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犬の方が嫉妬深い
内田春菊
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1
ホテルへ向かうタクシーの中、息子のアインが私に尋ねた。
「ねえお父さんは来ないの?」
返事に詰まる私は、大きな布の袋を二つ脇に置き、娘のツバイをひざの上に乗せていた。妙に荷物の多いお散歩。電車に乗るよ、と言った時のアインの不思議そうな顔。
八月十一日。
アインの小学校のプール教室は昨日で終わっていた。
二歳のツバイはまだこの夏プールにも海にも入っていない。袋の中に二人の水着とビーチサンダルを入れる事は、直前に決めた。
「あとでお話するから」
ツバイはタクシーの広告ポケットの中からタウンマップを引っ張り出し、びりびりと破り出した。
「ねえねえ、ツバイちゃんやぶってるよ」
言ったアインの口の中に、マップを押し込むツバイ。
「んがー」
ちぎっては突っ込み、ちぎっては突っ込むのを見て、私は思い出した。
「アインさあ、ツバイちゃんが赤ちゃんの時に口の中にシールを入れたことがあったじゃない。あのしかえしをされてるんだよ、きっと」
「そういえばそんなことがあったねえ」
口をもごもごさせながら笑い転げる息子。まだ作業をやめない娘。どこから見てものどかな観光客であろう私たちを乗せて、タクシーはホテルへ。
部屋にはセミダブルベッドが二つ。右へ左へ跳ね回る子どもたち。
「ねえねえ、アイン」
「なに?」
「あのね」
私は息子の両肩に手をかけた。
「ほんとうはね、家出して来たんだよ」
「え〜〜〜〜〜?」
みるみるうちに泣き顔になる彼。ツバイはまだ跳ねている。
「太田さんとはね、別れるの」
「なんでー? ぼくはどっちも好きなのにー!」
「お母さんはね、もう好きじゃないんだよ。今別に好きな人がいて、お母さんのお腹の中にはその人の赤ちゃんがいるの」
「赤ちゃん?」
息子の視線がお腹に落ちる。
「そうなのかー」
「夜になったらその人も来るからね。ヒロカズさんていうんだよ。アインに紹介するからね」
「そうかー」
息子はもう泣きやんでいた。涙は二つぶ。飲み込みの良さに私の方が驚くくらいだ。
「お母さんの好きな人はどうして夜しか来ないの?」
夕飯のテーブルでアインが聞く。
「そういうふうに言うと、お母さん内緒の愛人みたいね。今日はたまたまご用があって遅いんだよ」
「はやく会いたいなあ」
私だって早く逢《あ》いたい。さっき携帯に電話をくれたけど、最初の日に夜中まで顔が見れないのは心細い。
ピリピリピリと嫌な音がする。
『何でそんなことを?』
夫からのショートメールだ。
消してしまう。
ピリピリピリ。
『連絡下さい』
する必要はない。少なくとも明日には夫の実家に私が出した手紙が届くはずだ。とりあえず今日の書き置きには、事故でいなくなったのではない事と、その手紙を読みに一人で実家に帰って欲しい、その二点だけを書いた。
なのに手紙を読む気もないのか、次々とメールは届く。どうして? 性急さに腹が立つ。大変な決心だとは思わないのだろうか? 単純な当てつけでこんなことをするとでも? 少なくともその手紙を読んでから連絡をする位の思いやりはないのだろうか。
すべてのショートメールを無視して部屋に帰ってまもなく。その決定的な一文が、携帯のディスプレイに音を立てて現れた。
『警察頼んでいいですか』
なんていやらしい七五調のリズム。
警察ってどういう事? 私は犯罪者なの?
これは脅しなの?
近くにいるはずのヒロカズに携帯をかける。
「警察に言うって」
説明する声が震える。
「連絡した方がいいんじゃないのか?」
「嫌。絶対に嫌。事情を聞きもせずにこんな事言ってくるなんて。もう二度と声も聞きたくない」
頭の中は嫌悪感でいっぱい。十七年いっしょにいたことにはもう何の意味もない。他人になるには一秒あれば充分だったのだ。
「携帯切っとく。何度も鳴るのよ」
「直接部屋に電話するよ」
電源を切っても、ディスプレイの左上の染みは残る。夫がこのPHSと携帯の二つの電波を受けられる機種を私に与えてすぐ、私は硬い床の上に思い切り落としてしまった。その時には小さな亀に見えた液晶の漏れは細い触手を伸ばし、寒い草原を見渡す孤独な旅人の影になっている。
だけど私には笑って跳ね回るうさぎたちがいる。それからまだかすかに蠢《うごめ》くだけの、深い声をした男が植えつけていった愛しい肉腫《にくしゆ》も。
八月が終わる。
息子の小学校に知らせない訳にはいかない。八月三十一日の夜、私は息子のクラスメイトの家に電話をかけた。
「こんばんは。夏休み中、あんまり会えなかったですねー」
「それはあの、実は私が息子と娘を連れて、家出してしまったからなんです」
「はあ」
「以前一度会わせた彼がいたじゃないですか。あの人の子どもができて。それで、今いっしょに暮らしてるんです。太田とは弁護士さんに入ってもらって離婚の話してるんですけど、難しくて。それで居場所も教えていないんですね」
「じゃあもう、今の学校はやめちゃうんですか」
「そうなんです。とりあえず九月になっちゃうし、知らせないといけないと思って。申し訳ないんですけど福田さん、村木先生に伝言してもらえないでしょうか。事情、全部話してもらって全然大丈夫だから」。
翌日の午後、福田さんから電話。
「村木先生にお話しして来ました」
「わざわざ行って下さったの? まあ、どうもすいません」
「いいええ。なんか直接お電話して欲しいって。三時頃までに。かけてあげてみて下さい」
「わかりました」
「お電話かわりましたが」
教師は、これ以上はないほど冷静な声で電話に出た。
「太田アインの母でございますが」
すでに口に出すのも嫌な名字になってしまっているのに気づきながら、事情を説明した。
「そういう訳なので、住民票の異動ができないんです。新しい住所を夫に知られたくないんです。私もお腹が大きいし、子どもも小さいし、何かあっても困りますから」
「それは、新しい住所はご主人には内緒にいたしますけどね、転学届を出していただいてですね、転学証明書をつくらせていただかないとですね。アインくんも早く新しい学校に行きませんと」
「それはごもっともなんですけど、着替えくらいしか持たずに家を出たものですから、まだまともな生活じゃないんです。夫とももめていますし、外に出ても娘は抱っこばかりで、この体では娘を抱いて歩き回るのも難しいですし、一つ一つ順番にやっている所なんです。学校に行くのはもう少し先になります」
「でも一応義務教育ですからねえ。一刻も早く行かせてもらわないと」
人が事情を説明している時にそれか、と私は心の中で舌打ちした。考えてみれば、家庭訪問の時に
「給食を残さない様に」
としか言わなかった人であった。まともに話そうとしても無駄だったのだ。
「で、転学届はどこへ」
「……福田さんに……。転送していただけるように、お願いしてみます」。
導火線が短くならないうちにさっさとダイナマイトを誰かに手渡したい。そんな態度の教師を見るのは初めてではなかった。他ならぬ私自身が高校一年の時家出したからだ。母の勤める会社には私の家出中、毎日のように
「退学届を出して下さい」
と電話があったという。
いいじゃないか、教師らしくて[#「教師らしくて」に傍点]。
という皮肉な感想と、
義務教育って? 衣食住足りてからの教育じゃないの? 落ち着く前にやらせるなら、それは強制だろう?
という怒りが交互に浮かんだ。
福田さんに再び電話して、届の転送を頼むと洗面所に戻り、ヒロカズの実家からもらったタオルで雑巾《ぞうきん》掛けを続ける。アインとツバイが走り回っても、まだ何もさえぎる物のないこの部屋。
「そろそろホテルに帰るか。明日、何あんだっけ?」
「弁護士さんとこ行くの」
「あ、そうか」
「潔く別れてくれれば言わなくてもいい悪口を言いに行かなくちゃなんない」
いやな気持ち。私が沈んだ顔をすると必ずヒロカズは私の肩を抱く。
「さ、メシ何|喰《く》うかな」
ホテル暮らしもあと少し。三日後にはベッドが届き、この部屋で眠るのだ。
「自分が二人とも育てたから、子どもは渡さないという事でしたね」
畠田弁護士の話に私は息を呑《の》む。
「本人の中ではそういう事になっているとは思いますけどね」
なるべく静かに。興奮しないで話す事だけは気をつけていないと、と考えていた。
「二人とも一度もミルクをあげたことないんです。全部母乳ですよ。それと布おむつ。洗濯も私ですよ。仕事する時に見ててもらわないと出来ないから、それはしてもらいました。でもそれって育てたって言うんですかね? 見ててもらうったって、ゲームやおもちゃやビデオを山程買って、それを与えて隣にいるだけです。今の彼と暮らしだしてから、娘の言葉はものすごく増えました。太田は話しかけなかった。息子のおさがりをだらしなく着せて顔も汚いまま。できものがあっても病院に連れて行かないんです。私から見たら、育ててたなんてとんでもないです」。
「今の彼については、『うすうす誰だか見当がついてる』と言ってましたね」
「どうしてそんないやな言い方するのかしら。必要ないから言ってませんけど私、かくしてなんかいません。何でもそうなの。黙ってただけのくせに、『自分は何もかもわかってた』と言うの。私が何かにやっと気づいて『世の中ってこういうもんなんだね』みたいな事言うと、いつでも『ふつうそうだよ』。いつからあんなにお偉くなったのかわからない。妊娠五ヶ月になって家を出たら、『何でそんなことを』とメールで言ってたくせに、あとになってから『どうも妊娠してるみたい』『だから出ていったんだ』『うすうすわかってた』。それじゃあ私はまるで太田の飼ってた犬か猫じゃないですか。警察に言うってのも、どういうつもりなんでしょう。犯罪者扱いなんですよ」
こうなってみて初めてよくわかる。太田には何かが欠落している。人を人と思わない冷たい魂が、あの男には住んでいるのだ。
「ねえあのクリーム色のおうちはどうなるの?」
アインはときどき私に尋ねる。
「ぼくの本があるんだよー」
「そうだね、おもちゃもね」
「そうなんだよー」
「いつかきっと取りに行けるよ」
私はおもちゃより、ランドセルの事ばかり考えていた。
五〜六万はしたはずだ。日に日にさびしくなっていく所持金の中で、どうやって彼を学校に通わせようか。
お金の事だけではない。せっかく福田さんに送ってもらった転学届を書く気が起きないのには、別の訳があった。
あの日私の話も聞かず、
「義務教育ですから」
と冷たく言い放ったはずの村木先生は、その足で福田さんを訪ねて行っていたのだ。そして、どういうわけか
「アインくんにもう一度会いたかった」
と泣き出した。
それから
「連絡先を教えて下さい。教頭先生に、『お母さんの携帯の番号も知らないのですか』と叱られました」
と言ったのだった。
彼女はたぶん五十代ぐらいだったと思う。教師になって三十年は経っているはずだ。一年生の息子と顔を合わせていたのは、たった三ヶ月。人の家まで来て、給食の話しかしなかったような人間のそんな対応はつじつまの合わない不気味なものに思えて、新しい住所を書いた用紙を見せる気にはとてもなれなかった。
連絡先を、と言われて携帯だけを教えていた。あれからショートメールを受けられるPHSの機能は殺したままな上、非通知や、知らない番号には出ないようにしている。留守番電話のメッセージ録音だけを、一日に一度聞く。そんな私は、毎日毎日村木先生の冷たい声のメッセージに悩まされていた。
「まだ転学届が届きません。本日三時半までにご連絡下さい」
「ご連絡がないのですが、留守番電話は聞いてらっしゃるのでしょうか」
「本日四時までにご連絡下さい」。
「まもなく四時になります」
私を狂わせようとしているとしか思えない機械のような声、事務的な口調。
「福田さん、どうしましょう。私とても村木先生に新しい住所を教える気になれないんです」
「教頭先生に話してみたらどうかしら。村木先生と全くタイプの違う、冷静な女性だったと思ったけど」
「じゃあ私、教頭先生あてに手紙書いてみます」
それを出したあと、税理士からの連絡で、私はとんでもない事を知ってしまった。居場所を知られたくないと話したはずなのに、村木先生は太田に何度も電話していたのだ。
「学校からちょくちょく電話がかかってくるって。どこでもいいから早く学校に行かせて下さいって、太田さんが」。
太田と村木先生に対する怒りがのどまでこみ上げてきた。
どこでもいいから早くだと!?
このすぐ近くにも小学校はある。もう、ほんと目と鼻の先に。
以前通っていた所もそうだった。私立にするの? と言われても私は
「そんな事考えてなかったわ。だって真ん前が小学校なのに」。
だけどその結果がこうだ。
腐ったリンゴ扱い。早く早く、「一刻も早く」箱から出て行けという矢の催促。
それでもある夕方、アインが
「お母さん、学校のチャイムが聞こえるよ」
と窓際で言うのを聞いて、胸がしめつけられた。
アイン、あそこは又気むずかしいリンゴ箱かも知れないのよ。
「変な名前、って言われるんだよ」
っていつもぼやいていた。私が働いて、太田がサポートしている事さえ話せなかった。きっと村木先生の頭の中では、私はただの色ぼけの変人の主婦なのだ。浮気の結果の妊娠で相手の男を頼って行くのがやっとで、子どもを学校にやるのはおろそかにしている、だらしのない女なのだ。
わかってもらわなくてもいいけど、せめて次の学校はもっとアインが楽な形で居られる所にしてやりたい。そういうふうにヒロカズと二人で考えていた。そしてそれを邪魔していたのは村木先生の対応と、ランドセルのない事だったのだ。きっと太田は、ランドセルの事なんて考えてもいないのだろう。いや、勝手に出て行ったのだから自分でさっさと何とかしろ、と意地悪な気持ちでいるのかもしれない。
その翌日、そんな事はありえないはずなのに、村木先生の声で留守電に
「緊急のお知らせがありますので、早急にご連絡下さい」
と入っているのを聞いて、ついに私の限界は来た。小学校に電話をすると、ちょうど教頭の本間先生が受話器を取った。
「太田アインくんが不登校ということで、早急にご連絡下さい」
と彼女の声で留守電が入っていたのが昨日のことだ。
「あの、私太田ですが」
「ああ、アインくんの。私、本間です」
「本間先生ですか。アインが不登校って、どういうことですか。村木先生は一体今の状態をどうおっしゃってるんですか」
「あ、いや、説明は聞いておりませんが」
「聞かないんですよ。こちらの事情は聞かないんです。話しても『一応義務教育ですから一刻も早く手続して下さい』としかおっしゃらなかったんです。なのにその直後に私が伝言や転送をお願いしているお宅へ行って泣き出すっていうのは、どういうことですか。そんな人に内緒にしててほしい住所が教えられますか? その上内緒にしててくれると言ったはずの夫の所へ、村木先生は何度も電話してるんですよ。子どもを二人とも連れて出るというのは、何がしかの危機感があっての事じゃないですか。なのに夫の方に平気で何度も電話するっていうのは、どういう神経なんですか!?」
「あの、住民票が移せないのでしたら、アインくんは仮入学という事で編入をですね」
「そんな事務的な事は結構です。ちょうど本間先生あてにお手紙を出した所です、先にそれを読んで下さい。もう村木先生のような、不安定な対応をする方とはお話ししたくないんです」
「わかりました。それではお手紙を待ちます。村木先生でなく、直接私が手続等担当致します」
「そうして下さい」
怒りでもつれた舌はやっと落ち着いたが、電話を切っても私の息は荒かった。
こんな思いは二度といやだ。
アインや私をこういう形で責めない場所を見つけるまで、学校なんかに近寄ってたまるものか。
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2
思えば八月中はのどかな暮らしであった。最初に四人で出かけたのはデパートの子どもイベント。迷わずプリクラ機に走り寄る娘の後を追ってぎこちなく画面に収まる私たち。日付の入る枠のプリントにどういう表情で写っていいものやら、なんとなく中途半端な笑みを浮かべている私。家出したばかりの日付の上で、困ったような、嬉《うれ》しいような。
まだヒロカズはツバイの抱き方もよくわからず、ツバイの方もヒロカズと目が合うとこわがっているようにも照れているようにも見える顔をし、抱かれることもあれば、私の方へ逃げて来ることもあった。
私たち四人は人からはどういう関係に見えるのだろうか、私はそればかり気にして落ち着かなかった。デパートの食堂という、これ以上家族に見えるための場所もないだろうという所にいてさえその気持ちは消えず、なんだかドキドキするのだ。今にも誰かに指摘され責められるのではないか。それでいてどこかはしゃいでいる。私より若くて、顔立ちのはっきりした、背の高いヒロカズ。「お父さん」というイメージからはかけ離れている彼。家族ゲームのカードが足りなくなって、無理やりジョーカーを使ったような感じだ。かと言って、太田がお父さんぽかったとも思えない。太ってお腹が出てはいたがどことなく子どもっぽく、おもちゃも自分がコレクションしたいから全種買い集めるようなタイプ。特に私の要望には応《こた》えてくれない所があり、本屋で本を選んでいる間にみるみるうちに機嫌を悪くされたことがある。
太田が住まいに選んだ街にはいい本屋がなかった。それどころか、私はその街に引越すと聞かされた時、あまりに嫌で涙をこぼして泣いたのだ。私が好きになれるような店は食べ物屋以外はほとんどなかったあの街。ある日渋谷に出て、駐車場に行こうとする途中の大きな本屋を見て私は気がふれてしまったのだ。正気に戻った時には五万円相当もの本を袋に入れて立っていた。そして太田から
「あんたが本を見ている間、子ども二人を面倒みてたのがどんなに大変かわかるか」
と言われたのだ。
おもちゃで溢《あふ》れ返って掃除も出来ないと文句を言ったとき
「どっちが散らかしてると思ってるの。この部屋にどれだけ本があると思ってるんだよ」
と言い返された事もある。
その時は黙っていたが、内心私はあきれていた。
この男にはものかきである私に一人で働かせて、その稼ぎで自分が買い物しまくっているという自覚はないのだ。本がものかきにとってのどれほどのごちそうか、想像したこともない男と私は結婚している。どおりで、積み上げていた本をどんどん箱に入れて倉庫にしまい込んでは「片付けたよ」と言ったり(それらはもう二度と読めないことも考えずに)できるはずだ。
ツバイがやっと乳離れして私の外出が増えて来た頃、
「私は芝居見に行って街を歩いている人を見たり、役者とバカ話したり、そういう事を栄養にして話をつくってるの。ずっと家にいてお母さんらしいことだけして面白いものを書けなんて、そんな無茶な言い分はないんだよ」
と何度説得してもわかろうとはしなかった。面白い本を買う事も、面白い体験をする事も禁じた上で、ものかきとして稼ぐ事を強要していた太田。
休みの日には必ず買い物に行きたがった太田。
「頼むから休みには部屋を掃除して」
と言うと、やっと掃除機を出すが、やり方は杜撰《ずさん》だ。あっという間に終わらせて、買い物に出かけ、また部屋には物が増えていく。おもちゃを箱から出しても、その箱は捨てない。捨ててと頼むと、紙袋にどんどん入れる。その袋も置き場がなくなると、やっと箱を取り出し、ひもでしばって今度はそれを取っておくのだ。それを見ていると、決してアインやツバイのために買っているのではない事がよくわかる。
アインは二歳の頃、硬い金属で出来た機関車のおもちゃを握ったまま椅子から転がり落ちて、あごを切ってしまった。1センチくらいの傷がぱっくりと口を開け、ひどい出血だったという。私は仕事で疲れて別室で眠りこけていた。そんな私を起こしもせず、かといってアインを病院にも連れて行かず、太田はただ傷を指で押さえていたという。
「どうして呼んでくれなかったの」
「だって眠かったんでしょ」
私はアインをけがさせる程疲れてしまっていた自分を責めた。その傷はちゃんとくっついてはいたが、それを見る度に
「子どもがけがをするほど仕事に打ち込むなんて間違ってる」
と思うのだった。
ツバイが生まれてまもなくの頃も、仕事が続いて寝不足でぼんやりしていた私は、爪切りでツバイの指先を切ってしまった。それで落ち込んで、アインの時は取らなかった産休を取る事にした。
結果。
太田は機嫌を悪くしたのだ。
「最近働いてなかったから」
と畠田弁護士に言ったのが、何よりの証拠だ。
私は再度思い出す。
四年以上も経った最近になって、
「あの、アインがけがしたおもちゃは三歳児以上が対象じゃなかったの。小さい子には、ああいう硬い金属の物は危なかったんだよ」
と太田に言った時、
「そんな事ないよ」
と一蹴された事。
ツバイの指の傷を見て
「あーこりゃ痛そうだ」
と太田が言ったので、
「そんなのわかってるよ。だれよりも私がそう思ってこんなに落ち込んでるのに、どうしてそれを又追い詰めるような事言うの」
と私が声を上げて泣いた事。
いつもいつも、責められるのはみんな私だった。
そして太田は、買い物さえさせておけば機嫌が良かった。
私のお腹にツバイが入っていた頃、アインと三人でデパートに出かけた。両手一杯の荷物を太田が
「車に置きに行ってくる」
と言ったまま、なかなか戻って来なかったその時。
アインが遊んでいるすぐ横で私は貧血を起こしてしまったのだ。目の前の風景がかすみ、すうっと気が遠くなった。ここで私が倒れたら、四歳のアインはどうなってしまうのだろう。私はあわてて、そばにいる店員に声をかけた。
「あの、私ちょっと貧血起こしちゃったんです。妊娠中で。これ、息子なんですけど、もし私が倒れたら、彼を」
アインは何も知らずに遊んでいる。
店員はあわてて医務室から車椅子を転がしてきた。その頃には私は持ち直す事ができて、店員に何度も頭を下げて車椅子を断わった。医務室に運ばれたら、太田はそこへは迎えに来てくれない様な気がした。太田は私が病気で弱っていることを嫌う癖があり、病院に連れて行ってくれたことなど一度もないのだ。いよいよ倒れると、周囲にはなかった事にしようとする。
実際その時も、店員がいなくなってもかなりの時間戻って来なかったばかりか、
「今貧血起こしちゃって…」
と説明した私を
「じゃあ次の売場行こうか」
とそのまま買い物につき合わせたのだ。
胃痙攣《いけいれん》を起こして食べた物を全部吐きながら、何軒も打ち合わせの店をはしごさせられた事を思い出した。
泣き叫びでもしない限り、太田は私の体の不調は一切考えない様にしている恐ろしい男だったのだ。
「一日お父さん体験コース、大変だよもう」
夕方過ぎ、ヒロカズのなじみの店でピザやパスタの夕食をとる私たち。ヒロカズは店の子にビールを頼みながらそう言った。
「このピザ、おもち入ってておいしいねー」
アインが言う。その手には昼間ヒロカズに買ってもらったおもちゃが二つ。太田がつけた悪い癖で、いっぺんに二つをねだったらしい。
「疲れた」
「疲れたでしょう。ツバイ、すぐ抱っこだもんね」
ツバイも二つ、お人形を持っている。それでもすぐにアインのおもちゃに手を伸ばし、取り合いになる。
「ツバイちゃんはまだこれじゃ遊べないでしょ!?」
アインが半泣きで逃げる。ツバイも何か意味にならない事を口走りながらアインともみ合っている。
「アインのさわっているものは何でもあこがれなのよ。少し貸してやって」
「もう〜」
「アインくん、これあげるよ」
店の男の子がアインに小さなおもちゃをくれる。ツバイにも、小さなコアラ。やがてこの近くのホテルを私たちのために予約してくれたオーナーが出勤してきた。
「いやもう大変っすよ。一日お父さん体験コース」
改めて話し出すヒロカズ。そうしているうちに、アインが眠り込んでしまった。
「アインが寝ちゃうとはね」
「よし、おんぶして帰るか」
私がアインの靴を持ち、ツバイを抱き、ヒロカズがアインをおんぶする。幸せそうにヒロカズの大きな背中に身を任せているアイン。
「あら、起きた?」
少し目が開いたが、また眠ったふり。甘えているのだ。
「あれ、アインがいないなあ。あ、いけない、置いて来ちゃった」
そう言いながら夜の街を歩くヒロカズ。アインの揺れる両足を見ながら、ツバイを抱いてその後ろを歩く私。子どもが一緒でもこんなに甘い気分になれるものなのだという事を、初めて知った夜であった。
「どうも妊娠してるから出て行ったみたい」
と太田が言っていたのが伝わって来たのは、そのしばらく後の事だ。
太田はまだ私の手紙を読んでいなかった。
「何だか、放し飼いにしてたらよその子とつがっちゃっていなくなった犬か猫って感じ」
私は誰に言うともなくつぶやいた。その上太田は、
「もう仕事はしないつもりだ。捨てて行った」
とも言っているらしい。
不思議だが、太田の中ではそういう事になっているのだろう。
「私、よっぽどお金持ちの男でも捕まえたと思われているのかしら?」
おどけてヒロカズに言うと、複雑な表情で黙っている。
「でもよく考えたら、お金持ちの男とつきあうのと仕事をやめるのとは別の話よね。私、何かなめられてるよなあ」
第一自分の妻が妊娠していて、絶対に自分の子じゃない事がわかっていながら、五ヶ月まで声もかけない夫がどこにいるのだ。
私は太田に三人目の子どもを作る事を断わられていた。今ならわかる。「また働かなくなる」からだったのだ。
私は虚しさに襲われた。
ヒロカズに抱きついて、
「あたし今まで何のために生きてきたんだろ?」
と言った。
ヒロカズは、少しだけ冗談ぽく
「俺のためだ」
と言ってくれた。
それで私は少し笑えて、立ち直れた。
でも夜になってヒロカズに抱かれたら、その優しさが身にしみて涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「どうしたの」
驚いて声を掛けるヒロカズ。
「ヒロカズ、優しいから……うれしくて…」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
「やらしいからうれしい?」
わざと聞き間違える彼。ちょっと笑う私。
「あんたも負けてないよ」
そう言われ、頭をなでられ、また涙が止まらない。触れるだけで私を幸せにするヒロカズの手、優しい指。隣のベッドではアインとツバイが同じポーズで寝息をたてている。枕元のヒロカズの携帯電話には、あの四人で撮ったプリクラ。その場ですぐに彼が貼ったのだ。
あまりに幸せで怖いくらいだった。幸せ過ぎて、いきなり終わってしまうのではないか、太田がほんとうに警察や何かに手を回して、あっという間に連れ戻され、もう二度とヒロカズに逢《あ》えなくなるのでは…そんな考えがときどき浮かんでしまうのだ。
私はヒロカズのおかげで女としての自分と、人間としての自分を取り戻せた。もう二度と前の暮らしに戻りたくなかった。
正直言って、出てきた当初はそこまで考えてはいなかった。身の回りのものだけしか持っていなかったし、仕事の道具も最低限のものだけ。また太田の所で仕事はすることになるのかな、話し合いしながらだったら、中だるみしないようにしっかりしなくては、などと考えていたのだ。
しかし家出していきなり、「警察」という単語を出して脅され、飼い犬扱いされ、あっという間にそんな気はなくなってしまった。私はもう帰らない。ヒロカズはどこまで私と運命を共にしてくれるかわからないけど、でも彼の優しさだけあれば何が起こっても後悔しないですむと思った。
世の中はまだお盆休み。私はヒロカズに、
「お休み明けたら、お部屋を捜したいんだけど」
と言った。
同時に担当の会計事務所に電話を入れ、事情を話し、弁護士を紹介してくれる様頼んだ。
事務所の社長である吉本氏が、
「よく今まで我慢したね。太田さんに相当気を遣ってたもんね」
と言うのを聞いて、私はほっとした。
「部屋捜したいんだけど。うんそう、俺と、彼女と、子ども二人。そうねえ、いくらぐらいかなあ。ちょっと待ってて」。
ヒロカズも知り合いの不動産屋の子に電話がつながったようだ。
「あした俺バイトだから、友平《ゆうへい》ちゃんに車で来てもらうから、部屋いくつか見てて。あとで様子聞くわ」
翌朝、ヒロカズが出かけてしばらくして、友平ちゃんがバンでやってきた。事情を聞いていなかった彼は、私の少し膨らんだお腹を見て、目を丸くした。
「なんだよ〜お父さんかよ〜先を越されちゃったよ」
「ヒロカズ、私の妊娠の事友平ちゃんに言わないんだもん。私説明すんの、照れくさかったよ」
ヒロカズのバイト先の洋服屋。アインとツバイはマクドナルドのポテトをぱくついている。
「あれ? 俺言わなかったっけ」
「お腹見て驚いたよ」
「そうか。明日は俺一緒に部屋見れるからさ。明日決めよう」
ヒロカズの決断は早かった。私もヒロカズの選んだ部屋がいいと思った。
「とりあえず契約書入れとかないと。保証人どうする?」
「あ。うちの親しかいねーや。じゃ俺明日行って、話とおしてくるわ」
ホテルの部屋で契約書を書く。
「続柄ってどうすんだ? 『妻予定』か?」
「そんな続柄あんの?」
「喜んでんだ」。
私は照れくさくて、背中を向けた。
「婚約者でいいんじゃない?」
友平ちゃんの言葉に、ますます赤くなった。
翌日はホテルを換えなければならない日だった。荷物はすでに預けてあったので、私たちは朝方ぼんやりと街を歩いた。
「ポケモンでも行くか」。
そう言い出したのはヒロカズだった。私が知り合いの役者さんからもらったポケモンの映画の券を持っているのを覚えてくれていたのだ。デパートの子どもイベントで疲れて懲りているのではないかと思っていたので、私はとても嬉《うれ》しかった。
映画はすでに始まっていたが、ヒロカズが窓口で入れる事を確認してくれた。これも、太田が絶対してくれない仕事の一つであった。
「入れ替えになっちゃうってさ。でも途中でもいいよな?」
「うん」
入ってすぐツバイははしゃいで、そしてすぐ寝てしまった。アインは眠らずに見ていた。そしてヒロカズも。
「寝ちゃうかと思ってた。全部見てたね」
「うん。腹へったな」
食事を済ませると、いよいよヒロカズは実家に帰って私との事を話しに行くと言う。
「じゃあツバイを」
ツバイを抱く私。
「ぼく荷物持てるよー」
「無理よ。重いのよ」
「大丈夫だよ」
「しっかり持てよ」
駅の入り口はすぐそこ。そしてヒロカズは別の駅へ向かうのだ。
私はせつなくて、人目も気にせずヒロカズの唇にキスした。
膨らんだお腹の上に抱かれたまま見守るツバイ。
同時に荷物を落としてしまってあわてているアイン。
「じゃあね。気をつけて」
アインの落とした荷物を肩に掛け、手を振る。
「ヒロカズさんバイバーイ。またねー」
長身の彼が、雑踏の中に溶けて行く。
夜になって、ヒロカズから電話があった。
「話とおしたから。OKだからさ。俺も話してスッキリしたし」
「ほんとう…」
「日曜日に昼めし一緒に喰《く》おうってさ。子どもらも」
「うん、でもびっくりなさったでしょ?」
「まあね。離婚の方は大丈夫なのかってのは気にしてたね。『お前が原因で離婚するんだろ』って言われた」
今度は私が驚く番だ。
「そういう言い方になっちゃうのかな」
一度もそんな風に考えた事がなかった。私がした事なのに。なんだかヒロカズに悪い気がした。しかし彼はこう言ったのだ。
「まあ嘘じゃないから」。
何も言えなかった。こんな事言ってくれる人は初めてだと思った。私がつきあう男はいつも、何もかもを私のせいにする人間ばかりだったのに。電話を切った後も私は、しばらくぼんやり机に座り込んでいた。
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3
やっと転学届を出した。
くれぐれも村木先生の関わる事のないよう、再度手紙でお願いもした。
住民票の異動も出来ない内緒の転校は、学校側にとってはそんなに珍しい事ではないはずだ。私が十六の時、中学生だった妹にもさせた。
問題はやっぱり村木先生らしい。あの人がアインの事を何も知らない上に知ろうともせず、さっさと届や手続きだけを終わらせたいとあせり過ぎたのだ。彼女にとっては自分が校長や教頭に叱られない事だけが大切なのだろう。そういう人が世の中にはよくいることは知ってはいるが、自分が弱味を握られている時にはとても嫌なものだ。
「だんなさんの暴力から逃げてるのか、サラ金から逃げてるのか、何にも事情がわからないから困っていたって、教頭先生と校長先生が言ってました」
福田さんのセリフを思い出すと皮肉な笑いが浮かんでくる。
「暴力」や「サラ金」それとも一言でわかりやすい理由ならいいのか? 私はちゃんと説明したのに。
「でも、『ああ、自立してらっしゃる方だったんですか』って。わかってからは安心してらっしゃいました」
「自立ねえ……」
どういう意味なのだろう、自立。私にはまだ理解もできない、そして言われても喜べない言葉の一つだ。逆に怒りさえ感じる。その言葉から感じられる女の像は背伸びする子どものようにけなげで平和だ。私の生活はそんなのどかなものではなかった。
しかしそれでも、色ぼけの専業主婦と思われているよりかははるかにましである。小学校側ではとにかく転学届さえ出れば「不登校」の生徒が居なくなるわけで、私をせっつく理由はもうないのだ。
転学届を出したら、学校はそれを元に転学証明書を作ると言っていた。きっとそれを持って次の学校に行くことになるのだろう。それは私の家に送られてくるものだと、その頃の私は思っていた。送られてきたらいよいよ、アインの行く学校を決めねばならないと。
気が重かったのだ。
息子が学校に行きたがっているのはわかっている。それは前の小学校にという意味ではない。アインに確認した訳ではないが、私は彼らは今の生活が気に入っていると思う。ヒロカズと遊ぶアインやツバイは、今まで見たこともないくらい楽しそうだからだ。アインにとっては、新しい学校もその延長線上にあり、村木先生の言うように「教育を受ける権利を剥奪《はくだつ》されたから、欠けたものを埋める意味で」ではなく、「楽しい生活の中にもう一つ新しい楽しみを加える」形で学校に行きたいのだ。息子をがっかりさせたくない。彼の期待に添える様な学校を見つけたいのだ。しかし、どうやって捜せばいいのか。学校に通い始めると、アインは一人で歩き回るようになる。離婚に応じない、子どもは二人とも返せと言っている太田にもし待ち伏せでもされたら。村木先生のいやな対応を思い出す度に、それが引きがねとなって悪い考えばかりが浮かんでしまう、今の幸せが、学校に行かせることで壊れてしまったらどうしよう。
所持金も少なくなっている。仕事を休んだわけではないのでギャラの振込はあるはずだが、それらは太田を社長に据えた前の会社の口座に行ってしまうのだ。私は一つ一つに電話をして、前の会社でなく、新しく作ったヒロカズ名義の口座に私のギャラを振り込んでくれるよう頼んだ。快く受けてくれる会社、せめて私名義でないとと言う会社、あとで何かトラブルがあったら困るからと振り込んでくれない会社と、それぞれあった。口座を作りたくても住民票の異動ができない。太田の姓のままの新しい口座なんか欲しくもない。税理士さんに伝言を頼んで、太田が持っている実印や通帳を全部渡してもらうことにした。
家や車は全部あげるから子どもはあきらめて欲しい、私の望みはそれだけなのに、それでも私は訴えられようとしている。
「いやー、最近は男女が逆になってるんですねえ」
苦笑いする畠田弁護士を思い出す私。
「しかし太田さんはあなたと子どもをなくせば、この先何にもなくなってしまう。そこをどうやって説得すればいいでしょうねえ」
「私は太田のこと、すごく体面を気にする男だと思ってるんですよ。血のつながってないアインを認知して、私の仕事をサポートするという立場を選んだ時、みんなが『なんていいだんなさん』と言ったもんだから、すっかりその気になってしまった。太田に限らず、男の人って実情よりも『人がどう見てるか』の方を気にする人は多いと思う。私はもう決して太田の所へは戻らないのだから、今潔くしないと今度はすごくみっともない事になると言ってやるのが一番いい気がしますけどね。あと早くに潔くしないと、私が太田の事を書くことになる。それは結構|辛《つら》いと思いますよ。『むこうが書き出さないうちにキレイにしましょう』と、ぜひ言って下さい」。
ところが弁護士を介して伝わって来た太田の返事は
「何とでもご自由に書いて下さい」
だったそうだ。
吉本税理士からそれを聞いた時、私は頭に血が上るのを感じた。
「そういうふうに言ってるらしいのよ。それと、著作の権利の半分は自分にあるって」
「本気で? だってそれ、著作権法とか無視してるじゃない」
「自分も一緒に仕事して来たからっていうことだと思うんだけどね」
「冗談じゃないですよ。横でご飯つくって子どもあやしてる人にまで著作権があったら世話ないわ。その話出版社の人からも聞いてはいたけど、まさか本気で言ってるとは思わなかった」
「太田さんの方にお金が行かないようにして、少しずつ頭冷やしてもらうしかないと思うのよ」
「結局私、そのためっていうよりそうしないと自分が暮らしていけないからあちこち電話してるんですよ。振込先を変えてもらうように。太田が前の会社から給料を出して振り込んでくれればそんなことしなくていいんだけど、給料なんかくれる気配はないし」
「給料分はそれやってもいいんだけどね、給料分を越えて取っちゃうと横領になっちゃうから、早く会社を作って著作の管理をそっちに移すって事にしないとね」
「会社か……印鑑証明要るんですよね」
「あと登録証送ってもらわないとダメなんだけどね」
太田から通帳や印鑑が届いてはいたが、まだ実印の印鑑登録証のカードが見つからないということだった。それだけでなく、私がとっくに忘れている通帳、知らない通帳が何冊も送られてきて驚いているところだったのだ。
これから全部、自分でやり直すのだ、何もかも。
税理事務所から今の会社の定款《ていかん》をFAXしてもらい、それを見ていて初めて気づいた。私の本業である著述業に関する項目は妙にあっさりした記述なのに、太田のやりたかった仕事の内容はみっちり書き込んである。定款だけ見ていると、ものかきの会社ではないかのようだ。十五年前、私がまだこの仕事に対する自信も何もない頃に
「こっちの仕事の方が面白そうだから会社やめてきた。こっちを会社にすれば、個人と違ってどんな職種でも内容に入れられるし」
と私と会社をつくった太田。その時にここまで熱心に自分のしたい仕事を定款に入れていたのだ。そしてその時には私も納得していたのだと思う。自分の仕事をやめてきた太田には少し驚きはしたが、私と運命を共にしてくれようとしているのだ、と嬉《うれ》しく思っていたのだ。しかし私は会社を一緒にやってはいても、彼は彼で外から仕事を取って来る形で運営していくのだと思い込んでいた。
ところがそうではなかったのだ。彼が外から来た仕事を受けたのはたった一回、それも知り合いから頼まれたからやっただけ。あとは私が稼いだお金で何かやったり、私を管理したりして十五年を過ごした。途中私は、
「あなたはあなたで、外から仕事を取って活動するという形でいっしょにやっていくのかと思ってたんだけど」
と言ったこともあるが、
「外から仕事を取るよりも、自分が企画を立てていろいろやるのが好きだから」
という返事だった。思えばその時私は
「私のお金で?」
と問い返すべきだったのだ。
本当に太田は私との仕事が好きだったのだろうか? それにしては愚痴が多かった。もしかしたら私の仕事そのものより、私の稼ぐ金のほうが魅力的だったのではないか。
太田は私と会社を作ってすぐ、15キロも太った。
「むいてないんじゃないの? デスクワーク」
と心配になるほど急激に太ったのだ。
「すぐ戻るから」
とその度に言いながら、さらに太っていった。ベルトやズボンはどんどん買い換えられ、それでも捨てられる事なく箱の中に詰められていった。
ツバイが生まれる頃には、更に8キロも太り、合わせて23キロ増。トドのようになった体でリビングにねそべり、テレビを黙って見ているのが家の中の太田だった。
「頼むからやせて」
「私が何か悪い事したみたいな気がする」
十五年間、そう言い続けた。
この仕事に入って六年目まで、私までつられて年々太っていった。だが、太田と離れて外出するようになり、別の友人たちと飲んで歩くようになったらとたんに六年前の体重に戻ってしまった。
太田が夜遅い食事でも
「ちゃんと食べないと胃に悪いから」
とどんどんすすめるのでつられて食べていたのだ。その呪縛《じゆばく》から離れただけであっという間にやせた。
「私がこんな短期間でやせたんだから、あなただってできるはずだよ。もとの体重に戻らないと別れるからね」
「なんで。別にいいじゃん」
「お医者さんからも油ものを控えなさいって言われたじゃない」
「食べないと眠れないんだもん。眠れないくらいだったら太った方がましだよ」
こんな事を言われたら「この仕事むいてないんじゃないの?」と誰だって思う。だったらやめれば? だったら別れれば? 何度言おうとしただろう。
ツバイが生まれていよいよこれが切り札だと思い、
「太ってるとツバイが『お父さんデブでかっこわるい』って言い出すのよ」
と言ってみた。その時の返事は絶対に忘れはしない。
太田はなんと、
「かっこいいもん」
と言ったのだ。
絶句した。
私はものを書くのが仕事だ。そのためには、ものごとはなるべく客観的に見られるように努力しなければならないと思っている。どんなに努力しても、主観からは逃れられないのだから、常に努力するしかないのだ。なのにその私の仕事に十何年もつきあっている男の発言がこれだ。私はものかきとして太田のこの発言を許すわけにはいかないのだ。きっとあの一言で、私は太田を見捨てた。そんな無茶な事をものかきの私に認めさせようとするなんて暴挙に等しいのだ。
しかしツバイが生まれたのはいいきっかけだったらしく、太田は少しずつ減量しはじめた。
周りの人の話を参考にして油ものを減らし、寝る前には食べないようにし、万歩計を購入した。体重はめざましく減って行ったが、私は一つ気に入らない事があった。歩くのが効くのを知った太田は、何かと一人で外出したがるようになったのだ。ツバイとアインの世話に追われる私を置いて散歩に行ってしまおうとするのだ。
「だって家の中にいたって運動にならないじゃない」
そう言う太田に納得いかないものを感じ取った私は、ふと思いついて自分も万歩計を購入した。そしてそれを家の中でつけて過ごした。
すると、家の中でいかに私が動き回っていて、太田がそうでないかがはっきりわかったのだった。家の中にいても私は何千歩も歩いていて、へたをすると一万歩も数字が出る日もあった。それに比べて太田は動かず、やはり私が感じている通り、ほとんどはねそべってテレビを見ているだけの人だったのだ。なのに外で楽しむために仕事も育児も一人でやっている私を置いて出て行こうとする。太田の体重を減らしていただくためにはそこまでしなければいけないのだろうか。そんなに外に出たいのなら一人で働いていればよかったのだ。もしかしたら男はやはり外で働くように出来ていて、それと違う事をしようとするとストレスが大きいのではないのか。
私はヒロカズと暮らして、家事がさほど苦になっていない自分に気づいた。太田が家事をやっていたのは、私の時間のすべてを仕事に使って欲しくて、つまりそれを全部お金に変えようとしていたからだろう。しかしそうそう他人を頭で考えたように動かせるはずはない。
太田は並外れた機械好きだった。私の事も機械のように考えていたのかもしれない。
思うたびにわからなくなる。私はどこまで幸せだったのか。太田はどこまで正しくて、どこから失敗したのか。今さらそれがわかったからといってどうなるものではないが、今こんなに幸せな自分を思うと不思議なのだ。
私は何でそんなに我慢していたのだろう。
太田と一緒に部屋を借りたのは十三年前のことだった。太田の実家が田舎に引込むことになって、私が太田の両親に太田と同居する事を報告に行ったのだ。
その時見せてもらった太田の部屋。あそこでまず私は躊躇《ちゆうちよ》するべきだったのかもしれない。
玄関脇の三畳くらいの小さなスペースに、おびただしい数の鉄道模型、コンピューター、楽器、何かの部品などがほこりと油にまみれてうなっていた。
これをどうやって外に持ち出すのだろう、と私はぼんやりその山を見つめた。
それでなくても、太田は私の部屋をどんどん物だらけにしている所だった。知り合った時はテレビもなく、布団と服と本が少し、カセットテープ数本、ラジオが一つ、そんな私の部屋に来て、まず
「テレビくらいないと」
とテレビを買わせたのだ。それから自分のビデオデッキを持ち込み、録画などを頼んでいくようになった。自転車や楽器などを置いて行く。本棚と称した、人が六人寝れるような巨大なスチール棚を作る。太田の作る本棚はいつもやたらでかい。おかげで本を効率良く立たせる事ができなくて、いつも困っていた。大きな板を接《つ》いだだけでは、本は立たないのだ。本のサイズを考えて組まないと本棚とは言えない。おかげで私はいつも本をただそこに積み上げていたり、立たせようとして曲がってしまった雑誌などを悲しく見つめたりし続けた後、ついに綺麗《きれい》に片づける事を放棄したのだ。
仕事机をくれたのは有難かったとしても、原稿の上に汗をたらすので、最初にもらった原稿料でクーラーを買うことになった。風通しの良い部屋だったので、私は窓を開けていれば涼しいと思っていたのだが、太田はコーラやジュースの1Lボトルをあっという間に空けてはそれを汗に変える体質の持ち主で、私はせっかくの風をあきらめ、クーラーの暮らしを受け入れたのだ。
1DKのキッチンにテーブルを入れ、そこで私は食事をしていたが、太田は椅子で食事をするのは嫌だと言い、狭い六畳にも仕事机以外にテーブルを買うことになる。
最初にけんかしたのも物についてだった。私がバイト先のお客さんからコーヒーメーカーをもらったときだ。何でもらったのだろう、誕生日だったのかもしれない。私は喜んでさっそくコーヒーを淹《い》れようとした。そうしたら横から太田がいろいろと口を出すのだ。まだ家庭用コーヒーメーカーが珍しい頃の話だった。最初に自分が使ってみたかったのかもしれない。ペーパーフィルターは紙の匂いがするから、まず水を通して匂いを抜いた方がいいなどと言うので、そんな事いちいちやってられないと思った私は
「うるさいな」
と言ってしまったのだ。私が子どもの頃せっせとチューインガムの包み紙をためて応募して懸賞でもらったインスタントカメラを、
「どれ、かしてみろ」
と言っていつまでも返してくれなかった育ての父を思い出したのかもしれない。
私にそう言われた太田は黙り込んでしまった。
「どうしたの」
と言っても返事をせず、部屋の隅でうつぶせになって死体の様にいつまでも転がっていた。いい香りをたてて出来あがっていくコーヒーを横に、私はふてくされて寝ている太田をいつまでも見つめていたのだ。
あのおびただしい電気製品と部品とその他の何だかわからないものはとにかく箱に詰められて太田の趣味の部屋にどんどん運び込まれた。
太田はプロの引越し屋を頼むのが大嫌いだった。その時も私のアシスタント達が全部の荷物を運んだのだ。その後一度もプロに頼むのを見た事がない。「どこに何があるかわからなくなるから」というのが理由らしいが、アシスタントやバイトの子たちに頼んでも結果はそう変わらない(ただ、「あれ見つからないから捜して」と運んだ当人にあとで頼める所が違うようだが)。私には、雇った人間たちには何種類もの仕事をさせてこき使って当たり前、と太田が思っているようにしか見えなかった。
借りた家には小さな部屋が四つあった。小さな庭のついた、長屋を区切っただけの名ばかりの一軒家。太田はそのうちの一つにそのがらくたとともにこもってしまった。記念すべき同居生活の一日目だというのに、夜中になってもそこから出て来ない。家賃は十三、四万だっただろうか。当然だが多分、私のお金で借りた家なのだ。一緒に部屋を借りる事に、私は少し甘い気分もあったのに、あまりに永い時間一人にされてなんだか悲しくなってきた。
「ねえ、せっかく一緒に住む事になったのに、いつまでもここに居るの?」
しびれを切らして声をかけた私に、太田は
「だっていろいろ出てきて懐しいんだもん」
と子供のように言った。床には模型の線路が散らばっていて、いくつもの鉄道模型が並べられていた。
私は冗談のつもりで
「もしかして、人間よりも機械が好き?」
と聞いてみた。もちろん、否定してもらうためだった。女と同居した第一日目にそんな質問をされるだけでもどうかと思うのだが、なんと太田は
「機械はうるさくないし、裏切らないし、面倒見なくてもいい」
と言ったのだ。
それは私が、うるさいし、裏切るし、面倒見なきゃいけないって事なの?
私はそこを指摘して、それも冗談にして笑ったと思う。その時はそうするしかなかった。しかし、今考えたら私は怒るべきだった。悲しむべきだった。
なぜなら、あれこそ太田の本当の気持ちだったのだから。
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ヒロカズと借りたこの部屋。最初にあったのは彼がもともと持っていたFAX付き電話、電子レンジ、炊飯器、やかん、フライパン、蒸し器にもなる大きなナベ、フタのない小さなナベ(フタは割れたそうだ)、大きなコップ二つ、小さなコップ二つ。彼の友人からもらったすごく大きなマグカップが二つ、お皿が二枚、スプーンとフォーク、沢山のタオルとせっけん。
お風呂《ふろ》にはシャワーが付いていたが、子どもたちと一緒に入るためには、椅子と桶《おけ》が必要なことがわかる。ホテル住まいの頃にもらったおもちゃのプラスチックケースでお湯を汲《く》んでツバイにかけてやったと話していたヒロカズ。
必要最小限のものを買いに行こう、と出かけた店で求めたのは、ダブルベッド、子どもたちのベッド、テーブルと椅子、そしてカーペット。それから洗濯機と乾燥機とテレビと掃除機と冷蔵庫。
ヒロカズが当然のようにダブルベッドとテーブルと、と言うので私は嬉《うれ》しかった。
布団が敷きっ放しだった昔の部屋。
ダブルサイズの大きなマットが何枚もセットになっていて、マンションの押し入れにはとても収まらない。太田が自分から布団を上げようとした所なんて一度も見たことない。上げられない布団なのだ。そして、干せない。私がマットの薄い方を干そうとしたら、風に飛ばされて汚れてしまった。その時クリーニングに出したまま、戻ってきても二度とそのマットが使われることはなかった。そんなに何重にもマットを敷くセットなのに、なぜかシーツは、洗い替えを決して買ってはくれない。そして、太田が寝ている方だけ布団や枕や掛け布団の首の部分がどんどん変色していくのに、太田は平気なのだ。
六畳いっぱいに敷かれたダブルの布団のはじっこに、背中を向けて寝ている太田をいつも遠くから見ていた。小さなテレビを見ているのだ。テレビをつけっ放しで寝て、私がテレビを消すと、起きてしまう。そしてまたテレビがつけられ、また太田は眠りに落ちる。アインがまだ生まれたばかりだった頃、夜泣きに苦しむ私のすぐ横で延々それをやられて、私はついに切れた。
「やめて。気が狂いそうだよ」
それからは大型テレビでそれをやるのをやめ、音はイヤフォンやヘッドフォンに変わっていった。その頃になるともう、二人並んでテレビを見る事さえしなくなっていた。
新しい部屋でお風呂に入ったり眠ったりすることは出来るようになったが、まだ食事は外食ばかりだった。又は、コンビニで買ってきた、パンやお弁当。私は自分の足がパンパンにむくんでいるのに気づいた。やはり、外食や、売っている食品は塩分が多いのかもしれない。
安定期に入ったものの、ツバイと歩くとすぐにだっこになってしまうので、ヒロカズがいないと買い物に出るのは難しい。
まだ包丁も、お風呂の桶もない暮らしなのに、
「一応義務教育ですからねえ。一刻も早く」
と村木先生に言われたのだ。何も知らないくせに、事情も聞かず。
私は、母親として、というテーマで自分のことをあまり考えない。その言葉に振り回されそうでいやだし、考え出すときりがないような気がする。
母親という言葉は、押しつけがましい、いやなイメージでばかり耳に入ってくる。母親失格、母親学級、例外を許さない、うるさく冷たい世間の視線がそこにある。
ツバイが生まれるまではほとんど風邪もひかなかったアインを、予防注射か何かで小児科に久しぶりに連れて行ったら、
「何でもっとしょっちゅう連れてこないんだ。注射ももっと早く済ませておけばいいのに。母親としての義務をおこたってますよ」
と言われたことがある。
「病気でもないのに連れて来れません」
と私は言い返した。
注射が遅れたのにはわけがある。
アインは太田の子どもではない。私が同居中の太田と別れるつもりで、別の男とつくったのだ。ところが私とその男は妊娠中に仲たがいをして別れてしまった。そこで太田に「自分が育てたい」と申し出られてしまったのだ。私は、
「自分の子ということにして入籍しよう」
と提案する太田に不審なものを感じ、
「なんで事実と違うことまでさせようとするの。そんなの私の性に合わない」
と言ってありのままを人に話し、なかなか入籍しなかった。
その頃私と太田の住民票はなんと九十九里浜にあった。太田の実家のまん前の建て売りを、その五年前に買っていたのだ。太田は子どもが生まれたらここで暮らして仕事もしようと言って、全室に電話機を置いたりしていたが、いつまでたっても子どもをつくろうとはしなかった。
三十歳になった私が、
「そろそろ子ども欲しい」
と言っても、
「まだこっちの仕事の方が波に乗るまでは……あんただったらいくつになっても産めるよ」
と言って相手にしてくれなかった。そして、私だけだんだんその家に近寄らなくなって行き、ついには他の男と子どもをつくってしまったのだ。
しかし住民票はその海のそばの家にあるため、アインの健康診断や注射のお知らせはその家に来てしまう。行なわれるのも地元の保健所なのだ。
私は村役場に行って、
「子どものものだけ、会社の方に送ってもらってむこうでやることはできませんか」
と頼みに行ったが、
「だれもそちらに住民票がないんじゃ、よっぽどの特例でないとできませんね」
と言われてしまった。
「特例って、たとえばどんな」
「里帰りしてるとか」
「里帰りは特例なんですか!?」
人を見おろす視線で足を組み、腕組みしているその女の職員の態度はびくともしなかった。
「私、なっとくいきません。さっきお電話したとき出た男性は、その位なんとかなるでしょうとおっしゃってました。私これからその人を捜します」
私がそう言って帰ろうとすると、その女はあわてて私を呼び止め、
「ちょっと待って。私もさ、ちょっときつく言い過ぎたけどさ」
となれなれしい口調で言った。
「今会議中だからさ」
それが理由になるのかどうか、適当に私をなぐさめただけで又、奥へ戻って行ってしまった。
奥では、
「ちょっと、ビール追加して」
と声が聞こえる。
「どういう会議なんだよ」
私はアインを抱いたまま、玄関にしばらくぼんやり立っていた。
そんな私とアインを、太田は横で見ていたはずだ。確かに、一緒に怒ってくれてはいた。しかし、住民票を移そう、とは言ってくれなかった。太田が一度もそう言わないので、住宅を買ったらそこに住民票がないといけないのだ、と私は思い込んでいた。果してそうだったのか?
その後も実費でアインだけを注射させるために、予防接種センターへ出かけたり、結核センターへ行ったりした。
何もかも、住民票を移せば済む事だったのだ。
太田が自分の実家の側から離れたくなかっただけだった。
その二年後、会社のそばにマンションを買い、私と太田の住民票はそこへ移った。その時、ついでに入籍してアインも認知されたのだ。今はそのついでに入籍してしまったことを心から後悔している。本当に本当に、しなければよかった。これほどの事を要求されるはめになると知っていたら、絶対入籍なんかしなかった!
包丁を買った。
思いきってタクシーを使い、アインもツバイも連れていちばん近いデパートに行ったのだ。
それからツバイが眠っている間に、今度はアインにツバイを頼んで急いでスーパーへ行った。
ご飯の炊ける匂い。
じゃがいもの皮をむく。
そろそろ出来あがる頃になって、ヒロカズが帰ってきた。
「大丈夫だった? 買い物」
「うん何とか」
ヒロカズは仕事仲間とつきあいがあって、デパートへは来れなかったのだ。
「あのね、カレーつくったの」
「カレー?」
ヒロカズの大きな目がもっと大きくなる。
「どうしたの? いい妻やってみようかと思ったの?」
「外食味濃いから……ご飯炊こうと思って。どっちにしろ、仕事ある時はできないし……」
照れ臭くて、声がうわずる。
「こんなでいいのかな、私、あまり上手な方じゃないから」
「どれどれ」
ナベをのぞくヒロカズ。カレーの匂いが部屋に広がる。
「お風呂《ふろ》の椅子とかも買えたよ。ツバイが大変だったけど」
デパートのベビーカーの中でじっとしていたのはほんの数分。何にでも手を伸ばし、歩き回る。アインが一所懸命、
「ほらツバイちゃん、ツバイちゃんてばー」
と追っかけ回すのだが、ただ騒ぎが大きくなるばかり。妊婦は本当に、カルシウム剤を切らすべきではない。大変だったけど、でも、一段階暮らしをそれらしくする事ができた一日だった。
転学証明書はまだ来ない。
ギャラの振込は少しずつこちらに来るようになった。
「そろそろアインのランドセル買えそうだよ」
「ほんと」
「どんな学校行きたい?」
「うーんとね」
聞いてもアインに答えられるはずはない。
「いろんな子が楽しく過ごせるようなところがいいよね」
「うん」
しかしそんな学校はどこにあるのだ。
「あれ、アメリカンスクールのバスだよ」
ヒロカズが指さす。
「そういう所だったら楽なのかな」
ぼんやり見送る私。
また毎日が過ぎて行く。
弁護士さんからも、「交渉の上で不利になるから、アインくんは学校に行かせた方が」と忠告されている。
不利になるから早く、というふうにはあまり考えられなかった。確かに気持ちはあせるが、それは仕方ない事だ。アインが喜んで通える所でなければ……。
そんなある日、仲のいい編集者からこんな電話がかかってきた。
「アインくんの学校のことなんですけど」
「はい?」
「うちの近くにいい所があるらしいんです。編入できるかどうか聞いてみられたらどうでしょうか」
「はあ……」
聞いたことのない学校だったが、話を聞いているうちにいいかもしれない、と思えてきた。
ある人を通じて当たってみた所、しばらくして、一人だけ編入できる空きが出たと連絡があった。
「今日は校長もごあいさつしたいと言っておりますのでどうぞいらして下さい」
校長先生と向かい合うと、私は全てを一通り話した。ヒロカズの子どもを宿してアインとツバイと家出したこと、前の学校の先生の対応が悪くて公立の学校に不信感が芽ばえたこと、前の夫は離婚に応じてくれず、子どもを返せ、収入も半分はこちらへよこせと言っていること、教科書もランドセルも全て持っていないこと。
「うちはいろんな子がいますから」
それだけ言って静かな表情を浮かべている校長先生の前で、嬉《うれ》しそうにしているアイン。
「どうだった?」
「よかったよ。何話しても恥ずかしくないって思える校長先生だったよ」
「そうか。よかったじゃん、アイン」
ヒロカズに言われて、
「うん!! いつから学校に行けるの? あしたから?」
ともうわくわくしているアイン。
「まだだよ。編入試験のおしらせが来て、その試験が済んでから」
「試験あんの?」
とヒロカズ。
「試験なんてかんたんだよ」
はりきっているアイン。
「ほんとか?」
「ほんとだよ。ぼくいつも100てんだもん」
「審査するっていうより、勉強してきたことの様子を見るだけっていう話だよ」
「そうか。大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
試験のお知らせは、学校のお祭りがすんでから来るという。そのお祭りにどうぞ来て下さいと言われていた私は、アインを連れて出かけて行った。
「どこ見たい?」
「おばけやしき」
「おばけやしき……」
体育館の脇に行列が出来ている。高学年の子たちがやっているらしい。
入り口のカーテンからもぐり込むと、顔の前に黒いかたまりがぶらさがっている。裏側から見ると、さかさまになったマネキンの首だった。
「見て見てアイン、これ首だよ!」
「きゃー!! こわーい」
アインは私にしがみついたまま動かなくなってしまった。
「だめだよ進まなくちゃ。『立ち止まらないでね』って書いてあったじゃない」
「こわーい。こわーい」
棺桶《かんおけ》の中から出てくる怪人、髪をふり乱した魔女。怪人のマスクの中が光るしかけになっていたりして、子どもたちが作ったにしては上出来だ。
「よく出来てて面白いから見なよ、せっかく入ったのに」
「こわーい。こわーい」
壁の穴から何本も出て来る手。飛び出してくるジェイソン。吹いて来る風。私も楽しい叫びを上げながら、全然顔を上げないアインを引っ張って外へ出た。
「ずっと目閉じてたじゃない。いろいろ面白く出来てたのに」
「だってこわかったんだもん」
「お母さんのお腹にしがみついてこわいこわい言ってたから、お腹の赤ちゃんに『おにいちゃんはこわがり』ってばれちゃったよ」
照れ臭そうに笑うアイン。校庭に広げられた店はもうほとんど売り切れだ。ようやくじゃんけんで勝つとお菓子をもらえるお店を見つけて走り寄る。
「そんなにこわがりなのに、どうしておばけやしきに入ろうなんて思ったの」
もらったお菓子を頬ばっているアインに聞くと、
「バーバパパみたいなかわいいおばけがいるかと思ったんだもん」。
お昼の休憩を終えたころ、ヒロカズがツバイを連れてやってきた。午後はお店をたたんだ校庭で、子どもたちが踊りを見せてくれるのだ。
「おばけやしきに入ったのよ」
「どうだった? アイン」
ヒロカズに聞かれて、
「うー」
とうなっているアイン。
「すごくこわかったんだよね」
「こわかったよー」
「お腹に顔くっつけてこわがってたから、赤ちゃんにこわがりがばれちゃったんだよ」
「アハハハ」
大きな声で笑うヒロカズ。彼の笑い声はいつも場をなごませる。
「一年生、踊ってるよ」
収穫の踊り。私はヒロカズに言う。
「さっき偶然、知ってる人がいたの。ここ、競争率が五、六倍なんだってよ」
「そうなの」
「それと、全日お弁当だって」
「給食ないんだ」
「アインは大喜びだと思うよ。給食苦手だったから」
幼稚園の頃から、週二回の給食の日は必ず、
「ねえ、今日給食なに?」
と聞いていたアイン。食べられるメニューかどうか不安だったのだ。
「小学校に行くとね、毎日給食なんだよー」
と沈んだ声で言ってもいた。
小学校の給食のメニューも、毎日確認しては、しょんぼりして登校していたのだ。
「アイン、ここの学校は毎日お弁当なんだってさ」
「ほんと!」
「給食苦手だったもんね」
学校が始まったら、毎日早起きの生活が待っている。書く事が仕事の私にとって、それはきびしい状況でもある。家出の直前は、学校へ送り出すのは太田がやっていた。最後に暮らしていたあの小さなビルは、アインの学校からは少し離れていたため、車で送っていたのだ。
その前に住んでいたマンションは、学校の真ん前だったから、何も問題はなかったのだが……。
太田がそのビルを買うと言い出したとき、私はそこを仕事場にするのだと思っていたし、太田もそう言っていた。三階建てで、地下室と屋上があった。太田が永い事欲しがっていた地下室。海の近くのあの家では、造る事が出来なかったのだ。見積りしてもらったら、砂地なので鉄骨の柱を打ち込まないと造れないと言われた。買った家よりも高くなると聞いて、一度はあきらめた地下室。それが、すぐ近くで安く手に入ると聞いて、私は考えた。
「だってお金ないでしょ」
「借金だよ」
「借りられるの?」
「わかんない」
住宅を買うのは三つ目になる。マンションは、たまたま数年前の会社の決算の時、お金の遣い道を考えなければならないと太田が言うので買う事になった。私は、
「映画つくってる人とかにあげちゃったら」
と言ったのだが、
「税金の出ない形で遣わないといけないんだよ」
太田が言うので、
「それじゃ私わからない。好きにしていいよ」
と任せてしまったのだ。その頃仕事を手伝っていた太田の弟に店を持たせようかという話も出たのだが、
「お寿司屋に何年もつとめてて、うどんも満足に作れない人に?」
と言っている間になしになってしまった。そうしてマンションを買い、まだローンも払っているのに、太田はまたビルを買おうとしている。しかし私は、
「お金が借りられるなら買えば」
と言ってしまったのだ。ずっと欲しがっていた地下室、という図に負けてしまった。
仕事場になるはずだったあのビル。いつのまにか、その二階に住む事になってしまっていた。そんな話じゃなかったはずなのに。それで、アインの学校も遠くなってしまったのだ。
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角川書店 大宮様
いつもお世話になっております。
三人目の子が生まれてからは、どうも原稿が遅くなってすいません。授乳中の集中力のなさはわかっているはずなのに、仕事を減らしたくないもんでついついこうなってしまうのです。
さて、今回ですが、こういう形をとらせてもらったのには訳があります。この小説は、毎回毎回、思いついた場面から切り取るように描き進めていることはご存知の通りですが、それにしてもどうも最近分裂ぎみのような気がするのです。
もともとはアインの視点を重視して行きたいと思っていましたのに、太田への回想も多過ぎます。
なので今回は少し軌道を修正するために、頭を整理してみようと思ったわけです。
このあとアインは新しい小学校へ入り、クラスのみんなの前で自分の今の名前、私のペンネームと本名、ヒロカズの芸名と本名を全部説明して驚かれるのですが、その後は特に変わった事もなく、ふつうの小学一年生として楽しくやっています。多少お話しした方がいい事といえば、テストやプリントに全部ヒロカズの名字を使って名前を書いてしまう事ぐらいでしょうか。何度か
「本当はまだ太田なの、知ってるよね?」
と言ったのですが
「うん。でもヒロちゃんの方が好きなんだもん」
と流されてしまいました。ついには学校の先生から
「アインくんの来年度の名簿の名字はどうしますか?」
と聞かれてしまい、
「本当はまだ違うんですけど、どうも本人がそういう気分のようで……すいませんが、今の彼の名字に変えてやって下さい」
と言ってしまいました。
そういえばヒロカズの誕生日に、学校のそばからアインが電話をしてきたので
「今日ヒロちゃんのお誕生日だから早く帰ってらっしゃい」
と言ったところ、
「あっそうだった!」
と叫んだアインに
「何なに、どーしたの」
と周りにいたアインのクラスメイトが声をかけたのです。その時もアインは、
「今日お父さんの誕生日なんだ」
と当然のように彼らに言っていて、私の方が驚いてしまいました。
しかし考えてみれば、子どもが勝手に書いている名字をそのまま使わせてくれているような先生であり学校なのです。それだけでもこの学校にしてよかったのだと思います。
そうそう、それとお弁当の時間、アインは最初はおしゃべりもせずにもくもくと食べていたのだそうです。
先生が
「アインくん、お昼はおしゃべりしながら食べた方が楽しいよ」
と言うと、アインは
「前の学校では給食の時間はおしゃべりしちゃだめって言われたの」
と答えたのだそうです。
その話を聞いて私の頭にあの村木先生の冷たい声や表情が浮かんだのは言うまでもありません。なにしろ家庭訪問で「給食を残さない事」、しか言わなかった人ですから。アインはその後お友だちとおしゃべりしながらお昼をとるようになり、昼休みにもよく遊んでいるようです。お弁当は、残っている事が多い。遊びたくてうずうずしながら、大急ぎで食べているのでしょう。またこんなに残して、とがっかりする事もあるのですが、横でヒロカズが
「そんなもんだ、子どもは。アインはオレの弟と似てる。弟はお菓子ばっかり食べて、めしを喰《く》わなかった」。
弟さんのお嫁さんにも、来月赤ちゃんが生まれるんですよ。ヒロカズが突然三児の父になった直後に、ヒロカズのご両親は突然四人の孫を持つわけです。
新しい娘は、おかげ様でヒロカズそっくりです。なんとなく、ヒロカズのお父さんにも似てる。一度も疑われた事なんてなかったけど、もうだれが見てもヒロカズの子ですね。会わせる度に、ヒロカズのおうちでは皆が口々に
「このへんほらお父さんに似てない?」
「まー、ヒロカズの赤ちゃんの頃にそっくり」
「最初は弟に似てると思った」
と言ってくれるんですよ。あのね。太田の家ではね、全くこんな事はなかったの。
ツバイが生まれた時、私はツバイは太田のお母さんに似てると思ったんですよ。
「ねーねーお母さんに似てない?」
といつも太田に声をかけたけど、一度も同意してくれませんでした。生返事だけ。太田のお父さんも。なんででしょう? 私は本当は疑われていたのかしら?
そのお母さんも最初の調停の日に亡くなってしまいました。
その事は、税理士さんが電話をくれた。
「うそ!! どうしよう!」
と思わず頭を抱えました。
「太田のお母さんが亡くなったって……」
ヒロカズに伝えると、
「行った方がいいんじゃないのか?」
そういう人なんです。ヒロカズは、一度だって太田の事悪く言ったことがない。
「俺は会った事ないし、あなたを通じてしかわからないから」
と言うだけ。逆に太田の事を思いやっているときまであります。
「行けないよ。こんな大きなお腹で行ったら、みんな太田の子どもだって思うもん」
結局税理士さんと弁護士さんとに話を聞いて、お香典を送りました。
しかし、どうしてお母さんが危篤なのに、太田は調停に来ていたのでしょうか。私は弁護士さんに頼んで自分では行かなかったけど、太田はおかあさんが死んだその同じ日に、ちゃんと家庭裁判所に来ていたのです。
私はそういう所も、考えると少し恐い。
太田の家は昔、お店をやっていて、みんなで働いていました。お父さんが調理パンを作り、おばあちゃまが煙草や切手を担当していた。だけどお母さんは、看護婦として働きに出ていたのです。そして私はお母さんから、
「うちはお父さんが体が弱いから、私が一人で働いていたし」
という科白《せりふ》を聞いた事があるのです。
太田はツバイが生まれた時、女の子だという事を大層驚いていました。太田の家系では、女の子はほとんど生まれないそうです。
「それと女は早死にすんだよね」。
太田の家の人々のうち、男はほとんど口をききません。うなずけば用事が済むくらい、ずっと女が話しかけている。私は太田家の中では無口な嫁という事にまでなっていたほどです。
何もかもやらせられて、そして早死にしていく女たち。
今の私にはそういう風に見えてしまうのです。太田が私にしている、あまりにずうずうしい要求。私の周りの人はみな、
「そこまでしてあげなくてもいいんじゃないの」
「欲張り過ぎじゃないのかな」
「そんな人には見えなかったのにね」
と言うのですが、当の太田は
「自分の周りの人はみんな、もっと金もらっていいはずだと言うから」
と言っていたらしいのです。
周りの人って……?
私の仕事のサポートだけをしてきた太田にとって、ほとんどの知り合いは私の仕事相手の人でした。
その「周りの人」の中には、太田のお父さんも入っているに違いありません。
私は、恐い。
太田はなぜ、女に働かせて、それが当然と思えるような男なのか。ずっと不思議でしたが、それがもし、太田家の家風でもあるとしたら、私に勝ち目はありません。太田は自分がもらって当然と思う額が手に入るまで、自信をもって要求しつづけるのでしょう。
つい先日も、私と子ども三人は、DNA鑑定のための採血に行ってきたばかりです。
ツバイは自分の子に間違いないからと太田が言っているというのを聞いて、
「いや、ツバイもやって下さい。将来のことがありますから」
と言ったのは私です。そしてツバイだけが、うまく血管に収まらなかった注射針を、三回も体に入れる事になり、痛さに大泣きしたのです。
「あーもー見てらんないよー」
と言っていたアイン。
ドライは赤ちゃん用の固定帯にぐるぐる巻きにされてから血を採られていました。
私が起こした事です。
だけど、太田がここまでぐずらなければ、しなくても良かった行為です。
はっきり言って、私はもう太田が憎い。殺意は、昔からありました。無口なだけで、誠実に見えるのをいいことに、私から搾取しつづけるふてぶてしさ。
その後も弁護士さんから次々と、太田がどんなに私の稼いでいたお金を使いまくっていたかを知らされ続けています。二百万円のコピー機を買ってしまって、お金が払えなくて差し押さえに遭っているから私が払わないといけないらしい、とかね。
それとね、大宮さん。今まで私、書かなかったんですけどね。やっぱり太田は自分のバンドを売るために私を利用した、という事だよな、と最近しみじみ思うんですわ。そういう書き方をしないと、わかりにくい点が多いのに気づいた。何か別の表現にできないものかなと考えていたんですけどね、たとえば子宮外妊娠で私が倒れて、手術したあともステージに立つことになって
「MCの時、病気してたなんて言わない事」
と命令されていた事とか、私が体をこわしてても殴ってでも地方ライブに連れて行った事とか、それもそのバンドのライブはすごくお金がかかるのに、そのお金も全部私の稼ぎから使っていたのとか……バンドっていうと、楽しそうに見えるからだれもそんな事知らなかったんですよ。説明しにくいと思ってたの。でも、私が
「もう何もかもめんどくさい、死にたい」
となった時って、やっぱりバンドの事が大きな原因だったから、うまく書けるかどうかわからないけど、やっぱり書いていこうと思います。
歌が歌えて、踊りが踊れる能力ってのを、こういう形で利用されるって、とても不幸せなものですね。
最近は少しずつ治ってきましたが、一時は音楽を聞けない病気のようになっていたんです。もちろん、わざわざ聞こうとしなくても至る所から音楽は耳に流れ込んで来る。作詞の仕事を頼まれる事もあるので、そういうのは聞いてはいました。
しかしやはり、私は太田からそういう所を利用され過ぎた。
太田は自分のバンドを、実力派と称されたいと望んでいて、あくまでその方向でやりたかったんです。だから、私なんかが歌いたい曲として出したものなんか本当は無視したかった。しかし、私だって人間、そう簡単には行かない。なのでいつも、ちょっとだけはやる。それから
「やっぱしダサい」
とか
「今回は他の曲と合わない」
と言ってやらなくなるのです。そして、「実力派」にふさわしい、やたらと難しい曲をやるため、海外のナンバーを次々と仕入れては、私に訳詞を書かせる。私は振り付けも考えていたのですが、あまりに踊るのでは、実力派らしくないので、太田は実は嫌っていました。踊りが出来上がった所で、それが使えなくなるようなアレンジに変えられてしまったりもした。それと、衣装。私はバンドの衣装を制服と呼んでいました。制服と呼ぶとそれだけで笑う人もいたけど、私にとってはクラブのホステスだった頃与えられていた店からの押し着せとほとんど同じだった。
太田から詞を書くように命じられた曲は、太田が私の仕事部屋に置いたラジカセの中でいつもエンドレスにかかっているのです。覚えなければ、ステージで恥をかくのは私。楽しそうで華やかで奔放に見えるリードヴォーカルの私。しかし裏であやつりの糸を引き続けていたのは太田だったのです。
太田が勝手にどんどんスケジュールに入れてしまうライブとそのリハーサル。それと同時に仕事もあるのに、太田はいつも容赦なくライブをやるのです。私はいつしか、ライブに自分の好きな男を呼んでその気にさせる事で太田に復讐《ふくしゆう》していた。そういう図式になっていたのが今はわかります。太田はそれでもバンドが売れればよかったのです。
歌や踊りほど、異性を魅《ひ》きつけるものはありません。私がステージに立てば、必ず浮気する危険が待っている。太田はそれでもよかったのです。
沢山ライブをしました。
もしかしたら、私がつきあった男で、私のステージを見ていないのは、ヒロカズだけかもしれません。
こないだ、子どもたちと私とヒロカズで、カラオケに行ったんです。そしたら、ヒロカズの前で歌うのが、ものすごく恥ずかしい。飲んでいたのに歌うほどに醒《さ》めていく。私は好きな異性の目も見れないくせに、歌の内容だけでその人を口説いた気になっている内気なしろうとの歌い手の事を永年バカにしていたのですが、その夜の私はまさにそれでした。ヒロカズの事みたい、と思って選んだ曲なのに、歌い始めたら恥ずかしくて彼の目が見れない。ヒロカズのおかげで私は歌い手としてスタート地点に戻れたのかもしれません。
子どもたちのために子どもの歌を歌うのはいつも平気でした。その時がいちばん自然に歌えていると思います。ところが大人に聞かせる時がうまくいかない。よその飲み会でカラオケに行くと、自分では、自分が歌いたい歌を選んでいるつもりなのに、なぜか歌い終わるなり
「ねえ! じゃ次この曲歌って」
と言われてしまうのはなぜなのか。
「上手、もっと歌って」
ではなく、曲を指定されてしまうのは、私が十何年も太田の言いなりに歌ってきたからなのでしょうか?
家出する少し前は、音楽を聞けなくなった自分を何とかしたくて、友だちのライブにはなるべく出かけるようにしていました。
ヒロカズも一緒でした。
そしたら、キーボードのレイちゃんという人が、CDをくれたのです。レイちゃんが永くつきあっていた恋人と別れた時のことを書いた歌が入っているCDでした。
本当に久しぶりに、CDをかけました。
そしたら、その日はヒロカズに電話がつながらなくて淋《さび》しかったのが癒《いや》されてきたのです。
音楽ってこういうものだったんだ、永いこと忘れていた何かを思い出すような気持ちになりました。
そして、よせばいいのに私は太田にそれを話したのです。
「今日レイちゃんのCDかけたら、なんだか淋しさが癒されてきてさ、音楽ってこういうものだったんだね」
太田の答えは
「あたりまえじゃん」
でした。
私はかっとしました。
「今まで私、そんな事も忘れてたんだよ? そこまで私を追い詰めてたのはあんたでしょ!?」
会話はそこで終わりでした。
音楽がこんなに悲しいものになってしまうなんて、人間としてとても淋しいと思います。涙が出そうでした。
バンドは結局、やめてしまったのです。
人からは
「楽しそう、うらやましい」
と言われ、
「歌や踊りも出来るんだね」
とほめられ、しかし内情は自分の稼ぎをどんどん使われている割には何一つ意見の通らない、苦行のようなバンド。見に来る人はみな私のバンドだと思っているのに、実は太田がお殿様なバンド。十三年半もそれでやってきて、ついに私は投げてしまったのです。
「ツバイちゃんが大きくなったらツバイちゃんをリードヴォーカルにしてまたやればいいよ」
ツバイはまだ二歳にもなっていないのに、私は皮肉まじりに太田に言いました。
いつものように、太田は返事もしません。
しかし私の知らないうちに、それと引き換えに、地下室付きのビルの物件を買う事を考えていたのです。
私がバンドに協力しないのなら、せめてスタジオを。
そして私はその考えに負けてしまいました。バンドくらいは太田の好きな様にさせてやりたいと考えていた。これほど自分ががまんしていたことに気づいていなかったのです。バンドをやめてしまった今、十年以上も前から欲しがっていたスタジオという交換条件をちらちらさせられて、私は怒るどころか、すまない気持ちになって、そのくらいは、もし、お金が借りられるのなら……と思ってしまったのです。
どうして私はそんなに太田に負い目を感じていたのでしょうか。
自分でも今となっては、あれだけやられといてそこまでしなくてもと思える程なのに。
きのうも弁護士さんからFAXが来ました。
前の会社で太田が買ったものをどうするか、とにかくリストを送りますという事でした。
百万以上するコンピューター、六十万近くするビデオカメラ。そしてさっきの二百万円のコピー機です。リースでなく、買ってしまってお金が払えなくなっているのです。
不動産とさまざまな物、その他に一千万近い現金まで要求してきている太田。
今までこんな考え方はしないようにしてきた私ですが、本当に、この人は男として恥ずかしくないのかなと思います。
アインがお腹にいるとき、私は一人で産んで育てると言ったのに
「仕事も子どもも両方あんたの子どもなんだから、どっちかダメにしちゃいけない」
だの、
「一人で産んで育てるなんて、そんな大変な事、選んじゃダメだ」
だのと言っていたくせに。
みんな嘘だったんですよ。それを自分で言ってるようなものでしょう。離れていくんなら、子どもらの事も含めて知った事じゃない、自分一人の生活やプライドこそ大切だと言ってるのと同じでしょう。
出生届を出してない娘を抱きながら、
「太田、いっそ死んでくれないかな」
とつぶやく私は危険な女でしょうか。
太田はこんなに私に憎まれて平気なのでしょうか。アインにDNA鑑定の採血の話をしたとき
「こわいよー、そんなことまでしなきゃなんないくらいにぼくたちをいじめる太田さんなんて大嫌いだー」
と言われ、私は黙ってしまいました。
そんな日々なのでつい、分裂ぎみの原稿になってしまうわけです。次回はもう少し、落ち着いて書いてみたいものだと思います。しかし、本当に出来るんでしょうかね。
[#地付き]では又。
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6
前の学校の時、アインはそれはそれは重いランドセルをしょって出かけていた。持ち上げると、私でもびっくりする程重いのだ。
「どうしてこんなに重いの?」
と言うと、太田はあたりまえの様に
「全科目入れてあるから」
と答えた。
毎朝行く用意をしてくれているものと思い込んでいたが、ただ、教科書を全部詰め込んだランドセルを持たせているだけだったのだ。
朝食も、「アインがこれがいいっていうから」と言って、毎日冷凍チキンナゲットを、電子レンジにかけて出していた。
確かにアインは、小食で、食べられるものも少ない。食事を作るたびに太田は
「もっと食べろよ。せっかく作ったのに」
と怒っていた。
山のような焼きそば。
麺《めん》しか食べないアイン。
「いいよいいよ、あたしが食べるから」
すごい量だ、と私は毎回思いながら食べていた。太田と暮らしていると、出会った頃太田がなぜ痩《や》せていたのか不思議でならない。まるで私を騙《だま》すためにだけ痩せていたかの様だ。
最後の夏、プール開きの日に、太田はアインにプールカードを持たせるのを忘れた。アインはそのせいでプールに入れてもらえなかった。
「かわいそうじゃないの。アインに謝ってよ」
私は怒って、太田に迫った。
「すいませんでしたね」
太田はアインにでなく、私に言った。
「アイン、プールに入れなかったんだってね」
「うん。入れなかったんだよー」
そんなに気にしているふうでもない。しかし私はアインが可哀そうなのと同時に、太田にとても腹が立っていた。
太田はアインのことを可愛がってなんかいない。なのに、血のつながっていないアインを育てているというだけで、周囲からはものすごくいい夫だと思われている。
だけど、私は知っている。
アインが赤ちゃんの頃、いつもそれで迷っていた。悲しい気持ちで
「アインのこと好きじゃないんだったら一緒にいるのやめて」
と何度も言った。しかし、その度無視されてきた。
一番いやだったのは、坂道でベビーカーを押す手を離すことだ。
「やめてよ。どうしてそんな事するの。こわいからやめて」
と言っても、太田は、
「大丈夫だからやってるの」
と聞いてくれなかった。
太田は自転車マニアで、細くて軽いスポーツ用の自転車をいくつも持っている。その、私だったら押して歩くのも大変な安定しない自転車の、座席を片手で支えるだけで転がして運ぶ器用な事もやってのける。
しかし、だからと言ってゆるいけれども坂道でベビーカーの手を離すというのはどんなものだろうか。それに太田は、ツバイの時はそんな事一度もしなかった。
「うつぶせにして泣かしとくとそのうち寝るんだよ」
と、アインを泣かせたままにしていた太田。
「そうなの?」
私は仕事をしなければならなかった。太田がアインを泣かせっ放しにしても、コンピューターの横にベビーカーを置いて、それに肌着一枚でくくりつけっ放しにしても、仕事中は「そんなものかな」と思うしかなかった。私一人が面倒を見ていた時期は、ずっと左腕に抱いたままで仕事していたが、太田はあまりアインを抱こうとしなかった。そしてツバイの時は、私が好きで入れた仕事のためにずっと抱いてあやしてはいたが、後になって
「ずっと泣かれてるこっちの身にもなってよ」
と言ったのだ。私が入れた仕事は、あまり金にならなかったからだろう。
何を思い出しても、気が重くなる。
何もかも私のせいにするのに、一度も迷わなかった太田。
そして、「やっぱり私が悪いのか」という気持ちでずっと働き続けてきた私。
人はよく
「何にでも感謝の心を忘れてはいけない」
と言うが、今の私は
「それは間違っている。正しくは、場合による」
と言いたい。太田にあまりにも感謝していたおかげで、すっかり図に乗られ、やらなくていい事までやらされてしまっていた。しかし、よく考えると、これは私が何度も繰り返して来た事だった。気がつくといつも、
「私、なんでこんな事までやっているんだろう」
と思い、その度にその人物から離れてきた。しかし、そうなってもその人物は、絶対に反省しないのだ。あてがはずれたような顔になって必ず怒り出し、かきくどき、私をもとの場所へ返そうとする。しかし、条件の改善は決して言い出さない。あくまで
「あんたのためを思ってやっていた」
「気のせいだ」
「考えすぎだ」
と、言い訳がついてくる。
話し合いにならない、だから訣別《けつべつ》するしかない。
いつもその繰り返しだった。
別れる頃には、必ず相手にとってはかなり都合のいい条件になっているからかもしれない。
相手が私に
「よしこれでいける。このまま一生こいつにおんぶして、と」
と思うまで来て、やっと私は気づく。
「私、こんな事までしてなきゃいけないのだろうか? 何故?」
と。
きっと相手側に回った人々は、思っているのだろう。
「自分がここまで育ててやったのに、何を今さら恩を仇で返すか」
「自分の言う通りにして来てここまでになったくせに、突然めちゃめちゃにしようとして」
というような事を。
だって皆、そんな反応をしていた。そしてそんな顔をされるからこそ、私はまたがんばった。そんなはずはない、私がちゃんとやってきたからうまく行っていたのだと。がんばれば、相手は遠ざかっていく。いつもそうだ。こんな形は望んでいないのに。相手が考え直してくれれば、今後も少しは仲良くできるはずなのに、私はそう考える。しかし、相手は「指導してやっていた立場」から降りて来てはくれない。
こうしてきっと、私は親との関係をなぞるように繰り返しているのだろう。一生?
「ごめんなさい……のこしちゃった……」
小さい小さい声でアインが言う。おびえるように、上目遣いで私を見ている。
「いいよ、どうしてそんな小さい声で言うの?」
「ふつうに『ごちそーさま』って言やいいんだよ」
ヒロカズも言う。
「うん」
やっとアインは顔を上げる。
よっぽど太田にきつく怒られていたのだろう。私が見ていない所で。アインはいつも、食事を残すことにびくついていた。
「でも、残すよ。すごい量つくってたんだもん。その度『せっかく作ったんだから、もっと食べろ』と言ってたし」
それも同じ様なメニューばかり。アインの好きな物を増やそうとするのではなく、自分の好きな物をアインに押しつけるようなやり方。
アインは、一般的に子どもが好きだと思われているものが全部苦手だ。カレー、マヨネーズ、ケチャップ、ハンバーグ、ソース、サラダ。だからこそ、給食で苦労していた。
かわりに、お刺身、焼き魚、根菜の煮物、果物などが好きだ。それとお菓子。
一般的にハンバーグは、やわらかくて子どもには食べやすいという事になっているが、アインは、逆に歯ごたえのある物が好き。焼肉屋に行くと、タン塩ばかり食べている。タレより、塩やしょうゆ。私も子どもの頃は甘いタレが嫌いだった。そしてやはり、給食をよく残した。
しかしアインは、その食べ物に物語を見出すのが好きで、それがうまくいくと苦手だった物が一転して好きなものに変わったりする。たとえば野菜や果物は、なるべく皮付きを買ってきて、一緒にむく時間を取ると喜ぶ。アップルパイを買って来るよりも、目の前でりんごをむき、煮たり焼いたりしてやると、
「ぼくがシナモン入れるー!!」
と飛んでくる。
子どもむけの料理番組を見て、
「あれやってみたーい」
と言ったりする。テキストを買って一緒に作ると、いつまでも覚えている。幼稚園では
「将来はケーキ屋さんになるの」
と言ってはばからなかった。
買ったバナナが黒くなりかけると私は、
「バナナケーキつくるから、つぶしてー」
とアインに声をかける。
アインは、フォークやポテトマッシャーで一所懸命バナナをつぶす。最近はツバイもやりたがるので、テーブルも彼らの顔も手もすぐバナナでべたべたになる。それでも二人は大喜びだ。ふくらんだケーキが姿を現すときには、目を丸くして
「うわ〜」
と声を合わせる。
太田と暮らし始めた十四年前頃、私は家事をしなかった。
あまりにも仕事の量が多かったのだ。
昼も夜も、日曜も祭日もなく、ろくにお風呂《ふろ》も入れず、風邪をひくひまもなかった。一日に締切りが十三本重なった日もあった。1DKのアパートの仕事部屋に置いた小さなソファに、三〜四人の編集者が並んで座り、原稿が上がったそばから去って行き、別の人間と入れ替わった。
小さな仕事の山。それでも来るはしから受けていれば、寝る時間もなくなる。
太田は、自分の仕事を勝手にやめて私の所へ来たくせに、鳴り続ける電話に恐れをなして受話器を取ろうとしなかった。
太田は人と話すのが苦手だったのだ。しかし、私だってそれこそが頼みたい仕事だった。別の仕事の人と話をすれば、今書こうとしているものの世界観が中断されてしまう。知らない人の電話ならなおさらだ。なのにあまりに電話が多いので、太田は電話が鳴ると冗談めかして狭い部屋の隅に逃げ出すようになった。
私はむかむかした。
「取ってよ」
と言うと、どうとでも聞こえる小さな返事をする。黙っている時もある。そして、取りはしない。その頃はまだ珍しかった留守番電話のスイッチを、留守でもないのに、そして自分は何もしていないのに入れてしまう。
もう少しで上がる仕事を編集者が取りに来た時は、インターフォンに出なかった。
「今、仕上げやってるんだから出てよ」
と私がいらいらして言うと
「やだ。出てよ」
と甘えたように言うのを聞いて、ついに私はかっとした。
「こんなんで仕事できるか!」
と叫んで、ダイニングのテーブルに乗っていた卵の十個パックを、思い切り床にたたきつけた。
ぐしゃぐしゃに割れる卵。中身は飛び散り、床はドロドロになった。
そして私は、机に戻った。外では、インターフォンを鳴らした編集者が待っている。こちらが指定した時間だからこそ、そこに来ているのだ。
太田はあわてて床を掃除していた。
インターフォンに出たり、ドアを開けたりはしない。待たせた相手に詫《わ》びを言うことよりも、私の壊した卵をないことにするのに必死なのだ。
なんと役に立たない人なのだ、と私は頭に来ていた。
それでなくても、仕事が乗っている時に必ず、
「ごはんは? ごはんは?」
と毎日言い出すのでうんざりしていたのだ。私一人だったら少しくらい食べなくても仕事するのに、役に立たない方の太田は食事のことばかり言う。
実際、マネージャーとして仕事すると言ったくせに、電話をかけさせると、さんざん深呼吸などして心の準備をしたあとで
「マネージャーと申しますが」
と言ったり、私が
「あ、その仕事受けていいよ」
と言うと
「よろしいと申しております」
と伝言したりしていた。
その度笑い転げてはいたが、今思うとなんて図々しい男なのだろう。
そしてその状況を体現するかの様に、太田はみるみるうちに15キロも太って行ったのだ。
そのくせ、ある時自分だけ風邪をひいて寝込んだ。
食事の時間になると、太田が寝ている自宅へ走って帰り、食事を作ると、また走って仕事場へ戻った。
なんで自分がこんなに何もかもやっているのだろう、と少し思いながら。
それでも、いっそ太田がいないと、一人で仕事するのは楽だった。元に戻るだけのことだ、もともと一人でしていた事だ。
太田がいて嬉《うれ》しかったことが一つある。
急に仕事が集中した私には、トラブルも多かった。デビューしたてのぺーぺーの女なんて、何でもこっちの言う事聞いて当然だろ、という態度の編集者も多く、その都度一人で立ち向かっていた。
終わる度、疲れた。そして不安になった。
「私、こんなに生意気な事ばっかり言ってて、仕事なくなったらどうしよう」
と、太田に漏らした。すると太田は
「そしたら二人でバイトすればいいじゃん」
と言ってくれたのだ。
それを聞くと、よし頑張ろうと思えて、元気が湧いてきた。
なのに、今。
私一人に十五年も働かせた挙句、こんなに金や物を要求する太田がいる。
太田はもうあの頃の事は忘れてしまったのだろうか。
それともあの言葉がそんなに私の心の支えになるとはつゆ知らず、ただその時の流れで何となく言っただけなのか。
あの
「仕事も子どもも両方あんたの子どもでしょ」
というのも?
皮肉な名言が私の中に虚しく残る。覚えている私が愚かだったのだ。
アインは、今朝も七時前に起きてきた。
今の学校に変わってから、一度も寝坊した事がない。それどころか、育児や仕事で起きれずにいる私を起こしてくれる。
「前は眠ったままリビングへ運んでって、テレビやビデオをかけて起こしたりしてたのにね」
「うん。だって今の学校、楽しいんだもん」
「よかったねー」
「うん」
ふと思いついて、聞いてみた。
「ねえ前、朝ごはんチキンナゲットばっかりだったでしょ。あれ、つまんなくなかったの?」
「うん。チキンナゲットばっかりだったよねー」
やはりアインはあまり気にしていなかったかのような返事だ。しかし、子どもとはそういうものなのではないか。自分の育ったうちの事を客観的に見れる子どもはいないのではないか。私には子どもが意見しないのをいいことに、太田が手を抜いていたように思えるのだ。
冷凍チキンナゲットが山程入った大きな袋、凍ったやきおにぎり、凍ったホットケーキ。太田は何でも大量に買い込んでは冷凍庫に入れる。色の変わってしまった冷凍肉。真っ黒なカチカチのバナナ。うなぎ、かに、コンビニのおむすびまで何でも凍っている。それを温めて出すのが料理だと思っている。
私が朝によくコーンフレークを食べていた頃、
「これ買ってきたよ」
と給食用コーンフレークの1kg袋を渡された。
「1kg……?」
枕二個分もある大きな大きな袋に、味のしない、まずいコーンフレークがつまっていた。食べても食べてもそれは減らなかった。ナッツを混ぜてカラメルをからませたりしてみたが、量を見るとやる気がなくなってしまうのだ。割れるから、プラスチックの衣装ケースにしまっておいた。私は、ベリーやナッツが色とりどりの、輸入ものの綺麗《きれい》なフレークを楽しんでいたのに、よりによって給食用の、それも1kg。まるでいやがらせのようだった。
その前にも干ししいたけの1kg袋、業務用からあげ粉1kg袋が台所にあった。干ししいたけも使っても使っても減らない。乾物だからと言って、風味が変わらないとは限らない。からあげ粉は業務用のせいか、味が濃すぎて好きになれなかった。
台所には巨大なまな板とすしネタの展示ケースがあった。引越してきてすぐ、花火を見ながら宴会をするというので、その頃仕事を手伝っていた太田の弟が買ったのだ。しょうゆ皿なども、使い捨てでない陶器のものを買ってしまったので、何十個も積み上げてある。
「ネタケース、倉庫に持ってってよ。でなかったら実家に送って」
と何度言っても聞いてくれなかった。台所の収納コーナーをまるまる一角つぶして、いつもそこには使わないネタケースがあった。
大量の買い物。そしてそれを片付けない、買ったら買いっ放し。部屋が部屋として機能しなくなるまで放ったらかして、ある日突然全部箱に詰めてしまう。
宴会をすると決めると、テーブルを何台も買ったり、ベランダに出るためだけに、サンダルを何十足も買う。私はついに怒った。
「どうしてふだん使わないものをそんなに買うの、見栄っ張り!」
返事は
「使えばいいんでしょ」
であった。箱に詰められ、どこかへ消える。家出したあと、倉庫を三つも借りていたと聞いたが、つまりそういうことだ。
私が
「ベランダ掃除しないと」
と何度言っても無視して、その後その解決のためにお金をつかう。
私は太田のそういう所を人に話さなかった。そして話さなかった事をこんなにも利用されてしまった。
外側から見ると、私は奔放で、好き勝手な事をしていて、それを太田がつつましく支えているようだったらしい。それは、ある点では正しかったが、ある点では逆だった。もしかしたら、私はせめて人目には、楽しくやっていると見られたかったのかもしれない。血のつながっていないアインを育てると言い出した太田は、決してお金目当てでない。だれよりも私自身がそう思いたかったのだ。
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7
その電話は、当たり前だが普通に掛かって来た。
「もしもし、弁護士の田口ですが」
「あ、おはようございます」
「今よろしいですか」
「はい」
「DNA鑑定の結果なんですけど、今日裁判所の方から連絡がありましてね」
「はあ」
「三人とも、太田さんの子じゃないということなんですよ」
「嘘!」
しかし、嘘なはずがない。私はとりあえずそれを信じるしかなかった。
「そうだったんですか……」
「そうなんです。それで、真ん中のお嬢さんも、親子関係不存在ということになったわけですから……」
「そうですね」。
答えながら私の頭の中は、大急ぎで三年十ヶ月前にさかのぼっていた。
確かに、他にも相手はいた。うんざりして、飽き飽きして、妊娠をきっかけに「これでやっと別れられる」と大喜びしたような相手だ。絶対にそっちの子ではないと誰よりも私自身が信じ込んでいた。なのに、何てことだろう。
電話を切るなり私は、ツバイと遊んでいるヒロカズに近寄り、ツバイの頭に手を置きながら言った。
「太田の子どもじゃないんだって」
「そうなの!?」
びっくりするヒロカズ。
「そうだったのか、君は」
ツバイを見つめるヒロカズ。ぽかんと見返すツバイ。
「私、太田の子どもだって思い込んでたから、びっくりした。でもこれで、太田にはだれの親権もないの。どの子どもも取られなくて済むんだよ」
「そうか。じゃあ、良かったじゃん」
「でも、なんか……」
やはり簡単には頭の整理がつかない。いくら自分の子には間違いないといっても、三年二ヶ月もの間、太田の子だと思い込んで育てていたのだ。
「しかし、そりゃあ育児なんてしないよな。したかないよ、自分の子じゃないんだもん」
笑うヒロカズ。笑えない私。
「嫌いな人の子どもでもお腹に宿るんだ……」
「そりゃあ……そういうこともあんじゃないの? さあ、ドライちゃんは大丈夫かなあ」
「それは大丈夫。あなたしかいないもの。ツバイの時はね、いっぱいいたのよ」
「やめてくれー」
耳をふさぐヒロカズ。私は黙ってそれを見つめる。
そのあと私はキッチンテーブルに頬杖《ほおづえ》をついてぼんやりしていた。ヒロカズが
「大丈夫?」
と顔を覗《のぞ》き込む。
「あなたはいいの? こんな事になっちゃって……」
「俺は別に、関係ないよ」
「そう言ってくれるのは、嬉《うれ》しいけど、でも……」
もちろん、何かが変わるわけではない。ツバイはツバイなのだ。だけど……。
私の体が私に嘘をつき続けた三年十ヶ月を、私は頭の中でどう変換すればいいのか。
そしてヒロカズは、大阪へ出かけてしまった。こんな日に彼がいないなんて。太田が今にも家に火を付けにやって来るような気がした。誰にも話せず、一人で繰り返し繰り返し考えた。私は間違っていたんだ、ツバイは太田の子じゃなかった。
呆然《ぼうぜん》としてはいても、赤ん坊の世話と仕事ですぐに一日は終わる。子どもが三人とも寝付いてからやっと、親しい友人に電話をして話を聞いてもらい、少しずつ落ち着いていった。
これで良かったのだ。三人とも鑑定を受けさせて下さいと申し出たのは間違いではなかった。ツバイだけ三回も注射針を入れられて泣いていたことも全部、むだにはならなかった。事実と違うことの中で生きていくより、多少|辛《つら》くてもほんとのことを知ったほうが良い。そして、それが辛いかどうかはツバイ自身が考えることだし、彼女にはそれを辛くなくする力だってあるのだ。
私が彼女を太田の子と思い込んでいたのは、彼女が無事に生まれてきて、無事に三歳まで育つためだった。もし、妊娠してすぐにこのことに気づいていたら、こうはならなかったかも知れない。自分の子どもだったら堕ろせと言われたことがある、私に暴力まで振るっていたその相手。二度と会いたくないその相手。
「知らせる義務なんてないから、知らせないし、これでまた情が移って連絡を取ったりなんて、絶対しない。ヒロカズ、それだけは信じてね?」
ヒロカズは全部知ってる。ドライがお腹に入る前に、その相手のことは私がみんな話した。話しておいて、ほんとうに良かった。
「でも、太田だったら一度も会った事なかったのに、知ってると生々しくなっちゃって……それだけはあなたに悪くて」
「そんなの、関係ないよ」
「…………」
私はやっぱりとんでもない女なのかもしれない。こんなことが自分でわかってないなんて。太田といる間中、私には別につきあっている男がいつもいた。いなかったのはアインやツバイが赤ん坊だったときだけ。授乳中だけは、そういう気が起きないようになっているらしい。
「私はずっと子どもが欲しかったのに、それについては太田といた十七年間は全くの無駄だったってことよね」
「何で一緒にいたの?」
女ともだちが聞く。
「何度も別れようとしたのよ。簡単に言うと、向こうが別れてくれなかった。毎回私が根負けしてしまった。何であんなに別れてくれなかったんだろう。男ってどうして、こっちから別れたいって言うとぐずる人ばっかしなんだろう」
「それは、好きだからでしょ」
「そんな綺麗事《きれいごと》じゃないのよ。ツバイの相手のときもそうだった。好きとかそういうのじゃない。飼ってた小動物が逃げたような顔してんだよ、みんな。自分の手の中でこれからもずっと物事が進むはずだと思い込んでる。私が逃げさえしなければ全てうまくいったはずなのに、って」
「そうなの?」
そういう経験のないらしい彼女は、ただ不思議がる。
「ほんとほんと、もう右手伸ばして指動かしながら『チッチッチッチ』って言いそうな感じ。左手にカゴ持って。太田だって、私と子どもらが家出したとき、まじで『逃げられちゃった』って言ってたんだから」。
そして、ヒロカズはその「逃げられちゃった」を聞いて、「可愛いとこあるじゃん」と言ったのだ。違う、それは全然違う。ヒロカズの思っているような意味ではないのだ。太田はきっと、私がツバイのことをわかっててだまし続けていたと思うだろう。いったい慰謝料はいくら加算されるのだろうか。それよりも私は、もう家庭裁判所に行きたくなかった。なので、弁護士さんにこちらから電話をかけた。
「あのー、田口さん、次なんですけど、私、家裁に行かなきゃいけないでしょうか」
前回、一度だけ行ったのだ。結局、DNA鑑定を受けてくださいと言われるために行った。そして私は、一瞬だけ裁判所の玄関から出て来る太田を見てしまったのだ。すっきりした、何かいいことでもしてきたようなその顔を見て、私は落ち込んでしまった。取れるもんは取ってやる、と思っている人間でもあんな顔をしていられるものなのか。そして私は、あっという間にワインをあおり、記憶を無くすくらいに酔った。ヒロカズが迎えに来てドライを抱いてくれ、仕事仲間の人たちがアインとツバイを連れてきてくれたときには、ヒロカズの行き付けの店のトイレでげえげえ吐いていた。もっと強い人間になりたかった。
「行きたくないんです。身の危険も感じる。きっと太田は私が今回のことわかってて、だましてたと思ってると私、思うんですよ。私は確信犯だと……」
「ああ、行かなくても大丈夫ですよ」
「ほんと!」
「必要ないでしょう」
「よかった! 私、がんばって働きますから。もう田口さんに任せて私は働くしかないって考えてたんです。嬉しい! よろしくお願いします!」
弁護士はその後も少し何か言いかけたが、私があまりにせいせいした声を出していたのでそのままにしてくれた。
「よかったよかった」。
すぐそばのベッドで、泳ぐように手足をばたばたさせている可愛いドライ。その深い二重まぶたの目や長い指はヒロカズそっくりだ。ヒロカズの実家に行くたびに彼のお母さんやお父さんは、
「まあ、ヒロカズの赤ちゃんのころにそっくり」
「この指。長いねえ。ほんと長いよな」
と何度でも繰り返し話題にしてくれる。私はずっと、太田やその家族がツバイにそういうことを言ってくれたことがないのが不満だったのだが、考えれば当然であった。私の目には、ツバイは太田のお母さんそっくりに見えていたし、親戚《しんせき》で一人だけ、
「誰かに似てると思ったらお姉さんだわ」
と同意してくれた人がいたが、今思えばそれは錯覚だったのだろうか。私はずっと疑われていたのか。それともそれは被害妄想で、ただ特に何も言わないでおく人たちだったのか。あまりに大金を要求する太田に怒って、私ときたらついこないだも
「こんなにぐずったら次にツバイに会えるのはいつになるかわかんなくなるのにさ、何考えてんだか。ツバイ、太田のお母さんそっくりなんだよ。ほかに孫もいなきゃ誰も結婚してないあのうちでは、たった一人の忘れ形見だろうに」
なんてこぼしていたのだ。私こそ、何を考えているのだろう。
ひとつずつひとつずつ思い返す。あんなに産んだ直後のマタニティーブルーがひどかったのはツバイだけだったのには、意味があるのか。自分と同じ逆子なのは意味があるのか。逆子のお産であわてた看護婦は、ツバイの臍帯血《さいたいけつ》を取るのを忘れた。
「これから血液型を調べれば調べられるんですけど、どうしましょう?」
と退院間近に聞かれ、
「でも臍帯血って母親の血と混ざってることがあるからあんましあてになんないんでしょ。また大きくなってから調べるからいいですよ」
と答えたのだ。そしてその事を太田は、
「血液型がわかんないところまで自分と似てる」
と喜んでさえいた。
自分の血液型を知らないことを自慢にしていた太田。
「こんなに自分の血液型に興味があるのは日本人だけだよ」と誇らしげであった。実際は、太田のお母さんが看護婦として忙しかったため、職場に行くといつも消毒液の臭いがしてそれが好きになれず、医療関係のものが嫌いになったという話だったが、それにしたって失礼な話だ。自分の母親の仕事を毛嫌いした上に、そのおかげで私やその子どもたちまで病院に連れて行かないのがポリシーになっていた。
「この人は私らが具合が悪くても病院連れてってくれないんですよ」
と知り合いに話しても、
「病院嫌いなんですよ」
と胸を張って言っていた。
なのに、今回の調停のために病院へ行き、太田は自らの血液型を調べてきたのである。
私が隣で苦しんでいても、「病院行ったら」なんて一度も言ったことなかったくせに。それも、胃痙攣《いけいれん》にしろ子宮外妊娠にしろ、その度私は普通の人なら救急車で運ばれたり、命にかかわるような病気だったのだ。私が死んでも良かったのか。お母さんが死んだ朝も彼女のそばに居ず、太田は調停に来た。それほど病院が嫌いなのか。それなのに私から金を取るためなら、せっせと血液型を調べに行く訳か。その前にも、小さな子ども二人と家出した妊婦が持って出た健康保険証を、返せ返せとやたら税理士を通して言ってきたりしていた。風邪をひいて病院に行くから返せ、今の住所で新しく申し込むのが筋なのだから返せ、しつこく何度も言っていた。その数日前、アインが顔にとびひのひどいできものを作っていても私が言うまで病院に連れて行かなかったくせにだ。
そして今。十七年も続けられたためにすっかり憎しみになってしまっていたそれらは、魔法の煙を浴びて、あっという間に皮肉な笑い話に姿を変えたのだ。
翌日、弁護士さんから今度はツバイと太田の親子関係不存在の申し立てのための委任状が送られてきた。私はそれにすぐサインと捺印《なついん》をし、ドライの内祝いと新会社設立祝いに作ったTシャツやステッカーといっしょに宅急便で送った。
知り合いの若手デザイナーに頼んで作ったそのTシャツとステッカーは、すこぶる評判が良かった。私はそれらが出来ていく行程を見ながら、私の金でグッズを作りまくっていた太田を思い出していた。
私と会社を作ったときに、定款に音楽出版の項目を入れ忘れた太田は、もうひとつ会社を作ると言い出した。まだ会社が出来てまもなくで、会社を作った意味を必死で学んでいたころの話だ。
「今これでせいいっぱいなんだから、会社を増やすなんてやめて。絶対体こわすよ」
と私は太田を説得して思いとどまらせた。しかし、すぐに太田はなんだかんだ理由をつけて新会社を作った。そこでは私の描いた絵をもとにしてグッズを作るという。太田はまず会社が出来た記念のイベントを考え、バンドのレコードやテープと同時に何種類ものグッズを作った。
毎年毎年、グッズは増えていった。しかし、自分では営業せず、ろくに挨拶《あいさつ》もできない自分の弟にやらせて失敗したりしていた。倉庫の中には太田のデザインしたグッズが山と積まれ、もともとの私の会社からのその費用の貸付金が一千万にもなっていたらしい。太田はその借金を返す話なんか全くないことにして、現金九百万を加算してきたので、そのずうずうしさについに私の弁護士が怒り出したのだ。
「倉庫の中に沢山グッズがあるらしいんですがね、それはどうしますか?」
弁護士はある日私に電話でたずねた。
「どうしますかって?」
「こっちへ引き取らなくていいんですか? 勝手に売られて、利益を得られてしまうのでは」
「あ、全然いらない。しろうとのデザインしたもんですもん。売れませんよ、邪魔になるだけ」
今になってやっとわかる。太田は自分のデザインに相当自信を持っていたのだ。あのおびただしい数のグッズ。よっぽど物を作るのが好きなのだろうと思っていたが、今回自分で作ってみて気づいた。あれだけの数作っていたのは、売れると思い込んでいたからだ。
もうひとつある。太田は会社に新しい社員が入ると、なぜかいつもその社員にバンドのライブのチラシのデザインをやらせていた。私が自分の仕事部屋から出て社員たちの机の前を通り過ぎると、入ったばかりの社員が昔のチラシを手に何日もうなっているのをよく見かけたのだ。
「なんかいつまでもやってるけどどうしたの?」
と私が聞くと
「自分でやるって言い出したくせに、いつまでたっても出来ないんだよ」
と文句を言っていた。そんなものなのか、と聞き流していたが、ある日、その中の一人がなかなかいいデザインを作っていたのだ。思わず
「いいじゃんこれ、使えるよ」
と言うと太田はなぜか鋭い小声で
「誉めちゃだめ!」
と言ったのだった。
「誉めると図に乗るから!」。
あとになって社員本人から聞いたところによると、デザインを任されるのはいいが、太田は何も手を貸さないのだという。コンピューターを使ってのデザインなんてしたこともないので、教えて欲しいと頼むと、
「何がやりたいわけ?」
と説明を求める。やりたいことが言えたら機械の使い方を教えてやるという話なのらしい。そんな状態でデザインなんか出来るだろうか? あの、何日もうなっていた若者たちも同じ目に遭っていたというわけだ。なのに、「自分で言い出したくせにいつまでも何もしないで座ってるだけ」と太田に言われていた。最後の彼女はたまたま自分でなんとか仕上げたが、こんどはそれを誉めるなという。今ならわかる。太田は、「やっぱりデザインは俺でなきゃだめだね」と私に示したかったのだ。
「せっかく若いもんを育ててやろうとしたのに、全然だめだから重い腰をあげた」ということにしたいばっかりに、新しい社員がデザインするように仕向けていたのだ。私がそれに全く気がつかなかったのは、もちろん太田のデザインがたいしたことなかったからなのだが、太田はそうは思っていなかった。
「そんなに時間かかるんなら、関根さんとかにお願いしたら?」
と私が言っても聞こえない振りをしたり、
「そんな金ないから」
ということにしていたのは、結局は自分がやって、さらに誉められたいからだったのだ。
次の調停を待つ日々。
まだどこかしら私は半信半疑だった。
そして当日。とうとう来た。弁護士さんからの電話。
「どうでした?」
「DNA鑑定の結果がね、向こうに知らされたのが遅かったらしいんですよ。それでまだ、気持ちの整理がつかないということで、今日は何も具体的なことは出なかったんです」
「はあ……」
「しかし子どもさんのほうのことはもう終わったんでね、あと二週間もすれば、ドライちゃんの出生届も出せますよ」
「そうですか。良かった……。あのー、ところで……」
「はい?」
「一般的にはこういうときって、どのくらい慰謝料が加算されるもんなんでしょうか」
「それは、一般的にはという言い方はできないんですね」
「はあ」
「判例も少ないですし」
「やっぱり……」
「そうですね」
「あの、DNA鑑定の結果って、なんか書類のようなもの、あるんでしょうか」
「ああ、今日もらって来ましたよ」
「見たいです」
「でしたらお送りします。人によっては見たくないと言う人もおられますのでね。すぐ送ります」。
そしてすぐにそれは送られて来た。
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8
見慣れた田口弁護士の事務所の封筒の中に、二つの薄いファイル。一つには表紙に『鑑定書』と大きく書かれ、ホチキスで留められた数枚の書類。もう一つには何かを示しているらしい五本の灰色の柱のグラフ。
『鑑定書』の下には鑑定番号、裁判所名、事件名などが書かれている。
事件名は二つ。
一つはアインが申立人、相手方が太田の「認知無効申立事件」。
もう一つはドライが申立人、相手方が同じく太田の「親子関係不存在確認申立事件」。
そして一番下に、鑑定を行なった研究所の名前。
その研究所の人と、まるで何か内緒の取引でもするように、ある駅の花屋の前で待ち合わせた。名札を見て、声を掛けると
「それでは病院の方へ」。
最初から病院の名前は言わない決まりになっているらしい。
駅前のタクシー乗り場で、タクシーに乗り込む。
「鑑定を受けられる方以外は別の車でお願いします」
「ヒロちゃーん!」
ヒロカズと別の車にされて泣き出すツバイ。
「大丈夫よ、あとで来るのよ。同じ所へ行くんだから」
「こりゃ、悪いことしちゃいましたね」
なかなか泣き止まないツバイに、研究所の人もすまなそうにしている。
病院に着くと、
「ちょっと先に皆さんの顔写真をいただきたいんですが。今日、持ってきておられませんよね」
「ええ、すいません」
「大丈夫です、撮れますから。ここの玄関で先に撮らせていただけますか」
「はい」
研究所員は鞄《かばん》からチェキと呼ばれているインスタントカメラを取り出した。若い子たちがパーティーで名前を書いて交換しあうのによく使われる、名刺サイズの写真がその場で出来るあれだ。
「ほら、これすぐにこんな写真が撮れるんだよ、面白いでしょう」
と声を掛けながら、子どもたちの顔写真を撮っていく。
ドライは、私が抱き上げた。前向きにして、ドライの体で自分の顔を覆った。高い高いされたときのような、嬉《うれ》しそうな表情の写真に出来上がった。
写真を撮っている間に、ヒロカズが到着した。
「写真撮ってんだ」
「チェキってのがいいでしょ」
傘立てに傘を差し、鍵《かぎ》を抜く彼。
「こちらです。小児科で採血しますので……」
ベビーベッドとテーブルのある部屋に、まず私だけが通され、全員のためにサインをし、拇印《ぼいん》を押す。小さな採血用の試験管を見せられ、それに貼り付けるためのシールにもサイン。それらの合間に私は天井に張られた絵を見上げていた。
ベビーベッドに寝かせられた子どものために張ってある絵。
子どもはそんなところに可愛らしい絵が張ってあるという事実を、何の疑問もなく受け容れ、喜ぶものなのだろうか。私が育った家の天井は、おどろおどろしい木目だった。毎晩見上げているうちに、木目の中にネズミの顔や、人の顔を発見していく。月にうさぎを見るようなそんな作業を済ませて大きくなった私には、天井の気遣いは奇妙に感じてしまう。
ラブホテルの天井の鏡は主に男女、どちらのためにあるのだろうか?
それから子どもたちが招き入れられ、小さな指で拇印を押す。ドライだけは右足の親指の下。そこがいちばん、指紋がはっきりしているのだそうだ。
そして、採血。事情のわかっているアインは泣かなかった。ドライはマジックテープが一面についた帯でぐるぐる巻きにされている。
「動くと危ないですから」。
赤ちゃん専用の固定帯のようなものらしい。
「おかあさまは、そばにいらっしゃらないほうがいいかもしれません。いろんな考え方があると思いますが、『怖い目にあったときに助けてくれなかった』という記憶にならないように、と私たちは考えています」
しかし三人もの子どもの採血だ。私は結局すぐそばにいたような気がする。ドライの泣き声。アインの
「痛かったけどがまんしたよー」
と言う声。
隣の部屋で待っていたツバイが、
「ツバイちゃんもー」
と入って来る。痛い注射なのに、と思うと不憫《ふびん》でならない。私が泣くドライをあやしている間に、お医者の一人に抱えられ、注射針を刺される。痛さに驚くツバイ。
「あら、ちょっと、ごめんね」
うまく針が入らなかったらしい。
「いたいの、いたいー!」
「ごめんねごめんね」
二度目もうまくいかなかった。泣き叫ぶツバイ。アインが
「あーもう見てらんないよー」
と目をそらす。
私も血管が細く、注射が二度三度やり直しになることがよくある。そんなところが私と似ていたなんて。ツバイもやってくださいと私が言ったばっかりに、と悲しい気持ちになった。
しかし今、その結果がここにある。
これは、ツバイが太田の子じゃなかったことを示す鑑定書なのだ。
しかし、読んでもわからない。
私はただ結論の章に、
「父子関係が存在しないことを示す結果が得られた」
「父子関係が存在しないことを示す結果が得られた」
「父子関係が存在しないことを示す結果が得られた」
「生物学的な父子関係は成立しない」
「生物学的な父子関係は成立しない」
「生物学的な父子関係は成立しない」
と、同じ事が子どもの数ずつ繰り返し書いてある箇所をぼんやりと見つめた。
「なんか、すごいよ、これ見て」
ヒロカズに見せると、
「これどうやって見んの?」
「わかんない。でもなんだか圧倒的な感じ」
「この表は? この棒なんなの?……そうか、わかったぞ。この棒がさ、親子だと二本のうち一本は必ず同じ位置に揃うんだって。ほら、あんたと子どもたちはみんな一本ずつ並んでるじゃん。でも……」
太田のラインは全然関係ない場所に出ている。たまにまぐれで誰かと共通しているものもあるが、五本のそれが並ばなければ親子ではないのだ。
さらによく読むと、この結果でもし親子だった場合の確率が出ていた。これも律儀に三回ずつ、同じ事が書いてある。その数値は
「日本人における突然変異率から0・00000000036%未満と算出される」。
九つのゼロが半信半疑などと言っていた私を打ちのめす。
ヒロカズがつぶやく。
「こんなの見たら太田さんショック受けるだろうな」。
そうかもしれない。でも私には太田のことまで思いやる余裕などない。
鑑定書には私がサインをし、写真を貼ったあの書類のコピーがついていた。ご丁寧に、太田のものまで。見たくない太田の写真をまた見てしまう。その顔は私にとって、醜いの一語に尽きる。
子どものことと引き換えに女の私から金を取ってやろうと思っている、それがすべて顔にでている。男のくせに。体が弱いわけでも何でもないくせに、自分で働こうとせず、子ども三人抱えた私から金を取って、今後もそれで生きて行こうとしている、他力本願な、根性の曲がったいやらしい顔。私にはそういうふうにしか見えない。まともな顔になんか、見えてたまるものか。
私は何でこんな男と一緒にいたのか。最後に体を触られたときの嫌悪感が思い出される。ある会社との打ち合わせの日を私に言うのを太田が忘れた時だ。
「私、聞いてないよ」
と私が言うと
「忘れたの」
と甘えたように言いながら、自分の落ち度も謝らず、打ち合わせ相手のいる部屋のほうへ私の背中を押したのだ。
ぞっとした。
「触らないでよ!」
と叫ぶのをこらえるのがやっとだった。背中に汚いものがついたような気がして、洗い落としたかった。私のお腹の中にはもうドライがいたのだ。だからこその嫌悪感だったのかもしれない。
十七年もそばにいて、私に一人の子も産ませられなかった太田。それほど体の相性が悪かったのか。それとも、子種がないのか。もし私が太田に貞操を守るような愚行を犯していたら、今ごろ体も心もぼろぼろになりながら不妊治療に通っていたのだろうか? アインの生まれたあと、私も含めたみんなが
「今度は太田さんの子どもだね」
と言うのに、太田だけがそれに乗り気でなかった。
「また妊娠されたら、またバンドのライブのスケジュールを変えなきゃいけない」
と言って、
「何ばかな事言ってるの」
とライブハウスのマネージャーにあきれられたりしていた。
そして私はなかなか妊娠しなかった。やっとしたと思ったら、流産した。その次は、子宮外妊娠だった。もうだめかもしれないとあきらめかけたとき、ツバイがお腹に入ったのだ。
太田はなぜか自分の体に異常に自信を持っていた。もし不妊治療を私が言い出しても、賛成なんかしなかったかもしれない。そしたら私は? また何もかも自分のせいにして悩みながら暮らしていたのだろうか?
太田は何でも自分のせいにしがちな私の性格をとことん利用した。しかし、今にして思えばなぜあんなに自信満々だったのかまるで解せない。
太田は私以外女を知らなかった。十七歳のころ、少しだけそれに近いことがあったらしいが、あってもたぶん一度だけ。二十三歳のときの太田のあの状態を見ればどんな女だってわかる。あれを見て同じく二十三歳の私がどんなに驚いたか。
血だらけだったのだ。無理やり挿入したせいで、包皮が切れてしまった。1センチほどの傷から、だらだらと血が流れていた。私は何か悪いことでもしたような気になって、黙ってそれを見つめた。もちろん、射精までたどり着きはしなかった。痛がる太田をなぐさめ、そのまま眠りについた。
朝になり、近所の定食屋でご飯を食べていたら、太田は急に
「ちょっと話し掛けないで」
と言う。見ると、顔からぽたぽたと汗が流れ落ちている。驚いて絶句すると、太田はゆっくり立ち上がってトイレへ。
「貧血みたい」
「貧血?」
「戻って寝る」
食べた後は自分の家に帰るはずだったが、太田は再び私のアパートに来て、私の敷いた布団に横になった。その日行けなくなった用事のための電話をすると、心配した共通の友人たちが見舞いに来た。
「どうしたの? なんでこんなことに?」
と聞かれて、私は何も答えられなかった。
しかし傷は少しずつ良くなったらしく、太田はまた私の部屋に来て行なおうとした。
「ほんとに大丈夫なの?」
確かめようとして驚いた。包皮の中に、べったりと垢《あか》が張り付いていたのだ。こんなものを私の中に入れた!? あまりのことに吐き気を催したが、なんとか顔に出さないようにし、その代わり洗面器に水を入れて太田の前に置いた。
たとえばたまたま拾った子猫が寄生虫だらけだったとき、あなたならどうするだろうか? 私はその度|風呂《ふろ》に入れたり、獣医の所へ連れて行ったりしたものだ。しかしどんなに手を尽くしてもそういう状態の猫はたいがい死んでしまう。太田のその部分から、厚さが1ミリ以上にもなっている垢をせっせと洗い落としてやっていた、十七年前の私。止めときゃよかったのに。そのまままた、拾ってきた道端に返せばよかったのだ。私は、拾ってきた汚い病気の子猫のようなつもりで太田をいたわっていたのだろうか。人並みに挨拶《あいさつ》も出来ない男だった。食事のマナーも悪く、好き嫌いも多かった。全部私が直したのだ。拾った猫のようなつもりで。太田の男としてのプライドがもしあったとしたら、最初からずたずただっただろう。
しかし、太田は太田で、私のことを拾った猫のようなつもりでいたことを私は知っている。精神的に不安定なままでは今の職には就けなかった。なかなかデビュー出来ず、すっかりまいっていたのだ。他に女を知らず、ろくにお愛想も言えない太田。それまで私が何度も経験してきた男の裏切りを、したくても出来ない太田。そんな太田に愚痴を聞いてもらうだけで、私はずいぶん救われたのだ。それはもう、二人で一人分しかないような関係だった。吹雪の洞窟《どうくつ》で暖めあう小動物のように、私と太田はいつも一緒にいた。
拾った神経症の猫がものかきになるまで約一年。翌年には一月に数十万以上の金が入ることを知り、太田はこの金で自分の夢もかなえようと迷わず考えたのだ。そして、仕事に没頭して五年が過ぎ、私は三十代になろうとしていた。
「私、このまま子どもを産まないと寂しいと思う」
漠然とした不安に襲われてそう言うたび、
「あんただったらまだまだいつでも産めるよ」
と言われた。
「でも、もう三十だから……」
と重ねて言うと、
「だってまだバンド売れてないもん」
と言うのだ。その度私はあきらめて来た。自分の仕事だけうまくいって、悪いような気になっていた。バンドの内容で気に入らないことがあっても、
「せめてバンドくらいは太田の好きなようにさせてあげたい」
と最後は譲って来た、つもりだった。なのにだんだん私はライブの前になるとひどい風邪を引くようになる。声がしゃがれても、リハーサルやライブの予定は容赦なく入れられる。ある日ついに、翌日は京都でライブという晩に、私の気管支はだめになってしまった。熱と咳《せき》で何も出来ず、仕事部屋のソファでぐったりしているのに、いたわりの言葉もない太田についに腹を立て、私は
「由美ちゃんにやってもらえばいいじゃない」
と憎まれ口をたたいた。由美ちゃんとは太田がそのころやたらと可愛がっていたコーラスの女の子だ。リハーサルをさぼって飲み歩いたり、本番になると決まって声のつぶれる私を見限って、
「あんたがいなくてもライブ出来るようにしたいから」
と育てていたのだ。私の稼ぎでやっているバンドなのに! それでなくても自分のことにしか関心のないその子が、私は大嫌いだった。
なのに、その子にやってもらえと言ったとたん、私はぶたれた。病人なのにだ。泣いた。泣き出してやっと、病院に連れて行ってもらった。のどを念入りに診てもらったあと、十年ぶりに点滴をした。ここまで追い詰められていた自分に自分で驚いた。なのにその翌日、やはり私は車に乗せられ、京都に連れて行かれ、ライブハウスで歌った。由美ちゃんからは、
「えー昨日点滴打った? からだ、よわいんですねー!」
と言われながら。
その頃一番仲が良かった男の子が、アインをつくった相手だ。この子とだったら子どもが産めるという直感があった。そしてそれは間違っていなかった。すぐに妊娠した自分が嬉《うれ》しかった。今思うとそれは、
「これで太田と別れられる」
という喜びでもあったのだ。
そしてたぶん私は今、驚いてはいるが喜んでいる。太田が結局一人も私の中に子を宿せなかったこと、生き物として私との間に何も接点を持てなかったことに快感を感じているのだ。家出する時私は、ツバイがいなくなったら太田はどんなにか悲しむだろうと考えはした。しかし、置いて行ったらどうなる。病気しても病院に連れて行ってもらえない上に、アインのお下がりばかり着せられて、女の子に見えなくされていたのだ。顔が汚くても、鼻をたらしていても拭《ふ》いてもらえなかったツバイ。それを見ていると、知り合った頃の太田が目に浮かぶ。異性にかまわれないような冴《さ》えない女の子にわざわざ育って欲しいなんて思う母親がいるだろうか?
見るに見かねた私がいっぱい買ってきた可愛いワンピースも、
「あれ着せてよ」
とわざわざ言わなければ着せなかった太田。
「あの赤いワンピースは?」
と捜しても、買ったばかりなのにどこへ置いたかわからなくなっていたり……。
太田は私みたいによその男にじろじろ見られないような女に、ツバイを育てたかったのだ。男だか女だかわからない汚い子にしたかったのだ。ちょうど私に、
「あんたの着てるものは派手過ぎて、いかにも田舎者丸出しだよ。そう思われたくなかったら黒い物を着な」
と言って、私の服を上から下まで真っ黒にしたように。
ツバイ、良かった。ほんとうに良かったね、あなたはあのもてない男の子どもじゃなかったのよ。私の稼ぎを使い、思いやりもなく私をこき使ったあの男の子どもじゃなかったのよ。異性との縁がほとんどなく、たまたま拾った責任を感じている人間にくらいついて離さない、そんな方法でしか結婚出来ないような女にならなくても大丈夫なのよ。
本当にあなたを置いてこなくてよかった。
「お父様にそっくりなあなただけはお父様のところへ置いてこようかと思ったんだけど」
と私に言っていた私の母。そうしなかったことで私に恩を売り、自分のためならどんなことでもさせようとした私の母。私は彼女と同じ事をしたかもしれなかったのだ。ツバイを言い訳にして太田と取引をすれば、すべては同じだった。それをしなくて済んだだけでも、私はこの逃げ場のない残酷な科学に感謝しよう。
そして私はいつか、ツバイにこのことを全部話すだろう。いや、話さなければならないのだ。
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離婚が成立した。
どんなものすごい額の慰謝料が加算されるかとびくびくしていたが、太田の親権が消えた後の翌月の調停で、「あと二百万」という要求を残してとうとう終わった。私は太田と縁を切ることが出来たのだ。
「嬉しい! じゃあ離婚届を書くの? 私、書いて置いてきたのがあるんだけどな」
「いや、それはいらないんですよ。調停まで行った場合は調停調書が出ますから、それが出来てきたらそれを持って区役所に届けに行ってもらうことになります」。
田口弁護士は言った。
「足立区役所ですからね」
「えっ? そうなの?」
「戸籍の置いてあるのはそこですから、離婚と子どもさんのことはそこです」
「そういえば……太田の本籍に入ったんだっけ」。
待ち遠しいその調書は、十日くらいすればやって来るのだという。
三人の子どもの親権が全て私のものになるという書類はすでに手元に届いていたが、私はどうしても離婚が済んでからそれを提出したかった。特にドライの出生届は、太田の戸籍や住所から出られてからにしたかったのだ。田口弁護士が
「どうもあと少しの要求をのめば離婚できそうですよ」
と言うので待っていた。その一言を聞いたときも、
「ほんと!?」
と私は声を上げて喜んだ。そしたらそのとたん、まるでアニメ映画の一場面のように曇った空から光が差してきて、私とヒロカズは思わず顔を見合わせたのだ。
「なんか今、離婚の話してたらぱあっと明るくなってきたぞ」
「祝福されてるみたい」。
とりあえずの喜びに手を取る私たち。
そして本当に離婚が成立したのだ。
嬉しくてたまらない私は思いつく限りの人々にメールや電話で知らせた。
「よかったですね!」
とストレートに返してくれる人もいれば、気を遣ってか
「おめでとうで、いいんでしょうか」
と言う人もいた。
「いいの。まだいろいろ片付けが残ってるけど、とりあえずは離婚できないとどうしようもないもん、とにかく嬉しいよ!」
私の声は弾んだ。ここまで、家を出てから十ヶ月も経っているのだ。
しかし、調書はなかなか来なかった。その前に、太田を社長にしていた前の会社の片付けが始まった。まず、たまっている税金を払わなくてはならないという。額を聞くと、四百万近く。私は驚いたが、それを払わないままにしていると、どんどん罰金のようなものが加算されていくのだそうだ。
「それは、こっちを先に払わなきゃいけませんよねえ」
私は力のない声で新しい会社から担当になった、女性税理士の坂川さんに聞いた。
「そうですねえ。追徴金もばかになりませんから。なんでしたらやはり田口先生のほうに待っていただいて」
田口弁護士への謝礼の額は先日聞いた四百万。内訳は離婚のことが五十、子どものことが三人で三十、会社の関係のことが二十、そして私がもらうことになったマンションの推定価格の一割の三百。これを聞いたときにも、私は驚き、また、しみじみ考えた。子どもをとられないようにと、そのことばかり考えていたので、考えを現実に対応させるのに時間がかかった。もし、子どものことが一人百万であとが百万の四百万、と言われたらすぐに納得したのだろうが、考えてみたらそれではマンションの話はほとんどなしになってしまう。そのマンションをこちらがもらうことになりそうだと聞いたときも、
「あー片付けが大変だからいらないのに」
などと言っていた私だったが、ちゃんと考えれば私は、「マンション分安くあがった」わけなのだ。
前の会社の税金を払ったと思ったら、今度は今の会社の税金が百五十万。それと同時に、太田が私に押し付けたいくつかのローン用の金を振り込みに行く日々。税金は額が大きいが、たとえ数十万でも、太田の方のものを払ったあとは、体にどうしようもない疲れが残る。まず、ここ二ヶ月住宅ローンを滞納させているという電話が田口弁護士から入る。その二ヶ月分は慰謝料から差し引いていいので、払って欲しいとのこと。銀行の担当者に電話すると、今月分と合わせた三ヶ月分を太田の口座に入れてくれれば対応できると言う。
「ではこれから振り込んでおきますのでよろしく」
と言ったのが七月七日の金曜日。私はすぐに振り込んだが、そのあとすぐ太田が記帳をしたらしく、今度は
「慰謝料は畠田弁護士の口座に入れていただくし、片付いていないこともありますのでまだいいんですけど、太田さんの口座に数十万振り込みました?」
と田口弁護士から電話があった。
「だってそれ住宅ローンの分ですよ。えっ何? 遣っちゃったの?」
「いや、遣ってはいないようなんですけどね」
「でも入れてすぐ対応できるって話だったんだけど。私、銀行に電話して確認してみます」
急いで電話すると、担当者は言った。
「滞納分の二ヶ月分はあの後十日の月曜日に処理させていただいたんですが、七月分を処理する十二日にですね」
「ああ、普段はその頃が引き落とし日ですよね」
「他のローン会社から引き落としされて残高がありませんで、処理できなかったんです」
「それは……そっちはたぶん私が払わなくてもいいローンだと思うんですけど、何のローンかは私は聞けないんですよね」
「そうですね……私どもも秘密を守る義務がありますんで。で、もういちどですね、二十六日に処理させていただこうとしたら、今度は二つに分かれてるローンの片方の方が落とせない額でして」
「わかりました、そのまま弁護士さんに伝えます」
マンションの受け渡しの前に、私のものや子どものものを部屋に入れておいて欲しい、もしあとで太田のものが出てきたらこちらも知らせるから、他の家からも私のものが出てきたら捨てないで欲しいと頼んでも、
「自分のものは処分してかまいません。子どものもののことは今まで聞いていなかったので何もしていません。今は見る気にもなれません」
と杜撰《ずさん》な返事の上、とりあえずのものを運んだ費用を二十五万円も請求してきた。他の家のことなんてまるでないことになっている。もう一軒の家は太田の実家のまん前にあって、買ってからもう十三年も経っているが、私が大切にしていた古い本、それからたぶん、私自身の子どもの頃のアルバムもあるはずなのだ。田口弁護士はそれも頼んでくれたのに、太田は聞いていない振りをしている。業者を頼むのを嫌って今まで何でも社員にやらせていたくせに、私が払うとなると、平気で二十五万もかかるような依頼の仕方をする。頼んだものも、こっちに返すのが筋であってもだらだらと時間をかけてさがし、「見つからないのでそっちがなんとかしてほしい」と言ってきたり、とんちんかんな別のものを送ってきたりしている。投げやりなのだ。金はもらうが、こっちに協力する気はまるでない。ふて腐れているのだ。それでいて太田は、何か私に関して問い合わせがあると、
「子どもを連れて出てったまま行方もわからない」
と、まるでまだ自分が身内のものみたいな口の利き方をしているらしい。なんと迷惑な。せっかく離婚がすんだのに、これでは気が晴れない。こんな対応を続けて何が楽しいのか。自分だって済むことが済まないと慰謝料はもらえないのに。しかし、もらえる気でいるのだろう。私が自分の口座に数十万振り込んだといっては
「これ何かな」
と期待しているくらいだもの。ある出版社が、間違えて二百万も前の会社に振り込んだとき、一瞬で引き出されてしまったこともあるのだ。出版社は大変にすまながり、返してもらえるよう太田を説得すると言ってくれたが、
「そんなことしても無理無理。私の絵の原稿、自分にも金をもらう権利があるから、いくらくれるかわかるまで渡さないなんて言ってたんですから。私もびっくりしたけど、弁護士さんが、その額は私から支払われたものとして交渉しますと言ってくれてるから、もういいですよ」
と私は思い切って言ったのだった。
そんなことも知らずにころころと子ども用のベッドに転がっているアインとツバイ。私が子ども部屋に二段ベッドを置かないのは、自分が二段ベッドから落ちて、顔に大怪我をしたからだ。なのに、太田の作った子ども部屋には二段ベッドがあった。私に相談もなく、太田が買ったのだ。地下室付きの三階建ての小さなビルを買ったとき、私はそこを仕事場にするのだと聞いていた。ところが太田は、
「二階に住むように内装つくるんだけど」
と言うではないか。
「だってここに住んでるじゃない。アインの小学校だってまん前なのに、なんで?」
「通うのばからしいじゃない。毎日車で送る身にもなってよ」
それは自分が私の稼ぎで五台も車を買ってるからでしょ? と私は今なら言える。私は自分一人のときや子どもと自分だけの時はよくタクシーを使ったが、太田は人と口を利くのが大嫌いなため、タクシーに乗るのもいやなのだ。
私は住んでいたマンションがやっと気に入りかけてきたところだった。太田の敷いたいまいましいホットカーペットが取り払われたあと、買ってきた布を広げて、アインやツバイの服を縫う楽しみが出来たからだった。しかし太田はその楽しみを嫌って、ミシンの棚に
「アインが喜ぶから」
を口実に、アインの幼稚園で買ってきた本の付録のポスターを貼り付けたりした。
「これじゃ、ミシンが取り出せないんだけど」
「仕事でもないのに、その間子どもみてるこっちの身にもなってよ」。
何でもそれだ。太田は、私には金になることしかさせたくなかったのだ。
「マンションさ、私が仕事とか手芸とかする部屋として使ってもいいでしょ?」
と私は太田に申し出ていた。生返事が続いた後、太田はこう言った。
「あのビル買うときの銀行の契約書に、マンションは人に貸して、その家賃はあそこの銀行の口座に振り込んでもらうことってのが入ってたんだけど」
「え!? そんなの聞いてないよ」
「今まで知らなかったの」
そんなことが、あるだろうか?
「じゃああたしが借りるよ。あたしが家賃払えばいいんでしょ」
「そんなのばかばかしいじゃん」
「ばかばかしくないよ」
巧妙だ、と私は思った。
そのあいだに、ちゃくちゃくと新しいビルを作って行った太田。ある日電話をしたら、太田は出かけていた。
「どこにいるの?」
「二段ベッド買いに来てんの」
私は、絶句してしまった。
私が二段ベッドから落ちて顔に怪我をしたのは知っているはずなのに。もう、何もかも私のことは無視するつもりなのだと思った。昔はちょっと何か買い物をするときにも、太田は私に相談し、一緒に買いに行こうと誘っていた。私の稼ぎで買うのだから、当然といえば当然だろう。しかし、付き合うと、異常に買い物が永いのだ。秋葉原じゅう引き回され、そしてまた最初の店に戻される。そんなことが何回か続くうちに、おばさんのバーゲンに付き合わされるような気分になってしまい、疲れた私は一緒に行くのをやめてしまった。それから、知らないものがいつのまにか会社に置いてあるようになった。
「ねえこれ、見たことないよ」
と指差すと、
「よく気づいたね」
と太田は言う。
「いくらしたの?」
と続けて聞くと答えない。ごまかしたり、
「おれの給料で買ったんだから」
と言うのだ。おびただしい数のそういうものが溜まっていったが、それでも物がそのまま私を傷つけるようなことは、二段ベッドまではなかった。
ベッドの上の段はもちろんアインに当てられたが、兄のあとを追って上の段にしょっちゅう上ってしまう二歳のツバイを私が毎日、どんな気持ちで見つめたか。太田は、知っていたはずだ。知っていて、無視したのだ。
太田はアインにも、保険をかけていた。
いつのまに?
私にしたのと同じように、保険会社から来たお医者に、アインの心電図を取らせたり、検尿をさせたのだろうか? 何度も何度も私に繰り返させたように。
太田は私にいったいいくつ保険をかけたのか。あまり多いのでとうとう私は頭に来て
「なんか失礼なおじいさんのお医者が来るの、いやだよ。それでなくても自分ちで心電図や検尿すんのがどんなにいやなことか。最初は面白かったけど、なんか多すぎない?」
「だって税理士さんの紹介なんだもん」
太田はなんだかんだ言っては、私を新しい保険に入れた。
「税金対策になるんだもん。いいお医者さんにしてって、頼んだから……」
一度、ヒロカズと逢《あ》っていた日の翌日にいつのまにか保険の健康診断が予定されていて、私は会社から逃げ出してしまった。
ホテルから起きてきたヒロカズに電話して、
「一緒に昼ご飯食べよ」
と言うと、ヒロカズは
「会社にいなくていいの?」
と言ってくれた。
「いいの。また新しい保険に入れられるって、お医者呼んであったの。やだから逃げて来た」
「ふーん」
そういうことよくあるの、とまでは彼は聞かなかった、でも、よくあるのだ。それがわかるように私は言った。
「もう死んでもいいんだよな、私」
そう思えるほどに、保険の審査は続いた。自殺しかけたときも、一番にそう思った。アインが幼稚園でぐったりしているという知らせで自殺は中断され、あとで太田に
「なんか、いっぱい保険かけられると、もう死んでもいいんだよなって考えになっちゃうみたい」
と話すことが出来たので、考え直していくつか解約していたようだが、バンドの最後のライブが済み、もう次のライブをやる気がないのを見てとると、太田はその代わりにと地下室付きのビルを私に買わせ、結局はそれに並行して私にまた新しい生命保険をかけたのだ。
それは何よりも、生身の私より、バンドの成功や不動産などの物の方が太田にとっては大切だったということの証拠だ。そして私は今、その物や金と引き換えに自由や子どもたちを手にしようとしているところなのだ。
太田とうまくやっていたときは、とにかく仕事ばかりしていた。なんでそこまで、というくらい仕事していた。太田が企画したせいで、依頼もないのにやっていることまであった。一人で張り切って私のファンクラブを作り、催しをどんどん考えた。会報に毎月絵や文章を書かされた。他の仕事に熱中している時でも、当たり前のようにその用事を持ってきて作品を要求した。それはまだいい。私もやってみたくなかったとは言わない。私が一番驚いたのは、アインがお腹に入ったとき、こっちは太田と別れて会社もバンドも解散させる話までしていたのに、毎年の恒例だからとファンクラブの遠足の予定を変えなかったことだ。私はもちろん行かなかった。それどころかその日、アインを産んで病院に入院していた。そうしたら太田はファンクラブの会員を病院に連れて来たのだ。
私がシャワーを浴びて病室に戻ってきたら、何故かファンクラブの遠足に出かけたはずの太田が待っていた。
もう終わったのかなと思っていたら、
「みんな態度が硬くていやんなったから、連れて来ちゃった」
と言うではないか。そして、太田の後から彼らはぞろぞろと病院の廊下に現れ、太田が
「名前が決まりましたが、とてもこの世のものとは思えません」
などとアインについてスピーチを始めたのだ。態度が硬い? そりゃそうだろう。太田の子ではない私生児を産むことはすでにみんなが知っていたのだ。なのに私抜きで行事を決行する太田。太田は私がいなくてもファンクラブとはそれだけで仲良く何かをやる団体だと思い込んでいるようだった。そんなものなのだろうか。私にはわからない。その上「いっそ子どもを見せてやれ」と私に断わりもなく全員病院に連れて来るとは。自分の体面が保てれば私の都合などどうでもいいのだ。
とにかくしばらくするとファンクラブはなくなった。私はほっとした。しかし太田には次の考えがあったのだ。ホームページを作れば、ファンクラブの代わりになる。もともと機械が大好きだった太田は、来る日も来る日もコンピューターの前に座りつづけた。生身の私や子どもたちがお腹をすかせていてもお構いなしで私のホームページを作りつづける太田に、
「ほんとの私と私のホームページとどっちが大事なの!?」
と怒鳴り散らしたこともあった。
やっと出来上がると、今度はまめに更新し、まわりから誉められては得意になっていた。
「このホームページのおかげであんたの本は売れてるんだよ」
と本末転倒なことまで言っていた。たしかに私の本や仕事のリストが全部見れて、便利な出来にはなっていたが、私自身はまったく関わっていないばかりか、それがどんなものかも知らないのだ。そのくせコンピューターのことで取材が来ると私に受けさせ、自分では何もしゃべらず、横で黙って見ている。魚を飼っていたときと同じだ。私はただ水族館に行くのが好きなだけなのに、魚を飼うと言い出したのも太田だった。
「私、飼う事までは出来ないよ。見てるだけが好きなのに」
と言っても、
「全部自分がやるから」
と言って、水槽をどんどん増やしてしまった。その間じゅう、私は次々と魚関係の仕事をさせられ、取材を受けさせられ、日本中の水族館に連れて行かれ、しまいには涙を零《こぼ》しながら水族館の玄関で太田の撮る写真に収まっていた。あんなに好きだった水族館なのに、「仕事になる」「つまり、金になる」という根性で太田に過剰に押し付けられているうちに、すっかりそんなことになってしまったのだ。
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10
今月も田口弁護士を通じて、太田から連絡が来た。
「Oという所からの引き落としが三万四千円くらい、残高不足だったので自分が立て替えた」と言っているらしい。
立て替えた、ね……。
皮肉な気持ちになる。
もちろん、そのOともうひとつ、Sというクレジットは私が払う事が離婚の条件ではある。
しかし、先月も住宅ローンのために入れたお金が、私とは関係のないローンに取られたばかりなのだ。
「そろそろ慰謝料を精算しようと思うんですよ。住宅ローンの専用口座のための書類も出来ましたし。ところで先月分のローンは無事落ちていますよね?」
「ああ、七月分の一つが落とせないままだったようですけど、その分はまた私が振り込んだんですよ、慰謝料から差し引けばいいと思って……」
「その額は?」
「十二万です。でも今月はふつうの分入れればいいだけだとは思うんですけど……一応、銀行の担当さんに電話してみます」
そしたらまた、その十二万が別のローンに取られていた。それも、そのローン会社は一つでなく二つらしい。また私は来月十二万多めに振り込まなければいけない。そしてその分を慰謝料から差し引くのだ。早く専用口座をつくってもらわないと、いつまでもこの繰り返しだ。なのに、三万いくらかを、偉そうに「立て替えといた」だって? その三万何千円かのローンの支払いを頼まれた時、田口弁護士から
「口座に十万も入ってれば大丈夫だと思いますけどね」
と言われ、十万入れておいた。そしてあとで記帳したら、ローン以外に四万円以上の電気代、ケイタイ二つの電話代などが引かれて、残高が三十四円になっていたのだ。四万円を越す電気代なんて、太田が今経営している店の電気代以外考えられない。そんなものまで私が支払ういわれはないのだ。その上そのローンは、今後も私持ちだなんて私は知らなかった。
一つ一つほぐれていくはずと思っていたものが、逆に一つ一つこじれていく。
太田からは、私から「金をもらっている」という気持ちはいっさい感じられない。それどころか、あてがはずれた怒り――私が出て行きさえしなければ得られていた全てを失ったいきどおりが伝わってくる。
「自分の子じゃない子を育てさせられていた、だまされていた、と思ってるんじゃないでしょうかねえ」
田口弁護士の言葉が頭をよぎる。
ツバイがお腹に入る前、私は二回妊娠に失敗している。
一度目は流産。アインを産む前に五回も中絶している私だが、流産は初めてだった。胎児は受精して数週間のところで、すでに死んでいたのだ。自然に流産になり経過も悪くなかったので、処置が済んだら翌朝には退院できる事になった。精算中、私は流産したての弱った体でアインを抱いて太田を待っていた。太田がそうさせたのだ。アインがぐずってうるさいから。それだけで弱っている私に子どもを押し付けるような男だった。その日すぐ、仕事の打ち合わせに行った。他にもいくつものハードな仕事。その相手のだれにも、流産のことは話すのを禁じられた。
二度目は子宮外妊娠。一晩中痛みに苦しみ、病院に行ったらすぐに絶対安静の入院であった。
そして手術。私は卵管を一本失くした。
実は子宮外妊娠の少し前に、私はある編集者から強姦《ごうかん》されていた。射精はされなかったので、今まで子宮外妊娠の子も太田の子だと思い込んでいたが、こうなってくるともしかしたら違うのかもしれない。
ドライの時だってヒロカズは、私の中では射精しなかった。
私のものを運んだ費用の領収書のコピーがやっと太田から届いた。二十五万円と言われていたが、二十二万六千円だった。
強姦されたと思っているのは私だけで、きっと相手の方は「あれだけ誘ってたくせに」と考えているのだろう。
その頃私は急に増えた仕事や、急に変わった自分の立場にとまどい、これからの方向を探していた。何かというと酒を飲んだ。太田以外に、つきあっている相手もいた。はっきり言って太田は、仕事の事では相談相手にはならなかった。私が文学賞の候補になっても、
「文学賞獲るのと、バンド売れるのとどっちを選ぶ?」
と聞くと
「バンド」
と即答するくらいだった。「バンドが売れる」って、どういう事だろう? ライブハウスの営業すら、自分で行かなかったくせに、いったいどこまでの事を望んでいたのだろう?
仕事に悩んでいた私は、とにかく編集者との打ち合わせに賭《か》けた。私よりこの仕事に就いて永い人々からとにかくヒントを得たかった。
太田は打ち合わせには来ない。
その代わりに、その頃いた女の子のマネージャーを連れて行けという。つまり、監視なのだ。私が勝手に一人で男の所へ行かないように。しかしその頃の私には、仕事を口実に遊ぶ余裕などなかった。
それよりも、何か掘り下げた話をするたびに、隣でいかにも
「まあ凄い。純情な私にはとてもそんな恐ろしい事考えもつかなかったわ」
という空気を出し続ける彼女に、心底うんざりしていた。特に性の話になると、ちょっと意見を求められてももじもじして、はにかみ笑いとともに視線をそらす。どうしてこの人は私のマネージャーなんかやっているんだろう、と私はいらいらした。
「打ち合わせに西沢さん付けるの、やめてよ。いちいち小娘反応して、話になんないんだよ」
私の判断は間違ってはいなかったと思う。その後彼女は婚約し、だんだんと仕事ぶりが悪くなり、ついには何故か私のいない時に太田だけに
「結婚したくなくなっちゃったんです」
と泣きつき、そして結婚と同時に辞めた。しかし私の災難は、彼女を打ち合わせからはずした直後に起こったのだ。
その日も私は酔っていた。打ち合わせ直前までずっと仕事で寝ていなかった。一軒目のかに料理店ですでにふらふらだった。すぐに帰るつもりで、かに寿司の折りを、太田とアインのためにつくってもらった。
「自分ちのご飯頼んだから、私が払うよ」
と申し出たが、編集長の方が
「それじゃあじゃんけんしましょう」
と言い出して、私は負けてしまった。
勝ってたら、無事帰宅していたのか?
もう一軒。そしてもう一軒。私は、ほんとうにろくでもない、めちゃくちゃな酔っ払いになっていたと思う。西沢さんがいない解放感から、これまで出来なかった性についての考えも、話し過ぎる程話した。相手が編集者じゃなければ、
「絶対に自分は誘われている」
と確信していてもおかしくはない。しかし、相手は編集者なのだ。私は、その点を安心しきっていた。若い男の方が
「なんか可愛いなあ。可愛いなあ」
とつぶやきだし、目付きがおかしくなってきた時、
「そういえばこの男、私のライブを見に来た時も『すごいですねえ、すごいですねえ』とこういう目付きですり寄って来ていた」
と思い出したが、私は編集長の方を信用しきっていた。私の女の友人を複数担当している話を知っていたから、この人が一緒にいる限り大丈夫だと思っていた。
しかし若い男はどんどんエスカレートし、私の服の中に手を突っ込んで体をいじくりまわしたりしはじめた。それを編集長が止めようともしないので、ちょっと嫌な気がした。だけどどうせこの店を出たらいくらなんでももう帰るだけだろう。私はもう今だけだからどうでもいいや、とやけになっていた。
すっかり朝。その店から出て、エレベーターを降りたら、私の右にいた編集長がいない。
「あれ? 吉原さんは?」
今ここに居たのに、という暇もなかった。左からいきなり腕を引っ張られ、私はあわてた。
目の前にあるマンションに、若い男の方が私を引きずり込もうとしている。何のために? 一体こんなことをしてどうするつもりだろう? と思う間もなく私は、そのマンションのエレベーターの中に押し込まれた。
「ちょっと何するの。やめて」
抵抗すると、まるでB級映画のセリフ回しのような言い方で
「どうしたの」
と諭すように言われた。自分のペニスを取り出し、
「どうしたの。ほら舐めて」
と突き出す。
こいつ、ヤバい奴かも知れない、と古くからある脳の一部が私に告げた。急に態度変わった。安全第一で行かないと危ない。私はその声のままに、その男のファンタジーの中にするりと入り込んだ。言う事を聞く振りをして、頭を冷やさせる方に持って行こうとした。
出来るだろうか?
あいかわらず男は、何かの主人公を演じ続けている。しろうとがこういう風になるのが、何よりもやっかいなのだ。
私のオーバーオールの金具が二つともはずされ、すぐにそれは足元まで落ちてしまった。オーバーオールは案外、ガードが甘い着物だ。下着を下ろされ、挿入されてしまう。
その瞬間、エレベーターがガクンと揺れ、上方へ動き出した。あわててズボンを上げる男。私もオーバーオールを引き上げる。すぐに二階で箱は止まり、ドアが開く。
現れたのは、びっくりしたような若い男の顔。新聞配達である。天の助け! きょとんとしたままのその男と私と編集者の三人を乗せて、エレベーターは一階へ戻る。ドアが開くと同時に飛び出して走る! 二度と捕まってたまるものか。後ろから編集者が追いかけて来る!
「どうしたの」
「?」
恋人に呼びかけるようなその声の調子に、思わず振り向く。
「これから僕のアパートに行こうよ。かにもあるし」
男はかに寿司の折りを目の高さにまで持ち上げ、少し揺らした。強烈な怒りが喉元《のどもと》までこみ上げて来たが、私は黙って手を伸ばし、かに寿司の袋を男の手から取った。かにもあるし、ってこれは、私が私の家族のためにつくってもらったものなのよ。私は頭の中ではあるが、家族という言葉を初めて自分自身のために使用する。
始発時間の少し前から直後は、タクシーはすぐに捕まる。私は黙ったまま手を上げ、一人でタクシーに乗り込んだのだ。
戻ったのは仕事場だったか?
いや、自宅だ。
帰るなり、吐いた。水を飲んで横になり、また吐き気で飛び起きた。午前中ずっと吐いては水を飲み、を繰り返した。吐くものがなくなると、水だけを吐き続ける。トイレとの往復に疲れて、風呂《ふろ》場にこもる。シャワーのお湯を飲みながら、湯船につかってお腹を暖める。それでもしばらくするとお湯を吐く。憎悪と経験が体から出てしまうように、と吐き続けた。
「胃もうがいをしたい日があるんだな」
ふと、そんな気がする。
冷蔵庫の中のかに寿司。
太田は何も知らずにそれを食べ、その二日後、夫婦生活を求めて来た。
「私……、今、そんな気になれない」
そう言ったが、断われなかった。ふだん太田はめったに自分から誘いをかけないが、たまにそうなると、ふだんはおおらかな私ですら
「けだもの」
と言いたくなるような誘い方をする。人の感情などおかまいなしだからだと思う。
若い編集者からは、すぐに手紙が来た。
『先日は打ち合わせらしい打ち合わせも致しませんで、失礼いたしました。つきましては改めてお話しした上で、書き下ろしを三百枚』
私は、男の行為よりもその手紙の方が恐ろしく感じ、次々と自分の担当編集者に相談した。そして一番納得したのは、私のペンネームを付けてくれた男のこの話だ。
「それはさ、強姦《ごうかん》とか訴えるとかそういう事を別にしてもさ、その相手の持っているスタイルというか世界がいやじゃない。その最中のセリフとかのセンスがさ。そういう人とは、仕事できないじゃない。それを伝えたらいいんじゃないかな」
その通りだわ、と私の目の前は明るくなった。私は急いで
「先日の様子で、もう一緒に仕事は出来ないと思いました」
という内容の手紙を書いて出した。しかしその後、今度は編集長の方から手紙や電話が次々と来た。
「あの若手は殴った。社長と二人で謝罪に来たい」
という話だった。私は必死で断わった。
「謝ってもらっても、もう二度とそちらの会社と仕事する事は出来ないのだから、会いに来られても無駄です。私も会いたくない。お願いだからそっとしておいて下さい」
「そうですか。次から何かあったら僕に直接。自宅の電話を言いますから」
「編集者の人の自宅にまで電話するなんて、私よっぽど緊急しかしないからいいです。だいたい私、吉原さん信用して酔っ払ってたんだよ。なんで途中でいなくなるの?」
「だってあいつの方ばっかし見て、全然僕の方見てくれないから」
私は絶句した。これが仕事相手のセリフだろうか?
私がバカだった。編集者にもペニスは付いている、教訓とすべきだ。
ぼろぼろになっている私に、その頃のボーイフレンドは言った。
「あんたはいつもやらせてくれそうな格好でいるからだ。どうせまた、短いスカートや肌の出た服だったんだろう。なんでやらすんだ。全くなんで」
「やらせるくらいなら死ね?」
私は皮肉でそう言った。
「まあ、男の言い分からしたらそうだね」
家庭があるくせにこの男は、どの口でこんな事を言うのだろう。彼から服の事を責められたからかどうかわからないが、あれ以来、私はオーバーオールが着れない。もうそんな歳でもないからいいのだが、子どもたちに着せる時も、必ず一度は思い出す。ツバイは結局あんなひどい事を言った男の子どもだったから? いや、そうでもあるまい。私はショックだったのだ。三十代後半にもなって、十も年下の編集者にそんな風にされたのが。私は若い頃、同じような目には何度も遇《あ》っていた。私は死ぬまで「やられ女」なのか。ただ一つ違う事は、私とその男の力関係。私にもう書いてもらえない事になって、その男は上司に殴られる。しかし私も、小娘みたいな言い方で
「強姦されたの」
とは言えない。ましてや訴えなど起こせない。
「そんなの訴えてもね、だれもあんたに同情なんかしないと思うよ」
ボーイフレンドにまでそんな事を言われて、私は心を閉ざしてしまった。
半月後、妊娠が判明する。
私は太田の子どもだと思った。ボーイフレンドと逢《あ》った日は、危険日から離れている。妊娠してももちろん、私はライブをしていた。そしてある夜、倒れた。太田は腰をさすってはくれたが、絶対に「病院に行こう」とは言わなかった。
朝になって痛みがおさまってから、
「あんなに痛いなんて普通の妊娠じゃないと思う。子宮外妊娠かもしれない、あれすごく痛いって言うから。とにかく病院に行くよ」
と言っても、痛みが治まったんだからいいじゃんという顔をしていた。
だけれどすぐ入院。絶対安静と聞いて太田はあわてる。だが仕事相手の人には余程でなければ話さない。私が頼んだわけでもないのに
「お見舞いに来ないで欲しいと言ってますから」
とまで言っていた。
ボーイフレンドは来た。しかし弱ってる私を見て、嬉《うれ》しそうにしていた。ターバンで髪をまとめている私に、
「頭に包帯なんかしてベッドにちょこんと座って可愛いね。入院してるあんたを見れる事があるなんて思わなかった」
とにこにこして言った。寝巻きをまくり上げ、どんな下着をつけているか確認したあと、
「これを医者に見せるのか」
と触りまくった。私にはもう
「これは包帯じゃなくてターバン」
と言い直す気力もなかった。
私が開腹手術を受けたというのに、太田はライブの予定を変えなかった。
「あんた抜きでもライブするからと言って、コーラスの子たちを特訓してるから」
と言っていた。
やっかいなことばかり起こす私抜きでバンドがやれればいいのに、というのはすでにその頃の太田の望みであった。私はバンドの活動費だけを稼いでくれればいいというわけだ。もう太田は、私の不安定さに飽き飽きしていたのだ。
私は退院し、ライブに出る事になった。
「ステージに立つからには、『病気してた』とか客に絶対言わないように」
と太田に言われた。
いつもと同じに激しく踊ってがんばったら、プツッと肌にいやな感じがして、傷が少し大きくなった。
それも、
「リードヴォーカルのくせにあんなに踊るのがもともとおかしい。コーラスに踊らせて女王様みたいにしているべき」
と言われ、なぐさめてももらえなかった。
さらに札幌ライブの夜、小樽《おたる》のホテルで私は腹痛を訴えるはめになる。バンドのメンバーが食事している途中で部屋へ戻り、のたうち回った。子宮外妊娠の時と全く同じ症状だ。太田は腰をさすってはいたが、やはり「病院に行こう」とは言ってくれなかった。私は耐えきれずに東京の病院に電話した。
「また同じ事になっているかもしれないので、急いでそちらの救急病院に行って下さい」
だけど、行けなかった。
「ここで救急車なんか呼んだらバンドのメンバーが……」
と太田が横で行かない空気を出していた。運転だって、太田がするのだ。
やっと痛みが治まりだし、うとうとする頃には
「私はもうだめかもしれない。今度もしこのまま寝たら、もう二度と目が覚めないかもしれないのだ」
と本気で覚悟した。
翌日東京に戻ったら、私は出血していた。
「出血してたから、やっぱり病院に行くね」
と太田に言うと、
「どうぞご自由に」
などと言われた。
病院で調べて、排卵痛であろうと言われた。排卵の時卵巣の壁がやぶけて、出血することがあるらしい。
「でも私こちら側、卵管も卵巣もないはずですが……」
「卵巣なんか取りませんよ。取ったのは卵管だけです」
帰り道、涙が出そうになった。私は卵巣を失くしたわけではなかったのだ。
私はなぜそう思い込んでいたか。手術のあと、
「卵管と卵巣と取ったの見せてもらったよ」
と太田に言われていたからだ。
その後、私は少しずつ鬱病《うつびよう》のようになっていったのだった。
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11
「3トントラックじゃ、全然足りませんでしたね。次は二台で来ます」
岡田さんは、本の箱の山を指さしながら言った。
「このへんまでしかないと思ってたもんで……奥の列まで見えていませんでした」
「何でこんなに本あるんだ?」
コンテナをぶつけた傷を気にしながらヒロカズが言った。
「太田が、私の本が出る度に出版社から三百冊買ってたんだもん。そのうち二百冊を人に送って百冊とっておいてたらしいよ。やりすぎだよね」
私が趣味で買ってた本をあれだけ嫌っていたのに、なぜ? 答えはただ一つ。出たばかりの本は、当然初版本だからだ。お金と同じように考えていたのと、コレクター根性から、そうしていたのだ。
「私の服はどこにあるんだろう。もし出て来なかったら嫌だな……」
田口弁護士を通じて「服などはいらないんだったら、バザーに出しますけど」と伝言をもらったことがあった。
「とんでもないですよ、娘が二人もいるのに、なんでそんな事言うのかしら」
いやがらせに決まっていた。
先月、税理士さんが来た時もこうだ。
「太田さんの方から、二つことづかって来ました。一つは昨年十二月までいた社員の中田さんて方の税金を払ってほしいとのこと。もう一つは、会社の口座に太田さん個人のカードの関係で太田さん宛に振り込まれたお金があるから、それを返してほしいとの事です」
彼女は納税用の紙の束と、もう一枚別の白い紙を広げた。
「これなんですが」
「……?」
その爪の先には、何度みても「二千五百八十五円」と記されていた。
「二千五百八十五円なの? これを返せって?」
「そうなんですよ。私も何度も確認したんですけどね、この額なので、お手をわずらわせるのも何かと思いまして、私がお預りできれば、振り込んでおきますが」
「いや〜、いいです。今弁護士さんと、慰謝料の精算中なんで、そこへ加えときます。しかしなー……二千五百八十五円ねえ。こないだも、私の荷物運んだ費用二十五万円よこせって、それで弁護士さんが、領収書見せて下さいって言ったら、二十二万六千円だったんだよ? ローン払う約束でお金振り込んだら、電気代とかいっぱい落ちてたしさ……なのに、二千五百八十五円。どう思う?」
横に座ったヒロカズは言う。
「どうしてもいやなんだろうなあ、ここに二千円でもあるってのがさ」
その静かな口調。息が荒くなっていた私は、少しそれを落ち着かせる努力をする。
「ずっとこうだよ。人からお金もらってるって思ってないのよ。坂川さん、それと、こっちの通帳、今日思い出して記帳してきたんですけど、ケイタイとPHSがこっちと合計で四つも落ちてるんですよ。一つは私が持って出たものなので、今度解約するつもりなんですけど、あとのは、私が払ういわれはないですよね?」
「そうですねえ」
「こういうのって、会社の書類あったら、一緒に解約できるもんですかねえ」
「ああ、できるんじゃないでしょうか?」
「他にも落ちてるものとか、当然って顔しといて、二千円返せってのが……。田口弁護士はもうこの口座、解約したらっておっしゃるんですが、会社の税金がここに戻って来ることになっているので……」
「ああ、それはもう申し出ちゃっていますね」
「それはいいんです。まだ慰謝料を精算してませんから、それがあるうちはいいんですけどね、こっちは。私が払わなくていい分まで払った分がどんどん引かれてるんで、それが少なくなっていくだけなんです。なくなっちゃっても、こっちは知った事じゃないんで。でもどうも、その分って畠田弁護士に支払われる分じゃないかって気がするんですよ。精算したら畠田さんの口座に入れる事になってるんです。なんかそれも畠田さんに悪いなと思って。そう田口さんに言ったんですけど、『弁護士同士であまり心配しあうのもよくありませんから』って言って下さるし」
「うん、そうですね。そうだと思いますよ」
「とにかく私今日、ケイタイの解約に行ってみます。前も行ったんですけど、書類が足りなくてできなかったんです」
坂川さんが帰ったあと、私はたんすの引き出しからあのケイタイを取り出す。去年家を出たとき、太田から『警察頼んでいいですか』とショートメールが入ったあのケイタイ。置いて来ればよかった、とあの時は思った。だんだんと触るのも嫌になってしまい込んでいた。解約しようとしたら、会社名義のため、会社の書類と、私自身がそこの所属の人間である証明書がないとできないと言われた。
家を出て一年が過ぎ、やっと解約のための書類が揃ったのだ。ドライの出生届も出す事ができた。彼女の名前の下の父の欄に、ヒロカズの名が入る。永かった。私もヒロカズも、これをずっと見たかったのだ。
今年のアインの夏休み、私とヒロカズは役所ばっかり行っていた。どの役所に行っても、
「え? ちょっと待って下さい?」
と担当した人は奥へ入って行く。奥の机では、数人の人が話し合いをし出す。時には何か本を広げ、また別の時には数人でコンピューターのモニターをのぞき込みながら、なかなか戻って来ない。やっと戻って来ると、田口弁護士に電話。又は前行った役所に電話。家庭裁判所の時もあった。そうしているうちに、閉まっていく役所のシャッター。消されてしまう照明。例外を役所に申し出るということは、こういうことなのだ。たった一つの救いは、私が高額納税者であり、そしてそれに関する支払いを滞納していないこと。これは、私の税理士さんたちのおかげ。
しかしまだアインとツバイの姓を変える作業が残っている。日本の戸籍では、離婚すると、追い出されるのは母親だけ。何もしないと、子どもは父親の方の戸籍に残ってしまうのだ。たとえ親権がなくとも、戸籍は又別なのだという。DNA鑑定で全員太田の子どもではなかったのに、ヒロカズとの入籍をやはり半年待たなければならないと聞いた時も同じ気持ちだったが、やはりここでも法律は私の事情と噛《か》み合わない。
家を単位にして戸籍を構成しているのは、日本と韓国だけらしい。家を単位にし、父親をその柱とするように決めてあるからこそ、母親である私一人が働いていたという事情は、ますます理解しづらくなる。太田がちょっと家事をしたと聞いては
「まあうらやましい」
と目を輝かせる主婦の、なんと多かったことか。
だったら自分一人で稼いでみろ。
皮肉な気持ちで
「だって私一人で働いてるんですよ」
と言うと、
「仕事になってるからいいわよ〜、うらやましいわ〜」
と返される。慰謝料や住宅ローンまで払っている今の状況も、
「私も慰謝料払いたーい! 一度でいいからそんなに稼いでみたーい」
と言われる事まである。
私は好き勝手に振る舞ってる様に見えるのだ。
自由奔放に。
とんでもない。なぜ見えるのか。そう見たい目が見るからだ。
私は太田の家ではどんなに稼いでも完全に嫁扱いだった。太田の祖母のお葬式を出した時も、太田は喪主で、まるで自分の稼ぎでこの葬式を催した様な顔をしていた。私の担当編集者に
「うちもこないだ葬式出しましたけど、戒名ってのが高いですよねえ。びっくりしました」
と声をかけられて
「うちのは百万以上のやつですから」
と胸を張っていた。
最後に買った小さなビルで宴会をしたときも、
「こんなに花火が近くに見えてすごいですね」
とほめられると
「最初は地下があるから買ったんですけどね」
と鼻高々だった。
お金を稼いだのは私なのに。
「彼女が頑張ってくれているからです」なんて、十五年間、一回も言われた事はない。戒名の時もビルの時も、横に私が居ても、視線さえくれなかった。自分が買った気でいたのだ。
その横で私は……
ただ黙って見ていた。
「あたしの金だよ」
と思っていたのに、何も言えずに。
どんなにがまんしていても、楽しくやっている様にしか見えないのは、子どもの頃からだ。十五歳で中絶した後、その罰として、母のセッティングで育ての父にやられていた事も、人に話す度に
「そんな目に遇《あ》っていた様な人には、あなたはとても見えない」。
最初の結婚の時、暴力までふるわれていた時も、
「おとなしくていい人そうじゃない、ほんとはあんたの方が性悪なんじゃないの?」
いつもそうだ。そんな風に見えない事をますます相手に利用されるのだ。そしていつも、私は全てを書く結果になる。書く前に、何度も話し合っているのに、相手は事実を曲げようとするのだ。
いや、きっと相手にとっての事実は私にとっての事実と違うのだろう。
「夏休みが終わったら、おまつりなんだよ」
アインが楽しみにしているそれは、去年、みんなで見に行ったあのおまつりだ。
「またおばけやしき見に行くんでしょ?」
「いやだよー」
「バーバパパみたいなかわいいおばけがいるんだろ?」
「いないよー」
ヒロカズからもからかわれて笑うアイン。お腹の中で、兄の「こわいよこわいよ」を聞いていたドライももう自分の名を呼ばれると振り向く月齢だ。
「パンを焼いてお店やさんを出すの」
「じゃあおうちでも焼いてみようか」
「うん!」
「ツバイちゃんもやりたーい」
大人用のエプロンをぐるぐる巻きにして、テーブルを粉だらけにしてパン生地をこねるアインとツバイ。ドライもテーブルのまわりをはいはいして嬉《うれ》しそうにしている。そのドライを見守るのは、もうすぐお産の佐藤さん。私が家を出たあと、太田に社長をやらせていた前の会社をやめて私の手伝いをしに来ている。春に結婚して、名前も変わった。そして九月には、彼女は産休に入った。
この家の近くにもケイタイの相談所がある。
「いらっしゃいませ。ご用を承わります」
「解約なんですけど」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
カウンターに座ると、以前と同じ女性がいた。
「今日は書類持って来ました。会社の書類と、私の身分証明と、そしてこれが名前の変わった事を示す書類。これでいいでしょうか」
「はい。拝見いたします」
「それと、あのー。この会社名で契約している、他のケイタイもここで今、解約できますか?」
「番号おわかりになりますでしょうか」
「ちょっと待って下さい。この中に……」
私は忌わしいケイタイにもう一度手を伸ばし、太田と佐藤さんの番号を出してメモした。
「他のも、聞いてみます」
今使っている方の、初めて自分で申し込んだ可愛いケイタイを使って、佐藤さんの自宅へかける。
「あ、もしもし、調子どう?」
「はい、まだ陣痛来ないです」
「そうかー、実は今ケイタイの解約に来てるんだけど、前の番号って何かわかる?」
「わかると思います。ちょっと、調べてみます」
その間も担当の女性は検索を続ける。
「こちらの番号は出て来ましたけど、こちらは見つからないですね。出て来た方は解約なさいますか?」
「はい。して下さい」
胸がドキドキする。今にも太田に踏み込まれそうな気がしてしまう。ケイタイが鳴る。
「番号が出て来ました。以前私が使っていたのが二つと、中田さんのPHSが一つです」
「ありがとう」
番号を告げ検索してもらうと、中田くんのPHSはすでに解約されていた。私は続けて佐藤さんに話した。
「中田くんは年末までいたらしいよ」
「そうなんですか」
「坂川さんから税金払う用紙をもらったとき聞いたの」
佐藤さんはもともと中田くんが連れて来た女性だった。中田くんは古くから前の会社に勤めていたが、あまりに仕事ができないので辞めてもらったのだ。その後、ある外国のニュース局の日本支社に就職したが、しばらくしたらその支社がつぶれてしまった。困った中田くんは、佐藤さんを連れて私の会社を再び訪れたのだった。しかしあいかわらず仕事しないので、すっかり部下だったはずの佐藤さんのお荷物と化してしまっていた。それでもなぜか太田は中田くんを馘《くび》にしないのだ。中田くんが何かまずいことをしてしらん顔していても、
「また中田くんだよ」
「絶対中田くんだよ」
「だれかさんにきまってるよ」
と私に言うばかりで、本人に言おうとはしない。ついに私は怒って
「本人に言いなさいよ」
と太田にどなっていた。その頃から既に気づいていた、太田は中田くんとそっくりだ。自分が動くのがいやで、人に声をかけるのが苦手。なんでも人にやらせて自分は食べてばかりいるからぶくぶく太っている。そしてお金だけは欲しがる。それも、風俗のお店に行きたいかららしい。ずっと自宅にいるから、お金を使うのと言ったら、毎月坊主にするのと、食べる事ぐらい。それでも風俗に行くから、お金が欲しいらしく、働きもしないくせに給料が安いと文句を言うらしい。
太田が中田くんを辞めさせないのは、自分に似ているからだ。私は何度も
「そんなにいやなら辞めてもらえばいいでしょ」
と言った。
それでも税金は、私に払わせる太田。
番号は、全部で六つ。ケイタイ三つと、PHSが三つだ。両方の番号が一つの電話機に入る機種だから、私のと、太田のと、そしてもう一本。よく話に伝わってくる太田のカレー店の口うるさいウエイトレスにでも持たせているのに違いない。太田はよくそのウエイトレスに
「太田さんはいません」
と電話で言わせて、なかなか自分が出て行かない様にしているという。それで、弁護士さんたちの話も進みが遅いのだ。
友平ちゃんが車の受け取りに行ってくれた時も、店から行っては失礼だろうと裏へ回ったら、
「そっち行かないで下さい!! 店から!!」
ときつく言われたそうだ。普通、店から行くのは遠慮する。太田は自分が隠れている自宅に来られるのが嫌だから、店を防御壁にしているのだ。私もさんざん仕事場には人が来てもいいけど、自宅には電話がかかってくるのも嫌だという暮らしをさせられていたから、よくわかる。
「解約なさいますと、今日から使えなくなりますが、いいでしょうか」
「いいです」
「手続きなしでこのままですと、この番号では二度とお使いになれなくなってしまいますが」
「いいです」
「この電話機は」
「捨てて下さい」
電話機の三本のうち、二本は一括で引き落としされるシステムで、さらに引き落としはケイタイとPHSが別々なのだそうだ。それで引き落としは計四つ。多分、全部解約できたはずだ。
ずっと捨ててしまいたかったケイタイを、解約とともに手放す事ができた私は、すがすがしい気分で外へ出た。その上、私が払う筋合いのない電話を二本、解約する事までできたのだ。確かに電話代は、それ程でもなかった。二千五百八十五円を返せと言われなかったら、私はここまではしなかったかもしれない。大して使ってなかったとは言え、自分のケイタイが突然使えなくなったら、とても嫌な気分だろう。太田は私が持って出たケイタイだって、いつでも勝手に解約できたのに、最後までしなかったのだ。ただ放っておいただけかもしれないが……。その代わり、離婚が成立し、会社を私が引き取ってからは、自分とそのウエイトレスのであろうケイタイの電話代を、私に払わせていた。ケイタイだから解約できたが、他にもあいかわらず電気代や、ケイタイでない方の電話代(二本分)はその口座から落ちているのだ。住宅などのローンももちろん私が毎月払っている。なのに、二千五百八十五円を返せ。
「仕返ししたんだ」
私は小さくつぶやいた。すごく意地悪な事をしたのかもしれないが、後悔はしなかった。
アインのおまつりは近づいていた。なんと、ヒロカズのお母さんや弟夫婦も見に来てくれると言う。アインが電話の度におまつりの踊りの話をしていたからだろう。
「よかったねー、みんな来てくれるってよ。すごいじゃん」
「ほんとー」
アインは張り切っている。お風呂《ふろ》の中でも、
「ねーねー踊りの練習見してあげようか」
と踊り出す。
「おちんちんフリフリして踊るの、可愛いけど恥ずかしいからやめてよ」
と私はツバイと大笑いする。
去年、このおまつりの二週間後くらいに、アインは編入試験を受けた。
「どんなお勉強をしてきたか、見るだけですから」
算数、国語、そして体育を少しずつだったと思う。最後に又校長先生の部屋へ行って、お話をして帰って来た。
「アイン、試験どうだった?」
「かんたんだったよ!」
合格通知はすぐに来た。入学金や寄付金、学校債などを急いで振り込む。私はランドセルばかりに気をとられていたが、その学校のランドセルはとても安かった。そして大変軽く、薄かった。
「安いんですね、ランドセル。軽いし……」
「うちのは本当に通学のためのランドセルですからね」
私は大きくて真っ黒でおそろしく重い、アインの昔のランドセルを思い出していた。太田が教科書を全科目詰め込んでいたランドセルを、毎日背負って出かけていたアイン。新しい学校にはなんと教科書がなく、全科目、先生たちがプリントを作って、それをファイルしているのだという。
お弁当と筆記用具だけの軽いランドセル。それを背負うと、アインはもう、前の学校に入学したときの小さな幼児ではなかった。あんなにランドセルが大きく見えたのに、今はそうでもない。
「よかったね。学校決まって」
「うん! いつからなの?」
「月曜日からだよ。月曜はお母さんも一緒に行くからね」
「ほんと!」
翌朝、ランドセルを背負ったアインの手を引いて、学校へ。
「それじゃあいってきまーす」
「よろしくお願いします」
担任の先生に付いて校舎に吸い込まれて行くアイン。こうしてあの日、アインの永い永い夏休みは終わったのだ。
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12
卵管だけでなく、卵巣も片方失ったと思い込んでいた私は、もう子どもは産めないかもしれないという気持ちになっていた。
手術の跡がまだちゃんと固定していないうちにいたわりの言葉もなくライブのリハーサルをやらされ、誕生日だというのに風邪をひいて熱を出してしまった。
そこへボーイフレンドから電話。
「誕生日、何かお祝いしたの?」
「ううん。風邪ひいたし……」
どうして、「誕生日おめでとう」とは言ってくれないのだろう、と私は淋《さび》しくなった。
「風邪ひいたの?」
「うん……」
「そうか、じゃあ調子悪いか」
「うん」
「あした、逢《あ》いたいと思ったんだけど」
このボーイフレンドからは、今まで一度も誕生日を祝ってもらったことはなかった。
「俺は誕生日とか、クリスマスとか、やらないんだよね」
と言われていた。しかし、私の方はそういう気になれなかったので、その度に何かプレゼントしてきた。あげたものは喜んでくれるし、何かにつけて
「これ、もらったやつだよ。この間も着て行ったよ」
と話してくれるのだが、私には一度もくれなかった。
でももしかしたら、とこの時は思ってしまったのだ。わざわざ誕生日の翌日に、少し無理をしてでも出て来いと言うのだから。プレゼントが欲しいから男とつきあうわけではないが、それまであまりにも無視されてきたので、つい期待してしまった。初めてそんな気になってくれたのかと。
しかし、もらえなかった。
それどころか、食事の乾杯の時にも「おめでとう」の一言もなかった。
ホテルで行為を済ませ、いつもの通り奥さんにばれないように入念に体を洗うその男。バスタオルを腰に巻いた姿で、
「車が混み出す前に帰りたいんだよね」
と私に言う。意味を掴《つか》みきれないでいると、
「送って行けなくて悪いけど」
とつけ加えた。
「いいけど……」
手ぶらでタクシーに乗る私。結局私は、やるために呼び出されたのか……なのに、私はまだ相手の誕生日にはプレゼントをするつもりでいた。ムキになっていたのだろうか? 誕生日を少し過ぎた待ち合わせのその日、私はデパートでプレゼントを選んでいたのだ。
ケイタイが鳴った。
「どこにいるの?」
私は待ち合わせに遅刻したわけではなかった。この男は、自分が早めに待ち合わせ場所に着くと、必ず電話をして私を急《せ》かすのだ。
「もう近くだよ」
「どこ?」
「イセタン」
「紳士服売場?」
その一言を私が聞き逃すはずはない。
この人は、自分が私にプレゼントをあげなくても、私からもらうのは当然だと思ってるんだなあ、と私はぼんやり考えた。
太田もボーイフレンドもすっかり私の事を
「この女何しても大丈夫。何やらせてもいいんだ」
と思い込んでいた中、体も心も弱っていた私は、どうやって生きていこうかと必死になった。何かイベントがあれば飛びつくように出かけて行き、楽しみをむさぼった。他人から見たら、ものすごく精力的に見えたことだろう。
しかし、実は私は危うい状態だったのだ。誰も気づく人はいなかったが、不安が奇妙な形で現れるようになっていた。何げなく広げられた雑誌のページが恐ろしくて見られない。そこに出ている歴史上の人物の顔が怖い。なぜならそれは私にとって「死んでしまった人」だからだ。
「あっ、あれは死んだ人の顔だ。死んでしまった人の事が書いてある」
そう思うと恐ろしくて、そばに寄れないのだ。
この事は、人にも話していたが、つい
「こないだは林家三平が怖くて」
などという言い方をしてしまうため、相手は笑ってしまう。笑ってもらうと、それでもいいかという気になる。治療にまで出かけなかったのはそのせいもある。しかし太田のような男と暮らしていて、自分の心の治療のために(太田にとってそれは「ただの気のせい」で片付けられるものなのだろうし)病院に行こうと思えただろうか?
しばらくすると、「死んだ人が怖い」という症状はおさまった。しかしそのかわりに、「死んだらどうしよう」という考えが止まらなくなるようになってきた。特に眠れない夜がひどかったが、ときには昼間にも起こる事があった。
ある時私は、銀座のデパートのイベントへ出かけようとしていた。大好きなグッズやさんが展覧会を行なうのだ。なんとか初日に行きたくて仕事を片付け、ほとんど寝ないでタクシーに乗り込んだ。
しばらくすると、胸がドキドキして来た。打ち消しても打ち消しても
「死んだらどうしよう。どんな風に死ぬのだろう。恐ろしい」
という考えが浮かんで来て、息が荒くなっていく。
外の景色を見たり、タクシーの中の広告の文字を読んだりして気を紛らそうとしたが、どうしようもない。ついには、運転手に、
「運転手さん、死ぬの怖くありませんか」
と話しかけたい欲求が湧いて来た。
でもそんな事をしたら、気味悪がられるに決まっている。どうしよう。気分が悪くなったと言って、止めてもらおうか? しかし、声を出したが最後、
「死ぬって怖いですよね」
と言ってしまいそうで、必死でこらえた。汗が出て来る。お願い、早く着いて。
「こっち側でいいですか?」
やっと着いた。
現実感を取り戻す私。
イベント会場へ行くと、入場無料なはずなのに、長い長い行列ができている。不思議に思って行列の先を見ると、それは入場待ちの列ではなく、グッズを買い求める人々が、レジの前に並んでいるのであった。
来てよかった。目の前の霧が晴れていく。私もいつしか買い物をする手が止まらなくなり、気づいた時は大きな袋を両手に抱えている。
デパートの人が
「お車ですか?」
と声をかけてくる。
「はあ、タクシーで帰ります」
「では乗り場までお運び致します」
お人形やタオルやTシャツや布バッグなどのグッズだというのに、五万円ほども買ってしまい、デパートの人がタクシー乗り場まで運んでくれている。
ちぐはぐな私。
しかし、帰りには発作は出ないのだ。
私は帰るなりイベントの盛況を太田に話し、私の絵でグッズを作っている太田もその話に心を動かされる。そして次には子どもたちや太田ともそのイベントへ。私はCMの打ち合わせの時にもその話をし、ついにはそのグッズ店の商品を参考にして、自分が作った人形をCMに使う事をプレゼンに出し、見事採用されたのだ。
今まで「金にならない」と太田に嫌われていた手芸の趣味も、こうなれば太田だって認めない訳にはいかない。今度という今度は、いくら熱中して作ってもいいのだ。私は徹夜してCMのための人形を作り、撮影現場にも行った。
今まで、私が作った人形を太田が悪く言うのが辛《つら》かった。
「仕事でもないのに」
と言われるのが辛かった。
CMができあがって、人形が戻ってきた。その人形は、アニメーションで表情を動かしたため、顔の部分がとりはずしてあった。
「顔つけてよ」
と太田は私に言った。写真を撮って、ホームページに載せるつもりなのだ。
「うん」
と返事はしたが、私はついにその顔を仕上げる事はなかった。
仕事になるのなら、認めてやるという太田の態度を利用しただけだったのだ。
お菓子を焼いても、
「売れるよ」
が褒め言葉だと思っている太田。頼みもしないのに使いにくいプロ用の道具やディスプレイケースを私に買い与え、それがサービスだと思っている太田。
持ち手もふたも熱くなる、重い大きな金属のナベを二つも台所に運び入れられた私は、
「これ、キッチンミトンがないと使えないナベだよ」
と太田に言ったが、太田はキッチンミトン一つ買うにも、プロ用の店にしか連れて行ってくれないのだ。
実用第一の銀色のキッチンミトン。それしか選択肢のない店。
私は銀座のイベントで買ったワッペンを、そのミトンに縫いつけた。そんな事で少しずつ自分を死の気分から引き上げていた事を、私も太田も気づいてはいなかった。
ツバイが一歳の誕生日を迎える頃、また太田が私にライブをやらせようと打ち合わせを要求した。
「考えとくから」
とだけ言っていたら、いつのまにかライブの予定が決められてしまっていた。大阪で一つ、東京で一つ。
「私、やりたくないな」
打ち合わせ中のらりくらりしている私を、太田はだまって見ていた。
「去年CD出したけど、全然売れてないでしょ。十三年半も太田さんの言う通りやってきて、やっとCD出して、それが売れないって事は、あんたのやり方は失敗だったって事だと思うんだよね」
太田は、この女何を言い出す、という顔をしていた。私は太田が育てたヴォーカルだったのに、遂に反乱を始めたのだ。
バンドができたばかりの頃、
「だってこれ私のバンドでしょ? 私の好きな曲やらしてよ」
と言うたびに、
「ダンスとディスコの違いわかってる?」
「リズムが一周するってどういうことかわかる?」
「こういうの、普通聞いてりゃわかるでしょ?」
などと言い負かされ、従わされてきた。あんたのような音楽を知らない田舎者に、と言わんばかりだった。
それでもどこかで私は、
「バンドくらいは太田の好きにさせてやろう」
と思っていた。書く世界は私の好きにできるし、それでお金も稼げる。太田には社会とつながっていて、それで自信を持てたり、稼げたりするものはないのだ。私は太田に気を遣って、「バンドは趣味です」という表現をどの取材からも取りはずし続けた。
だけど、もうやめた。
「太田さんにはリーダーを降りてもらいます。私がやりたいようにやらせてくれなければ、もうライブはしない」
私はそう言い張り、結局それを条件に今年のライブを行なう事になった。
ところがリハーサルの度に、太田はどうにかして自分の好きな方へ持って行こうとするのだ。
私も必死だった。十三年半も太田の言いなりになっていたため、すでに自分が何をやりたいのかわからなくなっていた。とにかく、昔、「これが歌いたい」と出したのに、いつの間にか歌わせてもらえなくなった曲を全部思い出してやる事にした。それから、私が作詞した曲を、ジャンルがバラバラのまま全部歌う事にした。その中にはかなり古風な歌謡曲もあったが、とにかくそれもやると言い張った。
「これ、このままやるの?」
「アレンジ変えようよ」
「これいらないでしょ」
約束を約束と思っていないのか、太田はことあるごとに口を出してきた。私は頭に来たが、もうけんかをする気にはならなかった。ただ静かに
「私はこれでやりたいので」
とだけ言うようにした。ついでに太田に歌も歌わせる事にし、デュエットの曲の男のパートを太田に押しつけた。そして、そのあまりのへたさに笑い転げた。
「じゃあドラム叩きながら歌ってみろよ」
と言う太田の言い分は、まさに子どものそれだった。リハーサルはその度に、私と太田の戦いだった。私は、疲れていた。
ある日、仕事部屋に早朝から詰めていたら、まだ出勤時間でもないのに、佐藤さんがやってきた。
「早いね。どうしたの?」
と聞くと、
「仲間とやっているバンドのリハーサルを、夜中にやったんです。真夜中から朝方までだったんですけど」
「ああ、そういうパックあるよね。レンタル代、安くなるやつ」
「ええ。もうそれしか時間とれなかったんで……どうしようかと思ったんですけど、もう家に帰らずに会社に来ちゃいました」
「そうか、眠いでしょ」
「いえ、もうハイになっているので。このままいっちゃいます」
彼女の顔は、すがすがしかった。若いよなあ、と思い、ドアを閉めた。
雨が降っていた。
私にもあんな頃があった、と思った。
お金はなかったけど。スタジオ代はみんなと割りかんにして。
終わってからの喫茶店での食事、意味のないおしゃべり。
そうだ、バンドの練習って楽しいものだったんだ。と思ったとたん、下りのエレベーターに乗ったような感じになった。
楽しかったのに。いつのまに、こんなに辛くていやなものになってしまったんだろう。もうやめたい。何もかもやめたい。
それまで雨は私の味方だったのに、その日は助けてくれなかった。
私はマンションにツバイと二人でいる太田に仕事部屋の電話から電話をかけた。
「私ね、何もかもめんどうくさくなった」
「何?」
「もう死にたい」
「何言ってるの」
「ツバイちゃんがいるから、もういいでしょ」
私はもちろん、ツバイを太田の子だと思っていた。
「アインのこと、かわいがってね」
涙がぼろぼろ零《こぼ》れた。電話を切ったら、ドアノブで首を吊《つ》るつもりだった。しかし、鍵《かぎ》をかけていなかったので、私は気になってドアノブばかり見ていた。電話が終わったときには私は死ぬのだ。
太田は
「何言ってるの」
ばかり言っていた。言われれば言われるほど、死ぬ気が固まっていった。ツバイは大丈夫。だって太田の子どもだから。私はアインが無事に大きくなるかどうかだけが気がかりだったのだ。
坂道で太田にベビーカーの手を離されていたアイン。ツバイと違って、泣き寝入りするまで太田に放っておかれたアイン。
「あの」
なんてことだ。突然佐藤さんがドアを開けてしまった。
泣き声が聞こえたのだろうか?
「今幼稚園から電話があって。おうちにつながらないからって。アインくんが、幼稚園でぐったりしているそうなんです」
アインは少し前に、強い予防注射を打っていた。打った腕が腫《は》れていて心配だったので、先生にも話しておいたのだ。
「なんだか眠い、と言って眠ってしまったそうなんです。注射の事があるので、ちょっと小児科の先生に診ていただいた方がいいかもしれないと思われて、ずっと電話をかけていたそうなんです」
私はぼろぼろの泣き顔のまま、思わず立ち上がった。
「これから小児科に連れて行きますって。どうされますか」
「行く。私も行く」
私は、太田とつながったままの電話に向き直った。
「アインが幼稚園でぐったりしてるんだって。先生が小児科に連れてってくれるから、行くね」
それだけ言って、電話を切った。
「私、車出して来ます」
佐藤さんは雨の中を走って行った。私も、今まで死のうとしていたことも忘れて外へ飛び出した。
小児科までの道のりが果てしなく遠く思われた。窓をつたう雨のしずく。お願いだから、お願いだからアインを連れて行かないで、と神様に祈った。
車を止めて降りると、ちょうど幼稚園の先生がタオルをかけたアインを抱きかかえて小児科に入ろうとしているのに出合った。
「お世話になります」
アインは薄目をあけてぼんやりしていた。
「大丈夫、アイン」
「とにかくちょっと診てもらいましょう」
太田はまだ来なかった。まさか、来ないつもりなのでは、という考えが頭をよぎったが、そんな事はもうどうでもよかった。アインを守るのは、私しかいないのだ。
結局アインは、なんともなかった。助けられたのは私の方だったのだ。
あのタイミングの良さは、一体何だったのか。今になって私は思う。その後太田はリハーサルの時、私の言う事を聞くようになった。死なれては元も子もないと思ったのだろう。
「生命保険いっぱい入ってるのも、よくないみたい。もう保険に入っているからいいや、ってあの時思っちゃったよ」
と言ったら、保険も解約してくれた。
ライブは私の思った通りにやれた。光るストッキングにピンヒールという、太田の趣味の衣装も着ないで済んだ。太田には、私の縫ったシャツを衣装として着せた。
太田には、
「いつもとちがう歌の仕事までさせたので、ギャラです」
と言ってお金を渡した。
「なんで、こんな」
と太田は顔を曇らせた。
もちろん、いやがらせだ。
今まで私にタダで何もかもやらせてきた事を思い知ってもらうためだった。
とりあえず気が済んだ私だったが、その後まもなくもうライブをやる気にはなれなくなっている自分に気づいた。ことあるごとに、
「もうバンドやめたからね。ツバイちゃんが大きくなったら、ツバイちゃんをヴォーカルにしてやればいいよ」
と太田に軽口をたたいた。
太田は憮然《ぶぜん》とした表情でそれを聞いていた。しかし内心、
「だったら地下室付きの物件を買わせてスタジオ造ろう」
と考えていたのだ。そこまではまだ、私が気づくはずもなかった。
[#改ページ]
13
それは、ヒロカズと仲良くなってまだ一ヶ月目の頃。初めて彼が、自分の仕事仲間を紹介してくれたときのことだった。
「子どもいるんですよね」
「一人は夫の子じゃないけどね」
もちろん私はこの時も、ツバイは太田の子だと思っていた。
「根負けして籍入れたんですよ」
私が言うと、ある人が
「オレ、愛人いるって聞いたことあるけど」
と言った。
私は緊張を覚えた。それはまだ、ヒロカズの事であるはずがなかった。彼と関係していることは、そこにいる誰にもまだ話していなかった。
「愛人って、すごい言い方」
私はその発言をした人物に言い、
「それはいましたよ、いっぱい。でも夫とはなんだか別れられないんですよね、何があってもそばにいるもんだから。まさか他の男の子どもを面倒見るって言い出すとは思わなかったし。もう腐れ縁ですよ」
私はそれを、ヒロカズに向けて言ったつもりはなかった。
「でも別れたかったら別れるはずだよな」
ヒロカズが、隣に座っている仲良しの男の子に言った。
「うん」
その子もなんとなく返事をした。
ヒロカズもきっと、それを私に言ったつもりはなかったのだと思う。ヒロカズは常に、女でも自分の意志でしたいことをするべきだという思想の持ち主だ。その時も単にそういう意味で言ったに違いない。
しかし、それが始まりだったのだ。
ヒロカズと飲むと、つい離れがたくて、真夜中になることが多かった。それはよほど酒が入らないと、ヒロカズが自分の話をしないからでもあった。いつも永い時間を過ごしたが、それでも私は太田と別れたくて、あてつけのためにそうしていたのではなかった。夜中が早朝になっても、帰りたくないからではない。私はただヒロカズといたかっただけなのだ。アインもツバイも家にいるのだから、帰りたくないはずがない。どんなに遅くなって帰って来ても、眠っている子どもたちの顔を見ずに寝てしまうことなんてありえないし、そんなときほど子どもの寝顔とは可愛く見えるものではないだろうか。ところが今思えばそんな私の行動を、太田は腹に据えかねていたのだ。あとになって子どもを連れて家出した私を「警察」という単語で脅したことと、何かと言うと
「子どもを二人も押し付けられてどんなに大変かわかる?」
と言われていたことなどを考えると、太田は私のことをまるで悪人のように思っていたのだろう。私は私で、だんだん子どもを人質に取られているような気分になってきていた。特にツバイは二歳間近まで母乳を飲んでいたためか私の後追いがひどく、私の顔が見えない所へ連れて行かないと仕事も出来ない状態だった。毎朝凍ったチキンナゲットを電子レンジで温めた朝食を与えられたアインが出かけたあとは、さあ仕事をしろとばかりにツバイを私から引き離す太田。それでいて、私が外出するとくどくどと文句を言うのだ。
「なんでわざわざ新しいことに顔を突っ込んでトラブルを増やすの。仕事につながったってそういうのはギャラ安いのに。今までどおり、古くからつきあって安心出来てお金もいい所とだけ仕事してればいいのに」
「太田さん、あんたはぜいたくだよ。今までアインの幼稚園では面白がって幼稚園母やってきたけどね、まだツバイは幼稚園行く年じゃないし、アインはもう結構なんでも自分でやれるし、また最近のことを見て歩かないとなって思うのよ。私はものかきなんだからね、いいお母さんだけやってても絶対面白いものは書けないんだよ。あちこち歩いてバカ話して、トラブル多くても一通り最近どうなってるかな、ってのに興味あるからやってるんだよ」
「こっちはいい迷惑だよ。子どもの世話だって大変なのに」
「ベビーシッターさんをウイークデー全日頼めばいいじゃない。私、お掃除だって頼んで欲しいよ。こんなごみだらけの所いやだよ」
「人が家に入ってくるの嫌いなの。ベビーシッターだって物知らない人ばっかりで、こっちが紙おむつの使い方まで教えてやんなきゃいけないんだよ。そんな人になんであんな高い金払わなきゃなんないの」
金、金、金。私が稼いでいるのにお金の話ばっかりだ。太田は昔から、自分がバンドやグッズ作りなどの道楽で散財しておきながら、私には平気で
「お金ないよ」
と言うのだ。私はその度
「おかしいなあ、仕事さぼってなんかいないはずなのに」
と思いながらまた新しい仕事を増やす。私がくたびれてぼやくと
「自分がやるって言って受けたんでしょ」
と責める。
私はあの状態で少しずつやる気をなくしていったのだ。あんないたわりも感謝もない生活で、喜びを持って働けるだろうか。なのに太田は、もっと外出を止めて働け、もっと金の効率を良くして働けと私を責めるのだ。
今一緒に暮らしているヒロカズは絶対にそんなことは言わない。仕事に疲れたとき私は彼に
「眠いなら寝ちゃえ」
と抱きしめられて布団に入れられたり、
「働き過ぎだよ、そんなに仕事してたら風邪もひくわ」
とか言われるたびに幸せを感じ、太田と別れてよかったと心から思うのだ。
ヒロカズと逢《あ》うためだけでなく、私は仕事の打ち上げや用事などで出かける。その日はそんな用事が昼から三つも入っていた。幼稚園の役員の食事会があり、ある仕事の打ち上げがあり、定年を迎えた担当氏のお見送り会があった。私は前日も別の仕事の打ち上げで朝まで飲んでいてふらふらだったが、その上ツバイの誕生日で、結婚記念日でもあった。
昼の用事がすむと私は家に帰り、ツバイの誕生日のケーキが出てくるのを待つ。二本のろうそくをけっこう上手に吹き消すツバイ。アインも一緒に吹いてやり、お誕生会は始まった。
しかし私はまもなく出かけなくてはならない。
「ごめんね、ちょっと出てくるからね」
二つのパーティーをはしごしたあと、お見送り会のあった出版社の担当氏二人と、今後の打ち合わせを兼ねてしばらく飲んだ。だけどその日は、私にしては早く帰ったつもりだった。
鍵《かぎ》を開けてドアを引くと、ガン、と音がして引く手が止まる。
チェーンがかかっていたのだ。
すでに中は静かで、眠ってしまっている気配。
思わずため息が出る。今日の私は遊んでいたわけでもなんでもないのに。
壁に背中をもたれさせて、ケイタイで中に電話。何度かベルがなり、太田が出た。
「あの、チェーンかかってんだけど」
私は情けない声で言った。
「あ、かかってた? ごめんごめん。わざとじゃなかったんだけど」
太田はそう言って、玄関に来てドアを開けた。私はその晩、生理がひどくてぐったりしていたが、無理をして太田に優しくしてから寝た。怖い夢を見て、起きたらシーツに血がついていた。
「子ども二人連れて帰ってくると大変だから、ついいつもの癖でチェーンかけちゃった。でもね、帰ってきて欲しいと思ってるからそういうことするんだよ」
あとになって太田は私にそう言った。
私は太田に悪いことをしているのかもしれないと考え、何かで取り戻そうとした。タクシーに乗っているとき、運転手が
「お彼岸が近づくと混んでねえ」
と言うのを聞いて、太田の家のお墓参りのことを思い出していた。
私はお墓参りに行くのが大嫌いだった。太田が前もって私の都合を聞くことをせず、突然、それも当たり前のように行くと言い出すからだった。毎日沢山仕事して、土日や祭日はゆっくり休めると思い込んでいるのに、太田は突然私を墓参りに連れて行こうとする。
「ずるいよ、あたしには親がいないから、こういう用事は太田さんちの方だけなのに。墓参りでも、お盆でも、年末年始でもろくな打ち合わせもしないで」
私はその度に太田と言い合いをした。太田の家に行くのも墓参りに行くのもあれほど嫌だったのは何故だろう、と今になって考える。私一人に働かせておいて当然のように嫁扱いされていたからだろうか。年末に太田の実家に行く話が出ただけで、
「やっぱり行かなくてはだめなのか」
と気が沈み、お腹が痛くなって動けなくなってしまったりするのだ。そして、行くとくたくたに疲れる。
太田はふだんからほとんど人と会話しないが、実家に帰るとその何倍もしゃべらなくなる。太田の実家やその周辺では男の家族は全員ただ黙り込んでいる。女の家族はその男達にひっきりなしに話し掛け、うなずくだけで用事が済むようにしている。私にはとてもそんなことは出来ない。私は太田のお母さんから
「無口ねえ」
とまで言われたことがあるのだ。この私が無口!? しかし太田家では私はしゃべらない嫁なのだ。私は抵抗した。実家に戻ると突然口をきかなくなる太田に、あちらのご両親の前で
「言わなきゃわかんないよ!」
と怒鳴ったりまでした。太田の実家や墓参りに行かずに済むならどんなにいいだろうといつも考えていた。
しかし、今の私は太田を傷つけている、と私は思っていた。墓参りの話は、この状態をどうにかするのに最適に思えた。
「お彼岸ですか……いつも墓参り、めんどくさいんですよねえ。私、苦手で。でも今年は、ちゃんと行こうかなあ」
と運転手に言うと、運転手はまるで私の考えを見抜いてでもいるかのようにこう言うのだ。
「そりゃあたまには行こうよって言ってあげるといいですよ。だんなさん喜びますよ」
「そうですよねえ」。
そして私は殊勝にも太田に
「もうすぐお墓参りだよね、いつにする?」
とすごく頑張って、明るく声をかけたのだった。
しかしいつも何を言っているのかよくわからない太田の口調では、いつ行こうとしているのかがわからなかった。思い切って言ったわりにはさして感謝もされなかったし、私はすでに太田にそんな話をしたのさえ忘れてしまい、すぐにアインの卒園式のことで頭がいっぱいになった。卒園式にツバイに着せるために徹夜でオーガンジーのワンピースを縫った。その合間にも仕事や付き合いで外出が多く、私はなるべくそれらにはヒロカズと一緒に行くようにしていた。
「今週の土日しかないから」
と太田に言われたとき、何のことかわからなかった。
「お墓参り? だって土曜は卒園式と謝恩会とお母さん達の打ち上げ飲み会があって、日曜には対談入ってるんだよ。体が持たないよ。なんで突然言うの?」
「こないだ言ったよ」
「言ってないよ!」
「そういうふうに聞こえてないってことは、行きたくないからだよ」
主語や述語や形容詞の足りない、外国人のような言い方。いつものことではあったが、この日ばかりは太田の冷たい口調に、疲れていた私の目から涙があふれた。
「私、墓参り大嫌いなのに。今年は自分から言おうと思って頑張って言ったのに。ほんとに聞いてないよ! そんなこと言うんだったらこないだかかってたチェーンは何? 帰ってきて欲しいからかけたなんてむちゃくちゃ言っといて、墓参りのことではそんなこと言うの? せっかく歩み寄ろうとしたのに!」
声を上げて泣きながら、そう言い続けた。言うだけ言うと体からがっくり力が抜けた。それまでは太田と言い争う度に
「もう離婚だよ!」
と怒鳴っていた私だった。それを聞いたアインはいつも目に涙をためて
「けんかしないで〜! りこんするのはやめて〜!」
と私にすがっていた。だけどこの時はもう、離婚という言葉を出す元気さえなかった。この時私と太田の関係は終わったのだ。
年末にも
「もう離婚だ!」
と私は騒いでいた。理由は覚えていない。また太田の実家に帰る話だったのかもしれない。アインはまた泣いた。そのとき太田は初めて
「わかったよ」
と言って外へ出て行った。私は、ついにこれで太田と別れてしまうのだ、と身を硬くした。しかし、どこかしらほっとしていた。もうすでにヒロカズとは関係していたが、たった一回だけで、だからどうということまではなかった。
しばらくすると太田が戻ってきた。
私は
「離婚届もらってきた?」
と太田に聞いた。
太田は鼻で笑って
「こんな年末にやってるわけないでしょ」
とこっちを見ずに言った。
私は再び少しだけほっとし、少しだけがっかりした。また同じようなけんかしながらのぬるま湯のような日々が続くのだ。でも、その度に泣くアインを思うと、それでもいいのかもしれないとその時は思っていた。
夜にはお世話になったミュージシャンのライブの予定があり、私はヒロカズと行く約束をしていた。
昼間あんなに泣いたせいか、どことなく体に力が入らなかった。私はずっと無口だったようだ。
終わってからそのミュージシャンに
「バンドのほう、どう?」
と聞かれ
「やめたんですよ」
と答えた。
彼はびっくりしていた。そして私に
「えっ、じゃあ太田さんとも別れたの?」
と聞いた。
夫婦でやっていたバンドをやめるということはそういうことなのだろうか? と私は思った。
「いや、そういうことにはなってないんですけど、」
私は少しだけ慌て、取り戻して、
「でもこの人は彼氏です」
とヒロカズを紹介した。
ライブハウスをあとにし、ヒロカズに誘われるままに彼の仲間のいる店に移動した。そこで何度も
「今日元気ないよね」
と言われ、私は初めて自分の状態に気づいた。
「私そんなに元気ないの? 今日昼間泣いたからかなあ。なんか力抜けちゃってる感じはする」
と答えた。
「泣いたの?」
驚くヒロカズに、
「うん、太田と大げんかして。なんか、それでがっくりしちゃったみたい」。
ヒロカズは黙ってそれを聞いていた。そして、いつもより早めにその店から私を連れて出た。
彼の運転する車の助手席に座って、私はぼんやり外を見ていた。
ヒロカズは私の住む家の方へ車を走らせた。私が疲れているから早めに帰そうとしているんだろうか、と私は思った。しかしやはり会話する元気がなかった。
突然ヒロカズが前を向いたまま、
「俺はセックスしたくなった」
とつぶやくように言った。
思わず彼の顔を見た。
そんなことを言われたのは初めてだ、私は驚いた。
だけど、嬉《うれ》しかった。
私が元気なかったから? これは彼なりの思いやりなのだろうか?
ホテルに部屋を取り、ヒロカズに抱かれた。そして翌日はアインの卒園式だというのに、私はなかなか帰る決心がつかなかった。
「こないだ家に帰ったらさあ」
私は力のない声で言った。
「チェーンかかってて」
そこまで聞くとヒロカズは、植木職人が鋏《はさみ》を使うように両手を動かしながら、
「切るの、持って歩いたら?」
と真顔で言った。
私はその意見に圧倒されてしまった。笑い転げる元気まではなかったが、彼のとんでもないポジティブさに嬉しいショックを受けた。その日、普段は話さないようなことまでヒロカズに話をしたような気がする。そして私は翌日、卒園式、謝恩会、その間には墓参りをこなし、お母さん達の打ち上げの飲み会まで行く気力を取り戻していたのだ。
お母さん達の飲み会のあと私は、先ではアインの転学届の世話までしてくれることになる福田さんと二人で、ヒロカズの待つ屋台の串焼き屋に行った。福田さんは私と二人の時、
「え? あの人、彼氏でしょ?」
とあたりまえの様に言って私をびっくりさせた。
ヒロカズの隣にはあの最初に会った地下の店で隣に座っていた、宮田という男の子がいた。
「ねえねえ聞いてよ、こないだあたし家に帰ったらチェーンがかかっててさ、」
そのあと私は
「そしたらヒロカズなんて言ったと思う?」
と続けて、笑ってもらうつもりだった。
そしたら宮田はなんと
「切るの持って歩いたら?」
と言ったのだ。植木職人の手つきまでまったく同じだった。ヒロカズの顔を見ると、彼も私と同じように驚いているのがはっきりわかった。
呆然《ぼうぜん》としていると、私のPHSが鳴った。
他のお母さん達からのお誘いだった。
「ホストクラブにいるから来てだって」
ヒロカズに言うと、彼は黙っていた。私は福田さんを誘い、ヒロカズと離れた。別れ際に
「ヒロカズはこれからどうすんの?」
と聞くと、
「今日は俺も疲れてるし、早めに帰るよ」
と言った。
そのホストクラブは、つまらなかった。私はそういう場所が初めてではなかった。それほど経験があるわけでもないが、そこは覇気のない店、という印象だった。楽しくないのでついつい飲みすぎ、私は疲れもあってうとうとしていた。
ケイタイの音に気が付き、目が覚めた。この頃私は太田からPHSとケイタイの二つを与えられていた。ヒロカズだけがよくケイタイにかけてきていた。もちろんその時も、もう帰ったと思い込んでいたヒロカズからだった。
「どうしたの?」
「俺、帰れないかもしんない」
「え〜?」
地下のその店には電波があまり入って来なかった。どうにか、疲れてるから少し道路で仮眠して帰る、と言っているのが聞き取れた。はっきりはわからなかったが、なんとなくすねているような口ぶりに聞こえた。
「どうしたんだろう?」
そのあとの私は、ヒロカズのことだけ考えていた。やっと他のおかあさん達と別れ、ヒロカズに電話できたときは、もう朝の五時を過ぎていた。
「もしもし、あたしだよ。今どうしてるの」
「ん?」
ヒロカズの声は元気がなかった。寝起きのようでもあり、泣きかけているようでもあった。私は心配になり、思い切って芝居がかったことを言ったのだ。
「あたしもう帰ってきたからね。あんたみたいないい男が彼氏なのに、ホストなんかいても嬉しくなかったよ」
するとヒロカズは、
「あんたはそんなこと言ってくれるから好きだ」
と言った。それを聞いてやっと、ほんとにヒロカズは私がホストクラブに行ったのが気がかりだったのだなと確信し、私は嬉しくなった。いつも嫉妬《しつと》を顔に出さない彼だったが、もしかしたらやきもちを焼いてくれているときもあるのかもしれない。
そういえば以前、
「永い時間一緒にいても別れるときになると、淋《さび》しい」
と言ったとき、
「家庭があるくせに、ぜいたくなんだよ」
と不良のような口ぶりで言ったことがあった。あの頃からヒロカズは私のことを好きだったのだろうか。そのあと二ヶ月もしないうちにヒロカズの子どもがお腹に宿るというのに、私はまだそんなのんきなことを考えていたのだ。
あまりにお祭りが続いたので、それから私はしばらく眠ってばかりいた。やっと人間に戻り、まともに食事をし、沢山の仕事をこなした。つい出来るつもりで受けてしまった単発の仕事がそれらの邪魔をする。
「あー、失敗したー、こういうの苦手だったのに。やりたくないよー」
と零《こぼ》すと太田は、
「だったら受けなきゃいいのに」
と冷たく言った。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない」
「いつも調子にのってやるって言うからだよ。やんなくていいことまで」。
太田はその頃ある映画の撮影で、私が必要もないのにまゆげを剃《そ》り落としてしまったことを理由に、夫婦生活を断っていた。
「まゆげ無い女となんか出来ないよ」
「だって三人目の子どもが欲しいのに」
「その眉毛《まゆげ》、現場の人は剃らなくてもいいって言ってたんでしょ。それをわざわざ調子に乗って剃って。そんなあんたを想像するとむかむかするよ」
「だって私がその仕事ではそうしたかったんだもの。眉墨で書いてるからいいじゃないの。私はもういい歳だし、頑張ったって子どもが持てるかどうかわかんないのに、眉毛がないくらいで……」
太田は黙っていた。私は今、夫である太田に三人目の子どもを作ることをはっきり断わられたのだ。
「じゃあもういいよ」
私は頭に来ていたが、子どもを作る相手がヒロカズだけに堂々と絞れることが嬉しくてしょうがなかった。だから、なるべくはっきりこう言った。
「知らないからね」。
そしてすぐ最後の生理が来た。その二週間後、私は予言通りヒロカズの子どもを受精したのだ。
眉毛を剃り落とした日には、私は
「もうヒロカズに逢《あ》えないよ〜」
と電話で話していた。
「えっなんで!?」
「眉毛剃っちゃったの」
「アハハハハハ」
ヒロカズの明るい笑い声を今でも思い出す。次に逢ったときも、
「どれどれよく見せて」
と笑っていたヒロカズ。もちろんその映画の試写会も彼と行った。太田と行く気になんかなるわけがない。
それからしばらくして私は太田と最後のけんかをした。
いつものように
「子ども二人見るのがどんなに大変か」
と太田が言ったところで、
「いいよ、もうしなくても」
と私が言ったのだ。
「もうしなくていいから、あんたが文章書いて仕事してみなさいよ」
「じゃあテレビの修理してみろよ」
あいかわらずとんちんかんな事を言う太田。
「ああわかった。じゃあ言い直しましょう。テレビの修理でもドラムの演奏でも何でも結構。あんたが外に出て金稼いで来なさいよ」
私はツバイを抱き、背中を太田に向けていた。
太田の声が急に小さくなり、
「今までこれでやってきたじゃない……」
と言った。
「今までやってきたって、いやんなる時はなるんだよ」。
その夕方、食卓には私の好物が山と並んだ。しかし、私がふらっと一人で外で食事する度にされていることなので、ちっとも嬉しくなかった。これは、外へ行かず、自分と一緒におびただしい量の食べ物を食べてぶくぶく太ってくれという太田のサインなのだ。
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「あ、もう二十三日なっちゃったか」
良い機嫌で帰ってきたヒロカズは、時計を見て言った。
深夜二時。
「六ヶ月たっただろ。今日出来てきたから嬉《うれ》しくてさ。クリスマスプレゼント」
渡されたのは、お揃いの指輪。
「六ヶ月って、離婚成立してから?」
「うん」
「調停で成立したのはそうだけど、でもそこから数えるのかな? 届出したのはそれよりだいぶあとだから、そっちから六ヶ月じゃないの?」
「俺は調停からだと思う」
「……もしそうだったら嬉しいけど、今まで役所のことでは何度もがっかりしてきたからなあ……。自分の生理には逆らうものだってもう、思うようにしてた……」
でもヒロカズがそう言うなら、と翌日役所に電話で問い合わせてみたら、なんと正解は「調停から六ヶ月」。私はもう、ヒロカズと入籍できる体になっていたのだった。
「じゃあアインとツバイを私の姓にする手続きを先にしなくちゃ。弁護士さんからとっくに書類は届いてたのに、忙しくて延ばし延ばしにしてたんだ」
私の左手の薬指で、指輪は恥ずかしいくらいキラキラ光っている。入籍なんて、来年、いやもっと、まだまだずっと先のことだと思い込んでいた。どうしよう。ヒロカズとの結婚は嬉しいけど、また区役所で右往左往しなくてはならない。億劫《おつくう》だ。
だが、この二人ともびっしり仕事の予定の詰まっている年末に、指輪を用意してくれていた彼の気持ちを思うとそんなことも言っていられない。あまりに二人とも忙しいので、二日前からヒロカズのおかあさんが泊り込んでくれているくらいなのだ。そんな中、ヒロカズのくれた指輪のサイズは、私の指にぴったりだった。
指輪って、不思議だ。ただの金属の輪っかなのに、好きな男からもらうとこんなにも気持ちの支えになってくれる。結婚のために指輪をもらうのは、私にとって生まれて初めての事だった。
次の朝、友だちのうちのクリスマスパーティーに行くアインにケーキを焼いて持たせ、見送ったあと、私は区役所にタクシーを走らせた。
ところがしばらくするとヒロカズから電話。
「アインが友だちと会えなかったって言ってさ、三十分駅で待ってたって泣いて帰ってきたんだよ」
「えー!? だって、すっごく早めに出たんだよ!? すれちがうわけないよ」
「待ち合わせの駅が違ってたんじゃないのかな」
「じゃあ、うちの近くの駅じゃなくて、友だちの家の方の駅だったの? きのうアイン、電話で確かめてたのに!」
「友だちんち番号わかる?」
「本棚の、左から二番目の下の方に名簿が立ててあるよ」
「わかった」
電話を切ってから、アインが行こうとしていた友だちのうちに近い駅は、私がタクシーを走らせている場所のすぐ近くであることを思い出した。私自身がちゃんときのう確かめていたら、ここに一緒に連れて来るだけで用は済んだのに! 子どもの言う事だけをあてにしてはだめで、約束は必ず友だちのおかあさま方に確認すること、といつもはわかっているのだが、自分が忙しいとついアインの言う事を鵜呑《うの》みにしてしまうのだ。
「どうだった?」
「まだつながんないや。駅からみんなで散歩しながら家に戻ってんじゃない?」
「そういえば夏によばれたときも、待ち合わせて、プール行ってからお家、って手紙に書いてあった」
「じゃあ俺が連絡取りながらアイン連れてくよ。まだ稽古《けいこ》には間に合うから」
「ヒロカズ……ありがとう。稽古場から遠いのに大丈夫?」
「なんとかなるだろ」
「アイン、どうしてる? 代わってくれる?」
電話を取ったアインは、まだしゃくりあげていた。
「アイン、ヒロちゃんが連れてってくれるからね、大丈夫だからね、泣かないで」
タクシーは目的地に到着した。もしアインと一緒だったら、まだ友だちと合流できなくても、私のそばにいればアインは泣かなくて済んだのに……。
アインを泣かせながら来たということが気になったが、今日の手続きでアインとツバイの姓は太田ではなくなる。それは二人にとって良い事なのだ。どうか手続きがうまく行きますように。
私の頭の中では、区役所に来るたび担当者に、
「うーん」
「ちょっとお待ち下さい」
「前例がないのでね」
などと言われていた日々の記憶が渦巻いていた。
待っているうちに五時になり、五時半になり、シャッターが閉まったり、あちこちの電灯が消えたりしている区役所の片隅。ヒロカズと二人顔を見合わせながら、肩をすくめてばかりいた。そして必ず、一度では終わらない。出直し。また待たされ、また出直し。その上今日は私一人。いつも一緒にいてくれた彼は隣にいないのだ。
お昼休みの時間でも受け付けますと言われていたが、お昼休みは人が半分に減ってしまうとかで、なかなか順番が回って来なかった。私は、仕事に遅刻してしまう伝言を、家にいる佐藤さんに電話で頼んだ。
なのに、手続きの途中、相手の方から直接電話が。
「今、どちらですか? あとどのくらいかかりますでしょうか」
「あ、すいません。区役所に用事で来たら、混んでいて……。留守番の人に電話を頼んだんですが、掛かってきていませんでしたか」
おかしいな、と思って電話を切ると、今度は佐藤さんから掛かってきた。
「何度か先方に電話したんですけど、通じないんです」
「通じないの?……変だね。今直接私に掛かって来たから説明は済んだよ」
とにかく無事、今日の手続きは終わった。これで次はヒロカズとの入籍、それからアインとツバイを養子縁組して、全員をヒロカズの姓にするのだ。
「あの、離婚してから六ヶ月ってのは、調停で成立してからですか? 届を出してからじゃなくて?」
念のため、もう一度聞いた。
「そうですね。調停から六ヶ月です」
区役所の女性は答えた。
「婚姻届って、戸籍のある所じゃなくても出せるんでしたっけ」
「住んでいる所で出せますよ」。
よかった。
「婚姻届と、養子縁組の用紙を二枚、下さい。あ、この、今日出した、戸籍を移す手続きって、むこうに届くのにしばらくかかるんですよね?……出来れば年内に入籍と養子縁組をしたいんですけど」
「なるべく早く出来るように、頼んでおきます」
「よろしくお願いします」
やっと仕事場にたどり着き、再度謝ってから電話番号を確認すると、教えられていたものとまるで違う。担当の人がFAX番号か何かと間違ったらしい、通じないはずだ。
家に電話してその事を伝え、アインも無事ヒロカズが連れて行って友だちと合流できたらしい事を聞く。私はやっと胸をなでおろす。
「そうだ。それと一つお願いがあるんですけど、婚姻届と養子縁組の証人になってもらえないかな」
佐藤さんに頼むと
「え、私でいいんですか」。
「もちろんだよ。二人、証人のサインが必要なんだけど、一人はおかあさんに書いてもらうから、佐藤さん、あした印鑑を持ってきてもらえますか」。
翌日も、サインを頼んだ私とヒロカズは仕事で留守。帰ってきてサインの入った届を見ていると、ヒロカズのおかあさんが
「私、書き間違えちゃって、佐藤さんが新しい紙を、近所の出張所まで取りに行ってくれたんですよ」
と言う。
「え、そうなんですか。間違えた所は線で消して、訂正印を押しておけばよかったのに」
「ええ、でも私、証人のサイン一人ずつ二箇所なのに、一枚に一人で二つサインをしてしまったから」
「…………」
おかあさんも、緊張していたのだろうか? サインする前日は急な胃痛を起こし、やっと食べたりんごを全部吐いてしまったりしていた。
私も数日前から激しい頭痛や胃痛に悩まされ、病院にも行った。
何もかもが押し寄せて来る年末。私とヒロカズは本当に入籍できるのだろうか?
私にとって結婚は三度目。しかし、自分から結婚したいと思ったのはヒロカズが初めてだ。
恐ろしいことに、子どもと血のつながった人と結婚するのもこれが初めてになるのだ。
ドライを寝かしつけているうちに眠ってしまった私の耳に、小さいかりかりという音が聞こえてきて目が覚めた。
婚姻届と養子縁組届にヒロカズがペンを入れているのだ。印鑑を押す気配。ヒロカズはこれからの人生を私たちと共に生きようとしている。
早朝。一人で起き出し、テーブルの上に置いてあった三枚の届をじっと見つめる。きまじめそうなヒロカズの文字。そして今日はドライの一歳の誕生日。この届をヒロカズと出しに行けば、私たちは……。
と思ったが、ある事に気づく。確かに届を出すのはこの近くでもいいのだが、戸籍の置いてない場所の役所に出す際には、戸籍謄本を添えなければならないと書いてあるではないか。
「これ、やっぱりヒロカズの実家まで行かないとだめじゃん」
「だろ」
いつのまにか後ろにヒロカズがいる。ヒロカズのおかあさんもとっくに起きていて、子ども部屋から出てくる。どうしよう。でも、今日を逃したら入籍日はドライの誕生日ではなくなってしまうのだ。
「あたし、行ってこようかな、これから」
場所はここから一時間半。行ったらまた仕事に遅刻するのは目に見えている。
「行ってくる?」
ヒロカズは美容院を予約していた。本番前に美容院に行けるのは今日くらいだったのだ。
「俺は行けないけど」
「いいよ、私行ってくる」
私は編みかけのアインの手袋と、ツバイのあみぐるみをバッグに突っ込み、小走りに玄関に向かった。
「落ち着け落ち着け。慌てないで行け」。
スポーツの応援のような、腹に力の入ったヒロカズの声が私を見送る。
ドライが生まれた一年前の今日、ヒロカズは今回と同じように芝居の稽古《けいこ》中だった。
「もしかしたら超音波のモニター見れるの最後かもしれないから、一緒に病院行かない?」
少し前から私は、ヒロカズを誘っていた。
「こないだ妊婦服の撮影したとき、みんなでモニター見たじゃない? ほんと、全員すっごく感動してたんだってば。『やっぱ水の中に浮かんでる感じ!』って。私、あーどうしてここにヒロカズだけいないんだろうって、残念でしょうがなかったんだよ。ね? 一緒に来て?」
病院に行くには大変な早起きをしなければならない。担当のお医者も、ほかの妊婦さんを部屋から出してしまってからしか、男性を診察室に入れられない。
「なんで急に? どうせすぐ本物に会えるのに」
担当の沢田先生は、ちょっと困った顔をした。
「んちわ〜」。
低い声で挨拶《あいさつ》をして、カーテンの中に入って来るヒロカズ。沢田先生の後ろから、控え目にモニターを見ている。覗《のぞ》き込みもせず、背中を丸めて。
「どう?」
「うーん。なんかよくわかんないな」
妊娠がわかったばかりの頃、一度ヒロカズとこの病院に来たことがある。あの時彼は病院内の喫茶店で新聞を読みながらコーヒーを飲んで私を待っていた。私は一緒に産婦人科の待合室に来て欲しかったのだが、彼はそんな事はしたくないようだった。
「太田さん、どうぞ」
と呼ばれる私。お腹の中の子は、ヒロカズの子なのに。
会計まで済んでから、ケイタイの使えない病院内でヒロカズを捜す。
でも今日はこうして一緒に診察室にいる。その上彼の希望で、立ち会いまで予定している。立ち会い出産するには、「両親学級」と呼ばれる説明会に行かなくてはならないのだが、ヒロカズはそれにもちゃんと出てくれたのだ。
出産に立ち会いたいなんて言われたのも生まれて初めての私は、両親学級でもただただ緊張していた。好きな男に出産を見られる? そんな恥ずかしい事できるんだろうか? あんなに大騒ぎで、どんな顔してやってるものやら自分でも想像できないのに。
だけど彼は、立ち会いを希望する理由を言って自己紹介して下さいと言われた時も
「俺は、見れるんなら見とこうかと思って」
とあくまで冷静だった。
他の妊婦の夫たちが
「まだ決心したわけじゃない。今日は無理矢理連れて来られました」
「立ち会いの話だなんて知らなかった」
と逃げ腰だったり、
「二人で迎えてあげたい」
「これくらいしかしてあげられないスから(ポーズ付)」
と逆に出来上がり過ぎたりしている中、ヒロカズだけがあっさりと普通にしていたのだった。
今年最後の診察の後、私はヒロカズの芝居の稽古を見学させてもらうことになっていた。昼食を済ませてから稽古場に行くと、ヒロカズは大きなお腹の私をみんなに紹介してくれた。ヒロカズと仲良しの宮田ちゃんは、
「こんな芝居の稽古見て、胎教に悪くないの?」
と冗談を言った。
「彼女は流産した」
という内容のセリフを言うシーンがあるのだ。すでに正常産期に入っていたので流産などするはずもない私は気にしなかったが、宮田ちゃんはそのシーンのセリフがわざとでなく出て来なくてとちってしまっていた。
夕暮れが近づく。
「私、そろそろ帰るね」
「帰る? じゃあそこまで」
タクシーを止めてくれるヒロカズ。
その車の中で、ちょっとだけ、両脚の間に変な感じがした。体内の液体が少し押し出されてきたような。
家に着いて仕事をしていると、また、その感じがあった。
内診のあった日は、少しだけそういうことがある時がある。しかし、なんだかちょっと違う。
「破水かもしんない」。
私は佐藤さんに言った。
「破水だったら病院に電話しなきゃいけない。そしたら又行かなきゃいけない。今日早起きで眠いのに……」
その上アインはクラスの忘年会でこれから出かけるのだ。
「なかったことにしてちょっと寝よう。打ち合わせの人が来たら起こして」。
アインの見送りを頼み、ツバイとベッドに横になる私。
しばらくして、打ち合わせの時間。体を起こして椅子に座ると、もうごまかしがきかない。
「やっぱ破水だ。ヒロカズに電話するね」
彼も稽古が終わっている頃だ。電話がつながった。宮田ちゃんと、この近くの焼き鳥屋で飲んでいるそうだ。
「破水したみたいなの」
「ついにきたか。今、いい感じになったとこなんだよ。まだつくねしか喰《く》ってないぞ」。
病院に電話すると、案の定、すぐいらして下さいと言われる。
まもなくヒロカズが上気した顔で帰ってきた。ビデオカメラと充電機を入院用のバッグに入れ、タクシーを呼んでくれる。状況を聞いた運転手の横顔に緊張が走る。
「大丈夫ですよ、急がなくても。まだ痛くないし……」
そう言うと、私はぼんやり外を眺める。アインの時もツバイの時も、お産がかなり進んでからしか破水しなかったので、自分は破水しにくいタイプだと思い込んでいた。
「破水するとは思わなかったなあ……」
「いろいろあるさ」。
ヒロカズは落ち着いた声で言った。
「病院行くと、忙しいよ。入院手続しに行ってもらったり、いろいろ」
「そんなの忙しくないよ」
私を思いやって、落ち着いた声を出している感じだ。
「なんかピンと来ないなあ。陣痛来るのかなあ」
破水しても陣痛が来なかった場合、待ち時間のリミットは二十四時間。丸一日待っても陣痛がなければ、促進剤を使ってお産にする。ただし破水だと羊膜が破れてしまっているわけだから、細菌感染の危険がある。それを防ぐ処置のために、少しでも早く病院に来て下さいと言われたのだった。
「感染予防の処置って、何をするんだろう」
あれこれ想像してもわからなかったが、結局とりあえずは抗生物質の錠剤を飲むだけだった。
破水かどうかという事も、診察ではなく、その後の尿検査ではっきりした。少しずつしか羊水が出てこないときは、羊膜は産道の近くではなく、上の方が破れているのだろうということだ。
ヒロカズが入院手続に行ってくれている間、私は寝まきに着がえて陣痛室のベッドで一人で待った。
少し陣痛のような痛みが来ている。
一人でいると少しだけ心細かった。
三度目だけれど、その度に違う。
「あ、寝まき一人で出せた?」
ヒロカズが戻って来て、私はほっとした。
お腹に分娩《ぶんべん》監査装置をつけられる。
陣痛の波。
グラフをじっと見ているヒロカズ。
しかし、だんだんと痛みがゆるくなってきて、私はうとうとした。お腹がすいて、ヒロカズにおむすびを食べさせてもらったからかもしれないが、今日はほんとうに朝から忙しくて寝ていなかったのだ。
体力のない日にお産になるのは恐い。睡眠不足で力が出なくて、帝王切開になったという人の話を聞いた事がある。今はたいして痛くない。このまま今夜は眠ってしまえたらどんなに楽だろう。トイレも行きたいけど、すでに左手につけられた点滴を転がしながら行くのが面倒くさい。
眠い。
ヒロカズはベッドの横で夕刊紙を読んでいる。
一緒に暮らしだしてから、スポーツ新聞を読んでいる彼をいつも見ていた。彼にとっての日常。彼は待ち時間を利用して、気持ちを落ち着けようとしているのかもしれない。もし今夜生まれなかったら、明日の午後にはまた稽古《けいこ》に行かなくてはならない彼。明日が今年最後の稽古日なのだ。
彼がお産に立ち会えなかったら淋《さび》しい。もちろん恥ずかしいけど、でも、せっかく申し出てくれて、両親学級まで行ってくれたのに……。でも眠い。
どのくらいたっただろうか。
突然、ものすごい胎児の身振いで目が覚めた。
痛みに、
「わっ」
と声も上げた。
電動式のミキサーのスイッチを瞬間的に入れたみたいな身振い。
前にも一度だけ、芝居を見ている最中にあった。
隣で急に
「痛っ」
とお腹を押さえた私を見て、ヒロカズは頭の中で
「ここで陣痛来たらまずロビーへ出て、救急車呼んで……」
と頭の中でシミュレーションしたそうだ。
しかし、今日の身振いはあの時の何倍もすごい。まるで、はっきりとした意志のもとに私に「起きて!」と叫ぶ代わりにそれをしたかのようである。
「どうしたの」
「うん……」
のろのろと私は起き上がった。
「トイレ行って来るね」
「大丈夫?」
「うん」
延ばし延ばしにしていたトイレ。
帰って来る頃には、私の頭は一つの方向へ向けてはっきりしていった。
「さあ、もうさっさと終わらせて寝るか」
夜中の十一時頃だっただろうか。
決心に応《こた》えて、陣痛がどんどんひどくなっていった。
「来た来た! あーさすってさすって。ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……はーっ、はーっ、あー、あー、ありがと、休みになったよ」
必死で私の腰をさすっていたヒロカズの手が離れる。
「大変だなこりゃ」
「大変でしょ」
診察を受けると、さっきまで3〜4センチしか開いていなかった子宮口が、一挙に7センチになっている。
「経産婦さんだから、もう分娩室へ行きましょう」
陣痛もすでに二分間隔。私は立ち上がってすぐ、陣痛室のドアにつかまり、前かがみになって陣痛の波をやりすごす。
「診察受けるんですよねー、これ…あおむけになるの弱いんだ私」
ヒロカズはなかなか入って来ない。看護婦の一人が
「あっ、立ち会いだったんだ!」
と声に出して小走りに出て行く。
しばらくして、
「失礼しまーす」
と、ビデオカメラを持ったヒロカズが、給食のおばさんのようなスタイルで入って来た。
「どうすか。一言」
「それどころじゃないよ〜〜、ちゃんとさすってよ〜、あー来た来た」
私の腰をさすると、また診察のため外へ出されるヒロカズ。私はあおむけになると、もういきむのをがまんできない。
「先生だめ〜、いきんじゃう」
「あーいきんでいいよ、もう道は出来てるから」
三度目だから、産道はすでにやわらかくなっていると沢田先生は言う。
いつのまにかまたヒロカズは、ビデオを回している。顔に向けられるのが恥ずかしい。沢田先生の手が子宮口を全開にしてくれる。
「はいもう少し下に行かれるかな」
「お尻《しり》が痛くてだめです〜」
そのお尻の痛みにも少し慣れてくる。深呼吸二回、そして、いきむ。
「ウ〜〜〜〜〜!!」
「はい、このへんを見て」
「あっ、そうだった」
お産は目を開けてするものだった。三回目なのにまた忘れていた。
「ウ〜〜〜〜〜!!」
「はいもう少し」
沢田先生の声はいつも冷静だ。
「がんばれー」
ヒロカズの応援。彼はこの状態をスポーツ観戦だと思っているらしい。
「うーん、広がるかなー、どうかな」
沢田先生が少しだけハサミを入れたのがわかる。
「はいいいよ、小さくハッハッ」
終わった。もう頭が出たのだ。
「出た出た出た」
ヒロカズが見ている。ごぼごぼと、少しくぐもったようなうぶ声。私のその部分から、粘液にまみれた大きなものが出ていった。素晴らしいその感じ。今までの二回のお産は、会陰切開の前に麻酔を打ってもらったため、この感じを経験したのは初めてだったのだ。
「わ〜〜、出た〜」
ヒロカズが歓声を上げる。
「やったー」
「はいおつかれ様っしたー」
私の顔の方にビデオを動かすヒロカズ。生まれたばかりの女の子は、私のお腹の上に広げられた青い布の上に乗せられる。
「似てるー!!」
「似てる?」
ヒロカズにそっくり、そして彼女は、新生児処置のベッドへ運ばれていく。
「あっち撮って。私、見れないから」
ビデオとともに移動するヒロカズ。
「どうしたの。何泣いてんの。そうなの」
ずっと話しかけている。
「あんなに新生児に話しかける人、初めて見た」
「いいお父さんじゃないの。がんばれーって言ってくれるし」。
沢田先生は私の処置をしながら答える。お腹が押されるような感じ。なぜか、また陣痛のような……。
「はい胎盤出るよ」
「あっそうか」
後産があったのだ。そんな事まで忘れていた。
「ヒロカズ、胎盤、胎盤」
戻って来て撮影するヒロカズ。
「うわー、すごいっすね」
「これ、ほとんど血管ね」
沢田先生が説明してくれる。
この病院では病室に入る前に、ストレッチャーに乗せられたまま二時間を過ごす。以前はほんの数分だった新生児との面会だったが、その二時間じゅう、抱いていられる様にシステムが変わっていた。
ヒロカズはその横でビデオを回したり、家に電話をしに出たりしていた。
深夜二時。
子どもたちはもう眠ってしまったそうだ。
宮田ちゃんに電話した時、ちょうど入浴中で、
「あんたが産湯につかっててどうする」
とヒロカズは冗談を言ったそうだ。
私の右腕に、生まれたばかりの薔薇《ばら》色の娘が抱かれている。
ヒロカズは帰る時、私と娘に交互にキスしてから行った。
地下鉄の駅から飛び出すと、そのすぐ上が区役所だ。
私は時間を見るためにケイタイを出し、初めて着信に気づく。
ヒロカズの実家からだ。
あわててかけると、おとうさんが出た。
「あ、もしもし、着いた?」
入り口の方へ曲がると、ヒロカズの弟のトモキくんが手を振っている。
「トモくん」
付き添いに来てくれたんだ。見事な連携プレイ。こういう気づかいはヒロカズの実家の人々特有のものだ。
「入り口、閉まってるけど、今佐藤さんに聞いたら届は出せるはずだって」
「あ、そうか。もうご用納め済んだんだ」
届だけを受け付けるために受付に一つだけ窓口が開いている。
「婚姻届と養子縁組なんですけど」
説明を聞きながら、印鑑を押してなかった所に押したり、書き加えたりして届を完成させる。
「えーだからここにあなたとね」
「いや彼は弟で」
「だからここにあなたのね」
「だから彼は弟」
トモくんは二度も私の相手と間違えられながらそれを見守る。
途中、
「離婚届下さい」
とやってきた中年の女性と、出生届を出しに来た若い男性がいた。
私のケイタイがなる。仕事相手からだ。
「今日は都合でお休みになりました」
天の助け! これでゆっくり出来る。
「養子縁組の方はわからないけどね、それは来年担当の者から連絡が入ります。こっちの婚姻の方はね、受理されましたから」。
アインとツバイの養子縁組、そしてドライの入籍が完了するのは、それから一ヶ月半も後の事なのだが、とにかく私とヒロカズはこの瞬間、結婚できたのだ。
「もしもし、ヒロカズ」
「ああ、どうなった。すんだ」
彼の周りには、美容院らしい物音が聞こえている。
「うん。養子縁組はまたいろいろ聞かないといけないみたいだけど」
「もう出しちゃったのね。後悔しないね」
「それはこっちの言う事だよ」
ヒロカズはまじめな声のまま、
「じゃ俺はパーマかけてるから」
「うん。これからもよろしく」
電話を切ると私は、嬉《うれ》しいため息をついた。トモくんに
「おうちにごあいさつして行こうかな」
と言うと
「行く?」
と車の方へ歩いて行くトモくん。歩きながら、私の頭の中には
「後悔しないね」
というさっきのヒロカズの声が思い出されていた。
*この作品はフィクションです。
本書は二〇〇〇年四月に小社より刊行された単行本を文庫化したものです。
角川文庫『犬の方が嫉妬深い』平成15年11月25日初版発行