駿河城御前試合
南條範夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)世に云《い》う
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三代将軍|家光《いえみつ》は
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無明逆流れ
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一
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世に云《い》う寛永《かんえい》御前試合なるものが、いつ頃《ごろ》から、何びとによって、如何《いか》なる経路を経て伝承されるようになったものかは不明であるが、それが史実にあらざることは明白である。
徳川実紀によれば、試合当日と云われる寛永十一年九月二十一日には、三代将軍|家光《いえみつ》は日光|参詣《さんけい》中で、江戸に在城しない。将軍不在中に、吹上上覧所に於《おい》てこのような試合の行われるべき筈《はず》はないのである。
だが、この上覧試合なるものが、凡《すべ》て全く講談師の張扇《はりせん》から生み出された虚構にすぎないかと云えば、必ずしもそうではない。多くのこのような場合におけると同じように、この試合についても粉本たるべき事実は存在した。
寛永六年九月二十四日、駿河《するが》大納言《だいなごん》徳川|忠長《ただなが》の面前で行われた駿府《すんぷ》城内の大試合こそこれである。
この駿府御前試合は、そのままの形で世に流伝されることを禁止された。理由の一は、云う迄《まで》もなく、忠長が反逆の意図を疑われて領土を没収され、自殺の名の下に事実上切腹を仰《おおせ》付けられるに至ったからであり、他の一つは、この試合自体、空前絶後の残忍|凄惨《せいさん》な真剣勝負であった為《ため》である。
泰平の時代にも真剣を以《もっ》て試合した例は少くない。しかし、大国の領主が公けに開いた御前試合に於て、十一番の勝負を悉《ことごと》く、殊更に真剣を以てせしめたと云う例は全く他にない。
忠長が、多少精神に異常を来していたことを認めるとしても、秀忠《ひでただ》から付属せしめられていた鳥居|土佐守《とさのかみ》以下の宿将老臣が、この暴挙を諫止《かんし》しなかったのは、意外である。恐らく、忠長の行動が既に部下の何人の制御もきかぬほど常軌を逸するに至っていた事と、殺戮《さつりく》傷害を家常茶飯事とした戦国の時代を、ほど遠からぬ過去に持っていたと云う事情とが、この凄惨な真剣試合を、反対を押し切って敢行せしめたものとみるべきであろう。
試合の経過をみると、十一組の中《うち》、八組迄は、一方が対手《あいて》を殺しており、あとの三組に於ては、両方の剣士が共に斃《たお》れている。寛永御前試合なるものが、同じく十一組の試合を挙げ、その中勝敗のあったものを八組、相打ちを三組としているのは、正にこれに倣《なら》ったものに違いない。
この試合中、城内南広場に敷きつめられた白砂は血の海と化し、死臭あたりに漂って、見物の侍の中にも、呻《うめ》き声をあげて列を退き、ひそかに嘔吐《おうと》するものがあった。だが、忠長は、蒼白《そうはく》の額に、青く静脈を浮上らせたまま、平然として終りまで見届けたと云う。
寛永十年十月、忠長が甲府に移された後、駿府城受取りに来た上使青山|大膳《だいぜん》幸成は、この試合の始終を聞きとると、眉《まゆ》をひそめて、
「先《ま》ずは天魔の所行じゃ」
と呟《つぶや》き、関係書類の一切を焼却せしめた。
従って、この試合に関する直接の公式記録は全く残存しない。ただ、当日、試合の席上に居合せた者のひそかに書き残したものが転々して、読み伝えられ、やがてかの寛永御前試合として、血風凄絶の史実とは全く別に、専《もっぱ》ら大衆の耳を悦《よろこ》ばしめる興味主眼の講談と化したのである。
試合は、当日、巳《み》の刻(午前十時)から始まったが、その最初の対戦者が、東西の幕を排して試合場に現れた時から、異常な緊張が席上をつつんだ。
東側に現れた伊良子《いらこ》清玄《せいげん》は、齢《よわい》三十余り、稀有《けう》の美貌《びぼう》であるにも拘《かかわ》らず、両眼|盲《めし》い右足を少しくひきずっていた。幕内の試合場には、もとより入ってこなかったものの、この盲目|跛足《はそく》の美剣士に城内の試合場の幕外までつき添ってきたのは、同じ年配とみえる凄艶《せいえん》な年増《としま》女である。
一方西側に現れた藤木《ふじき》源之助《げんのすけ》は、年二十七八歳でもあろうか。清玄の神経質な俊敏な相貌に比べれば、やや重くるしい感じではあるが、より均衡のとれた秀抜な顔貌である。だが、彼も亦《また》、左腕が、つけ根から無かった。
源之助にも、二十歳《はたち》を一つ二つ越したかと思われる清楚《せいそ》な美女が、ついてきていた。先の年増の艶《あで》やかさは城内の若侍たちの胸に、悩まし気な情感をほのかに湧《わ》き立たせたが、この美女の気品にみちた姿こそは、まことに眼《め》をみはらせるものがあった。
二人の不具者と二人の美女。これだけでも列座の侍たちの好奇心を湧き立たせるのに充分であったが、どこからともなく、囁《ささや》かれた噂《うわさ》が、口から口へと伝えたところによれば、この二人の剣士は、かつて同門の相弟子であり、伊良子清玄に付添ってきた年増は、二人の師|岩本《いわもと》虎眼《こがん》の愛妾《あいしょう》、藤木源之助と共にきた娘は、虎眼の一人娘で伊良子清玄の愛人であると云うのである。
この奇妙な縁に結び合わされた四人が、二人ずつ東西に別れ、その中の男二人が、互いに不具の身を以て、真剣を交えようとしているのである。
列座の者の、より多くの好奇心と興味とは、伊良子の方にあった。彼が盲目であったからばかりではない。藤木は今日初めて彼らの前に姿をみせた男であるが、伊良子は、半歳《はんとし》程前から、当藩の武芸師範|岡倉《おかくら》木斎《ぼくさい》の邸《やしき》に滞在し、その奇怪な「無明逆流れ」と称する剣法について、無数の噂が流れていたからである。
この秘剣をみたものは、主君忠長以下数名の限られたものに過ぎないが、正に言語に絶する妙技と伝えられていた。何よりも先ずその構えが奇警、人の意表に出るものと聞かされていた。
今、正面に向って恭《うやうや》しく一礼した伊良子、藤木両名が向き合って剣を抜いた時、列座の人は果して、一斉に、
「――あッ」
と、驚愕《きょうがく》の叫びを発した。
藤木源之助が、抜き放った一刀を、大上段に構えたのに対し、伊良子清玄は、盲いた両眼を敵手に据えながら、同じく抜き放った一刀を、右足の指の間に、杖《つえ》の如《ごと》くつき立てたまま、凝然と佇立《ちょりつ》したからである。
それは凡《およ》そ一切の流派に、聞いたことも見たこともない奇怪な構えであった。
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二
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伊良子、藤木両名の師岩本虎眼は、慶長《けいちょう》末から寛永の初めにかけて、濃尾《のうび》一帯に聞えた無双の達人であった。その初め、名古屋城下に現れた時は、さながら山男の如く、蓬髪《ほうはつ》垢面《こめん》、片手にひっ提げた二尺三寸の薪雑棒《まきざっぽう》で、無造作に各道場を破って城下を唖然《あぜん》たらしめたと伝えられているが、これは永禄《えいろく》の頃|梅津《うめづ》某《なにがし》を薪雑棒で叩《たた》き伏せた富田《とだ》勢源《せいげん》の事跡と混同された伝説に過ぎないらしい。
ともあれ、その剣技が絶妙であったことは周《あまね》く知られており、晩年は門弟千人を越えていた。尤《もっと》も、この数多くの門弟の中には、虎眼の一粒種、三重《みえ》の、蕾《つぼみ》のほころび始めたような初々しい美しさに惹《ひ》かれて、見込みの少い剣道修業にやってきていたものも少からずあったことは間違いない。
だが三重の婿たるべきものは、衆目のみるところ、伊良子清玄か、藤木源之助か、何《いず》れか一人であろうと思われていた。岩本門下の一虎《いっこ》双竜と云われたのは、師範代をつとめる牛股《うしまた》権左衛門《ごんざえもん》と、伊良子、藤木の両名であるが、牛股は既に齢三十の半ばに達して妻帯しており、容貌怪奇の偉丈夫である。これに反して、伊良子、藤木は何れも二十歳代で、独身である。
二人の力量は殆《ほとん》ど互角であったが、剣の技法には各々《おのおの》特色があって、伊良子は俊敏|軽捷《けいしょう》、藤木は荘重雄健である。師の虎狼は、何れかと云えば、藤木の技風をより多く愛したが、娘三重は、藤木の端麗な容貌よりも、伊良子の独特な悪魔的な美貌に気をひかれているらしくみえた。
「藤木の方が剣はまともだが、三重はどうやら伊良子に夢中らしいから、やはり、伊良子の方に決めるかな」
虎眼は、盃《さかずき》を乾しながら、妾《めかけ》のいくに云った。五十に近い年でありながら、強靭《きょうじん》な体躯《たいく》と絶倫の精力に恵まれた虎眼は、妻の死後、何人も妾をとりかえたが、最近手に入れた松坂《まつざか》の商家の娘いくは殊の他、気に入ったらしく、初めから家に置いて朝夕の世話をさせていたのである。
「でも、跡をおとらせになるのでしたら、やはり、本当に旦那《だんな》様のお目がねにかなった方がよいと思われます。――それに、お美しいと云っても、伊良子さまは、妙に怖《おそ》ろしいような、女子の心を不安にさすようなところがありますし、藤木さまの方が、私なぞは、ずんと大人しやかに頼もしいように思われますが」
「うむ、わしもそう思うが、やはり若い娘には伊良子の方がいいらしいな、大体、きゃつの眼付は奇妙に悩ましいところがある。男のわしでさえ、時々、あいつにみつめられるとへんな気分になってくる。家中の娘御、女房衆は勿論《もちろん》、城下の町家の女どもの間でも彼奴《きゃつ》は大変な人気らしいな、じっとみつめられると、骨がとけそうだと申しておるそうな、はは、権左が先日云うとった。きゃつは少しは羨《うらや》まし気ではあったがな。お前なぞも、そんな気がするか」
「まあ、私はもう殿方の眼つきに迷うほど浮ついた齢ではございませぬ。それより、旦那さまのお眼こそ、じっと睨《にら》まれると身動きが出来ぬと、門弟方がいつも云っておられます」
「わしのは、名前通り虎眼、鬼眼じゃ。見る奴《やつ》は怖ろしくて金縛りになるのだが、伊良子のは、悩ましくなって、気が遠くなってくるそうな」
「そのような方ならなおのこと、お嬢さまのお婿さまとしては、よろしからぬと存じますが」
「はは、妙だな、お前は、ひどく伊良子びいきだったのが、此頃《このごろ》はすっかり反対になったではないか」
「あれ、そんなことはありません」
いくは慌てて打消して、盃に酒をみたしたが、その指先が微《かす》かに震えていた。
虎眼は、いくのその白く細い指先をじっと眺めていたが、急にキラリと鋭いものがその瞳《ひとみ》の中に浮んだ。その視線は、いくの艶やかな首筋から肩から腰へと流れていったが、ふと、何か新しいものをみつけたようにパッと輝き、やがて、底気味の悪い微笑のようなものが口辺に浮んだ。
数日後、虎眼が、門弟数名を連れて、浅間《せんげん》神社へ出かけた後、いくが、離れで、虎眼の衣類の手入れをしていると静かに部屋に入ってきたものがある。
「あっ、伊良子さま」
いくは、抑えた低い声でそう云ったが、眼にも、頬《ほお》にも、隠し切れない悦びの色を漲《みなぎ》らせ、くい入るように男の顔をみつめる。
「なかなか、よいおりがなくて」
清玄は、つとよりそっていくの膝《ひざ》に己れの膝を触れるように坐《すわ》ると、両肩を抱いて、瞳を合せた。自分の瞳の妖《あや》しい魅力は充分に知っている。いくが、その瞳に射すくめられたように眼を閉じて、顔を上に向けると、その首に手を回して、自分の顔にぴったりひきよせた。
しばらくして、二人が、もつれ合ったからだを引離すと、いくは、乱れた裾《すそ》を気にしながら、紅潮した頬に、思い込んだ色を浮べて、
「伊良子さま、旦那さまは、いよいよ、あなたを三重どののお婿さまになさるらしゅうございます」
恨みと、哀《かな》しみと、嫉妬《しっと》との入れ混った声で云う。
清玄もそれは予期していたところである。未《いま》だ蕾ながら、麗容濃尾第一と云われる三重と、師匠の後嗣の地位とは、もとより欲するところである。ただ、殆ど物心つくときから、まといついてきた女の匂《にお》いは、一日もそれなしでは済まされなくなっていたのだ。
師の女――悪いと知りながら、凄艶《せいえん》な年増女が思いがけなくみせた、純真とも云うべきひたむきな熱情に、ずるずるとひきこまれていたのである。
「清玄さま、どうなされます」
「うむ、一応お受けするより他はない」
「いやでございます。妾はいやでございます、あなたを、他の女子にとられるのはいやでございます」
「と云うて、こなたは師匠の思いもの。もし、このような事が知れたら、私は師匠に斬《き》られるだろう」
「斬られるなぞ――それより斬っておしまいなさいませ、旦那様は何と云ってもお年、あなたはお若い」
いくは、息を荒くして叫んだ。
「いや、だめだ、私の腕ではとても斬れぬ。私ばかりではない。師匠の流れ星に敵するものは、天下にあるまい」
虎眼の「流れ星」は、対手の首を狙《ねら》って、流星の走る如く横に薙《な》ぎ払う一刀必殺の魔剣として怖れられている。剣の道を知るだけに、清玄はいくの不敵な申出を、言下に却《しりぞ》けた。
「では――私をつれて逃げて下さいませ」
いくが必死の面持でとりすがった時、清玄は、障子を隔てて、何か殺気に似たものをぴりりと感じた。パッと飛び離れ、縁に出て、
「誰か!」
と眼を放ったが、思わずどきりと胸の鼓動を止め、背に冷たい汗を滲《にじ》ませた。庭の、深い木立ちの中に、ギラギラと光る二つの眼が、憤怒に燃えて鬼火のように輝いていたのである。
その翌日、虎眼は、三重、いくを傍にして、牛股、伊良子、藤木の三人を呼び寄せた。
「近頃、道場の有様とんとだらけ切っておる。上に立つお主らが気力たるんでおるからじゃ、久しぶりにわしの前で、力一杯試合うてみせい」
いつになく厳しい声である。ただそれだけの目的ならば、むしろ、道場で、門弟一同の前で試合をさせればよい筈、わざわざ三人だけ、離れの庭前に呼びよせての命令には、何か底にあるに違いない。
牛股権左衛門は、「流れ星」の秘伝伝授の前提と予感した。藤木源之助は、三重どのの、婿えらびと判断した。そして伊良子清玄は、特に自分に向けられた師の、憎悪の眼に、具体的に如何なるものかは分らぬながら、きびしい報復の企図を予感したのである。
試合は虎眼の命令によって牛股と伊良子の間に行われた。
牛股の得意は、自ら会得した「飛燕《ひえん》切返し」である。打ち合うこと数合、隙《すき》をみて、その牛の如き巨大なからだのどこにそれだけの俊速さがひそむかと思われる早業で対手の手許《てもと》に飛び込み、全身で対手を押しまくる。必死にこらえる敵の反抗を弾力に利用してパッと飛びすさる瞬間、その豪剣が、過《あやま》たず対手の右手をしたたかに打ちのめすのである。この切返しの神技を防ぎ得るものは、師虎眼の他になかった。
清玄は簡単に敗れた。
らんらんと、己れの顔を射すくめている虎眼の視線の異常な光に、威圧され、うしろめたい気怯《きおく》れに日頃の俊敏な気魄《きはく》を失っていた為である。無念無想、純一無雑の権左衛門の剣は、苦もなく伊良子の右小手を、切り落さん許《ばか》り手痛く打った。
「見苦しいぞ、伊良子、何のざまだ」
虎眼が罵《ののし》った。一礼して引退ろうとするのを、
「まて、伊良子、藤木とやれ」
勝者牛股が、藤木との試合を予想して待っているのを眼顔でしりぞかせると、虎眼は、源之助を指した。
権左衛門に打たれた右手は、まだ半ばしびれ痛んでいる。清玄は、ためらいをみせたが、師の眼光は、益々《ますます》激しく、荒々しい。清玄は観念した。
源之助は師の「流れ星」と兄弟子牛股の切返しとを、最も忠実に習った正統派の剣技であるが、何れも未だ師にも、兄弟子にも及ばないこと勿論である。だが、それは虎眼や牛股に比べての事であって、通常の対手に対しては、勿論、怖るべき妙手たるを失わない。その上、三重の見ていることが、彼の意気を十倍せしめていた。
立上ると同時にひらりと清玄の胸許に飛び入り、さっと引いて小手を切り返すと見るや、つづいて間髪を容れず横薙ぎの一閃《いっせん》。自由を喪《うしな》っていた右手を更に重ねて打たれた清玄の木刀は、真只中《まっただなか》を鋭く横に切り払われて一|間《けん》も左に飛んだ。
「未熟者め、ろくろく修練もせず、女子どもに淫《みだり》がましい眼ばかり使いおるから、その態なのだ。伊良子、わしがその腐った土性骨叩き直してやろう、剣をとれ。莫迦《ばか》! 真剣だ!」
虎眼が、狂暴な怒罵《どば》を浴びせた。
「えっ!」
真剣と聞いて、三重も、いくも、さっと顔色を変えた。牛股も藤木も、さすがに驚いて、
「お師匠さま、それは」
と止めたが、虎眼は一喝した。
「黙れ。この未熟者、真剣で叩き直してでもやらねば、正気はつくまい。ふふ、皆、心配はいらぬ。伊良子のなまくら腕では、わしのからだにかすり傷一つ負わせ得ぬ。わしの方は、伊良子を叩き斬るのは容易だが、――はは、怖いか、命はとらぬ、約束してやろう、命だけは、よいか、命だけは助けてやるぞ」
覚悟はしていたとは云え、余りのなりゆきに清玄がただ茫然《ぼうぜん》としている時、縁の上から、いくが半ば狂乱したような上ずった声で叫んだ。
「伊良子さま、お立合いなされませ、斬る、斬るのです、斬らねば、あなたが斬られます」
夢遊病者のように剣を抜いた清玄が、己れの眼の前一杯に巨獣のように覆い被さってくる虎眼の鬼眼を感じた瞬間、その真只中を貫いて灼熱《しゃくねつ》した白金の刃が横一文字に走った。
清玄は、悲鳴を挙げて仰向けに倒れた。虎眼の「流れ星」が、その両眼を切り裂いたのである。
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三
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それから三年、――岩本家の跡とりはまだ決まらなかった。
虎眼が改めて、藤木源之助を三重の婿と云い渡した時、三重がこれを拒んだからである。あの日の事件を、顔色蒼白になって、小きざみにからだを震わせながらも、始終一言も云わずに見つめていたこの十七歳の少女は、意外にもきっぱりと己れの意思を表明した。
「私は自分の心の中で、伊良子さまを夫ときめておりました。伊良子さまが、私を他の女子に見かえられたことは無念でございますが、あの方の生きている限り、他に夫はもちませぬ、どなたにてもあれ、あの方を殺して下さった方の妻になりましょう」
他の女とはいくである。両眼を切り裂かれて昏倒《こんとう》した清玄の傍にはだしで飛び下り、すがりついて泣きくずれながら、虎眼に向って、大胆にも、
「人でなし」
と叩きつけると、運び去られる伊良子につき添って、邸を出たきりの女であった。
何と叱《しか》っても、なだめても、頑として聞き入れない三重に手をやいて、ともかくも伊良子清玄の様子を尋ねさせると、あの数日後、両眼を白布で覆い、いくに手を曳《ひ》かれて、いずこへともなく立去ったと知れた。
それきり、行方は知れず、岩本の道場には何か不吉な重苦しい空気が、深くたちこめるような日がつづいた。
そして、三年目の或《あ》る夏の昏《く》れ方。
通い内弟子たちもすっかり引揚げ、夕方の庭掃きも済んで、水のうたれた岩本道場の玄関に、飄然《ひょうぜん》と現れた二人の男女があった。
居残っていた二三の内弟子の一人が、その姿をみつけると、
「あっ、伊良子どの」
と叫んだ。
蒼白の、彫の深い、秀麗な細面に、黒く筋をひいて、両眼はヒタと閉じられている。つき添ったいくも、邸にいた頃よりは痩《や》せて、凄艶の趣はかえって加わったように見える。
清玄は、驚く門弟に向って、冷たく沈んだ声で云った。
「伊良子清玄、当道場の主、岩本虎眼どのに立合いを申入れる。お取次ぎ頂きたい」
新しい妾と共に、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》につこうとしていた虎眼は、伊良子と聞くと、サッと立上ったが、思い直して、にやりと笑った。
「伊良子に云え、虎眼は未熟者とは立合わぬ、強いてとあれば、明日でも参って権左衛門なり、源之助なりに、一太刀合せて貰《もら》え、とな」
虎眼の返事を聞くと、清玄は、ふふと嘲笑《ちょうしょう》を洩《も》らし、人が変ったように、たけだけしい色になって、道場の奥迄聞える大きな声で、叫んだのである。
「伊良子はもはや虎眼の弟子ではない。天下浪々の一剣客として岩本虎眼に真剣試合を申入れるのだ。虎眼、臆《おく》したか、見苦しいぞ」
虎眼は愛刀をひっさげて、縁に躍り出た。
「庭先へ回せ、ぶった斬って呉《く》れる!」
冷然と薄ら笑いを浮べた清玄と、憎悪の瞳を突き刺すように向けているいくとをみた虎眼の頭に、憤怒が猛然と湧き上った。庭へ降り立ち、剣の鞘《さや》を払う。
「伊良子、今日は命も許さぬぞ、構えろ」
と云い放った途端、虎眼は、ひやりとするものを感じ、我と我眼を疑ったのである。
清玄は既に構えていたのである。刃の方を対手に向けた剣を、大地にぐっさりとつき立てたその形は、ただみれば、盲人が杖をついているかの如くに見えたが、殺気刀身に満ちて、寸毫微塵《すんごうみじん》の隙もないのだ。
清玄の剣技は、端から端まで知悉《ちしつ》しているつもりで、またそれ故にこそ、頭から呑《の》んでかかっていた虎眼は、この不可思議な、しかも怖るべき殺気の迸《ほとばし》る構えに、茫然と息をのんだ。
二人が、対峙《たいじ》したまま、永い時間が過ぎたように思われた。或は、極めて短い時間であったかも知れない。
盲いた清玄には、あの嘗《かつ》ての恐るべき虎眼の鬼眼の呪縛《じゅばく》はなかった。彼はただ冷然と、心を空《むな》しくして、機会を待っている。
もはや明かに昔日の清玄ではない。最後の手は「流れ星」あるのみ、――虎眼は己れの生涯に初めて現れた強敵に対して、そう考えた。虎眼が同じ人間に対して「真剣流れ星」を二度まで用いようとするのは、これが初めてである。今迄の凡ての敵は、只一回の「流れ星」によって斃していたからである。
――こやつ、あの時、一思いに殺しておけばよかった。
死よりも惨酷な復讐《ふくしゅう》のつもりで、無双の魅力をもつ両眼を切りさいたことを、虎眼は、骨髄まで後悔したのである。が、これ以上の猶余はならない。迫り来る夕やみは盲いた清玄には何の不便もないが、老境に近い虎眼にとっては著しい不利である。
「たッ」
かつて破れたことのない「流れ星」の秘剣が、横なぐりに伊良子の生首を狙って走った瞬間、地上に突き立っていた清玄の剣が、白い火花の如く光り、弧を描いて垂直にはね上ると、虎眼は、のけざまに倒れた。顎《あご》から脳天にかけて、下から上に、見事に切り裂かれたのである。
「覚悟!」
と叫んで、走りかかった三重は、鞘のこじりでつき倒され、匕首《あいくち》をはねとばされた。
「三重どのか、美しゅうなられたことであろう、この眼がみえぬのが残念だ。だが、そなたでは、何ともならぬ。牛股にでも藤木にでも伝えて下され、師匠の仇がうちたければいつでも来いと。拙者はしばらく落栄寺裏におる」
そう云って、いとおし気に三重の方に向けた清玄の顔は、三年の恨みを果した満足に妖しい迄に冴《さ》え、夕やみの中にこの世のものとは思われぬほど、美しく、また悩ましく、幻のように浮いてみえた。
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四
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切りかける気力もなく、慄然《りつぜん》としている内弟子たちを尻目《しりめ》に、伊良子清玄は、いくに導かれて道場を出た。
「あなた、おめでとうございます」
いくの頬に涙が流れていた。
「うむ、そなたにも苦労をかけた」
清玄は、いくの、興奮にまだ震えている手をしっかり握りしめて、答えた。
両眼を失って、もはや剣の道もこれまでと思い諦《あきら》めた清玄を、必死の女の執念で、奮いたたせたのはいくである。剣の途《みち》の激しさ、――それを、いくは虎眼の道場で知らず知らずの中に、身に沁《し》みて知っていた。盲目となった愛《いと》しい男の生命力を燃えつづけさせるのは、剣の途以外にはないと、賢くも直感したいくの狙いは正しかった。
残忍な師の処置に対する復仇《ふっきゅう》という念よりも、今迄は絶対に破れぬと諦めていた「流れ星」を、命にかけても一度は破ってみたいと云う執念が、清玄の魂に夢魔の如くとりついた。
両眼盲いた今は、かつてのような女人に対する惑いもない。明け昏れひたすら剣一筋に工夫をこらした。
己れの眼前にあるものは、ただ茫漠たる灰色の世界のみである。陽《ひ》の光の下では、そこに無数の明るい火花が戯れ、夜の闇《やみ》の中にあっては、黒一色のもやが濃く群れているのみ、形ある世の相、人の影は、全く映らない。
この薄灰色の世界を相手に清玄は必勝必殺の剣を練った。
横一文字に切り裂く「流れ星」に対抗する為に清玄の案出したものは、下から上に切り上げる「逆流れ」の秘法である。大地につき立てた刃の、土を蹴《け》る力にのって、垂直に切り上げる一条の剣光は、横ざまに切る「流れ星」よりも、より多く殺傷の可能性をもつ。
が、問題は、その閃《ひらめ》く瞬間の剣光が、対手のからだを捕えることだ。盲目の身に、どうしてそれが可能であるか。
清玄は、いくに命じて、凡ゆるものを、自分に向って投げさせ、それを「逆流れ」で切りさく練習を、飽くことなくつづけた。
遂《つい》に、何ものにてもあれ、「逆流れ」の剣の走る軌道に、それが入った瞬間、それは下から上に縦に切り上げられるようになったのである。最初は、衣類、くくり枕《まくら》、茶碗《ちゃわん》、碁石、笄《こうがい》、そしてしまいには、いくが発止《はっし》と投げる豆つぶでさえ、清玄の正面四尺以内に入った瞬間、真二つに割られた。
そして或る日、いくが、幾つかのものを投げ、その悉《ことごと》くが切り落されたのに満足して、一休みした時、清玄の剣が、サッと垂直に空に向けて立った。
「あッ、何をお切りになったのです」
いくが不審に思って尋ねると、清玄は、
「何か分らぬが、逆流れの道に入ったものがあるので、無意識に剣がはね上ったのだ」
と答えた。いくが、仔細《しさい》に地面を調べると、小さな蚊が一匹、胴中を見事に断ち切られて落ちている。
「そうか、蚊か」
清玄は、殆ど手応《てごた》えのないほど小さくうすい蚊の千切れを指先にのせ、にっこり笑った。
翌日二人は旅装をととのえ、三年ぶりで名古屋城下に向ったのである。
虎眼の惨死を報らされて、急遽《きゅうきょ》かけつけた牛股と藤木とは、顔面を切り裂かれた師の死体を我と我眼で見、三重から清玄の不可解な剣さばきを聞きとると、二人眼を合せて云い知れぬ鬼気を感じた。
同時に、二人とも、云い合せたように、伊良子を斬らねばと、心に固く決したのである。如何なる天魔の修業をしたにせよ、師の「流れ星」が、まともに破れようとは思われない。正にケガ敗けとしか信じられないのだ。
三年前の清玄の腕を知るだけに、自分たちが死力を尽して闘ったならば、むざむざ敗れようとも思われぬ、その奇怪な剣技、岩本道場の面目にかけて破ってくれよう。
二人は即座に、師の為に報復することを誓った。共々清玄を襲おうと云う同門の人々を二人は固く止めた。
「ならぬ、一人の対手に大勢押しよせるは岩本門下の恥辱だ。それに、対手の名指したのは、我ら二人なのだ」
そしてその翌朝、二人は、落栄寺裏に清玄を尋ね当てたのである。
「来たか」
清玄は、うすら笑いを浮べて、二人の前に現れた。静かに支度し、庭に降り立って剣を抜いた。縁の上ではいくが、もう昨日とは打ってかわって、愛する男の必勝を信じ切ってか、やや冷笑するような色さえみせている。
「藤木、来い、お主から先に片付けてやろう」
剣の刃先を相手にむけ、大地に垂直に突立てた。三重の話をもとに、ゆうべ一夜、源之助は、工夫をこらしていたものの、改めてこの奇怪な構えに直面すると、さすがに止め難い恐怖の念がきざしたが、直ちに応じた得意の青眼――この数年来ひそかに自得した「飛猿横流れ」の秘術を、思うさま試みてくれようと心に決めた。これこそ、三重に聞いた清玄の垂直切上げの刀法の裏をかく唯一の術、――と信じたのである。
師の「流れ星」に新しい手を加え、全身を対手の左肩にぶつける如く飛びこみざまに横薙ぎに払うのだ。剣気動いたとみえた時には、既に全身が斜右に飛んでいる――とすれば、清玄の逆突上げは空を打つ他はない筈である。
――が、これは、惜しむべし、「逆流れ」の怖るべき速度を、充分に計算に入れてなかった。源之助のからだが斜に飛び、横薙ぎの一閃、清玄の胴を払ったと見えた時、源之助の左腕が根元から空に飛び、源之助は剣を空ざまにあげたまま、きりっと一回転して倒れたのである。
入れかわって、立ち向った牛股権左衛門と伊良子清玄の勝負を、源之助は、斬り落された腕の痛みに、殆ど失神しかけながら、見届けた。「飛猿横流れ」の奥儀さえ遂に脱《のが》れ得なかった伊良子の剣法の真髄を、我が眼でしかと見定めようと云う武芸者の悲願が、昏倒《こんとう》しかかる彼の全身を辛うじて支えていた。
権左衛門と清玄の試合も亦《また》、凄壮を極めた。恐らく両者とも各々の一生に未だかつてない危機を覚えながら闘ったに違いない。
源之助と清玄の勝負を見極めていた間に権左衛門の脳裏に電光の如く閃いたものがあった。彼は素早く四辺を見回し、たたっと三四|間《けん》南の方へ下ると、大声で呼びかけたのである。
「伊良子、来い」
声に応じて、白刃を下げたまま、牛股の方へ近づいた清玄の表情に、ちらっと混乱の気配が動いたのをみると、権左衛門は、すかさず、
「ゆくぞ」
と、怒鳴った。清玄はピタリと止まり、剣を地に突き立てた。
「あッ」
縁の上のいくの口から小さい叫びが洩れた。剣は、手答えのないやわ土に突きささったのである。その刹那《せつな》、権左衛門は、巨巌《きょがん》をぶつけるような勢いで、清玄の胸先におのれをぶち当てた。「逆流れ」は、弾き上げる土の抵抗を欠いた為、わずかに権左衛門の胸先の衣をさき、その顎の先を傷つけただけであった。
立て直した清玄の剣と、ぴったりついた権左衛門の剣とが、鍔元《つばもと》でがっきと組合わされている。切返しを独特の秘技とする権左衛門にとって、絶対有利の体勢である。
意識|朦朧《もうろう》としかけていた源之助も、顔色を変じたいくも、清玄が斬られる! と感じた。――が、権左衛門が、さっと一足ひくとみえたその寸秒の前、伊良子のからだが先に、パッと右に飛んだ。
切返しの機会は失われ、二人の闘者は、再び初めの態勢に戻って対峙した。ただ、権左衛門は、傷つけられた下顎から血を噴き出していたし――清玄は、右足の甲に血を惨み出さしていた。
清玄の足の血には誰も気がつかなかったが、これこそ、その日の勝負を決したものだったのである。
新しく態勢を備えようとした時、清玄は、再びやわ土に刀をつき立てる代りに、己れの右足をつき出して、その甲に剣先を、ぐさとつき差したのだ。
勝負は、それからの瞬時に決した。
権左衛門が、二度目に清玄の手許に飛び入ろうと、からだを動かした時、清玄の「逆流れ」は垂直につき立った。先の傷を再び切り裂き、更にその上方へ、鼻梁《びりょう》の真上まで、深く縦ざまに貫き裂いたのである。
その剣はしかし、その前に、清玄自身の右足の甲の肉を骨まで、切りさいていた。
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五
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虎眼と全く同じ形に切られた牛股権左衛門の死体と、左腕を喪って半死半生になった藤木源之助とを送り届けられた岩本道場は、惨として声なき有様であった。
衆を頼んで、報復に押しかけようと云い出す者さえなく、却《かえ》って、今にも、伊良子清玄が、蒼白|痩身《そうしん》、怪奇の白刃をひっ提げて、逆よせするのではないかと云う恐怖にさえ襲われた程である。
一同は、清玄が「駿府にゆく」と云いのこし、いくに手をひかれ、右足をひきつつ、城下を去ったのを知って、初めて、ホッとし、師と師範代の葬儀の手筈にうつった。
一挙に中心人物を失った岩本道場は、急激に淋《さび》れ、いつしか解体した。
広い屋敷には、漸《ようや》く起上れるようになった藤木源之助と、何かを深く思い定めているらしい三重と、古くからいる奉公人数名だけになった。
三重は、源之助にせがんで、幾たびとなく幾十たびとなく、試合の様子を話させ、その度に、空宇のどこともなく眼を流して、憑《つ》かれたような声で云うのである。
「憎らしい伊良子。あのひとは、どうしてあの素晴らしい不吉な剣を編み出したのでしょう。憎い。憎い、憎いやつ、源之助さま、あの男を殺して下さい。父の仇、牛股さまの仇、あなたの仇、そして私の仇」
「いや、彼奴は天稟《てんぴん》の才だ、私は敵《かな》わぬ」
「なぜそんな弱気なことを仰言《おっしゃ》るのです。あの人は両眼を失くしているのです。あなたは御腕を喪っただけではありませんか。勝って下さい、あなたはきっと勝てます」
ひっそり暮らしている屋敷の内を想像して人々は、源之助と三重は夫婦になったのだと考えた。二人とも、人前ではそのように行動した。だが、二人は未だ、夫婦の契りを結んではいなかったのである。
剣の上の自信の喪失から気弱になった源之助は、せめてもの救いを三重の美しさに求め、妻となってくれるよう懇願し、哀願したが、三重は断乎《だんこ》として聞き入れなかった。
「伊良子を、あの憎らしい伊良子を殺して下さい。そうすれば、その夜、あなたの妻になります」
三重の返答はいつも同じであった。
そうした問答を幾たびか繰返す中に、源之助の心に、次第に、ほぐし切れない黒い疑惑のかたまりが湧き上ってきた。
――三重は、想像も及ばぬほど劇《はげ》しく、清玄を愛しているのではないだろうか。
そんな気がしてきたのである。憎いと、三重が云うとき、それは、父の仇、そして、己れを裏切った男、――に対する真底からの憎悪と云うだけでは了解し切れぬ、きびしく、深く、のたうちまわる憤りと悲しみとが籠《こも》っているように思われる。それはむしろ、生身にくい込んだ愛慕の思いを、殊更にかき立てた憎しみの念で絞殺しようとして発する、苦悩の叫びとも聞えるのである。
「あなたがお討ちなされぬのなら、私が討ちます。どうせ敵わぬにしても、一太刀なりと浴びせて討たれます」
そこまで三重が云い出すと、さすがに源之助も、今一度、剣の意地にかけても闘ってみよう、と、微《かす》かな闘志を湧き上らせるようになった。
だが、その夜は、夢の中で、三重が清玄に斬ってかかり、苦もなく叩きふせられるところをみた。夢の中の三重は、清玄にくみ伏せられると、急に四肢の力をぬき、融け入るような声で、
――憎い、憎い伊良子さま、妾はあなたが好きなのです。死ぬ程好きなのです。
と切な気にあえぎ、衣をはだけて、清玄のからだにまといついた。源之助は、嫉妬の思いに、全身汗をかいて目をさました。
伊良子を斬らねばならぬ。
源之助は、漸く心を決めた。その剣の怖ろしさは身に沁みて知っている。だが、斬らねばならぬ、断じて斬らねばならぬ。
それには先ず第一に、清玄の「逆流れ」の第一撃をなんとかして避けることだ。そのために、牛股のように顎ぐらい傷ついてもよい、第二には、清玄の胸許に飛び込んだならば、対手が身をひるがえす隙を与えず、対手を斬ること。牛股権左衛門でさえ失敗した以上、切返しは利かぬと思わねばならない。ひたとからだを密着させたまま、対手を斬り倒す――この至難事を可能ならしめる手段を案出せねばならないのだ。
源之助は、明けても暮れても、「逆流れ」打倒の工夫をこらした。夢寝にも、清玄の、大地につき立てた剣と、垂直にはね上った剣の妖しく白く光る姿が、頭を離れなくなった。
そうして二年、夏の初めの或る夕。
「来月の今日は、父上の三回忌でございます、まだ、伊良子を斬る思案がつきませぬか」
三重が、召使いに命じてもってこさせた大型の西瓜《すいか》に庖丁《ほうちょう》を当てながら云った。源之助は、わざと話を逸《そ》らせて、
「見事な西瓜ですな、私どもの子供の頃は、オランダ渡りの珍菓として滅多に食べられず、たまに手を入れても、その半分ほどもない小さなものだったが。もうこの辺りでも出来るようになったのですかな」
と云いかけて、ふいと、口を噤《つぐ》んだ。その源之助の瞳が、やきつくように、西瓜を切っている三重の手許に注がれていた。
翌日から源之助は、久しく使わなかった広い道場に何時間となく閉じこもった、何人も窺《うかが》うことを禁じていたので、内部で何をしているかは知れなかったが、時折、呻き声のようなものが洩れてくる。いわゆる裂帛《れっぱく》の気合と云うのではない、低く押えた、刹那の「うっ」と云う呻きに似ていたが、日を経るにつれて、その低い呻きが、低いままに、聞く人の腸にしみ渡るような、異常に鋭くしかも強烈なものになっていった。
虎眼の三周忌が来たが、源之助は何も云わない。三重も亦、源之助を刺激することを忘れたかの如くみえた。だが、三重は忘れていたのではない。彼女は源之助のこの頃をみて、源之助が新しい剣の秘法に渾身《こんしん》の工夫をこらしているのを感じた。
このような時、剣者は半ば憑きものがついたようになる。その憑きものが落ちた時、彼の剣の工夫は完成するのである。
虎眼の娘として、三重はそれをよく知っていた。さればこそ、大きな期待に満たされながら、源之助に対して、やや多くの優しさを示し、剣の業に話のふれることを避けたのである。
寛永六年九月初めの或る朝、道場から出てきた源之助の顔をみて、三重は、
「あ」
と眼を輝かした。源之助は微笑《ほほえ》んで立った。
「そうです。漸く工夫がつきました。伊良子を斬りに行きましょう」
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六
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駿府にゆくと云って去った伊良子のその後の動静は分っていた。
駿府城下長谷寺町の師範岡倉の邸にいるのである。
藤木源之助は三重と共に、駿府に赴いた。
尾州藩の大番頭斎田満之進から、駿府城の家老三枝高昌に宛《あ》てられた添書をもっている。到着の翌日、三枝邸に赴いて、これを差出し、一部始終を話して、伊良子との試合を求めた。
三枝は、聞き終って、首をかしげた。
「そうか、伊良子にそのような事があったのか。しかし、かれの絶妙の剣技は、君公もいたく御感《ぎょかん》になっている。わしの一存では取計いかねる。しばらく待つがよい」
伊良子清玄が、駿府城主忠長の目にとまったのは、半年ばかり前、公が三保松原に遠乗りした帰途のことである。一頭の馬が、何に驚いたか、突然狂い出して馬上の侍をふりおとし、列を離れて逸走した。とどめようとする足軽を二名|蹴《け》りたおし、田圃《たんぼ》の中の一本道を矢の如く奔《はし》る。
「危い! よけろ、危い」
馬の行手に杖をついた盲人らしい姿が現れたのをみて、追いかけた侍たちが絶叫した時には、もう奔馬と盲人の間は二三間に迫っていた。やられたか、と人々が思わず立止まった時、盲人はぴたりと足をとめた。
その手から、杖がパッと上空にはね上ったとみるや、奔馬は棒立ちとなり、二三度左右にゆらめき、どうと横倒れになったのである。かけつけた侍たちは、馬の死体をみて、茫然とした。馬の長い下顎から、逆に、両眼の間にかけて、真二つに切り裂かれていたからである。
平然と仕込刀の血のりをぬぐい、もとの杖におさめていた盲目の剣士は、丁重に城内に招じられた。
忠長の命により、家中の使い手として知られた、願流始祖松林左馬之助の高弟相木久蔵、鞍馬《くらま》流大野|将監《しょうげん》の正統をつぐ石村一鉄、新陰流出淵平兵衛の嫡子同苗平次郎の三人が選ばれ、極秘の中に盲目の剣士伊良子清玄との立合いが行われたが、何れも、清玄の軽くはね上げる木刀の先で、したたか頤《おとがい》を打たれ、木刀を飛ばされ、胸をつきのめされた。
奇体な構え、何流か、と云う忠長の問いに、清玄は、にこりともせず、
「無明逆流れ」
と答えたのである。
牛股権左衛門との試合に、己れの足の甲を割いて危機を脱した清玄は、その後、大地に頼らずに剣をはね上げることを工夫した。己れの右足の第一指と第二指の間に、しっかと剣先をはさむのである。清玄が、足指の間にはさんで剣をつき立て、手を離して、
「抜いてみよ」
と云う時、力自慢の若い男が必死の力をふるっても、僅《わず》か五六分はさまれただけの剣先が、一分もひき抜けなかったと云う。
家中の多くの者が、清玄の不思議な剣法をききつたえ、その妙技をみたいと願い、或は更にその教示を懇願したが、清玄は笑って二度と木刀をとらなかった。
清玄の剣は他人に教え得る種類のものではない。が、さりとて、これ程の剣士を他国へやりたくない。彼は師範岡倉の邸の離れを与えられ、いくと共にここに手厚い待遇を受けることになったのである。
旅宿にあって、以上のようなことを人伝てにきき、首尾を案じている藤木源之助の許に、三枝から呼び出しがきた。
「そなたたちの事、よくよく君公に申上げた処、師の仇を討たんとする義烈の心をよみせられ、仇討にはこよなき、晴の舞台を賜わることとなったぞ」
晴の舞台とは、即《すなわ》ち、真剣御前試合だったのだ。盲目の剣士と、これに復仇しようとする隻腕の剣客――この素晴らしい取組を当日第一陣に据えたのは、この試合をより効果的にして主君の御感に与《あずか》ろうとした家老三枝のはからいであった。
さて、場面は、駿府城内。広場の試合場に、伊良子、藤木両名が白刃を握って対峙した瞬間にかえる。
晴れわたった空は碧一色、雲も流れず、風もない。広場一帯を透徹した静寂がおしつつみ、しわぶき一つ聞えぬ。
清玄は例によって、杖の如くつき立てた剣の刃を源之助の方へ向け、刀尖を足指にはさんで、凝然として佇立している。一方、源之助は例になく、一剣大上段にふりかざして、伊良子の盲いた両眼の間を、はったと睨んでいる。
列座の緊張その極に達した刹那、広場の静寂を微塵に叩きわる如き必死の気合、
「ええい!」
源之助の手を離れた白刃が、宙を飛んで、伊良子の脳天につきささったと見えたが、清玄の秘剣「逆流れ」は電光のように走って、中空にこれを捕えて両断する。戛然《かつぜん》! 二つに切られた剣が地に鳴った時、源之助のからだはぴたりと清玄の手許に飛び込んでいた。
その右手には、脇差《わきざし》がしっかと握られ、いち早く構え直された伊良子の長剣とがっきり十字に組まれている。秒――一秒、清玄が、切返しの先を打って、飛び下ろうとした時、源之助の「うむ」と押し殺す如き声がひびき、不思議や、伊良子の長剣は、鍔元からポキリと下に落ち、源之助の短剣は、何の抵抗も受けぬかのように、斜にスッパと切り下げられた。
源之助は、二三歩飛びすさって、凝視した。
鍔元からふっ切れてとんだ剣を握った清玄のからだは、ほんのしばらくもとの如く佇立すると見えたが、次の瞬間、斜に切り離された上半身が、どうとばかりに左側に倒れ落ちた。源之助の短剣は、清玄の右肩から左脇腹にかけて、西瓜を割る如く、真二つに押し切り放っていたのである。
夢からさめた如く、どっとうちはやす列座の人々の声の中に、小さく鋭い悲鳴が二つきこえた。東西の幔幕《まんまく》の合間から覗《のぞ》いていたいくと、三重とが、同時に、懐剣でおのが胸を刺したのである。
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被虐の受太刀
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一
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武衛神社の神官阿部|倉麿《くらまろ》は、丑《うし》の刻になると、永年の習慣で、パッチリと眼《め》が醒《さ》めた。
水垢離《みずごり》をとって、祈願を捧《ささ》げるものが、やってくる時刻なのである。倉麿は、その様子を物陰から覗《うかが》って、大体の願いの筋を察した上、満願の日には、それにふさわしいような、御神託を与えてやらなければならないのである。
祭神が、建御雷神《たけみかずちのかみ》であるため、祈願を籠《こ》めるものは、大部分武士である。願いの筋も、よい主《しゅ》取りをして立身出世をしたいとか、武芸の上達を速《すみや》かならしめたいとか云《い》うのが多い。時々仇討の為《ため》の祈願もある。
彼|等《ら》が、社前で最後の祈願をしている時、奥殿の方で、微《かす》かに鈴を鳴らしてやったり、名刀の図を描いた紙を頭上に落してやったり、ちょうど希望に合うような神籤《みくじ》が出るようにしておいてやったりする。
霊験いやちこ――
と云う評判が立っている所以《ゆえん》である。
「今夜は、あの少々気味の悪い武士の満願の夜だったな」
倉麿は、帯をしめなおし、綿入れを寝衣の上からひっかけながら、そう思った。綿入れをひっ被った姿の神官なぞ、人からみられたら、あまりいい図ではないが、どうも、こう寒くてはやり切れない。
「この寒さに水垢離をとっている物好きもいる。何事も生活のためじゃ」
自分にそう云ってきかせて、蔀戸《しとみど》を上下におし開けて、廊下に出た。
ぶるんと、からだが大きく震えた。
月の影が、磨き澄まされた刃のように冷たく、社殿の柱を蒼白《あおじろ》く照らしている。その月光を背中一杯に受けて、井戸の傍に、裸身の武士が、跪《ひざまず》いていた。
ギリギリ、ガラガラ、キィーッと、滑車の音をさせ、汲《く》みあげたつるべ一杯の水を、サーッと頭からかぶる。
見慣れてはいるものの、やはり、からだ中に寒気がして、倉麿は、胸許《むなもと》をかき合せた。
その時、武士が、からだを少し右に向け、大きく両手をあげて、つるべを頭上にかざしたのである。
「あッ」
倉麿は、思わず声を発した。武士の頭上から、燐光《りんこう》のように光るしぶきをあげて落ちた水の音がなかったならば、たしかに武士の耳に入ったに違いないと思われるぐらいの声である。
武士の背は、この二十一日の間毎夜のようにみていたが、正面をみたのは初めてであった。その正面からみたからだに、無数の刀創《かたなきず》があったのである。
顔面は勿論《もちろん》、肩も、胸も、両腕も、腹部も、いや両の股《また》から脛に至る迄《まで》、まるで幼児がいたずらに振り回した筆で、縦横無尽に跡をつけられたような、惨憺《さんたん》たる傷痕《きずあと》であった。
とても、まともな合戦や、試合などで受けた傷とは思われない。倉麿は、しばらく、我を忘れて、その奇怪な武士の裸身が、うつむき、伸び、又かがむのをみつめていた。
社の境内にくる時はいつも面を黒い布で深く覆っていたし、拝殿の正面に来て祈願する時も、床板に額のつく程、頭を垂れて、顔をみせぬようにしていたのは、あの傷の為であったのか、と倉麿は、うなずいた。
それにしても、その男は、何を願っているのか。大抵の祈願者は、拝殿の前で願意を声に出して呟《つぶや》く。板の間の仕掛けで、奥の方にひそんでいる倉麿の耳に、あらかたは聞きとれるのである。
そうでないものも、祈願の後、社前で剣を振ってみたりするので、ほぼ祈りの内容が分るのであるが、この男は、終始黙々として、拝殿の階《きざはし》に跪き、静かに帰ってゆくので、満願の今日の日まで、ついに、見当がつきかねていたのである。
あの創痕を癒してくれ、と云うのであろうか、今後、これ以上剣を受けないようにしてくれ、と云うのであろうか。
その刹那《せつな》、ふいと、倉麿の頭に浮んだことがあった。
「そうだ、なぜ、これに今迄、気がつかなかったのじゃろう」
倉麿は大急ぎで、拝殿の方に回り、いつもは、月末の日でなければ開けない賽銭《さいせん》箱の口を開いてみた。
果して――白い封じ書がはいっている。正式に願文を捧げる作法を知らぬものや、願文の内容を恥じるものが、時々、このようにして、賽銭箱の中に投入れておくことがあるのだ。
倉麿は、その封じ文をとると、神壇の傍へ走り込んで、灯の下に坐《すわ》った。
武士は間もなく、水垢離を終えて、最後の祈願のためにやってくるに違いない。それ迄に、願文を読んで、適当な神託を考えなければならないのである。
封を切ると、願文は、奉書に、漢文で、長々と記されてあった。
文章も筆跡も、立派なものであったが、それを読みすすむにつれて、倉麿は、愕《おどろ》きの為に、息がはずみ視力が乱れてくるような気さえしてきたのである。
それは、大体、次のような内容のものであった。
――当国安倍郡の住人、座波|間左衛門《かんざえもん》曾保、当年三十二歳、他言し難き奇癖の為、慚愧《ざんき》痛恨すること久しく、いかにもして、これを治癒せんと努めているが、更に効験がない。願わくは、武神の御威光により、この恥ずべき性癖より脱《のが》るることを得しめ給《たま》え。
そもそもこの奇癖は、己れ齢《よわい》九歳の頃《ころ》から現れたものであるが、如何《いか》なる故にか、美貌《びぼう》の男女に、己れの身を傷つけられれば、限りなき快美の感を催し、殆《ほとん》ど天上に遊ぶ如《ごと》き思いがする。
己れ当年に至る迄、真剣を以《もっ》て戦うこと十数回、未《いま》だかつて敗れたことはないが、対手《あいて》が美しき男女である場合には、これを破る前に幾たびとなく、殊更に我身を斬《き》らせ、そのたびに絶妙の快感を得なくては気がすまぬようになっている。
しかも、近年に至っては、かく己れを傷つけさせた上、最後にその対手を斬り倒すことによって、言語に絶する至福の境に入るようにさえなった。
まことに我ながら、恥ずかしく、女々《めめ》しく、惨《みじめ》たらしく、あさましき限りである。己れの腕、己れの脚一本を失ってもよい、願わくはこの忌わしき性癖を治癒せしめ給え――
この奇々怪々な願文を読み終えた倉麿は、余りのことに、茫然《ぼうぜん》として、床につけた両足の凍える如き冷たささえ忘れて、坐り込んでいた。
永い神官生活にも、絶えてみたことも聞いたこともない不可思議な願文である。一体、如何なる神託を下すべきであろうか。
倉麿が、時の移るのを意識せず、いかにすべきか思い惑っている間に、水垢離を終えた武士は、衣服をまとって、拝殿に俯《ふ》していたが、やがて、からだを起した。
「ついに、何の神託も得られなかったのだ。必ず何らかの神託があると云われる当社の神からでさえ、見放されたらしい」
胸の中にそう呟いて悄然《しょうぜん》と、黒布をまとって、境内を去ってゆく、その後姿は、月光の中に氷りつきそうに細く、哀《かな》しげに、また、切なげに、みえたのである。
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二
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座波間左衛門が、自分の怪しい性癖に、初めて気がついたのは、願文に記したとおり、九歳の時である。
早く両親を喪《うしな》った間左衛門は、叔父|磯田《いそだ》軍兵衛夫婦の許に引きとられ、実子の如く愛された。叔父夫婦はゆくゆく、娘のきぬとめあわせて、跡をとらせるつもりでいたらしい。
その幼い日の間左衛門にとっては、美しく若い叔母のなほ女は、敬愛と憧憬《どうけい》の的であった。なほ女が、湯あみの後で、鏡に向って化粧をしている時なぞ、間左衛門は、その傍に坐って、やや子供らしからぬ悦《よろこ》びを覚えながら、桜色に上気しているなめらかな叔母の肌にみとれた。
「叔母さまの手は、生絹のように軟かい」
そう云って、なほ女の二の腕などをつまんだりした。時々ただつまんでいるだけでは物足りなくなり、つねったりした。
「これ、間左、わるさするではありませぬ」
叔母が、優しく睨《にら》むと、間左衛門は、紅《あか》くなったが、更に強く、腕の内側の柔かいところをつねった。
「あっ、痛い」
なほ女は、本当に少し腹を立てて、手にした櫛《くし》のとがった先で、間左衛門の小さな手の甲を突いた。
「わるさすると、こうしまするぞ、痛いであろうがな」
「痛うない」
「これでも」
なほ女が、冗談に少し力を入れると、少年の薄い皮膚が破れて、血がにじんだ。
「あッ、御免、間左、痛かったであろう、済まぬ、つい怪我《けが》させて」
なほ女は慌てて血を拭《ふ》いてやったが、間左衛門の顔を見ると、愕いて、身を退いた。
少年は、眼を大きく開き、恍惚《こうこつ》として、微笑していたのである。そして、その瞳《ひとみ》には、なほ女をぎょっとさせるような奇妙な色が浮んでいたのである。
間左衛門は叔母の美しい手が、櫛を握って、自分の手の甲をつき刺した時、からだ中に、歓喜の波がかけめぐるような快感を覚えた。それはその頃、まだはっきりした自覚もなく、ひそかに耽《ふけ》っていた悪癖の最後の一瞬間にも似た肉体の全身的な陶酔感であった。
間左衛門は、その瞬間の喜悦の情を、容易に忘れかねた。
その後、幾たびか、叔母の折檻《せっかん》を受ける目的で、殊更にいたずらをしたが、なほ女は二度と、間左衛門のからだに傷を加えるようなことはしなかった。何か、本能的に、この子には、そんな事をしてはいけない、と教えるものがあったからである。
にも拘《かかわ》らず、間左衛門が、時々、手足に得体の知れない切り創をこしらえているのを、なほ女はみつけた。
「その傷は、間左、どうしたのです」
と問いただすと、転んだとか、物にぶつかったとか一応の弁解はするが、そんな傷でないことは一目で知れた。
その間左衛門の秘密を、或《あ》る日偶然にみつけたなほ女は、悲鳴に近い驚愕《きょうがく》の叫びを、危く喉元《のどもと》で押えた。
間左衛門は、肌をぬいでうつむけに伏していた。その背に、五つになった許《ばか》りの、娘きぬが跨《またが》って、小刀で間左衛門の皮膚を傷つけていたのである。
「あにさま、まだ痛うない?」
「うむ、痛うない、もっと、もっと、強く切ってくれ」
「あっ、血が」
「かまわない、もっと切って、もっと」
二人の異常な会話に、なほ女は仰天した。
良人《おっと》の軍兵衛に話し、二人を呼びよせて、厳重に詰《なじ》った。
きぬは、もとより、従兄《いとこ》に云われて、指図通り動いただけのことである。
間左衛門が、一体、何故に、殊更、自分を傷つけて苦しい思いをするのか、叔父夫婦には、全然了解し難いことだった。
何はともあれ、厳しく叱責《しっせき》し、きぬと一緒にいることを絶対に禁止した。
その後しばらくは、間左衛門の奇癖は、癒ったかのようにみえたが、夏のゆあみの際、すっかり暴露した。
家の中の対手を奪われた間左衛門は、遊び仲間の美しい少年にその役目を引受けさせたのである。間左衛門のからだは、青あざや、きず痕で一ぱいであった。
叔父は憤って、散々に打擲《ちょうちゃく》した。叔母や美しい少年には、いくら傷つけられても、なぐられても、快感しか感じない間左衛門も、いかつい叔父の力任せの折檻は、身にしみて痛いと感じた。
少年は、一生懸命に己れを抑えて二度とそんなことはすまいと誓った。
だが、十三歳になって、近処の道場に、剣を習いにゆくようになると、再びその習癖が、救い難い強烈さで現れてきた。
まだ竹刀《しない》による稽古《けいこ》が行われない頃である。木刀によってする型の練習が主であった。たまに行われる試合では、必ず怪我人が出た。
そして、その怪我人の筆頭は、いつも定って、間左衛門であった。
間左衛門の剣の筋は、異常によく、ぐんぐん同輩を抜いて上達したが、稽古の時でも、特定の対手に向うと、人が違うほどだらしなくなり、殊更に対手の木刀を受け損じて、我身をそれにぶち当てた。
特定の対手とは、美しい少年であった。
試合の時など、目醒ましい太刀|捌《さば》きで何人でも詰めながら、いつもの美少年が対手に出ると、たわいなく受けそこねて、したたかに肩や腕をうたせた。
妙な奴《やつ》だ、と同輩たちも、気がついて云い合った。
衆道の契りを求めて、へつらっているのだと云うものもあった。
だが、間左衛門には、通常の意味の男色の趣味はなかった。ただ、女のように美しい少年に、思い切り、ぶん擲《なぐ》られたり、傷つけられたりすることが、無上に悦《よろこ》ばしかったのである。
美少年と云っても、それは皆、同じようなタイプのものに限られていた。少し注意してみれば、それが叔母のなほ女に似ている顔立ちであることが分ったであろう。
間左衛門は、対手に打たれ、傷つけられる時、叔母の顔を脳裏に浮べていたらしい。
そんな日は、家に帰って、なほ女をみる瞳が、熱っぽく、うるんでいた。
もう少年と云うには大きくなり過ぎた間左衛門の時折りみせるそうした瞳の色と、外から伝わってくる妙な風評とに、気味の悪くなった叔父夫婦は、間左衛門を別の親戚《しんせき》に預けてしまおうと決心した。
叔父からそのことを云い渡されると、間左衛門は黙って頭を下げて座を立ったが、その夜、身一つで出奔した。
西国へ流れて、藤堂《とうどう》家の足軽に住み込んだのは十七の時である。
その歳《とし》、大坂に冬の陣があり、翌年夏の陣があった。
藤堂勢は、冬の陣には先手《さきて》を命ぜられたが、住吉安部野の辺で、堺《さかい》侵略にきた城兵と小競合《こぜりあい》をしたのみで、大した戦《いくさ》らしい戦をする機会はなかった。
それでも、間左衛門は城兵の兜首《かぶとくび》一つ奪って、足軽組の支隊長に抜擢《ばってき》された。
夏の陣では、藤堂勢は、河内《かわち》口の先鋒《せんぽう》として、名にし負う長曾我部《ちょうそかべ》盛親《もりちか》の軍と正面衝突し、長瀬川|堤《づつみ》では手ひどく敗れ、甚だしい苦戦に陥った。井伊《いい》の勢が救いにこなかったならば、危かったかも知れぬ。
間左衛門は、全身血しぶきを浴びながら奮戦した。何人かの敵兵を斬りすてた。八尾《やお》から久宝寺に向かう路上で、引揚げてゆく長曾我部の勢に追いつき、縦横に暴れ回った。
と、その時、一人の若い男が、踏止まって、間左衛門に刃を向けてきたのである。
その若い武士の顔をみた時、間左衛門は、異様な衝撃が全身を走るのを覚えた。
旧暦五月初めの、日中の照りつける陽《ひ》は既に暑く、城兵たちは、騎馬の将以外は、軽装で、殆ど半裸に近い姿のものさえあったが、間左衛門の前に立ちふさがった対手も、片肌ぬいで、髪を乱し、全身汗と血とにまみれていたのである。
間左衛門と同年位であろう。血の上った頬《ほお》が美しく汗に輝き、額に乱れた髪の毛が、不思議に妖《あや》しい悩ましさを以て、間左衛門の眼を、くらました。
激しく息づいている裸の胸も、腕をふり上げた時の腋《わき》の下のなまなましさも、間左衛門にとって抵抗し難い魅惑をもっている。
美しい! と感じた瞬間、間左衛門は、この美少年に、思い切り傷つけられたいと云う強烈な欲望をもったのである。
対手は、もう、眼元も定まらぬほど疲れているらしく、振りかぶる太刀先も、しどろもどろである。斬り倒すつもりならば、間左衛門の腕では、何の苦もない。
だが、間左衛門は、対手の刃を、右に左に、まるで子供をあやすようによけた。そして、よい頃をみはからって、右肩を斬らせた。皮がさけ、肉が斬られ、血が流れた瞬間、間左衛門は、思わず悦びの色に顔をくずした。何年来、飢え求めてきたものが満たされたような感じであった。
更に、胴を、股を、そして、左の肘《ひじ》をも、少しずつ斬らせた。斬らせる度に重なってゆく残虐な悦びに、間左衛門は、半ば己れを忘れた。
「座波、大分やられたな、手剛《てごわ》いか、助勢するぞ」
傍を走りかかった同僚の渡辺久介が、血みどろになった間左衛門をみて声をかけた。
「抛《ほう》っておいてくれ、手を出すな」
間左衛門は、慌ててそう答えたが、久介は二人の異様な闘いぶりにすぐ気がついた。
「何故、斬らんのだ、座波」
鋭く叫んで、渡辺は、横合から、城方の侍に斬りかかろうとした。
「のけ!」
間左衛門は、憤怒に真赤になって、渡辺を怒鳴りつけたが、もうこうした状態はつづけられぬと、咄嗟《とっさ》に覚悟を決め、対手の胸許に飛び込んで、
「許せ!」
と云いながら、右肩から斜に切り下げた。
美少年が血の匂《にお》いを、どぎつくはなち、苦痛に顔をゆがめて、のけぞったのをみると、間左衛門は、あたりが見えなくなる程の陶酔感に、茫然と立ちつくした。
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三
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間左衛門が、生国の駿府《すんぷ》に戻ってきたのは寛永《かんえい》五年の春である。
夏の陣の後、間もなく、藤堂家を浪人してから、十二年目であった。
夏の陣には相当目醒ましい手柄を立てたにも拘らず、彼の風評は頗《すこぶ》る悪く、何の恩賞さえなかった。年若で新参の間左衛門の手柄に対する嫉妬《しっと》からくる中傷も勿論あったが、最も大きく響いたのは、渡辺久介の言である。
「座波の闘いぶりは、どうにも解せなんだぞ。彼の腕なら一刀の下に斬りすて得る筈《はず》の敵を容易に斬ろうとせず、わしが斬ろうとしたので己むを得ず斬りおったが、敵を斬るのに、許せ、と云いおった。城方と何か、密々のつながりでもあったのではないかな」
公式の査問はなかったが、朋輩《ほうばい》が、冷たい眼でみているのを知ると、間左衛門は、即座に自ら身を引いたのである。
若かったし、腕に自信はあったし、人間至る処青山ありの気概が持てたからである。
だが、大坂落城後の天下の形勢は、それ以前とは大分違っていた。新しい仕官の口が容易にみつからず、所々方々を転々とした。
その間にも、間左衛門は、剣の道だけは、たゆまずに努力した。よい師を見つければ、下僕のような仕事をしても、教えを受けた。
とくに、尾張《おわり》城下では、今川|越前《えちぜん》と云う師について、今川流の奥儀を極めた。
今川流と云うのは、受太刀を主とした独特の流儀である。駿州《すんしゅう》今川氏の庶流今川義真の始めたものであるが、凡《あら》ゆる攻撃に対して受けの一点張りでふみこたえ、最後に一撃、敵の疲れに乗じて返しの止めを刺す。
受太刀を主としたことが武士の性分に反する為、広く伝わらず、わずかにこの後仙台の茂木安左衛門がやや顕《あらわ》れたのみで後を絶ったが、今川越前の受太刀は正に神技と云われた。
間左衛門は、この越前について今川流の極意を授かったが、この秘法を彼は、滅多に用いなかった。
殺伐の気風|未《いま》だ強く世に遣っていた頃であるから、些細《ささい》なことから白刃を抜いて闘うことも、しばしばあったが、通常の場合、間左衛門は、少年の頃から鍛えた天道流の凄《すさ》まじい一太刀で、瞬間に対手を倒した。
彼が、今川流の受太刀を、心ゆくまで用いたのは、美貌の剣士と闘う場合に限られた。だが、この場合、間左衛門は、いつも、対手の切り込む太刀を、充分に受けとめ得るにも拘らず、ことさらに少しずつ外して、我身を斬らせた。
充分に、斬られる快感を味わった上、心身の疲労の為、ますます妖しい美しさでよろめく対手を、返しの一手で刺し殺す時、彼は最上の悦びを堪能する迄味わったのである。
幾度かのこうした決闘に、全身傷だらけになった彼は、生国|駿河《するが》に戻り、駿府城下に道場を開いた。
駿府は当時、徳川|忠長《ただなが》の在城中である。
城下に全身向かい疵《きず》を負うた奇妙な、だが、武技絶妙の剣士の住むことを聞いた忠長は、直ちに間左衛門を城中に召した。
選ばれた三人の剣士を、またたく間に、木刀で打ち据えた間左衛門は、即座に、二百石を以て召抱えられた。
だが彼が、今川流受太刀の秘術を、忠長の面前で示したのは、その翌年のことである。
その頃、性来の癇癖《かんぺき》を、悪質の病の為にますますこじらせていた忠長は、始終、理屈に合わない激怒を示して、侍臣たちの心胆を寒からしめていた。
その日も、近侍の小姓、市川|弥之助《やのすけ》が、侍妾《じしょう》の綾《あや》の局《つぼね》と、瞳を合わしたのが気に入らぬと云って、怒り出したのである。
「おのれ、この忠長をなんと思いおるか。主の面前で、主の寵《おも》い者に、淫《おもみだ》らな眼つきをしおって、不埒《ふらち》者め」
弥之助をひき据えて、力まかせに、鉄扇で額を打った。皮が破れて血が眼に入る。
弥之助、あッと叫んで片眼を押えて、忠長を仰ぐと、
「その眼付は何ぞ、おのれ、主を睨《にら》まえおったな」
と、更に激しく打擲した上、
「誰かある、こやつ、ぶった斬れ!」
と怒鳴った。
一座、粛として直ちに応ずるものがない。忠長が侍臣を些細なことで殺傷したことはこれ迄にもあったが、弥之助は、つい近頃まで忠長の寵童《ちょうどう》だったのである。その上、現にその座に居合せている弥之助の兄、伝一郎は藩中切っての富田流の使い手として知られているのである。
誰《だれ》もが、忠長の指名を恐れて、頭を俯せ、眼を外らせた。
忠長の眼が、伝一郎の上にとまった。兄に弟を斬らせる――その残虐さに変態的な興味を起した忠長が、正にその命令を下そうとした時、
「殿、しばらく」
と、末座から声をかけた者がいる。
座波間左衛門であった。
するすると忠長の正面に出ると、
「殿、弥之助は、拙者が斬りまする」
そう云って頭を下げたが、改めて、
「さりながら、殿、弥之助|一旦《いったん》の御不興によりお仕置に相成ると致しましても、せめてものお情け、武士らしく剣をとらせて賜わるよう、伏してお願い致しまする」
「弥之助にその方と立合せろと云うのか、ふん、そちの腕では赤児を斬るようなものであろう、よし、弥之助に剣を持たせい」
「殿、重ねてのお願い、拙者弥之助を打果しますれば、これにある弥之助の兄伝一郎、よもや、そのままには居りますまいと存じまする。とてもの事、弥之助打果しましたる後、伝一郎の剣も受けてみとう存じまする」
意外な発言に、一座の者は、愕きの眼を見張った。が、その驚愕は即座に、深い感歎《かんたん》に変っていった。
弥之助に武士らしい最後をとげさせてやりたいと云う情義、眼前に弟を討たれる兄伝一郎の存念を、正面から受けようと云う気概、さすがは、剣を以て立つ座波だ、とひとしく間左衛門の心遣いに打たれたのである。
「伝一郎との真剣勝負か、よい対手だ、面白かろう、やってみい、許す」
忠長が新しい興味にそそられて、そう云うと、間左衛門は、拝謝した上、同じく末座に控えていた伝一郎の前に近寄った。
「市川氏、お聞き及びの如くでござる。御身《おんみ》が弥之助殿を手にかけられるを止むる為には、拙者がお引受けする他《ほか》はなかったのだ。許されい。その代り、拙者が弥之助殿を打果したら、即座に拙者に斬りかかって弥之助殿の仇を討たれるがよい」
低い声で云う間左衛門に、伝一郎は頭を下げた。
「御心入れの程痛み入る。弥之助斬られなば、容赦なくお手前に斬りかける」
「おう」
間左衛門は手早く支度して、庭に下りる。
弥之助、伝一郎もこれにつづいた。
弥之助が、一刀の下に斬り倒されることは明白とみているから、伝一郎は、たすき綾取り、鯉口《こいぐち》くつろげ、片膝《かたひざ》立てて控えた。
間左衛門は、弥之助と対して立つと、忠長始め、一座の方に向い、大声で叫んだ。
「方々、座波が極めた今川流受太刀の極意、とくと御覧ぜられい」
一同は、今川流受太刀なるものを、聞き及ぶだけで、見たことはないが、恐らく、弥之助の切りかかる初太刀を受けとめると、返す力で、両断するのであろうと、固唾《かたず》をのんだ。
が――試合は、全く、予想外の形をとったのである。
弥之助が、死を覚悟して切りかかる刀を、間左衛門は、苦もなく、二度三度と受けかわしてみせたが、その中《うち》、受け損じて、左の上膊《じょうはく》を斬られた。
やっと、人々が愕くのに、当の間左衛門は、微笑を浮べて、なおも、右に左に受けかわし、又しても、受け損じて、耳たぶを血に染めたのである。
最初に一刀切らせたのは、弥之助への、せめてもの手向《たむ》けのつもりであろう、と解釈した人々も、不可解な間左衛門の太刀捌きに、ざわめき出した。
「何とした事かな、座波、ことさらに斬らせているとしか見えぬが」
「されば、今川流受太刀の秘術を見する為、故意に斬らすると云うも解せぬ」
「事によると、座波、弥之助に打たれてやるつもりなのではないか」
間左衛門は、既に五カ所に血を流していた。しかも、彼の面に浮んだ微笑は、いよいよ怪しい愉悦の色をたたえてきていた。
彼は、さきに忠長に額を打たれて、血を流した弥之助の凄艶《せいえん》な顔を見た時、全身の血が沸き上るのを覚えたのである。
「あの美しい少年に、存分に斬られてみたい、その上、最後に、あのふくよかな肉を存分に斬り裂いてやりたい」
彼の奇癖が、久しぶりに、血を求めて、狂い上ったのである。
今や、彼は、弥之助に斬られた個所《かしょ》の快い痛みに、全身酔えるが如くになってきたが、弥之助が息を切らせ、その太刀先が、もはや、しどろもどろに乱れてくるのをみると、頭の中がカーッと燃え上り、
「許せ!」
と叫ぶや否や、対手の手許に躍り込んで、真向から斬り下げた。
血しぶきを浴び、至上の悦楽に、茫乎《ぼうこ》と、我を忘れて立った間左衛門をめがけて、伝一郎が飛鳥のように躍りかかった。
「覚悟!」
微塵《みじん》になれと打ち下ろした激しい剛剣を、間左衛門は、夢遊病者の如く受けとめたと見えたが、返す刀で、すっぱと、伝一郎を袈裟《けさ》がけに斬りすてたのである。
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四
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細腕の弥之助とは小半刻《こはんとき》近くも剣を交え、豪剣の伝一郎は一刀の下に倒した間左衛門の不可思議な態度は、色々な臆測《おくそく》と風評を生んだが、何《いず》れにせよ、その剣が対手次第で如何ようにも強くなる怖《おそ》るべきものであることは疑いない、と、人々は互いに、首をふり、肩をすくめて語り合った。
その翌々日、下城の途中、間左衛門は、背後から呼びとめられた。あまり見かけぬ武士が近付いて、
「拙者、甲府在勤中なりし為、未だ御意《ぎょい》を得なんだが、磯田久之進、お見知りおき下されい」
「磯田?」
「貴殿の叔父御に当る、磯田軍兵衛の跡をつざましたもの」
「あ、では、きぬと」
叔父夫婦が亡くなったことは、風のたよりに聞いていたが、きぬのその後は知らなかった。
「さよう、きぬを妻と致した。きぬと貴殿は従兄妹《いとこ》同士、今後御|昵懇《じっこん》に願いたい」
久之進は、先日目にした間左衛門の武技を絶讃《ぜっさん》した上、自分も剣の道に深く志すもの、是非、拙宅へ御越し頂きたい、妻きぬも殊の他、悦ぶであろうと誘った。
誘われるまま、久之進と同道して、磯田の屋敷に赴いた間左衛門が、十三年ぶりに、きぬと顔を合わした時、双方とも互いに己れの目を疑うほど驚いた。
きぬが愕いたのは、幼心に覚えている色白の従兄が、創だらけの恐ろしい顔に変っていたからであるが、間左衛門が愕いたのは、きぬが、今も瞳に残るなつかしく慕わしい叔母のなほ女に、瓜《うり》二つと云いたい程になっていたからである。
その日から間左衛門は、肉を噛《か》むような烈《はげ》しい執念にとり憑《つ》かれた。
きぬに斬られたい、そして、きぬを斬りたい、と云う執念である。
彼は、この忌わしい執念に、自ら怖れ、恥じ、悩んだ。
自らきびしく責め、断じてかかる思いを棄《す》てようと、誓いもした。
武衛神社に、寒夜、水垢離をとって、こののろわしい想念から脱れることを祈ったのも、この時である。
遂《つい》には禄《ろく》を捨て、一切の将来を犠牲にして、駿府から姿を消そうか、とも考えた。
だが、如何なる思慮も、反省も、自戒も、日毎に高まって行く、強烈な願望を抑えることは出来なくなった。
何の他意もなく誘ってくれる久之進につれられてその屋敷に赴き、なつかしげに昔を想《おも》い出して語るきぬの顔をみていると、喉がカラカラに渇き、膝頭が小刻みにふるえてくることさえあった。
間左衛門の異様な憔悴《しょうすい》と、放心とが、朋輩の間で評判になり始めた頃には、間左衛門は最後の決意を固めていた。
――鬼畜とも云え、外道《げどう》とも云え、来世は焦熱地獄に未来|塵劫《じんごう》の末まで苦しもうとも、きぬに斬られ、きぬを斬らずにはおかぬ。
明かに間左衛門の精神は、常軌を外れつつあったに違いない。その奇矯《ききょう》な心理状態でなければ、到底考え出せないような策略を以て、きぬに自分を斬らせようとしたのである。
寛永六年六月十四日――江戸から下った金春《こんばる》・観世《かんぜ》の仕舞《しまい》上覧の日のことであった。
城内西の丸の広場に新しく設けられた舞台を前に、家中の侍が思い思いに席を占めた。忠長は正面の桟敷に姿をみせている。
間左衛門は、久之進を誘って、皆から少し離れた芝生に坐って観ていたが、何気ない風に、久之進の耳に囁《ささや》いた。
「貴殿、あの金春八郎の舞姿に、打ち込めると思うか」
久之進は、何を云い出したのか、と云う風に間左衛門をかえり見たが、その意味が解ると、再び舞台の上の金春八郎に眼をうつして、しばらく、瞳をこらした。
もとより金春に剣の心得がある訳ではない。だが、仕舞の道に一生を捧げて、至妙の極に達したその姿には、寸分の隙《すき》もなく、己れ舞台に舞うている限り、何人も、何ものも、よせつけぬと云うきびしい気魄《きはく》が、全身に溢《あふ》れて、鋭い殺気にも似たものが流れている。
去る正月二日、将軍臨御の下に、千代田城内で行われた謡い初め式の席上、柳生《やぎゅう》但馬守《たじまのかみ》宗矩《むねのり》が金春八郎の舞姿をみて、
「なかなかに、一廉《ひとかど》の武芸者も打ち込み難き身の構えじゃ」
と感歎したと云う噂《うわさ》が、この辺りにも伝わっていたのである。
「打ち込めぬことはないと思う」
久之進が、しばらくして答えた。
「ふふ、まことか」
間左衛門は、奇妙な声で云った。
「打てぬ、と云われるか」
その、冷笑するような調子に、久之進は、少しむっとした。
「むつかしかろう、貴殿には」
「なに!」
「貴殿の腕ではむつかしいと云うのだ」
「座波氏、親しき仲とて、云うてよいことと悪いこととある。無礼であろうぞ」
「親しい仲だから、遠慮なく本当のことを云うのだ」
「正気か」
他ならぬ武芸のこと、雑言許さぬぞと、見返した久之進の眦《まなじり》が、つり上っていた。
「殺気立つには及ばぬ、その顔で飛出していったら、舞台に上らぬ中に、金春八郎殺気を感じて、身を飜《ひるがえ》してしまう。打ち込む処ではあるまい、心構えから未熟だな」
「おのれ!」
「人を打ち込むには、こわい顔なぞせず、静かにさっとやるものだ」
「こうか!」
堪えかねた久之進は腰刀を抜いて、サッと間左衛門に斬りつけた。
――が、刃の閃《ひらめ》きをみて、近くにいた家中の者たちが、あッと膝を立てた瞬間、間左衛門はすっくり立って、血に塗《まみ》れた腰刀を握っていたのである。久之進は、左肩から胸許まで切り下げられて、二三度、からだをおよがせたが、どうと打ち俯した。
間左衛門は、静かに血のりを拭《ぬぐ》って、鞘《さや》に納めると、駈《か》けよった人々に云った。
「方々、お静かに、久之進、突如乱心致して斬りつけましたによって、打果しました。御前近く騒擾《そうじょう》しましたる罪、お裁きを待ちまする」
取調べの結果は、間左衛門に不利な点は何一つ見出《みいだ》せなかった。二人の会話を聞いたものはなかったし、久之進の方から突然、腰刀を抜いて斬りかかったことは、周りの人々が凡《すべ》て確認したことだったからである。
咄嗟の間に、小さな腰刀で、あれほど見事に、乱心者を仕とめた間左衛門の腕前が、改めて、人々の讃称を得たのみである。
仮りにも家中の者を、主君観能の席で打果したのであるから、と云うので、とりあえず大番頭渡辺|監物《けんもつ》の屋敷にお預けとなっていた間左衛門は、そのまま許されると決まった。
丁度その時、久之進の妻きぬから、家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》に、嘆願書が提出されたのである。
良人久之進、理由なくして乱心する如き不覚悟者とも思われぬ、間左衛門が何等かの形で、刃を抜かせたものに違いない、願わくは、良人の仇、一太刀報いさせて頂きたい、と云うのである。
重役連は、非は全く久之進の側にあるとみていたし、女の身で、どう闘っても、間左衛門にかすり傷一つ負わせられるものではない、と軽く却《しりぞ》けたが、きぬの願いは執拗《しつよう》であった。
遂《つい》に、忠長が、これを許した。
「殿の御意向とあればやむを得ぬ、さればとてもの事、来る御前試合の折、殿の御面前で、晴の果し合いをさせよう、もとよりまともな勝負にはなるまいが、女子が一人加わるのも面白かろう」
三枝伊豆守は、そう決定した。
きぬの仇討――は、こうして、忠長の面前、駿府城内における真剣試合の第二番目の取組と云う形で行われることになったのである。
第一の試合に於《おい》て、隻腕の剣士|藤木《ふじき》源之助《げんのすけ》が、盲目の剣鬼|伊良子《いらこ》清玄《せいげん》の名だたる「無明逆流れ」の秘剣を破って、これを倒した後、血潮にまみれた試合場の上に、新しい砂がかけられると、座波間左衛門と、磯田きぬとが場内に現れた。
丈長の黒髪をぷっつりと切り棄《す》て、根元を固くゆわえて白鉢巻をしめ、全身白一色のいでたちに、薙刀《なぎなた》を抱えたきぬの、必死の覚悟を決めた凄絶な姿は、しばし人々の息をとめるほど美しかった。
これと対した間左衛門の、満面創傷の中から異様に輝く眼には、既に血に酔うた妖しい快楽の色が、狂暴なまでにみなぎっている。
きぬの性格を熟知する彼は、きぬが必ず亡夫の仇討を企図することを信じ、三枝の邸《やしき》にお預けとなっていた二カ月半の間、夜も昼も、ひたすらに、この瞬間を待ちに待っていたのである。
きぬは、無論、間左衛門を斃《たお》し得るとは思っていない。ただ一太刀でも対手を傷つければ、と心にきめているから、いきなり、脾腹《ひばら》切りにふみ込み、軽くかわされると、薙刀を上段に振り上げて真向にうちおろす。つづいて明門砕き、裏手返し、車切り、とたたみかけて切り込むのを、悉《ことごと》くかわされ、苛立《いらだ》って打ち下ろした横面切り、女子の未熟な腕では無理と思われたこの一手が、思いがけなく、受けとめた間左衛門の刀を押えて、右の頬を斬った。自分の頬に血を感じると、間左衛門は恍惚として自制を忘れた。二太刀、三太刀、彼はほとんど自分の方から、きぬの薙刀の刃先にからだをぶつけるようにして、腕を斬らせ、股をきらせたのである。
それは、全身、五彩の雲の中に融けてゆくような快さであった。もっと斬れ、もっと斬ってくれ、と彼の五体が叫んでいた。
彼の目の前にいるのは、きぬではなく、櫛を握って、優しくにらんでいる叔母なほ女であった。彼は、自分が少年の身にかえり、叔母に甘え、折檻されているような甘美な思いに気が遠くなりそうであった。
見物の一同の極度の驚きをよそに、彼は、殆ど太刀遣いをやめていた。斬らせるだけ斬らせた上、最後に一太刀で、きぬを斬り伏せる至高の瞬間を待ったのである。
きぬの精神と肉体とは、この時、その緊張の極限に達していた。
「もはや、これ迄」
対手に刃に真二つに切り倒される最後の瞬間を覚悟して、きぬは一足ふみ込み、上段から真向に、兜割りに打ち下ろした。
間左衛門は、己れの額が割られるのを感じ、最後の瞬間のきたことを感ずると、袈裟がけにきぬの左肩を斬り下ろし、莞爾《かんじ》とほほえんだ。
――突如、まき起った場内のどよめきの中で薙刀を杖《つえ》によろめき、辛うじて立ち直ったのはきぬである。
眼前に、奇怪な微笑《ほほえ》みを浮べたまま、ざくろのような脳漿《のうしょう》をみせてのけぞった間左衛門の死体があった。
恍惚の極、肉体と心魂の闘力を全く忘れた間左衛門が、忘我の中にふるった刃は、わずかに、きぬの袖《そで》をかすって、力なく地に落ちただけだったのである。
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峰打ち不殺
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一
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「斬るなッ、斬るなッ、軍之進《ぐんのしん》、止《よ》せ、頼む、頼む、刀をひけ!」
声で拝む、と云《い》うような声があるとすれば、雪之介《ゆきのすけ》は、まさにそのような響きをこめた声で、必死になって云いつづけた。
已《や》むを得ず刀を抜いたものの、構えようともせず、縁側の柱を楯《たて》にして、片手を対手《あいて》につき出しながら、逃げ腰になっているのである。
「くそッ、ぶった斬る! 構えろ、卑怯《ひきょう》者、おのれ」
軍之進の眼《め》は血走って、浴びるように飲んだ酒の酔と激昂《げっこう》とで、はだけた胸許《むなもと》の筋肉が、激しく上下している。
「よせ、黒川、ばかな!」
「黒川、刀を納めろ、血迷うたかッ」
主人役の石田|三兵衛《さんべえ》と、荒川久太郎とが、軍之進の背後から抱きとめようとするのだが、軍之進は、その度に、狂人のように刀をふり回してよせつけない。
すきをみて、雪之介がパッと庭先に裸足《はだし》でとび降りるのを、追いすがって梅の大木の下に追いつめた。
「逃げるか、卑怯者! うむ、それでも渋川道場の師範代か」
「なにッ」
さすがの雪之介も、キラリと眼を光らせたが、すぐに己れをとり戻して、
「軍之進、よせ、拙者が悪ければ詫《あや》まる」
「ええい、泣言云うな」
だッ、と踏み込んで、上段から斬り下す軍之進の刀が、梅の一枝を、花びら一つ散らさずに見事に斬り落して、雪之介の右の頬《ほお》を切り裂いたかと見えた時、
「おッ」
たとえ斬られても、断じて斬るまいと、固く心に決めていた雪之介の剣が、対手の刀を受けると同時に殆《ほとん》ど無意識に伸びて、横に薙《な》いだ。
「ぐッ、ううむ」
「しまった」
のけぞって、どうと倒れた軍之進の姿に、雪之介は血刀を下げたまま、唇をかんだ。顔から上半身にかけて、サッと血のひいてゆくのが明かに意識され、歯がカチカチと音を立てた。
「黒川!」
「軍之進、しっかりせい」
駈《か》けよった三兵衛と久太郎とが、軍之進を抱き起したが、もう、半ば意識を喪《うしな》って、唸《うな》りつづけているだけである。
すぐに、医師|通斎《つうさい》が呼びにやられた。
「なかなかの重傷、わるくすると助からぬかも知れませぬ」
通斎は、応急手当をすますと、そう云った。
「御両所のみておられた通りだ。拙者は、飽く迄《まで》、斬り合いを避けようとしたが、力及ばなんだ。朋輩《ほうばい》を斬った罪は、御法通りに受けたいと思う」
雪之介は、座敷に、端座して主人の三兵衛にそう云って、眼を閉じた。その閉じた目蓋《まぶた》の中に、三重《みえ》の悲しげな、恨むような瞳《ひとみ》が、大きく浮んでいるのである。
「いや、月岡《つきおか》、貴公が悪いのではない。徹頭徹尾、黒川が悪いのだ。荒川も拙者も、よく分っている。貴公が、よくあれまで、我慢したと感心しているくらいだ。だが、――」
理由は兎《と》も角《かく》、斬ったことは事実である。
何とか善後策を講じなければ――と、石田三兵衛、腕を拱《こまね》いて、長い間考えていたが、
「酒に本性を失って理不尽に刀を抜いた上、斬られたとあっては、黒川の命、たとえ助かっても、家名は立つまい。さりとて、尋常の果し合いとして届け出れば、全く受身一方であった月岡まで処分を受けねばならぬ。どうだ、この場の始終を知るのは、我ら三人だけ、通斎にも口止め致して、軍之進急病と云う事に致しては。万一軍之進落命致したらば、病死の態にして、江戸における軍之進の従弟《いとこ》小次郎《こじろう》にでも跡目を願い出ればよかろう」
それでは自分の男が立たぬと云い張る雪之介を説き伏せて、すぐ軍之進の邸《やしき》に使いが出された。
「三重どのには顔が合せられぬ、御両所よろしく」
云いおいて、引きとった雪之介、その夜は遂《つい》に一睡も出来なかった。
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二
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人を斬った為《ため》ではない。刀に血を吸わせた経験なら、既に三度まである。三度とも対手を殺しているのだ。
三重が何と思うか――雪之介の眼を一夜ねむらせなかったのは、その想《おも》いである。互いに深く云い交わした仲、その兄を斬ってしまったのだ。恐らくは、助かるまい、四人目の殺人である。
――呪《のろ》われたおのれの腕。
雪之介は、己れを責め、苛《さいな》み、悔み、歎《なげ》いた。あの場合、どうにも仕様がなかったのだ。軍之進の刀を受けとめるだけのつもりで、薙ぎ払った一刀が、対手の胸を見事に斬ったのは、受太刀が同時に斬る太刀に変る戸田流浮舟の極意である。
「この切口をみるがよい、花びら一枚落さずに、切り落したのだ。酔ってはいても軍之進の太刀先、まずは鋭いものであった。だが、その鋭い太刀先を、受け止めながら、横にないだ雪之介の腕は、――絶妙とでも云うかな」
後になって石田三兵衛が、荒川久太郎と語り合ったものである。
その絶妙極意の腕が、いっそ恨めしい。三重が、本当の事を分ってくれるか、そして兄を斬った自分を許してくれるか。
自分の性格は決して粗暴でも、短慮でもない。むしろ控え目な、大人しい性である。それは、師も友も認めている。にも拘《かかわ》らず、
「月岡の太刀先は妙な殺気をもっている」
と、その師が、友が、云うのである。
肥前《ひぜん》鍋島《なべしま》藩で、人を殺《あや》めたことを知っているから、そう云うのかも知れぬ、だが、おれは、今後、決して人を傷つけたりせぬぞ、と固く心を決めて、努めて穏和に、殺気なぞ夢にもみせぬようにしていたのだが――
肥前で、最初に藤倉《ふじくら》弥五《やご》を手にかけたのも、全く已むを得ぬはずみだった。
はねあげた幔幕《まんまく》のあおりが、弥五の手にした茶碗《ちゃわん》の水を膝《ひざ》にこぼすだろうなどとは、誰《だれ》にしても思いがけなかったことに違いない。
それと気づいて、すぐに、
「これは、失礼|仕《つかまつ》った、御ゆるしあれ」
と詫《わ》びを云う、その真向から、残りの水をぶっかけられたのである。さっとかわしたものの、胸許をしとどに濡《ぬ》らされた。
「乱暴な」
と云うより先に、弥五が抜討ちに斬っていた。咄嗟《とっさ》に受けとめた太刀が、弥五の肩から乳の辺り迄斬っていたのである。
殿の寵童《ちょうどう》と云うことと、多少腕が立つと云うことを笠《かさ》にきて、日頃《ひごろ》から傲慢《ごうまん》な弥五に味方するものは誰一人としてなかったし、雪之介の処置は、居合せた凡《すべ》ての者が当然と認めたが、藩主勝茂は、
「不埒《ふらち》者め、斬れ」
と云ったのである。
譜代《ふだい》の主ではない。若い心は、すぐに反撥《はんぱつ》した。親しい友のすすめるまま、脱藩した。
国境いの防住峠で、主命を受けて、自分を追い討に来た二人の家中の侍を前に、雪之介は、悲しげな顔付で云った。
「雲井、桑田、頼む、わしに追いつけなんだと云うて、帰ってくれ、お互いに血をみることはないだろう」
「うむ、おれたちも、お主に、何の恨みもない、だが、主命だ、やむを得ぬ」
「おれは、お主たちを斬りたくないのだ、頼む、見逃してくれ」
身構えもせずに、そう云い張る雪之介に、桑田が、物も云わず斬りつけたのである。
最初の一撃で桑田を、次に、いやいやながら、雲井を斬って、中国筋に逃れた。
主家からの奉公構いの通知で、どこでも仕官が出来ず、流れ流れて、尾張《おわり》名古屋の城下にきた。
ここで、渋川|庄五郎《しょうごろう》の道場に通う中《うち》、その腕を認められて、藩公に推薦され、重富の旧名を月岡と改めて仕官した。
鍋島藩から直ちに抗議が来たが、さようの者は存ぜぬで突っぱり通せたのは、何と云っても御三家の威光である。
それだけに雪之介、慎しむ上にも慎しんで、謙抑《けんよく》に、誠実に勤めてきた。軍之進の妹三重と知り合ってからは、殊に、楽しい未来を夢に描いて、朋輩づきあいも殊の他《ほか》下手に出ていたのだが――不思議に、軍之進とは、そりが合わなかった。
性格の相違もあった、渋川門の師範代の地位を心ならずも争う結果になったと云うこともあった――が、いかに酔余とはいえ、つまらぬ云いがかりをつけて、刀を抜いて斬りつけてこようとは――
「自分には、どこか血を呼ぶ、恐ろしい殺気があるのかも知れぬ、情けないことだ」
又しても、三重のうれいを含んでじっと見入る大きな瞳を思い浮べ、雪之介は寝床の上でてんてんとしたのである。
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三
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秘密は一人以上の間では絶対に保たれないものらしい。軍之進がその翌日の夕方死ぬと、事件の真相は、間もなく、藩中の誰彼の間で、半ば公然と囁《ささや》かれるようになった。
重役連中も、表立てば、黒川の家を潰《つぶ》し、月岡にも、何分の処置を加えねばならぬとみて、聞かぬふりをしているだけである。
と――どこにでもある、おせっかいなのが、軍之進の叔父に当る矢部|六大夫《ろくだゆう》をつついた。叔父と云っても、年は幾つも違わない。
「月岡めに、軍之進を討たれて、お主、そのまま差しおく気か、武士が立つまいぞ」
軍之進の方に非があるとは知っているし、なまじいに事を荒立てては、黒川の家名も、自分の家も危いと、何事も知らぬふりをして過そうとしていた六大夫も、そう云われては、黙っている訳にもゆかぬ。
それに六大夫は、田宮流居合の名手である。雪之介が如何《いか》に腕が立つとて、むざと敗れはせぬ、と自ら頼むところがあった。
先《ま》ず雪之介に刀を抜かせて、その上で斬りすてれば、自分の方に理が立つ。――と、事ある毎に雪之介を挑発するが、雪之介の方は、柳に風と受け流して、対手にならない。
あの数日後、三重からひそかな便りがあって、
――兄が酒の上での理不尽な云いがかり、石田さま荒川さまから、よく承りました。夢さら雪之介さまを、お恨み致してはおりませぬ、ただ悲しいばかり、切ないばかり。
一筆一筆が泣いているような文字だった。
「三重どの、済まぬ」
涙を浮べて、呟《つぶや》いた身である。今度こそどのような事があっても、重ねて人を傷つけることはなすまいぞ、と繰返し己れ自身に誓いを立てていた。
歪《ゆが》んだ鏡には、直なものも歪んでうつる。雪之介のその素直な態度も、度重なると、却《かえ》って、六大夫には、自分を侮蔑《ぶべつ》しているものとしか思われなくなった。
――未熟者、対手にせぬぞ、
そう云われているように思うのである。
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四
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四月十五日から始まった東照宮の大祭の三日目、神輿《みこし》が本町通り頓ノ宮に渡御、夜は、下七間町、宮町、京町、中市場町、伝馬町からそれぞれ自慢の山車《だし》が出て「江戸には見られぬ賑《にぎ》わい」を呈する。
城を下ってきた若侍の一団が、二の丸から天王社に通じる西鉄門のところで、どやどやと一緒になった。
「どうだ、祭りを見にゆかぬか、下七間町の山車は、今年から橋弁慶になったと云うぞ」
「うむ、車の回るたびに牛若の人形が弁慶の長刀《なぎなた》へ飛乗る、からくりがあるそうな」
「ははは、山車よりも、あとでゾメキ町へくり込むのが目当てだろう」
「いや、西小路の方がよいぞ、あそこの山形屋の、ふふ」
「不埒な奴《やつ》、妙な思い出し笑いなぞすな」
賑やかに笑い興じながら行く朋輩たちの中に雪之介の姿を認めた六大夫、つと傍によって、
「月岡、貴公遠慮して貰《もら》おう」
「えっ」
「見らるる通り、われら一同、君公お城入り以来の家柄だ、新参者の貴公なぞが加わる仲間ではない」
「矢部、そんな無茶なことを」
さすがに鼻白んで、一人がとがめたが、六大夫は、憎々しげに雪之介を睨《にら》んで、
「新参者は新参者らしく遠慮するものだ、どこへでも、のこのこと鼻つきだすのはやめたがよい」
常識外れの暴言である。一同、このままでは済まぬぞと緊張したが、当の雪之介は、微笑を含んで答えた。
「出過ぎたことをして失礼致した。されば拙者は遠慮致そう」
そのまま、足早やに立去ろうとするのに、六大夫、鋭く呼びとめた。
「月岡、貴公、今、薄ら笑いを浮べたな、われわれを侮る気か」
これはもう明かに、云いがかりと云う以上、殊更に喧嘩《けんか》を売ろうとするものだ。
「よせ、矢部」
「六大夫、少し過ぎるぞ」
さすがに、周《まわ》りの者がとめたのを機会に、雪之介は、軽く会釈して去っていった。
――が、その夜、亥《い》の刻。
したたかに酔うた六大夫が朋輩と別れて一人、本町門近くの馬場の辺りを帰ってくると、折悪しく七間町の方から曲ってきた雪之介と行き会ったのである。
「おお、月岡、待て」
「矢部氏、酔うておられるな」
「酔うていようと本性は失わぬ、おのれ、今宵《こよい》こそは逃さぬ。覚えがあろう、軍之進のこと、知らぬとは云わせぬぞ」
「御存じならば已むを得ぬ、余儀なき次第であのような事になり、寔《まこと》に心苦しく存じている」
「ふん、心苦しいか、男らしくおれと果し合え、さすればすっぱりしよう」
「いや、拙者、もはや刀を抜きたくない」
「抜かせておいて斬れば咎《とが》なしとみてか、ええ、その手には乗らぬ、卑怯者、刀を抜け」
抜くとみえたら直ちに斬る構え、たたっと寄ってくるのを、雪之介、危いと、二歩三歩退る。どうでも抜かぬとみて堪《こら》えかねたか、六大夫、名うての居合抜き。
「ええい」
声がかかった時には対手は、真二つ――と思われたが、六大夫は深酒に、刃先の走りが寸秒狂った。
「ぐえっ」
と、呻《うめ》いてのめったのは、六大夫自身である。その突っぷした姿を見下ろして、雪之介くらくらっと眼の前が真くらになった。
又しても――
今度は、傍に一人の証人もいない。自分が斬りつけたと云われても云い訳はつかないのである。目出度《めでた》い祭の夜、お濠《ほり》の前で、朋輩を斬ったのだ、お城の膝許で、三重の叔父を斬ったのだ。
身をかがめて、六大夫の息の絶えていることを確めると、雪之介、蹌踉《そうろう》と魂を喪ったもののような足どりで、武平町の黒川の邸に向った。
三重に会うつもりである。
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五
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駿府《すんぷ》の長谷寺町に道場を開いた星川|生之助《いくのすけ》と云う奇妙な剣士の事が、城主忠長の耳に入ったのは、その翌々年の春のことである。
道場の表にかかげていた看板には戸田流指南とある。その技は、完璧《かんぺき》と云いたいほど見事なもので、それからそれへと聞きつたえて、入門するものも少くない。
そこ迄は何の不思議もないのだが、或《あ》る日、他流試合を申入れた武芸者が、三度迄試合って自分では互角に闘ったつもりが、結局三度とも敗れたのに苛立《いらだ》って、真剣勝負を主張した。
生之助、少し考える風にみえたが、存外簡単に承諾した。門弟たちに向って、
「心配要らぬ」
と、にっこり笑い、静かに細身の剣を抜いて、青眼に構えた。
まるで闘志の感ぜられないその姿に、対手の武士が、組し易《やす》しとみて、だっと斬りかける。二合三合、受太刀一点張りで立ち合っていた生之助が、対手の大上段に打ち下ろした一撃を鋭くはねかえしたとみるや、初めて、発した一声、
「ええい」
門弟どもの腹わたに沁《し》みた瞬間、対手の武士は、きりっと半回転してぶっ倒れた。
生之助、じっとその姿を眺めた視線を、自分の剣に移すと、満足げに頬笑《ほほえ》んだ。
一滴の血もついていない。対手は峰打ちで、気を喪っていたのである。
門弟たちは、師の早業に舌を巻いた。
それにしても、ついぞ自分たちにも見せたことのない太刀筋、と尋ねてみると、生之助、額に手をあてて、
「されば特別に名づけてもいないが――強いて云えば、峰打ち不殺剣――とでも云おうか」
門下の藩士たちからこの話が、駿府城主忠長に伝わると、珍らしいもの好きの忠長は、星川を城内に召出して、藩士数名と真剣で立合せたが、何《いず》れも、数合の手合せの後、生之助の峰打ちに一撃されて昏倒《こんとう》した。
召抱えよう、と云うのを辞退し、賞美の言葉だけを拝受して下城した。
星川、実は月岡雪之介であることは云う迄もない。
六大夫を斬ってから、黒川の邸に現れて三重に会った雪之介は、仔細《しさい》を物語った。
「三重どの、如何《いか》なる悪因縁か、こなたの兄と叔父とを手にかけたこの雪之介、もはや生くる心はない。願わくはそなたの手に討たれたい」
余りの事に、茫然《ぼうぜん》と聞いていた三重は、この時、激しく頭を振った。
「いいえ、雪之介さま、兄と云い、叔父と云い、皆こちらが非道の云いがかり、どうして雪之介さまを討つなぞ」
「では、三重どの、拙者は切腹する、介錯して下され」
「なりませぬ、雪之介さま、あなたは死んではなりませぬ」
「いや、拙者は朋輩を二人まで斬った身、どうせ切腹は免れぬ」
「お逃げなさいませ。逃げて、生きて下さいませ。どこにどうしておられても、三重は、雪之介さまの事を想うております、雪之介さまがお死になさるのなら、三重も死にまする」
役人たちの手の回らぬ中に早く、とせき立てる三重の切ない望みに負けて、その場から名古屋を立退いたのである。
その雪之介に、新しい生きる道を教えてくれたのは、飛騨《ひだ》の山里にかくれていた頃、知り合うた岳仙寺の僧|宗信《そうしん》であった。
「刀を抜けば、必ず人を斬ってしまう呪われた身」
と歎く雪之介に、宗信は答えた。
「刀を抜かねばよい」
「でも、武士である以上、それは出来ませぬ」
「では、刀を抜いても、人を斬っても、殺さねばよいではないか」
「そのような事が――どうすれば出来ましょう」
「それは知らぬ、剣の道だ、自分で考えたらよかろう」
刀を抜いても、人を斬っても、人を殺さぬ法、それを考えて、考えて、漸《ようや》く思い当ってみれば、原理は極めて簡単であった。刃で斬らず、峰で斬ればよいのだ。
原理は簡単だが、真剣で必殺の気をこめて打ちかかる対手と、まともに闘うのさえ容易でないのに、最後の死命を決する一瞬、峰打ちで対抗しようと云うのは至難の事である。
――が、この他《ほか》に、自分の呪わしい殺人剣から脱れる途《みち》はないのだ。
雪之介は、年余に亘《わた》って、工夫を重ね、剣の技を練りに練った。
最後の一撃を受けると同時に、対手に斬りつける極めの刃が、掌の中で正確に一八〇度回転して、峰打ちとなる秘法、遂《つい》に、しかと身につけたのである。
もはや、特に意識しなくても、対手を打つ刃は、自動的に半回転し、手許に引かれた時は更に半回転してもとに戻る。
「これならば、対手を殺そうとしても殺すことは出来まい」
雪之介は、安心して、駿府城下に姿を現したのであった。
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六
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江戸詰になっていた黒川小次郎は、叔父の矢部六大夫横死と下手人月岡雪之介の逐電を知らされた。
同時にそれ迄、彼に、内密にされていた従兄《いとこ》黒川軍之進の死因も、明かにされた。それ迄、彼は、軍之進急死の為、その家督をつぐことを命ぜられていたものの、軍之進は全く病のため亡くなったものと思い込んでいたのである。
小禄《しょうろく》の実家の次男坊から、三百石の黒川家を嗣《つ》ぐ身となったことは、小次郎にとって望外の幸運であったが、彼が、その報《しら》せで胸を躍らせたのは、それよりも黒川家を嗣ぐことが同時に、三重と夫婦になることだと思い込んだからである。
小次郎は、名古屋在住の少年時代から、同年の従姉《いとこ》三重に深く恋着した。次男坊ながら、その抜群の武技を認められて武具横目を仰《おお》せつけられていたものの、二十石三人|扶持《ぶち》の小禄、殊に醜い己れの顔貌《がんぼう》を顧みて、必死の思いで諦《あきら》めようとすればする程、その想いは生爪《なまづめ》をはぐような激しい痛みを以《もっ》て、彼の若い魂を突き刺した。
彼は、通常そのような場合に若い男が選ぶ手段によって、自分の苦しさを紛らそうとした。城下の西小路の遊女屋に入り浸って、酒と女に沈淪《ちんりん》したのである。
或る夜、泥酔の挙句、同じ遊女屋にきていた町人の一人と口論し、対手を傷つけた。遊びの世界には、不法な刃傷|沙汰《ざた》とみて、若い男が大勢集まって小次郎に打ってかかった。多勢に一人、漸くくぐり抜けて、樋屋町まで逃げてきたものの、力つきた処を追いつめられ、既に危い処を助けてくれたのが、通りがかった月岡雪之介であった。
その上、町方の乱暴の噂《うわさ》が高くなって、公けの取調べになった時、参考人として呼び出された雪之介は、愕《おどろ》いたような顔をして云ってのけたのである。
「飛んでもないこと、先夜、拙者、町人どもと争いおる若い侍風の男を、武士の誼《よし》みで逃してやったことはありますが、小次郎とは似ても似つかぬ男です。何かのお間違いでございましょう。小次郎ほどの者ならば、やみやみ町人どもに、打たれはしませぬ」
上役にも、その嘘《うそ》を、嘘と知ってだまされてやるだけの雅量はあったらしい、小次郎は、格別の処罰も受けず、その後間もなく江戸詰とされたのである。
江戸に来てからは、深く心を戒めて武芸に専念した。師としたのは山下町に道場を開いていた無幻一刀流金沢|一宇斎《いちうさい》である。
過去の不行跡をつぐない、三重に対する眷恋《けんれん》の情を断ち切るため、全身全霊をかたむけて剣の道に打ち込んだ小次郎の上達は素晴らしかった。
その小次郎に、思いもかけず、黒川家相続の命が下ったのである。――だが、つづいてとどいた書面によって、彼の悦《よろこ》びは、あえなく消え去った。家督は嗣ぐが、三重と夫婦になるのではないと分ったからである。
三重の望みによって、と書いてある件《くだ》りをくりかえし読んで、ふふ、と自嘲《じちょう》の笑いを洩《も》らした。
「よくよく嫌われた、無理もない。この面だ」
翌日から、もう、一切を忘れたように、一層激しく、剣の道に没頭した。そして三カ月、新しい報せは、叔父六大夫の横死を告げたのである。
下手人が月岡雪之介であるとは、意外であった。まして、その雪之介が、同時に、従兄軍之進の殺害著であったと云うことは、殆《ほとん》ど信じられぬほどであった。
「あの、穏和な、物分りのよい月岡殿が」
いくたびか、口の中で呟いてみたが、事実は如何《いかん》ともし難い。
軍之進のことは公けに出来ぬとしても、六大夫の仇は当然、甥《おい》である自分が討たねばならないのである。
雪之介の剣が素晴らしいものであることは知っているが、一宇斎の道場でも三指に数えられる迄になっている自分が、そうたやすく敗れるとは思わない。しかし、対手は、遊蕩《ゆうとう》の泥沼に沈み、危く町人どもに辱《はず》かしめを受けようとした自分を救って、生涯の転機を作ってくれた恩人である。のみならず、尾張藩中で、この人こそとかねて尊敬している数少い人の中の一人である。
むしろ軽蔑していたのは、肉親の軍之進や六大夫の方であった。
放蕩と鍛錬の半生にも傷つかずに残っていた小次郎の若い純真さは、このジレンマに、彼をひどく懊悩《おうのう》せしめた。
書信には、つづいて、逐電した月岡の行方は、今の処不明であるが、恐らく江戸へ向うものと思われる、充分探索するように、こちらでも、手分けをして、心当りを探し、分明したら直ちに連絡するが、と記してある。
勤務の方は凡ての義務を解除され、月岡の探索をせよと云い渡された。
師の一宇斎に会って、事情を話すと、
「月岡と云う男、どれほど出来るか知らぬが、そちの腕で命を棄《す》ててかかれば、討てぬことは、よもあるまい。ただ――」
と云いさして、鋭い眼で、じっと小次郎を見つめた。
「小次郎、何か隠していることがあるな」
「はッ」
しばらく迷っていた小次郎は、やがて、肉親ながら愛情も敬意も持たなかった人の為に、畏敬《いけい》する恩人を討たねばならぬ苦しみを訴えたのである。
一宇斎は、瞳をこらして聞き入っていたが、聞き終っても、なお、その顔色は釈然としなかった。
「小次郎、その事情はよく分った。だが、わしの聞きたいのはそれだけではない。そちがわしの道場に入ってから、常に、わしが不審に思うていたところがある。そちの剣先は無類の鋭さを持ちながら、どこか究極の一点、フッ切れぬものがある。しかも、その一点こそ、まこと剣の奥儀に達するか、否かの境目なのだ。何か、そちの心の底深くに、そちの魂を捕えて放さぬ執念――と云うようなものが残っているように思うがの」
あッと小次郎は胸をつかれ、師の直感力に汗の滲《にじ》むのを覚えた。自分の未練と執着とに、はげしい羞恥《しゅうち》を感じ、未《いま》だかつて何人にも語ったことのない心の秘密を――如何に努めても、逆に断ち切れずにいる三重への恋慕の想いを、小次郎は、一切さらけ出して、師に語ったのである。
「武士にあるまじき、恥かしき不覚悟にございます」
云い終って、紅潮した顔を俯《ふ》せた愛《まな》弟子の上に注がれた一宇斎の瞳は、意外にも柔かかった。
「小次郎、よく話してくれた。決して恥かしいことではない。わしにも、同じ覚えがあるのだ――わしの流儀を、何故無幻一刀流と云うか、そちにも未だ話したことがなかったな、それを話してやろう、そちのその執念を断ち切る為のよすがになるかも知れぬ」
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七
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老いて、ひからびて、枯木のようにみえる一宇斎に、そのような経験があるとは、恐らく、何人も推測し得ぬところであったろう。
若き日の一宇斎は、里枝と云う美女を親しい友と争った。社会的地位に於《おい》ても、容貌の上に於ても遥《はる》かに、己れよりも勝れた友に優る途は剣以外にはない。剣の上の名誉で、辛うじて、彼は恋の勝利者となり得た。
殆ど勝目のないと思われた恋の争いに勝って、多くの波瀾《はらん》の後、漸くにして目ざす美女を手に入れた一宇斎は、若き熱情の凡てを傾けて妻を愛した。それは多少の畏怖と崇敬をさえ交えた、謙抑な賛美の愛情であった。
この美貌の妻に捧《ささ》げるものは、剣の上の誉《ほま》れ以外にはないと信じ、常住|坐臥《ざが》、その目的で剣の道に励んだのである。
既に剣客として盛名を馳《は》せるに至った或る日、一宇斎は、老中酒井忠世の邸で、柳生《やぎゅう》宗矩《むねのり》に遭遇した。
宗矩は将軍家の指南番、一介の町道場の主たる自分の対手になってくれる筈《はず》はない、と思いながらも、この途だけは諦めきれず、思い切って、一手御指南を賜わりたい、と願ってみると、宗矩は存外心易く承諾して、木刀をもって庭に下る。
相対した二人の木刀は、全く同時に対手に向って飛び、相互の肩を打った。
「相打ち」
一座のものは、凡てそう信じた。が、一宇斎は、パッと飛び下ると、一礼し、
「参りました」
と云ったのである。宗矩は、にっこり笑って、
「いやいや、只今《ただいま》のは正に相打ち、驚き入った見事な太刀筋」
と答えた。
その翌日、一宇斎は、柳生の邸を訪れ、前日の立合の謝辞を述べ、
「昨日の立合、何故相打ちと仰《おお》せられました。確かに私の敗れと存じますが」
と尋ねると、宗矩は人なつこい眼になって、
「皆の目に相打ちとみえたものは、相打ちとしておく方がよい。だが、あれを自分の負けと見分けたそなたは流石《さすが》じゃ」
「はい、木刀ならば正に相打ち、しかし、真剣ならば、私の命ございませぬ」
「うむ、その通り。尤《もっと》も、わしもひどく傷ついてはいるだろうが、――一宇斎、其許《そこもと》の腕はこの宗矩と優り劣りはない。にも拘らず、真剣ならば必ず、わしが勝つと思う、なに故か、分るかの」
「はっ」
「わしは、自分で、云うのもおかしいが、現在心身共に一点の固執するところもない、光風|霽月《せいげつ》、全くの虚心で剣を握ることが出来る。其許は、何か精神にとらわれているところがあるように思う、それだけの違いではないかな」
宗矩は、その把われているものが何かと、問い尋ねることはしなかったが、一宇斎にははっきり分っていた。
美しい恋妻里枝――がそれなのだ。
寸秒も頭を去らぬ妻への執心を棄《す》て去らねば、とその時以来、一宇斎は、日夜修練したが、朝夕眼にする妻の輝くような美しさは瞳の中にこびりついて離れなかった。
それから数年、ある秋の朝、縁に寄って庭を眺めていた一宇斎は、何気なく後を振向いた。妻の里枝が鏡に向って、髪をくしけずっている。
その後姿に見入っていた一宇斎の眼が、雷に打たれたような驚愕《きょうがく》の色を走らせた。妻の黒髪の中に、二三本の白いものを見つけたのである。
「里枝!」
振りかえった妻の傍に近づいた一宇斎は、初めてみるもののように、その顔をじっと見下ろした。眼尻《めじり》によった数条の小皺《こじわ》、こめかみの小さいしみ、艶《つや》を失いかけている皮膚――毎日飽きるほど見ていながら、ついぞ気がつかなかった妻の新しい顔は、既に盛りを過ぎた女の、はかない衰えを、まざまざと映し出していたのである。
若い日の輝く程の美貌を心眼にやきつけられていた一宇斎の肉眼は、今はじめて、ありのままの女の顔をみることが出来たのだ。
「如何《いかが》なさいました」
不審そうに聞く里枝に、一宇斎は辛うじて、
「いや、いつもながら美しい」
と、答え得た。聞きなれた賛辞に、微笑して、里枝は鏡の方を向いたが、その時彼女の良人《おっと》が、全く別の世界に飛躍したことには気付く筈もなかったのである。
一宇斎は、その日直ちに、柳生の邸を訪れた。久方ぶりに、一手御指南を、と願い出た一宇斎の顔を、ひたと見入った宗矩は、云った。
「いや、手合せには及ぶまい。よくぞ修練された。今度こそ、まことの相打ちでござろう」
一宇斎が一刀流の上に無幻の二字を加えたのは、それから間もないことである。その剣技は、府内無双の名を高くしていった。
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八
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親戚《しんせき》代表の市川|重兵衛《じゅうべえ》と云う老人が、三重と、従僕の宇平《うへい》とを連れて、江戸の小次郎の許にやってきたのは、寛永《かんえい》六年七月の末である。
敵の月岡雪之介が星川生之助と名を変えて駿府にいると云うのである。
直ちに幕府の公儀御帳に届出て、正式の仇討免状の下付を願う。
師の体験談を身に沁みて聞きながら、己れの胸に棲《す》みついた妄執を切りすてる術《すべ》もなく、煩悶《はんもん》を重ねていた小次郎は、数年ぶりにみた三重の姿に改めて瞠目《どうもく》した。
かつての莟《つぼみ》の美しさは、今や成熟し切った花と開き、しかも一脈の深い憂色が、しっとりと刻みの深い面を染めて、小次郎の瞳にはこの世ならぬ稀有《けう》のものと映ったのである。
一宇斎は、毎日訪れる小次郎の顔をみて眉《まゆ》をひそめた。
「小次郎!」
「済みませぬ、恥かしき未練者」
二人の問に、そうした言葉が交わされ、二人とも深い溜息《ためいき》をついた。
仇討の手続と出発の用意に忙しい朝夕の隙《すき》をぬすんで、小次郎は、日枝《ひえ》の社に一心こめて祈願した。だが、家に戻って、三重の顔を見、三重のかおりをかぐと、一切の決意は煙の如《ごと》く消え失《う》せてしまうのである。
遂《つい》に駿府に旅立つ日が来た。
駿府では、尾張藩からの正式の要求によって、既に月岡雪之介の身柄は、目付野田|悠之進《ゆうのしん》の許にお預けとなっていた。
勿論《もちろん》、雪之介には、今更逃げかくれする気もないし、野田もそれは充分承知しているから、格別、行動をきびしく制限することもない。
雪之介の不殺剣を知っている藩中のものは、この仇討に於て、果して雪之介が対手を殺すかどうかに大いに興味をもっている。対手は必殺の剣を持ってくるに違いない。これに対して不殺の剣は、どのように動くか。
「面白い見物にございまする」
家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》守長は、忠長にそう云った。彼は、丁度九月二十四日に予定された駿府城内の真剣御前試合の第三番目にこの仇討を組み入れたのである。
「黒川小次郎と云う若者、一宇斎道場の手だれときく、果して、峰打ちで倒せるかな」
「常の試合とは違いまする、恐らく雪之介も不殺の剣を必殺の剣にかえるのではないかと存じまするが」
「それにしても、真剣勝負は必殺の気魄《きはく》が第一じゃ、雪之介不利じゃの」
「御意《ぎょい》」
駿府平屋町の所定の宿舎に、小次郎の一行が到着したのは、試合の五日前である。
三重の面にたてられた憂色は、当日の近づくにつれて益々《ますます》深くなっていった。その理由が何にあるか知る由もない小次郎は、この期《ご》に及んでも、なおふっ切れぬ煩悩に、殆ど心神惑乱する思いであったが、三重が夜半ひそかに手紙のようなものを書いているのを見ると、遂に己れを押え切れずになって、三重の寝入ったのを見済まして、その文を盗み読んだ。
それは、正に、青天の霹靂《へきれき》であった。
雪之介にあてられたその文は、切々たる三重の愛情に一字一字が濡れていた。そして、願わくは小次郎を殺さないで欲しい。小次郎が死ねば自分は他に養子を迎えて黒川家をつがねばならぬ、どのような事をしても必ずあなたの妻となろうと願っている自分の心を、憐《あわ》れと思うなら、小次郎を殺さずに、――とその文は訴えているのである。
遂に三重の心が全く他人のものになっている事を、小次郎は、はっきりと知らされたのだった。恐らくは、この二人既に実質的に結ばれていたのであろう、――小次郎はそう考えた。
深い絶望は忽《たちま》ち強烈な憤怒に変った。その上、自分の生死が雪之介の自由に委《ゆだ》ねられている如く信じている三重の筆が、彼の最後の自尊心を残る隈《くま》なく傷つけた。
三重への恋情と、雪之介への畏敬の情とは、そのまま激しい闘志に変ったのである。
翌朝の彼の相貌を一宇斎が見たならば、出来《でか》した、小次郎! と叫んだに違いない。その瞳は、三重の姿を、路傍の小石の如く黙殺していた。
二日の後、駿府城内の試合の場に、剣をひっさげて立った小次郎の瞳には、ただ一念、必殺の気魄が、星のようにきらめいていた。
雪之介は、静かに目礼し、鞘《さや》を払った。無銘ながら稀代《きたい》の名刀、細身の直刃、反《そり》極めて浅く、一見両刃のつるぎの如く見えるのを、ぴたりと青眼に構えたが、行司役の渡辺|監物《けんもつ》と村上三右衛門とは云い合せたように、やっ、と驚きの声を発した。
雪之介は、刃の峰を対手に向けていたのである。
小次郎を殺すな、と三重に訴えられる迄もなく、雪之介には殺意はなかった。だが、従来の対手は己れより明かに一段劣った者|許《ばか》りであったが、小次郎は恐らくその技に於《おい》て自分と伯仲するであろう。極めの一撃に剣を半回転する寸秒の間が、己れの命を奪うかも知れぬ。よし、さらば、初めから刀の峰を以て闘ってみせよう――雪之介はそう決心したのである。
勝負は、驚くほど短い時間についた。
峰を向けられたことに憤激を倍加した小次郎が、だっと切り込む刃を、二合三合外した雪之介は、小次郎の最後の必殺の一撃を受けると同時に、間髪を容《い》れず踏み込んで、浴びせた戸田流浮舟の一太刀。
「ぐえッ」
「あッ」
二人が同時に叫んだ。
血刀をひっさげ、己れの目を疑う如く、つっ伏した対手の前につき立ったのは雪之介である。修練は彼の意志とは別個に、彼の手中の剣を、最後の一瞬に半回転せしめ、刃を以て対手を切り下げていたのだ。
「小次郎、しっかりせい」
三重を喪った、と頭の一隅で叫ぶ声をききながら、雪之介は、小次郎に抱きついて叫んだが、小次郎は既に息絶えていた。
勝利者の奇怪な行動に、呆然《ぼうぜん》と鳴りをひそめる広場の中に、雪之介のむせび泣く声が、異様に高くつづいた。
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がま剣法
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一
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寛永《かんえい》六年九月二十四日、駿府《すんぷ》城内南広場に於《おい》て、城主|忠長《ただなが》の面前で行われた真剣試合の第四番目に予定されていたのは、駿河《するが》藩の槍術《そうじゅつ》指南|笹原《ささはら》修三郎と、浮浪の凶漢|屈木《くつき》頑之助《がんのすけ》との試合である。
が、この試合が、果して予定通り行われるか否かについては、当日の采配《さいはい》を振った家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》以下、何人《なんぴと》も自信がなかった。
と云《い》うのは、屈木頑之助が試合の場に、確かに現れるかどうか、全く予想がつかなかったからである。
笹原修三郎の方は、藩士でもあるし、勿論《もちろん》、早くから試合場に来ていた。もともとこの試合は、笹原が希望したものである。
然《しか》し、屈木の方は、その所在さえ正確には知られていなかった。富士の風穴のどこかにひそんでいて、時折、風の如《ごと》く城下に姿を現すと云う噂《うわさ》はあったが、それもただの噂に過ぎなかったのである。
笹原は、屈木に対する挑戦状を、藩内各所に掲げておいたし、その掲示には試合による勝敗の他《ほか》には、絶対に屈木の身体に傷害を加えないと云う藩庁の添書きまでしてあったが、既に駿府城下で、名だたる剣士を三人まで殺害している屈木が、この掲示を信用して姿を見せるか否かは、頗《すこぶ》る心許《こころもと》ない次第であった。
従って、第四の試合の開始が宣告され、東側の幔幕《まんまく》から、呼出しに応じて笹原修三郎が、自慢の名槍「銀蛇号」をひっさげて場内に現れ、つづいて、
「西側の剣士、屈木頑之助」
と呼び上げられた時、場内には、異常な期待がサッと漲《みなぎ》った。
しばらくは、応《こた》えるものもなく、陽光の下に清められた砂が、輝《て》り返って、不気味な緊張が、場内に拡《ひろ》がっていた。
と、二度目の呼び出しの声に応じ、西手の、近在の郷士《ごうし》や帯刀を許された町人たちの溜《たま》りの中から、ひょいと躍り出た男がある。
まるで、蛙《かえる》が、草むらから飛出したような恰好《かっこう》で、場内につき立つと、低い、だみ声で、
「屈木頑之助参上」
と、名乗りをあげた。
「おお、来おったぞ」
「あれが、ガマか」
「不敵な」
ざわざわとしたさざめきが、風のわたるように場内を一巡した頃《ころ》、二人の剣士は、試合場の真只中《まっただなか》に、対峙《たいじ》した。
修三郎は、長身|白皙《はくせき》の美丈夫であるが、頑之助はぶざまに肥《ふと》った躯《からだ》にひどく短い脚、両|眼《め》の間が著しく離れ、つぶれた鼻の下に大きな口がややつき出ている蒼黒《あおぐろ》い顔は、正にあだな通りガマを思わせるものがあった。
頑之助に注がれた満場の人々の眼には、明かに嫌悪と、そして、それ以上に恐怖の色があった。恐らく、殆《ほとん》ど凡《すべ》ての人々が、頑之助の敗北を希望していた。が、同時に、殆ど凡ての人が、頑之助が勝利するのではないかと云う危惧《きぐ》の念を懐《いだ》いていたのである。
それほど、頑之助のガマ剣法は、駿府城下の人々に怖《おそ》れられていたのである。
もともと彼は、名も知れぬ、素姓さえ定かでない浪士の孤児で、三年前|迄《まで》は、その名を知る者さえ稀《まれ》であった。
それが、二年前の、舟木道場の「兜《かぶと》投げ」の日以来、奇怪な風評の的となり、昨年の、同じ「兜投げ」の夜以後は、凶悪|凄絶《せいぜつ》の剣士として、畏怖《いふ》され、憎悪されるに至ったのである。
「兜投げ」――と云われているのは、駿府城下に慶長《けいちょう》以来、剣技を謳《うた》われた舟木|一伝斎《いちでんさい》の道場で、毎年五月五日に行われる特殊の武技であった。
こまかいことは「舟木家伝書」「兜投げ仕法」に詳述されているから省略する。一口に云えば、通常の兜割りが、安置された兜を斬《き》るのに対して、これは斬手の横から、サッと投げられた兜が、眼前を横切る瞬間に斬り下げるのである。
非凡の剣力と早業とを必要とすることは云う迄もない。
毎年の兜投げに、投げられた兜を両断出来るものは、一人あるかなしであった。時にはこの剣技を行うことを希望するものが一人もないことさえあった。
軍水四年五月五日の「兜投げ」が、若い藩士たちや、その他の舟木門下の間で、特に著しい興味をもって待たれたのは、当日の「兜投げ」に立派な腕を示したものが、恐らく一伝斎の跡をついで、娘|千加《ちか》の婿《むこ》となるであろうと予想されたからである。
別に、一伝斎が、そのような意志表示をした訳ではない。ただ、一伝斎の健康状態と、適齢期に達した千加の、稀有《けう》の美貌《びぼう》とが、そのような噂を、あたかも間違いのない真実であるかの如《ごと》く思わせ、若い武士たちの心をあやしく、あおり立てていたのである。
投げ兜を斬ってみせようと、名乗りをあげたものが三人まであった。藩士斎田宗之助、同|桑木《くわき》十蔵《じゅうぞう》、浪士|倉川《くらかわ》喜左衛門《きざえもん》である。
中でも、斎田宗之助は、舟木門下で実力随一と云われ、既にその前年、投げられた兜を三寸五分まで斬り下げた腕をもっており、優勝候補の本命であった。
桑木、倉川の両名も、舟木道場では傑出した剣士で、その日に備えて、兜割りの修練に、火の出る如き修練をつづけていると云われる。
そこに、第四の候補者が名乗りを上げたのである。
ダークホースの出現は、あながち珍らしいことではない。が、人々が、驚き、且《か》つ呆《あき》れたのは、その第四の候補が、十数年来舟木道場に住み込んで、門弟一同からは下僕以上にはみられていなかった屈木頑之助だったからである。
頑之助は、行き倒れた浪士の孤児を、舟木一伝斎が引取って道場においたものである。
少年の頃から醜悪な容貌と、境遇に不相応な倨傲《きょごう》な態度の為《ため》、道場においても何人にも愛されなかったが、一伝斎に命ぜられた仕事は、責任を以て果していた。
一伝斎が頑之助に目をかけたのは、頑之助が剣に天稟《てんぴん》をもつことを見抜いたからである。身分違いの為、正式の稽古《けいこ》には加わり得なかったが、その独特の凄《すご》みをもった太刀先は、次第に門下の間で評判となっていった。
が、時たま、頑之助と試合った門弟の誰彼《だれかれ》は、最後のドン詰りまで追いつめ叩《たた》きふせるその執念深い、しかも凶暴な太刀先に嫌悪の念を抱き、二度と立合おうとしないものが多かった。
頑之助が、「兜投げ」の剣技に参加したいと云う希望を申出たとき、一伝斎は、やや当惑した。門弟たちが、嫉妬《しっと》と憤懣《ふんまん》とを交えて激しく反対したからである。
「下種《げす》め、きゃつ、それ程の腕があると自惚《うぬぼ》れているのか、身の程知らずめが」
と、苦々しげに云う口裏には、あのガマ面で、千加どのに想《おも》いをかけているのか、と云う嘲罵《ちょうば》のひびきが潜められていた。
しかし、「兜投げ」に参加を望む者は、たとえ、行きずりの、無名の浪士と雖《いえど》もこれを拒まないのが、長年のしきたりである。
一伝斎は、何やら思案した後、遂《つい》に頑之助の参加を許した。
師からその旨を云い渡された時、頑之助の蒼黒い面に、かつて現れたこともない喜悦の色がパッと輝いた。門弟の一人の意地悪い表現をかりれば、正に「ガマが雨雲をみた時のように、ゴロゴロと喉《のど》を鳴らして」悦《よろこ》びを示したのである。
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二
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悦びに輝いてみえた頑之助のガマ面が、その翌朝は、ぎょっとするほど物凄《ものすご》い、悲痛な顔に変っていた。絶望と瞋恚《しんい》と屈辱とが入り乱れ、さらでだに複雑奇怪な相貌が、見る人の肝を冷やし、薄気味悪い予感に寒気を覚えさせる程であった。
一夜で、これ程の変化を齎《もたら》したものは、頑之助が、その夜、千加の部屋の床下に忍んでいて、耳に入れた、千加と一伝斎との会話であった。
頑之助は、いつの頃からか、毎夜、千加の部屋の床下に潜んで、千加が床をとり、衣を替え、ふしどに入って安らかな眠りに入るまで、その微《かす》かな衣《きぬ》ずれの音や、かりそめの独り言などに聞き入っていたのである。
千加が寝入ってからも、自分の頭上に、美しくいとしいひとが、なよやかな肉体を横たえている、と云う思いに、頑之助は、永い間、恍惚《こうこつ》としてうずくまっているのが常であった。
――全く、ガマのようだ。
と、自分の姿に、床下のやみで、自ら苦笑することもあったが、その怪しい習慣は、もはや、棄《す》てることが出来なくなっていたのである。
その夜、いつもの如く床下にうずくまった頑之助は、思いがけなく、千加と師との話を聞いてしまった。聞かねば幸せであった言葉である。しかし、一たび聞いてしまった以上、生涯、骨肉にしみこんで消し難い痛烈|無慚《むざん》な言葉であった。
「父上さま、今度の兜投げに、頑之助の加わることをお許しなされたとのこと、まことでござりますか」
千加の声は、明かに、不満の響をもっていた。
「何人も、拒むわけにはゆかぬしきたりなのだ」
「兜を見事斬ったものを、千加の婿にすると云う噂は、まことでござりまするか」
「わしは、そんな事を云うた覚えはない。だが、そなたの婿になりたがっている若者は多い、何かの目やすで選ばねば、恨みが残るだろう。わしは斎田が、仕終せてくれれば、それを理由に、斎田に決めてもよいと思っている。そなた、宗之助では不満か」
「いえ――あの――宗之助殿ならば」
「立派な若者じゃ、不服はあるまい」
「はい、でも――」
「桑木も倉川も腕は立つが、斎田には及ばぬ、心配致すな」
「はい、でも、もしあの頑之助が――」
「そうだ、もし斎田を破るものがあれば、頑之助であろう」
「まあ、厭《いや》なこと、頑之助なぞ」
千加の声が、キッと高くなって、
「万一、頑之助が、宗之助殿以上の腕をみせたらば、お父上、何となさいます、わたくしは厭でございます、あんな鼻のつぶれた、脚の曲った、ガマのような男」
「はは、わしも、まさか頑之助を婿にとるとは云わぬ。それに、いよいよとなればまた頑之助には、施すすべもある、心配致すな」
床の下の頑之助のからだが、激しくふるえ、喉の奥が、ぐるぐるぐうと鳴った。
低い鼻のつぶれているのも、短い足の曲っているのも、正に云われた通りである。あらゆる人から、陰口をきかれたし、面と向って嘲笑《ちょうしょう》を受けた事も度々ある。
が、それが、十年来、ひそかに、心身の凡てを傾けつくして恋い慕っていた千加の口から云われたとなると、屈辱の思いは、鋭い錐《きり》の如く頑之助の腸《はらわた》につきさきり、肉をひき裂いて、魂をえぐった。
まあ、厭なこと――と叫んだ千加の、今にも嘔吐《おうと》するかのような強烈な嫌悪の調子も、熱した鉄棒の如く、彼の心の支えを叩きのめした。
終日、蹌踉《そうろう》として魂を喪《うしな》ったもののように見えていた頑之助は、その翌日、即《すなわ》ち「兜投げ」の当日になると、何か奇妙に猛々《たけだけ》しい、不貞腐《ふてくさ》れた色を浮べて、式場に当てられた道場裏の庭に現れた。
兜投げの武技が開始されたのは、巳《み》の刻(午前十時)である。
重い兜を、呼吸を図って巧みに投げるのは、容易の業ではない。これは一段高くしつらえた台の上に立った一伝斎が自らつとめた。白木の台に並べられた兜をとりあげ、下手に構えた剣士の前に、
「えいっ」
と、裂帛《れっぱく》の一声、だっと投げるのを、眼前を横切る秒毫《びょうごう》の刹那《せつな》、発止《はっし》と刀を打ち下ろして、斬る。
最初に出た桑木は、わずかに兜の八幡座《はちまんざ》を傷つけた許《ばか》り、つづいた浪士倉川も、二寸がほど斬り込み得ただけであった。
輿望《よぼう》を負うた斎田宗之助、満々の自信を眉《まゆ》の間にたたえて、定めの位置につく。白い頬《ほお》が、やや紅潮し、すっきり通った鼻筋が、みるからに美しい。股立《ももだ》ち高くとった袴《はかま》の下からみえる白い恰好《かっこう》のよい脚のふくらはぎが、きゅーっと引きしまって、全身に溢《あふ》れた緊張を示している。
「ええい」
「たっ」
真二つに割れて、地に墜《お》ちた兜を見下ろして、宗之助は、莞爾《かんじ》と、微笑《ほほえ》んだ。
縁に立って見入っていた千加の顔にも、サッと悦びの笑みが拡がった。
「見事!」
「さすがは、斎田」
「やったのう」
そうした人々の賞賛の声の静まり切らぬ中に、屈木頑之助は、むっつりとして、宗之助に代って、位置についた。
その対蹠《たいしょ》的に不細工な姿をみて、人々は一斉に失笑した。
――が、最後の兜を手にとって、投げようとしていた一伝斎の瞳《ひとみ》の中には、大きな愕《おどろ》きの色が走ったのである。
――出来る。これ程までとは、思わなかった。
一伝斎は、兜を持った手を、思わず、少しくふるわせたが、思い直して、低く、
「ええい」
と叫んで、兜を投げた。
発止!
無言のまま打ち下ろされた頑之助の刃に、兜は地上に、だっと叩き落されたが――斬込みは、半ばにも達していなかった。
どっと、嘲笑の声が挙がる。その中で、
「これまで」
一伝斎が、急ににじみ出た額の汗を、そっと拭《ぬぐ》って、そう云った時、片|膝《ひざ》ついて兜を改めていた頑之助が、奇妙な声で、
「しばらく」
と、叫んだ。両眼、燃える如く光って、唇のあたりが、ひくひくと痙攣《けいれん》していた。
「お師匠さま、しばらく。只今の兜投げ、今一度、やり直しを願いまする」
「何!」
一伝斎は、襷《たすき》をはずしながら、頑之助を睨《にら》んで、厳しい声で云ったが、その顔色は激しく動揺していた。
「お師匠さま、ただ今の投げ、頑之助、承服致しかねまする」
「何故だ」
「投げの掛声殊更に低く、しかも、寸秒、間を狂わせてお投げになりましたこと一つ。やつがれの刃と交る点が、殊更に低くなる如くお投げなされましたこと一つ。何故あって、さような依怙《えこ》の仕法なされましたか、右二点、とくと御説き明かしの上、今一度お投げ返し願いまする」
「わしの投げが、尋常でないと申すのだな」
唇を噛《か》んだ一伝斎の顔を見上げて、頑之助、臆《おく》した色もなく、はっきり答えた。
「さようでございます。誰よりも、お師匠さま御自身が、それは一番よくお解りの筈《はず》」
「無礼であろうぞ、先生に向って、屈木、退れッ」
「下郎の分際で、思い上るな、莫迦《ばか》め」
騒ぎ出した門弟を片手で制した一伝斎は、今迄の激しい調子とは打って変った、柔かい言葉で頑之助に云った。
「頑之助。そちはこの一伝斎が幼少の頃から育てた、いわば我児のようなものじゃ、何で、殊更に依怙の沙汰《さた》をしようぞ。ただ一伝斎、年老いて、昔のように腕が動かぬ。兜投げも、今年限り、来年からは、誰ぞ余人に頼まねばなるまいと思うておった。例年になく四度びの投げ、その最後に、いささか呼吸に狂いがあったかも知れぬが、老人のこと量見せい。兜投げの仕直しなどは例にないことじゃからの」
「さりながら、お師匠さま」
「頑之助、強いて云いつのるとあらば、聞け。かりに、そなたに投げられた兜、投げの呼吸狂い、いささか低目に走ったとしても、そちの腕だに充分ならば、見事、切り落し得る筈ぞ。戦場に於て、敵の兜が、己れの欲するように、眼前に呼吸を合せて、程よきところに飛び来ると思いおるか、己れの腕の未熟を悟らず、場所をわきまえず、たけだけしく云いつのるは見苦しいぞ、頑之助」
キッと一伝斎を見つめていた頑之助の眼が、地に墜ちた。びくっと両肩をふるわせると、意外にも、大人しやかに答えたのである。
「お師匠さま、恐れ入りました。まこと、腕さえ出来ておれば、如何《いか》なる投げにてもあれ、立派に切り落せました筈。御教訓、とくと、身に沁《し》みてござります」
何かに飛びつこうとする蛙のような恰好に、ふらりと立上ると、伸び上るようにして、縁の上の千加の姿を探した。
人々の頭越しに、千加の視線をとらえ、対手《あいて》がつっと人陰に隠れるのを見ると、頭を垂れて一伝斎に会釈し、静かにその場を去っていった。その頑之助の唇の両端が、己れの菌にかみ切られて、顎《あご》まで赤く血を引いていたことには、誰一人気がつかなかったのである。
その夜、頑之助は、舟木道場から、姿を消した。
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三
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菊の香りの高く匂《にお》う頃、斎田宗之助は、千加を嫁に迎えた。舟木道場の師範代として、事実上、一伝斎に代って、一切を引き受けた。
頑之助のことは、もう誰も、殆ど忘れ去ってしまっていた。
ちょうどその頃、それ迄、どこへ行っていたのか、全く行方の知れなかった頑之助が、富士の風穴の一つに籠《こも》っている、と云う噂が、どこからともなく伝わってきた。
富士|山麓《さんろく》の杣人《そまびと》たちが、時折り、その辺りで「ガマと亀《かめ》の合の子のような」無気味な男に出会った。誰云うとなく、それは頑之助だろうと云うことにされたのである。
そして、それは事実、彼、頑之助であった。それ迄、どんな暮らしをしていたのか、かつての肥満した躯は、かなり痩《や》せてしまっていたが、相変らず短い脚に、長四角い胴をのせ、鼻のつぶれた顔をして、蓬頭垢面《ほうとうこめん》、正しく、老いた亀と、病んだガマとの申し子のような相貌を呈していた。
秋から冬にかけて、日に日に、酷烈な寒さを加える時を、頑之助は、風穴の中に暮らした。
特に、高さ三尺余りしかない、奥行の深い穴に棲《す》んで、終日、その低い狭い洞穴の中で、鋭い声を発して、剣を揮《ふる》っていた。
左脚を後方に長く伸ばして右膝を立て、その膝の上に上体を覆いかぶせるように屈した異様な姿勢で、頑之助は、剣を抜き、剣を揮った。
屈んでいても鼻のつかえそうな、その洞穴の中で、頑之助の剣は、まるで周囲の岩壁を無視しているかのように、自由に閃《ひらめ》き、自在に走った。
「ふふ、まるでガマのようだな、この恰好は。ガマだ、ガマでよい、おれは醜いガマなのだ。千加の云う通りだ。だが――くそッ、そのガマの剣が、どれ程のものか、思い知らせてくれるぞ」
ぶつぶつ動く唇が、そんなことをしつこく呟《つぶや》いていた。
烈風が吹き荒《すさ》んで、富士の山腹から、砂や小石が、面もあげられぬほど飛んでくるような日には、頑之助は、風穴の外に出て、木刀を揮った。
前後左右、縦横に飛んでくる小石を、片端から、木刀で叩き落した。頑之助のからだは、上下に目まぐるしいほど屈伸し、飛来する小石は、上下の何《いず》れを問わず、適確に叩き落された。
殊更に低く投げられた兜を斬り損った苦い経験は、頑之助に、重要な一事を訓《おし》えたのである。それは、剣の力は、重心より下にある物体を斬る場合には、下方になるほど著しく減殺される――と云うことであった。
勿論、重心と云う概念が彼によって明白に把握されていた訳ではない、彼はこれを身体の中核点と考え、自ら核心と呼んだ。そして彼は自己のからだの核心=重心を上下自由に移動させることを、云いかえれば、全身を、間|髪《はつ》を容れず屈伸させることを修練したのである。
地上低く身を伏せて闘うことは、この見地から見ると、極めて有利であった。それは第一に、通常の姿勢で斬り下ろす敵の刃の力を、殆ど無力化する効果をもった。第二に、敵の防御力の最も手薄である下半身を、狙《ねら》い斬りにする可能性を与えたのである。
自ら、ガマ剣法と称するこの構えの完成に、頑之助は渾身《こんしん》の力を傾けた。
剣に憑《つ》かれ、剣に狂った日と夜とがつづいた。
一切を忘れて、剣にはげむ頑之助も、しかし、疲れ果てて洞穴の中にまどろむとき、ふっと夢に千加を見ることがあった。
鬱積《うっせき》した若い血潮が、火を噴いて燃え上り、その炎の中で、斎田宗之助に抱かれて帯をとき放った千加が、白い肌を切なげにのけぞらせた。
そんな時、頑之助は、野獣のような呻《うな》り声を挙げて、はね起き、洞穴をとび出して、暁方まで木刀をふり回し、曠野《こうや》を走り回った。
「千加! 千加!」
と荒々しく叫ぶと、涙が頬をつたって残忍な利鎌《とがま》のような冬の月光に、きらめき、頬ひげの間に凍りついた。
まともな食物とてもなく、時には、枯草を雪で固めて食うている胃の腑《ふ》は、苦い液汁を喉元につき上げた。
寛永五年正月|朔日《ついたち》、一滴の酒もなく、新しい年を迎え、常の日と変わりなく疲れ果て、洞穴内に臥《ふ》していた頑之助は、夜半、ふっと怪しいものの姿が枕元《まくらもと》に近づくのを夢うつつの中に感じた。
抱いていた剣は殆ど無意識の手に鞘《さや》を離れていた。
横に一|薙《な》ぎ、つづいて真向から斬り下ろし、たしかな手応《てごた》えを感じたが、真の闇《やみ》で、対手は何ものとも見分けはつかない。
剣を握って、永い間、じっとあたりを覗《うかが》っていた頑之助は、血潮の匂いが洞穴の中に満ち、やがて、風に吹きさらわれてゆくのをみると、刃をぬぐって、そのまま、洞穴の壁にもたれて眠り込んだ。
暁の光に眼をさました頑之助は、洞の入口に、巨大な山犬が、前両肢を横ざまに斬り放たれ、鼻頭を真向から打ち割られて斃《たお》れているのを認めた。
頑之助の面上に、微笑に似たものが走った。
山犬の死体を跨《また》いで外に出ると、粉雪が舞っている。
洞穴の前にすっくり立って、その雪をみていた頑之助のからだが、突如、前方にのめるように、低く倒れたかとみたが、その右手に伸ばされた剣は、地上三寸の処に舞い落ちてきたケシ粒ほどの粉雪を、真二つに割っていた。
もう一度、微笑に似た影を、その面上に浮べると、彼の姿は、雪を踏んで、南の方へ消えていった。
その翌日の夜。
駿府城下、安西町の角で、年始回りの帰途にあった斎田宗之助が、何者かに斬られた。
卓越した腕をもつ宗之助が、やみ討ちとは云え、むざと斬り殺されたことは、人々に大きな愕きを与えたが、その死体の異様な状況は、その場にかけつけた者凡てを、慄然《りつぜん》とさせたのである。
宗之助は、両脚を膝の真下から、ぷっつり切り離された上、喉を貫かれて死んでいた。その上、無慚《むざん》にも、鼻を削《そ》がれていた。
宗之助ほどの者に、これ程思い切った殺傷を加え得るものは、一体何ものであろうかと、人々は背筋を冷たくして語り合った。勿論、その場の誰一人として、久しく消息を絶っている頑之助のことを思い出すものはなかった。
仔細《しさい》を聞いて、もしや、と頑之助に思いを馳《は》せたのは、只一人、舟木一伝斎であったが、そっと胸に収めて、他言はしなかった。
心利いた者が、斎田宗之助の腰から大刀をひき抜き、宗之助のからだから流れる血潮にひたしておいたので、凶賊に襲われながらも死闘して斃れたと云うことで、家名は立てられた。
が、舟木道場に戻った千加が、悲嘆の日を送り、且《か》つ迎えたことは云う迄もない。
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四
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五月五日、再び「兜投げ」の日が来た。
良人《おっと》を失った千加の、憂いを含んだ姿は、ひとしお優艶《ゆうえん》に、どこか頼りなげな色さえ瞳の中に浮べ、若い侍たちの胸をかきむしるほど、なよやかに哀《かな》しい。
今年の兜投げに、立派な腕前を示したら、或《あるい》は、その=sろう》たけた美しい千加を、自分のものに出来るかも知れぬ、――そう云った期待が、朧に覚えの若者たちをそそったのかも知れぬ。兜投げの武技に参加を望むものは、例年になく、六人に達した。
一伝斎は検分役に回り、兜を投げる役は、駿河《するが》藩中の一刀流の使い手として知られた、笹原権八郎がつとめた。
その当日、千加のやさ姿に逆上し、己れの腕を過信して参加した若い剣士たちは、しかし、次々に失敗した。
ただ一人、辛うじて兜を打ち割ったは、前年二寸程斬り下げて、惜しくも失敗した浪士倉川喜左衛門である。
「よくぞ、修業したな」
一伝斎が、倉川に微笑《ほほえ》みかけて、そう云った時、いつの間に入り込んでいたのか、取り囲んだ人々を押し分けて、躍り出た、ボロボロ衣装の男があった。
「あっ、屈木!」
人々が、斉《ひと》しく驚きの声をあげた。
頑之助は、一伝斎に向って、土下座した。
「お師匠さま、無断逐電致しましたことのお仕置は、後刻|如何様《いかよう》にもお受け致しまする。未熟と仰《おお》せられた頑之助の腕、今一たび、お試《こころ》み下さりませ」
否とは云わせぬ気魄《きはく》をたぎらせて、しかと、そう云い切ったのである。
沈黙が、しばし、その場を支配した。
一伝斎は、限りない不快の色を表わしながらも、投げ棄《す》てるように云った。
「許す、やってみい」
この奇怪な弟子の凄《すさ》まじい気魄からは、新しく修得したらしい何ものかが、はっきりと窺《うかが》える。その剣技の奥底を見極めたいと云う、剣客としての抑え難い望みが、あらゆる顧慮をのりこえて、その一言を言わせたのである。
頑之助は、定めの位置に立った。
「笹原氏、わしが代ろう」
一伝斎は、権八郎に代って、投げ台の上に立った。
その一伝斎の挙動は、驚く程、乱暴であった。
兜をとり上げると、呼吸も図らず、いきなり、頑之助の膝の辺りをめがけて、文字通り、叩きつけたのである。
剣を構えて正常の姿勢で立っているものが、このように投げられた兜を、地上に落ちる前に斬り落すことは不可能である。
凡ての者が、そう感じた瞬間、頑之助は、飛鳥の如く後へすさり、身を押し倒す如く前方に伏せた。
地上三寸の処で、兜は、見事、真二つに割られて、地に落ちた。
「あっ」
「おおっ」
茫然《ぼうぜん》と、息をのんだ人々の顔を見回した頑之助は、縁の上の千加の方に向いた。
「お千加さま、去年、斎田さまは兜を割って、お千加さまの婿となられましたな。今度は、この頑之助のものとなって下さりまするか」
ひいっ、と魂の消えるような声をあげて、千加が身を引いた時、一伝斎が、カッと眼を恐らせて罵《ののし》った。
「下郎、推参。身の程知らずめが、兜投げと、千加の婿とは何のかかわりもない、退りおろうぞ」
その言葉につづいて、倉川喜左衛門が、顔に朱を濺《そそ》いで、前に出た。
「屈木、人もなげな暴言、許さぬぞ。本日兜を割ったは、その方一人ではない、この倉川も、見事、割っている」
「ふふ、倉川さま、あなたもお割りなされた。その通り。だが、同じ兜を割るにも色々ある。私に投げられたような兜は、あなたには、とても割れませぬ」
「ぶ、無礼な!」
「お望みならば、どちらの腕が、まこと優れているか、今ここで、お対手致しましょう」
頑之助の声は飽く迄落着いて、明かに軽侮《けいぶ》の調子さえ含まれている。
「望む処、来い」
パッと囲いを開いた人垣の中で、倉川喜左衛門は、袴の股立高くとり直した。
頑之助は、人陰から、怖ろしげに顔を覗かせている千加に、しばし、執拗《しつよう》な視線を据えていたが、倉川の方に向き直って、
「ふふ、倉川さま、あなたの脚は、細くすんなりと美しい、私の足はひき蛙のように曲って醜い。あなたの鼻は、すっきりと筋が通っている。私の鼻は、ガマのように潰《つぶ》れている。だが、倉川さま、剣の道は、失礼ながら、桁《けた》違いだ」
「ほざくな、下郎」
倉川が、ふりかぶった刀を、上段から真向に打ち下ろした瞬間、頑之助のからだが、ひたと地を這《は》った。
倉川の刃先が、空《むな》しく空を打って、その上体が前のめりになった時、頑之助の剣は低く地上一尺のところを横に薙いだのである。
両脚を、膝のすぐ下から、すっぱと切り裂かれて、
「うあッ」
と倉川が倒れかかったのと、頑之助が、
「みたか、ガマ剣法」
と叫んで、返す刀で合川の鼻を斜に切り削いだのと、殆ど同時である。
「斎田宗之助殺害の凶賊、そこ動くな」
一伝斎の声と共に、その右手から小柄《こづか》が、礫《つぶて》のように飛んだ。
その小柄を、苦もなく、刀の峰で、はね飛ばした頑之助は、がらりと変った相貌に、まがまがしい憤怒の色を漲《みなぎ》らせて怒号したのである。
「一伝斎どの、その老いぼれ腕では、この頑之助は殺せぬ。お手前の命|貰《もら》うはたやすいが、十余年冷飯くわせて貰うたお礼に、命だけは助けておく。――お千加どの、聞け、この頑之助を置いて、他の男と契りをむすべば、対手の男、何者であろうと、その命、しかと貰い受けるぞ、よいか、お千加、その男、鼻を削ぎ、脚を斬って、息の根をとめるぞ」
「おのれ、待て」
「屈木、許さぬぞッ」
余りのことに茫然としていた一伝斎と権八郎とが、己れをとりもどし、剣を抜きつれて躍り出た時には、頑之助、ガマの飛ぶような奇妙な跳躍をして、人垣を押し分け、邸の外に姿を消して行ってしまっていた。
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五
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投げ兜を、地上寸前に両断した上、倉川喜左衛門を一撃の下に斃した頑之助の怖るべきガマ剣法は、人々を驚愕《きょうがく》せしめた。
喜左衛門を斃した惨忍な手法からみて、先の斎田宗之助殺害の犯人も亦《また》、頑之助であることは、もはや一点の疑いもない。
何人にてもあれ、千加を妻とするものは、この執念深い、無類の妖剣《ようけん》が、常に自己の身辺を脅かしてくることを覚悟しなければならないのである。
千加の美貌には心を動かされながら、この危険を敢《あえ》て冒すことは、さすがに、躊躇《ちゅうちょ》せざるを得ない。今迄熱心に千加を望んでいた若い人々も、その後は、唯《ただ》一人の例外を除いては、全くその希望を示さなくなった。
例外の一人とは、笹原権八郎である。
彼は、かの日招かれて初めて千加を見たのであるが、そのあえかに匂う如き千加の、脅えた瞳の色に深く魅せられた。のみならず、不覚にも、なす処なく頑之助を取り逃したことは、剣の道における彼の自負心を少からず傷つけたのである。
頑之助何ものぞ、ガマ剣法何ものぞ。権八郎は、その後、しげしげと舟木道場を訪れ、千加を慰め、一伝斎を鼓舞した。
千加を託するのは、この男以外にはない、と一伝斎が考えるようになったのは当然であった。
宗之助の一回忌が過ぎると、千加は、権八郎の許に再嫁した。
「無事では済まぬぞ」
「ガマめ、必ず、笹原を襲うぞ」
人々は、若干の嫉妬も交えて、そう噂し合った。
権八郎は、固《もと》より、一切を覚悟の上である。日常、凡ゆる注意を払って、いつ現れるか知れぬ頑之助の攻撃に備えた。
夜間の外出は絶対に避けたし、邸の警備には万全を期した。
その為か、しばらくは、予期された頑之助も、姿を現さず、無事な月日が流れたが、やがて、また、怪しげな噂が、そこここで囁《ささや》かれ出した。
「城下外れで、頑之助の姿をみたぞ」
「笹原の邸の辺りを、深夜、ガマのような男が、うろつきおったぞ」
そして、こうした噂に最も強い恐怖を示したのは千加であった。
「大丈夫でございましょうか、頑之助が、またしても、あなたを狙っているらしゅうございますが」
危惧の色を濃く浮べて、千加に寄りすがられると、権八郎は、心底からこみ上げてくる女いとしさに、凛然《りんぜん》として云い放つのである。
「心配致すな。万一、きゃつが姿をみせたとしても、一刀流の名誉にかけて権八郎、ガマ如きにおくれはとらぬ」
千加の憂慮は、こうした権八郎の断言にも拘《かかわ》らず、日々に増大していった。しまいには、夜中、かたりと音がしても、ガバとおきて身をふるわせ、権八郎にひしと抱きついた。
「ガマが参ります、ガマが」
と、物狂わしげに呼ぶのである。
千加の透き通るように白い頸《くび》に、青く静脈が浮び、権八郎の両|股《また》の間に入れたそのしなやかな脚がぶるぶると慄《ふる》えていた。
権八郎は、その千加を、幼児をあやすようになだめ、全身をやさしく撫《な》でてやった上、己れにも千加にも、二人の契りを改めて確認させるかのように、激しい愛のいとなみをくりかえした。
両眼を閉じ、顔にあかるみを上らせて、ぐったりと己れの腕の中に抱かれた千加の顔をみつめていると、権八郎の胸の中には、このいとしい可憐《かれん》な妻を、これほどまでおびえさせる頑之助に対する限りない憤激の情が、ふつふつと沸き上ってきた。
「よし、ガマめ、きゃつの出てくるのを待つ迄もない、やつを探し出して、息の根をとめてくれよう」
権八郎は、従兄《いとこ》に当る笹原修三郎を訪れて相談した。
笹原修三郎は、駿河藩の槍術師範である。鎌宝蔵院流の正統を伝えた中村派の開祖中村市右衛門尚政に槍《やり》を学んで、「刺穿《しさく》絶妙」と謳《うた》われていた。
「頑之助なるもののことは聞いている。聞き及んだ範囲内でも、その男、容易ならぬ腕だぞ」
修三郎は、そう云った上、権八郎に先の兜投げの日の頑之助の技法を、詳細に説明させた上、色々の質問をした。
「剣先の働きを、心憎きまで会得した奴《やつ》だな、その頑之助と云うのは。からだの屈伸によって、刃の斬味を巧みに使い分けるとは、わしも、刀と槍とを学んだが、その折、とくと感じとった事あって、専《もっぱ》ら槍を選ぶに至ったのだが、一々に思い当るぞ」
相対して斬り込む剣の刃が、効果的に相手を深く傷つけ得る空間は極めて狭い。頭の天頂から膝の上まで、わずか三尺五寸の間である。これに反して、突き刺す槍が、くり出す手許の刺殺力をそのまま対手に向ってぶっつける範囲は、頭上から足許まで、六尺以上に及ぶのである。
頑之助は、からだの屈伸による重心の移動によって、刀の有効範囲の拡大に独特の秘法を収めたのであるが、修三郎は、本来この困難を克服している槍の奥儀を究めることによって、馬上の敵から地に伏す敵に至る迄、充分に刺殺する本道を歩んだのである。
「常の太刀遣いでは、そのガマを斃すことは出来まいぞ。槍以外にはないな。きゃつを仕とめる途《みち》は」
修三郎は、そう断言した。
一刀流の名誉にかけても敗れはせぬ、と千加に断言したものの、あの日まで、かつて耳にしたこともなかった頑之助のガマ剣法に、如何にして対抗するかは、権八郎も少からず頭を悩ましていた処である。
従兄修三郎の話を聞いている中に、一々、成程とうなずいた。
「おぬし、拙者を弟子にしてくれぬか」
「槍を習うと云うのか」
仮りにも一流の奥儀を許されたものが、改めて、弟子の礼をとると云うのである。修三郎は、少々愕いたが、権八郎の頑之助に対するなみなみならぬ激しい闘志には心を打たれた。
「よし、おぬしのことなら、改めて教えるほどのこともあるまいが、槍|捌《さば》きだけでも」
修三郎は、うなずいた。
三月の間、権八郎は、修三郎の道場に通った。教える方も、教わる方も、一流に達した同士である。上達は、めざましかった。
「権八郎、お主の剣は、云う迄もない、その上、槍も、ここまでゆけば、もはや、恐るべきものはあるまい」
修三郎が、或る日、槍を立ててそう云うと、権八郎も、我意を得たりと云うように、微笑した。
この三月の間に、権八郎の身の上に、若干の変動があった。一伝斎が死去し、その道場を受けついだのである。
そして、その年の「兜投げ」は、一伝斎の病気中に当った為に、行われなかったが、人々は、前年の凶事を思い出して、むしろ、それが中止されてよかったなと話し合った。
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六
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権八郎は、進んで頑之助を探し求める一方、常に警戒を怠らなかったが、頑之助の襲撃は、意外な時、意外な場所で行われたのである。
七月一日、総登城の朝、権八郎が若党佐助に槍を持たせ、寺下町から大手門に通ずる札の辻《つじ》町を曲った時である。
「ひぇーッ」
と笛の断ち切れたような声が、権八郎のすぐ背後に起った。
たッと、足をとめた権八郎の面前に佐助の首が転がってきた。
「あッ」
右へ飛びすさった権八郎の手には、既に剣が抜かれていたが、その権八郎を狙って、ガマの如く地上に低く身を沈めた頑之助の姿が迫っていた。
佐助の胴体は、槍を握ったまま、すぐ一|間《けん》ほどのところに横たわっている。だが、その槍をとりあげることは不可能であった。寸秒でも、からだの構えをくずすことは、即座に敵の刃の餌食《えじき》となることを意味する。
――しまった。
槍の修練が全く無に帰したことを知って、権八郎は、心中、無念の歯がみをしたが、こうなっては一刀流の秘術をつくして、対手の魔剣と闘う以外にない。
頑之助が、じり、じりと、からだを、前にすすめた。
権八郎は、その動きにつれて、じり、じりと、後にさがっていった。
敵の襲撃が、脚にくることを予期して、権八郎は、下段に構えていたが、いかに焦っても、地上二尺以下に低く這っている敵に、有効な打撃を加える隙《すき》はみつからなかった。
一歩、二歩、次第に追いつめられて、片側の土塀の裾《すそ》を左足のかかとに感じた権八郎が、棄身《すてみ》の攻撃に移ろうとした瞬間、頑之助の剣が、サッと伸びた。
「うッ」
権八郎は、顔面一杯に鮮血を迸《ほとばし》らせて、前によろめいた。彼の剣が、両脚にくると予想した敵の刃を払って空を打った時には、跳躍した頑之助の剣は、権八郎の鼻を削ぎ落していたのである。
よろめきながら、対手の肩にざっくりと斬り込んだ筈の権八郎の剣も、再び空しく空を打ち、彼のからだは前のめりに倒れた。頑之助は、その時既に、ひくく地を這って、その剣は、権八郎の両|脛《はぎ》を薙いだのである。
登城中の侍たちが、権八郎の断末魔の声を聞きつけて、馳《は》せつけた時には、頑之助の姿はなく、両脚を切られ、鼻を削がれた権八郎が、更に喉をつき刺されて、惨《むご》たらしい死骸をさらしていた。
凶変は、城中を震愕させ、藩士たちを激怒させた。
死体の近くで、腰を抜かしていた草履取の可内の口から事態は明白にされた。斎田宗之助の場合と違って、犯人は明かに頑之助と知れていた。白昼、藩士が、城の大手近くで惨殺されたのである。浪士倉川の殺された時と違って、全藩の問題としてとりあげられた。
直ちに、頑之助逮捕の手筈が定められ、城下一帯に警戒令が布かれたが、頑之助の奇怪な姿は、どこにひそんだのか、影も形もみせなかった。
「富士の風穴に隠れおるとの噂だぞ、討手を向けい」
「一筋縄ではゆかぬ奴、鉄砲組をひきつれて討ちとれ」
口々に罵り騒ぐ藩士たちを押えて、笹原修三郎が進み出て、云った。
「たかが一人の浮浪人の為に、大騒ぎをするは、他家に聞えても恥かしい。屈木頑之助、この笹原修三郎が討ち果しましょう」
修三郎は、権八郎が斬られたことを聞くと、未見の怪剣士屈木頑之助に対して、鬱勃《うつぼつ》たる戦意を感じたのである。
彼は、権八郎が、槍を揮う機会を持ち得なかった事情を可内の口から詳細に確めた。
――仮りに、権八郎が槍を握ったとしても、その頑之助と云う男には、勝ち得なかったに違いない。
修三郎は、そう感じた。背後にひきつれた槍持を討たせてしまったことは、既に槍を命とする者にとっては、それだけで敗北である。修業未熟と云われても已むを得ない。武器を以て死活を争う上には、如何なる弁解も、過失も容認されない。勝と負、生と死、それが凡ての、究極の答なのである。
不意を襲って、槍持を一撃に斃した頑之助の戦法は、それだけでも、槍をもった場合の権八郎を凌駕《りょうが》するものとみてよい――修三郎は、そう判定し、中村派槍術の生命にかけて、自ら頑之助と一騎打を試みようと決心したのである。
修三郎の進言は採択され、その希望によって、屈木頑之助に宛《あ》てた挑戦状が、城下各地に立てられた。
決闘の場所を、駿府城内真剣御前試合の場と定めたのは、晴の舞台を提供することによって、かの自負心高き凶悪の剣士をおびき出さんが為であった。
しかし、修三郎は、挑戦の立札を掲げさせると同時に、頑之助との決戦状態に入ったものと覚悟した。
四六時中、些《いささ》かの油断もなく身辺を警戒し、外出には必ず槍を、自ら携えた。
彼は、自分の秘蔵する自慢の名槍に、「銀蛇号」と云う名を与えた。これは、それまで、「笹原の舌切り槍」と呼びはやされたものである。
数年前、藩主|大納言《だいなごん》忠長が、久能山《くのうざん》の家康|廟《びょう》に詣《もう》でた折のことである。
山頂に通ずる長い石段の中腹で、先導する者が、あっと叫んで歩みをとめた。
石段の真中に、一丈に余る大蛇が、とぐろを巻き、鎌首をもたげている。
刃をもつ敵ならば、敢て恐れない腕に覚えの侍たちも、この長い不気味な胴体をくねらせ、醜怪な頭をのび上らせて、赤い魔の如き舌をチョロつかせている対手には、二の足を踏んだ。
万一、仕損じては――と云う危惧の念が、主君の面前だけに、何よりも強く働いたのである。
「御免」
うしろの方にいた笹原修三郎が、人々を押し分けて、前へ出ると、槍の鞘を払って、大蛇の正面に立った。
妖《あや》しく首を動かしながら、今にも飛びかかろうとする大蛇のからだが、修三郎をめがけて、しゆーっと伸びたと見えた時、
「ええい」
と修三郎の突き出した槍の穂先は、大蛇の口から、一瞬、炎のように閃《ひらめ》いた舌を、突き刺していた。
そのまま、じりじりと右に動き、のたうつ大蛇を石段から、傍の草むらへ連れ出すと、修三郎は、大蛇の舌を貫いている槍さきを、口中深く、ぐさりと突き刺し、サッと引抜くと見えたが、槍を反転させて、石突きで力一杯に大蛇の頭をつき砕いたのである。
主君の参道に、一滴の血も滴らさずに大蛇を退治した機転と、火花の如く閃いた大蛇の舌を毫末《ごうまつ》の瞬間につきぬいた槍先の冴《さ》えは、人々の絶賛を博した。
誰云うとなく、修三郎の槍を「舌切りの槍」と唱えるようになったのは、それからのことである。
修三郎が、それを、殊更に「銀蛇号」と呼ぶに至ったのは、ガマを呑《の》む大蛇をさえ退治したその槍で、見事ガマ剣士屈木頑之助を屠《ほふ》ろうと云う決意を示したものに他ならない。
大胆|剛毅《ごうき》の一面、細心憤重な修三郎は、あらゆる角度から、頑之助の技法を研究して対策を練った。
寸秒の間にからだを自在に屈伸させて、顔面と脚部とを、殆ど間髪を容れず襲うであろうと思われる頑之助の剣を、如何にして防ぐか――槍による攻撃力に充分の自信をもっていたにも拘らず、修三郎は、この点を深く考慮した。
南蛮鉄の五分板の細片をつなぎ合せた特殊な脛当てを工夫して、作らせたのは、その結果である。
必ず、屈木頑之助を仕とめると、屡々《しばしば》揚言し、千加の許を訪れて、
「宗之助殿と権八郎の仇は、この修三郎が誓って晴らし申す、試合当日は、必ず見に来らるるがよい」
と云い残していった。
修三郎は、三十二歳、前年妻を喪っていたから、千加と結びつけて、彼も亦《また》、千加の美貌を愛して、闘魂を燃やしているのだと噂する者もあったが、少くもこの当時の修三郎の心には、そのような余裕があったとは思われない。
彼の心は、ただ、頑之助のガマ剣法打倒にかたむけつくされていたのだと云ってよい。
人々も、修三郎の絶妙の腕を充分に確認していたし、彼自身にも勝利の成算は充分あった。試合の日が迫って、もはや頑之助の不意打の危険は殆どなくなっていた。
にも拘らず――多くの人々は、試合の結果について、多大の危惧の念を抱いていた、頑之助が、勝つのではなかろうか――はっきりした理由もなしに、そうした思いが、人々の胸の底にわだかまっていたのである。
家老三枝が、ひそかに命じて、修三郎には内密に、試合の当日、鉄砲組を待機させたのもその為である。
万一、修三郎が敗れたならば、銃丸が頑之助を射ぬく手筈が、整えられた。試合の勝敗の他、敢て傷害を加えぬと云う立札の添書なぞは、この老獪《ろうかい》な三枝にとって、一顧の価値もない便宜手段に過ぎなかったのである。
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七
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旧暦九月の末に近い晩秋の空は、飽くまで晴れ渡って一点の雲もなく、午《うま》の刻に近い陽《ひ》は、試合毎に掃き浄められる白砂を、眩《まぶ》しく照り返している。
笹原修三郎は、銀蛇号をりゅうりゅうとしごいて、身構えると、
「いかに屈木頑之助、従弟《いとこ》権八郎の仇、覚悟せよ」
凛然と云い放った。と――頑之助は、修三郎の槍の穂先と一尺ほど間をおいて、青眼に構えた己れの剣の先を超えて、修三郎の瞳をじっと見つめたまま、低いダミ声で云ったのである。
「修三郎、卑怯《ひきょう》ぞ」
「なに!」
「鉄砲を用意したな」
あッ! あれ程云っておいたに、よしなきことを、と修三郎が、三枝の出すぎた用意に憤って、背後をふり向いた刹那《せつな》、頑之助のからだが地を蹴《け》って飛び、鋭い太刀風が、修三郎の鼻先をかすめた。
なみのものなら、一たまりもなく鼻を斬られていたに違いない。修三郎とても辛うじて一歩すさって、これを脱《のが》れ得たのみである。
が、次の瞬間には修三郎は立直っていた。
素早く手許にたぐり込んだ槍を、電光の如く胸元めがけて突き出していたのである。
その必殺の一突きは、空を流れた。
頑之助のからだは、槍先から忽然《こつぜん》と消え失《う》せた。
右膝を立て、左膝を後に長く伸ばし、上体を地上一尺五寸の間に低めて、低く伏した、あのガマの構えになっていたのである。その左肩にあてられた剣は、修三郎の脚を狙って、血を求めてきらめいていた。
その奇怪な姿で、二人の剣士は、しばし、声もなく、身動きもせず、睨み合った。
見る者さえ、息をつめ、全身をこわばらせる緊張の時間がつづいた。
修三郎の槍の穂先が、眼にみえぬほど、少しずつ、下にさがってゆき、その引延ばした直線上に頑之助の首がのったと思われた時、両方の剣士の姿が、同時に躍動した。
「えいッ」
「とうッ」
あたりの空気を激しくつんざいたその叫びに、ハッと人々が目をこらした時、対峙する二人の姿勢は、わずかに形をかえてみえた。
頑之助は、今迄とは逆に右脚を後に曳《ひ》き、左膝を立てて低く伏していたが、その右腕と剣とは、一直線につき伸ばされていた。
修三郎は、くり出した槍を再び手許に引いて、垂直に立てていた。
何秒か、そのままの姿がつづいた。
と、頑之助は、立てた左膝を倒して、がくりと前に突っぷした。修三郎の槍は、手許に引かれる前に、頑之助の右肩を背骨にかけて深く貫いていたのである。
修三郎は、とみるや、ぐらりとよろめいて、右膝をついた。頑之助の剣は、彼の右脚を薙ぎ、南蛮鉄の脛当てを切り裂いて、骨に斬り込んでいたのである。
修三郎は、立てた槍にすがったまま、倒れた頑之助のからだを、じっと見守っていた。
試合は終ったと、人々が思い、検査役の渡辺《わたなべ》監物《けんもつ》が、声をかけようとした時、頑之助が、首をあげた。じりじりと匍匐《ほふく》して、進んだ。
深傷《ふかで》に、もはや、修三郎の姿が眼に入らぬのか、遥《はる》かその左に外れて、傷ついた巨大なガマの如く、ノロノロとはっていったが、藩士の家族のものたちの見物している溜《たま》りの近くまでくると、
「ぐわあ――」
と、醜怪な声をあげて、上体を反りかえらせた途端、溜りの中から、
「ひーいっ」
と、悲鳴が上ったのである。
見物席にいた千加の胸に、頑之助の飛ばした小柄がつき刺さったのと、修三郎の投げた銀蛇号が、頑之助の背につき立ったのと、全く同時であった。
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相打つ「獅子反敵」
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一
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駿府《すんぷ》城内南広場を照らす陽《ひ》は、恰《あたか》も中天にかかって、秋晴れの蒼空は一点の雲もとどめず、清涼の大気は富士の山巓《さんてん》から三保《みほ》の松原にかけて、広く深く拡《ひろ》がっていた。
だが、ここ城内の広場のみは、既に四番の真剣試合に、四人の剣士が血しぶきを上げて砂上に斃《たお》れたのみならず、幕外の女人が二人自刃し、見物席の女人が一人|小柄《こづか》を胸に刺されて命を墜《お》とし、凄惨《せいさん》な殺気に蔽《おお》われていたのである。
見るに堪《た》えずして、ひそかに席を脱《のが》れ出たものもいたし、試合の中止を囁《ささや》く声もきかれた。
ただ、正面桟敷の褥《しとね》に坐《ざ》した城主|忠長《ただなが》の蒼白《そうはく》な顔は、冷然としてなお血に飽くことを知らぬものの如《ごと》く、時折りは、奇妙な冷笑に似た影さえ、その瞳《ひとみ》の中に走るのである。
剣士呼出しの役、広瀬京平は、本日第五番目の試合の名を高々と呼び上げた。
「東側の剣士、鶴岡《つるおか》順之助《じゅんのすけ》吉勝」
しばらく声を切って東側の幔幕《まんまく》をみたが、呼出しに応じて現れるべき剣士の姿は、何故《なぜ》か現れて来ない。広瀬は、一きわ声を高くして、もう一度呼んだが、依然、幕を排して出てくる者はなかった。
不審に思いつつも、とりあえず、西方に向いて、
「西側の剣士、深田|剛之進《ごうのしん》昌秋」
と呼んだが、不思議や、これに対しても、何の答えもない。もしや、前の試合の時の屈木頑之助のように、とんでもない処から飛び出してくるのではないかと、しばし様子をみたが、その気配も見えぬ。
検査役の渡辺《わたなべ》監物《けんもつ》以下世話係の役人たちが、慌てて耳うちし、東西の幔幕の中に入ったり出たりして、双方の剣士を探したが、全然その辺りに姿はみられないのである。
疑惑と驚愕《きょうがく》の声が、木の葉を伝う風の如く場内を走った。
双方の剣士は、お互いに、この真剣試合を熱望していたのである。この期に及んで逃げかくれする筈《はず》はない。と云《い》って、不測の椿事《ちんじ》が、双方の剣士に同時に起ったと云うことも考え難いことである。
午前の試合は、この五番目を以《もっ》て終結することになっていたので、午後に予定された六番目の剣士たちは、まだ登城していない。ぽかりと空いたこの間隙《かんげき》を何としてつくろったらばよいであろうか。
急に険しくなった主君忠長の顔が、神経質にぴくぴくと痙攣《けいれん》するのを盗み見ると、当日の采配《さいはい》役である家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》は、ひどく狼狽《ろうばい》した。
「何と致した。鶴岡、深田両名ともみえぬのか」
「は、はい、只今《ただいま》、城内そこここと探しておりますが」
「莫迦《ばか》! 両名の宿所へ人を馳《は》せろ、うろたえ者め」
「はっ」
両名を数日前から預っている目付役松平|因幡《いなば》と衣田肥前の屋敷に向って、数名の者がバラバラッと走り出した時、城の大手門の辺りで、番卒たちが、奇矯《ききょう》な叫び声をあげ、騒ぎ、罵《ののし》り合うのが聞えた。
「やっ、あれは」
「何事ぞ!」
互いに顔を見合した人々の眼《め》は、すぐに城壁にそって、こちらに走りよってくる二個の人影をみとめた。
その二人は、二人とも手に白刃をかざしている。走りつつ、斬《き》り合い、罵り――抜身の刃が、陽を受けて、白い魚の飛ぶ如く前後にきらめいている。
「おお、鶴岡だ、あれは」
「深田だぞ、追っているのは」
「不心得者め、試合開始前に、ほしいままに私闘を始めおるとは」
「深田! やめろ」
「鶴岡、剣を引けッ」
走りよった連中が、口々に声をかけたが、二人の剣士を間近くみるに及んで、思わず驚きの声をあげたのである。
鶴岡、深田共に、既に身に数カ所の傷を受け、試合の為《ため》に用意したと思われる晴の衣裳《いしょう》は、血にまみれて惨憺《さんたん》たるものとなっている。
張り裂ける迄《まで》に見開かれた瞳に、狂暴な必殺の敵意をぎらぎらと漲《みなぎ》らして、深田剛之進が、叫んだ。
「ええい、寄るな、邪魔立てする奴《やつ》は、誰彼《だれかれ》なくぶった斬《ぎ》るぞ」
正しくその手にする剛剣の傍らに近づくものがあれば、その瞬間に、仮借なく両断されるであろう。剛之進の鋭い剣先を知る侍たちは、慌てて、五六歩飛び下った。
鶴岡順之助の方は、まだ、些《いささ》かの理性は残しているらしい。対手《あいて》を睨《にら》み据え、寸秒の油断もなく構えつつも、
「深田、一|先《ま》ず剣を収めろ、君公の御前で、改めて、心ゆく迄闘おうぞ」
と叫ぶのだが、剛之進の耳は、もはやそれを受け入れる様子もない。
「何をおのれ、卑怯《ひきょう》な、逃ぐるか、順之助、くそッ」
だッと斬りかけるのを、順之助は危くかわして、走る。
うろたえ騒ぐ藩士たちに遠巻きにされながら、斬り結ぶ鶴岡と深田は、遂《つい》に試合場に前後して走り込んだ――と云うより、鶴岡が試合場にどうやら誘導したのである。
外部の騒動を、何事かと怪しみいぶかっていた試合場の数百の人々は、血にまみれて、もつれ合いつつ、場内に躍り込んだ二人の姿をみると、事の意外に、愕然《がくぜん》として息をつめた。
とみて、床几《しょうぎ》に坐していた検査役渡辺監物は、たち上り、
「血迷うたか両名、殿の御前であるぞ」
と、大声に叫んだが、両名の眼と、構えと、気魄《きはく》とを、一瞬にしてみてとると、
――これはいけぬ、
と、唇を噛《か》んだのである。
深田剛之進の眼中には、もはや、主君もなく、数百の観衆もなく、ただあるは鶴岡順之助のみ。その刃先は、対手の血に飢えて、凄《すさ》まじい殺気に、びりびりとふるえている。
鶴岡順之助も、今となっては、剣をひく訳にはゆかない。もし刃を引いたならば、その刹那《せつな》に、対手の剣が、我身を刺し貫くことを覚悟しなければならないからである。
――やむを得ぬ、
渡辺監物は、咄嗟《とっさ》に腹を決めた。我身の斬られる覚悟の上、二本の刃の間に飛び込む他《ほか》はない。
ツツツと、監物が、死物狂いの両剣士の間に割って入ろうとした時、桟敷の上から、家老三枝伊豆が、大きく声をかけた。
「監物、苦しゅうない、二人の闘いをそのまま続けさせい」
規律を乱したことに対する後の成敗は別として、とも角、この場合、それ以外に処置なし、と流石《さすが》年の功、三枝は、その瞬間、的確な判断を下したのであった。
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二
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深田、鶴岡の二人が、熱望した勝負の晴の舞台を与えられながら、その直前に刃を交えて、相互に傷つけ合ねばならなかったのは、そもそも、どうしたわけであったか。
由来この二人は竹馬の友である。
しかるに、今二人の間にみるものは、無限の憎悪と憤激が、三尺の剣に凝結して、烈火と燃えているのみではないか。
これを仏家に云わしむれば、咳一咳《がいいちがい》、前世の宿縁と答えるであろうし、儒者に語らしむれば、瞑目暫時《めいもくざんじ》、天の摂理と述べるであろう。われわれ俗人はただこれを、累々たる偶然|些末事《さまつじ》の堆積《たいせき》が、究極に於《おい》て、この異常な結果を齎《もたら》したものとして、吐息する他《ほか》はない。
両人の間にかもされた最初の事件は、五年前にさかのぼる。二人とも同じ、十七歳の秋の事であった。
藩の一刀流師範日向半兵衛正久の道場で、据物切りの行われた或《あ》る日の午後、試切りに参加出来なかった少年たちが、庭に残されていた切台をかこんで話し合っていた。
「ちょっと見ると、何でもないようだが、むつかしいんだな」
「うむ、吉木殿さえしくじったからな」
「おれたちに、どの位切れるかな」
と一人が、いたずらっぽく云った時、居合せた剛之進が、ずいと出た。
「何、おれにだって、切れる」
無造作に刀を抜いて、切台に向った。台の上には、長さ三尺二寸、直径五寸の中に青竹の芯《しん》を包んだ藁《わら》束が二つ重ねてくくりつけてある。
剛之進は、傍の小桶《こおけ》の水を刃先にかけると、両足を開いて立ち、剣を大上段にふりかぶった。
「ええい」
「あッ」
一同が、声をあげて、身を退いた。
刀は藁に食い込んだが、青竹に当って、戛然《かつぜん》と音を立てて、刀身の中程から折れ、左に飛んだのである。
「ちッ、仕様のない刀だな」
剛之進が、少しテレ臭そうに身を引くと、
「よし、おれがやってみよう」
順之助が代って切台に向った。
反身になって、大刀を高くかざし、
「やあッ」
と、掛声一声、両|膝《ひざ》がやや左右に開かれたとみるや、藁束は青竹ごと、見事に両断される。
「剣はこうして、切るものだ」
順之助は、笑いながら云った。
剛之進と順之助の腕に、それほど優劣があった訳ではない。たまたま剛之進の持っていた刀が焼刃の広い大のたれで、脆《もろ》かっただけである。
永禄《えいろく》大正《たいしょう》以前の武用第一の古刀に比べて、慶長《けいちょう》末以来の刀は、刃文華麗に焼刃の深いものが多くなったが、それだけに、折れ易《やす》くなったことは、後年、松村英記の「刀剣或間」が痛烈に指摘しているし、水心子正秀の「刀剣実用論」もくりかえし述べているところである。
見ていた少年たちも、刀の折れは切手の罪でないことはよく了解していた。しかし、やはり、刀を折った剛之進よりも、立派に切り割った順之助の方に、賞賛の声が集まったのは当然である。
いつもの剛之進ならば、それを大して気にもしなかったであろう。だが、「剣はこうして斬るものだ」と云う順之助の一言は、ぐさりと、剛之進の自尊心の急所に突きささったのである。
――畜生、吐《ぬ》かしおったな。無礼な。
大抵のことは、親しい仲間同士の、不用意の放言として聞き流す、それを承知で、相互に、相当乱暴な口を利き合う仲間であったのが、虫の居所が悪かったか、この一言が、消え難い毒の針として、剛之進の心の奥に残った。
剛之進の順之助に対する態度が、その日から奥歯に物を挟んだようなものに変った。
何気ない言葉のやりとりに含まれる険悪な調子、対手を驚かす奇妙な冷たい対応。
――剛之進、何だか変だな。
順之助が気づいて、殊更に言葉を柔かくして、話しかけてみたが、コチンと固い殻にぶつかって、一度、二度は、おやと首をかしげたが、その中《うち》、
――妙な奴だ、勝手にしろ、
と云う気になった。
初めの中は、二人だけの間の心理|葛藤《かっとう》にとどまっていたものが、いつしか仲間の間にもそれと気付かれ、あの二人、うまくゆかぬらしいな、となった頃《ころ》、剛之進が、明白な敵意を、衆人の面前であらわしたのである。
二人が十八歳の春、同じ年配の者の元服祝いの試合に当って、剛之進は、順之助の肩をしたたかに打った。
当時の稽古《けいこ》試合は、面|籠手《こて》をつけず、木刀を以《も》って打ち合う。本当に打ち下ろせば対手は大|怪我《けが》をするから、皮膚の寸前に、刀をとどめるのが普通である。勿論《もちろん》、未熟の者同士の間では、受け方も足らず、打つ方も力余って、対手の身体を激しく打って、傷つけることも少くない。
だが、剛之進の腕は、若年ながら、既に順之助と並んで、日向半兵衛門下の竜虎《りゅうこ》とよばれているほどである。過誤ではなく、故意――と、はっきり、凡《すべ》ての人が感じとった。
勿論、打たれた順之助は、これに表面上、抗議を申込むことは出来なかったが、憤りの色は、面上に溢《あふ》れた。
二人の不和は、その性格上の相違と、同じ道場で相|拮抗《きっこう》する実力をもつものの競争心からくるものだと、人々は話し合った。
これは一応、人々を肯かせる理由である。喜怒哀楽の激しい、活動的な剛之進と、より冷静な、じみな順之助の性格の差は、少年時代には交友の継続にそれほど大きな障害とはならなかったのが、今となっては、事毎に互いに反撥《はんぱつ》し合うように見えた。
そしてその二人が、同じ道場で、殆《ほとん》ど優劣のない腕をきそっているのである。人々は、二人の不和のかもす日常の衝突よりも、二人が、互いに相手を意識して、激しい練磨に全身をかけている凄《すさ》まじい姿に、若者らしい痛烈な興味と刺激を覚えて、眺めていたのである。
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三
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二人の不和を、更に決定的ならしめ、殊に剛之進の心魂に、抜き難い終生の怨恨《えんこん》を刻みつけた第二の偶然事は、二人が二十歳の時に訪れた。
その年、父の死後を承《う》けて、深田家を継いだ剛之進に、叔父の深田重太夫が云ったのである。
「剛之進、そちも、家督をついだ以上、早く嫁を迎えねばならぬな」
「叔父上、貰《もら》い受けたい娘がおります」
剛之進は、叔父の眼をみ上げて、きっぱりと、そう答えた。
「はは、呆《あき》れた奴だ、まるで待ち受けておったように、ぬけぬけと吐《ぬか》しおる。近頃の若い者にはかなわぬ。まあよい、それは、どこの娘じゃ」
「山岡市太郎殿の息女かず殿です」
「なに、すぐそこの、あの山岡か。ははは、こやつ、素早いところ見つけおったな、うむ、あの娘なら、わしも知っておる。なかなかよい子じゃ、それに山岡も立派な人物。よし、わしが引受けたぞ、きっと貰い受けてきてやろう」
世話好きの重太夫、すっかり引受けてくれた筈のが、三日目に、しぶい顔をして、剛之進の宅にやってきた。
「剛之進、山岡の娘な、あれは駄目じゃった。あきらめい」
「は、駄目とは」
「うむ、先口が決っておったのじゃ、それも、ほんの四、五日のちがいじゃった。惜しい事だが已《や》むを得ぬ。なに、他にいくらもよい娘はおる。あれは諦《あきら》めろ」
勿論、どうしてもと云う程、想《おも》い込んだ女ではない、多少の好意をもっていただけの事。妻をめとれと云われて即座に口をついて出たのは、他にこれと云って適当な女子を知らなかったからの事である。
簡単に、自分の申出を撤回するつもりになった剛之進が、重太夫の何気なく、ふと洩《も》らした一言を聞くと、サッと顔色をかえた。
「鶴岡順之助でしたか――その先口と云うのは。叔父上、拙者は譲れませぬ。どうしても、かず殿を妻に迎えたいと思います。もう一度、たってお話し下さい」
「ほほう、きつい執心じゃな。鶴岡の方の話も、まだ結納交わしたと云うのではなし、――では、もう一度当ってみるか」
何度かの交渉も、遂《つい》に効果なく、かずが順之助と結納を交わしたと聞いた時、剛之進は全身を火の如くほてらし、眼をいからせ、
「順之助め、飽く迄、このおれに楯つきおって――」
と、歯をかみ鳴らした。
偶然にも同じ女を、対象に選んだのだと云う風には考えられなかった。まるで、自分が、早くからかずに想いをひそめ、こがれ慕っていたように思われ、それと知って、順之助が殊更に横取りしたのだ、と、ねじけた考え方をするようになってしまったのである。
かずが順之助の嫁になっても、おれは少しも痛手は受けぬぞと、ただそれだけを示すように、剛之進は、急いで、他の娘をめとった。
意地ずくで貰った妻とは、うまくゆく筈がない。妻帯早々、剛之進は茶屋酒の味を覚え、ゾメキ町や西小路あたりの料理屋に入り浸った。
千代と云う娘を見つけたのは、「しみず」と云う料亭である。十六になると云った。主人の養女分とか、料亭なぞで働いているには珍しい、可憐《かれん》な、品のある女であった。
剛之進は酒の上で、口説いた。
拒まれると、なおのこと執拗《しつよう》に、足しげく通って、云い寄った。
端午の節句の日、城中で祝い酒の余勢を駆って、悪友連中数名と共に、「しみず」に乗り込んだ剛之進は、友人連中の面白半分のけしかけも手伝って、今日こそは千代に云うことをきかせるぞと、厭《いや》がって逃げ出す女を追って渡り廊下の片隅に追いつめた。
「あれ、深田さま、いけませぬ、お許し遊ばして」
半ば泣声をあげて、身をふるわせている娘の黒い大きな瞳にあふれた切ない色は、剛之進の欲望の炎に、かえって、油をそそいだ。
「千代、いつ迄も剛情張るな、拙者の云うことを聞け、な、悪いようにはせぬ、――ええい、聞き分けのない奴」
がっきと両肩を抱いて、己れの胸にひきよせた時、廊下の先の離れの明障子が開かれ、順之助が姿を現した。
静かに、歩みよって、
「深田、よせ」
「なにッ」
眼をいからした剛之進の耳に口を寄せて、
「よせ、あの座敷に、衣田殿がおられる」
止めだてした対手が順之助とみて、掴《つか》みかからん許《ばか》りにいきまいた剛之進も、すぐ目の前の座敷に、目付の衣田がいるときいては、さすがに鼻白んで、千代をつき離した。
「ええ、面白くない、席をかえよう、皆来い」
剛之進がブリブリして仲間と共に立去っていったあと、千代は、優しい眼を哀《かな》しげにしばたたいて、
「鶴岡さま、すみませぬ、有難うございました」
と、頭を下げた。衣田が座敷に来ていると云うのは、勿論、嘘《うそ》だったのである。
それから一カ月ほど後のこと、悪友の一人が、剛之進の許に、にやにやしながらやってきて、
「深田、鶴岡の奴に、してやられたな、彼奴《きゃつ》、千代をどうやらものにしたらしいぞ」
「えッ」
「おれはみたぞ、しかと見届けたぞ、昨日、しみずの離れで、千代が、鶴岡の膝にとりすがって、イチャイチャイチャイチャ、はは、見ておれんかったわ」
ただ千代が順之助の身近に坐って、酌をしていただけの事を、そう云って話した。
――畜生、かずを横取りしただけで足らず、千代まで、おれが惚《ほ》れた女と知って、奪いおったな。
若い魂の中に育つ怨恨は、女を間にはさんだ時、最も鋭く、解き難くむすぼれ育つ。剛之進の順之助に対する全身的な憤怒は、一段と強く、苦汁を混えて、燃えさかったのである。
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四
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寛永《かんえい》五年春、駿府城下に現れた体躯《たいく》抜群、鬚面《ひげづら》に刀傷のある偉丈夫があった。みるからに戦場生残りを思わせる面構え――それだけに、年齢はもう四十の坂を越えていると見えたが、九州辺のさる人から、宿老|鳥居《とりい》土佐守《とさのかみ》にあてた紹介状を持参して、仕官を望んだのである。
大坂落城以来既に十三年、徳川幕府の基盤|益々《ますます》固く、ゆく先大きな合戦なぞはありそうにもない。従って各藩|何《いず》れも手持ちの武士だけで充分、新規召抱えなぞは、財政上からも成可《なるべ》く手控えている。
ただ、駿府城主徳川忠長のみは、腕のある武人ならば、直ちに相当の禄《ろく》高を以て召抱えると云う噂《うわさ》があって、諸方から仕官を望む浪人が、いろいろな手づるをもとめてやってきていた。
事実、多くの浪人が新たに召抱えられた。そして、その報《しら》せが、江戸に伝わる毎に、幕府の忠長に対する嫌疑は、濃くなっていったのである。
忠長|卿《きょう》御|謀反《むほん》――千代田城の奥で、老中屋敷の書院で、そのような言葉が、秘《ひそ》かに囁かれ始めていた。
が――それはとに角として、忠長は、これらの仕官希望者があると、必ず、自分の面前で藩中手だれの侍と立合いをさせ、その上で採否を決定した。
鳥居土佐守を頼ってきた飯尾十兵衛と名乗る武士も、城内の大広間に面した庭上で、立合いを命ぜられたが、その結果は見事なものであった。
願流の使い手相木久蔵を破り、新陰流の名手出淵平次郎と相打ちの成績を示したのである。
しかも、審判に当った師範笹原修三郎と日向半兵衛とは、飯尾の剣は、実戦に於ては、木刀試合に於てみられたものよりも遥《はる》かに鋭い殺傷力を示すであろうと確言した。
「天晴《あっぱ》れな腕前だ、召抱えてとらそう。長曾我部《ちょうそかべ》の浪人とか申したな」
忠長が直《じき》に声をかけると、縁下にうずくまった飯尾十兵衛は、低く頭を垂れて、
「さようでございまする、大坂役には、盛親《もりちか》に従い、将軍家にお手むかい仕《つかまつ》りました」
と、悪びれた様子もなく答えた。
「はは、正直な奴、敵味方に別れるは武門の常、苦しゅうない」
拝謝して、立上った飯尾十兵衛の懐中から、何か光ったものが、庭土の上に落ちた。
「あッ」
「おッ」
落した十兵衛の顔色がサッと蒼《あお》く緊張し、縁際からそれを認めて叫んだ師範笹原修三郎の顔にパッと紅がみなぎった。
「飯尾十兵衛、待てッ」
素早く、落したものを拾い上げて懐中にかくして、追出しようとする飯尾に向って、笹原が大声に浴びせかけた。
「御禁制のキリシタンの徒と見究めたるぞ。懐中にかくしたは、たしかに十字架」
ぴたりと足をとどめ、ゆっくりとからだを振り向けた飯尾の顔に、捨鉢の冷笑が、にじみ出るように浮んだ。
その時、広座敷にいた侍たちの中から、小野又左衛門と云う老武士が一膝すすみ出て云ったのである。
「最前より、どこやら、見覚えのある面構えよと思うていたが、もはや疑いない。飯尾十兵衛とは仮の名、まことは明石全登が許《もと》に仕えおった飯村九郎衛門とみた、何と飯村、潔く名乗れ」
小野又左衛門は、以前、水野勝成に仕え、大坂陣には明石全登の軍とは幾度か、干戈《かんか》を交えた男である。
「ふふ、見破られたか、是非もない。如何《いか》にも飯村九郎衛門政泰だ」
鬚面を、にやりと笑わせた。どうにでもしろ! と云った、ふてぶてしい自棄の色が、鋭い眼光の中に、炎のようにきらめいている。
明石全登は名だたる、切支丹《キリシタン》大名、部下の諸将も概《おおむ》ねこの異端の教えを信じていた。全登が、大坂城に入ったのは、勝利の暁には、切支丹信奉の自由を認めると云う内密の約束を、秀頼《ひでより》から受けとっていたからである。
全登の麾下《きか》は、クルスを首にかけて勇敢に戦って、壊滅した。僅《わず》かに全登以下数名が脱れて行方をくらませたが、飯村九郎衛門はその一人であったのである。
「禁制のキリシタンを信奉するさえ憚りあるに、素姓をいつわって、我君をあざむかんとした不埒《ふらち》な奴、斬り捨てい」
忠長の表情を咄嗟《とっさ》に読んで、家老三枝伊豆が、呼ばわった。
バラバラと四辺をとり囲んだ抜刀の士卒たちを見回して、飯村は、己れも剣を抜いたが、
「おちぶれたれど武士の片端、むざと斬られはせぬ。だが、一言――御家老、拙者を推挙されし鳥居殿は、拙者の身上については、些《いささ》かも御存じなきこと、しかと明かに致しおく。さあ、遠慮なく、斬ってかかれ」
だッと、無鉄砲に斬りかかった一人を、ただ一太刀で斬りすてざまに、飯村は、駈《か》けぬけて、包囲の外に飛び出して、刀を構え直した。つづいて一人、又一人。
三人迄、たわいなく斬り倒されると、包囲の士卒は、頬《ほお》をこわばらせ、四肢を固くして、容易に踏み込もうとはしない。
「深田剛之進、出い」
師範日向半兵衛が、背後を向いて云った。縁の一番後方に控えていた剛之進は、ハッと受けて、襷《たすき》を十字にあやどり、庭前に飛び下りる。
一方は、頑健とは云え、齢《よわい》五十に近く、しかも、二合の試合に力を消耗し、三人まで斬りすてたものの、所詮《しょせん》逃れる術《すべ》なき窮地に陥った男である。他方は、年少気鋭、活気充満、日向門下の竜と呼ばれた使い手である。
勝負は明白とみられた。
にも拘《かかわ》らず、さすが幾度か実戦に鍛えられた飯村九郎衛門は、恐るべき根強い闘魂を以てねばった。
剛之進の鋭い剣を、鮮かに受けとめ、烈《はげ》しく撥《は》ね返し、進んで反撃を加え、容易に屈しないのである。
剛之進の吐く息は次第に荒くなってきたし、飯村の胸ははだけ、大きく上下する筋肉に汗が光ってきた。
血闘は小判刻《こはんとき》に近く、居並ぶ人々は、我を忘れて、空宇に閃《ひらめ》く白刃の影を追っていたが、あまりに永びく勝敗に、次第に険しくなってゆく忠長の顔色を、チラとみてとった三枝は、改めて命を下した。
「苦しゅうない、押しつつんで斬り伏せい」
飯村の闘力が、今や限界にきているとみて二人の侍が、走りよって、左右から斬りつけたが、飯村は一人の右腕をおとし、他の一人の左肩を深く斬り裂いた。
と、その時、西|曲輪《くるわ》の侍長屋の方から小走りに馳せよってきた若侍が飯村の背後に迫ると、
「狼藉《ろうぜき》者!」
と一喝した。
や、と振向いた飯村の大きなからだが、ぐわらりと揺れ、一歩前にのめって、どさりと地上に倒れた。
抜打ちの一刀が、右肩から鳩尾《みぞおち》まで斬り下げていたのである。斬り手、鶴岡順之助はとどめを刺し、血刀を拭《ぬぐ》って鞘《さや》に収め、忠長の方を向くと膝をついて一礼した。
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五
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剛之進は、順之助の一挙一動が、癪《しゃく》にさわってたまらなくなった。
順之助はたまたま、大広間の庭で、狼藉者が暴れていると聞いて馳せつけただけの事であるが、剛之進にしてみれば、自分が決闘半刻、対手の気力を消尽させた処を待ち受けていて、順之助め、うまうまと手柄を盗みおったと、無念を押えることが出来ない。
――きゃつ、ぶった斬ってやる。
と事毎に、順之助にたてつき、あからさまな敵意を示す。
順之助が、それと知って、とりあわぬようにすればする程、剛之進は、侮蔑《ぶべつ》されているように思うのである。
二人の対立が余りにも明白に、余りにも烈しくなったので、師日向半兵衛は、道場に於て二人が立合うことを禁止した。
性格が全く異なるにも拘らず、この二人は、揃《そろ》って、一刀流の秘剣「獅子《しし》反敵」を得意とした。これは、大刀を背に負う如く構え、敵の剣を撃ち下ろす一刹那、間|髪《はつ》を容れず敵の懐に飛び込んで、勝負を決するもの、何よりも剛毅《ごうき》の胆力と、俊敏の早業とを必要とした。
互角の腕のものが、この構えを以てまともに相向えば、恐らく、双方共に致命の傷を負うに違いないのである。立合いの禁止は受けたものの、いつの日か、この一刀で順之助を真向に斬り伏せてくれようぞと、剛之進は、深く心に決めた。
二人の激突は、避け難いものとみられるに至った。
その血闘の導火線は寛永六年四月五目、浅間《せんげん》神社大祭の最後の日に爆発した。
お花祭と云われるこの大祭は、城下最大の行事として、葉桜の下に、豪華に展開され、異常な賑《にぎ》わいを呈する。
五日の間つづいた祭り騒ぎに、その最後の日には、人々にも些《いささ》か騒ぎつかれた気配もみえたが、その反面、今日が最後の日と云う名残の心もあって、老いも若きも、賤機《しずはた》山の麓《ふもと》の広大な社《やしろ》の境内に群れつどった。
朋輩《ほうばい》数名と共に、人混みの中を歩いていた深田剛之進が、突如、足を止めた。
「深田、どうしたのだ」
両眼をつり上げ、刀の柄《つか》をしっかと握った剛之進の姿に驚いて、傍の一人が思わずその腕を押えた。
「離せ」
鋭く云い放った剛之進の先をみると、連れの者はあッと、声を呑《の》んだ。
七八|間《けん》右手の、桜の老樹の陰に、鶴岡順之助の姿があった。それだけならば、あえて異とするに足りないが、その順之助が、若い人妻風の女の肩に手を当て、己れの胸にひきよせているように見えるのである。
女は、剛之進の妻、加登であった。
たたッと走り寄って、
「不義者、許さぬぞ」
と叫んだ剛之進の声に、二人は顔を上げ、ハッとからだを離した。
「剛之進、心得違い致すな」
「ちがいます、ちがいます。鶴岡さまは、私が山車《だし》に押されて倒れかけたのを、助けて下さったのです」
順之助と加登とが、口々に叫んだが、剛之進は、聞き入れない。
「ええい、弁解無用、順之助、立合え!」
「血迷うたか、剛之進、滅多なことをするでないぞ」
「卑怯者、抜け、抜け」
慌てて馳せつけた仲間が、
「深田、何をする」
「事情をよく正してからにせい。深田、物笑いになるぞ」
「場処をわきまえろ、神社の境内だ」
神社の境内! ぎりぎりと歯がみして、剛之進は辛うじて己れを押えた。
「よし、この場は許すが、順之助、卑怯者と呼ばれたくなくば、後刻、尋常に立合え」
「莫迦め、つまらぬ云い懸りをつけおって。覚えのない汚名は断じて受けぬ」
「ふん、おれの剣が恐ろしいか、命がそれほど惜しいか、卑怯者」
カッと、吐きかけた唾《つば》をよけた順之助の面上に、押え切れぬ憤怒が、漲った。
「無礼な、よし、事の如何《いかん》は問わぬ、武士に向って唾を吐きおった事、許せぬ。日を改めて、果し合いをしようぞ」
「おお、その一言、忘れるな」
朋輩の気転で、加登はその場から実家に連れ去られたが、翌日早くも、剛之進から正式の果状が、順之助の許に届けられたのである。
だが、争いの場に居合せた朋輩の口から、事情を聞き知った重臣たちからは、直ちに両名に対して、
「ほしいままなる私闘は固く禁ずる」
と云う通達が伝えられた。
武士の意地、是非とも果し合いを許して頂きたい、――と、剛之進は強引に願い出た。順之助も亦《また》、事ここに及んでは、畢竟《ひっきょう》剣を以て解決する以外にはありませぬと言上した。
強いて禁止すれば、二人とも脱藩して、勝負を決しようと云う勢いである。
「むざむざ死なせるには惜しい腕だが、このままで両名脱藩すれば、当藩は二人とも失うことになる。むしろ、闘わせて、いずれか一方だけでも残した方がよいではないか」
こうした主張が通った。
二人の果し合いが、真剣御前試合に組入れられたのは、このような次第からであった。
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六
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最後の偶然は、試合当日に起った。
二人とも、定刻に遅れたのである。
御前試合迄に二人が顔を合せて、刃を抜くような事があってはならぬと、二人は各々《おのおの》、目付松平因幡と衣田肥前の邸《やしき》に軟禁されていた。
その日、順之助は、すっかり支度を調えて、座敷に坐って、出かける時刻を待っていた。
――妙な回り合せになった、子供の頃から毎日のように鼻つき合せていた彼奴と、命のやりとりをするようになるとは。
二十年に近い剛之進とのつき合いが、走馬灯のように彼の脳中に旋回したが、ふと、最初の仲|違《たが》いの原因となった据物切りの日の事が、頭にひっかかった。
――あの日、彼奴の刀が折れなかったら、こんな事にならなかったかも知れぬ。
そう思うと、急に、自分の刀の事が気になってきた。充分に目ききはしてあるものの、身分柄、さして優れた業物とは云えぬ、折れぬとは断言出来ない。
用人の梶尾甚左の処にやってきて、よい刀があれば、晴の試合に御貸し頂けまいかと頼んだ。梶尾が、かねて、刀剣の鑑定に妙を得ており、幾振かの銘刀を所持していると知っていたのである。
梶尾は勿論、深田、鶴岡の何《いず》れにも恩怨《おんえん》はないが、自分のいる屋敷に、幾月か暮らした順之助に自ら多少の親しみをもったのであろう、快く承諾して、秘蔵の刀を出してきた。
老人の常、話はくどく長い。
じりじりしながら、借用する以上、我慢して梶尾の得意の講釈を聞き、漸《ようや》く、これならばと云う一刀を借り受けて松平因幡の邸を出た順之助は、大急ぎで城に向った。
追手門近くの濠端《ほりばた》までくると、太鼓の音がひびいてきた。
正しく、自分の出るべき第五試合の開始を知らせるものである。
「失敗《しま》った、おくれたな」
こう云う時こそ、慌ててはならぬと自分に云いきかせ、濠端の松陰で襷をかけ、袴《はかま》の股立《ももだち》高くとり、鉢巻をきりりと結んだ。
試合の場に入ると同時に、切りかけられても驚かぬ準備を手早くととのえ、城門に向って木陰を走り出たが、
「おッ」
と、一歩飛びすさった。
意外にも、当の対手剛之進が、抜身をふりかざして、
「うぬ、順之助、ゆくぞ」
と、五六間後から叫んだのである。
剛之進は、これより少し前、ややおくれたかと、心急いで衣田肥前の邸を出たが、間もなく、
「もし、深田さま」
と呼びとめられたのだった。
武家邸の土塀によりそって、白く細い顔に憂色を一杯たたえたのは、順之助の妻かずであった。
「うむ」
複雑な思いを押えて、剛之進は、かつて己れの妻に望んだ女、今は、仇敵《きゅうてき》の妻となっているかずと瞳を合せた。
「深田さま、どうでも、今日、順之助とお立合いなされますか」
「知れたこと!」
「深田さま、順之助とお加登さまとの事は、全くあらぬ濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》でござります、そのような道にはずれた事致す順之助でもなく、お加登さまでもございませぬ、二人ともあの日までは一言も言葉を交えたこともないと――私、お加登さまにお目にかかって、篤《とく》と伺いました」
あらぬ疑いから、斬合いをすること、何としてでもやめて下さりませと、かずは必死の色を浮べて、剛之進に訴えた。
全く無益な果合いと、かずは女心にじっとしていられなくなったのだが、その心の底には、夫と剛之進は互角の腕と云うものの、日常接する夫の、どこか気の弱い感じが、話に聞く剛之進の凄まじい気魄に敵し兼ねるのではないかと云う危惧《きぐ》が動いていたことも否定出来なかった。
問答無益と走り出そうとする袖《そで》をとらえて、切々と訴えるかずの顔をみている中に、剛之進の胸にふと、ある疑惑が浮んだ。
「こなた、順之助に頼まれてきたな」
「違いまする、違いまする、順之助とは、あの祭りの日以来、会うておりませぬ、私一存のことでござります」
否定されれば、なおのこと、順之助に云われて、こちらの闘志を挫《くじ》くためにこうした態度に出たのだと、剛之進は確信した。
「この期に及んで、果合いをやめよなど、何をたわごと」
きっぱり云い捨て、かずの手をふり切って、走り出した剛之進は、追手門近くまでくると、前方の松陰に、襷をかけ、袴の股立を高くとる順之助の姿をみとめたのである。
――うむ、彼奴、女房にあのようなことを云わせて油断をさせ、待受けて斬りかけよう所存だな、卑怯なやつめ。
素早く、己れも支度をととのえると、もう剣を抜き放って、松陰を縫って順之助に近づき、
「うぬ、順之助、ゆくぞ」
と、声をかけたのである。
順之助は、当然、既に試合場にいるものと思った剛之進が、白刃をひらめかして迫るのをみると、
――彼奴、卑怯な、待伏せしおったな。
と、憤怒の血をたぎらせたが、
「おお、剛之進か、御前試合を前に控えて何事ぞ」
「それはこちらの云う事だ、抜け!」
「試合場に参れ」
「何を、今更らしく、その云い抜けはきかぬぞ、抜け、抜かねば斬るぞ」
パッと薙《な》いだ一刀に、順之助の左肩の衣が、みるみる血をにじませる。
「おのれ、分らずやめ、もう許さぬぞ」
順之助も、剣を抜いて、身構えた。
一合、二合、斬り結びつつ、罵り合いつつ、互いに傷つきつつ、二人は次第に追手の門をくぐり、慌て、騒ぐ番卒共の声に馳せつけた人々にとりかこまれたのである。
かくて――今や、二人は試合場の真只中《まっただなか》に対峙《たいじ》した。
列座の人々は、二人が如何なる事情の下に、定めの場以外で刃を交わし、どれほど闘ってきたものかは知らぬままに、かくまで激しい憎悪の籠《こ》もる剣先に、呆《あき》れつつも瞳をこらしたのである。
しばし睨み合って、隙《すき》を窺《うかが》いつつ、息を調えているかに見えた二人の中で、先ず剛之進が、剣を高くふりかぶった。
「あッ」
「獅子反敵の構えだッ」
見物席の中で、そうした囁きの洩れた時、順之助も亦、同じように剣を、背に負う如く高くふりかざした。
じり、じり。
息づまる緊張の中に、二人の間隔は、一寸二寸と狭められてゆく。
「うおーッ」
野獣の叫びに似た掛声が、同時に双方の口から飛び、白刃は対手の頭上をめがけて、微塵《みじん》になれと叩《たた》きつけられた――と見えた瞬間、空宇に白く火花が散り、キッと鋭く金属の噛み合う音がして、二つの剣は、二つとも、中程から折れて、左右に撥《は》ね飛んだ。刃の先が、真正面から激突したのである。
「あッ」
と一同が、膝をのりだした時には、順之助と剛之進のからだが、発止《はっし》とぶつかり、四つに組んでいた。
そのまま、互いに相手の肩に首をのせた形で、二人のからだは、凝結した。
渡辺監物の命によって、四人の侍が背後によって、順之助と剛之進の肩を掴んで引き離すと、二人は、そのままばったりと地上に倒れた。二人の脇腹《わきばら》には、各々、相手の半ば折れた刀が、柄まで突き刺されていたのである。
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風車十字打ち
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一
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大御所|秀忠《ひでただ》の病状はかばかしからずと聞えた頃《ころ》、土井|大炊頭《おおいのかみ》利勝《としかつ》の名で、極秘の密書が伊達《だて》政宗《まさむね》の許《もと》に齎《もた》らされた。
内容は容易ならぬものである。
相国公(秀忠)御他界の場合、駿河《するが》大納言《だいなごん》忠長《ただなが》を擁して御当代(家光《いえみつ》)を傾け奉らんため、尾張《おわり》侯、紀州侯既に御同意、譜代外様《ふだいとぎま》の諸藩中、何某何某御一味申上ぐる旨誓書あり、伊達殿にも天下の望を嘱する処に従って云々《うんぬん》。
とある。密書を見た瞬間、政宗の隻眼に、小鬼の躍る如《ごと》き悦《よろこ》びの色が、ちらと閃《ひらめ》いた。それは、五十年も前、仙台を足場に縦横に暴れ回っていた頃の青年政宗の表情に、いつもたたえられていた、ややいたずらっぽい愉悦の光を思わせるものがあった。
が――その閃きは忽《たちま》ちに消えて、いつもの老獪《ろうかい》な七十爺の眼《め》に戻ると、政宗は、皮肉な笑いを浮べて、傍の伊達兵部少輔に云った。
「大炊め、小細工をしおって」
当時、酒井|雅楽頭《うたのかみ》忠世と並んで、筆頭第一と云われた土井大炊頭利勝が、如何《いか》なる理由によるものか、突如、病と称して蟄居《ちっきょ》してしまったのは、一カ月ほど前のことである。
大御所の御不興を蒙《こうむ》ったとも云《い》い、将軍家光と衝突したとも云うが、何《いず》れも定かではない。ただ、病気が単なる口実であろうと云うことは、誰《だれ》も疑わないところであった。
このような事態に於《おい》て、利勝が、予《か》ねて天下に望をもつ駿河大納言と気脈を通じて、家光を除こうとすることは、必ずしもあり得ぬことではない――が、
「企《たくら》みおったわ、利勝め。この政宗、七十年の間、むだに飯くらって、皺《しわ》数ふやしおると思うてか」
政宗は、今度は声を立てて笑うと、直《すぐ》さま兵部に、
「雅楽頭の邸《やしき》に参る」
と云った。
「御老中、かようなものが参った。ちと、悪ふざけが過ぎるような」
酒井邸の大書院で、政宗は雅楽頭忠世に、そう云って、密書を手渡した。忠世はちらと政宗の顔をみて気軽に受取り、中身をさらりと読むと、ちょっと小首をかしげて下唇をつき出し、懐中にしまった。子供が、ちょろっと舌を出す時のような表情である。
そのまま、密書については一言もふれず、何気ない雑談をして、
「御苦労でござった」
と政宗を送り出した。
政宗が去って二刻ほどして、藤堂《とうどう》高虎《たかとら》と島津《しまづ》家久《いえひさ》があらわれ、つづいて毛利《もうり》秀就《ひでなり》の来訪が伝えられた。
三日目の夕刻、ひどく憂鬱《ゆううつ》な顔をして現れた加藤《かとう》忠広《ただひろ》を最後に、利勝の密書を届け出たものは、十三名に及んだのである。
届け出た大名の態度は十人十色、後になるほど口数多く、混乱していたが、忠世は、そのどれに対しても同じように無造作に受取り、格別のことは云わず、御苦労と挨拶《あいさつ》してかえした。
忠世は、もともと、利勝のこの「小細工」に賛成していなかったのである。
家光の弟忠長が、幼時から秀忠夫妻の寵愛《ちょうあい》をたのんで、ややもすれば兄家光をないがしろにし、天下の諸侯もこの状況をみて、忠長こそ将軍の位を嗣《つ》ぐべきひととみて、家光に対する以上の崇敬の意を示した事は、隠れもない事実である。
家康の裁断によって、家光が将軍職についてからも、忠長は弱冠にして大納言の位に上り、駿遠甲を領して、御三家の上に位した。江戸|参覲《さんきん》の諸侯で、東海道を通るものは悉《ことごと》く、駿府城で忠長の機嫌を伺い、宛然《えんぜん》、第二の将軍の如くに仰がれている。
その忠長が、大坂城を賜わらんことを望んで許されず、百万石を領せんことを願って容れられず、憤激の余憤、しばしば粗暴な行いをなしいることも、世評喧しいところである。外様大名と殊更に慇懃《いんぎん》を通じたり、浪人ものを多く召抱えたり、鉄砲その他の武具をほしいままに買入れたり、――不穏の企図を疑わしめる余地は充分にあった。
土井利勝が諸大名の心中を確める為《ため》、謀反加担の誘い状を送る苦肉の策を提案したのは、これによって、秀忠の生ある中に、禍根を剔抉《てつけつ》し去ろうと考えたからであるが、酒井忠世は、その効果については大した期待をもたなかった。
仮りに謀反の底意をもつものでも、そのような一片の密書に、直ちに反応を示す筈《はず》はない、と考えたからである。
やってみるのもよかろう――と云った程度で、利勝の虚病《けびょう》引籠《ひきこも》りと、密書送付に賛成したのだが、利勝が送ったと云う十三通の書状が凡《すべ》て、戻ってきたのをみて、それみたことかと云いたげに苦笑した。
それにしても、これら諸大名が、幕府を心から怖《おそ》れていることは明白になったし、密書を届け出た時日の遅速によって、その心裡《しんり》にある微妙な影の一端をも窺《うかが》い得ただけの効果はあった訳である。
蟄居中の利勝を、ひそかに訪れた忠世は、そんな事を話して、
「もう、そろそろ登城して頂きたい、拙者一人では忙しくて敵《かな》わぬ」
と云って別れたが、その忠世が、数日後、今度は、恐ろしく真剣な表情を浮べて、再び利勝の許を訪れた。
「本日、伊達から、またしても、このような書状を届けて参った」
と、差出したのは、利勝のにせ密書と殆《ほとん》ど同じ内容の謀反加担の勧誘書である。しかもそれには、忠長の家老、朝倉|筑後守《ちくごのかみ》宣正の署名がある。疑いもなく、これは、忠長自ら起草せしめたものに違いない。
「これは――」
と、利勝も、顔色を変えた。
二人で額をつき合して相談した結果、ともかくも、忠長の密書を、今後届け出てくるものが、どれだけあるか、待ってみよう、と云うことになった。
届出は、前回の時より遥《はる》かに遅く、ぽつりぽつりと来たが、それでも、十日程の間に十六通に達した。
利勝の密書を送った対手《あいて》と、忠長の誘った対手とは、当然、くい違いがある筈である。両者共に受取り、両者共に差出したのは九家であった。忠長からの分だけ受取り、これを届け出たものが七家。先に利勝の分を差出しながら、今度、何の届出をなさぬもの四家。
「黒田、加藤、堀尾、蒲生《がもう》――これだけが、先に届出をしながら、今度は何とも申して参らぬ」
忠世は、利勝に十六通の書状を示した上、そう云った。
「しかし、駿河殿が、その四家に密書を送られたと云う証拠はない」
利勝は、答えたものの、その四家に密書が届いていない筈はないと考えていたことは、忠世と同じである。
「これ以外にも駿河殿の密書を受けて、届け出ぬものも、いくらかある筈だな」
「それは、確かにあろう」
「駿河殿に請書を差出したるもの――きっとつきとめねばならぬが」
「うむ」
二人は、謀臣と称せられる人々に特有の、偏執狂的な、やや陰惨な瞳《ひとみ》で、互いに対手の眼を覗《のぞ》き込んで、肯き合った。
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二
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津上|国之介《くにのすけ》と云う男が、駿河藩に、新規召抱えとなったのは、これより半歳《はんとし》ほど前のことである。
町道場を開いている舟木一伝斎のところに草鞋《わらじ》を脱いでいた浪人ものである。一伝斎の話では、仲々の腕だと云う事であった。
本人は、一刀流をいささか学んだと称したが、門弟に立合せてみると、いささか処ではない、若いながら立派に剣の奥儀に達したものと見極めた。
ただ一刀流にしては、少々解し難い奇矯《ききょう》な太刀筋もみられたが、本人に質《ただ》すと、これまた、いささか自得するところござって、と甚《はなは》だ控え目な答えである。
道場にそのまま足をとめていた国之介が、数日後、門弟の二三と打ちつれて、浅間《せんげん》神社に参詣《さんけい》し、安西町の辺りまでくると、前方で、一方ならぬ騒擾《そうじょう》がみられた。
これは後で分った事であるが、家中の天童久左衛門と云う癇癖《かんぺき》の強い侍が、突如逆上して、朋輩《ほうばい》の一人を斬《き》り、暴れ出したものである。天童は狂人の常として、恐るべき力で、とりおさえようとする者を振り切り、韋駄天《いだてん》の如く戸外に走り出した。
その異常な疾走力には、誰《だれ》も追いつける者もなく、唯《ただ》、声をあげて罵《ののし》り騒いでいる間に、往来を疾走する天童は、自分の眼前を横切る通行人を二人までも斬り倒し、なおも両眼を宙に浮かせ、白刃を振りかぶったまま走りつづけていたのである。
国之介は、前方から走ってくる天童を、直ちに狂人と見た。連れの者が慌てて避けるのに、少しも動ぜず、刀の下緒《さげお》を襷《たすき》にかけ、袴《はかま》の股立《ももだ》ち高くとって、傍の人家の軒に立つ。
眼前を天童が走り抜けるとみるや、国之介は、その左|脇《わき》に三寸の間隔をおいて、ひたとついて走り出した。
常人に倍すると云われる狂人の疾走に一歩も遅れず、しばらく走りつづけたが、やがて頃合を図って、右手の肘《ひじ》で、天童の左脇をぐんと突いた。
己れの正面以外は眼中になかった天童が、つと首を傾け、国之介の姿をみて、
「こやつ」
と、上ずった声をはりあげ、走りながら、だっと斬り下げたが、そのまま、上体を真二つに折られた如く、前にのめり、血潮の中にぶっ斃《たお》れた。
国之介の抜打ちが、見事に、天童の胴を、右脇腹から背骨|迄《まで》、斬り割っていたのである。
国之介は、直ちに召出されて、百二十石を与えられ、大番頭松平|志摩守《しまのかみ》の下に勤務することになった。
その津上国之介が、或《あ》る朝、己れの屋敷で登城の支度をしている時、玄関口で、若党久助が、誰かと応対している声を聞いたのである。
「先日、お誂《あつら》え頂いた刀の鍔《つば》をお持ち致しましたが」
と云う声を聞いて、国之介は、急いで玄関に出て行った。そんなものを誂えた覚えはないのである。
若い、素ばしこそうな男が立っていた。
城下の者のようにこしらえているが、ほんの少し前、江戸からついた許《ばか》りに違いない。襟に親指を一本かけて中腰をかがめた合図で、すぐに、急ぎの「隠し飛脚」と分った。
小さな包みを受取って、部屋に戻ると、中から取出した鍔を、小柄《こづか》で二つに開けて、紙片をほじくり出した。
読み終ると、傍の火で燃やした上、その黒い燃え殻を丹念に懐紙につつんで、厠《かわや》の中に棄《す》てた。
常に変らぬ態度で登城し、にこやかに人々に挨拶《あいさつ》したが、何やら御広間前の庭の方で騒いでいる様子なので、
「何かありましたか」
と、相役の仁井田と云うのに尋ねた。
「つい今し方、御書院の屋根裏にひそんでいた怪しい奴を捕えたと云うが」
「ほほう」
その方へ行ってみると、大勢のものが取巻いている中に、数カ所の手傷を受けた黒装束の男が、うち倒れている。
「きゃつの足が、欄間にちらとみえたので、すかさず、拙者が突き上げたのだ」
久須見と云う男が、もう何度目かの恰好《かっこう》をしてみせて、得意げに、やや興奮して説明していた。国之介は、人温みの間から、その倒れている男の血まみれの顔を覗《のぞ》き込んだ。全く知らぬ顔である。
寄ってたかって、乱暴に斬り苛《さいな》まれたらしい。もう虫の息になっている。
――可哀《かわい》そうに、へまなことをしたものだ。何《いず》れの藩かな。
と、考えながら見ていた国之介が、ハッと緊張した顔付になった。
男の、苦しげに吐く息が、「忍び伝え」の呼吸に変ったからである。よそ目には、ただ、
「ふう、ふう、うう、うう」
と洩《も》れる臨終の、切羽つまった息とみえるが、一息一息がそれぞれの語になっている伊賀《いが》者特有の伝言方法である。誰か、それとなく潜んでいるかも知れぬ味方の者に、最後の一言を告げておこうとする時に用いられるものなのだ。
「酒井殿へ――菅沼右京と伝えてくれ」
国之介は、そう読み分けた。主人こそ違え、同じ江戸の忍者に違いない。よし、安心せよ、と云う合図をしようとした時、とり囲んだ侍たちの中から、
「ええむ、ううむ」
と、咳払《せきばら》いしたものがある。ちょうど、国之介が行おうとしていた合図である。
国之介は、正面をみたまま「眼を浮かせて」素早くその咳をした男を見届けた。甲賀の方では、外しの眼くばりとも云われている方法である。咳の合図をしたのは、奥祐筆《おくゆうひつ》の児島宗蔵であった。
――あの男もか。
国之介は、多少の愕《おどろ》きと共に、会心の笑みを洩らした。その男について、もしかしたら、と多少の疑念は持っていたからである。
祐筆ながら、素晴らしく腕が立つと云う評判と共に、それを裏書きするに足る二三の事実を聞いていた。
それだけの腕がありながら、祐筆を勤めていると云う点に、国之介は不審を感じた。そして、それとなく眼をつけている中《うち》に、同じ仲間ではないか、と云うぼんやりした疑いをもってきていたのであるが、それが図らずも実証されたのだ。
己れの主人利勝の遣わしたものでないことは明らかである。
「酒井殿か、永井殿か――或《ある》いは森川殿かな」
そんな事を、胸の中に、反芻《はんすう》しながら小広間の方へ戻ってくると、御徒士《おかち》詰所傍の中庭で、当の児島宗蔵と行き合った。
その時、何気なく過ぎようとした国之介の耳に、宗蔵が囁《ささや》いたのである。
「煙の匂《にお》いがしみている、不用心な」
あっと国之介は胸をつかれた。心急いだままに、書面を焼きすてると、衣類を改めることをせずに登城したのだが、鋭敏な宗蔵の鼻は、たちまち嗅《か》ぎあてたのである。
「燃殻は充分始末されたろうな」
「もとより」
慌てて答えるのを、じろりと見返して、
「先程の眼くばり、もそっと上手にせねば、気づかれるぞ」
云いすてて、さっと歩み去ってしまった。常人の目からは、すれ違いざまに、ほんの一言二言、挨拶を交わしたとしか思われぬしぐさであった。
――何と云う奴だ、残念ながら、きゃつ、一枚上手だな。
国之介は、一本やられた形で、己れの持場に戻った。
何れの手から派出された者にせよ、あれ程の男が、駿府に来ていることは、心丈夫のようであるし、負けてなるものか、と云う意気組をも振いおこさせた。
まだ、他《ほか》にもいるかも知れない。
それも、必ずしも幕府方の命を受けたもの許《ばか》りではなく、諸大名の隠密《おんみつ》も入りこんでいるであろう。又、これに対する駿府方の「隠し隠密」も、そ知らぬ顔で、自分たちの身辺を探っているに違いない。
――少しの油断もならぬ。
改めて自分にそう云い聞かせた時、外から入ってきた仁井田が、呆《あき》れたような顔をして、それでも、この男の癖で、もっそりした調子で云った。
「津上、妙な日だな、今日は。又、一人殺された」
「え?」
「菊の方付の腰元あい――とか云う女だ」
「あい殿が」
「うむ、安倍《あべ》河原で、死体がみつかったそうだ。鮮かな胴斬りだ。昨日朝、宿下りでお城を下ったままだと云うが、どうしてあんな処に出かけて行ったのか。お目付の羅門どの、さいぜんの隠密の死体はそっちのけにして、飛んで行かれた」
あいと云う腰元は、国之介も顔を知っていた。多くの奥御殿の女中の中で、特に美しいと噂《うわさ》されていた女である。
痴情か――一応、誰しも考えられるように、そう考えたが、何か妙に頭の底にひっかかるものがあった。先刻、眼にした隠密の姿と、何か、つながりがありそうな予感がしたのである。
――莫迦《ばか》げた事だ、ただ同じ朝の出来事と云うだけのこと。おれには関係のない事だ。
打ち消してみたものの、心が落着かない。宗蔵に手痛く釘《くぎ》をさされた為、国之介の若い魂は、多少平衡を失っているらしい。
夕刻下城し、独りで淋《さび》しい食事を済ますと、庭から裏の空地に出た。いささかの間をおいて、隣家は、御鷹頭《おたかがしら》鹿島甚左衛門の屋敷である。
その方をじっと見ていたが、心当てにした人の姿が、一向に見えないので、ぼんやりと部屋に戻ってきた時、久助が、来訪の客を取次いできた。
客は、児島宗蔵である。
「あの合図に気付いたお主ならもう隠し立てもいるまい、互いに助け合う事もあれば、と思うてやってきたのだ」
座敷に通り、障子を開け放つと、宗蔵は、やや蒼《あお》い、輪郭の削いだように鋭い顔に、それでも愛想笑いのようなものを浮べて低い声で云った。
「直接の主人は違っても、目的は一つらしいからな――今朝の男が、早くも一つだけ調べてくれた。菅沼右京――美濃《みの》加納藩十万石だな、駿河殿の密書に請書を出した藩名、おれには、もう二つ解っている」
「拙者は、今朝、取調べの命を受けた許りだ。今朝方、偶然教えられた菅沼右京の他には、まだ、一つもつきとめてない。誠のところだ」
国之介は、少々忌々しく思いながら、正直に答えた。
「嘘《うそ》とは云っておらん。おれも、命令を受けたのは、今朝だ。だが、奥祐筆の仕事柄もあるし、第一、この耳は特別早いのだ」
薄い右の耳たぶをつまんで、勝ち誇ったような色を浮べたが、ふいと語調をかえて、
「ところが、昨夜、少々へまをやった。それで、お主に、手助けを頼みに来たのだ」
「…………」
「あいと云う腰元が殺されたのを聞いているだろう。あの女が、ある男と――わしとはまるで違う顔形の男と、安倍川の辺りを歩いていたのをみた――と、云いふらして貰《もら》いたいのだ」
「お主があいを斬ったのか」
国之介の言葉に、宗蔵は、冷然として、うなずいた。
「人の気配がしたので、とどめを刺さずにきたのが手落ち。あいの奴、血潮で、掌に、『こ』の字を書きおったらしい。したたかな女だな」
「あい殿を、どうして、あんな処まで連れ出したのだ」
「あいは、おれの情婦だ」
膝《ひざ》の辺りに飛んできた蚊を一匹ピシリと叩《たた》きつぶして――それが、どうしたのだ、と云うように、宗蔵は、愕《おどろ》いている国之介の顔をじっと見守った。
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三
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児島宗蔵は、国之介より更に半歳も前に、召抱えられた男である。
彼は味わいはやや乏しいが、正確なきびしい立派な筆蹟《ひっせき》をもっていると云われたが、それは祐筆の身分柄珍らしいことはない。むしろ国之介が耳にした宗蔵についての噂は、全くその職掌にふさわしくない武芸の上のことであった。
仕えて間もなく、同じ部屋で二人の仲間の間で口論が起り、一方がいきなり刀を抜いて対手《あいて》に斬りつけた時、傍にいた宗蔵が、咄嗟《とっさ》に墨を含ませた筆を、発止と投げて、その男の眼に当て、眼のくらんだ瞬間を狙《ねら》って、すかさず足をとらえて引倒した。
「しゃッ、邪魔ひろぐな」
も一方の男の、そう叫んだ口に、宗蔵は一寸余の筆を投げ込み、飛び込んで手首を強く打って、刀を叩き落した。
「殿中だ、落着き召され」
何をされたかしかと分らぬ中に、とり押えられた二人が、肝をつぶして、争う力も失ってみえた時、宗蔵が静かに、何事もなかったような顔でたしなめたと云う。
更にそれから、しばらくして、浅間社の境内に城主忠長が、桜を賞《め》でた時の事である。酔に乗じた忠長は、酌をするため眼前に頭を下げたあいと云う侍女の髪から、いきなり簪《かんざし》を抜きとると、力任せに投げた。
簪は弧を描いて高く飛び、少し離れた老木の梢《こずえ》高くにひっかかってとまった。
「はは、あい、あの簪をとって参れ」
忠長は、いつもの気紛れを出して命じた。
一旦《いったん》云いだしたら、絶対にその云い分を通さねば済まぬ主君である。あいは、悲しげに眼をしばたき、一礼して、老木の下に立った。二三人の朋輩《ほうばい》に抱き上げられて、一番下の大枝にとりつくと、必死の思いで上へ上へと登ってゆく。
着飾った年若の美女が、羞恥《しゅうち》におののきながら、腰をくねらせ、裾《すそ》を気にしつつ枝から枝へよじてゆくさまを、忠長は加虐的な興味を以て見守っている。
あいが、女子の重みにも折れそうな細い枝に足をかけ、辛うじて簪を手にとらえた時、下から見ていた朋輩たちが、
「きゃっ」
と云って、飛び離れた。
いつの間にきたのか一匹の大猿が、隣の木の枝から、あいを狙っていたのである。
麓《ふもと》に浅間社の建立されている賤機《しずはた》山は、久しく殺生禁断の地とされ、千数百の猿が何の被害も受けることなく棲息《せいそく》し、人にも慣れて、時には神社に参詣する人の手から食物を受ける程になっていたのであるが、去年十一月、忠長は我意を通して山狩りを行い、一千二百余頭の猿を殺したのであった。その後は、狩り残された猿ども滅多に姿を見せず、たまに現れれば、必ず凡《あら》ゆる人間に激しい敵意を示して、危害を加えるようになっている。
あいを狙っている大猿の形相も、すさまじい、怨恨《えんこん》と憤怒とに満ちていた。間隔は二|間《けん》とはない。一跳躍で、猿は、あいに喰いつき得るであろう。
朋輩の声に、あいは、頭をあげて、猿をみた。猿の怖《おそ》ろしい顔が目の前一杯にかぶさり、あっと、気を喪《うしな》って、手を離した。
地上に転落して骨をくだいたと思われたあいのからだを、がっきと受取めて立ったのは、幔幕《まんまく》の端近から、飛鳥の如く馳《は》せよった児島宗蔵である。
しかも、それと殆《ほとん》ど同時に、かの大猿が、異様な叫び声をあげて、地上に墜落した。宗蔵は、右腕にあいを抱いたまま、近寄ると、もがき狂いながら逃げようとする猿を一刀の下に斬り伏せたのである。猿の眉間《みけん》には、あいの、護身用を兼ねた尖端《せんたん》の鋭い簪が、根本まで突きささっていた。
――それ程の腕を持ちながら、何故、武芸を以て奉公せぬ、望みの役をつかわそうぞ。
上機嫌になって云う忠長の前に平伏して、宗蔵は、武芸はほんの心得まで、自分は飽く迄《まで》父より相伝の筆を以てお仕えしとうござりますと述べた。
変った奴と、笑った忠長は、当座の褒美に黄金三枚を与えたが、間もなく宗蔵を表祐筆から奥祐筆に転ぜしめ、五十石を加増した。
国之介が聞いていたのは、以上のような事だけである。その宗蔵が、どうして、いつから、腰元あいと特殊な関係を結ぶに至ったかは、勿論《もちろん》、当人二人の他知る筈もなかった。
その秘密を、宗蔵は、
「たわいもない話だ」
と云って、国之介に話してきかせたのである。
宗蔵は、観桜の宴のすぐ後で、あいに「お簪代」と記して忠長から貰《もら》った黄金を贈ったのである。あいから、折返すように、懸想《けそう》文が届けられた。
特にあいが多情であった訳ではない。あいにはあいの理由があった。
朝倉筑後守宣正から受けている秘密の指令――怪しと思われる者の身上をつきとめると云う任務を、彼女は、自分に与えられた舞台である奥御殿以外にまで拡《ひろ》げようとしたのである。
武芸抜群の祐筆――これは、充分怪しいと睨《にら》む理由になる。とあいは己れを説き伏せた。だが、真実は、自分の簪で猿を墜して自分を救ってくれた美貌《びぼう》の祐筆に、若い娘の心が、ひどく動かされていた為であったのだと云った方が正しかったかも知れぬ。
理由はともあれ、美しい男女が、二人きりで会っている場合、必ずそうなるように、二人は互いに肌身を許す仲となった。
そうなってみると、あいは、もはや、自分の真実の心を、自分でも偽り得ぬように感じた。
――私は、あの人を愛している。
と、あいは、はっきり自分の心を見つめた。
我にもなく、宗蔵の問うことには、知る限りを答えた。別れた後で、口外すべきではなかったと後悔することも多かったが、二人して、睦言《むつごと》を交わす時の宗蔵は、平常の冷厳な男とは人が違う程優しく、話振りが巧妙なので、ついつい口を割ってしまうのである。
――でも、あの人が、隠密だと云う証拠は何もありはしない。お勤めの上で、何かと、同輩より知っておく事があの人の出世の為に必要なのだ。
と、自分に云いきかせたが、急に怖ろしくなり、宗蔵の身の上を、朝倉筑後守の為にではなく、自分自身の為に確めたくなった。
安倍河原の闇《やみ》にまぎれて、すすきの茂る間で、己れを忘れて痴態をつくした後、ぐったりと仰向《あおむ》けになって眼を閉じている宗蔵をみている中に、あいの手が、そっと伸びた。
宗蔵の髪を愛撫《あいぶ》するようなふりをして、その髻《もとどり》を調べたのである。忍者ならば、髻にたばねた髪の毛の中に一本、わずかに他のより太いものが交っていると云う。所属と姓名とが、その中に書き込まれているのだ。
と、不意に、宗蔵が、はね起きた。
「何をする」
怒鳴った宗蔵の両眼は、つい今し方までの、とけるような声をかけてくれた人とは、似ても似つかぬ凄《すさ》まじいものだった。
「貴さま、おれの身柄を探るために、たばかって肌身を許したのだな」
「違います、違います」
あいは、身を引き、恐怖と悔恨の思いをこめてさけんだ。
「私は、あなたを、真実おしたいしております、聞いて下さいませ」
そのあいの必死の叫びに、ほんの一瞬、ちゅうちょしたかに見えた宗蔵の手が、刀の柄にかかったと思うと、
「ひいっ――」
と、うめいて、あいは横ざまに倒れたのである。
「きゃつ、逆隠密だったのだ」
宗蔵は、語り終えると、国之介に向って、苦笑してみせた。
「が――、本当のところ、おれに惚《ほ》れていたのかも知れぬ」
「それならば、何故斬ったのだ。酷いことをしたな」
「男の情にすぐ溺《おぼ》れる奴、また他の男にとろかされたら、いつ、おれを裏切るかも知れぬ。――ま、それはそれとして、先に云うた事、頼む」
「うむ、それは、やってもよいが」
国之介は、進まぬ声で答えた。
「それに、も一つ、お主の力を借りたい。この隣の鹿島甚左衛門の娘ふさ」
「えっ」
「あれを、嫁に貰いたいのだ、お主、鹿島と心|易《やす》いらしい、口を利いてくれ」
「ふさ殿を、嫁に? 正気か、お主、いつ身を隠さねばならぬか分らぬ身で、嫁をとるなぞと――」
「あいの代りをする女が必要なのだ。ふさと云う娘、奥向きで評判よく、利発ものらしい、とりあえず許婚《いいなずけ》と云うことでもよいから頼む」
「お断りしよう」
「何故だ」
「拙者は、ふさ殿を知っている。みすみすお主のために不幸になるのを手助けする訳にはゆかぬ」
「ふむ」
宗蔵の細く高い鼻梁のうえに、縦に二本、深い皺がよった。その皺が消えると、嘲笑《ちょうしょう》に近いものが、眼許から頬《ほお》にかけてチラと走ったが、底気味悪く沈んだ視線を、国之介の眼に、いじわるく釘付けにして、
「お主、あの娘に惚れているのか」
ずばりと胸の底を指されて、国之介は、あっと息をつめたが、彼の若さが、たじろぎかけた瞳の力をぐいと支え、挑戦をまともに受けさせた。
「お主にかかわりない事だ」
「いや、大いに関《かかわ》りがある。惚れている女だから、おれにとりもてぬと云うのだろう、――津上、忍者の第一義は、色を離れ、欲を離れ、情を離れ、怒りを離れ、悲しみを離れ、楽しみを離れるにある。よもや、それを忘れはすまいな」
「情を離れると云うことは、非人情なことをせよと云う事ではない」
「同じことになる場合もある」
その通りだと云うことは、自分の経験に照らしても、否定出来ないことだった。国之介は、ぐっと詰まって、理論上の敗北を認める他はなくなったが、理論を無視した何物かが、遮二無二反抗するのを感じた。
「とに角、おれは断る」
捨鉢気味に云い放った途端、国之介は、傍の刀を掴《つか》んで、パッと後に飛び退った。宗蔵の手が、刀に伸びたのを感じたからである。
「拙者を――斬る気か」
双方、刀をしっかと握って、激しく睨み合った。血管の破れるほど緊張した空気の中で、数秒が過ぎると、
「出来るな」
宗蔵が、呟《つぷや》いて、刀の柄から手を放した。
「お互いに傷つくだろう。今はやめておく。だが、お主が、色におぼれて、使命を忘れるとなれば、それはひとりお主ばかりの事では済まぬ。おれたち――まだ他にもおるかも知らぬ仲間|凡《すべ》ての身に危険をもたらすかも知れぬ。それなれば、斬るぞ」
「使命を忘れる拙者ではない」
「――と、一応、誰しも云うものだ」
宗蔵は立ち上って、国之介に冷やかな笑いを洩らしたが、
「最後に一言聞いておく、お主、ふさと既に契ったのか」
「何を云う、ふさ殿は、まだ何も知らぬ」
「ほう、珍らしい事を聞く。十五や十六の前髪立ではあるまいに。ははは、驚いたな、独り相撲か。では遠慮なく、おれは、ふさに申込むぞ、お主の手は借りぬ、卑怯《ひきょう》な邪魔立てするなよ」
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四
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翌日。
駿府城内の広庭の亭で、家老朝倉宣正は、江戸へ上る途中立寄ったと云う黒田家の家老|栗山《くりやま》大膳《だいぜん》と相対していた。
「まだ暑い暑い、今年は国許も暑かったが、いつ迄もこう暑うてはやりきれん」
肥《ふと》り肉《じし》の大膳は、やや不遠慮に胸を少しはだけ、扇子をバタバタ使う。
宣正とは、旧《ふる》くからの知り合いである上に、黒田の栗山か、栗山の黒田かと云われた剛腹な出来物。主人|忠之《ただゆき》も一方ならず煙たがっているが、さて面倒な外部折衝となれば、この男に頼る他はないのである。
大きく扇子の音をさせながら、照りつける陽射《ひざ》しにメラメラ燃えているような芝生の上を、眼を細めて見すかしながら、大膳は早口に云った。
「過日の回文の趣、名古屋の宿にて、主人忠之の密書により承知致した」
いきなり、本題に入ったので、うむと眼を据えて、横からみつめる宣正の方は、ふり向きもせず、大膳はつづけた。
「大納言様に御大事あらん時、必ず頼み入る――と御座ったな。朝倉殿。もとより、大納言様かねての御懇情、忠之に於ても夢おろそかには存ぜぬ、しかと――」
そこで、宣正と視線を合せ、声のない笑いを洩らしたが、宣正が、うなずいて、何か云いかけると、それを遮るように、
「先月、土井大炊めが、大納言様の御名をかたらって回文をよこしおったが、お聞き及びか」
「うむ、大炊は生えぬきの将軍家腹心、今更、御不興を受けた態にしてあのような、こざかしき詐略致しても、うまうまかかるものは、まずおるまいて」
「して、この度、貴殿の、回文に、請状差出したのは?」
宣正は、視線を逸《そ》らせて、ふふと云った許《ばか》りである。
「島津は?」
大膳は、強引に追及した。
「例の事件じゃ、初めから呼びかけもせぬ」
例の事件と云うのは、前年島津の家臣が忠長の愛犬に噛《か》まれたのを怒ってこれを斬り殺した為、忠長大いに怒って島津家と事を構えようとしたが、土井利勝の調停によって、わずかにおさまったことがあったのである。
「毛利は?」
「関ケ原以来、とんと腰抜けじゃ」
「両加藤は?」
宣正は、大膳をじろりと見て、
「それより、筑前守殿(黒田忠之)の――」
と云いかけるのに、大膳は、そ知らぬ顔付で、
「御藩中で、この事に与《あずか》るは」
「わしと、腹心ばかりじゃ」
「鳥居殿は」
「聞いたら肝つぶしてわめくじゃろう。が、あの仁も、永くて、あと半歳」
「三枝殿は」
「一通り老獪ぶっとるが、とんと阿呆《あほう》」
やや、うるさげに云いすてると、宣正は、先刻から云いかけていた事を、ずばりと切り出した。
「筑前守殿、御異存なくば、受書頂きたい」
「もとより、これより江戸に上って、忠之と打合せ、早速にお届け致そう」
――狸《たぬき》め! 容易にはよこすまい、両股かけおって。
暇乞《いとまご》いして立去ってゆく大膳の後姿に向って、宣正は、忌々しげに、腹の底でつぶやいた。
――が、大膳を怒らせてはならなかった。
黒田家の向背は、大事の成否を決する上に大きな鍵《かぎ》である。二股かけていると分っていても、最後に、自分の方へ、引きずり込むために、全力を尽す以外はないのである。
彼の眼には、若い主君忠長の運命は、この謀反と云う方法以外に打開する途《みち》なきものと見えた。そして、主君の運命は同時に、自分の運命でもあった。
徳川宗家の安全を維持する為には、骨肉と雖《いえど》も平然と犠牲にして顧りみない――これが、家康以来の伝統的政策である。
家康は、その為に、妻の築山殿《つきやまどの》を殺し、長子|信康《のぶやす》を切腹せしめ、第二子|秀康《ひでやす》を毒殺したと噂され、更に、その子|忠直《ただなお》を配所に移し、六男|忠輝《ただてる》の封土を収めて落髪せしめた。
秀忠は娘|千姫《せんひめ》を人身御供《ひとみごくう》とし、熱愛した妻の姉|淀君《よどぎみ》を殺し、千姫の婿|秀頼《ひでより》を殺した。
温順な尾張義直も、清廉の紀州|頼宣《よりのぶ》も、幾たびか反逆の嫌疑を受け、戦々|兢々《きょうきょう》としてひたすら将軍への恭順の意を明かにしている。
家光が幼年時代から己れをしのぎ、ややもすれば己れの地位を脅かそうとした忠長を、いつ迄も放置する筈はない。たとえ忠長が、恭謙抑譲、家光に完全に臣事したとしても、いつの日か、何らかの口実の許に破滅の淵《ふち》に追いやられるであろう。
まして、驕慢《きょうまん》放恣《ほうし》の忠長である。その究極の破滅は、近い将来に必至とみてよい。よし、それならば、――と、宣正は、虎穴《こけつ》に入る決意をしたのである。
忠長をたきつけるのは、小児を操るよりも容易であった。
数年来、東海道を上下する諸大名の中、これと目ざすものに、格別の殊遇を与えたのも、武芸に名のある浪士を反幕府派と知りつつ多く召抱えたのも、屡々《しばしば》久能山《くのうざん》に詣《もう》でて、その収蔵金百九十四万両奪取の方策を頭中に固めたのも、近江国友《おうみくにとも》村の鉄砲|鍛冶《かじ》を移住せしめたのも、悉《ことごと》く、その目的の為である。
だが、最後に、頼みとするところは、幕府に快くない外様大名の加担であらねばならぬ。
誰と、誰とが、いざとなって、忠長の命の下に起《た》つか。
危険を冒して遂《つい》に発送した謀反加盟勧誘状に対する回答は、予想を超えて少かった。
黒田と両加藤とは、何としても味方に引き入れねば、――そう考え、宣正は、大膳が目の前にいる間、絶えず感じていた、不可解な圧迫感をふるいおとすように、頭を二三度横にふった。
たかが、黒田の家老、田舎侍――と思いながら、大膳に会うと、いつも、何か気圧《けお》されるものを感じ、我知らず、対手の云いなりになっている、その自分を素直に承認することがひどく不愉快だったのである。
――きゃつは、その場、その場に、己れの凡てを賭《か》けて生きている、だが、自分は?
と考えて、宣正は、腹の底で、ちくりと刺すものを感じ、頬に血の上るのを覚えた。
その頃、御馬頭|曾根《そね》将曹に送られて大手にさしかかった栗山大膳は、右手の広場で、鉄砲訓練をしている一隊に目をとめると、立止まって、じっと見入った。
やがて、のそのそと鉄砲頭剣持治助の傍に進みよると、
「見事な鉄砲じゃの、ちょっと拝見」
と云って受取り、仔細《しさい》に検《あら》ためる。
「藤兵衛作にござりまする」
背の低い円顔の剣持治助が、大膳の顔をふり仰いで告げた。大膳は、
「いかさま、のう」
と、答えて、鉄砲を返したが、剣持の頬のホクロに二本長い毛が生えているのをみると、にっこり笑って、二本の指でつまんだ。
「これは、福毛じゃ」
剣持も、屈託のない笑いをかえした。
――あの手で、人をとろかしおる。
曾根将曹は、そのさまをみて、呟いたが、やがて大膳を城門の外まで送ってしまうと、城内にとって返し、広座敷に戻っていた宣正の前に伺候した。
「あい殺害の犯人、目当てがついたかの」
小さい鋏《はさみ》で、丹念に深く爪《つめ》を剪《き》りながら、まだ大膳にこだわっていた宣正は、曾根の入ってきた様子にふりかえると、思い出して、そう質ねた。
「『こ』の字の目当て、児島、小山、越村、木暮、小泉――まずここらと羅門が申しておりましたが」
「斬ったのは痴情からではない。女に未練があれば、それ程すっぱりとやれぬ。あいに身柄をかぎつけられた為だな。児島が、――一番怪しいかな」
「拙者も、さよう存じます。ところが、昨夜、拙者宅と、内藤どの邸内に投げ文をしたものがあり、あい殺害犯人は、津上国之介、石田文蔵、両名なりと記してありました。あいの掌にありし『こ』の字、必ずしもあいが記したものとも限りませぬ。嫌疑を逸らす為、犯人が書いたかも知れませぬ」
「それは、そうだ。津上、石田――どれも、臭い処はあるが――まず」
「二人の中ならば津上でしょう」
「そうだ」
「然《しか》し、児島にしても津上にしても、確証は全くありませぬ」
「どちらが出来るかな」
「互角――とみえますが、或は、児島の方が、爪を隠しおるだけに少々上かと思います」
「児島に、津上を斬らせるがよい」
「ほう」
「三枝に云うておく。二人を、来月の真剣御前試合に組み入れておこう」
「児島が津上を斬りました上は」
「きゃつ、潔白ならば、それでよし、もし、きゃつの方が怪しければ、津上を斬って心を安んじたところで、ボロを出すであろう。その時、処分しても遅くはあるまい」
「は」
「児島と津上、――隠密対隠密の果し合いかも知れぬ。面白いぞ、この試合は」
宣正は、自分の思いつきに満足して、くくと笑いを洩らした。
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五
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「ばれたぞ、津上」
宗蔵は、座につくなり、国之介に、そう云った。
「今日、朝倉の懐刀、曾根将曹に呼ばれた。津上国之介、あいを殺害せし江戸隠密の嫌疑あり、来る御前試合の節、試合に事よせて斬り捨てい、と云う命令だ」
「拙者に、あい殺害の嫌疑?」
「はは、それは、おれが密告したのだ」
「えっ」
「おれ、小山、越村、木暮――と、大分探っているらしかったので、あい殺害の犯人は、お主と、石田の両名なりと投げ文してやったのだ。益々分らなくなって困りおった事だろう、はは」
己れを救う為に、同じ隠密仲間を危地に陥れて、平然としている宗蔵の態度に、国之介は唖然《あぜん》として、対手の蒼く冷たくうそぶいている顔をみつめた。
「――が、その中から、お主が目をつけられたのは、予《かね》て嫌疑がかかっていたからだな」
自分のとった乱暴な処置について、何の反省もしていないらしい宗蔵に、急には対手を詰《なじ》る言葉が出ない程、国之介はむらむらとした。
「津上、姿を消したらどうだ」
「莫迦な、罪なき女子を手にかけたと云う冤罪《えんざい》を、引被って逃げられるか」
「隠密としての使命忘れたか」
「隠密――ではあるが、その前に、武士なのだ、拙者は」
「では――遠慮なく斬るぞ、試合の日」
「むざと、斬られはせぬ」
隠密としての修練は、たしかに宗蔵に一歩譲らねばならぬ、と国之介は認めていたが、武芸の上で、宗蔵に劣るとは思っていなかった。
その自信が、対手に対する反感と結んで、きっぱり答えたのである。
「ふふ、馬鹿《ばか》げた事だ、同じ目的をもつものが、敵の策に乗って、斬り合うなぞ」
「では、児島、お主が姿を消せばよいだろう」
「おれは、まだ、突きとめねばならぬ事がある」
「拙者とても同じだ」
「一旦、嫌疑をかけられた以上、それはむつかしいぞ。津上」
宗蔵は、にやっと笑って、声の調子を変えた。
「お主、ふさのことが心配で、ここが立去れぬのか」
「よせ、ふさどのの事は口にするな」
「ひどく惚れ込んだものだ、若いな。だが、悪い考えだ、それは。おれに斬られてしまえばそれ迄のこと。かりにおれを斬ったとしても、隠密の嫌疑を受けている以上、永くはここにおられまい。その時、ふさをどうするつもりだな」
考え直したがよい――と、飽く迄、優越した立場に立つもののように、宗蔵が云い残して立去った後、国之介は、暮れかかる庭を前に、凝然と考えつくした。
宗蔵の云う通りである。この場合、直ちに駿府城から姿を消すのが、自分の一身の為に最も安全であり、又、隠密としての心掛けは当然そうなければならない。
既に、忠長の密書を出したものの中、菅沼右京と、堀尾忠晴とをつきとめ得ているし、栗山大膳の突然の来訪から、黒田家もその中に入るものと推定してよい。これだけの成果をもってかえれば、不充分ながら一応の復命は出来るのである。
だが、なんとしても、今、駿府を去る決心がつき兼ねた。
宗蔵に対する武士の意地――と、国之介は、自分に云いきかせているが、も一つ奥をつきつめてみれば、自分の去った後、宗蔵がふさに対して、どのような手段に出るか、それが何よりも気懸りなのである。
ふさの、いつも朝露をやどしたように濡《ぬ》れてみえる睫毛《まつげ》の長い瞳や、物いいさして、ぽっと、白磁色の頬に紅を浮べる初々しい恥らいの表情や、ぴっちりくるんだ衣の端からあふれ出そうな若々しい娘盛りのからだつきが、卍巴《まんじどもえ》になって、夕闇の中に躍った。
――宗蔵如きに、あのふさを、弄《もてあそ》ばれてたまるものか。
思わず、歯をぎりっと噛みしめて、庭下駄をはき、裏口から空地に出た。
鹿島家の裏木戸の辺りに、しょんぼりとした撫《な》で肩《がた》の影が一つ立っている。
国之介の胸が、我知らず高く鳴った時、その影が、空地をよこぎって走りよると、国之介の胸許にひたと足をとめた。われとわが動悸《どうき》を押えるように両の胸にあてた女の袂《たもと》が、激しく上下し、唇が、わなないている。
城中奥向きの正式の定めでは、宿下りは年二回であったが、色々と用にかこつけて、大概、月に一度位は、出て来られるのである。その度に、偶然のようにして、裏木戸の辺りに姿をみせ、同じように空地に姿を現す国之介と、ほんの二こと三こと、言葉を交わすだけ、それがせい一杯の、娘の示し得る愛の表情であった。
が――今日は全く違っていた。身を投げかけるように走りよって来たが、何か云わねばならぬことを、どう切り出してよいか、小さな唇が、必死に探っている表情なのである。
「ふさどの、どうなされた」
鼻先にせまった若い女の甘美な匂《にお》いに圧倒されながらも、国之介は、その異様な面持におどろいて、口早に云った。
「国之介さま、つい今し方、奥祐筆の児島宗蔵さまから、父に、私を貰いたいと云うてこられました」
一思いに云ってしまってから、ただそれだけの事を国之介に告げる為に、自分のとったはしたない態度に、突然の恥らいを感じたのか、パッと頬を染めて下を向いた。白いうなじの襟元に消えるあたりが、清潔な、しかし、得も云われぬなまめかしさをみせていた。
「児島が――」
今日の今、とは――素早い奴だ、と呆《あき》れた。
「はい、父は――立派な方、お受けしたらどうだと申します」
「ふさどの、それで、あなたは」
せき込んで云った国之介の左手が、ふさの肩を強く抱くようになったのを、二人とも全く気がつかない。
「国之介さま」
ふり仰いだふさが、それだけ云って、きっと、口を結んだ。
答えは明かである。
鋭い歓喜の情が、国之介のからだを、ずきりと、縦に貫いた。想う女の心を掴み得た、自分が選ばれたのだ、と知った時、凡ての男を把える、あの骨身に沁《し》み通るような、自負と満足の、大らかな、激しい愉悦の感情であった。
「他の殿方を選ぶふさとお思いでしたか」
その感情を裏書きするように云ったふさの眼に、円く滴がにじみ上り、鼻梁をつたって、下に落ちた。
「ふさどの」
国之介は、両手を女の背に回して、自分の胸に抱きよせた。吃驚《びっくり》するほど大きな音をつたえてくる国之介の胸の鼓動に、頬をぴったりすりよせていたふさが、信じ切った声で、呟いた。
「国之介さま、父に申し入れて下さいまするか」
ぎくっと胸を突かれたが、咄嗟の云い逃れは、自分でも思いがけぬほど、すらりと出た。
「すぐには、出来ぬ」
「何故でございます」
「児島宗蔵と、果し合いをせねばならぬのです」
「えッ」
「故あって、来る真剣御前試合に、児島と立合えと命ぜられました。が、ふさどの、心配はいらぬ、国之介断じておくれはとらぬ」
「国之介さまが敗れるなぞ、そんなこと、もとより、ある筈はございませぬ」
愛する男なるが故の、理屈を超えた無限の信頼をこめて、大きく見開かれた女の双の瞳をみると、国之介の闘志は、ふつふつと沸《たぎ》り立った。
――宗蔵め、必ず斬ってくれる。その上で、ふさとどうするか、連れて逃げてもよい。何の、場合によっては隠密の職務打棄て、武士の身分を抛《な》げうってもよい。
しなやかに、柔かく、甘く匂う女のからだを、ひしと胸に抱きよせているだけに、国之介の気持は、その刹那《せつな》、そこ迄、つきつめて行ったのである。
もうすっかり暗くなっているあたりの空気の中で、白く大輪の花弁のように浮いてみえる女の顔を、右手でそっと上向け、唇を合せようとした国之介が、
「あッ」
と叫んで、ふさを突き倒すように背にかばい、抜打ちに刀を撥《は》ね上げた。
カッと音を立てて、小柄が、宙に飛び、一二間先の地につきさきった。
「何者だッ」
国之介は、刀を握った右腕でふさをかばいつつ、じりじりと二足三見下ったとみえたが、その左手が、サッと上って、何か小さなものを、前方の闇をめがけて飛ばせた。
そのまま、瞳をこらして、闇の中を窺《うかが》っているのである。
対手は完全に呼吸を殺し所在をくらましているが、こちらは、ふさがいるので、それが出来ぬ。著しく不利なその態勢のまま、国之介は、左手に、また何かしかと握りしめて、前方の闇を睨みつづけた。
緊張し切った空気と恐怖とに堪え切れなくなって、がくがくと、小きざみに、ふさの身体がふるえ出した時、国之介は、ホッとからだの線をゆるめた。
「逃げおった」
と云った国之介の背中に、汗が、じっとにじみ出ていた。
それから小半刻。
児島宗蔵は、己れの部屋で、掌の上にのせた、平たい、星のような型をしたものを、うち返し、眺めていた。八つの鋭い尖端《せんたん》をもつ風車型手裏剣である。
回転しつつ加速度を加えて飛び、対手の肉体に、八つの尖端のどれかが突き刺さると、二転三転して、肉の中に食い込み、骨をも断つ恐るべき手裏剣なのである。
――きゃつだったのか。風車十字打ちを遣うと云うのは。
江戸の隠密仲間に風車手裏剣に絶妙の腕をもつものがいるとは聞いていた。その十字打ちと云われるのは、対手の右肩から左腰に、左肩から右腰に、各々《おのおの》六枚|宛《ずつ》の風車手裏剣を隙間《すきま》もなく打ち込むものである。逃れる術《すべ》なき必殺の投げであると聞いていた。
他ならぬ津上国之介が、その妙技を会得した男であったとは。
刀の鍔につき刺さっていたその手裏剣をみつめて、宗蔵は慄然《りつぜん》とした。
出来る奴と認めながら、一応のんでかかっていた相手に、宗蔵は、初めて、容易ならぬ恐怖を覚えたのである。
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六
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寛永六年九月二十四日、駿府城内南広場に於て、城主忠長親臨の下に、酸鼻を極めた真剣御前試合が行われたことは、写本「駿河大納言秘記」に詳述されている如くである。
表面上は何の関係もないと見える児島宗蔵と津上国之介とが、この試合の午後の部に加えられたことは、藩内の人々を、ひどく驚かした。
鹿島の娘をめぐる恋の遺恨から、果合いを願って出たのだと噂するものもいたし、腰元あい殺害の嫌疑を受けた津上を、それとなく処分する為に命じられた試合だと、したり顔に囁くものもいた。
午前の凄絶な勝負に、もはやそれ以上見つづける勇気を失って姿をみせぬものも沢山あったし、殊に、女人たちは、殆ど凡てが、姿を消していた。恐らく彼女らの大部分は、昼食を喉《のど》に通し得なかったであろう。
しかし、血の香りに一入《ひとしお》、殺伐な気をあおられ、残忍な悦《よろこ》びを刺激された男たちは、依然として、はり繞《めぐ》らされた幔幕の中に、新しい興味と好奇心をもって集まっていた。
審判の役は、午前と代って、曾根将曹と、大番頭野方久左衛門とである。背後には何故か、鉄砲頭剣持治助が控えていた。
左右に別れた二人の剣士の、最初の一撃をみて、曾根と野方とは、目を円くして、顔を見合せた。それは、二人の闘いぶりが、午前中に行われた凡ての剣士たちのそれと全く異なるものであることを、早くも予想させたからである。
正しく対手の右肩を斬り下ろしたと見えた宗蔵の剣は、左に打ち下ろされていたし、最初の気配で、左方に身をかわしたとみえた国之介のからだは、右に飛んでいた。
二つの剣が激しく相互のからだにぶつかったと見えた次の瞬間には、音もなく二人は二三間も間隔を離しており、しかも左右その地位を変えていた。
対手方の気を、その実際に動く秒毫《びょうごう》の前に察して対処する能力と、身を転ずる速度の目にもとまらぬ迅速さこそは、忍者の生命である。
その忍者の術の奥義を究めた二人の闘いは、曾根野方両検査役は勿論、満場の観客の眼には、空宇に飛びちがう流星の如く妖《あや》しいものと映ったのである。
「不可思議な立合いだ」
「みていると、眼がくらむようだな」
そうした囁きの中で、二人は、幾たびか、燕《つばめ》の如く飛び違い、鷹《たか》の如く相|撃《う》った。
と――
二人が、突如云い合わした如く、白砂の上にひたと佇立《ちょりつ》した。
宗蔵は青眼、国之介は、上段に構えている。
国之介の上段は、通常の大きく腕を構えてふりかぶるものと違って、両腕を面前にすぼめて、剣身を垂直に立てる胎内構えである。対手はこちらの眼をみるを得ず、わずかに腕の間から鼻を見得るのみ、剣気を韜晦《とうかい》して、敵の混乱をつき、一撃死生を決する最後の構えである。
勝負この一撃に決するか――とみえた転瞬の間、たっと、二三間、背後に飛びすさった宗蔵の左手が、頭上にサッと上り、光の矢をひいて、三本の手裏剣が国之介の胸板に飛んだ、――それを認めたのは、二人の検査役だけである。他の者は凡て、国之介の剣が、素早くそれを左右に叩きおとした時初めて、
「あっ、手裏剣!」
と、気づいたのである。
必殺の狙いをこめた武器を、悉く外された宗蔵が、対手の反撃を予想して、たたっと間隔を縮めようとした時、逆に、国之介が、四五間、後に飛んだ。宗蔵が、狂ったもののように右に左に、身をひるがえした。
そして数秒――
何事が起ったのか、何人にも分らぬままに、宗蔵の表情がサッと激しい苦痛の色をみせ、そのからだが、棒立ちになった。
十字打ちの風車型手裏剣を、左の肩と、左の腰骨とに、深くつきさされたのである。
強烈な痛みが、全身をひきつらせた。
危くこらえて、国之介を睨んだ宗蔵の唇が、小さく動いた。
――おれの負けだ。
唇は、そう云ったのである。
声を全く出さずに、唇を動かして物を云い、対手もそれを読みとる術は、後世、聾唖《ろうあ》者の間に読唇術として行われるより遥か以前に、忍者たちの間に行われていたのである。
国之介の面に、かすかな微笑が浮んだ。
大刀を下段におろして、ツツツと、宗蔵の方へ寄って行った。
――おれの負けだ、死出の土産に、おれの調べたことを伝えておく。
よそ目には、刀を構えて、試合をつづけているとみせながら、宗蔵は、もうすっかり闘志をすてたものの如く、そう云った。苦痛をこらえて立っているのが、精一杯と見える。
――請書差出したもの、黒田、菅沼、堀尾の外、蒲生忠広、それから――
ああ、蒲生も加藤もか、――国之介は、その無声の言葉に驚きつつ宗蔵の唇をみつめた。その唇は、もう、次の言葉を充分に示し得ぬほど、ふるえている。
――児島、しっかりせい、その外は。
国之介が、一足ふみよって、同じように唇の動きでそう云った時、
「とうッ――」
宗蔵の唇が、突如、はりきれるほど開かれ、国之介は、がっと前にのめった。
肩からふき出る血汐《ちしお》の中に、国之介は上半身をひたして、そのまま動かなくなった。
意外な結果に茫然《ぼうぜん》としている広場の一同を、更に驚かせたのは、つづいて起った殺戮《さつりく》である。
「西方、児島宗蔵の勝」
勝名乗を受けて、よろめきながら、幔幕の方へ去ってゆこうとした宗蔵の背を、剣持治助の手にした鉄砲が、ただ一発で射貫いた。
あッと叫び声をあげて騒ぎ立つ一同の耳に、大手をひろげて立った曾根将曹の雷のような大声が響いた。
「一同、鎮まれ、隠密を成敗致したのだ」
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七
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数日後、江戸城外桜田|霞関《かすみがせき》の黒田藩邸の大きな黒い門をくぐった、背の低い円顔の武士があった。
鑑札を示して、庭への木戸を衛《まも》る番士の前を素通りし、さっさと広座敷横の書院の前までくると、中をのぞき込んで、
「栗山様」
と、声をかける。
すぐに、大膳が、その大きな姿をみせた。
「ほう、戻ったか、上るがよい」
「はい」
座敷に上って、改めて挨拶すると、
「先ず何より御報告」
「うむ」
「両加藤(加藤忠広、加藤明成)、蒲生、堀尾、生駒《いこま》――これだけでござります」
「僅《わず》か、それだけか」
「はい、回状送付先は二十二カ所」
「藩内の武器は、鉄砲三百二十|梃《ちょう》、大筒《おおづつ》三門――と聞いたが」
「その通りでございます」
「藩士の動向は」
「未《いま》だ、殆どが、何も存じませぬ。が、新規召抱えの者を除いては大部分は旗本の次三男より選ばれしもの、恐らく、いざとなれば、不同意かと思いまする」
「幕府方の隠密は」
「十名ほどは入っておりましょう。三人までは殺されました」
「よく無事に帰れたのう」
「この福毛のお蔭《かげ》でございます」
男は、頬のホクロに生えた二本の毛を指さきで引張って笑った。
「御苦労、下って休むがよい」
大膳はそのまま奥へ引込んで行ったが、半刻ほどすると、急に、邸の主、黒田忠之出邸の用意が備えられた。
老中酒井忠世の前に出た忠之は、忠長の密書を差出し、大膳の筋書通り申立てた。
「この書状国許へ届きまして、本日江戸藩邸に回して参りましたので、早速、お届け致しました次第」
「過日、土井大炊の名をかたって、同じ趣意の密書が回りおった。その節も早速お届け頂いたが――この書状、何人かが駿河殿の御名をかたったものとは思われぬか」
「或は、左様かも知れませぬ」
「筑前守は、この度参覲の途次、駿河殿にお目にかかったと思うが、その節、何ぞ思い当たることは御座らなんだかの」
「されば、大納言さまには、世のいかにも成りゆかん時、御一身に万一のことあらば、深く頼むぞと仰《おお》せられました。世上動乱、大納言さま御身上に大事あらん時とは、将軍家に対して弓ひくもの現れ、大納言さまの対手の大将としてこれに馳せ向わるる時と存じ、固《もと》より仰せ迄もなく御馬前にお働き申すべし、とお答え致しておきました」
――ちッ、うまく逃げおった。
退出してゆく忠之の後姿を見送って、雅楽頭は苦笑した。
寛永九年、大御所秀忠が歿《ぼっ》すると間もなく、加藤忠広が改易《かいえき》になり、つづいて、蒲生、堀尾、菅沼諸家が断絶せしめられ、数年おいて堀直定、加藤明成も同じ憂目をみたことは歴史に記す如くである。
忠長の運命も周知の如くであるが、幕府が忠長処断を決心したのは、朝倉宣正が事の成り難きを観念し、最後の際に至って己れ一身を救うため、一切の意図を忠長に帰して、幕閣に密訴した為だと云う。真偽の程は分らない。
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飛竜剣敗れたり
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一
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通常、剣の途《みち》で二刀流といえば、誰《だれ》しも宮本|武蔵《むさし》の円明流を考える。だが、寛永《かんえい》の初め頃《ごろ》には、円明流の外に、未来知新流と名づける二刀流の一派が、甲斐《かい》を中心にかなり盛んに行われたことが記録に残っている。
――同じく二刀流なれど、武蔵が末流に非《あら》ず。
と撃剣|叢談《そうだん》にも明瞭《めいりょう》に区別されているこの流派は、しかし、流祖黒江剛太郎宗之の死後、急速に凋落《ちょうらく》してしまった。
円明流が武蔵の死後も九州に広く伝わり、肥後《ひご》に村上平内、鹿田弥左衛門、津田岩太、筑前《ちくぜん》に大塚登、肥前《ひぜん》に関平太夫、同弥三右衛門などの名人が出ているのに比べて、著しい対照を示している。
ずっと後代になって、備前《びぜん》春日の神官杉村平馬というものが、未来知新流の流れをひいた二刀流を教え、温故知新流と称《とな》えたが、当時の人々は、簡単にこれを武蔵の末流と片づけてしまった。
未来知新流の衰滅の原因は、いうまでもなく、流祖黒江剛太郎が、駿河《するが》城内真剣御前試合に於《おい》て、二階堂流の片岡《かたおか》京之介と闘って敗れ、その場で命を墜《お》としたためである。
片岡京之介は、後に述べるように、その流派独特の「垂れ糸の構え」によって、霊妙な剣技を知られていた剣士ではあるが、黒江剛太郎がよもやこの片岡に敗れようとは、試合の当日に於てさえ、ほとんど何人《なんぴと》も予測しないところであった。
黒江自ら、試合前にしばしば確信を以《もっ》て必勝を公言していたし、その剣技は、片岡の、いわば消極的な受身の技法に対して、雷電の飛ぶ如《ごと》き積極的戦法であったから、真剣勝負ともなれば、勝利の公算は九分まで彼の方にあるとみられていたのである。
剛太郎は、死んだ時に三十七歳であったというが、若くして一流を編み出すほどの男だけに頗《すこぶ》る異相を備えていたらしい。
試合の模様を伝えた「駿河《するが》大納言《だいなごん》秘記」には、
「総髪黒く長く肩にかかり、顔色|労咳《ろうがい》を病める如くに蒼白《そうはく》、常に半眼に開きたる眼尻《めじり》長く切れて眠れる如く、鼻梁《びりょう》鋭くとがりて頬《ほお》落ち、その貌《かお》、餓えたる豺狼《さいろう》の如し」
とある。
あまり好意を以ては描かれていないこの相貌《そうぼう》は、しかし、よく想像してみれば、決して醜いものではない。むしろ、一種の不気味な美しささえもっているように思われる。
事実、彼の生涯には、幾つかの女性をめぐる紛争があったし、彼の最期でさえ、その美貌の妻に若干の責がなかったとは言えないのである。
しかし彼の性癖については、どうみても有利な判断を下し難い。恩人の妻を、複雑な詐略で奪いとったこと、終生ついに心服する門弟を持ち得なかったことなぞ、現在知られている二三の事実によってさえ、充分にそれは推測することが出来よう。
のみならず、彼が極端に己惚《うぬぼ》れが強く、些《いささ》かの侮辱《ぶじょく》にも我慢し得なかったこと、殊に一流を開いてからは、自分の流儀に対して加えられる一切の批判に猛烈な反撃を加えたことなども、彼についての風評を著しく悪くしている。
事実、彼の死の原因となった真剣試合でさえ、決して、絶対的に必要なことであった訳ではなく、又何人にも強制された訳でもなく、ただ、かりそめの一言を、自分に加えられた挑戦と受けとって、自ら執拗《しつよう》に要求したものであった。
この試合の結果、彼は斃《たお》れ、同時に彼の未来知新流も、再起し難い打撃を受けた。云《い》ってみれば、未来知新流は、彼黒江剛太郎宗之と共に起り、彼と共に亡びるという数奇な運命を持ったのである。
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二
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寛永二年春、当時まだ赤江剛蔵と称していた黒江剛太郎は、加賀藩に新規召抱えとなった。
それまでの彼が、どのような暮らしをしてきたかは不明である。以前西国辺の某藩で、相当の地位にいたのが、女の問題でしくじったとも云われるが、少なくともその当時は永い浪人生活に、文字通り尾羽打ち枯らしていたようである。
彼を藩に斡旋《あっせん》したのは、同藩の大番頭村岡半左衛門であった。
新しく与えられる禄《ろく》高が、五十石と聞いた時、剛蔵の頭にチラッと、不満の色が走ったが、さりげなく面を伏せると、礼を述べて受諾した。
「知新流を使うとか聞いたが、知新流とはついぞ聞かぬ流儀だ、どのようなものかな」
同座していた藩の武芸師範石黒武太夫が尋ねると、
「はい、師匠安村範右衛門が始めましたもの、因州の辺りに行われております。もともと蔭流の流れを汲《く》んでおりますが、その後の凡《あら》ゆる新しき流派の長所を集め、師の大成致したものです」
「ほほう、大したものらしいな。では、このわしの丹石流の太刀筋も入っているわけかな。ははは、一度拝見したいものだ」
石黒は、やや冷罵《れいば》に近い調子で云った。
剛蔵は、その言葉を聞いた瞬間、細い眼を右の方だけ、心持大きく開いて、対手《あいて》の顔を鋭く見返したが、別に返事はしなかった。
返事は、自分の心に向ってだけしたのである。
――望み通り、いつか、しかとみせてやろう。
新しい就職機会が、極めて少なくなっていること、一度就職さえしてしまえば、自分の腕で充分に出世の途を切り開いてみせるという自信のあったこと、などが、辛うじて剛蔵の怒りの噴出を、押えたのである。
石黒の傲岸《ごうがん》な態度を常々あまり快よく思っていなかった村岡半左衛門は、其後《そのご》、こと更に赤江剛蔵を贔屓《ひいき》し、事毎にその武芸の腕を人に語った。
剛蔵も、しばしば村岡家へ出入りした。
格別、身を低くしてへつらうという態度ではない。むしろ、言葉少なく、ややぶっきら棒にさえみえたが、その齢《とし》に似合わぬ薄気味悪いほど落着いた様子や、対手の希望を鋭く嗅《か》ぎとって、それを自分の意思であるかのように簡潔に表現する妙な勘のよさなどによって、村岡には、ひどく気に入られた。
「飾り気のない、物解りのよい男だ」
半左衛門は、伜《せがれ》の安之助に、よくそう云った。安之助の方もまた、剛蔵の武芸に、すっかり惚れこんでいた。
事実、剣をとっての剛蔵は、素晴らしいもので、藩内の若手では有数の使い手である安之助も遠く及ばないものであった。しかも、剛蔵は、剣ばかりでなく、槍《やり》もつかったし、松村流の手裏剣まで心得ていたのである。
師範石黒武太夫に、劣るとは思われぬ――安之助はそう考え、またそれを口にした。そんな時、剛蔵は、
「いやいや、とても、石黒殿には」
と、一応、殊勝気な答えをしたが、内心ひそかに自負しているものがあることは、明らかであった。
その剛蔵が、武太夫の真の腕を知って、愕然《がくぜん》としたのである。
――残念ながら、きゃつには敵《かな》わぬ。
はっきり、そう知って、両歯をかみ合せ、瞳《ひとみ》の底に鋭い青い光を光らせた。
藩主前田中納言|利常《としつね》の命によって、新刀の試し斬《ぎ》りの行われた日のことである。
越前《えちぜん》康継の鍛え上げた新刀を手にした武太夫は、引き出された罪人に刀を持たせることを要求した。罪人は武士ではないが、伊蔵という殺人の経歴をもつ凶悪な男である。
懸念する係りの役人に、心配するなと云い、伊蔵には、
「存分に斬ってかかれ。拙者に一太刀でも斬りつけ得たならば、助命のこと、我身にかえても願うてやろう」
と云ったのである。
正式の武芸は心得ぬながら、血をみることには慣れている伊蔵が、命をかけた不敵な殴り込み戦法で、しゃにむに武太夫の胸元に飛び入った勢いは、悪鬼さながら、必殺の気魄《きはく》凄《すさま》じいものがあった。
武太夫は、冷やかな笑いさえたたえ、からだを斜めに左肩を出し、剣を右下段に構えて立っていたが、伊蔵の手にした刀が、からだごと武太夫の左肩に激突したとみえた瞬間、
「えーい――とうッ」
二声の気合が、つづいて武太夫の喉《のど》から迸《ほとばし》った。あッと息をとめた人々の眼前に、両断されて転がった伊蔵のからだと、一|間《けん》ほど右方に血しぶきをあげて飛んだ首とがあった。
最初の一刀で左|脇腹《わきばら》から右肩にかけて、逆|袈裟《げさ》に斬り上げて伊蔵のからだを斜に両断し、次の一刀で墜ちかかる伊蔵の上半身から、首を斬り飛ばしたのである。
快然と微笑して血刀を眺める武太夫の姿を食い入るように見つめた赤江剛蔵は、にぎりしめた自分の両手が微《かす》かに震えるのを感じた。と――血刀をぬぐい、ふりかえって人々の讃辞《さんじ》に応《こた》えて、得意気にうなずいていた武太夫が、剛蔵の姿をみて云ったのである。
「おお、お主も来ていたか。どうだ、今の丹石流逆袈裟の極意、知新流とやらにとり入れてあるかな、ははは」
召抱えの決定した日に受けた侮蔑《ぶべつ》の言葉は、まだ聞き流すことができた。おのれなぞにおくれはとらぬ――と心に自負することがあったのである。
しかし、この日の揶揄《やゆ》は、剛蔵の心魂に徹して、無念の思いを植えつけた。とても敵わぬと、はっきり知ったからである。
それは同時に、剛蔵が心ひそかに抱いていた希望――いつの日か、武太夫を打ち込んで、師範の座を奪いとってやろうという希望を完膚なき迄《まで》にたたきこわしたものでもあった。
喜怒をほとんど表わさない剛蔵の冷たい腹の底に、武太夫に対する激しい憎悪の念が宿ったのは、その刹那《せつな》からである。
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三
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石黒武太夫が、普請奉行《ふしんぶぎょう》佐倉次郎太の娘珠江を嫁に所望しているという噂《うわさ》が、家中に流れたのは、それからしばらく後のことである。
珠江は、藩中で、評判の美しい娘であった。
人々は、武太夫の武芸の比類のない腕は充分に認識しながらも、義理にも秀麗とは云い難いその容貌と傲慢な、時には憎々しげにさえみえる態度とを思い合わせ、
「あの男に珠江どのを――」
と何か生々しい無残な思いをこめて語り合った。
その噂を耳にした剛蔵は、双の瞳をほとんど閉じるように細くして、空間の一点を永い間、じっとみつめていたが、何事か思い決したように頭をふると、村岡家を訪れたのである。
半左衛門に挨拶《あいさつ》をして、すぐ離れの安之助の許《もと》にやってきた。
とぼんとした様子で縁にしゃがみ、柱によりかかっている安之助が、声をかけられて、ハッと夢からさめたような少々間の悪い俄《にわ》かづくりの笑顔でふり向くのに、
「安之助殿、近頃、何やらひどく思いつめておられますな」
低い、押し殺したような声で云った。すぐには答えずに、ただ眼を少し大きく見開いて剛蔵の顔を見上げた安之助の傍に腰を下ろすと、吐息を洩《も》らして、
「むりもござらん」
「え?」
「珠江どのが可哀想《かわいそう》だ」
二人は、そのまま、黙って、芝生の面をみつめていた。春の陽射《ひざ》しの下で、青いものが、もう、ところどころに柔かにふくらみをもって息づいている。
安之助の心の中で、柔かい暖かいものが、きゅっと締めつけられるようにうごめき、息苦しい悩ましさが、切なくたぎり上ってきた。
剛蔵は、冷静に、その安之助の胸の中にたぎり上ってくるものの沸騰を計算し、その破裂を待ち受けている。
「赤江氏、拙者は苦しい。だが諦《あきら》める他《ほか》はないと思う」
とうとう、安之助が頬の肉を痙攣《けいれん》させてそう云うと、剛蔵が鋭い声で遮った。
「諦める必要はありません、珠江どのをあなたのものになさればよい」
「しかし、武太夫は、殿に願って、男の意地にかけても、珠江どのを貰い受けると云っている」
「武太夫を――斬ればよい」
「えっ」
「武太夫を斬るのです」
剛蔵は、くり返した。
「腕が違う。とても――」
「一人では誰も敵わないでしょう、だが、私とあなたとが力を合わせたら、必ず斬れる」
恋の想《おも》いが若さの翼に乗る時、一切の条理は、容易に飛び越えられてしまう。同藩の先輩を、二人がかりで斃すという法外な企図を、その結果獲得される珠江のなよやかな姿を想い浮べた時、安之助はごくりと、生唾《なまつば》と共に呑《の》みこんだ。
それから三日後の夜、石黒武太夫は、城外を外れた小坂神社の境内に、単身現われた。
無名の挑戦状を受けとったからである。
珠江を愛する者――と挑戦者ははっきり記していた。そして、名を惜しむならば、単身やって来いと要求していた。
自分の腕に絶大な自信を持つ武太夫は、挑戦状をひき破り、門弟の誰にも告げることなしに、指定の場所にやってきたのである。
木蔭から現われた黒い影が、いきなり刃を抜いて、
「石黒氏、珠江を諦めるか、命のやりとり致すか」
と声をかけた時、武太夫は、豪快な笑声をたてたが、その手には素早く剣が抜かれていた。
「はは、その声は村岡の伜殿だな、よしなきことで命を捨てるでない。帰れ帰れ、今宵《こよい》のことは誰にも洩らさずにおく」
あくまで対手をのんでかかった態度でいい放った瞬間、
「あっ」
武太夫の剣がやみの中に激しく閃《ひらめ》いて、ぱっと右に、左に、二本の手裏剣をはね落したが、その毫秒《ごうびょう》の間隙《かんげき》に、安之助の刃が胸許に必死の一撃を加えていた。
「うッ、おのれ」
思わずよろめいた武太夫の背後から、更に、思いがけぬ鋭い太刀が、肩先深く斬り下ろしたのである。
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四
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武太夫の殺害の犯人が知れぬままに半歳が過ぎ、珠江は、村岡安之助の妻となった。
その新枕《にいまくら》の夜を幾日もすぎぬ頃、珠江が意外な言葉を吐いて安之助を驚かせた。
「石黒武太夫を斬ったのは、あなたでございましょう」
「いや――わしはそんな」
安之助は慌てていい訳をしようとしたが、珠江が、
「お隠しなさいますな。武太夫ほどの者を斬れる方、藩中に、他にあろうとは思われませぬ」
といいだすと、自尊心を快よくくすぐられた安之助は、もう、それを否定しようとはせず、曖昧《あいまい》に笑ってみせた。
「石黒さまからお話のありました時、いやなこと、と身震いするほどに思いましたが、父から武太夫こそは北陸に並びなき兵法遣いだと聞かされ、やむなく諦める心になっておりました。女心は、何よりも、強いものを求めます。あなたが、武太夫以上の腕をお持ちと知って、わたくしは、ほんとうに嬉《うれ》しゅうございました」
安之助は、若干うしろめたい気持を押しかくして、その讃辞を聞いた。
灯影《ほかげ》に、黒く長い睫毛《まつげ》をいとしげにけぶらせて、安之助の顔に見入る匂《にお》やかな珠江の顔は、比べるもののないほど美しく、悩ましいものに思われたのである。
剛蔵は、安之助が妻帯してからも、従前通り、いや、従前にもまして、しげしげと、村岡の邸《やしき》を訪れた。
勿論《もちろん》、安之助を通じて、村岡半左衛門に、自分の地位を引上げて貰うためである。究極の目的は、武太夫の代りに藩の武芸師範の一人として推挙して貰うことである。武太夫亡き後、自分に優る腕をもつものはないという自信はあったし、安之助は自分を引立てるために出来るだけのことをなす義務があると、確信していた。
が――その中《うち》、自分の過去をあやまらせた大きな弱点が、再び日々により強い力で自分を捕えてくるのを感じたのである。
美しい女への執心が、それだった。
珠江の初々しい新妻姿が、次第に異常な魅力で、彼の氷のような皮膚の下に、もの狂おしい欲情を燃やしていった。
安之助の好意に依存して出世しようとする期待と、安之助の恋妻を自分の胸に抱きたいという願望と――この二つの相容れない要求が、剛蔵の意識の中では、何の矛盾もなく、日に日に強く成長してゆく。
ちょうど、その頃、安之助の心の中でも、相反した思いが、からみもつれてきていたのである。剛蔵に、報いるところがなければならぬ、という考えと、自分の秘密を裏切る可能性のある唯一の男を眼界から遠ざけたい、という望みと――
安之助の心は、まもなく、後の方に急速に傾いていった。
「剛蔵め、珠江に、妙な眼付をしおる、珠江も、あまり、きゃつになれなれし過ぎる」
これが、安之助の自分に呟《つぶや》いた弁解であった。
安之助が、いつまでたっても、立身の途を開いてくれないのみか、ややもすれば冷たい態度で、自分を遠ざけようとする素振りをみせるのに気づくと、剛蔵は、容易に安之助の心理を了解した。
「ふん、恩知らずめ、五十石の端た米は捨ててやろう、その代り、女は貰うぞ」
剛蔵は、そう、腹をきめた。
女にかけては、安之助なぞ足許にも及ばぬ経験者である。珠江の安之助に対する愛情が、その武芸に対する過大評価に基いていることを忽《たちま》ちに見破った。
何気ない戯れのようにして、珠江の面前で、庭樹《にわき》に止まる小鳥を手裏剣で墜としてみせた。事の序《つい》でのようにして、武太夫の死体の傍に手裏剣が落ちていたことを思い出させた。
珠江の顔色が、ひどく動揺したのを知らぬげに、武太夫を殺したのは、安之助一人の力ではないと珠江に覚らせた。
「ばかなッ」
珠江に詰問された時、宏之助は、真赤になって憤り、武太夫を打止めたのは、自分一人だと断言したが、翌日の夜、剛蔵を誘いだすと、手厳しく、秘密を洩らしたことを詰《なじ》った。
剛蔵は、片眼をつむって、にやりと笑ってみせた。
「ちッ、おのれ、愚弄《ぐろう》するか」
安之助の手が、刀の柄《つか》にかかった。同時にパッと後に退った剛蔵の右手に長剣が左手に短剣が握られていた。
それから半刻《はんとき》――
ぬっと、珠江の前に現われた剛蔵が、うむをいわさぬ切迫した調子でいったのである。
「珠江どの、安之助は、わたしが斬った。武太夫と同じようにな。あなたは、私のものになるのだ」
人を斬ったあとの血潮のほてりに、いつもは凄いほど蒼《あお》い剛蔵の頬が、かすかに紅く染って、奇怪な美しさをもって、珠江を見下ろしていた。
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五
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珠江を連れて出奔した剛蔵は、わずかの縁を辿《たど》って、甲府に落ちついた。
名を黒江剛太郎と改め、町道場を開いたが、表には、未来知新流と書き上げた大看板を掲げた。
これは石黒武太夫を斃してから、ひそかに会得した技法であり、その最初の犠牲者は、安之助であったのだ。
自分の手裏剣と、安之助の剣とで、強敵武太夫を敗った時、彼の頭に閃いたものがあった。
「安之助と自分と、二人で行った攻撃を、自分一人で行ったとしたならば、一人で武太夫を斃せたはずだ」
彼は、この新しい想念にとりつかれ、一心に工夫をこらした。
右手に大刀を構え、左手に高くかざした脇差で小さく円を描きつつ進み、紫電|一閃《いっせん》、脇差を対手の胸元目がけて投げる。
脇差が直接対手の胸をさせば、もとよりそれで勝負は決する、だが、そうでない時でも、対手は、飛来する脇差を除け、或《あるい》は打ち落とすために、瞬間の全力を注ぐであろう。その毫秒の一刹那に飛びこんで、対手を斬り下げるのである。
極意飛竜剣――と、彼は、この自らあみだした必殺の一撃を名づけた。
赤江剛蔵改め黒江剛太郎の、未来知新流は、忽《たちま》ちのうちに甲府城下に喧伝《けんでん》された。
武蔵の円明流の末流位に思って、ひやかし半分にやってきた城中の腕自慢の連中が、一たまりもなく打ち伏せられてしまうと、この奇妙な二刀流道場には、続々と入門者が相次いだ。
甲府城下では、未来知新流でなければ通らぬほど流行し、黒江の声名は、僅《わず》かの間に、甲斐一円はもとより、駿府《すんぷ》城下に拡《ひろ》がっていったのである。
その無敵の名声の拡大と共に、剛太郎は、珠江の心を、より確実につかんでいった。当初は、驚愕《きょうがく》と危惧《きぐ》と相半ばする気持で、やむを得ず引きずられてきた形であった珠江が、今や、無双の名人として良人《おっと》に対する畏敬《いけい》と愛情とを示すようになってきたのである。
珠江を完全に把握した剛太郎の新しい野心は、駿河藩へ武術師範として召抱えられることであった。
甲駿遠三国は大納言忠長の版図であり、甲府は駿府城の支城である。いずれはどの途、駿府に出かけねばならぬと、剛太郎は、ひそかに時機を覗《うかが》っていた。
藩士に対しては、特に心を用いて対応した。例の、ややぶっきら棒に見えながら、その実、常に素早く対手の心を察して、これに応ずる、というやり方である。
多くの場合成功したが、若干の鋭敏な人々からは、
「何となく、虫の好かぬ奴《やつ》」
という形で、嫌厭《けんえん》された。
彼の剣技を嫉《ねた》んで悪口をいう者も勿論、多かった。その上、彼は、事、剣に関する限り、己れを以て絶対的に優越した名人と断言し、未来知新流に対する一切の批判を冷笑しまったので、必要以上に人々の反感を買った。
彼が殊更にそのような態度をとったのは、勿論、珠江に対する男性の見栄ばかりでなく、真に自信をもっていたからであるが、何よりも、この強引な自己宣伝によって、駿府城中の注目を自己の上に引きよせようという意図があったものとみてよいであろう。
反響は、久しからずして現われた。というより、彼が進んでそれをゆり起したのである。
剛太郎が、甲府城の城奉行日向半兵衛正之の邸を訪れて、数人の来客と共に物語りをしていた時、座に居合せた土井三十郎という男が、深い心もなくいいだしたのである。
「二刀を用いるというのは、ちょっと考えても、一刀よりは有利なようだが、本当の達人になると、やはり一刀の方が優っているらしい」
剛太郎が、これを聞き捨てにするはずがなかった。
「これは異な事を承わる。その真の達人というのは、何人ですかな」
無責任な放言は許さぬぞ、というきびしい語調に、三十郎は慌てた。
「いや、別に誰ということもないが、ただ円明流の武蔵が二階堂流の村上吉之丞との試合を怖れて逃げたとかいう話から、先日、そんな議論が出たのだ」
「武蔵の二刀流は、本物ではありませぬ」
剛太郎が苦々しげに断言すると、傍から滝尾十次郎という男が、膝《ひざ》をのりだした。
「これは面白い。今、駿府で書院番をつとめている片岡京之介は、土井のいうた二階堂流の極意を極めているということだ。武蔵以上と自任される黒江氏と、武蔵の怖れた二階堂流の片岡京之介と試合ってみれば、どうなるかな」
願うところ――と剛太郎は、いつになく激しい語調でいきり立った。
それまでにも及ぶまいと、その場はなだめて剛太郎を引きとらせたが、翌日、彼は正式に書面を以て、片岡京之介との試合を願って出たのである。
こうなると、藩としては、面目上、これを拒否する訳にはゆかない。
二階堂流の片岡京之介が、何の恩怨《おんえん》もなく一面識もない未来知新流の黒江剛太郎と、命をかけての真剣試合をしなければならなくなったのは、こうした事情からだったのである。
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六
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二階堂流というのは二派がある。
その一は、永禄《えいろく》の頃、鎌倉《かまくら》に在住した松山|主水《もんど》を流祖とするもので、俗に平法といわれた。その一文字、八文字、十文字の法を総括すると平の字になるからである。この一派は、主水の孫大吉が素川三斎に仕えて名があったが、白昼午睡の時、刺殺されたため、その流儀は滅んだ。
他の一派は里見家の木曾《きそ》庄九郎《しょうくろう》が創めた源流から分れたもので、平井進兵衛を祖とし、後に武蔵を畏怖せしめた村上吉之丞を出した。流名が偶然同じであったため、上記松山主水の事蹟《じせき》と村上のそれとがしばしば混同されているが、両派は全く別のものである。後者は、前者と区別するため、二階堂源流とも呼ばれた。
平井進兵衛の二階堂流は、極めて特異性を持つものであった。もともと彼は、非力の優男であり、若年の頃、師とした人から、
「お前の腕では、蜘蛛《くも》の糸も切れぬぞ」
と嘲罵《ちょうば》された位である。しかし、この比喩《ひゆ》的な罵言から、進兵衛は、素晴らしい刀法をあみだしたのである。
自分の腕に絶望して山野をさまよっていた進兵衛が、ふと眼の前に、木の枝から垂れ下っている蜘蛛の糸をみた。師の冷笑が、鋭い痛みを以て彼の頭中によみがえり、彼は発作的に刀を抜いてその糸に斬りつけた。
糸は――斬れなかった。
太刀風と共に、ふわりと揺れるか細い糸は、変化自在の名人の如く、進兵衛の数十度の刃先を、軽く、事もなげに無視して垂れ下っている。
「これだ」
彼の脳中に電光が閃き、豁然《かつぜん》と眼が展《ひら》けた。
そして、心魂を焦がす修練の後、遂《つい》に、凡ゆる攻撃を、音もなく避ける「垂れ糸の構え」が案出されたのである。
攻撃を避ける原理は簡単である。最大限に考えても、自分のからだの正面の幅の半分の距離を左右|何《いず》れかに動かせば足りるのである。
横に払う刃先も、刃先を一分離れるだけ身を退けば足りるのである。
対手の剣が動いた瞬間、その刃先の落ちる個所《かしょ》を見極めて、必要の最小限にからだを転ずる――その微妙な、間|髪《はつ》を容れぬ動作を、光にまばたく目蓋《まぶた》よりも迅速に行う術を進兵衛は会得したのである。
全力を傾けて刺撃し、跳躍し、激突する対手の剣を、進兵衛は、垂れた蜘蛛の糸の如く、ほとんど手応えのない柔軟な姿勢で避け、対手が疲労と焦慮に、気力つき心力破れた時を待って、旋風のように踏み込んで唯《ただ》一刀に対手を仕とめた。
村上吉之丞は、この平井進兵衛から最初に奥義を許された男である。初め奥山流を学んだが、平井と立合って、いかにしても打込めず、眼の眩《くら》むほどになったところを一撃され、頭を垂れて、その門に入った。平常、鴨居《かもい》から絹糸を垂らして、修業したといわれる。村上はじめ、この流儀を習ったのが平井進兵衛に似て、小柄な、やや繊細な感じの、性格的には大人しい型の者が多かったというのは、この流派の刀法が自《おのずか》ら、そうした人々の悦《よろこ》ぶところとなったからであろう。
しかし、彼らは必ずしも、その心底に於て、消極一点張りの脆弱《ぜいじゃく》な気性であったのではない。柔軟のうちに一脈、しぶとい迄に強靭《きょうじん》な闘魂を秘めていたことは勿論である。
村上吉之丞と宮本武蔵の挿話は、これを如実に示している。
武蔵は初め村上と試合をしようと思い、その示威運動のつもりか、村上の邸に近い松原で、連日太刀を振ってみせた。その様子は、
「伊達《だて》なる帷子《かたびら》に金箔《きんぱく》にて紋打ちたるを着、目ざましく装いて夜な夜な出《い》でて太刀撃習う。もとより軽捷《けいしょう》自在の男なれば、縦横奮撃する有様、愛宕《あたご》山の天狗《てんぐ》などはかくもやあらんと、専《もっぱ》ら沙汰《さた》せしなり」
と伝えられている。
その太刀撃ちが、時に二刻(四時間)にも及んだと、或人が驚嘆して村上吉之丞に告げると、吉之丞は、にっこり笑って、
「よく続くものだ。だが、対手が三刻持ち堪えたら何とするつもりかな」
といった。武蔵はこれを洩れ聞くと、「なかなか及ぶべくも思われず」と、舌を巻いて、夜間ひそかに、他国へ去っていったのである。
駿河藩の書院番片岡京之介がこの二階堂源流を何人について習得したか不明であるが、その「垂れ糸の構え」の驚くべき柔軟な、粘り強い技法は、少数の人々の間にではあったが、高く評価されていた。
片岡が、この程めきめき売出してきた未来知新流の黒江剛太郎と、真剣試合をするということが発表されると、藩中の人々は、非常な興味をそそられたが、試合前の予測は、先に述べたように殆《ほとん》ど九分通り、黒江の方に分があるとみられていた。
剛太郎の飛竜剣は多くの人々が現実に目撃し、その豪宕《ごうとう》華麗な二刀の構えが見る人の心魂を奪っていたのに対し、京之介の技は、極めて少数の人しか見たことがなく、観念的にも何となく弱々しい印象を与えていたからである。
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七
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試合の数日前、門弟をひきつれて駿府城下に乗りこんできた剛太郎は、しきりに必勝を揚言した。
闘わないうちに、対手の気を屈せしめる心理戦の一つであることはいう迄もないが、自信も充分にあった。彼といえども、聞き及ぶ「垂れ糸の構え」の容易に打破り難いことは覚悟していたが、それ以上、自分の二刀構えと飛竜剣とに恃《たの》むところが強かったのである。
一方、片岡京之介は、極めて謙虚な態度で、
「黒江殿は、名だたる達人、ただ必死にあの飛竜剣を防ぐより他《ほか》ありませぬ」
といったばかりである。
だが、この京之介が、考えに考えた揚句、勝利を獲得するために、逆に二階堂源流の刀法を無視するという思い切った決意を固めていたことには、誰一人気のつくものはなかった。
二階堂源流の刀法をくずすことによって、自分は剛太郎に斬られるであろう、と京之介は覚悟した。しかし、同時に、必ず対手を斬らねばならぬ――尋常では勝目がないと思われる強敵に対して闘う唯一の方法は、命を棄《す》てて相打ちに持ちこむ以外にない、と心を決めたのである。
試合の当日、清められた白砂の場に現われた黒江剛太郎の顔は、緊張に一しお蒼白さを増し、痩《や》せぎすの長身は、人々がいつも噂したように、鍛えた犲狼の如き剽悍《ひょうかん》さを漲《みなぎ》らせていたが、半眼射すくめるような瞳《ひとみ》のなかには、昂然《こうぜん》たる必勝の気魄が、ありありと覗《うかが》われた。
この試合に勝てば、甲駿遠三州の第一人者として、恐らく待望の藩師範の地位が与えられるであろう。珠江は、青く剃《そ》った眉《まゆ》の下になまめかしくけぶらせた大きな瞳に嘆称の色を新たにして、惚れ惚れと見上げるであろう。
輝かしい栄光への途を、間近かに望んで、剛太郎の全身は、逞《たくま》しい闘志にぴりぴりと武者ぶるいした。
今や、片岡京之介と相対して、右手に備前|祐定《すけさだ》の大刀を高くかざし、左手に脇差を握ってゆるやかに振りまわす二刀流の構えは、華麗な所作事をみるように、人々の眼に鮮かな姿と映っている。
手裏剣の如く飛ばすその脇差が、通常の速度で飛べば、恐らく京之介の「垂れ糸の構え」は、容易にそれを避け得るであろう。――が、この剛太郎の手から飛ぶ時、それは光の矢よりも早く、且《か》つ正確に、京之介を傷つけてみせよう、もし万一それが外れたとしても、たとえ一寸にせよ、二寸にせよ、京之介のからだが転ずるその瞬目の間隙に、極意飛竜剣が、大地を打つ電光の如く京之介を刺すであろう。
対手に向ける正面の部分をなるべく少なくする源流の、左斜の中段の構えをとった京之介の、前につき出た左肩、首のつけねの辺を狙《ねら》って、剛太郎は静かに円を描く左手の脇差を打つ呼吸を図った。
剛太郎が一寸進めば、京之介は一寸退き、京之介が二寸左へ回れば、剛太郎も二寸右へ回る。
剣と剣とよりも、眼と眼とが、気と気とが、火花を散らすような息づまる時間がつづいた。
激突と打撃のくり返しによる対手の疲労を待つことを得意とするはずの京之介の方が、体力も、気力も、より多く消耗しつつあることは明らかとみえた。
京之介の白い額に、気泡のような汗の玉が、じっと滲《にじ》み出ているのを認めた転瞬の刹那、
「たッ」
剛太郎の左手の脇差が、空宇に転瞬の白光を走らせ、右手の大刀が、剛太郎のからだごと大きく跳躍した。その剣とからだとが、正面から飛びこんできた京之介の剣とからだとに、がっきと激突し、
「ぐわッ」
と、一声。いずれが叫んだか――と、人々が腰を浮かせて乗りだした時、弾き返されたように仰向《あおむ》けにのけぞったのは、剛太郎の長身である。
京之介は、左肩に、剛太郎の脇差を深くつき立てたまま、大きくよろめいたが、大刀を地に突き立てて立直ると、莞爾《かんじ》と微笑した。
彼は飛来する剛太郎の脇差を、全然、避けようとはしなかったのである。従って二階堂流極意の「垂れ糸の構え」は破れた、いや破れるに任せた。だが、それ故にこそ、彼の剣は、剛太郎の剣よりも毫秒早く対手のからだに向って打ち下ろされ、無敵の飛竜剣を破り去ったのであった。
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疾風陣幕突き
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一
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「今宵《こよい》、お主の宿直《とのい》の役を、おれに譲ってくれ」
と云《い》った修次郎の口調には、何か異常なものが感じられた。
源之助《げんのすけ》が眼《め》を上げて見返すと、対手《あいて》は、つと、視線を逸らせた。
「佐伯《さえき》、何かあったのか」
「うむ、後で話す、とに角、今夜、お主の宿直番とおれの御蔵番とを代えて貰《もら》ってくれ」
源之助は、上司の処にいって、歯がひどく痛むので、万一粗そうがあってはならないから、宿直を佐伯修次郎に代って貰いますと、届け出て、すぐに許された。
亥《い》の刻(午後十時)修次郎は、宿直の室にはいった。相投は、進藤《しんどう》武左衛門である。これは神道流の槍《やり》を遣うので、特に許されて、半槍を傍においていた。
進藤は、年配は修次郎より十以上も上だが、仕官は比較的新しいので、殆《ほとん》どつき合いらしいものはない。
軽く目頭で挨拶《あいさつ》しただけで、座についた。
隣の十畳の間を隔てて向うは、主君|忠長《ただなが》の寝所である。
四半刻《しはんとき》(三十分)ほど経《た》って、忠長が寝所に入った。例の、癇癖《かんぺき》の強い、鋭いモノシラブルが、二声三声、部屋越しに聞こえた。それからまたしばらくして、南廊下のふすまが静かに開かれて、三人の女が寝所にはいり、ついで、その中の二人が出ていったのが、微《かす》かな気配で、それと察しられた。
後に残った一人は、云うまでもなく、今夜、忠長の夜伽《よとぎ》をする女である。
宿直の家士たちは、こんな時、たいてい、頭を、忠長の寝室とは反対の方に向け、胸を外らせて、端然と坐《すわ》っている。無念無想――と云った風をしている。
多くの場合、何の物音も、彼らの部屋までは伝わって来ず、やがて、夜伽の女性が伴について忠長が手水《ちょうず》に立ち、そのまま、夜は静かに更けて行く。
時々、寝室から、忠長の鋭い声が、低く、きびしく洩《も》れることがある。夜伽の女が、何か、主君の意思にかなわぬことをした時に違いない、恐怖と羞恥《しゅうち》の響をこめた女の小さな声がそれにつづく。
宿直の家士は、ちらっと、瞳《ひとみ》を交わし、ある時は微苦笑し、或《あ》る時は、やや淫《みだ》らな風に眼を細める。が、何事もない夜であったとしても、彼らは、若いのである。夜伽の女性が入室してからの一刻の間、彼らの想念がかなり惑乱し、妖《あや》し気な情景がその頭の中に展開されていたとしても不思議はないであろう。注意深く、彼らの表情を見守っていれば、内心の動揺は充分に窺《うかが》えたに違いない。
それにしても、その夜の修次郎の顔容の変化は、ただならぬものがあった。
夜伽の女が、ただ独り、忠長の寝床に残されたと分った瞬間から、彼の膝《ひざ》の上にしっかりと握りしめた拳《こぶし》がふしくれ立って、びくびくと動いた。固くかみしめられた唇の中で、歯が鳴った。両眼が血走り、額に、汗が、じっとりとにじみ出てきた。
相役の進藤が、この奇怪な様子に気のつかぬ筈《はず》はないのであるが、不思議なことに、進藤自身も、修次郎のことを顧みる余裕のないほど、極度に焦立ち、興奮し、全身の注意を、主君の寝室に注いでいるらしい。
突然、その二人が、ぱっと、寝室に面した方の襖《ふすま》に向って身をひるがえし、同じように片膝を立て、身構えた。
「たわけっ!」
と、忠長の怒声がひびき、寝所とその隣の控の間とを隔てる襖が、乱暴にあけ放たれたのを知ったからである。
進藤と修次郎とは、その時初めて、対手の凄《すさま》じい相貌《そうぼう》に気がついた。が、どちらも、それを、主君の寝所に異状を生じたことを知った時、宿直の侍として、当然生ずべき緊張のせいだと考えた。
進藤は半槍を、立てた左ひざの上に構え、修次郎は、左手で脇差《わきざし》の鯉口《こいぐち》をもち、右手をその柄《つか》にかけている。
お互いに、対手が、恐るべき殺気に、充満しているのを感じ、何かそれを制御する言葉を口にしかけたが、どちらも、わずかに唇を、動かし得ただけである。
隣の部屋に、追いつ追われつしているような足音が入り乱れた。
通常の事態ではない。
しかし、主君から声のかからぬ限り、閨房《けいぼう》に向っている襖を勝手に開くことは、許されないのである。二人は、槍と刀を握っている手を小きざみに震わせながら、襖の方を、睨《にら》み、一寸、二寸、じりじりと、その方へ、にじり寄っていった。その時、
「曲者《くせもの》!」
「出あえ!」
と、大きく声がしたのは、意外にも、異常な爆発を包んだ隣室ではなく、寝所のずっと北側にある書物蔵のあたりである。
つづいて、夜陰の静けさを破って、四、五カ所から、怒声と罵声《ばせい》がきこえ、人々の走り廻《まわ》る気配がした。
――やっ、あれは?
と、進藤と、修次郎とが、顔を見合せた瞬間、眼の前の襖に、人がぶつかったらしく、がたんと大きく音がして、揺れた。
「ええいっ」
まだ震動の収まりきらぬその襖の真只中《まっただなか》を、進藤の半槍が、白光を閃《ひらめ》かせて貫いた。悲鳴が、襖の外れる音に重なって、純白の下着を紅椿よりも赤くそめた、女のからだが、倒れかかってきた。進藤は、パッと後にすさってよけ、
――しまった!
と、胸の中に、呟《つぶや》いたが、そのまま、つつと、水すましのように音もなく、部屋の隅まで下って、半槍を、身構えた。
じっとしていれば、修次郎の刃が肩先に斬《き》りつけてくると、直感したからである。
ばたばたと、五、六人の家士が、走り込んできた。
「千加どの!」
修次郎が、倒れている女のからだを引き起して、叫ぶのを、忠長は、蒼白《そうはく》の額に静脈を浮き上らせて、じっと見下していた。
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二
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事件の経緯は、一応、筋道が立っていた。千加は、忠長の寝所に侍《はべ》りながら、帯を解くことを、飽《あ》く迄《まで》も拒絶し、忠長が、暴力を行使しようとするのを避けて控えの間まで逃れたのである。
たまたま、時を同じくして、書物蔵の辺りに怪しい人影をみた小村源之助が誰何《すいか》し、同僚と共に追いつめて、一刀の下に斬り倒した。その騒ぎを耳にした進藤武左衛門が、何か主君の身に迫る危険を感じて、襖越しに槍をつき、千加を刺したのだ。
「書物蔵に忍んだ曲者と、御寝所に侍った女子とが、気脈を通じて、殿の御身の上に危害を加え奉ろうとしているのではないかと存じましたので――」
と、進藤は、目付|渡辺《わたなべ》監物《けんもつ》の調べに対して、明白な云い開きをした。
「襖を隔てて刺すのでは、万が一にも、誤って、殿を傷つけることがあったら、何とするぞ」
と、突込まれると、
「恐れながら、私の槍は神道流――陣幕突きは秘伝の一つ。万に一つもあやまちはございませぬ」
と、自信のほどをみせたのである。
「ほう、聞き及ぶ陣幕突きか――」
と、渡辺は、感歎《かんたん》の色を浮べてうなずいた。
一方、佐伯修次郎の方は、全く放心したものの如く、しどろもどろの事を呟くのみである。田宮流抜刀術の名手も、事に臨んで臆《おく》したか、何と云っても、進藤に比べては若いな、と上役たちは、嘲《あざけ》るように囁《ささや》き合った。
「佐伯、昨夜のこと、仔細《しさい》があろう」
源之助が、そうした嘲罵《ちょうば》にこらえかねて、修次郎を詰《なじ》ったのは、その夜のことである。
「おれは進藤を斬る」
と、言い放った修次郎は、思いがけない告白をした。千加と、久しい以前から、深く契っていたと云うのである。忠長が、自分を要求していると知った時、千加は、修次郎に向って、きっぱりと断言した。
「私は、決して殿さまの御意《ぎょい》には従いませぬ」
「と云っても、殿が強いての仰《おお》せとなれば、何とする」
「いよいよとなれば、舌を噛《か》んで、死にまする」
「千加どの、忝《かたじ》けない。そなたがそこまで決心しているのならば、むざむざそなた一人を死なせはせぬ。私も一緒に死ぬ」
「えっ」
「そなたが夜伽に召される日、私が宿直の役を引受る。殿が飽く迄も、無体を言われたら、宿直の部屋まで逃げてくるがよい。殿の目の前で、そなたを刺して、私も死のう」
千加は、死を決して、忠長の寝所に入った。――が、その前に、廊下で、ふと不安になり、付添の老女に確かめた。
「今宵の宿直の方は、どなたでございます」
進藤武左衛門と小村源之助だと聞いて、千加は、胸をつかれた。
修次郎に故障が生じて、宿直の役を代って貰えなかったのだと思ったのである。
忠長の手を逃れて、控えの間まで走り出しながら、宿直の部屋の襖をあけなかったのは、そこに修次郎がいない以上、しどけない寝衣姿のまま、進藤と小村とに捕えられてしまうだろうと、怖《おそ》れたからだ。逃れるだけ逃れて、最後には舌を噛み切ってでも――と必死になっている時、襖越しに、脇腹《わきばら》を深く刺されたのである。
「何故、あの場で、千加どのの仇として、進藤を斬らなかったのだ」
源之助が追求した。
「斬ろうとした時には、きゃつ、二|間《けん》も飛びすさって身構えていた。その時、千加が、最後の呼吸をしながら、おれを見上げたので、おれは、千加のからだを抱きかかえたのだ。だが、進藤の奴《やつ》、あのままでは許さぬ。斬る」
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三
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神道流秘伝陣幕突きと答えられて、目付渡辺が、うむと眼を見張ってうなずいたのには、理由がある。
陣幕突きとは、言う迄もなく、合戦の場合、夜陰に乗じて敵の陣営に忍び込み、或《ある》いは、乱戦に乗じて敵将の本陣に突入し、陣幕の外から、槍をもって敵将を刺す術に由来する。神道流極意の一手だ。
神道流槍術は、飯篠《いいざさ》長威斎《ちょういさい》の流れを汲《く》む飯篠|若狭守《わかさのかみ》盛近を開祖とするが、その子盛信、孫盛綱、共に無双の名手として知られた。陣幕突きは、この盛信盛綱父子が、度重なる戦塵《せんじん》の中に自得したものである。
幕を距《へだ》てて彼方《かなた》の人を刺すだけでも至難の業であるが、幕の彼方にいるであろう何人かの人の中で、大将をこれと狙《ねら》って誤またず刺すことは難中の難である。
織田信長の幕下に属した服部《はっとり》小平太が、桶狭間《おけはざま》で、敵将今川|義元《よしもと》に最初の一槍をつけたのは、この陣幕突きであったと言われているし、信長が、本能寺で明障子をひたとしめて、燃え上る火焔《かえん》の中に躍り込もうとした時に、障子越しに刺した安田作兵衛も、この秘伝を得ていたと云う。
その後この術を以て最も顕《あら》われたものは、盛綱の弟子穴沢書斎であった。
雲斎は、観菊の宴に、幕を距てて菊に対し、槍をひっさげて立つと、
「それ、白菊、次は、黄菊、今度は紅」
と叫びつつ、一撃毎に、それぞれ名指しの色の菊花の花心を刺し貫いたと伝えられている。
恐らく、或る程度の透視術をも心得ていたものであろう。
「心眼をこらせば、幕も、襖も、壁でさえも、忽として消え失《う》せてしまうものだ」
と、傲語《ごうご》していた。
その後、神道流そのものは、穴沢雲斎から樫原五郎左衛門俊重に伝わり、特に阿波《あわ》に於《おい》て盛んに行われていたが、陣幕突きの秘伝は、戦火の収まると共に、次第に忘れられて、もはや、実際にこれを究めたる者なしと信ぜられていたのである。
進藤武左衛門が、その実技に達していたことを知って、自らも本間流の槍術をよくする渡辺は、驚歎した。思わぬ拾いものをしたように悦んだ。
その進藤を、修次郎は、斬ると言うのだ。
僅《わず》かながらでも年上の源之助は、亢奮《こうふん》し切っている修次郎を、鎮めるように、
「待て、佐伯、きゃつ、お主の話を聞いても、相当な腕だ。軽率なことをしてはいけない」
「どれ程の腕だろうと、千加の仇だ」
「いや、進藤が千加どのを刺したのは、殿の危険を慮《おもんぱか》って、咄嗟《とっさ》にやったことだ。仇――と言うのは少し酷だろう」
「なぜ、殿が危険だったのだ。夜伽の女子が、身に寸鉄も帯びていないことは明白だ」
「書物蔵の方で、おれが曲者と呼んだのを聞いて、その曲者と千加どのが共謀していると思ったのだと言っているではないか。千加どのを知らぬ彼が、誤解したとしても、やむを得ぬ点もある」
「それなら、なぜ曲者を求めて、長廊下を北へ走らなかったのだ。千加を曲者の一味と考えたとしても、千加は武器をもたぬ女だ、それを刺すのは、殿が声をかけてからでも間に合う筈だ」
「うむ」
と答えた源之助の眼が、急に大きく開かれた。
「佐伯、これはひょっとすると、あの進藤の奴、不敵な代物かも知れぬ」
「なに」
「きゃつ、殿を刺すつもりで、誤って千加どのを刺したのではないか」
「えっ」
「おれが斬った書物蔵の方の曲者としめし合わせ、曲者が北縁から乱入し、殿が控の間に逃れた処を、陣幕突きで刺すと図ったのが、千加どのの一件で、くるったのかも知れぬ――とすれば、おれは、殿の安泰のために彼奴を斬らねばならぬ」
「奴が殿の暗殺を企《たく》らんだかどうかは知らぬ。おれは、飽く迄、千加の仇として、きゃつを斬る」
修次郎の怨恨《えんこん》は、己れの愛する者を汚そうとし、その結果、不慮の出来事のためであったとは言え、死に至らしめた主君忠長に向うことなく、ひたすらに、直接の加害者進藤武左衛門に向けられた。
主君を恨み、これを仇敵《きゅうてき》視する――という感情は、殆《ほとん》ど、血肉にまで浸込んでいる服従の観念のために、完全に抑圧されてしまっているらしい。それだけに尚《なお》のこと、進藤に対する憤怒が強かった。仕損じてはならぬ、時期を待て、おれも手をかそうと、源之助が、はやり立つ修次郎を抑えたが、進藤との対決のチャンスは、意外に早くやってきた。
「近頃《ちかごろ》珍しい陣幕突きの秘伝、改めて殿の御覧に入れることにしたい」
渡辺の発言で、進藤が召されたのだ。
庭先に張った幕の一方に、紅白の鞠《まり》を両手に捧《ささ》げた者が立ち、他の一方に、進藤が槍を構え、紅白|何《いず》れにせよ、命ぜられた方の鞠を突き刺せというのである。
「鞠を捧げる役は、佐伯修次郎」
と、渡辺が命じた。縁の上の、忠長の顔に冷笑に近いものが浮んだ。この名指しは、忠長の意図だったからだ。
修次郎が、頭を下げてこの命令を受けると、傍から、源之助が囁いた。
「奴が、紅白をとり違えたら、殿の暗殺者とみて、即座に抜打ちで斬りすてろ」
修次郎は、返事せずに、立った。
彼は、進藤が、紅白を選《よ》り当てたとしても、とり違えて刺したとしても、槍が鞠を貫いた瞬間に、居合斬りに斬ってやろうと、心を決めていたのである。
二人は、引幕を距てて、相対した。
修次郎は、脇差を抜いて、右に差した。
――どうしたのだ。
と、不審気に眉《まゆ》をあげた渡辺に向って、何気ない風に云った。
「両刀を一方に差しますと、左の肩が下ります」
左手に捧げた鞠を刺されたら右手でその大刀を抜き、右手に捧げた鞠を刺されたら、左手で右の脇差を抜いて、進藤を斬るつもりなのである。
修次郎の身長が分っている以上、捧げられた鞠の位置を窺い定めることは、進藤ほどの腕ならば、さして難事ではあるまいと、皆が考えた。
問題は、紅白を、幕をへだてて、選別することである。
修次郎が、右手に紅の鞠、左手に白鞠を捧げて立った。
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四
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「最初に白、次に、紅を刺せ」
渡辺が命じた。
「戦場の心得にて、仕《つかまつ》りまする」
進藤が、そう言って、槍を構えた。
「もとより」
渡辺が、大きくうなずいた。
進藤が、槍を中段につけ、引幕を射貫くように睨《にら》んで、左右何れが紅かと、必死の心眼をこらす――に違いないと、すべての者が、全身に期待を漲《みなぎ》らせた。
が、――まるで、予想もしなかった所業を、この不敵な面魂をした男は、やってのけた。
殆ど狙いもせず、無造作とも思われる足どりで、たたっと、引幕に向って近づくと、穂先から六尺のところを握った長槍を、九尺に伸して、幕の中央を貫いたのである。
「あっ」
一同が同時に、驚愕《きょうがく》の叫びをあげた。
「ぐうっ」
と、異様な呻《うめ》きを洩《も》らして、修次郎が、前にのめった。
彼の右手は、大刀の柄を三寸ほど引抜いていたが、槍の穂先に胸の真只中《まっただなか》を背中まで貫かれて、一息に絶命していたのである。
「何としたことだ!」
「無法ぞ、進藤!」
一瞬の驚愕から我に返った渡辺と、小村の声が、鋭く走った。
進藤は、槍をたぐりよせると、静かに血を拭《ぬぐ》い、忠長の方に向って一礼した。
「戦場の心得にて仕りますと申して、お許しを得た筈でございます。紅白何れか一つ刺せとの仰《おお》せならば、そのように致しました、最初に白、次に紅、両方を刺せと仰せならば、むしろ、一挙に両方を斃《たお》すのが、戦場での勝利の途でございます」
渡辺が、何か押しかえして言おうとした時、忠長の声が遮った。
「よし、見事じゃ」
その忠長の額に、千加が刺された時と同じように濃い静脈が浮き上っている。
それはどちらの場合にも、自分を拒んだ千加を抱きよせて、千加どのと、叫んだ青年修次郎に対する憎悪を示すものだったのである。
飛出そうとする小村源之助を、左右の者が、懸命に抑えていたことは、忠長も渡辺も気がつかなかった。
その夜、渡辺の邸を訪ねた源之助は、自分の疑いの一切をぶちまけた。
「進藤が、佐伯の胸を刺したのは、彼奴が幕を距てて紅白を選別する力がなかったからです。彼奴が千加どのを刺したのも、殿を刺し奉ろうとして、誤って刺したに違いありません」
「襖越しの一突きが、もし主君忠長を傷つけたら」ということは、あの時、直ちに、渡辺も感じたことである。
その憂慮は、陣幕突きの極意だという答えで一掃されていたのであろうが、源之助の言うように、進藤の技倆《ぎりょう》が、陣幕を距てて人を刺すには充分でも、誰と選別して刺すほどのものではないとすれば、彼の行為は大きな問題である。
「戦場の心得で――などと言ったのは、彼奴のごまかしでしょう。かりそめの演技に、何の罪もない朋輩《ほうばい》を刺し殺すというのは、残虐無残、とても尋常の武士のなすべきこととは思われません」
渡辺の心は、混乱した。
「殿の、佐伯に対するお憎しみを察して、あの残虐を敢《あえ》てし、自分の技倆の足らざるを糊塗《こと》すると同時に、殿の信任を得ようとしています。彼奴を、これ以上殿に近付けたらば、由々しい大事に至りますぞ」
とまで極言されて、益々《ますます》困惑している渡辺に向って、源之助は、救いの案を提出した。
「来る九月二十四日の、御前試合に、私と進藤とを闘わせて下さい。見事、きゃつを討ちとめてごらんに入れます」
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五
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俗説|寛永《かんえい》御前試合なるものが、寛永六年九月二十四日、駿河《するが》城主大納言徳川忠長の面前に於て行われた凄絶《せいぜつ》な真剣試合を粉本とするものであることは、屡々《しばしば》筆者の明かにしたところである。
この日、午後の部、第三番目に組入れられたのが、小村源之助対進藤武左衛門の決戦であった。
両者の試合は、特に忠長の命によって、進藤の陣幕突き実演という形に於て行われることが予告されていたので、藩士並びに一般陪観者の興味は、甚だ職烈《しれつ》なものがあった。
午後第二の試合に、二階堂源流の片岡京之介が、左肩を深く刺されながら、未来知新流黒江剛太郎の極意飛電剣を破って、これを斃した直後、試合場には、東西に、高さ六尺、長さ七間の陣幕が張り渡されたのである。
陣幕の南側に、長槍を握って立つのは、進藤武左衛門、北側に、愛刀の鞘《さや》を払って立つのは、小村源之助である。
進藤が先《ま》ず陣幕越しに突く権利を認められている。その一撃が、源之助を斃せば、勝負は終る。その一撃を仕損じるか、源之助がそれを受けとめれば、源之助は、陣幕を切り裂いて、進藤に向って自由に斬りつけてゆくことが出来るのである。
進藤の「陣幕突き」は、明らかに実戦の場合よりは不利である。第一に、対手が完全に襲撃を予想し、これに備えているのであるから、不意打ちは出来ぬ。また、金具の多い甲冑《かっちゅう》を着していない対手が、充分細心に行動するなら、恐らく微《かす》かな物音さえも聞きとれないであろう。
その反面、実戦の場合よりも、有利な点もある。背面や、側面から、敵の将士が気付いて、襲ってくる恐れは全くないのだ。専心、幕の彼方の対手を狙えばよいのである。
これに対して、源之助は、先ず敵方の襲撃を待ってからでなくては、行動できぬというハンディキャップをつけられている。のみならず、陣幕に妨げられて、判官流の達人である彼が最も得意とする疾風剣の用い様がないのである。
判官流は、軽捷《けいしょう》俊敏の太刀|捌《さば》きを特色とするが、専《もっぱ》ら京畿《けいき》の地方に行われ、東国には、これを使うものが少ない。その判官流に於て、高上唯授一人秘術といわれる秘法十条の一つが、疾風剣である。
源之助は、この疾風剣の極意を、それ迄にただ一度、家中の人々の前にみせたことがあった。
数年前、大神流の正統を名乗る|杖術《じょうじゅつ》の名人神野|右馬允《うまのじょう》なるものが、駿河城下に現われ、町道場を片端しから撃破して廻ったことがある。
噂《うわさ》を聞いた忠長が、苦々しい事に思い、城内に召しよせて、藩士の然《しか》るべきものと立合わせたが、唯《ただ》一人として、神野のからだに木刀を触れ得るものさえない。
九尺の角杖宙に舞うとみれば、押詰、乱留、後杖、待車、間込、切懸、真進、雷打、払留、横切留の十法、さながら飛瀑《ひばく》の散る如く、車輪坂を転ぶ如く、対者はただこれを受けて、汗をぬぐいつつ一歩一歩と引き下がる以外に途はないとみえたのである。
この時、立現われたのが、源之助であった。
三尺の木太刀一本、無造作にひっさげると、いきなり、神野右馬允のからだの四周を、疾風の如く走り出した。
神野が、右肩をふせがんとすれば、源之助は既に背後にあり、神野が背後をふりむけば、源之助早くも、もとの正面にあり、四周を素晴らしい速度で旋回しつつ打ち込んでくる源之助疾風の太刀使いに、さすがの神野も、眼くらめき、流汗淋漓《りゅうかんりんり》、思わず、よろめくところを、したたかに肩を打たれて、
「無念――参った」
と、大地に片膝ついた。
普通の形で、対戦すれば、進藤武左衛門が如何《いか》に神道流槍術の名手であるとて、到底、源之助疾風剣の早業には敵し得まい。しかし、忠長の命によって、源之助の面前には、陣幕が張りつめられ、その軽捷な旋回を不可能にしている。
最も得意とする術を封ぜられ、しかも、後手をとることを余儀なくされた源之助に、果たして勝算ありや――人々は、概《おおむ》ね好青年源之助に好意を寄せていたので、大いに懸念した。
今や、しかし、二人は既に幕をへだてて、死活の闘いを、開始したのである。
忠長を中心とする座席からは、陣幕の両側がみえるが、二人の戦士は、勿論《もちろん》、対手の姿をみることは出来ぬ。
源之助は、抜き放った大刀を下段に構えて、試合開始の合図と共に陣幕の際を中央から、東へ向って、すべるように走った。雲の上を走る如く、全く、些《いささか》の足音も、衣《きぬ》ずれさえもさせぬ。
進藤は、陣幕の中央あたりに佇立《ちょりつ》したまま、じっと瞳をこらし、耳をすませていた。長槍を横に倒し、穂先をわずかに上に向けている。
両眼が、半ば閉じられるかのように細くなり、殆ど閉じられたかと見えた刹那《せつな》かっと見開かれた。そのまま、これも、さながら霞《かすみ》の波に乗った如く、音もなく、そよぎもなく、東へ向って、つと歩を移す。
進藤が、ぴたりと足をとめて、槍先で狙ったところをみて、忠長はじめ、幕の両側を見得る地位にある者は、一斉に、あっと息をのんだ。
穂先は、正しく幕の向う側、源之助の胸板の真只中を指しているのである。
源之助が刺される――と、人々が感じた時、その穂先が、一閃《いっせん》、稲妻の如く走った。
穂先が、陣幕を貫いた瞬間、源之助のからだは、跳躍した。右手が白光を垂直に上げ、陣幕を杭《くい》に結びつけた縄を切っておとした。
その陣幕の端を、しっかりと握って、源之助は、進藤の背に向って走った。
進藤が、必殺の一撃を空《むな》しく流し、慌てて槍先を繰入れた時、その右側から背後にかけて、陣幕が、襲いかかってきた。
捲《ま》きこまれまいと走る進藤よりも、源之助の疾走は一足早かった。幕の端を握ったまま、西側の杭を廻り、進藤のからだを完全に陣幕を以て包囲した。
疾風の如き旋回は、なおもつづき、人々が何事が始まったかとあやしむ間もなく、進藤は、陣幕を以て二重に三重に捲き立てられたのである。
もはや、槍は役に立たぬと知って、進藤は素早く脇差を抜き、魔物の如く己のからだにまきついてくる陣幕を、縦に切り裂いた。が、辛うじて、幕の外に脱出した時、待ち構えていた源之助の刃は、発止《はっし》と、その首筋に向って決定的な一撃を加えたのである。
「覚えたか、佐伯の仇」
ぐううっとうめいて、俯伏《うつぶ》せになった進藤の耳に口をよせて、源之助は一語、一語、叩《たた》きこむように、言ってのけると正面に向って一礼し、ゆっくりと、陣幕のはしで、刃の血のりを拭《ぬぐ》った。
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身替り試合
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一
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寛永《かんえい》六年九月二十四日、駿河《するが》城内に於《おい》て行われた真剣御前試合の、午後の部第四番目は、当日行われた十一組の死闘の中でも、極めて異色のあるものであった。
第一に、その試合当事者は、写本「駿河|大納言《だいなごん》秘記」によれば、芝山《しばやま》半兵衛《はんべえ》孝久と栗田《くりた》彦太郎《ひこたろう》義行となっているが、実はこの両方とも身替りの人物が、試合に臨んだのである。
第二に、この試合は、実戦そのままの甲冑《かっちゅう》をつけ、馬上に打ち跨《またが》って行われた。駿河御前試合を粉本とする俗説寛永御前試合に於て、大久保彦左衛門と加賀爪《かがつめ》甲斐《かい》とが、鎧《よろい》かぶとに身を固めて戦ったと言うのは、全くこれを換骨奪胎したものに過ぎぬ。
第三に、試合は勿論《もちろん》、城主|忠長《ただなが》の面前に於て結了したが、この果し合いが直接の原因となって、その直後に、第二の果し合いが、更にその翌日、第三の果し合いが行われ、何《いず》れの場合にも、当事者の流血を齎《もた》らしているのである。
一体、このような、奇怪な、余りにも酸鼻を極めた試合が、何故に行われなければならなかったか。
後人の目から見れば、殆《ほとん》どとるに足らぬと思われる些細《ささい》な口論が、この相次ぐ三度の死闘を誘発したものとしか考えられない。
しかし、かりそめにも、生命に関することである。第三者の目に、如何《いか》に愚劣に見えようとも、当事者たちは、恐らく、それぞれ、やむにやまれぬ理由をもっていたものであろう。
試合当日の状況を伝える唯一の信頼すべき資料である上記の写本「駿河大納言秘記」は、厳重に筆を試合の経過を叙するにとどめている。
試合者の名さえも、ここでは、予《あらかじ》め上申されていた芝山半兵衛と栗田彦太郎となっている。
第二、第三の果し合いについては、何らの記事も記していない。
従って、事の真相は、大納言家廃絶後、池田家に仕えた栗田彦太郎の弟|源二郎《げんじろう》が、書き残した、「栗田信房果合覚書」によるほかはないのである。
右覚書によれば、栗田彦太郎義行は、当時二十五歳、父二郎太夫信房が隠居した後を承《う》けて、駿州《すんしゅう》藩の御弓矢奉行をつとめていた。
一方、芝山半兵衛は、既に齢《よわい》六十を越えていたが、彦太郎と同年の嫡子|新蔵《しんぞう》久安に、己れの役目を譲ろうともせず、
「わしの眼《め》の黒い中《うち》は、御奉公は、若い者などに負けはせぬ」
と、御馬方の勤務をつづけていたのである。
多くの頑固な老人の例に洩《も》れず、半兵衛は、自分の若い頃《ころ》の武功の自慢話をするのが好きで、何人か人が集ると必ず、
――またか。
と顔をしかめられるのもかまわず、三十年前の関ケ原の合戦、十五年前の大坂の陣の話をはじめる。そして結局は、
「近頃の若い者は、道場で木刀ばかりふりおって、実戦の経験がないから、話にならぬ」
と、鼻をうごめかすのだ。
尤《もっと》も、半兵衛の手柄話は、半ば事実なのである。
関ケ原では、家康の幕下にあって、なだれ込んできた大谷《おおたに》刑部《ぎょうぶ》吉隆《よしたか》の軍と闘い、見事|冑首《かぶとくび》を挙げたし、大坂の役では、冬の陣にこそ出なかったが、夏の陣では、真田《さなだ》左衛門尉《さえもんのじょう》の猛襲に崩れ立った家康|麾下《きか》にふみ止《とど》まって、真田家の勇士村上|安信《やすのぶ》を討ちとっている。
この在りしよき日、彼の好敵手は、栗田二郎太夫で、同年輩でもあり、少年の頃から、武技を競い合った仲であった。
二郎太夫も亦《また》、関ケ原大坂両役に、相当の武功を樹《た》てている。
二人の地位は、しかし、二人が家康から、忠長付として駿州藩に移された時には、かなり距《へだた》ったものになっていた。
毒舌家で、人づきの悪い半兵衛が、百三十石の御馬方を仰《おお》せつかったのに対して、常識家で、人当りの好い二郎太夫は、三百五十石、御弓矢奉行となっていたのである。
半兵衛は、この禄《ろく》高の差を、必要以上に、強く意識した。
――栗田の奴《やつ》め、おれほどの武功もないくせに、ごますりが上手《うま》いので、出世しおったのだ。
と、事毎に、ひがんだ態度をみせた。
二郎太夫の方は、それほど気にはとめず、少年時代からの朋友《ほうゆう》として、距てなくつき合おうとしたが、一度|歪《ゆが》んだ半兵衛の気持は、容易に直らない。
いつとはなしに、二人の間は、次第に疎遠になっていった。
「妙な奴だ」
と云《い》う二郎太夫の感じと、
「威張っていやがる」
と云う半兵衛のひがみとは、互いに相乗積となって少年時代からの友情を冷却させていったのだ。
この疎隔感を、更に決定的な不和にまで変化させたのは、半兵衛が、二郎太夫の娘きよを、嫡子新蔵の懇望に動かされて、嫁に貰《もら》いたいと申出て、拒絶されたことであった。
二郎太夫が、この縁談を拒んだのは、半兵衛の気性をよく知っているので、
「あの頑固な、気むずかしい舅《しゅうと》のところでは、気の弱いきよには、勤まらぬ」
と、思ったからである。
が、半兵衛は、勿論、そのようには解釈しなかった。
「栗田の奴、己れの三百五十石と、おれの百三十石では釣合いがとれぬと、思い上っているのだろう。畜生――昔のことを忘れおって」
彼は、彼なりに、息子の新蔵をひどく愛していたから、その切望を容れてやることが出来ないことに、激怒した。
縁談を申入れた時には、これを承知してくれれば、「栗田の奴の日頃の無礼も許してやる」つもりでいたのである。
半兵衛の二郎太夫に対する怨恨《えんこん》は、二郎太夫が隠居して出仕しなくなると、その後をついだ彦太郎に向けられた。
二郎太夫の伜《せがれ》と云うだけでも憎らしい。
まして、伜の新蔵と同じ歳《とし》だと云うのに、三百五十石の御弓矢奉行として「威張っていやがる」のは、益々《ますます》いまいましい。
その、つもり積った感情が、或《あ》る日の雑談の間に、噴き出したのだ。
例によって、昔話を一くさりやった半兵衛が、一座の中に、彦太郎の顔が加わったのを認めると、つい、口を辷《すべ》らせてしまったのである。
「この頃の、剣の修業などは、まるで子供だましじゃ、木刀を揮って、型ばかり稽古《けいこ》して何になろうぞ。合戦の場合、相手は生き物じゃ、それも、死物狂いの生き物じゃ、型通り、それ打って下されと、つら突き出す阿呆《あほう》は一人もおらぬ。ははは、彦太郎殿なども、岡倉《おかくら》道場で、相当な遣い手と聞いたが、いざ合戦と云う時に、その道場剣法が、果して役に立ち申すかのう」
彦太郎は、やや当惑して苦笑した許《ばか》りであったが、半兵衛は、その苦笑を嘲笑《ちょうしょう》と解したらしい。
「自体、木刀の型通りふり合ったとて、まことの優劣など分りはせぬ。腕よりも口の上手いものが目録も上になると云うではないか。ははは、尤も、これは今に限ったことではない。昔から、合戦の場の働きよりも、口の上手いものが出世したものじゃ」
暗に、父二郎太夫に当てつけた云い分である。
自分のことだけならば、相手は年長者、黙って笑って済まそうと考えていた彦太郎も、これを聞いて、さっと、顔をこわばらせた。
「芝山殿、少々お口が過ぎはしませぬか」
彦太郎は、それでも、ただ一言たしなめておいて、話を打ち切るつもりでいたのだが、相手は、老人特有のしつこさで、食い下ってきたのである。
「ほう、まことわしの口が過ぎたのなら謝まろう。だが、道場剣法が、実地には役立たぬと云うのが、何で、間違いなのだ」
「剣の道に二つはありませぬ。不肖なれど彦太郎、実地に役立たぬような修業はしておりません」
若いだけに、一旦《いったん》、感情の制縛が破れると、彦太郎の語気は鋭かった。
「云われたな。ならば、お主の道場剣法で、わしの実地で鍛えた斬《き》れ味と、見事闘えるつもりか」
「お望みならば」
「面白い、やってみよう」
話が急転回したので、居合せた一堂が、驚いて押しとどめ、両方をなだめたが、二人の亢奮《こうふん》し切った頭は、もはや、それを受けつけない。
「二十四日の真剣御前試合が、何よりのよい機会だ。お主の木刀踊りが、どれほどのものか、真剣をもって、わしと闘ってみるがよい」
「お相手致そう」
「よいか、わしは、合戦の場と同じ意気込で闘うぞ、甲冑をつけて馬に騎《の》り、真槍《しんそう》をもって闘うぞ、少しでも容赦すると思わぬがよいぞ」
「もとよりのこと。私も甲冑をつけて、実戦のつもりで、闘いましょう。御老体とて手心は加えぬ」
「忘れるな、その一言」
二人が、同時に、御前試合参加を願い出た時、家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》は、目を丸くして驚いたが、藩主忠長にその旨言上すると、忠長は、即座に、これを裁可した。
「甲冑つけての、真剣試合とは珍しい、存分に闘わしてみるがよい」
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二
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その日の口論は、忽《たちま》ち藩内の凡《すべ》ての人々に知れ渡った。
若い連中は、例外なく、彦太郎に同情し、半兵衛を罵《ののし》った。
半兵衛の日頃の高言には、皆が反感を持っていたし、道場剣法のくさされたことは、一様に、彼らの憤激を買ったのである。
「半兵衛が、どれほどの戦場の経験者だとて、もう六十を越えた老体だ。彦太郎の腕に敵《かな》う筈《はず》はない」
「半兵衛殿ばかりではない。老人連中、何かと云えば、かびの生えた古い話を、十層倍に誇張してひけらかした挙句、近頃の若い者はと云いくさる。道場剣法の斬れ味、しかとみせてやるがよい」
「彦太郎どの、岡倉道場の名誉のために、いや、われわれ若い者の面目にかけて、あの頑固|爺《じじい》を叩《たた》き伏せてくれ」
と、会う者毎に、声援する。
一方、老人組は、半兵衛自体には好感を持っていないにしても、事が、老人対若者と云う形をとってきたので、自然、彦太郎に対する批判は、きびしい。
「道場剣法で、まこと、真剣勝負ができるつもりか、芝山は、頑くなな始末に悪い男だが、戦場の働きは、天晴《あっぱ》れなものだぞ」
「彦太郎には、可哀相《かわいそう》だが、一度、本当の合戦の凄《すさま》じさを、若いものどもに、みせておくのもよいかも知れぬ」
「半兵衛、久しぶりの甲冑つけての闘い。腕がなるじゃろう。昔はよかったのう、青二才におくれをとるなよ」
日頃、あまり仲のよくない老人仲間まで、そう云って励ます。
こうした第三者の、無責任な、おだてや激励と違って、芝山・栗田両家の表情は、はるかに深刻なものであった。
良人《おっと》から、事の次第を聞かされた時、老妻のたよは、唖然《あぜん》として、
「一体、いくつになられたと思召《おぼしめ》す。少し寒い日は、腰が痛い、肩がこると云われる年になって、若い盛りの彦太郎どのと、真剣勝負などと、まあ、何と云う無謀なことを」
と、涙を浮べた。
嫡子新蔵も、
「父上、彦太郎の腕は、私、よく知っております。なかなかの手だれ、殊に試合上手。父上の技をお疑いする訳ではありませぬが、万が一にも、闘いをのばされるようなことがあれば、何と云っても、若い者の方が、息がつづきまする」
困ったことになったと、顔を蒼白《そうはく》にした。
半兵衛独りは、張り切って、
「ばかを云え、年はとっても、いざとなれば、鍛えぬいたからだだ。今時のなまな若造などに負けはせん。棒ふり剣術と、赤い血の出る闘いとの差を、はっきりと思い知らせてやるのだ」
何とかして、この試合を中止してもらえないかと、たよと新蔵が云い出した時の半兵衛の形相はみるも怖《おそ》ろしかった。
「ふ抜け共め、それで武士の妻、武士の伜か。一度び諸人の前で公言し、御家老まで申出たものを、今更とりけして、この半兵衛の武士が立つと思うか」
額に血管が怒張し、握りしめた双の拳《こぶし》がぶるぶるとふるえているのをみて、妻も子も、口を噤《つぐ》んだ。
家庭内の紛争は、栗田の家でも同じことである。
城から下ってきた彦太郎の報告を聞いて、二郎太夫は、悚然《しょうぜん》と眉《まゆ》をひそめた。
「思慮が足りぬ、彦太郎、何と云うことをしてくれたのだ。なぜ、笑って聞き流さなかったのだ」
「そのつもりでいたのです。しかし、父上の武功をけなすようなあてこすりを云われては、黙っている訳にはゆきません」
「わしはもう隠居した身、芝山が何と云おうと気にはとめぬつもりでいたのだ。よしないことをしてくれた」
「いいえ父上、今日のこと許《ばか》りではないのです。半兵衛の雑言には、前々から、腹に据えかねることが、幾たびかありました。いずれは、こうならなければならなかったのです」
「芝山の腕は、わしが一番よく知っている。戦場に出ると、手負いの猪《しし》のように、無茶苦茶に暴れる奴だった」
「私では、危いと、おっしゃるのですか」
「お前の腕が未熟だと云うのではない。ただ――実戦の時は、試合とは、まるで違うものがあるのだ」
二郎太夫も、戦場を踏んだ老人の一人として、道場剣法の効果には、懐疑的だったのである。
「断じて、敗けはしませぬ」
彦太郎は、ほかならぬ自分の父が示した道場剣法の過小評価に、憤然として、答えた。
彦太郎の弟源二郎は、無条件に兄の勝利を確信し、瞳《ひとみ》を輝かせて、兄の頼もし気に云い放った顔を見つめていたが、妹のきよは、もっと複雑な感情に、惑乱した表情を、暗く伏せていた。
きよは、半兵衛の子新蔵が、自分を熱愛していることを知っていたばかりでなく、自分の方でも新蔵を愛していたのである。
幼い恋は、芝山・栗田両家が、現在のようにならなかった頃の、子供同士の親しい無邪気な遊びの間に、極めて自然に、芽生え、且《か》つ、成長していたのである。
芝山家の縁談申入れを、父が拒絶した時、きよは、人知れず涙を流した。父の裁定に対して、一言の反対も云える時代ではなかったのだ。
しかし、きよは、必ずしも、新蔵のことを、諦《あきら》め切ってはいなかった、いつかは、父の心も変ることもあるに違いない――あの半兵衛老人が、いなくなるようなことがあれば――と、心の隅で考えて、紅《あか》くなっていることもあった。
そこに、この試合話である。
半兵衛と彦太郎が果し合いをするとなれば、どちらが勝っても――云いかえれば、どちらが相手を殺しても、自分と新蔵との結合は、絶対に不可能となる。
勿論、彼女は、兄の勝利を祈った。が、それは、自分を、新蔵の不倶戴天《ふぐたいてん》の仇《かたき》の妹としてしまうことではないか。
絶望が、きよを、怖ろしい爪で、ひっつかんだ。
試合日は、こうした、人|各々《おのおの》の心情には関係なく、刻々に近づいていった。
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三
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芝山家では、あの日以来、連日、はげしい気合の声が、邸内にひびいた。
半兵衛が、甲冑に身をかためて、同じ姿をさせた新蔵を相手に、闘いの予行練習をやっていたのだ。
勿論、半兵衛は真槍の代りに、たんぽ槍《やり》を用い、新蔵は真剣の代りに木刀をもっていたとは云え、演習は、実戦そのままの、激烈さを以《もっ》て行われた。
半兵衛が、今更、このような演習をはじめたのは、決して自分の腕に不安を感じたからではない。むしろ、自分の技倆《ぎりょう》を新蔵や、たよに見せて、安心させてやろうと云う心からである。
いや、それよりも、実戦そのままの激しい演習を行うこと、それ自体に、若き日の栄光を繰り返し想《おも》い出し、大きな悦《よろこ》びを感じていた方が多かったかも知れぬ。
半兵衛の槍先は、さすがに鋭かった。
これは、新蔵も、予想外に思ったほどである。
「行くぞ、新蔵!」
豪快な声を発して、突きかかってくる半兵衛の槍法は、特定の流儀に則《のっと》ったものではない。幾たびかの戦場の、死活の闘いの中に、おのずから会得したものである。
それだけに、型通りの太刀|捌《さば》きをする新蔵にとっては、全く意表外の、乱暴極まるもので、からだ中のいたる処を、めくら滅法に、ひっぱたかれ、突き捲《ま》くられるようなものだった。
「どうだ、新蔵、面だの、胴だの、小手だのと、型通り打ってきても、戦場では、何の役にも立たないだろう。面はかぶとと頬《ほお》あてとで覆われているし、胴も小手も、金具や皮で保護されている。突くも、斬るも、相手の鎧《よろい》のすき間を狙《ねら》うより他《ほか》はない。内股《うちまた》や、腋《わき》の下が、一番よいのだ。それでも、うまくゆかぬ時は、力一杯、相手のかぶとの上からひっぱたくか、胸を突いて馬から叩《たた》き落すのだ」
全く、その通りであった。
老人に似合わぬ剛力で、頭を槍の柄でぶんなぐられると、眼《め》が眩《くら》みそうだったし、胸をがんと一突きされると、仰向《あおむ》けによろめきそうだった。
内股や腋下を、巧みに狙われると、殆ど、防ぎようがなかった。
新蔵は、実戦の凄まじさを、身に沁《し》みて味わった。父の実力を、改めて、見直した。
――これならば、彦太郎も、とても敵うまい。
と、心底感じ、父にそう云うと、半兵衛は、我意を得たりと云う顔つきで、にやにや笑って、
「当たり前じゃ、鍛えが違うわ」
と、うそぶいた。
一方、栗田家の様子は、まるで、違っていた。
二郎太夫は、自分の戦場の経験を、彦太郎に語ってきかせたが、それも、どうやら、自分でゆっくりと昔の自分の働きを思い出してみるような調子である。
彦太郎の方が、熱心に、色々と聞きただし、時には、実地の指導を要求したが、二郎太夫は、
「その必要もあるまい」
と云って、妙に複雑な視線で、彦太郎の顔をじっと見守っていた許りである。
彦太郎は、やむを得ず、岡倉道場に行って、朋輩《ほうばい》の激励を受けつつ、いつものような稽古をはげみ、岡倉師範に、色々な助言を与えて貰った。
岡倉は、三十をいくらか超していたが、戦場に出た経験はない。従って、彼の助言は、何《いず》れも、老人連中から聞いたことの受売りである、むしろ彼の、助言の中心は、
「相手は何と云っても老人だ。なるべく、闘いを永びかせ、相手の気力の尽きるのを待つのが賢明だぞ」
と云う点にあったと云ってよい。
この間、表面極めて平静にみえた二郎太夫の胸裏では、連日騒然と試合に備えて暴れ廻《まわ》っている半兵衛よりも、遥《はる》かにはげしい争闘が行われていたのである。
彼は、旧友半兵衛の戦場における闘いぶりを、いやと云うほど見て知っていた。
わが子の彦太郎の剣の上の精進は、充分に認め、それをひそかに誇りに思っていたものの、あの百戦錬磨の半兵衛と、それも真剣真槍を以て闘って、彦太郎が勝つとは、どうしても考えられなかった。
妻が早く死んでから、不自由をしのんで、後妻も貰わず、ひたすらその成長を楽しんで育ててきた彦太郎である。
まだまだ働ける身が、進んで隠居したのも、彦太郎を早く世に出して、その前途を展《ひら》いてやりたいからであった。
幸いに、役目をついだ彦太郎は、年に似合わぬ出来物と、評判もよい。老いの身には、それが、何よりもの悦びだったのだ。
その一切の悦びが、今や、無に帰する危険にさらされているのだ。いや、彦太郎の生命そのものが、殆ど確実な滅亡に直面しているのだ。
そう考えると、二郎太夫の心は、冷静を装った仮面の下で、動顛《どうてん》した。
「芝山め、事もあろうに――」
ここ数年、半兵衛の不快な態度に、知らず知らずの中に蓄積されていた憎悪が、急に、堰《せき》を切って溢《あふ》れ、強烈な憤怒となって、脳裏の半兵衛の映像に向って、歯をむいた。
如何《いか》に考えても、彦太郎に勝目はないと判断すると、二郎太夫は、はっきり心を決めた。
――芝山、みておれ、このおれが、相手になってやろう。
その腹は決ったが、彦太郎を説き伏せて、自分が身替りに出ることを承諾させることは、どう考えても、不可能と思われる。
深夜、ほの暗い灯の影が、天井にゆらぐのをみつめて、二郎太夫は、ひたすら、その手段を思いめぐらせた。
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四
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九月二十三日、いよいよ、試合を明日に控えて、
「今日ぐらいはゆるりと、お休息なさいませ」
と云うたよの言葉に、かえって意地になったように、半兵衛は、連日の予行演習をつづけた。
充分に、新蔵を翻弄《ほんろう》し、すっかり満足した半兵衛が、甲冑を脱いで、肌の汗をぬぐい、縁に上ろうとした時、ふっと、足をふみはずして、倒れた。
腰の骨を打ったらしい。
「痛!」
と、その瞬間に、思わず叫んだが、夜になると、からだが、動かなくなった。
持病の神経痛が、出たのだ。
今|迄《まで》でも、季節の変り目には必ず、出たものである。その日、朝方から、急に空気が冷えてきたのもいけなかった。
激しく動かした筋骨が、転倒した拍子に、どうかしてしまったせいもある。
痛みは激甚であった。
手水《ちょうず》にも起《た》てないほどなのである。
急速に効果を齎らす療法のないことは、従来の経験でよく分っていた。日数が経つ中に自然に癒《なお》るか、何かの拍子に、嘘《うそ》のように、ケロリと痛みがひいてしまうのを待つ他はない。
半兵衛は、床の上で、歯ぎしりして、苛立《いらだ》った。
夜が明け、試合の時刻は近づいてくるのだ。ひるまでに、何とか、からだを起こし得るところまででもなりたい。
からださえ起きれば、どんな痛みでも堪えて、城中へ駆けつける――と、呻《うめ》き、あえぎ、怒号し、叫喚したが、腰から上肢にかけて、筋肉の内部が重い鉛の塊りに化してしまったようで、床を一尺と離れられないのである。
それでも、
「御家老に申上げて、今日の試合は、延ばして頂きましょう」
たよが云うと、
「ば、ばかな、この期《ご》に及んで、そんなことが出来るか、あの青二才相手に臆《おく》したりと見られては、死にもまさる恥だ」
「しかし、ほかならぬ病気のことでございますから」
「えい、黙れ、駕籠《かご》をよべ、おれを抱きのせて、城中へ連れてゆけ、試合の場に出れば、戦場も同じこと、しゃっきりしゃっと、突き立ってみせるわ」
無理にも立上ろうとして、激痛に倒れてしまう半兵衛を、傍から、じっとみていた新蔵が、急に意を決して云い出した。
「父上、私が、父上の替りに、彦太郎と試合致します」
「なにッ」
「道場での試合では、私と彦太郎とは互角――いや、少しは、彼に分があるかも知れませぬ。しかし、鎧冑に身を固めての真剣勝負ならば、この程来、父上に激しい訓練を受けた私の方が、必ず勝つと思います」
「う――む」
「実戦の物凄さ、型破りの激闘、多少は私にも会得ゆきました。聞けば、彦太郎は、その後も専《もっぱ》ら道場通いの由、あの壮烈な実戦の闘法は、恐らく知りますまい。私には必ず勝つ自信があります。父上の代りに闘わして下さい」
「さればと云って、御家老に今更、お前を代りに出すとは云えぬ」
「いいえ、私が冑をかぶり、頬当てをしていれば、背丈から、声の調子まで、父上と殆ど違いませぬ、父上の御名をかりて、芝山半兵衛孝久として出場し、見事、彦太郎を破ってみせます」
時刻は既に、ひる近い。ほかに、採るべき手投はなかった。
半兵衛は、遂《つい》に、新蔵の身替りを承諾した。
「よいか、新蔵、連日、わしの見せた闘いぶりを忘れるな。型も法もない、無茶苦茶にからだごとぶつかってゆけ、わしのやった通りにすれば必ず勝てる」
新蔵が、すっかり武装をととのえて、出発の挨拶《あいさつ》に来た時、半兵衛は、くどい位くり返して、教えた。
ちょうど、その頃、栗田家に於ても、思いもよらぬ事態が発生していた。
時刻が迫ったので彦太郎が、弟源二郎と妹きよに手伝わせて、鎧を身につけているのを、二郎太夫は、黙ってみていた。
二郎太夫は、昨日から、妙に言葉少なくなって、何事かを考えているように見えたのだが、この時は、何か愉《たの》しそうな微笑を浮べて、彦太郎の鎧姿が、だんだん完成してゆくのを見守っていたのである。
――が、すっかり着付けが終った時、突然、
「だめだな」
と、物柔かな調子で云った。
「は?」
怪訝《けげん》そうに、彦太郎が聞き返すと、
「それでは駄目だ、一応形だけは出来ているが、肝心のところが充分に締っていない。闘っている中に、乱れてくるぞ、わしが、直してやろう」
起ち上って、鎧を外し、脛当《すねあて》までとってしまった。
「まず腹巻のしめ方から、これでは駄目だな」
と、彦太郎の前に立った二郎太夫は、いきなり、彦太郎を前にひき倒し、馬乗りになると、あり合せの紐《ひも》で、両手を縛り上げてしまったのである。
「なにをなされる、父上」
仰天して、彦太郎はわめいたが、余りの意外さに、必死に抵抗する間もなかった。
二郎太夫は、更に彦太郎の脚まで縛り上げてしまうと、
「彦太郎、許せ、今日の試合には、わしが替りに出る」
「何を云われるのです、父上」
「わしは半兵衛に、十数年来、遺恨に思うている事がある。一度はきゃつと果し合いをしたいと思うていたが、泰平の世となって、その機会がなかったのだ。今日の機会を外しては、この遺恨晴らす時がない。わしに、この試合を譲ってくれ」
「なりませぬ、父上、それでは、この彦太郎の男が立ちませぬ。父上、といて下さい、源二郎、きよ、解いてくれ、このひもを」
「源二郎も、きよも、父の縛った紐に指一本触れることは許さぬ。父の言に背いたならば、未来|永劫《えいごう》勘当するぞ」
「父上、父上、お願いです、彦太郎を卑怯《ひきょう》者にしないで下さい」
「安心せい、わしは彦太郎義行として、出場する。半兵衛の闘いの手口は、充分知りぬいているわしだ。立派に、きゃつを仕とめて戻るぞ」
もはや、彦太郎の如何なる哀訴にも憤激にも、一切耳をかさず、二郎太夫は自ら甲冑をまとい、頬当てをつけ、源二郎、きよの二人に再びきびしく、彦太郎を縛った紐に手を触れるなと命じた上、馬に跨って、城中に向ったのである。
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五
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午後の第三試合に於て、進藤《しんどう》武左衛門の神道流陣幕突きの裏をかいて、小村|源之助《げんのすけ》の判官流疾風剣が、見事に武左衛門の頸《くび》に、致命の一撃を与えた後、直ちに、第四試合の開始が告げられた。
「西方、芝山半兵衛孝久」
呼び出し役の、広瀬京平の呼び上げる声に応じて、西の幔幕《まんまく》の蔭《かげ》から、甲冑姿もいかめしく馬をすすめたのは、その実、芝山新蔵久安である。
つづいて、
「東方、栗田彦太郎義行」
の呼び出しに応じて、同じく甲冑姿を馬上にのり出したのが、彦太郎の父、二郎太夫信房であったことは云う迄もない。
全身を鎧|兜《かぶと》に覆われ、頬当てまでしているのだから、容易に正体を悟られる筈《はず》もないが、新蔵は、老人らしくみせようとして、やや、前屈みになっていたし、二郎太夫は、青年にみせようとして、殊更に、胸をそらせていた。
勿論、正面桟敷の城主忠長を始め、場内の凡ての者は、一人の例外もなく、現われた選士を、呼び出し通りの人物だと思い込んでいる。
ただ若干の人が、気づいて、意外に感じたのは、当然、槍を持って現われると思われた芝山が、大刀を右手に揮い、太刀を得意とする筈の栗田が、槍をひっさげていたことである。
――が、その疑問も、合図の太鼓の一打と共に、両騎士の馬が、相手をめがけて走り出すと、どこかへ吹き飛んで、勝負如何にと、一斉に瞳をこらした。
両者の死闘は、それ迄の、各試合とは、全く違ったものであった。
互に剣又は槍を構えて、相手の眼をにらみつつ、呼吸を図り、じりじりと迫る息詰るような静寂の時間は全然なかった。
ただ、疾風の如く、怒濤《どとう》の如く、相互に馬を、はせ違え、はせ違え、相手を、刀と槍とでぶんなぐり、突きまくり、ぶつかり合うのである。
巻き上る砂塵《さじん》の中に、馬と人と、槍と刀とが、躍り、光り、走り、――短い怒号と、金属のぶつかる音が、相互の生命の激突を思わせるのみである。
新蔵は、相手を彦太郎だと信じているので、その凄まじい槍先に瞠目《どうもく》した。
――こやつ、いつの間に、この激しい実戦の気魄《きはく》を会得しおったのか、父半兵衛にも、おさおさ劣らぬ槍先だ。
と、呆《あき》れた。
もし、連日に亘《わた》る訓練がなかったら、彼は、一たまりもなく、相手の槍先で、地上に叩き落されていたに違いない。
彼は、必死になって、相手の槍を、つきのけながらも、決して受身ばかりには立たず、殆ど無謀と云える程の猪突《ちょとつ》を試みた。
相手が彦太郎である以上、そして、その彦太郎が、自分を父の半兵衛と信じている以上、必ず、試合を永びかせで、老人の息切れを待とうとしているに違いない。その戦術にのせられず、即戦即決の急襲戦法によって、事を決しようと、覚悟していたからである。
一方、己れの相手を、旧友半兵衛だと思っている二郎太夫は、それが槍を持たずに来たことに先《ま》ず不審を抱いたが、合戦に老熟している筈の半兵衛にしては、著しく粗放なことに驚いた。
自分の知っている昔の半兵衛ならば、猪突猛進、無法乱脈に闘いながらも、自《おのずか》ら、容易に人の追随を許さぬ巧妙な駆引をみせる筈である。
そして、それを最も、彼は怖れていたのだ。だが、今や、彼の半兵衛と信じている相手は、勇気だけは溢るる許りありながら、合戦の場に慣れぬ若者のように、全く無謀|一途《いちず》としか思われぬような、乱暴な玉砕戦法をとっているように思われるのである。
――芝山め、焦りおるな。
そう思うと、充分に、心に余裕ができた。
十数合の衝突の後、狙いすました彼の巧みな一撃は、誤またず、相手の左の内股を突き刺した。
馬上に、新蔵のからだが、大きくゆらいだ時、二郎太夫はすかさず、槍をその横面に叩きつけた。
新蔵が、馬上にこらえきれず、どうと転落した時、いち早く、二郎太夫の槍先は、その喉《のど》首を貫いた。
どっと上る歓声の中に、血汐《ちしお》のしたたる槍を小脇《こわき》にかかえた二郎太夫は、正面に向って一礼すると、身替りの正体を暴露することを怖れて、一同あれよと思う間もなく、場外に馳《は》せ去っていったのである。
二郎太夫が、意気揚々として屋敷の前まで戻ってくると、彦太郎、源二郎、きよの三人が、前後して走り出そうとしているところであった。
彦太郎は、この時、ようやくにして、自分で縛めを解き放ち、弟と妹とを叱《しか》りとばして、屋敷を飛び出した処なのだ。
「おお、父上」
「彦太郎、安心せい、半兵衛は仕とめたぞ」
颯爽《さっそう》と云い放った一言に、
「うわっ」
と、歓声をあげたのは、源二郎だ。きよは、
「あっ」
と、悲鳴をあげて、袂《たもと》に顔を押しあてた。
屋敷内に入った二郎太夫につきそって、彦太郎と源二郎とは、鎧をとくのを手伝いながら、口々に試合の様子を聞く。
二郎太夫は、得意になって、自分の奮闘ぶりを語り聞かせていたが、ふっと気付いて、
「きよは、どうした」
と、あたりを見廻した。
「あっ、しまった」
彦太郎が素早く、外に飛び出した。
きよの姿はない。
――あいつ、新蔵の処に行ったな。謝って、許されねば、自害するだろう。
きよの切ない恋を知っているだけに、すぐに、そう直感し、彦太郎は、芝山の屋敷に向って走った。
同じ時刻、芝山の屋敷では、新蔵の死体が城内から運ばれてきた。斃《たお》れた者が、半兵衛ではなく、新蔵であることを知った審判役の曾根《そね》将曹は、事の意外に驚倒したが、主君忠長の手前、その仔細《しさい》の吟味は、後日のこととして、いち早く、死体を運び去らせたのである。
無惨に喉を貫かれた新蔵の死体をみた時、半兵衛は、
「おのれ彦太郎!」
と叫んで、がばと起き上った。不思議にもその瞬間、腰の筋肉に食い込んでいたような鉄塊の如きしこりと激痛とは、消し飛んだ。
「おっ――せめて半刻早く、この身が起ち上れたらば」
と、半兵衛は、歯をぎりぎり噛《か》み合せ、新蔵の頭に抱きついて泣き伏しているたよの背を睨《にら》みつけていたが、
「この上は、改めて、彦太郎めと果し合いをして、新蔵の仇を打ってくれるぞッ」
と叫ぶや、槍をおっとって、足袋《たび》はだしのまま、屋外に馳《は》せ出た。
そして、半町と距らぬところで、当の相手彦太郎が、妹きよの腕をとらえて、引き戻そうとしているのに、ぶつかったのである。
「おのれ、彦太郎!」
と、呼びかける声に、顔を上げた彦太郎は、父の討ち果した筈の半兵衛が、大身の槍をひっさげて立っているのに、茫然《ぼうぜん》と、我眼を疑った。
「おのれ、彦太郎、よくも新蔵の命を奪いおったな。この半兵衛が病のため、身替りに立てたのが一期の不覚。いざ、今度こそは、このおれと、勝負せい」
――あ、半兵衛も身替りだったのか。
と、彦太郎は、余りの偶然さに、唖然としたが、血相をかえて槍を構えた半兵衛をみると、もとより、身を退く気はない。
「きよ、退けッ」
と叫んで、大刀を引き抜いた。
決闘は、瞬時にして、片がついた。
復讐《ふくしゅう》の念に、満身の闘志をたぎらせて走り出し、そのまま目ざす仇にぶつかった半兵衛の鋭い槍先は、充分の精神的準備がなく、卒然として刃を抜いた彦太郎の、到底、敵する処ではなかったのだ。
彦太郎は、脇腹を深く刺されて、その場に斃《たお》れた。
「みろ、彦太郎、道場剣法と、合戦のちがい、冥途《めいど》の土産に、しかと覚えたか」
半兵衛は、泣くような声で怒号した。
二郎太夫が、半兵衛に向かって、果し状をつきつけたのは、その夜である。
互に、二十年の昔通り、甲冑をまとって、馬上、心ゆくまで槍を交えよう――と云う申出を、半兵衛は直ちに承諾した。
独り息子の新蔵を喪《うしな》った彼には、もはや、生きてゆく希望は、なくなっていたのだ。
二人の果し合いは、翌日夕刻、城外の安倍河原で、人交ぜせずに行われた。
時ならぬ武者姿の両騎士の、死闘するさまを見たものは、たまたまそこを通り合せた数名の者に過ぎなかったが、
――その凄まじき有様、ただただ、肝を消し、生きたる心地もなく見|侍《はべ》りしとぞ。
と、「栗田信房果合覚書」に記されている。
同じ覚書に、両者闘うことしばし、二郎太夫の馬が、石につまずいて前脚を折った処を、半兵衛が卑怯にも、二郎太夫の腋を差したが、二郎太夫は地上に転倒しながらも、半兵衛の内股を突き上げた――と記してあるのは、筆者が源二郎であるだけに、そのまま信用してよいかどうか分らない。
しかし、結局、双方地上に転がりながら、脇差を抜いて、突き合い、ついに二人ながら、力つきて、前後して、斃れたと云うのは、疑いもない事実と認めなければならないであろう。
目撃者の報《しら》せによって、家中の侍たちが馳せつけた時には、二人は、互いのからだに、脇差をつき徹し、まるで二個の甲冑のかたまりのようにもつれ合って、息絶えていたのである。
[#改丁]
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破幻の秘太刀
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#ここから5字下げ]
一
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志摩介が、切れの長い、睫毛《まつげ》の濃い瞳《ひとみ》を、何やら夢みるようにけぶらせて、じっと、かよの瞳の中を見入った。
かよは、男の瞳の中に、底の知れない深い淵《ふち》がたたえられ、その奥の方から、殆《ほとん》ど抵抗し難い悩ましい引力が、ぐいぐいと、自分をひきよせてゆくのを感じた。
志摩介の方でも、自分の瞳の中から、かよに対する強烈な、気を喪《うしな》いそうに激しい渇望が、全身にびりびりと伝ってくるように感じているのである。
「かよどの――」
志摩介の唇が、聞きとれぬ位の小さい声を洩《も》らして、その右手が、かよの肩に、微《かす》かに震えながら、のせられると、
「あ――」
小さな悲鳴のような呟《つぶや》きが、女の喉《のど》から出た。
かよの全身が、志摩介に向って、融けこむように、崩れた。
男のくせに、余りに色が白く、眼《め》が妖《あや》しく濡《ぬ》れて、気味がわるい――と思っていた対手《あいて》である。
人々の噂《うわさ》もあまりよくない。女たらしと聞いていた。
父からも、腕はたつが、心正しからざる男という言葉を聞いたこともある。
が――それら一切のつくっていた心の防備が、春の泡雪よりもたわいなく融けて、男の顔を見上げ、
「志摩介さま!」
と、呟いた時、かよの運命は、決定されてしまったのだ。
人の足音がした。
「かよどの、今宵《こよい》、亥《い》の刻(十時)」
と、耳に残して、男が、慌てて立去っていった後、かよは、ぐったりと、男の坐《すわ》っていた畳に残った暖かみの上に、突伏していた。
未《いま》だかつて覚えたことのないあやしい血のうずきと、どうなってもいいというひたむきな恋情とが、十七の娘の純白のからだの四肢の端まで、恍惚《こうこつ》たる喜悦を走らせていた。
その夜、かよは、がくがく震える足をふみしめつつ、雨戸を一枚あけて、邸内の北側に建て並んだ長屋の一部屋の前で、小声に、男の名を呼んだ。
抱き入れた志摩介の瞳は、昼間のそれと違って、ぎらぎらと、あらわな欲望に燃え、飢え切った野獣の、餌物《えもの》に飛びかかる刹那《せつな》のそれに似ていた。
灯が消されていたので、かよが感じたのは、白く浮んでいる男の頬《ほお》と、炎のように、熱い男の息吹きだけである。
闇《やみ》の中で、かよは、男にからだを抱きしめられ、帯を解かれた。
二|刻《とき》(四時間)ほど後、かよは、自分の部屋に戻って明方まで、五色の火花にとりまかれながら、まどろんだ。
同じ時刻、志摩介は、永い間、全身にあふれたぎっていた激情を、のこりなく発散させた男の、快適な昏睡《こんすい》を、のびのびと四肢にゆきわたらせていた。
眼をさますと、天井をみたまま微笑した。
いつも、こうした場合に感じる爽快《そうかい》な活力が、湧然《ゆうぜん》とわき出ている。
昨日の自分とは、まるで違ったように思われるのだ。
庭に出て、井戸端にゆき、氷のように冷たい水を何杯となく、裸身に浴びた。
木刀をとって、うち振ること百度、白い頬が、内側から陽《ひ》に照らされた暁の雲のように美しい桃色に染まる。
道場に入って、師|笠間《かさま》甚左衛門の出てくるのを待った。
「お師匠さま、工夫が成りました。一手、御教示頂きとうございます」
師を見上げて云った志摩介の瞳は、清冽《せいれつ》な闘志を浮べている。
「ふむ」
甚左衛門が、唇のすみに、ちらっと笑いをふくませた。
――そんなに、簡単に工夫のつくことではない。
という意味であろう。
その甚左衛門が、木刀をとって、志摩介と相対した時、はっと、眼の中を洗われたように驚いた。
つい昨日まで、この男につきまとっていた心気の乱れも、刀尖《とうせん》の焦立たしさも、影も残さず消え失《う》せて、静|且《かつ》寂、三尺三寸五分の木刀、磨ぎすました鋼鉄の如《ごと》く、粛然として殺気を沈めている。
甚左衛門は、木刀の尖《さき》を、静かに、やや下に落して、中段の構えをとった。
と――意外、志摩介は、左足を半歩つき出し、木刀を頭上に真一文字に横たえ、左手を刀身に軽く添えたのである。
おのれ、若輩の分際で、師に向って。
激怒が、木刀の切尖に走って、飛立つ猛鳥の樹《き》を蹴《け》る如く、刀身がつき出され、志摩介の喉を突いた――と見えた瞬間、
――かっ
と、二刀激突する音がして、甚左衛門の木刀が右下に叩《たた》き伏せられた。
「うおっ」
呻《うめ》きに似た一声を発して、一|間《けん》ほど飛び退った。
その左手首が、赤くはれ上っている。
「鴫羽《しぎのは》返し――工夫つきましてございます」
快然と笑を含んで、木刀を左の腰に納めると、志摩介が、云った。
新当流|霞《かすみ》七太刀の中でも、至難とされる「鴫羽返し」――一点の難くせもつけられぬほど見事に、きまったのだ。
甚左衛門は、打ちこまれた意外さと、手首の激痛とよりも、志摩介の奇怪な上達ぶりに眼をみはった。
「笹島《ささじま》、見事であった。よくぞ、工夫し、会得したな」
「はい」
恭々《うやうや》しく頭を下げた志摩介は、師が、自分の、突然の秘刀会得の真の理由を知ったならば――と、冷たく、腹の底で笑ったのである。
志摩介が、鴫羽返しで師を破ったということが、知れ渡ると、道場の中は、小さな亢奮《こうふん》に包まれた。
「不思議だな」
「きゃつ、いつの間に――」
「怖《おそ》るべき技だ、あいつは」
ひる過ぎ、廊下で、志摩介の姿を認めたかよは、かっと頬を上気させ、小走りに走りよった。
「志摩介さま、おめでとうございます」
父の敗北を悲しむよりも、男の勝利を悦《よろこ》ぶ心の方が、遥《はる》かに大きかったのだ。
志摩介は、そのかよの顔を、大きく開いた眼で、じっと見下ろした。昨日の夢も、情熱も、凡《すべ》て全く跡を残さぬ、冷やかな、すき徹ったような瞳の色である。
しばらくの間、異邦人をみるかのように、奇妙な表情で、恋に燃えるかよの顔を見下ろしていたが、一言も答えず、立去っていった。
それから五日目の夜、かよは自殺した。
一片の遺書もなく、甚左衛門には、この世間知らずの愛娘《まなむすめ》の自殺の理由として思い当ることは、何一つなかったが、門弟の間に、誰《だれ》云うとなく囁《ささや》かれたことがあった。
「かよどのの死なれたのは、笹島のためだ」
「かよどのが、笹島に縋《すが》りついて、何やらいうていたのを、たしかに見た」
「あの女たらしめが、かよどのをだましたためではないか」
かよが志摩介の部屋で過した二刻の秘密については、勿論《もちろん》、誰一人として知らなかったが、二人の間に、何事かがあったらしいとは、凡ての者が信じた。
志摩介は、甚左衛門の部屋に呼びよせられ、きびしく詰問された。
「存じませぬ」
「何も心当りはございませぬ」
答えは、それだけだった。事実何も、証拠はないのである。
ただ、そう答える時の、志摩介の異常なまでの冷酷さが、却《かえ》って不自然な感じを与え、疑惑を深めた。
陰鬱《いんうつ》な、重くるしい雰囲気に満たされた笠間道場から、或日《あるひ》、志摩介の姿が、忽然《こつぜん》と消え失せた時、人々の疑惑は確信と憤怒とに変った。
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二
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笹島志摩介は、呪《のろ》われた男であった。
いや、正確に云えば、志摩介に魅入られた女たちが、呪われた運命の下におかれたのだ。
志摩介は、もと、伊達《だて》政宗《まさむね》に仕えて三百二十石をとっていた笹島忠兵衛の次子である。
早く両親を喪ったが、少年時代から新当流の多田|右馬助《うまのすけ》の門に入り、忽《たちま》ち同輩を抜いて、素晴らしい進境を示した。十九歳の時には、既に目録を許された。
その志摩介に向って、師の右馬助が、或日、云ったのである。
「笹島、お前、何か大きな心配事でもあるのではないか」
少年の剣技を高く評価し、深い愛情をもっていた師の言葉は暖かかったが、志摩介は、
「は、別に、何も――ございませぬ」
と、つぶらな瞳をあげて答えた。
「そうか、それならよいが、この頃《ごろ》、お前の太刀尖に、何か乱れが見える。先頃から、霞の滝落を伝授しようと思いながら、そのために、躊躇《ちゅうちょ》していたのだ」
「何も心配事などございませぬ。是非とも、御伝授頂きとうございます」
「いや、一身上で心配がないとすれば、お前が、自分で気づかぬ心の奥に、何か、お前の魂を惑乱させているものがあるのだ。剣の道は、一切のまよいを最も忌む。お前の心の底にある雲がすっきりと晴れ渡る時まで待とう」
志摩介は、師の鋭い眼識に、驚いた。
心配事ではないが、彼の心を乱し、ゆさぶり、くたくたに疲らせているものが、たしかにあったからである。
隣家山中久之進の末娘で、みちというのが、それであった。
寝ても醒《さ》めても、みちの姿が、眼の前、頭の隅にあった。それは、充分に自覚していたが、そのことが、太刀尖の乱れになって現われていると、指摘されると、さすがに志摩介は、愕然《がくぜん》とした。
その日、道場から戻ってきた志摩介は、庭先で、ぼんやりと立ち、師との間に交わされた問答を反芻《はんすう》した。
――何とかしなければいけない。
と思う。
――女のことなど、ふっつりと、忘れてしまえばいいのだ。
とも、反省する。しかし、
――忘れられぬ、どうしても忘れられぬ。
悩ましく頭をふった時、
「志摩介さま」
垣根の向うから、当のみちが、白く、小さな、やさしい顔をのぞかせた。
「志摩介さま、何を、そのように、哀《かな》しげに考えこんでおいでになりますの」
「あなたのことを考えていたのです」
思いがけない素直さで、口から出た。
「あっ」
みちの、あどけない少女の表情が、一瞬にして、おんなの顔に変り、羞恥《しゅうち》と喜びとに紅潮した。
男の瞳から出る光が、みちの全身につき徹り、すべての筋肉がしびれたような感じであった。
志摩介が恋した女をみつめる時の瞳に現われる奇妙な魅力は、恐らく、天性のものであろう。決して、特に意識して、そんな眼付をしたのではない。幾たび、幾十たびとなく、志摩介は、恋をしたが、その度に、彼は、少なくとも、その始めは、全身全霊をあげて、女を想《おも》った。
彼が恋する女をみつめる瞳に、無限の憧憬《どうけい》が、星の如くきらめき、魔の淵の如くたたえられていたのは、その想いの激しく、生一本であったためである。
ただ――その激烈な恋情はいつも、満たされた酪間、炭火にのせられた雪片の如く、消滅してしまったのだ。
志摩介とみちの間が、どのように展開したかは分らないが、この最初の告白後、間もなく、志摩介がみちの、半ばほころびかけている莟《つぼみ》のように清らかなからだを、心ゆくばかり楽しんだことは、明白である。
みちのからだを知った翌朝、志摩介は、木刀を握って、清浄な黎明《れいめい》の大気の中に佇立《ちょりつ》した。
昨日まで、刃先の前に幻の如く浮び、追っても払っても消えなかったみちの姿は、影も形もなく、澄み切った剣気が、三尺の木刀に充満し、両眼を覆っていたうろこが、さっと、剥《は》ぎとられたような、すがすがしさである。
道場にいって、師の前に立った時、右馬助は、驚異の眼をみはった。
その日のうちに、霞の滝落を伝授された。
みちの兄山中|主税《ちから》が、血相を変えて、道場帰りの志摩介に、濠端《ほりばた》で詰めよったのは、それから四月ほどの後のことである。
「笹島、武士として、お主の真意を聞きたい、みちのことを何と思っている」
「みちどのには――すまぬ、と思っている」
「すまぬ――それだけか、笹島、うぬは、それだけしか云えぬか、それですますつもりか」
「山中、許してくれ、どうにもならぬことだ」
「どうにもならぬとは何だ。なぜ、然《しか》るべき人を仲に立てて、みちを貰《もら》いに来ぬ。今ならば、まだ何とでも、とりつくろえるのだ」
「えっ」
「みちは、懐胎しているのだ、それを、知らぬ顔で通すつもりだったのか」
「みちどのが、懐胎か」
たった一度の契りで――と志摩介は、茫然《ぼうぜん》とした。
「おのれは、その生白いつらと、甘言とを以《もっ》て、年端もゆかぬみちをたぶらかし、もてあそびおって、からだを自由にしてしまうと、手のひらを返した如く、冷たくなった――と云う、恥知らずめ、女たらしめ、みちを、何とするつもりだ、山中の家名に塗った泥を、何とするつもりだっ」
「山中、おれは、みちどのをもてあそんだのではない。真底、みちどのを恋したのだ」
「ならば、何故、嫁にくれ、と云うてこぬ」
「それが、自分で、自分の心が分らぬ。今では、あれほど、狂い慕うたみちどのに対して、まるで縁も、ゆかりもない、異国人のような感じしか持てぬのだ」
「おのれ恥知らずな。よくも、抜け抜けと云いおったな。おのれが今、何と思うておろうと、構わぬ、山中家の名誉を救い、みちの命を救うためには、ただ一つの途《みち》しか残されていないのだ、みちを貰え」
「それは――出来ぬ」
「なにッ」
「おれは今、命の限り惚《ほ》れている女がいるのだ」
余りにも意外な一言を、しかも、当然のことのように云い切られて、主税は、しばらく自分の耳を疑い、志摩介の、冷酷端麗な顔を、虚脱したような顔つきでみつめていたが、すぐに、狂暴な憤怒が、がくがくと、両腕をふるわせてきた。
「外道め!」
大喝して、抜討ちに切りつけた一刀を、ポンと右斜にはね上げ、つつとつけ入って、志摩介は主税の脾腹《ひばら》に痛烈な一撃を与えた。
年上の女を連れて、志摩介は、城下を出奔した。
それから、既に九年――
志摩介の剣は、素晴らしい進境を示した。
新当流七重剣、霞の七太刀、間の四太刀、合せて十八本の伝授を悉《ことごと》く受けた上、大陰、花碓、嚠亮、晧侈、大極の五秘刀まで、その極意を究めつくしていた。
が、同時に、これらの秘剣会得の一つ一つに、美しい女の犠牲が伴われていた。
殆ど定期的に、半歳《はんとし》毎ぐらいに、志摩介は、剣の途で障壁につき当った。それは、もやもやと彼の剣の前に立ち上り、渦を巻き、眩惑《げんわく》を感じさせる雲のようなものだった。
そんな時、彼は、極って、美しい女に惚れこんでいた。その女に向って、全身全霊をあげて、熱狂的に燃え上っていた。
彼の剣の先に立ちふさがる雲の中に、その女の幻が、斬《き》っても、突いても、崩れず、浮んでいた。
彼の悪魔的な美貌《びぼう》に女が屈服し、彼の鬱積した情熱が満たされると、女の幻は、消え失せ、黒雲は、からりと晴れて豁然《かつぜん》として、展《ひら》かれた大道の上で、彼は新しい剣の秘技を会得した。
すると、彼の女に対する恋情は、嘘《うそ》のように冷却し、あれほどまで、あえぎ求めて手に入れた女に対して、全く何の感興も示さなくなる。
こうして、多くの若い娘が、人妻が、彼の剣のために目に見えぬ深傷《ふかで》を受け、その中の幾人かは、自ら、命さえも捨てた。笠間甚左衛門の娘かよも、その一人であったのだ。
――おれの恋は、呪われている。剣の悪魔がささやく偽りの恋だ。
志摩介は、時に反省して、自らそうつぶやくこともあったが、自分でもどうしようもない内部の力にひきずられて、新しい恋を重ね、それを踏台として、ますます逞《たくま》しく、凄《すさ》まじく、剣の技を磨いていったのである。
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三
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自分から云えば、呪われた剣のために――が、他人からみれば、弄《もてあそ》んだ女のために――志摩介が、幾たびかの仕官の口を喪い、流れ流れて、江戸へやってきたのは、寛永《かんえい》六年春三月のことである。
江戸に入ると早々、物騒な噂を聞いた。
前年以来、市中に、夜毎|辻斬《つじぎ》りが、横行すると云うのである。
最初は、元和《げんな》以来、新しい就職の機会を殆ど全く奪われた浪人たちが、衣食に困って、辻斬り強盗をやりだしたものらしい。
それを聞いた血気の連中が、
「よし、その辻斬りの犯人を、やっつけてやろう」
と、夜の街を徘徊《はいかい》するうち、ミイラとりがミイラになって、辻斬りの面白さに引きこまれてしまったのもあった。
辻斬りが、一種の流行になったのだ。
武江年表に、
「今年より武家方、辻番を置かる、端々に於《おい》て辻斬ありし故とぞ」
と記されている如く、後世、江戸の町の不可欠の点景となった辻番が設けられたのも、この怖るべき辻斬りの流行に手をやいた結果であった。
志摩介が江戸へ来た時は、まだこの辻番も置かれていない。いわば、辻斬りの最盛期である。
噂を聞くと志摩介が、直ちに、その不埒《ふらち》な辻斬りをこらしめるために、夜の町へ出かけていったことは、云うまでもない。
連日の辻斬り騒ぎに、人通りは殆どない。たまに歩いている者は、辻斬りをやろうという奴《やつ》か、その辻斬りをこらしめようと意気込んでいる者か、場合によってそのどちらにでもなろうと思っている者かである。
いずれにしても、彼らがぶつかれば、声より先に、白刃が走った。
志摩介も、数回そうした経験をもつと、自分が果して、何のために、夜の町を徘徊するのか分らなくなり、辻斬りと辻斬り処罰者との区別がつかなくなってきた。
ただ、数回の刃合せに、いつも、爽快な一撃を対手《あいて》に浴びせ、完全な勝利を獲得したので、夜の徘徊は、次第に、やめることのできぬ習慣になろうとした。
ちょうどその時、成瀬大四郎との、宿命的な遭遇が行われたのである。
その夜、大手御門に近い大名邸の建ち並ぶ辺りを、志摩介は、対手を求めて、ゆっくりと、歩いていた。
角屋敷の土塀の上から覗《のぞ》いた葉桜が、おぼろ月に、淡くうるんだ影をみせている。
ふっと、故郷を喪った男の、ほのかな感傷を、心の片隅に感じて、
――ばかなッ
と、苦笑した志摩介は、曲り角の彼方《かなた》に、静かな、草履の音を聞いた。
静かな――しかし、しっかりと大地を踏みしめている、歩みだ。
志摩介の全知覚が、さっと緊張した。
角を、大きく曲って、身構えた正面に、同じように、大きく角を曲ろうとした対手が、つき立っていた。
三十五六であろう、肩幅の広い、頑丈なからだつきの武士である。
右手を軽く、腰の大刀の柄《つか》の上においていた。
ただの通行人として、二人が出会ったのならば、何事もなく、すれ違っていったはずである。
二人が、同時に刀に手をかけて、立止ったのは、お互いに、対手に、微塵《みじん》も気を許すことのできぬ殺気を感じたからだ。
「辻斬りか!」
対手の武士が、押し殺したような声で云った時、志摩介は、
――斬られると、見抜いて、パッと一間ほど飛び退って、刃を抜いた。
その志摩介の動きを、いち早く見てとったことは明らかであるにも拘《かかわ》らず、対手は、刃も抜かず、じっと佇立したまま、志摩介を睨《にら》んでいたが、
「出来るな」
と、低い、落着いた声で云ってから、自分も刀を抜いた。
相青眼の睨合いが、しばらくつづいた。
磯浪、上霞、天巻――と、志摩介が仕掛けようとする太刀先は、未発のうちに対手に覚られて、手の施しようがないのである。
――同じ、新当流だ、が、これほどの使い手、何者か。
江戸に来てからは勿論、過去十年に近い剣の遍歴の間に、このような対手にぶつかったのは初めてであった。
焦りが、次第に強く、志摩介を捕えた。必ずしも自分の腕が、対手に劣っているとは思われぬ。しかし、捨身になって最後の一撃を打ちこんでゆくことを、容易に許さぬ何ものかが、対手にあった。
剣を構えたまま対峙《たいじ》していれば、互角に対抗してゆけるが、双方の剣が激突すれば、対手には勿論、一撃を加え得るだろうが、自分は、より大きな痛打を与えられるに違いない、と思わせるものがあるのだ。
志摩介の、剣士としての面目が、意地が、その最後の障壁をつき破ろうとした。剣とからだとが一塊になって、対手に向って跳躍しようとした刹那、
「待てっ」
対手の武士が叫んで、一歩退き、剣の尖を下げた。
「待てっ、同じ新当流の、それほどの使い手、いずれが傷ついてもつまらぬことだ、剣を納めよう」
「よかろう」
ホッとして、剣を引いた志摩介の背に、じっと汗がにじんでいた。
対手も、それは同じことだったらしい。刃を鞘《さや》に納めると、懐紙を出して、額の汗をぬぐい、
「久しぶりで、珍らしい強敵に出会って一汗かいた」
と云って、満足気に笑みを洩らした。
「こちらも、同じこと、その腕で辻斬りをやられては、大抵のものはたまるまい」
志摩介が答えると、
「いや、私は辻斬りではない。辻斬りを、こらしめるために歩いているのだ」
「ほう、私もそうなのだ」
「何のことだ、これは」
二人は、声を合せて笑った。
「新当流、何《いず》れの門で修業された」
「加賀の野口織部殿の門下だ」
志摩介は、これ迄《まで》についた多くの師のうち、一番遠くにいる、当りさわりのなさそうな名を挙げた。
「織部殿か。お名前は承っている。私は、間宮所左衛門殿に伝授を受けた。駿河《するが》藩の成瀬大四郎と云う、お見知りおき願いたい」
「あ、石切り――大四郎殿か」
志摩介が、云いかえすと、成瀬は、
「いやな呼名だが、世間では、そう云っている」
石切り大四郎の名は、志摩介も、何度か耳にしていた。新当流無双の達人として、噂の高い男である。
――なるほど、石切り大四郎ならば、
よく、あそこ迄、対峙し得たと、自分に自信をもってよいくらいの対手だ。
「私は――仙台の浪人、笹島志摩介です」
「御浪士か――勿体《もったい》ないことだ、その腕を持ちながら」
運命は、どこで変るか分らない。それから間もなく、大四郎の熱心な推挙によって、志摩介は、駿河藩に召抱えられることになったのである。
国詰めとなって、駿河へ戻る大四郎と共に、志摩介は、駿府《すんぷ》へ行き、御馬廻《おうままわり》二番小沢国兵衛組に配属された。
彼は、大四郎の厚意に深く感謝し、大四郎の剣に驚異の念を抱いた。
しかし、同時に、大四郎の剣を破りたいという、抑え難い野望が、彼の魂の底に、白熱の炎の如く、めらめらと燃え上ってきた。
自分の一切の技を押えて、終始、圧倒しつくしたものは、大四郎の会得した、天真正伝新当流唯授一人の深秘剣「一の太刀」の位どりにあると理解すると、その日から、ひたすらに、一の太刀の工夫に、精魂を枯らした。
深夜、浅間社《せんげんしゃ》の木立ちの奥深く、剣を握って、闇を睨む志摩介の影があった。
未明の安倍《あべ》河原に、裂帛《れっぱく》のひびきをほとばしらす志摩介の姿もみられた。
が、三カ月にわたる骨身をけずる工夫も、効果を齎《もたら》さなかった。
志摩介は、いつもの、黒い、もやもやした雲の障壁が、自分の前に立ちふさがっているのをはっきりと感じた。
そして、その黒雲の中には、いつものように、美しい女の幻が、しつこく浮かんでいた。
その女は――恩人成瀬大四郎の妻絹江だった。
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四
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大四郎は、誠実な温かい心情の持主だったが、口が重く、固くるしい感じを与えたので、若い頃から女には持てなかった。
にも拘らず、稀有《けう》の美女絹江を妻とすることが出来たのは、全く、偶然の幸運のためだったと云ってよい。
駿河城主|忠長《ただなが》が、まだ甲斐《かい》の国主であった頃、大四郎は、その御馬奉行をつとめていた。
忠長が初めて、甲府に入府した時のことである。
「村雲」という馬を献上した者があった。
旧武田の遺臣で、甲府城外に住む、篠塚《しのづか》十三郎という老人である。
一見して、逸物《いつぶつ》とは思われたが、いかにも悍馬《かんば》と云った感じなので、進んで乗りこなしてみようと云うものがいない。
血気の忠長が、それとみて、直ちに試乗しようと云いだした。
十三郎は、忠長の顔をうち仰いで、誰も気づかぬほどかすかに、奇妙な悦《よろこ》びの色を、浮べた。
忠長を馬に乗せ、広場の中程まで連れだすと、十三郎は、にやりと笑い、
「いざ、若殿よ、走らせてごろうじませ、最後の一はしりをな」
と云ったかと思うと、いきなり腰刀を抜いて、馬の尻《しり》に斬りつけたのである。
馬は、瞬間、後脚で棒立ちになったが、すぐに、気の狂ったように、奔《はし》りだした。
まっしぐらに、前面の塁壁をめがけて、悪魔に憑《つ》かれた如く、つき走る。
蒼白《そうはく》となった忠長の必死の制御も、全然効果はない。
抛《ほう》っておけば、馬は、塁壁に激突し忠長の頭蓋骨《ずがいこつ》を粉砕するであろう。
「見るがいい、忠長の最期を、見ろ、見ろっ」
十三郎は、馬と人とを指して、叫んだ。
武田遺臣の企《たくら》んだ、徳川一族に対する復仇《ふっきゅう》と、明白に分ったが、忠長の家臣たちは、茫然として、なす処を知らない。
若き主の命は、風前の灯――とみえた時、疾風の如く、馬を飛ばせたのが大四郎である。
狂喜の躍りを躍りつつ、絶叫している十三郎の傍を走り抜けざま、馬上から、その頭蓋を一颯《いっさつ》して、その場に叩きのめすと、忠長の馬を追った。
三十間、十間、五間――距離をちぢめ、雁行《がんこう》したとみえたが、既に塁壁は三間先に迫っている。
その塁壁と忠長の乗馬との間に、身を躍らせて、馬上から飛び降りた大四郎の右手が、白刃を横に真一文字に薙《な》いだとみるや、馬は前脚を二本、すっぽりと斬りすてられて、悲鳴をあげて、前にのめった。
忠長は、馬の首を超えて、莫逆様に、地上に転落したかと思われたが、どたりと、地に伏した馬の背に、ぱったりと坐ったままであった。
馬の前脚を薙いだ大四郎が、間|髪《はつ》をいれず後に飛んで、後脚をも両断し去ったのだ。
息をとめて、成行をみつめていた家臣一同が、思わず、わあっと喚声をあげたが、大四郎は、脂汗を浮かべ、唇をふるわせている忠長の前に跪《ひざまず》き、血刀を背にまわして、
「殿、急場の場合、手荒き所業、お許し下さいませ」
と、恭々しく一礼したのである。
大四郎は即日、百石の加増を受け、番頭に抜擢《ばってき》された。
藩内の評判は、素晴らしいものだった。
それ迄、彼を完全に軽視していた若い娘たちが、彼の姿をみると、のび上って見送り、口々に噂した。
その急激な人気にも、大した心を動かしたように思われなかった大四郎が、大番頭|渡辺《わたなべ》監物《けんもつ》から、娘の絹江を貰ってくれ、と申込まれた時は、おかしいほどうろたえ、上気して、物を云えぬほどだった。
それもそのはずである。絹江は、藩内で五本の指に入る、名うての美女だったのだ。
このような美女を妻に持ったことが、果して、大四郎にとって、本当に仕合せであったかどうかは、甚だ疑問である。
この美貌の妻を、他人の手から護《まも》るために、大四郎は、幾たびか、刃を血に染めたのだ。
石切り大四郎と呼ばれるに至った事件も、その一つである。
七年前、大四郎の許《もと》に嫁入ったばかりの、初々しい、絹江の美しさに、魂を奪われた大江重兵衛という一刀流の剣士が、執拗《しつよう》に、絹江につきまとった。
大江は、絹江の母方の縁つづきになる男である。久しく上方にいたのが、職を求めて、絹江の父渡辺監物を頼ってきたのである。
それが、絹江を一目みると、職よりも、絹江に魂を奪われてしまったのだ。
あらゆる手をつかって、絹江に云いよったが、女の方では、まだ剣名高い良人《おっと》に夢中だった時機である。まるで歯牙《しが》にもかけず、手きびしく拒絶し、冷罵《れいば》した。
嫌われれば嫌われるほど、男の執念は、増した。
大四郎が他出の夜、大江はあぶれ者数名を語らって、絹江をさらった。
若党の急報によって、妻の危急を知った大四郎は、宙を飛んで馳《は》せ戻り、大江の一団を追って、東富士川の東方にある名刹《めいさつ》万年山大泉寺の境内に躍りこんだ。
月光の下、墓地の一隅に引き据えられた絹江の、後手に縛られ、裾《すそ》をみだして、必死に抵抗している姿を見た時大四郎は、憤怒の化身となった。
「けだものめッ!」
怒濤《どとう》の如く馳せよりざま、愛刀|肥後守《ひごのかみ》輝広|一閃《いっせん》一殺、再閃二殺、またたく間に、墓石の間の草を血に染めて、五人まで断末魔の悲鳴をあげさせたが、悪謀の首魁《しゅかい》大江重兵衛は、いち早く、逃走しようとする。
「くそッ、逃さぬぞッ」
と、追いせまる大四郎の足許が乱れた。
返り血が、目蓋《まぶた》の中に飛びこんで、右眼が定かに開かないのだ。
墓石と樹木と月光との織りなす明暗を巧みに利用して、どこまでも逃走を企てる大江を、大四郎は、足よりも、気力で追いつめた。
今一息で、輝広の切尖が、大江の肩にふれると思われた時、大江の姿が消えた。
大四郎の眼は、もうろうとしていたが、目の前につき立った四尺余の墓石の蔭《かげ》以外に、隠れる処はない。
斬鉄《ざんてつ》の気合――
「とう――」
と一声、輝広が、その墓石に向って叩きつけられると、
「ぐわッ」
背後にかくれた大江は、墓石もろとも、肩からみぞ落まで斬り下げられて、絶息した。
石切り大四郎――と、その凄絶《せいぜつ》な剣技を謳《うた》われるようになったのは、その時からである。
剣の上の名声と、美しい妻とを持った大四郎は、絶えずその二つについて、人知れぬ悩みをもった。
第一の苦悩は、美しい妻が、必ずしも貞節な妻ではなかったからである。
良人の華やかな名声にあこがれて良人を愛したのは、もしくは、愛していると思ったのは、結婚当初の一年位のものであった。
自分の美貌を信ずる心は、無骨な良人を軽蔑《けいべつ》する心に変っていった。
豊かな実家の、やや放縦だった生活になれた身には、謹直な、つつましい暮しが、次第にいとわしくなった。
どこにでもいる女|漁《あさ》りの天才たちが、こうした絹江の心情の変化を、見逃すはずはない。
毒をかくした甘い言葉が、彼女の耳に快くささやかれ、ますます豊麗さを加えてきた艶《あで》やかな肉体を、くすぐった。
妻の不貞を、現実に、わが眼で見届けたならば、如何《いか》に妻を愛していても、大四郎は、妻を斬ったにちがいない。
だが、不貞の確証はなかった。ただ、それを疑わせる事態は無数にあった。
いくら、それがあっても、疑惑はあくまで、単なる疑惑である。絹江が断乎《だんこ》として否定すれば、どうしようもないのだ。
時には、どうにも弁解しきれなくなって、自分は手強く拒んでいるのだが、対手が、しつこくつきまとうのだと、絹江が云うことがあった。
そのように名指された男は、大四郎から、公然の果状がつきつけられ、何《いず》れも、その日のうちに逃亡した。逆に、暗殺をしかけて、一撃の下に殺された者もあった。
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五
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第二の苦悩は、剣の上のものであった。
大四郎は、自分に冠せられた「石切り大四郎」という名を嫌悪した。
石を両断したことは、誰《だれ》よりも彼自身が愕《おどろ》いていた。彼は、自分が石を斬り得るとは、そのことを現実に自分でやりとげるまで、夢にも考えていなかった。
憎むべき男と共に石を截断《せつだん》した時、彼は自分の剣の素晴らしさに、愕然《がくぜん》とした。それが、自分の本当にやったことだとは、容易に信じられぬほどであった。
自分で自分を説き伏せようとして、彼は、その事件のあとで、暮夜、ひそかに、庭の小さな池の傍の石を切ってみようと試みた。
最初の一回は、失敗した。刃が、二つに折れて飛んでしまったのである。
次の試みも、失敗した。刃が、ひん曲ってしまったのだ。
第三回目に、彼は先に石を斬った愛刀輝広をふりかぶって、必死の一撃を、石に向って叩きつけた。刃が、無惨に欠けて、石には白いかすり傷を与え得たに過ぎなかった。
――あの時、石を斬ることが出来たのは、全くの偶然だ。自分の剣には、石を截《き》る力はないのだ。大四郎は、そう認めざるを得なくなった。
しかし、人々が、彼を指して、
「石切り大四郎」
と云う時、人々は、大四郎を、いつでも石を斬ることが出来る剣の達人として、考えていることは、明らかである。
――自分に出来ぬことを、世人は、自分におしつけている。
と、大四郎は、石切りの事件についての話や、石切り大四郎などという名をきくことを極度にいやがった。
人々は、それを、彼の謙遜《けんそん》と解釈して、なおのこと床しく思い、嘆称の眼を向けた。そうなると、大四郎が、採る途は、ただ一つしかない。
――一度は、偶然にせよ、とに角、石を切ることが出来たのだ。修練によって、それを、いつでも石を斬れるところまでもってゆくことは不可能ではないはずだ。
大四郎は、再び、池の傍の庭石を切る工夫と修練に没頭した。
剣を十本まで、或いは折り、或いは曲げ、或いは欠いた。が、庭石は、かすり傷を受けたのみで、平然と、池の傍で、大四郎の腕を嘲笑《ちょうしょう》しているかのようにみえた。
懊悩《おうのう》と絶望の何日かを送った後、大四郎は意を決して、信州|諏訪《すわ》に隠栖《いんせい》している旧師間宮所左衛門を訪れた。
恥を忍んで、一切の経過を告白した大四郎は、
「私が、ただ一度石を切り得たのは、妻絹江の汚されようとするのをみての激怒が、不可思議の気魄《きはく》となって、輝広の切尖に迸《ほとばし》ったためでしたのでしょうか。私の剣は、そのような場合でなければ、本当の力がでないものでしょうか。幼少の折から、先生にお教えを受けること十二年、その後、自ら工夫修練を重ねること十年、私の達し得た剣の技、そのものだけでは、石一つ満足に切れぬものかと思うと、無念至極、まこと心外の至りでございます」
と云って、頭を垂れた。
所左衛門は、顎《あご》の白髯《はくぜん》の先端を、微風にそよがせながら、おだやかな瞳を据えて、じっと聞いていたが、
「石を斬る――か。むつかしいことだな。わしにも出来るかどうか分らぬ。切れるだろうとは思うが――やってみねば分らぬ。だが、大四郎」
「はい」
「どちらでもいいではないか、石が切れようと、切れまいと――」
「は?」
「剣は、石を切るためのものではない。わが身を守るために、人を斬るためのものだ」
「はっ」
「石を斬ろうと、むだな努力をするよりも、その心の迷いを斬りすてる工夫をせい」
「はい」
「その迷いが斬りすてられた時は、存外、石も、すっぽり切れようかも知れぬ。ははは、久しぶりだ、しぶい顔をしておらずと、酒でものめ」
師の言葉は、深く、暖かく、身に沁《し》みた。
――石を斬るより、心の迷いを斬れ、剣は石を切るためのものではない。
この教えを胸にひそめて、大四郎は、甲府に戻った。
石を切るという執念を捨てて、ひたすら剣の途の修業をつづけると共に、長禅寺の住職黙禅について、禅の途に没入した。
池のほとりの庭石は、しかし、その大四郎の修業を、依然として嘲笑しつづけるかの如く、彼の明方の夢の中に現われ、人間の顔のような表面の模様を、にやりと笑わせた。
――どうだ、おれを切れないだろう。
石はそう云っていた。
眼が覚めてから、庭に下りると、いやでもその庭石が眼につき、しかも、実際の十倍位の大きさで、大四郎の眼界にのさばりかえるように思われた。
大四郎は、努めて、その庭石を黙殺し、念頭から追いのけようとしながらも、いつも、自分の視線がその方に走るのに気がついて、忌々しげに眉《まゆ》をひそめた。
三年目のある朝、眼をさました大四郎は、眼がさめてから、しばらく、小児のように澄んだ瞳を、何か、いぶかるように、大きく開いていた。
あの、いまいましい庭石が、眼をさます寸前、夢のなごりの中で、悲しげな顔をして、ふっと消えていったからである。
起きでて、庭に出てみると、庭石は、小さく縮まって、くだらぬ石にみえた。
――いつでも、斬れる。
大四郎の心の底で、何かが、自信をもって、はっきりと、そう叫んでいた。
しかし、大四郎は、石を斬らなかった。そんな必要を感じないほど、確信がもてたのである。
その翌月、忠長が駿河を与えられて、甲府在勤の家臣は、概《おおむ》ね駿河に移ることになったので、大四郎は、久しぶりで、諏訪に赴き、老師を訪ねた。
「どうじゃ、まだ、石を斬っているか」
笑いながら云った所左衛門に、大四郎は、
「斬ることはやめました。が、斬れそうな気が致します」
と、三年間の修業を物語った時、所左衛門が、意外なことを云ったのである。
「でかしたぞ、大四郎、新当流唯授一人の秘伝一の太刀――を授けよう」
大四郎は、新当流の極秘の極を伝授されて駿府に赴任した。
もはや、剣の上の悩みは、完《まった》くなくなってしまった。人々が云う「石切り大四郎」の名も、殆ど、無関心に聞き流すことができた。
が、もう一つの悩み――妻絹江についての疑惑だけは、斬っても払っても、依然として、この不幸な剣士の心の底から追いのけることはできなかったのである。
江戸詰の一年を終えて、笹島志摩介を伴なって戻ってきた時も、不在中の妻の素行について、二三の忌わしい噂を耳にした。
妻に問えば、否定することは明白だし、確たる証拠はないので、いつものように、大四郎は、凡《すべ》てを己れの胸の中に押し殺した。
一年ぶりに抱く絹江の、今を盛りの豊かな柔肌は茫乎《ぼうこ》と我を失わせるほどかぐわしい。少しでもこの美しい妻の不機嫌を買うようなことは、大四郎として、口に出したくもなし、また出すことも出来そうになかったのだ。
その大四郎も、自分が藩に推挙し、江戸から連れてきた笹島志摩介が、絹江に恋着するだろうなどとは、勿論、予想もしなかったことである。
だが、事実は、そうなった。志摩介は、絹江に、いつもの彼の流儀で、狂人のように、激しい、無鉄砲な、一途《いちず》の恋をしたのである。
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六
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「成瀬氏、どうしても、お立合い頂けませんか」
志摩介が、大四郎に向って、こう云ったのは、もう何度目かである。
「江戸で、互いに真剣を抜き放って、立合った仲ではないか、今更、そんな必要もあるまい」
大四郎の答えはいつも同じであった。
「いや、あの折のあなたの構え、たしかに、新当流秘伝一の太刀を究められたもの、とみました。剣をとって新当流を学んだもの、最後の願いは、一の太刀の秘伝を会得するにある。是非とも、御教示にあずかりたいのです」
「一の太刀は、唯授一人の秘伝だ、私が勝手に、お主に授けることは許されぬ」
「私の腕では、まだ不充分と云われるのですか」
志摩介が、歯を食いしばった。その表情をみて、大四郎が云い直した。
「腕が未熟と云うのではない、心の問題だと云った方がよい」
「心の修業が足らぬ、と云われるのですか」
「いや、修業が足らぬと云うのでもない。何やら、お主の心に激しい乱れがあって、それが、常住|坐臥《ざが》、お主の眼にも、からだにも現われているように思うのだが、私の思い違いであったら許して貰いたい」
指摘されれば、その通りなのだ。が、
――あなたの妻絹江どのに、惚れているからだ。
とは、さすがに云えぬ。
「その心の乱れが、拭《ぬぐ》い去られたときは、一の太刀伝授して頂けますか」
「先刻云ったように伝授にはきびしい掟《おきて》があること故、老師に無断で、私が勝手に秘伝を授けることはできぬ。しかし、お主が、自ら工夫して、一の太刀の極意を自得されるためのお手伝いならば、及ばずながら、やって進ぜよう」
心の迷いさえ振棄《ふりす》てれば、形式上の伝授はできぬが、実質上の伝授はしてやろう、と云ぅのだ。それ以上のことを要求することはできなかった。
しかし、その心の迷い、心の乱れを拭い捨てるということが、果して可能か。
――可能だ、絹江を手に入れさえすれば。あの美しい絹江のからだを、一度でも自分のものにしさえすれば。
志摩介の絹江に対する邪恋は、烈火に油をそそいだ如く、高く赤く燃え上り、炎の渦を巻きあげた。
女に対する魅力には、充分の自信を持っている志摩介ではあったが、絹江は、いわば、恩人の妻である。その上、今迄、彼の恋したどの女よりも優れて美女である。絹江についての忌わしい噂をまだ耳にしていない彼にとって、絹江は、容易に攻略を許さぬ堅塁のように思われた。
彼は、恋する者のもつ狡智《こうち》を絞って、秘策をめぐらせた。そして、大四郎が、宿直《とのい》の番に当って不在と知っている夜、その留守宅を訪れたのである。
「あ、笹島さま、良人は、今宵は宿直でございますが」
玄関に出た絹江が云うのに、志摩介は、おっかぶせて云った。
「いや、存じております。絹江どの、私はあなたに、お話ししたいことがあるのです」
絹江は男の顔をみた。
男の意図は、大体了解できた。大四郎の不在を狙《ねら》ってやってきた多くの男が、同じことを云い、同じことをしたのだ。
その男が、自分の好みに合うか否かによって、絹江の態度は、どのようにでも変った。
志摩介は、明らかに、絹江の気に入った。
平素から、良人が、口を極めてその剣技を推奨していた剣士である。のみならず、その極めて特色のある秀抜な美貌は、絹江の多情な心を、かねてから、快く擽《くす》ぐっていたのだ。
志摩介が、例によって、切れの長い、睫毛の濃い瞳を、夢みるようにけぶらせて、じっと、自分をみつめているのを感じると、絹江は、心が、からだが、しびれてきた。男の腕の中に、まっしぐらに飛びこんでゆきたいという、抵抗し難い力に、心臓をしめあげられるようになった。
志摩介は、絹江と向き合って坐ると、熱っぽい声で云ったのである。
「絹江どの、私はあなたの見ている前で腹を切ります」
「えっ」
意外な言葉に、絹江は、茫然と、自分の耳を疑った。
「私は、悪党です。見下げ果てた男です。恥知らずです、死んで――大四郎どのにお詫《わ》びしたい」
「志摩介さま、一体、どうなさったのでございます、私には、さっぱり分りませぬ」
「絹江どの、あなたの貞節な、清浄なお心には、到底、お分りにならぬことです。私は――あなたを、命をかけて、お慕いしているのだ。恩人の恋妻と知りながら、どうにも仕様のない力に押されて、絹江どの、あなたのことを想いこんでしまったのです。われながら、情けない男だと思う。あなたにも、大四郎どのにも申訳ない。道ならぬ恋の結末は、自分でつけます。ただ、一生の想い出に、あなたにこのことを一言だけ告げ、あなたのみている前で死にたい――そう思って、今宵《こよい》、やってきたのです」
顔をみただけで、もう完全に志摩介の方に傾斜しきっていた絹江の心が、このような殺し文句に、抵抗できるものではなかった。
「何を云われるのです。志摩介さま、死なないで下さい。わたしは、とうから、あなたを想っておりました」
恋する女をかき抱く快美の瞬間は、思ったよりもずっと容易に与えられた。
志摩介は、柔軟な絹江の肢体に、陶然として没入し、一切を忘れて、呪縛《じゅばく》されていた狂暴な情熱と欲望とを、心ゆくまで、発散させた。
暁方、まだ仄暗《ほのぐら》い頃、疲れ果てて熟睡している女の傍から、そっと抜けだした志摩介は、屋敷から出ると、南へ道をとって宝蔵院の横から、愛宕《あたご》山へ上っていった。
神社の井戸で、からだを清め、山腹の木立の深いあたりに開かれた十坪あまりの空地のところまでくると、静かに刀の鞘を払った。ここは、人知れず、剣をふるって、修業を重ねていた場所である。
風のそよぎ一つない静寂な、山気満ちた空間につき立った志摩介の、精神も肉体も、完全に澄み切って、昨日までの荒々しい焦慮の跡は、毫末《ごうまつ》も認められない。
心気を凝らすことしばし、大気をゆるがして、
「とう」
と白刃が一閃し、志摩介は、暁の星のように瞳を輝やかしたのである。
新しい無限の、世界が、彼の剣の先に開いたのだ。
半刻ほど後、志摩介は、剣を納め、汗を拭って、もとの神社の前まで戻ると、恭々しく社前にぬかずいた。
――新当流至極の秘剣、一の太刀、志摩介、只今《ただいま》、自得しました。
大四郎の教えを受けるまでもない。自らの力で、はっきりと、その剣技の極意を把握し得たのだ。
――大四郎も、今は恐るべき対手ではない。
そう、自分に云ってきかせ、傲然《ごうぜん》と山路《やまみち》を下りてゆく志摩介の頭には、つい数刻前、狂乱の態でむさぼりつくした絹江の美しいからだの幻影は、塵《ちり》ほども残っていなかったのである。
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七
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志摩介が、未明に、大四郎の屋敷から出てゆく姿をみた者があった。
隣家の安村進五という男である。
絹江に云いよって、手づよくはねつけられたことがある。しなびて、鼠《ねずみ》のような眼をしていた。
その鼠のような眼を、嫉妬《しっと》にぎらつかせて、大四郎に耳うちした。
「しかと、偽りではあるまいな」
沈痛な声で確かめた大四郎は、直ちに、志摩介の屋敷に足を運んだ。
「お主が、今暁早く、私の屋敷から脱け出ていったのを見た者がある」
もう、知れたのかと、志摩介は驚いた。見られた以上、否定しても仕方がない。
「たしかに、あなたの屋敷に参った」
「何のためだ」
「夜半、ふと眼がさめ、剣の上の工夫を思いつき、矢も楯《たて》もたまらなくなって、御教示を得ようとして伺《うかが》ったのです。が、お屋敷内のお庭に入ってから、あなたが、宿直だったことを思い出して、そのまま帰ってきたのです」
不自然な弁解ではあったが、剣に熱中している者には、必ずしもないとは云えぬことだった。
「絹江に――」
大四郎が、喉に何かつまったような、苦しい声を出した。
「絹江に、会いに行ったのではあるまいな」
「絹江どのに、何の用があるのです」
志摩介は、逆襲した。
「お主の姿をみた者が、お主は絹江に――よこしまなことをしたらしいと云うのだ」
「何者です、その不埒な雑言を吐《ぬか》す奴は」
「それは――云わんでもよい。たしかに、絹江には会わなかったのだな」
「御一緒に、絹江どのの処に参りましょう」
志摩介は、先に立って、大四郎の屋敷に行った。
女は、昨夜半から、暁方にかけて、裸身を固く結び合った、いとしい男が、良人と連れ立って姿をみせたのに、とまどい、羞恥と、そして悦びとに、頬を染めた。が、
「絹江どの」
と、呼びかけた志摩介の顔も、声も、同じ人とは思われぬ白々しい、冷たいものであった。
「絹江どの、私が、昨夜、あなたを訪れ、今暁この屋敷を出ていったと云う者があるそうです。私は、身のあかしを立てるために参りました。大四郎どのの前で、はっきり云って頂きたい。私は、あなたに、御主人の前以外では唯《ただ》の一度もお会いしたことはないということを」
「その通りでございます」
「私は、絹江どのは、畏敬《いけい》する恩人の御内室としてしかみていない。それ以外の感情を抱いたこともないし、抱き得るものでもない。大四郎どの、これでも、尚《なお》御懸念が晴れぬとあれば、今後、たとえ、あなたの御在宅の折でも、一切、この屋敷に足を入れぬことを、しかとお誓いしましょう」
志摩介の語調は、一点やましい処のないもののように、清澄であり、決然としていた。
「お疑いして、すまなかった」
大四郎は、頭を下げた。
その翌日、志摩介は、下城の途中、物蔭から、絹江によびとめられた。
「志摩介さま、昨日おっしゃったこと――二度と、私の宅へ足ぶみせぬとは、よもや、本心ではございますまいね」
うまく芝居をしましたね、と云う意味の微笑を含めた、甘えた声であった。
「絹江どの、昨日申した通りです」
「えっ」
「お宅へ参らぬことは勿論、このように、人に隠れてお話しすることは、一切、つつしみましょう」
「志摩介さま、あなたは――」
「先夜のことは、すべて、夢と思って下さればよいのです」
冷然と云い放った男の顔を、絹江は唖然《あぜん》としてみつめた。
「志摩介さま、あれほど、私を想って下さると云われたのは、皆、いつわりだったのですか」
「いつわりではありません。本当でした、しかし、今は、もうあなたに対する恋心は、まるで消え失せてしまっているのです。奇妙なことだが、やむを得ない」
「恥知らずなっ」
激怒と屈辱の想いに、絹江は気が狂いそうになった。
こんな経験は、初めてである。
今迄は、凡ての男が、自分の与えた愛情に、又は欲情のはしくれに、狂気し、崇拝し、最後のきわまで、未練がましくすがりついてきた。大四郎の剣を怖れて、遠国《おんごく》へ逃亡してからでも、切々たる恋情を、いろいろな手段で訴えてくるものがある位なのだ。
適当な時に、絶縁を宣言したのは、いつも、自分の方だった。
ところが、今度だけは、男の方から、しかも、最初の抱擁の直後に、冷酷極まるうっちゃりをくったのである。
勝気な、気性のはげしい女だけに、その怒りもはげしく、堪え切れぬものがあった。
――あの、志摩介という男を、生かしてはおけぬ、殺してやりたい、しめ殺して、唾《つば》を吐きかけてやりたい。
絹江は、思い切った手段を、決意した。
その夜、大四郎に向って、
「笹島志摩介を、殺して下さい」
と云ったのである。
「どうしたのだ、今になって」
大四郎は、妻の唐突の、怒りの爆発に愕いた。
「正直に申します。わたしは、志摩介のために手籠《てごめ》にあいました」
「なにっ」
大四郎が、がばと半身を起した。
「志摩介の云ったことは、皆、嘘です。あの男は、前から、わたしに、いやらしいことを云いよっていましたが、あなたの宿直を狙って忍びこみ、暴力で、わたしを、もてあそんだのです。わたしは、必死に抵抗しましたが、男の力には、かなわなかったのです」
「絹江! それは――まことか」
「本当です、あの憎い、けだものを、殺して下さい。わたしは、その後で、どのような御処分でも受けます。あいつの死んだのを見届けるまでは、死んでも、死に切れませぬ」
「絹江、なぜ、あの時、本当のことを云わなかったのだ」
「あの男が、あまりにも、白々しい嘘を平然としゃべるので、呆気《あっけ》にとられて、言葉が出なかったのです。あいつは、悪魔です。口惜しい、あんな奴に、手ごめにされて――」
寝衣の裾を乱して、身もだえする絹江の姿をみている大四郎の形相が、凄惨《せいさん》な彩りを帯びてきた。
「絹江、墨と硯《すずり》とをもて」
怒りに躍る文字で、果状をしたためると、左封じにし、若党に命じて、志摩介の許《もと》に、届けさせた。
「明日、奴を斬る。その上でそなたの処置を考えよう」
当然、直ちにくるもの、と待っていた果状の返事は、いつまでまっでも来なかった。
――奴め、逐電しおったか。
翌朝になって、大四郎が、志摩介の屋敷へはせつけてみると、志摩介は、既に出仕したと云う。
城中で、志摩介を、とらえた。
「笹島、問答は無益だ、果状はみたであろう。なぜ、返事をよこさぬ」
「身に覚えのないことで、果し合いなどできません」
「まだ、ぬけぬけと、云い張るか、卑怯《ひきょう》者め、これでも果し合いはせぬと云うか」
ぐゎん、と横面を張った。
「ほう」
頬を押えて、一歩退った志摩介が、蒼白の額に青い筋を浮べて、大四郎を睨んだ。
「武士たるものが、卑怯者と云われ、頬を打たれては果し合いをせぬ訳にゆかぬ、成瀬氏、こちらから、果し合いを申入れよう」
「今夜、戊《いぬ》の刻(八時)八幡《はちまん》の社《やしろ》に来い」
「いや、城中で、公然と受けた侮辱《ぶじょく》だ、公けの席で、果し合いをしよう」
「なにっ」
「私と一緒に、御家老の前に、こられるがよい」
人妻を犯しての果し合い、という事実を、いわれなき侮辱を受けたための果し合いということに、巧みにすりかえでしまった志摩介は、昂然《こうぜん》として、大四郎を従えて家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》の前に出た。
「御家老に申上げます。私、やむを得ざる武道の意地のため、成瀬大四郎と果し合いを致しとう存じます」
「お前が、成瀬と?」
大四郎が、志摩介の、最も熱心な推薦者であったことを知っている三枝には、不可解なことに思われた。
「はい、つきましては、来る九月二十四日の真剣御前試合の節、大四郎と真剣の立合いをさせて頂くのが、最もよろしきかと存じます。成轍も私も、同じく新当流を極めましたもの、何《いず》れが、勝ちましても、面白きみものかと思われます」
志摩介は、まるで他人事のように、綽々《しゃくしゃく》たる余裕を以《もっ》て、述べた。
「成瀬、お前も、希望するのか」
大四郎は、然《しか》りと答えた。
「そうか、解せぬことだが、二人|揃《そろ》って、望むとあれば、やむを得ぬ。ともかく、殿に申上げてみよう」
忠長は、家臣の命など、虫けらほどにも思っていない。面白い試合になろうと、聞いただけで、即座に許した。
「やらせてみい」
殿のお許しがでたから、真剣御前試合の番組に入れておくと、云い渡されると志摩介が、
「御家老、もう一つ、お願いがございます」
「何だ」
「成瀬は、石切り大四郎と呼ばれておりますが、私、いまだ、彼の石切りの秘技をみたことがありませぬ。試合は、運のもの、私は勝つつもりですが、敗れて死ぬかも知れません、死ぬ前に、彼の石切りを、是非とも見たいと存じます」
これは面白いと、三枝の方が、乗気になった。大四郎の石切りは、名のみ喧伝《けんでん》されて、その実況を、みたものは一人もないのである。
「どうだ、大四郎、見事に石を切ってみるか」
「斬りましょう」
大四郎は、きっぱりと云い切った。
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八
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試合の前日、ちょっとした事件が起きた。
米沢藩の仇討《あだうち》免許状を持った、吉沢まつという十八歳の娘が、駿河藩目付|榊《さかき》半兵衛の役宅を訪れて、
「姉の仇、笹島志摩介と、果し合いをさせて頂きとうございます」
と、申入れたのである。
まつ女の介添として、村木伊兵衛と名乗る三十前後の屈強の武士がついていた。榊半兵衛は、志摩介を呼びだした。
「米沢藩士吉沢柳太郎の娘まつなるもの、その方を姉の仇として、討ちたき旨、申出ているが、覚えがあるか」
「ございます」
まつの姉こと――二重目蓋の、黒目勝ちの、ひっそりと木蔭に咲いた月見草のような娘であった。
ひと頃、夢中に惚れて、思いを遂げて、それきり――捨てた。磯浪の極意を会得した時のことである。あとで、遺書を残して、死んだと聞いた。父は七十を越した老齢、後とりの孫三吉は、頑是ない幼児、それで、妹のまつが仇を討ちにきたのであろう。
「已《や》むを得ぬ事情、仇呼ばわりされるのは、心外でございますが、望みとあれば、いつにても対手致しましょう」
「介添に、村木伊兵衛と云うのがついておる」
「中条流の達者でございます。ことの従兄《いとこ》と聞いております。二人の対手、私の方では、一向にかまいませぬ」
榊の報告を受けた家老三枝伊豆守は、当惑した。米沢藩の正式に発行した仇討免許状を持参して届出た以上、これを認めぬ訳にはゆかない。
と云って、万一、志摩介が討たれてしまえば、既に主君に言上してある、志摩介と大四郎との決戦がみられぬことになる。
「村木如きに討たれる私ではありませぬ、本日即刻果し合いをして、まつ諸共《もろとも》、返り討ちに致します」
と、志摩介は、苦もなく云ってのけたが、まつは問題外としても、かりにも、中条流の使い手という村木が、それほど、簡単に返り討ちにされるとは思わない。志摩介の腕を充分知っていて、助太刀を買って出た男に違いないからである。
三枝と榊とは、相談の結果、まつに対して、
「仇討の儀は聞き届けるが、明日の試合は、既に決定致したること、試合終了後のことにせい」
と、申し渡した。
「試合は真剣を以て行われると承っております。もし、その試合で、笹島が斃《たお》れることがありましたならば、私共多年の苦心は、水の泡となりまする。何卒《なにとぞ》、試合前に、仇討お許し頂きたく――」
まつと村木とが、必死になって嘆願したが、忠長の機嫌を損ねることを、何よりも心配していた三枝は、首を縦にふらなかった。
まつ女と村木伊兵衛とが、志摩介の寝所を襲ったのは、その夜である。
志摩介は、翌日の試合にそなえて、早く床に入っていた。
安かに熟睡するつもりであったのが、ふっと、昼間、三枝と榊とから聞いた吉沢まつのことを思い浮べた。すると、ことのことが想い出された。つづいて、何人かの、自分の剣の修業のいけにえとした女の面影が、つぎつぎに浮かんできた。
彼が、一度ふり捨てた女のことを想い出すことなどは、未だかつて、なかったことである。
――これはいけない。こんなことで、心の平静と、睡眠とを妨げられては。
と、それらの女の面影をふりすてようとしたが、女の顔が、矢車のように、ぐるぐると、目蓋の中に、気味悪いしつこさで、回転している。
――ばかなっと、立上り、頭を冷やすつもりで、雨戸を一枚くった時、庭に、まつと村木とが立っていたのである。
忍び入ろうとした刹那、逆に雨戸をあけられた二人は、少し慌て気味になって、名乗りをあげ、左右から白刃をつらねて、迫った。
志摩介は、つつっと、退いて、部屋にはいる。二人が、それを追って、屋内に飛びこんだ時には、抜き放った脇差《わきざし》を手にした志摩介が、座敷の真只中《まっただなか》に立っていた。
縁側の村木に向って、鋭く叫んだ。
「村木氏、剣が、鴨居《かもい》につかえるぞ」
はっと、一瞬時、村木の気が上に逸《そ》れた刹那、志摩介のからだが、前に飛び、脇差が、村木の胸をつき差していた。
まつの手から、懐剣を奪ったのは、村木のからだが、縁に仰向《あおむ》けにぶったおれる前である。
まつの腕をねじ上げて、床の上にひき据えた。――似ている。姉のことにそっくりだ。少し勝気な眼の色をのければ。
悲憤のうめきを洩らして、なおも、抵抗しようとするまつを、無言のまま、臥床《ふしど》におし倒した志摩介の顔が、野獣の形相に変っていった。
小半刻《こはんとき》後、からだを起した志摩介は、まつの上半身を抱きおこし、その手に懐剣を握らせた。
「まつ、起《た》て、対手になってやろう」
言語に絶する悽愴《せいそう》悲痛な顔容をして身を起したまつは、無惨に乱された裾をかき合せて、よろよろと立上った。
「けだもの!」
と、渇いた唇の中で、うめいて、突きかかったまつを、ただの一刀で袈裟《けさ》がけに斬り倒すと、志摩介は、血汐《ちしお》の匂《にお》いの充満するその寝室で、暁方まで、ぐっすりと昏睡《こんすい》した。
翌朝、眼をさますと、井戸端で冷水をかぶってからだを清め、何も知らずに熟睡していた若党を叩き起して、死体の処理を申し渡し、すがすがしい気持で、平然と、城中に向った。
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九
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寛永六年九月二十四日、午後四時。腥風《せいふう》惨血、一世を驚愕《きょうがく》させた、駿府城内真剣御前試合は、既に、九番まで終り、十一人の試合当事者と、観覧席の三人の女性とが生命を喪っていた。
この時、第十番目の対戦者として、呼び出されたのが、東側成瀬大四郎、西側笹島志摩介である。
呼び出された二人の剣士は、だが、すぐに闘ったのではない。
かねての申合せに従って、試合の前に、成瀬大四郎は、石切りの秘技を見せなければならないのである。
高さ四尺、厚さ三寸の、墓石が、試合場の真中に据えられ、大四郎は、白刃を手にして、その前に立った。
石が――果して、切断されるか。場内幾百の眼は、異常な興味を以て、大四郎の手にした白刃の上に集まっている。
大四郎の石切り事件は、凡ての者が知っていた。「石切り大四郎」と名づけられている以上、石を切り得るにちがいない。そう信じながらも、多くの者は、それを現実に、自分の眼でみるまでは、何か、一抹の不信をのこし、大四郎が、石を切ってみせてくれることを、この年月熱望していたのである。
大四郎は、かつての墓石切り以来、ただの一度も、石を切り得ていない。幾たびかの試みは、凡て失敗し、師の言に従って、石切りの実演は中止してしまったのだ。
が、石の幻が消え失せ、一の太刀の極意伝授を受けてから、
――石は切れる。
と、確信している。
今、現に、藩主以下、多勢の人々の前に立って、石に向っていても、その確信は、微動もしなかった。初め、諸手《もろて》上段に構えて、石の面を、くい入るようにみつめていた大四郎の剣尖が、静かに下ろされて、下段に変った。
そのまま石の根元を指して、凝結したものの如く動かない。
――ああ、どうしたのだ。
――切れぬ、とみたのか。
大四郎びいきの人々が、思わず、掌を握りしめた時、大四郎の下段の剣が、突如、さっと、右肩の上に垂直につき立った。間、髪を容れず、
「ええいッ」
斜左に白光が電光の如く飛んで、左下段に、静止した。
やがて、大四郎は、しずかに剣を眼の前に運んで、刃先を改め、にっこりと笑い、その柄の先で、石の頭を軽く突いた。
石の、左上部が、正三角形をなして、地に転落した。
うわーっと、一斉に上がる喚声の中で、ただ一人冷然と、大四郎の動きを熟視していたのは、志摩介である。
――自分にも切れる。
はっきりと、心の底で、うなずくものがあったのだ。
両断された石が片づけられ、両剣士は、いよいよ、相互の命を狙って、対峙《たいじ》した。
凡ての剣士は、刃を交える前に、精密な計算をする。何が、自分に有利であるか、どの点に、対手の弱点があるかと云うことを。
志摩介は前夜村木を斃し、まつを犯し、まつを斬って以来、自分の精神も、肉体も、至高の極地にあることを確認していた。
対手の大四郎が、妻を犯されて、懊悩し、苦悶《くもん》し、憤怒し、心身を自ら虐《しいた》げ果てたであろうことを推知していた。
更に対手は石切りの一撃に、数名の生ける人間を斃す以上の精気をつかい果たしたに違いないことを察していた。あらゆる点で、自分の方が、確実に有利な状況にあると、判断し得た。
一方、大四郎は志摩介を斃した上、妻の絹江を斬る心を決めていたのである。彼は、結婚以来、その朴訥《ぼくとつ》な魂の凡てをあげて妻を愛し、そのために、嫉妬の地獄にあえいできた、が、絹江が、志摩介のために、汚されたと確実に知った時、自分に残された道は、志摩介を誅殺《ちゅうさつ》して後、妻を斬ること以外にないと感じた。
彼にとって、妻の命を奪うことは、自分の命を奪うよりも辛《つら》いことである。妻の死を考えると、もう、一切の希望、一切の生に対する執着はなくなっていた。
生死を度外視して、ただ、会得した一の太刀の極意を心ゆくまで、憎むべき志摩介の上に叩きつけてやりたい――という想念のみが、彼の闘志を、無限に駆り立てていた。
石を斬り得たことは、彼に、更に大きな自信を与えた。石を斬った時、思わず微笑したのは、この石の如く、志摩介を両断してくれようと思ったからである。
その上、彼は、志摩介が、一の太刀を自ら工夫し、会得しつくしたという事実を知らない。剣の技に於て、自分の方が、確実に、一日の長をもっていると信じている。
かくて、全く違った意味に於てではあるが、ひとしくその半生を剣と女とによって、左右されてきた二人の剣士は、各々《おのおの》、自分が、対手よりも有利な地位にあるものと判定し、必殺の気魄をもって、相対峙したのである。
二本の刃は、みえぬほど微《かす》かに動いて、切先《きっさき》をわずかに交えると、次には、完全に静止した。
たそがれ近い試合場は、そこに多くの人があるとは見えぬほど静まり返って、大気はただ、二本の刃の先に、凝縮したかのようである。
一の太刀には、受ける、外《は》ずす、切返す等の術は一切ない。文字通り一太刀に、大気を切り裂けば、その大気の中心に、切り裂かれた対手の生命があるのだ。
最も酷烈に、最も正確に、対者の生命を奪うべき一の太刀が、二本、東と西とから、今、正に激突しようとしている。
緊張が極限に達し、場内の一隅から、誰からともない呻き声が洩れた時、
「かっ」
磨き上げた金属の摩擦するに似た気合が、二人の剣士の口から同時に、大気を破った。
一の太刀が、同時に、対手に向って、叩きつけられたのだ。
と――大四郎のいかつい顔が、さっと血しぶきをひいて、二尺ほど、水平に飛んだ、飛びながらその顔は、妖《あや》しい勝利の笑いを浮べていた。地上に落ちても、なおその笑いは、鮮血にまみれつつ残っていた。
その異様な顔を見下ろして、志摩介の美しい顔に、会心の笑みが浮んだ。
が、その笑みは、急に激しく歪《ゆが》み、刀が手を離れた。右肩から胸にかけて、堪え難い、激烈な痛みを覚えたのだ。
そして、志摩介が、左手をあげて、肩を押えようとした時、その志摩介の上半身は、切り落された墓石のように、がくりと、地上に転落したのである。
血が、しばし、そのまま、佇立しつづけた下半身の切断面から、噴きあげるように溢《あふ》れ出た。
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無惨卜伝流
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鹿島の巻
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一
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鹿島《かしま》神宮は、常陸《ひたち》国鹿島郡鹿島山に鎮座し、武甕槌《たけみかづち》神を祭る日域無双の社として、経津主《ふつぬし》神を祭る下総《しもうさ》国|香取《かとり》神宮と共に、あまねく知られた神域である。
寛永《かんえい》六年春二月上申日、即《すなわ》ち春日祭の日を明日に控えてこの鹿島神宮の境内の一隅に、紅白の幔幕《まんまく》がはりめぐらされ、道場のあたりに、眼光鋭く、筋骨|逞《たく》ましい剣士たちが、しきりにゆききするのが、見受けられた。
神社の境内に、剣の道場が設けられ、剣士たちがたむろするのは、いささか不穏当なようであるが、この神社については、むしろ、それが、最もふさわしいものとなっていたのである。
何故《なぜ》ならば、京の鞍馬《くらま》八流と並んで、関東七流の発祥地となったものは、ほかならぬこの鹿島神宮の地であり、いわば、近世日本剣法の創始者は、この武神を祭る神宮の神職たちであったのだ。
なかんずく、永正《えいしょう》から大永にかけて剣名一世を圧した卜伝《ぼくでん》塚原《つかはら》新右衛門|高幹《たかもと》は、神宮の祝《はふり》、卜部《うらべ》覚賢《あきかた》の次男、飯篠《いいざさ》長威斎《ちょういさい》に学んで新当流(神道流)を興し、剣聖と謳《うた》われた。
卜伝|歿《ぼっ》して、既に五十余年になるが、この神宮境内に設けられた道場では、今尚《いまなお》、激しい稽古《けいこ》が行われ、毎年二月の春日祭には、全関東の新当流剣士たちが集まって、大野外試合を行うのである。
「どうだ、今年の優勝は――誰《だれ》だと思う」
稽古に一汗かいてきたらしい武士の一人が、道場の外に出てきて、捨石に腰を下ろすと、前からそこにしゃがんで、野外試合場の幔幕の方を眺めていた二人の男に、云《い》った。
「順当にゆけば、去年と同じ、古宇田資道と飯篠|修理亮《しゅりのすけ》が、最後まで、残るだろう。番狂わせがあるとすれば、卜部晴秀と、水谷八弥、まず、この四人の内、誰か一人と云うことは間違いなかろう」
「いや、柏原盛重、日夏重能も、有力な優勝候補者だぞ」
「うむ、やはり、誰の見る眼《め》も同じだのう。去年は、古宇田と飯篠の決戦で、飯篠が危く勝を得たが、今年は、二人の新顔が、大した人気だな」
「卜部殿の子息新太郎晴秀と云うのは、諸国武者修業中、紀州の有馬安信、上野《こうづけ》の深淵|薩摩守《さつまのかみ》、仙台の松林忠左衛門、江戸の関口要介――悉《ことごと》く打ち込んだと云う」
「未《いま》だ若い、と聞いたが」
「そうだ、二十六七らしいな」
「水谷と云うのは、もっと若いと云うではないか」
「評判倒れ、と云うこともある。それに、今年の試合は、例年のとは違う。古宇田、飯篠の両強豪も、必死だ。そうやすやす、若いものに、名をなさしめることもあるまい」
と、話し合っている時、幔幕の彼方《かなた》から、数人の人が、声高に話しながら現われた。
「あ、あれは土子《ひじこ》泥之助《どろのすけ》殿ではないか」
行き逢《あ》う人々に会釈されながら、道場の方にやってくるのは、都会的に洗練された処は微塵《みじん》もないが、それだけに、如何《いか》にも剣一筋に生きてきたと、一目で知れる重厚な感じの六十近い老剣士。
新当流から分れて一羽流を開いた諸岡《もろおか》一羽《いっぱ》が、晩年癩を病んで隠栖《いんせい》した時、最後までつき従っていたのが、この土子泥之助と、岩間《いわま》小熊《おぐま》である。
病める師を棄《す》てて逃亡した根岸《ねぎし》兎角《とかく》を討つため、二人がくじを引き、小熊が当って江戸に乗り込み、大手大橋の上で、兎角と闘い、河中に叩《たた》き込んだのは、周知の話だ。
ところが、その小熊は兎角の門人に謀殺され、一羽流の正統は、土子泥之助によって伝えられたのである。
泥之助は、数年来、この恒例大試合の審判の一人として、招待されていた。
が――今年、彼の来場が期待されたのは、その泥之助が、秘蔵弟子の水谷八弥を、選士として連れてくると云う前触れがあったからである。
「あの、後についているのが、水谷と云うのだな」
「うむ、いかさま、優男ながら、眼のくばり、身の構え、寸分の隙《すき》もないのう」
人々の好奇心の的になっている泥之助と八弥とは、道場の横を通りぬけて、神宮卜部晴家の住む棟に、向う。
土子が来たと聞いて、玄関口まで迎えに出た晴家は、八十に余る老翁。銀髪を、頭上と顎《あご》とになびかして、にこにこ笑いながら、
「やあ土子殿、御苦労じゃ」
と云ったが、その瞳《ひとみ》は、じっと水谷八弥の上に据えられていた。
晴家は、卜伝の甥《おい》に当る。
卜伝の後をついだ養嗣子塚原|彦四郎《ひこしろう》幹秀《もとひで》が天正《てんしょう》十九年に戦死し、その養嗣子|昭親《あきちか》が数年前死んでから、その遺された娘|阿由女《あゆめ》を手許《てもと》にひきとっていた。
この娘に婿《むこ》をとって、塚原の家を嗣《つ》がせ、卜伝の剣の正統を遺すことが、この老翁の最後の仕事として、残されているのである。
座についてから、泥之助は、弟子の八弥を紹介した。
「今年は、例年にまして、大勢集まったようですな」
「されば、駿河《するが》大納言《だいなごん》殿より、例の申入れもござるので、剣士たちの意気込みも、常とは、大分、違うようでしての」
「将軍家指南役が、柳生《やぎゅう》小野《おの》両家に独占されている今日、新当流を再び先師卜伝先生の盛時に戻すことは、この機会をおいては、容易にありますまい。誰彼と云うことではない、新当流を真に代表し得る者を選び出さねばなりませね」
「全くじゃ、卜伝殿が亡くなられて以来五十余年、新当流は、往時のおもかげ全くなし。極意一の太刀を受けた松岡兵庫めが、あろうことか、僅《わず》か百二十石の旗本に甘んじて、柳生の新影、小野の一刀流の前に叩頭《こうとう》しおったのが、無念じゃ。松岡の伜《せがれ》左太夫も、とんと、芽を出さず、小さくなっておるとのこと、意気地のないことじゃな」
卜伝の弟子は、不思議に、悲惨な最期を遂げたものが多い。
秘巻伝授を受けた五人の高弟は、北畠《きたばたけ》具教《とものり》、真壁《まかべ》暗夜軒《あんやけん》道無、斎藤《さいとう》伝鬼《でんき》、諸岡一羽、松岡兵庫助であるが、北畠具教は、部下に裏切られて討死し、諸岡一羽は、業病に悶死《もんし》した。斎藤伝鬼は、同門の真壁道無に暗討ちされて虐殺され、道無は、合戦に敗死した。
一番大人しく、世渡り上手であった松岡兵庫助だけが、徳川|家康《いえやす》にとり入って、旗本の列に加えてもらっただけである。
尤《もっと》も、新当流、新影流、一刀流と、鼎立《ていりつ》して、天下の剣士を三分した新当流が、全く時流からとり残されてしまったのは、ただこれだけの理由ではない。
新影流や一刀流では、その教授の方法を、近代化し、華やかな討太刀の技を体系づけ、修行の段階を分ち、初心者に励みをつける巧妙な方法を案出したのだが、新当流は、昔ながらの神宮剣法、ただ精神力の鍛錬と激烈な稽古とによる自得の途《みち》を要求したので、時代が平和になると共に、若い連中から、そっぽを向かれてしまったのである。
「新影流などは、邪道だ、あんなことでは実戦には役に立たぬ」
と云って、ふくろ竹刀《しない》を用いることさえせず、木太刀による型の稽古を、頑固に守っていたし、
「一刀流が、小太刀から指南免状まで、伝授を八段にも分つ如《ごと》きは、児戯に類する、伝授は、ただ一つ、極意を得たる時になせばよい」
と、古式をくずさなかったので、初心の者は、自分の進境を示す標準を与えられぬ気がし、何となく、物足りない思いをして、他流に去っていった。
凋落《ちょうらく》の新当流に訪れた今度のチャンスと云うのは、将軍|家光《いえみつ》の弟駿河大納言|忠長《ただなが》が、広く各流の剣士を集め、その中から、正式の指南役を選ぶ旨を公表したことである。新当流の代表者が、もしこの選に当れば新当流は駿河藩の公式の流儀となる。
そして、世間の一部で、ひそかに期待しているように、忠長が、家光に代って、将軍職につくようなことがあれば、その時こそ、新影流、一刀流を、物の見事に、その王座から叩き落してやることが、出来るのだ。
新当流の流れを汲《く》む剣士たちが、今年の大試合に、異常な期待をもったのは、この試合の優勝者が、晴れの選士として、駿河大納言家に推薦されることになっているからであった。
広く新当流と云われているのも、この時には、いくつかに分れていた。
流祖飯篠長威斎の直系の苗孫、修理亮盛長は、天真正伝神刀流と云う古名を伝えていたし、長威斎の弟子松本|備前守《びぜんのかみ》政信の流れをくむ有馬|大和守《やまとのかみ》の系統は、有馬流を、同じ政信の弟子古宇田不門斎の一家は、香取神刀流を称していた。
長威斎から塚原|土佐守《とさのかみ》へ、更にその養嗣子卜伝に伝えられた嫡統は、卜伝の死後、卜伝流と云われ、卜伝の弟子諸岡一羽は一羽流を、斎藤伝鬼は、天流を開いた。
今、この鹿島の大試合に集まった新当流各派の代表をみると、
天神正伝神刀流は、飯篠修理亮盛長 三十七歳
有馬流は、柏原篠兵衛盛重 三十二歳
香取神刀流は、古宇田六左衛門資道 三十三歳
一羽流は、水谷八弥光信 二十五歳
卜伝流は、卜部新太郎晴秀 二十六歳
天流は、日夏喜左衛門重能 二十八歳
となっている。
果して、この中の誰が、栄誉の優勝者となるか、下馬評は試合を明日に控えて、活発に展開されていた。
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二
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「阿由女《あゆめ》さま、阿由女さま」
無邪気な明るい声で、呼びかけたのは、卜部晴家の孫娘、加世《かよ》。
「どうなさったのです、お加世さま、嬉《うれ》しそうな顔をなさって――」
呼びかけられた阿由女は、泉水のほとりに立止って、小走りに追いかけてくる加世の顔をふりかえった。
水のほとりに、たった一本咲いた水仙のように、すっきりと優しい姿である。
早春の陽《ひ》を受けた耳たぶが、うっすらと、血をすかして、花びらよりもあでやかに、それを覆うように垂れている黒髪が、しっとりと重た気である。
莟《つぼみ》の開いたばかりの美しい相貌《そうぼう》に、どこか一脈、かげのようなものが仄《ほの》みえるのは、早く父母に別れて、縁者の許に引取られている、その境遇のためであろう。
「阿由女さま、今、あたし、水谷八弥さまと云うのを、みてきましたの」
「水谷さま? ああ、あの土子の小父《おじ》さまの秘蔵弟子とか云う方でしょう」
「ええ、とても素晴らしい方、まだお若くて、美しくて、凜《りん》として、まるで、絵に描いたような方ですよ」
「そう? でも、加世さまは、昨日、日夏垂能さまが見えた時も、そう云ってらしたじゃありませんか」
「あら、そうでしたかしら。ほほほ、でもねえ、水谷さまは、本当に、凄《すご》いぐらい綺麗《きれい》な方ですよ。今、お祖父《じい》さまと、広間で話していらっしゃるの。阿由女さま、ちょっと、行ってみていらっしゃらない」
「まあ、そんな! 失礼に当るじゃありませんか。それより、新太郎さまは、まだ、お帰りにならないのかしら」
試合を前に、塚原村にある流祖卜伝の墓に詣《もう》でてくると云って、朝早く出ていったのである。
「阿由女さまは、やっぱり、新太郎叔父さまが、お好きなのね」
「まあ、――そんなこと」
ぽっと、頬《ほお》が、染まった。
「阿由女さまは、大変ね」
「なぜですの」
「だって、新太郎叔父さまも、古宇田さまも、修理亮さまも、みんな、阿由女さまに夢中なんですもの」
「嘘《うそ》。古宇田さまなど、もう――おっつけ四十になる方じゃありませんか」
「でも、阿由女さまを貰《もら》いたくて、まだ独りでいらっしゃるのでしょう。昨年、この試合で優勝したので、お祖父さまに申込んで、齢《とし》が違いすぎるからと断られた時、がっかりして、二貫目位お痩《や》せになったそうですよ。まだ諦《あきら》めてはいらっしゃらないのでしょう。一昨日、ここにきて、阿由女さまのお顔を見た時の目付きといったらなかったわ」
「お加世さま、もう、いや、そんな話」
「お年寄りのお話がおいやなら、若い方の話をしましょう。日夏さまは、昨日初めて、阿由女さまにお会いしたんですのに、もう、どうやら――ほほほ、今朝は、あたしに、ずい分熱心に、阿由女さまの事を尋ねていらっしゃいましたよ」
「何も、おっしゃらないで下さいな」
「何も云いはしません、ええ、新太郎さまのことなど、一言も云いはしません、御安心なさいませ」
どうも、この年下の、少々おませの、舌のよく廻転《かいてん》する娘は、阿由女の手に負えそうもない。
苦笑して、水際に、しゃがみこんで、
「あれ、鯉《こい》が――」
と、話を逸《そ》らせようとしたが、加世には、鯉よりも、恋の話の方が、ずんと、面白いらしい。
「ねえ、阿由女さま、あとで、きっとお祖父さまは、水谷さまにお引き合せになります。すると、水谷さまも阿由女さまが、好きになってしまいますよ」
「何を云ってらっしゃるのです。初めて、お会いする方のことを――」
「だって本当なんですもの、阿由女さまに会う男の人は、皆、どうやら、変になってしまうんですもの、ちょっと、にくらしくなるぐらいですわ」
これは、真実であった。
ただ、美しいと云うだけではない。何か、奇妙に、男を魅する何ものかが、この阿由女の瞳の中にあるらしいのだ。
しかも、それは、塚原家代々の娘に、伝統的に具《そなわ》ったもののように思われる。
塚原家――同じ鹿島郡塚原村を、代々領する旧家で、土佐守を称しているが、不思議にこの家には、男子が育たなかった。生れでも、皆早世した。
その代り、素晴らしい美女が生れた。
家系は、この美女に恋着した、多くの若い男たちの中の一人が選ばれて、養嗣となることによって、保たれてきたのである。
現に、卜伝は、卜部家に生れたが、塚原土佐守|安幹《やすもと》の娘、妙《たえ》に恋着し、兄の安孝と激烈な競争の結果、これに勝って、妙の婿となった。
卜伝もまた、男子を持たなかった。美貌の独り娘、千世《ちよ》を持った。
卜伝の養嗣子彦四郎幹秀は、二人の相弟子を却《しりぞ》けて、漸《ようや》くにして千世を獲得した男である。
そして、幹秀の独り娘|小枝《さえ》も亦《また》、彼女に恋した多くの若者の中から、平|昭親《あきちか》を選んで、婿とした。阿由女は、昭親と小枝の一粒種なのである。
この阿由女の婿は、まだ決っていない。
阿由女を獲得するものは、同時に、塚原家をついで、卜伝の嫡流となる訳である。
新当流各派の中、最も喧伝《けんでん》され、最も栄光を担っている卜伝流の正系を嗣ぐことは、新当流の若い剣士たちの憧憬《どうけい》の的である。
まして、それが、稀有《けう》の美女阿由女を妻とする幸福までも、随伴するものであるならば、彼らが、夢中になるのも当然である。
多くの剣士たちが、阿由女を求めて、名乗りを挙げたが、卜部晴家は首を縦にふらなかった。
武者修業に出ている彼の次子、新太郎晴秀のことが、彼の胸中にあった為であることは云う迄《まで》もない。
新太郎は、戻ってきた。
今は、彼が、今度の大試合で、卜伝流嫡統を嗣ぐにふさわしい腕をみせてくれればいいのである。
必ずしも、優勝は、期待していない。何と云っても、まだ若いのだ。古宇田、飯篠、柏原の強豪に、そう容易に勝てるとは思わぬ。
ただ、未来を嘱目《しょくもく》するに足るだけの成績を示してくれればよい。
万一、幸に優勝し、更に駿河大納言の許での試合にも勝って、大納言家の師範ともなることがあれば、望外の悦《よろこ》びである。
師であり、叔父である卜伝の霊も、それを、どんなに悦んでくれることだろう。
八十を超えて、まだ矍鑠《かくしゃく》としてはいるものの、余生のみえている晴家は、このように考えて、この大試合を、心楽しみにしているのであった。
「阿由女さま」
しばらく、その廻転に小休止を与えていた加世の舌が、またちょろちょろ動きはじめた。
「今度の試合は、どうやら、阿由女さまを奪い合う試合になりそうだと、皆が噂《うわさ》しております」
「まあ、いやなこと」
阿由女は、眉《まゆ》をひそめた。
「あら、お怒りになったんですの」
と、顔を覗《のぞ》き込もうとした加世が、急に、どきりとしたように、両|袖《そで》で、胸を抑えた。
「阿由女さま」
と、声が小さく、震えている。
「え、どうなさったの」
「あれ、あそこへ――水谷さまが」
築山《つきやま》の彼方に「お庭拝見」と云う形の、八弥が、あたりを見廻《みまわ》しつつ、歩いてくるのが見えた。
「こちらへ、きます」
「あたし、座敷へ戻ります」
と、立ちかかる腕をぐいと引張って、
「ま、ここにいらっしゃって」
と、加世はそ知らぬ顔で、池の中を覗き込むふりをしている。
「あ、これは――」
二人の頭上で、声がして、若い男の顔が水の面に映った。
「あらっ」
と、初めて気がついたように、顔をあげたのは、むろん、加世である。
「失礼致しました。これは――」
八弥は、そう云ったが、別に立去る様子もない。
じっと、眼を据えて、二人の娘――と云うよりも、阿由女を見つめた。
「水谷さまでしょう」
加世が、眼を笑わせて、云うと、
「はあ、水谷八弥です」
「あたしは加世」
「あ、卜部殿の」
「ええ、こちらは、阿由女さま」
「存じております」
「え?」
「よく、存じて居ります。亡き塚原殿の御息女、阿由女どの」
一語、一語に、力をこめて、云う。
「私、初めて、お目にかかりまするが」
と、阿由女は、視線を逸らせた。
「はあ、その通りです、でも、私は、よく存じているのです」
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三
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「ほほほ、阿由女さま、あたし、ちょっと失礼致します」
おしゃまの加世は、阿由女を困らせてやるのが面白いのであろう。そう云うなり、ばたばたと走り去ってしまった。
「あ、お加世さま、私も――」
と、阿由女が、急いで、後を追おうとするのを、八弥が、遮った。
「阿由女どの」
「はあ」
「漸く、お会いできました」
正面から、女の顔を、しつこく見詰める。
これほどの美女に、こんな態度をとれるのは、この男、余程、自分の容貌に、自信をもっているからに違いない。
「…………」
どう云う意味かと、阿由女は、顔を上げて、初めて、はっきりと、男を見た。
「阿由女どの、あなたは、私を今、初めて御覧になったでしょう。しかし、私は、あなたを、何度も、見たのです」
「は?」
「初めて、おみかけしたのは、昨年の秋の大祭の時、香取の社で――あなたは、晴家殿と御一緒でした。そうでしょう」
「はい」
「次は、この正月の拝賀式のあと、この社の拝殿の前で、あなたは、新太郎晴秀殿と、話しておられた」
「…………」
廻国修行から戻った許《ばか》りの新太郎と、どんな話をしていた時か、もしや、聞かれたのではないかと、阿由女は、胸を騒がせた。
「羨《うらや》ましいと思いました。あなたのような美しい方と、親し気に話しておられる新太郎殿を」
――いやなことを云うひと、
と、阿由女は、横を向いた。
「三度目は、つい、十日程前、あなたが、たった独りで、社の門のところに佇《たたず》んでおられた時、――お独りの姿をみて、嬉しくは思いましたが、何やら、ひどく、淋《さび》しそうでした。私は、すぐにも駈《か》けよって、話しかけたかった。今の、加世どのが、出てこられなかったら、私はきっと、そうしたに違いありません」
思わせぶりに、言葉を、ちょっと切った。
「あの時、私は、他《ほか》に用事があったのではありません。あなたの事が、どうしても忘れられず、もしかしたら、一目でもと思って、この辺りに、ふらふらと、引きよせられて来たのです。そして、運よく、あなたお独りのところを、見ることができたのです」
先方は知らぬこと、こちらは初対面である。その対手《あいて》に、こうしたことを、ぬけぬけと云い寄る八弥と云う若い男に、阿由女は、少なからず、驚かされた。
しかし、思いがけぬ人から、思いもよらぬ仕方で、恋を打明けられた経験は、何度かある。
その最初は、自分では、伯父か父のように思っていた飯篠修理亮に、突然、愛情を打ち明けられた時である。
初めは、何を云われているのか、充分に理解できなかった。次には、からかっているのだと、思おうとした。遂《つい》には、怖《おそ》ろしくなって、涙が出た。
「阿由女、わしは、そなたの父御昭親どのと、莫逆《ばくぎゃく》の交りを結んだ仲だ。そなたは、赤児の頃《ころ》から知っている。娘のように思ったそなたに、この齢になって、このような事を云うのは恥かしい。だが、どうにもならぬのだ。そなたの事を想《おも》うと、わしは、からだ中が、炎のように燃える。ならぬ、ならぬ、諦めよ、忘れよ、えい、愚か者め! と力の限り、われと我身を叱《しか》ってみたが、どうにもならぬのだ。この数年来、まこと夢寝にも、そなたのことを忘れたことはない。なあ、阿由女、わしの心を、憐《あわ》れと思うてくれ、頼む、阿由女」
天神正伝神刀流の伝統を守る年配の優れた剣士として、亡き父に代る人として、尊敬していた当の対手から、このような、打明話をされて、何と答えてよいであろう。
「あの卜部のお祖父さまに――」
と、辛うじて、云い逃れたが、三日ほどは、夢に、うなされた。修理亮の、鬚《ひげ》の、濃い顔が、牙《きば》をむいて、襲いかかってくるような夢であった。
幸いに、卜部晴家が、拒んでくれた。
が、対手は、まだ、執拗《しつよう》に、思い込んでいるらしい。
次には、古宇田六左衛門。
これは神職の家柄だ。
大宮司鹿島氏の四家老の一人として、卜部家とは、職務の上でも、剣の上でも、代々の親しい仲。
かねてから、しつこい眼つきを、阿由女の身に投げていたのだが、それに気のつかなかっただけ。
傍理亮が申込んで、拒まれたと聞くと、直ちに、阿由女を口説きにかかった。それ迄は、自分の年齢に遠慮していたのだが、自分より年長の修理亮が、口説いたのなら、自分も敢《あ》えて、遠慮はいらぬと考えたらしい。
「阿由女どの、神領千八百八十八町五段余を数えたのは、昔の夢、今は、幕府の朱印領わずかに二千石。この神社の大世帯の内輪は、火の車だ。だが、私の家だけは、先祖代々、利殖の途を考えておったので、金も貯《た》めているし、隠し田も下総《しもうさ》の方にもっている。私の家に来てくれれば、一生何一つ不自由はさせぬ」
と、これは、話がひどく現実的で、若い娘の夢を誘うには、全く不向きだった。
阿由女は、もともと、この男は、虫が好かなかったし、両親が死んで沈淪《ちんりん》している塚原の家を見縊《みくび》ったような云い方に、驚きよりも、軽い憤りさえ感じた。
「古宇田さま、あなたは、鹿島家の当主として、香取神刀流のお家を守らねばならぬおからだ。私は、塚原家をつがねばならぬ独り娘。お話しのようなことは出来ませぬ」
「なに、塚原家は、私とそなたの間に生まれた子に嗣がせればよい。私が、できるだけの事をして、立派に塚原家を立てて上げる」
「塚原家は不束《ふつつか》ながら、私が立てて参ります。御心配なく」
と、きっぱり云い切った。
こうした厭《いや》な思いを、何度したことか。
いつも、恋を囁《ささや》かれる度に、驚き、当惑し、或《ある》いは憤り、或いは哀《かな》しくなって、逃げた。
ただ独り――驚きはしたが、恥かしく、切なく、嬉しく――逃げるかわりに、そっと、対手の胸に、ほてった頬を寄せたひとがいる。
――新太郎さま。
その時のことを、胸の底に想い浮べて、きっと、顔を上げた阿由女が、
「水谷さま、明日は、晴れの大試合でございます。つまらぬことをおっしゃらずに、試合のことを真剣に、お考えなさいませ」
と、取りつく島のないほど、冷然と云ったつもりだったが、八弥の方は、その彫りの深い、秀麗な相貌の、異常なきびしい美しさに、却《かえ》って、茫然《ぼうぜん》と、見とれた。
――これは、今迄に口説いた、どの女とも違う。すばらしい宝玉だ。
と、八弥の胸は、この時、初めて、底の方まで、大きく揺すぶられた。
「阿由女どの、試合が、そんなに大切ですか」
「云う迄もないことではござりませぬか、新当流の興廃を決する大事な秋《とき》――と、皆さまが、申しております」
「ははは、そうです、その通りです。だが、私には、新当流の興廃よりも、あなたの心を獲るか否かの方が大切なのです」
「水谷さま、何と云うことをおっしゃるのです」
「よろしい、阿由女どの、あなたが、それほどに、云われるなら、明日の試合に、私は全力を尽しましょう。その代り、私が試合に優勝したら、あなたは、承知してくれますか」
「そんな――私は、塚原の家を――」
「分っております。しかし私が優勝したら、私があなたの婿になって、塚原家を再興する事に、誰も反対はしないでしょう。私は、土子先生の弟子ですが、一羽流には何の未練もありません。悦んで、あなたと共に、卜伝流を守りましょう」
――何と云う、おしつけがましい人だろう。誰がこんなひとに――
阿由女が、沈黙をつづけているのを、承諾と解したのか、八弥は、いきなり、阿由女の手を握ろうとした。
「いけません、何をなさるのです」
ぱっと、突き放して、走り出した。
八弥が、しつこく、それを追おうとした時、遥《はる》かに道場の方で、
「うわあッ」
「大変だ!」
「日夏氏が!」
「誰か、早く!」
と、騒然たる人々の声。
あちらからも、こちらからも、人が走り出してゆく。
「阿由女どの、御免、明日のこと、お忘れあるな」
人目につくとみて、八弥も、走り出した。
道場の西側に、多勢の人が、群がって、罵《ののし》り騒いでいる。
「どうしたのです」
八弥は、人々を押し分けて、中に進んだ。
道場の羽目板に頭をぶつけるようにして、明日の有力な優勝候補日夏喜左衛門重能が死んでいた。
背後から、一太刀浴びせられたらしい。
肩から、背にかけて、衣が斬《き》り裂かれ、血が、背中一面をひたし、地上に流れていた。
鼻をつく生々しい匂《にお》いが、くれ方近い春の日射《ひざ》しの中に、毒々しい秘密と、殺気とを、漲《みなぎ》らしている。
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四
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卜部新太郎晴秀は、流祖であり、大叔父である卜伝とその妻の墓石の前に跪《ひざまず》いていた。
宝剣高珍居士
仁甫妙宥大姉
生前から睦《むつま》じかった夫妻は、死後も、より添って、並んでいる。
無双の剣聖であったと共に、優しい夫であった卜伝と、絶世の美貌であると共に貞節な妻であった妙女との生涯を、若い新太郎は、尊いものとして、憧憬《あこが》れていた。
阿由女と、このような睦び合いをもち――このような、優れた剣の人となりたい、と云うのが、この青年の、永年の夢である。
恭々《うやうや》しく冥福《めいふく》を祈ると共に、明日の試合の勝利を祈願した。
しばらくして立った新太郎の瞳は、すがすがしく、澄んでいる。
雑念を去って、全エネルギーを、一つの太刀に結晶すること――試合を前に残されていることは、もはや、ただ、それだけである。
今朝から、殊更に、いとしい阿由女に会うことを避けたのも、この人里離れた卜伝の墓に詣でたのも、多くの剣士の眼に取り巻かれた恋人をみることによって起るであろう心の動揺を怖れたからに他《ほか》ならない。
――勝つぞ、必ず、勝つぞ、
全身にあふれ、みなぎる、若さと、活力とを感じて、新太郎は、力強く、腕をふった。
丘を降りて、樹《き》につないでおいた馬に打ち跨《またが》った。
静かに、馬首を、鹿島ノ社《やしろ》の方に向ける。
陽の傾きかけた野路の、やや冷たくなってきた風の中を、往く。
雑念は、一切、ふり捨てたつもりであったが、やはり、頭の中を去来するものは、明日の試合のことだった。
――もう、剣士たちは、みんな揃《そろ》っているだろう。飯篠の小父も、古宇田の資道殿も。
――土子先生のしきりに推賞しているという水谷八弥も、来ているだろう、どんな男かな、どれほどの腕かな。
――柏原と云うのは、紀州で試合した有馬安信の兄貴分とか聞いたが、安信との試合は、随分、苦戦だった。
――そして、天流の日夏、これも、なかなか、手強い。
――誰とぶつかることになるかな、飯篠の小父や、古宇田殿と試合うことになると、少々まずい。二人とも、阿由女のことを、想い込んでいるらしいからなあ――いや、しかし、試合の場に臨んだら、阿由女のことは、すっかり忘れて、ただ、剣と剣、純一無雑、渾身《こんしん》の技をつくすだけだ。
そんなことを思いつづけながらも、馬をやっていた新太郎が、突然、ガバと、馬のたて髪の間に顔を伏せた。
鋭い矢が、うなじを掠《かす》めて、地上につき刺さった。
矢――と、知って、避けたのではない。ただ、空気をつんざいて、飛来する、何ものかを感じた剣士の本能的な動作である。
つづいて、飛来した第二の矢は、転瞬の間に抜き放っていた刀で、叩き落した。
そのまま、身を低く馬上に伏せ、馬腹を蹴《け》って、新太郎は、必死の疾走を試みた。
矢の発せられた方向を見定め、そこに向って反撃態勢をとる暇はなかったのだ。
いや、その暇があったとしても、新太郎は、それを、しなかったに違いない。
危険から脱れる最良の途は、危険に立ち向うことではなく、それから遠ざかることだ、と、祖師卜伝は、繰返し、教えている。
行手につながれた悍馬《かんば》をみて、わざわざ、遠回りしてまで、危険を避けたほど、卜伝は、憤重な謙虚な、剣士である。
剣は、人を攻撃する為《ため》ではなく、わが身を守るためのもの、危険は出来るだけ避けて、万|已《や》むを得ぬとき、自衛の為に加える、最後の一撃――これが、卜伝流一の太刀の本質なのだ。
新太郎は、ひた走りに、馬を走らせた。
その、刻々に遠ざかってゆく、馬上の姿を見送って、いまいまし気に、
「ちっ、とり逃した」
と、舌打ちした男がある。
路《みち》の東側の、小高い丘の樹間に馬をつなぎ、弓と矢とを手にした、三十三四歳の武士であった。
番《つが》えた第三の矢が、もう、とても届かぬとみて、弦《つる》から外し、もう一度、憎々し気に舌打ちした時、
「六左衛門!」
と、はげしい怒気を含めた声が、その背中に向って、叩きつけられた。
「む――修理亮!」
ぱっと、身を翻した古宇田六左衛門の顔色が、さっと変り、苦悶《くもん》と、憤怒と、屈辱とが、その眼と口と鼻とを、極度に醜く混乱させた。
――思わぬ処を、みつけられた、それも、他ならぬ飯篠修理亮めに。
六左衛門の額に、汗が、滲《にじ》み出た。
だが――そのからだは、凝結したように、佇立《ちょりつ》している。
彼は、右手に矢を、左手に弓を持っているのに対して、修理亮は、右手を、腰の刀の柄《つか》にかけているのだ。
――下手に動けば、斬られる。
その惧《おそ》れが、六左衛門を身動きさせないのである。
「卑怯《ひきょう》ぞ、六左衛門!」
修理亮が、憎悪と侮蔑《ぶべつ》に満ちた声を、浴びせかけた。
「剣士としてあるまじきこと、お主は、そこまで堕落しおったか」
六左衛門は、答えない。
いや、答えられないのだ。
弁解の余地のない、卑怯な、暗討ちの現場を、つかまれたのである。
「お主とは、永いつき合いだが、よもや、こんな事をするとは思わなかった。昼からの、お主の挙動がいささか腑《ふ》に落ちぬので、そっと、後をつけてきたのだが、情けない仕儀を見たものだ」
刀にかけた手をゆるめずに、修理亮は、つづけた。
「お主が、阿由女に恋着している事は知っている。その阿由女が、新太郎に気を惹《ひ》かれていることも明かだ。わしとても、新太郎がおらねば――もしかして、阿由女が、自分のものになるかも知れぬと、考えることが、ないではない。しかし、六左衛門、思ってもみい、新太郎の父昭親は、おれとお主の兄弟弟子、新太郎は、幼い頃から、おれを叔父、お主を兄ともしたってくれた若者だ。それを、遠矢にかけて、殺そうとは――」
声が、一段鋭く、悲痛な調子さえ帯びてきた。
「六左衛門、阿由女を、新太郎と争うつもりなら、何故、正々堂々と、剣にかけて、争わぬかッ」
「許せ!」
六左衛門が、頭を垂れ、左手の弓を、投げ出して、呻《うめ》いた。
「許してくれ、修理亮、おれの心に、悪魔が飛び込んだのだ。恥かしいことだ、許してくれ」
額の汗を拭《ぬぐ》いつつ、苦し気に云う六左衛門の姿に、修理亮の憤怒が、やや、鉾先《ほこきき》をにぶらせた。
「おれが、許す、許さぬと云える事ではない。お主が、自分の心に愧《は》じるほかはないことだ。六左衛門、お主も、二度と、こんなことはすまい。おれは、今のことは、見なかった事にする。剣士らしく、立派に、新太郎と、闘ってくれ」
「いや」
六左衛門は、全く打ちひしがれた様子で、答えた。
「おれは、もう、新太郎と闘う資格はない。明日の試合に出る資格もない。明日の試合には、休場する」
「それほどにまでするには及ばぬ、懺悔《ざんげ》の心を浄《きよ》めて、堂々と闘え」
「だめだ、おれの、腐れ切った根性には、我ながら愛想がつきた。二度と剣は握らぬ。修理亮、これが、新太郎に対する、せめてもの、わしの謝罪の心だ」
「そうか、六左衛門、そこまで慚愧《ざんき》しているお主をみて、おれも、嬉しい」
少年時代からの友が、罪の自覚に、悄然《しょうぜん》とうなだれているのをみて、修理亮の心は、重く、暗く、そして、何やら、荒涼たる想いが、胸の底から滲み出てきた。
柄にかけた手を離し、哀し気に、眼をしばたたいて、歩み出そうとした。
その、毫秒《ごうびょう》の、心のゆるみに――六左衛門は、飛びかかったのだ。
右手に、握りしめられていた矢が、豹《ひょう》の牙の如く、修理亮の脇腹《わきばら》をえぐった。
「六左――うぬッ」
刃を、三寸ばかり抜いたまま、修理亮は、枯草の上に崩れた。
すかさず、矢をひき抜いた六左衛門が、致命の一撃を、修理亮の首に与えた。
打根術――手突矢とも云う。矢を利用して、手裏剣にも鎧通《よろいどお》しにも使うのが香取神刀流なのだ。元来、新当流は、柳生以後の新剣法と違って、ただ剣のみでなく、槍《やり》も、弓も、柔術も、打根も、同じように、究める戦国剣法の古風を保っている。
六左衛門は、己の打根術に、会心の笑を洩《も》らして、突き立った。
つっ伏して、息絶えている、竹馬の友を見下ろした、その面上からは、ついさっき迄、溢《あふ》れるように現われていた悔恨も、苦悶も、跡かたもなく、消えていたのである。
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五
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新太郎が、神宮に戻った時には、既に、陽はすっかり落ちて、社殿に、灯がともっていた。
境内の建物には、四方から集まった剣士たちが、充満していた。
明日に備えて、早々と、割|宛《あ》てられた部屋に引っ込んでしまっている者もあるし、大部屋で、談論風発している連中もあるし、亢奮《こうふん》をもて余して、うすら寒い庭に出て、焚火《たきび》をたき、しきりに強がっているものもある。
新太郎は、自分の遭遇した事件を何人《なんぴと》にも、語らなかった。
――対手が、誰とも知れないことだ、余計な動揺を惹《ひ》き起してはいけない。
と、途々も考えてきたからであるが、その新太郎が、帰ってきて、先《ま》ず、耳にしたのは、日夏喜左衛門の、奇怪な横死事件であった。
父の晴家は、新太郎の質問に対して、白い眉をひそめ、首を振っただけである。
晴れの祭典を控えて、未だかつてない不祥事件に、彼の老いた心が、ひどく痛んでいる様子は、明らかであった。
父の許を引退った新太郎は、兄の晴次の許にいった。
「日夏殿殺害の犯人は、見当がつかないのですか」
「うむ、全然分らないのだ」
「日夏殿ほどの人を、ただ、一太刀に斬り斃《たお》せるものは、そう、沢山はいないでしょう」
「いや、正式に剣を合せれば、その通りだが、日夏殿は、背後から抜打ちにやられたらしい」
「それにしても、一太刀も斬り合せもせずに、やみやみ、討たれる人ではない筈《はず》ですが」
「恐らく、犯人は、日夏殿と、よく知り合った男なのだろう。全く警戒心を持たずにいた日夏殿が、背を向けた瞬間を狙《ねら》ってやったらしい、斬り口は、見事なものだった。一通りの腕ではない」
そこ迄は分っても、さて、誰と云って、疑える対手はいないのである。
――自分の矢を射かけられたことと何か、関連があるのだろうか。
新太郎は、何か不吉なものが、境内一杯に拡《ひろ》がっているような、重苦しい、不快感を抱いて、長い廊下を、自分の部屋に下っていった。
「新太郎叔父さま」
と、呼ぶ声がした。
兄晴次の娘、加世である。叔父――と呼ばれると、少々くすぐったい思いのする、若い叔父だ。
「おお、加世か、まだ、休まなかったのかい」
「あら、まだ、早いじゃありませんか。それよりね、叔父さま、大変なことがあったの御|存知《ぞんじ》?」
「日夏殿のことだろう」
「ええ、みんな、あの話でもちきりよ、それにね、阿由女さまが、ひどく心配して」
「阿由女が――何を、心配しているのだ」
「いやな叔父さま、阿由女さまが心配していると云えば、叔父さまの事に、決っているじゃありませんか」
「ばかな――何も心配する理由はありはしない」
「理由なんかなくたって、あんな事があると、心配になるものなのです。叔父さまは、若い女の心が、まるで、お分りにならないのね」
「そうかな、済まぬ」
「詫《あや》まらなくってもいいのです。でも、ちょっとだけ、阿由女さまに会ってお上げなさいな、あたしのお部屋にいます」
「いや、今日は――よそう」
「なぜですの」
「なぜ、でも」
「いや。阿由女さまが、可哀《かわい》そうですわ、ちょっと、いらっして」
「夜分に、それは――困る」
若い叔父と姪《めい》とが、こんな、たあいのない会話をとり交わしている時、その場から、二十間とは距《へだ》たらぬ一部屋で、恐るべき事件が、誰にも知られずに、進行していたのである。
その部屋にいたのは、二人の、若い男であった。
一人は、既に、登場した美剣士水谷八弥。
他の一人は、有馬流の代表者、柏原篠兵衛。
がっしりした体骼《たいかく》の、色の浅黒い、頬骨の、やや張った、名声欲の強そうな、三十男である。
「おれは、約束を果したのだ、貴公の方は、どうするつもりだ」
篠兵衛が、不機嫌に云う。
「新太郎は、朝から、どこかへ出掛けてしまって、いなかったのだから、已むを得ぬ。しかし、まだ、明日の試合まで、充分に時間がある。大丈夫、委《まか》せておいて貰いたい」
「あれは、凄《すご》いぞ、紀州で、有馬安信を破っているのだ」
「ふふ」
「自信があるのか、あまり、うぬぼれぬ方がよい」
「腕は、互角だろう。だが、頭は、おれの方が良いだろうな。用うるに策を以《もっ》てすれば――心配しなくてもいい、何も、あいつを殺《や》らなくても、兎《と》に角《かく》、明日の試合に出さねばよいのだ」
「そんな事が、出来るか」
「出来る――つもりだ」
どこで知り合い、どこで話し合ったものか、この二人の間には、相互|扶助《ふじょ》の密謀が、成立していた。
密謀の目的は、卜伝流嫡統の地位と阿由女。
本来、不可分離の、この二つを、二人で、分け合おうと云うのである。
阿由女を望んだのは、勿論《もちろん》、水谷八弥だ。
女に自信のない篠兵衛は、卜伝の正統を嗣ぐ名誉の方を選んだ。
新当流各派を代表する六人の優勝候補者の中、飯篠修理亮と古宇田六左衛門の二人は、競争者のリストから除いた。
この二人は、既に、今迄、数年に亘《わた》って、殆《ほとん》ど、交代に優勝していながら、どちらも、阿由女を獲得することが出来ず、従って、卜伝流の正式の後継者となっていない。
たとえ、今年、このどちらかが、優勝したとしても、同じことであろう。
残る競争者は、卜部新太郎と、日夏喜左衛門である。
試合の前に、この二人を殺《や》っつけてしまうか、少くも、試合に出られぬ程度に、傷をつけてしまえば、あとは、自分たち――篠兵衛と八弥の二人だけだ。
二人が、決勝戦で、相討ちとなって、各々《おのおの》、美女と流名とを別々に要求しよう――と、妥協したのである。
篠兵衛は、相識の日夏喜左衛門を、殺すことを引受けた。
道場の裏手に誘い出して、並んで立った時、篠兵衛が、喜左衛門の左側にいた。
左から、右側にいる対象を斬るのは便利だが、右から、左側にいる者を斬ることは容易に出来ない。
その位置のまま、しばらく雑談を交わしていたが、突然、篠兵衛が、
「見ろ、あそこに、新太郎と阿由女とが、寄り添っている」
と、右手二十間ほど先の、樹の茂みを、指さした。
「えっ、どこに――」
「あの椎《しい》の大木の蔭《かげ》だ」
喜左衛門が、半身を左に向けて、そちらに注意を向けた刹那《せつな》、篠兵衛の刀が、銀色に閃《ひらめ》いたのである。
声も立て得ず、地上に倒れ、土を掴《つか》んで、五六寸|這《は》った喜左衛門の息が、完全に絶えたことを見届けて、篠兵衛は、刃を拭い、素知らぬ顔で、その場を去った。
夕餉《ゆうげ》時の忙しさに、誰一人、しばらくは気付くものはなかった。
それから、部屋に引込んで、一歩も外に出ず、今や、新太郎を、早く、何とかしろ――と、八弥に、催促しているのだ。
「それにしても、貴公の一太刀、見事だった」
八弥が、対手の機嫌をとるように云った。
「背後からだ、あまり、自慢にもならぬ」
篠兵衛が、少し、照れた。
「いや。そうではない。日夏ほどの男を――誰にでも出来ることではない」
八弥は、持ってきていた包みを、持ち出して、
「まあ、新太郎のことは、委せておいてくれ。前祝いに、少々、口をしめらせようと思うて、師匠の酒を、持ってきた」
「土子殿は、大変な酒好きだそうだな」
これも、嫌いな方ではない篠兵衛だ。
「うむ、それだけに、吟味してある」
「明日の今日だ、あまり飲まぬ方が、よいな」
「なに、貴公と、おれと、相討ち――と結果は、もう、決っているのだ」
「ふふ、そう云えば、そうだ」
二人は、ひそひそ、話をつづけながら、盃《さかずき》を手にした。
もう、やめておこう、
と云い合いながら、かなり、飲んだらしい。
篠兵衛が、先に、横になった。
八弥が、しばらくして、包みを手にして、部屋を、忍び出た。
そして、翌朝。
いつ迄も、出てこない篠兵衛に、不審を抱いた一人が、障子を開いて、驚愕《きょうがく》の叫びをあげたのである。
「大変だッ、柏原氏が――血を吐いて死んでいる」
食当りの上の深酒で、急死――と、この第三の犠牲者の死が公表された直後、七生村の小丘で、飯篠修理亮の死体が発見されたと云う報らせが届いて、社の境内に集まった、凡《すべ》ての人々は、慄然《りつぜん》と、身を震わせた。
異様に、どす黒い、不気味な空気が、社全体に、ずしりと重く、立ち籠《こ》めた。
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六
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空も、曇って、にぶい、鉛色に沈んでいる。
神社の西門につづく、深い、木立の中を、新太郎は、物思わしげに、歩いていた。
試合は、神社の境内の試合場で、もう始まっているのである。
午前中は、いわば、下級の者たちの、試合。
午後から、中級者、上級者の手合せが行われ、最後に、各派代表による、決戦が行われる。これは、恐らく、申《さる》の刻(午後四時)頃になるであろう。
しかし、新当流六派の代表剣士六名の中《うち》、三名までが、試合直前に、不測の横死を遂げてしまったのだ。
代表剣士の一人として、新太郎が、大きな衝撃を受けたことは、当然である。
日夏喜左衛門、柏原篠兵衛――どちらも、一度は、是非とも、立合ってみたい対手であった。
残念だったとも、気の毒だったとも思う。
だが、最も、惜しまれてならないのは飯篠修理亮である。
父の友人であった、この中年の剣士に、新太郎は、終始好感をもっていた。
幼い頃、剣の手ほどきを受けたこともある。叔父のように、親しんだ人でもある。
阿由女のことで、この人が、自分の恋仇《こいがたき》になっていることを知った時でも、不思議に、反感は湧《わ》かなかった。恋人を争うにしても、必ず、正々堂々と振舞ってくれるものと、信じ得る男だったのだ。
その修理亮が、矢に、首をさされて死んでいたのだ。
脇腹にも、矢傷があったと云う。
遠矢にかけられたのでない事は、明らかだ。
――殺害者は、何者だろう。分ったら、必ず、仇を討つ。新太郎は、腹の底で、己れに誓った。
午後の試合を控えて、他事に、神経をたかぶらせてはいけないと、充分に解っていたが、新太郎の怒りは――それを、ぶっつける対手が、誰だか分らないだけに、なおのこと、苛立《いらだ》たしく、はげしかった。
境内の試合場の方から聞えてくる、
――わーっ。
と云う喚声に、新太郎が、立止って、ふり向いた。
おやと、瞳をこらしたのは、西門から出てきた、水谷八弥が誰かを探し求めているかのように、見廻している姿を認めたからである。
八弥には、今朝早く、土子泥之助から、紹介された。その時も、何か特別に、新太郎に話しかけたいような風に見えた。
――もしや、私を探しているのではないだろうか。
新太郎は、雑草をふみしだき、八弥の方に向って、出ていった。
「あ、卜部氏、やはり、こちらにおられたのですか」
八弥が、美しい頬を、少しくずした。
「私に、何か、御用でしたか」
新太郎は、八弥に向き合って、立った。
「内密に、お話ししたいことがあるのです」
八弥は、あたりを見廻して、新太郎がつい今迄、さまよっていた木立の中に、誘い込んだ。
「立話もできぬ、まず、そこへ――」
樹の切株を指す。
度重なる事件の後だけに、新太郎は、少しの油断もしなかったが、見たところ、八弥の全身には、何の殺気も敵意も感じられない。
「卜部氏、単刀直入に申し上げる。私は、今朝、柏原氏の死体を見ました。見つけた人のほかには、まだ、二三人しかいなかったのですが、そこで、この品物を拾ったのです」
懐中から、印籠《いんろう》をとり出して、新太郎の前に差出した。
どう云う意味なのかと、受取った新太郎が、それを熟視している中に、顔色が大きく変った。
八弥は、鋭い眼付になって、その新太郎の面上を、じっと、みつめていたが、
「卜部氏、まだあります。昨日夕刻、日夏氏が斬られているのが発見された時にも、私は、いち早く駆けつけましたが――その場で、これを拾ったのです」
小さな、根付を、新太郎につきつけた。
一目みて、新太郎は、更に大きく、動揺の色を示した。
「これが、そこに落ちていた――として、どう云う意味があるのです」
しばらくして、新太郎が、問い返したが、彼にしては珍しく、落着かない、不安な響をもった声であった。
「どちらの場合にも、私が、そこに行った時には、まだ、御尊父卜部晴家殿は、そこに来ておられなかったのです」
八弥は、一旦《いったん》、言葉を切って、自分の言葉の効果を待った。
「まだ、その場に、来ておられない晴家殿の印籠と根付とが、その場に、おちていた、――それだけの事です」
「父が、殺害の犯人だと云われるのか」
新太郎は、熱くなって、叫んだ。
「そんな事は、云ってない。ただ、二度の殺害事件の現場に、二度とも、晴家殿の所持品が、落ちていた――と云うのです。このことを、人に、話してよいものかどうか、私に判断がつき兼ねたので、あなたにお会いして、相談したかったのです」
「父に、直接、聞いてみましょう、一緒に来て下さい」
「それでいいでしょう、土子先生や、その他の方にも立合って頂いて――だが、卜部氏、その結果――」
八弥は、ぷつんと言葉を切って、妙に考え込んだような眼付をした。
「勿論、晴家殿は、何も知らぬ――と答えられましょう、御尊父が、二人の殺害事件になど、何の関係ある筈がない。それは私も、確信しています。しかし――ほかの人々が、どう思うかは別の問題です。御尊父が、あなたを、この試合に勝たせたいと思っておられるだろうことは、当然でもあるし、皆が、それを知っている。そして、試合直前に、有力な優勝候補者が三人まで、変死した。修理亮殿のことについては、私は詳しい様子を聞いてはいないが、日夏、柏原両氏の変死の現場に、御尊父の所持品が遺されていたと云うことになれば――どうですかな、口善悪ない世間の人々が、どんな噂をするか――噂と云うものは、どんなことをしても、防ぎ止めることの出来ないものなのではありませんか」
八弥は、年に似合わぬ大人びた態度で、いかにも同情と当惑とを示しつつ、説き伏せるように話している。
新太郎の頭の中には、熱い火焔《かえん》が、渦を巻いて、狂奔していた。
示された二つの品は、間違いもなく、父晴家の、いつも、身辺に置いているものである。
老父が、自分を偏愛し、自分の剣名の挙ることを、何よりも強く願っていることは、知り過ぎるほど、よく知っている。
よもや、二人の競争者を、暗殺するような卑怯なことをする父ではない――と、固く、信じてはいるものの、現に、提出された、物的証拠を、否定する反証は、何も持っていないのだ。
「卜部氏、気を鎮めて、聞いて下さい。実は、もう、晴家殿を疑っている者さえあるのです」
「えっ」
「むろん、何も根拠はない。漠然とそんな噂をしているのです。背後からとは云え、日夏氏ほどの人を、ただ、一刀に斬れる者は、そんなにおらぬ、と云うような事からでしょう。また、用心深い柏原氏に、毒酒をすすめ得るほど親しい――或《あるい》は、権威のある人も、ほかにはないと云うのでしょう。馬鹿気《ばかげ》た、失礼極まる臆測《おくそく》です。しかし、如何《いか》に、ばかげていても、そんな噂は、消さなければ、いけません」
「そうだ、ばかなッ」
「亢奮してはいけない、冷静に、善後処置を考えましょう。私は、この二品を、あなたにお渡しします。御随意に処分して下さい。それで、証拠――憤ってはいけません。証拠と、世間の人はみるのです――証拠は、なくなります」
「しかし――」
「しかし、漠然たる噂は残るでしょう。それを消す方法は、一つしかありません」
「どうすれば、よいのです」
新太郎は、いつの間にか、父晴家の殺人嫌疑を、容認するような立場に、追い込まれてしまっているのに気がつかず、せき込んで、反問した。
「あなたが、試合出場をやめるのです」
「なにッ、私が、この試合を、すてる?」
愕然として、叫んだ。
「お静かに――急病とでも、何とでも、理由をつけて、試合を、おやめなさい。そうすれば、つまらぬ噂は、一挙に消しとんでしまいます。世間と云うものは、たあいのないものです」
思いがけぬ申出に、混乱し切っている新太郎に向って、八弥は、柔かな頬笑《ほほえ》みをみせ、とろかすように云った。
「卜部氏、誤解なさらぬように申し上げておきます。あなたの出場をとめて、私が、優勝を狙う――などと云う心は、更にありません。あなたが出なければ、私と古宇田六左衛門との決勝戦になるでしょうが、私は、断じて、優勝はしません。古宇田氏となら、私は、必ずしも、負けるとは思いませんが、あなたを除外して、新当流代表となるのを避ける為に、私は、負けます。本当の決勝戦は、いずれ後日、日を改めて、あなたとの間に、やってみたい。新当流の、真の代表者は、その時に決定すれば、よいでしょう」
この時から、夕刻まで、新太郎が、どのような気持で、どこに姿をひそめていたのか、誰も知らない。
申の刻、最後の試合が行われる寸前になって、驚くべき報せが、試合場を埋めつくした剣士たちに、己れの耳を疑わせた。
――卜部新太郎は、昨夕から、急に、からだの様子がおかしく、本日に至って急変、試合は、到底不可能につき休場する。
と云うのである。
かくて、最後の挑戦者として残ったのは、
香取神刀流 古宇田六左衛門資道
一 羽 流 水谷八弥光信
の二人、六左衛門は、三十三歳の脂の乗り切った精悍な顔に、八弥は二十五歳のかがやくように美しい面に、各々、全く意味の違う異様な微笑を浮べて、場内に姿をみせたのである。
六人の中四人迄、候補者が死亡又は休場したので、決勝戦の興味は半減していたとは云え、二人が木刀を握って、試合場の中央に進み出ると、場内は一斉にどよめき、ついで水を打ったような静寂がやってきた。
間合一間、二本の木刀は、真剣さながらの不気味な殺気をこめて、曇天の下の重い空気の中にじりじりと相接近してゆく。
「とう――」
遂《つい》に六左衛門が、豪快な掛声を発して、右双手上段に構えた木刀を、八弥の肩を狙って打ち下ろした。
受けるか、引くか――と見えて八弥のからだが、飛鳥のように六左衛門の左胴をかすめて飛び、一廻転した六左衛門と、東西位置をかえて、向き合った。
見る者の目には、ただ、対者の位置が変っただけである。
だが、そこには、それ以上の――異常な変化が起っていた。
自信と活力に溢《あふ》れていた六左衛門の面上に、著しい狼狽《ろうばい》の色がさっと流れ、八弥が勝ち誇った瞳を、その上に据えていたのである。
二人が、すれ違いに、からだを廻転させた瞬間、八弥が、低い、短い、鋭い声で、六左衛門の耳にたたきつけたのだ。
「打根でなくて、残念」
何も証拠を握っていたのではない。ただ、香取神刀流と打根と云う連想から、当推量のカマをかけたのだ。
が、それは、六左衛門の胸に、正に鋭い矢の如く、つきささった。
六左衛門の瞬時の狼狽を――八弥は、見送るほど、愚かではない。
「だッ」
と一声、八弥の身が躍って、
「勝負あり」
審判土子泥之助の声が高く響いた。
八弥の木刀は、六左衛門の小手を、したたかに打ち砕いていたのである。
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江戸の巻
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一
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寛永《かんえい》六年春の江戸。
桜は既に散って、暖か過ぎるぐらいになった陽射《ひざ》しの中を、石や、材木を積んだ牛車が、ひっきりなしに、城に向って続く。
この年から、寛永十六年にかけて、十年計画で行われた、江戸城の大工事の為《ため》である。
天守閣は、既に出来上って、五層六階、台上二十七|間《けん》の高さに聳《そび》え立ち、遠く海上から江戸湾内に入ってくる船の上からも、燦然《さんぜん》と輝く、その白堊《はくあ》の姿が見られた。明暦《めいれき》の大火に焼失して以来、二度と再建されなかった、開府初期の威容である。
町数は三百余町。人口は五十万、最盛時の千七百余町、百三十万には比ぶべくもないが、既に、大坂京を凌《しの》いで国中第一の大都会となっていた。
城を囲んで櫛比《しっぴ》する大名屋敷も、桃山様式を、そのままに移して、豪壮華麗をきそったものばかり。屋根には、金を塗り、軒には、獅子《しし》を彫り、門には、虎《とら》が刻まれていた。
大名屋敷が、くすんだ、平べったい、質素なものになったのは、この後、度々の大火に、建築制限が行われてからのことである。
今は、新興都市の溌剌《はつらつ》たる気風が、巷《ちまた》の隅々にまで溢《あふ》れて、見るからに、武家の覇府と云《い》った感じが、城下一帯に、漲《みなぎ》っていた。
道行く人も、武家のものが、圧倒的に多く、しかも、その多くの者は、十五年前に、大坂の夏冬両陣に、戦火をくぐった勇士たちである。いや、五十年輩の者は、三十年前、関ケ原の、否それ以前の戦役の経験者でさえあった。
そうした豪快な、やや殺伐《さつばつ》な気配さえ残している江戸の町並を、これは又、野末に咲いた一本の月見草を手折ってきたかとも思われる、繊弱な、しかし清冽《せいれつ》な、優しい女性の旅姿が、急いでいた。
常陸《ひたち》国|鹿島《かしま》社から、ただ独り上ってきた、阿由女《あゆめ》である。
春日祭の奉納試合の当日、このひとこそが優勝者にと、念じ、且《か》つ信じていた卜部《うらべ》新太郎晴秀は、意外にも、試合開始直前に、病気と称して姿を見せず、しかも、その夜の中に、――江戸へと、只《ただ》一言、加世《かよ》に云い残して、鹿島を去ってしまったのである。
噂《うわさ》は囂々《ごうごう》と、渦を巻いた。
臆《おく》したのだ、と云う者もあり、阿由女に云い寄って却《しりぞ》けられたからだと云う者もあり、更に、忌わしくも、三度の殺人事件と結びつけて噂する者さえあった。
――新太郎さま、どうなさったのかしら、
と案ずる心よりも、
――何故、私に仔細《しさい》も告げずに、
と、恨む心の方が、阿由女にとっては、強かったかも知れない。
「新当流の代表者は、試合に優勝した私です。阿由女どのを頂いて、栄ある卜伝流の道統を嗣《つ》がして下さい」
水谷八弥は、晴秀の眉宇《びう》に、驕慢《きょうまん》な微笑を浮べて、卜部晴家に申入れた。
愛児の不可解な失踪《しっそう》に、悶々《もんもん》の情やる方なかった晴家は、阿由女の心を聞くまでもなく、その申し出を一蹴《いっしゅう》した。
八弥が、師|土子《ひじこ》泥之助《どろのすけ》を動かして、執拗《しつよう》に同じ要求をくり返してきた時、晴家は、初めて、阿由女を呼んで、その意志をただしたが、阿由女は即座に、
「私は、新太郎さまの妻になりたいと、固く心に決めておりまする」
と、いつもの、ひかえ目な気質に似合わず、きっぱりと、云ってのけた。
「そなたの志は嬉《うれ》しいが――新太郎め、如何《いか》なる所存か、大切な試合を抛《ほう》って、所在をくらましおった、――そなたにも――まことに済まぬ。何としてよいやら、この老人の身には、よい思案も浮ばぬ」
と、晴家が、銀髪の頭を、胸に垂れるのに、阿由女は、更に驚くべきことを云ってのけたのである。
「卜部のおじ様、新太郎さまは、理由なくして、あのような事をなさる方ではありませぬ。私は、これから、新太郎さまを探しに参ります」
「えっ、探すと云うて――ただ、江戸へと云い残した許《ばか》りだと云うが」
「江戸へ参ります。必ず、お目にかかって、新太郎さまのお心、しかと承って参りまする」
つぶらな、黒い、大きな瞳《ひとみ》に、思いつめた乙女《おとめ》心が、焔《ほのお》のように燃えていた。
そのはげしい望みに説き伏せられ、誰《だれ》か、人をつけてと云い出した晴家に、
「いいえ、私一人の方が、却《かえ》って、気安く探せましょう」
と、健気に云い切って、その翌日、早くも、独り旅を、江戸に向った阿由女であった。
取りあえず目指したのは、同じ新当流の松岡左太夫則次の屋敷。
左太夫は、卜伝《ぼくでん》の高弟、松岡兵庫助の嫡子、現に百二十石の旗本である。
兵庫助は、柳生《やぎゅう》但馬守《たじまのかみ》宗矩《むねのり》、小野《おの》治郎右衛門|忠明《ただあき》と並んで、将軍家の、剣の指南役を勤めたとは云え、柳生家には勿論《もちろん》、小野家とすら比較にならぬ小禄《ころく》を受けて、栄えない一生を終った。
嫡子左太夫は、もはや、将軍家指南役の地位をとり上げられ、わずかに新当流の正統を嗣ぐものとして、旗本諸士や、諸大名の家士などに指南することを許されているに過ぎない。
麹町《こうじまち》口御門に近い、その道場も、一般の町道場とさして替らぬ貧弱なものであった。
その上、肝心の左太夫も既に老齢、道場は、専《もっぱ》ら、甲頭刑部少輔安別と、多田石島之助正勝とに委ねられている有様。
多田は、同じ旗本であるが、甲頭は、常陸国鹿島郡大月村出身の郷士《ごうし》、以前に、卜部晴家の門を叩《たた》いたこともある。
それやこれやで、阿由女が、新太郎の消息をつかむために、先《ま》ず松岡の屋敷を志したのは至極当然であったと云ってよかろう。
たそがれ近く、その松岡の屋敷の近くで、小路の角を曲ろうとした阿由女に、どーんと、乱暴な体当りをくれたものがある。
「やい、気をつけろい」
怒声を発しながら、にたっと笑ったのは、一目で知れる旗本|奴《やっこ》。これも、明暦以後の、大髻《おおたぶさ》を油でかため、柔かいものを身につけた若党とは違う。蝋《ろう》を溶いて松脂《まつやに》を交えて固めた作り髭《ひげ》をくっつけ、膝《ひざ》までしかない短い衣、素足に草履という扮装《ふんそう》。
あたりに人通りはなし、稀有《けう》の美女――とみて、ホロ酔いのいたずらっ気から、ちょっと、からんでみたに違いない。
「御免なされませ、気がせきまして、つい失礼を――」
対手《あいて》の無体と、充分知りながら、阿由女は、おとなしく詫《わび》を云って、通り抜けようとする。
「へっ、つい気がせいてだと。どうせ情人にでも会いに行くのだろう。どうでえ、このおれで、間に合わしておいちゃあ」
大手を拡《ひろ》げて、両肩に抱きつこうとした。
その右の手首を、阿由女が、軽く握って、逆にひねったとみると、
「いててて、ちっ、畜生!」
奴が、火傷《やけど》でもしたように踊り上って、顔をしかめた。
「妙なことをしやがる! この女」
拳《こぶし》を固めて、本気になって擲《なぐ》りかかったが、こちらは、ひょいと、軽く身を外して、手にした杖《つえ》の頭で、脾腹《ひばら》を突いた。
女人の身、特に、武芸に精進した訳ではない。ただ、護身のために、一手二手、晴家や、飯篠《いいざさ》修理亮《しゅりのすけ》などに、手ほどきを受けただけなのだが、父祖代々、最高の剣士の血を受けている阿由女である。腕力だけの、奴風情などの、到底、歯の立つ対手ではなかった。
「うぬっ、くそっ」
憤然と、身を立て直して、襲いかかろうとした時、阿由女の背後から、声がかかった。
「ははは、娘御、大した腕だ、奴どの、見事にやられたのう」
「何をっ、駄さんぴん、余計な、口を出しやがるなっ」
醜態をみられたてれ隠しか、無鉄砲に、その声の主に向って、飛びかかっていった奴が、今度は、恐ろしく派手に、ぴしゃりと、地べたに叩きつけられ、起き上った尻《しり》っぺたを、いやと云う程、蹴飛《けと》ばされた。
「覚えていやがれっ」
と、捨ぜりふだけは、型通り、威勢よくはき捨てて逃げ去る。
「飛んだ御造作をおかけしまして」
と、にこやかに笑って、男の顔を見上げた阿由女が、
「あっ、甲頭さまではございませぬか」
「えっ」
不審気に、まじまじと、顔をみつめて、
「や、これは、あ、阿由女どのか」
「はい、甲頭さま、お久しゅうございます」
「あ、阿由女どの、これは、これは、まこと、阿由女どのだな」
と、眼《め》を丸くして、繰返したのは、よくよく愕《おどろ》いたからである。
その筈《はず》、甲頭の方は、相見ぬ五年の間に、少々、都会風になり、年に応じて、勿体《もったい》らしい風格が出ただけで、大して変っていないが、阿由女の方は、十二三の少女が、眼のさめるような、秀麗な乙女に成長し切っていたのである。
「これは驚いた。何と、呆《あき》れる程、美しゅうなられた、まことに阿由女どのか」
うーむと、呻《うな》るように、もう一度、甲頭は感嘆した。
「まあ、何を云っていらっしゃいます。そんなに見詰めてばかりいては、いやでございます」
「うーむ、愕いたな。阿由女どの、だが、江戸へは、どうして?」
「少々、仔細がございまして、松岡のおじ様のところへ、参ります」
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二
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阿由女から、事情を聞きとった松岡左太夫は、幾度か、うなずいた。
「卜部の老師も、さぞかし、御心痛のことであろう。わしも、出来るだけ手をつくして、新太郎殿を探してみる。しかし、新太郎殿がこの江戸におらるるのなら、必ず、一度は、わしの許《もと》に訪ねてこられると思う。まず、しばらくは、当屋敷に、身を落ちつけておらるるがよい」
一応、その心組みで来たのである。阿由女は、松岡の屋敷に、しばし、身を寄せることになった。
松岡道場に、その日から、奇妙な、変化が起った。
屋敷は勿論《もちろん》、もとのままの、あまりパッとしない百二十石の分相応のもの、屋敷内に建てられた道場も、あまり、工面がよくないらしく、大分傷んでいる。
にも拘《かかわ》らず、それが、まるで、どこもかしこも新しく改造され、畳まで入れかえたかのように、いきいきとして、門を入ると、ぱっと明るい光が、眼を打つような感じなのである。男世帯に、美しい乙女が、一人加った――と云うだけで、その突然の変容が、手品でも使ったように、現出したのだ。
集まってくる門弟たちの人数まで、急に殖《ふ》え、その話し声も、新鮮な活気を帯びてきていた。
「おい、見たか」
「うむ、大した美形だな」
「鹿島の卜伝先生のみよりだそうな」
「卜伝先生の、ただ一人の嫡統だと云う。婿《むこ》探しに来たらしいぞ」
「たっ、これは一大事」
「貴公などは、とてもだめじゃ。まず、差当り、この吾輩《わがはい》かな」
「馬鹿《ばか》を云え、鏡を貸してやろうか」
「何だか、おれは、世の中が、楽しくなったようだ」
「おれは、死にたくなった。あんな美女が、この世にいるのかと思うと、変に哀《かな》しくなるよ」
阿由女の姿が、ちらっとでも見えると、その辺一帯の空気が花の咲き乱れたように、華やかにかがやいて、その黒い瞳が、微笑を含んで、さり気ない挨拶《あいさつ》でも送れば、若い門弟たちの胸は、櫓《やぐら》からひびく、戦《いくさ》の太鼓を聞いた時のようにとどろいた。
だが、そうした若い人たちの嘆声が、どうやら、諦《あきら》めに近い呟《つぶや》きに変っていったのも、それから間もなくのことである。
「おい、だめだな、とても」
「うむ、あの二人では、ちょっと、おれたちの手に合わぬ」
「腕は、互角だろうが、男振りは、右馬之助の方が良い」
「しかし、右馬之助は、多田家の嫡男だ。婿にはなれぬ。その点、三男坊だと云う刑部の方が、歩があるぞ」
本人同士は、つとめて、そんな色は、面に出さぬつもりであったろうが、甲頭刑部と多田右馬之助が、二人とも、阿由女に夢中になって恋着してしまったらしいことは、誰の目にも明かであった。
右馬之助は、初対面のただ一目で、阿由女に、完全に、眩惑《げんわく》されて終《しま》った。
二十一歳のその日まで、ただ剣一筋に、女の世界をふりむく余裕もなく、ひたすら、励んできたこの生真面目《きまじめ》な男は、阿由女によって、いわば、その魂を、逆さにひっくり返されたのである。
日常|坐臥《ざが》、己れの眼前に、白光を放ってきらめいていた剣の耀《かがや》きの上に、ほのかな憂いをたたえた深い淵《ふち》のような阿由女の眸が、二重映しに重なって、追えども去らず、消せども消えず、我ながら怪しいほど、心が乱れに乱れた。
ばかなっ、と叱《しか》っても、いかん、と押えても、自分の心が、その黒い眸に吸いこまれ、覆いつくされてゆくのを、如何《いかん》ともし難い。
不動一心、生死不二――と鍛え澄ましたつもりのますらお心も、阿由女のなよやかな姿を一瞥《いちべつ》すると、陽に当った泡雪のように、たあいなく融けてゆく。
――多田の家を、捨てても、
とまで、思い込んでしまった己れに気がついて、右馬之助は、愕然とした。
愕然として――また、新に、恋心をつのらせた。
甲頭刑部の方は、最初の中、昔|馴染《なじみ》の少女に対する、兄のような態度を、とろうとした。いや、本心、そのつもりでいたのである。
だが、そうした態度をとりつづける事が、到底不可能なことは、すぐに、判明した。五年前、十二の少女に対して話しかけたような、気軽な口が、どうしても、利けないのである。
強いて、そのように話そうとすると、口のあたりが、不自然にふるえた。
――何と云う、美しい女になったのだろう。
幾度となく、幾十度となく、刑部は、改めて、自分に向って叫び、驚きを新にした。
――昔知っていた阿由女に、この江戸で、自分が最初に邂逅《かいこう》したのは、何かの天意だ。この乙女は、自分に与えられた宿命の女だ。
そんな、恋する者に特有の、虫のよい考えさえ浮んだ。
右馬之助と違って、それ迄《まで》、若干の女出入はあった男なのだが、そんなものは、阿由女に比べれば、物の数ではないと思われた。
阿由女が、類稀《たぐいま》れな美女であったことは確かである。だが、新当流に属する、優れた剣士の凡《すべ》てが、殆《ほとん》ど例外なしに、彼女に、不可抗力の、熱狂的な恋慕を感ずるようになるのは、一体、何故であろうか。
理屈では、到底説明が、つかぬ。
ただ、不思議な宿縁――とでも云うよりほかはないであろう。
この同じ想《おも》いに囚われた刑部と、右馬之助とが、駿河台の台地を、肩を並べて、歩いていた時のことである。
台地の南側が、掘りくずされていた。
何百人と云う人夫が、忙しく、働いている。
台地をつきくずし、その土を運んで、遠く江戸城の南方の海岸を、埋め立てているのであった。
後の日本橋浜町のあたりから新橋、築地《つきじ》にかけての土地は、こうして、出来上った新開地である。
二人は、どちらかちともなしに歩みをとめて、その人夫たちの動きを見ていたが、右馬之助が、急に、ぶっきら棒に云い出した。
「甲頭、もう、黙って隠しているのに堪えられなくなった。はっきり云おう、私は、阿由女どののことを想《おも》っている」
刑部は、正面を向いたまま、答えた。
「多田、こちらから、云おうと思っていたことだ、それは」
「やはり、そうか」
右馬之助の声は、沈痛であった。
「お主の気持は、大体、察していた。同門の、しかも、兄弟同様につき合ってきた二人が、同じ女性を想うと云うのは、悲劇だな」
「うむ、しかし、こうなってしまったものは、已《や》むを得ぬ。飽迄《あくまで》正々堂々と、阿由女どのを争おう」
「もとよりだ、私は、断じて、諦めぬ」
「私も、そうだ」
「問題は、阿由女どのの方なのだ」
「そうだ、あのひとは、卜部新太郎のことを、深く想い込んでいる」
新太郎は、二人とも、知っていた。
廻国《かいこく》修行の途中、二度まで、松岡の道場を訪ねているからである。刑部の方は、常陸で、少年の頃《ころ》の新太郎にも会ったこともある。
「あれは、立派な若者だ」
「そう思う。だがわれわれとても」
「そうだ、剣をとって、新太郎に、劣るとは思わぬ」
そう云いながら、二人とも、同じように、内心、うしろめたいものを感じていた。
二人とも、師の松岡左太夫から、新太郎を、探し出すようにと命ぜられている。それを、決して、熱心にはやっていないのだ。いや、故意に、怠けていると云ってもよい。
新太郎を探し出して、松岡の屋敷に連れてきたら――そして、阿由女に、会わせたら。
そう考えると、二人とも、慄然《りつぜん》とするのである。
――阿由女は、即座に、新太郎の胸に、飛び込んでしまうだろう。
考えただけでも、頭が、焼けるように、熱くなり、胸は、逆に、氷のように冷えた。
「新太郎は、探し出さねばならないな」
刑部は、内心の願望と全く正反対のことを、強いて云った。
「うむ。その上で――」
どうしてよいか、分らなかった。
二人は、鉛を飲み込んだような暗い、重い顔付になって、永い間、黙りこくっていた。
遠く台地の下の方で、人夫たちは、相変らず、せっせと働いている。
心は全くそこにはなかったが、二人の視線は、その人夫たちの上に注がれていた。
と――
二人が、同時に、
「や」
と、呟いて、顔を見合せた。
「あれは――」
「何事かな」
人夫たちの群の、ちょうど、真中あたりで、急にはげしい罵声《ばせい》と、人の動きとが起ったのである。
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三
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擾乱《じょうらん》の渦の中心に、一人の武士の姿があった。
編笠《あみがさ》を被っているので、よく分らないが、身のこなしからみて、まだ若いらしい。
怒声を発しながら、ぐるりと取り巻き、威嚇的に、腕をふり上げ、棍棒《こんぼう》をかざして、押しよせてくる人夫たちの只中《ただなか》に、泰然と立っている。
人夫の一人が、ぐわッと、ぶつかっていった。
が――その半裸の、逞《たく》ましいからだが、武士の胸元に触れたとも思われぬ中《うち》に、見事に、もんどり打って、地上に這《は》わされていた。
つづいて、また一人、
二人、三人――
目にもとまらぬ早業で、左右に投げ飛ばした若い武士の姿は、颯爽《さっそう》として、胸のすくように見える。
人夫たちが、梶棒を揮って、打ってかかった。
武士は、さっと、身を沈めたと思うと、素早く、一本の棍棒を奪い取って、人夫たちを、突き捲《ま》くり、棍棒を叩き落してゆく。
少し離れた処から、抜身の刀をひっさげた連中が、三四人、走ってきて、武士をとり囲んだ。
武士は、何か叫んだ。
一歩、退って、棍棒を捨てると、すらりと刀を抜き放った。
その白刃が、鈍い春の陽光に、きらりと二三度|閃《ひらめ》くと、抜身をもった男たちは、刃を宙に飛ばして、次々に、地上に、うずくまった。
「あれは――新当流だ」
「何者か――素晴らしい腕前だな」
右馬之助と刑部は、顔を見合せた。
若い武士は、後の面倒を考えて、峰打ちにしたのである。その瞬間の刃のひらめきを、二人は、的確にみてとって、その技が、遥《はる》かに水準を抜いたものと、判定したのだ。
馬上の侍が、馳《は》せつけた。
工事取締りの役人であろう。
「おい、あれは、抛っておけぬ」
「うむ。口を利いてやろう」
二人は、台地を、駆《か》け降りていった。
若い武士は、馬から下りた侍と、その部下の役人たちに、詰問されていた。
人夫たちは、口々に、罵《ののし》り、役人に、何事か訴えていた。
右馬之助は、すぐに、その群の中に、割って入って、名乗った。
「これは、私の知っている者だ。如何《いか》なる行違いがあったのか知らぬが、穏便に済まして頂きたい」
直参《じきさん》の旗本――と云うだけでも、役人は、一応の敬意を表したであろう。その上、幸いにも、松岡道場の多田右馬之助の名を、聞き知っていた。
もともと、気の荒い人夫たちと、江戸の事情や工事場の風習を知らぬ、地方出の武士との、つまらぬ言葉のやりとりから起った紛擾《ふんじょう》だった。
役人は、人夫たちをたしなめ、若い侍を、右馬之助に委ねた。
「御配慮、忝《かたじ》けない」
武士は、その場を離れてから、右馬之助に挨拶した。
その、若い武士の、若さと、秀れた美貌《びぼう》とに、右馬之助も、刑部も、驚きの眼を見張った。
「新当流と拝見した。同流の誼《よし》みで、差出がましい口を利かして貰《もら》ったのです」
「いや、役人共といざこざを起しては、何かと面倒、おかげで助かりました。私は、御察しの通り、新当流――と申しても、分派の一羽流を学びました水谷八弥光信と云うものです」
「水谷八弥? 土子殿の門下ではないか」
刑部は、記憶の中から、その名を憶《おも》い出した。
「そうです」
「噂は、聞いたことがある。若年ながら、無双の剣士と聞いた。成程、先刻の峰打ちの早業、見事なものだった」
「人夫などを対手に、大人気ないところをお見せしました」
と、齢《とし》に似合わず、鷹揚《おうよう》に笑った八弥が、
「失礼ながら、先刻松岡先生の御門下で、多田殿と承りましたが」
「左様、こちらは同門の甲頭刑部」
「それならば、お二人とも、御高名は、つとに、承っております、はからずも、お二人に、同時にお目にかかれて、こんな嬉しいことはありません」
少しのそつもない、愛想の良い応対であった。
「江戸へは、今日、参った許り、田舎者のこととて、つまらぬ失策を致し、お恥かしい次第です」
「ほう、では、お宿も、まだだな」
「はい」
「では、松岡道場に来られるがよい」
刑部が、誘った。
秀れた剣士とみれば、誘って、道場に泊らせ、互いに剣の途《みち》を語るのは、この頃のならわしである。まして、同じ新当流の、その名も耳にしている水谷と知って、刑部が、そう云ったのは、当然であった。
八弥も、直ちに、その好意を受けた。
松岡の屋敷で、阿由女と八弥とが、顔を合せた時、二人は全く違った思いからであったが、
「おお」
「あっ」
と、小さな、鋭い、愕きの声を発した。
「ここへ来ておられたのですか。加世どのから、ただ、江戸へ、と許り承ったので、果して、何処におられることやら、と案じておりましたが――成程、考えてみれば、あなたが、江戸へ出て、ここにおられるのは、あたりまえのことでしたな」
八弥は、思い掛けぬ邂逅に、美しく頬《ほお》を紅潮させた。
彼が、阿由女の突然の出発を知ったのは、その出発の数日後のことである。加世を強要して、行先を、江戸と確めたが、もしかしたら、新太郎としめし合せて、江戸に走り、楽しい生活をしているのではないかと、嫉妬《しっと》の炎を、むらむらと燃え上らせた。
新当流の代表者として、駿府《すんぷ》へ行く前に、江戸で、多少の用件があるからと、師の土子泥之助を説き伏せて、江戸へやってきたのも、第一の目的は、何とかして、阿由女を探し出そうと云うことであった。
それが、僥倖《ぎょうこう》にも、江戸の土を踏んだその日に、早くも、本人にぶつかることが出来たのである。
――幸先がよいぞ、
と、八弥の頬は、自《おのず》から、くずれた。
「阿由女どのを、御|存知《ぞんじ》だったのか」
刑部が、意外そうに云った。その時、初めて、彼は、この美しい剣士を、連れてきたことに対して、漠然たる、不安の念を抱いた。
「はい、鹿島にて、よく存じ上げております」
しゃあしゃあと云ってのけるのを、傍から、阿由女が、
「いえ、ただ、あの、試合の時に、一二度、お目にかかっただけなのです」
眉《まゆ》を少し、ひそめて、否定した。初対面以来、何となく、虫が好かないのである。その後の、執拗な求愛は、なおさら、反撥《はんぱつ》心を、起させていた。
「阿由女どのは、新太郎どのを探しに出てこられたのでしょう。目当てが、おつきになりましたか」
八弥は、少し、間の悪そうな顔をして、尋ねた。
「まだ、お会いしませぬ。どこか、お心当りがございますか」
藁《わら》でも掴《つか》みたい気の阿由女が、今度は、やや、優しい声になって、聞いた。
「別に、これと云う心当りはありませんが、江戸におられるものならば、探すのは、案外容易でしょう」
「えっ、それは、本当でございますか」
「本当です。新太郎殿は、江戸には、当家よりほか、格別、知り合いの方は、ないのでしょう」
「はい、そう思いますが」
「それならば、馬喰町《ばくろうちょう》か小伝馬町《こでんまちょう》の旅宿を探せばよいではありませんか。私は、江戸のことはよく知りませんが、地方から、江戸へ上った者は、大てい、あそこの旅宿に、一応、宿をとると、聞いております。私自身も、そのつもりでいたのです。甲頭殿の御好意に甘えて、こちらに伺《うかが》いましたが――」
刑部と、右馬之助とは、苦い顔をして、聞いていた。
江戸に住む二人は、当然、そこに気がついていたのだが、何となく、馬喰町や小伝馬町に行けば、すぐにも、新太郎を見つけてしまいそうな気がして、敢《あえ》て、近付いても見なかったのである。
そんな二人の心には、気付いた様子もなく、阿由女は、ひたすらに、八弥の言葉に希望を持った。
「私、明日にも、その馬喰町とかへ行ってみたいと思います。甲頭さま、連れて行って下さいませ」
「いや、それには及びません、私が、探してきます」
八弥が、どう云う積りか、きっぱりと云い放った。
「新太郎どのには、私も、是非、お会いしなければならぬ用件があるのです。必ず、明日の中にでも、探し出して、ここに連れて参りましょう」
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四
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仕官を求めて出府した浪人、ひと儲《もう》けをたくらんで出てきた商人、訴訟事で、永滞在を覚悟している近在の大百姓、素姓の知れぬ流れ者、廻国修験者、掛取りの手代《てだい》、夜逃げしてきたヘボ医者、女道楽で追払われた神主、などが、それぞれの思案をひそめて、部屋の中にこもっていた。
生憎《あいにく》、朝から雨なので、道はぬかるし、季節外れの寒さ、大部分の宿泊者は、外出の気を喪《うしな》っているのである。
その小伝馬町の、軒を並べた宿屋を、一軒ずつ、丹念に、聞いて廻《まわ》っている若い美貌の侍があった。
云う迄もなく、水谷八弥。
「常陸から来ている卜部新太郎と云う御仁は、泊っておらぬか」
十軒目位に八弥が、そう云った時、その声が、筒抜けに聞える、近くの部屋にねころんでいた新太郎が、むっくりと起き上った。
偽名をしていたから、宿の者は、
「そんな方は、おりませぬ」
と、断っているのを、耳にした。
水谷八弥――
会いたい対手ではなかった。父の暗い秘密を握られているようなのが、第一に、厭《いや》であった。その上、八弥は、約束に背《そむ》いて、六左衛門を、打ち負かし、新当流代表の資格を獲得したのだ。見様によっては、自分は、うまうま彼の策に乗って、試合を放棄したようにも思われる。
新太郎は、そう考えて、八弥が去ってゆくのに任せた。
が――急に、疑問が、湧《わ》いた。
何故、八弥が、この雨の中を、自分を探し歩いているのか。八弥にしてみれば、なおのことこの新太郎には、二度と、会いたくない筈ではないか。もしかしたら――阿由女の身の上に何か、変ったことが起ったのではないか。
阿由女のことは、諦めた積りであったのに、阿由女の一身上に何かあったのではないか、と考えた瞬間、全身の血が、カッと、燃えた。
殆《ほとん》ど、反射的に、飛び上り、両の中に走り出ていた。
八弥が、隣の宿から出てきた処であった。
「水谷氏――」
「あ――卜部氏、よかった、お会いできて」
わだかまりのない笑顔である。
「多分ここらだと思って、探していたのだが――」
「何か、急の御用だったのですか」
「いや――」
八弥は、雨をよけて、宿の軒下に立った。
「急ぎと云うことではないが――過日、鹿島で、あなたとお約束したでしょう。新当流代表の資格は後日、あなたと二人で、改めて、争おう――と、あの約束を果したいのです」
新太郎は、少し、眼のふちを紅くした。
八弥の心理を誤解していたことを恥かしく思ったのである。
「古宇田六左衛門殿との試合には、相打ちのつもりでしたが、怪我《けが》勝ちをしてしまいました。しかし、それで私が、新当流の代表者になったとは思いません。あなたと云う人が残っているのですからね」
八弥は、美しい歯をみせて、笑った。
「色々と、御配慮、忝ない。今となっては、もう、新当流代表として駿府へ赴くことは、どうでもよいと思っていますが、あなたとの手合せは、是非、やってみたいと思います」
「私も同じ心です――審判を、松岡先生にお願いする積りですが、どうでしょう」
「松岡殿を、御存知でしたか」
「昨日から――」
と、答えた八弥が、まじまじと、新太郎の顔に見入って、
「松岡先生のお宅に思いがけない方が来ていますよ」
「えっ――誰です」
「阿由女どの」
「あっ」
「何故、早く、松岡先生のところに出向かれなかったのです。阿由女どのは、あそこで、あなたを待ちこがれていたのですよ。私は、自分の約束のこともあったが、阿由女どのに頼まれたので、あなたを探しに来たのです」
「水谷氏、何とも、相済まぬ」
新太郎は、素直に、頭を下げた。
若い心に特有の潔癖さで、もう二度と阿由女には会わぬと、鹿島を飛び出してきた時の決意は、殆ど消え失《う》せていた。
「卜部氏、支度して下さい。一緒に松岡先生の処に行きましょう」
小伝馬町から、麹町口の方へ、八弥と新太郎とが急いでいる頃、松岡の道場では、甲頭刑部と、多田右馬之助とが、一間に額を合わせて、沈鬱《ちんうつ》な表情をしていた。
刑部は、道場に近い己れの居室で、昨夜、一睡もしなかった。
明日にも、新太郎が姿をみせ、阿由女が、その腕に飛び込んでゆくのだ――と思うと、胸の中を、炭火で焼かれるような痛みが、走った。
僅《わず》か二間を距《へだ》でて、すやすやと睡《ねむ》っている阿由女の寝姿を想像すると、気狂いと云われようと、悪魔と云われようと、すぐに、そのまま躍り込んで、骨のくだける程、抱きしめてやり度いと思う。
――阿由女、阿由女、なぜ、そなたは、そんなに美しくなったのだ。
刑部は、悶《もだ》え、苦しみ、歯をかみしめて、呻《うな》った。
夜が明けた時、漸《ようや》く、一つの決心が固まった。
阿由女に、思い切って、自分の想いを、ぶっつけてみよう――と云うのである。
だが、右馬之助との約束がある。阿由女を争うなら、正々堂々とやろうと。
自分の決意を、右馬之助に一応話してから、実行すべきかどうかと、思い迷っている時、右馬之助が、やってきた。
右馬之助も亦《また》、前夜、番衆町の自宅で、一睡もしなかった。
彼の表情は、刑部と同じように、いや、刑部以上に、乱れていた。刑部と違って、阿由女への想いは、右馬之助の「極めて遅い初恋」と云うべきものだったのである。
彼も、終夜|煩悶《はんもん》の揚句、八弥が新太郎を連れ戻る前に、自分の意中を阿由女に打明けようと決心していた。
二人が、顔を合わすと、右馬之助が、云い出した。
「水谷氏は、探しに行ったのか」
「うむ」
「新太郎は、今日中に、ここに現われるな」
「そう思う」
「私は――決心した」
「私も、――決心した」
「阿由女どのに、告白する」
「私もだ」
二人は、同じことを云い、顔を見合わせて、照れくさそうに苦笑した。
「阿由女どのが、新太郎を選んだら、どうする」
刑部が云った。
右馬之助は、苦しそうに顔を歪《ゆが》めて、黙っている。
「あきらめるか、その時は」
刑部が、再び、云った。
「あきらめ――られぬ」
右馬之助が、答える。
「私も、そうだ」
「では、どうするのだ」
「阿由女どのを獲るものは、卜伝先生の嫡統を嗣いで、新当流の代表者となるべきだと云う。新太郎と、剣の上で、雌雄を決して、阿由女どのを、納得させるほかはあるまい」
「そうだ、私と、貴公と、新太郎と、それにあの水谷八弥も加って、何《いず》れが、真の新当流の代表者であるか、争ってみよう」
松岡道場の双竜と呼ばれた甲頭刑部と、多田右馬之助とは、遂《つい》に、流派の名誉のためではなく、恋の想いの為《ため》に、このような結論に到達した。
「しかし、この条件を、阿由女どのに、承諾させるのが、困難ではないかな」
「それなのだ、問題なのは」
二人が、沈鬱な表情で、腕をくんで黙り込んだのは、この時である。
そのまま、永い時間が続いた。
と――玄関に、戻ってきた八弥の声がした。
「あ」
と、二人が、腰を浮かせた時、早くも聞きつけた阿由女が、走り出ていった。
「新太郎さまっ」
「阿由女っ」
二つの声が、相互に、対手を、切り裂くようなはげしさで、一つになって、響いた。
その、絶叫に近い声の調子は、何よりも雄弁に、この二人が、何ものによっても隔て得ぬほど強く、結びつけられているものであることを物語っていた。
右馬之助と、刑部とは、胸先に槍《やり》を叩き込まれたように、ぐったりと膝を下ろし、自分の胸の痛手を見つめるように、首を胸の上に垂れた。
八弥は、殆ど抱き合わんばかりにして、一別以来のことを話している新太郎と阿由女の傍に、冷然と立っていた。
だが、誰かが、その黒く沈んだ瞳の底を、静かに観察したならば、嫉妬と瞋恚《しんい》の炎が、蛇の舌のように、青白く光っているのを認めたことであろう。
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五
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駿河に赴くべき新当流代表剣士は、既に鹿島神宮奉納試合に於《おい》て水谷八弥と決定されている。
「――その儀について、格別の異議を申入れるつもりはないが、われわれも、江戸新当流松岡道場を背負って立つものとして、改めて、水谷氏と試合してみたい。その際、鹿島に於て、試合を棄権された卜部氏も、加って下されば幸いです」
甲頭刑部と多田右馬之助とが、八弥と新太郎とに、そう申出ると、八弥は、極めて淡白に、これに応じた。
新太郎の方にも、異存のある筈はない。
松岡左太夫則次が、病躯《びょうく》を押して、審判者となり、四人の間で、雌雄を決することになった。
第一日は――
甲頭刑部と水谷八弥。
多田右馬之助と卜部新太郎。
第二日は、両組の勝者同士の対戦。
と決められた。
その第一日。道場に入ったものは、四人の剣士と、松岡左太夫の五人だけである。阿由女は、別室で、胸をとどろかせながら、新太郎の勝利を祈っていた。
刑部と八弥の試合は、意外の波瀾《はらん》をみせ、最後まで、見る者の息をつまらせた。
対峙《たいじ》した二人の一方は、既に、三十の半に達した、堂々たる偉丈夫。一方は、白面の美青年。さながら、精悍《せいかん》な猛虎《もうこ》と、軽捷《けいしょう》な雌豹《めひょう》とが、牙《きば》を鳴らし、眦《まなじり》を決して、飛びかかろうとする勢である。
駿河台で、八弥が、土木人夫たちを対手に見せた早業を知っている刑部は、試合を、永びかすのは不利と考えた。それは、彼に翻弄《ほんろう》され、気力を消耗する結果になるであろう。
勝負は、一気に決しなければならないのだ。
やや乱暴とさえ思われる位の、鋭い気合を以《もっ》て、刑部は、豪快な攻撃戦法に出た。
木刀とは云え、名手の手に握られれば、真剣に劣らぬ威力をもつ。
万一にも、対手のからだに打ち当てられたならば、傷つくはおろか、生命を喪《うしな》うかも知れぬ。
刑部の攻撃の、度を過した激しさに、みていた左太夫は、眉をひそめた。
木刀による試合の場合は、実際に対手のからだに木刀を打ち当てず、狙《ねら》いの寸前にとどめて、「詰め」による勝利を認めさせるのが、常法なのだ。
刑部の太刀遣いは、明らかに、その約束を無視して、八弥の五体に、撃突することを意図しているように見えたのだ。
頭、首、肩、胸、小手――と、至る処を、猛烈な勢で打ち下ろし、突き捲ってくる刑部の木刀を、八弥は、軽妙な足|捌《さば》きと、払い太刀によって、受け外していった。
八弥は、刑部の怖《おそ》れた通り、試合を永びかすことを目的としたらしい。道場の中を、四方に、飛び、跳ね、走り、刑部の追撃を避けて、めまぐるしく、身を転じた。
優れた剣士同士の試合が、こんな形をとることは、珍らしい。
が――受身一方の八弥の態度に、刑部が焦慮と憤怒の色を見せてきた時、八弥は、猛然と、反撃の態度に移った。
「最後の一撃は鍔《つば》で斬《き》れ」
と、師土子泥之助から、教えられている。
殆ど、対手のからだに、自分のからだを、ぴたりとぶっつけて行くかのように、手許深く飛び込んで、八弥が、叩き降ろした一刀が、勝敗を決したのである。
刑部の、受け止めた木刀が、ぽーんと、二つに割れて飛んだ。
次の瞬間、八弥の木刀は、刑部の喉首《のどくび》五分のところにつきつけられていたのである。
「勝負あり」
左太夫が、肩を落して、叫んだ。
第二の、新太郎と右馬之助の試合は、第一のそれに比べて、呆気《あっけ》ないほど簡単にかたがついた。
右馬之助と向き合った新太郎は、木刀を右片手に提げ、太刀の鋒を左斜下に向けて、きっと構えたとみるや、対手との距り四間ほどを、すらすらと、近づいていった。
その余りに無雑作な仕掛けぶりに、意表をつかれた右馬之助が、正眼に構えた木刀を、つと上に上げ、真向から打ちおろす。
新太郎の木刀は、凄《すさま》じい勢で左上りにはね上り、右馬之助の木刀を払い打った。
その新太郎の木刀が、そのまま、右馬之助の頭上から、帯の下まで拝み打ちに叩きおろされ、右馬之助の臍下《せいか》に突きつけられた。
右馬之助が、微動でもすれば、即座に一突きするのみである。
「参った」
左太夫の宣告する前に、右馬之助は、そう云って、頭を垂れた。
左太夫は、沈痛な顔をしていた。
自分の門下の双竜と云われた二人が、地方から出府してきた、年少の剣士に敗れ去ったのである。
――いや、あの二人だけではない。この自分が健康だったとしても、敵《かな》わないだろう。江戸新当流は、遂に、鹿島の本場のそれには及ばないのだ。
と、改めて、己れを愧《は》ずる心が湧いた。
――しかし、同じ新当流に、これだけの名手がいるのだ。しかも、江戸では殆ど、その名さえ知られていない。これらの若い人たちが、堂々と世に乗り出していったら、今は、柳生、小野両派に圧倒しつくされている新当流も再び、晴れの日を迎えることが出来るかも知れぬ。
そう思うと、流派の為には、小さな感情を棄《す》てて、悦《よろこ》んでよいようにも思われる。
複雑な心を抱いて、左太夫は、試合の終了と、明日の手筈を云い渡した。
この日の試合で、最も多くの動揺を受けたものは、しかし、他《ほか》ならぬ八弥であった。
彼は、刑部との試合には、辛うじて、勝った。
だが、つづいて行われた新太郎と右馬之助の試合をみて、愕然としたのである。
――新太郎と立合ったら、自分に勝目はない。
と、自ら承認させられたからである。
彼は、それまで、自分の脳裏にきずき上げていた計画を、全く変改する必要を感じた。
初めの計画が、どんなものであったか、そして、また、その変更が、彼の狡猾《こうかつ》俊敏な頭の中で、どのように行われたかは、容易に窺《うかが》い知ることは出来なかったが、彼は、その日の暮れ方、甲頭刑部を、誘い出した。
雨の上った後の、泥濘《でいねい》の途《みち》を、近くの常仙寺の境内まで導いて、本堂の階段に腰を下ろした。
「水谷氏、貴公の早業には兜《かぶと》を脱いだよ。大したものだ、その若さで――」
刑部は、試合の時にみせた満々たる敵意は忘れたように、素直に、対手の腕を賞讃《しょうさん》した。
「いや、あれは怪我の巧名です」
八弥は、一応|謙遜《けんそん》してみせたが、急に、妙なことを云い出した。
「私は、あなたに、詫《あや》まらなければなりません」
「何のことだ、それは」
「卜部氏を、松岡道場に連れて来た事です」
「なぜ、それを詫るのだ」
「阿由女どのの願いに委《まか》せて、何気なく探し出して、連れて行ったのですが、も少し、考えればよかったと、後悔しています」
「なぜ――」
「間違ったら許して下さい。あなたも、阿由女どのの事を、想っておられるのでしょう」
「うむ」
刑部は、少し紅くなって、憤ったような声で、呟いた。
「私は、余計なことをしてしまった訳ですね。明日、もし、卜部氏が勝てば、阿由女どのは、確実に、卜部氏のものになってしまうのでしょう」
「貴公が、勝てば――」
「私は、阿由女どのに、格別の気持は持っておりません。たとえ勝っても、阿由女どのをどうしようとも思って居りません」
「水谷氏、本当か、それは」
阿由女ほどの女性に対して、折角の機会を与えられながら、何の欲望も持たないなどと云うことは、今の刑部に、信じられぬことであった。
「本当です。私には、既に深く契った女がおります。もし、そうでなければ、私も、きっと、阿由女どのに恋したでしょう。何と云っても素晴らしい美女ですからね」
――そうなのだ、素晴らしい、全く素晴らしい美女だ、阿由女は。その阿由女が、人のものになる――
刑部は、胸の中で、苦しいうめき声をあげた。
眉を険しく寄せて、くらい眼を下に落している刑部を、横目でみながら、八弥は、徐々に、その耳に、毒液を注ぎ込んでいった。
「あれほどの美女は、この江戸にも、そういないでしょう。私に、もし、既に、定めた女がいなければ、私は、きっと、あの人を恋し、あの人を、自分のものにしたでしょう」
「阿由女どのは――新太郎を、想っているのだ」
「そんな事は、問題ではありません、私ならば、自分の欲しいと思ったものは、どんな事をしても、必ず、手に入れます」
どんな事をしても、――と云うところに、八弥が、異常な力を籠《こ》めたので、刑部が、はっと、顔をあげた。
その時、八弥が、思いもかけぬ事を、口にしたのである。
「まして、卜部氏は――阿由女どのに、値しない卑劣な男です」
「なにっ、新太郎が、卑劣な男! それは、どう云う意味だ」
武士として、容易に口にすべきでないその言葉に、さすがに刑部は、驚いて反問した。
「あの人は、鹿島の試合に優勝する為、父の卜部晴家と共謀して、有力な優勝候補者の日夏喜左衛門、飯篠修理亮、柏原篠兵衛の三人を暗殺したのです」
「水谷氏、云ってよいことと、云うべからざることとある。卜部晴家殿は、私も知っている、立派な人だ。そんな馬鹿なことが、ある筈はない」
「どんな立派な人でも、我が子への愛情のためには、盲目になることがあるものです」
「証拠があって云うのか、それは」
「勿論《もちろん》です、私が、その証拠の印籠《いんろう》を握って、新太郎に、つきつけたので、彼は、試合を抛棄《ほうき》して逃げ出したのです。私は、彼に、その事は、他言せぬと約束してやりました。しかし、あの卑劣な男のために、あなたのような、純朴な心の持主が、美しい恋を失うのを、見過ごす訳にはゆかないと思い出したのです」
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六
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刑部の狂恋は、彼の脳裏で、あらゆる不合理を合理化し、凡《あら》ゆる不可能を、可能とした。
一日前であったならば、考えるだけでも慄然として、自分を軽蔑《けいべつ》したに違いない、怖《おそ》るべき邪悪な考えを、彼は、自から、是認した。
――新太郎を、斬ってやろう。
この意図を、正義の為だと、彼は、自分で弁解したのである。
競争相手を、親子で謀殺するような卑劣な男に、あの清純な阿由女を渡すことは出来ぬ、天に代って、自分が、新太郎を誅《ちゅう》してやるのだ――と、自分に云ってきかせたのだ。
それは八弥の毒のある言葉が、その夜、一夜、彼の体内を駆けめぐった為ばかりではない。決意の最も強い要因となったのは、その夜、新太郎が、松岡道場に、泊ったことである。
道場が狭いので、八弥は、多田の邸《やしき》に移り、新太郎が泊ることになったのだ。
勿論、寝所は別だったとは云え、夜おそく迄、阿由女の部屋で話し合っている新太郎の声は、激烈な嫉妬の情を、刑部の体内に燃え上らせた。
嫉妬の生んだ報復の感情を、彼は正義の憤りと解釈した。
翌朝、その日の午後の、八弥との試合にそなえて、静かに想いを練っている新太郎を、刑部は、内密で話したい事があるからと、外に連れ出した。
昨日、八弥と話した常仙寺の境内に連れ込んだ。
刑部は、新太郎の左側にいた。
新太郎の肩が、半歩ほど前に出た時、
「えいっ」
刑部が、抜討ちをかけた。
刑部の腕で、絶好の位置――正に必殺の一撃である。
それが、危く、外れたのは、新太郎が、咄嗟《とっさ》に身を転じた為よりも、乾き切らぬ土に、刑部の足が、辷《すべ》った為である。
次の瞬間には、新太郎も、刃を抜き放っていた。
「甲頭氏――慮外なっ、何を、するのだ」
思いもよらぬ仕打ちに、新太郎は、憤るよりも、愕いて、詰問した。
「新太郎、お主は、新当流の名折れだ、死ねっ」
最初にして最後のつもりの一撃を外されて、刑部は、焦り狂っていた。
「無礼な、何を云う」
「胸に手を当てて考えるがよい、卑怯《ひきょう》者」
「なにっ」
「鹿島の試合に、何をした。父晴家と図って、競争者を謀殺したこと、今や、隠れもないぞ」
「うぬっ、何を、証拠にっ」
と、新太郎は、叫んだが、その顔色が、大きく動揺した。
暗殺現場に残されていたと云う父の印籠は、現に、自分が持っているのだ。
八弥が、洩《も》らしたか、漠然たる噂が、ここ迄とどいたか――何《いず》れにしても――
新太郎には、絶対、事実無根と云い返す気力がなかった。
その、新太郎の躊躇《ちゅうちょ》を、事実の承認とみてとった刑部が、
「新当流の名誉の為だ、死ねっ」
がっ――と、斬り下ろした。
「う」
殆ど、反射的にその刃を切り上げ、一歩、後に退った新太郎が、
「待て、甲頭氏、父は――父は、断じてそのような事をする人ではない、何かの間違いだ」
「ええい、卑怯ぞ、今更、何の弁解」
「冤罪《えんざい》だ、父の潔白は、必ず証拠を立てる。待ってくれ、甲頭氏」
刑部は、もう、新太郎の言葉を耳に入れなかった。新太郎と晴家とが、実際に、その犯罪を犯したかどうかは、その時の刑部にとって、もはや問題ではない。只《ただ》、眼前にいるその若い男が、阿由女を、自分から奪い去ろうとしている憎むべき敵なのだ、と云う感じだけになっていた。
「死ねっ、死ねっ」
低く、怒号しつつ、第二撃、第三撃を加えてゆく。
新太郎の方に、より多くの冷静さが残っていたことが、彼を救った。
怒濤《どとう》のように襲ってくる刑部の太刀を、新太郎は、巧みに避けつつ、退いていったが、本堂の階段まで押しつめられて、最後の一太刀を浴びせられた時、死地翻転の逆胴斬り――大きく左に飛んで薙《な》いだ一刀が、すっぽりと、刑部の脇腹《わきばら》にはいったのである。
「む、む、む、無念!」
と、前のめりにくずれた刑部を見て、
「しまった」
新太郎は、下唇を、血の出るほど、噛《か》みしめたまま、茫然《ぼうぜん》と佇立《ちょりつ》した。
ちょうど、その頃――
多田右馬之助は、閣老土井|大炊《おおい》の屋敷に呼ばれていた。
小身の旗本が、土井大炊に直接呼び出しを受けるなどと云うことは、異例のことである。
――何事か。
不安をひそめつつ、右馬之助は、大炊邸の一間で、主の出座を待った。
大炊が、姿を現わした。
大炊、時に六十歳に近い。両のびんも全く白い。皺《しわ》が濃く、何かひどく物思わし気な顔付をしている。
平伏した右馬之助の背を、しばらく、じっと見ていたが、
「右馬之助、面を上げるがいい」
「はっ」
「実はな、松岡に来て貰おうかと思うたのだが、左太夫、近頃|病臥《びょうが》の由じゃな」
「はい、老体のこととて、はかばかしからず――」
「うむ、うむ」
老人らしく、何度も、独り合点のように首を振った。
「新当流のことじゃ、左太夫でなくても、お前でよい」
「新当流のこと――と申しますると」
「新当流はな、先代松岡兵庫助の時には、上様御指南の一人じゃった。左太夫になってから、一向にふるわぬ」
「御意《ぎょい》」
「そこでじゃ、一つ、新当流に、手柄を立てさせてやろうと云うのじゃよ」
「有難い仕合せでございます、何なりとも」
「待て、待て、有難いか、有難くないか、わしの云う事を聞いてみねば分るまい。はは、なかなか大役じゃ」
「はい」
「駿河|大納言《だいなごん》殿――のこと、聞き及んでおろうのう」
大納言|忠長《ただなが》、将軍家光に怨恨《えんこん》を含んで、謀殺の志あり、浪士を召抱え、武器も蓄え、不平の大名と通じ――と云う風評は、右馬之助も、耳にしていた。
「駿河へ、隠密《おんみつ》として、入り込んで貰いたいのじゃよ」
「隠密!」
「そうじゃ、大納言殿、諸方に人を派して、腕の立つ浪士を求めおる由、お前が、その求めに応じて駿河に赴き、城内の様子を探ってくるのじゃ――どうだな、大役であろう。その代り、見事なしとげたらば、新当流が、芽をふこうぞ」
駿河――新当流代表水谷八弥――挑戦者卜部新太郎――阿由女――そして自分。
こうした一連の映像が、走馬灯《そうまとう》のように、右馬之助の頭の中を走りめぐった。
余りに唐突なことなので、新しく課されようとする使命と、現在の事情とが、どう結びつくものか、急には判断ができないでいると、
「どうじゃ、行くか」
大炊が、ぽんと、煙草盆《たばこぼん》を叩いた。
いやだと云って、断われることではない。
上司の命令なのである。
「お受け致しまする」
右馬之助はとりあえず、そう答えるよりほかはなかった。
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駿府の巻
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一
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東海道五十三次、その始点の江戸と終点の京とを除けば、街道各宿駅の中《うち》、最大なものは、云《い》う迄《まで》もなく、駿河《するが》国府中(駿府《すんぷ》)である。
だが、その府中が、東海道を上下する諸大名に、特別の眼《め》を以《もっ》て見られたのは、決してそれが最大の宿駅であったからではない。
駿府城主徳川|大納言《だいなごん》忠長《ただなが》と云《い》う存在の為《ため》である。
当代将軍|家光《いえみつ》の実弟として、前将軍|秀忠《ひでただ》の寵児《ちょうじ》として、否、さらに、不逞《ふてい》の野望を抱く叛逆《はんぎゃく》児として、忠長の存在こそは、或《あ》る意味では薄気味悪く、或る意味では頼もしいものであった。
江戸への往復には、各大名|悉《ことごと》く、駿府城に伺候して、忠長の機嫌を伺《うかが》ったことは勿論《もちろん》である。
その中の或るものは、云わず語らずの中に、忠長の野心を刺激し、或いはこれに迎合したであろう。
城下には、また、無数の浪人たちが、諸国から群がり集まった。
元和《げんな》偃武《えんぶ》以来、夥《おびただ》しい数に上っているこれら失業武士の群にとっては、忠長こそは、自分たちに、再び世に出る機会を与えてくれる救世主と見えたのである。
東海に放たれた猛虎《もうこ》――
富士|嶽麓《がくろく》の臥竜《がりょう》――
彼らは、忠長を、そう呼んだ。
江戸幕府に対して、叛逆を企図するだけの勇気と実力を持つ唯一の人物――と、見たのである。
まして、その忠長が、
「一芸一能のある士は、広くこれを天下に求める」
と、公言している。
西の丸に隠退している大御所秀忠は、病床にあるのだ。秀忠の身に万一のことある時、その機会を掴《つか》んで、臥竜は雲を呼び、猛虎は風に嘯《うそぶ》いて、驚天動地の大波乱を捲《ま》き起すのではないか。
浪士たちは、そうした期待に胸をふくらませて、駿府城下に、昨日も、今日も、集まってきていた。
そうした駿府城下に、卜部《うらべ》新太郎、多田|右馬之助《うまのすけ》、水谷八弥が、相前後して、姿を現わしたのである。
最初に、到着したのは新太郎であった。
彼は、思わぬ挑戦に応じて、甲頭刑部を斬《き》ってしまった時、
――江戸を去らねばならぬ。
と、決心したのである。
――父の秘密が、既に、松岡門下に拡《ひろ》まっている。
と思っただけで、二度と松岡の道場には、顔を出せぬ気がした。
まして、松岡左太夫の秘蔵弟子甲頭刑部を、手にかけて殺してしまった以上、この江戸に、止《とど》まる訳にはゆかぬ。
その場から、小伝馬町《こでんまちょう》の宿にとってかえすと、書面をしたためて、松岡道場の水谷八弥に当てて届けさせた。
文面は、
「図らざる事情により、甲頭刑部を討ち果した故、道場へは戻らぬ。貴下は、いずれ駿府へ赴かれることと思う。駿府に於《おい》て、約束の試合を果したく、先発して、彼の地で、お目にかかる日を待っている」
と云う意味のものである。
八弥は、驚愕《きょうがく》の色を装いつつ、その書面を阿由女《あゆめ》と、右馬之助とに見せた。
「まあ、新太郎さまが、甲頭さまを殺したなどと――一体、どうした事でしょう、信じられませぬ」
と、阿由女は、夢想もしなかった椿事《ちんじ》に茫然《ほうぜん》としたが、運び込まれた刑部の死体が、冷酷な解答を与えた。
一間に籠《こも》って泣き伏した阿由女の流した涙は、刑部の死を悲しむためよりも、折角、会うことの出来た新太郎と、再び遠く離れてしまわねばならぬと云う不幸に対してであった。
一方、八弥と二人、相対して、刑部の亡骸《なきがら》の前に坐《すわ》っていた右馬之助は、何か深く考え込んでいるように見えたが、終《つい》に、重々しく口を開いた。
「莫逆《ばくぎゃく》の盟友、甲頭を討たれて、そのまま見過す訳にはゆかぬ。私は、駿府に赴いて、新太郎を討つ」
右馬之助は、巧みに、刑部の死を利用して、駿府へ行く機会を捉《とら》えたのである。
土井|大炊《おおい》に、隠密《おんみつ》として駿府へ赴くことを命ぜられてから、これを人々の手前、何と理由づけようかと思案していた彼にとっては、刑部の死は、絶好の口実を提供してくれたのだ。
恋の競争者二人の中、刑部が斃《たお》れ、新太郎が、駿府に去った以上、阿由女を独り江戸に置いて行くことに不安はなかった。
否、隠密として、相当の働きをして戻れば、阿由女を迎えるための条件もよくなると、彼は、彼なりに計算したのである。
八弥は、尤《もっと》もらしく、うなずいた。
「御尤もな仰《おお》せです。当然、そうなさるべきでしょう。だが、阿由女どのに、それを報《し》らせてはまずい。内密に、出立される方がよいでしょう」
「もとより、その積り」
新太郎を討つと云っては、阿由女に恨まれ、止められることは明白なのだ。内密にしておくことこそ、願わしい。
「私も、両三日中には、駿府へ参ります。私は、卜部氏と試合のため、あなたは仇討ちのため、両人共、卜部氏を追って駿府へ――はは、妙なことになりましたな」
八弥は、内心の魂胆を、美しい白皙《はくせき》の額の背後にかくして、さり気なく云った。
その翌日――
八弥は、阿由女に向って、ぬけぬけと云ったのである。
「阿由女どの、御|存知《ぞんじ》ですか。多田氏は、甲頭氏の仇を復するため、卜部氏の後を追って、駿府へ旅立ちましたぞ」
「えっ」
と、仰天するのに、すかさず、
「私は必死になって止めてみましたが、聞入れなかったのです。あの人を思い止まらせるのは、あなたよりほかはありません」
「私が――どうしたらよいのでしょう」
「駿府へ行くのです、そのほかに方法はありません」
「参ります、私、すぐ参ります」
「私も明日、駿府へ伺います。御差支えなければ、同行しましょう」
願わしい対手《あいて》ではないが、全然知る人もない遠国に行くのには、こんな同行者でも、いてくれた方がよい。
阿由女は同行を約束した。
だが――彼女は、それを、江戸を離れた第一日に、早くも後悔した。
神奈川の宿で、八弥は、阿由女のからだに挑んだのである。
「いけませぬ、水谷さま」
と、身をすくめて、飛びのく阿由女に、八弥は、迫った。
「何故だ、鹿島《かしま》で、奉納試合に優勝した私は、当然、あなたと卜伝流の嫡統とを貰《もら》う権利がある」
「それは、卜部のおじさまが、はっきり、お断りした筈《はず》です」
「あなたは、新太郎と云う男を知らないのだ、あの男は、あなたが思っているような立派な男ではない。彼が、何故、奉納試合を捨てて鹿島から姿を消したか、その理由を、あなたは知っているのですか」
「男の方には、女子に分らぬ、色々な事情があるものです。私は、新太郎さまを信じています」
「それ程に云うのならば、教えて上げよう。新太郎は、晴家殿と図って、日夏、飯篠、柏原の三人を暗殺したのです」
「そんな――水谷さま、よい加減な出たらめは云わないで下さい。卜部のお父さまも、新太郎さまも、そんな破廉恥なことをする方ではありませぬ」
「私は、はっきりとその証拠を握っている。新太郎が、甲頭氏を殺したのも、甲頭氏に、それを詰《なじ》られたからですよ」
「嘘《うそ》です、嘘です――そんな筈はありませぬ」
理屈ではない。愛する男を、信じ切っている乙女《おとめ》の心は、たとえ、明白な証拠を目の前にみせつけられたとしても、揺がなかったであろう。まして、かねてから好感を持たぬ八弥の言葉などは、頭から、受けつけなかった。
口で云って分らなければ、力で――と、八弥が、再び飛びかかろうとすると、阿由女は、懐剣に手をかけた。
「息のある限り、新太郎さまよりほかの方のものにはなりませぬ」
きっと睨《にら》んだ瞳《ひとみ》に、決死の色が、まざまざと浮んでいる。
――無理をすれば、本当に死ぬかも知れぬ、この女。
と、さすがの八弥も、それ以上は、乱暴な行為に出ることを、諦《あきら》めた。
「新太郎は――それほどの男か」
忌々し気に呟《つぶや》いた八弥の顔に、無念さと、妬《ねた》ましさとが、入り乱れ、秀麗な相貌《そうぼう》が、ひき歪《ゆが》んだ。
「私は、新太郎さまを、この世で、唯《ただ》一人の殿御と思っております」
云い切った阿由女の、思い詰めた美しさに、八弥は、ぎりッと歯を噛《か》んだ。
――新太郎めを、殺してやる。
平塚の宿、小田原の宿――眼前に、恋い焦れた女を見ながら、手を触れることも出来ず、八弥は、生れて初めて屈辱を味わいつつ、駿府の城下に入ったのである。
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二
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八弥は、師土子泥之助に紹介された城西の郷士《ごうし》飯村作左衛門の家に草鞋《わらじ》の紐《ひも》をといた。
旅宿の多い伝馬町からは、可なり距離がある。その上、旅の間、警戒して充分の睡眠もとらなかった阿由女は、到着と同時に、からだを悪くして寝込んだ。
――大丈夫、この様子なら、独りで、新太郎を探しに出かけることもあるまい。
と思ったが、念の為、自分の留守中、阿由女を絶対に、外に出さぬようにと、よくよく、作左衛門に頼んでおいて、八弥は、城中に、家老|三枝《さえぐさ》伊豆守《いずのかみ》を訪ねた。
新当流の正式の代表者として、同流の最も優れた剣士として、推薦すると云う、鹿島神宮宮司吉川惟正の書状を差出すと、三枝は、
「うむ、鹿島からも、報せが来ておる。定めし、見るからにいかめしい大男かと思うておったのに、なかなか、世にも珍らしい程の、美しい男じゃな、ははは」
と、笑った。
「当藩に召抱えの儀だけならば、これだけ立派な推薦状があれば、問題はあるまい。早速、殿にも、申上げてみる。だが――」
と、片|眼《め》を細めて、じっと見据え、
「先日、妙な申入れをした者がある」
「は?」
「新当流の嫡統をつぐ卜伝流の卜部新太郎――とか云ったな――知っておるか」
「はい。存じております」
「その卜部と云うのが参ってな、新当流代表としてのその方が着任したらば、改めて、試合をさせてくれと云うのだ」
「卜部と申すのは、鹿島の奉納試合の際、私を怖《おそ》れて、逃亡致した男でございます」
「ほう、怖れて、逃げた者が、今更試合を申出るのは、変じゃな」
「さようでございます。しかし、彼が望むならば、私は、あえて辞しませぬ」
「そうか、それならば、いっその事、その男と、真剣勝負をしてみてはどうじゃ」
「よろしゅうございます」
八弥は内心の、動揺を押し隠して答えた。
「来る九月二十四日、当城内に於《おい》て、真剣御前試合が行われる。その番組の最後に、その方と卜部との試合を組み入れておく。正式の召抱えは、その試合後と云う事にしよう」
「はあ」
「その方も、新当流代表として推薦されたもの、万々、ぬかりはあるまいが、卜部と申す男、なかなか出来るぞ」
「御家中の方と、立合いましたか」
「いや、立合いはせぬが、見事な腕前を見せてゆきおったのだ」
三枝の話によると、新太郎は、八弥との試合を願い出て来た時、三枝から、
「水谷との試合に、自信があるのか」
と、半ば、冷笑を以《もっ》て、反問された。
三枝の眼に、新太郎が余りに若く思われたし、一方の水谷八弥と云う代表剣士は、豪勇の偉丈夫だと、想像されていたからである。
新太郎は、その時、ちらっと、三枝を見上げ、
「まず――」
と云いざま、頭を下げ、つつっと、一|間《けん》ばかり退いて、にっこり笑った。
怪訝《けげん》そうに、見返した三枝に向って、新太郎は、
「御|脇息《きょうそく》を――」
と、指さした。
「なに」
軽く右の肘《ひじ》をのせていた脇息に、思わず力が入ると、ぐらっと、脇息が前に倒れ、三枝の上体が、前にのめった。
脇息の前の脚が、斜に、すっぱりと切り離されていたのである。
「御無礼――御容赦、願い上げます」
云い捨てて、新太郎は退出していった――と云うのである。
「周左、先日の脇息を持て」
三枝が命じて、持ってこさせた脇息の、前の脚の切り口を、八弥は、熟視した。
なめらかに、磨き上げたような断面を、一閃《いっせん》、白銀の光が走り、声なき気合が、息をとめる許《ばか》りの鋭さで、空に鳴る――
――見事だ、
と、八弥は、腹の底で、呻《うな》った。
が、同時に、
――おれにも、出来ぬことはない。
昂然《こうぜん》たる反撥《はんぱつ》心が、湧《わ》いた。
「どうじゃ、いつ抜いたとも見えぬ中に、それだけの早業をしてのける男じゃ、油断はなるまいぞ」
「心得ております」
冷たい声で答えた八弥が、
「では――」
と、一礼し、後退ざりして室外に出た。
二間と歩かぬ中に、部屋の中で、
「や、や、やりおった」
と、叫ぶ声がした。
侍臣が、愕《おどろ》いて首を出すと、三枝は、前脚を切り落された新しい脇息を、抱き上げて、目を見張っていた。
その切れ端は、前に新太郎の切ったものと、殆《ほとん》ど全く同じ角度をみせて、双生児のように転がっていたのである。
背後の叫び声を、にやりと笑って聞き流した八弥は、三枝の邸《やしき》を出ると、三枝に聞いた新太郎の宿所に向った。
新太郎は、折よく在宿である。
「卜部氏、三枝殿から、あなたの申出は承りました。九月二十四日、藩主の御前で、真剣試合をせよ、との事です」
「真剣試合!」
新太郎は、事の意外に、驚いた。
「そうです。その方が、却《かえ》ってよいではありませんか。私は、承諾して来ましたが、あなたの方に、異論がありますか」
ただ、優劣を決すれば足りるのだ。敢《あえ》て、真剣で、生命を賭《か》ける事もない――と考えたが、対手から真剣で挑戦されて、断わることは出来ぬ。
「むろん、異論はありません」
「ところで、卜部氏」
「はあ」
「多田氏が、甲頭氏の仇をうつのだと云って、駿府に来ています」
「あ――それは、困った。私は、多田氏と闘いたくない」
「私も、試合の日まで、あなたが、他の男と闘うことは望みません。それ迄は、掠《かす》り傷一つ、負って貰いたくないのです」
「何とか多田氏を説得して下さい」
「いや、それは、むつかしい、朋友《ほうゆう》の仇を討つと云うのは、正々堂々たる理由ですからね。あなたは、だから、試合の日まで、彼に見つからぬよう、少し城下を離れていて下さい」
「止《や》むを得ぬ、そうしましょう」
「海道を少し戻って、小吉田村と云う処に、稲葉屋と云う宿があります。そこの主人を私が、紹介しますから、そこに身をかくしていて下さい」
手筈をきめて、新太郎と別れると、八弥は直ちに、その足で、伝馬町の旅宿をたずね歩いて、右馬之助を、見つけ出した。
右馬之助は、浪士風に身を変えている。
手づるを求めて、城内に入り込むつもりであろう。
「多田氏」
と、云いかける八弥に、
「あ、ここでは、石村三左と名乗っている、そのつもりで」
「これは、失礼、石村氏、卜部氏の居処は分りましたか」
「いや、この辺の旅宿にはいない様だ」
「そうでしょう、扇町にいます」
「ほう、扇町のどこです」
「今、そこへ行ってはまずいでしょう。今宵《こよい》、戊《いぬ》の刻、小吉田村の方へ引き移る筈です。その路《みち》を擁して、仇を討つのがよいでしょう。城下を離れて、邪魔の入らぬところで」
「忝《かたじ》けない、よく報らせてくれた」
「ですが、多田氏、いや石村氏」
「うむ」
「失礼な事を云うと、憤らないで下さい。卜部氏の腕は、御存知の通りです。残念ながら、甲頭氏も、私も、あなたも、まともに闘っては、容易に勝てません」
松岡道場での試合で、それは充分、右馬之助にも分っていた。ただ、剣士の面目上、必死になって、捨身で闘うだけだと、この男は、単純に考えていただけである。
「勝負は、時の運だ」
「その通りです。勝つかも知れぬ、負けるかも知れぬ。だが、負けて、命を喪っても、よいのですか」
「已《や》むを得ぬことだ」
「あなた個人としては、そうでしょう。だが、あなたは、他に使命がある筈です。命さえ捨てればよい――では、済まないのではありませんか」
「使命?」
右馬之助が、どきりとした。
「はは、私が知らないと思っているのですか。あなたは、あの時、土井大炊殿の御屋敷に呼ばれて行ったではありませんか。それから急に、駿府へ行くと云われた。仇討は、つけたりで、本当の使命は、別にあるのでしょう」
「なにっ」
右馬之助が、刀の柄《つか》に手をかけた。
隠密の正体を知った対手は、斬るよりほかはない、と、眼の色が変っている。
「およしなさい」
八弥は、平然として、云った。
「私も、同じ使命をもっているのです」
「えっ」
「頼まれたのが、土井殿ではなくて、酒井殿と云うだけの違い――同じ仲間ですよ」
「そうか――」
と、右馬之助は、思わず滲《にじ》み出ていた額の汗を拭《ぬぐ》った。
「私は、首尾よく、駿河藩に召抱えられることになりました。その中、あなたも、何とかして、押し込んで上げます。お互いに協力しましょう」
「頼む」
「だから、卜部氏と命を釣り代えにしてはいけません。どんな手段を講じてもよい、彼を殺してしまうのです」
どんな手段を講じても――と云うところに、力を入れて、八弥が、囁《ささや》いた。
邪悪な悦《よろこ》びが、雲母《うんも》のように、その黒い瞳の奥に、光っていた。
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三
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その夜、駿府の城下の外れ、東と西とで、血が流された。
新太郎は、八弥に教えられた小吉田村を指して、月影の明るい夜道を、歩いていた。
長々とつづく街道は、蒼白《あおじろ》い光の流れとなって彼の前面に伸び、その月光の流れを横切って、両側に植えられた松が、黒く、鮮明な影を落している。
彼の若い魂は、憂鬱《ゆううつ》であった。
大きなしこりとなっている父晴家のこと、心にもなく斬捨てた甲頭刑部のこと、江戸に残してきた愛する阿由女のこと、そして、自分を仇と狙《ねら》う多田右馬之助のこと――が、渦を巻いて、彼の頭を責め苛《さいな》む。
――水谷との真剣試合を終ったら、何とかして、右馬之助の誤解を解き、江戸に戻って、阿由女に会いたい。いや、その前に、父に会って、あの忌わしい疑惑を、とかねばならぬ。むしろ、この事こそ、先《ま》ず第一に、やるべきことだった。あの父が、あんな馬鹿《ばか》げたことをやる筈はない。
思い思いつつ、いつしか、長沼の一里塚のあたりを歩いていた。
一里塚の傍に、民家が、二軒並んでいる。
突如、その間から、躍り出た黒い影が、行き過ぎようとした新太郎の背後から、どーんと、ぶつかった。
「やっ、何をする!」
右にからだを躱《かわ》すと、更に一人、正面から、そして、第三の男が、第四の男が、遮二無二、むしゃぶりついて来た。
「ばかっ、よせっ」
正面の男を蹴《け》り上げ、左右の男の手首を掴《つか》んで、両側に叩《たた》きつけた瞬間、異常に鋭い剣風が、うなじに、鳴った。
――不覚!
と、咄嗟《とっさ》に身を転じたが、右の肩を一太刀、斬られていた。
抜き払った刀を手に、その恐るべき剣士と相対した。
黒い覆面に、顔をかくした男が、多田右馬之助だとは、もとより、知る由もない。
三人を対手にしている隙《すき》を背後から狙《ねら》ったとは云え、その切先《きっさき》の鋭さは、容易な対手ではないと、新太郎は、全身の神経を刃の先に集中した。
腕に格段の差違があれば兎《と》に角《かく》、ほぼ同等のものが、このような状況の下で、背後から抜討ちをかければ、先ず、防ぎようはない。
右馬之助の刃が、新太郎に致命傷を与え得なかったのは、彼の腕が劣っていたからではなかった。
右馬之助の心の片隅に残っていた良心の咎《とが》めが、新太郎の命を救ったのである。
右馬之助は、あぶれ者をやとって、卑怯《ひきょう》な騙《だま》し討《うち》をやることについて、自から、恥じる心を、完全には払拭《ふっしょく》し切れなかったのだ。
――隠密としての大切な使命がある。命を捨ててはいけない。新太郎を斃すには、どんな手段を講じてもよい。
と、八弥に謎《なぞ》をかけられ、卑怯な暗討を決意したものの、最後の決定的瞬間に於てさえ、彼の良心は、彼自身を咎めていた。
それが、彼の、必殺の一撃を、無意識の中に、鈍らせたのである。
傭《やと》われたあぶれ者たちは、双方の刃の光を見ると、逃げ失《う》せた。
二人は月光を全身に浴びて、街道のただ中に、対峙《たいじ》した。
「何者だ、名乗れ、卑怯なっ」
新太郎が、叱咤《しった》した。
正に卑怯だ。その卑怯な行為をやって、失敗した以上、己れの正体をみせる訳にはゆかない。
右馬之助は、固く沈黙を守ったまま、致命の第二撃を与える機会を、狙った。
新太郎は、正体不明の襲撃者の腕が、予想以上に優れたものである事を看取すると共に、大きな絶望が、彼を捕えた。
最初の一撃によって斬られた右肩の出血が、背を伝って流れ、右の腕が、酷烈な痛みを全身に拡げていったからである。
――無傷のまま立向ったとしても、恐らく五分五分の対手だ、この深傷《ふかで》では――
一歩、一歩、退きつつ、彼は、自分が、死地に追いつめられつつあることを知った。
が――
一刀ノ相討チ、何ノ思惟《しい》モ入ル可《ベカ》ラズ、
流祖卜伝の教えが、電光の如《ごと》く閃《ひらめ》くと、
――そうだ、こやつと共に、死ぬのだ。
どす黒い雲に覆われかけていた彼の眼界が、ぱっと輝き、白い虹《にじ》が、彼の刃の先に、迸《ほとばし》った。
「おおっ」
己れの骨を対手の刃にぶつけると共に、己れの刃を、対手の骨に叩き込む、捨身の激突、卜伝流一の太刀の極意。
斬った――が、同時に斬られた。
左の腕に、一撃を受け、辛うじて身を立て直した時、対手も、大きく左の肩を斬り下げられていた。
そして、対手の顔を覆った黒い布が、外れて、地に堕《お》ちた。
「ああ、多田氏」
新太郎は、よろめきつつ、たたっと、身を引いた。
「よして下さい、多田氏、あなたとは、斬り合いたくない、よしてくれ、頼む」
右馬之助は、刃を握った右手で、左肩の傷を押え、肉体的な痛みと、良心の痛みとで、醜く頭を歪め、唇をふるわせた。
「いやだ、いやだ、あなたとは、斬り合いたくない」
新太郎は、狂ったもののように叫ぶと、身を翻して、走った。
――追いついて、斬らねばならぬ。
右馬之助の心は、そう考えて、焦ったが、何故か、足が動かない。
――おれは、いやしむべき男だ、武士にあるまじき卑劣なことをした。
二カ所の重傷に、ぶったおれそうになりながら走り去る新太郎の姿が、青白い月光の波と黒い松の影の織りなす綾《あや》の中に、まぎれて、消えてしまうまで、彼は、凝然と、そこに立ちつくしていた。
ちょうど、その頃《ころ》――
城下の西の外れ、八弥と阿由女の宿泊している飯村の家でも、惨事が勃発《ぼっぱつ》していたのである。
夜に入ってから、多少の酒気を帯びた八弥が、阿由女の泊っている離れにやってきていきなり云ったのだ。
「阿由女どの、悪い報せだ」
既に、臥床《ふしど》についていた阿由女は、素早く起上って、衣装《いしょう》をひっかけた。
「何でございます」
「卜部氏が、多田氏に、斬られ――」
「えっ」
「即死だ」
ふだんから大きい瞳を、はり裂けそうに開いた阿由女が、
「嘘、嘘です、そんなこと――」
「本当だ、私が、この眼で見てきた」
「どこです、それは、私、すぐ、参ります」
「行っても無駄だ、城の大手の前だったから、すぐに役人が来た。卜部氏の死骸《しがい》は、役人が引取っていったし、多田氏は、隠密の嫌疑で捕えられた。うっかり、出てゆくと、巻き添えをくいます」
「構いませぬ、私、参ります」
新太郎のこととなると、何もかも打忘れて、必死の行動を起こそうとする阿由女に、八弥の嫉妬《しっと》が、猛火の如く狂い上った。
「阿由女どの、新太郎を、それほど思いながら――この私には――ううむ、もう許さぬぞ、阿由女、この八弥のものになるのだ」
手負いの野獣のように狂暴な眼になり、阿由女に踊りかかった。
あっと云う間もない。
夜具の上に、押し伏せられた。
上に羽織った衣裳が、辷《すべ》り落ち、純白の薄い寝衣一枚――柔かい、弾力のある肌と、若々しいあえかな香りとが、八弥の理性を、完全に駆逐した。
左手で、阿由女の細い首を絞めながら、右手をその裾《すそ》にかけた時、阿由女が、
「く、苦しい」
「云うことを聞け、阿由女」
「苦しい、離して――」
「私のものになるか、阿由女」
阿由女が、かすかに、うなずいた。
「阿由女――そうか、分ってくれたか、私のものになってくれるか」
女の、突然の屈服に狂喜した八弥が、手をゆるめて、上半身を起した時、阿由女の右手が、さっと伸びた。
「あっ――何をする」
阿由女は右手に握った懐剣を、われと我が胸に突き刺したのである。
鮮血が、忽《たちま》ち、純白の肌と寝衣とを、真赤に染めていった。
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四
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新太郎が、傷ついた右の肩と左の肘《ひじ》とから、血をしたたらしつつ、ひた走りに街道を走っていった時、前方に、人影が現われた。
この夜道をこめての旅人――余程、急ぎの用であろう。しっかりした足どりで歩いていたが、月光に照らされたその顔は、意外にも自髯《はくぜん》の老翁《ろうおう》のそれである。
自分の方に向って、白刃をひっさげたまま走ってくる新太郎の姿を認めても、格別、驚いた風もなく、つと足を止めて、路傍に避けただけである。
だが、その瞳は緊張し、老いた躯《からだ》に、どんな事態にも即時に対応出来るだけの、構えが見てとれた。
新太郎は、路傍の松の陰《かげ》に立ったその老人の姿が眼に入らないのか、依然、多田右馬之助の追跡を怖《おそ》れているのか、傍目もふらず、走り抜けようとした。
その時、うつむき加減の新太郎の顔を、覗《のぞ》き込んだ老人が、驚愕の叫びを挙げたのである。
「新太郎!」
「えっ」
「新太郎ではないか、わしだ!」
「あっ、父上」
「如何《いかが》致したのだ、その姿は――」
「父上、多田氏を――止めて下さい」
「うろたえ者――しっかりせい、誰《だれ》も、追うてはおらぬ」
ほっと気をゆるめて、大きく息をついた新太郎に、晴家が、落着いた声で云った。
「傷を負うたな、応急の手当をしよう」
手当を受けながら、新太郎が、右馬之助の襲撃について、手短かに話すと、
「心配するな、多田には、わしが話してやろう」
刃を納めた新太郎を伴って、先刻の場所に行ってみたが、既に、右馬之助の姿はなかった。
老いた父と、傷ついた子とが、久し振りの対面に、心置きなく話を交わしたのは、それから駿府の城下に入って、宿をとってからのことである。
「一体、どうして、父上がここに」
と、不審を起した新太郎に、晴家は、鹿島を去って江戸に行った阿由女から、最後の便りとして、駿府に、新太郎を探しに行くとあったのをみて、憂慮の心を押え切れず、唯一人|老躯《ろうく》をひっさげて、出掛けて来た由を告げた。
「それにしても新太郎、春の試合以来、その方の行動、全く解し難い。何か深いわけがあるのであろう。隠さずに申せ」
と、云われると、新太郎は、もはや、自分の抱いていた忌わしい疑惑を、これ以上、包みかくしている気がしなくなって、
「父上、これを御覧下さい」
と、八弥から受取っていた印籠《いんろう》と根付《ねつけ》とを、晴家の前に差出した。
「お、これが、どうして、お前の手にあるのだ」
「根付は、日夏喜左衛門氏が殺された時、その傍に落ちていました。印籠は、柏原篠兵衛氏が死んだ時、あの部屋にあったのです」
深い淵《ふち》に飛び込むような、絶望的な勇気を以て、新太郎は、父の顔を、きっと睨みながら云ったのだが、晴家が即座に答えた声には、何の暗い蔭もなかった。
「奇怪なことだ。その印籠は、土子の参った時、根付を付けたまま、わしが机の上に置き忘れ、何者かに、盗まれてしまったものだ」
「盗まれた――誠ですか、父上」
「偽りを云うて、何になる。腰につけたものを、一品ずつ、別の場処に落とすほど、わしは耄碌《もうろく》はしておらぬ」
突然、新太郎の眼を覆っていたうろこが落ち、凡《すべ》てが、明白な姿をとって現われた。
「水谷め――企《たく》らみおったな」
その凄《すさま》じい形相に、晴家が愕いた。
「水谷が、何としたのだ」
「父上、お許し下さい――私は、父上を、疑っておりました。申訳ありません」
新太郎は、一切を話した。
聞く毎に、晴家の驚愕と憤怒とは、大きくなった。
「憎むべき奸智《かんち》にたけた奴《やつ》じゃ。あのような悪党を、かりにも新当流の代表者として、忠長公に推薦したのは、鹿島剣士一統の償い難き失策であったな」
「父上、私は、彼奴《きゃつ》を斬ります」
新太郎は、いきり立った。
「待て。まず、その傷を癒《なお》すことじゃ。今聞けば、彼奴とは、忠長公の御前で、真剣試合をする事になっている由。それこそ、よい機会じゃ。晴れの場処で、見事に、彼奴を斬り捨てるがよい」
それ迄、待てぬと、歯がみする新太郎を、漸《ようや》く、晴家は、なだめ終わせた。
「しかし、父上、阿由女は、どう致したのでしょう」
「たしかに、この駿府に来ておる筈じゃ」
「もしかして、水谷めが、甘言を以て、たぶらかして――」
「いや、阿由女は、根性のしっかりした女子じゃ、そのような事はあるまい。明日にも、わしが探してみる」
翌日から、晴家は、城下を隈《くま》なく探したが、阿由女の所在は、全然、分らない。
悪いことには、新太郎の、肩の負傷は、存外重く、化膿《かのう》してきたので、
「試合までには、何としてでも、癒してしまわねばならぬ」
と、心配した晴家は、とりあえず、新太郎を連れて、切傷によく効く、と云われている信玄の隠し湯、下部の温泉に、養生に赴くことにした。
だが、療養の経過が、はかばかしくなかったのは、ただ肉体的条件ばかりの為ではなく、阿由女の身を案じて、焦慮する精神的原因の為でもあったろう。
十日ほど経《た》って、左の肘の傷は、殆どよくなったが、右の腕は、自由に動かせなかった。
――試合までに、果して癒るか、
――阿由女は、どうしているか、
暗い心を抱いて、常葉川に沿う山道を、新太郎が、唯一人、散歩していた時である。
ぐっと屈曲した狭い道を、何気なく廻《まわ》った途端、すぐ眼の前に現われた男を認めて、
「あっ」
と棒立ちになった。
「おお」
と、対手も、愕きの声を挙げたが、
「卜部氏、どうしてここに、――その傷は、どうなさったのです」
白々しくも尋ねたのは、水谷八弥だった。
八弥は、阿由女を、この下部の宿に連れてきていたのである。
あの夜、自から、胸を刺した阿由女に、さすがに肝をつぶした八弥は、医師を迎えて、必死の看護をした。
意識をとり戻した阿由女は、
「新太郎さまは、新太郎さまは」
と、云いつづけ、新太郎の生死を確かめたいと、狂い悶《もだ》えた。
その阿由女の望みに任せて、城下に走らせた与吉と云う飯村家の男は、
「石村と浦辺と云う二人の新当流の剣士が、隠密の嫌疑で、お城の討手に取りかこまれ、石村は捕えられ、浦辺は殺されたそうでございます」
と、報告した。
「石村は多田氏の変名、浦辺は卜部のことだ、私の云った通りなのだ」
八弥が云う言葉も耳に入らず、阿由女は、絶望の声を挙げて泣き沈んだ。
心身両方に受けた、大きな傷手の為に、衰弱し切った阿由女を、八弥は、なだめすかして、この温泉に連れてきたのである。
自分も、新太郎の後を追って死んでしまいたい、と云う阿由女に、八弥は、鹿島の晴家のことを想《おも》い出させ、一度は、とにかく鹿島に戻って、報告した上、新太郎の菩提《ぼだい》を葬うべきではないかと、説いた。その上、阿由女の心が分った以上、もう二度と、無理な要求はしないと、固く誓った。
――女の心は、必ず変る、いつかは、おれのものになるのだ。
八弥は、そう考えて、長期戦術に、転換したのである。
が――この出湯で、新太郎に出会おうとは思いもかけなかった。
あの後で、右馬之助と会って、新太郎の右肩に一撃を与えたと聞いて、右馬之助程の腕で、右肩を斬ったものなら、到底、試合までには、完全に癒るまいと、ほくそ笑んだ。勝利は確実に自分のものだ、この上は、新太郎の生存を、試合完了まで、阿由女の耳に入れぬようにしておけばよい、と考えていたのである。
今、図らずも、この山径《やまみち》で、新太郎に遭遇し、その右肩の傷が予想外に重く、布片で釣っている右腕が、全く用をなさないらしいのを見てとると、八弥は咄嗟《とっさ》に決心した。
――好機だ、今、斬ってしまおう。
そして、その為の絶好のきっかけは、他《ほか》ならぬ新太郎の方から提供してくれた。
「水谷、よくも、この新太郎を瞞《だま》し、父に汚名を着せおったな」
「何を云うのだ、卜部氏、血迷うたか」
「えい、恥知らずめ、己れが、日夏、柏原両氏を暗殺しておきながら、父の印籠を盗んで、父に濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》をきせおって、飽迄、知らぬと、云い脱《のが》れるつもりか」
八弥の美しい相貌が、さっと一変し、猛々《たけだけ》しい邪悪の色を漲《みなぎ》らすと、
「ふん、漸く、分ったか、間抜け殿」
「なにっ、おのれ、許さぬぞ」
「ほう、そのからだで、このおれに向ってくるつもりか、命知らずめ」
「うぬっ」
辛うじて左手に剣を抜いたものの、
――しまった、このからだでは、とても敵《かな》わぬ、
と、新太郎、前後を忘れた自分の若さに、臍《ほぞ》を噛んだ。
「望みとあれば、斬ってやろう」
八弥は、充分の自信を以て、剣を抜いた。
慣れぬ左腕一本で、新太郎は、驚くべき死闘を試みた。
大抵の剣士ならば、この時の新太郎の、憤激に燃えた、無謀に近い攻撃の為に、斃されたことであろう。
しかし、対手は完全に健康な時でさえ、五分五分の腕をもつ八弥である。
勝負は、結局、最初から予想された通りの結果となった。
新太郎の斬り込みを、巧みに外して、その疲れを待った八弥が、
「くたばれッ」
と、一喝して、踊り込んだ時、新太郎は、もはや、それを受け止める力を持たなかったのである。
血飛沫《ちしぶき》を上げて、路上に倒れた新太郎に、八弥が、とどめの一刀を加えようとした時、岩角の向うに、数人の人の話し声を聞いた。
八弥は、脱兎《だっと》の如く、脱れ去っていった。
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五
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城下に新太郎の生死を確かめに行った与吉が、阿由女に対して、石村、浦辺と云う二人の隠密が一人は殺され、一人は捕えられたと報告したのは、嘘ではなかった。
ただ、その日取りは、八弥が阿由女に云ったのとは喰《く》い違っていたが、新太郎の死と云う一事に、度を失った阿由女が、気付かなかっただけである。
石村三左|即《すなわ》ち、多田右馬之助が新太郎の為に負った左肩の傷の為に、病臥《びょうが》している時、江戸から、土井大炊の秘命を受けて、同じ旗本の清川源太兵衛と云う男が、秘《ひそ》かに訪れてきた。
二人が密談を重ねている時、大勢の足音が乱れ騒ぎ、障子が蹴倒された。
「隠密多田右馬之助――神妙にせい」
と、十五六人の捕吏が、乱入してきた。
「何を云う、わしは常州浪人石村三左、こちらは朋友――浦辺源太郎だ」
「黙れッ、隠密の素姓、既に分明致しておる、神妙に縄にかかれッ」
と、勢い込んで怒鳴った捕吏が、その声の終ると同時に、
「う、うーむ」
と、呻って仰向《あおむ》けに倒れかかった。
右馬之助は、血に染まった刃を握って、床の上に立っていた。
「お主、逃げろ」
清川に、そう云っておいて、捕吏の群の中に、踊り込んだ。
左肩に傷を受けているとは云え、右手の自由な右馬之助の剛剣は、さすがに、松岡道場で、甲頭刑部と並んで双璧《そうへき》とされただけあって、眼を驚かすほど、凄じいものであった。
忽ち、三人が斬り斃され、二人が傷つき、捕吏の一群が、どっと庭に退く。
「清川、逃げろ」
「ばかな、おれも闘う」
清川も、二人を倒していた。
「命を惜しむものではない、任務が、大切だ、おれが闘っている間に、斬り抜けろ」
「うむ、多田、頼むぞ」
一方を斬り開いて走る清川の姿を見て、右馬之助は、なおも必死の乱闘を続けた。
捕吏の一群の殆ど凡てが、或いは斃れ、或いは傷ついた時、急の報せに、第二群の二十数名が馳《は》せつけた。
殆ど――滅多斬り――と云ってもよい、気力|竭《つ》き果てた右馬之助は、全身に十数カ所の傷を受け、第二群の捕吏の半ばに打撃を与えながら、遂《つい》に捕えられた。
脱出した清川は、城下外れで、追手に囲まれ、鉄砲で射殺された。
石村三左――が、幕府の隠密多田右馬之助であると密告したのは、勿論、水谷八弥である。
凡ての剣の競争者を、こうして排除した彼は、十分の自信を以て、阿由女を説得し、下部へ連れていったのである。
そして、その身延《みのぶ》で、最大の競争者新太郎をも斃したのだ。
こうした事件のあった間に、駿府城下は、来るべき真剣御前試合の為に、続々と人が集まり、試合をめぐっての下馬評は、ますます高くなっていった。
既に公表された十一組の組合せは、
第一番が、伊良子《いらこ》清玄と藤木《ふじき》源之助《げんのすけ》。前者は両眼|盲《めし》い、右足の不具ながら、その奇怪な「無明逆流れ」と称する剣法については、既に、城下に多くの、神秘的な噂《うわさ》が流れていた。
後者は、清玄と同門の弟子で、二人の争いには、師岩本|虎眼《こがん》の娘|三重《みえ》と、その妾いくとをめぐる恋と剣の意地が、からんでいると云う。
第二番は、駿河藩士座波間左衛門と磯田《いそだ》きぬ。
きぬは、女の身ながら、薙刀《なぎなた》の名手。健気《けなげ》にも、間左衛門に討たれた亡夫久之進の仇を復したいと願い出たものである。
第三番は、月岡《つきおか》雪之助と黒川小次郎。
月岡は、元|尾張《おわり》藩の浪人、現在は月岡生之助と名乗って、駿府城下に道場を開いていた。黒川は、その月岡に討たれた伯父《おじ》矢部六大夫の仇討を正式に、尾張藩を通じて申入れてきたものである。
第四番目は、笹原《ささはら》修三郎と屈木頑之助。
前者は、歴とした駿河藩の槍術《そうじゅつ》指南、刺穿《しさく》絶妙と唱《うた》われている名手。屈木は富士の風穴に棲《す》む、素姓知れぬ浮浪の凶漢、これ迄に藩士斎田宗之助、及び笹原権八郎、浪士倉川喜左衛門の三人まで斬殺《ざんさつ》している。原因は、師|一伝斎《いちでんさい》の娘|千加《ちか》に対する頑之助の邪恋である。
屈木が果して、その当日、権八郎の従弟《いとこ》修三郎の挑戦に応じて、風洞から出て試合場に姿を現わすか否か――何人《なんぴと》も、予言し得るものはなく、それだけに却《かえ》って、人々の興味をそそった。
第五番は、鶴岡《つるおか》順之助と深田剛之進。
両名は、何《いず》れも駿河藩士、竹馬の友人でありながら、いつの頃からか、剣と女のことで憎み合うようになり、果し合いをしようとした。
家老三枝が、これを禁止すると、二人は脱藩してでも、闘うと云う。止《や》むなく、真剣試合を許したのである。
第六番は、児島《こじま》宗蔵と津上国之介。
二人とも、半年から一年ほど前に召抱えられた藩士だが、この二人が何故、真剣試合をしなければならぬか、その事情は、藩の重役たちだけが知っている。
城下の噂は、同藩の鹿島某の娘をめぐる恋の遺恨から、果し合いを願い出たものだと云うものもあるし、過日殺害された、忠長の腰元あいの犯人と疑われている津上を、それとなく、児島に処分させる為の処置だとも云われた。
第七番は、黒江剛太郎と片岡京之介。
黒江は、甲府城下に道場を開き、自から工夫した未来知新流と云う二刀剣法を以て聞えた剣士であり、片岡は、駿河藩書院番ながら、二階堂流の名手。両人は、流派の名誉をかけて争うものと云われ、前者の「飛竜剣」と、後者の「垂れ糸の構え」とが、如何なる勝負をみせるか――これは、専《もっぱ》ら、玄人筋の間で、大きな関心を集めていた。
第八番目は、小村源之助と進藤《しんどう》武左衛門。
小村は判官流の達人、なかんずく、その秘法十条の一、疾風剣を得意とする。進藤は、神道流槍術をよくし、殊に、その絶妙の陣幕突きは、自ら無敵と自負するもの。
この試合には、特に、試合場に陣幕を張り、進藤は、その陣幕越しに、小村を突くことを認められていた。
第九番目は、芝山半兵衛と栗田《くりた》彦太郎《ひこたろう》。
芝山半兵衛は、駿河藩御馬方を勤める六十余歳の戦場生残りの勇士。栗田彦太郎は、同藩の御弓矢奉行を承る、弱冠二十五歳の青年。
しかも、この両者は、実戦そのままの甲冑《かっちゅう》をつけ、馬上に打ち跨《またが》って行われるものと、公表されていた。
事の起りは、芝山が、栗田の剣法を、戦場に役立たぬ道場剣法と、嘲笑《ちょうしょう》した為だと云う。
第十番は、成瀬大四郎と笹島志摩介。
成瀬は、一刀流の大江某を、墓石と共に斬り捨てて、石切り大四郎と呼ばれているが、新当流の分派に属する高名の剣士。笹島は、元仙台浪人、成瀬の推挽《すいばん》によって、駿河藩に勤めるようになったものだが、恩人成瀬の妻|絹江《きぬえ》に云い寄った為、成瀬から、果状をつきつけられると、殿の御前で、真剣で勝負を決しようと、居直ったものである。
第十一番目は、水谷八弥と卜部新太郎。
成瀬、笹島は共に、新当流の分派である間宮流と織部流の流れを汲《く》むものであるが、新当流の本流を伝える、その代表者として、登場するのが、水谷八弥であり、これに挑戦するものが、卜部新太郎。勝利者は、正式に、駿河藩剣道師範として、召抱えられるものと見られていた。
八弥は、新太郎を斬ると、直ちに下部を避けて、身延の麓《ふもと》に移り、駿府城下の噂を、阿由女から、遮断していたが、愈々《いよいよ》試合が迫ると、
――新太郎は、たとえ命をとり留めたとしても、とても、試合には出られまい、
と、見極め、阿由女を伴って、駿府城外の郷土飯村の家に戻った。すぐに、三枝伊豆守を訪れて、
「卜部新太郎、行方不明との噂を承りましたが」
と、素知らぬ顔をして云う八弥に、伊豆守が、皮肉な笑いを浮べて答えた。
「新太郎は、負傷して出場出来ぬそうじゃ。その代り、彼の父卜部晴家と云うのが、その方と試合したいと申入れておる」
「えっ、卜部晴家殿が――」
「そうだ。八十に余る老人、無理じゃと思うて止めてみたが、なかなか聞かぬ。尤も晴家と云うのは、名だたる塚原|卜伝《ぼくでん》の甥《おい》で、新当流の古強者とか――闘ってみるか」
「もとより、辞する処ではありませぬ」
と云い切った八弥に、伊豆守が、痛烈な一言を浴びせかけた。
「水谷、お前の噂は頗《すこぶ》るよくない。鹿島でのこと、逐一、晴家から聞きとったぞ――いや、いや、弁解はいらぬ、退るがよい」
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六
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新太郎が死んだので、晴家が、代りに挑戦してきた。
と、八弥は、阿由女に云った。
「卜部の小父《おじ》さまが――」
漸く傷の癒えた蒼《あお》い顔に、さっと血を上らせて、阿由女が叫んだ。
「小父さまは、八十の御老人ではありませんか、あなたは、それでも、試合をなさるのですか」
「剣の道に、年齢はない。晴家殿は、恐るべき名手――が、勿論、私は、敗れはせぬ」
「やめて下さい、やめて下さい」
「心配しなくてもいい、私は敗れはせぬが、晴家殿を殺すようなことはせぬ。相打ちにもってゆくつもりだ。この上、そなたに嫌われては、大変だからな」
「私は、小父さまに会ってきます、小父さまは、どこに居るのです」
「新太郎は、隠密嫌疑で斬られたのだ。晴家殿も、当然、藩庁に拘置されている、会うことは出来まい」
八弥と阿由女とが、こうした会話をしていた、ちょうど、その時、新太郎は、自分の腹に脇差《わきざし》をつき立てていた。
二度の重傷に、とても試合に出場出来ぬと知って、彼は、潔く、自決の道を選んだのである。
「新太郎、何と云うことをするのだ、愚か者め!」
と、隣室から飛込んできた晴家が、胸の破れるような叫びを挙げたが、新太郎は、苦しい息の下から、
「父上、明日の試合はやめて下さい。阿由女を捜し出して、鹿島に戻って、安らかに――」
と云って、がくりと突っ伏した。
老いた晴家の全身に、激烈な復仇《ふっきゅう》の念が、焔《ほのお》を上げて燃え熾《さか》り、皺《しわ》だらけの頬《ほお》を、赤く熱した。
――よし、水谷め、老いたりと雖《いえど》も、この晴家、命にかけて仕止めて見せるぞ。
晴家は、薄命であった愛児の亡骸《なきがら》に、手を合せて、固く誓った。
かくて――
春以来の幾多の宿縁をひそめて、老剣士卜部晴家と、青年剣士水谷八弥とが、いよいよ、白刃を持って相|見《まみ》えたのは、試合の当日、陽《ひ》も既に、西に傾きかけた頃である。
駿府城内南広場の白砂は、試合毎に、掃き浄められたとは云え、朝から、十番の真剣試合に流された血汐《ちしお》は、その新にふり撒《ま》かれた白砂の下から、ふつふつと沸《たぎ》り上ってくるかとも思われた。
何よりも、広場一帯に、云い様もない凄惨《せいさん》な死臭が、強くただよって、殆ど凡ての人々が、軽い嘔吐《おうと》感と眩暈《めまい》とを感じてきている。
それ迄に行われた十組の試合は、次のような結果に終っていた。
第一番は、藤木源之助が、伊良子清玄の無明逆流れの魔剣を破って、上半身を斜に斬り裂いた。
が、同時に、引幕の後にいた二人の女性いくと三重とは、己れの胸を貫いて、死んだ。
第二番は、意外にも、磯田きぬの薙刀が、座波間左衛門の額を真向から、兜《かぶと》割りに叩き斬った。
第三番は、黒川小次郎の復仇にならず、月岡雪之介、得意の戸田流浮舟の一太刀に、空《むな》しく斃れた。
第四番は笹原修三郎、左|膝《ひざ》を割られながら、屈木頑之助の右肩を背骨まで貫いた。しかも、瀕死《ひんし》の頑之助は、小柄を投げて、悲恋の対手、千加の胸を刺した。
第五番は、鶴岡順之助と深田剛之進、正式の試合開始前から、既に刃を抜いて闘ったが、最後に、双方期せずして、「獅子《しし》反敵」の構えをとって、激突し、互に、対手の刃を脇腹につき刺して、同時に絶息した。
第六番は、風車十字打ちの手裏剣に傷つけられた児島宗蔵が、津上国之介の気のゆるみに乗じて、これを斬ったが、その直後、鉄砲頭剣持治助の鉄砲によって、射殺された。
津上は隠密として、当然殺されるべき運命にあったのである。
第七番目は、片岡京之介、己れの得意とする「垂れ糸の構え」を自から破られるに任せ、左肩に黒江剛太郎の飛竜剣を突き立てたまま、対手を斬った。
第八番は、進藤が陣幕越しに、突き出した槍《やり》先を、巧みに外した小村が、陣幕を結びつけた紐を切って陣幕の端を握ったまま、進藤をぐるぐるに捲き込んで、首を落とした。
第九番は、栗田彦太郎が歴戦の勇士芝山半兵衛の内股《うちまた》を突き刺して、馬上から転落させた上、その喉首《のどくび》を貫いた。
が――これは、その実、彦太郎の代りに、その父二郎太夫が、半兵衛の代りに、その倅《せがれ》新蔵が、各々《おのおの》身替りとなって、甲《かぶと》と頬当てに顔をかくし、相互に、それと知らずに闘ったものであった。
第十番目は、試合前に成瀬大四郎が石切りの秘技を実演してみせた上、志摩介と凄烈な相打ちをとげ、両者ともに斃れた。
朝からの十番の試合に、対戦二十名の中、相討ちと射殺とを合せて、既に十二名の生命が絶たれ、三人が重傷を負い、加うるに、観衆の中、三名の女性が、或いは自殺し、或は小柄に刺されて死んでいる。
最後の第十一番目の試合に於て、果して、どちらの血が流されるのか。
暮色、漸く城内の松の梢《こずえ》にかかろうとして、死の如き沈黙が、あたりを領していたが、その不気味な気配の中には、もう、試合の結果がどうでもよい、少しも早く終了して欲しいと云う、人々の嫌悪の思いが、明かに見てとれた。
剣を構えた晴家の五体は、壮者の如く力に満ち、峻烈《しゅんれつ》の気魄《きはく》は、白刃の切先まで満ち満ちている。
「おのれ、水谷、思い知らせてくれるぞ」
と、炯々《けいけい》たる眼光に、無限の憤怒を閃めかせて、八弥に烈《はげ》しい言葉を叩きつけたが、八弥の方は、例の如く、白皙の額、益々《ますます》冴《さ》えて、凄いまでの美しさ、些《いささ》かも崩れず、冷静そのものである。
「老人の冷水。新太郎の後を追うがよい」
嘲《あざけ》るが如く、云ってのけた。
「新当流の面汚し、この晴家が、師父卜伝に代って誅罰《ちゅうばつ》する」
「新当流の代表は、このおれだ。老いぼれを斬って、卜伝流と阿由女とは、おれのものにする――ふふ、阿由女は、既に、おれが、辱《はず》かしめたぞ」
対手の精神的急処を衝《つ》いて、混乱せしめるのは、八弥の常套《じょうとう》手段である。しかも、それは、適確に効を奏した。
「うむ、阿由女まで――」
激怒満身、八十有余の老翁とは、とても信じられぬ早業で、晴家の剣が、八弥の頭上に叩きつけられた。
その太刀筋は、八弥の始めから、予想したところである。
俊敏、豹《ひょう》の如く、隼《はやぶさ》の如く、八弥の軽快な、しなやかな四肢は、縦横に跳躍した。
晴家の剣が、なお充分に、怖るべき鋭さを持っていることを、第一撃で看《み》てとった八弥は、試合を永びかすことによって、老人の身に疲労が齎《もた》らされることを狙《ねら》った。
卑怯――と見えるまでに、晴家の斬り込む太刀を外し、右に左に、後に、逃げ、踊る、八弥に対して、観衆の中から、非離の声が飛んだ。
しかし、八弥は、それが全く耳に入らぬものの如く、広い砂上を、あたかも翻弄《ほんろう》するが如く走り廻って、晴家の刺撃を避けつづけた。
遂に、八弥の計算した時が来た。
晴家の息が、乱れ、進退する足の捌《さば》きが、鈍ってきた。
と見て――八弥は、猛然と、攻撃に移ったのである。
晴家は、思わず、守勢に追い込まれたが、永年、鍛えた剣士の直覚は、もはや、
――我が骨を斬らせて、対手の骨を斬る。相打ちの他にない。
と、咄嗟に、決心させた。
「えい、おう――」
晴家が、絶叫して、八弥の刃に向って、己れの身を叩きつけていった。
その、言語に絶する強襲に、八弥のからだは、一歩、後に押し返され、同時に、その左の肩から、血が噴き出した。
だが、その同じ瞬間、晴家は、額を真二つに割られ、自髯を真赤に染めて、左右に揺れ、ばったりと、砂上に斃れたのである。
左の腕を、殆ど斬り落される程、深く傷つけられた八弥が、蒼白《そうはく》の額に汗を滲ませて、勝利の判定を受け、血を垂らしつつ幕のところに迫って来た時、
「覚悟!」
と、一声、試合終了のざわめきの中に鋭く響いた。
阿由女の握った短刀が、八弥の脇腹を深くえぐったのである。
八弥は、ううっ、と呻りつつ、半ば無意識の中に、刃を、横に払った。
「あっ」
と云う、阿由女の、断末魔の声を聞きながら、八弥は、その場に崩れ落ちた。
戦国末期から、徳川初期にかけて、上泉《こういずみ》武蔵守《むさしのかみ》・柳生《やぎゅう》但馬守《たじまのかみ》の新陰流、伊藤一刀斎の一刀流と並んで、剣法の三大流派を形成した新当流が、その後次第に振わず、なかんずく、新当流の嫡統たる卜伝流が、全く後を絶つに至ったのは、以上のような宿縁の殺戮《さつりく》が、同流の傑《すぐ》れた剣士の悉《ことごと》くを、無残な死に逐《お》いやったためである。
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剣士凡て斃る
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一
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静岡市在住の手島竹一郎氏家伝の写本「駿河《するが》大納言《だいなごん》秘記」は、寛永《かんえい》六年九月二十四日、駿河城内に於《おい》て、城主大納言|忠長《ただなが》の面前に於て行なわれた真剣御前試合に関する、信憑《しんぴょう》すべき唯一の資料である。
同写本によれば、当日行われた十一番の試合に於て、二十二名の対戦者の中《うち》、十四名が敗北により、又は相討ちによって即死し、他の二名が試合直後に殺され、生き残ったものは僅《わず》かに六名、しかもその中の二名は重傷を負ったと云《い》う。
正しく、腥血凄絶《せいけつせいぜつ》、合戦の時を除いては恐らく空前絶後の惨状であったろう。
無傷に勝ち残ったものは、次の四名であった。
盲目の剣士|伊良子《いらこ》清玄の奇怪な無明逆流れを破った虎眼《こがん》流|藤木《ふじき》源之助《げんのすけ》。
夫の仇である駿河藩士今川流の使い手座波間左衛門を、女ながら薙刀《なぎなた》を以《もっ》て斬《き》り伏せた磯田《いそだ》きぬ。
峰打ち不殺を以て知られながら、心ならずも黒川小次郎を斬ってしまった月岡《つきおか》雪之介。
進藤《しんどう》武左衛門の疾風陣の突きを破った判官流の名手小村源之助。
重傷を負ったが、とに角生命を全うしたものは、膝《ひざ》を割られながらも浮浪の剣士|屈木《くつき》頑之助を斃《たお》した駿河藩|槍術《そうじゅつ》師範の笹原《ささはら》修三郎と、左肩を深く刺され乍《なが》ら未来知新流黒江剛太郎の飛竜剣を破ってこれを刺した二階堂流の片岡京之介とである。
しかるに、御前試合の終了したと思われた時、思い掛けずも現われた車|大膳《だいぜん》と称する不敵の剣士の為に、月岡雪之介は惨殺され、これを追跡した小村源之助は脇腹《わきばら》に深傷《ふかで》を負わされた。
従って、全く無傷に生き残ったのは、女人磯田きぬを除けば藤木源之助ただ独りとなった訳であるが、これは最初から左腕がない。
とは云え、試合に勝った者を、藩当局に於て召抱えるべきことは、予《あらかじ》め公示されていたのであるから、藤木に対しては、直ちに召抱えの通達がなされたが、意外にも、藤木は、即座にこれを固辞した。
「有難き御|仰《おお》せを何故にお受けせぬ。三百石では不足と申すのか」
家老の三枝《さえぐさ》伊豆《いず》は、ひどく不機嫌になって、詰問したが、藤木は、些《いささ》かも思い上がった風はなく、ただ困惑の態で、
「飛んでもなきこと、数ならぬ身を高禄《こうろく》にて御召し抱え給《たま》わるとのこと、まこと、身に余る儀とは存じまするが、私、仕官の心はございませぬ」
と、拝謝するのみであった。
さすがの三枝も手を焼いたが、主君忠長からは、是非とも召し抱えよと申し渡されている。
この癇癖《かんぺき》の塊りの如《ごと》き主君の意に反する事など、到底思いもよらぬ。
「よし、それ程までに申すならば、強いてはすすめぬ。だが、せめてしばらくの間は、城内に止《とど》まって、若い者どもに稽古《けいこ》をつけてやって呉《く》れぬか。頼む」
三枝が、ここまで折れて、言葉を尽すと、藤木も無下には否み兼ね、その希望に従うことを答えた。
三枝は老獪《ろうかい》である。とに角、一応、城内にとどめておけば、その中によい機会をみつけて、何としてでも口説き落せようと、腹の底に計算していたのだ。
しかし藤木が、これほど頑固に、何人《なんぴと》も悦《よろこ》んで受けるであろう有利な仕官の道を拒絶したのには、それだけの理由があった。
彼が、伊良子清玄を討ったのは、己れの師岩本虎眼と、兄弟子|牛股《うしまた》権左衛門の仇を復したいと云う熱望に動かされたから計《ばか》りではない。勿論《もちろん》、その剣士としての意地が大きな動因であったに違いないが、同時に、虎眼の女《むすめ》三重《みえ》の心を獲ようと云う悲願が、より大きく働いていた事を認めねばならない。
三重は云った。
――清玄を討って下されば、その夜にでもあなたの妻になります。
そして、三カ年の間、常住|坐臥《ざが》、傍にあって、彼を励ましてくれたのだ。
永い年月、恋い焦れていた師の女と共に暮らしながら、そのからだに指一本触れ得ぬことが、若い藤木源之助にとって、どれ程の苦悩に満ちたものであったかは、容易に推測し得るであろう。
彼はこの生地獄を脱出し、三重の裸身を隻腕の中にしかと掻《か》き抱く夜を夢みて、必死の努力を続けた。
そうして、遂《つい》に、清玄の無明逆流れを破り得たのである。
ところが、その直後、彼の夢は、無慚《むざん》に粉砕されてしまったのだ。
清玄の斃《たお》れた刹那《せつな》、幕の外から覗《のぞ》きみていた三重は、われとわが懐刀を胸に突き立ててその命を絶ってしまったのである。
――三重は、あれほど強く、清玄を殺せと云いながら、父の仇である清玄を、己れの命にかけて想《おも》い込んでいたのだ。
彼は、総身の血がこぼれ出てしまった様な虚脱感に襲われた。
――何の為に、棄身《すてみ》になって剣の修行をしたのか。
凡《すべ》てが空《むな》しく、憤ろしく、そして、哀《かな》しかった。
到底、仕官するような心にはなれぬ。否、日々、己れの生存を続けてゆくことさえ、今は全く無意義とさえ思われてきていた。
この先、どうしようと云う当もない。
ただ、三枝の知遇にいささかなりとも酬いる意味で、当分、藩士たちに稽古をつけてやっているのみである。
同じ試合の勝利者である片岡京之助、小村源之助は、それぞれ身に受けた傷が癒えると、藤木と顔を合わす機会が、何度もあった。両名とも、駿河藩士なのだ。
相互に、あの日の試合振りは見て、知っている。各々《おのおの》の剣技に対する敬意も、優り劣りはない。
そして、彼らと剣の上の話をつづけている時だけ、藤木の心も、多少とも紛らされているように見えた。
三人が、屡々《しばしば》話題に上《のぼ》せたのは、もう一人の勝者である磯田きぬの事である。いや、きぬよりも、その相手であった座波間左衛門のことである。
「どうにも解し難い。座波の今川流は、私はよく知っている。きぬ殿も、薙刀をよく使うが、まともに闘っては、とても座波の相手ではない。あの時の試合振りは、まるで座波が、きぬ殿の薙刀に己れの方からわざと、からだをぶつけて行くようにしか見えなかった」
生前の座波を熟知している小村が云う。
「左様、斬られるのを楽しんでいるようにさえ見えた。座波氏は、初めからきぬ殿に斬られるつもりでいたのではないかな」
片岡も、そう見ていた。
「きぬ殿の良人《おっと》、久之進は、座波の親友であった。久之進が乱心して斬ってかかったので、已《や》むなく斬り棄てたのだが、親友を斬った事に心|咎《とが》めて、きぬ殿の復仇《ふっきゅう》の刃に、快く死ぬつもりになっていたのであろう」
これは、家中一般の考え方でもある。
傍で聞いていた藤木が、口を挟んだ。
「座波と云う人と、きぬ殿とは、どう云う間柄なのです。ただ友人の妻と云うだけですか」
「いや、きぬ殿は、たしか座波の従妹《いとこ》であった筈《はず》だ」
「すると、幼少の頃《ころ》からの知り合いですな」
「それは、そうだろう」
藤木は沈黙した。
しかし、事態の本質を、たとえ一部なりとも見破ったのは、恐らくこの時の藤木のみであったに違いない。
その藤木にしても、座波が生まれついて、愕《おどろ》くべき被虐症であったと云う事実は、到底、看破する由もなかったが、少なくも、座波がきぬに、深く恋慕していたに違いないと直感した。
これは、恐らく、彼自身の苦い体験の為であろう。
藤木が、磯田きぬに対して、いささか好奇の心を起こしたのは、この洞察の故である。
試合当日のきぬの姿は、奇妙にくっきりと、記憶の中にあった。
丈長の黒髪をぷっつりと切り棄て、根元を固く結えて白鉢巻をしめ、全身白一色のいでたちに、薙刀を抱えて立ったきぬの、必死の覚悟を決めた凄絶な姿は、しばし、みる人の息をとめる程美しかったのだ。
ただ美しかった許《ばか》りではない。その面立ちが、どこか三重に似通っていたことが、その映像を、藤木の頭脳の一隅にしっかりと残したに違いない。
それから数日後。
「あそこに、磯田の後家が――」
と、若い藩士の一人に指されて、その方に瞳《ひとみ》を向けた時、藤木の体内で、何かが、背骨を中心に、がらりと三百六十度回転したようであった。
それは、この時まで、彼の骨髄に充満していた三重に対する執念が、一瞬にして四散したはげしい動揺の為であったかも知れぬ。
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二
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小村源之助は、座波間左衛門ときぬとの試合についての疑惑を、徹底的に究明したいと考えていた。
これは、剣士として、当然の事である。
彼は、座波が少年の頃から、強烈な変態的被虐症であり、美しい男女に己れの身を傷つけられることに、この上ない快感を感じていたこと、その為に幾たびか出世の機会を失っていた事実を知らなかった。
座波はきぬに恋慕した。そしてこの男にあっては、恋慕をすれば、その相手から、ひどく傷つけて貰《もら》わねば、生きている気がしなかった。
これは、常人には到底理解し兼ねることだが、間左衛門に於ては、避け難い必然であったのである。
きぬに対する想《おも》いが、その極に達した時、間左衛門は、きぬの刃に己れの肉を斬らせる事を熱望し、その瞬間の陶酔を味わう為には、生命をも惜しくないと思いつめた。
乱心と称してきぬの良人久之進を斬った時、彼は、きぬが必ず復仇を申し出ることを予知していたのである。
そして、彼は念願通り、きぬの刃に存分に斬られて、至福の陶酔の中に殺された。
このような奇怪な事情は、小村がいかに考えても、探知し得る筈はない。
しかし、彼は間左衛門の奇妙な敗因を知ろうとして、磯田きぬに接近したのである。
明眸《めいぼう》、常に、罪多し。
ただ剣の上の執心から、きぬに近づいたつもりの小村が、幾たびかきぬと話している中に、いつしか、深く、きぬの明眸に魅し去られてしまったのは、小村の若さときぬの美貌《びぼう》とも考え合わせれば、不思議はない。
小村は剣の道には優れていても、女人を口説く術は拙劣であったらしい。
己れの慕情を表わす最初の言葉は、
「きぬ殿、あなたの薙刀の技、私は感じ入っております。一度、お手合わせ願えないでしょうか」
と云う、およそ無粋極まるものであった。
これでも、彼としては精一杯のお世辞で、彼はこれを口にしながら、羞恥《しゅうち》の為に、頬《ほお》をほてらせていたのだ。
実の処、彼はきぬの薙刀を、それ程高くは評価していない。勿論、女人としては恐らく抜群の名手であろう。しかし、まともに立ち合って、手強い相手であろうなどとは、夢にも思っていなかった。
しかし、相手の容色を面と向かって賞《ほ》めることなど、とても出来ないので、薙刀の技を賞めてみたのである。
きぬが、この要求に応じたのは、彼女自身、座波間左衛門の闘いぶりに納得のゆかないものを感じていたからだ。
自分が精魂を尽して闘ったことは自覚していたが、間左衛門が自分の刃先に斃れようとは夢想もしていなかったので、試合が終った時、彼女は、自分の前に斃れている相手をみて、己れの眼《め》を疑った。
――自分の薙刀の業が果して、それほど優れたものであろうか。
愛する良人久之進の恨みを晴らしたと云う満足と喜悦との時間が過ぎ去ると、彼女はしばしば、自問自答した。
小村から、立ち合を求められた時、これに応じたのは、小村によって、己れの薙刀の技の真価を試してみたいと云う考えが、彼女の頭に閃《ひらめ》いたからであろう。
小村は木太刀を、きぬは稽古薙刀をとって、相|対峙《たいじ》した。
きぬが亡夫の死後、独り守っている屋敷内のことである。
小村は、きぬの構えを見て、内心、
――ほう。
と、驚嘆の声をあげた。これほどとは予想していなかったのだ。
「御免――」
と一声、きぬの薙刀が上段に上って、真向|袈裟《けさ》切りに打ち下ろされた。
軽く躱《か》わした小村をめがけて、切り上げ、草|薙《な》ぎ、山|廻《まわ》り、首除小手、逆袈裟、右胴、相突き、横面切りと、とても女人の腕とは思われぬ烈《はげ》しい攻撃が続く。
さながら一本の薙刀が数本に分れて車輪の転ずる如く、飛瀑《ひばく》の襲いかかる如く、並の者ならば、到底応接に暇《いとま》ない程である。
が、さすがに、軽捷《けいしょう》俊敏を特技とする判官流の小村の動きは見事であった。
右を打てば左にあり、左を突けば背後に在り、旋風の如く相手の四周を旋回して、全く刃先をよせつけない。
きぬが、漸《ようや》く疲労の色を濃くした時、小村は判官流秘法十条の一、疾風剣を以て飛鳥の如く、きぬの懐中に飛び込んで、左手に薙刀の柄を把み、右手の刃を、きぬの胸先につきつけた。
「参りました」
きぬが、淋漓《りんり》と流れ落ちる汗を拭《ぬぐ》うと、
「お見事、よくぞ闘われた」
紅潮したきぬの、艶《あで》やかな顔容に、思わず見惚《みと》れながら、小村が、偽りならぬ嗟嘆《さたん》の声を発した。
得物を棄てて、縁におろした時、きぬが、改めて云った。
「小村さま、まことの処をお教え下さりませ、過日の御前試合、座波どのは、力を尽して闘われたとお考えになりまするか」
「されば――」
小村は口籠《くちごも》った。いやしくも剣に関することに嘘《うそ》は云いたくないのである。
「只今《ただいま》、私は、死力を尽して、あなたと試合させて頂きました。私の技は、お分りになった事と存じます。こんな技で、座波どのを斃し得たとは、どうしても信じられませぬ」
「されば――」
小村は、再び躊躇《ちゅうちょ》したが、遂《つい》に思い切って云ってのけた。
「実の処、われわれも、座波殿、何らかの理由あって、ことさらに太刀先を緩められていたものと拝見しました」
「やっぱり――」
「え、何か、お心当りがあるのですか」
「いえ――あの、何でもございませぬ」
と、慌てて答えたものの、きぬは、
――間左衛門どのは、内心|秘《ひそ》かに、私を想っていたのだ。
と云う思いを確かめた。これは、試合の直後から、彼女の心の一隅を占めていた疑問である。こう思ってみれば、間左衛門の生前、夫久之進を訪ねて来た時に、自分を見つめる瞳の色に、何か妖《あや》しい執念のひそんでいたことが、今更の如く、まざまざと眼底に浮かぶ。
良人の仇、間左衛門に対して、一抹《いちまつ》の憐憫《れんびん》の情が、きぬの深い瞳を、憂《うれ》わし気に曇らせた。
「きぬ殿、座波氏でなくとも、あなたを相手にしては、刃がにぶるでしょう」
小村が、両眼の縁が千切れるような緊張し切った顔で、そう呟《つぶや》き、視線を逸らせた。
「えッ、小村さま、それは、どう云う意味でございます」
「かりに、私が、真剣を持って、あなたと相対したとしても、私には、あなたを斬れない――と云うことです」
これは、明かな、恋情の告白に等しい。
きぬが、さっと頬を赤らめた時、小村が追っかけて、より明白な表現をした。
「きぬ殿、あなたは、余りに美し過ぎる」
良人を失って半歳《はんとし》にもならぬ女、しかも、その亡き良人を熱愛していた事が明白である女に対して、これは些《いささ》か当を失した言葉であった。
きぬは、即座に席を起《た》つか、相手の言葉を窘《たしな》めるかすべきであったろう。
だが、そのどちらも、きぬはしなかった。
それは、恋慕――には、程遠いとは云え、小村に対する特別の好意が、この時既に、きぬの胸中に、巣喰《すく》っていたからに違いない。
二人の間に、ややぎごちない沈黙がつづいた。もう少し、それが続いたら、恐らく、小村は、その圧力を堪え兼ねて、己れの想いを、あからさまにぶっつけてしまっていたかも知れぬ。
しかし、ちょうどその時、表門に当って、案内を乞《こ》う声がした。
きぬが、はっと我に返って、庭伝いに出て行ったが、間もなく、藤木源之助を伴って戻ってきた。
「やあ、小村氏も見えておられたか」
と、やや重苦しい声で云った藤木が、二人の支度に気付いて、
「これは、お二人で、稽古をされていたのですかな」
と、愕《おどろ》く。
「わたくしが、小村さまにお願いして、お立ち合頂いたのでございます」
「ほう、それは、珍らしい事、きぬ殿、では、私とも一度、立ち合って頂けぬか」
「お願い致しまする」
きぬは、何となく亢奮《こうふん》していた気分を、何ものかに向かって叩《たた》きつけたくなっていたのだ。小村が、今の立ち合で疲れているだろうからと、止めようとしたのを聞き入れず、再び、薙刀を持って、藤木と対する。
藤木は、腕のない左の袖《そで》をだらりと垂らしたまま、無造作に右手に木太刀を提げて立ったが、立ち合は、呆気《あっけ》なく片がついた。
藤木の師、岩本虎眼直伝の「流れ星」――殺到してきたきぬの薙刀を撥《は》ね上げると、転瞬の間に、きぬの眉間《みけん》に、刀尖《とうせん》をぴたりと突きつけていたのだ。
「参りました」
きぬの声には、さすがに無念の響が籠っていた。
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三
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小村は、きぬとの立ち合の事を、何人にも語らなかったが、藤木は、何人かに話した。
「女性としては、天晴《あっぱ》れな腕」
藤木は、そう云ったのは、賞めたのであることに間違いない。生真面目《きまじめ》な彼は、たとえ女人を相手にする時でも、そしてそれが自分の恋している女人であっても、手加減を加えるなどと云う事は出来なかったのだ。
だから、彼は、ただ一太刀で、きぬを破った。
しかし、それにしても、きぬの腕は、女性としては相当なものと評価し、それをそのまま口にしたのである。
それを口伝えに聞いたきぬは、しかし、逆に、侮蔑《ぶべつ》されたものと感じた。表面上の賞賛は、反語に過ぎないと解した。
藤木に対する反感の増大が、その度合に応じて、小村に対する好意の増大になっていったのは、微妙な女心である。
一方、藤木のきぬに対する賞賛は、虚心に幾たびか繰り返された。
それが、家老三枝伊豆の耳に入った時、三枝は、含み笑いを洩《も》らした。
藤木を呼び出して、
「どうじゃ、未《いま》だ仕官の決心はつかぬか」
と云ったが、藤木が返答をしぶっているのを見てとると、
「藤木、磯田きぬを存じておろうな」
「は――存じておりますが」
「良人を亡くした身じゃ、きぬを貰《もろ》うて、ここに住みつく気はないか」
「あ――」
これも剣を別にすれば、世事にはうとい青年である。三枝に、胸の中を見透されて、気の毒な位、慌てた。
「どうじゃ、承知してくれるか」
「はい」
背に汗を滲《にじ》ませつつ、頭を下げた。
「よし、きぬには、わしから、殿の御上意として、話しておく」
上意とあれば、絶対である。
事は決ったようなものだ。藤木源之助は、三重を喪《うしな》って以来、初めて頭の中に、さわやかに匂《にお》う新鮮な空気が満ち充《み》ちるのを感じて、足どりも軽やかに、下っていった。
三枝は、事務的な男だ。
直ちに、きぬを召致した。
平伏したきぬを見て、
――成程、後家になってから、一段と美しくなりおった。これでは、藤木ならずとも、三百石よりはこの方を欲しがるかも知れぬ。
と、唇の端をゆるめたが、
「きぬ、殿の思《おぼ》し召じゃ、源之助を婿《むこ》に迎えて、磯田の家名を残せ」
「は?」
「久之進を想う情はよく分る。しかし、見事に仇を討って、久之進の恨みを晴らしたのじゃ、この上は、磯田の家名を潰《つぶ》さぬことこそ、久之進に対する回向《えこう》であろう」
勝手な理屈だが、一応の筋は通っている。家名の連続こそは、何よりもの大事と考えられていた時代なのだ。
きぬは、しばらく沈黙をつづけた。
「きぬ、不承知か、源之助に不満があるのか、上意じゃぞ」
三枝が、やや語調を強めた時、きぬが、緊張の為、蒼白《あおじろ》くなった顔を上げて答えた。
「御諚《ごじょう》お受け致しまする」
「そうか、殿もお悦《よろこ》びであろう。早速、わしから、源之助にもその旨、伝える」
家に戻ったきぬは、落ち着かなかった。
良人の位牌《いはい》をまつった仏壇の前に坐《すわ》った。
愛し愛された良人の死後、わずか半歳余りで、他の男と契るのは、何と云っても、良人に対して、後めたい気がする。
――だが、上意なのだ。
きぬは、その一言に縋《すが》って、自分を説き伏せようとした。いや、説き伏せたかったのだ。
終日、動揺した心を持て余した。
翌日の午後、早く、訪《おとの》う男の声を聞いて、きぬは、顔色を変えた。
訪ねてきた小村も、顔色が変っていた。
きぬのそれは、羞恥の為であったが、小村のそれは、憤怒の為である。
きぬと瞳を合わすと、小村が、喰らいつくように叫んだ。
「きぬ殿、まことか」
ええ――と、頭を下げた。
「まこと、藤木と夫婦にならるる気か」
と浴せかけられて、愕然《がくぜん》として頭を上げた。
「何を云われるのです。小村さま」
「藤木が云いおった。殿の御諚によって、きぬ殿と夫婦になり、磯田の家を嗣ぐ――と」
「違います、違います、小村さま、違います」
狂気の如く叫びながら、きぬは、己れの犯した大きな誤謬《ごびゅう》に、総身の血の退くのを感じていた。
「何が、違うのだ。きぬ殿、あなたは、三枝殿に、はっきり承知の旨、答えられたと云うではないか」
「違います、小村さま、私は、あなただと思ったのです、三枝さまは、源之助と夫婦になって――と云われました。私は、あなただとばかり思って」
「あっ」
藤木、小村、どちらも、源之助だと、小村もこの時初めて、気がついた。
「三枝さまは、ただ源之助と云われました、藤木源之助と云われれば、私は即座にお断わり致して居ります。よもや、藩士でもない藤木殿のこととは思わず、あなたの事だと許り信じて、お受けしたのです」
「そうか、きぬ殿――」
小村も惑乱し切っていた。
きぬが、自分と信じて承諾してくれた事は、夢のような仕合わせである。しかし、この誤謬を、一体どのようにして、正したらよいのか。
「きぬ殿、私はあなたの御心が分って嬉《うれ》しい。しかし、この間違いを、このままにはしておけぬ」
「もとよりでございます、私、これからすぐに、三枝さまのお邸《やしき》に伺《うかが》って、申し上げて参ります」
「きぬ殿、忝《かたじ》けない」
二人は、すぐに、家を出た。
三枝の屋敷の前で、小村に別れ、きぬは、単身、三枝に謁した。
前日の自分の過誤について話し、藤木源之助ならば、婚姻の意思のない事を、はっきりと明言した。
三枝が、激怒したのは、当然である。
「今更、何を云う。あれほど、はっきりお受けしながら、取り消せると思うておるか。粗忽《そこつ》者めが。もう、殿のお耳にも入れたこと、変更はならぬ」
忠長の耳に入れたと云うのは、嘘である。もともと、これは忠長の意思ではなく、三枝が、藤木引きとめの為に、勝手に考えたことなのだ。
しかし、上意の一言が最も有効と信じているから、三枝は飽《あ》く迄《まで》、これを押しつけようとした。
「亡き良人に操《みさお》を立てて、何人とも契らぬと云うのであれば、殿にも申し上げようもある。しかし、再婚を決意しながら、今更、小村ならよいが、藤木は厭《いや》だなどと、そのような勝手なことを、殿のお耳に入れられると思うか。愚か者め」
三枝は、ぶるぶると、声を震わせた。
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四
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飽く迄嘆願したが、最後に、聞く耳持たぬと一喝されて、きぬは悄然《しょうぜん》として三枝の屋敷を出た。
馳《は》せよった小村に、三枝の意向を告げる。
「この上は、私が藤木に会って、話をつける他《ほか》はない。彼も武士、事情を分けて話せば、解ってくれるでしょう」
小村は、即座に決意した。
「これから、藤木に会ってきます。家に戻って、待っていて下され」
そう云って小村が走り去った後、きぬは、深くうなだれて、横内門から外濠《そとぼり》に沿って、江川町の自宅の方に向かった。
「無礼者、控えいッ」
思いに沈んで背後に迫る馬の蹄《ひづめ》の音さえ耳に入らなかったきぬが、その声に愕いて振り向き、慌てて、路傍に身をよけて、うずくまった。
馬上の七騎、野駆けの戻りらしい。
中程にいるのが、城主|忠長《ただなが》だとは、すぐに知れた。
きぬの顔前を走り去った時、忠長が、すぐ後につき従っていた近侍の中井進五郎に向かって、云った。
「あの女、何者か、存じておるか」
「は、家中の磯田久之進の後家、たしか、きぬ――と申しました」
美貌のきぬは、藩士たちに、遍《あまね》く顔を知られていたのだ。
忠長が城内に戻ると、中井進五郎は、急がしくなった。
直ちに、小姓頭瀬川三左衛門を初め、何人かに、殿が磯田きぬの名をお訊《たず》ねありましたと報告し、その時の様子を仔細《しさい》に申し述べなければならなかったのだ。
通常、城主は、女の名など問題にしていない。何と云う名であろうと、己れの用を足す為の機械としか考えていないのである。
名を訊ねるのはそれが女として意識された時である。云いかえれば、己れの閨房《けいぼう》に奉仕させようと云う意思が動いた時である。
従って、忠長が、女人の名を訊ねたならば、それが家臣の妻であろうと、娘であろうと、御殿の女中であろうと、風呂《ふろ》番の下婢《かひ》であろうと、早速に、閏房に奉仕されるべく手続きしなければならないのである。
――後家でよかった。
最初に報告を受けた瀬川三左衛門は、そう考えた。今迄に、家中の人妻を要求されて、散々に困り抜いた経験を幾たびか持っているからである。
だが、三枝伊豆は、瀬川からこの旨を聞きとると、
――ちっ、困った事になりおった。
と、頭を抱えた。
この男にとってこそ、上意は、正しく絶対だったのだ。忠長のあらゆる我儘《わがまま》を満足させる以外に、彼には何の取柄もなかったのであるから。
さらでだに紛糾していた事態は、今や、忠長の意思が介入することによって、収拾がつかぬほど混乱してきたかに見えた。
――已むを得ぬ、藤木には諦《あきら》めさせ、きぬは、強引に、殿の思《おぼ》し召しに従わすのだ。
結論は、それ以外にない。
直ちに、人をやって、きぬを呼び寄せる。
或《ある》いは、三枝が思い返して呉《く》れたのかも知れぬと空頼みをしてきたきぬは、三枝から、全く、思いもよらぬ事を命じられて、唖然《あぜん》とした。
「そちは、藤木は厭だと云う。しかし、今更、小村に娶《めと》らせては、藤木の男も廃《すた》ろう。じゃによって、殿様は特別の思し召しによって、その方を御殿にお召しになる事とされた。そうなれば、藤木も小村も、何事も申すことはあるまい」
三枝は、苦しい云い抜けをした。
「御殿にお召しになると云うのは――」
「むろん、殿様の御|寵愛《ちょうあい》を受ける事じゃ、有難きことに思うがよい」
城主の寵を受けることは、現に良人のある女以外の女ならば、誰《だれ》でも悦んでよい事である。しかし、それは、一般の城主の場合だ。忠長の場合には、その寵を受ける事は、必ずしも悦ぶべき事ではない。
忠長が既に、半ば常軌を逸した狂疾の兆候を見せている事は、多くの者が知っていた。寵愛を受けている女も無数にいる。しかも、その凡《すべ》てが、常に、いつ激変するか分らぬ忠長の性情に、戦々|兢々《きょうきょう》としている。
少しでもその意思にたがえば、即時に命を断たれるかも知れない危ない地位を、誰が望むだろうか。
三枝もそれを知っていた。忠長の閨房に女を送る度に、内心、可哀《かわい》そうにと思っているのである。
だが、表向きは、
――光栄至極の事じゃ、有難く思え。
と云わねばならぬ。
「いやでございます」
と、きぬが答えた時には、
「ばかものめ、殿の思し召しに反して、生きてゆけると思うかッ」
と、怒号しなければならなかった。
――いずれ、詳しい取極めに人を遣わす、そのつもりで支度をしておれ。
と、高圧的に命令されて、きぬは、三枝の許《もと》を退いた。
前日からの、急転する己れの運命に、思考の力さえ喪ったような気がして、悄然としてわが家に戻ってみると、そこに、藤木と小村とが、待っていた。
血相を変えて踊り込んできた小村から、事情を聞いた藤木は、屈辱と憤怒とに、全身を震わせたのだった。
喜悦が大きかっただけに、その反動は、絶望的だった。
「既に多くの者に、きぬ殿と夫婦になると話したのだ。今更、そのような事を云われては、この藤木の男が立たぬ」
憤然として云い切ったが、小村と激論を交わした揚句、
「よし、お主の話だけでは分らぬ、直接に、きぬ殿に会って、きぬ殿の腹をきいてみよう。その上で、次第によっては、小村、お主と、きぬ殿とを、斬る」
「如何《いか》なる事ありとも、きぬ殿に手を出させぬ。だが、お主が、剣を以て、私と闘うつもりならば、敢《あえ》て辞せぬ」
「その一言、忘れるな」
「もとより」
こうして、二人は、きぬの宅にやってきて、きぬの帰るのを、待っていたのだ。
二人が口を切る前に、きぬの云った言葉は、いきり立っていた二人の頭上に冷水を浴びせかけた。
「小村さま、藤木さま、きぬは、もう、お二人の、どちらとも夫婦になれませぬ」
「きぬ殿、一体、それはどうした訳だ」
「何かあったのか、話してくれ、きぬ殿」
と詰め寄る二人に、きぬは、投げ出すように、云った。
「三枝さまから、命じられました。きぬは御殿に上って、殿さまにお仕えせねばならぬそうです」
「なにッ!」
小村と、藤木とが、同じ言葉を、同じ鋭さで、激発させた。
「そんな筈《はず》はない。三枝殿は、つい昨日、殿の思し召しによって、私とあなたを夫婦にすると云われたばかりだ」
「殿さまの御意《ぎょい》は、この頃の空模様よりも、早く変ります」
「一体、何と云うことだ」
「いかに、殿の思し召しとて、そのような無茶は許されぬ」
「きぬ殿、あなたは、御殿に上るつもりなのですか」
「いかん、断じて、いかん」
二人の青年剣士は、今迄のいがみ合いを忘れたかのように、互いに口を揃《そろ》えて、きぬに詰め寄る。
「私は、駿河藩士の娘で、同じ藩士の妻となりました。良人を喪った今、殿さまの思し召しに反《そむ》けるでしょうか。私に、それだけの力は、ございませぬ」
きぬの顔には、絶望と悲愁とがあった。
「きぬ殿、あなたは、御城に上りたくないのですね」
藤木が、急に、ぞっとするような声を出した。
「畏《おそ》れながら、半ばお気の狂われた殿さまの許に、何で私が上りたいでしょう。でも、仕方がありませぬ」
「いや、別の方法はある」
藤木が、非常の決意を漲《みなぎ》らして、云った。
「きぬ殿、私と一緒に、逃げて下さい」
「何を云う、藤木」
小村が、炸裂《さくれつ》した様に、叫んだ。
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五
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小村と藤木の両名は、きぬを伴って、駿府城下を脱出した。
激しい争論の間にも、
――何よりもの急務は、きぬを殿の手に奪われぬように護《まも》ることにある。
と云う事には異存はなかったし、
――駿河藩の領域外に去ってから、改めて剣を以て雌雄を決しよう。
と、誓約が成立したからである。
小村も、即座に、藩士としての地位を棄てることを決意していたのだ。
三人の脱出が知れると、三枝は忠長の怒りを予想して、戦慄《せんりつ》した。
直ちに、片岡京之介に命じ、一隊の兵を率いてこれを追跡させたが、折柄、膝頭《ひざがしら》の傷癒えて登城した笹原修三郎を見ると、之《これ》に命じて、更に第二の追跡軍を出発せしめた。
片岡の率いた第一の追跡隊は、翌日午後三時頃、蒲原《かんばら》の宿駅に近い向田村の辺りで、三名の逃亡者に追いついた。
小村と藤木の力倆《りきりょう》を充分に知っている片岡は、慎重に考慮した。
万一、この両名が死物狂いになって暴れ出したら、多くの死傷者を出すことは必至である。その上、これを取り逃がしてしまう怖《おそ》れも、多分にあるのだ。
先《ま》ず、巧みに説得して連れ戻るのが第一、どうしてもそれが不可能な場合には、時を稼いで、三枝が約束してくれた第二陣の到着まで待つことである。
彼は、馬を降りた。
小村と藤木とは、きぬを十|間《けん》ほど彼方《かなた》に退かせ、街道の中央に並び立って、頑として抵抗の意思を示している。
その前に近づいて行って、
「御両所とも、悪い量見だ。速《すみや》かに城下に戻られるがよい。殿は将軍家の御直弟、どこへ脱れたとて、この日本国中、殿の手から脱れる訳にはゆくまい」
静かに、云って聞かせる。
主君の名を持ち出されると、小村は、本能的に、たじろぎを見せたが、藤木は凛然《りんぜん》として、撥《は》ね返した。
「駿河大納言殿の御行跡については、御公儀に於ても、御不審と承っておる。万一御領国外に於て、われわれに手を伸ばされる如きことあれば、却《かえ》って、大納言殿のお為になるまい。われわれは、御領国を去る迄は、断乎《だんこ》、お手抗《てむか》い致す所存だ」
「お主らは、ひどく誤解しているようだ。殿様がきぬ殿を御殿に引き取ると仰《おお》せられたのは、お主ら二人の間に争いの起こるのを懸念されての事だぞ」
「その手には乗らぬ。三枝殿は、きぬを、殿のお夜伽《よとぎ》にと、云われた」
「それは、三枝殿の思い過しだ。殿の御本心ではない。先ず、気を落ち着けて、私の云うことを聞いてくれ、お主ら三人の身に傷のつかぬよう、朋輩《ほうばい》の誼《よし》みとして、よくよく考えての上、話しているのだ」
全く他意のない様子で云う片岡に、両名も少しく心を許して、刀の柄《つか》から手を外した。
「そこに腰を下ろそう、お主たちの意向も充分に聞きたい」
片岡に誘われて、二人は路傍の石に腰を下ろした。片岡は諄々《じゅんじゅん》として、一応、城下に戻るべきことを勧める。
小村の心が多少動きかけた時、彼方から、馬上の笹原を先頭に、第二陣の馳《は》せつけてくるのが見えた。
藤木が、ぱッと立ち上がった。
「片岡、図ったな、おのれは、援兵の来るのを待っていたのだな」
「何を云う。私はただ、お主たちの一身の無事のみを考えて話していたのだ」
と云いながらも、もはや、談判決裂――と、片岡も覚悟した。
砂塵《さじん》を蹴立《けた》てて馬を飛ばせてきた笹原が、
「片岡、何を致しておる。手ぬるいぞ、殿の御意に反したる両名、早々に引っ立てい」
と、怒号した。
笹原はただ槍《やり》一筋の生真面目な武士だ。三枝にうまく云いくるめられて、小村、藤木の二人を、上意に違《たが》う不逞《ふてい》の徒と思い込んでいるのである。
小村、藤木の両人が、たたッと二三間、後に退って、差科《さしりょう》の鞘《さや》を払った。
――已むを得ぬ。
片岡も、決意した。
忽《たちま》ち、片岡と笹原の率いてきた城士たちが一斉に刃を閃かした。
「片岡、小村をとらえろ、手に余らば、斬れ、わしは、藤木を捕える」
笹原が叫ぶ。
恐るべき乱闘が開始された。
片岡の指揮の下に襲いかかって来た二十数名のものを相手に闘った小村の剣の冴《さ》えは、素晴らしいものであった。
彼は、さながら、全身剣と化した怪鳥の如く、右に飛び、左に走り、前に突き、後に跳ね、その度に相手を或《ある》いは傷つけ、或いは斃し、到底、捕捉《ほそく》すべくもない。
一人の小村が三人、五人、八人に分身したかの如く、ここにあるかとみれば彼処に在り、縦横に躍り、巧みに旋回し、かえってこれを追う城土方が互いに鉢合わせしたり、邪魔し合ったりして罵《ののし》り合うのみである。
十数名の死傷者を出したが、小村自身は、擦《かす》り傷一つ受けていないのを見て、片岡が、部下の一人に耳打ちした。
「おれが立ち向かう、背後を隙間《すきま》なくとり囲んで、間を詰めよ」
そして、小村に呼びかけた。
「小村、天晴れの働きだ、多勢を傷つける無益、このおれが相手しよう」
「おう、片岡、望む処だ」
小村のからだが、初めて静止し、片岡に向かって構える。
二階堂源流を極めた片岡は、得意とする「垂れ糸の構え」をとっている。これは、彼の性格にふさわしい、いわば消極的な技である。垂れ下った蜘蛛《くも》の糸の如く、柔軟な姿勢で、相手の刺激を受け流しつつ、相手の気力に破綻《はたん》の生じた転瞬の間、光にまばたく目蓋《まぶた》の動きよりも早く、踏み込んで唯《ただ》一刀に対者を仕とめるものだ。
小村は、しばし静止すると見えたが、忽ち、その本領とする軽敏無比の攻撃を開始した。しかも、その狙《ねら》ったのは、片岡の左半身である。
片岡は、御前試合に於て、黒江剛太郎の飛竜剣を左肩に受けて深傷を負った。その傷はほぼ癒えたとは云え、微妙な不均衡が左半身にひそんでいることを、早くも看破したからである。
片岡自身も、己れのかつては完璧《かんぺき》であった垂れ糸の構えが、左肩の傷の故に、目に見えぬ破綻をきたしている事を自覚している。
この弱点を衝《つ》いた小村の戦術は成功した。
相次ぐ左半身への攻撃に、片岡の精気が、ほんの僅《わず》か左に重心を移した一|刹那《せつな》、小村の一刀は、その右肩に向けて叩き下ろされたのだ。
片岡は、右肩から肋骨《ろっこつ》まで斬り裂かれた。
勿論、殆《ほとん》ど同時に彼の刃は、小村の右肩に向かって、同じように鋭い一撃を与えていた。ただ、小村の動きは、余りにも迅速であったので、その刃は、小村の衣の襟を切り裂いたに過ぎなかったのだ。
「見たかッ」
小村が、快然と叫んで、後に飛んだ。
そこに、陥穽《かんせい》が、待っていた。小村の跳躍は、彼のからだを、背後に円陣をつくって迫っていた六本の刃の真只中《まっただなか》に置いたのだ。
小村は、両脇腹から背にかけて、六本の刃を突き刺され、矢車の如くになって斃れた。
一方、笹原の一隊に囲まれた藤木源之助も、愕くべき死闘ぶりを発揮していた。
「流れ星」の秘剣閃く処、悲鳴相つぐ。
その平素やや沈鬱《ちんうつ》とも見えた秀抜な相貌は、全く別人の如く殺気を漲らして紅潮し、隻腕に揮われる一剣は、万剣と化して、血に餓えた悪鬼の如く乱舞する。
巧妙にも、足場をはかって、常に眼前ただ一人の敵しか居らぬように進退掛引きし、一向に疲労の様子さえない。
馬上に在ってこれを眺めていた笹原は、終《つい》に、藤木を生きたまま捕えることの不可能を認めざるを得なくなった。
――よし、彼奴《きゃつ》、この槍先に仕とめてくれよう。
名槍銀蛇号を、りゅうりゅうとしごいて、
「藤木、勝負!」
と、呼ばわる。
「おう、笹原、来い」
藤木は、馬上の笹原をきっと睨《にら》んで、慎重に構えた。相手は馬上だ。迂闊《うかつ》に近寄って、馬蹄《ばてい》に翻弄《ほんろう》されてはならぬ。
しばし、馬上を熟視すると見えたが、さっと、馬首の右側に身を躍らせた。
御前試合に於て、笹原は屈木頑之助の為に、右の膝頭を割られている。創傷癒えたりとは云え、右脚に弱点ありと、見てとったのに違いない。
笹原の槍は、鎌宝蔵院流の正統を伝えた中村派の秘伝を受け、刺穿《しさく》絶妙と称されている。
藤木の胸元を指して、馬上から紫電の如く突き出されたその槍先に向って、意外、藤木は、左肩を向けて、からだをぶつけて行った。
通常ならば、槍先は、正しく左のつけ根をつき刺したであろう。だが、そこにあるべき左腕は、藤木の場合、既に喪われていたのである。
槍は、藤木の衣を貫いて流れた。
藤木、すかさず、槍の柄を、すっぽりと斬って落す。
傷をうけた右膝に、己れを支える力を喪っていた笹原のからだが、鞍壺《くらつぼ》の上にがっと前のめりになった時、藤木の刃は、右脚を断ち切った。
どうと転落しつつも、笹原は脇差を抜いて、藤木の胸許にがっきと組みついてゆく。
藤木の刃が、固く己れにからみついた笹原の背を、押し切りに真二つに断ち切ったかと見えたが、その刃が中途で止まった。笹原の脇差が、その脇腹をえぐっていたからである。
こうして、二人の首領と二人の脱走者とが、共に斃れた後、きぬは、懐剣を揮って、三人まで斃したが、得意とする薙刀を持たぬ悲しさ、城士の為に、遂《つい》に搦《から》めとられた。
片岡、笹原、小村、藤木以下二十数個の死体を持って、追跡隊が駿河城下に戻ってきた時、三枝は、慄然として呟いた。
――何と云う因縁か、御前試合に出た剣士は、女人のきぬを残して、悉《ことごと》く死におった。
事態は凡て、忠長の耳には秘密にしてある。今や、なすべき事は、きぬを、否応なしにその閨房に送ることだ。
己れの目につけた女が、即夜、寝室に現われなかった事に癇癪《かんしゃく》を起こしていた忠長は、
「今宵《こよい》、かの女、お伽致させまする」
と囁《ささや》かれて、満足の面持で寝所に入った。
寝床の下手に、髪を解きほぐし、白絹に着換えたきぬが、平伏している。
「着換え致すぞ」
忠長が、声を掛けた。
返事がない。
「何とした!」
荒々しく、きぬの前に立った忠長は、白絹の前が、鮮血に染まっているのを認めて、凝然と、眸をこらした。
御前試合最後の生残者磯田きぬは、懐剣で胸を貫いて絶命していたのである。
[#改ページ]
この作品は1993年10月徳間文庫より刊行されたものの新装版です。
底本
徳間文庫
二〇〇五年一〇月一五日 第一刷