南里征典
赤坂哀愁夫人
目 次
第一章 ホテル、買います
第二章 戦略管理の女
第三章 ときめいて、愛
第四章 事件は起きた
第五章 影の殺人者
第六章 伊豆危険旅行
第七章 黒い罠
第八章 魔性の闇肌
終 章 駆けぬけて、愛
第一章 ホテル、買います
むし暑い夜であった。
朱鷺子《ときこ》が身を起こした。ほつれ毛が数本、汗ばんだ白い襟足《えりあし》に、なまめかしくまとわりかかっている。
八月の熱帯夜の、蒸《む》すようによどんだ空気が、わずかに揺らいだことで、門倉健太郎《かどくらけんたろう》は、薄く眼をあけた。
朱鷺子は、汗ばんだ浴衣の襟をかき合わせて身づくろいすると、すべりでた夜具の乱れをなおして、立ちあがりかけている。
未亡人は、今夜も眠れなかったようである。
ホテル経営をして赤坂界隈で、門倉財閥といわれていた夫の門倉|専太郎《せんたろう》が亡くなって、半年が経つ。三十二歳の美しい未亡人、朱鷺子は、その匂うような美貌と若さをもてあましながら、株式会社「伊豆源《いずげん》」の社長業を継ぎ、女社長として乃木坂ホテルなどを経営しているが、亡夫が遺《のこ》した巨額の負債整理にも追われ、このところ、夜は悶々《もんもん》として眠れない日がつづいているようであった。
「義姉《ねえ》さん」
背徳の匂いのする義弟の閨房《ねや》で、濃厚な女の匂いが立ちあがったところで、健太郎は横たわったまま、声をかけた。
朱鷺子が歩きだそうとしていた足を、ふっと止めて振り返る。
見返り美人、そういう絵になっていた。
「今夜は何もしないのかい」
「だって、健太郎さん、寝てたんじゃないの」
「ぼくが何もしなければ、義姉さんは、添寝だけで満足するのかい」
「健太郎さんの意地悪。狸寝入《たぬきねい》りしていたのね。あんなに手をかけて、ゆすってあげたのに」
(手をかけてゆすっただけじゃない。おれの体の、どこもかしこも喘《あえ》ぎながら、触《さわ》ってたくせに……)
健太郎が内心、そう思っただけで答えないでいると、立ったままだった朱鷺子が再び近づいてきて跼《かが》み、健太郎に夜具をかけてやりながら、
「ごめんなさい、起こしちゃって。――あしたの出張、早いんでしょ。このまま、お休みになったほうがよさそうね」
わずかに開いた障子の隙間《すきま》からの月明かりが、朱鷺子の美しい顔と唇の輪郭と、薄ものの下で息づく胸の膨らみを照らしている。
「おやすみなさい」
そう言って、立ちあがりかけた朱鷺子の右手を掴《つか》み、健太郎はたおやかに量感のある女体を引き寄せ、思いっきり、若者らしい力で勢いよく布団の上に押し倒した。
「ああン……健太郎さん、乱暴はいけません」
健太郎の右手が、朱鷺子の浴衣の打ちあわせを分けて、太腿のあわいにすべりこんだ。その右手は、むっちりした太腿の肉の実りをたしかめるように這《は》いながら、谷間の女の部分へと届いた。そこには秘境を隠すパンティはなかった。濃い茂みがじょりッと、指にさわった。茂みの下を探ると、秘境は熱く潤《うる》んでいて、健太郎の指はひとりでに、その焔色《ほのおいろ》の沼にすべりこんだ。
ああッ……と朱鷺子は、若々しい義弟の頭を抱いて、のけぞる。
「ああ、健ちゃん……私たちったら、いけないことをしているのよ」
しかし、もう健太郎は耳をかさない。
六ヵ月前、夫の専太郎を喪《うしな》って間もない門倉財閥の若い未亡人、朱鷺子は、三十二歳の肉体をもてあまして、禁じられた義弟との罪深い匂《にお》いにまみれようとしている。
そこは赤坂・檜町の一角である。周囲に高層ビルやホテルが林立する都心部とは思えないほど、緑の多い高台の窪地《くぼち》に、料亭風の黒塀をまわした屋敷。当主の専太郎が亡くなって以来、負債に追われてホテル業が傾き、今は朱鷺子と義弟の二人だけが住む宏壮な屋敷内で、いま、背徳の肉欲にはしる二人の息づかいだけが熱い。
健太郎は、唇を寄せた。
朱鷺子の唇が鯉《こい》のように喘《あえ》いで、それを狂おしく受けとめる。
接吻《せつぷん》を交わしながら、二人とも夜具の上に抱きあって、斜めに倒れこんでいた。
「ああ……健太郎さん。私のこと、性悪女だと思ってるんでしょ」
「そんなことはないよ。義姉さんはきっと、兄貴を喪って、淋《さび》しいんだよ」
「そんなきれいごとじゃないわ。私、性悪女。でも、いいわ。どう思われてもいい」
健太郎は浴衣の胸を右手で、はだけた。
白い、たわわな乳房が現れた。
健太郎はそこを揉《も》んだ。
ねっとりと下から円球を圧《お》しあげるようにして揉みたて、尖《とが》りたってきた乳首を指で薙《な》ぎたてたりした。
「あ、あ、あ……」
朱鷺子が熱い声をほとばしらせた。
健太郎はひとしきり、乳房を揉みたてたあと、さらに大きく胸をはだけて、苺《いちご》のように固くなった乳首を口にふくんだ。
含んで吸い、転がし、舐《な》めたりするうち、朱鷺子の白い顎《あご》がのけぞる。
「ああ、苦しいわ……ねえ……浴衣」
朱鷺子の手が宙をかきむしっている。
健太郎は気づいて、腰紐《こしひも》を解いて、きゅっと抜いた。
抜いて、汗ばんだ白い布きれを思いきりはねた。むっとするほどの女の匂いとともに、白い、豊かな乳房から下腹部、太腿への輝きが、夏の薄闇《やみ》の中に現れた。
「義姉さん――」
健太郎が感動したような声をあげ、どよめきたつ胸の鼓動の赴《おもむ》くままに、白い女体を左手にかき抱く。
右手は乳房から、下腹部へとすべっていた。朱鷺子の、女の部分は、さっきよりも一層ほとめいて、濃い熱汁を噴きだしていた。
自噴する牝《めす》の泉であった。
健太郎は、指を沈めた。濡れあふれる蜜を汲《く》んで、二枚の花びらや、その上の谷間にまぶしつづける。それはどこやら、花祭りという感じだった。
物狂おしい花祭りがつづいた。茂みの下の小さな真珠をさぐりあて、二指に挟んで、軽く揉んだ。
朱鷺子が微かに、うめいた。
健太郎は愛撫をつづけながら、朱鷺子の両足が伸びきって、小さなふるえが起きているのを見ていた。
朱鷺子の陰毛は濃かった。一筋々々が長い。最近のギャルたちのように両サイドをトリミングしていないので、水辺になびいている葦のようだった。
羞恥《しゆうち》のために時折、朱鷺子が体をよじるようにして、股を閉じようとする。健太郎はその太腿をぐいと押しあけ、指を不意に壺の中に差し入れる。
「あン……」またもや白い首が反る。指先に収縮を感じ、健太郎は早くあてがいたいと焦《あせ》った。
突然、朱鷺子が上体を起こした。
「ごめんなさい。わたしに、触らせて」
強い力で健太郎に縋《すが》りつき、若々しい青年の中心にむかって、手を差しのべてゆく。
健太郎はまだ、ブリーフをはいていた。その前面の打ちあわせの隙間《すきま》からすべりこんだ朱鷺子の白魚のような指先が、たちまちみなぎったものに触れる。
形状をなぞった。朱鷺子は一瞬、やけどをしたような顔になった。
「わあ、凄《すご》い」
でもすぐ、勇気をふるいおこして、握り直す。
「元気いいのねえ、健ちゃんって……」
夫の専太郎が肝臓ガンで入退院を繰り返してからの三年間、ほとんど触れることのできなかった男の生命の逞《たく》ましさが、今、掌《てのひら》の中でしなりを打ってゆらいでいる。
それは朱鷺子にとって、感動的な熱さであった。
「ね、キスしたい。していい?」
罪の匂いが深まる分、それはかえって強い刺激への誘いとなって、朱鷺子の背徳の心を煽《あお》る。
指が、ブリーフを脱がせかかった。健太郎が腰を浮かして協力すると、ブリーフはするりと足首を抜けた。
充実し猛々《たけだけ》しくなった青年自身が、雄々しい素振りをみせて、外気の中でしなりを打つ。朱鷺子が、そのしなりをいとおしそうに両手をあてて握りしめた。数回、両の掌で擦《こす》ってから、拝むように唇を近づける。
半ば以上、朱鷺子の朱唇が呑《の》みこんだ。朱鷺子の頭が上下するのが、枕許《まくらもと》のあかりにあやしく揺れる。
白い尻も映えていた。長い間の喪失期間を今、精一杯、取り戻すように、朱鷺子は若者自身にむかって熱心に口唇愛をふるまいつづけていた。
その秘めやかな挙措は、朱鷺子が深窓の令夫人を思わす、すてきに上品な知的美人だけに、たとえようもなく淫《みだ》らであった。
眺めているうち、健太郎は切なくなった。兄の専太郎のところに朱鷺子が嫁いできた時から、憧《あこが》れていた。その朱鷺子に、今、奉仕されていると思うと胸が熱く一杯になった。
「義姉さん、ありがとう。もういいよ」
健太郎はそう言うと、上体を起こした。そうしていきなり朱鷺子の手を取る。
手を掴《つか》んで、正面から顔を見る。
驚いたように、健太郎を見返した美しい顔が、
「何を……なさるの?」
もの問いたげに傾《かし》げられた時、健太郎は朱鷺子を押し伏せて、ある体位にもっていった。
「あっ……」
と朱鷺子が狼狽《ろうばい》したような声をあげた。
「いやいや……それだけはやめて」
朱鷺子が力一杯、閉じようとする両下肢を大きく押し割って、健太郎は秘所に顔を押し伏せてゆく。こんもりとした丘に恥毛が渦巻き状に生え、丘の裾野《すその》にのぞく薄紅色の秘肉が、何かを需《もと》めてわなないている。
健太郎は秘所に顔を埋めた。舌で赤貝色の肉襞《にくひだ》を凶暴に分けた。秘肉にただよう甘酸っぱい匂いが、健太郎の背徳の征服欲に拍車をかけた。
蜜のしたたる花弁を舌でむさぼり、もっとも敏感な真珠を掘りおこして、そこを舌で薙《な》ぎ伏せるようにして、愛撫をほどこす。
「あっ、あっ、ああ――」
令夫人、朱鷺子が身を切るような悲鳴をあげて、肢体をよじった。衰運を重ねるこの赤坂・檜町の大きな料亭風屋敷のなかにいるのは、もはや二人だけ。あたり憚《はばか》ることなく、美しいけものとなって快美を訴える美しい義姉の乱れ声に、健太郎の意欲はますます猛《たけ》った。
「もうゆるして」
朱鷺子は、泣きそうな顔になっていた。
いや本当に細い、泣き声をあげたりする。
「いい? ここが?」
膝《ひざ》を立てて両下肢をひらいた朱鷺子の顎《あご》が引かれ、腹がへこんだ。恥丘だけが高く盛りあがって密生した艶毛が濡れて息づいている。
健太郎は顔をやや離し、反応のつよいところを強く押しひらいた。
秘孔が左右に引っ張られて、パールピンクに濡れ輝く真珠の粒がむきだしになる。その下で、朱《あか》い窓が口をあけていた。朱い窓は秘孔の粘膜だった。健太郎は舌の先を粒に押しつけ、その男の夢を誘う朱い窓にも舌を捻《ね》じこんだりした。
「ああ……いいわ。お上手よ、健太郎さん」
朱鷺子が悲鳴に近い声をあげる。腹に力が入って腰があがった。内股にヒクヒクと痙攣《けいれん》が走り、たらり、と臀裂《でんれつ》のはざまに透明な液が糸のようなしずくを作って、流れ落ちた。
健太郎も正直、もう我慢ならなくなっていた。
「義姉さん……ゆくよ」
健太郎は位置を取り直すと、反り返って脈うつものを、感動に打ちふるえながら濡れあふれる女唇に近づけた。
蜜の海へ、漬《つ》ける。
生命と生命の密着であった。グランスだけ埋れたところで止めると、秘肉が賑《にぎ》わいたって奥へ吸いこもうとしている。
健太郎はぬかるみ全体を、捏《こ》ねまわすように動いた。
ますます潤沢に、噴く。蜜色の沼が、捏ねられるにつれて、水音をたてたりした。
「あっ……いや、その音」
「どうしてさあ。ぼく、気持ちいいよ。泥んこ遊び、してるんだもの」
「いや……いや……早く……いらっしゃい」
朱鷺子が耐えきれないような声をあげて、腰で迎えようと、せりあげる。
それでもまだ浅場であそんでいる健太郎は、朱鷺子が三回目に腰を持ちあげようとした瞬間、一気に突きを入れた。
斬《き》られるような声が、絹のような糸を引いた。
熱い肉の洞穴に締めつけられながら、健太郎の男性自身は秘肉を分けて、一気に奥に到着してゆく。
「義姉さん、いいよ!」
健太郎は感動したような声をあげて、ほとんど無我夢中で、ひしと抱きつく。
未亡人の肉の闇は実際、熱かった。
朱鷺子は、反り返って言葉もなく、あぐあぐと酸素不足の水面の魚のように、喘《あえ》ぎはじめている。
白くてぬめり光る魔魚となっていた。
時折、押し包んだものに収縮と束縛が訪れた。収縮と束縛の間合に、洞内の小さな粒立ちがざわめきたって、賑《にぎ》わいたって、ひしめき合うような感覚も混っていた。
健太郎は根元まで分身を入れると、その感覚は感覚として委《まか》せたまま、そっと両手で朱鷺子の顔をかき抱き、接吻《せつぷん》をした。
「ああ……ああ……」
唇と唇があわさり、貪《むさぼ》りあい、感きわまったような声が噴いた。
悶《もだ》える女体に、ぴったりと身体を密着させる。密着させながら、口吸いをやっている。
「ああ……ああ……ああ……」
朱鷺子は、単純な破裂音を繰り返して小さく身体を痙攣《けいれん》させた。
「いいッ」
苦しくなって、唇を離して、顎《あご》を反らせる。
喘ぐ唇をまた吸いにゆく。
「両方だなんて、いやいや……あまり倖《しあわ》せすぎて、罰があたるわ」
「義姉さんはちっとも倖せじゃないよ。兄貴はよそに愛人ばかり作って、ゴルフ場にまで手をだして、失敗して、本業のホテル業まで傾かせてしまって……そのたびに、義姉さんは苦労ばかりしてきたんだ」
健太郎は濃厚な接吻のうちに、舌を絡ませたまま、下半身もゆっくりと出没運動をつづけた。
それは若者に似合わず、みっしり、みっしり、動く感じ。朱鷺子の秘肉を燃やして子宮をふるわせる。朱鷺子はあらぶった呼吸を吐きながら、確実にのぼりはじめていた。
佳境に入るにつれ、朱鷺子の女芯《によしん》が収縮し、強い力で男性自身を喰《く》い締めてくる。
「こんなふうだと、あたし、どうにかなっちゃいそう」
健太郎も、そういう声を聞いていると昂《たか》まりきって、今にも爆《は》ぜそうになっていた。
(いやだ、いやだ。まだもったいない……)
それで健太郎は時折、とば口の近くまで引き抜いて、圧迫感をゆるめた。そのかわり、とば口近くのぬかるみ全体を、硬い膨らみでいやらしく捏《こね》まわしたりする。
「ああん、そんなあ……」
朱鷺子は、健太郎の逞《たくま》しいものが自分の好きな個所に当たるような腰の動かし方をし、深く健太郎の律動を迎えたがった。
いつしか二人は舟になっていた。
漕《こ》ぐ感じであった。
漕いでいた。
夢の中を漕いでいた。
そうして二人とも熱湯の中を昇りつめてゆく。
「ああ……いらっしゃい……いらっしゃい……あたし……もう、ダメ」
闇に熱い声が顫《ふる》えて、絹糸を引く。
朱鷺子は胎内に男性自身を根元まで容《い》れて、クライマックス寸前の顔になっていた。
健太郎もその乳房を右手でこねまわしながら、眉《まゆ》を寄せて目をかたく閉じ、半ば開いた唇から愉悦の涎《よだれ》をしたたらせてのたうつ朱鷺子の表情を覗《のぞ》きこみ野獣のように吼《ほ》えていた。
「義姉さんッ……オレも、もう……!」
やがて、狂瀾《きようらん》が近づいてきた。
二人とも一緒であった。悶える女体の怒濤《どとう》にあわせ、健太郎も奥深くに激しく生命の華を放射していた。
屋敷は夏の闇の中で、森《しん》としていた。
……その夏の闇《やみ》は、よどんでいた。
うっすらと男女の汗と愛液の匂《にお》いも混っている。二人は果てて、息を整えながら、横たわっていた。
障子があけられ、月光が射《さ》し入り、枕許《まくらもと》の雪洞《ぼんぼり》型のスタンドも仄明《ほのあか》るい。
その灯《あ》かりに起きあがって、首すじのほつれ毛を直す朱鷺子に、
「義姉さん、どうする?」
手枕をして天井をむいたままの、健太郎が聞いた。
「え?」
「この家や料亭跡地やホテルをさあ」
「そうね。売ってしまおうと思ってるのよ」
「やっぱり……?」
「ええ。せっかくあの人が残してくれたものだけど、仕方がないでしょ。銀行からの負債を片づけるには、撤退するしかないじゃないの」
「撤退って……伊豆に帰るのかい?」
「ええ、いずれね。今すぐにというわけじゃないけど」
「そうだなあ。兄貴のやつ、莫大《ばくだい》な借金を残しているというからなあ。義姉さんも色々、苦労するなあ」
「私のことはいいのよ。いずれ事業を整理し終えたら、伊豆に帰るわ。湯ケ島に戻れば、天城翠明館《あまぎすいめいかん》が残っているでしょ、私、天城峠の近くのあの一軒だけでいい。これからは天城峠の近くでのんびりと暮らしたいのよ」
「義姉さんはそれでいいかもしれないけど、おれはどうするんだ。伊豆に帰るなんて、いやだよ。会社、辞めるわけにはゆかないもの」
「そうよ。あなたは大学の工学部を出たコンピュータ技師なんだから、ちゃんと三星の研究所に残らなくっちゃ駄目です。伊豆の天城・湯ケ島に帰るのは、私だけで結構よ」
「淋《さび》しくなるなあ、それじゃあ」
「何言ってるのよ。あなたは早くお嫁さんをもらって、いい家庭を作らなくっちゃ。義姉さんも応援するわ」
朱鷺子の亡夫、門倉専太郎は株式会社「伊豆源」の代表取締役社長であったが、もともとは、伊豆の名門豪族といわれる旧家で、先代までは修善寺と湯ケ島に「天城翠明館」の本館、別館を経営していた。いわば、専太郎の代になって、東京に進出して来たのである。それだけに、専太郎はやり手であったが、事業も交際も派手で、愛人も多く、ゴルフ場建設の詐欺に引っかかって以来、多額の借金を背負い、そのストレスがたまって、今年の二月、肝臓ガンで若死にしたのであった。
未亡人の朱鷺子はだから今、東京の営業部門を全部、売却することで亡夫の借財を整理し、伊豆で再出発を期したいと考えている。
「しかし、売れるのかなあ。今は第三次とか四次とかいうホテルブームで、ただでさえこの赤坂|界隈《かいわい》だけでも大中小、何十というホテルが乱立しているご時勢だよ。乃木坂ホテルのような古いホテルを売るといっても――」
健太郎は腹這《はらば》って煙草《たばこ》をとりよせ、ライターを擦《す》って火をつけた。
「売れるかどうか、私にもわからないわ。でもどこかに、声をかけておけばいいと思うの。ほら、最近、ホテル専門の売買|斡旋《あつせん》機関があると聞いてるわ。あすあたり、そこに電話してみようと思ってるのよ」
「ホテル専門の売買斡旋機関? そんな取引機関があるの?」
「あるらしいわ。私、ホテルの専門誌でみたもの。最近は日本も本格的なホテル社会の時代に入って、アメリカなみにホテルビジネスというのが成立しているんですって。その取引機関に頼めば、なんとかなると思うの」
「ふーん。いかがわしい会社でなければいいけどね」
「大手不動産会社のホテルビジネス部門だから、それは心配ないと思うのよ」
「ま、事業のほうは義姉さんに委《まか》せるから、ぼくは口をださないよ」
二人の会話はそこで少し、途切れた。
朱鷺子は夏の闇を見つめた。その時、ふっと、視線の先を何かしら、明るい光のようなものがよぎっていった。
「あっ……蛍だわ」
「どこ?」
「ほら、あそこ」
健太郎が、そちらを見た。
仄《ほの》かな瞬《またた》きがゆらめくように闇をよぎってゆく。
朱鷺子は、その明るい光の点を見つめた。
今時、東京のどまん中では珍しいが、亡夫の専太郎が椿山荘のような蛍狩りをやりたいと、料亭「玉樹」の庭の池に、伊豆の狩野川の業者から仕入れた源氏蛍を長年、苦労して繁殖させ、棲息させようとしていた名残りであった。
名残りだけに、仄かにそれは哀《かな》しかった。
障子の隙間《すきま》から迷いこんできた恋蛍の灯《あ》かりを追っていた朱鷺子の瞳に、ふっと透明なものが膨らみ、それは結晶となって、頬《ほお》につたわり落ちた。
が……それは、健太郎には見えはしない。
「義姉さん……、おれ、困っちゃったよ、ほら」
朱鷺子の手を掴《つか》み、股間に誘う。
濡れたまま再び、猛《たけ》りたってきたものを握った時、朱鷺子の瞳の膨らみきった涙に、妖《あや》しい源氏蛍の光が揺れた。
「健ちゃんったら、まあ」
朱鷺子はいきなり、健太郎を夜具の上に押し伏せると、騎乗位の位置をとって、自らを牝のけものに追いたてて、収めにいった。
その朝、葉山慎介《はやましんすけ》は午前九時に会社へ出勤した。
彼の会社は新宿にある。西口の超高層ビル街の中にオフィスのある「近代企画」社は、ホテル売買専門の不動産斡旋ビジネス会社である。
ホテル以外の土地とかマンションとかは、扱わない。そのかわりホテルや旅館と名のつくものなら、ラブホテル、ビジネスホテル、リゾートホテル、一般旅館、観光地の温泉旅館など、何でも取引の対象とする。
いわば、第三次ホテルブームといわれる生存競争の裏側で倒産したり、売りに出たりする物件を預かり、査定し、評価し、値段をつけて、売り手と買い手に仲介する新しいホテルビジネス≠ネのである。
葉山慎介は営業部一課の課長である。
営業一課は売買の仲介だけではなく、戦略管理部門といって、持ち込まれたホテルや旅館を、厳正に評価するため、第三者に斡旋する前に、客としてさりげなくそのホテルや旅館を利用し、どのように運営していて、どのような稼動率をもち、どの程度の値打ちものかを探ったりする予備調査機能も、あわせ持っている。
その仕事を「潜入する」とか「お忍び予備調査」とか、称している。
いわば、ホテルGメンである。
対象がラブホテルの類《たぐ》いだと、男女がペアで潜《もぐ》り込んだりする。
相手の同伴女性は、必ずしも社員であるとは限らない。会社に迷惑をかけない範囲でなら、外で自由に調達していいことになっている。もちろん、その経費は「営業調査費」として会社で伝票を切るから役得である。
葉山が自分のデスクに坐《すわ》って上衣《うわぎ》を脱ぎ、さて仕事に取りかかろうかと、卓上の書類に眼《め》を通しはじめた時、眼の前の電話が鳴りはじめた。
「はい、近代企画――」
「あのう……ホテル買います、という雑誌の広告を見たんですけど、おたく、ホテル売買の仲介をなさってるんでしょうか」
「はいはい、さようですが。おたく様は?」
「私、赤坂の乃木坂ホテル〈ブローニュの森〉を経営している伊豆源の女主人で、門倉朱鷺子と申しますが」
「ああ、伊豆源さんの……」
葉山は驚いたような声をあげた。
「伊豆源さんなら、よく存知あげております。ホテルをお売りになるんですか?」
「ええ、ちょっと事情がございまして」
「あ、なるほど。今年の冬、社長がお亡くなりになられましたね」
「はい、それで色々――」
「かしこまりました。ご相談は別途、面談の上ということにしまして……」
伊豆源の女社長門倉朱鷺子は、明後日、葉山慎介の会社を訪れることになった。
(それなら、今夜のうちに乃木坂ホテルもそれとなく、査定しておいたほうが賢明のようだな)
電話を置いてから葉山は、窓際の席に坐って、ワープロを打っていた営業一課のOL牧園多摩美《まきぞのたまみ》に声をかけた。
「牧園君、赤坂のブローニュの森の電話番号、調べてくれないか」
通称、乃木坂ホテルと呼ばれているそのホテルは、夜になるとたしかに「ブローニュの森」という美しいネオンを輝かせていたことを、葉山は思いだした。
「はい、かしこまりました」
紺の制服を着たグラマーで聡明《そうめい》な顔をした牧園多摩美がワープロの手を休め、傍らの電話番号帳をぱらぱらとめくった。
「あ、わかりました。メモ、よろしいですか」
「メモはいいよ。それよりきみ、そこに予約の電話を入れといてくれないか」
「はい、今夜でしょうか」
「そう、同伴。名前はぼくの名前でいいが、社名は言わないように」
「かしこまりました」
牧園多摩美は自分の席の受話器を取りあげて電話番号をプッシュしている。
さいわい、営業一課は朝から、みんな出払っていた。それでも個人的に親しそうな素振りは少しも見せない多摩美の容姿を眼で追いながら、葉山は、ますますすてきなパートナーになってきたな、と今夜への期待に胸を膨ませていた。
牧園多摩美は、入社後一年の営業一課員だが、葉山慎介にとって、申し分のない部下であり、女友達でもある。お互いに好意を持ってはいても、激しくスパークするほどでもない。
しばらくデートしないでいると、肌が恋しくなって、どちらともなく誘いあう。
多摩美がいいセックスフレンドであることには、理由がある。
一年前に彼女は葉山の会社にデューダしてきたのだが、その前は丸の内の商事会社のOLだった。
葉山の大学の同級生がその商事会社の課長をしていて、彼の口から多摩美が退職しなければならなかった理由を聞かされたのである。
何でも多摩美は、妻子ある上司とのオフィスラブを咎《とが》められ、K商事をやめる羽目になったというのである。
葉山は相談を受けて、近代企画に入社する労をとった。
下心がなかった、といえばうそになる。
多摩美は男の味を知っている。交際していた上司と別れて、心の中に空洞を抱いてデューダしてきたのだ。
男からすれば、美味《おい》しいご馳走《ちそう》である。
その上、一度、社内恋愛で傷ついているので、葉山と関係ができても、外部に対しては極端に秘密主義を守ってくれるのも、好都合であった。
葉山と多摩美が男女関係になっていることは、まだ社内の誰も知らない。
多摩美も、それは極秘にしており、本心ではほかの男子社員にも大いにもてたいのである。
そういうわけで、多摩美とは部下と上司というより、息の合ったセックスフレンド。今夜の「ブローニュの森」潜入も、「予約しておいてくれないか」で、「ホテルGメンの仕事」であると諒解《りようかい》が成立するのであった。
「牧園君、ぼくはちょっと、外出してくる。赤坂は夕方七時に待ち合わせ、というのはどうだろう」
「かしこまりました。七時に、一ツ木通りのいつもの店に参ります」
乃木坂に夕暮れが訪れていた。
「あ、ここだわ」
多摩美が立ちどまった。
ホテル「ブローニュの森」は乃木坂の途中を左手にはいったところにあった。道路から木立ちの中へアプローチが入っていて、ムードのある四階建てのたたずまいが、シティホテルとラブホテルをミックスしたような、味わいのあるホテルである。
「いらっしゃいませ。葉山様でしたね」
予約しておいたので、フロントですぐにキイを渡してくれた。
腕を組んでエレベーターの方に歩きながら、
「わりと高級感があって、トレンディ。今の若いOLなんか、この手の上品な感じだと、気軽に入れるのね。いわゆる連れ込みってのは、泥臭いといって、嫌われるもの」
多摩美は、早くも女性の眼でみた仲介物件のホテルの感想を報告する。
「ウン、はやっているようだね。それなのに手放すなんて、伊豆源の女社長、何を考えてるんだろう」
「ホント、もったいないことをするわね。若死にした社長が、よほど女に使いまくったんじゃないの」
二人は四階でエレベーターを降りた。静かな通路を歩き、406号室にはいった。
はいってすぐ、むきあう。
引き寄せると多摩美は、くずれるように葉山の胸に顔を押し伏せてくる。
その顔を片手ですくうようにして、唇を重ねた。
「ああん」
と、多摩美は甘美な声を洩《も》らした。
葉山も、この多摩美とは久しぶりである。そのせいか初めての女のような、若鮎のような新鮮さが腕の中に跳ねる。
ディープキスをしながら、葉山はワンピースの上から手をのばして、太腿をおさえた。
しっとりした肉の感触があった。内腿はやわらかい。掌《てのひら》はそれから、恥骨の膨らみを撫でた。
「あ……待って……」
多摩美は両手で葉山の胸を押した。
目まいを起こしたような顔になっていた。
「ホテルハンターの仕事をしにきたのに、いきなりだなんて、いやだわ」
「多摩美にはまだ査定の本質がわかっていないようだね。こうやって、男女がペアでホテルに入って、バスを使ったり、ベッドを使ったりしながら、その部屋が男女の愛を演出するのに、どの程度、ムードがあって、リッチで、すてきかどうか。それを判断するのが、Gメンの仕事なんだよ」
言いながら葉山の手は、まだ恥丘に置かれている。そこはこんもりと高く、葉山好みのふっくらとした盛りあがりを見せていた。
再び、軽い接吻《せつぷん》を交わしてそよぎあった後、
「わかったわ。じゃ、バスを使わせて」
「あ、いいね。さあ、査定、査定」
「私の査定は、すぐにはさせませんからね」
楽しそうに笑いながら、多摩美はバスルームに歩き、勢いよく洋服を脱ぎはじめた。
「あら、困ったわあ。ガラス張りで、どこにも身体を隠すところがないのね」
たしかに浴室との境は透明なガラスだし、浴槽それ自体もクリスタルごしによく見える仕組みになっているので、隠れて裸になる場所がない。
そういう狙いのホテルのようである。表からみる限り、落着いた高級シティホテルのようだが、内部は愛を演出する欲望空間。特にラブホテルにとってはバスルームの設計が大きな比重を占めるので、評価ポイントである。
(まずまずだな。このホテルなら、赤坂|界隈《かいわい》むきでこのまま居抜きで営業できる)
葉山はネクタイを解きながら、室内の設備や調度をみる眼に、ホテルハンターとしての観察眼を働かせている。
その間にも多摩美は鏡の前で、身につけているものを全部脱いで、裸になった。
裸身がガラス越しにくっきりと揺れている。
背中の線がきれいだった。
「あとで来る?」
「ああ、ゆくよ」
「じゃ、お先にね」
タオルを持って、浴室に入る。
(それにしても……)
と、葉山はクロゼットに上着をかけながら、多摩美ではない別の女性のことを考えていた。
伊豆源の女社長、門倉朱鷺子は、これだけのホテルをどうして売る気になったのだろう。
葉山も二度ほど、何かのパーティで朱鷺子を見たことがある。一度目は和服姿がとても上品で、清楚《せいそ》だった。いかにも若社長夫人という気品があった。
二度目のパーティでは、白のセルッティの洋服だった。細身だが、背も高くすらっとしていたので、そのワンピース姿もよく似合っていて、すでに業界の女社長という貫禄もあった。
三十二、三歳ならまだ若い。上品で、濃厚な色気もあった。その朱鷺子が未亡人なら、あのみずみずしい色気はどこから来るのだろう、と葉山の胸は妖《あや》しくときめくのである。
葉山は服を脱ぎ終えると、タオルを一本もって、バスルームに入った。
多摩美はシャワーを浴びていた。この夏、海で灼《や》いてきたらしく、小麦色の健康そうな肌が湯をはじいている。
多摩美は長身で、ボリュームがあるので、色白よりも、小麦色のほうがよく似合う。葉山はその背後に立ち、いきなりぎゅっと抱きしめて、下半身にタッチした。
湯に濡れたヘアが藻のように指に触り、秘孔へとなびいている。指がそのヘアを割ると、熱い谷間にはすでに蜜がたたえられていて、指はじきに蜜口に迎え入れられた。
「ああ、やめて」
多摩美はシャワーの途中に、葉山に抱かれて秘所に指を使われたので、腰から力が抜けてくずおれそうになって、喘《あえ》いだ。
指はもうずっぷりと秘唇に埋もれている。蜜のなかをかきまわすように、うごめかせるにつれ、指の腹にコリッコリッと、突起があたりだしてきた。
「わあ、真珠湾攻撃だなんて」
発達してきたクリトリスである。そこを集中的にかまいつづけると、多摩美はもう感度を全開にして、
「あ……あ……あ……あ……」
と、切なげな声を洩《も》らす。
「お願い。立ってられないわ。坐《すわ》らせて」
足許《あしもと》では、多摩美が落としたシャワートップが、蛇のように跳ねて湯を撒《ま》き散らしていた。
葉山は抱きしめていた腕をほどいた。
多摩美はかくん、と腰がくずれるようにタイルの床にしゃがみ込んで、暴れるシャワーを拾い、片膝《かたひざ》つきで仕上げの湯をかけはじめた。
「ぼくが洗ってやるよ」
葉山は、多摩美に寄り添った。
葉山は石鹸《せつけん》を泡だて、すべすべした多摩美の背中に塗りつけた。大柄でスレンダーではあるが、ガリではない。ほどよく皮下脂肪のついた多摩美の肌は、やわらかで艶《つや》があった。石鹸の泡をつけた手が、背中からヒップ、それから腹の内側へまわる。
「ごめんなさい。男のひとに洗ってもらうなんて、悪いわ」
少しも悪いとは思っていない口調だった。
それよりも多摩美は、うっとり夢心地である。
バスルームで身体を洗いっこするのは、そのまま裸同士の接触行為である。前戯としては効果抜群である。とくに、全身が性感帯の多摩美のような若い女性は、裸の男性と全身を接触されて、肌をなでられる感触だけで、性感が高まってくる。
皮膚に加えて、視覚だった。葉山のものは、もう凜然《りんぜん》たる素振りをみせていて、隠しようもない。
「わあ、くらくらするわ」
指で触ったりする。なぞって、しなりを打つさまに感動して、握りしめにくる。
「葉山課長って、外ではクールだけど、意外に優しくてスケベーなのね。それに、こんな野蛮なけだものを飼ってるし、どれが本当の顔なのか、わかりゃしない」
「みんな本当の顔だよ。理想的な男というものはね、三つの顔を持ってるんだ。仕事に対しては常に、積極的でクールで野心的。女性に対してはきわめて優しい。そうして、雄としての本能は常に猛々《たけだけ》しく獰猛《どうもう》で貪欲《どんよく》――」
葉山は不意に、多摩美を立ちあがらせて、むきあった。葉山のタフボーイが、多摩美の女芯《によしん》にあたっている。
「繋《つな》ごうか。このまま」
「いやいや……石鹸《せつけん》がはいっちゃうわ」
危なく、這入《はい》りかけていた葉山のタフボーイは、多摩美が腰をひねったので、入口を見失った。
多摩美の股間は石鹸の泡まみれなので、無理に挿入しないほうがよかったかもしれない。
多摩美の呼吸が、熱くなりかけていた。葉山は追いうちをかけるように、洗う手を急ぐ。石鹸の泡はますます膨らんで、腹部からヘアに盛りあがった。
旺盛《おうせい》な黒毛が泡に包まれると、濃霧に包まれた白い森さながら。ところどころ黒い陰毛が顔をだして、とても不思議な墨絵模様だ。
そこに掌《て》をあてがう。てのひらいっぱいでしあわせを掴《つか》む。臀裂《でんれつ》から恥丘までの全体を掌で押さえ、そのまま、包むように上下させる。クレバスから沁《し》みだす蜜液が、はっきりと一筋、ぬるりと中央流帯に湧《わ》いているのがわかる。
「あ、あ、あ……」
丘を快く圧迫されて、ぬかるみの部分もかまわれ、多摩美は熱い声を洩《も》らした。
圧迫感は、意外に効くのだ。葉山はさらに、圧迫感に強弱をつけて、上下にスライドさせた。
指先は危なく、ぬかるみの秘裂に深々と溺《おぼ》れこんでしまいそうである。
「ねえ、早く泡を流して。ベッドにゆきましょうよ」
「そうだね。流そうか」
葉山は、シャワートップを握った。
泡立つ腹部からヘアにかけて、湯の束を浴びせる。たちまち、泡が洗い流されて、眩《まぶ》しく輝く素肌が現われてきた。
しかしまだ、シャワートップからの噴射をやめない。噴射は今、局所に集中されていた。
「あッ」
鋭い声がはじけた。
フードから顔を覗《のぞ》かせたクリトリスに、熱い湯のほとばしりが命中したのであった。
「あッ……あッ……そこ、駄目ええ」
多摩美がのけぞって、切迫した声をあげた。
葉山はそのすてきな見物をいっそう楽しむように、湯の噴射をクリットに集中させる。
「ああ……意地悪……意地悪……意地悪……」
真珠への噴射がつづくうち、多摩美はもはや、眉《まゆ》を寄せ、アクメの表情である。
「うーッ」
突然、変な声をあげて多摩美は葉山のほうに倒れかかってきた。
軽ーく、峠をこえたようであった。
「じゃ、少し休もう。湯にはいるよ」
葉山は浴槽につかって、少し身体を流すと、先にあがって、寝室にむかった。
寝室はルイ王朝風の気どったベッドであった。
このホテル全体が「ブローニュの森」という名前でもわかるように、パリのホテルのような、フランス風の感覚で統一されているので、どこやらシックな印象である。
(このしゃれっ気も、悪くないな。中年オジン族には少し、くすぐったいが、若い女性には受けそう。商売は今は万事、若い女の子の感覚にマッチングさせれば、何事も成功するからな)
葉山は、バスタオルを腰に巻いたままベッドに寝そべって、再び、ホテルハンターの眼《め》で室内を観察していた。
葉山は今年、三十三歳である。気ままな独身だから、自分ではまだ若いつもりだが、世間的にみればもう充分、中年男の部類にはいるのかもしれない。
だが葉山は、オジン族に収まってしまうのは願い下げだと、アスレチックでシェイプアップし、体力を蓄え、夜な夜な、仕事にかこつけて花選びと女体巡礼の旅をつづけているところである。
「お待ちどおさん」
やがて多摩美がバスルームからあがってきた。
彼女はバスタオルを胸に巻いていた。葉山は彼女がベッドに入りやすいように、身体をずらし、
「さ、はいんなさい」
すべり込んできた多摩美の身体を受け止め、葉山はいよいよメーンディッシュに取りかかることにした。
ふたたび、唇を合わせる。キスしながら、バスタオルの結び目をほどく。包みをひらく感じで、はらりとバスタオルを両側にはねると、輝くように眩《まぶ》しい多摩美の白い女体が現われる。
枕許《まくらもと》の灯《あ》かりは調節していた。その灯かりに、乳房の隆起や腰のくびれ、恥丘の丸みや森の繁みなどが、くっきりとした陰影と輪郭《りんかく》をもって、映しだされる。
「何度みてもきれいだね、きみって」
女性は賞《ほ》めるに限る。
賞めながら、葉山は乳房の尖《とが》りたちから下腹部へと、手を移していった。
掌《てのひら》に吸いつくような肌の感触は、微妙。まさに掌で食べるという感じだ。下腹部から秘裂のほうへ進めてゆくと、クレバスはもう爛熟開花《らんじゆくかいか》。シャワータッチ以来、多摩美の愛の泉はずっと溢《あふ》れつづけていたようである。
潤沢なだけではない。女芯《によしん》が充血して、トサカのような固締まりをみせはじめている。
その花唇を指でいつくしんだあと、葉山は谷間の上部の突起物を二指の間にはさみ、はさみながら、押したり、撫でたりした。
「あっ……そこ、いいわ」
多摩美ははっきりと、自分の状態を表現した。
「そこ、そんなふうにされると、またイキそう」
多摩美は、よくイクという言葉を使う女だ。
多摩美とて、葉山とこんなふうに肌を合わせるのは、始終ではないので、せっかくのチャンスには、しっかりと収穫しておきたいのである。
(……女体は何回でも極めることができるから得だな)
葉山はつくづく、そう思う。
指をクリットで活躍させながら、乳房を吸いにゆく。
円錐形《えんすいけい》に盛りあがった乳房の頂点。そこにストロベリーをナイフですぱっと半分に切ってのせたような鮮紅色の乳首を、口に含んだ。
小気味いい弾力があった。乳輪は淡い花紅色。その乳房に白いぶつぶつがいっぱいたまって、昂奮《こうふん》すると、そこから麝香《じやこう》のような匂《にお》いを放ってくる。
おや、と葉山は気づいた。
乳首をきゅうと吸うと、多摩美がのけぞる拍子に、ワギナにずっぷり挿入している指に掴《つか》まれる感じが訪れていた。
もう一度、舐めて、ねぶって、吸ってみた。
「あっ……あっ……あっ……」
確実に膣括約筋《ちつかつやくきん》がきゅっと締まって、上下が連動していることに気づくのであった。
その連係のあやしさと危うさを実感すると、葉山はいつになく若者のように欲情して、猛《たけ》るのを感じた。
「きみのここって、敏感なんだね」
「そうなの……最近とくに。あ、そこッ……」
多摩美の乳房全体が、露出した性器であった。
股間の女の中心に指戯を見舞いながら、乳首を吸いたてたり、裾野《すその》を揉《も》みあげたりすると、多摩美は赤裸々な歓《よろこ》びのさまをさらして、いっこうに恥じない。
葉山は自分の両手に弄《もてあそ》ばれて大胆にうねくる女体を眺めているうち、女の中心に表敬訪問したくなった。
葉山は乳房から白い腹部へと、唇を移していった。
海で灼いてきた割には、多摩美の内股は白くて、なまめかしい。全体に長身で華奢《きやしや》なのだが、太腿にはむっちりとした豊かな肉の弾みと円みがあった。
恥丘はふっくらと発達していて、小気味よく高い。両サイドをトリミングされた恥毛が、それでもまん中にむかって身を寄せあって繁茂していて、艶々。その下の赤い滝のような秘唇は、サーモンピンクに濡れ輝いていて、葉山の舌が訪れるたびに、わななきながら、求めるようにひらいてくる。
葉山はその流れの中に、舌を浸した。
蜜の流れは濃く、とろりとしている。
肉びらを少しこじあけて、舌先を中に捻じこむ。
多摩美の腰がバウンドした。
熟《う》れた果肉をスプーンですくうような具合に、舌で蜜をすくって、上部の真珠にペイントする。
「ああ……ああ……ああ」
何度もペイントするうち、真珠は光りだし、多摩美の腰がゆらめきだした。
「ああ……すてきよ……葉山課長、すてき」
「その課長というのは、やめてくれないか」
「ああ……葉山さん、すてき」
葉山は駆られた。もう少し意地悪なことをしてみようと思った。眼の前で揺れる女の谷間を見ながら、その中に指を埋めてみたくなったのである。
まず中指を秘唇の中に送りこんだ。なめらかに呑《の》みこまれた指は、少し奥で狭隘部《きようあいぶ》に出あって掴《つか》まれ、あッと多摩美がのけぞった。
別の指を添えて秘唇を、左右に拡げた。
まん中に、窓が開く。
鮮紅色の舟形の窓であった。
葉山は駆られて、中指をしずかに、その舟の中に進水させてゆく。
洞窟の狭まったところを通過すると、不意に洞内の広がりに出る。でも、粒立ちの多い側壁や天井がうごめきだして、指をたちまち奥へ吸い込もうとする。
葉山は指先に訪れてくるその感触に駆られた。
惧れをなしながらゆるゆると進水させてゆくにつれ、多摩美は、指戯よりも葉山自身を欲しい、と訴えた。
葉山は、応じることにした。
「多摩美、行くからね」
宣戦布告をしておいて、葉山は位置をとった。
みなぎったものを女芯《によしん》にあてがい、入口をくつろがせておいて、一気にインサートする。
「おおーッ」
多摩美の顎《あご》が反った。両手でシーツを掴んで、わななき、のけぞる。
「きついわあ、葉山さんのって」
多摩美が文句を言った。
「多摩美のも、凄ーくきついよ」
「きついってことは、いいことなのね」
多摩美は両手を男の背中にまわして、抱きしめてくる。
ゆっくりと出没運動を繰り返すうち、多摩美はもう夢心地の表情であった。
多摩美は若いくせに、そこそこ経験派。葉山はその好きものぶりを見抜いて、手塩にかけているのだ。それだけに葉山はストレートの連打に加えて、さまざまに進入角度を変えて、多彩な攻撃をした。
葉山はそうやりながら、多摩美の上体を両手でぐいと抱き寄せ、耳の傍《そば》に唇を寄せた。
「すてきだよ、多摩美って。中に小さな蛇《へび》がいっぱいとぐろを巻いてるみたいだね」
「そうよ。私の中に、私を困らせる小蛇がいっぱいいるのよ。膣の奥に白い小さな小蛇がいっぱいいて、それがいつもとぐろを巻いて、私に男を求めさせるのよ」
(かなりの部分、本当のことだな)
と、葉山は思った。多摩美が葉山の会社にデューダする前、丸の内の商社で上司とオフィスラブをやって、破局に陥ったのも案外、その小蛇たちの仕業かもしれない。
葉山は、その小蛇を突き潰《つぶ》すように、動いた。
佳境に入るにつれ、葉山は乳首に、接吻《せつぷん》をした。
乳首を深く口にくわえ、舌で転がしたり、薙《な》いだり、ねぶるように吸ったりした。
こりこりと、軽く噛《か》んでやったりする。
「あっ……あっ……あっ……」
葉山を包んだ通路の奥で、蜜液がどっとあふれるのがわかった。
そうしてまた、膣壁がうねうねとまとわりついて、絡みつき、吸い込んでいる。
(ああ……たまんないぞ)
守勢一方から攻勢に転じようと、葉山はぱっと、多摩美の片腕をあげさせて、白い腋窩《えきか》を思いっきり空気に晒《さら》した。
「あっ……やめて、それって、くすぐったい……いやあっ……!」
誰でもそこは、死ぬほどくすぐったいところである。
だが、そのくすぐったさが脳天を突き抜けて、男性を容《い》れた中心部の感覚とジョイントしてしまった時、それは悶絶《もんぜつ》するような痛撃となる。
葉山は華やかに乱れまわる多摩美を眺めているうち、不意に多摩美がいとおしくなって、腋窩のいたずらをやめ、唇を合わせにいった。
多摩美がやっと、安心したように応じる。挿入したまま、接吻をつづけた。多摩美の舌はくねった。
葉山は静止していながら、なおも多摩美の奥深くに取りこまれ、収められつづけているような感覚に捉《とら》われてもいる。
葉山のタフボーイを包んだ花びらが熱い。花園の息遣いが感じられた。そこは生きて、女性自身であることを主張していた。
接吻がつづく間も、多摩美の内部は実際、多彩に変化しているようなのである。
葉山は唇を離し、顔を遠ざけて、多摩美の顔をみた。唇が濡れて赤く光っている。眼が閉じられていて眉根《まゆね》が寄り、多摩美は今、果てしない官能の海を漂っていた。
葉山の視線を感じたらしい。
多摩美の、眼が見ひらかれた。
二人の眼が出あった。
葉山はその瞳をじっと覗き込み、
「多摩美、すてきだよ。愛しているよ」
動きを止めたまま、そう言った。
いわば、男の殺し文句であった。
「いやっ。そんなに見ないで」
不意に恥ずかしそうに言って、多摩美は笑った。
甘えと快楽と羞恥がにじんでいた。それから多摩美は、両足を葉山の腰に白い蛇のようにしっかりとからみつけてきた。
多摩美はより一層、密着した動きを望んでいるようであった。
葉山はそれならと、力強い動きを再開した。
ストレートの連打を見舞った。見舞ううち、わッわッと、多摩美は変な声をあげはじめた。
「あッ……あッ……私、もう達しちゃうよう。ごめんなさーい」
ごめんなさーい、と、許しを乞《こ》うように、多摩美はそう訴えた。
葉山も到達が近づいていた。
葉山は自分の状態を告げ、ピッチをあげた。多摩美の口から、わけのわからない声があがった。耐えかねたような声であった。葉山を包んだ女体の部分に、断続的に強い締めつけが起き、その間も声は連続して発せられ、多摩美は泣きだした。女体の奥で、とどろきが起きていた。
多摩美は今、達しつつあるところだった。
その瞬間、葉山も自分を解き放って、久しぶりのリキッドを激しく打ち込んでいた。そのまま、多摩美は顔を横にかくん、と落として死んだように動かなかった。
葉山はしばらくたって降りて、ベッドの下に落ちていたバスタオルを拾い、悠々とシャワーを浴びにいった。
――二十分後、葉山がシャワーを浴びて戻ってくると、多摩美はようやく起きあがって、とろんとした眼で見つめた。
「あら、バス使ってたの?」
「うん、部屋の隅々を点検したりしてね」
「わあ、仕事熱心。で、どう? ここの印象」
「悪くないね。久しぶりの多摩美の身体も、このホテルの印象も、何もかもとても素晴らしい点数だったよ」
「じゃあ、引き受けるのね? 伊豆源からのホテル売却の相談」
「ああ、もちろん引き受けるよ。ここならきっと、すぐに買い手がつくはずだから」
「伊豆源の未亡人に興味津々《きようみしんしん》。それで、張り切ってる。顔にはそう書いてあるけど、違うかしら?」
「ばか。よけいなことに気をまわすもんじゃない」
葉山は、窓のカーテンを引いた。眼下に、赤坂|界隈《かいわい》の夜景がみえる。まだ衰えを見せないネオンの色彩が、晩夏のむし暑い空気に沈んでいるのを見ながら、葉山はふっと、この街のどこかに住んでいる門倉朱鷺子という、あした来る人のことを思った。
第二章 戦略管理の女
翌日、門倉朱鷺子《かどくらときこ》がやってきた。
予想通りの女、というものが、世の中にもしいるとすれば、この女のことだろう、と葉山《はやま》は思った。
すらっとした長身をセルッティの白いサマースーツに包んだ容姿の冴《さ》えた女である。
骨の細そうな細い身体つきのわりには、胸や腰回りが妙に肉感的である。すっきりと透明感のある、目鼻立ちの深い顔立ちには、どこやら、憂愁、または哀愁といった翳《かげ》りが滲《にじ》んでいる。
葉山が、予想通りの女、と思ったのは、以前に二度ほど、遠くから見ていた記憶が、下地になっているからかもしれない。
それにしても伊豆源の女社長、門倉朱鷺子は、これまでに葉山が会ったどんな女とも、タイプが違っていた。
ホテル戦争の熾烈《しれつ》なビジネス社会を生き抜いている男や女は、一般にホテルマンといわれるスマートさの中にも、しぶとい打算家が多い。反対に街裏のラブホテルや料亭経営者というのは、みるからに高利貸の女のように太った女が多い。そうでなければ銀座のクラブのママふうの、媚《こ》びのある垢《あか》ぬけしすぎた女である。
ところが、門倉朱鷺子は、まるでそのいずれにもあてはまらず、ふつうのそこらの人妻という印象。でももう未亡人だから、人妻というのはおかしいが、要するにふつうの堅気の淑女という印象なのである。
受付から電話がはいって、ほどなくオフィスのドアがひらいて、
「こんにちは。伊豆源の門倉ですが」
と、朱鷺子が顔をだした時、葉山は一瞬のうちに以上のような印象を抱いたのであった。
「葉山です。むさくるしいところですが、どうぞ」
葉山は朱鷺子を、応接室に案内した。
朱鷺子はソファに坐《すわ》った。
葉山はむかいに坐って、
「電話でお伺いしましたが、伊豆源さんはあの乃木坂のホテルをお売りになるんですか」
「ええ。事情がございまして、どなたか買い手がつくようでしたら、処分したいと思っております」
「もったいないですね。赤坂の高台ホテルとして若い人たちに人気があって、営業成績もいい。手放すよりは、まだ営業なさってたほうが儲《もう》けになると思いますが」
「それはそうなんですけど、ちょっと込み入った事情がございまして」
朱鷺子のいう事情というのは、葉山にもわかっている。
今年の二月に亡くなった朱鷺子の夫、専太郎は事業家仲間にのせられて、群馬県のゴルフ場開発に乗りだすために、銀行から数百億円の資金を導入して造成に取りかかっていたが、そのゴルフ場がバブル経済の崩壊で詐欺同然にあい失敗。株でも暴落などで大損をし、そのごたごたのさなかに肝臓ガンで三十代の若さで、いわば突然死≠オたので、巨額の借金が朱鷺子の肩に残っているそうである。
そう思うせいか、朱鷺子の面影はどこやら昼顔か夕顔のような一抹《いちまつ》の淋しさと儚《はかな》さが匂っていて、思わず助けてやりたくなるような女である。
「で、いつまでに?」
「はい。相手様もいらっしゃることでしょうから、いつまでにという期限は切りませんが、できれば早くお願いしたいんですけど」
「わかりました。心当たりのクライアントに大至急、あたってみましょう」
「お願いいたします」
朱鷺子はそう言って、頭を下げた。
「いえいえ、こちらも商売ですから、売買総額の三パーセントの手数料をいただくわけですから、儲けさせていただきます」
ホテルビジネスは、一般の不動産ビジネスよりも、一件あたりが巨額なので、うま味がある。早い話、二つの企業間で一つのホテルが土地代ぐるみ五十億円で取引されれば、法定手数料だけでも、千五百万円の斡旋料が葉山のところに転がりこむのである。
ところで、朱鷺子は背が高く、足が長い。その長い脚を揃《そろ》えて斜めに傾けているが、ソファの椅子《いす》は低い。セルッティの服は、スカートが短めだった。
どうしてもミニスカートの裾《すそ》から、朱鷺子のまぶしい膝小僧《ひざこぞう》や太腿がはみだす。どうかすると、葉山の位置から朱鷺子の太腿の奥までが、はっきり見えたりして、葉山は目のやり場がないのであった。
(未亡人といっても、あれで結構、男狂いしているみたい。健太郎という義弟のコンピュータ技師と、密通しあう仲だという噂を聞いたわ……)
今日になって、牧園多摩美《まきぞのたまみ》がそんな情報を仕入れてきて、葉山に耳打ちしてくれた。
義弟なら不倫の中でも一番、濃密で爛《ただ》れた性的関係を想像させる。この美しい未亡人が、喪服のまま亡夫の遺影の前で、義弟と絡みあっている姿を想像すると、葉山は心穏やかではなかった。
単純な、嫉妬《しつと》ではない。不義への不潔感でもない。いやそれより、朱鷺子という女をかえって生身の女として赤裸々に考えることができ、葉山の胸は妖《あや》しく高鳴るのである。
正直いって、朱鷺子をその蒼っ白い義弟なんかから奪ってやりたいと思った。奪って、強引に抱きしめてやりたいとさえ思うのである。
(それにしても、そそるなあ。あの膝の奥、どんな秘められたフリルの色をしているのか、どんな女体をしているのか)
葉山がそんなよからぬ妄想を逞《たくま》しくしていると、耳に朱鷺子の声が響いた。
「ところで、葉山さんのようなお仕事って、珍しいですわね。ホテル買います、というビジネスが日本に成立しているとは知りませんでしたわ」
「多分、うちが最初でしょうね。これからはふえますよ」
「儲かるんですか?」
「ええ、お客さんは多いですよ。何しろ、未曽有《みぞう》のホテルブームというのは、裏返すとそれだけ、競争が激しく、敗北して転廃業する業者も多いというわけですからね。反対に、異業種からの参入もどんどんふえていますから」
たしかにこのところ、新宿の超高層ビル街や赤坂界隈に、巨大ホテルが乱立し、ベイ・シティ開発が進んで以来、第三次とか第四次ホテルブームといわれつづけている。
ブームというのは、裏返すとホテル戦争である。
戦後、日本のホテル業界には、二回の目立つブームがあった。第一次は昭和三十九年の東京オリンピックを機会に巻き起こったホテル建設ラッシュである。高度経済成長の入口にさしかかった日本経済が、東京オリンピックの開催で一大飛躍を計ろうとしている時であった。
都心部には外人観光客を目あてに、大型ホテルが相次いで誕生した。ある意味ではこれでやっと、戦後の荒廃から立ち直って、東京も一応の国際都市になったわけである。
第二次ホテルブームは、昭和四十五年の大阪万博をきっかけに発生した。オリンピックが東京を中心に大型ホテルが続々と誕生したのに対し、今度は大阪や神戸など、関西でのホテルブームと、東京の大型ホテルやビジネスホテルのチェーン化が、全国的にはじまったのである。
画期的なこの二つのホテルブームが去った後、今またケタ違いのブームが起きている。一九八〇年代の半ばから起きている今回の特徴は、第一次、第二次ブームに比べて大きく様相を異にしている点があって、それは、一次二次のような東京オリンピックや万博といった国家的イベントが、第三次ホテルブームではどこにも見当たらないことである。
東京の中心地、銀座方面から赤坂や新宿、六本木界隈でそれは顕著である。首都高速四号線を走り、赤坂見附にむかうと、いやでも何本もの超高層ビルが左右の視界に飛び込んでくる。いうまでもなく、それはいずれもホテルで、赤坂プリンスホテルだったり、ホテルニューオータニだったり、赤坂東急ホテルであったり、少し離れて六本木方向の高台に、地上三十六階、九百七室の大型都市ホテルとして誕生した東京全日空ホテルだったり……と、赤坂界隈はまさに超巨大ホテル街である。
これと同じことが、新宿の超高層ビル街にもいえるし、ウォーターフロント開発とともに脚光をあびるディズニーランド周辺のベイエリアホテル群や横浜周辺にもいえる。
更には、大阪、神戸、福岡……と、全国のあらゆるところで、ホテルラッシュが続き、今や日本経済の大型化、活性化のシンボルと見られるくらいである。
この背景には、東京が世界の金融センターとなり、世界経済の大動脈となって外国人ビジネスマンや観光客がたくさん訪れるようになったことは当然だが、それよりも若者のホテル志向、一般中流家庭での贅沢志向によるホテルの利用、そうしてリゾートブームや余暇支出の増加など、国民の高級感志向も大きな比重を占めているといわれる。
しかし、ホテルはどこも儲けているかといえば、必ずしもそうでもない。この数年の過熱するホテルブームでは、従来のホテル資本だけではなく、航空会社、電鉄、生命保険、損害保険会社、さらには不動産業界からと、巨大なエネルギーをもつ異業種からの参入が多く、いわば、華やかな裏で苛烈な生き残り戦争がはじまっているわけである。
経営的にみても、ホテル事業は多くの資金を借り入れて起こす借金産業である。とくに今の日本のように、土地代がばか高値の条件下にあっては、自己所有地に建てるならともかく、新たに土地を買収してから始めるには、とてつもない資本力が必要であり、当然、金融機関からの借り入れコースとなる。
そうなると、金利負担率が高いために、そこそこの経常利益を収めても収益率は極めて低く、赤字経営が多く、相次いで誕生する高級大型ホテルに客を奪われて、その裏で次々に倒産する中小ホテルや旅館も多くなっているのである。
表むき、営業がつづいていて、外からは変わっていないようだが、実は経営者がどんどん代変わりする赤字ホテルもある。
景気のいい巨大ホテル企業は、全国的チェーン化をすすめるため、傘下に収める斜陽ホテルを買収しようと鵜《う》の目鷹《たか》の目で、探している。
それほど大型の買収ではなくても、ビジネスホテルやラブホテル、日本旅館なども「売り」に出る物件は多いし、「買いたし」という需要は多いし、従って葉山の会社のようなホテル専門の不動産会社、いわゆるホテルビジネスも、これからはますます繁昌しそうなのである。
葉山は、朱鷺子に質問されるまま、そういう話をした。
「じゃあ、うちのホテルは古いんですけど、大丈夫でしょうか?」
「なあに、売れますよ。ゆうべ、なかも拝見させていただきましたが、稼動率は高い。立地もいいし、あれだけのホテルですから、そりゃあもう、充分、成算はあります。ただし、相当な金額になりますから、よほど、財力なり経済力のしっかりしたホテル企業でないと、おいそれと買えやしないでしょうね」
「そういう買い手、いらっしゃいますでしょうか」
「探してみます。今もお話しましたように、今やホテル企業だけではなく、一部上場の鉄鋼や化学やファッション業界までが、リゾート開発やラブホテル経営に乗りだしているご時勢ですからね」
「まあ、そういう企業までが……」
驚く朱鷺子の瞳を見ながら、おれは近々、いい買い手をみつけて、必ずこの女を誘ってみせるぞ、と葉山は思った。
それに葉山は、この伊豆源の未亡人社長は、乃木坂ホテルだけではなく、廃業した料亭跡地に住んでいることも思いだし、そちらも扱ってみたいな、と秘かに思っている。
葉山は朱鷺子と交渉をつづけた。
「ところで、料亭『玉樹』の跡地のほうは、どうなさるのです?」
「あそこもいずれ、処分しようかと思っております。今は本館を私たちの住まいにしてるだけで、もう営業はしてませんから」
「そうですか。何なら一緒に、私どものほうでお預かりしましょうか」
「ええ、おたくで買い手を探していただければ、助かります」
「わかりました。じゃ、この委任状にサインをお願いいたします」
葉山は、伊豆源所有の乃木坂のホテルと、料亭の、委託売買に関する簡単な覚書を双方で取り交わした。
「で……そうなると、奥さんたちはこれから、どうなさるおつもりなんですか?」
「東京を撤退いたします」
「はあ。なるほど」
思いがけない返事であった。
「東京の資産をすべて処分して、夫が銀行から借り入れていた巨額債務を整理し終えしだい、私、伊豆に帰るつもりなんです」
「なるほど、伊豆ですか」
もともと株式会社「伊豆源」は、伊豆・修善寺温泉の古い旅館「天城翠明館」から発展した総合観光業と聞いている。近年、東京に進出して赤坂・乃木坂にあるホテル「ブローニュの森」を経営したり、檜町の料亭「玉樹」を買収して経営にのりだすなど、朱鷺子の夫が派手に事業を拡張していたが、その夫がゴルフ場で躓《つまず》き、その上、逝去したとあっては、伊豆に戻るのも仕方がないかもしれない。
しかし、それにしても葉山は、朱鷺子の身の上に一抹の哀切さを感じる。この若さで伊豆の天城峠の近くに引っ込んでしまったら、朱鷺子にはもはや、華やかな再婚とか、女としての自由な人生とかは、閉じられてしまうのではないか。
そう思うと葉山は、自分の力ででも、朱鷺子を東京に引き止めたいとさえ思った。
その時、ドアがあいて多摩美が顔を出し、
「課長、東京アパレルさんからお電話です」
「あ、こちらにまわしてくれ」
そう言って葉山が立ちあがると、
「じゃ私、これで失礼します」
朱鷺子がソファから立ちあがっていた。
「あ、もうお帰りですか」
「はい。用事もございますから」
「そうですか。それじゃ近日中に、買い手が見つかり次第、またご連絡します」
「くれぐれもよろしくお願いいたします」
朱鷺子が出ていったあと、葉山は応接室の受話器をとりあげた。
電話は、東京アパレルの企画開発課長、秋山涼子《あきやまりようこ》からであった。日本を代表するファッション企業である同社では、戦略管理部門の一環として、ラブホテル経営に乗りだすそうで、先月末、葉山はその相談を受けていた。
「例の件、いかがでしょうか」
「はい。早速、手頃《てごろ》な物件をとり揃《そろ》えております。今夜にでも、ご案内しましょうか?」
「今夜はちょっと、会議があって駄目なのよ。あしたにしてくれる?」
「明晩ですか。けっこうでございます」
「やあ、お待たせしました」
朱鷺子と会ったあくる日の夕方六時、葉山は渋谷区道玄坂の喫茶店で、大手アパレルメーカーの企画開発課長、秋山涼子と落ちあった。
秋山涼子は、今をときめく女性課長である。それもファッション業界の最先端にいるインテリ才媛であった。
葉山が電話で示しあわせて涼子と落ちあったのは、ただのデートやツーショットのためではない。涼子は今、東京アパレルが買収して開設しようとしている三軒のラブホテル経営の責任者であり、今日はその「物色」と「下見」であった。
「じゃ、参りましょうか」
「物件は、この近くなの?」
「ええ、そこの路地をはいって少し坂をのぼった円山町にあります」
「ラブホテルの玄関をはいる時、私、どんな顔をすればいいの?」
「ふつうの顔でいいんじゃないでしょうかね。買収企業の全権大使というよりは、ぼくの恋人、という顔をしたほうがいいと思いますよ」
「腕を組んで……?」
「そうそう。先方には今夜、買収しようとする大手アパレル企業の企画開発課長が、物件を下見にくる、とは伝えていませんから」
「そうね。そのほうが私も気が楽だわ」
二人は喫茶店を出て、路地に入った。
午後、少し雨が降ったので、路地のアスファルトが雨に濡れていた。そのアスファルトに、ラブホテルのネオンが反射している。
坂を少し登って、円山町の一角に来た時、
「課長、ここです」
葉山慎介《しんすけ》はそう言うと、腕を組んでいた秋山涼子を誘って、ラブホテルの玄関をくぐった。
「あ、ここなの」
心の覚悟はつけていたとはいえ、秋山涼子はためらいの色をみせた。東京アパレルのエリートコースを歩む女課長とはいえ、まだ芳紀二十七歳の独身である。
「わたし、こんなところに入るの、初めてよ」
物珍しそうにルーム・パネルを眺める表情にも、不安と好奇心がのぞいている。
「これからのマドンナ課長の戦場を、この際、しっかり見ておくべきですね」
葉山は、クールに言いおいてフロントでキイをもらうと、涼子を促してエレベーターに乗った。
四階で降りる。廊下を歩いていると、幾つかの部屋から、それとわかる男女の喘《あえ》ぎ声や女性のよがり声が聞こえてきた。
涼子は顔をまっ赤に染める。
「やーね、あの声。ジャングルの中の動物たちみたい」
「ファッションホテルって、すてきな人間動物園ですよ。だから、面白い」
(なに、この女課長だって、今にあれ以上の声をだすんだよ)
部屋にはいって、ドアを閉めた。
「仕事始めに、キスして」
涼子は顔を上むけて、眼を閉じた。
葉山は軽くキスを見舞ったあと、
「ラブホテルに入るの、本当に初めてですか?」
「ええ、そうよ。だから、ドキドキしちゃう」
「そんな若い女課長に、ラブホテル分野の経営戦略を切り開かせようというんだから、東京アパレルも無茶苦茶というか、凄い会社ですね」
「初めてだからこそ、いいんじゃない。女性の素直な感性と感覚を生かすことができるもの」
「で、ここの感想はいかがです?」
「わあ、ラブホテルって、こうなってるの。まるでお伽話《とぎばなし》の部屋みたい」
改めて、鏡張りの壁や、豪華なシャンデリアや回転式の円型ベッドなどを、物珍しそうに眺めているのも、満更、演技ではないようである。
「男と寝るのは、初めてじゃないでしょ?」
キスしながら、囁《ささや》くように聞いた。
涼子は黙っていた。
葉山は涼子をベッドに抱えあげて、寝かせた。
改めてキスをしながら、スカートの中に手を入れると、涼子がその手を上から押さえた。
「ラブホテルに入ったら、みんなすぐにこんなことをするの?」
「それは色々ですね。風呂を使う人、ビールを飲む人、いきなり熱戦をくりひろげるカップルもいる。ぼくはあなたのカトリーヌにちゃんと表敬訪問したい。そのほうが、あなたも恋人とラブホテルに入った気分で物件を評価できると思います」
葉山はずるい口実を設けながら、スカートの下の手をもう谷間に届かせている。ショーツの隙間から指がくぐりこむと、
「あン……」
押さえていた涼子の手から、力が抜けた。ラビアにはぬめりがあって、潤みだしている。
「到着早々だなんて、あんまりだわ」
「課長があまりにもすてきなキャリア・ガールだったからですよ。道玄坂の喫茶店で会った瞬間から、ぼくはもう課長の、ここに触りたかった」
葉山は、自分がいかにも助平男であるかのように、振舞った。そのほうが、涼子のような女は、案外、気軽に身も心も、開いてくれそうである。
そうしてそれはまた、仕事なのだ。今夜、この女課長がここで享受する至福感が深ければ深いほど、このラブホテルに対して好印象をもって、高く買ってくれるだろう。
ホテルハンター葉山慎介の仕事には、二つの相反する役目がある。それはホテルを買い付ける役目と、売りつける役目とである。
自社開発ではなく、純然たる仲介業務の場合なら、なおさらその二つの要素があるわけであった。
ひとしきり、葉山が指戯を見舞ううち、
「お願い。お風呂に入らせて。わたし……身体をきれいにしてきたいわ……」
津田塾出の芳紀二十七歳のエリート課長は、男を受け入れる前の女性としての当然の身だしなみを、忘れてはいなかった。
ベッドに押し伏せられて、秘部に指を使われて、涼子はもう顔をまっ赤に上気させて喘《あえ》いでいたが、さすがにそのまま一直線――とは参らない。
「じゃ、そうしましょうか」
葉山は、スカートの下からくぐらせていた手を退却させた。そうして、その指先を自分の鼻の先にもっていった。
クンクンと、犬のように臭いを嗅《か》ぐ。
「ああ、とてもいい匂《にお》いですね。課長のって」
意味がわかったらしく、涼子は、
「下品……!」
額を、指でパチンとはじかれた。
怒って、浴室のほうに歩いていった。
バスルームと寝室を仕切るドアは、ガラス一枚である。そこに入ったところで、涼子は悪びれずに脱ぎはじめた。
企画開発課長になるまでは、新製品課でファッションショーなどもプロモートしてきたので、女が人前で脱ぐことに、ためらいも、悪びれもないのだろう。
ファッションの仕事は、女性をまず脱がせることからはじまる。
脱がせた身体に新しい衣裳《いしよう》を着させなければ、商売は成立しない。
涼子は最後に、かがんで足の先から丸めたパンティを取りあげる時、ヒップを葉山のほうにむけたので、その谷間に赤い秘唇がはっきりと見えた。
(うーん、そそるなあ)
葉山はたちまち、凜然《りんぜん》となった。すぐにでもあの谷間のカトリーヌのどまん中を訪問したい、と思った。
「ぼくも行きますよ」
葉山は声をかけておいて、浴室に入って身につけていたものを全部、脱いだ。
涼子はもうバスタブに湯を張り、身体を洗って浴槽にはいるところだった。
背中の線がすっきりしていた。
葉山はタオルを持って浴室に入った。別段、前を隠しているわけではなかったので、
「わあ、レディの前なのに」
葉山の尊厳が、早くもいきり立っているのをみて、涼子が恥ずかしそうに横をむいた。
「顔をそらすこともないでしょうに」
「だって失礼よ。そんなの、見せるなんて」
「あなたのような素敵な女性をみると、男は誰だって、こうなるんですよ」
葉山は、身体にお湯をかけた。涼子が時折、盗み見しているのを感じた。葉山は楽しくなって、わざとハレンチに豪根を洗った。
「まあ、男の人がそこを泡に包んで洗いたてるなんて、はじめて見るわ」
そう言われると、ますますごしごしと洗いたてたくなる。葉山のタフボーイは泡を蹴散らして雄々しく跳ね躍った。
喰《く》い入るように見つめるエリート女課長の眼に、きらめきの強い光が生まれ、好色さが滲《にじ》んだ。
「サンフランシスコのダウンタウンで見た男性のライブショーを思いだすわ」
「それはきっと、黒人のでしょ」
「でも、葉山さんのほうが、もっと凄い」
簡単に泡を流して、バスタブに入る。涼子は葉山のために身体をずらして空間を作った。
葉山はむかいあって身体を沈め、手をのばして乳房を掌《てのひら》の中に入れた。
張りのある乳房だ。乳首も小さく尖《とが》っている。乳首と乳輪はピンク色である。
(買収候補のホテルを下見にゆく、という約束の中に、こういうことまで入ってるなんて、涼子は最初から考えていただろうか?)
葉山はちらとそれを考えてみた。
(もしかしたら、この頭のいい女課長はそれを秘《ひそ》かに想像し、期待してたのかもしれない)
葉山は、勝手に、そう思うことにした。
葉山は乳房に置いていた手を下にずらした。茂みに手が触れる。柔らかい茂みが藻のように指にからみつく。
その茂みの下を指がすくう。
お湯の中で、涼子は濡れていた。
「ああン……またまた」
涼子がうるんだ眼で睨《にら》みつける。
葉山の指が濡れたクレバスに進入しようとした時、涼子は勢いよく立ちあがった。
お湯がまともに葉山の顔にかかった。
「お先に洗わせていただくわね」
大きなヒップをゆすって浴槽のふちをまたいで外に出、洗いはじめた。
涼子はいいプロポーションをしていた。餅肌《もちはだ》というのだろうか。皮下脂肪が適度に豊かにのった白い下腹部に、漆黒のヘアが艶々と盛りあがっている。
両サイドを脱毛したり、トリミングしたりしていないところが、実にいい。
涼子は洗い場でむこう向きになって、身体を洗っていたが、時折、葉山のほうからもその全身がみえる。
「それにしても東京アパレル、どうしてラブホテルなんかを経営する気になったんです?」
「長期的には、未来戦略。短期的には、アンテナショップという意味あいよ」
秋山涼子は、明解に、そう答えた。
「へえ、アンテナショップ、ねえ」
「そうよ。企業は常に新しい製品を開発した時、その売れゆきを見たがるものよ。ふつうは市場調査というんだけど、数字のそれより、もっとナマの情報を掴《つか》むためには、どうしても自前で店を開いて、どういうものが、どう売れているかを掌握するのよ。それをアンテナショップというでしょ」
「ええ、それはわかるけど、ラブホテルがどうしてアパレル企業のアンテナショップになるんです?」
「だって、ラブホテルって愛の戦場でしょ。女はここでみんな脱ぐのよ。お洋服からスリップ、ブラジャー、パンティ、ストッキングまでみんな。ね、アパレルにとっては恰好《かつこう》の市場調査の戦場になるでしょう」
なるほど、と葉山は唸《うな》った。
恋をする女性が、男とホテルインする時、どんなランジェリーを着ているか。どんなストッキングやスリップをつけているか。男とデート・インする時の女性心理のもろもろを、ラブホテルという密室の中では、赤裸々に研究することができるわけである。
「しかしそれだと、市場調査担当者は、ホテルの中で窺《のぞ》き見でもするんですか?」
「アンテナショップに関してはね。もしかしたらマジックミラーや、ビデオカメラで、観察するシステムを作るかもしれないわ」
(それは、強烈。そうとも知らずに這入《はい》るカップルたちは丸ハダカにされっちまうぞ)
と、葉山は思った。もっとも、それぐらいで驚くことはないのかもしれない。今や個人に関するデータはすべて、銀行やデパートや税務署のコンピュータに、インプットされている時代である。
東京アパレルは資本金約三百億円。年間売上額約三千三百億円と、日本有数の繊維企業である。アパレルとは「衣服」という英語の通り、婦人服の高級ファッションだけではなく、紳士服、肌着、ランジェリー、ファンデーションまで、あらゆる「身につけるもの」を生産・販売している。
それが、「脱がす」場所を経営する。面白い着想といえた。東京アパレルが渋谷・道玄坂|界隈《かいわい》にラブホテルを数軒、経営したいというのは、当面、ヤングの身の下事情を掴むためかもしれなかった。
「お先にあがってますよ」
葉山は風呂からあがると、寝室に入った。
冷蔵庫から缶《かん》ビールを取りだす。大きな円型回転ベッドの上にあがると、あぐらを組んで缶ビールのタブをむしった。
腰にバスタオルをかけただけ。気持ちがいい。ふた口ばかり、缶ビールを飲んでいる時、涼子が風呂からあがってきた。
「あら、ずい分、大きなベッドね」
「あなたがどんなに暴れても、落っこちないように」
「まあ、私、寝相はいいほうですけど」
「寝相はよくても、あの時に限って、大暴れする人がいるんですよね」
「私をまだ、試していないくせに」
涼子はベッドにあがって、裸身を葉山の背中合わせにした。そうやっていると、仄明《ほのあか》るい照明の中の二人が、四壁の鏡に映しだされて、二匹の深海魚のよう。
「あら、鏡に映ってるわ……!」
弾む涼子を無視して、
「ところで、東京アパレルがラブホテルを経営する理由がもう一つある、と話していましたね。たしか未来戦略とか」
「ええ、そうよ。私ね、二十一世紀は官能産業の時代だと、社内会議で提案して、重役たちに大いに認められたの」
「なるほど、官能産業ね」
「官能というのを、セックスだけに限定して考えないで下さい」
「わかっています。眼で楽しむ、舌で味わう、耳で楽しむ、五官で感じる。何か気持ちいい生き方をしたい、すべてこれ、官能ですよね。スポーツ、音楽、グルメ、車、釣り、ゴルフ、リゾート、ファッション……すべてこれ、官能産業だと思います」
「ええ、そう。わかってらっしゃるのね。社会が成熟して、食べることにも経済的にも困らなくなったら、人間はどう快適に生きるかが最大関心事になります。何かもっと気持ちいい――ことないか。面白いことないか。そういう快適充足型産業こそ、二十一世紀の成長産業になると思っています」
「ごもっとも」
葉山は相づちを打った。
「なかでもセックスはやはり、気持ちいい――ことの王者。官能産業の王者ですよね」
「そう思います。アダルトビデオでさえ、もうちゃんと市民権を得ている。で、わが社でも積極的に未来を先取りするため、新しいスタイルのラブホテルを企画経営しようということになったのよ」
その先端分野に投入された秋山涼子は、とりあえず既存のラブホテルを買収して、内幕や経営ノウハウを勉強しがてら、これからの成長部門を展開しようということのようだ。
「ね、私にも飲ませて」
涼子が眼を閉じて顔を上むけた。
葉山はビールを口移しに飲ませた。口移しが濃密キスになり、二人は全裸のままベッドにもつれあって行為にはいった。
葉山はくちづけをかわしながら、涼子の乳房をみっしりと揉《も》んだ。
「ああーん」
涼子の喉《のど》が湿った音をたてた。
揉むうち、掌《てのひら》の中に乳首が固く起きあがってきて、こりっとあたる。その苺《いちご》のような乳首を口にふくんで吸いたてながら、葉山の右手はすべすべした下腹部へとむかう。
指先でこんもりと盛りあがった陰阜《いんぷ》の森を分けて、突起に触れた。そこはまだ岩のはざまにじっと息をひそめている真珠のように、硬起する前の粒であった。が、瞬間、涼子は身を震わして、びっくりするくらいの声をあげた。
「ああーン……!」
という呻《うめ》き声は、クリットに電流を感じて膣奥《ちつおく》へスパークしたような呻き声であった。
葉山はクリットを捏《こ》ねまわした。たちまち、そこは蜜液を噴きはじめた。
葉山は、中指を女体に挿入した。指に、しめつけられる感じが訪れた。
秘孔があわびのように閉まるのである。
女課長の女体の構造としては、通路の真上の部分は天井が低くなっていて、指でさえも挿入感が窮屈である。葉山の豪根だったら、もっと窮屈かもしれない。その奥にすべりこませると、途端に、指の第二関節のあたりに、キュッキュッと、締めつけられる感じがつづく。
その感じを楽しみながら、乳房にくちづけをし、乳首を吸った。
吸いながら、クリットを集中攻撃した。
「そんなことされると、たまんないわ」
涼子は苦しそうに腰をバウンドさせた。
「あッ……洩《も》れそう」
洩れそうというのは、小水のことではなく、豊潤な愛液のことのようである。
事実、葉山の掌の中に、ビューッと愛液が噴きだすのがわかった。小さな汐吹《しおふ》きのよう。それは指が、膣の中の底部のある一点をこする時に、出るようであった。
指はたちまち、ねとつきに掴まれた。どうかすると、鮎が水辺で跳ねるような音をたてた。
「ヤンヤン……私ばっかり」
汐を吹く女課長・涼子の手が動いて、おずおずと葉山の男性の中心を探りにきた。
すぐにみつけて、握りしめる。凜然《りんぜん》と聳《そび》えたっているものの形状を握りしめて、
「ああ……すてき」
熱い吐息をはいた。
「こんなのが、私の中にはいるの?」
女課長は処女のようなことを言った。
「はいりますよ。神様がちゃんとお作りになっているんですから」
「こわーい。私しばらくしてないんだもの」
「男は体験してると言ってたじゃありませんか」
「あるけど、……その男とは二年前に別れてさあ……ずっと、してないのよ」
それは本当のようである。
会社ではエリートコースまっしぐらの芳紀二十七歳の才媛《さいえん》課長は、どうやら、二年間も男ひでりだったようである。
(それなら、今夜はしっかり男を満喫させてやろう)
葉山は面白いことを思いついた。
「ね、立ってごらん」
愛撫している涼子に言う。
「え? どうするの?」
「あなたを鏡の中のイブにしたい」
大きな回転ベッドの周りは、すべて鏡張りであった。そこに、もつれあった二人の裸身が映っている。
涼子は言われた通り、ベッドに立ちあがって傍の壁に背をたてた。
「そう。それでいいからね」
葉山は立ちあがってその裸身を抱いた。
涼子の身体は鏡の世界のアリスのように、鏡の中にすっぽりと入ってゆきそう。葉山はその耳朶《みみたぶ》に接吻《せつぷん》をしながら、
「あなたは女王様になったように、ぼくの肩に両手を置いて、どんどん下に押しつけて下さい」
涼子はその肩を下にむかって押しつけてきた。
葉山は押されるままに、しだいに身体を沈め、目の前にくるものを次々にくちづけをする。涼子の胸、乳首、鳩尾《みぞおち》、腹、そして身体の正中線に沿って、へそ、つやつやとした光沢をもった下腹部の茂みへ――。
ついに涼子が脚を開き、葉山は跪《ひざまず》いた。その鼻先に涼子が、自分の女性自身をすりつけてくる。
葉山は両手で茂みを分け、熱い流れのなかに舌をさしいれた。みるみる起きあがってきた肉|百合《ゆり》の芽に舌先をそそいで、ねちっこく愛撫する。
「ああン……!」
大きな声をあげ、頭をのけぞらせながら、涼子が葉山の頭をわしづかみにした。
涼子の恥毛は濃密なほうである。
その部分を舌でかき分け、花びらを舐《な》めつづける。そこからむうっと女臭が匂《にお》う。
蜜はますます噴きはじめる。舌先で蜜液をすくい、過敏な百合の芽にコーティングする。
「あッ……そんなことをしては、や、や」
女課長は鏡の中でもだえて、葉山の頭をわしづかみにして、ますます亀裂をこすりつけてきた。
「ああ……私って、どうしてこんないやらしいことをしているのかしら」
女課長は自分の振舞いが恥ずかしいようだ。
「ね、お願い……もう欲しいわ」
「欲しいって……何が?」
「意地悪。わかってるくせに」
「わからないよ。言ってくれなくちゃ」
「いやいや……言わせないで」
そう言いながら、女課長はますます腰をこすりつけてくる。
そのたびに葉山の舌は流れを深く吸い、クリットを舐めることになったが、窒息しそうでもある。
「おおっ、おおっ……」
船のように揺れる涼子の腰をみながら、葉山は頃合《ころあい》だと思った。鏡にもたれていた涼子をベッドに寝かせ直し、両下肢を大きく分ける。
正常位である。繋《つな》ぐ位置をとって、葉山は怒張《どちよう》したものを涼子の花びらにあてた。
はじめは、先端のふとい部分で訪れる。
女課長の濡れた蜜口に、葉山はグランスを押しつけて、扉をこじあける。
少し埋めたところで、膣口《ちつぐち》を捏《こ》ねまわし、すっと引く。タッチするだけでいっこうに進入してこないタフボーイにじれて、涼子は文句を言った。
「いや……いや……いやーん」
収めると、葉山はゆっくりと往復させた。奥壁に衝突するたび、
「あわ……あわ……あわ……」
涼子はのけぞりながら、シーツをひっつかんで、上ずる。
涼子の構造部分は、入口の狭まったところを突き抜けた奥が、割合ゆるやかながらもバター壺《つぼ》を溶かしたようになっていて、熱くて蕩《とろ》けそう。
その中をつらぬいて、ゆっくりと深浅の法を行うにつれ、子宮がせりだしてきて、ぐるぐるっと、先端があたる時があった。
不思議なことに、男性自身の先端が瘤《こぶ》にあたる瞬間、それとは別に、膣口部がキンチャクのようにきつく締まるのであった。
それはちょうど、奥を突っつかれた軟体動物が、あわてて入口の蓋《ふた》を閉じるのに似ていた。
そのため、膣内を出没するタフボーイは、奥の広いところでは泳がされるが、退路を断たれて、出入口を塞《ふさ》がれる感じ。
(なかなかの名器じゃないか)
葉山はインテリ才女を見直したくらいだ。
涼子は、女性自身が名器というだけではなく、よがり顔もまた美しい。快美感が深まると女性はふつう、眉間《みけん》の皺《しわ》が深まって般若の面のようになるが、涼子は上品なうっとり顔。その至福の表情は時に、月光菩薩《がつこうぼさつ》か吉祥天女をさえ思わせる恍惚《こうこつ》フェースなのであった。
葉山はかりそめのいとおしさにかられて、両手で力いっぱい抱きしめ、涼子の白い頸《くび》すじにキスをした。首すじの髪の後れ毛のあたりが、女の中心部の秘毛のはえ具合にも似ていて、そそられたからである。
タフボーイを収めたまま、一番敏感な耳の後ろに唇をあてられたものだから、
「あッ……や、や、やーだッ!」
涼子はのけぞって、死ぬような快美感を訴えた。
葉山は興にのって、唇を首すじから耳に移した。耳朶《みみたぶ》を口に含んでねぶり、耳の穴の中に舌をとがらせて捻じ込んだ。
「わーッ」
涼子は変な声をあげて達した。でもその達し方は、クライマックスというわけではない。傍ら葉山は収めているタフボーイで、ゆるやかに女の中心部を攻めたてながら、花びらをずんと突いた。
あーん、と涼子は佳境に入ってゆく。
「加堂社長のと比べて、どう?」
いきなり聞いたものだから、
「え?」
葉山のそそり立ちを収めたまま、涼子はびっくりしたような顔をした。
「まあ、葉山さんったら」
「ねえ、そうでしょう。秋山涼子さんって、加堂社長の信任が厚い、という噂をどこかで聞いたことがありますけど」
「勘、鋭いわね。そこまで知られてるのなら、白状するわ。私、加堂社長の愛人なの」
涼子はむしろ、誇らしげにそう言った。自分の実力を誇示したい時の口調のようであった。
「へええ……やっぱり、ねえ」
推測はどうやら、あたったようだ。
「私、色恋よりも前に社長を尊敬しているの。一介の町工場のような繊維メーカーから日本のアパレル産業を代表する企業にまで発展させた加堂社長の功績、偉大だと思うのよ。それで、尊敬が愛にかわって、社長とはよく食事したり、出張旅行をつきあったりする仲なんだけど……でもね、加堂社長って、男の機能はほとんど駄目なの。それで私、いつも男ひでり」
涼子はそう言って、しあわせそうに腰をうごめかせる。
その時、葉山はいいことを思いついた。
この女、秋山涼子が東京アパレルの企画開発課長であるだけではなく、加堂社長の愛人なら、かなり資金動員力をもっているのかもしれない。
伊豆源の女社長、門倉朱鷺子から預っている乃木坂ホテル「ブローニュの森」の売買話を、東京アパレルの戦略開発部門に持ちかけてみようか。
東京アパレルは、今のところアンテナショップとして、青春トレンディ街・渋谷あたりに二、三軒のラブホテルを経営しようとしているようだが、余力は充分である。
まして涼子の後ろに、加堂社長がいるとすると、赤坂の一等地には貪欲《どんよく》に、食指を動かすのではないだろうか。
ホテルとしてあのまま経営してもいいし、ファッションビルでも建てて、ファッションショーなどの牙城《がじよう》にしてもいい。
(よし、これはあとでゆっくり提案してみよう)
葉山は安心してフィニッシュへむかった。
会話の間に少し遠ざかった発射感の間隙《かんげき》を縫って、涼子の膣奥《ちつおく》に深く挿入《そうにゆう》したまま、両手で形のいい乳房を揉《も》みたてる。
円球を掴《つか》み、揉み、掴んだまま、抽送をはじめた。
乳房からと、葉山の昂《たか》まりからと、両方からの響きを受けて、
「あっ……あっ……あ……」
涼子はあられもなくのけぞってゆく。
激しく腰を打ちつけるたびに、涼子はのけぞって、ブリッジをつくった。
その女孔をタフボーイが突きうがつ。
「わっ……わっ……わーっ……」
涼子は一気に、のぼってゆく。
やがて声もかすれ、ヒーヒーという感じ。
涼子は性感が水位を越えあふれる中で、耽溺《たんでき》してしまっていた。我を忘れて、時にいやいやをするように首を振る。それさえも特別、意味があって意志的にやっているわけではなく、これ以上はもうヒューズが飛びそう、という本能的な仕草であった。
葉山のものを喰《く》いしめた膣内に、きつい締めつけと、ねっとりした緩みとが、交互に訪れていた。そしてその間隔がしだいに縮まり、ただひくつき、痙攣《けいれん》する感じになっていた。
「ダメ……ダメ……ダメええ」
やがて、何が駄目なのかわからないが、涼子はそういう声で甲高く吼《ほ》えた。
それがクライマックスの合図であった。
体内にとどろきが生まれ、
「あっ、あ、あ」
涼子の全身が硬直した。
ワギナがひくつき、涼子はたちまち大波に浚《さら》われていった。
葉山もついに縛《いまし》めを解き、液体弾丸のようにスペルマを膣奥に飛ばしていた。
――終わって、しばらくまどろんでいた。
部屋にうっすらと汗の匂《にお》いと愛液の匂いがたち込め、エアコンの風が気持ちいい。汗のひいた肌が涼しすぎる感じになった時、
「私、身体を洗ってくるわね」
「あ、シャワーで背中、流しましょうか」
「優しいのね。あなたって……行きましょ」
葉山はまだ肝心の仕事の話をしていないことを思いだし、このホテル売買について今夜中にも目算をたてておきたいと思った。
「ここの印象、いかがです?」
葉山は尋ねた。
二人はバスルームでひと汗流して、ソファに坐《すわ》り、缶ビールで喉《のど》の乾きをいやしているところであった。
葉山は今夜中に、東京アパレルの企画開発課長、秋山涼子との間で、懸案の商談をある程度、片づけておきたいのである。
涼子は部屋を眺めながら、
「そうね。鏡の部屋に回転ベッド。バスルームも広くて明るい……となったら、ファッションホテルとしたらごく平均的で、可もなし不可もなし、といったところかしら」
「今夜はご案内しませんでしたが、館内には流行のプールもサウナもアスレチックも、エステルームもあります」
「いずれにしろ、価格しだいね。若者たちの間で流行《はや》っているみたいだから、会社としてはこの程度のホテルを一つキープしておくことは、損ではないと思ってるわ」
「ありがとうございます。じゃ、ここに関する細部の詰めは、後日に回すということにしまして」
葉山は、本題を切りだした。
「いかがでしょう。東京アパレルとしてはとっかかりのアンテナショップにするのは、このあたりがちょうど、手頃《てごろ》だと思いますが、もっと本格的にファッションホテル経営に取り組めそうなものが、赤坂にあるんですが、一度、見てみませんか?」
「赤坂に……?」
「ええ。〈ブローニュの森〉といって、乃木坂にある、とてもすてきな物件です」
葉山は伊豆源の門倉朱鷺子から預かっているホテルや料亭のことを、詳しく説明した。
「へええ、それは面白そう。というのもね、うちの社長ったら、火事の後、放置されている例のホテルニュージャパンを買収したい、と言ってたくらいだから、赤坂ならきっと、心を動かすかもしれないわ」
涼子は期待のもてそうな返事をした。
「ぜひ、東京アパレルの加堂社長に、よろしくお伝えください」
「伝えるけど、その前に私も自分の眼で見ておきたいわ」
「今度、ご案内します」
「お願いよ」
そう言って見あげた涼子の眼が、潤んでいる。その眼は、久々の男との情事に、身心とも揉《も》みほぐされて、満足しきっているという表情であった。
とすると、今夜の葉山の奮闘は、大きな成果をあげたようである。
「来週あたり、ご連絡しますよ」
葉山はそう言って、涼子の肩を抱き寄せ、キスをした。
ほんのご挨拶《あいさつ》のつもりだったが、涼子が腕をまわしてきてディープキスとなり、涼子はまだ葉山を放さないつもりのようであった。
「ねえ。もう帰るなんて、いやよ。私、どうせ今夜はマンションに帰らないつもりなんだから」
この分では朝帰りだな、と葉山は覚悟した。
第三章 ときめいて、愛
葉山《はやま》は翌週の火曜日、門倉朱鷺子《かどくらときこ》と会う約束をした。
東京アパレルの企画開発課長・秋山涼子《あきやまりようこ》に、乃木坂のホテルを買わないかと持ちかけたところ、社内に持ち帰って社長に進言した結果、検討したまえ、という内意を得たらしい。
そこで、秋山涼子は、物件について詳しく話を聞きたい、という意向を伝えてきた。それならいっそ、売り主の門倉朱鷺子を紹介して、三者会談の場を設置し、彼女の口から詳細な報告をしてもらおう、と思ったのである。
その夜の約束は、新宿の超高層街にあるホテルの四十三階のスカイレストランであった。
葉山が約束より少し早く行くと、二人はまだ現われていなかった。葉山が予約しておいた席は、窓際の広いテーブルである。
約束の七時ちょうどに、まず門倉朱鷺子が現われた。
「ごめんなさい。遅れてしまって」
「いえいえ。ぼくも今きたところです」
朱鷺子はファッショングラスをかけていた。
それもよく似合う女であった。サングラスがよく似合う女は、鼻の形がすっきり通っていて、口許《くちもと》がきれいな女に多いようである。
朱鷺子はテーブルに坐ると、サングラスをとった。彼女はミラ・ショーンの水玉模様のワンピースを着ていた。布地が薄手なので、すらっとした肢体美や着こなしの線がそのまま表われて、優雅で、ひどく男心をそそる女らしさであった。
葉山は、モーゼルの白ワインと幾つかの料理を注文すると、早速、本題にはいった。
「電話でもお話しました通り、乃木坂の件、東京アパレルさんに紹介しましたところ、先方も新規事業部門の目玉に、ホテル部門を考えてるようで、大変、乗り気です。かなり成算があると睨《にら》んでいます」
「そうですか。お手数をおかけします」
「むこうの責任者は女性課長です。奥さんとは同性なので、何でも気軽にお話できると思います」
「そうですか。それなら助かりますわ。――で、どれぐらいで売れるか、見当つきますでしょうか」
「そうですね。土地面積や建物の耐用年数、現在の稼動率にもよりますが、あれだけの一等地ですから土地だけでも目分量、六十億はくだらないでしょう。それにホテルを居抜きで経営できますから、少なく見積もっても全体ではその倍くらいで交渉したいと思っています」
「そうすると百二十億ですか。それなら、ゴルフ場で失敗した主人の銀行借入金を、なんとか返却できそうで、助かりますわ」
「ご主人の借金は、そんなに巨額だったんですか。びっくりしたなあ、もう……それじゃあ、奥さんも、大変じゃありませんか」
「仕方がありませんわ。後始末をするのは、残された者のつとめですから」
そう言って淋《さび》しそうに微笑《ほほえ》む朱鷺子を見ていると、葉山は今夜もまた夕顔の花を連想して、今すぐにでも抱きしめたいような衝動に襲われた。
ワインと料理が運ばれてきた。
眼下に新宿の夜景が見える。夜景は、闇色《やみいろ》の黒ビロード地に宝石をちりばめたように、華麗であった。
「さ、飲みましょう」
葉山は、朱鷺子のグラスにワインを注いだ。
「秋山さん、お見えにならないのに、よろしいんですか」
「今に現われるでしょう。二人でお見合しててもつまりません。飲みながら、待ってましょう」
朱鷺子は酒もいける口のようだ。二人で乾杯をしたあと、おいしそうに飲みはじめる。
「ところで、赤坂の資産処分が終わると、伊豆にお帰りになるというのは、本当ですか?」
「ええ、帰ろうと思っております」
「修善寺のどのあたりですか?」
「温泉街の中心部に一軒。でも私は、もっと上流の湯ケ島の翠明館で暮らすつもりです」
「ほう、湯ケ島か。懐かしいなあ」
「葉山さんも、伊豆にはよくいらっしゃるんですか」
「最近は忙しくてめったに行きませんが、子供の頃、父につれられてよく行ってたんです。ほとんど一夏、すごしたこともあります。あれはたしか湯ケ島だったと思うんです」
「どこの旅館だったのでしょう?」
「それが……よく思いだせないので困っちゃう。たしか宿のすぐ近くに川があって、ぼくは子供の頃に一度、その川に落ちて溺《おぼ》れそうになって、宿の主人に助けてもらったことがあります」
そう、その記憶は、葉山の中で今でも鮮烈であった。まだ六歳ぐらいの頃の記憶だけに、激流に呑《の》まれてゆく時の恐怖感は、今でも夢に出てきて、うなされるくらいである。成長して東京での仕事が忙しくなって、湯ケ島にはめったに行かなくなったが、一度、その思い出の旅館を探し、助けてもらった宿の主人に、お礼を言いたいとさえ思っている。
葉山がそんなことを話すと、
「面白い方ね。今どき、そんな子供の頃の恩義を感じるなんて」
「本当ですよ。その宿がどこだったのか。湯ケ島に行けば思い出すと思うんですが」
「じゃ一度、ご案内しましょうか」
「ええ、ぜひそうして下さい」
「でも、旅館の前に川があるだけではわかりませんわ。あのあたりの旅館はたいてい、川の近くに建ってるんですもの」
「参ったな。それから――」葉山は少し恥ずかしいことを言った。
「男女の性器のシンボルを祀《まつ》ったお寺が近くにありました」
「ああ、女陰と男根の神様ね。それは明徳寺ですわ。湯ケ島の入口にあって、おさすりさまと、おまたぎの神様というのよ」
「あ、そうそう。ぼくも見ました。女性参拝者が男根にまたがったり、男性がリアルな女陰をさすったりしてました」
「ええ、健康祈願と子宝に恵まれますようにって。あそこ、人気がありますのよ」
「そうですか。あれは明徳寺というんですか」
葉山は、思いだした。
湯ケ島のお寺のことである。
小さなお堂の中に、長さ二メートルはありそうな巨大な木の男根が横たわっていた。天井には銅鑼《どら》が吊《つ》るされていて、それを打ち鳴らすための、赤と白のだんだら縞《じま》の太い綱がぶら下がっていた。
男根の手前には、これまた巨大な女陰が立てかけられていた。大勢の人々にさすられた自然木のリアルな女陰は、てかてかと艶光りしていて、何十枚もの千社札が貼《は》られていたように記憶している。
少年時代、それを見て、子供心にも全身がかっと火照《ほて》るぐらい、恥ずかしかったのを憶えている。
「あの男性のシンボルにまたがって銅鑼を鳴らすとね、子宝を授かるとか、健康になるとか、美しくなるとか言われてますのよ」
朱鷺子はそういうことを、少しもてらいのない上品さで話した。
「それで女性の参拝者は、うれしそうにあれにまたがってたんですね」
「ええ、それでおまたぎの神様っていうの」
「それじゃ、まるで騎乗位だな。それにしても、女陰のほうはてかてか艶光りしてたから、ずい分さすられたんですね」
「ええ。おさすりの神様――」
「へえ。ヘビーペッティングだ」
「いやな言い方」
「だってずい分、エッチだなあって、子供の頃、ぼくなんかドキドキしてお堂を覗《のぞ》いてたもんですよ」
「まだ女性を知らない頃……?」
「そう。六歳の頃の少年時代でしたから、女性なんか知るはずもないですよ」
「それでドキドキしたなんて、ずい分おませな子だったのね」
「今なら、どうだろうなあ。たとえば、あなたと一緒にあの明徳寺のお堂を覗いたりすると、きっと意馬心猿になって、すぐにでも抱きたくなるんじゃないかなあ」
「あら、私は今でもあの男性のシンボルを想像すると、そんな気持ちを催しますわ」
朱鷺子はそう言って、眼を眩《まぶ》しそうに細めて笑う。
彼女が眼を細めると、瞳がぼうーっと潤んだようになって、ひどくセクシーで、色っぽかった。葉山はいささか、どきんとして、
「あ、もう七時半か。東京アパレルの企画開発課長、ずい分、遅いですね」
そう言って、腕時計をみた。
「何か都合でも悪くなったのかな。あの課長が約束を破るはずはないんですがね」
「私は時間は気にしてません。とっても楽しいんですもの」
朱鷺子はほんのりワインに酔った顔をみせて、微笑する。
その時、支配人服をきた男が、
「お客様で、葉山さんいらっしゃいますでしょうか」
客席をまわって、声をかけていた。
「葉山は、私だが――」
「あ、お電話がはいっております」
葉山はレジの傍にある電話に近づき、受話器を取りあげた。
「もしもし……葉山ですが」
「あ、私よ」
電話は、東京アパレル企画開発課長の秋山涼子からであった。
「ごめんなさーい。今、東名の足柄サービスエリアからなの」
「東名高速ですって? ご出張だったんですか?」
「ええ。名古屋に、ちょっとね。夕方には東京に戻れる予定だったんですけど、日本坂トンネルで玉つき事故にあっちゃったのよ。五時間も渋滞。やっとそこを抜けて、足柄まで来たんですけど」
「それは大変でしたね。お疲れでしょう」
秋山涼子は行動的な女性なので、近場の出張は、車で動いているらしかった。しかし、事故は予測できなかったので、
「もう、クタクタ。それでね、伊豆源さんには悪いけど、今日のお約束、後日にのばしていただけないかしら?」
「結構ですよ。そういうアクシデントでしたら、やむを得ません」
「お願い。よろしく伝えといて。東京アパレルとしては、この償いは必ず致しますから」
「わかりました。先方には、そのようにお伝えいたします」
「頼むわ。じゃあ、よろしく」
「お気をつけて」
電話を切った時、思わぬ事故によって予定外の空白ができたことの失望感と、不思議なときめきが、葉山の気持ちを襲った。
失望感は、もちろん、ビジネスに齟齬《そご》をきたしたことへのものだが、ときめきはこれで朱鷺子と二人だけの夜をすごせることになった、という喜びであった。
(うん、そうだ! これは千載一遇のチャンスかもしれないぞ)
考えてみれば、宝石をちりばめたような夜景をみおろすスカイレストラン。二人っきりで飲んでいるワインのほろ酔い気分。こんなに早く、朱鷺子とこのような時間を持つことになるとは思っていなかったので、このチャンスを逃すことはないぞ、と葉山は思った。
席に戻ると、朱鷺子が、
「電話、どなたから?」
円《つぶ》らな瞳をむける。
葉山は、取引相手の秋山課長が事故で来れなくなった事情を話し、
「申し訳ありません。この償いは幾重にもすると、東京アパレルは話しております」
「あら、そうですか」
朱鷺子も百億を越す取引の開始が遅れたので、少しはがっかりして、不安にも駆られたようだが、
「でも、いいじゃありませんか。葉山さんと二人っきりで、すてきな夜をすごせることになったと考えれば、これも何かの巡りあわせですわ」
朱鷺子はそう言って、急に潤んだような瞳をむけた。
「ね、飲み直しましょ」
「そうしましょう」
朱鷺子がワイングラスをさしだす。
「二人だけの夜に乾杯――」
「あ、いいですね。乾杯」
いい具合の雰囲気になってきたので、葉山はうれしくなった。
朱鷺子も案外、淋《さび》しかったようである。見た眼は派手なようだが、何しろ未亡人生活なのだから、人恋しい気分の毎日であろう。
「わあ、夜景がきれい……」
朱鷺子はワインの酔いに、ほんのり眼許《めもと》を染めて、遠くの窓景色に眼をむける。葉山はその隙《すき》に朱鷺子の傍に身体を寄せた。
広いテーブルを前にしたシートはL字型で、窓にむかっているので、二人はどのようにも密着することができる。
「ところで、ご主人が亡くなられて六ヵ月だそうですが、お淋しくはありませんか?」
葉山はそろそろ、戦線を朱鷺子の女体攻略のほうにむけようと思った。
「淋しくても、仕方がありませんわ。こればっかりは、運命ですもの」
「ボーイフレンドは?」
「私なんか、そんな男友達はいませんし……」
この朱鷺子が、義弟のコンピュータ技師と関係があることは、多摩美から聞いている。だが葉山はそれを知らないことにして、
「孤閨《こけい》を守ってるだけじゃ、身体に毒ですよ」
「そりゃ、人並みに男の人を恋しいと思う夜もあります。でもまだ、主人が亡くなって一年もたっていませんから」
「期間は関係ない。引込思案になることもいけません。奥さんが倖《しあわ》せになることなら、ご主人だってお喜びになりますよ、きっと」
葉山はワインを注いでやりながら、左手を朱鷺子の太腿の上に置いた。朱鷺子はその手を払うではなく、悪い方、と言いながら、自分の白い手をそこに重ねた。
あまり固い殻を被《かぶ》っているふうでもない。葉山は効果を測定するように、その手を握ってみた。すると朱鷺子は、ぐっとつよく握り返してきたのであった。その思いがけない反応に、葉山のほうこそ、ドッキン。息が詰まりそうになって、ますます悪くない雰囲気に、成就の予感を覚えた。
「奥さんもそろそろ、浮気しなければなりませんね」
「私に男遊びをおすすめになるの?」
「健太郎さんばかりが男ではないと思いますよ」
「え?」――知ってらっしゃるの、というふうに、びっくりした顔で見つめた。
「手近の男で満足するなんて、奥さんらしくない。世の中にはもっともっと面白い男がたくさんいますよ」
「それって……私を口説《くど》いてらっしゃるの?」
朱鷺子は、細いまぶしそうな眼を葉山にむけた。その眼は潤んで、ひどくセクシーで、触れなば落ちん、という感じであった。
「それにしてもこの席って、ずい分ね」
朱鷺子が熱い吐息とともに、そう言ったのは、左右に見える席ではいずれも、若い男女が寄り添ううちに、接吻《せつぷん》に移行するカップルさえも多かったからである。
「みんなやってるんだなあ、羨《うら》やましいよ」
葉山は呆《あき》れたように言いながら、朱鷺子の太腿の上にのせていた手を股間の内側に、少し這《は》わせた。
薄手のワンピースの布地ごしに、朱鷺子の内股から陰阜《いんぷ》への高まりの感じがすれすれに触れるところまできた。
「ああン……いけないわ、葉山さん」
しかし、朱鷺子はそのへんで、だめ、という具合に手を握り直してきて、内股をきつく閉じる。
閉じて、ほうっと熱い吐息を洩《も》らした。
それはかえって、朱鷺子がその熱い身体をもてあましていることを感じさせて、肉体の生々しさを伝えていた。
「さ、もう少し飲みましょうよ」
「ええ、いただくわ」
葉山は、ワインをグラスに注いだ。
注いだだけではなく、ワインを口にふくむと、左手で朱鷺子の肩を抱き寄せ、形のいい顎《あご》を上むかせると、唇に接吻をした。
「ああン、だめよう……」
言いながらも、口の中にワインが流れこむと、唇をうっすらとあけてそれを受け入れる。
ごくん、と飲み込んだころには、唇があえやかに喘《あえ》いで、肩で息をしはじめていた。
二人の唇は、もう離れない。舌と舌がねっとりと跳ねあい、絡まりあう。
「こんなこと、いけないわ……葉山さん……」
言いながらも、朱鷺子は葉山の肩に手をかけて、ソファの背に後退する。
葉山は唇をあわせたまま、二人分の体重をソファの背に預けて、胸に手をまわしながら、ゆっくりとディープキスに移った。
朱鷺子は喘いだ。彼女の首すじがぼうっと煙っている。色白で、セクシーだった。激しく波立つ胸から下腹部の線が、悩ましい。まるで存在それ自体が、性器という感じになっていた。
「ああ……困ったわ。私、キスに弱いのよ」
ぐったりした声で言う。
「立てそうにないくらい」
「じゃ、もう少し飲んで休んだら、場所を移しましょうか。今夜はぼくに委《まか》せてくれますね」
「あら、困ったわ。どうしよう」
「ちっとも困ることはない。悪いようにはいたしません。ぼくに委せて下さい」
「いけないわ、そんなこと」
そういう声までが細くて、けだるそう。
朱鷺子は、その見事な肢体をもて余していた。あるいは、熱く濡れた粘膜の感触を扱いかねているのかもしれなかった。
葉山は、今夜のなりゆきの成果を確信した。そうすると、もう落着いて、朱鷺子の身体を揉《も》みほぐしながら、部屋に移る頃あいをはかった。
葉山は化粧室に行ったついでに、レジの傍からホテルのフロントに電話を入れた。
さいわい、キャンセルがあったらしい。部屋はダブルが空いていたので、予約することができた。
席に戻ると、朱鷺子が立ちあがって、
「今度は、あたし……」
化粧室に行くようである。
その足許《あしもと》が定まらない様子。葉山はあわててその身体に手を貸してやり、伝票を取った。
「部屋を取りました。あなたが化粧室に入っている間に、ぼく、フロントからキイを貰《もら》ってきます。エレベーターの前で待ってますから、ゆっくり化粧室を使ってきて下さい」
朱鷺子も意味を了解したようだ。
「葉山さんって、ずい分ね。私を酔っ払わせて、ホントに浮気させるおつもり?」
「浮気というのは、亭主持ちの場合でしょ。あなたは未亡人だから、自由だ。もう不倫ではない。今夜から黄金の蝶になって、舞いあがるべきです」
耳許で囁《ささや》くと、朱鷺子は頷《うなず》き、
「うっとりするような言い方をなさるのね。葉山さんって、女殺し……!」
そのほんの十数分後、二人はエレベーターで二十六階に降りて、通路の奥の部屋の前に立っていた。
葉山がキイを使ってドアをあけている間も、朱鷺子は震えるように、後ろに佇《たたず》んでいた。
葉山はその腰に腕をまわして部屋に入り、ドアを閉める。
「あの……」
葉山を見あげて何か言いかけていた朱鷺子の唇をふさいで、激しいキスを見舞う。朱鷺子の身体が揺らいで、倒れそうになったところをすくいあげて、ベッドに運んだ。
「あの……私、こんなつもりじゃなかったんですけど」
怒ったように言いながら、ベッドに横にされた朱鷺子は、けだるそうに、右腕で顔を覆った。
ワインの酔いは、あとになって効く。上気したその酔いをもてあましているようでもあったし、恥ずかしいからといって、顔を隠す処女のような仕草《しぐさ》でもあった。
葉山は、すぐその傍で自分の上衣を脱ぎながら、朱鷺子の肢体を眼で楽しんでいる。もうその瞬間から、すてきな獲物を前肢の爪《つめ》で押さえたサバンナのライオンのような気分であった。
朱鷺子のワンピースの盛りあがった胸のふくらみが、荒い呼吸に合わせて、忙しく上下している。葉山はそこに覆いかぶさった。くちづけをしながら、背中のファスナーをひき、荒々しく胸を押し開く。そうしてフロントホックのブラさえも解き、みっしりと現われた乳房を掌《てのひら》に包んで、揉《も》みはじめていた。
「ああ……そんなに乱暴になさらないで」
葉山は盛装の女を、そのまま揉みくちゃにする楽しみを味わうように、現われた乳房を裾野《すその》から押しあげて尖《とが》らせ、その乳頭に唇を被《かぶ》せていた。
「あッ」
と、朱鷺子は敏感そうに反った。
「いきなりだなんて……いやいや……葉山さんったら、野蛮人……」
朱鷺子は文句を言いながらも、葉山の頭髪の中に両手を入れて、不意に物狂おしく胸に抱き寄せる。朱鷺子自身、ふんぎりをつけた瞬間のようであった。
上品な未亡人をふしだらにさせる楽しみと、盛装の女をそのまま味わう楽しみとは、ちょうど、二枚の合わせ鏡のように表裏一体をなしているようである。
葉山がそんなふうにやや乱暴に、朱鷺子との接触のページをひらきかけている時、
「私、汗臭いでしょう。ね、バス使わせて」
朱鷺子は救いを求めるように訴えた。
「いや、このままでいいですよ」
「どうして? 困るわあ」
「ぼくはね、奥さん。男と女が一緒にバスルームに入って、仲良くシャワーを浴びたり、洗いっこするの、あまり好きじゃないんです。何か、ラブゲームになってしまう。普通はそういうこともいいけど、朱鷺子さんとだけは、まっしぐらに抱きあいたい」
「野蛮だわ……野合だわ……それじゃあ」
「それでいいじゃありませんか。情熱の赴《おもむ》くまま、斬り結ぶ。それこそ本当の愛情だと思うんです。雄と雌だと思うんです。ぼくはあなたをひと目みた時から、この手ですぐにでも抱きしめて、犯してやりたいと思ったんです」
「勝手なことばかりおっしゃって……私を困らせてばかりいるんだから」
そう言う朱鷺子の唇を唇でふさぎ、半円球に張った乳房を、ゆっくりと揉む。
「ああ……」
朱鷺子はやがて眼を閉じて、しあわせそうな声を洩《も》らしはじめた。
ひとしきり乳房を揉みたてたあと、葉山の片手は、下半身に移った。ワンピースの裾《すそ》から、股間にのびる。
「あ」
朱鷺子は不意に恥丘に触れられたので、反射的に股を閉じた。女性の本能的な防禦《ぼうぎよ》反応だった。が、すぐに、迎える姿勢になった。葉山の指はもう、ショーツの裾を片寄せて、秘所にくぐりこみはじめている。
葉山は驚いた。女芯《によしん》は吐蜜していた。朱鷺子の女性自身は、早くも濃い潤みを湧《わ》きたたせて、その濡れ具合の凄さが、葉山の指に伝わってきたのであった。
「ああ……恥ずかしいわ……濡れすぎてるでしょ、私って……」
朱鷺子はもしかしたら、それを拭《ふ》くためにトイレかバスにゆきたかったのかもしれない、と葉山は思った。でも愛液過多の女は、すてきだ。葉山は朱鷺子の喘《あえ》ぎ声を耳で聞きながら、ゆっくりと女芯を指で揉みほぐしはじめた。
「脱がせないまま、触るなんて」
朱鷺子はまだ不服そうだった。
でも朱鷺子の愛液は、潤沢だった。
凄いくらいだ。ショーツを片寄せて指を秘唇に入れ、割れ目をくつろがせるうちにも、朱鷺子は喘《あえ》ぎ声を洩《も》らし、激しく吐蜜する。
朱鷺子が未亡人であることを差引いても、これは相当に敏感な体質かもしれなかった。葉山はますます張り切って、指を構造の探検にむかわせた。朱鷺子のぬらつく秘唇は、ビロードのような柔らかい感触をもって、指を通路に迎え入れる。
すべりこませた指先に、ひくつく秘肉の味わいを覚えた。そのひくつきと、ぬらつきを賞味しながら、葉山は彼女の腋窩《えきか》に唇を寄せた。朱鷺子は腋毛《わきげ》を今ふうに除毛処理してはいなかった。うっすらと霧のようにたなびいた柔毛《にこげ》から、香ばしい匂《にお》いが漂う。その茂みの下の肌の筋目のよじれ具合が、どうにもそのまま女陰を思わせて、ひどくそそる眺めだった。
そこに唇を押しあててゆく。
「あっ」
と、朱鷺子が声をあげた。
「いやいや……くすぐったい」
死ぬような声をあげて跳ねる女体を押さえつけて、葉山はさらに指の奉仕をつづけた。中指を通路の奥に進めると、内部はぴちぴちして、掴《つか》む感じが訪れる。粒立ちの多い女蜜の中をかきまわしながら、葉山は遊んでいる親指と人差指で、茂みに覆われた恥骨の丘のふくらみを、かまってやった。恥丘は小気味よく発達していて、男を喜ばせる形である。親指で、恥骨の下の最も敏感な真珠を、莢《さや》に包んだまま上から押さえて、二指ではさみつけるようにして、愛撫した。
「あーっ……」
朱鷺子はゆっくりとヒップを持ちあげ、宙に腰で円を描いた。それだけではなかった。やがて葉山の指がある精巧な操作を加え始めた時、
「あっ、そこそこ――」
朱鷺子は泡を吹いたような声をあげた。
朱鷺子の女体が激しくバウンドする。
「そこ……いやいや……そんなふうになさらないで」
朱鷺子が、そこ、と言ったのは秘孔にずっぷりと入った葉山の中指と、膣口部《ちつこうぶ》をさすらう親指との二指が、クリットのフードをむいて、内外から強く挟んでリズミカルな圧迫運動を加えたからである。
膣口部の最も敏感なあたりを、洗濯ばさみで挟むような恰好《かつこう》。その上、挟んだ指の腹同士をこすりつけるものだから、真珠も膣前庭部の膜も一緒に揉《も》みくちゃにされて、そのリズミカルな強弱運動は、朱鷺子に手ひどい効果を与えたようだ。朱鷺子は今やすてきな感電体。ああ、ああ、とのけぞりながらますます濃い愛液を吐きだしはじめていた。
「いやいや……私を弄《もてあそ》ばないで……お願い……早く、ちゃんと脱がして……」
朱鷺子はもうあられもない声をあげて、局面を進めることを訴えている。
葉山は朱鷺子を脱がせた。
朱鷺子は全体に、長身で華奢《きやしや》な身体つきのようだったが、裸にすると意外に豊満だった。
葉山はその女体を視野に収めた。形のいい半円球の胸のふくらみと、ふっくらと盛りあがった陰阜《いんぷ》。眼《め》はどうしてもそういう身体の急所にゆく。密集繁茂したヘアは、パンティに押しつけられた形になびいていて、黒艶のある光沢をはじいていた。内股は白くて、なまめかしい。
葉山は眼にいれたそれら朱鷺子の女体のいっさいが、不意にいとおしくなり、猛《たけ》りの気分にも駆られて、獣のようにがばと抱きしめにゆく。
「あッ……いやいやッ……」
朱鷺子が大きな声をあげて、両手を宙に泳がせて拒否しようとしたのは、葉山がその下半身に顔を埋めにいったからである。
「やめて……お願い……それだけは」
夢遊病者のように、両手が宙を掻《か》く。しかしその手をかいくぐって、葉山はもう朱鷺子の両下肢を大きく開いて位置を決め、鮮紅色の泉に顔を押し伏せていた。
「ああん……バス……使ってないのに」
朱鷺子は自分の秘部の匂《にお》いを、ひどく恥ずかしそうにしていた。だが、女体巡礼者にとってはそれがまた、たまらない。
朱鷺子の女宇宙なら、いやなもの、不潔なものはどこにもない、と葉山は思った。
舌が触れると、驚いたような声があがって、朱鷺子の腰がゆらめいた。
葉山は、何度か流れの中をすくい、ひたし、蜜を谷間の上部の肉の芽にまぶしつけたりして、秘めやかな花祭りをやった。
硬かった声が、いつしか芯《しん》を抜かれたように甘やいで、うっとりした声に変わった。
朱鷺子はもう、股を閉じようとはしない。
葉山はその反応に満足した。いやます気分に駆られて、両手を朱鷺子の太腿の裏側にあてがい、ぐいと押しひろげた。
そうすると、朱鷺子のクレバスは前面に押しだされる感じになり、咲きくずれた虹色の楕円形《だえんけい》の花に変わった。
花の中央に窓があった。その窓は、男の夢を覗《のぞ》く窓であった。あたたかい蜜液がその窓からとめどなく滲出《しんしゆつ》している。
葉山はその窓に両手をあてがい、左右にひらいてみた。サーモンピンクの粘膜が艶光りしながらよじれて、覗いた。
葉山は、そのルビーの沼に舌を鋭くとがらせて、刺し込んだ。
「あうッ……」
狼狽《ろうばい》したような声があがった。狼狽しながらも、しかし、快げに腰が揺らめいている。
葉山は何かしら、自分がひどく許しがたいことをしているという自虐の念にかられて、真珠に吸着にゆき、舌でマッサージを見舞った。
「ひーッ」
と、いうような声があがり、朱鷺子は悶《もだ》えた。
「ああ……ああ……もう……許して……お願い」
朱鷺子は哀願している。
どうやら、到着寸前のようである。
葉山がそうまでして、その桃色に澄んだ世界に口を寄せていったのは、朱鷺子に対する愛《いとお》しさがこみあげてきたからである。
夫に死別し、ホテルを身売りさせ、激変する環境の中で、昨日は知らず明日の行方もわからない。ただ今夜の今、この美しい朱鷺子は葉山のために花を開かせている。それだけでも愛しさを感じて充分であった。
その花を窓と考えるなら、そこに口づけをし、愛を囁《ささや》くことによって、この朱鷺子の全身を愛することができる。葉山は何となし、そんな感慨にも陥っていた。そうなると自然、愛撫も濃厚となる。手の込んだやり方となる。
葉山はかられて、クンニのかたわら指を動員することにした。赤豆のように膨らみきった真珠を口に含みながら、かたわら、指をそろりと下の女芯《によしん》に挿入したのであった。
「ああーん……そんなあ」
朱鷺子が、驚いたような声をあげ、甘美にゆらめくようなよがり声をあげた。
その羞恥《しゆうち》と淫蕩《いんとう》さの入りまじった声と表情は、朱鷺子の女景にも現われていた。生い茂る草むらの下は今や濡れ光るルビーの沼。大陰唇から小陰唇にかけてのほころび全体が、幾枚ものピンクの花弁を折り畳んだように緻密《ちみつ》に、照り輝いている。葉山の指の活躍に誘いだされて、朱鷺子のうるみが濃くなった。ぴちゃぴちゃと、水面で魚が跳ねるような水音をたてはじめている。
「いやいや……その音」
女性は誰でもこの音をいやがるものである。
「いい音でしょ。鮎の瀬打ち、あなたのが濡れてるんですから」
「いやいや……そんな音、たてないで」
朱鷺子としたら、自分の膣《ちつ》鳴りは、たしかにひどく恥ずかしいことのようであった。
「じゃ、これなら」
葉山はずっぷりと奥に挿入していた指を、内側にまげて、秘洞の底を手前にひっかくようにした。
「あうっ」
効いたようだ。朱鷺子がすぐ眼の前でヒップをバウンドさせた。粒立ちの多い壁が、怒ってひしめいて、指を掴《つか》みとろうとしてくる。
葉山は、今度は指を二本にして上に折りまげ、天井の山脈を手前に引っ掻《か》くようにした。ちょうど、洞窟《どうくつ》が狭まって、狭隘《きようあい》な部分を内側から引っ掻くようになった。
「あっ……」
朱鷺子は、ヒップをゆらめかせた。
「やだやだ……そんなあ」
喘《あえ》ぎながら、文句を言う。
「いやいや……もうちょうだい」
朱鷺子は激しく求めてきた。葉山も頃合《ころあい》だと思って、姿勢を解いて横になった。
顔と顔が出会い、朱鷺子のくちびるが、葉山の唇を求めてきた。
葉山は愛しさにかられて、両手に抱いた。朱鷺子の手がお返しに、葉山自身の所在を探しにきた。
接吻《せつぷん》をしながら、朱鷺子の手は葉山のからだを見つけて、握りしめた。初めはおずおずと……でもすぐ、意志をもって。指のひとつひとつが独立しながら連絡を保って動き、葉山の猛《たけ》りを上りはじめ、根元をさすって確かめたりしているのであった。
ついに五つの指で朱鷺子は、葉山を愛しそうに握りしめた。温かくなめらかで、しなやかな手であった。
認識し、その手を通じて、朱鷺子は未知の男性である葉山を愛し、知覚しようとしている。
「ああ……あたしったら」
朱鷺子はかすれた声で言った。
「ずい分なことをしてるわ」
「ぼくは光栄です。朱鷺子さんの指って、とてもあたたかくて、優しい」
「男の人にこんなことするの、初めてよ」
「ますます、光栄だな」
「あなた、今夜、どうして私を抱こうという気になったの」
「欲しくなった。とても欲しくなった。それだけじゃいけませんか」
「あたしが未亡人だから、男に飢えてると思ったんでしょ」
「そんなことはない。奥さんが輝いてたからですよ。先週、初めて会った時からずっと奥さんのこと、いつか抱きたいと思ってました。相性がいいと感じたんです。惚《ほ》れたんですね、きっと」
「うそうそ。私が未亡人だから、乗じやすいと思ったのに違いないわ」
朱鷺子はそう言いながら、葉山をますます強く握りしめた。どうかすると、痛いくらいだ。
「奥様、少しお手柔かに」
「だってえ……」
そうして言った。
「お願い……来て……欲しくなったわ」
タイミングはいい。葉山も猛烈に欲しくなっていたところであった。
朱鷺子を仰臥《ぎようが》させた。ふつうの姿勢でまず繋《つな》ぎにゆく。
両下肢をひろげて迎え入れる姿勢を取ったとき、朱鷺子の女芯《によしん》が赤い滝の流れとなってひらめいた。位置をとると、葉山はみなぎったものをあてがい、宝冠部でドアコールする。
一気に押し込んだのではなかった。ぬかるんだとば口にグランスの塊りを漬けて、ひたして、捏《こ》ねまわしたのであった。
「ああん!」
朱鷺子は敏感に反応する。
「あわ……あわ……」
ヒップを浮かして、迎え入れたそうだ。
でも葉山は、まだ一気に挿入はしない。亀頭部分だけを埋め込み、その部分で円を描いたり、何度か出没運動をくりかえした。
「わッ……わッ……わッ……」
朱鷺子は膣口部《ちつこうぶ》もすごく感じるらしく、驚いたような顔をしてのけぞる。
それでも、朱鷺子は華やぐ。
葉山が少し奥へ進んだとき、
「ああ……素敵よ……葉山さんのってきつすぎるわ」
目をまわしたような顔になった。
事実、朱鷺子の女性自身は、狭いくらいだ。男の訪れが頻繁でないせいもある。特に入口を入ってすぐの屈曲部が窮屈なくらいであり、葉山がそこを突破するには、メリメリという音をたてて軋《きし》みそうであった。
まるで処女を押し割ってゆく感じ。至福感に胸を熱くして葉山がその狭い通路を的確に奥へ進めると、
「痛いわ……少し……」
朱鷺子がますます眉《まゆ》を寄せて、苦痛を訴える。
でもそれは、甘美さと苦痛の入りまじった充実感にあわてふためいている、という表情でもあった。
「じゃ、こんなふうなら」
葉山は、ゆるゆると道をつけながら、抽送した。占領区間を少しずつ奥へすすめてゆくというような感じであった。
「ああ……それなら、いいわ……とても倖《しあわ》せよ……ずーんと、奥まで突いて」
葉山は豪根を濡れ潤んだ花びらの中へ、今度は一気に捻《ね》じ込んでいった。
「ああ――」
朱鷺子は頭蓋《ずがい》をつらぬかれるような声を発した。
男にとって、初めての女体を押し分けてゆく瞬間というものは、何ものにも替えがたい宝石の一瞬になる。
葉山は進んだ。朱鷺子の構造部分は、初めは窮屈そうに押し返そうとしていた部分が、そこを突破した途端、反対に肉襞《にくひだ》がまといついて奥に引きこもうとする作用をみせていた。
葉山は届き、ゆっくりと漕《こ》ぎだした。
「ああ……とても、響くわ」
朱鷺子が、なやましい声を洩《も》らして、足を絡めてきた。うっとりしたように眼を閉じる。
葉山の動きは、あまり過激なものを要しない。みっしりと重厚感のある出没運動をくりかえすだけで、
「あ……あ……あ……」
と、朱鷺子は泡を吹いて、のけぞるような感度をみせはじめた。
朱鷺子の通路は、入口がきつい。だが、奥はわりとゆるやかである。葉山の男性自身は、ちょうど、袋の中にすっぽりと紐《ひも》で閉じこめられたような按配《あんばい》となって、かえって、朱鷺子の淫蕩《いんとう》さを感じた。
葉山は念願の朱鷺子を今、腕の中に抱いて貫いていると思うと、よろこびが噴きあげてきた。
情熱にかられて、不意に荒々しく抱きしめると、口を吸いにいった。
繋いだまま、接吻《せつぷん》をする。
ねっとりとしたディープキスをする。
舌と舌が出会うたび、葉山を包んだ女芯《によしん》がひくつきを起こす。
(はて……)
葉山は、面白いことを考えた。
その時、葉山はおかしなことだが、センサー装置のある最近はやりの、チューリップの花を思いだしたのである。一定の音響刺激を与えると、センサーが作動して、ぱっとチューリップの花が開き、刺激がなくなると閉じる。
いま、葉山の男性を入れた朱鷺子の女芯は、まるであのチューリップの花となっていて、ぱっと開いたり、閉じたりしている。そのセンサーの役割りを、接吻中の舌が果たしているような感じなのである。
朱鷺子の内部は、もうどろどろの海である。
時折、膣口部がきゅっと締まって、抜きさしする葉山のタフボーイを、掴《つか》むような動きが加わった。
そんな時、朱鷺子は不意に、
「あたし……あたし……もうだめ」
と、口走ったりした。
たしかに朱鷺子の興奮は、極点に近づいている。
このまま進めば、イキそうだ。イッてもいい。女性のオーガズムは、さまざまに重層構造になっているから、ただ一度というわけではないのである。
葉山はそれを考えると、つくづく女が羨《うらや》ましくなる。今、葉山は自分の発射感を我慢しながら、乃木坂ホテルを東京アパレルにどうやって売りつけるかなど、頭の中で難しいことを考えていた。
「もう私……だめ」
朱鷺子は、さし迫った声をあげた。
佳境も煮つまり、かなりの状況のようだ。朱鷺子の悦楽は新鮮で、多彩である。
「ああ……ああ……私……もう……だめだめ」
自分では制御不能になってゆく状態を、だめだめ、という言葉に託して、よがり声をあげながら、しなやかに女体をうねらせる。
どうかすると、その身体《からだ》はたえずずりあがってゆこうとしている。そのため、葉山は両肩に手をかけて、押さえつける必要があった。
すると、朱鷺子は、
「だめだめ……私をこれ以上、変にしないで」
と首を激しく横に振って、訴える。
「もうだめ……私、どうにかなりそうよ」
朱鷺子はその実、葉山と繋《つな》がった腰の一点をたえずこねくるように、迎えるように、好色そうに動かしているのであった。
(もう少しでフィニッシュだな)
葉山はみっしりと励んだ。
朱鷺子は熟女なので、入口周辺よりも、奥を突かれることのほうが好きなタイプのようであった。ズンと、葉山のが奥に届くと、薬玉《くすだま》を割るように華やかに乱れて、シーツを掴《つか》んで悶《もだ》えるのであった。
女性によっては、膣口部をかまってもらうのが好きなタイプと、奥が好きなタイプとさまざまである。朱鷺子は、後者のほうだ。それもはっきりと自分の言葉で伝達するから、わかりやすい。
葉山がたまに、タフボーイの宝冠部で浅場をかまっていると、「深くお願い」とか「強くいらっしゃって」とか、「そこ……そこ……奥よ!」などと、しだいに露骨な言葉を、吐くようになったのであった。
そんな時、葉山は、取り澄ましたお上品な赤坂夫人の顔の下から、女の本性がむきだしになってくるのを見るようで、そういう影響を与える自分の力が、うれしくなった。
女性にとって奥を突かれることの歓《よろこ》びの意味は、二つある。ひとつは、男性のが深く入ることによって、恥骨と恥骨が衝突し、そのはざまにクリトリスがはさまれて、よく響くからである。
あとひとつは、女性の奥から子宮頸《しきゆうけい》がせりだしてきて、それと男性の先端との衝突感がたまらなくいい、という効果である。
もっとも、女によっては膣が浅い人や、比較的小さい人は、奥壁を突かれるのがとても痛いという反応を示して、奥をドッ突くばかりが能ではないわけである。
朱鷺子の場合は、通路も狭くてよく締まるし、深さもほどよく、奥から女性自身の瘤《こぶ》が出迎えに現われる。
その瘤に葉山の先端があたるたび、
「ああン……」
ますます乱れて、朱鷺子はシーツをかきむしって、悶えるのであった。
「あッ……いやいや、もう……死にそう」
もういらっしゃい……と、朱鷺子は訴える。
葉山は少し意地悪をして、
「まだ終わらないからね。今度は、朱鷺子さんに、ちゃんとジョッキーになってもらうからね」
しかし葉山のその望みは、果たされなかった。朱鷺子は騎乗位になるまでは、もちはしなかったのである。
「いやいや……もうあたし……」
やがて、何度目かの抽送のうちに、朱鷺子の中で轟きが生まれ、それはクライマックスの波となって、朱鷺子の全身を捉えたのであった。
声が細く尾を引いたと思っているうちに、頂上でプッツン。朱鷺子はそのままクライマックスを迎え、四肢を投げだし、ぐったりとなったのである。
葉山はまだ、みなぎっている。どろどろの海の中で、いきりたったままである。静かにそのタフボーイを引き抜こうとすると、
「ああーん」
変な声をあげて追いかけるように、朱鷺子が秘孔を収縮させた。
熱戦を終えて、二人は休んでいた。
やがて、朱鷺子が起きあがって、
「うン、意地悪……」
睨んで、葉山の男性自身を握った。
「私をイカしてしまっちゃって!」
「ずい分なことを言いますね」
「だって私、あんなに何度も達したの、生まれて初めてだったもの」
葉山の眼をじっとみつめながら、朱鷺子はそう言った。
「初めてって……まさか?」
「やだ、処女だったなんて言ってませんわ。でも、今夜みたいに燃えたの、初めてっていう意味ですわ。主人が亡くなって以来、よその人とこういうことをしたのも、初めてですもの。まるで自分が自分でなくなったみたい」
ある程度、それは真実のようだ、と葉山は思った。しかし葉山は、朱鷺子が、義弟の健太郎と肉体関係があることを知っている。だから、未亡人になって初めて燃えた、ということを、素直には受け取れないのである。
もっとも、朱鷺子にとって健太郎は、一つ屋根の下で暮らしているので、「よその人」のうちにははいらないのかもしれない。あるいは、健太郎との時は、今夜のような充実感は得られなかったということかもしれない。
いずれにしろ、葉山にとっては、今夜を境に朱鷺子は確実に変わってゆく。義弟を遠ざけてゆくだろう、という観測ができて、健太郎のことはあまり重要だとは思わなくなった。
「さあ、シャワーを浴びてらっしゃい。ひと汗流すと、気持ちよくなりますよ」
「そうね。お風呂に入ってくるわ」
そう言って、朱鷺子は裸身をインナーで隠しながら、ベッドから降りた。
「背中流してあげるから、よかったらいらっしゃい」
朱鷺子のきれいな背中が、浴室に消えるのを見届けてから、葉山は枕許の灰皿に煙草を揉み消した。
(喉が乾いたな。ビールでも飲むか)
ベッドから降りて、冷蔵庫をあけた。缶ビールを取りだして、ひと口飲みながら、
(それにしても今夜はまったく、思いがけない成りゆきだったぞ)
そう思った。朱鷺子への希いが、こんなにも早く成就するとは、思わなかったのである。
(東名の交通渋滞に、感謝しよう)
葉山は缶ビールを飲み干してから、バスルームに入った。
そこの鏡に自分の顔を映した。少しも疲れをみせていない張り切った男の顔が、映っていた。朱鷺子とのめぐりあいは、葉山の身内に何かしら、大きな実りをもたらしていた。
(そうだ。そのうち、朱鷺子が移り住む伊豆に行ってみよう。おれが六歳の時、川に落ちて溺れそうになっていた湯ケ島のあの旅館は、何という旅館だったのだろう)
葉山がそう思った時、
「いいお湯よ。まだ来ないの?」
「今、行きます」
葉山はタオルを手にして、浴室に入った。白い湯気の中で、朱鷺子の裸身が揺れ、豊饒《ほうじよう》な夜がまだつづくことを予感させた。
朱鷺子はもう湯につかっていた。
葉山はシャワーを浴びてから、バスタブに入った。朱鷺子が葉山のために、身体をずらして空間を作った。
葉山はむかいあって身体を沈めた。
朱鷺子の張りのある乳房が、先刻の交歓のためにいっそう照りのある張りをしていて、乳首が赤く尖《とが》ったままである。
「東京アパレルの秋山涼子さんって方にも、今みたいなことをなさったんじゃない?」
いきなりそう言われ、葉山はぎょっとした。
「今みたいなことって?」
「セックス」
「えっ」
いささかうろたえている。
「どうしてそんなことを言うんです?」
「なんとなく、そんな気がしたの」
「不思議だなあ。あなたはまだあの女課長とは、会ってないはずなのに」
「そうね。私はまだお会いしてないから、どんな方かわからないけど、葉山さんとその方って、なんとなく気脈が通じているみたい。だって乃木坂のホテルの売買の話も、とんとん拍子に進んで、東京アパレルさんが話に乗ってくれたんだもの。きっとその女課長と葉山さん、何かあるんじゃないかと思うわよ」
「それは考えすぎというものですよ。ほくはただ、手頃《てごろ》なホテルを探している東京アパレルと、乃木坂のホテルを売りたいという奥さんを紹介して仲介の労を取ろうとしているだけですからね。あまり気を回さないで下さい」
「そう。じゃ、そういうことにしておくわ」
朱鷺子はなぜか、ふふ、と笑った。
虎口を逃れてほっとしながらも、葉山は朱鷺子の直観力に舌を巻いていた。
「それにしても葉山さんって、案外、初心《うぶ》なのね。すぐむきになっちゃうんだもの。自分から馬脚を現わしてるみたい」
朱鷺子はそう言いながら、また、くすくす笑っている。
葉山は、この美しい赤坂夫人に、からかわれたようで、ほんの少し逆上し、
「こいつ――」
湯の中で、クレバスに指を入れた。
あン……と、朱鷺子が甘い悲鳴をあげて腰を浮かす。そうしてそのまま、バスタブからあがって、外で洗いはじめた。
その裸身をみた葉山のものは、勇敢にもいきりたっている。まだ最初のラウンドでは、発射していなかったし、今の会話で朱鷺子をもう一度、組み敷いていじめぬかねば気がすまない、という気分にもなっている。
「じゃ、先にあがってますからね。すぐにベッドに来て下さいよ」
「おお、恐《こ》わ。何だか宣戦布告されるみたいだわ」
朱鷺子がそう言って、でも、うれしそうにくすくすと、忍び笑いを洩らした。
待つほどもなかった。
葉山がベッドに入って間もなく、朱鷺子がバスルームから戻ってきた。
熱い湯を浴びたのだろう。朱鷺子の胸や首すじは、桃色にかがやいていた。
「あら、つめたいのね。後ろむきだなんて」
葉山はその時、ベッドの上で後ろむきになって、あぐらをかいていたのである。
ヨガの修業をしていたわけではないが、葉山のからだは女に挑む姿勢をとって高射角であった。
それをあからさまにみせるのが恥ずかしいからでもあったし、いきなり見せて驚かせてやろうという魂胆もあって、後ろむきにダルマさんとなっていたのである。
「まあ……お元気なのねえ」
朱鷺子はそれを見ても、少しも驚かなかった。
「あさましいと思いませんか。さっき、使ったばかりなのに」
「ううん、思わないわ。男の人の意欲を感じて、うれしくなるわ」
朱鷺子はベッドにあがってすぐ、葉山の肩に手をかけ、囁《ささや》いた。
「ね、そんなふうなら、横になってごらんなさい。今度はあたし、挑戦してみるから」
朱鷺子の意欲がどこにあるかがわかったので、葉山は仰臥《ぎようが》した。
目をつむる。朱鷺子が指を並べてのばし、寝ている葉山のからだをゆっくりと撫ではじめた。握りしめて、手にあまるものの容積に驚きの声をあげた。撫でながら時折、リズミカルな強弱をつける。優しく、手が唄っているような感じである。
けれども、朱鷺子のその手は優しいだけではなく、隠しようのない淫《みだ》らさも表わしていた。握りしめるたび、男の脈動感を掌《てのひら》いっぱいで受けて愉しんでもいるのである。
「……ああ、私ったら、痴女になったみたい。ずい分なことをしているわ」
朱鷺子は、熱い吐息を漏らすように言った。
「よーし、それならもっといけない女になってみるわね」
自らに言いきかせるように言って、朱鷺子は身体を折り、顔を葉山の昂《たか》まりに寄せてきた。
先端を、そっと口に含む。含んで、浅いところをなぞったりした。それから不意に、強く含んで、白い顔を上下させる。
彼女の顔がスライドするたび、顔が妖《あや》しく揺れた。美しい横顔だった。時折、舌が焔《ほのお》のようにひらめく。それは宝冠部を舐《な》めたり、若竹にそってすっと茎《くき》を舐めあげたり、根元のあたりを横笛のように唇をあてて、上下させたりした。
(なかなか、やるじゃないか……!)
葉山はうれしくなって、感動した。
宝冠部がすっぽりと咥《くわ》えられた時、葉山はうっと、呻《うめ》き声を洩《も》らしたりした。
(伊豆源の社長は、若死にする前にしっかりこの朱鷺子を仕込んでいたんだな)
お上品な赤坂夫人の隠れたもう一つの顔を見るようであった。
葉山は朱鷺子の太腿に触った。むっちりと、白い。手がヒップのほうに動いて揉《も》みながら、茂みのほうへ指をすべらせてゆくと、朱鷺子はひッと、声を洩《も》らして、身をよじった。
「ああーん、意地悪」
ヒップがぶるんとゆらめく。
指先に濡れた秘唇の感触が残った。
「ありがとう、朱鷺子さん。もういいよ」
葉山はその白いヒップを見ているだけで、たまらなくなり、にわかに上体を起こして、再開する姿勢をとった。
(この上品な赤坂夫人を、後ろむきにさせて、後背位で襲ったらどうだろうか)
突然、そんなふしだらなことを思った。
行為の酔いに熱くなった余勢を駆っての、ほの昏《ぐら》い思いつきだった。
(朱鷺子は、いやがるだろうか。もしかしたら、怒りだすかもしれないな……)
「ね、後ろからしていい?」
葉山が思いきって聞いてみると、
「わ……けだものみたい」
朱鷺子はそう言いながらも、怒らなかった。それどころか、まるでその注文を待っていたといわんばかりに、朱鷺子はひとりでに姿勢をとった。
初めての夜から本当は、そういうことまでするつもりはなかった。とどまりを知らない成りゆきというものであった。
今、葉山の眼の前に、豊麗で白い朱鷺子のヒップがあり、濡れそぼった局所があった。
その局所は、花のかたちが崩れんばかりに蠢《うご》めいていて、透明な愛液に濡れ光り、巨《おお》いなるものの訪れを待ちわびて、収縮しているのであった。
朱鷺子はシーツに這《は》いつくばって、豊艶なヒップをつんとあげていた。
一夜のうちに、あの上品だった朱鷺子が自分に、ついにこういう秘景まで見せるようになったことに、葉山は言い知れない感動を覚えた。
朱鷺子もまた、恥ずかしげもなく赤裸々な姿をとることに、ひどく背徳的な歓《よろこ》びを感じているようであった。
(人間、裸になれば愛しあうもの同士、恐《こわ》いものはない、ゼーンゼン。これでいいんだよな)
葉山は、片手の指を自分の昂まりに添えて、ゆっくりと朱鷺子の女芯《によしん》に挿入した。潤った朱鷺子の女陰は難なく葉山のタフボーイを、根元まで呑《の》みこんでゆく。
「おおッ――」
背中が反《そ》って、またあたらしい、それまでとはちがった嬌声《きようせい》が、朱鷺子の口から発せられる。
「この感覚、はじめてのものよ」
新しい角度から、子宮の壁まで届いたのか、朱鷺子はそんな言葉を発した。
(もはや、飾りたて一つない裸者同士。朱鷺子とは他人じゃないんだ――)
葉山は腰を抱いて、ゆっくりと動きはじめた。
そのヒップの白い豊麗さが、そのままその夜の収穫の豊饒《ほうじよう》さのような気がした。
葉山は、自分たちの夜がとても豊饒であることに、心からの歓びを感じた。
動きはもはや、動から静にむかっている。静であっても、密着感はより深い。
葉山は、前方に大きな両手をのばして、朱鷺子の重く稔《みの》った乳房をわし掴《づか》みにした。朱鷺子の女体それ自体を両手で、かき抱く感じで、もみしだいた。
葉山はそれから手を移動させ、朱鷺子の愛液にまみれた二人の接合点に触れた。そこは濡れて、不思議な音をたてていた。
指で恥部全体を触った。肉芽を探した。クリットのあたりを押し、出入りする葉山自身の昂まりにラビアをまとわりつかせ、こすりつけた。
「あっ……あっ……そんなあ」
朱鷺子が、鳥のような声をあげた。
朱鷺子の身震いするような身悶《みもだ》えがいっそう激しくなった。
「ああ……たまらない……いきそうよ」
後背位で責めぬかれて、朱鷺子はもう陥落寸前であった。
「ねえ、お願い」
朱鷺子が、そう訴えた。
「前に倒れそう。落着かないわ。正面からあなたを抱きたいの」
「ぼくもあなたを抱きたい」
葉山は、朱鷺子の求めを、最後の仕上げへのリクエストだな、と感じた。
二人は結合を解き、正常位に戻った。
そうして挿入しなおすと、不思議な落着きと安らぎが、こみあげてきたのである。やはり顔と顔を合わせあう対面位というのは、裸の恋人同士を一番、安心させるもののようである。
葉山は力一杯、朱鷺子を抱きしめた。そうしてキスしにいった。繋《つな》いだままのキスは、濃密でいとおしさがこみあげるものである。
密着感が深まったところで、葉山は一気にフィニッシュにむかうことにした。葉山の動きはダッシュをかけたように早くなり、タフボーイの傘の部分を、湾の内側のあたりにひっかけたり、こすりつけたりして、突きと引きを華麗でダイナミックなものにした。
「あ……いい……」
朱鷺子は顔をまっ赤にして、タワーを軸に腰をグラインドさせた。
「あッ……あッ……そこッー」
朱鷺子はやがて、突如、身体をのけぞらせ、恥丘をつよく押しつけてきた。そうなると、タワーはかなり深くまで届き、葉山はタイミングをあわせて、奥壁に効果的なカウンターを見舞った。
そうしてその瞬間には、葉山ももう発射寸前の衝動につき動かされている。
「朱鷺子さん、おれ、ゆくよ」
「ちょうだい、ちょうだい」
言い終わらないうちに、朱鷺子は奥壁への衝突感に眼をまわし、とうとうヒューズをとばして動かなくなった。
葉山も、深い発射感を獲得した。
結合を解いたあとも、朱鷺子は乱れ髪のまま、死んだように眠った。
葉山もそのまま、朱鷺子に手枕《てまくら》をしてやって、二人一緒に眠りについた。
葉山に、帰るべき家があるわけではない。朱鷺子も今は夫がいるわけではないので、泊まっていってもいいのであった。
そのへんがお互い、配偶者に縛られての不倫とは違って、気楽なものであった。
翌朝、二人が眼を覚ました時、新宿の街も眼ざめようとしていた。
ゆうべ、夜景が見えていたはずの窓から、超高層ビル街の朝の景色がそっくり見える。
新都心の超高層ビル街に朝日が射《さ》し込む時。
それはまさに古代ギリシャの神殿群のような厳かさをまとう時である。
「まあ、すてきな朝。ねえ、起きてよ」
朱鷺子がベッドで背伸びをしていた。
「ねえ、外を歩きたいわ。何だか私、新しい世界が広がってきたような気がするわ」
朱鷺子の顔は、朝の光に輝いていた。
第四章 事件は起きた
葉山《はやま》からの連絡は、すぐにはなかった。
けれども朱鷺子《ときこ》は、乃木坂ホテル「ブローニュの森」は処分できるものと確信していた。
その後も、葉山は東京アパレルの企画開発課長、秋山涼子《あきやまりようこ》と交渉してくれているようだし、東京アパレルでなくても、いずれどこかの企業が乃木坂ホテルを丸々、買収してくれるだろう。またそうでなければ、朱鷺子と株式会社「伊豆源」の展望は拓《ひら》けないのである。
それより、朱鷺子の身辺には、別の心配なことが起きていた。
そのひとつは、義弟、健太郎のことである。夫亡きあと、はからずも一つ屋根の下で暮らしているうち、身体を重ねてしまった朱鷺子にも責任があるが、大学を出て二年目の若い健太郎は、のめり込みが強すぎて、最近は四六時中、朱鷺子をじとーっとした眼で見ていて、とくにホテル売買の件で朱鷺子が、葉山と会っていらい、どうも様子が変なのである。
ひとくちに言って、嫉妬《やきもち》をやいている。
それも異常なやき方である。
新宿のホテルで葉山と別れて朝帰りをした日も、驚くべきことに、健太郎はまだ会社に出勤もしないで、家に待っていた。
「ゆうべは、どこに行ってたんだ」
じろっと、あらぬ眼をむけたのである。
「お友達の家よ。下落合に静岡の高校時代の友人が嫁いでるって話したでしょ。ご主人が出張とかで、そのお友達のマンションで朝まで色々、つもる話をしていたのよ」
「それはうそだい。どこかで男と会ってたんじゃないのか」
「男の人となんか、会ってないわ。どうしてそんなことをおっしゃるの」
「おれは義姉さんのことが心配なんだ。最近、この家のまわりをうろうろと変なやつがうろつき回っていること、知らないのか」
「変なやつって、どんな人たちなの?」
「さあ、何て言うのかな。不動産屋か地上げ屋のような男だったり、クラブ勤めふうの女が塀《へい》の中を、覗《のぞ》きこんだりしているんだよ」
それはうすうす朱鷺子も気づいて、気になってもいた。何しろ、乃木坂の一つ裏通りに面して黒い板塀をまわして、中は夏草の茂るがままの庭をもつ料亭跡地の本館を、そのまま住まいにしている朱鷺子たちの家は、人々の興味を惹《ひ》くらしく、ふつうの通行人でさえ、ちょっと覗いたり、夜はアベックが忍びこんだりした。
最近は、それに健太郎が言ったような得体の知れない人種が、たしかに徘徊《はいかい》している。ひどい場合は、図々しく庭に入ってきて土地を目測したり、道路に面した塀の長さを測量したりしていた。
バブル経済の崩壊とともに、地上げラッシュは一段落したとはいえ、都心部の土地は引続き、超高値で引き合いが多く、裏を返すとそれだけ狙われてもいるのだ。そういう危険な匂いもするので、朱鷺子としたら伊豆の湯ケ島に撤退するときめた以上、一日も早く乃木坂ホテルとともに、この料亭「玉樹」跡も、適正価格でどこか適当なところに、処分したいと考えてもいるのであった。
「ゆうべも、変な女から電話がかかってきたんだよ。それを教えようと思って待ってたんだけど、義姉さんは帰ってこなかった。いったい、どこに行ってたんだ!」
「私のことより、その変な女からの電話というのは、どういうことなの」
「宮永香穂留《みやながかおる》とか名のってたけどな。兄貴の昔の愛人だったとかで、義姉さんに会いたいという話だったぞ」
またか、と朱鷺子は眉《まゆ》をひそめた。
夫の専太郎が亡くなった直後、その手の女がたくさん現われ、手切金をむしるやら、慰謝料を巻きあげられるやら、てんてこ舞いしたことを憶えている。
「その女《ひと》、どんな用件だったの?」
「それは言わなかったけどな、ちょっと色っぽい声だったから、大方、水商売か粋《いき》すじの女なのかもしれないね。また電話するってさ」
その朝は、そんな具合のことを伝えて、健太郎はぷいっと会社に行った。
健太郎は、大学は電子工学科を出て、大手のコンピュータ会社に就職していた。今、八王子郊外の丘陵部に設置されているその会社の半導体研究所に勤務していた。
数日間は、何事もなかった。夜になると、健太郎は物欲しそうな眼をして、朱鷺子の誘いを待った。
だが朱鷺子は、その視線を拒否して、さっさと自分の部屋にはいって寝た。葉山と会っていらい、なぜか健太郎に身体を許すことにこだわりができたし、正直のところ、許したくはなくなったのである。
夜中に、健太郎が部屋に押し入ってきて、
「どうしたんだい、義姉さん……このところ、冷たいんじゃないか……な、抱かせろ」
むしゃぶりついてきた時も、やめて、という鞭《むち》のような言葉をはさんで、それを厳しく拒否してしまった。
健太郎は物狂おしい眼をむけた。
凶暴な光が、その眼に宿るようになった。
「どうしたんだい、義姉さん。心変わりしたのかい」
「いけないわ、健太郎さん。私たちこれまでが、間違いだったのよ。こういうことは、やはり夫に顔むけできないことなのよ。ね、許して」
「ちきしょうッ。誰か、男を作ったんだろう」
「そういうことじゃないわ。人の道というものがあるのよ。健太郎さんも早くガールフレンドを作りなさい。ね……結婚だって早くしたほうがいいわ……そうしたら私、精一杯、応援するから……」
優しく諭《さと》すと、その夜はそれ以上の行動には出ず、ひどくプライドを傷つけられたように、ぷいっと健太郎は部屋を出ていった。
二日置いて木曜日、健太郎はひどく酔って帰ってきた。朱鷺子が浴衣を着て居間のソファに坐り、テレビをつけっ放しにして文庫本を読んでいると、いきなりドアをあけてはいってきて、鞄を投げだし、炎が噴きだしたような冥《くら》い眼をむけた。
「義姉さん、ちょっと訊きたいことがある。こないだの月曜日の夜は新宿のホテルで、男と泊まってきたんだろッ」
「月曜日の夜って、いつのことなの」
「このあいだ、帰ってこなかった夜だ」
「あら、下落合のお友達の家に泊まってきたと言ったじゃないの」
「うそをつけ。あの晩、新宿のホテルで一緒に食事をしていた男、誰なんだい?」
「あら、健太郎さん、どうしてそんなこと、おっしゃるの?」
「おれの友達が接待であのホテルのレストランに行ってたんだ。すると、義姉さんによく似た女性が通ったので振り返ると、やっぱり義姉さんだったので、よく観察したそうだ。窓際で男とでれでれしていたそうだな。その男、誰なんだい?」
「でれでれなんかしてないわ。あの人、乃木坂のホテルの件で仲介してもらってる近代企画の葉山さんって人よ」
「あいつが葉山か。ホテルハンターで女蕩《おんなたら》しだと聞いてる。まさか義姉さん――」
「何をおっしゃるの。ホテル売買のビジネスで会っただけなのよ」
「ただ、ビジネスだけだったのかい?」
「そうよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「ずい分、仲睦《なかむつ》まじかったそうじゃないか。おまけに、スカイラウンジを出てから、どこか部屋にしけこんだみたいだったと友達は話していたぞ」
「しけこんだなんて、下品なこと、おっしゃらないで」
「だって、そうだろう。あの晩は家に帰らなかった。下落合なんて、うそだ」
「本当に下落合のお友達の家だったのよ。連絡しなかったのは、悪かったと思うわ。今度からは、ちゃんと連絡するわね」
「うそをつけ。あの男と寝たんだろう!」
語尾が荒《すさ》んだものになり、健太郎はけもののような勢いで、不意に朱鷺子の横に坐るなり、荒々しく抱きついて、唇を寄せてきた。
「あッ……そんな乱暴、いけないわ」
朱鷺子は辛うじて、顔を振って唇は避けた。
するとそのとたん、健太郎の手が股間にのびてきて、浴衣の打ちあわせからすべりこみ、秘所に届いていた。
「あ……健太郎さん……おやめになって」
朱鷺子は風呂あがりで、汗ばんだ身体を冷たいクーラーで冷ましていた時なので、ほとんど裸のまま、うすい浴衣を一枚、羽織っていただけなのであった。
従って、パンティさえもはいていない。
そこを粘っこい手で急襲されたので、身を揉んで逃げるひまはなかった。
「な、義姉さん、白状しろよ。あの晩、男と寝てきたんだろう。男とやってきたんだろう。ここに、葉山というやつのものを受け入れたんだろう」
語気が下品《げび》た様相を帯び、荒ぶる魂は秘唇に忍び込ませた指先を、蛇のようにして乱暴に、女の花びらをまさぐりたてた。
「いや……いや……何てことをなさるの!」
「言えよ。正直に言えよ。え、どうなんだ」
健太郎は恥毛を掴んで持ちあげたり、丘の膨らみごと掌で押さえて、指でその全体をいたぶったりした。
「おやめになって。そんなこと、健太郎さんらしくないわ」
「いや……やめないよ。おれだって、やりたいことをやってやる!」
健太郎は朱鷺子をソファに押しつけたまま、不意に足許に跼《かが》んだかと思うと、朱鷺子の脚を強引に開かせ、物狂おしい頭を埋め込んできたのであった。
「あッ! 何をなさるの」
朱鷺子は悲鳴をあげた。
抗《あらが》えない力で乱暴に、朱鷺子はソファに押しつけられていた。健太郎がその両腿に手をかけて高くかかげ、下腹部に屈《かが》みこんで、花芯《かしん》にむしゃぶりついてくる。
「どうしたのよう、健太郎さん。あなたらしくないわ」
朱鷺子は、だめだめ、という声をあげた。
こういう荒々しい振舞いをする健太郎を見るのは、はじめてである。
健太郎はもう、花芯に舌を浸していた。
「あ……そんなこと……いや」
抵抗の声が、甘い呻《うめ》きのようになった。
驚き、狼狽《ろうばい》する心理の裏で一筋、鋭くて甘い感覚が、こみあげてきたのは事実である。
それにしても健太郎は、どうしたのだろう。やらせろ、検査をする、男を作ったのだろう、といいながら健太郎はどうやら嫉妬《しつと》に狂って、朱鷺子をいじめようとしているようである。
勢いは、もうとどまらない。仕返しでもするように、腰をぐいと抱きしめ、内股から茂みの中、クレバスへと顔を押しこくり、獣の舌使いのように舐《な》めあげてくる。
「いやいや、健太郎さん、あなたは今夜、どうかなさってるわ。放して!」
「おれは義姉さんを、放さないよ。おれは義姉さんが、好きなんだ。よその男に取られるのは、いやなんだよ」
「私も健太郎さん、好きよ。専太郎さんを喪《うしな》って淋《さび》しかった間、慰めてくれたんだもの。そのことについては、心から感謝してるわ。でも、でも、私たちの関係ってよく考えると少し変よ。もうそろそろ、清算しなくっちゃ」
朱鷺子がそう言うと、健太郎の身体にぴくっとしたものが伝わり、
「おい、逃げようというのかい、義姉さん。おれは、いやだ……おれは義姉さんを、放さないよ」
健太郎はますます荒々しく、顔をこすりつけてくる。勢いのまま、それだけでは物足りなくなったらしく、指を動員してくる。
クレバスにいきなり指をさし込まれた時、あッと、思いがけない感覚にうたれた。一瞬、朱鷺子の全身がゆるんだ隙《すき》に、健太郎は荒々しく中腰になって、嫉妬と怒りのために怒張《どちよう》していたものを、一気に押し込んできた。
「いやあッ」
両足を宙に高くはねあげられ、男のものが乱暴に押し入ってきた時、朱鷺子の口から悲痛な叫びがほとばしった。
「痛いわ、乱暴はやめて……」
健太郎の胸を突き返そうとする朱鷺子の顔を見おろし、その熱い柔らかい部分にくさびを打ち込んでしまった健太郎は、
「義姉さんが暴れるから、こうするしかないじゃないか。そのうち、いつものように、ひいひいよがり泣きするようにしてやるからな」
勝ち誇ったように、そう言う。そう言いながら健太郎は朱鷺子の両脚をぐいぐいとはねあげ、秘肉の中にずっぷりと入ったものを、ゆるゆると動かしてきた。
健太郎のソファでの強引さは、ほとんど暴漢がか弱い女性をレイプする、といった具合であった。
朱鷺子は両足を宙にはねあげられ、秘肉にもうずっぷりと、猛々《たけだけ》しいものを挿入されているので、どうすることもできない。
「ああ……乱暴はしないで」
「どうだ、いいだろう。義姉さん、いいだろう」
健太郎は勝ち誇ったように動きはじめる。
「義姉さんのここ、ずい分、濡れてきたぜ。さっきはバスルームでシャワープレイをしてたんだろう。一人では淋《さび》しかったんだろう。おれがこうしてぶち込んでやったから、やっと満足してるんだろ。え、そうだろう」
健太郎にこういう陰湿ないじめ癖があるとは、知らなかった。
「なんてこと言うの、健太郎さん」
「お上品ぶることはないよ。感じるなら感じるって、言ってごらんよ」
なおも勝ち誇ったように言いながら、健太郎はねちっこく、腰をふるわしてきた。初め、軋《きし》むような痛みさえあったワギナは、男根が出没するにつれてたしかに濡れはじめ、すべりよくなったのが自分でもわかる。
(ああ……いやだいやだ……こんな愛され方ってないわ)
朱鷺子のそんな思いをよそに、濡れてきたことを感じた健太郎の表情には、どこやら冷笑に似たものがあった。それを感じて、朱鷺子は初めて、この義弟を見損なった男、いやなやつだ、と思った。
今までそんな感情を抱いたことは、一度もない。健太郎をこんな性格の狭小な、意地悪な男だとは、少しも思わなかったのである。だから気を許し、体も許していた。亡夫を喪《うしな》った淋しい期間を、二人で燃えあって、一つ屋根の下で生きてきたのである。
(でも……でも……。この人、何かが変わったわ。今夜を境に何かが、壊れてゆく……)
朱鷺子は、そんな気がした。
しかし、朱鷺子のそんな思いをよそに、健太郎の抽送は、激しくなる一方である。
「ああッ……いや、いや」
感じてきて、朱鷺子はのけぞる。
「ほらほら、しっかり濡れてきて、具合がよくなったみたいじゃないか」
「お願い……やめて」
今や、泣きそうな声になって哀願する朱鷺子である。その身体に、健太郎はなおも荒々しく、男性自身をふるって、出没運動をつづける。
朱鷺子は腰を丸めて、ソファに不自然に押しつけられているので、男としては美女をいじめぬくような、嗜虐的《しぎやくてき》な歓《よろこ》びを覚えるのかもしれない。
健太郎の動きには、そういう許しのない虐《いじ》めと傲《おご》りがあった。火のように熱く、鋼鉄のように硬いものが花びらの奥を突き進み、ひらかれるたび、最初の頃《ころ》とは違う甘美で痛烈な疼《うず》きが広がってきて、朱鷺子は「うッうッ……」と、身悶《みもだ》えるようにして呻《うめ》いた。
「どうだい、義姉さん。ますますよくなってきたみたいだな。その証拠に、ほらほら、締まってきたじゃないか」
健太郎の腰の動きは、女芯《によしん》の締まり具合やうごめきを味わうように、ゆるやかで、落着いたものになった。
かと思うと、再び朱鷺子の太腿を抱え込んで、健太郎は激しく突き、動いたりする。
「あいつとも、こうしてやったんだろう、義姉さん。あいつ、義姉さんに対してどういうことをしたんだ、え……言えよ」
獣じみた唸《うな》り声を発して、腰を打ちつけてくる。
「義姉さん、言えよ」
「いやいやッ……何を言えとおっしゃるの」
「あいつと、やったことを言えよ。あいつに、ワギナの奥をどうドッ突かれたか、言えよ」
あいつ、というのは、もちろん葉山慎介のことのようである。
「いやいやッ、そんなこと聞かないで」
朱鷺子は、耳をふさぎたかった。
健太郎のような言葉遣いで聞かれると、葉山との、あの充実したときめきの夜までが、汚れてしまうような気がした。
それで、朱鷺子が黙ってしまうと、
「ほらほら義姉さん、言えよ。ここがいいと言ったんだろ。ここが……」
健太郎はますます図にのって、インサートしているものをうごめかせてくる。
それはもう、愛している、というより徹底的に犯して、辱《はずか》しめている、という感じであった。
だが、犯され辱しめられているようであっても、その激しいストレートやシュートの連打は、未亡人の朱鷺子を物狂わしくする感覚だった。初めはいやだいやだ、と嫌悪感を抑えることに懸命だった肉体が、いつのまにか男を迎え入れて、燃えあがろうとしている。
その思いがけない喜悦の変化に、朱鷺子はたじろいだ。
「ああ、健太郎さん。優しくして……」
両手を頭にまわして、かき抱く。
すると、健太郎は突如、
「あっ」
と朱鷺子が驚くような振舞いに及んだ。
健太郎はいきなり抜いて絡みを解くと、朱鷺子をソファの下のカーペットにひきずり落とし、そうしてまた押し開いて挿入し直してきたのである。
あとはもう無言だった。けだものだった。黒い突風だった。腰をはずませてダッシュした。自分を無茶苦茶に狂気の中に追いこみ、朱鷺子の中で若々しく荒れ狂うエネルギーを一気に解き放つと、一瞬、全身で激しく痙攣《けいれん》して、朱鷺子の女体にしがみつき、それからどたーッと、横のカーペットにひっくり返ってしまった。
ほんの数呼吸置いて――。
「みろ、義姉さんだって、イッたじゃないか」
自己弁護するように言った。
「健太郎さんの、意地悪ッ!」
「言っておくけどな。おれは義姉さんを、離さないぞ。義姉さんが勝手なことをするんだったら、おれにだって考えがあるからな」
「考えって、どういうことなの」
「この料亭跡地にしろ、乃木坂ホテルにしろ、全面的に義姉さんには委せないってことさ。おれにだって、半分は権利があるんだからな。兄貴から預かっているものもあるんだからな。伊豆源の資産を売ってくれって、おれに相談にくる人間も大勢いるんだぞ」
健太郎は何気なく言ったが、資産売却の話を健太郎に持ちかけている人間がいる、という話は、朱鷺子には初耳であった。不気味でもあった。
(それって、どういうことなのかしら。健太郎さんに資産売却を持ちかける人間というのは、どういう連中なのかしら。もしかしたら、誰かよからぬ人々に、健太郎さんはおだてられて、取りこまれはじめているのではないかしら……?)
朱鷺子の中で、ちらとそんな悪い予感が掠《かす》めた。
「誰なの? あなたに近づいている人たちって」
「それは言えないさ。まだ秘密交渉中ってところだからね」
「専太郎さんから預かっているものって、何なの」
「それも、マル秘。大事なハンコの類いかもしれないし、どこかの地所の権利証かもしれない。ま、義姉さんが葉山なんてやつと、勝手な乳くりあいをやって、勝手なビジネスやろうっていうのなら、おれにだって、それなりの考えがあるってことさ。それを伝えたかったんだ。義姉さんがほかのやつに心を許すなんて、いやだからね」
(なんだ、ただの嫉妬だったの。健太郎さんは私と葉山さんの仲に気づいて、仲を引き裂こうとして、脅しをかけてきたんだわ……)
と、朱鷺子は解釈した。
しかし、それ以上、深く考えはしなかった。その時の健太郎の言葉が、あとでとんでもない事件に発展する予兆であったとは、朱鷺子は想像もしなかったのである。
日曜日の朝だった。
朱鷺子は、浴室でシャワーを浴びていた。
葉山としばらく会わないうちに、朱鷺子は自分の身体と心に、ある明瞭《めいりよう》な変化が起きつつあることに気づいていた。
まずはっきりいって、自分の身体が何かにつけ、濡れやすくなっている。自然に濡れてくるわけではない。檜町の広い家を掃除する合間、ふとぼんやりと佇《たたず》んで葉山との夜の体位を思いだした時とか、テレビの男女のシーンを見ている時など、ふとしたはずみに触発されて身体の奥が火照《ほて》りだすと、下腹部に意識が集中し、ひとりでに潤ってくるのがわかる。
(いやだわ、私ったら……)
その朝も、そうだった。八月末だ。外出する用事もない日だったので、朝から久しぶりに家の掃除、洗濯をすると、もう汗びっしょりになった。
シャワーでも浴びようと思って、浴室にはいって脱いだ時、ショーツの局所の部分が、明らかに汗とは違うものでぐっしょり濡れていることを発見して、驚いたのである。
(まあ、私ったら……)
朱鷺子はひどく恥ずかしくなって、勢いよくバスルームに飛びこみ、シャワーを浴びているうち、ほとばしる湯音の合間に、リビングのほうで電話が鳴っているのに気づいた。気のせいかと思って、ノズルを絞ってみると、ハッキリと電話のベルの音が聞こえてきた。
「困ったわ。誰かしら……?」
電話は、鳴りやまなかった。
朱鷺子は、服を身につけるのは面倒だったので、大急ぎでバスタオルで胸だけを隠して、スリッパもはかずに浴室を飛びだした。
電話台は、リビングの脇にある。
「はい、門倉《かどくら》でございますが」
受話器を取りあげると、
「伊豆源の奥さんかい?」
変にドスのきいた声が鼓膜に響いた。
「そうですが」
「あんたの亭主に世話になっていた香穂留が子供を産んだんだ。今、まだ病院だけどね。令夫人の耳にも一応、入れておこうと思ってね」
「カオルって、誰のことです?」
「これはおとぼけ。香穂留というのはおれの妹さ。そうしてあんたの亭主、門倉専太郎の愛人だった女さ。香穂留はけなげにも愛する男の種を妊《みごも》ってね。処置もせずに立派に産んで、育てようとしてるんだよ」
そう言う男の声の背後に、朱鷺子は、黒い突風を感じた。
思いがけない電話であった。
亡夫に幾人かの愛人がいたことは知っていたが、隠し種があったことまでは知らなかった。
そんな馬鹿なことってあるかしら、と朱鷺子は思い、それで電話の相手に、
「おたく、どなた?」
と、努めて冷静に聞いた。
すると、電話のむこうの男は、
「だから、宮永香穂留の兄貴だと言ってるだろう。おれはずい分、反対したんだけどよ。妹のやつはどうしても愛する男の子供を産むといってきかなかったんだ。今、母子とも病院で元気だぜ」
ねちねちとそんなことを言う。だめよ、こんな男は相手にしないほうがいい、と朱鷺子は判断して、
「主人はもう、半年も前に亡くなっております。私には関係のないことだと思いますから、電話を切らせていただきます」
「おっと、待ってくれよ」
男が、ドスを利かせた声をだした。
「関係ないこと、ないだろう。あんたは門倉専太郎の未亡人だ。つまり、門倉財閥の遺産を全部、受け継いだわけだろ。その亡夫の愛人が子供を産んだんだ。ちょっとやそっとの慰謝料や養育費では、片づかないと思うがね」
声の背後に、悪意のある黒い企《たくら》みを感じた。
(これは、相当に根が深い企みだわ。計画的なゆすり、たかりだろうか……?)
裸身にバスタオルを巻いただけの姿で、受話器を握っている朱鷺子は、荒野にたった一人で、裸で立たされているような恐怖を感じた。たしかに、亡夫専太郎には生前、たくさんの愛人がいた。そのことで、朱鷺子は苦労もした。
しかし、ガンに侵《おか》されて死期が近づいた時、その大方は枕許《まくらもと》に呼んで、お別れのセレモニーもしたし、朱鷺子のほうで恥ずかしくない額の謝礼金も渡して、それぞれ文句をつけられない処置をしてきたつもりである。
(それなのに、まだ遺漏があったというのだろうか。しかも子供まで産んだなんて、ずい分、悪質な脅迫だわ……)
先日、健太郎が受けた電話というのは、その女からのようである。朱鷺子はどう考えても、宮永香穂留という女には、思いあたらない。仮に専太郎といささかの縁があったとしても、その兄という男が今頃《いまごろ》、ねじ込んでくるというのは筋違いである。
朱鷺子は突っぱねるようにして、
「ともかく私にはそんな女性、思いあたりません。それに亡くなった夫のことは、私とはもう関《かか》わりがございませんから、失礼させていただきます」
そう言って、電話を切ろうとすると、
「おい、待ちなよ」
男は、不意に凄《すご》んできた。
「あんた、そんなこと言っていいのか」
「え?」
「人間同士ってものは、信義が第一だろう。妹への慰謝料や養育費、金で片づくものなら金で片づけたほうが賢いということが、わからねえのか」
「どういうことでしょう」
「自分の頭で考えてみるんだな」
「わからないから、聞いています」
「あんたの身体で払ってもらう場合もあるってことさ」
電話の男は、慰謝料をださないのなら、朱鷺子の身体で払ってもらおうじゃないか、と凄んだ。
「脅迫なさるんですか」
「おれは事実を言ってるだけのことさ。金で払えなければ、身体で払ってもらうしかあるめえ。そうでなくったって、妹の香穂留はあんたの亭主にさんざん、おもちゃにされたんだ。今度はおれが、あんたをおもちゃにしても、神様は怒るめえよ」
男はねちねちと、そう言いつのる。
朱鷺子は、一筋縄ではゆかないと観念して、
「いったい、おいくらぐらい払えばいいんでしょうか」
「そうさな。妹が一生、あんたの亡夫の隠し子を育ててゆくんだ。今どきのせち辛い世の中じゃ、五千万円ではきくめえ。マンションの一つも考えれば、一億円ってとこになるかもしれねえな」
(まあ、一億円だなんて……!)
冗談にも程があるわ、と朱鷺子は眼から火が出そうな怒りにかられて、
「何の根拠もない言いがかりに、つきあってはおられません。電話を切ります」
「まあ、そうあわてるな。慰謝料の値段は交渉によりけりさ。一度、あんたとゆっくり話しあおうじゃないか……」
なおも言いかけていた男の声を一方的に振り切って、朱鷺子は電話を切った。
切っても、佇《たたず》んでいる背中から、冷や汗がどどーっと流れた。
電話台の傍を離れようとした時、また電話が鳴りだした。
今の男からに違いない、と思って朱鷺子は受話器を一度、宙に持ちあげ、そうして、
――ガチャーンッ!
と、フックに戻した。
さすがに、もう鳴らなくなった。
(ばかにしてるわ!)
朱鷺子は全身、怒りにかられて、バスルームに飛び込み、浴びかけていたシャワーを浴びはじめた。
正午すぎに、雷雨が走りすぎた。
雨はでも、すぐにあがった。月曜日のその午後、朱鷺子が買い物に出て、乃木坂のほうに帰りかけようとした時、
「あの、ちょっと――」
うしろから、呼びとめられた。
赤坂の三筋通りであった。朱鷺子が振りむくと、若い男が近づいてきた。
「伊豆源の奥様じゃありませんか」
「そうですが」
「乃木坂不動産の梨田《なしだ》と申します。うちの社長がちょっと奥さんに用事があると言っています。時間は取らせませんから、そこまでご足労願えないでしょうか」
「用事というのは、どういうことでしょう」
「亡くなられたご主人のことで、何かお耳に入れておきたいことがあるそうで」
乃木坂不動産という会社は、赤坂|界隈《かいわい》にたくさんの貸ビルや地所をもつ不動産会社である。亡夫の専太郎が、そこの社長の田宮文蔵《たみやぶんぞう》と交際があったことは、聞いている。
「今すぐなんでしょうか?」
「ええ、お手間はとらせません。社長はすぐそこの本社にいますから、ご案内します」
梨田と名のった男は、先に立って三筋通りから乃木坂への通りに入った。仕方なく、朱鷺子もそのあとに従った。
「ここです。どうぞ」
梨田は近くのビルの中に入ってゆく。
朱鷺子が不審に思いながらもついてゆくと、エレベーターをあけて、待機している。
「どうぞ、お乗り下さい。ここの八階に特別応接室がございます」
何から何までソツなく案内しているところをみると、梨田は朱鷺子の通る時間に、待ち伏せしていたようである。
といって、別段、警戒することも思い浮かばなかったので、一緒にエレベーターに乗った。エレベーターは八階に着いた。
降りたところのエレベーターホールには、ベンジャミンの鉢ものなど観葉植物が配され、会社でいえば、いわば役員室フロアであり、社長室か重役室といった趣きの部屋のドアがあった。
男は、そのドアをノックした。
「伊豆源の奥様をおつれしました」
「おう。はいりたまえ」
中から返事があって、朱鷺子は梨田に背中を押された。
はいると、絨毯《じゆうたん》の敷かれた広い部屋。シャンデリアもあれば、ソファもテーブルもウイスキー・キャビネットもあって、立派な社長応接室といった趣きである。
中央の執務机に一人の男が坐《すわ》っていた。
脂《あぶら》ぎった六十男。猫背で猪首の、しかし闘犬のように、迫力のある男であった。
「社長、おつれしました。この方が――」
「ああ、門倉君の奥様ですね。よくいらっしゃいました。そこへおかけ下さい」
田宮文蔵はじろおーッと、朱鷺子の全身を眺めた。それはまるで、衣服をすべて脱がせて、裸にして眺めているような好色そうな眼であった。
朱鷺子は女の本能の部分で何とはなしに危険を感じ、背すじを硬《こわ》ばらせて、身体をすくめた。
社長執務机に坐っている田宮文蔵の両側に、二人もの男が立っている。朱鷺子を案内してきた梨田を入れて、男は四人である。世間から隔絶された部屋で、女はたった一人になって、朱鷺子は不意に心細さを覚えたのである。
「どうなさいました。かけなさい」
田宮がもう一度、言った。
言われるまま、朱鷺子はそこのソファに坐った。田宮は机から身をのりだし、
「奥さんに来ていただいたのは、他《ほか》でもない。まず、ご紹介しましょう。この男が――」と言って、田宮は右側の男を振り返った。
「私どもの社員の宮永といいます。数日前、奥さんのところに電話をかけた男、といえば思いだしていただけるでしょうか。そう、宮永の妹があなたのご主人、専太郎さんの子供を孕《はら》んで無事、出産したところらしい。電話ではうまく交渉がまとまらなかったようですから、ちゃんと話をつけるために、ここに来てもらいました。それが用件の一つです」
田宮は一方的に喋《しやべ》っていたが、朱鷺子は、話の途中から、あッと天地がひっくり返ったような驚きに打たれた。
(宮永というこの男が、妹をおもちゃにされたといって、法外な慰謝料と養育費を吹っかけてきた男なんだわ……)
その宮永の電話を嚆矢《こうし》として、今、自分がこんなところに引きずり込まれているということに、朱鷺子は理不尽な罠《わな》を感じた。
田宮文蔵は、まだ喋っていた。
「さて、申し遅れましたが、私は乃木坂不動産と昭栄金融という会社を経営している赤坂総業の社長の田宮です。商売柄、亡くなられたご主人、専太郎さんとも古いつきあいがありました。早い話、専太郎さんに頼まれて、二億ばかり事業資金を融通してやったこともありますが、実のところ、そのお金がまだ返却されてはおりません。それを奥さんにお知らせしておこうと思いましてね」
意外なことを切りだされて、
「亡くなった主人が……? あなたから二億もの借金を……?」
朱鷺子は、ひと言ずつ、確認するように、区切るようにして呟《つぶや》いた。
「ええ、そうです。借用証もあります。お見せしましょうか」
「まさか、うそです。信じられません」
「奥さんが驚くのも無理はない。ご主人はずい分、罪作りというか、禍根を残して亡くなられましたね。いずれにしろ私の分が二億、宮永への慰謝料が一億。……しめて三億。私たちは奥さんにちゃんと、耳を揃《そろ》えて払っていただきたいわけです」
「ちょっと……ちょっと……待って下さい。それは何かの間違いです。さもなければ、言いがかりです。そんな借金があるはずはありません!」
朱鷺子は眼の前がまっ暗になった。
「払ってくれないのですか?」
田宮文蔵が意地悪な眼をむけた。
「待って下さい。払うにしても、まず証文を見せて下さい」
「お見せしましょう。梨田、これを奥さんに」
田宮が卓上の借用証を、梨田に渡した。
梨田が持参したものを見て、朱鷺子はますます眼の前がまっ暗になり、身体がすうーっと暗い奈落に堕《お》ち込んでゆくような心細さを覚えた。
たしかに、亡夫が田宮文蔵から借りたという証文であり、印鑑までが伊豆源の社長印であった。
「どうです。これでおわかりでしょう。期限も、もうとっくに過ぎていて、利子も相当な額になっている。元利を揃《そろ》えて、急いで返してほしいものですな」
田宮は、勝ち誇ったような顔をしていた。
「ちょっと、待って下さい。今、私の手許にお金はございません。ちょうど、乃木坂ホテルと玉樹を売りにだしているところです。もう少しで商談が成立するところですから、まとまりましたら」
すると、田宮がにわかに身を乗りだし、
「そうそう、その件です、奥さん。乃木坂ホテルと玉樹の跡を、よそに売られたら、私どもは困る。あれは私とご主人との借用証書の担保に入っています。あの二つの物件、私の会社にお譲りいただけませんか?」
無造作に田宮が切りだした時、朱鷺子にも田宮たちの真の狙いがわかって、あッと思った。
地上げ屋としても有名な乃木坂不動産の社長、田宮文蔵の本当の狙いは、朱鷺子と東京アパレルとの商談を妨害し、伊豆源が所有している乃木坂ホテルと玉樹の跡地とを、自分の支配下で動かせるように、手に入れることではなかったのか。
「もちろん、ただでとは言わない。時価以上の評価額で引きとらせていただきますよ。その中から、当社へのご主人の借金も宮永への慰謝料も、自動的に差し引けばいい」
「いえ。あれは今、近代企画を通じて、東京アパレルさんとの間で、商談をすすめておりますから」
「いやだ、とおっしゃるわけですか?」
「はい。あれは今――」
「ほう、金は払わない。乃木坂ホテルを売るのもいやだとおっしゃる。それじゃ、奥さんの身体で、毎月、膨れあがる利子ぐらい、払っていただくしかないでしょうな」
梨田、あれを見せてやれ、と田宮が言った時、横のアコーディオンカーテンのボタンが押され、するすると自動扉が左右に開いた。そこに見えてきた隣室の光景に眼をやった時、あっと朱鷺子は声をあげそうになった。シャンデリアの真下に、大きなキングサイズのベッドがあった。その上で今、一組の男女が裸で絡《もつ》れあっていたのである。
なぜ、どういう意図で、田宮はそんな露骨な光景を朱鷺子に見せたのだろうか。それはわからない。
しかし、皓々《こうこう》たるライトに照らされたベッドの上では今、一組の男女があからさまな姿で裸身をもつれあわせ、キスからペッティングをしあって、性交になだれこもうとしていたのであった。
(まあ、失礼だわ。これはどういうこと……?)
朱鷺子が息をのむうちにも、やれやれ、と男たちがはやしたてた。
今、女は朱鷺子のほうに大きく内股をひろげて、秘所を露《あら》わに見せている。
仰むけに横たわった女の、黒い茂みのようすが、くっきりと覗《のぞ》いた。そこに横からのびた男の太い手が置かれ、茂みの中で指がうごめいていた。
二人は接吻《せつぷん》しながら、相互愛撫を繰り広げている。微《かす》かな呻《うめ》き声が洩《も》れ、女の腰が揺れた。片脚だけ、軽く持ちあげられようとしている。茂みの中でうごめいていた男の指が、紅色の割れ目に沿ってもぐりこみ、小さな上下動を繰り返すのがわかった。
やがてその指は、うるみの中に埋まり込み、女の赤い果肉がうっすらと暗赤色の輝きを放ちはじめ、ああっと、女の押し殺したような声が噴いて、耳をふるわしてきた。
朱鷺子は、胸が息苦しくなった。実演というにはあまりにもリアル。またこういう場所で、そんなことをやる意味がわかりかねた。それで朱鷺子は、ついカッとして、
「失礼ですわ! どうして私に、こういうものを見せるんですか!」
「おやおや、顔がまっ赤になって、眼がランラン。満更でもない顔してらっしゃるくせに」
「冗談じゃないわ。侮辱《ぶじよく》しないで」
「侮辱か、ほう」
田宮が、うっすらと笑った。
「面白い見物《みもの》だと、喜んでいただけると思っておりましたがね」
「理由をおっしゃい、理由を。なぜ私にこんなものを見せるんですか」
「早く奥さんに、慣れてもらいたいからですよ」
「え?」
「人間というものは、ばかじゃない。何事であれ、一目見ればすぐに慣れる。百の説法より、ひとつの実行といいましてね」
「もってまわった言い方はよして」
「つまりねえ、あなたに学習してもらっているわけです。あの二人と同じように、奥さんに今からそこで、本番男優と愛情行為をやってほしいわけです」
「本番を……? 私に……? まあ、何てことおっしゃるの!」
「そう怒るもんじゃない。乃木坂ホテルは渡さない、元金も利子も慰謝料も払わない、というんじゃ、本番やってもらうしかありませんね。紹介が遅れましたが、そこの男は児玉《こだま》といって、ビデオ産業分野の私の子会社でプロデューサー兼監督をやっている男です。ま、はっきり言ってAV業界の鬼才。赤坂の財閥|美貌《びぼう》未亡人をモデルに、熟女乱悦|悶絶《もんぜつ》編という超官能AVを撮るには、うってつけの男です。――児玉、遠慮することはない、はじめろ!」
田宮文蔵が、そう指示した。
「何をぐずぐずしている。児玉、遠慮することはない。始めろ」
始めろ、というのは朱鷺子をベッドにのせて、本番行為をしろ、という意味のようであった。
朱鷺子が身体を硬くした時、二人の男が近づいてきた。
梨田と宮永だった。児玉はAVの監督なので、ベッドのむこうにまわって、カメラやライティングを指示している。
「いやッ……やめて!」
朱鷺子は大きな声をあげた。二人がかりで身体を掴《つか》まれ、ベッドのほうに運ばれようとしたからである。
二人とも屈強な男だった。力ではかなわないので、
「お願い……! やめてください」
朱鷺子は、そう哀願した。
しかし、二人の男の両腕に力が加わった。朱鷺子の身体が軽々とソファから浮き、ベッドのほうに運ばれてゆく。
「いまさら逃げようたって、だめなんだよう」
梨田が言えば、
「おれの妹はあんたの亭主におもちゃにされたんだ。今度はおれがあんたをおもちゃにする番さ」
宮永が、そううそぶいた。
二人の男に担がれ、ひきずられて、朱鷺子は隣室のほうに移された。抱かれた拍子に、宮永の両手が、乳房に押しあてられていた。
そこがサマーニットのワンピースの上から、柔らかく揉《も》まれる。指は的確に乳首のありかを知っていた。
「いい身体してるじゃないか。そう硬くなるもんじゃない。今に楽しませてやるからさあ」
「いやです。やめて、やめて」
「いやでは、ドラマがはじまらないんだよう。未亡人乱悦悶絶シーンというドラマの目玉シーンがね」
抗《あらが》ううちにも、朱鷺子の躯《からだ》はベッドの上に放り投げられ、押し倒されていた。
熱い息を吐いて宮永がのしかかってくる。
「いやッ……やめて……お願い!」
両脚をばたつかせたはずみに、ニットのワンピースの裾《すそ》がめくれた。梨田がすばやくその裾を握り、思いっきりめくってゆく。
「あッ……何てことするの」
悲鳴に近い声になった。
朱鷺子は、パンストというものをはかない。近所に買い物に行ったついでだったので、素足にサンダル・シューズであった。
従って、股間は薄手のパンティだけである。そのパンティに男の手がかかっていた。ひッ、と声をあげた時、するするっと、パンティが足許にずりさげられてゆく。
秘毛が空気にそよぎたつのがわかった。そこに宮永の手がのびていた。秘毛が撫でられ、指の一つが遠慮なくクレバスに分け入ってきた。
「おッ、すてきな花びらじゃないか。熱く潤んでるぜ。吸いつきてえよ」
宮永は両脚を思いっきり分けて、朱鷺子の最も恥ずかしいところに、顔を埋めてきた。
朱鷺子は押さえられ、秘所に顔を埋められ、いきなりクレバスを吸われて、ひっと喉が笛のような悲鳴をあげた。
「あッ……いやいや」
朱鷺子は思いっきり、腰をひねった。はずみに宮永の顔は朱鷺子の腰骨にあたって、はね飛ばされそうになった。
「あばれやがる。この、あま!」
宮永の拳が、朱鷺子の腹部を殴った。
「うっ」
と、朱鷺子は呻《うめ》いた。
「おい、あんまり乱暴なことはするな。気分がこわれる」
耳許《みみもと》でそう言ったのは、これも上半身を押しつけている梨田だった。
梨田の手もいつの間にかワンピースのファスナーをおろしてたくしあげてしまい、ブラをはずし、乳房を露《あら》わにさせていた。
「な、奥さん。暴れたりしなければ、痛い目に会わなくてすむ。暴力で凌辱《りようじよく》するシーンは、台本にはないんだよ。それより、淋《さび》しい未亡人を二人掛りで極楽往生させてやろうっていう乱悦悶絶編だから、気をだしてもらわなくっちゃ、困るんだよ。気をさあ」
言いながら、梨田の舌が、乳房を這《は》いはじめた。片手は、膨らみの裾野《すその》をみっしりと揉《も》んでいる。
朱鷺子は鳩尾《みぞおち》を殴られたショックから、半ば放心状態になりかけていた。まだ呼吸が苦しい。喘《あえ》ぐように呼吸をつないでいるうちに、
(これは、ひどい……ひどい……理不尽な凌辱でありすぎる……)
肚《はら》の底から、怒りが湧いた。しかし、その怒りは黒い突風に吹き消されてゆく。
(この男たち、職業的な地面師だろうか。主人を失って斜陽となった伊豆源が遊ばせている赤坂の料亭跡地と乃木坂ホテルを狙って、こういうあくどい罠を仕掛けてきたのだろうか……?)
そんなことを思っているうちにも、宮永がまた両下肢の間に入って、秘所をいたぶりはじめていた。
「本当にもう、止《や》めて下さい。……警察に訴えます」
「訴えたけりゃ、訴えな。慰謝料は払わないし、借金を踏み倒そうとしているのは、どっちだろうな」
人を喰《く》ったような返事が返ってきた。
ナイフがピタピタと朱鷺子の首筋を叩いた。
梨田は凶器まで小道具として手にしている。ただの小道具ならいいが、本当に凶器として使われると、どうしよう。
恐怖が朱鷺子の背すじをはしった。
「奥さん、そう硬くなるもんじゃないよ。ねえ、命をもらおうってわけじゃないんだ」
梨田が言い、宮永が秘所をいたぶりつづけている。
「あン……だめだめ……そこ……やめて!」
朱鷺子が叫んだ瞬間、背後でちょっとした騒ぎが起きた。
部屋のアコーディオンカーテンの陰から、突然、一人の若い男が飛びこみ、
「おい。約束が違うじゃないか! 約束が違う!」
と叫んで、ベッドに駆け寄ろうとしたのである。
「義姉さんを放せ! 義姉さんに、何するんだ!」
その声にハッとして、朱鷺子が半身を起こすと、健太郎が飛びこんできて、数人の男たちに阻止されようとしていた。
朱鷺子は眼を瞠《みは》った。
「まあ、健太郎さん。どうしてこんなところに!?」
声をあげたが、しかし朱鷺子の口は梨田によって、すぐにふさがれ、押さえられた。
健太郎は男たちに取り押さえられながら、それでも田宮文蔵のほうに近づこうとして、
「おい、約束が違うじゃないか! こんなことは話に聞いてないぞ! ちきしょう、義姉さんを放せ!」
そう叫んでいる。
「社長! 何とか返事をしろ! 印鑑をもちだして契約書作りに協力すれば、近代企画社の葉山と義姉さんの仲ぐらい、一発で裂《さ》いてやる、と言ったのは、あんただぞ! 義姉さんに、どうしてこんなことをするんだ! ちきしょうッ、義姉さんを放せ!」
健太郎は、まっ赤な顔をしてそう怒鳴って、田宮文蔵に喰いさがろうとしている。
「うるさい小僧っ子だな。シラけるぜ」
誰かがぶつくさ、文句を言った。
「ぶん殴っちまえ、そんなやつ!」
「カット、カット! カメラを止めろ」
男たちが混乱しながらも、健太郎を引きずりだそうとすると、
「ちきしょう! 義姉さんを放せッ、おまえたちがそんな卑怯《ひきよう》なことをして、おれたち伊豆源の姉弟を罠にかけるんなら、おれは訴えるぞ! 警察に訴えて、赤坂総業の陰謀を何もかも、ばらしてしまうぞ!」
健太郎は渾身の力をこめて反抗しながら、そう絶叫していた。
田宮文蔵が、不機嫌に怒鳴った。
「梨田! なに手加減してるんだ。そんな若僧くらい、早くつまみ出せ。印鑑と権利証はこっちに預かってるんだから、もう用はない。そんな若僧くらい、首根っこへし折って、外につまみだせ!」
田宮文蔵が容赦なく、そう命令している。
「義姉さーん!」
「健太郎さーん!」
健太郎は数人の男にぶん殴られ、袋叩きにされ、部屋の外につまみだされた。
「さて、これで邪魔者はいなくなった。心おきなく、撮影しようぜ。――スタート!」
児玉の声が張り切った響きを伝えた。
数人の男の眼がいっせいに朱鷺子のほうに戻り、カメラが回りはじめた。
「さ、奥さん。もう気が散るようなことは片づいたよ。心おきなく楽しもうよ」
言いながら宮永の手が、朱鷺子の茂みを何度も撫でたり、こすったり、ラビアを指でまさぐったりした。
「いいお毛々、してるじゃないか」
「お願い! もうやめて……!」
最後の力で身をよじった。そのはずみに、太腿をさらに大きく割られた。宮永が、両下肢の間で中腰になった。黒々と濡れ光る仰角のものが視野に揺れた瞬間、朱鷺子はああ……と、深い絶望感に襲われた。
「やめて、それだけは……お願い!」
だが、宮永は容赦しなかった。
仰角のものが、女芯《によしん》に押しあたってきた。
赤黒い男根は、これ見よがしに膣口部《ちつこうぶ》の蜜の中にひたって、掻《か》きまわすように動き、割れ目をくつろがせていた。
朱鷺子は、もう絶体絶命だった。
押し伏せた宮永と梨田は、もしかしたら、本番男優というものかもしれない。
ライトが照り、カメラがまわっている人前なのに、臆したところがない。
慣れている。凌辱シーンをさらにそれらしく効果あらしめるために、朱鷺子の抗《あらが》いを上手にたぐり寄せながら、男性機能を凜々《りんりん》とみなぎらせているのだった。
それはもう、あたっていた。
宮永の仰角が、秘唇を押し分け、膣口部を掻きまわす。
「あッ……いやいや」
クレバスとラビアがいたぶられるにつれ、顔のそばで光るナイフにも怯《おび》えて、朱鷺子はもう半ば、観念するように、眼を閉じた。
すると、宮永が意外にも、
「どうだ、奥さん。今ならまだ間にあうんだぜ。乃木坂ホテルを近代企画に委《まか》せずに、田宮社長の赤坂総業に委せると約束してくれれば、これ以上はやらねえよ」
そんなことを言った。
「亭主の借金も負けてやっていいし、妹の慰謝料も撤回するよ。どうだい、乃木坂ホテルを赤坂総業に委せてくれないかね」
どうやら、この男たちの本当の狙いは、やはりそこにあるようである。
「いやです。それはできません。もうあれは、近代企画さんにお委せしています」
「そこをさあ、何とか」
「いやです。こんな仕打ちをなさる人たちには、絶対に委せられません」
「強情な女だな。犯されて、まわされて、撮られていいのか」
「何度聞かれても、同じです。あれはもう私の手から離れています。こんな凌辱までして手に入れようなんて、理不尽です!」
「ほう、理不尽か」
頭上で、田宮文蔵の声が響いた。
「強情な奥さんだな。宮永、可愛がってやれ。それならしっかりその身体で、借金を返してもらおうじゃないか」
ライトが少し、暗くなった。田宮文蔵は後ろへ退《さが》ったようだった。
そして次の瞬間、不意に宮永が、朱鷺子の両の膝《ひざ》をすくいあげるようにして抱えた。
朱鷺子の身体がすべり、背すじが折れ、腰が浮いた。宮永がつよい勢いで性器を押しつけてきた。
朱鷺子はもがいた。
宮永は一気に押し入れてきた。朱鷺子は思わず、声をあげた。
いま、自分の身に起きていることが、現実のものとは思えないような気がした。
「ああッ……何てことするの……」
宮永はもうみっしりと動き始めていた。
宮永のものは熱くて、大きい。
朱鷺子の秘肉を恐るべきパワーで出入りする。
「宮永、そうそう、しっかりやれ。おめえの妹は、門倉の亭主におもちゃにされたんだ。その仕返しに奥さんをおもちゃにしても、神さまはバチを与えないだろうぜ」
宮永は励みながら、時折、男根をとば口すれすれまで抜く。
「ほら、カメラさん、アップだよ。ここ狙ってよ。見事な乱熟カトリーヌちゃん」
濡れた赤黒いものが女芯《によしん》に半分ほど入っているところを、ド迫力のアップにしようとしている。
「お、いいねえ。モザイクで消すなんて、もったいないねえ」
カメラマンが相槌《あいづち》を打っている。
「ばーか、裏ビデオは、モザイクなんかかけやしねえよ。この奥さん、ホンマ、ええお道具もってはるわ。しっかりここ、ドキュメントしといてよ」
そんなことを言いながら、宮永はまた再び、みっしり、みっしり、動きだすのだった。
宮永の火のように熱く硬化した肉塊は、朱鷺子の熱く熟した花肉の内側に、深々と突き刺さって、うごめく。
浅瀬のところを掻《か》き回されたり、奥を突かれたりする操作のたびに、朱鷺子は意識では怒り狂いながら、頭の中に赤い霧がなぐりかかってくるのを感じた。
赤い霧は、逃れようのない黒い性感だった。自らの求める性感ではないが、無理強いに与えられるものは、それに似ていて、痛烈な嗜虐《しぎやく》の快美感でさえある。宮永が双臀《そうでん》を掴《つか》み、ぐいぐい引きつけるようにしながら、腰をぶつけるたび、その気の遠くなるような思いは、深くなってゆく。
朱鷺子は今や、意識と肉体が、トカゲの尻尾のように切りはなされて、熱い女体だけが勝手に、くねくねとうごめいているのを感じた。
「おッ……凄《すげ》え。どぼっとあふれてきたぞ」
宮永はますます辱しめるように、
「ほらほら、腰を使ってきやがった。この奥さん、たまんない味だぜ」
朱鷺子はそんな辱しめの声を、魂が消え入るような気持ちで聞いていた。自分の顔が今、どうなっているのか。声や姿態が、どうなっているのかが、わからない。
押さえようとしても、汚辱感が胸許《むなもと》にこみあげ、乳色の汗ばんだ肩先を小刻みに慄《ふる》わせて口惜《くや》しがりながら、そのくせ、躯《からだ》は意識を裏切って、あくまでも魔性の淫楽《いんらく》を感じているのであった。
(ああ、もうどうにでもしてッ……私をいっそ殺して……殺して)
声にこそ出さないが、朱鷺子が半ばすてばちに、そう呟《つぶや》いているうちにも、
「よ、奥さん、まだかい。まだいかねえかい」宮永は腰の動きを早めたり、また、ゆるめたりして、朱鷺子を高みへ追いあげる。
宮永の太く怒張した肉塊を、深く咥《くわ》えこんでいるその部分の強い収縮は、朱鷺子の気持ちに拘《かか》わりなくヒクヒクと痙攣《けいれん》し、その溶けるような粘っこい吸収力は、今や経験豊かなはずの宮永を、逆に翻弄《ほんろう》しはじめている。
「お、お……冗談じゃない。お……お……オレ、いきそうだ」
宮永が狼狽《ろうばい》したような声をあげた。
主客転倒とは、このことだろうか。
今まで、犯していたはずの宮永が、朱鷺子の秘肉の味わいに舞いあがって、早くも爆《は》ぜそうになっていた。
「おッ……たまんねえよ。この奥さん、いいお道具してやがる……う、う、いきそう!」
宮永がしがみついて、呻《うめ》いた。
それはまさに射精しそうになる自分に、キリキリ舞いしながら、何とか持ちこたえようとしている、本番男優の必死の形相だった。
だが、朱鷺子にはそんなことはわからない。というより、朱鷺子にはそんな他者のことを意識する気持ちより、彼女自身、その異常な環境の中で、複数の男によって与えられた肉の快楽に、自分をコントロールすることができなくなっているのである。
朱鷺子の、自分の狂態を何とか押さえようとする悩ましい身悶《みもだ》え。そして、いって、お願い、いって頂戴《ちようだい》、という哀《かな》しげなすすり泣き。そんな女の哀切で濃厚な惑溺《わくでき》ぶりが、かえって、この場の男たちの脳を熱く灼《や》きちぎっていることには、気づいてもいない。
「ああ……ああ……そんなことしないで……私を……私を……色情狂にしないで……」
乳房を二つの掌《てのひら》で揉《も》まれ、ねぶられながら、女芯《によしん》にも激しい出没運動が加わるにつれ、
「あっ、あっ……あっ……」
急に朱鷺子は、どうにも耐え切れなくなったように、汗ばんだうなじを大きくのけぞらせて、呻いた。
男の灼熱《しやくねつ》の肉棒で、くり返し突かれたり引かれたりされているのだから、それはもう肉体そのものの生理の中で、極限の状態が訪れることになる。
いやいや……そんなになっては負けだ。理不尽すぎる。おもちゃにされて歓《よろこ》ぶなんて……いやいや……朱鷺子は真っ赤に上気した顔を揺さぶり、いけない、いってはいけない、と自分を叱咤《しつた》した。
しかし、もうどうにも耐えようがなくなっていた。宮永の火のように熱い肉棒で蜜の海を突きまわされるにつれ、鋭い快美感が頭の芯まで伝わってきた。
「ああ……だめ……いやだ……いやだ……わたしったら……いきますわッ」
朱鷺子が肺腑《はいふ》をえぐられるような鋭い喜悦の声をふり絞ると、宮永はひしと抱きしめて呻きつづけ、まわりは波を打ったように、しーんと静かになった。予想外のぶっつけ本番の効果に、AV馴《な》れした連中まで、心を奪われているようだ。宮永が呪縛《じゆばく》の奥で、やっと呻くように、
「ね、ね、奥さん、おれもいくよ。いきそう。いっしょにゆこうよ」
そう言い、激しく腰を使いだした。
「ああ……いや、いや……いきそーッ」
突如、朱鷺子の身体を絶頂痙攣《ぜつちようけいれん》が襲った。朱色のめまいが脳内を占め、朱鷺子は宮永を乗せあげた裸身を弓なりに反らし、大きく呻いた。
すーっと気が遠くなって、朱鷺子は横にがっくりと顔を伏せた。
指定された場所に着いた時、
「こっちよ、こっち……」
電柱の陰から、牧園多摩美《まきぞのたまみ》が顔だけだして、手招きしているのが見えた。
「あ、そのビルか」
葉山慎介は一方通行の入口にあたる表道でタクシーを降りて、急いでその小路を駆けた。
「遅かったわね。伊豆源の社長、そこのビルの中に連れこまれたのよ」
多摩美は、すぐ傍のビルを指さした。
「赤坂総業の本社ビルか。あまり評判のよくない会社だな」
葉山は、ビルの壁面を見あげて、そう呟いた。
「とにかく、早く行ってあげなくっちゃあ。何だか、変な胸騒ぎがしたのよ」
「朱鷺子さんは何時頃、連れ込まれたんだ?」
「そうね、四十分ぐらい前よ。それに先刻は、義弟の健太郎さんというのが、血相をかえて飛び込んでいったわ」
――その日、東京アパレルに提出する乃木坂ホテルの資料を受けとるため、葉山のお使いで牧園多摩美が、朱鷺子の家を訪れると、家は留守だった。
それで乃木坂ホテルのほうに立ち寄って、資料を受け取って、赤坂通りをTBSのほうに下ってきた時、ちょうど門倉朱鷺子が一人の得体の知れない男に伴われて三筋通りのほうから現われ、路地をまがって赤坂総業のビルの中にはいったのを目撃したのである。
朱鷺子を引っぱり込んだパンチパーマの男には、多摩美も微かに見憶えがあった。
数年前、西新宿二丁目で地上げ絡みの事件を起こした男であり、彼が朱鷺子を連れこんだ赤坂総業というのも、暴力団への資金融資や新橋の駅前開発で住民を暴力的に追いだすなど、とかくの物議をかもす不動産会社なので、なんとなく悪い胸騒ぎがして、急遽、葉山に電話をかけたのであった。
すると、葉山が、
「よし、すぐ行くから、表で見張っててくれ」
そう指示した。
葉山も、悪い予感は同じだったようだ。電話をもらって、すぐにタクシーで駆けつけたのであった。
「ねえ、どうしたの。表でビルを観察してるだけじゃ駄目じゃないの。早く行ってあげるほうがいいと思うわ」
「うむ、それはわかっている。しかし、無謀に飛び込むばかりが能じゃないからな。彼女はいったい、どこの部屋に連れ込まれたのかな」
「社長室とか、特別プロジェクト室とかが、最上階にあるそうよ。あの様子では、男は普通のビジネスマンじゃないから、どこか特殊な部屋だと思うわ。たぶん、最上階の特別プロジェクト室あたりじゃないの」
「よし、とにかく行ってみよう。きみはここに待っててくれ。もし一時間してもおれが戻らないようだったら、警察に駆け込んでくれないか」
多摩美はいささか驚いた顔をしたが、無言で頷いた。
葉山は赤坂総業のビルに入り、一階正面のエレベーターに乗った。万一のことを思って、手に何か得物を持ちたいと思ったが、エレベーターの中には当然、何もあろうはずはない。
エレベーターは八階まで、ノンストップで上昇し、途中、誰とも会わなかった。
八階で降りると、そこは広い通路をはさんで、社長室であった。
受付や秘書室というものはなかったので、ノックをせずに、その社長室のドアを、細目にあけてみた。
そっと、覗く。すると、奥の応接室と思われるところで、異様な光景が眼に飛び込んできた。
アコーディオンカーテンが半分ぐらい、締め切られ、窓ガラスには黒い緞帳がかかっていて、その薄暗い部屋に何とキングサイズのベッドが置かれていた。そのベッドには撮影用のライトが皓々《こうこう》と照らされていた。
しかも、そのベッドの上に、全裸の女がむこうむきに横たわっているではないか。裸の男の手が脇腹に置かれ、死んだように動かない女をゆさぶり、
「おい、まだ終わっちゃいねえんだぞ。次のやつが待っているんだぞ。ぐうたら、サボる場合じゃねえんだぞ」
そんなことを言っている。
(ううむ……もしかしたら)
もしかしたら、あの裸の女は、朱鷺子なのではないか。
いや……そうであるに違いない……!
認識は憤怒を伴なった。
音もなくドアをあけ、葉山は社長室に入ると、執務机の後ろの傘立てにたてかけてあったゴルフクラブをひっ掴み、それを右手でしっかり握ると、つかつかとアコーディオンカーテンのむこうの部屋にむかって歩いた。
その時――凌辱の部屋では、熱くて重いどよめきが一波去ったあとの、奇妙な沈黙が訪れていた。
朱鷺子は、汗ばんだ身体を横たえたまま、
(ああ……何もかもが終わったんだわ……もうどうなってもいい。泥だらけになったんだわ、私の魂と身体は……)
朱鷺子は微《かす》かに残っている意識の片隅で、自分をそう呪《のろ》っていた。
「おい、次だよ。梨田だよ」
宮永が交代を告げた時、仕切りのむこうの社長室のほうで、突然、猛々しい怒声が起きたのがきこえた。
「おい、何だ何だ」
「おめえは、誰だッ!」
誰何《すいか》する声が荒れていた。
(もしかしたら、健太郎さんがまた戻ってきたのかしら?)
朱鷺子が物憂く身体を反転させようとした時、「止まれッ! だ……誰だッ、おまえは」
怒声がますます猛っている。
「そこにいるのは、伊豆源の奥さんじゃないのか」
「そんな人はいやしない。帰れ帰れ」
――言い争い、揉《も》みあう声がきこえ、遮《さえぎ》ろうとする男を押しのけて誰かが一人、凌辱の部屋に強引に押し入ってくるのがみえた。
(――あッ)
と、朱鷺子は声をきいて驚いた。
(――葉山さんだわ……!)
朱鷺子は鞭打《むちう》たれたように、またがってこようとしていた二番目の男を突きとばしながら、身を起こした。
その眼は、信じられないものを見ていた。たしかに葉山慎介が部屋に飛びこんで、二、三人の男を引きずりながら、寝室のほうに押し入ってくるところであった。
「奥さん……! 朱鷺子さんじゃないか!」
「ああ……葉山さん……!」
朱鷺子は激しい羞恥《しゆうち》と衝撃に襲われたが、けだるい身体を何とか奮いたたせようとした。
その間にも、怒声を放って遮ろうとした男が二人、葉山に殴られてぶっ倒れた。葉山はなおも二人を引きずりながら、寝室に飛びこみ、
「ひでえこと、しやがる!」
室内の状況をみて、何が起きたかを察したように、握っていたゴルフクラブを振りあげ、怒りにまかせて宮永や梨田らに殴りかかった。
室内に怒声と吼《ほ》え声が湧《わ》いた。ビデオカメラのレンズや機械が壊れて吹っとび、窓ガラスの割れる音が響いた。男たちの争う中にも怒声が響き、
「奥さん、早く服を着なさい。おれと一緒にここを出るんだ……!」
叱りつけるような葉山の声が礫《つぶて》のように、麻痺《まひ》しかけていた朱鷺子の頭を打っていた。
「それは、ひどいな……」
葉山は絶句した。
「私も油断していたのかもしれません。でも、目茶苦茶だわ。私、もう自殺したいくらい」
朱鷺子は、瞳孔《どうこう》のひらいたどこやら虚《うつ》ろな光が射し込む眸に、怒りの思いを込めて、そう言った。
「ま、狼《おおかみ》はどこにでもいます。交通事故にあったと思って、あまり深く考えないことです。つまらないことは、一日も早く忘れることです」
葉山は、とおり一遍の慰《なぐさ》め言《ごと》を言うしかない自分が腹立たしかった。
「そうでしょうか。忘れられるでしょうか」
宙を見あげた朱鷺子の瞳に、自己破壊寸前の淵から救いだされはしたものの、まだそれに近い境地を彷徨している者の、魂のうつろいと危うさが漂い、暴力で自分を捻《ね》じ伏せた者たちを呪い、それを受け入れた自分をも許しがたいと思っている、そんな複雑な心境がよぎっていた。葉山は正直のところ、見ていてつらい、と眼をそむけた。
そこは、檜町の朱鷺子の家だった。
夕暮れ前の、傾いた赤っぽい光が射している。救出されて家に落着き、全身の皮膚がひんむけるほど強くシャワーを浴びながら洗い、着がえてからもなお朱鷺子は、庭に放心したような眼を向けている。
時折、化粧っ気のない唇を慄《ふる》わせ、憎いわ、あの連中……と、虚ろな瞳を生光りさせて呟いたりしている。
朱鷺子は今、白のコットンのワンピースを着ている。縁側の籐椅子にもたれていた。片手を肘掛けにのせて額にあてている、その物憂《ものう》い姿態自体、どこやら、収拾のつかない怒りと羞恥に身を揉んでいて、葉山の前から今にも消え入りたいと思っているような風情であった。
「ところで……」
葉山は朱鷺子の報告を聞いて、幾つか気になることを思いだし、質問した。
「今の話の中に出てきた健太郎さんのことですが、どうして彼は赤坂総業なんかに現われたのでしょう?」
「わかりませんわ。考えられることは、だいぶ前から悪い連中にのせられていたのではないかということです。特にこの数日間、急に粗暴になったり、義姉さんに勝手な真似《まね》はさせない、と脅したりしてましたから。私も少し気になっていました。でも、まさかあんな連中とつきあっていたなんて……」
朱鷺子はそこで少し、言葉を途切らせた。
「今日だって、昼間は会社の研究室に行ってたはずなのに、あんなところに現われたところをみると、きっとあのグループの中で客人扱いされて、ちやほやされていたのに違いないですわ」
それはそうかもしれない、と葉山も思った。
赤坂総業の田宮文蔵らが、もし、主人亡きあとの伊豆源の会社の経営権や料亭跡地などを狙っていたとするなら、一番つけ込みやすいポイントをさぐって近づき、健太郎に酒や女をあてがって、懐柔していたのかもしれなかった。
それは充分、考えられるところである。
「それにしても、その話に出てくる印鑑と権利証というのも、ちょっと気になりますね」
「ええ。赤坂総業の田宮文蔵という男は、私のうちに関わる印鑑と権利証を健太郎さんを通じて、入手したと言ってたわ。でも私の実印は手許にありますし、乃木坂ホテルの会社印や権利証は、会社に保管していますから、心配ないはず。はて、何のことやら、と私もちょっと気になって……薄気味わるくて、不安でしようがないんです」
「今のところ、実害はありませんか?」
「二億円の借用証というものに捺《お》されていた印鑑は、たしかに健太郎さんを通じて入手していた印鑑かもしれないけど、それ以外は、ありません。他に思いあたるものもありませんし……」
「それじゃ、権利証というのは、田宮文蔵のはったりだったかもしれませんね。ともかく、まだ見ぬ幽霊に怯《おび》えててもしようがない。それより、健太郎君はその時、相当、痛めつけられていたそうですが、怪我《けが》のほう、大丈夫だったんでしょうかね」
「そう、……それも心配なんです。彼ったら、私を助けようとして、無茶をして……」
「どこに連れてゆかれたんでしょう」
「さあ、家にはまだ帰って来てませんし、会社に電話をしたら、今日は休んでいる、という返事ですし、あれから、どこに行ったのか……」
「ま、どこかで自棄酒《やけざけ》でも飲んでるのかもしれませんね。男だから、気が済むまで放っとくしかないでしょう。それより、朱鷺子さんのほうは、これからも身辺にはくれぐれも気をつけて下さい。乃木坂ホテルの売買、東京アパレルとの間で引続き進めていますが、ホテル経営にのりだしたいと言ってる大手鉄鋼会社か、大手私鉄に買い主が変わるかもしれません」
「はい、それはどちらでもかまいませんわ。よろしくお願いいたします」
その日は、そんな具合にして、葉山は朱鷺子と別れた。
第五章 影の殺人者
季節は九月に入り、忌《い》まわしい朱鷺子《ときこ》の白昼社長室凌辱事件から、数日が経った。
本番激撮とやらで撮影していたビデオは、あの時、葉山がゴルフクラブを乱打してカメラを壊したが、収録されたものはあとに残ったかもしれない。しかし撮影分は短かかったので、長尺ものの裏ビデオとして市場に出回る心配はあまりなかったし、朱鷺子の心の傷も癒《い》えかけ、警戒していた身辺にも、これという異常は起きず、朱鷺子は少し安心しかけていた。
ただ一つの心配は、義弟の健太郎が家に戻らなくなったことである。会社にはあのあと、二、三日出勤していたそうだが、九月に入ってまた無断欠勤がつづいているという。
健太郎はきっと、あの日、男どもに凌辱《りようじよく》される朱鷺子の異常な光景をみてショックを受け、日常性の中では兄嫁の顔を、しばらくは正視できない心境に陥って、私を避けているんだわ、と朱鷺子はそう解釈していた。
若者の気持ちとしては、それも当然かもしれない。何であれ、健太郎があれ以上の危害さえ加えられていなければ、朱鷺子も安堵《あんど》するし、一応は、心配ないのであった。
葉山慎介《はやましんすけ》のところにその電話が鳴ったのは、九月三日、火曜日の午後二時頃である。
葉山はその日、朝からオフィスにいた。
八月いっぱい、夏休みでホテルビジネスもやや閑散《かんさん》としていたが、九月の声をきいたとたんに、物件の問い合わせや売り込みの電話が活発になっていた。
午後二時をすぎて鳴りだしたその電話も、そんなホテル売買斡旋に関する電話の一つであった。
「はい。近代企画営業部――」
葉山が卓上の受話器を取りあげると、
「あのう……郊外にあるモーテルを売りたいんですが、おたく、そういうものも相談にのっていただけますか」
若い、落着いた女性の声であった。
「はい、モーテルも扱っていますよ。どちらさん?」
「私、塚越商事というホテルチェーンの中根《なかね》という者ですが、鷺沼《さぎぬま》の〈ルミネッサンス〉というモーテルを、手放したいと思ってるんです」
「え? 鷺沼……?」
鷺宮は知っているが、鷺沼という地名は初めて聞いたので、葉山は聞き返した。
「はい、神奈川県川崎市宮前区鷺沼っていうところです。東急田園都市線の……」
「ああ、宮前区ですか。田園都市線のあざみ野の近くに、たしかそういう地名がありましたね」
「ええ、あざみ野の近くです。車ですと東名高速の川崎インターを降りたところですが、モーテルは築七年、客室数二十の、わりあいしゃれた感じの三階建てです」
「なるほど、それを処分なさりたいと――」
「はい。会社の方針で」
塚越商事の中根という女性マネージャーの話によると、同商事は関東近県でガソリンスタンドのチェーン店を経営する石油商社で、スタンド周辺に郊外型ラブホテルやモーテルも経営している。今度、御殿場ICの近くに大規模なファッションリゾートホテルを建築中だが金融引締めで資金調達難に遭遇し、それを解決するため、既存の古いモーテルを幾つか処分したいと考えている。
鷺沼のモーテルもその一つで、やや古いが立地はいいので、買い手があれば売りたい。ついては、おたくで取り扱ってくれないだろうか――という電話であった。
「わかりました。今、そのモーテルは営業中ですか?」
「改装計画もあって、この一週間、休業中です。何なら今のうちに見ていただくと、助かるんですが」
「もし売却話が成立したら、おたくで改装する必要もなくなるわけですからね」
「ええ、そうなんです。私、そこのマネージャーをしていて、売買交渉の窓口にもなっている中根恵子といいます」
「今日、中根さんはモーテルにいらっしゃいますか」
「午後はずっと、二階の事務所にいます」
「わかりました。今日の夕方までに、下見におうかがいいたしますので、よろしく」
葉山は当該物件の地理を詳しく聞き、午後四時頃、行くつもりなので、建物の設計図や建築確認の書類などを用意しておくよう、頼んで電話を切った。
その日、葉山には人と会う約束は、ほかにはなかった。
「牧園《まきぞの》君、ちょっと川崎インターの近くまで行ってくる。留守番を頼む」
「課長お一人で……?」
多摩美《たまみ》が、ホテルGメンを決め込む際の自分の存在を無視するのかと、ちょっぴり批難がましい眼をむけたが、
「あ……うむ。今日は一人でいいよ。課員がみんな出払っているから、きみは会社の重要なゴールキーパーだ」
葉山は適当な口実を設けて、虎口を逃れた。
朱鷺子の事件があって以来、葉山も軽い気持ちで女を抱こうという浅ましい性癖が、このところいささか減退し、影をひそめていることに気づいた。
もっとも、多摩美の同行を断わった裏には、電話をよこした中根恵子というモーテルの女マネージャーへの興味がなかったといえば、うそになる。
ともかく、三時になって、葉山は社を出た。
車だとざっと小一時間もみれば、どんなに道が混んでても大丈夫だろうと見当をつけた。
近くのビルの地下駐車場に駐めているプレリュードに乗って甲州街道に出ると、郊外へゆく午後の車線は比較的、空いていた。
葉山は環八で甲州街道を左折し、用賀ランプから、東名高速に乗った。
東名高速は順調に流れていた。
この分だと、三、四十分で行けそうである。
多摩川を渡ると、右手が向ケ丘遊園、左手が緑ケ丘霊園など丘陵地帯にさしかかって、左右に雑木林の高台一帯が広がってくる。
ほどなく、東京料金所を経て、東名川崎のインターであった。ICを降りると、左手の丘陵部のほうに、めざすモーテル「ルミネッサンス」は、すぐに見えてきた。
郊外型ラブホテルやモーテルはだいたい、都心からちょっと出たインターチェンジの周辺に多い。クルマ族のアベックや若者たちを相手にするからであった。そこも新興住宅地を背後に控えて、そこそこ緑のある丘辺に建つ若者むきのペンション風の、カッコいいモーテルだった。
葉山は近づいたところで車を駐め、モーテルの外観の写真を撮った。
車に戻って構内にすべり込ませる。駐車場はそのまま、外からは出入りが見えないよう、建物の中にはいっていて、降りたところに通用口とエレベーターがあった。
フロントは二階だと聞いていた。
葉山はエレベーターで二階に昇った。
エレベーターを降りたところが、フロント前のサロンになっているが、おかしなことに常夜灯がついているだけで、サロンはばかに薄暗かった。
受付の窓ガラスを叩いた。
「どなたか、いらっしゃいますか」
中からは誰も返事をしなかった。
「中根さん……中根さん、いないんですか?」
ドアをあけて入ると、事務室めいた部屋は、意外にも無人だ。葉山が怪訝な顔をして待っていると、どういうわけか、ちょうど卓上の電話が鳴りだした。
(ちぇッ、他社のことだけど、ほっとくわけにもゆくめえ……)
「はい」
モーテルの人は留守ですが……と言うつもりで、葉山が受話器を取りあげると、
「あ、葉山さんですか?」
聞き憶えのある女性の声である。
「そうですが」
「ごめんなさい。私、中根です。今、工事中の二〇六号室にいて、ちょっと手がはなせないものですから、こちらに来ていただけないでしょうか」
「二〇六号室ですか?」
「はい。フロントの前の通路を奥へ進んで下さい」
葉山は受話器を置くと、事務所を出、指示された通りに薄暗い通路を、奥へ歩いた。
部屋の入口はどれも、ドアに金箔の装飾模様が施されていて、モーテルというよりはラブホテルのようにけばけばしかった。
二〇六号室は一番、端の部屋であった。
ドアが斜めにあいている。はいると、工事の様子《ようす》など、どこにもない。なかは暗くて、奥のベッドのあたりに小さなスタンドが一つ、ついているだけである。
「中根さん……葉山です」
奥のベッドのあるあたりで、人影が揺れたような気がした。
(いったい、どういうつもりだ、中根という女)
返事もしないので一瞬、むっとしたが、待てよ、と別の気持ちが動いた。
(奥のベッドで女が待っているというのは、何やら期待すべき魂胆があるのではなかろうか……?)
葉山は、そう考えた。
これだから、助平につける薬はない。
胸を躍《おど》らせて薄暗がりの中を進みはじめた瞬間、葉山は何かにつまずいて、よろめいた。
危なく倒れそうになって、踏みとどまって、足許をみた。
何やら黒いものが、横たわっている。
ポケットからライターを取りだし、火をつけ、その焔《ほのお》をかざして、床に横たわっているものを見た。
背広を着た若い男が、床にうつ伏せになって、倒れていたのであった。
「どうしました? おたく、どこか具合がわるいんですか?」
男は、返事をしなかった。
いや、ぴくりとも動かない。全身が硬《かた》く冷たくなっている。
抱えあげようとして、
(――死んでいる……!)
と、初めて、気づいた。
葉山はどきんとして、ライターを取り落とすところだった。ライターの焔を大きくしてなおも死体をよく見ると、後頭部の頭髪が、べったりと血に濡れている。傍に、ゴルフクラブが転《ころ》がっていた。
床は一面、血の海である。恐らくゴルフクラブの殴打による頭蓋骨陥没や全身打撲が死因であると見られた。
男の顔をよく見るために、床に跼《かが》んで顔を近づけた瞬間、葉山はガーン、と後ろから頭部を棒のようなもので殴られ、つんのめって、男の死体の上に折り重なって倒れてしまった。
床の血の海の酸鼻な匂いが、むっと鼻にきたのまでは覚えているが、そのまま、葉山は気が遠くなって、気絶したようである。
それから、どれぐらい気を失っていたのかわからない。まっ暗な海の底に横たわって、痛みつづける後頭部の疼《うず》きに耐えかねて、傷ついたけもののようにひどく唸《うな》ったり、うなされたりしていたような微《かす》かな記憶だけが、断片的につづいていたが、それさえも途切れ途切れで、葉山は不運な行路病者のように倒れたまま、時間だけがすぎていった。
不思議なことに、次に葉山が眼を覚ましたのは、病院のベッドでも自分の部屋でもなく、鉄格子のはまった警察の留置場らしい狭い部屋だったことである。
腕時計をみると、八時半になっていた。
夜ではなかったので、一夜あけた翌日の朝八時半であることがわかった。
ほどなく係官が呼びにきて、取調室めいた部屋に連れてゆかれた。自分が殺人現場に足を踏み入れたのだから、重要参考人として調べられるのは仕方がないが、それにしてはちょっと、物々しすぎたので、葉山はいささか憤然として、
「ここはいったい、どこなんです!」
と、抗議するように訊《き》いた。
すると、机をはさんで正面に坐っていた男が、
「見てのとおり、取調室です。川崎市高津署の、私は担当の福田という者です。覚えといて下さい」
福田と名のったいかつい顔の中年男は、名刺を机の上に置いた。それには神奈川県警高津署刑事課とあり、警部補、という肩書きがついていた。
「私はどうしてこんなところに坐らされてるんです? いきなり取調室に放り込むなんて、ひどいじゃありませんか」
葉山はまだ、釈然としない。
「あんたねえ、そんなに怒鳴る権利は、あんたにはないんだよ。あんた、なぜここに坐らされているかが、まだわからんのかね」
「わかりません」
「じゃあ、説明しましょう」
福田警部補の話によると、昨日の午後五時頃、警察に付近の住民から電話がはいり、「モーテルの中で二人の男が争う物音をきいた。人が殺されたようなので、検分してほしい」という通報があった。
パトカーで警察官が現場に駆けつけ、休業中のモーテル「ルミネッサンス」を検分すると、駐車場に放置されていた練馬ナンバーの一台の車と、二〇六号室で殴殺された男と、返り血を浴びて現場に倒れている加害者らしい男を発見した、と言うのであった。
「つまりね、あんたは殺人現行犯として、ここに坐らされているってわけだよ。令状はまだ取っていないが、逮捕されたと思ったほうがいいようだね。ゆうべはだいぶうなされていたようだが、自分がやったことの恐ろしさを悔いて、正直に申したてる気分になったかね」
どんぐり眼で射すくめるように睨《にら》んで、威嚇《いかく》するように喋りまくる福田警部補の言葉に、葉山は、最初、呆《あ》っ気《け》にとられ、
「ちょっ……ちょっと待って下さいよ。殺人現行犯ですって……?」
「そうだよ。あんたは鷺沼のルミネッサンスというモーテルに、あの被害者を呼びだして待ち伏せし、ゴルフクラブで殴打したんだ。その際、争いとなってあんたも被害者から金属バットで殴られて気絶した。おかげで犯人が逃亡せずにその場にぶっ倒れていてくれたので、われわれとしても助かったというものだ。きみがあの男を殴打する際に使ったゴルフクラブからは血痕とともに、きみの指紋がたくさん検出されている。動かない証拠じゃないかね」
「ちょっと……ちょっと待って下さいよ。ぼくはあのモーテルで男なんかは殴っていない。客に呼びだされて、仲介物件の下見に行っただけですよ」
「ほう、仲介だと……? 誰かに呼びだされただと……? どういうことだか、説明してもらおうじゃないか」
葉山は名刺をだして自分の商売を説明し、当日の経過を詳しく説明した。
「そういうわけで、私は塚越商事の中根恵子と名のる女から電話をもらって昨日、あのモーテルを下見に行ったんだ」
「下見だと? 近所の人の話だと、あのモーテルはもう二ヵ月も前から閉鎖されているという話だぞ。それに、経営者も塚越商事なんかじゃない。城山という地元の人なんだ――」
「それは何かの間違いでしょう。塚越商事の中根という女マネージャーが私に、電話をしてきたんだ。その女を調べて下さいよ」
葉山がそう言いつのると、福田警部補は傍らの若い刑事に、何事か囁《ささや》いた。
塚越商事というものが実在するかどうかを大至急、調べてくれ、とでも耳打ちしたようであった。
「いったい、殺されていたのは、誰なんです?」
葉山は、肝心のポイントがまだわからなかったので、そう訊いた。
「ほう」
福田警部補が、不機嫌そうな顔をした。
「あんたねえ、とぼけるのもいい加減にしないか。本当に被害者を知らないというのか?」
「ええ、知りません。誰なんです、あの男」
「門倉《かどくら》健太郎さ。そう言えば、記憶があろう」
門倉健太郎……と聞いて、葉山はあっと声をあげそうになり、激しいショックを覚えた。
そのショックには、二重の意味があった。一つはこれからの将来もある若いコンピュータ技師が、あの薄暗いモーテルの血の海の中で殴殺されていたという酷《むご》たらしさに対する怒りである。
二つめは、しかも朱鷺子を介して、自分と満更、無縁ではなかった伊豆源の二男の死が、何と自分を犯人として仕組まれていたことに対する怒りを通り越して、胸を締めつけられるような悲痛さである。
「知らないとは言わせないぞ。え、どうなんだ」
「名前ぐらい、知っております。伊豆源の社長の弟です。しかし……」
「しかしも、くそもない。伊豆源の社長は未亡人の門倉朱鷺子さん。え、なかなかの別嬪じゃないか。われわれが今までに知り得たところでは、きみはあの未亡人社長と愛人関係にあったようだな。そうして彼女に情が移るにつれ、やはり朱鷺子未亡人と繋《つな》がっている義弟の健太郎が邪魔になったんだ。それで情痴にくるって、嫉妬まじりにきみは健太郎をモーテルに誘いだし、ゴルフクラブで頭部を滅多打ちしたんだろう。え、違うかね!」
葉山は、眼を閉じた。
まったく、福田警部補が言うとおり、客観的には、葉山にはそういう具合の、立派な動機が成立しているのであった。
葉山本人は、何も門倉健太郎を邪魔者だと思ったことはないし、憎んだこともない。いや、それより朱鷺子の凌辱事件いらい、家に寄りつかないという健太郎を、むしろ心配していたくらいだが、葉山と朱鷺子の関係を前提にして他人から見れば、「陰湿な三角関係」が立派に成立するのであった。
「証拠もちゃんと揃ってるんだ。現場に転がっていたゴルフクラブからは、健太郎の血痕や争った痕跡、きみの指紋がいっぱい検出されたんだ。ありのままを正直に吐いたほうがいいようだね」
(ゴルフクラブ……?)
と呟いて、葉山は数日前、赤坂総業の社長特別室で朱鷺子を救出するために、ゴルフクラブを振り回したことを思い出した。
あの時、握ったゴルフクラブで、手あたりしだいに男たちを殴りつけたのである。健太郎の殺人現場に落ちていたゴルフクラブから、葉山の指紋が検出されたというのは、多分、健太郎殺害に、あの時のゴルフクラブが使われたのに違いなかった。
それを思うと、なおさら健太郎が不憫《ふびん》で胸がふさがれそうに痛んだ。そして、そのゴルフクラブを凶器として使って、自分を嵌め込もうとした連中の思惑に対する怒りが、むらむらとこみあげてきた。
葉山は、凶器のゴルフクラブから自分の指紋が検出されたことの理由を、申し開きすべきだと思った。
しかしそれを話すと、朱鷺子の凌辱事件を話さなくてはならない。朱鷺子はあの忌わしい事件を公にされたくないと考えているようだし、どのみち、自分はあの時、暴力傷害事件を引き起こしたので、かえって不利になるような気がして、葉山は凶器については、もう少し沈黙すべきだと思った。
「私の会社に電話をして下さい。牧園君という女子社員が、塚越商事から私に電話がかかってきたことを知っています」
「もちろん、あんたの会社の人間にはもうあたっているよ。牧園という女子事務員はゆうべ、八時頃まであんたの帰りを待って、会社で残業していたので、われわれも事情を聞いたんだ。しかし、彼女は詳しいことは何も知らなかったよ。あんたは昨日の午後三時頃、川崎インター近くのモーテルに行く、と言って会社を出たそうだな。それがつまり、口実を設けて門倉健太郎を呼びだしていた時間じゃないのかね」
「違いますよ。私は呼ばれたんだ。それでカメラを肩に吊《つ》るして下見に行ったんだ」
葉山はそう言いながら、カメラのことを思いだした。
「そうだ。私はいつも物件を下見に行く時は、写真を撮ります。昨日も表からあのモーテルの写真を撮ったんです。カメラは車の中にある。現像すると日付もはいっているはずです。それがあの時、モーテルに初めて下見に行ったことを証明してくれる何よりの証拠じゃありませんか」
「あんたの車内に遺留されていたカメラは領置して、あの写真も現像したさ。ちゃんと九月三日午後四時にルミネッサンスというモーテルの全景が撮られていたよ。しかしその写真は、あんたが下見にきたという口実を作るために撮ったのであって、あんたが被害者を殺さなかったという証拠にはならないんだよ」
そんなことを言い合っているうちに、先刻、取調室を出ていった若い刑事が戻ってきた。
若い刑事は福田警部補に、何事か耳打ちしている。
その直後、
「おい」
と福田警部補が机を叩いて、葉山を睨《にら》んだ。
「でたらめを言うのもいい加減にしてくれないか。神奈川県下に塚越商事というのは、実在することは、わかったよ。ガソリンスタンドやモーテルを経営することも事実だ。しかし、塚越商事に中根恵子などという女子社員や女マネージャーはいないという返事だぞ。……第一、あのモーテルは地元の城山という人間が経営しているもので、塚越商事とは何ら、関係ないことが証明されたんだぞ!」
「しかし……電話がかかってきたのは、事実なんです。事実だから仕方がないでしょう」
「何が事実だ! 何が仕方がない、だ。そんな子供欺しの言い逃れが警察で通用すると思うのか。え!」
福田警部補は、しだいに怒りを現わしてきた。
「さ、あんたの言い分もだいぶ、聞いてやったよ。もうそろそろ本当のことを吐いてもらおうじゃないか。――え、どうなんだね!」
福田警部補はまた机を叩いた。
葉山は最初からまた同じ供述を繰り返した。
そういうことの、押し問答となった。
福田警部補は呆《あき》れたような眼で、葉山を見た。
「本当に往生際が悪い男だな。さっさと泥を吐いたほうが楽になるってことがわからんのか!」
葉山はどう怒鳴られても、怒られても、同じことを言うしかない。
二時間ぐらい経過したあとは、黙秘権を使った。
「しょうがないやつだな。よし、一時間ほど休憩しよう。その間に、自分がやった恐ろしい殺人行為についてよく考えるんだな。どうしても逃れられないと気づいたら、早く事実を何もかも吐いちまうんだ。え? わかったね」
福田警部補はそう言って、立ちあがった。
だからと言って、取調室から福田警部補と若い刑事が出ていったわけではない。
机のまわりを熊のようにゆっくりと、行ったり来たりしながら時折、天井にむかって煙草の煙を吹きあげたりして、葉山が観念して音をあげるのを、じっと待っているのだ。
その福田警部補の後ろで、若い刑事がドアを背にして、腕を組んで立っている。
葉山は確実に、自分が追い詰められてゆくのを感じた。
殺人現場に葉山はいた。ゴルフクラブという証拠もある。これらの物的証拠や状況証拠は、葉山が殺人を行なったことを示している。
このままだと、おれは本当に殺人犯にされるかもしれない。そうして、もし無実が証明できたとしても、殺人事件の重要参考人になった人間、という噂は表に出てしまう。おれの社会的生命は絶たれてしまうのだ……。
葉山はそう思って、唇をかんだ。
二日間、拘置されたが、変化はなかった。
取調べは毎日つづき、葉山の潔白を証明するものは現われなかったし、同じことを供述するしかなかった。
三日目になって、牧園多摩美と門倉朱鷺子が午前と午後、別々に面会に現われた。
「ごめんなさい。私、課長が川崎インターに行く時のこと、何も聞いていなかったから、何のお力にもなれないのよ」
「いいんだ。きみを連れて行かなかったから、バチがあたったのかもしれん」
「そうよ。少し反省するいい薬かもしれないわ」
多摩美は窓口のむこうで、そんな憎まれ口を叩いた。
「でも課長が、門倉健太郎さんを殺したなんてこと、頭から信じてませんから、ご安心下さい。いっそ、こないだの赤坂総業でのこと、何もかも話してしまったら……?」
「うん、それも考えている。おれを嵌《は》めたのは、やつらに違いないんだ。しかし、それを喋るには朱鷺子さんの承諾がいる。多摩美、帰ったら朱鷺子さんと連絡をとって、面会に来てくれるよう、頼んでくれないか」
「わかったわ。すぐ連絡してみます」
しかし、多摩美が連絡をとるまでもなかった。その日の午後、門倉朱鷺子が被害者の身内の参考人として陳述するために署に現われ、葉山にも面会したい、と申し込んだのである。
葉山が面会室に通されると、窓口のむこうに坐っている朱鷺子は、かなり憔悴《しようすい》しているようであった。
「面会が遅くなって、申し訳ありません。最初の日、健太郎さんの遺体確認と引取りにきた時、あなたが失神状態のまま、拘置されているときいて、面会したいと申し出たんですが、許可してくれなかったのよ」
朱鷺子によると、そのあとは健太郎の司法解剖の終了を待って、赤坂の「玉樹」で通夜や葬儀に追われ、一番気にかかりながら、面会にも来れなかった、と何度も朱鷺子は詫《わ》びた。
「そんなことは、どうでもいいことです。それより朱鷺子さん、八月末の赤坂総業であなたが辱《はずか》しめを受けたこと、話していいかな」
「そのことですが……私、今日、担当の刑事さんに会って、最近の健太郎さんの挙動不審を話したついでに、あの日のことも全部、話してきました。健太郎さんがそれ以来、家に寄りつかなくなったのも、あの連中のところに監禁されていたのかもしれないのです。それ以前だって、義弟は田宮文蔵に取りいられて、利用するだけ利用され、用がなくなって、邪魔になって、殺されたのに違いないわ。……私、そういうことを洗いざらい、話してきました」
「ありがとう。それならぼくも、遠慮なくキメ手になっている凶器について申し開きができます」
「私、健太郎さんが亡くなったこと、ショックを受けましたし、淋しいですけど、あなたが加害者だなんて、思ってもいません。もう少しで釈放されることになると思いますので、がんばって下さいね」
朱鷺子はそう言って、励ました。
朱鷺子が帰ったあと、捜査本部の雲行きが、少し変わった。
「どうだ。少しは本当のことを話す気になったか」
福田警部補は相変わらず、取調べを続ける根気のよさを見せたが、葉山は尋ねられるまま、同じ供述をその日も繰り返すしかなかった。
福田警部補は、うんざりしているようだった。
「私を釈放して下さい。連中のやり方は知ってるんです。真犯人を見つけだします。私をこんなところに留置していても、何も解決しない――」
「ばかだね、あんた」
福田警部補が言った。「あんたのいう連中というのは、赤坂総業の連中のことだろう。それぐらいわれわれも最初からマークしてるし、捜査もしてるんだ。あんたなんかにのこのこ出ていって、引《ひ》っ掻《か》きまわしてもらいたくはないんだよ」
まさかそのために拘束しているわけではないだろうが、まるで、葉山に勝手な動きをさせないために、自由を封じている、とでも言わんばかりの口ぶりだった。
「捜査の邪魔はしません。私にだって、あいつらに対して意地がある。私なら、あいつらのやり方を知ってますから――」
そんなことを言いあっている時、ドアがノックされ、制服の警官が顔を覗かせた。
顔を寄せて、何事か福田警部補に囁いている。
福田警部補は頷くと、取調室を出ていった。
すぐに中年男を連れて入ってきた。
中年男はおどおどした表情で、葉山の顔や全身を何度も見つめた。
「ちょっと、立ってくれませんか」
福田警部補に言われて、葉山は椅子から立ちあがった。
(誰だろうな、この男……)
葉山には、まったく見憶えのない顔だった。
男は二、三分、あらゆる角度からしげしげと葉山を見ていたが、ゆるく首を振り、福田警部補に促されて取調室を出ていった。
福田警部補は外で何事か男と話しているようだった。
十分ぐらいして、取調室に引き返してきた。
「あんたは運がいいよ。やっと福の神が現われたようだな」
毒づくように言った。
「は……?」
「ご苦労さま。とりあえずお引取りいただこうか」
福田警部補はあっさり、葉山に釈放を告げた。
葉山は驚き、まじまじと福田警部補をみた。
崖っぷちまで追いつめられ、もう少しで自暴自棄になりそうになった時、いきなり前面の開かずの扉があいてしまったのである。
「今の人は、誰ですか」
葉山が尋ねると、
「ああ、モーテル・ルミネッサンスの裏手にあるスーパーの守衛の松本さんという人ですよ。数日間、旅行に行ってたらしいんだがね。その旅行の出発の日、松本さんは被害者が車でモーテルに連れ込まれるところを目撃したらしいんだ。旅行から帰って事件のことを知り、今日出頭なさったんだ。被害者門倉健太郎をモーテルに連れこんだのは、背の高い、頬《ほお》骨のとがった大男と、若い女だったらしく、あんたとは別人であると証言してくれたんだよ。ま、いってみればあんたの命の恩人というわけだよ」
福田警部補は、そう説明した。
「そういうわけだ。もう引取っていいよ」
葉山はやっと、椅子から立ちあがった。
「言っておくけどな。あんたは被害者をモーテルに連れ込んだ人間じゃない、ということが証明されただけで、真犯人ではない、ということが完全に証明されたわけではないんだぞ。そのことを頭に置いていてもらおうか。とくに赤坂総業の田宮文蔵とか、その傘下の企業の連中のまわりを、あまりうろうろするんじゃないぞ」
別れ際、福田警部補はそう言って、釘をさした。
葉山が復讐心に燃えて、真犯人グループと思われる連中の周囲に出没して事件を洗うことを、好まない口ぶりであった。
夜の雨が、街を濡らしていた。
やむ気配がない。朝方から降りはじめ、夜になっても細かいやつが降りつづけている。
眼下の街の灯がその雨にうるんできらめいて、美しい。だが一人、所在なげにショットグラスを傾けている葉山には、夜景はあまり美しくも見えない。
部屋は仄暗《ほのぐら》くしてあるので、窓あかりに横顔がにじむ。土曜日なのに、今夜の葉山は、夜をもてあましているようにもみえるし、酔いに身を任せようとしているようにもみえる。
鉛のようなわだかまりが、眉間《みけん》のあたりを皺立《しわだ》たせていた。あるいは何かを思いだすまいとして、忘れようとショットグラスを傾けているのかもしれない。
今、葉山の気持ちが晴れないのは、むろん、門倉健太郎が殺害された事件のことであり、朱鷺子のことである。三日前の夕方、被疑者扱いされて留置された日々のことや、八月末、赤坂総業の社長室で目撃した朱鷺子|凌辱《りようじよく》の光景が、瞼《まぶた》の裏から消えない。
ベッドの上で、二人の男に凌辱されていた朱鷺子の姿は、葉山にとっては辛《つら》い眺めだった。だが、あの程度の段階で救出したことを、よしと思わなければならないのかもしれない。
高津署から釈放され、葉山がそのことを知らせるために朱鷺子に電話を入れると、朱鷺子は意外なことを告げた。
「あなたへの疑いが晴れて、私も安心しましたわ。――ところで、私、しばらく伊豆に帰ります。乃木坂ホテルの件、ご商談をすべてお任せしますから東京アパレルさんとよろしくご相談をお願いします。もしまとまったらお知らせ下さい」
朱鷺子はそう言い残して昨日、本当に伊豆・湯ケ島に帰っていってしまったのである。
彼女としては義弟の健太郎を不幸な死に方をさせたことや、あのいやな事件を忘れるためにも、東京を離れて一時、伊豆に帰ることも、傷心を癒やすために仕方がないことかもしれなかった。
葉山には今、乃木坂ホテルの敷地を奪うために、朱鷺子を奸計《かんけい》にかけてあのような仕打ちをした、赤坂総業の田宮文蔵や真犯人グループに対する怒りが渦巻いている。
モーテル殺人事件に関していえば、自分は一応、釈放されて事なきを得た。
しかし、門倉健太郎が殺害されたのは、事実である。
真犯人は姿を現わさないだけで、どこかにいるはずであった。塚越商事の中根恵子と名のって電話をかけてきた女は、何者だったのか。健太郎をあそこに連れ込んで殺害したやつは、どこのどいつだ。
葉山は、降りしきる都会の雨を見ながら、胸の深いところで、一頭のけものが首輪をちぎって猛々しく歩き回っているのを感じた。
しかし今は、警察に委せておくしかない。もし真犯人が挙がらなければ、いずれ自分で突きとめてやる。
それまでは、せめて一刻も早く、乃木坂ホテルの売買話を有利にまとめてやって金を調達し、伊豆・湯ケ島の朱鷺子の再出発を祝ってやることしかないのかもしれない。
(おれも近く、伊豆の湯ケ島を訪れるかもしれないな……)
葉山がそんなふうに朱鷺子のことを考えている時、ドアをノックする音が響いた。
そこは阿佐谷の葉山のマンションだった。夜、八時をすぎた頃《ころ》だった。チャイムを鳴らさずに、ノックをしたのは、牧園多摩美に違いなかった。
「はーい。今、あけるよ」
返事をしておいて、葉山はドアをあけにいった。
ドアチェーンをはずして扉をあけると、爽《さわ》やかな花の香りが流れこんできた。
「今晩は。――私よ……」
花束とワインボトルを抱えて表に立っていたのは、やはり多摩美だった。
「何だ、きみか。部屋に来るなんて、珍しいな」
「慎介さんが落ち込んでるんじゃないかと思って、激励にきたのよ」
「おれは別に、落ち込んではいないがね」
「ご挨拶《あいさつ》代わりに、キスして」
多摩美は、顔を上むけた。
葉山は抱いて、キスを見舞った。
「ああん、花束がつぶれるわ」
葉山が強く抱きしめたものだから、多摩美が抱いていた花束とワインボトルが間にはさまって、彼女は悲鳴をあげた。
「荷物、下に置きなさい」
多摩美は花束とワインボトルを上り框《かまち》に置いた。彼女が動いたはずみに、ランバンの香水が匂《にお》って、花の香りに混ってそよいだ。
葉山が二度目に抱きにゆくと、多摩美は眼を閉じて、今度は激しく手を回してきた。軽い、そよぐような接吻が、いつしか濃厚なディープキスとなり、多摩美は熱い溜息《ためいき》を洩《も》らした。
「ああ、我慢できない。乃木坂ホテルいらいよ。ごたごたつづきをいいことにあたしをほっとくんだもの」
抱擁がすすむうち、多摩美はいきなり、葉山の右手を握って、自分の下半身に誘った。
「ね、触って。あたしがどんなだか、わかるから」
こういう恥知らずな勇敢さが、いかにも多摩美らしいのである。
葉山も軽い酔いに煽《あお》られていたし、朱鷺子が凌辱《りようじよく》されていた姿を思いだすと、身内に獣のように吼《ほ》えるものがあった。
その意味では、多摩美はまさに、すてきな活性剤になってくれそうであった。葉山は身内に荒れる獣を、目の前のこの可愛いい女にぶつけるように、多摩美を抱えあげるとベッドに押し伏せた。
「ああ……ちょっと待って。脱ぐわ」
多摩美は抗《あらが》うように起きあがって、自分でTシャツや、チェックのミニスカートを脱ぎはじめた。
最後にインナーまで脱ぎながら、
「飲んでたの?」
「ああ、雨に降り込められたからね。一人で飲んでたんだ」
「そういうの、くすぶってた、というんでしょ。ショックがまだ尾を曳《ひ》いてるみたいね」
「何のショックだい?」
「朱鷺子ショックにモーテル殺人ショック。……被疑者にされて、ひどい目に遭ったみたいじゃないの。それで慎介さん、落ち込んでるんだ」
「おれは、そんなことで落ち込むようなタマじゃないよ」
「強がりを言っても駄目よ。顔にちゃんと書いてあるもの」
「こいつ」
多摩美はとうとう、全裸になった。スタンドの灯《あ》かりに、白い裸身が妖《あや》しく浮かび上がる。下腹部はぬめるように白く、ヴィーナスの丘と、そこに生い茂っている草飾りは、今夜も男の気持ちをひどくそそる生え際をみせていた。
葉山は駆られて、不意に多摩美の両下肢を大きく割り、秘唇を吸いにいった。
しばらく女性を訪れてはいなかったので、口唇愛《こうしんあい》禁断症状にかかってもいたのである。
「あッ……いやん」
多摩美が大きな声をあげた。葉山は泉を汲《く》むように、流れの中に舌を浸した。とろっと溶けたマーマレードのような味覚があった。二、三度、その甘いマーマレードを、下から上へ汲みあげてから、クリットを刺激しにいった。
葉山の口唇愛が一段落した時、
「ね、私にやらせて」
多摩美が起きあがって、男の尊厳を握りにきた。
「まあ、お元気」
多摩美はうれしそうに握って、雄壮なものに頬《ほお》を寄せてくる。頬を寄せ、竹笛でも奏するように、幹の横あいを根っこから先頭まですーっと舐《な》めあげ、そうして次には、先端から根っこへむけて、すーっと舐めおろしたりする。
どうってことはないが、舐められて、唾液《だえき》が乾いてゆく痕《あと》が、爽快《そうかい》な感じ。そうして横顔のきれいな女に、そうしてもらっていることが、ひどく幸福な気分にさせた。
それから多摩美は腹ばって、勢いのある先端を口に含んできた。含んで、何度か顔をスライドさせる。そのたびに、長い髪がざわっと揺れ、大きくまくれあがった唇の中を、宝冠部が出入りするさまが見え、ひどくなまめかしい。
「多摩美、ありがとう。ぼくのこと、慰めてくれるんだね」
葉山が声をかけると、
「うふん」
と多摩美は笑った。
「あたし、自分で楽しいと思うことを、やってるだけよ。気にしないで」
多摩美はそれから、唾液をたっぷりつけて、宝冠部を何度も含んだ。含んで、亀頭の裏を舌の先端でチロチロと、なぞったりした。
「ううッ」
と葉山が思わず呻《うめ》くほど、それは絶妙の舌使いで、蕩《とろ》けるような感じであった。
その蕩けるような感じは、多摩美が喉《のど》の奥まで深く咥《くわ》えた時にも、訪れた。口腔《こうこう》がまるで、性器になったようであった。
「お……おい……弾《はじ》けちゃうよ。多摩美……」
「うふん」
笑って多摩美は、くちからはなすと、いきなり胸の双球の谷間に、タフボーイをはさみつけてきた。多摩美はかなりの、巨乳である。谷間にはさんで、摩擦する。風俗産業でいう、いわゆるパイズリである。しかし、ボディローションもクリームもつけていないので、こすられる感じが、やや痛い。
「お……おい、タイム。それって、クリームつけなくっちゃ、少し痛いよ」
「そうよ、痛いようにやってるのよ。今夜は葉山さんをいじめてやりたいんだから」
そう言いながら、なおも楽しげに、勝手放題なことをする多摩美に、
「よーし、それなら仕返ししてやる」
葉山は起きあがって、挑んでゆく。
まるでタッグマッチのように、多摩美の躯《からだ》を反転させて下敷きにすると、両下肢を強引に割り、正常位で押し込みにいった。
「ああン……犯されちゃう」
文句を言いながらも、多摩美はうれしそう。迎えるように花開いた女芯《によしん》に、葉山はみなぎったものを一気にあてがい、ぐいと腰を入れた。
それからゆっくりと挿入をはじめると、多摩美の構造部分が、葉山の巨根を軋《きし》みながら押し返そうとする反応をみせたので、おや、と葉山は思った。
それは、思いがけない現象であった。
多摩美はかなり長い間、葉山と接していないので、飢えて欲しそうな状態であったはずだ。現に早く入れて欲しい、といわんばかりに猛烈に迫ってきたくらいなのである。
それなのに、通路がグランスを押し返そうとするのは、多摩美があまり期待にかられて力を入れすぎていて、いわゆる「いきんだ」状態にあるからのようである。
最初から括約筋を締めすぎている。そこが固く閉ざされて、葉山の巨根が進もうとすると、それを逆に拒絶するような具合になるのである。
しかし、葉山の分身は、充実している。やわな抵抗ぐらいでは、退却はしない。それどころか、このところの朱鷺子のことで怒り狂っている部分があったので、かなり強引に挿入してゆく。
「ああッ……きついわ」
多摩美が泡を吹いて、のけぞった。
「今夜の葉山さん、何だか変よ。いつもより大きすぎるみたい」
それはある程度、正しいかもしれない。女性にも体調や心理状態によって、微妙な変化があるように、男にも体調によって、充実度や膨脹係数が違うのである。今夜は、多摩美が知っている限りでは、葉山は最高の膨脹係数を誇っているのかもしれない。
それでも多摩美は濡れあふれている。
ゆっくりと進みながら、固い関門をメリメリと鳴るくらい、突破してゆく。
先端が、蜜液でなめらかになった狭隘部《きようあいぶ》を突破すると、押し返してくる力は感じられなくなり、今度は不意に、奥に引き込まれるようにバキューム感覚が訪れた。
そうしてそのバキューム感覚とともに、多摩美が突然、
「ああっ」
と、全身でしがみついてくる。
やっと根元まで、没入していた。
ひとつになると、深く安心したように、
「ああん……葉山さんって、強引に入れちゃうんだもの」
「ふだんより、きつかったみたいだね」
「ええ、葉山さんのって、怒り狂ってたみたい。でも、もう平気。いい気持ちよ」
多摩美は甘え声をだし、膣《ちつ》の入口をひくひくと、収縮させた。
「ああ……悪い子だわ……私の中でうごめいてるわ」
悪い子、というのは、体内に受け入れた葉山のタフボーイのことであるらしい。
多摩美は今この瞬間、葉山を独占しているという安心感から、満足しきった顔である。
葉山は、ゆっくりと動きはじめた。
ゆるゆると動きながらも、旋回を加えた。これだと、秘肉の賑わいと壁をこすってゆく感じを充分に、味わうことができた。
多摩美の花壺の内壁では、ざらつきが起きあがりはじめていた。襞々が起きあがって、包み込み、ひしめいてくるのである。
しばらく漕ぐうちに、多摩美はかなり切迫した状況になってきたようである。
やがて、多摩美は白い足を、葉山の背中にしっかりと絡みつけてきた。
全身で、離したくはないという意思表示をしているようでもあった。
それだと、密着感が深いので、葉山のほうもあまり大きなアクションを起こす必要はない。体験の浅い若い男性は、えてしてマニュアル通り、女性の性感を昂《たか》めるには、激しい抽送を送ることがすべてだと思いこんでいるむきもある。
たしかに、力強い抽送は、一番効果的で、男性的だが、何も荒々しい出没運動だけが、すべてではないのである。
蛸壺《たこつぼ》をぴたっと塞《ふさ》ぐように、奥まで突いてそのまま結合部を密着させ、男性の根元で女性の恥骨とクリットを、しっかりと押す。
押したままの状態でこする。
この圧迫感がひどく効く。
たとえば、女性のVの字型の中央に、葉山の体がある。突きたてているものは、奥でもピクンピクンと活躍しているし、のみならず、恥骨と恥骨にはさまれて、クリットも悲鳴をあげるほど感じているのである。
この場合、密着したままで、腰を「の」の字にうごめかせたりする。時には葉山は「の」の字を二つ重ねて「8」の字に動くこともある。
そうなると、葉山の根元は、いやでも多摩美のクリットをこすりつけている。その上、充実したホーデンが、膣口部の下から肛門《こうもん》周辺にぺとり、ぺとり、とぶちあたるので、それも奇妙な刺激を女性に与えるようである。
今、多摩美はその秘術を使われて、目をまわしそうになっていた。
「あ……わたし……だめだめッ」
多摩美も恥骨をせりあげて密着させ、そこをぶるぶるとふるわせて、放心状態の中で、のぼりつめはじめていた。
(そろそろだな。一度、登頂させたほうがいいかもしれない)
葉山は、腰をはなして、ダッシュをかけた。
多摩美のヒップを両手に抱えこむようにして、身体をあわせ、ぐいぐいと女体の奥へ埋め込む。そのリズムが切迫した回数を重ねはじめたある瞬間、多摩美は突如、甲高い声をあげはじめ、そして突然、のけぞったかと思うと、また突如、乳房のふくらみを葉山の胸板にぶつけてきたりして、
「あッ、あッ……ゆくう……」
激しいクライマックスを迎えていた。
葉山は風呂でひと汗流した。
多摩美との久しぶりの交情で、体のすみずみに快い疲れと、充実感が残っている。
風呂からあがると、
「おや、どうしたんだい?」
食卓にバラが飾られていた。
キャンドルに火がはいり、ワイングラスが並び、アイスバケツにはワインボトルが冷やされていた。
「今日は、何の日だか、知ってる?」
多摩美が座卓に坐《すわ》ったまま、訊《き》いた。キャンドルの灯《あ》かりに、頬杖《ほおづえ》をついた多摩美の顔が美しく映えている。
「さあ、何だったかな」
葉山が心もとない返事をしながら、傍に坐ると、
「――私の誕生日よ。もう忘れたの?」
多摩美が、睨《にら》むようにして言った。
「あ、そうだったっけ。ごめんごめん」
葉山は自分の迂闊《うかつ》さを詫《わ》びた。葉山は自分の誕生日も忘れるくらいだから、人の誕生日にも無頓着《むとんちやく》である。
だが、多摩美は若いから、今の世の中の風潮並みに、恋人からバースデーパーティの真似事《まねごと》でも、やってもらいたいようである。
「多摩美もひどいよ。会社ではっきりそう言ってくれれば、何かプレゼント、買ってくるのに」
「プレゼントはいいわ。さっきので――」
多摩美はなるほど、先刻の駆けつけセックスでひどく満足したらしく、ほんのりと頬を桜色に染めていた。
「さ、乾杯しましょ」
アイスバケツで冷やしていたボトルを取りあげ、二人のグラスに充《み》たす。
二人はグラスを取りあげて、乾杯した。
「多摩美は、幾つになったんだっけ」
「さあね。二十歳以上だけど、三十歳以下というあたりで、いいんじゃない?」
「そうだね。年なんか、カンケーねえもんな」
葉山は白兵戦のあとの風呂上がりで、喉《のど》が乾いていたので、その白のワインが胸に沁《し》みるほど、美味《おい》しい、と思った。
「ね、朱鷺子さん、伊豆に帰ったそうだけど、気になるんでしょう?」
多摩美が頬を寄せて、覗《のぞ》きこんだ。
「ああ、少し気になるね。あんな具合のまま、伊豆に帰ったんだから、傷心旅行だと思うよ、きっと」
「早く伊豆に行ってあげたら?」
「うん、そう思ってる。東京アパレルとの間に商談がまとまったら報告にゆくよ。何か手土産もってゆかないと、恰好《かつこう》つかないもの」
答えながら、葉山はキャンドルの焔《ほのお》を見つめた。二人だけの多摩美の誕生日パーティだというのに、多摩美のことではなく、よその女のことを話題にしている自分を、変だな、と思った。
「あ、そうそう、今日の夕方、課長が外出中に、東京アパレルの秋山課長から電話があったわ」
「用件は?」
「乃木坂ホテルの件、社内稟議が終わったので、近く決定が出そうですって。それで、明後日あたり、最終的な買収価格について打ちあわせをしたいので、連絡乞うですって」
「そいつだ。その返事を待ってたんだ!」
これで見通しがついたな、と葉山は思った。
あさって早速、秋山|涼子《りようこ》に連絡をとり、折りあいのつく妥当な価格で収め、話をまとめてしまえば、あとは売買契約書の段階である。
そうなれば、報告がてら湯ケ島に行って、朱鷺子に会い、最終書類を作ってもらってもいいし、電話で東京に呼び戻してもいい。
(そうだ。初秋の伊豆路というのも、いいかもしれない。来週あたり、ちょっと気分転換に伊豆に行ってみよう)
そう決心すると、葉山の心はようやく浮き立ってきた。
「多摩美、頼みがある。ぼくは東京アパレルとの話し合いがまとまると、来週、伊豆に行ってくる。その伊豆旅行の間にね、ちょっと調べものをしておいてほしいんだけど、頼まれてくれるかな?」
「私でやれることなら、やっておくわ。いったい、どういうこと?」
葉山は、今後の展開のために、思いきって多摩美の協力を求めることにした。
「いつかの赤坂総業での事件のことだけどね。朱鷺子さんの話によると、彼女があのビルに連れ込まれる前、宮永という男から最初に脅迫電話がかかってきたそうだ。宮永の妹が朱鷺子さんの亡夫専太郎の愛人だったので、慰謝料をよこせとか何とか言ってね。この宮永というのは、事件当日も赤坂総業の事件現場にいて、朱鷺子さんに襲いかかったうちの一人だ。またその場には、梨田という男や、児玉というAVプロダクションの監督と呼ばれていた男がいたようだ。今、わかっているだけでも、朱鷺子さんを踏みにじった実行犯として、宮永、梨田、児玉という三人の名前が判明している。彼らは何らかの形で、赤坂総業の田宮文蔵の傘下に入っているグループ員と思われる。そこでだ、保険のセールスか何かを装って、赤坂総業に近づき、その三人の正体というか、所属部署や住所を調べておいてくれないか。あわせて、会社の前で待ち伏せするなりして、望遠レンズでその三人の顔写真を撮っておいてくれると、助かるんだけどな」
「顔写真、何に使うの?」
「それはまだ言えないけどね」
葉山は多摩美に、黙って了解してくれ、という顔をむけた。
「わかったわ。その三人の顔なら、私もあの時、ちらっと見たから知ってるわ。で……顔写真を撮るくらい、いつかのように赤坂総業のビルを見張る場所に隠れておけば、やれますけどね。でも、その正体とか所属とか住所まで探るのは、自信ないなあ」
「あ、ごめんごめん。多摩美は本職の探偵じゃないんだからな。あまり危険な深入りはしないほうがいい。――写真だけでいいんだ、写真だけで」
「OK。もし隠し撮りが出来ないようだったら、何かの形で出来あいのスナップ写真か何かを、手に入れておくわ」
「あまり無理することないからな」
「ビルに出入りする人間をフォーカスするくらい、軽い軽い」
「ありがとう。恩に着るよ」
「そのかわり、伊豆ではあまり浮気しないでよ」
「しないよ、ゼッタイに」
葉山は、心にもないことを言い、
「多摩美。さあ、飲もうよ。今日はきみの誕生日だそうじゃないか。何ならこれから近くのカラオケバーに繰り出してもいいぞ」
「カラオケバーなんか、いやよ。この部屋のほうがいいわ。私、まだこれからしっかり、課長を搾っちゃうから」
そう言いながら、多摩美が顔を心持ちむけ、
「ワイン、口移しに飲ませて」
そよぎかかってくる。
葉山は多摩美を横抱きにし、ワインを含んだ口を近づけて重ねた。
どうやら二人の火祭りはこれからもまた、本格化しそうである。
第六章 伊豆危険旅行
新幹線がすべりだした。
東京駅十二時五十二分発の「こだま」433号であった。これでゆくと、午後一時五十六分に三島に着き、そこから伊豆電鉄で修善寺へ連絡している。
発車間際に乗り込んだ葉山慎介《はやましんすけ》は、シートに坐《すわ》って週刊誌を広げた。三島まではほんの一時間余りなので、自由席である。
列車が発車して幾らもしない時、ドアが開いて通路を往《い》き来する幾人かの乗客のうち、
「あらあ……」
と足を止める人影があった。
顔をあげると、通路を通りかかって葉山に気づいて立ち止まった、という顔をした若い女性が、傍《そば》に立っている。
「近代企画の葉山さんじゃありません?」
女は確かめるように、きいた。
どこかで見たような気がしたが、葉山にはとっさには思いだせなかった。
「そうですが」
と答えると、
「ああ、やっぱり。私、まどかよ。鶯谷《うぐいすだに》の――」
「ああ、あの時の」
葉山は、声をかけてきた女が二年前、縁があった取引先の旅館の娘であったことを思いだした。
その旅館は、鶯谷の「桃山」といった。経営者は河村香津美《かわむらかつみ》という粋筋上がりの未亡人だったが、「桃山」が地上げ屋に追いたてられて途方にくれていた時、泣きつかれて葉山が間に立ち、河村香津美に有利な方法で、その旅館と敷地を売ってやり、代替ホテルを見つくろってやったのである。
まどかは、香津美の一人娘である。
当時は女子大生だったが、その旅館売買手続きの間、何度か一緒に登記所や銀行に通ったり、書類の受渡しなどで、手伝ってもらったのを憶《おぼ》えている。
「これは、奇遇だね。どちらまで?」
「修善寺。あそこの旅館もおかげさまで軌道に乗って、母が感謝してますわ」
「ああ、それはよかった。ところで、きみの席は?」
「今、自由席に飛び乗ったところ。空席を探してたんだけど」
「じゃ、横に坐れば。空いているよ」
「あ、助かるわ。お邪魔しまーす」
まどかは当世ギャルふうの声をあげて、葉山の横に坐った。
「葉山さんは、どちらまで?」
「湯ケ島まで」
「へええ。じゃ、修善寺まで一緒じゃないの。退屈せずにすみそう」
「お母さんは、元気?」
「ええ、元気よ。桃山本店をお母さんがやってて、郊外店を私がやってるのよ」
「へええ、ご発展だね。おめでとう」
河村香津美は、鶯谷を引き払った時、道玄坂と修善寺にホテルを開いたのだが、道玄坂のほうを本店、修善寺のほうを郊外店とでも呼んでいるのであろうか。
こだま号は加速していた。
葉山は、横に坐っているまどかの膝小僧《ひざこぞう》がまぶしかった。まどかは長身なので、スカートから脚線美が覗《のぞ》いており、どうかすると、太腿の半ばまでがむきだしになっていた。
「飲む?」
車内販売の売り子から缶《かん》ビールを買って渡しながら、
「ところで、まどかは学校、終わったんだっけ?」
葉山がそう聞くと、
「女子大は去年、卒業したわ。まどか、もうオトナよ」
「ああ、そうだったね。たしかきみは女流カメラマンをめざしてたんじゃなかったかな」
「ええ、希望はね。今でもそれは変わらないけど、女流カメラマンじゃ、よほど根性と才能がないと食べてはゆけないでしょう。修善寺のモーテルを経営しながら、気楽に写真を撮りつづけて、個展などを開いてるわ」
「へえ、それは恵まれた身分だね。写真は何か専門領域をもっているの?」
「ヌード、動物写真、山岳写真……何でも。歌舞伎役者や、男性ボディビルダーの筋肉美を追いかけたこともあるわ」
「ずい分、欲張りだね。ま、何でも気楽にやれるあたりが、セミプロの特権かもしれないけど」
そんなことを話しているうちに、新幹線は新横浜を出て、西へ疾走していた。
「ところで、葉山さんは湯ケ島だそうだけど、連れはいないの?」
まどかが、聞いた。
「一人だと、変かい?」
「伊豆の温泉にゆくのに、一人旅というのはちょっと、変わってるわよ」
「遊びの旅行じゃないんだよ。ビジネスがらみでね」
「あ、そうか。ホテルハンターだったもんね。むこうで何か出物があったの?」
「いや、そうじゃないんだが――」
葉山は、言葉を濁《にご》した。
九月十日火曜日――葉山は今、門倉朱鷺子《かどくらときこ》のところにむかっているところである。朱鷺子から委任されていた乃木坂ホテルの売買話が、東京アパレルとの間で成立したので、その報告がてら、幾通かの書類作成のために、湯ケ島にむかっているところである。
赤坂総業で辱《はずか》しめを受け、義弟が殺害されたあと、事件はまだ解決していないのに、伊豆に逃げ戻った朱鷺子のことが、心配であった。行くという電話をすれば、何かと気を遣うだろうから、不意討ちで訪れて、朱鷺子を驚かせてみるつもりであった。
(どうしているかな、朱鷺子――)
葉山が車窓にふと朱鷺子の面影を思い浮かべていると、まどかがいたずらっぽい眼で、
「急に黙り込んだところをみると、むこうに女でも待たせているの?」
「いや、そうじゃないよ。正真正銘、一人旅さ」
「じゃ、修善寺の私の所に寄ってらっしゃいよ。ご馳走《ちそう》するし、いつかのお返しもしたいわ」
「そうだな。どうしようかな」
「新幹線で出会ったのも、何かの縁よ。二年前、お世話になった時、何にもお返ししてないんだもの」
「お礼なんか、いらないさ。こっちもビジネスだったんだから」
葉山は、まだ迷っている。
「私としては、とにかくお礼したいの。それに、今の私の仕事ぶりも見てほしいわ。ほんの一泊でいいじゃないの。湯ケ島には、あす行けば……」
たしかに修善寺は、湯ケ島にゆく途中である。まどかの誘いにのって、彼女が経営するホテルに寄って行こうか、と葉山は思いはじめていた。
湯ケ島の朱鷺子のところには、今日行くという連絡はしていない。今日があしたになっても、いいわけである。
それに、久しぶりの伊豆である。二年ぶりに会ったまどかの、女っぽくなっている雰囲気にも、そそられるものを感じた。
(気をつけよう。いつぞやのこともあるし……)と自戒する気持ちもないではなかったが、まどかは旧知の間柄なので、気心が知れている。
「そうだね。きみんちに寄ってゆこうか。車を呼べば、湯ケ島はすぐだからね」
「こだま」433号はやがて、二時少し前に三島駅に着いた。
ほとんど十分も待たないで連絡していた修善寺行きの電車に乗りかえ、二人は修善寺にむかった。
電車が三島市の郊外に出て、伊豆半島に入って行くにつれ、色づきはじめた稲穂や、山々の起伏がのどかな旅情を誘う。
その山の起伏を眺めながら、まどかが、くすん、と笑った。何がおかしいんだと聞くと、
「葉山さんのお尻を思いだしたのよ」
奇妙きてれつなことを言う。
山の形というものは、ふつうは女性の寝姿を連想させるものである。伊豆には「寝姿山」という山があるくらいだ。それなのに、まどかがお尻に似てるなんておかしなことを言ったので、
「見たこともないくせに、ぼくのお尻に似てるなんて、変なこと言うなよ」
「葉山さんのお尻って、たしかホクロが二つもあったでしょう」
「え? どうして知ってるの?」
「私、見たんだもの」
「うっそおッ!」
「ホントよ。二年前のある晩、鶯谷のうちでお母さんといいことしてたでしょ。あたしね、隣の部屋からマジックミラーごしに、あれを見てたのよ」
たしかに、まどかの母親、香津美は粋《いき》すじあがりの年増《としま》の未亡人で、男が好きで好きでたまらないという体質だった。葉山も誘惑された恰好《かつこう》で何度か「桃山」の奥の部屋で香津美と寝たことがある。
しかしそれを当時、女子大生だった娘のまどかに見られていたなんて、今はじめて聞くことである。しかもマジックミラーごしに見ていたなんて、いったいどういう親娘なの? と聞きたい心境であった。
修善寺には、二時半に着いた。
まどかは、駅の近くの駐車場にマイカーを駐《と》めていた。真紅《しんく》のエクストラだった。ドアをあけて、
「さ、乗って。街はずれなので、かなり走るわよ」
葉山が助手席に乗ると、まどかは自分で運転して、車をすべりださせた。
なるほど、修善寺とはいえ、まどかが経営するホテルは、温泉街の中ではなく、街はずれの狩野川に近いところにあった。
新装オープンしてまだ一年というから、なかなか見栄えのする観光ホテル。和風と洋風をミックスしたモーテルふうの作りで、伊豆の自然にもうまく溶け込んでいる。
「いいホテルをオープンしたものだね。これだと伊豆めぐりをする若いドライブ族なんかもフリーで流れこんでくるんじゃないかね」
「そうね。団体さんより、アベックのほうが多いくらいよ」
まどかが車を地下駐車場にすべり込ませた。
フロントは一階にあったが、その駐車場からも、自動ドアがエレベーターホールにつながっていた。
「今日は、母はいないのよ。従業員の手前、私が男を引き込んでいると思われるのいやだから、駐車場からこっそり入らせてね」
まどかは、四階東端の自分の部屋に案内した。オーナールームといっても、ふつうの客室を自分用に改造したもので、ちょっと贅沢《ぜいたく》なマンションの一室といった感じである。
「私、毎週一回、支配人を監督にくるだけで、いつもここに住んでるわけじゃないから、手狭でいいの。今、飲みものを出すから、そこにくつろいでてね」
葉山は上衣を脱いで、ソファに坐《すわ》った。部屋には大きな円型ベッド、鏡、テーブルなどがあり、洗面所やバスルームがシステム化されていた。
ふと見ると、部屋の一画には十台ばかりのモニターテレビが並んでいる。
「なに、あのモニターテレビ」
「何だと思う?」
「女流カメラマンだけに、自家制作ビデオにでも凝っているのかな」
「ビデオはビデオでも、生撮りビデオよ。――今、面白いもの、見せてあげるわ」
まどかが、モニターのほうに歩いて操作盤の上の幾つかのスイッチを押した。
幾つかのブラウン管に、次々に画像が映しだされた。
あ、と驚いたのは、画面にはベッドで絡《から》みあっている裸の男女が、次々に映しだされてきたからであった。
「生撮りと言ってたけど、どういうこと? これ、アダルトビデオじゃないの?」
「違うわ。現在進行形よ。今、このホテルにはいっているアベックたちの生態。いわば、ハイテク装置の覗《のぞ》きって、ところかしら」
まどかが、およそ清純派そうな女性らしからぬ濃艶な色気を瞳にきらめかせ、いたずらっぽく笑った。
葉山は驚いた。
まどかの部屋の十台のモニターテレビに映っているのは、いわば、盗撮画像である。最近のモーテルやラブホテルには、客のアベックが自分たちでビデオ撮影を楽しむ装置があるが、それに見せかけて隠しカメラで撮ってオーナールームのモニターテレビに映しだすハイテクシステムのようであった。
「これをね、葉山さんに見せたかったの。いかが? 感想は」
まどかが、いたずらっぽく笑って聞いた。
「驚いたね、ハイテク覗きじゃないか。これ、なんか法律にひっかかるんじゃないの?」
「どう致しまして。今では警察自らラブホテルに防犯カメラを設置して下さいと勧める時代よ。うちも部屋で事故や殺人事件なんかが起きないよう、防犯カメラを設置しているだけのことよ」
なるほど、そう言われてみれば、まさにその通りで、ぐうの音も出ない。
「それにしてもきみって、案外な好きものなんだね」
「案外も案外、うーんと好きよ。だって、他人の情事覗いてると、面白いんだもの。人間、みんな凄《すさ》まじいんだなあって、身体の底から元気が湧《わ》いてくるわ」
けろっとした顔で言う。
「それが未婚のお嬢さんの言うことかねえ。虫一匹殺さぬ美しい顔してるくせに」
「私って、変わってるのかしら。鶯谷で母親が大きなラブホテル経営してたでしょ。中学生の頃《ころ》まで、いやでいやでたまらなかったけど、高校時代から居直っちゃったわ。うちにはマジックミラーの部屋があったから、大人の世界を覗くのが、面白くって、くせになってたのよ」
「じゃ、相当、早熟だったんだな」
「耳年増、眼年増。中身は案外、うぶかもしれないわ」
「どうかな。試してみなくっちゃわかんないよ」
「じゃ、試してみる?」
「あ、いいね」
葉山は挑発に乗るふりをして、すかさずモニターテレビの前で、まどかを抱いた。
今、このホテル内で行われている情事の数々を、モニターテレビで見ているうち、葉山はまたしても、むらむらと我慢できない程の刺激を受けていたのである。
唇と唇が触れる瞬間、まどかの身体はぴくんと固くなったが、すぐに唇を割って、葉山の舌を迎え入れた。
「ああん……あまり強く抱かれると、息がつまりそうよ」
手を少しゆるめ、羽毛が互いに触れあうようなキスをしながら、葉山はブラウスのボタンをはずして胸に手を入れ、ブラを押しのけて、乳房の張り具合をうねらせはじめた。
「ほらほら、乳首が固くなってきたよ」
「あン、いやらしい触り方。感じるわ」
まどかも男女の密景を画面で見ているうち、昂《たか》まっていたらしく、息を喘《あえ》がせはじめていた。
接吻しながら乳房を揉《も》んでいた葉山は、今度は下に手をまわした。まどかの恥丘のふくらみ全体を押さえ、感触を楽しむ。
それから、まん中の指で谷間をなぞって、クリットのあたりをコンタクトした。
「あっ」と、まどかが声を洩《も》らして反った。
まどかの構造は前つきなので、クリットのあたりに指は何度も命中した。スカートの上からでも、実によく響くようである。
「ねえ、感じちゃう。お風呂に入ってきて。ベッド、きれいにしておくから」
まどかは、そう訴えた。
「そうしようか」
葉山はバスを使うことにした。
「お風呂、どこ?」
「じゃ、案内するわ。いらっしゃい」
まどかは先に立ってバスルームに歩く。
栓をひねってバスタブに湯を張りながら、まどかは鏡の前で、身につけているものを脱ぎはじめた。
葉山は先に裸になると、タオルを持って浴室に入った。注湯中のバスタブの傍で身体を洗い、浴槽に身を沈めた頃、シャワーキャップを頭につけて、まどかが入ってきた。すぐシャワーを浴びはじめた。
背中の線がすっきりしていて、ヒップの位置が高かった。湯につかってまどかの裸身を見ているうち、葉山の男性はもう痛いくらいに、充実して、いきり立っていた。
実際、懲《こ》りないけものである。
女子大出の女流カメラマンでありながら、ホテルを経営し、覗《のぞ》きがご趣味のこの不思議な女のあそこが、どうなっているのか。想像するだけで、猛烈な意欲が湧《わ》いてくるのだ。
まどかがシャワーを浴び終え、浴槽のほうにきた。葉山は、彼女がバスタブの中に身を入れるのを押しとどめ、
「そこ。そこにちょっと――」
バスタブの縁にまどかを坐らせた。覗き込む位置に行って両手を太腿にやり、強引に秘所を押しあけた。
「ああん……いやよ」と言いながらも、開かれたそこは濃い茂みの下に、潤んだ大陰唇が花びらのよう。そこへ葉山は顔を押しあて、濡れそぼったヘアの感触を感じながら、花びらを舌で分けた。
「あっ、あっ……だめよう……」
いきなり秘所を分けられて、まどかは浴槽の縁からひっくり返りそうになった。
「危ない、縁につかまって」
注意しながら、葉山は太平楽だ。まどかの太腿を押し分け、濡れそぼったヘアの感触を鼻先に感じながら、ピンク色のきれいな花びらをなおも舌で分け、表敬訪問している。
口唇愛のついでに、指も動員した。そろりと指を入れると、まどかの秘唇は蛭《ひる》のように吸いついて、内部はねっとり潤んでいる。指を動かすにつれ、じわっと掴《つか》まれる感じが訪れ、そうして蜜液があふれる。
「汗、匂《にお》うでしょ。ごめんなさい」
匂うのは、汗ではない。女体の匂いそのものである。
まどかはかなり、体臭が強い女だ。ふっくらとした皮下脂肪のついた白い下腹部の下に、黒い恥毛が繁茂したあたりから、かなりきつい女臭が匂ってくる。
このスソワキガの匂いは、よほど石鹸で洗わないと、シャワーを浴びたくらいでは、落ちないものである。でも葉山は気にしない。かまわず、葉山がクンニをほどこしているうち、まどかはいよいよ耐えられなくなったように腰をゆらし、浴槽の縁から引っくり返りそうになった。
「ね……ね……お風呂に入らせて」
「そうだね。じゃ、ここに入んなさい」
まどかが入りやすいように、葉山は身体をずらした。
まどかが入ってきた。乳房を揉《も》みやすいよう、身体を重ね、後ろ抱きにする。
「きみって、肌が白いんだね。吸いつきそう……」
葉山は乳房を揉みながら、うしろから首筋にキスを見舞った。
「わたし、首筋、弱いのよう。感じちゃう」
まどかの手が、葉山の股間をさぐってきた。
「あらあ、湯をはじいてるわ」
硬化膨脹したものを、握りしめる。
お返しに葉山はまどかの秘所に、指を送った。花びらの奥は、先刻よりもさらに潤みを増し、濃い愛液があふれだしている。
「ね、このまま入れようか」
「はいるかしら」
「はいるよ。ヒップをあげて」
まどかはヒップを持ちあげた。あてがい、下から突きあげる。
「わあ、湯舟の中でエッチしてるわ」
葉山の男性自身は、なめらかに通路をすすみ、根元まで一気に、挿入されていた。
お風呂の中の背面騎乗位であった。つらぬかれた一瞬、まどかが、信じられないことが起きたように呼吸を止め、目をまわしたような顔になった。
しかし、驚きから醒《さ》めると、ゆっくりと動いてくる。両手でバスタブの縁をつかみ、さらに深く味わおうと、ヒップをゆらめかせるのであった。
ぴったり密着していると、葉山は下からは突きあげることができない。ゆるやかな上下動はまどかにまかせて、葉山は両手で乳房を愛撫していた。
「あっ……あっ……あっ……」
乳房を揉んでいた片手を、まどかの股間に移した。茂みは湯の中で、海藻のよう。その下に、クレバスが潤み、そこに出入りしているものが、はっきりとわかる。
「わあーッ。そんなこと……」
葉山はかまわず、その愛撫をつづけた。指で秘所をいじくられ、あわせて巨根で膣洞《ちつどう》を突きたてられて、まどかはあわあわと、泡を吹くような声をあげ、とうとう湯の中で軽く達してしまった。
「だめよう。私、もうふらふら。のぼせてしまいそう」
軽く達したあとのまどかは、本当に芯糸《しんいと》を抜かれたあとの人形のように、ぐったりとなっている。
「ねえ、あがらせて。私、湯にのぼせるたちなのよ」
お風呂の中で倒れられたら大変なので、葉山はいったん、結合を解くことにした。
まどかはバスタブからあがって、息を鎮《しず》めるように洗い場に坐《すわ》った。そうしてのろのろと、石鹸《せつけん》を使いはじめた。
「葉山さんって、ずい分ね。誘惑したつもりの私を、メロメロにさせちゃうんだもの」
「そうかな。二人の時間はまだ始まったばかりだよ。ぼくは先に風呂からあがっているからね」
葉山は腰にバスタオルを巻きつけただけの恰好で、風呂からあがった。冷蔵庫から缶《かん》ビールを取りだし、プル・タブをむしった。冷えたビールを喉《のど》に流しこむと、円型ベッドにあがり、あぐらをかく。
転がっていたリモコンでテレビのスイッチを入れた。
モニターテレビには、相変わらず、このホテル内の幾つかの部屋で演じられている男女の迫真のファックシーンが映しだされている。
葉山はそれを見ているうち、バスタオルに包まれたものが、猛々《たけだけ》しくなるのを覚えた。風呂ではまだ発射していないので、まどかが上がってくるのが待ち遠しいくらいであった。
あるカップルは、正常位で結合しているし、あるカップルは、女が騎乗位になって繋《つな》いだまま、両手で自分の乳房を揉みたてている。また別のブラウン管では、男がベッドの上で寝そべって、女がフェラチオをしている。
(みんな、やるなあ。都心部のラブホテル以上じゃないか)
葉山がとてもそそられているとき、
「お待ちどおさん」
まどかが風呂からあがってきた。
葉山はそそられて、まどかの裸身をベッドに押し伏せ、まったく白紙の女にむかうように、ゼロから緻密《ちみつ》な愛撫をすすめた。
肩口のくぼみを吸いあげると、まどかは頭をゆすりたてた。身体が上ずり、それはまるで葉山の唇を、胸の高みへと誘っているような動きであった。
葉山は応えて、乳房に接吻した。片手を股間にのばした。潤みが、指に触れた。
葉山はまどかの乳首を口に含んだ。
傍ら秘唇に指を使っている。指先にはとめどなく潤みが湧きあふれ、まどかが至福の声をあげている。
葉山の口に含まれた乳首も、こりっと硬くなっていた。膨らんで充血したそれは、ピオーネという紅玉種の葡萄《ぶどう》の実のようだった。
まどかは白い肌をしているので、色素の濃い乳輪がくっきり。その中心全体を唇で吸い、舐《な》め、転がしたりするうち、まどかは、
「あーん」
と、すすり泣くような声をあげた。
「お願い。もう、入れて」
まどかが葉山の猛《たけ》りを掴《つか》んで、催促する。
葉山も、入浴プレイでは放っていないので、大外強襲直線コースにはいることにした。
位置をとると、熱い流れの中に、猛《たけ》りたったグランスをあてがい、一気に埋めこんだ。
「ううっ」
グランスはじきに、柔らかい花びらに飲み込まれ、奥まで達した。直後、シャフトのあたりに、ピクピクと締めつけられる環《わ》を感じた。
環は指のときよりも強く、ぐっと収縮したり、わなないたり、相手が大きいので、あわてふためいている感じであった。
葉山はゆっくりと動きだした。
「葉山さんのって、きついわ」
痛いくらい、とまどかは言った。
でもその痛いくらい、というのは、必ずしも痛覚だけではなく、甘美な膨脹感を表わしているようであった。
それにまどかの通路は、少し狭すぎるようである。その狭い洞窟を何度かもぐりこんでゆくうち、葉山の男性は窮屈な緊縮力を覚えながらも、甘美ななめらかさに包まれてくる。
蜜液があふれているのだ。
「ああ……甘ーくなったわ」
まどかも、そう言った。
葉山はみっしりと動いた。
まどかが蕩然《とうぜん》と乱れつづけている。
葉山はまどかの頭の上に手をのばして、ベッドの端のボタンを押した。
金屏風《きんびようぶ》色の壁が左右に開いた。奥から鏡張りの壁が現われた。
「あら、知ってたの?」
まどかが驚いたような声をあげた。
「ああ、風呂からあがってきて、気づいたんだ」
まどかの部屋は、もともと、観光ホテルのアベック専用の部屋だったので、ラブホテルのような構造を残しているようである。
壁の鏡が、なまめかしい。その鏡の中には、もう一組の獣たちがもつれあっていた。
葉山は正常位ながら、まどかの両脚を肩にかけて、みっしりと動いた。その姿勢だと、葉山のタフボーイは、まどかの奥を突くことになる。
すると、まどかはますます最高潮。どうやら、奥の方の底部に、まどかのGスポットは隠れひそんでいるようである。
Gスポット効果はてきめんで、まどかの喉《のど》から発する「あッ、あッ」という破裂音が、「うぐっ、うぐっ」と熱く熱をもって乱れて、切羽詰まってきたのである。
そのうち、まどかの黒眼《くろめ》がゆっくりと、上瞼《うわまぶた》の中にひっくり返ってしまった。
全身が紅潮し、激しい痙攣《けいれん》が女体を襲った。
同時に男性を迎え入れていた洞窟に強い力が生まれ、
「やーっ」
と、まどかは一声、悲鳴のような声をあげてのけぞりながら、クライマックスを迎えている。
葉山もその体奥に、リキッドを放った。
――終わって、寝そべっていた。
葉山は、腹這《はらば》ったまどかのヒップに手をやり、その感触を楽しんでいた。
「なに、笑っているの?」
「鏡の魔女を思いだしてたんだ」
「魔女って、誰のこと?」
「きみのことさ」
「あら、失礼ね。私は純真な聖女のつもりでございますけど」
「そうかなあ。自分で経営するホテルの全室に、防犯カメラを設置して、それで男女の生態を盗み撮りしたビデオを愉《たの》しむなんて、聖女がやることだとは思えないけど。まどかって、もしかしたら、ここで撮った本番盗撮ビデオを、裏ビデオ業界にでも横流ししてるんじゃないのかい?」
「もしかしたら、しているかもね。海外に撮影旅行に行く時、お金が足りないとき、ばっちり、お金になるもん」
「ほら、やっぱり魔女だ。そろそろ退散しないと、骨までしゃぶられそうだな」
「あら、泊まっていきなさいよ。今から、お食事を用意させるからさあ」
そう言った後、まどかが起きあがって、タバコに火をつけた。急に真顔になって、
「ところで、湯ケ島に行くと言ってたけど、どちらに?」
葉山もやっと、自分の伊豆行きの本来の用事を思いだして、頭のネジを巻き直した。
「天城翠明館というところに、ちょっとね」
「あ、わかった」
「何が……?」
「門倉《かどくら》さんのところでしょう。朱鷺子《ときこ》さんと言ったかしら。東京で実業家のご主人に死別された美しい未亡人」
「門倉朱鷺子を、知っているのかい」
「知っているわ。だって今、このあたりで大評判になっているんだもの」
「大評判……? どういうこと……?」
「門倉さんの持っている湯ケ島の地所でね、いま大ゴルフ場建設とリゾートホテル建設計画が、持ちあがっていて、ワサビ沢の水質を悪くするとか、環境破壊とかいう問題で、地元の大反発を受けているみたいよ」
それは初耳であった。
はて、と葉山は頭をひねった。
伊豆にはたくさんのゴルフ場やリゾートホテルが出来ているので、今更、その手の計画自体は、さして驚かないが、心に傷を負って東京から舞い戻ったばかりの朱鷺子の心情に、その開発計画というのは、あまりそぐわない。
「その計画ってもう、工事が始まっているのかい?」
「いえ。義弟の健太郎さんが何でも、地所の売却と開発承諾の念書にハンコを押されていたらしいけど、朱鷺子さんが反対なさっているらしいわ。一説には健太郎さんは悪徳不動産会社に酒色の供応を受けて丸めこまれ、欺《だま》されたあげくに殺されたんじゃないか、という噂もあるわ」
葉山は一瞬、言葉を失っていた。
そうか。健太郎はそういう使われ方をされたわけだ。以前、印鑑とか権利証をどうこうしたとかいう話を聞いていたが、それは伊豆の地所のことだったわけだ。
そうすると……乃木坂ホテルを手放して伊豆に隠棲したはずの朱鷺子には、ここでもまた安住の地がなかったということだろうか。
ともかく早く行ってみよう、と葉山は思った。
翌日、葉山は湯ケ島にむかった。
修善寺から湯ケ島は、狩野川をさかのぼって車でほんの二十分ほどの距離である。
タクシーで行ったのは、朱鷺子のいる天城翠明館に行く途中、懐かしい明徳寺という寺にも寄ってみたかったからである。
「あっ、運転手さん。湯ケ島の入口に明徳寺というお寺があるよね。そこの前で止めてくれないか」
「はいはい。お詣《まい》りしていただけるんですね。例の――」
運転手はその先は言わずに、にやにやと笑った。
葉山は明徳寺の前でタクシーを降りた。
境内のたたずまいは昔と変わらず、めざす小さなお堂も昔と変わらなかった。
堂内には高さ二メートルはありそうな巨大な木の男根が横たわり、天井からは大きな銅鑼《どら》が吊《つる》されていて、赤と白のだんだら縞《じま》の太い綱がぶらさがっている。
その赤白の綱は、銅鑼を打ち鳴らすためのものであった。
男根の手前には、これまた巨大な自然木の女陰が立てかけられていた。
あまりにもリアルなその女陰は、男根と同じように、磨きこまれたように、艶光りしていた。
お詣りした人々が、自らの健康と安産、精力増強の願いをこめてこの男女一対のシンボルを撫でさすってゆくので、艶光りしているのであった。
ちょうど、観光バスが一台、着いていたところらしい。お堂の中にも何人もの参拝者が入っていた。どこやらの会社の職場旅行の一団らしく、若い女性もけっこう混っていて、
「キャーッ、エッチ……!」
知らずに案内されてきたらしい女の子たちが、度肝《どぎも》を抜かれて、賑《にぎ》やかな嬌声《きようせい》をあげている。
「キミたち、そんなにお上品ぶるなよ。明美のなんか、ちょうど、あんな具合だと思うけどなあ」
職場の中年男が面白そうに冷やかした。
「まあ、失礼ね。私、あんなに艶光りなんかしてないわよ――」
「どうかな。ずい分、もててるから、きっとさすられて黒々と光ってるんじゃないのか」
「言ったわね、主任。セクハラで訴えるから」
「主任のこそ、後家殺しと言われてるから、あんな具合にぶっといんじゃないの」
ひとしきり、わいわいキャーキャーと、賑わいたち、そのうちの一人の若い男が進み出て、木の男根に跨《またが》った。
「さあ、おれが銅鑼を鳴らすから、男は女陰を、女は男根をしっかりさすって、ご利益に預かったほうがいいぞ」
そう言って赤白だんだらの綱を強く引いて、ゴォーンと銅鑼を鳴らした。その音響が、びっくりするくらい、狭い堂内に大きく鳴り響き、男や女が、笑いながらパチパチと拍手を送った。据えものはいささかどぎつい気もするが、いかにものどかな光景だと葉山は思った。
その観光バスの一団が去ると、急に堂内が静かになって、葉山は独り残された。
そのシーンとした堂内で、葉山はもう一度、艶光りする男根と女陰をゆっくりと眺《なが》めた。
いつの時代に、どのような経過で祀《まつ》られたのかは知らないが、何ともはや、リアルなものである。いずれも自然木なので、生殖の神としてありがたがられて、祀られたものであろうか。
葉山は肩にかけていたカメラをはずすと、数枚、写真を撮った。どういう目的があるわけではなかったが、こういう人間の根源的なものへの、素朴な信仰がまだ原形のまま残されていることが、うれしかった。
ついでに、「おさわり、おまたぎ」と書いてある通り、男根をまたぎ、女陰をさする参詣《さんけい》の方法を、やってみようと思った。一人で男根を跨《また》いで、銅鑼《どら》を鳴らすと、また全身に精力が充ちてきたような気がした。それから女陰のほうを、しげしげと眺めた。
神様の悪戯《いたずら》としか思えないほど、そっくりである。それにしても自然木なのに、こういう造形の妙があるのかと、一瞬、ためらったあと、艶やかに黒光りするその表面に、そっと手を触れた。
そしてなんとなく恥ずかしくなって、急いで手を引っ込めた。誰もいないからいいようなものの、人に見られたら、それこそ痴漢か変質者に間違われるかもしれない。
ピカリ、と光ったのでびっくりして後ろを振り返り、思わずドキンとした。人がいたのだ。若い女だった。一人旅らしい女は、女陰にカメラをかまえて、ストロボを焚《た》いて、写真を撮っているのであった。
「あ、ちょっと――」
葉山は顔を赤らめて、文句を言った。
「もしかしたら今、ぼくも写ったんじゃありませんか?」
「え?」
「今の……この……女陰をさすっていたところ」
「あ、写ったかもしれないわ。後ろから撮ったんですけど」
「困るなあ。無断で撮られちゃうと」
「どうしてでしょうか。とってもお似合いの方がいらっしゃると思ったんですけど」
「お似合いというのは、どういうことですか?」
「その場の雰囲気を、壊さない方って、写真にとっては重宝なものなんですのよ」
葉山は、女の言い分に文句を言ったらいいのか、それとも賞《ほ》められたのか、見当がつかなかった。
「とにかく、困りますねえ。その写真、返して下さいよ」
「あら、いいじゃありませんか。よく撮れていたら、送りますわ。お名刺か何かを――」
葉山はとにかく、返して貰《もら》いたかったので、名刺を渡した。
「私、森田美紀《もりたみき》といいます。伊豆を一人旅してるところ。またお会いしたらよろしくね」
女は名刺を受けとると、にっこり笑って、いつのまにか堂内から消えていた。
翠明館の前には、川が流れていた。
その橋を渡っている時、葉山の記憶が甦《よみがえ》った。やはり、幼い頃、毎年、夏休みに父に連れられて泊まっていた旅館は、ここだったような気がする。
手網でハヤを取ろうとして川に落ちて、流され、溺《おぼ》れそうになったのは間違いなくこの川であり、すぐ傍の淵《ふち》である。それを思いだすと、感慨深かった。
(そうか。すると、おれが子供の頃、泊まっていた旅館は、今、朱鷺子が経営するこの翠明館だったのだ。朱鷺子とは、よくよく赤い糸で結ばれていたようだな)
「ごめんくださーい」
葉山は、玄関に入った。
中年の女中さんが現われた。
「予約してませんけど、部屋あいてますか」
「はい。今日は平日なので、幾らかあいています。どうぞ」
葉山は部屋に案内される途中、帳場のほうを見たが、朱鷺子の姿はなかった。不意に訪れて、驚かせてやろうという魂胆があったので、連絡はしていなかった。
(あとで部屋に呼んでみよう)
案内された部屋は、二階の一室だった。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
葉山がテーブルに落着くと、女中さんが改めて愛想《あいそ》よく三つ指をつき、茶碗《ちやわん》を二つ用意して、卓上にさしだす。
「そろそろ、涼しくなりましたわね。温泉が、とてもほどよい季節になりました。お茶でも召しあがったら、どうぞごゆっくり、汗を流してきて下さい。それまでにお食事を用意しておきます」
そう言い、女中さんは部屋を去ろうとした。
「あ、ちょっと、きみ――」
葉山は、女中さんに言った。
「ぼくは一人だけど」
「は?」
「お茶を二つも用意してくれたけど、どういうんだろうね」
葉山は不審そうに、卓上にのせられたもう一つの茶碗をみた。
「だってお客様、お連れさんがいらっしゃったでしょ」
「いいや、ぼくは最初から一人だったよ」
「あら、ご冗談ばっかり。――お客様がフロントにお入りになった時、すぐ後ろにもう一人、美しい女の方が立ってらっしゃったじゃありませんか?」
「ええーッ? ぼくの後ろに……?」
「そうですよ。とってもお似合いの方だったので、てっきりご同伴だとばかり思ってましたけど、違ってたのかしら」
「ともかく、ぼくは一人です。そのつもりでいて下さい」
「変ねえ。じゃあ、あの方、どこに行っちゃったのかしら」
女中さんは怪訝《けげん》そうに首を振りながら、幽霊でも見たような顔をして、部屋を出ていった。
怪訝なのは、葉山のほうである。そんな美人が、本当におれと一緒にこの旅館に入ったのだろうか。
(そんなことはない。きっと女中の勘違いだろう)
葉山は窓をあけた。
山峡にはすでに暮色が訪れていた。
葉山は風呂に入ろうと思い、浴衣に着がえて、タオルを一本ぶらさげて、階下に降りた。
帳場を覗《のぞ》くと、朱鷺子の姿はまだなかった。
「奥さん、いらっしゃいませんか?」
葉山がそう聞くと、先刻の女中が、
「女将《おかみ》さんはちょっと用事があって、実家のほうに行ってらっしゃいます。何か、ご用でしょうか?」
朱鷺子の実家は、ここからさらに天城峠のほうに行ったところと聞いている。
「あ、いや。今夜はお帰りになりますか?」
「さあ、どうでしょうか? ゴルフ場問題が紛《も》めているといいますから、今夜は無理かもしれません。あすはお帰りになりますが」
「あ、そうですか。じゃ、あしたで結構です。電話がありましたら、東京から葉山が来ている、とだけお伝え下さい」
葉山はそう伝えておいて、浴場にむかった。
大浴場の手前に、露天風呂に行く道順案内がついていたので、そそられて、露天風呂に行くことにした。
露天風呂は、深い渓流に面していた。
脱衣場は岩の間にあった。その中で浴衣を脱ぐと、葉山はタオルを手にして湯気の湧く湯壺のほうに歩いた。
木の枝が頭上に差しかわしていて、そこに一面、湯気が湧いている景色は、なかなか野趣横溢していて、風情満点である。
葉山は湯につかった時、ふと岩陰の白い湯気の中で、人影が揺れたのに気づいた。
よく見ると、若い女だった。女も当然、裸で湯につかっているのである。
(そういえば、混浴露天風呂……!)
どっきりすると同時に、葉山は若い女と露天風呂でめぐりあったことを、幸運だと思った。
「いいお湯ですね」
葉山が声をかけると、
「ええ、ホント。少し熱いけど、我慢すればとってもいい気分だわ」
湯気の中なので、顔はよくわからない。
「今日、お着きですか」
「ええ、先刻――」
(じゃ、女中がおれと一緒にフロントに入ってきたと話していた女は、もしかしたら、この女のことではないだろうか?)
「お一人ですか?」
念のため、用心しながら聞いてみると、
「ええ。一人旅なんですのよ」
と、女が答えたとたん、ポチャンと湯の音が立ち、肩から首すじのほうへタオルを動かしたはずみに、湯気が割れて顔がはっきりと見えた。
「あッ……!」
「あーら、あなたは――」
期せずして驚きの声があがったのも当然、女は夕方、巨大な男根と女陰が祀られた明徳寺の堂の中で出会った女だった。
「これはこれは、驚いたなあ。この旅館だったんですか」
頭上に、月が出ていた。
露天風呂は静かだった。
葉山は偶然、露天風呂で森田美紀と出会ったことを、幸運だと思った。
「ここで出会ったのが百年目だ。明徳寺の写真、どうしても返して貰いますからね」
「あれはまだ、現像してないわ」
「フィルムを抜き取ってしまえばいい」
「ずい分、乱暴なことを言うのね。どうしてそんなにいやなの」
「木の根の女陰に触っているところを撮られた写真なんて、いやですよ」
「あら、男性って、本物の女性のに触れてる時は、少しも恥ずかしがらないくせに」
「それとこれとは、話がちがう」
葉山は怒ったように言いながらも、豊満な美紀の乳房が目について、眼のやり場がない。股間のヘアは、さすがにタオルで隠されているが、どうかすると、ゆらいでいる黒い藻のようなものが、水底に見えたりした。
それを目撃したものだから、葉山は不覚にも、催してきた。そのしるしはタオルで隠していても、そのタオルが勢いよく盛りあがるのは隠せなかった。
「まあ、お元気そう」
美紀がそれを見て、悪戯《いたずら》っぽく笑った。
「え? わかるの?」
「分かるわよ。明徳寺の、あれみたい」
(ずい分なこと、言うじゃないか)
「そう言えば、あの堂内の男根と女陰って、ずい分、リアルだったね」
「そうね、リアルだったわ。でも、見世物は見世物よ。本物のもつ恥じらいやエロスの迫力にはかなわないわ」
美紀は案外、どぎついことを平気で言った。伊豆を一人旅しているくらいの女だから、意外に度胸《どきよう》があって、翔《と》んでる女なのかもしれない。
そう思うと、葉山は少し安心した。案外、話せる女かもしれない。葉山の意欲もますます猛ってきて、葉山は湯の中で身体を少しずらしながら、近づいた。
そこに大きな岩が突き出しているので、美紀は逃げられはしない。くるっと向こうをむいて、喘《あえ》ぐように背中をみせた。
葉山はとりあえず、背中に寄り添った。
背中同士が、触れそうである。
そうやって、樹間の月を見あげた。
「ああ、いいお湯。ところでおたく、ホントに一人旅?」
「そうよ。季節はずれの伊豆一人旅って、わけよ。あしたはバスと歩きで天城峠を越えようと思ってるの」
なるほど、伊豆は東京から近いが、踊り子ラインというキャッチフレーズのせいか、女の子には断然、人気がある。
「女子大生? それともOL?」
「会社勤めよ。仕事の都合で時々、三連休があるの。葉山さんは?」
「ご同様。ちょっと会社を休んで、気晴らしの一人旅さ」
言いながら、葉山は肩のあたりをぴたっとつけた。美紀は、はっと身を硬くした。
葉山は、無言で美紀のほうをむき、そっと肩を抱き、首すじに唇をあてた。
美紀は、あ、と小さな声をあげた。
葉山は、彼女の胸を隠していたタオルの中に、右手をすべり込ませた。
「ああ……だめよう」
喘ぐように言う美紀の柔らかい乳房が、指先にうねるように触れた。
葉山はその雪白の乳房を、そっと揉《も》んだ。
「あッ……いけないわ……葉山さん」
美紀は小さく身体を震わせ、その手を上から押さえた。でも、あまり強く拒絶するふうではなかった。
事態をそれ以上、進展させたくはないが、しかし、その手の感触はいつくしみたい、という強い押さえ方だった。
生命と生命が一瞬、緊張しあい、ああ……、と、美紀は心持ち、顔を上むけた。
露天風呂の上空で、差し交わした木の枝ごしに、皓々《こうこう》とした月が輝いている。何ともロマンチックな風情に、葉山はますます猛るものを覚え、後ろから抱くような形で、美紀を両手ですっぽりと抱いて、乳房を揉みながら、背中に唇をあてた。
「あッ……だめ……だめ、葉山さん。人がくると恥ずかしいわ」
驚いたように身をよじった隙に、葉山は美紀の膝上のタオルを、ぱっと取った。
「わあ……困るわ!」
両膝をぴたっと合わせた。
しかし、股間を隠すものがなくなって、美紀のヘアが黒々と藻のように、揺れているのが見えた。
「毛並み、素晴らしいんだね」
「お下品なこと、言わないで」
美紀が隠そうとして身をよじったはずみに、葉山は今度は両手で、その肩を力一杯抱き寄せてむきあわせ、強引に唇を合わせた。
「ん……」
唇をふさがれて、美紀は呻《うめ》いた。
接吻しながら、葉山は指を美紀の股間にのばして、秘所に触れた。茂みの下は、多量ではないが、とろりと吐蜜している。
「ああ……だめ……だめ」
美紀は苦しそうに喘いで、湯の中で葉山の手を掴んだ。
「ね、お願い……そこまでにして」
「でも……それじゃ、殺生《せつしよう》ですよ。ぼくの、ほら」
美紀の手を導いて、触れさせた。葉山の股間のものは、先刻から灼熱の欲望の形をとって、猛っていたのである。
「ああ……やめて……掴ませるなんて」
美紀はいっそう、声を弾ませた。
「触ってると……くらくらするわ」
「ね、このまま進めてみようよ。露天風呂セックスっていうの、すてきだと思うけど」
「いやいや……人が来ると、恥ずかしいわ。……ね、お願い……あとにして」
美紀は本当に感じて、苦しそうだった。
「ね、お部屋教えて。あとで行くから」
美紀は、約束を守った。
もっとも、彼女が葉山の部屋にこっそり忍んできたのは、夕食が片づいて、葉山が一杯気分で、布団にはいってからである。
「チッキショー、嘘ついたな、あの女」
待ちくたびれて苛々《いらいら》も手伝い、ぶつぶつ言いながら、布団の中で葉山がうとうとしかけていた夜の十一時頃、部屋の障子が開いて、そっとすべり込んでくる人影があった。
「お待ちになった……?」
布団がめくられ、甘い香水の匂いとともに、柔らかい女体がすべり込んだ。
それでやっと、葉山が眼を覚ますと、浴衣を着たままの森田美紀だった。
「約束を忘れちゃ、いやよ。私を忘れて寝てしまうなんて、ひどいひどい」
そう言って、身体をぶつけてくる。
「だって、あのままだなんて、生殺しよ」
「ぼくだって、そうさ。お互い生殺しだったもの」
葉山の手が美紀の帯を解くと、彼女の手が葉山の浴衣の合わせ目にすべり、襟をおし広げて、肩や胸に触っている。
「……ああ、湯の匂いがまだ残ってるわ。先刻は途中でお断わりして、ごめんなさい」
葉山は布団をはねのけて、美紀の女体を夜具の上に押し伏せた。もう一度、接吻にゆく。口吸いをしながら、葉山が浴衣の打ち合わせをくつろがせながら、右手を乳房にすべりこませると、ううう……と呻きながら、美紀の股が崩れて、浴衣の裾《すそ》が割れた。
葉山は、浴衣を脱がせた。
美紀は浴衣の下には、何もつけてはいなかった。露出した肌が、冷んやりと冷たかったが、布地に包まれていた女体は、むっと火照《ほて》るように、熱い。
乳房に接吻しながら、片手を下腹部に這わせ、毛むらをまさぐった。毛むらの下には活火山が潜んでいて、熱い湯をたぎらせていた。
葉山は指をその活火山の湯壺に、差し入れた。濃い愛液が、湯壺から噴きだしていた。
「ああん……旅先のせいか、妙に熱く感じるわ」
指で訪問するにつれ、美紀は女体を蛇のように奔放にあばれさせる。
葉山は、その女芯に指を深くうずめこんだ。
「ああン、そんなあ」
不意打ちに驚いて、美紀が甘美な声ながらも、文句を言った。
粒立ちの多い膣の内部をさぐると、うるみが掌《てのひら》に噴きこぼれて、奥はミミズのようにうごめきながら、締めつけてくる。
挿入した指をカギ型に曲げて、底部を手前に引っ掻いた。ああん、と声が噴いた。だが、底部にGスポットがあるわけではない。今度は指を上にむけて、天井を引っ掻いた。
瘤《こぶ》や粒立ちが多い。そこの山脈のザラザラを引っ掻き、窪みをこすりつづけた。それがテキメンに効いてきたらしく、
「ひゃーッ」
という声をあげて、美紀は腰をねじったり、よじったりして、軽くイキつづけ、温かいうるおいを葉山の指に注ぎかけつづける。
(まだまだ……)
葉山は中指を女芯に挿入したまま、今度は親指の頭をアヌスの周辺から、蟻《あり》の戸渡りのあたりをさまよわせた。そうして軽くアヌスの花芯に親指をあてがい、膣口と裏門との間のぶ厚い肉の膜を二指ではさみつけ、軽くバイブレーションをつけて、いたぶった。
「あッあッ……」が、「ヤーッー!」という声になって、美紀はたちまち、腰を大きくバウンドさせた。
「そこ……そこ……そんなふうにはさまれると、ちびりそうよ……いっちゃいそう」
葉山はその美紀の乱れようを見ていると、ひどくそそられ、脳の中に赤い霧を渦巻かせながら、二指を挿入したまま、今度は顔を秘唇に近づけていった。
美紀の女芯は、少し長いようだ。
女性の亀裂は、長いのもあれば、短いのもある。だいたい、クレバスの長さは、身長に比例するようである。なぜなら、外人女性のはタテに長い亀裂が多いが、日本女性のは比較的、短いのが多い。
美紀の女芯は、その中でもどちらかというと長いほうで、後ろつきである。葉山は今、その膣口に中指を入れ、親指をもう一つの穴にあてがって、二指でその中間の膜をはさみつけて愛撫しながら、顔を乳房に寄せて乳首を口に含んでいる。
興奮の度合をつよめていた美紀が、不意に、
「ね」
と、ある体位を口走った。
「バックにしてくれる?」
瞼をけだるそうにあけた瞳に、でも好色そうな光がうるんで、催促している。
「バックが好きなのかね?」
「今、蟻の戸渡りのあたりをかまわれたでしょ。そのあたりが、じんじん燃えてるみたい。私って、後ろからされるのって、とても感じるの」
そういえば、美紀はやや後ろつきの傾向にある。それは指を挿入して、蟻の戸渡りのあたりを探っている時に、二つの穴の位置が近かったことで、納得していた。
後ろつきの女性は、バックを好む傾向にある。そのほうが奥への到達感が深いのである。
「いいよ。そうしよう」
葉山が答えると、美紀はいそいそと身を起こして、後ろから受け入れる姿勢をとった。
葉山は、犬這いになった美紀のヒップの後ろにまわりこみ、ふくよかな彼女のヒップを両手で抱え持った。
その時、美紀はもう一つ、リクエストした。
「ね、電気。もうちょっと」
「暗くするの?」
「いえ、明るくしてほしいの」
「え?」
と葉山は、驚いて、聞き返した。
「暗くするんじゃないの」
ふつうは、暗くしてくれと頼む女性が多い。しかし美紀は反対に、枕許のスタンドをもっと明るくしてくれ、と言うのである。
「私って、変かしら。電気、明るくして、やったほうがとても燃えるの。特にバックでね、お尻を高く差しあげて男の人にそのあたりを見せてると思うと、凄ーく淫乱な気分になって、カーッと全身が熱くなるの」
なるほど、人間は羞恥心からでも、全身がカーッと熱くなることがある。
そういう心理を、言っているのかもしれなかった。
葉山は、スタンドを最大限に明るくした。
美紀は両手をシーツにおいて腕を立て、両膝を折る獣の姿勢をとって待ちわびている。
葉山は位置をとった。
ヒップを掴むと、細くくびれた美紀のウエストから、ぽってり肉の張りをみせる腰まわりにかけてのカーブが、ヴィーナスライン。うつ伏せになったヒップを持ちあげると、その大きなまろやかさが、いっそう強調され、いやが上にも「女」そのものの悩ましさと肉感を放つ。
その赤いほころびの中に、宝冠部を少し押し入れると、薄桃色の環のような膣のとば口がへこみ、まわりの肉襞を巻き込みながら、男根が受け入れられてゆく。
「あッ……あはーッ」
巨根に押し割られてゆく時の女性の声は、いつ聞いても切なそうで、痛そうで、でもよさそうで、男心をそそるものである。
途中まで挿入したところで、ヒップを両手でわし掴みにしながら、背後から一気に美紀を貫く。
「ふわッ……あああーんッ」
喉からふり絞《しぼ》るような声が、うつ伏せの美紀の口から放たれた。
「獣が吼《ほ》えるような声だよ」
「だって、おおきいんだもの」
葉山は、ゆっくりと動きだした。
出没運動を加えるたびに、美紀は耐える姿勢。でも、ねっとりと秘肉で巻きこみながら、ヒップで円を描いて、迎え打つ。
「あッ……あッ……あーん」
その時、葉山はふっと、背後に何やら人の視線のようなものを感じた。
「ああ……いいッ……いいわ……葉山さんのって、大きいんだもの……奥まで突いて」
美紀はそんな声をひっきりなしに、あげつづけている。
葉山は気になって、振り返ってみた。
部屋の襖《ふすま》は半分くらい、開いている。美紀があけて、入ってきたままである。そのむこうの控えの間も、電気がついたままで明るかった。
「誰……?」
声をだすと、ふッと息をのんで身じろぎするような気配が、たしかにその控えの間で感じられたのである。
その気配や視線は、害意や危険性のあるものではなかった。なんとなくバツの悪いところを見て、進退に困って息を殺して佇《たたず》んでいる、といった気配なのであった。
しかし、人影は見えない。
女中か仲居だろうか。
「誰……?」
もう一度、声をかけてみた。
が、返事もなければ、こそとも物音は、しないのであった。
(なんだ、気のせいかな)
葉山がそう思いはじめている間も、
「ねえ、どうしたのよう。ちゃんと突いてよ」
美紀が、ヒップをうごめかせた。
葉山は再び、豪根を膣口に出没させて、励みだしながら、
(ばかだな。誰もいるはずないさ。気のせいに決まってるじゃないか)
葉山がそう自分に言いきかせて励むと、
「おおッ……いい……」
うつ伏せの美紀は、鏡獅子のように頭を左右に振って、肩まで長いワンレングスの髪を派手に振りなびかせるのだった。
いつのまにか、隣の部屋の気配は、すっかり消えていた。
(やっぱりな。気のせいだったのだ)
葉山は安心して、再び美紀の女体に心を束ねた。
「触って!」
「え?」
「手を前に回して……触ってほしいの」
美紀は牝犬《めすいぬ》のように臀部《でんぶ》をゆすりたてて、そう言いながら、喘いだ。
「ああ……ここをこういうふうに、ね……?」
葉山は両手を前にまわして、抱え込むようにして、くさむらの中を触った。
「そう……クリットをいっぱいこすって」
美紀はシーツに顔をねじ伏せたまま、はっきりと自分の好きなことを要求する。
葉山は、人差指と中指との間に、彼女のその芽をはさみ込むようにして、揉みほぐした。
珠をころがし、なぶりつづける。
抽送も、おこなわれているのであった。
「おおおッ」
「いい?」
「いいわ……そうやって突いて……おおおッ」
美紀は遠慮会釈なくヒップをゆすって、駆けあがってゆく。
(あの人がいる……!)
朝、眼覚めた時、それに気づいた。
葉山が何気なく窓をあけると、翠明館の裏はすぐ山肌に接していて、眼下に旅館の裏庭や花壇、段畑が見えた。
花壇は段畑の幾枚かがあてられていて、二階の窓と接するくらいの高さにある。眩《まぶ》しい朝の光の中に、四季咲きのバラやコスモス、黄菊、白菊など、秋の花が鮮《あざ》やかに咲き乱れていた。
その花壇の中に、剪定鋏《せんていばさみ》を持ってバラを切っているあの人の姿を発見したのである。
今朝のあの人は、明るいブルーのワンピースを着て、サンダルばきだった。長い髪を後ろで束ねている。朝の明るい日射しの中で、あの人のむきだしの肩が、白くて眩しい。
咲き乱れた四季咲きバラの手入れを終えると、切りとったばかりの数本のバラを手にして、花壇から翠明館へつづく石段を、あの人が降りてゆく。
その白い、美しい素足をみているうち、心が騒いだ。昨日は留守だったので、朱鷺子はゆうべのうちに翠明館に帰って来たのだろうか、と葉山は思った。
よほど、窓から声をかけようかと思ったが、起き抜けだったし、部屋にはまだ美紀が、しどけなく寝乱れていたので、我慢した。
朱鷺子は段畑の花壇から翠明館の庭へ入る時、ちらと葉山の部屋のほうを見たような気がした。それで、葉山は思わず手を振ったのだが、朱鷺子はしかし気づかなかったのか、素知らぬ顔をしていた。
「誰に手を振ってるの?」
背後で物憂《ものう》い声がした。
振りむくと、寝乱れた布団に、美紀が腹ばって煙草に火をつけている。掛け布団が半分、ずり落ちているので、全裸の美紀のむきだしのお尻がまる見えだ。そこはふっくらと盛りあがっていて、ゆうべの激戦の匂いを漂わせている。
「花壇に人が見えたからね」
「あ、その人きっと、翠明館の未亡人よ。朱鷺子さんと言って、東京から戻って間もない人で、このあたりでも評判の美人のようね」
「きみは知っているのか」
「噂を聞いただけよ。あなた、もしかしたら、その人がお目あてで、この翠明館に泊まったんじゃないの?」
「いや、そんなことはないよ」
あわてていい、「ところできみは自分の部屋には帰らないのか」
「あら、私を追いだすつもり?」
「そんなわけではないが、もうすぐ食事時だろう。きみの部屋がもぬけの殻じゃ、女中さん、変に思うんじゃないか」
「思ったって、かまわないでしょ。私たち、もう子供じゃないんだから」
「それは、そうだけど……」
何となく葉山は、居心地が悪い。花壇で朱鷺子の姿をみて以来、心が騒いだ。朱鷺子のいる翠明館に来てまで、美紀という女と寝てしまったことに、ほとほと、何という男だろうと、自分の羞恥心のなさと、性的好奇心の旺盛さに、後ろめたい思いでいる時、部屋の外で、食事を知らせる女中の声がした。
やがて、食事の時間になった。
膳を運んできた女中は、鏡にむかっている美紀を見ても、さして驚きはしなかった。
「やはり、お連れさんだったんですね。別々に部屋をとるアベックなんて、変わってらっしゃる」
「そうかね、変わってるかね」
葉山は言い訳するのも変だったので、サマにならない返事をした。
「お連れさまのお食事、こちらに運びますか」
聞かれると、葉山よりも先に、
「あ、いいわ。私の部屋に運んどいてちょうだい。私、あちらに戻りますから」
美紀が堂々とそう言ったものだから、女中はますます怪訝《けげん》な顔をしていたが、
「はい、そういたします」
食後、美紀はもう化粧も外出支度も終えて、もう一度、部屋に挨拶にきた。窓から外の花壇の眺めが気に入ったようで、裏の段畑の写真を撮り納めたりしている。
葉山も鞄の中にカメラを入れていたことを思いだし、
「あ、ちょっと、きみ――」
軽便カメラを取りだした。
「え?」
「そこ。その窓の欄干にもたれて、こっちをむいてくれないか。裏の段畑の花をバックにすると、きみって、とてもいい女になるよ」
そう言いながら、葉山はカメラを構えた。
「あら、私を撮るなんて、昨日の仕返し?」
「そうでもないだろう。花壇なら別に何かのシンボルでもないし、恥ずかしくはないだろう……この際、伊豆の女――というぼくの思い出の写真にしておきたいからね」
「そう。じゃ、よく撮れたら、送ってね」
美紀は照れもせず、手すりでポーズをとった。
葉山は、シャッターを押した。
「送るより、また会いたいな。ねえ、東京に戻ったら二人で写真交換会をひらこうよ。電話するから、名刺、くれないかな」
葉山としては、それが本音だったのである。
「どうしようかな」
と一瞬、迷っていた美紀が、
「ダメダメ……私、名刺はあまり他人にはあげない主義なの。気がむいたら、私のほうからお電話するわ。でないと……名刺なんかあげてると、男の人につきまとわれるような強迫観念を覚えて……私、いやなの」
(ちぇッ、しょってやがる!)
「あ、そうかね。じゃ、いいよ。電話を待つことにしよう」
森田美紀は今日、一人でバスに乗って、天城越えをして、河津に出、それから「踊り子号」で東京に帰るそうである。
部屋を去り際、
「じゃあ、ね」
にこっと笑って、手を振り、「機会があったら、東京でまたお会いしましょう」
ゆうべ、共有した時間の痕跡をもうどこにもとどめていない明るい顔で、ケロッと手を振られると、葉山のほうがかえって尾を引くものを覚えて、感情の始末に困る。
(どうなってるの、今どきの娘は)
年上の男のほうが未練を覚えるなんて、どうかしている。それより早く朱鷺子に会わねばならない、と思った。
朱鷺子には、肝心の用事がある。それは、東京アパレルとの、乃木坂ホテルの売買話がまとまったことを報告し、何通かの書類を作成することだった。
食事のあと、フロントに電話をすると、朱鷺子は自分の部屋で待っていると言う。
女中に案内されてゆくと、そこは庭と花壇に面した奥の八畳くらいの部屋だった。
朱鷺子は大ぶりの花瓶に、花を活《い》けていた。葉山が部屋に入って坐っても、しばらく、彼を無視して鋏《はさみ》を使っていた。
「ひどいじゃありませんか」
という声が、しばらくして後ろむきのままの朱鷺子の肩口から、湧いた。
「え?」
朱鷺子は、うしろむきながら、ひどくむくれて、怒っているようであった。
「どうして、そう怒ってるんですか」
「どうしてもこうしてもないわ。ゆうべ、帳場から実家に電話を貰って、葉山さんが来てると言うから、夜の十一時すぎだったけど、胸をときめかせて車を飛ばして、翠明館に戻ってきたのよ。そうしたら――」
そうしたら――と、息を呑んでしまう。
朱鷺子は、怒っていた。
無理もない。彼女はきっと、おれが美紀と情事を交わしているところを目撃したのに違いない、と葉山はやっと気づいた。
そういえば、ゆうべ、美紀と愛情交換の最中、葉山はふっと背後に人の気配を感じた。あれはやはり、気のせいではなく、朱鷺子だったのではないだろうか。
(もしそうだとすれば、何ということだ。あかあかと電気をつけて、掛け布団をはね飛ばして、おれは獣のように後背位で美紀と繋《つな》がっていたんだ……)
それを目撃してショックを受け、朱鷺子は部屋を立ち去ったのに違いなかった。
「私のところに泊まってまで、他の女性と仲良くなさるなんて、どういうお気持ちなんでしょうね。私、葉山さんって、もっと真心のある方だと思ってましたわ」
花を活けながら、朱鷺子はそう言った。
朝、二階の窓から花壇にいた朱鷺子を見た時はワンピース姿だったが、今は着物を着て帯をきつく締めているところにも、心をきりりと締めあげて、男への恨みを言う怕《こわ》さが備わっていた。
「いや、あの女性は――」
葉山が居心地悪い思いを怺《こら》えながら、言い訳しようとすると、
「そうね。今朝は一人でお発ちになったところをみると、あの女性、東京からのご同伴ではなさそうでしたわね」
朱鷺子は見るところをちゃんと、見ていた。
「そうなんですよ。明徳寺でちょっと、知りあったものですから」
「私のところに、明徳寺でちょっと引っかけた女を、連れこんだりなさるんですか」
「あ、いえ、そんなわけではなく、偶然、彼女も泊まりあわせてたんです。その上、露天風呂で鉢合わせをしたもんですから」
「露天風呂で鉢合わせしたら、もうセックスをなさるんですか。あなたって方は、盛りのついた犬みたいな方ですわね」
「まあそう怒らないで下さいよ」
「私、知りません。葉山さんにご相談したいことがいっぱいあって、首を長くして待ってましたけど、もういいわ。もう知りません――」
朱鷺子はぷりぷり怒って、花を活けつづけるばかりで、取りつくしまがない。
葉山は、そっと傍に近づいた。よほど両手で抱きしめて、接吻でもしようかと思ったが、花鋏でも振り回されて、ぷっすり刺されでもしたらかなわないと思い、恐れおののきながら、我慢した。
葉山はともかく、ビジネスの話は進めなければならない、と思った。
「報告が遅れましたが、乃木坂ホテルが売れました。それで売買契約書等に署名捺印をお願いしたいと思いまして」
鞄から何通かの書類を並べて、説明を始めようとした時、
「あ、痛ッ……!」
朱鷺子が小さな悲鳴をあげた。花に手を添えて鋏を使う手許を狂わせて、指先を怪我《けが》したようである。
みると、小指の先からぷくっと小さな血玉が滲んでいた。
葉山は、急いでハンカチを取りだして近づき、小指を手に取って口に入れた。
「あっ」
朱鷺子は、二度目の悲鳴をあげた。
葉山はかまわず、チューチューと血を吸い取りながら、指をしゃぶり続けた。
「あ、いやいや……やめて」
朱鷺子は抗《あらが》いながらも、眼をぼうーッとさせている。
その小指を、吸いつづける。
「ああ……お願い……そんなこと、やめて」
朱鷺子は、吸われる掌を預けたまま、苦しそうに身悶えした。その拍子に、葉山は両手で朱鷺子の肩を抱き寄せ、唇を重ねた。
「ううっ」
と、もがき、抗っていた朱鷺子は、やがて葉山に口を割られると、ぐったりとなって、身をもたせかけてくる。
おずおずと、舌もからまってくる。
「ああ……葉山さんの意地悪ッ……いやいや……ばかばかッ……あんな女とセックスしていた葉山さんなんて、嫌い、大嫌いッ」
なおもそう言って暴れながらも、喘ぎ声と呻き声を洩らしはじめる。
葉山は接吻しながら、ここぞと手練の手つきで、帯を解きはじめていた。
「いやいや……やめて」
朱鷺子は、帯を解く葉山の手を、力一杯、押さえようとする。
「私をばかにしないで。あんな女とセックスしていた葉山さんなんて、大嫌いよ」
着物をゆるめてほどこうとする葉山の手を、阻止するために動きまわる朱鷺子の手が、魚のように宙を泳ぎ、やがてぐったりと動かなくなったのは、着物の合わせ目からすべり込んだ葉山の手が、むんずと白い乳房を掴んで、揉んだからであった。
「ああん……」
声は、噴水のようにほとばしる。
葉山は揉みながら、襟をくつろがせた。乳房は、円やかに肉球を結んで躍りだしていた。
葉山はそこを、拝むように掴みながら、頂点の苺をきわだたせ、頬を寄せた。弾む肉球から甘酸っぱい匂いが立ちのぼり、その香りに促されて蕾《つぼみ》を吸いにゆくと、
「ああ……意地悪……意地悪……葉山さんて人は」
朱鷺子はあやしげな声を洩らして、身をくねらせた。
はずみに着物の裾が割れ、白い膝小僧から太腿が露わになった。どうかすると太腿の奥の黒い茂みが、見え隠れした。
和服の時には、下穿きをつけないという古風なやり方を、朱鷺子はちゃんと忠実に守っている。
葉山はそこに手をのばし、茂みをいやらしく指で撫であげた。
「どうしてそんなことなさるの。あなたはゆうべ、あの女と寝てたじゃありませんか」
はらりと落ちかけた布きれの端から、下腹部の陰阜《いんぷ》の高みや茂みが、ますますのぞきはじめる。
「あ……いや、そこ、みっともないことになっているから、いや」
朱鷺子は、腰をひこうとする。
「どうしてですか」
「いやいや……触らないで……すごくみっともないことになっているのよ」
葉山は強引に横抱きにしながら、右手をのばして茂みのあたりを触った。恥毛は柔らかくそよぐような感じだが、朱鷺子は身をよじり、下肢をばたつかせる。
葉山はかまわず、秘唇のほうにくすり指をおろして、百合の谷を探った。
それで朱鷺子が恥じらう原因を、はっきり指先でたしかめることができた。
陰唇に沿わせて指を埋め込むと、そこはもう濡れあふれていた。美紀とのことを怒り、あんなに文句を言っていたのに、彼女の身体は彼女の心を裏切って、葉山を欲しがっていたようであった。
「ね……みっともないでしょ。葉山さんに指を吸われて、抱き寄せられた時から、何だか私、変になってきたのよ」
朱鷺子は言い訳のように言った。その言葉は意外とはっきりしていたので、性器をさわられて、朱鷺子はかえって、ひとまずは落ち着いたらしかった。
小指の血も、もう止まっているようだ。
葉山は女芯《によしん》に指を浸して、出没させた。
「ああ、どうして許しちゃうのかしら。ほかの女とあんなことをしてた葉山さんなんか不潔……不潔……不潔……ダーイ嫌いッ」
女芯をいじられながら、そう呟《つぶや》いた。
そうしてそのくせ、葉山の耳許《みみもと》にそっと唇を寄せ、
「お願い……ここでは明るすぎていや。隣に、おふとんが敷いてあるわ」
そう囁《ささや》いた。身体はもう一刻も早く、葉山の逞《たくま》しいものを取り入れたがっているようであった。
葉山は、朱鷺子を次の間の夜具へ運んだ。
静かに寝かせると、すべての衣類をむしりとった。ふくよかな白い裸身が現われ、それを眺めながら、葉山もすべての衣類をむしりとった。
「あっ……かんにん……」
朱鷺子が、絹を裂くような声をあげたのは、葉山が押し伏せてすぐに、秘所のほうに顔を運んだからであった。
「いやいや」
――だがもう、葉山は恥丘の若草をそよがせて亀裂を舐《な》めていた。
葉山は、朱鷺子の女芯《によしん》と対面するのは、久しぶりであった。そこにはこんもりとした丘に漆黒多毛のヘアが渦巻き状に生え、丘の裾野《すその》にのぞく薄紅色の秘肉が、蜜をたたえてうごめいている。
葉山はその部分に、クンニをほどこしている。伊豆旅行中、まどかと美紀、二人もの若い女性とたてつづけに情事を繰り返してきたので、葉山は本当のところ、自分の機能がイマイチ、心配だったのである。
(朱鷺子に恥をかかせてはいけない……)
それで、指やクンニを総動員してでも、徹底的に愛撫して、昇天させたいという気持ちや、翠明館での背信行為へのお詫《わ》びのつもりでもあった。
奉仕するうち、朱鷺子の声は、甘やいできた。彼女の秘唇はきれいなピンク色で、いつぞやの東京での凌辱《りようじよく》事件の影を、どこにもとどめてはいなかった。太腿に手をかけて、左右に開くと、繁りの谷の秘唇が、あやしげに葉山にむかってにょっきりと、微笑《ほほえ》んだ。
そう見えたのである。顔を近づけて、牝の匂《にお》いを嗅《か》ぎながら、色鮮やかなほうの秘唇の片側を指で開いた。秘められた桃色の肉が露出し、秘液が臀部《でんぶ》のほうへ、とろりと流れた。葉山は秘所に顔をうずめ、舌で赤貝色の肉襞《にくひだ》を凶暴に分けた。蜜のしたたる花弁を舌でもてあそび、もっとも敏感な芽をついばんで、愛撫をほどこす。
そのたびに、
「あっ……あっ……ああ――」
朱鷺子は身を斬られるような悲鳴をあげて、肢体をよじった。
「ね、葉山さん……いやいや……もうかんにん」
そんな朱鷺子の女芯や、乱れるさまを眺めているうちに、初めは自信がなかった葉山の男性機能が、恐るべき高射角をみせはじめている。
こればかりは、回数ではないのだ。葉山の体質はもともと、強すぎるのかもしれないが、一般的に言っても、男性機能というのは女性との営みの間を置くより、たてつづけのほうが刺激に敏感になり、また汲《く》みだすものの分泌力も増して、のめりこむほど、汲めども尽きぬ泉というパワーが湧《わ》いてくる。
性には麻薬にも似た習慣性の恐ろしさがある、といわれるのは、そのあたりのことかもしれない。しかし、葉山のこの数日間の情況は、荒淫《こういん》というほどでもなく、まだ許容範囲なので、心配することもないだろう。
それより、朱鷺子への愛情がしからしめている物狂おしさだと判断して、
「ああ……欲しい……朱鷺子さん、オレ、ギンギンだよ。あなたが目茶苦茶《めちやくちや》、欲しい」
呻《うめ》くように、そう呟《つぶや》いた。
「私もよ……ああ、早く、いらっしゃって!」
朱鷺子も待ち焦《こ》がれていたようであった。
葉山は身を起こすと、ぐいと腰を密着させ、巨根を朱鷺子の胎内に深々と沈めた。
「ああっ……いい……とても……」
葉山はゆっくりと、抽送をはじめた。
抽送しながら、手をのばして、乳房を掴《つか》んだ。
円球をこねくると、朱鷺子は目を小さく閉じ、半ば閉じた唇から愉悦の涎《よだれ》をしたたらせながら、のたうちまわりはじめた。
やがて、体奥に眠っていた淫蕩《いんとう》さに火がつき、狂瀾が近づいていた。
葉山は、倖《しあわ》せと和解の肉塊を打ち込みつづけた。相変わらず恨みでもあるかのように、汗で輝く見事なふたつの肉球をこねくりつづけると、朱鷺子はもう、野性のけもののような叫びをあげて、高いクライマックスへと、一気に駆けのぼりはじめていた。
ほんの数秒後、朱鷺子ははじけ、葉山も女芯にリキッドを打ち込むと、ぐったりと重なったまま、果てたあとの余韻を楽しんだ。
葉山は身体を解いた時、思いだしたように、朱鷺子の左手の小指をとって、顔の前にかざしてみた。
さっき、鋏で怪我《けが》したところは、もう血が止まっていたが、赤い傷口は残っていた。
葉山は、不意にいとおしむようにその小指を口に入れ、吸いながら、静寂の中で聞こえる裏の渓流の音を聞いていた。
――終わって、まだ、まどろんでいた。
朝っぱらから、朱鷺子とこんなに激しく燃えるひとときを持つとは、思ってもいなかったので、葉山は内心、ホーッと、熱い吐息をつく思いであった。朱鷺子も同じ思いだったようで、自分の乱れようと、のめり込みようを恥じるように、
「……ああ、私ったら、どうしたのかしら。あんなに葉山さんのこと、怒ってたのに」
葉山は肝心の仕事の話が宙ぶらりんになったままであることに気づき、用事を済まさなければならないと思った。
「あ、そうそう。乃木坂ホテルを東京アパレルに売却する件で、幾つかの書類を整えなければなりませんので」
「あ、そうね。一番、大事なことを忘れていたわ」
それから約三十分、葉山は委任状、売却契約書、物件引渡合意書などを説明しながら、朱鷺子から、署名|捺印《なついん》をもらった。
「これらはまだ、途中経過の書類です。最終的には、奥さんにもう一度、東京に来ていただかなければなりません」
「もちろん、参ります」
「それから、伊豆でもゴルフ場をお開きになるそうで」
葉山は気になっていたことを聞いてみた。
「ええ。その件で頭を痛めているのよ」
「反対運動も起きているようですが、どういう事情でしょうね」
朱鷺子によると、川崎・鷺沼で殺害されていた義弟の健太郎が亡くなる前、赤坂のあるクラブの女性と深入りするうち、天城開発という不動産会社の社長や専務を紹介され、「伊豆の地所を生かしてゴルフ場を開発しよう」と持ちかけられ、同意書や契約書にハンコを押していたようであった。
その天城開発の上部団体は、どうやら赤坂総業のようである。今になって考えれば、朱鷺子が凌辱されたりした時、印鑑や証書は預かったから、もう用はない、と田宮文蔵がうそぶいていたのは、そのことだったようである。
さいわい、土地の権利証までは渡してはいないが、危うくそれも巻きあげられそうになっており、地元ではワサビ沢が汚れると、反対意見が強く、環境を守るためにも朱鷺子は乗り気ではない。
「本音を言えば、白紙撤回したいんです。でも相手は相当したたかな地上げ屋のようで、最近はひどいいやがらせや脅迫ばかり。それで……義弟が抱きこまれた天城開発と赤坂総業の結びつきとか、どうやったら儲け主義のゴルフ場開発を中止させられるか――など、そういうことを、葉山さんに調べていただけないか、と思っていたところなのよ」
(天城開発と赤坂総業はたしかに結びついているようだな……)と呟いた時、葉山は何となく頭に閃《ひらめ》くものがあった。その二つ、いずれは鷺沼のモーテル殺人事件の真犯人を追及する道すじに、深く関係しているような気がした。
赤坂総業の田宮文蔵といえば、乃木坂ホテルを狙って、朱鷺子が嵌《は》められそうになっていた会社である。どこまでも、伊豆源の女社長、朱鷺子は、ハイエナのような男たちに狙われているのかもしれない。
「いいですよ。早速、調べておきましょう」
第七章 黒い罠
九月中旬になっても、東京はむし暑かった。
伊豆から戻った葉山《はやま》は、ホテルハンターの仕事がまた忙しくなったが、頭の中には別の仕事が大きな比重をしめていた。
それはまだ未解決の鷺沼のモーテル殺人事件のことであり、もう一つは、伊豆で朱鷺子に頼まれていた、天城開発のゴルフ場造成にともなう地所略奪問題である。
九月十八日水曜日の午後、葉山|慎介《しんすけ》は愛車プレリュードで東名高速に乗り、鷺沼の殺人事件現場となった例のモーテル「ルミネッサンス」にむかっていた。
葉山が伊豆に行く前、多摩美《たまみ》に頼んでおいた宮永、梨田、児玉らの顔写真が手に入ったので、目撃者のスーパーの警備員、松本武男にその顔写真を見せてみようと思ったのである。
あまり期待はしていないが、もしかしたら、モーテルに門倉《かどくら》健太郎を連れ込んだ二人組の男女のうち、男のほうはその三人のうちの誰かかもしれない、と葉山は考えたのである。
葉山の留守の間、じっさい多摩美はよくやってくれた。朝夕の出退勤時、三日間も赤坂総業ビルの入口が見える場所に貼りついて、同ビルに出入りする宮永や梨田や児玉らの顔写真を、上手にフォーカスしてくれたのであった。
宮永と梨田は、どうやら、赤坂総業の系列ファイナンス会社「昭栄金融」の社員のようだ。社員といっても、事実上はサラ金の取立屋のようなものである。児玉は、その金融会社が闇商売のために作っているアダルトビデオ制作会社「ハッピー・ドール」のプロデューサー兼監督である。
ともかく、その三枚の顔写真。目撃者がどんな反応を見せるか、葉山は固唾をのんで見守りたい気持ちであった。
平日の午後の東名高速は、空《す》いていた。多摩川を渡って、川崎インターを降りると、ほどなく見憶えのあるモーテルが見えてきた。
モーテルはまだ休業中のままであった。
(地元の城山という人の持ち物らしいが、経営不振で閉鎖しているのなら、いっそ買い取って誰かに転売してもいいな……)
ついホテルハンターの眼になったりして、葉山は車をモーテルの後ろの道にまわした。
探していたスーパーは、すぐにわかった。
なるほど、モーテルの裏口がよく見える場所にあった。
「失礼します。松本さんにお会いしたいんですが」
いつかの松本武男は警備員室にいた。
「すみません。いつぞやの事件でもう一度、首実検をお願いしたいんですがね」
葉山が事情を話して携えてきた三枚の写真を見せると、最初の二枚については、首を振っていた松本が、三枚目になった時、おや、という顔をした。
そうしてしげしげとみつめていたあと、
「うん……たしかに、間違いない。この男です、この男ですよ」
ついに明らかな反応を示し、一枚の写真を指さしたのであった。
それは宮永と呼ばれていた男の顔写真であった。
「間違いありませんか」
「ええ、間違いありません。二十メートルぐらいの距離でしたが、昼間の明るいうちで、私も気になって注意深く見ていましたから、顔ははっきりと覚えています」
(やっぱり、あいつだ……!)
葉山の中で、むらむらと怒りが湧いた。
最初に朱鷺子に脅迫電話をよこした男である。
そうしてその時、葉山の心の中に、あと一つの小さな思いつきが浮かび、ポケットの中に入れていたもう一枚の写真を取りだし、ほんのついで……という具合に松本にみせた。
それは、伊豆で出会った一人旅の女、森田美紀が花の段畑をバックに、二階の欄干にもたれて笑顔で笑っている浴衣姿の写真である。
「ところで、この女性、見憶えがありませんか?」
すると、これはまったく予期していないことだったが、松本はすぐに反応を示し、
「あ、この女ですよ! この女……!」
と、小さな声で、ほとんど叫び声に近い声をあげたのであった。
「ええ、よく憶えていますよ。男女《ふたり》組のうち、女はこの女です。キュロットスカートなんかはいて、派手な恰好《かつこう》をしてて、男のほうを何かと指図してましたからね」
松本は断言するように言った。
葉山はしばらく、声がでなかった。
ううーむ、と唸っていたかもしれない。
(そうか……やっぱり……)
という気もしたし、意外な気もした。
考えてみると、修善寺の明徳寺の祀《ほこら》の中で葉山の写真を撮ったあの出現の仕方といい、まるで尾行してきたように湯ケ島の翠明館に一緒に泊まって、露天風呂で待ち伏せしていたことといい、森田美紀はたしかに、どこかいわくがあったのである。
しかし、そうなると、塚越商事の中根恵子と名のって葉山の会社に電話をかけてきたのも、もしかしたら、森田美紀だったのではないか。
葉山がモーテル「ルミネッサンス」に着いた時、狙いすましたように受付に電話をよこして二〇六号室に誘いだし、殺人の嫌疑《けんぎ》をかけようとしたのも、あの森田美紀だった可能性が高い。
電話の声しか知らなかったので、伊豆ではおよそ、そんなことまでは思い浮かばず、迂闊《うかつ》だったが、むこうはずっと葉山に密着して、葉山の行動を見張るために、つけ狙っていたわけである。
(よーし、これで次の標的は決まった。あの女だ。東京で美紀を探せ!)
葉山は、郊外の鷺沼まで足をのばした甲斐《かい》があったことを喜んだ。
「や、お忙しいところ、どうもありがとうございました。これで犯人を探す手掛かりがつかめました。これ、些少《さしよう》ですけど……」
最後に、携えてきたハンカチセットの手土産を渡し、葉山は松本に礼を言って、スーパーを出た。
エレベーターのハコが開いて、乗ろうとした時、葉山は中から飛びだしてきた女とぶつかりそうになった。
「あッ……ごめんなさーい」
「あッ、失礼ッ」
身体を躱《かわ》しあって、正面衝突は避けられたが、すれ違いになった女の顔をみた瞬間、
「あっ、きみィー!」
葉山は、すっとん狂な声をあげた。
女もその声で立ち止まって、振りむいた。
「あッ」
「あッ」
双方とも、二度目のあッ、である。
それもそのはず、葉山が東京に戻って探しはじめていたその女は、伊豆・湯ケ島の明徳寺で写真を撮られ、翠明館で寝た一人旅のOL、森田美紀だったのである。
「おい、きみ、話がある。待て」
葉山が降りようとした時、しかし、その赤坂総業系の会社が入っているビルのエレベーターのハコは閉まってしまった。すぐ、上にあがってゆく。葉山はあわてて、2Fのボタンを押し、間にあわないとみて、3Fのボタンを押した。
三階に着いてすぐ、飛びだして横のエレベーターを見ると、まだ二基とも上昇中である。
「ちっくしょう!」
葉山は一目散に、階段を駆け降りた。
そこは、平成不動産株式会社がはいっている赤坂の藤和ビルであった。平成不動産は赤坂総業の傘下の地上げ屋である。葉山は今日、平成不動産の業務状況を見ておこうと、別件で訪問したところであった。
もちろん、本当の狙いは、森田美紀がその会社にいるかどうかを確かめるためであった。
すると、その矢先、エレベーターで美紀本人に、ぱったり出会ったのである。
(よし、今日こそは掴まえてやるぞ!)
葉山は急いでビルの表に飛びだした。そこは赤坂三丁目の、青山通りに近いところである。
しかし、表通りに美紀の姿はどこにもなかった。一ブロックぐらいきょろきょろと見て探したが、見あたらなかった。
「チックショー……逃がしちまったか。女狐《めぎつね》めッ」
葉山がののしりながら、藤和ビルの入口に止めている自分の車まで戻ってきた時、
「女狐で、ごめんなさい」
電柱の陰に立っていた女が、にこっと笑った。
「あ、きみィ……こんなところにいたのか。どうして逃げるんだ!」
美紀としたら、逃げるにきまっている。だが、葉山は何も知らないふりをして、そう聞いたのである。
「私は別に、逃げたりはしてないわ。あなたが勝手に通りすぎたので、ここに待っていたのよ」
「それは、どうでもいい。きみはこのビルに勤めるOLなのか」
(そうそう。まったく何も知らないふりをして、すべての話を聞きだしてゆこう)
「そうよ。平成不動産の社員よ。営業部に勤めているわ」
森田美紀は、堂々とそう名のった。
葉山が彼女の正体にもう気づいていることに、まだ思いがいかないようであった。
「伊豆では丸の内のOLだなんて称してたじゃないか。嘘《うそ》をついてたね」
「あら、そんなこと言ったかしら。私は東京からきた一人旅のOLと言ったはずよ」
(立ち話でやりあっても、埒《らち》があかんな。どこかゆっくり話せるところに連れこもう)
葉山はそう思った。
「そうそう。いい写真、撮れていたよ。それに、伊豆旅行のことについても、色々思い出話を語りあおうじゃないか。時間はあるかね?」
「私、これから大月まで行くところ。大月の営業所に書類を届けなければならないのよ」
「じゃ、大月まで送って行こうか。ぼく、車をそこに置いてるから」
「時間、いいの?」
「ああ、ぼくのほうは午後はまるっきり、お茶っ引きでね。予定していた取引相手からキャンセルがはいったんだ」
「じゃ、送ってもらおうかな。電車より車のほうが楽だものね」
「そうさ。電車だと新宿から甲府行きの電車の時間を見つくろわなければならないけど、車だと中央高速で走れば、大月なんてひとっ飛びだよ」
「そうね。じゃ、乗せて」
葉山は、路肩に駐めておいたプレリュードの運転席に収まった。
美紀は、助手席に乗ってきた。
葉山は、車をスタートさせた。
赤坂ランプから首都高速に乗り、それから中央高速に合流した。
平日の午後二時の高速下り車線は、すいすい、と言っていいほど空《す》いていた。
「私、名刺を渡していなかったはずだけど、どうして私の会社、わかったの?」
森田美紀が、そう訊いた。
「きみを尋ねてきたんじゃないよ。ホテル売買の件で総務部にちょっと用事があって、立ち寄ったんだよ。そうしたら、エレベーターの前できみとぱったり……天網恢々《てんもうかいかい》、疎《そ》にして漏《も》らさず、とはこのことだな」
そう、伊豆で別れる時、美紀はたしかに葉山に名刺など渡さなかった。それも、当然である。美紀はその後判明した立場にいる事件関係者だとすると、葉山の前では正体を隠さなければならなかったのである。
しかし、美紀が田宮文蔵の陣営内の一員だということがわかって以来、事実上、美紀探しの入口は見つかったも同然で、美紀があのビルにいることを突きとめるまでは、三日とかからなかった。
葉山は知り合いのリスト屋に、手をまわしたのである。赤坂総業を頂点とする幾つかの関連会社の、それぞれの社員名簿や機構図を手に入れ、美紀に該当する女性らしいOLを探していたところ、平成不動産の社員リストの中に「森山美樹」という名前があったので、もしかしたら、「森田美紀」の本名ではないか、と見当をつけて今日、下見に訪れていたところであった。
広いようでも狭いのが、人間社会である。
まして事件関係者となると、輪は狭まる。
さて、どこに連れ込んで吐かせようかと考えながら、葉山は都心部から郊外へのびる中央高速を時速百キロでぶっ飛ばしていた。
「ああ、お腹すいたなあ。今日はお昼抜きだったのよ」
美紀がそんな声をあげたのは、調布のあたりに近づいてからである。
「どこかで、食事でもして行こうか」
「でも、もう二時すぎか。今日中に書類、大月に届けなくっちゃならないんだよなあ」
「じゃ、大月までまっすぐ、ぶっ飛ばそうじゃないか。書類届けるだけなら、帰りにどこかでゆっくり食事をしよう」
「そうね。それがいいわ。私、相模湖の近くに、部屋で食事もできるいいモーテル、知ってるのよ。そこ、部屋がそれぞれ独立していて別荘風。お部屋の中でスキヤキでもしゃぶ鍋でも、バーベキューでも何でもできるわ」
美紀はこの際、葉山に精一杯、散財させる魂胆のようである。
モーテル、と聞いて鷺沼を思いだし、葉山はいささかどきっとしたが、この誘いに乗らない手はない。美紀は葉山に自分の正体が割れていないと思って、安心して気軽に誘っているのかも知れない。あるいは鷺沼のモーテルと同じように、何やらよからぬ魂胆があるのかもしれない。
いずれにしろ、美紀を締めあげて、問いつめる場所が今、今日中に必要なのだ。独立した別荘風モーテルの個室というのは、情事をやるにしろ、性的拷問を企むにしろ、二人っきりになるのにまことに好都合ではないか。
「よし、そのモーテル、行ってみたいね、何というモーテルなんだ?」
「山水荘っていうわ。スキヤキ奢《おご》ってくれる?」
「ああ、もちろん、奢るよ。お口直しのデザートには、美紀のパパイアつきだもんな」
「今日はメロンのように甘いかもしれないわよ。ともかく、予約電話入れておくわね。それにちょっと、会社に用事も思いだしたので、その先のサービスエリアで、車、駐めてくれる?」
「OK、駐めるよ。しかし、逃げだすなんてこと、するなよ」
「ご馳走を前に逃げだしたりなんかはしないわよ」
「じゃ、行っておいで」
葉山は八王子サービスエリアで車を駐めた。
なるほど、ちょっとした山あいであった。
相模湖畔のモーテル「山水荘」は、美紀が話していた通り、一戸ずつ独立した作りが別荘風であり、しかも室内でグルメが楽しめるとあっては、割烹モーテルとでもいうものであろうか。
葉山たちがその一室に落着いたのは、夕方の五時半頃であった。独立した個室内に部屋は二部屋あって、食事ができるテーブルの部屋と、奥が寝室であった。
美紀が電話で、
「スキヤキ二人分。あ、お肉は三人分にして。それからおビールと水割りセットをちょうだい」
と注文して、テーブルの前にぺたんと坐った。
(この女、ホントに屈託がない。門倉《かどくら》健太郎殺しの共犯であるはずなのに、事件のことをいったい、どう考えているのか)
葉山は、怪訝《けげん》な思いを抱きながらも、
「凄《すご》いじゃないか。別荘風なのに、鏡の間があるなんて」
呆《あき》れたように、室内を眺めまわした。
座卓の部屋は畳の間だが、奥の寝室は円型ベッドに鏡の間。都心部のラブホテルとあまり、変わらない華美さである。
「風呂には入らないのかね?」
「あとにするわ。おなかぺこぺこだもの」
「じゃ、ぼくは先に入ってくるからね」
葉山はバスルームにはいって、さっとシャワーを使った。
バスタブにつかって何気なく窓を少しあけると、ゲートからまた一台、アベックが乗った車が庭の中に入ってくるのが見えた。
やや年式は古いが、シボレーのスポーツ・クーペ。品川ナンバー38‐る39‐7×。となれば当然、東京の客であった。
(こんなに遠くてもけっこう、流行《はや》るもんだな。これからのモーテルはリゾート化、高級化志向か)
ホテルハンターの本性が出て、そんなことを考えながら葉山が風呂からあがると、早くも料理の材料が運ばれていて、テーブルの上のガス台がひねられ、スキヤキ鍋が熱せられはじめていた。
部屋は冷房が効いているので、火を使っても熱くない。
「おビール、先にやってるわ」
「あ、いいね。お酒を飲むと今夜はどうせ、泊まりだな」
「そうよ。たまにはのんびりしてゆきたいわ。伊豆の湯ケ島の次は相模湖だなんて……私たちって、案外、ウマがあうのかもしれないわね」
美紀が屈託ない素振りで、ばかに弾《はず》んでいる。
葉山はテーブルに坐って、ビールを飲みはじめながら、スキヤキ鍋に牛肉や野菜を入れはじめる。
「あ、そうそう。伊豆の写真、持ってきてるよ」
「あ、私もバッグに入れっぱなしよ」
美紀はバッグから、封筒に入った数枚の写真を、取りだした。
男根と女陰を祀《まつ》った明徳寺の仄暗い堂内。そこの女陰をさすっているエッチな男が、葉山であった。
「五枚も撮ったのか。ぼくは何だか、きみに先回りされて、してやられたような気がするな」
「どうして?」
「どうしてって、あの伊豆旅行では、きみはある目的を持って、ぼくの前に計画的に現われたんじゃないのか」
「目的とか、計画的って、どういう意味?」
「たとえばね、会社の偉い人から頼まれて、きみはOLの一人旅を装い、伊豆に出発したぼくをマークしていた。それで、明徳寺の男根と女陰の前にさりげなく現われてぼくを撮影し、怒らせた。いわば、お近づきのしるしだ。そうして、また同じ夜、同じ翠明館に泊まって、露天風呂に現われた。……え? そういう具合じゃ、ないのかね?」
「そういうことをして、私に何のメリットがあるの?」
(素っとぼけていやがる)
「まず第一に、ぼくを見張るためさ。それから第二に、ぼくを誘惑するためにさ。そうして、ぼくと門倉朱鷺子の仲を裂くためさ。現にきみは、あの晩、朱鷺子が翠明館に戻ってきた時間を見はからって、ぼくの部屋に来て抱かれたじゃないか。きみの要求を入れて、バックで抱いている露骨なところを目撃して、彼女は大変、ショックを受けていたぞ」
「お犬さんスタイルのバックぐらい、誰だってしていることよ。伊豆源の朱鷺子さんとあなたは、裂かれなければならない仲だったの?」
「ぼくのほうが聞いているんだぞ。答えたまえ」
「私としたら、答えようがないわよ。旅先の気まぐれや恋って、どこにでもあることでしょ」
「そうかな、あれはただの偶然だったというのかね」
「そうよ。偶然よ」
「きみが平成不動産の社員で、ぼくと門倉朱鷺子が赤坂総業や平成不動産と敵対関係にあるということも、偶然なのかね……」
と言いかけた時、美紀の瞳がキラッと光り、
「ね、ほら、お肉が煮えてきたわ。私たち、口論しにきたんじゃないでしょう」
(そうだ。あまり事を急《せ》いては仕損じる)
「いいよ、早く食べなさい。ぼくも箸《はし》をつけるから」
それから二人は、ビールを飲みながら、しっかりと腹拵《はらごしら》えをした。ビールが水割りになってだいぶ酔いがまわってきた頃、
「何だか淋しいと思ったら、テレビつけてなかったのね。おなかいっぱいになったら、少し眠くなってきたから、テレビつけるわね」
美紀がそう言って、テレビの傍にあったリモコンのスイッチボタンを押す。美紀のいうテレビというのは、アダルトビデオのことであった。
画像にはすぐに、絡《もつ》れあった男女が映る。
「わッ……やってるう!」
「欲しくなったみたいな顔してるぞ」
「人間の特権といったら、年中発情できるってことかしらね。顔はごまかせないっていうし……食欲の次は何とかだもんね」
「ぼくもそうさ」
葉山もおかしなことだが、AVを見ているうちに、勃然としてきた。そうだ、まず身体を繋《つな》いで、美紀の気持ちを解きほぐしてから、それからしっかり聞きだせばいい、と思った。
ブラウン管を面白そうに眺めている美紀を抱き寄せて、葉山は唇を吸った。
甘やいだ声を洩らして美紀はもたれかかり、葉山の首に手をまわして、舌をからめはじめた。
葉山は肩を抱いていた片手を、背中からヒップのほうにおろした。ふっくらとした美紀のヒップを、野蛮な力をこめて引き寄せると、
「ああん……」
美紀が荒い鼻息を洩らした。
畳に押し倒し、重なる。
下腹部がぴったりと合わさり、葉山の昂《たか》まりが美紀の恥骨を押していたのであった。
「何だかそこ、怒ってるみたいだわ」
「わかるだろ。怒ってるんだよ。きみはずっとぼくに正体を隠しているからだ。今夜、しっかりその正体を、ひんむいてやる」
言いながら葉山は、美紀を抱きあげ、円型ベッドに運んで、スカートをひんむきながら、押し伏せた。
押し伏せてすぐ美紀の衣服を、むしり取ってしまった。
美紀の最後の布切れであるパンティは、黒絹のハイレグであった。端から柔らかい恥毛の穂先がはみだしていて、葉山はその薄い布切れを端からたぐりこんで、指をぬかるみの中に入れた。
「ああーん……パンティの端がくいこむわ」
ハイレグの水着やパンティは、はいたまま女孔を指でさぐることができるし、男性自身をインサートすることができるあたりが、取り得といえば取り得で、魅惑的である。
布切れを片寄せて指が動きだすにつれ、絹地にべったりと蜜液が溢れて、布切れが割れ目にくいこんでしまった。
傍ら、葉山は豊かな乳房に頬をすりつけ、乳首を口に含む。いったん唇にはさみつけ、それからちょっと吸い込むようにして、舌の先でつついてやる。
とたんに、ぶるっと身をふるわせ、
「ああっ」と美紀が弾んだ。
「パンティぐるみなんて、失礼よ。ちゃんと脱がして」
「いや、脱がさない。このまま、成就させてやる」
ハイレグを片寄せると、濡れた谷間にくい込む。それをさらに片寄せ、現われたぬらつきの唇に、葉山は一気に猛々しい分身を挿入した。
「おおっ」
と、美紀の叫びがあがった。
葉山は励みだしながら、くちづけをした。
美紀はうっすらと、目を閉じて接吻に応じる。
そうした二人の姿が、鏡に映っている。しばらく漕《こ》ぐうち、葉山は面白い体位を思いついた。
「ね、ちょっとタイム」
葉山はいったん解き、あぐらをかいた。その膝の上にハイレグを脱がした美紀を乗せた。
対面坐位であった。
「へええ。こんな方法もあるの?」
「坐位というのはね、女のほうから入れたほうがいい。腰を少し、浮かしてごらん」
葉山の指導を受けて、美紀が腰を浮かし、焦点を結ぶように位置を決めた。
「そっと、ぼくに抱きついてきて」
美紀の女が、葉山の男にあたり、うごめき、とば口に導く。
「そのまま、腰を沈めてごらん」
ゆっくりと入っていった。抵抗がない。なめらかに進んで、安定した。
「ああ……やっと」
美紀が、熱い吐息を洩《も》らした。
その直後、あたたかく濡れた膣圧が分身をしっかりと押し包んで、女体のどよめきが感じられてくる。
この体位だと葉山はあまり動けない。下から突きあげる感じで、小さく進んだり、大きく突いたりした。深く送り込んで、中で掻《か》き回した。ああッ……と、美紀は男の首ったまにしがみついて顔を反らし、大きな声をあげた。
「ね、見てごらん。繋《つな》がってるところが、ハッキリ見えるから」
葉山に促されて、美紀は自分の下腹部のほうをのぞいた。
たしかにその姿勢だと、毛と毛がこすれあっているのが、はっきりと見える。
艶やかな剛毛と、少し柔らかい縮れめのヘア。一本、一本、草結びができるほど、入り混じりながら、そこをタフボーイが濡れ濡れのタコ坊主のように怒り狂って、割れ目に出入りしている。
「わあ、リアル。目まいがしそうだわ」
「きみのほうで、ゆっくり動いてごらん」
「こう……?」
美紀が上下動をとったり、深く腰を押しつけてきたりする。
「そうそう。うまいじゃないか」
動きながら、美紀が、
「あふっ、あふっ」
と、波にがぶられる舟のように揺れる。
葉山は自分の分身が、今日は特に調子がいいことに気づいた。直立していて、上から美紀に責められても、ひねられても、凜々《りんりん》としており、いかにも自慢の一本槍《いつぽんやり》で女をもてあそんでいる、という感じなのであった。
結合したまま、乳房に口をつけた。
乳首にキスをする。
「あっ……あっ……あっ……」
美紀はそれがとてもたまらない様子。
そうやって貪《むさぼ》りあう二人の姿が、ベッドの横の鏡に映っていた。それはふざけあう雌雄のけものたちであった。
けものたちは貪欲であった。
鏡の表裏のように、追うもの追われるもの、それぞれ別の角度から犯罪に拘わっていながら、腹に一物も二物も隠して、素知らぬふりをして貪りあっていた。
首ったまにしがみついた美紀が、漕ぎながら、
「ああー、蓮《はす》の花の上でお釈迦《しやか》さんに抱かれているような気分よ。ゆらゆら、蝶が舞っているような気分よ」
「それでアメリカではこのスタイル、ロータス・ポジションと言うんだ。ロータスというのは、蓮の花だったよね」
美紀はゆらゆら上体を揺らすたび、結ばれたところが深く感じるらしく、唇から訴えるような喘《あえ》ぎが洩れた。
葉山の背中に回した手に力が加わり、爪が肌に喰い込んでくる。
痛いほどである。
反り返った咽喉《のど》の線が、艶めかしい。
そのまま、美紀の体内で小さなどよめきが生まれて、彼女はクリットをこすりつけながら、軽く達してしまった。
(武士の情けも、そろそろだな。このスタイルなら、しっかり両手で胴締めしながら、追及することができるぞ……)
葉山は快楽追求より、本来の事実追及のほうに、局面を切りかえることにした。
「ところで、先刻の質問にきみはまだ答えていないよ。伊豆に行ったのは、ぼくを監視するためだったんじゃないかね。え? 違うかね」
うごめかせてやった。
「あッ……ああん……」
喉から声が噴き、
「そうよ。あなたを監視するためだったのよ」
思わず、というふうに声を荒ぶらせて、しがみつく。
それから美紀は、告白してもあまり影響がないと思える部分から、話しはじめた。
「ホント言うとね、私はあなたをマークしろ、と命令されたのよ。誰からって、会社の上層部の人からよ。旅行費用も貰《もら》ったし、特別手当ても貰ったわ」
予想通りだな、と葉山は思った。
「湯ケ島の翠明館に泊まり、ぼくに接近し、男女の仲になることによって、門倉朱鷺子との仲を裂こうってことだったのかね」
敵としたら、地上げ屋として、門倉朱鷺子の料亭跡地や天城の地所などをせしめようとしており、その目的を遂行するためには、葉山慎介の存在が邪魔だから、これを引き離すなり、潰《つぶ》すなりしようとしている、と葉山は見ているのである。
「ええ、そうよ」
と、美紀は正直に白状した。
「でも結局、半分は成功したけど、半分は失敗しちゃったみたいね。私の伊豆誘惑旅行は何にもならなかったみたい」
「どういう意味だろう」
「だって、朱鷺子っていう人、私とあなたのセックスを見てショックを受けたかもしれないけど、あなたたちはそれによって、修復不能の打撃を受けたわけではないでしょう。私が立ち去ったあと、きっとまた、仲良くなったに違いないわ。それだと、私の目的は何にも果たせなかったことになるのよ」
ふーん、難しいことを言うな、と思いながら、
「どうして仲直りしたことがわかる?」
「だってこうして、今でもあなたは朱鷺子さんのために、色々と調べて助けようとしてるじゃないの。くやしいったら、ありゃあしない!」
美紀が、そう言って激しく腰をひねって、ぶつけてきた。膣洞《ちつどう》の中で、葉山のはいじめられて折れそうな具合になった。
「ようし、それなら」
葉山は、自分の膝《ひざ》の上にまたがっている美紀のヒップのほうに、両手をまわした。
美紀のヒップを少し持ちあげ気味に、腰を浮かして、下から打ちつける。
のけぞる美紀の臀部《でんぶ》から、更に内股のほうに手を回した。ぐっしょり濡れたままの秘部に葉山の両手の指が差し込まれ、うごめきだす。そこは湯のようにどろどろに熱く溶けていて、出入りするものが、よくわかる。
「ああっ……」
白い尻の肉を震わせ、美紀は身も世もないといったように喘《あえ》ぎ、泣き出した。
「ああ……ひどい……ひどい……あたしをこれ以上、いじめないで……」
そうしていじめながら、葉山は先刻、美紀が話したことを思い返していた。
美紀のこれまでの話には、嘘《うそ》はないだろう。美紀は、伊豆旅行をしていた葉山に接近して朱鷺子との仲を裂くことによって、朱鷺子を孤立させるために、伊豆に派遣された女スパイだったに違いなかった。
朱鷺子がもし、頼りにしている葉山と仲違《なかたが》いして孤立すれば、彼らは工作がやりやすくなる。朱鷺子を窮地に追いつめて、伊豆の地所をせしめ、ゴルフ場でもリゾートホテルでも何でも、完成させることができる。そのために、美紀は派遣されたに違いなかった。伊豆旅行の目的はそうであっても、葉山が知りたい肝心のことは、鷺沼モーテル殺人事件における真犯人と、美紀の役割である。
「ところで、塚越商事の中根恵子っていう人、知らないかね?」
腰をうごめかせながら、葉山は訊いた。
「え?」
「鷺沼のモーテルを売りたい、とぼくに電話をかけてきた人がいるんだがね。その女性、きみにそっくりの声をしてたんで、もしかしたら、きみじゃないかと思うんだけど」
微かに狼狽《ろうばい》したような気配をみせた美紀を、一気にベッドに押し伏せ、坐位を解くなり、正常位で繋ぎ直した。
「知らないわよう……そんな女」
押し込まれたはずみに、乱暴はしないで……という悲鳴が重なって洩れた。
「そうかな。門倉健太郎を殺害したルミネッサンス・モーテルにぼくを呼びだし、死体の傍で殴りつけて、ぼくを殺人犯に陥れようとしていたのは、きみと宮永|猛史《たけし》の仕業だったんじゃないかと思うが、違うかね? え!」
葉山は腰を躍《おど》らせながら、右手を美紀の首にかけた。
喉輪にして、ぐいぐい締めあげる。
締めながら、腰を躍らせた。
性的拷問をしながら、美紀を追い込む、といった具合であった。
「え、どうなんだ。健太郎を誘惑して殺したのは、あんたじゃないのかね」
「違うわよう! 私はそんなことをしてないわ」
「じゃ、誰だ。誰が殺したんだ!」
「やめて……苦しいわ……私は何にも知らないのよ。知らないものは、知らないわ!」
「ほう、そうかね。利用するだけ利用して、邪魔になった健太郎をあのモーテルに引きずり込んで殺したのは、宮永とあんたじゃないのかね」
「私じゃないわよう。私はただあなたに電話をして呼びだしただけよ。みんな……みんな……あいつがやったんだから……!」
「あいつというのは、宮永だな……え?」
葉山は問いつめながらも、その瞬間、自分の身体に起きている異変に気づいていた。
その異変というのは、頭の中の朦朧《もうろう》状態であり、眠気のことである。振り払っても振り払っても、頭の奥に黒い霧のようなものが湧いて、もやもやと広がってきて、猛烈な睡魔に襲われていた。
どうしたんだ、どうしたんだ……と、葉山は自分を叱りつけた。美紀の本格的な追及はこれからだぞ、と自分を叱りつけているうちに、葉山は突然、がくん、と濃霧の淵に吸いこまれて、ずるずると深い眠りの底に落ちてゆく自分を感じていた。
眼が醒《さ》めた瞬間、息苦しい、と思った。
鼻をつく異臭も混っている。その息苦しさで自分は眼を覚ましたのだと、葉山は思った。
起きようとしても、身体の自由がきかない。下半身が麻痺《まひ》しかけていた。やっと半身を起こした時、ガスだ、と気づいた。部屋にガスが充満しかけているのであった。
はて、ここはどこだろう、と考えながら跳ね起きた。周囲に鏡のある寝室であった。葉山は、そこのベッドの上に、身を起こしたのだとわかった。傍をみた。女がいたはずであった。しかし、女の姿はベッドのどこにもなかった。
寝室と控えの間を仕切る襖《ふすま》は、半分以上あけられている。電気のついたままの部屋のほうは、座卓の上に、スキヤキ鍋やビール瓶や水割りのグラス類が、乱雑に散らばっていた。
つまりはゆうべ、食事の途中から美紀と男女の時間になだれ込んだので、食べ散らかしのテーブルはそのままになっているのであった。
そうしてその光景を目撃した瞬間、葉山にも息苦しさの原因がわかった。ガス台のコンロの火は消えているが、シューシューと、そこからガスが洩れているのであった。
(しまったッ……! 危ないッ……!)
もう少しで窒息死してしまうところだったぜ……と朦朧とした頭でベッドから起き、ガス台のスイッチを止めに走ろうとした瞬間、葉山は、何かにつまずいて、もんどり打って床に転んだ。
足許をみた。
ぎょっとした。
寝室と畳の間を仕切る敷居のあたりに、全裸の女があお向けになって、倒れていたのであった。
顔を見た。見なくてもわかっているはずであった。全裸の女は、言うまでもなくゆうべ、激しく抱きあった森田美紀であった。
葉山は美紀を抱え起こそうとしたが、それよりもガスのために息苦しくて、窒息寸前である。
葉山はとっさに、タオルで口をふさぎながら、部屋を突っ走って、窓をあけにいった。障子の内窓と、サッシの外窓を次々にあけ、部屋の空気を外に追いやりながら、ガス洩れの原因である坐卓のガスコンロに飛びつき、急いでそのスイッチを切った。
室内のガスは外に洩れ出て、少しは楽になった。
それから、敷居際に戻った。
凝然として立ちすくむ、というのは、このことかもしれない。
全裸のまま、仰むけになって絶息している美紀の姿を見おろした時、葉山は正直のところ、足がすくんで、慄《ふる》えてきたのである。
「おい……! 美紀……!」
物狂おしい勢いで跼《かが》み、抱え起こした。ばかに重かった。ぐらぐらするが、反応がない。すでに呼吸が止まって、瞳孔がかっと、見開かれていた。
それもそのはず、美紀の首には、浴衣の細紐がきつく締められていたのである。
死因はガスではなく、絞殺のようだ。
心臓に耳をあてた。
完全に停止している。
(可哀想に……)
と、まず思った。
(もう少しで、鷺沼モーテル殺人事件の真実を掴むところだったのに……)
ここでもまた新たにモーテル殺人事件……。
その図式のあくどさと、美紀を殺害した人間に対して、むらむらと怒りが湧いた。
葉山は、まだ頭が朦朧としていて、半覚醒状態である。ガスのせいだけではない。頭の奥に、どろりと貯まっているその重い眠気は、尋常の眠気ではない。睡眠薬による薬理作用である、と判断できた。
(そうか。そういえば、美紀との行為の途中から、おれは不意に、猛烈に眠くなったのだ。ビールか料理の中に、睡眠薬を混入されていたのかもしれない。いや、間違いなく、そうであるに違いない)
葉山にもやっと、それがわかった。
そうしてその睡眠薬投入が、美紀によってなされたのか。それとも、第三者が美紀と葉山とを一緒に眠らせるために、混入したのかどうか。
そこのところが、いまいち、よくわからない。
葉山は浴室に走って、洗面台で水をだしながら、ざぶざぶと顔を洗った。
早く頭を、しゃっきりさせよう。
ざぶざぶ洗いながら、考えつづけた。
この部屋の状況で判断する限り、睡眠薬は、美紀が入れたのではないか。葉山にはまず美紀が食事中に、睡眠薬を飲ませたような気がしてならない。
なぜなら、この部屋は独立した密室であった。
葉山が知っている限り、二人の食事中、第三者の侵入はなかったからである。
とすると……葉山に睡眠薬をのませた美紀の背後に、誰か第三者の意図があったことになる。なぜなら、美紀自身が個人の意志で、葉山を殺害するとは、あまり考えられないからである。
二人の間に、それほどの怨恨愛憎の縺《もつ》れがあるわけではなかった。
すべては、葉山が「事件」を追っていたからだ。葉山に事件を追われたら、都合のわるい「誰か」が、葉山を「消す」措置をとるために、美紀に睡眠薬を飲ませるよう、指図したはずである。
美紀は、その段階までは成功した。
そうしてその「誰か」は、あらかじめ示しあわせていた通り、美紀がこのモーテルの入口の鍵をあけていたので、やすやすと部屋に入ることができた。
美紀にとって不幸だったのは、その「誰か」が、自分までを殺そうとするとは、美紀自身、考えが及ばなかった点である。
第三の人間は、つまり非情にも、協力してくれた美紀の口までを塞いだのである。
いずれにしろ、美紀自身までこの部屋で、首を絞められて、殺されているのである。
美紀の死因は、絞殺のようである。
しかし、一方の葉山の方はガスによる中毒死を目論まれたのだ。
葉山は、自分が危く窒息死しそうになっていたガスのことを考えた。
この殺害方法は、このモーテルが独立した部屋になっていることを考えれば、すぐに見当がつくことである。
ガスコンロに火をつけたまま、第三者が外のプロパンガスの、ボンベに取りつけてある配管の元栓をひねって止め、そして火が消えた、二、三秒後を見はからって、もう一度、元栓をひねって、ガスを通せばいいのである。
ガスコンロは火が消えた状態のまま、シューッとガスが噴きだす。
恐らく、その方法であるに違いなかった。
(畜生! 犯人はこの近くに潜んでいたのだ)
そういえば、葉山と美紀がこのモーテルにはいる前、美紀は八王子サービスエリアで、あちこちに電話をかけていた。あの時、「第三者」を呼び寄せることはできたのである。
恐らく、葉山を睡眠薬で眠らせ、ガス中毒で殺す、という方法まで二人の間で打ちあわせができていたのに、違いなかった。
そうしてその犯人は、口を塞《ふさ》ぐために、美紀まで殺し、葉山が何らかの事情で無理心中にまで持ち込んだように見せかける方法を、とろうとしていたようである。
葉山は、そこまで考えた時、夕方、一台の車がすべりこんできて、隣の一戸建ての個室にアベックが入ってきたのを思いだした。
今、その部屋は、灯が消えている。
二人はもう、立ち去ったのかも知れない。
そうだ。白のシボレーで、品川ナンバー38‐る39‐7×の車だった。
その車体番号は何となく気になって、憶えていたのだ。あの車と、それを運転していた男を探せば、何かがわかるかもしれない。
そう。この車体番号の男こそ、まさに真犯人ではないのか。
(それにしても、この場をどうするか)
葉山はふーッと溜め息をついて、急いで思案をつづけた。
もちろん、死体を発見したのだから、市民の義務として本来なら、今すぐ警察に電話して、係官の派遣を仰がねばならない。
だがそうなると、被害者の同伴者として、また死体の第一発見者として、はたまた、葉山がなぜこの女をマークしていたかなどなど、洗いざらい話さなければならないだろう。
そうでなくても、葉山には鷺沼のモーテル殺人事件の「容疑者」であったことが重なる。そうすると、今度こそいよいよ、逃げられない嫌疑を受けるかもしれない。
葉山の脳裡に、一一〇番した場合に待ち受ける運命の煩雑さと苛酷さと迂遠さが、去来した。
それなら、そんな遠回りをするより、一刻も早く、この場を逃れて、真犯人は自分の手で見つけるべきである。
あいつだ、あいつだ――車体番号「品川38‐る39‐7×」の男を探しだし、追いつめるしかない。
(慎介、早くここを脱出しろ……!)
葉山は五分後、すべての指紋や痕跡を消し、宿代として一万円札を四枚、テーブルの上に置くと、こっそり部屋を出、車に乗って夜の闇の中へ脱出した。
第八章 魔性の闇肌
葉山慎介《はやましんすけ》は、しばらく自重した。
日常の行動すべてに、注意深くなった。
何といっても、湖畔モーテル山水荘殺人事件の、当事者なのである。
事件は翌日、モーテルの管理人が美紀の死体を発見して明るみに出、新聞やテレビでも、「モーテル密室殺人事件」として、かなり賑《にぎ》やかに、そうしてショッキングに報じられた。
今に自分のところに刑事たちが来るだろう、と心を武装しながら、待ち構えていたが、さいわい、葉山のところまで捜査の手は、すぐにはのびてきはしなかった。
最近、池袋や新宿・歌舞伎町のラブホテルには、防犯テレビが設置されつつあるが、郊外の山水荘には、まだ防犯テレビというものは、設置されていなかったようである。また、利用者がキイを貰って部屋を使う時、管理人はいちいち、利用者の車のナンバーまで控えていたわけではないのである。
しかしむろん、被害者の身許はバッグの身分証明書などで、すぐに判明したようだから、平成不動産株式会社や、森田美紀の周辺、特に交友関係あたりから、捜査がはじめられているようであった。
さて、そうなると、葉山ものんびりはしておれない。葉山に残された時間は、捜査の手が自分のところに伸びてくるまでである。
葉山が、これからなすべきことは、二つある。その二つともが、焦眉《しようび》の急である。
ひとつは、山水荘や鷺沼のモーテル殺人事件の真犯人を突きとめてあばくことであり、もう一つは、朱鷺子から頼まれている天城開発の伊豆ゴルフ場造成計画にともなう陰謀をあばき、できればその非道な乱開発を阻止することである。
そのふたつは、いずれにしろ、どこかで結びついているはずである。
九月第四週の金曜日――葉山がタクシーを飛ばして、文京区湯島のある料亭にむかったのは、事件を外濠から攻めてゆくための方策を打ち込む、ある戦略のためであった。
湯島はもう、夕暮れに包まれていた。
湯島天神のある坂の上にいたる道の両側には、ラブホテルが並んでいるが、坂上には黒塀をまわした料亭がまだ、いくつか残っている。
割烹《かつぽう》「卯月」も、その中のひとつであった。
タクシーは路地を登りつめて、黒塀に沿って少し走り、その正面玄関に近いところで止まった。
夕闇《ゆうやみ》があたりには漂っていて、割烹「卯月」と書かれた門灯にはすでに灯が入っていた。
ふだん、葉山はこういうところを利用する身分ではない。だが今夜は、あたかも常連のように装って、胸を張って入る。
打ち水をした玉砂利を踏んで玄関で案内を乞《こ》うと、紬《つむぎ》の和服姿の痩《や》せぎすの女性が奥から出てきて、
「いらっしゃいまし」
三つ指をついた。
「近代企画の葉山ですが」
「はい。お客様はもうお見えになっておりますよ」
坐《すわ》って、丁寧な挨拶《あいさつ》をして、案内する。
「どうぞ、こちらへ」
廊下の突きあたりの角を曲ったところで、もう一人の和服の女が現われ、
「あ、照香ちゃん。私が案内するからいいわ」
そう言って仲居と交代して案内役に立った襟足の美しい女が、この料亭の女将、桑原蒔絵《くわばらまきえ》であった。
「葉山さん、妬《や》かせるじゃないの。あんなすてきな女性と待ちあわせするなんて」
蒔絵がふりかえって、ちょっと妖艶《ようえん》な眼で睨《にら》み、葉山の腕をつねった。
「ささやかな晩餐会《ばんさんかい》だけど、たまには女将のところも、利用させていただこう、と思ってね」
「それはうれしいけど、背のすらりとしたおきれいな方だわ。うっとりと拝見したのよ。あまり私の気持ちを悩ませないで」
「そうですか。女将が見てもすてきな女だというのなら、うれしいな」
「どっちかというと、私の好みよ」
「じゃ、あとでお酒をもってきてください。一緒に飲みましょうよ」
「ええ、そうするわ」
女将の蒔絵は、三十歳を幾らもすぎない色白の、品のある女性であった。廊下を歩きながらも、そういう親しい会話を交わすほど、葉山は、この蒔絵とは仕事上のつきあいが古く、何でも腹蔵なく話す間柄であった。
いうまでもないことだが、葉山はホテルハンターである。ホテルハンターは、男女の閨房《けいぼう》のことにも専門的な知識と技能を有していなければならないと考えている。
いわば、導淫師といってもいい側面をも、あわせもつわけである。
そこで複雑な殺人事件も、重大な政治的経済的な難問も、そのホテルハンター的な機能、すなわち導淫術を働かせることによって、解決してゆきたいと考える立場にいる。
そうして事件が大団円にむかいつつある今夜がまさに、その腕の見せどころなのである。
事件解決の鍵を握る魅力的な標的――それが、この「卯月」の女将、桑原蒔絵であった。
葉山は、ある有力政治家の愛人であったこの蒔絵を、自分の戦略の中に取り込むために、今夜、ホテルハンターとしての腕をふるうつもりであった。
ところで今、「すてきな方ね」と、二人の話の中に出てきた女は、ほかでもない近代企画の紅一点、牧園多摩美《まきぞのたまみ》のことなのである。
葉山はその夜、ある目的があって、多摩美を招待して料亭の一席をはずみ、酒食をともにしようとしているところである。
「こちらです。ごゆっくり、どうぞ」
蒔絵が奥まった部屋の入口で、腰を落として障子をあけ、葉山を座敷へ通した。
葉山が入ると、テーブルには先に来ていた多摩美がかしこまって坐っている。
「やあ、遅くなってごめん」
葉山は床の間の席に坐った。
「ずい分、すてきなお店を知ってるのね」
多摩美は、入ったこともないような湯島の高級料亭の奥座敷に通されて、いささか緊張しているようである。
「なに、ここの女将とは仕事柄、つきあいがあってね。ぼくはこんな料亭で芸者をあげて豪遊するような身分じゃないよ」
「それはわかっているけど、どうして私を招待したの?」
「ああ、たまには多摩美のためにサイフをからっぽにしてみようと思ったんだ。ここの懐石、美味《おい》しいという評判だよ。今夜は何も考えずに、ご馳走《ちそう》たべて、飲んでほしいな」
「何だか、薄気味わるいわ」
「そう警戒するもんじゃないよ」
そんなことを話しているうちにも、ビールが運ばれ、お通しから懐石料理が一品ずつ、運ばれてくる。
「さ、乾杯しよう。多摩美のしあわせのために」
葉山と多摩美は、飲みはじめた。多摩美もビールから入って、熱燗《あつかん》へと進むにつれ、リラックスしてきたようだ。足を斜めにのばして、盛んに箸《はし》を動かしながら、
「今夜はリッチ、リッチ」
と、弾みはじめている。葉山は折をみて、
「ところで、多摩美はレズ、やったことある?」と、聞いてみた。
「やだあ。何改まって聞くのかと思ったら」
「ね、やったことあるだろ」
「そりゃ、あるわ、ちょっぴし……。学生時代、私、女子寮だったもの」
「それ以来は?」
「ないわ。男で間にあってるもの」
「でも、経験があるのなら、大丈夫だろうな。すてきな女性に口説《くど》かれても、びびったりはしないよな」
「え? 何が? どうして……?」
多摩美には、葉山が言いだしていることの意味や目的や、脈絡がわからず、面喰らっている。
「あるすてきな女性がね、多摩美をみて、抱きたい、と言ってるとする。ぼくからもお願いするから、抱かれてくれるかい?」
多摩美はびっくりして箸を止めて、まじまじと、葉山をみた。
「女の私にむかって、女に抱かれてくれなんて、葉山さんもずい分、ひどいことを頼むのね」
多摩美は、情けない顔をした。
たしかに、それは葉山も同感である。しかし、男に抱かれてくれ、と頼んでいるわけではないから、まだ気持ちは軽い。もっともそれは男の感覚であって、多摩美にとったら、同じことかもしれない。
「そのすてきな女性というのは、誰……?」
やがて、多摩美がぽつんと聞いた。
「まだ、わからないかい?」
「あ……先刻のすてきな和服の人……?」
多摩美は、やっと気づいたようである。
「あんなすてきな女性なら、いいわ」
葉山の魂胆がわかって、びっくりしていた多摩美が、レズを所望されるかもしれない相手が、和服美人の桑原蒔絵だとわかって、安心したようである。
「ね、あのかた、レズなの?」
「うん。三年前に亡くなったある閣僚クラスの有力政治家に操立てしててね。ずっと男断ちしてるみたいなんだ。それで、女性同士で愛しあうんだったら、パトロンを裏切ることにはならないだろう、と都合のいいように考えてレズってるというから、あの女将も少し変わってるよね」
「へええ、政治家のパトロンがいたの? 道理で、いい女だと思ったわ。ねえねえ、どんな人なの、あの和服美人」
多摩美が急に、興味を持ちだしたようである。
葉山は、これから重大な「打ち込み」をすすめなければならないから、蒔絵のことを説明した。
桑原蒔絵は、若い頃《ころ》はもともと、赤坂の芸者であった。気立ても優しいし、目立つ美人だったので、二十一歳で政治家にひかれて、その政治家の愛人となった。
その政治家は、九州に選挙区をもつ、かなりの実力者で、蒔絵はいわば、東京妻だった。ただマンションで愛人暮らしをするのにはあきたらず、湯島で一軒、この料亭を見つくろってもらい、「卯月」を経営する傍ら、政治家の愛人でありつづけた。
ところが、三年前にその政治家は他界。いわば、蒔絵も未亡人となったのである。それで言い寄る男性は多いようだが、身持ちが固く、浮気したという話はきかない。
蒔絵に言い寄る男のうち、もっとも熱をあげている最右翼の男が、実は、赤坂総業の社長、田宮文蔵である。
しかしまだ、蒔絵は色よい返事をしていないと聞く。そこで葉山は、蒔絵を味方につけて、伊豆で門倉朱鷺子が抱えているゴルフ場問題に探りを入れ、赤坂総業の社長、田宮文蔵に対して、裏から手を回して対決し、事態を解決に導いてゆこうと考えているのである。
いわば、蒔絵も、多摩美も、戦略管理の女。その蒔絵を味方につけるためにも、まず彼女においしいプレゼントをあげねばならない。それが、牧園多摩美なのであった。
蒔絵が、多摩美を見て、「抱きたい」と思うであろうと見越して、今夜、葉山は多摩美との食事会を「卯月」に設営したのである。すると予想通り、蒔絵は多摩美に興味を示していたようなので、葉山は内心、しめしめと思っているところである。
葉山は正直に、そういうことを説明した。
「まあ、ずい分高等戦術を使うのね。私は戦略管理の女なの。でもいいわ、あんなすてきな女性なら、レズってみたい気もするわ」
多摩美も瞳をきらめかせて、満更ではなさそうである。
女性もいまや多彩なパフォーマンスで、貪欲に快楽を追求する時代である。
そんな具合に二人の酒宴が盛りあがった頃、
「失礼します。うちの板長がね、今日、江ノ島からサザエを仕入れてきたのよ。これ懐石メニューにはないけど、召し上がる……?」
香ばしい匂《にお》いのするサザエの壺焼《つぼや》きを盆にのせて、噂の女主人、蒔絵がはいってきた。
「あ、ちょうどいい。女将もそろそろこちらにきて一緒に飲《や》らないか」
桑原蒔絵は商売柄、お酒はいけるくちであった。ひとしきり、葉山たちの座敷の相手をつとめているうち、眼許《めもと》をほんのりと染めて、多摩美に流し目をくれては、
「ほんと、いいお嬢さんだわ。吸いつくような肌をしてらっしゃる」
今にも首すじや胸に、触りたそうな雰囲気を滲《にじ》ませている。
「女将はほんとにまだ、男断ちしてるの」
葉山が盃《さかずき》を返しながら聞くと、
「ええ。男さんはもうたくさん。彼に操立てしてまだ、〈腰とどめ〉を守ってるわ」
「女性だけでホントに満足しているのかな」
「そりゃ、何となく物足りないけど、もともと赤坂時代にはお姐《ねえ》さんたちに仕込まれちゃってね。レズも面白いってこと、体で覚えて知ってたから病みつきになってるのよ」
「今夜あたり、男のほうも開封してみたら」
「こればっかりは、誰とでもというわけにはゆかないでしょ。相手にもよりけりだし、タイミングというものがありますもの」
「じゃ、亡くなった大東伊平先生への操立ての問題は、もう心のうちで整理がついてるのかな」
「そうね。先生が亡くなってもう満三年と一ヵ月が経《た》ちますもの。そちらは、もうそろそろ、気持ちの整理をしていいと思ってるの」
そんな話をしているうちに、多摩美が手洗いに立った隙《すき》に、
「女将、本人にはもう話してるんだけど、あの娘、どう?」
葉山は膝をすすめ、本題を切りだした。
「すてきね、私の好みよ」
「もしよかったら、今夜、残して帰るよ」
「あら、あなたたちがなさるんじゃなかったの。そのために、奥の部屋、用意してるけど……」
「実はあの子、ぼくも今夜が初めてでね。そのために呼んだんだけど、もし女将が気に入ってくれれば、ぼくは降りるよ。もともと、女将に差しあげようかとも思って、彼女を呼んだんだよ」
「まあ、そうだったの。それじゃ――」
蒔絵はいたずらっぽく睨《にら》んで、笑った。
「私たちだけではつまらないわ。奥の部屋、けっこう広い寝具を用意してるから、三人一緒というのはいかが?」
蒔絵は、とてもお澄ましした顔のまま、何とすばらしいことを提案したのであった。
三人一組の秘宴――となれば、つまりは、下世話にいう3Pである。
「今夜はさいわい、お客様は三組だけで、もうそろそろお開きなの。ご挨拶《あいさつ》さえ済ませれば、私はあとから参ります。先にお隣に移っておいていただければ、助かるわ」
「ぼくも本当にはいっていいのかね?」
「ええ。そのほうがずーっと、刺激的よ」
桑原蒔絵にとっては、男が黒一点混じるくらい、ピリッと効く薬味程度の「刺激」と思っているのかもしれない。
「じゃ、成りゆきによったら、ぼくとあなたの組み合わせにもなるわけなんだね?」
葉山も負けずに訊いてみた。
「もちろん、そういう局面も訪れるかもしれませんわね」
葉山としては、それは願ってもないことである。
もともと、今夜は多摩美とではなく、この蒔絵と何としても寝たかったのである。
「よーし、それなら決まった。もう少し飲んだら、隣に移るよ」
葉山は張り切って答えた。
「そうしてちょうだい。何だったら、奥のお風呂を使ってもいいわ」
「そうだね、汗でも流してくるか。蒔絵さんも間を置かずに来てくれよな」
奥の部屋は八畳であった。
床の間に花が活《い》けられ、雪洞《ぼんぼり》型の電気スタンドにほんのりと灯がはいっていて、紅《あか》い絹布団をなまめかしく浮きあがらせている。
一時間後、葉山たちはその部屋に移っていた。多摩美はもう脱いで夜具に入っているが、葉山はまだ、はいってはいなかった。
待つほどもなく、音もなく襖《ふすま》が開いて、蒔絵がはいってきた。
「あら、まだなさっていないの?」
そういう蒔絵も、和服を着たままだった。
「あなたに先陣を切っていただこうと思いましてね。待ってたんですよ」
葉山は浴衣に着がえて、気分よく煽《あお》る酔い心地に委《まか》せて、床柱にもたれて吟醸酒「富久錦」の盃《さかずき》を重ねていた。
「あら、そう。ご趣味がよいこと」
蒔絵は唇をすぼめて笑い、帯を解きはじめた。
痩《や》せぎすにみえる蒔絵だが、襦袢《じゆばん》を肩から落として全裸になると、色白のその女体は、女っぽい起伏と円みに富んで、しなやかなボディラインに包まれていた。糠袋《ぬかぶくろ》で磨きぬかれたような白い肌が、雪洞型の灯《あ》かりに映えてとても悩ましい。
「お嬢さん。あなたって、ほんとすてきね」
声をかけながら、蒔絵は夜具をめくって、するっとはいった。部屋はエアコンで熱いくらいなので、掛け布団はめくられたままである。
「葉山さん……見ないで……ああ、あたし、女同士って恥ずかしいから」
そう言って恥ずかしそうに顔を隠しているのは、多摩美であって、蒔絵はさすがに、花柳界で鍛えられているから、ギャラリーがいても、少しも恥ずかしくはないようである。
蒔絵は、多摩美の傍に添い寝する姿勢を取り、自分よりも若い裸体をゆっくりと愛撫しはじめた。乳房の裾野《すその》から腿のあわいにむかって、白い指が腹部の上を刷《は》くように這《は》う。かたわら、二匹の人魚が縺《もつ》れあうように、二美人は接吻《せつぷん》を交わしていた。
甘く唇同士が触れあい、花びらのように舞い戯《たわむ》れ、音をたてて吸いあううち、多摩美は息を弾ませ、腰をくねらせはじめていた。
「まあ、すてきなおヘアだこと」
蒔絵は多摩美の恥毛に手をやり、魔法のような指遣いで恥毛をかきあげた。
細くしなやかな指が、多摩美のすでにうるみを噴きこぼした膣口《ちつこう》をさぐりあて、すべるように侵入している。白い小蛇のようなその指が、膣孔に出没し、時折、すべり出ては、びらつきの部分や、クリットに戯れるにつれ、
「ああン……」
多摩美は猫のような鼻声を発していた。
「このお嬢さん、素晴しいわ。おしめりも多いし、奥のほうが吸い込むように動くの。このお嬢さんなら、男も女もきっと夢中になるわよね」
蒔絵は多摩美がいたく気に入ったようで、布団の上に押し伏せた若鮎のような女体の股間を割って、茂みのあたりに顔を伏せてゆく。
ひとしきり、蒔絵がタチ役になって、舌見舞いをほどこしたあと、蒔絵と多摩美は、美しく絡《から》みあって、お互いの乳房や秘所に愛撫の手をほどこしあい、いつしか対等のシックスナインのスタイルになっていた。
蒔絵が上になり、多摩美の秘部に顔を伏せて、女同士の口唇愛をほどこしている。
かたや多摩美は仰むけになったまま、顔の上でまたがられている美しき年上女の香ぐわしい春草を分けて、ルビー色に濡れ光る秘裂に、下から舌を送りそそいでいる。
見ていて、それは決していやらしいものではない。葉山は半ば呆気《あつけ》にとられながら、多摩美を上手にリードする蒔絵の女体を、羨望《せんぼう》のまなざしで観察していた。
蒔絵は、ほっそりした身体つきだが、胸の隆起や臀部《でんぶ》などは丸くてなまめかしい。全体に張るところは張り、へこんだところはへこんでいるという、鋭角的な身体つきであった。
いかにも抱いたら「弾み」そう。大物政治家が十九歳の時から手塩にかけた愛人というから、「手のうちのいい」印象であった。
下腹部のくさむらは、黒々と艶やかに密生しているふうではない。むしろ、うっすらと春霞のように薄い柔毛がたなびいている感じであった。
そこを今、多摩美が上手にクンニリングするたび、
「ああン……お嬢さん、すてきよ」
なまめかしい声が洩《も》れて、腰がゆれる。
(チッキショーッ! 蚊帳《かや》の外はおれだけか。たまんねえな)
葉山は、眼の前でもつれあう二人の女体をみているうち、息苦しいほど興奮していた。すでに男性のしるしは、雄渾《ゆうこん》なさまを見せて血の色を濃くし、張り裂けそうである。
最近、これほど興奮して、駆られたことは珍しい。
「女将、ところでぼくも参加したいんだけど」
そっと、囁《ささや》くように言った。
「いらっしゃって、早く」
もともと、三人プレイを求めたのは蒔絵であった。コツは心得ているようで、葉山のほうにむけたヒップを誘うように、ゆっくりと、大きくうごめかせている。
葉山は浴衣を脱いで、しなりを打つものをひっさげ、敷き布団の中に入った。
絡れあう二匹の牝獣の後ろにまわり、葉山はまず、蒔絵のヒップをむんずと掴《つか》んだ。
蒔絵のその部分は、多摩美から充分な愛撫を受けているので、充血して濡れ開き、葉山の愛撫はいらないくらいである。
その濡れ光る女芯《によしん》に雄渾なみなぎり立ちをあてがい、ゆるゆると挿入を開始する。
開口部で蜜に包まれ、そのまま、濡れた、あたたかい世界に、ぐぐぐっと、突きすすんでゆく。
だが蒔絵は、三年間、男断ちしていたので、とても狭隘《きようあい》である。亀頭がはいって間もなくの関門のところで最初の抵抗を受け、
「ああーッ……あたし……すこし……きついわ」
蒔絵が狼狽したように大きな叫び声をあげた。
無理にすすむと、メリメリッと張り裂けそうで、葉山は腰をひねりながら、ゆるゆると道をつけて通路をくつろがせることにした。
挿入が、始まっていた。
葉山は今、蒔絵の女芯《によしん》にいきりたつものをあてがい、インサートしつつある。しかし、蒔絵は長い間、男断ちしていたので、通路は狭くなっていて、とてもきつい感じであった。
そこをゆるゆると道をつけながら、前後に抜き差しし、突きすすんでゆく。それでも、
「ああ……大きすぎるわ……張り裂けそう」
蒔絵の身体が、弓のように反った。
女性の器も、長い間、禁封していると収縮して狭くなるようである。
しかしもともと、そこは伸縮自在で、すばらしい許容量をもっているので、やがて葉山のものは、奥まで到着することができた。
葉山は、ヒップを抱えて、ゆっくりと結合部を打ちつけはじめた。
いわば、後背位である。
蒔絵の下には、多摩美がいて、相変わらず女性同士は、シックスナインの関係を保っていた。
その贅沢《ぜいたく》な三重奏の中で、葉山が出没運動を加えると、蒔絵の背中がますます弓なりに反り、髪が激しく揺れた。
「あッ……あッ……」
笛のような声が、火を噴く。
蒔絵のそこは、しんねりとしめつけてきて、しびれが、つながっている性器から葉山の脳天にまで、突きあがってくる。
おまけに、顔のすぐ上で結合運動をおこなっている局部を眺める多摩美が、憎たらしくホーデンを愛撫してくれるので、なおさらである。
葉山はよほど自制しないと、これはすぐに爆《はじ》けちゃいそうだな、と警戒した。
しかし、蒔絵のほうが最初の結合の斬り結びだけで昇りはじめ、
「あはッ……あはッ……もうだめ……」
腰がくずれて、ぺちゃんこになった。
「じゃ、仰むけになって」
後背位の結合を解き、蒔絵を布団の上に仰むけにさせた。
女芯は、熱気をとどめて、むうっと匂《にお》う。
挿入した。
「ああん……またなのう」
葉山の猛《たけ》りが根元まで埋まると、蒔絵は満足そうな大きな声をあげ、出没運動を迎え討つように、腰をしなやかに動かしはじめた。
葉山のほうで、あまり激しい運動は必要なかった。蒔絵のほうが上手に、勝手に、火をおこし、のぼりつめ、葉山の腰に手をやり、
「あ……じっとして……あ……とてもいいわ」
女体をぴっちり充《み》たしたものの感触を深く味わおうとするように、葉山の静止を求め、自分で腰をうごめかせるのだった。
そうしている間も、シックスナインを解いた多摩美が傍から蒔絵に取りついて、乳房を愛撫したり、可憐な仕草でくちびるを吸ったりしている。
葉山はその多摩美のほうに手をのばし、股間をさぐっては膣《ちつ》に指を入れたりして、濃密ペッティングを与えている。
多摩美も初めての三人プレイにひどく興奮した様子で、葉山の施すペッティングだけで、早くも絶頂を迎えようとしていた。
二人とも、幾らも持ちはしなかった。
「ああッ……いくわ……もうダメええッ……!」
突如、蒔絵と多摩美がいっしょになって轟くような声をあげ、二人とも同時に弾《はじ》けていた。
三人の秘宴は、それで終わったわけではなかった。
一段落すると、次に多摩美が、
「女将ばかりでは、ずるいわ。今度は、私の番よ」
と、蒔絵を押しのけて、男性の挿入を求めてくるといった按配《あんばい》で、赤い灯の薄闇の中で生光りする三人の裸身は、時間の流れを忘れて、堰《せ》きとめてうごめきあい、交わりあい、もつれあって、時ならぬ美食の饗宴となったのであった。
そうなるとそのまま、葉山たちはその夜、湯島の料亭「卯月」の奥まった一室で泊まってゆくことになった。
朝、眼《め》がさめると、八時半である。
葉山は起きぬけに、トイレに立った。
厠《かわや》から出たところに、筧《かけい》がある。つくばいの石に、青々とした南天の葉叢《はむら》が懸かり、筧からの水音がたっていた。
そこに手をのばして洗い、姿勢を戻した時、横から白いタオルが差しだされた。
「ああ、女将か。おはよう」
傍に立っていたのは、薄化粧に紬《つむぎ》を着ていた蒔絵であった。
「おはようございます。よく眠れて?」
「ああ、ゆうべは激闘だったもんね。お陰でぐっすり眠っちゃったよ」
「そうね、私も久しぶりだったわ。病みつきになりそう、男の味も」
蒔絵はゆうべの激しかった夢幻のような交渉を思いだしたようで頬を染めた。
「もう、ゆうべを皮切りに、男解禁してもいいんじゃないのかな」
「ええ、そうするわ。一度、身体が味を思いだしたら、やめられそうにないもの」
葉山は、あたりに誰もいないことを確かめ、この際、懸案のことを頼んでおこう、と思って蒔絵を近くの部屋につれ込んだ。
「女将、ところで実は、頼みがあるんだけど……」
改まって、正坐した。
「急に改まって、なあに?」
「女将は、赤坂総業の社長、田宮文蔵氏と親しかったよね」
「ええ。田宮さんなら、うちの常連さんよ」
「それだけじゃなく、彼は女将にずい分、熱をあげてるそうじゃないか」
「ええ。まあね――」
蒔絵は照れ笑いをした。
「ここんところ、モーションが凄いの。私が肯《うなず》いてくれたら、ビルとかマンションとかを一本、丸々プレゼントするとまで言ってるのよ」
「へええ。そりゃ、凄い入れこみようだね。その田宮氏から、ちょっと探っておいてほしいことがあるんだけど」
葉山は率直に話した。
赤坂総業が、その傘下の平成不動産株式会社や天城開発を動かして手がけている伊豆・湯ケ島のゴルフ場開発問題や、その進行状況、それをストップさせるにはどうすればいいか。赤坂総業には世間に知られたくない秘密がたくさんあるようだが、それはどのようなものなのか。そういったことを、それとなく探っておいてくれないだろうか。
葉山は、そう頼んだのであった。
殺人事件のことは、一応、まだ伏せておいた。
女将は、くすんと笑った。「道理で、何か魂胆があると思ったわ……」と呟いたあと、
「わかったわ。ほかならぬ葉山さんのお願いですもの。それとなくあたってみるわ……」
蒔絵がそう言い、ふっと顔を近づけて、
「そのかわり、あたしのところにも、時々、通ってよね。今度は、あのお嬢さんと一緒ではなく、葉山さんと水入らずで、しっぽり濡れてみたいわ」
そう言って、脇腹をつねる。
「ああ、そうするよ。でも、女将は田宮文蔵氏に気があるんじゃないのかい」
「冗談じゃないわ、あんな地上げ屋なんか。熱をあげているのは、一方的にむこうだけよ」
「それを聞いて、安心した。じゃ、ぼくたちが早く会えるためにも、先刻のこと、よろしくね」
葉山のところに、湯島の料亭「卯月」の女将、桑原蒔絵から電話が入ったのは、翌週の土曜日だった。赤坂総業の社長、田宮文蔵と彼の事業に関して、誰も知らない耳よりな裏情報を手に入れたので、来ないか、という知らせであった。
「ええーッ、そんなに早く情報を掴《つか》んだの」
「ええ、彼ったら、私のところに日参してくるんだもの。腕によりをかけて、内緒話をうんときいてやったわ。かなりスキャンダラスな話もはいってるわ。発覚したら、彼は破滅するかもしれない。しないまでも、大打撃を受けて、当分は事業が一時、頓挫《とんざ》すること請けあいね」
「ほう、そいつは凄い。イトマン事件や証券スキャンダルクラスみたいだね。すぐ聞きたいけど。教えてくれるの?」
「約束でしょ、教えるわよ。でもうちに来てくれなくちゃ、いや」
受話器を握った葉山の脳裡《のうり》に、これからの田宮文蔵との対決のスケジュールが刻まれた。
「行くよ。いつがいい?」
「あした、昼間なら、あいてるわ。たまには私の自宅にくれば?」
「え? 女将は、あの料亭に住んでたんじゃなかったのかい?」
「違うわよう。住み込みの仲居じゃあるまいし。私にとっては湯島は会社。住まいは別にちゃんと、無縁坂にあるのよ。マンションだけど」
「まっ昼間からお邪魔してもいいのかな? 同居人、誰かいるんじゃないの?」
「私が一人暮らしだってこと、知ってるでしょ。明日は日曜で、暇でしようがないのよ。ワイン、冷やしておくから、昼間でも夕方でもぜひ来てちょうだい」
電話は、そんな具合になった。
無縁坂の彼女のマンションの地理などを詳しく聞いて電話を置いた時、葉山は赤坂総業の社長、田宮文蔵に反撃する絶対の武器を握ることになるな、と本能的に直感した。
翌日は晴れていた。日曜だったが、葉山は午前中、雑用を片づけて、午後、新宿のオフィスを出た。
葉山は酒が入りそうな日は、車は運転しない。新宿から久しぶりにJR山手線に乗って上野まで出、それからタクシーを拾った。
無縁坂は文京区湯島四丁目から、台東区池之端にかけて切られている昔ながらの小さな急坂である。
森鴎外の名作「雁」は、この無縁坂にある妾宅《しようたく》に囲われていた女性の運命を、一羽の雁《がん》の死という偶然に象徴した情趣と哀《かな》しみにみちた短編だが、十数年前、さだまさしの「無縁坂」の歌でも取り上げられ、この界隈《かいわい》はけっこう、若者たちに有名になっている。
だが、蒔絵が住んでいるのは、坂上のマンションであった。無縁坂もだいぶ変わってきて、昔のようなじめじめした、暗いイメージはうすれかかっている。
葉山はフロントを入って、聞いていた306号室の前に立ち、ブザーを押した。
「いらっしゃい」
ドアが開いて、蒔絵が迎えた。
蒔絵は白いシルクのドレスという、営業中とは驚くほど違ったイメージで現われた。若々しくて、身体の線がきれいに透けて見える。
「これが、料亭の女将さんかねえ。信じられないよ」
葉山は正直な感想を述べた。
「あら、私だってまだ三十女よ。たまには現代的に、ぐっとイメチェンしないと」
蒔絵は、ソファに坐った。
「ワイン、冷えてるわ」
白い手を泳がせて、ボトルを傾ける。和服の時よりも張りのある大きな瞳と、肩に流れるような黒い髪が、とても印象的だった。
葉山は一緒にソファに坐って、ワインを貰った。ガラスの外側が結露するほど、よく冷えたワイングラスのステムを握って渡す時の、白くて細いしなやかな指が、なまめかしかった。
「赤坂総業の話、聞きたいね」
葉山が促すと、
「あの会社って、千葉と茨城のほうで、ゴルフ場を開発してるでしょ。それをめぐる汚職と利権。地元のお役所や議会や政治家も絡んでるわ。その上、所得のかなりの部分を香港のタックスヘイブンに持ちだすという巨額脱税。これって、関税法違反よね。……ま、ひとくちに言うと、そういうところだけど、詳しい話は、あと回しにしましょう。だって、せっかくの二人のデートが、泥臭い利権話になってしまうわ」
「あ、ごめん。女将が自信をもって言うところをみると、証拠なり裏付けなりも揃っているわけかね?」
「揃っているわ、ちゃんと。田宮ったら、誇らしげに私にそういう内幕話を聞かせてくれた上、ゴルフ場の会員権もプレゼントしてくれるというし、イメルダ夫人のように贅沢していいからと、香港にも誘われてるのよ」
(ふーん、かなり信憑《しんぴよう》性のある話だな……)
葉山はうれしくなって、かなりのピッチでワインを飲みはじめた。
「いけるじゃないの、今日は。お店でよりも、うんと調子よさそう」
「あとで女将を、うんと倖せにしてあげようと思ってね」
「あら、それなら飲みすぎるといけないわ」
「大丈夫さ。これ一本くらい」
何杯目かのワイングラスが充たされた時、それを差しだした蒔絵の片手を、葉山はそっと握った。そうして顔に近づけ、ワイングラスをはさんだ指の一本を、そっと口に含んで、吸った。
「あン……」
蒔絵は、小さくのけぞった。
葉山は、指を吸いつづけた。
「ああ……いい気分」
蒔絵は指を中心に、身体を預けきった。
「眼を閉じてごらん」
葉山はグラスを取ると、ワインを一口含み、蒔絵の唇にあてた。二人はそのまま、ワインを口移しにしながら、接吻をした。
蒔絵はそうされながら、うっとり眼を閉じている。
葉山は、蒔絵のドレスの背中のファスナーをおろし、上半身をむきだしにした。蒔絵は和服の時と同じように、ドレスの下にはスリップ一枚で、あまりごてごてした下着は身につけてはいなかった。
スリップの肩紐をはずすと、現われたまっ白い乳房。そこにワインを含んだ唇をあてがう。
「ああ、冷たい」
蒔絵は、驚いて、のけぞりながら、声をあげた。
「冷たいけど、気持ちいい」
ワインにまみれた、乳房を吸った。
それから葉山は乳房の谷間に、ワインをしたたらせた。たらたらとワインのしずくが、谷間の素肌を滴ってゆき、お臍のあたりで、貯まる。
葉山は、そこの水溜まりも吸った。吸いながら、乳房を揉み、ヴィーナスの丘を布切れの上から愛撫した。
「ああ……ソファでは窮屈。ね、奥に運んで」
蒔絵は、もう我慢できなくなっているようだった。
葉山は、奥に運んだ。
奥の部屋は、八畳くらいの和室で、夜具がととのえられていた。
その上に蒔絵をおろして脱がすと、夕暮れ前の、無縁坂の明るい西日の中に、蒔絵の白い女体がはっきりと現われた。身をくねらせるたび、彼女の陰阜や谷のあたりをおおっているうっすらとした秘毛が悩ましく、艶やかによじれる。
葉山は自分も脱ぐと、おおいかぶさった。
乳房に顔を寄せて吸いたてると、
「ああ……葉山さん……」
蒔絵は身をくねらせて、頭を抱いた。
葉山は乳房をかまいながら、下腹部に手をまわした。陰阜の高みと茂みを触り、その奥へ指をのばす。
「いや……そこ、恥ずかしい」
葉山は、蒔絵が恥じらう理由を、すぐに突きとめた。陰唇に沿わせて指を埋め込むと、そこはもうぬるぬるぐっしょりで、どうしようもないぐらいに、濡れていた。
「ね、みっともないでしょ。昨日、電話で打ちあわせて、今日、葉山さんが来ると考えた時から、こうなりはじめたのよ。女の身体って、自分ではどうにもならない時があるのね」
葉山は、それを光栄だと思った。ひとしきり、指で愛撫を見舞うと、もうよけいな回り道をしないで、収めにゆこうと思った。
「訪れるよ……いいね?」
「あ、いいわ……来て来て」
蒔絵は、大きく身体をひらいた。
そうしてその日も、充実した時間が流れた。
終わったあと、葉山は蒔絵から、赤坂総業の田宮文蔵に関するいくつかの重大な、スキャンダルを詳しく聞いた。
それによると、こうであった。
千葉県Q市と茨城県Y市のゴルフ場開発では、市長が数社にわたる計画申請業者のうち、どの社に委せるかの、選択権と決定権を持っていることに目をつけ、その市長や市議会有力者、地元選出国会議員にまで、数億円もの贈賄工作を働き、市の事前協議と決定を有利に導き、行政が主導する大リゾート計画の一環としてのゴルフ場開発を請負ったそうである。
「二億や三億の贈賄なんて、小さい小さい。どこもやってることや。何しろ、請負って開発すると、その何十何百倍もの儲けになるからな」
と、田宮は豪語したそうである。役人や政治家を汚職構造≠ノ巻きこんだ、という罪の意識は、少しもないそうである。
また、田宮が社長をする赤坂総業では、ここ数年の不動産取引で儲けた所得のうち、約二百五十億円以上を、タックスヘイブン(租税回避)国である香港とパナマの子会社に送って、所得隠しを働いている。これだけでも、もし発覚すると、国税当局から調べられて、重加算税をかけられて更正処分を受けるなど、重大な問題に発展すると思われる。
「そういうわけよ。さんざん地上げで弱い者を追いだして金儲けしておいて、罪の意識や恥というものが、少しもないみたい。今度の証券スキャンダルの中でも、準大手の証券会社から『この損害をどうしてくれるんだ』とおどしつけて、五億ぐらい補填して貰ったみたい。ああいう男は、少し懲らしめたほうがいいわよ」
蒔絵はそう言って、田宮文蔵の事業の内幕を詳しく報告してくれたのである。
(ふーん、相当な材料だな。よーし、このネタを友人の新聞記者にまわして、裏から焚《た》きつけてもらおう)
葉山は、にんまりとした。殺人事件については、別途、追及しつつあるが、伊豆のゴルフ場問題ではこれで、強敵のアキレス腱を掴んだ、と思った。
「ありがとう、女将。感謝するよ。でも、これからパトロンになるかもしれない社長のスキャンダルなのに、よく教えてくれたね」
「私はあんな男、大嫌いよ。パトロンなんかには、絶対にしないわ。二言めにはカネ、カネと言って弱者を踏みにじる金権主義者だもの。少し、お灸《きゆう》をすえたほうがいいと思ったのよ」
さすがに、もと実力政治家の第二夫人だった女は、違うな、と葉山は思った。女の魔性でサソリのように相手を刺しておきながら、しかしその考え方には、どこか一本、筋が通っている。
ともあれ、蒔絵に感謝して、葉山はその夜、早目に無縁坂のマンションを後にした。
翌日から葉山は、多摩美ら数人の不動産スタッフを動かして、千葉と茨城における赤坂総業のゴルフ場建設請負工事の実態を調べさせた。その結果、贈賄の核心は外からは掴めなかったが、かなりあくどい方法で行政を動かして工事を独占したらしい不正入札の噂や汚職の実態については、色々と情報を集めることができた。
葉山は、その調査結果をふくめて、自分でワープロを打って、「赤坂総業の黒い内幕」と題する怪文書を作成し、友人の業界紙記者に渡して動いてみるよう、焚きつけたのである。
葉山は傍ら、相模湖のほとりのモーテル「山水荘」殺人事件の犯人を割りだす仕事も、怠《おこた》ってはいなかった。
手掛りは事件当時、隣の個室に入って、事件後、いちはやく消えてしまった品川ナンバーの外車、シボレースポーツ・クーペである。
あのあと、葉山は運輸省に顔の効く代議士秘書を通じて、陸運局にあたらせ、例の品川ナンバーの車の割りだしを頼んでおいたのである。
ふつうは、陸運局は教えてはくれないが、殺人事件に関係する車だと匂わせて、友人の秘書は上手に聞きだしてくれたようである。
その結果、品川38‐る39‐7×の車は、多摩川の近くの狛江市に住む宮永猛史の所有車であることが判明したのであった。
(――やはり、宮永だ……!)
もう間違いないな、と葉山は思った。
さて、そうなると葉山は、次に打つ手を考えていた。それは多摩美を使って、直接、宮永に電話をかけ、ある「架空取引」を持ちかけて、呼びだすことであった。
「おい、多摩美。ちょっと頼みがある。今度は女優になってくれないか」
品川ナンバーの車の所有者が判明した日の昼食時、葉山は多摩美にビーフステーキを奢《おご》った。
「え? レズの次は、女優に?」
多摩美はびっくりし、「いい加減にしてちょうだいよ。Vシネマにでもだそうというの」
うんざりした顔をみせた。
「いや、違うんだ。女優といっても、声優だけどね。実は例の殺人事件で――」
葉山は多摩美に、ある電話工作を頼んだ。
「いいわ。こんな特大ビーフステーキをご馳走になったんだもの」
多摩美は結局、承諾してくれた。
その日の午後、葉山は社に戻ると、会議室の電話に傍聴用のコード受信器を取りつけ、自分はヘッドフォンをつけて電話を一緒に聞けるようにしておいて、多摩美に宮永猛史の会社に電話をさせた。
「もしもし……宮永さんいますか?」
多摩美が聞くと、ちょうど宮永は席にいたようである。
「はい、宮永ですが」
ぶっきらぼうな男の声が応じた。
「私、プロダクション〈るるぶ〉の長谷川留美《はせがわるみ》といいます」
多摩美は声優のような気取った声をだした。
「え……? 長谷川さん?」
「ええ。劇団活動をする傍ら、アダルトビデオを作っているプロダクションの者ですが、ぜひ宮永さんのお耳に入れたいことがありまして、お電話しました」
「耳に入れておきたいことって、何でしょう」
「宮永さん、相模湖の近くの〈山水荘〉って知ってますか」
「山水荘……? はて……」
宮永がぎくっとしながらも、とぼけようとしている。
「別荘風のモーテルです。私たち、あそこでよくAVのロケをやったり、自動撮影をやったりしてるんですが、先週分のビデオを回収しましたところ、凄いシーンが映っていたんです」
「自動撮影って、いったい、何です?」
「部屋にアベックがはいると、防犯テレビみたいに自動的に撮影できる裏ビデオ装置です。ま、いってみれば盗撮ビデオですが、それを私たち、あのモーテルの経営者と契約してこっそり仕掛けてたんですが、そのビデオの先々週の水曜分に、普通のファックシーンではないものが映っていました」
多摩美は、葉山が教えたとおりのことを、すらすらと喋っている。
「どういうものが映ってたんです……?」
「それはもう凄い殺人シーンです。入室していたアベックが食事後、ラブメイクして男が眠ったあと、女は急いで出ようとしてごそごそ後片付けをはじめるんですが、そこに第三の男が侵入してきて、その女を絞殺するんです。そのあと、ガス洩れが起きる細工をして逃亡するんですが……何しろ女を細紐で絞殺するシーンは圧巻。その第三の男の姿や表情がばっちり、映っています。いかがです、面白いでしょう?」
多摩美が喋っている間、宮永は沈黙をつづけていた。が、やがて、多少、喧嘩腰で、
「それが、どうしたんです」
無表情な声を装って訊いた。
「どうしたっていう言い方はないでしょう、宮永さん。そのビデオに映っているのは、あなただったんですよ。女性の首を細紐で絞めるところも、ハッキリと映っているんですよ。……このビデオ、買いませんか?」
一瞬、宮永が息をのむような呼吸音が聞こえた。
そんな二人のやりとりは、傍聴用ヘッドフォンを通じて、葉山の耳にもびんびん響いてくるのである。
やがて、宮永が恐る恐るという具合に、
「本当にその男、おれだったのかい? おたく、どうしておれの顔を知っているんだ?」
「宮永さんに間違いないわ。探しだすのに苦労しましたけど、うちのプロダクションの若い子が、AVで男優の役をやったこともある昭栄金融の宮永さんだ、と言いだしたのよ」
「それで、そのビデオ、どうするというんだ」
「あなたに買っていただけるかどうか、それをまず打診しようと思って、お電話しました」
宮永が思案するように言葉が途切れた時、
「もちろん、無理にとは申しませんわ。恐れながら、警察に届けたほうが、私たちも良心の苛責《かしやく》にあいませんものね」
まだ沈黙が、続いている。
「いかが? 警察にお届けしましょうか」
「おい……ちょっと……待って」
と、宮永が低い、押し殺したような声になった。
「もう一度聞く。本当におれの姿が映っているのかね?」
「うそは申しません。何なら、ご自分でご覧になって下さい」
「いくらで売るんだ?」
「私たちも欲をかきません。そうね、五百万円で手を打つわ」
「本当だな」
「ええ、結構よ。どうせ売り物になるものでもなし、ダビングも取ってませんしね」
「よし、それなら買おう。その五百万円にはビデオ一本の代金だけではなく、あんたとその仲間の口塞ぎ代も入ってるんだぞ」
「もちろん、了解。紳士協定ですもの」
「金はあすじゅうに作る。どこに持ってゆけばいいんだ?」
「そうね。あなたもそのビデオが本物かどうかを見たいでしょ。まず、ビデオデッキとテレビがあって、人に知られずに取引ができる場所――という条件を満たすには、喫茶店やホテルのロビーではだめですわね。街角や倉庫の中ってわけにもゆかないわ。――そこでどう? 歌舞伎町に私の友人がやっているクラブがあるの。そこ、昼はがらんとしているし、テレビやビデオデッキもあるから、都合よさそうだけど、いかが?」
「いいだろう。何という店なんだ」
「二丁目のサムソン。時間は……っと」
二人の間で場所と時間が打ちあわせられた。
葉山は、二人の会話を最後まで聞いた。
(あすの午後二時……新宿・サムソンか)
宮永がこの脅迫電話にまんまと引っかかり、大金まで用意してビデオを取りにくると答えた以上、真犯人はもう間違いなく、やつだな、と葉山は考えた。
サムソンは、新宿・歌舞伎町の区役所通りに面したバービルの四階にある。
エレベーターを降りた通路の奥にあって、狭い。宮永が大勢で押しかけようとしても、それはすぐ一階のエレベーターに乗る瞬間にわかるから、用心ができる。
そういうわけで、葉山はその知りあいの店を昼間、ちょっとばかり交渉事に借りることにしたのである。
翌日の約束の時間に、宮永は一人でやってきた。徒党を組まなかったところに、いっそう真犯人らしい用心深さが窺《うかが》える。
ドアをそっと細目にあけて、恐る恐るなかを覗《のぞ》いた。店内には薄暗い照明がつき、多摩美が一人、カウンターの中に所在なげに坐っているのをみて、意を決したようにはいってきた。
「長谷川さんというのは、あんたかね」
カウンターの丸椅子に横坐りになって訊く。
「ええ、そうよ」
「出してもらおうじゃないか。逸品ビデオというやつ」
「ここにあるわ。まず、見るんでしょ?」
多摩美がカウンターの片隅の小型テレビにビデオをセットして、映しだした。
そのビデオはしかし、湘南の海をバックにした普通のアダルトビデオであって、殺人シーンや、まして宮永などという男が出てくる様子はない。
「おい、これは盗撮ものじゃないじゃないか。どういうことだ、おれを担《かつ》いだのか――」
カウンターから立ちあがって、怒りだそうとした宮永の後ろに、葉山が立っていた。
先刻から、背後に隠れていたのである。
「担ぎはしないよ。あんたに用事があって、ちょっとここに来てもらったんだ。五百万円、持ってきたかい」
「て……て……てめえ……!」
宮永は、葉山の顔を知っていた。
一度、赤坂総業のビルに乱入されたことがあるし、鷺沼のモーテルでは殺そうとしたことがあるくらいだから、よく知っているはずである。
計略にかかったと知って、怒り狂って怒鳴ろうとして、宮永は舌をもつれさせた。
突如、手に提げていた五百万円入りの黒い鞄を振りまわして、葉山の顔面から肩のあたりを殴りつけ、突きとばして逃げだそうとした。
しかしその一瞬、葉山は右足をだしてむこう脛《ずね》を引っかけていた。足をとられて、よろめいたところに、葉山は踏み込んで宮永の顎《あご》にワンツーを打ち込み、宮永が身体を折って沈もうとするところに、鳩尾にきつい正拳を打ち込み、うっと「く」の字に折れまがった身体をみて、最後に膝蹴りを、その顎にしたたかにヒットさせて、決定的なダメージを与えた。
宮永は顎をのけぞらせながら、しかし腰から下はすとんと崩れて、床にどうっと倒れた。
葉山は、暴力に慣れているわけではないが、やる時はやるのだ。足をとられてよろめいた相手を叩きつぶすのは、それほど難しいことではないのだ。
その瞬間、宮永が手にしていた鞄が吹っ飛んで、五百万円分の札束がぱっと宙に飛んで、床に舞い散り、壮観だった。
宮永は、床に完全にのびていた。
そのくせ、葉山が襟首を掴んで立ちあがらせようとすると、ばた狂って床を這って逃げようとする。
「ちきしょうッ。どうしてこういう暴力をふるうんだッ!」
「よく言うよ。自分の胸にきけ。おれはあんたによって、金属バットで頭をぶん殴られて、殺されそうになったんだぞ。これぐらいはいいだろう」
「冗談じゃない。おれはそんなことはしていないぞ!」
「またまた、よく言うよ。鷺沼のモーテルで門倉健太郎を殺し、相模湖のモーテルでは森田美紀を殺し、いずれもおれにその罪をなすりつけて抹殺しようとしたのは、あんたじゃないか。さあ、立て。警察にしょっぴいてゆく」
「何を……何を証拠に、そういうことを言うんだ!」
「鷺沼では目撃者がいる。スーパーの警備員だ。さらには、相模湖の山水荘では隣に出入りしたあんたの車のナンバーを割りだしてるんだ。それに、こうしてあんたがここにビデオを受け取りにきたことが、何よりの証拠じゃないかね」
「うそだッ。でたらめだッ!」
「いいから、いいから。あまり見苦しい真似をするんじゃない。今に迎えの車がくるからな」
葉山は喩《さと》すように言い、
「多摩美、一一〇番してくれ。鷺沼と山水荘モーテル殺人犯人が自首する、と伝えるんだ。そうすりゃ、今にパトカーが素っ飛んでくる。あとは警察がちゃんと、聞いてくれるよ。さ、立ちやがれッ!」
五分後、パトカーの音がまだネオンも射さない午後のかったるい歌舞伎町の区役所通りにけたたましく鳴り響いて、三台も同時に集結していた。
翌日、赤坂総業の田宮文蔵から葉山のところに、電話がかかってきた。
これには、葉山も驚いた。
あまりにも、反応が早すぎる、と思ったのだ。
「葉山さんかい?」
田宮文蔵は、だみ声でそう聞いた。
「そうですが」
「ひどいことをしてくれたな」
「宮永猛史のことですか?」
てっきり、そうであろう、と思い、それで反応が早すぎる、と葉山は思ったのである。
宮永はきのう、警察に突きだしている。まだ自供していないようだが、全容を吐くのは時間の問題だと、葉山は見ている。
その仕掛人である葉山に対して、田宮文蔵が早速、猛抗議をしてきたのかと思っていると、
「宮永なんて男は、わしは知らんよ。わしが電話したのは、殺人事件のことじゃない。葉山さん、腹を割って話そうじゃないか。え、今日あたり、うちの会社にちょっと、寄ってくれんかね」
いやだと言っても、物騒な男が数人、束になって迎えにくるのが目に見えていたので、
「いいですよ。参りましょうか」
葉山はその日の夕方五時に、赤坂総業の社長室にゆくことを伝えた。
田宮はいよいよ、千葉県と茨城県のゴルフ場疑惑を国会で取りあげるよう、友人の新聞記者を通じて根回しをすすめている葉山のボディブローが効いてきた上、内情を知っている配下の宮永が警察に逮捕されたことも重なって、必死で逃げ場を探しはじめているな、と葉山は睨んだ。
そうなると、葉山の戦いの主目的である朱鷺子を窮地から救うことの目途《もくと》は、ほぼ立ってきたと判断していいわけである。
約束の時間より少し遅れて、葉山が赤坂総業の社長室にゆくと、案の定、
「なるほど、あんたが葉山という男か」
田宮文蔵はじろり、と睨んだ。
「初対面じゃないと思いますがね。今日、電話でも話しましたし、いつぞや、この部屋の奥で、ある夫人に悪《わる》さなさっていたので、躍り込んだはずですよ」
葉山は、そういう具合に、平然と言った。
「うるさいッ」
田宮はとうとう、本性をむきだしにしたように団栗眼《どんぐりまなこ》を、ぎょろりと光らせて、一喝した。
「わしはそんなことを聞いてるんじゃない。葉山さん、あんた、このデータを新聞記者に焚きつけて、いったいどうするつもりなんだッ!」
田宮文蔵は、顔をまっ赤にして怒鳴りつけ、書類の束を机に叩きつけた。
それもそのはず、彼が今、机に叩きつけたものは、赤坂総業が千葉県と茨城県で手がけているゴルフ場開発にともなうあくどい贈賄工作の内幕や、巨額の所得隠しに関する実態を、ワープロでぎっしり暴露した三十ページに及ぶ文書のコピーであった。
どうやら、田宮文蔵はそのネタ元を突きとめたらしい。内実を握っている葉山を呼びつけて、何らかの交渉をしたかったようである。
「え、葉山さん。あんたは金が欲しいのか。それともこれは何かの取引かね。あんたはこの怪文書をいったい、どうするつもりなんだッ!」
田宮文蔵が怒りまくっているところをみると、データはまさに真相を突いていて、喉元に刃を突きつけているようである。
「さて、どうしろとおっしゃられても、困りますね。恐れながら、と私がそれを地検や国税庁に差しだせば、どうなるでしょうね。すでに私の友人の新聞記者たちは、これを国会で取りあげて、ビッグニュースにするために、野党の先生方に焚きつけはじめているようですがね」
葉山が、やんわりと言うと、
「ま……ま……待ってくれ……地検に密告されたら、困る。国会で焚きつけられたら、困る。いったいきみは、何が欲しいんだ。言え……金か……金なら、いくらでもやるぞ」
葉山は、金なんかは欲しくはない、とすぐにかぶりを振った。
「見損なって欲しくないね。おれはあんたと違って、金では動かん男だぞ」
ちょっとばかり、ハッタリをかけてやった。
「恰好《かつこう》つけやがる。じゃ、いったい何が欲しいんだ。何のためにおれの会社を探って、おれを陥れようとしているんだ!」
「それがわからんとは、あんたもよくよく人の心がわからん人だな。――じゃ、言うからよく聞け!」
葉山が言いだした要求は、赤坂の伊豆源の女社長、門倉朱鷺子所有の乃木坂ホテルや料亭「玉樹」の跡地から手をひくこと。また、彼女の所有する伊豆湯ケ島のゴルフ場開発予定地の権利証や印鑑を、健太郎から欺《だま》しとって、強引に事を進めようとしているが、あそこはワサビ沢や鮎釣り場の環境に重大な影響を及ぼし、住民も反対している。これを断念すること。そうして、不正な手段で手に入れた権利証や念書を門倉朱鷺子に返却し、これ以上、彼女に対して嫌がらせをしたり、襲ったりしない、という三点を確約することであった。
「どうだ。田宮社長、この程度の約束ならできるだろう」
田宮は額から脂汗を流して唸り、
「きみはいったい、どうして……なぜそんなことのために生命を張ったんだ。たかが、女一人……伊豆源の未亡人を守るために――」
「たかが女、とあんたは言うがね。もし一人の女に本当に惚れて、真実の愛情を抱けば、男は場合によったら、生命だって捨てることがあるんだ。今は誰もそういう真情を小ばかにして、わかろうとはしないし、またやろうともしない世の中になっているようだがね。たまには、そういうハートと魂《ソール》を持った、ばかなやつがいるってこと。ただ、それだけのことだと思ってくれればいい」
(ちょっと、恰好よすぎるかな)
葉山は、でも、多少照れ臭かったが、久しぶりに本音を吐くことができて、胸がスカッとした。
「ちきしょう。ますます恰好つけやがる」
いまいましそうに唸りながら、田宮文蔵がしかし、「よし、わかった。その三点セット、約束する。だから、なあ、頼む。地検に密告することや国会に焚きつけることは、もうやめてくれッ」
田宮文蔵は、最後に、門倉健太郎を通じて欺しとっていた伊豆の権利証と念書と印鑑を差しだし、机に頭をこすりつけて平伏せんばかりにして、降参したのであった。
「よかろう。それなら、この書類や印鑑、すべて返してもらうからな」
葉山はそのすべてを分捕って、引き揚げた。
終章 駆けぬけて、愛
夜景が、やけに美しかった。
二つのワイングラスが合わさった。
「ありがとう、葉山《はやま》さん。おかげで何もかも解決して、安心して伊豆で暮らせます」
乾杯を終えてから、朱鷺子《ときこ》が眼に感謝をこめて、そう言った。
そこは、赤坂・紀尾井町の超高層ホテルのスカイラウンジであった。赤坂総業の田宮文蔵から葉山が念書や権利証を奪い返して、四日後である。
乃木坂ホテルの売買も完了し、料亭「玉樹」跡地の処分見通しもつき、朱鷺子はさすがにほっとした表情であった。
「葉山さんには、本当に色々、お世話になりましたわね。事件のほうも、真犯人が逮捕されて、何とか決着がついたようで、私、安心しました」
「ええ、宮永は最初、警察でも頑強に黙秘していたようですけどね。鷺沼モーテル事件のほうでは目撃者の面通しが行われて、宮永に間違いないことがわかり、また、山水荘のほうは、被害者の両手の爪の間に、争った時についたと思われる男の皮膚の切片が発見され、それが宮永の血液型や組織片と一致したため、言い逃れはできなくなったようです」
葉山は、そう報告した。
葉山が何度も薄氷を踏んだ殺人事件のほうは、警察に逮捕された宮永猛史が、神奈川県警の捜査本部に移されて、三日目になって、鷺沼、相模湖畔両モーテル殺人事件の全容を自供したところである。
自供によると、門倉健太郎殺しのほうは、伊豆源の資産を狙うために、世間知らずの健太郎に女をあてがってたぶらかし、社長印や権利証などをせしめたまではよかったが、途中から健太郎が反抗しだして、預けたものを戻せと言いはじめたので、始末に困って川崎のモーテルに連れ込み、殺害して、その罪を朱鷺子をめぐって三角関係にあった葉山慎介に被せようと工作したそうである。
一方、あとで起きた「山水荘」モーテル殺人事件のほうは、共犯の森田美紀から、葉山をモーテルに連れ込んだという連絡を受け、ガス中毒死を偽装するため、睡眠薬を飲ませるよう指示した。その過程で、自分もモーテルの隣室に駆けつけ、折りをみて葉山たちの部屋に侵入、共犯の森田美紀も、これまで何かと裏を知られているので、邪魔だからこの際、心中を装って消そうと考え、首を絞めてガスが充満する部屋の中に放置したまま、逃亡したのだという。
いずれも、実行犯としては宮永単独だが、会社の上層部から「伊豆源乗っ取りプロジェクト」が組まれて以来、何かと妨害する葉山を消せ、と指示されていた、と宮永は供述しているそうである。
この点から、田宮文蔵も、殺人教唆の容疑で追及されるのは確実、と警察関係者は見ているようである。
ともあれ、事件は一応、終わったのである。
朱鷺子は、虎口を逃れたようであった。
「それにしても……」
と葉山は、溜め息をついた。
「朱鷺子さんが本格的に伊豆に帰って、東京にいなくなると思うと、淋しくなるな」
「淋しいなんて、うそばっかり。いつも女の人にもててるくせに」
朱鷺子はワイングラスの陰から、睨んだ。
「あれは職業柄、そう見えるだけですよ。伊豆に帰って、本当にもう東京には出てこないんですか?」
「一応、今の心境ではそういう気分ね。ゴルフ場問題も解決したし、むこうの環境もやっと落着いたようだし、私、天城翠明館に帰って、これからの人生を伊豆の山峡で静かに暮らしたいと思っていますのよ」
「もったいないな、その若さで田舎に引っ込むなんて。乃木坂ホテルを処分したお金で、東京でのんびりマンション暮らしでもすればいいのに」
「私、有閑夫人っていうの、あまり好きじゃないの。それに東京はもう、こりごり。それより、翠明館を経営しながら、東京にはしょっちゅう、文化的な風にあたりに遊びに来ますわ。葉山さんも時には伊豆に来てちょうだいね」
「ええ、そうします。今度は他の女なんか、連れてゆきませんから」
「そうよ。今度、あんな場面を私に見せたりしたら、承知しませんからね」
夜景を見ながら二人は、快い酔いがまわるまで、ワインを飲み、食事をし、それから予約していたホテルの部屋にはいった。
(もしかしたら、おれたち、これからが本当の恋人同士になるかもしれないな。東京と伊豆……離れて暮らして、ちょうど手頃かもしれない。会う時はいつも新鮮――というやつ)
バスルームからあがると、ベッドはもう花園。湯上がりのほてった肌をぶつけあった二人は、優しく接吻しあい、重なりあった。
どんな女性にも顔や声、外見、スタイルに特徴があるように、あそこにも特徴がある。個性といっていい。あそこというのは、女性のもっとも女性であるべき部分である。
葉山はそれを、女性自身の「容貌」と呼んでいる。「容」は陰阜からヘア、赤い滝に至る全体の「すがた」であり、「貌」は秘められた花びらや真珠、粘膜の合わさり具合や色彩など、秘所そのものの「かお」と「表情」のことである。
朱鷺子のそこを押し開いて顔を近づけた時、
「ああ、これなんだ。これが朱鷺子なんだ……朱鷺子のここに会いたかったんだ」
と葉山は猛烈に、郷愁といってもいいほどの、激しい切なさといとおしさを感じた。
葉山は本当に、女好きなのかもしれない。
当然、くちづけにゆく。そうして、ぶどう酒色の透けた肉紐のようになる片側の花びらを口に入れて、吸う。
朱鷺子が物狂おしい声をあげる。ああ、いや、充たして……というように、その物狂おしい声はきこえる。朱鷺子は弓のように反った。会うたびにいつも処女、という女性がいるとすれば、それは朱鷺子かもしれなかった。
朱鷺子の構造は、緻密《ちみつ》である。男性が通る径は小さかった。今夜も、最初に埋めこんだ時、奥まで貫き通すまでに、朱鷺子は何度ものけぞって、痛い、と弾ぜたくらいである。
到達すると、二人はひとつがいの魔魚となった。
朱鷺子は、かたちのいい白い顎を反らせて、糸を引くような細くて、鋭い声を発しつづけた。
スタンドの灯かりに、うっすらと汗を浮かべてきた朱鷺子の顔が、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せ、恍惚の表情を浮かべて、しあわせそうである。
葉山は、不意にいとおしくなって、くちづけをした。くちづけをしながら、今夜は別れの日ではなく、初まりの日なのだ、と葉山は自分に言いきかせた。あるいはしかし、本当のところは……最後の別れの一夜なのかもしれなかった。
一九九二年一月、小社より講談社ノベルスとして刊行
一九九五年一月、講談社文庫に収録