内田春菊
私の部屋に水がある理由
目 次
私の部屋に水がある理由
甘いお酒に酔う女
そばやと管理職
最近のキーワード
京都のシロフクロウ
麻雀と前世とホラー
最近買ったキカイたち
本気にするなって
どーでもいいと思ってることをテーマに書くのは難しい
連載第二回目にしてすでに投げた私
少しだけ提案してみたりして
話のしかた
「自分」を構成するもの
男の子に甘えたい
男の子の役割
男の子の話は最後の三行かも
知らないかっこよさってのもある
ラップの男の子たち
あと一回ってとこまで来てまた投げやりになる私
やっとおわった
話
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スローロリス 第一印象 「犬型」と「猫型」 交通事故 初詣で たぬき 同じ話 先祖返り 東京の冬 札幌の冬 「水明亭」のナゾ カラオケ ある夜の六本木 くじら 中村 酔っぱらいな私 虫に刺される パチンコ台 有線放送 声が掛かる タンマさん 女の子 漫画家
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おとこの勘ちがい
選ぶ権利
昔の男
雑用しない男
仕事抜きで
「太った」と言う人
えらい人
ゲー
ワタナベさん
社長
もてなし
人選ミス
Bさんのこと
もうママにはなれない
浅草・スタルク・安いめし
私は魚を飼っている
銀座で買い物
鳥取砂丘
夢は口に出さない
何とかして会う
丈夫で、飼いやすくて、さわれるやつ
水槽の中の恋人
男子社員のこと
私の先生 (1)
私の先生 (2)
もうママにはなれない
最近考えたこと
私の無名時代──今は有名
水の夢、雨の記憶
東京都練馬区中村橋四丁目七番地十八号
私の転機
引っ越しすると
水槽
友情と自慰のバランス
美人の悩み──モトはとれてる
お酒好きですか
お座敷するなら
編み物ハイ
ばななちゃんたら無防備《セクシー》なの──吉本ばななちゃんのこと──
お菓子と花束
女が一番怒った時──結婚してたときのこと、かな
好きな男、嫌いな男──ギャル化してんじゃねーよ
お仕事メレンゲ
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働き者が好き そば屋のはれもの 学生ミニコミお断り 人の気も知らないで 年齢より仕事よ かっこわるい歌手 求人広告 サービス業 「ピンポンな人」 不思議な悩み カエル物語 例外もあると思うけど ショックな食事? 困ったワープロ取材 恋愛という欠勤理由 ある日の夕食 ナマズの遺言 「男に文句」もう飽きた 漫画家としめ切り 比べるよりも かわいこぶるやつ 昔のお話 ないしょの魚たち 料理 お母さんの背後霊 ある年の暮れ 止められた時間 まぼろしの今年の風邪 大雪ライブ 寝台車のイトウトリオ 頼むから 困ったお嬢さま=@ 「プー」の脳みそ かすみ草 仙台のおじさんたち 照れ屋のナゾ 言葉も疲れる 社会人のお酒 衝撃のきっかけ 便利なファクス ダンサーになりたかった 大阪トークツアー 嫉妬 ヨーロッパ編その1 ヨーロッパ編その2 帰ってきたぞ おまんこ
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3 コ ラ ム
ムズムズな年賀状
はやく老けたいの謎
中途採用、こういう奴には気をつけよう!
ユーガッチュー
相談その1
相談その2
シゴトのこと
ノーモア・おたく
女のほんと
あ と が き
文庫版あとがき
私の部屋に水がある理由
甘いお酒に酔う女
今はもうやることもなくなったけど、むかし仕事でカクテルをつくるのが好きだった。それもシェイカー振るやつ。フィズとか。グラスの中で瓶入りレモン果汁なんか使ってつくる店もあるけど、やっぱちゃんと絞ったレモン使ってシェイカー振ってつくったやつがいいよね。
フィズってつくんの簡単なの。シェイカーの中に、レモン汁と、かちわり氷大きめ一個と、リキュール(カカオフィズならカカオリキュール、メロンフィズならメロンリキュールね)とマドラーの先のスプーンで二杯くらいの砂糖を入れるでしょ。そしたら蓋をよく閉めてカシャカシャ振って、それをグラスにあけて氷入れてシュワーって炭酸水で割って、ちょっとマドラーでまぜるだけ。砂糖入れるってのがどうも抵抗あったんだけど、そう習ったんでお客に出すときは入れてつくってた。だけど、自分で飲む時は入れなかった。だって砂糖入れなくたってリキュールって甘いんだもん。
その頃から不思議だったのは、
「スクリュードライバーは女殺しの酒である」
という言い伝えだ。その「女殺し説」を口にする男たちによると、スクリュードライバーとは、
「口あたりがいいから、女は騙されてくいくい飲む。気が付いた時には腰が立たない」
というすごいカクテルらしいのだった。どんな魔法の飲み物なんだろうと、私は店にあったカクテルの本でつくり方を調べた。すると、なんと簡単。ウォッカをオレンジジュースで割るだけなのだ。私はさっそくつくって飲んだ。そして、
「なんじゃ、こりゃ」
とあきれてしまった。
確かに半分以上はオレンジジュースであるから、オレンジジュースの味もするのだが、ウォッカ独特の匂いも味もちゃんとする。万一これを飲んだ女がウォッカの味を知らなかったとしても、アルコールがたっぷりはいっていることくらいひとなめでわかるはずだ。こんなもん、だれが「口あたりがいいから騙されてくいくい」飲むか馬鹿、である。おっかしいなー。私は真面目に悩んだ。
その後、
「いやスクリュードライバーはもう古い、女がもう警戒して飲まないよ」
「そうそう今はなんたらかんたらのほうが女はよろこぶ」
「あれも口あたりがいいから騙されて」
などというのを小耳にはさむたびに試してみたが結果は同じであった。やっぱりただ甘いだけで、そんなに沢山飲めるものではない。いったいあの女殺しカクテル説はどこから来るのか。
しかし今、私はふと思う。ああいう話をする男たちって、すごく酔ったという状態を言うとき、「腰が立たない」「腰に来る」と、なんだか妙に「腰」に関する表現が好きなのだ。私の人生経験が浅いだけなのかもしれないが、みなさん、酔って「腰」が立たなくなった人って見たことありますか。どうなるんだろう、昔のおばあさんのように腰が曲がんのかな、あんまし色気ないね。
でも彼らは言う。
「いや、こう立ち上がろうとすると気付くわけよ、腰が立たないのに」
その顔のなんと嬉しそうだったことか。あの人たちはほんとにスクリュードライバーなどで「腰が立たなく」なった女とホテルへでも行ったことがあんのかな。腰が立たなくなったような女とセックスして楽しいのだろうか。
女は甘いものが好き、酒でも甘いのをつくって出してやれば飲み過ぎるほど飲むはず。そして酔わせさえすれば関係するのも簡単なはず、という心が生んだメルヘンだったのかしら。それとも昔の、あんまり酒なんて飲むことのなかった女たちは、本当に甘い酒に心まで酔わされていたのかな。
とにかくもうそんなメルヘンはかんべんして欲しい。女が一緒だからとワインを勝手に甘口に決めてしまうような男と食事すんのはやだよー。女イコール甘いものなら何でも好きという公式はもう試験には出てこないぞー。私だっておいしいお菓子なら、たくさんは食べられないけど好きだ。でもめしのおかずと酒関係のものの甘過ぎるのだけはまいっちゃう。寿司屋の卵焼きだってあまり好きじゃない、よっぽどおいしければ別だけど。缶コーヒーも飲まない、甘いから。ウーロン茶やジャワティーストレートがあるのに、なんで砂糖のはいってないコーヒーって売ってないのかしら、悲しい。
いちど飲み屋で梅干し頼んだら、カウンターの中の若い男が、
「砂糖かけます?」
と聞いてきたので、思わず、
「なにいー?」
と少年マンガのキャラクターのような聞き返し方をしてしまった。一緒だった友人から、
「何けんか腰になってんのよ」
となだめられ正気に戻ったが、あんなセンスでよく飲み屋に勤めてんな、と今でも思うわ。
去年だったか、ニュースで、「飲酒する女性がものすごく増えた」ということを伝えていた。私はそれを聞いてすぐ、おお、これほど言ってるくらいだから男の飲酒人口とほとんど同じになってるか、もしかして抜いちゃってたりしてなどと思ってしまったのだが、数字見たら男よりぜーんぜん少なかったの。忘れたけど何分の一とかそんなもんだったのよ。なんだ今の「ものすごく増えた!」的なおおげさな言い方は、ってくらいでさ。
きっとあのニュースも男が原稿書いたんだろうな。女はわしら男が酒場に連れていってやって、甘い酒で「開発」してやるものだったのに! かなんか思ってさ。なんてね。とにかくまあ、女性の飲酒人口は増えている! らしいから、ムヤミと成人女子に甘い酒など押しつけると、いじましい男だと思われるよ。
そばやと管理職
私の会社のある初台の駅前の、立ち食いそばやはうまい。こないだから私はわかめそばが気にいっている。わかめにこしがあって美味しいんだようん。かき揚げそばなんて、ハンバーガー大のでっかいかき揚げを、注文がはいってからジューッと揚げて乗っけてくれるんですぜ。おうそうじゃ、そばやの隣にある寿司屋と、どうも親類関係の人たちらしいから、わかめが美味しいのはそのせいかもしれません。寿司屋もいいんだ、板さんが、妙にみんないい男で。はっぴ脱いで、蝶タイ締めても似合いそうなのさ。私は気難しい寿司屋にいくとじろじろ見られたりするんで、うるさいおやじのいない寿司屋が大好きだあ。
話をそばやに戻して、ここがいいのは味だけじゃない。雰囲気もいい。立ち食いそばやって、けっこう「男の世界」してるじゃない? そう言っちゃえばラーメン屋でも飲み屋でも寿司屋でもと、きりがないんでもうだいたい慣れたけど、やっぱたまに困る。むこうはサービスのつもりなのだろうが、
「はいこちらのお嬢さんご注文は?」
と、黙々とエネルギー源をかっこんでいた見ず知らずのおっさんまでこっちを振り向いてくれちゃうような余計なことなんか言われた日にゃ、もう二度と来ないぞと思いながら、
「いか天そばの大盛り」
とにっこり注文。たまに女が来たからって喜ぶんじゃねえよ、である。
「女の人だからおまけしといたよ!」
これも……うう、ありがたいとは思います、女だからといういわれのないこのお得な気分。でもでもご主人、私、自分で働いた金で来てるんざんす。イコール、本当はそっとしといて欲しいんだー! と思っていても口には出さずに、
「わあ、ありがとう」
とやはり、にっこり。人が好意でしてくれることを無にするほど辛いことはないもんね。でも、その店にはもう行かない。女だからというだけでムヤミに得をしたら、いつか仕事などの、もっと大切な面でしっぺ返しが来るようでこわいんでごんす。臆病者と言われてもいい、こわいから次から行かない。
しかし、初台駅前の立ち食いそばやは違う! その証拠に、たまに女子高生が並んでそばをすすっているぞ! のれんの下から紺色のおそろいのスカート、ああ、いくら食べてもおなかがすく頃なんだろうなと、それはもう微笑ましくて目頭が熱くなっちゃうんだから。あのお店の人たち(もちろんみんな男)は、「男の世界」に女を入れる方法を知っている。それは口で言うのは簡単、特別扱いしないこと。
最近、私、男の人たちに何か言ってやってくれ的な仕事が続いてる。テーマは「おじさん」だったり「セクシュアル・ハラスメント」だったりそれぞれだが、みんなおんなじである。私のマネージャーはすでに、
「テーマはほら、男のなんとかっていつものあれ」
と記号化してしまった。別にいやというほどでもないし、その度《たび》にいろんな人に会えて嬉しいのでへいへいと出かけていくが、よくこう続くなー、ってくらい続くのよこれが。みなさんそんなに悩んでらっしゃるの、ほんとに?
私の大好きな遠藤泰子アナウンサーの素敵なエッセイ集『あったかいことばで話したい』(大和書房)に、女性社員にどう対処すべきか考える男性管理職の人たちに遠藤さんが呼ばれて行って話をする場面があるが、その人たちの正直な気持ちとはこうらしい。
≪「女性が仕事をすることは素晴らしい」
(しかし、自分の女房にはさせたくない)
「これからの企業は、女性の力をとり込んでいかなくてはならない」
(しかし、自分の部下に女性は困る)
「仕事のデキる女性は素晴らしい」
(しかし、一緒に仕事をするなら、若くて美人で、そして素直な女性)
こうした本音と建て前の間で揺れている管理職の方がほとんどだった。≫
遠藤さんのやさしい文体で引用すると思わずつるつると読んでしまうが、まったく、揺れてんじゃねえっつのそんなとこで、鏡で自分の顔をよく見ろと私は思わず口汚くなっちゃうのであった。しまった、こんなことを書くからその手の仕事が多いのかしら、まあいいや。しかし私のまわりにはそんなタワケな大人はいない。そういう上司の下で働いている女の人たちには本当に気の毒ですが、まあ自分でなんとかしてください、それも現実です。誰かが助けてくれるはずだとか、他人はうまくやっているなんて思ったらそこでおしまい、ほんとだよん。
「セクシュアル・ハラスメント」のテーマのときに聞いたケースだけどさ、
「ある上司にセクシュアル・ハラスメントされている。そのまた上司に訴えたが笑いとばされ相手にしてもらえない。それどころかおおっぴらにすると君のほうが首だと言われた。同僚に訴えたが、同僚も冷たい」
そりゃあんた、みんなに嫌われてるだけなんじゃないのと言いたくなんない? まじめに仕事してないんじゃないの、彼女ォ。
「仕事ができるできないの問題ではありません」
と言う人もいるけど、そうかなあー、私は問題にしたいな。白状しますが私も仕事出来ないくせに女子社員のお尻にくっついてばっかしいる男子社員に、
「うじうじすんな、このドーテー!」
と社長としてセクシュアル・ハラスメントしたことがあります。すまんかったね。
しかし今回また求人したけど、男子は全滅。仕事は生活のうち何%だと思う? と聞かれて「10%」と答える困ったちゃんなんかだーれが雇うっての。うちの業界をなめるんじゃないやい。
最近のキーワード
私と私の友人たちの最近のキーワードは、「よかれと思って」である。
私の自宅の小さな庭に、池を造ることにした。自宅は海のすぐそばだ。もちろん川も田んぼも目の前で、春には蛙の大合唱が起こる。去年の春は魚アミでざりがにやおたまじゃくしを捕まえた。そこへお巡りさんが自転車で通りかかり、いい大人が川の中でざぶざぶやってるのを見て声をかけてきた。
「なーに捕ってんのかね」
「ざりがにとおたまー。ほらほらー」
「あー、ほんとだわー」
そんなところだから、池があるといいぞう、といつも思ってたのだ。ただでさえ庭に放っぽり出してある古い水槽にはしょっちゅう青蛙が泳いでいる。今は水槽の中にいるウーパールーパーを放したら、逃げちゃうかなあ。でも亀って手もあるぞと、池のイメージはどんどん広がっていくのでありました。
ところが池をこしらえてくれる業者と話していると、どうも、聞きもしないのに、当然「錦鯉」を飼うもの、と思っているらしいの。それも私はシンプルな池にしたいのに、話はどんどん別の世界へ。最後には、
「水の注ぎ口ですけど、ライオンの口から水が出るというやつでこれくらいのご予算……」
どひーっ、ライオンの口!
さすがに、
「ライオンの口なんてつけないよー」
と家の人たちと大笑いしたが、「よかれと思って」言ってくれている業者のほうは、何故私たちが笑っているのかわからないのであった。結局私たちは何度も何度もその人たちと話をして、やっとこさで自分ちの庭がローマ風呂になるのを防いだのだ。しかし、まだ掘っている最中なので油断は出来ない。よそ見をしてると、よかれと思ってビーナス像などをセメントでくっつけたりされるかもしれないのだ。そんなことをされたら観念して家の中にも虎の敷物や鹿の首やシャンデリアを置いてしまうしかないではないか。
あー困った。
よかれと思って、私のことを、
「マルチですね」
と言ってくれる人がいる。私はこのマルチという言葉を聞くとヘナヘナと体中の力が抜けてしまうのよ。わざわざ人が嫌がることを面と向かって、それも微笑みながら言う人はいないだろうし、言ってる人は当然私が喜ぶと思ってるわけよね。きっとその人自身だって、
「あなたってマルチですね」
と言われれば嬉しいのだろう。私は今度から、
「マルチですね」
と言われたら、微笑みながら、
「いいええ、○○さんこそマルチではありませんかー」
と言ってあげることにしよう。
「何をおっしゃる、本当にウチダさんこそマルチですよ」
「いいえー、マルチでは○○さんにとてもかないません」
何回くらい繰り返せば気づいてくれんでしょうか。高見山がCMやってるふとん綿か、私は。
もうひとつ、しつこいようだが「エッセイスト」がわかんない。私は「漫画家、歌手」、ふたつ言う時間がないときには「漫画家」だけを肩書にしているが、そこへ何故か「エッセイスト」という六文字が挿入されていることがある。この「エッセイスト」って、これ実は前にも書いたんだけど、どういう職業なんですかあ? 何言ってんだよおめえ、今自分で書いてんのがエッセイだろと言われるかもしんないが、エッセイを書くってことと、エッセイストってのになるってのは違うぞっ。そんじゃ漫画描いたことある人は全部漫画家かよう。だいいち、自分で「私はエッセイストをやっています」と言ったこともない私が、なんでエッセイストと呼ばれるのでしょ。答えは最近わかった。たぶん世の中では、漫画家よりもエッセイスト、というか文字書く人、の方が身分が高いらしいのよん。だから、どうも「ウチダさんはエッセイも書いててエライね、よしよし」と。だから、逆に活字関係者が漫画を描いても「漫画家」の三文字が勝手に肩書に侵入することはあんましない、のであろうと。なるほど、これで御祝儀のように「エッセイスト」とそーっと入れてあるナゾが解けたわ。でもまあ、エッセイの仕事でもお金貰ってるんだし、別にいいけどさ。これも「よかれと思って」入れてある六文字なのね。
しかし、それは別にしても「エッセイスト」という商売はナゾだ。勝手に言われてるにしろ、どうにかして「エッセイスト」という職業を把握したい、と思った私は、「エッセイ、随筆」を辞書で引いてみたのでやんす。すると、「筆の赴くままに書くこと」と出ていたのでごじゃるよ。それじゃあまるで自動書記。私はヴィージャ盤か。それともこっくりさんかしら、とほほ。
こっちが何も言わないうちから、どんどん先まわりして過剰サービスをしてくれる人の多いこの国で、「よかれと思って」の奥は深い。あるイベントで倉本聰さん、五代利矢子さんらとも話したが、あの冷蔵庫や電子ジャーやポットの花柄だってそうだい。少し前まで、なんでもかんでも真っ黒にしやがってと怒るおとうさんもいたが、あんなへんちくりんな花柄がついてるくらいなら私は真っ黒の洗濯機のほうが好きだあ。
そんなわけで、私と私の友人たちはなにかというと「よかれと思って」と指摘している。ちなみに、こないだまでのキーワードは、
「どの口で言った、この口か?」
であった。
京都のシロフクロウ
新幹線の中で対戦型テトリスをやりながら、京都へ行った。対戦型のテトリスでは、相手が二段以上ブロックを消すとこっちにそれが引っ越してくるので、一人でやるより三倍面白い。ルールも簡単だから、オトナの人でもすぐ楽しめる。私のマネージャーなんてもともと部屋の模様替えが好きなせいか、あっという間に強くなっちゃった。こないだも徹夜で仕事していて、
「眠いようー、もうだめ」
と泣いてたら、
「テトリスやろうテトリス」
もちろん私はぼろ負け。それを見てマネージャーは、
「あれ? もう終わったの?」
と憎々しげに言う。
「ちっくしょー!」
とむきになって、目もすっかり覚めたところで、
「さあお仕事」
とゲームボーイは取り上げられたのであった。とほほほ、のせられやすい私。私のマネージャーは有能だ。
京都は三回めくらいだったかな。最初はうろうろしただけ、二度目は梅小路へ行ってSLを見た。今度は動物園だー!「京都市動物園」は東山にあるが、名古屋に「東山動物園」というのがあるのでまぎらわしい。
そういえば名古屋の「東山動物園」のほうでは、
「ウーホ、ウホ、ウホ、ウッホ」
と鳴く猿と出会った。のどが、お祭りなんかでよく売ってる笛、ほら風船をぷーとふくらますと、その空気で「ヴィー」と音を出すやつ、あれのようになっているのだ。つまり、
「ウー」
でのどがガレスピーの頬のようにプーと膨らみ、その息を吐く時、
「ホ」
が出るのであった。私はものまねができます。見ているうちに覚えてしまったのだ、エッヘン。威張るようなことでもないか。
京都市動物園では、ワニやシロフクロウたちと出会った。ワニをあんなに近くで見たのは初めて。こわかったようん。普通、オリのむこうだったりするじゃないすか。すごく薄いガラスなんだもん。カミツキガメなんか、水槽割る奴いるし、もしあの大きさのワニを原地から連れて来て入れたら、見てる人は危ないかもしんない。でもそのワニたちはどうも水槽暮らしが長いらしく、完全にたそがれていてぴくりとも動きませんでした。おなかはぶくぶく、目も白かった。目って、すぐやられちゃうのよね。私の所で飼ってる魚もそうです。
私の魚といえば、最近またナマズを買ってきました。こないだ死んで剥製《はくせい》になっちゃったオキシドラスの幼魚と、レッドテールキャット。オキシドラスっていうのは真っ黒いナマズで、側線がアジのようにギザギザになっています。顔つきは馬さんのよう。レッドテールキャットのほうは名前のとおり、しっぽが赤い。黒と白のストライプに赤いしっぽが、カフェバーのようにおっしゃれー、だったりして。顔つきはそうね、アホロートル(ウーパールーパー)に似ています。そいつはナマズにしては活動的なほうなので、エサは金魚です。追い掛けてはごくんと飲む。ナマズはたいがいそんなことはしないから、ほかの奴はイトミミズをずずずとすすっているんでした。
そういえばもう今年の春で終わったけど、FMジャパンというFM局で、『キャットフィッシュ』という番組の木曜日を担当していたの。「中南米名曲コーナー」というのを勝手につくってペレス・プラドやティト・プエンテやオーガスタ・ダーネル(キッド・クレオール)の曲ばっかかけてたんですが、番組に来るファクスやらおたよりに、
「キャットフィッシュってカワイイ名前ですねー」
となんだか妙にはしゃいでいるのや、猫と魚の絵を並べて描いてあったりするのがあったの。「キャットフィッシュ」がナマズのことだっていうのは、私が思っていたほど知られてないのね。そりゃそうか。私がナマズ飼ってるっていうとびっくりする人多いもんなあ。んでね、びっくりしたあと必ず、
「地震を予知させるため?」
とか聞くの。あー、ヘナヘナと腰の力が抜ける。そんなにそんなに「役に立つもの」がお好きなんですかぁ? ナマズは、かわいいですよう。いちんちじゅう土管の中にはいって、ぜんぜん動かないけど。そういえば、動物園でも、動かないナマケモノなどはあまり人気がないらしい。水族館に行っても、動かない魚の水槽を、動くまで叩いている人もいる(なぜか関西に驚くほど多い)。あれは嫌だ、頼むからやめてよー。あれって、
「最近あの人なんもやんないじゃん、なにしてんの?」
と、芸能関係者のスキャンダルを要求する根性と似てるような気がして、気持ちがすさんじゃう。
まあそれはともかくシロフクロウです。私とマネージャーと、今回の仕事の担当さん(その人も内田という)は、このシロフクロウの顔を見て、五分くらい笑ってました。目がね、「博多にわか」みたいになんのー。わはは。思い出しただけで笑ってしまう。しかし帰って来てから図鑑を見たら、目はほかのフクロウと同じく丸かった。ということは昼間だから眩しかったのかな。でもほかの奴は同じ条件なのにあんな波目ではなかった。色白だしほんと、おたふくが鳥になったようでありました。
そのあと、動物行動学者の日高敏隆先生と猫や魚のお話をして、また新幹線の中でテトリスをやりながら帰って来ました。そんで東京駅でタクシー待ちの列が長かったのでまたテトリスをやりましたが、周りのお勤め風の人たちが、神経症みたいに喋りまくっててこわかった。
麻雀と前世とホラー
またもやゲームボーイのソフト「やくまん」の対戦型が面白い。ファミコンではできなかった二人麻雀。しかし私は麻雀が弱い、ぜんぜん勝てないよー! やはり、図案の好きな牌をさっさと捨てられないのがいけないのかな。ソウズの八はMMと見えてどうも好きだ、とかさ。イーソーがあるとなんだか嬉しい、とか、つまんない理由で負けないようにしたいわ。
なんて言ってたらパチンコで少し勝ったので、ワニのいっぱい出てくるピンボールのソフト「66匹のワニ大行進」を二つ取った。対戦型にすると、画面の上下にフリッパーが出てきて、二人でやる障害物付きミニホッケーという感じ。まだそんなにやってないけど、Fという字に羽がはえてるやつにボールを当てちゃうと、フリッパーの片っぽがぽっきり折れちゃったりして慌てる。対戦型は面白いなー。
ところであなたのまわりに「前世」に凝ってる人はいません? 私はまわりの若い子がけっこう、
「自分の前世を知りたい」
なんて言うんでおやおや、なんて思ってるんです。たまに、若くなくても真剣に考えてる人なんかもいてびっくり。まあ、
「もしそんなもんがあるんだったら、自分は何だったのか知りたいものだ」
程度の人は別にいいんだけど、ちょっと気になるのは、
「やっぱり自分がどこから来たのか知りたいじゃないですか」
なんて言うタイプ。どこから来たって、それってちょっと変な言い分じゃない? こんなこと言ってる人に限って、自分の親と顔からすることまでそっくりだったりするのに、自分ではそれに気づいてない。自分が知りたきゃ親見れば? と言ってあげたいけど、あんまり真剣だと何だかそれを言っちゃあおしまいよって感じで、ふーんなんて言ってるしかなかったりして。「生まれ変わり」にロマンを求めるのもいいけど、自分の親はなかったことにするのは、ちょっと卑怯だと思うわ。
というようなことを動物行動学者の日高敏隆せんせいにお話ししたら、
「ああなるほど、卑俗な自分の親は飛び越して、ね」
とおっしゃった。そうよそれそれ! そのヒゾクなんです。ワカモノって、もともと自分の親を悪く言ってみたりすることが多い。それはワカモノのこころの成長のようなものって、自分の親を批判することからも始まるのかも、なんて思えるから、よっぽど片方の親だけを酷《ひど》く言うとか、あまりにも自分のことは棚に上げてるとかいうのじゃなければ最近気にしない。だけど、親を飛び越して、戦国時代の予言者だとか十九世紀の鍛冶屋の嫁だとか、それより昔の、人々がどんな生活をしてたのかも想像できない時代のだれかに自分を求めたりするのは、あまりにもお偉いんじゃないかしら?
生の前やら死の後ろやらに、ロマンを持ち過ぎるのは危険な気がする。お昼の奥様番組の人たちがお葬式をレポートするとき必ず、それも当然のように、
「(亡くなった人に)何と声を掛けてあげられましたか」
「そしたら、何と答えてくれましたか」
というような質問をするのはなんだか不気味。そして誰も、
「死んでしまった人に声を掛けても答えてくれるわけはないでしょう。声を掛けたり、何かしてあげられるのは生きてる間だけじゃあないんですか」
というようなことは言わない。こないだなんか、
「……と声を掛けてあげたらね、祭壇の写真の口元がふっと笑ったように見えたのよ。ねえ、今、写真が笑ったわよね、って言ったらみんなも確かに笑って見えたって……」
なんて言ってる女優までいて、ちょっと恐ろしくなってしまった。
でも、上杉清文さんの『仏の上手投げ』(太田出版)を読んだら、死を迎える時、西欧人は何を考え、どういう心理状態になるか。そして日本人はどうか、という内容の章があって、考えてしまった。日本人は、
「これから神の国へ」
という納得が出来ないみたいだから、やっぱり、
「死んでもなおみんなに愛されて」
というところを心の拠《よ》り所にして死ぬしかないのだろうか。
ちょっと話がそれちゃったけど、そんなふうな現実から(何がそんなふうなんだか)、前世マニアの人は逃げてんなーという気がするの。私は友だちに付き合って、ある女優の前世探索ビデオなんか見たことあるけど、あー、まだまだこんなもののほかに見るものはたあくさんあるぞうという気がして、簡単に言うと面白くなかった。彼女がただ、不倫だの何だのから逃げ回っているだけのドラマにしか見えなくて。それもやたら長いんだ。まあいいけどさ。
とにかくこれからの課題は、イーソーなどをさっさと捨てることだ。それと、私は前世話よりホラーが好き。宮崎勤の事件で、ホラービテオが問題になったけど、あんなの、ロリコンマンガ読んだことないおじさんが言いだしたのに決まってる。ホラーがどうとか言う前に、ロリコン誌の一冊でも読んで欲しいわ。でもそれを取り締まれという意味じゃなくて、おじさんたちも自分の中のロリコン趣味にまず気づいて欲しいわけ。日本の男ってほとんどはマザコンとロリコンの間をぐるぐる回ってるんだもん。これ前にも別んとこで書いたけど、拒食症と過食症が裏表で同じ人に起こるように、マザコンとロリコンも裏返し。だっていいおじさんになって、自分と同じ年頃の女が魅力的に見えなくて若い女がいいっていうのがロリコンでなくて何なの? ホラーもののほうに責任転嫁しないでほしいよ、ほんと。
最近買ったキカイたち
新しいファンヒーターを買った。
もとはガスストーブを使っていたが、徹夜明けかなんかのとき、寝ぼけて膝の裏をジューと押しつけてしまったのと(そこには今でもストーブの跡がついている)、猫がやかんをひっくり返してしまったのが理由で、ファンヒーターにかえたのが、五年くらい前だ。
いやー、温風が出るのに、触っても火傷《やけど》しないや、なんて最初はそれだけで喜んでいた。おまけに部屋があったまってくると勝手に火が小さくなってくれる。やかんがかけられないんで、お湯が常備できないのと、部屋が乾燥するのはちょっと淋しかったけど、何よりも安全が一番だし、加湿器と沸騰ポットに助けられ少しずつ慣れた。
しばらくたって、少し大きいのを買ったら、こんどは三時間おきにピーピー鳴いてる。ボタンを押してやると喜んで燃え続けるが、かまってやんないと消えてしまう。でもまあ、それがついているおかげで、人のいない部屋をあっためておけたりするわけ。私はつけっぱなしで眠ってはいつもピーで起こされた。使ったことはないけど、指定の時間に点火できるタイマーもついてたみたい。換気が必要だとピッピッピッと少し違う鳴き方もする。灯油がなくなりそうな時はまた違う。うるさいといえばうるさいが、まあ慣れればへいちゃら。
と思っていたらまたまた新しいのがやって来たわけです。これは、前のと違って鳴かない。静かでいいし、部屋が指定の温度にあったまったときは、火が小さくなるだけでなく、消えてしまうの。で、また、寒くなってくると自動的に点火する。勝手についたり消えたりするってのはすごい。それが灯油の節約になるので、灯油タンクが小さく、従って全体の大きさも前よりひとまわり小さい。すっげーと思ったが、三時間経つとやっぱり勝手に消えてしまうのだった。どうも寒いなーと思ってヒーターを見ると、
「三時間経ったんで消えやした」
というイミのランプが灯っているので、でーい、寒いと思ったぜ、とまたつけなければならない。ピッとも鳴かないで消えてしまう、クールなやつ。でも、静かってことは大切なことだ。沸騰ポットで、沸騰ボタンを押すと、
「ピッ」
お湯が沸騰すると、
「ピーッピーッピーッピーッ」
と鳴いて知らせるのがあるが、はっきしいって驚く。あれをお客の前で使うとお客は何かと思うだろう。それに、つけっぱなしは楽だが、寒いなと感じてから暖房をつけるということは大事なことだわ。省エネね。
としみじみ思っていたら加湿器がぶっこわれたので新しいのを買った。私は昔「人間発電機と呼んでください」というタイトルのエッセイを書いたこともあるくらい静電気に感電するので、加湿器がないと恐ろしくて迂闊《うかつ》に金属や人に触れない。毎年、パチッと来たら、
「あっいてっ、……もう冬ねえ」
である。今年の初パチは十一月十五日、テレビ朝日のエレベーターのドアで、であった。人が何でもなく触っているところでいきなり、
「痛っ」
とか言って手を押さえたりするのは、情けないけど、痛いのよねー。とほほ。
こんなふうだから、ある人から、
「これ、いいよ」
と、低周波肩こり治療器を勧められた時は、少し怖かった。私がやると、弱い電流でもえらいことになるような気がしてしまう。でも思い切って借りたらなんてことなくて、ほっとした。
この治療器は、腰なんかでもチクッチクッと来てなかなかいいのだが、肩に電極を付けると、面白いくらいに肩がびくんびくんすくみあがる。鏡で見て、思わず笑い転げてしまった。このキカイも、私が借りたやつはシンプルなものだったが、最近のは、
「そのまま眠ってしまっても大丈夫」
なタイマー付きだという。しかし、これを付けたまま眠ってしまうお年寄りの姿を想像すると淋しい。
「えーもう疲れちゃったー。おこづかいくれるならやるけどー」
とか言ったりする、あんまり優しくない子どもや孫でもいいから、やっぱり人がいるのがいいと思うわ。
人がいると言えば、私の会社では何か行事がある時、一所懸命写真を撮るマネージャーがいるので、あとでたいへん助かるのだが、そんな人がいない人たちのための「KANPAI」というカメラが出た。
専用の三脚を付けて立たせておくと、大きな音、つまり盛り上がった笑い声などがするたびにシャッターがおり、その上カメラの向きまで変わるという。私のマネージャーは、カメラやキカイが好きなので結局これを買ってしまった。そして、三脚を付けたカメラの前で手を叩いたり、大声を出したりして何時間もカメラと遊んでいた。それによると、
「大きな声がした時にシャッターがおりて、それから、今向いていた所とは違う方向を向くんだけど、大きな音がきっかけになるというしくみで、その音のする方を撮るわけではないみたい」
ということだった。でも、あとでカメラがひとりでどんな写真を撮っていたかを見るのは面白いであろう。普通にはもう使っているが、まだそういうふうに使ってはいないので、その日が楽しみだ。きせかえ人形の履くようなサドルシューズまでついている。三脚に履かせる靴なのだそうだ。その他にも、四連写カメラ(一枚の写真が四分割されるという出来上がりで、続けて四ポーズが写せるけど、それしかできないカメラ)やら、横広の写真が撮れるフィルムやら、まだ使っていないが、買った。それでやっと気づいたけど、カメラって最近ほんとうに安くなったね。
本気にするなって
どーでもいいと思ってることをテーマに書くのは難しい
困ったわ、私が男の子たちについて書くなんて。小井編集長ったら、私のことをかいかぶりすぎなんだもん。私って男性経験少ないしい、奥手だしい、とても男の子たちにイケンするなんてできなあい、ねえとがしィ、とがしのイラストだけがたよりなのよお。あっ、いったーい、何もなぐらなくてもいいじゃないのよッ。
といきなりさし絵画家とうちわもめをしているところですが、みなさん、ほんとに私の意見なんて真に受けないようにね。とがしを含めた友人たちは死ぬほどよく知ってるけど、私の言うことなんてただの酔っぱらいのたわごとよ、たわごと。そのへん、間違えないように。それでもいいからって言ってる小井編集長が悪いのよん。
さて、そんな私のわがままで、『Gainer』の少年編集者がかき集めて持ってきてくれた、男の子たちに関するデータ。第一回目は、朝シャンと、デオドラントと、靴下などの巻だっ!
Q 二十代男性三十人に聞きました。あなたは、朝シャンしますか?
する 十二人
しない 十八人
Q 同じく。あなたはデオドラントスプレーしますか?
する 六人
しない 二十四人
Q 同じく。あなたは長い靴下をはきますか?
はく 一人
はかない 二十九人
こないだねえ、あたし、ある団体でホテルに泊まったの。そしたら、その中の男の子が夜は疲れてすぐ眠っちゃったらしくて、「俺も今日、朝シャンゆうの、しましたわ」って言ってたのが良かったのね。ちゃんと冗談になってて、可愛かった。
朝にシャンプーする、って言ってる人の理由の中に「一般常識だ」ってのがあったけど、こういうのはなんかムズムズしてしまう。シャワーが好きだし、夜は疲れて寝てしまうし、とか言うのを聞くと、ああ、これって体質の問題だなあと思う。たとえば、私は自由業だから今は関係ないんだけど、すっごく血圧が低くて、朝は生きた死体なの。昭和天皇が臥《ふ》せてらして、毎日血圧その他が発表されてた時なんか、
「今日は私の方が低いわん」
なんて比べてたくらい。そんな体質で、お勤めなんてしてたら、朝にシャワーなんて絶対無理。夜はいつまでも起きていられるけど、一度眠ったら最後、起きた時はゾンビだからさ。それに、子どもの頃、近所に朝から頭洗って行く女の子ってのが一人いたんだけど、その子はなんだか、ひどい脂性だってのを気にしてそうしてる、って聞いてたの。なんでも、その女の子のおとうさんがそれをその子に指摘したらしいのよ。それは、同じ女としてとても悲しいお話だった。それに、今でも近所にいるの、信じられないくらいリンスの匂いさせて朝から歩いてる女。どのマンションから出てきたか匂いでわかるんだから。聞いた筋では、電車に乗るときには肩にぽたぽた水滴が落ちている強者《つわもの》までいるという。そんな情報が、朝のシャンプーを「何もそこまで」って思わせていたんだけど。最近は、まあ、夜より朝が強いって人も世の中にはいるようだし、まっ、いいかって感じ。でも、朝シャンしてるから女の子にもてるってことは、私はないと思うけど。
デオドラントは、どうなんだろうね。かなり、人数も少なくなってるみたいだけど。女を意識して、コロンとか使うのはなんか好きだけど、自分の匂いを殺す目的だったら、なんか悲しい。コロンって、その人のもともと持ってる匂いと混ざってなんぼの世界でしょ、デオドラントと違うもんね。私は、どんなに体臭が強い人でも、好きになったらそれも含めて好きだし、男を好きになるってのは、私だけじゃなくてどの女もそうだと思うけどな。
さて、最後の「長い靴下」。これって、なんか意外。最初から話すとね、私が、あるショーパブで、男の子のストリップ見たのね。そしたら、役者も演出もいいんだけど、ビキニショーツと蝶タイと靴下だけになったところで、その子の靴下が白いスポーツソックスなのよ。あれまあ、と思ってね。やっぱ、ここでは、イタリア男のような、長めの紳士用靴下だぜと感じたのよ。あれってでも売ってないのかなあ、なんて思ってたら、四谷のセイフーなんかにいったらいっぱい並んでるじゃん。最近はソフトスーツ多いから、そんな心配ないのかも知れないけど、ハードスーツで、なんかの拍子に脚が見えないようにするためには、長い紳士用靴下って強い味方だと思うんだけど。私は逆に、いい歳した勤め人がスポーツソックス履いてるほうが、やだけどなあ。木綿の靴下履いてれば若々しいってもんでもないわ。そのたんびに考えてれば、長いものも自然に箪笥の中にありましたって感じじゃあないのォ? コメント読んでもみんな、ひどく「長い靴下」に嫌悪感丸出しなんで驚いちゃった。まあでも、お勤めの人のことは、あんましわかんないからなあ。自由業者って靴下履かなくてもいい商売だからさ。
こうなってくると、下着のことも調べてもらえば良かったね。よく、女の子にはトランクスが受けがいいとかいうけど、私は個人的にはどっちでもいいし、日本人の男の子なら、かえってショーツの子の方が好きなくらい。なんか、育ちがいいって感じがする。「汗かいたときのこと考えてる」って感じでしょ。
こないだ、桂三枝さんの『ニュースコロンブス』に出たら、天野祐吉さんが論争を巻き起こした、あの「父のパンツと私の下着は分けて洗っている」CM、あれについて考えるコーナーがあって、
「どのパンツなら洗ってあげますか」
といろんなパンツが出てきた。その時三枝さんに、
「春菊さんはどうですか?」
と聞かれて、
「私は何でもオ・ケイ」
と答えたら、
「春菊さんはそんな感じですなあ」
って言われちゃった。ケロケロ。まあ、そんな訳で、やっぱり私の意見はあまり参考にはならないかもね。ではまた来月。
連載第二回目にしてすでに投げた私
今回、このページのための、
二十代男性三十人に聞きました。
Q あなたの下着は何ですか?
トランクス 二十一人
ブリーフ 五人
併用する 四人
なーんてデータをもらって、連載二回目にしてすでにどうしようもない虚無感のまっただなかにいる私。
もういい! もうどうでもいい!
ブリーフでも越中でもいい! どんな下着をつけていようが、好きになったら好きなんだってば。
つけてなくてもいいよ、あたしゃ。
こんな愛のない文章書いてるよりかお気に入りの男の子といちゃいちゃしたり水族館に行ったりしたいよーん。も、ほんとにさ、泣けてきちゃう。辞めよう! この連載。来月からはとがしが文章もやります。みなさんさようなら。いて。痛いなー。ぶたなくても書くわよ、書きゃあいいんでしょ。
そうだ、聞いてよみなさん。こないだも、こういったテーマでとがしと対談したばかりなの。『まんがくらぶ』って雑誌なんだけど。男がどうとかってさ……、うまいんだ、とがしはそういうの。ゴルフもうまい。らしい、よく知らないけど。
それによると、朝シャンってのは、やっぱ、少しはもてる要素になるらしいぞ。何故か。朝に頭を洗うと髪型が決まりやすいからだそうだ。これはとがし画伯の説だからね、あたしは責任もたないぞ。
しかしなるほどねえ、髪型かあ。あたし自身、頭ほとんどドレッドだからなあ。ドレッドにしたわけじゃあないんだけど、ねじりパーマがかかり過ぎちゃったんだよね、はははは……。それもずーっとほったらかしで。途中まで前髪だけ男の子に切ってもらったり、自分で切ったりしてたんだけど、髪伸びるの早いもんだからそれさえももう面倒くさくて。ほんとの伸ばしっぱなし。ブローなんかもう何年もやったことないぞ。ああもう自分で書いててやんなってきた。なんでこんな私がこんなページをやってるんだ。それも読んでる人、私のことなんか知らないから連載なのにプロフィール付きでやんの。近況でなくプロフィール。あーあ。も、いや。データ無視して好きな男の子のことでも書こう。そうだ、そうだ、それがいいわん。よその女が「やだあたしそんな男きらーい」なんて思ってもあたしの知ったことじゃないわ。
まず、なんと言っても特殊技能のある男でなきゃぜったい、や。どこでもお尻が出せる!(この場合、お尻はだれが見ても可愛くキレイでなければ特殊技能に非《あら》ず)とか、火が吹ける! でも良い。んで、その特殊技能でゴハンが食べられたりしちゃった日にゃあ、もう何も言うことはないわん。
でも、あたしの好きな男ってみんな特殊技能で食ってるのばっかだからなあ。それもまあ、いくつも持ってんだ、そういうの。って言うか、好奇心強いと自然に特殊技能は増えちゃうものみたいね。やっぱいろんな話出来る男は一緒にいて楽しいよね。しかしここでね、「何事にも好奇心を持ちましょう、それがいい男になる秘訣です」なんて言ってごらん、ほら、虚《むな》しいでしょう。
だって多分、
「何事にも好奇心を持たなくては」
なんて思ったことがある男がもしいたとしたら、もうその時点でその男って相当どうかしてる。今さらじたばたしてもどうにもなんないよ、そんなやつ。
もともと好奇心のあるやつってのはさ、がきの頃からこのやろうなんにでも顔突っ込みやがってかわいげのねえ、だの、知っててもほかのおともだちは今習ってるんだから黙ってなさいタナカくん! だの言われてさんざん嫌がられてきてんだから。その上好奇心の強さがわざわいして何にでも手を出しては騙されて、しょっちゅう痛い目に遇ってる。つまり長年、リスクのようなものを背負ってコドモやってきた歴史があるわけ。そういうのって、もうどうしようもなく生まれた頃からそうだったとしか言い様がないもの。それを途中から楽して自分のものにしようったって、甘いよ、あんた。
ずいぶん前に寿司屋に勤める友人から聞いた話。
「おい、レモン買ってきてくれ」
と言われて、レモンを買ってきたら、
「あ、パセリ買ってきてくれ」
で、それを買ってきたら、
「キュウリ買ってきてくれ」
そこで、その子がなんでいっぺんに言ってくんないんだこのおっさん! とかんしゃくを起こさずに、買い物を頼まれたら、
「他に何か買ってくるものはありやせんか」
と声をかけるってことに自分で気づいたってのが、いい話でしょ? その頃、その子中学出てすぐくらいなんだよ。なんか、あたしったら落語家さんみたい。落語家なんだけど。立川流はいってんの。名前ももらったんだ、落語できないけどさ……。でもね、HOW TOものって、しゃれで読む程度にしとかなきゃ、悲しいよ、ほんとに。どんなにささいなことでも、自分で見つけたHOW TOが、何よりの宝物なんだってば。
なんてこと書いてたらインターフォンが鳴った。
「お仕事中、失礼いたします。わたくしは、すべての人に、愛と幸せをもたらすために……」
だって……。
「今それどこじゃないんです、ほんとに!」
「はい、すみません」
あのねえ、ゆうべからずっと仕事してる漫画家でなくても怒るよ。事務所ビルを朝九時半にそんな目的で回るなっての、もー! と思いつつ、階段のところに出たら、恐ろしいほどシャンプーのにおいがするじゃない。すごいなー、今日来てたアシスタントでこんなにおってた人いたっけか?
あまりにもすごいんで、漫画が上がって帰り仕度中の二人をつかまえてにおいをかいでみたけど、あきらかに違う。これは、どう考えてもさっきの、すべての人に愛と幸せをもたらすために来た人のにおいとしか考えられない。その人によれば、すべての人の愛と幸せのために、きっと朝シャンは必要なのであろう。それも、姿が消えてもにおいが残るほどの。前回すでに終えたと思っていたこの朝シャンテーマの余韻はどうだ。なかなか朝シャンも奥が深いものなのであった。
少しだけ提案してみたりして
341 あっこら、竹丸、ワープロを打つなっ。
ごめん、猫がワープロのキイの上を歩いちゃった。最近猫と蜜月してんの。子猫の上にけっこう小柄な猫で、一緒に寝ると私の首の上とか腹の上で伸びてる。体温がやたら高いから、おなかが冷えなくていいわん。男の子はすぐどっか行っちゃうけど、猫はいつもそばにいてくれるからいいな。犬くらい毎日びっしりそばにいられるのは、ちょっと弱るけど。でもこの猫もメスだ。ヘナヘナ……。手術しなけりゃ、また家が猫だらけだ。メスだから捨てられるのかなあ。しかし「竹丸」の命名者は雌雄を知らずに名付けたもよう。オスかメスか聞かないで決めてたもんな。いいかげんなやつ。言わなかった私も私か。でもこの猫って目と耳が大きくてロリスみたいだ。
このままずっと猫のことを書いていようという誘惑に乗らず、話を戻そう。辞める辞めるってあれだけ言ってたこの連載だけど、とがしと一緒においしい食事をご馳走になった上、小井編集長からラブレターももらっちゃって、で、それにけっこう感動しちゃったので、書くわ、あたし。
最近思うんだけどさ、意地を張らないで、
「欲しいものは欲しい」
って言うのって大切なことよね。それがどんなに他人から見てつまらないものだったとしても、自分の気持ちに素直になって、
「だって好きなんだもん」
って言える人が結構成功するんだと思う、小井編集長も含めて。そう考えてみると、私のまわりにも、そういう素直な人っていっぱいいる。
「あれまあ、あなたほどの人がそんなに無防備にそんなこと言っちゃっていいわけ? それによって、あなたを傷つける人がいるかも知れないのに、大丈夫なわけ?」
とこっちがはらはらしちゃうような素敵な人たち。そういう人のところに、いろんなものが吸い寄せられていくんだわ、きっと。
こないだも、そんな男の子の中の一人から電話がかかってきた。彼の職業はミュージシャン。
「あら今晩は。元気?」
「んー、元気じゃないよォ。電話してるんだもん」
なんて可愛い! 今すぐタクシー捕まえて、抱きしめに行ってあげたくなっちゃう。でもそんなことしたら、写真週刊誌の餌食になるような人なんだぜ。やっぱこの人ってすごいよな、こんなこと言えるんだもん、って思ったわ。
もう一人。一緒に歩くと、前から来た高校の女の子たちが、
「あー」
って思わず声に出して言うような、
ある男の子。
彼はとってもとっても忙しい人なのだが、知り合いへのまめな連絡を常にかかさない。
あとほら、忙しいときほど、ふっと出来ちゃった暇な時間って、寂しい気持ちになるじゃない? そんな時に寂しくなっちゃってる自分をけっして隠さないのよ。これがなかなか出来ない人には出来ない。傷つくことばかりを怖がっている人は、寂しい自分を見せるとつけこまれるんじゃないだろうか、ってびくびくしてるからね。彼みたいに顔が売れちゃうとなおさら大変。でも彼は、素直にしている方が得るものが多いことを、体で知っている。
「ねえねえ、ひるごはん食べたァ?」
って、甘い声で電話をかけてくる。それがあんまり可愛いんで、あたしはつい出かけちゃう。まあ、あたしはその子にくらべればヒマな人間だしね。で、ごはん食べたりお茶飲んだりするんだけど、彼がまめにいろんな人と連絡取っているから、交換する情報も多くて、話しててもバッチ・グー。あたしもがんばろうって気になる。先週も今週も一緒にごはん食べたわ。
彼にいつか、
「こないだある人と対談したときにきみの話をしたわん」
というようなことを言ったら、
「知らないところで人が自分の話をしてるのは嬉しい」
と答えたので、ああ、こういうことが言葉に出して言える子だからみんなに可愛がられて仕事も増えるんだわ、とすっかり感動してしまった。じーっと待ってて、誰かが僕を見つけてくれるはずだ、なんて思っているやつの時代は昭和と一緒に終わっちゃってるわ。
イソップ物語のきつねみたいに、酸っぱいに違いないと負け惜しみを言って、欲しくないふりなんかをすると、葡萄はますます遠くなる。葡萄のひとふさやそこら、食べなくたって死にゃあしない、というふうに考えることも出来るけど、それを続けてると必然的に理想が高くなっちゃうからね、まずいよ、きっと。そのうち悪い意味でのおたくになっちゃう。情報に欲情して、どうすんのさ。生身の人間ほど面白いもんなんてないんだぞ。
。・んいー。あっまたっ、竹丸っ。もー、せっかくいい話してたのに。だからね、ほら、恋愛のことも、勝ち負けでしか判断できない人っているじゃない。「あの女、落とした」とか、「あの男に誘われたけど断ってやったわ」とか。そういうのって、恋愛ゲームとして見れば面白いのかも知れないけれど、どうなんだろうね。欲しいものを欲しくないふりをしてじらしたりってのも多少は楽しいけど、あんまりそればっかりでも、しあわせになれないって気がするね。あたしはもう成人女子だから、恋愛を勝ち負けで考えるのは止めた。自分とつながっている男は、みんな可愛い。肉体関係があれば、なおさら特別に可愛い。貞操観念なんか全然持ってないけど、セックスをなめてかかるようなこともしない。
でもほんとは女の子も可愛いのよん。一応テーマ、男の子だから、男のことばかり言ってるけどね。まあ、いいや。だから、男の子たちはもっと無防備になるといいよ。そうすれば、あたしも人生楽しいわん。
前に、
「無防備だってことはセクシーってことですよねえ」
と岸田秀せんせに訊ねたら、
「同義語ですね」
と言ってもらっちゃったことだし、今月は本気にしてもいいぞ。
話のしかた
突然だけど、『鉄拳』はもう見たかな? あたし、取材兼ねてボクシングの試合シーンのエキストラやりに行ったんだけど、面白かったー。仕上がりも、うーん、男の子がこしらえた映画だわ、って感じで、好き。「オレはこっち行きたいんやから。行ったらゼッタイあんたも面白がるはずやから。来やな、ほら!」って、好きになったばかりの強引な男の子(それも関西出身。坂本順治監督は関西の人なのよ)から手を引かれて前のめりに走っているような気分。うふふん。余談だけどあたしは主演の大和武士くんと誕生日が同じだ。試写のあとのパーティーで彼にそう言ったら、
「オレ誕生日変えよッ」
だってさ。まったくもう、そのまんまなやつなんだから。でも、いい男だし、許す。
男の子に振り回されるのは、大変だけどやっぱり気持ちいい。振り回されるってことはさ、お互いの価値観のものさしでちゃんばらやってるまっ最中ってことじゃん? これがうまく引き分けになるまで戦い続けられたら、最高だよね。でも、ことばの選び方って、ほーんと、難しい。何時間も何時間も話して、自分の言うことは言ったぞってつもりで帰ってきて、ふと一人になったら、
「どうしてあんなふうにしか言えなかったんだろう、違うわ! 私ったらなんてなんて素直じゃないのかしら、あああああああああ」
とか思って、死ぬほど後悔したりする。そんなときは、もしかしたら相手のほうもそうなのかなあと考え直したりするんだけどさ……。時間もかかるものなのね、しくしく。
そう考えたら、何度でもこっちの話につきあってくれてる男の子って、素敵ね。
今は幸運にも、「女とは真面目に話するもんじゃねえよ」なんて男は周りにいないけど、よく考えたら、昔はいた。なんでだろ。単に私が男からなめられてた(違う意味にとらないようにね。そんな人はいないか)ということなのかしらん。まあ別にいいけどね。それも現実よ。
そういえば漫画家になって間もない頃、すごく好きだった人がいてね。その人の仕事は今でも嫌いじゃないけど、その頃はもう情熱的に好きだったの。いろんな仕事してて、いろんなこと教えてくれるので、何かというと電話して相談したし、その人が何かやるたんびに、何処へでも出かけて行った。イベントとか、バンドとかね。
その日も彼があるオープンスペースで編集作業をするという仕事に取り組んでいたので、差し入れ持って行ったわけ。勿論その人のことすごく尊敬してたから、最初はそーっと離れたとこで見守っててさ。そしたら、彼のバンドのヴォーカルの人が来たので私は密かにわくわく。で、しばらくしてから、ごあいさつして、差し入れを渡したの。そしたら、彼がそのヴォーカルの人に私を紹介してくれたんだけど、
「この子ね、○○○のファンの子(○○○は彼のバンドの名前)」
って言ったのよ。そこで、舞い上がってた私は、はっと正気に戻った。
私はその頃すでに漫画家だったし、当然その前からバンドもやっていたので、紹介されるときはそういうことを言ってもらえるものだとどっかで思ってたの。でも、それは身のほど知らずというものだったわ、と現実を知った。漫画家と言っても駆け出しだったし、バンドももちろん完全無名バンドだし、そうだ、これが当然なのよそうなのよと思いつつ、それでも好きな人の仕事を少しでも見学できてよかったなっと、家に帰った。
時は経ち、ある時ある所で、私は彼のバンドについて語る機会があったので、こう言った。
「私は昔から○○○のファンで、ずっと応援してました。いいバンドです」
そしたら、それを聞いた彼は何故か、
「内田さんたら、○○○の『ファンです』だなんて、すごい言い方するんだもん。ファンだなんて、言い過ぎだよ」
と、驚いていた……。
あのなあ。
私はあんたのことが大好きだったんだよーっばかやろう! いくら血液型がO型だからって(なんだろこれ)、自分の言葉にちったあ責任とれ! ばかばかばかばかーッ、もう知らないッ!
なんてね。今考えたら、最初のときは、バンドのメンバーにいいとこ見せたかったのかもしんないし、その次だって、単に照れてたのかもしんないけどさ。でも、ねえ。
私だって、余りにも違う業界の人と話するときは、ほんとはその子の仕事が大好きなんだけど、たまたま私の仕事を手伝いに来てくれてる同業者のことを、
「助手も同席していいですか?」
とか言ったこともあるけど(ごめんね、説明に時間がかかるのわかってたからめんどくさかっただけなの。愛してるわよ)、やっぱ、今考えても「ファンの子」ってのはさ、あまりにも迂闊じゃねえの? それも、「うちのバンドの」でなく「○○○の」とバンド名で言われたのがけっこうインパクトあった。そのあとも、
「君のバンドの曲書くよ、オレ」
って電話かかってきてさ。その頃彼のC調さが流石《さすが》のあたしもだいぶわかってきてたから、一応歌詞書いて渡したあと、あてにはしない気でいたんだけど、結局彼、自分の関わってる劇団のチラシに広告入れさせる(つまりはカンパ)のが目的だったのよう。だって、あたしがその広告入れたあと、連絡来ないもん。頼むから、情けない変わり身だけは、やめてくれよう! 男の子に、どんなに振り回されても構わない。からいばりでも、意地っぱりでもいい! 情けない方向にごまかすのだけは、勘弁してよ。
でも、その人は未だにその調子だけどね。もう、まっ、いいか、そういう人なんだ、という所まで、あたしも来てるけどね。こないだもどっかのパーティーで、
「バンドお互い続いてるよね」
「昔対バンやった子たちなんか、どんどん解散したり辞めてるけど、なんでだろうね」
「ね」
なんて話したけどね。ちぇっ。でももう一緒の仕事はないぞ、きっと。多分。絶対。そうあって、欲しいぞ、まったく。
「自分」を構成するもの
くすん。またもや原稿が遅れて、『Gainer』の少年編集者と友人とがしを泣かせている私。きっと小井編集長も、草葉の陰で悲しんでらっしゃるに違いないわ。小井編集長、こないだ私、編集長に連れていっていただいた新宿の「吉祥」の前を、ある男の子と一緒に通りましたの。その日もすでに締め切りを過ぎてたような気もするけど、その子とせつないブルースを聞いて、甘い夜を過ごしてしまいましたわ。ああっ、うそ、うそ、うそよそんなにぶたないで。迷わず成仏なさって、お願い。しかし一人でやってると、
「編集長、殺すな!」
という突っ込みが聞こえて来ないのでさみしい。
さて、年末の真っ最中だけど、みんな、漫画のネームが出来ないからと言って一人で飲み過ぎて二日酔いしたりしてないかしら? ホホホホ……(私じゃないもん、とがしだもん)。こないだ大脳の特番のための取材に来たテレビ関係の人が言ってたけど、お酒を毎日毎日沢山飲んでると、大脳が縮んでおつむが弱くなってしまうんだって。うっわー、私だよそりゃ。それでなくても若年性アルツハイマーと言われてるのに。飲むと覚えてないんだよねえ。こないだも気づいたら知らない家で寝てる私を、知らない男の子が、
「よみうりランド行くって言ってただろ、遅れるぞ」
って言って起こしてくれてたし、その前は知らない男の子のマンションのフローリングの床の上に毛布いっぱいかけられて寝てて、周りはなぜかティッシュの山だったし、またその前は、気づいたら知らない男の子に美容院で頭洗ってもらって、
「どこかかゆいところございませんか?」
って聞かれてるところだったしなあ。そのうち気づいたら保津川下りの真っ最中だったり炭鉱で石炭掘ってたりするんじゃないかと思うと、もー怖くて怖くて。やはりお酒の飲み過ぎはいけないわね。気をつけよう。
ところでテレビと言えば最近、
「結婚や恋愛に夢が持てないぞ、どうしましょ。男が女を甘やかすから悪いのよ、いいえ女がわがままなのよ、いや実はその逆なのかもしれないわ」
のようなテーマで呼ばれて行くことが多い。これ、少し前は女性の仕事について、そのまた少し前はセクシュアル・ハラスメントについて、だったんだけどね。年末年始をひかえて、なんだか沢山のお金を使って女の子をもてなす男の子がいるらしいとか、その夜一緒に遊んでたわけでもないのに、女の子に電話で呼び出されると車で駆けつけて家まで送ってあげる男の子がいるようだとか、そういう噂からテーマが出てるらしいんだわ。
私も話を聞いたばかりの頃は、
「そういう男の子って実在すんのお?」
ってそればかり考えてたけど、もう、なんか今では、そういう男の子が実在しようが増殖してようがどうでもよくなっちゃった。それは逆に、夫でもステディでもない男に多額のプレゼントをもらって平気だったり、何かをさせることだけが目的で男の子を呼び出すのが平気だったりする女の子が実在するかどうかってことでもあるんだけどさ、結局は、
「こういうやつ、一匹いたら見えないところにあと三十匹はいるはず」
というゴキブリ勘定で話が広がっちゃってるんだもん。そんなこと、本気にしてたらきりがないじゃん。
情報処理能力がトホホであるという自分のおつむを棚にあげるようだけど、私、自分の目で見たことじゃないと信じないようにしてんの。もひとつあと、好きな人の言うことは、信じる。私にとって情報は、「人からもらうもの」。誰だかよくわかんない人が匿名で書いてる文章とか、読む気しないや。新聞も読まないし、地理や歴史は丸出だめ子だ。歴史ものの漫画描いてるけど、もちろん原作付き。南方熊楠《みなかたくまぐす》って人の漫画なんだけど。そのクマグスが死んでから五十年経った記念の行事に、荒俣宏さんや中沢新一さんや神坂次郎さんら豪華メンバーの中、何にも知らないのに呼んでもらっちゃってね。
「クマグスは素晴らしい人ですね。内田さんはどんな思い入れを持ってお描きになっていますか」
なんて聞かれて、
「いえ、その別に……嫌いな人だとは思わないけど……会ったことないし……」
とまぬけな返事で質問者を困らせたりなんかして。そうなるのはわかってたから、原作者と二人羽織して出たいってNHKの人に言ったんだけど、だめだったのよね、あーあ。まっ、いいか。中沢さんに芸者遊び教えてもらって楽しかったし。
話を戻して、つまり何でも女の子の言いなりになるように見える男の子ってのは、
「こら、お前には自分がないのか。周りの人間の評価だけで自分を決めるのか」
なんて言われちゃうんだろうけども、でもさー、「自分」って、何にもないところからわいて出てくるものじゃなくて、じっさい「周りの人間(もちろん家族も含む)の評価のカタマリ」だよう。その中には、愛のある評価も、冷たい評価も混ざってるんだろうけど、
「私はこういう人間だ」
と考えるときは、その他人の評価のカタマリの中から、まっいいか、と思えるものを採用して組み立てるわけでしょ。だからさ、そのときに、雑誌の意見とかテレビで言ってることとか、よく知らない人の意見まで混ぜちゃうと、ややこしいことになるんじゃないかなあと思うんだ。いくら口が悪くても、自分が会って話してきた人たちだけの意見で、自分を組み立てないと、どんどん自分が拡散してって、わけわかんなくなっちゃう。そうすると、当然恋愛とか、やりにくくなっちゃうよね。
「こういう恋愛する人がいい」
っていう雑誌なんかの意見まで自分の中に入れ始めると、だんだん何がほんとに自分にとって気持ちいいもんなのかわかんなくなってきちゃうと思うもん。
だから、傷つくのをこわがんないで、目の前に、
「あなたが好きよ」
ってなりふりかまわず言ってくれる人間がいたら、心を開きなさい、ベイビー。傷つけあうのも、楽しいわよん。
男の子に甘えたい
あけましておめでとう。発売日など考えない不親切な私、今日はまだ一月だい。
ね〜聞いてよ。こないだ、電車の乗換えの切符、間違えて違う駅で買っちゃってさ。それ持ったままほんとに乗るはずだった駅まで走って行っちゃったの。で、改札のおじさんに、
「間違えてあっちの駅で買っちゃったんですけど」
って言ったら、ひと駅走って来たのわかってるくせに、
「じゃあそっちから乗ってください」
とか言われちゃって。それがあんまりやなかんじだったから、
「あっそ」
って切符黙って買い直したのね。で、そのおじさんが鋏入れるの待って、
「べーだ」
って言って逃げて来ちゃった。「べーだ」だよ。もしかしたら私「べーだ」という言葉を日常語として使用したの、初めてかもしんない。でも、短い間に私としても考えたわけよ。頭をハタいたりしたら、追いかけて来るかもしんないじゃない。「べーだ」だったら、追いかけて来れないでしょ、相手五十歳くらいだもん。来たら、もうオトナの世界には戻れないよね。それに、「ばか」とか「いじわる」だと、色気出ちゃうじゃん。あのおっさん、くやしかっただろうなあ、けけけ、いい気味。その日の帰り、とりあえず一番安い切符だけ買って終電に乗ったら、降りた駅に誰もいないの。しばらく待ってたら改札の人が来たんで、
「あ、精算してください」
と言ったら、今度の人はなんと、
「いいよいいよ、もう誰もいないから」
って言って通してくれちゃったんだよ〜。違う駅だけどさ。う〜ん、いいオチがついたとしみじみした一日だったわ。「べーだ」の切符見せた子からは、なんじゃそりゃ、ってさんざん突っ込まれたけど、その突っ込みのおかげでますますネタとして円熟したような気がする。ちょっと大げさか。まあでも、いい話相手って、ほんと大切よね。ね、そう思わない? うふん。
な〜んて言ってると、賢明な読者諸君にはもうおわかりでしょう(江戸川乱歩)、そう、書くことがないのよん。だってこないだまた「男になんか言ってくれテーマ」で、『自由時間』に書いちゃったんだもん。しくしく。そっちは、「中年男たちへ」ってことだから平気かなって思ったんだけどさ、書いてみたら歳ってあんまし関係ないんだよね、これが。女も自分の仕事が面白いと、恋人のママ役だけでいることなんてもう出来ないから、歳に関係なく、父親みたいに甘えさせてくれる雰囲気をつくってくれる男が好きだわ、ってことを書いたんだけどさ。そう、なんとなくだけど、「パパに叱られたい」職業婦人が増えているような気がするの。まあ私の場合自分がすぐ、
「うえ〜ん難しいよう」
とか言って弱音を吐くほうだから勝手にそう思ってるだけなのかもしんないけど。簡単に言うと、最初は女は弱いことになってたのが、いや、強くなったんだということになってさ、んで、強い強いと言われるのも、もう飽きたかなって。だって仕事してるってことと、強いってことはイコールじゃないんだもん。頼むから同じ人間として普通に扱ってくれよう、とずっと思ってた。でもあんまり多いんでそのうち慣れて、「女の仕事について」とかテーマ出されても、や〜れんそ〜らん、はいはいと受けてたけどね。まあ、そんなもんなんだろうと。このへんいいかげん。言葉ってどんどん意味変わるからさ、テーマに楯突いてもしょうがない気がして。
そうやってあれこれ考えたあとって、何もしなかったようでも次からなんか仕事がやりやすいぞってこともあるしね。仕事について男の子と話しててもさ、前は、
「女の人だとそうなんじゃないかな」
と言われるとなんか嫌だったのね。でも最近は違うな。言う人も少なくなった、私のまわりでは。かえって私のほうが、
「男の子のほうがそういうとこ大変だよね」
とか言ってることが多いような気がするぞ。う〜む。なるほど。なんか好きだな、こういうのって。あたしのまわりの男の子って、自分の仕事に誇り持っているんだなあって、嬉しくなっちゃう。でも、やっぱそんな子じゃないと、パパ役はやれないよね。これからは、交互にコドモになったり、パパママになったりする関係が理想だ。これは素質にもよるけど、男の子のほうが大変だと思う。
「たとえ表面だけでも、とりあえず女はこっちに合わせてくれるもの」
って歴史が、長かったからね。こんなあたしでさえ、長いこと、
「男の子には甘えたりしてはいけないものなのだ」
とわけもなく思ってたんだから。あっ! ほんとだってば。だから、そう見えなくても、主観的に言えばそうだったの! 最近なんだから、男の子に、
「うえ〜ん」
とか言えるようになったの。でもそれが、
「べーだ」
まで行っちゃうところが、私の変わり身の早さではあるな。なにしろ通りすがりの改札の人でもあるし。でも、そこをママの顔でこらえて、あとで「私は怒ってますエッセイ」書くより、こういうのが好きだ。世の中にはなんであんなに「怒ってますエッセイ」が多いんだろう。怒ってることや世の中に向かって言いたいことを書いてくれと言ってくる人も、そういえば一時期多かった、断ってたら減ったけど。でも人によっては面白いからまあいいや。
とにかく私は好きな男の子と甘えあって幸せになるから、とがしも幸せになってね。合言葉は、「甘え合ってるかい」(コピーBY秋山道男・私の|名付け親《ゴツドフアーザー》)だよ。でもこの、「甘え合ってるかい」というコピーを秋山さんからもらったのって、もう何年も前だ。すごいなあ。他にも、秋山さんがつくってくれた私のキャッチフレーズに「錦糸町のシンディ・ローパー」とか「黄色人種のマドンナ」とかあったわ。
いいでしょ、へへへへ。
男の子の役割
そう、私が先月とがしのひざまくらで首をいためた内田です。おお、痛い。
なんてね。うえーん、また書くことがないよう。小井編集長は肝臓がフォアグラ寸前、少年編集者Fくんは胃壁が破壊寸前、とがし画伯は最近怒濤のように増えた仕事のまっただ中で、『Gainer』の対抗誌の困ったちゃんライターに苦しめられながら私の原稿を待ってるというのに、私はいったいどうすればいいの残暑。あっほら、あまりの動揺で変換まちがっちゃった。
最近あたしゃすっかり浅草でアブラ抜かれて叙情派になっちゃってさ、
「まんがの性描写? もう濡れ場の描き方なんて忘れちゃった。それより『S太郎』のパンカツおいしかったわ。吉本ばななちゃんと『S太郎』で飲みたいな……」
なんて言ってんの。きのうも夕飯、H井のどじょう鍋。その前は貝料理の店、K作で「みそたま」してたしな。もちろん、その合間に、『Gainer』読者とお年頃の近いラブリーボーイたちとお電話なんかもしてた。でもねえ、最近彼らと話していろいろ考えたことや教えられたことって、まだ、あたし自身の咀嚼《そしやく》が充分じゃないことが多くてさ。ほーんと、遥か年下のくせに言いたいこと言ってくれるナイスなやつが多くて。憎たらしいけど幸せ。
そうねえ、まだそんなで、自分でもよくわからないことが多いんだけど、ほんとに書くことがないので、途中でも書こう。先月書いたことと、要約すると同じことかも知れないが、勘弁してちょ。
さて、それはどんなことかというと、私がよく話してる、二十代前半から中頃の男の子たちは(あっと、心は少年の三十代初めの男の子も少し含む)、男と女の精神的ボーダーラインの決め方を、いろいろ考えているような気がするの。お互いの仕事を考えたうえでの、役割分担とか、結婚の意味とかさ。
健康なその子たちはもちろん知らないことだけど、ついこないだまではさ、
「うちの女房は女子校のあと勤めの経験もないお嬢さま育ちでねえ」
なんて嬉しそうに言ってるおやじが実在してたんだよね。女は、働かせないのが男の甲斐性って思ってる、超メーワクなおやじ。一皮むけば、社会や他の男や仕事を持つ楽しさを知った女たちには相手にされない、ただの青田買いのロリコンおやじ。
でもねえ、そういう伝統って、そう簡単に消えてなくなるわけじゃあないんだよね。逆ってのもあるじゃん。たとえば、去年の夏、大阪の天保山の水族館までの道を歩いてたら、後ろを歩いてた女の勤め人の二人連れの話が聞こえてきたんだけど、
「話、合うしなあ、可愛いんやけどなあ、年下やろ、頼りないやんかあ」
とか言ってんの。それ聞いて、あたしゃ思い出しちゃったよ。過去に男のこと、
「頼れる人がいい」
とか言ってた文化って、あったよねえ。でも、頼れるってどういうことなんだろう。その人の言い分を借りるとしたら、年下だと頼れないってこと? だとしたら、人生経験とか、そういうのかな。それとも収入? 経済観念? どれも、あたしにはピンと来ない。それは、あたしの好きな男の子たちにも、同じみたい。まあ、みんなジャングルの奥地で狼に育てられたわけじゃないから、これまでの女たちには仕事を持つ者が少なかったこととか、結婚とは今までどういう意味を持つものだったとか、そういう過去の伝統は少しは知っているし、それらが、自分ひとりの判断でいきなり御破算になったりしないものなのもわかってる。
そのうえ、聞いた話だけど、今、横隔膜を使って妊娠してる男の人までいるっていうじゃない。それがうまく行って大丈夫ってことになっちゃって、
「ぼく、きみの子ども産むよ」
って女に言う男が出てきたら? 結婚したあとに、どっちが子ども産むか話し合って決めるような夫婦関係になっちゃったら?
ほんと、今年は正月早々、大好きな男の子たちと長い時間かけて、焼きたてのぎんなん食べながらそんな話なんかしちゃってさ、あたしゃもう成人女子の自覚なんてどっか行っちゃったよ。何もかも、わかんないことだらけだー!
自分の仕事が手に入ることが当たり前になってきたあたしたちと、そんな女たちを出発点として考えはじめる男の子たち。あたしにとっては、仕事のうえでの悩みを聞いてくれる男の子が、頼りがいのある男なのよね。あたしが稼いでプレゼントしてたり、彼らに手料理食べさせてもらってたり、そういうのが、普通で、幸せで、バッチ・グー。たまに、
「子ども産ませてねん」
とか、
「愛してる。何でもしてあげる。うふん」
とか、原始リビドーごっこをするのも良い。
だから、この季節、まあこれ書いてんのはまだ二月なわけなんだけど、義理チョコでお返しを狙おうとかなんとか、テレビつけたときそういうのやってると、えっ? て感じになっちゃってさあ、頭こんがらがるんだよね。まるでテレビがタイムスリップして、過去を見てるような気分。なんか、各百貨店ごとにコンセプトを出すらしくて、「エビタイチョコ」とか「ファジーチョコ」とかやってんの。エビタイって、エビでタイを釣りましょうチョコなんだってさ。で、ファジーの方は、義理と、ほんとに好きな人のあいだのチョコらしくて、テレフォンカードが入れてあるんだって。つまり、あげたあと電話をもらって、好きになれる人かどうか考えるらしい。どっちも笑えるけど、まさか、本気にする人はいないんだろうな? あたしの知り合いには、いないことを願うよ。今どき、好きな男に「好き」って言えない女なんているの? 好きでもない男からプレゼントもらいたいなんて、しゃれになんないぞ。女の物欲をギャグにする時代は、マドンナが『マテリアル・ガール』で終わらせてくれたはずなのにな。
まあとにかく浅草はめしがうまい。小井編集長もFくんもとがしも、こんど浅草で盛り上がろ。なーんて、引っ越しして事務所片づいたら飲み会やる! と言いつつやってないのはあたしか。ごめんね。とほほほ。
男の子の話は最後の三行かも
鈴木清順監督の新作『夢二』を二回も見ちゃった。面白い! 綺麗! 叙情派! 大人のエンタテインメント。すっかりかぶれて夢二の画集を四冊も買っちゃったわ、あたし。二度目の試写は鉄拳ボクサー・大和武士と行ったんだけど、ヤマト、また試合やるそうだから、みんな見に行ってあげてちょ。と言いながら、生の格闘技をまだ一度も見に行ったことのない私。友だちの格闘技試合って、見てるのすっごくつらいんだってねー。誕生日が同じだとはいえ、えらいのと友だちになっちゃったようん、しくしく。今からなんだか祈るような気持ちだ。しかし、それにしても漫画家野球チーム、『ドーバーズ』(メンバー・とがしやすたか、若林健次、吉田戦車、朝倉世界一、山田芳裕、岩谷テンホー、喜国雅彦、天久聖一、あと、タナカカツキ……を知らない人は私の『僕は月のように・2』を買おう。光文社刊! ほか。敬称略)の連敗記録はなんとかなんないんですかね、とがしセンセ。とがしじゃないの? いちばん野球キャリアの長いのは。
それはともかく私の事務所にイグアナが来た。ビッグヘッドイグアナという。まだ十五センチくらいで、そんなに頭が大きいようにも見えないけど、これからもしかして頭の占める割合が大きくなんのかしら? 茶色くて、首のところにキュートなぶち。薄目を開けて首をかしげて思いを巡らせている様子が良いの。こないだマタマタ(これはカメの名)がまた突然死んじゃってさあ、寂しかったのよね。野生もので紅くてきれいだったのに。マタマタは難しいなあ。カエルはみんな元気で、打ち合わせ中も、
「けっけっけっけ」
ってよく鳴いてるけど。みんな、
「今のは何の声ですか?」
って聞くから、その度、
「カエルに笑われてるんです」
って説明してる。そういえば打ち合わせ中によく鳴くな。ひとけがあると鳴きたくなるのだろうか?
鳴かないベルツノガエルもあいかわらず元気で大きい。あと最近買ったのはレッドテールキャットの幼魚、十センチ大。前にもいたけど、こんなに小さいのは初めて。顔がオバQみたいで可愛い。
「これ一メートル以上になるんだよ」
って言うとみんな驚く。
そろそろ男の子の話にしようね。
まったく、原稿は超遅れてるくせに、そのことは棚にあげて落ちてこないようにガムテープでぐるぐる巻きにし、少年編集者Fの集めたデータのファクスに、
「こんなの参考になると思ってんの?
編集者向いてないんじゃないのあんた。仕事に手ェ抜くんじゃないわよ」
などと文句つけて、とがしに、
「Fくん可哀そうだよう」
と言われている、そんな今日この頃の私だからさ。ああねえ。ほんと言うと一回会ったっきりで、とっくの昔に顔も忘れてしまった少年F。私は以前彼にそう言った。
「もう君の顔、忘れちゃったわ。一回しか会ってないんだもん。原稿は全部ファクスで送ってるし、打ち合わせもしないし」
すると彼はこう答えた。
「じゃあ僕の写真をファクスで送りましょうか」
少年Fよ。私が、それどういうこと、と責めたら君は、冗談で言ったんですよと言っていたけど、もし、私の会社で、社員が会社のファクスを使って、私の仕事相手の人に自分の写真を送っていたら、社長の私は迷わず後ろから延髄切りだ。言っとくけど私は小井編集長の顔は忘れてないぞ。
ファクスってそりゃ便利だけどさあ。前にも、某F社の漫画誌Aの担当の編集者が代わったとき、
「私が新しい担当のHです。次のしめきりは○月○日、○ページ」
ってファクスだけが事務所にやってきたことが、あった。そこは、私の仕事の場所中最も私を冷遇しているところだったので、大して驚かなかったけど、あんまりわかりやすくて面白かったし、その頃やってた朝日新聞のコラムにそのことを書いたの。そしたら、どーせ読んでないと思ってたら、前の担当者の人が読んでて、次の担当者と二人で、挨拶にやって来た。私はかえって驚いちゃって、
「なになに、やっぱ朝日新聞とかに書かれると会社で叱られたりするわけ?」
と逆に彼らにインタビュー。まあ、そんなことはありませんがみたいなことを言ってたけど。しかし驚いたのは、そのときの新担当者が、普通の人間同士のうけこたえをせず、じっと黙っていたかと思うといきなり、
「それでは改めて最初からご挨拶させていただきます! 私はこの度新しく担当になりました、Hと申します!」
とやり始めたことだ。
「知ってるよ、そんなの……何なの、それ?」
と言うと、
「いえ、だから、最初っからやりなおそうと思いまして」
不思議な人もいるもんだけどさ、何かね、コンピューターのゲームみたいに、電源を一回切れば、何事もなかったように最初っからやり直せると思っているわけよ。自分が失敗しちゃったことは無かったことにしたいわけ。でも、こういう子、多いみたいよ、最近は。別にいいけどさ、つきあわないから。そこの仕事、もうやめちゃったもん。だいいち、前の担当者の人がもともと、電話もかけずに、
「次のしめきりは○月○日、○ページ」
ってファクスだけを送ってくる人でさ、それでいいと思って真似したわけよ、その子は。割とご機嫌な編集部でしょ? みなさん、お忙しいのよ。
やっぱ、あたしはもっと遊んでくれる人と仕事したいなー、って、なんだか矛盾した言い方かしら。でも、最近の担当の人たちは割とみんな、そうかもしんない。なーんて、仕事の話じゃあんまし色気ないね。
男の子の話、か。そうね、最近、あたしのこと大金持ちに違いないって勘違いしている男の子がたまーにいるのが、ちょっと嫌ね。なんか、たいして親しくもないのに甘えてきたりさ。どっちがおごっても別にいいけどさ、その辺の空気読めない子は男女問わず失敗するよね。
知らないかっこよさってのもある
妻の死に顔を撮った写真家、荒木経惟さんのことが何かと話題になっている今日この頃。私はアラキさんが大好き。撮ってもらったこともある。この話になると、私は必ずこう言う。
「彼の奥さんになったんだったら、死に顔撮ってもらわなくてどうすんの。私が奥さんだったら、撮られずに埋葬されたら成仏出来ないよう」
最初にこれを言ったとき、私のそばにいた年下の男の子の表情を私はときどき思い出す。その表情を目の端に見たせいで、私はこの話になったら何回でもこれを言おうときっと思ったのだ。私は何気なく言ったんだけど、その時の彼の真面目な顔ったら。いつもおどけてばかりいるし、本人はそんなの忘れてるだろうけどさ。
もう去年の夏の終わりのこと。それは飲み明かした朝で、夜の間は私にとってほんとにさんざんで、彼と私の全てが噛み合わなくなってしまって、もう明日から一言も話が出来ないと思ってた。
今思えば、それまでは彼が一方的にあたしに合わせてくれてたのね。それでも、そこで投げたりしなかったから、今でも仲良し。彼はあきらめなかったし、私も頑張った。人間関係だって、さぼってたら面白くなんないのね。うーん、しみじみ。
でもあたしが子どもの頃はずいぶん酷《ひど》いこともしたような気がする。
「この人、思ってた人と違う。最初に言ってたこととかなり違うことしてる」
とか、
「もうここまでが限度。私が何を言っても聞いてくんない」
と思ったら最後、鋏でぶっつり切っちゃって、二度と口をきかなかった。そばにいてもアウト・オブ・ザ・視界してた。そうした方が良かったと思うし、今でも昔つきあってた人とだらだらしてるのとかは大嫌いだから別にいいんだけどね、まあ、激しかったなあ、と。
でもやなんだわ、昔つきあってたから気心が知れてて安心とかいう、何事も全てキープの根性って。よくほら同窓会で浮気が発生するっていうじゃない、あれって信じらんないもん。同窓会って、出たことないからどんなのか知らないけどさ、子どもの頃の自分を知ってるからってそういうことになるなんて、なんかやらしい感じ。昔から、ただそばに住んでたり、出身地が同じだったり、そんな理由だけで話も合わないのに仲良くする必要はないと思ってた方だし。好きになった人に、そういう共通点があるってあとからわかるのは嬉しいけどさ。育った時代でも環境でも考え方でも、自分と違う人とつきあうのが面白いな。
うーん。今月なんだか文体が違うかも。どうしたのかしら。恋かしら。春ねえ、微熱もあるし。風邪だ、こりゃ。とがしも忙しさのあまり体をこわしちゃってるみたいだし、心配だわ。しかし、とがしんちの留守電はナチュラル過ぎてコワい。
ついに書くことなくなった。と思ったら松尾・キッチュ・貴史から電話がかかってきた、わーい。嬉しいので、漫画家仲間のタナカカツキと天久聖一くんがレギュラーの『五コマくん』を一緒に見ながら話した。同業者がテレビに出るのは嬉しいな。キッチュは鉄拳ボクサー・ヤマトタケシ(次の試合は六月十日)と一緒にめしを食ったことがあるそうだ。
ヤマトといえば、私のバンド、アベックスのライブに来てくれたので、打ち上げに混ざってもらったが、その時高田文夫さんの小説『ギャグマンたちのブルース』にヒントを得た「ことわざごっこ」をやった。ことわざの前半分を言って、あとを当てる遊び。ほんとにことわざにうとい人がいないと面白くもなんともないんだけど。
さて、以下の会話は、ヤマト、『ヤングサンデー』編集者アラキさん、漫画原作者末田今日也、バンドのドラムで私のマネージャーの大久保忠淳のセリフ、そしてそのあと電話でその話を聞くタナカカツキのリアクションも混ぜて構成したものである。
私「逃がした魚は?」
タナカ「でかい」
大久保「もったいない」
アラキ・末田「わはははは」
ヤマト「ほんとは何だ」
私「立ってるものは?」
ヤ「○○○!」
大「バケツを持て」
ア・末「わはははは」
タ「やらしいですな」
私「なんでやらしいのよ」
ヤ「ほんとはなんだ」
私「親でも使え。じゃ、二階から」
タ「とびおりるな」
大「落ちたら痛い」
ア・末「わはははは」
ヤ「ほんとは何だ」
私「目薬」
ヤ「なんだそりゃ。そんなことするやついるわけねえだろーが。だいたいよ、トンビがワシだかなんだか生んだとか言うやついるけどよ、じゃあドジョウがナマズ生むかってんだよ」
私「関係ないけど、親子どんぶりって何でそう言うか知ってる?」
タ「卵が子ォで、かしわ(西の言葉で鶏肉のこと)が親やから」
私「大久保さんついこないだまで知らなかったんだよ」
ア・末「わはははは」
ヤ「そうだったんだ!」
ね、いいでしょ。こういう感じ。
あーやれやれやっと文字数に達した。これで明日小井編集長ととがしと少年Fと晴れて浅草飲み会に行けるわ、みんなボーイフレンドたちのおかげだ、めでたしめでたし。
おうそうじゃ、もひとつ。ロックミュージシャンで作家の、仁成くんのエコーズが五月二十六日で解散しちゃうの。日比谷野音、行ってあげてね。
ラップの男の子たち
ほとんど日記化しているこの連載。いったい誰が読んでんだろ。とがしと、少年編集者Fと、小井編集長、書いたから読め! と私に言われて無理やり読まされている男友だち二、三人、あと、間違って二人は読んでるかもしんないから、全部で八人か。これじゃ、関川夏央兄貴が『諸君』に「知識的大衆諸君、これもマンガだ」を連載してるときに言ってたことと同じじゃんか。
とかなんとか言いながら連載十回めだって。すごいね。しつこいようだけど、もう書くことなんて何もないのよん。最初は、少年Fが最近の男の子に関するデータを集めてきて、それについて何か言ったりする、ってことだったんだけど、そのうちとっちらかって来た。で、打ち合わせしようと言いつつ、飲み会はしているが、打ち合わせはしてない。それでも容赦なく締め切りはやってくる。毎月この繰り返し。こないだ飲み会のとき、あたし連載の内容のこと何か相談とかしたんだったっけかなあ。みんなで撮った写真は残ってはいるが。あと、青年編集者Kからの「ヤマトタケシくんの試合、一緒に行きましょうね」というFAXとか、少年Fからの「楽しかったです。またいろいろお話したい」っていうFAXとかね。しかし、あの飲み会のときFって何か喋ってたっけ? 何も記憶に残ってないわ。あたしも飲むと、すべてが忘却のカナタに旅立ってしまうほうだからなあ。カナタからの手紙なんちて。
あーあ。
最近、私の触れた男の子たちといえば、あれかなあ。川崎のクラブチッタで、第一回チェック・ユア・マイク・コンテストというものがあって、そこへ連れてってもらったのよ。ラップの子たちのコンテストで、もちろん女の子もいるんだけど、男の子のほうが多かった。最年少は十六歳で、十六歳の子ばっかりのチームもあった。審査員は萩原健太さん、藤原ヒロシさん、ECDさんほか。日本全国から二十組の参加があったけど、応募はその三倍あったという。ラップと言えば、近田春夫さんのビブラストーンが大好きで、あたしゃほとんどおっかけなんだけど、ラップ全体の状況とかはぜんぜん知らなかった。でも、おもしろかった! なんつっても、ひとことで言って、みんな可愛くて健気《けなげ》だ。自分の言いたいことを伝えるぞ、そのために沢山練習したぞ、というその一途な姿勢。もちろんラップだから当たり前と言えば当たり前だが。でもほんと、良かった。
強引な言い方かもしれないけど、あの可愛さが、ジャズの人にもあったらなあ、と思う。もちろんある人もいるが。なんか、まだわりと気難しい印象が強いような。
五味太郎さんの出してるジャズの絵本、『JAZZ SONG BOOK』の1と2を見たときのあのいとしさに似たものが、歌ってる時に出せたら、どんなにいいかしらん。あ、そうなの、あたし、ダンスバンド「アベックス」のほかにジャズバンドもやってんですよ。小林のりかず氏によると、
「漫画家でジャズバンドやってるのはぼくと君だけ」
なんだそうだが、そうなのだろうか。
音楽コラムみたいになってきたな。
ラップの話に戻って、ラップはどうも、レコードをかける子とラッパーの、最低二人居れば出来る音楽みたい。あ、でも最近はDJの人もちゃんと音楽の人と考えられることが当たり前になってきたから、人数をうんぬんするのはズレてるかな。まあ、何が言いたいかというと、ライブの出来る音楽活動、イコールバンドのようなものをやるときに、いちばん大変なのってメンバー集めとその維持だったりするでしょ。でも、ラップなら最初は二人でも大丈夫。これは大きいかもしれない。その証拠に、
「現代のフォークって言った人もいるしね」(川勝正幸氏・談)
うーむ、そうだったのか。と今さら知ったくせに、チッタに連れてってくれたSFCの高さんから、ラップ界の注目の人、高木完さんまで紹介してもらう幸せ者な私であった。
やっぱり何かをいっしょけんめやってる男の子は可愛いな。何が好きで、それをどうしていきたいかを言えることなんて必要条件、つまり、当たり前。「まだ何をやりたいのか自分でよくわかってないしい」とか言う子とは、もう話したくないね。まだ何もやってないのに、やってもどうせつまんないし、みたいな言い方をする子もやだ。まあ最近そんなの周りにいないからいいけどね。
えーでは青年Kのリクエストに応えて、松尾・キッチュ・貴史のことを書こう。
こないだ、高田文夫さんのラジオのあるコーナーで、春風亭昇太さんがキッチュの家から生中継をするっていうんで、乱入してきたの。二人がたくさん物真似するんで、マイクを持つスタッフも笑いをこらえていたその模様を、最近持ち歩いているビクターのゲッツでビデオに撮ったの。そのあと、近くのお洒落なお蕎麦《そば》やさんで、昇太さんと二人でキッチュにお蕎麦をご馳走になった。帰りに駅まで送ってもらったら、道ですれ違った女の子たちが「あー」だの「えー」だの「サインして下さい、なーんて言ったりして」だの小さい、でも聞こえるくらいの声で言ってる。なんか大変だなあ、としみじみ思う私の横で、昇太さんはあの、名前知らないけどペダルこいでるとエンジンのかかる原付を見つけ、「これ欲しかったんだあ」とつぶやき、キッチュは新興宗教の勧誘の女の子につかまっていたのだった。
私も「声掛けられ体質」だけどキッチュもそうなのかもしれない。水島裕子もそうだという。こないだビブラストーンのライブにミズシマと行って、あと居酒屋で二人で飲んだんだけどさ、ナンパがかかるかかる。驚いた。それ言ったら「女優と居酒屋なんかで飲むな! もっとちゃんとしたとこへ連れてってあげなさい!」っておこられた、とほほ。でもミズシマったら、博多ラーメン一緒に食べに行ったら、「ご自由にお取り下さい」のアイスクリームを見つけて、みんなの分まで運んで来たりするような子なんだよ。それ見て前のテーブルの少年なんか、ラーメン鼻から出してたわよ。あら、女友だちの話になっちゃった。まっ、いいか。来月はちょうどヤマトの試合あとで、もっと男の子のこと書けるかもしれないから、待っててね。
あと一回ってとこまで来てまた投げやりになる私
ヤマト、勝ったよ。
とがしや、先々月にヤマトと一緒に登場した『ヤングサンデー』編集者アラキさん(ボクシングおたく)、漫画原作者末田今日也、私のマネージャー大久保忠淳、それから『Gainer』編集部の青年Kも行った。まわりには原田芳雄さん、阪本順治監督、長谷川和彦監督、熊谷真実ちゃん、白竜さん、桐島かれんさん、マッチまで来て、お世話役の荒戸源次郎さんもにぎやかさにびっくり。試合終わってからヤマトが荒戸さんにグローブをあげてたのが印象的だった。
でも、ボクシングって、なんだか、怖い。初めて見たし、ボクシングのことなんて何にも知らないけど、不思議な運動だ。すごくつらい思いして体重減らして、痛いし危ないし、稼げるってわけでもないし、なんでそんな大変なことやんの? って思ってしまう。その大変さがいいんだろうか。うーむ。わからん。答えが出ない。こりゃ、自分で時間かけて考えるしかないな。ヤマトにいろいろしつこく聞くと、
「まったく物書いたりする奴はうるせえ。いっぺん殴るぞこら」
とか、
「いっぺん泣かすぞほんとに」
とか、ぽんぽん、ゆーの。自分の職業を把握してねーよ、あいつ。泣かすぞってあんた、そりゃ子どもの言い方だろ、なんて言ってたら、「殺すぞ」まで出たよ。活字で書くと乱暴だけど、関西の人って、よく仲間にしばくぞとか殺すぞとか平気で言う。しょっちゅう周りの関西人から言われてる、あたし。ヤマトも大阪にいたしね。
でも、今までボクシングって、なんとなくグローブで殴るものっていう感じがしてたんだけど、ほんとに見たら今更ながらに、
「あのグローブの中には拳があるんだわ」
ってしみじみ思った。あたりまえのことなんだけどね。
それと、相手が殴ってくるのをよけるってことがすごく大切なことなんだなあってのも思った。ヤマトはものすごく目が良い。一緒に歩いてて、ほら、あそこに何とかって書いてあんだろ、えーっ、どこォ、うっそー、野鳥の会かよって感じ。あたしも漫画家では、超・目いいほうなんだけど。まだ対戦してはいないが、ヤマトとテトリスやったらもしかして、ぼろ負けかもしんない。うう、なんだかやる前から悔しいぞ。ほとんど負けたことないんだけどね、対戦型。ところで小井編集長、ヤマトは俺を『Gainer』の表紙につかえーと吠えてます。次の試合は、七月三十日だそうです。
ああ。ヤマトのことで出来るかぎり字数をかせごうとしたけど、尽きてしまった。来月で十二回、一年で辞めさせてもらえるんだろうな、これ。エッセイの連載って月刊誌は、『Gainer』と、動物雑誌『アニマ』くらいしかやってないからなあ。『アニマ』はほんとの動物好きの人しか読まないし、男の子ネタの『Gainer』ばかりが目立って、あたしったらすっごく男好きだと思われてるかもしんない。まあ嘘でもないからいいけどさ。小井編集長、少年Fは相変わらず新しいデータを用意したり、打ち合わせをしようとする気配は毛ほども見せませんよう。ま、来月で終わりだからいいか。どうでもいいや。眠いし。吉田戦車くん、文春漫画賞おめでとう。
最近私の仕事場ではイグアナのえさのコオロギがうるさくってねえ。それも、いつのまにかカゴから脱走して机の周りで鳴いてたりすんの。ゴキブリかと思ったらコオロギだったりさ。マネージャーがえさ撒いてるからハトも来るし、カエルは鳴くしオタマジャクシの前足はもうすぐ出そうだしタイワンサンショウウオはかわいいし、何の事務所なんだいったいここは。
しかし先月に引き続いて、あたしの声掛けられ体質もとどまるところを知らない。こないだは地下鉄の中で、隣に座ったサラリーマンから、
「降りよ? だめ? 降りよ?」
とささやきかけられた。シカトウしてたら一人で降りて行ったけど、あのサラリーマンは、あの、自分がいつも降りているらしいあの駅で私を降ろして、いったいどうするつもりだったのか。わからん人だ。
その数日後は、ホームタウン浅草で、
「ねえねえ、写真撮らして」
とちょっとおたく風勤め人の休日、みたいなのから声を掛けられた。見るとチョコバーみたいなせこいカメラを持ってる。日曜日の夜だったし、悪のりな観光客だろうと思って、ぶあいそに、
「どっから来たの?」
って言ったら、世田谷だって。
「そこの公園で写真撮らして」
って言う。
「やだよ、今もうそこで男と待ち合わせてんの、あたし。ここでならいいけど、写真撮るんだったら、あたしも撮るよ」
と、いつも持ってるコニカビッグミニであたしはそいつの顔をしっかり撮った。
「じゃあそこのビルの陰で」
なんか、人目のない、片隅のようなとこへ追いやろう追いやろうとすんの。そんで最後には、
「ねえ、そこの隅でキスだけだめ?」
だって。
顔写真撮られといて、よくそんなこと言うよなあ。なんであたしが会ったばかりの、それも自分の意志で会ったんじゃなくて、声掛けられて無理やり振り向かされた、いい男でもなんでもないやつと、その場でキスしなけりゃなんないのよ、何の根拠があって。それともあんたのカメラはガラナチョコかい。
その前の、『夢二』の原宿駅前ムービーギャング公開開始お祝いパーティーの帰りには、事務所からの迎えの車をマクドナルドで待ってるときに、酔っぱらいの外国人が勝手に前の席に座っちゃうし、なんなのよ。あたしはちゃんと「人、待ってんの」も「ノーセンキュー」も言ったわよ。なのに、
「君は嘘をついている」
だって! げー! 結局そいつ、ほんとにマネージャーが迎えにきたんで、握手して、名刺交換してやんの。銀行員でやんの。これから仕事すんだよ、って言ったら、
「おうあなたーはばーかーなひとでーす」
だって。日本の漫画家は主に夜仕事すんだい! 好きでやってんだからほっといてくんない? とパンパン英語で捲《ま》くし立てた金曜の夜の六本木であった。どーせあたしゃ男欲しげに見えるわようだ。
やっとおわった
ついに最終回。一年って早い! 小井編集長やとがしに迷惑かけどおしのこの一年。少年Fはさぼっていたので除く。だいたいなー最終回になって「頭髪に関するアンケート」なんて送ってきたっておせェんだよ。でもまあ、小井編集長や青年Kと会えたのはよかった。またみんな遊ぼうね。
さて、何書こう。すでに少年Fは、
「今日原稿入らないとこのページ広告になっちゃいますう」
と泣いている。どーせばれるから言うけど、十二、十三日とビブラストーンの名古屋・大阪ライブの追っ掛けに行ってたのは私だ。十四日は大槻ケンヂくんと筋少が名古屋ライブだったのでそこにも寄ってきちゃった。大阪の二十二歳の新BF、サマンサ三吉の顔も見てきたし、バッテリーはすっかり緑ランプよ。それにしては仕事が遅いか? 遊んでばかりいるからなー。
六月は生まれて初めて落語をやったり、ビブラファミリー・バンド、Men’s5(メンズファイブ)とライブやって打ち上げでカラオケやって騒いだり、バス一台借りてバスガイド付きで三保に水族館&そこらへんの博物館全部見るツアーやってた。Men’s5は面白いぞ! 男の子たちなら誰でも、身や心に覚えのある情け無さの数々を明るく歌って笑わせてくれる。ニューハーフになった幼なじみに迫られるほろ苦いデュエット名曲『サンディー』はすでにデビュー前から「はやくカラオケで歌わせてくれ!」と声があがってるくらい。次のライブは八月六日の渋谷クアトロだけど、間に合うのかなこれ。『Gainer』って発売日いつだか知らないのよ、あたし。月初めってのだけはわかるんだけどさ、だってまだ前の住所から回ってくんだもん、いくら事務所移転通知出しても。引っ越ししたの去年の十一月だよ。こら少年F。困ったちゃんシール貼っちゃうぞ。何、マガジンハウス刊『今月の困ったちゃん』を知らない? 少年Fは今すぐ買って読みなさい。困ったちゃんシールは小井編集長にあげとくから。あたしも編集長からおでこに貼ってもらうからさ、おそろいで。トホホ。
ところで、三保バスツアーには親友水島裕子姉妹、こないだ三保でロケしたのに水族館にもどこにも入れなかったからくやしいから来たってのが可愛い鶴見辰吾くん、ギャンブル漫画の女王西原理恵子、人気漫画家山本直樹、最近漫画家というにはあまりにも怪しくなってきたフジテレビ深夜『五コマくん』のレギュラー、タナカカツキ、新進漫画家おおひなたごう&青木光恵って書くとまるでアベックみたいだな、担当編集者というよりほとんど遊び仲間のジャックポット米田チケ、ヤマトタケシの友人雄ちゃんら、総勢四十二人で行った。とがしはその数日前に、ゲイの友人たちとタイにゴルフツアーに出かけていたので、お尻が痛くて来れなかったという。えっ違う? そうだって聞いたけどな。
この「バスで水族館ツアー」は去年もやったんだけど、いつも「どういう団体なのこれ」ってガイドさんや周りの人が困ってるのが面白い。東海大付属水族館では、水族館の人のご厚意で水族館の裏まで案内していただいた。人体科学館も良かったなあ。秘宝館ノリで楽しめていつのまにかお勉強にもなってさ。みんな巨大クチビルのトンネルから入って、最後は肛門から出るんだぞー。当然「それぞれのウンコ芸」とか始まっちゃって。昨日も「宿便」と言いながら腸の壁に張りついていた山本直樹さんの写真が出来てきて、笑い転げちゃったよ。
七月三日には、立川談志さんと、岸田秀さんのゼミに潜入。私と同じくフロイト派やユング派でなく「岸田秀派」の山本直樹、米田チケらも一緒だ。潜入と言っても、和光大学って、すごくオープンな校風で、いろんな人が来ている。お題は、談志さんのために用意されたかのような「フェミニズム」。「言葉の中に見られる女性差別。そして、それをどうすればいいのか」についてレポートする女生徒に、いつも変わらぬおだやかな表情で「どうなのかねえ」と思いを巡らす岸田秀先生(この対応でも分かるように、この先生の頭の中には、俺は先生なんだから多少知らないことがあっても知ったかぶりしとかなくてはという考えが存在しないのだった)。それに対して、「落語にこういう話があってね」とときおり例を出して語る談志師匠。以前、談志さんに言われて、秀さんと談志さんを会わせる席をセッティングした時もこうだったけど、秀さんが心理学のお話をすると、談志さんがそのことを落語で出してくる、っていう、わーこんなのあたしらだけで聞いてていいのお、おいし過ぎだよー誰かビデオソフトにしてくれー的状況。次の号の『ガロ』で合作したテディボーイ漫画家、中村光信にも、
「春菊さんって笑って死ぬんでしょうねえ」
と言われた。わははは。ほんとにその通りだわ。
でもほんと、秀さんの話はいつ聞いても面白い。秀さんはしらふでも酔っぱらっているような人でもあり、酔っぱらってても深い話を平気でする人でもある。女性差別に対する秀さんの考えはこうだ。男も女も、最初にその人間を支配するのは母親だ。一人立ちする為にはその母親の上に立つ、ということをしなければならない。だから男はどうしたって女性を差別しなきゃいけない宿命なのだ、それが出発点なのだから(これ、だいぶあたしの言葉に変わっちゃってるので、『Gainer』読者のみんなはちゃんと秀さんの本を読んでね)。とまあそういうことなんだけど、その女性差別をなくすにはどうしたらいいか。例えば父親も育児に参加するとかね。そこで談志さんの「待った」。「差別だかなんだかしんねえが、そんなもん無くなったら、男ァ勃《た》たねえじゃねえか。人間生まれなくなんだぞ、それをどうすんだ」
最後にちゃんと大テーマが出たざんすね。『Gainer』読者の男の子たちよ。あたしはこの一年、君たちを励ましてくれと言われつつ、ほとんど日記的駄文を書いてきたわけなんだけど、もともとあたしは君たちを励ますのも叱るのもやなんだわ。あたしったら、無責任だからさ。そのうち何とかなるだろう! これでいいのだ! それもまたよし! 調子悪くてあたりまえ! グッバイ!!
最後に一年間私の遅い原稿にパワフルなイラストを描いてくれた親友とがしにサンクス。あんたがつきあってくんなかったらゼッタイ一年もたなかったわ。この恩は、最低二年は忘れません。
話
スローロリス
スローロリスという動物がいる。ナマケモノの仲間で、ゆっくりしか動けない猿である。数年前、上野動物園で見て覚えたら、なんと近所のペットショップにいるではないか。それも、その店にはなぜか営業担当者がいて、セールスマン口調で「丈夫で飼いやすいっすからねー」と勧めてくる。「今何飼ってんすか」と聞かれて、アマゾンの魚やカエルと答えたら、「そりゃもうスローロリスしかないっすよ」。しかしいくら可愛く珍しくても、見るからに「えー、でもこんなの家で飼ってもいいのォ」という感じだったし、その気になれなかった。
その後、私もスローロリスを捕まえて連れてきたのが問題になっていることや、その時それが沢山死んでしまったことを知った。
あの店にいた二匹は、どうなったのだろう。ちょっと覗いたら、あの熱心な営業担当者が私の顔を忘れていてくれなかったため、逃げて来てしまったのだが、赤ん坊のほうだけ姿が見えないようだった。
第 一 印 象
私の昔の知り合いに、初対面の相手を見る目が変わっている男の人がいた。
あるとき、だれかがその人に女の子を紹介したあと、彼女がいなくなってから「どう、きれいな子でしょう」と言うと、その人は「どこが。あんな、指毛が生えてる女」と言ったという。
そしてまた別の時、別の人のことを「ねえ、彼女ってどんな子なの」と聞かれた彼は「ほくろに毛が生えてる子だよ」と答えたという。そして、彼が私に会って抱いた第一印象とは、なんと「下まつげにもマスカラをつけている女」なのだそうだ。どうも、彼は人に会う時、毛の生えているところしか見てないようだ。なかなか珍しい人ではある。
ところで、数日前、私の担当編集者の一人、Mさん二十五歳は、いきなり髪の毛と眉を全部剃り落としてしまった。理由は、「こういうことは今しか出来ないなあ、と思いまして」ということだそうだ。そんな訳なんで、私は記念に彼の帽子を編んでいるところなんです。
「犬型」と「猫型」
「あなたは犬型か、猫型か」とはよく言われるたとえだが、たまに「私は犬が好きだから、律儀な犬型です」とか「私は気まぐれな方だから猫が好き、だから猫型」などと言う人がいて、混乱してしまう。犬ほどいつも人間の顔色を見、人間に付き合ってくれる動物はいない。そんな犬が好きな人が、犬と同じ性格だったらおかしい。気まぐれだからこそいつでもこっちを向いてくれる犬が好きなのであり、逆にいつも勝手気儘にしている猫の世話が苦にならない人ほど犬のように付き合いがいいはずだ。しかしこれも、マンションなど閉じられた環境ではまた違うだろう。外に出かけられないようにされた上、相手の気まぐれで抱き締められたりされている猫もいて、気の毒なことだ。私は両方飼っているが、ずっと猫のほうが好きだった。しかし、「じゃあ犬は滅びても良いと思うか」とまで言われると困る。すでに日本は犬が必要でないほど、安全な国ではない、と思いませんか、みなさん。
交 通 事 故
人が車に撥ねられるのを見てしまった。場所は迎賓館の角のカーブ。マネージャーの運転する私の車のすぐ前で、その事故は起きた。左ハンドルなのに、左から横断歩道に進み出てきた女性にぶつかったのだ。歩いてきた女性も車に気づかなかったのか、全くためらわず衝突。彼女はその場にぱったりと倒れ、動かない。あわてて車から出てくる水っぽいアベック。ひええ、大変だ、救急車呼ばなくっちゃと思ったが、なんと彼女の三歩後ろに若い巡査がいる。迎賓館の警備にあたっていたらしい。彼がすぐ無線機で連絡を取ったので、私たちはその場を離れることにした。脇を通った時、横向きに倒れた彼女の色白の丸顔に長い髪が波のようにかかっているのが見えた。やはりぴくりとも動かない。彼女のその後ももちろん気になるが、巡査の前で人を撥ねた運転手も、目の前で人を撥ねられてしまった巡査も、さぞかしびっくりしただろう。すぐ救急車呼べたのはよかったけどね。
初 詣 で
二日に私のファンクラブの会員や会社の子たちと十四人で成田山へ初詣でに行った。お参りもしたことはしたが、それより食べてばかりいたような気がする。まず途中でたこやきを食べ、入り口で薄皮まんじゅうのあったかいのをみんなでわけた。
お参りが済んで、御守りなど買ったあと「さあ、いか焼きだ」と私と数人が食べた。きりたんぽにした子もいた。それからやきそば班と鮎の塩焼き班と、うなぎのきも焼き班に分かれた。去年まで鮎の塩焼きの屋台なんて出てなかったわ。串刺しにした鮎にあら塩をまぶしたのを、炭で焼いているの。私の買ったのはたくさん卵を持っていて、大当たりだった。
それからぞろぞろと米屋本店に行って、みんなで甘酒。ここでゆであずきまで食べた子もいた。そして最後はまた全員でうな重。成田山の周りには、ほんとにおいしいものが多い。食べ物以外にも、がまの油やおもちゃ、そしてなぜか焼印を買った。早く何かにジューと押してみたいわ。
た ぬ き
阿蘇から別府へ向けて、車で移動していたら、あるみやげもの屋の店先に沢山動物が動いているのが見えた。思わず車を停めて近づくと、それは五匹のたぬきと、二匹の「てん」だった。
たぬきのうち二匹はおりの中にいて、「かみつく」「あぶない」などと札がかかっていたが、あとの三匹は鎖につながれているだけだったので、頭をなでたりしてみた。指を少しかんだりするが、よくなれているみたい。てんのほうは、おりに「きけん」と札がかかっていた。
お店の中に入り薬草の袋詰めなどを買って、話を聞いた。
「最初は野生のつがいを飼っていたんですよ。そしたらどんどんふえてね、もう四代目」
恋愛の時期になると、わなをかけておいて、相手を捕まえてきてやるのだそうだ。それからしばらく、同じおりに入れて様子を見るという。おりの中の二匹は恋愛試験中だったのだ。
不思議な恋愛ではあるけど「たぬきの子どもが可愛くてねえ」の一言に、なるほどなあと思った私でした。
同 じ 話
よく、老人になると同じ話を何度もするようになるなどと言うが、だったら私は立派な老人である。特に、自分より若い人、または若くなくても、私との会話に対してただただ受け身の姿勢を取る人と話していると、つい以前と同じ話が出て来てしまう。
考えてみればこれは無理のないことだ。相手が若くてあまり自分の意見を言わなかったり、良い聞き手ではあっても話題を出してくれなかったりすれば、当たり障りのない狭い題材の中で話が進むしかないのである。ひどい時には、長めの電話の最中に同じ話を二度して、さすがに相手から指摘された。
しかし、その子は私のことを、何か「情報源」のように思っていて、「僕にとって面白い話をどんどんしてよ」と無言のプレッシャーをかけてくるようなところがあったのだ。
しかし、相手のことを本当に好きな時、うっかりでなく意識して同じ話をしてしまうこともある。そんな時は、「何度も聞いたよ」と言われるのもまた嬉しい。
先 祖 返 り
風邪の季節になると、体温計は何処へやったっけと捜すことがある。以前、面白がってデジタル式のを二種類買ったけど、片方は電池が切れてしまい、片方はどっか行っちゃった。電池はどんなのかなと開けてみると、小さくて特別なやつ。めんどくさくなって結局昔ながらの水銀のを一本買ったのだが、これと似た現象を友人の家でも見た。
その家は、もとパン屋でもあり、皆パンが好きでほとんど毎日食べている。電気製品も好きで、パン焼き機だってしまいこまれず活躍してるし、またしょっちゅう新しいオーブントースターを買っていた。ところがオーブントースター三昧《ざんまい》のあげく、最近またあの昔からある「かしゃん」とパンが上がるトースターを使っているのよ。そういえば、普通に売っているパンはやはりほとんど六枚か八枚切り。パン食の機会が多ければ、自然と戻っちゃうのかも。
というわけで「体温計とトースターは先祖返りする」。そういうの、きっと他にもあるわよね。
東 京 の 冬
田舎の長崎にいるときには、東京がこんなに寒い土地だなんて想像も出来なかった。水たまりが凍ったり、雪がたくさん降ったりするのは、もっと北の方の話だと思っていたのだ。
あまりの寒さに、上京したての頃は玉ねぎみたいに重ね着して歩いてた。また、空気も乾燥しているので、肌がひどく荒れ、風呂上がりに乳液かなんかつけたら顔中がかさぶたを剥いだように痛い。これはとんでもない所へ出て来た、同じ日本でこうも違うとは、とすっかり悲しくなってしまった。
しかし月日が経つうちに寒さに慣れ、やたらと着込むこともしなくなった。乾燥の方は、加湿器を使ったり、自分の肌に合う化粧品を見つけたりして、これもなんとか慣れた。私は東京の冬に順応した、というわけです。
しかしそれにつけてもこの冬は寒い。ちっとも風邪が治んないわ。あとはのどだけなんだけど、あんまし長いんで、自分が本当はどんな声をしてたか忘れちゃったじゃありませんか。
札 幌 の 冬
この寒いのに〜と言いながら仕事で札幌へ行って来た。長いコートにマフラー、帽子にブーツと着こんで行ったら、札幌の女の子はスカートからストッキングだけの足を出してパンプスで歩いてる。厚着してるだけで地元の人ではないのがすぐわかってしまうのだそうだ。
「今日はマイナスの二度もあって暖かい」なんて言われてしまったりする。
ブーツはあたたかいけど、底が雪の上を歩くには向いてないつくりだったので、靴を買う。底がざらざらで、つま先には細く金具が入っている「スノーパンプス」なんてのが売ってあったわ。
用心したので転ばなかったけど、よく雪ですべった。暖かさで一度溶けかけた部分がまた凍ると、一番たちが悪いのだそう。一度、坂で動けなくなった除雪車を、一緒にいた人たちみんなで押したが、その時の道路なんてかちんかちんのアイスクリームみたいになってて全然だめだった。結局通りがかった4WDの車がロープで引っ張り上げてくれたけどね。
「水明亭」のナゾ
偶然見つけたんだけど、神宮外苑に「水明亭」って店がある。車で走ってて、
「わー、なんだろうここ。高そう。でも面白そう」
と入ってみたら、食券買ってちゃんぽんや皿うどんを食べるお店で、ぜんぜん高くない。定食もいろいろある。お店の人に、
「何時まで営業してるんですかあ?」
と聞いたら、
「十一時から二時までです。昼のです。お昼のその間だけしかやってないんですよう」
どひー。そんな商売ってあるのう、といろんな人に、
「ねえねえ神宮んとこにちゃんぽんやさんあんの知んない? そこがなんで昼間の三時間しかやってないのか知んない?」
と聞いたけど今んとこナゾは解けない。こないだまた行ったら、「御宴会にも」というような貼り紙もしてあった。その宴会は、十一時から二時までの間にやるのだろうか……? ナゾだわ。
カ ラ オ ケ
なんか最近カラオケばっかやってるような気がする。取材で行った先で連れてってもらったと思ったら、同業者の友だちとまた行ったし、そのあと私の漫画が原作のテレビドラマを撮り終わった打ち上げが一次会からカラオケ。盛んだなあ。でもまだお酒あるからいいや。あの「カラオケボックス」というのだけは私とは別の世界のものであって欲しいわ。バンドもののカラオケがたくさん揃っているところなんかもあって、
「カラオケの延長でバンド始めたんです」なんて人もいる。少し前なら、ありえない。ずいぶんカラオケも変わったのね。カラオケよりバンド始める人の方を応援したいな、やっぱり。しかし、アマチュアバンドがすごく増えた割には、楽器屋さんが妙につぶれているみたいなんだけど、気のせいでしょうか。アマチュアの人っていったい何処で楽器買ってるんだろう。それとも、安いのばっかり売れて、逆に経営が持たなくなったのかしら。不思議だ。
ある夜の六本木
数日前の夜、十一時過ぎに六本木を一人で歩いていたときのこと。
「ちょっと、いい?」と呼び止められて、その声があんまり人を呼び止め慣れていないというか、いわゆる水っぽい感じじゃなかったので、思わず振り向いた。
顔も、お勤めの人、という風の、四十代くらいの男性。ところが、話は「あなただったら二時間で四万、いや、人によっては七、八万くれると思うんだけど」というやつ。
彼は、不動産の売買を本職にしていて、そのお客に女の子の紹介も行っているとのこと。その人たちとは、会っている時だけの関係で、もし街で出会っても声を掛けられたりすることはない。大きな物件を買ってくれるような人たちだから身元も確かだ、変な人たちじゃない、と言う。
「よかったら喫茶店で話だけでも聞かない?」「人と知り合うのは好きだけど、そういうのはいいや」と言ったら、「ほんとに七、八万だよ」と念を押された。その、金額のあたりがポイントなのかな、やっぱ。
く じ ら
くじらって、もう捕ってないみたいなのに、どうしてこんなに食べられるのかなあと思ってた。正月に下関でくじらの胃を食べたし、こないだなんか和歌山で刺身にすき焼きふうに竜田揚げにさらしくじらなどのフルコースよ。下関水族館の「くじら館」では、確か「商業捕鯨は行っていない、現在は調査捕鯨のみ」という話だったのに。ところが、調査捕鯨のあと、鯨肉を回してもらえるらしいんだ、これが。それも、調査捕鯨って言っても、けっこう捕っていいらしくて(その時は一年間に五百頭とか聞いた。それが本当だったら一日一頭以上、ってことになるよね)、だから調査の人たちと仲良しなお店では、景気良くフルコース出せるくらい回してもらえたり、するらしい。とは言っても、もともとあんまりくじらを食べない土地の人は「それが何か?」かもしんないね。私は九州だから、子どもの頃からくじらはたくさん食べてたし、うれしいと言えばうれしいんだけども。
中 村
私は仕事場に水槽を十本以上持っている。そしてその中にはアマゾンのナマズやらアロワナやら、アフリカのカエルやらがうようよいる。アフリカのカエルには、事務所の子たちがいつのまにか「中村」と名前をつけていて、
「今日、中村、金魚飲んで元気ですよ」
なんて言ってる。そう、だからそのカエルには金魚をあげたりしているわけだけど、それも事務所の女の子たちがやってくれているの。まあ、カジュアルな猟奇っていうんでしょうか、いきものとか飼うのをあんまり得意としない人たちにはそういうふうにも感じられるらしいです。ところがこの中村が、同業者やその周辺にはすごく人気がある。
「こんど中村見にいっていい?」
と、噂の的だぜ。そんで、見に来たときに、「え、金魚食べんの? 見たい、見たいよ」
で、何度もやったりしてね。そんなわけで、ベルツノガエルの中村はすでにうちのタレントです。
酔っぱらいな私
私はなんだか最近、酒を飲むと酔っぱらうのがとっても早いような気がする。
「はい、私はもう飲みましたよう。こっちから先は酔っぱらいですからよろしくっ」
って感じで、すぐ酔っぱらいになってしまうのだ。たいへん安上がりでよろしい。で、酔っぱらいになってしまうと、ほどほどにいいかげんなことなどを言い、適当に猥雑《わいざつ》なこともして、その上それを全く覚えていなかったりして、とてもわかりやすい。酔っぱらいという記号の中にすっぽりはまってしまうのだ。しかし、ついこないだまでは同じ様な傾向の人を見ては、
「ねえ、あの人って、そんなに量飲まなかったのにすぐ酔っぱらいになっちゃわなかった?」
なーんて言ってたんだから人生って怖い。いいの、いいのよただの酔っぱらいでも、と言いながらなんとなく死期の近づいているのを感じる今日この頃だったりするのであった。
虫に刺される
仕事で二日くらい小さな旅館に泊まったら顔を二つと手を一つ、虫に刺された。なんの虫だか知んないけど、私はなんだか、すごく虫に好かれる。去年、大阪と神戸にバンドのライブをしに行ったときも、他のメンバーはみんな平気なのに、私ひとりが毎晩いくつも赤いあとをつけていた。
部屋になんかいるようと言って、中の一人ととっかえてもらったら、こんどはその子はなんともなかったはずのその部屋でやられた。ネコのノミにも、たくさん刺される。蚊なんかは、炭酸ガスを感じて刺しに来るっていうけど、私のからだからは炭酸ガスが人より出てんのかな、トホホ。
もしそうだとしたら、植物たちが一所けんめい出してる酸素をどんどん吸って、人よりよけいに炭酸ガスに変えてるとも言えるわけで、あたしゃ歩く環境汚染かあ? 悲しいようん。虫に刺されたあとってみっともないしなかなか消えない。なんとかなるんだったらなんとかしたいもんです。
パチンコ台
私の仕事場には、パチンコ台が一つある。パチンコ漫画を描く仕事を受けたら、そこの編集部の人がプレゼントしてくれたのだ。これが、すごくうるさい。パチンコ店に行くと店じゅうにぎやかで分かんないけど、部屋の中にいっこだけあると、こんなに音の大きいものだったのかとびっくりしてしまう。私の仕事場がもし事務所ビルの中でなくアパートとかマンションだったら、絶対苦情が来るはず。台の電源を入れたまま部屋の明かりを消すと、仕掛けのライトがSFしてる。パチンコ店で同じことをやったらさぞかしこわいだろうな。遊ぶと、楽しいことは楽しいけど、限られた数の玉で遊ぶだけなんで、勝ったんだか負けたんだかわかんない。友人は百円分ずつ玉を数えて勝ち負けを考える試みをしていたが、それにしても一回仕掛けが開くとそれで満足して終わってしまう。こうして一台のパチンコ台から、パチンコの意味やパチンコ店の意味を教わっている私なのだった。
有 線 放 送
私の仕事場では有線放送が聞ける。これは、私のバンド「アベックス」が、自主制作のシングルレコードを有線に売り込むことになったときにひいたもの。とにかくチャンネルがたくさんあってにぎやか。
音楽をいろんなジャンルで聞けるだけでなく、変わったのもある。一日じゅう「ハッピーバースデイ」が流れてたり、「蛍の光」が流れてるのはまだわかるとしても、心音をバックに「ひつじが一匹、二匹」とえんえんやっているのもある。音楽チャンネルで一時期よく聞いたのは「ヤングナツメロ」。ピンクレディーやら、山口百恵など、少し前の歌謡曲が次々にかかる。そして最近これはなかなかいいと思っているのが「ラジオ体操第一」。小鳥のさえずりを少しはさんでは、何度でも「ラジオ体操第一」が出来る。
こないだこれを続けて三回、本気でやったら腹筋が痛いったらありゃしない。けっこういい運動だったんだわ、これが。ぜひ「ラジオ体操第二」も入れてほしい。
声が掛かる
私は、ひとりで外を歩いているとだれかに声をかけられることがとっても多い。
「かのじょォ、お茶飲まない」
のたぐいから、
「ちょっとアンケートに答えてください」
から、「あなたのシアワセのためにおいのりさせてください」まで、とにかく多い。あんまり多いと、嫌になる。誰でもそうなのかと思っていたら、そうでない人もいて、ずっとそういう人がうらやましかった。
しかし、転んでも必ずその手に十円玉をつかんで起きる私は、「道でやたらと人に声をかけなければならない職業」の人たちのことをエッセイに書いて、すっかり元を取ってたりして。ふっふっふっ。しかし、声をかけられる性質は依然として消えない。
真っ赤な口紅ひいて黒革の上下に網タイツで歩いても、知らないおばあちゃまに道を聞かれてしまう私っていったい何なのとしみじみ思うわ。
タンマさん
タクシーに乗ると、たまに運転手さんの名前に目が行く。名前のそばの顔写真も、なんか、いいしね。こないだふと見たら、名字が「丹間」ってなってる。「丹波」じゃなくて、何度見ても「丹間」。思わず「これ、たんまさんって読むんですかあ?」と聞いてしまった。すると、その運転手さんは静かに、
「ああ、そうですよう。よく聞かれますけどねえ。東京二十三区内で私んとこだけみたいですよ」
「はあ、そうですかあ」
私はなんだか楽しくなってしまった。どうしたって、どっかのおじさんが、
「運転手さん、ちょっとタンマ。なーんちゃって」
なんて嬉しそうに言ってるところを想像してしまう。そのあと丹間さんは、もう数えきれないくらい同じことを聞かれてるだろうに、ご出身はどちらですかだの、タンマくんて漫画ありましたよねだのという私の質問に快く答えつつ、目的地まで送ってってくれたのだった。
女 の 子
仕事の途中、深夜の渋谷にアシスタントとマネージャーとの三人で軽食《かるメシ》しに行ったら、ある店の前に二十歳前後の女の子が落ちてる。
「おいおーい、こんなとこで寝るなよう。風邪ひくぞう」
と体をぽんぽん叩いたけど、ぐったりしてて起きない。なおも声をかけると、少しして目だけ開けた。
「家どこ?」
と聞いたら、何かふにゃふにゃ言ったけど、よく聞き取れない。どうしたものかと思っていると、道のむこうからもう一人女の子が走り出てきた。彼女の連れらしい。
「あっすいません。電話かけに行ってたんです。ご心配かけました」
そうかそうかと彼女にまかせてその場を離れたが、あれがもし男の子だったら、いくら私がもの好きでも声をかけなかったと思う。やっぱり道に倒れてるなら女の子のほうがいいよね、なんとなくだけど。
漫 画 家
お茶の水で財布を落としたことがある。あきらめていたら、交番に届いていた。たいした額も入っていなかったが、お礼をと拾った男性の会社に電話したら、いらないと言う。それではお茶でもおごらせて下さいと言うと、待ち合わせ場所の喫茶店に数人でぞろぞろとやって来た。
「いやあ、みんなで歩いてたときに拾ったんですよ」「そうですか……」「最初はみんなで飲んじゃえって言ってたんですけどねえ」「はあ……」「えっ漫画家なんですかあ。あたし生きた漫画家の人見るの、初めて」「…………」
そのあと知らずにそのまま警察署に受け取りに行ったら、拾った人に預けてある書類がないと財布は渡せないと言う。
普通、そういうもん預かってたら会ったとき渡すよなと思いながらまた電話したら、今度は一人だったが、なんだか妙にへらへらしながらやって来た。漫画家がそんなに珍しいかね。何描いてるかも知らないでさ、変なやつ。
おとこの勘ちがい
選 ぶ 権 利
私の田舎の長崎には、ついこないだまで「夜這い」なんてものがあった。とは言ってももちろん市街地の話ではなく、漁師なども住む海辺のあたりのことだが、その「夜這い」というのは全く失礼な風習なのだった。
知らない者から見ると、お互い好き合った男女がこっそり逢うためのもののように思えるが、それは幸運なケースで、男の側が勝手に、
「あれにきーめたっと」
とやってきて、
「ひっ、あんた、だれ」
「しー、親に聞こえるぞ」
となしくずしになってしまうことがけっこうありそうなの、話聞いてると。
長崎市内の旅館に住み込みで働いてたとき、海辺の土地の子から、おねえさん(それも身重)が、だんなさまの留守に夜這いに遇ってしまい、必死で追い返した話を聞いたときは、あきれてしまった。鍵をかけろよ、鍵を! と言いたいところだが、長崎では、街中でさえ、のんきな人は戸締まりしない。つまり、夜這いに来られてしまった方には、何の意志もないのだった。そして、やって来る方は、行きさえすれば女の体が自分の思いどおりになることを、少しも疑ってはいないのだった。
「あたしにだって選ぶ権利はあるんだから」
という言葉は、すっかり死語になってしまったと思っていたが、現実はそうでもなかったりする。これは別に、長崎に限ったことでもないと思う。
選ぶためには吟味しなくちゃならない。顔を合わせてるだけじゃどんな人かわからないし、話もしたいし、いろんな場面でのその人を見たい。
でもさ、
「外国では、男の車に乗り込んだら、もう寝てもいいっていうことなんだ」とか、
「外国では、いっしょに食事をしたらもう……(以下同文)」
なんて言われません? こういう外国の風習を、自分に都合のいいとこだけクローズアップして使用する人って、けっこういるような気がする。ほら、
「外国では、三十代四十代のデビューは当たり前なんだよ」
なんて言って、それを希望にして努力するんじゃなく三十代四十代まで|何もしない《ヽヽヽヽヽ》人っているでしょう。
そういう使用法って、外国の人にも失礼だしやめてほしい。
車に乗り込んだら寝てもいいだなんて、そんな訳ねーだろ。車に乗って、食事をして、お酒を飲んで、たとえ一緒の部屋に朝までいても、性交渉の相手というジャンルに限って最終選考で落ちるってことも、あるはず。逆に、たとえ関係しても、レギュラーでつきあう人にはできなかったり、それが本当の「選ぶ権利」ってことだし、とても自然なことだし、たぶん男女を逆にしたら「今さらそんなこと言われなくても」と言われそうな話だし。
ところが話を長崎に戻すと、夜這いの風習などない市街地でも、あいかわらず「女は男に選ばれて、男の所有物になる」ものだと思われているのだった。その証拠に、合わないと思った男と別れて次の男とつきあっていると、すぐに「だれにでもやらせる女」と言われるのだった。
そのくせ東京にいくと言うと、
「東京にはあんたの想像もできないような男がいるんだからね。絶対男にだまされるよ」
とみんなが言うのだった。そのセリフに、男女が逆になるヴァージョンはなかったようなので、地元の女を外に出すのが嫌だったとしか思えない。
やあねえ。なんかものすごく昔の話をしてるみたいでしょ。でも、ついこないだ、私の会社にやってきた名古屋出身の二十歳の女の子が、家族に同じことを言われていたの。土地はどこであれ、心が田舎の人ってのは、どうもそうやって「女は同じところでじっとしてて、男に選ばれるのを待っているもの」という考えが好きらしい。男の人で、
「一回仲良くしたらもう女は自分のもの」
だと思っているような人は、きっとそういう人たちに育てられたのね。なるべくそういう男とぶつからないよう、がんばって逃げ回りたいものだ。
昔 の 男
昔つきあっていた男性が、仲の良い友人になってくれるというのは、とてもいい話だと思う。
ところが、私の場合ほとんどそれがない。あまりにもないので、自分では、
「昔つきあった男がいい友人になってくれるなんて迷信だわ」
とひそかに思っている。
私だって、最初はそんな迷信を信じていた。だってその方が美しいと思うし……でも、いろんな経験があって、少しずつ気づいていったのだった。
最初は、もうずいぶん前の話だ。昔つきあってた男が、結婚して子供も生まれたというのを聞いて、
「へえ、あんな人でももうおとうさんなのねえ。なんだかお祝いしてあげたい気分だなあ」
なんて思った私の考えは、まちがっていた。そのあと偶然街で出会って、
「おとうさんになったんだってねえ」
と親しく話しかけた私はますます大まぬけ。二、三日後、そいつの声で「オレだよ、昔の彼氏だよ……」と猥褻《わいせつ》な響きの電話があり、とっさに、
「あら、だれかしら。ヒロ坊? それともタケシくん。もしかして英樹」
としらばっくれてしらけさせたが、頭の中は煮えくりかえっていた。どうしようもない奴だと思って別れた相手だが、まさか子供が生まれてすぐに、そんなに簡単に妻子を裏切るほどだとは思わなかったのに。
しかし私はくじけなかった。こちらの出かたで、そんな誤解は防げるはずだ。せっかく何かの縁でつきあった相手だもの、友人になれなきゃつまんないやと思った。
それで、こんどは|別の《ヽヽ》(いくらなんでも同じ男に再び寄っていく程、私はお人よしではない)そういう男Aに、自分が今つきあっている男Bを紹介することから始めた。Bにも、昔Aに世話になったことを話し、BのいないときにAと、
「いい人なんだよ」
「いい人そうじゃん」
という会話もあり、私はとてもいい気分だった。今でも心からそう思っているが、理解ある男に恵まれることこそが、女のしあわせの一等賞だ。ところが、そのときのしあわせは、偽りのしあわせだったのだった。
まだそれに気づかない、いい気分のままの私はAに言った。
「ね、こんどまた遊ぼうよ」
「いいね」
とAは言ったあと、
「でもおまえ、今の彼氏いるでしょうに。ま、ばれなきゃ、いいか」
私は胸のあたりまでがっくりとアゴが下がる思いだった。気を取り直して、
「遊ぶって……べつにセックスしようって言ったんじゃないよ。飲みに行くとか、そんなつもりだったんだけど……」
と言ったらAは何事もなかったかのように、
「そうだね、うん、いいよ、どこに行こっか」
などと答えたが、私はすっかりAと出かける気をなくしてしまった。そのあとは、自ら進んでAと会うことさえしていない。新しくつきあっている男を紹介したというのに、何の効果もなかったということは、私にとってけっこう打撃だった。
でも、そういえば、昔つきあった相手に会ったというと、火がついたように怒る男もいる。そんな男は、昔つきあった女はいつでもセックスの相手になってくれるものだ、と自分でも思っているのだろう。
だれかが結婚するというと、
「あいつの結婚する女って、オレの昔のガールフレンドなんだよな」
なんて言う男もいる。みっともないね。そんな人にかぎって、その昔のガールフレンドから、
「あんなのとつきあってて失敗したわ。あのバカ」
なんて思われてるって。
だから私は今のとこ、昔つきあった男がいい友人になるなんて信じていない。そういうことを言う女の人もいるけど、私はそれを聞くたんびに、
「まさかそのいい友人っていうのと、たまにセックスしているわけじゃないでしょうね」
と心の中で思う。文句があったら反論してみなさい、である。
雑用しない男
仕事相手の人から、お菓子の差し入れ。こんな時、
「お茶淹れましょう」
と進んで席を立つのは、その場でまだ一番役に立たない、新入社員の役目。いちばんの新人でなくても、普段まわりの足を引っ張ってしまっている社員がいたなら、その人間の役目。
ところが、なぜか能力に関係なく、女子社員が席を立ってしまい、男子社員は当然の顔でそれを待つ。
私はこういうシーンを見ると、なまはげの衣装をつけて包丁を持って、
「だれか悪い子はいないか」
とやりたくなってしまう。実際にその場で注意して女子社員を座らせ、男子社員にやらせることもあるが、そんな場合のお茶はタイミングや温度を考えることもしていないので、また注意しなければならない。つまり最初っから、お茶を淹れることなど自分の仕事だとは思っていないのだ。そういう男子社員は、そのまた別の日に「お茶淹れて」の声を聞いても知らん顔で、こんどはどなられる。そして入れたお茶が、前に輪をかけてまずいお茶だったりする。時間と労力の無駄を痛感し、叱った方も思わずくじけそうになる。そいつでなく、女子社員に頼みさえすれば、快くそしておいしいお茶をすぐに用意してくれるというのに。しかし、当の男子社員はこちらがそういう考えになるのを待っているのである。
もうひとつ、買い物というのも象徴的で、男子社員ではまだこれがちゃんと出来る人間を見たことがない。風邪で鼻をかんでばかりいる上司から、
「ティッシュ買ってきて。高いやつ(これは品質のいいやつという意味)ね」
と言われて、デパートまでスコッティだかクリネックスだかを買いに行った奴がいた。五個パックでなくバラ売りで五個、デパートのレシートと一緒に渡されたときは、軽いめまいを覚えた。灰皿を買いに行って、居酒屋で買ってきた奴もいた。夕方と夜の二食分の弁当を頼んだら、同じ弁当を二×人数分買ってきたたわけ者。そば屋に出前を頼みに行って、定休日の札に出会い、そば屋を捜す旅に出て一時間以上も戻らなかったまぬけ(そいつはごていねいに同じことをすし屋でもやった)。
もちろん女子社員でもそのへんの常識のないのはいるが、ティッシュやお茶など日用品の買い物でこける奴はあまりいない(逆にトイレットペーパーなど、安すぎる物を買ってきて困ることはあるけど……座業なので、つらいんです、結構……)。
料理に関してはもう芸術的にヘタ。そう言えば買い物も、食料関係を一度やらせるとすぐその非常識さがわかるのだった。別にすばらしい包丁さばきなど望んではいないが、電気がまで干飯《ほしいい》をつくる奴までいて、泣きたくなる。
「やったことないんでしょ」
などと考えるあなたは甘い。やったことがなければ、人に聞くでしょ。聞きもしないで、自分ではやれるつもりで、つくっちまうのだ、そういう作品を。
お茶汲み、買い物、夜食の用意などを、呼びたかないけど雑用と呼ぶとしたら、それらの雑用は当然女子社員がやるものと思っている男子社員は、とても多い。そして、そんな男子社員に限って、女子社員よりはるかに無能だ。少なくとも、私の会社では。
しかし、私の会社ではそんな男子社員を、はっきり「無能」と言えるだけ、健康なのかもしれない。そういわれた男子社員は、自尊心だけは強いらしくすぐ辞めてしまうことが多いが、無能は無能なのだからしょうがない。男だというだけで仕事も出来ないのに威張っていられる会社が、もしもこの世にあるのなら、そういう会社を探して放浪していただくしかない。
それにしても矛盾に思うのは、それだったらなぜ、女の私が社長をしている会社などへやってくるのかということだ。なにか、とてつもなく自分に都合のいいことだけを考えているとしか思えない。やさしくされる場面ばかりを待っているからだ。別にやさしくしてやってもいいけどね。そのかわり給料はあんたが私に寄越せ。
仕事抜きで
それは、私が漫画家になったばかりの頃だった。
テレビの取材が入り、カメラが私の仕事場に持ち込まれた。漫画を描いているところや、部屋の様子(その頃の仕事場はあるアパートの一室であった)などを撮影され、VTRにまとめられた。番組の中では、VTRだけでなく、私もスタジオに行って話をした。
その頃は私の漫画というと、セックスシーンのことばかり取り上げられることが多く、VTRのディレクターの人には、
「ちょっと、おっぱいにペン入れして下さい」
なんて言われたりもしたが(ブゼンとしていたら、あっ、やっぱりいいですということになった)、番組の司会の人は、そんな人ではなかったので、結果としては気持ちのいい仕事だった。
同じようなテレビの仕事がその後もうひとつ続いたので、エッセイを書いていたある雑誌の担当編集者に、
「内田さんの体験したテレビの世界、というテーマにして、今月分を書きませんか」
と提案され、そうすることにした。
そしたら、それからしばらくして、
「読みましたよ」
とVTRのときのディレクターから電話がきたのだった。
「いやあ、ああいうふうに書かれちゃうと、どうやって作ってるかすぐにばれちゃいますねえ」
となんだか嬉しそう。へんな人だと思っていると、
「僕こんど違う番組やることになったんですよ」
という。
「そうなんですか」
「そうなんですよ。今度、仕事抜きにして会いましょうよ」
「はあ」
撮影中、私とその人が個人的に意気投合したということもなかったので、少し不思議な言い方だと思ったが、その時は、まあそういう口ぐせでもある人なのだろうと、たいして気にもしなかった。
ところが、またそのことで、
「どうですか、いつごろ時間ありますか」
と電話をもらい、本気で言っているのがわかった。そのときもなんとなくお茶をにごして電話を切ったが、どうしてこういう誘いを受けるのかわけがわからなかった。他にそういう例がなかったからだ。とこう書きながら、実はもうひとつ似たようなことがあったのを思い出してしまったわ。
それは、Aという週刊誌の取材のとき。夜おそくなってしまったので、どこかへ行って何か飲みましょうと言われ、その取材記者のいきつけの店に、アシスタントの女の子と二人で行って取材を受けた。とてもいい人だったし、記事にも別に文句はないのだが、あとになって、
「僕ね、A新聞の埼玉のほうに異動になったんだよね」
と深夜に、酔った声で電話があったりした。たぶん、どちらの人も、仕事で私に会っているうちに、なんとなく友だちにでもなったような気になってしまったのだろうが、私のほうにそういう気が残っていないのは、一体なぜなのだろう。
今考えてみると、私の仕事場が会社になり、事務所ビルの一室になり、男子マネージャーや男子社員がいるようになってからは一度もそのようなことが起こっていない。アパートの一室に、女一人あるいは女二人で作業しているところへ入っていっただけで、自宅へ上げてもらったような気になったのだろう。それではまるで私の仕事場はお座敷バーじゃないの。一度しか会ってなくて、話が合ったわけでもないのに、「仕事抜きに」と言うのも、相当な失礼。長いキャリアがあって、たくさんの仕事の場を経験している人ならともかく、まだまだ女はいろんな仕事の場を欲しがっていると思う。心ある男性なら、よほどこっちが性愛方面だけに水を向けない限り、仕事を与えてくれるものだ。それを補って余りある人徳がある場合は別として、だれがそんなに簡単に仕事抜きで会いたいと思ったりするというの。女の労働意欲を甘く見ないで欲しいよね。
「太った」と言う人
私は、ついこないだまで徐々に太りつつあった。
毎年、少しずつだが確実に太っていったので、さすがに去年くらいから、いろんな人に指摘されるようになってきた。そして、そのほとんどが、男からの指摘であった。
仲の良い男から、
「あ、太った」
なんて言われるのは、たいして気にならない。太ったのは、事実だし。
気になるのは、そこまで親しくない男が、遠回しに、
「内田さん、ちょっとふっくらしてきたんじゃありませんか」
とか、
「内田さん少しボリューム出てきたんじゃない」
なんていう場合だ。なんだか、その裏に他に言いたいことがあるのかと思いたくなる。
赤坂に、私が昔ウェイトレスをしていたジャズ喫茶があるのだが、そこにお茶飲みに行ったら、昔からの常連の男性客と会った。
「お久しぶりです」
と挨拶したら、いきなり、
「なんでそんなに太ったわけ」
という。
「ああ……、夜食べることが多いですし、あんまり動かなくなったもんですから」
彼はどうも私が漫画家になったのを知っているふう。だから、動かなくなったというのは、ウェイトレスの頃にくらべたら机に向かう時間が長くなっているし、という意味で言ったのだ。だが彼はそれを聞いて、
「いいねえ、甘えてて」
なんて言うではないか。むか。最初っから皮肉を言おうとして振ってきたんだ、とやっと気づいた。いやな奴。そのとき店の人に聞いて初めて知ったが、彼は、赤坂でクラブをしているある女優の弟で、店の経理などを手伝っているのだそうだ。確かに夜の店の経理担当者は、昼のあいだにお客の会社を回ったりして忙しいが、好きでやっていれば人にそんな皮肉を言いたくなるほどつらい仕事ではない。彼はあまりその仕事が好きではないのだろう。だから、好きなことを仕事にすることが出来た私にそんなことを言ったのだろうか。
ほかにも、ご丁寧に葉書で、
「こないだテレビで顔を見たらちょっとふっくらしたかなと思いました」
と書いてくる人までいた。顔を合わせている時に言われるならわかるが、テレビで……。まあ、別にいいけどね。
何度か減量を試みたりもしたのだが、深夜や早朝の、仕事上がりのビールはおいしいし、あんまり長続きしないの。一キロ減ってはまた戻る、という状態でいたら、数年ぶりに風邪で熱を出したのと、手塚治虫さんが亡くなったショックで、今年二月に突然三キロ減ってしまった。これには自分でもびっくり。あんまりやせないので、脂肪が固定してしまったのだわなんて思っていたからだ。
しかし鏡を見ても、もともとえらが張ってて下ぶくれな顔だから、たいして変わらないような気もした。三キロくらいじゃね、と思ってたら、それでも何人かの人は気づいて、
「やせましたね」
と言ってくれた。言われてみると、やはり太ったと言われるよりはるかに気分がいい。自然に、以前太ったと言った人に会うときには、今度は当然やせたと言ってくれるのだろうと期待してしまう。
ところが。
言わないのである。
あれからずいぶん経ったけど、「やせた」と言った人は、全部「太った」とは言わなかった人。「太った」と言った人は、「やせた」とは言わない人なの。これは、腹の立つ新しい発見であった。そういう人は、太ったところしか、見ていないのだわーん! ちくしょう。放っとけよな、そんな人の体型のことなんかよーと、思わずがらが悪くなってしまう私なのだった。
しかし私と仲の良い男たちはやせたらやせたで、
「やせたじゃん」
などと言ってくれる。
「人前に出る仕事だから、やせとけよ」
なんて親身になってくれたりもするのさ。うれしいねえ。
え ら い 人
テレビ局に呼ばれると、番組が終わったあとに「えらい人」が挨拶に来られることがある。
ある局のお昼の番組に呼ばれたときも、終わってから、何人もの人に次々と紹介された。私と、私のマネージャー(男)は頭を下げつつ名刺をどんどん出した。そして、最後に、
「たぶんこの人がいちばんえらい人なのだろうな」
という感じの人が、もうひとりのゲストの人に挨拶しているのを、横で待っていた。
もうひとりのゲストの人というのは、有名な映画評論家の人であった。仮にAさんとする。Aさんは、そのいちばんえらそうな人から名刺を受け取ると、すまなそうに、
「申し訳ありません、私、名刺を持たないものですから……」
と言っている。すると、
「いえいえ、Aさんはもう、お顔が名刺でいらっしゃいますから」
なるほどさすがにえらい人だけあって、うまいことを言うものだと思いつつ、こちらは名刺を出す準備をしていると、果たして、その人は、手裏剣を投げる前のような格好になっている私と私のマネージャーの前を、隠密剣士のように通り抜けて行っちゃったのだった。思わず顔を見合わせる私とマネージャー。なかなかこれはかっこ悪い場面である。なので、私はそれを怒りに昇華することにした。
「なによ、私のことを嫌いなんだったら、番組に呼ばなきゃいいじゃないよね。こっちが頼んで出してもらったわけじゃないやい」
もちろん口には出さないが、そんな子供っぽい罵倒語で頭をいっぱいにさせて、ひとりで地味に権威と闘ったりした。
そのあとお昼ごはんをいただくことになっていたので、なるべくその人と離れて座ってやる! などと思っていた。
しかし。
その人は、私のことを嫌っているわけではなかったのだ。食事の途中も、たまに、
「内田さんはご出身はどちらですかな」
とかなんとか、正確には忘れたが話しかけたりもしてくる。私は内心、
「変なの、挨拶もしなかったくせに。あんたなんかだれだか知らないぞっ」
と思ったが、あまりに屈託のないその様子に、つっかかるわけにもいかず、表面だけは楽しく食事を終えて帰ってきた。
きっとその人には悪気はなかったのだろう。もしかしたら、挨拶も、もう|したつもり《ヽヽヽヽヽ》になっていたのかもしれない。だいいち、そんなえらい人が、そんなにわかりやすい意地悪をするわけがない。しかし、うっかりした人である。
もうひとつ、同じようにテレビ局のえらい人の話。番組が終わってから、出演した人たちみんなと話していると、臨床心理士であるゲストの人が、
「内田さんの漫画に、一度しか関係してない女が、狂言自殺で男を呼びつける話がありますよね」
というので、
「ああ、そういう場面がありますね」
と答えた。
「私もあれと同じように、患者から迫られたことがありますが、あの話は非常に感じが出ている。あれは内田さんの体験なのですか」
またか、と思った。その場面は、『幻想の普通少女』という漫画で描いたのだが、ガス自殺すると電話してきた女の部屋にあわてて男が行くと、ガス管も開いているが窓も開いている、間抜けな自殺だったというシーンだ。それを体験ですかと、それも臨床心理士の人に聞かれると、複雑な気持ちだ。作品を褒《ほ》められているようでもあり、あなたは狂言自殺して男にだだをこねるような女に見えると言われているようでもあるからだ。しかし、作品を体験ですかと聞かれるのはしょっちゅうなので、
「あー、あれは私のことではないんですよう」
と答えていると、
「またまた!」
とちゃかすような声が聞こえた。その番組のいちばんえらい人が、私に向かって言っているのだった。あのなー……。
ゲー
ある小説誌で、ある男性タレントと対談したときのこと。そのかたとの話はとても楽しかったのだが、その中でSさんという別の人の話になった。
実は私はそのSさんの顔も名前も知らなかったのだが、話がおもしろいので笑って聞いていた。うしろから人の名前を呼んで、そっちを向くとほっぺたに人さし指がささるというやつがあるが、Sさんはそれをなんと指でなくて陰茎を出して仕掛けてきたのだという。
「それをやるためにはさ、堅くしとかなきゃ出来ないわけだよ。そういう準備をしてまでやる、そんな人なんだよ」
「すごいですねえ」
と笑っていると、対談の担当者である編集長が、
「内田さん、そんなことやられたら、どうしますか」
と私に聞いてきた。いくら冗談がきつい人でも、女に向かってそんなことをするわけはないのだが、私はついまじめに、
「私ですか……もし私だったら取り乱してしまうと思いますね。正気でいられる自信はないです」
と答えた。するとその編集長はニタニタ笑いながら、
「取り乱しておもわずくわえちゃったりして」
と言った。対談相手の人は紳士なので笑わなかったが、私もそれに対して何も答えないようにし、聞かなかったことにした。
もうひとつ、こちらはテレビ局のやはり、えらい人。
どういうきっかけでそんな話になったかはわからないのだが、その人はタンの話をしていた。
私は、以前私の会社の人間が入院した時のことを思い出していた。尿道結石が痛みだして急に入院することになったので、病室がなく、重病患者用の病室に入ったのだ。
「そういえば、タンなんてもののことを、ちゃんと考えてみたことなかったんですけど」
のどの奥がヒュウヒュウと鳴っているおばあさんや、掃除機のようなものをのどに入れてタンを吸い出してもらっているおじいさんの姿が頭に浮かんだ。
「寝たきりの病気なんかになると、タンって自分でははき出せないんですねえ。キカイ入れて吸い出したりしてねえ。たまってくると声がひどくしゃがれたり、のどがヒュウヒュウいったりして、私……」
そこまで言うと、その人はうれしそうに、
「吸ってあげたくなった?」
と言って、クックックッと笑ったのだった。やはり、だれも笑わなかった。
私は、別に道徳的なことを言おうとしているのではない。こういうふうなことを言って、それで笑わせたつもりでいる人って、やっぱり想像力のない人なんだろうなあと思うだけ。
だって、人並みの想像力があれば、どっちの場合も、言われたとたんに「ゲー」となってしまうことぐらいわかるはずでしょう。それなのに、その人たちがテレビ局のえらい人だったり、小説誌の編集長だったりと、ものをつくる立場の人なのが、不思議。テレビ局の人のときは、仕事が終わったあとの時間でもあり、目くじら立てるほどではないけど、編集長のほうなんて、対談中だし、なんでそんなこと言うのかしら。もしかしたら、わざと、私を怒らせようとしていたのかなあ。
これについて、私は答えを二つ考えた。一つは、この人たちは、きっと子供のころ、食事中に「うんこ」などと言って、友だちから笑いを取っていたのだろう。そして、それで友だちが笑ったのがうれしくて、自分がいい大人になったことや、相手が女であることも忘れて、同じことを続けている。それに対して忠告してくれるほど親しい友人もいなかったのであろう。
二つめは、私の顔は、自分では気づかないが、人が見ると、だれかれかまわず陰茎にしゃぶりついたり、タンを吸ってあげたりしそうな顔であり、正直な人は、ついそれを冗談にしてしまいたくなるのであろう。
この二つであるが、もちろん私自身は前者であることを祈っている。しかし私は心が広いので、ご判断は読者のみなさんにおまかせいたします。
ワタナベさん
私がまだ長崎にいたころ、歌手兼ホステスをしていた店に、ワタナベさんという人がお客さんで来た。東京の人だというワタナベさんは、メガネをかけたまじめそうな人で、建築関係の仕事らしかった。
「私、ちょうど上京しようと思ってたところなんですよー」
と話すと、
「僕にできることだったら、力になってあげよう」
と言ってくれた。私は、東京には知り合いが一人いるだけだったので、大喜びでご好意に甘えることにした。
しばらくして、私は貯金を持って上京し、まず住まいを捜すことにした。ワタナベさんが不動産屋を紹介してくれたので、そこへ行ってみると、担当者の女性はとても親切で、昼食をごちそうしてくれたり、住まい以外のことまでいろいろ相談にのってくれて、うれしかった。
その日ワタナベさんは、御徒町のタカラホテルの部屋をとってくれた。私は、東京でたった一人の知り合いのうちに泊めてもらうつもりだったが、
「それじゃあ連絡が取りにくいし、どうなったのかが心配だよ。ホテル代くらいおごるから」
と気まえよく、二日分のホテル代を出してくれたのだった。
それからワタナベさんは、私に新宿のクラブにつとめるホステスさんを紹介してくれた。私はその人と同じクラブへ、歌手兼ホステスとしてつとめることになった。住まいと仕事が決まり、これで一安心。私は親切なワタナベさんと知り合えたことを心から感謝し、一所懸命働いて、いつかきっとご恩返ししようと考えた。
そのとき少しだけ気になったのは、夜、電話をかけてきたワタナベさんが、
「電車がなくなっちゃったんで君のホテルの部屋に泊めてくんないかな」
と言ったことだったが、結局ワタナベさんは来なかったし、まあ、ちょっと言ってみただけなのだろうと思うことにした。
それから約一カ月。東京への引っ越しも無事終わり、電話もついた。ワタナベさんにその旨を報告すると、
「そうか、じゃあそのうち遊びに行かなくちゃなあ」
と言うので、
「ええ、来て下さいよ」
と答えた。
そのあたりまで何も問題はなかったのだが、ひとつだけ困ったことが起きた。紹介してもらったクラブが、あまり良い店ではなかったのだ。だらしない従業員なども多かった。私は、慰安旅行にも参加し、積極的になじもうとしたが、うまくいかない。店長だけは私を可愛がってくれたが、だんだん店がいやになってきた(そういえば去年、そこのバーテンの一人が、その慰安旅行のときの写真を、内田春菊のホステス時代の写真だといって写真週刊誌に売っちゃったの。頭にきたわ)。
しかし、水商売にはそういうことはよくある。合わなきゃ、店を替わればいい。でもワタナベさんにどう話そう、などと思っていたある夜、店のロッカーに入れておいたハンドバッグの中から、お金を盗まれてしまった。いやな気分で家へ帰り、
「もう、あの店は辞めよう」
と一人で考えていると、運悪くそんなときにワタナベさんから「遊びに行きたい」と電話。真夜中だし、とてもお客を迎える気にはなれない。紹介してもらった店のこともあるので、私はとっさに、
「今夜は彼が来てるの」
と嘘をついた。そんなのまだできてなかったんだけど、これが一番簡単だろうと思ったのだ。ところが、それを聞いたワタナベさんは、なんと、怒りだしてしまったのだった。
「なんだと! お前はなんてえ女だ!!」
などと東京弁で怒鳴っているのだ。私は驚いたが、少ししてワタナベさんの言い分に気づき、黙って電話を切った。なぜか彼は、手も握ったことのない私を、不動産屋とクラブを紹介し、ホテルの宿泊料を二日分払っただけで、すっかり「囲った」気になっていたようなのだ。私も彼を「親切な人」だと思っていたし、まあお互い勘ちがいしていたわけなんです。
社 長
私が長崎でホステスやクラブ歌手をしていた頃、いちばん長く勤めたお店の社長は、大層気まえのいい人だった。
どのくらい気まえがいいかというと、まず、その社長はクラブを一軒、サパークラブを一軒、スナックを一軒持っていたのね。全部合わせると、女の子だけでも三、四十人はいたんだけど、海外旅行なんか行くと全員におみやげ買ってきてくれるの。社長が来るとシャネルやニナリッチやディオールの香水がごろごろ入ってる「おみやげ袋」が回ってきて、その中からみんな好きなのを一本ずつもらうの。
さらに年末には全員にドレス代をくれたし、給料なんて、|はした《ヽヽヽ》が三千円とか四千円なのに一万円に繰り上げて計算してしまうという、信じられない丼勘定。だから、もらった給料袋には、いつも一万円札しか入ってないの。女の子たちはみんな、毎月給料のほかに小遣いを少しずつもらっているような状態だったわけです。
しかし、そんな社長だからこそ最高にわがままで、店に来るとかわいくて若いコをみんなはべらせちゃう。若々しい人だし、新人の女の子なんて、まさか自分の店の社長だとは思ってなかったりしてね。当然自分とこの女の子とどんどん恋愛もしてて、とにかく元気な人だったの。
ある雨の晩、私が店の女の子数人と一緒に社長と飲みに行ったら、帰り道たまたま彼と二人になった。そこから私の家は歩いてすぐだったので、私は社長に傘を差しかけ、タクシーが拾えるとこまで送りましょうと言って歩き出したの。そしたら社長は急にいたずら心が起きたのか、いきなり傘で手のふさがっている私の胸元に手を入れて、あたくしの乳房をわしづかみにするじゃあありませんか。
「いやん、社長ったら」
「へへへ。減るもんじゃなし」
こんな時代錯誤なセリフをはいても、どことなく憎めない人だったのだが、とにかく彼の手をふり払い、ちょうど来たタクシーをとめた。社長はそのままへへへと笑いながら帰っていったが、若い私の怒りはなかなかおさまらなかったのだった。
翌日私は、先輩のホステスに昨夜の社長の行動を口をとんがらして訴えた。
「社長もしょうがないわねえ」
「いきなりですよおブツブツ」
などといって鬱憤を晴らしていたら、その話が人づてに社長のところまで行ってしまった。それも、女の子ならまだしも、男子従業員が、
「社長、聞きましたよ、ゆうべのこと。社長もやりますねえ」
とかなんとか言っちゃったらしい。そして社長はかんかんに怒って私の勤めるサパーの方に電話してきた。
「おまえはなんでそんなことを言うんだ」
それは、私にはとても勝手な言い分に思えた。思わず売り言葉に買い言葉で、
「人に言われて困るようなことなら、しなきゃいいじゃないですか」
「そんなこと言うんならおまえは店をやめなさい」
「やめてやらあ。ガチャン」
となってしまった。この状況からも、私がホステスとしてどんなに無能だったかよくわかる。プロのホステスならこんなとき、
「あら、あたし知りませんわ。だれか見てたんじゃないんですか、社長顔売れてるから」
とかなんとか言うものよね、トホホ。なにしろ長崎ではそこより条件のいい店はなかったんだもの。
しかし結局は、社長の方も大人げないと、店長が間に入って社長をなだめてくれ、私はやめずに済んだ。私は最後まで社長に謝らなかったが、時間がたつにつれ、自然と社長と仲直りした。社長も最初は私のことを生意気な小娘と嫌っていたが、私がクラブ歌手でありながら『スター誕生!』の決戦大会まで行ったときには喜んで応援してくれた。
今考えると、店の女はみんな俺のもの、という考えの人だったようだが、それって、古き良き男の意気地とかいうものにつながっていたのかもしれない。その頃の私がそういう部分を理解できなかったのが気の毒なくらいだ。だって、そういうのにしびれるタイプの女がホステスやんなきゃ、意味ないものね。
も て な し
この話は以前にも他の雑誌にサワリだけ書いたんだけど、私の体験した「おとこの勘ちがい」話では最も強力なもののひとつではないかと思うので、もう一回、詳しく書くことにする。
それはある地方でのトークの仕事を終えた後の事だった。
私は、マネージャー(男)と一緒に、地元のお料理をご馳走になっていた。トークの相手の方は多忙のためすぐ東京へ帰られたので、私とマネージャー以外は、地元誌の女性二人に主催した会社の人男性一人。そこへ暫くしてその男性の上司にあたるAさんが現われたのだった。
「いや私も、こないだまで東京だったんですけどね」
Aさんは懐かしそうに東京での話を聞かせてくれた。自分の話に酔っているような所があったが、よくある事だし大して気にもしなかった。恒例の、
「内田さんの漫画はやはり経験から描かれているんですか?」
という質問の後も、
「いやあ、私なんかから見るとねえ、若い女性がねえ、やっぱり経験かななんて思っちゃいますよねえ」
と、少ししつこかったが、これまたよくある事なので気にしなかった。しかし今考えてみると、これはやはり伏線であった。どんなものに触れてもセックスシーンしか見えない病気にかかっている人はいるのだ。
お料理も一通りいただいた頃、Aさんは私たちをお酒に誘ってきた。
「ちょっとね、面白い店があるんですけどね、内田さんの趣味に合うかなあ」
なんてにこにこして言われ、大勢で行って面白いところなら、と思った。
「ここです、ここ。うわーいっぱいだなあ」
Aさんのあとについて入ったのは小さなスナックだった。奥には狭いフロアをぐるりと丸く取り囲むテーブル席があるが、そこが満席なため、私たちはちょうど六人掛けのカウンターに座って待つことになった。ふと、嫌な予感がした。目の端に、何かもじゃもじゃと毛の生えたピンク色のものが映っているのだ。私は反射的に、自分とAさんの間にマネージャーを座らせた。しかし奥床しい性格の彼は狭いカウンターから気持ち椅子を離れさせて座り、私とAさんはほぼ隣同士になってしまった。そして、私がさっき見た毛だらけのピンク色のものは、Aさんの手の中にあった。よく見るとそれは、女性器をかたどった縫いぐるみであった。
「ここはエッチな店でねえ。こういうの全部手作りなんですよう。ほーらこれも」
Aさんは今度は男性器をかたどった縫いぐるみを何処からか捜し出してきて、うれしそうに私に押しつけた。私はこういう、四十がらみの紳士が人に押しつけたりするんだから、これらはそんなあやしげなことには使われていない筈だと、必死で思おうとした。
ところが、ショータイムが始まってみると、足を開きスカートをたくし上げた女性がひわいな替え歌を歌いだし、後ろにもう一人女性が猫の手の縫いぐるみをもって近づいたかと思うと、
「ウッ、ハッ」
などと歌っている女性の足の間から、男根のように突き出したり引っ込めたりしているではないか。これはえらい所へ来てしまったと思ったがもう遅い。みるみるうちに二曲目となり、今度は歌う人のほうが猫の手の縫いぐるみで、お客の股間をぐいぐい触ったりしている。私のマネージャーは可哀想にそのあとその縫いぐるみで顔を撫でられてしまった。
「内田さんの趣味に合うかなあ、ねえ……」
この場でどう振る舞うべきか、私は暫くぼんやりと考えたが、
「今日はママが休みかあ。いつもはねー、もっとすごいんですよー。アハハ……アハハ……」
などと横で言ってるAさんを悲しませるにはしのびなく、私はヤケになってカラオケで熱唱し、人の歌にも大声でヤジを飛ばして騒いできた。きっとAさんは、
「やっぱり内田さんの趣味に合ってたな」
と思ってたんだろうな……いいんですけどね……ははは……。
人 選 ミ ス
勘ちがいにもせつなく気の毒なものもある。あれはおよそ五年前、漫画の持ち込みをしながら、ロック喫茶(自分でも笑っちゃうけど、他に形容しようのない店だったの)で、夜の八時から朝の四時までのバイトをしている頃だった。
常連にSくんという、スナックのウェイターをしている男の子がいた。待てよ、私より年上だったかもしれない。色白で小肥りでよく喋る、愛想の良い子で、ベースをやっていた。まだ渋谷にライブハウスの『屋根裏』があった頃、私はそこへ彼のバンドを聞きに行った事があるが、何故か急にライブはお流れになり演奏は聞けなかった。
しかし律儀な彼は後日私のバンドのライブに来てくれた。お客よりバンドのメンバーのほうが多いようなライブをやってた頃なので、こういう友人ほど嬉しいものはなかった。
ある日、いつもの調子で彼が言った。
「楽器売って小金が入ってさあ。今度の日曜、天ぷらでも奢ってやろうか」
「わー、うれしー」
私は喜んで約束した。この「天ぷらでも」というのが泣かせる。いかにも「若人のエネルギー補給」って感じがするではないか。
ところが日曜日にSくんが連れていってくれた店は、私が想像してたのと大分違っていた。
ゴージャスなのだ。
「ワカサギね」
とか何とか板さんに言うと、その場でシュワーと揚げてくれ、真っ白なお塩をちょっとつけていただくようなお店で、当然Sくんは私にビールまで奢ってくれるのだった。
その頃の私にとって、ビールは結構高価だった。下北沢の居酒屋にバンドのメンバーと集まり、二百円のチューハイ二杯と枝豆とホッケの塩焼きで丁度千円。だってビール頼んだらどんなに安い店でも四百円はするじゃない。
「ああら、ウチダさんたら、ホステスしてたくせにビールが高価ですって」
と思われるだろうが、私はもともとは家出娘をやっていて(そのまま実家には帰ってない)、やり始めの頃は神社やひとんちの軒下なんかで眠って公園のトイレで歯を磨くという箱男的生活だったの。その後ある家に女中(この言葉って、書くのはいいんだったよね? 放送だと言っちゃいけないみたいね。でも自分がそれに当てはまる場合は、ほんとはいいんだよね、いつも言いそうになって困っちゃうのよ)として住み込んだんだけど、最後に残った三十円でパン買って食べたとこなんて、百五十円のかけそばより勝ってるでしょ、エヘン。
そんな事を威張っても仕方ないのだが、とにかく私はいつでも貧乏に戻れる体質なんです。で、嬉しくて遠慮なく食べた。
お腹がいっぱいになり良い気持ちになった私は、お礼を言って別れようとした。すると彼は、
「も少しいいでしょ?」
と言う。
その時私の脳裏には、一つの考えしか浮かばなかった。
「トモダチに、これ以上散財させるわけにはいかないわ」
しかし、私には彼に奢るほどのお金は無い。困って、
「いやー、もうお腹いっぱいだし酔ったし」
などと尻込みしたが、彼はまだ帰りたくないのか、
「じゃあお茶行こ、お茶」
と、ずんずん歩いて行く。そして、あろうことかあるホテルの最上階の、窓の外がぐるぐる回る、いや逆だ、床よね、回るのは。とにかく回るレストランにはいっちゃったのよ。私なんてそんなとこにふさわしいかっこしてないのに。
そこで一体いくら取られたのか考えたくないコーヒーを飲んだあとも帰してくれず、次に行ったのは、なんと……、
「ピアノデュオがジャズをきかせるおシャレなカクテルバー」
だったんですう。
悲しむのは贅沢だって? 私だって、Sくんと関係してもいいと思ってたら悲しかありませんよ。そういうことだってあるじゃない。
Sくんが人選さえ誤らなかったら無駄にならなかったであろうこの日のサービスのことや、今後は以前と同じようなトモダチではいられないであろうことなどを考えると、せつなかった。やっぱりこういうとき貧乏は困る、と思うわ。
Bさんのこと
この連載をやって思ったことは、私だけでなくみんな女は男に勘ちがいされているのだなあということだ。
いろいろ話を聞いていると、本当に尽きることがない。特に女の方は仕事で愛想良くしているだけなのに、男が個人的な感情によるものだと思い込むのはどういう訳なんでしょう(こう言うと不遜だが、愛想の良し悪しなど本人はほとんど自覚していないものだ。勘ちがいする方が迂闊だと私は思う)。経験したこと、聞いたことなどを真面目に考えていくと、
「本当にあーたたちはあたしたちが歩く性器にしか見えないんですか?」
という絶望的な問いが浮かんでくる。こういうと、
「いいや、しゃべる性器、たまには仕事もしてくれる性器だとも思ってるけど?」
という救いのない答えがそっと頭に浮かぶ人もいるんだろうな。まあそうなるとあんまりなので最終回の今週は少し笑える話にしましょう。
最近はウェイトレスという職は人気がなく、時給が千円近くまで上がっているそうだが、そのころは六百円の時給でも私は大喜びだった。だって、当時住んでいた練馬では、近所に「高給優遇」としてある店の時給が三百七十円だったりしたのだ。六百円のその店の場所は、池袋の東口方面であった。
事務所のたくさん入っているビルの2Fでもあり、まわりもオフィスビルが多いので、朝方は常連客ばかり。そんな中に、今回の主役、Bさんはいた。なぜBさんかというと、毎朝来ては、モーニングのBセットというものを食べていたからだ。年のころ二十代なかばだったろうか。
ここでひとこと申し上げておきたいが、私は、ホステスとしては無能だったけど、ウェイトレスとしては本当に言うことなしだったんです。今でもデスクワークに疲れた日には、シルバー(銀盆のこと)左手にムヤミとコーヒー運びたくなる。当然常連客においては、いつものオーダーから煙草の銘柄まで覚えてた。働かない学生バイトの女の子なんか入ると、この人と同じ時給なのかとがっかりしていたわ。
その日も、そんな学生バイトの子が、まちがえてBさんにCセットを運んで行ってしまった。Bさんが、いつもオーダーをとっていた私を呼びつけてまちがいをつたえたので、私が店の支配人に話をし、Cセットより安いBセットの料金で、そのCセットを食べてもらうことになった。
「本当にどうもすいませんでした」
お冷やを注ぎながらもういちどあやまる私に、Bさんはハードボイルドな表情をつくりつつこう言った。
「|おまえ《ヽヽヽ》が来なきゃ、だめじゃないか……」
おや? なんか変な言い方だったなと少し思ったが、その時はあまり気にしなかった。
しかし別の日に、なぜそんな話になったのかもわからぬまま、「オレの女になるための心構え」についてBさんが話しだしたのには、本当に驚いてしまった。おそるおそる、
「あのー、私、つきあってる人いるんですけど……」
と言うと、
「オレのせいで別れたカップルって、多いんだよね……。ま、いろいろ相談に乗ってやるからさ」
ここまで来ると完全におかしい。私はその後ほかの女の子たちにわけを話して、Bさんのテーブルには近付かないようにしてやり過ごしたが、Bさんは私がその店を辞めるまで、
「なぜ来ないんだ? おまえ……」
という表情でBセットを食べていたという。
そんなわけでまあ、そういう人たちには困ったもんです。しかし、そういう人たちもいますが、そうでない人もいます。私もたくさん知ってますし、今いちばん仲良しな人もそうです。希望を捨てないで女でいて下さい。読んで下さったみなさん、ありがとうございました。
もうママにはなれない
浅草・スタルク・安いめし
浅草に引っ越して来たのはおととしの十一月。「なぜ、浅草?」ってよくきかれた。そりゃあたしだってまさか長崎から出てきてさ、ねえ。ほんと言うと、都庁が出来てどんどこ家賃の上がってた旧・初台事務所に泣いてた時、たまたま極安物件が見つかっただけなんだけど。今でもめしやで「どっから来たの?」なんて言われたりして、観光客に見える自分を知る。まあ、毎日お祭り気分の街だもんな。自由業者としては、昼間っから蕎麦やで酒くらっててもへいちゃらなのは、いいこんころもちだい。と、ボキャブラリーまで寅さんしちゃうのだが、デンキブランでおなじみの「神谷バー」なんて、さあ昼から飲めとばかりに、「ビヤランチ」(あたしが見た貼り紙ではたぶん七百円だったぞ)なんてもんをやってんのよ。ビールにおかず二種類にご飯もついてこの値段。酒&めしなら雷門に向かって数軒左の「ときわ食堂」もいいぞう。ABC三種類の、お得な定食。酒飲んでると、ご飯と味噌汁、あとで持ってきてくれるんだよね。最初に定食頼んだ人がおかずで一通り飲んでからご飯もらって食べてんの見た時、感動しちゃったもん。魚や生うに安いんだ。イクラがゴージャスなしゃけの親子丼もいいぞ。
古いからという理由で日本一怖いジェットコースターが民家すれすれに走りまくる「花やしき」や、雷門の斜め前、一時間ごとに日本の祭りをえんえん踊る大時計(みんなビデオ持って待ってるけど、偶然見れるとなお嬉しい)なんかはもう有名。マルベル堂のブロマイドは、渡辺和博さんのを見てワーイあたしもー、なんて六、七年前かな、作ってもらいましたよ。お賽銭でSFメッセージ&ヒットラー照明の経験できる深川えんま堂は、松尾・キッチュ・貴史とビデオの撮影で行った。おうかがいするジャンルによって演出が違うんで何度もやったりして。そして仲見世。いつ行っても楽しい。靴とか安いんだよね。ここらあたり専門店がやたらと多いので、物の値段がどうも違うよ。そういえばスタルク・デザインのアサヒビールのビル、あるじゃん? 金色ヒトダマの。あそこの隣でやってるビアガーデンで、あのビルの形のおにぎりが出るの。一階のお店なんだけどね。四角く固めたおにぎりがぴっちり海苔で黒くしてあって、上にヤングコーンが刺してあるんだよーん。これはウケた。あ、今やってなかったらどしよ。やってるとは思うが。しかし、あのヒトダマ、地元の人全てが「うんこ」と呼んでいるのには驚いた。若い人だけでなく、お年寄りまでが。スタルクが聞いたらどう思うだろうか……。
年末は、屋形舟を借り切って、忘年会をやりましたわ。舟の中は、フルーツバスケットして遊べるほど、意外に広いのよ。と言ってもわたしゃ昔乗ったことあったんだけど。しかしこうやって書いてくと、浅草くる前からこの辺でまで遊び回っていた自分がよくわかる。とほほほ。
私は魚を飼っている
魚を飼っているということは、そんなに珍しいものなのか。金魚ぐらいなら、どこの家にでもいたはずだ。
ところが私が魚を飼っていると言うと、まだ水槽の数も聞かないうちから目を丸くする人もいる。ナマズもいるというと、
「あら、じゃあ地震を予知するため?」
と当然のように言ったりする。こういう人は、
「子供は三人います」
というような人に、
「あら、じゃあ老後を守るため?」
とすぐ聞くような人なのだろうか。不思議だ。今どき猫だってネズミをとってもらうために飼ってるという人は珍しいだろうに。魚とはそんなにも、ただ飼ってるだけでは何の役にも立たないという印象の強いものなのだろうか。
「話しかけても何も応えてくれないでしょうに」
と言う人もいる。そんなとき私は、
「いいえ、大切に育てれば心は通じるものなのですよ」
などというくそったれなことは言わない。エサをやろうとすると寄ってくるような魚よりも、人の影におびえ、時には攻撃してくるようなものの方に魅力を感じるからだ。
くそったれと言えば鑑賞用という単語もくそったれである。サンゴ礁の熱帯魚が蛍光色なのは、身を守るためだ。沖縄のガラス底ボートに乗ったとき、まき餌のために太ってしまった蛍光色の熱帯魚がボートに寄ってくるのは複雑な気持ちだ。サンゴ礁の熱帯魚は、キレイだということになっているようだが、あれも五十センチ越えてくるとバケモノにしか見えない。きゃあきゃあ喜んでいる人もいたが、何がそんなに嬉しいのだろうか。
鑑賞用に、などという気持ちだけで魚を飼う人は大抵失敗するはずだ。私は、わざわざ人が醜いと思うものを飼っているつもりはないが、私の事務所の水槽を見て、困ったような、見てはいけないものを見たような顔になる女性も、たまにいる。
今、飼っているものは、
○シルバーアロワナ。人相の悪いタチウオのような奴。
○アストロノータス。これは、海外赴任するから、だれか可愛がってくれる人にあげてくれと、知らない人が行きつけのショップに置いてったのをもらってきた。大喰いの、丈夫な奴。
○プレコストムス。口に吸盤のついた、ヨロイを着たナマズ。
○オキシドラス。おとなしいナマズ。
○レッドテールキャット。活動的なナマズ。
○ポリプテルス。肺魚の関係者。
このへんが全部アマゾンものだと思う。そういえばアマゾンものだというと、
「ピラニアとか?」
というのももう百万回くらい聞かれた。あとはアフリカのカエル(ベルツノガエルといいます)、アホロートル(ウーパールーパー)、それからもっとちっちゃいいろんなもの。それが、九十センチ水槽三本を含む、十いくつの水槽に分かれて暮らしている。
エサは、糸ミミズか金魚をあげる。カエルも金魚を飲んで生きている。やはり最初は、生きた金魚をエサにするのは抵抗があったが、乾燥エビなどをあげても、食べないのもいるし、食べても必ず元気がなくなってくる。動くものを追いかけて飲む、というのが自然なのである。たまに、うまく一匹飲めずにおちた金魚の頭が、口をパクパクさせていたりして、女性客などは、キャーと顔を手で覆って指の間からそれを見ていたりする。金魚をエサだと気づく前は、
「わーいろんな魚がいるんですねー、わー、金魚もいるんですねー」
などとはしゃいでいて、こっちもなかなかエサですと言えない。原地アマゾンでは、川面に近い木の枝にとまっていた鳥までを、はねて飲み込んだりするような魚たちを、せまい水槽にとじこめていることのほうがかわいそうなのだ。
こないだは五十センチ近くにまで育ったナマズが、水槽から飛び出して死んでしまった。地震や、昭和天皇の死も感じて暴れたナマズだった。食べようかと思ったが死後硬直でカチンコチンなので氷づけにして剥製にしてくれる会社に持って行ってもらった。今は立派な剥製になって、水槽の近くで光っている。剥製にしてその場にいると、死んでしまったのだという気持ちが希薄になるから不思議だ。人間でもやるといいかもしれない、と思ってしまう。
ところで私はよく取材で「魚を見て心を休めると漫画のアイディアも浮かびます」ということになっていたりするが、あれは取材の人が、魚と一緒の写真を載せたいためにそうして欲しいといっているのであって、私も「嘘だからイヤです」とまで言わないだけであるので、あんまり本気にしてまねなどはしないで欲しい。別になんの役にも立たない。それも好きなとこなんです。
銀座で買い物
私の出身地である長崎市には、銅座という狭い飲み屋街がある。
小さなスナックがびっしり立ち並んで迷路を構成したような場所で、そこらへん全体が大きな一つの雑居ビルのようである。
ある夜、その銅座で焼き肉を食べていたら、お店の人が、
「あのー、すぐそこで火事みたいなんで、大丈夫だと思うんですけど、急ぎめで食べてお出になって下さい」
というのだった。火事に興味はあったけれども、食事中でもあり、さし迫った様子にも聞こえなかったので、私と連れの人々は、普通のペースで食べ続けた。そして、勘定を済ませ、チューインガムなどをもらって外へ出たら、その「大丈夫だと思う」火事は三メートルもない道路の向こう側まで来ており、今しも真ん前の店の看板が炎にまみれガラガラとくずれ落ちるところであった。すでにやじ馬が取り囲んでおり、そのやじ馬の群れと、くずれ落ちる看板と、焼き肉屋からのんきに出てきた私たちは、きれいに三角の構図を取った。よそん家《ち》の火事であんなに注目された経験は今んとこ他にない。そういうとこなの、長崎って……。そのあと、無計画に雑居ビル化されていた銅座はあっという間にひとかたまりとなって燃え上がったのだ。あの「銅座」って地名は、銀座にあこがれてつけられたものだったのだろうか?
「銀座で一日、ぜいたくに過ごしてみてください」
そう言われても、私の頭の中には何も浮かびはしなかった。「銀座百店」の滝田さんは、そんな私に替わっていろいろ考えてくださったのだが……。
宝石の和光? そういえば、そんな名前のちっぽけなアクセサリー店が、長崎にもあった。長崎でクラブ歌手をしていた頃、そこの社長によく体を触られたわ。普段はいい人らしいのだが、酔うとホステスの体を触りまくるので、長崎じゅうで有名だった……ああ、いけないいけない、それは銀座の和光とは何の関係もないお店なのだ。日本中のあこがれである銀座の有名店は、そんな迷惑な同名店までも生んでしまう。私は田舎での経験は忘れ、もともと自分の好きなものたちに関係あるお店を私の会社の人間二人と回ることにした。
まずは、私の仕事の上でなくてはならない文房具、デザイン用品、画材が夢のように勢揃いした「伊東屋」。漫画家になる以前の私は、銀座といえばここと、「イエナ洋書」くらいしか知らなかった。「伊東屋」はいつ行っても「大人の文房具店」といった印象。絵の具で少し汚れた、冬でも靴下をはかない「芸術家の無精卵」風の若者でなく、きりっとネクタイをしめた人々が、花びらを散らすように領収証を手に手に歩く、かっこよさである。お店の人の対応もていねい。私は、サインペンやデザインマーカーの棚に貼られた手描きの商品説明がすべて、
「セットも|ございます《ヽヽヽヽヽ》」
「ばら売りも|ございます《ヽヽヽヽヽ》」
という口調になっているのにあらためて気づき、うれしくなってしまった。
次は、私の好きなデパートのペットショップへ行こう。松坂屋の屋上のペットショップへ。下調べをしてくれた滝田さんは、
「モモンガがいますよ」
とおっしゃっている。
エレベーターを降りてすぐの水槽に、緑色の体にグレーの縞を持った小さな魚が四尾いる。見たことのない魚だった。「ブラックネオン」と書いてある。
「これはちがうと思う。前にこの水槽にいた魚がブラックネオンといって、それが残ってるだけだよ。なんだろうこれは」
他の魚はみな見覚えがあるのに、その魚だけはどうしてもなんなのかわからず、その上私は妙に気をひかれるのだった。私の事務所には、ドアをあけるといきなり十数本の水槽があり、いろんな熱帯魚を飼っているので、ペットショップや水族館はしょっちゅう行っているのだ。私はお店の人に聞いてみた。
「この魚、ブラックネオンと書いてありますが……」
「ああ、違いますよ。これはアストロです」
ガーン。アストロはなんと、飼っているのよ私。しかしそのアストロはわけあってとっくに成魚になった奴をもらってきたので、幼魚の姿を知らなかったのだ。
「どうりで私を呼んでいるはずだわ。買う買う買う」
「買おう。ぜんぶ買おう」
魚の世話を全部押しつけられているマネージャーの大久保もとたんに賛成し、四尾全部買い求める。一尾三百円と安い。安いけど、アストロはよく食べよく育つ丈夫な魚である。それでこんなに幼魚が美しいのでは、一時期魚を育てる人たちの間で人気絶頂だったのも無理はない。
「アストロでも、こんなに模様のきれいなのはなかなか入りませんよ」
「売ってる幼魚見るのも初めてです、私」
大喜びで包んでもらいながら、
「そうだ、モモンガ」
とモモンガの顔を見たら、黒く大きな目にたちまち私と社員の鈴木淑乃はまいってしまった。大久保もこれはかわいいと見とれ、アストロとはくらべものにならないほど高価であったのに、ついに滝田さんがプレゼントしてくださる。モモンガのはいったたて長のかごをかしゃかしゃいわせ、ときどき、
「モモちゃん」
などとその場でつけた名で呼びかける鈴木。魚やモモンガのえさのはいった袋を下げてそれにつづく大久保。
「そうよ、私を呼んでいたのよ、アストロが」
などと口ばしりながら歩く私。そんな私たちを、こんどはおいしい魚を食べるための場所へ案内して下さる滝田さんだった。
私は、魚については、飼うのも、見るのも、食べるのも大好きだ。仕事で魚の絵を描くのも好きだし、依頼がなくても描いている。ついには、頼まれもしないのに自分の会社で魚(シーラカンス)のぬいぐるみ、キーホルダー、バッジ、ステッカー、Tシャツなどをつくって、売り歩くしまつ。銀座でも、博品館の4Fのトイパークに置かせていただいている。
「そうだわ、食事が済んだら博品館に行ってごあいさつしようかしら。ああでもなんだかてれくさいわ」
なんて思いながら、滝田さんにつづいて「浜作」へ。和服姿のお店の人たちが、モモンガを含めた私たちを、あたたかく出迎えてくれる。
モモンガのかごを部屋の入り口に置いてテーブルにつくと、中央に水を張った器が置いてある。これがまた私の未知のもので、洗盃という大人の儀式のためにあるそうだ。儀式なんて大げさな、なんて思われるかもしれないが、私はまだ一度もやったことがないし、見たことがない。それに使うための水が、当然のようにテーブルに備えてある。大人の世界である。
お料理はすべて素晴らしく、おいしい、めずらしい、器が綺麗などと、みんなで大さわぎをしながらいただく。あまりおいしかったので、ゆっくりたくさんいただきすぎて、博品館に行く時間はなくなってしまったが、本日はこれにて大満足、な私たちは、モモンガをかかえて帰路についた。モモンガも魚も、今もたいへん元気で、どっちも毎日、よくえさを食べている。モモンガは、慣れるとかごから出ても平気で、気が向くと部屋の隅から手足を広げて滑空するという。モモンガの滑空を夢に見ながら、かごの中をのぞきこむ今日この頃である。
鳥 取 砂 丘
砂丘に降り立った私の最初の感想はこうだった。
「なんだ、九十九里浜の勝ちじゃん」
私は勘ちがいをしていたのだ。地理で習った「砂漠」のようなものだと思っていた。なので、まずその「砂漠」が海辺にあるのが不思議だった。
「おかしいなー。水と縁がないから、砂漠になるんではないのか」
そのうち、そうか、砂浜のでっかい奴なのねと勝手に判断してしまう。そして、最初の感想になるわけだが、しゃがんで触れてみると、砂の質が九十九里浜とは全く違う。確かに九十九里浜の方が広い。広いけど……。おおっ、あの砂山はなんだっ!
それでやっと気づいた。砂の量が、並大抵ではないのだ。遠くを歩く人影も、砂丘をのぼったり降りたり、または砂山の後ろへまわって見えなくなったりしている。それによく考えたら、九十九里浜の広さは、海岸に向かって、横の広さだ。この砂丘は、海岸までの距離、つまり縦が長い。足跡が多いのは砂丘の入り口から二百メートルくらいまでで、その先を歩いていった人々は少ない。つまり、団体の観光客らが、
「わあーここが砂丘よ」
「広いわねえ」
「広い広い」
などと言いながら少し歩き、
「あそこから海ね」
と一応砂丘の終わりを見たあたりから、
「ああ広かった」
と満足して帰って行っているのだろう。しかし、それは勿体無い楽しみかただ。海へ向かって歩くほどに、砂丘の不思議は増してくる。
「らくだが欲しいね」
連れの者は、そんな冗談を言っている。
人の足跡が減ってきたあたりから、鳥の足跡を見かけるようになる。鳥の足跡は、途中で消えているところが、あたりまえなのだがすごい。振り返って自分の足跡を見ると、足くせがよく出ていて笑ってしまう。
もう少し行くと、長さ三十メートルほどの細長く浅い水たまりにぶつかった。
「わーい、オアシスオアシス」
水たまりの周りには細長い葉を持つ植物がうれしそうに生えている。なめてみると、オアシスの水は真水であった。
オアシスの後ろには、今まで見た中で最も大きな砂山が、急ながけをつくっていた(砂でできたものもがけと呼んでもいいならの話であるが……)。勾配は三十度くらい、高さ七、八十メートルはあるだろうか。登って行った人の足跡も、少しついている。
「さあ今度はこれを登るんだっ」
というと、連れの者は、
「うそ。冗談やめてよ」
私だって、これが砂じゃなければ登ろうなんて思うもんか。しかし、砂ゆえに、一歩登ってもそのうち半歩分くらいは足が沈んですべってしまう。ちっとも前に進まないので、カメラをポケットにしまって両手も使うことにした。少したって下を見ると、
「高い」
急にこわくなってきた。果たしてここは、登ったりしても大丈夫なものなんだろうか。実は砂なのは外側だけで、中身はからっぽで急にこわれたりするんではなかろうか。または、表面がなだれのように落ちてしまったりするのではないか。砂だからもしころんでも痛くないと思っていたが、見降ろすと、やはりけっこう急なのだ。すでに靴の中は砂だらけである。連れの者はつきあって下から登ってくるし、ここで戻るわけにはいかない。第一降りる方がこわい。しかし登り切ったところが、また急ながけだったらどうしよう。頂上がすぐそこだというのに、ますます登るたびに手足が埋まるような気がする。砂つぶがたいへん細かいのである。色は黄色っぽくて、さらさらしている。風がつくるという独特な模様も、この砂質ゆえであろう。アリ地獄に落ちたアリの気持ちがわかるような気がする。私は、なるべく自分がへばりついているこの巨大なものがただの砂のかたまりだということを忘れて登り、やっと頂上にたどりついた。
心配することはなかった。頂上から向こうは、海までのなだらかな広場だった。海からの風が、オアシスを囲むように砂を吹きつけているのだろう。
「海が見えるよー!」
砂丘の中ではいちばん高い所に登ったので、さっきまで姿が見えなかったほかの砂山たちも見わたせる。それと同時にあらためて恐ろしいほどの砂の量を感じ、うなってしまう。
「なんでまたこんなに砂があるのだろう」
こうして疑問は原点に返るのであった。
しかし疲れた。
「『砂丘フレンド』で、お茶でも飲もう」
砂丘フレンドとは、砂丘の入り口前にあったみやげ店兼休憩所のビルの名前である。戻ろうとして、入り口付近の「らくだと一緒に記念撮影」の料金表の看板に驚く。
「ほんとにらくだがいるんだー!」
「だからさっき言ったじゃない」
「冗談だと思ってた」
らくだと一緒に砂丘を回ることはできないようだが、その役をやってくれる馬はいると看板は言っている。しかし、まだ朝が早すぎて、らくだたちは出勤していないのであった。
『砂丘フレンド』には砂丘せんべい、砂丘まんじゅうなど食べるとジャリジャリしそうな名菓が沢山あった。私は、長芋が一本丸ごと中を貫通している『長芋かまぼこ』、『たこの塩辛』、干物、『因幡《いなば》の白うさぎ最中』などを買った。
車に戻ると、ちょうどバスで観光客の団体が着いていた。着くなり、全員で同じ方向へ歩き出すので不思議に思って見ていると、その先には記念写真のための長い二段ベンチがあるのだった。そこで、まず記念写真を撮ってから、安心して観光するのだろう。時計を見ると午前八時を過ぎていた。そろそろらくだも出勤の準備をしているのかもしれない。
鳥取城跡とその周辺を見て歩いたあと、温泉旅館「丸茂」で一泊。いい旅館だった。
翌朝は漁港をうろつく。
「スルメの一日干しあるよ」
と声をかけられ、つい買ってしまう。イカって一日干すと、もうスルメになるのかと思ったが、実はスルメイカの略なのであった。
水族館はないかと捜していたら、富浦自然科学館というのがあった。客は私たちだけだったが、係員の女性が、
「上映スイッチ入れましたから」
と声をかけに来てくれる。古くさい学習映画でもかかるのだろうとしぶしぶ上映室に入ると、自動的にカーテンが閉まっちゃったりするではないか。映画の方も、六台の映写機がコンピューターで動くというもので、驚いてしまった。六台がそれぞれ出す画面が、大きな一画面になっても継ぎ目が出ないようになっているのだった。
映画は、山陰の自然についてのもので、幸運なことに砂丘のなぞを私たちに教えてくれた。あの砂は、日本海の荒波と風に砕かれた海辺の岩々の成れの果てなのであった。それがあそこに次々と打ち上げられて、あの砂丘が形成された。どうりで、砂質が九十九里浜とは違うわけである。防いでも防いでも打ち上げられ飛ばされてくる砂と、地元の人々との間には永い永い闘いがあったのだった。あれは、単に巨大な砂場ではなく、ゆっくりだが確実に襲いかかってくる砂の津波だったのだ。
しかし話は違うがスルメではなかったスルメイカをどうしよう。一日しかもたないという。困っていたら、偶然通りかかった「猿尾滝」の横にバーベキュー用の鉄網が転がっていたので、そこで焼いて喰うことにした。当時の殿さまがそうめん流しを楽しんだというその流れの横で、新聞紙の上に乗せた焼きイカをちぎりつつ、缶ウーロン茶で宴会して私たちは帰ってきたのだった。
夢は口に出さない
その昔は、東京で暮らす、ってのが夢だった。そう、十代の頃ね。で、ある時美容院に行って、それをその時の担当の美容師さんに話したんだわ。
「これから水商売やって、いっぱい働いて、数カ月後に東京に行くつもりなんだ」
と、そういう風に。何で話したんだろうなー、よっぽどその人と話が合うと思ったんだろうね。初めて会う人なのにね。長い髪を赤く染めた、おしゃれな女の人だった。
その時は一刻も早く上京したいと考えてたんだけど、なんだかんだやってる間に時は過ぎていく。まあそれもしょうがないかと思いつつ、またその美容院に行ってその人を指名したらば、なんと彼女は私の顔を見て、
「あら、東京に行くんじゃなかったの?」
と言ったんですねー。
それ以来、夢は口に出さないってのが持論になりましたよ。だって、すげえ、やだったもん。その後も彼女には何度か頭やってもらったような気もするけど、最初に会ったときの、この人ならという感じは、もうあとかたもなかったな。まあ当然ですね。私も若かった。
もちろん今も、よっぽど近しい人でないと今後の思惑なんかは言いませんね、決まっていることならともかく。ところがこれがどうも、お手軽なインタビュアーの定番らしくて、取材で聞かれる聞かれる。それも大の大人に向かって、
「将来の夢は?」
って言い方だったりすんのよもー、やんなっちゃう。
「いやー、別にー、何もー」
とか、
「うーん、あんまり先のこと考えらんない頭なもんでー」
とか言ってごまかすんだけど、そんなズサンなインタビューをする人に限って、そういう答えが不満で仕方ないらしいのね。
「何かあるでしょう、何か」
とか言っちゃってさ。何かって何なんだろ。どうもああいう人たちってさ、「今やりたくてしょうがないのにやれずにいることが何かあるはずだろ、誰にでも」って思ってるみたいなんだよね。ということはまさにその人がそうだってわけで、結局本人が、
「ほんとはこんなインタビューとかやってる人間じゃないんだけどさー」
と思ってんじゃねえの、って考えたくもなるわよ、あんなにしつこいと。自分の仕事が好きじゃないのかしら? なんか、かわいそ。まあ人のことはいいけど。
でも最近知り合った子の中には、結構、
「オレこういうのが夢なんだ」
ってあっさり言う子がなんか多いわ。何故かしら。ああすんなり言われると、なんかうらやましい気もする。まあ人それぞれってことなんでしょね。呪文として口に出してるほうがうまくいくって事もあるみたいだしね。
何とかして会う
自分では贅沢《ぜいたく》してるなんて、思ったことないなあ。「昔の私にくらべて」なんて言い出したら、きりないもん。
野宿《のじゆく》してた頃やら、旅館の住み込みしてた頃にくらべたら、住むとこがあるのまで進歩したなーと思うけど、自分で働いて、そうなるようにしたんだから、別に贅沢じゃないしな。
物質的な贅沢っていうのは降って湧《わ》いたようなお金でするもののような気がする。でもそんなのって気持ちいいもんなのかな。人にもよるだろうけど、私はだめだ、きっと。
たとえば男の子にお金使ってもらうのって大好きだけど、そのお金は、ぜったいその人が働いて稼いだものじゃなくちゃいや。親がくれたお金とか、そんなのは嫌いだ。
私は、お金イコール労働だと思うから、男の子がお金を使う時に、その「何かしてあげたいエネルギー」が私の方に動くことが気持ちいい。だから、自分の仕事を愛してる友だちがふえるのが、何より嬉しい。
仕事が好きだと、なかなか会えなかったりもするんだけど、そういう状態の中で、何とかして会うのが快感ね。それかなあ、私にとっての贅沢って。「自分の仕事を好きな友だちと会うこと」これだわ。
そういえばもうひとつ、知らない間にしている贅沢のようなものもある。
私の会社のマネージャーは機械類がとっても好きで、いい新製品が出るとすぐ買いたがる。良さを説明されてもわからないので、社長である私はその度《たび》に、
「いいもんだったら買えばー?」
とだけ言う。しばらくしてその機械が出す音だの映像だのを提示され、
「いいでしょ?」
と言われるんだけどそれでもやっぱりわかんない。
「わかんないけど、いいよいいよ」
私はマネージャーを信頼してるし、構わずそれらの機械に囲まれて暮らすでしょ。そうすっと、ある日突然、遊びにいった先のステレオから出る音のあまりのきたなさに愕然《がくぜん》としたりするわけよ。たいした耳じゃないから良くなったときはわかんないんだけど、悪いものとくらべるとさすがにわかるらしくてさ。最初はそれでも気づかず、
「ここAMよく入んないの?」
「これテープだよ」
なんて会話してた。その頃私の会社のテープデッキはすでに|デジタル《D》|オーディオ《A》|テープ《T》とかいうものになっていたのよね。
あと、仕組みもわからないままにこうしてワープロ打ってたりとかね。同じくコンピューターで絵も描くよん。こういう環境にいつのまにかいるのはほんとにたいへんな贅沢かもしれないけど、私の周りをこういう環境にしたマネージャー本人は、ちっとも贅沢だとは思っていないもよう。そんなものかもしれないね。
丈夫で、飼いやすくて、さわれるやつ
ついに私の事務所にヘビがやってきた。いいなあとは思ってたんだけど、買っちゃったよ、とうとう。
アマゾン、アフリカの肉食魚・大ナマズ・大ガエル・大ヤモリなど訪ねる人の迷惑かえりみず事務所に並べといて、今さら「とうとう」もないだろーがと言われるかもしんないが、それが旦那、ヘビには決定的に違うところがあるんでやんすよ。それは、エサ。
今までのものはキンギョやコオロギ程度。まあそれだって驚かれるけど。でもさあ、ヘビのエサは、ダララララララララ……(これ、ドラムロールね)マウスなのよネズミなのよおお! ダカダカダカダカッ、シャーンシャーンシャーン! ちょっと、ドラムさんオカズ入れ過ぎ。ド、カタン。ってくらいで、四つ脚が食われてるところは、コワイ(コオロギは六つ脚だし……)。私が買ったのはなんとかキングスネークってやつ。仲良しの有名店、中野アクアポイントで、
「丈夫で、飼いやすくて、さわれるやつお願い」
と言って勧めてもらったのだ。キングスネークのたぐいはどれも飼いやすいらしいよ。うちのはその中でもジャングル風模様の頭が美しい、ビーズを並べたような縞のヘビ。決定権は、事務所でいちばん生き物の面倒をみているTくんにあげた。お店に行った三人でそのヘビを手にとって見たとき、Tくんの肩からジャケットのえりの中にもぐって、反対側から顔を出したので情が移ったもよう。
マウスはその日呑んだばかり。腹の一番ふくれたとこにまだ入ってる状態、なのらしい。二週間に一匹あげればいいそうで、その日を思ってとりあえず戦慄してるわけなのだが、このタイプは冷凍マウスも食べるという。冷凍マウスなんて売ってんの?
「マウス買ったら、袋に入れてそのまま冷凍しちゃうんですよ、家で」
うっ。冷蔵庫の中に凍ったネズミの入ってる家……いやかも……。
「あ、冷凍の前に小麦粉をまぶしとくといいですよ、立体肉パズルになっちゃいますから。はがそうとして頭折れたりするし」
キャーッ。ひー。やめてー。……ところで解凍って電子レンジとかで、するの?
「お湯につける。電子レンジは、ハレツしちゃう」
ギャーッ。きゅう。気絶。
えらいもん買っちゃったかなあ。でも、ガラスケースに入れて、見てると飽きないんだこれが。アシスタントの女の子たちと、マウス話できゃあきゃあ盛りあがりつつ、
「一人でさわれるようになると、きっと何かをコクフクしたような気分になるだろうね」
なんて言ってたら、翌日その中の一人が、
「さわれるようになっちゃいましたあ」
と首に巻いて私の部屋にやって来た。若いって素晴らしい、かもしんない。
水槽の中の恋人
生まれてこのかた、イキモノを飼ったことがないって人はあんましいないと思う。犬はずっと飼ってたけど猫は知らない、なんてジャンルの違いはあってもね。そういえば一度、そういう男の子にゴロゴロ言ってる猫を差し出したら、
「あ、この猫、怒ってる」
と言ったのにはちょっと笑ったな。それはともかくこの三、四年、私がすっかりはまっているのがアマゾン川やナイル川の肉食魚、ナマズ、肺魚、淡水フグ&エイ、サンショウウオ、カエル、ついでにトカゲ。これが十数本の水槽の中に暮らしている、私の仕事場はそんな仕事場。固有名詞で言えば、オキシドラス、レッドテール、カリクティス・カリクティス、プレコストムス、これらがナマズの名前ね。誤植も覚悟で続けると、プロトプテルス・アンヒビュース、ポリプテルス、これらが肺魚。カエルにはそこらへんでとっつかまえたのもいれば、アフリカ産のベルツノガエルというのもいる。トカゲ関係はゲッコ(正確にはヤモリ)と、ビッグヘッドイグアナが……え? もういい? なんだいなんだい、キムスメでもあるまいしへへへ……なんて言ってる場合じゃないか。まあ、赤の他人も含む、知らないイキモノの名前の羅列ほど退屈なものもないよな。
でもさ、聞くところによるとこういう類のイキモノを飼う人、それも「ぎゃる」が増えてるっていうじゃないの。ほんとだと思いたいね。女の子が、っていうのはある種のキーワードで、言い換えれば、「今日のおすすめ」の「の」のように、日本語なら何でもくっつく助詞みたいなもの。女の子が手を出し始めたというだけで、そのむこうには限り無い展開が待っているかのように感じてしまってわくわくする。
でも、そういう記事及びテレビのコーナーを見るときに不満なのが、何故飼うのかの分析なのね。「臭わない・水槽の中でよい・飼いやすい」なんて言うんだもん。あんたそんじゃねえ、おならもしなきゃ体臭もない、一定の場所から動かない、自分の面倒は自分でみる、そんな男だから好きになるのか? そんなアホな、と私は思うのだった。
もちろん自分もそうだから言うんだけど、そのテのものが好きな人っていうのは、もともとやむにやまれぬ何かがあるのよ。気がつくといつも似たようなタイプの異性とつきあっている状態のように、最初っから、「どうしようもなく」そうなんだよね。
今までは、そんな自分にうすうす気付くと、その答えの中に閉じ籠ってしまう人も多かったけど、これからはもっとジャンルの違いを越えて、趣味の話が出来る人って増えると思うな。もしかしたらそれこそある種の国際化だぜ、と思わず話を大きくしちゃう今日この頃の私なのだった。
男子社員のこと
子供のとき私は、なんで女なんかに生まれたのだろうと思っていた。女に生まれたことをすごく損だと思っていた。しかしそんなことを生まれて来てから悔やんでも仕方がない。それでどうも今度は、
「私、結婚なんかしたくない」
と言ったりするような子供になったらしい。何故、「どうも……らしい」かというと、自分ではそれを口に出していった覚えがあんまり無いからだ。一度くらいは言ったかもしれないし、結婚ていうものがそれほど素敵なものではないことぐらい母を見てわかってはいたが、それほど強く思っていたわけではない。だいいちまだ子供だし。
今思うに、「女は損」も「結婚なんて」もどちらも、他でもない母の思想だったのだ。子供の私は最初は知らずにそれを自分で考えたことだと思いこんでいたが、「結婚なんて」の頃から、あれ、あたしそんなこと言ったかなあ、まあ言ったんだろうというぼんやりした自覚をもつ程度には、自分の考えができていたということなのだろう。
母には私を、結婚に夢を持つような女に育てたくなかったわけがある。それは、母子家庭で子供が二人とも女だったため、見込みのありそうなほう(つまり私)を良い大学へやって安定した職業につかせたかったのである。
母の目論見は見事に外れたわけだが、母はなんでまたそんなに「女は損」だと思っていたのだろうか。結婚うんぬんの話も、つまりは「結婚するとますます女のほうが損」と思っていたからだろう。確かに母の結婚は損な結婚だったのかもしれない。良いと思った人が駄目な人だったということはある。しかし、あっこりゃ人選を誤ったと思ったら、さっさとやり直せばいいではないか、と私は思うのである。結婚してすぐ離婚した友人を責めたりする人もいるが、よっぽど計画性のない場合はともかく、会うたび結婚生活の愚痴を聞かされるうっとうしさがながく続くよりも私はいいと思う。母の場合なんて、さんざん騙し騙し結論を引き延ばすだけ引き延ばしておいて、離婚したあとまでも、
「あんな人でも私は九年も我慢したのよ」
などと自慢する始末で、話にならない。なんでまたそんなことを自慢の種にできるのか、子供心にも不思議であった。
する必要のない我慢をしつづければ、どんどん損なほうへ行くのは当然のことだ。つきあっている男との間が、どうもすっきりしないと思ったら、お互いにする必要のない我慢をしていないかどうか、考えてみるといいと思う。
女だから損をするということがあるならば、それはどんな場面を言うのだろう。無計画な妊娠などはそれに当てはまるのかしら。それもまた間柄によっては難しいところであろう。例えば女のほうが内心結婚したがっていて、男のほうはそれほどそう思っていない場合の妊娠なら、たとえ表面は無計画でも、女のほうが損だと大きな声では言えないであろう。男女とも無自覚なうちに妊娠してしまったのなら、相手の男を責めるよりあの間抜けで手落ちな性教育を。うーん、きりがないので個人的な話にしよう。
私の場合に限って言えば、母には悪いが(というのはもちろん皮肉で言っているのだが)、女だったから損したと思ったことは殆ど無く、逆に、女は得だと言われたことなら沢山ある。もしかして男の人のほうがそういう嫉妬って露骨に出すものなのかしらと思うくらいである。
私の妹は、
「お姉さんが漫画家で儲かっているのに、何であんた会社勤めなんかしてるわけ」
と会社で言われたというが(私はどっちかというと漫画家=儲かってるという図式のほうに文句を言いたいが)、妹も母と性格が同じなので差し引きそこまで言ったかどうかは別にして、言ったのはみな男子社員だったという。ほかにも、同業者の女性が同窓会の席上で、
「お前な、東京で漫画家もいいけどな、男より稼いで天狗になるような女だけにはなるなよな」
と言われたという話も聞いたことがある。「男より稼いで」とは、一体誰を基準にした話なのだろうか、自分なんだろうな、やっぱ。そりゃちょっと聞くだけでも恥ずかしい話じゃないの、ねえ。
自分よりも年下の奴に言われるのはなお嫌だ。私の会社で雇ったバイトの学生(男)と議論していて、
「内田さんは成功しているからそんなことが言えるんですよ」
と反論されたときは耳を疑った。性交って言っているのかと思っちゃったわよ。これからって年頃の人間が何てこと言うんだ。そういうふうなかたちで嫉妬を表に出したら、それをエネルギーに変えることもできないってことが何故わからないのかしら。口に出したりせずに、ぐっとこらえて普通にしていないと、その、あんたの言う成功とやらは一生他人だけのものになっちゃうんだよ、たぶん。あんたにとって何が成功なんだか私にはよくわからないから、たぶんとしか言えないけど。
出版界においても、編集者の人にはまだまだ男が多いため、漫画家や文章家は女のほうが仕事が貰い易いなんて言う人もいるけど、長い目でみれば決してそんなことはない。私はデビューしたばかりの頃こんな経験をしたことがある。
ある雑誌からカットの依頼が来て打ち合わせに出かけたら、その担当者(男)に、
「いやあ、今まで内田春菊って男だと思ってたんですよ。そしたら女だっていうんで一度頼んでみようと思って」
と言われてしまったのである。
「男かと思ってた」
というのはなぜか今でもよく言われるが(だから良いとか悪いとか言うよりも、そういうふうに言う人たちの頭の中にはセックスシーンが出てきたら=男、という公式があるようだ。もちろん本人たちは気づいていないけど、こっちは度々のことなのでなんとなくわかってしまった。ついでに言えば男かと思ってたという人の殆どは男だ)、女だから仕事頼もうと思ったと面と向かって言われたのはそのときだけである。
しかしなんでそんなことを言ったのだろう、喜ぶとでも思ったのだろうか。きっとそうなのだろうな、だって結構嬉しそうに言われたから、私のほうも、
「えェー?」
などと言えなかったのだ。トホホ、情けないなあ。仕事自体も、手のひら大に描いた人物をわずか三センチ大に縮められるという人情のかけらもない仕上がりだった。女だからというだけで貰える仕事なんて、その程度なのだ。
以前は野郎ばっかりだった私の会社だが、今は、一人を除いて全員女になってしまっている。女ばかりなのが嫌なわけではないが、複雑な気持ちである。なぜかというと、辞めていった男子社員の共通点が、最近見えてきたからである。今後、男子社員もまた入れたいのだが、そのことを思うたびに、何だか憂鬱になってしまう。だって、その共通点とは、恐ろしいことに、
「会社のなかで恋愛したがっている」
ということなのである。冗談に聞こえるかもしれないが、そうとしか思えないのである。自分の仕事が残っているのに女子社員が仕事を終えて帰るとなると、一緒に帰ってしまう奴。その逆で、自分の仕事が終わってタイムカードを押しても、女子社員の仕事が終わるまで帰ろうとしない奴。女子社員が彼らの仕事ぶりを非難しても、改めるどころか「かまってくれて嬉しいな」という表情でへらへら笑って聞き流している。仕事がまともにできるわけでもないのに、どいつもこいつも髪型や着るものばかり気にしている。ちょっと待ってよ、こういうのって、ついこないだまで女のほうが言われてたことじゃないの? と気づいたときから私は頭が痛い。時空の歪みに入りこんだような気分である。
私の先生 (1)
先生ねえ。
小学校六年のときの担任の男の先生が好きだったな。男としてじゃないよ。教師としての姿勢ね。「継続は力なり」という言葉を教えてくれた。でも名前は忘れちゃった。なんか、堅い感じのする名前だったかもしんない。岩という字がついていたような気がするな。家まで遊びに行ったのは、その先生だけじゃなかったかな。だいたい学校の先生とはソリの合わないほうだったから。嫌いな先生の記憶のほうが、圧倒的に多いね。
フィクションには、よく先生にキャーなんて言ってる場面があるけど、そういうの苦手で。良くも悪くも、「男」が前面に出てくる人は駄目みたい。たとえば髪型がどうのとかにサディスティックにうるさいのとか、逆になれなれしいのとかね。そういう人って「先生」って感じしないんだよね。男としてはまあ面白いかもな、って人は中にはいたけど、わざわざ先生と付き合わなくたって、そこらへんに別の男いっぱいいるしさ。ガッコ辞めてクラブ歌手やってるときにばったり会って、「綺麗になったなー、飲みに行こう」って誘われたってさ、もと先生なんかと飲みに行って、酒、うまいと思う?
中学一年のときの担任にもえらい目にあったなあ。授業中に張り飛ばされるわ、親は呼び出されるわ、男の子からもらったペンダントは取り上げて返してくれないわ。こんなこと書くとまるであたしのほうに問題あるみたいだな。言っとくけどその担任のやってた数学の試験すべて九十点台から八十点台取ってたんだよ。でも授業つまんないからずっと保健室で寝てたもんなー。出てたのは現国の大原先生の授業くらい。高校あがってすぐ家出したからそれきり普通のガッコ行ってない。でもまあ、その後は周りが人生アンド仕事の上での先生だらけという超ラッキーな人生送ってます。まったくこれだけ自分の好き勝手にやってきながら周りの人に助けられっぱなしなのは本当に不思議でありがたいけど、私が先生やるんだったら、私みたいな生徒と付き合うのは死んでも御免だわ。
私の先生 (2)
きっとその人は、
「あなたは私の先生です」
なんて言ったら、
「ふーん」
とか言いながら、変な顔をするだろうけど。
最初に会ったとき、私は喫茶店のウェイトレスだった。彼は、パイプをふかしながらコーヒーを飲んでいた。
「き、君、なかなかかっこいいね。ぼ、僕に電話しなさい」
喫茶店の安っぽい制服に、ぱっとしない髪型。そんな私が何をしている人間かも聞かないまま、彼は私に名刺を差し出したのだった。
しかし、私の方も何と言って電話したものかわからない。しばらくそのままで暮らしていたら、コーヒーの出前の途中、エレベーターの中で会った。そして、
「き、君、なかなか電話しないね。十円玉あげよう」
と、十円玉をくれた。
彼は、私の勤める喫茶店のビルの中にある、あるデザイン事務所と組んで仕事をしている人のようだ。私がそこの事務所にコーヒーの出前に行くと、今度は、
「ま、まあ、すわれば」
と椅子を勧めてくれる。仕事中でなければ、すわって話をしたかったけどね。
時は経ち、私はその喫茶店を辞め、引っ越しをした。それをきっかけに、彼の事務所に電話をしてみた。私は、漫画家になるために、もっと本腰を入れて行動しようと思い始めていた。
すると彼は、私にさまざまな素晴らしい人を紹介してくれ、何でも相談に乗ってくれるのだった。彼は信じられないくらい広いジャンルの仕事に関わり、それに多くの才能あるスタッフに囲まれていた。少し前に、彼は自分の会社の名を「スコブルコンプレックス会社(すこぶる複合的会社)」に変えたが、ほんとに、その通りの人なのだ。
彼と出会わなければ今こうして活気ある毎日をおくっている私はないだろう。今でも何かと電話したり、会ったりする。内田春菊という名も、彼、秋山道男が付けてくれたものである。
もうママにはなれない
中年男に向けての「辛口エッセイ」を期待されている私。なんだろうなー、辛口って。ちょっとピリピリするけど美味しいぞ、って奴? つまり、愛あるお説教のようなものか。そんなものを目上の人にできる訳ないじゃん。とほほ、弱った。
それでなくても最近男から嫌な目に遇うことってないのよ。遇う人遇う人、いい男ばっかなんだもん。あーん全部といっぺんにつきあえるだけ分身が欲しいよー、と足をぱたぱたさせては、
「足ぱたぱたさせていいのは九歳まで!」
と叱られてるところだ。うえーん。だって九歳のころは出来なかったんだもん。
おお、何かしら話の糸口が見つかったような気がする。そっだね、ファザコンの話でもしよっか。あたしファザコンなの。「パパ」に叱られたいの。上手に叱ってくれれば「ママ」でもいいんだけど。仕事が好きで私よりココロがオトナの女友だちは、私のこと「こらこら」って優しく叱ってくれるし。ここでイラスト描いてくれてるマリリン目白もそうなんだー。が、女友だちのことをここでのろけても仕様がないから、話を男に戻す。
ファザコンもの、ってずいぶん昔の少女マンガや、オールディーズのロケンロールなんかにはいろいろあったような気がする。おしゃまなハイティーンの女の子が、ハイヒールを履いて背伸びして、へたくそなお化粧したりして、
「あたしをいつまでも子ども扱いしないでよパパ、パパみたいな恋人が欲しいの」
とかいうやつね。でも、今あたしが、
「あたしったらファザコン」
って思うときの感じとは、ちょっと違う。まあとにかく、年上年下関係なく、二人でいるときに、「小さい子どもみたいに振る舞ってもいい」雰囲気、甘えさせてくれる、そんな空気をつくってくれる男って好きっ、ってことなの。でもそんなこと言ってるあたしはとっくに成人女子。変なのーと自分でも思うけど、笑われてもいいや、別に。
こんな自分に最初に気づいたのは、『鳩よ!』に、「気持ちのいい言葉、悪い言葉」というテーマで文章を書いたときだった。今書いているこの文章と、依頼人が同じだというのがなんだか面白かったりするが(余談)、そのときどんなことを書いたかというと、「気持ちのいい言葉」のとこで、
「男友だちに、『こら』とか、ちいさい子どものように言ってもらうの、好き」
と、まあそんなことを書いたの。書いたときは、なんかこう、ちょっと恥ずかしかった。それまではずっと、男の子の前ではわがまま言ったり、甘えたり出来ないものだと思ってたのよね。
でも、なんで男の子の前では甘えちゃいけない、なんて思ってたんだろ。そんな自分も不思議と言えば不思議だ。なんだか勝手に、こっちが「ママ」をやんなきゃって思ってたのかもしんない。そんでまあ、そのころは別にそれが嫌じゃなかったんだと思う。今は……今は、もう男を好きになっても、その男の「ママ」をやることは、あんまし、ない。かと言って、一方的にこっちが甘えてるわけでもないとは思うんだけどさ。お金とか出すし。とにかく、今までは当然のように沢山いたマザコン男、そんな男につきあうことは、もう出来ないなって感じ。だって、
「こっちだって仕事あんだもん」
やっぱ、これかな、理由は。
仕事があって、それも、自分の仕事のしかたの様なものが出来てきちゃうと、恋人の「ママ」はやれなくなっちゃう。あたし、「おねえさんが教えてあげる」さえ嫌だったもん。だから、人生相談みたいな仕事とか、ずっと断ってた。審査員とか。今は、面白そうだったら行くけど、結局お役に立てない。とほほ。でもねえ、あたし、別に特殊じゃないよ。仕事が面白くなってきたら、ココロの上では性別ないもん。でもそれって、わりと「違う」って思いたがる人、いるみたいね。女に性欲があんのは嘘だとかさ、セックスすると女の方が何倍も気持ちいいはずって本気で思ってたりさ。あ〜あ。こないだも、どっかのトークで、
「ココロの上で男みたくやってこれたから、かえって自分の女の部分の方が心配だなあと思う」
って言ったら、
「そんな重い話……」
ってリアクションされちゃって、あっそうか、そういうふうに取る人もいるのかって困っちゃったんだけど、まあ、いいや。どんなに勘違いしてても、可愛ければ。全ての男の誤解を解いて歩く気なんてないもん。可愛くなければ、つきあわなければいいことだわ。永遠に勘違いしててそれが可愛くなくて女にもてずに死ぬ人のことなんてあたしの知ったことじゃないわ。その人だってあたしになんか別に好かれたくないだろうし。ちゃんと辛口になってきたかな、これ。
「昔なら中年といわれる年齢になってて、仕事も出来ていい人なのに、何故か結婚できない、何故なんだオレのどこが悪いんだオイ」、ということになってる男の人が何人か出てくる趣向のテレビ番組に呼ばれたことあるけど、見てて、
「もしかしたら『ママ』が必要なだけな人たちなのかもしんないな」
とぼんやり思った。もちろんそんなの本人たちのせいじゃなくて、本人はただ一所懸命学業や仕事に励んできただけなんだと思う。そして、その人たちに、
「あたしはやっぱ仕事とかァ、続けさせてくれる人じゃないとォ、結婚とか考えられないしィ」
なんて言ってる女の中にも、かっこだけでたいして仕事してない陸《おか》キャリアもいっぱいいるんだと思う。でも、どーだろ。情報が沢山あるからと言って、トライ・アンド・エラーを怖がったりさぼったりしてたら、やっぱ幸せにはなれないんじゃないのかなー。しかしそんなことは、中年男と呼ばれるようないい大人に言うことじゃないしなあ。とにかく私の大好きな大人の男たちは、いつ会っても、何かしら怖がらずに試してる。失敗するってことは、今までのオレは何だったんだーっていう打撃でもあるわけだから、大人になればなるほど、傷つくのも相当痛いはずなのにね。勇気とエネルギーの量が、ジャングル大帝だわ(並大抵ではない、と書こうとしたらこうなったのよ、悪かったわね)。こっちが、以前会ったときにしてもらった話を、反芻に反芻を重ねてようやっとわかってきて、よーしあの話するぞう、と思ってる頃にはもう次の違うこと考えてるんだもんなあ。それでいて、そんな自分がとっくに「スゴイ人」になってんのは忘れちゃってんだから、やっぱり大人にはかなわないや。
最近考えたこと
半年間担当していた、FMの番組を降りた。この番組は、一応情報番組ということになっていたが、どういうわけか途中からその「情報」までも私が集めることになってしまい、それがとても苦痛だった。私は「今評判のおしゃれなお店」だの「話題のビデオ」だのにあんまり興味がないのだ。読み原稿にしてくれれば何でも読みますからとも言ってみたが、それでは内田さんの持ち味が出ませんという。私のほうも一度、
「Party Season に Very Good な Information をご紹介!……」
なんていう読み原稿を渡されてから(もちろん読まなかった)これは自分でなんとかするしかないとあきらめ、飼っている魚の話をしたりしてごまかしていたが、一体こんなものが「情報」に成り得ているのかと、最後まで不安だった。
番組のなかでかける曲を、毎週十七曲余り選ぶのも大変といえば大変だったが、それは自分でやると言い出したことであり、
「情報番組における情報っていったい何なの」
という迷いと、
「何でこの人たちはこんな安いギャラで私に何もかもやらせるの。ええい、そんなやりかたをするんだったら私がしゃべりたいと思ったことは全部情報だと思うしかないじゃないの」
という居直りに毎週挟まれてしゃべることに比べたら、すっごく楽しい作業だった。楽しいし、逆に、しゃべるのにあれだけ苦しんでいるときに、他人の選曲で嫌いな曲なんかがかかったりする状態だったらと思うとぞっとする。好きな音楽に囲まれていたからこそ半年も続けられたのだ。
ところで彼らが欲していた情報とは、いったいなんだったのだろう。仕事が終わった今も、よくわからないのである。地震情報、音楽情報などと、頭になにがしか付いていれば私にだってわかる。何でも良いのです、情報ならばといわれてしまうのである。つまり、何でも良いからとにかく「教えろ」なのである。
去年の終わり頃、私の漫画の単行本『幻想の普通少女2』のために、岸田秀さんと電話で対談をした際、私は、「情報」について岸田さんにいろいろと質問をしてみた。何故そんなに情報が沢山欲しいのでしょうか。リクルートにしてもそうですが、本来は企業が金を払って出しているはずの求人広告であったり、誰かが提供してくれたりしたものであったりしたはずなのに、それが沢山集まって「情報の場」と呼ばれたときから、何故その「情報の場」は権力を持ったりしてしまうのでしょうか。皆、リクルートの株で人が貰ったお金ばかりを責めていますが、何故「情報の場」がそんなに儲かっちゃったのだろうということについては疑問を持たないのでしょうか。何でまた誰もがそんなに「情報」という言葉にたいして「奥さん、安いよ!」に飛びつく退屈な専業主婦のように無防備になっちゃったんでしょう。
それに対する岸田さんの答えは、大変面白く素晴らしいものだったのだが、詳しくは『幻想の普通少女2』を御覧ください。
どうもね、まあとにかく、情報ってものがむやみやたらと欲しい人が結構居るらしいのです。岸田さんに教わってからまたいろいろ考えたら、私の会社にも、どうもそれだけのためにやって来た人たちが、居た。平たく言うと、私の会社がどんなところか、覗くためだけに入り込んで来るのだった。こないだも一人いたのだが、その男はその前まで、私よりはるかに忙しいはずの或る漫画家のアシスタントをしていた人間でありながら、ただのバイトにしてくれと言う。漫画のやれる人間に、わざわざ別の仕事で来られるのも気分が悪いし、バイトの人手なら足りているというと、じゃあアシスタントでもいい、とにかくなんでもやるから使ってくれという。そんで、二晩やったら次の日から来ないのよね。そのまた前のも男だった。そいつなんて、私と二人で夜中に仕事してたとき(別の部屋には人が居て、あとで皆で一緒に食事したりもしたんだけど)、
「普段どんな雑誌読んでんの?」
なんて聞いたら、
「スケベな雑誌……」
なんて言うの。
「スケベなったって、書名があるでしょう。たとえば何て雑誌」
とこっちは大まじめに聞いてんのに、
「いえ、スケベなら何でも良いんです。僕、スケベなんです、ほんとです」
そんなこと初対面の人に言われたって……ねえ……。第一、私はあんたに給料を払う人間だってことを、忘れちゃいませんかっての。なに期待して来てんだよ、全く。こういう奴等は、興味本位だけで私の会社にやって来たのも確かだが、どうやら、私の漫画を読んだだけで、私のことを何もかも知っている気になり、さらにもう友達にでもなったような気でいるらしいのだ。そういう読者は多いし、別にそれ自体に驚きはしないが、それだったら私から給料までもらおうなんてよくも思うものだ。人を募るたび、「応募の動機」のところに、たぶん自分では良いことだとでも思っているのだろうが、「貴社に興味をもったから」と書いてくるのが多くていやになる。こないだなんて「興味本位で来ました」と書いてる奴が居た。これで給料まで貰おうって思ってるんだから、興味=それに関する情報が欲しい、って言い分を、若者たちがどれほど当然としているかがわかるというものである。
もう一つ驚くのは、自分の行きたい業界の情報だけを集めては、もう何かしたつもりになっている人間が多いことだ。そういう人間ほど、その業界に入るための堅実な方法を教えようとすると、それにアレルギーを起こしてしまう。あまりにも、安易で一足飛びにうまく行くことだけを考えていたため、身体が受け付けないようである。
情報を沢山集めれば、知らない世界まで覗いた気にはなれるが、けしてその世界に本当に入ったわけではない。自分と顔のそっくりな王子を見つけて、着ているものさえ取り替えればそのまま簡単に王子になれるものだと思っている、情報乞食な若者たち。この「情報社会の王子と乞食症候群」(なんて勝手に名前をつけてみたんだけど)については、もっといろいろ考えてみたいと思っている。
私の無名時代──今は有名
こういうタイトルの仕事を受けたのは私なんだから、今の状態を「有名状態」なのよと思ってしまうことにした。確かにパーティーなどで自己紹介すると、「ああ!」とか「知ってますよ」「読んでますよ」とか言われることがあって嬉しい。もちろん「へー、漫画家……」の時も多いけど。でも、珍しがられるのはもう慣れた。最近やなのは、
「何に描いてるの?」
ってやつ。「有名雑誌に毎号連載、それさえ見ればいつでも載ってます方式」じゃなくて、単行本中心に仕事考えてるから(これ、なんだか漫画家では少数派なんでやんす)すげー困る。漫画の単行本なんて買ったことない人って、いっぱいいるらしいしさあ。小説家のかたってそんなこと聞かれますゥ?
たとえば俳優の人に、
「へー、何に出てるの?」
って聞いたら、相当失礼だと思いません? 別にいいけどさ、説明してまでわかってもらおうとは思わないじゃん、普通。ま、いいや。無名時代ね、無名時代。
でも、今を有名状態としたら、名が無いどころか、人間でも無かった時代まであるかもしんないなー。ちょっと大げさ? でもほら、極端なこと言えば、公園とか神社とかで寝てたし。そう、家出して。そんなに長い期間じゃなかったんだけど、その後、歳だの名前だの大嘘ついて、女中として雇ってもらった家で、服貸してもらって、今まで着てた服を洗濯機に放り込んだら中の水が真っ黒になった、あれは驚いた。
このことは、前にも私の一冊目の単行本のあとがきに書いたんだけど、そしたら「この本の中で一番感動的なのはあとがき」なんてひどい評を書かれたことがある、誰が書いたんだか忘れたけど。何だかなーっ。嬉しくないよねそんな評。私のバンドのライブで、アンケート用紙を配るじゃない。そうすると、バンドがわかんない子って、たいてい曲でなくてMC(おしゃべり)について書くのよ。あれと同じかね。別にいいけど。その時、その単行本のことをいろいろアドバイスしてくれた人に、面白いから書けばと言われて書いたわけだから、その点成功したと言えば言えるわけだし。
でもまあ、皮肉でなくほんとにそうだったんだと思う。だってそれで珍しがられて取材とかされたもん。へーなんて思っちゃった。世の中の人にとって家出とか野宿って、すでに死語だったのよ、あたしったら時代おくれ。それに気付くまで結構かかったなー。だって、珍しいから取材されてるってことがわかんなかったの。へー、本出したりすると、こうやって取材されるのかー、て最初思ってたからね。話聞きにくる人の反応とかでだんだんわかってきたの。それとか、漫画の学校みたいなところに呼ばれて、「どうやって漫画家になったか」みたいな話をした時の生徒の反応とかね。あたしが、
「えーまず高校行って半年で家出しちゃいまして、連れ戻されたりして試行錯誤しましたが、結局それきり戻ってないんですけどもー」
まで言ったあたりでみんな、すーと真顔になっちゃう。話が終わってから、
「元気が出ました、頑張ります」
って言ってきてくれる子もいるんだけど、たいがいは、
「漫画家になるってェ、そこまでしなきゃいけないわけェ……」
って、なんか暗い気持ちになっちゃうみたい。それを知ってから、そういう漫画の学校に呼ばれて話をする時は、別の話題にしたり、私とぜんぜん違う方法で漫画家になったゲストに来てもらったりして、話を極端な方に持っていかないように気をつけることにしているの。極端っていうのはそうやって学んだ価値観から言ってるんだけどもね。
でもわかんないなあ。漫画家の世界って今でもなんだかよくわかんない。最近は同業者の友だち増えたけど、前なんかぜんぜんいなかった、話合わなくて。第一、同業者の友だちが欲しくてパーティーに出席しても、誰が誰だかわかんないし、みんな小さなかたまりになってまわりを窺《うかが》ってるだけで声かけあったりしないし、たまに声かけあっても連絡先交換するまで行かないし、もしそこまで行っても、そのそばで同業者のくせに、
「あれ、誰」
「知ってる」
とかつぶやいてるやつらはいるしで一時期ほんとに嫌になった。自分のいる業界の恥を晒《さら》すようだけど、ほんっと、嫌だった。パーティー行けない病にかかった。でもすぐ治ったけど。
時の流れというのは無情のようでありがたいとこもあるもんで、今どきの漫画家はフツーの人も増えた。ああ、やな言い方だ、ほかに無いんだろうか。でも、「知らない人にも挨拶出来るような人」「げ、何こいつ、と思われない程度の身なりをしている人」とか言ったらかえって嫌でしょ、って言ってるじゃねえかっての。まあいいや、ほんと最近は、居心地良くなりましたよ、みんなオトナで。そうでもないかな。どうなんでしょうね。
でもまあ、こうして、こういう無名の頃は、なんて文章の仕事が来るのは嬉しいって思いますよ。そういえば、ホステスやクラブ歌手してた時に、よせばいいのに、自分の名刺の裏に、お客の似顔絵描いてたわ。ほんと、よせばいいのに。途中から止めようとしたんだけど、周りの子たちが、「あの子、似顔絵描くんだよ」とか話題にするから結局描かされたりしてね。駄目だったなあ、どんなに良く描いたつもりでも嫌な顔されたり、破かれたりすんの。破かれた時のシチュエーションって、今でも結構覚えてるような気もするな。破く人に限って、絵描けるんだって? 俺の顔描け、とか自分から言い出した人が多いの。この先、そういう人と会って話す機会なんか出来たら、どうすんだろうなあ、あたし。あるかもしんないな。テレビとか出るような人でも、そういう人、いたし。でも、こういう話は、いかにも「無名の頃」って感じがして、いいよね。
水の夢、雨の記憶
雨が降るとお前は家を出ていく、と指摘されたのは五年ほど前だったろうか。あれまあ、そう言われればそうかもしんないわ、と少し驚いた。そりゃあたしにはちょっとばかし放浪癖があるけど、誰だって雨の日は外出したがらないものだし、自分だって人並みにそうだとその時までは思ってたのよね。
水や魚や両生類や爬虫類だって、みんなが好きなんだと思ってた。私だけでなく、子どもはみんな池でびしょぬれになってオタマジャクシをすくってたじゃない。どこの家だって、金魚くらいは飼っているじゃない。日本にはこんなに沢山水族館があるじゃない。だから今でも自分が特別に水に入れ込んでるとは、あまり思ってない。お魚仲間もいっぱいいるし。
でもいるのよね、たまにえらく珍しがる人が。事務所に来て、
「わあ。これって、シーラカンスなんですかあ?」
とか聞いたりして。あのなあ、知らねえんだったら「何ですか」って聞けよ、と内心思いつつ、何度でも同じことを教えてあげてる私。そんな日は、ふと思い出すこともある。
私は子どもの頃、ひもを付けて首から吊るす、プラスチックのでっかいおもちゃのロケットに、トカゲの子どもを入れて持ち歩いていたことがあった。トカゲの子どもは背中が青くてとても綺麗だ。いいもの見せてあげるね、と私がロケットのふたを開けて差し出した時の幼い女友だちの驚いた顔。
池袋西武のペットショップで、マネージャー(男)と一緒にタイワンサンショウウオを買ったとき、お店の人に、
「好きなの選んでいいよ」
と言われて、
「わーい、それじゃね」
と水槽に手を入れた私の腕を、思わずはっしと掴んだ彼の大きな手。
事務所の求人を見て面接に来て、水槽の中のアフリカのカエルと目が合って、回れ右して帰った女の子。
まったく失敬な。まるで私が猟奇な人みたいじゃん、冗談じゃないよ。でも、さすがに、
「わあ。いっぱい魚飼ってるんですねえ。変わった魚がいるー。あっ、でも普通の金魚も飼ってんですねー。あ、トカゲもコオロギと一緒に暮らしてるー」
なんて、転がるような声で言われると、金魚は肉食魚のエサで、コオロギはビッグヘッドイグアナのエサだよとは言いにくい、とほほ。
まてよ。ということはもしかしてエイリアンの人形を三体も持ってたり、持ってるレーザーディスクのほとんどがホラーだってのも……いや、これ以上考えるのは止めよう。
これって、人を丸裸にして走らせるような企画だなあ。美意識かあ。あたしにもそんなもんあったのかな。あたしは、水のことを美しいものだと思っているのだろうか。そうなのかも知れない。水っけのある人も好きだしな。水商売ぽいという意味でなく、たとえば汗をよくかく人。手の濡れている人。私は体の水はけが良過ぎる体質で、髪も、肌もとても乾く。だからかしら、冬にはしょっちゅう静電気で痛い目に遇ってる。運動しないせいもあるけど、汗もほとんどかかない。玉になって顔をつたうことなんて、一年に一度あればいいほう。そうだね、水を出している人が好き。ちょっと隠微な言い方になったね。
でもさ、水族館って、メディテーションのための場所でしょ。恋愛の展開にも役立つし。子どものものだと思ってる人がたまにいる。地方のタクシーの運転手の人とかね。現実として受けとめてはいるけど、苦手だな。これも美意識のうちかもね。
東京都練馬区中村橋四丁目七番地十八号
歌っていたクラブを首になり、捨て猫のように転がり込んだこの住所が東京での本籍地になった。すぐに次の仕事を探しては来たのだが、中村橋の男はそれを聞いて祝福するどころか、不機嫌に黙り込み、そのまま気難しい人に変わってしまった。私は驚き、泣いたり、台所でウイスキーを飲んだりして暮らしていたが、すぐ立ち直り、池袋の喫茶店でウェイトレスのアルバイトを始める。
ある日、「きみ、かっこいい主婦だね。僕に電話しなさい」とパイプをふかす風変わりな黒ぶち眼鏡のお客に、名刺をもらった。その次には「きみ、なかなか電話しないね。十円玉あげよう」と十円玉をもらった。まもなく私は男の留守に少ない荷物をまとめて逃亡をくわだて、今度は女ともだちの部屋に転がり込む。
黒ぶち眼鏡の男・秋山道男はその後そんな私に春菊という不思議な名前を付けてくれた。
私 の 転 機
やっぱ、家出ですねー。どう考えてもそれがいちばん大きい。十六になったばかりの時。あれっ、でもこれってもしかしたら、仕事を始めてからの「転機」をみんな書いてんじゃない? ちょっと早すぎですか? 時期が。まあいいか、家出して数日の野宿の後には女中の職についたことでもあるし。いやほんとにそうなんですよ。あれがなかったら絶対に今の私は無い、と断言しちゃう。
それまでは、だんだん重くなってくる子泣きじじいを背負ったような憂鬱な気分で、ずうっと暮らしてた。ほかの誰かと自分を比べて「不幸だわ」と思ったりはしなかったけど、私の今の動力のゼンマイは、あの時までに巻き過ぎるくらいに巻かれていたと思う。でも、だからと言ってそのぜんまいをキリキリ巻いた、その頃の環境のようなもの(家庭、学校を含む)に私は決して感謝なんかしない。もう「家出」なんて死語かな。でも私はそれをした自分が今でもとても好きだ。
引っ越しすると
物がなくなる。
あれはどこへやったっけ、と思い出したときにはもう無い。その前の住まいに同居人がいた場合なんか、てきめん物が減る。同居関係を解除するときは誰しも何かともめるものだし。一度なんか、
「残してったもの、捨てるからね」
とわざわざ電話してきたやつもいる。やなやつ。ああ、思い出し怒りしてしまったぞ。私があわてて取りにくれば小気味いいのに、という空気が受話器から出ていたのかな、あれは。私はもうその人と会いたくなかったので、捨てていいよと軽く言ってしまった。
その中には何があったんだろう。人からいただいたものがあったかも知れない。ごめんね。
最近は引っ越ししても物は無くなっていないはず。なのにやはり「あれはどこへやったっけ」はしょっちゅうだ。結局片付けがへたくそなだけだったりして。とほほ。
水 槽
「水族館の床にふとんを敷いて寝て暮らしたい」というのが夢だった。
初めて六十センチ水槽を買ったその日、水を入れてポンプを入れて、水だけをながめて長いこと過ごした(ばか?)。そのままうとうと居眠りしていると、水の音は人の話声のようにも聞こえてくる。
水槽が十数本に増えた今も、水音にふと、そちらを見てしまうこともある。あれ、そうだ誰もいなかったのよね。そういえば昔、自宅の一室にスタジオを造った友人が、ひとりでそのスタジオにこもっていると、水の音が聞こえてくるんだと言ってた。単なるあぶないやつだったのかもしれないが、似た状況を思い出した私。
ほら、そばがらの枕で寝ていると、こめかみのところで、ザッ、ザッと音がしてたじゃん。あれ、脈がいわせてるんだと思うんだけど、だとしたらあれもそばがらという形を借りた水の音でしょう。水の中に血も入れるとしたらだけどさ。
自分のエクトプラズムを借りて霊を形にして見せるという芸(芸じゃない? こりゃまた失礼)があるが、あれと似たかんじで、水の音は生き物の音って気がする。それも、魚たちがさせている音というよりは、自分の中から聞こえてくる音のような。
日本はものすごく水族館の多い国なのだそうだ。やっとこさで五十数館行ったけど、それでも半分くらい。日本人は魚を食べるからね、と思うでしょ。イタリアだって食べるけど、水族館少ないぞ。まあ、ナマでも食べるのは日本人くらいか。
『水物語』という漫画(ビデオもあるよ)を描いたとき、どういう意味のタイトルなのですか、とよく聞かれた。水商売の水ですよ、と言うと、なーんだと反応するうかつな人もいたが、水商売の水は、水ものの水。水いらず、水くさい、水が入る、水に合わないの水じゃあないの? ということは、気にくわない、気が合わない、気にさわるなどと共通点がある。「気」って、個人的な内部のものみたいだけど、「水」は、人と人との間のもののように使用されているもよう。
つまり日本人は、人と人との間の空気のようなものを水と呼んでて、そしてそのくらい日本では、水とは人と人の間に当然存在するものだと思われてんのね、と私は勝手に解釈したわけ。フロイトの夢判断では、水は羊水、子宮と考えられるようだけど、これも私は気に入ってる。
私が飼っているのは主に肉食魚。ナマズも多いけど、どっちにしろかなり大きくなる。肉食魚に与えているのは金魚だ。たいていひと飲みだけど、たまに頭だけ残って転がったりもする。大型魚なので、暴れると水草なんか全部抜ける。だから水草をきれいにレイアウト、などは不可能。それでも私の心の奥のなにかにそっと寄り添ってくれているもの。私にとっては水槽とはそんなものだ。
友情と自慰のバランス
もう随分前のことだけど、私が以前結婚していた男が、三十面下げて「タンポンの大きさは膣の大きさで決める」と思っていたのには驚いた。あんたねえ、あんなとこにスーパー、レギュラー、ジュニアなんてランクがあった日にゃ、セックスの相手にだってそれを求めなきゃいけないじゃないかさ。あれは心理的なもので決めるものなのだ。体の順応性を考えたら、見比べてもそんなに大きさ、違わないと思う。自分で自分の経血が多い、と思っている人が少し大きめのスーパーを使う。多くても、けっこうトイレに立てるような生活の人は使わないかも知れない。ジュニアってのは、まだタンポンを使い始めたばかりで、体の中にものを入れることに慣れてない人が使うらしい。あたしは面倒くさがりなんでレギュラーしか使ったことないけど、こないだ間違えてスーパーを買っちゃってたのには笑った。まるで欲求不満の若奥様だ、わはははははははははは。笑い過ぎか。
女がマスターベーションするときに、必ず体の中にものを入れてると思っている男も多い。そんな男に、そんなことしなくたって陰核の摩擦だけで絶頂感は起こるんだよと言うと、びっくり(正確にはがっかり)するようだ。
これをこないだ女優で作家の水島裕子に話したら、
「ええっ、なんで、なんで?」
と驚いていた。こういう反応をする女ともだちがいることは嬉しく思ったが、でもほんとだ。こないだもある雑誌のマスターベーションの特集を見ていたら、女の子用のページでは、何かを挿入するのがそのやり方の主流、としてあった。女性のように見える名前だったがそのページの担当者も、棒状のものを挿入して男のペニスを思うのが女のマスターベーションだと思っているみたい。快感には触れていても絶頂感についてはほとんど触れてない。マスターベーションは一つの文化だよって切り口のページだったのになー。別にいいけどー、へーんなのー、と思っていた今日この頃の私だったのだった。
なので、その話を、男の子にもした。そしたら、その男の子(と言っても私より年上でパパになったばかりだが)もこういう話をしてくれた。
「昔、つきあってた女の人から、摩擦でイッたら、入れていいわよと言われて、僕っていったい何なの、とショックだったことがありますよ」
セックスするときは、必ずオーガズムをプレゼントしなくちゃいけないなんて思ってたら大変だ。でも結構みんな思ってるかもしれないな。思い過ぎるとめんどくさくなってセックスなんてしたくなくなってくることもあるのにね。でもそれより困るのは、セックスすると女の快感の方が男の何倍も凄くて、その上何度でも絶頂感がある、と本気で思ってる男。思いたい気持ちもわかんないではないけど、ちょっと恥ずかしいよね。
自慰と挿入の呪縛から逃れられると、電話でセックス出来て便利だけどね。セックスの中身のうち、連帯感と、快感の交換と、秘密の共有は電話でもOKでしょ。恥ずかしがらずに集中できて、セリフのセンスがあればね。だいいち楽よ、楽。なんかおばさんくさい言い方になってきたな。でも、愛もほどほどに楽なほうがいいと思うの、最近は。
ゲイの人のことは別に嫌いじゃないけど、あたしはゲイの人ってあんまり幸せそうには見えない。なんか、しんどそう。ゲイだから男のことも女のこともわかってすごいとか、思ったことない。ゲイの人とムヤミに仲良くなりたがる人もよくいるけど、それも解せない。別にみんな、勝手に好きなことしてんだからいいんじゃないのって感じ。どうせ責任は自分でとるんだし。
昔は、愛の中身って同情が多いかも、って思ってたけど、最近は友情が多くなってきたような。お互いの周りの仕事とか友人とか、紹介しあったりね。以前はそうは出来なかったような気がするな。人間扱いしてくんないから、しょうがないから「物」になった振りとかしてた。でも、まだ自分の特殊技能でちゃんと食えてないやつは、「物」になってたほうがいいと思う。ほどほどに差別されてないと、頑張れなかったかもしんない。みんなで遊ぶ時は必ず呼ばれて可愛がられて、だからその可愛がってくれる人たちの中からちょっぴり恋人っぽい人が順番に出来て、でもだれか一人のものにはならないように浅くつきあって、彼女は何やる人? って聞かれても胸をはって答えられるものはない。そんな状態で歳をとっていくほど恐ろしいこともないような気がするんだけど大げさかな。グループ交際って、落とし穴だ。あとから淋しくなる。いい歳して続けてると怖いぞ。あたしはガキの頃からやんないようにしてたけど、たまにそれっぽいとこに混ざると、その時ワイワイ楽しくても、あとが虚しい。それぞれの言い出せない恋の残留思念とかがそこらへんに残ってて、かえってドロドロしてて嫌だ。それよか傷ついても好きな人に個体で挑む方がいいと思うんだけど、これも、出来ない性分の人がいるんだね。いろいろあるもんだよ。
とにかく今は、女の性の現実から逃げない人と、友情の成分の多い愛を交わしあいたいものだわ、と思う。同情も、あったほうがいい。同情すると性欲がよく出て、性生活が活性化される。相手に感情移入するには「可哀そう」は大切だ。それがないと、友情の成分が多くなり過ぎて淡白一直線、フローリングの上の低血圧な、都会の空気吸って出してるだけの二人、になってしまう。まあそういうのが好きな人もいるかもしんないけど、あたしはパス。
とまあこういう風に、最近、言葉で自分の中の男の部分をうまく可愛がってあげることができるようになって、よかったよかったと勝手に思っているところだったのでした。では、おしまい。
美人の悩み──モトはとれてる
私の場合、造りが美しい訳じゃなく、全体のバランスや、顔筋の動かし方その他から、良く言えば親しみやすい、悪く言えばなめてかかってもいいような印象を与える顔。「一発お願いしたい軽薄美女」と言うやつなのよね。
もうとにかくこの顔のおかげで、人に声を掛けられることが多いね。一人で歩けばすぐにナンパされる、道を聞かれる、勧誘される、アンケート取られる、ブティックでは店員と間違えられる、駅では切符の買い方聞かれる。老若男女問わず。黒革ジャン黒革ミニに網タイツに十センチピンヒールのアンクルブーツという、精一杯コワいかっこしたつもりでも、どこかのおばあちゃまに道を聞かれてしまうこの情けなさ。サングラス掛けてるとだいぶ減るけど、それでもあるのよ。今では一人で歩く機会もだいぶ減っちゃって、声掛けられてからそんな自分を思い出して面白がれるけど、昔はやだったなあ。めんどくさいじゃない。駅のホームにいて「ひまだったらどっか行かない」なんて言われるともう頭来ちゃって。用事があるから駅にいるんじゃない? 馬鹿かと思うよ。
もちろん、痴漢にもよく遭った。今でも酒の席では体を触られることもよくある。でもねえ、今は会いたい人にしか会わないで済む状況だから、別に嫌なことはないな。あたしだって、好きな子の体に触れるのはいい気持ちだもの。
それに、声掛けられても、何か面白そうだと、その人をけっこうかまっちゃうんだ、あたし。その頃なんてまだものを書く仕事に就くずっと前だし、別に取材しようなんて思ってなかったんだけど、思い出して書いたものが「街で声を掛けてくる人たちエッセイ」として本になっちゃって。あ、それ『もんもんシティ』っていう本で、今では、文春文庫になってるの。わーい、宣伝までしちゃった。美人のレッテルを貼ってもらえてCMまで出来るとは。いい仕事だ。
そんな訳だから、悩みといってもモトが取れてしまっているのよね。それに、漫画家になる前、クラブ歌手やホステスやってる頃、そっちの業界ではあたしはむしろブスのほうだったのに、漫画家になったら美人に昇格。漫画家の女の子って、顔の造りが悪い訳じゃなくても、あまりにも内気で外に出ないので、出す空気が人をはねつけてしまって結局ブス、みたくなることがよくあったのよ。今はもうそんな人は一部だけどさ。あたしって何だか得ばっかししてるな。これではテーマに添っていないぞ。
そうねえ、悩みに似たものがあるとすれば、最初の印象でなついてきた男の子とかが、えっ漫画家なの、じゃあ俺漫画に描かれちゃうじゃん、やだな、ってあとから緊張してきちゃうことがあるのが、ちょっと残念かも。でもまあ、そんな度胸のない子とつきあってても楽しくないから、いいんだけどね。
お酒好きですか
私は、生活に困ったのと、歌の勉強をしたかったのとで、ずいぶん長いこと、ホステスやクラブ歌手をやってました。
しかし「生活に困った」なんて私が言うと冗談だと思われるだろうなー。「生活に困る」という言葉も、すっかり死語になってしまいましたね。まあ好きで生活に困ってたんですけどね、十代の中ごろからずっと家出してるもんですから……そのまま帰ってないんです、家には。最初、仕事はぜんぶ、歳をごまかしてやってました。十八歳未満だと親の保証なんかが要るでしょ、だから。そんなわけで、お酒を覚えたのも、はやかったかもしれません。
ホステスやクラブ歌手やってても、あんまりお酒飲みたくなくてヤケで飲んだりはしてましたが、本当においしいと思いはじめたのは、今の仕事についてからです。
でも、一回だけちょっと困ったことがあります。
それは、地方での仕事のあとのことだったんですが、食事をごちそうになったあと、飲みにいこうということになり、その中でいちばんえらい男の人が、
「内田さんの趣味にあうかなあ」
なんていいながら、あるスナックへ連れてってくれたのでした。小さなスナックでしたが、お客さんでいっぱいで、中央で女の人があの、握るとピコピコと手招きするネコの手のぬいぐるみを、開いた足の中央に出し入れする振りつけで、エッチな替え歌を歌っていました。カウンターには、男性器や女性器の形をしたぬいぐるみが飾ってあり、連れてきたその男性は、
「ほら」
と、そのぬいぐるみたちをうれしそうに私の所へ持ってきます。
「よく出来てますねアハハ……」
などと調子を合わせてはみましたが、ほかのお客さんは全員男性で、歌ってる女性はネコ手のぬいぐるみで、お客さんたちの股間をさわってふざけたりしています。男の人たちがそういう店で楽しんでいるのは、別にそんなに異常なことではないとは思いますが、いったい私はどういう趣味の持ち主だと思われたのでしょうか。
「今日はママが休みかあ。ふだんはもっとすごいんですよ、アハハ」
とその方は全く私の当惑に気づかれないので、私はヤケになって歌を歌って騒ぎましたわ。トホホ。
今から考えると、私が漫画の中で、性描写や、性に関する冗談を平気で描いているということを、拡大解釈されていたんでしょうね。真面目すぎる人は、よくこういう風に行き過ぎて裏返ってしまったりします。私の漫画の話をするのはいいんだけど、
「いやー、すごいですねー、すごいですねー」
とずっとセックスシーンの話ばかりで、
「この人って、セックスのことしか考えてないんだわ」
と、こっちが赤面したくなります。
セックスとお酒は、けっこう密接しているので、漫画の内容からすぐ安易に、
「内田さん、お酒好きでしょう」
なんて言われたりもします。
「お酒好きですか」
と質問形にすればいいものを、言い当てたぞと言わんばかりにしている人がいて、恥ずかしいわ。頭の中の短絡が見え見えなんだもん。つまりはセックス好きですかと聞かれてる訳で、好きだと答えたら最後、誰とでもOKだと思ってんの。そんなアホな。相手によるわよね。
お座敷するなら
お座敷遊びって、一回しかしたことない。連れてってくれたのは、中沢新一さん。南方熊楠の法要とシンポジウムという教育テレビの仕事でご一緒したときだった。だもんで場所は和歌山県田辺市。この辺で熊楠も遊んだんだよ、と教わりながらあるお茶屋さんに入った。美人なのに全然気取ってない、それどころか明るく楽しいお下品という領域まで行っちゃってるおかみさんに、どどいつを沢山聞かせてもらった。それがまた超・お下品なものなんだそうだ。あたしには比較対象がないので、中沢さんからそう聞いたんだけどね。でも楽しかったな。
今思い出してみたら、みんなで声をそろえて歌ったりしたのが良かったと思う。最近は昔ほどカラオケが嫌いでなくなったけど、へらへら飲んでるときは、みんなで歌うほうが好きだな。年季の入ったおねえさんの三味線も素敵だったし。そうだそうだそれに、おかみさんの歌がすごくうまかったんだわ。やっぱ、これだね。
ホステスのいるようなクラブに連れてってもらって一番思うのは、なんでまた揃いも揃ってピアノの演奏があんなにこっぴどくお粗末なんだろうということ。高いクラブになると、さすがにお客のへたくそな歌を店じゅうに流したりはしないけど、でも演奏、いやだなー。うわ、こんなに高そうな店なのに、と耳を疑うひどさ。あたしゃ奢ってもらうほうだからいいけど、お金払う人が気の毒になっちゃう。だから、あたしがお座敷遊びをするなら、無口でもうまい楽器演奏家が絶対欲しい。それから歌はみんなで歌う。話が上手で魅力があって、わーこんな人と肉体関係持ったらいいだろうなー、でも、きっと|きょうだい《ヽヽヽヽヽ》どっと増えちゃうなーって感じの異性もいて欲しい。なんだ、こうやって書くと男の人のしてきた遊びとそんなに変わんないぞ。そんなもんかも知れない、でもここからは少し違う。
それは、そういう遊びを一緒に楽しめる女ともだちがいるかどうか、ってことだ。改めて考えてみたら、お金を払ってちょっぴり性的な楽しみを共有するってことは、どこかで甲斐性の比べ合いをしつつも仲良くできる間柄ってことで、女どうしではまだ、なかなか考えにくいかも。幸運なことにあたしには心当たりの友人が数人いるが、遊びよりももしかしたらその数人の存在のほうが嬉しい気がする今日この頃なのだった。
編み物ハイ
最初に編んだのは靴下。あっ、最初って、「人にあげるための」って意味ね。そう、彼はバスケット部にいたんだ。でへでへ、照れちゃうな。
編み方は自分で考えたの。踵《かかと》はこうなってるんだから、みぎひだりを減らして攻めて行けばあのカタチになるはず……ほうらなった! みたいに。いいかげんだね。でもちゃんと出来たよ。バスケのときに履くには、ソックタッチの助けが必要だったけど、まあまあの出来だったと思う。だってその頃はねえ、はっきり言ってすでに編み物には自信あったの。「目が揃う」ってやつ? そういう安定の時期を迎えてたわけよ。中学二年の冬ごろ。
もちろん最初はひどかった。あーもう、毛糸ってどうしてこんなに絡まってくれるの、信じらんなーい! ですよ、ほんと。かぎ針はきちきち、棒針はゆるゆる、それもいつのまにか目は飛んでる。ゲージを取るのは面倒臭い。そんでいきなり編み出しちゃうとサイズがおかしい。ああ、ゲージって大切なんだわ。でもそれがわかってきても、目を数えるのはやっぱりかったるい。たぶんランナーズ・ハイのような、ただただ編み続けているときのぼうっとした気持ち良さが中断されるのは、どーもねえ。「あー、誰かかわりに数えてくんないかしら」。でもこれが好きな人にあげるとなると、ちっとも嫌じゃないのよねん、らんらんらん、と私は一気にそのスポーツ用の靴下を編み上げたのだった。
時は経ち、私は念願の漫画家になった。今では、紙粘土で作ったお人形のためのセーターを編んでも、「えっ、これ内田さんが編んだんですか。いやあ、人は見掛けによりませんねえ」と言われる。最近、それもまたよし、と思う。余談だけど、橋本治さんの編み物の本のイラストの下に書いてある描き文字は、その頃その本のレイアウトを担当したデザイン事務所でバイトしてた私が描きました。
楽しかった。
ばななちゃんたら無防備《セクシー》なの──吉本ばななちゃんのこと
まず、ばななちゃんはお酒が強い。すっごく強い。飲みながら対談してたら、最後のほうではわたしゃ記憶がうっすらしかない。そのとき見てたけど、綺麗な手してるんだよね、指が長くて。ばななちゃん独特のポーズに、両手の手のひらを斜め四十五度に傾けて顔の両側に置くというのがあるんだけど、漫画の中で使っちゃったもん、良くって。
それから、ものおじや屈折という、甘ったれた要素をおかあさんのお腹の中に置いてきて生まれてきたかのような人でもある。好きなものは好き、したいことはしたいと気持ちよく言えるその姿勢に私は感動を覚える。ばななちゃんのエッセイには、ばななちゃんの好きな人のことがたくさん出てくるが、こんなに自分の好きな人のことをきちんと祝福できる人はなかなかいるものではない。また、小説にしろエッセイにしろ、ヴィジュアルセンスと文体のリズム感がすぐれている。私が小説のことをうんぬんするのも何だが、「するりと読めて、目に浮かぶ」これってすごいことだと思う。
ばななちゃんは、ある雑誌のアンケートで一番好きな漫画は、私の「物陰に足拍子」だと答えていた。これは、よく言えば自分に正直に生きるためにはどうすればいいか試行錯誤する女の子、悪く言えば学校や家庭になじめず、眠ったり空想したり男の子と遊んだりして気を紛らわしている女の子の話だ。残念ながらこれを書いている今日、とりあえずの最終回を迎えてしまう。ばななちゃんはこの話を「とても人ごととは思えない、おいてきぼりにしてしまった時期がある人にはぜひ読んで欲しい」というふうに言ってくれるのだが、実際セックスシーンがてんこもりな作品なため、そんなこと言っちゃったらそっちのことばっか考えて下世話な詮索する奴もいるのにばななちゃんたらっ、と私ははらはらしてしまう。でもそういう無防備さも彼女の魅力ね。セクシー&スウィートなばななちゃんと、ぜひまた飲みたい。
お菓子と花束
何かというと花束を持って来てくれる女の知り合いがいる。花は嫌いじゃないけど、連発されるのはどうかと思う。そんなにたびたび花はいらないよ、と言いたいけどなかなかそんなことは言えない。
彼女はまた、何かというとお菓子を持って来てくれる人でもある。お菓子は嫌いじゃないけど、そんなに沢山食べられないほうだということは話したことがあると思う。そんなにたびたびはいらないよ、と言いたいけどなかなかそんなことは言えない。
私はお菓子よりお酒のほうが好きだ。だからどこかへ行くときもついワインをおみやげにしたり、おつまみのような食べ物を買って行ったりする。でなければ果物。果物は甘くてもけっこう好き。そういえばそれも彼女に話した覚えがあるな。
「あんまり甘いもの、得意じゃないの、少しなら食べられるんだけど」
と言ったとき、
「あ、私ったらケーキを買ってきてしまいました」
と言うので、
「大丈夫、果物の使ってあるのとかは、わりと好きだよ」
と言ったような気がする。でも、そのあと彼女は大きな大きなチョコレートケーキのかたまりをさげてやって来たこともある。美味しかったけど、ほんの小さなひときれしか食べられなかった。ここまで読んで、あなたはきっとこう思うでしょう。よっぽど彼女はお菓子が好きなのでしょう、自分が美味しいと思うから、つい聞いた話を忘れて、お菓子をおみやげに買ってしまうのでしょう、と。ま、ふつう、そう思うわな。
なのにその彼女は、自分ではお菓子が嫌いで、食べられないのだという。自分が食べられなくて、さらに、あげる相手もそれほど得意でないものと知っているのに、なぜ彼女はいつもお菓子をくれるのか。そしてなぜ、こちらが不安になるほど花束をくれるのか。彼女は私の参加するどんな小さな集まりにもやって来てくれるありがたい人なのだが、そのどんな小さな集まりに来ても、高価な花束を持って来てくれるのだ。そう、いつも、彼女なりの上品な趣味で選んでくれる花束は、そこらへんで買いましたという顔をしていないのだった。
最近はおさまったが、以前は他にもプレゼントがあった。
「ゆっくり休んでいないのではありませんか。これでくつろいでください」
と、お風呂にいれるハーブなどをくれる。
「嬉しいけど、そんな、いいのに、ねえ」
とすまない気持ちになった私は、彼女が来るとわかっている日に、小さな置物をプレゼントしたことがある。人に頼んで渡してもらったのだが、彼女は、
「|お誕生日でもないのに《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、すいません」
とすまなそうにしていたという。彼女の誕生日が近かったので、その後、彼女にささやかながら誕生日のプレゼントを買った。彼女はとても喜んでくれた。そしてそのあとに来た私の誕生日には、私が選んだのではとてもかなわないほどの心のこもったプレゼントを持って来てくれた。
結構なことじゃありませんか、と思う人もいるだろう。ありがたいことだとは思う。でも不安になってしまう。気にしないようにしよう、とは思う。彼女は私よりとても若い人だし。
しかし考えてみれば、こういうことは前にもよくあった。男の人の中には、女の所を訪ねるときは=花と甘いお菓子という式が頭の中に出来ている人が結構いる。そして、花とお菓子が好きな女の人はじっさい多いみたいだ。パーティーなどに行くと、帰りに、飾ってあった花を女性客に分けてあげたりするところもあるし、私も以前はそういうことが嬉しかったような気がする。その頃は持ちかえった花の世話も自分でしていた。花を活《い》けるのは楽しい。そんなに上等なものではないがお免状もある。生け花は、最初はむりやり習いに行かされたものだが、行ってみたら面白かった。まーやってみたら何でもけっこう楽しくなっちゃうものよね。
でも、情けないことに、最近はあんましそういうことをする余裕がなかったり、する。嫌いになったわけじゃないけど、他にやりたいこと、やんなくちゃなんないことのいろいろと並べてどっちを優先するかっつったら、あぶれてしまうことが多い。従って花も早く枯れてしまう率が高くなる。もらった人にも花にも気の毒だが、かと言って、花の世話のために仕事その他を減らすなんてもう出来ないほどに、仕事が面白くなってきてしまっている。
私はぜいたく者になってしまったのだろうか。花をくれる気持ちは嬉しいし、花をもらって喜ぶ女の子を見ると、可愛いなと思う。でも私自身はもう、花束って、手放しには喜べなくなってるんだわ、どうもこれが。
花にしてもお菓子にしても、子どもの頃はとても嬉しかった。綺麗な花を見ると、どうしても摘んで自分のものにしたかったし、ケーキなんてイベントだった。今、私がケーキにしている仕打ちを子どもの頃の私が見たら、きっと泣き出すだろう。
オトナになったのね、なんて今さら言うことでもないか。でもそんじゃ、もしかしたら「女には花&お菓子」という公式のサブリミナル効果は、
「いつまでもベイビーでいておくれ」
なのかしら。それは、もしかしたら、
「女はもの知らなくていいんだよ」
だと思うのはあたしだけ? うーん、でもこのへんの文はなんだかおかしい。おおそうじゃ、それは「女」と書いてしまったからであろう。花やお菓子やベイビーについて語るならば、ここはやはり「女の子」とすべきであろう。
このあいだ、ある女性作家の作品を読んでいたら、女のことは「女の子」男のことは「男」と表記してあった。作品の中の二人はどう見ても年頃その他が同じくらいなのにだ。意図してなされたものだったとしたら、素晴らしいと思う。それだけで主人公の「女の子」の恋愛観がうかがい知れるというものじゃありませんか。ベイビーからウォーマンからヒューマンまで、女の変態も個体差があるもんだね。
まあでも、女ともだちになってもらうなら、あたしはベイビーはかんべんだな。
「映画と言えば、オードリー・ヘプバーンよね!」
なんて女と話すんのはやだよ。ベイビーは、幸せは空から降ってくるものだと思って待ってたりするし。それに何より最悪なのは、ベイビーは酒の席で気がきかねえんだよ。ありゃあ、まいるよ。まったくよ。
女が一番怒った時──結婚してたときのこと、かな
困ったようん。よくよく考えたら、いちばん怒ったときの事しゃれで書けるほど、あたし人間できてない。書いてるうちに思い出し怒りしてきて、取り乱しちゃいそ。あー、どうしよ。と悩んでいるうちにこの原稿、すでに落ちそうになってしまってるらしい。とほほほ。泣きながら書くしかないわ。しかし間に合うのかなこれ。よわきになっちまう。
やっぱさあ、女としての怒りを考えるなら、「人間扱いされなかった」これじゃないかな、とあたくしはつねづね思っていたんでございますよ(まだよわきが抜けない)。そんでね、あたしが今までいちばん人間扱いされなかった時期ってのが、結婚してたときなのね。まだ、漫画家になる前。離婚したあと、デビューしたからね。
そのころは、クラブ歌手やりながら、漫画の持ち込みしたり、マーサ三宅さんとこにジャズヴォーカル習いに行ったり、もういっこ、別の教室にジャズの音楽理論習いに行ったりしてた。おお、そうじゃ、そういえばまだ通信制の高校行ってたな、進学もちょっとは考えてたから、予備校覗いたりもして。まあまだ東京が珍しい盛りで、あちこちうろうろしてたわけなんざんす。
で、働いてた店の子の紹介で、あるバンドに入ったんだけど、結婚した相手はそこのギターの人。へったくそなバンドでねー、みんなやる気なくて集まり悪いし、サイテーなもんがあったな。その中ではいちばん話相手になってくれたのね、その人が。あたしがいろんなことしてるのも「頑張ってる」とか言って褒めてくれたし。
ところが結婚してみたら、手の平をかえすように別人になっちまったのさ。気がついたらあたしはすでに、遊び飽きた人形みたく部屋の中に汚れて転がっているありさま。殴られたり、アルバム破かれたり、歌の仕事辞めさせられたりしたあとにね。
なんでこうなったのかが不思議で、話し合いしたかったんだけど、すでに口もきいてもらえない状態でさ。しばらくは途方に暮れて泣いたり、台所でウイスキーを飲んだりするというダサい日々を過ごした。しかし、男に関してだけは非常にあきらめのいいあたしは、そのうち「嫌われてるんだから、ここにいてもしょうがないよね」という単純明快な結論に達し、親に借金してアパートを借り、相手が仕事に出かけているあいだに運送屋を呼び、ついでにオトコも二人ばかりこしらえて、さっさと家出(この「さっさと家出」っていうの、どーもあたしの人生には度々出てくるなー)。もちろん、「♪さよならと書いた手紙」と、あとは相手のサインだけ、の離婚届けも置いてった。勝手にやっちゃったのは悪かったけど、もうあたしとは話すんのもいやそーだったし、ちゃんと手紙で自分のいたらなかったとこは謝ったし、離婚が簡単に済むなら向こうも喜ぶだろうと本気で思ってたのね。だって追い出そうとしてるとしか思えないかんじだったしさ。なのに、そしたら、怒る怒る。実家からあたしの友だちからその友だちまで泣きついたり脅したり。仕方なく会ったんだけど、聞きたくもない言い訳始めちゃって、ぜんぜん離婚届け書いてくんないんだ、まいったよ。なんなんでしょね。
「えーだって、あたしのこと嫌ってたんでしょォ?」って言うと「そんなつもりじゃなかった。今度の連休はどこか連れてってやろう(! なんじゃ? こりゃ)と思ってた」とか言ってしょんぼりしてんの。今まで家にも帰ってこないくらいだったのに、今も続いてるあたしのバンド「アベックス」の練習まで見に来て。で、あたしがそのときいたアメリカ人のメンバーに「ヒーイズマイハズバンド、バット、オンリーオンザペイパー」って言ったら、あとであたしと二人になったとき、泣きだしてんの、三十面下げて。
ばか?
かと思うと、「殺してやる」って逆上して夜中に車飛ばして来たり(もちろんあたしは迷わず110番)。そんなことまであったんで、あきれてしまって家庭裁判所のお世話になろうとしたが、今度は裁判所に来ない。とうとう困って、だめもとでむこうのおかあさんに電話して訳話したら、あっけなく離婚成立。うっわー、なーんだただのマザコンだったのね、だわ。
最後に電話で話したとき、「今度結婚するときは、知らせてくれよな。お祝いしたいから……」とかまたしんみりした声で言ってた。完全に状況に酔ってやんの……。また機嫌をそこねて離婚してもらえないとやなんで「うん」って言ったけど、あたしは内心「だーれがするかバカ」と思ってた。今でも二度と会いたくない人の一人だ。そのくらいあたしにしてみりゃ怒ってんですけどね。まあよく「ほんとはあんたのほうがしょーわるなんじゃないの」って疑われてますけどね。別にいいけど。信じてくんなくてもさ。
好きな男、嫌いな男──ギャル化してんじゃねーよ
「嫌いな男」ってのは、「私とは全く関係ない、ほんとにほんとに無縁の男」じゃないところが、ヤなんだよね。
会社勤めかなんかで、上司の話になると、
「セクハラだよねー、あれ」
なんて感じになる人たちにとっては、切りたくても縁の切れない社内の人間だからこそ嫌なわけで。でもそういうのは私の周りには、いない。
こういう、ものを書いたり喋ったりする商売を選んでる女にうっかりなんかすると書かれるからさ。だからけっこうセクハラ関係の話は無縁ってことになっちゃったな。ないわけじゃないけど、もとをとる方法をみつけちゃったからね、あればすぐ書く。そんなことより最近私にとってヤなのは、甘えの度が過ぎる男。一緒にいるときはそうでもないんだけど、あとになって考えてみると、あれ? あたしって、あいつにそこまでしてあげなきゃいけないわけェ? ってもやもやしたものがわいてくる。それが続くと、腹が立ってくる。ついに怒ると、相手も反省して、ちょっとおさまる。でもそういう子ってもともとがおぼっちゃんだから、それほどなおんない。
たとえば、なんかのときに、
「友だちのAくんとかとおいでよ、あとでご飯でも食べよ」
と誘う。これは当然「おごるよ」って話。すると、Aくんとかの「とか」を拡大解釈して、女友だちまで連れてやってくる。悪いけど、仕事ぶりや性格が割と気にいっている異性の子と、仕事ぶりや性格を別にどうとも思ってない同性の子とを同じように扱えと言われても、無理。ましてや後者に、なんであたしがおごってやんなきゃいけないのよ。でも、そういう男の子って、私のことをなんだかすげえ金持ちだと勝手に思い込んじゃってさ。私が自分の顔立ててくれる気で連れて来ちゃうんだよね。つまり、優しくすれば付け上がるというやつね。そのときはあとで、
「なんであたしがよく知りもしないあんたの女友だちにまでおごってやんなきゃいけないわけ?」
と言ったらあわててやめてたけど。
別の子B。就職したばっかりで生活に困って友人に無心しに来たとき、ちょうど私がいて、そのときに限ってけっこうお金持ってたので、私が貸した。
でも、その後何かと電話をくれるのはいいんだけど、なんとかっていうビデオソフト買ったとか、本買ったとか、なんか買ったものの話がやけに多い。ある日ついにかちんと来て、
「金借りてる人間には、そういう話はふつうしないもんなんじゃないの」
と言ったら、その後自粛して、クリスマスに写真集をプレゼントするとか、帰省してお土産買ってきましたとか言ってたけど、未だにもらったことない。こないだ気がむいて会ったら、私のほうがみんなおごったのとかはまあいいとしても、
「金返そうと思ったけど銀行しまってて」
というセリフと、
「はやく『ツインピークス』ダビングしてくださいよ」
というセリフが続けて出たので、またしばらくは会わないつもり。
この二人だけでなく、自分が私に可愛がられてるからと言って仕事もできない自分の彼女の面倒まで見させようとするやつもいる(もちろんあたしは逃げ回ってるけど)。そんなやつの女に限って、そいつ越しにしかあたしを見ようとしない。自分からは電話の一本もしてこないくせに、たまたま会ったときに限って、
「あたし、いま時間あってェ、そろそろお邪魔したいと思ってたんですう」
とか言ってる。なんだそれ。聞いてねーぞ、そんなこと。だいいちあたしゃそんなにヒマじゃねーよ、あんたほど、と言いたくもなるよ。言わないけどさ。
カップル二人ともと仲良くしてる場合もいっぱいあるけど、そういう子たちはお互いにおんぶせずにどっちも社交辞令抜きで直接あたしと向き合ってるんだぞ。
別にほんとにヤになったら付き合うのやめるからいいんだけどさ。そういうわけで、最近「おいしい目」にあうのが大好きで、その「おいしい目」ってのが人の好意や出資から成り立ってるってことがわからない、いや、わかりたくない、だな、そんな男が嫌いね。でもそういうやつって、イコールいい気になってる子ども、ってことで、途中まではちょっと可愛かったりするんだけどねー。なーんて結局付け込まれてるあたしがバカなのよ。がちょーん。
お仕事メレンゲ
働き者が好き
二カ月ほど前のこと、私のバンド「アベックス」では、コーラスの女の子のオーディションをした。歌と踊りを少しずつやってもらい、そのあと短い面談をしたのだが、「今どうやって暮らしているの?」と聞いたとき、一人だけ「今はなにもしてませーん。当然働くのがあまり好きじゃないもんでぇ、音楽でやっていければいいなって……」と答えた子がいた。
そのときはさほど気にしなかったのだが、その後、同じように「働くのがあまり好きじゃないから。お金がすごく良いバイトならやりたいけど」などと言っている女の子を二人も見た。どっちもバンドなどをやってる子であり、また、先の彼女と同じく「当然でしょ」といった風にしている。はて、なんなのだろう。バンドをやっている女の子の間では、そういうポーズがはやっているのだろうか。私は今まで、働くのが好きなバンド関係者しか見たことがなかったので、すごく不思議だ。
もしかしたら、お金のためには音楽やりたくない、という意味で言っているのかもしれないが、あんまり大っぴらにそういうことを言ってると「ああいうこと言ってる子は雇いたくないものだ」と思う事業主もいるだろうし、先で困ることになったりはしないのだろうか。私の仕事場も小さい会社になっていて数人の人を雇っているが、働くのがあまり好きじゃないと言ったりする人にお給料をあげるのは嫌だ。会社が小さいと結局いろんなことをやってもらうことになるから、「あたし、遊ぶのが好きです」程度の発言にも警戒してしまう。
考えているうちに、ふと、男の子だったらそういうことは言わないのかもしれないな、という悲しい考えが浮かんできた。バンドやったりして勇ましそうでも、女の子はまだ結婚さえすれば男の子が養ってくれると思っているのだろうか。
メレンゲとは、その名の通りメレンゲ(卵の白身をかきまぜて泡立てたやつ)を作るときの、チャッチャカ、チャッチャカというラテンのリズムのことです。メレンゲの曲は大変にぎやかで、活気が出るのでとても人気があります。
そば屋のはれもの
ある日、そば屋で奇妙なものを見た。注文を取る女の店員さんの後ろに、店のおかみさんが、ちょうど二人羽織のようにぴったり寄り添っているのだ。しかも女の子の方は、きょとんとした顔で、助けてもらっているつもりは全くないらしい。
「ええと、とろろせいろ」。私が注文すると、「うどんにしますか、そばにしますか」と、女の子はきょとんとした顔のまま、問い返してくる。とろろのうどんなんてあったっけ……と思っていると、「うどんはない、うどんはない」と、後ろのおかみさんが諭《さと》すように手を振り、ささやいた。
「はい、分かりました」。女の子は、私への返事とおかみさんへの返事を一度で済ませ、厨房《ちゆうぼう》へ。伝票を持ったまま、おかみさんが厨房へ声をかけてくれるのを、あてにして待っている様子だ。
「いいのよ、自分で言っても」。おかみさんに言われ、やっと「あっ、あのー、とろろせいろ」。「もう少し大きな声でね」
他人事ながら、むずむずして来た。入ったばかりなのかもしれないが、ここまで過保護にしなくても。さすがにこらえ切れなくなったのか、厨房の奥から怖そうなご主人がヌッと顔を出した。やったね、こうでなくちゃ。ところがご主人は、無理やり目だけでニコッと笑うと「遠慮しないで、もっと大きな声で言っていいんだよお」
ハラホロヒレハレと、腰がくだける私。かわいい女の子がいるのもいいけど、これじゃ逆効果じゃないの? 話しているのを聞いてても、指導してもらっている気の全くない口調はなんだか気に触るのだ。
数日後、ふと思い出して外からのぞいて見ると、あの女の子の姿はなかった。アルバイト募集の貼り紙には、上から新しい時給額が書かれている。解決策は、お金しかないのか。難しくて、悲しい問題だ。
学生ミニコミお断り
今までに二回、大学生のつくっているミニコミ誌のインタビューを受けたことがある。
最初はW大学の学生だった。なんとぞろぞろと四人もやってきた。一人の男の子が主に質問し、もう一人の体格のいい男の子も写真撮影をしながら質問。ところがあとの女の子二人は最後まで一つも質問せず、私がたまに話しかけてもエヘヘと笑うだけで、つまり見物に来てるわけ、うちの事務所を。それだけでもあまりいい気はしないのに、質問の内容はどんどん奇妙になっていく。質問役の男の子はだらしのない子で、テーブルにひじをついたり、自分の唇を指でびろんびろん引っ張りながらしやべっているのだが、最後には「うちの母親が新興宗教に凝っちゃってえ、やめろと言っても聞かないんですけどお、どうしたらいいと思いますう?」なんて言い出した。
「あのねえ、カウンセリングやってんじゃないんだから」。「結婚したら仕事はやめて家庭に入るんですかあ」。「あのねえ、あたしは漫画家よ。結婚で仕事をやめる理由が、どこにあんの」
やっと彼らが帰り、置いていった雑誌に目を通してみた。うっわーひどい。こりゃ何書かれるかわかったもんじゃないわと覚悟したが、そのあと音さたはない。ところがどうもちゃんと本は出ているらしく「今まで内田さんのエッセイは大したことないと思ってましたが、W大学のミニコミを読んで考えを変えました、自伝を書いて下さい」という、やはり失礼な手紙がある出版社から届いた。もちろんお断りさせていただきましたけどね。
そしてもう一つはN大G学部。インタビューの最中には問題なかったのだが、送られてきた原稿を見たら、聞きまちがい勘ちがい一人よがり脚色過剰誤字脱字のあらしで、頭痛がしてきた。添削しているうちに連絡が来なくなり、結局そっちも読んでない。この二つで結構、こりた。
人の気も知らないで
私は、漫画家にしては視力がいい方みたいで、調べてはないけど今でも一・五か一・二はあると思う。ところが目の病気にひどく弱いのよ。ものもらいなんかできると、自分でもぎょっとするほどはれあがる。ものもらいならまだわかるけど、眠っている間に、まぶたを虫にさされて、起きたら世にもうらめしそうな顔になってしまっていたということが、今までに二度もある。
かきむしったりするわけでもないのに、朝起きたら突然。最初は小学生のときだったから、ああびっくりしたで済んだけど、二度目のとき私はすっかり成人女子に成長してウェイトレスのバイトなどをしていたのだ。これは困った。
眼帯して出勤しようと思ったが、顔じゅうが熱っぽいため、化粧してはいけないと目のお医者からは言われている。悲しいことに、化粧しないととてもサービス業者やれるような顔じゃないのよね、私……しくしく。かといって、「虫にさされてまぶたがはれまして」と電話したら、主任は何と思うだろう。
体の方は何ともないのだし、きちんと理由を説明して一日だけ休みをもらおう。そう思った私は勤めているお店に行き、主任に理由を話し、はれあがったまぶたもちょっとだけ見せて、その日一日バイトを休んだ。
翌日から、眼帯こそしていたが、私はバイトに出た。もともと仕事を休むのは大嫌いなのだ。「きのうはどうもすみませんでした」とあいさつしたのだが、みんなどうも反応がおかしい。まあ、知らない間にまぶたがはれたなんて気味悪いとかなんとか思われているんだろうと気にせず働いていたのだが、そうではなかった。
たまたま来ていた支店の店長に、ニタニタしながら「内田さんは彼氏に殴られたそうだな」と言われたのだ。むかっと来て主任を見たら、主任は知らんぷり。わたしゃ一体何のためにあの顔でここまで来たの。悔しかったようん。
年齢より仕事よ
私は、年齢を言わないことにしている。これは『内田春菊』という名の名付け親、秋山道男氏に言われて始めたこと。最初は不思議で「どうして言わない方がいいの?」と聞き返した。すると秋山氏は「ま、まあいいからさ、そういうことにしてみなさい」とだけ答えられたのだった。
それから五年、本当にいろんな経験をした。年齢を言っていたら経験できなかっただろうと思うと本当に面白い。今では秋山氏にとても感謝している。
まず、インタビューでは、年齢を言わないと必ず『年齢不詳』の四文字を入れられる。最初は気にしなかったが、どんな人も絶対にこの言葉を取り外そうとしないのを見て、なるほどそういうものなのかと思うようになった。中には、自分で勝手に計算して書いてしまう人もいる。テレビ番組では、テロップで二度も出された。いずれも全部まちがっているのが面白かったが、それよりすごいのが、私をおどす人がいるという事実だ。「調べればわかるんだけどねえ」「住民票を取りゃあわかるんですよ」。「調べれば?」と私は知らん顔をしているが、なんでそうしてまで知りたいんだろうねえ。私はもともと人の年齢を知りたがるほうではないし、当然こちらから相手の年齢だけを聞くことはないのだが、少し親しくなったころに「ねえ、本当はいくつなの?」と聞いてくる人も多い。この質問も決まって「本当はいくつ」なのだが、うその年齢を言っているわけでもないのに「本当は」とつくところが面白い。
以前テレビに、あるアメリカの男性歌手が出ていて、聞かれても年齢を言わなかった。それについてサックス奏者のマルタさんが「アメリカでは男性でも年齢より仕事を見てほしいという考えですからね」と説明したら、隣のアイドル歌手が「ふーん、アメリカってずるいんですねっ」と真顔で言っていた。あーわー。
かっこわるい歌手
ナイトクラブで歌ってたころ、パーティーや結婚式で歌う仕事などもしていたんだけど、こないだそのころした仕事のひとつを、ふと思い出した。歌手として私がした仕事の中で、これがいちばんなさけない仕事かもしれない。でも面白いので書くことにした。
それは、カラオケ用品の展示用の歌手をするというやつ。でっかい画面のモニターに、あなたの歌っている姿が映し出されます、という商品で、まあそのころはめずらしかったわけ。小ホールみたいなところへ、そういう、カラオケとか、照明とか、商業用の電気製品がいろいろ並んでいて、そこへ、私ともう一人、男の歌手が呼ばれて、ぼんやり待ってんの。で、お客が来たら、おもむろに立ち上がって、カラオケでムード歌謡なんかを歌う、それが大画面に映し出される。二人ともちゃんとクラブ歌手ふうのかっこしてきたから、まっ昼間の展示会の明るさの中で、とてもへんだった。歌う私たちの姿を大画面で見て(今にくらべたら、けっこううつりの悪い画面だった)、「このカラオケモニターセットを、うちの店にも置こう」と思ってくれた人は、果たしていたのだろうか。いっしょにきた男のヴォーカルの人も、ふだんはハンサムで通っている人だったが、やはり展示会の中では間の抜けた人に見えてしまっていた。
帰りに、その仕事を紹介してくれた人が、紙ナプキンにくるんだ二万円をくれた。「こんなにもらってうれしいでしょ」と言われたが、複雑な気持ちだった。二万円というお金をもらったことは確かにうれしい。肉体的にはつらい仕事というものでもなかった。しかし、「ラッキー」というようなうれしさはなかった。「一時間いくら」でもなく「人を楽しませていくら」でもなく「かっこ悪い私を売っていくら」の、トホホな仕事。人生って、やっぱりいろいろね。
求 人 広 告
私の会社には、業界特有のというか、夢見がちで飽きっぽい子どもたちが入社してくることが結構多く、そういう子たちは「思ってたより大変だ」とすぐ辞めてしまう。最初は驚いたがそういう子どもたちはどこにでもたくさんいるらしいの。「最近の風潮」というようなものなのでしょう。中には私の知り合いのところから流れてきたりする子もいて、以前どういう仕事ぶりだったかがすぐばれてしまったりして、困ったもんです。業界広いようで狭いもんね。
そんなわけで、ときどき求人広告を出します。この出し方が難しいの。私の会社なんてありていに言えば、安定はないが雑用は山ほどある零細。こちら側の仕事がほんとに好きな人ならいいけど、それも、やってみなくちゃわからない。だから、なるべくなら、さりげなく求人したい。そしてそうしているつもりなんだけど、ほんと、難しいわ。
いろいろやってみてわかったんだけど、どんな出し方をしても、自分に都合のいいようにしか物事が見えないイージーな心の若者たちは、必ずやってくるの、もうだいぶ慣れたけど。一番おかしかったのは、おかあさんが電話してきたやつかな。「息子が、どんな会社だろうと気にしておりましたので、ご質問しようと思いまして」だって。電話切ってから事務所中で大笑い。あのおかあさんは、自分のかわいい息子が傷つかないように、いつでもああして、先回りして助けてあげてたんだろうな。それがどういう人間をつくってしまうことなのか考えもせずに。
まあいろいろあるから面白いんだけど、最近、何度か続けて広告を出した求人誌の担当の人が、妙に押しが強くなっちゃってね。普通なら「そろそろいかがですか」かなんか言うところを「木曜日に締め切りの号があるんですけど」。これじゃあ、まるきり仕事の催促とおんなじじゃないの、ねえ。
サービス業
私は、自分の仕事をサービス業だと思っている。ところが、サービス業というものを誤解している人は多い。よくお店やさんなどで「これをサービスでつけますよ」などと言うせいか、サービス、イコール無料と勘違いしていたりする。サービスはもちろんただじゃない。この場合お店やさんの人は、「また買ってくれるかもしれないお客さんが良い気分になってくれるように」という意味でこの言葉を使ったのであって、サービスはおまけじゃない。
この辺をわかってない人がわが国のサービス業を駄目にしているのよ! なんちゃって。ひどい人になると、サービス業を屈辱みたいに思っているでしょー、何やられても我慢してにこにこしていなければならないはずだとかさ。冗談じゃないっつの。他のお客さんが不愉快になるようなことをするお客には、おひきとりいただくのだってサービスよね。と私が書いたからといって、見習ウェイトレスのアナタや平社員ウェイターのキミは勝手にお客を追い返さないように。本当にいるからなー、「どっちが客なの?」って人たちが。
もうたいがい私もオトナになって慣れたけど、近所に一カ所だけ「あそこのウェイトレス嫌いだからめし食いにいくのやだ」ってファミリーレストランがあるの。あんなだからすぐ辞めるだろうと思ってたらなかなか辞めないんだ、これが。こないだなんか道歩いてる人までが「お前○○って知ってる、あそこのウェイトレス生意気でさー」と話しているの聞いちゃって、もうほとんどご近所の有名人。
「どっちが客なの」といえば、私の会社の中でもあった。車を買ったとこの営業の人が、私に「いやー、センセイの漫画、今度読ませて下さいよ」。なんで私がどうぞこれです読んでくださいと差し出さなくちゃなんないのよ。オジサンだからほっといたけど、何考えてんでしょ、ぷんぷん。
「ピンポンな人」
新宿の駅ビルで買い物をしていたら、鼻歌が聞こえてきて思わずそっちを見た。ヘッドフォンをしたある女性が、けっこう大きな声でフンフンと歌っているのだ。彼女は、ハイウエストのスカートとボレロの、はやりの形のグレーのスーツを着ていた。前髪をかなり太いカチューシャで上にあげ、その後ろをポニーテールにして、その根元には、ピンポン玉ほどもあるプラスチックの玉を二つも付けている。
このピンポン玉大プラスチック球二個付きの髪飾りは、売っているところだけはよく見るのだが、つけている人を見たのは初めてだ。あまりに飾りの玉が大き過ぎて、何か特にそういう趣向の時にしか使えそうになく思われた。子どもがつけるには重すぎるだろうし。
しかしその人は、その上に太いカチューシャまでつけ、まわりの人に聞こえる声で鼻歌まで歌っているのであった。その状態と、ハイウエストのグレーのスーツの似合わなさ加減は、ほとんど芸術といってもいいくらいで、なんだか私は感動してしまったのだ。
今はひとに「ダサい」と指さされないだけの格好なら、しようと思えばいくらでも出来る。都内には、「ここですべてをそろえさえすれば、絶対におしゃれに失敗することはありません」的なお店がいくらでもある。そういう所へ行くと、おしゃれな格好をした人がいっぱい歩きまわっていて見ているだけなら面白い。
でもその人たちは、どういうことが好きな、どういう人物なんだろうという興味を持てないような人たちなのだ。それになぜかみんな香水くさくてかなわない。あの香水、もし会社でもつけていたら周りはたまらないと思うんだけど、会社を出てからつけるのかしら。退社後にまでにおいが残るように、朝は死ぬほどリンスのにおいをさせてる人もいるけど、よっぽどもてないのね、って思っちゃう。
もっとあのピンポン玉の女性のように堂々としてほしいものです。
不思議な悩み
「結婚をとるか仕事をとるか迷っちゃう」というせりふは、もうすっかりギャグになっていると思ってたら、どうもたまに本気で言っているらしい人もいて、私はびっくり仰天しちゃう。普通のお勤めの人たちなんかは聞くところによると、あらあなた結婚したのになんで会社に来るの視線攻撃とか、おやそりゃ一応産休あるのは決まってるけど前例はないんだけどねえ攻撃なんかに、ばきばき機関銃撃ってたりして大変な人もいるらしい。けど、私みたいに家で絵や文書いて仕事する人のなかにも、仕事より恋愛だったり結婚を選びたい人もいると聞く。
うーん、私の知らない世界。こういう職業の人は、受ければ何でも言うところがあるから、しゃれで言ってる人も多いのだろうが、私は冗談にも「あたし、今結婚をとるか仕事をとるか迷ってんの」とは言えない。受けるかもしんないけど。
古くさ男性ホルモンが多すぎて、高校生くらいのころから精神的にはげてるような男は、いまだに征服欲のサングラス越しにしか女を見れない。みるからにそんな男がいたとして、そんな男Aは、従順な女Aと、自分の好きなことしかしない女Bの、どちらを選ぶと思いますか。Aと答えたお嬢様は、こんなあばずれ漫画家の文章なんて読んでないで花嫁修業(数年ぶりで使ったわ、この言葉)でもして下さい。征服欲が強い男ほど、好き勝手にしてる女を専業主婦にしては喜び、キッチンドランカーにしては放ったらかしてしまうもの、もともと従順な女なんて選ばないんだよーん。
仕事仲間の男と食事したり飲みに行ったりしたくらいでぶつぶつ言われたら、いくら家で出来る仕事でも、続けられないでしょ。人に自分のおもちゃを使われた子どもが機嫌を悪くするような怒り方する男と付き合うと、好きな仕事も出来なくなっちゃう。仕事が好きなら、そんなのとはさっさと別れるに限ります。
カエル物語
私は、仕事場にアマゾンの熱帯魚を飼っている。九十センチ水槽三つを含めた十本あまりの水槽が、ドアを開けてすぐの所にかたまっていて、中には、ドジョウや、緑と赤の斑点のきれいなアフリカのカエルなんかもいる。私にとってはみなとてもかわいいのだが、気色悪いと思う人もいるらしい。特にカエルが苦手な人はけっこういて、面接に来た女の子が、「カエルがいるなら、ちょっと私、考えさせてもらってもいいでしょうか」と帰って行ったこともある。
岩と見まごうでかいカエルならわかる気もするが、まだ私の手のひらより小さいのに何がそんなに怖いのだろう。私の知り合いにはカエルの話を聞くのもいやだというくらいカエルを嫌っている大の男なんかもいて、不思議でしょうがない。
カエルというと、吸盤でどっかへくっついていて長い舌でシャーと虫を食べるもののように思うが、吸盤のないタイプもいる。私の仕事場にいるのはその吸盤のないタイプで、よって高い所には上って来ない。餌《えさ》をあげようとガラスの蓋《ふた》を持ち上げたらぺたっと手にとまったなんてことは、だから、けしてない。すごく世話のしやすいカエルなのだ。
生きて飛び回る虫なんかをあげなければいけないタイプなんて、手がかかり過ぎてとても飼えたもんじゃない。私もなんども挑戦しては失敗している。一度でいいから吸盤付き虫食いカエルの団体をそだてて、「東京吸盤ボーイズ」とあだなをつけてあげたいわ。
それはともかく、私の会社の従業員たちは、そのほとんどが女の子なのにもかかわらず、魚やカエルの世話をとてもよくしてくれている。
カエルには週に一回生きた金魚を飲ましてあげるし、なまずには糸ミミズを毎日あげる。弱っていた魚が死んだ時など担当の子はしょんぼりしている。帰る前にくし切りにしたリンゴをモモンガのかごに入れている彼女たちの後ろ姿なんて、頭をなでてあげたくなるほどかわいい。驚くだろうからやんないけどね。
例外もあると思うけど
これって、いろんな人に聞かせたくって、どこのインタビューでも言ってることなんだけど、まだ自分で書いたことがなかったので書く。実は私、結婚しても子どもが出来ても、仕事を大切にすることを応援してくれる男の見分け方をひとつ、見つけたの。それは、コロンブスの卵のように、あとから考えればなんてことないことなんだけど、つまり、「彼の母親が、専門職に近い形で、ずっと仕事を続けている女性である」ということなの。
でもさ、そういう男の子像って、今まで「彼は母親がやむを得ず共働きに協力していたため寂しい子ども時代を過ごした、だからこそ大人になった彼は家庭を守ってくれる女性を求める」的に言われたりしてなかった? 人間が体臭のように自然に出している本当の気持ちの空気って、心の貧しい人たちにけっこう捩《ね》じ曲げられて世の中に流されたりしているから、油断できないものなのよ、まったく。
こないだも、たまたまテレビドラマ見てたら、結婚問題に悩む女主人公が、「あたし、共働きも苦にならないわ」とか言う場面があって、腹をかかえて笑ってしまった。私、悪いけど「共働きが苦になる」って言葉使ってる女って、会ったことないわ。本当にいるのかしら。いるのかもしれない、広い世間には。
まあそれはそれとして、その「お母さんが専門職に近い」男だけど、彼らははっきりいってもてない。だって、精神的に「自分一人でなんとかしている」人たちだから、若くてばかな女の子がよく言うような「危険な香り」なんてないのだ。なんなんだろうねあの危険な香りってのもさ。「ちょっとワルな人がいい」とかさ。キャー恥ずかしい。よっぽど退屈してるか、悪い男でも私にだけは誠意を見せるはずとうぬぼれているか、どっちかね。別にいいけど、この見分け方はけっこう役立つのでぜひ考えてみてね、でした。
ショックな食事?
先日、あるテレビ番組に出たら、茨城の地卵百八十五個をおみやげにもらった。手に取るとひとつひとついろんな形をしていて、表面がざらざらの、とても新鮮な卵だ。冷蔵庫の中で古くしてしまうのはかわいそうだし、百八十五個はちょっと多い。幸い翌日が、私のバンド、アベックスのライブだったので、バンドメンバーやライブハウスの人や、ライブに来てくれた人と食べようっと、と楽器車に積んで持ってった。
結果は大好評。みんなおいしい、珍しいと喜んでくれた。お客には、私がサインペンで絵を描いた卵を帰りに配った。ライブの途中、「あとでおいしい卵あげるから持ってってね。さっき生で飲んだけどおいしかったよー、おー、イキモノひとつ飲んだぜって感じで」と私が言ったら、みんな「生で飲んだけど」のところで「えーっ」と言って笑ってたけど、東京ではあまり卵を生で飲んだりはしないのだろうか。新鮮じゃないから? まー、東京もんはかわいそうねえ、なんて勝手に思っていたが、あとになって、あれ? もしかして私が女だからかな? とふと思った。田舎ではロッキーのように生卵を飲んでいた私がある男性編集者にそれを言うと「そうですね、あんまり女のひとが卵飲むって聞かないかもしれませんね、僕は別にいいと思いますけど」ということであった。うーむそうだったのか、なるほどと考えている内に、ある事を思い出した。
焼き肉屋で豚足をかじっていたら、そこにいた男の中の一人から「そんなの食べるなんて、ちょっとショックだ」と言われたことがあるのだ。なんで? おいしいのに。それもそんとき、私の奢《おご》りだったのよう、なんかしつれえじゃない? それ。こういう奴とは仲良くなれないなあ、と心から思っちゃったわよ。だれかをがっかりさせないためにあたしは生きてんじゃないし、自分で働いたお金で何食べようと勝手じゃないよね。
困ったワープロ取材
この欄の原稿は、ワープロで打ってから、それにファクシミリアダプターというキカイをくっつけて電話線からピーと送っている。キカイにはけっして強いほうじゃないのだが、バンドの新聞やファンクラブの新聞をワープロでつくっているため、会社のワープロは、全部で五台になった。
「ワープロについてインタビューしたいんですけど」と電話があったのは数日前。そういう依頼は初めてだったが、バンドの新聞からつくった単行本「今月の困ったちゃん」が完成したばかりだし、たいして気にもとめずに受けた。
ところがインタビュアーは連絡もせずに三十分遅刻。「仕事は全部ワープロでやっているわけですか」。そんなこといわれても、私、漫画家だし。二つのワープロ新聞を持ってきて見せると「この新聞は……」と言ったきり、私がつづきを言ってくれるのを待っている。見ればわかるだろ。だんだん「こいつ、困ったちゃんだわ」とわかってきたが、仕方がないので少ししゃべってみた。しかし彼は「もうワープロなしではいられません」というラブコールを期待していたらしく、機嫌が悪い。
「そりゃ確かに便利だけど、手で書いたもののうれしさってあるでしょ。ほら、この漫画のせりふ、全部手がき文字にしてみたの、これもいいもんでしょ」と本を開いて見せると、「じゃあ最近は漫画のせりふは全部書いてるんですか」。「あんた、あたしの漫画、読んだことないの?」「はあ」「どうも話が変なんだけど、なんであたしんとこにワープロの取材に来たわけ?」「エッセイも書いてるから」「じゃあどういう所で、これはワープロ使ってるなと思ったわけ? 何読んだの?」「……まだ読んでません」「そういう行きさえすれば何とかなるって根性、やめた方がいいよ。出直してらっしゃい」
彼は謝りもせずに帰った。たまにこうして私は無礼者を追い返す。やりたかないんだけどね。
恋愛という欠勤理由
少し前に「天気がいいので彼は会社を休んで私と一緒にいてくれた」という内容の何かのCMがあったが、私はあれが大嫌いだった。正面きって「今日は彼女といたいから休みます」と言ってるやつはまさかいないだろうから、良識ある方は「ひえー、うそ」と思うかもしれないが、女と一緒にいたくて会社を休む男って、いる。
まあ知り合ったばかりのころ、部屋に泊まったりすると、朝いきなり「さあ、会社だ現実だ、今日もいやな上司に頭を下げてがんばるぞ」という気になりにくいのもわからないではないが、なんで会社を休んでまで恋愛がしたいのだろう、セックス以外にしたいことはないのか。そういうやつは、君のために会社を休んだよというノリを女が喜ぶとでも思っているんだろうか……思ってっからああいうCMが作れるんだよな、と考えるとやっぱりいやだ。
よく仕事と家庭を両立するのに苦しむ主婦のCMをみて「何よこの、もう今日ご飯つくる元気ないって甘えるシーン! だんながつくればいいじゃないの」とか「あの人が言うように両立は無理? いったいなんなのここのだんなは!」と怒ってる人がいるが、あんなのよりももっと根が深いような気がするのだ。
たとえ、有給休暇やらいろんな保障があったって「不審な欠勤」が何の批判もなくまかりとおるほど、社会人の世界は甘くない。どんなに人のうらやむ大会社であっても、やはり不審な欠勤はイコール社会人として信用をなくす危機の第一歩には変わりないのではないか。それをまるで女への愛のあかしのようにやってしまうということは、「君、とっても愛してるよ。だから僕が社会人として失脚したら養ってね」と言われているのと同じではないか。
仕事と家庭の両立に苦しむ主婦CMの家では、まだ「オレが養ってやるから家にいろってのにもう」という頑張り屋のだんなの影が感じられるだけましじゃないのかなあ。
ある日の夕食
新宿で、ある和食屋にはいった。「いらっしゃいませ、お茶のほうどうぞ」とお茶が出た。「ご注文のほうどうぞ」と聞きにきた。「こちらのほうお待たせいたしました」と料理が来た。だんだん気になって耳につく。ほかの客にも「カウンターのほうご利用くださいませ」「こちらのほう(テーブル)どうぞ」。
「カウンターをご利用くださいませ」や「こちらへどうぞ」では不安でしょうがないらしい。ついには、隅のソファでテーブルのあくのを待っていた客に「こちらのほうお待たせいたしました」と言っている。この時の「こちらのほう」は「こちらのかた」のかわりなのかしら。その一組しか待ってはいなかったのだから、「お客様お待たせいたしました」とか、ただ「お待たせいたしました」と言ったほうがよっぽど感じいいのに。もうすでに「のほう病」にかかってしまっている彼女は、「のほう」で言葉を長くしてリズムを取らないとしゃべれないようなのだった。
私はふと、昔やっていた『家族そろって歌合戦』という番組を思い出した。獅子てんや、瀬戸わんやの司会で、一般の人々が家族で歌を競い合う番組だ。その中で、どっちの人だったか忘れたが、家族を入場させるとき必ず、「あたいのほうからくまさんチームどうぞ!」と言っていた。「のほう病」ウェイトレスもあれを見ていたのかもしれない、なんてね。
しかし、カウンターには彼女も勝てない客がいた。おしぼりでスキンヘッドをふきながらとんかつを食べていたそのおじさんは、とんかつに取り残された茶わん半分のご飯を、なぜかみそ汁のおわんに移して蓋《ふた》をしてしまったの。そしてなんとご飯をおかわりし、今度はそれにたっぷりとしょうゆをかけて食っちゃったんだぜ! 私はおわんに移されたご飯の運命が気になってしょうがなかったが、おじさんはそれを顧みるそぶりも見せず、シーハと楊枝《ようじ》をくわえて帰ってしまいましたとさ。
ナマズの遺言
一カ月前に、一番大きく育っていたオキシドラスというナマズが死んでしまった。それもなんと水槽から飛び出て、だ。出勤してきた社員たちが床に転がっているのを見つけて慌てて水をかけたりしたらしいが、すでに石みたいにかちんこちんで水に戻してもぴくりとも動かなかったという。十三センチくらいだったのが五十センチにもなったそのアマゾンナマズのあっけない死を、私と社員はしばらく黙って見守っていた。
「病気じゃないんだし……食べるか?」。たちまち後ずさりするワカモノたち。
「でもこんなカチカチじゃなあ」。結局はく製にすることにした。冬のおなべにはつきものだ、それは白菜だってば。やっとはく製の会社の電話番号を見つけ出した男子社員ケンサクくんは、ナマズの氷づけと一緒にその「尼ケ崎科学標本社」までドライブ。一カ月くらいで出来ます、と無事冷凍庫に収まったのであった。
しかし私の心配はほかの所にあった。オキシドラスはふだんほとんど運動しないおとなしいナマズだが、今までに二回、水槽が割れそうなほど大暴れしたことがあったのだ。一度目には二日後に震度5の地震が起きた。そして二度目の翌日には天皇陛下が亡くなってしまわれたのだ。その時の暴れ方は特にひどく、ナマズは体中すりむいてぼろぼろ、自分まで死にそうだった。行きつけのウチダ熱帯魚店のご主人に話したら、「陛下も魚がお好きだったからねえ」としんみりしてたが、こんどはそうもしていられない。だってすでに暴れて飛び出てジャジャジャジャーン、死んじゃってんだから!
私は内心びくびくして暮らした。しばらくしたらサンフランシスコとナイジェリアで大地震。これだったのかなあ? その後、ナマズははく製になって戻ってきた。なかなか立派な出来ばえだ。しかし、死んでしまったものがてかてか光ってそこにいるってのはなんだか奇妙な気分なんでした。
「男に文句」もう飽きた
最近、「女が男に注文をつける」たぐいの企画がすっごく多い。私のとこにもいっぱい来た。そのたびにだれかに会えるし、深く考えないで出かけていたが、あまりにも多い。テーマに使われている言葉はいろいろだが、ひどいときにはそれ自体がすでに差別的な表現になっていたりして、いやんなっちゃう。最初仕事を受けたときは違うテーマだったはずなのに、直前になってその手のものに変わってしまうことも何度かあって、もういいかげん飽きてきちゃった。わたしゃもともと、ちゃんとつきあっていきたいと思う男には、自分の意見は直接言うほうだから、別にそれほど「言えなかった恨み」って、ないのよねー。そのかわり人選をあやまってそうしちゃったときにはひどい言い合いになったり、殴られたりしたけど。でもそうやったほうが、面白いよ、いろいろあって。
女性雑誌によく「あなたの○○度テスト」ってあるでしょう。こないだたまたまそういうのやってみてたら、「二人で食事したら彼のテーブルマナーがとても悪い。あなたはどうしますか?」という質問があった。ところが、「はずかしい」「気にしない」のようなものしか、選べる答えがない。「注意してあげる」とか「教えてあげる」とか、ない。それも恐ろしいことに「女の子と食事するのは、私が初めてなのかな、と嬉《うれ》しく思う」という答えはあるのだ。
おいおい、頼むよー、これじゃ、「みんなで張り切ってだらしないマザコン男をつくりましょう」と暗に言っているのと同じだよう。「マザコン男なら、私が母になってあげたいの」という寛大なお考えもあろうが、そういう男はすぐあなたより若い女に気持ちが移っちゃうよ。拒食症と過食症がお互い裏表で一人の人に起こるように、マザコンとロリコンも裏返しなんだから。そういう男を作る要素が、私たちのなかにもあるんだって事を先に考えてみるのはどうかしら。
漫画家としめ切り
漫画家というと、「とにかくしめ切りに追われているもの」だと思っている人がいる。以前、あるテレビ番組の人が、私のバンドのライブを撮るという打ち合わせに来たとき、「前日からずっと仕事して、寝ないでライブハウス行ったりするわけですよね」と当然のように言うので驚いてしまった。
そんなことしてたら、どっちの仕事も続かなくなると思いませんかと説明すると、「週に何本もしめ切りがあって、ほとんど寝ない生活してらっしゃると思ってたのに」とがっかりしている。まったく「困ったちゃん」な人である。
しかし、そういうふうに言ってる人がいるから、信じる人もいるのかもしれない。寂しい人ほど忙しいと言いたがるものだ。あまりわかりやすくしてくれちゃ困るわ。普通のお勤めだって、いくら八時間労働と言っても、内容はさまざまでしょう。ああ、今日はなんにもしなかったなあ、という日から、びっしり仕事した日まで。漫画家だって同じだよう。
でもこれも相対的なもんで、ひまだと思われるようなことを続けてすると、へんちくりんな仕事が来ちゃったりするの。だから、相手によって言い方がついかわっちゃうんだよん。優しい気持ちで「お忙しいでしょう」と言ってくれるひとにはつい「いやあ、そうでもないですよう」なんて言ったそばから、へんな仕事を依頼してきた人に「時間ないもん」と言っちゃったりなんかして。
でも、へんな仕事頼んでくる人って、「そんなへんな仕事、やだ」と言っても聞いてくんないもんなんです。「こんなテーマなんてへんだ、というそのお考えを書いて下さればいいんです」なんて言い返されちゃって、禅問答に突入。そこでやっと、ああこの人はページ埋まれば何でもいい人だったんだ、と気づいたりね。
でも受けた仕事は、がんばる。受けたのも自分なら、しめ切りを決めたのも自分。ぐちの種にするのは、ちょっと反則ね。
比べるよりも
「女性って今、元気ですよねえ」なんてよく言われる。私はこれを聞くと寂しい気持ちになり、「そんなことは決してありません」といちいち否定する。女と男を精神的に比較するテーマなんか意味ないし、差別的だ。
「女性って今、元気」という言葉の裏には、「しおらしいものだったはずなのにさー」という意味が隠れているのよ。でも言ってる人の方は、「ウチダさんはこう言うと喜んでくれるだろう」と思って、つまりよかれと思って言ってんだよね。だって大抵これ言うのって男の人だし。たまに女の人で、のせられやすいおっちょこちょいな人が言ってるけど、まあ、もうあんまりいない。
しかし私も最初のころはくらくら来ましたよ。漫画家が会社つくるような職業だとは知らなかったし、人を雇うことなんて想像もつかなかったまま求人したら、来る男の子、みんなフニャフニャ。特殊技能どころか、運転免許も、老人に席を譲る気持ちも女子社員の持つ重い荷物に手を差し伸べるココロも、なーんにもないのばっかし来るんだもん。一時は私も男の子ってみんなこんなんなっちゃったのかと思いそうになったわ。悲しかった。
よく、「女だけで何かすること」に意義があるとして頑張る女たちもいるけど、私、男大好きなんで、そーゆーのすっごく苦手なの。女の子ももちろん応援したいけど、男の子のいないところで頑張らせてると、なんか良い方向からずれて行っちゃうような気がして。
しかしうれしいことに今は、少ないながらも頼れる男子社員がいます、めだたしめでたし。それに、たとえ同性でも、やる気のない人は大嫌いだい。今、女性雑誌や、女性のためのものは確かに増えているようだけど、それが何なの。そういう雑誌から今までになかったような画期的な企画が出たなんて聞いたことないよ。今の女がどうだの言うより、同じ人間としてもっと長い目で見てほしいと思うわ。
かわいこぶるやつ
漫画やドラマでは、よく可愛い女の子がなにかとかわいこぶって得をするシーンが出てくる。頭で考えると、ありえそうではあるが、実際、よっぽど容姿しか能のない場合をのぞいて、かわいこぶっているのはブスに多い。私のまわりはとくにそう。キレイな子ほど、シャキシャキしていて、べたついてこない。
ずいぶん前だが、原稿用紙に線を引く仕事をある女の子に頼んだところ、線が曲がっていた。それを見た男子社員が「これ曲がってるから、やり直して」と言うと、彼女はしばらく恨めしそうに原稿用紙をにらんでいたが、おもむろに視線を彼に移し、甘えたように「……いじわる」と言ったそうだ。そいつが象のようにまるまると太った、可愛くもなんともない女なんだから、驚くじゃあありませんか。
別に太っててもいいけどさ、履歴書に太る前の写真貼んのだけはやめてくんない? そういう子って、私や、先輩の女子社員には、とってもよそよそしかったりするの。男子社員の前では、猫なで声で「ああん、疲れた」「ああ、眠い」なのに、私が同じテーブルでごはん食べようとしたら、何だか妙に慌てちゃって、「えっ、えっ」とか言ってんの。んで、最後には食べかけのメシ持って、逃げちゃったんだぜ! そのあと奥から聞こえてくる彼女の笑い声。社員食堂で管理職が隣に座ろうとしたらOLがパッと持って逃げるというのは漫画やドラマでは見たことあったけど、まさか自分が体験するとは思いませんでしたあ。魔法使いに姿を脂ぎったいやらしそうなおじさんに変えられたような気分。情けないよう。
以前は、「だれの稼ぎから給料出てると思ってんだあ」とまでは言わないが、結構そんな理論をタテに、怒鳴ってたりとか、してたの。でも、最近そんな人にそんな事を言っても通用しないのも知ったから、我慢する。結局彼女、「先輩がつらくあたるから」と辞めたけどね。
昔 の お 話
私は四コマ漫画でデビューしたため、デビューしたてのころは短い漫画の依頼が多かった。それはそれで面白く今ではまた描いてるけど、ある時周りからのアドバイスもあって、長い話を続けて描いてみたくなってきたの。そこで、毎週短い漫画を描かせてもらっていた雑誌の人に相談してみたら「じゃあ今毎週七ページくらいだから、月一回にして、二十ページくらいもらえるように話してみましょう」と言ってくれて、そして編集長も理解ある人でほんとにそうしてくれた。わーい。
しかし世の中そんな人ばっかりではない。「長いもん描きたくなったって、あんたねえ、一回受けたものなんだからしばらくやってもらわなきゃ困るよ」と別の雑誌のある人はいきなり性格が変わってしまった。すぐやめたいとは言わなかったし、初めに「最低このくらいは続けて」というような話もなかったので、若かった私は「こんな言い方されるいわれはないわ」と少しむっとした。「ふつう何回くらい続けるもんなんですか」と言うと「十回くらいはやってもらわないと困るねえ」。その時三回までは描いていた。電話を切った私は、十ひく三の七回分を一晩で描きあげ、もう会いたくないからと人を通じて彼に渡してもらい、さっさとその連載を終わらせてしまったのだった。
それから随分たって私がジャズのライブをしてるグッドマンという店のマスターにその話をしたら、笑いながら「マイルス・デイビスみたいだね」と言う。何で? と聞くと「マイルスがレコード会社を変えたいという話をしたら、あと数枚LPを出す約束だと引き留められたんで、その分の録音を二晩でやっちゃったって話があるじゃない。有名だよ、知らないの?」ひえー存じませんでした。
まあそんなすごいもんではないけど、そんなこともありました。でもその人とはこないだあるパーティーで会って和解したわ。大人ね。
ないしょの魚たち
こないだはく製になったオキシドラスはなかなか人気者だ。「おお、これがそうですか」と取材の人たちは必ず写真を撮る。オキシドラスのほかに、ピラニアの置物やアマゾンエイの細工もの、そしてこれは実在のものではないが、知り合いのプラモデル制作者が造ってくれたチェストバスター(あの、映画のエイリアンの子どもで、人間のおなかを破いてでてくるやつです)の模型なども並べて撮影する人もいる。
今まで気がつかなかったが、それが一挙に集まったところを見て初めて、ああもしかしたらこれは珍しがられるのも無理はないかもしんないなー、なんて思う今日このごろであるが、実は、もしかしたらそれらよりもっと変かもしんないものもあるのだ。
それは、もちろん迂闊《うかつ》に人には見せないが、実は、はく製ではない、ただ乾いてからからになっている魚や亀の死体なのだった。なかなかショップに来ないような珍しい魚で、最初は幼魚だったのが大きくなって死んだりすると、なんだかあきらめきれなくて、捨てられないのだ。亀は亀で、死んだとわかっていても今にも動き出しそうに見えて、ちゃんと死を確認してから捨てようなんて思っているうちに、そのまま乾いてしまった。
内臓抜いてないし生臭いし、ちゃんと頼んで作ったはく製に比べたらほとんど干物だが、魚が好きな人にとっては、そんなに不気味なものではないと思う。
「変に思われるから、捨てなさいよ」と言ってくれる友人もいて、それはそれでもっともだと思うが、まあなんとなくそのままにしてある。そしてたまに、「それ、見たい」という人がいると出して来て見せる。男性でも触ろうとまでする人はほとんどいないが、今までに二人だけ、何のためらいもなく手を出して触った女性たちがいる。何をかくそう、それは杉浦日向子さんと吉本ばななちゃんだ。やっぱり彼女たちはタダモノではなかった。
料 理
だいぶ前の話だが、あるテレビ番組の人物紹介コーナーに出たとき、ディレクターが「内田さんもたまにはお料理なさるんでしょう、お料理してるところも撮りましょう」と何度も言うので、「いえ、ほとんどしません。わざわざするのは不自然だから嫌です」とがんばったことがある。この人のように、取材のとき「意外に女らしい一面」ものを安易に使いたがる人っているよね。そしてそのナンバーワンは、やっぱり料理みたい。
「内田さんって料理とかすんの?」と初対面で聞いてくる人もいた。「しないですね」と答えると、「ああ、やっぱりねえ」と勝ち誇ったようににこにこしていた。何がそんなにうれしいのだろう、変わった人だ。その人は「料理は女の仕事。働いてても料理しなきゃ女失格だよ」とか思っているんだろうか。まあどう思おうが個人の自由だけど、私は、料理のへたな男って嫌いだわ。それってつまり、食べ物に対してセンスがないってことだし、そんな男は、人がつくった料理に対しても無神経。そんなのとつきあっててどこが楽しいの? 私の好きな男や、敬愛するオトナの男性たちは、みんな料理が上手なのさ。ある人は、テレビ局でお弁当を食べている私に手製のふりかけをすすめてくれ、ある人は、私が漫画を描いてて忙しいと、アシスタントのぶんまで夜食をつくってくれる。そういう人たちとは外で食事をしても楽しい。
ところで家庭科の授業って、粉ふき芋転がしたり桜でんぶつくったりして楽しかったな。特に小学校の家庭科がシンプルで好き。しかしひとつだけ今でも気になることがある。私の小学校で使っていた家庭科の教科書の「栄養素と食物」のページには、「たんぱく質は大豆、卵などにふくまれている」「ビタミンはやさい類」などと並んで「鉄分」の欄には「くぎ」とだけ書いてあったのだ。いったいくぎをどうしろと言うのでしょうか。
お母さんの背後霊
私は、親と妙にくっついている人が苦手だ。男の子のほうが、マザコンだの何だのと言って取りざたされることが多いが、女の子にだって、同じようにいる。お父さんとくっついてるのもいるが、やっぱりお母さんとくっついている子が圧倒的に多い。くっついているといっても始終べたべたしているというわけではなく、心の問題だ。
たとえば、何かにつけて「こうするとお母さんはどう思うだろう」と考えながら行動している。価値基準をすべてお母さんに置いているため、しゃべっているのを聞いていても何だかおばさんくさい。もう何十年も生きてきたような口調になっている。
しかし実際はそんなわけはなく、実際の本人は子どもであるから、何となくつきあってても、しっくり来ない。ここにいない人としゃべっているような気がしてきて、ムズムズする。それに、変なうんちくや言い回しが好きだ。たとえばおじさんやおばさんに文章を書かせると、かたかなの使い方がいかにもだったりするじゃない?「チョッと」とか。ひどい人になると「チョット」と「と」までかたかなにする。ああいう、おばさん文を若い女の子が書いてたら、気持ち悪い。でも、いるんだよね。
あと、そういう子は決まってお父さんや男の兄弟をばかにしたようなことを言うの。お母さんはしっかりしてるけどお父さんはだめ、とかね。でもおじいさんのことは褒めることが多いの。
こういう「お母さんのりうつり少女」は中身がえせおばさんだから、一見しっかりしてて、途中までは仕事も出来る。でも、背後霊のようにくっついているお母さんを自分ではがさないと、いつかは困ったことになる、と思うんだけど、同性の親と仲がいいのははた目には美しげなわけだし、結構みんなこれでいいと思ってるみたい。で、本人がピンチになるとお母さんが出てきたりする。結婚してもこれが続く人もいて、怖いね。
ある年の暮れ
ウェイトレスだったころ、仲の良い女友だちがいた。彼女もバンドをやってたので、よくいろんなことを話した。まだあちこちのバンドを行ったり来たりしながら漫画の持ち込みをしていた私に比べて、精力的に活動してたし、思慮深い人で、おっちょこちょいの私が失敗するとなだめ役になってくれたりもした。
私は彼女は音楽で身を立てるものと信じていたし、口に出すとあまりにもクサいので一度も言わなかったが「お互いがんばろうね」の間柄であった。ところが彼女はその後職を転々とし、勤めているはずのパブに行ったら「あの子、田舎に帰ったよ」と言われてしまった。私はがっかりしたが、しばらくしたらまた上京して来たので、彼女と一緒に仕事が出来ないものかと電話してみた。
彼女は忙しそうだった。年を偽ってスナックで働いていると言う。本当の年齢より若く言っているのは、パトロンを見つけて店を持つためなのだそうだ。「今パトロン候補が二人いるんだよね」「その仕事は楽しいの?」と聞くとため息まじりに笑って「ときどきいやになるんよ」。「そんなのやめれば?」するとなぜか「水商売でも頑張ってる子、たくさんいるんだよ!」と怒り出してしまった。
しかし私だって、彼女のお客をなめた考えに少し怒っていた。人にお金を出してもらうことを簡単に考えている。「ときどきいやになる」ような仕事を、歳さえ若く言えばそれが魅力になるという程度の考えでやっている人に、だれがそんな大金を出してくれるものか。私は淡々と、しかし結構しつこく「私も会社作ってわかったけど、お店持たせてもらうって大変なことだよ」と話したが、彼女は、部屋には可愛い犬も飼ってるし、そこそこにしあわせだから、と電話を切った。
その夜、私は打ち合わせ中に生まれて初めて胃痙攣《いけいれん》を起こし、何度も吐いて大騒ぎした。とても悲しくて苦しい日でしたわ、トホホホ。
止められた時間
私の本を読んだ人と話してて困ることのひとつに「時間を止められてしまう」というのがある。例えば、とっくに引っ越したのに、「内田さんの家ってうちの近くなんですよねー」と話しかけられたり。それはまだいいとしても、訪ねてくる予定の人が当然のように私の昔の仕事場のあった駅から電話して来たりとかねー。
この人たちは、出版物の最終ページに、それが最初に出された年月日が示してあるのを知らないのかしらん。初版日が九〇年一月二十三日となっていれば、もちろん書かれたのはそれより前。今日出たばかりの新刊でも、今日のことが書いてあるわけではないのだ。
しかし先日、それよりもっともっと激しく時間を止められてしまった。会社の人間といっしょに取材旅行に出かけ、私の田舎の長崎で、食事する場所を探していたときのことだった。
上京してから十年近い私は、とっくに長崎がわからなくなってしまっていたので、ふと見つけた「繁華街のインフォメーションコーナー」のような所に入って行った。すると、どっかで見た人がいる。昔の友人のお兄さんだ。一、二回しか会った事はなかったが、さすがサービス業者、むこうも私の顔を覚えていた。でもそのあとがすごい。「覚えとるよ。『スター誕生!』に出た人やろ」。思わず声を出して笑う、私の会社の社員。
そりゃ私が十代の時『スター誕生!』に出て決戦で落っこったのは事実だが、そんじゃあ私のその後の十年はなんだったんでしょうか。とほほほほほほ。私も笑ってはいたが、ちょっぴりくやしかったんだぜ。分かるでしょー!
「あ、そうです。でも今は……」と言いかけて、でもやめた。そして、「今もバンドやってるんです。ライブハウスとかに出て、頑張ってます」と言い直した。その後社員にからかわれながらたどり着いたすし屋で食当たりまで起こし、なかなかショックな里帰りであった。でも私は負けない。
まぼろしの今年の風邪
以前ここで「仕事と家事の両立に悩む主婦のCMのシリーズは、旦那が働き者らしい所が、まあ、いいじゃん」というようなことを書いたんだけど、最近やってる「お願い、今日先に寝かせて?」だけは、おいおいさすがにもうかばいきれないぞという感じ。人の良いおじさんたちが、右手に企画書、左手では女の子のおしりを触りつつ「最近はほら、働く主婦ってのもいますからねえ。結構本人たちは|それなりに《ヽヽヽヽヽ》(この言葉がまだはやっていると思って言ってる)疲れているわけですわ」とか言いながら、よかれと思って作ってんだろう、ほほえましいなと思ってたんだけど、私は間違っていたのかもしんない。それとも、あまりに女の人たちの怒りを買ったので、これはいい、逆手に取ってもっと怒らして話題になってやれという考えなのかなあ。まあ、別にいいけどね。
私は仕事に疲れているわけでもないし、「先に寝かせて」とお願いしないと嫌な顔になる同居人もいないけど、この度ちょっぴり風邪をひいた。十年くらいずっとひいてなくって、んで、去年ひいて、一年ぶりだ。新しい体温計も買って、「ほらほらー、私のほうが熱が高い」と社員とくらべっこしている。声はがらがらになったが、もともと病気に強く、普段と同じく仕事してて、ほとんど「趣味の病気」。でも声がひどいもんで、聞いた人は皆心配してくれてうれしい。たまには病気もいいね。
しかし風邪の話になると必ず「今年の風邪は高熱が続くらしいですよ」とか「今年の風邪はおなかをこわすらしいですよ」などと言われる。昔はなるほどそんなもんかなと思っていたが、よく考えると不思議だ。あの「今年の風邪」はいったいどこで発表されているのだろうか。それも言う人によって「今年の風邪」が違っていたりもするのだ。あれも、時候のあいさつがわりのようなものなのかな。でも子どものころは結構信じてたようん。
大雪ライブ
雪が降ると必ず思い出すことがある。数年前の春、大雪が降り、その上その日が私のジャズバンドのライブだったの。荻窪のグッドマンというこぢんまりした店で、毎月一回、今でも続けているライブなんだけど、グッドマンでは諸々の事情のため、ドラムのはいっているバンドは昼間しかライブできない。
ところがその日は朝から、電車も止まる大雪。まず、横浜に住む、車を持たないメンバーAがリタイア。私と、私の近所の二人のメンバーB、Cは、雪だらけになったバンドの車のフロントガラスをバスタオルでばしばしはたいてから、タイヤチェーンもないまま出発。そのころ別の場所から車で来ようとしていたメンバーDは、私たちがした雪落としの作業をせず、いきなりワイパーを動かしたため、それが折れてしまい、吹雪の中、駅へ向かっていたという。ワイパーで取れるような量ではなかったはずだが……。やはり手抜きは悪い結果を招くものね。
さて、私とB、Cの三人だが、ずるんずるん滑って落ち着かない車で、まずタイヤチェーンを買いに行くことにした。ところが店に着いたら同じ考えの人がいっぱいで、駐車する場所が無い。どうしようかと言っている間に、とうとう車が動かなくなってしまった。「おーい、降りて押すしかないぞー」。後ろの車の運転手の声で、私とCは車を降りた。その人も一緒に押してくれたので、まもなく車はゆっくり動き出す。「どーもありがとーございましたー」。私とCはお礼を言いながら追い掛ける。
しかし車は止まらない。「ちょっと、乗れないじゃないの、止まってよ」「止まったらまた動かなくなるだろ。飛び乗れ!」。ひえー、そんな殺生な、と言いながらしょうがないので刑事ドラマのように走って飛び乗り、チェーンなしのまま荻窪まで行ってしまいました。なんというワイルドなライブ。ちなみにお客は三人でした。
寝台車のイトウトリオ
出かける仕事は大好きだけど、飛行機が怖いんで、なるべく電車か車で行く。
雪まつりの少し前に仕事で札幌に行ったけど、それも寝台車。寝台車で札幌まで行くのは二度目だ。まず仙台まで新幹線で行って、待ち時間にちょっとパチンコしてから、飲みに行った。マネージャーと二人でワイン一本頼んで飲んでたんだけど、時間が足りなくなってきちゃった。「あのー、これから電車に乗って遠く行くんですけど、これ持ってってもいいですか」とお店の人に言うと「どうぞ、いいですよ。グラスはあるの?」「ええ、いいんですラッパ飲みで」。
寒さに弱い私は、長いコート、マフラー、帽子、ブーツと重装備だった。その姿で右手に酒ビンをにぎりしめてホームに立つと、ただのあやしげなよっぱらいにしか見えないので、「あやしげなよっぱらい記念写真」を撮ってから電車に乗り込む。寝台を探していると、めざすあたりから、なんだかにぎやかな声が聞こえる。「おっ、来ちゃうかなー」「あ、来ちゃったよ。すいませんもうできあがってまーす」。その寝台では三人の働き盛りの男性がお酒を飲んで盛り上がっていたのであった。
「来ちゃったよーん」「まあいっしょに飲みませんか。酒まだあるし」「あっ、こっちにはワインもあるよ」と右手のワインを差し出す私。そんなわけで車掌さんが「寝てらっしゃるかたもいらっしゃいますから……」とその後二回も注意に来るほどの飲み会をやってしまったのだった。
その三人の男性は三人ともイトウさんといって、そのうち二人は兄弟。親ごさんのお見舞いのため二十年ぶりでいっしょに里帰りするところなのだそうだ。もうひとりのイトウさんは弟さんの方と同じ会社の人で、やはり親類のきとくで帰るところだそう。不幸の中でも、盛り上がってしまうものは盛り上がるもんだ。二十年ぶりってのも、すごいね。イトウブラザースはかなり飲んでいたみたいだけど、朝六時にはきっちり起きて駅弁の朝ごはんをおごってくれたよん。
頼 む か ら
地方へ行ったら、夜はやっぱり飲み会だい。男四人と私とで、あるスナックで歌を歌ったりして飲んでいたその夜。だれかがスローナンバーを歌ったら、遠くの席から一人のおじいさんがやって来て、私の手をとってさっさとチークを踊り始めてしまった。老人に優しい私は、あまり体がくっつかないようにということだけ気をつけてやり過ごしたけど、ひとむかし前なら水割り頭からかけてやったかも。
翌日、連れの男たちに、「だれも止めないんだもんなあ。あたしが何したって言うのよ。だれもおめえなんか誘ってないっての」と言ったら、「他にだれも女の子いなかったもんねえ」。あのなー、一人しかいなけりゃ使いまわししろっての? 「一人しかいないならいないで、自分たちの連れだって、所有権示して止めなきゃだめだよ、けんかするわけにいかないんだから、こっちは。あたしたちのような職業はああいうの通りすがりだけだからまだいいけど、あんなの上司だったらセクシュアル・ハラスメントとかさ」「ああ、いろいろ大変らしいですよう。僕の友だちにデパートに勤めてるやついるんですけど、一人のお尻さわると、他の子があの子だけさわったって怒るんだって。平等にさわってやんなきゃなんない。大変だって言ってましたよ」
思わず腕組みする私。彼は友人の話をウのみにしているだけなんだろうけど。彼は、ある新興宗教の信者であるので、「その友だちってのもその仲間?」と聞いてみた。「そうです」「そいつ、信心が足んねえよ」。職場でお尻さわられたい女なんか、聞いたことねえぞー! いいかげんにしなさい、と漫才つっこみしたくなるほど、まーだそんなこと言ってんのって感じだぞ。
これからは、まだそんな事やったり言ったりしている男に、同性である立場から、恥ずかしいぞと教えてやったり、セクシュアル・ハラスマー1号とあだなを付けたりしてやるのがいいと思うわ。
困ったお嬢さま
私の会社では、事務関係の人は毎日決まった時間に出社するが、漫画制作班の人は、漫画の仕事のある時だけ会社に来る。「このあたりでやるからね」と予定表を見せておくと、皆、そのころ電話を掛けてきて、様子を見てから出てくる。
ところがたまにお客様根性が強く、何度注意しても、仕事の日をだれかが連絡してきてくれるのを待ってる人がいた。仮にAさんとする。Aさんは、簡単に言うとお嬢さまだった。夜中に、夜食のお弁当を買って来てと頼んだら、ちょっとむっとしたように「一時間たっても私が戻らなかったら、警察に連絡してください」と捨てぜりふを残して出ていったことのある人だ。朝までやるような漫画の仕事によく来れるなあと不思議ではあった。
ある日、当然仕事があるのはわかっているはずなのにAさんは行方不明。お母さんにも伝言してあるはずなのに、だ。何度か電話していると、十一時過ぎになって本人が電話に出た。
「仕事あるから、これから来て下さい」と言うと「もう電車がありません」「タクシーで来ていいよ」「父が、こんな時間から出るのかと怒っているから出れません」「じゃあいつもの仕事の日はなんて言ってあるの? 私がお父様に電話を代わりましょうか」「ちょっと待って下さい」。彼女はまたあとで連絡しますと言って、電話を切った。
何でそんなにすぐわかるようなうそをつくんだろうねえと皆で笑っていると、また彼女から電話があり、「父が今寝ついたのでこれからタクシーで行きます」。私は腹を抱えて大笑い。
しばらくしてやって来た彼女は、ろくにあいさつもせず謝る様子もなく、「タクシー代を」と領収証を突き出した。彼女の両親は、彼女のこんな部分に気づかない振りしてんだろうな。間もなく彼女は、プレゼント付き置き手紙を残していつの間にか辞めていた。でもどんなお嬢さまでも給料は取りに来るんだよねー。
「プー」の脳みそ
事務所で飼っていたモモンガが死んでしまった。日本国内のモモンガは飼ってはいけないらしく、東南アジア産だろうという話を聞いていたし、寒さに弱かったのかも知れない。少しずつ食欲がなくなっていって死んでしまったそうだ。
かわいそうなことをした、なんて言ってたら、またネコが交通事故で死んじゃったよ、とほほ。なんでネコってこんなに交通事故で死ぬんだろう。車で自宅に帰るたんびに、どっかのネコがひかれてんだもん。私の飼っていたネコも車で死んだのは二匹目。だれかに聞いたけど、ネコってのは「こうしたらこうなってこういう結果になる」というようなことを考える部分の脳みそがすごく小さいんだそうだ。あーあ、そこは私も同じかも。
最近一人であまり出歩かないせいか、たまに一人だと、体のまわりがすかすかしてさびしい。こないだも一人で夜の街を歩いていたら「高級売春しない?」なんて声掛けられちゃったしさ。何なんだろ。二時間でたくさんお金がもらえるよ、ってそればっかり言うの、その人。「いくらもらえたって、あたしもともとプーだし、そんなんでもうけなくてもいいの」って言って断ったけど。あ、あの念のために「プー」ってのは、まあ簡単に言うと定職のない人のことです。
今自分で「フリーアルバイター」とか「フリーターです」なんて言う人いるらしいけど、恥ずかしくないのかね。顔赤くなっちゃう、と思っていたら、こないだどっかの求人の貼り紙に「フリーター募集!」って書いてあった。よかれと思って書いてんだろうけど。そんなの見て応募してくる人ってどんな人なんだろう。ネコのように「こうなったらこうなる脳みそ」が少ないと、プーをやるには便利だけどね。
私も、漫画も歌もだめなままばあさんになったら、憂歌団の「おそうじオバちゃん」のようにがんばろっと、なんて思っていたもん。もともとなくす物がないのも強みなのね。
か す み 草
三月十四日にアベックスのライブをやったら、もらった花束が妙に南国っぽい。亜熱帯植物園で見覚えのあるでっかい葉っぱやドラセナや、得体の知れない赤い花。中にはけっこう大きなアロエが入っているのまである。そういうのがはやってるんだろうか。それとも私が仕事場にアマゾンの熱帯魚などを飼っているからなのかな。持って帰ってとにかくバケツに入れておいたが、どうすりゃいいのこの迫力は、って感じだ。ずいぶん前だけど、八百屋と花屋をはしごして、ほんものの春菊のはいった花束をくれた人がいた。あとで春菊はおひたしにして食べた。なつかしいわ。
去年、『淋しい女《ひと》は太る』という本に「私が今用心しようと思ってるものは、かいわれ大根とかすみ草です」という四コマまんがを描いた。理由は、たのみもしないのにたくさん付いてくるから。かすみ草じたいにうらみはないけど、この「たのみもしないのにたくさん付いてくる」せいで、私はすっかりかすみ草が嫌いになってしまった。あれは、ほかの花にぼかしをかけてしまう草だ。何も考えずに、花束の上からさっさとかすみ草を巻き付けてしまう人は、ブスなモデルでもソフトフォーカスで撮りゃなんとかいいでしょと思っている写真家(そんな人が現実にいるのかどうかは知らないが)と同じことをしていると思う。
もうひとつ、山口百恵が最後のコンサートのとき、髪にかすみ草をつけていたでしょ。あのイメージもやはり大きいと思う。彼女のやりかたに別に文句はないけど、私自身は仕事をやめて結婚、というのは出来ないので、「おれ、かすみ草好きだな」という男にも、ちょっとだけ用心してしまうかも知れない。
とにかく私は今、南国の花を仕事場に飾ってごきげん。花を活けるのも楽しかった。生け花をやっててよかったとこういう時は思う。取ったお免状は別に役に立たないけどね。
仙台のおじさんたち
仕事で仙台に行って来た。去年もやった、ラジオのCMのコピーコンテストの審査員。ラジオCMを面白くしようとしてか、このようなコンテストは最近たくさん行われているみたい。しかしラジオのCMって、まだ面白くなる気配ってないよね。だってラジオのCMで面白かったものって何か思い出せる? 別にまあ、いいけどさ。
さあ仕事が終わったらおいしいもん食べて飲み会だぞう。食事が終わってもう一軒、という時に「私はここで失礼します」と言って去ろうとした地元の放送局の部長さんも「なあにィー?」とおどして連行だい。
行った先は、例によってカラオケもあるスナック。バンドやってると、一度はカラオケ嫌いになるが、あんまり機会が多いんで、わたしゃもう、慣れた。でも勝手なもんで、たとえへたでも連れの人が歌うにはかわいいが、知らない人のへたな歌はやだ。イエーと言えば、センキュウと返ってくるような人ならともかく、あんまりいないじゃん、そんな人。
そこでもいたよ。かわいくないおっちゃんが。すわったままで、マイクは下のほうをあげる感じにななめに持って「薔薇《ばら》」「恋」「君」「びんぼう絵描き」「待つ」「部屋」なんて単語が並ぶ歌を、次々と歌ってんの、ひとりで酔って。あーあ。あたしゃなんとかそのおじさんのロマンチック攻撃にケリを入れようと、うるさい歌をぎゃあぎゃあ歌ってお店の若い女の子を喜ばせましたわ。
そして翌日、私は大好きな松島水族館に行く前に、真ん前の食堂で笹かまぼこでビール飲んでた。と、そばで飲んでたおじさんに話しかけられた。彼は私の黒のマニキュアを見て、「いやあ、東京の人はやっぱセンスいいねえ」「でももとは九州だよ」「いやあ、もう東京の人にしか見えないよ。マニキュアなんかねえ、仙台では赤だよ、赤」。そりゃ普通赤なのは知ってるけどさ、とほほほほ。
照れ屋のナゾ
女ではまだ見たことないけど、「おれって、ほら、照れ屋だから」って自分で言う男。あれっていったい何なんだろう。「照れる」ってのを、とっても良いことみたいに思って言ってるみたいだけど、そんなに良いことなの?
そういう人って、たとえば言いたいことがうまく言えなかったとか、好きな人に対して自分の好意が、何か別の良くない形で出てしまったとか、そんなことまで「照れ屋だから」で片づけちゃったりも、してる。あのね、それは「照れ」じゃなくて、ただの口下手って言うんだよ。もしくは、考えが足りなかったんだってば。そんなことを、「照れ」とすり替えてしまうなっての。
自分が何か、うまく出来なかったことがあったとしたら、それはただへたくそなだけであって、そんなことを自分から「これはおれの愛すべき部分なんだよ」みたいな言い方すんのって、子どもっぽくって恥ずかしい。人が言うならわかるけど、自分から自分のことを「わたしゃいわゆる照れ屋なもんで、ちょっと本心と違うことなんかも言っちゃうわけでござい」なーんて広告打つのは、反則だい。それより、あれまあ、いけしゃあしゃあとよく言うよこいつは、って感じのやつが私は好きさ。そっちのほうがよっぽど愛《いと》しい。「おまえ、そこまで言うか? どの口で」って言いながらつきあいたい。最近、幸せなことに私のまわりはそんなやつばかり。
「あたし、デビュー前アシスタントしてたとき、漫画の手伝いへただから、めしばっかつくっててさあ。んで、あたしがきゅうり薄切りにしたりすっと、薄切りのはずのきゅうりが切ったそばからころころ転がんの」と言えば、「いわゆる、役立たずってやつですか?」とかはるか年下の同業者に言われて暮らしてんの。むきになればなったで「また始まったよ、このおねえちゃんは」。あーくやしい。でもこうでなくちゃね、の今日このごろ。
言葉も疲れる
私の描く漫画には、セックスシーンが出てくることがあるので、一時期、ボキャブラリーの貧しい人たちから、よく「えっちまんが」なーんて言われたんだけど、それももう昔のことになってきた今日このごろ、私は「えっち」って言葉に心から飽き飽きしているのざます。
もちろんよかれと思って「内田さんの漫画はえっちで大好きです」なんて言う人たちもいるんだけど、単語そのものに子どもがちゃかしてはやしたててるような印象があるからか、素直に喜べなかった。わりいけど、子どもに向かって濡《ぬ》れ場描いてんじゃないよ、濡れ場は大人の娯楽だいって言いたい。
うっそーと思う人もいるかもしんないけど、私は少年少女向けの仕事のときは、セックス関係描かない。子どもだって喜ぶんだから描いてくれって人たちと、言い合いになっちゃったこともあったくらい。すでに労働してる大人が子どものような趣味を持つのはまあ勝手だけど、人に養われてるやつが、養ってるほうと同じ楽しみを要求するのはおかしい気がする。『イレブンPM』終わっちゃったけど、みんなああいう感じの大人のものを「子どもは見ちゃいけません」って言われて悔しがっては何かと奮起したんだと思うぞ、まあ、いいけどね。
こんなことを考えだしたきっかけは、私より大人で私の敬愛する人たちから、「内田さんはベッドシーンうまいよ」とか「性描写がうまい」とか「きちんと濡れ場を描いてる」とか、ちゃんとした言葉で言ってもらったり、書いてもらったりするようになってから。そうすると「えっちでいい」なんて言われるより、かなりうれしいんだ、これが。
それに「えっち」なんてもう、形容から行為から良い意味からからかいの意味までって、意味キャパシティーオーバーで言葉として死んでるよ。そういう言葉ってかわいそうだよね。だからなるべく使わないで、しばらく休ませてあげたい、私としては。
社会人のお酒
酒を飲んでたときに、あとで記憶がないということは恐ろしいことだ。
そういう経験のしはじめのころは、もう気になって気になって、その時間自分がいったい何をしていたのか、裏づけをとるのに一所懸命だった。その夜に行った店、一緒にいた人などに「ねえ、あたし何してた? 何か言ってた?」と聞きまわった。そして、こういうことしてた、ああいうこと言ってたと聞いては、落ち込んでいた。
しかし、最近は違う。「あれえ、覚えてないぞ」と思っても「まあ、そんなもんだ」と気にしなくなってしまった。たとえ人から「こんなことしてたぞ」と言われても、「えっ、それは大変」のすぐあとから、「まあ、そんなことくらい、するかも」が追いかけて来る。
したこと言ったことが、何日も何日もあとになってから判明したりもする。最初は、これって老化現象のようなものかなと気にしたが、どことなく愉快でもあり、だんだん面白くなってきちゃったよっと。もちろん、わざとやっているわけじゃないんだけど、これは、最近の飲み友だちの人柄にもよるみたいなんだわ。みんなぱかぱか飲んで楽しんで、大騒ぎするやつばっか。漫画家のくせに、歌を歌って跳びはねて、水割り用の水浴びてたり、いつもブルースハープ(ブルース用のハモニカね)持ってて突然吹きだしたり、どこでもすぐ寝こけて体じゅう落書きされてたり、それがその人たちの日常だってんだから、漫画家の生活も変わったものよ。なーんて、私も人のこと言えないことをいろいろやっているらしいし、全くしょうがないね。
でも、自分のみっともなさを早く自覚するのも、社会人のワザのひとつかもしれない。いつだか近所の焼き肉屋で、どうみてもべろべろに酔っぱらっている女の子が「あたし、どんなに飲んでも酔わないの」って言い張ってたけど、ああいうののほうがはるかにまずい気がするよね。
衝撃のきっかけ
最近、ちょっと不思議だなと思うことがあるんだけど、「子どものころだれだれの作品に触れて、漫画家になろうと決めた」り、「思春期のころなんとかいうバンドを聞いて、雷に打たれたような気持ちになり音楽の道に入った」などの話って、けっこう多いもんなの?
自分にそういうのがなかったし、まわりにもいなかったんで今まで考えてもみなかったんだけど、世の中には案外あるもんなのかしら。
インタビューなどで訪ねて来る人がよく使う言葉のひとつに「きっかけ」というのがある。今はもう慣れてしまったが、この言葉がとても苦手だった。
「その人、その事があったからその後ざざざーっとそういうことが起こってきたわけなんざんす」というような、派手なものを期待されてるようだったからだ。もちろんそんなものを期待しているのは、自分で話を面白くまとめようという努力をしない、相手が「そのまんま使える」ものを差し出してくれると思ってる怠け者のインタビュアーだけなんだけど、まあ、いるんだ、そういう人も。で、そういう人はもちろん自分を怠け者とは知らないので、私が「使える話」をしないと機嫌が悪くなっちゃうのよね。怠け者のくせに、自分のこと「忙しい人」だと思ってるからさ。
でも、そういう人たちともたくさん会わないと、その中にたまに隠れてる、出会えてうれしい人に会える確率が下がってきちゃう。だから会う。そのうち、そういう人たちとの話し方もだんだんわかってきた。そう考えてみれば、「私はなになにに出会って衝撃を受け、こうなりました」ということとかにしとくと、とっても便利かもしれない。うーむ、なるほどね。
バンドでは「きっかけ」と言うとき「ドラムのこのフレーズきっかけにしてエンディングね」というようなつかい方をする。そっちの「きっかけ」の意味はとってもよく把握してる私なんだけどねー。
便利なファクス
この原稿もファクシミリで送っているけど、ファクシミリって、ほんとうに便利。
いちばんうれしいのは友だちからの手紙。来ると喜んで机のまわりに磁石でとめとく。それから、出版業界の仕事だけでなく、出かけていく仕事で相手の人も、最近では必ず場所や時間を書いたものをファクスで送ってくれる。これがあるとないとではあまりにも違うので、初めて行く仕事で場所のファクスが来なかったりすると、ズサンな仕事だなあという気がしちゃう。いちど、あるテレビ番組の人が「一階のスタジオですから」とだけ言うのでその番組の放送局に行ったら、実はぜんぜん別の場所にある、外部のスタジオだったというすごいことがあった。おまけに言われた時間まで違ってて、私は大遅刻をして、番組の中でまで遅刻して途中から来た人になっちゃった。その番組はクイズ物で、一番組八人もの人が出る。それを二本いっぺんに撮《と》ったんで、十六人にどんどん伝言してる間に、内容がおかしくなったのらしい。同じことを十六人に電話で伝える能力がないなら、ファクスにして欲しいわ、まったく。
でも、会ったり話したりする機会があまりにも減るのはやっぱりどうかと思うよね。連載なのに担当の人の顔知らない仕事、あるもん。電話では話したけど。こういう仕事のことって、たまに考えちゃう。あっちは顔合わせなくても平気なんだから、こっちも平気になろうと思ったり、やっぱりいやだ、むこうだけこっちの顔知ってて、どっかで声かけられたらもっとやだ、きっと皮肉言っちゃうな、って思ったりね。
こういうことを考えたのは、ある雑誌の担当の人が代わったのがきっかけ。その人ったら、電話もくれないで「新しい担当の○○です。次の締め切りは○日、ごあいさつには後日おうかがいします」ってファクス送ってきたの。ちょっと悩まない? これって。
ダンサーになりたかった
あたたかくなってくると、つい、ああもうビアガーデンやってるかなあ、と考える。クラブで歌っていたころは、ビアガーデンのバンドで歌いたかった。一度だけビアガーデンの歌手の仕事が来たけど、埼玉県のビアガーデンで、あまりに遠いとこなので受けられなかったの。なんだか楽しそうだと思ったんだもん、ビアガーデンの仕事って。今考えたらクラブもビアガーデンも同じかもしれないんだけど。
そういえば、私ったら昔、ディスコダンサーになりたかったんだわ。毎週毎週ディスコに行って、それだけじゃ嫌になってモダンバレエ習いに行き始めちゃって、毎日踊ってばかりいた。歌の仕事を始めたころは、歌があまりにへただったんで、「あんたこれで食っていけるのかねえ。踊りのほうがはるかにうまいもんねえ」なんてバンドの人に言われてたんだわキャー、思い出しちゃった。
ディスコダンサーになりたいっていうのはどういう希望じゃと言われそうだけど、そのころの私の行ってた田舎のディスコには、大阪あたりからディスコダンサーが来たりしてたのよ。世界チャンピオンとかもショーやりに来て。私のディスコ仲間で、大阪まで修業しに行って、もう忘れちゃったけど、デビットとかなんとか、そういう外国人の名前をダンサーネームとしてもらって帰って来たやつとかもいたんだよう、書きながらなんか笑っちゃうけど、ほんとの話。たいがいそういう人たちはアフロヘアのパーマをかけて、「ファンキー!」とか言ってた、きゃははは。今だったらパンチパーマって言われてしまうのかしら、あの頭。
そのころの私の踊りの先生も、もう五十歳近かったのかな、でも頭金髪に染めてロッド・スチュワートみたいにしてた。自分のバンドで振り付けを考えるとき、たまにその先生のことを思い出しては良い先生だったと思う。田舎で歩いてると、すごいものがあったけどね。
大阪トークツアー
大阪に、トークの仕事をしに行って来た。テーマはこの「お仕事メレンゲ」。へんなの。このコラム、大阪では読めないはずなんだけどな、まっいいか。
最初は新幹線の中でゲームやりながら行くつもりだったんだけど、突然車で行くことにした。車で行くには早朝に出発しなくちゃなんない。私は深夜二時ごろ、仕事しながら、ある同業者に電話した。「おおい、何してたあ」「深夜番組見てましたわ」「あ、そういえばあんた大阪出身だよね。大阪行こう大阪」「はあ? これからですか」「そ」。
三時間後、私とマネージャーは彼を車で拾って、午後一時には大阪に到着。彼が途中で電話を入れたので、彼のご両親もトークショーを聞きにきてくれた。終わってからごあいさつして、彼のお父さんが社長であることを初めて知る。「息子ももう会社はつがんと思いますんで。どうかよろしくお願いいたします」と言われるお父さんに、「えっと、彼は大丈夫です」などとよくわからない応対をする私。ひと仕事終わってビールを飲みながら、「そっか、社長の息子で長男で漫画家かあ」「でも弟が会社つぐ言うとりますから」。でも、彼の弟って、まだ十五歳くらいなのよね。あー、私も彼のお父さんのように、経営者としてあとつぎモンダイに頭を悩ませたりする日が来るのかしらん、とっても想像出来ないわ。「とにかくもうご両親にごあいさつもしたし、あたしたちこれで結婚しても大丈夫ね」「ちょっと待ってください。こないだTさんにもそんなこと言うてませんでしたか。ああ、おれ何で大阪おんねやろ。さっきまで深夜番組見てたんになあ。何でうどんうまいんねやろ。ずずず」。うどんをすすりつつ軽い離人症を楽しむ大阪出身の叙情派漫画家であった。その後私たちは、知り合ったばかりの将棋プロのお宅のすき焼きの会におしかけ、さんざん大騒ぎしてから東京に帰ってきたのでありました。
嫉 妬
悔しがったり嫉妬《しつと》したりのエネルギーは、正しく使えばこんなにいいものもないと思う。顔ではにこにこしながら、「くやしー、今にみてろよ」って思うのは大きな頑張りのもと。だから、明るく正しく嫉妬したい。たとえばこないだ、ある書店にサイン会しに行った私は「以前は漫画を描いておられたんですよね?」とそこの偉い人に言われてしまった。「私、漫画家なんですけど」。たしかにその時はエッセイを出した出版社の要望で出かけた会だったんだけど、それにしてもこういうふうに言われたのは初めて。エッセイの本のほうにサインし終わってから、「漫画のほうでも少しサイン本作ってゆきます」と申し出ると「えっちょっと待って下さいね。えーと、これしかありません。すいません」と店員の人が持って来たのはたった一冊。言っとくけど、えれえ大きな本屋なんだよ、そこ。
でもこれと同じ思いは大きな書店や出版社では何度もしてる。世の中ってそんなものざんす。職種や性別や年齢で人を差別しない人ももちろんいるけど、私は差別されるたんびに「来たなーっ」と燃えてきちゃう。もちろん望んで差別されに行くわけじゃないけどね。
いちばん多いのは「漫画家バンドなんてどうせ」って差別かな。まあ別にいいけどね。最近は逆に、バンドをやりたくてもやれないやつから「いいですねえ」なんて言われることもあって、複雑な気持ち。やりたいなら、やりゃいいじゃん。こういうのが間違った嫉妬なのよ。ライブにも来ないで私のバンドのこといろいろ言おうとするから、「とにかく一度見に来てよ」と言うと「うん」と答えといてなんだかんだ言ったり忘れたふりして来ないしさ。
団体行動って何でも同じだけど、バンドなんてやるのは簡単。でも自意識過剰の人にだけは出来ないんだよね。もっと傷ついて正しく嫉妬しろい。嫉妬エネルギーがもったいないぞ。
ヨーロッパ編 その1
今週と来週は、「お仕事メレンゲ・ヨーロッパ編」。今、西ドイツで、午後十時くらいまで明るい白夜とかいうなか、名前がちがっててもドイツ人物、なんてだじゃれを言いながらお仕事してるところざんす。
最近髪の毛の色が金だの赤だのの知り合いが多いやなんて思ってたのに、このへんじゃ全員そうなんだもん参っちゃうね。頭の黒い人に会うと、つい声をかけたくなるんだけど、顔見るとうーん、これは中国とかの人かも、ってことが多くて、まだ声をかけてない。
でも私って同国人の見わけかたがへたかもしんない。以前飛行機の中で、右も左も私と似た顔の黒い髪のおじさんだったの。右の人はどうみても中国人。で、左の人に「日本のかたですか?」って声をかけたら中国語で返事されちゃった。あーれーしまった、じゃあ右も左も中国の人だよと思ってたら、右の人、しばらくしたら朝日新聞読んでんの。結局その人とお話ししながら過ごしてたけど、ほんと、しゃべってくんないとわかんないや。
ベルリンの国境を越えるとき、うしろに黒髪の女の子がいたんで、声かけたくて見てたんだけど、となりの白人の男の子と英語でしゃべっててさ。日本人じゃないのかもなー、なんてそのまま離れちゃって残念だった。あと一カ月かそこらで境のなくなるベルリンでいっしょに国境を越えた同国人かもしれなかった彼女。それも同性でとしごろも近そう。私と連れの人たちは日本語で話していたので、もしむこうが日本人だったら絶対わかったはず。これで日本人だったら、完全にわざとのシカトだわ。だってあたし何度も見つめてたんだもん。おとりこみな場所だし、ついに声かけそびれたけどさ。なんか少しくらい表情つくってくれたりしてもよさそうなもんじゃん。まっ、いいけどさっ。
しかしほんとにみんな髪の色、薄いなあ。そのうち、外国で髪を黒く染めるのもはやるといいよね。
ヨーロッパ編 その2
足がいたいよーっ。取材で毎日毎日毎日歩かされてるの。そのうえ風邪ぎみ。でも、一カ所に一日しか組まれてないからぜんぜん休めない。どこの取材先の人も「ジャストワンデイ!?」ってびっくりしてるわよ。おまけに、ロンドンで他の雑誌の人と合流したら、両方の人たちが仲良くしてくんないの。なんで会社づとめの人たちって、「あそこは何々が売れてばく大な利益が出た会社なんですよ」とか「あの会社はボーナスがすごいはずです」とか言いあうわけ?
やんなっちゃうわ。どっちも少ない取材費なのはばれてんだから協力しあえばいいのにさ。二人ともおっちょこちょいでお坊ちゃんという似た者同士なのにいっしょに食事さえできなかった。片方に「お互いへんな人なんだから仲良くしてよ」というと「してますよ」。もう片方に「二人似たとこあんだからさ」というと「いっしょにしないでくださいよ」。あーあ。こんな二人なのになんで合流が企画されたのかしら。もめるんだったら別々のときに連れてきて欲しいよ。まあ別にいいけどさ。
ところでロンドンで、かっこいい日本の女の子に出会った。私の連れの人が、レストランの人に道をきいていたら、うしろの席から「おしえましょか?」と関西弁が。あどけない顔の小柄な女の子なので「留学?」って聞いたら「あ、働いてますー」。なんと大使館で秘書をしているそう。「今日、あんまり働かせすぎだから、大使館にとびこんで言いつけてやるって言われてたんですよ」なんて話す担当編集者。彼女は笑いながら「パスポートなくした言う人多いんですよー、気ーつけてくださいね」などと教えてくれた。そのあとジャージー島へ渡って「ジャージ買わなくちゃ」なんて言ってたら、どうもセーターが評判の島らしい。ハンブルクはハンバーグというより魚とかひき肉料理。地元に行くと伝言ゲームのもとがわかるね。
帰ってきたぞ
先週のこの欄で、「ロンドンで合流した二つの雑誌の人たちが仲良くしてくんないのよ、困っちゃうわ」なんて書いたんだけど、先に日本へ帰った一人の方はともかく、私と同行してる人の方はぜったいそれを読めないはずだった。そしたら、アムステルダムからアントワープに向かう列車の中で朝日新聞広げて『お仕事メレンゲ』読んでるじゃない!
「げっ、どうしたの、それ」「前に座ってる日本人の女性が貸してくれたんですよアハハハハ……」「すっごい偶然ねえ、とても信じられないわ、アハハハ……」。気の抜けたような笑い声をユニゾンさせながらも目だけはマジな私と彼であった。
ところで、私はもう日本に帰ってきていつものように仕事してる。時差ぼけっていうのを私はどんな症状なのか知らないんだけど、あれはやっぱり規則正しい生活をしている人たちだけがなるのかしら。だとすると私は普段からずっと時差ぼけ状態でいるわけ? かもしんないな、とほほ。
帰りの飛行機でのこと。ビジネスクラスとかいうのに座ったせいか、お客はほとんど背広の人。特に私のまわりは日本のそういう人たちばっかだったんだけどさー、聞いてよ。いくら喫煙席だって、ひっきりなしに吸うこたあないんじゃない? 人がめし食ってるときくらい、普通やめるぜ。それが、私の真ん前の席のおっちゃん。で、私の隣には、私の席のシートベルトを自分のと無理やり結合させて気付かないわ、私が足を上げないと取れないところにアタッシェケース置いてるわの、困ったちゃんおじさん。その上その人、シートベルトを直すときも、私がその人のアタッシェケースのために足を上げて協力してあげたときも、私に「すいません」ひとつ言わなかったくせに、外国人のスチュワードにはにたにたしながら「せんきゅう」とか言ってんの。たいしたビジネスマンたちだよ、まったく。
お ま ん こ
埼玉県の教育委員会の人たちが、「女の子の性器もオチンチンと呼びましょう」という内容の入った性教育のパンフレットを作って皆にバカにされているらしい、というのは何かで知ってたけど、まさか自分がテレビ番組でそのことについて何か言ったりするとは思わなかった。
当然、「じゃあ何と呼べば適切なんでしょうね」という話になるよな、そりゃ。そういうわけで、教育問題でもあり、みんなまじめに考えるんだからと、女性性器の呼び名を生放送でいくら言ってもいいことになったのだった。
それを事前に局の人から聞いた私は、マネージャーにその旨伝えた。「あのね、教育についてのギロンだからね、性器の、いつもはほとんど言えない四文字のあの呼び名とか、きっと言うことになるよ」「えっ」。私の財布であり理性でもあるマネージャーは考えた。「ふだんからそれを言うのに何のためらいもないウチダだ、ほっとくと率先して言い放ってしまうに違いない。それはやっぱし、あんまりである」。そんなわけで彼は、「他の方が言われて、必要があったら続けて言わせていただく、というタイミングを心掛けるように」と私に再度念を押したのだった。
しかし当日、そのコーナーのナビゲーターの大島渚さんが最初に「こういうことなんですけどね、内田さんはふだんはそこを何と呼ばれますか?」とおっしゃったため、私がまっ先にその言葉を口にしてしまった。私自身は平気だが、マネージャーはハラホロヒレハレである。でも、あとで「可愛いイントネーションだった」と皆にほめられちゃった。帰ってからマネージャーとも大笑い。なんだか、いい記念になっちゃったって感じ。
番組中、たくさんの電話が掛かってきたそうだけど、誰も怒ってはいなくて、こう呼んだら? という提案ばかりだったんだって。イェイ、日本は変わるぜ! と嬉しい予感のする仕事だったわん。
3 コ ラ ム
ムズムズな年賀状
あんまり、お正月だからなにか楽しいとかうれしいとか、思ったことないんです。
今年はこうしようとかね、そういうのも考えない。今年の抱負は? なんて当然って顔でたずねられるとうんざりします。年が変わるとなにか新しい自分になったような気がしている人もいるのかしら。いたとしたら、その人は今までにそうとうたくさん、
「忘れてしまいたくなる何か」
をしてきた人なのじゃないかと思います。
こないだ、
「巳年の年賀状を描いて下さい」
という絵の注文がきたから描いたけど、ふだんは|えと《ヽヽ》にも全然興味ないし。メデュウサ描いたんだったかな、描くのは楽しかったですけど(そういえばナポリの人はクラゲのことをメデュウサと呼んでました)。だいいち、私、内田春菊という名前をつけてくれたゴッドファーザー秋山道男と、年齢を言わない約束をしたので、えとや歳の話はしぜんしないの。年女というのがまわってきても、黙ってすごすの、一年。
普通はお正月というと、帰省したりして実家で過ごすようですが、そんなのもしたくなかったから、したことないし。友だちの家とか、ひとんちでお正月してた。今もそう。もうじぶんちみたいなもんですけど。
それでも年賀状は好きです。ふだんお手紙いただけないかたからも、年賀状なら来たりするでしょ。私も暑中見舞いは出さないけど(だって夏が暑くないんだもの)年賀状は出します。
でもーあの、好きなんだけど、とっても困ってしまうのは、
「だれなのかわからない人から」
来るやつ……。これは、別にものを書くのがしごとだからではなくて、社会に出て二、三年以上たってれば、異常な回数の引っ越しをこなしたりしてない限り、あると思う。
道で会って、むこうはなつかしそうなのに、だれだか思い出せない、こういう状態より、数倍困る、と思うんですけどどうでしょう。そんな人に限ってさ、ひとことも書き添えてなかったりするのさ。そのくせ、ハガキのデザインはどう見ても業界の人なのさ。
だれだか思い出せなけりゃ、返事も出さないんだけど、ハガキが来るってことは相手はこっちの住所知ってるわけで、これで数日ムズムズしてしまうのでした。ほとんど、不幸の手紙と同じ効果ね。
はやく老けたいの謎
少し前に、働く若い女の人たちが、
「あたしはやくおばあちゃんになっちゃいたいわ」
と言うのがはやった、という話を聞きました。
それで私は最近になって、三、四年前その頃男友だちだった人が言ったことをふと思い出したの。そのセリフとは、
「はやく三十すぎになっちゃいたいって思うんだ。三十すぎたら、もっともっとおもしろいことできるじゃん」
というものでしたが、その頃の私は、なんでその人がそんなこと言うのか、なぜ三十すぎたらおもしろいことができるとその人が断定するのか、意味がわかりませんでした。
でも、「はやくおばあちゃん……」を聞いたとき少しだけナゾが解けたの。「|はやく《ヽヽヽ》三十すぎ」にも「|はやく《ヽヽヽ》おばあちゃん」にもなれるわけないのに、なんでそんなこと言うのか。これ、表面は、もう若くなくていいんだ、と聞こえ、ギラギラしてない、無欲の人のようですが、なんだか、
「はやく人から尊敬される立場になりたい」
と言ってるようにも、聞こえませんか。三十すぎとおばあちゃんの差は、個体差+男女差でできた年齢差だと思います。
世の中には、
「若い女の人はみんなトクしてる」
と思っているへんな人もいるようですが、ちやほやするふりをしながらバカにされるほどいやなことって、そうそうないものだし、よほどちやほやされるのが好きな人でない限り若い女の人は、自分が本当はバカにされてるのを知っています。
そいで、おばさんといわれる歳になったらバカにされないのかというと、やっぱりどうもされるらしい。こんどはそのうえ、ちやほやでなくこわがるふりをしつつバカにされるらしい。じゃあ、おばあちゃんならもう大丈夫、心安らかに暮らせるにちがいない。
そんな気持ちが言わせてるような気がするんです。
でもそんな一足とびに楽なところへ行けるわけないしね。おばあちゃんになっても、まだ苦しかったら、どうするんですか? 三十すぎたっておもしろいことできないかもしんないよう。歳とは関係ないよねー。
もっとギラギラしてればいいのにな、と思います。自分の野心に正直になれないのって自意識過剰かも。おばあちゃんになってから死ぬまでも長いらしいけど、おばあちゃんになるまでだって相当長いと思いますよ。
中途採用、こういう奴には気をつけよう!
最後に、私と同じ、零細企業の社長をやってる人のために、
「中途採用、こういう奴には気をつけよう!」の巻です。でも、もしかしたら、
「女が社長で、漫画家」
の場合に限るかもしれないので、話はんぶんで聞いてください。
まず、面接のとき、芝居がかっていないかどうかよく見ましょう。ディスコふうの音楽などを大きめの音でかけておくと、たまに体が揺れてくる奴や、ところどころ歌う奴がいます。雇わないようにしましょう。
劇をやっているわけでもないのに、芝居がかっているのは、人間の反応を、親からでなくテレビから学んでしまった証拠です。こういう奴は地に足がついていないので仕事はできません。気をつけましょう。コカ・コーラのCMのことを、
「|自然だから《ヽヽヽヽヽ》好き」
などという奴は、親から愛されなかったと思ってまちがいありません。
次に、今住んでる部屋の家賃と条件を聞きましょう。引っ越ししたいと思っているかどうかも。このへんで本人の虫のいい望みが顔を出すことがあります。気をつけましょう。
どうしても決定打が欲しい場合は、思い切って、真顔で、
「そのださい服は、自分で選んだの?」
と「ださい」に力を込めて言ってみましょう。ムッとした表情が少しでも見えるようなら、雇うのはやめましょう。なお、最近これをやるとたまに殴りかかってくる奴がいるので、透明アクリル板などを立てておくとよいでしょう。
面接はこのくらいにして、知らずに雇ってしまった場合。
カレーをつくらせましょう。カレーくらいと思ったら大まちがいです。どういう食生活どういう育て方をされたか、すぐにわかります。肉や野菜の扱い方、使う順序がおかしかったら、仕事のできない人間だと思いましょう。また、唇をひっぱったり、舌をペロペロやるくせも、親に愛されてない証拠。面接のときには、抑えていたりするものです。
それから、なにか失敗に気づいたとき、
「あちゃー」(舌打ちがつく場合も有り)
と言う奴は、失敗を決して自分の責任とは思わず、なにか天から降ってきた|カンケーねえ《ヽヽヽヽヽヽ》ものだとゼッタイ思っています。すぐクビにしましょう。
ユーガッチュー
相談 その1
ある日、ふと思ったんです。ボクはSEXがキライだ。ガールフレンドはいるし、月に二、三回はベッドをともにします。
そのときは『スコラ』や『ホットドッグ・プレス』に書かれているマニュアルを見て、努力しているつもりです。彼女も満足していると思います。
しかしボクはどんどんSEX嫌いになっていきます。女の人の体が不潔に思えてならないんです。ほかに理由は見あたりませんが……。最近では、逆に彼女に求められることも多くなり困っています。こんなボクは変でしょうか? それとも彼女がおかしいのですか?
宮間勇二(仮名)東京都世田谷区 21歳
最近、「セックスってあんまり好きじゃない」っていうの、はやってるみたいだね。百年前から「やればなんでもいい、やることイコール、お得」みたいにいい続けてる人たちに、もういい加減うんざりなのはもちろんわかるけど、「セックスって嫌い」って口に出していうこと程度で、自分は人とちがうっていう主張になるって思ってるのも、なんか貧困な気がする。なんでもっと自然に受けとめられないのかね。
よくさ、いい歳して、
「妊娠してる女の人見て、最低一回はやったんだ、不潔! って思った」
みたいなことをいって思春期の自分の純情を語った気になってる人がいるけど、不遜だよね。それいってるとこビデオで撮っといて、自分が子ども持つときになって見てほしいよ。拒食症と過食症、ロリコンとマザコンが同じ人に両方起こるように、潔癖性って淫乱の裏返しじゃん。自分がどんなに潔癖かをいえばいうほど自分の淫乱を証明してるようなもんで、恥ずかしいぞ。だいいち、『スコラ』や『HDP』のセックス記事が彼女の満足の度合いを計る物差しになっているところがすごく哀しい。あたしがこの子の女だったら情けなくて泣いちゃう。あんなもんはギャグで作ってるくらいに思っててくんないと困るよ、まったく。
つきあってる相手ってのは、自分自身を映してくれる鏡なんだから、彼女がセックスの権化に見える君こそ、どうでもいいセックスの情報に振り回されてるってことだろ、しっかりしてよ。あれって簡単にいえば、内容の濃いコミュニケーションなんだからさ。相手のこと知りたいからセックスしたいんでしょ。好きな相手だから楽しいし、気持ちいいんでしょ。満足するとかしないとか、ああいういい方もどうなんだろね、よくわかんないや、あたし。まあよーく考えてみてさ、もし、どうみても彼女がセックスだけが目的みたいだったら、別れればいいじゃん。しかし、そんなヤツなんているのかね。まあ、いるかもしんないね。
もともとセックスって、好きだとか嫌いだとかっていえるたぐいのものじゃないと思うんだけど。よく、お酒に似てるなって思うんだ。お酒好きだと、一人で飲むことはあっても、嫌いなやつと飲みに行くのはやでしょ。セックスだけを好きかどうか聞かれても、困っちゃうよね。
相談 その2
私はとても酒が強い。いや、強かったはずです。しかし、最近トラブルが絶えません。気がつくと、知らない場所に知らない女の人といたりします。私は日ごろ極めて真面目で、まったくそういったことはないのですが、なぜか酒を飲むとそうなってしまうらしいのです。どうぞ悩める私を助けてください。おねがいします。現在つきあっているわけでもないけれど、これから一生女性のことが好きになれないような気がしてなりません。今までも本当に人を好きになったことがあったのかどうか不思議に思いますが、友人などは「いずれ、これだと思う女の人に会えるさ」といっているのですが、実際のところ本当にそうなるのかなあ、と不安に思っています。別に好きな人がいなくても生きていけるとは思うのですが、人間として正常な心があるのかどうか、とても心配です。友人で大学の四年にもなって就職活動を全くしないで漫画の原作大賞を狙っている(といっている)ヤツがいますが、口だけでナニもしません。彼に生きる指針を与えてやってください。友人のTは、つまり、その……あの時の彼女の声がでかすぎて困っています。部屋はマンションでとなりと接していて聞こえてしまっているかもしれないと悩んでいます。タオルを押しあててしまうとムードもへったくれもないそうで、何かよいアイディアはないでしょうか。私の悩みごとは就職問題や金銭的な問題であまりおもしろくないので、ここは私の友人の悩みを紹介します。彼は、空手部に所属するマッチョな男ですが、先日、彼女とベッドにいるときに、ピンク色の精子がでてきたそうで、自分が病気ではないかと真剣に悩んでいます。相談を受けた私は、現在書店をまわり、家庭の医学書で原因究明に取り組んでおります。中・高と六年間男子校に通い、大学に入ってからも早々と彼女ができて、それが四年近くも続いているため、ほかの女の人と遊ぶ機会がたいへん少なく、彼女以外の女の人としゃべると緊張してしまいます。何とかしたいものです。はっきりいって悩んでいます。というのも、満員電車に乗っていると、痴漢がでるのです。といっても私は男です。しかも身長一八〇センチで、かなり高いほうです。……(長いので中略)いちおうここは日本だし、こういう趣味の人は少ないと思うのですが、なんとかならないでしょうか。
今回は大学四年生男子の悩みを七つもらった。この仕事、「大学生の可愛い男の子の話を聞く連載」だって聞いてたような気がするんだけど、なんだか様子がちがうわ、あ〜あ。全部答えたげるから、これからは写真同封ね。審査の結果、マンツーマンで答えてあげるわよん。うふん。それから、友人ネタは今後は不可。わかったね。
答え。酒飲んで助平になるヤツはもともとそうなんだよ。そんな自分にまず直面しろ。一生自分だけが好きな人も、男が好きになる人もごろごろいるよ。生きてるからほっとけばいいんじゃないの。この質問の答えが必要なのは本当は君でしょ。タオルをくわえさせる行為にお互い興奮するようにしろ。医者に行け。そんなにほかの女の子と仲よくしたいなら別れろ。身長と、痴漢に遭うのとは、何の関係もない。イラスト担当のタナカカツキはある種の美少年だけど、やっぱ似たような経験があるってさ。目の前に自分の好みのものが放ってあるからといって君ならそれに手を出すか? モンダイあんのは仕掛けてくるほうなんだよ。しかし、君、文章超下手だね。みんな下手だけどさ。長くても面白きゃいいけど。では以上。次号に続く。おしまい。
シゴトのこと
こないだ友人の松尾キッチュ°M史のやっているラジオに、これまた友人のOTOがゲストだったので遊びに行って、「ビブラストーンズはいいぞー!」といいつつ自分のバンドのライブの宣伝までしてきちゃったのだが、そのときお遊びでやったクイズ。緑・白・赤・黄を好きな順に並べる! ほらほら、君も答えなんか読む前に自分でやってみんさい。
できた? これは、つきあう相手に何を求めるかの順序が出るんだぞ。緑=容姿、白=収入、赤=性格、黄=学歴。OTOもキッチュも容姿─学歴─性格─収入。テディボーイ漫画家・中村光信が収入─性格─学歴─容姿。タナカカツキが性格─収入─学歴─容姿。ぞうさん家族漫画家サマンサ三吉が容姿─収入─学歴─性格。並べてる順序は年の多い順だからね、二十代前半から三十代前半まで。もちろん全員ギョーカイだから、君たちとはちがうかもしんない。これをいわないとフェアじゃないからあたしのもいうけど、あたしは収入─性格─容姿─学歴だった。あたしの答えって、よく考えるとむちゃだ。一般には学歴がよいと収入もよいとされてるもんね。キッチュとOTOのはわりとわかる。可愛い、お嬢さま学校とか出た性格もいいコ。でも収入は俺にまかしとけ、と。二十二歳の三吉はまだガキだからおいとくとして、中村・カツキ・内田のこの類似の度合いをみよ。みよといわれてもこの人々を知らない人は困るだけだが、中村・カツキのふたりは、男はこうでなきゃいけませんの呪縛から、かなり解き放たれているなとあたしはつね日ごろから勝手に思っていたわけだ。ここ、ここがポイントよ。もうひとついうと、収入とは、イコール仕事であると私は考える。三吉だって、収入の位置がやたら高い。これを、私は絶対、女も仕事もっててあたりまえととりたい。あたしはカツキのことをおっぱいの大きな女が好きなむっつり助平かもしれない、だったらどうしようと思っていたのだが、やっぱりそうでなくてよかったよかったなのだった。
長い前置き。今回は私が「可愛い男のコに会わせてくれなきゃやだやだやだ」と脚をばたばたさせたかいあって、大学四年生の男の子六人と懇談会が催されたのよ。面白かったわ。やっぱりこうでなくちゃ、と私は胸を大きく見せるために持ち上げ、いや、なでおろしたのだった。なんたって根拠なき自信とまわりの人の愛情だけを支えに生きてきたもんだから、あたしったら自分の目で見たものしか信じないゴーマンズ(ズは余計)なヤツなんだわ。しかし、青少年はみんなよくしゃべる。いろんなこと教えてくれるのは嬉しいけど、情報知らないとおいてかれるぞ病にかかってんじゃないか? まあただ不安だったのかもしんないな。無理もないな。
それにしてもみんなよく育ってんな。一八〇センチ台、かなりいたな。人間って、生きてる年数と体の大きさが比例しないから面白いな。就職関係のいろいろで、集まった他人の所属大学が一番気になる時期かもしんないな。
一人だけ就職のアタリついてなくて、最初は一番警戒してるように見えたコの話が一番面白かったな。頭から自由業者の芽が出て双葉が開いてるのかもな。でもまあ、向き不向きだからね、どっちがいいっていう話じゃないのよ。あたしが生まれながらにこっち側なだけなんだからさ。たとえば編集者の人たちだって、みんな「就職した人」たちなわけだけど、好きな人、いっぱいいるしさ。
今回の結論。「就職したくねえやつあ就職しねーのかもしんないな」。なるようになってくんだけど、でもこれ読んでわざわざ就職棒に振るなよ、あたしゃ責任もたねえぞ。無責任で有名なんだから。
ではまた次号。
ノーモア・おたく
最近しみじみ思うこと。
「もう『おたく』はいらない。飽きた。おなかいっぱい。お呼びでない!」
ここまで読んで、おたくって、あの、セル画持ってて髪の長い、アディダス着てパンタロンで……と思った人。嘘つけ。お前ほんとに思ったのかよ。長髪もアディダスもパンタロンも、もうおたくを見分ける物差しじゃあ、とっくになくなってるでしょー? そのへん利用して、あれー、この人おしゃれ系の人だよね? って隠れミノでゴマカすことに成功したおたくだっているんだぞ(特に長髪)。
とにかく最近のおたくは、見分けにくい! どう見分けにくいかというと、
「1…一見ダサくない。2…一見よくしゃべる。3…一見社交的。4…ぶよぶよ太ってない。5…運動神経もある。6…特殊技能も多少ある(甘いけど)。7…音楽聞いても耳はいい」
ねー。もうここまできたら、わたしだって見分ける自信はありませんよ。このへんにだまされてヤケドしているのも、あたしだけではないことがこないだ判明したわ。これがまた、つき合ってみないとわかんない。でも、ちゃんとつき合うと、こうなる。
「1…でも、なんか、やっぱ変。2…でも、よーく考えると、人の話聞いてない。3…でも、一日ひととつき合うと、二日は寝込んでいるらしい。4…いまどきこんなことくらいでは見分けらんないくらい、おたくは浸透してる。5…右に同じ。6…これが本気で仕事になりだすかどうかがおたくにとっての分かれ道であろうが、根がおたくだと、わざわざ金になんない道(でも人間関係は楽)に手を出したりするため、仕事が遠ざかることも多い。7…でも根がフォーク系≠ェ多い。そして何よりもおたくは踊れない。踊ってても、よく見るとリズムやポーズが変」
ミヤザキ事件以後、「おたく擁護論」がいっぱい出た。これはひとごとじゃない、僕も、君も、ほんとうはおたくなんだよってね。それはそれでいいとして、ろくに職もないようなコドモが「僕おたくですから」って先にいうのはやめろ! あれは、もうリッパにやってるオトナがいうから格好いいんだぞ。国が豊かになってるような気がしだしてから、金がもらえることが何だってのさ? って態度のワカモノが増えたけど、そんなのどーせ表面だけ。本当はお金もらえてラッキー、やっぱお金は嬉しいなってのすぐばれんだからさ。もっとさくさく働けよー! ってもういいや。あたしはおたくを無視するココロの旅に出ることに決めたんだもんね。所属が漫画家業界ってことは大変なハンディだけど、それでもあたしの周囲にはヤンキー&おミズ漫画家が数人いるもーんっ。それもみーんな美形!
ざまあ見ろ、へへんだ。こういういい方は差別的だけど、たいした能力もないくせに「僕、ナントカに詳しいんですよへへへ……」っていい寄ってきて(っていうのには多少誇張もあるが、何しろ自分から人に声をかけたりできない人たちだからね)、いつもおどおどしてて、ライブ行こうかって誘っても「そのバンドよく知らないから予習するまでいいです」ってようなやつに、もう本当に懲りてしまったの、あたくし。生身の人間がそんなに怖いのかよーっ! ってもうあたしには関係ないからいいけど。
おたくじゃない人たちって、今んとこ漫画家では(注・他の業界には多数いるけどここでは触れない)少数だけど、ほんとに無防備でセクシーで可愛くて好き好きッ。みなさんも、もういいかげん「隠れおたく」を見つけたら、つまみ出して捨てちゃえばー?
女のほんと
最近、男友だちに思うこと。
「男のコのなかの男が壊れるとき」っていうのがあって、そのときそのコは困ったり、慌てたり、人によっては泣いたりするんだけど、そういうじたばたしてる男のコって、とても可愛いし、面白い。
壊れかたも、たとえば仕事のことなんかで軽い弱気になってんのとか、今まで知らなかったことにぶつかってびっくりしてんのとか、いろいろだけど、そういうときの男のコをみてると、ああ、男のコってもんはまだ、とりみだしちゃいけないもの≠チてとこにいたんだなって思う。ふだん、ほんとに男のコっぽいコが、沈んだ声で相談してくると、あたしのこと信頼してんだなって、すごく嬉しい。
うーん。まるでのろけだわ、今回。でもまあ、ティーチャーランニングな年末のせいか、親しい男の子たちがなんだか次々と心の転機を迎えているみたいなのよ、最近。みんな今年のことを振り返ってあれこれ考えているのかもね。
年齢こそばらついているけど、それぞれあたしに背中撫でられて女のコみたいに泣いたり、酔って「気づいてしまうとややこしいことになることに気づいた」話をずっとしてたり、大阪から出てきてうちの仕事場探検したりと、試行錯誤してるっスよ。
そんなときにあたしは、ただただ酔っぱらって相手したり、寝こけてたりしてるんだけど。でもまあ、女冥利に尽きるってやつですか。
しかし、そんなときまわりで私たちを見てる他の男のコもいるわけだが、そいつらがこっちをじーっとみながら、妙に驚いているときがあるのざんす。そのわけが最近少しわかった私。
ここJT『ハイパートーク』でも少し感じられることであるが、そして昔の私はこのことを認めたくはなかったが、男のコ(少年からいいトシしたのまで)で、どうも、私(あるいは私のような種類の女)が「怖い」人がいるらしい。ガーン。
内田、ショーック! でも、いるのよね。っていうか、ヤだけどそれが現実だって認識したよ、もう、あたし。
そんな人ってさあ、まあ面と向かってはいわないし、仲よくもしてはくれるんだけど、どーもどっかよそよそしい。なかには、ほんとに一対一で遊んでても、そう。好奇心だけで一緒にいるだけで、リラックスはしていないってやつね。
だから、そんな人はあたしに対してなんだか緊張してるわけ。固いわけ。でもそれが礼儀正しくもみえるじゃない、それに自分のことが怖い人がいるなんて思いたくないしい、まあ、きちんとした人だわ、とずっと思っていたわけよ、こっちとしては。
もちろんほんとに礼儀正しいだけの人も混ざってるんだろうけど。でも、いるんだよね、実はあたしのこと怖がってる人って。そんな人なのよ、ほかの、あたしになついて騒いだり、あたしのこときゃあきゃあいわせたりしている男のコを、驚異の目付きで見てるのは。何よ、ウチダにああいう態度に出てもいいわけ? って感じにさ。その人があたしと出会ったタイミングとか相性もあるし、いちがいにはいえないけどね。
でもまあ、あたしみたいな女が怖い人ってのは、「女のほんと」を知るのが怖い人だと、あたしは思うわけざんす。どうも、あたしはあんまり男の人にあわせたりしない種類の女らしいからさ、よく知らないけど。
あたしに平気でなつく男のコってのは、そこを面白がってるっていうか、「女のほんと」を知って、そのことで自分が傷つくことになってもまあいいや、ってどっかで思ってるみたい。そういう子は、自分のなかに住んでる女の部分を可愛がるのもうまいって気が、あたしはしてる。君はどう思う?
あ と が き
昔から、日記が続かなかった。
三日くらい経って読み返すと、たった三日前の自分の考えていたことがなーんか嫌でさ。その三日間の日記をびりびりとやぶいちゃうの。でまた何日か経つと同じことをやるのよね。何が気に入らないのか知らないけど。でもだんだんそういうのは治ってきた。別に日記は書いてないけど、エッセイって似たようなもんだもんね。日記にはテーマや企画性はないから、最初聞いた話と違うとかいうことはないが。まあそのかわりお金がもらえるし、読む人の数も多くなる。どうしたって、日記よりはチカラ入れて書くよね。
でもまあ、この本のエッセイもかなり古いものばかりで、自分で読んでもなんだか「へー」って感じ。なんかどうも、口うるさい女だねって、自分のことなのに思っちゃったりして、無責任だね。
子どものころから「考え過ぎだよ」とか「言い過ぎだよ」と人によく指摘された。それが結局商売になっちゃった今でも、相手によっては言われることがある。でも私なんかに「考え過ぎ」なんていってる人っていったい何考えて暮らしてるんでしょうね。「考え過ぎだよ」という人っていつも、けして「もっと別の良い考え」を出してきてくれるわけじゃなくてさ。ただややこしいことから逃げたいだけで。つまりあれ、「それが事実かもしれないけど、そんなことまでは知りたくないよ」とか、「あんたがそこまで考えるのは勝手だけど、私はあんたからそこまでの考えを聞くほど、あんたという人間と深くかかわる気はないからさ」ってのと同義語なのよね。だからあんましそう言う人とは自然、話が出来なくなってきちゃう。まあ誰にだって付き合う人を選ぶ権利はあるからさ、お互い様だけどね。……という様に自分で自分のことを「口うるさい女だね」と言ったそばからこういう話になって行くところが私の「もの書きらしい」ところなんだろうな。ほんとにこれが仕事になって良かったざんすよ。
これからも私は自分では成長しているつもりで、あいかわらずなことを書いたりしたりしつつ暮らしていくのでしょう。ちょうど今、初めての子どもがおなかの中にいて、それがもうまさに産まれそうなんだけど(と言っても陣痛が起こっているわけではないが……)、だからと言ってすることが変わっているようにも思えないし。まあ年々恥知らずになってきているような気はするけど、どーせ死ぬなら面白いことやって死にたいしー、まっ、いいかって感じ。
そんなわけでいいかげんですが読んでくれて有難う。そして文藝春秋の茂木一男さん、湯村輝彦さん始め、この本作りにお世話になったみなさんにもこの場を借りて有難う。本が出るのはいつも嬉しい。
一九九二年十一月九日
内田春菊
文庫あとがき
文庫ってのはだいたい内容が古いです。
これらのエッセイは全部、初めての小説「ファザーファッカー」を出す前のもの。あれを出してからというもの、私の周りの状況もずいぶん変わっちゃいました。年とって丸くなってどうでもよくなってしまったこともあれば、前より気になるようになったこともあります。なのでちょっと気づいた順になんか書いてみます。こぼれることもあるかも知れないけど。
えーまず、最近は甘い酒も割と飲みます。でも、「つまみがいらないから」というビンボくさい理由だったりする。
池は無事ふつうのが出来ました。それと、小説書き出したら「エッセイスト」は取れた。そんなものかもしれない。
テトリスは最近はマックの中に入ってる、ちょっと複雑になったやつをやってます。麻雀ゲームも同じくマック。
相変わらず男の子が大好きです。ヤマトやキッチュは最近も電話で話してる。たまーに、会う。ビブラもメンズ5もライブ、行ってる。最近の兄貴分はベンガルさんだな。私はベンガルさんを慕って、なんと東京乾電池オフィスにはいっちゃいました(蛭子能収さんという心強い先輩もいるし)。それと同時にコメンテーター類を全部やめて、役者の仕事だけにしてもらっているので、ここんとこ会う人も芝居・映像・音楽関係者ばっかし。目白花子以外の漫画家仲間とはすっかり疎遠になってしまったわ。で、一番年下の話し相手が武田真治くんとイナガキ(稲垣吾郎)。武田くんは勤勉と創意工夫の人だし、イナガキはいーかげんなやつに見えて、ああやっぱコドモの頃から働いてるだけあるなと思わせる人でもある。どっちも大切な友人です。
水明亭のナゾについては萬流界のメンバーからお手紙をいただいた。夜はうどんやさんかなんか、別の店をやってるとか……だったよな、たぶん。
相変わらず酔っぱらいです。
ベルツノは死んでしまいました。
「おとこの勘ちがい」はほんと、一生懸命書いたなあ。五倍増し(当社比)って感じで書きました。やりすぎた、って今ならわかる。週刊文春で連載中、横澤彪さんに「あれは辛くありませんか、大丈夫?」と気遣っていただき、感激したけど、私の周りでそんなことを見抜いたのは横澤さんだけだ。やっぱし横澤さんってすげえ。ところで「ゲー」のとこに出てくる対談相手は大竹まことさんで、Sさんは桜金造さんです(サービス)。
今も浅草です。魚もいるよ。モモンガは死んじゃいました。国内のものは飼えないきまりになってるらしいから、東南アジアのだったみたい。寒さに弱かった。私、げっし類、あまり経験なくて、可愛そうなことをしました。でもほんとう言うと、欲しいと言ったわけじゃないの。どうも担当の人がある程度取材費を遣うことになってたみたいで、けっこう「どうしても買ってあげたかった」っぽかったんですよ、言い訳になっちゃいますけどね。
「お金も愛情のうち」ってのは今では私のポリシーです。
ヘビ、元気。
やっぱし生き物は飼うに限る(男と子どもも含む)。
秋山道男はその後、映画「ファザーファッカー」を制作、養父役もやってくれました。すっかり父親。
「友情と自慰のバランス」は広告批評に載ったせいか、イトイさんとナカハタさんにおほめをいただき、嬉しかった。
私ってやっぱし「何でもやってくれそうな顔」なんですってねえ。今後は利用して生きていこう。
最近編んだのは息子のセーターやカーディガン、靴下程度ですかねえ。あと編みぐるみとかね、小さいからすぐ出来るし。橋本治さんにはその後お会いする機会があり、このときの話を直接することができました。
ばななちゃん体の調子どう? 飲みに行きたいねー。会えなくても愛してるよ。
甘えてくる男は、今でもいる。場合によっては結構困るし腹も立つんだけど、怒ってもそういう人って治らないことが多いしねえ。どうすればいいんでしょうねえ。
事務所の社長の役は、再婚と同時に夫に換わってもらっちゃいました。もともとたいしたことしてなかったし。でもやっぱさあ、自分の子ども育てるよーになってなんとなくわかるよ。よその家庭で二十年以上も育ってきたもんを、今さらどんなに注意したってそうそう考え方なんて変わらないよね。このあたりのことが好きな人は「今月の困ったちゃん」も新潮文庫になります。CM。
「今年の風邪」をやりましたよ今年は生まれて初めて。すごかった、インフルエンザ。
ライブもおかげさまで永く続けているだけあって、ずいぶん良い状況で出来るようになりました。まあちょっとはしたない格好でやっちゃったこともありましたがホホホ……みんな、ライブ見てから言おうね、バンドのことは!
とだらだらと書きましたがご静聴ありがとうございました。ここんとこエッセイを書いていないので、次にエッセイ集が出るのはいつのことやらわかりません。古い内容ですがよろしくね。では文春の茂木さんと田さんと湯村輝彦さん、そしてネタになってくれた友人たちに感謝しつつ、またおあいしましょう、バイバーイ。
一九九五年十二月十一日
内田春菊
単行本 文藝春秋刊 一九九三年三月
底 本 文春文庫 平成八年二月十日刊