TITLE : 戦国自衛隊
戦国自衛隊
半村 良
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角川e文庫
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目 次
第一章
演 習
異 変
蒸 発
髷《まげ》の男
議 論
仮想敵
第二章
使 者
謙《けん》 信《しん》
戦 闘
地 図
黄 金
意 見
出 撃
空 襲
第三章
犯 罪
時の神
伝 令
伏 線
海 戦
第四章
現 実
虹《にじ》
策《さく》 謀《ぼう》
演 出
第五章
活 気
激 戦
帰 京
軍 旗
小田原
車《くるま》懸《がか》り
富
合 流
第六章
京
大《おお》 垣《がき》
庭《にわ》長《なが》秀《ひで》
城
銭《えり》撰《ぜに》令《れい》
月 夜
忠 臣
解 答
むすび
第一章
演 習
深夜の国道八号を自《じ》衛《えい》隊《たい》の車《しや》輛《りよう》が西へ疾《しつ》走《そう》して行く。十輛《りよう》、十五輛とグループを作る車輛群にほんの僅《わず》かな間隔があり、その一瞬の静《せい》寂《じやく》を、岩だらけの磯《いそ》に砕ける波の音が埋《うず》めている。
自衛隊は北部、東北、東部、中部、西部の五つの方面隊によって国土の防衛にあたることになっている。いま国道八号を西へ移動しているのは、東部方面隊第十二師《し》団《だん》である。
同じ夜、西部方面隊に所属する北九州の第四師団は関《かん》門《もん》トンネルを通過し、山《さん》陰《いん》の海ぞいにはしる国道一九一号を高速で北上中であった。広《ひろ》島《しま》県海《かい》田《だ》町に師団司令部を置く中部方面隊第十三師団は、第十師団の守備範《はん》囲《い》である若《わか》狭《さ》湾《わん》方面に進出し、東《とう》京《きよう》・練《ねり》馬《ま》の第一師団司令部も、その前衛に通常の守備範囲を越えさせ、大《おお》町《まち》、長《なが》野《の》、飯《いい》山《やま》の線に展開中であった。
一方、海上自衛隊も、裏日本の長大な海岸線を受持つ舞《まい》鶴《づる》警備区の全艦《かん》艇《てい》が能《の》登《と》半島沖に集結し、第一、第三護《ご》衛《えい》隊群と、呉《くれ》の第一潜《せん》水《すい》隊群がそれに合流するため、暗夜の海上を高速移動中であった。そして、この動きとは別にアメリカ第七艦隊の一部が、勢力不明のまま釜《プ》山《サン》経《けい》由《ゆ》ですでに日本海へ入っていた。
演習である。そして演習は報道管制をもその一部に含んでいる。したがってこの夜の兵力大移動について、その全《ぜん》貌《ぼう》を掴《つか》んでいる者はごく少かったと言っていい。まして何の前ぶれもなく突然車につめこまれ、夜どおし揺《ゆ》られ続ける下級隊員たちは、演習の目的はおろか、行先きさえ知ることがなかった。
ただ、ほのかに空がしらむころ、国道八号で糸《いと》魚《い》川《がわ》を過ぎ、境《さかい》川《がわ》の橋のたもとにある富《と》山《やま》県の標識を読んだ第十二師団最後《こう》尾《び》の隊員たちは、これがいつになく大規模な演習であることを覚《さと》った。
糸魚川から西へ、親《おや》不知《し ら ず》、子《こ》不知《 し ら ず》を越えて境川に至る区間は、古くから北《ほく》陸《りく》道《どう》の難《なん》所《しよ》として名高い。境川は越《えち》後《ご》と越《えつ》中《ちゆう》の国境として長い間北陸の地を区分し、北陸本線の駅がある市《いち》振《ぶり》には、越後側の関所が設けられていた。
そして今も境川は新《にい》潟《がた》県と富山県の県境であり、同時に自衛隊東部方面隊と中部方面隊の守備境界でもあった。だから東部方面隊所属の第十二師団がそれを越え、中部の第十師団の地《ち》域《いき》へはいったことは、隊員たちにとってかなり新鮮な刺《し》戟《げき》となるのである。
だが境界を越えず、境川の手前で停止した隊員たちもいた。陸《りく》幕《ばく》第四部の松《まつ》戸《ど》需《じゆ》品《ひん》補《ほ》給《きゆう》所《じよ》と土《つち》浦《うら》武器補給所からやって来た需品科および武器科隊員で、彼らは第一師団の輸送隊や第十二師団の補給隊と協力し、境川の川口に臨時の野《や》戦《せん》補給所を設営中であった。
前は海、うしろは北陸本線と国道八号とを間に置いてすぐに山。海岸の右手は激《げき》浪《ろう》が岩を噛《か》む親《おや》不知《し ら ず》、左はすぐに境川で沖に能登半島がくろぐろと水平線をかくしている。
補給所の隊員たちは、比《ひ》較《かく》的よく今度の演習の概《がい》要《よう》を知らされていた。〈敵〉の圧力が北海道のどこかと能登半島外《そと》浦《うら》に加えられたという想定なのである。最強といわれる千《ち》歳《とせ》の第七師団は、その機械化ぶりに物を言わせて今《いま》頃《ごろ》はもうとっくに旭《あさひ》川《かわ》に達しているに違いない。東部の十二師団と同じように、関西の第三師団も能登へ集結し、その穴を呉《くれ》の第十三師団が埋《う》め、更《さら》にその第十三師団を九州の第四師団がカバーする。これは日本全土を掩《おお》う大演習なのである。
境川の川口に設置された臨時の補給所は、東部方面総《そう》監《かん》部によって、市《いち》振《ぶり》野戦補給所という名称を与えられていたが、実際には計画どおりに行かないことがはっきりしてきた。この大演習計画の、ほんのちょっとした齟《そ》齬《ご》部分であったのだ。
最初にこの指定地点に到《とう》着《ちやく》したのは、東部方面隊の直《ちよつ》轄《かつ》部隊である地区補給所の補給隊と、相《そう》馬《ま》原《はら》にある十二師団司令部の輸送隊の一部であった。そして次に陸幕第四部の需品科部隊と武器科部隊、それに輸送科部隊が混《こん》成《せい》でやって来た。そのあと警備のために十二師団の普通科隊員十名が60式装《そう》甲《こう》車《しや》にのってやって来た。
予定どおりの物資が、予定時間内に見《み》事《ごと》に集《しゆう》積《せき》されたのはいいのだが、これら所属の異《ことな》る隊員たちの指《し》揮《き》を統一する配慮が欠《か》けていたのだ。陽《ひ》が昇ると、隊員たちの間になんとなく面《おも》映《はゆ》いような、遠《えん》慮《りよ》がちな空気が漂《ただよ》い、ひとかたまりずつ、思い思いに陣《じん》どって時の過ぎるのを待っている。
こうしたことは、大演習になればなるほど、後方部隊でよく発生する。机《き》上《じよう》の計画の欠《けつ》陥《かん》が現場でひきおこす、一種の〈白《しら》け〉現象とでも言ったらよいだろう。
異 変
川口の右岸はかなり広い天《てん》然《ねん》の突《とつ》堤《てい》のような形になっていて、黒く乾《かわ》いた岩の上にドラム罐《かん》や四角い木箱、ジュラルミンの中型コンテナなどがぎっしりと集積されていた。
ふだんそこに置かれている船や船《せん》具《ぐ》、漁《ぎよ》網《もう》のたぐいは、事前に地元民と交《こう》渉《しよう》して別な場所に移動させてあった。
国道から車でその場所に入って来る道は一本しかなく、最後に来た60式装甲車が集積地点で方向転《てん》換《かん》し、国道に短い砲《ほう》身《しん》を向けて腰を据《す》えると、もうそれで車《しや》輛《りよう》の進入は不可能であった。
60式装甲車はAPCと呼ばれ、完全武装の兵士十人をのせて四十五キロのスピードで移動でき、一日の機動能力は二百キロを越す国産の新鋭車であった。車《しや》長《ちよう》は島《しま》田《だ》という三《さん》曹《そう》で、彼が乗せて来た普通科隊員のリーダーは木《き》村《むら》陸《りく》士《し》長《ちよう》である。
実戦ならばすでに補給活動に忙《ぼう》殺《さつ》されているところだろうが、演習ではまったくの手もちぶさたである。昼近くになると、国道八号を通る自衛隊の車輛はまったく姿を消し、民間のトラックや乗用車があわただしく駆《か》け抜けて行くばかりだ。ただ、地元民はいつになく空にヘリコプターの機《き》影《えい》が多いのに気づいている。
「全部隊が内《うち》灘《なだ》に集結しているんだ」
海上の空を富山方面へ向けてとび去るヘリコプターをみながら、第一師団から派《は》遣《けん》された輸送隊の指揮官、伊《い》庭《ば》三《さん》尉《い》が言った。磯《いそ》の香《か》がたちこめる岩の上に腰をおろした戦《せん》闘《とう》服の男たちは、それを聞き流すように黙って打ち寄せる波を眺《なが》めている。その背《はい》後《ご》に積みあげられた物資の山をとりかこむ形で、彼らのトラックが並んでいる。
「釣《つ》れるかな」
誰《だれ》かがポツリとそう言った。青い空に白い雲がいくつか浮いていて、初夏の陽ざしがモロに鋲幅を焼く。
「それより泳いで銛《もり》を突《つ》く。そのほうがいい」
がっしりした肩の肉をおどるように何度か上下させて、平《ひら》井《い》という士長が言った。
「この辺の海にはあわびやさざえがいるんでしょう」
「ああ、いるよ。俺《おれ》は富山育ちだからこの辺のことならよく知っているんだ。うまいぞ」
平井士長の大声は、だいぶ離れたところにいる武器科隊員たちの所にまで届いた。NATO弾と記した木箱の山にもたれている加《か》納《のう》一《いつ》士《し》は、それを聞いて思わず溜《ため》息《いき》をした。
「泳ぎてえや」
加納一士は入隊一年目で満十九歳になったばかり、平井士長にしても二十一歳。みんなひどく若いのである。
「あの船はここへ来るつもりらしいな」
輸送隊の指揮官である伊庭三尉が言った。富山のほうからやって来た哨《しよう》戒《かい》艇《てい》が、艇《てい》首《しゆ》をはっきりとこちらへめぐらして近寄って来るところであった。
立ちあがった伊庭三尉と平井士長は、漁船用に作られた危《あぶな》っかしい木の桟《さん》橋《ばし》に向って歩きはじめた。エンジンを断続的にふかしている。
「故障らしいな」
商売柄《がら》とは言え、さすがに耳《みみ》聡《ざと》くエンジン音を聞きわけたふたりは、そう言って顔を見合せた。
弾《だん》薬《やく》箱《ばこ》にもたれた加納一士はその船には気づかなかったが、真上をとんでいるヘリコプターを見あげていた。
「乗ってねえな」
カラでとんでいる。勘《かん》でそれが判《わか》ったらしい。V107と呼ばれるその大型ジェットヘリコプターは武装兵二十六人を乗せて二百二十キロをとぶ。加納はついこの間、それに乗せられた時の苦しい訓練でも思い出していたのに違いない。降《こう》着《ちやく》 十秒以内に展開せよ。離《り》脱《だつ》時《じ》には二十秒以内に搭《とう》乗《じよう》せよ。……その命令がどんなにむずかしいものか。苦しさがまだ体のどこかに残っているのだ。ヘリは浮いている。降着展開はまだいいが、離脱搭《とう》乗《じよう》のとき、少しでも遅れると飛びつかなければならなくなるのだ。
「ひでえもんだよ」
見あげながらそうつぶやいた。
異変はその瞬《しゆん》間《かん》に起った。
ずしん……。大地がひと揺れした。いや大地がいちどに低くなったようであった。積みあげた木箱があちこちで音をたてて崩《くず》れ、突《とつ》風《ぷう》が渦《うず》をまいて通り抜けて行く。海が膨《ふく》れあがり、波しぶきが装甲車のあたりまでとびかかって行った。すべての車輛がゆさゆさと揺れ、加納は風圧で息がつまりそうになった。そのせいか方向感覚が狂い、海がどっちで山がどっちだったか、まるで判らなくなった。恐怖と得《え》体《たい》の知れぬ孤《こ》独《どく》感《かん》に襲《おそ》われ、加納は岩に尻《しり》をついたまま、無意識のうちに両《りよう》膝《ひざ》をかかえてその間に顔を埋めようとしていた。加納ばかりではなく、誰も彼もが同じ奇怪な姿勢でうずくまってしまった。……それはまるで胎《たい》児《じ》の姿であった。
蒸 発
岩だらけの磯《いそ》へ切れこんだ崖《がけ》にへばりつくようなかたちで、民家が三軒ほど並んでいた。しぶきと汐《しお》風《かぜ》がしみこんで黒く変色した木の段《だん》梯《ばし》子《ご》がその一軒の裏手から磯に降《お》りている。段梯子が着いている磯の岩のあたりには、四十人ばかりの隊員がひとかたまりになって、思い思いの姿勢で携《けい》帯《たい》口《こう》糧《りよう》 を噛《か》んでいた。
恐《おそ》らく、その隊員たちの三分の二以上は海に顔を向けていたはずである。山と積まれた補給物資と、そのまわりをとりかこんだトラック。向っていちばん左手の道に装甲車があり、そのまわりには完全武装の普通科隊員十名が、のんびりしはじめた臨時補給所の空気に関係なく、いやに整《せい》然《ぜん》と並んでいた。
或《あ》る者はその普通科隊員を眺《なが》めていただろうし、或る者は沖から来てもうすぐ接岸するらしい海上自衛隊の哨《しよう》戒《かい》艇《てい》を見ていたはずである。また何人かは、特《とく》徴《ちよう》のあるジェットヘリコプターのエンジン音に、思わず真上の空を見あげていただろう。
そうした観客たちの目の前で、この前代未《み》聞《もん》の大異変は、実に呆《あつ》気《け》なくそしてさり気なく起った。集積してあった補給物資の山が、その間にみえかくれしていた人影ごと、車輛ごと、一瞬の間に掻《か》き消えたのである。哨戒艇も60式装甲車も完全武装の普通科隊員たちも、そしてちょうど真上にいたヘリコプターも、まるではじめから存在しなかったかのように消《しよう》滅《めつ》してしまったのである。
これがもし魔《ま》術《じゆつ》であるなら、一瞬の陽《ひ》のかげりとか、一《いち》陣《じん》の風とかがその奇怪さを演出したかも知れない。しかし、現実に起った異常は、いまそこにあって、そして消えた……ただそれだけのことにすぎなかった。
「あれえ……」
尻あがりの、どちらかと言えば少し間のびした声があちこちから聞えた。
「どうしたんだろう」
隊員たちの、その平凡でさしたる動揺もない第一声こそ、この異変の底知れぬ唐《とう》突《とつ》さを象徴しているようであった。人に愕《おどろ》くことさえ許さぬ極《ごく》微《び》時間内の異変であった。誰《だれ》もがまず最初に考えたのは、だから自分自身を疑うことであって、突然の消失を錯《さつ》覚《かく》と感じ、目をしばたたいた者はまだ程度のよいほうである。夜どおしかけて運んで来たこと自体を疑った者が相当いた。そこに自分が立っていることすら疑って、目《め》覚《ざ》めようと努力した者もいた。
いちばん最初にその天然の突堤へ歩きはじめた男に至っては、自分で何を疑うべきかすら判断がつかないようであった。五、六歩あるきかけ、くるりとふりむくと、呪《じゆ》縛《ばく》されたように身動きもしない仲間にむかって、愛想笑いのようにも見える意味不明な笑い方をした。
「ない……」
その短いひとことが、男たちの間に共通の体験であったという現実感を呼び戻した。
「ない」
二、三人が鸚《おう》鵡《む》がえしに言った。
「なくなった……」
靴《くつ》底《ぞこ》が岩を踏《ふ》み、地《じ》雷《らい》原《げん》に向うように恐る恐る足が出た。
「ないぞ」
やっとおたがいの顔を見あわすゆとりが生じた。
「たしかにあったんだ」
そう確認し合った。
「消えた。どこへ行ったんだ」
戦闘服の横《おう》隊《たい》が、静かに、一歩一歩たしかめるように物資の山があった岩の広場へ進んで行く。トラックがない。装甲車がない。哨戒艇もない。ドラム罐《かん》が消え、弾《だん》薬《やく》が消え、火薬が消え、食糧が消え、そして仲間たちが消えた。強い磯の香と打ち寄せる波の音だけが残されたその岩の広場へ、隊員たちはなすすべもなく、ただ息をのんで歩み寄って行く。
甲《かん》高《だか》い電気機関車の警《けい》笛《てき》が山の下を通りすぎ、重い列車の響きが、初夏の陽光に溢《あふ》れた海《うみ》辺《べ》の空気を揺《ゆ》らせた。
どの隊の指揮者か、ひとりが集合の号令をかけた。自分自身の混乱をしずめるために、部下の秩《ちつ》序《じよ》を求めたのかも知れない。理由はどうであれ、それはこの際なしうる最《もつと》も適切な処置であったろう。寄せ集められた所属の異る隊員たちは、異変におびえる個人から、戦うための集団構成員に変化することで、理解不能な現象から遠ざかることができた。次々に号令がかかり、岩の広場に靴音が乱れた。
逆山形の線が三本に星がひとつの袖《そで》章《しよう》をつけた一人の士長が、短い横隊を作った部下を前に適切きわまる指示をした。
「これは解釈不能な状《じよう》 況《きよう》である。何も考えず現在位置を確保せよ」
うららかな初夏のま昼であった。
髷《まげ》の男
装《そう》甲《こう》車《しや》の横にうずくまっていた木《き》村《むら》士《し》長《ちよう》は、ふと肩のあたりがひどく濡《ぬ》れていることに気づいた。固くとざされていた何かが、ゆっくりと元に戻《もど》って行くような気分だった。自分はいま両膝をしっかりと抱《だ》きかかえ、胸をその膝に息苦しいほど押しつけているのだと意識したとたん、全身の硬《こう》直《ちよく》がとけて一度に息を吐《は》き出した。まっ暗だった視界が次第に桃《もも》色《いろ》に変り、やがてま昼の陽光に照らされた岩《いわ》肌《はだ》と自分の影が見えて来た。
いったい何が起ったというのか……。木村士長は無意識のうちにそう自問していた。膝をだいてきつく組んだ両手の指を解き、ゆっくりと背を伸《の》ばした。波の音が聞え、見《み》慣《な》れたトラックと物資の山が見えた。ただ、ひと雨あったかのようにすべてがしずくに濡《ぬ》れていた。
どのくらい膝《ひざ》を抱いてすわっていたのだろう。立ちあがる時の筋《きん》肉《にく》の抵抗感でおしはかると随《ずい》分《ぶん》長くそうしていたようでもあり、また記憶が切れた感じからいうと、それは一瞬のことであったような気もした。どちらにしてもひどいおびえが心を支配していて、早く何か手を打たねばという切《せつ》迫《ぱく》した自衛本能が動いていた。
立って見まわすと、隊員たちはみな同じように膝をかかえこんだ姿勢でうずくまっていた。木村は不安に駆られて仲間を揺りおこしてまわった。
「起きろ。起きてくれ……」
肩をゆすられた男たちは、ひどく緩《かん》慢《まん》な動作で目覚めはじめた。木村自身がそうであったように、太い吐《と》息《いき》をもらし、静かに目をひらいて行くらしかった。
やがて、あっちでもこっちでも、立ちあがってあたりを不安気に見まわしはじめる。
「あの風はなんだ。爆《ばく》風《ふう》だったのか」
「爆風……そう言えばずしんと揺れたな」
「でも、どこで爆発があったんだ」
装甲車の周囲でそんな会話がはじまったとき、岩の広場のとっさきのほうで助けを求める大声がした。男たちは一瞬おびえたように顔を見あわせ、すぐに走り出した。
波にさらいこまれたのだろう。岩からだいぶ離れた水の中で伊《い》庭《ば》三《さん》尉《い》と平《ひら》井《い》士長がもがいていた。哨《しよう》戒《かい》艇《てい》がそのすぐ傍《そば》に漂《ただよ》っていて、二人を救《たす》けあげようとしている所だった。哨戒艇の上には三人の海上自衛隊員の姿があり、一人が大声で桟《さん》橋《ばし》のいちばん先まで来いと怒《ど》鳴《な》っていた。
二人も乗るとゆらゆらと揺れて、今にも折れそうになる木の桟橋の端《はし》へ行った隊員は、哨戒艇から投げられたロープを掴《つか》むと、危《あぶな》っかしい足どりで岩へ戻って来た。哨戒艇は引っ張られて近寄り、桟橋に軽く当った。とたんに桟橋はぐらりと崩《くず》れ、そのまま海の上へ浮いてしまう。
水の中にいた二人は哨戒艇から手をはなし、その浮いた板につかまって岩へ戻って来た。大勢の手で引きあげられた二人は、蒼《そう》白《はく》な顔で岩の上に立った。
「三尉殿。これはどうなったのですか」
そのまわりをとりかこんだ隊員たちはいっせいに訊《たず》ねた。
「何だか知らないが、いきなり波にさらわれたんだ」
平井士長が咳《せき》こみながら言った。だが伊庭三尉は山をみつめたまま、海水をしたたらせて棒《ぼう》立《だ》ちになっていた。
その横へ、哨戒艇の三人が次々にとび降りて来た。
「気《き》味《み》が悪い。何があったんでしょうか」
一人は三等海《かい》曹《そう》、二人は二等海《かい》士《し》だった。
伊庭は我にもどった様子で男たちを見まわした。二十五、六人の男が集っていた。その男たちの階級章をたしかめるように眺めた伊庭三尉は、自分より上級の者がいないのを知ると絶望的な表情に変った。
「APCのうしろに空《あき》地《ち》がある」
伊庭はそう言うと海水をしたたらせたまま歩き出した。「三曹。君が車長か」
「はい」
「君は車に戻って聞いてくれ。侵入者があれば大声で知らせろ」
命令された装甲車の車長は素《す》早《ばや》く隊員たちの間をすり抜《ぬ》けて車に駆け登った。
「いいか。全員よく陸の様子を観察してみろ」
装甲車のうしろに、わずかにあいている場所へ来ると、伊庭は凍《こお》ったような表情のまま、整列もさせずにいきなりそう言った。
「あ……」
半分以上の者がそう言って息をのんだ。北《ほく》陸《りく》本《ほん》線《せん》が消えていた。国道も見当らない。もちろん境《さかい》川《がわ》にかかったコンクリートの橋も、スレートぶきの民家も、電柱も電線も……。そして山から這《は》い出した濃《こ》い緑が、この天然の突堤へ攻《せ》め寄せるようにのしかかっているのだ。
隊員たちは我しらず装甲車の横から空地へ向って歩きはじめようとした。
「とまれ。行っては危険だ」
伊庭は嗄《しやが》れた声で言った。みんなぎょっとしたようにふり向く。
「みんないなくなった……」
誰かが悲《ひ》鳴《めい》をあげるように叫んだ。
「そうだ。どうやら俺《おれ》たちだけになってしまったらしい」
反論する者はひとりもいなかった。……理屈では抵抗したい。しかし、たったいま経験したあの得《え》体《たい》のしれぬ感覚。孤《こ》独《どく》感《かん》、恐怖、そしてみじめな無力感。それらが自分の置かれた無《む》常《じよう》な立場をいや応《おう》なく認めさせてしまうのである。
「いいか。落着くんだ。今の我々に最も必要なのは冷静さだ。この集積地点から一人も出てはいかん。どんな事があってもだ」
隊員たちの間を沈《ちん》黙《もく》が支配した。物音ひとつたてず、全員がただ変りはてた陸の様子をみつめていた。
「三尉殿」
装甲車の上にいる車長の島《しま》田《だ》三曹が低い声でその沈黙を破った。
「誰か来ます」
伊庭が素早くまわりこんで車のかげからのぞくと、ひとつの人影が海辺へ降《お》りる道に見えていた。大きな籠《かご》を背《せ》負《お》っているらしい。
その人物は急に立ちどまり、あわてて籠を地面に置いた。そしてかがみこむような姿勢になると、五、六歩ずつ物《もの》陰《かげ》から物陰へと、小きざみに走り寄って来る。
いつの間にか全員が、装甲車の陰からその男の動きを追っていた。
「みろ、あの頭」
うしろのほうでそういう声がした。ひどくむさくるしい蓬《ほう》髪《はつ》であったが、次《し》第《だい》に近寄って来るそれは、明らかに髷《まげ》の形をしていた。
「ちょん髷じゃないか」
青っぽいもんぺのようなものをはいたちょん髷姿の男だった。
議 論
髷の男はそれっきり近寄ろうとはせず、あわてふためいて逃げ去ってしまった。
「何ですか、あの男は」
その質問に伊《い》庭《ば》は幾《いく》分《ぶん》口ごもりながら答えた。
「ひょっとすると、現地人かもしれん」
「現地人……」
みんな呆《あき》れたように言った。
「よし。反論があったら遠《えん》慮《りよ》なく言ってくれ。俺はこう思うんだ」
伊庭は唇《くちびる》を舐《な》めた。「ここは昭和じゃない。我々は違う時代へ抛《ほう》り出されたんだ」
沈黙していた。誰も何も言わない。「信じたくないし、信じられもせんだろう。しかし鉄道線路が消えてしまったことをどう説明したらいい。国道八号も消えてしまったし、車も人通りもない。ほかにどう説明できるんだ。さっきから俺はそれ以外のいろいろな説明を考えてみたが、それ以外に適当な答がないんだ。ひょっとしたらこの岩場ごと運ばれて、どこか遠い場所へ来てしまったのかとも考えてみた。しかしあれはたしかに能登半島だし、こちら側の地形も変ってはいない。何かがあったんだ。我々を昭和からはじきとばす何かが……」
「タイムスリップです」
武器隊員の加《か》納《のう》一《いつ》士《し》が右手を挙《あ》げて言った。
「すると演習が終っても原《げん》隊《たい》へ復帰出来ないのですか」
十二師団の補給隊員だった佐《さ》藤《とう》二《に》士《し》が言うと、伊庭はやっと苦笑らしいものを浮べた。
「もし俺が思っている通りの状態なら、もう演習なんかない」
「つまり我々は孤立してしまったわけですな」
装甲車の上から、島田三曹が案《あん》外《がい》のんびりした声で言った。
「そういうわけだ」
伊庭はふりあおいで答える。
「いつ昭和へ帰れるんです」
「丸《まる》岡《おか》。三尉殿を困らせるな。これは天《てん》災《さい》だ。三尉殿にだってそんなことは判《わか》らないさ」
島田は部下の丸岡一士に向って、ずけりと言い放った。
「しかし三尉殿。もう少し情勢を見てから結論を出したほうがよくありませんか」
誰の声だったか、発言者は仲間の背にかくれたらしく判らなかった。
「情勢……」
伊庭は問い返した。
「そうです。何人か偵《てい》察《さつ》に出しましょう」
普通科隊の木《き》村《むら》士長が言う。
「いかん。仮《か》りにそこの一士の言うタイムスリップだとしたら、それは地震のようなものかもしれんだろう。揺《ゆ》り戻しですぐ元《もと》に帰れるかも知れんのだ」
「嫌《いや》です。偵察に出た間にみんなが元へ戻ったら、それこそ置いてけぼりを食ってしまう」
木村の部下たちは顔を見合せてくちぐちにそう言った。
「黙《だま》れ。黙らんか」
木村は顔を赤くして怒《ど》鳴《な》った。
「はい」
学校の生徒のように、その部下の一人が伊庭の顔をみつめて手をあげた。
「言ってみろ」
伊庭はその眼鏡《 め が ね》をかけた若い男に言う。
「県《あがた》一士です」
その男は大声で言ってから、「これは全く異常な事態で、我々自衛隊員の義務の範囲をこえた状況であると思います」
伊庭はうなずいた。「仮りに異る時代に我々が漂《ひよう》 流《りゆう》したとすると、この時代には別な社会があり、我々の服従すべきすべての法律は存在していない筈《はず》であります」
今度は全員がうなずいた。「従って我々の間には階級もなく、全員が対等の個人としてこの問題の解決に当るべきだと思います」
「それだけか」
「はいっ」
島田三曹が靴《くつ》で装甲車のどこかを蹴《け》っているらしい。ガンガンガンと、いやにうつろなひびきが続いた。
「やれやれ。餓《が》鬼《き》どものおもりってえのは芯《しん》がつかれますなあ」
島田は同情するように伊庭を見おろしていた。
「なんという名だったかな」
「県一士です」
「うん。県一士の言うとおりかも知れん。しかしここで自衛隊の秩《ちつ》序《じよ》を解体して、それでどうなるんだ。もしそのほうが解決に近づけるなら、俺は喜んでそうしよう。しかし戦闘集団としての体制を解《と》けるか。さっき来たちょん髷《まげ》の男が、この附《ふ》近《きん》の住民だとしたら、もうとっくにこの時代の警察組織……武士か役人かは知らんが、そこへ報告に走っているはずだろう。我々は現在ここへ上陸した侵《しん》入《にゆう》 者《しや》のかたちになっている。武力行使もあり得るのだぞ。我々は我々自身を守るために銃をとらねばならんじゃないか。そうだろう」
「そうです」
木村士長が言った。「その為《ため》には充《じゆう》分《ぶん》訓練を積《つ》んだ上級者が指《し》揮《き》をとるべきです」
「ちょっと待ってください」
その時 哨《しよう》戒《かい》艇《てい》で来た海上自衛隊員が大声で言った。「我々は海上自衛隊に所属しています。新《にい》潟《がた》港から富《と》山《やま》港へあれを回送する途《と》中《ちゆう》、故障してこの補給所へ寄っただけです。こちらの決定がどうあれ、我々はエンジンを修理して、すぐに富山港へ急行しなければならないのです」
「馬《ば》鹿《か》な。この土地の変りようが判らんのか」
伊庭は憤《ふん》然《ぜん》として言った。
「たしかに変だと思います。しかし我々はあく迄《まで》海上自衛隊員です。とにかく一《いち》応《おう》行ってみます」
そう言うと船の三人は離れて行った。
仮想敵
小さな哨戒艇はエンジンが直って、力強い音を発しはじめた直後であった。まるでそれを待っていたかのように、山のかげになった境川の上流あたりでもっと大きなエンジンの音が聞え、それはやがてジェットヘリコプター独特の金属性の響《ひび》きとなって舞《ま》いあがった。
理由のはっきりしない歓《かん》声《せい》が岩場の男たちの間に起った。V107型が森の上に姿をあらわし、泡《あわ》を食ったようにも見える斜《しや》傾《けい》姿勢でとび出して来ると、着陸地点を探《さが》して補給所の上でホバリングした。上空で戸《と》惑《まど》ったようにしばらくそうしていたが、やがて装甲車よりだいぶ前方の、崖《がけ》ぎわの岩場へふわりと接地した。大きな機体の扉《とびら》があいて、二人の男がころがるようにとび出すと、装甲車めがけて駆け寄って来る。ふたりとも一曹であった。
「いったいどうなっているんですか」
伊庭の前で二人は息を切らせて言った。哨戒艇は委《い》細《さい》かまわず波をけたてて去って行った。
ヘリもまた、タイムスリップにまきこまれたらしい。時間異《い》変《へん》は岩場の補給所を底《てい》辺《へん》とする立方体の中で起ったらしいのである。ヘリは瞬間的に時代を移され、その直後あの突《とつ》風《ぷう》に流されて川の上流に着地してしまったのだ。上空から家屋や人間をかなり目《もく》撃《げき》したという。
「まるでこいつはチャンバラの世界ですよ」
パイロットはそう言って首をすくめた。
「おい、聞いたかい」
島《しま》田《だ》三曹が陽気な声で言った。「俺たちはチャンバラ時代へ来ちまったんだぞ。凄《すげ》えもんじゃねえか。みろよ、APCにバートルに哨戒艇。おまけにみんな64式のガンを持っているんだぜ。お前、64式は一分間に何発撃《う》てるか言ってみろ」
装甲車の下で若い隊員が答えた。
「はい。七・六二ミリのNATO弾を実用最大速度毎分百発です」
「みろよ、トラック二十五台に石油がこってりあって、バズーカや地《じ》雷《らい》やMATまであるらしいじゃねえか。面《おも》白《しれ》えことになったじゃねえか」
島田はそう言って高《たか》笑《わら》いした。「ロビンソン・クルーソにしちゃ上《じよう》出《で》来《き》だ。何時代だか知らねえが、全《まつた》くここの奴《やつ》らは気の毒みてえなもんさ」
「三曹、黙らんか」
伊庭がたしなめた。
「向う岸で何かやってますよ」
服を脱《ぬ》いで装甲車の上にひろげていた平《ひら》井《い》士長が叫んだ。みんながいっせいに境川の越《えつ》中《ちゆう》側を見た。かなり離れてはいるが、対岸の崖の上に刀《とう》槍《そう》をきらめかせた武士らしい一団がこちらを見ていた。島田はさっと装甲車へもぐり込み、小さな砲《ほう》塔《とう》を旋《せん》回《かい》させた。
「襲って来るでしょうか」
平井士長が言った。
「待て、落着くんだ。三曹に発《はつ》砲《ぽう》するなと言え」
平井士長は慌《あわ》てて装甲車にとびあがった。
「みんなも発砲するなよ。じっと静かに様《よう》子《す》を見ているんだ。……補給隊員、鉄《てつ》条《じよう》網《もう》の梱《こん》包《ぽう》を解《と》け。解いたらこの地点に侵《しん》入《にゆう》できないよう、ヘリの所から張って来るんだ」
伊庭三尉はそう命令し、対岸の武士たちを見ながら低くつぶやいた。
「戦闘はできん。あれも日本人だ」
その横で木村士長は生《せい》気《き》をとり戻したように、部下の普通科隊員を整列させ、鉄条網をめぐらす作業に走り去って行った。
波の音がのどかにくりかえし、川口の水面を這《は》うように燕《つばめ》が飛び交《か》っていた。三十名あまりの自衛隊員が、確たる指揮系統もないまま、自主的に警《けい》戒《かい》をととのえて行く。
守るべき国民もなく時代に孤立したまま、いま彼らは日本人を仮想敵としてみずからを守るために銃を執《と》っている。
第二章
使 者
伊庭三尉の腕時計はそのとき三時近くを示していた。しかし、実際には何時何分なのか、もう誰にも判りはしなかった。全員の腕時計が、てんでに滅《め》茶《ちや》苦《く》茶《ちや》な時間を示していたからである。なぜそうなったのか、誰にも説明はつけられない。ただ、自分たちを襲った時間異変に関係していることだけはたしかなような気がしていた。
天然の突《とつ》堤《てい》を形成しているその岩場の周囲に大急ぎで鉄条網が張りめぐらされ、隊員たちが警戒体制に入っている。
伊庭三尉は落着かぬ様子でその〈陣《じん》地《ち》〉の中を歩きまわり、何かを待ちかねているように、四十五分おきに装甲車のさきの道を眺《なが》めた。
「三尉殿、何を気にしているのですか」
半《はん》裸《ら》の平井士長がたまりかねた様子で訊《たず》ねた。
「いかん。早く服を着ろ」
伊庭は平井士長に気づくと厳《きび》しい声で言った。そういう自分はずぶ濡《ぬ》れのままで、肩や腕のあたりはもう乾《かわ》きはじめている。
「もうすぐ乾きます」
「早く着ろ。客が来る筈《はず》だ」
「客ですって……」
「川の向うにサムライたちが我々を見ていたろう。彼らにとって我々は侵入者なのだ。必ず使者がやって来る筈だ」
「使者ですか」
平井士長は妙《みよう》な表情になった。伊庭が使った使者という言葉が、さっき川向うに見えていたサムライたちの姿と重《かさ》なって、ひどく古めかしく感じられたからに違いない。
「伊《い》庭《ば》三尉。前方に敵ッ」
誰かが大声で怒鳴った。反射的に伊庭と平井がそのほうへ眼《め》をやった時、国道八号のあったあたりで、槍《やり》の穂《ほ》先《さ》きがキラリと光った。平井は慌《あわ》ててシャツを羽《は》織《お》り、袖《そで》に腕を通しはじめた。
「全員に命令があるまで発砲するなと言え。但《ただ》し、決して大声をあげるな。相手を刺《し》戟《げき》するような行動は一《いつ》切《さい》つつしめ」
伊庭はそう言って装甲車の前へ出て行った。
道に四十名ばかりの人影が見えていた。彼らは統制のとれた集団行動をしているようであった。しばらく海に向って横隊を組んでいたが、そのうち約半数ほどが川に向ってキビキビした足どりで移動し、残りの二十名ほどが道をそれて装甲車へ通じる坂を降りて来る。が、やがて坂のおわりで停止し、三列 縦《じゆう》隊《たい》で、こちらを睨《にら》む。槍が十本ほど青空に向って立ち並び、その先端についた短い白《はく》刃《じん》が、たえずキラキラと陽光をはね返して光った。
腰の下まで届く茶色い革《かわ》の上着を羽織った男が、ゆっくりと進み出てくる。多分陣《じん》羽《ば》織《おり》とでも言ったようなものなのであろうが、それはやや短めの紺《こん》の袴《はかま》や、腰にさした大《だい》刀《とう》とよくマッチしていて、自衛隊員の着ている戦闘服に劣《おと》らず実戦的に見えた。
男の体つきはがっしりしていて、上《うわ》背《ぜい》もかなりあるように見えた。ただ服装の横幅が広いので、それを見なれぬ現代人たちにはどの位の身長か見当がつきかねた。
肌《はだ》は黒く陽《ひ》に焼けていて、眉《まゆ》はくろぐろと太く、長いもみあげが精《せい》悍《かん》さを強調している。そして冠《かぶ》りもののない頭は、額から奇《き》麗《れい》にそりあげて、後頭部から頭のてっぺんに、太い髷《まげ》がとび出していた。
その武士はヘリコプターが見える位置へ来ると足をとめ、飾《かざ》り気《け》のない態度で、感心したようにそれを眺め、やがて張りめぐらせた鉄条網に気づくと、右手の指でそのとげをちょんとつついた。少し痛かったらしく、びっくりしたように指先きをみつめ、白い歯をみせて伊庭三尉のほうに顔を向けた。伊庭はつり込まれたように微《び》笑《しよう》を返した。
「よい日《ひ》和《より》でござる」
腹《はら》にしみとおるような、渋《しぶ》い声でそう言った。伊庭はゆっくりと顎《あご》を引いてうなずく。
「お手前がたが飛ばせたのは、あれでござるか」
「そうです」
伊庭が答えた。その言い方に多少の違和感があったのだろう。男は「ほう、ほう」と感心したような嘆《たん》声《せい》を発し、伊庭の顔をみつめながら歩み寄って来た。
「お待ちしていた」
伊庭が言う。
「ほほう。待たれたとな」
「こちらの領土内にこのような一隊が出現したのだから当然どなたか話しに来られると思っていました」
男は黙ってうなずいた。「私は伊庭義《よし》明《あき》と言います。部下は合計二十七名。ほかにも三名舟に乗った者がいますが、今は出《で》掛《か》けていて不在です」
「長《なが》尾《お》平《へい》三《ぞう》景《かげ》虎《とら》と申す」
男はゆるく一礼して言った。「春日《 か す が》山《やま》城主、小《こ》泉《いずみ》左《さ》衛《え》門《もん》五《ご》郎《ろう》行《ゆき》長《なが》様におつかえ申し、ただ今は勝《かつ》山《やま》城《じよう》に拠《よ》って越中口を支《ささ》え居《お》り申す」
「ほう、この近くに城があるのですか」
すると男はふり返り、左手の山を指さした。
「あのあたりが、わが勝山城でござる」
「我々はこのあたりの事情については何も知らんのです」
「知らん……では何のためにここへ来られた」
伊庭三尉は当《とう》惑《わく》したようにちょっと眼をとじ、自《じ》嘲《ちよう》 気味な微笑を浮べた。
「漂流者とでも思っていただければ……」
「それは難《なん》儀《ぎ》な」
男の表情にかすかな疑いの影《かげ》が走った。「船はどうなされた」
「今のところ、我々は見《み》棄《す》てられています」
そう答えるより仕方がなかった。
謙《けん》 信《しん》
平《ひら》井《い》士長が気をきかせて運んで来た折たたみ式の椅《い》子《す》に腰かけて、ふたりは詰《つめ》将《しよう》棋《ぎ》のような会話を続けていた。話しの運びひとつで、永久に接点を失ってしまうかも知れぬ会談を、ふたりは根《こん》気《き》よく、望む方向を探りながら話し続けた。
「いま越《えち》後《ご》は……」
と男は情勢を説《と》く。「北に色《いろ》部《べ》氏、南に蘆《あし》名《な》、上《うえ》杉《すぎ》、村《むら》上《かみ》の諸家、そして西には神《じん》保《ぼ》氏とそれを背後で操《あやつ》る朝《あさ》倉《くら》氏にかこまれ、まさに多難の時を過しており申す。わが主君小泉越《えち》後《ごの》守《かみ》は明《めい》主《しゆ》におわすが、いかにせん強敵にかこまれ、いくさに追われ、かつてわが領国であった阿《あ》賀《が》野《の》川より北を色部一族に奪《うば》われても、とり戻すゆとりとてござらぬ有様じゃ。この上お手前がたと事を構えるようなことがあれば、まずこの境川対岸の宮《みや》崎《ざき》砦《とりで》に在る黒《くろ》田《だ》秀《ひで》春《はる》めが、喜び勇んで討《う》って出るに相違ござらぬ」
だからこの問題は穏《おん》便《びん》に処理したいのだと言う。伊庭もその点では異議がなかった。
「期日の点ははっきり申しあげられないが、我々が完全に友軍から見《み》棄《す》てられたのかどうか、まだはっきりしてはいない状態です。また、いつこの状態から自力で脱《だつ》出《しゆつ》できるか……その可能性もないとは言えません。ただ、いずれにせよ、当分の間この地点を離れるわけには行かんのです。一歩でもこれを離れたら、それこそ戻《もど》れるものも戻れなくなってしまう」
「それはむしろ喜ばしいことじゃ。お手前がたがここにいくら長く居られようと、事を構える心配さえなければいっこうに構わぬ。しかし、ここに幾十日もじっとおられるのはご不便ではござらぬか」
「困るのはそれです。我々の物資の中で、いちばん少いのは食《しよく》 糧《りよう》なのです」
「お助け申そう。但し、神《しん》明《めい》にかけてわが敵方にまわらぬよう、お誓い願えるならじゃ」
「それはもう……あなたがたに限らず、川の向うにいる黒田とかいう人の兵士たちとも戦闘はしたくない」
「それは……」
男は苦笑した。「黒田勢は討たれい。秀春めとはいまいくさの最《さい》中《ちゆう》でござるよ」
「ほほう……」
今度は伊庭が苦笑した。境川が越中と越後の境界である以上、ここに紛《ふん》争《そう》が生じることは当然だろうが、この男のいうような戦闘状態になっているとすれば、余《あま》りにものんびりした風景である。男が憤《いきどお》りをこめた表情で説明するところによれば、黒田秀春という人物はもと小泉家の家臣であったらしい。それがひそかに信《しな》濃《の》の上杉家と通じ、主君小泉越後守行長が北《ほく》越《えつ》の色《いろ》部《べ》一族を討ちに出た留《る》守《す》、突如として叛《はん》旗《き》を翻《ひるがえ》し、留守居役の長《なが》尾《お》晴《はる》景《かげ》を殺してしまったのである。晴景はこの男の兄に当り、そのあと春日《 か す が》山《やま》城を追い払われると越中の神保家にはしって、事もあろうにその越後側最前線である宮崎砦の守備に任じられたのだという。どうやら遡《さかのぼ》れば長尾家とも血がつながっている間らしく、それだけに異常な憎《ぞう》悪《お》が両者の間にある。
「弱りましたな」
伊庭はそう言って対岸を見た。「あなたとの間で平和を保つと、あちらさんのお気に召さんというわけだ」
「なるほど、あちらさんがのう……」
伊庭の言い方がおかしいとみえ、男は大口をあけて笑った。
「失礼ですが、もう一度あなたのお名前を」
傍で黙って聞いていた平井士長が、ひどく真剣な表情で言った。
「長尾平三景虎」
男は笑いながら答えた。
「三尉殿、この方はひょっとすると……」
「なんだ陸《りく》士《し》長《ちよう》」
「長尾景虎。ほら……上杉謙《けん》信《しん》では」
伊庭は唖《あ》然《ぜん》として男の顔をみつめた。
戦 闘
伊《い》庭《ば》三尉ら時間異変に遭《あ》って時代を漂流した自衛隊員が辿《たど》り着いたのは、西暦一千五百年代のどこかであるらしかった。長尾景虎と名乗る男は、その年を永《えい》禄《ろく》三年であると言ったが、伊庭や平井の知識では換《かん》算《さん》のしようもなかったし、また仮《か》りに現代人が理解できるような年代に換算したとしても、果《はた》してそれが正確にこの時代と彼らの故郷である時代の年差をあらわすかどうか、はっきりしなかった。
というのは、一直線に同時代を逆行したのではなく、わずかだが様《よう》相《そう》の異る別の次《じ》元《げん》へとびこんでしまったらしいのであった。
伊庭は景虎から、当時の主要な社会情勢を聞かされ、自分たちが異次元に来ていることを確認せざるを得なかった。なぜなら、尾《お》張《わり》桶《おけ》狭《はざ》間《ま》で織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》によって殺される筈《はず》の今《いま》川《がわ》義《よし》元《もと》は、その年の三月に小田原で病死してしまっていたし、第一織田信長や織田家そのものの存在を、この長尾景虎という男は知らないのである。また、東《とう》海《かい》にあって苦労の最中である筈の松平家、つまり徳川家も伊庭が知っている歴史のようには存在していない。ただ、足《あし》利《かが》幕府が崩《ほう》壊《かい》し、戦国騒乱の真っ只《ただ》中《なか》にいることや、後《ご》奈《な》良《ら》、正親《 お お ぎ》町《まち》と続く天皇家の系《けい》譜《ふ》やらは伊庭の知識どおりであるようだ。つまり、重要な歴史の柱になるような部分は同じだが、どこをどの武士が領《りよう》し、誰を誰が倒したかというような細部になると、だいぶ入れ違いがある。もし時というものが、縦《たて》方向と同じように、横方向にも無限の変化を持つ多次元でつらなっているとすれば、この世界は伊庭たちのいた世界と、微妙に、入れ違った物語りを持つ異次元なのである。
とすれば、伊庭たちの歴史では上杉謙信となる筈のこの男は、謙信、つまり長尾景虎という人物が持っていた無限の可能性のひとつを、伊庭たちの世界の同一人物とは異った方向に選んで生きている男なのだろう。
だが、それにしても傑《けつ》物《ぶつ》と見えた。この景虎も、春日山城主小泉行長の部将として、最《もつと》も雲行きの険悪な越中国境の守備をまかされ、そこへ自衛隊という異物が登場するや、きわめて合理的な姿勢を示して見事に難問を処理しようとしているのだ。
「すっかり陽も傾《かたむ》き申した。それでは明朝、さっそく米《べい》噌《そ》のたぐいを運ばせましょう」
「感謝します」
意外なことに、伊庭三尉はその景虎に比して、全く見《み》劣《おと》りがしなかった。多分それは時代の全体像を把《は》握《あく》している者の強味でもあったろうが、どうやら景虎は伊《い》庭《ば》義《よし》明《あき》という男に興味と敬意をおぼえたらしかった。
景虎が立ちあがって行きかけた時、突然川のあたりにただならぬ喚《かん》声《せい》が挙《あが》った。気がついて川を見ると、かなりの人数が川を越えて対岸に向おうとしており、水しぶきをあげていた。
「黒田の物《もの》見《み》でござる」
三列縦隊で控《ひか》えていた男たちが、口ぐちにそう怒《ど》鳴《な》った。伊庭たちには入り混った人影の敵味方を見わけることが出来なかったが、どうやら越中側の斥《せつ》候《こう》四、五名が、川に向って守備についていた景虎の部下に発見され、追われているらしい。川のまん中で二人ほど槍に突かれて沈んだ、必死に逃げのびる残りを、男たちがしゃにむに追いかけている。
と、その時対岸に百ばかりの武者が湧《わ》き出し、旗をあげた。大小三十本余りの旗が、西南の風にあおられて威《い》勢《せい》よく揺れている。その旗の根もとから、いっせいに短い弦《つる》音《おと》が響き、矢が黒い弧《こ》を画いて雨のように境川に降りそそいだ。軽装の越後勢はまたたく間に射すくめられ、あわてて撤《てつ》退《たい》する。
騎馬武者が十騎ほど、水しぶきをあげて川へのり入れた。白《はく》刃《じん》をきらめかし、背を見せた男たちの頭上におそいかかる。
「行けえ……」
景虎は大声で叫び、大刀のつかを押えて走り出した。控えていた一隊が猛《もう》然《ぜん》と川へ向う。対岸からは徒歩の兵士たちも繰《く》り出して来る。
「三対一だぜ」
装甲車の上に首を出した島《しま》田《だ》三曹が言った。「あの大将、やられるかも知れないな」
「そんなことはない。上《うえ》杉《すぎ》謙《けん》信《しん》なんだから」
平井士長は祈るようにつぶやいていた。
やがて鉄と鉄のぶつかりあう音が聞えはじめ、ひづめの音と烈《はげ》しい罵《ば》声《せい》が入り混った。
「三尉殿ッ。敵はどっちですか」
ヘリのすぐ傍にいた隊員が叫んだ。
「撃つな。紛争に介《かい》入《にゆう》してはいかん」
伊庭が声をかぎりに叫んだ。
道を、越後兵が一団となって退《ひ》いて行く。それを川向うから寄せて来た兵が、おしつつむように斬《き》る。
死の叫びが聞えて来る。逃げ切れず、越後兵は次々に崖《がけ》をとび降り、海を背にあとずさって行く。そして、景虎が宿《しゆく》敵《てき》と言った黒《くろ》田《だ》秀《ひで》春《はる》の兵がかさにかかってそれを突く、斬る……。
伊庭の「撃つな」という叫びは、これで何度目だったろうか。彼はのどがひどく乾《かわ》いて、たて続けに生《なま》つばをのみこまねばならなかった。
道からの坂を、景虎がじりじりと後退して来る。一人で四、五人を相手に白刃をふるっている。騎馬武者が二騎、その寄《よせ》手《て》へ割って入り、のしかかるような姿勢で景虎を狙《ねら》いはじめた。景虎は一《いつ》気《き》に走り、二十メートルほど退いてから不意に横へとんだ。そこは岩で、騎馬 襲《しゆう》撃《げき》をかわすには絶好の位置だった。だが、孤立した景虎を見て黒田兵が十五、六名、凄《すご》い殺気を漲《みなぎ》らせて駆け寄って来る。最初の四、五名はすでに岩へ登り、景虎を四方からおしつつんでいる。
「義《よし》明《あき》どの……」
突然景虎はそう呼びかけた。岩の上に仁《に》王《おう》立ちとなり、にっこりと笑っていた。助けを求めたのではない。それはまるで、遊んでいる子供が通りかかった仲間に挨《あい》拶《さつ》をしたような様子であった。邪《じや》気《き》がなく、利害もなく、勝敗さえ越えた男の笑顔であった。
義明……そう名を呼ばれた伊庭三尉は、その思いがけない親しさに感動した。姓ではなく名を呼び合う。そのような仲間を失ってから何年になるだろう。小学校の仲間でさえ、お互《たが》いをすでに姓で呼んでいたのだ。
「景虎、死ぬな」
思わずそう叫んだ。伊庭三尉は64式自動小銃をひっつかむと、米軍式の突撃姿勢で景虎にむらがり寄る黒田兵めがけ、熟《じゆく》練《れん》した短連射を浴《あび》せかけながら前進した。
「ずるいぜ、三尉」
島田三曹はそう怒鳴ると装甲車にもぐりこみ、エンジンを始動させた。乗員の丸《まる》岡《おか》一士が慌《あわ》てて装甲車にとびつき、もぐりこんだ。砲《ほう》塔《とう》が回転し、坂を降りて来る三騎の武士のどまん中に狙《ねら》いをつけると、たのもしい轟《ごう》音《おん》がとどろいた。人馬は呆《あつ》気《け》なく消えた。
地 図
「かたじけない」
夕暮れ迫る海岸で、長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》は伊庭三尉にそう礼を言った。鉄《てつ》条《じよう》 網《もう》の周囲に黒田兵の死体が幾《いく》つも転がっていて、負傷した武士たちが自衛隊員たちの手当を受けていた。
「恐ろしい道具でござるな」
景虎は装甲車のボデーを叩《たた》きながら言った。「何という名でござろうか」
伊《い》庭《ば》は何か言いかけ、困ったように唇《くちびる》を噛《か》んだ。
「そう……戦車、とでも言ったらお判りいただけようか」
「戦車。いくさの車でござるか。いや、これ一つあれば越後のいくさも日ならずして静まろうに」
景虎はしんそこ物欲しげな瞳《ひとみ》でその鉄の塊《かたま》りを眺めた。
「そうかも知れませんな」
「いま一度、あれを射《い》てはもらえまいか」
伊庭はその子供っぽい望みに微笑した。
「どこへ向けて撃ちますかな」
「あれへ」
景虎は川口にある小さな松を指さした。百メートルほどの距離である。
「近すぎます。あの辺りではどうでしょう」
伊庭は対岸に見えるとがった岩を示した。それは暮れはじめた海を背景に、鋭《えい》角《かく》的なシルエットを浮きあがらせていた。
「あれを……」
景虎は呆《あき》れたように言った。
「島田三曹。岸に突き出したあの岩角を砲撃してみてくれ」
「了解。しかし少し近すぎやしませんか」
「何と。あれでもか」
景虎は唸《うな》った。伊庭たちの歴史によれば種《たね》子《が》島《しま》時《とき》堯《たか》が島津貴《たか》久《ひさ》にポルトガル銃を献《けん》上《じよう》したのが天《てん》文《ぶん》十二年。この世界でそれがどうなっているのか判らないが、この武士が鉄砲のテの字も知らないのは確実であった。
ゆっくりと照《しよう》 準《じゆん》をつけ、やがて鋭い轟《ごう》音《おん》と共に対岸の岩は見事にふっ飛ぶ。
景虎は子供のように両手の指を耳の穴につっこんで生つばをのみこみ、指をはなすといやに深刻な表情で言った。
「義明どのをわが陣に迎えたいものじゃ」
伊庭は慌てて手を振った。
「我々の武力は自衛の為のものです。他を侵《おか》すためには使えません」
「左《さ》様《よう》かのう。わが身を守る為に人をあやめるのも、所《しよ》詮《せん》人の命を侵すことになろうと存ずるが……」
「それはそうかも知れません。しかし、私利私欲のために他の生命《 い の ち》を侵すのとは、おのずからわけが違うでしょう」
すると景虎は豪《ごう》傑《けつ》に笑った。
「なる程、流石《 さ す が》に義明殿じゃわい」
そう言って急に真《ま》顔《がお》になり、「景虎感《かん》服《ぷく》つかまつった。われらを悩ます色《いろ》部《べ》、黒田のやつばらはすべてこれ私利私欲。領民を塗《と》炭《たん》の境遇におとしいれ天下を乱し血族の信義に叛《そむ》いていささかも恥ずるところがない。いや、よう言うてくだされた。いずれ義によってたつご心底、しかとうけたまわった。このこと、わが主《あるじ》小《こ》泉《いずみ》 越《えち》後《ごの》守《かみ》にとくとお伝え申す」
澄んだ瞳《ひとみ》に信頼を溢《あふ》れさせる景虎に対して、伊庭はその解釈が行きすぎていると言う機会を失ってしまった。
「ところで、このあと黒田勢は攻撃して来ましょうか。もう我々は中立を保つことに失敗してしまっているので……」
「それはもう、必ず……」
「となると、それに備えねばなりませんな」
「ただ……」
景虎は珍《めずら》しく口ごもった。
「ただ、なんです」
「寄《よせ》手《て》の現われるのはいつの事か。今夜か、明日か、あさってか」
伊庭はこの時代のテンポが少し呑《の》みこめたような気がした。戦闘も、かなりスローテンポで展開するらしい。そしてそれが発生するのは、戦略的なタイミングより、むしろ偶《ぐう》発《はつ》的な〈キッカケ〉に左右されるのだ。従《したが》って景虎のような人物にも正確な見とおしはつけられないのであろう。伊庭はふと、この時代に自分の持っている作戦能力を発《はつ》揮《き》できれば、近代火器が何ひとつなくても勝ち抜いて行けそうな予感を持った。
伊庭は平《ひら》井《い》士長に言って、このあたりの地図を持って来させた。
「我々はいまここにいます。そしてこれが境《さかい》川《がわ》。春日《 か す が》山《やま》はこれです」
薄暗くなりはじめた中で地図を拡げ、いちいちわかりやすく指で示して行くと、景虎は魅《み》せられたようにみつめている。「敵の前線基地はどのあたりでしょうか」
景虎は意味が判らなかったらしく、顔をあげて伊庭をみつめていたが、やがて太い吐《と》息《いき》をもらした。
「山のかたちも川の曲りも、敵地の有様が手にとるようではござらぬか。これではいくさになり申さぬわ」
「一枚差しあげましょう」
「これを儂《わし》にくれると申されるか」
景虎は喜《き》色《しよく》 満《まん》面《めん》となった。
「ええ、ただ、無益な人殺しはしたくないのです。ここからこの間へ……」
と伊庭は国道八号の上を指さし、「この地図にあるよう、道幅をひろげ地ならしをしていただきたい。そうすればこのAPC……いや戦車が、いつどんな時でも敵を蹴《け》散《ち》らしましょうから」
「うん、うん」
景虎は興奮して何度もそう言った。「おう、それではこの川口に砦《とりで》がひとつ増えたようなものじゃわい」
そう叫ぶと立ちあがって対岸を睨《にら》んだ。
「義明殿のお力を借りて、宮《みや》崎《ざき》砦《とりで》の黒田秀春の素《そ》ッ首《くび》を叩《たた》き落せば、上《かみ》郡《ごおり》 一帯はもとのようにしずまるに違いない」
黄 金
景《かげ》虎《とら》は積極的であった。伊《い》庭《ば》義《よし》明《あき》は境川の川岸から親《おや》不知《 し ら ず》の難所へ登りかかる北《ほく》陸《りく》道《どう》の道幅を、装甲車が自由に動きまわれるだけ広くし、整地することを提案したのだったが、その翌朝から武士百姓を問わず、おびただしい人数を繰り出して工事にかかったのである。しかも、その工事に動員された百姓たちの様子は、この命令がいかに自分らの安全を保つ上で必要かつ理に叶《かな》ったものであるかを、いささかの疑いも持たず受けいれているように見えた。景虎の支配がうまく行っている証拠であった。
しかし、その華《はな》々《ばな》しい工事ぶりは、対岸の黒田軍を刺《し》戟《げき》せずにはいられなかった。対岸にも人影が増え、やがて急造ながら、ものものしい棚《たな》と櫓《やぐら》が出現した。
景虎はその陣地構築を見ても動じる様子はなく、
「いくさ車の火《ほ》筒《づつ》が吠《ほ》えれば、あのような砦は瞬《またた》く間に灰になろう」
と部下の武士たちに説明している。いつの間にか女たちが煮《に》たきの道具を持って集り、工事に働く男たちや、鉄条網の中の自衛隊員に炊き出しをはじめている。飯も菜も、両者の間に全《まつた》く区別がないのを見て、伊庭は景虎の神経が案外こまかいのに驚かされた。食《しよく》 糧《りよう》の分配に差をつけぬことが、こうした場合の将の心得であることを、伊庭は自衛隊の幹部教育で知っていた。
「のう、義明殿」
小まめにあちこち指図してまわっていた景虎が、昼近くになると瞳をキラキラさせて伊庭の傍へやって来た。地図を手にしている。
「なんですか」
「このしるしはどういうものをあらわしておりますのじゃ」
景虎の指さした所は、海の向うの佐《さ》渡《ど》であった。伊庭は椅《い》子《す》に腰をおろすと景虎が渡した地図を膝《ひざ》の上にひろげ、うす青色で記されたその部分に眼《め》を向けた。
「あ……」
次の瞬間、伊庭は呆《あき》れたように景虎をみあげた。景虎は何か意味あり気に笑っていた。
「あなたは驚いた人だ」
「儂《わし》は驚いてなどおらんが……」
伊庭はつい口に出た現代語のあいまいさを慚《は》じた。
「いや、驚《きよう》嘆《たん》すべき人物と申しあげたのです」
「これは痛み入る」
「逆におたずねするが、景虎殿の領国、いや小泉氏の領土であるこの越後の経済状態はどうなっていますか」
「経済……」
伊庭はボールペンを出して地図の隅《すみ》の余白に書いて見せた。
「物産、蓄《ちく》積《せき》、商《あきな》いの収支……つまりゆたかさの状態です」
「越後は金穀の国といわれており申すが、今の上杉家は仲々に窮《きゆう》し居る」
景虎は声をひそめ、この男には珍しく照れを見せて言った。
「ということは、戦費のまかないに追われているということですね」
「さよう。ことに御先代の世に阿《あ》賀《が》野《の》川《がわ》からさきの奥《おく》郡《ごおり》が色部一族の手に落ちてより、米倉をひとつもぎとられた有様でのう」
「では、佐渡に黄《こ》金《がね》を産するという話しは聞いておりませんか」
「それは存じており申す。佐渡の西《にし》三《み》川《かわ》村《むら》はいにしえより砂金を産し、近年は国《こ》府《ふ》川《がわ》のいずこかに黄金の山が眠っておるなどと申す噂《うわさ》がひろまり、佐渡の山野を見たてて歩く山師がめっきり増えたそうな。したが、まだその黄金の山を見立てた者はおらぬ様子じゃ」
伊庭はボールペンの尻を押して赤いインクにすると、景虎の地図に赤い丸じるしをつけた。
「その山はここでしょう。十中八九、ここを掘《ほ》れば黄金が出ます。或《ある》いは銀ということもあり得ますが、銀でよければなお間《ま》違《ちが》いのないところ。この鶴《つる》子《し》という所に眠っている筈《はず》です」
「やはり左様か。ゆうべ夜どおしでこの地図を調べ申したが、見れば見るほど越後をくまなくあばいておるので、佐渡のこのしるしは、もしや黄金のありかを示しておるのではなかろうかと存じてな。……それにしても、お手前は驚いた仁《じん》じゃ」
景虎は伊庭の言い方を真《ま》似《ね》て愉快そうに笑った。「地に埋《うも》れている黄金ほど、わがたなごころを指すように示せるとは、まさに鬼《き》神《じん》もよく致《いた》さざるところ……」
「佐渡に人をやれますか」
「おう、やらいでなるものか。山師百人すぐにも掻《か》き集め、黄《こ》金《がね》白《しろ》銀《がね》を掘り出して船の沈む程持ちかえらそう」
「しかし、その為に佐渡に戦争が起りはしませんか」
「佐渡の本《ほん》間《ま》氏は名家じゃ。したが、いかに頼《より》朝《とも》公以来の名家といえども、今は軒《のき》かたむき家《け》人《にん》の数も百に足《た》り申さぬ。黄金が出れば小泉家いちにんの栄えにあらず、余《よ》恵《けい》は必ず本間家をうるおすのであれば、我らにさからって血を見るは愚《おろ》かな仕《し》儀《ぎ》。老いたりとは言え本間家には、まだそのような利の見えぬ者は居らぬ筈じゃ……が、万一本間家が楯《たて》つけば、越後一国の安《あん》泰《たい》にかけても、ひともみにもみつぶすまでよ」
景虎は北の海をみつめてそう喚《わめ》いた。その根太く猛《たけ》だけしい論理に、伊庭は首をすくめる思いがした。
この男の脳《のう》裏《り》に画かれている祖国とは、境川から鼠《ねずみ》ケ関《せき》に至る越後一国、つまり新《にい》潟《がた》県一県なのであろう。出《で》羽《わ》、陸《みち》奥《のく》、下《しも》野《つけ》、上《こう》野《ずけ》、信《しな》濃《の》、飛《ひ》騨《だ》、越中、加賀、能登そして越前、美《み》濃《の》……それらの諸国はすべて外国であり、みずからとは血の通わぬアカの他人なのである。これだけの傑《けつ》物《ぶつ》にこれ程せまい世界観を与え、昭和にあれば凡《ぼん》愚《ぐ》に属する自分にこれ程広大な世界を把《は》握《あく》させている歴史の積み重ねに、伊庭は何かしら慄《りつ》然《ぜん》とするものを感じた。
その時遥《はる》か海上から爆《ばく》音《おん》が聞えて来て、ふたりの会話を中断させた。
「や、お手前がたの迎えが参られたのか」
景虎はひどくうろたえて言った。近寄っているのはきのう富《と》山《やま》へ行くと言って出発した哨《しよう》戒《かい》艇《てい》であった。
「残念ながら、あれも我々と同じ漂流者ですよ」
伊庭は憮《ぶ》然《ぜん》として言った。
「それにしても疾《はや》い。水の上を馬よりも速く駆《か》けて来る。見られい、あの勇ましい跳《は》ねようを」
哨戒艇は景虎の言うように、荒波の上をとび跳ねながらやって来る。「いかなる水軍もあの速さには敗けようて。これはこれは」
景虎は軍事的見地から見ているのである。
意 見
海上自衛隊の哨戒艇は、桟《さん》橋《ばし》のなくなった岩場へ接岸した。乗っていた三人の男たちは、あたりに異装の時代人たちがいるのを見ても、さして驚いた様子を示さなかった。
「居てくれましたか。全くかえりは生きた心持ちがしませんでしたよ」
くちぐちにそう言って、しんからほっとした態度でみんなの手を握ってあるく。
「君たちはどこまで行ったんだ」
「どこだか見当もつきません。港という港はちっぽけで、それにまるっきり様子が変ってしまっているんです。知っている場所か、友《ゆう》軍《ぐん》に出会うまでと思って行ける所まで行ったんですがそのうち日が暮れてしまって……。夜があけて陸を見ると、やっと様子がのみこめたというわけです。三尉殿のおっしゃる意味がはっきり掴《つか》めたんです。我々は本当に時代をとびこえ、ひどい昔に戻ってしまったんですね。燃料がギリギリになって、やっとの思いでここまで辿《たど》りついたんですが、もしここがもとの時代へ戻《もど》っていたらと思うと、気が気ではありませんでした」
ぞろぞろと隊員たちが岩場のはずれへ集って来たので、伊《い》庭《ば》は急に思いついたように積みあげた弾薬箱の上へ登った。
「事情はもうみんな充分に理解できたと思う」
そう言って眺めまわす。「まだ帰る望みがないわけではない。しかし、率《そつ》直《ちよく》に言って帰れるかどうか、明言できない。地震には余震という揺《ゆ》り戻しがあるし、自然界には我々の理解をこえた復元力があるのもたしかだ。だが時間について、我々は一日を二十四等分すること以外、何も知らないと言っていい。時空連続体を支配する物理的な法則が、今の我々の期待にそう動きをしてくれるかどうか、まるで判《わか》らない。ということは、我々が永久にこの世界の人間として存在してしまうかも知れんということだ。俺《おれ》自身の見解を言えば非常に悲観的である」
「どういう理由でですか」
哨戒艇の三曹が挙《きよ》手《しゆ》をしてから発言した。
「俺はこう考える。もし我々をここへ運んだ時間異変が、自然界の復元力で我々を帰《き》還《かん》させるとしたら、それは非常に短い時間に起される筈だと思うからだ。その理由は、我々が異る時代の、しかも我々がそのあらましを知っている過去に介入するゆとりを与えるはずはないと信じるからだ。ところが、我々はすでに過去に介入せざるを得ない状況に置かれたではないか。おろかな事であるが、俺はたった今その事に気づいた」
「それは少し間違いではないでしょうか」
県《あがた》一士が眼鏡《 め が ね》を光らせて言った。
「言ってみろ。これは全員対等の意見交換である」
「言います」
県は最前列へ進み出て言った。「自然界が我々に過去への介入をさせないなら、かりに介入されても最小限度内にとどめるのではありませんか。さもなければ、時間は我々をここへ漂流させ、放置したため、大きな傷を負うことになります。歴史が我々の為に狂《くる》うからです」
「たしかにそういう観点もある。俺も県の意見に従いたい。しかし、これは感覚的な問題で筋は通らんかもしれんけれど、何か帰れないという予感があるのだ」
「不《ふ》吉《きつ》な予感はたしかにみんなが持っているようです。でもそれは異常な体験をしたからではないでしょうか。我々は時という巨大な力から、すでに時代への介入を許されてしまいました。しかし時間はこの自然界の何ものにもまして、強い復元力を持っているのではないでしょうか。その復元力が発動される程、まだ我々の与えた傷は大きくないのかも知れません」
「すると県は我々が更《さら》に大きな介入をすれば、時間は我々を帰還させるかも知れんというのだな」
装甲車の島《しま》田《だ》三曹が手を挙げた。
「島田三曹発言します」
「よし」
伊庭は意外そうに言った。
「時間かどうか知らないが、俺は運命だと思うんだ」
島田は太い声でひどく平《へい》易《い》な言い方をした。発言の時の規則に合った言い方と、意見を述べはじめる時の仲間言葉に、彼の古《こ》参《さん》隊員ぶりがあらわれていた。「舟の人たちは知らないだろうが、俺たちは川向うのサムライたちとひと戦争やってしまった。悪い気分じゃなかったぜ。考えてもみろよ、弓矢と槍《やり》の世界へこんだけの道具を揃《そろ》えてのりこんだんだ。誰に遠慮も気がねもなく、ブッ放《ぱな》してなぎ倒して、やりようによっちゃあ日本を征《せい》服《ふく》することだってできるんだ。男と生れてこの世界が気に入らねえ法はない。おまけにここは戦国時代だって言うじゃねえか。学校で習ったが、百姓もお公《く》家《げ》さんも、この時代の連中は戦争つづきで困ってるんだ。日本を誰かがひとつにまとめてくれなきゃ困る時代なんだ。やろうじゃねえかよ。昭和の日本人を守るのも、この時代の日本を守るのも同じこったぜ」
弾薬箱の上で伊《い》庭《ば》は苦笑していた。景虎は遠慮したのか道路工事の現場へ戻《もど》っている。
「とにかく、俺たちはどっちにしてもこの時代に介入せざるを得ないのだ。たしかにかなりの量の携《けい》帯《たい》口《こう》糧《りよう》があるが、それも限りがある。ここの領主の長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》氏《うじ》の援助を仰《あお》がねばとてもやって行けんし、万一の帰還に備えて当分の間はここを離れるわけにも行かん。とすれば、この岩場で自給自足の生活もしようがないわけだ」
「三尉殿におまかせします」
哨戒艇の三人が口を揃《そろ》えて言った。余《よ》程《ほど》心細い思いをしたのだろう。議論を重ねて結論を出しているらしい。
出 撃
「談《だん》合《ごう》はすみましたかな……」
景虎が男性的な顔をほころばせながら戻って来て伊庭に言った。
「大した結論も出ませんでしたが、どうやら隊の規律をここへ来る以前の状態に保つことでまとまりました」
「そうでなくてはかなわん」
景虎は真《ま》面《じ》目《め》な表情で言った。「お手前がたのしきたりはどうもよく呑《の》みこめぬが、少し将《しよう》と士のけじめがゆるすぎるのではござるまいか」
伊庭は大声で笑った。
「どうもそのようですな。景虎殿などから見れば烏《う》合《ごう》の衆に見えましょう」
景虎はあいまいな微笑でそれにこたえる。
「ところで、諜《ちよう》者《じや》のしらせではどうやら黒田めが大軍を動かす気《け》配《はい》じゃ」
「決戦を挑《いど》む気ですか」
「さあて、そこまでは読めぬが、宮崎砦《とりで》の先《さ》きざきにある松《まつ》倉《くら》、滑《なめり》川《かわ》、新《しん》庄《じよう》、富山など神《じん》保《ぼ》家、椎《しい》名《な》家の諸城が合戦の仕《し》度《たく》にいそがしいとか。神保、推名の両家は古くよりわが越後の敵……黒田秀春めがうまくたきつけて大軍をさそったのかも知れぬて」
伊庭は自分の地図をひろげた。
「黒部、富山……なるほど、この間にある兵力が一《いつ》斉《せい》にこちらへ向うとなると、これはちょっとした戦いになりますな」
「さよう。ちょっとした……」
景虎は伊庭の言い方を小《こ》気《き》味《み》よさそうに真《ま》似《ね》た。
「数は……」
「一万に足《た》るまいと存ずる。七千か、七千五百」
伊庭は唸《うな》った。
「どのくらいの日数でここへ達しますか」
「七千が動くには三日は要《い》り申そう」
運動性の悪い軍事だ、と伊庭は心の中でつぶやいた。
「それではこの川を取って置きましょう」
「何と申される」
「境《さかい》川《がわ》を我々の防《ふせ》ぎに用いましょう」
景虎は理解に苦しんでいるようであった。
「境川を……」
「川の向うはどうなっておりますか」
「川向うは境《さかい》という名の土地でござる。百姓の家が二軒。こちら側よりは心持ちゆるやかな土地で、街道のほかは林と畑ばかり」
「それではあなたの兵をまとめてください。川の向う岸一帯に陣《じん》地《ち》を築《きず》き、越中勢が来た時の第一の備《そな》えにします。川に防備をして第一の備えが破られた時の第二の備えとしましょう。そして川を渡ったらこちら側が第三の防衛線……」
景虎はポカンと口をあけて伊庭を見た。天然の防衛拠《きよ》点《てん》の前方には、必ずそれを守る陣地を構築するという軍事思想の初歩が、この時代の武将には天才的なひらめきに思えるらしい。
「敵地に踏み込んで守りを堅める……これはよい学問をいたした」
景虎は素《す》直《なお》に顔をさげたが、伊庭は装《そう》甲《こう》車《しや》の車長である島田の性格を勘《かん》定《じよう》にいれたにすぎない。
景虎たちは黒田の土地に乗りこんで戦うことがまず大仕事なのだが、伊庭はそんな敵は数にも入れていない。
「いつ討って出るおつもりか」
「いまです」
それは……と言いかけた景虎は、急に表情を変え、凄《すご》味《み》のある笑顔になるとくるりと踵《きびす》をかえして駆け出した。道へ出ると大声で怒鳴る。工事人夫たちがたちまち武装兵に姿をかえ、およそ百五十人ほどの部隊が隊《たい》伍《ご》を整えた。
「島田三曹。装《A》甲《P》車《C》出動準備」
はいっ、と威勢よく答えた島田は、丸《まる》岡《おか》一士と共に車内へ姿を消す。
「木《き》村《むら》士長。普通科隊を整列させろ」
装具の音がして、十名の歩兵がAPCの横に並ぶ。
「境川を渡《と》河《か》し、前方敵陣を破壊して越後兵の活動を掩《えん》護《ご》せよ。目的は橋《きよう》頭《とう》堡《ほ》確保、及び友軍防衛前線の構築」
装甲車が唸《うな》り、十名の兵士がそれにとびのった。
「出発」
伊庭は装甲車の前をゆっくり歩いて進み、戦国時代の北陸道へ出ると、右手を振って装甲車を右折させた。装甲車はいま、その本来の目的の為にゆっくりと前進しはじめた。
「景虎殿。兵があの車より前へ出ぬよう指示してください」
「心得た」
長尾景虎は自軍の兵に向って大声をあげた。それを聞きながら、伊庭の胸にふと、岩場を離れる不安がかすめた。しかし、それを恐れてこのまま孤児の立場になるよりは、この時代に参加するたしかさのほうが、はるかに自分を幸福にすると思った。
空 襲
越《えつ》中《ちゆう》黒《くろ》田《だ》勢の矢が届くはるか手前で、島田三曹の砲が火を噴《ふ》いた。ざぶざぶと川の水を押しわけながら、装甲車の砲は二度三度と轟《ごう》音《おん》を発し、木造の櫓《やぐら》や棚《たな》が呆《あつ》気《け》なく飛《ひ》散《さん》した。ことに六、七名の兵が登っていた櫓は、その基部に直撃弾を受け、一瞬の内に跡かたもなくなった。
だが、黒田の兵も勇敢であった。恐らくは百パーセントの死を知っているに違いないのに、それでも獣《けもの》のようなおめきをあげて突進して来る。装甲車の兵たちがかなり怯《おび》えているのが、岸に立った伊庭にはよく判った。
しかし彼らの銃火は問題にならぬ程素早かった。突出して来る黒田兵はみな呆気なく射《う》ち抜かれ、水《みず》際《ぎわ》に死体をさらした。島《しま》田《だ》は心得たもので、岸へ一気に車をのりあげさせると、傾斜が終って平《へい》坦《たん》になりはじめるあたりで急に車の向きを変え、敵に対して横《よこ》腹《ばら》をみせた。相手が何の火力もないのを知り抜いている芸当である。兵士はいっせいにとび降りてその蔭《かげ》へはいる。
軽いが音だけは派手な装甲車の砲が連続的に火を噴き、驚いたことに機《き》銃《じゆう》の音までが聞えはじめた。丸《まる》岡《おか》と島田がこの時とばかり撃ちまくっているのだ。
肩をつつく者がいるのでふり向くと、若い一士がトランシーバーを持って立っていた。
「敵は農家を楯《たて》にしています。どうしますか」
島田の声が箱の中から聞えて来る。
「農家は焼くな。まわりこんで掃《そう》射《しや》しろ」
伊庭が命ずると、装甲車はゆっくり方向をかえて、前進をはじめる。とっくに矢の音は消えていて、兵士たちは車のかげから思い思いの方向へ走り出て行く。伊庭は景《かげ》虎《とら》に向って手をふった。
ウワーッという歓声をあげ、長尾勢が川を渡りはじめる。総毛だつような白刃の光りが、しばらくの間川を埋めた。
「こいつはすげえチャンバラだ」
トランシーバーの中で島田の浮きうきした声が聞えた。いつの間にか六、七人の隊員が伊庭のまわりに集り、銃を構えて対岸を見守っている。
自分を護《まも》ってくれている……という嬉《うれ》しさより、伊庭は岩場を離れて来た男たちの態度に感激していた。もとの時代に戻れるかも知れぬ岩場を離れるのは、伊庭自身にしても勇気の要《い》ることであったからだ。
「景虎さんたちが敵を追いまわしています。もう斬《き》り合いは何か所も残ってはいません。逃げ出す奴らを追ってどんどん遠くへ行きます。こんなショートレンジの戦闘じゃ、まるで射てやしません」
伊庭は島田の報告を的確だと思った。刀《とう》槍《そう》の戦闘ではすぐ格闘になりかねない。次の機会には彼《ひ》我《が》の距《きよ》離《り》を充分にとって置かないと、何の為の近代火器か判らないことになる。
「義明殿か……」
突然トランシーバーに景虎の声が入った。
「伊庭です。どうぞ」
「聞えるかのう」
景虎が傍の者に訊《たず》ねているらしい。
「聞えます。話してください」
「おお、聞えたぞ」
「景虎殿、どうぞ」
「どうじゃろう、このまま宮崎砦《とりで》を陥《おと》すわけには行くまいか」
伊庭は即《そく》座《ざ》に答えた。
「砦を焼くのはわけもありません、だが一度戻っていただきたい。景虎殿だけでよろしいから……」
「おお、そうか」
それっきり通信がとだえ、やがて対岸の斜面を長尾景虎が一人で駆けおりて来て川に入った。
「どうすればよいのか」
景虎はニヤニヤしながら言った。
「こちらへ」
伊庭は景虎と並んで岩場へ戻りはじめた。
「どんな策が義明殿にあるか、もうそれだけが楽しみで駆けて参ったわ」
景虎は少し息を弾《はず》ませて言う。
「砦を焼きに参りましょう」
「あの砦は堅《けん》固《ご》に出来ておる」
「しかし所《しよ》詮《せん》木造でしょう」
「左《さ》様《よう》。造りはすべて木じゃが……」
「では簡単です。ふたりで焼いてしまいましょう」
「ふたり……儂《わし》とお手前でか」
景虎は足をとめて言った。
「清水一曹にヘリの準備をさせろ。敵の砦を焼くからな」
平井士長はちょっと羨《うらや》ましそうな顔で伊庭をみつめ、すぐに走り去った。
「景虎殿は舟に酔われるタチでしょうか」
「いや。舟酔いはせぬ」
「それでは安心です。砦を焼いて、ついでに敵の様子を空から眺めて来ましょう」
景虎はギクリと立ちどまった。
「空……」
「飛ぶのですよ」
伊庭は悪《いた》戯《ずら》っぽく笑った。うむ……と唸《うな》る景虎の背を軽く叩き、
「景虎殿ほどの人が、空のひとつやふたつ飛ぶぐらい、なんのことですか」
とからかう。
「恐れ入り申す。なんと義明殿の豪《ごう》気《き》な言われようよ。空のひとつやふたつとはのう。これはもう、わが殿にお聞かせ申さいでは」
景虎は心底からそう思ったようであった。
清水一曹はすでにヘリを始動させ、平井士長が木箱をふたつかつぎ込んで、ヘリの中で蓋《ふた》をこじあけていた。
景虎と伊庭が乗り込むと、平井は降りる気配も見せず、景気よく扉《とびら》を閉《と》じ、伊庭に向ってニヤリとしてみせた。
第三章
犯 罪
宮崎砦を失った黒田秀春は、わずかの手勢をまとめて更に西の松《まつ》倉《くら》城《じよう》に逃げこみ、その報告が越中勢の攻撃をためらわせた。
時を稼《かせ》いだ長尾側は春日山の主力を導入し、気合の入った突《とつ》貫《かん》工事で境川に架《か》橋《きよう》すると、一挙に黒《くろ》部《べ》川《がわ》までの道を整備した。つまり最前線を黒部川東岸に展開し、自衛隊の協力で兵《へい》站《たん》線《せん》を確保したのである。
隊のトラックは全部で十七輛《りよう》あった。約五千の越中侵攻軍が必要とする物資を運ぶには、それでもたっぷりとゆとりを残していた。物資、兵員を満載した大型軍用トラックが、戦国時代の北陸道を行きかい、神《じん》保《ぼ》、椎《しい》名《な》連合軍に対策をたてる間も与えず、強力な前線を展開させた。
しかも伊庭はその前線に対し、景虎を通じて地域防《ぼう》御《ぎよ》に徹《てつ》することを求め、各陣地に隊員を一名ずつ配して、入《にゆう》念《ねん》な火線を構成した。一方境川西岸はあらゆる樹木を焼き払い、一帯に土を露《ろ》出《しゆつ》させて遮《しや》蔽《へい》物《ぶつ》をなくし、越後側に数基の櫓《やぐら》を組んで探《たん》照《しよう》灯《とう》をのせた。これで夜襲も不可能になる。
同じように黒部川の川岸も奇《き》麗《れい》さっぱり邪《じや》魔《ま》なものをとり去り、その陣地の中央に島田三曹の装甲車が、まるで魔王のように居すわっていた。
越後に神兵が降《くだ》った。……それは単なる噂にすぎないが、あまりにも圧倒的な機械力は、近《きん》隣《りん》の人々に神兵の噂を信じこませたようであった。
「空から襲われたのでは守るすべがない」
高岡城の大 評《ひよう》 定《じよう》でそういう意見が大勢を占めたという話がつたわって来る。
しかし、予想に反して越中軍は動いた。それは絶望的な行動とも言えた。愚かにも黒部川西岸に集結して対《たい》峙《じ》の姿勢をとった越中軍の只《ただ》中《なか》へ、島田三曹の砲火が襲いかかり、上空にV107ジェットヘリコプターが飛来すると、それだけで越中軍は潰《かい》走《そう》しはじめた。
ヘリには景虎の部将栗《くり》林《ばやし》孫《まご》市《いち》が搭乗し、仇《きゆう》敵《てき》黒田秀春の陣を発見すると、清水一曹が執《しつ》拗《よう》に追いまくり、遂《つい》に渡《と》河《か》して出た長尾方の雑《ぞう》兵《ひよう》にとりかこまれ、自《じ》刃《じん》するいとまもなく首を挙《あ》げられてしまった。
やがて神保宗《むね》忠《ただ》の使者が和を乞《こ》いに黒部川へ至り、小泉越後守行長は伊庭の提案どおり黒部川と境川の間を非武装地帯にすることで越中掃《そう》討《とう》を思いとどまった。同時に各河川の架橋と海岸ぞい北陸道の拡張整備が神保、椎名両家の義務とされ、伊庭の自衛隊戦略構想の一部が実現した。
景虎はいったん兵を引いたのち、伊庭の命名による非武装地区巡察隊を組織し、トランシーバー一個を備えて定期的なパトロールを開始した。
春日《 か す が》山《やま》以西の地に久しぶりの平和がおとずれ、長尾景虎は勝《かつ》山《やま》城《じよう》を部下の栗林孫市にゆだねると、小泉越後守の命令で中部の栖《す》吉《よし》城へ移って行った。
しかし、自衛隊は動かなかった。境川川口の岩場を離れることは、彼らが完全に故郷とのつながりを棄《す》てることである。伊庭をはじめ三十名の隊員は、日一日と帰還の望みから遠のきながらも、そのつながりをたち切ることが出来ないのである。
土地の農婦たちに交《こう》替《たい》でかしずかれながら、隊員たちの間に沈《ちん》滞《たい》した空気がひろまって行く。
夏が過ぎ、山のあちこちに柿《かき》の赤い実が見えるようになると、若い隊員たちは大きな焚《たき》火《び》を意味もなく燃やすようになり、その火をかこんでいつまでも故郷の話に花を咲かせていた。
「いったい、いつまでこうやって……」
誰もかれもがふたこと目にはそう言った。やがて秋が終り、北陸の海が荒れはじめると、まず物資と車《しや》輛《りよう》を納める建物が要求され、少し離れた市《いち》振《ぶり》の海岸近くにそれが建てられた。そして最初の雪がちらつく頃《ころ》には、全隊員が同じ場所に新築された宿舎に籠《こも》っていた。陰《いん》鬱《うつ》な北陸の冬が、若者たちの心をいっそう暗くとざした。
「佐渡に金が出た」
その報《し》らせは丁《ちよう》度《ど》そんな頃届いた。律《りち》義《ぎ》な長尾景虎は、わざわざ最初の金《きん》塊《かい》を伊庭の宿舎に届けて寄越したのである。金塊は約四キロもあった。
金塊をとりかこんでひと騒ぎあった後、伊庭はじっとその前で考えこんでいた。
「時間は俺に何をさせようというのだろう」
伊庭が低くつぶやく。「この時代が俺たちの時代と微妙に違っているのは、何か意味があるのだろうか。俺たちがどんどんその違いの幅を広げてしまうことを、時はなぜ許して置くのだ。これはたしかに罪だ。俺たちはこの時代に呼吸しているだけで罪を犯しているのだ」
波の音が次《し》第《だい》に烈《はげ》しくなっていた。
時の神
伊《い》庭《ば》に呼ばれた栗林孫市が、勝山城から馬でやって来て、宿舎の前で大げさに怒鳴った。
「栗林孫市、お召しにより参上つかまつった」
珍しくよく晴れた日で、その時すでに伊庭は宿舎の裏の海岸にいた。竹《たけ》吉《よし》という若い下《げ》僕《ぼく》に案内されてやって来た栗林孫市を見ると、伊庭は黙って手まねきをした。
和服であった。他の隊員同様、すっかり髪が伸び、どうやらこの時代の風俗に馴《な》染《じ》みはじめていた。
「まかり越しました」
栗林孫市はそう言うと片《かた》膝《ひざ》をついた。
「よい。ここへ参れ」
いつの間にかそういう言葉が身についていた。昭和の日本語では通じない所が多すぎるのである。
孫市は幾分堅くなって近寄る。
「あの岩場へ、どんな嵐《あらし》にも、どんな波にも耐《た》える建物が欲しい。人は住めずともよい。石を積んでしっかりと建てて欲しい」
「どのような建物でございましょうか」
「そうさな、たとえば社《やしろ》……いや祠《ほこら》でもよい」
「何様をまつるのでござろうか」
「まつるものか。そうか、やはり神がいるのだな」
「社のたぐいとあれば……」
「ならばそのほうの知らぬ神よ」
「ほう……して神の名は」
「時じゃ」
「《とき》。ときの神でござるか」
「さほど大きいものは要らぬ。ただ、我らがはじめに陣をしいたあたりの中央に建てよ」
「心得ましてござる」
栗林孫市はあっさり一礼すると退いて行った。実直で、命令に対しては何より拙《せつ》速《そく》を尊ぶ実戦派の武士であった。
「竹。儂《わし》はあそこに祠をたてるぞ」
伊庭は下僕の竹吉にというよりは、むしろ自分自身を確認するように言った。
「ご決心あそばされましたな」
明るい声であったが、伊庭は思わずドキリとして竹吉を見た。
「どういうことだ。言え」
「恐《おそ》れながら、伊庭さまがたをお運び申しあげたのは時の神とうけたまわっております」
「それで……」
「あの海辺をお離《はな》れ遊ばされなかったは、時の神の舟をお待ちであったと推察いたしました」
「うん」
伊庭はじっと竹吉の顔をみつめていた。
「いま時の神の祠をお命じになりましたは、神をまつるにあらずして、時の神のお迎えをお見限り遊ばしたもの……」
「よく見た」
「皆さまのおそば近くに御《ご》奉《ほう》公《こう》いたしますれば、解《と》けぬが不思議。伊庭さまはじめ皆さまは何ひとつおかくしになりませぬ。私めはさような皆さまをお慕《した》い申しあげております」
「そういうものかな」
「はい」
「しかし迎えがないものと見限ったものでもないぞ。祠を建てるは迎えのあることを忘れておらぬ証拠じゃ。あれに祠があれば、時の神の迎えが参ったとき、我らが居らずとも必ず祠を持ち帰るのじゃ。祠が消えたとき、儂ははじめて彼方《 か な た》へ帰れぬと承知するであろう」
「したが、消えましょうか」
「さてな。なろうなら、消えた跡《あと》をこの目では見たくないものじゃ」
それは伊庭の本音であった。二度と帰れぬとは知りながら、二度目のタイムスリップにとり残されるのだけは我慢しかねるのだ。
「美しい世でございますそうな」
竹吉は昭和を美化した話しか聞かされていないらしかった。
伝 令
月夜であった。うっすらと雪のつもった道を一騎が西へと駆けに駆けている。危険な北陸道を疾《しつ》駆《く》する馬の背にしがみついている武士は直《なお》江《え》文《ぶん》吾《ご》という小泉軍団の青年将校であった。
その直江文吾という若武者が、市《いち》振《ぶり》の伊庭館《やかた》へ着いた時、耳《みみ》聡《ざと》く馬《ば》蹄《てい》の響きを聞きつけた竹吉は、手《て》燭《しよく》をともして玄関口に立っていた。
「伊《い》庭《ば》義《よし》明《あき》殿に春日《 か す が》山《やま》城《じよう》よりの使者でござる」
直江文吾は息を切らせて苦しそうに言った。
「お呼び申します。まずはこれを」
竹吉は手燭をそこへ置き、手早く用意した白《さ》湯《ゆ》の入った椀《わん》を差し出した。
「かたじけない」
そう言う直江文吾に一礼して竹吉は奥へ消えた。
すぐに伊庭が現われる。
「お使者ご苦労。して越《えち》後《ごの》守《かみ》殿のお言葉は」
「これに長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》様のご書状がござる」
一度開封してたたみなおした封《ふう》書《しよ》をひらくと、景虎の筆跡があった。
伊庭は竹吉のさし出すあかりでそれを読み、ニヤリと笑った。
島田、平井、木村と言った連中が伊庭のうしろへ集って来ている。
「色《いろ》部《べ》一族が佐渡へ侵攻しようとしている。景虎殿の情報によれば、彼らの渡海は明後日の模様だ。とうとう俺たちの金が戦争を誘《ゆう》発《はつ》してしまったようだな。仕方がない。今度は海でひと暴れするか」
「まだそれ程雪は積っていませんから、トラックで燃料を陸送しましょう」
元第一師団輸送部隊の平井士長が言った。
「よし。兵員五名を連れ、陸送してくれ」
「どこに集積しますか」
「新《にい》潟《がた》港《こう》だ」
「しかし海がだいぶあれています。万一哨戒艇が回送中に事故でも起すと困りますな」
艇長の三田村三曹が言った。
「よし。ではすぐに艇庫から出せ。清水一曹は必要な人数を集めヘリの準備にかかれ。吊下げ《スリリング》でやる」
三田村三曹が口笛を吹いた。
「こいつは派手なことになりやがった」
「残りはすぐ作戦会議だ」
退屈し切っていた男たちは、ドヤドヤと奥へ駆けこんで行く。
「お手前、名は何と言われる」
伊庭は一人残って使者に訊《たず》ねた。
「直江文吾」
「この書状はいったん越後守殿がごろうじたようじゃが」
「いかにも。殿は景虎様の文《ふみ》をごらん遊ばし、すぐ拙者にこの館《やかた》へ伝えよと申されました」
「して、越後守殿のお考えは」
「申されませぬ。ただ、すべて伊庭義明殿のご下《げ》知《じ》を待とうとのみ……」
「聞き洩《も》らしたのではないか」
「いや、しかとさように」
「よし。大《たい》儀《ぎ》であった。竹吉、この者に例のものを振《ふる》舞《も》うてつかわせ」
「直江さま、ではこちらへ……」
竹吉はすでに直江の馬の轡《くつわ》をとり、館の横手へ案内する。遠くで発電機が唸《うな》りはじめ、やがてそこここにまばゆい文明の灯《ひ》がともった。自衛隊の携帯口糧は越後の武士の間に天下の珍味として珍《ちん》重《ちよう》されている。直江文吾は今夜、それを一包みまるごと手に入れることになるのである。
「すりりんぐ、とはどのようなことでござろうか」
若武者は竹吉に遠慮がちに訊《たず》ねた。
「鉄の鳥に舟を吊《つ》りさげて運びまする」
竹吉は澄《す》ました顔で言ってのけた。
伏 線
その朝、海ぞいに住む越《えち》後《ご》人たちは世にも珍しい光景を見た。
まず明け方早く、ドラム罐《かん》を積んだ軍用トラックが北陸道を駆け抜け、その重い地ひびきに叩《たた》き起こされたあと、登りはじめた朝日の中を、恐ろしい爆音を轟《とどろ》かせて、ジェットヘリコプターがゆっくりと海上に飛《ひ》来《らい》した。
しかもその腹の下には、鋭い線を持つ鉄舟がぶらさがっていたのである。
竹吉が表現したように、それはまさに鉄の鳥が舟を運ぶの図であった。道や浜にとび出した人々は、
「伊《い》庭《ば》館《やかた》の鉄の鳥が行く」
「伊庭さまのご出陣じゃ」
と、まるで神を仰ぐように口々に叫びかわし、地に伏《ふ》して念仏をとなえる者さえ少くなかった。そしてこれはまた、どういうつもりであろうか。
そのあとからカーキ色のトラックが紅白の布を引きまわし、神官の装束をつけた竹吉をのせて、ゆっくりと登場した。
「おん敵退《たい》散《さん》、お味方勝利、おん敵退散、お味方勝利……」
竹吉は甲《かん》高《だか》い声をはりあげてそう言い、白木の三《さん》方《ぼう》にのせた銭を、人々の間に投げ与えながら進んで行った。
「おん敵退散、お味方勝利」
銭を争って拾う民衆の間に、いつとはなしにその言葉が合唱されていた。そしてトラックを追いかける童《わらわ》らの間では、それがいつの間にか、
「おん敵退散、伊庭さま勝利」
という声に変化していた。
その声は、紅白のトラックが遠くへ去ったあとも村々に残り、まるで勝ちいくさのあとの祭りのような騒ぎであった。まして、伊庭たちの今日の出動が、今や越後繁《はん》栄《えい》の鍵《かぎ》ともなった佐渡の金山、銀山を守るためと知らされてからは、いっそう熱狂的になって行くのだった。
春日《 か す が》山《やま》城《じよう》では、領民たちのそうした熱狂ぶりを戦いに勝つ兆《きざし》と観《み》て、天守の大太鼓を打ち鳴らさせ、騒ぎを煽《あお》りに煽った。
舟をだいた鉄の鳥がまい降りた新《にい》潟《がた》の海岸では、その騒ぎはとりわけすさまじかった。民衆はありとあらゆる旗や幟《のぼり》を持ち出し、鉦《かね》、太鼓を打ち鳴らして海岸を踊り狂った。竹吉はとうとう図にのって平《ひら》井《い》士長から携帯用の拡声器を借り、
「おん敵退散、伊庭さま勝利」
と、はるか対岸の浦原津にまで届くほど喚《わめ》き抜いた。
「どうでもいいけどこの騒ぎは……」
さすがの島《しま》田《だ》三曹も辟《へき》易《えき》気味で言った。
「クーデターの伏線にしては安いもんさ」
伊庭は竹吉がばら撒《ま》く銭つぶてを見やりながら、ひどく陰気で、そのくせ自信たっぷりな言い方をした。
「小泉という殿様も、俺たちにたくらまれちゃ気の毒なものですな」
木村士長は浮きうきしているように見えた。
「これで今日か明日の海戦に俺たちが勝てば、あの連中だって殿様の権《けん》威《い》を少しは考え直さなければならんだろうぜ」
平井が木村に向って言っている。
「呆《あき》れたもんさ。一国の頭に立とうという奴《やつ》が、戦争の仕方をアカの他人の居《い》候《そうろう》にまかせるんだからな。一所懸命越後の国を守っていたのは、小泉の殿様じゃなくって長尾の虎さんだったのさ。隊長はその虎さんに政権を渡してやりたいのだよ。俺だってあの虎さんには惚《ほれ》々《ぼれ》させられてるんだ。長尾景虎をこの辺で上杉謙信にしてやりたいぜ、まったく」
その景虎はいま、栖《す》吉《よし》の城にあって北へ勢力を伸ばして来た関東管領家の上杉勢力を圧《おさ》えることに腐《ふ》心《しん》している最中であった。
徴《ちよう》発《はつ》された漁船に石ころが積みこまれ、長いロープで哨《しよう》戒《かい》艇《てい》とつながるところであった。
海 戦
信《しな》濃《の》川《がわ》の川口に突き出た新潟の浜のまむかい、沼《ぬつ》垂《たり》のあたりに狼火《 の ろ し》が見えたのは、それから二日後の昼前であった。
四門の機銃をのせ、ゆっくり川口を出た哨戒艇は、進路をいったん北にとり、次に大きく東へ折れて色部軍の船団へ突進した。
色部軍とて、越中における伊庭一党の恐るべき活躍を聞かぬわけではなかった。しかし、彼らが現実の認識として持っているのは、そのような夢物語的な伊庭一党の強さよりは、何度も対戦して骨身に沁《し》みている長尾景虎の果《か》敢《かん》な戦法であった。
その景虎が対上杉作戦で釘《くぎ》づけになっている。……とすれば、鬼神のように言われる伊庭一党もその力が半減するに違いない。しかも海の上のことだ。
そう判断しているのである。もしその判断が少しでも甘かったとすれば、その原因は佐《さ》渡《ど》にある黄金の光に眩《くら》まされたせいだ。
そして色部軍は、たしかに伊庭たちの機械力や火力を過小評価していた。だから、小舟三艘《そう》を縦につないで接近して来た哨戒艇を見て、たかが四艘と数を算《かぞ》えた。色部軍は大型船三十艘を繰り出し、それに武装兵を満載している。
「ようし。ロープ解けェ」
三《み》田《た》村《むら》三曹が命令すると、曳《ひ》き綱を解かれた三艘の小舟はゆらゆらと波間に漂う。
とたんに哨戒艇は素晴しい快速で色部船団のまわりに弧を画きはじめる。そして機銃が火を噴《ふ》いた。
「いいか。丸に菱《ひし》形《がた》の紋が色部本家の紋だぞ。そいつだけはとっつかまえるんだからな」
三田村はそう言いながら高速で艇《てい》をまわす。木造の舟は機銃に穴をあけられ、次々に傾いて行く。武士たちは悲鳴をあげながら海に沈んでしまう。
わずかに銃弾をまぬがれた舟の武士たちも、今はもう呆気にとられ、茫《ぼう》然《ぜん》と突っ立っているだけであった。
三田村は哨戒艇に装備されているラウドスピーカーのマイクを掴《つか》むと、ゆっくり接近しながら言った。
「抵抗が無益なことはもう判った筈だ。これ以上射撃しないから、そのかわり舟の艪《ろ》や櫂《かい》を流せ。武士の情けだ。武器を棄てろとは言わない」
すると伊庭の作戦どおり、敵はいっせいに艪や櫂を海中に流しはじめた。
「色部ご本家の御《ご》座《ざ》舟《ぶね》はどれか」
答えはないがだいたい見当はついている。それへ加えて、僚《りよう》船《せん》の武士たちが一《いつ》斉《せい》に一艘を注目したので間違いようはなかった。
哨戒艇は艇首をめぐらすと、潮《しお》の流れにまかせてあった小舟にむかい、そのロープを拾いあげてもとのようにつなぎ直した。それを曳《えい》航《こう》してゆっくり生残りの色部船団に割って入り、三艘目にバラストの石をのせず、ロープを積んであったのを指で示して、そのロープでお互いをつなぎ合うよう命じた。
ロープを積んだ三艘目に色部側の舟がむらがり、やがて彼らは本家の乗船を先頭に、一列縦隊につながった。
「よく覚えておけ。前の二艘には網で固定した石が積んである。お前たちがもし抵抗の気配を示せば、我々はこの綱を解いて舟の栓《せん》を抜く。しばらくの間、それでお前たちは動けないだろう。そこで我々がさっきのように銃撃を加える。わかったな……」
三田村はそう言い聞かせてから、次第に加速をはじめた。生き残りの八艘は、みる間に直線となり、日本海を西南へ向かった。
戦果は捕《ほ》虜《りよ》百五十人余り。しかもその中にはかつて小泉越後守に叛《そむ》いた色部本家の色《いろ》部《べ》武《たけ》兵《ひよう》衛《え》氏《うじ》増《ます》、およびその一子宗兵衛氏《うじ》茂《しげ》が含まれていた。
「おん敵退散、伊庭さま勝利……」
新潟の浜は声をからしてそう叫びつづける人々の姿で埋まっていた。
第四章
現 実
雪が降っている。
その、雪が舞い降りる空を伊庭義明は越後の空、と感じながら眺《なが》めている。伊庭にとってそれは既《すで》に越後という土地であり、新潟県という土地は、彼がかつて住んでいた遠い世界にしかないのである。
戦国期の永《えい》禄《ろく》三年がもうすぐ終ろうとしているのだ。三十名の元自衛隊員の中で、比較的よくこの時代の歴史を知っている加《か》納《のう》一士によれば、永禄は十二年まであった筈《はず》だという。しかし、その知識が正しいのか違っているのか、伊庭にはたしかめる術《すべ》もない。また、仮《か》りに正しいとしても、ここでそれが彼らの歴史どおり十二年まで続くのかどうかも、はっきりとしないのである。
判《わか》っていることは、人間が意外に素早く新しい世界に同化してしまうものだということであった。星の瞬《またた》き陽《ひ》の動き、雨、風、雪から樹《き》々《ぎ》のざわめきまで、彼らをとりまくすべてが戦国時代のものなのである。ひとつの石を踏むたびに、ひとつの言葉を聞くたびに、かつて住んでいた昭和の臭《にお》いが薄くなり、永禄という時代がいや応なしにしみついて来る。
隊員の誰もが、自分達の体からぬけ落ち遠ざかって行く昭和の臭いを、言い知れぬ悲しみをもって見送っているようであった。その淋《さび》しさは時に恐怖さえともなう程《ほど》であった。しばらくの間、昭和という殻《から》にとじこもり、深刻な無力感に支配されていた隊員たちは、やがて徐《じよ》々《じよ》に立ち直りを見せ、失った時代を忘れ新しい時代を獲得するために、積極的にこの時代に参加することを求めはじめたのである。
そのきっかけは、阿賀野川北域を占《せん》拠《きよ》している色部一族の佐渡攻撃であった。その企《き》図《と》を海上でくじいた自衛隊員たちは、俄《が》然《ぜん》攻撃的になって行った。
日本統一。それが全員の理想であり夢であり、目的であり同時に野心でもあった。いや、そのためにこの時代を揺り動かしていくことこそ、失った時代を忘れ新しい時代を獲得する手段であったのだ。
「まずこの線……」
装甲車の車長である島田三曹が地図を拡げて伊庭に提案した。指は春日山城のある府中、すなわち直《なお》江《え》津《つ》市から海岸ぞいに北へ進み、柏《かしわ》崎《ざき》で山側へ入ってから上越国境の三《み》国《くに》峠《とうげ》で止《とま》った。
「島田さんもそうお考えでしたか」
加納一士が言った。「これは昔……いや現代では関東街道と呼ばれているコースです。沼田、白井と通って一気に川《かわ》越《ごえ》まで南下する東京への最短コースです」
「東京ではない。江《え》戸《ど》だ」
島田はちょっと不《ふ》機《き》嫌《げん》そうに訂正する。
「それも家《いえ》康《やす》以前の江戸だぞ。しかも途中には上杉、宇《う》都《つの》宮《みや》、足《あし》利《かが》、成《なり》田《た》など、越後勢にとっては手《て》強《ごわ》い相手がいる。それを突破して行くだけの戦略価値があるかどうかだ」
伊庭が言うと県《あがた》一士が色白の顔に血の気をのぼらせて指を走らせた。
「この時代はやはり京都です。この地図にある国道八号の線を辿《たど》って琵《び》琶《わ》湖《こ》へ出て、西岸ぞいに一気に京を占《せん》領《りよう》します」
「京都なんかほうっておけ。関東へ出るんだ。そして江戸を東京にする」
島田はむきになって主張した。
「家康がやったようにやればいい」
普通科隊のリーダーである木村士長が島田の加勢にまわる。
「俺《おれ》達《たち》にも領土が要る。まさかこの越後をぶんどるわけにも行くまいし、かと言って江戸以外の土地を手に入れて、みすみす値あがりすることが判っている土地を他人にまかせることもあるまい」
「でも我々の狙《ねら》いは日本を統一国家にすることですよ。それにはどうしたって京都へ行かなくては……」
県一士はもどかしそうに大声をだした。
「まあ待て。いずれは京も江戸もとらねばならん。しかし、我々三十人だけでこの時代を意のまま操《あやつ》れるわけではない。我々が強力なのは機械化されているからだ。天下をとる為には越後軍団が必要だし、今は車の走れる道もない時代だ。地区ごとに細かく征服し、車の走行可能な道路を建設させねばならん。接近戦になれば今のサムライたちのほうが我々よりずっと上《じよう》手《ず》に戦うことを忘れてはいけないのだ。下《へ》手《た》な戦略をたてればベトナムのようなゲリラ戦にひきこまれるぞ」
伊庭は地図から顔をあげ、腕を組んで遠くを眺める目つきになっていた。
それは案外遠い道のりであるのかも知れない。近代火器、高性能爆薬、無電、ヘリ、トラック、装甲車……それらを持って刀《とう》槍《そう》以外何もない兵士たちと渡り合うという絶対の優位にあるにしても、やはり現実は甘くないのである。まして今は冬。北国は雪にとざされている。
虹《にじ》
明けて永禄四年正月の或《あ》る日。
昼ちょっと前から薄日がさしはじめ、やがて風も凪《な》いで北国の冬には珍しい上天気となっていた。境川川口の岩場の中央に、恐ろしく頑《がん》丈《じよう》な石造りの社《やしろ》が建っていて、小《こ》半《はん》刻《とき》ほど前からその岩場に達する道の入口あたりに、十四、五人の武士が所在なげにたむろしている。
社の前には人影がふたつ見えている。ひどくのんびりした様子で、そのふたつの影は岩場の突《とつ》端《たん》と社の間を、ゆっくりと歩きまわっている。
「栗《くり》林《ばやし》孫《まご》市《いち》めの申すところでは、義《よし》明《あき》殿はこの社の神の名を、ほんの思いつきで名づけられたそうだが」
長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》は悪《いた》戯《ずら》っぽい目つきで訊《たず》ねた。
「その通り。ほんの思いつきで」
「よい名を思いつかれたものじゃ」
「それはまた、どうして」
「儂《わし》も気づかなんだが、この社が建ってからというもの、義明殿はじめご一党の衆を、人はみな《とき》さまと呼ぶようになったそうな。人の噂《うわさ》は早いもので、過日信《しな》濃《の》より戻った草《くさ》の一人は、彼《か》の地の者達が義明殿ご一党を《とき》衆とか、《とき》三十人衆とか申し、いたく恐れているということでござった。またとなくよい前ぶれとは思われぬか」
伊庭は景虎の顔をすかすように見た。
「ほほう、景虎殿は草をお使いになるのか」
すると景虎はひどく意味深《しん》長《ちよう》な微笑をみせた。
「雪深い越後にあっては、草を遠国へ走らすことがせめてものたのしみでござるよ。もっとも、主君越後守は頼《より》朝《とも》公以来の名家におわすためか、ひどく草をおきらいあそばすが」
草とは密《みつ》偵《てい》、乱《らつ》波《ぱ》、忍びの者の称である。
「それで、なぜ《とき》の名がよい前ぶれだと言われるのか」
「口づたえに《とき》衆と聞いて、これを文字にするとき……」
景虎は伊庭の前へごつい左《ひだり》掌《て》をかざし、右の指でそこへ字を書いてみせた。字は《土岐》と読めた。
「土岐とは越後の小泉家に劣らぬ美《み》濃《の》の名流じゃ。うまくはかれば美濃では戦《いくさ》を見ずに進めるのではなかろうかのう」
景虎は口早にそう言って、微笑を浮べたままあらぬ方を見やった。その横顔を、伊庭はしばらく黙ってみつめていた。
やがて景虎は伊庭の執《しつ》拗《よう》な沈黙に根《こん》まけしたのか、いっそう笑いを深めてふりむいた。
「あなたはいつか小《こ》泉《いずみ》行《ゆき》長《なが》を名君だと言った……」
伊庭は急に昭和の喋《しやべ》り方をした。
「いかにも」
景虎は堂々と答える。その正当さを誇張した言い方から、伊庭は相手の結論を読みとっていた。
「やれやれ。どうやらこの空にはとほうもない虹《にじ》がふた橋かかっているようだ」
幾分芝《しば》居《い》がかって空をみあげ、つぶやくようにそう言うと、景虎は突然大声で笑いだした。
「橋なものか。これは綱じゃ。太く強い綱じゃ。義明殿のと儂《わし》のと、ふたつの虹がからみ合った虹の綱じゃ」
伊庭は真《ま》顔《がお》に戻った。
「しかし、いつ気づいたのだ」
すると景虎は岩の上にすわりこんだ。
「はじめてのあのいくさ車の火筒を見たとき、これさえあれば天下をとるも夢ではないと思い、そのあと義明殿の武略が並々でないことを知り申してからは、いずれ天下を望まれるものと推察いたしており申した」
ふたりは向き合って岩の上に坐っている。
「するとあの銭《ぜに》撒《ま》きでか」
「さよう。あのなされようは民の心を主君越後守より《とき》衆に移すこと以外の何ものでもござらぬわ」
景虎はそう言い、春日山城主小泉左衛門五郎行長の人となりを、ずばりひとことで評した。
古い。そう結論する。今まで越後を支えて来たのが、この長尾景虎の力によることを、彼自身過不足なしに正当に評価している。越後守護という職名に安住し、鎌《かま》倉《くら》以来の伝統にとらわれ切っている名門の末《まつ》裔《えい》が、いまでは祖国を危《あや》うくしている最大の患《かん》部《ぶ》なのだと指《し》摘《てき》する。
たとえば景虎が戦略を樹《た》てても、古い軍配者の作法どおり、開戦の日時、方角、雲《うん》気《き》など吉《きつ》凶《きよう》 判断のための占《せん》筮《ぜい》 術《じゆつ》を行なって、その結果を押しつけて来る。……今日のいくさはそんなことでは勝てなくなっている。景虎はそのたび勝機を逸《いつ》し、苦戦を強《し》いられていたのだ。越後の安《あん》泰《たい》をはかるには、まず信濃から関東を平《へい》定《てい》しなくてはならない。景虎はそうも言う。伊庭はそれを聞きながら、まずクーデターの手順を考えていた。
策《さく》 謀《ぼう》
律《りち》義《ぎ》に見えても戦国に生れた武将長尾景虎は、伊庭の指揮する《とき》衆と組めば天下に風雲をまき起せると計算していた。そして決断すると呆《あき》れる程積極的に行動した。
小泉越後守は名門の当主として、層の厚い家臣団の頂点に据《す》えられた傀《かい》儡《らい》であった。色部一族に縁のつながる重臣が、その助命を申出ると春日山城の地《ち》下《か》牢《ろう》に幽《ゆう》閉《へい》したまま処断を決しかねていたし、佐《さ》渡《ど》の黄《こ》金《がね》を用《もち》いて信濃の上杉家と和を講ずる提案があれば、それにも動揺を示すと言った具合であった。
景虎の端《たん》倪《げい》できぬ点は、それら小泉行長に対するさまざまな提案の裏側で、ことごとに糸を引いている所であった。特に対上杉講和策については、国内に深刻な論議の対立を生じさせた。タカ派とハト派の対立である。
春日山にとって都合の悪いことに、この時期幽閉されていた色部父子が何者かの手引によって脱走し、その途中勝山城にある栗林孫市の手の者に発見され、白昼の北陸道で斬《ざん》殺《さつ》されるという事件が発生した。
伊庭はこの事件について、どこまでが景虎の策謀なのか知らされていなかったが、この脱走劇が発火点となって、雪にとざされた越後の情勢は急速に変化した。
色部父子の助命を唱えたのは、常に越後守側近にあって政務をとりしきって来た山《やま》浦《うら》氏《うじ》宗《むね》という家老の第一人者であり、色《いろ》部《べ》氏《うじ》増《ます》、氏《うじ》茂《しげ》父子とは極《ご》く近い縁《えん》戚《せき》にある。また、同時に氏宗はハト派の中心人物で、景虎をはじめ長年対上杉戦に労を積んで来た武人たちから見れば、いわば文官に近い人物である。色部父子脱走未《み》遂《すい》事件は、従って武人派と文人派の対立に火をつけた結果になった。
一方、府中を中心とする地区の領民からは、《とき》衆に対する春日山の処《しよ》遇《ぐう》に関し、不安の声が挙《あ》がりはじめていた。
事のはじめは例年正月に全家臣が春日山へ伺《し》候《こう》し、それぞれの分に応じて越後守から新年の祝いを賜《たま》わる中で、どういうわけか伊庭義明らがその正月、一《いつ》顧《こ》だにされなかったという事実による。はじめそれは、黒部川合戦、新潟海戦とあいついで宿敵をほうむった功労者に対する尊敬と同情の念からであったが、民衆の間で論が進むうち、もし《とき》衆が越後を見棄てたらという、深刻な不安に変って行ったのである。《とき》衆の圧倒的な強さをまのあたりに見て知っている人々は、この秋から冬へかけての越後の安泰ぶりと、佐渡の金による繁栄の兆《きざし》を、すべて《とき》衆による恵みと感じていた。
その気で見れば、なる程《とき》衆は冷遇されている。だいいち市《いち》振《ぶり》の伊庭館《やかた》はこれ程の武力と功績を示した集団の生活として、甚《はなは》だしく格式に欠けている。しかもまだ無位無《む》禄《ろく》であって、栖《す》吉《よし》へ移った長尾景虎の援助で細々と生計をたてているにすぎない……。と、その時代の人間の眼には映《うつ》るのである。
《とき》衆の評判はひどくよい。
気さくで、おどけ好きで、しかもひとりひとりが驚く程実際的な知恵の持主である。《とき》衆と親しくした者は、多かれ少かれ、何かしら生活の上での利得をえているのである。
長尾さまと《とき》衆がいれば、越後はそれだけで万《ばん》々《ばん》歳《ざい》……そういう世論が強まってくる。
が、景虎も伊庭たちも、そうした世間の動きには全く関心を示さないで静かに冬の日を送っている。春日山が《とき》衆を放置していたのは、彼らが景虎の陪《ばい》臣《しん》であると見たからであったらしい。格式を重んずる小泉家では、興味を持っても然《しか》るべき資格がない限り直接接《せつ》触《しよく》することは心理的にできなかったのであろう。
だが、日ならずして、どこからともなく《とき》衆とは源氏の流れであるという説が拡まって行く。土岐氏となれば放って置くわけにも行かない。越後守は長尾景虎を呼び寄せて、《とき》衆の処遇について協議する肚《はら》をきめた。
それは対上杉問題で騒《そう》然《ぜん》となっている最中のことである。武断派の巨《きよ》頭《とう》と目《もく》される景虎が春日山へ呼ばれるというだけで、まっぷたつに割れた家臣団の双方がかたずをのんだ。すでに春はまぢかに迫っており、雪が消えれば再び戦雲の動く季節である。講和か決戦か、それは山浦氏宗と長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》の対決次第であるように見えていた。
が、城内ではそれ程深刻な問題とは感じていなかった。もともと上杉との講和を氏宗に示《し》唆《さ》したのは景虎本人であった。佐渡の黄金があれば和平をも購《あがな》える……氏宗はその景虎の言葉に動いたにすぎない。何よりもご領内の和が大事。いっときの敵も情を厚くして遇すればよきお味方となろう……氏宗は景虎がそういうのに力を得て色部父子の加命を乞《こ》うたのである。脱走未遂は父子に明《めい》がなかったからにすぎない。……そう信じこんで安心し切っていた。だが、猫《ねこ》は時として虎《とら》になり、虎は時として猫に変ることがあるのを、氏宗は全《まつた》く忘れ去っていたようであった。
景虎は単身春日山城へ入り、以後数日の間全く音信を絶ってしまった。城下では二日目、早くも景虎幽《ゆう》閉《へい》の噂《うわさ》が流れ、三日目には府中の土民が大挙して大手門へ集り、その安《あん》否《ぴ》を訊ねるというひと幕があった。
急病である。一《いつ》揆《き》に似《に》た勢いで城門に迫った土民を見て、城内からひどく事務的な説明が行なわれると、人々は更に詳《くわ》しい情報を求めて不満の声をあげた。城内警備の武士がその民衆を追い散らした。
城内では、事実景虎が床《とこ》についていた。もちろん仮《け》病《びよう》であった。そして充分民衆の不安を煽《あお》ったのち、景虎はやっと回復を申出て《とき》衆処遇問題にとりかかった。
城内で景虎がどのような協議をしたか、それは恐らく後世の史家を惑《まど》わすに違いない。故意に喧《けん》嘩《か》を売ったのか、又は氏宗に真意を覚《さと》られたのか……。
演 出
《とき》衆は越後守の使者を伊庭館に迎えた。隊《たい》伍《ご》を整えて越後守の閲《えつ》兵《ぺい》を受けられたいという、命令というよりは要請に近い丁《てい》重《ちよう》な迎えであった。
《とき》衆は直《ただ》ちに出動準備にかかった。が、その迎えの使者が春日山城へ帰り着くことはなかった。勝山城の一隊が使者の帰路にたちふさがり、これを斬《き》ってしまったからである。
そして、《とき》衆はトラックに火器と栗林隊の兵士を満載し、装甲車を先頭に春日山城へ発進した。城下には《とき》衆が景虎救出に動くという噂《うわさ》だけが流されていた。
島田三曹の操《そう》縦《じゆう》する装甲車は、春日山城大手門のまん前に停止し、砲身をその城門に向けた。機銃をのせたトラックがその両《りよう》脇《わき》に展開し、加納一士ら元陸幕四部土《つち》浦《うら》武器補給所に所属していた武器科隊員四名は、そのはるか左後方でMATの発射準備に余念がなかった。対戦車ミサイルMATは七五ミリ無反動砲にかわる新鋭兵器で、射《しや》程《てい》こそわずか二キロと短いが、オールトランジスタ化したリモコン式の有線誘導弾で、命中率は百パーセントであった。
その日、府中の全住民が春日山城周辺に集って事の成りゆきを見守っていた。そしてその衆《しゆう》人《じん》環《かん》視《し》の只《ただ》中《なか》で、城の天守に数個の人影が入り乱れ、人々は一様におどろきの声をあげた。
白刃がきらめいていたのだ。明らかに一人を数人が斬り伏せようとしている。
「景虎様が危い」
どこからともなく、そういう声が挙がると、人々は悲鳴に近い抗議の叫びをあげた。それは百姓、商人だけでなく、今度の事件に関与できぬ下級武士たちの間にも起っていた。
救国の英雄が君側の奸《かん》臣《しん》らによって殪《たお》されようとしているまさにその危機一髪のところであった。西の空から鉄の鳥V107の爆音が急速に接近し、前代未《み》聞《もん》の一大ショーを展開したのである。
ヘリコプターは天守のすぐ上でホバリングすると、蛇《へび》にも見える一条の綱をするすると吐き出し、それを天守最上階の軒《のき》に打ちつけるように何度も揺らせた。と、次の一瞬、白《はく》刃《じん》を振っていた男はその綱をとらえ、追いすがる敵に一太刀浴せかけると、ゆらりと天守から足を離した。太刀をくわえ、両手で綱にすがった人物は、宙にたれた綱を少しよじのぼり、綱の末端にとりつけられた環《わ》に片足を入れると、そのままゆっくり天守を離れ、人々の集る上空へ移動して来た。
「景虎さまじゃ」
「ご無事じゃった」
群衆は空を仰いで口々にわめきたてた。その騒ぎの最中、装甲車の砲が天守を狙《ねら》い撃った。一瞬にして屋根が飛び、人々は気を呑《の》まれて静まり返った。そこへ今度は有線誘導による対戦車ミサイルMATが、ひょろひょろと奇妙な航《こう》跡《せき》を描いて堅固な大手門へ向って飛び去り、ただの一撃で見事に大手門を粉《ふん》砕《さい》してしまった。どっと歓声が挙がる。ヘリコプターは演出効果を狙いすまし、その群衆の中央へ景虎を降した。景虎はくわえた太刀をまだ抜き身のままぶらさげていて、衣服のそこここに返り血を滲《にじ》ませている。装甲車は素早い連射を城内に送りこみ、景虎を降したヘリコプターは綱をまきあげながら再び城の上空へとって返し、たて続けに二十個ばかりの爆薬を撒《ま》き散らした。伊庭館で砲弾から作り直した急ごしらえの爆弾である。その最後の一発が爆発し終るか終らないかというタイミングで、栗林孫市を先頭にした兵士が城内へ斬りこんで行く。景虎は群衆にとりかこまれたまま、聞えよがしに伊庭へ怒鳴った。
「山浦氏宗は上杉のまわし者じゃった。関東管領家に越後守護を売り渡す魂《こん》胆《たん》と見え申す。伊庭殿、頼みじゃ。早う越後守様をおすくい下されい」
百姓までがその声に憤《ふん》激《げき》して城へ向った。
第五章
活 気
雪がとけ、春が来ている。
景《かげ》虎《とら》のクーデターは、あとになってみるとひどく陰《いん》惨《さん》なものであった。
あの日、春日山城にいて生き残った者は一人もいなかった。小泉行長はじめその家族、家臣、山《やま》浦《うら》氏《うじ》宗《むね》とその周辺の人々は、ことごとく屍《し》骸《がい》となって城門を出た。真実を告げる口を失ったまま、政権は自動的に長尾景虎へ移ったのである。
山浦氏宗はクーデターに失敗し、主君一族を道連れに亡《ほろ》んだ稀《き》代《たい》の大悪人として葬られた。
《とき》衆は悪を防ごうとして立ちあがった英雄としてあがめられ、政権交代に際しても特に主張することがなかったので、人気はいっそう高まっていた。
しかも、雪どけ寸前という時期を選んで行なわれたこの大芝居はまさしく図に当り、新政権樹立そうそう、信《しん》越《えつ》国境に戦雲が迫ったのである。
近隣諸国には当然越後内乱の報がとんでいる。しかもそれは必要以上に誇《こ》大《だい》に伝えられている。景虎の深《しん》謀《ぼう》であった。小泉氏滅《めつ》亡《ぼう》と聞いては、いかに長尾景虎を高く評価してみても所《しよ》詮《せん》守護代に過ぎない。越後を狙《ねら》いつづけて来た上杉側にとっては絶好のチャンスであった。
会《あい》津《づ》若《わか》松《まつ》を本拠とする蘆《あし》名《な》氏は、この所もっぱら南下政策を打ち出して、ひと頃のような越後との衝突は起さないでいるが、信濃、上野を併《へい》呑《どん》した上杉氏は、関東管領の権威と実力をかさに、村上氏を前衛としてことあるごとに越後へ襲いかかるのであった。
景虎はこの春を見越して冬の間に信越、上越の国境防備をかためさせていたのである。伊庭と景虎の間には、夏まで防御専《せん》一《いつ》にという戦略がたてられていた。その間に佐渡の金山開発によって増大した経済力で、国内道路網を一応整えてしまう計画なのである。攻撃に転ずるに、まず《とき》衆の機動性を高めなければならない。
村上勢が高《たか》梨《なし》城から飯《いい》山《やま》へ出、そこで勢力を二分して東西に道をわけたという第一報が入ると、ヘリコプターは信越国境の関《せき》山《やま》、箕《み》冠《かぶり》、および直《なお》峯《みね》の諸城へ補給を開始した。木村士長の率《ひき》いる普通科隊員十名が、国境警備の越後兵を指揮して地雷原を構築し、機関銃座を作った。
一方焼け跡の整理もつかぬ春日《 か す が》山《やま》では、伊庭と平井士長らが特殊部隊の隊員を選抜するテストをはじめていた。急ごしらえの砂場に細い丸太の一本橋が架《か》けられ、数百人の若者がその上を駆け抜けようと冷汗をかいていた。無事に渡りおえた者に対する第二のテストは、馬具職に作らせたフットボールに似た革《かわ》製ボールと、野球ボールそっくりのふたつの球であった。大きいボールのテストでは、装甲車の丸岡一士がキックするのを、ゴールキーパーよろしくとめさせている。そのキープに成功すると次はキャッチボールである。ちゃんとグローブまで作らせてあって、若い隊員たちが面白がって投げるのを、慣《な》れぬ腰つきで必死に受けては投げ返している。
運動神経を調べているのだ。合格した戦国時代の越後青年たちは、すぐに即成のトラック運転手としてしごかれることになる。伊庭は近代技術を身につける適性は、一にも二にも運動神経にかかっていると考えたらしい。
この時期、伊庭たち《とき》衆は、仕事をまかすことのできる者ならば、それこそ猫の手でも借りたい思いであった。機《き》敏《びん》さを持ち、柔軟な思考の出来る者は、百姓町人の区別なく、どんどん採用した。市《いち》振《ぶり》の伊庭館にあって、栖吉城の景虎との間を密使として往復した小《こ》者《もの》の竹《たけ》吉《きち》は、その中でも最も有能な人物であった。目から鼻へ抜ける才《さい》智《ち》で昭和の発想になる困難な指令を次々にこなし、今では最も緊《きん》急《きゆう》を要する道路建設の総指揮官になりあがっている。
景虎も銭を惜《お》しんでいない。領民を男女の別なく駆りあつめて道路工事に従わせ、一人一人に法《ほう》外《がい》な労賃を支給している。竹吉はそうした労務者を十人ずつの班に組み、それぞれの工区に完成期間を定め、早く仕上げた日数だけボーナスを支給することを考えついた。工区の難《なん》易《い》に応じて十班、十五班と人数を加減し、必要があれば中途から増《ぞう》援《えん》班《はん》も加えるので、その処置はひどく評判がよかった。
こうした動きは越後という国を一度に活気づけた。道路は一日ごとにのびて行き、充分な報《ほう》酬《しゆう》を得た民衆の間に、一種独特のナショナリズムが湧《わ》きあがって来た。以前のように百姓は武士の戦に関知しなくてもよいという空気はなく、前線のこまかな動きをひとつひとつ知りたがった。国境で村《むら》上《かみ》勢が撃退されるたび、村々は祭りのように湧きたった。
わが越後よ、天下をとれ。小田原へ、京へ……そういう願いが歌となった。「おん敵退散、お味方勝利……」
激 戦
やがて夏。信濃口の戦《せん》況《きよう》は日ましに有利となり、村上勢はその七月に海《かい》津《づ》城まで退《しりぞ》き、そこで上杉氏の来《らい》援《えん》を待った。その頃には越後に職業的土木建設者の一群が生れ、矢玉のとび交《か》う最前線近くで平然と道路建設を続ける勇猛ぶりを発揮していた。
しごかれた若者たちは意外な早さでトラックの運転に慣れ、出来上ったばかりの道を北へ南ヘと往《おう》還《かん》している。兵員、糧《りよう》秣《まつ》、武器がそのたびに敵地深く送りこまれ、更に地元から多くの労務者が徴発されてその道路をのばすことになった。しかも、相手方領民といえど、支給される賃銀に差別はなかった。
これはこの時代の占領政策としては決定的な効果を示した。人々は旧領主の復帰を心から嫌《きら》い、乱《らつ》波《ぱ》のたぐいの煽《せん》動《どう》工作もほとんどが未遂に終った。越後の柔らかい下腹であった信越国境線は消失し、逆に上野側へ突出していた三《み》国《くに》峠《とうげ》、清《し》水《みず》峠《とうげ》を口とする上越国境が、上杉方への重大な脅《きよう》威《い》と化していた。
上杉勢は村上氏に信越の瀬《せ》踏《ぶ》みをさせている内に敗退を重ねすぎ、今ではその主力を三国峠へ向わせることが不可能になっている。信濃へ南下した越後勢力に、その側面をさらすことになるからである。
この時、上杉側は一策を案出した。蘆名氏と同盟して、更に東方から越《えち》後《ご》を牽《けん》制《せい》しようというのである。だが、その動きはいち早く景虎の情報網にキャッチされ、上杉家の使者が会《あい》津《づ》若《わか》松《まつ》へ入った翌日、阿《あ》賀《が》野《の》川《がわ》上流の秘密基地を経《けい》由《ゆ》した清水一曹ら越後空軍のヘリコプターの空襲を受けると、三の丸の一部を焼かれただけで上《じよう》信《しん》越《えつ》紛争不介入の立場をうち出してしまった。
越後勢は占領区の人心をたくみにつかみ、兵力を急増させながら圧力を強めて来る。遂に海津城も孤立し、上杉勢主力は関東平野へ撤《てつ》収《しゆう》した。
南下する越後軍はそこで一《いつ》旦《たん》進撃を休止し、伸びに伸びた兵《へい》站《たん》線《せん》の整備にかかったが、その一瞬の油断をついて意外な敵が北上していた。それは伊庭たち昭和人が当然予測しなければならなかった相手であった。
武《たけ》田《だ》信《しん》玄《げん》である。
長尾景虎が伊《い》庭《ば》たちの世界で上杉謙信であるなら、この両者の激突を予想しないほうがうかつである。しかし、この世界では、上杉家は越後長尾家と全《まつた》く血縁を持たず存在してしまっている。そこに見落しがあった。
信玄来るの報を受けたとき、だから一番動揺したのは《とき》衆であった。が、景虎は楽観している。
「なんの信玄づれが……」と歯《し》牙《が》にもかけぬ様子で、伊庭たちの異様な動揺をかえって不《ふ》審《しん》に思っているらしい。
「そうだ、信玄はたしか越中の一《いつ》向《こう》一《いつ》揆《き》や神《じん》保《ぼ》氏と手を組んで、境川以西から越後軍の背後をおびやかすことになる筈ですよ」
歴史通の加納が昂《こう》奮《ふん》して伊庭に言った。
「そいつはまずい。と言ってこっちの手をあけるわけにも行かないし、どうです大将、ヘリだけで越中口を押えられませんかね」
島田三曹が言う。《とき》衆全員は急《きゆう》遽《きよ》会議をひらき対策を練《ね》ったが、結局ヘリコプターだけしか越中戦線にさけないことが判った。
「まずいぜ、全く。そろそろガス欠《けつ》気味だしなあ」
島田がボヤいた。越後には草《くそ》 生《う》水《ず》と称する石油が湧《ゆう》出《しゆつ》している。しかし、隊員の誰ひとりそれからガソリンを精製する方法を知らなかったのである。そしてジェットヘリコプターはひどく燃費が高い。
景虎の楽観をいさめ、伊庭は全兵力を結集して信玄来《らい》襲《しゆう》に備えた。この時まだ海津城は陥《お》ちないでいる。
松本からまっしぐらに北上した武田の前衛は八月十六日、妻《さい》女《じよ》山《ざん》に布陣、千《ち》曲《くま》川《がわ》と犀《さい》川《かわ》にはさまれたあたりで両軍が対《たい》峙《じ》することになった。景虎は次第に駒《こま》を進め、本営を千曲川を背にした八《はち》幡《まん》原《はら》に置いた。
時に永《えい》禄《ろく》四年九月十日。そのあたり一帯は川《かわ》中《なか》島《じま》と呼ばれる土地であった。
銃声はまず武田側から聞えた。種《たね》子《が》島《しま》に渡来した銃が国産化され、信玄の手に入っているのだ。伊庭ははじめその銃声に愕《おどろ》いたが、すぐ信玄北上の背景を覚ってニヤリとした。
越後の火器に対抗し得ると考えたのであろう。この時代の人間として、それは無理からぬ計算であるが、《とき》衆の火器は信玄のものに比して、少くとも四百年は進歩しているしろものである。
「これは勝てる」
思わずそう叫び、無用な慎重論を唱えつづけていた自分が急におかしくなった。「行け、トラック部隊」
伊庭の命令一下、武装したトラック十台が猛然とスタートし、その荷台に乗った越後兵の白刃が一斉に揺れた。対する武田軍からは精強で鳴る騎兵が突出して来る。トラックのクラクションが甲高い叫びをたて、それに愕《おどろ》いて敵騎兵隊の乗馬が次々に跳《は》ねあがる。
「みろや、落馬続出でレースにもなりゃしねえ」
本営の前にとまった装甲車の上で、島田が仁王立ちになって怒鳴った。二列縦隊を作ったトラックは、敵兵の只《ただ》中《なか》へ割って入り、中側へは手《しゆ》榴《りゆう》弾《だん》を投げ、外側へは機銃を撃ちまくっている。
だが武田勢は死兵であった。殺しても殺しても、河原から湧き出すように立ち向って来る。長い丸太を車輪の間に突っこまれて擱《かく》坐《ざ》するトラックが二、三台あった。荷台の上で白刃がきらめいているものもある。やがて擱坐したトラックに火がつき、もうもうと黒煙をあげはじめる。
「信玄の本営を探せ」
伊庭は憑《つ》かれたように装甲車へとび乗ると、島田三曹にそう怒鳴った。動き出した装甲車のボデーへ敵弾が集中しはじめ、カツンカツンと乾いた音をたてる。
帰 京
勝つことは勝った。
しかし越《えち》後《ご》軍は虎の子のトラック四台を失い、千に近い死者を出した。
結局戦いのけじめをつけたのは装甲車であった。乱戦となり広く展開した戦場を、島田三曹は猛《もう》牛《ぎゆう》のように駆けめぐり、弾薬が尽《つ》きてもまだ武田兵を追いまわした。敵陣を中央突破したトラック隊は、その後方でUターンすると、荷台にのせた兵をおろし、そのまま敵陣後方に居すわって挟《きよう》撃《げき》体制を作った。
恐らく信玄が死を決したのはその瞬間だったのではあるまいか。彼は決然と馬腹を蹴《け》り、景虎の本営めざして突き進んでいた。伊庭が装甲車に発進を命じたのは丁度そのころであったようだ。
圧勝に慣れ、本営の防御を手薄にしていた景虎の前へ白馬にうちまたがった武田信玄が突進し、遂《つい》に総大将同士の一騎打ちとなった。景虎は手にした軍配を信玄の初太刀に割られ、危うく抜刀したところを再び切りかかられて転倒したという。その急場を救ったのは県《あがた》一士の放った二発のNATO弾であった。一発は白馬の首を射抜き、一発は信玄の右腕をかすった。起きあがった景虎は、馬からころげ落ちる信玄にとびかかり、刃を下からはねあげるように振ると、信玄の首は薄皮一枚を残して肩から外れたという。
縦《じゆう》横《おう》に駆けまわる装甲車へは、何度も武田兵がとびついて来て、白刃が折れるまで厚い鋼板を突き続けていた。虚《むな》しい努力には違いないが、その恐るべき戦闘精神は、伊庭ら昭和の自衛隊員にとって、悪夢のひとこまに思えた。
越後軍の戦法は、これよりのち車《くるま》懸《がか》りと呼ばれ、この時武田兵のとった窮《きゆう》余《よ》の戦法……装甲車の外《がい》鈑《はん》を突いたり丸太でトラックを停めたりしたことは、啄木鳥《 き つ つ き》の戦法と呼ばれることになった。
越後軍は総大将みずから敵の総大将と対決してその首を落した前代未聞の快勝に湧《わ》いていたが、《とき》衆は冴《さ》えなかった。
連戦連勝の車《くるま》懸《がか》り戦法をしのぐ戦例を作られてしまったからである。決して勝ったとは言えない状態であった。
そして数日後、それをはるかに上まわる、衝撃的な悲報が届いたのである。……バートルが墜《お》ちた。急使はそう伝えて来た。
急《きゆう》遽《きよ》越中の動きを押えるため帰航したジェットヘリコプターV107は、三国山地へ入った直後、異常な悪気流に遭《そう》遇《ぐう》したらしく、白《しら》根《ね》山《さん》と渋《しぶ》峠《とうげ》の間の谷へ墜《つい》落《らく》炎上してしまったという。もちろん、清水一曹ら二人の乗員は死亡した。
鉄の鳥が落ちた。……慣れ親しみ、その空行く姿を誇《ほこ》りにさえしていた越後兵たちは、戦勝の宴《うたげ》から冷たい現実に引き戻され、幾《いく》日《にち》かはひどく静かであった。ただ、越中の動きは栗林孫市の手によって未然に防止され、事なきを得たのは不幸中の幸いというものであろう。
信玄が死んで海津城もいつの間にか空城となり、逃散した城兵の遺留品がちらばる中を、景虎は黙々と入城して行った。
十月。
長尾は僅《わず》かの直衛を従えて春日山城へ戻り、伊《い》庭《ば》義《よし》明《あき》が越後主力軍の総指揮をとることになった。名物の空《から》っ風《かぜ》が吹きはじめる十一月には川越に入場し、直江文吾と石《いし》庭《ば》竹《たけ》秀《ひで》の指揮する一隊は、甲州へ進《しん》駐《ちゆう》した。
石庭竹秀とは、かつての小者竹吉であった。竹吉は道路建設に奇才を発揮して急速に地歩を固め、伊庭の一字を請《こ》うて石庭姓を名乗り、名も竹秀と改めて今では一軍を率いる部将格になっていた。
強大をうたわれた武田を撃《げき》滅《めつ》し、なおかつ降将には温情をほどこして膨張を続ける越後軍を前に、関東の諸将は一斉に恭《きよう》順《じゆん》を申出て来た。
この辺りまで来ると、伊庭の率いる軍団を人は誰も越後勢とは呼ばなくなっている。事実核となる越後兵は全体の三割にも満たず、あとは勝運と財力に恵まれた大勢力に従いついて来た他国の兵員であった。
初期の《とき》衆に対する過小評価は影をひそめ、今ではもて余すほど過大にその力が評価されている。《とき》衆自体は逆に初期の自信過《か》剰《じよう》から、川中島での自信喪《そう》失《しつ》をへて、きわめて現実的になっているのであるから、この関東における過大評価はひとつの皮肉でもあった。
昔の江戸を知りたい。未来の東京の土を踏みたい。《とき》衆の一致した希望が、川越の滞《たい》陣《じん》をそうそう切りあげさせ、太田道《どう》灌《かん》が開いた海の見える丘をめざし、大軍が川と入江の入り組んだ土地を、長《ちよう》蛇《だ》の如《ごと》くつらなって行った。
「東京へ帰って来た」
深川生れの伊庭義明は葭《よし》の生い茂った道で、思わずそう叫んでいた。
軍 旗
竹吉。つまり石庭竹秀は一種の天才と言うべきであった。時に応じてどんなことでもやってのける。
甲府へ着いてすぐ彼がしたことは、自分の陣屋から蒸発することであった。その理由については直《なお》江《え》文《ぶん》吾《ご》だけが知らされていた。
文吾はひどくおっとりとした一面を持ち、かつては市《いち》振《ぶり》の百姓の三男だった石庭竹秀の身分など、まるで念頭にないらしい。
「ここはひとつ儂《わし》に手《て》柄《がら》をさせてくれまいか……」
そう言われただけで、ニコニコと竹秀の要求を承知してしまった。
いま江戸に大軍が休止している。その大軍の糧《りよう》秣《まつ》は、いかに《とき》衆といえど越後から運ぶわけには行かぬであろう。儂はそこもとより多少商いというものに精通しておる。わが兵を一時預ってくれれば、江戸の友軍に充分な補給がしてやれるのだ。……竹秀はそうたのみこんだ。筋《すじ》目《め》衆《しゆう》と呼ばれ、越後でもれっきとした家柄の直江文吾を、そこもと、と呼ぶ図《ずう》々《ずう》しさもさることながら、遥《はる》か後方に当る友軍の糧秣調達を、いわば最前線の将が兵を一時預けにして試みようという、野《の》放《ほう》図《ず》のなさが、いっそ見事というべきであった。
「金銀はいかがなさる」直江文吾はからかうように訊《たず》ねた。
「それそれ。そこじゃ、たのみというのは」
竹秀は文吾のふところをあてにしているらしい。文吾は流石《 さ す が》に苦笑し、それでも気前よく有り金をはたいた。
「かたじけない。それがしに子が産れ、それがみめよい娘じゃったなら、そこもとの男児に嫁に呉《く》れよう。これは男の約束じゃ」
竹秀はまだ妻もないくせに、押しつけがましい謝礼の約束をして去って行った。
そして半月あまり。江戸にある土岐軍主力の糧秣がようやく底をつきはじめ、諸将が調達に駆けまわりだした絶妙のタイミングで、八方からぞろぞろと荷《に》駄《だ》の隊列が江戸の葭《よし》原《わら》へ集って来た。
どの荷駄に訊ねても答はひとつだった。
「石庭竹秀さまのお買いあげでございます」
「石庭竹秀さまの荷でございます」
土岐軍の全兵士が、この時石庭竹秀の名を腹の底へ飯と一緒にしまいこんだ。
「あの野郎め」
自衛隊員たちは口ぐちにそう言って笑った。あけっぴろげな功名心が憎めない。それでいて見事に功名をたてている。
兵士たちが飽《ほう》食《しよく》した頃、今度はどこからともなく、美《び》醜《しゆう》とりまぜた女どもが集ってくる。
「石庭竹秀さまに買われました。土岐の衆をおなぐさめ申せと……」
女たちは闇《やみ》にまぎれて臆《おく》面《めん》もなくそう言い、兵士と葭の間へ消えて行く。
「大将よ、こいつは少し行き過ぎじゃねえかな」
島田はその様子を聞くと物欲しげに立ちあがり、丘の下につらなる葭原の闇を眺めた。
だがその頃、竹秀はすでに小《お》田《だ》原《わら》の城下へまぎれこんでいた。敵情視察のつもりなのだろう。城のまわりを歩きまわり、石垣の高さなどをしきりに観察している。
やがてとある染物の店に入ると、絵筆を借りて下図を描きあげ、生地、色などに口やかましい注文をつけ、その分たっぷりと銭を置くと再び人ごみへ消えて行った。
二十日後、竹秀は甲府へ戻り、元の武士姿に威《い》儀《ぎ》を正してケロリとしていた。
「功名はいかがでござった」
直江文吾が訊ねた。
「まずまずの出来でござろう。それよりも小田原で染めさせた、わが差《さし》物《もの》をごろうじられよ」
竹秀はいかにも得意そうに言った。
「ほう、小田原までござらっしゃったか」
「仲々の備えでござるぞ」
二人は立ちあがって宿舎の縁へ出た。
「ほほう、見なれぬ意《い》匠《しよう》で……」
文吾はいかにも感じ入った様子でそこにある竹秀のデザインを眺めた。
「伊庭さまはこれを軍旗と申された」
「軍旗……」
「さよう、旗、差物を伊庭さまの兵《ひよう》法《ほう》では軍旗ととなえ申す」
竹《たけ》秀《ひで》はしたり顔で説明する。白地に濃い橙《だいだい》色《いろ》で染め出されたそのデザインは、しかし竹秀のオリジナル・デザインではなかった。
長方形の差物の上部に横線が一本くっきりと記され、そのすぐ下に五角の星がひとつついている。「それがしがこの軍旗を掲《かか》げて戦えば、伊庭さまはじめ《とき》衆の皆さまは手を打って喜ばれるに相違ござらぬ」
「さようかのう」
文吾は要領を得ぬままうなずいている。それは自衛隊の三等陸尉の階級章であった。
小田原
馬《ば》入《にゆう》川《がわ》の東、茅《ち》ケ《が》崎《さき》あたりの浜で船大工たちが働いている。相模《 さ が み》の山中から切り出した巨《きよ》材《ざい》で舟が建造されている。すでに平定された関《かん》東《とう》街道を使って、越《えち》後《ご》からはるばる哨戒艇が運ばれ、今はその鋭角的な船体が相模《 さ が み》湾《わん》に浮いていた。
その海岸の西のほうでは、大規模な攻城戦が展開されている。もちろん有線誘導ミサイルMATがあれば、小田原城など物の数ではないかも知れぬが、ようやくガソリン、弾薬ともに底をつきはじめた土岐軍は、その消《しよう》耗《もう》をおそれて緊急の場合にしか用いなくなっているのだ。
そのかわり後方に多数の鍛《か》冶《じ》を集め、この時代に産している硝《しよう》煙《えん》を用いる砲を造っている。加納一士ら四名の武器科隊員の基礎知識が役だちはじめていたのである。
永《えい》禄《ろく》五年のことであった。
小田原城は幾たびもの攻城戦に会い、そのつど寄手の勢いに耐え抜いて、逆にそれを退《しりぞ》けたという実績を持つ堅城であった。しかも今、名将のほまれ高い北《ほう》条《じよう》氏《うじ》康《やす》が采《さい》配《はい》をふるって、多数の鉄砲を備え、時に乱《らつ》波《ぱ》を用いて寄手の後方を攪《かく》乱《らん》して来る。しかも箱根を越えて今川氏とは緊密な同盟状態にあり、避けて通るわけには行かない強敵であった。
北条方も必死である。関八州を制し、関東最強の地位と版《はん》図《と》を誇っていたのが、突然土岐軍という怪物の怒《ど》濤《とう》の進撃に押しまくられ、かつて制圧下に置いていた諸将が次々に土岐軍に加わった今では、小田原を失えば後背地伊《い》豆《ず》へ逃げこむより途《みち》はないのである。
攻城は長びき、いつ果てるとも知れぬ一進一退が続いていた。伊庭はこの日のあるのを予測して、最も信頼の置ける部将二人を甲府に送り、旧武田領を支配すると同時に、三《さん》遠《えん》駿《すん》の三州を支配する今川勢力に対し、北方から強圧を加え、小田原救《きゆう》援《えん》を不可能にしようとしたのであった。
ところが、予想外に長びく小田原攻めとは逆に、旧武田領にある石庭竹秀と直江文吾は、意外に素早く今川勢力を分断しはじめていた。
まず石庭竹秀は今川領の外を西へ走って、《とき》衆の新兵器なしで木《き》曾《そ》氏を撃破し、その西にあった美《み》濃《の》の土《と》岐《き》氏と手を組んでしまった。
景虎が推測したように、美濃の土岐氏は急速に勢力を伸ばす東国の土岐軍に対し、はじめから好意に近い気持を抱いていて、清《せい》和《わ》源《げん》氏《じ》の本家筋として、あわよくばその膝《しつ》下《か》に跪《ひざまず》かせたいと考えていたのだ。
竹秀は殆《ほとん》ど本能的にそれを見抜いたらしい。長年武田方について戦闘をくりかえして来た木《き》曾《そ》氏を破ると、すぐ美濃に直行して独断専《せん》行《こう》の提案をした。
「土岐義明様の命令により、ご本家へ土産《 み や げ》を献上につかまつった……」
いきなりそう切り出したのである。伊庭姓を勝手に通称の土岐に変え、しかも奪ったばかりの木曾領を、挨《あい》拶《さつ》がわりの土産にするという。当主の土岐頼《より》明《あき》は手を打って喜び、竹秀の労を丁重にねぎらったのち、木曾進《しん》駐《ちゆう》の兵を手配した。
その時竹秀は、接待に出た土岐家の家老、松《まつ》平《だいら》広《ひろ》信《のぶ》に向って、思いついたようにこんなことを言った。
「わが主君は今や上《こう》野《ずけ》、信《しな》濃《の》、甲《か》斐《い》、武《む》蔵《さし》などの諸国を領し、旭《きよく》日《じつ》昇《しよう》天《てん》の勢いでござる。しかしご家老が主君義明どのにお目通り召されれば、いかに無欲のお方か、ひと目でお判りになろう」
「無欲の君子とは聞えており申すが……」
松平広信は釣《つ》り込まれて言った。
「何せすでに天下の半ば近くを手中におさめ遊ばしても、いずれは越後守様にそれをお渡し召《め》さるご心底じゃ。余りの無欲に、もうやつがれめなどは呆《あき》れて……」
竹《たけ》秀《ひで》はそこで口を濁した。
「なる程。それではご家来衆もいっそ張りがのうござるな」
「それよ。どなたかもそっと欲をふきこんで下されねば」
とそこで声をひそめ、「いま小田原に手を焼いてござるが、肝《かん》心《じん》の越後守様は助勢の百人もお寄越し下さらぬのじゃ。せめてご当家なりと、今川攻めにご加勢下されば、主君義明殿はいかように喜ばれることか。……いやこれはつい余分な申し様でござった。ご本家とは言え、やつがれ如きがの弱音を申したとあってはこれものじゃて……」
竹秀はそう言って自分の首を叩《たた》いて笑う。
「そのこと、それがしも少々存《ぞん》念《ねん》がござる。当家の重臣らにはかり申そう」
松平広信はそそくさと廊下へ出て行った。
美濃土岐氏が三河の国境を越え、対今川戦に討《う》って出たのはその二日後のことであった。先年今《いま》川《がわ》義《よし》元《もと》を失い、基盤の揺れていた三《み》河《かわ》と遠《とおと》江《うみ》は、あっと言う間に総《そう》崩《くず》れになった。
車《くるま》懸《がか》り
直《なお》江《え》文《ぶん》吾《ご》は土木工事に熱中している。
それは富《ふ》士《じ》北《ほく》麓《ろく》をまわりこんで御《ご》殿《てん》場《ば》から田《た》貫《ぬき》湖《こ》をつなぎ、更に平《ひら》塚《つか》へ抜けて土岐軍本隊を誘導する道路建設である。
土岐軍団が設けたどの道よりもけわしいコースであった。
伊庭は最初からそのコースをあきらめ、機動部隊のみを舟で駿河《 す る が》湾《わん》に送ろうと考え、車《しや》輛《りよう》 輸送用の舟を茅《ち》ケ《が》崎《さき》の浜で建造させていたのだが、やはり富士、箱根を越えるか迂《う》回《かい》するかの道路は、そのあとの事を考えるとどうしても必要であった。
直江文吾は律義な性格どおり、その困難な道路建設に挑《いど》んだのである。旧武田領民及び旧木曾領民が大規模に動員され、特に越後より送金を仰いで、従来どおりの宣《せん》撫《ぶ》工作をかねた一種の公益事業を始めたのである。
案に相違して富士北麓の迂回路はかなりのスピードで進行した。しかし問題は御殿場以東である。険《けん》阻《そ》な山道を拓《ひら》くには膨大な人手を要する。文吾は何を考えたか、その労働力を今川氏の支配から離れたばかりの、三河、遠江の二国に求めた。末期症状を呈《てい》し、強盗のように租税をとりたてる今川治世に疲《ひ》弊《へい》していた両国の領民は、すでに土岐軍の道路建設の噂を知っていて、ワッとばかりにとびついて来た。
そればかりではない。相模、武蔵、多《た》摩《ま》の住人たちや、まだ今川支配下にある駿河からまで、自発的にこの道路建設に加わる者が押し寄せて来た。それは箱根の嶮《けん》にはばまれ、東西交流を思うにまかせなかった人々の夢の道でもあったわけである。戦《いくさ》の帰《き》趨《すう》を無視し、互いに自国の利害を離れ、人と人、同じ大地につながる朋《ほう》友《ゆう》として、そこには異常とさえ言える情熱が見られた。
そしてその純粋な情熱が、結果的には駿河の今川氏の抵抗を弱めることになった。領民が大規模な逃散をはじめたのである。三国を支配していた今川軍団が駿河一国に押しこめられ、やがてそこにも戦火の迫るのは避《さ》けようもなかったから行先きの見えた今川支配下で戦火に会うよりは、いっそしばらくの間割りのいい道路工事にでも従っていよう……そう考えたに違いなかった。
大量の領民に流出されて、今川氏の存在は根底からゆさぶられた。百姓は生かさず殺さず、いざ戦ともなれば邪《じや》魔《ま》になるのみ……そう信じ続けていた今川武士階級は、領民の逃亡にあっては、もうどうにも気力がうせ、領民のあとから二人、三人とつれ立って投《とう》降《こう》して来るのだった。そして文吾は、それら今川方の将士をきわめて寛大にとりあつかい、それまでの身分に応じた処遇で召しかかえ、自陣の手に余るような高位の武士には、土岐軍の中から然《しか》るべき将をあっせんし、禄につかせてやった。
美《み》濃《の》勢をさそって三河、遠江になだれこみ、勝ち戦をほしいままにした石庭竹秀にくらべ、直江文吾の温和な政策は駿《すん》、遠、三の三国民の間に圧倒的な好感をもってむかえられ、やがて今川方から小田原攻囲中の土岐義明に対し、三河、遠江を直江文吾の支配にまかせるなら、土岐勢力に従う用意があるという申出があった。
この申出は 籠《ろう》 城《じよう》 中《ちゆう》 の北条方にもつたわり、それを土《と》岐《き》義《よし》明《あき》がいれて駿河一国を安《あん》堵《ど》すると城内は大いに動揺したようであった。
今川帰順で小田原城は全く孤立してしまったのである。あと百日二百日を持ちこたえても、海の向うか陸《みち》奥《のく》の僻《へき》地《ち》からでも事が起らぬ限り、その絶対的な孤立状態は解決しない。
北条氏康はようやく時の大勢に自らをあきらめたようであった。駿河の今川へ密使をはしらせて直江文吾経由で土岐義明の条件を打診して来た。義明はその文吾からの使者が着いたとたん加納一士に伝騎をとばさせてMAT攻撃を命じた。
「できるだけ派手にやるように」
その指示を受けた加納一士は、約二十発のMATを一キロ先きからつるべ打ちに撃ちはなち、有線誘導のオールトランジスタ、対戦車ミサイルの弾道を故意にひょろひょろと曲げてとばした。
はじめてMAT攻撃を見る北条方は、うすい白煙の航《こう》跡《せき》を残し、さまようように宙をとんで城門をうち砕くさまに胆《きも》をうばわれた。
無《む》惨《ざん》に防御を破られ、今は半裸の如くなった小田原城の将兵は、その硝《しよう》煙《えん》がうすれた間から、装甲車を中心に横隊を作ったトラックが、ゆっくりと前進しはじめるのを見てくちぐちに叫んだ。
「車《くるま》懸《がか》りだぞ」
「南《な》無《む》三《さん》、もはやこれまで」
だが奇妙なことに、有名な土岐の車懸りの陣は城壁の少し手前でピタリと停止した。
駿河からの使者が、その時到着したという義明の演出であった。
富
春日《 か す が》山《やま》へ戻った長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》は、越後の経営に腐《ふ》心《しん》していた。
まず第一は佐渡金山の増産と開発である。伊《い》庭《ば》義明にまかせた遠征軍は、景虎の予想をはるかにこえたスピードで進撃し、しかも驚くべき勢いで膨張を続けている。
掘っても掘っても黄金はその戦費に流出して行く。しかし、三国峠から武《む》蔵《さし》の江戸にかけて戦火は完全に消えた。そしてその間を、越後の民はわが物顔でのしあるいている。
商いはさかり、日本列島の最も幅広い部分を縦にぶち割った関東から越《えち》後《ご》一帯の主都は、いまや六《むい》日《か》市《いち》か府《ふ》中《ちゆう》かという勢いであった。
景虎は満足し切っている。苦労して整備した、越後を起点とする歴史はじまって以来の大道路網にのって、物資が急激に動きまわりはじめたのである。
「なる程、義明殿はよう申された。商いの流れはひと動きごとに黄金を産みだすものじゃわい」
多忙な政務の間、ときどき景虎はそう言って義明の面《おも》影《かげ》を追うことがあった。
米か金銀か。富とは 究《きゆう》 極《きよく》のところそういうものだと信じ込んでいるが、充分な領土に平和を約束し、道を整えて領民を豊かにすることが、これ程の富に還《かん》元《げん》されて来ようとは思ってもみなかったことである。
いま景虎は、江戸から春日山に至る全支配地に、ごく軽い税を課していたにすぎない。しかし日を追って向上する庶民の経済力は、その税によって佐渡の黄金をしのぐ富を景虎に与えているのだ。
近江《 お う み》、山《やま》城《しろ》あたりに古くからあった馬《ば》借《しやく》、車《しや》借《しやく》を生業とする者が、この地域にも多く発生していた。彼ら車馬輸送業者は、利を追って遠く支配地外へものり込み、他国の魅《み》力《りよく》的な商品を持ち帰っては消費を刺《し》戟《げき》している。
景虎はそれにまけず、各河川を整備しはじめ、治水、灌《かん》漑《がい》と同時に舟運の便をはかっている。舟運、陸運ともすべて免許制度で、支配地外との交易に際しても特許状を用意し、関税制度をしいた。それらのやり方は、むろん古くから形としてはあったが、これほど合理的な制度ではなかった。各地の主要都市を楽《らく》市《いち》に指定し、繁《はん》栄《えい》の刺戟剤とするのもすべて義明の教えによる。
「彼らはいったい何者であったのか」
景虎はよくそう考える。
突然境川川口に出現して驚くべき新兵器で自分の危機を救い、戦国武士ならば誰もが一度は夢みる一国の太守を実現させてくれ、川中島で天下にその名をとどろかすことさえ可能にしてくれた不可思議な力を、彼らとの間に結ばれた、ただの奇《き》縁《えん》として解してよいものであろうか。
「時の神……」
景虎はまた、いまや世間から土岐義明と呼ばれ、美濃の土岐氏までがその出《しゆつ》自《じ》を少しも怪しむことなく自分の傍《ぼう》流《りゆう》と認めてしまったことに苦笑しながらも、境川の岩場に建つ石の祠《ほこら》を思い浮べるのであった。
時の神とはいったいどのようなものをつかさどる神なのであろう。時、すなわち日《じつ》月《げつ》星《せい》辰《しん》の運行である、と脇《きよう》近《きん》の学者は解説してくれたが、事実はもっと意味深いものではあるまいか。
景虎は更に考える。
時を夜明けから夜明けまでの、均《きん》等《とう》に分割した或《あ》る長さとするのは、たしかに間違いではない。しかし、それは時の持つ性格の一面に過ぎはしないだろうか。……時として。そう、まさに時として、人は一瞬を一生の長さに感ずることがある。川《かわ》中《なか》島《じま》で信《しん》玄《げん》に斬りかけられ、河原にあおむけに転倒した一瞬がそうであった。
母に抱かれた幼い自分自身を感じ、母と父にかこまれた平和な日々を感じた。魚を追って水に潜《もぐ》った夏の日、鹿《しか》を追って山にわけ入った冬の日、若い妻、老《ふ》けた妻の顔、我子の泣き顔、そして成長した笑顔、戦いの日々、酒《しゆ》宴《えん》の夜、旧主小泉行長とその家族、そしてあの血ぬられた春日山城での出来事……河原の土にのけぞって立ち直る迄《まで》のほんの一瞬、それらの情景が次々に脳《のう》裏《り》に現われては消え、ほとんどそれまでの一生を感じたのではなかったか。
覚《さ》めれば一瞬である。しかし、それは真実自分が死に直面して過去の世界へ念力で逃げこんだ長い長い時間ではなかったか。とすれば、時とは長さばかりのことではなかろう。
時として、ときどき、ときには……そうしたことばのとおり、或る偶然なもの、偶然のこと、それらをもつかさどっているのではないだろうか。人智を超えた事の結末、探りあてるべくもない人と人のからみ合いの謎、混《こん》沌《とん》とした過去の闇から、めくるめく永《えい》劫《ごう》の未来まで、そのすべてのからみ合いをつかさどる者が、時の神と呼ばれるのではあるまいか。
景虎はそうしたことを考える男になっていた。
「儂《わし》の時の神はやはり義明殿じゃ。儂には義明殿のような強い時の神はない。とすれば、このさき天下の事は義明殿にまかせ、越後の主という分を守るが相応というもの……」
平和な越後に微風が吹き抜けていた。
合 流
栗《くり》林《ばやし》 孫《まご》市《いち》の兵は疲れ切っていた。南下した土岐軍団と異り、近代火器の恩恵を何ひとつ受けなかったのだから当然であろう。
はじめ春日山城に入って越後の留守居役をしていたが、武田信玄の要請を受けた越中の神《じん》保《ぼ》、椎《しい》名《な》連合が動揺を見せると、孫市はとるものもとりあえず、全兵力を駆けに駆けさせ黒《くろ》部《べ》川《がわ》までの非武装地帯へ侵入した。
だが一時攻勢を見せた越中勢は、信玄戦死という川中島の戦報を聞いて大いにうろたえ、人質を差し出して和を乞《こ》うた。
その時期の孫市は、ごく大まかな指令を景虎から受けているにすぎなかった。それまでは愚直なほど命令に忠実な男だった。であるから、彼はそれ以後の処置を、生れてはじめて自分の頭で考え出さねばならなかった。
神保、椎名連合は、いわば小族の寄りあつまりである。同じ神保氏の中にも、てのひらをかえすような和議をいさぎよしとせず、本《ほん》願《がん》寺《じ》門《もん》徒《と》衆《しゆ》や越《えち》前《ぜん》の朝倉氏を頼って、孫市に顔をそむけるものも少くない。孫市はそれらをひとつずつちから押しに圧《お》しつぶして行った。富山、礪《と》波《なみ》の二つの平野をまたにかけたゲリラ戦に、自分のほうからはまりこんで行くかたちとなってしまった。
そこで散《さん》々《ざん》に苦戦をさせられた。しかし、古武士を思わせるいさぎよいいくさぶりと、豪快で粘《ねば》りづよい人間性が、次第に敵の間にも認められ、小細工に裏を掻《か》かれても、むしろそれが孫市の美点として愛されるようになった。
だが、はじめて自分自身の頭で行動をとりしきらねばならなかった孫市にすれば、この苦戦が余《よ》程《ほど》こたえたのであろう。神仏をたよるようになっていった。いくさの勝敗はみほとけの存《ぞん》念《ねん》ひとつ。このおろか者にそれをどうくつがえすことができようか……。
孫市は、自らの持って生まれた性分を少しも変えようとはせず、むしろそれをひとつの道として、きわめて受動的に次の局面に対処した。
「敵はみほとけが動かしてござる」
孫市は人にもよくそう言い、自らも信じているようであった。敵の動きは仏が自分に与えた命令である。従って虚《きよ》心《しん》にその動きに合わせてはたらけばよい。それは一種の悟《さと》りの境地であったのかもしれない。
日夜仏を念じはじめた孫市のその仏とは、土地柄自然門《もん》徒《と》のそれになっていた。別に計算したわけではないだけに、孫市はいつしか加《か》賀《が》の本願寺門徒衆から盟《めい》友《ゆう》と見られるようになり、最強期にあったその勢力と、全《まつた》く円《えん》滑《かつ》に協力体制ができあがっていた。
自然、越中の騒乱もしずまることになる。栗林孫市は問題の多い加賀、能登を自由に出入りできる唯《ゆい》一《いつ》の武将となり、門徒衆が越《えち》前《ぜん》朝《あさ》倉《くら》氏と衝突すると、頼られてその軍を率《ひき》いることになった。
が、朝倉は戦争技術にたけた強国である。孫市プラス本願寺という、どうみても良質とは言えない精神主義一点ばりの軍団は、戦っても戦っても朝倉軍を押しのけることができなかった。
長い長い流血の日が続いた。
その悲惨な情勢に解決の曙《しよ》光《こう》を浴せたのは、土《と》岐《き》義《よし》明《あき》美濃へ入るの一報であった。それによって、今《いま》迄《まで》中立を守って来た飛《ひ》騨《だ》の三《み》木《き》氏は危機を感じ、春日山の景虎と美濃へ入った土岐義明に使者を発し、帰《き》順《じゆん》を申出た。
朝倉氏は急ぎ近江の浅井氏と連合し、美濃西部に長大な戦線が展開することとなった。朝倉側の北方戦線は手薄となり、防御に専心して、しばしば栗林軍に撃破されるようになった。孫市はそろりそろりと越前の海ぞいに若《わか》狭《さ》湾《わん》へむかいはじめる。
この頃孫市が耳にした義明らの活躍ぶりはまったく目ざましく、その神《しん》出《しゆつ》鬼《き》没《ぼつ》をきわめる車懸り戦法は、信じかねるほどであった。
美濃は古くからひらけ、道が発達している。橋も東国に較《くら》べればはるかに整備している。車《しや》輛《りよう》のための建設作業に手がかからなかった。しかも、これは《とき》衆だけの秘密であったが、弾薬、燃料とも底をつき、これ以上の節約ができない状態であった。つまり、近代装備を放棄する直前の、あきらめ切った最後のひと花だったのである。
疾《しつ》風《ぷう》の如くトラックが敵地深くのりこんで行く。三日以上の行《こう》程《てい》を、大兵力があっという間に移動して浅井、朝倉連合軍はみじめに分断された。城《じよう》砦《さい》には巨《きよ》砲《ほう》が火の雨を降らせ、ケシ粒《つぶ》程にしか見えぬ遠い敵が突如として火柱をたてさせ、そのたびに浅井、朝倉の兵はほとんどたたかわずに逃げねばならなかった。
しかも、越後の王者長尾景虎が京へ進撃を開始した。前衛は剛勇を以《もつ》て鳴る栗林孫市である。浅井、朝倉連合は南北からの強圧にひとたまりもなく追いつめられ、遂《つい》に近江《 お う み》姉《あね》川《がわ》に最後の抵抗戦をしいたが、島田三曹の装甲車がこれを限りと荒れ狂って地上から姿を消させてしまった。
近江姉川で、南北両方面に分かれていた越後兵が、何年ぶりかで再び手を握りあった。
北からの兵は、たっぷりと越後の臭《にお》いを滲《し》みこませていたが、南の兵はその越後訛《なま》りさえ少し変化させていた。彼らの友軍は諸国の言葉で満ちみちていたからである。
「やあ、栗林どの……」
最も変化を見せていたのは、馬上からそう声をかけたかつての小者竹吉であった。かつての身分差を苦もなく蹴《け》とばしたその笑顔に、孫市は思わず眼《まなこ》をとじて仏を念じていた。
第六章
京
景虎が兵五千を従えて京に入ったとき、京周辺の各地ではまだそこかしこで掃《そう》討《とう》戦《せん》が行なわれていた。
波《は》多《た》野《の》、遊《ゆ》佐《さ》、三《み》好《よし》、松《まつ》永《なが》といったひとくせある豪族たちは、長い間日本の中心部に蟠《ばん》踞《きよ》して各地の動向に最も明るいはずであるのに、どういうわけか時勢の転換についてはひどく大《たい》局《きよく》観《かん》にとぼしいようであった。
潮の寄せるがごとく、逆らうすべもない土《と》岐《き》勢の進撃を前にして、彼らは小ざかしい細工のかぎりをつくし、今はもう形ばかりでしかない朝《ちよう》廷《てい》の権威が生みだす、僅《わず》かな利権をまもることに 汲《きゆう》 々《きゆう》としていた。ひょっとすると彼らは京という都会の繊《せん》細《さい》さのとりことなり果《は》て、京周辺の土地以外で、野太く生きて行くことができぬのを知りつくしているのかも知れなかった。
とにかく逃げ落ちることを全く考えていないらしい。五度六度とはずかしげもなく旗色を変え、彼らから見ればはるかに純《じゆん》朴《ぼく》である東国の武士たちを激《げき》怒《ど》させてしまった。
三好、松永の武士あたりに言わせれば、そんなことで本気に腹をたてるようでは、とても京では食って行けぬ田舎《 い な か》 侍《ざむらい》 ということになるのだろうが、逆に島《しま》田《だ》三曹のような表現法にかかれば、彼らこそ京の田舎者で、中央の特殊性にくわしいだけで天下のことについてはまるで無関心なやからであった。
次々にそうした京の諸氏が姿を消して行くのを見ながら、景《かげ》虎《とら》は賢《かしこ》いということについて考えていた。
彼らは政権が交代するたび、賢く立ちまわって次の時代の政権に結びつき、京という土地の重要さと特殊性も利用してたくみに生きのび、繁栄して来た。
しかし結果として、彼らが大国を支配したことは一度もなく、猫《ねこ》の額《ひたい》ほどの土地を美々しく飾りたて、宝物でいっぱいにしたにすぎない。家格は高く官職も高位であっても、これら京近辺の諸豪から天下取りが現われたことは絶えてない。それは不思議といってもよい事である。
遠《えん》国《ごく》にあるすべての戦国武将が、はるか雲の彼方《 か な た》にある京を睨《にら》み、天下の権を握る夢をみても、遠いがために中途で挫《ざ》折《せつ》している。
しかるに、半日も歩めば京に入れる者達が、一度も政権を奪えないでいるのはどうしたことだろう。いま、将軍義《よし》昭《あき》は彼らに追われて遠く芸《げい》州《しゆう》にあるという。勢を失したとは言え、足利幕府の将軍を追うほどの者は、それにかわって天下に号令してもよいはずではないのか。好きこのんで丹《たん》波《ば》、山《やま》城《しろ》のせまい土地でいさかいをくりかえしている必要はないのである。
景虎は京でまのあたりにそれらの末《まつ》路《ろ》を見、何かしら人の心をとらえてしまう得《え》体《たい》のしれない巨大なものを感じずにはいられなかった。
扈《こ》従《しよう》して来た腹心の部将館《たて》川《かわ》勝《かつ》増《ます》にむかって、景虎は憮《ぶ》然《ぜん》として感想をのべた。
「こまかないくさは国をせまくするものらしいて……」
館川勝増がその言葉の意味を理解したかどうか判らなかった。勝増は黙って軽く頭をさげたのみであった。
「いくさのない大国でのうのうとくらすのが、真の賢者というものであろうが……」
景虎は勝増の無表情な顔を好もしげに眺めながらそう言った。
「まことに、まことに」
その時景虎の言葉を聞いてつぶやくように言ったのは山《やま》城《しろの》国《くに》勝《しよう》竜《りゆう》寺《じ》城城主細《ほそ》川《かわ》藤《ふじ》孝《たか》であった。
細川藤孝は京周辺の諸氏の中では一《いつ》風《ぷう》変った存在であった。紛争を好まず、武士としてよりは文人として名高い。和漢の文才に恵まれ、当代随一の歌人として朝廷に多くの友人を持っている。歌道を通じて古代の史実に通《つう》暁《ぎよう》し、自然尊《そん》皇《のう》の志が厚い。
景虎が入《じゆ》洛《らく》するとき、なぜか義明はこの人物を識《し》っていて、景虎の対朝廷外交官に推《すい》薦《せん》して来た。用いてみると実に適材で、すべてが何の苦もなく円《えん》滑《かつ》に運んだ。
景虎はふと奇妙な感じになった。伊《い》庭《ば》義《よし》明《あき》という人物は時々物を知りすぎていることがある。いまここで自分の言葉に心から共感している様子の温和な人物を、義明は昔からよく知り抜いているのではないだろうか。でなければこのような人材が京に埋《うも》れているのを発見できた筈《はず》がない。
しかしそれも一瞬の疑惑であった。景虎は将軍家不在のまま、細川藤孝の手配で一応越後守護職と関東管《かん》領《れい》の職を正式に受領すると、まるで汚《お》物《ぶつ》溜《だめ》から逃げ出すように、あたふたと越後へ戻って行った。
越後守護、関東管領の職は景虎一代の夢であったが、手に入れて見ればひどく虚《むな》しいものであった。
大《おお》 垣《がき》
義明はいま美濃の大垣にいる。
大垣城から東方を見わたすと、すぐ近くの長《なが》良《ら》川《がわ》のほとりにずんぐりと黒っぽい小城がひとつ見えている。
「なあ、加《か》納《のう》」
義明はそう言ってひとり笑いをした。
「なんです」
座敷から立って加納が横に並んだ。
「妙だと思わんか」
義《よし》明《あき》はその小城を指さしてまた笑った。
「ああ、墨《すの》俣《また》城《じよう》ですか」
「秀《ひで》吉《よし》の一夜城の筈だが、この世界では木《きの》下《した》藤《とう》吉《きち》郎《ろう》などという人物はいない。したがって一夜城のエピソードもない。ただのうす汚い小城だ」
「尾張に織田家がなく美濃に斎藤家がない。まったくこの世界はどうなっちゃうんでしょうね」
「きまってるさ。土岐の天下さ」
義明はそう言ってまた笑う。
「しかしそれにしてもおかしいですね。美濃の土岐家の由《ゆい》緒《しよ》をくわしく訊ねたんですが、僕らの世界にあった土岐氏の歴史とほとんど同じなんですよ。応《おう》仁《にん》の乱からの動乱で室《むろ》町《まち》幕府の権威が失われると、それにともなって貴族と僧の経済を支えていた古代からの荘園制度も崩壊しちまうんです。京の公《く》家《げ》の三《さん》条《じよう》西《にし》家《け》というのがこの美濃に荘園を持っていて、実際にその経営に当っていたのが守護職の土岐家なんです。土岐家は清《せい》和《わ》源《げん》氏《じ》出だからそのつながりはほとんど武家と公家の関係のオリジナル・パターンと言っていいんです。そして守護代が斎藤氏なんですが、どうもこの世界の斎藤氏はまるで威勢が悪いんです。どうやら僕らの世界で有名な、あの油売りの松《まつ》波《なみ》庄《しよう》九《く》郎《ろう》という男は、この世界では出世しそこなったんでしょうね。したがって斎《さい》藤《とう》道《どう》三《さん》は出現せず、その道三と深くつながるはずの織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》も、歴史のプログラムからカットされてしまったんでしょう」
加納は聞かれるともなしに、ひとりで好きな歴史について喋《しやべ》っていた。が、義明はその言葉の中にハッとするものを感じた。
「すると加納は斎藤道三のほうが、歴史のプログラムの上では優位にあったというのか」
「いや、たとえですけれど……でも多分そうでしょう。だって、信長より道三のほうがずっと年上だし、歴史のファクターとして登場するのも先きなんですよ。僕らは歴史というと逆から見るしかないけど、実際には古い順に並んでいるわけです。時代の変化の過程は無限の可能性の中から、それぞれのファクターがただひとつの決定を行ない、その決定を新しいファクターとして次の可能性が展開されるわけです」
「だったら有名な乞食になった織田信長がいてもいいし、名家に生まれた木下藤吉郎がいたっていいはずじゃないか」
「それもそうですね。でも、それはあくまで原則論的に議論を進めた場合であって、こんな風にいろいろな歴史、つまり宇宙が多元であるなら、それは隣《りん》接《せつ》した別の歴史の影響だって受けるのかも知れません。そうでなければ、何かとても大きなもの……たとえば時間とか空間とかを支配する、第五次元的な力がひとつの目的、あるいは意志のようなものを持ってずっと先きの先きまでひとつのプログラムを作ってしまっているということだってあり得ることですよ」
「すると何か、加納のいう無限の可能性をもつひとつのファクターが、任《にん》意《い》にただひとつの決定をして行くという考え方は見せかけのことになるわけか」
「そうです。僕らはときどきそれを宿命という呼び方で意識するじゃないですか。この世界ではなぜか松波庄九郎を斎藤道三にはさせない仕組みになっていたんです。松波庄九郎はいたかも知れませんが、少くとも美濃の斎藤家へははいりこまなかった……多分庄九郎は油売りじゃなくって、まんじゅうかどぶろくでも売ることを思いついたんでしょう。ということは、そこから先きに織田信長がいても、信長は決してあのような人物にはならないということです。したがって、歴史上尾張の織田家そのものが必要ない。だから尾張中村の竹《たけ》阿《あ》弥《み》の倅《せがれ》日《ひ》吉《よし》丸《まる》もいたってしようがない。いたとしてもどこかそこらのあばら屋で、粟《あわ》雑《ぞう》炊《すい》でも食ってることでしょう」
「じゃあ俺たちは何者なんだ。歴史上の必要がないものは存在しないんだろう」
「何か気が変ったんじゃないですか。だから急におよびがかかったんです」
義明は思わず吹き出した。
「いいかげんなもんだな。よその世界から融《ゆう》通《ずう》して来るなんて」
「僕はそう信じてます。だから今はとても幸福なんですよ」
「どうしてだ」
「あれを見てください」
加納は青空にへんぽんとひるがえる、石庭竹秀の旗《はた》差《さし》物《もの》を指さした。「あれを竹秀の奴は知らないで飾りたててますが、僕らはようく知ってます」
それは三等陸尉の階級章であった。
「言っちゃ悪いですけど、僕らはせいぜいあんなものでした。道三にならない庄九郎、秀吉にならない日吉丸……つまり歴史上のその他大勢。庶民なんです。それがこっちではえらいことをやってのけてる。もといた世界から疎《そ》外《がい》されたんじゃなく、もといた世界では疎外されていたんです。昭和の東京で天下が取れたでしょうか」
だから今は幸福であると加納は言う。
「やりたい放題やるべし、か」
「そうですよ。何者かがそれを許しているんです。しかもやりたい放題やったつもりでも、結局はそれがおさだまりのコースなんですからね」
加納の声はひどく明るかった。
庭《にわ》長《なが》秀《ひで》
義明が大垣城滞陣中に、越後へ戻った景虎から便りがあった。積《せき》年《ねん》の夢であった越後守護と関東管領の両職を得て至《し》極《ごく》満足していることや、それについていろいろ尽《じん》力《りよく》してくれたことに対し、手厚い礼が述べてあった。
義明はその文面から、景虎が今後越後以外の欲を示す気がないことを覚った。そしてその文末に、景虎は忠告めいた提案をひとつして来ていた。
そろそろこのあたりで城を持て、というのである。人の築いた城を手直ししてもよいが、なろうことならこれからの戦《いくさ》は仕方が変って来るから、それに適した新しい城を建てたほうがよい。ただ余りにも京に近いのはどうかと思う。京は魔《ま》力《りよく》を持つ土地で、人間を小さくしてしまう。だから少し京から遠のいたあたりに縄《なわ》張《ば》りをするとよいだろう。そしてもし土地を求めるなら、その役にはぜひ栗林孫市を使ってくれ。あの男は近ごろ愚《ぐ》直《ちよく》一方ではなくなり、物事を見る眼識が備って来ている。
きっと良い土地を見つけるだろう。
景虎の手紙にはそう記してあった。
義明はその人選をひどく新鮮なものに感じた。ひそかに《むっつり屋》という仇《あだ》名《な》をつけていたあの孫市が、越中や加賀で苦労をしてからどう変ったか興味があった。
義明は隊員の誰にも相談せず、いきなり栗林孫市を呼び出してみた。
なる程顔つきが変っていた。
「苦労したそうな」
そう言うと孫市はニコリともせず、
「なんの、ただ一度死に申しただけでござる」
と答えた。
「そうか、一度死んだか」
「はい」
義明は下《しも》座《ざ》にすわってゆっくりと酒《しゆ》盃《はい》をかたむける孫市をみつめた。……苦戦があったのだ。苦戦に苦戦を重ね、一度は心《しん》底《そこ》から死ぬと思ったに違いない。そしてその死の淵《ふち》から、この男は何かを得て戻ったのだろう。
「どの敵がいちばん手《て》強《ごわ》い相手であった」
「敵など居り申さん」
「居らなんだか……」
「さよう。みな仏でござった」
しばらくその言葉を噛《か》みしめている内に、義明は我にもなく感動して目をしばたたいた。
この男が言っていることは、かつての世界で織田信長が愛した言葉と全く同じなのだ。……死のうは一《いち》定《じよう》。
「敵の動きを仏の意志とみればいくさはたやすいのう」
そう言いながら、義明は本気で城を作る気になっていた。何をしても、それを許される限り人生の必然なのである。……加納もそう言っていた。
失敗しても必然、成功しても必然。人間は予《あらかじ》め定められた運命を、全力をあげて生きるしかない。ならば人間五十年。
「化《け》天《てん》のうちにくらぶれば、ゆめまぼろしのごとくなり。ひとたび生《しよう》を享《う》け、滅《めつ》せぬもののあるべしや……」
節は知らず、ただことばだけを低い声で言った。
孫市はハッとしたように面《おもて》をあげ、義明の口もとを食い入るように見つめていた。
「そのおことば、なにとぞ物に書いて賜《たま》わりとうござる」
ねだられて、義明は小姓に硯《すずり》を運ばせた。筆をとりながら、孫市に城の土地を探すよう、さりげなく命じた。
「この城は大きいぞ。ふたつとない巨《おお》城《じろ》にするつもりじゃ」
「されば縄張りもこの孫市めに」
「すると申すか」
「ぜひとも」
「できるか」
「城の縄張りも仏でござる」
義明は呆《あき》れたように孫市をみつめた。
「よし、させよう。したが、この城を作る者は後世に名を留めることになろう。どうじゃ、名を改めぬか」
孫市は少し渋《しぶ》っていた。
「先ごろ景虎さまより名を頂《ちよう》戴《だい》いたしたばかりにござれば……」
「ほう。何という名じゃ」
「長《なが》秀《ひで》と申しまする」
「栗林長秀……そうか、よい名じゃ」
すると孫市は急に笑顔を見せ、
「その名はやつがれめには似つかわしくござらぬ」
「嫌《きら》いか」
「栗林長秀と申さば、京のあたりにも居りそうな……」
義明は笑った。そう言えばそうであった。
「では姓を変えよ」
「おん名を一字戴きとうござる」
「どの字じゃ」
「庭の一字でござる。庭長秀……」
孫市はそう言って嬉《うれ》しそうに酒を含んだ。
城
ゆるやかな 丘《きゆう》 陵《りよう》が東西につらなっている。そして、その北西の端《はし》が湖の上にとび出し、山というにはおだやかすぎる大きな岡《おか》になっていた。
東と西と北を水にかこまれたゆるやかな盛りあがりの南側は、湖の水がじめじめと土をひたす広い湿地帯で、人々はその湖に浮いたような岡を、安《あ》土《づち》山《やま》と呼んでいた。
栗林孫市あらため庭長秀が、義《よし》明《あき》のために探し出した城《じよう》郭《かく》用地がその安土山であった。
安土山城の歴史を知る加納などは、はじめてその土地へ案内されたとき、ひどく渋い顔をしたものであったが、隊員たちは全員その土地を探し出した庭長秀の眼《がん》識《しき》をほめたたえた。
なんと言っても要《よう》害《がい》堅固である。城の下の水に舟を浮べれば湖西から京にかけて異変があっても一直線であるし、北方に出動する場合も同様に手っとり早い。そして東には美濃の広大な平野があり、湿地帯はいよいよという時の最終的防衛線となっている。
「そうか。俺たちはこれから安土桃山時代を築くわけか」
島田などはそう言って単純に痛快がっていた。
城の起《き》工《こう》式はその年の四月におこなわれ、望みどおり庭長秀が普《ふ》請《しん》奉《ぶ》行《ぎよう》の任についた。
長秀が義明に対し、城の縄張りも仏でござると言った意味はすぐに判った。それについて何も知らないのだから、知識のある者にすべてをゆだね、自分は命がけで責任だけをとるという程のことなのであった。
当代一流のエキスパートたちが安土城にとりくんだ。義明たち土岐軍団の大遠征の成功は時代に一時期を画《かく》し、従来の山城主義から平城主義へと、軍事思想もひとつの転機に立っていたのである。したがって安土城は、その山城から平城へ移りかわるひとつのモデルケースでもあったわけである。
天守は五層に組まれた。しかし内部はそれより二層多い七層であって、長秀の一任主義は、すべてにわたって専門家の自由な発想を引きだして行った。
中でも絵師狩《か》野《のう》永《えい》徳《とく》は各室の障壁に驚《きよう》嘆《たん》すべき筆をふるった。その雄大さ、華《か》麗《れい》さは、まったく前例がないという評判であった。
義明は途中長秀にひとつの注文をだし、安土城は防衛拠点であると同時に補給基地、そして城下はにぎやかな商都であるべきだとした。
この頃まで、城郭と町を一体とする発想はなかったから、安土城は当時にあって最も近代的な城下町を持つことになった。
城と町が完成すると、義明は景虎にすすめて成功したように、安土を楽市とする宣言を発した。自由市場となった安土には、またたく間に多くの商工業者が集《つど》い、予想どおり湖東最大の商都となって行った。
また、義明たち昭和の自衛隊員は、南《なん》蛮《ばん》趣味にあふれていたので、新しく渡来した外国の品々を珍重する風がおこり、それらが美術界にまで入りこんで新しい傾向を生むことになった。
特に県《あがた》一《いつ》士《し》はクリスチャンであったから、次第に伝道師なども多く出入りするようになり、彼らが歴史として知っていた安土桃山時代の傾向が、ごく自然に出来あがって行くのだった。
渡航したポルトガルやスペインの外人たちは、義明たちがかなり英語をあやつるので首をひねったようであった。イギリス人たちはいつやって来たのだと、しつっこく訊《たず》ねてまわったそうである。
たのしい悪《いた》戯《ずら》もあった。それは主として紋章にかかわるもので、石《いし》庭《ば》竹《たけ》秀《ひで》が三尉の階級章を自分の紋《もん》所《どころ》にしたので、自衛隊員たちは直《なお》江《え》文《ぶん》吾《ご》や庭長秀たちに、それぞれ柄《がら》に合った階級を見たて、その紋所を与えてやった。長秀は陸士長の逆山形に星ひとつ、文吾は逆山形二本に扇形がひとつの一等海《かい》曹《そう》であった。そして、その一等海曹の旗じるしをひるがえした直江文吾が、三河、遠《とおと》江《うみ》の領主に任ぜられて出発する日、文吾は土岐義明に面会を求め、自分から改名を申出た。
「三河姓を名乗りたく、お許しを得に参上つかまつりました」
「三河へ行くから三河氏か」
「いささか直《す》ぐにすぎましょうか」
「いや、よいわ」
「直江姓は越後のものにござる。今日よりは三河の土となるべき所存でござれば」
「よい覚悟じゃ」
「では、これよりは直江文吾文庫をあらため、三《み》河《かわ》文《ぶん》吾《ご》文《ふみ》康《やす》と名乗りまする」
「文康……」
義明は一瞬眩《まぶ》しげな表情になったが、「よかろう」
と言って文吾に引《ひき》出《で》物《もの》を与えた。三河文康はその足で任国へ発《た》って行った。
銭《えり》撰《ぜに》令《れい》
義《よし》明《あき》はたびたび京へ行く。
景虎に言われたからというわけではないが、彼はその時代の京の町が嫌いであった。後世の古びた落ちつきは余り見当らず、いやにケバケバしいか、ひどく荒れ果てているか、そのどちらかであった。
だが行かねばならない。
自分は平《へい》生《ぜい》安土にいて、京の仕《し》置《おき》は細川藤孝にまかせっぱなしなのだが、宮中では何かにつけて呼び出したがるのだ。
義明は尊皇家ということにされている。事実、この時代の武人としては全く珍しく、朝廷の歴史や神話、行事などの儀式についての知識を持っている。
武《ぶ》家《け》伝《でん》奏《そう》は九《く》条《じよう》家《け》で、細川藤孝とは深いつながりがあるらしい。だからそれはまことに好都合なのだが、どうやら宮中のほうが近ごろではじれはじめているらしいのだ。
常識では当然将軍職を望み、幕府をひらきたがる筈の立場に、義明は置かれている。それが一向に物欲しそうな顔をみせない。
義明は特に将軍職や幕府を不必要だともしていないが、それによってさまざまな身分の垣が身のまわりにめぐらされ、本当の意味での日本統一が出来なくなるのを恐れているのだ。
だらしねえぞ。……そう言ってやりたい気持なのだ。義明は天皇親政をひとつの解答として考えていた。職階は機能本位であるべきなのだ。日向《ひゆうがの》守《かみ》が兵《ひよう》庫《ご》にいたりするのにはどうしても我慢できない。むしろそうしたことをなくし、すっきりさせるのが自分の仕事だと思っている。天皇を頂点とする有能な官《かん》僚《りよう》機構。それがあってはじめてこの国は正しく機能する。そう考えはじめているのに、肝心の天皇は将軍将軍と口ぐせのように幕府を求め、自らを否定するような発想しかしていない。
それほど命が惜《お》しいのか、とも思う。
多分天皇が実際の権限を行使して死ぬ程の目にあうのを恐れているのだろう。だが、そのために自分自身や公家たちが、食うや食わずの境遇に落ちたことは、いったいどう考えているのだ。これではまったく、あなたまかせのもらい乞《こ》食《じき》ではないか。
いま義明が考えているのは、まず第一に通貨の統一ということである。通貨を統一し、その発行権を最終的に皇室が握れば、それでひとつの政府が形成できる。デモクラシーは遠い先きのこととしても、それで幕《ばく》府《ふ》が必要なら、その幕府は内閣に相当し、国家にひとつの芯《しん》が通るわけである。内閣が投票で決るか戦闘できまるかは、時代の進歩の程度の問題であろう。何種類もの通貨が野ばなしに通用し、それぞれ交換レートが異ったのではたまったものではない。現に商人たちは特定の通貨の受取りを拒否し、そのために歴代の将軍が銭《えり》撰《ぜに》令《れい》を出さねばならない程なのである。
義明はその日、九条家を通じて新しい銭撰令を布《ふ》告《こく》するよう提案するつもりであった。
従来の銭撰令が、やみくもに銭えらびを禁じているのは大きな間違いで、悪貨は悪貨として民衆の要求も認めてやらねばならないのである。義明は今回の銭撰令では、はっきりと銭えらびをしてはいけない通貨をきめてやるつもりであった。統一通貨発行の前に、そうやって少しでも悪貨を追放してしまう必要があるのだ。
だが、細《ほそ》川《かわ》藤《ふじ》孝《たか》を仲《ちゆう》介《かい》に、九条家へそれを申出ると、相手はひどくキナ臭《くさ》い態度を示した。そして宮中人特有のいけ図《ずう》々《ずう》しい話題のそらせ方で、将軍におなり遊ばしたら京にお館《やかた》をお持ちあるように……と、気に入らぬうすら笑いで答えた。癪《しやく》にさわったので、銭撰令は天皇のご威光で必ず布告のご裁《さい》可《か》をいただけますように、と多少こわもてで言うと、何やらひどくおびえた様子であった。
月 夜
京周辺が安定すると、義明はいよいよ天下統一の総仕上げにかかった。
西国討《とう》伐《ばつ》戦である。
越後、越中は景虎が睨《にら》みをきかせている以上、最も安全である。越後から関東までも、自分自身でかたづけたのだし、今は厩《うまや》橋《ばし》に景虎腹心の館《たて》川《かわ》勝《かつ》増《ます》が配置されていて、これもまず申し分なく安全である。東海地方は直江文吾あらため三河文康が実直に頑《がん》張《ば》っている。加《か》賀《が》、越前方面がまだ多少固まらないが、そこへは安土で退屈するのを嫌った冒険好きの島田三曹が、この時代の武将になりきるのだと言って、兵一万を率いてのりこんでいる。三曹の名は和《かず》秀《ひで》といい、島田和秀といえば土岐衆最強の勇将として、早くから天下に名をとどろかせてしまっている。
今では越後の景虎と並んで、義明のうしろだてとなっている美濃土岐氏は、しきりに四国に分国を欲しがり、長《ちよう》曾《そ》我《か》部《べ》征伐を唱えていたので、三万の軍に海上自衛隊の三《み》田《た》村《むら》三曹以下二名を軍監として配し、庭長秀がその総指揮官として、直属の越後兵五千とともに出動する体制になっていた。
土岐軍未《み》踏《とう》の地で、最も手《て》剛《ごわ》い尼《あま》子《こ》、小《こ》早《ばや》川《かわ》、宇《う》喜《き》多《た》、大《おお》内《うち》の諸氏が居ならぶ中国地方については、驚異的な成長を示す石庭竹秀が自ら買って出て、かなり早くから各地で歴戦を重ねていた。竹秀はかの地でほとんど連戦連勝。ほとんど一日置きに来る報告は、どれもこれも調子のいいものばかりであった。
その日、比較的早く目覚めた義明は、安土城の上にひろがった抜けるような青さの空をみあげ、ふと京に行く気になった。
過日の銭撰令の返事がいっこうにはかばかしくないし……というのは口実で、実は細川藤《ふじ》孝《たか》に会ってみたくなったのである。藤孝にはうら若い妹が一人いて、どうやら義明は彼女に恋をしはじめているらしい。
もともと今の身分で独身であるほうがおかしいので、美濃の土岐家などは夢中になって嫁を押しつけようとしている。その日京へ向うつもりになったのは、ひとつには土岐家の強《ごう》引《いん》な嫁とりばなしが再発しそうな予感を持ったからでもあった。
義《よし》明《あき》は湖を舟で渡る。沖島をうしろにして大津へむかい、大津からは馬で山《やま》科《しな》をこえ、京へ入る。
その日は珍しく遊び半分だったので、久しぶりに隊員をのこらず呼び集めて同行した。島田和秀は軍を率《ひき》いていま越前にあり、三田村ら海上自衛隊員三名は難波《 な に わ》の浜で四国遠征の準備中、加納は島田を真《ま》似《ね》てこの時代の武将になり切るのだと、土岐家にねだって小城をひとつもらい、それを加納城と称してサムライごっこの最中だったから、合計二十三名の元自衛隊員が勢ぞろいして京へくりこんだわけである。
平井と木村の二人の士長だけは、用心のため残り少いNATO弾と64式ライフルをぶらさげていた。境川川口から持って来た近代装備も、今では64式ライフルと、三田村たちが難波へ回航した哨戒艇だけである。その哨戒艇も、とっくに燃料を使いはたし、木造船に曳《ひ》いてもらうより能のない代《しろ》物《もの》になっている。
戦火が絶えて久しい京の町は、流石《 さ す が》ににぎやかであった。京の者は人をかぎわける才能を持っているらしく、かなり遠くから、
「土《と》岐《き》衆じゃ」
「土岐さまじゃ」
とささやきかわしている。
前ぶれもなくやって来たので、訪問された細川邸では大あわてにあわて、勝《しよう》竜《りゆう》寺《じ》城へ行っている藤孝へ早馬をとばす程であった。
隊員たちはてんでに京がよいを続けていて、その大半がすでに馴《な》染《じ》みの女を京に持っているらしい。みんなまだ若いし、すぐにでも結婚してよい身分になっている。藤孝の来るのを待って細川邸でめあての妹と茶などをたのしんでいる義明は、仲間たちがひとりひとり、こうして時代の人になり切って行く気配を、なぜかくすぐったく感じていた。
折あしく、藤孝はどこかへ歌を詠《よ》みに出掛けたらしく、勝竜寺城へ駆けた使いの者はむなしく引き返して来た。
「この家にお泊め申しては余りにも……」
妹は堅くなってそう言った。宮中から将軍位につくことを催《さい》促《そく》される程の立場になっている義明は、そうそう手前勝手に気軽さを押しつけるのもはばかられ、いつも宿所にしている妙《みよう》蓮《れん》寺《じ》へ移った。
夜が更《ふ》けて、月がのぼった。
外泊した者もいて、十七、八人ばかりの隊員が、その月の光が射しこむ部屋で酒をくみかわしていた。
冗談を言い合い、数々の合戦のことにふれ、やがて昔の自衛隊時代の想《おも》い出ばなしになって行くのだった。
忠 臣
二千あまりの兵が旧将軍居城であった二条城前に集結している。沈《ちん》黙《もく》を心がけているらしいが、時々金属の触《ふ》れ合う音がひびく。
やがて二条城から騎馬武者の一団があらわれ、隊《たい》伍《ご》を整えた兵の前へ停《とま》った。
細川藤孝であった。
夜目にも蒼《そう》白《はく》な顔の色である。
藤孝は兵に向って何か言いかけ、辛《かろ》うじて思いとどまった様子できつく唇を噛《か》んだ。そしてゆらりと馬《ば》首《しゆ》をかえすと、ごく低い声で、
「妙蓮寺へ」
と言った。
月に照らされた京の町を、二千の兵が静かに進んで行く。
藤孝は犠牲者の一人であった。
原因は義明にあったと言ってよい。義明とこの時代のズレが、藤孝を悲劇の人物に追いやったのだ。
朝廷は武士に職階を贈ることで自らを保全していた。常に強者の味方なのである。そしてそれは、伊庭義明のかつて住んでいた昭和に於《おい》てさえ、皇室の基本的性格として根強く残っている。
明治維新では元《げん》勲《くん》たちの意のままに動き、軍が擡《たい》頭《とう》すると軍の言うなりに従って開戦を宣する役を受持った。そして敗戦が決する時も、決して皇室は自らの意志で事態収拾には動かず、敗戦の宣言すら自らの筆をとろうとはしなかった。マッカーサーが東京に至ればこれとあたかも招待した客の如く接し、デモクラシーの世にきまれば人間宣言を発した。どのような失政にも批判を口にせず、功なき功労者も強者であれば栄誉を授ける役を果す。作らず為《な》さず働かず、自らが作りあげた血の価値のみに生きて、ひたすら保身に生きる神のごとき存在。それが皇室であった。
神は人にとってこの上もなく権威ある存在であり、同時にある人にとっては河原の石のごとき存在でもある。
そして不幸にも藤孝にとって、それは神同様の権威をもっていた。いっぽう義明にとって、それは河原の石であり、利用する機会がなければ無視するしかなかった。
朝廷は将軍宣《せん》下《げ》を受けたがらぬ最強者におそれおののいた。階位を贈れぬ者は敵であり、それを滅す忠臣を必要とした。
忠臣藤孝はその理由を語る口さえ封じられたまま、妙蓮寺にある土岐義明を討たねばならないのである。京周辺の小大名を小《こ》賢《ざか》しいものにしていた基本原理が、いま藤孝を叛《はん》逆《ぎやく》者《しや》の立場に追いやっているといえる。勝ち抜いて強者になりあがれば今夜の理由も語れよう。しかし、土岐の諸将が押し寄せる義明の葬《とむら》い合戦で、藤孝が生きる望みはまったくなかった。
藤孝は義明という男を好きであった。すべてははかり知れぬまでも、何かしら義明には次の時代を招来する力が感じられた。強大な何かがとり憑《つ》いているといってもよい。
だが、永《えい》劫《ごう》の生を夢みる朝廷にとって、一時代の変化など物の数にも入らないのであろう。記《き》紀《き》の昔とさしてかわらぬ感覚で、ただ忠臣の登場を期待しているのだ。
松《たい》明《まつ》に火がともされ、二千の兵は黙々と妙《みよう》蓮《れん》寺《じ》をおしつつんだ。
解 答
物音に目覚めた伊庭は、次の間の襖《ふすま》へ声をかけた。
「何事じゃ」
すると答は意外にも障《しよう》子《じ》の縁から返って来た。
「細川さまにござります。細川さまにござります」
若い声がおびえていた。
いきなり近くで64式の音が響いた。
「三尉殿、敵《てき》襲《しゆう》です」
平井が久しぶりに伊庭を三尉と呼んだ。
「藤孝が……」
はね起きて外をみると、妙蓮寺の内外はびっしりと敵で埋まっているのが判った。
「なぜ……」
その時伊《い》庭《ば》が感じた疑問は、細川藤孝の叛《はん》乱《らん》に対するものではなかった。ひと目外をみただけで、自分の命が終りに近いことを、彼は度《たび》重《かさ》なる合戦経験から感じとっていた。
なぜ……なぜ急に時はここで自分の命を終らそうとしているのか。他の世界から駆り出された自分は、いったい何をしおえたというのであろうか。平井と木村の撃つ音が交《こう》錯《さく》する中で、伊庭は静かに夜具の上へ坐った。
何が終ったというのだ。時は自分に何をさせていたのか。この世界が必要としたものは何だったのか。
隊員たちは果《か》敢《かん》に反撃しているらしく、聞き慣れた叫び声が聞えてくる。伊庭は物音に惑《まど》わされまいと眼をとじた。早くも火の匂《にお》いがしている。
ひとつの世界が他の世界から大きなファクターを導入するという、不自然な無理をおかしてまで、何かを変えねばならなかったのだ。いったい自分はこの世界の何を変えたのだろう。
伊庭は過ぎた戦いの日々をひとつひとつふりかえっていた。火のはぜる音が近くなり、それは境川の岩場で隊員たちが燃やしていた焚《たき》火《び》の音になって行った。
伊庭の回想は、いま川中島になっている。いま江戸の眺めになっている。
部屋の中に炎が舌を出し、パッと襖《ふすま》が燃えあがった。燃えて、襖がよじれ、ふわりと崩れた。
景虎が笑っていた。むっつりした孫《まご》市《いち》が通りすぎた。竹《たけ》吉《よし》が駆けて来る……。
伊庭は脇《わき》差《ざ》しのさやをはらい、きっさきを上に向けて持った。
わからない。わからない。……鋭い刃が喉《のど》に突きささった。それでも手の力を抜かない。押しさげようとする。ひねる。
伊庭はどうと倒れた。
その短い一瞬、彼はすべてを見た。
藤孝は明《あけ》智《ち》光《みつ》秀《ひで》なのだ。そしてここは本《ほん》能《のう》寺《じ》なのだ。四国遠征の風待ちをしている庭《にわ》長《なが》秀《ひで》は丹《に》羽《わ》長《なが》秀《ひで》である。関東の厩《うまや》橋《ばし》にいる館《たて》川《かわ》勝《かつ》増《ます》は滝《たき》川《がわ》一《かず》益《ます》で、北陸の島《しま》田《だ》和《かず》秀《ひで》は柴《しば》田《た》勝《かつ》家《いえ》だ。三《み》河《かわ》文《ふみ》康《やす》は徳《とく》川《がわ》家《いえ》康《やす》で、中国路の石《いし》庭《ば》竹《たけ》秀《ひで》は羽《は》柴《しば》筑《ちく》前《ぜんの》守《かみ》 秀《ひで》 吉《よし》 だったのだ。
そう。この世界は彼のいた世界にごく近かったのだ。しかも隣接する世界と大きく異る歴史を持とうとしていた。彼はこの世界へ来て、見事それを修正してしまったのだ。
秀吉が生れ、家康が生れ、未来は同じ昭和になるに違いない。長《なが》尾《お》景《かげ》虎《とら》はやはり上《うえ》杉《すぎ》謙《けん》信《しん》だったのである。
むすび
義明が死んでからだいぶたった或る年の六月のはじめ、越後人の信仰をあつめていた境《さかい》川《がわ》川《かわ》口《ぐち》の《とき》の神をまつった社《やしろ》が、一夜に消えてしまっていた。
義明たちがもといたこの世界の史書を繰《く》ると、信長が明智光秀にたおされた本能寺の変は、天正十年六月二日のこととなっている。
ふたつの世界の歴史が何年ずれていて、どこがどれだけ違っていたのか、それを知る手がかりは何もない。
もしも興味があるなら、北陸路を旅した折に、境川川口を調べてみるのも面白いだろう。その越後側の岸に何があるか……。
戦《せん》国《ごく》自《じ》衛《えい》隊《たい》
半《はん》村《むら》 良《りよう》
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平成14年3月8日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
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(C) Ryo HANMURA 2002
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角川文庫『戦国自衛隊』昭和53年5月25日 初 版 発 行
昭和54年9月20日 改版 4 版発 行