姫野カオルコ
ガラスの仮面の告白
目 次
あさきゆめみし
きみどり・みどろ
あおみどろ
東京シンデレラ
風と木の詩
虹にねがいを
はだしのマドモワゼル
にくいあんちきしょう
12人いる!
小さな恋のものがたり
レモンとサクランボ
ジュ・テーム
ひみつのアッコちゃん
リボンの騎士
アタックbP
バナナブレッドのプディング
呪いの顔がチチチとまた呼ぶ
ラグリマ
金メダルへのターン
涙は海に流れる
あした輝く
PS/元気でいたいです、俊平……みなさんへ
バイバイ、BFどの……文庫版あとがき
あさきゆめみし
金曜日の夜に、電話がかかってくるといいな、と、よく思う。
そして、
「明日の二時に渋谷《しぶや》のユーハイムで」
とか言われたらいいな、と思う。
そしたら電話を切ってからお風呂《ふろ》屋さんに行ってヘア・パックをして、それから帰ってきて明日着てゆく服とか靴とか鞄《かばん》とかを考える。
三時間くらい考える。
夜に爪《つめ》を切ってはいけないという諺《ことわざ》を気にしながらも、爪を切ってから寝るだろう。
だが、電話はかかってこない。
いわゆる「彼」からの電話を待っているわけではない。
もちろん「彼」という男性が存在し、その人からの電話だったらもっといいという思いを込めての記述ではあったが。
「友人」からの電話でも、私はすごくうれしい。
ほっとけば、軽く一か月はルーとも鳴らないのが私の電話だから。
こう言うと、
「編集者から原稿の催促の電話がかかってくるでしょうに」
と言われるかもしれないが、私のような大部屋作家では原稿の催促などされない。
〆切までに書かなかったらそれまで、と編集者のほうがはるかにはるかにエライ立場にいる。
エライ人がなにもわざわざ催促の電話などかけてはくれないのである。
いったいどれくらい電話というものはかかってこないものなのか、試してみた最高記録は、三か月と十八日であった。
三か月と十八日、といえば、ワン・シーズンである。
ワン・シーズン、だれっからも電話がかかって来ないのである。
三か月と十九日目に私のシャープ製メモワールUを鳴らしてくれた人、それは、タカハシさんという女性だった。
「タカハシですう」
「はい……?」
「もう三十分も待ってるんだけど」
「……え?」
「……あら、いやだ。ミカちゃんじゃないの? すみません」
そんな電話だった。
テレビをつけて『ハートに火をつけて』を見る。
登場人物の住居がすごいという話はいまさらしないが、
「よく電話がかかってくるヒロインだなあ」
と目をそらせたりする。
「いいなあ」
とひとりごとを言う。
綿棒で耳をかく。空腹でもないのにポテトチップスを食べる金曜の夜。
きみどり・みどろ
私はセックスをしない。キスをしない。そんな暮らしをしている。
私の職業は官能作家と呼ばれたり、SM作家と呼ばれたりしている。
正確にいうと、いろいろな物語とエッセイを書くことである。
鍵《かぎ》っ子の小学生が犬を一人の友人としてつきあう物語や、超能力を持った女子学生がドタバタ騒ぎを起こす物語や、四季おりおりの草花などを見て感じたことなどを書いてお金をもらっている。
そのなかの一つに男と女が裸になる話があり、いわゆる世間の人がとり上げるのはそのジャンルだけである。
というのは、私も、少し前はキャピキャピ年齢だったので、そういう年ごろの女が、裸の出てくる話を書くということにそれなりの「マスコミ価値」があるからだろうと思う。
草花のことについて綴《つづ》る女性の数のほうが極端に少なければ、とり上げられるのはそのジャンルだったことだろう。
『ナ、ナント、草花ってキレイ?! 大胆に綴る女性作家登場』
などという見出しで。
しかし花の好きな女性のほうが圧倒的に多かったので少ないほうがとり上げられたわけである。
私はドスケベ作家と呼ばれた。ヘンタイ女子大生作家、とも呼ばれた。異常性欲作家とも呼ばれた。
団《だん》 鬼六《おにろく》賞。
それが私が物を書くきっかけになった賞である。
出版業界に親戚《しんせき》や知人がいたりしたわけではない。公募している賞に応募して選出された、それまでは出版業界とはエンもユカリもない人間だった。
私としては、初詣《はつもうで》などで、女性の振《ふ》り袖《そで》に墨をかける人間や、夜中になると生の米を食べたくてたまらなくなる人間や、下着を盗むことはできるが実物の女性とは話ができない人間や、それから、そういう人間が犯罪を犯したときにウの目タカの目で見る大衆の好奇と残酷の目、といった人間の心理に興味があったので、それをテンポのはずんだ物語に作っていた。
セックス、もっとはっきりいってペニスがヴァギナに挿入される行為、とは無関係にそういう「屈折」の精神構造にものすごく興味があった。
そしてそういう「屈折」を探《さぐ》ることがSMだと思っていたし、それは今も断じて変わらない。
だが、世間でいう「SM」とは「ローソクたらしてカンチョーしてムチでぶつこと」だった。
「ひぇー、御主人さまァ」と叫ぶことだった。
私は、ローソクをたらしたりカンチョーしたりするのが好きな人間だと思われた。毎朝毎晩セックスをしている人間だと思われた。
そんなふうに思われてうれしくなかった。しかし、女性がそんなふうに思われること、が「マスコミ価値」というものであり、そんなふうに思われることで得している部分もあるわけだから、それは「しかたのないこと」であり「お互いさま」「50《フイフテイ》/50《フイフテイ》」なのである。
それはそれなのだが、だが、私の私生活は恋とは無縁になった。
なぜなら、たいていの男性は、毎日セックスをしてローソクたらしてカンチョーしている女性は嫌いだからである。
へん。これだけが原因でないことはじゅうじゅうわかっとるわい。
いつだったか本で読んだことがある。週刊誌でも読んだことがある。テレビで見たことがある。ラジオで聞いたことがある。
「男にとって、どうしてもダメな女、というのがいる。顔の造作とか太っているとかやせているとかいう問題ではない。いわばフェロモンの問題」
要約するとこういうことを各媒体でまとめていた。
私ってブスだから、と、そんなことは言うまい。
私の顔は、フツーだと思う、というかそう思うようにしている(というとイヤラシイ言い方かもしれないが、たいていの女性は自分の顔について三〇パーセントの自信と七〇パーセントの劣等感を持っていると思う)。
ハーフっぽいね、と言われたことはないがニューハーフっぽいね、と言われたことはある顔である。
道路で私とすれ違って、私の顔を見て吐きけをもよおす人はいないと思う。
でも、ワア、と思ってふり返る人もいないと思う。
まあ、そんな程度の顔であろう。
身長163センチ。きょうび、平凡な身長である。
足のサイズ。23・5〜24・5。足の親指の爪《つめ》が上を向いているので靴のデザインによってサイズを決めるものの、これも、きょうび、平凡なサイズだと思う。
B・W・Hのスリーサイズとかいうのははかったことがないが、ブラジャーはアンダー70/D、スカートのウエストはフレヤーだと60だがタイトだといきなり66になる。そうでないと尻《しり》がツカえるわけで、つまりウエストで決定するというよりボトムスはすべてヒップで決定してあとでウエストを詰めてもらうのである。
しかしまあ、既製品を買ってすんでいるわけで、珍しいサイズでもない。
問題なのは体重である。
これまで私は、OLや保母さんという職業の女性にくらべたらずいぶん、多くのインタビューを男性誌から受けたが、どんなときも体重だけは言わなかった。
いまこそ告白するが、私の体重は57キロである!
ちょっとビールを飲めば59キロになる。ということは四捨五入すると60キロだ。
これは衝撃的なことだと思う。
フレヤースカートに限定するにしろ、ウエスト60のスカートをはく者が、しかも、このさい言うが多少我慢すれば58も可な者が、体重60キロというのは皆、耳を疑うのである。
そして、この体重の数値は日本人男性の耳と肩に重く重くのしかかるのである。
ポチャポチャしているというのは、それなりにかわいいものだと思う。それに「希望☆」があると思う。
だが、私はスポーツが大好きで所属するジムで体脂肪検査を受けても、結果は「できればあと1キロか2キロ落とせばベスト」な脂肪なのである。
ということはどういうことか!
そうだ。
私の体重のほとんどは骨! 骨が占めているのだ。
きゃしゃ、の反対。
たおやか、の反対、
女らしい、の反対。
むっちり、の反対
弱々しい、の反対。
頑丈。
剛健。
たくましい。
病気知らず。
ごうつくな体形。
それが私なのである。
わが乳房をながめても、アアこの隆起のほとんどは骨によるものか、と嘆かねばならない体なのである。
その骨の丈夫さは、今年七十三歳の父親がこの年齢にしていまだにすべて自分の歯で物を食べ、叔母《おば》とその娘(私からいうとイトコ)はかつて『全国良い歯の母と子コンクール』で準優勝し、八十一歳の別の伯母は髪フサフサで父同様入れ歯知らず、といえばわかってもらえるだろうか。
遺伝学的実証例からして、つまり、私という女は、
「鉄筋コンクリート建ての肉体」
なのだ。
私の場合、もうこれ以上、極端に体重が減ることはよほどメチャクチャな手段をとるしかないのである。
ようするに、いかつい。
それが私の容姿を形容する最も的確な表現だと思う。
いかつい、ことは希望がない。
デブ、なら、まだ、ダイエットだの脂肪吸引手術だの、方法論が残されている。
いかつい、のは方法がない。
私の手や腕。それはもう、男の手と腕だ。足首など、そんじょそこらのか弱い男性よりよほどガッチリしている。
それがポテッとした足首ならば、私だって「よおし、ダイエットに励むぞ」と思いもしよう。
でも、私の足首は肉なんてほとんどない。ガッチリした骨が頑丈に足首を形成しているのだ。
一度、スポーツのトラブルから捻挫《ねんざ》してレントゲンを撮《と》ったが、その写真たるや、自分ながらほれぼれとするほどの丈夫そうな骨だった。
担当医と看護婦さんが、
「まあ、きれいな骨」
「男並みの骨だねえ」
と、レントゲン写真を前に言ったほどである。
腕を細くする運動、足を細くするクリーム、おなかをすっきりするエクササイズ、等々そのテアイは巷《ちまた》にいっぱいあるけれど、どんなに努力したって、骨太を直す方法はない! のである。
ねえ、あなた、わかる?
小学校のころから品行優等生で、通信簿にも「努力家」と書かれてきた私だけれど、もう、どんなに努力したって、骨の細い、きゃしゃな、たおやかな、男性から守ってあげたいと思ってもらえるような女の人にはなれない、その希望のなさ!
が。
骨はカルシウムと関係がある。
髪もそうらしい。
だから、私の髪は、それはもう丈夫な髪。
枝毛って生まれてから一度も出会ったことがないくらい丈夫。
丈夫で頑丈で、鉄筋の髪。そのうえ、多量。
よく映画なんかで男性がやさしく女性の髪をなでたりするシーンがあるけど、あれが憧れだった。
「わぁ、ゴワゴワしてる」
そう言われたことしかない私には。
それもベッドではなく道端で。美容院で。
♪ア、ソレ。鼻が低いのはシリコン入れらりょ。一重瞼《まぶた》がイヤなら二重にメスで刻めばいい。
でもでも髪のゴワゴワ、整形しようがないざんしょ。ア、ソレソレエ♪
そういうわけである。
男の人はぽっちゃりタイプを好きな人とスリムなタイプを好きな人と大きく二つに分かれるけれども、とにかく彼らは「ごっついの」が嫌いなのである。
たおやかであること。
やさしいこと。
たおやかさはやさしいイメージ。
それが共通する条件。
骨が太いことは絶対にたおやかではない。
やさしいイメージではない。心がやすらぐイメージではない。
そしてそれはどんなに努力しても治せないあらかじめ決定された条件。
骨太の女は、
「○○さんが好きなんだけど、なんとかとりもってくれないかなあ」
と、男性からそう頼まれるキャラクターに徹して生きること。それが術《すべ》。
「まかしといて」
私、いつもそういってとりもってあげたよ。
その男性のこと好きでも。
あおみどろ
神田君は編集者である。
神田君の会社は私が出入りする出版社のなかで、栄光の第一位を獲得する「最も原稿料の安い出版社」である。
ふだんはパンツしかはかない私だが、ある日、テレビで前田美波里さんが、
「細くしたい部分を見せる服を着なきゃダメですよ」
と言ったのを聞き、ミニスカートをはいて神田君の会社へ原稿を持って行った。
「足、太いですねえ」
神田君はそう言った。
「あなたはホントに大きいずうたいだ」
神田君は出会うたびに言う。
神田君の恋人は大学時代、そのサークルのアイドル的存在だった人だということを知っている私は、彼がそういうのもしょうがないかな、と思う。
神田君の好みはツィッギー(しかし古いッ!)だそうなので、それも考えあわせてしょうがないかな、と思う。
「へへへえ。太いのはわかってんだけどね、テレビ見てたら前田美波里さんがねえ……」
えへらえへら作り笑いで言いわけしながら、
「下痢しちゃって」
と、トイレに駆け込む。
「いやだなあ。なんでこんなことで……」
と、思いながら、涙がにじむっぽい感じになる。
ウレイ(憂い)を懸命に止めて、深呼吸して、トイレから出てくると神田君の上司である四谷編集局長が、
「カオルコはごっつい腕してるなあ」
と言ってほほえむ。
編集局長の奥さんは、かつて業界のマドンナ的存在だった女性で、きゃしゃで小柄な人だ。
「しかたないなあ」
と思いながら、
「どうも下痢が止まんなくて」
また、えへらえへら笑ってトイレに行く。
「どうかしてるな」
とわれながら思うのだが、また憂えてしまう。
そして、だんだんハラがたつ。
「いちばん安い原稿料の出版社のくせして、なんでこんなこと言うのよ!」
「主婦の友社なんか、ここの会社の八倍の原稿料をくれるのにみんな礼儀正しいわよ!」
「きゃしゃだと思え、なんて決して言わないわよ。きゃしゃじゃないこと自分でよくわかってるもん。でも、なんで、原稿持ってきて編集者から肉体の欠陥を指摘されなきゃいけないのよオ!」
「私が一度だって、四谷さんがデブだとか神田君が車持ってもいないくせに、とか言った? くくくくくうぅぅぅぅ」
便器に向かって憂う。
ひとしきり憂うと、また、深呼吸して出てくる。
「マッチとアキナとはこれからどうなると思う?」
とか言って。
いい人でしょう、私って。
いいヤツねえ。
さすがは、
「おぶ漬《づ》けでもどうどす?」
とすすめておいて、相手がほんとにお茶漬け食べたら、
「なんちゅうあつかましい人やろ」
と台所でカゲ口をたたく土地出身だわ。
東京シンデレラ
私は三十歳。
と、書いてみると、
「げ」
と、なる。
目と目が離れているので、という理由にちょっと自慢も加えて、たいていの場合、学生で通用している。
だが、三十歳である。
押しも押されもせぬオバサンの年齢ではないか。
「ひゃあ、何してたんだろう、私、いままで」
つぶやいてしまう。
私の世代だと、普通科の高校出たら大学へ、というのが平凡なコースだった。
海外留学、とか、そういったテはもっと後から出てきたものだ。
もちろん、当時からそのテを選んだ先見の明のある人もいたのだろうが、田舎《いなか》式人生順路からいくと、とにかく大学へ行くのが平凡なコースだった。
平凡なコースを、私も選んだ。
ただ選んだ大学が東京の大学だったので、それは田舎では画期的なことだった。
私の田舎は近くに神戸、京都、大阪という都市を控えているため、たいていの人は神戸か京都か大阪の大学へ行く。
ましてや女の子(当時はまだ私も女の子であった)が東京へ出るなど、一九八〇年を迎えようとする時代にあっても田舎においては、
「すえおそろしい〜」
と村人たちがヒソヒソ話すことであった。
青山学院文学部。
それが私の最終学歴となった学校であるがこのプレイガール(古い言い方!)の代名詞のようになった大学でさえ、田舎では、ひとつの「救い」になっていた。
というのは、青山学院はミッション系の学校である。
「ミッション系の学校なら温厚で躾《しつけ》も厳しいであろう。子女を預けて安心」
というようなイメージが、さながら明治時代のように田舎には流布していてくれたからである。
東京とはくらべものにならない教育水準、いや、正確にいえば、受験テク水準の田舎育ちで、もともとの学力も芳《かんば》しいとはいえない私であった。
なもので、この、都会では「軽い遊び女の大学」とされる青学に入るために、私は私なりに、けっこうガリガリ勉強したものだ。
未練がましい言い方になるが、ほんとうに、当時、青学の文学部は、東大の足元にも及ばないとはいえ、まずまずの偏差値の高さで、合格したときは、私としてはうれしかった。
なのに、なのに、私が入って二年かそこらで沖田浩之やら川島なお美やら青学の夜間に在籍する芸能人がやたら出現し、なんだか、堀越学園の大学版のようなイメージが一気に全国に流れてしまい、沖田浩之も川島なお美も好きだけど、なんだかなんだか、
「ひどいわぁ……」
と言いたい気分だったのは事実だ。
財テクブームにあおられた無骨な田舎商人が慣れない株に手を出して金をスッた気分。
いまでも芸能週刊誌などで美人やハンサムが、
『○○大出身の才媛《さいえん》』とか、
『××大出身の令息』とか、
書かれていると、火事のサイレンでも聞いたように、
「な、な、何学部? ○○大だけじゃわかんないじゃないの! 学部によって差があるんだから! それに幼稚園のときから親の金にまかせて大学まで進んでるかもしれないんだし」
と、意地わる〜くリキみ出すのは、かつて大学株で金スッた経験がいびつに心の奥にしみついてしまったからのような気がする。
それはさておき、平凡なコース、として大学へ行った私であるが、しかし、おそらく、平均以上に「勉学したいという目的意識」は強かったことを自負している。
大学に入るというコースを選ぶことだけが目的であれば、学部などどこでもかまわず手当たりしだいに受験したはずだ。
私は他の学部など目もくれず、ひとえに文学部に入りたかった。
私の田舎は文学や芸術というものが不毛の土地であり文学や芸術の話をしてはならないところであった。
その土地で、スケールはやけに小さいものの、たっぷりとトニオ・クレーゲルしていた私はなんとしてでも文学部に入って文学をディスカッションしなければならないと思っていた。
渇望していた。
それなのに、この、学部選びにおいても、また、私はスッてしまった。
都会では文学部というのはお嬢様のファッションの学部だったのだ。
そのうえ、これはもう、日本の教育問題になるけれども、大学における文学部の機能と構造というものは、
「ああ、もう」
なのだった。
文学部などというものは本来、芸大に属するものであって、それを経済学部や法学部と並べておくのが無理なのではないだろうか。
それでも自分なりに勉学の方法を努力するべきだった、と、今は思う。
が、そのときは、私はあまりに甘く、そして東京はあまりに魅力的なところであった。
結局、平凡な「大学にがっかりした田舎娘の図」になってしもうた。
東京はあまりに魅力的な、と書いたが、これは、もしかして、ディスコや赤坂《あかさか》プリンスホテルや横浜へのドライブを想起させるか。
違う、違う。
ディスコも赤プリもドライブも、私は三十歳にして未経験であり、大学生当時も何の興味もなかった。
東京の魅力とは、モジリアニの展覧会に買い物のついでにふっと入れたり、自転車で日躍日『風のフジ丸』上映会に行けたり、夜中の一時に友だちと「あの歌手とあの俳優がつきあってるって噂《うわさ》よ」とかいう話を電話でできたりする魅力である。
「なにブリッコしてんの、この著者」
と鼻白んだ人は、贅沢《ぜいたく》に育った都会人だ。
都会の人には、わからないだろう。
ええ、そうよ。わからないでしょうね。わからないわよ。わかってたまるもんですか。
なによなによ。村に映画館が一個しかなくてそれは『男はつらいよ』しかしない映画館で、日曜日に京都市内まで二時間もかけて『シャガール展』を見に行くって言ったら「絵なんて見るの好きなの? 変わってるなあ」と村人から気味悪がられ、だいいち「シャガールって何」とまず尋ねられ、ヴィスコンティなんて名前をだそうものなら外国語を話している扱いされる土地に生まれ育った者の悲しみなんて、都会の人に、特に東京の人にわかるわけないわよ。
田舎のほうへ都会人の驕りで旅行する人もいるかもしれないけれど、覚えておくがいいわ。七時過ぎたらどっこも店は開いてませんからね。
開いてるのはカラオケ・スナックだけよ。そしてそこだって、アン・ルイスなんてないからね。ユーミンだって、サザンだって、中村雅俊だってないんだから。
『コモエスタ赤坂』が歌える人が二枚目なんだから。
恐ろしいとこなんだから。暗くて呪《のろ》われた因習の八つ墓の村は今でもほんとうにあるんだから。
八つ墓村だって、家が「サザエさんち」ならまだいい。
サザエさんちほど清く明るくなくとも、父親のことを「パパ」とか母親のことを「ママ」とか呼んで、その「パパ」とか「ママ」とかに向かって、
「いやだ、パパったら。あっちいっててよ、いま電話してるとこなんだから」
とか言うような家で、弟とかがいて、
「チャンネル勝手に変えないでよお」
とか言って弟の頭を新聞紙でたたくような家であったら八つ墓村の因習も切り抜けていける。
だが、私の家は、八つ墓村をそのまま集大成したようなところであって、門限は六時、電話は六分以内。たまに同級生から、それも女の子の同級生から夜の八時に電話がかかってくると、
「こんな夜中に、あなたはいったいどこのどなたですか?!」
と、親が彼女をどなりつけるというシロモノ家族。
どなりつけたうえ、私を呼び出して、彼女の父親の名前を聞き、私が答えても信用せず、村人名簿で彼女の父親の名前が実在することを確かめてやっと信用し、それから、村における彼女の家の格を調べる。
戦犯の元軍人の父親は第二次世界大戦の事情で結婚が遅れ、私が高校生のときにすでに六十余歳。
しかも上にきょうだいがいるというわけでもない。ジェネレーション・ギャップなんていうが、世代的に二溝のギャップをかかえて私は必死で演技しつづけた。軍人の規律と道徳にふさわしい子供を。
もはや戦後ではない。
これまた古い流行語だが、なんのなんの、戦前だったわよ、私の家庭は。
第一次山東出兵の統帥権干犯問題の滝川事件の天国に結ぶ恋よ(←受験では日本史を選択しました)。
それが、東京に来て、つくづく実感した。
「ああ、もはや戦後ではない、ってほんとうだったんだ」
と。
なわけで、東京は魅力的であった。
大学では学生寮に住んでいた。大学付属の学生寮ではなく、民間の学生寮だったが。
といっても、原宿《はらじゆく》にある東郷女子学生会館のようなマンション・スタイルのものではなく、入り口にデーンと寮母さんがいて、げた箱があって、共同の洗面所があって、という、よくいえば昔ながらのアットホームな寮である。
八畳に日当たりバツグン、静か。大学付属の寮は学校まで一時間かかるのに、この寮はわずか二十分。
寮なのでセールスも宗教の勧誘もいっさいなし。
安全、そのうえ安い。
これ以上、なんの不服があろうか、と思っていたが、
「不自由でしょうに」
ときどき、友人から言われた。
彼らや彼女らは、きっと、恋人とのデートのことを考えてそう言ったのだろう。
しかし、ずいぶん長い間その意味がわからなかったほど、私は八つ墓村育ちであり八つ墓村家庭育ちであった。
フラッと画廊に入ってみる。フラッとパチンコしてみる。夜中に芸能人のことで長電話してみる。
それができるだけで、東京はキラキラと輝く土地だった。キラキラと輝く大学生生活だった。
風と木の詩
映画の八つ墓村には電線がなかったが、私の八つ墓村には電線があった。
商店街もあった。
あの、○○銀座、というやつである。おきまりのセルロイドの桜が飾ってあった。
映画の八つ墓村には喫茶店がなかったが、私の八つ墓村にはあった。
喫茶エレン。
『エレン』の左はパチンコ屋で右は『きらくや』というお好み焼き屋。
この三つの前に『太陽堂スーパー』が建っていて、この辺がいちばん華《はな》やかな社交の場なのだった。
電線も商店街も喫茶店もスーパーもあったが、村の民《たみ》の、代々の民の、心と皮膚に息づく因習と感覚は、角川映画の八つ墓村と同じといっていい。
電線もなく喫茶店もなかったほうが、かえって悲しくなかったかもしれない、と、中学生のころから思いはじめた。
「いちばんの華やかな場所」を離れると、田んぼが延々と広がる。
延々と広がる、ちょっと手前がなだらかな丘になっていて、林に囲まれていた。
丘の付近には、私の幼年期当時、家はほとんどなかった。
丘の上にぽつんと私の家が建っていた。
村では超珍しいレンガ造りの洋館で、窓が開かなくなるほど蔦《つた》が全体をおおっていた。
それは八つ墓村の民の目には、すてきな家、ではなく、異端の家、のように映っていたのだろう。
小学校のころ、松下国和くんから、
「ドラキュラの家の子」
とからかわれた。
豊島敦子ちゃんのお母さんは、私に、
「あんた、お父さんに、蔦をとるように伝えなさい。蔦は家を滅ぼすと言われているんだよ」
と、真顔で忠告した。
それで私は蔦が少し怖《こわ》かった。
が、父は、ハイカラな家に住んでいるのだぞ、という不可思議な満足感を持つような人であった。
母と父とは何から何まで相性の合わない人で、ふたりは、家の敷地内で、私がもの心ついたときから、ずっと別々に、住んで、いるのだった。
そして、私も、また別の場所に、住んで、いたので、三人は話すことがほとんどなかった。
なわけで、各自、
「ヤッダー。いっけなアい」
と思ったのか、夕食だけは必ずそろって食べる掟《おきて》が設けられていた。
ある日、中学校の同級生の村田三千代ちゃんが遊びにきて、いっしょに夕食を食べていくことになった。
食事の途中で、三千代ちゃんは、急に、おなかが痛くなったので帰る、と言って席をたってしまった。
門のところまで私が送ってゆくと、
「気味が悪い。なんで、みんなひと言も話さないの?」
彼女がふるえているので私は困った。
それでも、数え切れないほどの仲人をしなくてはならない家なので、各自、アリナミンAなどを飲み飲み、演技にファイトを燃やす律儀《りちぎ》者トリオなのだった。
父でーす。母でーす。娘でーす。レッツゴー三匹! なーんてね。
で、話をしないので、初潮を迎えたとき、私は母に伝えられなかった。
初めてブラジャーをつけるとき、母に隠してそれを買った。母は、私のブラジャーを、いやらしい、と言ってハサミで切った。
それで、ずいぶん長い間、私はブラジャーをしなかった。
父は軍人の気持ちのまま他人を支配することに慣れてしまっていた。厳格であった。
そして、おそらく不能であった。
十一歳のころだったろうか。
質の悪い紙に男女のセックスが印刷された漫画誌を、父親の部屋から盗んだことがある。それを見ながら、父親が自分の性器をさわっていることを、それが何を意味するのかを、「知識」に限っていえば早熟だった私は知っていた。
盗んだ漫画誌は、かさましろう、という漫画家の官能劇画で、後年、私のSM小説には彼のさし絵がはさみ込まれた。
私はさし絵を見たとき、ひどく笑った。
「オヤ ノ インガ ガァ〜……」
二度ほど繰り返し、すっとんきょうな声でフシをつけて言った。
愉快なエピソードにあふれた家庭であった。
様式に統一性がなく、本ばかりが多い庭の奥に納屋《なや》があった。
十三歳くらいまでは、私はそこで、よく、犬とゴロ寝していた。
両親はたいてい家にいなかった。
夜おそくなっても両親が家に帰ってこないと母家《おもや》はやけに広すぎて、近所に家もないので石造りの母家は風の音がごおーごおーと唸《うな》って響き、いやな気がした。
納屋からは村で唯一《ゆいいつ》のビルがよく見えた。それは旧名・電々公社のビルで、ビルの明かりは、私が何よりも安らかになれるものであった。
右の一文には、
「オホホ。私はねえ、生まれながらにしてアーバンな感性を持っていたワケ」
という妙な自慢が込められているな、と気づきながら書いている。
犬は、私にとって信頼できる友人だった。
犬はペットではなかった。犬に甘えていたのは自分のほうだった。
納屋で少女漫画を読んだ。
*中学生くらいまでは、漫画家になるのが夢で、今も、この世の中で一番偉い職業は漫画家だと思っている。よっていちばん偉い人物は手塚治虫先生である*
「郊外」、という言葉を覚えたのは松尾美保子の『ガラスのバレーシューズ』だった。
東京郊外、に、主人公の香川純子ちゃんは住んでいる設定だった。純子ちゃんはある日、見よう見マネでバレエのポーズをしてみる。
〈九十度、ぴったり九十度だわ〉
秋月バレエ学校の秋月先生がその才能に驚いたのに、彼女の家は貧乏でバレエが習えない。
〈レッスン着、洗ってくる〉
〈いやだ、貧乏って……〉
純子ちゃんが泣いているシーンで第一回目は「つづく」だった。
純子ちゃんの飼っている犬はロリ、喫茶店の娘は洋子さん、謎《なぞ》の人はイレーヌさん、幼なじみのBFは新一さん、そして、当時の少女漫画にはなくてはならない意地悪なお金持ちのお嬢さまは金井玲子さん、金井玲子さんの家来のようなかおるさんはショートカット。
人物名から、吹き出しのセリフに至るまでそっくりそのまま今でも覚えているほど、一所懸命読んだ。
どれか、一回分、今でも一人芝居で再現できる自信がある。
その姿を見た人は、北島マヤは大竹しのぶではなく姫野だと思うかもしれないくらいそっくりそのまま覚えている。なんという無駄な記憶力だろう。
〈おはよう、寒いわね〉
そう言って窓から新聞配達の少年少女に声をかけるのはジュリエッタ、という高峰病院のひとり娘。婦長は多田さん。
新聞配達の少年サブロウはでれっとするが、ショートカットの少女、ヒサ子は、
〈ふん。暖かそうな部屋から、何が、寒いわね、よ〉
と言って怒る。
これは望月あきらの漫画で、題名がすごい。『混血少女物語・ジュリエッタ』ときたもんだ。
これを連載する前の望月作品は『海の星山の星』、『ジュリエッタ』の次が『おいでロッテ』つづいて『さよならリンド』。
覚えている自慢をもっとしたいところだが話がそれるので、割愛。
蔦のからまる石の家で、庭の端の納屋で、木々をゆさぶる風の唸りを聞きながら、犬にもたれて、私は少女漫画に没頭していた。
少女漫画、というより、ものがたり、に没頭していた。
十一、二歳のころからは、夢中で読むものが『スクリーン』に変わっていった。
芸能界に憧《あこが》れ始めたわけではなく、映画のものがたりに憧れた。
しかし、八つ墓村では映画など見ることはできなかったので、『スクリーン』を読むことで映画を見たつもりになっていた。
昔、何人かの人が、映画館のウインドウに貼《は》られたスチール写真を見て本編を見たことにしていたのと同じである。
あと、角川文庫もよく買った。
なぜかというと、当時、角川文庫は、映画化された小説にはその映画の写真をカバーに用いてあり(それも幾シーンかの写真を)、小説を読むことで映画を見たつもりになるという、なんとなく、本末転倒的なことをしていた。
ならば、もう少し、読書少女として育ってもよさそうなものだったのだが、カバーに用いられた写真やタイトルから、私は読む前に、自分で好き勝手にストーリーを想像してしまい、期待してしまい、自分の期待したとおりに小説が展開しないのがすごく不満なのだった。
『スクリーン』は、漫画以上に、隠れて読まなくてはならなかった。
なぜ、『SMマニア』でもない『スクリーン』をコソコソ読まねばならなかったかというと、漫画以上に映画は無価値かつ反体制的なものだからである。八つ墓村では。
そして、いまでこそ、この雑誌はローティーン向けの芸能雑誌と化しているが、当時は、まだ、大人の読む雑誌、であった。
それを小学生のうちから読むということは不道徳だと、親も自分自身も思っていた。
ところが、「隠さねばならない意識」がアップすればするほど「没頭度」も「ワクワク度」もアップするという、周知の定理だ。
――なつかしき、♂ミスター・スクリーン、♀ミス・スクリーンさま。
私はあのころ、貴誌を文字どおり、隅から隅まで一字一句残さず、読みました。
背表紙の「SCREEN」の文字は、当時は重々しくデコラティブなものだったですよね。
「小樽クーパー」という人がおしゃべりコーナーの常連でしたっけ。
当時、グラビアを飾っていたのは、キャロル・リンレー、オリヴィア・ハシー、ジャクリーン・ビセット、イベット・ミミュウ、サマンサ・エッガー、チャールトン・ヘストン、アラン・ドロン、アンソニー・パーキンスも根強い人気で、クリストファー・ジョーンズ、マチュー・カリエール等々でしたね。
写真の端にイカすコピーがついていて、それはずいぶん私の語彙《ごい》を豊富にするのをはぐくんだものです。
あのコピー、どなたが書いていらしたんでしょうか。
ほんとにほんとに、「百人一首」を覚えるように、ほんとにほんとに、繰り返しますが……一字一句、かみしめて、貴誌を読んでいました、私――
香川純子ちゃんから婦長の多田さんまで覚えている私は、当然、『スクリーン』のグラビアの端についていたコピーをいまだに心に留めている。
資料はまったく手元にはなく、純粋に記憶力に頼って例をあげるという、またもや「無駄な記憶力自慢」をすることになるが、
ある年の八月号のリー・テーラー・ヤングは水着姿。
〈髪は太陽の光りで編み上げたブロンド、水着は波の色の紺。リー・テーラー・ヤング待望の夏がやってきた〉
子供心に、この音韻のよさ、漢字と平仮名の配置のよさにグッときたものである。
あるページのリチャード・ウイドマークはモノクロで、こちらを睨《にら》む表情。
〈犯されるときの恐怖とかすかな期待。リチャード・ウイドマークの瞳《ひとみ》に女は危険な夢を見る〉
『なかよし』『りぼん』や『マーガレット』『少女フレンド』では目にすることのなかった、この、〈犯す〉という活字が、途方もなく私をドキドキさせ、かつ、ロマンチックな気分にさせたものである。
いまでも私は、ウイドマークの映画自体にはなんの記憶もないくせに、たとえば、男性と話している際、その人が、
「リチャード・ウイドマークの出たヤツでさあ……」
などと言おうものなら、
「ハッ。リチャード・ウイドマーク!」
と、すぐさま、〈犯される〉とか〈犯す〉とかいう活字の、危険な美しさめいたものを思いおこしてしまい、勝手に顔が赤くなる癖がある。
かのエミリー・ブロンテは、かの『嵐《あらし》が丘』を、かの嵐が丘の屋敷から一歩も出ずに書き上げたのだという逸話を聞いたことがある。さぞや出たかったんだろう。
虹にねがいを
田舎《いなか》育ち、はどんなに頑張ったって、外に出てしまうものである。
田舎娘はようするにオクレているのである。
おりしも『なんとなくクリスタル』の大ブームのころ。
そのときに、花の青学生の私、であるのに私がカッコイイと思った構図はつっかけにくわえタバコでパチンコする女の子≠セった。
古いっ! よねえ!
一九八〇年、ほんとだったら「人類はすでに地球防衛組織シャドーを結成」していなくてはならない年に、この構図である。
ほとんどサイケの時代の構図ではないか。ナサケナイ(ナサケナイとサイケは書いてみると似ている)。オー、モーレツの時代の構図である。
だが、私はこういう構図に憧《あこが》れていた。
私の家、それは、父親は作曲家、母親はデザイナー……って、これはリカちゃんちだけど、まあ、とにかくムスメを「奔放」にさせといてくれるリベラルな家で、東京で学生をやってる私は、
「教授の文学論なんててんで低次元でやってられないわ」
とか思っているところの、パチンコがやたらに強い女の子。
学食で男の子がビニ本(これもクリスタル当時|流行《はや》った)を持ってくる。
「いやあねえ」
見つけた女の子たちがかたまって眉《まゆ》をひそめても、
「あ、このコのおっぱい、いいなあ。こっちのコは好みじゃないけど」
カラカラ言ってのけるような、そんな女の子。
彼女は屋台でおでんを食べて酒が強く、同級生の男の子の部屋に泊まってソファに寝る。
「そこでいいかあ?」
ときかれると、
「むかし見た映画にね、男の子の部屋のソファに泊まるような女の子が出てきて、ずっとそういう女の子があたしの憧れだったの」
と、かねてより憧れていたセリフを言う。
最盛期の西谷祥子の漫画の主人公が言いそうなセリフ。
そのセリフを今、私は実際に言っているんだわ、ということに自分でうっとりする。
西谷祥子の漫画を読んでいた男子大学生がそう多いはずもなく、かくして私のキャラクターは私の軽はずみな憧れによって、重々しく決定してゆく。
男と同性同士のつきあいができる女が都会的だと信じ、それをうれしいと思うような、そんな田舎のムスメであったわけだ。
だから『SMセレクト』という雑誌を買うときも、自動販売機とか男の友人に頼ったりすることはいっさいなく、自分で買った。
ビニ本ではもう攻撃力は弱い。SM雑誌くらいへーキで買えるような知的で都会的でクールな女子大生。
「私って、こんな雑誌も買えちゃうカッコイイ女の子なの」
そういう憧れ、都会人にもあるのだろうか。憧れに加えて、規律と掟《おきて》の家庭ではぐくまれた、ほんとにSMの性癖(私の定義するところのSM)があった事実。パパとママの家庭にいた人にもあるのだろうか。田舎娘の憧れ。
とにかく、大学二年のある日、私は『SMセレクト』という雑誌を買った。
『SMマニア』というのもあった。『SMクラブ』というのもあった。
その中で『SMセレクト』を選んだのは、セレクト編集部には申しわけないが、たんなるグーゼンだった。
読んだ結果は、
「コーフンしてオナニーした」
ということになるが、コーフンの内訳は、グラビア=ゼロ。小説=二分の一。三枚イラスト(挿絵ではない独立したイラスト)=三分の三。
グラビアはモデルの顔と体が好みではなかったのでダメ。小説は、載ってる作品のうち半分に興奮したという意味ではなく、すべて途中までは興奮した。
というのは、ヒロインが全裸になるともう全然興味がなくなった。
「いや、やめてッ」
というセリフに興奮した。
その点、イラストは、自分の好きなように物語が作れるので興奮したわけである。
興奮してオナニーした、と書いたからにはオナニーの説明もしなければならないが、ここで説明すると話が飛んでややこしくなるので、オナニーの章は別に設ける。
しかし、主婦の友社から発行する本にオナニーの章を設けていいのだろうか。それが、今、心配。
それで、まあ、イラストを見たりして、発案した物語や、八つ墓村の鬱屈《うつくつ》した風土に培われたかねてよりのイヤラシ根性をミックスさせて一つの小説を作った。
過度といえるほど劣等感を持つ傾向のある私には、劣等感に悩むことのない人間が許せないところがあり、ヒロインはそういう女である。
つまり、
「オホホ、わたしは美人よ」
「男はみんなわたしのカラダを助平な目で見るわ、いやあね」
と思って疑うことを知らない女。
こういう女には天誅《てんちゆう》を加えなくてはならない、という気分で物語を作った。
と、書くと、やけに重々しく暗い話のような感じになるが、これは、あくまでも「分析してみれば」ということであって、実際にはほとんど深い考えなどなかった。
たまたま買った『SMセレクト』、それにたまたま『団 鬼六賞募集!』という公募記事が載っていて、たまたま書いてみた、というのが実際のニュアンスにもっとも近い。
たまたま書いたのも、もともと文章を書くのが好きである、という前提条件にプラスして、ちょうど大学生ぐらいのが、学園祭に『オカマ・バー』とかを悪ノリでやったりするくらいの気分である。
なになに賞、というからには、
「どうせいっぱいの人が応募してくるんだろうから好き勝手に書きゃいいのよね」
とワガママに書いた。
明るく、楽しく、軽い、SM小説だった。そして応募したことをほとんど忘れていた、四か月後。
あれは学芸大学の本屋さん。
学芸大学に住む同級生がいて夕方いっしょに焼き鳥を食べた。
彼は八時から彼女とデートだというので八時前に別れ、何げなく、その本屋さんに入ったら『SMセレクト』がおいてあり、それも、多くの場合この手の雑誌は奥の陰になったような所にメランコリーにおいてあるものなのだが、そこはなんだかいやにドードーと置いてあった。
「ああ、そういや、あの賞の結果はどうなったんだろう」
そう思って目次を立ち読みしたら、
『俺の女神』
という活字が目に入った。
「どっかで見たような題名だなあ……」
しばらく考えて、
「あっ、これ、私の小説じゃないか」
って、使い古されたジョークみたいだが、そのときはほんとうにそう思った。
それから、喜びがクレッシェンドで込み上げてきた。
笑われるかもしれない。
「こんな雑誌の、SM小説の賞なんて、どっこがうれしいのよ。むしろ恥ずかしいことじゃないの」
と。
そんなふうに思う人の数が世の中にはものすごくものすごくものすごく多いことを、私は後で知ることになるのだが、そのときは、うれしかった。
全国誌に、商業誌に、初めて書いた自分の小説が載った、ということが、とてもうれしかった。
「うわあ、全国誌に載るの、二回目だわ」
初回は『週刊プレイボーイ』。
高校生のとき、「今 東光の極道辻説法」の欄に悩み相談が載ったことがあった。その次がこれだったわけだ。
みんなに知らせて回りたかった。焼き鳥を食べた同級生がもしその場にいたら、キャー見て見て、をやっただろう。
しかし、同級生はいなかったし、そばに知っている人もいないし、しかたなく、私はレジにいる本屋の店員さんに、
「突然すみませんが、あの、あの、これ、これ」
と目次を示し、
「この小説、私のなんです」
と言って『SMセレクト』を買ったのだ。
「はあ」
か、
「へぇ、そうですか」
か、とにかく気のないような返事を、店員さんはしたと記憶しているが、そんなことはかまわないくらい、うれしかった、団 鬼六賞だった。
三日後、『SMセレクト』編集部に行く。
上京して初めて見るマスコミの世界!
マスコミの人!
私は緊張していた。
そして要約すると、編集長は女の人で、ナタリー・ドロンに似た人で、
「これからも書いてごらんなさいよ」
ナタリー・ドロンからナタリー・ドロンっぽい口ぶりで言われ、
「はい、はい、はい、のハイ」
というような感じで、かくして私は物を書いてお金をもらう作業を始めることになったのである。
はだしのマドモワゼル
原稿の収入は源泉徴収がなされるので、三月になると税務署に行かなければならない学生に私はなった。
税金は戻ってきた。
名目は勤労学生。
ちょっと気がひけた。
とにかく、大学に通いながら毎月三十枚から五十枚ほどのSM小説を書くようになったのだが、これがつらい作業であることをスタートしだしてから思い知らされた。
〆切日までに一定の量の作品を、
コンスタントに生み出す。
ということは、他に言いようがない、かなりつらい作業だった。
たとえ世間が「鼻かんで捨てるジャンル」としかみなさないジャンルの小説であってさえも。
たとえ、
「あんなの、パターンが決まってるんだからカンタンじゃないの」
としかみなさないジャンルの小説であってさえも。
「あんな小説、みんな同じじゃない。タイクツしちゃう」
としかみなさないジャンルの小説であってさえも。
私としてはたいへんだった。
『今昔物語』とか『落窪《おちくぼ》物語』『源氏物語』などをSM風にアレンジする企画を提出したりしてしまったものだから、まず、原典を読むのに一苦労なのである。
教養の下地もないくせに企画だけはごりっぱで、まあ、身から出た苦労ではあったのだが。
じじむさいスウェットの上下に眠けざましのアイスノン・ベルト、『古典重要単語の征服』だの『国語総覧』だのを机の周りに積んで岩波の古典に赤エンピツを引きながら書く。
その姿をだれかがのぞき見していたら、たぶん、受験勉強しているのであってSM小説を書いているとは思わなかったと思う。
しかし、古典物にしろ、現代物にしろSM小説を書くときのヒロインは、私の場合、みな、「自分に自信を持ち過ぎていて他人を平気で傷つける女」か「いかにも他人が理解しやすい気配りと弱さ≠臆面《おくめん》もなく表に出せる女」かのどちらかであり、それに天誅《てんちゆう》を下すという意識であった。
『必殺仕置人』の発想である。
女体がどういうふうに性戯に感応するかということには、まったく興味がなかった。
だいいち、団 鬼六賞に入った段階で、私はキスをしたことがなかったのである。
「二十歳を過ぎたというのにセックスしたことがないなんてヘン」という定説があるなかで、さすがに、キスをしたことがない、とはだれにも言えなかった。
私はずいぶん演技した。
大学構内で、街《まち》で、編集部で。
演技することは幼少より得意分野だったし、告白物も書かされて私はますます芸を磨いた。
告白物、というのは、こんなことをバラしてもいいのかどうか迷うが、雑誌に読者からの架空の告白を載せるのだ。
「拝啓。編集部様。わたしは三十五歳になる公務員ですが、どうしたものか、昔から女性の髪の毛にしか興味がないのです。
わたしがこんなふうな趣味を持った原因はおそらく、まだ小学生だったころ、親戚《しんせき》の家にいったおり、若い叔母《おば》の入浴しているところを見たのが……云々《うんぬん》」
といったモノである。
読者からのとつとつとした語り口「らしさ」を出すために、私ハ、それまでハ、髪の毛ハ、とても好きデ、それデ、これデ、……のように文章をヘタにする。
女性読者からの投稿っぽさを出すにはセックスをセックスと書かずSEXと書く。
「夫とは結婚十二年目です。こんなことを打ち明けるのは恥ずかしいのですが、夫は、SEXが弱いタイプらしいのです」
というぐあいに。
セックスが弱いタイプだの、恋人とは刺激的なプレイをエンジョイだの、黒ミサを体験だの、嘘《うそ》八百を書いた。
あるときは髪フェチの公務員(三十五歳)、あるときは体育教師と火遊びする高校生(十七歳)、そしてまたあるときは患者にいたずらする医師(五十四歳)、かくしてその実体はキスもしたことのない花の青学ギャルなのであった。
(雑誌の名誉もあるので断っておくが、現実に読者からの投稿というものもあるのである。写真も手紙もついている「ほんとうのおたより」もあるんだからね)
*小説ももちろん、嘘、である。
嘘を嘘らしく、それが、私のいちばん好きな小説だ。
なぜ、日本人は小説に「現実」を求めるのだろう。
それならノンフィクションではないか。
嘘、は人間が持ってるすばらしいやすらぎなのに。
なぜ、愛と性の真実、などを追求したいのだろう。
愛と性の真実など描いたらミもフタもなくなって絶望すると思うのだが*
にくいあんちきしょう
おりしも世は「女子大生ブーム」だった。
女子大生でSM小説を書いている、というのは、いかにもマスコミの好餌《こうじ》になりそうであるが、それにはSM出版界はあまりにマイナーだった。
ほそぼそとした地味な世界であって、オールナイト・フジに出ているのとは華《はな》の格が違う。
それでも、たまに雑誌やスポーツ新聞などのインタビューを受けた。
最初のころは、インタビューを受けるということが、それはもううれしくて、一所懸命、質問に答えたのだが、送られてきた記事を読むと、まず、言ったようには書かれていない(もちろん、私の発言を土台にしてまとめたとして妙ではない記事もあったことをここにお断りしておく)。
インタビューの中の私は、いかにもSM作家らしく「変態性と意外性をほどよくセンセーショナルに持った」女になっていた。
だが、その記事を書いた人物、つまりインタビュアーに対して、私は一度も腹を立てたことはない。
告白物も書く私には、彼らの立場や気持ちが痛いほどよくわかったのだ。
私と出会ってしゃべったとおりの印象を書いたのでは記事にならない。なぜなら、私はいたって平凡な田舎《いなか》から上京してきたフツーの人であり、原稿用紙のマス目を埋めるスキャンダルなどなにもないのである。
かといって、どんなフツーの人でも八つ墓村と八つ墓家庭で育った私なりの屈折はあって、それについて書けば、マス目が硬《かた》く冷たい用語で埋まりすぎて用紙が足らなくなってしまう。
正直に書けば、編集長から、
「だめだめ、こんなんじゃ。何しにインタビューしてきたんだよ」
と言われるに違いない。
そこで、彼らは、しかたなく、アレンジして書くのだ。
「変態性と意外性をほどよくセンセーショナルに持った」人物像を。
私も彼らの立場であったなら同じようにしたと思う。
だから、そのうち、インタビューを受けると、来てくれた人と、
「今年のプロ野球はどこが優勝するかなあ」
などといった世間話をし、
「じゃあ、テキトウに書いておいてくださいよ」
といって別れるというパターンになっていった。
こういうパターンになる前には、
「恋人はいますか」
「カレはあなたの作品なんかをどう読んでいますか」
という質問が必ずあった。
「カレとも小説のようなSMプレイをするんですか」
最終的にその質問のための質問になる。
「彼、っていないんです」
律儀《りちぎ》に答えると、相手の答えは決まって、
「またまたあ」
だった。
急に話が飛ぶが、美容院で髪型をいつものとは変える旨を伝えたりするときなど、
「おや、カレの好みなのかナ」
と言われた経験は多くの人があるだろう。
こういうとき、私は、
「はははァ」
あいまいに笑っておくが、カレを所持したことのない者にとって、あの類《たぐい》の会話ほど、
「むなしい……」
と感じるものはない。
便秘しやすい体質の人とそうでない人がいるように、恋愛も、きっと、しやすい体質としにくい体質があるに違いない、と、私は信じている。
「いい年して恋愛の経験がないなんてカマトトねえ」
このくだりを読んでこう思った人は恋愛しやすい体質。
思わなかった人はしにくい体質。
で、どうしたものだろうか、私はこの年になっても恋愛というものができない。
恋愛、というより、つきあう、と言ったほうがいいか。
恋愛感情なら、ノーランナーの三塁打程度はしょっちゅう放つ。
ちょっと美形がいると、
「わあ、すてき」
ちょっと背の高いのがいると、
「わあ、かっこいい」
ちょっと親切なのがいると、
「わあ、やさしい」
ちょっとおごってもらうと、
「なんて男らしい人だろう」
今日はかわいい洋服ですね、などと言ってくれようものなら、即座に、
「この人好きだわ」
である。
ただ、決して、部屋で一人のときにその人に会いたいとか会えないことが寂しいとか思うことがない。
大学生のとき、ある助教授が好きだった。映画や小説にはよくある話だが、現実には助教授と私はナニゴトもなく、ただ、私が一方的に、とても好きだった。
とても好きなのに、
「でも、この人が助教授ではなく、会社員とかデザイナーとかなら好きだとは思わないんだろうな」
と、気づいてしまう。
「助教授と女子大生という関係にロマンな刺激を感じているのだわ」
と、分析してしまう。
それも、ふり返ってみれば、というのではなく、好きだなあ、と思っているさいちゅうからしてこうなのである。
男性と映画を見に行ったこともある。男性と食事をしたこともある。お酒を飲んだこともある。テニスをしたこともある。ラブ・ホテルに行ったこともある。
だが、つきあう、というのは、こうしたことを、ある一定の期間、ある特定の人と行うことをさす。
私の場合、全部別々だったのである。
Aさんとは、映画の趣味が合うからいっしょに映画に行く、Bさんとは時間が合ったからいっしょに食事する、あるいは酒を飲む、Cさんはスポーツがうまいからいっしょにスポーツする、といったぐあい(ラブ・ホテルに行った件については話が飛ぶのでまた別の章に設けよう。ただ、主婦の友社から出る本に、ラブ・ホテルの章を設けていいものかどうか、今、心配)。
つまり、現実の男性のだれ一人に対しても、夜中にその人のことを思い胸が少しでも痛くなるような経験がなかった。
痛くならずとも、
「とても好き」
と思う男性は、さっきの助教授のように、立場上からして私の片思いに終わる。
立場上、問題のない人でも、私が、
「とても好き」
と思う男性は、全員、私のことが、
「とても嫌い」
「嫌い」
「あまり好きじゃない」
この三つのうちのどれかだった。
*うまくいったのは私の場合、唯一《ゆいいつ》、中学生のときに交換ノートをしていた小谷彰くんだけではなかろうか*
いい? つきあう、というのは一人ではできないことなのよ。二人いることなの。
ということは、つきあいようがないではないか。
「とても好き」
と思った男性から、
「ぼくも」
と思ってもらえた人にはわからないかもしれないけどさ。
軽く言ってるけど、ツライものがあるんだから。
だって、彼が最近冷たい、と悩むことができるほうが、雑誌の占いや心理テストのコーナーを見て想定する相手もいないことより、ずっと幸せじゃあないですか。
それをグジグジ説明すると、なんだか、
「アア、私ってなんてかわいそう」
と思ってるみたいに思われそうで、それがいやで、
「恋愛の経験はありません」
「彼はいません」
と律儀に言うか、
「はははぁ」
とあいまいに笑うか、
考えた結果の手段をとっているのに、
「またまたあ」
は、もう、やめてくださいよ。
「彼とも小説のようなSMプレイを?」
だって。
してたら小説なんか書いてやしねえよ!
12人いる!
「とても好き」
と思う話のつづぎ。
私が、とても好き、と思う男性は決まっているらしい。
好みのタイプというのが、完全に決まっているらしい。
血液型というもので性格が分かれるなどということは医学的根拠がないというし、まったく信じられないが、いままで十二人、
「とても好き」
と思った男性がいて、全員B型であった。そして全員、私のことを、とても好き、とは思ってくれなかったわけである。
さすがに九人目くらいから、
「もしかして血液型占いとか血液型性格診断とかいうのは当たるものではないだろうか」
と思うようになった。
なぜなら、日本人においてはB型は二割なのである。
「その二割を、なんで、よりによって選んでしまうのだろう」
十人目でがっかりする。
十一人目のときは、まず最初に、
「あのー、血液型、何型ですか?」
ときいた。
「B型ですけど」
彼は何げなく答え、悪い予感がする。
しかし、一目見たときから、
「とても好き」
と思ってしまっている私。
お茶を飲む。話をする。
「いいなあ、好きだなあ」
とあらためて思う私。
「つきあう、ってやつが、こんどこそできるかもしれない」
さらに図に乗る私。
伏し目がちになってしまう私に、彼は言う。
「姫野さんってSM作家だなんていうからどんな怖《こわ》い人かと思ってたんですけど、きれいな人が来たので驚きました」
まあ!
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい。
きれい、という言葉は弾丸のように私の右脳を射る。
うれしさに錯乱してほとんど思考能力を失いかける私。
「姫野さんはまだ独身なんですよね」
「はいっ」
「ぼくは結婚が早かったから……」
「え?」
「ぼくは結婚が早かったものでドウノコウノ」
失いかけた思考能力が急速に戻ってくる。
「結婚……なさってるんですか?」
「だから結婚が早かったもので子供がドウノコウノ」
結婚してるのか……。
そうよねー、すてきな人にはちゃんとすてきな奥さんがいるのよね……、それが人生なのよねー。
一気にがっかりした十一人目。
十二人目のときには、
「まさかB型じゃないでしょうね?」
もはや願いに近いものがあった。
「え、どうしてわかったの?」
「……ビ、B型なの……?」
「うん」
「アア…………」
『晴れた日に永遠が見える』という映画があったけど、十二人目は、初日の、それも、会話一分にして、すでに永遠が見えた気がした。そして、ほんとうに見えたとおりになった。
日本人に二割のB型に、なぜかパッとひきつけられてしまう私は一割のAB型。
そこで体験的血液型性格診断。
AB型=B型にひかれる性格。
B型=AB型にひかれない性格。
そういや、幼稚園から仲よしのケイコちゃんをはじめ、ジュンコもキヨミもシミズくんもホンダさんもユーコちゃんもシマちゃんも、みんなB型だ。
血液型相性診断でいくと、AB型はA型とうまくいく≠アとになっている。
きっと私はAB型のラグビーのボールで、A型にトライしたいのに、二割のB型にいっせいに囲まれて、やっとの思いで抜け出しても、わずか一割のAB型がタックルかけてきてヘトヘトに疲れて、三割のO型にパスされたもののO型はボールを上《うわ》の空で受け止めながらスタンドのギャルにウインク送るのに忙しくて、A型にはどうしてもトライできない、そんな星の下に生まれたのだ。
ところで、男女がなにをもってパッとひきつけられるかといえば、とどのつまりは、雰囲気、ということになるのだろう。
友情と恋愛感情とは違う。
友情は外見の要素に左右されないが、異性感情というのは左右される。
それは、美人でないといやだ、とかハンサムでないといやだ、とかいう意味ではなく、なにが本能的な、動物的な、牡と牝としての「外見の要素」のことである。
そういった外見の要素を多分に含んだ雰囲気が私をしてB型にひきつけさせた。
著名人で例をあげると、理想は元阪急のアニマル。まじめで誠実で元気でやさしい感じがするから(他の例では、クマさんこと篠原勝之、ジャズの坂田明、映画『さらば美しき女《ひと》よ』で刑務所に入ってた男、オール巨人)。
もっとくわしくいうと、樵。
ほう。きこり、という字はこう書くのか。いまごろ知った。ワープロなので変換したら機械が勝手に出してくれたのだった。
私の好きな雰囲気というのは樵タイプなのである。
樵タイプといっても、そんなものはあろうはずもなく、いろいろな樵の人がいるとは思うのだが、さし絵に出てくるような樵の感じの人というのが好きでたまらない。
気はやさしくて力持ち。大男。毛深い。体臭が強い。食欲|旺盛《おうせい》。で、007を見てもボンド・ガールにばかり目が行くような。
これ。これ。これね。
これらのうち一つでも備わってると、もう「ワア、かっこいいんだ」と思ってしまう私である。
気はやさしくて力持ち、大男、までは、ま、わりと一般的にも同意が得られるのだが、なぜなんだろうか、日本の女性って、毛深い人をキライとか言う傾向がある。
なぜなんだろう。
私は毛深くない男の人って、なんか、女みたいで……だな。
手の甲とかにもモワモワ毛が生えてたりするのを見ると、
「すてきイ」
と思ってしまう。
髭《ひげ》をたくわえているのは好きではないが、髭のそりあとがガリガリと濃かったりするとそれだけで、
「誠実」
とか、脈絡なく思う。
ユリ・ゲラーという超能力者がいたが、あの人が、
「あんなのインチキだい」
とカゲ口をたたかれていたときも、私はやっきになって彼を応援したものだ。
開襟シャツの胸元からのぞく、まるで、下に茶色のセーターを着ているのかと見えるほどの毛深さによって。
最近は、若い男性がこぞってエステティックで脱毛してもらってると聞くが、いつか有名になったら『笑っていいとも』に出て、
「男性の皆さん、脱毛するのはやめて。やめて。やめて。もったいない」
と声高にして言う予定である。
石田純一さん、私、あの人、好きです。そりゃ、好きですよ。
でも、彼がステキなのは、毛深くないからじゃなくて、彼があの、いわゆる「シティ派」の路線をテッテーしてきわめているからでしょ。
毛深くなかったら即シティ派になれるわけでもないし、石田さんは自分の持っている要素を生かしてそれをきわめたからステキなんだから。
毛深ければ樵派になれるのに。つくづく、もったいないわ。
体臭が強いのも、風呂《ふろ》に入ってなくて体臭が強いんじゃなくて、体臭が強い人が一日二回シャヮーを浴びているのが好きなんだ。
そうして、自分の体臭をちょっと気にしてて柑橘《かんきつ》系のコロンをつけてたりすると、その柑橘系の匂《にお》いとその人の体臭が混じって、その人だけの独特の匂いになって、それが、とんでもなく、
「ああん、男の匂い」
って匂いになるじゃない? ちょっとはしたない表現だったかな。
そして食欲旺盛についても、別に、どこそこの立派なレストランの料理にうるさい、というんじゃなくて、おいしいものをおいしそうに食べる、のがかっこいい。
ときどき、次のような人、出会ったことありませんか?
たとえば、いっしょに飲食していて、アルコール類って、心底のんべえじゃない限り、食欲を呼ぶから、食べるものをもう一品頼もうと提案したりすると、
「おまえ、そんなに食べて、またブタになるぞオ」
なんてことを言う男性。
で、本人はそういうカラカイが座を盛り上げると信じて疑わない人。
こういう人に出会うと、以前は、まともに受けて、まともに反省して、暗くなって、
「吐かなくてはいけないのだろうか」
と思ったものだが、今は、年齢を重ねたふてぶてしさが私に備わり、
「こういう人がいちばん嫌い」
と、あっさり思ってしまう。美人女優でもないのに、エラそうな発想だとは思いつつ。
食欲旺盛でがんがん運動して仕事に燃えてて女好き。浮気はいっぱいするけど一番星ははっきり決まっているような。
そんなのが、そんなのが、スーパーマンを望んでるような分不相応な高望みなんだけど、いいなあ!
実は何を隠そう、って隠すほどのことでもないけど、前は、こういうタイプじゃなくて、
「食べ物に執着心がなく、ごくおいしい物だけたまに食べ、頬《ほお》がシャープで彫りが深く眉間《みけん》にわずかにシワ寄せてむずかしい本読んでる」タイプ――
が、好きだったので、どことなく、その反動みたいなところがあるのである。
そうめん、冷ややっこ、はもちり、湯葉のおすまし。
食べ物は断然、このジャンルが好きであるのに、男性はカルビのようなのが好き。脂《あぶら》っこくて、too muchで、そうそう窓の下でギター弾《ひ》きにくるくらい、もう、ゲップが出そうなくらいがいいんです。
あ、これって、きっと、イタリア人だわ! なぜ気づかなかったんだろう。
私って、イタリア人と恋に落ちるべき人間だったのよ。
ベルリッツで集中イタリア語レッスンを受けて、A型のイタリア人に、スクラムかきわけ、タックルはずし、こんどこそ、ドロップ・ゴールで決めようっと!
小さな恋のものがたり
幼稚園時代、風のフジ丸。
小一、二宮秀樹(ガム)。
小二、金子吉信(悪魔くん)。
小三、佐々木くん(これ、同じクラスの子ね。ありがちなことよ。転校生だったの)。
小四、この辺から急にマセ始めて、アレックス・マンディ(プロ・スパイ)と岡田真澄。
小五、矢吹くん(あしたのジョー)。
小六、完全にマセて、津川雅彦。
中一、トム・リプレイ=アラン・ドロン、セルジュ・ゲンズブール。
中二、イヤラシ根性の芽生えで、岸田森、石橋蓮司。
中三、桑原和夫(吉本新喜劇)、小谷彰くん(三年三組。交換ノートをとおしてつきあった@B一《ゆいいつ》の人物)。
高一、歌手としてはすでに絶頂を過ぎてたのになぜかおくればせながらミッシェル・ポルナレフ(同世代の読者の方、なつかしい!名前でしょう? 再来日して欲しいですね。『東京ドーム』は無理でも『ジァン・ジァン』で)。
そして、高校二年くらいから、柴田錬三郎と野坂昭如の写真を生徒手帳に入れ歩くマイナー女子高校生となる。
以上が、上京するまでの私の恋の遍歴であります。
恋以前の恋、といったほうがふさわしい実情であるが、それはさておき、どうしたものか、自分の生活圏外の男性ばかりに恋をするという、ひじょうにオタク族的要素を持っていた。
ま、ま、小学校三年生くらいまでと、中三の小谷くんは妥当ですよ、妥当。
んでも、高校生にもなって同級生には目もくれず、ミッシェル・ポルナレフに夢中だったりすると、
「幼稚ねえ。そんな外国の歌手が好きだなんて、そんなの意味がないじゃない」
みたいなことをよく言われた。
八つ墓村の八つ墓家庭にあって、追っかけなどできようはずもなく、グルーピーになるわけなかったが、それはもう、夜中にミッシェル・ポルナレフのことを想うと眠れないくらい恋をしていた。
先に「現実の男性にはだれ一人として胸痛ますことはなかった」と書いたが、このように、非現実の男性には、真剣に胸を痛ませたのだ。
ピアノを弾くポルナレフの指にばーんとピアノの蓋《ふた》を閉めて押さえる夢をよく見ていた。痛みに耐えるポルナレフの瞳《ひとみ》は、ほら、あの大きな眼鏡の奥に隠れて見えなくて、きっと痛そうにしているんだろうな、と想像してそれが快感、みたいな夢で、
「てめえ、ほんとにファンなのか?!」
と、ファンクラブの人に怒られたこともあった十六歳の日々。
「乙女チックねえ。ポルナレフに恋? それはね、恋に恋してるのよ」
そう言う先輩もいた。
けど、恋に恋する、なんていう「美しげ」なもんじゃなかった、と思うなあ。
だいたい、小学校の四年生が岡田真澄を好きだなんて、美しいと思う?
スケベエな気持ちで好きになってるのに決まってるじゃないか。
岡田真澄とともに恋したアレックス・マンディだって、八つ墓村では『プロ・スパイ』なんてアメリカ・テレビドラマを見る家庭が皆無に近く、クラスではだれも彼の名前を知らなかったから、わりと平気で、
「アレックスが好き」
と言えたけど、あなた、
「岡田真澄が好き」
などと、小学校の教室で言えるか?
自分にやましいところがあるから絶対言えなかったね。
もちろん、年齢的に俳優の名前を知っている子が少ないから、言っても大丈夫だったのかもしれないけど、岡田真澄っていったら、そのころ、『キイハンター』でイヤラシイィィィ役をよくしてたんだから。
それで好きだったんだもん。
アレックス・マンディにいたっては、『プロ・スパイ』のはじまりでナレーションするんだよ。
――わたしはアレックス・マンディ。親父の代からの宝石泥棒。
つかまって刑務所に服役中、SIAのベイン部長に見いだされ、国家の危機を救うため手にしたスパイのライセンス。
仕事はとっても厳しいが、相棒はいつもとびきりの美女。
仕事の合間にちょいと……人もうらやむプレイボーイ。
わたしはアレックス・マンディ、スパイのライセンスを持った男――
*小学校以来、再放送を見たことも資料を読んだこともないので自分の記憶にしか頼っていないけど、たぶん、あってると思う。
ただ、『プロ・スパイ』は最初、土曜の八時半(全国ネット地区)からで提供は大阪ガス。それから『スパイのライセンス』とタイトル替えをして火曜の十時からになって提供は同じ大阪ガスだったけどナレーションがちょっと長くなって、ここに記したのは長くなったほう*
このナレーションにしびれちゃってねえ。
あれはサックスなのかなんなのか、なんの楽器なのか、わりとアメリカ・テレビ物に多い、ひどく官能的な音を出す楽器で、そのメイン・メロディーが流れる中、バックにアレックス・マンディらしいシーンがぱっぱっぱっと画面フラッシュする。出演者やスタッフの名前が白い英文字で出る。
特に、
「相棒はいつもとびきりの美女。仕事の合間にちょいと……人もうらやむプレイボーイ」の箇所では、アレックスとブロンド美人のキス・シーンのアップになるんだよね。
アレックスの声をやってたのが城達也さんで、これがまたイイ声なんだ。
ちょいと……のあたりのネットリした感じと、プレイボーイ、と言い切るドライな感じと、その対照がすばらしくて。
団欒《だんらん》のいっさいない八つ墓家だったので、夜に居間でひとり、テレビを見ることも、タイミングがうまくいけば、可能だった私は、もう、ドキドキしてこのオープニングを見ていた。
本編が始まれば始まったで、アレックスはベイン部長に電話する。
ア「用意してもらいたいものがあるんですけどね」(と、軽く)
べ「何だ?」(と、うるさそうに、でもシリアスに)
ア「ワルサーP38と、マイクロ・カメラ、それと……」
べ(復唱してから)「それと? それと何だ?」
ア「ボインボインのカワイ子ちゃん」
べ「私用に使うものを用意できるか」
ア「いや、そうじゃない。実は……」
作戦を説明するアレックス。部長も納得し、彼の美女を使った作戦はみごとに成功をおさめるが、結局、最後にはその美女を私用してしまう、そんな人なの。
さすがにこのくだりについてはこまかい部分は全然違ってると思うが、ただし、美女を用意しろ、と言ったのは絶対確か。そして「ボインボインのカワイ子ちゃん」というセリフはずぇったあいにあった。
だって、そのセリフのとき、即座に結末の「私用」するシーンを想像して赤くなった私であったから。
それにまた、こんなシーンもあった。
国家の危機を救うために某邸宅に忍び込んで書類だが何かをマイクロ・カメラに撮《と》って帰る作業をしていたアレックスは、窓から忍び込んだ際、就寝中の女性(グラマーな美女、と相場が決まっている)に叫ばれかけてしまう。
「キャアー」
まで叫ばせない。
「キャ」
までくらいで終わる。
なぜなら、女性が叫ぶ前に彼がその唇を自分のそれでふさいでしまうからである。
最初は目を見開き、肩をかたくしていた女性は、アレックスの腕の中ですぐに目を閉じ、ぐったりともたれかかるようにキスされてゆくのであるが、これって、オハナシとはいえ、そりゃもう、まさしく「うっとり」するシーンであって、アレックスとはそういう人だったわけだ。
それを好きだなんて、小学校の教室で、言えるもんですか。
トム・リプレイも『太陽がいっぱい』でマリー・ラフォレを誘惑するシーンばっかり思い出して、それから自分で自分なりの『太陽がいっぱい』を作成していた。
真夏の地中海。
きらめく陽光。
ニーノ・ロータのメロディーに乗って、ヨットの上ではげしい強姦《ごうかん》シーン。
だが、トムはマリーをずっと前から愛していて、深く愛していて、それに自分で気づいていない。マリーもまた、それは同じ。
こういう前提条件があっての強姦シーンなのである。
強姦されたあと、涙を流すのはトムのほうであり、背後から彼の背中に頬《ほお》寄せて、
「孤独な人……」
とおくれて涙するのがマリーなのだ。
いやあ、これって、ほとんど、梶原一騎氏の感覚じゃないスか。
矢吹くんに惚《ほ》れてしまったのも、梶原先生とは波長があったからだ、きっと。
特等少年院に慰問に来た白本葉子のエスメラルダと矢吹くんの視線の絡みは、ちばてつやの絵の力との相乗作用でスゴイものがあったもの。
多感な小学生には熱いコマであった。
でもって、トム・リプレイと矢吹くんあたりはまだ、ロマンチックな空気があるけれども、小六の津川雅彦、中二の岸田森、石橋蓮司なんて、パーペキにいやらしい対象だったもんなあ。
ずいぶん世話になった。
いやだ。
世話になった、なんて隠語使って。
ウーム、主婦の友社から出る本で、こんな下品な言い方していいのだろうか、それが、心配。
津川氏はほんのわずかな間であったけど、岸田森と石橋蓮司の二人は、ほとんどペアで淫夢《いんむ》に起用していた。
淫夢の中で私はアン・ソフィ・シリーンになっている。容姿にコンプレックスがあったので現実の自分のままでは二人に悪いと思った。
アン・ソフィ・シリーンというのは、一九七一年ころ日本公開されたスウェーデン映画『純愛日記』に、あとにも先にもそれ一本だけに主演した、少女女優。
〈きみ抱けば、声をあげて泣きそうな、それは太陽のふりそゝぐ下――抱くことのすべもくちづけの意味も知らない十四歳の少女と十五歳の少年〉
これがコピーで、彼女の顔は、いま見るとどうってことないフツーの外国人の顔なんだけど、当時は、
「なんてきれいな顔なんだろう。なんて聖なる顔なんだろう。ああ、こんな顔になりたい。こんな顔になれたら。こんな顔だったら。どうか、こんど生まれてくるときはこの顔にしてください」
と毎晩、お祈りした、そういうアン・ソフィ・シリーンである。
で、アンと岸田森は恋人同士。岸田森と石橋蓮司は宿敵的関係。だがアンは石橋蓮司に強引にセックスされてしまい、それを岸田森が執拗《しつよう》にとがめる、というストーリー。
書いてみると、
「なんていやらしい中学生だろうか」
と自分のことを思うが、しかし、いいわけもしておくが、セックスするということがどういうことなのか、ほんとうのところはよくわかっていなかった。
学術的な知識は、もちろん、こういう物語を考える中学生だから、十分にあったはずなのだが、卵子と精子は鮭《さけ》とかウニとかのように体外で受精し、受精卵が子宮に入ってゆくのだと思っていた。
タンポンは当時、すくなくとも中学生には全然普及していない時代で、たまにタンポンの広告を雑誌で見ても、どうしても、使い方がわからなかった。
せいぜい生理血が出てくるくらいの幅しかない、と信じて疑わなかった部分にタンポンを「挿入する」などという発想はまったく出てこなかった。
ましてやセックスでそういうことをするとは考えもつかなかった。
ましてやましてや、往復運動、など、想像を絶していたといっていい。
毎月の原稿を書くなどしていて、他の人の作品にずいぶん多く「彼は往復運動を……」とか「ピストン運動を始めた彼の……」とか出てくるので、そこで初めて、なるほど、とうなずいた団 鬼六賞である。
だが、何もわかっていないくせに、イヤラシイ本質だけは飛び抜けていたわけであるから、やっぱり私の根性はいやらしいんだと思う。
実行しない助平、これっていちばん、いやらしくない?
部屋でひとり、ああもあろうこうもあろう、とムフフフしているなんて。
そうよォ、そうでなかったら小説なんか書く仕事をしようと思うはずないじゃないの、ねえ。
一度、親戚《しんせき》の家で、親戚のお姉さんと『プロ・スパイ』を見たことがあった。
相手がはるかに年長者であることで油断した私は、つい、
「私、この人、好き」
ともらしてしまった。
「ええっ、いやらしい人が好きなのね」
ズバリ言われ、真っ赤になった。
これを図星を突かれたというのでしょうかね。
レモンとサクランボ
物を書く仕事をしていることで、幼少からさぞかし文学少女だったのだろう、と思われがちだが、恥ずかしいくらい、私は本を読まない子供であった。
不同視、といって、右目が〇・一、左が○・○五なので、たとえて言うなら、いつも眼帯をしているぐあいで、加えて、乱視も入っているので、ものが大きいのと小さいのと、二とおり見えているような感じなのである。
これは距離感をつかむのにほとほと苦労する視力で、左右の目の視力の差がありすぎると眼鏡もぴったりなものは作れないのである。妥協した度数のレンズをはめるしかないわけだ。
目と目が物理的にも離れているが、視力も離れているという、笑ってはいられない不便さである。
いちばん苦労したのは跳び箱。あれは、助走のスタートの位置で、跳び切るリズムを目測しなければならないが、私の場合、走ってゆくと、必ず、最初の目測との狂いが生じ、また、跳び箱も直前になって急に二つに見えるので、泣かされるものがあった。
同様に、本のこまかい文字を読むのも非常に目の疲れる作業であって、まあ、これは言いわけなのだろうけれど、あまり好きではなかった。
漫画と映画がとにかく好きで好きで好きで好きで、ようするに、最初は、映像刺激から「ものがたり」の世界に足を踏み入れていったのだが、しだいに、言語のみという媒体がすさまじくイマジネーションを刺激してくるタノシミを知り、小説を読むのが好きになっていった。遅れに遅れた文学少女である。
それも、歴史小説からという、会社の部長さんっぽいスタートであった。元祖おやじ女子高校生。
歴史小説にこりだしたのは、新選組が好きだったからで、ご多分に漏れず、「総司さまぁ」のクチである。
総司さまぁ、になったのも、当時、人気絶頂だった草刈正雄が原因、という、なんと、平均的な女子高校生であることよ。
アレックス・マンディのセリフを覚えていて、津川雅彦と岸田森と石橋蓮司でオナニーしていた過去の栄光はどこへいったのかと疑いたくなる。
しかし、司馬遼太郎の小説はほんとうにおもしろかった。
高三では社会科は日本史で、受験も日本史を選択したが、ほとんど「趣味」で勉強していたといっていい。
それくらい、おもしろかった。
でも、恋をしたのは、野坂昭如と柴田錬三郎という、司馬遼太郎とは違う人物結果が出てしまうところが人生だ。
野坂昭如と柴田錬三郎には、それはもう、女子高校生の純情を賭《か》けて夢中になった。
作品に、といったほうが両氏には失礼がないのだろうとは思うけれども、本人に夢中になった。
光GENJIやトシちゃんに夢中になるのとまったく同じに。
野坂さんが、
「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか♪」
と歌えば酒屋にポスターをもらいにゆき、サンヨーレインコートを着れば服屋にそのポスターをもらいにゆき、柴田さんがテレビの『ほんものは誰だ』に出ればドキドキ胸うちふるわせてながめる。
生徒手帳に入れた二人の写真を授業中にながめては、ため息をつく。
高二にして急激にプラトニックになってしまった私。
今 東光と柴田錬三郎が仲よしときけば、『週刊プレイボーイ』に悩み相談を出し、めでたく採用されて、
「くよくよ悩んでないで柴田に会いにいけ」
と今|和尚《おしよう》に言われ、
「会いに行こう。そのためには東京の大学を受けなくっちゃ」
と思い、入試の当日、高輪《たかなわ》や下高井戸《しもたかいど》のあたりをウロウロし、
「なんとしてでも出版業界に入ってパーティーで二人に出会うんだわ」
と思いをめぐらせ、書く仕事につくことを決意し、
「上京が決まったらまずは今 東光先生のところを訪ねてだんどりをつけてもらおう」
とまで勝手に考え、
「野坂さんが次の選挙に出たら選挙事務所の手伝いをして」
とも勝手に考えた。
そしてそして、受験勉強してる間に今 東光|逝去《せいきよ》のニュース。
「ええっ?!」
と驚いたのもつかの間、上京した年に、な、な、なんと、柴田錬三郎も死んでしまったではないか。
私ねえ、精神安定剤をもらってきてそれを飲まないと眠れないほど悲しみましたよ。
いまも六月三十日が来るたび、悲しくなる。柴田邸に花を持ってゆく六月三十日を迎えてもう十年。
いやらしい根性の私が、何ひとついやらしい気持ちなく、少女の夢を見ていた人でした。野坂さんと柴田さんは、恋、というより、むしろ、未来の夢の結晶のような存在だったんだと思う。
ああいう作家になりたい、という意味じゃなく(そう書いたほうが失礼がないのだろうけれども。そしてもちろん、作家としてのお二人も尊敬しているけれども)、文化不毛の田舎の土地に住むハイティーンが、現実としての未来を考え、挫折《ざせつ》や怖《こわ》さを知らぬ若い強さで、その未来をきらめく光に包まれたものとして夢みたときに、そばにいてほしいと、そばにいて夢を語るのを聞いてほしいと願った人だったのだろうと。
そう思う。
「司馬遼太郎の養女になって、パーティーで柴田さんと野坂さんの二人と語らい……」
そんな空想をしていたところに、この気持ちは如実にあらわれているもの。
アレックス・マンディのことも、跳び箱がなぜ怖いかということも、ブリジッド・バルドーの映画で黒いブラジャーが鮮烈だったことも、ホンモノの伯爵《はくしやく》令嬢マリサよりもニセモノの令嬢イサドラにそそられる理由も、八つ墓村の八つ墓家にいる私は、だれにも話せはしなかったから。
ジュ・テーム
「実体を知らぬ性」への好奇心でもなければ、少女の夢でもない。
スターに憧れるストレートなものでもなければ、反感でもない。
恋、というものが含んでいる、ときめきと焦燥《しようそう》と嫉妬《しつと》と尊敬と、そういった、人が異性に対して感じるすべてのことを、幼い年齢期を過ぎてから感じた最初で、いまのところ最後の人物がいる。
いままでの記述からわかるように、実際に自分の近くにいた人ではない。
名前は記せない。
記したらみんな知っている人だから、仮に速水真澄、としておこう。
*美内すずえ先生、無断借用をお許しください。ところで、先生の大作『ガラスの仮面』ですが、婚約者の志織さんより、秘書の水城さんがかわいそうでなりません。どうかこの先、彼女を幸せにする展開にしてください。できれば葵《あおい》さんと彼女が結ばれれば、と願っております*
速水真澄は有名な作家である。
笑わないでほしい。
私は、今だからこそ言えるのだが、彼に惚《ほ》れぬいていた。
野坂さんと柴田さんの写真は生徒手帳に入れることがなんの抵抗もなくできたが、速水真澄の写真は入れることに抵抗があった。
「すってきイ!」
では表現できない感情がふつふつと体内にあって、自分でも処理しかねていた。
ようするに惚れていた。
笑わないでほしい。
ばかばかしいと笑わないで。
ミッシェル・ポルナレフも岸田森も、アレックス・マンディも、けっきょくは私の頭の中だけで作り上げた人物であったが、速水真澄は、その作品を読むことで、私の頭は彼を作り上げることはできなくなる。
速水真澄の作品を読みながら、私は彼と会話していたはずだ、と言い切る。
たとえ、それが彼の一部だったとしても。私が作った速水真澄ではない。ほんとうの速水真澄だったと、言い切る。
夜の高層ビルのように硬《かた》く美しい速水真澄の文体。
夜の高層ビルの中で、私は彼と話す。
彼を愛するが、決して、彼は私を愛することはない。
それでも、愛する。
当然、愛してほしいと、願う。だが、それはかなうことはない。
わかっていながら、それでも、愛した。
高校生から二十歳くらいまでは、コムスメの怖《こわ》いもの知らずで、月に一度ほど、速水真澄の自宅に電話をした。
無礼な電話なのに彼は話し相手になってくれた。
電話だと、私は、素直になれた。
でも、顔も見たかった。
もちろん、二、三度遠くから顔を見たことはあったが、もっと近くで見たかった。
♪果てし〜無いもの、それは欲〜望♪
という、井上陽水の歌のとおり。
速水真澄がよく行くというバーが銀座にあり、私は、ある日、そこに電話をかけた。
「もしもし、唐突ですが、お宅で働かせてください」
私はいかに自分が速水真澄を愛しているかということを話した。
支配人は、ミーハーな女子学生のファン心理と受けとったことだろう。
苦笑しながら承諾してくれた。
私は銀座のホステスのアルバイトを二か月やった。
*ただし、お金をもらうからには、それに見合う「つらさ」はもちろん、あった*
でも、会いたかった。
一度でいい。
速水真澄と同じ部屋で同じ空気を吸いたかった。
二か月の間に、ほんとうに、一度だけ、速水真澄が店に来た。
「よかったね、さ、席について」
支配人にそう言われて、速水真澄がすわる斜め前の席にすわる。
それだけだった。
私が速水真澄の顔を正視したのは、おそらく四十秒くらいだったろう。
ひと言、ふた言、どうでもいいようなことを話した。
同じ部屋で、60センチほどの距離で、同じ空気を吸って吐けるチャンスに、私は、ふるえてほとんど呼吸できなかった。
速水真澄が私にとっての白い馬に乗った王子様だったからではなく、彼の心の冷たさもまた、認識しているつもりだったから。
繰り返し読んだ作品から知る彼のいやな部分も含めて、私は速水真澄が好きだった。
花の女子大生生活中、何人もの男性(友人意識ではなく異性として認識したところの)と知り合ったけれど、私は速水真澄とくらべてしか彼らを見ることはできなかった。
というより、いついかなるときでも、私の横には常に速水真澄がいた。
聖書を全部暗唱していたジュリアン・ソレルのように、知らぬ間に速水真澄の作品を暗唱してしまっていた私である。
それほど速水真澄には魂を抜きとられていたことになる。
男性とつきあったことがなかった、と言ったが、考えてみれば、こんなぐあいでは当然のことで、速水真澄の呪縛《じゆばく》から解き放たれたのは、ようやく大学を卒業したころではないだろうか。
卒業してから大学時代の友人に会うと、みな、
「大学生のころより若々しくなった」
「明るくなった」
「自然な感じになった」
そんなふうなことを言ってくれた。
ほんとうに、大学時代の私といったら、芥子《けし》でも焚《た》いて祈祷《きとう》してもらわなくてはいけないくらい惚れていた。頭で。頭で速水真澄に。
「いまでも速水先生なの?」
きかれることもある。
「ううん。ヤクルトの荒木のほうがずっとステキよねえ」
答えると、相手は、
「ほほう、そりゃまたずいぶん好みが変わったもんだ」
と笑っている。
たまに押入れを整理していて、あら何かしらこれ、と小さな箱を見つける。中にはビー玉やおもちゃの指輪。過ぎし日の「宝物」だ。
今でも、たとえてみれば、こんな気分で「宝物」の箱をあけてみたりはするけどね。
「宝物」は、速水真澄のところに電話していたころにもらった。
今思うと、面識もないのに電話するなど、
「よくもまあ、そんな失礼なことを……」
と、ぶるぶるふるえてしまうが、
「まあ、ぼくでよかったら、たわいない話くらいの相手にはなったげるから」
と、彼は言ったのだ(きっとだれにもそう言ってたんだと思うけど)。
ある日の深夜。
もう一時近いときに電話した。
「愛してる! 愛してるのよ! 愛してるといったら愛してる!」
ヒェー、なんてこと言ってたんだろう。
もうこの先、一生こんなこと言うことないと予想されるが、これを速水真澄に、私は叫んだ。
愛している! と叫ぶ私に速水真澄は言った。ここから。ここからである。
「雪国、って覚えてる?」
彼は私のことを文学少女だと思っていたことだろう。実は私はお恥ずかしながら、その時点では読んでいなかったが、
「え、ええ……」
答えた。
「葉子、って子が出てきたじゃない」
「え、ええ……」
白木葉子でしょ、などとくだらない冗談は、もちろん言わず神妙にしていると、
「きみの声や話し方は葉子の、あの子の感じがするな」
「…………」
「ほら、きみ、駅長さあん、駅長さあん、って雪の中で呼んでるときっと似合うよ」
電話を切るなり、川端康成全集をとり出した私であった。
速水真澄はたわむれに言ったに違いない。
しかし、彼に焦《こ》がれ、彼を憎み、彼を恨み、そしてまた彼に焦がれ、彼を想う私には、このときの言葉は宝物だった。
速水真澄さん。今は、健全に尊敬しております。作家として。
でも、主婦の友社から出る本にこんなことを告白して、
「速水真澄のモデルはだれ?!」
などとスキャンダルになったらどうしようか。それが、心配。
ひみつのアッコちゃん
小説、漫画、映画、広くフィクションというものは、すべて「嘘《うそ》」である。
「嘘」だから価値がある。
ずいぶん前になるが、
「史上最高の結婚詐|欺師《さぎし》、逮捕」
の記事を週刊誌で読んだことがある。
たくさんの女性をいったいどうやって口説《くど》いたのかという質問に対し、犯人の男は、
「花にたとえるんですよ。花にたとえれば必ず女性は大喜びしました」
と言っていた。
私も被害にあいたかった、と、つい思った。金を出しても一度だけ花にたとえてもらいたかった、惜しい男が逮捕されたものだ、と。
*まあ、この男にめぐりあっていても、貢ぐ金のない私を花にたとえてはくれなかったろうけど*
嘘でいいのだ。
嘘とわかっていてもいいのである。
被害にあった女性も、自分がだまされていることをどこかで知っていたのではあるまいか。
「ったく、女ってのは」
と、女性を愚かとは言い切れない。
女性に限らず、男性も、嘘を夢みているのである。
ポルノ、というのは、嘘の極致のようなジャンルである。
もっともよい例が高校の女教師。
現実の女教師といえば――
化繊のヘナヘナしたブラウスにくすんだ色合いのチョッキ(ベスト、ではなく、あくまでもチョッキ)、毛玉のついたジャージーのスカート、たるんだウーリー・ナイロンのタイツ、ぶっといヒールのやぼったい靴、で、電車の中で足を20センチくらい広げて座る――これが主流だ。
*主流じゃない方、すみません*
が、ポルノの女教師というのは、赤い口紅をつけ、絹のブラウスに黒いタイトスカート、シーム入りのジバンシー・ストッキングかなんかを、ガーター・ベルトでつって、折れそうに細く高いハイヒールをはいている。
そして男子高校生に強姦《ごうかん》されても「○○くん、やめなさいッ」と言いながら肉体を快感に目覚めさせる人が多い。
リアリティ、リアリティ、と言いたがる人がいるけれど、もし、ポルノにリアリティあふれる女教師が出てきて、
〈あえぐ先生の金歯が光り、くびれのないウエストで贅肉《ぜいにく》がだぶついた云々《うんぬん》〉
と、したら、読者や観客は、
「おお、リアリティがあってみごとだ」
と、喜ぶのだろうか。
喜びはしまい。
彼らの支払った金は「嘘」に費やされるものなのだから。
女教師についで、ポルノに登場するオナニー・シーンというのも、あれも珍妙なもので、男性の願望を形態化したものに思われてならない。
仕事上、世の中の女性の平均よりもずっとたくさんのオナニー映像を見てきたつもりだが、映像の中の女性は全員、同じオナニー手法を用いていた。
全裸、もしくは半裸で、自分の体をさすり、ほどなく性器を右の指でこすり、そして右の指を性器内へ挿入したうえでさらに指をゆっくり動かす。
指のかわりにバイブレーターなどの器具や物を用いることもある。
これは、男性の考案した女性のオナニー、と思われてならない。
男性は、射精する。
女性は、しない。
この違いが考案する際に出たのだ、きっと。
つまり、男性はエクスタシーに物理的な行動があらわれる。エクスタシーの領収証がもらえるのである。
女性はもらえない。あくまでも各人の、頭脳というか、心というか、感性というか、そんな叙情的なものにゆだねるしかない。
男性にしてみれば、女性も、女性なりの支払いをして領収証をもらうんじゃないのか、という無意識の発想があって、それで、オナニー・シーンのラストを、物品の挿入行為で飾りたくなるのかもしれない。
資料収集の機会も少ないことだろう。女性は、こと、オナニーに関しては語りたがらない。
私も語りたくないが、あちこちの男性誌で語っているうち、語るからには正確に語る機会がほしい。
SMさえもファッションとなったこの時代、性体験を大胆に発言する女性でさえ、話がオナニーに及んだとたん、貝のように口をつぐんでしまうことが非常に多い。
それどころか、いまだに、
「セックスはするけどオナニーはしない」
と言う女性が多いし、また、
「男性のオナニー経験率は九九パーセントだが女性は五〇パーセント」
ふうな認識も流布したままである。
女性がオナニーの話をしたがらない気持ちは、ままわかる。
領収証がないので、女性の場合、エロチックな白日夢、と、オナニー、の境界線がはなはだあいまいだ。
人物Aからするとオナニー行為でも、人物Bとしてはただの空想行為であったりする。
また、男性考案ポルノのオナニー、のみを正式なオナニーと思っていれば、私のカンでは、それこそほんとうに、「女性のオナニー率は五〇パーセントくらい」になる気がする。
それでいくと、私もオナニーをしていないことになる。
だが、オナニーをするかとインタビューできかれて……って、しかしまあ、レディーによくそんなこときくよねー。んでも、これは精神分析するとどう表現されるのだろうか、私には、生理のことをアレと言ったり、セックスのことをニャンニャンとかエッチとか言ったりするのを気持ち悪く感じる何かがあって、そのときも、「さあ……」とか「ご想像におまかせしますわ」とかいう対応が思いつけなかった……で、質問に対し、
「してます」
と答えた。
と、質問者はつづいてオナニーについての詳細を質問してきて、私は懸命に説明した。しかし、懸命に説明すればするほど、たんなる、「女性にしては珍しくオナニーが大好きな人」の姿になってゆくのだった。
だから、このたび機会を与えてもらうにあたって、主婦の友社のような伝統ある上品な出版社の刊行物上で、私は私のオナニーのやり方を正確に記す。
図@を見ていただきたい。
・ ・
・ ・
図@は女性器(膣《ちつ》)の幾何図である。
順番が決まっているわけではないが、とりあえず、点EFGHを結ぶ線の付近を、たとえば〓〓〓などと動かす。物品、指その他を用いるのではなく純粋筋肉運動で動かす。
つづいて点ABCDを結ぶ線の付近を、♪〓♪で動かし、つづいて点ijklを結ぶ線の付近を〓♪〓ぐらいで動かす。
これに直線ADや直線HCなどの運動や長方体全体運動などを組み合わせてバリエーションを作るのである(便宜上リズムを限定してしまったが、リズムは自由である)。
以上である。
このやり方は、物品も手も使用しないので便座除菌クリーナーを常時携帯したり電車の吊《つ》り革を持ったら手を洗いたがったりする性癖の人にとても向いており、清潔で、いつでもどこでもできる長所があるが、SM小説にときどき出てくる、「さあ、俺《おれ》の前でオナニーしてみせるんだ」「アアそんなことォ」で知られる「強制オナニー」をほんとうに強制されて一所懸命やってみせても相手に信じてもらえない欠点がある。
最初に戻って、やはり、嘘には価値があるのである。
リボンの騎士
「男性と一式の寝具で寝て何もなかった数の世界一」
というのが、もしギネス・ブックにあったら、うまくいけば載れるんじゃないかと思う。
大学生時代など、いったい何人の男性と寝ただろう、グーグーと。
杉村くんも、畑さんも、寺沢くんも、ふたりっきりで夜明けのコーヒーを飲んで一つのベッドで、グーグー寝たのが一夜ではすまされない。
藤堂くんとは、えんえんと一週間、モーテルを泊まりながら旅行をした。
清水くんにいたっては、一時期「彼の部屋から学校に通っていた」と表現していいくらい、衣食住をともにした。
しかし、杉村くんとも畑さんとも寺沢くんとも藤堂くんとも清水くんとも、私はセックスしていない。キスもしていない。手も握り合っていない(寝具が小さい場合は、物理的にふれていたかもしれないが)。
みんな、すごくすてきな人で、今もすてきな人である。でも、彼らと私は、男と女ではなく、中性と中性のつきあいだった。そういう関係を保とうと、ガマンしていたわけではない。
彼のGFのことで悩み相談っぽいことも聞き、GFへのプレゼントも選んであげ、そんなことをしても全然|嫉妬《しつと》しない関係である。
ところが、つい最近になって悟ったのだが、友だちだった、と言うと、
「○○子さん、つきあってください」
「……オトモダチとしてなら」
という、例のアレをわりと大勢の人は想像するのね。
「本命一、準本命二、オペラと買い物三、災害保険四、……以下省略」
みたいな、ヒエラルキーの異性関係の観念しかない人には、
「恋人と親友が別な場所に同等な高さで存在する」
ということは、絶対にわかってもらえない。わからないからダメだ、とは私は思わないし、それはそういう観念なのだから人それぞれだと思っている。
でも、誤解を生むのが困りものなので、断っておきたい。
私が、友人、と呼ぶのは決して、
「あれはただのオトモダチよ」
という意味ではない。
男女の差なく、友人は友人で、たいせつな存在だ。
ただ、知り合い、というジャンル内では、「よく知っている知り合い」から「あまり知らない知り合い」までに分かれるし、また、異性感情を持つジャンル内でも、「すごく持つ」から「ちょっと持つ」まで分かれるけれど。
鍵《かぎ》っ子でひとりっ子だったせいなのだろうか、友人こそ世の中でいちばん大事なものだと思う傾向がある。
杉村くんも畑さんもみんな今も仲よしだし(って、仲よし、以外になんか言葉がないものかね)、清水くんは遠くへ引っ越したので出会わないけど、会えばやっぱり仲よしだし、結婚した人はその奥さんとも仲よくしている。
友人というのは……ええい。邪魔くさいわ、この説明。
だって、くどくど説明しても、そういう関係をしたことない人にはわからないし信じてもらえないし、したことある人には、友人関係だった、だけでスパッとわかることなんだもん。
ほんとに、したことない人には、その人の人柄のよさとは無関係に、まったくわからないらしく、香津子ちゃんも、私とはすごく仲よしで、なんでもかんでも話してたんだけれどコレだけはわかってくれなかったのよねえ。
人柄がよい子なので、
「タダのお友だち」
という見下した観念はなかったんだけど、
「清水くんとはよき友人で……」
と私が話しているとき、香津子ちゃんとしては、
「きどったカフェ・バーに行ったり外国車に乗ったりするんじゃなくて、『養老乃瀧《ようろうのたき》』で飲んで風呂《ふろ》のないアパートででも気にせず愛を確かめ合うこと」
という意味にとってたことを、ずいぶんたってから知って、ほんとーに驚かされたものだ。
セックスしない男女間の友情、中性対中性としての友情って、存在しますよ。絶対、する!
するけど、
「私は異性感情をいだいているのに相手がいだいてくれない」
このパターンが私にはあまりに多かった。
多かったわよオ。
問題はこのケースよ、このケース。
この章ではこのケースについてが本論なのよ。
近ごろ、アッシーといって、
「セックスはさせないけど、電話で呼びだすと車でやってきて足がわりに使える男」
の存在を所有しているぜいたくな女性がいるそうである。
さしずめ、私は、キッシーではないだろうかなあ。
「セックスはしてやらないしおごってもやらないけど、カノジョとのことでごたごたがあったりすると、グチを聞いてくれる女」
それが私だ。
男版キッシーもいるよねえ。
キッシーになる人ってきっとタイプがあるんだろうなあ。
私は、彼に出会えるだけでうれしくてノコノコ出かけていって、
「昨日、初めて○○子さんとキスをした」
とかいう話を、
「へえ、やったね。オメデトウ」
などと言って聞いている。
こういう話、ヌケヌケとするのは、先述のとおり皆、B型である。
――怪人黒マントはほんとにいて、その人が子供のときに会いにくる。そして、願い事をきいてくれる。
願い事をしたことをたいていの人は忘れてしまうから、黒マントに会ったことも忘れてしまう。――
西岸良平の『夕焼けの歌』に、そんな主旨の漫画があった。
「男の子といっしょに泊まってソファに寝るような女の子」
十二、三歳のころだったか。
私はそういう女の子になりたいと怪人に願い事をしていた。
怪人はきっとそれをかなえてくれたのだ。だから、世間で困難といわれる、男女間の友情、を成立し得る人物に成長したんだ。
でも、怪人は、願い事をかなえてくれるさい、特別私だけにサービスしすぎてしまったんだろう。
勝手とは存じますが、ちょっとだけ減らしてください、黒マントさま。
アタックbP
友人と同衾《どうきん》したところで何事もないのは当然のことである。何事かあってしまうのは、それは何事かあってしまう何かがどちらかにあるからだ。
が、友人ではなく、異性感情をいだいている人物と、何事かになるのを目的に同衾したのに何事もないと悲しいものがある。
ところで、世間の女性は、どうやって同衾に至るのだろうか。
「今夜は帰りたくないわ」
というヤツが、私は、どうしてもどうしても言えない。
その男性とセックスに至りたい、と、思ったとする。
じゃあ、セックスしたい、と思っているのは「事実」だよね。
なのに、
「帰りたくない」とか、
「でも……」とか、
「わかんない……」とか、
「だめ、そんなの……」とか、
「だって……」とか、
自分からではなく、男性のほうが誘ったかたちに持ってゆくようなのって、すっごく、薄汚い、と感じてならない。
だって、セックスしたいと思っているのは「事実」じゃないか、と。
そしたら、
「セックスしてもらえませんか」
と言うのが潔い気がする。
B型の古尾谷さん、私はあなたが好きでした。
知り合って、もう九年になりますね。九年間で十回くらい会いました。
十回のうち八回は京橋《きようばし》のフィルム・センターへ行って、あとはお茶を飲んで帰るパターン。
残り二回のうち一回は、お茶に夕食がついた。
見た映画も『レイダース』といういままでとは毛色の違う種類の映画で、待ち合わせた新宿《しんじゆく》駅で、私はあなたに一万円預けたの、覚えてますか。
「これで今日の私のぶんを払ってね」
私は言いました。
「いいけど、なぜ、今から渡すの?」
あなたはきいた。
「いいじゃない、そんな気分を味わってみたいから」
背が高くて、
サッカーをやってて、
ハンサムで、
それから、これは後で知ってたまたまそうだったんだけど、と言いわけがましい前置きつきで、
東大生の、
古尾谷さん、私はあなたに憧《あこが》れていました。あなたと「デート」しているのだという気分を味わってみたかった。
あなたが苦学生なのはいやではありませんでした。それどころか、いまどき感心な人だと思ってた。
車を持っていないからいやだとか、どこそこの時計をしていないからダメだとか、高級な場所に連れていけ、とか、そんなことを考えたりしない、私もまた、感心な女子大生でありましたからね。
でも、「デート」のときは男の人にお金を出してほしいという、古い考えを持っているところがあったのですね。
大仰なレストランで割りカンで食べるより、自動販売機でコーラをおごってもらって公園のベンチで話すほうがうれしいと感じるような「女性あくまで受け身型」の古い考え。
*「デート」のときですよ、あくまでも「デート」のときの話ね*
デートでおごってもらって、そして、女性はお礼にときどきプレゼントしたり、今日は原稿料が出たから私がごちそうするわね、とおごる日もあり、交際期間中の出費額をトータルすれば6.5対3.5くらいの割合で男性が出費しているようなのがいい、と思うようなタイプなんですよ。
*男性が6.5で女性が3.5なのは、身体構造および身だしなみからすると、やはり女性は「いろいろとたいへん」な分の割引。これを10対0だと思う女性もいるだろうし、むしろ、私は、そう思える女になりたいと願うのだけれども、願っているくせに6.5対3.5を結局選択してしまうウジウジした性格である*
古尾谷さん、あなたと「デート」している気分を味わってみたかったんです。
あなたは、他の女性にはおごるかもしれないけれど、私には絶対そういうことはしないから、せめて気分だけ、味わってみたかったんです。
最初にお金を預けておけば、支払いの際、「デート」しているような気分が味わえるから、だから、預けたんです。
でも、映画館に直行して、切符を買うなりもぎり嬢の見ている前で、
「なんだかよくわかんないけど、はい、おつり」
と言って即座に私におつりをくれたのは、ああ、B型ですねえ。
それから一年後、残り二回のうちのもう一回。
寮を出た私は念願のバス・トイレつき1DKに越しました。
あなたは泊まりに来てくれた。
とてもうれしかった。
ふたりで部屋でビールを飲みましたね。
関西人らしいケチくささを出すけど、ビール代も食べ物代もみんな私が払ったわ。
「お風呂《ふろ》に入ってくるね」
私は風呂に入って髪も洗って、出てくるとあなたにタオルを出して、あなたも風呂に入った。
風呂あがりの私のいでたちは、ジャンヌ(フランス人の友だち)からもらった黒いチュニック。
薄く、ふとしたはずみで下が透けそうなチュニック。
ふたりで歯もみがき、そして、身を横たえたけれど、あなたのいでたちは凄絶《せいぜつ》だった。
あなたは、あなたは、あなたは、トレンチ・コートのままだったですよね。
トレンチ・コートよ。トレンチ・コート。私は一晩中、手の甲あたりに、そのトレンチ・コートのベルトの金具が当たって痛かった。
「セックスしてもらえないでしょうか」
頼みました。
「そう言われても……」
あなたは答えました。
うん。
そうだよね。
そう言われても、としか返事しようがないよね。
頼んでおきながら、心情がよくわかった。
「どうしてもデキない女、っているよなあ」
ほんとよね。きっと。
「顔立ちがどうの背格好がどうのとかいうんじゃなくてさ、まったくフェロモンを分泌してないようなヤツ」
うんうん。そうだよね。
「そう言われても……」
って、あなたの唯一《ゆいいつ》見せてくれた思いやりのような気がする。
映画や漫画で、ときどき、あるじゃない? 女性が好きな男の人の前でいきなり洋服脱いで、
「抱いて」
とうるんだ瞳《ひとみ》で見つめるシーン。
あのときの女性って、傲慢《ごうまん》、以外のなにものでもない、と、だから私には思える。
「きみ……」
と男が息をのみ、
「……きれいだ」
とか言って抱きしめてくれる予想以外考えていないんだもん。自分はその人にふさわしい美を持っていると信じているんだもん。謙虚さ、というものがないわ。
でも、古尾谷さん。
次の日、古尾谷さんが帰ってから、私はたまたま、中原中也の詩を読みました。
コート、くらい脱いで欲しかった。
コート、くらい脱いで欲しかったです。
ほんとに、コートくらい、脱いで欲しかったですよねえ。
あの日は私も詩が作れてしまいましたよ。
バナナブレッドのプディング
おしりにデキモノができたとしたらいやだ。だが、できてしまったら、おしりにデキモノができたままでいるより治療したい。
おしりを診察してもらう恥のほうを、おしりにデキモノができたままドレスにパンプスをはく恥より、選ぶ。
「好きだな」
と私が思う人から、
「ぼくも」
と思ってもらえなかった私は、
「つきあっててー、それで、まあ、しばらくしてー、男女の仲になってー……え、どっちから、ってー、それは、なんとなくー」
という経験を持てなかった。
でも、団 鬼六賞作家だし、青学ギャルだし、リベラルな家庭で育ったふうにみせたい見栄があったし、
「若いコはキライだわ。四十代が好き。心得てるから」
「愛なんて。けっきょく肉体の快楽だけが刹那《せつな》の夢なのに」
の、ような、ことを頻繁《ひんぱん》に発言するという「ときどき出てくるワキ役キャラクター」じみたことをしていた。
リアリティを出すには、あまり露骨に言わない、というコツがあって、多くの場合、私の発言は信用された。
もとより、男女の行いの知識だけは蓄積させているし、なんといっても、編集部に行けば、男女の交合の無修正のアダルト・ビデオはいくらでも見られる恵まれた環境だったし。
♪知ったふうなことをたたいているけれどホントは何も知りはしないアリアーヌ。魅惑のワルツに胸おどらせて♪
ふんふん。なかなかのものよね。セイシュンよね。ふんふん。
ふんふ……、……でもさあ。
……でも。でもね、したかったわよ。キスしたかったし、セックスしたかったわよ、私。
バスに乗り遅れてはいけない、ってあせったわよ。
乙女座よ、処女宮よ、AB型よ。
「今日こそ。今日こそ、セックスするんだ」
って、もはや、
「セックスせねばならぬ」
って、武士道に近いものがあったのに、そう思って夜の街《まち》にでかけても、女神ペルセポネに強力に守られてしまう星の下、神田《かんだ》川は流れる。
♪あれは新宿、裏通り。赤く咲くのは芥子《けし》の花。雨に濡《ぬ》れながらたたずむひとがいる。だって寂しいものよ、泣けないなんて。ほんとうの恋など歌の中だけ、それならば、摘《つ》んでみましょう、夜の街。
一夜かぎりの徒花《あだばな》を、ああ、一夜かぎりの徒花を♪
歌舞伎《かぶき》町をひとり歩いてみる。
六本木《ろつぽんぎ》にすればよかった、と、今は思うが住居のかげんから新宿のほうが出やすかった。
「セックスせねばならぬ」
そう思っているが、だめである。
だれも声をかけてこない。
あとで知ったが、ナンパする男性というのは、
「ボンヤリ歩いている女はスキがあるから」声をかけるのだそうだ。
「セックスせねばならぬ」
などという、堅い、
「目的意識」
を持って、かっこたる態度で歩いていてはスキはないのである。
当時、『アート・ビレッジ』という映画館が歌舞伎町にあった。
『尼僧ヨアンナ』や『鉄道員』や『灰とダイヤモンド』などをやる映画館である。
ひとり歩くこと三時間。この映画館の付近でようやく、声をかけられた。
「あの、もしよかったら、お茶でものみませんか」
彼は私よりは三つくらい年上の感じだが、学生風で、身長168〜170、体重60(推定)。軽いフレームの眼鏡。
ジーンズに白いシャツ。ズック地のバッグをクロスかけ。コンバース。
そういう男性である。
「…………」
あまりに長い時間、歩いていたため、私はしばし、キョトンとしてしまった、んだと思う。
「あの、映画とか好きですか?」
「どんな映画とか見るのかな、と思って」
安心感を与えるように、やさしい口調で話しかけてきてくれた。
「あ、あの、私も映画は好きで……」
やっと答えると、
「じゃ、そこで映画の話でもしませんか?」
斜め前の喫茶店を指差した。
「うん、そうですね」
連れ立って歩き始める私に、彼は、自分はあやしいものではない、という旨を伝えた。
「今日は、ちょうど、『尼僧ヨアンナ』を見た帰りだったんです」
コーヒーを飲み、彼は話し出す。
「私もこないだ、見ました」
「ポーランドの作品ではワイダよりも、好きなんだな、ぼくとしては」
以後、彼の口から言葉があふれてくる。
フェリーニ、アントニオーニ、パゾリーニのニーニのたぐいに、ヴィスコンティ、ブニュエル、ベルイマンのご存じのたぐい、ゴダール、アレン、スコシーシのたぐい。
そうだ。
彼はほんとうにあやしい人ではなかったのだ。
ほんとうに映画の話をするためにお茶に誘った人だったのである。
始発まで映画の話をして、私は喉《のど》が疲れたのだった。
作り話みたいだが、押しも押されもせぬノンフィクション、このテの失敗が五、六回はつづいた。
那智チャコ・パックを最後にああいうラジオ番組がなくなって、でも、伝言ダイヤルやパソコン通信まではまだ登場してなくて、夜の街には、あやしくない寂しい若者が、きっとおおぜいいたのだろうね、一九七九―八〇年。
「若者は避けよう」
そう思った、ある冬の渋谷。
「年末が近いせいか、混んでますね」
横断歩道で立ち止まった私に話しかけてきた中年男性。元祖・礼宮さま方式か。
髪にやや白いものがあり、落ち着いた風情《ふぜい》。
「寿司《すし》でも食べませんか」
言われてうなずき、私は彼の後についた。
「好き」
と思っても、
「ぼくも」
と思ってもらえないのなら、私のアイデンティティはまったく無視して「性別=女」であることだけでしか声をかけてこない人しかもういない。
選ばれる、などという願いは分不相応なことなのだ。
「あなたのようなかわいい人が金曜日の夜だというのにお一人ですか」
おじさんの、そんな「言葉」もありがたい。私だから言うのではないと、よくわかっていても。
「信号を待っていらっしゃるとき、チャーミングな人だなあとハッとしました」
気持ちいい。気持ちいい。なんて気持ちがいいんだろう。
嘘《うそ》でも。
テクテク。
おじさんは宮益《みやます》坂を上ってゆく。私はうつむきながらついてゆく。
キキーッと車の急ブレーキ音。
一瞬、先の五、六度の失敗が頭によぎった。
(ほんとうにお寿司を食べた、という結果になるのでは、ないよね……ないよね……)
私は思い、私はきいた。
「どこで、お寿司、食べます?」
おじさんは答えた。
「そのまえに、ゆっくりふたりっきりになりませんか」
「……わかりました」
私は再び歩き出す。
♪パルコに輝く七色ネオン。ネオンの輝き、まぶたの裏に、にじむ涙に投げキッス。さよなら、少女。さよなら、純愛。どうせ私はうわさの女♪
うまいなあ。作詞も始めようかなあ。
そして、ラブ・ホテルに入った。
♪ラブ・ホテル、だれがつけたかこの名前。ラブじゃないのにラブ・ホテル。
シティ・ホテルに泊まるなど、いやらしいわ、いやらしい。セックスするために入るのだから、ラブ・ホテル。それが実存、それが哲学♪
やっぱり作詞はやめとこう。
そして、部屋は狭かった。
ベッドだけが部屋を占めているような部屋。
ベッドと鏡と、鏡の前に白い椅子《いす》。
とりあえず、コートを脱ごうとした、そのとき、
「脱がなくていいっ」
おじさんがどなった。
「え」
手が宙でかじかむ。
「あ、ああ。いいんだ、脱がなくて……。いいんだ、そこにすわって」
白い椅子を指す。
私は鞄《かばん》を持ったまま、椅子にすわった。『鞄を持った女』ってあったよね。クラウディア・カルディナーレ。
おじさんはいきなり裸になった。
そして、ベッドに横たわる。
ちょうど、『裸のマハ』のように。
「どう? 柔道やってたから、たくましい体してるでしょう」
ガッツ・ポーズのようなことをする。
私に見せてから、大きな鏡に自分を写し、見入る。
一分経過。
「あの……」
言いかける私を制して、彼は自らの股間《こかん》にみずからの手をあてがい、ささやくように言った。
「見てて」
「見ていてほしいんだ」
「見られているのが好きなんだ」
股間でおじさんの手は上下する。こぜわしく上下する。
私がどうしてたかって。そりゃ、しようがないでしょ、見てたわよ。
男性器を見るの、初めてだったし、不思議な心もちで見てたわよ。
きっと、女の人はみんな、そう思ったんだろうけど、私も、それが意外に腹に近い部分から突き出しているのが驚きだったし、股《また》に何もないデッド・スペースがあってむだな気がした。
それから、もっとおじさんの手の運動は速くなって、鏡に液体が飛んだのである。
おじさんは、少し、体の向きを変え、肩で大きく息をした。
「どう?」
彼はきく。
どう? ときかれても困る。
「よく飛ぶものなんですね」
私としてはまじめに感想を述べたつもりだったが、
「フフ、初めて見たようなこと言って……。彼のモノでよく知ってるくせに」
おじさんは、私に背を向けて言う。
「赤いマニキュアしてて、処女なはずないでしょ」
マニキュアか。たしかに隣の部屋のミドリちゃんが、
「万引きしてきたから、あげる」
と言ってくれたコーセーのローズ・ピンクのマニキュアを、私はその日、していた。
「ぼくはね、処女としかしないの。処女でない女には見せつけるの」
「はあ……」
私は自分のことを処女ではないと思っている。男性にかわいく見られるように小首をかしげて微笑《ほほえ》んだときから、その女性は処女ではないと思っている。
「料理が好きなのよ」
と男性に言ったりすれば、その人はそのとき娼婦《しようふ》だと思っている。
ましてや、セックスせねばならぬ、と考えた私は色情狂だ。
でも、キスをしたことのない団 鬼六賞作家を前に、
「フフ……」
と笑われると、思わず、
「燈台|下《もと》暗しなおじさん」
と言いたくなった。言わなかったけど。
「若いヤツだってこれだけ飛ばせるヤツは少ないよ」
おじさんは、体の向きを変え、再び、『裸のマハ』になった。
「もう一回、できますか?」
おそらく無表情に、私は言っただろう。
「……見ててくれるね?」
おじさんはじっと私を見つめて、それからまた、股間にみずからの手をあてがった。
やがて鏡に液体が飛び、それは、最初の位置より低い位置であった。
かくして私はラブ・ホテルに入り、コートも脱がずバッグも離すことのないまま、ホテルから出た。
ホテルを出たところですぐ、おじさんはタクシーを拾った。
タクシーのドアがあく。
「……ありがとう。それだけは言っておかないとね」
「はあ……」
リアクションに困る私の手の中には一万円札が。
「あの、これは、おかしいんじゃないでしょうか」
というセリフの、「おか」くらいで、おじさんはタクシーに乗って去ってしまった。
ねえ! ねえ! 信じて!
嘘《うそ》にこそ価値がある、というのが信念の、まがりなりにも物語を書いて金をもらう職業だけど、これ、作り話じゃないんです。
ほんとうにあった話、なの。
宮益坂も一万円もほんと。おじさんは、たとえたら、たとえられたご本人がお気を悪くなさるかと最初に書かなかったけど、星 新一に似てる人だったの。
ほんとの、ほんとの話なの。
私は、その一万円で、目覚まし時計を三個と、冬でもポカポカ≠ニ銘打った厚手のソックスを買った。
呪いの顔がチチチとまた呼ぶ
『ペントハウス』『プレイボーイ』『GORO』などの雑誌はあまり女性が読まないものだ。『Momoco』『ザ・ベスト』『週刊宝石』はもっと読まないだろう。
『アクション・カメラ』『熱烈投稿』は、もっともっと、読まないだろう。
『エロトピア』『ルポルノマガジン』『SMスナイパー』になると、あるのを見つけたら、きゃっ、と言う女性の数はかなりのものだと推測される。
私の部屋は「もっと読まないランク」以下の男性誌で埋まっている。
『anan』や『non・no』が散らばるように、『ヨーロッパ/秋の魅惑ツアー』のパンフレットが散らばるように、私の部屋には、ようするに、
エッチな本、
が散らばっている。
ちょっと、ティッシュの箱をどけようものなら、
エア・ブラシで描かれた悶《もだ》える女性の表紙の雑誌、
が、レナウン娘のようにわんさか、わんさか、散らばっている。
だいたい、『SMセレクト』を敷き並べて洗濯機の制音に使い、あの宮崎勤容疑者の部屋にあった『若奥様のナマ下着』をナベ敷きのかわりにし、『セーラー服緊縛写真集』をファックス敷きにしているのである。
気弱でエッチな本が買えない男性にとっては、まるで「お菓子の家」のような部屋ではないだろうか。
ところで。
女性のほとんどが、
「やせたい」
と願っている。
60キロの私が願うならともかく、やせている人まで願っている。
それに、最近は、芸能人でもモデルでもない人が美容整形する。入社試験を控えているからと、したりする。
女性誌を見ると、半分といっていいくらいが、やせる広告、あるいはやせることに関する美容の広告である。美容外科の広告も必ず入っている。
悩み相談、特集記事からして、やせることや顔の骨を削ることになっていたりする。
これでは、女性は、知らぬ間に洗脳されていくのではなかろうか。
私も、一時期、整形を考えたことがある。それは、生まれてからの環境や性格による容姿に対する劣等感が主要な原因だったろうが、
「手術しよう!」
と、思ってばかりいたのは、事情あって女性誌ばかりを朝から晩まで読んでいたころのことだ。
読むのをやめると、やはり、実行に移すことがひどくおっくうになり、そのうち、あまり、手術、手術と考えなくなった。
もちろん、大きな原因はもっと他の事情や考え方を変える環境の変化によるのであって、女性誌|云々《うんぬん》はダイレクトな要因ではないだろう。しかし、心のスキにヒタヒタと知らぬ間にしのびよってくる何かがあったと思う。
ひとり暮らしのお年寄りが、妙な話とは思いつつ、ゴールドの買いつけ契約をしてしまうような。
いしだあゆみ、小林麻美、浅野ゆう子、浅野温子、を多くの女性がすてきだと思ってしまう感覚も(むろん、彼女らはたしかに魅力的な人たちであるけれども)ずいぶん女性誌によるところが大きいと思う。
いやいや人気があるからとり上げるのですよ、整形も痩身《そうしん》法も興味を持つ人が多いからとり上げるのですよ、と言われればそれまでで、卵が先か鶏《にわとり》が先かになってしまうが。
また、女性誌のあり方について、私も、今、ここで述べるつもりもない。
「ヒタヒタとしのびよる見えざる空気」
というものを持ち出したかった。
男性誌あふるるお菓子の家、に住んでいる私は、男性誌の空気に染まってゆくわけである。
男性誌には、次のようなことが書いてある。
◇ナンパしやすいうえにスケベぞろいなのは、ダントツでフェリス女学院。露天風呂に誘えば乱交も可。
◇体のわりに足首だけがキュッとしまった女はサイコーの持ち物。
◇上腕の太い女は男関係がルーズ。性病をうつされる恐れアリ。
◇彼女がしきりに足を組み替えたら欲しい証拠。強気でセマれ。
◇美容師の女はスキだらけ。そのうえ、テクニックがバツグン。火曜日の午前中にテレクラでつかまる。
ほんとにもう、主婦の友社から出るような本に例をあげるのがはばかられる文面である。
*フェリス女子大の方、美容師の方、これは私が書いたんじゃないですからね。抜粋ですからね*
すべては、かのご存じの、
「胸の大きい女は頭が悪い」
式の論法であり、何の根拠もない。
たとえば、体のわりに足首がキュッとしまった、って欧米人はほとんどこれにあてはまるが、
「欧米人の女はガバガバだぜ」
というのもまた、男性誌ではご存じの説で、ここですでに矛盾しているのだから。
こういったものは皆、ヒマつぶしのおちゃらけ説であって、男性読者も真に受けてはいないだろう。
ちょうど、女性が、
「好きなタイプは、身長180センチ以上で年収一千万、車はBMW、やさしくて、少年とセクシーなアダルトさが同居している人」
とか言うのと同じで、片方の性のみに立脚した「好き勝手なことを言う楽しさ」なのだ。
それは十分わかっているつもりで、あふれるほど送られてくる男性誌も決して精読しているわけでなく、はっきり言ってパラパラとしか見ていないし、上記のような文面を目に留めたところで「またまたバカバカしいことを。だれがここのコラム書いてんダ」くらいにしか思っていないはずなのだが、「見えざる空気」はヒタヒタとしのびよっている、気がする。
なんといっても「見えざる」空気であるから。
そして、女性誌と違って男性の「好き勝手」に立脚した空気は、女性である私にとっては、体毛の流れにさからうような感じでいびつに皮膚に付着してくる。
再び、例文を抜粋しよう。
◇彼女とは会社が同期でつきあうようになったんだけど。浅香唯に似たかわいいマスクでさ、けっこううらやましがられてる。だけど、セックスしてみると、意外にズン胴で、太腿《ふともも》と太腿のすき間が気にくわないんだよな……云々《うんぬん》。
◇女性の体でいちばん好きなのは乳房です。乳房にはうるさいです。ちょっとでも乳首の色が悪かったり、ふくらみの形がくずれていると、もういやです。ぼくの理想の乳房は……云々。
◇カン度抜群。締まりぐあい最高。でも、ブスなんだよな。ブス。尺八はさせるけど、絶対キスはできないんだ、こいつには。(写真同封)
◇ふくらはぎのかっこよさにひかれた彼女。でも、小陰唇の形が悪い。クンニしたくなくなる。毛深い。足をすりあわせるとザラつく剃《そ》りあとが興ざめ。ま、今のとこ、これで間に合わせてるけど……云々。
残酷なこと書いてある。「好き勝手な」ページと十分すぎるくらいわかっているくせに残酷だと思う。
女性はここまで男性の外見に対して文句言うだろうか。
あれは、高校生のころ。
――放送委員だった私は、体育祭の準備でグランド正面のテントにせっせと放送用の器械をとりつけていた。
グランドでは各クラスの女子が創作ダンスの練習をしていた。
テント内には私一人。メカにめっぽう強いというわけでもなく、迷い迷い配線コードをつなぐため机の下にもぐった。
机のまわりにはいろいろと器械がおいてあり私の姿は見えなかっただろう。
テントに四、五人の男子がやってきて、ムダ話を始めた。
「おい、今、真ん中にいるヤツが、内田の彼女か?」
「あ、そうそう」
「きえー、内田ったら生徒会長してる、その内田だぜ。なんでまた、あんなの選んだんだ」
「お、いま、あっちの端にいるの、佐藤玲子だっけ」
「ああ、あの足はいいな」
「そうかあ、胸がないぜ」
「胸があっても、富坂みたいにデブはいやだ」
「やっぱり浅沼か。顔もいいし、足もいいし、ベンキョもいいだろ」
「仲川は競争率高すぎてさ、浅沼くらいのほうがかわいいぜ」
机の下で、私はいたたまれない気分になった。
出るに出られないし、自分がよく知っている友だちが容赦なく品定めされていることに、十七歳としては感じすぎるものがあった。
「あれ」
男子の一人が私の存在に気づき、テントをさっと離れていったが、机の下から出た私は、彼らの顔を見てしまった。
谷口くん、といってアメフト部の花形で、「さわやかでやさしくてステキ」と人気の高い人だった。――
この日の出来事を男性に話すと、
「高校生くらいの男ってそんなもんだよ、まだガキだから、頭のほうは」
みな、そんなようなことを言ったし、私自身、そう思う。
しかし、真っ青な秋の空、午後の光そそぐ広いグランド、どこかの田んぼで藁《わら》を焼く匂《にお》い、の鮮烈さとともに彼らの言葉はいまでも胸に残る。
ここでまた、例文の抜粋。
◇「すばらしい……すばらしい肉体だ」
ほっそりした外見からは予想できぬほど理恵子の乳房は豊かで、きれいに椀《わん》を伏せたように二つ並んでいた。義夫は溜《た》め息をつき……云々。
◇「奈緒子、奈緒子」
吉村は何度も名前を読んだ。両手が回りそうなくらいにくびれた奈緒子のウエスト。ウエストの下にはぶんっと鳴りそうな張りのあるヒップがつづいて……云々。
◇「ああ、この美しい肌はどうだ。指が吸いついてくるじゃないか」
岡崎は摩耶の全身をまさぐった。
「や、やめてください……」
おちょぼの唇を可憐《かれん》にふるわせ、摩耶はいやいやをする……云々。
これは男性向きの小説誌からの例文。
そして、私のお仕事であり、ならば、毎日私はこういうことを文案しなければならない。こうして知らぬ間に「見えざる空気」はヒタヒタと私の皮膚に付着してゆく。
先述のとんでもない失敗ののち、ラブ・ホテルに入った。
「好きだな」
と思っても、
「ぼくも」
と思ってもらえない事情は変わらぬまま。
相手のことを私は好きではなかった。相手が私のことを好きではないように。
歯を磨き、相手にも磨いてもらったが、どうしても口と口をつけることができない。
風呂に入って、相手にも入ってもらったがベッドに横になると、相手は黙っている。
ここだ。
ここで、一気に、男性誌の文面が浮かび上がってくるのだ。
(足の形が悪い、と思っているのだろうか)
(腕が太いから男性関係にルーズと思っているのだろうか)
(顔を見ないようにしよう、と思っているのだろうか)
(指に吸いつきそうな肌ではない、と思っているのだろうか)
(両手でこのウエストは回りきらない、と思っているのだろうか)
息苦しくなってくる。
(こんな女、やめとけばよかった、と思っているのでは)
(私とヤル時間があったら、もっと別な女の人とできたんじゃないだろうか、この人)
どんどん息苦しくなってくる。
(どうしよう)
(どうしよう)
(どうしよう)
と思う。
(申しわけない)
とか思えてくる。
肩や背中に相手の手が回っても、自分の書いた小説のように、
「ピリピリと電流が走った感じ」
には少しもならない。
ふれられているのが悲しくなってくる。
どんどん体が硬直していって、冷たくなって、寒くなってくる。
どこをさわられても少しも気持ちよくない。気持ち悪い。
相手も、
「いいよ、もうヤメとこ。寝ていこう」
などと舌打ちをしている。
「ええい!」
と思って入ったラブ・ホテルだから、ええい! になるためには、大量に酒を飲んでいる。
私はあまり酒は強くない。ベッドに横になった時点で頭がグラグラしている。
そしてもっと寒くなってきて、吐きけがしてくる。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
二重にも三重にも思い、とうとう、枕《まくら》に吐いた。
かくして、また、失敗。
ラグリマ
各モットーを墨で書いた。
三枚書いて、
「足りないな」
と思い、また三枚書いた。
「まだ、足りない」
新たに三枚をつけ足し、合計九枚を、部屋の目立つところにはった。
鎖を買ってきた。
鎖で電話器をがんじがらめにする。
だれかに電話をしないようにするために。鎖の結び目には何か所か錠前をとりつけ、鍵《かぎ》をかけ、鍵は捨てた。
恋をすることなど、私には、ない。
恋をしてみたいものだ、と思って寂しくなったら墨書きを見、自分を鼓舞するのだ。
ペンで身を立て、仕事に生き、他人をあてになどするものか。
そう思った、バスつきの1DK。
寮にいて、厳格な寮母さんとあいさつし、銭湯に行き、共同洗面所でおはようを言いながら顔を洗う毎日のほうが、ずっと、ずっと楽しかった、と思った1DK。
恋のできない人間に、1DKは、少しも、
「うふん。憧《あこが》れの1DK」
じゃなかった。
「独房」
それに近いものだった。
だが、私は、自分の寂しさを決して認めようとはしなかった。
・ ・ ・ ・
そう、自分に言い聞かせた。
毎日、本を読み、原稿を書いた。
本を読み、3チャンネルを見て、また本を読み、原稿を書いた。
寂しかった。
今だからこそ、海が好き∞手紙とお料理が好き∞猫のようにきまぐれ≠ニ並ぶ、世にも恥ずかしいこの言葉を記せる。
そのときは決して、認めなかった。
グラッと心が揺れると、墨書きを見て、書いてある文面を大声で唱える。
小学校三年生の五月三日。休日だった。
私はほとんど話をしたことのない父親に、ふと、言った。
「きょうだいがほしかった、と思います」
父親は私に言った。
「きょうだい? そんなもの」
彼はフフンと鼻で笑い、
「血は水よりも薄い。人間はみな孤独なものだ。それから、ウチは世襲の財産といえるようなものは何もないから、おまえは一生自分一人で生きていける職業につくように」
と、つづけた。
小学校三年生の身には、深く深く心に突き刺さる言葉であった。
彼がシベリアで苛酷《かこく》なめにあったということは、戦争を知らない私には反論できない重みを持っていた。
大学の同級生が、
「ママは甘いからチョロイんだけど、パパがうるさいからサア」
とか言うのは異人の言葉のように聞こえた。
私よりもずっと年長の編集長が、
「親のことを気にしすぎる」
と言うと、私の親よりも若くてシベリアに行ったことのない親を持つ編集長に対し、
(どうせわからないんだわ、この人には)
そういう気がおこった。
私は一人、本を読んだ。
1DKの風呂《ふろ》の中でも本を読んだ。
本に集中できなくなると、数学の問題集を解いた。
かつて読みふけった少女漫画の中で、ヒロインが、
「数学が好き。はっきり答えが出るからよ」
と言ったのが、しみじみわかった。
「ああ、私は数学の問題を解いているのだわ」
ということが、私をうっとりさせた。
それほど、寂しかったのだろう。
原稿を書いた。
「彼女の肉体は喜びにふるえ、子宮までもがとろけそうだった」
書いて書いて書いてやった。
「フン、こんなこと、あるわけないだろ、バーカ」
と思いながら書いて書いた。
体重は60キロから50キロまでに減少した。減少したかと思うと、五日でまた60キロに戻る。
飲むと気持ち悪くなるくせに酒を飲み、食べたくないくせにピザを食べると、すぐ60キロになり、
「彼のペニスが熱いうねりとなって体内を攻めると彼女は理性とはうらはらにエクスタシーを……」
と書いていくと、たちまち、50キロになった。
繰り返した。
だんだん、濡《ぬ》れ場を書くと吐くようになった。
「ああ、イイわ……」
と書いただけでも、グエーッ、となるようになった。
歯も磨かないで風呂にも入らないでコンドームもしないでなんでこの女はセックスできるんだろうか、と思うと自分の作っているヒロインが憎々しくてならなくなった。
原稿用紙の上に、昼間に食べたハンバーグ定食を吐いたこともある。
吐いたのをティッシュでふいたが、字が読めなくなっているので、しぶしぶ、書き直したりした。
電話は鎖でがんじがらめにする必要はさしてなかった。
なぜなら、電話など、かかってこないし、とりわけて、かけたいと思う相手もいないからである。
「たくさんの男性から愛されて、美人で、劣等感がなくて、男性好みのうれいがあって、指が吸いつくような肌に豊かな乳房に蛸《たこ》の吸盤のような名器で、お金持ちで、髪がサラサラしなやかな女など、もっともっとひどい目にあうがいいわ!」
うなりながら、原稿を書く。
「いーひっひっひっひ! いーひっひっひ! もっとひどい目にあわしてやる、こんな屈折のない女!」
笑いながら、原稿を書く。
*断っておくが、SM小説、というのは決して拷問小説ではなくて、官能小説であって、ライター・オイルを体に塗って火をつけるようなことはいっさいしない。愛する夫や恋人がありながら野卑な男に抱かれてカンじてしまう、精神的にはあくまでも和姦、という前提条件のもとに煽情《せんじよう》場面が描かれる*
「いやあ、最近、姫野さんの作品、ヒロインの描写にコクが出てきましたよ」
編集者にほめられる。
月日がたった。
1DKを出た。
親戚《しんせき》の家に間借りすることになる。
書生のような下宿生活である。
静かな町でなかなか気分がいい。
思えば、中央線、というのが、私には凶の方角だったのだ。
そうそう。私には東急線エリアこそ向いているのだ。
雨降って、地固まる≠ナ、体重が55キロに落ち着く。
重い病気をせず、夜露をしのげる場所があり、明日食べるものに困らないなら、それほどの幸せがどこにあろう。
そう思う。
レトリックではなく、ほんとうに、そう思う。
恋の悩みなど、ぜいたくなことなのだ。
私の母親など、私を産むために結婚し、産んでから父親とは離れ、ずっとセックスしていない。
それでも、彼女は吐いたりしない。
「健康だったら幸せ」
そう言って八つ墓村で生きている。
ときめきも、嫉妬《しつと》も、肌のぬくもりも、なにもないまま。
編集者と酒を飲む機会がある私のほうがずっと幸せで、東京にいる私のほうがずっと幸せなのだ。
それでもたまに。
たまに、
「女としての幸せ」
を思うとき、身分不相応、とは思いつつ、
「寂しい」
と思うことがある。
「恋人がいたらいいな」
とか思う。
「ああ、カンじるわ……めまいがする」
などと書いてゆく原稿用紙のマス目に涙が落ちてしまい、
「泣くなど、身分不相応な」
と自分を戒める。
だが、
「カンじる……そんなこと、私にあるのだろうか……」
そう思うと、ポト、ポト、ポトと涙が三滴落ちる。
「でも、私は幸せだ。東京にいるんだから」
八つ墓村の暗い因習の重さを知らない人にはわかるまい。
東京は幸せにキラキラと輝く地。そこにいられる私は幸せ者。
ポト、ポト、ポト。
〈いい、いい。すごいぜ。男は女の体を奥深く突き、叫んだ。攻めているつもりで彼は彼女に溺《おぼ》れ、彼女はやがて――〉
ノロノロとしか埋まらないマス目。
「一晩で二本くらい仕上げる書き手もいるのになんで私はこう遅いのだろう。でも、そういえば、夕飯、まだだったわ」
カップ・ヌードルを食べてみる。
ずー。ずるずる。
いかにも、貧乏暮らし、という音が深夜の部屋にこだまする。
「…………」
石川啄木の歌など頭によぎる。
熱いラーメンを食べるからハナが出てくる。ハナをかむと、ズズーッと、また、貧乏な音がする。
ティッシュを捨てようとしたはずみにワリバシがカップから落ち、ぴしゃん、とラーメンのツユが、
〈あはあっ。イクぅ〉
と書いた上に飛ぶ。
また、目頭がつーんとする。
ポト、ポト、ポト。ポト。
「泣きながらSM小説を書いている」
そういう自分に気づき、滑稽《こつけい》だ、と思う。
翌日。
珍しく、もう鎖はつけていない電話がかかってくる。
男性誌からの電話コメント依頼。
「えー、姫野さんは、やっぱり、原稿書きながらオナニーなんかしてるんですか?」
三秒の間。
「ええ、それはもう。私は根っから助平ですから」
私はささやくように答える。
金メダルへのターン
少々、自虐的になったので、軌道修正。
先月の収入、五万六千円。
先々月、六万七千八百円。
先々々月、五万千九百円。
そして、今月は、三万二千円。
これでは1DKに住んでいられるわけないでしょ。
それどころか、
「どうやって暮らしてるの?」
と思う人もいるのでは。
でも、暮らしていけるものなのである。
家賃が二万五千円なのと、年に一回、ゴースト・ライター的な仕事をすると、ある程度まとまった収入があり、年単位でいくと二百万円くらいの収入を得ている。
それでも少ない。よね?
小説って、ほんと、ワリにあわない仕事だわ。
一枚千円前後しかくれないから、五十枚書いても、五万円。税金引かれ四万五千円。
一行で私の年収くらい収入を得る職業もあるのにね。
なんで、転職しないのかなあ。
自分でも不思議になることもある。でも、天職だから。ってシャレを言いたかったわけではない。
天職なんだもん、小説書くことって、私には。
小説、というか、物語を聞かせる、ということが。
江戸時代の語り部《べ》、の生まれかわり、と思ってる。
ワンパターンでもそうでなくても、なんでも、どんなジャンルのものでも、たとえそれが過去の作品の繰り返しであっても、人は「嘘《うそ》の夢」を語ってもらわないといられない生き物なんだから、私がやる。
それに、お勤めって、向いてないの。
社交的な性格ではないし。
声が低いから、人中で何かしゃべるの、苦手。無理してしゃべるとズレたはしゃぎ方になる。
「協調性がある」
なんて、ずっと通信簿には書かれていたけど、学校の先生なんてずさんだなァ。
団体行動、って大嫌い。
毎日決まった時間に起きてどこそこへ行く、というのが、
「いやっ」
と、このさい、ワガママに言い切ってしまお。
そして、その理由も、お決まりの、
「低血圧だから」
にしとこ。
嘘ではないですよ。
平均血圧は、上八十五、下五十九。
こればっかりは、自慢、しますよ、自慢。下が七十台のくせに、低血圧の都会派とは言わせないからね。
収入が低いけど、出かけないから、女性にかかりがちな出費がほとんどなくてすむ。
毛皮とか宝石とか車とか時計とかブランド品とかにいっさい興味がない、すばらしく気高い女性なので、オホホ、ほとんど、金めのものを買わないでいられるの。
それに、美的センスがすぐれているので、昔買った洋服を二十年くらいもたせて、アイディアでいくらでもバリエーションを作って着るという芸当ができる。
塩沢ときさんも言ってたけど、
「AB型のよいところは、どんなに貧乏しててもそれが顔に出ないとこ」
なのよ。知ってた?
ほんと、私って、どういうわけか、
「お金持ちのお嬢さま」
に見られてしまって。
「黒と白で統一したマンションの一室、に住んでいる優雅な文筆業者」
に見られてしまって。
困るわあ。
なぜかしら。
生まれながらにゴージャスな女なのね、きっと。
古尾谷さんも、だから、コーヒー代を出してくれなかったのねえ。
○○さんも、△△さんも、××さんも、おごってくれなかったなあ。
おごってもらうの、好きなんだけどなあ。だ――――――――い好き。
甘えるのが好きなのに。
でも、生まれながらに自立心の強い、大人の女性なの。
だから、男の人は、私におごりにくいのね。理知的な女性に生まれてくると、これだから困っちゃうわ。
ああ、まだ、四枚?
ウヌボレるのは進まないなあ。
やっぱり、
日本、
じん、
って、
短調の音階。
が、
好き、
なんだ、
根本的に。
涙、
が、
好き、
なんだ、
たぶん、
ね。
どう?
花井方式よ。
進むわ、
これ。
たちまち、四百字詰め原稿用紙、こなしたじゃない。
つい、用紙の下のあいた部分に、
「メモ用紙にお使いください」
と書きそうになったけど。
*……すみません。花井先生。花井先生のは意味のある行変えなのに*
え。
いくら軌道修正ってったって、極端にウヌボレすぎてる?
そうなの。
AB型だから、自己内で相反してるの。
ジキルとハイド
とは言わないで。
昼は貞女のごとく夜は娼婦《しようふ》のごとく
って言ってよね。
はー、やっと六枚になった。
よかった。
涙は海に流れる
この原稿を書いているさいちゅうに、私は三十一になった。
三十一になった誕生日に、恋をした。
「助教授だから、そのカンケイに刺激されているのだわ」
などという、本末転倒的要素のまるでない人であった。あった、と、過去形で書かねばならないのは……、
この一行の空白で推測してください。
なんということか、また! B型であった。
わずか一か月で、セックスすることもなくフラれた。
他にずっと好きな人ができたのだそうだ。「悲しみというものを知っているからやさしさを持っててよく気のつく、とても繊細な」人だそうだ。
「男性と同衾《どうきん》しても何もなかった世界一」
につづき、
「同じ血液型にフラれた世界一」
の項目でも、ギネスに名前を連ねることができるのではないかと、こんどばかりは、真剣に思っている。
私、もう、なにか、女として決定的な欠陥があるんじゃないかと思う。
ほんとにそう思う。
だって、他にひと言もなく、相手の女性がどういう人か(何をしている人か、とかではなく)を伝えてくる、って「よほどのこと」でしょう。
前略。
八つ墓村のお父さん、あなたは私があなたのいるところで、ドアもあけた隣の部屋で高校の同級生に参考書を貸してあげたことを、
「男を家に入らせるなど、アメリカ人でもそんなふしだらなことはしない」
と言って怒りましたっけ。
前略。
八つ墓村のお母さん、あなたは私に来た故・石子順造(美術評論家)氏からのファンレターの返事の封を切って中身を調べ、氏が住所を省略して名前だけにしておいたことについて、
「郵便の法律にふれる」
と言って怒りましたっけ。
愉快なエピソードはこれだけじゃあありませんね。もっといっぱいいっぱい。
そのたび、私は口答えできなかった。八つ墓家ではそういう重いしきたりがあったからでもありますが、私を産むことを終了したあとは交わりのいっさいないあなたたちが性を欲していることが(残念なことにその対象は、夫は妻ではなく、妻も夫ではなかったけど)あなたたちの無意識下にあるからだということに気づいてしまっていたから、でもあります。
前略。
お父さん、お母さん、品行優等生の私は、東京にいても、あなたたちのいいつけをよく守っています。
ほんとうによく守っています。
食べたら歯を磨いています。吊《つ》り皮を持ったらホームで手を洗っています。
いいえ、真実は、「女房ヤクほど亭主モテもせず」のパロディで、
「親が心配するほど娘モテもせず」
であります。
この本を読んだ、娘さんを持つ親御さん、彼女に男性を近づけたくなければ彼女をぜひSM作家になさいませ。
彼女は永遠に、女としての喜びを知らぬままハッピーな生涯を送れるかもしれません。
そして家族でピースサインを出しながら、
「ハッピー」
「ハッピー」
と、昔、『ヤングOH! OH!』という日清の提供でやってた番組を再現してみたりしましょう。
ところで、私はあれで、最初に司会者のような人がペラペラ英語でしゃべるのを非常に尊敬したものです。
ここで、少し番茶を飲む。
時限爆弾のような時計の音。
ここまで書けるようになるまでに、いったいどれほどの時間と原稿をロスしたと思います?
この二行の空白で推測してください。
この三行の空白で推測してください。
世界には餓死する人が多くいて、不治の病に苦しむ人が多くいて、事故で体を悪くした人が多くいて、借金で他人に迷惑をかけたうえに借金から逃れられない人がいて、
自殺、
という発想は、実行するかどうかは別にして、発想は、そういう人しか持ってはならないものであり、今もそう思う。
だが、私みたいなのが、しかもこの年齢で言っても笑われるのがオチだろうけど、
死のうと思った。
まさか恋愛で死を考えるような人間だとは、ついぞ自分のことを判断していなかった。
だいたい、恋愛で泣いている人を軽蔑《けいべつ》してたもん。いままでは。
十二人のB型にフラれたときも、泣くなんて、とんでもなかったわ。
それが、このたびの十三人目は、人間って、こんなに涙が出るものかと驚いたくらい、あ〜あ、泣けるものだったのね。
泣くなんてもんじゃなかったね、号泣だった。
何日も何日も一睡もできないし、豆乳飲んだら他はなんにも食べられないし、生理が狂って突然始まり、生理痛の中、それは子宮の痛みなのだろうけど膣《ちつ》も痛い感覚で、真っ赤な血を始末するときは、思わず、使ってもいないのに……と、下卑た言葉が出ていっそう泣ける。
そのうち壁にかけた洋服がその人に見えてきて一晩中、その人に話し始めるテイタラク。あたしね、あたしね、よくわからなかったの。どうしていいのかほんとによくわからなかったの。どうしていいのかほんとにわからなかったの。こんなに素直に話せるのなら、なんで実物にそうしなかったのだろうと思っても、あとの祭りはとりいれ祭り、歌えや踊れや、どんどこどんどんどーん。小学校の音楽の時間に習ったあの歌は、歌詞の陽気さとはうらはらに悲しい短調音階。
たかだが恋愛事でこんなメメしいありさまになるのは、小説や映画の中だけだと思っていたものだったけど。
でも、向こうにしてみたら、
「だからなんだというんだ」
でしょ。こういうことってね。
あ〜あ、なんて物わかりのヨイ私でしょう。
そうよ、自殺すると霊界では自殺者の森で永遠に苦しむ、と丹波さんが言ってるじゃない。ベルリンの壁が壊されて、戦後西ドイツ経済の発展の底辺にいたトルコ移民の苦悩があって、長崎に難民が来て、原発のこともあるし、世界には解決しなければならない問題がいっぱいあるというのに、こんなぜいたくなことで自殺なんかしたら罰が当たるわよ。
そうよ、私は悲しみというものを知らないから、いっつでもノーテンキ。ノーテンキ、って、みんな脳天気だとよくまちがえてるようだけど能天気が正しいのよ。覚えとこうね。
だから決意したの。
これは神の啓示。
私は書くしかないの。
ほんとに天職だったんだわ。
だから、私には芥川賞と直木賞をダブルであげる、って。神様が。
それからリヒテンシュタインの王子さまと恋に落ちなさい、って。
リヒテンシュタイン、ってったら、アインシュタイン、フランケンシュタイン、リヒテンシュタインのリヒテンシュタインよ。
みんなだって、いろいろたいへんだよね。
トルストイの言葉だったか。
『幸福な家庭はみなおなじように幸福だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である』
事情、ってみんなにあるのよ。
事情をかかえていても、それを無意識の武器には、絶対にするな。
だから、あきらめないで。
舘ひろしみたいに、泣かないで、などとは言いません。
岡村孝子のほうを聞きましょう。
泣いても、あきらめないで。
負けるんじゃない。
負けるんじゃないからね、みんな。
姫野がついてるからね。
だって、この本、売れるから。
そして、初版本買ったあなた、プレミアがついてたちまちお金持ちよ。そしたら焼き肉食べに行ってね。
都会でクールに生きるみんな、ほんと、女は三十からが花開くんだからね。
「おしゃれ30/30」出られるのも三十にならないとダメなんだから。
百恵ちゃん、淳子ちゃん、昌子ちゃん、みんな同級生だし。
樋口可南子だって、原田美枝子だって、岩崎宏美だって、杉浦日向子だって、宮崎美子だって、小宮悦子アナだって、久保田早紀だって、中原理恵だって、岡田奈々だって、前田日明だってそれから、マイケル・ジャクソンだって、マーク・レスターだって、それにそれに、マドンナだって、みーんな、同級生なんだからね。
オードリー・ヘプバーンが『昼下りの情事』でアリアーヌやったのだって三十歳のときなんだからね。
私も、恋をしたのは、きっと初めてだったんだろう。
筆記試験はいつも満点に近かったからカン違いしてたけど、実技試験は受けたことなかった。
ブロイラーみたいに。
あした輝く
ボロは着てても心は錦《にしき》。
自分はクールでドライな人間だからと小バカにしていたこの原理。
ボロは着てても心は錦。
小バカにしつつも、やはり、どこかで信じていたこの原理。
どんな容器に入っていても、内身《なか》はきっと心でわかってもらえる、みたいなこと。
「白木葉子の自信のなさを見抜く男性が存在し、アリアーヌの背伸びを見抜く男性が存在する」
嘘《うそ》こそ価値のあるもの、と言いながら、結局、一番、私が嘘を求めていた。
嘘に振り回されていた、
と言い直そう。
オナニーの話をする、というより、オナニーという言葉をきっぱり発音したら「そういう女」に見られるのが現実なのだ。
セックスという言葉を発音することさえ、「さばけている女」としてキャラクターづけされるのが現実なのだ。
そういや、ゲーリー・クーパー扮《ふん》するフラナガン氏だって、アリアーヌのお父さんから話を聞かされるまで、アリアーヌの背伸びを見抜けはしなかったじゃないか。
そういや、矢吹くんだって、まっ白な灰に燃えつきる最終巻まで、葉子さんのドジに気づかなかったじゃないか。
嘘の世界でさえ、これなのだ。
「八百屋の紀子ちゃんと葉子さんとどっちが好き?」
この質問を、私は男性にしたことがなかった。
なぜなら、すべての男性が、
「白木葉子」
と、答えると信じて疑わなかったからである。
ところが、あるとき、ふと、思いたち、それから今日に至るまで、ずいぶん、多くの男性にこの質問をしたところ、
「そりゃあ、紀子ちゃん」
「うーん、やっぱ、紀子ちゃん」
こう答える男性のほうが、いや、私が質問したところの九八・四パーセントの男性が、こう答えたのである。
九八・四パーセントという数字は、ひとり、
「結婚するなら紀子ちゃん、セックスするなら白木葉子」
という、わがままな回答をした人がいたためだ。
*永沢さん、あなたですよ。あなた*
これで、私は、『JJ』がなぜ売れるか、なぜ、ほとんどの女性が髪を長くするかが明瞭《めいりよう》にわかった気がした。
霧が晴れていくようにわかった気がした安易な人、それが私だ。
ドジでバカ=私の白木葉子のイメージ、と、美人でお金持ちだけど冷たい=九八・四パーセントの男性の葉子さんのイメージ、とのあいだには、と、ここからまたメロディーがついて、♪ふかくてくらいか〜わがある〜♪だった。
お断りしておくが、これは別に、私が白木さんに自分を重ねるとか感情移入するとかしていたというダイソレタ意味では決してなくて、
*あれが『マガジン』に連載されていたときは自分の年齢から、実は私はサチに感情移入しておった*
自分の考えが他人にも通用するわけではない、
他人の考えを自分がすぐに理解できるものではない、
人は、世間は、そんなに、そう、嘘のようにウマくゆくものではない、
みんなたいへん、
なのだというあたりまえのことが、なぜ、この年齢になるまでわからなかったんだろうか、私は。
という意味である。
いーひっひっひ、と後白河《ごしらかわ》上皇のような虚笑《からわら》いしながら書いていたSM小説だけれど、私のSM小説って、自信持って言うけど、
「おもしろかった」
のよお!
すっごくおもしろかったんだから。
「姫野さんの作品は、おもしろいんですけど……勃起《ぼつき》しないんですよねえ」
多くの評価がこうだったほど、おもしろかったんだから。
リキ入れて書いてたから。
「こんなのにリキ入れて書くことないのに。いや、リキ入れて書いたら読者は喜ばないよ」
そうアドバイスしてくれる人もいた。
そして、ほんとにリキ入れずに書いたものが売れた。
だが、私は、ナニワブシの発想で、どこかで信じていた。
「器《うつわ》は関係ないわ」
と。
「ははん、SM小説誌ね」
そう言われる発表場でも、公正な評価は得られるのだと。
甘かった。
世間知らずの田舎《いなか》娘だった。
と、同時に傲慢《ごうまん》だった。
ゴーマン美智子という人もいた。
関係あるのだ。
器は関係あるのだ。
なぜなら、よい器、を得ることが、とりもなおさず、
「努力」
なのだ。
努力、とは、いまどき古い言葉かもしれないが、いやはや、努力は健在だ。
努力できること。
才能とはこれである。
そして天才とは、努力を努力とは思わず、好きなことをしている、と思える人のこと。
凡才は、
♪つらいけど涙見せ〜ない♪
で、努力しなくては。
せめて、♪つらいけどなみ〜だみせ〜ない♪と、心に、太陽、とまではいかないけど、蛍光灯、くらいは持ってなくっちゃあ!
私は努力が足りなかった。
泣きながらSM小説書いてホホホとカラ笑いするな。
私は、官能小説は、いっさいやめた。
というか、自分が何より官能的だと思う小説を書いた。
それは地味な文庫本として小さな形で発表され、あいかわらず、私は貧乏だけれど、分不相応な形容を使わしてもらえれば、
「乾いた水中花が水をかけてもらった」
ような気持ちだった。
「山の上ホテルで原稿を書き、ほうっと溜《た》め息、疲れてホテルのバーでマティニーを飲んでいると荒木(ヤクルト)がやってきてあなたの疲れを癒すために≠ニもう一杯のマティニーをよこす。ふたりで飲んでいるところをフォーカスされて、速水真澄も出席する文壇のパーティーで荒木クンとのこと、アレ、ほんとうなの?≠ニからかわれる」
そんな空想もいい。
いいけど、その前に、なすべきことをしなくては。
それが名声を勝ちとったり大金を勝ちとったりするかは、
「運」
の問題。また別の問題。
しかし、「運」をとやかく言う前に、地味でも、謙虚に自分に忠実に、なすべきこと、をしなくては。
しなくては、乾いた水中花のままじゃないか。
水を得た水中花を買ってくれる人がいるかどうかを考えることは無駄。
水の中で、まず、花を咲かせなくては。
宝クジも、まず、買わなければ当たらない。
小さな形で発表された私の小説のタイトルは『チゴイネルワイゼン』というが、チゴイネルワイゼンの中にもラブ・シーンがある。
いままで書いたどの煽情《せんじよう》小説よりもはげしいラブ・シーンだと、自分の中では比較できる。それでも、そのシーンを書いているとき、私は泣くことなどなかった。
うれしかった。
人はおそらくステレオ・タイプなラブ・ロマンスと言うだろう。
実際、ステレオ・タイプなラブ・ロマンスなのだ。
だって、ステレオ・タイプなラブ・ロマンスを書こうとしたのだもの。
「甘くせつなく、顔赤らめるくらいのロマンチックしているヤツを書く。でも、伊豆《いず》のペンションのプレハブ建築ではなく、アール・デコの建築で書く」
うっぷ。
笑っちゃうけど、結果はどうあれ、経過はそうだった。
経過がたいせつ。
言い古された言葉だけど、ほんとうだと思う。
なぜなら、結果は世間が決めることであって、自分のかかわりは経過にこそある。
八つ墓村から東京に来た私。
日本中の八つ墓村から東京に来た方、思い出してほしい。
八つ墓村で、雑誌『スクリーン』を納屋《なや》の中に隠れてひっそりと読んでいた日々を。
『SMセレクト』でもない『スクリーン』をなんで納屋の中でひっそり読まなくてはならなかったか。
グラビアのはしっこに記されたコピー文を一字一句、乾いた砂が水を吸い込むように覚えてしまったロマンの一片。
だれにも話せはしなかったロマン。八つ墓村ではだれも興味を持ちはしなかったロマン。
「ああ、東京にフィルム・センターというものがあるという」
握りこぶしをワナワナとふるわせ、
「大きくなったら絶対トーキョーに出るんだ。因習と掟《おきて》の村を脱出するんだ」
そう決意したあのころを、忘れたか。
人によっては、それは『スクリーン』ではなかっただろう。
『フィルム・センター』ではなかっただろう。
でも、『 』内を別の言葉にかえれば、それぞれに思い当たるのではないだろうか。
あの握りこぶしのエネルギーは何だったのか。
東京は、夢がリアライズされるチャンスがある土地に思え、思えると同時に、それは、東京そのものでは決してなく、「自分を奮起させてくれる土地」をここと決めた自分自身の中の炎じゃなかったか。
アリアーヌの背伸びをフラナガン氏も見破れなかったように、現実は、戦争を知らないものにさえ、キビシーイ、って財津一郎の古いギャグを出したところでもはや覚えている人が何人いるのかどうか知らないが、ようするにウマクはいかないもので、ボンヤリしてたら炎を忘れそうになりはしたけど、でも、ポト、ポト、ポトとカップ・ヌードル食べながらハナ水たらしても、八つ墓村に帰りたくないのは……
だって、だって、東京のほうが、ずっと、八つ墓村にいるより、自分らしさを失わずにすむからじゃないか。
都会の孤独。
都会の殺伐。
言われて久しいこの表現。そりゃあ、そうかもしれない。
田舎に八つ墓村を感じずに、ひと握りでも「アット・ホーム」を持っていた人には。
でもでも、私は、田舎にいるときのほうが東京にいるより、ずっとずっと、孤独で殺伐としている。
♪一夜かぎりの徒花《あだばな》を摘んでみましょう夜の街♪
その嘯《うそぶ》きさえも、八つ墓村にいるときよりもずっと、自分らしさを失っていないのだから。
PS/元気でいたいです、俊平……みなさんへ
大学入学に伴う上京の前に、一度だけ、東京見物に来たことがありました。小学校六年生の夏休みです。三日ほど、知人の家に泊めていただきました。その方の娘さん(二十四歳くらいだったでしょうか)に連れられて、私は、はとバスに乗りました。
はとバスの乗り場に行くために、まず、山手線に乗ったのですが、電車が来ると、彼女は、「あ、すごく混んでるわね。これはやめて次のにしましょう」と言い、一本見送ったのです。カルチャーショックでした。絶句しました。田舎《いなか》では、一本電車を見送ったら二時間くらい、後の予定が狂ってくるのです。田舎娘を絵に描いたような打ち明け話です。
それから、いよいよはとバスに乗って、東京タワーと皇居を見て、当時、日本で最も高い建物であった貿易センタービルでシンプルなデザインの丈夫な靴を買ってもらいました。私はそれを、たまにですけれど、大学生時代もはいていました。
小学校のときに買った靴が大学生になってもはけるというのは、これだけ書くと少し妙に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私の場合、六年生でほとんど成長が終わっていたのです(身長だけはそのあともわずかに伸びましたが)。
「楽しかった?」と彼女にきかれ、はい、と答えたものの、私は実は、不満でした。私が東京でいちばん行きたかった場所は、はとバスのコースにはなかったのです。
おずおずと彼女に「行ってみたい所があるのですが……」と言いました。「え、どこ?」「あのう、千代田区一ツ橋と文京区|音羽《おとわ》」「なあに、それ? そんな所に行ってどうするっていうの」彼女は笑い、「社会の時間に東京二十三区の名前を覚えたのね」と言い、私が変な冗談を言ったと思ったようでした。
彼女とは会うのが初めてだった小学生にとって、なぜ自分がその場所に行きたいかをうまく説明することはとてもむずかしいことだったので、私はあきらめてしまい、結局、そのまま帰途につきました。でも、新幹線の中でも、一ツ橋と音羽に行けずじまいだったことが悔やまれてなりませんでした。
一ツ橋と音羽――それは集英社と講談社がある場所です。漫画家に憧《あこが》れていた私にとってそこは『りぼん』と『マーガレット』と『少女フレンド』と『なかよし』の場所であり、田舎でイメージしていた一ツ橋と音羽の光景は――広い道路をもりたじゅん先生が、一条ゆかり先生が、弓月光先生が、里中満智子先生が、牧美也子先生が、長谷川はじめ先生が、そして手塚治虫先生がお歩きになっていらっしゃる……それも、イメージですから、なんとなく、いっせいにうじゃうじゃと――これだったのです。
その後、第20森ビルにも憧れ(『スクリーン』編集部のある場所)、高輪にも下高井戸にも(柴田錬三郎氏宅と野坂昭如氏宅のある場所)憧れるようになるのですが、漫画でも映画でも小説でも、とにかく、ロマンの世界、というのに憧れる、狂おしいほど憧れる菅原孝標女《すがわらのたかすえのむすめ》にも似た(言いすぎか)性格は、この初めての東京見物の時点で完成していたといえます。貿易センタービルで買った靴が大学生になってもはけた肉体と同様に。
ガラスの仮面の告白。このタイトルは、ご存じ、『ガラスの仮面』(美内すずえ)と『仮面の告白』(三島由紀夫)をくっつけるという大胆不敵な冗談をポロッと言ったのがそのまま通ってしまったいきさつにより決定しました。私の『更級日記』かも(これもかなり大胆不敵ないいぐさですが)しれません。
ちなみに、少女漫画にくわしい方にはすでにおわかりと思いますが、章題はすべて少女漫画タイトルから拝借させていただきました。各先生方、勝手借用をどうかお許しください。
あさきゆめみし(大和和紀・連載中)、きみどり・みどろ・あおみどろ(土田よしこ・昭和46年)、東京シンデレラ(細川千栄子・昭和38年ごろ)、風と木の詩(竹宮恵子・昭和50年)、虹にねがいを(牧美也子・昭和39年ごろ)、はだしのマドモワゼル(一条ゆかり・昭和45年)、にくいあんちきしょう(弓月光・昭和45年)、11人いる!(萩尾望都・昭和49年ごろ)、小さな恋のものがたり(みつはしちかこ・連載中)、レモンとサクランボ(西谷祥子・昭和40年ごろ)、ジュ・テーム(ささやななえ・昭和45年ごろ)、ひみつのアッコちゃん(赤塚不二夫・昭和35年)、リボンの騎士(手塚治虫先生・昭和28年)、アタックbP(浦野千賀子・昭和43年)、バナナブレッドのプディング(大島弓子・昭和50年ごろ)、チチチとまた呼ぶ呪いの顔(古賀新一・昭和42年ごろ)、ラグリマ(山岸涼子・昭和45年ごろ)、金メダルへターン(細野美智子・昭和45年ごろ)、涙は海に流れる(中島利行・昭和40年ごろ)、あした輝く(里中満智子・昭和47年)。and、PS/元気です、俊平(柴門ふみ・昭和55年)
*文の内容と題とのかねあいから、選択にはかなり苦労しましたが、少女漫画マニアには選択理由がわかっていただけると思います。
バイバイ、BFどの……文庫版あとがき
'89のはじめに私はこの原稿にとりかかりました。ですからこの本にあるような生活を送っていたのは'89以前のことになります。
単行本が主婦の友社より出版されたのが'90。そして'92のこのたび、文庫化されました。文庫化にあたり原稿を読みなおしますと、なんだか実際以上に昔のことのように思われてなりません。単行本から文庫までの期間、私の公生活(?)は本人が目をまわしてしまうほど変化してしまったからです。ひたすら〆切をこなす仕事一筋の日々でした。ありがたいことでした。ありがたいことです。で、そうした間にB型についてショックな事実が発覚しました。オール巨人もB型だったということです。がーん、と思っているとクマさんこと篠原勝之もB型だと知らされ、ますます、がーんとなっているところへ『ジュ・テーム』の章に出てくる高名な作家、速水真澄までB型であることを知らせる電話が入り、あまりのショックが捩《ね》じれて、現在ではもうB型男と聞いただけでギャッと逃げてしまうB型男恐怖症になりました。さて、この速水真澄先生ですが、本当は誰かということなどすぐにわかると思っていたのに、意外にも当てた人は一人しかおらず「澁澤龍彦さんですか?」とか「五木寛之さんですか?」とか言われました。「三島由紀夫でしょう」と言う人も多かったのですが、ちょっと、いったい私を何歳だと思ってるのよ、ってかんじですよね。三島由紀夫が割腹する前に高校生だった年齢の人じゃないと電話できないでしょう? でも、速水先生と三島由紀夫は同い年ではあります。さあ、これでもう誰だかわかりますね。どうか「島崎藤村ですか」なんて言わないでくださいね。
ところで、私生活のほうはまったく変化がありません。変化のないどころか後退していってるくらいの、超御清潔、超地味な暮らしぶり。色めいた話のイの字もありません。皆無。ゼロ。尼さんのような私生活です。最近では男性を見ても石とか岩にしか見えません。それで思いきってスエーデンに行き、髪を切りました。青い瞳《ひとみ》の美容師さんは若くて美人でやさしい女性でした。店内に日本人が誰もいないのをいいことに私はさんざん日本男の悪口を言い「私はロマンスはいっさいあきらめました」とうなだれると「あなたにはきっとゲルマン民族の男性のほうがフィットすると思うわ。だから少しもあきらめることないわ。そんな悲しいことを言ってはだめよ」と彼女は言い、ああ、北の果てのスエーデンで励まされてしまいました。だから本書『十二人いる!』の章には「イタリア人にドロップ・ゴール云々《うんぬん》」と書いてありますけどイタリア人はラテン民族だからやめようと思っています。さらに『小さな恋のものがたり』の章には映画『純愛日記』のアン・ソフィ・シリーンのことを「この映画一本にだけ出演した少女」と書いてありますが、スエーデンで調べたところ現在もTV女優としてときどき出ているということがわかってしまい、なんとなく一抹のさびしさをおぼえました。……とこう書くとすごく英語ができる人みたいですが、実はほとんどできません(悪口だけ流暢《りゆうちよう》)。恥と失敗を重ねて、それでもたのしい旅行でした。次回は『スエーデンの森』という題の一大ハッピーエンドの恋愛小説が書けるといいですね。
さいごに、角川書店編集部の宍戸健司さん、いつも細やかな心づかいをありがとうございました。そして、本書を買ってくださった皆さんに心よりお礼申しあげます。
一九九二年八月
姫野カオルコ
角川文庫『ガラスの仮面の告白』平成4年9月10日初版発行
平成11年3月20日10版発行