感覚は、日本の都市部で育った若者たちが一様《いちよう》に持つものだ。
わずか三、四十年前までは、日本にも疱瘡《ほうそう》(天然痘《てんねんとう》)の後のアバタを、顔|一杯《いっぱい》に残した人々がいた。苛酷《かこく》な農作業のために、腰《こし》が前に九十度も曲ったままの老人たちも珍《めず》しくなかった。それ以外にも、一般《いっぱん》的な皮膚《ひふ》病、身体的|疾患《しっかん》の後遺症《こういしょう》を残した異形《いぎょう》の人々は数多くいた。
一般《いっぱん》の人々も、それらの人の姿を見ることに慣れていた。そして、それらの異形《いぎょう》の人々の中には、身体的な欠陥《けっかん》を利用して、俗に言うハッタリを噛《か》ませるような種類の人々もいた。
ガロウ・ランの一統は、そのような異形の集団ではないのだが、それに類するすさまじさを持っていた。
長大な髪《かみ》を巻きこんで櫛《くし》で止めた巨大《きょだい》な男。異様に長い前歯に得物《えもの》を咥《くわ》えた男。顔一面がアバタに包まれて、眼《め》がどこにあるのか分らないような男。顔半分に朱《しゅ》を塗《ぬ》ったと思われる男。全くの無毛と見える白磁《はくじ》の肌《はだ》を持った女。耳の形が見えず脂《あぶら》で髪の毛をペッタリと撫《な》でつけた男。脂肪《しぼう》だけで顔も体も防備したと見える女。前に曲った上体を起き上がらせることができない女が、ノッペリとした若い肌を革鎧《かわよろい》の間から覗《のぞ》かせている……。
そのような集団を視界に捕《とら》えた時、ジョクのような感覚を持った若者が、その人々をマンガの中の悪人以上に酷《ひど》いものだと感じたとしてもやむを得まい。
敵を観察するというよりも、しばらくの間、ただ驚《おどろ》き、なす術《すべ》もなく見守っていた。
ビャッン!
矢がドーメの装甲《そうこう》に撥《は》ね返された。甲羅《こうら》を加工した装甲は、鈍《にぶ》い音しか発しない。
『くそっ!』
その音を聞いて、ようやくジョクは、これが現実だと知った。
自分のドーメが火薬で吹《ふ》き飛ばされ、自分は矢で射殺されるかも知れないと思った。
それは生理的反応ではなく、論理的に考えた結果である。そのような理性的反応では、人のリアクションは遅《おそ》くなる。
ジョクは苛立《いらだ》っていたが、迫《せま》り来る集団が持つ、極度に暴力的な力は感知する事はできた。
ジョクは、マッタが弾込《たまこ》めを終えるのを待って、号令した。
「撃《う》てっ!」
ジョク自身も、照星《しょうせい》の向うに角《つの》を持った馬体を捕《とら》えた。さらに馬上の騎兵《きへい》の体を捕えるや否《いな》や引金をひいた。
しかし、敵の騎馬《きば》が倒《たお》れるのを確認する間はなかった。
引金を引いた瞬間《しゅんかん》から、ジョクの頭と腕《うで》が、性急に次に狙《ねら》い殺すべき敵を求めたからだ。
照門《しょうもん》と照星の延長線上に敵を捕えて引金を引く。
あっと言う間に、六発の弾丸《だんがん》を撃ち尽《つ》くした。
敵の存在が具体的な恐怖《きょうふ》の対象となってジョクに知覚された。
「…………!?」
次の弾込めをしている間はないように見えた。
「バーン! ガラリアッ!」
ジョクは虚空《こくう》を仰《あお》ぎながらも、数発の弾丸を弾倉《だんそう》に突《つ》っ込《こ》んだ。
空に二機のドーメが直進して来るのが見えた。
が、それよりも麦の穂《ほ》を掻《か》き分けて迫るガロウ・ランの騎馬隊の方が早かった。
ジョクは弾込めをしている間に、落馬した敵の影《かげ》を見なかった事を思い返していた。
『駄目《だめ》だっ!』
そう思ったジョクは、数十メートルに迫った敵の騎馬隊を見て、四発の弾丸を発射した。
と、照星《しょうせい》の向うで、馬上に身を伏《ふ》せていた騎兵《きへい》の姿が消えた。
「やったかっ!?」
思いつつ、また弾丸《たま》を込《こ》める。
「……アッ!」
兵が乗っていないはずの先頭集団の馬が、一直線にドーメのアームに迫《せま》り、それを跨《また》いだ。
「…………?」
ジョクは、一発だけ弾込《たまこ》めをした。
その時、ドーメのアームを飛び越《こ》えた馬の向う側から、ガロウ・ランの騎兵の姿が鞍《くら》の上に現われた。
ビダたちは、馬の横腹に身を隠《かく》して接近したのだ。
ジョクは、銃《じゅう》をプラットホームのバーの間から下に向けようとして、バーにひっかけてしまった。
その問を狙《ねら》うようにして、馬の鞍を蹴《け》った男がドーメに取りついた。頭の天辺《てっぺん》から生えた髪《かみ》の毛を三つ編みにした男だ。口には、ナイフ状のものを咥《くわ》えていた。
「くそっ!」
ジョクは一発だけ弾込めした小銃《しょうじゅう》を撃《う》ったが、当らない。
三つ編みの男は、ドーメの装甲《そうこう》に貼《は》りつくようにして、登って来た。銃の音は男を怯《おび》えさせるどころか、かえって感情を逆撫《さかな》でしたようだった。
男は、ドーメの機体を這《は》い上がった。ジョクは銃の筒先《つつさき》でその男を突《つ》いたが、男は銃口《じゅうこう》を掴《つか》んでひっぱった。
「アウッ!」
ジョクは思わず銃から手を放して身を引いた。
男は口にナイフを咥えたまま、プラットホームのバーに手を掛《か》けると、背中に負った剣《けん》を抜《ぬ》き放った。
日本刀のような白い刃《やいば》ではないが、人の血を吸った金属の重さをジョクは感じた。
圧倒《あっとう》された。
ジョクは、バーに掴《つか》まったまま、その男の剣が空気を斬《き》る音を聞いた時、一瞬《いっしゅん》、肩《かた》をひいた。剣がバーに当って跳《は》ね、ジョクの右手が男の脇腹《わきばら》に当った。
ジョクに体を動かすセンスがなかったら、その剣の第二|撃《げき》で首を刎《は》ねられていたことだろう。
ブッ!
男の剣は横に走った。ジョクの髪《かみ》が束《たば》になって空に散った。
その圧力を頭蓋《ずがい》骨全体で感じながら、ジョクの口から息使いとも気合ともとれない音が発した。
「ブッッ!」
ジョクは、男の頬《ほお》に鉄拳《てっけん》を叩《たた》き込《こ》んでいた。
「バッフッ!」
三つ編みの男の口から唾《つば》と血が飛んだ。男の体がバーを軸《じく》にして回転した。
『やった!』
ジョクは、はっきり意識した。
殺される前に殺した。
そう正確に感じた時に、初めて敵の剣が空気を斬る音の怖《こわ》さを思い出していた。
ボクッ……と堅《かた》い音をたてて三つ編みの男の体がドーメの機体を滑《すべ》って麦畑に落ちた。
その時は、第二第三の敵がドーメに這《は》い上がっていた。
ジョクは銃《じゅう》を取って構えた。弾丸《たま》が入っていなくとも、殴《なぐ》る道具にはなると思ったのだ。また、一発だけ弾《たま》を込《こ》めた。
「来るなっ!」
ジョクは叫《さけ》びつつ、接近した男の顔を正面から撃《う》った。鼻が顔に陥没《かんぼつ》するように見え、白く透明《とうめい》なものが顔全休から飛んだ。そして、黒く見える血飛沫《ちしぶき》が男の落下を飾《かざ》った。
「殺すぞっ!」
ジョクは喚《わめ》きながら、バー越《ご》しに下を見回した。
そのジョクの白っぽくひきつった顔を、ドーメの下に取りついたビダは見た。
『餓鬼《がき》がっ!』
そう感じたが、そのひ弱そうな男が手にした小さな鉄の筒《つつ》がどんなに危険なものであるかは、昨夜の試射でよく知っていた。
ビダは、落ちてくる若者と共に、麦畑の中に転がり込んだ。ビダの上に乗った若者の体が死ぬ直前の痙攣《けいれん》を起こした。
『…………!』
ビダは、このまま機械の上に取りつくのは危険だと直感した。
どのようなレベルの集団であろうと、それを指揮するだけの資格のある男はどこか違《ちが》っていた。
ビダは機械の上の青白い男の挙動を観察しようと、麦畑に身を沈《しず》めたまま体をずらしていった。
鉄の筒をこちらに向けたひ弱そうな男の背後に、別の機械が降下するのが見えた。
「チッ……!」
ビダは舌打ちをして、尻《しり》で麦を掻《か》き分けるように後ずさった。ビダには、突撃《とつげき》の時の闇雲《やみくも》な激情《げきじょう》が一気に冷えていくのが分っていた。
ビダは肘《ひじ》を使って信じられない速さで麦の間を移動した。麦の穂《ほ》の間に、森の梢《こずえ》を見た。
バンッ!
大地と麦畑に炎《ほのお》が叩《たた》きつけられる音を感じて、ビダは息を止めた。そして、立ち上がると森に向かって走り出した。
「ウゥゥ……!」
獣《けもの》の息そのままである。
ビダの背後で、フレイ・ボンムの炎が音をたてて広がり、ビダたちとジョクのドーメの間を遮《さえぎ》った。
森に駆《か》け込《こ》んだビダは、ただ真直《まっす》ぐ本能に任せて走った。
ガロウ・ランの習性である。
指揮官だから、逃《に》げてはみっともないという発想はない。ビダを見つけた部下たちも何の不思議も感じずビダを追った。ガロウ・ランの集団では、大将が逃げる場合、それに遅《おく》れなければ生き延びられるという認識があった。そのような時に素早《すばや》い行動ができれば、後に、一軍の将になれるのだ。
ビダは、息が切れたところでようやく足を停《と》め、振《ふ》り返った。
自分の安全を確認するためである。そこで戦いを反芻《はんすう》する能力を持っているものは、多少の反省をし、そして、成功の道を掴《つか》む。
が、大方の兵は、恐《おそ》ろしかった経験の記憶《きおく》が薄《うす》れるまで身を震《ふる》わせて、息が整うのを待って、忘れるのだ。
バーンとガラリアは、決して長くジョク機から離《はな》れていた訳ではない。
バーンは、街に残って敵を掃討《そうとう》するガラリアを制止して、ジョクの不時着《ふじちゃく》した地点にすぐに戻《もど》って来たのである。その間に、ジョクは敵の騎馬《きば》隊の攻撃《こうげき》を受けた。
しかし、その時間はジョクにとって非常に長かった。
掩護《えんご》が来たと知った瞬間《しゅんかん》、あっと言う間に姿を消した敵の騎馬隊の素早《すばや》さにジョクは唖然《あぜん》とした。
バーンとガラリアのドーメが、ジョクのドーメの回りの麦畑を焼き払《はら》った時、ガロウ・ランの馬の姿は一頭もなかった。
ドーメの周囲には、ジョクたちが狙撃《そげき》に成功したガロウ・ランの遺体が数体残っているだけだった。
「……怪我《けが》はないようだな?」
ジョクのドーメに寄りそうようにして降下したバーンが声を掛《か》けてくれた。ジョクは、興奮《こうふん》したままの目を向けた。
「駄目《だめ》だ!……情けないほど気持ちが高ぶっている。状況《じょうきょう》判断ができない」
ジョクはドーメを降りて、自分が撃《う》ち殺したガロウ・ランの遺体を見ないようにしてバーンのドーメの下まで行った。
「初めての時は、誰《だれ》でもそうさ」
バーンは、ハッチから周囲を見回した。
「それにしては、良くやった。地上人《ちじょうびと》……!」
「そうか……」
「ガロウ・ランの姿を見るのも初めてなのだろう?」
バーンも焼け焦《こ》げた麦畑に降り立った。
「二度目だが、戦場では初めてだ」
バーンは、ジョクの肩《かた》を叩《たた》き、それから掴《つか》んだ。
「息だって、もう、もとに戻《もど》っている」
「そうか……」
ガラリアも駆《か》け込《こ》み、きつい眼《め》に多少、安心の色を見せた。
「銃《じゅう》の威力《いりょく》があったにしても騎馬《きば》隊を阻止《そし》した。初めての戦闘《せんとう》としてはたいしたものだ」
ガラリアが言った。
「ガラリアの言う通りだ。聖戦士《せいせんし》のように見えるぞ、ジョク」
バーンが微笑《びしょう》を見せた。
「聖戦士?」
「ああ、時代の英雄《えいゆう》だ……」
「そう、どこからか現われて国の危機を救い、そして、いずこにか去る。それが聖戦士だ」
「聖戦士……」
ロの中で反復しながら、ジョクは、薄《うす》ら笑いを浮《う》かべるバーンを見た。
「…………?」
「ああ……? ガラリアがジョクに優しい言葉を掛《か》けたのがおかしくてな」
「そうなのか?」
ジョクは、バーンの気持ちが分るような気がした。
ガラリアは、見た目には肩《かた》に力の入った女|騎士《きし》という印象しかない。しかし、ガラリアと口をきいたジョクは、ガラリアがそれだけの女ではないということを知っていた。
「わたしは事実を言ったまでだ。初陣《ういじん》では、小便を漏《も》らすのが関《せき》の山だと伯父貴《おじき》から聞いたのだ」
「そうなのだがな……」
バーンは総髪《そうはつ》をなびかせて、ジョクのドーメの方に歩み寄りながら言った。
「ああ! ガラリア! アリサ様がジョクに御執心《ごしゅうしん》のようだということは知っておいた方がいい」
「……? 私と関係があることかっ!」
ガラリアはつっぱねた。
「それは、違《ちが》う。バーンが勝手に……」
ジョクもバーンの唐突《とうとつ》な話題に慌《あわ》てた。戦場で持ち出すような話ではない。バーンは、ジョクのドーメの向うに姿を消した。ジョクのドーメの損傷状態を調べに行ったのだ。
残された形になったガラリアとジョクは、思わず顔を見合わせた。
「ここは、戦場だぞっ」
ジョクは、見えないバーンに叫《さけ》んだ。ガラリアがジョクに背をむけた。
「…………」
ジョクは、その姿を見送るだけだった、
「ジョク……!」
「ああ……?」
バーンはドーメの影《かげ》から出て来た。
「森の中を調べる。ガロウ・ランは弩《いしゆみ》を使ったらしい」
ジョクは、バーンに続いて森に向かいながら、ガラリアの方を振《ふ》り向いた。ガラリアは、自分のドーメの下に屈《かが》み込《こ》んでいた。革鎧《かわよろい》が、その大きな尻《しり》を隠《かく》していた。
ジョクは、バーンの背中を見て、森の中に入った。
「こいつだ。こいつで我々のドーメを狙撃《そげき》しようとした……ガダだ……油断ならないな」
バーンは、森の中に隠されていた三基の弩と火薬|弾《だん》の包みを見て言った。
ジョクは、初めて見る弩《いしゆみ》の巨大《きょだい》さと、なによりも素朴《そぼく》な構造が持つ力強さに圧倒《あっとう》された。
「なんか……こっちの方が威力《いりょく》があるように見えるな……」
それが実感だった。
ミサイルだ爆弾《ばくだん》だと言っても、その形から力を感じることはできない。
しかし、中世以前の巨大な武器は、素朴であるだけに直截《ちょくせつ》的にその力のありようを示す形をしている。それは、強直《ごうちょく》で、美しく見えた。
しかし、そのような感想は、戦士的でないと感じたジョクは、慌《あわ》てて付け加えた。
「安心はできないな。一度戦場で成功した戦術は、次の実戦では一般《いっぱん》的になる」
「ああ……空からの攻撃《こうげき》にも今まで以上の用心が必要になった……ドーメの数が問題になるな……」
「そういうことだ。戦闘要綱《せんとうようこう》も書き直す必要がある。仕事は増える一方だな……」
ジョクは呻《うめ》いた。
『都会育ちの俺《おれ》は、なにかこう、対応能力が劣《おと》っているって感じだな……』
ジョクは、喋《しゃべ》りながら、そう思っていた。
「三機のメカニック・マンはここに残して、ジョク腰の修理に当らせよう。我々は、ツタラムの街の整備に入る……」
「俺はここに残って、修理の指揮を取る必要があるんじゃないのか?」
ジョクは頑張《がんば》って言ったつもりだった。都会人の神経の脆弱《ぜいじゃく》さを見抜《みぬ》かれたくなかったからだ。
「いや、聖戦士《せいせんし》殿《どの》は、まだ戦場に慣れていない。それには……もっと体を戦場の空気に馴《な》らす必要がある。ツタラムの街の惨状《さんじょう》を見ておけ」
そういうバーンの声には、沈痛《ちんつう》な響《ひび》きがあった。
ジョクは、そういうものか、と思った。
同時に、ここは体験者の言うことに従った方が良い、都会人の脆《もろ》さを隠《かく》すために自分の主張を通すのは間違《まちが》いだろう、とも思った。
「……分った……行こうか」
ジョクは、応じた。
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18 荼毘《だび》の煙《けむり》
ガラリアは、ドレイク軍の先鋒《せんぽう》部隊を、ツタラムの街に導くために発進した。
「しかし、もうツタラムを固める必要はないな。ガロウ・ランの輩《やから》は、一度敗退した地点を奪還《だっかん》するような手間《てま》は掛《か》けない。ギィ・グッガは、本隊をグランキャに結集して力|押《お》しに押《お》してくるはずだ」
「そうか……」
「しかし、ツタラムの弔《とむら》いはしなければならない……」
「ああ……」
ジョクは、バーンのドーメに便乗してツタラムの街に降下した。
そして、広場に立って初めて、戦場に体を馴《な》らせと言ったバーンの言葉の意味が分った。
圧倒《あっとう》的な死体の山が、街全体を異様な空気で包む。それには悲惨《ひさん》な力があった。
「…………」
ジョクは、すでにガロウ・ランたちの死体を見ているのだが、馴《な》れたという処《ところ》まではいかない。殊《こと》に、日常的に見える街の建物を背景にして転がる無数の死体の列に、ジョクはまたも嘔吐《おうと》した。
麦畑のガロウ・ランの死体にも嫌悪《けんお》を感じたが、戦闘《せんとう》の直後で興奮《こうふん》していた。戦果という奇妙《きみょう》な言葉を頭に浮《う》かべながら、ガロウ・ランの死体を見たものである。
それ以外で、ジョクが知っている死体の山と言えば、社会科の時間に見せられた関東|大震災《だいしんさい》の時の焼け焦《こ》げた死体の山であり、第二次大戦の戦場の写真であり、広島、長崎の被爆地《ひばくち》の写真である。
それは歴史の中の光景でしかない。
テレビ報道で時たま見る映像などに戦場の生々《なまなま》しい光景もあったが、それでさえも、報道という枠《わく》の中のものだ。
現実に死体の転がる広場と路地《ろじ》を見て、ジョクは口の端《はし》に残る汚物《おぶつ》を拭《ぬぐ》うのも忘れた。
フレイ・ボンムで焼かれた遺体はまだ見るに耐《た》えた。黒く炭化《たんか》した遺体は、ものに近いからだ。
しかし、建物の中に残る、ガロウ・ランの手によって弄《もてあそ》ばれて惨殺《ざんさつ》された市民たちの遺体は、生々しい肉と肌《はだ》の色を見せて、ジョクは正視することができなかった。
嘔吐を繰《く》り返して、空《から》の胃を痛めた。
「これがガロウ・ランの顔だ……連中は、コモン界の人間に潜在《せんざい》的な恨《うら》みを持っている。この楽しみを手に入れるためにガロウ・ランは軍を組織した」
「デビルマンの世界じゃないか……」
「何?」
「悪魔《あくま》だ。そういう考え方はあるのだろう?」
「悪魔?……生れ出た時から悪《あ》しき者たち……それがガロウ・ランだ」
「そういうものだ、悪魔《あくま》って……」
「そうだ……悪魔だ。生きた人間を斬《き》り刻むことを楽しいと感じる生き物は、人の形をしているが人ではない」
「そうだな……」
ジョクは、胃液を唾《つば》と共に吐《は》き出した。
バーンは、まず城壁《じょうへき》に立てかけられた柱から街の人々の遺体を地に下ろす仕事を二人の部下に命じ、自らも剣《けん》を取って、遺体を掛《か》けた柱を倒《たお》していった。
「ジョク……」
「お、おう!」
「街の者で死にきっていない者たちもいよう。とどめを刺《さ》してやってくれ……」
ジョクは、バーンの言葉の意味を理解するのに多少の時間を必要とした。
「……とどめ? 要《い》るのか?」
「これだけ殺されている。死にきっていない者たちがいるはずだ」
バーンは、また、ひとつの遺体を下げた柱を剣の一閃《いっせん》で斬《き》り倒した。その柱で顎《あご》をつらぬかれた老人が、痛そうに石畳《いしだたみ》の上に落ちた。
「ああ!……小銃《しょうじゅう》を使っていいかな? 俺《おれ》には剣は使えない」
「やむを得ん。だが、できることならば、弾丸《たま》は大事にしてくれ」
「了解《りょうかい》した……」
ジョクは小銃を持って、一人、屍《しかばね》の街をさまようように進んだ。
死霊《しりょう》が渦巻《うずまく》く街は、静寂《せいじゃく》でありながら、奇妙《きみょう》にザワザワとする不気味な雰囲気《ふんいき》が感じられた。
「…………!?」
ジョクは、頭が動いたように見えた遺体に近づいた。路地裏《ろじうら》である。
数人の遺体は明らかに家族と知れる構成だった。首を毟《むし》り抜《ぬ》かれた幼児の遺体もあった。
「…………」
頭が動いて見えたのは、半裸《はんら》の十二、三歳の少女だった。
かすかに、瞼《まぶた》が動いたその少女は、片|腕《うで》がなく、股間《こかん》を裂《さ》かれて血に塗《まみ》れていた。それでもまだ絶命していない……。
「成仏《じょうぶつ》しろよ……」
ジョクは、生れて初めてそういう言葉を使った。
少女は人の気配《けはい》を感じたのだろう。かすかに呻《うめ》いた。唇《くちびる》が乾《かわ》いている。それを見ながら、
『どのような状態でも生き続けた方が良いのではないか?』
とも思った。
しかし、ジョクは、小銃《しょうじゅう》の銃口《じゅうこう》を少女のこめかみに当てて引金を引いた。
涙《なみだ》が溢《あふ》れた。
そして、ジョクは、そのような作業を十数回続けたのだった。
ガラリアに先導されるようにして先鋒《せんぽう》部隊がツタラムに到着《とうちゃく》した。
彼等《かれら》は、ツタラムの街の整備にかかった。
彼等もまた言葉なく、ただ、遺体を片付ける作業を終日続けた。
その日の夕方には、ドレイク・ルフトが、ごく少数の近衛騎馬《このえきば》隊を引き連れて街に入った。
「カセーマンの家も全滅《ぜんめつ》か……?」
ドレイクは、バーンに下問した。
「はい……。南の丘《おか》に遺体はまとめました」
バーンは、沈痛《ちんつう》な声で応じた。
「そうか……妻の家が断絶したか……」
「ハッ……マサン・トーム殿《どの》の遺体も確認|致《いた》しました」
「まだ……乳飲《ちの》み児《ご》だぞ?」
「…………」
バーンは、応じる言葉を持たなかった。
ジョクはその謁見《えっけん》の場に臨席して、ツタラムの街の貴族の家の重厚な造りに圧倒《あっとう》されていた。
アの国の中でも由緒《ゆいしょ》ある街だったのだ。
「ガロウ・ランの輩奴《やからめ》……」
ドレイクは拳《こぶし》を震《ふる》わせ、頬《ほお》に涙《なみだ》の筋を走らせた。
荼毘《だび》の煙《けむり》は、その夜、一晩中ツタラムの街を覆《おお》い、ドレイクは祭所で死者たちのために祈《いの》り続けた。
その儀式《ぎしき》に祭という表現を使うのが、ジョクには奇妙《きみょう》に思われた。バイストン・ウェルのコモン界には、地上で言う宗教と言うものがないらしい。
が、儀式の様式を見る限り、キリスト教でもなく、仏教でもイスラムでもないのだが、間違《まちが》いなく宗教的なものであった。
正面の祭壇《さいだん》に相当する処《ところ》には、細く刻んだ白木《しらき》の山が積まれ、その背後にも人の形をした像が置かれていた。しかも、ひとつではない。
「人の霊《れい》の象徴《しょうちょう》なのさ……魂形《たまがた》の像と言っている……」
ガラリアが教えてくれた。
「偶像崇拝《ぐうぞうすうはい》とは違《ちが》うようだな……」
「偶像崇拝?」
「ちょっと説明できない。俺《おれ》は宗教や信心のことは全く門外漢《もんがいかん》だから……」
夜半には、ツタラムの街にドーメの補給部隊も到着《とうちゃく》し、兵たちは徹夜《てつや》で次の作戦の準備に奔走《ほんそう》した。
ギィ・グッガの本隊に対して、なんとしても抵抗《ていこう》をしなければならないという気運が、ツタラムの街を覆《おお》っていたのだ。
その夜明け、ジョクは、バーンに叩《たた》き起された。
「なんだ?」
「昨夜、ラース・ワウからアリサ様が拉致《らち》された」
「……ガロウ・ランにか?」
「そうだ、敵が巧妙《こうみょう》になった。ツタラムを奪還《だっかん》されたお返しだな」
ジョクは、昨日とどめを刺《さ》した十何人かのすさまじい死に様《ざま》を思い出して、あのアリサも同じようになるのかと唇《くちびる》を震《ふる》わせた。
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19 ドレイクの陣《じん》
ドレイク・ルフトは、ジョクが挨拶《あいさつ》に来たと言うので幕舎《ばくしゃ》を出た。
ジョクはただのパイロットである。王が改めて会う必要はない。
しかし、ドレイクは藁《わら》をも掴《つか》みたい心境にあった。
娘《むすめ》のアリサが拉致《らち》されただけではなく、妻のアリシアは殺されたのである。
ガロウ・ランは、見事にドレイク軍の留守《るす》を突《つ》いた。
ドレイクは、ギイ・グッガの軍がこのように芸の細かい戦術を行使すると聞いたことがない。
『ガロウ・ランは無知蒙昧《むちもうまい》な輩《やから》の集まりだと思い過ぎていた……過去《かこ》の戦術を詳細《しょうさい》に調べなんだ……』
しかし、軍事的には幸いなこともあった。ドーメやオーラ・バトラーの工場である機械の館《やかた》は襲《おそ》われなかったのである。
ドレイクもまだまだ若い王である。妻の死はなにものにも代えがたい。
この深い悲しみを晴らすには、地上人《ちじょうびと》がアの国に落ちたという運にのる必要があると思った。
ジョクのドーメが修理中なのも、ジョクが初陣《ういじん》ながら立派に任務を果した結果である。
単なる僥倖《ぎょうこう》ではないと思いたかった。
大切なパイロットであるジョクを、敵地|侵入《しんにゅう》などという危険な任務に付かせるのは間違《まちが》いである。がジョクがアリサ救出を志願した時、ドレイクは許諾《きょだく》した。
「行くか……?」
ドレイク・ルフトは聞いた。
「はい、このバイストン・ウェルの世界にうとい人間です。ドーメに乗っているだけでは、この世界のことは分りません。敵の実態を肌《はだ》で知ることもありません……。姫《ひめ》様の捜索《そうさく》隊に参加させていただき、この目で敵を見、知りたいのです」
ジョクの答えは明晰《めいせき》であった。
その率直《そっちょく》な言い様をドレイクは好ましく感じた。
「貴公《きこう》は数少ないオーラ・ボム、ドーメのパイロットである。ドーメが修理でき次第、本隊に合流して貰《もら》わねばならん……。貴公はアリサが救出できなくとも、本隊に戻《もど》って来なければならん。猶予《ゆうよ》は……」
ドレイクは、傍《かたわ》らの近衛《このえ》兵長のマタバ・カタガンを見た。
「バーン!」
カタガンは、さらにバーンを呼ぶ、
「ハッ! 戦士ジョクのドーメは、今夜中に修理|完了《かんりょう》の予定であります」
「……ン! それまでだ。ジョク・タケシは明日の昼にはドーメに戻り、本隊の作戦に参加しなければならない」
「ハハッ!」
ジョクは、右の拳《こぶし》を胸に当てて深々と頭を下げた。ジョクは、ドレイクがジョクのフル・ネームを覚えていたのに感嘆《かんたん》した。
「…………」
ドレイクは、礼をするジョクの姿を見下ろしながら、自分がジョクに抱《いだ》いた好感が良い結果をもたらす力になるだろうと思いたかった。人と対して感じた何かが、結果を予見するものである事もあるとドレイクは信じている。
子供の頃《ころ》のバーンに会った時、バーンは不世出《ふせいしゅつ》の騎士《きし》になるだろうと感じ、初めての地上人《ちじょうびと》ショット・ウェポンに会った時は、地上人は聖戦士《せいせんし》につながるという伝説が色濃《いろこ》く残っていたにも拘《かかわ》らず、ドレイクはなぜか不吉《ふきつ》なものを感じた。
そして、その予感の正しさを、ドレイクは、ギイ・グッガの軍が跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》するに及《およ》んで得心《とくしん》したのである。
『……オーラ・マシーンが敵を必要とするからガロウ・ランが出たと考えられるが、逆に言えば、ギィの軍がコモン界に浮上《ふじょう》するのを予知した世界が、私にショットを与《あた》え、オーラ・マシーンを開発させたのではないか? そのように理解することもできよう……』
現実には、結果が出るまでは全《すべ》て表裏《ひょうり》二つの論理が密着《みっちゃく》して存在する。
その現実の狭間《はざま》で揺《ゆ》れ動く心が、疑心暗鬼《ぎしんあんき》である。
が、究極的には、人は自分の好みの判断に身を寄せて世過《よす》ぎをする。
ギィ・グッガを頭領とするガロウ・ランが、なぜアの国に攻め込《こ》んできたのか?
それは刻《とき》の運としか言いようがない。そう見るのが現実的な納得《なっとく》の仕方である。ドレイクもどこかそのように曖昧《あいまい》な納得をして決断を下す。
「……では、行けっ」
「ハッ!」
ジョクは、顔を上げて踵《きびす》をかえした。そのジョクが一瞬《いっしゅん》見せた顔の輝《かがや》きに、ドレイクは自分の感覚を信じた。
「頼《たの》むぞ。若者……!」
今のドレイクが愛する者と言えば、もうアリサしかいない。
ドレイクは板金鎧《いたがねよろい》の乾《かわ》いた金属音に身を包んで、幕舎《ばくしゃ》に戻《もど》りかけた。
「……果して、そうかな? 地上人《ちじょうびと》だけに任せて事が決するか? アの国が守られるのか?」
ドレイクは、妻のアリシアが、ただ黙然《もくねん》と事態を待つ男は嫌《きら》いだと言ったことを思い出していた。
「……座《ざ》して待っていてもっと悲劇的になるのならば、討《う》って出るという方法もある。ドーメ、地上人《ちじょうびと》二人、アの国は世界から尊《たっと》ばれていると思わねばならんのかも知れん……」
ドレイクの眼がギラッと輝《かがや》いた。
捜索《そうさく》隊の溜《たま》りに向かうジョクに、ガラリア・ニャムヒーが部下を従えて近づいて来た。
「ジョク……」
「言うなよ。ガラリア……」
「フフン。私には分っているよ。アリサ様が気になるのは……」
ガラリアはジョクが気にしていることを先に言った。
「アの国で生きて行くにはドレイク様の信任を得る事が必要だろ? それで捜索部隊に参加するだけだ」
「焼餅《やきもち》は妬《や》かないよ……バーンが薦《すす》めたのだってな?」
「いや……」
ジョクは驚《おどろ》いた。
「なんでだ?」
「バーンは、アリサ様が拉致《らち》された事をわざわざジョクに知らせたと聞いた」
「好意さ……。バーンは勝手に俺《おれ》がアリサ様を気にしていると思っているのだろう?」
「そうかな?」
「惚《ほれ》れっぽいからな。俺は……。ガラリアは怒《おこ》るだろうが、俺はガラリアだって好きさ」
「ついでに好きになって貰《もら》う必要はない!」
ガラリアはフワフワしていた。ジョクのアリサ救出隊への参加を嫉妬《しっと》しているのだ。
「済まない……」
ジョクは謝った。ガラリアのその心配は嫉妬《しっと》も含《ふく》めてありがたいと思うからだった。
が、ガラリアはそのジョクの言葉を故意《こい》に無視して、腰《こし》の剣《けん》を鳴らしながら近づくバーンを見やった。
ジョクはガラリアの視線の向うにバーンが来るのを知って、改めてガラリアの言葉を気にした。
『確かに、バーンが俺にアリサが拉致《らち》された事を報《しら》せに来たのはおかしい……。俺が邪魔《じゃま》で、俺を捜索《そうさく》隊に参加させて、死なせた方が良いとでも思っているのか?』
それほど明確な言葉にはなっていないものの、そんな意味の抵抗《ていこう》を感じた。
バーンには、そんなジョクの曖昧模糊《あいまいもこ》とした思いは感知できない。
「私はまだ賛成ではないのだぞ? ジョク……なんで出る気になった……?」
「バーンが俺に気を使ってくれているのが分るからだ。だから、ドーメ隊の一員として、一人ぐらい捜索に加わる者がいても良いだろうと思った。それに、俺がドレイク様に述べた気持ちも本当だ」
勿論《もちろん》、ジョクはテレパシーを考慮《こうりょ》している。口で言う通りに考えて、その意思だけをバーンに投影《とうえい》するようにした。
バーンは、ガラリアがいるから、ジョクが直接アリサのことには触《ふ》れずに、遠回《とおまわ》しに言ったと感じたようだ。
それが原因で、ジョクの意思が混濁《こんだく》していると感じているのだ。ジョクのバーンに感じる抵抗《ていこう》感はまだ明瞭《めいりょう》ではない。
「……アリサ様がツタラムの街の住民のようになってしまったらという、不安というか怒《いか》りが、捜索《そうさく》隊へ参加する動機だがな……」
「まあいい」
バーンは、ジョクの肩《かた》をポンと叩《たた》いて揺《ゆ》すり、
「大切な体だ。戦場になるところを一日ぐらいウロウロするだけでも価値がある。明日は早めに帰って来い」
「勿諭《もちろん》だ」
「キムッチッ!」
バーンは振《ふ》り返って、ジョクが初めてラース・ワウに人った時、ジョクの馬の手綱《たづな》を取ってくれた若い騎兵《きへい》を呼んだ。
「ジョク殿《どの》の護衛につけ! 命令は良く聞いてな……。しかし、この世界に慣れていないお方だ。いろいろと教えて差し上げろ」
「はい……! キムッチ・マハであります! よろしくお引き回しのほどお願い致《いた》します!」
「こちらこそよろしく頼《たの》む、キムッチ。すまない。バーン。このような兵まで紹介《しょうかい》してくれて……。感謝する……」
ジョクはバーンに抱《いだ》いた抵抗《ていこう》感を間違《まちが》いではないかと思いながら、手を差し出した。
バーンは、ジョクの手をガッチリと握《にぎ》り返して、もう一度、急いで帰って来いと言った。
ガラリアは、その二人を不愉快《ふゆかい》そうな表情で見守った。
それがいつものガラリアの顔なのでバーンは気にもしなかった。
ジョクはキムッチが手配《てはい》してくれた馬に跨《またが》って、捜索《そうさく》隊に加わった。
隊長は、サンマザン・トゥーラ。副長は二人、ムケット・ハムルとフラカ・シニで、彼等《かれら》はバーンと同格の騎士《きし》である。
それに従う騎馬《きば》は、五十余騎。少しばかりの携帯《けいたい》食料と水、それに着替《きが》え一枚と簡易《かんい》寝袋《ねぶくろ》。小銃《しょうじゅう》は、ジョクと隊長と二人の副長が持つ。彼等がジョクの参加を歓迎《かんげい》したのは、ジョクが持つ小銃のためである。
「彼等です。戦士ジョク殿《どの》の部下として、選抜《せんばつ》されたものであります」
サンマザン・トゥーラは、五人の騎兵を前に呼んだ。
彼等は、いかにも騎兵《きへい》に登用されて間がないという若者たちであった。歩兵《ほへい》からの成り上りである。
しかし、それだけに気合が入っているように感じられた。
「……俺《おれ》に部下がつくのか?」
ジョクは、改めてサンマザン・トゥーラと二人の副長を見やり、そして、若者たちを見た。
「異例であります。戦場でこのように家を興《おこ》し、部下の騎兵たちを集めるなど……」
年長の副長ムケット・ハムルが言った。
「俺は頼《たの》んではいない……」
「勿論《もちろん》です。ドレイク様の命令で、戦士ジョク殿に従いたいという者を軍の中から集めました」
「ドレイク様が?」
ジョクは、改めてドレイク・ルフトの配慮《はいりょ》の細かさに感動した。
「知らなかった……礼を言わなければならない……」
「いや、今は戦場です。アリサ様を救出した時にでも、お礼を申し上げればよろしいでしょう……」
ムケットが言ってくれた。
「キムッチ! そういう訳だ。貴公《きこう》は、バーン様の元に戻《もど》って良い」
フラカ・シニがジョクの背後に従うキムッチに言った。
「いえ! 自分は、主《あるじ》の命令に従います。この救出作戦……つまり、明日|一杯《いっぱい》は戦士ジョクに従います!」
「全く……! 構うな、好きにさせろ……」
サンマザンが苦笑した。
ジョクは、それらの人々を見やりながら前に出た。五人がどのように選ばれたかは知らない。しかし、ジョクに従うというのである。
彼等《かれら》の計算は想像がつかないが、ここは部下としてけじめのある態度で接する必要があると思った。
なにしろその背後には、五十|騎《き》になんなんとする他の家の騎兵《きへい》が見ているのである。
「諸君! まだアの国に来て間もない自分に従ってくれると言う。心から感謝している。嬉《うれ》しい!」
五人の若者の頭がグラッと揺《ゆ》れたように見えた。
「この世界のことを教えてもらわなければ生きて行けない自分である。しかし、だ。自分は、ドーメのパイロットとしてすでに具体的な戦果も上げている。決して、無知な男ではない!」
自慢《じまん》するつもりで言っているのではない。バーンから教えられたことを実践《じっせん》しているのである。
歩兵上りの騎士《きし》は、もともとの騎士の家の出ではない。そのような部下を使っていかなければならない時、謙遜《けんそん》したり自己《じこ》を卑下《ひげ》するのでは統率できない。
いわば、アメリカ的な自己売り込《こ》みを実践しなければ、彼等《かれら》はついて来ない。だからジョクは敢《あ》えて言う。
「……ドーメのような機械技術については、地上世界の進歩は諸君等の想像を絶するものである。その世界で空を飛ぶ機械を操《あやつ》る経験もした自分である。空の戦いについては自信がある。しかし、コモン世界のしきたりは全く知らない。これだけは教えて欲しい。殊《こと》に剣《けん》については素人《しろうと》である。しかし、諸君等の男らしい強い顔を目の前にして、自分がいかに心強く感じ、頼《たの》もしく思っているか、この胸を開いて見せたいくらいである。生命《いのち》ある限り、よろしく生死を共にしたい。期待する! 騎兵《きへい》たち!」
最後の方の言い様は、コモン世界の戦士たちの常套句《じょうとうく》である。
「戦士ジョク!」
五人の若者は、満足の意を表す歓声を上げた。
それは、他家の騎兵に対しての牽制《けんせい》でもある。自分たちが選んだ主人が、期待通りの態度を示し、演説をしてくれたのが嬉《うれ》しかったのである。
ジョクは、馬を進めて一人一人に挨拶《あいさつ》した。
「ミハン・カームであります! 戦士|殿《どの》っ!」
「デトア・ローマン! 戦士殿っ!」
「ナーム・メルスーン!」
「コレル・シスゥ!」
「トハ・ムザマ!」
ジョクは一人一人と堅《かた》い握手《あくしゅ》をかわし、それぞれの名前を復唱したが、すぐに覚えられる名前ではない。
その後、ややあって捜索《そうさく》隊は発進した。
ジョクは、部隊の中央に位置した。
これは、主人が慣れていないからという理由で、若者たちが捜索《そうさく》隊長のサンマザン・トウーラに談判してきめて貰《もら》った位置である。
成り上りだからであろう、若いわりにはしつこい若者たちであった。
捜索隊は、グランキャに向かって可能な限りの速度で前進した。
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20 捜《そう》 索《さく》
ドレイクが陣《じん》をしく森から出ると荒涼《こうりょう》とした原野に続いて、起伏《きふく》の大きい、岩だらけの地形が望まれた、
そして、数本の渓谷《けいこく》が地を鑿《のみ》で抉《えぐ》るように続く地形に入った。捜索《そうさく》隊は渓谷を上に下に横切り、時には激《はげ》しい渓流《けいりゅう》を渡《わた》らざるを得なかった。
それは、ジョクには苛酷《かこく》な乗馬の旅だ。
ジョクは、馬に慣れていると思っていた自分が情けなかった。思えば、アの国に降りてから半日単位で乗馬をしたことはない。しかし、新しい部下の手前、弱音《よわね》を吐《は》くのは憚《はばか》られた。
『本当、今の日本人はヤワだって実感するぜ……。せめて高校球児ぐらいには体を鍛《きた》えておかないといけなかった……』
太腿《ふともも》の内側は鞍《くら》で擦《す》れ、尻は馬の背骨《せぼね》に突《つ》き上げられて痛んだ。しかし、不思議なことに、ふつふつと体内に湧《わ》く気力だけは消えない。
ドレイクに述べた気持ちそのままの、高揚《こうよう》感が維持《いじ》されていた。
『なんだ? 俺《おれ》はバイストン・ウェルのオーラ力を吸う能力を持っているのか?』
そう思うしかない感覚である。
地上世界、つまり、日本やアメリカにいる時のジョクならば、体の疲《つか》れと気分が正直にシンクロしていた。弱虫というか意気地なしの構造がどこかにあったのだ。飛行訓練の頑張《がんば》りなどは、所詮《しょせん》、好きな事をやるからできることで、本質的にジョクの向上にはつながっていない。
「戦士ジョク!」
「あ?」
ミハン・カームが馬を寄せて来た。
「なんだ?」
「大丈夫《だいじょうぶ》ですか? お疲《つか》れのようですが?」
「馬から落ちそうに見えるか?」
「いえ……。そうは見えませんが、あまりに下手《へた》なんで……」
はにかんで笑うミハンのあさ黒い顔は、見た目よりも優しい男のようだ。
「こんなヤワな男の部下になって後悔《こうかい》しているか?」
「とんでもない。王侯《おうこう》貴族《きぞく》と同じだと思っていましたからガッカリはしません」
「なんのことだ?」
「王侯貴族のほとんどは乗物に乗ります。連中は皆《みな》ヤワな脚《あし》です」
「ドレイク様は違《ちが》うぞ?」
「ですから、アの国に馳《は》せ参じたのです」
「ここの国の者ではないのか?」
意外だった。騎士《きし》たる者はたとえ歩兵《ほへい》上りであろうと、アの国の者であろうと勝手に思いこんでいたのだ。
「騎士はもともと流れ者が多いのです。他国から流れてきた騎士は、歩兵として仕える期間がありますが、いずれ騎士《きし》に採用されます。農民出身の騎士というのはいません。騎士はもともと騎士であります」
「それでは歩兵になるのは苦痛だろう?」
「勿論《もちろん》です。名を上げていれば領主から騎士として呼ばれることもありますが、そんな運はなかなか巡《めぐ》って来ません」
これがコモン世界の騎士の生き方なのだろう。そうか、とうなずくしかなかった。
金があって、馬と騎士の装備《そうび》一式を買うことができても、農民出身の者には騎士は務《つと》まらないとも言った。
「なぜだ?」
「そりゃそうでしょう? もともと土を耕すような根性なしが、騎士になれる訳がありません。騎士の気位《きぐらい》というのは生れつきです。習って身につくものではありません」
ジョクにはその論理は分らない。
ジョクは、自分は商人の出だと言いたいのをこらえた。
「…………」
階級意識というものは、それが機能している時代に、後世の人間が考えるように非難し改革を望んだからと言って、簡単に意識改革できるものではない。
人の意識というものは、一旦《いったん》固まってしまうとその世代の間に改革されることはない。アメリカ人の個人主義を少しでも垣間《かいま》見《み》る機会を得たジョクによく分ることだった。
個人主義の行き過ぎの悪弊《あくへい》を知りながら、改革する論調が高まらないのは、その思考に慣れてしまった感性が、他の考え方を受け入れる余地を持たないからに過ぎない。
「大休止《だいきゅうし》っ!」
前方を行く副長フラカ・シニが大きく手を上げた。
松《まつ》や杉《すぎ》が、渓谷《けいこく》の陰《かげ》になるのを嫌《きら》って真直《まっすぐ》に天に伸《の》びている下で騎馬《きば》隊は止った。ジョクは、鞍《くら》から滑《すべ》るようにして堅《こた》く熱い地に降り立った。股《また》を閉じて立つことができない。それを無理して立つと内股の筋肉がビリビリと震《ふる》えた。
「食事、摂《と》れっ!」
背後は断崖《だんがい》が壁になり、前方には、地層がはっきりと筋を作る斜交層理《しゃこうそうり》の肌《はだ》を荒々《あらあら》しく見せる山があった。
ジョクの新しい部下である六人の若者たちは、ジョクを中心にして簡単な食事をした。当然、お茶のために火を使うことは許されない。
「各小隊長! 大隊長の処《ところ》へっ!」
その号令にジョクは立った。キムッチとミハンがジョクに従い、残った四人が馬のための水を汲《く》みに渓谷に降りて行った。
十数メートルの距離《きょり》を歩く間に、ジョクは内股の筋肉の筋を伸《の》ばすように大きく歩を取った。
『痛みに甘《あま》えていては死を招くだけだ。観光旅行ではない』
ジョクは内股の痛みに堪《た》えながら、必死の思いで足を運んだ。そう、テレビで見た映画「ロッキー」のシルベスター・スタローンの歩き方だ。
トレーニングというのは、全《すべ》て本人の意識の問題だという話を読んだ覚えがある。競輪選手の中野浩一《なかのこういち》の言葉だった。
『自分より練習をしている若い人って多いんですよね。でもね、体をいじめるだけでは身につきません。このトレーニングは、これこれのためになると分ってやらなければ、体をいじめるだけで成果にならんのです。体が実技について来ないんですよ』
それをジョクは思い出していた。
『歩くのは、それだけが目的ではない。筋肉をほぐして、体術に応用できる筋力をつけるためだ。ロッキーだって言っていた。女は脚《あし》に来るって……あれは意識の問題であると同時に、筋肉への影響《えいきょう》力の問題でもある……』
そう意識し、意識の中で言葉を使い、それを体中の筋肉を動かすシステム、筋肉の筋、筋を動かす意識の流れ、リンパ液か血液か細胞《さいぼう》の動きか電磁波《でんじは》か、なんでもよい、それら体を動かすシステムに語りかけるようにして、ジョクは捜索《そうさく》隊長のサンマザン・トゥーラが待つ松《まつ》の大木の下に行った。
「戦士ジョク!」
松の木の下に座《ざ》していたサンマザンがにこやかに立ち上がった。各小隊長はすでに集まっていた。
「何か? サンマザン?」
ジョクは、立ち止った。
「ラース・ワウで戦士ジョク殿《どの》は聖戦士《せいせんし》ではないかと言う噂《うわさ》を聞いたこともございますが、今日まで自分はそのような風説を信じませんでした」
「ああ……?」
ジョクはサンマザンの切り口上《こうじょう》に戸惑《とまど》って、思わず地上世界のままの口調になった。
「……しかしジョク殿、分りました。自分はジョク殿の乗馬姿を見て無頼漢《ぶらいかん》を部隊に入れたと後悔《こうかい》致《いた》しておったのでありますが、いやいや、高貴《こうき》な方でいらっしゃる」
「…………!」
ジョクは、まるで意味が分らなかった。
口を利《き》くのはやめて、左右のキムッチとミハンを見やった。二人は自分の主人が誉《ほ》められているのを承知しているから悠然《ゆうぜん》と構えていた。
「……あなた様が近づいていらっしゃると我等《われら》まで楽しくなる。気持ちが高揚《こうよう》するのです。このアリサ様|捜索《そうさく》は、無意味な作戦と解釈|致《いた》しておったのですが、いやいや、この作戦は成功するのではないかと信ずるに至りました」
「……ああ!……」
ジョクは納得《なっとく》すると同時に、その言葉が自分にとって危険な色合いを帯びているとも直感した。
「何を言う。この作戦はドレイク様の発案だ。自分はそれに従っただけの男だ。ドレイク様をないがしろにするような発言は自分は聞きたくない」
ジョクは自分で喋《しゃべ》りながら、よく言うと自分の言葉に感動した。
今まで、こんな巧妙《こうみょう》な言葉の駆《か》け引きはしたことがない。
「……ハハ……聖戦士《せいせんし》は大袈裟《おおげさ》でありましょうが……感じますな。戦士ジョクがいるだけで我々も心楽しい」
難しい顔をするのが取柄《とりえ》と思っているフラカ・シニが口を添《そ》えた。
「分ったよ。俺《おれ》の歩く姿がおかしいんだ……」
ジョクは苦笑しながら、一同の翰に加わった。
「さて……戦士ジョク……」
副長のムケット・ハムルは、一同の前に羊の革《かわ》を薄《うす》く伸《の》ばして紙代りにした地図を取り出した。戦場では紙製の地図は嫌《きら》われる風潮があるのだ。
「ここから三隊に分れる。このルートとこのルート……」
ムケットは地図上にそれぞれのルートを示し、
「ここがギィ・グッガの陣《じん》の中核《ちゅうかく》と思える場所だ。ラース・ワウとの関係を考えるとこの三本のルートのどれかをアリサ様を拉致《らち》した部隊が通ったはずだ」
「本隊がそこにいるのは確かなことなのか?」
「勿論《もちろん》です。強獣《きょうじゅう》の餌場《えさば》となるのはここしかありません。アリサ様はここに連れ込《こ》まれたと見るべきです」
サンマザンが地図の中央を示して部隊の分け方を説明した。ジョク隊はサンマザンの部隊に従ってその日|一杯《いっぱい》行軍し、夜半ドレイクの陣に後退するように言い渡《わた》された。
「了解です……」
ジョクは、あまりに予定通りに事態が進行するのを多少不満に感じた。
はっきりとジョクは、アリサに会いたいという衝動《しょうどう》を感じていたのだ。
「アリサ様の居所が分ったら煙弾《えんだん》を上げて他の部隊に報《しら》せる。各隊は、左右に警護を置いてたえず監視《かんし》を怠《おこた》らないように……」
そして、捜索《そうさく》隊は力を取り戻《もど》した馬の背に跨《またが》って、再度グランキャの奥《おく》に向かって発進した。
しかし、その頃《ころ》、ドレイクもまた軍を発進させて、捜索隊を追うコースに入っていた。
座《ざ》して待つことの愚《ぐ》を察知したからである。
その夜。
まだオーラの光がかすかに残る時間にサンマザンとジョクの部隊は、前方の谷問にかなりの焚火《たきび》を見つけた。ガロウ・ランの一隊である。
「俺《おれ》が偵察《ていさつ》に出よう?」
「戦士ジョクはここで待てば良い。ドレイク様から無理は禁止されている」
「承知している。自分は、もうじき本陣《ほんじん》に戻《もど》る身だ。敵の陣容《じんよう》を調べるぐらいのことはさせてくれ」
ジョクはキムッチ以下の若者の力量を信じていたし、若者たちもジョクの申し出に納得《なっとく》しているのが分った。
「では……分った。戦士ジョクはパイロットである。よくお守りしろ!」
サンマザンはジョクの部下たちにそう申し渡《わた》して偵察を許可してくれた。
ジョクたちは、馬を降りて焚火を目指した。
『いいぞ……脚《あし》が動く……!』
その実感は、自分が間違《まちが》いなく別世界の戦士の資格を持つ男になったのではないかと思わせた。
『ハイストン・ウェルの世界のオーラカが俺を支えている……! 俺にオーラを吸収する力があるのだ。でなければ、俺がバイストン・ウェルに落ちるわけがなかった……』
それは正しい見方だろう。
ジョクの前にキムッチとミハンが立ち、デトアとナームがジョクの前後を守り、殿《しんがり》にコレルとトハがついた。全員が小型の弓矢を持ち、ジョクが小銃《しょうじゅう》を手にして谷が作る闇《やみ》に入った。空には星に似た燐《りん》の光が全天を覆《おお》い始めていた。
サンマザンは、十五人の部下たちと後方に息を潜《ひそ》めて待った。
「…………?」
ジョクは不思議に感じた。焚火《たきび》は不用心にゴウゴウと燃え盛《さか》り、敵を警戒する気配《けはい》がなかったからである。
「自信があるんですよ」
キムッチが言った。
「想像もしていないんだろうな。我々がこんなところに来ているなんて……」
ジョクは言ってしまって、ようやくここがギィ・グッガのテリトリーだと納得《なっとく》した。いつあの強獣《きょうじゅう》が飛来してもおかしくないのだ。
一行はガロウ・ランの部隊が見下ろせる位置に取りついた。夜営地からは人の呻《うめ》き声、馬のいななきが、谷に反響《はんきょう》してこもった音になって湧《わ》き上がった。
「周囲に気をつけてな……見張りがいるはずだ……」
ジョクは部下に目配《めくば》せをしながら、岩の上から身を乗り出した。
「怪我人《けがにん》が多いですね……」
ミハンが呟《つぶ》いた。焚火の周囲に横になっている兵士の姿がかなりあった。治療《ちりょう》をしているようだ。
その周辺には粗末《そまつ》な天幕が幾《いく》つか並《なら》んではいるものの、馬の数は兵の数ほどはない。
「二百人か……?」
焚火の脇《わき》で治療しているらしい様子を見ると、化膿《かのう》した傷に焼き鏝《ごて》を当てたりしているらしい。
『こりや、呻き声も出るな……』
ジョクはふと不安に駆《か》られて、周囲を見回した。近くに人の気配を感じていたからだ。
「おい……近くで呻く声が聞えないか?」
「いえ……」
キムッチが改めて周囲の闇《やみ》に目を走らせて、「見て来い……」と他の若者に声を掛《か》けた。
「こりや、ツタラムの街を襲撃《しゅうげき》した部隊じゃありません?」
トハ・ムザマは頭が働く若者だ。
「そうか……納得《なっとく》だな……」
ジョクは、そんな部隊だからギィ・グッガの本隊に合流することなく、この場所で本隊の移動を待っているのだろうと考えた。
「アリサ様の情報を持ってるとは思えませんね」
「そうかな……ここを通ったと考えられないか?」
「なら、怪我《けが》をして弱っているガロウ・ランでも取っ掴《つか》まえますか?」
「弱った連中は、陣《じん》の中央にいる。難しいな……」
言いながらもジョクは、『本当に俺《おれ》は、あんな敵ととっ組み合いをやるのか?』と思った。
その思いは、こうして岩にへばりついている自分の姿と、ロスでバイクに乗っていた自分の姿とのギャップを想起させた。そのギャップは自分の中で埋《う》め切っていないように思える。
ドーメの戦闘《せんとう》はマシーンに囲まれているという意識があって、思い入れが入り込《こ》む余地はなかった。
その後の戦闘も、ツタラムの光景も、戦いの勢いの中で経験したもので、後でひどいことを経験したと回顧《かいこ》するだけだった。
が、今は、違《ちが》う。
『つい、この間まで東京にいたんだぜ……次がロス……そして、美井奈《みいな》とアリサ……』
それぞれの断片は、つなげるのに距離《きょり》があり過ぎた、
『そして、またあのガロウ・ランの体臭《たいしゅう》を感じながら命のやり取りかよ……』
「……そうですね。難しいか……」
トハが言った。彼等《かれら》ジョクの部下の若者は、どこかでガロウ・ランを見下《みくだ》しているところがある。が、ジョクにはガロウ・ランと対決した荒々《あらあら》しい記憶《きおく》がないから警戒心だけが強い。
「お前たち、ガロウ・ランを舐《な》めるなよ……」
ジョクは、闇《やみ》の中に目を光らせる若者たちに言った。
「でも、ここまで来たんです。手ぶらでは帰れませんよ」
ジョクは、ミハンの大人《おとな》ぶった言葉にカチンときた。一瞬《いっしゅん》、主人は俺《おれ》なんだぞと言いたかったが、堪《こら》えた。
テレパシーで、ミハンの謙虚《けんきょ》な意識がそれを言わせたと感知していたからだ。ミハンには、主人に手柄《てがら》を立てさせたい、自分が選んだ主人であるから戦功を上げて貰《もら》いたいという願いがある。
それは若者の血気が思わせることである。
若者の血気というものは、気持ちの逸《はや》り、焦《あせ》りであるが、人を形成する上で重要な要素となる。力の根源である。
しかし、それは、混沌《こんとん》でもあった。
その混沌を感知して利用するのが、長たる者の任務であろう。
「……かなり数がいるのだぞ?」
そう牽制《けんせい》する注意深さは持ちながらも、ジョクは彼等の勢いを好ましく感じていた。
「ですがガロウ・ランです。仲間《なかま》意識に満ち溢《あふ》れて護衛しあっているとは思えません」
ミハンは言い、伸《の》び上がって周囲を見回した。
「戦士ジョク!」
キムッチがジョクのふくらはぎを引いた。
「あ?」
「いました。やっているガロウ・ランがすぐその裏に……!」
「あ……?」
キムッチの言葉が唐突《とうとつ》すぎてジョクには理解できない。
「男と女一|匹《ぴき》ずつでやってんです。真最中《まっさいちゅう》です……」
「あの声、そうか……?」
ミハンもトハも息を呑《の》んだ。他は、ゴソゴソとジョクの前に出た。しかし、ジョクは若者たちを静止する気はなかった。
六人の若者は、下からの焚火《たきび》の明りで互《たが》いの動きを確認しながら、三人は大きく迂回《うかい》し、キムッチとデトアはジョクの前を這《は》いずりながら岩をふたつほど乗り越《こ》えた。
「…………?」
ゼエゼエという息は、地から湧《わ》く虫の息に似ていた。が、次にオオッーッ! という呻《うめ》き声を聞いた時、ジョクはまさかと思いながら事態を直視していた。
闇《やみ》の中に、さらに闇の固まりとなっている男と女が見えた。
「…………!」
ジョクは順に血が昇《のぼ》った。危険を感知した。
「上のは殺せ……!」
自分でなぜそのように命令できたか分らなかったが、その命令は、ジョクの部下全員に伝わったと見えた。
剣《けん》が鞘《さや》を走る音が岩を震《ふる》わせた。からんでいる二人のうち上にいるのが女だった。
そのために、先に敵の接近を感じた下の男が、女を撥《は》ね除《の》けようとした時、襲《おそ》い掛《か》かったジョクの部下たちの剣は、女を串刺《くしざ》しにしていた。
女の呻《うめ》く声がどのように大きかろうとも、まず気づかれまい。セックスの呻き声とこの時の呻き声の質を聞き分けられる状況《じょうきょう》ではない。
若者たちが言うガロウ・ランの粗忽《そこつ》さというのは、こういうところにも出るのだろう。
ジョクは膝《ひざ》の骨が砕《くだ》けるのではないかと思えるほど勢いよく男の頭めがけて滑《すべ》り寄った。
銃口《じゅうこう》を男の顔にぶつけるようにして、ロの中に捩《ねじ》り込《こ》む。
ジョクの傍《かたわ》らで女の裸体《らたい》が向う側に倒《たお》れていった。
「クッ!」
若者たちの押《お》し殺した息が乱れ、何か生暖《なまあたた》かいものがジョクの頬《ほお》を打った。セックスの時のあの独特な臭《にお》いが岩の窪《くぼ》みを厚く満たしていた。
「アッツツツ!」
若者たちの息遣《いきづか》いの間に呻きがあがった。
「どうしたっ!」
低くキムッチの声が上がった。
「斬《き》られた……! 手前の剣が長すぎるからっ……」
その声はナーム・メルスーンだ。が、ジョクとミハンは男のことで手|一杯《いっぱい》だった。
「……ラース・ワウの人質《ひとじち》! どこにいるか教えろ! 教えれば命は助ける!」
「ラース・ワウの人質……?」
男の歯がジョクが手にする銃身《じゅうしん》に当ってガチガチ鳴った。
「……これは火が出る筒《つつ》だ! 答えなければ頭がぶっ飛ぶぞ! 分ってんなっ!」
ミハンのドスの利《き》いた声が男を襲《おそ》った。下半身を剥《む》き出しにしたガロウ・ランは、概《がい》して臭《くさ》いようだ。ろくに風呂《ふろ》をつかう習慣などないのだろう。
『そうだろうな……。親父《おやじ》の時代は風呂だって週に二度だって……』
先刻、ロスのことを思い出してしまった感覚が、そんなことを思い出させたのだろう。ジョクは、狼狽《ろうばい》した。その間にミハンは人質《ひとじち》の説明をガロウ・ランの男にしていた。
「……そ、その、柔《やわ》らかそうな女なら、テッテアとか言う野郎《やろう》がギィ・グッガ様の陣《じん》に連れて行った……」
「いつだっ!」
「き、今日の昼過ぎだ……」
「いつドレイク軍に掛《か》かるんだ……!」
「そ、そんなのギィ・グッガ様以外知るかよ……!」
「ギィ・グッガの本陣《ほんじん》はどこだっ!」
「へっ! すぐそこさ。ほんのすぐそこ!」
「……チッ!」
ミハンが舌打ちをした。
「よし、殺せ!」
ジョクはまたも自分が想像もしていなかった言葉を吐《は》いていた。警戒し過ぎかとも思ったが、制止する言葉などは出なかった。
「ハッ!」
ミハンは剣を振《ふ》り上げるや、それをガロウ・ランの額《ひたい》を砕《くだ》くような勢いで振《ふ》り下ろしていた。幸いなことに、窪《くぼ》みの闇《やみ》の中でジョクには男の顔がほとんど見えなかった。
「大丈夫《だいじょうぶ》かっ!」
ジョクは、先程|呻《うめ》きを上げたナームの方を見やった。うずくまるナームの左右からコレルとトハ、デトアが介添《かいぞ》えしていた。
「デトアの奴《やつ》が剣《けん》を振り廻《まわ》し過ぎたんです。ナームの腕《うで》まで斬《き》りやがった」
「俺《おれ》だって、切っ先が当った!」
デトアが言い訳がましく言った。
「傷はどの程度かと聞いてるっ!」
ジョクはカッとなって、にじり寄った。
「大丈夫です。血はとめて貰《もら》いました」
「……よし! 帰れ! ナームを連れてデトアとミハンは帰れ。戦士サンマザンに報告だ!」
「戦士ジョクは?」
ミハンは、慌《あわ》てた。
「もう少し先に行ってみる。アリサ様がここを通った事は聞いたろう?」
「しかし、戦士はドレイク様の本陣《ほんじん》に帰らなければなりません!」
「帰るさ。アリサ様のことは分らんでも、ギィ・グッガの本陣の陣容《じんよう》を見ておきたい。あの光雲が天の真上に来たら、俺はドレイク様の本陣に戻《もど》ると伝えろ!」
「は……ハハッ!」
ジョクが一気に言ったので、若者たちは全《すべ》てを肯定《こうてい》せざるを得なかった。
ジョクは、アリサが眼下に見える渓谷《けいこく》を通ったと知った時から、気持ちが舞《ま》い上がっていた。
『アリサは、近くにいる……! 確かにここを通った……』
それだけで息が詰《つ》まりそうな思いだった。
自分が見つけてやらなければならないと思った。前後の見境などはなかった。
ただ、ドレイクの陣《じん》に戻《もど》らなければならないという意識は確かにある。が、あの美井奈《みいな》に似ていると思えたアリサ。美井奈の事が敵に思えると言ったアリサ。それを放《ほう》っておけないと思えたのだ。
ジョクは、キムッチとコレルとトハの三人の若者を引き連れて崖《がけ》に沿って走った。
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21 影《かげ》
強獣《きょうじゅう》の呻《うめ》き声は、地を伝い、重い闇《やみ》を震《ふる》わせる大地の息遣《いきづか》いそのものに聞えた。
天を覆《おお》う星、この世界で燐《りん》と呼称するそれは、激《はげ》しく天にのびる谷によって半分は隠《かく》されていた。
ジョクは、ギィ・グッガの本陣《ほんじん》と思えるものを無数の松明《たいまつ》と篝火《かがりび》の列で知った。
それは、眠《ねむ》っているとは見えない。
闇の中の歓楽街に似た色彩《しきさい》を帯びていた。電気で作られた人工的な華《はな》やかさはないものの、そのかもし出す空気が歓楽街のそれなのだ。その光の下に蠢《うごめく》く人の饐《す》えた気配《けはい》を、乾《かわ》いた空気が揺《ゆ》らめかせていた。
その夜、その陣《じん》の中に、ジョクと同じようにまんじりともしない男がいた。
ツタラムを強襲《きょうしゅう》した部隊の指揮を取った男、ビダ・ビッタだ。
彼は、ガロウ・ランの中でも一軍を任された男である。他のガロウ・ランに比べて自堕落《じだらく》ではない。
同時にツタラムの事件は彼を成長させ、自分の望みを達成するためには、事前に思考し策を講ずることであり、敵に対して警戒することである、と心底分って来たのである。
その結果が、ツタラムから敗走する直前に出した人質強襲《ひとじちきょうしゅう》部隊であった。
部下の一人、テッテアが見事にラース・ワウの王女アリサを拉致《らち》して来たことは、ギィ・グッガから「歴史上|稀有《けう》なことだ」と誉《ほ》められたのである。
テッテアとその部下たちには、コモンの女たちが選ばれて与《あた》えられた。煮《に》て食おうが焼いて食おうが好きにできる女たちである。
ガロウ・ランの男たちの望みは、終世好きにできて、しかも柔順《じゅうじゅん》に仕えてくれる女たちを手に入れることであった。ガロウ・ランの女たちは勝手過ぎるか、意気地《いくじ》がないかのどちらかで、丁度《ちょうど》良いというのがなかなかいないのである。
テッテアたちは、ギィ・グッガの前で、そんな女たちを選ぶ権利を与えられて歓喜の声を上げた。
王女一人をもてあそぶのを我慢《がまん》するだけで、三人もコモンの女が手に入るという計算は、ガロウ・ランの頭でも成り立つ。彼等《かれら》は、ガロウ・ランの男たち、女たちの羨望《せんぼう》の的になった。
同時にこの作戦を指揮したビダ・ビッタは、ツタラムの敗北を帳消《ちょうけ》しにすることができた。
「……しかし……あの火を噴《ふ》く機械を、赤ん坊《ぼう》のような王女一人で阻止《そし》できるわけでもなかろう……」
その辺りの疑心暗鬼《ぎしんあんき》が、ビダ・ビッタを落ち着かせなかった。
ガロウ・ランの中には、人質の有効性を信じる発想はない。ビダにしても、聞き知っていた事を思い付きで実践《じっせん》しただけのことであって、ギイ・グッガがあれほど誉《ほ》めてくれるとは思っていなかったのだ。
ビダ・ビッタは、新しい部隊の編成を任されていながら、その夜は警戒地点を自分の目で確かめてから、女でも抱《だ》いて寝《ね》ようかと思ったのである。
もとより、陣地《じんち》内で交合することが明日の戦闘《せんとう》に差し障《さわ》りがあるなどという発想は、ガロウ・ランにはない。
ビダ・ビッタは、モドドと数人の部下を引き連れて、本陣の最|外縁《がいえん》をゆったりと馬を進めていった。とは言え、ビダにして見れば、正規の軍務外の仕事である。互《たが》いに革袋《かわぶくろ》から酒を呑《の》みながらの警戒である。
「……ヒッ!……」
酔《よ》ってはいない。酒が回って体の動きが滑《なめ》らかになったと感じるくらいである。
「気に入らねぇな……」
雑然として淫靡《いんび》な陣《じん》の空気をつらぬく一本の『気』を感じるのである。なにかがピリピリと肌《はだ》をさす……。
ビダは、自分の勘《かん》が冴《さ》えていることは承知していた。
「全くよ……!」
その獣《けもの》そのものの感覚が冴えていなければガロウ・ランの長にはなれない。
「おい……!」
ビダは、馬に拍車《はくしゃ》をかけた。
酒をくらった男を跳《は》ね飛ばしていた。カッカッカッ! 馬蹄《ばてい》が乾《かわ》いた地面を叩《たた》いた。ビダは、今日の昼テッテアを出迎《でむか》えた方向に走った。
「大将!」
数|騎《き》が後を追い、その走る筋の豚《ぶた》とニワトリと兵たちの怒声《どせい》が騒然《そうぜん》と尾《お》を引いた。
その音をジョクたちはかすかに聞いた。
かなり、ギィ・グッガの陣《じん》に接近していたのである。
「なにが起ったんでしょ?」
キムッチが一瞬《いっしゅん》、不安そうに身をジョクに擦《す》り寄せた。
ジョクたちは、匍匐《ほふく》前進を繰《く》り返して陣に接近し、今、かなり近い距離《きょり》に一人の歩哨《ほしょう》を見つけていたのである。
その歩哨の影《かげ》もゆらりと陣の方を見た。
「…………!」
体の大きなコレルがジョクの背後で抜刀《ばっとう》し、短剣《たんけん》を口にくわえた。
ジョクは小銃《しょうじゅう》を構えて、膝射《ひざう》ちの姿勢をとった。
「…………」
そのジョクの動きに歩哨が気がついたようだ。不用心《ぶようじん》に近づいて来た。
「…………!」
信じられないくらい重い足音と足取りである。
と、横合いからトハがその影に斬《き》りかかった。しかし、その瞬間《しゅんかん》からジョクたち若者の誤算が始まった。
先の男女のガロウ・ランを一気に漬《つぶ》すことができたのだから、一人の歩哨ぐらい倒《たお》すのは簡単だろうと思い込《こ》んでいたのである。
ガーン!
トハの剣が払《はら》われ、トハが後ろによろめいた。しかし、その時には反対側からキムッチが襲《おそ》いかかり、コレルもまた迫《せま》った。一人の歩哨《ほしょう》を襲《おそ》うのに時間差|攻撃《こうげき》を掛《か》けたのである。味方が味方を傷つける愚挙《ぐきょ》を避《さ》けるためだ。
ジョクは銃《じゅう》を構えてコレルを追う形になった。
キムッチは剣《けん》を横から払《はら》う。が、その影《かげ》が跳《は》ねた。
「ウッ!」
コレルは呻《うめ》きながらも、影が落ちる処《ところ》に斬り掛かった。ガン、カーンと剣が鉄とぶつかる重い音がした。
「アタッ! アッ! アーッ!」
ガロウ・ランの影の息とも気合ともつかない声が響《ひび》いた。明らかに味方を呼ぶ声でもあった。
ジョクは、コレルが邪魔《じゃま》をして銃を撃《う》つ間が見えない。
『未熟だっ!』
ジョクは切歯扼腕《せっしやくわん》した。その影は強かった。
「ゲッハッ!」
コレルかキムッチか? どちらかがやられた声だ。
影が交錯《こうさく》するだけで識別はできなかった。一人の影が消え、銃を撃つ間が見えた。
バン!
ジョクは自分の判断の甘《あま》さと、その影の声の持つ恐《おそ》ろしい意味が分って、夢中《むちゅう》で銃を発射していた。
が、その間にもその影は地を滑《すべ》り、もう一人ジョクの部下を倒《たお》した。
「アガッ……グ!! 痛エェ……!」
コレルらしい。
「こいっ!」
ダン! ダンッ!
ジョクは迫る影に向かって速射したが、弾丸《たま》は滑《すベ》る巨大《きょだい》な影に吸い込《こ》まれたようになんの抵抗《ていこう》感もない。その影は天に広がる光を呑《の》み尽《つ》くすように巨大に見えた。
「…………!!」
弾《たま》が切れた。ジョクは背中の剣《けん》を抜《ぬ》いた。背中で鞘《さや》を走る剣の音がザラッと響《ひび》いた。
影が止った。
「ゲッ! ペッ!」
唾《つば》を吐《は》く音に近い。そうしたのかも知れない。
ジョクは、剣を前に構えるしかなかった。
「ブヒュュュ……!」
息を吐く音が闇《やみ》を揺《ゆ》すった。
「……ギィ・グッガッ!」
ジョクは恐怖《きょうふ》の中、呻《うめ》くように言った。
恐怖が吐かせた言葉である。他に具体的な敵の呼称を知らないジョクである。目の前に迫った圧倒《あっとう》的な影を、ジョクはその固有名詞で言ったに過ぎない。
「ビッヒヒヒヒ……! ヒューッ……」
その影が笑った。
「……! 地上人《ちじょうびと》……? 主《ぬし》が地上人かっ! ハッ! ハハハッ!」
今度は、甲高《かんだか》く笑った。女の声とも思えるが、その骨太さは男のものである。
荒々《あらあら》しい気性《きしょう》そのものを象徴《しょうちょう》していた。
ジョクは、自分の剣先が情けないほど震《ふる》えているのが分った。
「……ケッ! ケッケケケケ……ヒヒヒ……。手前《てまえ》たちっ! 来ーいいっ!」
その声を昔流《むかしりゅう》に形容すれば、銅鑼《どら》のようと言いたいのだが、今は違《ちが》う言い方をするのだろう。どう譬《たと》えるか……。
「……ギィ・グッガ?」
ジョクは、今度は断定した。
「ハハハハ……! さすが地上人《ちじょうびと》、ヒッハハハハ!」
哄笑《こうしょう》が闇《やみ》を揺《ゆ》すった。
「俺《おれ》を呼んだのはお前かっ……ヒッ! ビヒヒヒッツ!」
ジョクは、全身から汗《あせ》が噴《ふ》き出るのが分った。剣《けん》が極度に重く感じられて落ちそうになった。
「初めて剣を持つな……ハッ! ヒヒヒヒヒヒ! 見ちゃあおれん……! ハッハハハハ……!」
「………フーッ……!」
ジョクは、剣を握《にぎ》り直そうと指を動かした。動かせた!
『呼んだか?……俺が……』
ジョクはかすかにひいた。と、影《かげ》が滑《すベ》った。
ザッ! ガッン!
ジョクの剣が上から叩《たた》かれて落ちた。
「……あ?……」
ジョクの指がビリビリと震《ふる》えて、痛みが頭を刺激《しげき》した。
馬の蹄《ひづめ》の音が近づいて来た。その数は異様に多い。
「グッ……アアアッ……!」
地に倒《たお》れた誰《だれ》かの呻《うめ》き声が地虫の鳴き声のようにかぼそくなった……。ジョクは、痺《しび》れる頭で自分が直面する事態を把握《はあく》しようとした。
『……すぐには殺されない……なぜだ?……』
しかし、その「なぜ」は嘘《うそ》である。理由は分っていた。
「………フッ……」
ジョクは、自分が助かることを期待してのことではないが、生き残ったキムッチがサンマザンの部隊にこの事態を報《しら》せてくれれば良いと思った。
「ギィ・グッガ様っ!」
ビダ・ビッタは、ギィ・グッガその人が陣《じん》の外縁《がいえん》に位置する闇《やみ》の中に立っているのを見て愕然《がくぜん》とした。
それは他のガロウ・ランにとっても同じであった。
「おお……ギィ・グッガ様が……!」
彼等《かれら》は、次々と馬から降りながらも、ギィ・グッガとジョクの周囲をヒシと固めていった。
ギィ・グッガの前で、率先してジョクにどうしようとする者はいなかった。松明《たいまつ》が数を増し、ジョクは初めてギィ・グッガを見た。
その男は、女のような顔を持っていた。明らかに首から下の体躯《たいく》は、男性のそれで山のようにガッチリしていた。しかし、マントの下に見える髪《かみ》は銀色で、肌《はだ》は驚《おどろ》くほど白く、ないに等しいと言ってよいほど小さな唇《くちびる》を持っていた。
その目は糸を引いたように細いくせに、その眼は沸《わ》き出るような重い光を放っている。
「地上人《ちじょうびと》は、剣《けん》を持ったこともないのに私に歯向かった。ヒッ! ハッハハハハ……!」
またもあの甲高《かんだか》く耳に障《さわ》る声が周囲を圧した。
「御《おん》大将……なんで生かしたんで……?」
前に出たビダがおずおずと聞いた。その姿は卑屈《ひくつ》だが、それもやむを得ないと思わせる威厳《いげん》がギィ・グッガにはあった。
「明日の出陣《しゅつじん》の前に、マンタラーのエサにくれてやる」
そのギィ・グッガの声に、集まったガロウ・ランたちが一斉《いっせい》に歓声を上げた。よほど楽しいことなのだろう。脚《あし》を踏《ふ》み鳴らし、両の腕《うで》を振《ふ》り上げて歓呼《かんこ》の声を上げるのだった。
ジョクは、その不気味な集団の歓声の底に身を堅《かた》くするしかない……。
ベットリと体に貼《は》りついた下着がムラッと蒸れてきた……。
ガラッ!
「…………!!」
ジョクはギョッとした。
ギィ・グッガが手にしていた六尺棒に似た鉄棒が地に落ちた。
ギィ・グッガは一頭の馬に跨《またが》り、
「ビダ!」
「ハッ!」
「こやつ……クッッツククク……」
ギィ・グッガは、背中を丸くして笑うと、
「人質《ひとじち》のあの女を救いに来たのだ。ビダ、お前の考えが良かった」
「ハハッ!」
またもビダは男を上げた。テッテアが働いてくれたことなどはもう忘れている。全《すべ》ての手柄《てがら》はビダのものなのだ。
「明日はマンタラーにこのエサをくれた後で、ドレイク軍を一挙に殲滅《せんめつ》するぞ! ギッ! ハッハハハ……!」
ギィ・グッガの馬はたむろするガロウ・ランたちの中にドウッと押《お》し入って陣《じん》に戻《もど》った。それを歓声が送り、ジョクの両の手に革紐《かわひも》が巻きついた。
「行けーっ!」
「ヒャーッ!」
騎馬《きば》の男が歓声を上げ、ジョクの手は革紐《かわひも》で引っぱられてガロウ・ランの群の中によろめいた。そのジョクに臭《くさ》い唾《つば》が飛び、ガロウ・ランの脚《あし》が何度も尻《しり》や脚を蹴《け》り上げた。
「やめろっ!」
「グッ! ハハハッ!」
鞭《むち》さえも飛んで、ジョクの革兜《かわかぶと》が吹《ふ》き飛んだ。
「行けっ! 走らせろっ!」
「……なんでっ!……」
ジョクは、馬の尻を正面に見て走るしかなかった。
足首が捩《ねじ》れ、馬の尻の動きは早くなり、草と岩の凹凸《おうとつ》に脚を取られた。
「アッ!」
悲鳴は上げまいと決心していたのだが無理だった。
ドッと転げて、ジョクの体は岩だらけの地面を跳《は》ね飛んだ。
「ガッハハハ……!」
「殺したらつまらねぇぞっ!」
追いかける騎馬の群の中からそんな声も聞えた。
「こいつらーっ!」
ジョクは、骨も肉もズタズタにされる死の恐怖《きょうふ》を払《はら》おうと叫《さけ》んでいた。しかし、何度か体がバウンドし、草むらに顔がつっこんで、肉と骨が引き裂《さ》かれるような痛みに会うと気絶していた。
「…………!」
ジョクが気がついた時、体は柔《やわ》らかい地面を滑《すべ》り糞尿《ふんにょう》の臭《にお》いの中を過ぎていった。馬の蹄《ひづめ》の音が和《やわ》らぎ、速度が落ちた。
『……殺される……』
その思いが思考力を阻《はば》み、痛みに痺《しび》れた体が情けないほど大きく震《ふる》えているのが分った。
「ヘッ!……ヘヘヘ……」
数人の男たちがジョクを見下ろして、その体を脚《あし》でこづいた。
「……ウッ……ウ……」
「豚《ぶた》みたいに震えてやがら……ゲッゲッケケ……」
頬《ほお》の骨も顎《あご》の骨も変形してしまったと思えるほどの劇痛《げきつう》があったが、確かめる術《すべ》はない。
眼《め》は……瞼《まぶた》がピクピクと震えるだけで言うことを聞かない……。
バチャバチャと水が顔にかかった。その臭《にお》いからその水がただものではないと分りながらも、ジョクは体の震えを止めることができなかった。
「……あッッ……!」
歯を食いしばれば、頬骨《ほおぼね》と肉とに劇痛が走った。
この侮辱《ぶじょく》と嫌悪《けんお》から逃《のが》れるには、殺される以外なかった。
しかし、不幸にして人間の体は思った以上に丈夫《じょうぶ》にできているらしかった。
ニキロ近くひきずられたにも拘《かかわ》らず、小便まみれのジョクは死んではいなかった。
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22 獣 檻
アリサ・ルフトは、幕舎《ばくしゃ》の幕がいきなり開かれて明るくなったので身をすくめた。
「…………!?」
「へへヘッ……! きれいな姉ちゃんだなぁ……そういう顔見せられるとよ……グッ……へへへ!」
幕舎に入って来たガロウ・ランの男は、あからさまにアリサの竦《すく》んだ姿に涎《よだれ》を流していた。粗暴《そぼう》なガロウ・ランの世界には女であっても、アリサのように率直に怯《おび》えを見せる者はいないのだ。だから、このような姿を見せるコモンの女をガロウ・ランの男たちは好むのである。
勿論《もちろん》、怯《おび》えを見せる女もいるにはいるのだが、大抵は怯えを見せるだけの気性《きしょう》の女である。意気地《いくじ》なしなのだ。そんな一面的な女というのはおもしろみがないとガロウ・ランの男たちも知っていた。逆に、男を誘《さそ》うために計算ずくで怯えてみせる女もいる。これは可愛《かわい》くない。そういう女が多いのがガロウ・ランの世界である。
アリサの気性は強い。それが寝間着《ねまき》姿で怯える光景は可憐《かれん》である。
人の良さというものは、性格の多面性にある。その反応の変化、幅《はば》の広さが魅力《みりょく》になる。
「見なよ。姉ちゃん……俺《おれ》のがこんなにビンビンですよ……!」
アリサは、男が何をもってそのような言い方をするのか分らない。アリサはなめし革《がわ》一枚の簡単なベッドの上を退《さが》った。が、その背後には厚い革の壁《かべ》があった。
捕虜《ほりょ》のために用意したものである。素手《すで》で破れるようなものではない。
「メッド! 女に手を出すと手前《てめえ》が首|括《くく》られるぞ!」
「分ってるよ! 冗談《じょうだん》やってんじゃねぇか! いい女だよ。お前が悶《もだ》えて厭《いや》がる顔ってのをジックリ見たいモンだ」
メッドと呼ばれる男がアリサに手を出した。アリサの手がその手を激《はげ》しく払《はら》った。
「冗談《じょうだん》やってんじゃねぇ!」
メッドの手がアリサの頬《ほお》を打った。
「いいもの見せてやろうってんじゃねぇかっ!」
メッドは有無《うむ》を言わせずにアリサの手首を掴《つか》むと引いた。アリサは膝《ひざ》から土の床《ゆか》に落ちた。
「……痛い……!」
「贅沢《ぜいたく》言える立場かっ!」
外は、朝のオーラの光で一杯《いっぱい》だった。
その光の中、グランキャの荘厳《そうごん》な渓谷美《けいこくび》がくっきりと浮《う》き上がっていた。
「オウッ!」
入口で待っていた男がアリサのもう一方の手を掴《つか》み、アリサは二人のガロウ・ランの男に引かれてギィ・グッガの陣《じん》の中を引き廻《まわ》された。
「コモンの女だ!」
「人質《ひとじち》だとよ……!」
「オオー! かたい肉して、いい股《また》してんじゃねぇのか……!」
そんな男たちの声に、
「なんであんなガキがいい女に見えんだ?」
ガロウ・ランの女兵士たちの間からは、男たちへ怨嗟《えんさ》の声がかまびすしく上がった。
「…………!」
アリサは、朝の光の中でそんな猥雑《わいざつ》な声が上がる世界を知らない。
『世界を作るものたちよ……』
アリサは、地上人《ちじょうびと》が『神』を呼ぶのと同じ気持ちでそう言った。
全身の痛みでジョクは気がついた。
重い臭気《しゅうき》の中である。頭がクラッとするほど強烈《きょうれつ》であった。眼《め》の焦点《しょうてん》を合わせていくと、その暗い視界の中にもっこりとしたものがあった。それが毛のようなものを震《ふる》わせていた。
『馬……?』
その尻《しり》の穴がモリッと息をつくように蠢《うごめ》くとボトボトと糞《ふん》が落ちた。
『…………!』
ジョクは藁《わら》の上を退《さが》ろうとしたが、背中に当る部分の藁《わら》がグチャグチャなのに気が付いた。
『…………』
藁と土に塗《まみ》れた床《ゆか》に馬の糞の山ができて湯気を上げた。その向うに数十の馬の脚《あし》が並《なら》んで見えた。
上の方は朝のオーラの光で明るく、糞の湯気は光を背景にしてくっきりと形を取って見えた。
人は、嫌《いや》なものを考えたくない時や恐怖《きょうふ》から逃避《とうひ》したい時、思考を放棄《ほうき》する。それが痴呆《ちほう》現象の始まりであるが、ジョクはそれに近い状態にいた。
しかし、不幸にしてジョクの思考は立ち上がり始めていた。
人には簡単に痴呆にならない強さ、悟性《ごせい》を維持《いじ》しようとする衝動《しょうどう》もある。
痴呆|症《しょう》になって恐怖を忘れ、嫌なことを考えないで済めばどんなに楽になるか。しかし、そう簡単に痴呆症になるものではない。
『美井奈《みいな》がロスに来なければ……こんなことは始まらなかった……』
確かにそうだった。
美井奈と肌《はだ》を合わせたその朝に、ジョクは黄色いトラックのジャンブを見て、自分のバイクをあの堅《かた》い光と音の中に飛び込《こ》ませたのだ。そして、フェラリオの女の腹の上に飛びおりて、ショットとドーメ……そして……。
『女運なんて……地上にいる時は全くなかったのに……』
ジョクは自分の運の巡《めぐ》りの悪さを呪《のろ》いたかった。
美井奈とのセックスは本当に良かったと思う。そういったイメージに自分の意思を集中して、恐《おそ》ろしく哀《あわ》れな自分の状況《じょうきょう》を忘れようとした。
しかし、そんな時はどんなに思おうとしても、美井奈の股間《こかん》の谷の形を思い出すことはできない。
ただ、何かがひどく濡《ぬ》れていたという感触《かんしょく》だけが記憶《きおく》の底で渦巻《うずま》いていた。
『……あの女があの股倉《またぐら》にバイストン・ウェルに落ちる穴を持って来たんだ……!』
そういった怨念《おんねん》に似た言葉が湧《わ》き出るだけだった。
そして、次にくるのが美井奈に似たと思ったアリサの出現である。
『そう感じた俺《おれ》はどうかしている。女同士の穴ってのはつながっているんじやないのか……? クソッ……ォォ!』
そういう言葉になってジョクの頭の中を駆《か》け巡った。
ジョクは、自分の惨《みじ》めさを呪ったが、それもこれもアリサのことを思い出してからのことである。
『この思いが間違《まちが》いだったのか?……アリサが凶運《きょううん》を呼ぶのか?』
アリサの存在を意識しなければ、捜索《そうさく》隊に参加などしなかったろう。ツタラムの市民たちのようになるアリサが可哀想《かわいそう》だというのは、あくまで概念《がいねん》である。
また、ジョクにはドレイクの娘《むすめ》を助けておけば、後々有利であろうという功利的な考えもなかった。
なぜならば、ジョクは、コモン世界、ましてアの国などという得体《えたい》の知れない世界で一生過ごすなどと考えてはいないからだ。
ジョクの行動の底にあるのは、単に今を生き延びて、近い将来地上世界に戻《もど》りたいという気持ちと、もうひとつは、セックスである。
それも単純に、美井奈とのセックスの記憶《きおく》が残っていてセックスをしたいという若者特有の欲望である。それが若者特有の愚鈍《ぐどん》さを産む。
だから、ジョクが、美井奈とアリサがどこか似ていたということが原因で、自分がこんなひどい目に会っているのだと思うのは曲解である。
『クソッ……女って奴《やつ》は……』
ジョクは、自分の判断が甘《あま》かったことを棚《たな》に上げて罵《ののし》った。
この場合の原因が女にあったとしても、判断して行動したのはジョク自身であって、美井奈やアリサに関係はない。
『…………』
ジョクは美井奈を思うとアリサを考え、それが恨《うら》みつらみになってしまうので、考えるのをやめた。が、やめると全身の痛みがまたも体と精神を揺《ゆ》すった。
『……ギィ・グッガが……コレルとトハを殺したのは間違《まちが》いない……』
ジョクは、ようやく別の視点を見つけた。
あの二人はドレイク・ルフトがジョクのために集めてくれた若者である。
『むざむざ二人の部下を殺してしまった……これでは生きては帰れない……』
ジョクのどこかに古い日本人の感性《かんせい》が残っているのではなく、聞き知った言葉を並《なら》べただけなのである。が、言葉というものは、このように使っていく
と、それが意識に止《とど》まってその人の精神を形成して行く一助《いちじょ》になる。
『大体、俺《おれ》の年齢《とし》で部下を持つなんてことがおかしいんだ……』
頭の中でそう言葉にしながらも、生還《せいかん》できる可能性がなくなった自分の運命に慄然《りつぜん》として、ただ体が震《ふる》えるのである。
騎士《きし》とか戦士とかの義務を思い出すのは、ジョクに多少サムライ的なセンスに憧《あこが》れる部分も残っているからだろう。
どうせならば、見事に戦士をやってみせたいという意地である。
が、現実は生きて帰れないのである。そう思うと、絶望して恐怖《きょうふ》に身を任せるしかない。
これは、もともとジョクがサムライとしての訓練を受けていないから、この種の状況《じょうきょう》を想定した訓練をしていないからに過ぎない。感性が脆弱《せいじゃく》なのではない。
腫《は》れた唇《くちびる》までが痛みを無視して震《ふる》えるので、その痛みがさらに激《はげ》しくなり頭の芯《しん》を打った。
『考えられなくなればいいのに……』
しかし、思いとは逆に、ジョクは周囲の馬の糞尿《ふんにょう》の臭《にお》いはハッキリと分り、濡《ぬ》れた藁《わら》や、両の手首の革紐《かわひも》の状態も理解できる。そんな憧れが現実になるとは思えなかった。
「……仕事だぞ!」
そんな声がした。
ガロウ・ランの醜悪《しゅうあく》な男たちの姿が馬の間に現われて、ジョクを括《くく》った革紐《かわひも》を引く男がいた。
背は高い。頭にほとんど毛のない男である。それに続く男たちは手に手にそれぞれ奇怪《きっかい》な武器を持ちジョクを取り囲んだ。
「来いっ……!」
ジョクは手首を縛《しば》られた革紐を思い切り引かれ、前に出た。腫《は》れた眼《め》にも朝の強いオーラの光が眩《まぶ》しかった。
「臭《くせ》え! 臭えぞ、こいつ!」
出陣《しゅつじん》の前である。ジョクを取り囲むガロウ・ランの戦士たちは、革鎧《かわよろい》に似たものを身につけたり、革の手甲脚絆《てっこうきゃはん》を纒《まと》ったり、それぞれ戦いの準備をした様子が見えた。無頼《ぶらい》の民であっても出陣前の高揚《こうよう》した気分はドレイク軍と同じであった。
「これが本当に地上から来たってのか?」
「女みてえじゃあねぇか……!」
「女が男風にするのがコモン界で流行《はや》っているって言うぜぇ!」
「そうか! こいつは女かっ!」
「ギッ! ガッハハハハ……!」
ジョクを引き廻《まわ》す男たちは、何かを思い付いて突然《とつぜん》笑い出した。
数人の男たちが短剣《たんけん》を引き抜《ぬ》き、ジョクの革紐を掴《つか》んだ男がドッと走り出した。続いてジョクが走ると、そのジョクの脚《あし》を横から払《はら》う男がいた。
「ウッ……!」
ジョクは、不様《ぶざま》に前に倒《たお》れた。
「……革鎧を剥《は》いじまえっ!」
そんな叫《さけ》びが上がり、短剣を持った男たちが一斉《いっせい》にジョクに襲《おそ》いかかった。ジョクはわずかに体を捻《ひね》って避《よ》けようとしたが、その肩《かた》を踏《ふ》む男の足があった。両方の手を縛《しば》った紐《ひも》が一杯《いっぱい》に引かれた。
ジョクの前にのしかかった数人の男、いや女もいた、が、短剣《たんけん》でジョクの革鎧《かわよろい》をあっと言う間に引き裂《さ》いた。体を傷つけまいなどという配慮《はいりょ》はない。当然、ジョクの体に新しい傷が幾筋《いくすじ》もつけられた。
「うッ! くッソッ!」
ジョクは脚《あし》を振《ふ》り回して抵抗《ていこう》してみたが、所詮《しょせん》気休めでしかない。かえって傷を大きくするだけだ。
その脚も誰《だれ》かに情け容赦《ようしゃ》なく踏んづけられ、足首が捩《よじ》れた。
「なにをするっ!」
ベリッと革鎧が引き剥《は》がされ、ズボンが下に引き抜《ぬ》かれた。数本の腕《うで》が下穿《したば》きに手を掛《か》けて、ジョクの下半身が剥《む》き出しになった。
「男か?」
「バカ言え! ないぞっ!」
「あったよー ホーラ! 縮こまってる!」
ジョクの男性は陰毛《いんもう》の中に埋没《まいぼつ》していた。正常な状態であるわけがない。それを遠慮《えんりょ》のない力で摘《つま》まれ引き伸《の》ばされた。
痛みと羞恥《しゅうち》が走った。
「やめろっ!」
「ホーレ! 立ちゃあいいんだよ!」
ジョクは革紐を引かれて立った。上半身の革鎧は半分以上体に残っていた。
下半身だけが全くの剥き出しの惨《みじ》めな状態のまま、ジョクは木の柵《さく》の中に連れ込《こ》まれた。
「オッ! オオッ!」
「ギッハッハハハハ……!」
ジョクの思いもよらない滑稽《こっけい》な姿に、ガロウ・ランの戦士たちの歓声が上がった。柵《さく》はグルリと一区画を囲み、その柵に取りつくガロウ・ランの数は二千を超《こ》えていた。
「…………!?」
ジョクは羞恥《しゅうち》に包まれながら、呆然《ほうぜん》と立ち尽《つ》くした。
両手は革紐《かわひも》で引かれたままである。手で前を隠《かく》すこともできない。
その観客の中には、先程引き出されたアリサ・ルフトもいた。
「…………?」
アリサは、その惨《みじ》めな姿をした戦士に目を見張った。
柵、つまり檻《おり》の中にジョクが引き出された時、体全体が浮腫《むく》み痣《あざ》だらけの姿に、誰《だれ》かは分らなかった。しかし、引き裂《さ》かれた革鎧《かわよろい》がドレイク軍のものであるのは分った。
顔は体以上に浮腫み、目は見えないに等しかった。その上、汗《あせ》と血に塗《まみ》れているので、誰だか分るはずがない。
「……ジョク……!?」
アリサはその戦士のきゃしゃな体つきでジョクと分ったのだ。
声を絞《しぼ》り出したアリサは、胸が塞《ふさ》がった。
どこかでジョクを待っていた自分を自覚したからだった。だからジョクと分った。
しかし、そのジョクはドーメで颯爽《さっそう》と現われるはずだった。
一瞬《いっしゅん》、ジョクの下半身が剥《む》きだしだということが分らなかったのは、鮮《あざ》やかすぎる痣《あざ》と血の筋が肌《はだ》を覆《おお》っていたからだろう。その上、アリサは陰毛《いんもう》など見慣れていないからでもある。
「あれが地上人《ちじょうびと》かよ?……グッ! グックククッ!」
アリサはその不気味な笑い声に振《ふ》り向いた。
ギィ・グッガが、数人の側近と共に檻《おり》を見下ろす台の上に上がって来たのだ。
身長はニメートルを超《こ》える。銀色の髪《かみ》は後ろに束《たば》ねられ、同じく銀色の眉《まゆ》は細くそり上げられていた
白い肌にこけた頬《ほお》が地獄《じごく》の使者を思わせた。事実、ギィ・グッガの体の周囲には、冷たい空気の層があるのではないかと思わせた。
彼だけは銀色の板金鎧《いたがねよろい》を身につけ、ガロウ・ランの総大将に相応《ふさわ》しい威厳《いげん》を見せていた。
しかし、総合的な印象が女のようであることも間違《まちが》いなかった。それでいて、その腕力《わんりょく》と跳躍《ちょうやく》力は人並《ひとなみ》外れているという噂《うわさ》である。
「……ああ……! 主《ぬし》が姫《ひめ》様か……?」
側近の耳打ちにアリサが物見台の隅《すみ》の席に座っているのを知り、つくづくと見下ろした。
「……ググググッ……まるで生れたばかりの女ではないか?」
ギィ・グッガは、喉《のど》を鳴らして笑った。
「地上人の男はチンポがないと見える。それが赤ん坊《ぼう》のような主《ぬし》を助けに来るというのが分らんな……グックククク……!」
そのギィ・グッガの嘲笑《ちょうしょう》に、周囲に居並《いなら》ぶガロウ・ランの長たちが声を合わせた。
アリサは、その冷たい空気を送るギィ・グッガから目を離《はな》してジッと檻《おり》を見つめた。
「…………?」
ジョクの入って来た入口から数人の男たちが、人の形をしたものを運び込んでいた。ふたつの死体だった。
「……アア……!」
アリサは、またも絶望的な声で喉《のど》を震《ふる》わせた。その遺体もまたドレイク軍の者であると分ったからだ。
その間に、ジョクは檻の中央の柱に革紐《かわひも》で括《くく》られて立たされた。
革紐に余裕《よゆう》があった。前を隠《かく》すこともできる。というより、十分に腕《うで》が使えるだけの余裕が与《あた》えられたのだ。
「…………?」
その不思議さにジョクは戸惑《とまど》った時、ふたつの遺体が運びこまれたのである。
「……コレル……トハ……!」
ギィ・グッガと勇敢《ゆうかん》に戦ったジョクの二人の部下の遺体だ。
「…………?」
遺体を運んで来た男たちがバッと駆《か》け出した時、ジョクの目の前にニメートルほどの棒が投げ込《こ》まれた。二十センチほどの槍《やり》状の刃《は》が先端《せんたん》に付き、その付け根からさらに六十センチほどの長さの鎖《くさり》が三本出ていて、その鎖の先に鉄の分銅《ふんどう》が付いた武器である。
ジョクは、その不思議な武器とふたつの遺体を見比べた。
「オオッ!……」
「出せーっ! マンタラーを出せーっ!」
そんな歓呼《かんこ》が檻《おり》の周囲のガロウ・ランの口から一斉《いっせい》に湧《わ》き上がった。柵は高さが十メートルはあろうか……。
ガーン!
銅鑼《どら》が鳴った。
「情けない地上人《ちじょうびと》よ!」
ジョクはその声に初めて一方を見た。そこには柵の高さの半分ほどの処《ところ》に設定された物見台があった。
「……お前が会いたがっている女がいる。こんな女のために死ぬのが地上世界の男のやることとは思えんが、マンタラーに食われる前に女を助けるか? もしくは、マンタラーを倒《たお》してみせればこの女をくれてやるぞ!」
物見台でギィ・グッガの側近がアリサを示し、柵の間からジョクを覗《のぞ》くようにして演説をした。
「……あ……?」
ジョクには、幅《はば》三十センチ程の柵の間から半身を押《お》し出されたアリサが、まるで瀕死《ひんし》のカナリアのように見えた。
自分もまた同じ惨《みじ》めさである……。
「チンポもあると言うではないか。女をくれてやった時は、ここで女とやってみせろよ!」
甲高《かんだか》いギィ・グッガの冗談《じょうだん》に柵の周囲がドッと湧き、その歓声は別の歓声に変った。
一方の木の扉《とびら》が開かれたのである。
ジョクは、ガロウ・ランの歓声が畏敬《いけい》に近いものに変ったのが分った。
腫《は》れた眼《め》を上げて、木の扉の方を見た。眼の周辺がズキッと鳴った。
「アオーッー ブルルルルッ!」
重い獣《けもの》の声である。その声で、ジョクの羞恥《しゅうち》心は吹《ふ》き飛んだ。
「来るぞー! マンタラーだっ!」
「ヒッ! ホッホッーー」
ガロウ・ランの戦士たちが木の柵《さく》を揺《ゆ》すり、ガロウ・ランの喚声《かんせい》はジョクに戦慄《せんりつ》を覚えさせた。
恥《はじ》は死によって雪《そそ》ぐことはできない。ガロウ・ランのような種族を相手にして、死をもって恥を雪ぐという論理は絶対に成立しないと分っていた。
ならば、次は、死を回避《かいひ》しなければならない。
しかし……。
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23 犠《いけにえ》の血
ヒョイ! ヒョイ! ヒョイ!
跳《は》ねるように、飛ぶようにあらわれたものは強獣《きょうじゅう》の一種である。
西洋でワイバーンと言う怪物《かいぶつ》に似ていた。ジョクだってロールゲームぐらいはやる。あれに出てくる奴《やつ》だ。頭と胴体《どうたい》がドラゴンで二本の脚《あし》を持ち、しかも、コウモリのような翼《つばさ》を持っている。
が、その翼はあまり役に立たないようである。大きく跳ねるように走り、ふたつの遺体の方に迫《せま》るマンタラーの数は四頭だ。
強獣は血の臭《にお》いに敏感《びんかん》なようだ。ジョクは今流したばかりの血に塗《まみ》れている。
「…………」
ジョクは、足下に投げ出された武器を手にした。革紐《かわひも》を緩《ゆる》めてあったのは、その武器を使えということであろう。
どのみち助からない、単なるエサにすぎないのだが、抵抗《ていこう》させて多少楽しみを長くしようという魂胆《こんたん》なのだろう。口惜《くや》しいが、ガロウ・ランの計画にのるしかなかった。
強獣の全長は人の倍以上あった。大型の強獣ではないが、彼等《かれら》は赤く長い舌をビロビロと出すや、あっという間にふたつの遺体に啖《くら》いついた。その動きは早い。
ジョクは奇怪《きっかい》な形をした武器の刃先《はさき》を革紐に当てて切った。またも多少手首を切ったものの腕《うで》を自由にすることができた。
「…………!!」
マンタラーの繰《く》り広げる光景を見て、反吐《へど》を出す思いを押《おさ》えるなどという器用なことはできない。次は自分に襲《おそ》いかかってくるのだ。
人の骨が砕《くだ》かれる音が、ジョクに自らの運命を想起させるだけだ。
ベリッ!
二頭のマンタラーがひとつの肉体をふたつに裂《さ》いた。エサを分け合ったのだ。
ジョクは武器の重さをひどく悲しいものに感じながらも、周囲を見回した。どう考えても身を隠《かく》すところはなかった。
ガロウ・ランの野卑《やひ》な歓声が檻《おり》のように取り巻く空間があるだけだった。
四頭のマンタラーは、バリバリと遺体を肉片にして噛《か》み砕き、呑《の》み込《こ》みながら、ジョクという生きている新しいエサに興味を持ち始めて、その鋭《するど》い眼光を向けた。
動けば敏感《びんかん》に反応する。
「…………!」
裂けた口辺についた血を舐《な》め、ゴクッと喉《のど》を波打たせて一頭のマンタラーが一歩近づいた。
ジョクは両方の手に鉄の分銅《ふんどう》をつけた棒を持って後退した。
「…………」
頭の中が白くなっていった。息が激《はげ》しくなり、全身の痛みを忘れた。しかし、激しい打撲《だぼく》の直後である。体はナマっている。思うように動かない。
「逃《に》げるったって……」
ジョクは舌で乾《かわ》いた唇《くちびる》を舐《な》めた。舌の動きに沿ってビリッと唇が痺《しび》れた。腫《は》れている。
ジョクは瞬《まばた》きをしてみた。ボッテリとした瞼《まぶた》の感触《かんしょく》があった。
「……そうか……」
ジョクは自分の体が意思に従って反応を返していると分った。ジョクの体はまだ五体満足に存在しているのだ。
生きるか死ぬかの時に、痛みで体が動かないということはないはずだ。
『こんな時こそ火事場《かじば》のバカ力《ぢから》だ』
そう思い込《こ》もうとした。手にした棒の鉄の分銅《ふんどう》がガチガチと鳴った。
ヒョッ! マンタラーの一頭が翼《つばさ》を激《はげ》しく震《ふる》わせて飛んだ。たいして高度を取れるわけではない。柵《さく》の高さ以上には飛べないのだろう。
しかし、目の高さを越《こ》えて迫《せま》る強獣《きょうじゅう》の姿は十分|威圧《いあつ》的だった。
「ハッ!」
ジョクは思わず分銅を振《ふ》り、その重さで前によろけた。
「ああ……!」
アリサは、目を閉じてしまった。
なんでジョクがガロウ・ランの陣《じん》の中にいるのか? なんでアの国の生粋《きっすい》の騎士《きし》ではないジョクが、自分の救出に来たのか?
全《すべ》て想像がつかないことだ。しかし、アリサがどこかで待っていた男であることも事実だ。
それが、生きたまま強獣のエサになる……。どう見てもジョクが檻《おり》の外に出られる状況《じょうきょう》ではない。
『私のために……ジョクが死ぬ……!』
しかも、最も惨《みじ》めな形で殺されるのである。
アリサは美井奈《みいな》のことでジョクをののしったことなどは忘れていた。
「グッバハハハハ……なんと!」
「あれでギィ・グッガ様に立ち向かおうとしたのが分らんなぁ!」
ギィ・グッガの周囲でそんな声が上がった。
そんなガロウ・ランの声を聞いて、アリサは本能的に怒《いか》りを覚えた。
非力でありながらガロウ・ランが恐《おそ》れているギィ・グッガと戦ったジョクである。自分を助けようとして来てくれたジョクである。
「それは……ジョクが勇敢《ゆうかん》だからっ!」
アリサは前後の見境もなく言ってしまった。
「ケッ! ケケケ……!」
そんなアリサの気持ちがガロウ・ランに伝わるものではない。本質的にそんな感傷を抱《いだ》く種族でもない。
「ユーキ? なんだ?」
それでもギィ・グッガは聡明《そうめい》な男である。周囲の者たちに問いかけた。
勿論《もちろん》、その間にも、ジョクは不様《ぶざま》に棒を振《ふ》り廻《まわ》して転がっていた。
「……ハハハ……! 力ないものが戦うのが勇気であると聞いたことがござるな! ハハハハ……!」
そう説明する長老も、ジョクの小鳥のような姿を見る方に熱中した。
「…………?」
ギィ・グッガは瞬《まばた》きをしながら、ちょっとだけ考えてからまた哄笑《こうしょう》した。
ボグッ!
ジョクが手にした棒の分銅《ふんどう》がマンタラーの顎《あご》に当った。が、それがかえってマンタラーを怒《おこ》らせてしまった。
「ガッラーッ!」
顎を打たれたマンタラーが青臭《あおくさ》い息を吐《は》きながら吼《ほ》えた。
その声を受けて、背後でエサの脚《あし》と頭を呑《の》み込《こ》んだ三頭のマンタラーが激《はげ》しく翼《つばさ》を震《ふる》わせ、爪先《つまさき》立ってジョクの方に迫《せま》ってきた。
その一頭の口の端《はし》からはみ出して揺《ゆ》れていた手がフッと見えなくなった。
ジョクには、そんな奥《おく》の動きを気にする間はない。
正面で赤い口を開いたマンタラーが、ジョクを呑み込む勢いで頭を打ち下ろした。
全体に黄色の眼が巨大《きょだい》な光の玉になった。
「ああ……っ!」
ジョクはさらに後退したが、前を向いたままの後退では間に合わない。マンタラーの血の臭《にお》いのする息が掛《か》かった。
恐怖《きょうふ》を我慢《がまん》する限界は越《こ》えた。
「ハゥッ!」
ジョクはマンタラーに背中を見せて走り出した。
正面に柵《せま》が迫った。背中に熱い息が掛かったと感じた時、ジョクは左に跳《は》ねるように走った。
ザザンッ! とマンタラーの体が柵にぶつかり、ジョクの正面にマンタラーの尾《お》が跳ね飛んだ。
「ワッオオ……!」
柵|越《ご》しにガロウ・ランの喚声《かんせい》があがり、その間にジョクはまた跳ねた。マンタラーの尾がジョクの脚の下を滑《すべ》って砂塵《さじん》を上げた。
着地した時、後方の三頭が固まりになって飛び込《こ》んで来た。
ジョクは柵《さく》を右手にして走るだけだった。
「避《よ》けたっ……!?」
アリサは見事なまでにジョクが一頭のマンタラーの襲撃《しゅうげき》を回避《かいひ》したので目を見張った。
ジョクの不様《ぶざま》な格好はもう気にならなかった。その見事な身のこなしに息を呑《の》んだ。ジョクの動きは偶然《ぐうぜん》だったのだが、アリサにはそう見えたのである。
が、それはギィ・グッガの目にも同じように映っていた。
「あ奴《やつ》……!?」
ギィ・グッガはかすかに呻《うめ》いた。
が、その顔にその程度の事で動揺《どうよう》が現われることはない。
次の三頭が不様な格好のジョクを噛《か》み砕《くだ》くだろうと思った。事実、ジョクの走り方には息切れしたような堅《かた》さが見えた。
しかし、その次の光景を、ギィ・グッガに想像させない見事さがあった。
ジョクの体が止って見えた瞬間《しゅんかん》、ジョクは三頭のマンタラーの間に飛びこんだのだ。
「…………?」
ジョクはマンタラーの間に隙《すき》を見つけたのであろう。
ギャッ! ガッキッ!
動くエサを追ったマンタラー三頭は喚《わめ》きながら体をぶつけ合い、他のマンタラーを牽制《けんせい》して方向を変えようとした。
その間を下半身|裸《はだか》のジョクが走り抜《ぬ》けたのである。
二頭のマンタラーが体を柵《さく》にぶつけながら方向|転換《てんかん》し、一頭は柵の上スレスレまで飛び跳《は》ね、柵に脚《あし》を掛《か》けて柵を飛び越《こ》えようとした。
ドッとガロウ・ランの歓声が上がり、その周辺のガロウ・ランが一斉《いっせい》に柵から離《はな》れ、柵にかじりついていたガロウ・ランは柵を転げ落ちた。
「ミュランのハバリーはどうしたっ!」
その一角の混乱にギィ・グッガの傍《かたわ》らに立った側近が叫《さけ》んだ。
「来ます! 今来ますっ! オラッ!」
別の男がオロオロと叫び、空の一角を指差した。
ようやくマンタラーを牽制《けんせい》する仕事を請《う》け負った集団が檻《おり》の上空に現われたのだ。
空を飛ぶ強獣《きょうじゅう》ハバリーの一隊である。
「ミュランのバカ奴《め》! なんで遅《おく》れおった……!」
そんな側近の騒《さわ》ぎなどにはギィ・グッガは目もくれなかった。
オロオロと不様《ぶざま》に逃《に》げ回るジョクの姿、不様なジョクの格好に目を据《す》えていた。
『あ奴《やつ》のチンポ……伸《の》びて来た……』
アリサが気づく現象ではない。ギィ・グッガにして気がつく小さな現象である。男性の性器は、恐《おそ》れ緊張《きんちょう》すると縮んでいるが、安心すると伸びやかな状態になる。
『……危険だな……』
ギィ・グッガはかすかな不安を感じた。
『なんだ……あ奴は……?』
ハバリーの部隊を指揮するガロウ・ラン、ミュラン・マズは、柵を飛び越えようとするマンタラーを上空から牽制して、檻に追い落とそうとした。
ギャオッ! ギギッ! ギャッ!
柵《さく》の上の方に取り付いたマンタラーは、飛翔《ひしょう》できない悔《くや》しさを見せるかのようにしてドタッと檻《おり》の内側に落ちる。
「うわっ!」
ジョクの体がマンタラーの脚《あし》にひっかけられて、また激《はげ》しく転がった。
が、ギィ・グッガには、半分はジョクの意思で大きく転がったと見えた。
「……受けている……か……」
衝撃《しょうげき》をかわすためにジョクが受身《うけみ》をしたと見たのだ。事実、ジョクはそのつもりで体をコントロールした、が、余裕《よゆう》があってやったのではない。
ジョクは体を転がしながら、次にマンタラーの尾《お》が飛んで来るのか、別の逃《に》げる手段があるのか、見つける間が欲しかった。
しかし、頭で考えるように体は動いていない。目は新しい事態を発見することもない。
「クソッ!」
檻の中央の柱を盾《たて》にして立ち上がったジョクは、柱を避《よ》けようとして動きが大きくなったマンタラーの隙《すき》を狙《ねら》って、ギィ・グッガのいる物見台に向かって突進《とっしん》した。
『あそこまで息が持たないかも知れない!』
そう思った。が、もう食われるのも時間の問題である。ならば、一度は追うマンタラーをギィ・グッガの前の柵に体当りさせて威《おど》かすぐらいのことはしたかった。
「アリサ様! 後ろへっ!」
この惨《みじ》めな格好を正面から少女に見せる……。
しかし、そんな悔《くや》しさもその最後の叫《さけ》びに託《たく》して絞《しぼ》り出したつもりだった。
ジョクは全力|疾走《しっそう》した。ジョクの男性自身が激《はげ》しく上下に動いた。縮んだ状態では揺《ゆ》れない。
ジョクは涙《なみだ》が出ているのが分っていたが、今はこれしかできない。
「チッ! 賢《さか》しいっ!」
ギィ・グッガは立ち上がり、傍《かたわ》らの将兵が手にした槍《やり》を奪《うば》った。
「ギィ・グッガ様っ!?」
ジョクはマンタラーの血の臭《にお》いがまざった息の音を聞いた。チラッと目の端《はし》にマンタラーの鼻先が見えた。手にした棒を振《ふ》った。
「ギッヤッ!」
どこかに当ったらしい。
そのマンタラーの首が急速に後退する。背後でザザッ! と地を擦《す》る音、肉同士がぶつかる音、そして、さらに強力な翼《つばさ》のはばたきが聞えた。
「小僧っ!」
ギィ・グッガが手にした槍は柵《さく》の間を抜《ぬ》けて、ジョクに迫《せま》った。
「…………!」
ジョクの手にした棒が空《くう》を切った。
ガランッ!
ギィ・グッガの槍がジョクの分銅《ふんどう》にからむようにして舞《ま》い落ちた。
「……アリサ様っ! 逃《に》げろーっ!」
それは絶望の中で最後の願いを託した叫びだった。
柵までの最後の数メートルの疾走が続いた。
ダワッ!
ジョクの頭にマンタラーの一頭が飛んだ。ジョクは柵《さく》に体をぶつけながらも、右に右にと走った。
ドドッ!
物見台の正面に一頭のマンタラーの体がぶつかり、その向うで仁王《におう》立ちのギィ・グッガの姿が揺《ゆ》れた。その眼光は憎悪《ぞうお》に溢《あふ》れていた。
アリサはその物見台の隅《すみ》から真下にジョクを見下ろした。マンタラーの激突《げきとつ》で柵が緩《ゆる》んだのも気がつかないようだった。
「アリサッ!」
そのジョクの意思の中に美井奈のイメージは寸毫《すんごう》もない。
「ジョク!」
アリサの意思が反応した。ジョクは次のマンタラーの襲撃《しゅうげき》を背中に感じながら最後の息をつこうとした。
「ハッ!……」
息をつき終らないうちに、
ドウッ!
ジョクは背中がカッと熱くなるのを感じて振《ふ》り向いた。
「オッオツッ! ズォーン!」
二頭のマンタラーが赤い炎《ほのお》を背景にしてのけぞっていた。
「……フレイ・ボンム?」
檻《おり》の上空に舞《ま》うハバリーの群が大きく舞い上がり、その間を一機のドーメが降下してくるのが見えた。
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24 ガラリアから
ジョクが閉じ込《こ》められた檻《おり》の中央に一発のフレイ・ボンムを発射したガラリアは、それでジョクが死ぬとは思っていない。
その確信は女でありながら、戦士が務《つと》まる神経のズ太さがガラリアにあったからだ。
逆に言えば、ザツな神経の持ち主とも言えた。しかし、もっと別の言い方をすれば、割り切りが良いのである。
ガラリアは、一気にドーメを降下させて動揺《どうよう》を見せたマンタラーの頭上に降りた。上空を舞《ま》うハバリーは、群と言っても十数|匹《ひき》である。彼等《かれら》はミュランの指示に従って四方に散開した。
ドーメの威力《いりょく》を知っているからだ。
しかし、ガラリアは四方に牽制《けんせい》のフレイ・ボンムの斉射《せいしゃ》を続けながら、一頭のマンタラーを襲《おそ》うように滞空《たいくう》した。
「ガヤオーッ!」
醜悪《しゅうあく》なマンタラーが吼《ほ》え、遅《おく》れて気がついたマンタラーが頭を掠《かす》めるドーメに首を振《ふ》った。
「撃《う》て、撃てっ!」
ガラリアはフレイ・ボンムを発射して一頭のマンタラーを焼いた。下のコックピットのハッチから部下の撃つ小銃《しょうじゅう》の音がしたので、より低くドーメを降下させた。
「……ジョク!」
ジョクの背中が柵《さく》の下に見えた。
その姿を奇妙《きみょう》だと感じたものの、ガラリアには理由は分らなかった。
檻《おり》の周囲に取りついていたガロウ・ランの群が四方に散開し、それをガラリアの部下の小銃が追った。
「ハバリー! ガロウ・ラン共っ!」
ガラリアは、ギィ・グッガの陣《じん》の上に旋回《せんかい》するハバリーの動きを見、その下の柵《さく》の中でこの地方にはいないマンタラーが動いているのを見て、檻《おり》の中でなにが行なわれているか容易に想像がついた。
そして、走り回るジョクの姿を確認した時、その異様な姿、不様《ぶざま》な姿の意味などは考える間もなかった。
ドーメを降下させ、一気にマンタラーを焼いたのである。
ジョクはドーメを見た時から、目の前のアリサを助けることしか考えなかった。
「今、行きますっ!」
ジョクはそう叫《さけ》んで、アリサにそこを動くなと言ったつもりだった。ジョクは手にした棒の先に付いている刃《やいば》でアリサの下の柵のロープを斬《き》っていった。
横木が頑丈《がんじょう》なものではなかったのが幸いした。ボロッと横木の一本が落ち、ジョクの足場になった。
その間も、ドーメは上空を低く旋回して三頭目のマンタラーを炎《ほのお》で焼いた。
そのマンタラーは死にきれず仲間《なかま》にぶつかり、さらに、檻にぶつかって柵を破壊《はかい》した。まだ残るマンタラーもガロウ・ランたちの注意も、その黒焦《くろこ》げのマンタラーとドーメの動きに集中した。
ガロウ・ランの性癖《せいへき》は直線的である。
ドーメが現われた時から、ギィ・グッガ以下のガロウ・ランたちは、ジョクやアリサのことを忘れて、ドーメに集中した。自分たちが楽しむはずであった見せ物を蹂躙《じゅうりん》したものへの憎悪《ぞうお》以外持つべき感情はなかった。
その上、十分に飼《か》い馴《な》らしていないマンタラーが暴《あば》れているのである。今度食われるのは自分たちであった。
ガロウ・ランの軍を指揮するギィ・グッガにしても、ドーメという空を飛ぶ機械を見るのは初めてである。動転した。
空を飛ぶものと言えば、翼《つばさ》を持った鳥であり強獣《きょうじゅう》でしかない。
「話では聞いていたが……機械というものが空にある……」
後退してドーメを観察したギィ・グッガは呻《うめ》いた。
ドーメが自在に空に浮《う》き、四方に炎《ほのお》を噴《ふ》き出す力には唖然《あぜん》とするしかなかった。
「…………!」
ギィ・グッガは、物見台のアリサとジョクのことを忘れ、ドーメの動きに目を奪《うば》われ、その潜在《せんざい》的な脅威《きょうい》に敵愾心《てきがいしん》を燃え上がらせた。
ギィ・グッガは、檻《おり》から離《はな》れて陣地《じんち》の幕舎《ばくしゃ》の陰《かげ》に駆《か》け込《こ》んで周囲の者に振《ふ》り向いた。
「オッツ!」
短く号令をした。
それだけで周囲の者たちは怯《おび》え、ギィ・グッガが何を命令したかを承知するのである。
出陣《しゅつじん》ののために用意した花火に火が放たれた。
それはハバリーの群に、攻撃《こうげき》を督促《とくそく》する命令である。
ハバリーを指揮するミュランはその花火を見ると、笛《ふえ》を吹《ふ》いてハバリーの群を檻の上空に集めた。
その間に、ジョクは緩《ゆる》んだ柵の間から、アリサが身を屈《かが》める物見台の上に這《は》い上がった。
その動きで、ようやくドーメのブラットホームに立つガラリアにもジョクが見えた。
「柵《さく》を撃《う》てっ! 柵だっ!」
ガラリアは、コックピットに立つ部下に命じた。
マンタラーを檻《おり》の外に出すことでガロウ・ランの敵を増やす作戦を思い付いたのである。
フレイ・ボンムがドッ! ドッ! と音をたてて柵と残ったマンタラーの間に走った。
カン! カン! シャーン!
その頃《ころ》になると低空を旋回《せんかい》するドーメにガロウ・ランの弓矢の攻撃《こうげき》が集中し始め、ババリーの群が降下した。
「ジョークッ!」
ガラリアは叫《さけ》んだ。
物見台の上に這《は》い上がったジョクとアリサらしい姿が目に入った。ガラリアはドーメに柵を飛び越えさせると物見台の上に滞空《たいくう》した。
「オオッ!」
ガロウ・ランの喚声《かんせい》が別の方向から聞えた。
体を焼かれた二頭のマンタラーがギィ・グッガの陣地《じんち》に躍《おど》り出たのである。
「アリサ様っ!」
「ジョクか……? よく来てくれた……」
最後は言葉にはならなかった。
あまりにすさまじく変形したジョクの顔を見て涙《なみだ》が溢《あふ》れた。
二人の周囲には矢が飛び交い、ドーメがそれを防ぐように降下した。
アリサはジョクのボロボロの革鎧《かわよろい》の下にも、いく筋もの傷が走り、痣《あざ》だらけなのを見逃《みのが》さなかった。
ジョクは周囲に飛びかう矢を気にしながらも、ドーメを振《ふ》り仰《あお》いだ。
「上っ! 来るぞっ!」
ガラリアに叫《さけ》ぶジョクのロから血が飛んだのもアリサは見た。
「ジョク……」
アリサのくぐもった声はジョクには聞えていない。
ガラリアはジョクの声にドーメを回避《かいひ》させようとしたが、降下したハバリーの一頭の体当りを避《よ》けることができず、ドーメはアリサとジョクの頭を叩《たた》くかのように落ちた。
シュルルル……!
体勢を整えようとするガラリアのドーメは横に滑《すべ》り、ハッチからはガラリアの部下が小銃をハバリーに向かって乱射した。
「ギャッ! ギャツッ!」
ハバリーが後退し、長い嘴《くちばし》がパッパッと音をたてて開いた。
ドーメは横に滑りながら、ジョクとアリサの脇《わき》にフレキシブル・アームを伸《の》ばした。その加熱したアームの先端《せんたん》が物見台に接触《せっしょく》した。
ガラリアはプラットホームの上から小銃でハバリーを牽制《けんせい》した。さらに、背後のアームのフレイ・ボンムで地に伏《ふ》せるガロウ・ランを掃討《そうとう》した。
「戦士ジョクッ!」
ドーメのハッチから身を乗り出した若者が手を差し伸べた。
ジョクは頭上を掠《かす》めるように滑るドーメの機体に身を寄せるようにして、アリサの腰《こし》を抱《だ》いた。
「上げますっ!」
ジョクは、アリサの腰を抱き上げてハッチにとりつく若者に向けて押《お》し上げた。
アリサは、簡単なワンピース様のものしか身につけていない。その肌《はだ》のぬくもりが直接ジョクの顔と腕《うで》に伝わった。
「……アリサッ……!」
ジョクはさらにアリサの足の裏に手を当てて押《お》し上げた。スカートが風に舞《ま》ってすらりとした大腿《だいたい》部が覗《のぞ》けた。
「クッ!」
最後の一押しでアリサの上半身がハッチの向うに隠《かく》れる。
「フッ……」
息をしながらもジョクは、身を低くして周囲を見た。ガラリアは今度は上空のハバリーにフレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》しているようだった。
「アリサ様は上げましたっ!」
「ジョクはっ!」
「まだですっ!」
ガラリアはドーメをもう一度|横滑《よこすべ》りさせながら、物見台の上のジョクの姿を見た。そして、改めてその下半身が剥《む》き出しなのを知った。
「……ジョク!」
ガラリアはロ籠《くちごも》もり、同時に、アリサも見た光景か、と思った。
が、ドーメの機体を再度物見台に寄せて、ジョクに足場を提供した。
ドッ! ドドドンッ!
「バーン?」
ガラリアは、ギィ・グッガの陣《じん》の一方にフレイ・ボンムの炎《ほのお》を見た。
ジョクはドーメのアームをステップにしてドーメに這《は》い上がった。
「ジョク……!」
アリサのひきつった顔がジョクを迎《むか》えてくれた。
「お怪我《けが》はありませんね?」
言いながら、ジョクは傍《かたわ》らの若者の肘《ひじ》をつついて、その耳元に囁《ささや》いた。
「穿《は》く物はないのか?」
「はッ!?」
ガラリアは、天井《てんじょう》のハッチからジョクを確認するとドーメを上昇《じょうしょう》させた。
ジョクはガラリアにも不様《ぶざま》な格好を見られたらしいと分ったので、気が急《せ》いていた。
「ありません……そんなもん……!」
アリサは、ジョクと若者のそぶりを見て、あわてて背を向けた。窓からバーンのドーメが降下するのが見えた。
バーンには自分の部下のキムッチがギィ・グッガから逃《に》げのびたことが負担になっていた。だから、ガラリアの独断専行の行為《こうい》であっても、掩護《えんご》せざるを得ないと判断したのである。
「戦士ジョクのドーメを呼べっ!」
ガラリアの顔がコックピットの天井のハッチから覗《のぞ》いて叫《さけ》んだ。
「すまないっ。ガラリア」
「いや……!」
ガラリアはすぐにバーンのドーメの動きに気を取られた風を見せた。
「…………」
バーンのドーメがハバリーとガロウ・ランの攻撃《こうげき》を牽制《けんせい》する間に、鉱石無線でジョクのドーメを呼び出した。ジョクは上半身に垂れさがっていた革鎧《かわよろい》の一部を切り取って、それを腰《こし》に巻いた。
その間にも、アリサはジョクのそんな仕草《しぐさ》をチラッと見た。
「…………」
生きているから、恥《はじ》をかくこともできるのだとジョクは開き直るしかなかった。
マッタ・ブーンとキチニ・ハッチーンが操縦するドーメは、バーンの指示に従って降下し、ハバリーの一頭を焼きながらガラリアのドーメに接近した。
ガラリアはそのドーメに機体を寄せ、ジョクはハッチから身を乗り出した。
流れる地上にはガロウ・ランの群が右往《うおう》左往《さおう》するのが見えた。
多少の恐怖《きょうふ》はあったが、女二人にみっともない姿を見られたドーメよりは、自分のドーメの方がはるかに気が楽だという気持ちが、ジョクをドーメからドーメに飛び移らせた。
ジョクは、わずかな革片を下半身にまとった姿で自分のドーメに戻《もど》った。
「戦士ジョク……!」
キチニはいつものジョクとは思えない、ひどい顔に慌《あわ》てた。
「穿《は》くものがないか? 何でもいい!」
「エ? ああ!」
キチニとマッタは、改めてジョクの姿を見て、
「その革を使って下さい!」
二人は窓の外の光景に顔を向けたまま、ブリッジのバーに巻いてあるなめし革を示した。
二人は、以前にまして熟練していた。数条のフレイ・ボンムが発射され、ドーメは上に下にと戦闘《せんとう》空域を舞《ま》った。
鉱石無線からはバーンが攻撃《こうげき》を指揮している声が波を打つようにブリッジに響《ひび》いた。
「よく来てくれた!」
「いえ! 戦士ガラリアの独断でしたが、よかった。戦士ジョクが助かって!」
「アリサ様も助けた! あと少し遅《おそ》ければ俺《おれ》は死んでいた。マンタラーとか言う強獣《きょうじゅう》に食われて……!」
「そうでしたか……! ドレイク様はアリサ様を見捨てる決心をなさって軍を進め始めたのです。そうしたら……」
「騎士《きし》のキムッチが、戦士ジョクがギィ・グッガと戦い捕《とら》われたと報《しら》せて、ガラリアが独断専行したのです」
「それで、我々はバーン様に従ってガラリア様を掩護《えんご》しに来たのです。万一、戦士ジョクを救出できなければバーン様に従って戦う予定でありましたっ!」
「了解《りょうかい》だ!」
ジョクは、天井《てんじょう》のハッチからブラットホームに上がった。
ハバリーの群は後退したようだが、マンタラーが放されたギィ・グッガの陣《じん》は混乱を呈《てい》していた。
ガラリアはガラリアで丁寧《ていねい》にギィ・グッガの陣を掃射《そうしゃ》していた。
しかし、いやしくも戦闘を想定した集団である。まだ主力の強獣部隊がいるはずであった。
「………?」
ジョクは、一方に流れるガロウ・ランの群を見つけた。
「バーン!」
ジョクはバーンのドーメと並進《へいしん》すると、ガロウ・ランの動きを追うと手真似《てまね》で示した。
バーンが行けと手で示した。
ジョクのドーメは機体をひるがえした。
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25 静寂《せいじゃく》の勝利
ドレイク・ルフトは、娘《むすめ》一人の命と国家の存亡を秤《はかり》にかけた上で、娘を捨てようと決意したのである。
勿論《もちろん》、それはドレイクの意識の表層の論理である。その裏には、ジョクに賭《か》けたことが間違《まちが》いではない、という楽観があった。
さらに、ドーメの修理も順調のようであり、バーンは先の実戦の経験から三機のドーメで強獣《きょうじゅう》軍団を掃討《そうとう》するのは可能であり、夜明け前には、グランキャのギィ・グッガの陣《じん》に侵攻《しんこう》できると保証したのである。
それがドレイクの決意の背景にあった。座《ざ》して待つというほどドレイクは愚鈍《ぐどん》ではなく、また若くもあったのだ。
その上で、妻アリシアの怨念《おんねん》を晴らせればという感情が働くのである。
ドレイクは、サンマザンの捜索《そうさく》隊が発して間もなく、全軍に発進を命じた。
「アリサ様は……!?」
周囲の高官たちは動揺《どうよう》をみせた。
「戦いには流れがある。その流れに乗らなければ戦いは勝てない」
ドレイクは、そう言っただけである。が、その言葉はドレイクの戦略家としての一面も覗《のぞ》かせていた。
バーンには、ジョクのドーメの修理が終り次第、軍を追わせることにした。
そして、この日の早朝、ドーメ隊はドレイク軍を追いこして、先にサンマザンの偵察《ていさつ》部隊と接触《せっしょく》した。
そこには、キムッチがジョクを見捨てるようにして生還《せいかん》していた事実が待っていた。バーンはキムッチを激《はげ》しく叱責《しっせき》した。
しかし、キムッチの報告がなければ、ジョクがギィ・グッガ自身と戦ったと知らされることもなく、ギィ・グッガというガロウ・ランの総大将の実体も分らなかったろう。
この日までドレイク軍の中には、ギィ・グッガを見た者は一人たりともいなかったのである。ギィ・グッガが人の形をしたものであるという報告だけでも、ドレイク軍にとっては有益であった。
「戦士ジョクがギィ・グッガと戦ったのか……?」
ガラリアはキムッチの証言に絶望した。
「……それで戦士ジョクが、殺されていないという保証はどこにある!」
「自分は、戦士ジョクが馬に引きずられて行くのを見ましたっ!」
ガラリアは朝のオーラの光の中でキムッチの胸倉《むなぐら》を掴《つか》んで詰問《きつもん》したものだ。
「……そ、それでは、今頃《いまごろ》は捕虜《ほりょ》として囚《とら》われているのか?」
「囚われています。殺されてはいません!」
「分るものかっ! 相手はガロウ・ランだ! 今、殺されたかも知れん! 殺されていないかも知れない!」
「うわっ!」
ガラリアはキムッチを蹴飛《けと》ばすように押《お》し倒《たお》すとドーメに駆《か》け上がって行った。
「ガラリア! どこに行くっ!」
「戦士ジョクだー アリサ様の命だ! 偵察《ていさつ》に行くっ!」
これがガラリアの独断専行の始まりであった。
その時は、ドレイク軍本隊の先鋒《せんぽう》部隊が到着《とうちゃく》し始めていた。
「ドレイク様も直《す》ぐに到着する! 後方は任せられようっ!」
ガラリアはそんなことを喚《わめ》いて、ドーメを上昇《じょうしょう》させた。
「キチニッ! マッタ! ガラリアを掩護《えんご》する用意をっ!」
バーンは、ドーメニ機に追う手筈《てはず》を整えさせながらも、後方の軍を振《ふ》り返った。
「行け! 但《ただ》し、戦闘《せんとう》に入ったならば、ドレイク様の目が入るまで持たせろっ!」
サンマザン以下の武将たちはドーメの攻撃《こうげき》を黙認《もくにん》したのである。
これが、結果的にジョクとアリサを救出することになった。
そして、陸続と到着するドレイク軍はギィ・グッガの陣に対して横に布陣《ふじん》していった。
ギィ・グッガの前衛部隊は、本陣《ほんじん》の混乱を背にして、ドレイク軍に闇雲《やみくも》の戦端《せんたん》を開いた。ドレイク軍も一昼夜の行軍のあと休む間もなく、混乱するガロウ・ランの陣に突入《とつにゅう》したのである。
騎馬《きば》と歩兵《ほへい》を中心にした軍の場合、これは異常な戦いである。疲労《ひろう》困憊《こんぱい》した軍が使い物にならないのはどの世界でも同じである。
「……ガロウ・ランの陣地《じんち》はドーメの攻撃《こうげき》で混乱しているな?」
ドレイクは、まだギィ・グッガの陣地を俯瞰《ふかん》する場所でないために、そんなバカな質問まで部下にしなければならなかった。
「ハッ! アリサ様の救出の手だてが見え、ドーメ隊が侵攻《しんこう》したとの報告であります!」
「そうか……! 後続部隊は早駆《はやが》けっ! 包囲網《ほういもう》を厚くせいっ!」
人から人に伝わる情報というものはいい加減である。が、この場合は、その方が事態を良い方に進めた。
「……混乱が見えたというのであれば、ドーメ隊がギィ・グッガの陣を制圧していると考えて良い!」
ドレイク自ら、馬を急がせた。
「……後続部隊は三つに分けろっ! 儂《わし》以後の部隊は、支えになれっ!」
「ハッ!」
伝令が後方に飛び、前方からは、別の伝令官が駆《か》け込《こ》んで来る。
「先鋒《せんぽう》が敵陣《てきじん》に入りました!」
「よしっ!」
ドレイクは自分の知らないドーメ隊の動きについて、尋問《じんもん》する間などなかった。
「……ドーメ隊が切り開いてくれた活路を利用しつつギィ・グッガまで迫《せま》れんかっ! サンマザン以下の偵察《ていさつ》部隊はどこに展開しているっ!」
「ハッ! キエト伝令官、出ますっ!」
「行けっ!」
戦場を俯瞰《ふかん》できないまま、具体的な戦術を出すのは危険であった。ドレイクは、ただ流れるような騎馬《きば》部隊の中核《ちゅうかく》にあってまっしぐらにギィ・グッガの陣《じん》に突《つ》き進んだ。
「……戦運は我に動いた!」
ドレイクはそう判断して、自分の疲《つか》れはてた馬の腹を蹴《け》りに蹴った。
それに従う近衛《このえ》部隊の騎馬は既《すで》に数騎で、三分の一はサンマザンの偵察《ていさつ》部隊が作った拠点《きょてん》で腰《こし》を抜《ぬ》かしていた。
「……あれか……!」
ドレイクはギィ・グッガの陣を俯瞰する高みに到達《とうたつ》して、絶句した。
敵の陣地があまりに広大に展開しているのである。本来、騎兵と歩兵の時代の陣地は現代人が想像するよりはるかに小さい。
それは戦場をとってもそうである。
が、ガロウ・ランには、コモンの戦争の仕方を真似《まね》る習性などなく、好きに休み、好きに集まった。それがギィ・グッガの陣である。無統制に見える。
ギィ・グッガは、その下に集まるガロウ・ランの旗印《はたじるし》のような存在でしかない。だから、陣地《じんち》の構築にしても、現代人の感覚では難民キャンプのようだと言えば想像しやすいだろう。
まして、ギィ・グッガは侵攻《しんこう》中で、ガロウ・ランの集まるのを待ってラース・ワウに向かう予定であったから、そこには陣地戦を想定した堅《かた》さはなかった。それがより無統制な集団と見えたのである。
その各所でこぜり合いが起っていても、戦闘《せんとう》の核《かく》がどこにあるのか判別がつかない。
「ガロウ・ランのやることか……」
「我が方の戦力を分散させないように気をつけておりますが、戦場が広すぎます……」
ドレイクの傍《かたわ》らに寄った武将、ラバン・ドレトが呻《うめ》いた。
「左の窪地《くぼち》です!」
ラバンが指で示した。
数度フレイ・ボンムの火炎《かえん》が上がり、重い地鳴りがあった。ジョクの強獣掃討《きょうじゅうそうとう》の戦いが始まった地点である。
「強獣が動き出したようであります」
「……阻止《そし》できるかな?」
「多分……」
と、ギィ・グッガの陣地を掃討していた一機のドーメが、ドレイクの本陣《ほんじん》の旗差物《はたさしもの》を見て降下して来た。
「ガラリアか?」
近衛《このえ》隊の者がドレイクを庇《かば》いながらも、その前方にドーメが降下するのを待った。
「…………?」
オーラ・ボムのドーメが戦場になった敵陣を背中にして降下するというのが、ドレイクにはいぶかしかった。
「アリサ様は、このドーメにいらっしゃいます!」
降下したドーメは、スレスレに滞空《たいくう》し、プラットホームに立つガラリアが叫《さけ》んだ。
「なにっ!」
「オオッ!」
ドレイクの感嘆《かんたん》は近衛《このえ》兵たちの歓声でかき消された。
「アリサ!」
アリサが、ドーメのコックピットのハッチから身を乗り出した。うす汚《よご》れた寝間着《ねまき》姿のままであった。
「お父様! 戦士ジョクとガラリアが救助して下さいました」
「よ、よし! ガラリア! アリサを軍の後方へ下ろせっ!」
ドレイクは、よく通るアリサの声に胸が熱くなった。その声が妻のアリシアに生き写しと聞えたのである。
「ハッ!」
ガラリアは、胸を叩《たた》いてからドーメを上昇《じょうしょう》させた。
アリサは父の姿を見て興奮《こうふん》しているのだろう、上昇するドーメのハッチから身を乗り出すようにして、軍を見下ろしていた。気の強さまでアリシアそっくりである。
「……しどけない格好を兵どもに見せるか……!」
ドレイクは苦笑して見送りながら、飛翔《ひしょう》するドーメの下の軍勢が次々と歓呼《かんこ》の声を上げるのを見て、軍の勢いを信じた。
「伝令っ!……人質《ひとじち》は奪還《だっかん》した。ギィ・グッガの軍は後ひと揉《も》みで崩《くず》れる! 各員の消耗《しょうもう》は承知の上であるが、敵を包囲し駆逐《くちく》せよ! 以上だ」
「ハッ!」
ドレイクの前に立った伝令官が答えた。
「今言った通り各小隊単位に伝えるのだ! 一言も抜《ぬ》くなっ!」
「ハッ!」
伝令官は独特の深い黄色の旗差物《はたさしもの》を背に掲《かか》げて後方に走った。
「よし……第三軍、行かせろっ! 第五、第六軍集結を待つ必要はない! 出られる数だけで掛《か》かれっ!」
ドレイクは軍の鉄則を無視して前進を命じた。
先鋒《せんぽう》が薄《うす》くならないうちに、本隊の前衛を出してつなげ、その間に後方の壁《かべ》を構築する。
よほど敵が脆弱《ぜいじゃく》でない限りやってはいけないことだ。
「……ズガスーンの群は三十を超《こ》えていたようです……」
ドレイクは次々と駆《か》け戻《もど》ってくる伝令の戦況《せんきょう》報告を聞き、それを地図上に記入させながら、バーンとジョクのドーメ隊が確実にズガスーンの群を殲滅《せんめつ》しつつ、敗走を始めたガロウ・ランの群にズガスーンの群を追いこんでいるのを見た。
「たいしたものだ……」
ドレイクは、その戦術がバーンのものであろうと思いたかった。
「……が、ジョクの動きかも知れんな……」
ドレイクは、敵陣を覆《おお》うように巻き上がる砂塵《さじん》の向うに玩具《がんぐ》のように飛ぶドーメの姿に眼を細めて見入った。
「……しかし……囚《とら》われていた戦士ジョクが、なぜドーメに合流できたのだ?」
ドレイクの耳にもジョクがギィ・グッガと戦い、囚われたという情報は入っていた。しかし、今は、ジョクの操《あやつ》るドーメがズガスーンの群を掃討《そうとう》しているという報告が入っているのである。
「……後続のガラリアのドーメは、フレイ・ボンムのガスを補給しましたので、再度ズガスーンを追討させます!」
戦場と後方の間に立って伝令の動きを中継《ちゅうけい》していた近衛《このえ》部隊のマタバ・カタガンが、ドレイクに報告した。
「……いいだろう。バーンが戻《もど》り次第、次の敵|陣地《じんち》の最終掃討について打ち合わせる……ギィ・グッガの動きは知れないのか?」
「…………」
その回答は、またしばらくしなければ得られなかった。
ドレイクは兜《かぶと》を被《かぶ》らずに済みそうだと考えながら、伝令官たちの報告をまとめている陣地を背にして、幾筋《いくすじ》もの煙《けむり》が上がる敵の陣を見渡《みわた》す位置に立った。
今やズガスーンの巨大《きょだい》な立ち姿も見えなくなり、遠く飛翔《ひしょう》するドーメも戦いの合間に息をつくようにゆったりと上昇《じょうしょう》していた。
こぜり合いの撃剣《げっけん》の音も馬のいななきも次第に薄《うす》くなり、朝の気が薄れていった。
「これから、暑くなりそうだな……」
ドレイクは頭を叩《たた》いてから、アリシアたちの葬儀《そうぎ》を盛大《せいだい》に行なう時間は手に入れられるだろうと信じた。
その後の数日間、グランキャ周辺では精力的に残敵掃討戦が行なわれた。
しかし、ギイ・グッガが遁走《とんそう》した方位さえ掴《つか》めずに終った。
さらに数日後、ドレイク軍は、幾つもの拠点《きょてん》に部隊を残しつつラース・ワウに後退した。
*     *     *
ドーメ隊が犯した幾《いく》つかの不首尾《ふしゅび》が不問《ふもん》に付《ふ》されたのも、この戦いでドーメの能力が高く評価されたからである。
そして、
「戦士ジョク・タケシには、この度《たび》の戦功を評価し、その働きに報《むく》いるためハンダノの領地を与《あた》える」
ドレイク・ルフト自身の手から、ジョクがその証書を受け取ったのは、アリシアたち戦没《せんぼつ》者の国葬《こくそう》が終った翌日であった。
「ハッ……せっかくいただいた部下を死なせました自分に……」
ジョクは、礼の言葉も十分に言えないまま声を詰《つ》まらせて、その証書を受け取ってしまった。
「……この褒賞《ほうしょう》がどの程度のものか分らんだろう?地上人《ちじょうびと》……」
ドレイクは、口元に微笑《びしょう》をたたえて言った。
「ハ、ハイ……」
「そういう部下を見るのは、腹立たしいものだ。戦士ジョク……?」
「申し訳ありません」
ジョクは、赤面《せきめん》して顔を伏《ふ》せた。
その場に居並《いなら》ぶお歴々《れきれき》以下の論功行賞《ろんこうこうしょう》をうける騎士《きし》たちがザワッとさざめいた。その中にはバーンもガラリアも、そしてショットもいた。
ドレイクの脇《わき》に従うアリサだけは、多少冷たい表情を見せたまま、真直《まっすぐ》に伸《の》ばした背筋《せすじ》を崩《くず》そうともしなかった。
それがジョクの気になっていた。しかし、ジョクはアリサを正視できない。
ジョクは昨日の葬儀《そうぎ》の席では、遠くにアリサの姿を見た。その時もあの救出の日の羞恥《しゅうち》心を刺激《しげき》されるだけで、アリサを見ることができなかった。
それはガラリアに対しても同じで、戦後|処理《しょり》の多忙《たぼう》さを理由に、直接口を利《き》くこともなかった。
「……しかし、これでアの国に命を捨てる覚悟《かくご》がキッパリとできました。終世、ドレイク様の下で忠誠を誓《ちか》います」
儀礼《ぎれい》に対して儀礼で答える。その仕方だけはジョクにもできるようになっていた。
「よく言ってくれた……」
ドレイクは心の傷も薄《うす》くなりつつあったのであろう、満足気に応じた。
その後、論功行賞を受けた騎士《きし》たちを祝う宴《うたげ》が盛大《せいだい》に行なわれた。
しかし、大人《おとな》たちの席である。アリサは出席しなかった。
ジョクは、ドーメ隊とドレイクがつけてくれた若者たちに囲まれてかなりの酒をあおった。
「死んでいった者たちの魂《たましい》の為《ため》に!」
「逃《に》げ帰ったキムッチの為にっ!」
と酒をあおる理由は後から後からあった。
殊《こと》にジョクの部下になった若者たちは、城持ちになった主人を祝い、自分たちの功績を肴《さかな》にして酒を浴びた。
「戦士ジョク」
男たちの間を縫《ぬ》うようにして一人の侍女《じじょ》が近づいてジョクの袖《そで》を引いた。
「おう! なにか?」
「アリサ様がぜひお越《こ》しをと……」
「…………?」
カッと熱を持っていたジョクの頬《ほお》が一瞬《いっしゅん》に冷《さ》めた。
「今か?」
「はい……ぜひと……」
「そうか……」
「ジョク! どちらへっ!」
若者たちがからんだ。
「御婦人の招待がある……すぐ戻《もど》る」
「ヒャーッ!」
若者たちの歓声は、周囲の男たちの大声やら楽器の音を突《つ》き抜《ぬ》けて大広間|一杯《いっぱい》に響《ひび》いたものだった。
ジョクは広間を出て、酔《よ》った男たち女たちがとぐろを巻く通路を抜けた。
「……ウック!」
大きなしやっくりが出たものの、酔《よ》いは冷めていった。
後で冷静に考えれば考えるほど、想像すれば想像するほど、アリサを救出した時のジョクの格好は滑稽《こっけい》なのだ。それはジョクの気分を圧倒《あっとう》的に打ちひしぐものだった。
侍女《じじょ》に従って歩みながらも、見上げる暗い石天井《いしてんじょう》の境目の筋がはっきりと見えてくる。
「……すまないが……」
「はい?」
ジョクは侍女に断って、便所に入った。ラース・ワウの城の便所は高級である。地上の中世の城の便所と違《ちが》って水洗便所になっている。地下水が豊富だからである。
が、籠城《ろうじょう》戦にでもなれば、この水も飲料水に転用すると聞いた。
「何だよ……全く……」
ロクに小便も出ず、酔《よ》いだけがさめていき、寒気《さむけ》さえした。
「……恥《はじ》は……」
一人で抱《かか》え込《こ》ませておいて欲しい……。そう言いたかったが言葉にもならず、また廊下《ろうか》に出た。
ジョクは侍女《じじょ》に導かれて、アリサの部屋に入った。
アリサは窓の外を見つめたままジョクを迎《むか》えた。侍女たちが退《さが》ると、部屋はジョクとアリサだけになった。
「……昨日はお疲《つか》れでした……」
ジョクは、そう言ってみた。
アリサは、そんなジョクに体を向けた。ひどく堅《かた》い表情に見えた。
ジョクは、チラッと視線が合った瞬間《しゅんかん》に目を伏《ふ》せていた。
「……ハンダノの城は、とても小さいのです……」
「……はい……?」
ジョクの視界には、厚いゴブラン織りの絨毯《じゅうたん》とアリサのサンダルがぼんやりと見えていた。
「でも、とても美しい城です。ジョクが落ち着いたら、中庭の植え木の手入れに参じたいと思っていました」
「…………?」
ジョクは、その言葉の意味を解しかねて顔を上げた。
アジサの淡《あわ》いブルーの瞳《ひとみ》が迫《せま》るように見えた。
「……そんなことを考える私は、お嫌《いや》ですか……?」
ジョクの頭の中から羞恥《しゅうち》心が消えて行くのが分った。
「そういうことで……そういう……?」
「いけなければ、駄目《だめ》だとおっしゃって下さい。怒《おこ》りません。ガラリアがあなたのことを好きだという噂《うわさ》も知っています」
「そんな……ありがとうございます……アリサ様……」
ジョクは、ようやく言葉が出た。
「言葉通りに受け取りますよ。戦士ジョク?」
「い、いえ……。どうぞ。とても、嬉《うれ》しいのです。……とても……」
ジョクは自分の胸の鼓動《こどう》が激《はげ》しくなってきたのが分った。
アリサは、そのみるみる赤くなるジョクの顔を、美しい夕日を見るように見つめて、初めて微笑《びしょう》した。
ジョクは、どこかで救われたと思っていた。
[#地付き](完)
[#改ページ]
[#地付き]「野性時代」一九八六年十月号に掲載したものを著者が加筆訂正
[#改ページ]
底本:「オーラバトラー戦記 1」カドカワノベルズ、角川書店
1986(昭和 61)年11月25日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第01巻 アの国の恋 .zip XYye10VAK9 20,199 7f2674e70f1502228ea9e141a4cd464e
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
136行目
(p 18-上-16) 上目使《うわめずか》いのルビは「うわめづか」かと・・・
3039行目
(p188-上- 2) 振り廻しのルビ位置が振《まわ》り廻しになっている。
3150行目
(p193-下-10) 手前のルビは「てめえ」かと・・・
3639行目
(p221-下-17) 出陣《しゅつじん》ののために
出陣《しゅつじん》のために
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