[#表紙(表紙.jpg)]
付き馬屋おえん暗闇始末
南原幹雄
目 次
第一話 付き馬屋おえん
第二話 爪の代金五十両
第三話 暗闇始末
第四話 鉤縄《かぎなわ》地獄
第五話 かまいたち
第六話 新造《しんぞ》あらし
第七話 首吊《くびつ》り女郎
第八話 はらみ文殊
[#改ページ]
第一話 付き馬屋おえん
かつては、おなじ家の表と裏でべつの商いをしていた。
新吉原《しんよしわら》のとなり町――。天清《てんきよ》、とそめぬいた暖簾《のれん》をだし、掛行灯《かけあんどん》をかかげた天ぷら屋は表通りの角店で、裏は横丁にむいたしもた屋ふうの玄関になっていた。
しもた屋のほうは、暖簾、看板こそだしていなかったが、つい先月までは、れっきとした屋号をもつ商いを張っていたのだ。夕から宵にかけてひっきりなしに客が出入りする表の天ぷら屋にくらべてもおとらぬくらいの稼ぎをあげていた。
「弁天屋さん、仁兵衛《にへえ》さんはおいででしょうか」
この半月ばかり客出入りがほとんどなくなった裏の玄関の格子戸があいたので、おえんは立って行った。
客は、遊女屋か茶屋の番頭のような風情をした男だった。
「お父っつぁんは表の帳場におりますけど、弁天屋のほうは先月で店じまいをいたしましたが……」
おえんが見すかして言うと、
「わたしは、吉原《なか》の藤《ふじ》ノ屋《や》で番頭をしている勘三《かんぞう》という者《もん》ですが、どうしても仁兵衛さんにおたのみしたいことがございまして」
勘三はためらいがちな顔になって、式台ごしに奥をのぞきこんだ。式台は客と用談する六畳間につづいており、そこは天清の料理場と背中あわせになっていた。料理場のむこうが帳場だった。式台から首をのばせば、帳場にすわっている仁兵衛のうしろ姿がみえた。
「でも、お父っつぁんは、そのほうのお仕事ならもうおひき受けしないと言っておりますけど」
「お手間をとらせて申し訳ありませんが、話だけきいていただきたいのでございます。それで駄目ならば、べつの思案をいたします」
娘ざかりでぱっと花が咲きひらいたような見事な器量のおえんにそっけなく言われて、勘三はいっそう下手《したて》にでたのだった。
この手の客は容易なことではひきさがりそうにないとみて、おえんはあっさりと父を呼びに立った。藤ノ屋は京町一丁目の中見世《ちゆうみせ》で、かなりの老舗《しにせ》としてきこえていた。そこの番頭が折入って、と仁兵衛に面会をもとめる以上、用件はきかずともわかっていた。
馬屋、という稼業はひろい江戸のなかで、弁天屋をふくめてもそう何軒もなかった。
江戸で日に千両おちるところといえば、二丁町の芝居町と、吉原のほかはなかったが、『春宵一刻値千金《しゆんしよういつこくあたいせんきん》……』をかえりみず快楽の夢に酔いしれたつけ[#「つけ」に傍点]は、翌朝になれば待ったなしでまわってくる。懐中のものでまかなえぬときは、遊女屋の牛《ぎゆう》(牛太郎)が馬に変じてついてくるが、この付き馬[#「付き馬」に傍点]でさえも取りたてがきかぬときにかぎって、遊女屋や茶屋から、馬屋という専門の取りたて屋に依頼がまわってくるのだ。
吉原へのかよい道、日本堤の南にそう浅草・田町に、大どころの馬屋といわれる越後屋《えちごや》、青柳《あおやぎ》、さらに弁天屋の三軒があった。証文(委任状)をうけとると、馬屋では若い者をつかって、遊客の居所にでむいて談判をおこなう。取りたての方法に馬屋の技術《うで》がかかっていたが、場合によってはかなり荒っぽいやりかたもおこなわれた。取りたてた金の半分は馬屋の手にのこり、あとの半金が依頼主にわたされるのだ。
請け負った仕事はほとんど九分どおり、取りたてられたというから、彼等の辣腕《らつわん》ぶりが想像される。それでいて、過去にいちども馬屋の仕事が公儀《おかみ》に訴えられたことがないのは、馬屋の主人がほとんど岡っ引を兼業していたためだった。十手を持たぬ馬屋としては、ちかごろ弁天屋がただ一軒の異色であった。かつては仁兵衛も岡っ引と二足の草鞋《わらじ》をはいていたが、数年まえに天清の店をだしたとき、十手、捕縄《とりなわ》を返上していたのだった。
左手の山谷堀《さんやぼり》を吉原がよいの猪牙舟《ちよきぶね》が遊客をのせて、さかんにのぼりはじめていた。勘三がおとずれてきた日の夕間暮、おえんは日本堤の土手をあるいて、聖天町《しようでんちよう》の町なみのなかへ入っていった。
このあたりの家なみや町の風物には子供のころから馴染《なじ》んでおり、道筋、まがり角などは横丁、露路にいたるまでそらんじていた。
「とんだじゃじゃ馬にそだちやがったぜ、親のいうことなんざ、耳もかさねえ有様だ」
いまいましげな捨てぜりふでおえんをおくりだした仁兵衛の声が、耳のうちにのこっていた。
「わたしは馬屋の娘ですよ。じゃじゃ馬もしかたないじゃありませんか」
にくまれ口でこたえると、
「だったら、店の若い者をつれていきな」
仁兵衛はあくまでもおえんの身を気づかった。
「お父っつぁんの娘ですから、そんな気づかいは無用ですよ」
ことさら冷淡に振舞って家をでてきたおえんだった。
仁兵衛が馬屋を廃業したのも、よる年波をかんがえたというよりは、跡とりの仁吉《にきち》が父親に似ぬおとなしい気性であったので、それに見きりをつけたのと、馬屋の娘ではおえんによい縁談がもちこまれぬと心配したためだった。仁吉は子供のころからおもいやりのふかい気性で、妹のおえんの目から見ても歯がゆいくらいの若者だった。情無用に有金を吐きださせ、ときには力ずくにうったえても取りたてねばならぬ馬屋には、仁吉はどうみてもむいていなかった。
おえんは、町内きっての器量よし、二丁目小町といわれてそだったわりには縁遠くて、この正月で十九をむかえ、世間で嫁《い》きおくれといわれる年ごろにさしかかっていた。仁兵衛は祖父の代からつづいていた馬屋を廃業し、仁吉に天清の料理場をまかせて、自分もこの月いらい店の帳場にすわっているのだ。
ところが、廃業してまで娘の縁談を気づかった親ごころも、おえんにはいっこうつたわっていないようだった。昼間、おえんは藤ノ屋の勘三が仁兵衛にたのみこんでいる話を、唐紙のむこうで立ち聞いた。仁兵衛が、もう弁天屋は廃業したのだから、とことわりを言っているさなか、おえんはしずかに唐紙をあけて、用談部屋へ入っていった。そして、
「その取りたては、よろしかったらお父っつぁんにかわってわたしにやらせてくれませんか」
あっけにとられている仁兵衛を尻目《しりめ》に言いだしたのだ。唐紙ごしに話をきいて、相手の名を知るにおよび、おえんはどうしても自分がでていかねばおさまらぬ気持にかりたてられたのだった。
聖天社のならびに、この地の名物|米饅頭《よねまんじゆう》を売る鶴屋の看板がみえ、おえんは聖天社と鶴屋のまえをとおりすぎた。聖天社は、以前|許婚《いいなずけ》であった伊之助《いのすけ》とつれだってよくあそびにきたところだった。履物問屋・上州屋は鶴屋の数軒さきにあった。
おえんは上州屋の店のまえで、ちょっと足をとめた。かつて言いかわした仲で、一昨年《おととし》の秋、まるでだましたようなかたちで先方から破談を申しこんできた男をおとずれるには、おえんのようなお侠《きやん》でもそれなりにこころの用意が必要だった。伊之助は上州屋の跡とり息子だった。
縁談がこわれてからも、伊之助の噂はときどき耳にしていた。博奕《ばくち》、借金、女……。いつも伊之助にはよくない噂がつきまとっていた。
おえんは暖簾をくぐって、入っていった。客や顔見知りの店の者がいたが、おえんは見むきもしなかった。つみあげてある各種の草履や雪駄《せつた》、下駄などのあいだをぬけて、まっすぐに帳場へすすんだ。
おえんに気づいている店の者もいたようだが、声をかけてくる者はいなかった。当節はやりの浅葱色《あさぎいろ》の縞《しま》の留袖《とめそで》に、朱色の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をしめ、娘島田に玳瑁《たいまい》の櫛簪《くしかんざし》、華麗|濃艶《のうえん》でこそないが、器量をぞんぶんにひきたてた衣装の着こなしと、あざやかな立居にみなは見とれていた。
「あ、おえんさん」
帳場にはおえんと伊之助とのいきさつをよく知っている番頭がすわっていて、声をあげた。
「番頭さん、ご機嫌うるわしゅうございます」
おえんはにっこり頬笑んだ。思わず相手がつりこまれていきそうになるはなやいだ笑顔だった。
「これは、ほんとにおめずらしい……。おえんさんもお達者な様子でなによりで」
番頭は口のなかでもごもご言いながら、おえんの様子をうかがった。
「上州屋のみなさんも、お達者ですか」
「せっかくお見えいただきましたのに、主人もお内儀《かみ》さんもあいにく他出中でございまして」
番頭は見当はずれな返事をし、
「旦那《だんな》様やお内儀さんには、ご用の節はございません」
にっこりやんわりおえんにきめつけられて、しどろもどろになった。
「それでは……」
「伊之助さんに、ご用がございます。おいででしょうか」
「はい、ただいま……、若旦那は奥にいるとおもいます……」
言いのがれができずに、番頭はこたえたのだった。
「では、ちょっと呼んでいただきましょうか。田町のおえんがきた、とそれだけおつたえになってくださいませ」
隙のないおえんの口上をうけて、早々に帳場をたち、奥へひっこんだ。
「おえんが、いったいおれに何の用があって……」
おえんが招じられた奥の座敷に、そういって伊之助は入ってきた。
おえんはふられた女であり、伊之助は捨てた男である。伊之助は鷹揚《おうよう》な態度でおえんをむかえ、すわりこむなり煙管《きせる》をぬきだし、雁首《がんくび》で煙草盆をひきよせた。田町二丁目と聖天町はほとんどとなり町も同然なので、家のちかくや外出さきで二人が顔を合わせたことは幾度もあったが、正面きって話をするのは二年ぶりのことだった。
「相かわらずおさかんで、ほうぼうでおまえさまの噂をききますが……」
あいさつぬきでおえんのほうから話をむけると、伊之助はやにさがった顔になった。
「おえん、おまえのほうはどうなんだえ。まだ嫁にいったというような話はきいちゃいないが」
おえんの顔や体にいやらしい視線をはわせてきた。まだ自分に気があるとみての、うぬぼれが目尻ににじんでいた。
「他人《ひと》の縁談を心配するよりも、すこしは自分の身のまわりをきれいにしたらいかがですか。あんたがいろいろなところで他人様に迷惑をかけている噂をよくききますよ」
「おいおい、のっけから冗談口はきかねえでもらいてえ、おれがいつ誰に迷惑をかけているというんだね。女だからといって聞きずてにできねえことだってあるぜ」
出鼻をくじかれて伊之助はちょっと色をなしたが、おえんは平然たるものだった。
「そんなことがよくも、しゃあしゃあと」
いいながら、おもむろに懐中へ手を入れた。そしていくつにもおりたたんだ美濃紙《みのがみ》をとりだし、ひろげて伊之助にみせた。
証文
[#ここから3字下げ]
しやう天町上州屋いの助への貸し金、二十一両三分二朱、田町二丁め仁へ衛うち、えん殿に取りたておねがひ申すべく、委細おまかせいたすものなり
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]藤ノ屋うち勘三
読んでいくうちに伊之助の態度はかわっていった。
「おまえ、馬[#「馬」に傍点]んなったんだな……」
うめくように言って、絶句した。
伊之助は、色の白いのっぺりとした顔だちのやさ男である。根はさほどの悪党ではないのだが、すこしばかり女に好かれるあまい顔だちと、跡とり息子を甘やかし放題にそだてた親のしつけのせいで、二十歳まえの年ごろからはやくも世間をみくびってしまった。博奕に手をだし、やくざ者がたむろする賭場《とば》に出入りするようになった。負けがこんでも、店で借金をはらってくれるあいだは、
「若旦那、若旦那」
でやくざからおだてられるので、ついいい気になって、そのうえの遊びをする。気づいたときは、借金はとほうもない額にふくれあがっているが、上州屋の商いが順調なあいだは、父親も意見したあげく、しかたなく商売の金までつぎこんで伊之助の始末をしてやる、といったことを過去いくたびかかさねていた。
親が尻ぬぐいをしてくれているあいだは、まだよかった。けれども博奕の借りばかりは、いきおいとめどなくなるものである。伊之助は身ぢかの者からも手あたりしだいに金を借りだした。
「どうせ、いつかは夫婦になるんだから……」
たのまれて、おえんも父に無心して家の金をかなり用だてた。母のおとよに内緒で、大事にしていた金銀や玳瑁の髪かざり、手道具を金にかえたりした。
上州屋ではそのころ商売までかたむきはじめ、伊之助がおえんの家から金をひきだしているのをうすうす承知でいながら、それを始末できないところへ追いこまれていたのだった。たびかさなる不義理を始末するために、ある日上州屋の主人夫婦がおとずれてきた。
「伊之助を勘当にいたしますから、そちら様さえご承知くださるなら縁談もなかったことに」
と申し入れてきたのである。
仁兵衛夫婦もおえんも伊之助に愛想をつかしていたときだけに、あっさりと申し入れをうけいれた。勘当ということで、すべてが水にながされ、縁談とともに貸した金もうやむやにされた。
ところがあとになって、不快なことがもちあがった。伊之助は半年ばかり親戚《しんせき》に身をよせていたらしいが、その後も勘当されることなく、いつのまにか上州屋にもどって相かわらずの暮しをつづけていたのだった。
「親子の縁まできるってから、縁談も貸し金も水にながしたってのに……。まるでだまされたのとおんなじじゃないか」
おとよはしきりに口惜《くや》しがった。
「だからって、他人の息子の勘当をさいそくするのも穏当じゃねえ。たちなおる見こみのねえ男だが、伊之助の勘当がとけて人別が元にかえったとおもえば、めでたいことじゃねえか」
と仁兵衛がいって、腹の虫をおさめたいきさつがある。
縁談がこわれたとき、おえんは十七だったが、当座のあいだこころの痛手はいやされなかった。すでに一度操をあたえていたことも、おえんの傷をふかいものにしていた。このことがそれ以後のおえんの気性にかなりの影響をおよぼした。縁談が遠のいて、かえってこころが解きほぐれ、気持にもゆとりがうまれた。世間をみる目もひろがった。
以前は家の稼業にひけ目を感じていたものだが、いつしかそんなことも気にならなくなった。まえから、山下|瓦町《かわらまち》の町道場へ長刀《なぎなた》や小太刀の稽古《けいこ》にかよっていたが、そのころからおえんは鉤縄《かぎなわ》の稽古をはじめた。
鉤縄は本来、岡っ引がやる早縄のことで、縄のさきに鉤がついていてその鉤を相手の襟元にひっかけて一本縄でぐるぐる巻きにしばる術である。縄はふつう三尋《みひろ》(およそ三間)のながさである。
おえんは縄のかわりに丈夫な絹糸を何本もより合わせた紐《ひも》にして、携帯に便利な工夫をした。
おえんといくつも年齢のかわらぬ浜蔵という店の若い者を相手に、庭さきで稽古をしては、
「まるで牡《おす》の仔犬《こいぬ》が二匹でじゃれ合っているようじゃねえか。始末におえねえ」
と仁兵衛をなげかせたものである。こんなおえんの姿からは、内にうけた傷のふかさをうかがい知ることはできなかった。
「仁吉とおえんがさかさに生まれてくりゃあよかったのに。女じゃあ、まさか馬屋をつがすわけにはいかねえだろう」
仁吉の気性をかえりみるにつけて、仁兵衛はそういって口惜しがった。
そんなおえんだったが、真似《まね》ごとにせよ、自分が馬屋の仕事に手をそめるようになるとはおもっていなかった。まして父が弁天屋を廃業した今となって、女だてらにやくざまがいの仕事に手をだすなど、そのときまで想像したこともなかったのだ。おえんは証文をもって上州屋にのりこんだ日からつづけざまに五日間、上州屋へかよいつめていた。
「お嬢さん、今日はわたしにお供させてくださいよ」
六日めの朝、おえんが弁天屋の玄関をでてしばらくいったころ、がっちりとした肩はばでこころもち猫背の男が、縞《しま》の着ながしでうしろから声をかけてきた。
「あ、新五郎さん」
おえんはちょっとふりかえって、そのままあるきつづけた。新五郎はながいあいだ弁天屋で仕事をしていた者で、この数年は仁兵衛はほとんど表にでず、新五郎が若い者をつかって馬屋をとりしきっていたのだった。もう五十をいくつかこえた年ごろで、おだやかな顔をした男だったが、馬屋仲間のあいだでは、
『鬼面の新五郎』
とひそかに呼ばれていた。やくざ者を相手に強引なかけひきで金を取りたてたとき、匕首《あいくち》をむけられ、双肌《もろはだ》ぬいで背に彫りこんだ鬼面|夜叉《やしや》をたった一度だけ人前にさらしたことがあった。渾名《あだな》はそのときからのものだった。弁天屋を廃業するにあたって仁兵衛は、店ではたらいていた若い者の身のふりかたをそれぞれきめてやったが、新五郎だけは、
「その気になればどこの馬屋だってつかってくれましょうが、しばらくは遊んでいようと思っています」
と言って仁兵衛の世話をことわった。
「お嬢さん、馬屋に恥や外聞、体裁なんぞは禁物ですよ。これがあるあいだは、馬屋はやれません。あそんだ金を取りたてるんだから、誰にも遠慮はいらねえ道理だ。情容赦なく取りたてるのが、馬屋のこつ[#「こつ」に傍点]です」
ならんであるきながら、新五郎はひとりごとでもいうようにつぶやいた。
「強談しても埒《らち》があかねえときには、五日でも十日でも、一日も欠かさず相手につきまとうんです。ダニのように相手にくらいついてはなれねえ、これが馬屋の常道なんですが、こいつを平気でやれるようになるのは、なかなか大変ですよ」
新五郎がいうのを、おえんはだまってきいていた。
「相手がどこへいくにも、かならずついてまわることが大事です。仕事へいけば、仕事場のちかくで見えがくれに見張ってる。飲み屋へはいれば、ついてはいる。風呂《ふろ》へいけば、でてくるまで銭湯の入口で待っている。相手にとってこれほどこころを圧迫されることはないらしく、よほどの者でもたいてい十日もつづければまいっちまう。どんなことをしても払っちまおうって気持になるもんらしいですよ」
返事はしなかったが、おえんははじめおもっていたよりも手ごわい相手の応対に、昨日でもう根がつきかけ、内心弱気になりかかっていたときだった。
「馬屋なんていやあ、知らねえもんには資本《もとで》いらずのあぶく銭をもうけるやくざ稼業のようにみえるらしいが、そんな安直なもんでもありませんよ。他人《ひと》に知れぬ苦労といやあ、並大抵のもんじゃねえ。想像以上に年季のいる稼業です。わたしは今暇をもてあましているときだから、退屈しのぎに当分お嬢さんにつき合いますよ」
新五郎は、おえんが今日で六日も、伊之助を相手に悪戦苦闘していることを知っているのだった。いささか気の滅入《めい》りかけているおえんには、新五郎の言葉はこころよかった。
「伊之助は、もう上州屋にいないような気がするんだけれど……」
だいぶあるいてから、おえんは問いかけた。
「わたしも、なんだかそんな気がいたしますね。いくら相手がべっぴんの若い女でも、毎日借金取りにいつづけされたんじゃあ、客商売には、さしつかえますからね。上州屋を空けてるかもしれませんよ」
新五郎はおえんの勘に同調してきた。
「なあに、いなくなってもすぐに居どころは知れますよ。弁天屋がちょっと声をかけりゃあ、走りまわってくれる若い者がまだ幾人もおりますからね」
いっているあいだに上州屋の店さきまでやってきた。今あけたばかりらしく、店の者が白い目でおえんをむかえた。
新五郎を外に待たせ、おえんはその刺《とげ》のある視線をはねかえして臆面《おくめん》もなく帳場へすすんだ。
(あ……)
帳場には今日はめずらしく、主人の九兵衛がすわっていた。
おえんは、今日は伊之助がいなかったら、主人の九兵衛から取りたてようかとも道々かんがえていたので、これさいわいと、九兵衛に用件をもちかけた。いちどは自分の舅《しゆうと》になるはずの人だったが、おえんは馬屋の娘らしく、用件だけを申しでた。
「おえんさん、あんたがこのところ毎日のように上州屋へ顔をだしていたのは、わたしも知っておりましたよ。だけど、もう今日でしまいにしてください」
九兵衛も商人らしくいやな顔をおさえて、あいさつぬきで答えてきた。おえんは、九兵衛が息子の借金をかわって払う気になったのだろうと当て推量した。
「伊之助はもうここにはおりません。昨日かぎりで上州屋とはいっさい縁のない者《もん》になりました。親子兄妹の縁をきって、人別もぬきましたので、これからは伊之助のことで上州屋をおたずねくださっても無駄でございます。もしご不審がありましたら、人別帳をおしらべになってごらんなさい」
おえんは九兵衛の言葉で、いきなり頭を殴りつけられたような気持におそわれた。伊之助がいないかもしれぬと推量した勘は図星だったのだ。
九兵衛はそれだけいうと、あとはどんな話にも応ずる様子をみせなかった。二年まえの九兵衛の因業なやり口をおもいかえしながら、おえんはもうこの男を相手にしても無駄だとかんがえた。こうなったからには、伊之助本人をとことん追いかけ、追いつめていくほかはない、とかえって敵意をかきたてられて店をでてきた。
「やっぱり九兵衛は下司《げす》な手をうってきましたか。そんな気がしないでもなかったが……」
新五郎は意外でない様子だった。
「いざとなりゃあ、上州屋の商売|物《もん》をぜんぶおさえちまえばけり[#「けり」に傍点]はつくとふんでいたが、人別をぬいたとなりゃあ、そうしたこともできねえ理屈だ。こうなれば、人手をつかって伊之助の居どころをつきとめるのが、さしあたっての仕事になってきた」
新五郎はぬけめなくその手をうっていくために、おえんをうながして弁天屋へひきかえした。
「縁がつながっていてこそ、上州屋の店さきに若い者をたむろさせておどすなり、看板や暖簾《のれん》をひっぱがして持ちさるなり、いろいろいためつける方法《て》はあるんだが……。上州屋がそうまでしたのは、吉原《なか》の藤ノ屋ばかりでなく、ほうぼうで伊之助がつくった借金でまた首がまわらなくなったんだろう。今度はほんとに、伊之助を勘当にしたんでしょう」
道々、おえんにいった。
藤ノ屋は、仲ノ町にある秋葉常灯明《あきはじようとうみよう》を右にまがった京町一丁目の中ほどにあった。
中見世だから、入口は半籬《はんまがき》で、片方は上まで格子がくまれているが、その片方は半分しか格子がない。惣籬《そうまがき》の大見世よりは一段下の格式なのである。
おえんが藤ノ屋をおとずれたのは、まだ昼見世がはじまるまえの四つ半(午前十一時)ごろだったので、遊女屋としてはいちばんのんびりとした時間だった。
遊女たちは四つ(午前十時)ごろおきだし、振袖新造《ふりそでしんぞ》たちが拭《ふ》き掃除をはじめる。遊女は湯にはいり、食事をしたのち、化粧にかかる。四つ半といえば、だいたい彼女たちが雑談したり、手紙《ふみ》など書いたりしている時間だった。貸本屋が絵草紙類をもってきたり、文づかいやら髪ゆいがまわってくるのも、この時刻だった。
半分まきあげた暖簾をくぐって、おえんがひろい上り口にたって声をかけると、四十なかばの遣《や》り手《て》がでてきた。番頭の勘三は夕方でなければ見世《みせ》にはでてこないので、おえんは遣り手に用むきをはなした。
遣り手はすぐに合点して、
「花紫だったら部屋におりますから、お上りなさい」
とおえんをうながした。
花紫は※[#入り山形の一つ星(fig1.jpg)](入り山形の一つ星)昼三《ちゆうさん》とよばれる中見世では最高級の遊女だから、自分の起居する部屋と、客をむかえる座敷をもっている。新吉原のとなり町でうまれてそだったおえんであるが、遊女の部屋へはいるのははじめてだった。伊之助などは今はなにほどにもおもってない男だったが、そやつのなじみの遊女となると、見るまでは不思議におだやかでない気持がした。
床の間には掛け軸と、小菊をいけた花さしがあった。部屋のなかは蒔絵《まきえ》、金具をうったかさね箪笥《だんす》と長持箪笥、二つ枕と飾り夜具、右に黒塗り蒔絵の鏡台、左に屏風《びようぶ》と琴をたてかけてある。華美な諸道具類にかこまれるようにして、花紫は鏡台のまえで化粧にとりかかっているところだった。全盛の遊女らしく、二十一二の年ごろとおもわれたが、女が見てもおもわずため息がもれそうなほど器量のすぐれた遊女であった。ただ顔色はあまりすぐれず、そのため顔にややさびしげな翳《かげ》が感じられた。
女の客は不得手らしく、花紫はおずおずとおえんをむかえたが、用件が伊之助のことだとわかると、いっそう身のおき場のない様子になった。
「おえんさん、この妓《こ》はね、今が全盛だったのに、ずいぶん運がわるいおいらんなんですよ。伊之助だなんてつまらない男にひっかかって、まんまとだまされちまった」
「おつねさん……」
花紫は遣り手の名をいって制しようとしたが、おつねはだまらなかった。
「伊之助が花紫のなじみになってからもう一年以上もたつんですが、あの男はこの妓に惚《ほ》れたふりをして、自分は上州屋の跡とりだから店をついだらおまえを身請けするの、なんのとうまい嘘をついたんですよ。それに数日おきに通いつめてきたものだから、はじめのうちは見世でもいい客だった。ところが、おいらんがしだいに情をうつして、身請けのはなしも真にうけてきた今年のはじめころから、揚代をもたずに見世へあがるような不埒《ふらち》な客になったんです。それを見世にかくしていたおいらんの料簡《りようけん》もわるかった」
「おつねさん、そのことはもう……。遊女のくせにだまされていたわたしのほうが悪かったんです」
花紫はつらそうに白い面を伏せた。
「跡をつぐまでは上州屋の金もままにはできぬが、そのうちにはきっときれいにするから、といっておいらんからずっと金をひきだしていたんですよ。おいらんも遊女にあるまじき不料簡と不見識だが、それ以上に伊之助のだましかたがうまかった。おかしい、とあたしがようやく気づいて、せんだって番頭さんにうちあけて伊之助をつきだし[#「つきだし」に傍点]にしました。けれどもそのときには、伊之助がおいらんからひきだした金がなんとおよそ三十両。そのうえ見世への借りが二十一両三分二朱になっていたという具合です」
「まあ」
「人をつかってしらべてみると、どうやら上州屋でも跡とりの伊之助には見きりをつけたようなんですよ。伊之助のすぐ下の妹がしっかりしているのを見こんで、これに婿をとって店をつがせる算段をしてるらしい、と聞きこんできましてね」
伊之助が勘当されたことを、おつねはまだ知らぬようだった。が、きいているうちに、おえんは花紫を他人《ひと》ごとでなくおもえてきて、伊之助へのあらたな憎しみがかきたてられた。
「勘三さんからきけなかったくわしい事情《わけ》がわかって、わたしもどうしても伊之助をゆるしておけなくなりました」
おえんがため息まじりにいった。
「見世とお客の貸し借りだから、公儀《おかみ》にうったえでてお縄にしてもらえないのが、口惜《くや》しいくらいなんですよ。なんとしても伊之助をひっつかまえて、せめて見世の貸しだけでも取りかえしてくださいな。このままではとても腹の虫がおさまりませんよ。おいらんがだまされて取られた金は、今となってはどうする術《すべ》もありません。おいらんの不始末でもあるんだから、身からでた錆《さび》と泣き寝入りするほかはないんですよ。おいらんも体がよわいところへもって、見世への借金《かり》がこれでまた大きくふえちまったというわけです」
おつねは口惜しさにあふれた言葉をつづけた。
体がわるいときいて、おえんははじめて花紫をみたときの、顔色のすぐれぬ様子や、美貌《びぼう》のなかにただよう翳のようなものが、腑《ふ》におちた。贅《ぜい》をつくした諸道具のなかにかこまれていながら、今が全盛の遊女らしい華やいだ雰囲気がないのはそのためだった。
(いくら売りもの、買いものの遊女でも、病の女をだますなんて)
怒りをいだいて、おえんは藤ノ屋をでた。
仲ノ町の通りにでて、大門《おおもん》のほうへもどってきて、江戸町のちかくでおえんは足をとめた。時ならぬ人の賑《にぎわ》いがきこえてきたのだ。
なんとなく妙な気がしたものだから、おえんは四辻《よつつじ》のあたりから江戸町一丁目のほうへ半丁ばかりそれてみた。人だかりがしているのは、惣半籬(半籬よりさらに格式がさがる)の小見世の入口だった。丸に卍《まんじ》のしるしを染めぬいた暖簾の奥へ野次馬たちの視線がそそがれていた。
「卍楼の遊女が昨夜《ゆうべ》からいつづけしていた客と相対死《あいたいじに》(心中)をはかったそうだ」
地廻《じまわ》りのような者が言った。
「男が女の首をしめ、そのあと自分の喉《のど》を短刀で突いたらしいんです。おいらんは玉里といい、客は日本橋のほうの番頭らしい」
「二人とも死んだんですかね」
「今さっき医者がよばれて入っていきましたが、女は息を吹きかえしたらしいんですよ。男のほうはどうかわかりません」
「どっちが生きたにしろ、死んだにしろ、相対死の仕損じほど無惨なものはないからね。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏……」
昼見世の客や茶屋、遊女屋の若い者、地廻りなどが好奇心なかばでがやがやとさわぎたっていた。なかには合掌をしている者もいた。
おえんは縁起のわるいところへ出くわしてしまったとかんがえて、早々にきびすをかえしていった。野次馬たちもいうように、相対死ほど悲惨なものはないのだった。両人死におおせたとしても、死骸《しがい》は縁者にひきわたされることなくうち捨てにされ、したがって葬儀も埋葬もゆるされないし、もし仕損じて生きのこったとしても極刑は免れないのだ。
「お嬢さん、伊之助の居どころをようやくつきとめましたよ」
おえんが弁天屋へもどってくると、用談部屋へ新五郎がきて待っていた。新五郎はこのところくたびれがみえてきたおえんの顔をみて、にこりと微笑《わら》いかけた。
「そうですか、伊之助の消息がわかりましたか」
おえんもつられて微笑いかえそうとしたが、顔がこわばっただけだった。
「伊之助のやつはね、転々と居場所をかえてたくみに姿をくらましていたんですよ。若い者がさがしまわってようやく嗅ぎつけると、すぐに消えちまう。また必死に嗅ぎまわって、なんとかつきとめたところで、また逃げられちまう。こいつを三度、四度と繰りかえして、ようやくみつけたんです」
おえんが伊之助を追いかけはじめて、もう半月ちかくがたっていた。そのあいだ、おえんも新五郎まかせにはしないで、自分でも伊之助のあとを追いつづけていたのだった。
「浅草寺《せんそうじ》の西の方にいくつも寺がありますが、そのなかに元、浄土宗の寺だった竜泉寺って破《や》れ寺《でら》があります。無住になって年ひさしく、今はやくざや無頼漢《ごろつき》なんかがいついちまって賭場《とば》がわりにしているんですが、伊之助はせんだってからその破れ寺に住みついて、博奕場《ばくちば》の下ばたらきのようなことをしてるんですよ。浜蔵が今日、はっきりとたしかめてきましたし、先方に気づかれていないんで、今度は逃げられる心配もありません」
「わりあい近まにいたんですね」
「このちかくを、まめに逃げあるいていたんで、なかなかつかまえることができなかったんです。今度はわたしも伊之助が出入りするところを見とどけてきましたんで、間違いはありません。当分あの寺をうごく気づかいはないでしょう」
「ほんとうに、ありがとうございました。新五郎さんにもおもいのほかのご迷惑をかけてしまったうえに、浜蔵にもひとかたならぬ面倒をかけちまいました。わたしひとりだったら、とても伊之助をみつけることはできなかったでしょう」
浜蔵は十四五の年からずっと弁天屋ではたらいてきたが、つい先月からおなじ田町の馬屋・青柳にうつっている若い者だった。父親は前科者だが、当人は道にそれず、稼業にうちこみ、おえんとはわりあいに気が合った。
「なあに、わたしにすれば暇つぶし、浜蔵だっておなじ馬の仕事をするんなら、弁天屋の仕事のほうがしがいがありますでしょう」
「みんなのおこころづかいが、身にしみます」
おえんはしおらしく礼をいったが、
「けど、まだ伊之助の居どころがみつかっただけですから、お嬢さん、ほんとうの仕事はこれからですよ。伊之助って男ははじめにかんがえていた以上にひと筋縄の男《もん》じゃないし、いく度も住み家を追われているうちに、自棄《やけ》になって気持もすさんでいますから、十分注意をなすってください。わたしもお手つだいをつづけますが、お嬢さんもここまできたからには、腰をすえて取りたてにかかってください。ここで取りにがしちゃあ、馬屋の恥っさらしだ。けれどもこのやっかいな仕事をのりきれば、お嬢さんも一丁前の馬屋になれますよ」
かえって新五郎に釘《くぎ》をさされた。
間ぢかでみると、男の顔には血の色がすけてみえた。
元来肌の色は白いほうだったので、いっそう皮膚が染まったような淡い紅色にみえた。とくに唇は紅をぬったようなあざやかな色だった。こころなしか、以前よりも頬や首のまわりに肉がついたような感じである。
おえんは、唇の色に気味わるさを感じていた。その唇をかすかにゆがめて、伊之助はちかづいてきた。
おえんは障子を背にしており、そのうしろは神田川だった。柳橋の舟宿・小松屋の二階座敷に、おえんはいるのだった。前が座敷の出入口になっており、逃げ道をふさぐように、伊之助がすわっていた。
「おえん、おまえのしつこさには根負けしたよ。ああまで追いかけられては、おれも逃げ場がなくなっちまった。おまえがこんなダニのような女だったとは、うかつながらしらなかったぜ」
伊之助は竜泉寺にまでのりこんできたおえんの掛け合いに負けて、とうとう二十一両三分二朱、耳をそろえて支払うことをついせんだって約束したのだった。ほうぼう逃げあるいたあげくそのときはもう辛抱と根をうしなっていたようだった。この舟宿におえんが単身で金をうけ取りにくるよう伊之助は言ったのだ。
「おれは体が以前のようじゃないんでな。おまえとの追いかけっこもくたびれちまったんだ。金はきっちり耳をそろえてもってきたぜ」
「それは結構でございました。さっそくいただかせてもらいましょうか」
金の出所におえんは不審をおぼえたが、馬屋にはそのせんさくは無用であった。万一盗んできた金であれ、女からだましとった金であれ、詮議《せんぎ》はいらなかった。
「ま、以前のいいなずけと二年ぶりにふたりだけになったんだ。そう金のさいそくばかりでは色気がなかろうぜ。せっかくの舟宿の座敷だ、もっとほかの話もあろうじゃないか」
伊之助はややくたびれた八丈の下着にかわり縞《じま》といった派手な装《なり》で、はこばれてきた蝶足膳《ちようあしぜん》から銚子《ちようし》をとりあげた。
「約束どおり、わたしはたったひとりでここへきたんです。おまえさまも出すものはいや味なく出したらどうです。金子《きんす》のうけ取り以外にわたしは用はございません」
「おまえのほうになくったって……、これだけの金をあつめるのに、おれがどれだけの苦労をしたとおもうんだね。とてもただじゃあわたせねえ」
口に盃《さかずき》をはこびながら伊之助はいいだした。にごった目の色、口もとにはいやしい本性がのぞきはじめた。
「それでは、ちと約束がちがうじゃあありませんか。どうせまともにつくった金でないことはわかってますが、そのためにどんな苦労をしようと、わたしの知ったことじゃありませんよ」
ここで弱みをみせたら、とことん伊之助につけこまれることがわかっていたので、おえんは気丈にいった。むろん舟宿で男とふたりきりになるには、それなりの危険がともなうことは承知していた。運がわるければおそいかかられることも覚悟のうえだった。けれどもそれをおそれて用心棒などつれていっては、伊之助が約束を反故《ほご》にしてくることは目にみえていた。おえんは馬屋の意地をかけて、ここまで体をはこんだのだ。
「おまえはなにもかも見とおしているようだな。おまえは花紫にも会っているんだから、今さらかくすこともねえわけだ。おまえの推量どおり、今日の金も、花紫がなけなしのたくわえをはたいた金だ。おまえが躍起になって取りたてたとはいうものの、なんのことはねえ、花紫の金がまわりまわって藤ノ屋へわたるだけのことなんだ」
そうあってほしくないとおもっていたことが伊之助の口からかたられて、おえんは打ちのめされたような衝撃をうけていた。今までさんざ伊之助にだまされしゃぶられつづけてきた花紫がまだ男と切れていなかったことが、おえんには驚きだった。
「おまえには、そうした男と女のかかわりや、こころのうちがわかるめえ。おれはおまえから追いまくられていたあいだも、吉原《なか》の裏茶屋でかくれて花紫と逢っていたんだぜ」
勝ちほこったような伊之助の言葉が、錐《きり》をもみこむようにおえんの胸につきささってきた。
(なんで……?)
おえんはこころのなかで、必死に花紫に問うていた。おえんには、そうした男と女のことはまだ不可解な謎だった。とつぜん暗闇のなかに足をふみだし、視界をとざされてしまったように途方にくれた。
「女だてらにがつがつと金に目の色をかえてばかりいたんじゃあ、みっともねえ。たまには、若い娘らしくしおらしいところを見せたらどうだね」
さすが伊之助は女にかけては百戦のつわ者だった。おえんの気持のうごきはくまなくみてとっていた。そのこころのひるみと隙をついて、ふたつの膳のあいだをすりぬけて、一気にちかよってきた。
おえんはおもわず後ずさったが、すぐうしろは障子だった。
手をのばせば容易に抱きすくめられる距離だが、伊之助はすぐにはそうしなかった。
「以前もおまえは、いやだいやだと手を焼かせたあげく、しまいには、おれの言いなりになったじゃねえか。今回だって、きっとご同様になるぜ」
いいながら伊之助はもてあそぶようにおえんの右手をかるくとった。娘ながらもかなり護身のこころえもあるだけに、きき腕だけは用心しなければならなかったのだ。おえんは身をかたくしてややのけぞらしたが、手をふりはなすことはできなかった。二十一両三分二朱、たとえ花紫からでた金であろうとも、うけ取らぬうえは、あまり邪険にできなかった。
「おれと許婚《いいなずけ》だったのは、おまえが十七の年齢《とし》までだったな。それからの二年は娘ざかりの年月だ。おまえほどの女なら、まわりの男がどうでもほうってはおくめえ。二度や三度は、どうせ誰かに抱かれただろう」
不埒《ふらち》なことを口にしながら、伊之助はあいているほうの右手をそっとおえんの背にまわしてきた。おもわず体がぴくっとふるえたが、さほど力はくわえていないとおもわれるのに、おえんは男の懐にかかえこまれていった。
「なにをするんです」
おえんはおしかえそうとしたが、男の体は片手だけではささえきれなかった。かえってずるずるといっそうふかく抱かれてしまった。
「大声をだせば、おまえの恥になるだけだぜ。舟宿の客はみなこうしたことをしにくるもんだ。さけんでも、宿の女将《おかみ》だって、女中だってたすけには来ちゃくれまいよ。あばれれば、おもしろがって、戸襖《とぶすま》のむこうで皆してのぞき見をするくらいが関の山さ」
おえんは右手をふりほどこうとして、反対に身八つ口から腋《わき》のあたりに手を入れられてしまった。
「いやですよ。いやですったら」
男の手が腋からのびて乳房をやんわりとつかまれたとき、もうだめかと思いつつもあらがった。
「いくらあばれたって、泣いたって、もうかなわねえから観念しなよ。いい年をして野暮な娘だ」
耳のそばでささやきながら、伊之助は乳房をゆっくりと揉《も》みまわし、指さきと手のひらでやわらかで弾みのある感触をたのしみはじめた。
力をだそうにもおえんは身うごきがとれなかった。長刀《なぎなた》や小太刀のこころえはまるで役にたたなかった。慣れた手順であらがいを封じこまれて、逃げみちを断たれていた。うごけばうごくだけ、裾《すそ》のほうで着物や下着がはだけてしまい、脛《はぎ》や臑《すね》まであらわにされた。
「なにも大層なことをするわけじゃねえ。二年まえにおしえてやったことの繰りかえしだよ。しずかにしていな」
すっかり伊之助は調子づいて、もう一方の乳房に手をのばして思うさまなことをしはじめた。
「乳首もまだちいさくて、おれのほかには吸われていねえようだ。もったいねえ」
乳首をさまざまにいじりながら、はじめておえんの右手をはなし、そのまま帯紐《おびひも》の端に手をかけてきた。
「いや……」
うわずった声でおえんがいうと、
「ここがいやなら、となりの座敷に床がとってある。なんだったら、むこうへはこんでいってやろうか」
いいつつ伊之助は帯の結びめをといていった。
帯をときほどかれて、おえんはあおむけに畳のうえへたおされた。男の体のおもみをまともにうけて、組みしかれてゆき、両膝《りようひざ》のあいだをこじあけられた。
ちいさな悲鳴をあげて下から伊之助を見あげると、これまた上からおえんの顔にのぞき入っていた男と眸《め》が合った。勝ちほこったような男の視線に負けて、おえんはたまらず顔をそむけた。障子から入る外の光がまぶしすぎたのだ。
夕陽の光がふりそそぐなかで、血のように赤い伊之助の唇がちかづいてきた。いやいやをし、首をふってさけようとしたが、しっかりと両手で顔をはさみつけられてしまった。
伊之助の息もかなり荒くなっている。男の顔がまぢかにせまった。もうだめ……そうおもったとき、しかし妙な感じになった。
(…………)
見ると、男の顔はなにやら苦しそうな表情になっており、さらに苦悶《くもん》の色にかわっていく。そしておえんをつかまえた伊之助の手から、しだいに力がぬけていった。
「うっ、うっ、うおっ……」
伊之助は嘔吐《おうと》におそわれたようにはげしくむせ、咳《せき》こみながらおえんのかたわらにくずおれていった。
「お嬢さん」
数瞬、呆然《ぼうぜん》となったおえんの足もとのほうで、そのとき声がして、襖があき、となりの部屋からゆっくりと男がはいってきた。
新五郎だとわかって、おえんはそのときやっと体中にはりつめていたものが足さきからぬけていった。
「この野郎! 伊之助め、よくもお嬢さんにこんな……」
うつ伏せになって、少量の血を吐いて咳こんでいる伊之助の襟首を新五郎がつかまえているのをみて、おえんはようやくおきあがった。
「お嬢さんのあとをつけていたんです。あぶなくなったらすぐに飛びだすつもりだったんですが」
伊之助を引きすえてから、新五郎はおえんにあやまった。
「まあっ、それじゃあ襖のすき間からずっと見ていたんですか」
おえんはそのときあわてて身づくろいにかかっていた。
「すぐ出ようとしたんですが、お嬢さんのぬればについみとれちまいまして、すいません」
新五郎がにやにやしながら言うと、
「新五郎さん、ひどいじゃないか、ばか、ばか」
おえんはおもわず真っ赤になって、新五郎の着物の胸もとをつかまえてはげしく揺すぶった。
伊之助が死んだのは、おえんが二十一両三分二朱、小松屋の二階でそっくりまきあげた日から数日後のことだった。しかも尋常な死にかたではなかった。
それを知らせにきたのは、浜蔵だった。浜蔵は、おえんの手下になって金の取りたてにはたらいていたことが青柳に知れ、わずか半月ほどいただけで店を馘《くび》になり、それをいいことにずるずると弁天屋に出入りをつづけていたのだった。
「伊之助がね、昨夜《ゆうべ》、大川橋から身を投げて死にましたよ」
朝も六つ半(七時)ごろ、弁天屋にかけこんできて、神棚に灯明をあげていたおえんにいったのだった。
「え!」
おえんは顔をあげて浜蔵に見入った。
「浜蔵、かついでいるんじゃないだろうね」
いいながらも、おえんの顔はにわかにこわばっていった。手がふるえ、立てようとしていた灯明の火がゆれて消えた。
「こんなことで冗談はいえませんよ。伊之助の死骸《しがい》が明けがた、御蔵《おくら》の首尾の松[#「首尾の松」に傍点]の岸べりにひっかかっているのを船頭がみつけて引きあげたんですが、水をたらふくのんでいて息を吹きかえす見込みは、まるでなかったそうです。昨夜|子《ね》の刻ごろ、大川橋のちかくで大きな水音をきいた者が二三人いて、死骸に傷もなく、町奉行所《ばんしよ》でも覚悟の身投げだと見ているようです」
おえんは浜蔵の言葉をききながら声もなかった。
「死骸は町奉行所から上州屋へひきとられました。死んでから九兵衛は伊之助の勘当を解いたんでしょう。でなければ上州屋の墓に伊之助を葬ることはできませんからね。わたしも上州屋をのぞいてきましたが、九兵衛のなげきは大変なもんでしたよ。勘当はしても、内心じゃあ出来のわるい息子を不憫《ふびん》がっていたんでしょう」
しんみりした口調でいった。
「身投げの原因《もと》はなんなのでしょうかね」
それがおえんのもっとも気がかりなところだった。おえんのせいではないにしても、後味のわるい思いにかられたのだ。
「そいつはよくわかりませんね。勘当されて自棄《やけ》をおこしたんだという者もいるし、博奕《ばくち》の負けで身うごきがとれなくなったあげくのこととも、病のせいだとも、いろんなことがいわれてますよ。伊之助は自分ではかくしてたらしいが、労咳《ろうがい》(肺結核)もちだったそうじゃないですか」
「そう……」
おえんは柳橋の小松屋で伊之助にいどまれたときの異様に紅《あか》い唇と、血を吐きながら咳こんでぐったりとなったことがおもいだされた。労咳、という死の病がもつ不気味な言葉のひびきが改めておえんの胸裡《きようり》につきささった。
伊之助がある時期から博奕と遊びの世界に身をしずめていった理由《わけ》はそのへんにあったのだろうか。甘やかし放題に息子のわがままをゆるし、伊之助を廃して妹に上州屋をつがせるようにしたのも、伊之助の放蕩《ほうとう》が原因ではなく、病気のせいだったのかもしれない。
「お嬢さんにはあまりおきかせしたくはないんですが、どうせお耳にはいることですから言ってしまいますと、上州屋の九兵衛は、伊之助が死んだのはお嬢さんのせいだといっていますよ。お嬢さんが毎日毎晩金の居さいそくをしてあんなにひどく責めたてなければ、伊之助も身なげまではしなかったろうとね。かりにも以前|許婚《いいなずけ》だった男を責めころしちまうなんて、情しらず、鬼女だ、とまでいいふらしているんです」
浜蔵はおえんの顔色を気にしながら言った。
「まあ」
おえんは言葉をうしない、蒼《あお》ざめていった。
「九兵衛のいうことを信用する者ばかりじゃあないでしょうが、九兵衛に同情している者もかなりいますから、なかにはほんとうにお嬢さんを鬼女だとおもう者もいないとはいえませんよ」
「ひどいことを……」
悪寒のようにつめたいものが背筋をはいあがってきて、おえんは怒りで体がふるえた。
「息子に身投げをされた親の気持もわかりますけど、あまりな言い草にわたしもかっとしました。でも今もめごとをおこすのはまずいんで、我慢してかえってきたんです」
浜蔵もくやしそうだった。
「浜蔵にも気の毒な思いをさせちまったね」
「でもお嬢さん、昔伊之助とどんな間柄だったかはべつとして、まちがっても伊之助の葬儀《とむらい》へいったりしないでくださいね。葬儀は上州屋でだすようですが、いけば、逆恨みからどんな仕うちをうけるかわかりませんよ」
浜蔵はそれが心配な様子だった。おえんの気持に釘《くぎ》をさすつもりでいったのだ。
「誰がいくもんかね、そんなところへ」
おえんははげしく言ったが、自分の気持はおさまらなかった。
「もしかしたら、九兵衛のやつは弁天屋の大旦那《おおだんな》かお嬢さんのところへ文句をいいに押しかけてくるかもしれません。そんな気がしますよ」
翌々日、おえんはふたたび吉原の大門をくぐりぬけた。
伊之助の葬儀は昨日おわっていた。浜蔵が心配していた九兵衛が押しかけてくる様子もなく、この一件は葬儀とともに落着したとおもわれた。
おえんは花紫のことがまえから気にかかっており、伊之助から取りかえした二十一両三分二朱のうち半分は藤ノ屋におさめて、のこりの半金を懐にして、吉原に花紫をおとずれたのだった。時刻《とき》はやはり四つ半ごろだった。
藤ノ屋の籬《まがき》をくぐると、おつねが外出《そとで》のしたくをした恰好《かつこう》ででてきた。
「花紫さんに、お目にかかれますか」
おえんがいうと、おつねは困った顔になった。
「具合でもいけないんでしょうか」
目ざとく察してきくと、
「おいらんは、四五日まえから箕輪《みのわ》の寮へいっております……」
おつねらしくもなく、まごまごした様子でこたえたのだ。箕輪には吉原の寮があり、はやっている遊女が妊娠したり病気になると、ここへやって療養させたりするのである。
「だったら箕輪へいけば、おいらんに会えますね」
これで、おつねはやや観念した顔になった。
「おえんさんだから言っちまうけど、これはきっと内緒にしてくださいよ」
と念をおしてから、
「今からわたしも寮へいくところだけれど、じつはおいらんは、もうこの世の人ではありません」
生真面目な口調になって、小声でいった。
「えっ?」
「一昨々日《さきおととい》、おいらんは寮で首を吊《つ》ったんですよ」
「まあ……」
「新造《しんぞ》をひとりつけておいたんですが、その目をぬすんで、夜中、納戸の梁《はり》に扱《しご》きをたらして、首を吊ったんです。ちょっとこみいった事情《わけ》があって、仏はまだ寮にいるんです。これから葬儀をするために寮へいきますので、さしつかえなかったら、一緒にいってくれますか。身寄りのない野辺おくりなんで、もしおえんさんがきてくれてお線香の一本もたててくれれば、仏もよろこぶでしょう」
一昨々日の夜中の首吊りなら、伊之助の水死体があがった日とおなじではないか。おえんはおつねの申し出を承知して、つれだって藤ノ屋をでていった。
田圃《たんぼ》のなかの日本堤を半里ほど西へあるくと、奥州道裏道と交差し、そこが箕輪だった。ちかくにある家といえば、いずれも妾宅《しようたく》ふうのつくりばかりだった。
花紫の亡骸《なきがら》は、縁側から富士山がみえる南むきの日あたりのよい部屋におかれていた。首吊りとなれば、町奉行所の検死はまぬがれない。埋葬がおくれたのは、町奉行所への報告《しらせ》が半日おくれたために検死に手間どったからだった。
亡骸は莞莚《むしろ》に寝かされ、さかさまに屏風《びようぶ》がたてられ、枕頭《ちんとう》の卓には臭気を消す香が焚《た》かれており、寮のちかくにある投げこみ寺[#「投げこみ寺」に傍点]とよばれる浄閑寺から伽憎《とぎそう》がひとりだけきて、枕経《まくらぎよう》をあげていた。ほかには、藤ノ屋の主人と内儀、花紫についてきていた新造がひとりいるだけだった。
おえんは線香をあげてから、奥の間にさがり、
「おいらんが首を吊ったのは一昨々日の夜中といいますが、もしや子の刻ごろじゃなかったでしょうか」
とおつねにきいた。
おつねは、しかたない、といった顔になり、
「おえんさんにはいろいろ事情《わけ》を知られているから言ってしまうとね、おいらんは相対死《あいたいじに》をしたんです。日にち刻限をかたく約束したうえで、男とはべつべつのところで、おもいおもいに死んだんですよ。おいらんが遺書《かきおき》をのこしていましたので、あとになってそれがわかりました」
「そうでしたか」
「相手は伊之助でした。おたがいに労咳もちだったことから、ふかくなって、つきだし[#「つきだし」に傍点]になってからもおいらんは裏茶屋などで、かくれて伊之助に逢《あ》うのをやめてなかったようですよ。けれども最後《しまい》には二人とも行く末をはかなんで、こうしたことを覚悟したんでしょう」
おつねも今回ばかりは気がとがめてか、伊之助のことをさまで悪しざまにはいわなかった。
「めずらしい相対死ですね……」
「遺書はすぐに燃やしてしまったから、表むきはただの病死ということでおさまりました。心中となると、なんやかやと大変やかましいことになりますからね。藤ノ屋にだってお取りしらべがくるだろうし、二三日は店をしめることになるでしょう。町奉行所でもなんとなくおかしいと感づいたようですが、証拠がなにもないものだから、お咎《とが》めはありませんでした。その筋の者をとおして穏便なはからいをおねがいしたのもよかったのでしょう。おいらんが労咳だったので、あまりふかくせんさくもされずに済んだんです」
「そうですか……」
葬儀《とむらい》がはじまり、花紫は死装束を着せられ、数珠をもたされて、早桶《はやおけ》に入れられた。六道銭、杖《つえ》、草鞋《わらじ》、脚絆《きやはん》がおさめられて、桶は釘づけにされた。
釘を打ちつけるいやな音をききながら、
「これはすこしばかりのものですが、おいらんの菩提《ぼだい》供養にしてください」
おえんはのし[#「のし」に傍点]につつんだ供養料をそっとさしだした。おつねはいったん受けとりはしたものの、その額のあまりの多さにおどろいた。
「いけませんよ、おえんさん。いくらなんでもこんなに多くはいただかれません」
のし包みをおしもどした。
「じつは伊之助からとりたてた半金、おいらんにおかえしするつもりで、今日もってきたんです。それがとんだ供養料になってしまいました。わたしの気持ですから、おさめてください」
「それではおえんさんの商売が無駄になってしまうでしょう」
「このぶんなら、べつのところから取りたてる算段があるんです」
おえんは、もう一度おつねの手にのし包みをかえしたのだった。
旬日後の江戸は、嵐だった。
昼をすぎたころから、町はにわかに闇におおわれ、風雨がはげしくなり、雷鳴がとどろきわたり、稲妻が天をきり裂いた。町の人通りはたえ、商家もみな店をとじてしまった。夕、宵……とはげしさを増し、豪雨は翌日までもちこした。
二日つづきの大雨は、夕刻になってようやくやみ、宵には澄みきった色の月が江戸の空にかかった。
冴《さ》えわたる月光の下、一丁の町駕籠《まちかご》が、雨にあらわれた聖天町の町なみのなかへ入ってきて、大戸をおろした上州屋のまえでとまった。嵐のすぎさった宵のこととて、町はもう寝しずまっていた。
ゆっくりと駕籠をおりたったのは、夜目にもあざやかな縞《しま》の留袖《とめそで》、色ちがいの呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をやや胸高にしめたおえんである。空駕籠が酒手をもらってたち去ると、それまで後をしたうように駕籠をつけていた二つの人影が店さきの物陰に姿を消した。
「上州屋さん、上州屋さん、夜分、おそくに相すいません。江口作左衛門から申しつかってまいりました」
おえんは戸をたたいて、そう呼んだ。
ややあってから大戸の脇の袖口があいたのは、聖天町の町名主の名をつかったからである。
心張棒をはずして立った店の手代は、おえんの姿を見ておどろいたが、
「江口さまのご用件を、ご主人さまにおつたえにまいりました。もうおやすみならば、お寝間へうかがわせてもらいます」
おえんの気魄《きはく》に負けて、やすやすと店のなかに入りこまれてしまった。
おえんは勝手知った店のなかをすすんで、奥の寝間へとおっていった。
寝間の丸行灯《まるあんどん》には明りがはいり、九兵衛はあわただしく夜着を平常着《ふだんぎ》にあらためているところだった。部屋の隅には小箪笥《こだんす》があり、そのうえにちいさな米櫃形《こめびつがた》をした金箱がおかれている。
「おえん、おまえ……」
九兵衛は唖然《あぜん》となってうめいたが、
「伊之助さんの件で、ちとこみいったお話がございます。他人《ひと》の耳にはいれないほうが、そちらさんのおためですよ」
おえんにおっかぶせられた。
「さがっていなさい。ほかの者が気づいても、さわぎたてぬように言うんです」
九兵衛は手代に言いつけた。伊之助の死が心中だったことは藤ノ屋からのしらせで知っていたので、その弱みをつかれたのだった。
「九兵衛さん、もうわたしの用件はわかっておいででしょうね」
夜具のそばでにがりきっている九兵衛のまえにすわって、おえんはきりだした。
「伊之助さんが相対死をなさったことは、あなたさんもごぞんじでありましょう。葬儀などのことはいっさいおわったようですが、生前仏がのこした借財の始末がまだついておりません。わたしがいったん取りたてた金子《きんす》の半金は、もとの持ち主に供養料としておかえしいたしましたので、そのぶんをあなたさんから埋め合わせていただこうと、夜分参上いたしたわけです」
「名主の名をかたったうえに、あがりこんで強請《ゆす》りをはたらくつもりか。わたしが声をあげれば、手代|丁稚《でつち》どもがかけつけてくるぞ」
喰《く》らいつかんばかりの九兵衛の逆襲に、
「わたしの身を気づかう者が、上州屋の表と裏の口をかためていますよ。それにお町奉行所《ばんしよ》へ訴えでてかえってこまるのは、あなたさんのほうでございましょう」
おえんはぴしゃりと九兵衛の口を封じた。
「十両と三分二朱。耳をそろえてはらってくだされば、ことは万事まるくおさまります。おまえさまにはもっといろいろ言いたいことはあるけれど、きれいに払ってくれれば、あとはいっさい水にながしましょう」
「伊之助は勘当した息子だ。はらういわれは、わたしにはない」
「これまで何度もその手口でにげられてきたけれど、伊之助が上州屋の墓におさまった以上、もうそんな言いのがれも通じはしないでしょう」
「あばずれめ」
言いこめられて九兵衛はうめき、おえんをにらみつけた。
「公儀《おかみ》をたばかって相対死をかくしたことがわかれば、仏の亡骸《なきがら》はあばかれてうち捨てられ、上州屋にも罪がおよんでくるでしょう。死んだおいらんがのこした遺書は藤ノ屋から手に入れて、うちの若い者が大事にしまっておりますよ」
嘘をまじえた隙のないおえんの口上に、九兵衛の逃げ道はまったくふさがれた。
「ちくしょう、おえんっ」
さけんで、やにわに九兵衛はおえんにつかみかかった。
「およしなさい、九兵衛さん」
おえんは身をよけて、つかまれた右腕をゆっくりはずしたばかりでなく、逆に老人の関節をかるくおさえてしまった。
「そんな大金が一度にはらえるもんか。かんがえてもみるがいい」
九兵衛は腕をふりほどこうと懸命にもがいたが、逆手をとられては、身うごきもままならなかった。
「今日と明日二日間の、仕入れの金子が上州屋の金箱にあることは、先刻しらべあげてありますよ」
おえんはそう言って、やっと腕をはなした。と同時に、おえんの左手が自分の懐へのび鉤《かぎ》と絹紐《きぬひも》をまさぐっていた。
次の瞬間、部屋の空気をふるわせて風の鳴るような音がした。
おえんの手をはなれた鉤縄は小箪笥のうえの金箱にとび、そのふたにひっかかった。ぴんと張った絹紐を手前にひくと、音をたてて金箱がおち、小判や一分銀、小つぶなどがばらばらと畳のうえにちらばった。
九兵衛は一瞬、唖然となり、やがてよろよろと畳にへたりこみ、口惜《くや》しそうに両肩をおとしていった。
[#改ページ]
第二話 爪の代金五十両
大見世《おおみせ》ではめったにみられない派手な喧嘩《けんか》が、さきおととい、江戸町一丁目の扇屋の座敷でおこった。
客と遊女の喧嘩である。
客は昨今、扇屋で全盛あそびをつづけている材木問屋・木曽屋《きそや》の若主人|徳次郎《とくじろう》であり、遊女は扇屋の売れっ妓《こ》の呼びだし昼三《ちゆうさん》(最高級の遊女)・豊鶴《とよつる》だった。しかも豊鶴は徳次郎の買いなじみだっただけに、よけいに始末がわるかった。
徳次郎の見幕におそれをなして、新造《しんぞ》と禿《かむろ》がそっと階下《した》へおりて、帳場へしらせにはしっていった。
番頭が座敷へ顔をだしたが、とても仲裁にはいれた状態ではなかった。徳次郎は扇屋でもいい客だけに、番頭の吉兵衛もうかつには口をはさめなかった。それほど徳次郎の怒りははげしかった。
豊鶴は三つ四つ頬をはりとばされ、座敷のなかをにげまわったが、つかまえられて床柱を背にひきすえられ、逆にいなおっていた。にげているあいだに豊鶴が蹴《け》たおしたか、それとも仕掛けの裾《すそ》でたおしたか、蛸足膳《たこあしぜん》がひっくりかえり、台の物や皿、盃台《はいだい》などが散乱し、銚子《ちようし》から酒がながれていた。
両どなりや前の座敷の遊興もやんで、様子をうかがう客や芸者が廊下にでてきた。
徳次郎は材木問屋の主人とはいえ、まだ三十手前で、いやみっ気のないさっぱりとした気性と顔だちだが、根が一本気で、豊鶴のとりもちがよほど腹にすえかねたかして、このままではとてもおさまらぬ激昂《げつこう》ぶりだった。吉兵衛が二言三言口をはさんだが、たちまちどなりとばされ、すごすごとひきさがった。
主人の庄太郎《しようたろう》が内所から腰をあげて、座敷に顔をだしたのはそれからしばらくたってからだった。
それ以上ほうっておけば商売ものの豊鶴の体に傷のつくおそれがあったし、ほかの客の手前もあったからだ。客も大事だったが、豊鶴の世間体ということもあった。老舗《しにせ》の大見世ともなれば、店の品位、格式もおもんじなければならなかった。
こういう喧嘩の仲裁はうまくいってもともと、悪くするとどちらかの立場、面子《めんつ》を傷つけることになる。双方まるくおさめるなど、至難のわざだ。
庄太郎の顔をみると、さすがに一瞬、徳次郎はひるんだが、怒りをしずめるまでにはいたらなかった。庄太郎は両手|両膝《りようひざ》をついて、畳に面形《めんがた》つけるように、なにはともあれ豊鶴の不始末を詫《わ》びた。客と遊女とのあいだの揉《も》めごとに、事情のせんさくは無用だった。
ところが、徳次郎は、けんもほろろに庄太郎の詫びをはねつけた。ばかりでなく、遊女の不始末は主人の不始末とばかりに、庄太郎をはげしくなじった。
これでは庄太郎も手のつけようがなかった。とてものことに、この喧嘩はおさまりがつかなかった。
「又之助《またのすけ》、きいたかい。材木問屋の若主人がおいらんから起誓《きしよう》にもらった爪を後生大事にしまっておいたら、その爪はおいらんのもんじゃあなかった。おいらんの十本の指にはきれいに爪がはえそろっていたってはなし」
浜蔵がいった。
「坊主の嘘を方便、遊女の嘘を愛嬌《あいきよう》、って昔からいうじゃあねえか。だましたおいらんのほうもほめたことじゃあねえが、だまされた男のほうにも油断があったな。遊女の起誓を本気にするなんざ、よほどうぬぼれがつよいか、それともおいらんに首ったけだったんだろう」
「話はただそれだけのことじゃあねえらしい。おいらんは自分の爪を起誓にして、客から五十両ばかりの金をひきだしていたそうだ。客とのあいだでは、身請けのはなしもでていたそうだ。こうなると、女のほうにもあまり分のいい話じゃねえ」
「いずれにしろ、おいらんから生爪一枚もらって、五十両もの金をぽんとだしてやるような商家の旦那《だんな》のことなんぞ、おれたちには縁のねえはなしだよ」
ここは吉原のとなり町。田町二丁目にある弁天屋の用談部屋である。
田町は吉原のかよい道の途中だし、多かれすくなかれ吉原によりかかって生活《くらし》をたてている町なので、廓《くるわ》の出来事はすぐにつたわってくる。浜蔵の相手をしている又之助は、浜蔵より三つ四つ年上の男である。
弁天屋がいっとき馬屋を廃業したとき、又之助は下谷《したや》にある堅気の商家へ奉公に入った。ところがせんだって、弁天屋の娘おえんが父の仁兵衛にかわって、むつかしい取りたてを見事にやりとげたということが噂になって又之助の耳に入ったのだった。
仁兵衛はすっかり足をあらって、表通りに面した天ぷら屋の帳場にすわってしまったが、裏通りに面した弁天屋のほうは、どうもおえんが跡をついでやるようななりゆきがみえてきた。
浜蔵はやはり田町にある大どころの馬屋・青柳に住みこんだが、せんから弁天屋へもどってきている。番頭格だった新五郎はあいかわらず、ときたま弁天屋に姿をみせている、ときいて又之助はもういてもたってもいられなくなった。ある夜、だまって荷物をまとめて商家をでて弁天屋へもどり、おえんの了解もないまま、なんとなく従前どおりにいついてしまったのだ。
おえんは馬屋という稼業のむつかしさを、子供のころから父の暮しをみてきてよく知っている。たった一度、たまたま取りたてをうまくやれたからといって、それで自分が馬屋として一本立ちできたとはかんがえていなかった。馬屋という多少ともやくざな稼業を女の身でやっていくには、まだ不安とためらいがのこっていた。
そんなおえんの気持に頓着《とんじやく》なく、店にいついてしまった浜蔵と又之助がわずらわしくもあり、かといって追いたてるわけにもいかず、おえんは昨今、こころをなやましていた。仁兵衛はあいかわらず顔を合わせれば小言をいっていたが、ちかごろではなかばあきらめたのか、とくに指図がましいことはいわなくなった。ここらが、おえんの腹のくくりどきであった。
そうしたやさきの昼下り……、
吉原の大見世・扇屋の番頭吉兵衛が弁天屋をおとずれてきた。
遊女屋の番頭はたいがい夜見世《よるみせ》のはじまる夕刻から中引《なかび》け(夜十二時)までのつとめになるので、用たしなどは昼ごろすましてしまうのだ。
吉兵衛は吉原では顔を知られている番頭で、又之助も浜蔵も吉兵衛を知っていたから、二人はすわっ……、となった。おえんと吉兵衛が用談部屋ではなしこんでいるあいだ、二人は店さきにでて、うろうろしていた。
しばらくたって吉兵衛はかえっていったが、おえんが姿をあらわさないので、又之助と浜蔵のほうから部屋へ入っていった。
おえんはかんがえにふけっていた。
「お嬢さん、仕事[#「仕事」に傍点]がとびこんできましたね」
いわれて、おえんはこくりとうなずいた。
「大見世のことだから、かなり額のかさばる仕事でね。それに扇屋さんのはなしじゃあ、ちょっとむつかしい仕事になりそうなんだよ」
そこのところを、おえんは思案していたのだった。
「三十両ほどもある大仕事ですかい」
浜蔵がきくと、おえんは首を横にふった。
「ざっと五十両だよ」
「じゃあ、うまくいったら二十五両のもうけじゃないですか。こいつはすげえ」
「かんたんにとれるようなお金だったら、なにも馬屋へなんぞ話をもちこんでくるはずはないからね。すったもんだとさんざごたついたあげく取りっぱぐれたお金らしいから、腹をすえてかからなけりゃあ、こっちだって取りそこなうかしれない」
おえんはそういったが、受けた以上はかならず取りたてる覚悟だった。弁天屋の暖簾《のれん》はふるいが、おえんはまだ駆けだしの馬屋だから、一度おおきな仕事をしくじると、つぎから依頼がこなくなるおそれがあった。
「扇屋からってえと、もしや例の件にかかわりがあるんじゃないですか」
又之助が口をはさんだので、おえんはうなずいた。おえんも先日、扇屋の座敷で喧嘩があったことはきいていた。が、その喧嘩がこじれて、その始末がこちらへまわってこようとはかんがえてもいなかった。
「木曽屋は日ごろお金に糸目をつけぬ全盛あそびをつづけていたんで、扇屋の帳面にざっと五十両からの勘定があったらしい。その気になれば木曽屋は一度に始末がつけられるんだろうが、ともかく木曽屋はつむじをまげてしまって、勘定をしないとひらきなおったそうだよ」
「きたねえやつだな。日ごろお大尽風を吹かせて豪勢なあそびをしやがったくせに」
「おいらんにだましとられたお金が丁度五十両ばかりあって、帳面の勘定はおいらんのほうから取りたててくれ、って言いぶんなんでしょう」
「ちぇっ、子供の喧嘩じゃあるめえし、そんな理屈がとおるもんかね。おいらんにとられた金は自分がとりかえせばいいこった。見世にはかかわりのねえことだろう。手前《てめえ》の勘定とさっぴきにしようなんざ、きたねえ料簡《りようけん》だ」
馬屋は遊女屋のかすり[#「かすり」に傍点]で飯をくう稼業柄、どうしても遊女屋の肩をもちがちである。
「お金の借り貸しやりとりなんてものは、うまくいってるうちはいいけれど、ひとつこじれると、こんな具合にすったもんだするもんでね。なにも木曽屋の若主人にかぎったことじゃないよ……」
おえんはものごころついて以来、金のいざこざを数かぎりなくみているので、こんな大人びた口がきけるのだ。
「いずれにしろ、遊女の爪に五十両もの金をだす男なんか、粋《いき》でもなけりゃあ、おつ[#「おつ」に傍点]でもねえ。こんなやつに情は無用だ。どうせのことなら、むしり取ってやりましょうよ」
「ちょっとした難物のようだけど、ひきうけた以上あとへはひけないからね。又之助と浜蔵にもはたらいてもらうよ」
おえんがそう言うと、又之助と浜蔵の顔がかがやいた。
ついせんだって、おれたちには縁がねえ、といった男を相手に、又之助と浜蔵も掛け合いの準備をすることになった。
遊女の起誓は、まず誓紙《せいし》からはじまった。熊野の牛王《ごおう》に誓約をかいて、男女でこれをとりかわした。
(たとえ身は売っても、女の操は売らぬ)
という真情を間夫《まぶ》にしめしたものだった。おおくの男に接する遊女ならばこそ、そうした証《あか》しが必要だった。
これが遊女の手管につかわれるようになると、誓紙だけでは信用できなくなって、血判をすることがはやりだした。男は左、女は右の中指か人さし指を小刀や剃刀《かみそり》などで切って、誓紙に血をしたたらせて心中立《しんじゆうだて》とした。
そしてさらに、起誓彫りという入墨へすすみ、そのうえの起誓として、生爪をはがしたり、指切り[#「指切り」に傍点]をすることがまれにおこなわれた。けれども爪や指の心中立となると、まともではなかなかできないことで、遊女の手管や男の気をひくくらいの気持ではやれなかった。
それだけに、そこまでの真情をみせられれば、男としても果報の一語につきるというべきだった。
おえんには、全盛の呼びだし昼三《ちゆうさん》ほどのおいらんから心中立の爪をさしだされた木曽屋徳次郎の気持が推量できぬではなかった。源平藤橘《げんぺいとうきつ》と毎晩かわる客のなかからたった一人、自分だけに操をたてられたとなれば、よほどのことでないかぎり、男は女の真情をうたれるはずだとおもった。
(身請けもしよう)
という気になって、いろいろな事情《わけ》をうちあけられて五十両ばかり用だててやった徳次郎を、浜蔵や又之助のようにあながち馬鹿呼ばわりする気にはなれなかった。それだけにだまされたとわかったときの、徳次郎の怒りのはげしさもしのばれた。
悪いのはむしろ、豊鶴のほうではないかとおもった。きけば、お客人気はべつとして、内々では豊鶴の評判はあまりよくないそうだった。
けれども、人柄のいい悪いは馬屋の稼業とはかかわりがなかった。いったん馬屋証文(委任状)をうけとった以上は、どんな相手からでも金をとらねばならぬ。どんな事情があってもとらねばならなかった。
そう覚悟して、数日後、おえんは永代橋《えいたいばし》をわたっていった。
ここには諸国の廻船《かいせん》があつまっており、橋からみると川面《かわも》に千石船の帆柱が無数に林立していた。
木曽屋は、深川・島田町にある。
橋をゆくおえんの姿に、深川のほうからきた三人づれの若い者がふりかえった。縞《しま》の留袖《とめそで》に朱色の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をきりっとしめたおえんの姿が人目をひくのだ。三人のうちの一人が野卑な声をかけてきたが、おえんはそ知らぬふりでとおりすぎた。
おえんの頭のうちは、これからはじまる木曽屋徳次郎との掛け合い、かけひきでいっぱいだった。
「お嬢さん、木曽屋はききしにまさる難物ですよ。徳次郎は血の気のおおいわがまま者だし、そのまわりには気性のあらい筏師《いかだし》や人足たちがごろごろしてますからね。とても、荒っぽい取りたてなんかはできませんや」
又之助と浜蔵は『あたりをとる』といって、とりたてる相手の人柄や家族、経歴、交友、商売むきなどをききこんできたあと、おえんにそういった。それらのことは扇屋の吉兵衛からきいていたこととあまりかわりはなかった。
又之助も浜蔵もそれで怖《お》じ気《け》づいたのではなかった。二人とも年齢《とし》はまだ若いが、仁兵衛と新五郎の下で何年も仕事をしこまれてきている。とくに又之助のほうは頭もきれたし、腕もたった。二人は、この難物を相手に闘志をかきたてているのだった。
「女だてらに、荒っぽい仕事なんかできるわけもないじゃないかえ」
そのときおえんはこたえたが、おえんのかくし武器や武芸のたしなみを知る又之助と浜蔵はくっくっと笑った。
ここのところ新五郎はあまり弁天屋へ姿をあらわしていなかった。新五郎が一人ずまいしている家へ使いをはしらせるのも億劫《おつくう》だったし、はじめから新五郎の力をあてにするのも気がひけた。今度の仕事は又之助、浜蔵との三人でやる気だった。
深川へでれば、あたりは水郷の風景となる。掘割水路が網の目のように町なかをとおっている。水路にそって船蔵があり、籾蔵《もみぐら》があり木置場があった。
富岡八幡宮《とみがおかはちまんぐう》のかたわらをとおって、三十三間堂にでれば、そこからさきの往来はどこまでいっても、木場特有の林掛《りんが》けがつづいている。掘割にははてしなく筏が浮いている。
やがて、おえんは木曽屋のまえへでた。
木曽屋は老舗《しにせ》だが、深川ではかくべつ大きな問屋ではなかった。町家なら何十軒もたてられるほどの材木をたてつらねた、塁のような塀にかこまれた角店だった。店の前と横は堀、うしろは材木をつみあげた塀だった。
おえんは林場《りんば》のなかをとおっていった。紺木綿に目のしみるような白い股引《ももひき》の人足が何人かふりかえったが、おえんは目もむけなかった。多少の緊張と気負いがあった。
この緊張をときほぐしたのが、すぐちかくからおこった犬のうなり声と女の悲鳴だった。おえんには林場と林場の隙間から十五六の娘の姿がみえた。
娘はいすくんでしまって逃げ場をうしなっていた。つづいて耳のたった大きな茶色の犬がみえた。野犬だとみえて、悲鳴をあげる娘を威嚇しながら、牙《きば》をむいて吠《ほ》えかかっていた。
おえんでも、ちょっとたじろぐような獰猛《どうもう》な感じの犬である。声をあげて助けを呼ぼうとしたが、ちかくの人足が駆けつけるのを待つ余裕はない、ととっさにおもった。
娘はもう一度悲鳴をあげたが、ひきつった顔でその場にうずくまってしまった。犬は血ばしった目で娘をみすえ、今にも前肢《まえあし》をあげてとびかかっていきそうだった。
「あぶない!」
おえんは叫んで、身をひるがえした。林場のあいだを疾《はし》りながら、懐に手をいれ、鉤縄《かぎなわ》をにぎっていた。
「しっかりして!」
もう一度声をあげたとき、野犬はおえんのほうをふりむいて吠えかかった。
一瞬、うなりを生じて鉤縄がおえんの手のうちから飛び、野犬の口を撃ち、鉤が下顎《したあご》にくいこんだ。犬はもんどりうって地におち、縄がぴんと張りつめた。くるしまぎれにもがき、そのはずみで下顎の肉とともに鉤がひきちぎれた。
一度うずくまってからよろよろとおきあがり、口から血をしたたらせてにげていく犬をみながら、おえんは娘に駆けよっていった。
娘はおえんの腕にかかえられてぐったりとなり、一瞬気をうしないかけた。
そのころになって、ちかくにいた人足たちが駆けつけてきた。木曽屋の店のなかからも、細縞の着物に角帯をしめ、しるし半天をひっかけた若い者が何人かでてきた。
娘はおえんの腕のなかから、半天の若い者にかかえあげられた。
「お嬢さん、大丈夫ですか。怪我はありませんでしたか」
若い者はそう呼びかけて、娘を店のなかへかかえこんでいった。娘は眸《ひとみ》がおおきく、色の白い、あどけない容貌《ようぼう》だった。まだ恐怖の去りやらぬ顔で、おえんに礼をいった表情が印象的だった。
おえんはこのちいさな事件で、かえって気持がおちつき、余裕がでてきた。が、それが木曽屋の娘だったことで、おえんのなかにいくぶん複雑なものがうまれていた。
娘はおなつという名で、徳次郎の妹だった。
取りたてる相手とのあいだにかくべつの情がうまれては、商売はやりにくくなる。娘のかれんな表情がおえんのなかにのこっていて、気のおもい感情がおこっていたのだ。
「弁天屋おえんさん……」
徳次郎は口のなかでつぶやいた。
妹の危険をすくってくれた恩人が馬屋だと知って、数瞬のうち唖然《あぜん》となったようだ。馬屋という商売があるということは知っていても、自分のまえに馬屋が取りたてにあらわれることは想像もしたことがなかった様子だ。
まじまじとおえんの顔にみ入った。この商売といえば、ごろつきのような者がする渡世だとおもっていたのだろう。娘ざかりのおえんの美貌《びぼう》に徳次郎はとまどったようだった。
「前もっておしらせもなく、いきなりうかがいまして申し訳ございません」
と詫《わ》びてから、
「じつは吉原《なか》の扇屋さんからたのまれまして、こちらさまのお勘定をいただきにまいりました。なにさま金額もかさばりますから、今日あすいただこうというのじゃあございません。こちらさまのご都合のよろしいときをいっていただければ、そのときに参上させていただきます。なにとぞよしなに、おとりはからいくださいまし」
おえんは相手の気持をなるべくそこねぬよう、しかも言うべきことはぬかりなく申しのべた。
徳次郎の気持のおさまりがつかぬようだった。
「おえんさんとやら、扇屋に五十両ばかりの勘定があることは、わたしも知っている。なにもわすれたわけじゃあないんだ。けれどもあの勘定についちゃあ、わたしにも少々申し分があるんだよ。それをあんたに言ってもはじまらない。扇屋への言いぶんなんだ。だから、あの勘定についちゃあ、わたしと扇屋とのあいだでなけりゃあ始末がつかないわけだ。せっかくここまで足をはこんでもらったのに気の毒だが、かえって扇屋へそうつたえてもらいたい」
徳次郎もかなり気をつかって返事をした。徳次郎は若いながらも材木問屋の主人としての構えも風格もあり、ちょっと見には遊女屋の座敷で喧嘩《けんか》をしたり、遊興でつかった金に文句をつけるような人柄ともみえなかった。気性がはげしいのは、うまれ、そだち、商売柄のせいなのだろうとおえんはかんがえた。
「お言葉をかえすようであいすいませんが、扇屋さんではお勘定についてそちらさまとお話をするつもりはないようでございます」
おだやかに言って、おえんは懐からおりたたんだ美濃紙《みのがみ》をとりだした。
証文
[#ここから3字下げ]
しまだ町木曽屋とくじ郎どのの勘定五十一両三分、た町二丁めべん天屋うち、おえんどのに取りたておねがひ申すべく、委細おまかせいたすものなり
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]扇屋うち吉兵衛
読んでいくうちに、徳次郎の顔がややきびしくなっていった。
「馬屋証文というのをはじめてみせてもらったよ。こいつはいわば、扇屋のおれにたいする縁切状でもあるんだな」
感心するように言って、徳次郎はにやっと笑った。おえんにとっては少々うす気味のわるい笑いであった。
「あいすいませんが、そのような次第でございます。以後はお勘定についてのお話は、わたしがきかせていただくようになっております」
「証文というのは重宝なもんだ。たった一枚の紙きれで、おれの借りが扇屋から、あんたのほうへうつっちまった。おれは言い分をあんたへ言わなけりゃあならなくなった。けれどもおれとおいらんとの事情《わけ》を、あんたにはなしたところでどうなるわけじゃない。扇屋め、かえってはなしを面倒なことにしてくれたな。おれの手もとにたった五十両、百両の金がないわけじゃないが、こうなった以上、あんたにも、むろん扇屋にも一文たりともはらうつもりはないよ」
はっきりと徳次郎はいった。馬屋の世話になる相手といえば、だいたい金に不自由している者がおおいのだが、金はありあまっていると豪語する相手の拒絶だけに、よけい始末がわるかった。
「困りましたね、それじゃあ話のひっかかりがまるでない」
といって、おえんは微笑《わら》った。徳次郎もつりこまれて微笑したが、
「あんたが困ることはないと思うよ。おれのやりかたに不服があるなら、扇屋でもだれでも公儀《おかみ》にうったえでたっていいことなんだ。そっちにそれだけの覚悟があればのはなしだが」
いうことはきびしくなる一方だった。
「遊女屋、茶屋の銭勘定をいちいち公儀がとりさばいてくれるなら、馬屋なんて稼業はなりたちません。そんなきついことをおっしゃらず、はらってやってくださいまし。ともかく今日のところはこれまでにして、ひきとらせていただきます。後日、参上したときによいご返事をおきかせくださいまし」
おえんとしても、今日はあいさつがてら、徳次郎の人柄、手ごたえなどをうかがいにきたのだった。
「そうなれば、おえんさんにはとても都合がよろしいだろうが、こちらはそう都合よくはまいらないよ」
おえんはくどくならないうちに木曽屋をひきあげたが、徳次郎の手ごたえは想像いじょうに手ごわかった。
覚悟をあらたにして、永代橋をわたった。
おもわぬときに、おもわぬところで、おえんは豊鶴と顔を合わせた。
おえんは浜蔵をつれて、吉原へきていた。
京町一丁目の藤ノ屋で新造《しんぞ》のつきだし[#「つきだし」に傍点]があって、祝儀のあいさつに藤ノ屋へいったのだ。つきだしとは新造がはじめて遊女となって一本だちする披露目《ひろめ》である。
大見世の呼びだし昼三《ちゆうさん》になる遊女がおこなうつきだしの披露ははなばなしいが、ありきたりの遊女のつきだしはひかえめで、袖留《そでとめ》の式をして、歯を鉄漿《かね》でそめる。このときふだん懇意にしている茶屋、船宿、廓《くるわ》内の商家などに祝儀の贈物をするのがならいだった。おえんはその返礼に、祝儀をもって藤ノ屋へきたのだった。
でかけるのがおそかったので、かえり道は夜になっていた。仲ノ町の通りは人が出さかり、誰哉行灯《たそやあんどん》の明り、引手茶屋の店頭の明りでかがやいていた。
「今日、吉原にまた一人おいらんが生まれたわけだ。吉原の繁昌《はんじよう》は江戸の繁昌、つきだしの祝いってのはいいもんですね」
「わかったようなことを言うじゃないかえ。さいぜん藤ノ屋では、やにさがった顔をして、つきだしのおいらんにみとれていたっけ」
浜蔵がいうのを、おえんがまぜっかえした。浜蔵はおえんといくつも年齢《とし》がちがわず、仕事ではさほどの腕はなかったが、十四五のころから弁天屋へきていたので、おえんとはうまが合った。
夜見世がはじまって半|刻《とき》(一時間)あまりたったころで、仲ノ町はこれからにぎわいだすときだった。ひやかしの地廻《じまわ》りにまじって、遊客が茶屋の案内をうけて遊女屋へむかう姿が、ここかしこにみられた。
季節は秋、清風夜を永うする時季だけに、遊興にも一段と身が入るときである。
「あ!」
むこうから新造、禿《かむろ》、たいこもち、店の若い者などをひきつれた遊女がきかかったのをみて、浜蔵が声をあげた。
「まあ、きれいなおいらん」
ほとんど同時におえんも声をあげた。おいらんは客に呼ばれて遊女屋から引手茶屋へむかうところである。いい女をみなれているおえんがそんなことを言うのはめずらしかった。それほどそのおいらんは人目をひいた。
容儀、容子《ようす》からして大見世の呼びだし昼三ということが知れた。みかえる者、たちどまってながめる者、ひやかす者……などに目もくれずあたりをはらうような道中の姿だ。
「お嬢さん、ごぞんじですか、あのおいらんを」
浜蔵にいわれて、おえんはおいらんが若い者にもたせている箱提灯《はこぢようちん》に目をやった。提灯にはおおきく丸に『鶴』の字が染めぬかれている。
「あ……」
今度はちいさな声をあげた。
「あれが、扇屋の豊鶴ですよ。おどろきましたか。すごいくらいの別嬪《べつぴん》でしょう」
おえんはすぐには声がでなかった。
「木曽屋の若主人が血道をあげていれあげたのも腑《ふ》におちますねえ」
浜蔵もあらためて感じたようだ。仲ノ町で豊鶴といき合わせたのもおどろきだったが、おどろきはそれだけではすまなかった。
さんざめきながらひやかしている地廻りや遊客たちのあいだをすりぬけて、そのときややくたびれた感じの遊女が豊鶴にちかづいていくのがみえた。
(おや?)
この場にそぐわぬ女の表情や様子から、おえんもぼんやりと不審をいだいた。
その瞬後、女がなにかさけびながら豊鶴にむかってはしりだした。魂消《たまぎ》るような豊鶴の悲鳴がそれにかぶさった。
おえんは女の手もとで、刃物のようなものがひかるのをみた気がした。双方のさけび声がつづけておこり、豊鶴は必死で逃げようとし、女がそれを追いかけ、扇屋の若い者ともみ合いになった。
人がたかってきたが、もみ合いはしばらくつづき、そのあいだに女の手から刃物がおちた。それでも女は何度も豊鶴につかみかかろうとし、若い者にさえぎられて、わめきながらあばれた。
「夜叉《やしや》!」
「鬼っ、ころしてやる!」
女の口から豊鶴にむかってかぎりない憎悪の言葉がほとばしった。ようやくとりおさえられてからも、着物をはだけ、髪をふりみだして女はもがきつづけた。
おえんと浜蔵はあっけにとられて、この修羅場をながめていた。
翌朝。
「お嬢さん、きのうの女のことですがね。あれはつい半年まえまで、豊鶴についていた千鳥という新造でしたよ。ちかごろじゃあ西河岸へおちて、局《つぼね》女郎をやっていたそうです」
さっそく浜蔵が情報をしこんできた。
「自分についていた新造から斬りつけられるなんて、どうしたことなんだろうね」
おえんにはまだ前日の記憶がなまなましかった。
「豊鶴ってのは、ほんとに業のふかい女ですよ。顔と気性はまるであべこべ。噂でかなりきいてましたが、これほどだったとはおもいませんでしたね」
浜蔵はいささか興奮気味だった。
「あんな可愛い顔をしていて、豊鶴は金の亡者なんですよ。銭の執念にとりつかれ、銭だけが豊鶴の生き甲斐《がい》だったそうですよ。今までだって、豊鶴の手練手管にだまされていれあげて店をつぶしたり、一家心中をした旦那がいく人もいるんだそうです」
「あの顔でしなだれかかってうまいことをいわれたら、男はたいがいひとたまりもないかしれないね。木曽屋なんかは男としてまだしも筋金のとおってた部類なんだろうけど、おいらんの手管にのせられちまって、あの始末なんだから」
「間夫《まぶ》や客から金をせびりとるばかりじゃないんですよ。朋輩《ほうばい》の遊女やら新造、若い者に金を貸しつけて利をかせいでいたというから、とんだおいらんじゃないですか。千鳥という新造は、実家《さと》に病気の親父があって、薬餌《やくじ》の仕送りに追われ、豊鶴につい金を借りたのがつまずきで、ちょいちょい借りているうちに利が利をうんで莫大《ばくだい》なものになっちまった。そしてとうとう豊鶴に爪をはぎとられる羽目になったんですよ。一枚いくらで売ったかは知らないが、千鳥の指にはもう何枚も爪はのこっちゃいなかったそうですよ。きのう豊鶴に斬りかかって刃物をおとしちまったのも、指に爪がなくて力が入らなかったためですよ」
浜蔵のはなしをきいていくうちに、その凄惨《せいさん》さにおえんは身のすくむ思いがした。
「客にやっていた起誓《きしよう》の爪は、そうやって……」
「とてもきびしい取りたてだったというから、つい一枚一枚泣きながら爪をはがしていく羽目になったんでしょう。それがもとで千鳥は扇屋にいられなくなって、西河岸の局女郎に身をおとすことになり、豊鶴をふかく恨んでいたそうです」
西河岸は鉄漿溝《おはぐろどぶ》にそった局見世のならぶところで、もっとも下級の遊女が枕金二百文や三百文で客をとっていた。
「そうやって他人《ひと》の爪をはぎ取って、それで男から何十両ってお金をだましとっていたんだからね。全盛の呼びだし昼三だってのに、因業なおいらんだね」
「馬屋だって、年がら年中銭を追っかけまわしている稼業だけれど、ほんとうに凄《すさ》まじいような話ですよ。馬屋も他人の爪をはぐようなことが平気でやれるようにならなければいけませんかね」
「さあ、それはどうだろうね。ほかに手管だってあるだろうに」
おえんは胸くそわるそうにつぶやいた。
木曽屋へは、もう何度もおえんは足をはこんだ。
が、取りたてが進展しているのでも、見とおしがでてきたのでもなかった。見とおしははじめとちっともかわっていなかったし、徳次郎とおえんとのあいだがはなはだ険悪になったことで、進展どころかむしろ後退していた。
何度でも足をはこび、たえまなく相手にくいさがり、どこへいくにもつきまとい、追いつめ音をあげさせるのが馬屋の戦略の第一歩である。おえんは地道にこの常道をまもったが、常道だけで徳次郎を追いつめることはできぬ、とはじめからかんがえていた。
初対面のとき、後日また参上する、とあいさつをのこしてかえったおえんだが、その翌々日から木曽屋へ姿をみせはじめた。徳次郎はこのとき前回とかわらぬ返事をして、おえんをかえしたつもりだった。
だが、一刻(二時間)以上もたって、徳次郎が用足しに店をでたとき、林場《りんば》の陰に縞《しま》の留袖を着た人影がちらとみえた。もしや? とおもったのがやはりおえんだった。
夕刻ちかく、商談で入船町の仲買人・伊豆屋《いずや》をおとずれたときも、縞の留袖が掘割ぞいの道を半丁くらいはなれてついてきた。かえりは宵の六つ半(七時)をまわっており、もういないだろうと思ってあるいていたところ、木曽屋のちかくまできたときに、おえんらしき影が徳次郎の視界をとおりすぎた。
その日いらい、おえんは毎日欠かさず徳次郎のまえにあらわれた。日に一度はかならずさいそくにきて、ことわられるといったんは姿を消すが、かえるわけではなく、まるで形にそう影のようにいつも徳次郎の身辺にいて、見張っているのだ。
堅気の商人ならば、これを十日も半月もやられると、気味がわるくなり、世間体もあり、気持もいらだって、
『もう、こんなことはやめようじゃないか』
ということにもなるのだが、徳次郎ではききめはなかった。おえんとのあいだが険悪になっただけのことだった。
妹をたすけられたこともあって、徳次郎ははじめのうちこそいくらかの遠慮があったが、日がたつとともに、あけすけな憎悪をむきだしにするようになった。
「そんな姑息《こそく》なやりかたがおれに通じるとおもうのか。木曽屋には気の荒い人足や命しらずの若い者がごろごろしてるから、おまえのほうこそ十分気をつけるがいいぞ」
徳次郎はあるときおえんを待ち伏せて、もちまえの気性でおえんをおどしつけた。
「それほどまでに五十両がほしければ、一つだけ方法をおしえてやろう。吉原の扇屋へいって、豊鶴の指の爪を一枚はいでくることだ。それをもってきたら、その場で五十両くれてやろう。どうだ、できるかい」
徳次郎はそうも言って、おえんをあざけった。
「おれはまがったことは、なにもやっていねえつもりだから、恐いものはどこにもないんだ。根と辛抱のつづくかぎり、おれのあとをつけまわしているがいいさ」
自信満々の言葉をききながら、やがて、いつか、徳次郎が音をあげて降参してくるときのことをおえんは想像した。それにおえんは常道ばかりをいつまでも攻めつづけているわけではなかった。
又之助と浜蔵をつかって搦《から》め手《て》からの攻め口もぬけめなく準備していた。おえんが正面から向っていっているあいだに、その準備は着々とととのってきていた。
木曽屋のようにかなりの老舗《しにせ》で、商売を手びろくやっているところでは、ほじくればかならずどこかに弱みがあるはずである。徳次郎は、恐いものはなにもないと豪語したが、
(弱みのない人間は一人もいない)
というのが、おえんのかんがえだった。商売、親、兄弟、子供……、どこかしらにかならず弱みや疵《きず》はあるものだった。その弱みをたくみにさぐりあて、そこへ攻撃をしかけるのも馬屋の戦略だった。
おえんは又之助と浜蔵をつかって、木曽屋の商売関係、徳次郎の交際《つきあい》の範囲、家族、親戚《しんせき》の筋を徹底的にあらっていた。
「あらえば、かならずなにかでてくるよ。でてくるまでとことんあらっておくれ。どんな人間《ひと》にもかならず他人にいえないこと、知られちゃこまることが一つや二つはあるもんだ。それをさがしだして、あばきだすんだよ。わかったね」
おえんはきびしく命じていた。又之助も浜蔵も馬屋を天職とこころえている若い者だから、目をかがやかして徳次郎の周辺をかぎまわっていた。
おえんにとっては、木曽屋とのあいだが険悪な敵対関係になったことは、むしろのぞむところであった。馬屋は所詮《しよせん》、多少とも相手をおどしたり弱みをついて金をとる稼業である。いい顔いい恰好《かつこう》ばかりしていてはつとまらぬ渡世である。それだけにかえって、木曽屋とのあいだがすっきりした関係になった。
だが、おえんのほうにもおおきな誤算があった。
というよりも、油断があった。そのためにおえんは、おもいもかけなかった逆襲をうけてしまった。
攻め手が着々とととのってきていたので、攻撃の段取りに夢中なあまり、防ぎが留守になっていたのだった。
「耳よりなききこみがありました。徳次郎の妹のおなつですよ。おなつはあるいは徳次郎のいちばんの弱点かもしれませんよ」
又之助が昼ごろ弁天屋へもどってきて、ひっそりとした声でおえんにつげた日のことだ。浜蔵はききこみにあるきまわって、きのう、おとついと弁天屋へもどってきていなかった。
木曽屋の先代の主人は、おなつが生まれたばかりのころに死んでいた。だから徳次郎は十歳《とお》以上もはなれたおなつをとても可愛がっており、父親がわりのような気持をおなつにいだいているようだった。
おえんもかねて、徳次郎に弱点があるとするならば、おなつではないかと思っていた。
「そう、おなつ……」
「おなつが、ちかぢか結納をかわすそうですね。わたしは、ついちかごろまで勘ちがいをしておりましたよ。おなつがずいぶんあどけない顔をしているんで、十五くらいだと思っていたんです。それが結納まえの十七だとは気がつきませんでしたね」
又之助はおどろきまじりの表情でいったが、おえんがおなつの結納をきいたのも、つい最近のことだった。
「おなつの結納に、なにかいわくでもあるっていうの」
おえんは又之助の様子に、ただならぬものを感じていた。
「結納にってわけじゃあないんですが、おなつのことについて、ちょっときいたことがあるんです。これからそれをたしかめてこようと思ってます」
まだ確証まではないとみえて、又之助はくわしいことはいわなかった。
「そう、たのしみにしているからね。かえったら、おもしろい話をきかせておくれ」
と、おえんは又之助をおくりだした。おえんには、野犬におそわれておびえているおなつの表情がいまだにのこっている。おさなさをのこし、まだ年ごろの娘にはみえぬおなつにどんな事情《わけ》があるのか、興味ぶかかった。
又之助がでていって、四半刻(三十分)くらいたったころ、玄関の格子戸をあけて、あわただしく男が二人入ってきた。
一人は三十前後、もう一人は二十代半ばの町の者である。
「わたしらは駒形町の町役人から言いつかってきた者です。おたくの店の浜蔵って人が大変なことになっていますよ。大川橋のうえで人足ふうの者たちに喧嘩《けんか》をしかけられて、川へ投げこまれたんだ」
いきなり二人にそういわれて、おえんは驚愕《きようがく》していった。
「浜蔵は無事なんでしょうか」
「投げこまれてながされていったところを、運よく屋根船がとおりかかって、船頭がひろいあげてくれましてね。水をしたたか飲んでいるんで船からうつせないが、命はとりとめました。なにはともあれ、おたくの人に来てもらいたいんです。うなりながらしきりにあんたの名を口にしていましたよ」
おえんは、とるものもとりあえず、店つづきになっている天ぷら屋の帳場にすわっている仁兵衛にいきさつをつげて、弁天屋をでた。
浜蔵はこの二日ばかり店へかえっていなかったので、多少気がかりにしていたところだった。大川橋のうえで喧嘩をした人足というのは、もしかしたら木曽屋の木場人足かもしれぬとおもった。つけねらわれて橋のうえで難癖をつけられ、川へつきおとされたのではないかと推量した。
駒形町から使いがきたのは、大川橋から駒形へんまでながされ、そのあたりで屋根船にひろわれたのだろう。おえんはこころ急《せ》くおもいで、使いの二人と弁天屋をでていった。
日本堤の土手道を、小走りに山谷堀《さんやぼり》までかけつけた。
堀の桟橋《さんばし》に、駒形から漕《こ》ぎつけた屋根船がもやっており、船頭が待ちうけていた。
「さあ! いそいでやってくれ」
空《から》っ脛《すね》の船頭に声をかけて、使いの二人はのりこんだ。おえんも屋根の鴨居《かもい》に手をかけて、するっとのりこんだ。
「兄い、いきさきは、さっききたところだ」
船頭はまだ二十七八の者で、勇みな感じの男だ。
うなずいて、竿《さお》をひとつ突っぱって船をだした。
昼間のこととて勘当船とよばれる吉原がよいの船もまだ流れに浮かず、船宿の桟橋にずらっと首をつながれている。そのあいだをぬって、屋根船は川中へすべりでた。
流れはくだりだから、たちまち大川へでていった。川中の風はこころもち肌にひやりとするころだから、船頭は障子をたてて、簾垂《すだれ》をおろした。
船のなかにいても、おえんは浜蔵の容態が気づかわれてならなかった。いためつけられて投げおとされたのだとすると、命ながらえたのがせめてもめっけものである。冬でなかったのも幸いだった。浜蔵の着がえはひととおり風呂敷《ふろしき》につつんでもってきていた。
おえんがあれこれ心配しているあいだ、使いの者は饒舌《じようぜつ》になったり、だまりこんだりしていた。
船は山下|瓦町《かわらまち》から山之宿《やまのしゆく》、さらに花川戸《はなかわど》ときて、大川橋がちかくなってきた。
橋をわたれば、駒形町までわずかだ。ところが、船が岸辺からしだいに遠ざかって、川中へでていっているようにみえたので、おえんは簾垂をぽんと屋根のうえへまきあげた。船は岸辺からずっと遠のき、川中の中央あたりへでていた。
「駒形のどのあたりなんですか」
どちらにともなくたずねたが、二人は返事はしなかった。
不審が雲のようにわいてきた。こころなしか、二人の様子にもおちつきがなくなっている。ことさら二人ともおえんから視線をそらすようにしていた。
「あんたたち、駒形町の使いだといったのは、嘘だね」
言いながらおえんは、しまったとおもった。あわただしくでてきたものだから、ふだん外出のとき懐へ入れておく鉤縄《かぎなわ》をもってきていなかった。
若いほうの男が返事をするかわりに、おえんがあげた簾垂を乱暴にひきおろした。
見やぶられたことで、二人の男は逆におちついてきた。うす笑いが男たちの顔ににじんでいた。
「浜蔵が川へおとされたっていうのも嘘だね。おまえたちは、どこの者だね」
乱暴な言葉がおえんの口からとびだした。が、二人はあいかわらずうす笑いをうかべていた。
単調な櫓《ろ》の音がつづいている。
船頭に声をかけようかと思ったが、船頭が自分を助けてくれる侠気《きようき》の持ち主かどうかわからない。
「わかっているだろう。おれたちはあんたが推量しているとおりの者だよ」
「木場の木曽屋だね」
「水の上は家んなかもおんなじだ」
「ずいぶんきたないことをするじゃないか。筏師《いかだし》だか人足をつかってだましうちにするなんて。木曽屋の徳次郎を、あたしはちょっと買いかぶっていたようだよ」
「あんたも、少々おもいあがっていたようだな。女だてらに、男をなめていたんじゃないか。たまには、男のこわさを知るといいんだ。たっぷりとおしえてやろう」
「女とおもって馬鹿にするんじゃないよ。おまえたちなんぞに虚仮にされてたまるもんか」
怒りが体のなかに充満して、負けん気でいい返したが、おえんにはこの危機をきりぬける方策がおもいつかなかった。長刀《なぎなた》や小太刀のたしなみは少々あるが、屋根船のせまい部屋のなかに素手でいたんではどうにもならない。助けを呼んでも、川風に消されてしまうだろう。
そのときおえんの横手で、するするっと簾垂があがった。
まだほかに男がかくれていたのかとおもったが、櫓の音がやんでいる。不審におもって横手へ顔をむけると、
「あ!」
おえんは声をあげた。空っ脛の船頭が顔をのぞかしているのだ。そしてにやにやといやらしい笑いをうかべている。
「おえん、どうだね降参かね。それとも胴の間のなかで男三人に立ちむかうつもりかよ」
胴の間では若い方の男が、そういって笑いたてた。
「卑怯者《ひきようもの》! これが木場の男たちの正体かい」
おえんは毒づいたが、もうことのなりゆきはみえていた。
「ほかに、言うことはないのかい。あるんならば、いくらでもきいてやるぜ」
いいながらもう一人が、おえんにちかづいてきた。
おえんは後へさがろうとしたが、屋根船は天井がひくいので、立つことができない。すわったままで後ずさった。
そこへ蝗虫《ばつた》がはねるみたいに若い男が飛びついてきた。よけようとしたが、後はいきどまりだった。しばらく揉《も》み合ったが、もう一人のほうもちかよってきて、おえんの利き腕をねじあげた。
腕が折れそうになるまで堪え、激痛がはしったが、おえんは音をあげなかった。歯をくいしばってこらえた。
「そら、このままで剥《は》いじまえ」
うながされて、若いほうが朱の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》に手をかけてきた。
帯のむすび目をようやくさがしあてたが、せまいうえに船が横ゆれをするのでなかなか解くことができなかった。
「すわっている女をぬがすのは、むつかしいもんだ」
いらだって力ずくでひっぱろうとしたのを制して、年かさのほうがむすび目に手をかけてきた。
そのとき、
「だらしがないねえ、あんたたち。女の帯もほどけないのかえ」
さげすむようなうす笑いをうかべて、おえんがあいているほうの手で男の手をはらった。
男はきっとなったが、
「ばたばたしないで、手をおはなしよ。ちょっとはなれてみておいで。あたしが自分でぬいでみせてあげるから」
おえんの言葉で手をひっこめた。
しゅっと帯締をぬきとり、おえんはすわったままでくるくると朱《あか》い帯をといていった。といた帯を足もとにおき、伊達締《だてじめ》もすばやくぬき、浅葱《あさぎ》の地に紺縞《こんじま》の着物をおもいきりよくぬぎ捨てた。
男たちは声もなくみまもっていた。
緋鹿子《ひがのこ》の長襦袢《ながじゆばん》、まっ白な肌襦袢までとりはらわれて、畳のうえにおちた。
おえんは腰絹一枚の半裸になった。簾垂と障子をとおした光のなかに、おえんの体は彫像のようにうかびあがった。ちいさな蕾《つぼみ》のような乳首をつけた乳房がかたちよく上をむいている。肌には一点の染みも黒子《ほくろ》もない。
男たちはかたずをのんだ。おえんの勢いにのまれてか、すぐには肌に手をのばしてくる者はいなかった。おえんが腰絹に手をかけるのを待っていた。
「さあ、これでほとんど、あんたたちのおのぞみどおりだ。これだけじゃあ、かえって目の毒だろう」
おもいきり蓮《はす》っ葉《ぱ》にいいながら、おえんは覚悟をしていた。そしてすこしずつ船尾《とも》との境の簾垂へ身をちかづけていった。
「そうもったいつけるなよ。煮てくうも、焼いてくうも、こっちの料簡《りようけん》ひとつなんだから」
年かさの男がいらだってせっついたとき、おえんは最後のものをとりはらった。まぶしいばかりな全裸が浮かびあがった。そのせつな――、簾垂をはねあげておえんは船尾へとびだした。
女が全裸になったので、男たちには油断があった。一瞬、あっけにとられているうちに、おえんは船尾のへり[#「へり」に傍点]にたっていた。
秋の陽の光をいっぱいにうけて、裸身がうつくしくかがやいた。とみるまに、おえんは宙に身をおどらせ、飛沫《しぶき》をあげて水中にとびこんだ。あわてふためく男たちのさまが、瞬間おえんの視界のすみをかすめていった。
おえんは水中から浮かびあがると、後もみず駒形の岸をめざしてあざやかな抜き手をきった。
いきかう船の船頭がおどろいて櫓をやすめて、季節はずれの女の泳ぎ手にしばし見入っていた。
九月吉日。
塵《ちり》ひとつないまでに掃ききよめられ、打水された木曽屋の店頭に、熨斗《のし》水引をかけた斗樽《とだる》が十樽、大勢の若い者によってかつぎこまれ、さらに昆布《こんぶ》、かつ節、串《くし》うなぎ、するめ、塩鯛《しおだい》の荷がやはり熨斗水引にかざられてはこびこまれた。
この一行を宰領して木曽屋の玄関に入ったのは麻裃《あさがみしも》に紋付、袴《はかま》をはいて威儀をただした『たのみの使い』、いわゆる結納の使者である。当時、斗樽十、五荷十種の結納といえば、町家では最高の格式と贅沢《ぜいたく》である。使者はさらに、紅白二領の小袖《こそで》と帯を贈物にたずさえていた。
結納品の熨斗紙には、土橋屋平《どばしやへい》右衛門《えもん》としるされている。土橋屋といえば深川最大の呉服屋で、しかももっとも高い格式をほこっていた。たのみの使いをつとめているのは、土橋の親戚《しんせき》中での年寄役作左衛門である。
土橋屋の跡つぎ息子清太郎と、木曽屋のおなつの祝言がきまり、今日が贈遺の式日だった。舅《しゆうと》がわりの徳次郎が、やはり紋付、袴に麻裃で老母とともに作左衛門をむかえ、座敷で式三献《しきさんこん》の儀をつつがなくおこなった。
儀式がおわると、徳次郎は作左衛門を案内し、さらにおなつをはじめ家族、親戚一同をひきつれ、島田町の表通りにそう堀川に待機していた幾艘《いくそう》もの屋根船に分乗した。
船は舳艫《じくろ》をつらねて、堀川を南へすすんだ。
三十三間堂のまえをとおって、汐見橋《しおみばし》をくぐり西へしばらく漕《こ》ぎすすんでいくと、深川・門前東仲町がちかくなってくる。やがて堀川ぞいに、板塀でかこったおおきな料理茶屋がみえてきた。
橋のかたわらに桟橋《さんばし》があり、そこから平清《ひらせい》の玄関につうじていた。平清といえば、山谷の八百善《やおぜん》、芝の売茶亭《ばいさてい》とならぶ著名の料理茶屋である。
「みなさま、おいでなさいまし」
桟橋にそろいの半天をきた河岸番の若い者が大勢でむかえており、一行を母屋へ案内していった。平清の客はこうして大半が屋根船で桟橋へのりつけ、河岸番の案内をうけるのだ。
一行は二階の大広間へとおされた。婿側の結納にたいして嫁側がこれにこたえて、これから祝儀の宴席をはるのだった。
土橋屋の平右衛門夫婦をはじめ、婿の清太郎、その弟妹、親戚一同が平清についたのは、それからしばらくたってからだった。
当時の料理茶屋といえば、きそって庭と風呂場《ふろば》を自慢にしたもので、両家の者たちは二階から数寄をこらした平清の庭をながめ、堀川のむこうの榊原《さかきばら》の森、森のさきの海の景観に目をたのしませた。
そしておいおい、五十畳あまりの大広間に、両家の者が着座していった。両家で五十余人におよぶ宴席だった。正面に清太郎とおなつ、双方の両親がならび、あとは右と左にわかれていならんだ。
そのあいだを大勢の仲居が銘々膳《めいめいぜん》に銚子《ちようし》、料理皿、吸物椀《すいものわん》などをならべてはこびこんできた。宴なかばで、地元よりすぐりの羽織衆がどっとくりこむ手はずになっていた。
徳次郎はいちど席についてすぐ、小用にたった。厠《かわや》は大広間のまえの廊下をいったつきあたりにある。
廊下には座敷がいくつかならんでいる。
徳次郎は大広間のとなり座敷へきかかったとき、おもわずたちどまった。座敷はあけはなたれており、なかで男三人と女一人が膳をならべて、にぎやかにはなしこんでいた。徳次郎がたちどまったのは、女がおえんだったからだが、三人の男のうちの一人の顔をみたときに、足がその場に釘《くぎ》づけになり、さらに顔から血の気がひいていった。
「おやおや、木曽屋の徳次郎さん、これはおひさしぶり。せんだってはたいそう手のこんだおもてなしにあずかって、ありがとうございました。おかげさまで、秋のさなかに水練をたのしむことができましたよ。わたしもあれで、悪どい手口をつかっても商売するだけの馬屋としての覚悟ができました。今日ははからずも、そちらさまのおめでたい座敷にとなり合わせまして、幸運でございました。わたしもそちらさまのおめでたにあやかりとうございます」
おえんはにっこり笑って、上機嫌で声をかけた。皮肉がたっぷりきいていたので、又之助と浜蔵がどっと声をあげてわらった。
「おや、徳次郎さん、どうなさいました。おめでたい席がはじまろうってのに、なんだかお顔の色がすぐれませんね。心配ごとでもあるんでしょうか」
つづけざまにおえんは言いはなった。
「こんなところで、今時なんのたくらみだい。どうせよからぬ相談だろう。今日はかくべつの式日だ。大広間の邪魔になることはひかえてもらいたいものだ」
徳次郎はどうにも気になるとみえて、たち去ることができないのだ。
「平清の座敷を全部買いきったわけじゃあございますまい。わたしたちは、せんからここの座敷をとってあったんですよ。自分で借りた座敷でなにをしてようと、そちらさまのお指図はうけませんよ」
「蠅のようにうるさくて、だに[#「だに」に傍点]のようにしつこいやつらだ」
「そういわれて、照れもおくれもしないのが、馬屋の身上でございますよ。ひっぱたかれても蹴《け》られても、たとえ体に火をつけられたって、途中で投げだすようじゃあ、一人前の馬屋とは申せませんからね。いちどくらいついたら、なにをされてもはなさないのが馬屋の商法というもんですよ」
徳次郎の目のなかに憎悪がひかりだしたが、おえんは気持よさそうにぽんぽん言った。
「今日は、待ちもうけてなにが言いたいんだね」
「馬屋の言い分は、お勘定いがいにはありませんよ。ご宴席がはじまったら、お祝いかたがた、この島吉《しまきち》をつれて、大広間をおたずねしようとおもってたところです。ご両家ご一統さんのそろった宴席なら、たった五十両、ぽんと内祝いにくださらぬでもなかろうし、島吉もぜひお嬢さんに一言お祝いを申したいと言いますんでね」
そういうと、いっそう徳次郎の顔が蒼《あお》ざめていった。徳次郎は、おえんのとなりでいじけたように下をむいている二十二三の自堕落な感じの男をねめた。
「島吉、おまえ、おれとの約束をやぶったな。おまえは二度と川(大川)の東側へは来ねえはずじゃなかったのか。その約束で、おれはおまえをゆるしてやったんだぜ。今日、こんなところへ姿をみせてるのは、どういう料簡だ」
徳次郎の言葉はどす[#「どす」に傍点]がきいていた。ひくい、凄《すご》みのある声で、島吉をなじった。島吉は徳次郎に視線が合うのをさけ、不貞《ふて》くされたように箸《はし》で畳のへりをつついていた。
「だから島吉は、お嬢さんにお祝いのごあいさつを言いにきたんでしょう。おととし、木曽屋を追いだされてからも、島吉はずいぶんお嬢さんのことを気にかけていたそうですよ。おととし以来、今日はじめて川をわたったんです」
おえんが口をそえたとき、
「島吉、手めえ、しゃべったな」
徳次郎の目のなかに、炎《ほむら》のようなものが燃えた。
「殺してやる!」
うめくように言いざま、徳次郎は座敷のなかへふみこんでこようとした。それをはばもうと、又之助と浜蔵がすっとたちあがった。が、その必要はなかった。
「木曽屋さん、みなさんがお待ちかねです。もうお席へついてくださいませ」
大広間から仲居が徳次郎を呼びにきたのだ。その言葉で、徳次郎は我にかえり、こころをしずめたようだ。
徳次郎は大広間へもどり、主催者の座についたので、この場で騒ぎがおこるのはいったんは避けられた。
「島吉、どうだい。大広間へのりこんで、おまえとおなつさんとのことをあらいざらいぶちまける度胸はあるかね。無理にとはいわないよ。もしあるんだったら、十両でやってみないかね。一座の者たちがど肝をぬかれるよ。徳次郎をはじめ、木曽屋の面目は丸つぶれ、祝言はたちどころにぶちこわしだ。さぞ腹のうちがすっきりすることだろう」
おえんはけしかけた。島吉がたじろぐのではないかとおもったが、
「わたしははじめからそのつもりですよ」
島吉は表情もかえず、おそれる気色もなく言ってのけた。
「徳次郎の吠《ほ》え面《づら》がみてみたい。おなつには気の毒だが、しかたがない。おれを裏切ったむくいだ。徳次郎にはおととし恥をかかされいためつけられたしかえしができる」
島吉は覚悟をしていた。
島吉は十五の年から木曽屋へ丁稚《でつち》奉公にきて、陰日なたなくはたらいた。もうぼつぼつ手代になれるという一昨年、島吉はおなつとできた。
できたというよりも、木曽屋の親戚に祝儀があって家の者たちがでかけた留守、島吉は隙をみておなつにおそいかかり、おさえつけてしまったのだ。おなつはそれを家の者にうちあけなかったので、その後も島吉は隙をみてはおなつを言いなりにしてきた。
まじわりを何度かかさねていくうちに、はじめはいやいやだったおなつも、しだいに島吉になじむようになった。強いられてかどうか、まねごとの夫婦約束までしたのだが、半年ほどたったその年の秋、二人のことが家の者に知れ、徳次郎が激怒して、島吉を半ごろしの目にあわせた。そして、二度と深川、本所へ足をふみ入れぬことを約束に命だけたすけ、島吉を放逐したのだった。
又之助は木曽屋をかぎまわっているあいだに、そのことをどこからともなくききつけた。
いらい足を棒にして島吉をさがしまわり、せんだってついに両国の盛り場でみつけ、おえんにひき合わせたのだった。
「一昨年《おととし》っていえば、おなつはまだ十五じゃないか。そんなときから、おまえとそんなことになっていたのかえ」
おなつのあどけない顔をおもいうかべながら、おえんはため息をつき、島吉にはなし[#「はなし」に傍点]をもちかけたのだった。
大広間に羽織衆が二十人ばかりくりこんでから、宴席の雰囲気ががらりとかわって、はなやかに、にぎやかになった。おえんが島吉をひとりつれて大広間へ入っていったのは、それから間もなくだった。
おえんは大広間のいちばん末席へすすみでて、正面へむかってふかく一礼した。その瞬間、正面にならんだおなつと徳次郎、さらに老母の顔に驚愕《きようがく》の色がうかび、ひきつっていくのがわかった。
三弦、太鼓、唄《うた》がやみ、一座はしいんとしずまった。
「とつぜん他人様《ひとさま》のお座敷へ参上いたしましたご無礼をおわび申しあげます。わたくしは、木曽屋様には昨今いささかのご交誼《こうぎ》をこうむる者でございます。が、本日たまたまとなり座敷にいあわせまして、木曽屋様のご祝儀を知りました次第でございます。知りましたうえでご宴席を素通りいたしましては、日ごろのご交誼にもとるものとかんがえまして、ただ今、お広間へまかりでましたわけでございます。ご無礼をおゆるしいただきまして、わたくしの粗末な祝儀をおうけとりくださいまし」
といっておえんは正面に視線をすえた。おなつは島吉をみて失神しそうな色になっており、徳次郎はこらえてはいるが、憤激が今にもはじけそうになっていた。
おもくるしい沈黙が数瞬つづいた。沈黙のなかで、徳次郎の忍耐とおえんの勝負度胸との、ぎりぎりの相剋《そうこく》がつづいた。
この数瞬が、勝負をわける切所《せつしよ》だとおえんは気迫をこめた。
(わたしの祝儀は、この島吉だよ。島吉をおなつさんにくれてあげよう)
徳次郎の出方を待たず、さらにそう言いはなとうとしたとき、
「おえんさん、わざわざ当方の祝儀にこころをくばってもらってありがとう。あなたの好意は遠慮なくいただかせてもらいますよ。ただし、ここは木曽屋と土橋屋さんの席だ。おえんさんは土橋屋さんとかかわりはないのだから、場所をかえて、あなたの座敷でうけとろうよ」
さすがに徳次郎は悠然と、油断も隙もなくいって、おえんをうながし、自分もたちあがった。
そして、となり座敷へくるなり、
「おれの負けだよ。五十一両三分、みみをそろえてあんたにわたそう。今若い者をとりにやらせる。宴席がおわるまでにはとどくだろう」
とおえんに言った。
とどこおりなく結納がおわった日から数日後。
徳次郎が、宵の一時、ひさかたぶりに吉原にあらわれ、ぶらりと江戸町一丁目の扇屋をおとずれた。
おもいがけぬ客だが、勘定は先日弁天屋をとおしてきれいにすんだばかりだから、扇屋としては徳次郎をせく[#「せく」に傍点]理由はなにもなかった。
徳次郎の名ざしは、いうまでもなく豊鶴である。これもことわる理由はなかった。
客とおいらんの痴話喧嘩《ちわげんか》はよくあることだ。
豊鶴が座敷へやってきて、仲なおりの盃《さかずき》となった。
やがて床がおさまって、徳次郎は立てまわした屏風《びようぶ》のむこうで、豪華な五つ布団に身を横たえた。豊鶴もかんざしや笄《こうがい》をとり、仕掛けをぬいだ。
豊鶴が添い寝してまもなく、身をひきさくような絶叫が、布団のなかでおこった。
豊鶴の中指の爪が、根元からひきぬかれていた。
[#改ページ]
第三話 暗闇始末
日が昏《く》れなずんで、西の空があかく焼けている。山谷堀の水面が砂金をしきつめたように、金波にかがやいている。
浜蔵は土手のへりまであるいてきて、たちどまった。土手の斜面は足もとから急勾配《きゆうこうばい》になって、水面におちこんでいる。
浜蔵は対岸をみつめながら、おもむろに前をまくった。いきおいよく放出すると、ながい抛物線《ほうぶつせん》をえがいて水際ちかくへ落ちていった。排泄《はいせつ》の快感にひたりながら、浜蔵は放尿しつづけた。落ちていく途中で、小便にかすかな虹《にじ》がかかった。
こころゆくばかり用をたしおわって、足もとの虹がきえたとき、
(…………?)
眼下の水面に妙なものをみとめた。はじめみたとき、黒っぽい着物が上流《かみ》からながれてきたのかとおもった。その着物から白い手足がはみだしているのがみえたとき、はじめてぎょっとなった。
浜蔵はすぐさま、土手から身をひるがえした。この土手は日本堤といい、山谷から新吉原の遊廓《ゆうかく》へむかう道になっていて、堤ぞいに田町二丁目、一丁目が長くつづいている。
「お、お嬢さんっ、すぐにきておくんなさい!」
表通りをつっきって、弁天屋へとびこんで浜蔵はさけんだ。土手からここまで、半丁たらずの距離なのだ。この道の両側に、越後屋、青柳、さらに弁天屋などの馬屋がある。
ところが、弁天屋の店内には、どこにも人影がない。
「お嬢さん!」
もう一度大声をだして、浜蔵は店先から天清の帳場のほうへかけこんでいった。昨年、父親の仁兵衛が馬屋を廃業して天清の帳場にすわってしまったのを折《しお》に、娘のおえんが馬屋をついだのだ。
帳場の中に浅葱色《あさぎいろ》の縞《しま》の留袖《とめそで》がみえた。
「騒々しいね。ここはそんな大きな店じゃないんだから、わめかなくたって十分きこえるよ」
おえんは二丁目小町と呼ばれているうつくしい顔をこちらにむけて、やんわりときめつけた。浜蔵は十四五のころから弁天屋に住みこんでおり、彼女とはいくつも年がちがわぬ。仁兵衛が馬屋を廃業したときちょっとの間青柳へうつっていたが、おえんが弁天屋をつぐとともにもどってきたのだ。
「めずらしい所にすわっているじゃないですか」
おえんが天清の店にでることなど滅多にないのである。
「お父っつぁんが急用で、一時《いつとき》だけあずかっているんだよ」
「それよりも、すぐにきておくんなさい。人間がながれてきてんですよ。もう水死体《どざえもん》になっちまってるかもしれねえ」
山谷堀のこのあたりでは、毎年数回はかならず身投げがおこる。いわば身投げの名所だ。
「岸辺のほうをながれてるから、どうしてもお嬢さんの手が借りてえ」
浜蔵がそういったとき、おえんはもう腰をあげていた。素足に塗りの駒下駄をつっかけて、天清をとびだした。浜蔵もはしった。
あざやかな縞の裾《すそ》を風になびかせて、土手を下流《しも》にむかって、おえんはかけた。
「あれですよ!」
浜蔵は今さっき小便をしたところからだいぶ下流のほうを指さした。黒っぽい着物をひろげたようなものが水面に浮いている。岸辺ちかくの澱《よど》みにただよいながら、ゆっくりとながれている。おえんは今までに何度も水死人をみたことがあるので、すぐにそれとわかった。着物の色からして男である。山谷堀をのぼりくだりする屋根船や猪牙舟《ちよきぶね》もぽつんぽつんとみえるが、それに気づく船頭はいないようだ。
おえんと浜蔵はさらに下流へむかってかけた。土手の両側には、ところどころ葭簀《よしず》ばりの水茶屋がならんでいる。
水茶屋がとぎれたところは斜面がなだらかになっていて、下には船宿の桟橋《さんばし》がかけてある。おえんと浜蔵はかけおりていって、桟橋の先端でまちうけた。
「お嬢さん」
ちかづいてくるにしたがい、水中に手や足がすけてみえた。足の裏がばかに白くみえる。うつ伏せになって浮いているのだ。
やがて、桟橋の先端から三間ほど先の川中をゆっくりとながれてきたとき、おえんがすっと右手をかざした。その手の先にきらりと光るものがある。
手を振りおろすと同時に、
ビュン
川風にこころよい音が鳴った。白絹の組紐《くみひも》が空中を飛び、その先端についているするどい鉤《かぎ》がながれてきた男の帯のむすび目にしっかりとひっかかった。手練の鉤縄《かぎなわ》術である。
ぴんと張った組紐をおえんと浜蔵がたぐっていくと、男は徐々に桟橋へひきよせられてきた。
そのころようやく、土手の上に人だかりがしはじめ、野次馬が数人岸辺へおりてくるのがみえた。
野次馬たちの手をかりて、男をようやく桟橋へひきあげたものの、やはりすでに水死体になっていた。
身もとがわかったのは、水死体が町奉行所《ばんしよ》にひきわたされた翌日だった。日本橋・小舟町《こふねちよう》の油問屋山崎屋伝兵衛の番頭をつとめている利七郎の消息がなくなっていることが、二日まえ女房から町名主へとどけられていた。女房おふみがその死体をみて、利七郎であることをたしかめた。
「なんでえ、油問屋の番頭だとわかっていたら、なにもわざわざ気持のわるいおもいをして、ひき上げてやるんじゃあなかったぜ」
弁天屋の用談部屋で、浜蔵がおもわずいった。
「あのまんまうっちゃっておけば、やがて海へながれでて、魚の餌にでもなってたろうに。惜しいことをしちまいましたね。お嬢さん」
「仏の悪口をいうのはおよし。いいの悪いのいうのは、生きているうちだけのことさ」
おえんはたしなめたが、
「いいえ、それも相手によりけりですよ。昨今、油問屋のわがまま放題だけはゆるす気にはなりませんや。油問屋がきたねえ商売《あきない》をしてるのは昔からのことだっていいますが、ちかごろのあこぎなやり方ときちゃあ、堪忍なりませんよ」
浜蔵は油問屋の番頭の水死体をひきあげてやったことが、口惜《くや》しくてならないのだ。
「まあ、そういったことはいえるけどね……」
おえんもその実、浜蔵のいい分がわからぬではないのだ。
「このごろ江戸の夜といえば、どこへいってもまっ暗闇じゃあありませんか。油屋どもが『船間《ふなま》』だとか『切目』だとかいって、油をしまいこんじまって売らねえもんだから、夜を照らす行灯《あんどん》の油がふつうの者じゃあ手のとどかねえ高価《たか》いもんになっちまった。こんな馬鹿なことってありますか」
「そうだねえ、弁天屋のほうはどうってことはないけれど、天清は店がたてこむ夜になったら、もう早じまいだものね。夜の商いは、みなあがったりさ」
「それもこれも、みんな油屋どもの仲間組合がけったくして、占買い、売り惜しみをしてるからですよ。油改所《あぶらあらためしよ》や町奉行所は問屋どもの後手にまわって、とても取締りのききめなんかありゃあしませんよ。なかでも、小舟町の山崎屋伝兵衛は油屋仲間のワルだってきこえてるじゃありませんか」
この一月くらいつもってきた怒りだけに、浜蔵の気持はどうにもおさまらないのだ。
浜蔵がいうように、このところ日がくれると江戸中どこへいっても暗闇ばかりだ。蝋燭《ろうそく》はもともと高価なものだから、庶民の日常の照明にはほとんどつかわれない。せいぜい仏壇か神棚の灯明につかわれるくらいだ。だから夜の商売はよほどでなければやれないし、つつましいくらしの町家などでは、日がおちたらすぐに戸をたてて寝てしまうしか手はないのである。
「おいら孫子の代まで、油問屋の者と口をききたくねえな」
浜蔵がそういった夕《ゆうべ》からかぞえて五日めの昼さがり、弁天屋に吉原の引手茶屋の番頭がおとずれてきた。仲ノ町の中ほどにある梅屋という茶屋で、もう二十年ちかく番頭をやっている儀助《ぎすけ》という者である。
「浜蔵、油問屋と口をきかなきゃあならない羽目になりそうだけれど、おまえ、どうする」
儀助がかえってから、おえんがいった。
「え? そいつは商売の筋ですかい」
浜蔵はちょっと困惑した顔になった。
「吉原《なか》の梅屋がね、小舟町の油問屋に八十両からの貸しがあるそうだけど、相手はどうでもはらう気がないらしい。かんがえあぐねて、ここに足をはこんだそうだよ」
「へえ、あこぎに大もうけしている油問屋がね」
八十両は庶民にとっては目のくらむような大金だが、金蔵に小判がうなってる油問屋としたら、さほどの大金とはおもわれぬ。
「その金には、いわくがありそうなんだよ」
「小舟町の油問屋って、まさか……」
「まさかなんだ。相手は山崎屋伝兵衛だよ」
「ほんとうですか」
「嘘なんかいわないよ。浜蔵、これはちょっとこんがらかったことになってきそうだ。利七郎の水死とも、かかわりがあるかもしれない」
「この仕事、是非わたしに手つだわしてくださいな。利七郎の一件といい、どうでもおれには山崎屋との因縁がありそうだ。山崎屋から八十両、ふんだくってやろうじゃありませんか」
浜蔵の目がにわかにかがやいてきた。
「又之助といっしょに、山崎屋伝兵衛のあたり[#「あたり」に傍点]をとっておくれ」
又之助は浜蔵よりすこし年上である。彼もずっと弁天屋にいたが、一時下谷で堅気の奉公をして、それに嫌気がさしてもどってきた。
おえんに命じられて、又之助と浜蔵はその日から伝兵衛の人柄や経歴、家族、使用人、交際《つきあい》、商売むきなどをしらべはじめた。
浅葱色《あさぎいろ》の縞《しま》の留袖《とめそで》に、目のさめるような朱の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をやや胸高にきっちりとしめたおえんの姿が山崎屋の店先にたったのは、それから数日後のことである。
江戸の大きな油問屋はほとんど本船町《ほんふねちよう》、伊勢町《いせちよう》、小舟町にあつまっている。山崎屋は船積問屋や海産物問屋などがならぶ小舟町二丁目の大通り、中ノ橋のたもとにある。
間口が十間くらいある大店《おおだな》で、店の裏には大きな倉庫がある。番頭だけでも利七郎をふくめて四人いたというし、手代が十数人、小僧が三十人からいるというにしては、店先も店内もひっそりとしている。船間で、油をつみこんだ大坂の船がいっこう江戸に入ってこない、と理由《わけ》をかまえて卸売りを停止しているので、開店休業のありさまをこのところずっとつづけているのだ。
案内を乞《こ》うと、やがて店の奥から、大柄で骨格のたくましい、みるからに精悍《せいかん》な感じの男がでてきた。これが伝兵衛だった。
年齢《とし》は五十八歳のはずだが、それほどにはとてもみえず、顔の色や皮膚には壮者をしのぐツヤと張りがみちている。又之助や浜蔵からきいてはいたものの、おえんは一目みて圧倒されるものをおぼえた。
「吉原から馬屋がきたっていうから、どんなこわい兄さんかとおもったら」
伝兵衛はおえんをみるなり、推量のはずれた顔でそういった。
「浅草田町二丁目に住まいます弁天屋おえん、と申します。どうぞお見知りおきを」
伝兵衛の射すくめるような視線をうけながら、おえんはお辞儀をした。
「わたしは山崎屋の主人だが、馬屋に用はないはずだよ」
めずらしいものをみるような顔をして、伝兵衛はおえんをじろじろとみた。胸や腰、足にまでぶしつけな視線をはわせた。
「さようでございますか。おたくさまには端《はし》た金《がね》でございましょうから、きっとおわすれなのかもしれません」
やんわりといって、
「これをご覧になっていただいたら、ああそんなことがあったなとおもいだしてくださるでしょう」
おえんは懐中からおりたたんだ二枚の書面をとりだして、伝兵衛にみせた。
証文
[#ここから3字下げ]
こふね町山崎屋でんべえ番頭りしちろう勘定、八十両一分二朱、た町二丁目べんてん屋おえんどのに取りたておねがひ申すべく、委細おまかせいたすものなり
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]梅屋うち儀助
一通の書面にはそう書いてあり、もう一枚には利七郎が梅屋でついやした勘定の明細が書きこまれている。伝兵衛は読み通して、
「うむ」
と顔をあげた。
「これが、いうところの馬屋証文だな」
その顔に嘲《あざけ》るようなわらいがある。
「どうでしょう。おぼえがございましょうか。ございましたなら、証文どおりわたしのほうへお支払いになってくださいませ」
おえんがそういっても、伝兵衛の顔からわらいが消えなかった。
「おえんさんとやら、あんた、なにか勘ちがいをしていなさるようだね。梅屋の儀助さんもおんなじだ」
「…………」
「以前、うちにいた番頭の利七郎が、梅屋さんに勘定をこさえたのはこれでみるとどうやら本当らしい。けれどもその勘定書をこちらへもってきて、払ってくれというのは、ちょっと無理じゃあないだろうかね」
おえんは、あるていどそんな返事を予想していた。
「利七郎さんは、もう死んじまった人だから、お店とはかかわりがない。以前の勘定も山崎屋さんでは支払えない、ってことでしょうか」
「それはちょっとちがうんだ。その馬屋証文や明細書にも、山崎屋でんべえ番頭りしちろう、となっているじゃあないか。わたし宛のもんじゃあない。たしかに利七郎はうちの番頭だったけれども、利七郎が梅屋でこさえた勘定は、うちとはかかわりのないものなんだよ」
「だったら、これはみんな利七郎さんが、梅屋で勝手にあそんだつけ[#「つけ」に傍点]だとおっしゃるんですか」
「さあ、利七郎が勝手にあそんだのか、それともお客をあそばせたかはしらないが、店が使用人の不始末の尻《しり》ぬぐいをみんなやらなければならないということはないだろう」
伝兵衛はふてぶてしくいった。
「利七郎さんは商いのために、梅屋さんをつかっていたのじゃあないでしょうか。今までも、山崎屋さんでは利七郎さんの勘定をいつもきちんと支払っていたそうじゃございませんか」
「今まではそうだったよ。ところがさいきん利七郎はわるいことをおぼえてね。仲買いの商人や武家屋敷に油の横ながしをしていたんだ。そのため大坂へは、店の仕入れ高に割りまして注文していたんだな。わたしの目がくもっていたというのか、そんな者を一番番頭にしていたのはお恥ずかしいかぎりだが、先だってそれがわかって、店をくびにしたところだよ。この勘定もきっと、その横ながしのために人をもてなしたんじゃないだろうかね」
おえんは返事ができなかった。
伝兵衛のいうことには嘘のにおいがぷんぷんするが、嘘なりに一応筋がとおっている。この嘘をつきくずさないかぎり、伝兵衛から八十両とりたてるのは困難なのだ。
「利七郎さんが、店に内緒でこさえた勘定だというんですね」
「油の売り買いというものは、公儀《おかみ》の取締りのなかでおこなわれているもんだ。さいきんの品不足でみな油問屋がきたないもうけをしているようにいわれているが、それはとんでもない間違いだよ。公儀のきびしい目がひかっていて、売るにも買うにもお許しがいる。横ながしをみつかれば、御法のさばきが待っているからね。実際、利七郎はそれがみつかって、お調べをうけていたんだ」
おえんは初耳だった。又之助と浜蔵があたりをとったかぎりでは、そうしたことはでてきていなかったのだ。
「じゃあ、利七郎さんが川へとびこんだのは……」
「おそらく、お裁きをうけるのがおそろしくなったんだろう。わたしも巻添えをくって、横ながしのことで公儀にいたくもない腹をさんざさぐられたよ。飼い犬に手をかまれたとはこのことだ。その上、こんな証文をもってこられて、いきなり八十両はらえっていわれたって、それは無理難題というもんだ」
「このお勘定をはらえば、山崎屋さんが横ながしに加担したか、あるいは指図したとみられるおそれでもあるんですか」
「ま、そんな心配はまるきりないがね」
伝兵衛はおえんがかけたかま[#「かま」に傍点]を難なくはずした。
「利七郎さんが横ながししていたとか、お調べをうけていたとか、またその利七郎さんをくびにしたとかは、わたしも存じませんでした。けれどもそれは後になってからのことでございましょう。利七郎さんが梅屋でこの勘定をこしらえたときは、れっきとしたおたくの番頭さんだったのだから、ここは一つ仏になった人の供養がわりに、山崎屋さんできれいにしてやるのが筋ではないでしょうか。きくところによると、利七郎さんは腕のいい番頭さんで、ずいぶん山崎屋さんのためにはたらいたという噂ですが」
「供養や噂のために、八十両もの金ははらえないよ。おえんさん、でなおしておいで」
江戸は昔から、油のとれないところである。原料になる菜種が関東にはないし、綿実の油もとれない。せいぜい鰯《いわし》からとれる魚油が房総方面から供給されるが、量からすればごくわずかである。
江戸で照明につかわれる油のほとんどは、『下《くだ》り油《あぶら》』といって、大坂から船ではこばれてくる。大坂には江戸向問屋というのがあって、ここが江戸からの注文をうけて、菰巻《こもま》きにした樽《たる》づめで回漕《かいそう》する。
ところが、時化《しけ》で海が荒れたり、ほかにも事情があったりして船が入らなくなると、江戸ではとたんに油の値段がはねあがって、市民のくらしにさしつかえる。明暦《めいれき》の大火のすぐ後も入荷ができなくなって、江戸の夜は暗闇になってしまった。安永《あんえい》から天明《てんめい》にかけてのころも、しばしば大坂からの入荷が切目になり、油問屋が売り惜しみをし、市場から油がなくなって、問屋と仲買いは大もうけをしたが、庶民はひどい難渋をした。
そんなこんなで、幕府ははやくから油の売買についての取締りをおこない、需給の調整につとめてきた。享保《きようほう》年間いらい、油問屋はかならず荷受けのとどけをするようにし、相場についても毎月三度、五の日にさしだすよう町触れでとりきめた。
寛保《かんぽう》元年には、本船町に油改所をつくり、仲買商人が大坂へ直注文するのを禁じ、改所をとおして、問屋から仲買い、仲買いから小売りへ、という取引の系統をたてた。改所の役人は一定の権限をあたえられ、問屋、仲買い、小売りの商人が店をひらいたり、とじたり、所替え、名前替えをするにもその都度報告をさせた。
公儀がこれだけの管理をしているのだから、以後油の価格が安定したかというと、けっしてそうではなかった。問屋たちは船間をみこして、占買いをし、蔵づめにして隠匿し価格をつりあげた。
公儀が、五の日にさしだされた値段に異をはさんでも、実際に市場に油がみあたらないのではどうにもならない。深川一帯にある貸し蔵に蔵づめにしてしまえば、みつかることはほとんどない。
問屋たちは役人の目をくぐり、また馳走《ちそう》、賄賂《まいない》のあの手この手で彼等を籠絡《ろうらく》したのである。籠絡された役人は問屋たちの違法に目をつぶったり、かばいだてして、かえって彼等のかくれ蓑《みの》になったものである。それでも目にあまる場合には、近年(天保《てんぽう》初年)では町奉行所のなかに新設された諸色調掛《しよしきしらべがかり》がのりだしてきて、しらべにあたることがある。
山崎屋からのかえり、おえんは吉原にたち寄った。そろそろ夕景にかかるころで、仲ノ町には夜見世《よるみせ》をまちかねた遊客の姿がちらほらしていた。
梅屋の帳場には、折よく儀助がすわっていた。
「山崎屋へいってきましたね」
さすがに儀助は人をみる商売とあって、おえんの様子をみただけで、いいあてた。
「なんとかなりましょうか」
儀助はそればかりが気がかりなのだ。二十年から引手茶屋の番頭をやっている者が、一人の客から八十両ものこげつきをつくってしまっては、主人にたいしても申しわけがたたぬし、店ではたらく者たちにたいしても示しがつかぬのだ。
「今のところ五里霧中ですけれど、そのうちには明りがみえてくるでしょう。今日はもうちょっとくわしい事情《わけ》が知りたいとおもいまして」
とおえんは帳場のまえにすわった。
「どんなことでしょう」
「利七郎さんのあそび相手は、どんな人でした?」
「なじみの遊女《おんな》ですか」
「いや、つれのお客です」
「あの人は自分のあそびでくることはありませんでしたね。いつもお客づれでした。商い筋の方のようでしたよ」
「お客はみんな商人《あきんど》でしたか」
そうきいたとき、儀助の顔にためらいの色が浮かんだ。
「さあ、そうとばかりはいえないようです……」
「なかにはお武家もいたんじゃあありませんか。公儀のお役人などもきていたんじゃあないでしょうか」
「店にあがるお客さんの身分、役柄を詮議《せんぎ》するわけではありませんので、たしかなことはいえませんが……」
「それらしいのがきてたんですね」
「ほとんどがそうでした」
客商売、水商売はなにによらず、公儀によわいものである。とりたててよわい尻がなくても、なるべくならば公儀との変なひっかかりはもちたがらない。さわらぬ神にたたりなし、を儀助もはじめはきめこもうとしたが、おえんの追及であっさりと吐いてしまった。
「そうでしょうねえ。それでなくては、わずか三月か四月のあいだに八十両もの勘定をこしらえるなんてことはありませんよ。利七郎さんは役人のもてなしに、梅屋さんをつかってたんですね」
「そうかもしれません」
「利七郎さんと、梅屋さんのおつき合いはながいんですか」
「もう三四年来のお客でした。派手にあそんでくれる、いい客で、お勘定もこれまではいつもきちんとしていました。三月めくらいには、小舟町のお店《たな》で支払ってくれていましたが」
「山崎屋の主人も、それを知っていたんでしょうね」
「それはよく承知のようでしたね。ご主人は梅屋にいらしたことはありませんが、勘定をいただきにお店へいって、わたしなどもごあいさつはいつも申し上げておりました」
「そうですか」
おえんの胸のうちで、謎がふかまった。
(ほんとうに、利七郎は内緒で横ながしをしてたんだろうか?)
謎をいだいたまま、ひとまず弁天屋へもどった。
その翌日から、おえんは利七郎についてのしらべをはじめた。
浜蔵には山崎屋伝兵衛の身辺をさぐらせており、又之助にはべつの用事をいいつけてあるので、利七郎についてはもっぱらおえんがあたった。
利七郎は今年三十六歳だった。この年齢《とし》で山崎屋の一番番頭として腕をふるっていたのだから、その才腕のほどが知れようというものだ。
彼は十一歳のとき、山崎屋に奉公にきた。その当座から、目はしのきいた小僧ぶりだったそうだ。主人夫婦にも気に入られて、手代になるのも、ほかの者たちより二三年はやかった。二十九歳で、あまたいる先輩の手代たちをおいぬいて番頭にあげられたのは、山崎屋の過去にも、ほかの油問屋の中でもあまり例がなかった。そのときは店の中でもやっかみの目でみられたが、利七郎はそれを仕事のうえではねのけていった。
四人の番頭の中でも、利七郎の業績はつねにきわだっていた。とりわけ顧客《とくい》をひろげていくのがうまくて、従来の顧客を確保していくばかりでなく、大名屋敷、旗本屋敷へも進出していった。大名屋敷は大諸侯となるとつかう量が莫大《ばくだい》だから、もうけが大きいだけではない。武家屋敷の消費は『自家用』になるので、油改所《あぶらあらためしよ》の詮議や取締りのらち外であったから、なにかと好都合なのだ。
そして番頭になってから四年めの一昨々年《さきおととし》、三人の先輩をぬきさって、一番番頭の地位についた。二十九のとき、おふみという娘と祝言をあげ、長谷川町《はせがわちよう》の三光《さんこう》稲荷《いなり》の裏で所帯をもって、かよい[#「かよい」に傍点]になった。はじめは借家だったが、何年もたたぬうちに買いとって自分のものにした。今では六つの男の子と四つの女の子がいる。
何日かたった日の午後。おえんは浅草御門をでて、長谷川町のほうへ足をのばした。
大門通りを新道《しんみち》へまがって、三光稲荷のちかくで、
「このまえ亡くなった利七郎さんの家は?」
とたずねると、近所の女房がすぐにおしえてくれた。
それはこぢんまりとした庭もあり、しゃれた植木が垣根ごしにみえる瀟洒《しようしや》な家だった。買いとったときに建てなおした家なのだ。
「もし」
玄関の格子戸をあけると、やがて利七郎の女房があらわれた。
おもっていた以上にいい女である。あまり化粧もしていないのに、うつくしさはかくしようもない。とても六つと四つの子がいる女にはみえぬ。亭主をなくしたばかりなので、かなしさをにじませた雰囲気がいっそう同情をひく。色白で柳腰。まだ二十一二といってもとおる女である。
こんな女房と二人の子供を家にのこして、自分から命をちらした利七郎の胸中を、おえんは一瞬おもいやった。
「わたしは、浅草田町に住んでおります。たまたま家がちかくでございましたので、ご主人のご遺体をひきあげました。これも、なにかの縁だったのでございましょう。今日、ちかくをとおりましたので、お線香をおあげしたいとたち寄りました」
「まあ、それは……」
おふみは声もないありさまで、たちまち涙をうかべ、おえんを位牌《いはい》の前にみちびいた。
「なにはさておいても、お宅さまへ御礼にうかがわねばなりませぬところ、いろいろなことにとりまぎれて失礼いたしておりました。まことに相すいません」
「そんなことはお気になさらないでくださいまし。大変なことがつづけておこって、おこころをずいぶんお悩ましでしたでしょう」
油の横ながしについての公儀《おかみ》の取り調べ、利七郎の身投げ、またそれについてのお調べ、そして葬儀《とむらい》……。この一月のあいだにおこったさまざまな事件は、どれ一つとってみても、女の身には容易でないことばかりである。
おえんはその悔みをいいにきたのだ。利七郎の勘定をここから取りたてるつもりでは毛頭なかった。ところが、おふみの表情には妙に伏し目がちなところがあって、それがおえんには気がかりだった。
利七郎の死によって、油横ながしの取り調べはうやむやのうちに打ち切られてしまった。利七郎がいっさいの罪をみとめて、身投げによってすべてを清算した、という形で事件は落着したのである。
(その落着を、おふみはどう受けとめているんだろうか?)
おえんは悔みがてら、おふみの反応ぶりがわかれば、と長谷川町にやってきたのだった。
仁兵衛の姿がみえないのをよいことに、おえんは弁天屋から天清の店内へ入っていった。
やがて暮れようかという頃合で、客たちのなげ合う声がしだいに大きくなっていた。小座敷の一隅があいているのを目にとめ、そこへあがりこんだ。
「一本つけておくれ」
小声で女中にいいつけて、徳利をはこばせた。
「お嬢さん、みつかると叱られますよ」
女中がいうと、
「なに、みつかることがあるもんかね」
おえんは投げやりにいって、いい手つきで独酌をし、猪口《ちよこ》を口へはこんだ。にがみが口の中にひろがり、のみくだすとさらに臓腑《ぞうふ》へしみわたっていった。が、にがみだけではないまろやかさのようなものがその中に感じられ、しばらくの間をおいて、ふたたび猪口をかたむけた。
おえんが仁兵衛にかくれて酒を口にしはじめたのは、馬屋をはじめた昨年からのことである。芳醇《ほうじゆん》さといったものまではよくわからぬが、にがみの奥にあるえもいわれぬ味わいに酔いしれたくなるときが、一つの仕事をやっているうちに二度や三度はあるのだった。
いくら体裁のいいことをいっても、やはり馬屋はまともな稼業とはいえぬ。まして娘がやるような商売ではない。とれぬ相手から金をむしりとるのだから、まともなことをしていたのではつとまらぬ。身の危険をいつも覚悟していなければならないし、相手の弱みにつけこんだり、威《おど》したり、罠《わな》にはめることだって必要なのだ。
徳利が七分くらい空になったころ、ふんわりと体がかるくなるような気分になってきた。
(これでよそうか、もう一本もらおうか……)
ためらいながら徳利をかたむけようとしたとき、かたわらからすっと手がのびてきて、その徳利をとりあげた。
みおぼえのある手である。みあげると、目の前に仁兵衛がたっている。
「おえん、一人の酒は気がめいるもんだ。おれが相伴《しようばん》してやろう」
仁兵衛は意外なことをいって、徳利と猪口をもう一つずつはこばせた。
「お父っつぁん」
「おまえと酒をのむなんて、はじめてだな」
いいながら仁兵衛はおえんに酌をして、さらに自分の猪口に酒をそそいだ。
父と娘はそれからしばらくのあいだとりとめのない言葉をかわしながら、酒を酌み合った。
「お父っつぁん、今日なにかあったんですね。あたしになにかいいたいことがあるんじゃありませんか」
おえんがそうきりだしたのは、仁兵衛の徳利も空になったときである。
「うむ、たいしたことはねえのだが、おまえの気持をちょいときいておきてえとおもったのよ」
「なにがあったの」
「いやな……、じつは今日の昼間、以前の知り合いに会ったんだ」
と仁兵衛がいいだすにおよんで、おえんははっと胸をつかれた。
馬屋の主人はだいたい十手捕縄をあずかっているのがおおいものだ。仁兵衛だって今では堅気の天ぷら屋の主人におさまっているものの、六七年まえまではご多分にもれず二足の草鞋《わらじ》をはいていた。おえんはなんとなく仁兵衛はその筋の者と会ったのだな、と直感した。
「おまえ、今、小舟町の油問屋の取りたてをやってるそうだな」
「なかなかあくどい男でね。そのうえしぶといやつなんで、今はにっちもさっちもいかないところだけど」
相手が父親だけに、おえんはちらと本音をのぞかせた。
「油問屋仲間でも凄腕《すごうで》できこえている男のようだが、見とおしはあるのか」
「一つきっかけさえあれば、追いつめていけるんじゃないかと、今それをさがしているとこですよ」
「なかなかむつかしいのじゃないか」
「どうしてお父っつぁん、そんなこというの」
「今日、八百蔵《やおぞう》といってな、堀江町小舟町あたりを縄張にしている目明しが、ここにたずねてきたんだよ」
「やっぱり……」
「八百蔵はな、なんとなく山崎屋とおまえのかかわりを口にしていた。山崎屋からやつんところへ、かなりの小遣いがでてるんだろうよ」
「手をひかせろ、っていわれたの?」
「そこまではむこうだっていえた義理じゃねえし、こっちもいわれる弱みはねえ。それとなく昔なじみの縁でたのみにきたんだろう」
おえんはさもない様子で、のこり酒を口にふくんだが、腹のうちにいかりがこみあげていた。口の中ににがみがひろがった。娘にそんな目明しの意をつたえた父親にではなくて、油問屋にたのまれて仁兵衛に会いにきた八百蔵という男に、いかりが湧いてきたのだ。
山崎屋ばかりでなく、大きな商家などには、たいがい出入りの目明しがいるものである。用心棒がわりになることだし、つまらぬ紛争にまきこまれるのをふせいだり、ささいな事件のもみ消しをたのんだりするために、月々、あるいは半季ごとに手当をわたして、目明しを出入りさせているのだ。
「おえん、おめえ、腹をたてているな」
仁兵衛がいった。
「お父っつぁん、八百蔵って人に、義理も弱みもないっていったけど」
「ああ、本当さ。おまえや若い者が本気でやってる仕事に水をさすようなおれじゃねえ。おまえさえやる気ならば、おれに遠慮はいらねえんだ。おもう存分やるがいい」
「お父っつぁん、それでこまることはないんですか」
「おれはもう、目明しでも、馬屋でもねえ。他人《ひと》にごたごたいわれるような筋合はなにもねえよ」
「すいませんね、お父っつぁん。わたしは、山崎屋からどうしても八十両とりたててやりたいんですよ」
「おれにあやまることはねえ。おまえが昨年《きよねん》馬屋をやるっていいだしたときは、どうにもこればっかしはやらせたくねえとおもったもんだが、もうおまえも後もどりはできねえだろう」
「お父っつぁんもずいぶん変りましたね」
「おまえには、馬屋の天分があるんだろう。おれよりも腕のいい馬屋になるかもしれねえ」
仁兵衛がほろにがい顔でいった。
ところが、八百蔵のたのみをことわったしっぺ返しはたちどころにあらわれた。
その日も、浜蔵は早朝から弁天屋をでて、日がのぼるころには、小舟町にやってきた。又之助もおなじ時刻に弁天屋をでて、深川へまわっていた。これは山崎屋相手の取りたてをはじめてからの日課になっており、両人とももどってくるのは日が暮れてからである。日によっては、夜ふけになることもあった。
和国橋《わくにばし》をわたって、小舟町へ入ると、とたんに鰹節《かつぶし》や海苔《のり》、こんぶ、干し魚などのにおいがただよってくる。山崎屋の両どなりは海産物問屋で、まえは船積問屋である。
中ノ橋のまえにたつと、山崎屋はようやく店の大戸をあげたところだった。ふだんはもっと朝がはやいのだろうが、なにせ船間《ふなま》で商売にもならぬのだから、しぜんに朝もおそくなっているのだ。
中ノ橋のたもとにたつと、山崎屋の店先と勝手口が両方みとおせる。中ノ橋は伊勢町の米河岸と小舟町をつなぐ橋である。橋の上を米俵をつみあげた大八車をひく米人足がいききし、袂《たもと》のかたわらには、米人足相手のめし屋や居酒屋が早朝から店をあけている。
浜蔵はひとしきり山崎屋のまわりをめぐってから、居酒屋へ入り、店のいちばんとっつきの、山崎屋の店先と勝手口がみとおせる小座敷にあがった。居酒屋の中は、この時刻から半分くらい人足たちでうまってくる。
浜蔵は一本の徳利とつきだしだけで、半|刻《とき》(一時間)はねばる。もう一本で、あと半刻ねばる。どんな日でもそのうちには、店先から伝兵衛の姿があらわれる。すると浜蔵はただちに鳥目をおいて、伝兵衛のあとをつける。もう何日もおなじことをくりかえしているのだ。
この日も、二本めの徳利を半分くらい空にしたとき、店から伝兵衛がでてきた。浜蔵も、ゆっくりとたちあがった。
だがこの日は、伝兵衛のうしろに男が二人ついていた。二人とも着ながしに白足袋、草履のいでたちだが、堅気の者とはどこかちがう物腰である。浜蔵はちょっと気になったが、居酒屋をでて三人の後を追った。
伝兵衛は堀江町のほうへあるいていき、男二人は橋の袂《たもと》にのこった。
浜蔵の目と、なんとなく二人の目が合った。浜蔵のほうが視線をはずし、堀江町のほうへむかおうとしたが、男たちはなお執拗《しつよう》に視線をからめてきた。そして浜蔵にちかづいてきた。危険を察知したが、こうしたことははずみ[#「はずみ」に傍点]のもので、浜蔵とて今さら後もどりはできなかった。
「あにい」
声をかけてきた男は三十代の半ばくらいだ。そんな年齢の者から『あにい』とよばれるいわれはなかった。
(目明しか、手先だな)
と察したが、
「あにい、山崎屋になにか用事かね」
いやな言葉つきで浜蔵の顔をねめまわすように寄ってきた。もう一人のほうは二十七八で、人を小馬鹿にしたような顔つきでにやにやわらっている気持のわるい男だ。
「山崎屋に用事はないが」
こたえると、
「そんなことはねえだろう。だから毎日、店の前をうろつきまわってるんだろう」
とおっかぶせてきた。
「いやちがう」
「用事だったら、おれがきいてやろう。いってみろ」
浜蔵は前をさえぎられて、すすめなくなっていた。
「あんたにも、用事はないよ。道をあけてくれ」
というと、若いほうがなにがおかしいのか、突然けたけたわらいだした。
「あやしい野郎に、道はあけられねえ。じつはな、山崎屋が盗人《ぬすつと》どもにねらわれている、って情報《しらせ》がはいってるんだ。山崎屋の金蔵に盗人どもが目をつけて、様子をさぐりに手下を張りこませてるって噂がある」
「とんでもねえ」
弁解しようとしたが、二人がそれをきく気のないことはあきらかだ。
「あにいには、あやしい節がいくらでもあるんだ。ちょっと話をきかせてもらいてえ。番屋までつきあってくんな」
どうでも浜蔵を番屋へつれていこうという魂胆なのだ。
「じ、冗談じゃねえ、おれは」
「ま、冗談でもなんでもいいからよ。いいたいことがあるんなら、番屋できかせてくれ」
「ここではなせば、わかることだ」
浜蔵はむきになったが、彼等はとり合わなかった。
「やましくねえのなら、番屋をこわがることはねえだろう。ついてきねえ」
浜蔵は左右から両腕をとられて、つれ去られた。
浜蔵のゆくえがわからなくなったのをききつけて、新五郎が弁天屋に顔をみせた。
新五郎は以前、仁兵衛の片腕として弁天屋の番頭をつとめていた者だ。仁兵衛が隠居して、新五郎も一度は弁天屋をはなれたが、今でもなにかとおえんの力になってくれている。
「八百蔵か、八百蔵の息がかかった手先のしわざだ。こっちが手をひかねえかぎり、浜蔵はかえってこないかもしれませんね」
いままでの経緯《いきさつ》のあらましをきいて、新五郎はいった。
おえんと又之助も同感だった。
浜蔵の身柄は心配だが、かといって今さら山崎屋から手をひくわけにはいかないのだ。ここで手をひけば、弁天屋の信用がくずれてしまう。今後引手茶屋、遊女屋で弁天屋へ取りたての依頼にくる者がいなくなるだろう。越後屋や青柳にたちまち客をとられてしまうだろう。
「さもなかったら、はやいとこ山崎屋の弱みをおさえて、伝兵衛をゆさぶってけり[#「けり」に傍点]をつけちまうほかはないでしょうね」
新五郎はさらにいった。おえんも浜蔵をすくいだすには、そうするほかはないとおもった。
「このけりをつけるには、なんとしてものっぴきならねえ伝兵衛の弱みをにぎるしかないだろうね。油改所の役人をあらってみる手はあるんだが、下手にここへ手をつけたら藪蛇《やぶへび》だからね。らちもねえ泥沼にはまっちまうおそれがある」
「そうだねえ」
おえんもそれは知っていた。ここへさわってはいけないということは、本能的にかぎわけていた。
「いっちゃあなんだが、まだおえんさんでも公儀役人を相手にするのは力不足だ。おれだってだめだろうがね。ともかく今は山崎屋をたたくことだね。なんたって、元凶は山崎屋なんだから」
新五郎の言葉を頭にたたきこんでおいて、おえんはこのところ、長谷川町がよいをつづけていた。
おえんは線香をあげにいってはじめて見たときから、おふみの様子に少々ひっかかるものをおぼえていた。彼女の身辺から、伝兵衛のうしろぐらい秘密がたぐり寄せられるのではないかという気がしていたのである。
利七郎が横ながしの責任をとって身投げしたということにも、おえんは謎と疑いをいだいていた。あまりに事のつじつまが合いすぎているし、山崎屋にとって都合のよい結果になりすぎている。
油問屋といえば、昔から占買い、売り惜しみ、横ながし……、とつねに多くの疑惑と非難をもたれつづけている商売なのに、利七郎一人が死んで、山崎屋の内部の諸悪がきれいに糊塗《こと》されてしまったことが、とりわけうさんくさくおもわれるのだ。利七郎と伝兵衛とのあいだには、外部《そと》からはうかがいきれぬかかわりか葛藤《かつとう》があったのではないかと想像していた。
それでおえんは、長谷川町の三光稲荷のあたりをききこみにあるいた。ばかりでなく、おふみの身辺の探索も丹念にやった。
幾日めかに、手がかりらしいものをえた。
「おふみさんのところに、ときたまくる男がいる」
こんな話を耳にはさんだ。
「まさか? あのおかみさんに男が……」
はなしてくれたのは、三光稲荷のちかくでおふみの家をおしえてくれた女房である。
信じかねるが、ないとはいえぬことである。馬屋になって世間の暗部をのぞきはじめてからというもの、おえんは、どんなにうつくしくみえる花にも一つくらいキズがあることを知っていた。
(あのおかみさんならば……)
いいよる男がいたっておかしくはない。男をひきつける色香はたっぷりのこっている女ざかりである。しかも若後家である。いっそう男の興味と食指をそそってなんの不思議もない。
「どんな男でございます?」
「それが姿を他人《ひと》にみせたことがないから、どんな人かわからないんだよ」
という奇妙な返事だ。
「いつも駕籠《かご》でのりつけてくるか、それとも頭巾《ずきん》か覆面でも」
かさねてたずねると、
「いや、その男がかよってくるのは、いつも夜中らしいんだ。しかも夜があけないうちにかえっていくから、正体、素顔をみた者はいないんだよ」
「でも、利七郎さんが亡くなってから、まだ一月もたっていないのに」
「それははたの者がかんがえることさ。当人たちにとってみれば、やむにやまれぬ事情《わけ》があって、そうしたことになったんだろう」
「あのおふみさんが……」
おえんとても男をしらぬ体ではないが、夫婦のかかわり合いや、男と女の体のつながりについて、そう深く知っているわけではなかった。
「あのおかみさんが後家になれば、そりゃあ世間の男がほうっておかないだろうよ。いくら女の身持ちがかたいからって、まわりにいる男が狼ばかりだったら、女は体をまもってはいけないからね」
おえんは何が何でもその男の正体をつかんでやらねばならなくなった。
そして、日がおちてから、おふみの家を見張りはじめた。
昨今、江戸の夜はまだ油不足が解消していないので、夜のはたらきには好都合な暗闇の世界だ。この夜は、かすかな月明りが路地の石ころをつめたく照らしている。
亥《い》の刻《とき》(午後十時)ごろ、大門通りからもう寝しずまった三光新道へまがった提灯《ちようちん》の明りがある。が、まがりはなにふっとその明りが消えた。
顔をみられぬ用心のためとしかおもわれぬ。おえんはこころをひきしめて、物陰にかくれ、その者がくるのを待った。
月明りの道をふんで、ちかづいてきた。その者はおえんが物陰にひそんでいるすぐ前をとおりすぎて、おふみの家の玄関へ入っていった。
おえんは月明りの中で、その人物の姿をみた。
(…………!)
彼女は男の顔をはっきりみて、声もでぬほどの衝撃をうけた。
その男とおふみとのあいだにどんな合図、約束があるのか、誰何《すいか》の声もなく、男は家の中へあがったようだ。
それからおえんは、ずっとその場をはなれなかった。寅《とら》の刻(午前四時)ちかく、男が家をでていくのをたしかめたうえで、おえんもそこをたち去った。
「山サじるしの蔵づめ倉庫を、とうとうみつけましたよ」
といって又之助がおえんのまえに姿をあらわしたのは、その翌々日のことである。
「ほんとうかい!」
おえんはおもわず甲高い声になった。
又之助はもう一カ月ちかくも山サの油樽《あぶらだる》をさがして、深川一帯を血まなこになってあるいていた。山サはいうまでもなく、山崎屋の商標である。
「深川・佐賀町下ノ橋のちかくの貸し蔵ん中に、山サじるしの油樽がぎっしり蔵づめになっております。ざっとみましても、五六千樽はありましょうか。貸し蔵六棟につまっておりますからね。ききしにまさる占買いですよ」
日ごろ年のわりには冷静でおちついた風情をみせる又之助も、さすがに興奮気味でうわずった声で報告した。
一樽に三斗九升の油がつまっているから、これは莫大《ばくだい》な量である。五六千樽というと、江戸市民がつかう一月ぶんちかくの量に相当するのだ。
「でかしたねえ、とうとうやったかい。これで伝兵衛のぐうの音もでない証拠がつかめたじゃないか。大金星だよ。ごくろうさん」
おえんにほめられて、又之助は素直によろこびをあらわした。
「佐賀町下ノ橋といえば、油堀のちかくじゃないか。灯台もと暗しとは、よくいったねえ。伝兵衛はよほどふてぶてしい男なんだね。よくもそんなにしまいこんだもんだ」
「まったくですねえ」
「これで伝兵衛だけが大もうけをしていい目をみたんじゃあ、利七郎さんはまったくうかばれないねえ。成仏だって、できないだろう」
おえんもすぐには興奮がおさまらなかった。
江戸庶民をながいあいだ苦しめつづけてきた油問屋の悪の一端をあばくことができれば、こんなに痛快なことはない。まして、これをねた[#「ねた」に傍点]にして伝兵衛をいためつけ、浜蔵をたすけだし、八十両とりたてることができれば、一石三鳥、シメコの兎とおえんは口の中でつぶやいた。
「又之助、今すぐそこへつれてっておくれ。場所だけでもたしかめておきたいんだ」
おえんは一時《いつとき》もまてぬようにいった。
「目だたないように案内いたしましょう。山崎屋の者にわかると、面倒なことになりますからね。やつらのことだ。そっくり別の倉庫へうつさないでもありませんから」
深川佐賀町は、大川端とさらに幾筋もの堀端に、ずらりと倉庫がたちならんでいる。船からすぐに荷揚げして、蔵づめにすることができるのだ。一時にうつしかえることは無理でも、何日かかければできないことではない。
おえんは、縞《しま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》といういでたちをあらためて、ごく目だたぬよそおいに着かえて店をでた。
「でも、よく山サじるしをみつけることができたもんだねえ。あれだけの蔵がたちならんでいるんだもの、一つ一つあたったって、簡単にみつかるもんじゃない。それに見当はついたって、たしかめるまでにはなかなかいかないからね」
「蔵番をだまして中へ入るのに、いちばん苦労をしましたよ」
おえんと又之助は、山谷堀から乗合で大川をくだり、終着・永代の船着きでおりた。
橋のむこうの川端には、倉庫の白壁がすき間なく、びっしりと立ちならんでいる。
新五郎と又之助はもう一刻(二時間)ちかく、闇の中にひそんでいた。
二人の背後には、稲荷《いなり》境内の杉林のしげみが鬱蒼《うつそう》とした黒い影になってよこたわっている。月明りで門がまえがおぼろにしずんでみえる。
両人がひそんでいるところは、一昨日、おえんが物陰にかくれていたおなじ場所である。今夜、おえんの姿はここにはない。
「お嬢さんは、大丈夫でしょうかね」
又之助がつぶやくようにいった。
「なんともいえねえ。危いといえば、これ以上あぶないことはない」
新五郎はぶっきら棒にひくい声でこたえた。が、声音の中には又之助におとらぬ心配がひそんでいる。
「おれは、こんなあぶねえ仕掛けはよしたほうがいいといったんだが」
又之助がつづけると、
「今さらそんなこといってもはじまらねえ。それよりも、虎穴《こけつ》に入らずんば虎子《こじ》をえずだ」
新五郎はたしなめた。
「そろそろあらわれてもいいころですね」
「うむ」
二人がささやき合ってから、しばらく沈黙がつづいた。時刻はもう亥の刻をだいぶまわっている。
「今夜はこないんでしょうかね」
「そんなことはないだろう」
まさにそのときである。大門通りに、ぽつんと提灯の明りがういた。とみるまに、それは消えた。
「きたようだぜ」
「お嬢さんがいっていたとおりだ。提灯を消しましたよ。やつにちがいありやせん」
新五郎と又之助は、それから身じろぎもせず、息をこらして待った。
やがて、ひたひたと足音がききとれる距離になり、月明りのなかにおぼろな影がにじむように浮かんできた。大きな人影はためらいもなくちかづいてくる。
男の顔が浮かびあがった。その半面はふとい眉毛《まゆげ》と、一見してただ者とはおもえぬ目がぎらついていた。大江戸の夜を支配している、とでもいった傲慢《ごうまん》さが顔と体ににじんでいる。
(伝兵衛め!)
又之助は心中で吠《ほ》えた。
伝兵衛は二人がひそんでいる前を悠然ととおりすぎていった。
そしてかつては自分の番頭だった利七郎の家の玄関へ、わが家のような態度で入っていった。子供二人はもうとっくに寝ていて、家の中は暗くしずまっている。あがろうとしたとき、玄関の奥から、ぼうっとうす暗い行灯《あんどん》の光がちかづいてきた。物音をきいて、おふみが明りをもってきたのだ。
「油などけちけちしないで、行灯をあかるくしたらどうだ」
おふみが下げてきた角行灯は灯心が二本で、さほどあかるいものではない。灯心二本はふつうの家ではあたりまえだが、蝋燭《ろうそく》の明りや三本灯心の行灯になれている伝兵衛には、よほど不愉快な明るさなのだ。
「油屋の者が油に不自由していたんじゃあ間尺にあわぬじゃないか。油などふんだんにつかいなさい」
以前から伝兵衛はよくそう口にしていた。けれども、おふみは、
「利七郎がいつも、油屋だからこそ、船間《ふなま》や切目のときはかくべつ、他人《ひと》さまがうらやむようなつかい方をしてはならぬ、といっておりましたから」
といって二本灯心をあらためようとしないのだ。伝兵衛はちいさく舌うちをしたが、よほど無理をかさねて自由にしてきている女のことなので、あまりしつこくはいわなかった。
おふみにみちびかれて、座敷へむかった。
座敷には、一通り酒の用意がしてあった。おふみは肴《さかな》と燗《かん》の用意に台所へたった。
この座敷にすわって肴と燗ができるのをまつあいだは、伝兵衛にとってこころたのしい時間である。この夜またおふみの体をおもいのままにできるよろこびにひたっているのだ。つい一月ほどまえまで、他人の女房だった女を自分の意にしたがえるよろこびは、ちょっとこたえられぬものだ。
女のこころの中にまだ大きなこだわりと抵抗があるので、それをおして帯紐《おびひも》をとかせる快味といったら、ほかでは味わえぬものである。帯紐をといたからといって、女がすべて男のいいなりになるというものでもない。体をひらく段になって、いつもおふみはもう一度いやいやをする。体をゆるすための儀式なのか、なろうことならこのままやりすごしてしまいたいとねがう気持がひそんでいるのか、本当のところは伝兵衛にもわからない。
が、その抵抗をとりはらって体をひらかせたとき、よろこびは二倍にも三倍にもなる。伝兵衛のこころのうちに、残酷なまでの興奮がたかまってくる。押しこんでいくときの快感が、またなんともたまらぬ。有明行灯のうす明りの中では女の表情ははっきりとはとらえがたいが、苦悶《くもん》の色をみせながら、しだいにそれが喜悦にかわっていくさまをみるのが、力を信奉する伝兵衛にとってもっとも愉《たの》しみなことだった。
伝兵衛はいつも、たっぷりとなぶっておいて、とどめを刺す。おふみの体のやわらかさと弾力といったら、まことに上等なものだ。なぶっているあいだに、おふみはしたたかに濡《ぬ》れてくる。はじめはいやいや受け入れたにもかかわらず、彼女は途中で我慢をきらしてしまう。もだえながら、しのび泣く。伝兵衛はその泣き声をきいていっそうふるいたち、そして果てるのだ。
そんなことをおもいかえしているうちに、おふみが座敷にもどってきた。
「弁天屋おえんという娘の馬屋が、いろいろ嗅《か》ぎまわったり、そこらあたりをつっつきまわしているんだ。ここにもたちまわってきたら、いいかげんに相手をしておくことだ。あることないこと、いいふらしてあるいているようだ」
いいながら伝兵衛はおふみの酌をうけた。酒はいつも、小半刻ほどつづく。
三四本の徳利があいたところで、伝兵衛は厠《かわや》にたった。それが床入りの合図なのだ。またしてもおふみの寝間の姿態をおもいうかべながら、伝兵衛は用をたし、手水《ちようず》をつかった。
もどってくると、座敷の膳《ぜん》や台はとりかたづけられ、となりの寝間に夜具の用意ができていた。
「おふみ」
声をかけたが、返事がない。が、寝間の夜具がこんもりともりあがっているのをみて、伝兵衛は内心ほくそえんだ。一本灯心の有明行灯が部屋の中を、うすぼんやりと照らしている。
(こいつも、ようやくその気になってきたようだ……)
一回めよりは二回め、二度めよりは三度め……と、しだいにおふみの態度は軟化している。気持が自分にかたむいてきたのだと、伝兵衛はやにさがった。
みだれ箱には、今まで彼女が身につけていた着物がきちんとたたまれている。伝兵衛は手ばやく自分の帯をとき、着物をぬいで、部屋のすみの衣桁《いこう》にかけた。そして用意されている浴衣《ゆかた》に着がえた。
はずかしいせいか、おふみは今夜も行灯に背をむけ、夜具のほうに身をよこたえている。
「可愛いやつだ」
伝兵衛は夜具に入るなり、うしろからおふみを抱いた。ここまで気持をひらいていても、まだ女の体にはいくぶんかたさがのこっている。かえってそれが男の気持をかきたてる。たまらぬ感触と手ざわりだ。
「おまえさえ、その気になってくれたら、悪いようにはしない。大名の奥方のような暮しを一生させてやるぜ」
伝兵衛はまえに手をまわし、浴衣のうえから胸乳《むなぢ》をつかんだ。着物のうえからみた以上におふみの乳房は量感がある。
浴衣の下に手を入れて、その量感をたしかめた。両方の乳房を二三度ずつやわらかくもんで、手ざわりをたのしんだ。乳首にもちょっとふれてみた。
「おまえに後悔なんかさせはしない。おれのいうことをきいてよかったと心底おもうようにさせてやる。この体もな……」
そういって、いったん手をぬき、その手を脇腹から腰のほうへ下げていった。腰のところで前へまわし、内腿《うちもも》へむけて手をすべらせた。女の肌のぬくもりを、おのれの掌《てのひら》でたっぷりとたしかめた。
「おふみ、おれだって心底おまえが好きなんだ」
伝兵衛がそういったとき、
「うふふ……」
とおふみがわらったような気がした。伝兵衛はききまちがいかと、一瞬ひるんだが、いっそう手をすすめてやわらかな草むらにおおわれたところへおいた。ところが、どうしたことかそれをするりとはずされた。そして、
「伝兵衛、おまえはおめでたい男だね」
おもいもかけぬ伝法な言葉が女の肩ごしにきこえた。おふみのものとはちがう、嘲《あざけ》りをこめた声である。
「おまえはだれだ!」
いうなり、伝兵衛は体をおこし、女をつきはなそうとした。が、それよりもはやく、くるりと女がこちらにむきなおった。女の顔をみたが、有明行灯のうす明りの中では、それが誰だかすぐにはわからなかった。
その一瞬のあいだに、女は電光のような早技を伝兵衛にしかけていた。身をひるがえすなり、鉤縄《かぎなわ》の鉤を男の浴衣の襟元へひっかけた。そして何がなにやらわからぬあいだに、三間の長さの組紐が蛇のように伝兵衛の体にまきついていった。
「おえんっ……」
伝兵衛がそううめいたときには彼はからめとられ、がんじがらめにされていた。
目明しが携帯している鉤縄というしろものは、鉤を相手の左の襟元にひっかけて、手っとりばやく一本縄でぐるぐる巻きにしてしまう。そうしておいてから、本縄をかけるのだ。鉤縄で巻かれてしまえば、たいていの相手はまず身うごきができなくなる。
おえんの鉤縄は自己流に改良したものだが、ほぼおなじ効果があった。
「畜生っ、はかりやがったな!」
大力にまかせて伝兵衛があばれようとしたが、そのときとなりの座敷から男が二人入ってきて、伝兵衛をおさえつけた。そしてたちまち、麻縄でしばりあげてしまった。
「伝兵衛、うすぐらい行灯がおまえの命とりだったねえ」
伝兵衛をひきすえて、おえんは小気味よげな声をあげた。
三本灯心の角行灯があかあかと部屋の中を照らしている。
「おまえが厠へたったすきに、おふみさんと入れかわったのに気づかなかったようだな。年甲斐《としがい》もなく色欲に目がくもっていたんだろう」
又之助も伝兵衛を正面からみすえて嘲った。
「八十両の金ほしさにこんなことをするとは馬鹿なやつらだ。今に後悔するだろう。おれは公儀《おかみ》をうごかす力だってあるんだ。後悔したくなかったら、今のうちに縄をほどけ」
それでもはじめのうちは、伝兵衛は虚勢をくずさなかった。三人を交互ににらみつけ、鉤縄の下でもがきながら恫喝《どうかつ》した。
「八十両と浜蔵はかえしてもらうよ」
おえんの言葉にも、伝兵衛はせせらわらった。
「浜蔵なんて小僧は知らねえし、八十両かえすいわれは毛頭ねえな」
「自分の番頭に罪をきせて、身投げにおいこみ、あろうことかその女房をなぐさみものにしていることが、世間に知れてもかまわないっていうんだね」
おえんが威《おど》しをかけても、
「利七郎は自分の罪咎《つみとが》を始末するために、身投げをしたんだ。公儀役人もそういっているぜ。おふみとの仲は両人納得ずくだ。利七郎も、のこした家族の面倒をたのむとおれに遺言しているんだ」
伝兵衛はふてぶてしく居なおった。
「おまえが利七郎さんに罪を背負わせ、死んだあとの家族の面倒をみるとかなんとか、身投げをそそのかしたんだろう。利七郎さんは追いつめられて、そうしたんだ。おふみさんもそういっているよ」
きめつけると、伝兵衛は一瞬たじろいだ。が、すぐに、
「そんな証拠は、どこにもあるまい」
とたちなおった。
伝兵衛が顔色をかえたのは、それまで沈黙をつづけていた新五郎がその場をはずし、やがてもどってきたときである。新五郎は箒尻《ほうきじり》と、水をいっぱいにみたした手桶《ておけ》をさげていた。
箒尻は拷問でつかう打道具である。長さ一尺九寸、まわり三寸くらいの竹を二つに割り合わせ、麻苧《あさお》でつつみ、その上から巻きかためたものである。重さはさほどでないが、長さといい手だまりといいとても使いごろにできていて、これで打ちすえるとみかけによらず威力があった。つづけざまにやられると、豪の者でも声をあげて泣きだすという。
「新五郎、手加減はいらないよ、おもいきり打っておやり。悪いやつに情は無用だ。ころしちまったっていいから、白状するまで責めつづけるんだ」
娘ざかりのおえんの口から、毒っ気にみちみちた言葉がほとばしった。
「まかせておくんなさい。十分念を入れてやりますよ。お嬢さんは悪党のもがきざまを、とっくりとご覧になってください」
新五郎はいいながらすすみでた。いいのがれのできぬ蔵づめの証拠をにぎっているだけに余裕があるのだ。
「利七郎さんの恨みも、かわってはらしてやるんだね。たっぷりと痛い目を馳走《ちそう》しておやり。それに浜蔵のぶんもおふみさんのぶんも上のせして責めてやるといい」
こころなしか、おえんの目が血ばしっているようにみえた。やはりこころがいくらか、たかぶっているのだ。
新五郎はうなずいて、前にでた。新五郎のほうは、水をうったように冷静な表情をたたえている。伝兵衛にちかづいて、胴体、手足などをしばった麻縄に手桶の水をかけた。麻縄は水をふくむと、きりきりと肌身にくいこんでいく。
伝兵衛の顔に恐怖の色がうかんできた。それを尻目《しりめ》に、新五郎はゆっくりと片肌をぬいだ。鬼面夜叉《きめんやしや》の彫物が、半分ほど背中からのぞいた。
びしっ
はげしく肉をうつ音がひびいた。
「うっ」
身をのけぞらして、伝兵衛はうめいた。
びしっ びしっ
つづけざまに箒尻は打ちおろされた。
「ううっ……、ううっ……」
悲痛なうめきがもれた。
新五郎は手をゆるめず、肩といわず、背といわず、何度も打ちおろした。そのやり口にはいかにもものなれた感じがうかがえる。
浴衣でおおわれていないところは、打たれたあとがみるみるうちに真っ赤な筋になってはれあがっていった。打たれるたびに伝兵衛の口から悲鳴があがり、体がしない、そりかえった。
二三十回も打ちすえると、皮肉が無残にやぶれて、鮮血がほとばしりでた。
それでも新五郎は力をゆるめなかった。おえんも、やめろとは命じなかった。肉を打つ音と、悲鳴はえんえんとつづいた。
五十回めくらいになると、新五郎の額にうっすらと汗がにじみはじめ、さすがに呼吸もみだれがちになった。
「たすけてくれ」
そのころになって、ようやく伝兵衛が弱音をはきだした。
それをきき捨てにして、新五郎が容赦なく打ちつづけると、
「やめてくれ! 勘弁してくれ。いうことはなんでもきく」
ようやく伝兵衛は降参した。
油改所の役人を籠絡《ろうらく》して、伝兵衛が大量の油を横ながしし、それを佐賀町の貸し蔵に蔵詰めにしていることを白状したのは、その直後である。利七郎に罪を背負わせたことも、甘言と威しをもちいておふみを犯したこともしぶしぶ白状した。
そして、梅屋の勘定八十両一分二朱に、利七郎の慰藉料《いしやりよう》として百両そろえてはらう段取りを伝兵衛はととのえた。
翌朝、浜蔵は番屋からひきだされた。百八十両の金とともに、浜蔵は口笛を吹きならして弁天屋にもどってきた。
[#改ページ]
第四話 鉤縄《かぎなわ》地獄
土手の片側は町並だが、反対側は一面の田圃《たんぼ》である。町並とはいっても、もうほとんど灯が消え、軒や屋根は薄ら闇の中にしずんでいる。
月あかりに田圃の水が黒くひかっている。蛙の声が騒々しい。田圃はひろくはてしなくつづいている。
(浜蔵の馬鹿め!)
おえんは腹をたてながら、日本堤の土手をいそぎ足であるいていた。おえんは提灯《ちようちん》もさげていない。
山谷から吉原につうじる日本堤は子供のころからとおりなれ、提灯なしで目をつぶってもあるける道だが、いくら男まさりでも、妙齢の身にはいかになんでも、土手の夜道はこころぼそい。昨年の暮だかには、つづけて二度このあたりで辻斬《つじぎ》りがでたことがある。一度は娘がさらわれた。
おえんは舌打ちを一つした。今ごろ浜蔵はちがう場所で提灯をもって彼女を待っているかさがしているだろうとおもうと、無性に腹がたった。
浜蔵はよく時刻や場所をまちがえることがある。今日六つ半(午後七時)に山谷橋の袂《たもと》まで提灯をもってむかえにきてくれることになっていた。浜蔵は一つ先の今戸橋とまちがえたのかもしれぬ。
(浜蔵のとんま)
店にもどったら横っ面の一つもひっぱたいてやりたいくらいの気持である。世間なみの娘ならば、相手が場所をまちがえても、さがしにきてくれるまでじっと待っているのが普通だが、そこは女だてらに付き馬屋の店を張っているお侠《きやん》が身上のおえんのことだ。夜道がこわくていつまでも待ち呆《ぼう》けてなんぞいられない。四半|刻《とき》(三十分)ちかく待ってから、さっさと土手の道をあるきだしたのだ。
吉原がよいの駕籠《かご》がときたま追い越していく。時刻柄、廓《くるわ》がえりの客はまだいないようだ。
山谷堀にかかる橋の袂をもう一つとおりすぎた。ここから田町一丁目になる。
田町は土手の南側にほそながくつづく町である。田圃の中にある町だから、その名がおこったのだろう。
おえんの店と住居《すまい》は田町二丁目のはずれにある。
やや風がでてきた。土手の道だから、風でおえんの裾《すそ》もめくれがちだ。夜道をさいわいに、そんなことにおかまいなく、足をすすめた。
そのとき、とつぜん田圃の蛙がいっせいに鳴きやんだ。
(…………?)
おもわずおえんは足をとめた。商売柄、日ごろからいつ危険に見舞われても仕方ない暮しをしているから、本能的に体が作用するのだ。
おえんは周囲の薄ら闇をすかして、じっとうかがった。その右手が帯のところへのび、帯締めにさしこんだかたいものに触れていた。
田圃のほうを、おえんは警戒した。
そのとき大きな蝙蝠《こうもり》がとぶように、ふわっ、ふわっ……と、黒い影が田圃から土手へ跳ねあがった。
「何者だいっ、女とみて悪さをしようってのかい」
機先を制するつもりで、声をあげた。が、それに対する声はなかった。かわりに、無造作に影がおそってきた。
影は全部で三つだ。娘とあまくみたのか、それとも数をたのんだのか、彼等は得物もかざしていない。
人をおそうのは慣れているとみえ、一瞬の遅速もなく、最初の男がおえんの正面にむかってきた。三人でかかれば難なく手捕りにできると踏んだのだろう。三人とも頬かぶりをしているので、月の光の下でも顔はよくみえぬ。おえんはとっさに数歩さがった。
「えいっ!」
するどい叫びとともに、おえんの右手から目にもとまらず得物がとんだ。
したたかな手ごたえが手の内にのこった。
「うわっ……」
正面の男が両手で顔をおおってのけぞった。彼女が手にしていたのは、目明しなどが捕り物のときにつかう鉤縄である。これをつかいやすいようにすこし手をくわえてつくりなおしたもので、縄のかわりに、絹糸であんだ組紐《くみひも》がついている。
鉤でひっかけておいて、しばりあげる道具だが、今は相手の顔にむかって投げつけたのだ。
その男がうずくまっているあいだに、おえんは紐をたぐって、鉤をひきよせた。
「しゃらくせえことをしやがったな」
「やっちまえ!」
のこった二人がはじめて声をだして、ほとんど同時にとびかかってきた。
「女とおもってなめるんじゃないよっ、命を捨てるつもりでかかっておいで」
叫ぶやいなや、右方の男をねらって、おえんはふたたび鉤縄を投じた。今度は相手の耳をねらったのだ。
男の悲鳴がまたあがった。鉤は男の耳にしっかりとひっかかった。たるんでいた紐がぴくと一直線に張ると、男の悲鳴が絶叫にかわった。
「やめっ、やめろ、やめてくれ!」
絶叫のあい間に男はさけんだ。
だが、そのときはおえん自身も危険にさらされていた。三人めの男に襟首をつかまえられた。鉤縄を投げたときに、その男に懐へとびこまれてしまったのだ。喧嘩《けんか》なれした手合いらしく、動作の隙をつくのが抜け目なかった。
「このアマ! しゃれたことをっ」
力と力のあらそいになると、おえんに分がなかった。男の力でおえんは身うごきがとれなくなった。
襟首をしめられていったため、しだいに呼吸《いき》がくるしくなり、気が遠くなりかけた。が、鉤縄の紐だけは、手からはなさなかった。どんなに息ぐるしくなっても、鉤縄をにぎりつづけた。
そのため男の悲鳴はいつまでもやまなかった。おえんが苦しまぎれにもがけばもがくほど、男の苦痛はつのる一方なのだ。
「はなせ……、はなしてくれ……」
哀願の声は息もたえだえになった。
(ちぎれてしまう)
鉤は男の耳を裏側からしっかりとひっかけているので、このままにしておいたら、いつかはずみで耳をちぎるおそれがあった。
「襟首をおはなしよ。でないと、この男の耳がちぎれるよ」
息ぐるしさに耐えて、おえんはしぶとい根性を発揮した。やるか、やられるか、ここで負けたらおしまいだという闘志が彼女をささえていた。
「助けてくれっ、たすけて……」
男の声が苦悶《くもん》になっていったとき、おえんの体が急に楽になり、息ぐるしさが嘘のように消えていった。襟首をしめていた男が手をはなしたのだ。その拍子に、おえんはぐらっとよろめいた。
「ぎゃあっ!」
悶絶するような声があがったと同時に、手元がかるくなった。よろめいたときに、鉤縄が耳をちぎったのだ。
おえんは鉤縄をたぐり寄せ、うずくまった男にはみむきもせずに、のこる正面の男に身がまえた。
「お父っつぁんは?」
数日後、外出《そとで》からもどったおえんは、天清の帳場に仁兵衛の姿がないのをみて、弁天屋の用談部屋にいた浜蔵にきいた。
「親父さんは、お客さんと一緒にでていきましたよ」
浜蔵は十四五のときからこの店に住みこみ、おえんと一緒に大きくなった。
「お客さんは誰?」
「さあ、なんでも吉原《なか》の人のようでした。弁天屋にきた客でしたから」
「そりゃあおかしいじゃないか、弁天屋にきた客にどうしてお父っつぁんが用があるの」
おえんがけげんな顔をすると、
「そうですよね、わたしもそのときそうおもったんだが、たまたま用談《こ》部屋《こ》にきていなすった親父さんが客の話をきいて、そのまま一緒にでていっちまったんですよ」
浜蔵はこまった顔をしていった。
彼はドジでも間ぬけでもないのだが、そそっかしいところがある。数日まえ、おえんが土手で三人の男におそわれたのも、もとはといえば浜蔵の早合点が原因である。さいわい無事だったが、すんでのところで大事にいたるところだった。おえんは翌朝、一応田町二丁目の町名主のところへ一件をうったえでていたが、今のところ三人の男について何もわからなかった。
「お父っつぁんの古いなじみかしら。でもお父っつぁんが今さら馬屋の仕事に首をつっこむはずはないんだけど……」
おえんは不審をおぼえていった。弁天屋はながいあいだ仁兵衛がやっていた店だが、彼が馬屋の足をあらって天清の帳場にすわってしまったので、今はおえんがやっている。
「いき先をきいておけばよかったですね」
「今ごろいったって、おっつかないよ」
不機嫌にいって、おえんは用談部屋をでて天清の小座敷の端に腰をおろした。
小女がやってきて、
「お酒、つけましょうか」
気をきかしてたずねた。
おえんはうなずき、
「一本たのむよ」
と応じた。
馬屋をはじめてからというもの、おえんは仁兵衛のいないときをみはからって、酒をのむようになっていた。ちかごろでは酒のうまさも苦さも両方わかるようになっていた。もってきてくれた酒を、おえんは独酌でやりだした。
仁兵衛のいき先がおもいあたらぬ。その客が誰なのか、見当もつかなかった。ともかく、仁兵衛が弁天屋にきた客と一緒にでていったというのは気がかりだった。
『馬屋をやってるのが、つくづくいやになったよ』
といって彼は弁天屋をやめたのだ。おえんはなんとなく、いやな予感をおぼえた。
浜蔵も気になってきたらしく、彼女の姿をさがして店内に入ってきた。
「おまえも、やるかい」
たずねると、だまってうなずくので、小女にもう一本酒をたのんだ。
「親父さんはどうしたんでしょうね」
「もう半|刻《とき》ばかり待って、もどらないようだったら、吉原へさがしにいっておくれ」
「承知しました。こころあたりをさがしてみます」
「お客とお父っつぁんの話はきかなかったのかい」
「親父さんが相手をしてくれていたもんで……」
「以前の知り合いかもしれないね」
「そういわれてみりゃあ、そんな様子もみえましたね」
「馬屋の仕事なんて、年寄には冷水なんだ。今さらこんなことに首をつっこんでもらっちゃあ困るよね」
おえんがことさら仁兵衛の身を気づかうのは、数日まえの夜のことがあるからでもあった。あの夜の連中は闇雲にとおりがかりの女をおそったというよりは、おえんと知っておそいかかってきたような気がしてならなかった。
おえんの徳利のほうがさきに空になった。やがて、浜蔵の徳利も空になったとき、店頭をむいた彼の顔がぱあっとあかるくなった。
「お嬢さん!」
浜蔵がいいかけたとき、おえんは後をふりむいた。当の仁兵衛が店に入ってきたのだ。
「なんだ、おまえたち、二人そろって」
彼はこちらの心配に頓着《とんじやく》なく、おえんと浜蔵にいった。
「お父っつぁんこそ、どこへいっていたの」
「おまえがいねえものだから、おれがかわって話をきいてやったよ」
「浜蔵がいたでしょう」
「たまたま知ってる顔だったから」
仁兵衛の言葉はどことなく歯切れがわるい。
「お父っつぁん、馬屋にもどりたくなったんなら、いつだってかわってあげますよ。あたしが天清の帳場にすわったっていいんだから。そのほうがお店は繁昌《はんじよう》するかもしれない」
おえんはたっぷりと嫌みをきかせていった。
「そんな気持は毛頭ねえが、今度の一件だけは、おまえにかわっておれが馬をつとめてやろうじゃねえか。おまえはこのところ野暮用にかかりきりだろう」
予想もしないことをいいだした。おえんはこの数日来、日本堤の土手で自分をおそった三人の行方を追及し、できるものなら三人の身もとと居場所をつきとめてやろうと躍起になっているのだ。
又之助がおえんの手つだいをして、あちこち走りまわっている。おえんとしては、あの三人をこのままみのがしておくわけにはいかなかった。公儀《おかみ》の探索が歯がゆくてみていられず、自分で犯人さがしをはじめたのだ。
「お父っつぁんが馬屋を手つだってくれるなら、そりゃあ百人力だけど、もういい年なんだから、天清をやってくれていたほうがお父っつぁんは楽なんじゃない」
「おれを老いぼれあつかいするのは止したほうがいい。おれが本気で馬をやったら、まだまだおまえたちにひけをとらねえ。どうだい、おえん、一度だけおれにやらせてみろよ」
「そうねえ、お父っつぁんがそんなにいうんなら、今回かぎりやってもらおうかしら。昔とった杵柄《きねづか》とやらで」
そうこたえたものの、おえんの胸の中にはわだかまりが居すわっている。なんで仁兵衛が掌《てのひら》をかえすように馬屋をつとめようといっているのか解せなかった。
「昔っていったって、そう遠い昔じゃねえ。勘どころだって、まだわすれちゃいねえさ」
おえんは仁兵衛がいつになく気負っているのも納得がいかなかった。
「取りたてをたのみにきたのはどこなんですか」
「梅屋だよ」
「え? 梅屋ですか」
「そうだ、儀助ではなく、主人の庄八《しようはち》さんがきたんだ」
梅屋は弁天屋の顧客《とくい》である。
「また梅屋がきたんですか」
庄八は店を女将《おかみ》と儀助にまかせて、自分はこの数年商売にたずさわっていなかったので、おえんも浜蔵も庄八の顔は知らなかった。
「儀助さんはどうしたんですか」
「儀助は体をわるくして、このところ葛飾《かつしか》の実家へもどっているそうだ」
「そうだったんですか」
前回儀助からたのまれて、おえんは小舟町の油問屋山崎屋伝兵衛から八十両とりあげたばかりでなく、船間《ふなま》につけこんで油の占買いで法外な利をむさぼっていた伝兵衛をさんざんこらしめてやった。
「わずか三月ばかりのうちに、梅屋の帳面で六十五両もの大尽あそびをして金をはらわねえ太《ふて》え野郎がいるんだ。梅屋の手じゃあ、もう始末におえぬからといって、庄八さんがやってきたんだよ」
「また大きな仕事ですね」
馬屋は取りたてた金の半分がとり分として懐に入る。が、何十両もの仕事はそう年中あるわけではない。数が多いのは、五両だの三両だのという仕事である。そういう小さな仕事も数こなさなければならないが、年のうちにいくつかは、何十両という取りたてをやらなければ、馬屋をやっていくことはできぬ。
「やり甲斐《がい》のある仕事だ」
「又之助か浜蔵をつけましょうか」
「手がたりなくなったら、どちらかをかしてもらうつもりだ。新五郎だっておれがたのみゃあ、助けてくれるだろう」
「あまり無理をしないで、ぼつぼつやってください。そのうちにはあたしも、例の三人をみつけて公儀《おかみ》へつきだしてやるから。そうしたらお父っつぁんの下ばたらきくらいさせてもらいますよ」
おえんがいうと、仁兵衛は満更でなく笑ってうなずいた。
仁兵衛の死体が不忍池《しのばずのいけ》に浮いたのは、それから半月もたたぬうちである。
それを最初につたえにきたのは、田町二丁目の町名主山田屋金兵衛である。そのときおえんは又之助、浜蔵と三人で朝餉《あさげ》の最中であった。
仁兵衛は前日でていったきり、昨夜もどってきていなかった。付き馬にでた場合、相手しだいによっては、尾行などでその夜のうちにもどれぬことがある。が、これはしばしばあることではない。よほどのことでないかぎり、いったん店にもどるのが付き馬の常道である。
朝餉をおえたら、又之助と浜蔵をさがしにだすつもりであった。馬屋時代の仁兵衛は仕事で家をあけることがときたまあったが、今はそれとおなじにはかんがえられなかった。口は以前と同様元気がいいが、体はもうだいぶいうことをきかなくなっていた。
「ほんとうに、お父っつぁんでしょうか」
顔からさっと血がひいていくのをおぼえながらおえんは金兵衛にいった。
「お気の毒だが、仁兵衛さんにまちがいない。わたしはお町奉行所《ばんしよ》から朝はやくよびだされて、不忍池までいってたしかめてきました。おえんさん、ともかく一緒にきてください。仁兵衛さんの遺体は池のほとりに引きあげてある」
おえんは金兵衛の言葉が信じられなかった。不穏な予感はいだいていたが、まさか仁兵衛が死んだとはかんがえられようはずがない。
「すぐに、いきます」
気丈にこたえたものの、立ちくらみをおぼえて、よろめいた。
「お嬢さんっ、大丈夫ですか」
又之助がとっさにささえてくれなければ、その場にたおれこんだかもしれなかった。浜蔵も蒼《あお》ざめた顔色で、うろたえている。
「又之助、おまえは店の留守をしていておくれ。浜蔵をつれていくよ」
ここでくじけたら駄目だとおもうと、不思議に涙はでてこなかった。
「おえんさん、しっかりしなきゃあ駄目ですよ。わたしが何でも相談にのりますから、気を張ってください」
金兵衛はおえんを生まれたときから知っているのだ。金兵衛にうながされて、おえんは浜蔵とともに弁天屋をでた。
名物の蓮《はす》の花にはまだ季節がはやいが、不忍池には行楽をもとめる人々がでてきている。
遺骸《いがい》は中島へかかる橋の袂《たもと》にひきあげられ、蓆《むしろ》でおおわれていた。まわりには綱がはりめぐらされ、野次馬をとおざけていた。
四十前後の地元の目明しとその子分が見張りをしている。
「仏は昨夜《ゆうべ》中島の茶屋で酒をのんで、酔って橋をわたっているときに池へ落ちたようだ」
目明しが蓆をめくって、おえんに遺骸をみせた。一瞥《いちべつ》しただけで、おえんは衝撃におそわれた。とてもながくはみていることができなかった。
顔といい、体つき、着ているものといい、仁兵衛にまちがいはない。が、すでに硬直し、変色している仁兵衛は生前の面影をうしなっている。目だった外傷こそないものの、無残としかいいようのない最期である。
(ころされた)
とおえんは直感した。
「親父さんっ……」
浜蔵もそういって、絶句した。
「まちがいなく、あんたの親父さんかね」
目明しにきかれて、おえんはうなずいた。
「でもお父っつぁんはお酒はのみますけど、酔って池へおちるようなことはありません」
納得しがたい不合理をおしつけられたような気がして、そういった。
「誰だって、わかっていておちる者はいないさ」
そのいい方に、おえんはひっかかるものを感じた。仁兵衛は付き馬にでた先で、酔っぱらうほど酒をのむような男ではない。
(誰かが、何かをたくらんだ……)
そして仁兵衛はその罠《わな》におちたのだ、と彼女は察知した。
「ころされたんではないでしょうか」
ときくと、
「何かころされるような理由《わけ》でもあったのかね」
目明しはとりつくシマのない態度で、おえんの言葉をうけつけなかった。
「人ごろしをする人には、どんなことだって理由になるでしょう」
「仏はどこにも傷をうけていないし、昨夜このちかくで喧嘩《けんか》のおこった気配様子もない。ころされたとかんがえるほうが不自然なんだ」
おえんは目明しの言葉をきいて、これ以上いくらいっても無駄だとおもった。口惜《くや》しさと憎悪がこみあげてきた。
「ひととおり仏のことをたずねたいんで、町奉行所へきてくれるかね」
といわれて、南の町奉行所へつれていかれた。
おえんは、日本堤で自分をおそった男たちをさがしている暇はなくなった。葬儀がすむと、すぐに仁兵衛ごろしの下手人探索にのりだした。かなしみに打ちひしがれている余裕はまったくなかった。
一方、仁兵衛が請け負った梅屋の仕事もやらねばならなかった。
おえんはこの二つの事柄はたがいにどこかでつながっているのではないかと当初から感じていた。仁兵衛は梅屋から依頼された取りたてをやっていて、そのかかわりでころされたにちがいなかった。
「お嬢さん、取りたて先がわかりましたよ」
馬屋は依頼人からの委任状によって取りたてをおこない、これを馬屋証文という。だが、梅屋からの証文は仁兵衛が直接庄八からうけとったので、おえんはみていなかった。それでまず又之助を梅屋へはしらせたのだ。
「意外なところのようだね」
おえんは又之助の顔をみていった。
「富田屋勘兵衛《とみたやかんべえ》って、新川《しんかわ》の酒問屋の主人ですよ」
「富田屋勘兵衛……、知らないねえ」
「山崎屋伝兵衛の実の弟ですよ」
ときいておえんは、あっとなった。
「ふうん、伝兵衛の弟か……」
「弟が兄貴の仇討《かたきう》ちにきたんじゃないでしょうか」
「そんなことがあろうかもしれないね」
おえんは前回さんざ手こずらされて、最後に伝兵衛をやっつけてやったことをおもいだした。
「親父さんは梅屋からそうきいて、自分でひきうける気になったんでしょう。あの件には八百蔵っていう目明しがからんでいましたからね」
「そうかもしれないねえ」
「でなければ一度足をあらった親父さんが、自分から付き馬なんかやるはずはないでしょう」
「そうだねえ」
「勘兵衛のねらいははじめから、梅屋でなく、こっちにあったんですね。弁天屋を引きずりだすために、梅屋で大尽あそびをくりかえしたんだ」
「まあ、そうだろう」
「親父さんは、まんまとむこうの思惑にはまったんじゃないでしょうか」
一糸みだれぬ筋道のくみたてだが、おえんは又之助のかんがえとかならずしもおなじではなかった。
「でも勘兵衛は人をあやめるほどの悪党ではないとおもうよ。だってそうだろう、新川で酒問屋をやってるほどの者が、そうかんたんに人をあやめたり、ころさせたりはしないはずだ」
「そうでしょうか」
「勘兵衛をとことんたぐっていけば、お父っつぁんをころしたやつにぶつかりそうな気がする。ともかく馬屋の仕事をはじめることだね」
おえんと又之助は、用談部屋でひそひそとかたり合った。
(お父っつぁん、お父っつぁんをころしたやつを、きっとわたしがつかまえますよ)
仁兵衛の初七日がすぎた夜、おえんは新仏の位牌《いはい》にむかって手を合わせ、灯明をあげて、家をでた。
初七日までは喪服をきていたが、今日のおえんといえば、目のさめるような浅葱色《あさぎいろ》のあらい縦縞《たてじま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》といったうってかわったいでたちである。素足に塗りの駒下駄をひっかけている。
亀島橋《かめじまばし》をこえて、霊岸島《れいがんじま》へわたった。浜蔵をつれている。
新川というのは、霊岸島を南北にわける堀で、この両岸の町並をも総称していう。このあたりは、大きな酒問屋が軒をならべている。
富田屋はすぐにわかった。店頭にたって案内を乞《こ》うと、おえんは主人の部屋にまねかれた。店頭で一喝され、玄関ばらいをくうかもしれないとおもった予想ははずれた。
「あんたがおえんさんかね」
勘兵衛はおえんをむかえて、まずそういった。浜蔵は店先にまたしておいた。
「弁天屋おえんと申します。吉原《なか》の引手茶屋梅屋さんのたのみをうけて、お勘定をいただきにあがりました。代金ははしたを切りすてて六十五両でございます。よろしくおねがいいたします」
そういって、おえんはせんだって、梅屋の主人につくりなおしてもらった馬屋証文をとりだして勘兵衛にみせた。
勘兵衛はその証文をのぞきもしないで、押しもどした。彼は山崎屋伝兵衛とよく似た風貌《ふうぼう》の大柄な男だ。年は三十の半ばくらいであろう。
「こんな証文は、梅屋とあんたとのあいだでは大切なものかもしれないが、おれにとっちゃあ反故《ほぐ》とちっともかわりないんだ」
おえんが付き馬をはじめていらい、馬屋証文についてこんなことをいった男ははじめてである。
「これを反故とみるも、富田屋さんの借用証文とみるも、あなたさまのかんがえ一つですよ」
「梅屋の帳面におれの勘定がいくらついているか知らないが、おれは借用証文を一枚だって梅屋に入れたことはないんだ。おれが出るところへでて、知らぬ存ぜぬで押しとおしたら、帳面の勘定などは水かけ論だよ」
勘兵衛ははじめから喧嘩《けんか》覚悟でいなおっているのだ。馬屋証文などはじめから問題にしていない。
「富田屋さんは、はじめから出るところへでるおつもりですか」
やんわりと問いかえすと、
「それはおえんさん、あんたの出方しだいだよ。茶屋や遊女屋の勘定にいちいち公儀《おかみ》の手をわずらわせていたんでは、馬屋はあがったりだろう」
「それじゃあ、どうしようと……」
「ただでははらわぬ。おえんさんの体とひきかえに、六十五両耳をそろえてはらおうじゃないか」
おえんは唖然《あぜん》となって、しばらくは二の句がつげなかった。馬屋をやってから、正面きってこんなことをいわれたのははじめてだった。
「何でわたしが、六十五両とひきかえに体をさしあげなくちゃあならないのですか」
ききかえしたときに、おもわず笑いがこみあげてきた。
「おれは梅屋の勘定を金輪際はらわぬつもりだ。それをはらうからには、あんたの体とひきかえだ」
臆面《おくめん》もなく勘兵衛はいった。理屈も筋道もない。はじめから暴論をふっかけているのだ。
「ご冗談もやすみやすみおっしゃってくださいまし。そんな理不尽なことが、この世でとおるとおもっていますか」
おえんは笑ったあとに腹がたってきた。
「とおるものか、とおらぬものか、いずれわかるだろう。それがいやなら、馬屋証文をもってさっさと退散することだ」
「この世で、ただであそべる茶屋や遊女屋がどこにあるでしょう。あそんだ以上、お勘定の始末もしなければなりません。それでなければ、泥棒《どろぼう》、盗《ぬす》っ人《と》のそしりをうけますよ」
「このまえ、梅屋はあんたと結託して、山崎屋伝兵衛から無理矢理八十両とりたてたな。それに味をしめて富田屋《うち》からも六十五両とりたてるつもりのようだが、今度はそうはいくまい。できるものならば、やってごらん。あんたのほうが足をすくわれることになろうから」
「今いったこと、よおくおぼえておいでなさい」
「おぼえていよう。あんたのほうこそ、体とひきかえに六十五両はらってくださいと泣きついてこないでもあるまい。おれはそれをたのしみにしているよ」
第一回の話し合いは当然のことながら物別れにおわった。
「おえんさん、それまで体を大事にしておいてくれ」
勘兵衛の捨てぜりふをききながして、おえんは富田屋を後にした。
「伝兵衛に負けねえくらい悪いやつですね」
浜蔵はおえんと勘兵衛とのやりとりをきいて、ひどく腹をたてていた。勘兵衛が金とのひきかえに、おえんの体を要求したことで、彼は怒り心頭に発していたのだ。
「冗談じゃあない。あんなヒヒ親父にあそばれるようなあたしじゃないよ」
といってから、
「でも六十五両とは、おもいきってあたしの体に値をつけてきたもんだねえ。吉原のいちばん位のたかいおいらんだって、三両そこそこだっていうのに」
おえんが満更でなく、ふと口をすべらすと、浜蔵はあからさまにいやな顔をした。口にこそだしたことはないが、浜蔵が彼女を好いていることは以前からわかっていた。
「お嬢さんも、馬屋をはじめてからこのかた、ずいぶん口がわるくなりましたねえ。このごろは尻《しり》もいくらか軽くなってきたんじゃありませんか」
「そりゃあ、狼みたいな男たちから無理矢理金をふんだくるのが仕事なんだ、いつまでもお嬢さんでいられるわけがないだろう」
おえんはそもそも許婚《いいなずけ》にだまされたのが原因で、馬屋に足をふみ入れたのだ。子供をうんだことこそないが、世間の女がなめる苦労を一とおりは経験してきている。
といっているあいだに亀島橋のちかくまできた。
「あ……」
そのときひくい声をもらして、浜蔵がおえんの袖をひき、足をとめた。
橋のむこうから三人の男がやってくる。一見して堅気でないとわかる風体だ。むこうは気づいていないが、おえんは一見しただけで、なんとなくどこかでみたような気がした。
「やつらですよ。三人とも八百蔵の子分です」
そういって、浜蔵はすばやく、橋詰にでている屋台の陰に身をかくした。
「八百蔵の子分かい」
おえんもつづいて屋台の陰にかくれた。
「みただけで腹のたつやつらです」
浜蔵は三人に目をすえて、口惜しがっている。
八百蔵は堀江町、小舟町かいわいを縄張にしている目明しである。仁兵衛とは昔の同業だった。
馬屋の主人というのは、目明しと兼業している者がおおく、仁兵衛も七年くらいまえまでは二足の草鞋《わらじ》をはいていた。
前回、おえんが山崎屋伝兵衛を取りたてたとき、山崎屋出入りの八百蔵が仁兵衛をひそかにおとずれ、昔のなじみ甲斐《がい》に彼女に手をひかせるようたのんできた。仁兵衛がそれをはねつけたために、八百蔵は面子《めんつ》をなくし、子分をつかって浜蔵をさらったのだ。
「おまえをさらった三人だね」
「やつらには大きな貸しがある」
屋台の陰から三人にじっと目をすえた。
三人は橋をわたりきって、屋台の反対側へむかっていった。
(…………!)
橋詰をすぎたとき、端の男が額に傷があるのを、おえんはみのがさなかった。それも古傷ではなく、あたらしい傷のようだ。
あとの二人をうかがったが、すばやく行きすぎたので、怪我をしているかどうかわからなかった。
「付けてみよう」
おえんが小声でいうと、浜蔵はうなずいた。
三人の行き先を、
(富田屋)
だとおえんは読んだ。浜蔵もそうおもったようである。
店頭の暖簾《のれん》に、はなやかな牡丹《ぼたん》の絵がかいてある。暖簾の横は籬《まがき》になっていて、これが惣籬《そうまがき》である。
すなわち、ここは大見世《おおみせ》である。
牡丹楼
と屋号をかいた掛行灯《かけあんどん》が入口の柱にかけてある。
おえんは牡丹の絵を二つにわけて、暖簾をくぐった。吉原は今が昼見世《ひるみせ》だが、夜見世《よるみせ》とちがって客もまばらである。
遊女屋の中もしずかで、のんびりとした雰囲気である。絵草紙をめくったり、実家《さと》へ手紙をかいている遊女の姿もみえる。
「おしまさんはいらっしゃいますか」
おえんは店の若い者にたずねた。
「おしまさんなら、今二階にいます。呼んできましょう」
と若い者は階段をのぼっていった。
おしまは元は牡丹楼でおおいに売れたおいらんだった。年季があけてからも数年間おいらんをつとめていた。三十をすぎてからはさすがに世間体を気にして、おいらんから身をひき、番頭|新造《しんぞ》をつとめている。
色事につうじ、芸事に達し、客あしらいのコツをのみこんでいるので、なりたての遊女に色事や芸事をしこんだり、昼三《ちゆうさん》などの高級遊女の世話をしたりしてすごしている。どこの遊女屋にも、こうした番新《ばんしん》が一人や二人はいるものだ。
おえんは梅屋の庄八に、おしまへの紹介をたのんであった。富田屋勘兵衛は梅屋から牡丹楼へあがってあそんでいたので、彼がつくった六十五両の借金の大半は牡丹楼から梅屋へまわってきたツケなのだ。
かつて全盛をほこったおいらんだけに、おしまは今でも色艶《いろつや》をうしなっていなかった。みた目も現役のおいらんたちにくらべて、なかなかひけをとらぬ。今から見世にでたとしても、気のきかないおいらんよりずっと売れそうな感じがした。
「じゃあ、わたしの部屋に」
おしまは番新ながらも、一室をあたえられている。二階西側の六畳間である。
おしまはその部屋で、おえんの用件をきいて、ふかくうなずいた。
「あたしでどこまでお役にたてるかわからないけど、できるだけのことをやってみましょう」
「ご迷惑なおねがいをして、本当に相すいません。ほかにご相談するところがありませんでした」
おえんは殊勝に頭をさげた。
「あらたまってお礼をいわれることじゃあありませんけど、おえんさんがおぼえようとしていることは一朝一夕では身につきません。一月くらいあたしの部屋にとまりこむくらいの覚悟がなければ」
「そのつもりでまいりました。よろしくおねがいいたします」
おしまはあらためておえんの顔や様子をみて、
「どうしてあんたがそんな気持になったか知らないけれど、いたずら半分の気持じゃなさそうだね」
つくづくとそういった。
「いろいろ思案したあげく、どうにもならなくて、最後の最後にここへきました」
「いたずらな気持でおぼえようって人には今までおしえたことはないんですよ。あんたには、なにかふかい理由《わけ》がありそうだから、わたしも一肌ぬぎましょう。そのかわりつらいことがあっても辛抱してください」
「ありがとうございます。ことわられたらどうしようとおもっていました。よろしくお手ほどきくださいませ」
おえんは必死の覚悟で牡丹楼をおとずれたのだ。
五月雨がふりつづく昼下り、おえんはおしまや牡丹楼の主人、女将《おかみ》に世話になった礼をいって、およそ一月ぶりに廓《くるわ》をでた。
この一月、おえんは廓の女になったつもりで牡丹楼にとじこもりきりであった。ほとんどおしまの部屋の中ですごした。
きたときはツツジの花がまっさかりであったが、今はもう菖蒲《しようぶ》、あやめ、かきつばたの季節になっている。若芽をふいたばかりの柳は、今や青々としてしなやかな枝をたらしている。あいだに衣更《ころもが》えがあったので、人々は単衣《ひとえ》になっていた。
弁天屋にもどると、浜蔵や又之助が大よろこびでむかえてくれた。
「お嬢さんがいないあいだ、弁天屋は火の消えたようなさびしさでしたよ」
と浜蔵がいうのへ、
「鬼がいないのをこれ幸いと、おおいに羽根をのばしていたのじゃないかえ」
まぜっかえしておいて、天清のほうをのぞいた。
帳場には、四十代中ごろの女がすわっている。おえんの顔をみて、
「あら、おかえんなさい。色がいっそう白くなったねえ」
さすがに女だから、こまかなところにも気づくようだ。おえんは部屋の中にずっととじこもっていたので、肌が白くなった。
「ながいあいだ留守にしちまって、相すいません」
仁兵衛が亡くなってから、おえんが弁天屋と天清を両方やるわけにはいかないので、仁兵衛の末の妹おつたがかよいでやってきて兄の仁吉の手つだいをしてくれている。
しかし浜蔵と又之助は仁兵衛が死んだすぐのことだから、おえんのいないさびしさがこたえたようだ。おえんをむかえて、急にはなやいだ雰囲気が店のなかにもどってきた。浜蔵と又之助はなにかとおえんの身ぢかに寄りたがった。
その夜の夕餉《ゆうげ》は天清の小座敷に、おつたが用意してくれた。
「おえんさん、無沙汰《ぶさた》をいたしておりました」
新五郎もひさしぶりに姿をあらわした。
彼は仁兵衛が弁天屋をやっていたころの番頭で、背中に鬼面夜叉《きめんやしや》の刺青《いれずみ》を彫りこんでいるので、鬼面の新五郎と呼ばれている。仁兵衛が足をあらったとき、彼も弁天屋をやめたが、おえんが父の後をついでからは、なにかと彼女の後楯《うしろだて》になってくれていた。
ささやかな宴が一|刻《とき》(二時間)ばかりつづいた。
それがおわってから、おえんは自分の部屋にひきとり、卓袱台《ちやぶだい》に硯箱《すずりばこ》をひろげ、墨をすった。かんたんな手紙をしたため、
富田屋勘兵衛さま
と宛名をしたためた。
翌日の夕方ちかく、おえんはめずらしく紅白粉《べにおしろい》をやや念入りにほどこし、娘島田に玳瑁《たいまい》の櫛《くし》かんざし、縞《しま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》のいでたちで弁天屋をでた。
柳橋あたりまできたときに、夕闇がおりた。川端の柳の枝まわりを、いくつかの蛍がたゆたっている。この年、おえんは蛍をみたのは今がはじめてだった。
『松山』と掛行灯をともした料理茶屋の玄関へ、おえんは入っていった。とおされたところは、二階の二間つづきの座敷である。
「おつれさまは」
きかれたので、
「もうやがてみえるでしょう」
とこたえた。障子をあけはなっているから、弦歌のさんざめきがかすかにきこえてくる。川面《かわも》から吹き寄せてくる風がここちよい。障子から顔をだして外をのぞくと、川面に灯がうつって、きらきらとかがやいているのがうつくしい。
のるか、反るかの勝負をかけてこの座敷にきているのを一瞬わすれて、おえんは柳橋の夕景にみとれた。
階段をのぼる足音がちかづいてきた。
「おえんさんから手紙をもらうとはおもわなかったよ」
襖《ふすま》をあけて勘兵衛が姿をあらわした。勝ちほこったような余裕がうかがわれる。
おえんはかすかな笑みをもってむかえた。
「六十五両から手をひく気になったのかね」
おえんはこれにも笑ってこたえなかった。
「わざわざおれをこんなところに呼びだしたところをみると、そうじゃあなさそうだ……」
勘兵衛は図にのっていて、今日は初《はな》っから饒舌《じようぜつ》である。
そこに仲居が酒の膳《ぜん》をはこんできた。
「わたしもいただきます」
おえんがいうと、勘兵衛はにたりとした。
「酌をしてもらおう」
勘兵衛は仲居ではなく、おえんにいった。
おえんはだまって徳利をとりあげ、男の盃《さかずき》にさした。そして自分の盃にそそいだ。
勘兵衛は彼女のあざやかな飲みっぷりをながめ、目尻《めじり》をさげた。
「体をなげだす覚悟ができたようだな」
と男がいったとき、おえんはうふっとふくみ笑いをもらした。
「六十五両で買っていただけるなら、女|冥利《みようり》というもんですよ」
「あんたには、それくらいの値打ちはあるとおもうね。おれは欲しいものには金に糸目をつけぬたちだ」
「買いかぶっていただき、ありがとうございます。父をなくして気おちいたしました。これからはわたしも少々かんがえをかえなければならないとおもっています。今までどおりのわがままはつづけられないでしょう」
おえんはしんみりとした口調でいった。
「そうだってなあ、あんたは父親をなくしたそうだな……」
勘兵衛は同情の体《てい》をみせた。が、もともと一筋縄の者ではない。内心ではおえんの体に涎《よだれ》をたらしているのだ。おえんの朱《あか》い唇、首筋、胸のふくらみ、袖口からでているすんなりとした手、腰の厚みなどを盗みみては、欲望をたぎらせていた。
勘兵衛の目の色がしだいににごってきた。やがて自分のおもいのままに料理できるとおもうと気持もそぞろになるようだ。ときに盃の酒を膳にこぼしたりした。おえんを組み敷いた妄想をうかべていたのかもしれぬ。
(けだもの)
おえんはしおらしく振舞いながらも、内心で男をののしっていた。
半刻ちかくたったとき、
「おえん、どうだい、ぼつぼつ席をかえようじゃないか」
勘兵衛はそろそろ同衾《どうきん》を催促しはじめた。となりの座敷には、仲居がたち去るときに気をきかして夜具をのべていってあるのだ。
おえんは瞼《まぶた》のふちを桜色にそめて、艶然《えんぜん》とほほえんだ。
「まだ宵の口じゃあありませんか。勘兵衛さん、あせることはありませんよ。わたしは今夜は家へはもどらないつもりです。明日の朝までたっぷりと付き合ってくれますか」
ちょっと蓮《はす》っ葉《ぱ》にいうと、勘兵衛の目尻がさがった。
「あんたの気が晴れるまで付き合うつもりだよ」
「お侠《きやん》だの、じゃじゃ馬だのといわれたって、女なんて弱いもんです。お父っつぁんが死んじまったら、とたんにこの世にたよれるものがなくなっちまった。ちかごろは、お酒で気持をまぎらしているんですよ」
「おれでよかったら、あんたの後楯になろうじゃないか。おれだったら、そんじょそこらのやつよりはたよりになるぜ」
おえんはじらしにじらし、ついに二刻(四時間)ばかり酒をくみ合った。
彼女には下ごころがあるので酒をころしてのんでいるし、勘兵衛の隙をみて、空いた皿や小鉢に酒をながしている。おえんは絶え間なく勘兵衛の盃に酒をそそいでおり、彼はそのつど胃の腑《ふ》へながしこんでいるから、さすがの勘兵衛も相当に酔いがまわってきたようだ。
「おえん、ぼつぼつ……」
いいながら勘兵衛はおえんの手をとり、ひき寄せた。
「ああ、あたしも酔っぱらってしまったわ」
いいながら、おえんは男の懐ふかくたおれこんだ。
抱きすくめられ、顔を上にかたむけられて、口をつよく吸われた。口の中に入りこんできた男の舌をあつかいかねて、ようやく顔をはなした。
「こんなところではいや、ちゃんと寝間へつれていって」
あまえてうったえると、勘兵衛は軽々と抱きあげて、となりの座敷へはこんでいった。
勘兵衛はかなり酔っているので、一度足もとがぐらついた。けれども色欲のつよい男だから、おえんをはこんでいるうちに欲望に火がついたようだ。夜具の上におえんを横たえると同時に、下からめくりあげていった。
裾《すそ》をおさえたが、たちまち腰の上までむかれてしまった。勘兵衛はものもいわずにのしかかってきた。
この座敷の行灯《あんどん》は火が入っていないので、男の顔はよくみえぬ。足をわられた直後、股間《こかん》にかたいものを押しつけられた。
おえんは体を二三度よじりながら、
「六十五両はまちがいありませんでしょうね」
男の耳もとでささやき、念をおした。
「おまえの手紙どおり、きちんともってきたさ。いつだって手わたせる」
その言葉をきくと同時に、おえんは男のあつく固いものをうけとめ、受け入れた。
「ううっ……」
そのとき声をあげたのは、おえんではなく勘兵衛である。
「すごい、おまえはすごい……」
そういって、勘兵衛は体をうごかしだした。
「おまえの中にぐんぐん引きこまれていく。おまえは一体、どんな体をしているんだ」
おえんも男のうごきに合わせて、腰をくねらせはじめた。おえんがあえぐと、男もあえいだ。
「たまらん、こんなことははじめてだ。おまえはすごい名器なんだ。おれを奥へ奥へとのみこんでいく」
勘兵衛は無我夢中ではげしい運動をくりかえし、けもののような声をあげて果てた。
おえんは自分の股間から自分の左手をぬきとった。その手の中に男の精気のかたまりがいっぱいにあふれている。あふれたものが彼女の内腿《うちもも》をぬらしている。
おえんはおしまから仕込まれた素股《すまた》をつかったのである。うしろから股間にまわしたおえんの五本の指と掌《てのひら》の妙技で勘兵衛は夢中になり、気づかぬままに彼女の手の中へおのれのあつい液体をはなったのだ。
「おえん、もう一度」
素股の秘技は本当の交合の快感よりもはるかにまさるといわれている。
勘兵衛は部屋の暗さと酔いのせいで、素股とはまったく気づかなかった。気づかれるようでは素股にはならぬ。
たまらぬ味わいをおぼえて、もう一度おえんにいどんできた。勘兵衛はふたたびおえんの手の中と内腿にはなって、果てた。
「こたえられぬ、もう一度……。おれはおまえからはなれられなくなるんじゃないか」
勘兵衛はすっかりおえんに魅入られ、秘術の虜《とりこ》になって、しばらくやすんでは三度も四度もいどんできて、そのたびにおのれのすべてを放出した。
暁がおとずれたころ、勘兵衛はおえんのかたわらに、腑ぬけになった体を横たえていた。
「付き馬の始末はこれでついたけれど、今回はもっと大事な一件がのこっているんだ」
おえんは六十五両包みをまえにして、又之助と浜蔵にいった。
「親父さんをあやめた野郎をつかまえるまでは、おれたちだって枕をたかくしちゃあ眠れませんよ」
「そうだ、おれたちだっていつねらわれるかわからねえ」
「お嬢さんをおそったやつと、親父さんをあやめたやつはおなじ野郎にちがいねえ」
「はっきり八百蔵だといったらいい。やつが子分にやらせたにきまっているんだ」
「八百蔵と勘兵衛は、やはりぐるだったんでしょう」
又之助と浜蔵にきかれて、おえんはうなずいた。彼女はその証言《あかし》を腑ぬけになった勘兵衛の口からきいたのだ。しかしその証拠といっては、今のところなにもなかった。
梅雨があけて、南風が一日江戸の町中を吹きまくった。この日をさかいに、江戸は真夏に入るのだ。
弁天屋はかくべつのことがないかぎり、夏場は宵の五つ(八時)ごろには店をとじるのがつねである。
それから一|刻《とき》ばかりたったころ、一度しまった弁天屋の店のくぐりがしずかにひらいた。そしてひっそりとおえんの姿があらわれ、巷《ちまた》の闇の中へ消えていった。
半刻以上たってから提灯《ちようちん》を手にしたおえんの姿が、稲荷新道《いなりしんみち》にあらわれた。ここは日本橋・新材木町と新乗物町のあいだの道である。この道を北へ入った小路のつきあたりに、有名な杉森稲荷《すぎのもりいなり》がある。この稲荷が世に名高くなったのは、文化年代からの富興行である。
行く手の杉森は闇の中にしずんでおり、とっつきの鳥居だけがぼんやりと滲《にじ》みだしてみえる。おえんは鳥居の手前にあるしもた屋のまえにたった。ここらには、妾宅《しようたく》や芝居者の家などがおおい。
おえんは提灯を消し、玄関先からちいさな庭へまわった。真夏のこととて、雨戸はあけはなったままだ。おえんにとっては勝手知ったる他人の家である。間取りや家の中の様子を勘兵衛からきいていた。
目明しの親分が出入りしている家なので、戸じまりはまったくしていない。八百蔵は堀江町の自分の家にはほとんど寝泊りしないで、たいがいこの家に入りびたっている。これも素股をやりながら勘兵衛からききこんだ情報だった。
おえんは音もなく庭先から縁側へあがった。部屋は三間ある。いちばん奥が、この家の女主人おせいの寝間である。おせいは二年ほどまえから八百蔵にかこわれている。
おえんは廊下をすすんだ。寝間からは有明行灯のよわいあかりがもれている。
寝間をのぞくと、一組の布団の中に男と女が枕をならべて眠りこんでいる。うすい夏掛けから、二人の手足や胴体の一部がはみだしている。寝みだれた様子には、情事のあとの気配が濃厚にうかがわれた。
部屋の中にぷんと酒のにおいがのこっている。酒をのんで情事をむさぼったあげく、ほとんど前後不覚にねむりこんでいるのだ。だが、さすがに八百蔵も百戦の目明しだ。人の気配を敏感に察したようだ。ふと目をあけておえんの姿をみとめた。
「誰だっ!」
誰何《すいか》しながら、八百蔵ははねおきた。肌襦袢《はだじゆばん》一枚、腰から下は一糸もまとっていない。おえんは一瞬、八百蔵の股間に目をうばわれかけた。
女とみて、八百蔵は猛然ととびかかってこようとした。
「下司《げす》野郎っ」
その瞬間、おえんの口からするどく甲高い罵声《ばせい》がほとばしった。
と同時に、鉤縄《かぎなわ》がとんだ。鉤は八百蔵の肌襦袢の襟《えり》にひっかかった。
八百蔵があばれたので、鉤はいっそう襟にふかくくいこんだ。
「おえんだなっ、しゃれたことを!」
八百蔵はたけりくるって彼女をつかまえようと躍起になった。
おえんは、八百蔵のまわりをぐるぐるとまわった。一周りするたびに八百蔵の体に紐《ひも》がかかっていく。気がついたときは、八百蔵はぐるぐるにしばりあげられ、身うごきがとれなくなっていた。
おせいもびっくりしておきあがったが、彼女は肌襦袢一枚まとわぬ全裸であった。
「八百蔵っ、人ごろしの罪咎《つみとが》をうけるがいい」
おえんがそういいはなったとき、庭先を人影がいくつかかすめた。提灯のあかりがその人影をうかびあがらせた。
「なにを寝ぼけやがって、人ごろしをつかまえるのはおれの役目だ」
「おまえは山崎屋の一件で、お父っつぁんとあたしに恨みをもって、じっとつけねらっていたね」
「知るもんか」
「それで日本堤で手下の三人にあたしをおそわせ、不忍池の橋でお父っつぁんをおそってつきおとしたんだ」
「おまえ、わるい夢でもみたんじゃないか。どんな証拠があって、そんな世迷言《よまいごと》をいってるんだ」
八百蔵は自分にまきついた紐をときはなそうと懸命だが、紐はいっこうにゆるまなかった。
「いいのがれのきかない証人が今にやってくるから待っておいで」
おえんがそういったとき、廊下から新五郎、又之助、浜蔵の三人が姿をあらわした。
三人とも、一人ずつ荒縄でしばりあげた男をひいてきている。
「お嬢さん、三人とも一網打尽につかまえましたよ」
この三人は八百蔵の子分たちで、堀江町にある彼の貸し家に住んでいた。
おえんは新五郎、又之助、浜蔵に彼等の寝こみをおそわせたのだ。
「こいつらはおれの子分だが、おまえをおそったことも、仁兵衛をころしたこともねえはずだ」
八百蔵は動揺をかくして居なおった。
「証拠はこいつらの体についているよ」
「嘘をつくなっ」
「こいつの額には、あたしの鉤をうけた傷あとがまだのこっているじゃないか。もう一つうごかしがたい証拠は、こっちの男の耳だよ。ちぎれた耳のかたちが、鉤のかたちとぴったりかさなるだろう。あたしの鉤にかかってちぎれたんだ。それを詮議《せんぎ》するのは公儀《おかみ》役人のお役目だ」
「…………」
新五郎と又之助が縄尻をもってひったててきた男たちを指さしておえんがいいはなつと、さすがの八百蔵も口をつぐんだ。
「さあ、あたしたちがつきそっていってやるから、今から北のお町奉行所《ばんしよ》へついておいで」
おえんが顎《あご》でぐいと八百蔵をうながしたとき、
「ちくしょうっ」
八百蔵がくるったように叫びをあげた。そして猛然と体あたりをかましてきた。
おえんはすばやく身をよけたが、その瞬間に鉤縄をはなしてしまった。
八百蔵は寝間から廊下へとびだしたかにみえた。
「馬鹿野郎!」
叱咤《しつた》とともにそのとき新五郎が八百蔵の足をはらって、廊下に押えつけてしまった。三人の子分たちは逃げだすことも、声をだすこともできなかった。
[#改ページ]
第五話 かまいたち
この冬一番の朔風《さくふう》が、江戸に吹き荒れた。
朔風とは、冬のつむじ風のことである。江戸でいうならば、筑波《つくば》おろしのことだ。毎年十月の末ごろになると、この一番が荒れまわるのだ。
浜蔵をつれて日本堤をもどるおえんの着物の裾《すそ》を、ゆだんのならぬ風が舞いあげていく。
「お嬢さん、絶景ですよ。北風のやつもまんざら気がきかねえでもありませんね」
裾が腿《もも》のあたりまでめくれて、目にしみるような白い内腿がちらついた。浜蔵はならんであるきながらはしゃぎたてた。
おえんは両手がふさがっていて、前をおさえることができないのだ。
「浜蔵、持っておいきよ」
おえんは両手に持っている箒《ほうき》と手桶《ておけ》を浜蔵にわたした。
今日は仁兵衛の命日で、今戸にある菩提寺《ぼだいじ》へ墓参にいったのである。
仁兵衛がころされてから、はやくも半年がすぎていた。ころされた当座の三四月は、父のいないことが信じられなくて、いつも天清の帳場にすわっているような錯覚をおぼえていたものだ。
ちかごろではようやく、父の死が実感としてわかるようになっていた。
おなじ家の裏と表で、娘が馬屋をやり、父が天ぷら屋をやっていたが、おえんはこれからも弁天屋をつづけていく報告を、今日父の墓につげてきた。天清のほうは、兄の仁吉と仁兵衛の妹おつたにやってもらうことにきめた。
「それにしても、今年はさむい冬になりそうですね。こう炭の値段が高くなっちゃあ、貧乏人は火桶もつかえませんや」
浜蔵は水《みず》っ洟《ぱな》をすすって、不平を口にした。
「八王子の炭問屋が江戸おくりをしぶってるから、江戸はこうも寒い冬になっちまったんだよ。なんとかしてもらいたいもんだねえ」
おえんも顔をしかめた。
「あったけえのは、炭屋の懐ばかり。江戸っ子も泣きどころをつかれると、ざまはありませんね」
江戸は百万の人口をほこる大消費地だけに、物資の輸送がとどこおると、とんだ泣っ面をみることになる。江戸への薪炭《しんたん》の供給は大半八王子方面からおこなわれる。下野《しもつけ》や伊豆、遠路熊野からもはこばれるが、質量ともに八王子のものにたよっている。
ところが、今年の冬は供給がうまくはこんでいない。八王子の炭問屋は集荷と輸送の難渋をあげているが、江戸の炭屋や八王子江戸間の輸送にしたがう人足らは、炭問屋の占買い、売り惜しみをうったえている。
「おお、寒っ」
いいながらおえんと浜蔵は弁天屋へ駆けこんだ。
又之助が留守番をしていたが、火桶には火の気がまったくない。
「店の中くらい、炭をじゃんじゃんおこして、あったかくしたらどうなのさ。これじゃあ、お客だって寄りつかないよ」
「この冬は一両で炭がたったの五俵だってきいたもんだから、痩《や》せ我慢をしていたんですよ」
「おまえが勝手向きをあれこれ思案することはないんだよ。そっちの心配はあたしにまかしておくれ。それよりも留守中、なにかあったかい」
ぽんぽんとおえんはならべたてた。
「吉原《なか》のほうもしけてるんでしょうか、今日も客は一人もありませんでした」
この一月ばかり、弁天屋にめぼしい仕事は舞いこんできていない。くるのはせいぜい三両だの五両だのといったがらくたのような取りたてばかりなのだ。
「しようがないねえ。ま、いつかそのうち、大きな仕事《やつ》が舞いこんでくるだろう。馬屋の仕事ばっかりは、こっちから御用聞きにでかけていくわけにはいかないからね。じっと辛抱して待つしかないのさ」
「親父さんのころも、一月くらい、何もすることがなかったときがありましたよ」
おえんと又之助がはなしているあいだに、浜蔵は火桶に炭を入れ、火をおこした。
「これでやっと、人ごこちがつきやした。でもこのまんま八王子から炭が入ってこねえようだと、炭の飢饉《ききん》ってことになりますねえ。打ちこわしのような騒ぎになって、炭屋がおそわれることだってあるかもしれませんよ」
あつい茶をのんで、火桶に手をかざしていると、だんだん体がぬくもってきた。
「馬屋にはかかわりねえことかもしれませんが、今日の昼ごろ、ちょっと妙なことを耳にしました」
そのとき又之助がいいだした。
「どんなことだい。いってごらんよ」
おえんはさりげなくいったが、内心ではかすかな興味をおぼえていた。
どんな大事件や大仕事でも、発端はごくつまらぬことからおこることがおおい。それに又之助は地道な性格で、人目をうばうような派手なはたらきこそしないが、仕事ぶりは堅実で、頭はきれるし、勘もするどい。
「中宿《なかやど》の若い者が妙なことをいっておりました。ちょっとわたしは気になったんですよ」
中宿というのは、山谷堀や聖天下などにある船宿のことである。
船で吉原へかよう客はたいてい、柳橋から猪牙《ちよき》やき[#「き」に傍点]り[#「り」に傍点]ぎ[#「ぎ」に傍点]り[#「り」に傍点]す[#「す」に傍点]とよぶ屋根船をしたてて、山谷堀の船宿につける。ここで着物をきかえたり、顔をかくす編笠《あみがさ》や頭巾《ずきん》などの用意をしてもらって、日本堤からくりこむのだ。
「どこの中宿だえ」
「二本松屋の、今助って若い者です」
「きいたことがあるような名だね」
「お嬢さんも、顔をみたらおもいだすでしょう。このあたりをよくぶらぶらしてる男です」
「その今助がどうしたんだい」
又之助ははなしぶりも浜蔵のようなせっかちではない。
「中宿で着物をきかえる客はめずらしくありませんが、その客は絹をきてやってきて、木綿にきかえてでかけるそうです……」
「妙だねえ。そいつは妙だ」
おえんは首をかしげた。中宿で着替えをするのは、坊主が俗人の衣類をまとったり、商家の息子や手代、番頭などが、木綿を上等な絹物にきかえてでかけるのだ。
「月に一回きまって顔を見せる客だそうですが、なにをやってる者なのかわからねえといってます。四十なかばくらいの大柄な商人《あきんど》で、金はたんまりもってるようです」
「ふうん……」
「口のかたい男で、宿の者がいろいろたずねてみても肝心なところはほとんど口にしねえそうです」
「いわくがありそうだねえ」
「わたしもそんな気がするんですよ、なんとなく」
「ほかにはなにかわからないのかい」
「佐原屋市五郎《さわらやいちごろう》ってのが名前だそうですが、住居《すまい》もなにをやってる商人なのかもさっぱりわからねえといってます」
「佐原屋市五郎っていうのは、おそらく本当の名じゃないだろう」
「お嬢さんも、そうおもいますか」
「ちょっとさぐってみるのもおもしろいねえ。どうせ、今いそがしいわけじゃあないんだから」
数日後、時雨のふるなかを、吾妻屋《あづまや》、とおおきくかいた番傘をさした遊女屋の番頭が弁天屋をおとずれてきた。
おえんが用談部屋で応対した。はじめての客である。
「おえんさんとおっしゃいますか。わたしは吾妻屋の番頭で三郎次《さぶろうじ》と申します。ちょっとこみ入った話ですが、きいてくださいませんか」
三郎次はおえんの噂をきいてここをたずねてきたようだ。今まで弁天屋では吾妻屋の取りたてを依頼されたことはなかった。
吾妻屋は京町二丁目の半籬《はんまがき》、中見世《ちゆうみせ》である。
「うけたまわりましょう」
おえんは気さくに応じたものの、三郎次の言葉から、ただの取りたてではないなと感じた。
「じつは、うちにくるお客のことでして……。二三度|敵娼《あいかた》になったおいらんが申すには、その客はどうもか[#「か」に傍点]ま[#「ま」に傍点]い[#「い」に傍点]た[#「た」に傍点]ち[#「ち」に傍点]じゃないかというんですよ。十一年もまえおいらんの実家《さと》はある男にひっかけられ、家は破産し、父親は首吊《くびつ》りをしたそうなんですが、その客っていうのがそのときのかまいたちのような気がしてならないといっております」
「ちょっと面白そうな話じゃありませんか」
おえんは食指をうごかした。これは事件になりそうだと予感がしたのだ。
「けれどもはっきりした話じゃありませんし、なにせもう一昔まえのことなんで、おいらんのほうにもおぼえにあやふやなところがあって、公儀《おかみ》へとどけるのもちょっと気がひけます。それでおえんさんのことを耳にいたしまして、ご相談にまいりました。お力になってもらえませんか」
三郎次の言葉でおえんは少々こころを揺すぶられた。かまいたちというのは、さんざん金を借りまくって店をわざと破産させて逃げだす手合いのことである。
女だてらに、おえんは悪がぬくぬくとはびこって世間の表や裏で大きな顔をしているのをだまってみていられぬ性分である。そんな悪にたいしては、それに対抗するだけのあくどい手段を弄《ろう》してもやっつけてやりたくなるはげしい気性がむくむくと頭をもたげてくる。お侠《きやん》がわざわいの気性なのだ。
「せっかくわたしをみこんでくださったんですから、およばずながら、あたってみましょう」
「そうしてくだされば、わたしも気が晴れます。おいらんがいうとおり、その客が昔のかまいたちなら見のがしてはおけないし、そうでなければ安心して客あしらいができます」
目のまわるほど取りたてにいそがしい最中なら、おえんはこの仕事に躊躇《ちゆうちよ》したかもしれない。折から時期もよかったのだ。
「その客、名まえはなんというんでしょうか」
念のためにたずねたのだが、三郎次のこたえがおえんをおどろかせた。
「佐原屋市五郎って名のってますが、本当の名かどうかわかりません」
「佐原屋市五郎……。四十なかばくらいの大柄な商人ふうで、月に一度あらわれる客じゃあありませんか」
おえんがそういったので、今度は三郎次がおどろいた。
「どうして……」
「ちょっと理由《わけ》ありで、べつのほうからその男をさぐりはじめていたところです」
「それは、妙なつながりですね」
これでもう、おえんはひくにひけなくなった。二筋の糸がはやくも一本にむすばれたのだ。
又之助は今助の線から市五郎をさぐっていた。けれども市五郎がかよっている遊女屋が吾妻屋だということさえまだわからなかった。なにせ月に一度の客だから、後を付けようがなかったのだ。
「そのおいらんと、じかに話をさせてくださいませんか」
「それじゃあ今から……」
おえんはその気になると、すぐにも体がうごきだすほうである。
時雨がふりつづくなかを、おえんは三郎次とともにでていった。
大門《おおもん》をくぐって、京町二丁目の吾妻屋へ入っていった。吾妻屋は惣籬《そうまがき》の大見世よりは一段格式のおちる遊女屋である。呼出し昼三《ちゆうさん》といわれる最上級のおいらんと二朱のおいらんがまじっている。
まだ夜見世がはじまるまえの時刻で、おいらんたちは二階の部屋にいた。
おえんは帳場にとおされ、そこで夕顔とよばれるおいらんが呼ばれてきた。二十歳くらいのさびしい顔のおいらんである。
「かまいたちをお客にしたっていうのは、いつごろですか」
余計な会話はぬきにして、おえんはいきなりたずねた。
夕顔は指を折ってかぞえ、
「一昨日《おととい》だったかとおもいます。それが三度めのお客でした」
とこたえた。
「だったら、夕顔さんのおなじみですね」
遊女の客は三度めからなじみという。
「それ以前は気づかなかったんですか」
おえんはそこが気になるところだった。夕顔はそこで返事をとぎらせ、
「初会と裏のときは、気がつきませんでした」
しばらくたってから俯《うつ》むいてこたえた。
「十一年まえ、かまいたちにやられたっていうと、夕顔さんがまだ十になるかならずかっていうころですね」
「九つのときでした」
「さしつかえなかったら、事情《わけ》をはなしてもらえますか」
おえんが上手に話をはこんでいくと、おいらんはうなずいた。
「わたしの家はそのころ、明神下にありまして、柳屋という菓子舗をやっておりました。ちいさいながらもわりあいにはやっていた店でした。岡田屋という旅籠《はたご》は、おなじ町内にありました……」
岡田屋は屋敷がまえこそ大きくないが、高級な旅籠で、とくに料理がいいので知られていた。泊りでなく、昼餉《ひるげ》や夕餉をたべにくる客もいるので、ちょっとした料理茶屋の雰囲気もあった。
主人は又兵衛《またべえ》といった。岡田屋の名が近隣に売れだすと、彼は建物をたて替えて、造作に贅《ぜい》をこらし、庭に有名な庭師を入れたり、銘木を買いこんだり、腕のいい板前を高給でやとったりしたので、台所はしだいにくるしくなった。番頭に何度かいさめられたが、耳をかさず、ついにその番頭に暇をだしてしまった。
なにせ、旅籠という商売は日銭があがるものである。ところが、米屋、酒屋、魚屋、八百屋、炭屋などはほとんど月ばらいか、節季ばらいである。だからついつい、大層もうかっているような錯覚をおぼえがちになる。
それにこの商売は、主人はあまり表にでぬものだ。接客は女将《おかみ》と番頭がおもになってやり、料理は板前がやる。主人のすることは、それほどないのである。
暇をもてあまして、料理茶屋や高級旅籠などの主人たちは、えてしてあそびにはしるのである。なにかの趣味に没頭するのはいいほうである。たいていは女あそびにうつつをぬかし、博奕《ばくち》に手をだす。これがきまりのコースだといっていい。
又兵衛もその例外ではなかった。吉原の大見世になじみのおいらんをつくり、博奕場では気《き》っ風《ぷ》のいい勝負をつづけて、旦那《だんな》、旦那とおだてられていた。
台所が火の車になっても、一度ついた癖は容易になおらぬものだ。又兵衛は日銭を懐にねじこんでは、昼も夜もあそびつづけた。
当然、岡田屋の支払いはとどこおりがちになった。それでも岡田屋には、まだ信用があった。岡田屋の注文をことわる商店は近隣に一軒もなかった。
柳屋に又兵衛自身がおとずれてきたのは、そのころだった。柳屋は大きな商いこそしていないが、高級な菓子ばかりあつかい、信用もかたく、商いは順調だった。又兵衛は柳屋の主人|伊平《いへい》に、意外な相談をもちかけてきた。
岡田屋の支店を日本橋のちかくにだす準備をしているのだが、資金《もとで》が不足しているんで、手だすけしてくれないだろうか、という相談だった。岡田屋は柳屋のもっとも大きな顧客《とくい》であって、無下にことわることはできなかった。
又兵衛は五百両融通してくれまいかと切りだした。柳屋などのような商売で、五百両もの大金があそんでいるわけがない。二百両ならば、と伊平はしぶしぶうけ合った。
日本橋に支店ができれば、今まで以上に顧客になってくれるだろうとふんだのだ。商売の金はもとより、長年こつこつとためこんだたくわえを全部はきだして、伊平は清水の舞台からとびおりるような気持で二百両都合した。
「ところが、それがかまいたちだったんですね」
そこまで夕顔の話をきいて、おえんは口にした。
「そうなんです。それもうちばかりではありませんでした。岡田屋はその後半月ばかりで、とつぜん身代だおれになってしまいました。米屋や酒屋、魚屋までたおされ、どこでも二三百両ずつひっかけられたんです」
「それにしても、悪いやつだ……」
おえんが怒りをこめていうと、夕顔は昔のことをおもいだしたのか、うっすらと涙をにじませた。
「その二百両がもどらなければ、うちなんかは簡単につぶれてしまいます。みんな取りたてに岡田屋へいきましたが、岡田屋にはもうなにものこっていませんでした。廓《くるわ》からも取りたて屋がきたといいます。父さんは何度も掛け合いにいき、最後にはげしいいい争いのあげく、逆上して、湯呑《ゆの》み茶碗《ぢやわん》をわって、それで又兵衛を疵《きず》つけてしまったそうです」
「そのくらいのことは、してやっても当然だよ」
きいているうちに、おえんは又兵衛への怒りがこみあげてきた。
「又兵衛は脇腹に大きな疵を負いましたが、身に負い目があるので、公儀《おかみ》にはとどけませんでした。それから十日ほど後に、岡田屋一家は夜逃げをいたしました。柳屋もその後まもなくつぶれてしまい、父さんはもうたちなおることができませんでした。身代がたおれた翌々年、首を吊って死んでしまいました」
「夕顔さんが、廓へ売られたのはそのためなんですね」
そうきくと、おいらんの眸《め》から涙があふれだした。
「十一年もたっていちゃあ、初会と裏のときに、佐原屋市五郎の正体に気がつかなかったのも無理はありませんよ。三度めで、お客の脇腹に疵があるのをみつけたんですね。茶碗でえぐったような深い疵跡を……」
おえんは的確に推量した。
「お嬢さん、ちょっと待ってください。その話、どこかできいたおぼえがありますよ」
おえんがその一件をはなしおえたとき、新五郎がやおらいった。
「きいたばかりじゃあありません。そのとき引手茶屋にたのまれて岡田屋から取りたてをやったのは、弁天屋《うち》ですよ。引手茶屋はたしか加賀屋でした」
おもいがけぬことをいいだしたのだ。
おえんばかりでなく、又之助も浜蔵も唖然《あぜん》となった。
「本当ですか? 兄貴」
又之助がたずねた。
新五郎はかつて仁兵衛の右腕といわれた男で、弁天屋の番頭をつとめていた。
「嘘なもんかい。おれが弁天屋で仕事をはじめて三四年めのころだった。はっきりとおぼえているよ」
おもいもよらぬ展開になってきた。
「でも、どうして……」
そんなに昔のことをよくおぼえていることに、おえんは疑問をいだいた。
「親父さんは、請け負った仕事は滅多にしくじったことのねえお人だったよ。馬屋としちゃあ、おれの知るかぎりもっともいい腕をもっていた。その親父さんが岡田屋又兵衛を相手にして、取りっぱぐれた。見事にしくじった。それでおぼえているんですよ。おれも一度か二度は又兵衛の顔をみたことがあるような気がしますよ」
新五郎の返事は、おえんの納得のいくものだった。
「妙な因縁がからまり合った一件だね。これはどうしたって、引くにひけなくなってきたよ。市五郎の化けの皮をひんむいて、昔の貸し金を取りたててやれば、お父っつぁんだってよろこぶだろう。お父っつぁんになによりの菩提《ぼだい》供養になるよ」
おえんは気持が湧きたってきた。
「親父さんはしくじったあとも、又兵衛のやつはきっと又どこかで派手にやっているだろう、一度くらいの失敗《しくじり》でつぶれるようなやつじゃないといっておりましたね。親父さんの勘があたっていたんですよ。又兵衛は別の人間になりかわって、しゃあしゃあとシャバで世わたりしていたんだ」
新五郎はあきれて嘆息した。彼もおえん同様、悪党の仮面をはがしてやることに意欲をかきたてられてきたようだ。
又之助も言葉や態度にはあらわさないが、事件の発端をつかんだ立場から、ひくにひけぬ気持があるだろう。
「これは、きっと面白い仕事になりそうだよ。あたしは夕顔っておいらんに肩入れがしたくなった」
おえんは余裕のある笑みをこぼしていった。
この日午后から、おえん、又之助、浜蔵、それに新五郎もくわわって、町々へ散っていった。市五郎が中宿につかっている二本松屋、さらに以前住んでいたとみられる神田明神下を中心に、聞きこみをはじめた。
かつての岡田屋は今では代替りしていて、『朝日屋』という旅籠の看板がかかっていた。おえんは朝日屋の主人と会い、岡田屋から買いとったときのいきさつ、その後の又兵衛の行方などについてたずねてみた。
新五郎と浜蔵は朝日屋の近隣の家々をたずね、岡田屋夫婦についてわかることならばどんな些細《ささい》なことでもひきだそうとした。
又之助は従来にひきつづいて二本松屋で聞きこみをやった。
翌々日、弁天屋の用談部屋で情報をもちよったが、全員目ぼしいものはもっていなかった。
つぎの日も、またつぎの日も……、馬屋たちは黙々と聞きこみにでかけていった。地味で根気のいる仕事だが、馬屋にとってはこれが基本になるもっとも大事な仕事なのだ。この辛抱にたえられぬ者は馬屋失格である。きびしい寒さのなか、彼等は早朝から、ときによっては夜更けまで聞きこみをやるのである。
ほんの他愛《たわい》ないことが、緒《いとぐち》になって、とてつもなく大きなネタをひきずりだすことがある。こういう仕事は先入観にとらわれず、しらみつぶしに労をおしまず、足と時間を十分につかってやるほかはない。
誰でもできるようでいて、存外むつかしい仕事なのである。馬屋を志願して住みこんできても、この聞きこみのつらさにたえられなくて、すぐにやめていく若い者がおおい。だからこれを何年もやっているうちに、馬屋としての勘と根性が自然にやしなわれてくる。実際、馬屋を十何年もやっている新五郎のような古強者《ふるつわもの》でも、厳冬の夜明けや夜更けの聞きこみには音をあげたくなることが今でもあるそうだ。
「さすがに、かまいたちをかますやつだけのことはあるねえ。こんなにネタのとれないやつもめずらしいよ」
「それくらい用心ぶかく自分の痕跡《こんせき》を消せるようなやつでなくちゃあ、かまいたちなんぞできねえっていうことだ」
十日ちかくたって、まためいめいは用談部屋で顔を合わせたが、おえんも新五郎も冴《さ》えた顔色ではなかった。又之助と浜蔵はむっつりとだまりこくっていた。
「岡田屋はあの土地で、二十年ちかくも旅籠をやっていたんだよ。二十年ものあいだの痕跡をなくしちまうなんてことが、できるわけはないんだ。どこかにかならずなにかのこってるはずだよ」
そういうおえんは、岡田屋のかつての顧客先や、材料の仕入れ先まであらって聞きこみをやったが、さしたる情報はなにもなかった。
新五郎は岡田屋の菩提寺をつきとめ、宗旨人別帳まであらってみたが、とうに岡田屋一家の人別は抹消されていた。又兵衛は自分ら家族がその土地で生きた痕跡を一つ一つしらみつぶしに消していったのだ。岡田屋が故意に破産して逃げたことが、これによってわかるのだった。
この水ももらさぬ又兵衛のやり口が、弁天屋一同の闘志をかきたてた。
「市五郎は八王子方面に住んでいるんじゃあねえかとおもいます」
おえんにそうつげたのは又之助である。
聞きこみを開始してから、すでに半月ばかりたっていた。
「つかめたかえ」
おえんは飛びあがりそうなおもいをおさえてきいた。
「それほどたしかなことじゃあありませんが、おそらく……、って聞きこみにぶつかりました」
又之助がこうしたいいかたをしたときに、間違いの情報であったためしは今まで一度もなかった。彼は情報の真偽を嗅《か》ぎわけるすぐれた勘をもっているのだ。
「上出来だよ、又之助」
おさえていても、おえんの声はうわずりがちになった。
「市五郎をのせたことがあるっていう、猪牙《ちよき》の船頭をさがしあてました」
「さすがだねえ」
おえんはおもわずうなった。
情報の出所としては、もっとも上質である。これまで又之助は二本松屋の女中や吾妻屋の若い者などを中心に、市五郎の消息の手がかりをさがしていたが、あまりおもわしくなかったのだ。
「はじめはとても無理だとおもってましたが、柳橋一帯の船宿を一軒一軒あたっていくうちに、この冬はじめての筑波おろしが吹きあれた日、山谷堀の二本松屋へ四十なかばの遊客をはこんだっていう船頭にぶつかったんですよ」
「そうかい。市五郎が最近二本松屋にあらわれたのは、たしか筑波おろしが吹いた日だよ」
「船頭は、はじめは店の客に迷惑がかかることじゃねえかと斟酌《しんしやく》したらしく、なかなか口をひらきませんでしたが、わるい野郎だとわかると、おぼえのあるかぎりはなしてくれました。その日は大川の波がたかくて、客がすくなかったからよくおぼえていたそうです」
「八王子からきたっていったのかい」
「そんなはっきりしたことを口にしたんじゃあありません。たまたま船頭が世間話に薪炭《しんたん》の値あがりをなげいたところ、客は薪炭問屋には問屋なりの事情《わけ》があって、そうそう江戸のおもいどおりにはならないんだといったふうな返事をしたっていってました。そしておれは炭焼|窯《がま》をもっているんだといったそうです」
「ふうむ、そうかい……」
おえんは腕をくんで思案に入った。
「下野にも伊豆にも、江戸おくりの炭焼窯はあるでしょうが、月に一度きまって江戸へでてくるなら、八王子とかんがえていいんじゃないでしょうか」
「そりゃあ、そうだ」
又之助の推量は的確である。
「佐原屋市五郎は、八王子の炭問屋じゃないでしょうか。わたしはそんな気がします」
「その船頭のいうことが本当なら、おそらくそうだろう」
「二本松屋や吾妻屋じゃあ、素姓がわれるのをおそれて、市五郎はずいぶん用心ぶかく振舞ってるようです。しつこくあたってみましたが、この二つの店からはなにもでてきませんでした。でも市五郎も人の子ですよ。女を買いにいくたのしさにうかれて、つい船頭へは口がゆるんでしまったんでしょう」
「そこまでわかれば上出来だよ。あとは八王子をあたるまでだ。そして、つぎに市五郎が江戸にでてくるのを待つんだ」
おえんの目がひかった。
ずっしりと金のかかった身なりをした市五郎の姿が、二本松屋へ入った。
愛想のいい女将《おかみ》の世辞にむかえられて、市五郎は二階座敷にあがっていった。店の若い者になりすました又之助が、今助とともにそれを庭先からみおくった。
中宿は吉原の客でなりたっている船宿だし、馬屋も遊女屋や引手茶屋の儲《もう》けのか[#「か」に傍点]す[#「す」に傍点]り[#「り」に傍点]で渡世している商売である。両方とも、客はたてなければならないが、裏ではおたがい持ちつ持たれつの精神《こころ》がつうじ合っている。又之助が二本松屋へもぐりこむのは、造作もなかった。
四半|刻《とき》(三十分)ほど待っていると、変哲もない木綿の平常着《ふだんぎ》にきかえた市五郎が黒い頭巾《ずきん》をかぶっておりてきた。この時季、さむさしのぎと面体をかくすため頭巾をかぶる遊客はおおいのだ。市五郎はつとめて人目にたたぬよう気をくばっていることがわかる。
中宿からは女将や若い者に案内されて吉原へくりこむ客もあるが、市五郎はいつもそれをことわって一人ででかけているようだ。
又之助はすこしおくれて、後をつけていった。
日本堤ははやくも日が暮れかけて、夜見世《よるみせ》の客がぞろぞろと廓《くるわ》へむかっている。土手に吹く風は肌身を切るようにつめたいが、又之助にはむしろそれがここちよかった。こころが燃えたぎっているのだ。
市五郎はかるい足どりで土手八丁をゆき、衣紋坂《えもんざか》をくだった。廓に入ると、仲ノ町にずらりとならぶ引手茶屋のまえを素どおりした。引手茶屋は惣籬《そうまがき》の大見世にあがる客を案内する店である。
市五郎が大見世にあがらないのは、引手茶屋であまり面体をみせたくないからだろう。
おいらん道中が今はじまったところである。ひやかしの地廻《じまわ》りたちも大勢くりこんできている。
廓はこれから、大引けの八つ(午前二時)まで不夜城のにぎわいをみせるのだ。遊女屋の籬の内から、張見世《はりみせ》のす[#「す」に傍点]が[#「が」に傍点]が[#「が」に傍点]き[#「き」に傍点]の音色がきこえてくる。
又之助につけられているとも気づかずに、市五郎は吾妻屋の暖簾《のれん》をくぐった。
そこまでみとどけてから、又之助は後もどりして、横丁の居酒屋『だるま屋』へ入った。今から明日の朝まで、市五郎は敵娼《あいかた》と二人きりになることがわかっている。吾妻屋では三郎次の目がひかっているし、なにかことがおこったときには、だるま屋にしらせが入ることになっている。
だるま屋は主として廓のうちではたらいている男たちが出入りしている店である。飯もくわせれば、酒ものます。又之助などはなじみだから、銚子《ちようし》一本で何刻いようといやな顔はされない。二階には座敷もあるので、たのめば朝まで寝かしてもらうこともできる。
又之助は隅の小座敷にあがって、銚子をたのんだ。店はまだ三分ていどの入りである。
「又之助、仕事か」
はすかいの小座敷には越後屋の猪八《いはち》がいて、声をかけてきた。越後屋はやはり日本堤に面した田町一丁目にある馬屋で、弁天屋、青柳とともに三本の指に入る店である。
「いや、野暮用だよ。暇つぶしだ」
又之助はさらっとうけながした。競争相手の馬屋でも猪八はいやな男ではないが、仕事の最中に馬屋とつき合いをするのは気がおもいものだ。
「だったら一緒に飲《や》ろうじゃないか。おなじ稼業をしていても、居酒屋で顔をつき合わすことは滅多にねえのだから」
といって、猪八はうつってきた。こばむわけにもいかないので、適当につき合うことにした。思惑はずれだったが、時間つぶしには恰好《かつこう》だとおもいなおした。
世間話をしているうちに、店内の行灯《あんどん》に火がともった。猪八は半刻ばかりいてかえっていった。
又之助はその後、何本か銚子のおかわりをした。夜はもう宵をすぎていた。
又之助は一家の仇敵《きゆうてき》といえる市五郎と同衾《どうきん》している夕顔の気持をおもいやった。いくらおいらんが売りもの買いものだとはいっても、一家をだまし父を首吊《くびつ》りにまで追いこんだ男に体をもてあそばれるのはつらいだろうと同情をよせた。
又之助は弁天屋に住みこんで馬屋をやりはじめてからというもの、廓ではたらく遊女たちの哀《かな》しさやいじらしさを、いやというほどみつづけてきている。それだけに、彼はいつの場合もおいらんびいきである。三千人以上おいらんがいる廓のうちには、したたかな女もたくさんいるが、そんな者たちにしても、つまるところは哀しい存在なのだ。
けれども、今回は夕顔が遊女であったからこそ、十一年もまえの憎い男に会うことができたわけだ。だからそれは幸運だったといってもいい。夕顔のためにも、市五郎の素姓をあばいて、旧悪に始末をつけさせてやろうとおもった。
客が入れかわりたちかわり出入りしていた。もう夜はふけていた。
吾妻屋からぬけだしてきた三郎次に、
「客はやがておたちだよ」
とつげられたのは、曙《あけぼの》のころである。又之助はだるま屋で一夜をまるまるすごしてしまったことになる。
市五郎はいったん二本松屋へ寄って、きたとき同様の藍微塵《あいみじん》の結城紬《ゆうきつむぎ》の袷《あわせ》に羽二重《はぶたえ》の羽織といったお大尽の姿にもどった。船でゆくのかとおもったが、故意にかどうか、駕籠《かご》ももとめず、浅草寺の裏門につうじている田圃《たんぼ》の中をあるきだした。
間隔をたっぷりとって、又之助はつけた。
市五郎は浅草寺から下谷方面へむかった。
(…………?)
行き先に興味と謎をおぼえながら又之助はきびしい寒気のなかを慎重にすすんだ。
市五郎は下谷の町なかへ入り、五条天神の裏手にあるごくありふれたしもたやに姿を消した。
武州八王子は幕府創設のころから、関東十八代官がおかれ、関東総奉行の地としてさかえたところである。
関東の行政、民政の諸機関が設置され、収税、徴役、訴訟、刑務……らのことがすべてこの地でおこなわれた。いうならば、八王子は江戸の政治的派出所であった。
ところが元禄《げんろく》のころまでには諸代官はすべて江戸にうつされ、政治都市としての八王子はみる影もなくなっていった。その八王子が復興したのは、江戸にもっともちかい都市として、物資集散の要衝となったからである。八王子は消費都市江戸の最大の供給地となったのである。そのなかで『八王子の灰』、『八王子の炭』、『八王子の織物』がとくにきわだっている。
おえんと又之助が町駕籠をつらねて八王子の町に入ったのは、もう日暮れにまぢかい時刻だった。朝四つ(十時)ごろ、五条天神のちかくから駕籠をあつらえて甲州街道八王子へむかった市五郎をつけて、おえんと又之助も駕籠で追ったのである。
市五郎は天神裏のしもたやで一|刻《とき》(二時間)以上の時をすごしていた。そのあいだに又之助はおえんに合力をもとめたのだ。
市五郎の駕籠は八王子横山宿の目ぬき通りでとまった。『薪炭問屋佐原屋』と軒看板をあげた大間口の店のまえである。
おえんと又之助はその一丁ほど手前で駕籠をおりていた。市五郎が入っていった佐原屋の前に二人はたって、看板をみあげた。
「ううむ」
「おどろいたねえ……」
「岡田屋又兵衛がいつの間にか、佐原屋市五郎にすりかわって、本当にこんな大店《おおだな》の主人になっていたとは……」
「こんなことがよく本当にできたもんだねえ」
予測していたことではあっても、その実体をまざまざとみて、又之助とおえんはあらためて嘆息まじりの言葉をかわした。二人は五条天神の裏にあるしもたやで、佐原屋市五郎と岡田屋又兵衛とがおなじ人物だといううごかぬ証拠をつかんでいたのである。
そのしもたやは又兵衛の死んだ女房の実家であって、そこに両人のあいだにできた娘をあずけてあったのだ。市五郎は毎月一度、娘に会うのをたのしみに、八王子から養育費をとどけに江戸へでてきていたのである。
「さあて又之助、のりこもうか」
おえんがそういうと、又之助は唇をむすんでうなずいた。
「口上は?」
「あたしがやるから、おまえはついていればいいよ」
おえんは手下を手足のごとくつかって、自分は後にひかえて指図するだけといったやりかたはしないのだ。
引戸をあけて入っていき、
「ごめんなさいまし」
と声をかけた。
店内はひろい土間になっていて、炭俵が天井すれすれにまで何列もつみあげてある。使用人が二人いた。奥の一人が帳付けをしており、もう一人はよごれた前垂れをかけて炭俵をかぞえていた。
「いらっしゃいまし」
前垂れをしたほうがこたえたが、ふつうの客とはみえなかったようだ。
「ご主人市五郎さんはいらっしゃいませんか。わたしは浅草田町二丁目で弁天屋という店をやっておりますおえんと申す者です」
おえんはけれんなく名のった。
市五郎がでてきた。さいぜんまでの身なりから羽二重の羽織だけぬいでいた。
「弁天屋のおえんさんといわれても、わたしにはおぼえがないが」
けげんな顔をして市五郎はこたえた。
「いずれおもいだしていただけるとおもいますが、弁天屋は吉原《なか》の馬屋をやっております」
「あ、付き馬かい、おまえさん」
市五郎はあきれた顔でいった。
「さようでございます。少々古いところで恐縮ですが、お勘定をいただきに参上いたしました」
「おれは、そんなところに勘定などこしらえちゃあいないよ。なにかのまちがいじゃないか」
あざけるように市五郎はいった。
「まちがいなどでわざわざ江戸からお勘定をいただきにまいったりいたしません。だから、少々ふるいところと申しあげております。おわすれでしょうか」
「さあて、おれはあそびの勘定はいつもその場できれいにしているよ。帳面につけたりはしない」
「それは昨今のことでございましょう。昔は帳面でさんざおあそびになったことがおありでしょう」
そういうと市五郎の顔がややけわしくなった。
「あんた、一体、おれにどんな用事があってきたんだい」
おえんが、昔……といったのがききめをあらわしたのだ。
「今から十一年まえ、弁天屋仁兵衛というものが、明神下のお宅へ、引手茶屋のお勘定六十両ばかりをいただきにうかがったはずでございます。仁兵衛はわたしの父親でしたが、あいにく腕がなまくらだったためか、それとも相手がしたたかだったせいか、まだそのお勘定をいただいておりません。その仁兵衛は今年の夏のはじめに亡くなりました。茶屋のお勘定には期限といったものがありません。それでわたしがその取りたてをひきつぎましたわけでございます」
市五郎の顔面が蒼白《そうはく》になってひきつっている。明神下のお宅とおえんがいったところで、動転しかけていたのだ。
「なにをいうのか、おまえさんは……。いきなりやってきて、あることないこと」
市五郎がくるしまぎれにいったとき、
「こんな馬屋証文を、佐原屋さんはごらんになったおぼえはありませんか。弁天屋仁兵衛がはじめてお宅へうかがったとき、たしかこれをごらんに入れたとおもいますが」
おえんは懐から、もう古くなって薄茶色になった奉書紙をとりだした。
証文
[#ここから3字下げ]
神田みょうじん下おか田屋またべえ殿勘定五十九両三分、田町二丁目べんてん屋にへえどのに取りたておねがひ申すべく、委細おまかせいたし候《そうろう》
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]仲ノ町 加賀屋彦べえ
奉書紙にそうしるしてある。
馬屋証文は取りたてがすめば依頼主の遊女屋か引手茶屋にもどされるのだが、この一件は仁兵衛が取りたてに失敗したので、ずっと古い手文庫の底にしまわれていたのだ。
「相手が全然ちがうじゃないか。おれは佐原屋市五郎だ。神田明神下に住むなんとかといったような者じゃない。こんな人ちがいは迷惑だよ。失礼もはなはだしい」
さすがに市五郎は動転からすばやくたちなおって、居なおってきた。
「たしかに今は佐原屋市五郎さん、っておっしゃるんでしょう。けれども以前はちがうお名前で、旅籠《はたご》屋かなにかをやっていらしたんじゃありませんか」
「自分のことは自分がいちばんよく知っている。他人《ひと》によけいなおせっかいをされることはない。おれは人から後指をさされるようなおぼえはなにもないんだ」
「これは引手茶屋だけのお勘定です。このほかに米屋だの魚屋、菓子屋などから借りまくったお勘定が千両ほどたまっておりませんか」
「馬鹿もやすみやすみいうがいい。そんなでたらめ放題をならべて、金をゆすろうって算段だろう。そんなよこしまな料簡《りようけん》が世の中にとおるとおもったら大間違いだ。出てってもらおう」
市五郎はすさまじい勢いでつっかかった。
「市五郎さん、そんなえらそうなことをいって大丈夫なのですか。あたしはなにも千両まるまる取りたてようって魂胆でここにきたんじゃあありませんよ。仁兵衛がわたしにのこした証文の六十両と、縁あって菓子屋の柳屋の家族からたのまれた二百両だけかえしてもらうつもりでまいりました。けれどももし表沙汰《おもてざた》になったら、とてもこれだけのことじゃあすみませんよ。佐原屋さんにはいろいろおもいあたることがあるんじゃありませんか」
相手の見幕に応じて、おえんも少々すごみをきかせた。
「かえれ、かえれっ、おまえなんかを相手に時をつぶしてる暇はない」
そういって市五郎は奥へひっこんでしまった。
一夜あけると、昨日までの寒雲が嘘のように去って、ほかほかとした玉のような冬日和となった。
おえんと又之助は八王子の旅籠和田屋で一夜をあかした。
昨夕《ゆうべ》、二人は市五郎との掛け合いで手ごたえは十分感じていた。掛け合うまえに、市五郎の素姓をほとんどあばいてあったので、この取りたてはそうむつかしくはないとおもった。これだけの悪事が露見するのをふせぐためなら、相手はいやおうなく二百六十両用意するだろうと推量したのだ。
けれども、まだ詰めは完成していなかった。
「市五郎の人別がどうなってるか、それをたしかめなきゃあならない。現在《いま》の女房とのつながりももっとくわしくしらべておかなきゃあなりませんね」
市五郎の最初の女房はずっと以前に死んでいた。現在の女房はおまきといい、八王子生まれの機織り女であることを、昨夜のうちに又之助が聞きこみをしてさぐりだしていた。
おまきは子供のころから機織りをはじめ、上田|縞《じま》をわずか三日で一|疋《ぴき》織るほどのいい腕を持っている。ふつうは一疋織るのに五日から六日はかかるというから、彼女の腕のよさが想像できる。八王子は女がつよい町としてこの時代の異例だが、それは女が男以上の労銀を得るからだ。
おまきは娘じぶんから金をしこたまためこんでいたそうだ。今から七年ほどまえ、おまきは市五郎と知り合い、炭問屋の株を買って二人で佐原屋をはじめたのだという。それ以上のことは、昨夜のうちにさぐりだすことができなかった。
「今日は日和もいいから、二人で手わけして、とことんこのあたりで聞きこみをやろうじゃないか」
「あんな野郎をこのままみすごしちゃあおけませんよ。のっぴきならねえ証拠をつきつけてやりましょう」
「百歩ゆずってほかのことはどうだっていいにしても、二百六十両だけはどうしたって巻きあげてやるさ。新五郎はなにやらどでかい聞きこみを掘りあてそうだといっていたよ。掘りあてたら、すぐに八王子にやってくることになっている」
「それは、たのしみですね」
そういいかわして、二人は和田屋をでた。
おえんは甲州街道を西へすすんだ。むかう先は八木宿《やぎじゆく》である。八王子は十五の宿があつまってできている町なのだ。
八木宿には善能寺、善竜寺、宗徳寺、雲竜寺、大法寺などの寺がある。おえんは佐原屋の菩提寺《ぼだいじ》が大法寺であるときいてきた。
大法寺は街道の裏手にあった。浄土宗の寺である。落葉しきって丸坊主になった大銀杏《おおいちよう》の樹が境内に何本もある。
境内を一めぐりして、おえんは庫裡《くり》へまわった。
「おたのみ申します」
声をかけると、
「どうれ」
声がかえって、青坊主がでてきた。
「和尚《おしよう》さまがいらしたら、会わせていただきとうございます」
搦《から》め手《て》からいかずに、ぶっつけで正面からいった。
やがて、五十前後の和尚がでてきた。
「少々おたずねしたいことがあってうかがいました。こちらは横山宿に住む佐原屋市五郎さんの菩提寺でございましょうか」
たずねると、
「佐原屋さんなら、うちの檀家《だんか》だが」
和尚は気さくに応じた。
「わたしの家は江戸浅草にある薪炭《しんたん》屋でございますが、今度佐原屋さんと大きな取りひきをいたすことになりました。佐原屋さんとは今までなじみがなく、まったくはじめての商売でございます。信用いたさぬわけではございませんが、一応身もとをたしかめにまいったのです。できましたなら、佐原屋さんの宗旨人別帳を拝見させていただきたいのですが」
いやな顔をされるとおもったが、それはおもいすごしだった。
「わざわざ江戸からきたのなら、ことわるのも気の毒だ。みせてあげよう。おあがんなさい」
和尚はおえんをうながした。
宗旨人別帳は六年ごとにつくられるもので、檀家は菩提寺にたいして自分の出生地と生年月日をとどける。その届出は菩提寺と庄屋《しようや》あるいは名主の承認をへて役所にさしだされる。いわば現代の戸籍簿のようなものである。
おえんは市五郎の人別帳がどのように記載されているか、はなはだ興味があった。
庫裡から本堂のほうへみちびかれた。
本堂の中は火の気がなくて、寒々としている。高さ六尺くらいの本尊|阿弥陀仏《あみだぶつ》が正面からこちらをみすえている。左右の脇仏もこちらをむいている。うす暗いなかに仏像が三体たっているので、少々気味がわるかった。
和尚は仏壇の反対側にそなえつけられた戸棚《とだな》から分厚い人別帳をとりだした。そして、佐原屋市五郎が記載されている面をくった。
「どうぞ、ごらんなさい」
おえんはそれに見入った。
[#ここから4字下げ]
横山宿市五郎
天明|丙午《ひのえうま》二月十九日生
宗旨浄土宗
生地八王子|叶谷《かのうや》
[#ここで字下げ終わり]
とある。
天明六年の生まれといえば、年ごろ四十なかばの市五郎にはぴったりである。生地の叶谷は八王子の在である。
失望と疑いの念が同時におこってきて、おえんはふたたび文字をながめた。
(…………?)
市五郎の宗旨人別帳は完璧《かんぺき》である。欠陥はどこにもみあたらぬ。
「どうです、納得がいきましたか」
和尚にそういわれて、
「はい、よく得心がまいりました。ありがとうございました」
おえんはそうこたえたが、こころのうちはそれとは反対だった。今まで一つ一つ聞きこみをかさねてつみあげていき、その上につくりあげた一つの推量がくだけ散った。
おえんは数瞬の間、途方にくれた。謎と疑問だけがのこって、こころはうつろになった。
(おかしい……)
そうおもいながら本堂をたち去ろうとしたとき、おもわぬまぢかなところに人影がせまっていた。
「あっ……」
虚をつかれたので、おえんらしくもなく、ちいさな悲鳴をあげた。
人影は市五郎である。それまで本尊と脇仏のあいだにでもひそんでいたのだろう。
いつの間にか、和尚は姿を消している。ひろい本堂の中はおえんと市五郎だけである。
とっさに、身をひるがえそうとした。が、市五郎のうごきのほうが一瞬はやかった。とびかかってきて、おえんの利き腕をつかまえた。
「何をするんだよ!」
声をあげ、揉《も》み合ってすり抜けようとしたが、逆に羽交い締めにされてしまった。逃げようとするまえに、懐中にしのばせてある鉤縄《かぎなわ》をとりだせばよかったと後悔したが、もう身うごきがとれなかった。
「小娘のくせに、しゃらくさいことをしやがって。ここらを嗅《か》ぎまわりにくるだろうとおもって、先まわりしていたんだ」
市五郎は勝ちほこったようにいった。
「とうとう正体をあらわしやがったね、岡田屋又兵衛っ。でも菩提寺の和尚をひきずりこんでいたとは気がつかなかったよ。おまえが金で籠絡《ろうらく》したんだろう」
おえんは唇をかんで毒づいたが、力ずくでは手も足もでなかった。はじめに不意討ちをうけたので、形勢を逆転することはできなかった。
「何度もいうように、おれは岡田屋又兵衛なんて者じゃあない。人別帳にあるとおり、佐原屋市五郎だ。生まれもそだちも八王子さ」
市五郎はそういいながら用意していた縄でおえんを後ろ手にしばりあげた。
「こんなことをして、すむとおもっているのかい。二百六十両ですむところが、おまえのほうこそ両手がうしろへまわることになるよ。かまいたちめっ」
ののしると、
「だまれ!」
市五郎の怒声とともにおえんの頬が大きな音をたてた。はげしい平手打ちをくって、おえんはたまらずよろよろっと床にたおれこんだ。
「そんな心配のねえように、おまえの口をきっちりふさいでやるよ」
「そんなことができるもんかい。小さな罪をかくすために、人ごろしをやるなんて勘定の合わぬ算段だよ。二百六十両で始末をつけたほうがよくはないかえ」
ここで負けたら最期だとおもうので、おえんは勇をふるって嘲《あざけ》った。
「おぼえのねえ借金には、二百六十両どころか一両だってだすわけはないさ」
「あたしを始末したって、いつかは誰かにあばかれるよ。あたしの身内だって一人や二人じゃないんだからね。そいつらがおまえの罪の証拠をあらっている。そいつらの足音が明日、明後日《あさつて》にもおまえの身にせまるだろう」
おえんは引きおこされ、本堂の裏の納戸に押しこめられた。
「しばらくのあいだ、ここでお経でもとなえてるがいい。あとでおまえを俵につめて山へはこんでやる。そして炭焼きの窯《かま》にくべて焼いてやるぜ」
いい捨てて市五郎は納戸のおもい引戸に錠をおろして立ち去っていった。
うす暗い納戸の中で、おえんはもう何刻もほうりっぱなしにされていた。市五郎は日暮れがちかづくのを待っているのだ。
さすがのおえんも、今度ばかりはもうたすかるまいと観念しかけた。
又之助は彼女が大法寺をたずねたことを知っているので、もしかしたらさがしにきてくれるかもしれぬ。それだけが唯一、たのみの綱である。だが、又之助も和尚が市五郎に籠絡されているとは知るまいから、あしらわれてしまうおそれが十分あった。
(間がわるかったら、あたしもこれでおしまいだ)
おえんは一応覚悟をきめておいた。
誰でもいつかは終りのくる生涯だが、ここでおわるにはいささか短かすぎると、胸中無念のおもいをいだいた。どうせ死ぬにしても、市五郎のような男にころされるのは口惜《くや》しいから、最後の最後までてこずらせてやろうとかんがえた。
ころされるにせよ、一矢はむくいてやりたい。それにてこずらせているうちには、脱出の機会《おり》にめぐまれるかもしれないのだ。腹がすわると、落ちつきがでてきた。生命《いのち》とのひきかえなら、どんなことでもやってやろうと決意もさだまった。
ながい時間がすぎた。
市五郎がきたときが勝負だ。が、なかなか姿をあらわさぬ。おえんは気おちすることなく待った。
とうとうきた。錠前のはずれる音がひびいた。おもい引戸があいて、市五郎が納戸の中へ入ってきた。
「おえん、いよいよ最期がきたぞ」
いいながら市五郎は彼女の様子をうかがった。
「人の古疵《ふるきず》をあばいた罰だ。なまじよけいなことに首をつっこんだために、自分の首をしめたな」
昼間みたときと、今とでは市五郎の顔がちがう。ころしを決意したために、目つきがかわってきているのだ。
「おまえさん、ようやく又兵衛であることをみとめたね」
「もう、どうだっておんなじだ」
市五郎はふてぶてしくうそぶいた。
「最後に一つだけ、あたしのいうことをきいてくれないか。公儀《おかみ》の処刑《おしおき》をうける者だって、末期《まつご》には願いがかなえられるっていうじゃないか」
おえんがはじめて下手にでていうと、
「どんなことだ、いうだけいってみろ」
男は傲然《ごうぜん》といった。
「どうせ限りある命なんだから、死ぬのはしかたないと覚悟をきめたよ。でもおなじ死ぬにしても、一つだけこころのこりがあってねえ」
「そりゃあ、こころのこりはあるだろう。あたら娘ざかりの命を散らすんだからな」
「あたしも生身の女ですよ。口にするのははずかしいけれども、このところ男には御無沙汰《ごぶさた》だった。死ぬまえにもう一度だけ、男の味をたっぷりとあじわって死にたいもんだ。あたしの相手にあんたじゃあ少々不足だけれど、今はぜいたくをいっておれない。一度あたしにいいおもいをさせてくれないかね。あんただって、満更いやじゃあないだろう」
捨て身の賭《か》けだった。おえんはそういって艶然《えんぜん》とほほえんだ。
市五郎が口をつぐんだ。そして後ろ手にしばられているおえんにみだらな視線をはわせた。
「抱いておくれ、おまえさんにもがっかりはさせないよ」
おえんはいいながら腰をくずした。前がわれて、膝《ひざ》があらわれ、内腿《うちもも》がのぞいた。
市五郎がその気になった。
「どうせ抱かれるなら、小用をたしてからにしてもらいたいねえ」
その機をはずさずいうと、
「手水場《ちようずば》へだしてやるわけにはいかないぞ。やりたければ、そこでやりな」
市五郎は納戸の隅を指さした。
「手がうしろにまわっていちゃあ、できないよ」
不貞《ふて》くされたようにうったえると、
「用がすんだら、またしばるぞ」
市五郎はちかよってきて、縄をといた。
おえんは納戸の隅までいって、物陰にかくれてしゃがみこんだ。そして着物の裾《すそ》を高くまくりあげた。
「もういいだろう、もどってきな」
ややあってから、男の声にうながされて、おえんはたちあがった。
振りかえると同時に、
「やっ!」
甲高い声を発して、鉤縄を投じた。おえんの右手から白い組紐《くみひも》がのび、鉤が市五郎の胸もとへ一直線にとんだ。
「だましたなっ」
市五郎はおえんの得物が何なのかすぐにはわからなかったようだ。
鉤は見事に市五郎の着物の襟をしっかりととらえていた。
「だまされるほうがわるいんだよ。誰がおまえなんかに抱かれたいとおもうもんかね」
悪罵《あくば》を投げつけて、おえんは素ばやく市五郎をぐるぐる巻きにしばりあげていった。
「おい、市五郎っ、いや岡田屋又兵衛、逃げかくれできねえ証人をつれてきたぞ」
和田屋の玄関口でそういいはなったのは、新五郎である。
おえんは市五郎を和田屋までしょっ引いてきたのだ。和田屋には又之助と新五郎、それにもう一人五十歳前後の男が市五郎を待っていた。
市五郎はうつろな目で三人の男たちをながめたが、又之助以外にはみおぼえがなかったようだ。
「市五郎、おまえはかまいたちを隠しとおすために、大法寺の和尚を金で盛りつぶしてもっと罪のおもい偽の人別帳をつくりあげたんだ。これでおまえはべつの人間になりかわったつもりなんだろうが、隠しおおせない証拠がおまえの脇腹にあるはずだよ」
おえんはいいおわるや、市五郎の着物を乱暴にはいでいった。
いったとおり、市五郎の右の脇腹には、瀬戸物のような器でふかく刺したような、えぐったようなみにくい疵跡がのこっていた。
「十一年まえ、おまえが明神下の柳屋っていう菓子屋の伊平に刺された疵を縫い合わせてくれた医者がこの人だ」
新五郎がそういってしめした男の顔を市五郎はしばらく見入っていたが、やがて愕然《がくぜん》と首をうなだれた。
「さあ、又兵衛っ、あきらめて二百六十両耳をそろえて支払うか、それとももっと重い罪で牢屋《ろうや》につながれるか、どちらにするかい。あたしはどっちだっていいんだよ。おまえの好きにするがいい」
おえんは市五郎へふんだんに毒っ気をふくんだ笑顔をむけていった。
[#改ページ]
第六話 新造《しんぞ》あらし
「お嬢さん、吉原《なか》の桜がぼつぼつ咲くころですよ。ひとつ花見としゃれこみたいもんですね」
と浜蔵がおえんにいったのは、三月三日、雛祭《ひなまつ》りの午後のことである。
「そうだねえ、吉原の景色もはなやかになっただろうね」
おえんはうけながして言った。
吉原の桜は毎年三月一日に箕輪《みのわ》からはこび、仲ノ町の大通りに植えこまれ、花が散りおわったころに抜きとられるのだ。
「これから、ちょいとのぞいてきませんか」
浜蔵がかさねていうと、おえんがにこっと頬笑んだ。
「今日は三月の節句だねえ。おまえのお目当ては生きているほうの花見だろう。顔にちゃあんとそうかいてあるよ」
「お嬢さんにあっちゃあかなわねえ。なんでもおみとおしなんだから」
「おまえのかんがえていることくらい、あてるのに造作もないよ。新造の、突出し道中[#「突出し道中」に傍点]がみたいんだろ」
「図星をさしたからには、つき合ってくれるんでしょうね」
「ああ、いいよ。ちょっとだけならつき合ってあげる。突出し道中は五節句でなけりゃあみられないしろもんだからね」
吉原のすぐちかくに住んでいるから、突出し道中くらいいつでも見られるとおもうのはまちがいである。昨年なんか、おえんは年五回のうち一度も見られなかった。一昨年の九月に見たのが最後である。
おえんは今日一日は仕事のことをわすれて、のんびりとしたかった。女の節句の日くらい、付き馬稼業をやすみたいのだ。
おえんは浜蔵をつれて、ぶらりと弁天屋をでた。
弁天屋のある田町二丁目から吉原までは、二丁ほどしかはなれていない。
「いやあ、見事だ。吉原の桜はやっぱりほかとはちがいますね。どこまでもはなやかで、豪勢なのがいいじゃないですか」
浜蔵は大門口《おおもんぐち》にたって歓声をあげた。
「花見にかこつけて、あそびにくる客もずいぶんおおいだろうね」
まだ夕刻にはしばらく間がある時刻だが、三々五々と大門をくぐる客の姿がある。
「お嬢さん、ことわっておきますが、わたしはまだ吉原でおいらんとあそんだことはありませんよ」
「あたりまえじゃないか。馬屋は吉原のあがりのカスリをいただく稼業だよ。そんな者がおいらんあそびをやってどうなるもんだね。罰があたって、目がつぶれるよ」
吉原ではたらく男たちは、けっして遊女屋であそばないことになっている。それにならって、馬屋にもおいらんを買わぬしきたりがあるのだ。
「おもえば、割りの合わねえ稼業に入っちまったもんです」
「馬鹿、おまえがそんな助平だったとは知らなかったよ。そんなに女が抱きたけりゃあ、岡場所がいくらだってあるじゃないか。そんな助平、あたしはきらいだよ」
おえんがつんと顔をそむけると、
「なにもそんなつもりでいったんじゃありませんよ。わたしは岡場所へだっていきゃあしません」
浜蔵はなんとも情ない顔になった。
「でもきれいだねえ。吉原の桜は見あきることがないよ」
おえんは浜蔵におかまいなく、足をはこんだ。
桜は大門口から水戸尻《みとじり》までの仲ノ町の大通りの中央に、青竹の垣根にかこまれてずらっと植わっている。そのさまの壮観さといったらない。桜の下には山吹が色どりをそえている。
その風情をたのしむように、客やひやかしの者たちがそぞろあるきしている。ふだんだったら、反対側の引手茶屋が素通しで丸見えなのに、桜と山吹にさえぎられてむこうがみえなくなっている。
おえんと浜蔵はぼつぼつ蕾《つぼみ》のひらきかけた桜並木を堪能《たんのう》しながら水戸尻までいき、そこから反対側をとおってゆっくりとひきかえしてきた。
「突出し道中まではすこし間があるようだから、ちょっと寿司《すし》でもつまんでいこうよ」
おえんはそういい、江戸町一丁目の横丁へそれて、寿司屋へ足をはこんだ。
寿司屋でも突出し道中のことが話題になっている。
道中をおこなうのは、大見世《おおみせ》玉屋の新造|玉扇《たまおうぎ》である。突出しというのは、新造がはじめて一人前のおいらんになり客をとるお披露目《ひろめ》なのである。
この道中ができるのは、おいらんのうちでも最高級の呼出し昼三《ちゆうさん》になれる者がする。お披露目にかかる莫大《ばくだい》な費用は御役といわれる姉女郎の負担になる。とはいってもそれは表むきのことで、遊女屋で一時立て替え、最初の客になるお大尽が水揚げをおこなったときに支払うことになっている。しかも最初の客は姉女郎のなじみ客がつとめるのがならわしである。
「玉扇を水揚げするのは、豊前屋《ぶぜんや》銀兵衛っていう室町《むろまち》の物産問屋だそうですよ」
浜蔵はききかじった話題を口にした。
「室町の物産問屋なら、それくらいの金はだぶついてるだろう。豊前屋銀兵衛なんて、いかにも金のありそうな名前じゃないか。浜蔵、そんなにうらやましそうな顔をするんじゃないよ。口から涎《よだれ》がたれてるじゃないか」
おえんがからかうと、
「なに、ちっともうらやましくはありませんよ。金にあかして新造を水揚げするような趣味はわたしにはありませんね」
浜蔵が口をとがらした。
「だけど、吉原はそういうお客でもってるんだから、そう毛嫌いするにはあたらないよ。そんな客もいなければ、遊女屋なんかやっていけないんだから」
「でも、わたしはいやですねえ。十六やそこらの新造を水揚げする男なんて」
「おまえ、ずいぶんお女郎びいきになったもんだね」
「以前から、女郎びいきですよ。女郎がいなけりゃあ、馬屋の商売もあがったりですからね」
「大層立派なことをいうようになったねえ。末たのもしいよ。これで弁天屋の行く末も安心だ」
おえんが持ちあげると、浜蔵は照れて、寿司を口にほうりこんだ。
やがて廓《くるわ》に灯がともりだしたころ、突出し道中がはじまった。
仲ノ町には熱気が渦まいている。大勢の見物人がでて、道中がくるのを待っていた。引手茶屋の店頭にも見物人がたかっている。今やおそしと姉女郎と玉扇が振新《ふりしん》、番新《ばんしん》、若い者らをひきいて道中してくるのを待っていた。
「きたっ、きた、きた。きましたよ」
「騒々しいねえ。はじめてみるわけじゃないんだろ」
おえんがたしなめたが、浜蔵は人々をかきわけて、見物客の最前列へでていった。
まず玉屋の紋を入れた長柄傘が目に入ってきた。先頭に箱提灯《はこちようちん》をさげた玉屋の若い者がくる。つづいて島田髷《しまだまげ》をゆい、三枚がさねに太鼓むすびの振新が二人。つづいて姉女郎|白扇《しらおうぎ》が横兵庫《よこひようご》に櫛《くし》二本、前差し六本、後差し六本をつけ、三枚がさねの豪華な仕掛けを着て、高さ五六寸ある三枚歯の黒塗り下駄をはいて見識たかくやってきた。
道中の主役玉扇は白扇にならんで比翼仕たての縞繻子《しまじゆす》の衣装を着かざり、帯は錦《にしき》で前むすびにし、ややうつむき加減でそろりそろりと優雅にすすんできた。櫛、前差し、後差しは白扇と同様である。玉扇と白扇のうしろには、奴《やつこ》島田の前髪に赤い小布をゆわえ、花簪《はなかんざし》をさし、振袖《ふりそで》をきてポックリをはいた可憐《かれん》な禿《かむろ》が一人ずつ。
そのうしろに長柄傘をかざした店《たな》の見世番。最後には、三枚がさねの裾《すそ》模様に前髪をたらした番新と、小紋に前帯の遣手《やりて》がくる。
一行をむかえたとき見物人の群の中にため息とも嘆声ともつかぬものがあがった。
この一行は金主である豊前屋銀兵衛がなじみにしている引手茶屋|山城屋《やましろや》まで道中し、そこで銀兵衛をともなって玉屋へもどるのである。玉屋で、銀兵衛は見世中の者へ祝儀をくばり、なじみの茶屋や船宿の面々へも豪勢な祝儀をおくる。そして見世の者一同で手打の式をおわってから、水揚げの床におさまるのである。
吉原の桜が散りかけたころ、どえらい仕事が弁天屋に舞いこんできた。
「お嬢さん、かつぐのはよしてくださいよ。そんな嘘をいうと、閻魔《えんま》大王に舌をぬかれますよ」
その話をおえんからきいた浜蔵は初《はな》っから本気にしなかった。
「嘘じゃないよ、本当だよ」
そういうおえんも、はじめ玉屋から取りたてをたのまれたときは、にわかには信じられなかったものである。
「本当に三百両の仕事ですかい」
浜蔵の顔が半信半疑になった。
「きっちり三百両、馬屋証文ももらってきたよ。ほれ、このとおり」
おえんは証文をとりだしてみせた。
「ううん……、本物だ、こいつはまちがいねえ。本当に三百両の仕事じゃありませんか。こんなことは十年に一度、いや何十年に一度の大仕事でしょう」
ふつう馬屋の取りたては、一両や二両からはじまる。遊女屋や引手茶屋からもちこまれる仕事は五両だの六両くらいがおおいのだ。数十両といったカサの張る仕事でも年に四五回あるかないかだ。
「えっ……、豊前屋銀兵衛ですって?」
浜蔵は証文を最後まで読みとおして、頓狂《とんきよう》な声をあげた。
「おぼえてるかい、先だって玉屋の玉扇を水揚げした金主だよ」
「じゃあ、三百両はあのときの……」
「そうだよ、銀兵衛はあのときの三百両まだはらっていないんだ。番頭が何度も掛け合いにいったそうだが、難癖をつけて、どうしても払わないっていってるそうだよ」
「すると、あの野郎、玉扇を食い逃げしたんですかい」
「そういうことになるねえ」
「とんでもねえ野郎じゃありませんか。突出し新造の食い逃げなんて、前代未聞のことですよ。太《ふて》え野郎ですね、豊前屋銀兵衛」
浜蔵はまるで自分のことのように色をなした。
「でも、これにはきっと理由《わけ》があるんだよ。そうでなかったら、いくら銀兵衛だってそんなことはやらないだろう」
「どんな理由があるにせよ、あんな派手な道中やらかして、初物を食って逃げるなんざ、みのがしておくことはできませんや。ビタ一文欠かさず三百両とってやりましょう。そんな野郎をのさばらしておいたんじゃあ、馬屋の面子《めんつ》にだってかかわりますよ」
「じゃあ浜蔵、これから出かけていってみようかね」
「今すぐに出かけましょう」
浜蔵はいさみたった。
おえんだっておちつきはらった態度はみせているものの、胸のうちは三百両というはじめての大仕事にわなないている。興奮が大きいだけに、つとめて平静さをたもとうとしているのだ。
こんなどでかい仕事に出くわしただけでも、馬屋|冥利《みようり》につきるとおもった。もしこの仕事に成功したら、半年や一年はゆうに寝てくらせる。
娘島田に玳瑁《たいまい》の櫛簪、浅葱色《あさぎいろ》の縞《しま》の留袖《とめそで》に朱の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をしめたおえんの姿がその日の夕景ちかく、日本橋室町の問屋街、豊前屋の店頭に落日をうけて立った。おえんのそばには浜蔵がひかえている。
銀兵衛はすぐに姿をあらわした。四十代半ばくらいの、ずんぐりとした体で、顎《あご》の張ったいかつい顔をした男である。ずっしりと金のかかった古渡りの着物を無造作に着ている。
おえんが名と用件をつげると、
「おまえ、玉屋からたのまれて取りたてにきたのか。女の馬屋をよこすとは、玉屋もしゃれたことをしたもんだな」
銀兵衛はおえんをじろじろとながめて軽悔の笑いをうかべた。
「豊前屋の旦那《だんな》さま、いかがでございましょう、三百両支払っていただけますでしょうか」
馬屋だとて、はじめから喧嘩腰《けんかごし》の催促はしないものだ。おえんは微笑をうかべながらあくまでも下手《したて》にでた。
「おれは玉屋の主人にもいってやったが、三百両が一両でもはらう気はないんだ。はらういわれもない。相手がおまえさんにかわってもおなじだよ」
そういう銀兵衛の顔には金で不義理をしている負い目や暗さは微塵《みじん》もない。憤懣《ふんまん》だけがあらわれている。
「そうはおっしゃいましても、あれだけの突出し道中をやらせましたのは旦那さまでございますから、今になって金ははらわぬというのはちとご無理な話じゃないでしょうか」
「無理じゃあないんだ。どうしても金をとるという玉屋のほうに無理がある。おれはたしかに玉扇の突出しの金主になったが、玉屋にすっかりだまされたのだ。金主をだましておいて、金だけとろうというのは筋がとおらん」
「わたしも子供の使いではございません。だまされたといわれただけでは、かえれません。おさしつかえなかったら、理由《わけ》をはなしてくださいませんか」
おえんはやんわりと食いさがった。
「金主が新造の突出しに三百両もの大金を投げだすのは、生娘《きむすめ》の新造を水揚げするからだ。見世でもまっさらな生娘だっていうからこそ、おれも三百両だすって承知したんだ。ところが、それがとんだ食わせものだった」
「じゃあ旦那さまは、玉扇が生娘でなかったことに腹をたてて」
おえんはおかしさをこらえてきいた。
「玉屋はおれに紛《まが》いものをつかませたんだ。おそらく玉屋は腹のうちでおれをあざ笑ってただろう。だから今度は、おれが玉屋をあざ笑う番だ」
「でも旦那さま、玉扇が生娘であったかどうか、どうやってみわけましたか。女のそれをみわけるのはとてもむつかしいことだときいております。それによしんば、玉扇が生娘でなかったにしろ、玉扇がおいらんとしてお客をとったのは旦那さまがはじめてでございましょう。水揚げというものは、もともとそういったものだとうけたまわっておりました」
「それは遊女屋の勝手都合ないいぶんだ。玉扇が生娘でなかったという歴とした証拠がある」
「そんな証拠があるんですか」
おえんはいささか興味がわいた。
「おまえさん、納得しないようだからみせてやろう」
そういって銀兵衛はいったん奥へ入り、一通の手紙をもってきてみせた。
「これは富之助《とみのすけ》っていう、玉屋の若い客がおれに宛ててよこしたもんだ。富之助は玉扇が振袖新造のころから好き合っていて、裏茶屋でかくれて玉扇とあそんでいたんだ。富之助は玉扇がおいらんになるまえに身請けするつもりでいたらしい。ところが見世の都合で早目に突出されちまったんだ」
「…………」
「それで富之助は恨みつらみの文句をくどくどとならべたてた手紙を寄こしたわけだ。おれはこの手紙をもって玉扇を責めたてたら、とうとうあいつも白状しやがった。これでおれの面子は丸つぶれだ。三百両、はらわねえのはこういう理由だ」
銀兵衛がしゃべっているあいだに、おえんは富之助の手紙にざっと目をとおした。その内容は銀兵衛がいったことをまちがいなく裏付けている。
「金主の旦那さまとしては、それは大層お腹だちでしょう。おいらんになるまえの振新が人目をかくれて裏茶屋で好いた男と密会するという話はときたまわたしも耳にいたします。遊女屋でも気づかないことがあるそうです。けれどもそれは玉扇が客をとっていたわけではないのですから、腹だちをこらえて目をつぶってあげるのが粋《いき》なはからいじゃございませんか。新造のまえの男を詮索《せんさく》するのは野暮じゃありませんでしょうか」
「それを野暮といわれたんじゃあ、おれはあんたを相手にできなくなるぜ。だましたのは玉屋で、だまされたのはおれのほうだ」
おえんは銀兵衛をおこらせてしまった。
「生娘でなかったからといって、三百両猫ババしてしまうっていうのはどうでしょうかねえ。それで世間がとおるでしょうか。旦那さまも、するべきことはちゃんとなすったんですから、玉扇の立場もあるし、ここは穏便にはからってやるのが金主の筋じゃあございませんか」
ここまできた以上、おえんも後へはひけないのだ。
「そんな手前勝手なゴタクはききたくもねえな」
「どちらのいいぶんが手前勝手でしょう。ちかごろの中見世《ちゆうみせ》や小見世じゃあ、突出しのまえに何度も新造に客をとらせて、そのつど高い水揚げ代を幾人もの客からとるって話さえききます。それにくらべたら罪のない話じゃありませんか。玉扇のまえの男に難癖をつけて、それをいいがかりに猫ババしようって魂胆だとおもわれましては、それこそ旦那さまの器量と面子に疵《きず》がつきましょう」
「器量だけで、三百両の金がはらえるものか。おれにその気はねえから、ねえさん、かえってくれ。それに店の玄関をふさがれちゃあ、商売にもさしつかえるんだ」
おえんと浜蔵をおいたてて、銀兵衛は奥へひっこんでしまった。
吉原|田圃《たんぼ》や日本堤に、雉子《きじ》の声をきくようになった。
この声をききだすと、春は急速に更けていく。吉原がよいの遊客などもそこはかとなく惜春の情をもよおしてくるのだ。
おえんはその後何度も豊前屋をおとずれたが、銀兵衛はまともに会おうとしなかったし、間がよく出会《でく》わしたとしても、せせら笑うか、罵声《ばせい》をあびせるのがおちだった。
又之助と浜蔵はもう半月もまえから、銀兵衛のあたり[#「あたり」に傍点]をとるために、朝はやくから宵にいたるまで地道な探索を根気よくつづけていた。銀兵衛についての商売や家族、肉親、友人……にいたるまで過去から現在までのことをあらいだして、その中から取りたてに役にたつ事柄をひろいあげていく。
馬屋とはいっても、はじめから腕ずく、力ずくの仕事ではなく、筋道さえとおれば、相手の条件をのむこともあるし、期日がすぎても待ちもする。けれども、馬屋が相手にする手合いは大概海千山千のすれっからしか、初《はな》っから金をはらうつもりのない悪党どもがおおい。そういう連中を相手に多額の取りたてを成功させるには、つまるところ相手の弱みをにぎるか、悪事をつかんでそれをネタに強請《ゆす》りまがいの荒療治にでるのが常道となってくるのだ。
「今度の仕事はやりづらいねえ」
浜蔵がボヤキを入れた。
「なにせ、玉屋の側にも三分の弱みはあるからな。玉扇が生娘でなかったという証拠を銀兵衛がにぎっている以上、ありきたりのネタじゃあ、やつはびくともしねえだろう」
又之助まで弱音をはいた。
「おやおや、おまえたちもう泣きが入ったのかい。あたしはちっとも、やりづらいなんておもっちゃいないよ。弱みがあるのないのって、おまえたちが斟酌《しんしやく》するにはおよばないんだ。馬屋はね、証文にしたがって勘定《おあし》を取りたてればそれでいいんだよ。かりそめにも玉屋に弱みがあったって、それを上まわる相手の弱みをにぎって突きつけてやればいいじゃないか」
おえんは天清の飯台に両肘《りようひじ》をついてそういった。
「お嬢さんのいうとおりだ。ついボヤキがでちまいました、相すいません。ここで銀兵衛にでかい顔をされたら、それこそ弁天屋の暖簾《のれん》が泣きますからね。わたしらだってみっともなくって稼業をつづけてられなくなりますよ」
又之助はすぐに気をとりなおした。
「三百両だよ、三百両。うちの取り分だけでも百五十両。こいつをにがす手はないだろう。うまくいったら、おまえたちにもたんまりお手当をはずもうじゃないか。一両だの二両だのっていわないよ。十両ずつはずんであげよう」
「本当ですか、お嬢さん。十両もくれるんですか」
おえんの言葉に浜蔵が目の色をかえた。なにせ十両といえば、『十両ぬすめば首がとぶ』といわれるくらい価値がある。
「嘘なんかいうもんか。銀兵衛からまるまるふんだくったら、祝儀の大盤振舞いだよ。年に一度くらいそんなことがあったって罰はあたらないだろう。がんばっておくれ」
おえんは気前よくいった。
「ようし、勇気百倍だ。お嬢さん、がんばりますよ。死んだって、三百両ぶん奪《ど》ってやりましょう」
「馬鹿だねえ、死んじまったら、十両のもらい手がなくなるじゃないか」
「へっ、そうでした。それじゃあ、死ぬくらいの気持で銀兵衛をやっつけてやりますよ」
「そうしておくれ。あたしは銀兵衛のいってることが今一つ腑《ふ》におちないんだ。話の辻褄《つじつま》が合いすぎてるようにおもえるんだよ」
おえんは飯台の向い側の又之助と浜蔵と目をみかわしていった。それはおえんの勘である。
「銀兵衛をすみからすみまであらいあげていくうちに、この辻褄がきっとくずれてくるような気がしてならないよ」
この半月のあいだあたり[#「あたり」に傍点]をとったとはいえ、まだ銀兵衛の輪郭がようやく浮かびあがったにすぎない。
「それに富之助って男をあらってみるのもおもしろいんじゃないでしょうかね。銀兵衛がひどくうらんでる男だから、いい手がかりがつかめるかもしれません」
「又之助、それはいいおもいつきだよ。あたしもそれをかんがえていたんだ。富之助をうまくつかえば、銀兵衛だってつきくずすことができるかもしれない」
おえんの眸《ひとみ》が光をおびてきた。
「富之助をさぐるのは、玉扇にたずねるのが一番でしょうね」
「そうだよ、又之助。それはおまえがやっておくれ」
「請け合いました。わたしは富之助と玉扇をあたってみます」
「浜蔵、おまえはこれからも銀兵衛の身のまわりをあたっておくれ」
「へいっ、かならずなにかつかんでみせます」
又之助と浜蔵は十両の手当に勢いこんだか、元気いっぱいに弁天屋をとびだしていった。
おえんはどちらかといえば、又之助の探索により大きな期待をかけていた。富之助と玉扇のつながりのなかから、おもいがけぬネタがつかまえられるのではないかという予感があった。
ところが、先にどえらいネタをつかんできたのは浜蔵だった。
「銀兵衛はとんだくわせ者でしたよ。ゆるしちゃあおけねえ野郎です」
浜蔵は数日後の夕刻、弁天屋の用談部屋にかけこんできた。
「なにかつかんだね」
うながすと、
「やつは、六年まえにも新造の食い逃げをやってるんです」
浜蔵は顔を紅潮させていった。
「どういうことだい」
おえんはつとめて平静な言葉でうけたものの、胸のうちでは今にもとびあがらんばかりの興奮をおぼえていた。
「京町一丁目の海老屋《えびや》の若緑が突出しになったとき、やはり銀兵衛が金主をつとめたそうです。そのときも、若緑は生娘じゃなかった、男がいた、といってやたらに難癖をつけ、御役の費用二百五十両ははらえねえと海老屋を手こずらせたいわくがあるんです」
「そうか、銀兵衛はそれに味をしめていたんだね。そのときの経緯《いきさつ》と結末はどうだったんだい」
おえんは先をいそがせた。
「やはり若緑には突出し以前にいい仲の男がいたそうです。けれどもそれをいいがかりに二百五十両も小便ひっかけられちゃあかなわねえと、海老屋の主人が何度もでていってはげしい掛け合いをやったそうです。それでも銀兵衛がどうしても応じようとしないんで、すったもんだの大揉《おおも》めが半年もつづいたっていいます。海老屋の主人は世間にひろまると見世の暖簾と若緑に疵《きず》がつくのをおそれて、馬屋へ取りたての依頼もしなかったんで、銀兵衛は相手の足下《あしもと》をみて強気にでたんでしょう。けれども海老屋の主人も意地になって掛け合いをつづけ、とうとう百両だけとって、のこりの百五十両はあきらめたそうですよ」
「そうだったのかい。銀兵衛は二匹目の泥鰌《どじよう》をねらったのか」
「そうなんですよ。いかにもきたねえ料簡《りようけん》じゃありませんか」
「六年まえ、海老屋が馬屋へもちこんで、きちんと始末をつけていたら、今度のことはおこらなかったのに」
「今度は三百両まるまるとぼけるつもりでいたんですよ。世の中には大層悪いやつがいるもんです」
「そのネタの裏はとったのかい」
「ぬかりはありませんや。噂の切れっぱしをききこんで、海老屋の主人にじきじきたずねましたところ、はじめはいいしぶっておりやしたが、もう六年もたって信用や人気の疵にならねえっていうんで、いう気になったんでしょう。今でも腹の虫がおさまらねえっていってましたよ」
「銀兵衛め、今度ばかりはあまい汁を吸わさないよ。みてるがいいさ、なにがなんたってそっくり取りたてて吠《ほ》え面《づら》かかせてやるから」
おえんはそれをきいて、かえって闘志をかきたてられた。体がかあっとあつくなって、今すぐにでも豊前屋へのりこんでいきたい衝動にかられてきた。
「だけどお嬢さん、これだけのネタじゃあ、まだ豊前屋へのりこんでいけませんやね」
浜蔵がいった。
「六年まえの一件と、この件とはかかわりないからね。だけど今度ははじめっから銀兵衛がしくんだってことがはっきりしたよ。浜蔵、お手柄だよ。そのつもりで銀兵衛をあらっていけば、きっと大きなネタにぶちあたるよ。どこかからかならずボロがでてくるはずさ」
「海老屋の主人にもう一度食いさがって、銀兵衛のボロをひきずりだしてきますよ」
又之助はもう半月あまり、富之助を張っていたけれど、まだ一度もその姿すらみることができなかった。
富之助の家は神田佐久間町の箪笥《たんす》屋である。屋号を柳屋といい、祖父《じい》さんの代からの店である。町家にも武家屋敷にも顧客をもっており、繁昌《はんじよう》している。
後とり息子の武之助はしっかり者でとおっているが、次男の富之助が飲む、買うの極道者で、親父の福之助と折り合いがわるく勘当同然になっていて、ほとんど家に寄りつかない。その下のおきくという妹がおり、母親とおきくが富之助を心配しているが、肝心の当人には身状《みじよう》をあらためようという気持がすこしもみられず、福之助はもうみかぎっているのだ。
柳屋周辺をあたって、富之助についてはこれだけしらべあげたが、あとはたいしたことはほとんどでてこなかった。
扇屋で富之助をしらべてみると、白扇の客として何度かあがったことはあるが、玉扇と彼がねんごろな仲だったとは、銀兵衛の一件がもちあがるまでは誰も知らなかった。両人とも他人《ひと》の目をくらますのがうまかったのか、それとも周囲がうかつだったのか、この一件があらわれてからみな唖然《あぜん》となったそうだ。
玉扇はいうところの純情|可憐《かれん》型で、色事にはむしろおく手[#「おく手」に傍点]な感じだとみられていた。おいらんや客にからかわれて、顔を真っ赤にそめていたことがよくあったそうだ。裏茶屋でひそかに姉女郎の客と乳繰り合っていたとは誰も想像していなかったのである。
しかも玉扇は運がつよいというのか、おいらんとして天性の美質をそなえていたのか、富之助のことがあばかれてから、いっこうに人気がおちなかった。噂をきいて、どうしても玉扇を買いたいという客まで寄りあつまって、今では玉屋でも一二をあらそう人気のおいらんになっているということだ。
又之助は玉屋の主人に立ち会ってもらい、玉扇に富之助のことをききだしてみたところ、
「あのことがあっていらい、富之助さんとは一度も会っておりません。手紙《ふみ》ももらっていませんので、今どこでどうしているのやら、わたしにはいっこうわかりません」
という返事で、その言葉に嘘はなさそうだった。
今玉扇と富之助がひそかに会おうにも、人目にたちすぎて無理にちがいなかった。それで又之助は柳屋の周囲にへばりついて、富之助がちか寄るのを辛抱づよく待っているのだ。
灌仏会《かんぶつえ》のすぎた翌々日――。
相かわらず又之助が朝から柳屋を見張っていると、昼下りにいたってから、おきくが一人でひっそりと勝手口からでていった。
(…………?)
又之助はおきくの姿に、人目をはばかるような雰囲気を感じとった。たちまち勘にうったえてくるものをおぼえたのだ。
おきくは兄おもいのやさしい娘である。今年十七で、彼女を嫁にほしいという縁談がほうぼうからきているそうだ。器量もすぐれていて、世間ずれのしていない感じのいい娘である。
又之助はおきくの後をつけはじめた。彼女の後をつけていけば、富之助に会えるような気がしたのである。
おきくは佐久間町通りをぬけ、御徒町《おかちまち》へでた。そこから右へむかえば上野、左へいけば和泉橋《いずみばし》にでる。
おきくはためらいもなく、左へまがった。和泉橋は神田川にかかっている。おきくは橋をわたりはじめた。
橋のむこうは、柳原の土手である。
橋詰に立って、又之助はおきくの行方をみまもった。おきくは橋をわたりきったところで立ちどまり、周囲に人影をさがしている様子だ。
しばらく待っていると、柳原の土手に一人の若い男の姿があらわれた。遠目にも商家の若旦那《わかだんな》といった風情がうかがわれた。
(富之助……!)
確信をもって又之助は凝視した。
おきくは小走りにその男の側へかけ寄っていった。二言、三言、二人は言葉をかわした。
さらに話をつづけている。そしておきくのほうが懐からなにかをとりだし、男へわたした。
男は礼をいってそれを受けとったようすだ。ずっと家をはなれている富之助が金にこまって、なにかの方法で家に無心をして、おきくが持っていってやったのだろうと推量した。
もっとちか寄っていきたいが、人通りのすくない土手のこととて、これ以上は無理である。
富之助とおきくはまだしばらく話をつづけた。おきくがなにかしきりに哀願している様子にみえた。富之助はそれを振り切るようにして立ち去っていった。
おきくはしばらく兄の去っていくほうをみつめて、その場にたたずんでいた。
又之助が橋をわたりはじめたのはそのときである。橋を三分の二ほどいったあたりで、おきくとすれちがった。
さりげなくうかがうと、おきくの顔はかなしみにしずんでいる。兄にはやく家にもどるようにうったえて、きき入れてもらえなかったさびしさではないかと想像した。
又之助は富之助の姿をさがした。橋をわたりきったところで、柳原の土手を神田川ぞいにあるいていく富之助の姿をみとめた。
川風に青柳がゆれている。燕《つばめ》が視界を切って、土手すれすれに飛び去っていった。
新緑が目にまぶしい。又之助は豆しぼりの手拭《てぬぐ》いをとりだし、あそび人をよそおった頬かむりをして、富之助の後をつけた。
富之助はぶらぶらとあるき、筋違御門《すじかいごもん》の火除地《ひよけち》まできて、神田須田町のほうへまがった。そこから鍋町《なべちよう》へかけて、ちいさな旅籠《はたご》や木賃宿のならぶ一画がある。富之助はそこへ入っていった。そして、
関口屋
とはげかかった看板をだした旅籠へ姿を消した。
しばらく様子をうかがってから、又之助は関口屋にちかづき、店の番頭に心付けをわたして富之助についてたずねてみた。富之助が三月のはじめからずっとここに逗留《とうりゆう》していることがわかった。大抵、昼ごろまで寝ていて、午後から外へぶらっと出かけて、深夜にもどってくるのが彼の暮しぶりだそうだ。
その日以来、又之助は張り込みを柳屋から関口屋にかえた。
彼は大胆に関口屋の客になった。そして富之助の真むかいの部屋に宿をとった。こうして四六時中、富之助を監視することに成功した。
富之助がおきる時刻に彼もおき、富之助が旅籠をでると、彼もでていった。富之助のいく先々に、ついてまわった。
酒と女が富之助のくらしの中心であった。居酒屋や一杯飲み屋をまわり、日がくれると岡場所へでかけていって女を買う自堕落なくらしをつづけている。博奕《ばくち》にもときたま手をだしていた。けれども吉原へは足を踏み入れていない様子だ。金がつきると、また家へ無心をつづけて、母やおきくに金をもってきてもらっているのである。
数日間関口屋にいたあいだに、富之助のくらしぶりをほとんど把握《はあく》することができた。が、期待していたようなネタの掘りだしものはあがってこなかった。
(もうこれ以上あらっても駄目だ……)
とあきらめかけた。
ところが七日めにいたって、とうとう大きなネタにぶちあたった。その夕、富之助はいつもとはちがう方角へでかけていった。
(もしや……)
の予感がそのとき又之助にあった。
富之助は両国広小路へでて、柳橋のちかくにある『魚長』という魚料理屋の暖簾《のれん》をくぐった。ここは新鮮な魚と酒を売る店で、かまえからいっても料金の高そうなところである。
すぐ入ってはあやしまれるので、橋の袂《たもと》をひとまわりしてから魚長へ入っていった。店の中は小座敷になっており、奥には小部屋がいくつかあるようだ。小座敷は六分ほどの客の入りだ。
富之助は中ごろの小座敷に陣どっている。
又之助はそしらぬふりをして富之助のななめうしろの小座敷にあがり、焼き魚とヤタ《ひややっこ》を注文し、酒をたのんだ。
富之助は手酌でやりながら、刺身をつついている。飲み口からしても、ふだんとはちがった雰囲気だ。
(誰かくるな)
又之助はそうおもった。一杯やりながら誰かくるのを待っている様子だ。
四半|刻《とき》(三十分)ちかくたったころ、店に一人で入ってきた客の顔をみて、又之助はおもわず声をあげそうになった。ずんぐりした体で、顎《あご》の張った顔をした男である。
(銀兵衛……)
又之助は銀兵衛を知っているが、相手に自分を知られていないのが幸運だった。
銀兵衛はまっすぐに富之助の小座敷にやってきた。
「やあ、おくれてすまなかった」
と挨拶し、富之助のまえにすわった。
「今日もすっぽかしをくわされるのかとおもっていたよ」
富之助のほうは皮肉まじりの言葉をはなって、銀兵衛をむかえた。
「おまえさんをすっぽかしたわけじゃあない。先月からずっとおれは馬屋につけまわされてるんだよ。今もここにくるまで馬屋をまくのに往生したんだ」
おもわぬ人物と人物との出会いに、又之助はしばらくのあいだ二人の間柄を解しかねていた。
「おどろいたねえ、そいつはあたしも気がつかなかったよ。だったら、銀兵衛と富之助ははじめから通じ合っていたのか」
おえんは又之助の話をきいて、一瞬唖然となった。
「いやあ、わたしも二人が顔を合わせて洒を飲みだしたのにはおどろきましたよ」
「今にしておもえば、これですべてが腑《ふ》におちるんだよ。銀兵衛の一件が辻褄《つじつま》が合いすぎているのも、これで納得だ。でもうまくたくらんだもんだねえ。悪党ってやつは、じつにいろいろなことをかんがえだすもんだ」
おえんは毒っ気をぬかれて、かえって感嘆のおもいになった。
「でも、玉扇までがねえ……」
「玉扇はすすんでやつらの一味にくわわったんじゃあねえとおもいます。おいらんが新造のころ富之助と出来ていたのは本当で、そのかかわりを富之助と銀兵衛に悪用されちまったというのが、実際のところでしょう」
「玉扇もわるい男とできちまったもんだねえ。でも今じゃ、そんなことがあったなんてどこ吹く風の全盛をほこってるんだから、たいした玉だね。顔をみただけじゃあ、女ってのは想像もつかないよ」
苦笑しておえんはいった。
「ですがお嬢さん、銀兵衛と富之助との仲は、今は秋風が吹いているんです」
「十分ありそうなことだよ。おそらく銀兵衛が約束の金を富之助へわたしていないんだろう」
「そのとおりですよ。銀兵衛は富之助へ百両わたすという約束をしてあんな手紙を書かせたらしいんですが、手付けの十両わたしただけで、のこりはまだはらってやってねえようです。富之助がさんざ催促しておりましたが、銀兵衛は馬屋につきまとわれているうちはまだどうなるかわからねえからとかなんとか、言葉を左右にしてたくみにいいのがれておりました」
「よく富之助はおさまっているね」
「いえ、とてもおさまってる風じゃありませんでしたね。しまいには悪態をついておりまして、銀兵衛も相当手を焼いておりやした。二人のからみ合いはかなりみごたえがありましたよ」
「そこへつけこむ隙はありそうかえ」
おえんとても、ただの鼠ではないのだ。悪党を制するには、こちらも悪辣《あくらつ》な手段で応じなければ勝ちみがないのを知っていた。
「うまくすれば、つけこめるでしょう。一か八かやってみましょうか」
「今んところ、それ以外に方法《て》はないんだよ。富之助が金につまってるのが、こちらのつけめだ」
「銀兵衛はしたたかなやつですから、富之助と仲間割れさせただけじゃあ降参しねえかもしれませんね」
「あいつの弱みといったら、ほかには娘のお千代くらいしかないんだよ。悪党でも自分の娘だけは可愛いとみえて、お千代を猫っ可愛がりしているんだ。やつの出方によっちゃあ、こっちも少々悪どいことをしなきゃあならなくなるねえ」
稼業柄とはいえ、ちかごろのおえんはこんなことが平気でいえるようになっていた。
「富之助の妹おきくも、つかい道はあるんじゃありませんか」
「できるんなら、お千代もおきくも巻きぞえにするのはしのびないが、もしそうしたことになったら、悪い親父と兄をもったとあきらめてもらうんだね」
おえんはこころのうちの苦さをかみころしていった。
日本橋岩本町にある常磐津《ときわず》の師匠の家へ稽古《けいこ》にいったお千代が行方不明になったのは、四月半ばの一日である。
お千代は常磐津をならいにいくとき、大概女中のおふみをつれていく。ところがこの日はおふみが風邪をひいて寝こんでいたので、お千代は八つ(午後二時)ごろ一人で出かけた。
女の足でも室町から岩本町まで四半|刻《とき》もあれば十分いける。今までにもお千代は何度かこの道程を一人で往復していた。
常磐津|音《おと》太夫《だゆう》に稽古をつけてもらってから、七つ(午後四時)を少々まわったころ、お千代は師匠の家をでた。
ところが、夕刻ちかくなっても、お千代は豊前屋にもどってこなかった。豊前屋では心配になって、手代を師匠の家へやったところ、お千代がずっと以前に師匠のところをでたことがわかって、大騒ぎになった。
店の者がほとんど全員手わけをして、お千代が道草しそうなところをさがしまわった。岩本町のすぐとなりにある芝居町へも人をやって、中村座、市村座などをさがしてみた。駿河町《するがちよう》の越後屋、通旅籠町《とおりはたごちよう》の大丸屋といった呉服店もあたってみた。
ところがでかけていった者たちは、宵闇がおとずれたころ全員むなしく引きあげてきた。お千代はどこにもみあたらなかった。姿をみかけたという者すらたずねあてることができなかった。
銀兵衛の女房おまちは半狂乱のようになって、近所や親戚《しんせき》をさがしまわった。ふだんは何事にも傲岸《ごうがん》な銀兵衛もさすがに顔色をなくし、店の者たちを指図して、かんがえられそうなところはすべてたずねまわった。
近隣の者たちも捜索に手をかしてくれた。けれども大わらわの捜索もむなしく、一晩寝ずに待っていたが、ついにお千代はもどってこなかった。
こうなっては、神隠しにあったか、人さらいにさらわれたとしかかんがえられなくなった。
「まさか、馬屋が……」
銀兵衛は女房にふともらしかけたが、例の水揚げの一件をあかすことになるので、口をつぐんだ。それに吉原の馬屋が娘をさらうまでのことをするとはかんがえられなかった。
「町名主にうったえましては、いかがでしょうか」
番頭の喜兵衛がそういってきたが、
「公儀《おかみ》へとどけるのはもうすこし待ってみよう」
銀兵衛はすぐには同意しなかった。玉屋との揉《も》め事《ごと》や、それにからむ富之助とのいさかいなどが頭にひっかかっていて、それとのかかわり合いがあるのではないかという臆測《おくそく》が彼を逡巡《しゆんじゆん》させたのだ。
とくに富之助は約束ののこり九十両が手に入らぬものだから、頭に血がのぼっている。かあっとなると前後の見境がつかなくなるのが、あの手の男の特徴である。
(もしかしたら、富之助が……)
不吉な臆測にかられて、銀兵衛はいらだちをかくせなくなっていた。
翌朝。
店の大戸をあげて間もないころ、年老いた一人の乞食《こじき》が店頭にちかづいてきた。
「どけ、どけ、商売の邪魔だ。あっちへいけ」
手代が邪剣に追いはらおうとしたが、乞食はどこうとしなかった。
「いうことがきけねえか。うちは物乞いなんかに用はねえ」
手代がそういったとき、
「おれは物乞いにきたんじゃねえさ。人にたのまれて、手紙をとどけにきたんだ。ほらよ」
乞食は手にしていた封書を手代につきだした。
その手紙はすぐに銀兵衛に手わたされた。差出人が富之助だとわかったときから、銀兵衛の表情がこわばった。読みすすむにしたがい、その顔に怒りと苦渋の色があらわになった。
『九十両が支払われるのをいつまで待っても埒《らち》があかないので、仕方なくこちらも荒っぽい手段にでた。そちらが誠意をつくしてくれるまでお千代をあずかることにした。お千代の身に危害をおよぼさぬためには、一日もはやく約束をまもるがいいだろう云々《うんぬん》……』
というのが手紙の内容だった。
「畜生め! 富之助……」
銀兵衛は自分が約束をやぶったことを棚にあげて、毒づいた。
(富之助め、どうしてくれよう)
腹のうちで憤怒したが、それはそのまま自分にかえってきてしまうのだ。
お千代を無事にたすけだすには、九十両富之助にはらわなければならない。けれどもそれは、なんとしても業腹である。できることなら、はらわずにすませたい。
それに脅迫に屈して金をだすのはいかにも無念だ。しかもお千代が無疵《むきず》でかえってくるかどうか、保証のかぎりでない。
富之助ならば腹いせにお千代を手ごめにすることくらいは平気でやるだろうとかんがえた。銀兵衛は自分が富之助の立場だったら、人質にとった娘をたっぷりもてあそんでやるだろうとかんがえて、そう推量した。
「この手紙のことは誰にもいうな」
その手代に口止めして、手紙をやぶり捨てた。どうすべきか、すぐには決断がつきかねた。
(あと一日か二日、ぎりぎりまで待って、富之助の出方をみよう)
そうきめて、女房にも手紙のことをつたえなかった。
銀兵衛にとっても寝ぐるしい一夜がようやくあけた。
その朝もだいぶ日がたかくなったころ、豊前屋の別邸から清作という下男が使いにやってきた。
豊前屋の別邸は深川黒江町にある。数年まえ、深川の材木商が身代だおれになったとき買いとったもので、ふだんは清作と飯炊《めした》きをつとめる清作の女房とが留守番をしている。
「旦那《だんな》さま、今別邸に柳屋というところからお客がまいりまして、旦那さまにお会いしたいと申しつかってきました」
銀兵衛は清作の言葉をきいて目をむいた。
「なにっ、柳屋から客?」
てっきり富之助がきたと察して動転しかけた。
「おきくという器量のいい娘さんです。富之助という人の妹だといっておりました。なんでも今朝はやく旦那さまから手紙をいただいて、お金をうけとりにきたと申しておりました」
「富之助の妹だと? おれは金をとりにこいといってやったおぼえはないぞ」
銀兵衛は話の筋道を解しかねた。富之助がしくんだ策略かもしれぬとかんがえたが、おきくという妹がきたことに興味をかきたてられた。
「ようし、すぐにいこう。清作、おまえもこい」
お千代の消息がつかめるかもしれぬと期待した。銀兵衛は清作をうながして、本船町の船着場へでた。豊前屋から船着場までは目と鼻の先だ。
このあたりは問屋街で、諸国の物産をつみこんだ船がひっきりなしに日本橋川をのぼりくだりしている。深川まであるいていくより、船でいったほうがずっとはやいのである。
船は日本橋川をくだり、大川にで、永代をくぐって、黒江町の掘割へすべるように入っていった。
豊前屋の別邸は、富岡橋《とみおかばし》からやや上手へのぼったところにある。このあたりは風光のすばらしいところだ。周囲はみわたすかぎり田園風景がひろがっている。
銀兵衛は遠国から物産をはこんでくる顧客の荷主をこの別邸に泊めたり、自分もときたま足をはこんで、休養をとるのである。
別邸に入ると、おきくが客間で待っていた。
おきくは丁寧に名乗りの挨拶をし、さきほど清作がつたえたとおりの用件をのべた。
「おかしいな、わたしはそちらへそんな手紙だしたおぼえはないが。なにかのまちがいじゃないか」
銀兵衛がそういうと、おきくはこまった様子になった。その有様でも、彼女が嘘をいってここにきたのではないことがわかる。
「あんたには気の毒だが、おれは富之助にうらみこそあれ、金をくれてやるつもりはないんだ」
銀兵衛の態度と言葉に、おきくはみるみるおびえの色をあらわした。そのおきくのたよりなげな風情が、銀兵衛に邪念をおこさせた。
「もしまちがいでしたら、おゆるしくださいませ。わたしは豊前屋さまのお手紙のままに、ここにまいったのでございます」
おきくは銀兵衛の様子を察して、早々のうちに腰をあげようとした。
「どうも、どこかで筋道がこんがらがっているようだ。それがはっきりするまで、お嬢さんはここにおとどまりになってください」
「いえ、ご迷惑をおかけしましたが、わたしはこれで……」
危険を察し、おきくの声がふるえた。
「そうはいかねえよ、お嬢さん。他人《ひと》の家に妙な理由をもうけて金を無心にくるのは強請《ゆす》りもおんなじだ。ことがばれて、逃げようたって駄目だ」
銀兵衛ははやくも牙《きば》をむいた。いいながらむらむらと情欲をかきたてていった。
おきくは飛んで火に入ってきた虫である。むざむざ逃がすつもりはなかった。お千代にかわる人質をとったことにもなる。
「わたしはそんなつもりでまいったのではありません。おゆるしください」
おきくの顔が恐怖にひきつり、言葉が泣き声になった。
「富之助は、おれの娘をかどわかしているんだ。きたねえ野郎だ。かわりにおまえを人質にとってやる」
そういったかとおもうと、銀兵衛はやにわにおきくに飛びかかった。
「きゃあっ」
悲鳴をあげて逃げようとしたが、おきくはすぐにつかまってしまった。
「いくらでもさけぶがいい、わめくがいい。外へはきこえねえ。誰もたすけにきてはくれないさ」
おきくは必死でもがいたが、銀兵衛はそれをたのしむように、ゆっくりと彼女の抵抗をうばっていった。
「やめてください……、おゆるしください……」
泣いてたのんだが、銀兵衛はせせらわらった。
おきくはしだいに身うごきができなくなった。
「今からお千代の仇《かたき》をとってやる。おまえをたっぷりとなぐさんでやるさ」
いいながら銀兵衛はおきくの胸を着物の上から鷲《わし》づかみにし、もみしだいていった。
「たすけて……、かんにんしてください……」
おきくが哀願するのもかまわず、銀兵衛は帯紐《おびひも》に手をかけた。紐が乱暴にぬかれて、帯がとけていった。
大川べりを三丁の駕籠《かご》がかけていく。
エイ、ホッ
エイ、ホッ
駕籠屋のかけ声がいさましくながれた。
「駕籠屋さん、いそいでおくれ。酒手をはずむよ」
先頭をいく駕籠の中からおえんが声をかけた。
駕籠は一段と速度をました。往来上の通行人はおもわず道をよけて、駕籠をみおくった。
おえんの後には、又之助、浜蔵とつづく。
おえんははじめ、船で大川を永代までいくつもりだった。ところが懇意にしている山谷堀の船宿村岡までいったところ、船頭衆が出はらっていなかった。
「半|刻《とき》待ってくれれば、もどってくるんだけど」
村岡の女将《おかみ》はそういってくれたが、半刻待つだけの余裕がなかった。
山谷堀の船宿はなんといっても、吉原の客のおくりむかえがほとんどである。時刻柄、午前中は船頭衆の半分以上はでてきていないのだ。
女将が近所の船宿をあたってくれたが、あいにくどこにも船頭があいていなかった。
「乗合でいきましょうか」
と浜蔵がいったが、永代までくだる乗合も出船にはまだ半刻ちかくの間があった。
「駕籠でいこう。飛ばせば間に合うだろう」
おえんはそういって、ちかくの駕籠屋にとびこんだのだ。
今朝はやく、柳屋へ飛脚で銀兵衛の手紙をとどけさせたのはおえんである。文面はおえんがかんがえ、又之助にかかせた。
おきくが早々に豊前屋の別邸へでむくようだと、おえんがこれからゆっくりでかけたのでは、手おくれになるおそれがあるのだ。
三丁の駕籠は蔵前通りを駆けぬけて、浅草橋をわたった。
おえんが豊前屋の別邸につくのがおくれると、おきくの身に危害がおよぶ心配がある。銀兵衛はお千代をさらわれた腹いせに、きっとおきくに仕かえしをするだろう。おえんは自分で絵図をかいてことをはこんだだけに、銀兵衛の出方を十分予想することができた。
「駕籠屋さん、もうひと踏んばりだ。がんばっておくれ」
おえんは駕籠の中からはげました。
駕籠は浜町河岸をつっきって、武家小路をぬけ、ようやく北新堀町へでた。この長い町並をぬけると、その先に永代橋がある。
永代をようやくわたったとき、おえんはほっとなった。けれども、おきくが無事かどうかはわからない。はやる気持をおさえながら、黒江町につくのを待った。
豊前屋の別邸前についたとき、おえんは汗びっしょりになっていた。息もはげしくはずんでいた。
又之助も浜蔵も、呼吸《いき》をみだしながら駕籠をおりた。
「浜蔵、おまえは門前で見張っていておくれ」
不服顔の浜蔵をのこし、おえんは又之助をつれて、門をくぐった。
「もし、どちらさまで」
でてきた下男にたずねられた。
「豊前屋の旦那さんにたのまれてきたんだよ。失礼するよ」
一瞥《いちべつ》をくれ、いい捨てて、案内も乞《こ》わずに、玄関を土足であがった。
ここまでくれば、大体の間取りは見当がつく。おえんは廊下へでて、先へすすんだ。
客間らしきところで、人のいる気配がした。いやな予感をおぼえながら早足ですすんだとき、
「誰だ!」
誰何《すいか》の声とともに、銀兵衛が廊下に姿をあらわした。
(…………!)
銀兵衛の着衣はだいぶみだれている。
「弁天屋おえんの参上だ」
手おくれだったと察し、臍《ほぞ》をかむおもいで言葉を投げつけた。もう息づかいはおさまっていた。
「おえんめっ、なにしにきたんだ。挨拶もなくあがりこんで、無事にすむとおもうのか」
銀兵衛が吠《ほ》えたが、おえんはそれをきき捨てにして、客間の障子をあけた。
おえんは息をのんだ。おもったとおり、落花狼藉《らつかろうぜき》の無残な光景がひろがっている。
床の間のちかくで、おきくが顔を伏せて泣きくずれている。着衣はなんとかつくろってはいるものの、ここでなにがおこなわれたか想像するのは容易である。島田の髷《まげ》はくずれ、鬢《びん》のあたりもいたいたしくほつれており、櫛《くし》と簪《かんざし》がかたわらにおちている。
「あんた、柳屋のおきくさんだね」
おえんが声をかけても、おきくは顔もあげなかった。返事をしないで、泣き声をもらしはじめた。
「銀兵衛っ、おまえ、仲間を裏切ったばかりじゃあきたらず、その妹にも手をだしたね」
おえんは銀兵衛をきっとにらみすえた。その眦《まなじり》に憎悪《ぞうお》がうかんだ。
「馬屋風情のかかわり知ったことじゃねえ。おまえ、なにしにきやがった」
銀兵衛はひるまずににらみかえしてきた。
「馬屋風情とは片腹いたいよ。物産問屋の主人がどれほどえらいか知れないが、新造を食い逃げしたばかりか、仲間を裏切って、その妹を手ごめにするとは犬畜生にもおとるやつだ」
おえんは痛罵《つうば》をあびせた。
「きいたふうなことをいうじゃねえか。おれはおまえに一文だってはらわねえぞ。馬屋の証文なんかくそくらえだ」
「そんな大きな口をたたいて大丈夫かえ」
おえんは口辺にうす笑いをうかべ、ひややかにいった。
「おまえのほうこそ、おれから銭をとれるつもりか」
「つもりかどうか、今にわかるさ。おまえがたくらんだ猿芝居はみんなお見とおしさ。富之助とくんで玉屋の三百両に小便ひっかけ、あげくのはてに富之助の九十両まで猫ババしたんだ。あたしはその三百両そっくりいただいてかえるつもりだよ」
「とれるもんなら、とってみろ」
「お千代の身柄とひきかえに、三百両いただこうじゃないか。おまえさん、お千代が可愛くはないかえ」
おえんがしずかにいいはなったとき、銀兵衛の顔色がさっとかわった。
「おまえかっ、お千代をかどわかしたのは」
しかし、おえんはそれにはこたえなかった。
「きのうの朝はやく、おまえの店へ物乞いが富之助の手紙をとどけただろう。とどけさせたのはあたしだよ。それから柳屋へ手紙をおくったのもあたしさ。どうだい、これで筋書がよめただろう。お千代はあたしがあずかっているよ」
語気するどくいいはなった。おえんは二通の偽手紙で、双方をあやつったのだ。
「この牝犬《めすいぬ》めっ!」
銀兵衛は逆上してつかみかかってきた。
が、おえんはそれよりもはやく、すすっと数歩しりぞいて、廊下にでた。そのときすばやく帯にはさんだ鉤縄《かぎなわ》をぬきとっていた。
又之助もとっさに銀兵衛にそなえて身がまえた。又之助の懐には、護身用の匕首《あいくち》がしのばせてある。だが、匕首をぬく必要もなかった。
「銀兵衛っ、馬屋をなめるんじゃないよ!」
啖呵《たんか》とともに鉤縄がとんだ。鉤は銀兵衛の着物の襟にふかくくいこんだ。
「野郎っ!」
又之助はそれと同時に、銀兵衛へとびかかっていった。
銀兵衛も又之助に応じたが、たちまちおえんの縄にからめとられていった。
「銀兵衛、室町の本宅から人っ気のない別邸へつれだされたのが、おまえの失敗《しくじり》だったねえ。本宅だったら手代や丁稚《でつち》どもがいて、こうも簡単にはやられなかったろうに」
しばりあげられた銀兵衛にむかって、おえんは小気味よくあざ笑った。
「おれをしばったって、金はでねえぞ、馬鹿野郎!」
銀兵衛はしぶとく、まだ降参をしなかった。
「おまえがはらわなけりゃあ、お千代は女衒《ぜげん》に売りとばされることになっている。お千代はたいした上玉とはいえないが、宿場女郎か岡場所へ売れば、結構はやる女郎になるだろう。そこでさんざ男のおもちゃになるといい。売りとばすまえに、富之助に味みをさせるのも一興だねえ」
おえんが止《とど》めを刺すと、さすがの銀兵衛もようやくがくっとうなだれた。
[#改ページ]
第七話 首吊《くびつ》り女郎
吹く風がどことなくなまめいている。さすがに春の宵は駘蕩《たいとう》としていて、かそけく人のこころをかきたてる。三味の音色と唄声《うたごえ》が喧噪《けんそう》にまじってきこえてくる。
又之助はそよ風にさそわれて、廓《くるわ》を漫歩していた。といっても、これからどこかの遊女屋へあがろうかと思案しているのでも、張見世《はりみせ》のひやかしでもやろうというのでもない。
馬屋を稼業にしているうえは、どうころんでも、どんなに惚《ほ》れた相手がいたとしても遊女を買うことはできないのだ。それが遊女屋や引手茶屋を相手に商売をしている彼等の仁義である。
又之助が廓の内を漫歩しているのは、商用でたずねていった若松屋の番頭安兵衛がたまたま近くに外出《そとで》しており、そのかえりを待つために時間つぶしをしているのだ。若松屋は京町二丁目にある遊女屋で、半籬《はんまがき》の中見世《ちゆうみせ》である。
先だって安兵衛に依頼された五両二分の取りたてをすませたので、その半金二両六分をおさめにきたのだ。田町二丁目の弁天屋へもどって出なおしてくるのも面倒なので、ひやかしの客にまじって、又之助は京町二丁目通りをそぞろあるいていた。
月がおぼろな光をはなっている。春宵一刻値千金《しゆんしよういつこくあたいせんきん》とはこんな夜をいうのだろうとおもった。軒につるした提灯《ちようちん》や掛行灯《かけあんどん》の明りの色にも、どこかしら春情をさそう濃艶《のうえん》な感じがたちこめている。明りがきれて闇のただようところには一抹の春愁がながれている。
又之助の足は紅殻《べにがら》格子のまえでとまることなく、まえへ、まえへ……とむかった。京町二丁目といえば、廓のうちでもっとも南に位置する。足のむかう先に、九郎助《くろすけ》稲荷《いなり》の鳥居があった。
まっすぐいけばどん詰り、右へまがれば九郎助稲荷、左へむかえば最下級の遊女たちがたむろする川岸見世《かしみせ》へでる。稲荷のほうはうす暗く、川岸見世の方向はあかるい光をはなっている。
人の流れはあかるいほうへぞろぞろとむかっている。又之助は流れにさからって、右へまがった。あてもなく鳥居をくぐって、稲荷の境内へ入った。
ここは吉原の総鎮守である。石灯籠《いしどうろう》に灯がともっているが、境内は暗い。御手洗《みたらし》のちかくまでいったとき、前方の闇の中に白いものがふわっとうごいた。みていると白いものは拝殿の裏手へかくれた。
(妙だな……)
又之助は不審をおぼえた。狐か物《もの》の怪《け》でないとすれば、遊女だろうかとおもった。しかし遊女だとしたら、今時こんなところでなにをしているのかと疑いがおこった。
宵の廓といえば、遊女がもっともいそがしい時刻である。売れている妓《おんな》ならば座敷にでているだろうし、売れていなければ、張見世で客を待っているはずだ。今時、人っ気のない稲荷の境内で散策をしている悠長な遊女がいようはずがない。
又之助は気がかりになって、拝殿のほうへむかった。拝殿のまえにも横手にも、人影はない。
(錯覚か……?)
そうおもいながら、横手から裏へまわったとき、
「あっ」
声をあげて、立ちすくんだ。裏の松の木の枝に紐《ひも》か襷《たすき》のようなものを懸命にかけようとしている女がみえた。その枝ぶりといえば、首吊りには恰好《かつこう》の形をしている。
「待てっ、早まるな!」
声をかけて又之助ははしった。一瞬の遅速で遊女一人の命がうしなわれるかどうかの瀬戸際ではないかと必死だった。
「おいらん、馬鹿な真似はするんじゃない」
叱りつけると、遊女はびくっとみかえった。
「後生です。見のがしてください。わたしを死なせて」
哀願をこめておいらんはいった。
「どんな理由《わけ》があったって、首っ吊りはいけないよ。自分で自分の命をちぢめるなんてもってのほかだ」
又之助は遊女をかかえこんで、襷をうばいとった。
「他人《ひと》のことならどんなことでも申せましょう。他人の痛みは三年こたえると申します」
遊女は悲痛な声でいい、又之助の腕の中であばれまわった。ちかくでみると、まだ二十歳前くらいの年齢である。しかも遊女の経歴はあさい感じの女だ。
「ともかく首を吊ろうとしてる女を見て、ほうっておくわけにはいかないよ」
「いや、いやっ、情があるなら死なせてください。わたしはこの世にはもう生きてはいられない身です」
「死なせてやるわけにはいかない」
「いやです、死なせて」
遊女はとうとう悲鳴にちかい声をあげた。
逆に又之助はなんとしてもこの女をたすけてやろうとおもった。
「そのおいらん、おりえ[#「おりえ」に傍点]って名かい」
おえんは又之助から遊女の首吊り未遂の一件をきいて、いぶかしんだ。
「若松屋のおいらんで、源氏名は藤紫《ふじむらさき》だそうです。シャバでの名はおりえっていってました」
「おりえねえ……」
「おもいあたるフシでも……」
おもいあたるというほどではないが、おえんはおりえという名にひっかかった。そうどこにでもあるという名ではない。
「そのおいらん、もしか聖天町の生まれじゃないだろうかね」
おえんは浅草聖天町で生まれたおりえという娘を知っている。年ごろも丁度その遊女とおなじくらいだ。
「そこまではきいてきませんでしたが、お嬢さんが気になるようでしたら、若松屋できいてきましょうか」
「あたしがいってきいてくるよ」
おえんはそうしなければおさまらない気持にかられていた。もしその遊女が聖天町生まれのおりえだったら、おえんとはちょっとこみいったかかわりがある。
吉原では遊女の足抜きをなによりもおそれていたが、それとおなじくらい遊女の自害をも警戒した。遊女には莫大《ばくだい》な資本《もとで》がかかっており、さらに遊女は莫大な利益をもたらす金の卵である。その遊女に自害されてしまっては元も子もなくなる道理である。
足抜きは重罪であり、どこまでも追跡され、つかまれば残酷な仕置きが待っている。追跡、捜索にかかった費用はその遊女持ちとなるか、さもなければ年季増しになる。
自殺の場合は、足抜き以上に悲惨な結末になることがおおい。自殺がもし成功したとしても、その死体は手足をしばられ、荒菰《あらごも》でまかれて、投込寺に捨てられることになる。こうすれば地獄で畜生道におちないからだといわれているが、実際はほかの遊女たちへのみせしめにこんなむごい処置をしたのである。
自殺に失敗し、生きながらえたとしても、むごたらしい折檻《せつかん》をうける羽目になる。遊女屋ではこういう仕置きをするために、折檻部屋がもうけられているくらいだ。
又之助がきいてきたところによれば、藤紫が自殺しようという羽目になったのは、間夫《まぶ》に裏切られたためだった。間夫にねだられるままに用だててやった金がなんと六十五両にも達してしまった。
その全額が見世からでているので、藤紫は若松屋に六十五両もの借金がふえたことになる。見世でその遊女をしばるためには好都合だから、売れている遊女にはいくらでも金を貸すことがある。かえせぬ場合は、年季を加算して取りたてるのだ。
藤紫と間夫とのあいだは、年季が明けたら所帯をもとうという約束があった。その約束があったからいわれるままに、それだけの金を借りてやった。
藤紫は世間の苦労を知らぬ初心《うぶ》な遊女ではなかった。手練も手管も一通りはこころえていたが、間夫が口説き上手だったのか、それとも藤紫が間夫に惚れこんで先が見えなくなってしまったのか、気がついたときには借金の山ができていた。見世の主人や女将《おかみ》がそれとなく注意をあたえたが、藤紫は間夫を信じこんでいて、疑いすらいだかなかったようだ。間夫の足が遠のいて、ようやく藤紫は目ざめたが、そのときはもうおそかった。間夫は棲家《すみか》も打っちゃらかして、姿をくらました後だった。
数日たってから、おえんは一人で吉原の大門《おおもん》をくぐった。時刻は遊女たちがいちばん暇で、廓《くるわ》がもっとものんびりしている四つ半(午前十一時)ごろをえらんだ。
おえんは相かわらず縞《しま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》のいでたちである。
若松屋でも振袖新造《ふりそでしんぞ》たちが拭《ふ》き掃除をし、遊女たちはまちまちにおそい朝餉《あさげ》をしたり、化粧をしたり、絵草紙をめくったりしている者もいた。
「毎度お世話になっております」
「いえ、こちらこそ」
女将のおまつと番頭の安兵衛が顔をだした。遊女屋と馬屋とは持ちつ持たれつの間柄である。
しかも若松屋はおえんの父親仁兵衛のころからのつき合いがある。今でも年に二三度は取りたての依頼をうける。
「どうぞお上りなさいまし」
とおえんは内所にあげられた。
「先だっての藤紫のことで、ちょっとうかがいにまいりました」
おえんは早々と用件を切りだした。
数日まえ、藤紫は又之助にたしなめられ、結局自殺をおもいとどまった。そして若松屋へつれもどされた。又之助のとりなしで穏便なとりあつかいをうけたが、それでもほかの遊女たちへのみせしめに、一日は折檻部屋に入れられたようだ。
おえんが数日あけて若松屋をたずねたのは、藤紫がおちつきを取りもどすのを待ったのである。
「藤紫のことについては、おたくの若い人に大層お世話になりました。又之助さんに運よくたすけられなかったら、おいらんはきっと死んでいたでしょうし、うちも大きな損害をこうむるところでした。おいらんのことでなにか……」
おまつと主人の利《り》右衛門《えもん》は事件のあった翌日、弁天屋に礼をいいにきたが、今またかさねて丁寧に礼をいった。
「藤紫はおりえさんという名だとうかがいましたが、もしや、聖天町の生まれではないでしょうか?」
おえんがたずねると、おまつはすぐにうなずいた。
「ええ、藤紫は聖天町でそだったおいらんです」
半ば覚悟していたこととはいえ、おえんはそれをきいて愕然《がくぜん》となった。
「そうだったんですか……」
「もとは聖天町の上州屋という履物問屋の娘だったそうです。父親が生きていたあいだはかなりはやった店だったとききましたが」
そこまできいて、おえんは暗然となり、身を切りさいなまれていくような気分になった。
「上州屋さんでしたら、わたしも知っております。聖天町には親類がありましたので」
おえんがそういったのは半分本当で、半分は嘘である。上州屋はよく知ってるけれども、聖天町に親類はなかった。
「だったらおえんさん、藤紫とは……」
おまつがびっくりしてきいた。
「おりえさんをよく知っているというわけではありません。けれども上州屋さんの主人や息子さんはよく知っておりました」
おえんのいい方はどうしても歯切れがわるくなる。
上州屋をよく知っているどころではない。おえんは本当ならば、上州屋の嫁になるはずであった。跡とり息子の伊之助に裏切られて、おえんは体だけもてあそばれて捨てられたのだ。
彼女が馬屋稼業をついだのは、伊之助が遊女屋にこしらえた借金の取りたてを請け負ったのがそもそもの縁になった。伊之助の借金ではなかったら、そんな仕事には手を染めなかっただろうし、今の彼女はいないはずだった。
そのときおえんは伊之助を徹底的に追いまわし、追いつめてとうとう、ビタ一文欠けることなく取りたてたが、その直後伊之助はなじみの遊女と心中して果ててしまった。
上州屋の主人九兵衛は跡取り息子をうしないすっかり気おちしたのか、それ以後商売のほうも急速にかたむきだした。その後商売をもりかえすこともできず、九兵衛は翌年あっけなく病死してしまった。あとにのこされたのは女房のおすぎ[#「おすぎ」に傍点]とおりえ、おふじ[#「おふじ」に傍点]の姉妹だった。しばらく古くからいる番頭や手代とおすぎが力を合わせて上州屋をやっていた。
上州屋がやっていけなくなってとうとう店をたたんだときいたのは、おえんが馬屋をはじめた翌年だった。番頭、手代、丁稚《でつち》らに暇をだし、店舗を他人《ひと》に貸し、おりえが女中奉公にでたという噂をきいて、おえんは胸をいためたものだった。上州屋のことはその後も気にはなっていたが、しだいに噂もきかなくなった。
「そうですか、藤紫の実家《さと》をご存知でしたか。それがこんなところで顔を合わすとは異な縁でございますね」
おりえはその後女中奉公をやめ、吉原に身を売って母や妹をやしなっていかなければならぬ羽目におちいったのだろう。
おえんは感慨無量だった。かつておりえと親しかったわけではない。上州屋で何度か会って話をしたことがあるだけである。器量には申し分なかったが、おとなしくて初心《うぶ》な娘であった。いくら父をうしない、のこされた家族をやしなうためとはいえ、あんな娘が夜毎男に体を売る稼業へ入ろうとは、この世の無残さをみせつけられた気がした。おえんは今でもおりえの清純な面影をわすれていない。
おえん自身もその当時とくらべれば、ずいぶんかわった。伊之助に捨てられたころの自分、伊之助を追いつめて金を取りたてたときのことなどがおもいだされた。
おえんも伊之助に捨てられるまでは、おりえとそう大差はない純情な娘であった。勝ち気で、女ながらも少々骨っぽさはあったが、性根のところは世間のどこにでもいる普通の下町娘だった。鉤縄《かぎなわ》を懐におさめて一筋縄ではいかぬ男どもから金を取りたてる今の稼業を、当時は想像することもできなかった。
けれどもおえんのかわりようは、おりえの無残な変貌《へんぼう》ぶりにくらべれば、まだたいしたことではないのだ。
そのとき階段をおりてくる足音がきこえ、内所の襖《ふすま》が外からひらいた。
「おいらんですよ」
おまつがいった。藤紫が安兵衛につれられて入ってきた。
藤紫はうつろな視線をおえんにむけた。間夫の裏切り、自殺未遂、折檻……とつづいた無残な日々のなかで、自分の魂をうしなってしまったようである。無力感と厭世《えんせい》感が表情にも色濃くあらわれている。
おえんはその顔にみおぼえがあった。往時の面影ははっきりとのこっている。
「おりえさん、わたしをおぼえていらっしゃいますか」
問いかけたが、藤紫の表情はなんの変化もあらわさなかった。だまってもう一度おえんの顔をながめてきた。
「わたしは田町二丁目弁天屋のおえんです。その節は大層お世話になりました」
おえんが名のると、ようやく藤紫の表情にかすかな変化があらわれた。
「弁天屋おえんさん……」
藤紫はつぶやいた。彼女がこの名を知らぬわけがない。
目にようやく力がこもってきた。そして表情にはけわしさが浮かんだ。
(今名のるべきじゃなかった)
おえんはそうおもったが、後の祭りだった。
「おえんさんといえば、馬屋の……」
そういった藤紫の眸《ひとみ》にはっきりと憎悪が浮かびだした。
「そうです。女だてらに遊女屋や引手茶屋の借金取りをやっております」
おえんがいいおわるかおわらぬうちに、藤紫の甲高い声があがった。
「あんた、わたしに何の用があるんですか。わたしはあんたに取りたてられるような借金はいたしておりませんよ。わたしの家はあんたに滅茶滅茶にされたんです。あんたのお陰で兄さんも、父さんも死んでしまった。お店はつぶれて、あたしはこんなはずかしい姿になり果てたんです。この上、一体どんな用があるんですか。わたしのはずかしい姿をながめにわざわざやってきたんですか」
息もつかず浴びせてきた言葉は悪意と敵意にみちており、おえんに言葉をかえす隙をあたえぬはげしさだった。
「おいらん、そう初《はな》っから高っ調子でまくしたてたら、話にもなにもならぬじゃないか。この人は、若松屋《うち》でも懇意にしてる人だよ。おいらんが間夫に貸した六十五両も、もしおえんさんが引きうけてくれるなら、丁度いい折だから取りたてをたのんでみたらとおれはおもってたんだが」
安兵衛が間に入ってたしなめようとした。
「誰がこんな女《ひと》にたのみごとなどするものですか。こんな鬼のような女にたのむくらいなら、全部あの男にくれてやったっていいんです。わたしはこの女に一生を台無しにされたんです。一生うらんだって、うらみきれるもんじゃありません」
藤紫の見幕は安兵衛が間に入ったくらいではおさまらなかった。かえって火に油をそそぐようなものだった。
「無料《ただ》の仕事だからって、手をぬかないでおくれよ」
おえんは又之助や浜蔵にそういってこの仕事に入ってから、もう半月ばかり深川がよいをやっていた。
深川には『辰巳《たつみ》』と呼ばれる江戸でもっとも著名で、最大の岡場所がある。毎日、おえんは辰巳岡場所がよいをしていたのである。
最初の日、深川仲町(富岡八幡宮前)にある西村屋という馬屋へ顔をだし、人探しをたのんだ。大どころの岡場所や四宿《ししゆく》の遊所にも馬屋、始末屋といわれる借金取りたて屋があるのだ。
年のころ三十前後、背丈はおよそ五尺七寸、すらりとした体つき、面長で、千代吉《ちよきち》という料理人の消息がわかるかどうかたずねた。おえんがさがしているのは、茶屋や見世《みせ》にやとわれている料理人ではなく、岡場所の女を買いにくる遊客である。なじみの女をつくって借金をかさね、馬屋に取りたてを依頼されている不埒《ふらち》な男のなかに該当する者がいるかいないか、まず知りたかったのである。
馬屋同士というのは商売|仇《がたき》でありながら、商売の都合上おたがいに連絡をとり、情報を交換することがある。
「馬屋にはまだそれらしい男の話はきちゃあいないが、女や茶屋に迷惑をかけているそんな男《やつ》がいるかもしれない。茶屋を見張るか、噂をたずねあるくしかないだろう」
西村屋の番頭がそうこたえていらい、おえんの深川がよいはいつ果てるともなくつづいているのだ。
深川の岡場所は吉原のように遊女屋が一カ所にきちんとまとまっているわけではない。もともとが公許されていない私娼《ししよう》であり、深川一帯にひろく茶屋がちらばっている。とくに仲町、大小新地、表裏やぐら、裾継《すそつぎ》、石場、向土橋《むこうどばし》、土橋を深川七場所といって茶屋がさかえているのである。
なかでも仲町は深川随一の遊里である。公娼と私娼のちがいがあるので、深川は吉原とではあそびかたが大分ちがう。深川では遊女を子供といい、子供屋から茶屋に呼びだしてあそぶのである。
おえんは子供屋と茶屋の両方をまわって、千代吉の消息をたずねあるいた。いうまでもなく、千代吉は藤紫をだました間夫である。
おえんは千代吉が藤紫をだました手口から、彼が遊女を食いものにする常習者だろうと推察した。千代吉の手並みは堂に入っており、年季が入っている。吉原にはほとぼりがさめるまでは足を踏み入れまいから、千代吉はかならず江戸のどこかの遊里で獲物をねらい、網にかけようとしているにちがいないとおもったのだ。
途方もない根気と辛抱のいる仕事だが、こうする以外に千代吉をさがしあてる方法はなかった。シラミつぶしにしていくほかはないのである。
深川ばかりではない。江戸の大きな繁華街にはたいてい岡場所がある。そうしたところもさがしていかねばならなかった。又之助、浜蔵、それに新五郎が分担してほかの岡場所や四宿の遊里をあたっていた。
しかもこの大仕事は無料なのである。馬屋の報酬といえば、取りたてた金の半分と相場がきまっている。けれども、もし千代吉をつかまえ、大金六十五両を取りたてたとしても、ビタ一文報酬はでない。
若松屋からも藤紫本人からもたのまれたわけでもないのに、おえんはこの仕事をはじめたのである。藤紫へすこしでも罪ほろぼしになればとおもってはじめたのだ。又之助も浜蔵もきいた当初は唖然《あぜん》となったものだった。
くる日もくる日も足を棒にして子供屋や茶屋をまわり、できるだけくわしく店の者から噂や風聞の切れっぱしでもと期待してたずねあるいた。けんもほろろにあしらう相手もいれば、丁寧におえんの言葉をきいてくれ、ほかの者にたずねてくれる親切な人もいた。
聞きこみは馬屋のもっとも基礎的な作業である。いくらすげなくあしらわれても、おえんはいやな顔もせず地道にききこみをつづけた。
早朝弁天屋をでて、もどってくるのは夜更けになることもしばしばであった。又之助、浜蔵とておなじことである。住みこみではない新五郎もそれにおとらぬ根気で聞きこみをやっていた。
「お嬢さん、千代吉は江戸にはいないんじゃありませんかね」
ある朝、とうとう浜蔵がいった。
「あたしは江戸にいるとおもうよ」
おえんはややむっとした顔でこたえた。
「そうでしょうかね」
「千代吉は江戸生まれで、江戸そだちの男なんだよ。そんな男が庖丁《ほうちよう》一本持って他国《よそ》へでていくとおもうかい。江戸っ子は江戸の外へはでたがらない旅ぎらいだよ。千代吉は江戸のどこかにいて、きっと遊里をあらしているんじゃないかね」
おえんは確信にちかい勘をいだいていた。
「それじゃあ、第二第三の藤紫がでそうですね」
「こういう男は一回こっきりで女たらしから足をあらうはずがない。きっと味をしめて、つぎの獲物をねらってるはずだよ」
それにしてはもう千代吉の噂がどこからか入ってきそうなものだが、それらしいものは切れっ端もきくことができなかった。
「もう一と踏んばりがんばってみようじゃないか」
浜蔵をはげまし、おえんは弁天屋をでた。
この日、おえんは土橋の遊所にきた。ここで聞きこみをつづけていると、昼ごろがっちりとした肩はばでこころもち猫背の男がむこうからちかづいてきた。
「新五郎さん」
新五郎は五十の半ばに達している。おだやかな顔をしているが、背中には鬼面夜叉《きめんやしや》の刺青《いれずみ》を入れている。無口でおえんにはいつもやさしい男だが、彼女も新五郎についてはいまだに知らない部分がおおいのだ。彼が猫背になったのは、寄場に何年か入れられていたためだという噂をきいたことがあった。
「お嬢さん、それらしいやつをやっとかぎつけましたよ」
新五郎は普段のままの顔色でいった。おえんは新五郎のこんな言葉をもう何日も十何日も待っていたのである。
「品川かい」
「そうです。品川の北本宿《きたほんじゆく》に千代吉とおぼしき野郎が出没しております」
「よくつかんでくれたねえ」
おえんはにこりとしていったが、新五郎はしてやったというほどの顔もしていない。
「新海楼という遊女屋にやつはこのところちょくちょく出入りしてるようです。名は千太郎といつわってまして、以前有名料理茶屋の料理人だったというふれこみだそうです」
「そうかい、とうとうみつけたね」
おえんはまず一段落という気分であった。取りたてはこれからが本番だが、これでまず序盤戦をのりきったという感じがした。
「やつが今目をつけてるのは、新海楼の玉ノ井っていう遊女《おんな》です。三カ月くらいまえからかよっておりまして、玉ノ井もしだいにほだされてきて、ちかごろは男のほうも間夫《まぶ》気どりで振舞ってるって話ですよ」
「ほうっておけば、その玉ノ井もやがて藤紫の二の舞になるだろう」
それは千代吉が藤紫にちかづき彼女のこころをとらえたやりかたとおなじである。千代吉ははじめ親切と誠実さを売りものにして女のこころをとらえ、それから後はすっかり女を信用させて、うまいことをいって金を借りだしていくという手口である。
おえんはまだみぬ千代吉にたいする闘志をかきたてられてきた。標的をようやくつかんで、馬屋根性がふるいたった。
おえんも今では駆けだしの馬屋とはいえぬだけの場数を踏んできている。相応の自信は身についてきているが、馬屋の取りたては一回一回が勝負である。難敵だとおもった相手でも、意外にあっさりとケリがつく場合があるし、簡単だとおもった相手に予想外にてこずるときもある。
だから、おえんは相手をみくびることもなければ、難敵だからといってあきらめることもない。いつも全力でぶつかっていく。相手を罠《わな》にかけるためにはあえて卑劣な手をつかうこともあれば、敵を追いつめるために少々御法度に触れることでも辞さぬときすらもある。
それが馬屋という稼業についてまわる業のようなものである。おえんのこころのうちには、そうした業の垢《あか》がたまってきている。以前は気になって仕方がなかったものだが、今では垢とともにくらしているような気分がある。
「お嬢さん、さっそく出かけていってみましょうか」
新五郎の言葉におえんはうなずいた。
宵の五つ(八時)ごろ、男が新海楼からでてきた。夕方見世にあがり、一|刻《とき》(二時間)あそんで旅籠《はたご》の妓《おんな》におくられてでてきたところである。
品川の遊所は旅籠である。遊女は旅籠でかかえている飯盛女ということになる。
新海楼は北品川でも指折りの旅籠であり、遊女屋である。客をおくってでてきたのは、新海楼でも売れっ妓《こ》の玉ノ井である。
玉ノ井となにやらいいかわして男は目黒川のほうへむかってあるきだした。三十歳前後のすらっとした男である。
目黒川にかかる中ノ橋をわたると、南本宿の町並になる。
「千代吉さん」
男が橋をわたりかけたとき、橋の袂《たもと》のあたりから女の声がかかった。
男はとっさにふりかえって、袂のほうをきょろきょろと見まわした。その態度が今までとうってかわって、落着きのないものだった。
声をかけたのはおえんである。男とおえんの視線がぶつかった。
「人ちがいじゃねえか? おれは千太郎って者だよ」
男がむっとしたようにいった。おたがいにこれが初対面である。虚勢をはりながらも、男の目がおどおどとしている。
「あたしは男の名をいっただけだよ。なにもあんたを呼んだわけじゃない。あんたが勝手にふりむいただけじゃないか」
町の明りにすかして、男の様子を観察しながらおえんはいった。相手は若松屋の安兵衛からきいた千代吉の風貌《ふうぼう》とよく似ている。
「附近に、おれのほかにはいないじゃないか」
「いなくたって、おぼえがなきゃあふりむくことはないだろう。あんた、千代吉って名におぼえがあるんじゃないかい」
男がなじってきても、おえんは平然たるものだ。度胸だって男に負けない。
「そんな名前《なめえ》におぼえはねえなあ、第一人がどんな名だろうと、お前さんにはかかわりねえことだ。他人《ひと》の名を詮索《せんさく》するのは一体どんな料簡《りようけん》なんだ」
男はおえん一人とみて、にじるようにちか寄ってきた。
「お前さんが、千代吉って名だってことをたしかめたかったのさ」
おえんは不敵にわらった。女の敵だが、いきなり切りつけてくるような狂暴な男ではないと踏んだのだ。
「もしもおれが千代吉って名だったら、どうだというんだ」
男はやや居なおってきた。
「吐いたね、千代吉さん」
おえんはもう一度わらった。いざというときの用心は十分してあるのだ。
「おまえは誰だ。おれに何の用事だい」
「貸した金をかえしてもらいたいのさ」
すかさずおえんはずばりといった。
「冗談じゃねえ。おれはおまえなんかに金を借りたおぼえはねえぞ」
「たのまれたのさ。あたしは金を取りたてるのが商売でね」
「おまえ、吉原《なか》の馬屋じゃねえのか」
「やっぱりおぼえがあるようだね。かたるにおちたよ、千代吉さん。あたしは浅草田町の弁天屋おえんという者さ」
橋の袂で二人は応酬をつづけた。
「若松屋からたのまれたのか」
男はうめくようにいった。
「まあ、そんなところさ。ともかくあんたが藤紫をだまして借りた金は、あたしが取りたてることになったんだ。こころえておくれよ。あたしは悪い男はけっしてゆるしちゃおかないからね」
やりとりをしているあいだに、おえんはしだいに憎悪がもえてきた。
「おれは藤紫から金は借りたが、だましちゃいねえ。借りた金はかえすつもりだぜ」
「おまえさん、藤紫が首吊《くびつ》りをやろうとしたのを知っていて、そんなゴタクをならべてるのかい」
「そんなこたあ、おれは知らねえ」
「知らないですむもんかね。たすけるのがおくれていたら、おまえさんは人ごろしも同然になってたところだ」
きめつけると、さすがに千代吉は顔色をかえた。
「いわせておけば、いいたい放題ぬかしやがって」
狂暴な顔色になったが、おえんはたじろがなかった。ここでたじろぐようでは、馬屋などやってはおれない。
「おどせば、あたしが引っこむとでもおもってるのかい。そうだとしたら、あんたはおめでたいよ」
おえんの口は油をぬったようになめらかである。ひるみもみせずにいいつのった。
千代吉はおえんのすぐ間近までせまったが、暴力|沙汰《ざた》にはおよばなかった。それにたいする用意は、彼女にも万全である。千代吉は暴力沙汰は自分の得にならぬとおもいなおしたのだろう。
「ともかく、おれはあんたとは縁もゆかりもねえ人間だ。これ以上かかずらわっちゃいられねえ。あばよ」
千代吉はくるりと後ろをむいてあるきだした。
「あたしのほうは、これからとことん付きまとうつもりでいるからね。覚悟しといておくれよ」
おえんはそういって千代吉を見おくった。
千代吉が橋をわたって闇のむこうへ消え去ると、おえんの後ろの闇の中から、がっしりした男の影があらわれた。
「お嬢さん、今夜のところはこんなもんでございましょう。わたしの出番はありませんでした」
新五郎である。
おえんが危機に瀕《ひん》したら、いつでもでていく準備をしていたのだ。
数日後の宵の口、おえんは船で今戸橋につき、そこから徒歩で日本堤を弁天屋へむかった。
この数日、おえんたちは千代吉を追いまわして、日夜奔走していた。彼の住居《すまい》は日本橋・難波町《なにわちよう》の宝|稲荷《いなり》のならびにあることがわかった。けれども、品川中ノ橋でおえんに呼びとめられていらい、千代吉はほとんどこの住居に寄りつかなかった。
新海楼にもばったりと姿をみせなくなった。おえんらの視界から、千代吉は消えたのである。
この日もおえんは難波町の住居を見張って、むなしく家路をたどったのである。千代吉の家は借家で、彼は独身者《ひとりもの》である。独身者というのは、家族をつかってその行方をたぐることもできず、まことに始末のわるいものだ。通常、家族や肉親、友人などその人物のまわりに人が多くいればいるほど、取りたてをやるには都合がよいのである。
土手のむこうの田圃《たんぼ》から、蛙の鳴き声がしきりにきこえてくる。
日本堤の右手が山谷堀で、そのむこうに吉原田圃がずうっとつづいている。道の両側には葭簀《よしず》張りの水茶屋が立ちならんでおり、その店頭の明りで提灯《ちようちん》はなくてもあるいて田町へもどれるのだ。水茶屋のとぎれたところには薄暗闇がわだかまっている。
吉原へむかう遊客の姿がぽつんぽつんと明りの中に浮かんでみえる。ときたま駕籠《かご》が威勢よく徒歩の客を追いぬいていった。
この日本堤は土手八丁と呼ばれている。途中の田町二丁目までは、数丁の距離だ。
両側の水茶屋がとぎれたとき、薄暗闇の中から不意に大きな人影がおえんの目前にあらわれた。
「あっ……」
ちいさくさけんで、おえんは立ちすくんだ。巨大な蛸入道《たこにゆうどう》に前をふさがれたような感じがした。
とっさにはさがれない。おえんはおもわず右手へよけた。よけはしたが、体の均衡がくずれた。
ところが、よけたところに、もう一つ人影があらわれた。その人影がよろめいたおえんの足をはらった。
「何をするの!」
たまらずつんのめって、おえんの体は二間ばかりとんだ。たたらを踏んでようやく踏みこたえたが、その足元で道は切れている。
おえんの目の下に山谷堀の流れがひろがっていた。そのとき足をはらった男が駆け寄ってきて、おえんの腰をしたたかに突きとばした。
「あああっ……」
悲鳴をあげておえんは土手をころがり落ちていった。着物の裾《すそ》が膝《ひざ》の上までまくれあがった。
天と地がくるくると入れかわった。土手は急斜面になって山谷堀へ落ちこんでいる。
もうだめだと観念したが、おえんは夢中で懐から鉤縄《かぎなわ》をとりだしていた。
おえんが右足を骨折してうごけなくなってからというもの、又之助は二人分のはたらきをするつもりで寝食をわすれた。
おえんは日本堤で暴漢におそわれ、山谷堀へ突きおとされる寸前、土手の楓《かえで》の木に鉤縄を投じてあやうく体をささえた。ころがりおちたときに右足を骨折していたので、自由がきかなかった。
激痛をこらえ、一刻あまり時間をかけてようやく土手を這《は》いあがり、日本堤で水茶屋の女将《おかみ》にたすけをもとめたのである。おえんとしては馬屋になって以来最大の失敗《しくじり》だった。命はうしなわなかったものの、うしなったとしても仕方がないくらいの失敗である。
故意におそってきたのであるから、千代吉の一味か彼にたのまれた男たちだとかんがえてよかった。千代吉がそこまでおもいきった行為にでるとおもわず、用心していなかったのは不覚であった。おえんはその夜から床についた。
彼女がぬけた分を又之助、浜蔵、新五郎が分担した。わけても又之助は自分が藤紫の首吊りをたすけたことからはじまった仕事だけに、躍起になって千代吉の行方を追った。
この日、ようやく品川で千代吉の姿をとらえ、つけまわして夕方ごろ永代をわたり深川にやってきた。
千代吉は尾行に気をくばりながら、富岡八幡の境内に入っていった。
この門前と境内は、深川随一の繁昌地《はんじようち》である。茶店、水茶屋、食べ物屋、料理茶屋がいたるところに店をだしている。
ひときわ贅《ぜい》をつくした店づくりの富貴楼《ふうきろう》という料理茶屋へ、千代吉は入っていった。富貴楼は浅草寺境内、上野|池之端《いけのはた》、湯島などにもあり、ここが本店である。
(料理茶屋で芸者あそび……?)
かとおもったが、
(そうじゃあるまい)
すぐに又之助は打ち消した。
吉原の藤紫、品川の玉ノ井と千代吉は売れっ妓《こ》を手玉にとってきているが、彼にはあそび人特有のそれらしい雰囲気がないのである。女が好きで好きでたまらないといった気分も感じられない。又之助は千代吉をつけまわしはじめてから、そのことについて不思議さを感じていた。
(だったらなんで、女たらしをつづけているのか?)
その疑問をとくことが、この取りたてを成功させるために必要なのではないかとおもいはじめていた。
又之助は富貴楼をはすむかいにながめる茶店の縁台に腰をおろして、千代吉がでてくるのを待った。
千代吉は半|刻《とき》(一時間)たらずのうちにでてきた。
又之助も縁台から立ちあがった。が、ちょっと逡巡《しゆんじゆん》の間があった。尾行をふたたびつづけるか、それよりも今日は尾行を断念して、富貴楼で千代吉の素姓をあたってみたいというはげしい誘惑にかられた。
決断はすぐについた。
「麦湯をもう一つ」
又之助はふたたび縁台に腰をおろし、茶店の小女へいった。そして悠然と千代吉を見おくった。
「ぶしつけにこんなことをおたずねして失礼かとおもいますが、千太郎さんとある商家の娘とのあいだに縁談がおこっております。その商家の名は今は申せませんが、ともかく千太郎さんの身状《みじよう》をあたっております。千太郎さんは料理茶屋の料理人だと申しますが、少々納得のいかぬところがございます……」
又之助が嘘をまじえて富貴楼の主人|亀之助《かめのすけ》にたずねると、彼はしばらく思案したのちにいいだした。
「千太郎さんの両親というのは、以前は上野池之端で立花亭という料理茶屋をやっていたんですよ」
亀之助の言葉が又之助をおどろかした。
「千太郎さんのお父さんは万之助さんといって、とても真面目な人であそび一つやらず商売に打ちこんできた人でした。ところが魔がさしたというんでしょうか。あるとき同業の寄合のかえりに仲間にさそわれて、万之助さんは吉原のおいらんを買った。それがいけなかったんです。そのおいらんは大層こころがやさしく、そのうえ器量がすぐれていたんですが、万之助さんはおいらんの身の上話をきいて、ひどく同情しちまった。万之助さんはそれからというもの、そのおいらんに打ちこんで、稼業をわすれて吉原へ入りびたりだしたんです」
「おさだまりのやつですね」
「意見をする者も何人かおりましたが、万之助さんはてんで耳をかさなかった。おいらんにうつつをぬかし、とうとう立花亭をつぶしちまった。つぶれたその店を買いとったのが、わたしなんです。千太郎さんはそのころ十歳《とお》かそこらだったでしょう。けなげな子供で、以前の自分の家に奉公し、板場で庖丁《ほうちよう》の修業をはじめたんです。ところが万之助さんはその後数年で大きな病にかかって死に、お内儀《かみ》さんはその後を追うように病死してしまいました」
「千太郎さんは、一人ぼっちになったんですね」
「千太郎さんはうちで七八年は修業したでしょうか。いい料理人になりましたよ。うちをでてからは方々の板場をまわって腕をみがいていったようです。それから金もためました。あれだけの金をためたんですから、ずいぶん苦労し、はたらきづめにはたらいたんでしょう」
「あれだけの金?」
話につりこまれて又之助はきいた。
「千太郎さんは、まだあの年でこつこつと五百両ためたんですよ。今年の正月、わたしをたずねてきて、元の店を買いもどしたいといいだしたんです。わたしはおどろいたけれども、千太郎さんの気持にはうたれましたよ。子供のころから、親がうしなった店を買いもどそうという気持でがんばってきたんでしょう。池之端の富貴楼はここの店にはくらぶべくもない店ですが、それでも売るとなったら倍の値段はする店ですよ。でも買いもどしてからも金をかえしていくという千太郎さんの気持にほだされて、わたしはとりあえず五百両で池之端の店をわたしてやる約束をしたんですよ」
亀之助はすっかり又之助を信用して、千太郎の素姓を明かしたのだった。千太郎は彼の偽名ではなく本名だった。
又之助は千太郎がためた五百両は彼が汗水ながしてたくわえたものではなく、遊女をだましてしぼりとった金だということは打ち明けなかった。千太郎の父を吉原へさそって女狂いのきっかけをつくった仲間というのは亀之助だったのではないかと推測してみたが、これも口にはしなかった。
春がおわろうとするころ……、上野池之端にある料理茶屋富貴楼の看板がおろされた。暖簾《のれん》もとりこまれて、店は休業に入った。
「繁昌してた店なのに、やっていけなくなったんだろうか」
「商売は上っつらを見ただけじゃあ、わからないもんだね」
不忍池に遊山《ゆさん》にきた客や地元の連中の中にも、富貴楼が看板をおろしたことを意外におもう者が多かった。
ところが翌日から大工が入って店内の造作をいじったり、店の模様替えをはじめたので、
「そうか、家主がかわったのか」
「今度はどんな店になるんだ」
べつの興味を持たれた。
この店は一昨々年《さきおととし》火事で焼けて建てなおされたので、本体はまだ新築同然で手を入れる必要はなかった。
工事現場には千太郎がほとんど毎日やってきて、大工に指図していた。ときたま千太郎のちかくに、坊主医者くずれのような大男と、見るからに敏捷《びんしよう》そうな得体の知れぬ若い男がついているときがある。
又之助はこうした千太郎の日常の様子を毎日つぶさに観察していた。池之端は風光がよく人のあつまるところで、茶屋や遊び場、食べ物屋などの多い場所である。又之助は元の富貴楼を見とおせる水茶屋の座敷から、千太郎をうかがっていた。
又之助が毎日こうして見張っているあいだ、浜蔵は千太郎の過去の行状をあらっていた。以前千太郎が、所帯を持とうとか、身請けをするからとかいってだました女のことがぞろぞろとでてきた。
その中には、数年まえ世をはかなんで首吊りをして死んでしまった紅梅という吉原の遊女がいたこともわかった。千太郎がなじんだ女はことごとく彼女たちが必死でためた金をだましとられていた。
富貴楼を買いもどした千太郎の金はすべて、女たちの膏血《こうけつ》をしぼったものである。造作や内装の手入れにつかわれている板一枚、材木一本にいたるまで女のうらみがこもっているとおもうと、又之助は藤紫の金ばかりでなく、すべての女の金を取りかえしてやりたいとおもった。
「馬屋はね、貸した金を当人にかわって取りたてる稼業だ。かくべつ人様にいばれるような立派な商売じゃないよ。義をおもんじたり、勇気にかられたりしてやるような仕事じゃないからね」
又之助は今日も出がけに、おえんから釘《くぎ》を刺されていた。
おえんは又之助の心中を見とおしていたのだ。馬屋が図にのって馬屋以上の働きをやろうとすると、かならず失敗するということをかつて父の仁兵衛もいっていた。おえんの足の骨折はもうほとんどなおって、家のちかくをあるきまわれるくらいになっていた。
又之助はおえんの言葉をおもいだして、はやるこころをおさえるのに必死だった。千太郎は二十年まえに父が手ばなした立花亭を買いもどして、はなばなしく開店の披露をやるつもりでいる。彼の得意は容易に想像されるところだ。十歳で富貴楼の板場に立ったときから、おそらくこのことをこころに期していたのだろう。
又之助が千太郎にあそび人の雰囲気や気分を感じなかったのは、彼がこころからの女好きではなかったからだ。父をあやまらせ、家族を不幸におとしいれた遊女というものを内心ではにくんでいたんだろう。それだからこそ遊女をだまし、不幸につきおとして平然としていられるのだろうとおもった。
夕暮がちかくなったころ、千太郎は工事現場をひきあげていった。
今夕、又之助はおえん、新五郎、浜蔵と用談があるので、池之端をたち去った。
又之助は寛永寺境内の外側をてくてくとあるいた。長い道だが、ここをぬけて御切手町《おきつてまち》へでれば、入谷田圃《いりやたんぼ》にでられる。入谷田圃は広い地域にわたっており、吉原田圃につづいている。
ようやく長い道をぬけたとき、ぽつんぽつんと雨がおちてきた。今朝晴れていたので、雨具の仕度をしていなかった。
一気に夕暮がおとずれたようにあたりが薄暗くなった。いそぎ足で御切手町をすぎた。
目前に松平|伊豆守《いずのかみ》の下屋敷の塀が立ちはだかっている。道はこの下屋敷の四方をめぐっており、ここから先は田圃である。道もやや坂になっている。
塀にそって、又之助は道をくだりはじめた。
そのとき前方の夕闇の中に、雨傘が二つあらわれた。傘は坂道をのぼってくる。又之助は気にもしないですすんだ。
雨が着物をぬらしはじめた。傘はぐんぐんちかづいてきた。
間隔がせばまったとき、二つの傘がすっと左右にはなれた。その間をとおれというのだろう。
又之助はかまわずにその真ん中へむかってすすんだ。
すれちがう寸前、ふといやな気分におそわれた。
「やっ」
みじかい気合とともに、片方の傘の下からするどく匕首《あいくち》がつきだされた。
「何しやがる!」
とっさに又之助はとびのいた。
「えいっ」
とびのいたところに、もう一つの傘の中から匕首がくりだされた。
「馬鹿野郎っ」
精いっぱいのところでかわし、又之助はすばやく懐中から得物をとりだした。一尺余寸、漆塗りの樫《かし》の六角棒である。木身刀《ぼくしんとう》というやつだ。武士などが護身のために懐に入れておく隠し武器である。
又之助は仕事で外出するとき、ほとんどこれをはなしたことがない。この木身刀が今まで何度彼の危機をすくったかわからない。
必殺の一撃を双方ともはずされて、二人の襲撃者は傘を捨てた。坊主頭の大男と、いつも一緒にいる若い男である。
「こりねえようだな、殺してやるぜ」
そういったのは若いほうだ。おえんのことをもいっているのだ。
殺気をにじませ、双手突《もろてづ》きに突いてきた。
樫棒がそれをはねかえした。と同時に、又之助は逆襲に転じた。
二度、三度空を切った木身刀は四度めに、若い男の右腕をしたたかに搏《う》った。
「うっ」
呻《うめ》きをあげて、男は棒立ちになり、匕首をおとした。
又之助はすばやくそれを遠くへ蹴《け》とばした。
それをみて坊主頭のほうはひるむどころか、闘志をかきたてておそってきた。
又之助は木身刀で匕首に応じた。狂暴におそいかかってくる匕首に何度も空を切らせ、おもいきってふかく踏みこんだ。
相手がおもわず一二歩さがった隙に又之助はくるりと身を転じ、坂道を駆けだした。これが馬屋のやる喧嘩《けんか》というものである。とことん相手をいためつけるのは目的ではない。いつまでも相手になっていて、自分が怪我をしては馬鹿らしい。
坂道を一気にひた走って、入谷田圃まで逃げてきた。
旧富貴楼が新装なって、目にしみるような真あたらしい立花亭の看板があがった。
池之端に立花亭の看板があがったのは、二十年ぶりである。昔の立花亭を知る者はとおりかかって、感慨ぶかげに看板をみあげた。
今日は立花亭の開店披露である。店頭は掃ききよめられ、打ち水がされて、来客の到着を待っていた。
今日の客はいずれも主人千太郎に招待された客ばかりである。大座敷にはぼつぼつ客が到着していた。町の世話役や、同業組合のおもだった面々が招待されている。
千太郎は紋服に袴《はかま》、白足袋の正装をこらして、晴れがましく客の挨拶をうけている。別室には地元の芸者衆が十数人ひかえている。
仲居、女中、小女たちも甲斐甲斐《かいがい》しく接客にうごきまわっていた。板場では今日の客をもてなすための料理づくりがさかんにおこなわれ、ときたまそこに千太郎が顔をだして、料理人たちにきめのこまかい指図をしていた。
昼まぢか、店頭が急にさわがしくなった。番頭の佐市郎が異常な気配を察して、玄関へでていった。
店頭に立った立花亭の若い者たちが色めきたち、けわしい雰囲気になっていた。
「なんだ、あれは?」
佐市郎はいった。
店頭に異様なものがおかれている。めでたい席にはなんとも不似合な、縁起のわるい代物だ。死人をとむらう早桶《はやおけ》である。
「桶辰《おけたつ》の若い者が持ちこんできたんです」
店の若い者と桶辰の手代とがあらそっているところだった。
「縁起でもない。今日のめでたい席にとんでもないことをしてくれる」
佐市郎も顔色をかえて桶辰の手代をなじった。
「わたしんところは、立花亭の開店に間に合うようにとどけてくれとたのまれましたんで」
桶辰の手代も仏頂面をみせている。
そこに千太郎も姿をあらわした。
「うちは棺桶などたのんだおぼえはないよ。一体誰にたのまれたんだ」
「へい、浅草江戸町二丁目の梅ケ屋さんから」
千太郎は瞬時思案し、
「浅草江戸町二丁目といやあ、吉原《なか》じゃないか」
「へい、左様で」
「おいらんの葬儀《とむらい》をなんで立花亭がやらなくちゃあならないんだ」
千太郎の顔は怒張していった。
「梅ケ屋の紅梅というおいらんの葬儀を立花亭さんでやるとうかがいました」
「冗談じゃない。誰かのいたずらだ」
怒張したうえに、彼の顔は蒼《あお》ざめていった。
「まさか、いたずらなんて……」
「紅梅というのはずっと以前に死んだおいらんだ。今ごろ葬儀なんかやるわけがない」
千太郎の声がふるえた。
「それじゃあ、どういたしましょう」
「どうもこうもない。即刻、縁起のわるいものを持ちかえっておくれ。めでたい日にとんだケチをつけてくれた」
「それでは一度持ちかえって、主人に話をいたします」
そういって桶辰の手代は早桶をかついでかえっていった。
お清めの波の花が大量にまかれ、四半刻ばかりたったころ、開店の披露は盛大にはじまった。
宴にうつって、豪華な猫足膳《ねこあしぜん》が仲居たちによってはこびこまれ、ひかえていたきれいどころが大座敷にくりこんで、店はわっとにぎやかになった。
そのとき、真っ蒼な顔をした佐市郎がそっと千太郎を呼びにきた。
耳うちをうけ、千太郎は緊張した面持ちで玄関へでていった。
店頭をみて、信じられぬ、といった顔に千太郎はなった。なんと、また店頭に早桶がおかれている。
「桶屋勘兵衛のところの者でございます。ご用命をうけてはこんでまいりました」
池之端には桶勘と呼ぶもう一軒の桶屋がある。はこんできたのはそこの手代である。
「一体誰がこんな不吉なものをたのんだのだ。うちじゃあたのんだおぼえはないぞ」
千太郎は血相をかえて怒鳴りつけた。
そのとき、
「たのんだのはあたしだよ」
店頭に若い女の声がひびきわたった。
店内がしいんとなった。そこに姿をあらわしたのは、目のさめるような縞《しま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をしめたおえんである。彼女は又之助と浜蔵をしたがえている。
おえんは千太郎の正面へ姿をさらした。
千太郎はおえんの足を仔細《しさい》に注意したが、いささかも足をひきずっていない。あるきぶりは尋常である。完全に回復したのである。
「おえんっ、おまえ……」
千太郎がうめくと、おえんがかすかに微笑《わらい》をふくんだ。
「おまえさん、知らないようならおしえてあげよう。若松屋の藤紫が昨夕《ゆうべ》、首吊《くびつ》りをやったんだよ。今度は見つけるのがおくれて、本当に首を吊ってしまったんだ」
「嘘だっ……」
おえんがいうと、千太郎はさけんだ。
「嘘だとおもうなら、今から吉原へいってごらん。そうして若松屋に名のってでるがいい。藤紫を首吊りに追いこんだのはわたしですと詫《わ》びるんだね。おいらんが死んだのは、おまえさんがつくった六十五両の借金が原因《もと》なんだから。おいらんはうらみをのこして、立花亭の開店の前日に死んだんだよ。おまえさんは葬儀をだしてやらなければならないんじゃないのかね。仏の菩提《ぼだい》供養をしてやらないと、おいらんのたたりでせっかくの立花亭がつぶれちまっては、おまえさんの長いあいだの苦労も水の泡じゃあないか」
「ふざけたことを……、藤紫が首を吊ろうが吊るまいが、おれとかかわりはねえ。おまえ今日のめでたい席をつぶすつもりだな」
「つぶすもつぶさないも、おまえさんの料簡《りようけん》しだいさ。あくまでもおいらんの首吊りにかかわりがないといい張るなら、あたしが大座敷にでていってお客のみなさんに経緯《いきさつ》を一切合切ぶちまけて、ことの理非をたずねてみたっていいんだよ。お客のみなさんがどんなことをいうかみものだねえ」
藤紫が首を吊ったというのは嘘である。おえんがかましたハッタリだ。
おえんはすでに千太郎をのんでかかっていた。この場に新五郎がいないのも、彼女の余裕である。新五郎はすでにべつの取りたてにかかっているのだ。
「桶辰に早桶をたのんだのも、おまえだな」
「梅ケ屋の紅梅も、おまえにだまされて、うらみをのんで死んでいったんだ。きちんと供養をしておかないと、たたりで店はつぶれ、身をほろぼすよ」
「いわせておけばいい気になって」
千太郎は口惜《くや》しがって地団駄ふむおもいだったが、弱味をにぎられているので、どうするわけにもいかなかった。
「おまえさんがこの店を買いもどしたかった気持はわかるが、やり方がどうにも悪辣《あくらつ》でいけないよ。遊女の生き血を吸ってあつめた金で店を買いもどしたって、うまくいくはずがない。女のうらみがつもっていちゃあ、おそかれはやかれ、店がつぶれるのはみえているさ」
「おまえ、おれの店をつぶしにきたな」
顔をひきつらせて千太郎はいった。
「つぶされたくなかったら、香典がわりに藤紫の六十五両だけでもかえしておやりよ。おまえさんがいやだっていったって、わたしは大座敷へのりこんで、お客のみなさん方のまえで取りたてるつもりだよ」
「わかったおえん、なんとかしよう。ともかくこの早桶だけでも早々に始末してくれ」
千太郎はとうとう音をあげた。
[#改ページ]
第八話 はらみ文殊
吉原《なか》の大見世《おおみせ》・桔梗屋《ききようや》の遊女部屋で、客とおいらんの争いがおこった。客もおいらんもすでに床入りしていた。
客は日本橋・本船町の廻船《かいせん》問屋の主人紀州屋万兵衛という者で、今夜が初回である。おいらんは桔梗屋の売れっ妓《こ》夕月である。
半|刻《とき》(一時間)ばかり夕月のたくみなとりもちで酒を飲んでから上機嫌で床入りをし、体をかさね合ったとたん、万兵衛がふとうごきをとめて夕月の顔をのぞきこんだ。
「おかしいな。おまえ、体に詰め物をしちゃあいないか」
万兵衛がこうきいたのが、争いの発端である。
「お客さん、なにをおっしゃいます。酔っておいでなのじゃありませんか」
夕月はわらって客の言葉をききながそうとした。
「いや、たしかに妙だ。こんなはずはない」
万兵衛はおいらんの体の中に異物感をおぼえたのだ。
「そんなことをおっしゃられても困ります。わたしはなにも細工をしちゃおりません。素《す》のままの体です」
「おいらん、その言葉に嘘はないだろうな」
二人は体を一つにつなげたまま応酬した。
「嘘なんぞ申しません。おいらんは抱かれるのが商売です。そんな失礼なことをいたすはずがございません」
「しかし、どうも具合がおかしい」
万兵衛はそういうなり、がばとはねおきた。
その瞬間、夕月は悲鳴をあげた。白いすんなりとした二本の足が宙におよいだ。
万兵衛はその足を押えにかかった。
夕月は押えられまいと必死であばれた。
けれども万兵衛は男としても体は大きいほうだ。それにまだ四十前の男ざかりである。半裸の女を押さえつけるのに手間ひまはかからなかった。
「やめっ、やめて、やめてください!」
夕月はそれでも抵抗をやめようとはしなかった。
「いくらでもあばれるがいい。さけぶがいい。おいらん、客をなめるなよ」
万兵衛はかまわず力ずくで女の足をひろげにかかった。難なく白い足が八の字にひらいていった。
万兵衛は夕月の体の中に、指を二本さし入れた。
そしてしばらくさぐりまわして、勝ちほこったように中から丸めたものをひきだした。
詰め紙というやつである。ふつうは経帯につかわれるものだが、吉原の遊女や岡場所の女たちは、これを避妊につかう場合があった。
夕月はそれを鼻先につきつけられて、顔色をなくした。
「お客さま、相すいません。本当ならばはじめにおことわりすべきでしたが、初回のお客さまゆえ、ついいいそびれました」
証拠を目のまえにつきだされて、すっかり観念していったのへ、
「小見世《こみせ》や局見世《つぼねみせ》の女郎ならばいたしかたもあるまいが、大見世のおいらんともあろう女《もの》が、こんなもので客をだまそうとは。客を酒でころして、紙をつめたまま用をすまそうとしたんだろう」
万兵衛は怒りにまかせて、語気をあらげた。
「そんなつもりはありませんでした。お客さま堪忍してください」
「いやできぬ。揚代だけで一両以上もとる入り山形に二つ星(※[#入り山形の二つ星(fig2.jpg)]の呼びだし昼三《ちゆうさん》(最高級おいらん)がこんな客あしらいをするのは見のがせぬ」
男の怒りはおさまらなかった。詰め紙をほうり捨てるや、あらためておいらんの腹の上にのしかかっていった。
「ああ、お客さまっ、それは堪忍……」
夕月は顔をひきつらせて、許しを乞《こ》うた。
「堪忍しろとは、女郎の台詞《せりふ》じゃあるまい。客あしらいができぬなら、どうして客を座敷にあげたのだ」
それをいわれると夕月としては一言の余地もない。
万兵衛はかまわずおおいかぶさり、おいらんの足を無情に割っていった。
「お客さま、おたすけ、それだけは……」
夕月は必死で哀願をつづけた。あばれようにも組みしかれているので、うごきがとれぬ。むなしく体がひらいていった。
「見せしめのために、こらしめてやる」
万兵衛は勢いと怒りにまかせて突き入った。
「ああっ……」
女はちいさな悲鳴をあげた。
けれども容赦なく万兵衛は腰を突き入れた。
「あ、あ、あ……」
哀《かな》しい、ちいさな声をもらしつつも、夕月は客の意に無理矢理したがわされた。すくいをもとめる術《すべ》もなかった。
万兵衛は鬱憤《うつぷん》をはらすがごとくはげしく責めていった。
それから約三カ月後、桔梗屋の番頭|吉之助《きちのすけ》が浅草田町二丁目にある弁天屋をおとずれてきた。
弁天屋は中通りに面した馬屋で、その家の表は二丁目の大路に面して、天清、という天ぷら屋をやっている。一軒の家の表と裏でちがう店をだしている。弁天屋は天清の帳場とつながっているのだ。
吉之助がたずねてきたとき、おえんは天清の店内で、片肘《かたひじ》ついて物憂《ものう》げにちびりちびりと酒をやっていた。
彼女が父仁兵衛の後をついで、あらくれの馬屋の世界に足をふみこんだのは、十九の年だが、すでにそれから四年がたっていた。当時は二丁目小町などといわれていたが、今はもう嫁《い》きおくれの年増《としま》にちかくなっている。
おえんは呼ばれて、弁天屋の用談部屋にやってきた。
「おえんさん、おねがいいたしますよ」
吉之助にいわれて、
「取りたてですか?」
あまり気のない顔をむけた。おえんはちかごろ仕事に飽きがきていた。
父の反対を押しきって自分からとびこんだやくざな世界だが、四年もたつと、仕事に慣れるとともに飽きをおぼえてきたのだ。はじめたころのひたむきさを最近ややうしないつつあった。
おえんは普通の娘らしく他家《よそ》にとついで、平穏なくらしをおくる幸福《しあわせ》についてはもうあきらめていた。これからもずっと馬屋をやって世わたりをしていく覚悟はできていた。
取りたての腕は、今や一流である。江戸にそう何軒もない馬屋の中で弁天屋は一、二の繁昌《はんじよう》をほこっている。
しかし女の悩みやまよいがまったくないわけではなかった。お侠《きやん》が原因《もと》で入った稼業だが、この年頃になるとお侠だけではもう突っ走れない。
今までに、人の世の暗い断面、みにくい一面をいやというほど見せつけられた。人と人との利害打算のからみ合い、裏切り、欺瞞《ぎまん》も自分の目で見つづけてきた。
父の仁兵衛は彼女の取りたてが原因でそのあいだにころされた。昨今では、仕事と仕事の合い間などはどうしても気が滅入ってつぎの仕事にかかるのが億劫《おつくう》になってくるのだ。
「じつは、本船町の廻船問屋紀州屋万兵衛から、三十八両の取りたてをおねがいしたいのでして」
吉之助はそういい、万兵衛への貸し金の経緯《いきさつ》についてかたりだした。
おえんはなんとなく耳をかたむけた。
(三十八両も……、ずいぶん遊女屋がよいをした男がいるもんだ)
などとかんがえたりしていた。馬屋の仕事でざらにあるのは一両や二両などの取りたてである。何十両もの大きな仕事は月に一度あればいいほうである。
きいていくうちに、しだいにおえんの顔が本気になってきた。
「まさかたった一夜で……」
店中に惣花《そうばな》をだすなど大盤振舞の豪遊をやっても、今時一夜でそれだけの付けがまわってくるような仕儀になりようがない。
「その客、無理矢理おいらんの詰め紙をぬいて、はらましてしまったんです」
吉之助はまことにおもいがけぬことをいいだした。
吉原のとなり町に長年住みくらし、まして馬屋などを稼業にしていると、廓《くるわ》の中のさまざまな出来事を耳にするものだが、そんな没義道《もぎどう》な客のはなしは今まできいたことがなかった。
「詰め紙を見やぶられたおいらんもうかつでしたが、それをぬきとって力ずくにおよぶ客なんて、とてもゆるせませんよ」
「ひどいことを。それでおいらんはどうなりました」
「二月ちかくたってから女医者に診せたところ、案の定はらんでいて、腹の中には文殊さまが……」
胎児は月ごとに仏道になぞらえて呼ばれる。三月は文殊である。四月になると普賢《ふげん》、五月が地蔵……という具合である。
「それで水[#「水」に傍点]にしたんですか」
「売れっ妓《こ》に座敷をやすませ、子をうませるようなわけにはいきません。中条《ちゆうじよう》の女医者の世話になりました」
「紀州屋万兵衛、ゆるせない男だねえ」
おえんの胸のうちに怒りの火がともった。中条流|堕胎《こおろし》は危険なうえにも、おそろしい術である。
柳や若竹の枝に毒薬(麝香《じやこう》)をぬって子宮の胎児をさぐって突きころす。もししくじれば、妊婦の下腹を血みどろにする。上手に突きころせたにしても、胎児がぜんぶ体外へ落ちきらずにすこしでも腹の中にのこっていると、それがくさって妊婦の腹は風船のように大きくふくらんで、最後には死にいたる。
さいわい術が成功したにしても、回復には一月は十分かかる。
遊女となると、そのあいだは仕事にならぬ。万兵衛に莫大《ばくだい》な付けがついたのは、このためである。
「おいらんにもゆるされぬところはあるのだから、中条の代金は自分が支払うのが筋道でしょう。けれども丸一カ月も見世をやすむとなると、一日一両一分として三十日でおよそ三十八両の損害となります。それがそっくりおいらんの借金にくわわれば、夕月は年季が一年はのびることになるんですよ」
遊女屋とおいらんとの借金にはいろいろと複雑な計算があって、おえんにはわからなかった。
「紀州屋万兵衛はその金をはらえないというんですね」
「たった一夜の揚代にそんな金がはらえるかと、けんもほろろな挨拶でした。おもいあまって、おえんさんをおたずねした次第です」
吉之助がそういったとき、おえんの決意はきまっていた。
「やらせてください、その取りたて。きっとわたしが取りたてましょう」
おえんは自分からそういった。
飽きと滅入りの虫は飛んでいなくなっていた。やはり、おえんは根っから馬屋の子なのであった。
「引きうけてくださいますか、おえんさん」
「そんな男、のさばらせておくわけにはいかないじゃないか」
おえんはしずかにいった。
吉之助は懐からおりたたんだ証書をとりだした。
証文
[#ここから3字下げ]
ほんふね町きしゅう屋万べえへの貸し金三十八両 田町二丁目べん天屋おえん殿に取りたておねがひ申すべく 委細おまかせいたすものなり
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]きけふ屋うち吉のすけ
通常馬屋証文というやつである。
おえんがそれを受けとると、吉之助は礼をいって立ち去っていった。
翌朝、魚河岸の前にある本船町の紀州屋の店頭に、あざやかな縞《しま》の留袖《とめそで》に呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をきりっとしめたおえんの姿が立った。供には浜蔵がついている。
廻船問屋だけに間口はひろく、奥行もたっぷりある。店の建物もしっかりした木材をつかった本格建築である。
店内には屈強そうな若者たちの姿が目についた。そのときたまたま、店頭に器量のすぐれた若い女がでていた。
万兵衛の娘かとおもって、用件をつげたところ、
「主人でしたら奥におります。呼んでまいりましょう」
その女が気さくにいった。娘ではなくて、万兵衛の女房であった。おそらく後妻であろう。
万兵衛がでてきた。いかにも廻船問屋の主人らしい恰幅《かつぷく》のいい男だ。
おえんが名と用件をつげると、万兵衛はやや困惑の態度を見せた。
「おえんさんとか、はやい話があんたは吉原《なか》の馬屋で、桔梗屋にたのまれてきたのかい」
おえんは、悪びれずに、
「左様です」
とこたえ、馬屋証文をだして、見せた。
「おえんさん、気の毒だが、その金ははらうわけにはいかないよ。あれはそもそもおいらんの不始末からはじまったことだ。桔梗屋にはそんな金をおれにもとめてくる立場はないはずだよ」
万兵衛ははっきりとことわった。
「そうでしょうか。わたしは経緯をうかがいましたが、おいらんの不始末は責められるとしても、旦那《だんな》さまのやり方は大層いきすぎです。おいらんとはいえ女の立場をまったくないがしろにした非道なやりかたじゃないでしょうか」
おえんもたじろぐことなく、びしりといいかえした。
「それは遊女屋と女郎のいいぶんだろう。おれには客のいいぶんがある」
「旦那さまにいいぶんのあろうことはわかります。けれども紀州屋さんは小さな非をとがめて、おいらんと桔梗屋さんにとりかえしのつかない損害と迷惑をこうむらせてしまいました。これはいかにも道理も義理もわきまえぬ、人の道にはずれたやり方ではないでしょうか。これではおいらんだって桔梗屋さんだって、だまってはいられませんよ。泣寝入りはできません」
はげしくきめつけると、万兵衛の顔に怒気がうかんできた。
「おれは見ず知らずのあんたから、人の道をおしえてもらうつもりはないぜ。おえんさんとか、世間をなめるんじゃないよ」
万兵衛はドスをきかせた。
「世間をなめて、おいらんを虫けらのようにあつかったのは、旦那さまのほうじゃございませんか。紀州屋さんがもし三十八両はらわなかったら、そっくり夕月というおいらんの借金になり、年季が一年のびるそうです。苦界のくるしみを一年余計にあじわわなくてはならないんですよ」
「遊女が客のまえにでてきた以上、抱かれるのは当然だろう。おれは当りまえのことをしただけだ。文句をいわれる筋合はすこしもないぜ」
「けれども紀州屋さん、遊女の詰め紙をぬいてまじわれば、子をはらむのは当りまえでしょう。これではおいらんはたまりません。夕月は中条の女医者の世話になって、体を傷つけたんです。むこう一月ははたらけない体になっちまいました」
「そんなこと、おれの知ったことじゃあねえ」
「知らなくて、どうするもんですか。知ってやったとなれば、あんたは人でなし、鬼畜生だ」
掛け合いの初《はな》っから、雲行きが荒れはじめた。
「おえんさん、おれは気のねれた大人だから、年若い娘に少々なにをいわれようが辛抱のしようもあるが、うちの店にはすぐにかっとなる若い者がごろごろしてるんだ。言葉には気をつけたほうがいい」
器量のすぐれた娘の口から毒気にみちた啖呵《たんか》がとびだし、万兵衛は血がさわぎはじめた様子だ。
「おどしで追いはらおうって料簡《りようけん》ですか。おどして三十八両、小便ひっかけようたってそうはいきませんよ。もらうべき金は桔梗屋にかわって、かならず申しうけます。今日はご挨拶にまかりこしました」
「勝手にほざくがいい。取れるもんなら、とってみろ」
「その言葉、おわすれなく」
「とっとと失《う》せろ!」
おもっていたとおりの成り行きになった。馬屋の取りたての第一歩は大抵こんなものである。
塩をまかれて、おえんと浜蔵は紀州屋をでてきた。
塩をまかれて口惜《くや》しがるようでは、馬屋はつとまらぬ。侮辱や挑発にこたえるのは、馬屋の修業の初歩である。
「一筋縄でいくような相手じゃないね。まっとうにぶつかったって、紀州屋万兵衛は金輪際、取りたてには応じまい」
弁天屋にもどって、おえんは用談部屋で又之助と浜蔵にいった。
浜蔵は十四五のころから弁天屋に住みこみ、おえんとは一緒にそだった。彼の父親は前科者だったが、浜蔵が道をそれなかったのは、まえの主人仁兵衛のおかげだった。
又之助は浜蔵よりも三つ四つ年上である。
「万兵衛の弱みをとことんあらいつくして、あばきだすほかはありやせんね」
浜蔵がこたえた。その弱みをネタにして、万兵衛をゆすろうというのだ。これは馬屋の常道である。
浜蔵はつい先年まではまだ少年の面影をのこしていたが、昨今ではすっかりたくましくなり、風貌《ふうぼう》も男くさくなってきた。
「そうだねえ、尋常な掛け合いはつうじなさそうだ。搦《から》め手《て》から攻めるしかないだろう」
おえんは浜蔵へうなずいた。
「どんな人間だってあらいあげれば、他人《ひと》には知られたくない古傷や、弱みはあるもんです。大きな廻船問屋をやってたって、裏じゃあいろんなことがあるはずですよ」
浜蔵はそういったが、又之助はだまっていた。又之助は元来、寡黙《かもく》なたちである。そのかわりおちつきがあり、沈着である。
「店の若い者たちがどんなうごきをするかだが……。万兵衛の命令しだいでどんなことでもやりかねない男たちだ」
おえんはやや眉根《まゆね》をひそめた。
「店の中には若いあらくれどもがいて、少々無気味な感じがいたしましたね。あのほかにも船頭や水夫だの、荷揚げ人足だの、紀州屋の息のかかった男たちは大勢おりましょう。あいつらがあばれだしたら厄介なことになるでしょうね」
浜蔵は紀州屋の様子を見てきただけに、内心ではたじろぎもおぼえているのだ。
「十分気をつけたほうがいいだろう。追いつめられると、人間なにをするかわからないからね。かといっても万兵衛は追いつめられなければ一文だってださないだろう」
おえんにとっては商売もさりながら、おいらんを無理矢理はらませて、罪の意識をいだいていない男への憤りにあふれていた。この怒りは浜蔵にも又之助にも十分には理解できぬだろうとおもっているのだ。
浅草寺の雷門をくぐったとき、浜蔵が提灯《ちようちん》に火を入れた。浜蔵はおえんとならんであるいている。
本船町で朝から聞きこみをおこなって、帰途についたときはもう夕暮れがちかづいていた。
この日は紀州屋の取り引き先を十何軒もまわって、万兵衛の交友や商取り引き、仲間づき合いなどをこまかくあらっていった。紀州屋と万兵衛の聞きこみをはじめてもう十日ちかくがたっていた。
今までのところ、万兵衛には隠し女などはいないことがわかった。以前にはいたらしいが、数年まえ二度めの妻てるよ[#「てるよ」に傍点]を懇望のあげくようやく手に入れたとき切れて、その後はきまった女とのつき合いはなかった。
商取り引きにおいても大きな疵《きず》になるような商いをしたことはなく、紀州屋の信用は高かった。廻船問屋の仲間組合でのつき合いも万兵衛は申し分なく、評判はいたってよかった。
役にたつ聞きこみがつかめぬまま日数がたっていた。
(こんなはずでは……)
おえんも当てはずれで、二三日まえから少々あせりをおぼえはじめていた。
「お嬢さん、まだしばらくこの聞きこみをつづけますか」
仁王門へむかって仲見世《なかみせ》通りをあるきながら浜蔵がきいた。
「お嬢さんって呼ばれるような年じゃあないよ、もうよしておくれ」
おえんは不機嫌にこたえた。
「だって、ほかに呼びようがないじゃありませんか。お女将《かみ》さんじゃなし、親分でもねえ。お頭でもありませんからね」
「名前を呼んでくれたって、いいんだよ」
「おえんさん、だなんて今ごろからじゃあこそばゆくって呼べませんよ。ま、お嬢さん、だっていいじゃないですか、わたしにはそれがいちばんぴったりなんですよ」
「おまえはよくたって。あたしはいやなんだよ」
「娘ざかりをすぎたからって、はずかしがることはありませんよ。又之助だって、お嬢さん以外に呼びようがないっていってましたぜ」
「ききわけのない連中だねえ」
おえんは嫌気がさして、舌打ちを一つした。
仲見世通りにつらなる店々はもうほとんど戸をおろしている。
仁王門をくぐると、ひろい境内は宵闇につつまれていた。本堂にいたる参道の両側には石灯籠《いしどうろう》がならび、ところどころに火が入っている。
五重塔も鐘楼も、もう闇の中にしずんでいた。
浅草寺の境内を突っきれば、その裏はどこまでもつづく田圃《たんぼ》である。田圃のむこうが田町二丁目にあたるのだ。
そのとき、目前の石灯籠の灯がほのぐらくゆらめいた。
おえんはなんとなくいやな気がした。
「浜蔵、気をおつけよ」
注意をうながしたとき、石灯籠の陰から人影がとびだし、無言でおそいかかってきた。手に棍棒《こんぼう》のようなものを持っている。それが唸《うな》りを生じて、おえんにむかってきた。
「あぶないっ」
浜蔵はさけんで、提灯を相手の顔にむかって投げつけた。
相手はそれでひるんで、二三歩後退した。
「紀州屋の手下だね。そろそろくるころだろうとおもってたよ」
いいながらおえんは懐の中に手を入れた。鉤縄《かぎなわ》がひそめてある。
「あぶない!」
今度はおえんがさけんだ。今とおりすぎたばかりの後ろの石灯籠から人影が二つ同時にあらわれたのだ。
浜蔵はすばやくかくし持った匕首《あいくち》をぬき、鞘《さや》をはらった。
後ろから棍棒が風をきっておそいかかった。石灯籠の明りの中に、屈強そうな男たちの姿がうっすらと浮かんだ。
浜蔵はひくいかまえから匕首で棍棒を受けながし、逆襲に転じた。匕首をかまえて相手の懐へ再三とびこもうとはかった。
逆におえんは相手から距離をとった。
鉤縄は目明しがつかう飛び道具の早縄である。相手の胸の襟や帯などに鉤を投じてひっかけ、縄でぐるぐる巻きにしばってしまう。縄は三尋《みひろ》(三間)の長さがある。手ごろな距離があるほうがのぞましいのだ。
後方の男が一人無二無三におえんに飛びかかってきた。その瞬間、おえんの手からながれるように鉤がとんだ。
「ぎゃっ」
悲鳴をあげて男が顔をおおい、その場にくずれおちていった。おえんははじめから、相手の顔面をねらって鉤を投じた。ひっくくるのが目的ではなく、相手をたおすことをねらったのだ。
あやまたず鉤は男の前額部に命中した。だが、そのとき、また前方の石灯籠から二つのあたらしい影がでてきた。その二人も手に得物を持っている。
敵は総勢五人だったのだ。
「浜蔵、隙《すき》を見て逃げよう」
おえんは小声でいったが、その隙がみつけられるかどうかわからなかった。
前から三人がせまってきた。
おえんはふたたび鉤縄をかまえた。
「お嬢さん、わたしが前に斬りこみます。その際に田圃へ逃げてください」
浜蔵はけなげにいった。
「おまえを犠牲にするわけにはいかないよ」
おえんは踏みとどまろうとしたが、止めるいとまもなく、浜蔵は匕首をかざして猛烈に突進していった。以前よりも勇敢さを身につけていた。
「お嬢さん、早く!」
浜蔵の声がきこえた。
前方に隙ができたのを見て、おえんは真一文字に駆けだした。裾《すそ》が大きく割れて、夜目にも白く足がおどった。
本堂の横手をぬけて、熊谷《くまがや》稲荷《いなり》と地蔵とのあいだをすりぬけ、念仏堂の脇を夢中で突っぱしった。その前方には護摩堂があり、そこをはしりぬければ、浅草寺の裏門である。
裏門はすぐ田圃につづいている。田圃の中は真っ暗闇だ。
その中へ逃げこめば、なんとかたすかるとおもった。
(…………!)
そのとき、おえんの退路をたつがごとく、護摩堂の前にまたしても人影が立ったのがちかくの石灯籠の明りの中に見えた。
おえんははしりながら鉤縄をかまえた。
後ろから男たちが追ってくる。
「お嬢さん!」
そのときおぼえのある声が前方からきこえた。護摩堂の前に立ちふさがっている人影がはなった声だ。
「又之助っ」
おえんは前方の影にむかってさけんだ。
又之助は手に木刀をさげている。彼は三年ほど前から鳥越町にある一刀流の町道場にかよっており、昨今めっきり腕をあげていた。
(たすかった!)
おえんはおもった。
又之助はおえんを後ろにかばって、ねらいすまして木刀を一閃《いつせん》した。骨をくだくようなにぶい音とともに、
「ううっ……」
大きな呻《うめ》き声をあげて、追ってきた先頭の男がたおれこんだ。夜目にもあざやかな手並みだった。
「お嬢さん、よかった。かえりがおそいんできてみたんですよ」
又之助はおえんをかばって、すかさず二人めの男にたいして木刀をかまえた。
それだけで相手はもう一歩も前へすすめなくなった。
おえんはすっかり勢いをとりもどし、鉤縄を男たちにむけた。
浜蔵も匕首をかざして駆けつけてきた。
「どうだ、まだやるつもりか」
浜蔵は居丈高にいって、男たちを挑発した。
「くそっ」
一人が棍棒をふりかぶっておそいかかろうとしたが、
「やめろ!」
後ろの男がそれを制した。
「こいっ!」
浜蔵は闘志を見せたが、男たちはあきらめていっせいに闇の中へ姿を消していった。
おえん、浜蔵、又之助の三人は護摩堂の石灯籠の前にのこった。
「あぶないところだったねえ」
おえんがいった。まだ動悸《どうき》がおさまっていない。
「万兵衛のやつ、ここまでのことをやってくるとはおもわなかったぜ。又さんがきてくれなかったら、どうなってたかわからなかった」
浜蔵も表むきの威勢はべつとして、本心は青息吐息の応戦だったのだ。
「お嬢さん、きっとやつらは又おそってきますよ。このまますっこんでいるわけがねえ」
又之助がいった。
「そうだねえ、今度はもっとえげつない手を打ってくるだろう」
「お嬢さん、こっちも最後の手立をやるしかないんじゃないでしょうか。ためらってる場合じゃありません」
又之助がつづけた。
おえんはすぐには返事ができなかった。
日本橋堺町は中村座の〈音菊高麗恋《おとにきくいちようのくせもの》〉〈妹背山婦庭訓《いもせやまおんなていきん》〉でにぎわっていた。
その桟敷《さじき》のまんなかあたりに席をとって、女中づれで観劇しているのは、紀州屋の若女房てるよである。幸四郎、菊五郎、菊之丞《きくのじよう》、三津五郎、半四郎の豪華役者の組み合わせにてるよは酔い痴《し》れ、無我夢中のうちに時をすごしていた。
一度|幕間《まくあい》があって、ふたたび幕があがった。
そのとき、桟敷の通路をとおって、芝居茶屋紅梅屋の若い者がやってきた。
てるよは芝居が好きで、よく三座へでかけるが、中村座を観るときはきまって紅梅屋をとおすのである。
「お内儀《かみ》さんに、お使いの人がきております。ちょっと茶屋へもどっていただけませんか」
そういわれて、てるよは女中のおせんをつれて、紅梅屋にとってある部屋へもどった。そこには見知らぬ男が待っていた。
「深川門前仲町の料理茶屋〈兼政《かねまさ》〉で、旦那《だんな》さまがたおれられました。医者によりますと、かるい卒中だそうです。今、離れ座敷でやすんでおります。お内儀さんをすぐにお呼びするようにと、申しつかりました。わたしは兼政の若い者で、政吉といいます」
そういわれて、てるよは動転した。
万兵衛は卒中に見舞われやすい体質ではあるが、四十まえの年齢である。まだ外出先でたおれるようなことを心配したためしはなかった。
「すぐにまいります。つれていってくださいませ」
てるよはすぐにそういった。
そして紅梅屋に駕籠《かご》を三丁あつらえてもらい、おせん、政吉と駕籠をつらねて、深川へむかった。
門前仲町といえば永代寺の門前町で、盛り場ではあるが、掘割が町中をとおり、風光にもすぐれたところである。富豪の別荘などもある。
兼政はひろい敷地を有している。三人は門前で駕籠をおりた。
門から玄関まで少々距離がある。母屋のほかに数寄屋づくりの広大な庭があり、そこに離れ座敷がいくつももうけてある。こういうところの料理茶屋は庭や湯殿などに贅《ぜい》をこらし、さらに各種料理を客の好みに供しているのだ。
政吉は玄関横の木戸口から庭へ案内した。
ようやく夕景がちかづいてきた。木々や植込みのあいだを苑路《えんろ》がとおっている。大きな池があり、中之島があり、橋がかけわたしてある。池には魚がたくさんおよいでいる。築山《つきやま》もあれば、林もある。
林の中の道をぬけて、離れの玄関へ入った。離れとはいっても座敷のほかにつぎの間、ひかえの間、納戸部屋、厠《かわや》などがそろっている。
てるよは夫の容態が心配で、いそいで座敷へ入っていった。が、座敷に床はとっていない。万兵衛もいなかった。
離れをまちがえたのではないかとてるよはおもった。似たようなつくりの離れが庭内にある。
「どうしたんでしょう」
いぶかしんできいた。
「どうもしません」
政吉の言葉と語感にてるよは少々不審をおぼえた。今までと多少かわっていた。
「主人はどこに……」
不穏な気持にかりたてられてきた。
「さあ、どうしたのかな」
政吉の返事はとぼけたものだ。
「卒中でたおれて、やすんでいるんではないですか」
気になって、問いただしてみた。
「おれがでかけるときまでは、ここで寝ていたんだが」
政吉の言葉つきはしだいにぞんざいになっていた。もしかしたら、息をひきとったのか……、と最悪の予感もかすめたが、不審がつのるばかりであった。
「主人はどこにいるんですか。いい加減なことはいわないでください」
たまりかねててるよは政吉をなじった。
そのとき、横手の襖《ふすま》がしずかにひらいた。
かつて一度見たことのある女と男が姿をあらわした。縞《しま》の留袖《とめそで》に燃えるような朱の呉絽服連帯《ごろふくれんおび》をしめた器量のすぐれた女とほぼ同年輩の若い男である。
女はてきぱきと男たちに指示をあたえた。やや毒をふくんだ美貌《びぼう》が生き生きと冴《さ》えている。
てるよは罠《わな》におちたことをさとった。彼女はその男女に記憶があった。
半月ほどまえ、今いる若い男をつれて、紀州屋をおとずれてきたことがあった。万兵衛をたずねて、金の貸し借りについて押し問答をしていったので、おぼえていたのだ。
「お内儀さん、旦那さんは、もうおっつけここにやってきますよ。卒中でたおれたといったのは、あなたをまねき寄せる方便ですよ」
女は小気味よさそうにいった。弁天屋おえんである。
「お内儀さん、お気の毒ですが、少々窮屈なおもいをしていただきますよ」
おえんはてるよを見すえていった。
「なにをしようっていうんです。無体なことをいたしますと、お縄をこうむる羽目になりますよ」
てるよは気位を見せて気丈にいったが、おえんはうすわらいを浮かべてききながした。こういう場で役者がちがうのである。
「もしあばれられたら面倒だから、お内儀さんをしばっておしまい。ついでに猿ぐつわをかましておやり」
浜蔵に命じると、てるよはあばれかけたが、難なく浜蔵に取りおさえられた。
「お内儀さん、さけんだって誰もきてくれやしないから、無駄なことだ」
浜蔵は一言きめつけておいて、てるよの体に麻縄をかけていった。
「やめて、やめてください!」
恥辱で顔をひきつらせててるよはさけんだが、浜蔵はすこしも斟酌《しんしやく》をしなかった。
てるよの両手を頭の上までもちあげてしばりあげ、さらに胸乳《むなぢ》の下あたりにしっかりと縄をかけた。
「なんで、わたしがこんな目にあわされなくてはならないんですか。理由《わけ》をいってください」
てるよは恨めしげにおえんと浜蔵をにらみつけた。
「よくない亭主を持つと、女房がこんな手ひどい目にあわされるんだ。あんたは亭主運がわるかったんだよ。理由はあとで万兵衛にきくがいい」
おえんがいうと、てるよはなにかいいかけたが、浜蔵に口の中に手拭《てぬぐい》をつめこまれて、その声も消えた。そして座敷の片隅にころがされた。
万兵衛が又之助に案内されてこの離れに姿を見せたのは、四半|刻《とき》(三十分)もたたぬうちであった。
万兵衛が座敷に入ると同時に、浜蔵と又之助、それに政吉がとびかかっていった。政吉は本当に兼政の若い者で、おえんに金ともう一つの要件で籠絡《ろうらく》されていたのである。
「なにをしやがる! はかったな」
万兵衛はおめいて、三人を振りきろうとしたが、あえなく両腕をねじあげられてうごけなくなった。万兵衛はてるよが外出先でたおれたときかされて、又之助にここまでつれてこられたのである。
「やめろっ、この野郎!」
万兵衛はわめいたが、彼の体にも麻縄がかけられていった。両腕を後ろへまわされてかたくしばられ、さらに両足首もしばられてうごきを封じられた。
「万兵衛、お内儀さんもあのざまだ。わるい亭主を持つと、女房が気の毒だねえ。亭主のむくいを女房が一身にうけることだってあるんだ」
おえんがいうと、万兵衛は顔色をかえた。
「女房はなにもかかわりはないんだ。女房をいためつけるのは卑怯《ひきよう》だ」
万兵衛が声をあげると、おえんはわらいだした。てるよは万兵衛がもっている唯一の弱みといってもいい。
「卑怯だなんて、おまえがいうにはふさわしくない言葉だよ。よしておくれ」
「女房の縄をとけ、すぐにといてくれ」
「だったら、三十八両耳をそろえてはらうかね」
浜蔵が口をはさんだ。
「それは話がべつだ。女郎一晩の揚代に三十八両もはらえるもんか。馬鹿なことをいわないでくれ」
万兵衛はあくまでもしぶとくつっぱねた。三十八両といえば、一家族がつつましくくらせば三年もすごせる大金である。
「おまえがおとなしくおいらんを抱いただけなら、なにもそんなべら棒な金をとられる羽目にはならなかった。詰め紙ぬいてはらませるなんて無法なことをやったむくいがかえってきたんだ」
おえんは万兵衛を見おろしていった。
「詰め紙などして客の前にでるおいらんがわるいんだ」
「それにしたって、おまえのやり口は悪辣《あくらつ》非道じゃないか。女の身にもなってごらん。おいらんは命がけの堕胎《こおろし》をしたんだよ」
おえんは女だから、いっそう万兵衛の行為がゆるせないのだ。ただ三十八両ふんだくるだけではおさまらぬ怒りがあった。
「おいらんが死んだわけでもないだろう」
万兵衛がふてぶてしくいったとき、彼の頬がはげしく二度鳴った。おえんがおもいきり打ちすえたのだ。
「おまえがその気なら、こっちだって覚悟があるよ。政吉、お内儀さんをこの場でもてあそんでおやり。遠慮会釈なくおもいきりやっつけてやるんだ。運がわるけりゃはらむだろうが、女医者だったら、あたしが世話してやるよ」
おえんは鬱積《うつせき》したものを吐きだすようにいった。
政吉は遮二無二《しやにむに》てるよにおそいかかっていった。てるよの着物の裾《すそ》が派手にめくりあげられた。白い足がつけ根の上まで湯文字のあいだから露出した。
その足がばたばたと空におどった。てるよは懸命に抵抗した。
政吉は、両方の足首を無造作につかまえた。そして蛙の足でもひきさくように、両足をひらいていった。黒いものがあらわれた。
「う、う、う……」
声にはならぬ苦悶《くもん》のうめきがてるよの口の奥からもれつづけた。
「こころゆくまでなぐさんで、お内儀さんの体の中に子種をまきちらしておやりよ。はらむかどうかは時の運だよ。万兵衛、おまえの恋女房が文殊|菩薩《ぼさつ》をはらむかどうか賭《か》けてみるのもおもしろいねえ」
政吉はてるよの湯文字をむしりとって、股間《こかん》に腰を入れていった。
万兵衛は屈辱で顔をゆがめた。
「万兵衛、はらまなかったら、おなぐさみだ。もしはらんだら、おまえの自業自得とあきらめることだね」
おえんは愉快そうに声をあげた。
「おえん、ゆるしてくれ。おれが悪かった」
万兵衛が必死でさけんだが、
「ゆるせないよ、万兵衛。今さらゆるせるもんかね」
おえんはすかさず切りかえした。
政吉はてるよの足を高々ともちあげ、自分のまえをくつろげた。
「たのむ、おえん。三十八両はらおうじゃないか。勘弁してくれ。おれの負けだ」
万兵衛は悲鳴まじりの声をあげた。
「政吉、万兵衛はああいってるけど、どうしようかね。ゆるしてやるかい」
たのしくてたまらぬようにおえんはいった。
これだから馬屋稼業はやめられぬ。おえんの胸をこころよい風が吹きぬけた。
角川文庫『付き馬屋おえん暗闇始末』平成14年10月25日初版発行