[#表紙(表紙.jpg)]
ダイヤモンドダスト
南木佳士
目 次
冬への順応
長 い 影
ワカサギを釣る
ダイヤモンドダスト
あ と が き
[#改ページ]
冬への順応
1
夜になると発熱する日が続いた。
タイ・カンボジア国境で三ヶ月間の難民医療活動に参加して信州の田舎に帰ったぼくは、寒さによわくなった老人のように背を丸めて暮していた。出発前に七十二キロあった体重は、六十キロを割るまでに減っていた。晩秋のまじり気のない寒気が、脂肪の失せた皮膚をとおして、容易に体の奥深いところまで侵入してきた。
朝、家を出るとき、顔をしかめ、肩に力を入れて強い陽射しに身がまえる――あの亜熱帯の国で形成された条件反射だけが執拗《しつよう》に残っている。玄関の古びたガラス戸を開けると、そこは高く濃い青空に押さえこまれた、よわい陽の支配する標高八百メートルの高原で、すでに盛りを過ぎた紅葉の山々がほどよい間を保って重なっている。肩すかしをくわされたように、両手をズボンのポケットにつっこみ、前かがみに歩き出す。
病院までは歩いて五分とかからない。幼稚園のスクールバスに乗り込む子供たちの甲《かん》高い声――彼らのよく手入れされた光沢の良い髪から、シャンプーの香りがただよってくる。送り出す母親たちの、肉付のよい頸《くび》から出る自信にあふれた中音の笑い声。道端で茶色い落葉を焚《た》く着物姿の老人のおだやかすぎる笑顔。
むき出しの強い陽の下で、はだしの子供たちと、やせきって乳の出ない老婆のような若い母親たちと、枯れ木のように押し黙った、あばらの浮く老人たちを見慣れた目は、人口一万余の田舎町の、あたりまえの朝の風景になじもうとしない。ぼくはひたすら前かがみに路地を通り抜け、病院の自動ドアをくぐる。
ロッカーで白衣に着替え、八階の病棟に上がる。ガラス張りのナースセンターに入ると、すでに出勤してきている医者たちに、夜勤あけの看護婦たちが患者の状態を報告している。二台の電話がひっきりなしに鳴り、入院の予約、検査の依頼、処方の確認、など、看護婦たちはせきたてられるような口調で受話器に向っている。
電話のない国境地帯で過してきたぼくは、相手の顔も見ずに話さなければならないほど緊急で重要なことというのは、実はほんのわずかしかないのだ、と思うようになっていた。受話器を置いたばかりの若い看護婦にそのことを言うと、彼女は、
「重症の後遺症ね」
と、語尾をはね上げて、また鳴り出した電話を手早く取った。
ぼくは奥のビニール張りのソファーに座った。
「元気そうでよかったねえ。そんなにやせちまったから、心配してたよ」
湯気のたつやかんを提げた掃除婦のおばさんが言った。
ぼくはテーブルの上に出ているアルマイトの急須を差し出し、おばさんに湯をわけてもらって、出がらしの茶を飲んだ。熱い湯飲みを吹きながら目を上げると、いつも看護婦たちが髪をなおすために使っている壁の丸い鏡に、頬のこけた自分の顔が映った。陽に焼けすぎた肌が異様に黒い。口唇と地肌の区別がつきにくい。皮下まで煤《すす》けてしまったような色で、陽焼けと言うより、むしろ悪液質の患者の皮膚色に近い。
「熱、まだあるんだろう。休んでていいぞ」
看護婦の報告を聞き終えた先輩の今井が、カルテを手にしたままふり向いて言った。
今井はアメリカ東部の大学に三年間留学していたとき以来身についてしまったという、分刻みのスケジュールで仕事をする。胸に赤いイニシャルを入れた半袖のケーシースタイルの白衣を着て足早に歩き、自分の受け持つ患者が重態になっても不機嫌にならないから、若い看護婦たちの受けがいい。
「なにか仕事ありませんか」
ぼくはソファーに座って湯飲みを持ったまま、上目遣いで聞いた。
「バンコクの下町の浮浪者みたいなこと言うなよ。なあ」
今井は自分のジョークの出来を確かめるように、うしろに立つ研修医の方をふり返った。
角刈り頭に度の強い眼鏡をかけた背の低い研修医は、タバコのヤニが付着しているらしい黄色い前歯を見せて、あいまいな笑顔を造った。
三ヶ月前まで、今井とぼくがペアを組んで受け持っていた十数名の患者たちは、今、すべて彼と研修医の担当になっている。仕事を覚えたてで、死者を見送ることにさえ新鮮な感動を受けとめているらしい研修医と、彼にアメリカで身につけたオールラウンドな知識を教えこむのに忙しい今井との間に、ぼくの入り込む余地はなかった。論文をまとめるために、治療とは直接関係のない数多くの検査を患者に強いる今井と、五年間、一編の論文も書いていないぼくとのペアは、もともとあまりうまくはいっていなかったのだが。
七月の中旬、二人そろって回診の途中、突然、タイに行きたい、と言い出したぼくに、今井は軽く肩をすくめ、考えなおしたら、と哀れむように言った。
「難民のために、なんて柄じゃないのは自分でもよく分かってるだろうが。アメリカならまだしも、日本じゃなんの業績にもならないんだぞ。あんなくそ暑いところへ行っても」
薄い口唇でせせら笑う今井の言うことはほとんど正しかった。
業績のことはともかく、一年前まではいていたズボンがすべてはけなくなるまで腹が出て、アユの解禁日を待ちかね、その日から三日間の夏休みをとる予定にしているぼくは、どう考えても、献身的な難民医療のイメージからは最も離れた位置にいた。
カンボジア難民医療団に志願する医者が少なくなっているため、これまで一年近く派遣してきている日本医療チームの編成が困難になっている――医長がこの病院にも医師派遣の依頼が中央官庁から来ていることを、内科の定例会議で伝えた。そのとき、ぼくは細長い会議室のいつもの最後列に座り、ノートにこの付近の川の絵図を描き、となりに座る釣り好きの同僚と解禁日のねらい場を小声で検討し合っていた。例年、大型のアユが居つく、病院の裏の荒瀬の大石をボールペンで黒く塗りつぶしていたぼくは、下半分を塗り残したまま手を止めた。そこは今年はだめじゃねえか?――同僚が肘《ひじ》で脇腹をこづいた。ぼくはノートの余白に「カンボジア」と書いた。同僚はぼくの顔をのぞきこんできた。行ってみよう、と思った。なぜ? というふうに、同僚は口を尖《とが》らせた。なぜ?――
あとになって思い返してみると、そのときの気分は、日本海に面した東北の町で過した学生時代に経験した覚えのある衝動によく似ていた。
夏の午後、階段教室の最後列で退屈な解剖学の講義を受けていたとき、となりに座る友人が窓の外の沈みかけた陽を指さし、
「抜け出して海に行かねえか?」
と、誘った。
大腿骨《だいたいこつ》にラテン語を書き入れていく教授の板書《ばんしよ》を写すだけの作業より、夕陽に向って泳ぎ出し、沖の波間にただよいながら、ひき返そうか、そのまま大陸に向って進んで、疲れ果てて沈んでしまおうか、と悩む方が、退屈しきっていたそのときのぼくにははるかに貴重に思えた。ぼくはためらわずに教室を抜け出し、友人の運転する中古の軽自動車で海に向った。
結局、ぼくは会議では手を挙げず、解禁日の対策を検討し続けた。アユを釣ってからでも遅くはないだろう、と思ったからだ。日本を離れることで心残りがあるとすれば、それはただ、解禁日が目前に迫っているアユのことだけだった。
医長のくり返しの呼びかけに、二十数名の内科の医者たちの中でわずかなざわめきが起ったが、志願の手を挙げる者はなかった。医長はあっさりと次の議題に話を移していった。
解禁の日は朝からよく晴れていた。七時に打ち上げられた開始の合図の花火の音を、ぼくは寝床の中で聞いた。九時に起き、十時を過ぎてようやく川に向った。生後三ヶ月の次男を抱いた妻と、三歳の長男も車に乗った。
八ヶ岳と浅間山を結ぶ直線を流れる川の両岸には、五メートルほどの間隔でぎっしり釣り人が並んでいた。ぼくはかねて下見をしておいた上流の橋の下に向った。予想通り、流れの速いこの付近にはめずらしい、底が岩盤になっている深い淵の両岸だけは釣り人の姿がなかった。橋の下の急な瀬が流れを休めるその淵は、三メートル近い深さなので、オトリを用いる友釣りには適さないのである。
ぼくは岸の岩場に立って八メートルの長竿を出し、濃い緑色によどんでいる淵に毛針を沈めた。竿をゆるやかに上下させていると、急に竿先がブルッと震え、一気に抜き上げると、夏の陽を受けてうすい緑色に輝く型の良いアユが釣れていた。やはり毛針でも釣れるのだ! ぼくは胸の裏からこみ上げてくる笑いを抑えられなかった。
アユ釣りといえば、オトリにひかせた針に野アユを引っかける友釣りが常識になっているこの土地で、ぼくは今年からあえて毛針釣りに挑戦した。そんなことしかぼくには挑むものがなかったからだ。この一年間、釣りに関する多くの本を読み、雑魚を釣りつつ川を見て、この淵なら、とねらっていたのだ。このことは、釣り好きの同僚にも内緒で通してきた。
アユは釣れ続けた。入れ食いであった。自分で針をはずす時間さえ惜しく思えてきたので、岩場の上にいる妻を呼び、抱いていた次男を背負わせて針をはずさせた。
午後になっても、おなじ場所で、おなじ間隔で釣れてきた。
陽が八ヶ岳連峰の端の、一段高い赤岳に沈みかけた頃、友釣りをやめた釣り人たちがぼくの周りに寄ってきた。ぼくが釣り上げるたびに、ほおっ、という吐息が彼らの口からもれた。友釣りは不調だったらしい。いつの間にか、彼らのうちの数人が、妻に代わって針をはずしてくれていた。
「こうなりゃあ、かあちゃんに夕めし作ってきてもらってでも釣り続けるだなあ。こんなこたあめったにねえもんだ」
土手で草を刈っていたじいさんが下りてきて、初めて見らあ、こんな大釣りは、と、あたりにふれるような大声で言い、ぼくの汗のにじんだTシャツの背をたたいた。
浅瀬での水遊びに飽きた長男が、家に帰りたい、と泣き出した。妻は夕食の時間を気にした。ぼくはすべてを無視し、憑《つ》かれたように釣り続けた。
高く釣り上げたアユの向うに、妙に赤っぽい月が出た。中空に竿を止めて、ぼくは月を見た。丸い光の中央で、流線型の黒い魚影が大きくはねた。竿が急に軽くなり、体中の力が抜けた。ぼくはそのまま岩場にへたり込んでしまった。
タバコを吸おうとしたが、竿を握りっぱなしだった指は熊手のようになったまま開かず、ライターを着火させることすらできなかった。見かねた妻が火をつけてくれたが、細いライターの火に照らされた彼女の手は、びっしりこびりついたアユのウロコで銀色に光っていた。
家に帰り、缶に入れていたアユをステンレスの流しにあけて数えてみると、百三十一匹いた。大きな方から十匹ずつ選んで、竹細工の皿にのせ、妻に近所へ配らせた。
風呂を出ると、妻が作ったアユの塩焼とカラ揚げを縁側に持ち出して食いながら、冷えたビールを飲んだ。川の方から涼しい風が吹いて、軒下の南部鉄の風鈴を鳴らしていた。
次男を寝かしつけた妻は、長男を連れて庭に出て、線香花火を始めた。ぼくは縁側に横になって、半分目を閉じながらそれを見ていた。
「お父さんも、ほらあ」
長男が最後の一本になった線香花火をぼくに握らせた。
妻がマッチで火をつけた。ぼくは腹ばいになって縁側から身を乗り出し、花火を見た。鋭い火花が散るたびに、長男は手をたたいた。やがて火花は消え、くすぶった赤い玉が残った。竿を握っていた手にはまだ細かな震えが残っており、赤い玉はすぐに乾いた土の上に落ちた。古い板塀に囲まれた小さな庭が、急に思いがけない暗さになった。闇《やみ》の中から、長男のおっとりしたあくびが聞こえてきた。
「タイに行く。難民医療団に入る」
ぼくは腹ばいになったまま妻に言った。
彼女は膝《ひざ》をかかえてうずくまったまま、いつまでも顔を上げなかった。
その夜、医長に電話した。
医長は、
「出発は十日後だぞ」
と、言った。
2
たいへんな所に行って来たのだから、ゆっくり休めばいい――病院の中で出会う誰もが、陽に焼けすぎたぼくの顔をあきれたような目で見たあと、おなじ言葉を口にした。
昼休みには、病棟のナースセンターのビニールソファーに座って、若い看護婦たちを相手に難民たちのことを話した。彼女たちは、昨夜見たテレビドラマの話をした。
「おじんが好きな戦争中の話みたい」
よく肥えた新卒の看護婦が言った。
「表現はちょっときついけど、伝わらない、という意味ではおなじことね」
額の広い三年目の看護婦が言い足した。
ぼくは話すことをやめ、テレビドラマの筋を聞いて結末を言いあてる役になりきった。
午後には家に帰り、厚い蒲団をかぶって寝た。夜になると必ず、三十八度を越える熱がでた。二倍量のアスピリンを飲んで眠ると、毎夜おなじ夢を見た。草原の果てに沈む赤く巨大な落日と、肌にまとわりつく熱を含んだ濃い闇と、陽炎《かげろう》のゆれる真直な国道の上を、草色の軍用車両の隊列を止めさせて、ゆったり横断している水牛の群れがくり返し出てくる。
国境地帯で流行していた、死亡率の高い熱帯熱マラリアにかかっているのかも知れない、と不安になることがあった。夜ごとに増幅されてくるそんな恐れを、要するに汗腺《かんせん》が開いているための熱だろう、といった楽観でかろうじて抑えていた。暑い国で開きっぱなしになっていた汗腺から、たやすく体の奥に入り込んだ寒気が造り出す熱なのだろう、と、ぼくはこのやっかいな熱を飼い慣らしていた。朝になると、熱は下がった。
そういう毎日をくり返して一週間ほど経った日のことだった。
ぼくはいつものように病棟のナースセンターの奥にあるソファーに座って、野沢菜の漬物を食いながら茶を飲んでいた。なに気なくふり向くと、窓の外の空気がかすかに動いていた。掌でガラスのくもりをぬぐってみると、わずかな雪が舞っていた。ぼくは冷えたガラスに額を押しつけた。冬をふれるためだけに来たらしい雪は、積もる気配を見せず、低い灰色の空からゆるやかに舞い降り、めっきり水量の減った河原の方へ流れていた。
冬が来たぞ――ぼくは汗腺を開いたままにしている体に警告した。
乗りきれるだろうか――体は不安を隠さず、背筋を震わせて反応した。
「安川千絵子って知ってますかあ?」
間延びしたぶっきらぼうな声にふり向くと、角刈りの研修医がX線写真を脇にかかえて立っていた。
「えっ?」
ぼくは額についた窓のつゆを、両手で顔を洗うようにしてぬぐった。
「安川千絵子です。昨日の午後入院してきた患者ですけど、先生いるかって言ってます」
研修医はX線写真を壁に備えつけてある投影器にかけた。
胸部の正面写真であり、右肺にあたる部位が胸水貯留を思わせる白い均一な影で占められていた。
「なんだ?」
ぼくは雪を見ていたときとおなじように、額を白い影に近づけた。
「癌性胸膜炎ですよ。昨日、今井先生が水を抜いて細胞を調べましたから。もう制癌剤の感受性試験も始めてます」
研修医は今井の診断の速さを、自分のことのように頬をふくらませて誇った。
「だから、原発巣はどこだって聞いてんだ」
カルテを整理していた看護婦が数人、驚いてこちらを向き、またあわてて向きなおった。ぼくは声の震えを抑えなかった。
「肺です。肺癌です。東京の大学病院で見つけられて、非治癒手術はしてあるんですけど、術後の静養ということで、田舎に帰っていてこうなったそうです。昨日今井先生が大学に電話で問いあわせたら、手術時に広範な胸膜浸潤が見つかって、手遅れで取り切れなかったって……」
研修医は黄色い前歯を見せて言い訳を造り、カルテを開いて、左上がりのくせのある今井の英語のメモを出した。
「部屋は?」
「六号の個室です」
研修医が無理に押しつけようとする今井のメモを無視して、ぼくは歩き出していた。
個室六号は奥の非常階段の横にある。うす暗い廊下に出たぼくは丸めていた背を伸ばした。ひくい天井に向って大きく深呼吸してから、ぼくはつとめてゆっくりと歩き出した。
3
十八歳。ぼくはなりたての浪人だった。
その日、ぼくは代々木駅のホームに立って、高校時代の友人と待ち合わせをしていた。梅雨入りが間近に迫っている空は、重くよどんだ灰色をしていた。午後一時の代々木駅のホームは、顔色のすぐれない浪人たちであふれていた。
約束の時間が過ぎても、友人は現われなかった。電話でもすむ用事だったから、ぼくは帰ることに決めて、混んでいないホームの先に歩いていった。風通しのよいホームの端に立って、なに気なく背伸びした。灰色の空から向いのホームに視線をもどしていったとき、ぼくは思わず、あっ、と声を出し、眼鏡を両手で目に押しつけた。
生白い顔の浪人たちも、ほこりっぽいホームのコンクリも、すべて空の灰色を受けてくすみ、ぼんやりした遠景になった。ぼくの緊張した瞳孔《どうこう》がとらえているのはただひとり、向いのホームの中央にすっきりと立つ若い女だった。マリンブルーのノースリーブに純白のフレアスカートをはき、むき出しの肩にかかる髪を左手で軽く押さえて新宿の方を向く女。ぼくは彼女の視線の先を追った。黄色い電車が減速しつつホームに近づいていた。
ぼくは走り出した。階段を降り、地下道に入ると、電車が重い音をたてて頭上を通過していた。向いのホームに昇る階段に足をかけたとき、電車は止まり、ドアの開く音がした。ぼくは全力で走った。
ホームに出た。降りてくる客たちを上体で振ってかわし、ぼくは女の横に立った。彼女はズックのショルダーバッグに手をかけ、乗り込むところだった。品の良い頬の丸みと、長いまつげをした半円形に近い目に間違いはなかった。ぼくは女のむき出しの肩に手を置いた。汗で湿っていたのは、女の白い肌ではなく、ぼくの掌だった。
彼女は一瞬体を引き、痴漢でも見る目でぼくをにらみつけた。そのひきつった口もとから、ええっ? という小さなつぶやきがもれ、同時に、やわらかな丸みを帯びた笑顔が、スローモーションの画像のように完成していった。黄色い電車はわずかな風を起して、ゆるやかにホームを離れていった。
千絵子だった。
気品はあるが高すぎない鼻筋、広いが険しくはない額、そして、ほどよい数のニキビの出たやわらかい頬の輪郭――一気に吹き出た額の汗を腕でぬぐいながら、ホームのベンチに浅く腰かけたぼくは落ち着かなかった。
「浪人?」
千絵子が首を傾けて、まともにぼくを見た。
「浪人」
ぼくはホームのコンクリに目を落とした。
「やっぱり代々木?」
「いや。お茶ノ水」
「すごいわね」
「代々木?」
「うん」
会話の間、ぼくはホームのコンクリの上にまかれた水の造る黒い図形を見ていた。アフリカ大陸の南半分の海岸線に似ているようでもあり、野生動物の顔のようでもあった。
「猫が飼えないの」
黒い図形は猫の横顔だった。
「ピアノも弾けないのよ」
千絵子が田舎から出て来て浪人生活をしていること。千葉県のおばさんが経営しているアパートに住んでいること、などを、ぼくは言葉につかえつつも聞き出した。
その日、どんなふうに千絵子と別れたのか。まともに手など振ったのか。ぼくは覚えていない。気がつくと、ぼくは家のある三鷹に向う中央線の下りに乗っていた。昼下がりの電車には空席が目立ったが、ぼくはドアの脇に立ったまま、予備校の教科書の裏に書きとめたアパートの電話番号を暗記してしまおうとしていた。ゴロ合わせを考えながら、車窓の外を流れていく灰色の家並をぼんやりながめていた。自然に笑いが浮いてきた。ぼくは下四ケタのところがなかなかうまく決まらないゴロ合わせを、閉まらない口の中でつぶやき続けた。
浅間山の中腹から上が見える、山に囲まれた村の小学校で、ぼくは千絵子とおなじクラスにいた。一学年二クラスしかないのだから、そのめぐりあわせはたいしたことではない。
千絵子の父親はこの村の出だったが、関西の大学を出て銀行に勤めていた。千絵子は神戸の山の手で生まれ、育った。村で一、二を争う地主の長男である彼女の父親は、浅間山麓の荒地が「奥軽井沢」の名で別荘地として売れ出したのを機に村にもどり、土地を売る仕事を始めた。千絵子は一年生の途中から、ぼくの通う山の中腹にある小学校に転校してきた。
ぼくは自分が東京の学校に行くことになった四年生のときまで、彼女とまともに口をきいたことはなかった。田舎育ちの少年が、都会のにおいをまとい、雨の日には父親の運転する高級乗用車に乗って登校してくる、顔立ちの良い少女に対して抱く、いくえにも屈折したやっかいな感情を、ぼくは最後までほぐすことができなかった。
村の鉱山で給料の計算をしていた父が、閉山とともに東京へ職探しに行くのについて、ぼくは村を出た。給食の時間、級友たちに別れを告げて、教室のうしろから出て行くとき、戸の横の席にいた千絵子が、片手にパンをつまんだまま、がんばってね、と小さく言ってくれた。ぼくは、うん、と口の中だけで応えて、頬に浮いた赤味をごまかすために、わざと荒っぽく戸を開けて教室を出た。それきり、代々木駅のホームで出会うまで、千絵子のことは忘れていた。
4
ぼくは個室六号のドアの前に立った。「面会制限」の赤いプラスチックの札が下げられていた。ノックを三回した。返事はなかったが、ぼくはドアを開けた。
白い鉄枠のベッドは両脇を壁から離して、部屋の中央に置かれていた。緊急処置に備えた配置だった。陽にあせたクリーム色のカーテンの閉められた窓の下に、酸素吸入の緑色のチューブを鼻腔に入れた、髪の短い女の寝顔があった。彼女は右側を下にして横を向いていた。
ベッドサイドの小さなテーブルの上には、手のつけられていない朝食がのっていた。黄色いプラスチックの丼半分の水気の失せためし。みその沈んだみそ汁。目玉焼の上にへばりついている黒い点は、季節はずれのハエだった。ぼくは枕もとに立って手を振り、ハエを追った。晩秋の動きの鈍いハエは、ぼくのひとさし指に弾かれるまで、白い膜のかかった黄身の上をウロウロしていた。
ぼくの体動が静かな部屋の空気を乱したらしく、女が迷惑そうに目を開けた。夢のつづきを見ているような細い目がすぐに丸くなり、つり合いのとれた半円形にもどるとき、女の口もとによわい笑みが浮いた。
やはり、千絵子だった。
千絵子は起き上がろうと、右手でシーツをつかんだ。ぼくは肩を押さえて、右側を下にしたままの体位を保たせた。掌には、細くて脆《もろ》そうな骨の感触だけがあった。胸水の貯留した患者に特有の、患側を下にした体位をとる千絵子のタオル地のパジャマの背に、ぼくはナースセンターで見た胸部X線写真の白い影の残像を重ねていた。
「しばらくでした」
ぼくは肩から手を放した。
「こんにちは」
千絵子は右を向いたまま言った。
ぼくたちはこんなふうに、ほぼ十年ぶりの再会にふさわしい、ぎこちないあいさつをかわした。
それからしばらく、互いに言葉を探し合った。千絵子は枕もとに立って見おろすぼくの視線から逃れるように背を丸くし、ぼくはハエを弾くときに破ってしまった白い膜のところから、半熟の黄身が流れ出している目玉焼の方に目をそらした。
「陽焼け。すごいわね」
ようやく千絵子が口を開いてくれた。
「タイに行ってたんだ。帰ってまだ一週間だ」
「タイ?」
「カンボジア難民収容所に行ってた。三ヶ月ほどだけど」
「あなたが? 暑がりで出無精だったあなたが?」
「うん。そのおれが」
「うそ」
「いや、ほんと、ほんと」
千絵子は声をたてず、口に手をあてて笑った。酸素吸入のチューブが入っている小鼻が、小刻みに動いた。
ぼくが楽なおどけ役になりきろうとしたとき、ドアが強くノックされ、体格の良い看護婦が点滴のビンを持って入ってきた。
「なあ、おれほんとにタイに行ってたよなあ。言ってやってくれよ、この人に。信じてくれねえんだよ」
ぼくは看護婦に言った。
「ほんとなんですよ。急に言い出したもんだから、私たちだって信じられなかったんですよ」
看護婦はふくよかな笑顔でそう言いながら、千絵子のパジャマの袖を無造作にまくった。
無数の紫色の針跡が、浮き出た静脈にそってついた、あまりにも細すぎる前腕だった。
「じゃ、また来るわな」
ぼくは逃げ出すのを悟られないように、軽く手を振って病室を出た。
廊下では朝の患者の処置を始めた看護婦たちが、忙しそうに小走りしていた。ぼくは彼女らのじゃまにならないように、壁づたいに歩いた。
頬の丸みは失せ、肌は土色に変わっていたが、あの調和のとれた半円形の目だけは、もとのままだった。笑うときに口に手をあてる仕草さえも……。
死を目前にした千絵子との、思いがけない再会を果した直後であること――ぼくはこの事実を、短い間にくどいほど何度も自分に言って聞かせた。驚き。喜び。悲しみ。とにかくなんでもいいから、腹の底から突き上げてくる単純なものが欲しかった。しかし、いくらこぶしを握りしめたところで、涙も、汗も、湧《わ》き出るものはなにひとつなかった。
ぼくはとぼとぼ歩いた。
九百床を越すベッドを有するこの病院は、二十万人近い診療圏をかかえているから、浅間山の見える田舎に帰っていた千絵子が収容されてきても何の不思議もない。いつものように、あたりまえの末期患者が、あたりまえに入院してきただけのことなのだ、とぼくは皮肉な再会に際して、ふさわしいふるまいのできない自分を無理に納得させた。
ナースセンターの奥の投影器の前で、赤いホウロウのコーヒーカップを手にした今井がX線写真を見ていた。広いサッシの窓は相変わらずくもっていたが、雪は止んでいるようだった。
「知り合い?」
今井は英語を発音するときのように口唇をゆがめた。
「まあ、そんなとこです」
ぼくは今井の横に立ってX線写真を見た。
写真の下に貼られたネームプレートの千絵子の姓が、安川のまま変わっていないことにやっと気づいた。
「大学からの連絡だと、手術のときかなり取り残してるんだな。本人は自分の病気をほとんど知ってるみたいで、どうせ再発するなら、ってんで田舎に帰ってたようだな。本人がそんな意味のことを言ってたよ。笑ってな」
今井は悩みをひとりで抱え込んだように口もとを引きしめ、コーヒーを飲んだ。
「あと三ヶ月ってとこですかねえ」
ぼくは再会したばかりの千絵子の死を、素直に確信していた。
「おまえ、まだ南方ぼけが取れないのか。ここはタイ・カンボジア国境じゃないんだぞ。日本だよ、日本。六ヶ月だよ、六ヶ月。頑張ればそれ以上だよ」
今井は上体を反らせてコーヒーを飲み終えた。
六ヶ月だろうと、それ以上だろうと、結果はおなじなのだ。人工栄養と人工呼吸で生かし続け、まわりで見ている家族ですら、いったいどこまで生きていて、どこで死んだのか分からないような最期を、今井はいつもどおりに作り出すつもりなのだろう。数字の上だけの延命効果のデータが残り、そういうものをまとめて今井は論文を書く。最善をつくした、という快い疲労感につつまれて、コーヒーカップを片手に電動タイプをたたく。だから、今井はどんなに多くの死亡例を見ても、ぼくのように退屈したりはしない。末期癌患者にモルヒネとコカインを投与して、脈を診ているだけのぼくのように……。
その日の昼食後、ぼくは医長に呼ばれた。近くの村の診療所の老医が脳出血で倒れたので、応援の医者を出して欲しい、との要請が役場から病院に来ている、とのことだった。疲れてるとこでほんとにすまないんだが、と医長は付け加えた。
「喜んで」
と、とにかく体を動かしたかったぼくは応えた。
午後には家に帰った。庭で洗濯物をしている妻に、診療所に通うことになった、と言うと、彼女は、へえー、と言っただけで、次男のオムツを干し続けた。そばで土いじりをしていた長男が、へえー、と母親を真似た声を出した。
医長に指示されたとおり、四時に病院の玄関前に行くと、村役場のジープが止まっていた。山の中の村までは三十分ほどかかった。運転している役場の若者に村のことを聞くと、人口千二百人で、江戸時代とあんまり変わらねえです、と、つまらなそうに言った。
曲がりくねった山道の両脇には、終わりかけた紅葉の木々が迫っており、窓から入る冷えた風にわらを焼く臭いが混じっていた。
村はV字谷の両側の斜面に点在する集落からなっていた。診療所に行くものとばかり思っていたぼくは、この村に一軒だけ、という古い旅館の前で降ろされた。すぐ下を流れる川の水が、顔をつけて飲みたくなるほど澄んでいた。
二階の十畳ほどの部屋には、小人数の宴席がもうけられていた。すでに正座している背広姿の初老の男たちの、家畜を値踏みするような視線がぼくに集まり、袖口から下着ののぞく手が上座をさした。肥満した村長が立ち、あいさつをした。短い、宴席にふさわしい歓迎の辞だった。ぼくは応えて立ち、がんばります、とひとことだけ言った。つまずいたような静寂のあと、不ぞろいな拍手が起った。
ぼくはこの川で獲れるのだという型の良いイワナの塩焼と、やはりこの村の山の上に出るのだというマツタケの厚切りの天ぷらを食い、つがれる酒を飲んだ。
「はでに陽に焼けておられますなあ」
「タイのカンボジア難民収容所に行ってましたので」
「なるほど、タイにねえ。なんですかなあ、あの辺ではまだ尻《けつ》を手で拭いてるですか?」
「そんな所もあるようです」
「わしゃあビルマでしたがなあ、土人はみんなそうしてたですよ。なるほどなあ、今でもねえ」
「ぼくが見たのは、タイのほんの一部の地域だけですから」
「いやあ、暑いとこはみんなおなじですわなあ。それでも、わしらがあの頃悪いことしてきたから、今、あんたら若い人たちが行って、その難民つうのを助けてやるっつうのは、こりゃあいいことですわなあ。泣かした女もいますでなあ」
「そういう意味ではないと思いますが」
「いやいや、ありがたいことです。借金を返してもらったようで、ありがたいことです」
村長や助役や郵便局長に、それぞれおなじ話をし、高笑いにあおられながら酒を飲み続けた。そして若先生万歳! の三唱のときは、自分も手を挙げてしまうほど酔って、宴席の最後を盛り上げた。
ジープの助手席で眠りこんでしまったぼくが、運転席の若者に肩をゆすられて目覚めたときは、もう病院の玄関前に着いていた。ぼくは千鳥足にまかせて歩き出し、家にもどる途中にあるスーパーマーケットのコーラの自動販売機にもたれ、下水口の中へ食べた物と酒をすべて吐いた。いがらっぽい喉の奥から、ばかやろう、というだみ声をいく度もしぼり出しながら吐き続けた。指を入れて、胃液まで吐き終えた口の中に、マツタケの香りがしつこく残っていた。
その夜から、熱は出なくなった。
古い木造平屋の診療所は、旅館より上流の川に沿った斜面にあった。クレゾールの臭いのしみついた壁に、黄ばんだ旧漢字の人体解剖図が貼ってある診察室。薬局をかねた受付。それに、コタツのある、すり切れた畳の待合室がこぢんまりまとまっていた。
腰の曲がり始めた二人の看護婦を相手に、七十歳を過ぎた老人ばかりを診る生活が始まった。九百床の総合病院から、いきなり過疎の村の診療所に行かされたわけだが、ぼくはそれほどとまどいを感じなかった。週に一度、タイの病院の外来を手伝い、難民よりもひどいタイの農村地域の医療事情に慣れてしまっていたせいもある。しかし、なによりも、この村は、浅間山が見えないことを別にすれば、ぼくの育った、そして、千絵子が高校まで住んでいたあの村に地形が良く似ていたのだ。
千絵子のランドセルにウサギを入れたのは三年生のときだった。知らずに背負って家に帰った千絵子は、勉強部屋でランドセルを開けて驚き、また学校までの二キロの道をもどってきた。坂を登りつめた校門のところで、ウサギを抱いてうずくまっている千絵子を見つけたのは、帰宅途中の若い男の教師だった。彼はウサギを校庭の端の小屋にもどすとすぐ、千絵子を背負って診療所に連れていった。急性虫垂炎だった。その夜手術を受けたが、腹膜炎を起しかけていたという。
翌日その話をした教師は、ウサギを入れた犯人の追及はせず、クラス全員で見舞の手紙を書くように、と言った。ぼくは配られたワラ半紙を前にして、嘔気《はきけ》を催すほど緊張した。書いて謝らなければならない言葉が頭の中でうずを巻いていた。書き始めると嘔気は止まったが、できた文章は嘘《うそ》のかたまりだった。ほんとうのことは、頭の中のうずの中に残されたままだった。消しゴムで強く消すと、紙に穴があいた。後列の生徒が紙を集め出した。ぼくは左手で紙を隠し、猫背になって、小さく、「おれです。すいません。」と書いて、急いで紙を四ツに折って渡した。
山の斜面にある家の庭からは、川岸の診療所の赤いトタン屋根が見えた。陽が暮れてからも、ぼくは庭の物干しに寄りかかって、千絵子が助からなければ自殺しよう、と思いつめていた。
暮れるのが早い、山に囲まれた村だった。
広葉樹林の落葉に加速度がつき、秋は終わりに近づいていた。ぼくは老人たちの血圧を測り、薬を出し、重症と思われる患者は本院に紹介する、という診療所の医者としての役をうまく果せるようになっていった。
朝八時に車で家を出て、落葉に埋った山道を登る。診療の空いた時間には、老いた看護婦たちと茶を飲みながら、村のうわさ話を楽しむ。午後四時には山を下り、陽の暮れるまでの短い時間を庭で子供たちとすごす。
ぼくは山の診療所の医者になった。
5
予備校に入ってもつき合っていた高校時代の友人は二人いた。日中関係の問題を専門とする外交官になりたい男と、とにかく大手の都市銀行に行きたがっている男だった。二人はそれぞれおなじ大学の法学部、経済学部を出て、そのとおりの道に進んでいる。ぼくがこの二人に向って、おれは山の診療所の医者になる、と、いくらか胸を張って言えるようになったのは、十八歳の初夏からのことだった。
お茶ノ水の予備校の校舎は、夏期講習の受付を徹夜で待つ浪人たちであふれていた。代々木の駅前で待ち合わせたぼくたちは、千絵子が夜食用の苺《いちご》の|へた《ヽヽ》を取っていたとかで二十分遅れたので、最上階の五階の教室の最後列にかろうじて座れた。ぼくはもとからこの予備校の学生だったので、学外生を対象とする受付には並ばなくてもよかったのだが、学内での申し込みを忘れてしまった、と見えすいた嘘をついていた。
通路に新聞紙をしいて座る者もいる教室の中は、十八、九歳の脂っぽい肌が分泌する特有の強い体臭がこもり、息苦しかった。四人用の長椅子に五人が座っていたので、ぼくの半袖のシャツから出た汗ばんだ腕は、ときおり千絵子のノースリーブのなめらかな肌に触れた。そのたびに、腕から背筋に向って鋭い電気のようなものが走り、ぼくは生物実験のカエルの足のように身を縮めた。
「大学に行って何するの」
わずかに肩にかかる髪を手でよけて、千絵子が言った。
「おれは医学部にでも行こうと思ってる。難関だからな。文科系は得意だから、どうやってみても入れないとこはないんだ。それじゃあなんだか卑怯だって気がするんだな。得意なことだけで勝負するってのは卑怯だもんな。だから、わざと無理しようと思うんだ。まだ若いもんな。無理をし残すと後悔するもんな」
千絵子の容姿に負けまいと、ほとんどつま先立って話すぼくは、自分でも驚くほど多弁だった。
「お医者さんか。似合うかも知れないわね。歳の割にぐっと老けて見えるから。山の中の診療所のお医者さんなんていいわね」
「あんたは?」
「まだ決めてないの。でも、田舎のお医者さんの奥さんていうイメージはすてきね。なってみようかな。国文の勉強なんかして、内側のお化粧してね」
千絵子はそう言いながら、持ってきた花柄のハンカチの包みを開き、小さなプラスチックの容器に入れてきた苺をぼくの方によこした。
「あら、フォーク入れるの忘れちゃった」
千絵子は両手を頬にあてた。
たいした問題ではなかった。ぼくはクリームのかかった苺を手でつまみ、奥歯で力強くかみしめた。甘味の強い果汁がしみ出て、舌の表面に広がった。千絵子も安心したように、細い指で苺をつまんだ。
「私たちの田舎の村にあるような診療所がいいわね」
「診察代の代わりに、キャベツをリアカーに積んできたりする人がいたよな」
「奥さんが薬局手伝ってるのよね」
「夜はいつでも往診してくれたよな。あの先生」
「奥さんはずっと起きて待ってるんですって。私が盲腸で入院してたとき、病室に来てくれたことがあるのよ」
「盲腸か……」
「ウサギよ」
「知ってた?」
「あたりまえよ。あの穴のあいたワラ半紙、病室の壁に貼って、毎晩寝る前に、バカ、バカ、って言ってたのよ。そうするとぐっすり眠れたの。でもね、そのうちに、ほんとに謝りたいことは穴のところにあるんじゃないかって思ったりもしたのよ」
「おれは自殺する方法考えてた。あの頃、よく浅間山が夜に小さな爆発を起してたろう。真赤な火が夜空に散ってさあ。だから、あの火口にとび込むのが一番確実だってとこまで考えてた」
「生きてたわね。おたがい」
「単純なことだけど、いいことだな」
初夏の夜は短かかった。ぼくは苺をつまみながら、額の汗を腕でぬぐいつづけ、千絵子はノースリーブの上にうすい白のカーディガンをはおった。
午前零時を過ぎても、教室の中で眠る者はなかった。五、六人の集団で、わざと受験以外の話題を声高に話してふざけ合っているのは都内の高校の出身者たちで、学生服を着て、黙々と参考書に赤線を引いているのは地方から出て来ている者たちらしかった。ぼくも、教室を回って仲間を探しているらしい高校時代の同級生二、三人に会ったが、彼らはとなりに座る千絵子とぼくを信じられないような目で見たあと、力なく、よっ、と手を挙げて出ていった。
ぼくたちは山の診療所の経営方針や、生まれてくる子に跡をつがせるべきか、といった空想を語り明した。それは、参考書に赤線を引いている者たちに対して申し訳ないような気になるほど、心浮き立つ語らいだった。
翌朝、夏期講習の受付をすませて、お茶ノ水の駅のホームで別れるとき、千絵子は、
「ねえ、ほんとにやってみない」
と、言った。
「もちろんだ」
ぼくは照れずに応えた。
それからのぼくたちは、受験勉強に没頭し、会うことは少なかった。秋に一度、そして、東京の空が最も澄んで見える初冬の頃に一度、国電の四ツ谷駅に近い大学の土手を歩いただけだった。夕方になると、大学構内の教会の鐘が鳴った。
「ここが好き」
コートの襟を立てた千絵子の顔を、ビルの群れの向うに沈もうとしている夕陽が照らしていた。
「いいな、女は。そういうことで大学を決められるんだからな」
ぼくは土手の下のテニスコートで白球を追う女子学生たちを見おろしていた。
「ここだって、入るのは難しいのよ」
口唇を尖らせてみせる千絵子――夕陽はその形の良い鼻筋の向うにあった。
夏には強がりを言ってみたものの、物理、化学、数学、など、理科系の科目はまったく進歩していない。特に物理は、問題をすべて暗記してしまわなければ追いつかない。それに、数学の積分も……。
「黙って!」
千絵子が、ぐちをこぼすぼくの口唇にひとさし指をあてた。
夕陽が高層ビルのうしろに沈んでいくところだった。待ちかまえていたように鳴り出した教会の鐘の音が、夕陽のあとを追ってビルの向うに広がっていった。乾いた口唇に押しあてられた千絵子の指は冷たかった。ぼくは黙った。
千絵子は歩き出した。ぼくは立ち止まったまま、夕陽の陰になったその後姿を茫然《ぼうぜん》と見ていた。空想を実現することがとてつもない重荷に思えてくる――そんな、肩の線はかよわげになだらかだが、意外に腰幅の広い、確かな女の後姿だった。
翌年の春、千絵子はその教会のある大学の文学部に合格した。ぼくは東京の国立一期校の医学部に落ちた。発表の夜、構内で顔を合わせた、法学部と経済学部に合格した二人の友人から、山の診療所の医者になるんなら、どこの医学部だっていいじゃねえか、と、今にもほころびそうな真面目な顔でなぐさめられた。ぼくは一度も見たことのない、東北の二期校に新設された医学部に入った。
日本海に面した、陽の照ることが少ない町で、ぼくはほとんど大学には行かずに、東京の大学を受けなおすための受験勉強と、千絵子の手紙を待つだけの下宿生活をしていた。夕方になると、東京の方の空を窓から身を乗り出して見つめているぼくに、めんどうみのよい下宿のおばさんは、死んだらつまらねべ、と言い続けてくれた。千絵子からの手紙を二階の部屋に持ってきてくれるときは、つらいべけどよお、女は離れたらだめだて、と、言った。
手紙は、ほぼ二週に一度の割で来た。留学生の多い大学なので、国際的な雰囲気があって、外から見ていたときも好きだったけれど、中に入ってみるともっと好きになれそうな大学であること。教養課程の時期に志望を変えてもいいので、国文はやめて英文にしようと思っていること。そんなわけで、サークルはシェイクスピアを読む会に入ったこと。体もきたえなくちゃ、と思って、欲張ってテニスクラブにも入ったこと。
筆圧の高い整った字が、今にも踊り出しそうだった。そして、いつも手紙の最後の一枚には、毎回異なったデザインの診療所の絵が、ときには丸太造りで、ときにはエスキモーの氷の家のように、ていねいに色鉛筆で描かれていた。
夏休みの前の定期試験だけは受け、ぼくは夜行にとび乗って東京に帰った。国電の四ツ谷駅のホームで待ち合わせることになっていたのだが、約束の十一時までにはまだ一時間ほど間があったので、ぼくは千絵子のいる大学のキャンパスを通って土手に登った。テニスコートを見おろすベンチに腰かけて、不精髭《ぶしようひげ》ののびてしまった顎《あご》をさすっていると、サーブの練習をしているらしい女子学生が、トスを上げたままぼくの方を見、肩にかつごうとしていたラケットを大きく振った。彼女は首にタオルを巻いたコーチらしい男に近づき、一礼してから、ラケットを手にしたまま土手を駆け上がってきた。千絵子だった。
ワンピーススタイルの白いテニスウェアが、夜行で寝ていない目にまぶしかった。
ベンチの横に座った千絵子に、ぼくは不精髭をさすりながら、まだ校舎もできていない田んぼの中の医学部の話をした。酒に酔って田んぼに落ちた話もした。県庁所在地なのに、市街地は駅のまわりだけで、あとは果てのない水田地帯であり、カエルの声が耳について寝られぬ夜もあるんだ、と。
千絵子はラケットを顔にあてて笑った。その浅黒く陽に焼けた顔には、浪人時代のニキビは消えていた。ラケットを膝にもどした千絵子は、おもむろに、シェイクスピアを読むサークルで知り合った男の話を始めた。シェイクスピアの妻は八歳年上だったから、八歳上、ハザウェイっていうんだ、というジョークをニコリともせずに教えてくれた男。とても無口なのだけれど、当時のイギリスのことを、教授以上に、まるでその頃住んでたみたいによく知ってる人なのよ、といった。
診療所の話をしようと思っていたぼくは、不精髭をさする手を止め、黙った。千絵子も、話し終えたあと、ラケットのガットをいじりながら、黙った。
気まずい沈黙を破ってくれたのは、背後の教会の鐘ではなく、下のコートで千絵子の名を呼ぶコーチの声だった。
「ごめんなさい。十分だけって言ってきたもんだから。じゃ、十一時に駅で」
土手を下る千絵子の白い姿の向うに、黄色い電車が走っていた。よく晴れた七月の昼近く、その黄色い車体はくすんで見えた。寝ていないせいだ、と思おうとした。
その夏、千絵子は学生相手の語学ツアーでイギリスの大学に行った。ぼくは予備校の夏期講習を受けた。
秋に東北の町にもどってから、千絵子からの手紙の数はめっきり減った。下宿のおばさんはもうなにも言わなかった。枚数も少なくなった手紙の最後に描かれている絵は、イギリスの大学にあった時計台だったり、テニスのラケットだけだったりした。
十月の大学祭の休み――ぼくは東京には行かず、下宿にとじこもって受験勉強の追い込みにかかった。その頃、ぼくはもう医学部にこだわらなくなっていた。文学部でもなんでもいいから、とにかく東京で、千絵子の近くで暮したかった。しかし、古典を暗記したり、英作文の問題集に取り組んでいるとき、ふと、あの土手をかけ降りていった千絵子と、くすんだ黄色の電車が白いノートの上に浮かび、消え去るまでの数時間、ぼくは額をかかえたまま息を殺したりすることが多くなった。
十一月になると雪が降った。下宿のおばさんが部屋にお茶を持って来てくれる回数が増えた。ここの冬はよお、生まれて育ったおれでも暗くてつれえもの、と言いながら。
冬休みに帰ったとき、上野駅のホームには、千絵子と並んだ、背の高い、長髪の、色白の男が出迎えてくれた。
「お友だち」
千絵子はくったくのない声で、ぼくをその男に紹介した。
「おうわさは彼女からうかがっています」
男はていねいに頭を下げてから、両手で長い髪をかき上げた。
ぼくは二人のあとについて上野駅を出た。東北の下宿での受験勉強の最中、白いノートの上にこんな光景も浮かんできたことがあったのを、明確に想い出していた。すべては、あの白いノートの上で予想されていたことだったのだ。
「お茶でも飲みませんか」
男は、白いノートの中で言ったのとそっくりおなじに、さりげない口調で誘った。
ぼくは思わず最敬礼をした。そこまでが、ノートの中であらかじめ予想できていた場面の終わりだった。ぼくは腰をひくくしたままの姿勢で走り出し、点滅中の信号を渡り、アメ横の年末の雑踏に逃げ込んだ。
人混みに体をあずけて、奥へ奥へ流されていった。妙に体が軽かった。川を流れる古木のように、体の中に無数の空洞があいているようだった。
6
山がすいてきた、と村人たちは言った。落葉を終えた木々の間を寒風が吹き抜けるようになって、秋は山の上の方から終わっていった。
マツタケのできが例年になく良く、山持ちたちはかなりもうけたので、台湾旅行に行く者もいる。その代わり、夜中山を見張っていた婆さんの中には、過度の緊張で胃潰瘍になって血を吐いた者もいる。三年前に、奥のダムでイワナを釣っていておぼれ死んだじいさんのかぶっていた手拭いが、最近水車小屋の朽ちかけた水車にからまっているのが見つかった。それ以来、夜になると、水車小屋の周囲には季節はずれの青い火が舞うようになったので、村の老人たちが総出でじいさんの墓をきれいにした。
大型の石油ストーブが音をたてて燃える診察室で、ぼくは通ってくる老人たちのそんな話に相槌《あいづち》をうちながら、冬への移行期を過していた。
電話は小雪の舞う午後の、お茶の時間にかかってきた。看護婦が自分の家で漬けた野沢菜をテーブルの上で切っているときだったので、受話器はぼくが取った。
千絵子の母と名のる女の声は、想像する年齢よりははるかに若やいで聞こえた。小学校の授業参観日に、地味な着物姿の女たちの中に、ひとり、灰色の品の良いワンピースを着たこの人の姿を、ぼくはおぼろげながら記憶している。
浪人中に千絵子が世話になったことの礼から始まった女の話は、途中から、ほとんど独りごとのように淡々と続いた。千絵子が銀行員に嫁いでロンドンにいたこと。離婚して帰国し、東京で中学の英語の教師をしていたこと。子供のなかったことが、今となってみればむしろ幸いであること。今度も、家族は手術を受けた東京の大学病院への再入院を勧めたのだが、浅間山の見える病院がいい、と、だだっ子のように言い張ったこと――
「だめなんでしょうか!」
果しなく続きそうな事実の羅列に、いくらか弛緩気味だったぼくの鼓膜に、いきなり、はり裂けるような声がぶつかってきた。
ぼくは受話器を左手に持ちかえてから、主治医である今井のことを話してやった。彼の行なう肺癌の治療は、大学病院と同レベルか、あるいはそれ以上であり、いずれ大学にもどるときは、これまでに発表した論文の数と質から言っても、いきなり助教授になれる男だ、と、ぼくは言った。
「そういうことではないんです」
女の声は落ち着いた中音にもどった。
「あの子がいちばん懐しがっている、あの浪人の頃のように、はげましてやってはいただけないものでしょうか。ほんとに勝手なお願いなんですけど」
「はあ」
ぼくは気の抜けた返事をした。浪人時代、彼女をはげました記憶などどこにもなかったからだ。
「はげまされたのは、むしろぼくの方で……」
「いいえ、そんなことございません。生きてたってほんとに言えるのは、あの頃だけだ、なんて申しておりますものですから」
「それはぼくもおなじです」
おなじなどと言うより、まさにそうだったのだ。ぼくは口の中で言い足した。
「お願いいたします。お忙しいところ、申し訳ございませんが」
「はい」
ぼくは素直に応えた。しばらくの沈黙のあと、嗚咽《おえつ》の切れ端を伝えたところで、電話は唐突に切れた。
受話器を置くと、受付のところに、診察を終えたはずの老婆が立っているのが見えた。玄関のガラス戸に吹きつける雪が強くなっていて、灰色のマフラーで頬かむりした老婆は外に出るのをためらっているようだった。
「お婆さん。小止みになるまであたってったらいいに。ちょうど野沢菜切ったとこだしさあ」
看護婦が立って呼びかけた。
「行かにゃあしょうがあるめえ」
嗚咽が耳鳴のように残っているぼくの耳には、生かにゃあ、と聞こえた。老婆はそう言い捨てて、雪の中に出て行った。上体が地面と平行になるほど腰の曲がったその後姿は、すぐに降りしきる雪につつまれて見えなくなった。
7
雪で午後の患者は来られなくなったようなので、ぼくはいつもより一時間早く山を下った。国道に出ると、雪は嘘のように止んでいた。途中で花でも買おうか、と思ったが、照れくさいのでやめにして、真直《まつすぐ》病院に向った。
「思いがけない長期戦に持ち込まれそうだわ」
「面会制限」の札が「面会謝絶」に変わっている病室のドアを開けると、千絵子は細い筋肉の浮き出た首をよじって、意外に張りのある声で言った。
千絵子の体には、右の肩口に栄養輸液のチューブ、右の側胸部には胸水吸引用のチューブがそれぞれ刺入されていて、はだけられたパジャマの胸もとには、心電図モニター用の丸い電極が貼られていた。
「みっともないとこ見られるのは、やっぱりちょっとくやしいな」
千絵子の笑顔は、頬骨だけが浮き上がる今でも、わずかにあの頃の丸みを残していた。ぼくを口ごもらせた、あの丸みだ。
「前にタイに行ってたって言っただろう。今日はそこで見た話をしてやろうと思って来たんだ」
ぼくは山の診療所の医者になっていることは言わなかった。
「暑かったでしょう」
「うん。暑かった」
「楽しかった?」
「楽しくはなかったけど、見ないよりはよかった」
「聞きたいな」
「そうか」
千絵子は小首を傾けていた。浪人の頃、山の診療所の空想を語り合ったときとおなじ仕草だった。
ぼくはベッドサイドの丸椅子にしっかり座りなおし、軽く目を閉じて、あの暑かった国のことを想い出そうとした。最初に浮かんできたのは、今では夢に出ることも少なくなった、巨大な落日だった。
難民医療日本チームの宿舎は、タイ・カンボジア国境から百二十キロほど離れた草原の中にあった。そこから国境に近いカンボジア難民収容所まで、ワゴンやジープで通勤していた。朝はたいてい宿酔《ふつかよ》いで眠っていたが、帰りの車中では、誰もが左側の窓に顔を並べ、草原の果てに沈んで行く夕陽に言葉を忘れた。
それまで、白人の医者たちの、あまりにも割り切った野戦病院的な治療の仕方に怒っていた外科医たちも、難民の家で出されたハエのたかる雑炊を、どうしても食えなかったことを泣いて悔んでいた看護婦たちも、広い草原をかかえ込むようにして沈む夕陽の前では無言になった。
地平線に赤い夕焼けの幕が張り、水牛の背に乗る裸の子供たちが、影絵のように車窓に映っては消えていた。雨期で水びたしになっている田んぼの畔《あぜ》で、悠然とライ魚を釣っている、すげ笠をかぶった農夫の後姿が巨大な夕陽と重なるとき、あたかも、彼は光を釣り上げようとしているかのように見えた。沈む寸前、夕陽は空に向けて放射状の赤い光の筋を放つ。ぼくたちは子供のように、声を出してその数を数えた。そしていつも、数え終わらないうちに夜になった。タイ人の運転手は夜盗の狙撃《そげき》を恐れてヘッドライトを点《つ》けない。街灯もネオンもない、濃密な闇夜だった。
「恐いね」
千絵子が小首を傾けたまま言った。
「夕陽が美し過ぎる分だけ、たしかに夜は恐いんだよな」
ぼくは過去を語るときの気軽さで言った。
「恐いのよお」
千絵子の声が震えた。大きく見開かれた目が遠くを見ていた。
ぼくはさりげなく話題を変えた。
病棟の前の赤茶けた土の道は、難民収容所のメインストリートだった。カンボジアとの国境に沿って走る国道に面したゲートを入ると、タイ政府の事務所に続いて、各国の医療チームの病棟が道をはさんで向き合っている。日本チームの病棟は国際赤十字チームと同じ屋根の下で、いちばん奥まった所にあった。竹を編んだ壁に囲まれ、広いトタン屋根には、空爆を避けるための色あせた赤十字の旗がべったり貼られていた。
多い日には十名を越える外傷患者が国境の難民キャンプから移送されてきたが、ときには一人の患者も来ない日があった。そんな日は、六十名ほどの入院患者がいる病棟の回診を終えると、ぼくたちは軒下の日陰を見つけてしゃがみこみ、スコールを期待しながら、長く暑い午後を過した。
陽は真上にあった。焼けた赤土の道に人影はなく、病棟の暑さに耐えかねた片足のない患者たちや、なにもすることのないクメール難民たちは、ぼくたちより先に軒下に出てしゃがみこみ、うなだれて道を見つめていた。
ぼくはタバコを吸いながら、向いのフランスチームの病棟の軒下を見ていた。こちら側と同様にしゃがみこんで動かない黒い肌の間に、ひとつだけ、活発な運動をするものがあった。それは、ようやく歩き始めたばかりと思われる、裸の幼児だった。
彼はめしを食っているのだった。煤けた鍋に手をつっこみ、掌にこびりついためし粒をなめ、また手を入れ、という単調な動作を飽くことなくくり返していた。まわりにしゃがみこむ者たちも、こちら側の難民たちも、ひとりとして彼に注意を払う者はなく、それが互いに目を合わさないための唯一の手段であるかのように、道の中心を見つめているだけだった。
裸の幼児は鍋に頭を入れた。彼の上半身が隠れてしまう大きさの鍋だった。しばらくして、めし粒だらけの顔を出した彼は、涙を拭くように手を動かして、めし粒を口に集めた。そして、ひとまわり、しゃがみこむ大人たちを見回してから、針金のつるを肘《ひじ》にかけて、鍋を引きずり出した。
軒下から道に出た彼の小さな背に、亜熱帯の午後の太陽が容赦なくのしかかった。彼はあぶなっかしいがに股で鍋を引きずっていった。乾ききった堅い赤土と、鍋底のこすれ合う音が、押し黙った静けさの中で妙に陽気なひびきを生んでいた。
アメリカチームの病棟前を過ぎたところで彼は立ち止まり、道端に腹をつき出し、鍋のつるをしっかり肘にかかえて小便をした。体に似合わぬ勢いのよい小便の弧は、強い光量の陽を受けて白っぽく光った。三日前にニューヨークから来たばかりの、二人のアメリカチームの若い看護婦が、軒下から彼に拍手を送った。
彼はまた歩き出し、ゲートの手前の脇道に入った。その先には、この収容所の名にもなっている、カオイダンと呼ばれる山がひくく横たわっていて、麓《ふもと》まで、ニッパヤシの屋根と竹を編んだ壁だけの難民の家が連なっていた。
鍋を引いた裸の幼児は、国連の配給所の方に向って、陽炎《かげろう》のように消えていった。
ぼくは長い灰だけになったタバコを、赤土の上でもみ消した。
「たくさんのうちの一人なのよ。それだけのことよ」
となりにしゃがみこんでいるタイ人の通訳のダンが、ぼくのため息を聞きつけて、わざとらしくのぞきこんできた。
カンボジア領内と思われる地平線の上に、スコールを予感させる黒く厚い雲が出ていた。
湿った咳《せき》が聞こえた。千絵子がなにか言いたげに頭を起そうとしていた。ぼくは話を中断し、パジャマの上から胸を叩いてやった。痰《たん》をからませてあえぐ千絵子の頬に、微かな赤味が浮いた。
「今も、元気、かしら。生きて、いる、かしら。その、子」
呼気のときだけ、千絵子は枯れてひくくなった声を出した。
「国連の配給で食い物はあるから、生きてると思うよ。しっかりとな」
「生きてて、欲しい」
「今頃、また道端で小便してるよ」
「生きてて、欲しい。ほんとに」
半円形の目からあふれた涙が、こけた頬を流れた。死期を悟った末期患者によくみられる、失禁したような涙だった。
「疲れたか?」
ぼくは枕もとのタオルをたたんで、千絵子の広い額から両眼にかけた。
タオルの下の顔が左右に動き、乾いた青黒い口唇が開いた。
「ごめん、なさい」
ほとんど荒い呼気にまぎれて聞きとれない、ひくいつぶやきだった。
千絵子が謝ったのは、泣き出したことに対してではないように思えた。黙り込んで、あの大学の土手のときのような気まずい隙間を造りたくなかったから、ぼくは話し続けた。
「あのなあ、今度はダンていう通訳のタイ娘の話をしてやるよ。難民収容所の他にも、おれはタイの田舎の病院で外来を手伝ってたんだ。患者なんて数人しか来ないから、病院前の屋台でバナナの天ぷら食いながら、ダンと話すことの方が多かったんだ。ダンは浪人でさあ、チュラロンコン大学っていう名門を受けて落ちたんだよな。ダンは十八歳だった」
千絵子の目からタオルをとり、ぼくはもう彼女の目を見ずに話した。
とにかく話に切れ目をつけたくなかった。千絵子にあの上野駅以後のことなど話して欲しくなかった。
あたりまえに生きた女が、あたりまえに死んでいく。あくまでも第三者でしかあり得ない医者として、ぼくはそういう死には慣れすぎていた。
死者を見送るとき、いつからか、ぼくは残される者の側に立ってのみ、事を処理するようになった。すでに死亡している患者に人工呼吸器をつなぎ、家族全員が到着するのを半日待ったことさえあった。ようやく遠方からかけつけた家族に向って、たった今、というふうに頭を下げる。見とどけることのできた安堵感が拍車をかける号泣の中で、人工呼吸器のパイプを抜く。心臓や呼吸の停止は、ほとんどの場合、本質的な意味を持たない。死に価値があるとすれば、それを決めるのは、残された者の内に生まれる喪失感の深さの度合だけなのではないか、とぼくは思っている。
ぼくは今、初めて残される者になろうとしている。千絵子が死ぬ。ぼくは残る。千絵子が死ぬ。ぼくは残る――
「あのなあ、ダンていうのは、あぐらをかいた鼻と黒い肌の女の子なんだ。浪人のダンにはなあ、好きな男がいたんだけどさあ、そいつは現役でチュラロンコン大学の医学部に入っちゃってるんだよな。ダンはバンコクで勉強を続けたかったんだけど、家が貧しいから、アルバイトで通訳やってるんだよな。難民収容所で働いているうちにさあ、いろんな国から手弁当で来ている医者たちを見てさあ、ダンは悩んだんだよな。卒業したらイギリスに留学して、バンコクの王宮の近くのビルで眼科を開業するんだって、その、さっき言ったダンの好きな男ってのが言ってて、ダンはその男のことを、えらく尊敬してたんだけどな。なんか、医者ってのはそんなもんでいいのかなって考えるようになったんだな。ダンは悩んだんだ。とにかく、ダンは……悩んだ……」
静かな病室の中に、高いイビキの音がひびいていた。一定のリズムのない、聞く者を不安にさせる、乱れたイビキだった。ぼくは口をつぐんだ。千絵子は土色の顔で眠ってしまっていた。だらしなく口を開けた寝顔は、泣き寝入りした幼女のようでもあり、老人病棟にいる寝たきりの老婆のようにも見えた。
窓際の錆《さび》の目立つラジエターがカンカンと音をたてて、部屋にスチームが入ってきた。ぼくは急に、背筋にたまらない寒さを覚えた。丸椅子から立ち、体を小刻みにゆすって窓に近づき、両手の幅だけカーテンを開けた。
山々の裏側が一気に燃え出したような、広い夕焼けだった。冠雪した稜線の裏から昇る真赤な炎は、中空で淡い朱色になり、目を上げるにつれてうすい紫色に変わり、そのまま寒々とした灰色の夜空に移行していた。思い切ってカーテンを開けきると、部屋全体が朱色になった。千絵子の寝顔も、シーツも、点滴ビンの白いラベルも、すべてがおなじ色調に染まった。
ぼくは千絵子の枕もとに立ち、手をうしろに組んで目を閉じた。深くなるにつれて規則正しくなったイビキのリズムは、とても懐かしいもののようにぼくの涙を誘った。ぼくは顔を上に向け、言葉を探すことで、流れ出ようとするものを止めた。使い古された多くの言葉が浮かんだが、この場にふさわしい一語はどうしても見つからなかった。
目を開けた。部屋は急速に暗い色に支配されていった。ぼくにできることは、カーテンを閉めてやることだけだった。
病室のドアがひかえめにノックされ、定時の見回りの若い看護婦が入ってきた。
「眠ってる」
ぼくは小声で言った。
「きれいな人ですね。昔の恋人ですか?」
よく澄んだ目をした看護婦は、横に立ってぼくの顔をのぞきこみ、ぼくより小さな声で言った。彼女の顔は、目のところがちょうどぼくの肩の高さにあった。
「君の身長は?」
「百六十三センチ。どうしてですか?」
「十八歳の頃のこの人とおなじだ。並んで歩いたことは、二、三度しかなかったけれど」
眠り続ける千絵子は、看護婦に比べるとあまりにも小さく見えた。
看護婦は身をかがめて、ベッドの下に入っている、二リットル入りのビン一杯にたまった赤い胸水の量をメモした。
「外はすごい夕焼けだな」
と、ぼくは言った。
「ちょうど、こんな色の……」
しゃがみこんだまま、ぼんやり胸水を見つめていた看護婦は、言いかけて鼻をすすった。
8
雪が降った。V字谷の斜面にある村は、そのまま白い山と同化してしまい、川に投げた小石の音が谷全体にひびくほどの静けさになった。
待合室でコタツにあたる老人たちの口から、正月の話題が聞こえてくるようになった。正月になると、村の人口は倍になり、土産物を手にした一家の主人や、赤い頬に、とってつけたようなダブルの背広を着こんだ若者たちでにぎわうのだという。三日もすれば、にぎやかだった分だけよけいに寂しい村にもどるのだという。
午後になると、診療所にも通って来られない寝たきりの老婆たちを往診するようになっていた。この村でも、女たちの方が例外なく長命で、三人いる寝たきり老人はすべて婆さんだった。
腰の曲がり始めた看護婦と川に沿う雪道を歩きながら、ぼくは白衣の上にカーディガンをはおっただけなのに、それほど寒さを感じていないのに気づき、いくらか驚いた。吐く息はすぐにも不定型の氷塊になりそうなほど濃い白で、山を越えて来る風も十分に冷えていたが、ぼくは背を丸める必要を感じなかった。
「来たばっかりは寒い寒いってのが口ぐせだったに。よく平気だねえ、そんな薄着で」
うしろを歩く老看護婦が、口もとまでマフラーを巻いたくぐもり声で言った。
体なんてものは、気持ちよりもはるかに鈍感なふりをしているくせに、いざ変化してしまうと思いがけない潔さを見せてくれるものなのかも知れない、と言おうとして、ぼくは黙っていた。体のように素直に冬になじむのを拒むものが、ぼくの内にはあった。あの暑い国の国境地帯で見た光景や、こだわり続けようとするひとつの死を、ありふれた落葉とおなじように雪の下に埋めつくそうとする冬に、ぼくはささやかな抵抗を試みていたのだ。
老婆たちは家の奥の、暗い、柱の芯《しん》まで冷えているような部屋に寝かされていた。すでに何か大事なものが抜け出てしまったあとの、力のこもらない、いい顔で笑い、早く死なしておくれや、と言う。赤い頬の嫁たちは、はい、はい、と子供をあやすように頷《うなず》いていたが、なかば以上、老婆たちの言葉を肯定しているように見えた。ぼくはといえば、そんな嫁たちにほとんど同感しながら、ひからびた腕の血圧を測り、薬を置いてくるのだ。
生き過ぎちまっただ、と老婆たちは言う。寝たきりの者たちが口にするとき、この言葉には、外来に通って来る元気のある老人たちがおもねるように言うのとは明らかに異質の、動かしがたい重みがある。生き足りずに死ぬ者がいて、生き過ぎて死ねない者がいる。
診療所にもどると、本院にいるときから顔見知りの薬屋が石油ストーブにあたっていた。
「往診ごくろうさまです」
薬屋は丸椅子から立ち上がって、わざとらしい最敬礼をした。
糖尿病持ちの彼のしもぶくれの頬は、ストーブの熱をたっぷり吸っているようで、てらてら光っていた。
「氷、張りましたよ」
薬屋はストーブに手をかざしたぼくに、いきなり肥満体をすり寄せてきた。
ぼくは音をたててつばを飲んだ。
「まだ上にはのれないだろうが」
ぼくはストーブの青い炎を見たまま、興味のなさを装って言った。
「ところがどっこい。厚さ三十センチ。ばっちり」
薬屋はそう言ったきり、丸椅子にどっかり座って、ストーブにかざした肉付きの良い手をもんでいた。
ぼくはしばらくこらえていたが、ついに、がまんしきれずに笑顔をこしらえてしまった。
「どこ? なあ、どこ?」
ぼくは薬屋の肩を肘でこづいた。
「へっへっへっ」
薬屋は細い目を肉の中に埋めて、下品に笑った。
「なあ、どこよお?」
ぼくは薬屋の肩に手をかけていた。
「ボート乗り場の近くの流れこみ。三束《さんぞく》はかたい」
薬屋は太く短い指を三本立てて、大きく頷いた。
そのあと、彼はそつなく胃潰瘍の新薬のパンフレットをぼくに押しつけ、へっへっへっという、しつこい笑い声を残して帰っていった。
「何の話ですか?」
ストーブの上の、湯気のたつやかんに水を足しながら、老看護婦が聞いた。
「いや、ちょっと」
ぼくはそう応えて診察室に入り、午後の診察を始めたが、膝を小刻みにゆすっているのを、患者の老婆に見つけられ、
「これのことでも考えてるだかや」
と、節くれ立った小指を立てられてしまった。
9
日曜の朝、まだ星が出ているうちにぼくは家を出た。
湖は八ヶ岳に向う国道から右に外れた、急な山道を登りつめたところにあり、標高は千二百メートルを越えていた。明けきらない闇の底に見える湖面は、薬屋の言ったとおり、雪をかぶった厚い氷におおわれていた。長径百メートルほどの楕円《だえん》形の湖の岸寄りに点々とついている小さな明りは、釣り人たちの懐中電灯だった。
リュックをしょい、つるはしをかつぎ、煉炭コンロを提げて、ぼくは氷の上にのった。向う岸のボート乗り場まで、新雪の下の氷の上を滑りながら進んだ。
目的の場所に着くと、煉炭に火をつけてから、つるはしで氷に穴をあけた。つるはしをふりおろすたびに、クーン、という音が湖底に反射し、周囲の唐松林にひびいた。
穴に仕かけを沈め、氷の上に置いた懐中電灯の照らす短い竿先を、息をつめて見つめる間、ぼくは寒気でこわばる頬を軍手をはめた手でこすりながら、冬なのだ、もう冬なのだ、と、自分に言い聞かせていた。竿先がピクピク動く。軽くあわせて、一気に七メートルの糸をたぐる。ひとさし指大のワカサギが銀色の可憐な魚体を光らせて釣れてきた。
「去年のよりでけえずら」
ぼくの五メートルほど横で釣っている、手拭いで頬かむりした男が言った。
ぼくは、うん、うん、と声に出して頷いた。彼が何者なのかぼくは知らないし、彼もぼくのことを知らない。ただ、去年の冬も、その前の年の冬も、こんなふうにとなり合って釣ったことがあるだけだった。
白い山脈の上に陽が昇った。湖の上にうすいもやがかかり、その細かな粒子が陽を反射して光った。
ワカサギはすさまじく釣れ出した。六本つけてある針のうちの五本に五匹かかってくることもいく度かあった。去年までは三匹までが最高だったのだ。糸をたぐり、右手だけで針をはずし、氷の上に投げ出す。二、三度はねるだけで、ワカサギはまたたく間に白く凍ってしまう。間違えようのない冬なのだ。
「すげえずら」
頬かむりの男がそう言って、ぼくのすぐ横に穴をあけたが、なぜか彼の場所は食いがたたなかった。
タバコに火をつけようとする間にも、竿先が動く。これだけ釣れているのだから、一度や二度、|あたり《ヽヽヽ》を見送ってもどうということはないと思ってはみても、手は竿を握り、あわせをくれてしまう。ぼくはタバコを吸うことをあきらめた。家の風呂場から持ってきたプラスチックの椅子に座りっぱなしなので、腰が痛み出したが、釣れ続けている限り立つことはできなかった。
手あぶりの煉炭がすっかり燃えつきた頃には陽が高くなっていて、軍手をとっても指はこわばらなかった。昼めしも食わずに午後二時過ぎまで釣り続け、餌の紅《べに》サシがなくなったところで竿を納めた。
氷の上にほうり出していたワカサギを、二匹ずつ数えながらプラスチックの容器に入れていった。五百六十匹いた。ワカサギ釣りを始めてまだ三年だが、経験したことのない大釣りだった。
立ちあがるとき、古木戸を開けるときのような音で腰がきしんだ。風の出始めた湖面を見回すと、雪煙の舞い上がる中で、いつの間にか数を増した釣り人たちが、冬眠に入った動物のようにうずくまっていた。
家に帰ると、妻にプラスチックの容器を渡して、コタツにもぐり込んだ。車の絵本を持ってからみついてくる三歳の長男と、はいつくばって腹の上に乗ろうとする六ヶ月の次男を腕で払いのけ、ぼくは眠ろうとした。
五百六十匹のワカサギをステンレスの流しにあけた妻は、ひとしきり驚きの声をあげ、天ぷらにするのが大変だわ、と言ったあと、
「病院の今井先生から電話があったわよ」
と、はしゃいだままの声で言った。
ぼくは眠りに入りかけた頭でそれを聞き、テレビの横にある電話に手だけ伸ばし、病院のダイヤルを回した。交換に今井の名を告げ、ぼくはまた目を閉じた。ふたたび眠りにおちこもうとする頭の奥に、白い湖面が鮮明に浮かんできた。釣り人たちは、自らあけた穴に落ちこんでしまったように姿を消していて、ときおり舞い上がる新雪だけが動いていた。
「電話をいただいたそうで。どうも」
「午前十一時二十七分だった。解剖の結果は、予想以上に広範な胸膜浸潤だった。心外膜にまでいってやがった。これが死期を早めた。それでも、人工呼吸器につないで四日間もたせた」
平板な今井の声が、厚い氷の下から聞こえてきた。
「看護婦たちが知らせとけって言うもんでな」
「どうも」
「ワカサギ釣りだって?」
「ええ」
「いいな、おまえは。……それじゃ」
「どうも」
ぼくはもう一度、どうも、と口の中で言って受話器を置き、また肩までコタツにもぐり込んだ。
冷えきっていた腰骨の芯が、ようやく暖まり始めてきた。
「来てごらんなさい! 氷がとけたら、生き返って泳いでいるのがいるわよ」
妻の弾んだ声に引き寄せられて、子供たちは台所にいった。
ばかなことを言うな――怒って声に出そうとしたとき、ふいに涙が湧いた。今さらなにを、と、畳に顔を伏せてこらえているうちに、腰骨のぬくもりが芯を伝って、背に快く昇ってきた。頭の中はすべて白い湖面で占められ、やはり釣り人の姿はなく、風もやんでいた。ぼくはそのまま眠ったらしい。
妻にゆり起されると、コタツの上にはワカサギの天ぷらが大皿に山盛りになって出されていた。もう夕食の時間なのだという。次男が寝ている静かなうちに食べてしまおうという。ぼくはコタツの上の蛍光灯を見上げた。いつもどおり二本ついているのに、光が暗い。
頬に畳の跡がついている、と妻が笑い、真似をして長男が笑った。ぼくは頬を両手でこすって照れて見せ、醤油をかけた大根おろしをつけて、ワカサギの天ぷらを食い始めた。
長男は一口食べただけで、苦くていやだ、とワカサギを吐き出し、妻にプリンをねだった。
「難民の子供はなあ……」
「ほおら、また遠い南の国のお話ですよお」
妻は長男の手をひいて、さっさと台所に行った。
ぼくははしを置き、手づかみでワカサギの天ぷらを食った。見上げると、蛍光灯の光はやはりいつもより暗いままだった。
台所で冷蔵庫を開ける音がした。プリンだあ、という、長男の底抜けに明るい歓声が聞こえてきた。ぼくは手づかみでワカサギを食い続けた。
夜半から、積もる音が聞こえるほどの大雪になった。
[#改ページ]
長 い 影
1
大浴場はホテルの地下にあった。
長方形の湯船の奥に、多孔質の黒い石をセメントで積み上げた岩山がある。乳白色の単純泉は、その頂から滝になって流れ落ちていた。天井が高いせいか、細かな丸タイルの敷きつめられた洗い場を含めると、一面のテニスコートがおさまりそうな広さに見える。淡い青に塗られたコンクリの壁面には、地上と通じているらしい双発の換気扇が埋め込まれていた。湯煙の流れを見ると、一方が吸気、もう一方が排気。広大な地下浴場はそこで呼吸していた。
深夜で誰も入浴していないのを幸いに、ぼくは手足を伸ばしきって平泳ぎをした。腕は地球儀を北極から撫《な》でるように、丸く掻《か》く。ぼくは小学時代の水泳教室で習った基本に忠実になろうとした。
滝のところまで泳ぎ着くと、舌の表面にわずかなぬめりを残す湯を一口飲み、おもむろにターンして泳ぎ出す。二、三度往復すると、息が切れ、腰が沈んだ。泳ぎにはいくらか自信があるのだが、やはりすこし酔っているのだ。それにしても、酔った勢いで愉快に風呂の中を泳ぎ回るのは、実に久しぶりのことだ。しかもこんな広い風呂場で。
ふいに、脱衣所から洗い場に入るくもりガラスのサッシ戸が荒っぽく開いた。ぼくは湯船の縁に顎をのせ、軽くバタ足をしながら呼吸を整えていた。濃い湯煙の向うに立つ黒い人影は、強風にあおられる案山子《かかし》のように、前後左右に頼りなく揺れていた。ぼくはバタ足をやめ、息を殺した。胸に押しとどめた空気の分だけ、体が浮いた。
黒い人影の中で、殊に大きな揺れを見せていた頭部の振幅が次第に小さく、速くなり、ようやく体の中心線にもどった。そのとき、突然、ロレツは回らないながらも、語尾だけは鋭くはね上がる声がした。逃げるのかよお! そう叫んだらしい声は高い天井に反響し、厚いコンクリ壁に囲まれた浴場に特有の金属的な音に変調して、左右からぼくの耳を圧してきた。
ピンク地に黒い縦縞《たてじま》のはいっている、ホテルの浴衣を着た女だった。
「男湯ですよお、ここは。女湯はとなりのはずですよお」
ぼくは縁に顎をのせたまま、ふざけ半分ではあったが、つとめてやさしく言った。
「逃げるのかよお!」
女はサッシ戸にしがみつき、泣き声と区別のつきにくい叫び声をあげた。天井の反響は、すりガラスを爪で引っ掻くのに似た、いらだたしい音になった。
「逃げたわけじゃないよ。せっかく温泉に来たのに、風呂に入らないのはもったいないから、こうして入ってるだけだよ」
ぼくは応えている途中から混じり込んでしまった受け身の口調に気づいていた。まずいな、と舌を出し、湯船に肩まで沈んだ。酔っぱらいをあやすとき、受け身の用い方を誤ると、とり返しのつかないことになる。
「出てこないんならねえ、入ってくわよお。まだねえ、まだ話はねえ、ついてないんだよお」
女はふたたび上体の揺れを大きくし、裾《すそ》の乱れた浴衣の帯をとき始めた。
「男湯だぞ。他人《ひと》が入ってくるぞ」
ぼくは両手で前を隠して立ち、威嚇《いかく》の野太い声で言った。
女はぼくの声をかわすように上体を揺らしたまま、荒い仕草で下着を脱ぎ終え、洗い場に足を踏み入れた。
脱衣所と洗い場は階段一段分の差がある。女は空を踏んで前にのめり、ふり向いてサッシ戸につかまったものの、頭を戸の角にぶつけていた。アルミの直角が骨を打つ、鈍い音がした。それでも、女はすぐに軟体動物のような体をくねらせて起き上がった。そして、一度、自分が脊椎《せきつい》動物であったことを確かめるかのように、きちんと直立してみてから、湯船に向って歩き出した。
脱衣所までが、言葉で押しもどせる限界だった。あとは力に頼るしかない。しかし、なぜぼくがそこまでしなければならないのか。これまでに至る経過を含めて考え出すと、無性に腹が立ってきた。だから、ぼくは最も楽な結論を出した。勝手にさせることだ。とにかく女はひどく酔っていたし、ぼくも、温泉場で起った男と女のことは、なりゆきにまかせるのが最良の解決策だ、とずるくなれる程度には酔っていた。
「すべるからさあ、ほれ、気をつけて」
ぼくはこんな助言さえ投げかけてやった。
湯船からあふれた豊富な湯が、広く、薄く流れている洗い場を、女は湯煙につかまりながら歩いてきた。タオルも持たない無防備な裸体は極端にやせていた。申しわけほどの胸のふくらみと、意外な印象しか与えてこない腰のやわらかな線を除けば、神経質な少年の体に近かった。硬質なショートカットの髪に囲まれた、小さな蒼《あお》白い顔は、泥酔者によく見られる、あらゆる表情筋が弛緩《しかん》した結果としての微笑をたたえていた。奥にひそむ意志を汲み取ることのできない微笑は、見る者を不安にする。ぼくは湯船の中を、中腰になってゆっくり後ずさりしていった。
女は湯船の縁に立った。直立を保とうとする上体はまだわずかに左右に揺れていたが、脱衣所に立っていたときほどひどい振幅ではなかった。後ずさりを続けていたぼくの背が、湯船の端のひんやりした石に触れた。ぼくは膝をかかえ、湯の中に沈んでしまおうとした。それほど、女の蒼ざめた微笑は不気味だった。ぼくが実際に口の辺まで沈んだとき、女はあらかじめ十分に決断したあとの入水自殺者のように、足をそろえて湯にとび込んだ。
「いくら酔ってるからってさあ。冗談はここまでにしてくれないとなあ」
ぼくは両手で顔にかかったしぶきをぬぐった。
女は背を向け、縁にもたれかかっていた。濡れて黒い艶《つや》を増した髪が、卵型の頭骨からうなじにかけてはりついていた。もう一度、出て行くことをうながす言葉をかけようとしたとき、女の背が激しく波打ち出した。
女は嘔吐《おうと》していた。
ぼくは前も隠さずに立って、湯の中をこいでいき、女の背をさすった。ほとんど固形物を含まない黄色味がかった吐物が、伏せた顔の下から流れ出し、洗い場の端の、太い蛇口が並ぶタイルの壁に向って扇状に広がっていった。
掌に触れる女の背の肌は、気軽に手を出してしまったことがとてつもない過ちに思えてしまうほど、なめらかだった。下からさすり上げるたびに、女の尻の谷間にぼくの股間が触れた。たやすい充血が股間を満たした。これほどやせた体にも、女としての皮下脂肪は確かな厚味で隠されている――股間から体の内側にあふれ、芯を伝って上昇を続けていた充血が首のあたりまで来たとき、そう気づいたぼくは、女の背をさすることをやめた。
洗い場に出、蛇口の冷水を風呂桶に汲んで、熱くなった股間に二、三度あびせかけてから、吐物を洗い流す作業にかかった。背をさすり続け、酔って抑制のとれた素直な反射のうながすままに、泥酔女を後ろから抱くよりも、三助の役になりきった方が、はるかに明日の寝覚めがいいはずだ。
湯船から汲んだ湯を三度ばかりまいたところで、吐物はあとかたもなく流れ去った。排水口の網目の金具が目づまりしていないことを確かめてから、ぼくは湯船にもどった。肩まで沈んで、大丈夫か? と声をかけようとしたとき、からあげをくり返していた女は、いきなり洗い場に這《は》い出た。
「なんだ。水かあ?」
ぼくは立って呼びかけた。
女は肘と膝を使い、黙々と蛇口の方に這って行った。壁の前に二段に積み重ねられているプラスチックの腰掛けをつかみ、それを枕にして、洗い場の端にあおむいて寝た。女の寝た位置は、排水口に近かったから、流れる湯の量が多く、暖かそうだった。
女は両手を体側につけて伸ばし、まっすぐ天井を向いて目を閉じていた。こめかみのところにうすく血がにじんでいたが、流れてはいなかった。入ってくるとき、サッシ戸の角にぶつけてできた傷なのだろう。
ぼくはふたたび肩まで湯に沈んで、女の寝姿を見ていた。乳首だけが不自然に大きい薄い胸が、やすらかに上下している。突出した骨盤の向うにある黒い影は、濃く深いくせに、やせきった体全体の与える印象に負けて、どこか淋しげに見えた。
2
帰国してからちょうど一年目に開かれたカンボジア難民医療団の忘年会には、三十名いた団員の約半数が集まった。海に面した温泉場のホテルには、十一月の下旬という、宴会にはすこし早すぎる時期のせいか、ぼくたちの他に団体客はなかった。
ぼくは土曜の午前中のあわただしい外来診療を終えて、信州の山の中から出かけた。列車を四回乗り継ぎ、定刻より一時間近く遅れて宴席に加わった。タイ・カンボジア国境に近い草原の中の宿舎で、おなじ屋根の下に三ヶ月を過した仲間が一年ぶりに集まる――宴会は列車の中でポケットびんのウィスキーをすすりつつ想像していたとおり、なごやかな雰囲気で始まっていた。
朱塗りの膳がコの字形に並べられた宴席のいちばん下座には、照れ屋の初老の団長がドテラを着てあぐらをかいていた。彼は途中まで進んでいたそれぞれの近況報告を、遅れてきたぼくのために、はじめにもどしてくれた。
「あの三ヶ月で、日本にいる三年分ほど歳をとった。今だから言うけど、正直、疲れたぞ」
めっきり白くなった頭をかきながら、団長が言った。
夕食の残飯の量を台所の片隅で見ては、団員の健康状態を気づかい、若い医者や看護婦たちから、おとっつぁん、と呼ばれていた彼の言葉に、あらためて拍手がわいた。
「ぼくは今年も三ヶ月行ってきました。十月に帰国したばかりです。あそこは一年前となんにも変わっていません。今年の十二月で、日本政府としての医療団派遣は中止になるので、あの宿舎はタイ政府に寄贈されて、看護婦の訓練センターになるそうです。それから、あのみんなから可愛がられていた通訳のダンは失業してしまうので、タイ航空のスチュワーデスの試験を受けるそうです。もうバンコクの大学に行くのはやめたそうです。語学には問題ないんだけど、面接があるので、顔がちょっと――My face is problem――と本人が言ってました」
ビールを飲み足しながら、一年前は誰もがそうだったように、煤けたように陽に焼けた最年少の外科医が言った。
あの顔でスチュワーデスってのは大いに問題だぜ、なあ、ダンゴ鼻で色黒の、典型的なタイ族の娘の顔立ちをしたダンを思い出し、男たちはあけっぴろげに笑い、女たちは、そんなことないわよ、と、控え目に笑った。
あばた顔に茶色いサングラスをかけた、肥満体の無線屋さんも来ていた。宿舎と、国境に沿った難民収容所の百二十キロの間に、無線回線を設営に来た中年の技師だ。彼も工事を終えるまでの二週間ほど、ぼくたちとおなじ宿舎に泊っていた。
難民収容所の乾ききった赤土の広場で、彼が高さ十メートルの無線塔を建てているとき、ぼくは下で見ていたことがある。まわりには、することのないクメール難民たちがいくえにもとり巻いて、滑車で一メートルくらいの軽金属製の円筒を積み上げていく作業を見物していた。
肥満体のくせに、片手で滑車のワイヤーを引きながら昇っていく彼は驚くほど身軽だった。最上部の、アンテナの付いた円筒が固定されたとき、裸の赤ん坊を抱いて見上げていた、粗末な手縫いのブラウスを着た女が、
「カンボジアは見えますか?」
と、洗練された発音の英語で呼びかけた。
無線屋さんは太い命綱に体をあずけ、両手で双眼鏡をのぞく真似をして、
「プノンペンが見えます」
と、言った。
うすい膜のかかったような目で見上げていた難民たちの間から、どっと拍手が起った。聞いた女は、まだ首の座らない赤ん坊を頭に乗せて、背伸びしたまま大粒の涙を流した。
いやいや、湿っぽいジョークになっちゃって、と、頭をかきながら降りてきた彼は、ぼくを手で招いた。ぼくたちは収容所の周囲に張りめぐらされた鉄条網の始点であり、終点でもあるゲートのところまで歩いて行き、そこから、建ったばかりの無線塔をながめた。
「どうです。ぴったり垂直でしょうが」
無線屋さんは肥満した腹をつき出して言った。
午後の強い陽を受けて、鮮やかな銀色に輝く無線塔は、難民のニッパヤシの家並の向うに広がる濃い緑の平原を背景に、まさに垂直に立っていた。
「ほんとに、プノンペンが見えそうですね」
「悪いこと言っちゃったな」
「昇る難民が出ませんかねえ」
「あとで足場はずしとくから」
「よけい昇りたくなるな。ぼくが難民なら」
「そんなに責めないでよ。垂直かどうか。そこんとこだけで生きてんだから。なあ」
無線屋さんは横を向き、ゲートに立つタイ軍の番兵に、塔を指さして見せた。
草色の軍服の胸ボタンをだらしなく開けている番兵は、肩にかけていた自動小銃を両手で垂直に支え持ち、大きすぎるヘルメットをガクガクさせてしきりに頷いていた。小学校を出たばかりの少年のような、無邪気な笑顔だった。
「相も変わらず、東南アジア、中近東なんぞで無線塔を建てております。酒の飲みすぎで、下の方の塔はもう立ちません」
無線屋さんのとぼけたあいさつは、看護婦たちに大いに受けた。
他の医者や看護婦たちも、元の職場にもどり、結婚したり、妊娠したり、婦長になったり、博士になったり、あるいは何も変わらなかったりしている近況を報告し合った。
遅れて来たぼくは、ひとつだけ空いていた上座の中心に座らせられていた。腰が落ち着かなかったから、ひとわたりあいさつが終わったところで、ビールびんを持って立った。
まず下座の団長に一杯注いだ。
「お元気ですか?」
「まあまあだな」
「ゴルフの方はいかがです?」
「ぼちぼちな」
あくまでも温厚な、大病院の副院長にふさわしい笑顔だった。
帰国の前夜、彼はバンコクの高級ホテルのバーで、閉店を告げるウェイトレスを腕で払いのけ、しつこくぼくにからんできた。
なあ、おまえよお。このままどっかにずらかって、この国で医者やらねえか。はたちそこらの結核患者が、あたりまえみてえに死んじまう、四十年も前の日本みてえなこの国でよお。笑うんじゃねえ! 本気だぞ。おらあ、本気だぞ――
充血した三白眼から、たしかに涙を流していたはずの彼の顔を、ぼくはどうしても思い出すことができなかった。
団長の返杯を受けてから、となりに座る最年少の外科医にビールを注いだ。よく陽に焼けた彼の皮膚の周囲には、まだあの亜熱帯の国の熱気と、乾いた赤土のにおいがただよっていた。
「今年の夏頃だったと思うけど、シアヌークがカオイダン難民収容所に行ったよな。そのとき、いた?」
ぼくは注ぎ返されたビールに口をつける前に、勢いこんで聞いた。
「いましたよ」
すこし酔うと、右の口角からヨダレをたらすくせのある彼は、コップを持った手の甲で口唇をぬぐいながら、それがどうかしましたか? というふうに言った。
四万人を越えるカンボジア難民たちが、数年ぶりに姿を見せた国家元首、ノロドム・シアヌークのまわりに集まって熱狂する様を、ぼくは茶の間のテレビのニュースで見た。カオイダン難民収容所、とテロップの出た画面を、夕食後に寝ころんで、一歳半の次男に高い高いをしてやっていたぼくは、正座して見つめなおした。
プノンペーン、プノンペーン、と、哀調を帯びた声をはり上げて、戦乱前の美しいプノンペン市街が印刷されている旧カンボジア紙幣を、五十枚十円で売りつけにきたはだしの少女たち。彼女らの売り上げを、軒下の日陰にしゃがみこんで手早く受け取り、ぼくたちと目が合うと、おびえたあいそ笑いを浮かべていた白髪の老婆。針金の弦を張った手作りの胡弓《こきゆう》を、深刻ぶった顔で足早に歩く、一日限りの外国からの視察団員には、ぼくたちに言う値の五倍で売りつけていた片目の老人。瀕死《ひんし》の重症から回復して病棟を退院していくときでさえ、決して奥から湧き上がる笑顔を見せなかったクメール難民たち。そんな彼らが、テレビの画面の中では、白い歯を見せ、踊り上がって狂喜していた。
「なあ、どうだった? みんなの喜び方って、すごかったろう」
たったひとりの、眉《まゆ》の太い小柄な男が造り出した熱狂を、ぼくはテレビの画面を通じて難民たちと共有し得たように感じ、知らずに涙さえ出てきたことを話し、外科医の同意を待った。
「人はたくさん出てたみたいですよ。ぼくはあの日も病棟の手術室で、国境から運び込まれた地雷創の患者の足を切断してましたから、よく分からないです」
彼は口角のヨダレをドテラの袖で拭いた。
「よく分からないってことはないだろう。いいか。シアヌークがカンボジアを脱出したのは、ベトナム軍がプノンペンを包囲した一九七九年の一月なんだ。それ以来、カンボジア国民の前に姿を見せたのはあの時しかなかったんだ。内政にはいろんな問題があったけど、とにかくシアヌークは平和だった頃のカンボジアのシンボルなんだ。難民たちにとっては歴史的な場面だったんだよ。なんか、他に感想はなかったのかなあ」
ぼくは自分でビールを注ぎ足しながら話していたが、すこしずつ悪い酔い方に傾いていた。
「日本の茶の間のテレビで見たからじゃないんですか。そんなに感動できたのは。あの日だって、三人の地雷創の患者が運び込まれてきて、一人は胸の中にまで破片が入ってたんで、四人の外科医がかかりっきりで手術してたんですよ。いつものように忙しかっただけですよ。ぼくはシアヌークがカンボジアを脱出した年なんか知りませんし、それに、ひとりの男が来たくらいで、あの収容所の雰囲気が急に変わると思いますか? テレビの画面で切り取られた狭い光景が、それがすべてだとでも言うんですか? もう忘れたんですか。まだ一年しか経ってないんですよ」
若いのにおだやかな性格の彼にしてはめずらしく、下を向いて語尾を震わせた。ヨダレを拭く手も、震えていた。
「そうかなあ。そんなもんかなあ」
ぼくは大袈裟《おおげさ》に首をひねり、それを機に、となりの席の看護婦にビールを注いだ。
カラオケが入り、歌う者が出た。ぼくはビールを注ぎ回りながら、とにかく暑かったこと。宿舎のベッドの下によくいた毒サソリのこと。刺されると片足がしびれたが、どんな薬よりも小便をかけるのがよく効いたこと。スコールの中の泥道を、バナナの葉を傘にして歩いて行った巡回診療のこと、など、今では厚い糖衣にくるまれてしまった想い出だけを見繕って、高笑しつつ語り合った。そうすることで、最年少の外科医との通じ合わない会話をきっかけにのめり込みそうになった悪酔いを追い払おうとした。
「あそこから帰ってからさあ、私ねえ、貯金するのやめたのよ。金貨を買ってるの」
ぼくの注いだビールを一気に飲み、小太りの看護婦は膳の上に身を乗り出した。ぼくは畳の上にあぐらをかき、金貨の買い方について説明を受けた。
カンボジアの戦乱を逃れてタイ領内に入った難民たちが、何よりも大切に持ってきたのは金だった。周囲を鉄条網で囲まれた難民収容所は、タイ軍の兵士に警備されており、許可証がない限り、出入りする者は撃たれても仕方のない規則になっていた。夜、国境の闇市に食料や酒を買いに出て行く者は、タイ兵にいくばくかの金をわたし、見て見ぬふりをしてもらう。地雷の敷設場所を聞き出すにも金が必要だったし、闇市でも、金は米ドルより高い価値を持っていた。
前もって金をわたしてあったので、安心して鉄条網をくぐり、タイ兵に、行ってくるよ、と手を挙げた瞬間、自動小銃の乱射を受けた難民もいた。たまたま、その夜に限ってバンコクから来た上官の見回りがあり、兵士は撃たざるを得なかったのだという。当直の暑い夜、この話をしてくれた難民の医療助手に向ってぼくは、そういうよくできた話は戦場に発生しやすいものなんだよな、と笑いかけた。それまで、個人的な感想を注意深く削り落としながら話していた彼は、すり減ったゴムぞうりの先で小石を蹴り、He is my brother とはにかんだような笑顔を造った。
「いい? 一度にたくさん買ったらだめなのよ。金貨は価格の変動が大きいから、それだけリスクも大きいのよね。月に二、三枚ってとこが適当かな。もちろん四分の一オンスの小さなやつよ。それとねえ、三万五千円以上だと物品税がかかるから、そこんとこもよく考えとかないとね」
小太りの看護婦は、ほとんど耳うちするように話してくれた。
「もう何枚くらい買ったんだい」
ぼくも真似して耳うちした。
「内緒」
「目標は」
「難民になっても一年くらいは大丈夫なところまで買うつもり」
「難民ねえ……」
「分からないわよ、この国だって。先のことは分からない。私があそこで学んだのはそれだけ」
彼女はきっぱりそう言って、鯛《たい》の刺身を頬ばった。
ぼくは丁寧な説明に礼を言ってから、あぐらをといて立った。すぐそばに、看護士のタケオさんが、トロロをかけためしを黙々と食べていた。ぼくは彼の前に正座して、ビールを注いだ。タケオさんはボランティアで、一年間タイにいて、三ヶ月ごとに交代する難民医療チームのそれぞれに加わり、今年の六月に帰国していた。
「肝炎になられたそうで。その後、体調はいかがですか」
タケオさんが急性肝炎になってバンコクの総合病院に入院した、というニュースは、通訳のダンから来た手紙で知っていた。まだおさげ髪の似合う歳のダンは、手紙の最後に、「女からの感染です!」と、わざわざ赤いボールペンで書いていた。
「ひどいめにあいました」
三十代後半になるが、まだ独身のタケオさんは、うすくなり始めている前髪をかいた。
「潜伏期から推測しますと、パタヤビーチの女ですね」
タケオさんは休暇でパタヤビーチに行ったとき、三日間、海には一度も入らず、ひたすらホテルのツインルームにとじこもっていた。
「ひどいめにあいました」
タケオさんはしきりに頭を下げた。
「三日で四人の女ってのは多すぎますよ。あのときだって言ったじゃないですか」
「いやあ、ひどいめにあいました」
ぼくたちは互いに顔を見合い、あらためて頭を下げ合った。
時計があっけなく十時を回った。看護婦たちの中には、手をくねらせて踊るタイダンスを始めている者もいた。
幹事役の看護婦が、調子のはずれた歌をくり返していた小柄な医者から、マイクを奪い取った。
「そろそろおひらきの時間です。飲み続けたい人は団長の部屋に二次会の用意がしてあります。もう話すこともない人は、お風呂にでも入って寝て下さい」
難民収容所での当直の夜に、酔ってからんできたタイ兵を、日本語の語気の強さだけで追い払った彼女らしい、そっけない閉会の辞だった。
ほとんどの者たちが、膳の上の残り物を集めた皿を手にして、階下の団長の部屋に降りていった。ビールを注ぎ回って話し込んでいたぼくは、まだあまり酔っていなかった。こんな生酔いのまま二次会に入ってしまうと、またシアヌークのことで、人の良い外科医にからんでしまいそうな気がした。ぼくはもっと酔いたかった。
「飲むとこ、ないかねえ」
ぼくはカラオケセットを片付けている、幹事役の看護婦に聞いた。
「上にスナックがあるけど。相変わらず物好きねえ。さっさと二次会に行けばいいのに」
彼女はぼくに背を向けたまま、コードを巻きつけたマイクを持った手で天井をさした。
ぼくはホテルの最上階にあるスナックに行った。
五人掛けのカウンターと、ボックス席が四つばかりの小さなスナックには、客の姿はなかった。カウンターの中で小型の白黒テレビを見ていた、顔色の悪いバーテンは、タバコをくわえたまま迷惑な顔で立った。
ジンのオンザロックをカウンターに置くと、バーテンはまた、鼻の下の不ぞろいな髭を細い指でもてあそびながら、テレビを見はじめた。
「できたら、レモンがあると……」
ぼくはジンに口をつけてから言った。
「すみません。ちょっときらしてて」
バーテンはテレビの画面から目を離さず、口だけは別人のような丁寧さで詫びを言った。
女が入ってきたのは、ぼくがレモン抜きのジンを、グラス半分空けたときだった。女は黙ってぼくのとなりに座り、カウンターに両肘をついて、ブランデーを注文した。バーテンはテレビを消し、ようやくぼくにもおつまみの注文を聞いた。待ち合わせていた連れだと思ったらしい。
女は地味な茶色のカーディガンをはおっていた。化粧の跡が見えない、頬骨の浮き出た顔は、重症の貧血患者のように、微かな黄色味を帯びて蒼ざめていた。たしかに下の宴席にいたはずの女だったが、ぼくは彼女にビールを注いだ覚えがなかった。トイレにでも立っていたのだろうか。
女はチューリップグラスの底に注がれたブランデーを、上体を反らせてひと息に飲んだ。筋の浮いた細長い頸部を、琥珀《こはく》色の液体が降りていくのが透視できるような気がした。それほど、女の肌は白かった。
ブランデーのコルク栓を掌で叩き入れたバーテンの口から、ほおっ、と好奇のため息がもれた。女はすかさず、空になったグラスをバーテンの胸もとに突きつけた。
彼女は東北の山間部にある個人医院をやめ、ボランティアとして難民医療団に参加していた看護婦だった。ぼくたちのチームに参加した団員たちの多くは、ぼくを含めて、国立病院やその他の公的病院からの海外出張という形をとっていた。難民医療団に志願する医者や看護婦の数は極めて少なかったから、中央官庁が国内の主だった病院に、医療スタッフの派遣を強く要請したためだ。そんなぼくたちとは別に、職場をやめ、個人として志願したボランティアも数人いた。彼らはぼくたちの倍の、六ヶ月間現地にとどまるのが普通だった。女もその中の一人で、ぼくたちのチームが帰国したあとも、次のチームで働いていたはずだった。
彼女は強い東北なまりを気にするせいか、口数は少なかったが、難民を相手にするときだけは、歌うようなフランス語を話した。東北の田舎育ちらしい地味な容姿に、フランス語はそぐわなかったから、誰もが一度は、女におなじ質問をした。いったいどこで習ったのか、と。そんなとき、彼女は、陽に焼けない質の白い顔を伏せ、ちょっとだけ、と口ごもるのみだった。
冷房完備の宿舎は、タイ軍のMPが夜盗に備えて徹夜で警備してくれていた。六時の夕食が終わると、たいていの者が食堂に居残って、ビールやウィスキーを飲みながら雑談していた。時を経るにしたがって、話題は枯渇し、ののしりやあざけりが隠していた顔をのぞかせることもあったが、酒をやめる者はなかった。ぼくはアルコール性胃炎に悩まされた後半の三日間の他は、常にその一員として加わっていたが、酒席で彼女の姿を見たことはなかった。自室で、フランス語版のシアヌーク回想録を読んでいるらしい、と言う看護婦がいたが、確かめたわけではないようだった。
外傷患者に対する応急処置の手際の良さは、医者たちからは頼りにされ、看護婦たちからはいくらかけむたがられているようだったが、彼女は気にかけているそぶりを見せなかった。
古い卒業写真をめくるとき、中段の端あたりで伏し目がちにしている、どうしても名前を想い出すことのできない女の子が必ず一人か二人いる。彼女はぼくにとって、まさにそういうひとりだった。
「なにがシアヌークよ」
女は二杯目のブランデーを飲み干し、両手で包んだグラスに重い息を吐きかけた。
宴席で、ぼくがシアヌークを話題にしたのを知っている――どこに座っていたのだろう。
「シアヌークのこと話して悪いかなあ」
タイにいたときも、ぼくは彼女とまともに話したことはなかったから、初対面の丁寧な口のききかたをした。
「なにが、シアヌークよ」
ガ音が鼻にかかって抜けていく、東北なまりは以前のままだ。
彼女はバーテンの角ばった顎の下にグラスを押しつけた。バーテンは、いいんですか? と言いたげな目でぼくを見た。ぼくはジンのグラスを持ち上げ、残り量を目測するふりをして、彼の視線をかわした。
バーテンは女の差し出すグラスの八分目までブランデーを注いだ。女はこぼれそうになるブランデーを、口を持っていって、音をたててすすった。
「早すぎないかなあ。忘れちゃうのが」
女はカウンターにグラスを置き、ミルクを飲む猫のように、舌でブランデーを舐《な》めはじめた。
故意に狂態を演じていると、思いがけない早さで酔いがまわってくることがある。なにかひどくつらいことがあったとき、こんなふうな異様な飲み方を他人に見せつけることで、酔いに加速をつけた覚えが、ぼくにもあった。
ふいに、木目の浮き出した白木のカウンターの上に、大粒の水滴が垂れた。ブランデーを舐め続けようとしている女の紫色の舌が、口唇を出たところで厚く硬直していた。
ぼくは二杯目のジンを飲み終えた。泣き上戸の陰気な女にじゃまされたものの、ストレートのジンは、二次会で陽気に騒げる程度の酔いを与えてくれた。ぼくは席を立った。
「待ってよお」
女が顔をあげた。
色素の少ない目から湧き出た涙は、細い首筋にまで流れ、白いブラウスの胸もとを濡らしていた。バーテンがぼくを見た。ぼくはわざと大きなため息をついてから、席にもどった。ジンをもう一杯頼んだ。
「おれに話したいことがあるなら、芝居がかったことはやめて、早く言ってくれないかな。山の中から五時間もかけて出てきたのは、楽しむためなんだ。おれは忘年会に来たんだよ」
ぼくはジンのグラスをカウンターに押しつけて、昂《たか》ぶりそうになる声を抑えた。
「九月二十四日・死亡一名・二十二歳・女性・国籍・クメール」
女は一語一語、肩で息をしながら区切って言った。
彼女が口にしたのは、ぼくたちの宿舎に付属していた病棟の、診療日誌の一部だった。記録するのは医師の役目だった。ぼくも、書いた。
それがどうしたのか。ジンを口にしたまま、女に向って胸を張ってみてから、ぼくはようやく彼女の言いたいことを理解した。しかし、それはあくまでも、ぼくにとってのわずかにつらい想い出の部分でしかなかったから、彼女の執拗な酔い方を説明できるほど十分な理解ではなかった。
「九月二十四日・死亡一名……」
女はふたたびブランデーを舐めはじめた。
3
タイにいた三ヶ月の間、ぼくは一冊だけ持っていった大学ノートに、短い日記をつけていた。亜熱帯の酷暑と、難民収容所で目にする悲惨な光景に圧倒されて、酒を飲んでいる毎日の中では、ヤモリの鳴く宿舎の個室で、ノートになにかを書きつけるときだけが、わずかに自分をとりもどすことのできる時間だった。しかし、やがて体は暑さに慣れ、目は悲惨に慣れた。肩の力を抜き、水牛とおなじ歩調で歩くことを覚えた。軒下にしゃがみこんで、乾いた赤土の道を見つめて半日をつぶせるようにもなった。そして、いつの間にか、とりもどすべき自分などどこにあるのか、ほんとうにあったのか、分からなくなっていた。
それからは、夕食の内容と、飲んだ酒の量を、したたかに酔ったおぼつかない筆致で書きとめるだけの日記になった。
八月十二日、夕食、タイカレー、ビール(小)二本、ウィスキー五杯。
それでも、ときに、酔いの中でも消えない残像の中から、事実のみを切り抜き、意味づけを排し、ひたすら写真に近い記録を残そうと試みたことも、まれながら、あった。
九月二十四日
朝、暗いうちに目覚めた。国道を移動しているタイ軍の戦車のキャタピラの音で起されてしまったらしい。ベッドの横の机の上に、蛍が一匹舞っていた。日本のより光が強い。闇が濃いのか。分からない。日本で最後に蛍を見たのはいつだったろうか。考えていたらまた眠った。
宿舎の病棟当番の日。八時起床。他の医者たちは全員、国境に沿うカオイダン難民収容所に出かけていた。コーラと食パン二枚で朝食。
九時。ここから二十キロほどバンコク寄りにある、バンケン難民収容所より救急車が入った。患者、二十二歳、女性、腹膜炎症状にてショック状態。ただちに輸液。昇圧剤、抗生物質の投与を開始するも改善傾向なし。手術室に運び、麻酔器を用いて人工呼吸開始。
十二時三十分。カオイダン収容所から当直あけで帰ってきた二人の外科医により開腹手術開始。小腸穿孔。原因不明。腹腔内は汚物と膿で満たされていた。看護婦が二人、ハエを追う。術中より脈を触れず。薬品庫にある昇圧剤をすべて使いきったが、効なし。閉腹後三時間で呼吸停止。その後三十分で心停止。
夕食、水牛の肉のステーキ。ポテトサラダ。ビール(大)約四本。
浅黒い肌のクメールの女は、整った美しい顔立ちをしていた。初めての子を産んで、まだひと月も経っていなかった。煮しめたような古タオルに赤ん坊をくるんで抱いていた夫は、麻酔器のバッグを押すぼくの腕にすがりつき、手術室の床にひざまずいて合掌した。
心停止のあと、手術台の上に馬乗りになって、看護婦たちと交代で胸を圧する心臓マッサージを始めた。瞳孔を開きつつある女の張り切った乳房から、純白の乳汁が流れ出し、凹んでしまった腹の傷跡にたまっていった。看護婦たちのいく人かが、ガーゼをふり回して乳汁の淵にたかるハエを追った。
死亡確認後、やせこけた老人が特別許可証を手にして、収容所から連れて来られた。父親だった。老人は涙を見せず、ゆるやかな短調の歌を歌いながら、娘の額を撫でていた。赤ん坊を看護婦にあずけた若い夫は、床に伏して、ヨーイ、ヨーイ、と泣いた。
救命処置に追われて消し忘れていた無影灯のスイッチを切ると、手術室はもう、濃い夕闇に支配されていた。父親の短調の歌と、夫の間延びした泣き声は、重なり、調和して、闇の底に沈んでいった。和して歌い、泣くことのできないぼくたちは、彼らを遠まきにして、不恰好《ぶかつこう》な影になってつっ立っていた。
乳児を残されて妻に死なれ、これから先も行くあてのない難民として生きていかねばならない若い夫の胸中。戦火を逃れて来て、ほっとして子を産んだ矢先に、不意の病で死んだ妻の思い残したこと。いずれもぼくは日記に書かなかった。
一時間半にわたる心臓マッサージで、ぼくはいつもより多量の汗をかいた。その分だけよけいにビールを飲んだ。一年前の九月二十四日は、ぼくにとってそういう一日だった。
4
「誤診だったのよ。そう言って悪ければ、誤った判断だったのよ」
女はカウンターを枕にして、ぼくにうなじを向けていた。
チューリップグラスのブランデーは空いていた。バーテンはカウンターの上に出していたボトルを、盗むように背後の棚にもどした。
「腹膜炎の診断は、手術で証明されたように、正しかった。前の夜、あの患者がバンケン収容所のフィリピン医療チームの産科病棟に運び込まれたとき、医者はいなかった。休暇かなにかで本国に帰っていたんだと思う。フィリピンの、あの勝気な看護婦は一晩様子を見ていた。朝になって容態が急変し、あわてて救急車でおれたちの宿舎の病棟に運んできたときは、おそらく君も見たんだと思うけど、あのとおり、絶望的な状態だった」
誤診、という挑発的な言葉に対抗して、固い口調で話しているうちに、ぼくはあの日の状況を鮮明に思い出していた。
無線でとび込んでくる、フィリピンの看護婦の聞きとりにくい英語の発音。子供がはしゃいでいるような「緊急事態《エマージエンシイ》」のコール。
患者は死にかけてるのよ――こちらに外科医はいない――医者がいればいいのよ――内科医でも救えそうな状態なのか――とにかく、患者は死にかけてるのよ。口唇にハエがたかり始めているのがその証拠よ―― OK ―― Thank you. I'm happy ――
「あの日、おれたちのチームの外科医は全員、百二十キロ離れたカオイダン収容所に行ってた。いつもなら十一時に帰ってくるはずの当直あけの二人も、国境から運び込まれた戦傷患者の手術に加わって、帰りが二時間近く遅れた。これはあらかじめ無線で確認してあったことだ。内科医のおれにできることは、あれだけだった」
「あんたはねえ。いい? あんたはねえ」
女は急に顔をあげた。焦点の定まらない目が、小刻みに左右に揺れていた。
「はじめっからあきらめてたのよお。どうせ難民にしてやれるのはこんなもんだって、あきらめてたのよお」
女はカウンターについた左手で自分の額を支えた。その細い腕は、肘を支点にして振子のように揺れ出した。
「覚えてるでしょう。あんたならきっと覚えてるでしょう。成田を発つとき、どこかの官庁の見送りの小役人が言ってたこと。あんまりがんばらないで下さい。タイの農村だって貧しいのに、カンボジア難民にばかり良い治療をすると、問題が多いんです。日本みたいに、医療訴訟なんて絶対に起りませんから、まあ、体をこわさない程度に、適当にやっといて下さい。日本から医療団を出してるっていう、そこんとこが大事なんですから」
女は左手に支えられた額を揺らしたまま、こわばったうすら笑いを浮かべつつ、役人の口真似をした。きつい東北なまりを別にすれば、女の声帯模写は、これだけひどく酔っているにしては上出来だった。
「あんたはねえ。いい? あんたはねえ、役人になってたらよかったのよ。あんな小役人より、とてつもなく偉くなってるわよ。小役人は言うだけだったけど、あんたは実行できたんだから。道をまちがえたわねえ」
「道をまちがえたってのは、あたってるかも知れないな」
ぼくは、今度は酔っぱらい女の挑発にのらず、むしろ迎合に近いうすら笑いを返した。
「ばかやろう」
女の揺れていた額が止まった。頬の蒼ざめた皮膚が、粗大な痙攣《けいれん》を起した。
「無線で外科医を呼べばよかったのよお、もっと早く。カオイダンに運ばれて来るのは、国境で戦闘にまき込まれた外傷患者だけだってことは、よく知ってたはずじゃない。輸血と止血さえしとけば、すぐには死なないってことだって、分かってたはずじゃない。いま、いま目の前で死んでく患者と、どっちが大事だったのよお!」
女のうつろだった目が、怒りにかられて気まぐれな焦点を結び、ぼくを見すえた。ぼくはもう、うすら笑いを造らなかった。
「いいか。よく聞けよ。あの患者も確かに緊急手術を要したし、カオイダンの手術だって、緊急だった。運の良かった方が生き、悪かった方が死んだ。多くの緊急症例を前にして、限られた数の医者しかいないとき、当然起ってくる事態だった。おれを責めるのは筋違いだ」
薬はあったが、検査機材がほとんどなかった。専門の医者がそろわなかった。日本の、高度に近代化された総合病院から派遣されたぼくたちにとっては、足りないものだらけの野戦病院だった。人や物が足りないために病人が死ぬ。今の日本では起りにくいことが、あの暑い国の国境地帯ではありふれたできごとだった。並の感受性を持つ者なら誰でも、これでいいのか、と思った。泣いたり、怒ったり、胃潰瘍になったり、病的に食って肥満したりした。そのことを、今、忘れてしまったわけではない。仕方のなかったことだ、と、それぞれのやり方で内部処理したのだ。そういう者たちだけが、この忘年会に集まって来たのだ。内側に重い物をかかえたまま平和な国にもどって、沈まないで以前のように泳ぎ回るには、この内部処理が不可欠なんだ。
もしかしたら、戦友会なんてのも、案外そんなところで成立してるんじゃないか。ぼくの父は、パラオ諸島のジャングルで、乾パンを盗み食いした栄養失調の二等兵を、見せしめのために軍刀で処刑した元上官の組織する戦友会に出たことはない。父を自慢するのではない。ぼくの言いたいのは、そういう戦友会も、年に一度、立派に成立し、存続しているという事実だ。
こだわることがあって、そのことが処理できないために、過去を肴《さかな》に笑って酒を飲むことができないのなら、こんな忘年会には出てこなければいいのだ。現に、三十名いた団員の半分は、理由はともかく出てこなかったじゃないか。一度出席したからには、自分だけのこだわりを相手にぶつけて泣き叫ぶ、子供じみた酔い方はやめたらどうだ。平和な国で泳ぎ続けることだって、いや、むしろその方が、大変なことだってあるんだ……
ぼくは女に言ってやるべきことを、あわただしく頭の中で整理してみたが、口には出さなかった。酔っぱらいの説得に来たのではなく、ぼくは忘年会に来たのだ。
女はカウンターに顔を伏せ、呼気の荒い、苦しげな息をしていた。明らかに、飲み過ぎたのだ。カーディガンの背の丸みに力がない。ふだん酒など飲むのだろうか。いくつになるのだろう。ぼくは女の正確な歳を知らない。独身なのか。今も看護婦をやっているのか。ぼくは女について何も知らなかった。
カウンターの端に置かれた、クリスタル製の時計は十二時をすこし回っていた。
「何時まで?」
ぼくはバーテンの方に顎をつき出した。
「一応十二時までですけど……」
バーテンは無愛想に、女の頭を見おろした。
「不景気?」
ぼくはバーテンに笑いかけた。
「そうねえ。ちょうどこんな雰囲気とおなじですね」
バーテンは初めて笑った。上の前歯が一本欠けていた。
残りのジンを飲み干し、勘定を払ってから、ぼくは女をゆり起した。何度ゆすっても、やわらかなゴム人形のように、スローモーションでもとの姿勢にもどり、背を丸め、顔を伏せてしまった。息は、すでに深い寝息だった。タイミングを見はからって、女の腋《わき》に肩を入れ、背負うかたちで引きずりながらスナックを出た。
女を看護婦たちの部屋まで運び、ぼくは三人の男たちが鼾《いびき》をかいて眠っている部屋で浴衣に着替え、廊下の案内板を頼りに、地下の大浴場に下った。
5
洗い場の端にあおむいて寝ている女の白い裸体がぼやけてきた。湯煙のせいではなく、目に流れ込む汗の量が増したのだ。まばたきをくり返し、顔を振ってみても、頭皮の全面から湧き出るようになった汗は防ぎきれなかった。ぼくは頭まで湯に沈み、浮力に助けられた反動で一気に立ち、軽いめまいによろけながら、タオルを置いてある湯船の縁に腰かけた。うなだれた姿勢で、めまいの去るのをしばらく待った。
ふとうしろを見ると、曇ったサッシ戸の向うに、黒く太い人影が映っていた。万歳をして、服を脱いでいるようだった。
ぼくはタオルを絞って洗い場に立った。足の裏を、心地よく湯が流れていた。
女の裸体は、あらためて上から見おろしてみると、か細い骨格だけが目立つ、思春期前の少女のそれだった。胸のわずかなふくらみが、かろうじて肋骨《ろつこつ》の波を消していた。突出した骨盤の間にある濃い影は、濡れて、浮き出た恥骨にはりついていた。ぼくはタオルを二つに折って、女の下腹部にかけた。女の顔にふっと頬笑みが浮いたような気がした。息を止めて見つめてみたが、表情は動かない。多くの筋肉が緊張をほぐしているこのおだやかな顔が、女の素顔なのかも知れない、と思った。
ぼくが湯船にもどったとき、あらゆる部分の肉がたるんだ体の上に、巨大な坊主頭をのせた男が洗い場に入ってきた。男は縁にしゃがみ、湯船から両手で湯をかき出し、肉が段を造っている下腹部にあびせ、せわしなく入浴した。大波が立ち、首までつかっていたぼくは腰を浮かした。
「すんません」
男は太い首に似合わない、甲高い声を出した。
「いいえ」
ぼくは男の方を向いて、軽く頭を下げた。
三メートルほど離れて湯船につかっているぼくと男は、しばらくの間、おなじ角度で壁を見上げていた。双発の換気扇の一方に、湯煙が筒状に吸い込まれていた。
洗い場の端で、下腹にタオルをかけただけの、裸の女が寝ている。混浴ではない。ここは男湯なのだ。ぼくは男の言葉を待ち、それに対するいくつかの答を用意した。
「おっし」
男は天井に向って気合いをかけ、湯船を出た。入ったときより大きな波が立った。ぼくは腰を浮かした。
「すんません」
男はそう言ってから、洗い場の湯を、音をたてて弾きながら歩き出した。
「あれえ」
一段甲高い声があがった。
ぼくはあわてずにうしろを向いた。男は太い腹をひき、上体を前傾させ、タオルで前を隠して女を指さしていた。
「女だよお」
男の声は、思いがけぬ大物に竿をしぼり込まれた、釣りの初心者のように、弾んでいた。
「ええ。連れなんですわ」
ぼくは用意した答のひとつを、哀れっぽい口調で言った。
「酔って?」
「ええ。酔って」
「連れ?」
「ええ。連れなんですわ」
「大変ですなあ」
「そりゃあもう。たまんないですよ」
「だいぶ飲んで?」
「ええ。ひどいもんです」
こりゃあ、大変ですなあ、と、男は名残り惜しげに女の方を見つめたまま、脱衣所に出ていった。
「すみません」
ぼくは男の肉だらけの背に向って言った。
「いやあ。いつもカラスの行水だから」
脱衣所でふり返った男の声は、ぼくと女の関係を推測するのに忙しかったためか、どこか中途半端な高さだった。
男の影がサッシ戸から消えた。ぼくは女を起すために湯船を出た。洗い場の端にしゃがみこんで、女の頬を平手で強く叩いた。上眼瞼《うわまぶた》がだらしなくめくれ、充血したうつろな目が現われた。
「起きようぜ」
ぼくは笑って見せた。
女の目はすぐに閉じた。ぼくはまた頬を打った。怒ったように目を開けたが、女は起きようとする意志を見せなかった。表情筋も弛緩したままだ。
ぼくは女の腋の下に手を入れ、洗い場からひきずり出すことにした。女の体は、水を吸った蒲団のように重かった。途中で下腹にかけていたタオルがすべり落ちたので、一度女を寝かせてから、タオルを拾って自分の首にかけ、またひきずって運んだ。段差のある脱衣所に入れるときは、仕方なく抱き上げた。
脱衣所の冷えたタイルの上に横たえたとき、女はすばやく上半身を起し、両手でうすい胸を隠した。顎と肩が細かく震えていた。
「自分で着てくれよな」
ぼくは首にかけていたタオルを絞り、大ざっぱに体を拭いて下着をつけた。
女はタイルの上に正座し、両手で胸を抱いて背を向けていた。下腹部を隠そうとして無理に猫背になっている背骨の突起が、さむざむとしていた。
あんたが悪いんだからな。被害者みたいな恰好するなよな。ぼくは独り言をつぶやきながら、浴衣を着終えた。
「カゼひくなよ」
ぼくはそう言い置いて、絞ったタオルを頭にのせ、脱衣所を出ようとした。
「タオル、貸して、下さい」
吐き、眠ったあとの泥酔者の、枯れてひくい声だった。
ぼくはタオルを女の肩に投げかけて、脱衣所を出た。サッシ戸を閉める音にまぎれて聞きとりにくかったが、女は、ありがとう、と言ったらしい。
6
カーテンの開け放たれた広い窓から、朝陽の上半分が見えた。腕立て伏せの姿勢で枕から顔を上げると、水平線が現われた。よっ、とかけ声をかけて起きてみると、眼下にコンクリで護岸された海岸線が延びていた。昨夜は暗くなってからタクシーで乗りつけたので、海がこれほど近くにあるのに気づかなかった。
和室の板の間に置かれた三点セットの椅子に、浴衣姿のタケオさんが座ってタバコを吸っていた。相部屋の他の二人は、窓から射す朝陽を避けるように、蒲団にくるまっていた。
昨夜の長湯でアルコール分が抜けきってしまったのか、宴会の翌朝にしてはめずらしく、朝陽をまともに見つめ返しても、頭痛や嘔気は起らなかった。早朝の静かな海面を、水色の小舟が水平線に向ってなめらかな航跡をひいていた。
「どうしたんですか、昨夜は」
タケオさんは、向き合って座ったぼくを、まじめくさった顔で見つめた。
「いやあ、すごい女につかまっちゃって」
ぼくはテーブルの上に出ているタケオさんのタバコを一本もらった。
「高かったでしょう」
タケオさんはライターの火をくれ、ますますまじめな顔になって、声をひくくした。パタヤビーチの、ヤシの木に囲まれたうす暗い置屋で、身体検査から帰ったばかりの娼婦を選んでいたときの顔そのままだった。
「むやみに買ったりしませんよ。肝炎は恐いですからね」
ぼくはふんぞり返ってタバコを吸った。
「またまた、そういうきついことを」
タケオさんは、肝臓を病んだ名残りらしい、すこし黄色い目をパチパチさせた。
朝陽は水平線から離れると、ひとまわり小さくなった。水色の小舟は視野から消えていた。
「これが夕陽だったらなあ。また飲めるんだけどなあ」
昨夜十分に酔えなかったことを、ぼくは悔やんだ。
「簡単ですよ。夕陽だと思っちゃえばいいんですよ」
タケオさんはあっさりそう言って、うしろにある冷蔵庫からビールを一本出した。
ビールはよく冷えていた。脱水気味の体が要求するままに、ぼくはコップ一杯飲み干した。夕陽ですよ、夕陽、と念を押し、タケオさんが二杯目を注いでくれた。ぼくもタケオさんに注いだ。
「ちがってたら失礼ですけど、あの女じゃないですか?」
タケオさんは海の方に黄色い目をやり、朝陽を受けて金色に輝くビールを飲み、茶色のカーディガンを着た女の名を言った。
「名前はよく知らないんだけど、フランス語を話したその女です。難民に対する診療態度ってのか、まあ、そんなことで文句つけてきて、からまれちゃって」
ぼくも海の方を見た。波のない海面が広く光り出していた。
「あなたたちのチームが帰ってから、次のチームでもいろいろあったんですよ。あの女は」
タケオさんはビールを半分まで飲み、コップをテーブルに置いた。ぼくはすぐに注ぎ足し、昨夜のことを、風呂に入る前までで終わる話として、タケオさんに伝えた。
「そうでしたか」
タケオさんは相変わらず海の方を見ていた。
「タイが懐かしいですか?」
あまりにも遠くを見ている目だったから、ぼくは聞いてみた。
「一年いましたからねえ」
タケオさんは、小さなため息をつき、しばらく海を見ていた。朝陽と向き合った横顔は、タイにいた頃よりはるかに老けて見えた。
「そうそう、さっきの話ですけど」
テーブルの上のビールをまた半分まで飲み、私の考えですけど、と前置きしてから、ぼくたちの次のチームでもあの女と共に仕事をしたタケオさんは、彼女の泥酔の理由を説明し始めた。
ぼくは立っていって、冷蔵庫からあらたに二本のビールを出した。
7
バンケン難民収容所は、日本医療チームの宿舎から車で十五分ほどの草原にあった。カンボジア国境からは百五十キロ近くも離れており、派手な戦傷患者が運び込まれて来ることもない、おだやかな収容所だった。収容人員も八千名あまりで、四万人を越す難民がいるカオイダン収容所に比べると、平和なタイの農村といった感じさえした。難民の家の造りも、カオイダンが竹とニッパヤシであるのに、バンケンは規格のそろったバラックだった。
カオイダンでは禁制になっている闇市が、タイ軍公認の形で収容所の中心にあった。そこでは、金さえあれば、一本売りのタバコや泥水のようなアイスコーヒー、バナナの天ぷら、ぬるいビールなどが買えた。顔見知りになった天ぷら売りの少女にカメラを向けると、どこからともなくタイ兵が現われ、にこやかに笑ってレンズの前に骨ばった手を広げる。ぼくも笑い返してカメラをショルダーバッグにしまう。そんなとき、ここが難民収容所であることを、かろうじて思い出す。バンケン収容所はそんな所だった。
カオイダン、バンケン、宿舎に付属する病棟。この三ヶ所に、日本医療チームは医師と看護婦を配置していた。主力を置いたのはやはり、国境から運び込まれる戦傷患者の多いカオイダン収容所だった。バンケンの当番になった医者は、ヒマのつぶし方に苦労することが多かった。
ぼくがバンケンに行くときは、いつものゴムぞうりから運動靴にはき替え、広場ではだしの子供たちとサッカーをやっていた。はじめは肩に日の丸のワッペンが付いた、半袖の仕事着を着てボールを蹴っていた。ぼくがドリブルを始めると、子供たちは道を開け、シュートを打つと、ゴールキーパーは両腕をだらんとしたままボールを取ろうとしなかった。仕事着を脱ぐと、彼らはぼくのパスを受けるようになり、運動靴を脱ぐとようやく、ぼくにタックルをしかけてくるようになった。ぼくが他の団員よりも色濃く陽に焼け、足の傷が多くなったのは、このサッカーのためだった。
ぼくたちの次のチームは、バンケン収容所の病棟には看護婦一人を置いた。扱う病人は、十名そこそこの入院患者と、収容所内で発生する小さな外傷患者だけだった。その処置は、これまでのチームによってトレーニングされている、若いクメール人の医療助手たちにまかせておけば十分だった。
茶色いカーディガンの女は、自ら希望してバンケンの当番を買って出た。悲惨な光景の持つ、逃れたい麻薬作用にそそのかされて、戦場に近いカオイダン収容所の勤務を望む者が多かったから、女の希望はたやすくかなえられた。一週に一度ある休みの日でも、彼女は他の看護婦たちのように、日帰りでバンコクに買物に出たりはせず、ひたすらバンケンに通っていた。
彼女は赤ん坊の世話をしていた。乳児を残されて妻に死なれた若い夫は、プノンペンでフランス語の教師をしていた難民だった。タイ領内に逃げ込んでからあわてて勉強したカタコトの英会話より、幼い頃から親しんでいたフランス語は、彼にとって、自分の真意を伝えるのにはるかに適した外国語だった。そのフランス語を解してくれる日本の看護婦が彼女だった。外面の同情よりも、内面の理解を、失意の彼は求めていた。女はそれに応えてやった。
熱を出した赤ん坊を抱き上げ、下痢止めの薬を出してくれる看護婦はいたが、実際に汚れたオムツまで洗ってくれたのは彼女だけだった。給水所から汲んできた水を、一度炭火でわかして殺菌してからビンにたくわえ、またその水をわかしてミルクを作る、というやっかいな作業を引き受けてくれたのも彼女だけだった。
赤ん坊が肺炎を起したときは、収容所の病棟の当直室に連れていって、寝ずに看病してやったりもした。夜でも気温が三十度を下らない乾期の収容所の中で、扇風機のまわっている場所は、タイ軍の将校宿舎と、病棟の当直室のみだった。
特定の難民に対する、過度の同情行為は禁じなければならない。これは、組織の一員として動かざるを得ない、政府派遣の医療団員としての最低条件だった。まわりの医者や看護婦たちは、それとなく彼女に忠告を与えた。彼女は、すみません、とよわく笑って頭を下げながら、翌日になるとまた赤ん坊のオムツを洗っていた。
妊娠と結婚のうわさは、どちらが先だったのかはっきりしなかった。状況はそこまで進んでいた。女は休みの日に、バラック造りの難民の家に泊ってくるようになっていた。深夜、宿舎のシャワー室で吐いている女を見た、という者も何人かいた。
彼女は一度だけ、アランヤプラテート始発のバスに乗り、片道四時間かけてバンコクに出たことがあった。難民の夫と子供を連れて日本に帰りたい。それがだめなら、妻として収容所に残りたい。女がバンコクの大使館に申請したのはこのふたつだった。どちらも即座に却下された。
女が最後の日直を終えてバンケン収容所から帰る日、当直のタケオさんは病棟前の竹椅子に座って見送った。いつもどおりの、淡々としたひくい口調で入院患者の申し送りを終えた女に、タケオさんは思い切って聞いてみた。なぜそんなに意地を張ってきたのか、と。女は下を向いたまま、人それぞれに性格がちがうように、責任のとり方にもちがいがある、という意味のことを、きつい東北なまりで切れぎれにつぶやきながら、ジープに乗り込んでいった。
見送りに来た難民の夫に抱かれた赤ん坊は、身を反らせて泣いていた。ほころびたランニングシャツを着た夫も、声をあげて泣いていた。
タケオさんのまわりに集まって手を振っている、若いクメール人の医療助手の一人が、彼女ほど病棟の仕事をきちんとやった看護婦はいなかった、と怒ったように言った。それにつられて、他の一人が涙声で言った。難民に対する同情をおさえることと、なにもしないことが、おなじことだと錯覚していた日本の医者や看護婦たちに、なぜひと一倍多くのことをしてくれた彼女を責める権利があるのだ、と。
タケオさんは黙って、ジープのまき上げた赤土のほこりの中にしゃがみこんでしまった夫を見ていた。放心してうなだれる彼の腕の中で、ほこりを吸って咳込み、白いミルクを吐き、赤ん坊は泣き続けていた。
8
朝陽が目の高さに昇っていた。空はよく晴れていた。
部屋の隅の蒲団が動き出し、二人の男が眩《まぶ》しげな顔を出した。最年少の外科医と無線屋さんだった。
「うわあ。また飲んでるんですかあ」
外科医はあくび混じりに言ってから、
「ぼくにも下さいよ」
と、起きてきて、冷蔵庫の上からコップを取り、畳の上に座った。
タケオさんの話を聞いていて、開けるのを忘れてしまったビールの栓を、ぼくは二本続けて開けた。
「朝食代わりってとこですな」
蒲団から這い出てきた無線屋さんも、タケオさんがわたしたコップを手にした。
ぼくたちはみな、それぞれに崩れた姿勢でビールを飲んだ。話すことはなにもなかった。
海に沿う道を駅に向った。全員そろってホテルを出たのだが、いつか、二、三人ずつのかたまりに別れて歩いていた。
「これから、どうします?」
ぼくは右どなりを歩くタケオさんに聞いた。
「千葉のアパートに帰って、それから……寝ます。今夜、当直ですから」
タケオさんは前かがみになって、肝臓の辺をなでながら、
「どうします?」
と、ぼくを見た。
「まっすぐ信州に帰ります。上野の駅前で、子供のおもちゃでも買って」
ぼくも、知らぬ間に肩を落とした歩き方になっていた。
「今頃の信州はいいでしょうねえ」
左どなりを歩く無線屋さんが言った。
「出てくるとき、浅間山の五合目くらいまで雪がありました。駅にはもう、スキーかついだ連中が来てましたよ」
「スキーかあ。要するに平和なんですねえ」
無線屋さんは腹をつき出して、大きなあくびをした。
海から吹く風はおだやかで、冷え始めている分だけ、潮の香がうすく感じられた。
「今、何時です?」
時計のない左手首を上げて、タケオさんが言った。
「十時です」
ぼくより早く、無線屋さんが応えた。
「八時ですね。タイは」
タケオさんはちょっと海の方を見た。
それからのぼくたちは、相手を決めない、ほとんど独り言のような会話を続けた。
――バンケン収容所で、広場のスピーカーから、タイ国歌が流れ出す時間ですね。
――洗濯してた難民のおばさんなんかまで、直立して歌ってましたね。
――歌ってなんかいませんでしたよ。タイ兵がうるさいから、口を動かしてただけですよ。
――ぼくは歌ってたような気がするけどなあ。
――絶対に歌ってませんでしたよ。
――断定は……。
――ああ、そうですね。ぼくたちに断定できることなんて、なんにもなかったですね。
――歌ってる声、聞いたことありますよ。
――それは、スピーカーのタイ国歌なんか無視して、カンボジアの民謡でも歌ってたんですよ。きっと。
――クメール語ですね。そうすると。
――クメール語とタイ語の区別つけられる人いましたっけ。ぼくたちの中に。
――いません。
――結局、なんにも分かってなかったんですよ。ぼくたちは。
――言えるかも知れませんね。それは。
――それも、断定は……。
――そうですね。断定しちゃあいけないんですよね。
――ただ、あそこは今乾期になるとこだから、今日も暑くなりますね。きっと。
――暑くなりますね。
――それだけは、断定できますね。
登り坂の、短いトンネルに入ったところで、ぼくたちは話すのをやめた。内にこもる排気ガスのにおいが、潮の香を消した。
駅前で集合し、関西方面にもどる者たちも、一度東京に出てから、「ひかり」で帰ることに決まった。ぼくたちは全員そろって上りのホームに出た。タケオさんたちは先の方に歩いていった。ぼくは階段を昇ったすぐ脇にあるベンチに腰かけた。
茶色いカーディガンの女が階段を昇ってくる。ぼくは視野の端にその姿をとらえながら、無理にホームの先の方を見ていた。朝陽はなだらかな岬の上にあった。近づく冬を予告するような、よわく、ひくい陽だった。
カーディガンの茶色が、視野を占領してくる。君は本当に難民の子を孕《はら》んだのか。産んだのか。堕《おろ》したのか。君の責任のとり方っていうのは、そういうことだったのか。後悔してるのか。だから、あんな酔い方をしたのか――
質問を胸の内で整理し終わらぬ間に、女はぼくの前に立った。
「タオル、ありがとう。まだ濡れてるけど、ごめんなさい」
ぼくの膝の上に、ビニール袋に入った黄色いタオルが置かれた。
そのとき、ふいに腹の底にひびく振動がホームを走った。目を上げると、上りの「ひかり」がすさまじい速さで眼前を通過していた。
横を向く女の髪が風圧でうしろになびき、かさぶたになったこめかみの裂傷が見えた。頬が赤い。乳の良く出る丈夫な母親のように、赤い。
「速すぎるのよ」
女はこめかみの傷跡をさりげなく左手で隠し、遠ざかる「ひかり」に向ってつぶやいた。
頭上から、「こだま」の接近を告げる早口のアナウンスが降ってきた。
「さあて、と」
女は畑仕事に出かける農婦のように、太いかけ声をかけてから、ホームの先に向って歩き出した。
茶色いカーディガンの背が、朝陽を消した。ぼくはタオルを握ってベンチを立った。前を行く女の背は、意外にも幅広く、逞《たくま》しくさえあった。踵《かかと》の低い靴をはいた足もとから、細長い影がホームの上を這っていた。昨夜、大浴場で見た、みじめにやせた裸体と重なるのは、むしろこの影の方だった。ぼくは女の影を踏まないように、ゆっくり歩いた。
うしろを向くと、ぼくの背後にも、淡く長い影がひっそり付いていた。右手に握りしめたタオルだけが、重いハンマーのような濃い影を造っていた。
ぼくは立ち止まり、女を呼んだ。
「なあ。おれ、こんなタオル知らないよ」
よわい陽を背にしてふり向いた女に、ぼくは下手でタオルを投げた。
[#改ページ]
ワカサギを釣る
氷に載るまで、男はしばらくためらっていた。彼が満月の青みがかった光を帯びた目を向けている対岸までは約百メートルの距離がある。周囲を枝ぶりの良い松の林に囲まれた湖は、ボート遊びの観光客でにぎわっていた頃に比べると、ふたまわりほど小さく見えた。
「大丈夫だよ。ほら」
妙にゆっくりした発音で呼びかけてから、氷上の着ぶくれた男が跳びはねてみせた。
ダウンジャケットの背に登山用のリュックをしょい、ツルハシを肩にかついだ彼のジャンプはほとんど膝の屈伸運動に近かった。それでもいくらかは岸でためらう男の不安を減じる効果はあったらしく、彼は湖面に妊婦の腹のようにせり出している松の幹につかまって、ゴム長を履いた右足をそっとなめらかな氷の上においた。
氷上に立つ男の完璧《かんぺき》な冬山の装備に比べて、松の木にしがみついた男の服装はどことなく中途半端だった。毛糸のスキー帽をかぶり、厚手のオーバーを着こんでゴム長を履き、結露ですべりやすくなっている松の肌を抱く手には軍手をはめていた。
「タネさん。だめだよお」
口もとにわだかまる重く白い息を吐きながらふり向いた男の顔を、向う岸の松林の上にある月が真正面から照らし出した。
まぶかにかぶったスキー帽の下にのぞく目も、無駄な脂肪を貯めていない頬も、一様に深い黒色をしていた。
「しょうがねえなあ」
タネさんと呼ばれた男は肩のツルハシを氷の上に投げ、ジャケットのフード一杯に頬を広げて苦笑しつつ岸にもどった。
オーバーを着た男の肉の薄い腰をいきなり両手で抱えこんで松の幹から引きはがすと、そのまま氷の上においた。
「どうだい。ミンさん」
種村の肘にしがみついていたミンは、はじめにゴム長を小さく上下させ、やがて足踏みし、一度軽く跳ねてから、ようやく口もとをほころばせた。
二人が氷上にそろった午前三時、月は彼らに向って左の方から深い闇に侵蝕され始めていた。新聞やテレビが報じていた月食の開始らしかったが、種村もミンも空に視線を向けることは少なかった。種村が用心していたのは、昨日他の釣り人が開けた穴に足をとられぬことだったし、ミンは先を行く種村の足もとの氷のわずかな異変も見逃すまいと、腰を引きつつ目をこらしていた。
種村がめざしているのは土地の者が「うばのふところ」と呼ぶ入江だった。ほとんど円形に見える山上湖の岸の中で、そこだけが山肌をえぐっていて、シーズンオフの近い二月のこの時期、ワカサギの大釣りが期待できる穴場になっていた。
「なあ、ミンさん」
種村が急に立ち止まった。
ミンは二、三歩遅れたところで身を低く構えた。
「大丈夫だよ。ほら、この穴、なんて言うと思う」
種村はツルハシの柄で円形の薄い氷を割った。
ミンは腰を引きつつ近寄って来た。
「釣り人が開けた穴だね」
ミンは種村の背につかまって長い足を出し、ゴム長の先を穴に入れて氷の薄さを確かめた。
「後家穴って言うんだよ。他人が開けた穴だからな」
種村は再びツルハシをかついで歩き出した。
「ゴケ?」
ミンは遅れてしまった距離の分だけ高い声を出した。
「夫に死なれてしまった女のことだよ」
種村がふくみ笑いを交わすタイミングをはかってふり向くと、ミンは軍手の指先に息を吐きかけながら、
「ぼくの国にはたくさんいるよ。穴だらけだね」
と、目の縁だけで笑った。
「うばのふところ」に入ると、種村は一度岸にもどって立ち、S字にくねった松の根から大股で歩き出し、十三歩目の氷上に荷を置いた。つまらないジョークを口にしてしまった後悔から、彼は釣り場を決めるこれだけの儀式を無言で行なった。
ミンはオーバーの肩を震わせ、しきりに足踏みをしていた。極端に皮下脂肪の少ない体に零下二十度の寒気が浸透し始めたらしい。種村はリュックに入れていたコンロを出し、煉炭に火を点け、発泡スチロールの板を出してミンにその上に載るように勧めた。
ミンは板の上にかがみこみ、煉炭コンロに軍手をかざしながら、
「早く処女の穴を開けようよ」
と、体の芯の震えが伝わるか細い声で言った。
種村はツルハシを振りおろした。体中の筋肉を総動員したつもりで反ったのだが、堅くしまった氷には刃先が数センチくい込むだけだった。クーンという虚しい音が湖底に反射し、拡散して松林の奥に消えていく。モチつきのはじめのように、回りながら丸い穴を開けていくのだが、息をつめて腕に力を入れていたので、種村は二回り目で肩で息をしながらうずくまってしまった。
「やっぱり処女はやっかいだね」
煉炭コンロを抱え込んでいたミンは笑って立ち、氷の上に投げ出されたツルハシを取った。
彼はゆるやかにツルハシを振り上げると、上体を一杯に反らせ、安やすと振りおろした。砕かれて穴から跳び出る氷片の量は種村のときの倍ほどあった。細身の体と長い腕がそのままツルハシの柄を延長として見えてしまう見事な穴開けの技だった。ミンが呼吸を乱すことなく穴の周りを二周したところで、湖水が勢いよく吹き出した。
しゃがみ込んで見とれていた種村は手袋をしたままのうつろにひびく拍手をした。ミンはツルハシの柄を穴に差し込み、約五十センチだな、と自信に満ちた太い声を出した。
「俺は日本の百姓の息子だよ。プノンペンの大学教授の息子だった君がどうして俺よりツルハシの使い方がうまいんだよ」
種村は、火勢の強くなったコンロにヤカンをかけながらミンを見上げた。
「カオイダン難民収容所で井戸掘りしてたからだよ。あそこは二メートルも掘れば必ず水が出たけど、量が少なかったんだ。だから、たくさん井戸が必要だったんだ。必要に迫られた技術が身についてしまったんだね」
ミンはツルハシの柄に顎をかけて遠くを見る目をしてから、穴、もうひとつだね、と再び手慣れた人夫の腰つきにもどった。
五年前、看護士の種村は難民医療団の一員として、タイ・カンボジア国境から十キロ余りタイ領に入ったカオイダン難民収容所で働いていた。広大な赤土の平地に鉄条網で囲まれたニッパヤシの家並が連なり、背後に低い裸山がひかえる殺風景な土地だった。
日本から送りこまれる医療団は大学や公的病院の医師、看護婦で構成されており、三ヶ月毎に交代していたが、種村はボランティアとして参加していたので一年間滞在した。難民相手の医療に慣れていない日本の医療団は、来るチーム毎に変わった方針を打ち出して難民たちをとまどわせた。ある大学のチームは若手の外科医に手術のノルマを課し、達成されそうにないと収容されている四万人の難民の中から患者狩りをした。日本にいればせいぜい第二助手くらいしかできないはずの新米医師が、めったにない機会だから、と癌の手術の執刀者に選ばれることも多かった。
難民たちの中から英語のできる者が選抜されて医療助手として働いていた。内戦で医者が全員殺されたというカンボジアに帰ったとき、彼らが中心になって医療が再開できるように、との与える側からの配慮だったが、シアヌーク王制の下で中産階級以上に属していた彼らに、共産化した祖国にもどる意志はなかった。命令されたことだけを実行し、あとは日陰にしゃがみこんでいるだけのクメールの若者たちに対し、三ヶ月しか滞在しない医療団員たちは過度の同情を示して無視するか、あまりにも楽天的に包帯の巻き方を教えた。
そんな若者たちの中で、ミンだけは全身麻酔の機械が扱え、下肢切断の手術助手も務められる稀有《けう》な存在だった。彼はプノンペン大学の医学生で、父親もその大学の教授だった。ミンが学部の四年生だった四月のある日、父は研究室から姿を消し行方不明になった。家にもどると、母と三人の妹たちも風のように消えていた。ミンは黒服の兵士たちに連行されて、バッタンバン州の田園地帯に強制移住させられ、毎朝六時から夜十時まで水路の石垣積みに狩り出された。自分の周囲から学歴の高い者たちが次々と姿を消していくのを見て、父や母たちの運命を知った。ミンは医学生仲間の二人と逃亡を計った。国境のジャングル地帯で一人が射殺され、ようやくタイ領に逃げ込んだとき、一人が地雷に触れて肉片になった。
種村が来たとき、ミンは収容所に入ってすでに一年半を経ており、ここで結婚した妻との間に生後三ヶ月になる女児がいた。
当直当番の夕方、散歩がてらに収容所の中を歩いていると、赤土の道に面した難民の家から声をかける者がいた。ミンだった。誘われるままに狭い庭に入ると、彫りの深い顔をした美人の妻が、ニラの雑炊を石造りのかまどで炊いていた。
乏しい配給米の中から一膳の雑炊を分けてもらうのは心苦しかった。しかし、赤ん坊を胸に抱えてアルマイトの椀《わん》を差し出すミンの妻は、種村が固辞すればするほど黒く大きく瞳を見開き、涙さえ見せた。そして、そんな光景から顔をそむけるように、キュウリのツルがからまる軒下にうずくまるミンの骨の浮いた裸の身が、もうそれくらいにしてくれ、と言いたげに震えていた。種村は合掌して雑炊の椀を受けた。
カンボジア平原に沈む巨大な夕陽を浴び、赤土の庭にすわり込んで雑炊をすすりながら、ミンとその妻は種村に日本のことを質問した。彼らはフランス語の会話の方がはるかに得意らしかったが、種村の下手な英語に合わせてくれた。
種村は漠然とした「日本」について語る代わりに、自分がここに来た理由を話した。貴重な雑炊の礼として、できるだけ素直に最初の動機を語ろうとした結果、彼の英語は中学生の英作文のようなものになった。
――私は信州という山の多い土地で生まれ、育った。両親は農民である。兄が一人いて、彼もまた農業をやっている。私は看護士として村の病院に勤めている。十年勤めている。退屈な十年だった。趣味はとくにないが、夜、家の近くに建設された大きな電波望遠鏡のパラボラアンテナを見るのが好きだった。星に興味はないが、夜空の語る声を聞こうとしている巨人の耳のようなパラボラアンテナを見ていると、こんな山の中で老いていくだけの人生はつまらない、と思った。どこか外国へ行き、そこでも人間が生きているのだ、ということを確かめたかった。看護雑誌に載っていたボランティアの募集に応募し、ここに来た。あなたたちには申し訳ないけれど、カンボジアのことはよく知らない。私が来たかったから来た。それだけです。――
「ニホンは寒いのですか」
ミンの妻が椀に湯を注ぎながら、不安気な目をした。
種村は、冬になると山の上の湖に氷が張り、そこに穴を開けて釣りができる、と話した。夕陽が沈みかける時刻にも気温が三十五度を下らない土地で口にすると、よくできたホラ話のようだった。ミンは肩をすくめて、エスキモーだね、と笑った。
「オオサカもそんなに寒いのかな」
ミンは椀の湯を一気に飲み干すと、急に真顔になった。
「大阪は行ったことがないけれど、湖に氷は張らないと思う」
種村が歯にはさまったニラを舌でこそげ落としながら言うと、ミンと妻は、That's good. とうなずき合った。
松林の上の月が半分まで欠けた。発泡スチロールの板を氷の上に敷き、向い合って座ったミンと種村は極端に背を丸め、それぞれの竿の先を見つめていた。
塩化ビニールのパイプを裂き、ヤスリで細く削った手製の竿は、ときおり松林の闇を吹き抜けてくる微風を受けて大袈裟にしなった。そのたびに、ミンが人なつっこい頬笑みを浮かべてあわせをくれ、糸をたぐるのだが、目的のワカサギは一匹もついていなかった。
「また風を釣ってしまった」
煉炭コンロにかけたヤカンの肌に軍手をあててミンがつぶやく。
穴に釣り糸を垂らしてすでに三十分経つが、種村の方にもほんとうの魚信は一度もなかった。食いの立ち始める夜明けまでにはまだ二時間もあるのだが、この場所で夜通し釣ったことがいく度もある種村にとって、これほどの不漁は覚えがなかった。
「タネさん。竿見える」
穴に顔をくっつけそうにしてミンが言った。
「そう言われてみると、よく見えないな」
種村も目を細めてみるが、湖底に誘うような黒い穴が見えるだけで、細い竿先を確認できなかった。
顔を上げると、周囲の闇がありきたりの山の夜のそれとは異質の、前後左右から確かな力で押し寄せてくるような濃さになっていた。微風が止み、松林の枝ずれの音が消えた。
「月が食われていくよ」
ミンが竿を置いて松林の上を仰いだ。
月は切り絵細工の三日月のように、くっきりした輪郭で欠けていた。種村はリュックの中から懐中電灯と水筒に入れてきたブランデーを出し、蓋に注いで照らしながらミンに渡した。
「地球の影で隠されていくんだな。ぼくの祖国のようだな」
ミンは軍手の甲で鼻をこすりながら、喉《のど》を鳴らしてブランデーを飲んだ。
踏み固められた赤土の上にベニヤ板を敷いた鉄製のベッドを並べ、周囲を竹の壁で囲み、屋根をニッパヤシの葉でふいた病棟には常に四、五十人の患者たちがいた。祖国を逃げ出す途中で肩を撃ち抜かれた者や、地雷で両足を吹き飛ばされた者たちの他に、収容所に来てから発病した胃癌や乳癌の患者たちも含まれていた。
やせきった腹に硬く不整な胃癌の腫瘤を触れる老婆の体には、いたるところにハエがたかっていた。十分な検査設備のないこの病棟では、体にたかるハエの数がその患者の予後を正確に教えていた。
回診のとき、陽に焼けない青白い肌をした日本の若い医者が老婆のベッドの脇にしゃがみ込み、あなたは癌ですよ、治らない癌なのですよ、とおだやかに頬笑みながら、はっきりした発音の日本語で呼びかけた。老婆は落ち窪《くぼ》んだ目を微かに開き、残った体力を出しきるように歯の抜け落ちた口もとに微笑を浮かべ、萎《しな》びた乳房の上で合掌した。
「この言葉、一度言ってみたかったんだよな」
半袖の仕事着の胸に日の丸のワッペンを付けている医者は、うしろに立つ種村をふり返って無邪気な白い歯を見せた。
老婆の足にたかるハエに手押しのスプレーで殺虫剤を撒《ま》いていたミンは、その頃十分に日本語を理解していた。彼はスプレーを左手に持ち変え、右手で拳をつくった。種村はそれを見て、ミンの横に行き、医者の視線を塞ぐ位置で静脈の怒張した彼の右腕をつかんだ。
その夜、当直の種村が病棟の入口にある街灯の下で涼んでいると、中から出て来たミンが汗まみれの無表情な顔で、今、お婆さんが死んだ、と告げた。
「昼はすまなかったね」
種村は胸のポケットからタバコを出してミンに勧めた。
「止めてくれてありがとう」
ミンはタバコを断わるように、軽く手を挙げて病棟に入っていった。
ズックの担架に載せられた老婆の遺体は、クメール人の助手たちにかつがれて収容所のはずれにある焼き場に運ばれていった。誰一人従う者のない葬列を、裸山の上に出た満月が執拗に照らし続けていた。
カオイダン収容所での一年間、種村はミンと特別親しかったわけではなかった。家を訪ねたのは一度か二度だけだったし、仕事場である病棟でも朝と夕の挨拶を交わす程度だった。
日本にいるときから、種村は友人の少ない男だった。村立病院の病棟で看護婦たちと働いているのだが、他人と深くつき合いたがらない性格が、女たちの中に男一人という微妙な立場を今日まで持ちこたえさせてきたようだった。イワナ釣りや病院での仕事を終えてからの農作業――種村は一人を好んだ。
日本医療団の宿舎は収容所から車で一時間半ほど離れた草原の中にあった。治安の悪さから六時以降は外出禁止になっていたので、夕食を終えた医者や看護婦は食堂で酒を飲んでいた。種村はそんな仲間に加わらず、個室のベッドにもぐり込んで、天井のヤモリの鳴き声を聞きながら文庫本の「宝島」を繰り返し読んでいた。
三ヶ月に一度、四日間の休暇がとれたが、種村はいつもバスで四時間かかるパタヤビーチに出かけて女を買った。腹に妊娠線の残る女たちと寝たあと、彼女たちの田舎の話を聞いた。種村よりはるかにひどい片言の英語で話してくれる彼女らの出身地での生活談は、彼の母親がする苦労話によく似ていた。「宝島」に出てくる男たちの飲むラム酒をすすり、ホテルの窓から暗い海を眺めつつ女たちの話を聞いていると、自分が日本で身につけてしまった余計なものが、一枚ずつ剥《は》ぎ取られていくような、奇妙な快感があった。
「黙《だま》り助平のタネ」。ヒマさえあれば酒ばかり飲んでいた医療チームの団長がつけたアダ名を、種村は笑って受け入れていた。病棟で医者たちが彼のことをそう呼ぶのを耳にしたミンが「黙り助平」の意味を聞いた。
「ものごとを深く、だからどうしても暗く考えてしまう人間のことだと思う」
スコールの落ちる軒下で種村は声を張り上げた。
「そうするとぼくも黙り助平の仲間だな」
ミンは軒下から頭だけスコールの中に出し、髪を洗った。
ミンが気安く口をきく医療団員は種村に限られていた。医者の手伝いのみで、それ以上の出すぎた行為を無言の圧力で禁じられている助手としての自分の立場が、看護士のそれによく似ていたからかもしれない。また、種村はミンに他の医療団員たちのようにカンボジアでの生活とか、ポルポト時代の強制労働の内容などをしつこく聞いたことがない。自国民に殺されそうになった話を喜んでする気はないので、ミンにとってはありがたかった。この日本の山の中で育ったらしい男は、とても自然に収容所の空気に溶け込んでいる。望むものが少ない性格なのだろうか。とにかく、ミンは種村がいると、日本という進歩しすぎた技術に人が追いまくられているらしい国にも、まだ自分が住めそうな場所が残されているようにも思えてきた。
懐中電灯の光の中につき出した腕時計が四時半を指していた。月は姿を消した。氷がせめぎ合って亀裂の走る苦しげな音だけが、ときおり湖底からひびいていた。
「アメリカに行くんだ」
ミンは軍手を口の前でにぎり、氷上に置かれた懐中電灯を見つめていた。
「日本は住みにくかったかい」
種村はミンが足もとに置いたままにしていた水筒の蓋を拳で叩いて氷から剥がした。
ミンは黙っていた。懐中電灯の扇形の光の中に種村がブランデーを注ぎ足した蓋を出すと、指が長いので細い手首が露出してしまっているミンの軍手が伸びてきた。
種村がミンからの手紙を受け取ったのは十日前のことだった。一年間の難民医療を終え、再び村立病院の看護士としての生活にもどった種村が、ミンの来日を知ったのは三年前だった。新聞の社会面の片隅に、「大阪の看護学校に入学したカンボジア難民」の小さな記事が載っていた。ミンは種村たちの前に派遣されていた大阪出身の日本医療団長のはからいで出国が認められたらしかった。
新聞の住所宛に畑で採れた新鮮なレタスでも送ろうか、と考えたりもしたが、自立しようとしているミンには余計なお世話かも知れない、と思って手紙も書かなかった。
タイで陽に焼けた肌の色があせてくるにつれて、あの亜熱帯の地での記憶も薄れ始め、今、種村の関心事は四月に公民館で挙げる予定の、村役場に勤める娘との結婚式のことだけだった。だから、ミンからの手紙を手にしたとき、種村はこのたどたどしい日本語を書く男の顔を想い出すまでしばらく時間がかかった。
「大阪のアパートに住んでいます。近所の医院でアルバイトしています。夜の看護学校に通っています。大阪は狭いです。いつかカオイダンで聞いた氷の湖で釣りをしたいです。行ってもいいですか。妻と娘は寒がりなのでぼく一人です」
単線の無人駅から降りてきたミンはほつれた毛糸の帽子をかぶり、裾のすり切れたオーバーを着て、真新しいゴム長をはいていた。
「そんなものこっちで用意したのに」
種村は五年ぶりの再会の喜びをミンの足もとに向けた。
「黙り助平のミンです」
まぶかにかぶった毛糸の帽子の下で、黒く澄んだ目が笑っていた。
「お婆さんの患者に、あなた癌ですよって言ってた医者のこと、タネさん覚えてますか」
ブランデーを口もとにとどめたままミンが言った。
暗い夜空を鋭いナイフで切り裂いた隙間から抜け出るように、月が顔をのぞかせ始めた。種村は一度だけうなずいた。
「あの人、今、大阪の大きな病院の外科医長でね、看護学校の講義に来るよ。日本は狭いね。タイでがんばったって話してるよ。学生に一番人気のある講義だね」
いたずらっぽく尖らせたミンの口唇を、回復しつつある月光が弱よわしく照らしていた。
種村は釣り糸を垂らしたままにしていた穴に張った薄氷を竿の柄で割り、天ぷらのカス採り網ですくった。網を投げてやるとミンは、そうだよね、釣りだよね、と頭を振りながら種村の真似をして氷を割った。
幼児の小指の爪ほどの針に餌のサシを付けるのは、かじかんだ手でなくてもやっかいな作業だったから、種村はまずミンの餌を付け替えてやってから自分の仕事をした。
種村が冷えきった手をコンロであぶっているとき、ミンの持つ竿の先が数ミリ上下した。
「上げろ。ミンさん」
突然あびせかけられた大声にのけ反《ぞ》ったミンは、竿を投げ出して糸をたぐった。
六メートルばかり引き上げたところで、六本の針に三匹のワカサギがかかっていた。ミンは糸を頭上に上げ、数センチの可憐な魚体を跳ねさせているワカサギを目の高さに持ってきた。強さを増した月光を受けてワカサギは青味を帯びた銀色に光った。
ミンが声を挙げて笑った。種村は、やけに甲高い声だな、と思ってから、ミンの笑い声を聞くのが初めてであることに気づいた。
「小さいなあ、タネさん。でも、きれいな魚だなあ」
屈託のない笑顔は種村に、ミンの幸福であったはずの王国での少年時代を連想させた。
インドシナのオアシスと呼ばれたプノンペンの火炎樹の並木道を歩いていた少年が、今、信州の山奥の湖で軍手をはめて釣りをしている――種村は餌を付け終えた糸を穴に送り込みながら、難民の子供たちから買った絵葉書の、戦乱前のプノンペンの風景を想い出していた。
ワカサギは狂ったように釣れ出した。糸をたぐり、銀色の魚体を引き上げるたびにミンは種村の顔を見て、どうだ、というふうに小鼻をふくらませた。種村もうなずき返して自分の糸をたぐる。二人が無言で釣果を競っている間に、円形に復した月は松林の向うに沈み始めていた。
「パーフェクト!」
ミンはたぐり上げた糸を手にしたまま立ち上がった。
六本の針すべてにワカサギがかかっていた。
種村は手袋を取って拍手した。ミンが万歳のかたちで持ち上げたワカサギの銀色がまぶしかったので松林の切れ目を見ると、雪におおわれた山脈の上の空が赤白く明けていた。
六匹のワカサギが暴れるので、ミンのオーバーに針がまとわりついた。種村は座り続けていた腰を伸ばしながら立った。
「アメリカで何をするんだい」
ミンの背の針をはずしてやりながら、種村は聞いてみた。
「叔父が始めたスーパーマーケットを手伝うよ。もちろん魚も売るさ」
ミンの吐く白い息に勢いがあった。
朝日が山脈の上に顔をのぞかせると、湖面はいきなり昼の明るさになった。点けたままの懐中電灯がミンの決意に水をさすようなしらけた光を放っていたので、種村はあわてて消した。
「いつか、カンボジアのトンレサップ湖で釣りをさせて下さいよ、ミンさん」
湖の氷を詰めたビニール袋に入れたワカサギを手に提げ、単線のホームに立ったミンに種村は言った。
「トンレサップの魚はタフだから、糸はうんと太いやつを持ってきて下さいよ、タネさん」
ミンは造りそこなった笑顔のもっていき場がないまま二両編成のディーゼルカーに乗り込み、雪の山脈の陰に消えて行った。
種村は家にもどる途中、村の公民館に寄って、待っていた役場の娘と結婚式の予行練習をした。洗面所で手を洗ったのだが、ワカサギの生臭いにおいはしつこく残っていた。ケーキカットの練習のとき、娘が、魚臭いわね、と言ったので、種村は、臭かったら触らないでくれ、と応えた。
[#改ページ]
ダイヤモンドダスト
1
雪どけの水がいく筋もの細い濁流をつくって流れる日々が過ぎても、路は黒っぽく湿って乾かない。頭上に五月の夕暮れどきの陽光を隠す広葉樹の群れを仰いで見るまでもなく、スニーカーの底を柔らかく受けとめる腐植土の感触は、そう遠くない昔、このあたりが深い森であったことを教えていた。
五時のチャイムの余韻がわだかまる病院の裏口から出て、和夫は家路についていた。小鳥たちのさえずりが木々の幹に乱反射してあらゆる方向から降ってくる。看護士になって十年、この路を通いつづけている和夫だが、いまだに鳥たちの声を聞き分けられない。カッコウとホトトギスの間に入り込む様々な鳥の声は、和夫にとって幼い頃から呼吸している森の大気の一部になっていた。
路がわずかに登り始めると、左側の林の中にあざとい緑色をした人工芝のテニスコートが二面見えてくる。雪で脱色された落葉が掃き残されて点々と緑の上に散っていた。風が吹いた訳でもないのに、和夫は曲げた背に春の夕暮れどきに特有の、冷えた老人の手で撫でられるような寒さを覚えて身ぶるいした。
そのとき、ラケットの鋭い風切り音に弾かれて、乾いた打球音が聞こえてきた。和夫の鼓動が、微かに高鳴った。
「あいかわらず陰気な歩き方してるのね」
弾み出すような声のした金網の方を向くと、純白のトレーニングウェアを着た、額のはえ際までよく陽に焼けた女がラケットを胸にかかえて立っていた。
女が頬にまとわりつく長めの髪を大きく首を振ってよけると、コートの上の落葉が数枚舞った。
「帰ってきたのかい」
和夫はまぶしげに女の顔を見上げながら、照れ隠しの笑顔を完成させつつ背を伸ばした。
門田悦子は小学校から高校まで和夫の同級生だった。この路がまだ人のすれちがいすら困難な細さだった小学生の頃、秋が深まってくると、学校に行く前に薪を一束背負った頬の赤い彼女と出会うことがあった。冬のたきつけにする雑木の薪《たきぎ》運びは、このあたりの農家では子供たちの仕事だった。ほころびの目立つセーターにくい込んだ荒縄が、悦子のふくらみ始めた胸の線を強調し、手に縄を持って楢《なら》の木の幹に背をはりつけたまま路を譲る和夫の吐く白い息に加速をつけたこともあった。そんなとき、彼女は怒ったようにえくぼのできる口もとをきつく閉め、わざと乱暴な音をたてて霜柱を踏みしめながら下っていった。
今、金網の向うで艶のよい髪をかきあげている悦子は、例年どおりに秋から春までカリフォルニアに滞在し、州立大学の生涯教育講座で英会話を学び、テニスコーチの腕にもみがきをかけてもどってきたところだった。
「毎年ねえ、ここからあなたの猫背の帰宅姿を見ると、ああ、日本に帰ったんだなあって、なんだかほっとするのよね」
悦子は丈夫そうな白い歯を見せて肩をすくめてから、コートのエンドラインまで歩き、サーブの練習を再開した。
高く上げたトスに跳びかかるようにして小さく、あっ、と叫びつつラケットを振り降ろすフォームは昨年よりも一段と力強くなっている。丸められた背に荒縄でくくられた不恰好な薪の束を載せてみようとする和夫の皮肉な空想は、年ごとに明確な像を結びにくくなっていた。
和夫は半年ぶりに会った悦子になにか言おうとしたが、くびれた腰から強く張り出した尻の線にしばらく見とれていただけで、ふたたび前屈みになって路を登っていった。あらためて見回す気にはなれないが、彼の周囲の落葉広葉樹林の中には門を閉ざした別荘の群れが潜んでいる。雪に埋もれた裸の林の中ではいかにも無防備に見えた個性的な造りの家いえが、今は新緑の壁に守られ始めており、玄関が見とおしにくくなっている。地元の管理人たちが勤勉さを競うように広い庭の手入れを開始するのももうすぐのはずだ。
路が一度たいらになるところに小川が横切っており、それが悦子の家の土地と和夫の家の所有地を分ける境界線になっていた。山の湧き水を集めて下り、国道の下をくぐって本流に注ぐこの小川は昔から烏沢と呼ばれていた。上流の、今は町の共同墓地になっている山の斜面に以前焼き場があり、烏が集まったところから付けられた名であった。今、このあたりの別荘の客たちからは「クレソンの小川」と呼ばれている。裏山が「エンゼルの丘」の名で新興別荘地として売り出された頃からのことである。
烏沢の古びた木橋を二歩でまたぐと、急な山路と、小川に沿って山の裾をめぐる路とに分かれる。山肌を削って確保した平地に和夫の家はあった。まわりにブロック塀をめぐらし、二階のベランダに干し物の出ている家はこのあたりでは他にない。ここに家を新築するとき、別荘風に、森に同化するような平屋を提案した和夫に対して、父の松吉は町の平凡な民家として建てることを主張して譲らなかった。森の雰囲気を楽しみたくてやってくる別荘客たちから苦情の出そうな、生活の臭いを撒き散らす家のブロックの門を入ると、一人息子の正史が縁側に片足を載せた窮屈な姿勢で本を読んでいるのが見えた。芝生に残した片足には運動靴を履いたままなので、保育園から借りてきた本を早く読みたくて妙なかっこうをしているらしい。二階のベランダでは松吉の短く刈り込んだ白髪が洗濯物の間に見え隠れしている。
背後の森から霧が地を這って忍び寄り、家の土台を包みつつあった。夕方になると気温が急激に下がるこの時期、霧は毎日のように発生していた。大きさの割に住人の少ない和夫の家は、冷えたものにまとわりつき易い灰色の気体の中にあっけなく姿を消す。
男ばかり三人の夕食の席で、和夫は松吉の作った辛すぎるキンピラゴボウに箸をのばしながら、
「正史はちゃんと家に上がってから本を読まないとだめだな」
と、これまで何度も口にしたことのある言葉を吐いた。
切り干し大根を口に運んでいた正史は、よく光る目で助けを求めるように松吉を覗き込んだ。松吉は自分でコップに注いだ冷や酒を、脳卒中の後遺症のために大いに震える左手で抱え持ち、セーターの前にこぼしながらひと口だけ飲んだ。
「正史君は切り干し大根が好きだなあ」
松吉はコップをテーブルに置くと、刈り上げた白髪を酒に濡れた手で撫でた。
「切り干し大根は繊維が豊富だから、大腸にいいんだよ」
正史は台布巾を取って松吉に渡した。
「正史君はやさしい男だな」
松吉は台布巾でセーターの胸を拭き、自分の前の切り干し大根を盛った皿を正史の方に押しやった。
黙ってしまった和夫の目を意識したのか、正史はめし茶碗にジャガイモのみそ汁をかけ、大袈裟な仕草でかき込んでごちそうさまを言い、二階に駆け上がっていった。松吉は再び震える手にコップを持ち、なめるように口を付けた。
「どうだな」
コップに目を落としたまま松吉がつぶやいた。
「今日はいいよ。それより、どうも正史は本で覚えたことばかり口にしすぎる子になってしまってると思わないかなあ」
和夫は正史の食べ残した切り干し大根の皿を松吉の前に押しもどした。
松吉は黙っていた。頬に無駄な肉のない横顔は、頭の手術のあとから力なく垂れるようになった右の目尻を割り引くまでもなく、七十歳という年齢にしては若く見えた。孫の正史以外の人間とは目を合わせて話のできない男だったが、ときに相手を盗み見る視線には意外な鋭さが宿る。そんな松吉を意識するたびに、和夫は自分が仏壇のくすんだ写真の中で笑っている、下ぶくれの、人の良さそうな母親に似てしまっていることを思い知らされる。
和夫の母は、今彼が看護士として勤務しているこの町の病院で看護婦をしていたが、肝炎をこじらせて死んだ。今の時代ならば、医療事故による劇症肝炎の可能性が高いのだろうが、その頃は流行していたインフルエンザが原因とされた。和夫が小学四年生のときだった。
その頃、まだ木造だった病院の個室で、クレゾールの濃密な臭気に包まれて、黄ダンのでた母の顔は急速に冷えた粘土の色に変わっていった。茶色くくすんだ壁に掛けられている柱時計の長針が大袈裟な一分を刻んだ。一九六四年十月十日午後七時四十二分、母は「あ」の発音をしたげに口を開けたまま呼吸を止めた。ブドウ糖液の点滴と酸素吸入しか治療の手段を持たなかった初老の医者が、臨終だなあ、松っつぁあん、と、どう見ても照れ隠しの笑顔としかとれないあいまいな表情を造って頭を掻いた。
終電の運転を終えて、紺色の制服のまま駅から駆けつけて来た松吉は、そうかね、と整わない息の間に言ったきり、下口唇を突き出したまま「気をつけ」の姿勢をとった。それから、おもむろにズボンのポケットから懐中時計を取り出し、指で差し示して時間を確認したのち、やっぱりそうかね、とため息をついて肩を落とした。
ラクダ色の下着の上にシワだらけの白衣をはおった医者は、和夫の肩に乾いた手を置いた。
「人間てのはなあ、いつかは死ぬんだぞ。そのいつかってのはなあ、こんなふうに、風が吹くみたいに、ふいにやって来るもんなんだな。普通のことなんだぞ。珍しいことでも、怖いことでも、なんでもねえんだぞ」
医者はくもりガラスの窓の方を向いて、そうさ、風は誰にでも吹いてくるんだわさ、と、自分に言い聞かせるように何度もうなずいていた。
子供心にも人前で涙を見せるのは嫌だったから、和夫は六角形の文字盤の柱時計を見つめていた。喉もとに感じる自分の鼓動よりもはるかにゆっくりしている振り子の動きが、叩き壊してやりたくなるほどいらだたしかった。母はもう、時計の刻む時間とは無関係の世界に行ってしまうのだ、と思いついたとき、和夫は、小さく、さようなら、を言って声を立てずに泣いた。
妻の葬儀を終えた松吉は、また無口な電気鉄道の運転手にもどった。町から県境にそびえる火山の裾を回って隣県の温泉場まで通じている単線の鉄道が彼の職場だった。
アメリカの鉱山用トロッコを輸入して改良した電車は、パンタグラフだけが上に突き出たL字型の小さなもので、子供たちからは「かぶと虫」の愛称で呼ばれていた。五百ボルト、三十五馬力の非力なモーターで曲がりくねった山道の線路を、一両か二両の客車を曳《ひ》いて登る姿は、たしかにマッチ箱を曳くかぶと虫に酷似していた、片道三時間の道のりで、十回を越える脱線も珍しくない軽量狭軌の電車を、だましだまし運転するのが松吉の仕事だった。
当時、現金収入を得る職の少なかった町で、電鉄の運転手は花形のサラリーマンだった。女を買ったりバクチに手を出す仲間もいたが、松吉は電車の改良だけを趣味にしていた。電車の前に付けて雪を掃く木製のスカートを考案して社長賞をもらったこともあった。
農家の三男であった松吉は、貯めた金で町はずれに小さな家を建て、周囲の畑や山林を買い増して休みの日には農夫になった。やはりこの町の農家の娘であった母も、看護婦の仕事のかたわら、山で薪を切ったり、畑で芋を作ることをいとわなかった。格別仲の良さが目立つわけでもなく、声を荒立てて争うこともない静かな夫婦の一人息子として和夫は育った。母の死は、そんな静かな家の床下にとてつもなく深い穴が潜んでいたことを和夫に教えたが、松吉が黙々と家事をこなしてくれたおかげで、表向きの生活に母のいない不便は感じなかった。
和夫が小学四年生のとき、夏になると必ず姿を見せていた、自転車のうしろに氷箱を積んだアイスキャンデー売りが現われなくなった。その年の冬、電気鉄道は廃止された。旅客の輸送はバスに代わり、春になると線路は雑草に覆われた。松吉はバスの運転手への誘いを断わり、あっさり退職した。そして、ヤマメ釣りを始めた。
妻に死なれ、職も失った松吉が、たまに旅館におろすだけの商売にならないヤマメ釣りをしながら和夫を育ててこられたのは、その頃から、町の土地が別荘地として高値で売れるようになったからだった。外国人や資産家の別荘は戦前から町の東側の広大な森の中に点在していたのだが、そこは町の住民たちとは関係のない別世界だった。やせた土地を必死に耕してようやく自給していた者たちにとって、別荘地は租界であった。
それが、いつからか農家の土地の値が上がり出し、まず畑が売れ、次いで田が売れた。畑を売った金だけで、松吉と和夫が二十年以上食っていける額になった。
定職を持たない父親というのは、まわりを見回してそれが自分の親だけなら反発の種にもなっただろうが、この町の男たちは土地が金になることを知ってから、次々と地に手足をつけた生活を放棄していった。ある者は民宿を始め、ある者はにわか不動産屋になり、飲み屋のおやじになった。そして、実際に商売を動かしているのは女たちであり、男たちは自分の売った土地に建つ豪華な別荘の工事を日なたにしゃがみこんで口を開いて見上げていた。学校の行き帰りにそんな男たちを見ていた和夫は、金が入ってからもヤマメ釣りを止めない松吉のほうがまだましだ、といくらか誇りに思ったりさえした。
和夫が町の高校に入学する頃になると、売りものにはなるまいと思われていた山の斜面の雑木林までが法外な値で売れ始めた。スズメバチとリスのすみかだった林は、森の中の別荘地としてむしろ高く売れるのだ、と「エンゼルの丘」開発の話を持ってきた百姓あがりの不動産屋は興奮して話していた。
和夫は学校の成績が良かったので医者になるつもりだった。早すぎる母の死を見てから、あまりにも頼りない人の命を相手にする仕事に興味を持っていた。世界史や日本史の授業で、英雄たちの成しとげた仕事の内容よりも、彼らがすべて死んだのだ、という事実の方に感動を覚える少年だった。私学さえ望まなければ、家には医学部を出るくらいの金はあった。
しかし、和夫の夢は彼が学ぼうとしていた人の命の頼りなさのためにあっけなく崩れた。
高校三年の夏の夕方、松吉が釣りから帰って夕食もとらずに寝込んだあと、急に吐き出した。背負って町立病院に連れて行くと、頭を打っているので救急車で隣の市の脳外科に運べ、と言われた。沢で足を滑らせて転倒したのが原因で頭の骨が折れ、松吉の脳の外側には血腫ができていた。手術は成功したが、右半身が不自由になった。大鎌で草を刈るように足を引きずる松吉の姿を見ていると、和夫はこの病人を置いて町を出るわけにはいかなくなった。
家から通えて医学を学べるのは隣の市にある看護学校しかなかったので、入学した。大学に進学する級友たちは和夫のおだやかすぎる選択をなじる者もいた。青春時代には安全な株を買うな、と忠告してくれる若い教師もいた。もとから株に興味がないのです、と応えると、教師は、おまえは冗談が分かるやつだ、と言ったきり言葉をかけてこなくなった。
2
和夫の勤める町立病院は国道からわずかに入った林の中にあり、増築に備えて広くとられた敷地には芝生が植えられていた。赤字の分は観光でうるおう町が負担する経営なので職員にも欲がなく、芝生だけが年ごとに緑の鮮やかさを増していた。三人の医者はいずれも東京の大学から派遣されており、看護婦と事務員はほとんどが町の者たちだった。
ベッド数が五十しかなく、まわりの市にできた新興の総合病院の近代設備にひかれて患者が流出しており、結果として老人ばかりを収容する活気のない病院になっていた。大学から派遣されてきた医者たちは外来患者の少なさを他人事《ひとごと》のように笑いとばしていた。午後からはヒマをもてあましてゴルフにでかけ、一年の任期が終わるとよく陽に焼けた顔で嬉々《きき》として東京に帰って行くのが常だった。
しかし、この一月に赴任してきた香坂という四十代前半の若い院長は、それまでの大学の医者たちとはかなり違っていた。妻と小学生の子供を連れ、この町に定住するつもりでやってきた彼は、まずはじめに、部下の医者たちに勤務時間内にゴルフに行くことを禁じた。洗いざらしたTシャツの上に白衣をはおった切れ長の目の香坂が、なあ、とりあえずまともに仕事してめし食おうや、と肩を叩くと、医局のゴルフバッグに手をかけていた若い医者たちは不思議なほど素直にしたがった。和夫たち職員は、あたりまえのことが実行されたことに大いに驚いた。
香坂の専門は消化器の内科だったが、彼の始めた人間ドックで早期の胃癌が見つかり、手術も若手の外科医が成功させるようになると、口コミでわずかずつではあるが病院の患者も増え始めていた。
和夫は病棟で看護婦の中に入って働いていたが、女手では無理な肥満した老人患者の入浴介助や、暴れまわる痴呆老人を取り押さえる役などにかり出されることが多い。自分の仕事にやりがいを覚えることはもうほとんどない。二十歳のときから、老いすぎた人たちの最後の生きざまを数多く見すぎて、気がついてみると人生を終わりから考えるようになっていた。まだ三十をいくらか出たばかりだが、看護婦たちから、顔だけ見ると立派に四十代でとおるわね、と言われる。
昨年の秋、妻の俊子は転移性の肺腫瘍で死んだ。
俊子は短大二年の夏、東京からテニス同好会の合宿に来ていて、慣れない人工芝のコートのダッシュでつまずき、足首を骨折して入院していた。ギプスで足首を固定された彼女を車椅子に乗せ、カード電話のある一階ロビーまで連れていってやるのが和夫の仕事だった。頬に丸みのある目のやさしい女で、笑うと左右の口もとにおなじ深さのえくぼができた。
一日に一度は必ず先に帰京した仲間に電話するので、俊子のテレホンカードは四、五日で使えなくなった。和夫は松吉の勤めていた電気鉄道会社が創立五十周年の記念に送ってきた電気機関車の写真入りカードを俊子に与えた。
「遊園地の電車みたいで、かわいい」
俊子は電話機に差し込む前に何度もカードを陽にかざした。
「春になるとモンシロチョウが客車の窓から入って来て、おなじ窓から出ていけたんだ。そんなスピードの電車だったよ」
和夫は話している自分の顔が久しぶりにおだやかなのを感じた。
「今、こんな電車が走ってたら、毎日満員になるでしょうね」
俊子はカードをやわらかくふくらんだパジャマの胸ポケットにしまい込んだ。
「夏になると、白樺で作った客車を曳いたんだ。窓は吹き抜けで、駅前から古いホテルまでの間を走ったんだよ。アイデアが二十年早すぎたんだな」
和夫は松吉の運転する白樺電車に一度だけ乗ったことがあった。
木製の客車の六ヶ所に白樺の柱が立ち、屋根は布製でフリルが垂れ、車内には提灯が灯されていた。夕暮れの駅を出て、古い洋風ホテルまでの数十分間、唐松林を吹き抜けてくる涼風に頬をなぶられていた。客は中年から上の、ホテルの泊り客たちらしい静かな声で話をする人たちだった。
「ぼくは一人でどこへ行くの」
和夫の隣の席に座っていた色の白い女の人が声をかけてきた。
白地に青い大きな水たま模様のワンピースを着た人で、広く開いた胸もとの肌が透けるようだった。
「と、とうさんが運転してるから」
和夫はあわてて胸もとから目を離した。
「あら、それはすてきですこと」
女の人はそれっきり黙っていたが、和夫は顔を風の中に突き出して上気した頬を懸命に冷やした。
「ごきげんよう」
電車がホテルの前の停車場に着くと、女の人は吸い込まれそうな笑顔を和夫に向け、向いの席の背広姿の男と手を組んでホテルの洋館に消えていった。
客のいなくなった車内から、ホテルの窓にともる灯を眺めていると、運転席から降りてきた松吉が、
「どうだ。おもしろかったかい」
と、制帽の顎ヒモをはずしながら笑いかけてきた。
「うん。おもしろかった」
和夫はわざとつまらなそうな顔を造ってそう答えた。
その翌年、電鉄が廃止になったことを考えると、松吉は自分たちで作った白樺客車に一度息子を乗せてみたかったものらしい。廃止をまぬがれるために、従業員たちが知恵を出し合って客を呼ぶ手段を考えた結果、白樺客車の発想が出てきたことをあとで知って、水たまのワンピースの女にみとれていただけの和夫は、なんだか申し訳ない気になったものだった。
小さな電車の話をきっかけに、俊子との交際が始まった。彼女が退院する頃になると、足のトレーニングをかねて、電車の走っていた道をハイキングにでかけた。
洋風の、今は観光記念館として保存されているホテルの前で、水たまのワンピースを着た女の人の話をすると、
「私もおなじワンピースを持ってるわよ」
と、俊子はノースリーブの両腕を広げてひとまわり回って見せた。
そのとき、彼女の左上腕の内側に長い手術跡を認めた和夫は、気づかれないように少しだけ視線を移して、唐松林の向うに圧倒的な迫力でそびえる火山の話を始めた。
俊子が短大を卒業した年の秋、二人は結婚した。
森の中に新築した家で、松吉と和夫と俊子の静かな生活が始まり、正史が生まれ、彼が四歳になった年の秋、俊子は死んだ。
左腕の動脈周囲にできた珍しい悪性腫瘍の肺転移だった。短大一年のときに手術を受けていた俊子はもちろん、彼女の両親もその事実を和夫には告げていなかった。手術をしてくれた医師のいる東京の大学病院で化学療法を受けたが効なく、俊子の強い希望で和夫の勤める町の病院に転院してから二十日余の命だった。
手術の事実を隠していたことを泣いて詫びる者たちがいて、ただひたすら泣く者たちがいたが、怒る者は一人もなかった。
左腕の腫瘍を手術してから、私は自分が死ぬ日のことを考えながら生きてきた、と病床で俊子は言った。明日や、今日の午後の存在すら頼りにできない生活は、今を大事にするしかないので、一所懸命だった。隠すつもりはなかったけれど、明日を信じる人たちにとっては聞きたくないはずの暗い話題をあえて口にすることができなかった。医者からはっきり予後を告げられたことはなかったけれど、だめになっていく体のリズムの変調は自分が一番よく分かった。結婚して、子供を産んで、勝手だし変な話だけれど、動物の、哺乳類の雌として果すべき役割りができたことに不思議な安心感がある。こんな生活を提供してくれたことに心から感謝したい。最後の数年間を、東京のビルに圧迫された土地ではなく、この深い森に囲まれた家の一員としてすごせたことは、死を安らかなものと思い込むのにとても役に立った。勝手を許してくれてありがとう。
病床で俊子は多くのことを語ったが、要約すると以上のようになる。妻が死んだ、というよりも、死の予感に裏打ちされた短い人生を、それなりにしっかり生きた共同生活者が去ってしまったのだな、と和夫は思った。だから、時が経つにつれて悲しさが増した。
自分が死ぬ時期を知ってるってことは、もしかしたら幸福なことなのかも知れないって、最初は無理に思い込んでたんだけど、今ではほんとうにそういう気がするの。先に行ってます。待ってたら悪いから、とにかく先に行ってますね。
生き飽きた老婆のようなことをかすれた声でようやく言い終えて、二十四歳の俊子は、あらかじめ主治医と約束しておいたとおり、自分の右の肩口に刺された点滴のチューブを左手で三度引いた。モルヒネの点滴を開始してくれ、との合図だった。モルヒネは二十四時間持続的に注入され、俊子がチューブを引くたびに量が二倍に増量され、彼女の左手が微動だにしなくなってから十六時間後に呼吸が止まり、それから十五分後に、死を確認するためだけに取り付けられていた心電図のモニター画面がフラットになった。
俊子が死んで一ヶ月ほど経った夕方、まだ母のいない家に帰るのは嫌だと泣きじゃくる正史を保育園から肩車をしてやってもどって来た松吉は、玄関にへたり込んだまま動かなくなった。夜勤に出かけようとしていた和夫が異様な物音を聞きつけて台所から駆けつけると、松吉は首に正史をまたがせたままうつむいて倒れていた。
「としこさん、ゆうはんはなんだい」
和夫が抱き起すと、松吉は口角からヨダレを垂らしながら、ロレツの回らない口調でおもねるように言った。
病気は脳卒中だった。松吉は三ヶ月間入院した。和夫は他人の手を借りずに正史の世話と、夜勤を免除してもらった病院の仕事をこなした。正史と向き合って夕食を食べていると、松吉と二人だけだった幼い頃を想い出し、子供の環境にも遺伝があるのだろうか、と真剣に考えた。そんな夜は、洗濯機を回しながら、風呂場のタイルの上で、足の裏の感覚がなくなるまでシコを踏んだ。そうやって足もとを確かめずにはおれなかった。
今年の三月に退院してから、松吉はときにおかしなことを口走るようになった。十数年前に受けた外傷と、今回の脳卒中のダメージがもたらした思考の異常のようだったが、寡黙な彼のときおり口にする奇妙な言葉は、聞く者の胸に大きな風穴を開けた。
「金は入ったかね」
夕食のあとかたづけに台所に立つ和夫の背に、心配そうな松吉の声が迫ってきた。
ふり向くと、松吉は庭に面したサッシ戸のカーテンを開け、双眼鏡をかまえるかたちに両手で輪をつくって夜空を見上げていた。震える左手に合わせて頭を小刻みに動かしながら、なにかを探しているようだった。
「銀行の利子ならちゃんと入ってるよ。心配しなくていいよ」
土地を売ったり貸したりしている金はすべて銀行に預けてある。月割りで入る利子は和夫の月給をはるかに上まわっており、とりあえず金に困ることはない。
「利子が来るのはあたりまえさ。貸した分の金のことを言ってるんだよ」
松吉は夜空に向けた顔を動かさなかった。
和夫は皿洗いを中断し、エプロンで手を拭きながら松吉の横に立った。彼が熱心に見つめていたものはすぐに分かった。
葉を落とし終えた唐松林の鋭利なシルエットの向うに、冷えびえとした灰白色の満月が出ていた。
「月を貸しただろうが。三菱に」
松吉は声をひくめ、夕食のソバに入れたネギくさい息を和夫の耳もとにかけてきた。
「なんのことさ」
和夫は硬直して双眼鏡のかたちのまま顔にはりついてしまった松吉の手を無理に引き離した。現実から遊離したことを口にするとき、松吉はきまって彫像のように動かなくなる。
「いつだったか、三菱の若いのが来て、大衆に見せたいから月を貸してくれと言っただろうが。月百万でいいですか、と言うから、みんなのためになるなら五十万でいいと答えてやったら、あの若者はずいぶん喜んでたじゃないか」
松吉は顔中の筋肉をゆるめた無防備な笑顔を和夫に向けた。
「ああ、あの金ならちゃんと銀行に振り込まれてるよ」
病院で老人性痴呆の患者に対するときとおなじ要領で、和夫は松吉の肩をやわらかく叩いた。
「感謝してたかい」
「うん。たいへん貴重なものをって、えらく喜んでたよ」
和夫はエプロンのヒモを締めなおして洗い場にもどった。
松吉はうしろ手を組んで、輪郭のくっきりした満月を見上げながら、うんうん、と声に出してうなずいていた。
手足の動きは入院前と変わりなく回復していたが、沢の雪が解けてからも松吉はヤマメ釣りを再開しなかった。頬の表情筋を張りつめるために働いていた脳の部分――そこはおそらくヤマメ釣りを続けさせる気力もつかさどっていた場所だと思われる――の活動が停止してしまったのかも知れない。和夫の不完全な医学知識をもとにした推測がそのままあてはまりそうなほど、松吉はあっさりと釣りをやめた。
釣り好きな病院の職員から聞いた話では、最近ヤマメはさっぱり釣れないのだという。森の奥まで別荘開発が進んだので、広葉樹が切り倒され、表土が流出して沢を埋めてきているためではないか、とのことだった。松吉はそんな沢の情況を知り抜いていたのかも知れない。釣りを始めたときとおなじように、松吉はその理由を誰にも明らかにしないまま竿を置いた。
正史を国道沿いの保育園まで送り迎えするのは松吉の大事な仕事のひとつになっていたが、それもほんの数日前から門田悦子が代わってくれていた。
悦子は孫の手を引いてテニスコートの脇をとぼとぼ歩く老人の姿が哀れでたまらない、と帰宅途中の和夫をコートの中のベンチに招いて言った。
「猫背はあなたの家の血統なのかしら。背中の寂しげな男って嫌いじゃないけど、行きすぎてると見ててつらいのよ。サーブの力が抜けちゃうの」
悦子は妻が死んだ前後の事情を説明しかけた和夫の言葉をさえぎって、膝に置いたラケットのガットを指で弾いた。
子供の頃にはきつい印象しか与えなかった濃い眉と、よく光る目が、手入れの良い髪に包まれている今、どこか頼もしげに見える。すっきりとおった鼻筋には、深いところで譲らない意志の強さが感じられた。おなじように裏山から薪をしょって育ち、土地ブームで金が入った境遇までもよく似ていたが、悦子はその金で和夫とはまったく異質なものを身につけたらしかった。
「私が正史君の送り迎えしてやるわよ。どうせヒマなんだし、ついでにテニスも教えてあげるわ」
悦子は早口で言い切り、話はそれだけだ、というように背伸びをしながら立った。
白いトレーニングウェアに包まれた、崩れていない尻の線に和夫は見とれた。幼いころから高校まで、近くにいてよく知っているはずだった悦子が、自分とおなじ三十代の一人前の女になっている。和夫がこのあたりまえの事実を確認するのには、少し時間がかかった。教室では目立つこともなかったし、サッカー部にいた和夫が陸上部に属して校庭の周りを黙々と走っていたやせぎすの悦子に注目したこともなかった。卒業して東京の専門学校に行ったらしいところまでは知っていたが、その後の彼女に関する情報は、聞く気もなかった和夫にはなにも入ってはこなかった。数年前からテニスコートに姿を見せるようになり、金網越しの立ち話で、彼女がカリフォルニアとこの町を往復していることを知ったに過ぎない。
「ほんとにいいのかい。迷惑じゃないかなあ」
和夫は悦子の尻から視線を離す前に二、三度強く頭を振った。
「いいのよ。ヒマなんだから」
悦子はテニスボールをコートに数回バウンドさせながら、なにげなくサーブの体勢にはいった。
高く上げたトスを、うっ、とうめきつつ打つと、黄色いボールは向うの金網を越え、若葉の林の中に吸い込まれていった。
「生きてると、いろんなことあるわよ」
悦子はふり向いて肩をすくめ、両手を広げてみせた。わざとらしさを感じさせない、よく身についた仕草だったので、和夫は思わず直立し、一礼した。
沢に入らなくなった松吉は新聞を隅から隅まで読み、テレビをつけっぱなしにし、和夫が週に一度買い出しに出かけて冷蔵庫に入れておく材料で食事の用意をした。松吉の献立は切り干し大根や野菜の煮物、焼き魚に限られてはいたが、手早く作る割に味は良かった。退院を機に、手伝いの人を頼もうとした和夫に、また失業させる気か、と迫った顔には説得を許さない迫力があった。
主婦に死なれたこの家庭に、正史が何日か泣き続けた外に、表向きたいした混乱が起らなかったのは、また男だけの家にもどった、という一種の居直りがあったためだと思われる。母が死んでから、食事は松吉が作ってきた。仕事から帰るとすぐに制服の上着を脱ぎ、シャツをまくり上げて包丁をふるう彼のうしろ姿には、努力してそうしていたのかも知れないが、やむなく家事を引き受けなければならなくなった父親の暗さは感じられなかった。
「たくさん食べろよ」
そう言われて山盛りに盛られためしを松吉と向き合って食べる図は、子供心にも寂しいものだった。
和夫の涙はきまってめしのときに出た。母に死なれた子が、生きるためにけなげにめしを食っている、という想像が涙の量を増した。そんなとき、松吉は途方に暮れた顔でみそ汁をあたためなおした。やがて、和夫は松吉の顔を見る方がつらくなって、泣くのをやめた。
3
マイク・チャンドラーという名の宣教師が、車椅子に乗って二階の病棟に入院してきたのは、小雨に洗われた木々の緑が鮮やかさを増してきた六月なかばのことだった。縁なし眼鏡をかけた小づくりな顔に茶色の口髭をたくわえたこの四十五歳のアメリカ人は、きわめて|流 暢《りゆうちよう》な日本語会話の間に軽い咳をはさんでいた。
「こんな姿になってしまって、もう夏のギャルをひっかけることもできないですよ」
彼は初対面の和夫に向って、宣教師らしからぬジョークをとばした。
病棟の廊下で外来の看護婦から車椅子を引き継いだ和夫は、婦長に指示されて彼を北側の個室に運んだ。火山にも中庭の芝生にも面しない、いわばはずれの部屋だったが、窓のすぐ外まで森の広葉樹が迫り、朝は野鳥のさえずりで目を覚まさずにはおれない所だった。
「ここはとても簡単に森に帰れそうな部屋ですね。安心しました」
和夫に手を借り、不自由な右足を体ごと引きずり上げてベッドに横になったマイクは、中腹から小雨あがりの霧に隠れてしまっている深い森を、よく澄んだブルーの目で見回した。
古くから開けた避暑地という土地柄、外国人の入院患者を扱うのは珍しくなかったが、和夫はこれほど上手に日本語を話す外人に会ったのは初めてだった。
「マイクさんの日本語は、吹き替えの映画から抜け出て来たみたいですね」
和夫はベッドに備えられた呼び鈴の用い方や食事の時刻など、決められた伝達事項を話し終えてから、素直な感想を付け加えた。
「父も宣教師でしたからね。アメリカと神戸、横浜を行ったり来たりして育ちました。どこの町のどの飲み屋にいい女がいるか、ちゃんと知ってますよ」
マイクはうなずきながらウィンクしてみせた。
「いいんですか。宣教師さんが女の話なんかして」
和夫はマイクの人なつっこそうな笑顔につられて、初対面の堅くるしさを忘れた。
「私は宣教師の中のヤクザでしてね。戦争でミサイルを撃ったし、私の超小型ミサイルでよく女も撃ちました。でも、これで撃ち止めですね」
マイクは毛布をかけた不自由な右足を両手で撫でた。
「戦争、ですか」
ミサイルを撃つ戦争などあっただろうか。アメリカ人の得意なジョークだろうか。和夫は口を開けてマイクの横顔を見つめた。
「ベトナムでファントム戦闘機に乗っていたのです。サイゴンではもっと奥の深いものに乗っていましたけどね」
マイクはいとおしむように動かない右足をさすり続けていた。
わずかに頬笑みをたたえているような横顔だった。しかし和夫が視線を移したときに見た、暮れかけた霧の森を背景に窓ガラスに映る彼の半面は、どぎついジョークを口にすることでかろうじて泣き出すのを抑えているかのようにこわばっていた。
「なにかあったら、いつでも看護婦を呼んで下さい」
和夫は微笑を保ったまま、足早に病室を出た。
夕方、看護婦たちの申し送りのあとに、院長の香坂から今日の入院患者の説明があった。彼がこのカンファレンスを始めるまで、和夫ら看護の者たちは、患者の正確な病名がなんであり、どのような治療がなされていくのか、医師たちからはなにも知らされていなかった。彼らは指示という名でカルテに点滴の内容や薬の名、採血の項目を書き出し、看護の者たちはそれにしたがって施行するだけだった。香坂が入院患者の診断名と、これから行うべき検査の説明を始めたことは、この沈滞した病院では画期的なことだった。
ナースセンターの奥に移動させた投影器には胸部と大腿骨のX線写真がかかっていた。香坂は、家の庭で近所の子供たちとフットボール遊びをしていて、六歳の男の子にタックルされて右足の骨を折った、というマイク・チャンドラーの病歴を説明したあと、胸部X線写真の影をボールペンの先で示した。
「肺門から上のリンパ節が腫大している。おそらく肺癌で、骨は転移のために折れ易くなっていたものと思われる。とにかく精査を急いだ上で、アメリカに帰国するかどうかを決めてもらう予定です」
香坂は椅子に座る看護婦たちに、質問は、と問う切れ長の目を向けた。
「彼は自分の病気の本態に気づいているようですが」
和夫はマイクの影の顔を想い起した。
「たしかに、外来でも胸の写真の影を自分で指さして、敵はとうとう核兵器を使って来ましたね、と言ってたよ。検査を急いで、分かった時点で本人にそのまま告げようと思う。我々が検査で得る情報というのは、外でもない、患者自身のものなんだから」
香坂はあっさりと言い置いて、夕方の回診に向った。
マイクの病室は本来二人部屋だったが、病室の空きが多い時期なのでベッドは一台だけ入っていた。身長一七三センチ、体重六十五キロの彼はアメリカ人にしては小柄で、部屋はとても広く感じられた。室内のトイレまで行くのに車椅子に乗り替えているのを見た和夫が、呼んでもらえれば背負ってあげますよ、と言うのだが、自力更生、造反有理、と、キリスト教になじみそうもない題目をとなえて笑っていた。
マイクは妻と子供をオレゴン州の田舎町に残して一人で日本に来ているとのことだった。
「いわゆる、単身赴任宣教師ですよ」
彼は苦しいはずの気管支鏡の検査のあとにもジョークを忘れなかった。
香坂が検査を急いだため、結果は一週間ほどで出た。小細胞癌という極めて発育の速い肺癌で、骨への転移の外に肝臓も侵されていた。コンピューター断層撮影装置がないのでなんとも言えないが、おそらくは脳転移も起しているだろう、との結論だった。
和夫はこの話をマイク本人の口から聞いた。香坂はほんとうにありのままをマイクに話したようだった。
「小細胞(スモールセル)というのは、なんとなく実感の湧く病名ですね。とても小さな暴れものの細胞が私の体のいたるところに入り込んで、自分を主張しているんですね。そいつらも私の細胞であることに変わりはないんだから、不思議だなあ」
夕食のカツドンを勢いよくかき込んでから、マイクは言った。口髭に付いためし粒を和夫が教えられないでいると、彼は赤く長い舌でなめ入れた。
「ちょっと長くなりそうですね。アメリカに帰られて治療するのですか」
ベッドテーブルの膳を片づけながら、和夫は聞いてみた。
「足が痛いのです。とにかく、この足だけでも、小さな細胞たちの宴会をおひらきにしてもらってから帰ろうと思っています」
マイクはプラスチックのコップの番茶を音を立ててすすった。背を丸めてコップをかかえこむ彼は、茶を飲み下すときだけ、毛布の上に寂しそうな視線を投げた。
「がんばって下さいよ」
和夫は飲み干されたコップを膳に上げて病室を出ようとした。
「ちょっと頼みたいことがあるんですが」
マイクは気まずそうに上目遣いで和夫を見た。
「駅前のおもちゃ屋さんで、飛行機の、ファントムのプラモデルを買ってきてもらえませんでしょうか。できればF4D型を」
マイクは右手を顔の前に立てて拝む仕草をした。
「F4D型のファントムですね。もしなかったらどうしますか」
和夫は膳を床に置いたまま手帳にメモした。
「F4D型がなければ、ファントムならなんでもいいです。どうせ退屈しのぎなのですから」
マイクはしきりに照れくさそうに頭を掻いていた。
「お金は買えたときにいただきますから」
和夫は年齢にふさわしくない幼稚な玩具をねだってしまった子供のように照れるマイクに、これ以上気を遣わせまいとして先に切り出した。
仕事を終えて散歩がてら駅前の玩具屋に行くと、ファントムのプラモデルはあったがF4C型だった。和夫にはC型とD型の違いなど分からなかったが、マイクが型式にこだわるのにはそれだけの訳があるのだろうと思って、ちょうど駅に入って来た電車で隣の市まで行って二千八百円のF4D型を手に入れた。折り返しの電車の待ち時間がかなりあったので、家にもどると八時を過ぎていた。
玄関の戸を開けると、トレーニングウェアを着たままの悦子が跳び出してきた。
「いままでなにしてたのよお。病院に電話してもどこにもいないんだからあ」
口を尖らせる悦子の足に取り付いて正史が泣いていた。
「倒れてるのよ。あなたのお父さんが」
悦子が怒って言ったとおり、松吉は台所の流しの前であおむけに倒れていた。
どうしたんだい、とかがんで和夫が問うと、口角にヨダレを垂らした松吉は、立てないようだな、と聞き取れるあいまいな発音をした。悦子が頭の下に入れてくれたらしい座蒲団が多量の唾液《だえき》で濡れていた。
「正史君を送ってから家に居たら、彼が、おじいちゃんが死んじゃったって泣いて来たのよ。ほんの三十分くらい前よ」
悦子は正史の頭を撫でながら、病院に行くんでしょ、と和夫の肩をゆすった。
悦子の手を借り、和夫は松吉を背負って車に乗せた。後部座席に乗り込んだ悦子は松吉の頭を膝に乗せてくれた。
松吉の脳卒中の再発は、手足のマヒに関しては今回も軽くすんだ。梅雨があける頃には右手で廊下の手すりにつかまって歩けるようになっていた。その頃から、病院は避暑客たちの短期入院が多くなり、ベッドが埋まってきた。
東京の女子大の夏期寮で食中毒が発生し、一度に八人が入院してきた午後、病棟の婦長は和夫に松吉のベッドを移動させたい、と言った。松吉は横にベッドを置くスペースのあるマイク・チャンドラーの病室に移った。
「申し訳ありません。私の父なのですが、よろしくお願いいたします」
和夫がベッドを運び込んだとき、マイクはプラモデルにラッカーを塗っていた。化学療法で髪の毛の抜けた彼は毛糸のスキー帽子をかぶっていた。
「いいですよ。気にしないで」
マイクは目を細めて、ファントムの機首に白いラッカーでサメの歯のマークを描いていた。
今回の発作から、もともと口数の少なかった松吉は前にも増してものをしゃべらなくなっていた。和夫に手を引かれてマイクの部屋に入っていったときも、ひとわたりあたりを見回したあと、あいさつもせずに自分のベッドにもぐり込んでしまった。化学療法が効いて足の痛みが薄らぎ、気分がいいですよ、と笑顔を見せていたマイクの横に、重苦しく押し黙った老人を置くのは気がひけた。
「ここの血管がつまって、頭が枯れてきている病人ですから」
和夫は自分の頭を指さしながら、マイクに頭を下げた。
「枯れ木にはえるキノコの話を知っていますか」
マイクはベッドテーブルに塗装を終えたファントムを置いた。
「枯れた木にキノコがはえるのは、有機物を無機物に分解するための自然の摂理なのです。キノコがはえないと、森は腐り切れない枯れ木だらけになって、若い木の養分がなくなり、森全体が死んでしまうのです」
マイクは窓の外に迫る生きいきとした森の緑に目を向けた。
「宿り木にとりつかれた若木を助けるには宿り木を切ればいいのです。でも、キノコを取っても枯れ木は枯れ木なのです。私は老人の病気といわれるものの多くは、キノコのようなものだと思っています。誤解しないで欲しいのですけれど、だから気にしなくてもいいですよ、ということです。枯れ木は多くを語らないものです」
マイクは言いたいことがほんとうに伝わったかな、と訴えかけるような、すこし悲しげな目で和夫を見上げた。
和夫は、ありがとうございます、と声に出してから、松吉のずり落ちぎみの毛布をなおしてやった。マイクに背をむけて膝をかかえ込んでいる松吉が鼻息を荒げ、肩を震わせていた。泣きそうな顔で笑いをこらえていたのだった。松吉が笑うのを見たのは久しぶりのことだった。
以来、松吉は愛想のない顔でマイクと同居していたが、窓辺に置かれた飛行機のプラモデルにだけは興味を示しているようだった。食事を運ぶ和夫が、マイクの目を盗むようにしてプラモデルを覗き込んでいる松吉の姿を目撃したことも何度かあった。マイクは朝夕のあいさつはしてくれていたが、枯れ木に向って自ら語りかけることはなかった。
三日目の昼めしのとき、松吉は不自由な左手に持ったみそ汁をこぼした。食事を終えていたマイクがタオルで寝巻の前を拭いてやると、
「その飛行機はアメリカの戦闘機かい」
と、松吉がぶっきらぼうに口を開いた。
「そうですよ。私が乗っていたマクダネルダグラス社製のF4Dファントムですよ」
マイクはにこやかに答えながら、松吉の顎に垂れたワカメまで拭いてやった。
「実戦に出たんかね」
松吉はひと言の礼も言わずに、マイクがベッドにもどって手にしたファントムを見つめていた。
「ええ。ベトナムでミグ十七を一機落としました」
マイクは右手に持ったファントムを急降下させるように動かしてから、思い出したように毛糸の帽子を目深にかぶりなおした。
「機銃でかね」
松吉はベッドから身を乗り出した。
「いいえ。サイドワインダーというミサイルを撃ったのです。ジェットエンジンの熱を追いかけて行くミサイルです」
マイクは翼の下の小さなミサイルを小指でさした。
「なるほど。子供のテレビゲームとおなじということだ」
松吉は皮肉っぽく顎を前に突き出した。
「太陽に向って逃げられたり、急降下されると外《そ》れてしまいますから、それなりに大変でした。下からは敵の対空砲火と地対空ミサイルが撃ち上げてきますし。私たちがベトナムにいた頃、敵機を二機撃墜するたびに、こちらが一機やられていました」
マイクはベッドテーブルにファントムを置き、肩で息をしながら腕を組んだ。
これまでほとんど口を開いたことのなかった老人が、白髪をせわしなく撫でつけながら、異様に光る目で飛行機の話をしかけてきたので、マイクも真剣な対応を迫られた。
「あなたも飛行機に乗っていたことがおありですか」
マイクは体をベッドに横たえてから、松吉の方を向いた。強力な制癌剤の投与を受けている彼にとって、地上の戦いとおなじように泥沼だったベトナムの空中戦の緊張感を頭の中で追体験することは、思いのほか体力を消耗する作業だった。
「いやあ、私は戦争には行かず、ちっぽけな電車を運転しておりました」
松吉は寝巻の前を合わせ、きちんと背を伸ばした。
現役の運転手だった頃から、松吉は機械の話をするのが何より好きだった。付き合いの下手だった彼の家に客が来ることはめったになかったが、たまに運転手仲間が訪ねてくると、パンタグラフやトランスの改良の話を飽くことなくしていた。そんなときの松吉の顔は、遠足を前にした小学生のように、つややかに紅潮していた。
「この町を走っていた小さな電車のことを聞いたことがありますが、その電車ですか」
手枕を作ってマイクは顔を上げた。
「ええ。あなたの戦闘機に比べたら、アリのような速度の電車でしたがな」
松吉は頬を赤らめた。
「人の作る機械は、その速度が速くなればなるほど大きな罪を造るようです。乗るなら罪の少ない乗り物に越したことはないのです」
マイクは目の縁におだやかなシワを寄せていた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると……ありがとうございます」
感情の失禁を起し易くなっている松吉はベッドの上に正座して深々と頭を下げ、泣いた。
和夫が下膳のために病室に入ると、松吉はイビキをかいて眠っていた。
「お父さんは枯れ木なんかじゃありません。失礼しました」
火口湖のように深い青色をしたマイクの目が、下から申し訳なさそうに和夫を見た。
マイクにいきなり詫びられた和夫は前後の事情が分からないので、あいまいな笑顔を返した。マイクはそれ以上の説明をせずにゆっくりと体を横たえ、和夫に背を向けた。
松吉は規則正しいイビキをかき、マイクは遠慮がちの咳をした。窓一杯に盛りの青葉が夕陽を受けて、そう遠くない先にたしかな紅葉を予感させる微かな赤みを帯びて風にそよいでいた。樹林の間から遠望できる峠の道には、車がじゅずつなぎになって澄んだ青空に消えていた。
「森はもう秋の準備をしているのに、人間だけが初夏だと思っているんだな。大いなる錯覚だな」
マイクは英語で、静かなひとり言をつぶやいた。一語一語に息つぎを入れる発音だったので、和夫にもおよその意味が理解できた。
イビキの間隔が一瞬途切れたとき、松吉は軽やかなへをひった。マイクの背は窓の夕景を胸から腹へ、体全体に取り込もうとしているかのように動かない。和夫だけが、勝手に顔を赤らめて病室を出ていった。
松吉が入院してから、和夫の家の夕食は悦子が作ってくれていた。あらたまって頼んだわけではないのだが、彼女は正史の送り迎えと料理を淡々とこなしていた。
「テニスコートの方が忙しくなってくるのに、いいのかい」
和夫は肉を焼く悦子に伏し目がちに言った。
「あれも道楽。これも道楽よ。ほらっ」
悦子はテーブルで待っていた正史の前の皿に、焼きあげた肉をフライパンからすべり落とした。
「すごいや。こんな厚いステーキはじめてだあ」
慣れないフォークとナイフを手にしてかぶりつこうとした正史は、悦子ににらみつけられて、小さく、いただきます、と言った。
和夫の分の肉を焼き終えた悦子はテーブルにつくと、持参していた赤ワインを開けた。
「あんたも食べたら」
和夫はワインを注ぎ分けている悦子に、自分の皿を押しやった。
「私はこれでいいのよ」
悦子は丸洗いしたレタスをちぎり、小皿のドレッシングにつけてつまんだ。
和夫はなにか話さなくては、と思いながら肉を口の中にほうり込んでいたが、滲《にじ》み出る肉汁のうまさに負けないだけの話題を提供できる自信がなかったので、黙々とナイフを動かしていた。
「帰ってくるたびに、この町は下品になっていくみたいな気がするわね」
指先についたイタリアンドレッシングを、さらに赤い舌でなめつつ悦子は言った。
「私の家のような百姓と別荘の客たちがお互いの分をわきまえていた時代が、この町のいちばんいい頃だったのね。差別じゃなくて、区別がはっきりしていたのよね」
悦子は舌とおなじ色のワインを、喉に音をさせて飲み下し、頬杖をついて和夫を見つめた。
アルコールがうるおいをもたらした彼女の黒の勝った目は、発芽寸前の種子のような張りがあった。
「町が下品になったおかげで、百姓の娘がアメリカでテニスを覚えられたのも事実だと思うけどな」
和夫は悦子をちらっと見たあと、あわてて視線を皿の上に落としながら苦笑した。
妻の死後、和夫は女と視線を合わせて会話することができなくなった。言葉で包んでいるかぎりは隠しとおせる自信のある欲が、目の奥に露出していることを和夫は知っていた。俊子に死なれてから、和夫は女の肌の感触を忘れていたが、その記憶だけは勝手に増殖して体のあらゆる部分に触手を延ばしている。
「お金があったから実現できた夢っていうのは、お金さえあれば実現できた夢なのよ。この齢になって、やっとそういうことが分かってきたのよ。目覚めた成金てとこかな」
悦子は、あはは、と声に出して笑った。
「町にも寿命があるような気がするな」
唐突に話題を変える和夫のもの言いには、いかにも不自然な堅さがあった。
「子供から少年、成年、壮年ときて、ボケ老人になって死ぬんだ。人とおなじように、少年時代に惜しまれて死ぬ町もあれば、成年からいきなりボケてしまうやっかいものの町もある。結局この町もそういうことだよ」
和夫は話しながら、少し酔ったな、と思い、ワイングラスを置いた。
「他人事《ひとごと》みたいな口ぶりね。あなたが生まれて、私も生まれた町なのよ」
悦子は議論をふっかけるのがうれしくてたまらないように、声をはずませた。
「土地が売れて金が入って、家を造って車を買って、母が死に、妻が死に、父がボケた。そういうことを言いたいんだ」
和夫はこんな話題を口にしたことを後悔し始めていた。言葉はどこまでいっても言葉に過ぎないなら、いっそ目を見せてしまおうか、と思ったりした。
「これからどうするの」
悦子がワインをグラスに注ぎ足してくれた。
和夫は黙ってグラスを手にした。なんとかしてくれないか、この生活を、と喉もとまで出かかった訴えを渋いワインとともに飲み込んだ。正史がごちそうさまを言い、悦子にしつけられたとおり、皿を流しに運んでから、二階のテレビのある部屋に駆け上がっていった。
「ごちそうさま」
和夫はほてった頬を両手で囲みながら立った。
悦子は、ふっ、と気の抜けたシワを口もとに寄せてテーブルを片づけ始めた。
4
平日でも国道の車の流れがとどこおる避暑の季節に入り、病院の外来は駅の待合室と変わらぬ混雑ぶりを見せるようになった。定期的に通院していた町の老人たちの姿がかき消され、テニスコートやゴルフ場からそのままの服装で来た者たちが、よく陽に焼けた健康そうな顔で診療の順番を待っていた。
これまで和夫たちに疲れた顔を見せたことのなかった院長の香坂が、病棟で深いため息をつく回数が日ごとに多くなっていた。
「当直をしていると、救急車が運んでくるのは、酔っぱらいの大学生と、ゴルフ場で虫に刺されたおじさんたちばかりだ。あの人たちは顔の皮が厚くなった分だけ、身体の皮膚が弱くなったんだな。同情が医療の原点だとするなら、おれは何をやってるのかねえ」
ため息をつくたびに髪をかき上げる香坂の横顔には、ふだん精力的に患者を診ているときには見られない肉のゆるみがあった。
ナースセンターの洗面所で脂の浮いた顔を洗い、二、三度深呼吸してから病棟の回診に向う香坂の白衣の背に、和夫は自分をもごまかしようのない醒めた視線を投げかけていた。ごくろうさまです、と力のこもった声をかけながら。
和夫が香坂に関して持っている知識は、彼自身が歓迎会の宴席で述べたものだけだった。それによれば、彼は大学で衛生学を教えていた父親の影響で、大学の先端医療を地域に還元したいという気持が強かった。その場にこの土地を選んだのは、彼の言葉にしたがえば、高度経済成長の私生児のような、崩壊したあとの農村の姿を直視したいから、であった。
町のはずれにある一軒家を借りている香坂の一家とは、和夫は親戚の家に寄った帰りに、人通りのない別荘地の路上で一度だけ会ったことがある。髪の長い美しい妻と、都会的な顔立ちをした二人の男の子たちに囲まれて、香坂は自転車に乗る練習をしていた。女性用自転車の荷台を妻と子供たちが支え、押しながら手放すと、五、六メートルよろめきつつ進んで、彼は白樺並木の路端に倒れた。
駆け寄る家族の明るい歓声に励まされて、彼はふたたび自転車に乗る。和夫はこの光景をうしろから目撃し、乗っていた自転車を降り、引き返すべきか迷った末、結局、腹の底に力を入れて笑顔を造りつつ自転車を押して香坂一家と対面した。
「いやー、恥ずかしいところを見られちゃったなあ」
香坂は頬に堅い部分を残したままのはしゃぎ声で、しっかりと自転車のブレーキを握っていた。
「ぼくの育った渋谷は坂が多かったから、子供の頃、自転車に乗せてもらえなかったんだよ。気がついたら、自転車に乗れない大人になってたってわけさ」
和夫が問いもしないのに言い訳をする香坂を、妻と子供たちが余裕のある目で見守っていた。
「がんばって下さい」
和夫は降りた自転車に乗れないまま、その場を去った。
あの高校時代、松吉が倒れなければ手に入ることができたかも知れない、知的な薫りのする中流家庭――夢想をそれとして笑いとばせる齢になっている和夫だったが、彼の香坂を見る目には、淡い羨望のベールがかかった。だから、たいした病気でなくても、この町に金を落とした当然の代償のような顔で受診する避暑客たちの診療に疲れ切った香坂を見ても、うわべの言葉をかけるより外のことはしなかった。崩壊したあとの農村とは、まさにあなたが今見ているとおりの、都会の租界のような処なのだ、と大きく声に出したい気さえした。
しかし、医師としての香坂の技量には和夫も脱帽せざるを得なかった。彼は舞台でのふるまい方を良くわきまえている優秀な役者のように、見る者を納得させる動きをした。末期癌患者であるマイクでさえ、ドクター香坂の治療のやり方はアメリカのドクターとおなじだから、帰国するのは彼が死を口にしてからにする、と全幅の信頼を置いていた。マイクは香坂から自分の癌に関する情報をすべて得ていた。
「航空母艦から飛び立つ前に、司令官によるブリーフィングがあります。今日の敵がミグ十七か、ミグ二十一か、様々なルートから得た情報で判断します。戦う相手が足の遅いミグ十七と超音速のミグ二十一では、ファントムの操縦のしかたがまったく違ってくるのです。司令官の言葉を真剣に聞きました。勝てる可能性というのは、まずはじめに相手を知らなければはじき出せないのです。負けたとき死ぬのは、司令官でも誰でもない、私自身なのですから」
香坂に癌の宣告を受けたあと、検温に行った和夫に、マイクは諭すように言ったものだった。
病棟の廊下で松吉の退院を口にしたとき、香坂はあらぬ方向を向いていた。松吉はすでに自分の用が足せるところまでは回復していたが、和夫の内には、病院にあずけられる限りは、という思いがあった。正史は悦子の善意に甘えてなんとかなっているが、家に帰れば食事の用意を再開するはずの松吉に火の管理を任せるのはためらわれた。言い聞かせて聞く男ではない。ならば、なるべく長く病院に置いておきたい。
口に出かかった言い訳のすべてが、病院に老人を捨てていく善良そうな共かせぎ夫婦のそれとまったくおなじだと気づいて、和夫は、分かりました、とだけ応えた。
翌日の夕方、病室で和夫に退院を告げられた松吉は、そうかい、と素直にうなずき、さっさとベッドを降りた。
「寂しくなりますね」
床にうずくまって荷づくりをする和夫の背に、かすれたマイクの声が降ってきた。
「いやあ、ご迷惑ばかりおかけするわがままな病人で、申し訳ありませんでした」
同室者に対する退院のあいさつとしては、和夫はもっとも無難な言葉を選んだつもりだったし、それが真意でもあった。
「そんなことはないですよ」
ベッドのきしむ鋭い音と、つよすぎる語調に驚いて和夫が振り返ると、マイクは起きて頬を赤くしていた。
「この人が話してくれた、ゆっくり走る小さな電車のイメージは、森に還る乗り物としては最高です。ありがたいのです」
マイクは思わず震わせてしまった声を打ち消すかのように、すっかりこけた両頬を手でこすった。
松吉はドアのノブに手をかけたまま、なにかをためらっているようだった。和夫が荷を入れ終えた風呂敷包みを両手に提げ、あらためてマイクに目礼してからうながすと、松吉はドアを引き開けたまま顎を振って、外で待て、という合図をした。泣くのをこらえているような充血した目が和夫を威圧した。和夫が先に出て廊下に風呂敷包みを置くと、松吉はズボンの尻をドアの間に入れ、半身になって右手を肩まで持ち上げた。彼の肩ごしに見えるマイクが、ベッドの脇によろめきながら直立し、肘を四十五度に曲げる軍隊式の答礼をしていた。松吉はあとずさりし、ズボンの裾や、「なおれ」の途中の右手をスプリングドアにはさまれながら病室を出た。
松吉は別れの敬礼のときに伸ばしていた背をもとどおりに前傾させ、ずり足で廊下を進んだ。和夫は一足踏み出すたびに立ち止まって彼のペースに合わせた。下膳時間を過ぎた廊下には患者や看護婦の姿はなく、つきあたりにともる非常灯の緑の光が妙に遠くに見えていた。
エレベーターを待つ間、和夫は松吉のセーターの袖をなおしてやりながら、敬礼なんて初めて見たね、と先程の儀式に一人だけのけものにされたやっかみを込めて言った。
「単線のおなじ駅で出会った、すれ違う電車への礼儀だよ」
これまでの病気がまったくの仮病であったか、と思わせる含蓄に富む言葉であり、張りのある声だった。
和夫は、いいぞ、と声に出して松吉の背を押し、エレベーターに乗り込んだ。一階に着いてドアが開いてからも、松吉はおびえたような顔をして降りようとしなかった。
「久しぶりだもんな。家に帰るのは」
和夫が手を貸そうと下を向いたとき、エレベーターの床に松吉の失禁した尿が丸い輪をつくりつつあるのが見えた。
車を庭に乗り入れると、悦子に手を引かれた正史が玄関から跳び出してきた。
「世話になってるんだよ」
和夫が助手席のドアを内から開けてやりながら声をかけると、松吉は悦子に向って無愛想に頭を下げた。
「おじいさん。よかったねえ」
正史が駆け寄ってセーターの袖を引くと、松吉は、うん、うん、と応えて下口唇を突き出し、目に涙をためた。
夕食は悦子が用意しておいてくれたが、松吉は一階の和室に横になるとすぐに軽い寝息をたてはじめた。
「せっかく用意してもらったんだから、少しは食べたら」
悦子への遠慮もあって、和夫は声高に松吉の背をゆすった。
障子越しに悦子の立つ気配がした。和夫が開けると、彼女は、いいかな、と小さく言ったままその場を動かなかった。和夫が大袈裟に頭を掻いてみせると、悦子は部屋に入り、松吉の枕もとに正座した。
「あしたからおじさんは何をするのですか」
うす目を開けた松吉をのぞき込むように、悦子は首を曲げた。
「水車を、つくる」
寝言かと思われるあいまいな発音をした松吉は、自分の吐いた言葉が天井に反射して返ってきたのをもろに受けたように、おお、と起き上がった。
「水車をつくる」
自ら口にしたことを確認する口調で悦子にそう告げた松吉の顔は上気していた。
「水車をつくるのなら、力仕事だからうんと食べとかないとね。ほらっ」
悦子に肩を叩かれると、松吉は、そうだな、そうだな、とうなずきながら素直に立った。
翌日から、松吉は庭に出た。前を流れる烏沢を見おろしては部屋にもどり、もどかしく震える右の手首を左手で押さえながら、正史の絵かき帳に水車らしきゆがんだ輪を描き出した。夕方、正史を迎えに行った悦子がもどると、松吉は、すまねえけど、と彼女に縄をあずけ、烏沢と庭との距離、および高低差を測ってもらった。流れの中心から庭の端までが四メートル。烏沢は庭の一メートル下にあった。
「おじさんの造る水車は直径が二メートルを越えるみたいよ」
食後の茶をいれながら、悦子が鼻歌まじりに言った。
松吉は久しぶりに体を使う「仕事」をしたためか、早々と床に入り、正史はテレビを見に二階に上がっていた。
「水車を造ってどうする気なんだろう」
食後の茶をすすり合う夫婦のような雰囲気が照れくさくて、和夫は熱くもない湯飲みを吹いた。
「水車で水を汲み揚げるみたいね。庭に池でも造るのかしらね」
悦子は頬杖をついて、いたずらを思いついた子供のように目を見開いた。
「誰が造るんだよ。手足の不自由な、ボケ始めた老人がかい」
和夫は松吉の妄想に調子を合わせようとしている悦子を斜めに見た。
「いいじゃないの。私は水車が回るとこ見てみたいのよ。だから、手伝うわよ。ラケットの持ち方も知らないミーハーたちにテニス教えているよりもずっとおもしろそうだもの」
茶を飲み干した悦子は、湯飲みを持った右手をぐるぐる回しながら流しに立った。
「コトコトコットンかあ」
和夫はわざと大きなため息をついてみせた。
「そうよ。森の水車よ」
勢いのよい蛇口の水を掌に受け、悦子は唱歌を口ずさんだ。
彼女は言葉どおり、ドテラ姿の松吉の指示に従って自分の家の軽トラックを運転し、ラワン材と工具を買い付けて庭に運び込んだ。正史までが庭いじり用の小さなスコップを手にして、水車が据えられる予定の烏沢両岸の草を抜き出した。和夫は仕方なく、休日を使って水車造りに参加した。
松吉に作業の目的をたずねると、すべて、ああ、という返事しか返ってこなかった。水を揚げて池を造るんだね、と言えば、ああ、であり、水車が回りさえすればいいんじゃないかい、と聞けば、ああ、であった。結局のところどうなんだよ、おれだって休みの日は休みたいんだよ、と悦子の目の届かぬところで詰め寄ると、
「水車を造る」
と、軽蔑《けいべつ》した目でにらみつけられた。
実際に仕事を始めてみると、水を揚げ、池を造り、その水をまた烏沢に返す、という工事計画に最も熱心になったのは和夫だった。手づくりの水車で汲み揚げられた清水の中にヤマメを放す。池には石を入れ、カゲロウが卵を産めるようにする。成長した川虫を電光のようなすばやさでヤマメが食う。そんな光景を想像すると、和夫の胸は躍った。
これまでにも、庭に池を造ろうと思ったことがないわけではなかったが、水道の水を流しっぱなしにする決心がつかなかった。烏沢と庭との高低差ははなから知っていたので、そこから電動ポンプで水を揚げることは、電気代を無駄にするようでためらわれた。貧乏性の和夫にとって、水車は何の抵抗もなく受けいれられる、安価な水揚げ機械だった。
水路に水車をかけ渡し、外輪に小さなオケを取り付けて水を汲み揚げている画面を、和夫はテレビの地方取材番組で見たことがあった。オケの口を下流に向けて付けると、汲み揚げられた水が真上まできてこぼれる。それをトイで受けて庭に導く。取り付けるオケの数や大きさは、水車を造ってみれば分かるはずだ。
日曜の午後、ときおり秋をふれるように林を吹き抜ける涼風になぶられて、材木を切る和夫、押さえる悦子。足ぶみで水辺の整地をしている正史。そして、庭石に腰かけ、目を細めて作業に見いり、できあがりのかたちにこだわる和夫に、回ればいいさ、と無表情にくり返す松吉。
座りなれない柔らかな椅子に尻を載せているような気分で、和夫は落ち着かなかった。この家にこんな幸福そうな絵柄が出現したのは久しぶりだったから、彼は扱い方を想い出せなかった。水車の芯棒になる十センチ角のラワン材をノコギリで引き、端をはさみ込んで押さえている悦子のジーンズの股《もも》の肉の盛り上がりを、汗を拭く動作にまぎらして盗み見ながら、和夫はほころびそうになる口もとを締めるのに懸命だった。
実際に材木を切ってみると、直径二・四メートルの水車というのが、初めて造る者に微妙な感情を抱かせる大きさであることが分かった。これ以上大きいと、回らない可能性ばかりを考えて作業のやる気が失せるし、小さければ、しょせんは子供のおもちゃという気が先にたって緊張感が薄れるようだった。単なるモニュメントでも子供のなぐさみものでもない、まさに実用の水車を造っているのだ、という実感の湧く大きさだった。
「徒然草《つれづれぐさ》だったかしら」
幅五十センチの羽根板を切り終えて、悦子が首に巻いたタオルで汗を拭いた。
「ほら、村人が水車をつくったけど回らなくて、ベテランを呼んでつくってもらったらよく回ったって話。なにごともベテランはたいしたものだっていうような話があったでしょう」
悦子は木挽《こび》き粉の散る芝生にあぐらをかいて、まぶしげに午後の陽を仰いだ。
「枕草子じゃなかったかな」
和夫は台材を両手に持って、正方形に開けた穴から悦子を見た。
フレームの左端に大人の余裕を感じさせる女のゆったりとした笑顔が位置し、右下に草とりに飽きた正史が流れに素足を入れてバタバタさせている。なんとかなればいいが、と思わずにはいられない、安定した構図だった。
「昔の優等生も年だわね。徒然草よ」
悦子は両手をうしろについて、薄いTシャツの下の豊かな胸を張った。突き出た乳頭の迫力に押されて、和夫は台材を下に置いた。悦子の胸はフレームに縁どられていたときよりひとまわりだけ小さく見えた。
「水車って昔からそういうとこあったのよね、きっと。できあがってみないと回るかどうか分からないってとこが。いいじゃない、そういうのって。誰だって回そうと思ってつくるんでしょうけどね」
悦子は切りそろえた羽根板を一枚持って流れに降りた。
悦子に言われて正史が流れの中心に立つと、水は彼の膝上まできてまくり上げたズボンを濡らした。悦子は正史の背を左手で支えながら、右手で羽根板を彼の足の前に入れた。水勢を受けた羽根板が正史の足を押し、彼は腰を引いたままうしろに倒れそうになった。悦子は素早く正史を抱き上げ、羽根板を拾った。
岸に立たされてベソをかきそうな正史に悦子は、
「どうだろう、正史君、この力なら水車は回ると思うかな」
と、背を叩きながら聞いた。
「水の力は思いのほかだ」
正史は胸の前で腕を組んで、老人のように流れを見つめた。
「そうか、そうか。正史君の、思いのほか、っていう感想は、なんだか妙に自信を与えてくれる言葉だわねえ」
悦子の軽やかな笑い声が、澄んだ流れにのって林の中に消えていった。
5
松吉が退院してから、和夫がマイク・チャンドラーの病室に行く回数はめっきり減った。検温と下膳のために朝夕二回訪れるのはむしろ多い方だった。
あるかなきかの高原の町の夏が終わろうとしていた。マイクの病室の窓から見える県境の峠の頂には、すでに気の早い紅葉が点在し始めていた。
香坂が松吉の退院を急がせたのは、夏のピーク時で病室のやりくりができなくなったためではなく、実はマイクの病態の悪化が予想されたためらしいと気づいたのは、一週間ほどあとになってからのことだった。和夫が病室に姿を見せても、マイクはベッドに横になったまま背を向けていることが多くなった。手のつけられていない夕食のけんちん汁や塩ジャケを見ると、異国で不治の病を得てしまったアメリカ人としてのマイクが哀れに思えて、和夫はかける言葉がなかった。
病棟のカンファレンスでは、香坂がマイクの死の近いことを告げていた。化学療法に抵抗力を獲得した細胞が急速に増殖し、彼の右肺はすでに換気能力を失い、左の気管支にタンでもつまればそれで最期だろう、と。
「この人はアメリカに帰る気がないようだ」
と、香坂は付け加えた。
「万一亡くなられたときは、どなたが引き取るのですか」
という婦長の質問には、
「宣教師の会の代表がいて、その人が来てくれるそうだ。オレゴンの妻子というのはベトナム戦争から帰ってすぐに離婚した人たちらしい。それ以上は聞いていないが」
と、香坂らしく、感情を表に出さない乾いた口調で応えた。
それから数日して、和夫が夜勤の夜、マイクの部屋からナースコールがあった。和夫は妙な胸さわぎがして、受話器を取る前に走り出した。勢いよくドアを開けると、マイクはベッドの上にあぐらをかいて肩を大きく上下させていた。カーテンを開け放してある広い窓は、深い森の闇への入口に見えた。就寝用の小灯だけがともる病室の入口に立つと、マイクがそのままの姿勢ですべるように森の闇に消えて行くような錯覚にとらわれた。たしかに、マイクの背中は驚くほど小さく、軽そうだった。
「どうしました」
和夫は窓とマイクの間に割り込んだ。
「ああ、あなたでよかった」
マイクは蒼白な顔に、口の周囲だけシワを寄せた。話をすると、肉の落ちた目の縁を眼鏡がすべり落ち、一瞬、完璧な老人の顔になった。
「星を見ていたら、たまらなく誰かと話がしたくなったのです。ご迷惑ではありませんか」
マイクは眼鏡を右手で押さえながら、頭を下げた。
ベッドの脇の丸椅子に座った和夫は首を振り、窓越しに夜空を見上げた。峠の稜線《りようせん》から視線を上げていくと、黒いシルエットとなって立ち並ぶ森の唐松の木によじ登れば手の届きそうなところに、白く冷えた星の群れが静止していた。
「ファントムで北ベトナムの橋を爆撃したときの話ですけど……戦争の話、嫌ですか……」
マイクは自分の左肩に頬をあずけて、力よわく笑った。毛糸の帽子が耳までずり落ちた。
和夫は、どうぞ続けて下さい、というふうに右手を前に出した。
「私のファントムは対空砲火を受けて燃料が漏れ、エンジンにもトラブルを起して仲間から遅れたのです。北ベトナムに降下すれば、ゲリラのリンチにあうと教えられていましたから、とにかく海をめざして飛んだのです。トンキン湾沖で待つ母艦まではとても無理でしたけれど、海にさえ出ればなんとかなる、と思って必死でした。日は暮れて、周囲は深い闇でした。燃料がゼロになったとき、座席ごと脱出しました。パラシュートが開いてから、ふと上を見ると、星がありました。とてもたしかな配置で星があったのです」
マイクは落ちてくる眼鏡をいく度も右手で押し上げていたが、やがて高い鼻の先端にとどめたままにし、顔をのけ反らせて夜空を仰いだ。
「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。海に落ちてから、私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。今、星を見ていて、あのときのやすらかな気持を想い出したかったのです。誰かに話すことで想い出したかったのです」
話し終えると、静脈の浮くマイクの細い首から、タンのからむ嫌な音が聞こえ始めた。
和夫は肩を支え、マイクをベッドに横たえた。掌に背骨が直接触れる背を、静かにさすり上げた。
「とてもいいお話ですね。こんな感想しかないのが申し訳ないくらい、とてもいいお話ですね」
呼吸の荒さがおさまってきたのを見て、和夫はマイクの背から手を放した。
「検査の技術が進歩して、癌患者の予後が正確に分かるのに、治療が追いついていない。このアンバランスはきっと、星のアレンジをしている人が、自分勝手に死さえも制御できると思いあがった人間たちに課している試練なのだと思います。今、とても素直な気持でそう思う……思いたいのです」
マイクは気管の奥に落ちついたタンを再び騒ぎ出させないように、とてもひくい声を用いていた。
「よく分かる気がします。どうですか、眠れそうですか」
和夫も声をおとした。
「ありがとう。おかげで休めそうです。ところで、松吉さんは水車を造っていますか」
マイクは眼鏡を取り、毛糸の帽子で目隠しをした。眠ろうとしているらしい。
「みんなで大きいやつを造っていますよ」
和夫はマイクに松吉が水車を造ると言い出したわけを聞きたかった。
眠りにおちそうなマイクに遠慮して和夫が質問できないでいると、マイクは帽子で目を隠したまま語り始めた。
「松吉さんの運転する電気鉄道の一番電車が、高原のツツジの原を走っていると、月が火山の上に出ていて、その月が沈むまで見ていられたのだそうです。ゆっくり走る電車だったのですね。森の香につつまれて電車を運転する時間を松吉さんはとても大事にしていたのです。脱線しても誰もケガをしないスピードの電車を、体の一部のように愛していたのです。だから、松吉さんは廃止の噂の出た鉄道になんとかたくさんの客を呼ぼうとして、森のすべての駅に水車を造ろうと提案したのです。実現していたら、今でもたいした人気でしょうねえ。でも、県境の駅に造り始めた水車が完成する寸前に鉄道は終わったのだそうです。水車の回る駅から、松吉さんの運転する電車に乗って、ツツジの原の上に出る月をながめて、ながめてみたかった……」
マイクの語尾が次第に消え入るとともに、浅い寝息に変わっていった。
和夫は窓のカーテンを引かずに、そっと病室をあとにした。その夜、彼は二時間おきにマイクの病室をのぞき、彼の寝息が窓の外の強い吸引力を秘めた闇にからめとられていないかと耳をすませた。
マイクの病状は日ごとに悪化し、酸素吸入が始められた。回診に和夫が付いたとき、香坂は流暢な英語でふたつの質問をした。
「いざというときに人工呼吸器を用いますか」
香坂は見おろす自分の目の位置が耐えられないのか、腰をかがめてマイクの枕もとに顔をもっていった。
「No.」
マイクは肩をすくめてみせようとして激しく咳こんだ。
「十分に闘いましたか」
香坂はマイクの咳がやむのを待って、洗練された微笑を浮かべた。
「Yes. Thank you.」
握手を求めて差し出されたマイクの骨と皮だけの手首を、指の長い香坂の手がつかんだ。
しばらく握り合っていた手を放すと、香坂は窓の方を向いて、大きく口を開いて音を殺したため息をついてから、病室を出て行った。あの男はまだ自転車に乗れないのかも知れない、と和夫は何の脈絡もなく思った。
「もうすぐ水車が回ります」
和夫はマイクの耳もとでささやいた。
「それはいい。松吉さんはいいなあ」
マイクが初めて涙を見せた。
「マイクさんも早くよくなって、見に来て下さいよ」
和夫は折り曲げた腰を伸ばし、軽くマイクの胸もとに手を置いた。
「とてもいいなぐさめを、ありがとう」
和夫が耳で聞き、掌に感じたマイクの最後の言葉だった。
当直明けの日と休日を用いた水車の製作は、完成を目の前にして一時中断された。十六枚の羽根板を付けた水車は、あとは芯棒を通せばいいだけだったし、烏沢の両岸にも角材を埋め込んだ支柱ができあがっていた。
「マイクさんを呼んでくれ」
水汲みオケを取り付ける前に、とにかく回るかどうか試してみよう、と提案した和夫に松吉は詰め寄った。
「だから、何度も話したとおり、マイクさんは亡くなったんだよ」
和夫はマイクが死亡した翌日、朝食のあとで松吉に告げていた。
「あれだけ覚悟のできた人は、滅多にいないな」
松吉はよく納得した、というふうに、口に長く含んだ茶を飲み下してから、病院の方を向いて合掌したのだ。
「マイクさんを呼んでからにしてくれ」
和夫が松吉を無視して、物置に立てかけてある水車に芯棒を通そうとしたとき、縁側に座っていた松吉は、はだしで芝生の上をいざるように走り、あっけなく転倒した。
もうすぐ悦子に連れられて正史が保育園から帰って来る。二人に回る水車を見せて、ともに完成を喜びたい。力を合わせて造り上げたものがたしかな回転を始めれば、そこから何かが生まれるかも知れない。和夫が芯棒を通すのを急いだのは、そんな理由からだった。
和夫が歩み寄ると、松吉は倒れたまま手足の動きを止めていた。大きく見開かれた目が天空を見つめていた。彼の視線の先には、青い色を保ったまま高くなれる限界にまで昇りつめている澄んだ青空が広がっていた。
松吉はだらしなく口を開き、初秋のおだやかな陽にうながされたように、顔をほころばせた。あまりにも安らかな表情だったので、和夫は抱き起すのをしばらくためらっていた。
悦子と競走しながら正史が息を切らせて帰って来たのは、ちょうどそんなときだった。
「おじいさんは昔の夢を見てるみたいだ」
あわてて駆け寄ってきた二人に、和夫は笑いかけた。
悦子がセーターに付いた芝をはたいてやりながら、松吉の脇に肩を入れて起してやった。
「さあ、みんながそろったとこで、水車の試運転だ」
和夫は芯棒を手にした。
「マイクさんを呼べと言っただろう」
陽を背にして立った松吉の顔は、笑顔の面をはがしたような、赤黒い怒りの表情に変わっていた。
「分かったわ、おじさん。マイクさんを呼んでからにしましょうね」
やさしく諭す悦子に手を引かれて、松吉はズボンの裾で枯れ始めた芝生を掃きつつ縁側にもどった。冷蔵庫にアイスクリームがあるわよ、という悦子の声に、正史は両手を広げた飛行機の真似をして家に駆け入った。
試運転をあきらめた和夫が芯棒を物置に立てかけていると、悦子が、
「あさってから、またカリフォルニアに行くことにしたわ」
と、屈託のない笑顔で言った。
「まだ早いだろうに」
和夫はこわばりかけた頬を、あわててゆるめた。
「サクラメントのデザインスクールの教師になれたの。昨日通知が来たのよ。やっと、道楽じゃなくて、ほんとの仕事ができそうよ」
悦子の歯は、傾きかけた初秋のよわい陽の下で、不自然なほど白く輝いていた。
「ちょっと待っててくれよ」
和夫は縁側から家に入り、しばらく時間をかせいでから正史を連れて出てきた。そして片足を縁側に引き上げて寝そべっている松吉に、
「今、マイクさんに電話したら、ここまでは体がつらくて来られないから、病院の屋上で見ていますってさ。どうぞ、水車を回して下さいって」
と、大声の嘘《うそ》をついた。腹の底から声を出したので、自分でも本当か嘘か分からなくなった。
松吉はズボンを両手で上げ、よしっ、と立った。
芯棒を通した水車を悦子と二人でかついで烏沢の岸に運んだ。和夫は靴のまま流れに入り、悦子と呼吸を合わせて、いち、に、さん、で支柱に置いた。
「うわー、まわるう」
庭で松吉の横に立つ正史が躍り上がった。
急いで庭にもどった和夫と悦子は、予想していたよりもはるかに力強く回転を始めた水車に、言葉を忘れた。
松吉はもう一度ズボンを引き上げてから、おもむろに水車に向って敬礼した。
「なんとかならないかな」
勢いよく水をはじく水車の回転にせかされて、和夫は悦子を見た。
悦子は拍手している手を休めず、一度だけはっきりと首を振った。長い髪の先はひと揺れもしなかった。
水車に向っての敬礼は松吉の朝の日課になった。早起きになった正史がそのうしろでラジオ体操をしていた。和夫は水汲みオケを取り付けることにも、庭の池づくりにも興味を失っていた。水車だけが、彼の意志とは無関係に勢いよく回り続けていた。
庭に落葉が積もる頃になると、支柱も芯棒も摩滅が進み、気味の悪い音をたててきしむようになった。ロウを塗ると二、三日はやむのだが、夜、この音で目覚めると、和夫は眠れなくなった。蒲団の上に正座し、となりで深い寝息をたてている正史の幼なすぎる顔を見ていると、単調なくせに、哀愁を帯びて奥までよく響く水車のきしみに無性に腹がたってきて、何度叩き壊そうと思ったか知れない。
十月からは院長の香坂に頼んで夜勤をはずしてもらった。正史の保育園の送り迎えと、松吉の食事の用意のためである。
「看護婦の就職希望者は多いんだけどね」
香坂は病棟のナースセンターで、婦長と顔を見合わせながら、抑揚のない声で言った。
平板な水車のきしみは、その日の香坂の声をくり返し再生している壊れたレコードのようにさえ思えてきた。
十二月十日の朝、和夫はいつもどおりに六時に起き、台所に立って朝食の用意を始めた。三人分の卵を焼き上げたとき、サッシ戸を激しく叩く音がした。カーテンを開けると、パジャマの上にヤッケを着込んだ正史が白い息を喉の奥から吐きながら庭を指さしていた。彼の顔は息よりも白かった。
戸を開けると、霜の降りた芝生の上に松吉が倒れ伏していた。はだしで駆け寄ると、マフラーを巻いた首の中の動脈はすでに脈を打っていなかった。松吉の急速に冷えていく首に手をあてたまま呆然と目を上げると、羽根板にまとわりついた氷の重さに耐えかねたのか、芯棒が中心近くでふたつに折れた哀れな水車の姿があった。それは、崩れ落ちた大宮殿のシャンデリアを思わせる荘厳さで、昇りかけた朝陽を反射しつつ静止していた。
周囲が明るすぎるので目をこらしてみると、水車の上にキラキラ光るものが舞っていた。標高の高いこの町では、冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストだった。空気中の水分が凍結してできた微細な光の粒は、いざなうように灰色の空に舞い昇っていた。
すべてのものが凍りついた庭の中で、動くものといえば、無意識に手をつなぎ合った和夫と正史の吐く白い息だけだった。冷え続ける大気は、もうすぐ二人の息も光の粒に変えそうだった。
正史が大きなくしゃみをした。
[#改ページ]
あ と が き
信州の小さな田舎町に住んで十一年になる。ネクタイもせず、サンダル履きで町内の病院に自転車通勤し、冬になれば、これに着古したダウンジャケットをはおるだけの、簡素にして平凡な暮しを続けてきた。
地に足をつけて発言したい。そんな想いが、こんなライフスタイルを選択させた。外面はすでにもどりようのないところまで、地方の生活者として完成させることができたが、内面となると、いまだにつま先を立てたがる自分がある。
小説を書き終えるたびに、そんな自分が顔を出していないかと、心して検証してみる。結局、書く、という行為は、内面の浮き揚がろうとする足を大地につけさせるための作業だったのかも知れない。
今回、思いがけない賞を受賞したが、身についたライフスタイルを変えるつもりはない。足が大地に根づき、厚い岩を割る。そんなところに見えてくる人と風景を書きたいから、今後もおなじようなスロウペースで、足もとを確認しながら書き続けていくつもりである。
この十年、硬すぎる文体しか持たない男の自己検証の作業に根気よくつき合ってもらった「文學界」の編集者諸兄に深謝する。
一九八九年 冬
[#地付き]信州佐久平にて 著者
初出誌
『冬への順応』
「文學界」一九八三年五月号
『長い影』
「文學界」一九八三年八月号
『ワカサギを釣る』
「潭」(六号)一九八六年九月
『ダイヤモンドダスト』
「文學界」一九八八年九月号
単行本 一九八九年二月文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成四年二月十日刊