キリストとイエス 聖書をどう読むか
八木誠一
まえがき
新約聖書はどんな事実《リアリティ》に基づいているのか、そして新約聖書を書いた人たちは、どうしてあのような思想を持つようになったのか、本書はこのことを解明しようとする。
従来キリスト教は、もちろん批判的、学問的研究もあるのだけれども、一般に聖書は信じるものであって、理解し説明することはできないとして来た。これは特に、「イエス・キリストの復活」ということによるのである。イエスを救世主《キリスト》として宣《の》べ伝えはじめた使徒たちは、イエス・キリストの「復活」の証人なのである。使徒だけがそうなのである。だから他の人は、使徒の証言に基づいて、「十字架にかけられて死に、復活したイエスこそ救世主《キリスト》である」と信じなければならないとされた。
しかし私たちは、使徒たちがどうして「イエスは復活した」と考えるに至ったのかをも、あえて批判的に明らかにしようと試みる。「復活」ということは新約聖書理解の鍵なのだ。イエスは神の国を宣べ伝えた。しかし使徒たちは、イエスをキリストとして宣べ伝えはじめた。この転換点にあるのが「復活」なのである。
キリスト教は復活の啓示に基づくとされる。しかしキリスト教成立の出来事は、人間の歴史上の出来事なのである。たしかに啓示とか信仰とかいうことは無意味ではない。しかしそれは、人間の理解の及ばない事がらにかかわり、人はただ聖書を信じるよう要求される、ということではない。人間の出来事は人間に理解できるはずだ。
新約聖書の思想を全体として批判的に理解しようとするならば、まずイエスの思想を統一的に把握して理解し、次にイエスよりもっと多様な原始教団の神学をやはり統一的に把握して理解し、第三に両者を比較しながら両者の関係を問い、第四にこの問題を頭に置きながら復活信仰の成立をあとづける、という具合にしなくてはならない。ところが以上四つの問題のどれも、多くの学問的努力にもかかわらず、従来すっかり解決されてはいなかったのである。
この本は、私が以上の問題解決に、ある見通しがついたと思ったときから、ほぼ十年にわたって私が発表した著書や論文を解りやすくまとめ、さらに展開させて、「イエスが『神の支配』と称したリアリティと、原始教団が『復活のキリスト』と呼んだリアリティとは、同じものである」というテーゼで全体を総括したものである。だから本書は、キリスト教に関心のある一般の知識人のために書かれたものではあるが、入門や紹介ではなく、むしろ研究書の性格が強い。このシリーズの性質上、詳しい注や煩瑣な論議を省き、術語の使用もなるべく避けたけれども、私自身気楽に書き流したのではないし、研究書であるという本書の性質上、多少難解であるかもしれない。なによりも読者には冒険をいっしょにしていただく、ということになるだろう。すなわち私は、同じような問題を自分で考えようとする読者の、参考ないし道案内になることを願っているのである。この問題は、現代に対するキリスト教の意味を考えるうえに決してどうでもいいことではない。
私が本書のような考えを展開させるについては、多くの師や先輩友人に負うところが多いが、なかんずく私の処女作に対して一著をあらわして批評してくださった九大の滝沢克教授の御教示なしには、私の考えがこのような形をとることはなかったか、少なくとも著しく遅れたであろう。本書の出版については講談社学芸図書第一出版部の藤井和子さんをはじめ多くの方のお世話になった。以上の方々に心から感謝する次第である。
一九六九年一月十五日
八木誠一
目 次
まえがき
1 聖書をどうとらえるか
〈1〉新約聖書の成立
〈2〉福音書と書簡――イエス中心主義とキリスト中心主義
〈3〉史的イエスの問題
〈4〉イエスと原始教団の接点
2 イエスの思想
〈1〉その視点
(A)史料について
(B)イエスの思想解釈の問題点
〈2〉イエスの思想
(A)愛(対人性)
(B)人生(個人性)
(C)律法(共同体性)
(D)神の支配
3 原始教団の思想
〈1〉観点と方法
〈2〉原始教団の思想の分析
(A)神学A(共同体性)
(B)神学B(個人性)
(C)神学C(対人性)
(D)神学A、B、Cのからみ合い――パウロの場合
〈3〉原始教団の神学――神・キリスト・聖霊
(A)新約聖書とキリスト論、三位一体論
(B)キリスト
(C)神
(D)聖霊
〈4〉イエスの思想と原始教団の神学
〈5〉復活信仰はどのようにして成立したか
〈6〉現代の信仰のあり方
4 宗教的実存
〈1〉はじめに
〈2〉宗教的実存の立場
〈3〉宗教的実存の倫理
〈4〉教会・信仰・希望
参考文献
1 聖書をどうとらえるか
〈1〉新約聖書の成立
新約聖書は、原始キリスト教徒が一世紀の中頃から二世紀の初めにかけて書いた文書を、二〜四世紀の古代教会が編集して、正典と決定した書物である。だから著者・内容・著作地・著作年代も多様で、それぞれの文書の著者たちは、これが新約聖書にとり入れられることになろうとは、夢にも思わなかったに違いない。
新約聖書は二七の文書を含んでいて、大きく分けると、(1)福音書、(2)歴史、(3)書簡、(4)予言となる。第一の「福音書」は四つあって、それぞれマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによって書かれたと伝えられ(実はマタイとヨハネ両福音書の著者は不明である)、イエスの誕生・受洗・言行・受難・死・復活を記している。第二の「歴史」は、使徒行伝とよばれ、キリスト教会がエルサレムで成立し、シリア・小アジア・ギリシアを経て帝国首都ローマにまでのびていった次第を記している。第三の「書簡」は、使徒パウロが教会の状況に応じて書き送ったものを主とする。パウロは具体的な問題を、原理的な事柄から解明し、指示しているので、書簡には神学的意義が大きい。第四の「予言」は、この世の終末とキリストの再臨を描くヨハネ黙示録である。
〈2〉福音書と書簡――イエス中心主義とキリスト中心主義
以上のように、新約聖書は、福音書・歴史・書簡・予言の四つに分けられる。しかしその思想内容をみると、ここにはひとつの著しい対立がある。それは大雑把《おおざっぱ》にいえば福音書と書簡の対立であるが、これを正確にいうとイエス中心主義とキリスト中心主義との対立といいかえることができる。(「イエス」とは固有名詞、「キリスト」とはイエスに与えられた称号で、救世主を意味する普通名詞である)
書簡はイエスの言行については殆ど語らない(ヘブル五・八などは僅かな例外である)。パウロが「最も大事なこと」として自らも受け、信徒に伝えた教え、すなわちパウロ神学の中核的な部分は、「キリストが我々の罪のために死に、甦《よみがえ》り、ペテロ等に顕現した」ことであった(Iコリント一五・三以下。このキリスト論的定型句がどうして成立したかを説明することが本書の主要目的のひとつである)。そのキリストとは、神と等しい、神のかたちなる存在が、人の姿になったものであった(ピリピ二・六〜七)。この神の子キリストは、パウロの中にもあらわれた(ガラテア一・一六)。それ以来、パウロは「死んで」、彼の「中にキリストが生きる」(ガラテア二・二〇)。こうしてパウロにとって、キリストの恵みは欠けるところがない(IIコリント一二・九)。だからパウロは言う。「もし私達がかつて肉のキリストを知っていたとしても、今はもはやそのような知り方はしない。もしだれかがキリストのなかにあるなら、彼は新しく創られたものである。古いものは過ぎ去った。みよ、新しくなったのである」(IIコリント五・一六〜一七)
肉のイエスの外面性、つまりイエスの言行を、それがどこから出たものかわからぬままで、ただ記憶したり真似したりしてみても、それだけでは何にもならない。「私」は死に、「キリスト」が私の中で生きている、といえるようになってはじめて人は新しく創られたものとなり、本来的なあり方に転ぜられる。そしてこのとき、パウロにとって「肉のキリスト」はもはや、必要ではない。イエスの言行は、恐らくパウロにとっても無価値なものではなかったであろう。しかしパウロは、イエスが残した言葉や行為そのものによりかかり、これを自らの存在の根拠とする事を拒む。現にキリスト御自身が彼を生かしているからである。こうしてパウロは歴史のイエスの言行に関心を持たず、これを模範として説くことすらしなかったのである。すなわちパウロはキリスト中心主義の立場に立つ。
しかし他方では、やはり福音書が書かれた。直接間接イエスに接して、その言行に強く心を動かされた一群の人々があった。この人たちは、口伝の形でイエスの言行を伝えた。このことは、エルサレムに成立し、パウロの神学へと展開していったエルサレム教団(つまりイエスの言行そのものにあまり関心を持たない、キリスト中心主義的傾向の強い教団)よりも、イエスの活動したガリラヤで特に顕著だったであろう。
まずマルコが六〇年代に福音書を書いた。新約聖書のはじめに福音書があるので、福音書の方が書簡より先に書かれたような印象を与えやすいのだが、成立年代はパウロ書簡より福音書の方が後であり、このことはよく記憶しておく必要がある。
さてそのマルコは、自らの作品を「イエス・キリストの福音」と称している(一・一)。マルコ(八・三五)には、「自分の命を救おうと思うものはこれを失い、自らの命を私のため、また福音のために、すてるものはこれを救う」という言葉がある。これは文の構造からしてすでに後代の付加がある事を推定させる。文の前半と後半とは対立しながら対応するのである。元来は「自分の命を救おうと思うものはこれを失い、自分の命をすてるものはこれを救う」という言葉だったのであろう(ルカ一七・三三、ヨハネ一二・二五はこの形を保存している)。伝承の過程で、おそらくは迫害の状況下で、「私のため」がこの言葉に付加された(マタイ一六・二五=ルカ九・二四)。とすると、この伝承にさらに「福音のために」を加えたのは福音書記者マルコであったと思われる。マルコはこの操作によって、イエスと福音を等置し、イエスこそ福音そのものだと言おうとしたのである。すなわちマルコはイエス中心主義の立場に立つと言ってよい。
マルコにとっては、イエスの存在そのものが何より重要なのである。E・トロクメの説を展開させた田川建三(『原始キリスト教史の一断面』、一九六八年)によると、マルコはエルサレム原始教団のキリスト論(人間イエスではなく、そのキリスト性に重点をおき、さらにこれを「ダビデの裔」とか「キリスト」とか「神の子」とかいう伝統的な称号で理解・定義しようとする努力)に批判的だったのである。つまり、キリスト中心主義に反対したのである。
マルコによると、エルサレムの原始教団はイエスを理解していない。イエスはマルコにとっては、一貫して言葉や称号に言いつくしがたい「おそるべく・おどろくべきもの」だったのであり、しかもそのイエスの存在そのものが福音であったからこそ、マルコは福音書を書いたのである。
以上の田川説は、マルコにとってはイエスの存在が何よりも大切だった、だから彼は福音書を書いたのだ、ということを明らかにした点で評価される。実際もしそうでなかったら、マルコは福音書を編《あ》もうなどと思いつきはしなかったであろう。さて「おそるべく・おどろくべきもの」とはルドルフ・オットーの意味での「聖なるもの」(山谷省吾訳、岩波文庫)である。私は、マルコのイエス観をこのように解してよいと思う。つまりマルコにとって、イエスは「聖なるもの」そのものであった。そして「聖なるもの」の本質は神秘、つまり言葉で言いあらわし、定義出来ないことなのである。聖なるものは自己自身を啓示するのであって、「俗」界の人間はその前に口を噤《つぐ》まなくてはならない。聖なるものはかくされていなくてはならない――御神体が神殿の奥深くかくされて人目に触れないように。しかし他方聖なるものの存在はあまねく告知されなくてはならない――鳥居やしめなわが聖なるものの存在を告げ、祭りがその顕現を.祝うように。こうして聖なるものはかくされ、同時に知らされなくてはならない。『マルコ福音書』をつらぬくいわゆる「メシアの秘密」のモチーフ(W・ヴレーデが指摘し、解決を試みたもので、マルコにおいてはイエスのメシア性はあらわされると同時にかくされている、ということ)は、このようにして最もよく解されるのではないか。
マルコにとってイエスは聖なるものであった。その本質は、キリスト論的な称号によっては、少なくとも尽くされるものではない。だからマルコは「聖者」という言葉そのものをも避けようとする(一・二四〜二五、三四参照)。それは「聖」という言葉ですら言いつくせないもの、すなわち一般にロゴス化出来ないものなのである。しかもイエスの存在はあまねく告知されなければならない。とすれば、マルコがイエスをめぐって起きた(と信じられた)出来事、恐るべく・おどろくべき事件そのものを誌《しる》して、それを「福音」の書と称したことに何の不思議があろう。「聖なるもの」イエスとの出会いが、マルコの存在そのものを支えたのだ。――イエスの言行が、それに直接間接ふれた多くの人の存在を支えたように。こうして最初の福音書が書かれた。後に続くもの、マタイやルカによる福音書は、すでに、マルコとはかなり異なったイエス把握を示しているが、イエス中心主義の色彩が濃い。ただし『ヨハネ福音書』は、真に大切なものは人間としてのイエスではなく、イエスとして受肉した真理そのものなのであって、キリスト中心主義のひとつの型を示すといってよい。
しかし以上において、新約聖書自身の中にひとつの対立があること、「歴史のイエスか信仰のキリストか」という、信仰の対象ないし根拠そのものについての見解の相違がある事が示される。新約思想を全体として理解しようとする限り、この対立を無視することはできない。それどころか、この対立を手がかりとして、新約思想の本質が問われなくてはならないのである.こういうわけで、本論にはいる前に、この対立の意味をもう少し明らかにしておきたい。
〈3〉史的イエスの問題
「イエスに帰れ」という運動は、教会史上しばしばみられるところである。煩瑣《はんき》で壮大な神学体系、儀式、完備した組織、また伝統などが、単純素朴なだけに自由で生気にみちた宗教的生命を圧迫するようにみえたとき、人々はこの標語を掲げて、イエスを盾に教会と神学を批判した。
たとえばイエスは単純に罪の赦《ゆる》しを説く(マルコ二・一〇、ルカ一五・一一以下)。パウロのように、
「人の罪が赦されるのは、イエスが十字架で贖罪《しょくざい》死を遂げたことによる」(ローマ三・二一〜二六参照)、などとはいわない。あるいはイエスは、律法(つまり宗教の観念形態)は、「人間のためにあるのであって、逆ではない」と宣言し(マルコ二・二七参照)、進んで罪人・遊女・取税人のような下積みの人々・排斥されていた人々のところへ行って、神の国の福音を述べる。イエスのもとにこそ、何ものにも抑圧されない人間性の真の解放があるように見えるのである。
実際、イエスと同時代の人々、たとえば洗礼者ヨハネや、ユダヤ教の諸派、特に死海沿岸で謹厳そのものの修道院的生活を守ったエッセネ派と比べてみると、イエスの特徴はのびのびと自由なことである。村々町々を巡回し、「大飯食いの飲ん兵衛」(マタイ一一・一九)などと悪口される一面を持ち、伝統的権威を堂々と批判する。旧約聖書を信仰と生活の究極の拠りどころとしないイエスは、ユダヤ教的前提に立たず、直接あらゆる人に訴えかける普遍性のある言葉を語るのである。
十九世紀のいわゆる自由主義神学の時代にも「イエス伝運動」があった。当時一般的な歴史意識の高まりや、理想主義的哲学の考え方を背景にして、この運動が起こった。福音書はイエスの姿を伝えているが、しかし歴史のイエスは福音書が描き出すイエス像とは等しくない。福音書を手がかりとして、歴史のイエスの姿を尋ねよう、そしてイエスの宗教に帰ろう、そこにこそ自由で根源的な、曇らされぬ宗教的生命の発露があり、素朴なだけに純粋なキリスト教の原型があるのだ、と考えられたのである。
こうして数多くの「イエス伝」が書かれた。その中ではD・シュトラウスの批判的研究やルナンの『イエス伝』などが有名である。他方十九世紀後半すでに、史的イエス(歴史学的に探求・構成されたイエス像)の再建は不可能であり、信仰的にも無意味である、信仰にとって意味があるのは聖書が描くキリストなのだ、という「信仰のキリスト」の立場の主張(マルチン・ケーラー)がなされたことも忘れてはならない。
二十世紀に入ると神学的状況は一変する。カール・バルト、エミール・ブルンナーらによるいわゆる弁証法神学が神学界の主流となるのである。彼等は自由主義神学を、人間性や哲学や文化や意識の上に信仰を立てようとしたと批判する。実際、自由主義神学が当時の哲学、宗教学の影響のもとに、「宗教の本質」や「キリスト教の本質」を求め、これを宗教的ア・プリオーリやイデーや宗教的感情ないし体験に見出だしたとき、それは何としても聖書そのものの証示する事柄からはずれていた点があり、これは批判されても仕方がない。この時代の神学は、いわゆる「キリスト教の本質」が、事実聖書自身の語るところと一致するかどうかの検討が不充分で、いきなり哲学や宗教学を神学に持ち込む傾きがあった。
そこで、弁証法神学が自由主義神学を批判して、聖書の言葉自身から出発しようとしたのは、聖書に即しようとした限りではたしかに正しいのである。しかし弁証法神学は、せっかく近代が打ち樹てた批判精神を忘れ、聖書の言葉を重んずる余り、やはり真理の意識にしかすぎない言葉の方を、真理そのものの上におき、こうして真理への道を却って阻《はば》むことにならないかどうか、この点はよく考えてみなくてはならない。
第一次大戦後から最近にいたるまでの間、新約学上最も重要な業績を残したルドルフ・ブルトマンは、聖書解釈の方法や内容について、カール・バルトとは対照的な学者である。しかし神学の基本的態度においては、一致するところがあり、史的イエスの問題に対する態度もそうである。「信仰のキリスト」の立場を主張する側の代表として、少しブルトマンの見解をきいてみよう。
ブルトマンは「キリスト教がはじまったのは、イエスの弟子達が、『十字架上に死んで復活したイエスは救世主《キリスト》である』という宣教を開始したときである」という。すなわちキリスト教は、イエスをキリストと告白する宗教のことである。だからイエスはクリスチャンではないし、イエスの宗教は――若干の留保をつけてではあるが――なおユダヤ教の枠内にある。イエスの教えは、換言すれば、キリスト教成立の諸前提のひとつにすぎないのである。
イエスと原始教団の関係についてはブルトマンはこう考える。イエスは神の国を宣教し、原始キリスト教団はイエスをキリストとして宣べ伝えた。ここには宣教者イエスが、キリストとして宣教されるようになったという転換がある。そして、イエスが原始教団神学にとって有する意義といえば、もちろんイエスなしにキリスト教はないけれども、たとえばパウロ神学にとってはイエスの言行は意味を持たない。パウロ神学にとって、歴史のイエスの意味とは、イエスがかつて存在し死んだという、これだけのことなのである。パウロ神学はイエスの教説の上に成り立つのではない。
それではイエスの、今日の我々にとっての意味はどうか。ブルトマンには、『イエス』という著作がある(一九二六年。川端・八木訳、未来社)。信仰が史的イエスの上に立たないというなら、彼の『イエス』は一体何か。ブルトマンは答える。彼の『イエス』は現代人ブルトマンと歴史のイエスとの出会いの所産である。いわば現代人ブルトマンの、人間イエス研究の産物である。ゆえにこれは信仰にとって構成的意味を持つ宣教(ケーリュグマという。使徒たちのキリスト告白で、これの決断的受容がキリスト教信仰なのである)ではない、と。
つまりブルトマンの『イエス』は、たとえば彼が『ソクラテス』を書いたとして、それと同列のものだというのであろう。しかしそれはすでに歴史のイエスとの対話であり、ブルトマンにおいて歴史は、現在の実存に対する可能性という意味を持っている。この点で彼はディルタイ、ハイデッガーなどに近い。とすれば、イエスはやはり今日の実存への可能性という重要な意味を持つのではないだろうか。もちろんブルトマンは、「本来的実存」(要するに人間本来の正しいあり方)はいかにして成り立つかというと、それはただキリスト教宣教への決断によるのであり、その外に本来的実存への道はないという。従って人間イエスと対話してもだめなのである。他方では、ブルトマンは、キリスト教宣教が人間実存をどのように理解しているかということ、つまり新約聖書の実存理解を問題にし、これを取り出す事を「実存論的解釈」と呼んで、聖書解釈の中心的方法とする(第三章〈1〉)。この実存理解こそ新約思想の中核、本質なのだという。そして実存論的解釈の結果はといえば、たとえば彼の『新約神学』(新教出版社・川端純四郎訳)をみると、イエスの実存理解とパウロやヨハネの実存理解とは事実かなり一致するということになる。すると、宣教《ケーリュグマ》への決断のみが本来的実存にみちびくというキリスト教的・排他的特殊性と、イエスが事実今日の一般人に語りかけるという人間的一般性との関係はどういうことになるのであろうか。事実上一致する両者(イエスと原始教団の実存理解)を統一的に解明するみちはないのだろうか。
ブルトマンはこの問いには答えない。のみならず彼は、そもそもイエス的実存がいかにして成立したか、また原始教団のキリスト教信仰がどのようにして、何を根拠として、成立したか、という問いをも問わない。この点では、彼は偉大な業績にもかかわらず、解答を与えたのではなくて、尖鋭な形で問いを提起したのだ、といわざるをえない。もちろん、問いを提起したのは重要なことである。 以上のようなブルトマンの立場をめぐって、一九五〇年代から十年ほどの間、「史的イエスと信仰のキリスト」という問題が神学界の中心的論点のひとつとなった。ここでは、「ナザレのイエスは何を語り、行なったのか」「それを史学的に確定するのはいかにして、またどの程度、可能か」「ナザレのイエスは現代の我々にとって、どんな意味を持つのか」「ナザレのイエスの存在はそもそもどのように理解されるのか――彼の神性と人間性の関係と区別はどうか」などの問題が論じられた。このような、キリスト教の中核をなす事柄が問題となり、意見が一致していないということ自体、今日のキリスト教が置かれている状況の深刻さを示すのである。さて以上のような「史的イエスの問題」は、最近の新約学の進歩をふまえて、一面では歴史のイエスと信仰のキリストを区別するとともに、他方では両者の関係を問うているのである。この関係は、ひとつは歴史的な関係であって、「神の国を宣教したイエスが、原始教団においてキリストとして宣教されるにいたったのはどのようにしてなのか」という問題であり、他方では内容的に、「イエスの宗教と、イエスをキリストと信ずる原始キリスト教とは、内容的に同一なのか、違うのか、両者の関係如何」ということなのである。そして最近注目されることは、イエスが直接現代の我々に対して持つ意味を再評価しようとする傾向と、イエスの宗教と原始キリスト教を内容的に同一のものとして、統一的に把握しようとする努力があらわれて来たことである。(H・ブラウン、J・M・ロビンソン、E・ユンゲルなど)
〈4〉イエスと原始教団の接点
以上要約すると、新約聖書にはじまり、そして現代にいたるまで一方には歴史のイエスを我々の実存の支えとしようとする立場があり、他方には宣教のキリストを信仰の対象とする立場がある。そしてさらに、第三のグループとして、史的イエスと宣教のキリストとの統一的根柢を求めようとする動きがある。私は第三の立場に立つ。本書は全体として、史的イエスの思想と原始教団の神学を統一的に理解し、そして原始教団の神学の成立を説明しようとする試みなのである。それを遂行する前に、第一、第二の立場それぞれの困難と、第三の立場の必然性を少し述べておきたい。
現在神学的に――つまり自分の信仰の問題として――イエス中心主義をとる人々には、ドイツではE・シュタウファーがある。わが国では故赤岩栄牧師がそうであった。アメリカではいわゆる神の死神学のグループ(神の不在を主張し、成熟した世界の人間は、それでやってゆけるのだという)も同じ傾向を持っている。
しかしこの立場は、まず新約学的に困難がある。新約学はけっしていい加減な仕方でイエス研究をやっているのではない。イエス研究には二百年の歴史と蓄積があり、方法論的反省も厳密になされている。しかし研究が精緻《せいち》になればなるほど、万人を説得できるような確実不動のイエス像の再構成の見通しは暗くなって来る。史的に再建されたイエス像は、たかだか蓋然《がいぜん》的妥当性の域を出ない。つぎに、とにかく再建したとしても、イエスの思想は新約思想の部分であって全部ではない。イエスの思想をそのまま規範として、ここから新約思想の本質を探ろうとしたら、原始教団神学の多くのものは切り捨てられることになりかねない。第三に、神学的にいっても、イエス中心主義はその根拠が明白ではない。イエスの言葉が今日の我々に語りかけ、我々を、人間の真のあり方に目覚めさせると言っても、ただそうだというだけの直接性では、何故イエスでなければならないのかという問いの答えにならない。また、もしイエスの言葉が事実我々に訴えかけ、要請上すべての人間に訴えるべきだとするなら、イエスと、我々をも含む広義でのイエスの弟子たちの集合を考えた場合、そこにはこのコンセンサスを基礎づける一般者があるはずである。もちろんこれは、ただ単に多数の個人から共通項を抽出しただけの抽象的一般者ではなく、それぞれの主体がイエス的実存になることを基礎づけ、可能とする一般者、つまり本来的実存への普遍的な命令でありまた能力でもある根柢のことである(詳細は後述.第三章〈4〉、第四章)。つまりイエスの言葉が根ざす根柢(つまりイエスの場合「神の支配」)が、二千年をへだてて今日の我々にも働きかけているから、この根柢から出るイエスの言葉が、同じ根柢にふれている我々に訴えるのである。時と場所を超えた一般者が、イエスと我々の存在の共通の根柢になっているのでなければ、我々がイエスの言葉を理解することはありえない。しかしその共通の根柢は、けっしてイエスという個人、歴史的現象そのものではありえない。もちろん根柢は現象と切りはなされてひとりあるものではないが、といって、現象が根柢そのものなのではない。だからイエスという個人を、その具体的言行そのものを、我々の存在の支えとし、あるいは模倣してみても、それは他律であってけっして人間本来のあり方とはいえない。この意味でのイエス中心主義は不可能である。
しかも、イエス中心主義は従来イエスを盾にとって、原始教団神学に由来する教会教義を批判する傾向が強かったが、今日ではこれは神の不在の主張のような形をとってあらわれ、超越者一般を拒否する傾向を持つ。この場合は、そもそも何故イエスが今日の我々に語りかけ得るのか、その根拠が失われてしまうことになる。これはこの立場の神学的・哲学的弱点といえるであろう。他方この意味での超越(つまり神・キリスト・聖霊)を中心にすえるのがイエス中心主義と対立するキリスト中心主義的神学である。こういうわけで、イエス中心主義といっても、イエスという個人の歴史そのものではなく、イエスをしてあのようにあらしめた根柢、時と所を超えて我々の存在をも真に支える根柢を、我々は求めなくてはならないのである。
他方「宣教のキリスト」を中心とする立場はどうであろうか。まず新約学的にいって、宣教のキリストといっても、新約のキリスト論はけっして一様ではない(第三章の〈2〉)。それどころか新約のなかには相互に矛盾する発言が少なくなく、とすれば「宣教のキリスト」とは何のことなのか、自明ではない。ある部分をとれば他の部分が排除されることになる。あるいは新約全体の証示するものといっても、そもそも全体とは何なのかが問題である。部分の総和だろうか。しかし矛盾し合う部分の総和とは何であろうか。もし部分の総和でないとしたら、全体は何で、部分と全体はどう関係するのだろうか。そもそも福音書を抜きにして新約全体をいうことは出来ない。つまりここには、新約全体が何を語るかをどのようにして知るかという、解釈学の問題があるのである。この問題は我々も充分に顧慮しなくてはならない。
次に「宣教のキリスト」中心の立場は、イエスの思想を包摂することができない。パウロの神学がイエスの思想の上に立たないことはすでにみた。形式上福音書であるヨハネの思想にしても、あれはけっして歴史のイエスを再現しているのではない。つまりイエスの歴史の上に成り立つものではないのみならず、イエスの思想を再現しているものでもないのである。ゆえに、宣教のキリストを中心にすると、歴史のイエスの思想が排除される結果になる。しかしイエスの思想を排除したキリスト教とはずいぶん奇妙なものではないだろうか。
第三に、イエスの言葉は事実今日の我々に直接に訴えるものを多く持っている。イエスの言葉を解するためには、極言すれば、我々はいわゆる「信仰」や、ユダヤ民族だけに通用する考え方を特に必要とはしない。それに反して、「宣教のキリスト」中心の立場はまず旧約的・ユダヤ教的な伝統を前提としている。それだけではなく、受肉とか贖罪《しょくざい》とか復活とか神とか聖霊とか――このような教義が今日の我々にそのまま受け容れられるだろうか。キリスト教的伝統を負った西欧においてすら「非神話化」が要請されているとしたら、まして伝統のないわが国で原始教団の神学思想をそのまま受け容れよというのは無理ではないか。実際、新約聖書の諸概念はやはり当時の思想的状況に制約された時代的産物なのであってみれば、それをいきなり、そのままのかたちで、二千年を経た今日のわが国に持ち込もうとするほうが無理ではないのか。我々には、それらの古代的・神話論的概念がそもそも何のことなのか、解釈することが必要なのではないか。
問題は再びこうして解釈学の問題となる。一体聖書の「神話論的表象」は、何をいっているのか。それをなんとか明らかにすれば、その結果は結局のところ、イエスの言っていることと違わない、というのが現在すでに示唆《しさ》されているのではないか。
それだけではない。「宣教のキリスト」を告知するのは、使徒的ケーリュグマなのだから、宣教のキリストを中心とする立場は、結局使徒の言葉を最後の根拠とすることになる。使徒の言葉が真と認められるから、我々はそれを受容するというのではない。それが真かどうかは検討できぬまま、使徒の言葉を根拠として、我々は「キリスト」を信じるというのである。
これはこのままではやはり他律である。バルトは、自由主義神学は信仰を人間の意識の上に立てようとしたと批判する。しかしバルト的な立場自身が、信仰を使徒の言葉(つまり人間の意識)の上に立てようとしているのではないか。使徒を我々とは別種の人間、彼らのみが啓示に与かったという意味で特別な人間の地位に高めるだけ、却って使徒は我々とは無縁な存在になるのではないか。その言葉は我々に対する妥当性を失うのではないか。聖書を通じてのみ我々は真理に到達するというとき、プロテスタンティズムは、「カトリシズムは教会の伝統を真理の上におく」と批判しながら、みずから、いかに価値があろうとも人間の言葉にすぎぬ使徒の証言を、真理そのものの上におく傾きを遂にまぬかれないのである。
イエスはこういう具合に聖書(イエスの場合、旧約聖書)を権威化しなかった。イエスは、聖書に書いてあるから真なのではなく、真は真であり、そう認められるから真だと言い切ったのである(第二章〈2〉)。つまりこの意味でも、宣教のキリスト中心の立場は、聖書を絶対の権威に化して、イエス的な自由を切り捨てることとなるのである。
バルトは、聖書にこのような権威を与えても危険はない、なぜなら聖書ほど相対の絶対化を厳しく戒めるものはないからだ、という。だとしたら、教会はむしろ、聖書の教えの精神に従って、聖書自身を絶対化しない方がよいのである。イエスの思想は、後述のように、その思想の根拠をこの世界内の相対的な事物や、歴史上の事件(たとえばイスラエル民族のエジプト脱出とか、神との契約など)にも置いていないし、あるいはまた個人の歴史(イエス自身の存在や死)にも置いていない。イエスの思想の根柢は神の支配そのものであって、(旧約)聖書でもなく、それが記す民族の事件でもない。神の支配とは、いま、ここで万人に妥当する神の意志の要請そのものである。ここに根柢を求めるイエスは、当然のことながら、神の意志や行為についての記録(聖書)を究極の拠りどころとはしないのである。
使徒的キリスト教はそうではない。使徒的宣教にとっては、イエスの存在と死と「復活」とが人間の救済の根拠なのである。すなわち、歴史的事件が救済の根拠なのである。そしてこのことを証言出来るのは、「啓示」を受けた使徒たちだけなのである。
歴史が救済の根拠であり、また使徒だけがこの歴史の証人なのだとすれば、結局のところ使徒以外の一般の人間は、当然使徒の言葉の記録である聖書を信仰の根拠とせざるをえなくなる。しかし歴史的事件が普遍的真理の根拠だというのは倒錯ではないか。相対の絶対化ではないか。このような絶対化は事実一般の人間の自由を、権威主義的に圧迫しているではないか。
イエス中心主義においては、我々の存在の根柢があいまいとなり、キリスト中心主義においては、使徒の権威の前に自由が後退する。この点から考えても、イエスの思想と、使徒の宣教を統一的に把握する視点が求められなくてはならないのである。我々は、イエスという歴史的個人、その言行という現象そのものを我々の実存の根柢とするのではなく、さらにすすんでイエスをイエスたらしめた、彼の思想と存在の根柢を尋ねなければならない。他方では、使徒的キリスト教の根柢そのものを検討しなくてはならない。両者が一致するかどうか、それはあらかじめいえる事ではなく、検討の結果として結論される事である。
結論を先取りするなら、私は両者は一致すると考えるのである。両者の同一性を語るのが、イエス・キリストの「復活」という信仰なのである。イエスをイエスたらしめた根柢(イエスのいわゆる「神の支配」)を、弟子たちはイエスの死後はじめて自らのもとに見出だした。そのとき、弟子たちはイエスをイエスたらしめたその根柢、今や弟子の中に働き、弟子をその師イエスのように生かし始めた根柢を、イエスの復活体だと考えたのである。この点についてはくわしく後述しよう。こうして、イエスは「神の支配」を説き、使徒的キリスト教は「復活のキリスト」を告知する。しかし両者は実は同じリアリティなのだ。だからイエスの思想と、使徒的キリスト教は、一方は神の支配を説き、他方はキリストを告知しながら、その実質的内容は一致するのである。
そしてイエスの思想は、歴史ではなく、その根柢としての神の支配そのものの上に立っている。だとすれば、それを実質上一致する使徒的キリスト教も、実は、その根拠はイエスの存在と死、つまり歴史的事件ではない。使徒が「復活のキリスト」と解したリアリティ自体、すなわちイエスが「神の支配」と呼んだ事実、それを我々が何と呼ぼうと、我々にも働きかけている事実、人が人である以上その上に立ち、それに即しなくてはならぬ原事実、それが実は使徒的キリスト教の根拠であり、従って我々の実存の根柢なのである。我々は以下諸章で、この原事実を尋ねることにしよう。
2 イエスの思想
〈1〉その視点
(A)史料について
イエスの思想再構成のための史料は、実質上新約聖書、それも福音書だけである。福音書の中でも『ヨハネ福音書』はナザレのイエスの歴史ではなく、肉となったロゴスそのものを描いているので、これはイエス再構成の史料からは除かれる。『ヨハネ福音書』は、原始教団の神学を示すものとして重要なのである。
福音書に伝えられる記録のうち、奇跡物語は、少なくとも大部分は、伝説として扱わなくてはならない。従ってこれに含まれる「イエスの言葉」は、イエスの思想研究の史料とはなりえない。またイエスの言葉として伝えられるもののうち、直接原始教団のキリスト論と一致するもの、あまりに一致するものは、後で成立した原始教団のキリスト信仰が歴史のイエスに逆に投影された蓋然性が大きいので、やはり史料からは除かれる。さらに、最近の研究は、福音書記者が伝承に対して採録・加筆・訂正・削除等の編集作業をしていることを明らかにしたから、明らかにそれとわかる部分も除かなくてはならない。そして残った部分の統一的解釈の視点が以下で求められるわけである。
(B)イエスの思想解釈の問題点
イエスの思想の学問的研究には二百年に近い歴史がある。それでもイエスの思想はすっかり解明されているとはとてもいえない。その理由の第一は、イエスの言葉は今日の我々にも直接訴えかける普遍性を持っていて、それだけに誰でも一応はイエスの言葉がわかるのだが、もう一歩突っこんで、では一体イエスの思想は全体として何を根柢として成り立っているのか、イエスはどうして「敵を愛せ」などと言えたのか、というようなことになると難しい。イエスの片言隻語だけを取り上げれば、理想主義者も現実主義者も社会改革者も保守主義者もアナーキストも絶対平和論者も再軍備肯定論者もフェミニストも清貧主義者も享楽主義者もその他たいていの立場が、イエスをかつぐことができるだろう。しかしほんとうはイエスは誰の味方なのか、これは難しい。原始教団が、イエス・キリストを審判者としたのは示唆的である。こうして問題の第一は、多面的なイエスの思想の統一性ということであり、またイエスの思想全体の根柢ということである。
第二に、第一の事柄と関係するが、イエスの思想にはいくつかの著しい対立がある。すなわち(a)イエスは「神の支配」=「神の国」を説く。これは一面では現在的である。今あり、働いている。しかも他面では将来的である。いつかわからないが近い将来、此の世が終わり、神の国が突然、人の力に由らぬ神の業《わざ》として現われる。次に(b)神の支配と倫理の関係の問題がある。倫理はこの世界が今のありさまのまま続くことを前提するといえる。倫理を語るとき、イエスは教師である。しかるに他方では、イエスは世の終わりの近いことを説く預言者なのである。イエスの倫理は、けっして世の終わりに直面した非常時にだけ通用するというような性格のものではない。そして神の支配への服従が倫理だと一応いえるにしても、神の支配の「将来性」と、「現在」の倫理は、どう関係するのだろうか。さらに(c)イエスの倫理はどのように分類整理できるだろうか。
第三に「人の子」の問題がある。「人の子」とは、当時の宗教思想の用語で、終末時に天から現われる超人間的な救済者・審判者のことである。イエスは自分と「人の子」を同一視しているようにもみえ、区別しているようにもみえる。もしイエスが「自分こそは人の子だ」といったのなら、彼はいわゆる「救世主《メシア》意識」を持っていたことになるし、そうでなければ人の子の来臨を預言したにすぎない。
以上のような問題には長い論争の歴史がある。ここでその経過を述べることはひかえるが、以上の問題群は互いに関連し合っているのであり、そして従来充分解決されてはいなかったのである。我々は以下でこの解決を試みる。従って以上の問題群を念頭においてイエスの思想を検討するわけであるが、その前にイエス当時の「終末論」を簡単に説明しておこう。
終末論とは、歴史の終わりに関する思弁と期待である。当時ユダヤには、大別すると、二種類の終末論があった。ひとつは政治的性格のもので、ユダヤは強大な外国(イエス当時はローマ帝国)に支配されているけれども、やがて神に聖別された「膏《あぶら》注がれたる者」(メシア。そのギリシア語訳がキリスト)があらわれ、ユダヤ民族を外国の支配から解放し、全世界を征服して、エルサレムが世界の中心となり、世界の民が唯一の主なる神を拝するためにエルサレムにやって来るという。もうひとつは宇宙論的性格のものである。これによると、当時必ずしも統一的見解があったわけではないが、やがてこの世界に終わりが来る。その前に飢饉や戦争や地震や疫病の流行などの災害が相ついでおこり、ついで日は光を失い、月は暗くなり、星が堕《お》ちる。万象が震《ふる》え動いて、古い世界は滅び、新しい天地が出現する。そのとき天から栄光の雲に乗って、超人間的な救済者「人の子」があらわれ、万民に対して審判を行なう(死者は復活して裁判を受ける)。人はそのなした業に従って審かれ、義とされたものは永遠の神の国に入り、罪に定められた者は永遠の地獄におとされる。以上二つの終末論のうち、後者は「黙示文学的終末論」と呼ばれている。
〈2〉イエスの思想
(A)愛(対人性)
まず愛についてのイエスの言葉を考えてみよう。実は第三章との体系的整合性からいえば、最初にイエスの律法論を述べるのが順当なのだが、あえて愛から始めるのは、やはりここにイエスのイエスらしさが強く出ているように思われるからである。イエスの一切は愛に帰し、愛から出るというわけではない。しかし愛の教えにおいて、イエスの考え方はある意味で我々に最もわかりやすいのではなかろうか。
しかしイエスの言葉はむちゃで乱暴である。イエスの言葉を聞いた人は、まず怒るのがあたりまえなのだ。怒らない人がいるとすれば、何度も繰り返し聞いているうちになれてしまったのか、あるいは自分にかかわる言葉として受け取っていないのか、そうでなければイエス級にえらいのであろう。腹を立てても、イエスの言葉は心に深く突き刺さる。そしてついにイエスの言葉に頭を下げるまで、「肉体の刺《とげ》」のように抜けない。いったん抜けたようにみえても、また新しく突き刺さって来る。その正しさを結局認めざるをえなくなっているだけ、それは痛い。だから懺悔《ざんげ》なしにイエスの言葉について語る事はできないのだ。私はイエスと同じ高さから――むしろ低さから、読者に語っているつもりは決してないのである。
誰にでも敵がいる。最も愛する人と同じくらい、いやもっと私達の心を奪い、忘れることの出来ない敵がいる。そういう敵を、そう、具体的に、想い起こしていただきたい。もちろん、敵という以上、悪いのは先方で、自分ではない。不正なのは敵なのだ。彼は全く不当にも私にさまざまな害を加え、私の心を傷つけた。彼に対しては、どんな仕打ちも、全く正当であって、多すぎるということはない。黙っていたら、敵はますますのさばるばかりではないか。さて彼がしたひどいことをいま全部思い出し、憎しみを新たにしていただきたい。するとイエスは言うのである。「悪人に手向かうな」(マタイ五・三九)。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ五・四四、ルカ六・二七〜二八)。「右の頬を打つ者には、左の頬をも向けてやれ」(マタイ五・三九、ルカ六・二九)
これはひどすぎるのではないだろうか。悪には断乎抵抗しなければ、正義も道理も立たないではないか。
これらの言葉を考えるに当たって、一応愛の問題を正義の問題と区別することが必要であろう。イエスもパリサイ人の不正を激しく攻撃しているのである。愛の問題は、M・ブーバーのいわゆる「我と汝」の関係、すなわち対人関係の事柄であるのに対して、正義は社会の問題なのである。愛の対象は、今、ここで私の目の前にいる、一人の具体的人間なのである。もちろん、彼がまさに「敵」であるのは、彼が社会的な意味で不正を働いたからでもありうる。だから、愛の問題は正義の問題と切り離すことはできない。しかしなお両者を区別することは必要である。不正の糾弾と愛とは両立できないわけではない。
そうだとしても、だからといってそれだけで、「敵を愛せよ」などとどうして言えるのか。「どうして」ではないのである。たとえばパウロは、「敵が飢えたら食べさせ、渇いたら飲ませなさい。こうすれば彼の頭に燃える炭火を積むことになる」(ローマ一二・二〇)という。これは、こうすれば、「敵」が悪かったと思って、折れて出るというふうにもとることができる。しかしイエスはこういう目的をあげるわけではない。彼は端的に「敵を愛せよ」と言うのである。とはいっても「どうして」は、後述のように、ないのではないが、それは目的や理由というより、むしろ根拠というべきものである。
「どうして」ということではないのだ。むしろ「こうだから」ということが敵を作る。彼が敵になったについては、理由があり原因がある。愛はそうではない。愛には理由も目的もない。人と人とははじめから共に在るべく定められているのである。人ははじめから他者とのかかわりのなかにおかれ、そのかかわりの中でのみ自分自身でありうるのである。私は他人ではない。私と他者との間には必ず相互否定の契機がある。しかし他者ではない自分が、しかも他者とのかかわりの中でのみ自分自身でありうるのだ。私と他者とは区別はできるが切り離すことはできない。ちょうど磁石の北極と南極は、区別はできるが切り離すことができないように。
M・ブーバーはこのことを、「はじめに関係がある」と美しく言いあらわす。言葉を語ることなしに、人間は充分な意味で人間ではないといえるなら、すでに言葉という現象が、人間が互いにかかわりの中にある事を証《あか》している。ひとがまさに自由な人格として、すなわち私ではない他者として、私に語る言葉が私に訴える。そして他者が私に語りかける言葉を私が理解するなら、理解された言葉は、たしかに他者の言葉であって私の言葉ではないが、しかし真に理解されている限り、その言葉は既に私の内容なのである。換言すれば、「あなた」なしに「私」は成り立たない。「あなた」の言葉が、「あなた」との出会いとその語りかけがなかったら決して起こらなかったような行動を私にとらせるとき、そこにあらわれた「私」は、決して他律や強制に由るのではなく、全く自由な「私」でありうるのだ。そればかりではない。「あなた」が私に対して「否!」と言う、その否定が、私をほんとうの私に立ち返らせることもある。これらのことは、「私」がそのつど「あなた」とのかかわりにおける存在であることを示している。
我々はこうした事実をもっと集めることができるだろう。しかしこうした事実は、いわば確認の作業であって、基礎づけの仕事ではない。「こうだから」愛さなくてはならない、というのではない。そうではなく、人は互いにはじめからかかわりの中にあり、共に在るべきなのだという定めがまず在り、もろもろの現象はそれを確認させるのだ。
「こうだから」愛するというのだろうか。同じ仲間に属するから、考えを同じくするから、同じ仕事に参与しているから、互いに利益となるから、私たちはだから相手の存在を肯定するのだろうか。そうだとすると、同じ理由が敵を作る。同じ仲間に属さない者、考えを同じくしない者、同じ仕事に参与しない者、利害相反する者……が「敵」となる。「こうだから」という理由は、味方と敵を分ける。しかし愛を生みはしない。それに反してイエスは「敵を愛せよ」と言うのだ。とするならばイエスは、「こうだから」「……のために」という一切の理由や目的を超えて、それらにかかわらず、はじめから人の人たるところに働く定めを語っているのだ。人は本来はじめから互いにかかわりの中にあり、共に在るべく定められているということを説き明かしているのだ。イエスは、人の地位や役割や価値や能力や意味ではなく、それらとは関係なしに存立する、他者への肯定を要求しているのである。他者の「意味」ではなく、他者の存在そのものを、すなわち彼の全人格を、私が肯定し受容すること(その意味については後述する。第四章〈2〉参照)を、いなむしろ、私の存在そのものがはじめから他者とのかかわりの中にある事実を、肯定すべく要求しているのである。
「我々は、我々に快を与えるものを愛する」という、この上なく明晰なスピノーザの命題を、否定するいわれはない。しかしこの命題は、近代の自覚期の思想にふさわしく、個人主義の次元で愛をとらえている。実は、はじめから他者とのかかわりの中にある自己を見ぬ限り、自己の中に真実の愛の根拠などありはしないのだ。事実はスピノーザの把握とは逆である。好ましいから愛するのではない。愛するから、つまりその存在を受容し、その人とのかかわりの中に自分自身があることを肯定しているから、その人が好ましく、好きなのだ。この肯定の上に、やさしさ・思いやり・交わりに対して開かれた態度などが成り立つのである。はたからみれば、あんな人のどこがよいと思う人が愛し合っている。どこがよいのかなどと秘かに考えるのが間違いなので、愛の上に好感が成り立っているのだ。
同様に愛の上に赦しと和解が成り立ち、可能となる。逆ではない。もし人が人と人とを結ぶ根源的な定めに目覚め、これに従うなら、そしてこの定めが、人と人との間に起こるもろもろの争いや不幸にもかかわらず、存立しつづけていることを認めるなら、いやそもそも根源的な愛において人の全人格的存在そのものが人の価値や資格にかかわらず受容されているなら、そこに赦しと和解が成り立つのである。もしこれを拒むなら、それはつまり、人と人との間をそのように定めた定め自身を拒み、ゆえにこの定めを置いた神への不従順・神との不和に陥ることになる。だから、兄弟を何度でも赦すことと、神に赦されることが、結びついて来るのである。(マタイ六・一二、一四、五・二三〜二四、マタイ一八・二三、二三以下等)
「さばくな。なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁《はり》を認めないのか」(マタイ七・一〜三、ルカ六・三七、四一)。相手が誰であろうと、敵であろうと、私との間には根源的な相互受容、共存への定めは失せていない。ここに目をとめるとき、「さばくな」という言葉が理解される。「さばき」は全面否定になりがちである。しかし根源的な共存への定めは人間同士の全面的否定が、存在の抹殺が、あり得ないことを意味する。ここからイエスのいわゆる「無抵抗主義」――実は主義などというものではないのだが――が理解される。「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けてやれ」
ヨハネ(八・一〜一一)に記された物語は、写本にも伝承にも問題があり、元来『ヨハネ福音書』の一部ではなかった挿入であることはたしかである。伝承史的に物語の真正性を確認することは困難である。しかし物語の文体と内容は共観福音書的である。この話は、おそらく福音書には記されていないが、失われるにはあまりに価値の高い物語なので、後代の人々がヨハネに挿入したのだ。物語の精神は、共観福音書から知られるイエスの全体像と一致するので、少なくともイエスの精神を伝えていると見てよい。
姦淫の現場をおさえられた女がイエスの許につれて来られる。学者・パリサイ人はイエスに、この女をどうしたらよいかと尋ねる。「石で打ち殺せ」と答えれば、イエスは日常の言行との自己矛盾に陥る。「釈放せよ」と言えばモーセ律法違反の大罪を免れない。イエスは黙って答えず、身をかがめて地面に何か書きはじめる。彼等はますます言い募る。するとイエスは言うのである。「君たちのうち罪のない者がまずこの女に石を投げよ」。するとこの言葉に胸を刺された群衆はひとり、またひとりと散って行って、イエスと女だけが残る。イエスは女に「私もあなたを罰しない。帰りなさい。もう罪を犯してはいけない」と言う。(この話には、神が人の罪を赦すことと、人が人を審かないこととのふたつのモチーフがある。今の問題はまず後者である)「罪のない者がまず石を投げよ」。善悪と言っても、世界内のそれは相対的である。だからといって、それはどうでもよいのではない。我々は相対的善を択びとってゆかねばならない。そして相対と離れては絶対もこの世界内では働きようがないのである。我々は相対的存在である。このことははっきりさせておかなくてはならない。そして我々の存在を構成・規定する定めがあらわとなるとき、はじめて我々の相対性もはっきりと照らし出される。その時、「赦し合う」ことは、そうでないときよりはるかに容易になるはずだ。相対的善がいつか絶対を僣称して、「敵」を全面否定しようとするとき、第一義のところからイエスは「さばくな」と言う。まず愛があるのだ。ヤスパースは「愛しつつ戦う」と言う。この場合、愛が先でなくてはならない。その上で戦いもはじめて、盲目の激情から自由になって、正しく行なわれることができるのだ。
愛(アガペー)は、人ははじめからかかわりの中にあるという事実の上に成り立つ対人行動のことである。その意味でそれはエロース(男女間の愛、また価値高いものへの愛)とは違う。アガペーがエロースの根拠である。逆ではない。だからアガペーは、アガペーを欠いたままあらわれるエロース(もしこれがエロースの名に価するならば)を審く。「こうだから」愛するという愛を審くのである。「誰かが私のもとに来て、しかも自分の父・母・妻・子・兄弟姉妹、さらに自分の生命までを憎むのでなければ、私の弟子となることはできない」(ルカ一四・二六、マタイ一〇・三七)。敵を愛して家族を憎めというのだ。何と首尾一貫していることだろう。ここでも愛する人を具体的に思い浮かべていただきたい。その上でこの言葉をとことんまで考えつめるなら、恋人はまさに恋の対象であるが故に棄てなくてはならないという、キェルケゴール的な「恐怖と戦慄」を覚えない者がいるだろうか。
だからといって、家族や恋人に対する愛情をおさえて、克己して、棄てよというのではなく、また棄てられるものではない。これは「律法」の途である。イエスの言葉は決して単なる律法ではない。イエスは招くために拒み、結ぶために切るのだ。愛の真の根柢に目覚めるとき、おのずからエロースはさばかれ、そして再建される。つまり正される。そのときアガペー抜きのエロースが、実はどんな束縛であったか、自分がどんな激情の虜《とりこ》となって、相手に縛られもし、また相手を縛りもしていたかが明らかになる。盲目的なエロースは、世界内の一存在にすぎぬ人間を、自分の全存在の意味に化し、その人にすべてをかけて、愛情に自分の生き甲斐を見出だそうとする。それは美しい――実際、感動的ですらあるのだ。しかし所詮、人間は誰もその重荷を負うに耐えないのである。一人の人間に、他の人間の全存在を支えることなどできはしない。こうして葛藤と悲劇が起こる。
逆説的にひびくけれども、アガペーはエロースの断念を含む。好きな人といつも一緒にいたい、好きな人を自分のそばにひきつけておきたい、思うままにしたいという願い――それはひとたびは消滅しなくてはならない。そのときはじめて人は、愛において自由となるのだ。人と人とはかかわりの中にある。しかし決して直接に結合しているのではない。人は自己ならぬ他者、決して自分とひとつではない他者とのかかわりの中にあり、それゆえかかわりにおいて自由であり、自由な主体としてかかわりの中にある。いわばもともと、自然にそうなのだ。そうできているのだ。決してこのことを、モラル(律法)として実現しなくてはならない、というのではない。かかわりの事実に徹する事が大切なのである。そうすれば全人格的なアガペーが、おのずと相手にふさわしい評価や好意や愛情を、つまりエロースを生むのである。
だから愛は隣人愛なのである。今・ここで・そのつど私と出会うひとりひとりの人間が、それが誰であろうと、愛のかかわりの中にある。よしんばそれが敵であろうと、隣人は私の愛の相手なのであり、その訴えを聞く耳と、その言葉に動かされる心を持たなくてはならない。「善きサマリヤ人のたとえ」(ルカ一〇・三〇〜三七)はそのことを示す。正統的ユダヤ教徒にとって、サマリヤ人は異端であった。正典を異にし、神殿を別にする、「悪鬼につかれた」輩である(ヨハネ八・四八)。しかしイエスのたとえ話は、このサマリヤ人に、ユダヤ人に対して愛の業を行なわせる。イエスは所属するグループや信条で人を区別しない。人の存在が何によって規定されているか、これが決定的なのだ。
愛にとって人の資格や価値や意味は問題ではない。また愛は集中的であって、愛する人以外の一切を忘れる瞬間を知っている。これは盲目のとらわれ(これはいつも愛する人のことしか考えることが出来ない)とは別である。ひとりの女性がナルドの香油をみたした壷をこわして、香油をイエスの頭に注いだとき、「なぜ香油をこんなにむだにするのだ。この香油を三百デナリ以上で売って貧しい人に施すことだってできたじゃないか」と非難した人がいた。しかしイエスは女を嘉《よみ》して言う。「私によいことをしてくれたのだ。貧しい人はいつでも君達と一緒にいるから、好きな時によい事をしてやれる。しかし私はいつも君達と一緒にいるわけではないのだ」(マルコ一四・三以下)。愛は計算ではない。今、ここで出会っている、この人への集中である。一般的な善をより多く行なうということではない。
神の愛がそうなのだ。百匹の羊のうち一匹が迷った時、九十九匹を荒野に放っておいて一匹を探し求める人のように――何ということだろう。彼には一匹の方が九十九匹より大切なのだ。むしろいまは、その一匹のために他をすっかり忘れているのだ――神は迷った罪人を尋ね求める(ルカ一五・三〜七、マタイ一八・一二〜一四)
人が善人だからではなく、人がどれほど迷っていようとも、人の全人格的存在そのものはもともと神によって立てられ、肯定されているのだ。事実私が私であるのは、私によるのではなく、また私を他者とのかかわりの中においたのも私ではない。私は他者とのかかわりの中で自己自身であるべく、置かれた存在なのである。あらゆる人がもともとこのように置かれ立てられ、神に受容され、肯定されている。「神は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも不正な者の上にも雨を降らせる」(マタイ五・四五、ルカ六・三五参照)。ここに愛の根拠がある。あるいは、愛の根拠が見出だされ、このように言いあらわされている、とも言える。イエスの神はリアルである。「聖書」などという「本」の中から読み取られ、大脳皮質の中にしかないくせに、人間の思想と行動全般を規制しようとするような、虚《むな》しい観念の偶像ではない。イエスは、我々の存在を規定する事実を、神の意志、神の支配、といいあらわす。だから神を受け容れ、その意志に従うことは、隣人愛となってあらわれる。ゆえに神への愛と隣人愛とは、最大の戒めなのである(マルコ一二・二八以下等)
(B)人生(個人性)
人間は「あなた」とのかかわりにおける「私」であり、同時に社会の一員でもある。そしてまた、それとは切り離せないが区別された意味で、個人である。この場合、人の問題は、自己自身をどうするか、ということである。
自己の存在は、自己にとって、課題である。自分の終《つい》の居場所はどこなのか、自分は何のために生きているのか、自分は何によって生き、自己の存在を保障するのか、これは自分にとって常に問題なのである。自己を形成し実現し維持しなくてはならない。こうして人は自分の存在のために配慮する(ハイデッガー)。すなわち見知らぬ世界に投げ出された人間は、自己の全体をあらかじめ見通し、自己を先取りするのである。
自己の存在のための配慮――新約聖書では、「思い煩い」と訳されているメリムネーがこれにあたる――は個人の必然的なあり方である。誰もこのあり方から逃れられはしない。しかしなお配慮の仕方が問われなくてはならない。人は自分の生のプログラムを組み、これを実現しようとする。その際この営みは、人間であることに必然的に属しはするけれども、しかし実は人間の営みのすべてではない。にも拘わらず配慮が人間の営みの全体を僣称する事が起こる。するとそれだけ人のあり方はゆがんで来る。自己のプログラム――この中にはもちろん自己の存在の保障も組み込まれている――の実現が唯一の意味となるにつれて、日常よく見られるように、このために役に立たないものはその人にとって一般に無意味となるのである。これでは前節のような愛が成り立たないのはいうまでもない。世界とその中の諸存在とは、彼にとって、自己実現の手段となり、カント的な意味での人格(決して単なる手段とはならないもの)も否定されざるをえない。敵と味方とどうでもよい人が分かれて来る。争いや嫉妬やその他ローマ(一・二九)以下の「カタログ」に列挙されるような「悪徳」があらわれる。他方プログラムの実現は必ずしもうまくゆくとは限らない。不測の事故や災害や失敗や病気や偶然がそれを挫折させるかもしれない。そればかりではない。まさに望みのものを手にした瞬間に「すべては虚しい。空《くう》の空である。風を捕えるようだ」という旧約聖書『伝道の書』的な絶望が忍び寄らないという保証もない。人生は実にはかない。人は一体何のために生きるのだという嘆きは古来絶えたことはないのである。
それに対して、「何のために」ということはないのだ、とイエスは教える。そもそも配慮の中にはじめから含まれていた倒錯が問題なのだ。すなわち人は、自分の存在を自分で立てることができると考えている。自己の存在がどこから出、本来どこに根拠をおくものか、それゆえどのようなあり方のものであるかが見えないまま、なお自分の問題は自分でかたづけられることを前提として、配慮の生を営む。そこではいつしか、人間の存在は「何のために」ということで規定され、割り切れるものだと考えられている。そしてそれを人生の意味などという。ここに問題があるのではないか。
イエスは言う。「だから私は君たちに言う。何を食べようかと生命のために配慮し、何を着ようかとからだのために配慮するのをやめなさい。生命は食べ物にまさり、からだは着物にまさる。からすを見るがいい。からすは播《ま》きもせず刈り入れもしないし、納屋も倉もない。しかし神はからすを養ってくださる。君たちは鳥にまさることどれだけだろう。
君たちのうち誰が配慮して寿命を少しでものばすことができるのか。
野の花を見るがいい。紡《つむ》ぎも織りもしない。私は言う。全盛期のソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾っていなかった。今日野にあって明日炉に投げ込まれる草をさえ、神はこんなに装ってくださるなら、信仰の薄い人々よ、まして君たちはなおさらのことだ。
だから君たちは何を食べようか、何を飲もうかと求め歩いたり、心配したりすることをやめなさい。……むしろ君たちは神の支配を求めなさい。そうすればこれらのものはつけたして与えられる」(ルカ一二・二二〜三一、マタイ六・二五〜三三)
「自分の命を確保しようと努めるものはそれを失い、それを失うものはそれを保つ」(ルカ一七・三三。この言葉は元来単独に伝えられていたもので、この形が元来のものと思われるけれども、その意味はルカの現在の文脈から解してはならない)
「生きるため」ですらないのだ。人生は生きるためですらない。「生きるため」の努力は却って生を損うものとして、放棄を要求されるのである。
野の花についてのイエスの言葉は、新約中自然美に関するほとんど唯一の言及である。この言葉は日本人の心情に訴えるところがある。京都南禅寺の柴山全慶老師は「花語らず」と題して次のような詩を書いておられる。
花は黙って咲き黙って散ってゆく
そうして再び枝にかえらない
けれどもその一時一処に
この世のすべてを托している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命の喜びが
悔いなくそこに輝いている
この詩は期せずしてイエスの言葉の註解になっているといえないだろうか。東洋の心情は花に無心を見る。「百花春至って誰が為にか開く」(碧巌録第五則、頌)。この際問題は生物学ではないのだから、花が開くのは実を結ぶためだ、などとはいうまい。いや、花は実を結ぶためであるにしろ、一本の植物がそこにあるのは何のためでもない。その無心が、花にも輝いている。一羽の鳥にしても、その各部分を見れば、たとえば眼は見るため、耳は聞くため、羽は飛ぶため……にある。しかし一羽のその鳥がそこに生きているのは、もはや何のためでもあるまい。しかも「永遠にほろびぬ生命の喜びが、悔いなくそこに輝いている」のだ。
われわれは「自然」という美しい言葉を持っている。この言葉はphysis, natura, nature……等の西欧語の訳語になって以来、意味が変わってしまった。しかし天然自然と熟語し、天が然らしむゆえにおのずから然る、と読むとき、この言葉はすばらしい(おのずからが重要である。しかもそれは同時に「みずから」なのである。すなわち「みずから」という主体性・意図性が同時に「おのずから」という無心性とひとつなのだ)。これは決して非聖書的とはいえないのだ。何故なら、マルコ(四・二八)のアウトマテー(おのずからの意、「オートマティック」、「オートメーション」と関係のある語である)はまさにこの意味(人為によらぬ天然自然)だからである。
無心は天然自然の純粋な発露であろう。人間は自覚的存在であるゆえに、無心の事実性・実存性を、存在論的・実存論的自覚にもたらさざるをえない。しかもその自覚性が無心の事実性に根ざすところ、イエスの言葉が生まれるのである。
イエスは単なる自然を説かず、天然自然をいう。私が私であるのは、私によるのではない。私はこのように創られ、置かれ、立てられている。私が私であるのはもともと何のためでもない。ただこのように置かれ立てられ生かされている。この定めに即するとき、神はこのはかない生命を「こんなにも装って」くださる。自分で自分を立て、自己という重荷を負い、支え、かたづけられるという妄想の上に、悪しき思い煩いが育つ。その根が断ち切られたとき、「自分の生命を自分で確保しようとせず、かえって自分の生命を棄てる人」は、すなわちどれほど不動にみえようとも所詮はこの世の中の相対者にすぎないもの、我々自身と等しくはかないもの、に依って自己を支えようとする努力から手を放した人は、自分がすでに自分ならぬものによって立てられ、支えられている事実を知るのだ。だから私は私なのである。それ以上、また以外の、「何故」、「何のため」、「どこ」等々は、ありはしないのだ。
「まず第一に神の支配を求めよ」とイエスは言う。それが「必要な唯ひとつのこと」(ルカ一〇・四二)なのだ。とはいえ、「まず第一に神の支配を」という言葉は決して神と人との直接の結合を意味してはいないことを注意する必要があるだろう。「願わくは御意の成らんことを」(マタイ六・一〇、マルコ一四・三六参照)という祈りは、神と人との越えることのできない断絶を示している。小は身辺の事柄から大は世界の成りゆきにいたるまで、どうして我々にさまざまの願いがないわけがあろう。しかし「御意を成させたまえ」という祈りは、私の願いではなく、あなたの御意を成させたまえということ、私の主張の厳しい否定なのである。それだけではない。我々は「神の御意」に関するある理解を持っている。しかし「成るべき神の御意」は、「我々が理解した限りでの御意」ではない。それとは区別されうる、神の御意そのものなのである。こうして、我々の神学も信仰も、究極のものではない。それは絶えず超えられなくてはならない。しかも我々はその祈りを口にする。御意が私を通して成るとき、それも幸いに、神に敵する者としてではなく、神につく者として、私を通して御意が成るとき――それはむろん私の自由になるところではない――私は真実に生き、存在するのだ。それは逆説である。「わが神、わが神、何ぞ我を捨てたまいし」(マルコ一五・三四)という、十字架上のイエスの悲痛な叫びも同じ逆説を証示する。神との断絶の中で、その断絶をなお神にむかって訴えかける、その非連続の連続が、神と人との間にはある。「神は存在の根柢である」(ティリッヒ)が、自己の安全や成功の保障ではない。この点では神はおよそあてにすべからざるものだ。それはすでに旧約聖書『ヨブ記』の示すところである。さらにまた、御意が人を通して成るといっても、神はなにも人間の証明や弁論を必要とはしない。神について語るものはこの点にも心する必要があるだろう。むしろ人間的な無が、神によって有に転ぜられるのだ――主を否んだペテロ、教会を迫害したパウロが使徒となったように。だから「神のために生きる」とも、人はいうことはできないのだ。
自己という課題の重荷の下にある人間に、イエスは「まず神の支配を求めよ」と言い、また「ただ神にのみ仕えよ」(マタイ四・一〇、ルカ四・八。この言葉は旧約の引用であり、伝説的な試誘物語の中にあるが、精神はイエス的である)と語る。宝を地に積むのは虚しいこと(マタイ六・一九〜二一、ルカ一二・三三)、人はからだではなく人格を滅ぼすことのできるものをおそれなくてはならない。(マタイ一〇・二八、ルカ一二・五)
神の支配の下に自覚的に服することがまず、何よりも肝要なのである。あとのことは第二義の問題なのである。「人が全世界を得たとしても、自分を失ったら何の益になるだろう」(マルコ八・三六)。そして人は「財産によって」(ルカ一二・一五)、「パンのみによって」(マタイ四・四、ルカ四四)生きるのではないのだ。これらは「つけ足して与えられる」ものである。
「何のため」ということはない。もちろん、人生にはさまざまな「何のため」があり、人間の具体的な行動はそのつど目的を持っている。しかし人生には人間の行動の諸目的一切を自分のもとに帰属させるような究極の目的、特定の内容をもち、しかもあらゆる目的の目的である最高善のようなものはないのである。ただ人は、人の想いや努力を超えた、自己ならぬものによって立てられ、支えられ、受け容れられている。この事実に天然自然に即するときに、真に「私であること」が成り立つ。このときニヒリズムも克服される。それは、人はもはや「何のため」を、人生の意義を、まるでその答えにすべてがかかっているかのような仕方で問うことをしないからである。
(C)律法(共同体性)
人間は「汝」に対する「我」として対人関係の中にあり、同時に個人として自己の存在の問題に思いをひそめる。しかしそれだけではなく、人は社会の一員でもあるのである。
さてイエス当時、モーセを通じてユダヤ民族に与えられ、書き誌された「律法」は、我々の宗教と法律と道徳にあたるものを含んでいた。そして「律法」は神聖不可侵な神の意志の啓示とされた。人は律法を通じて、そしてそれによってのみ、神の意志、すなわち神の人間に対する要求を知ることができるというのである。ユダヤの律法学者は、イエス当時すでに「預言者の声は絶え、新しい啓示はもはや与えられない、啓示はすでに終わったのだ」と考えた。だから人は直接神の意志を尋ねることはできない。人は書かれた律法を学び、それを人生の具体的な状況に適用していかなくてはならない。しかしあらかじめあらゆる場面を想定して書かれたのではない律法書を、複雑な人生の諸局面に適用するためには、当然これを解釈しなくてはならず、それには専門的な訓練と知識を必要とする。こうしてイエス当時、律法学者がいて、律法を熱心に学び、自らのためまたひとのために実生活に適用することに努め、お互い同士では討論し、膨大な解釈伝承を師から弟子へと伝えていた。律法を守ることは、人の人たる条件であると考えられた。単に個人が神に受容されるために必要なのではなく、律法生活は民族の平和と繁栄の条件でもあったのである。
「啓示は完結した。しかし我々は啓示の記録を書物として持っている。人のすべきことはこの書物を人間の最も大切な問題に関する唯一絶対の基準として信奉することである。一切の思想と行動とは、この書物から、またこの書物の解釈から、与えられる」という当時の律法学者の考えは、何と正統的プロテスタントの聖書観と似ていることだろう。この書の前に「理性」の批判は黙さなくてはならない。ある律法学者は、「穢《けが》れと潔め」の問題について次のような言葉を残している。「死体が穢れているのではない。水が潔めるのでもない。しかし神がそう決めたのだ(すなわち、旧約聖書にそう書き誌してある)。だから我々はその定めを変えることはできない」
聖なる書物の言葉がこうして事実および事実の認識の上に立つ。これでは聖なる書物が、事実の中に働く神の上に立つことにもなってしまう。実際、ユダヤ民族は旧約聖書を証拠として、「神と契約を結び、それゆえ神の救いの対象であるのはユダヤ民族だけである」と信じた。だからキリスト教が、神は人と新しい契約を結び、従って異邦人も救われるようになったのだと主張したとき、ユダヤ教はそれを認めることができず、キリスト教(つまりキリスト教が語る神の業《わざ》自身)を否認するにいたったのである。これは、ユダヤ民族がその聖書を究極の拠りどころとしたため、結局聖書の枠を越えてあらわれた、事実としての神の意志――神がどうして書かれた文字に拘束されよう――を認める事ができなかったことを示すのではないか。プロテスタントの聖書原理といえども同じ誤謬を犯さない保証はどこにもありはしないのだ。さてイエスはこのような律法主義――律法を尊重することではなく、書かれた律法を思考と行動の究極の根拠とする主義のこと――に対して、どのような態度をとったであろうか。
「イエスが旅立とうとしていると、ひとりのひとが駆けて来て、ひざまずいてイエスに尋ねた。『善き師よ、永遠の生命を受けるためには何をしたらよいでしょう』イエスは彼に言った。『なぜ私を善いと言うのか。神おひとりのほかには誰も善いものはいない。戒めは君が知っている通りだ。〈殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。奪い取ってはならない。父と母とを敬え〉』その人は言った。『先生、それなら私は若いときから守ってきました』イエスは彼をみつめ、彼を好ましく思った。そして言った。『足りないものがひとつある。帰って持ち物をみな売り払って貧しい人たちに施しなさい。そうすれば君は天に宝を積むことになる。それからきて私に従いなさい』するとこの人はこの言葉に顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。大資産家だったからである」(マルコ一〇・一七〜二二)
律法は本来社会生活の秩序である。しかしイエス当時、ユダヤ国は国家としての独立を失っていた事情もあって、右の引用に出て来る人の問いでは、律法を守ることは個人の存在(永遠の生命)の条件になっている。
イエスは律法を否定しはしない。イエスはこの人の問いにモーセの十戒を以て答えるのである。すなわちモーセの十戒は、神に関する部分と人に関する部分とがあるが、ここには人に関する六つの誡めがあげられている。
しかし律法を守りさえすればそれでよいかといえば、そうではない。律法を守るといっても、その守り方が問題なのである。引用した個所での人の場合、この人は律法を、自己の存在を保証するための手段としている。そこには彼が善を行なって悪の途に赴かないだけそれだけ、彼自身の生のための配慮が先行し、社会的実践としての律法の行為を、それに従属させているのではないか。彼は自分が永生を得るために、善行を行なっているのではないのか。
とはいえ、この場合イエスに、カント的な義務のための義務という態度を読み込むのはゆきすぎであろう。しかしイエスは、イエスに問うた人の善行の底に彼自身の生命のための思い煩いがひそみ、これが彼を規定していることを見逃さない。そしてこのことが、イエスの問いの前に暴露される。彼は、持ち物を貧しい者に施し、イエスに従えという要請の前に、顔を曇らせて立ち去る。するとイエスは「金持ちが神の国に入るのはなんとむずかしいことだろう」と言うのである(マルコ一〇・二三)。この言葉はあまりひどすぎるだろうか。しかし、「人が全世界を得たとしても、自分を失ったら何の益になるだろう」(マルコ八・三六)
イエスは律法を否定しないが、このようにその守り方が問われるのである。
律法の言葉に反しさえしなければそれでよいというのではない。「君たちは、君たちの伝承を守るために、神の掟をみごとに無視している。モーセは『父母を敬え』また『父あるいは母を罵る者は死刑に処せられる』と言った。しかるに君たちはこう言っている。『人が父か母に対して〈わたしがあなたに差し上げる分はコルバン(すなわち神への供物)にします〉と言えば、その人は父または母に何もあげないでよろしい』これは君たちが伝えた伝承によって、神の言葉を無効にしているのにほかならない」(マルコ七・九〜一三)。この言葉の直前におかれた旧約聖書イザヤ書(二九・一三)からの引用、「この民は唇で私(神)を敬う。しかし心は私から遠く離れている」はこの場でイエスが言ったことではないとしても、イエスの言葉のよい註解となっている。
さらに離婚についてはこう言われている。「君たちの心が石のようだからモーセは君たちにこの(離婚するときの)定めを書いたのだ。しかし神は天地創造のはじめから人を男と女とに造られた。このゆえに人は父と母とをすてて、二人は一体となるのだ。だからもはや二人ではなくひとつのからだである。神が同じ軛《くびき》につないだものを人が離してはならない」(マルコ一〇・五〜九)
イエスは父母を敬うこと、結婚を尊ぶことを強調する。彼は秩序をも律法をも否定しない。しかもイエスは律法の文字のレベルにとどまってはいない。彼は律法の真の精神を問題にするのである。
「君たちは、(モーセが)昔の人に『殺してはならない、殺した者は裁判にかけられる』と言ったことを知っている。しかし、私は君たちに言う。兄弟に対して怒る者は誰でも裁判にかけられる。兄弟を馬鹿という者は最高法院に渡され、愚か者と言う者は地獄の火にあう」(マタイ五・二一〜二二)
「君たちは、(モーセが)昔の人に、『姦淫してはならない』と言ったことを知っている。しかし私は君たちに言う。欲情をもって女を見る者はすでに心の中で姦淫したのである」(マタイ五・二七〜二八)
これはもはや法律ではありえない。法律は形にあらわれない人の心の中まで規制しはしない。また道徳でもない。なぜなら、これを道徳として守ることは明らかに不可能である。これらの言葉の真意について多くの解釈がある。あるものは、これらの言葉は、人を罪の意識に導き、こうして福音の受容に至らしめるためのもの、すなわちローマ書(三・二〇)やガラテア書(三・二三以下)と同じ意味での律法であるという。しかしイエスの言葉からこのような意図を読みとることは不可能である。他の解釈は、これは終末時の神の国の中でのみ妥当する倫理だという。しかしイエスはこうも言っていない。また終末直前の非常時の倫理でもないこともすでに言及した通りである。またさらに別の解釈は、これは一般的に守るべき道徳なのだとする。しかしそんな事はできるものではない。
律法に関するイエスの発言は、現に定められている実定法と、律法を律法たらしめる根拠とを区別して、後者に眼を注がぬ限り理解できるものではない。人は神によって社会の一員として置かれている。彼が何をするか、しないか、何を欲するか、欲しないかにかかわりなく、むしろその前に、いわば彼の存在そのものと共に、置かれたこの定めを見ぬ限り、イエスは理解されない。
人がこの定めに従うことを通じて(従うことによってではない)、神の意志が成る。そして神の栄光(イエスはこの言葉を使ってはいないが「野の花の美しいよそおい」という言葉の中には、「神の栄光」が含まれているといえる)が現われる。換言すれば、ひとりひとりの人の存在そのものが、神の栄光をあらわすべき定めのもとにある。これは人が神の手段だというのではない。手段は自己目的性を持たない。人は神の栄光のあらわれる媒介なのである。媒介において、人間の自由が逆説的に神への服従とひとつとなるのである。神の定めに従うことが、人間の自由を構成するのである。
すべての人の思いや業に先立って、このように人は神の栄光をあらわすべき定めのもとにおかれている。人が神を認め、受け容れる前に、人は神によって社会の一員として立てられ、肯定されている。それゆえに、人は他の人間の存在そのものを、つまり彼の全人格を、肯定・受容しなくてはならない。人の資格や能力や意味ではなく、彼の全人格存在そのものが、受け容れられなくてはならない。
それゆえに人が人を殺すこと、つまり人の存在そのものを否定することは神の定めに反するのである。そして、それだけではない。他の人に腹を立て、馬鹿と罵り、愚か者とさげすむ。それがどれほど正当であろうと――誰が常に不当だといえよう――、その正当さの中に、すでに神の意志への違背が含まれている。一人の人間がまさに他の人間ではないその人として、彼のおかれた場所で神の栄光をあらわす定めを、その人に腹を立て罵りさげすむ人は、認めず、否むからである。だからその人は「裁判にあう」のだ。
結婚のことにしても、これはもとより地上の相対の秩序にすぎない。そこには事実解消した方がよい結婚、維持すべからざる夫婦関係がある。しかしイエスはここでも第一義のところに目をとめる。結婚はひとりの男とひとりの女との、全人格的な「ひとつのからだ」のかかわりである。だから新約では、キリストと信徒の関係が、しばしば夫と妻のかかわりの類比で語られる(エペソ五・三一、三二など)
ゆえに全人格の関与を否み、妻とのかかわりのない部分をどこか自分に留保して、「欲情をもって女をみる」もの、そこにはどこかに神との全きかかわりの中に自己をおかず、神と無関係な自分を留保して、神と中途半端な関係をむすぼうとすることに通じるものがある。「欲情をもって女をみる」というのは、おそらく単に生理的な不可避の反応のことではない。原文は「女を欲情するために彼女を見るもの」と書かれていて、そこにはある意図的・意志的な要素が含まれているようにみえるのである。
イエスにとっては、実際に書かれ定められている律法の文字の遵守よりも、律法を律法たらしめる神の意志の事実、すなわち社会の一員として神の栄光をあらわすべき人の定めの事実そのものの方が大切なのである。イエスは決してやたらに厳しい教えを説いているのではない。イエスの言葉は、人の眼を、書かれた律法からその根拠へと、形からもとへと向けさせるのである。
だからイエスの厳しさは、そのまま律法主義からの自由とつながってゆく。イエスは書かれた律法と、その根拠とを区別して後者を重んじるから、律法の文字にはとらわれない。それに反して、律法主義は、書かれた文字を至上視して、あらゆることにこれで決着をつけようとする。
「安息日にイエスは麦畑の中を通っていった。すると弟子たちは歩きながら穂を摘みはじめた。そこでパリサイ人がイエスに言った。『なぜ安息日にしてはならないことをするのだ』するとイエスはかれらに言う。……中略……『安息日は人のためであって、人が安息日のためにあるのではない。だから人の子は安息日の主である』」(マルコ二・二三〜二八)
弟子が咎められたのは、他人の畑の麦を摘んだことではなく――この程度のことは許されている――聖なる安息日、一切の作業の禁止の日に、労働をした点である。手で麦の穂を摘むのは、すでに刈り入れの労働だというのである。イエスが安息日の掟を無視したということはその他にもさまざまな形で伝えられている。そしてそこに一貫しているのは、「安息日は人のため」、すなわち律法は人のためであって逆ではない、ということなのである。
イエスは聖書の権威を、文字の権威だとは決して考えない。聖書が尊いのは、それが神の意志を証示するからである。ほんとうに尊いのは後者であって、神の意志がそのつどとる形を誌した文字自体ではない。だからイエスは律法主義から、換言すれば、聖書主義から自由である。問題は人がそのつどおかれた状況で、神の意志をどう把握し、それにどう従うかということであって、聖書の解釈や適用ではない。この点に、イエスと聖書学者とが最も鋭く対立する点がある。
しかし「律法は人のため」と言ってもその人とはどの人か、これは肝要である。人間尊重を旗じるしとする思想は多い。しかし人間性とは何であろうか。およそ人のする事は一切、どんなことでも、人間の否定すら、人間的なのだから、ただ人間を尊重すると言ったのでは何を尊重し何を批判するのか少しも明らかではない。イエスの言う人とは、神に創られ、受容され、その定めのもとに置かれ、立てられた人のことである。自己によらずして立てられ、自らによらずして他者とのかかわりの中に置かれ、共に在るべく定められ、この定めに自覚的に服従する人のことである。律法はそのような人のためにある。逆ではない。
そして神の意志は、聖書に由らずとも、認識されるのである。なぜなら、その認識は信条でもなく盲信でもない、事実を事実として認めることにほかならないからだ。もちろん事実を認めるのは生やさしいことではない。浅い認識も誤った把握もありうる。しかし神の意志は原理的に認識しうるのだ。聖書は本来、自らを超えて、自らの根拠をさし示し、読者をこの根拠そのものに向けるはずのものだ。しかし律法主義は聖書の文字を究極の拠りどころとしてしまう。時代的制約の下に書かれた聖書が事実に反したことを誌していてもそうなのである。これではもはや動きがとれない。しかしたとえばイエスは言う。「人の外から人の中にはいるもの(食べものなど)で、人を汚すものはない。人の中から外へ出るものが人を汚すのだ」(マルコ七・一五)これはレビ記的な穢れ・潔めの思想、古代的宗教・祭儀一般に通ずる観念の否定・超克である。聖書に何と書いてあろうと、汚さないものは汚さない。事実は事実であって、文字にまさる。そして人は事実を確認することが出来る。この革命をへない古代的宗教が現在の世界でもなお人を潔・不潔の呪縛の下において、さまざまな不合理が健康な人生を圧迫している事実を見るとき、我々もまた断固として文字から事実へと眼を向けることを絶えず学ばなくてはならないことを知るのである。
イエスの宗教は事実とその認識の上に立っている。ここに彼の自由がある。あるものをあると率直に認めるとき、我々は自由なのだ。あるものをないと思わされ、ありもしないものをあると言わされる。これは他律である。この意味で、「あるものをあるとしなくてはならない」という規範――これは規範である――への服従は、そのまま自由なのだ。シュタウファーは、イエスの言葉には「服従」という単語がないのが特徴的である事を指摘した。この指摘は正しい。神の「支配」を説く人が人の「服従」を言わないのはたしかに注目に価する。思うにこれは、イエスにおいて神の「支配」への服従は、そのまま同時に自由であるからだ、だからイエスは、神の支配から切り離された、抽象的な人間の自由や主体性については語らないのである。
イエスは律法を否定せずしかも律法主義から自由であり、自由でありながら律法の要求をこの上なく厳しく説き明かす。このことはただイエスが律法の文字ではなくその根柢にある神の支配、神の定めの事実から語ったとするときにのみ理解される。本節のはじめの問題にかえるなら、イエスにおいては、人は律法の定めを行なうことによって永遠の生命にいたるのではない。むしろ、逆に、まず人が神によって置かれ、立てられ、受容され、要求されている事実があり、この定めに自覚的に従うか否かが、生命と死への分かれ道なのである。人はまず創られ、置かれ、立てられ、すなわち受容され肯定されている。彼が何かをする以前にそうなのだ。だから「何をするか」が人の条件なのではない。人の行為は神に受容された人間が、同時に神の定めのもとにある存在として、神の要請に従うところに成り立つ。だから人は、悔い改めて神のもとに立ちかえる事をゆるされるのである。赦しが先にある。神が父である事が、人が立ち帰ることを許される根拠なのである(ルカ一五・一一以下)。この点を看過して、自らの行為で自己を神の前に立てようとするなら、イエスはその虚しさをあばき出さずにはおかない。
(D)神の支配
我々は以上の諸節でいつも、我々の存在を根柢から支える定めに目を向けざるをえなかった。事柄上、イエスの言う「神の支配」はこの定め以外のものではありえない。実際また「人生」は神の支配を求めることの上に成り立ち(ルカ一二・三一)、「愛」は神の戒めであり(マルコ一二・二八以下)、「律法」はそれ自身神の要請にほかならない。
この「定め」は単なる外からの要求ではない。これへの服従がそのまま人間の自由を構成するような定めであり、その定めは人間が創られ、立てられ、置かれている事実に属するものとして、同時に「恵み」でもあるのだ。
存在をこのような「定め」からとらえるということ、これは全くヘブライ的と言わなければならない。ヘブル的思考の伝統は、存在を静止的・恒常的・永遠的な有としてではなく、むしろ「生起・生成」の観点からとらえる。存在は歴史であり、歴史は神の定めに、あるいは服しあるいは反逆する人間が織りなす綾である。「真理」と訳されるヘブル語「エメト」は、アーメンと同じ語源で、無時間的な有ではなく、「必ず生起するもの、きっと自己を実現するもの」のことである。神の言葉が、また律法が「真」であるとは、それらは必ず成就し、実現されるということなのである。
我々の問題である「定め」もこれに同じい。それは人間の存在そのものを構成する定め、それゆえ「神の支配」であり、その定めはまた必ず成就し、実現しなくてはならない。とはいえ、それは「定め」とはいっても、実定法のような特定の内容を持つものではない。それは実定法の根拠であって、ゆえにその定めは人生の「何のため」、愛の「何故」、律法の「何を行なうべきか」を否定するものである。すなわち、人間が特定・具体的内容の、それゆえ限定された「何のため」、「何故」、「何を」を自己の存在の支えとみなすたびに、それを否定し消滅させるものなのである。その意味で、「神の支配」は仏教的な「無」に通じるものを持つといわなくてはならず、我々は実際、野の花についてのイエスの言葉が「無心」にふれて来ることをみた。天然自然の純粋な発露が無心ならば、神の支配への「服従即自由」も無心だといえる。事実、イエスは、人間の行為に成心をさしはさむことを排するのである(マタイ六・一〜八)
このような定め、それ自身人間に対する神の側からの偉大な肯定であるゆえに、人の成心をさばき、自分で自分を立てようとする矮小な肯定を滅ぼして、自らを成就せねばやまぬ定め、あらゆる業や思いに先立ってあり、人の存在そのものを構成する定めの事実、これがイエスの言う「神の支配」であり、実際こう解するときに、イエスの「神の支配」に関する言葉は全体として理解されるのである。
第一に終末論と倫理の関係についていえば、倫理は、この定めに対する人間の自覚的服従として解されることは、上述の通りである。そして、イエスがあらゆる人に、端的に成り立ち、実践されなくてはならぬものとして、人生・愛・社会に関して、倫理を説いたのは、あらゆる人がこの定めの下におかれているからにほかならない。イエスはこの定めをはっきりと認識し、告知する。倫理は「神の支配」を根拠として成り立つ。
第二に、「神の支配」の現在性と将来性の関係については、イエスがこのような倫理を語ったことそのことが、イエスの考えでは神の支配が、神の側からの、人に対する定めとして、要請として、現在することを意味する。すなわち神の定めは今・現に、人に対して妥当しているのだ。もちろんそれは、目に見え、手にとって、これがそうだ、あれがそうだといえるような世界内の一存在としてあるのではない。しかし神の支配は人の存在にかかわる。審きとして、また恵みとして、現在する。「神の支配は君達の中にある」(ルカ一七・二一)
そして神の支配は今すでにその力をあらわし始めている。この世を覆う悪霊の支配を打破して自己実現をはじめ、イエスにおいて働いている。「もし私が神の指(マタイ一二・二八では神の「霊」)で悪霊を追い出しているのなら、神の支配は君達のもとに臨んでいるのだ」(ルカ一一・二〇)「まず強いものを縛らなければ、誰も強いものの家にはいって家財道具を奪うことはできない」(マルコ三・二七。)だから悪鬼追放は、サタンの力が破られた徴《しるし》である。
しかし神の支配はまだまだかくれている。むしろ、人は神の支配の事実を知らない。しかし「悔い改め」て、神の支配に自覚的に服する人は神の支配のもとに「入る」と言われる。「悔い改める」とは、イエスの場合、それまでこの世界内の何かを拠りどころとして生きようとしていたのを、それから手を放し、神の支配そのものの下に服するようになることである。この事実を認めず、文字を究極の拠りどころとする律法学者たちは「神の支配を閉ざして人々を入らせない。自分も入らないし、入ろうとする人を入らせもしない」(マタイ二三・一三)。また金持ちが神の支配のもとに入るのも難しい(マルコ一〇・二三)。他方事柄をわきまえた律法学者は「神の支配から遠くない」(マルコ一二・三四)のである。律法学者だから滅びるのでもなく、また救われるのでもない。問題は事柄をわきまえているか否かということなのである。だから悔い改めた遊女・取税人は、よしんば彼等がまともな人とは思われていないにせよ、実は事柄をわきまえない学者たちより先に神の国に入る(マタイ二一・三一〜三二)
神の支配はイエスにおいてあらわに働き、自覚されている。しかしイエスは、イエスが神の支配をもたらしたのだとは言っていない。イエスが倫理をすべての人に妥当するものとして語っている仕方は、逆に、神の支配は現にすべての人に服従を要求していること、しかしひとびとはまだそれに自覚的に服していない、ということを示している。
しかし神の支配はイエスにおいて見出だされ告知されている。それは必ず実現し自らを貫徹しなくてはやまない。「神の支配は何に似ているだろう。どんなたとえで言い表わそうか。芥子《からし》種のようだ。地に播かれたときは地上のどんな種より小さいが、いったん播かれると成長してすべての野菜の中で一番大きくなる」(マルコ四・三〇〜三二)。「天の支配(マタイは「神」という言葉をさけて「天」と言う。マタイは「神」という言葉をおそれおおくて口にしない)はパン種のようだ。女が三斗の粉に混ぜると全体が発酵する」(マタイ一三・三三)
神の支配は、人間が作るものではなく、逆に人の存在は神の支配を根柢として成り立つ。だからその実現は人手を借りてなされるのではなく、「天然自然」なのである。「神の支配はこういう具合である。ある人が地に種を播き、夜昼寝たり起きたりしていると、その人が知らないうちに種は芽生えて成育してゆく。地は自然に実を結ぶのである」(マルコ四・二六〜二八)
やがて神の支配は自己を実現しおおせるであろう。それはすっかりあらわとなるであろう。そのとき、この世を支配する悪の力は滅ぼされなくてはならない。この世が悪の勢力の支配下にある限り、そしてまた悪がこの世で圧倒的優勢を誇る、その手懸かりがこの世界の成り立ちそのものにある限り、つまり旧約とそのラビ的解釈に従えばこの世界はアダムの堕落以来その栄光を失っている(イエスもそのことを前提として思考したであろう)限り、神の支配の貫徹は、この世界を滅ぼし、新天新地の再創造として起こらなくてはならない。マルコ一三章の終末論が、どの程度イエス自身に由来するかは疑問であるし、イエス自身は終末論を説かなかったという説もある(シュタウファー)けれども、イエスがこのような神の支配の自己実現を確信し待望したとすれば、その思想は当時の黙示文学的終末論の衣装を着て言表されたことは、充分考えることが出来るのである。
このようにしてあらわれた、終末時の神の支配の完成の姿、これはもはや単なる神の「支配」ではなく、その支配に服する人間と、支配の及ぶ領域とを含むがゆえに、この場合は神の支配でなく神の「国」と訳すのがより適切であると思われる。実際、終末のかなたにあらわれる神の支配の完成についてのべる言葉は、神の「国」と訳してよく当たる。「君達は、アブラハム、イサク、ヤコブまたすべての預言者が神の〈国〉の中にいて、君達が外に放り出されているのをみるとき、嘆き歯がみするだろう。そして人々が東西南北からやって来て神の〈国〉の中で宴席につくだろう」(ルカ一三・二八〜二九)
このようにして、イエスの説く神の支配が一面においては現在的であり、他方その究極的実現(すなわち神の〈国〉)が将来に待望されるのは自然に納得出来るのである。
それでは神の国と人の子とイエスとの関係はどうであろうか。超越的・内在的な神の支配は、その支配に服する人々を、そこですべての人々が互いにかかわりの中におかれ・在る共同体へと結び合わせるはずである。それは我々がすでに「愛」と「律法」の節で見た通りである。とすれば、旧約的思考の伝統に根ざす集合人格的表象がここに働いて、イエスが神の支配そのものと、それに服する人々とを、一人格として表象して「人の子」と呼んだことは充分考えられるところである。事実、そのように解して、「人の子」に関するイエスの言葉はよく了解される。実際また、「人の子」は当時の考え方では、この世に先立ってあり、今かくれていて終末時にあらわれる形姿であってみれば、それはちょうどイエスの「神の支配」と一致するのである。
だから「人の子」の顕現が神の「国」出現と結びついて語られるのは不思議ではない。マルコ(一三・二六)や、マタイ(二四・二七、二四・三七、さらに一六・二八、二四・三〇)、ルカ(二一・二七、三六)を全体として見るとき(第一節(A)で論じたように、伝承を全体として見るということが、私には極めて重要なことだと思われる)、そしてまた「人の子」の思想がイエスの思想全体にとって決して異物ではないことを考え合わせるときに、人の子の顕現と神の国の出現との結びつきはやはり否定出来ないと思われるのである。この場合、当然イエスは人の子を三人称で語ることとなるのである。すなわちイエスは自分と「人の子」とを区別しているのである。
それだけではない。「人の子」という語句には、地上で現在働いている「人の子」にかかわるものがある。これも、神の支配の人格的表象が「人の子」だとすると、少しの困難もなく理解される。すなわち、イエスは、「人の子」の全き顕現は将来に待望したけれども、神の支配の働きは、現在においてすでに自覚しているのである。イエスは神の支配の現存を認識し告知する。だからイエスが神の支配に自覚的に服して行為している限りでは、イエス自身の行為は神の支配=人の子の行為なのであって、イエスは自分の行為を人の子の行為として宣言することができる。ちょうどパウロが自分の言葉を聖霊の言葉として語ることができたように(Iコリント七・四〇)。また預言者が自分の言葉を神の言葉として語ったように(旧約中多数)
「人の子は地上で罪を赦す権威を持つ」(マルコ二・一〇)とか、「人の子は安息日の主である」(マルコ二・二七)というような言葉はこうして理解される。(神の支配から切り離された)人が勝手に律法を破ったり罪を定め、赦したりできるというのではなく、神の支配に自覚的に服している限りの人にそれができるのであり、イエスはまさにそのような人なのである。そしてこのような人は、神の支配が貫徹されていないこの世では、まさに彼だけが神の支配に服しているがゆえに、「狐に穴あり、鳥にねぐらあり、されど人の子は枕するところなし」(ルカ九・五八)と言わねばならなかったのである。こうしてイエスは以上のような意味で自分と人の子を結びつけることが、殆ど同一視することができる。「神から離れ罪におちたこの世で私と私の言葉を恥じる者は、人の子も父の栄光に包まれ聖なる天使を連れてあらわれるとき、彼を恥じるであろう」(マルコ八・三八)
こうしてイエスと神の支配と人の子の結合が存在する。このことは、原始教団のキリスト論の形成にとって重要である。原始教団は、イエス自身におけるイエスと人の子の区別を忘れて、イエスと人の子とを無差別に同一視した。このことは福音書伝承に歴然たるあとを残している。こうしてたとえば「人の子」の受難・死・復活を語る言葉ができた(マルコ八・三一以下等)。すなわちこの言葉はイエスと人の子を全く同一視しているのであって、これはイエス後の原始教団で成立した事後預言であり、イエス自身に由るものではないと考えられるのである。イエスの弟子たちは、イエスの死後、「神の支配」を見出だした。かれらは、そのときイエス的に生きることを始め、イエスの言行を理解したがゆえに、今や彼等をそのように生かす「神の支配」そのものをイエスの復活体だと解したのだ。すなわちイエスが復活してその力がかれらの中に働いていると解したのである。こうして弟子たちは、「神の支配」とイエスと「人の子」とを同一視するに至った。このイエスを彼等はキリスト(受膏者、救世主)と告白する。これが原始教団のキリスト論の出発点となる。それだから、原始教団は、「復活のキリスト」を宣べ伝えた。すなわちイエスが神の支配と呼んだリアリティを「復活のキリスト」と呼んで告知したのである。だから原始教団はキリストを宣べ伝え、それだけ原始教団の用語では「神の支配」とか「人の子」という言葉は後退するのである。事実は全く同じリアリティを告知しているのにもかかわらず。
さて神の支配は人を真に人たらしめる根柢なのであるから、何よりも大切なのである。「天の支配はこういう具合である。ある人が畑の中に宝が隠されていたのをみつけて、そこにそっと隠しておき、喜んで去り、持ち物を全部売り払ってその畑を買った。またこういう具合である。良い真珠を探している商人が価値の高い真珠をひとつみつけた。彼は立ち去って持ち物を全部売り払ってそれを買った」(マタイ一三・四四〜四六)。「君の目が君をつまずかせるなら切って棄てよ。片目で神の支配にはいるほうが、両目を備えて地獄《ゲヘナ》にほうり込まれるよりましだ」(マルコ九・四七)。それは実際、生命より大切なのである(ルカ一四・二六、一七・三三)
しかし神の支配に服するとはどういうことであろうか。それは律法主義と同じ権威主義・他律のもとにおかれることなのだろうか。
ブルトマンに由ると、イエスの思想においては、人間はいつも決断の状況におかれている。人間は、律法や富によりかかり、これを究極の頼みとすることはできない。人間にはいわば空中にほうり出されたようなところがあり、人間がおかれるそのつどの状況の中で、すがるものもなく、自分自身を択びとっていかなくてはならない(ブルトマン『イエス』)
ブルトマンのいうことはたしかにある意味で正しい。すなわちイエスの考えでは、人間はこの世界内の相対的な存在に、よしんばそれが神の言葉としての律法であろうと、依り頼むことはできない。それに具体的実践の指針をすべて仰ぐことはできない。それだけではない。前述のように、神の支配の内容も、ひとつの具体的内容をもつ命題に表現できるものではない。さらにわれわれはブルトマンに加えて以下のような状況を考え合わせることができる。イエスの倫理は上述のように、愛・人生・律法(社会)に関するものに分類することができる。このことをつきつめて考えてゆくと、イエスはこの三つの人間のあり方を統一するあり方について語ってはいないことがわかる。イエスはたしかに愛が最大の戒めであるとは言うが、これを律法全体の基礎におこうとするのはむしろマタイである(二二・四〇。この言葉は福音書記者マタイに由る)。事柄上からいっても、人間存在の三つのあり方、つまり対人関係におけるあり方、個人としてのあり方、社会の一員としてのあり方は並存するものであって、どれかを他のどれかに従属させたり、包摂したりすることはできない。その限り、われわれは常にあらゆる状況において、いつもこの三つのあり方のどれをどれだけ択ぶかという緊張の中におかれ、我々の行動はそのつど決断の事柄とならざるをえない。すなわち、我々は常に愛する人のため、自己実現のため、社会のため、という三つの「ため」の緊張の中におかれて、そのうちのどれをどの程度択ぶかはそのつど決断しなくてはならないのである。
それゆえ、やはり主体性が、つまり決断における自由が、換言すれば自由に自己をそのつど択びとることが、人間の本質であり、それゆえまた「実存は本質に先行する」(サルトル)のであろうか。イエスは「実存主義者」なのであろうか。
私にはやはりそうではないと思われる。決断は神の支配に制約される。その制約は決して人間に盲目的服従をしいるのではない。逆に神の支配は、人をほんとうに自由にして、物事を正しく、率直に見させるものだ。しかし人間の決断は、あるべき人間の制約のもとにある。人間存在の構造に規定されている。この構造は、イエスより原始教団においてのほうがもっと反省され、明らかとなっているし、そのことは後述しよう。いずれにせよ、私が私であるのは私によらず、私は私の思いや業に先だって創られ、他者とのかかわりの中におかれ、共に生くべき定めの中に立てられているという制約を、イエスはすべての思考と行動の基にするのである。上述の三つのあり方の中での決断も、やはり原理的に、人はかかわりの中に置かれているという制約をこえる事はできず、むしろそれに規定されているのである。だからもし神の支配を、人間の「本質」と言わず(本質は抽象的一般のようにとられるから)、本書ですでにしばしばそう称したように「根柢」と言うなら、「根柢は実存に先行する」と言わなくてはならないのである。
しかし、この事と矛盾することなく、人間は自由であり、自己自身を自由に択びとらなくてはならない。そこで人が神の支配に服さず、逸脱して罪に陥る可能性はやはり常に存在するのである。ここで安心のできる人は一人もいはしない。だからイエスは自らも祈り、人にも祈ることを教える。いわゆる主の祈り(ルカ一一・二〜四、マタイ六・九〜一三)がどこまでイエス自身に由来するかは確言はできないにしても、この祈りはイエスの考え方全体と一致する。ここでは何よりも神が重んぜられること、我々の生存が守られること、神と人、人と人同士のかかわりが保たれること、罪に陥らぬことが祈り求められるのである。
一言でいえば、イエスは神の御意が成ることを祈るのである。イエスは神の支配の存在を告知し、その実現を待望する。祈りとは、自らの意志や信念や思想ではない、神の御意の実現を肯定し、自らそれに参与しつつ、その全き実現を望むのである。他方、祈るとは、自ら神の支配に参与せず、それからはなれる可能性を告白することにほかならない。このように祈るイエスはただの人であった。人以上でも以下でも以外でもない、ただの人であった。そしてただの人のあたりまえの生き方をもっとも真実に具現した人であった。実際イエスほど、ただの人間の栄光と卑賎とを、あらわにした人がかつてあったろうか。そしてただの人とは、すべての人がそうでなければならないのだが、神の支配のもとに服する人のことにほかならない。しかし原始教団はイエスを「キリスト・神の子・神と等しき者」とした。それはどう解すべきなのだろうか。それを次章でもっと立ち入って検討することにしよう。
3 原始教団の思想
〈1〉観点と方法
原始教団の思想には当然福音書を生み出した立場、すなわちイエス中心主義が含まれるが、これはすでに第一章でふれたので、本章の問題は、キリスト中心主義の思想の理解である。はじめに新約思想解釈の問題点にふれておくことにしよう。
一般のキリスト教的常識からすれば、聖書は信じるものであって理解すべきものではない。理解できないところが聖書の聖書たるゆえんなのである。しかし我々はあえて理解を試みる。聖書といえども人間が書いたもので、それが人間に解らないはずはない。
こういうとすぐ、信仰の立場は人間理性の立場とは違うのだと批判される。たしかにそういうことはあって、我々もこの区別を無視するわけではない(第四章〈2〉参照)。しかしそれは、「信仰とは聖書の言葉を無批判・無理解のまま真実として奉ずることだ」ということではない。信仰の立場とは、聖書を書いた人々がふれたリアリティに我々もふれるということである。そうすれば、我々は聖書に共感もし、また聖書記者たちがなぜあのように考え、かつ語ったのかを理解することができる。ある作品を理解するとは、かつてある人に働きかけ、その人を動かして作品を書かせた当のリアリティに、我々自身もふれることなのである。そのリアリティが我々にも働きかけ、我々をも動かす。我々がその働きを確認するときに、我々は同じリアリティにふれている作品を理解する。恋の力にふれた人が、恋から生まれた作品を理解するのである。そのとき我々は、作品に共感し、その作品は我々が書いたものではないけれども、我々もたしかにその作品と同様な言葉を発することができると思う。その程度に従って我々は作品を理解するのである。
これは一般的な原則であって、聖書を理解するのも本来同じようにして可能でなくてはならない。聖書記者が「復活のキリスト」と呼んだリアリティにふれた人は聖書の言葉を理解する。ただこれに「理解」をはばむ特殊の事情がある。すなわち一般のキリスト教的常識は、「イエスが我々の救済のために死に、復活した」ことをまず信ぜよと言うのである。
つまり、繰り返すが、キリスト教では歴史的事件が救済の根拠なのである。イエスが存在し、死に、復活したから人間は救われる。そして使徒たちはイエス復活の証人である。復活の事実は証言によってのみ知られる。だからイエスの復活に立ち会うことの出来ない我々は使徒の証言を理解ではなく信じるように求められる。信じない者は滅びる。だから使徒の証言を中心とする聖書の言葉は権威となり、キリスト教は排他的絶対性を主張することとなる。
しかし、イエスの復活ということはただ信じるよりほか仕方がないものだろうか。むしろ、復活信仰の成立ということは、やはり人間的な出来事であり、我々は、どうして復活信仰が成立したのか、なぜイエスの弟子達が、イエスは復活したと考えたのかを、立ち入って考察し、理解し、説明すべきではないのか。たしかに従来この説明は充分成功しなかった。しかし我々はあえて解明を試みてみよう。「イエスが復活した」という命題は、使徒の場合といえども解釈ないし推論を含んでいる。「使徒にあらわれたリアリティはイエスの復活体だ」という判断は、使徒たちの思考の結果なのである(後述のように、使徒はイエス復活の現場に立ち会ったのではなく、空虚な墓は伝説であり、使徒にあらわれた「キリスト」は、肉体的な存在ではない)。だから使徒たちがふれて「復活のキリスト」と呼んだリアリティに我々自身がふれることによって、すなわちそれを考察することによって、我々はどうして使徒たちが「イエスの復活」を語ったかを理解し、批判的に理解できるはずなのである。
新約聖書の批判的理解ということではR・ブルトマンの方法が重要である。彼はこの方法を「非神話化=実存論的解釈」と名づける。簡単に説明すると、ブルトマンによれば新約聖書の考え方は神話論的なのである。神話論的というのは、彼岸の事柄(神というような超越的存在)を此岸の類比で考える仕方のことである。たとえば超越の世界は「天」として空間的に表象される。だから一般に新約聖書が描く古代的・神話論的な世界像はそのままの形では今日通用しない。それは真理ではないとして批判されなければならない。しかし他方、聖書はだからといって全く非真理なのではない。聖書はやはり今日にも妥当する真理を語っている。それは何かというと、新約聖書の古代的・神話論的な言い方が含んでいる実存理解である。つまり聖書が人間の本来のあり方をどのように把握しているかが問題なのであって、聖書が持っている実存理解は、今日やはり真理なのである。ブルトマンはほぼこのように考え、従って彼は聖書が人間実存をどう把握しているかを取り出そうとして、この方法を前述のように非神話化=実存論的解釈というのである。
ブルトマンの問題提起の正しさは、思うにだれも否定出来ないであろう。特にキリスト教の内部からこのような批判的理解の要請がなされたのは意義深い。
しかしこの方法は充分ではない。詳論することは出来ないが、ブルトマンは聖書が持っている実存理解(つまり実存に関する使徒たちの自覚・意識)を直接の問題として、いきなりこれを現代の規範にしようとする。つまり聖書の実存理解が成り立つ根拠を掘り下げて問わない。聖書の実存理解の底にあるもの、つまり聖書が「復活のキリスト」と呼ぶリアリティそのものを考察しない。だからブルトマンは「復活」信仰の成立をも問題にしない。彼はただ、イエスの墓が空になった話は伝説であり(これは正しい)、復活者が使徒にあらわれたのは幻覚だという(これは後述のように全く不充分である)にすぎない。しかるに復活信仰の成立こそ、「史的イエス」と「信仰のキリスト」のつなぎ目なのだ。宣教者イエスが、キリストとして宣教されるようになった転換の底に、「復活」がある。だからブルトマンは、一体どのようにして史的イエスの宣教から、原始教団のキリスト信仰への転換が起こったのか、どのようにして原始教団の思想が生まれたのかを全然追跡しないことになるのである。
もちろんブルトマンは偉大な新約学者であり、彼の業績があったからこそ、右のような問題が、問題として明らかになった点があるのである。しかし我々は、ブルトマンに導かれ、問題の所在を教えられながら、原始教団の思想を問い、その成立の過程を辿ってみよう。
そのためには我々は複雑多様な、そして互いに矛盾し合っていさえする、新約聖書思想を分析整理しなくてはならない。そしてその相互関係を問わなくてはならない。これも従来必ずしも成功していない課題である。このために私は類型論的分析の方法をとる。これは私が『新約思想の成立』(一九六三年初版、新教出版社)で提唱した方法である。宗教思想を統一的に把握する前段階として、まずそれを類型に分けるという着想は、波多野精一の宗教哲学の方法に負うところが大きいが、それを新約聖書に適用し、具体的に類型を取り出したのは私の責任に属する。しかし本書では詳細な方法論的議論や、分析の実際的なやり方に立ち入ることはできないので、興味のある読者は前掲拙著を参照していただければ幸いである。
〈2〉原始教団の思想の分析
(A)神学A(共同体性)
Iコリント(一五・三〜五)の「伝承」は、パウロ自身が受けたもの、またパウロがコリント教団に伝えたもの、パウロが宣べ伝え、信徒がこれを信じて固く保てば救われる「福音」である。すなわち「キリストは聖書に従って我々の罪のために死に、葬られ、聖書に従って三日目に甦《よみがえ》り、ケパ(ペテロ)にあらわれ、その後十二人(の使徒)にあらわれた」という。
この「伝承」は上述のようにパウロ自身が原始教団から受けたものであり、また「我々の罪のため」というような用語(これは律法を前提し、律法違反を罪と考える)や、「聖書に従って」というモチーフ(これは旧約聖書を前提し、キリストの出来事を旧約的預言の成就と考える)などから、ユダヤ人キリスト者から成るエルサレムの原始教団で形成された、キリスト論的定型句であると考えてよい。パウロが引用している以上、この定型句はパウロ以前、おそらくはパウロの回心(三三年ごろ)以前に成立していたと思われる。すなわちこの定型句は使徒的宣教の最古のもののひとつであると思われる。この定型句は、ユダヤ民族に律法が与えられたこと、しかしユダヤ民族はそれを守らずに罪におちていること、キリストはその罪をあがなうために十字架上で死んだこと、そして復活したこと、これらキリストの出来事は(旧約)聖書の預言の成就であることを告げている。
この「伝承」は内容上、同じくパウロ以前に成立した定型句の引用とみられるローマ(三・一三〜二五)と一致する。「すべての人は罪を犯したので神の栄光を受けるに足りない。彼等は、価なしに神の恵みにより、キリスト・イエスにある贖《あがな》いを通して、義とされる。神はキリスト・イエスを、その血による、信仰を以て受くべき、贖いとした。それは、神は忍耐をもってこれまでに犯された罪を見逃していたので、神の義を示すためである」。但しここにはパウロの加筆があるとみられる(ブルトマン、ケーゼマン)。すなわち「神の恵み」「信仰による義」はパウロ的なのである。
このような考え方の中心問題は「義」であるから、当然キリストが審判者として再臨するという考えが内容上この考え方に結びつく。このような具合に上記の「伝承」と結びつく考えを集めて整理すると以下のようになる。
「神はユダヤ民族を選び、これと契約を結び、律法を与えた(ローマ九・四〜五)。この契約と律法に基づいて、人は本来律法を守るべきなのであり、律法を全うすることによって義とされるはずである(ローマ二・一三、ガラテア三・一〇、一二後半)。なぜなら神は業に従って報いるのであるから(ローマ二・六、九〜一一、Iペテロ一・一七)。しかるに人は律法を守ることができず、律法に叛《そむ》いて罪を犯し、神の栄光を受けるに足りない(ローマ一・一八〜三・二〇、二三、ガラテア三・一〇、一一前半)。人は罪の罰として死ぬべき定めのもとにある(ローマ一・三二)。古い契約以来神は忍耐をもって人の罪を見逃し、決定的な裁きを行なわなかったが、今や契約への誠実、すなわち神の義をあらわし、また他方人の罪を赦して義とするために、神はイエス・キリストを立て、その血によってあがないとした(ローマ三・二四〜二五、四・二五、エペソ一・七、五・二、Iペテロ二・二四)。イエス・キリストは復活し(Iコリント一五・三、ローマ四・二五)、イエスの血によって神と人との間に新しい契約が結ばれた(マルコ一四・二四、Iコリント一一・二五)。このようなキリストの出来事は聖書の預言すなわち神の定めの成就なのである(ルカ二四・二五、二六、ローマ一・二、IIコリント五・三、IIコリント一・一九〜二〇、Iペテロ一・一〇〜一一)。こうして新しい神の民が成り立ち(Iペテロ一・一九〜二〇)、ここには新しい倫理が妥当する(ローマ八・四、一二〜一三章)。しかし倫理はもはや絶望をもたらさない。義とされて我々は来たるべき神の怒りから免れることができるのである(ローマ五・九)。やがて終末となり、イエス・キリストは再臨し、審判がとり行なわれ、彼に属する者は復活し栄光に入る(Iテサロニケ四・一五以下、ヨハネ黙示録二〇〜二一章)。こうして神の国が来る。(Iコリント一五・二四)
以上の考え方の特色は、救済史的構造を持っていることである。救済史とは、人に対する神の救済行為の歴史のことであるが、上の考え方は、ユダヤ民族の選びに始まり、イエスの十字架.復活が中心となり、終末、神の国の到来に至る歴史を語るのである。このような考え方を神学Aと呼ぶことにしよう。この神学は前述のように初期のエルサレムの原始教団にはじまるもので、右の引用個所が示すように、ほぼ全体にわたってパウロに含まれている。この神学のはじまりは上述のようにパウロ(の回心?)以前にさかのぼるが、この神学の展開にはパウロも関与したのであろう。
この神学の諸概念は共同体的である。ユダヤ民族の選び、契約、律法、律法違反としての罪、民族の運命にかかわる預言、贖罪、義認、新しい契約、新しい神の民、新しい倫理、終末の審判、神の国などの概念は共同体的なのである。実際キリスト教の母胎となったユダヤ民族の思考においては、共同体的な面が強く前面に出ていた。神と民族との関係がその中心的主題だったのである。神の前における民族の存在と運命とが中心的テーマであったからこそ、彼等の思索はまた救済史観の形をとった。このような考え方の伝統の中にあり、ユダヤ教を母胎としたエルサレム原始教団でできた神学Aが共同体的であるのは不思議ではない。
とはいえ、この共同体性は近代的な、政治経済を中心とする社会性とは異なる。神学Aでは罪の問題が実存的に問われているのである。だからむしろ、神学Aの問題は共同体的実存の事柄であるといった方がより適切であろう。つまりここで人はまず人間の本来性を律法の遵守にみるのである。神の命令である律法の成就を本来的実存の条件だと考えるのである。そこで人は律法を守るために、まず律法を学び、知り、これを生活の全体にわたって適用して、あやまるまいと努める。これは律法主義のあり方である。
しかしまず律法を学び知ること、次にそれをあやまりなく適用すること、つまり律法を守ることは事実上不可能なのである。行動全体を律法主義的に規制することはできない。またそもそも律法主義には一面的な他律性が優越するゆえに、全人格が関与することはできないのである。後天的に学習・形成されたプログラムに従って大脳皮質が全人格を統御することはできないのである。律法主義において決定的なのは、律法と自己との関係なのである。律法の文字が他律的に肯定せしめられている。行為はこの場合、文字への服従から発するのであって、自分と共におかれた他者への全人格的な肯定とかかわりから自発的に行なわれるのではない。この時、人間は事実上、全人格的に行為することはできない。にもかかわらず律法主義は、律法の行を人間に強制するのである。
こうして人格の中に分裂が起こる。一方には律法的努力があり、他方では律法を守れなかったことに対する罪の意識と、それに劣らず強い、しかししばしば抑圧されて意識されない、律法に対する反抗、同時にそのような律法を命ずる神に対する反抗とがあらわれ、こうして葛藤が生ずる。後者は心理的には抑圧され、これはますます律法の行への精進を生むだろう。しかし分裂は無力を生み、無力は絶望に帰する――外面的には律法主義が完成した瞬間に、人格の中には空洞ができているのだ。
ここに福音が告知される。イエスの十字架によって人の罪は一切赦された。もう律法の業は救済の条件ではない。律法を守らなくても人は神に義と認められる。だから律法主義はもはや不要である、と。この「福音」はひとまず〓神的にひびく。律法なしでよいなどということがどうしてあるだろう。律法の業を放棄したら、自分は神から離れて無律法の罪の世界へまっさかさまではないか。しかし、こういってみても自分の有り様は少しもよくならない。そこでこの福音を決断的に受容する。するとその人は律法主義の重荷から解放される。一般に「理想主義」と通称されるあり方がどんなに重荷でもあり、また人間存在を歪めるものであるか、それはひとたび律法(理想)主義から解放されて自由になってみなくてはほんとうにはわからない。律法の根柢があきらかに自覚されたとき、人は文字や主義から自由になって、人の存在の根柢自身の上に立つ。このときはじめて律法も理想もふさわしい位置を得て、正されるのだ。(ローマ三・三一、八・四)
律法主義から解放されたとき、人は律法に対して死ぬのである(ローマ七・四、ガラテア二・一九)。これは律法主義的自己が死ぬことにほかならない。すなわち、学習された律法をプログラムとして、これで自己の全行動を規制しようとするあり方の死にほかならない。このとき、人は却って真実に生きるのである(ローマ七・六、ガラテア二・二〇)。それまでは律法を媒介として、自分で自分を立て、生かそうとしていた。しかしその努力は却って死の中に自分を追いやった(ローマ七・一〇)。律法に対して死んだとき、はじめて自分が自分を立てるのではないこと、それは不可能なこと、自分は自分の業でないものによって立てられることが明らかになる。もちろん「人が自己に死ぬとき、キリストに生きる」という命題は、総合命題であって、「死ぬ」以前の人間をどれほど実存論的に分析しようと、そこからひき出せるものではない。この命題は、事実の上に成り立つのであって、新約聖書はまさにこの事実の証言なのである。「私は神に生きるために、律法によって律法に死んだ。私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのはもはや私ではない。キリストが私のうちに生きているのである」(ガラテア二・一九〜二〇)。このとき、律法主義の消滅とともに、律法主義が生んだ人格の分裂はいやされ、律法とそれを命じた神に対する反抗も消える。この反抗はたしかに、逆に神の側に投影されて、神の「怒り」という表象を生み、少なくとも強めていたのだ。そこで律法に死んでキリストに生きるとき、神との和解が成り立つ。(ローマ五・一、IIコリント五・一八〜一九)
このときに、律法は破棄されず却って立てられ、律法の要求が「霊において歩む私達のうちにおいて満たされる」(ローマ八・四)のである。律法を犯したことだけが問題だったのではない。もちろんこれも悪には違いないが、これはもともと悪しき果実、実は律法主義のあり方そのものが誤謬だったのだ。「文字は殺し、霊は生かす」(IIコリント三・六)。律法主義のあり方を放棄したとき、自分は地獄には堕ちず、自分は自分の業ではない恵みによって、立てられることが明らかとなる。キリストが自分のうちに生き、自分は霊に従って歩む。このとき却って律法の要求が真にみたされる。もちろん「キリスト」は単に書かれた文字のように自己を外から規制するものではない。それは私をあらしめ、生かし、定めるもの、すなわち自己実現の能力をもつ定めなのである。恵みであり同時に要請なのである。律法は、本来この定めが現実の社会でとる形でなくてはならない。このように律法の「文字」や理想「主義」と、それらを成りたたせる真実の根柢とを区別し、根柢自身によって立てられるとき、律法も理想も真に生きてくる。律法主義・理想主義のもとにあったときは、自分は存在の根柢から疎外されていたのである。このようにして神学Aは、共同体的存在としての人間の、実存的な死と再生を語るのである。
このような実存の変革を、再び社会的視野において見てみよう。律法は社会における秩序の契機、社会に形を与え、形を保つ原理である。秩序が存続する時社会は自己同一性を保つ。この意味で律法は社会における同一性の契機である(以下これを「統一」という)。さらにまた律法は原理的にすべての成員に対して(同一の法的条件をみたす限り)、同様に妥当するという性格のものでもある。
このように律法は社会における統一性の契機であるが、これが承認され規範化されて、社会の成員を拘束する時、初めは正当であった戒めでも、状況の変化につれて社会の成員の自由を不当に圧迫することが起こりうる。第一世紀のユダヤ民族の場合も、過去において意味のあった定めが、神の命令として絶対化された結果、歴史的・時代的状況が変化してもそのまま効力を持ち続けるという不合理があり、我々は実例を潔・不潔の規定や煩瑣な安息日の規定などにみることができる。このような規定は実際、人間の自由で批判的な事実認識と、状況に即応した行動とを、圧迫していた。このような場合、律法主義がその下にある人間にもたらす分裂と苦悩はより深くなるだろう。すなわち、律法の定めがそれ自身として正当な場合ですら律法主義は人格の中に分裂を起こす。おきてが不合理な場合はなおさらである。
さて神学Aにおいて信徒は律法主義から自由になる。彼は律法主義的自己に対して死ぬのである。そしてそのとき、「キリスト」が彼の中に生きる。こうして彼は一面では律法共同体の外へ出る。しかし他方では、彼は人間存在そのものが、その最深の根柢において、他の人間と共にあるべく定められ、人と共に置かれている事実に直面するのだ。今やその事実が彼の中に働き出す。この事実はもちろん、信仰以前の人間存在の分析から出てくるものではない。「律法を通って律法に死んだ」人間は事実として、自分が他者と共に、共同体の一員として生きるべき定めをほんとうに自覚するのである(これは信仰以前の人間の分析からはでてこない綜合命題である)。つまりはじめて定めが生きてくるのである。すなわち律法の文字ではなく、今やその事実的な定めが人を生かす。換言すれば、彼は再び社会の中に帰ってくる。しかし彼は今や、その定めそれ自身からして古い律法の文字を批判することができる。そして全人格的に肯定しうる根源的な「定め」そのものからして、それが今、この社会でとるべき新しい形を、すなわち新しい戒め(秩序)を、構想することができるのである。こうして新しい倫理が妥当することになる。実際、原始教団は、たとえば割礼を廃止した。これは同時に、ユダヤ民族と異邦人とのへだての垣を除去することを意味している。人が律法によってはじめて神に受け容れられるのでないなら、律法を持たぬ異邦人も、神の恵みに与《あず》かることができるのである。とすれば、割礼のようなおきてをいつまでも振り回して、異邦人を差別すべきではないのだ。こうしてキリスト教は民族宗教の枠を出て、人類的倫理をもつ世界宗教への道を歩み出したのである。
新しい倫理が妥当する社会は新しい社会である。すなわち、この世に対して死に、キリストにあって生きて、再びこの世の中で生きるべく命ぜられた人々の群れ、すなわち新しい神の民、「教会」である(ここで教会のメンバーは「キリストのからだ」を形成する。Iコリント一二章)。教会は世から歩み出ながら、しかし世へとつかわされた信徒の社会として、世に対して誠に弁証法的な関係に立つこととなる。教会は、世から歩み出たものでありながら、同時に世は教会とならなくてはならぬという請要(現実とはならなくとも)を持ち、それゆえ伝道し戦う教会なのである。
ここには律法主義的社会から自由になった実存が新しい社会を構想するという運動がみられるのである。新しい社会とは、そこで人々が一面真に自由でありつつ、しかも相互にかかわりの中にあるという社会である。教会において、信徒はこのようなかかわりの中におかれている。なぜなら、教会は「キリストのからだ」(ローマ一二・五、Iコリント一二章)だからだ。実はこの真の自覚は次に述べる神学Bにおいて明瞭となるのだが、事柄上神学Aの教会も同じことである。さてここで、本書全体にとってきわめて重要な概念を導入しておこう。これは本書の考え方を理解していただくための鍵ともいえるものである。すなわち以上のように、複数の成員から成り、そこで成員は互いに他から区別され、自由な成員として他者とは一面相互否定的である(たとえば相互に対していわば拒否権をもつ)けれども、しかし同時にまた相互依存的であり、同一根柢において結ばれていて、また外的な形としても全体としてひとつであるようなものを統合体(あるいは略して統体)と呼ぶことにしよう(たとえば健康な生体は統合体である。また社会も統合体である、というより、後述のように統合体となるべきなのである。もちろん、社会の場合、社会の成員である個人の相互独立性は、生体の部分の相互独立性より、程度がはるかに大きい。つまり「自由」が個人に本質的に属するのである。換言すれば、生体は有機体であるが、社会は有機体ではない。しかし統合体という概念は、有機体を含むことができる。つまり統合体にはいろいろな形式があって、有機体は統合体の一形式なのである。後述のように、人格存在も統合体なのであるが、これについても、社会統合体、個人統合体、対人統合体が区別されるのである)。以上のように定義すると、神学Aにおける社会的実存は、統合された社会を指向することが指摘される。上の定義からすれば、律法主義的社会は、それ自身、社会を社会たらしめる根柢から疎外されて、律法の文字の圧力によってのみ社会の形を保とうとしている限り、それは統合から疎外された状態であって、ここでは法律という統一性の契機が前面に出ているのである(統一性とは、前述のように、統体が自己同一性を維持する原理のことである。これは「形」や「構造」の一定性としてあらわれる。社会の場合、その自己同一性は、秩序に表現される。秩序が社会の構造、社会の形を維持するのである。律法は秩序の具体的内容を示す)。だから神学Aの共同体的実存は、自己疎外としての律法の統一性から出発して、それから自由となり、統合された社会を構想するのである。(ここでは根柢から疎外されない倫理、根柢自身が具体的状況でとる形としての、新しい倫理が成り立つ)
他方成立した現実の教会は常に疎外への傾向を持つから、ここでまた新しく統一→自由→統合という運動が繰り返されなくてはならない。(宗教改革は常に反復されなくてはならない)
だから社会的実存の運動は統一→自由→統合の繰り返し、三つの契機の相互否定的媒介、というパターンのもとにおかれることになる(以上のような統体の概念、また統一.自由.統合の相互否定的媒介ということは、拙著『聖書のキリストと実存』、一九六七年、で私が提唱したものであるが、統一・自由・統合の相互否定的媒介ということについては、田辺元の「種の論理」すなわち種・個・類の相互否定的媒介の論理に教えられたところが大きい。ただ私は、個の自由が真の深みにおいてとらえられたなら、自由な個が形成する類は、田辺元が考えたように国家となるのではなく、教会となるはずだと考える。換言すれば田辺元がとらえた個の自由は、少なくとも終戦のときまでは、なお、道徳のレベルにあって、宗教のレベルにはなかったと思われる)。そして究極の統合は終末論的希望の対象なのである。だから共同体的実存の現実の運動は決して究極の統合に達することはないが、たえず統合体形成への規定のもとにあって、統一→自由→相対的統合の運動を続けるということができるのである。そしてこのような実存の中では「キリストが生きている」のだから、換言すれば、キリストの働きの内容は、この意味での「統合への規定」であるといえるのである。我々は実際、律法主義的ユダヤ教教団→律法から自由なキリスト教的実存→キリスト教教会の形成という運動に、統一→自由→統合の一例をみることができるのである。
(B)神学B(個人性)
ピリピ(二・六〜一一)もローマイヤー以来パウロ以前(といってもこの場合はピリピ書以前ということであって、パウロの回心以前ではないであろう)の原始教団で成立したキリスト讃歌の引用であることが認められている。ただし八節の「十字架の死」はパウロの加筆である。これを除いて意訳してみると、「キリストは神的存在であったが、神のようにあることをよいことにして利用せず、それを断念して奴隷存在となり、人のさまに等しくなった。彼は事実人であって自らを低くし、死に至るまで従順であった。そのゆえに神は彼を高め、彼にあらゆる名にまさる名を与えた。それはイエスの名において、天と地と地下の諸力諸霊がみな膝をかがめ、すべての舌がイエス・キリストは主であると告白して、父なる神に栄光を帰するためである」
このキリスト讃歌の考え方と一致する語句を我々のやり方で集めて整理すると以下のようになる。「先在の神の子(つまりイエスとして人のかたちをとる以前から存在した――これを先在という――神と等しい、しかし神から出た存在)を通じて神は万物を創造した(ヨハネ一・一〜三、コロサイ一・一五〜一七)。さて「この世」にある人間ははじめから死ぬべき定めのもとにあり、そしてあらゆる人間が諸霊諸力・罪・死の力の支配下にある。これが旧い世《アイオーン》の姿である(Iコリント一五・四五〜五〇の肉的人間、IIコリント四・三〜四、エペソ二・一〜三、ヨハネ八・三一〜三六)
さて今や旧い世《アイオーン》は終わり、時が満ちて神の子は世に派遣され、受肉して人となった(ヨハネ一・一四、IIコリント八・九)。これがイエスである。彼は神に従順に生き、死に至るまで従順であった(ヘブル五・八、ローマ五・一九、ヨハネ福音書に多数)。それゆえ神は彼を死者の中から起こし、高め、諸力諸霊の支配者として万物の上においた(このことを高挙という)(エペソ一・二〇〜二一、コロサイ二・一〇、一五、ヘブル二・一四〜一五、ヨハネ一六・三三、一七・五、一〇)
高挙のキリストを主また神の子と告白して信仰においてサクラメント(洗礼・聖餐)を受けた者は主の運命に与かり、主と共に死に、ともに甦ったのであり、主のからだに組み入れられる(ローマ六・三、コロサイ二・一二、ローマ一二・五、Iコリント一〇・一五〜一七、一二・二七、エペソ一・二〇〜二三)。このキリストこそ、だれもみたことのない神を、信徒に対してあらわすのである(ヨハネ一・一八)。信徒はこうして、キリストを通して、神と結ばれる(ヨハネ一四・二〇、Iヨハネ四・一五)。信徒は永遠の生命をもつのである(ヨハネ三・一六)。さて信徒はこのようにして諸霊諸力の支配から解放され、キリストにあって生きる。信徒は肉体の死後、キリストのもとに赴き、キリストとともにありつづけるのである(ピリピ一・二三、ヨハネ一四・一〜四)。これが旧い世《アイオーン》の中に侵入した新しい世《アイオーン》の姿である。新旧両アイオーンは、形の上では相似しながら内容上は反対のもの(光と闇、生と死、真と偽のように)として、対立・対応する(ローマ五・一二〜二一、ヨハネ六・四八〜五一、Iコリント一五・二二)
この考え方――これを神学Bと名づける――の中心は、キリストの死・復活=高挙である。キリストの復活は高挙、すなわち万物の支配者たる地位への即位なのである。とすると、それ以前、世界はその支配下にはなく、悪霊・罪・死の支配下におかれていたこととなる。またキリストの高挙後は、信徒はキリストを主と告白し、サクラメントを通じて主と合一することによって、敵対する力の支配から解放され、救済される。つまりこの考え方は、論理的に一貫しているのであって、ゆえに神学Bとして神学Aから区別される。
神学Bには神学Aの意味での救済史がない。中心はキリストにおける決定的な「救済の出来事」(彼の受肉・死・高挙)であり、それで世《アイオーン》が二分される。それ以前、世は全く闇の中にあり、それ以後も、信徒(教会)の外は等しく死の世界なのである。「律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して来たった」(ヨハネ一・一七)。つまりイエス・キリストにおける救済の出来事以前には「真理」がこの世になかった。それゆえ「私以前に来たものは全部泥棒、強盗である」(ヨハネ一〇・八)とさえいわれるのである。
同様にこの神学には将来的終末論もない。終末はもう到来したのである。審判も(ヨハネ三・一八)、復活も(ヨハネ五・二四)既に現在なのである。だから信徒は死後直ちにキリストのもとに赴く。つまり死んだ信徒は直ちにキリストのもとに召されるのであって、神学Aのような復活は語られていない。さらにイエスの十字架は従順の極点としてとらえられているが、贖罪という意味はない。これら神学Aとの違いはどう考えるべきだろうか。聖書の使信は真理なのだから当然同一内容であるという前提から、聖書内に明らかに存在するこれらの相互不一致を何とかとりつくろおうとする試みは正しくない。我々はまず事実を確認するところから始めなくてはならない。
神学Bの考え方は全体がヘレニズム的であるという印象を与える。まず、死んで復活する神的存在、またサクラメントを介して信徒がこの救済神と合一するという思想は、ギリシア〜ヘレニズムの密儀宗教に多くみられるところである。救済者の派遣と散らされた光の子等の救済、という図式はグノーシスにもみられる(もっともキリスト教とグノーシスとの相互関係は一義的には決しがたい)。さらに概念性が全体として旧約――ユダヤ教的ではない。
第二に神学Bにおいては神学Aにおけるよりもキリスト論が展開されている。すなわち先在という思想があらわれて、イエス・キリストは先在の神の子の受肉者と把握されているのである。イエス・キリストが神的存在と信じられるについては、まずキリストは復活により神の御子となった(ローマ一・四)という考え方があり、それがもっとさかのぼって、生前のイエス自身がすでにそうであり(マルコ九・七)、彼は受洗のとき神の子と宣言せられ(マルコ一・一一)、さらにすでに誕生の時にそうであった(マタイ一・二三)とされる。こうしてついに先在の思想にいたる。ここに一つの発展をみることができるならば、神学Bのキリスト論は、神学Aの復活論を前提として、そこから展開したもの、つまり神学Aよりあとのものであると考えられる。
以上二つの事、つまり神学Aよりあとであって、さらに全体の概念性がヘレニズム的であるということから、この神学はヘレニズム的異邦世界で形成されたと考えるのが自然である。だからピリピ(二・六〜一一)のキリスト讃歌も、たしかにピリピ書(五〇年代中ごろ)以前のものではあっても、パウロ回心(三三年ごろ)以前とは考えないほうがよい。
キリスト教はパレスチナで成立して(使徒的キリスト教の根拠地はエルサレム、イエス中心主義のそれはガリラヤ)異邦へとのびていった。そこで異邦人キリスト者をどのように理解し遇すべきかという大問題が起こったが、これはここではふれられない。さて神学Aが異邦に伝えられたとき、そこで特にユダヤ教的な要素が後退していったことは容易に推定される。すなわちユダヤ民族にかかわる救済史(選び、契約、律法、預言)、またそれを前提する十字架の贖罪、新しい契約の思想、さらに黙示文学的な終末論が後退した。
このように神学Aは異邦では、イエスが死んで復活したという出来事の使信を中心とする神学に変容され、これはイエス・キリストが、この世に支配する死・罪・悪霊諸力に勝利した出来事と解されたのである。そこで、イエス・キリストはすぐれた意味で救済者となる。そしてこの理解を中心として、神学Bの考え方が形成されたのであろう。もとより異邦でも、神学Aが全く捨てられたとは考えられない。伝わった信仰内容はそう簡単になくなるものではない。むしろ神学Bは神学Aから分かれ、神学Aと結合しながら展開していったのであろう(パウロの場合が、後述のように、そうであった)。たとえばシリアのアンティオキアなどではそうだったであろう。さてすでに上の聖書の引用が示すように、パウロの神学には神学Aと神学Bとが結合してあらわれる。そして初期のパウロはシリアのアンティオキアと関係が深い(使徒行伝一一・二六、一三・一など)のは示唆的である(パウロにおけるAB両神学の結合については本章〈2〉(D)参照)
神学Bを実存論的に考えることもできる。神学Bの中心問題は、社会存在としての人間の義ではなく、むしろ個人としての人間の存在の問題なのである。神学Bは人間がこの世に支配する悪霊諸力、なかんずく死の支配から救済されて、キリストと合一して永遠の生命にいたることを主題としている。永生というのは個人の存在の事柄、その本来性にほかならない。
実際当時のヘレニズム世界では個人の存在の問題が大きな関心事となっていたと考えられる。死んで甦る救済神との合一を内容とする密儀宗教がひろがっていたことがすでにこれを示す。伝統的な地域共同体が破壊されて巨大なローマ世界帝国に併合されてゆく過程で、伝統的共同体から遊離した個人が多くあらわれ、その中で人々は自らの存在を問題と感じ、自らの存在のための配慮を第一とすることを余儀なくされていた。例えば古典期のギリシア思想はポリス(都市国家)を地盤としていたのであって、このことはプラトンの「ポリテイア」に典型的にみられるとおりである。そしてこの時代、自由はポリスにおける自由、ポリスのための自由であった。しかし時代が下り、新約の同時代のころになるとストアやエピクロスの哲学(これは使徒行伝一七・一八に言及されている)において自由概念は変容されている。自由はコスモポリタン的人間の、内面の自由になったのである。ここには、もはや伝統的地域共同体を生の地盤とすることのできなくなった人間が、一方では自己をコスモポリタンと自覚しながら、他方ではそれだけにばらばらな個人となっていった過程がうかがわれる。この過程はユダヤ人においてもみられるところである。しかし特に異邦において顕著であったろう。とすれば、異邦に伝わり、そこで展開した神学が、個人の存在を主題とする神学Bであるのは不思議ではない。
神学Bの問題が個人の存在であるところから、その特色も説明される。まず個人の存在が問題だから、この神学は、神学Aのような民族の歴史の展望を欠くのである。同様に個人の永生が問題だから、キリストの、死への勝利が強調されて、十字架は贖罪という共同体的な「義」にかかわる意味を失うのである。さらに、個人はすでに信仰においてキリストの存在に与かっているゆえに、個人的視野でみる限り、終末論的完成は既に現在化されているのである。信徒はもはや審《さば》かれず、死から生へと「復活」している。ブルトマンは、「ヨハネ神学はすでに実状にあわなくなっていた、ユダヤ教黙示文学系統の、将来的終末論を非神話化して、すなわち信徒の実際的経験に合致するように解釈し直して現在化した、つまり終末はすでに到来したと考えた」というが、ヨハネ神学は非神話化したのではない。ヨハネ神学はほぼ純粋な神学Bの考え方を示すが、ここでは問題が個人の存在の事柄だから、贖罪も救済史もなく、他方終末も現在化されているのである。
無力な個人が巨大で無気味な、見通すことのできない世界に投げ出されている。いつ何がわが身に起こるのかわからない。自分の運命は何か見知らぬ力の手に握られている。しかも個人はこの世界の中で自分を守り抜かなくてはならない。そして行きつく先は死なのである。このような状況が古代では運命や悪霊の支配として表象された。そこで個人は自己の存在のために配慮する。彼の中心的な問いは生命である。「どうしたら永遠の生命が受けられるのでしょう」(マルコ一〇・十七)。「君達は聖書の中に永遠の生命があると思って調べている」(ヨハネ五・三九。ヨハネ福音書がどこで、だれを相手に書かれたのかは確かではないが、非ユダヤ教的な異邦世界であることはほぼ認められている)
このような個人のあり方は生命のための配慮として規定される。それは人間の場合決して単なる生存のための配慮につきない。彼は同時に人生の意味を求める。そしてそれをみたすものを尋ね、このような人生の意味、生き甲斐が彼の生の目的なのである。そしてこの目的を――幸福であれ、安全であれ、成功であれ、あるいは激情の燃焼であれ――彼が具体的に設定し、それを彼の生の最高の目的と化する程度に従って、実は彼の生は歪み、彼とかかわる他の人々の生をも歪めるのだ。
人間の個々の具体的な行為は特定の目的を持っている。行為の動機は欲望と解されるが、自然の欲望は起こっては消えるものである。満腹したライオンは眼前の小鹿を襲わないという。自然の欲望は足ることを知り、その意味で無欲である。しかし意図的に設定された目的は消失しない。一般に観念存在は恒常不変の有という性格を持つのである。欲望の底にも、あるいは感情の底にも、観念存在である価値判断がある。これらが自然の欲望を執着に変える。つまり人間は満腹しても獲物を襲うようになるのである(観念は満腹しないから)。そして感情や欲望の底にある目的意識・価値判断が、人の存在そのものの意味だと思いこまれるだけ、この程度は強くなる。具体的な「何か」の獲得が、彼の行動全般を支配する最高目的となる。
しかし実は、人間の個々の欲求同士、特定の行動同士は、ひとつの目的のもとに系列化されることはできないのである。一方では欲求は相対的な自己目的性を具えている。眠いから眠り、空腹になるから食べ、渇くから飲む。いちいちそれが何のためという理解や判断なしにもそれは起こり、みたされれば消えてゆく。満足はそれ以上何かのためではない。第二に、ある欲求・行動は、他の欲求・行動と必ずしも直結しない。むしろ相互否定的な面を持っ。行動と休息が、一般に興奮と鎮静、緊張と弛緩がそうであり、それゆえ生活にはリズムがあるのであるが、行動の内容を考えても、仕事とレジャー、自分のための行動とひとのための行動は相互否定的な面を持つ(必ずしも同時に両立しない)。ひとつの事に熱中すると飽きが来て、次には他の種類の事、しばしば反対の性質のものをしたくなるのである。
しかし既に上の例が示すように、相互否定的な面を持つ欲求・行動同士は、相互依存的な他面を持っている。一方をみたさないと、他方も成り立たない。仕事とレジャーがすでにそうである。一般にある種の欲望・行動と反対の(ないし異なる種類の)欲望・行動の間にはこの関係がみられるのである。ある種の欲望の満足はそれと異なった欲望を刺激する。
とすれば欲望・行動をひとつの最高目的の下に系列化する事は不可能である。一方的な目的――手段関係による系列化、すなわちある目的を最高のものとして、他のものをすべてその手段、ないし手段の手段、として目的――手段の階層を作ることはできない。系列化すると、各欲求の自己目的性が全く消失し、また欲望同士の相互否定性が無視される。あらゆる行動を大学入試というひとつの目的の下にあえて系列化した少年の場合――まるでそこに彼の人生の意味がかかっているかのように――、周知の無理と不自然さは言うまでもなく、そもそも彼の全人格の自由はどうなるのだろう。
このような場合、その目的の下に服さない――本性上服することの出来ない欲求は反抗をはじめるので、彼の人格の中に分裂が起こるのである。その分裂と反抗とを外面的にはまさに押えつけおおせたとき、その傷は内面において癒やしようもなく深い空洞となる。大学入試ならまだしも一時的といえるかもしれない。世の中にはもっと永続的な努力を要求する「究極目的」がいくらでもあるのだ。一般に、人がその存在の意味をある具体的なものの獲得にかけた瞬間、人格の分裂は不可避なのだ。その徴候は目的への異常な執着であり、それが生む他の事柄への盲目であり、また不満であり、焦躁である。この不満は決して目的のものを手に入れたからといって失せるものではない。というのはこの不満はもっと深い根をもっているからだ。
欲求の系は本来統合体なのである(この統合体という概念、および後述の意味での統一→自由→相対的統合の運動という概念に注意せられたい)。すなわち複数・多様の諸欲求は互いに相互否定的であり、それぞれが相対的独立性を持っているとともに相互依存的であり、そして全体としてひとつの人格に帰属し、ひとつの生命のあらわれとして、ひとつのまとまりを成している。ゆえにそれは特定の目的のもとに系列化されることはできない。換言すれば、個人は全体としては何の目的も持っていない。だから個々の欲求はみたされれば消えてゆく。全体として何の目的ももたないということ、これが無欲ということである。ライオンは他の生きものを殺すための存在ではない。その全行動がこの目的の下にあるわけではない。だから満足したライオンは小鹿を襲わない。人間は自覚的人格存在であって動物とは異なるが、欲求の系が本来統合体であって、それゆえ人格は全体として何の目的をも持っていない点では同じなのである。だから「人格は単に手段として扱うことは出来ない」(カント)のだ。
しかし生への配慮において、目的の系列化がおこる。特定の何かの獲得に存在の意味をかけることが起こる。このときこの目的は彼にとっての至高善(諸目的の目的)となり、彼の行動における恒常的統一性の意味を持つ。つまりそれは恒常不変の有なのである。この有は、彼の人格の内部には貧欲と葛藤を、外部では他の人間との無用の闘いを惹起する。人間は特定の目的を追求するとき、それと利害相反する他と争わざるをえないのだ。しかも彼は退くことをしらない。このとき彼は内の分裂と外での争いにおいて無力となり、不安と不満と絶望の中で自由を失うのである。彼は生きていない。そしてそれを自覚するとき、何を求めているのか、どうすればよいのかもわからないままで、語の全き意味で生きることを求めるのである。
神学Bの使徒はこのような状況の人間に語りかける。人は自己の存在のために配慮する必要はない。キリストは世と悪霊諸力に勝利した。生命の根源はここにあるのだから、自らの生のために虚しい倒錯した努力を止めよ、と語りかけるのだ。絶望の中で幸いにもこの使信を決断的に受容し、どこに立つかも定かでない虚しい自分が、自分で自分を生かそう、負おうとする虚しい努力――沼の中に沈み込んでゆく人が、自分で自分の髪の毛を掴《つか》んでひっぱり上げようとするような努力――を幸いにも放棄して、キリストに自らを委ねる人間、すなわちキリストを信じた人間は、自己同一的な有の支配から自由になる。自己同一的な有が自分の全行動を支配するというあり方が解消される。彼が目的に対して死ぬ。そのときこの自由において、本来自分が自分であるのは自分に由るのではないことが明らかになる。このとき、統合体となるべくして、なっていなかった欲求の系ははじめて統合体となるのだ。そして自己は、自己がもともとこのような統合体であるべく定められていたこと――その定めは自己に由るものではなく、かえって健全な自己はこの定めの実現によって可能となる――を知るのだ。このとき人格の分裂はいやされて、彼は統合された人格となる。その中で、自己を統体へと定めた定めが生きて働いている、「キリストが私の中で生きている」(ヨハネ一一・二五〜二六とヨハネ一四・一八〜二〇を比較せよ。またヨハネ一七・二〇〜二三)人は本来何のためにあるのでもない。その意味で無(無欲)の性格を持つ。キリストが人の中で生きるがゆえに、人は生きるのだ。キリストは存在の目的ではなく、根柢である。勿論人の行動はそのつど特定の目的を持つ。しかし全体としてはもはや何のためでもない。
以上のようにして神学Bの場合にも、個人の欲望の系に関して「統合への定め」ということがあり、統一→自由→統合という運動がある(個人の生における最高目的の統一性→その支配からの自由→人格の統合の成就)。神学Aと違って、この場合、欲求の系としての個人存在のあり方において、「統合への定め」と、そのもとにおける統一→自由→統合の運動があるのである。神学Bの場合、この運動は「キリスト」を根柢としてなされるのである。その限り、この場合もキリストの働きの内容はやはり「統合への規定」なのである。
(C)神学C(対人性)
新約聖書の中には、分量は多くないけれど、愛の神学として他から区別できる一群の思想がある。それは以下のとおりである。
「愛する者たちよ、私たちは愛し合おうではないか。愛は神から出、そしてすべて愛する者は神から生まれたのであり、神を知るからである。愛さない者は神を知らない。神は愛だからである。(神はそのひとり子をこの世につかわし、彼によって私たちを生きるようにしてくださった)(1)
それによって、私たちに対する神の愛が明らかにされたのである。さて愛は次のことの中にある。すなわち、私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、(その子を私たちの罪のためのあがないとしてつかわしたことである)(2)」(Iヨハネ四・七―一〇。(  )(1)の中は神学Bの思想であり、(  )(2)の中は神学Aの思想である。Iヨハネの著者は原始教団の中にひろまっていたAB二つの考えをとり上げ、これを神の愛のあらわれとして解釈し直しているのである。なお、上の引用のうち「愛する者は神から生まれた」については、神学Bの考え方「信じる者は……神から生まれた」≪ヨハネ一・一二〜一三≫と比較すると、愛の神学においては愛が、神学Bのキリスト信仰に代わっていることがわかる)
「誰もまだ神をみた者はない。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちの中にとどまり、彼の愛は私たちの中に全うされたのである」(Iヨハネ四・一二)。この言葉を「神をみた者はかつて誰もない。父のふところに在す独子《ひとり》の神が神をあらわしたのである」(ヨハネ一・一八)と比較すると愛の神学では、神学Bにおけるキリストの地位を、やはり愛が占めていることがわかる。
「神は愛である。愛にとどまる者は神の中にとどまり、神は彼の中にとどまる」(Iヨハネ四・一六。これも神学Bの考え方の「イエスは神の子であると告白する者はだれでも、神は彼の中にとどまり、彼は神の中にとどまる」≪Iヨハネ四・一五≫と比較すると、ここでは愛が神学Bのキリスト信仰に代わっていることがわかる)
「兄弟を愛する者は光のうちにとどまり、彼のうちには躓《つまず》きがない。兄弟を憎む者は闇のうちにあり闇のうちを歩き、どこにゆくかを知らない。闇が彼の目を盲にしたからである」(Iヨハネ二・一〇〜一一。神学Bの考え方、ヨハネ一二・三六と比較せよ)
「私たちは死から生へと移ってしまったことを知る。兄弟を愛するからである。愛さないものは死の中にとどまる。兄弟を憎む者はすべて人殺しである。人殺しはだれもその中に永遠の生命を持っていないことをあなた方は知っている」(Iヨハネ三・一四〜一五。神学B的なヨハネ五・二四と比較せよ)。
「もし誰かが神を愛すると言って兄弟を憎むなら、彼はうそつきである。見たことがある兄弟を愛さない者は、見たことのない神を愛することはできない。この戒めを私たちは神から受けた。すなわち神を愛する者は彼の兄弟をも愛せよということである」(Iヨハネ四・二〇〜二一)
すなわち以上においてキリストの出来事が神の愛のあらわれとして解釈されている。この神の愛が、我々が互いに愛し合うことの根拠であり要請なのである。こうして我々が愛し合うとき、愛は人の業でありながら、それは神から出たものである。だから愛する者は神と結ばれ、永遠の生命を持ち、神を知る。彼の愛は神から出(彼は神の中にある)、また彼の愛の中に神が働いている(神は彼の中にある)。こうして我々の中に神の愛が、全うされるというのである。
前述のように、以上のような愛の神学――これを神学Cと呼ぶことにしよう――は分量的には多くない。我々はなおヨハネ一三・三四、一五・一二〜一三、ローマ五・八、Iコリント一三章をこれに加えることができよう。しかし分量的に少なくても、神学Cでは、神学Bのキリストとキリスト信仰の地位を、愛が占めている以上、両者を区別するのが当然だと考えられる。
神学Cの考え方はヨハネ書簡に強い。そしてヨハネ書簡は、内容上ヨハネ福音書と親近性を持ち、ヨハネ福音書の思想はほぼ純粋な神学Bから成る。だから我々は神学Cの展開を以下のように考えることができるだろう。
神学Bの問題は個人の存在ということであった。ここで自らの存在のために配慮する個人が、配慮する自己に死んでこれから自由になり、「キリストにある」実存となったとき、実存の共通の根柢であるキリストを知ることによって、個人と個人との間に立てられていた障壁が破られる。彼はそれまで自分をアトム的な個人(アトムとはギリシア語で不可分割者。このことをラテン語ではインディヴィドゥウムという。これは現代西欧語で「個人」を意味する)と考えていた。あるいはライプニッツのモナド的な個人、すなわち自分自身の存在の根拠を自分自身の中に持つ実体、自分自身とのみかかわり、他者との交通はとざされているものとしての、存在の究極の単位、と考えていた。しかし今や彼には全く別の展望が開ける。個人は統合体であるという意味ではたしかに不可分割者である。すなわち分割したら統合が破壊されてしまう。しかし、それはうちに構造を持たないということではない。統合自体が、統合への規定であるキリストを根拠として成り立ち、そして個人同士は、個人でありながら同時に、水平面では他者との交わりの中におかれ、垂直面ではみなキリストを根柢としているのである。このことが今や彼の目に明らかとなる。それに反してモナド的な個人主義はそのゆきつくところ、自己自身を存在の究極の単位と考えるから、一般に自分に優越する権威や、自分に基礎を置かない定めを認めない。存在の意味は結局自分の存在にとっての価値としてはかられる。人間は、意味や機能や価値や、それらを作り出す能力、またそれらを実現する努力に還元されてしまう。まず自分があって、然るのち自分にとって意味のある、あるいはない、他者があり、この意味に従って、あとから互いのかかわりが生ずるのである。
その限り、この立場で成り立つ愛は――そもそも愛があるならば――価値に対する愛(エロース)でしかありえない。あるいは、自己の人格に秘められた分裂を忘れるための情熱の奔騰でしかありえない。本来統体であるべき人格の統合が破れて、自分の力で自分自身であろうとすることに疲れ、絶望した自己は、情熱の中に自分自身を忘却し、愛の喜びの中に燃えようとするのである。しかしこの世の存在者は――どんなに美しいものであっても――遂にこの情熱に幻滅を与えずにはおかないのだ。
幾分かは相手の価値に支えられ、幾分かはまた、もともと相対的存在にすぎない人間に、自分の存在の意味を見ようとする、倒錯した情熱に支えられた愛の関係がどんなに早くさめまた諦めに変わってゆくか、我々は知りすぎているほど知っている。このような愛は結局、愛のうちに自己本来のあり方を見出ださず、逆にモナド的な抽象的個人の中に愛への根拠を求めているのであって、はじめから失望へと定められているのである。しかし自己に対して死に、キリストにあって生きる神学B的個人には、今や次のことが明らかとなってくる。
我々がまず愛を知り、その愛をもって愛するというのではない。神が先に我々を愛した。神こそが愛の源泉であり根柢なのである。キリストの出来事は神の愛のあらわれなのである。愛に価しない我々を神が愛したことによってはじめて我々は愛の何たるかを知るのである。
愛は価値によらない。むしろ「世と世にあるものを愛してはならない。すべて世にあるもの、すなわち肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎてゆく」(Iヨハネ二・一五)。実は人ははじめからかかわりの中にあり、またかかわりの中にあるべく定められている。対人関係における自由は、かかわりにおける自由である。「あなた」の語りかけが、それがなければありえなかったような「私」を成り立たせ、しかもそのとき「私」は自由である――愛において、自由であり、自由に愛である。「あなた」が一方的に「私」に依存したり、或るいは束縛するときではなく――このとき、自由は失せてしまう――、私は「私」であって「あなた」ではないが、しかも私は「あなた」とのかかわりにおいて私であり、「あなた」も「私」とのかかわりにおいて「あなた」自身であるとき、愛が成り立つ。
ゆえに愛の関係とは、対人関係、すなわち「私」と「あなた」を極とする二極的な統合体にほかならない(繰り返すが、この統合体という概念に注意せられたい)。そこでは明らかに極が区別される。しかも、これは夫婦の場合典型的に実現するのだが、二人は「ひとつ」である(マルコ一〇・八)
もとより「私」は「あなた」ではないから、ここでは抗争の可能性があり、「私」も「あなた」も常に相互から切り離された「個人」としての面を合わせ持つから、ここにはいつも分裂の可能性が含まれる。しかし、愛において、人間は、ひとりの人が具体的な他のひとりの人と統合され、そのとき自分が作ったのでも考え出したのでもない、自己の存在にかかわる定めが実現されていることを知る。語りかけ〜応答するという言語の現象が、このことを確認させる。
「私」が「あなた」とのかかわりにおいてそのつど自由な「私」でありうるということ、このようにかかわりの中で私自身でありうることの上に、語りかけ〜応え、願い〜聴き、命じ〜従うことが起こるのだ。私が私でありうるのが本来私自身に由ることではないように、私をこのような他者とのかかわりにおける存在として定めたのも私ではない。愛はむしろ私の存在に先行する、私の存在にかかわる定めの実現なのだ。
「私」と「あなた」は、すなわち対人関係は、統合への定めのもとにある。この定めは「キリストの戒め」である(ヨハネ一三・三四、一五・一二)。統合への定めは、キリストの内容なのである。愛はこうして「神から出」(Iヨハネ四・七)、キリストの戒めであり(上述)、聖霊の実(ガラテア五・二二)なのである。ここには既に三位一体論が内包されているといわなくてはならないが、我々は次節で、この点をもっと立ち入って考察してみたいと思う。さて神学A、神学Bにおいても我々はそのつどそれぞれの意味での「統合への規定」と、そのもとにおける統一→自由→相対的統合という運動があることをみてきたが、愛の実存の場合、統一→自由→統合という運動は認められるのだろうか。対人関係の場合、このような運動は比較的認めがたいとすれば、それは愛の関係においては、そのつど愛する者同士の合意が容易であるために、統一性の要素が稀薄となるからである。すなわち統一性とは愛の関係がとる一定の形のことにほかならないが、愛がとる形は変わりやすいのである。それは微分的に変化するので、統一→自由→統合というラディカルな変革が起こりがたいし、認めがたいのである。
にも拘わらず、愛もそのつど特定の形をとるとすれば、我々はなおここに統一→自由→相対的統合という運動を認めることができる。たとえば親子、師弟の関係において、一方は他方に従い、信頼し、保護され、学ぶ。このような一定の永続的関係は対人関係における統一性を形成する。しかしここにおいて、一方の自由が他方の自由より相対的に優越するゆえ、他方(すなわち子・弟子)が自らの自由を自覚するにつれ、彼はこの統一性の関係を破って、自由を獲得しなくてはならない。このとき、子や弟子の自立は、親や師に対する関係のある種の混乱と軋轢《あつれき》を伴ないうるのである。しかしこのようにして子や弟子が幸いに独立した場合、二人はやはり親子・師・弟子ではありながらもはや前と同じ意味でそうなのではなく、お互いにいわば「人間として」肯定し合うようになる。ここにはやはり統一→自由→統合という運動がみられるのである。この過程は両者が宗教的実存であるとき、典型的にみられるのであろう。実際、主人と奴隷も、一方は主人で他方は奴隷でありながら、キリストにあって同時に愛する兄弟となる(ピレモン書、特に一六、一七節)。またキリストにあって信徒はイエスの友である(ヨハネ一五・一四)。ピレモン書の場合、主人ピレモンと奴隷オネシモの関係は、統一→自由→統合の一例だと言ってよいであろう。彼等の関係は主人〜奴隷の関係であった(統一性)。しかしオネシモは主人のところから逃げ出し、パウロのもとで信徒となったとき、彼はこの関係から自由になったのである。しかもパウロはオネシモをピレモンのところへ送りかえす。主従がキリストにあって同時に兄弟となるために(統合。すなわちこの場合にも統一→自由→統合という運動があらわれることに注意せられたい)
以上のようなわけで、モナド的な個人主義は破られるのである。すなわちモナド的個人であった人は交わりへと開かれる。そして、同じ根柢、すなわち愛の関係へと人を定め、愛を成り立たせる根柢の上に、他の個人とのかかわりが生起する――つまり人は本来このかかわりの定めの中にあるのだ。こうして、個人は今や「愛」するようになり、愛において、個人性に先行し、しかも人を人たらしめる規定(統合への規定)の働きを自覚するのである。このようにして個人性の神学Bは対人性の神学Cへと発展するのである。個的実存の根柢は、同時に対人的実存の根柢なのである。さきに引用したIヨハネ四・七以下は神学Cが神学A・Bを前提としてこれを自分の立場から再解釈していることを示す。つまり神学Cは、神学Bの対人性への展開なのだ。
さて個的実存の根柢において個の障壁が破られ、愛の交わりが成り立つなら、同時に同じようにして、共同体性への視野も開ける筈ではないか。実際そうなのである。だから神学Bはキリストのからだとしての教会論を持っている(ヨハネ一五・一以下、Iコリント一二章)。しかしヨハネが神学Aの要素を持たず、教会論も救済史〜終末論という歴史的展望を持つにいたらなかったのは、やはりヨハネの中心問題が個の存在に集中して、それゆえ個の障壁が破れても、そこでさしあたり具体的他者との交わりとしての愛の場が開けてくるにとどまったからであろう(もっともヨハネ一五・一以下には共同体性、キリストのからだとしての教会への展望がある)。いずれにしても、以上のようにして、神学Bから神学Cが展開してきたのであると思われる。事柄上からいえば、本節(A)〜(C)でみてきたように新約聖書のキリストは、共同体的実存・個人的実存・対人的実存の共通の根柢なのである。共同体性・個人性・対人性は、人間のあり方として区別されるが、この区別は絶対ではない。それぞれのあり方の根柢はひとつの「キリスト」であり、ひとつの「キリスト」にあるあり方が、具体的にはこの三つのあり方にわかれてあらわれる。だから実存の根柢において、人間の三つのあり方は融通性を持つのであり、ひとつのあり方への徹底は、他のあり方への展望を開かないわけにはいかない。こうして新約聖書記者の思想は、彼らが主として立つあり方(共同体性なら共同体性、個人性なら個人性)を中心としながら、同時に他のあり方の上に成り立つ思想をも、含まないわけにはいかなかった。従ってパウロは、神学A・Bをほぼ同じ重さで持ち、その上に神学Cへの傾向を合わせ有するのであり、ヨハネは神学Bを基調としながら、神学Cを含んでいるのである。しかし歴史的にみる限り、上述して来たような事情(民族性の制約、社会的状況等の事情)で、神学A→B→Cの順序で展開したのだと考えられるのである。
(D)神学A、B、Cのからみ合い――パウロの場合
パウロの神学は、ほぼ同分量の神学A、B、および若干の神学Cから成っている。従来パウロ神学には矛盾が多いことが指摘され、この矛盾はパウロの思想的背景(一方はユダヤ教、他方はヘレニズム宗教思想)の矛盾から説明された。しかし由来は必ずしも本質を説明しない。宗教史学的説明は必要ではあるが充分ではない。パウロの思想は直接ユダヤ教やヘレニズム思想に規定されているのではなく、むしろ彼の神学は原始教団の神学の流れの中でとらえなくてはならず、彼の神学を規定したのは彼に先立つ原始教団の宣教なのである。
そして上述のように、パウロ前の原始教団にはすでに神学AとBの原型があった。パウロは両者を受けて展開させている。彼の神学の矛盾の多くはAB両神学の矛盾として説明できるのである。若干の例をあげると、一方ではイエス・キリスト以前の救済史、約束、預言を語る(ローマ九〜一一章。神学A)が、他方ではイエス・キリスト以前の世は全体として罪・死・悪霊の支配下にあって、福音はユダヤ人に対してかくされている(ガラテア四・二一〜三一。神学B)。さらにパウロは律法違反が罪であり、この罪のゆえに人は死ぬと言う(ローマ五・一二後半。神学A)。他方では律法以前から罪が人を支配している結果、アダムのような罪を犯さなかった者も死ぬ運命にある(ローマ五・一四、Iコリント一五・四六以下。神学B)。パウロは死人の復活を語る(Iコリント一五章。神学A)が、他方で信徒は死ぬと直ちにキリストのもとに赴く(ピリピ一・二三。神学B)。彼にはさらに神学Cの要素もある(ローマ五・八、Iコリント一三章)
パウロは充分反省的な体系家ではなかったといえるであろう。しかし精神分裂だという評は当たらない。彼においても、また新約聖書全体としても、ABC三つの神学は並存しているのであって、内容的に統一されてはいない。しかしこの事実はとても大切なことを語っているのだとも解されるのである。すなわち、人間の共同体性、個人性、対人性三つのあり方は、共存しているのであって、決してそのどれかを優先させて他の二つを従属させてはならないのだ。もちろん具体的な瞬間には三つの可能性のどれかを択び取らなくてはならないし、どれをどれだけ生かすかということはそのつど決断の問題なのだが、一義的、固定的にどれかを他に優先させきることはできないのである。そして新約聖書の中でABC三つの神学が統一されないまま並存しているのは、この事情の反映なのだと考えられるのである。
とはいっても、パウロにおいて神学AとBとがほぼ同量の重さを持っていることは、もっと立ち入って考察する必要がある。この際彼の背景を考えることは、充分ではないが必要なことである。彼は生粋のユダヤ人でパリサイ人であった。しかも他方、生まれは異邦の商業・交通・文化都市、小アジアはキリキアのタルソである。そして彼はローマの市民権を持っていた。彼の思想史的背景は実際二重なのである(ユダヤ教とヘレニズム)。パウロのユダヤ人・ユダヤ教性は神学Aと、神学Bは異邦性と関係がある。
実存的な状況からいってもそうである。異邦世界ではユダヤ教の律法は倫理的な面を強く出すようになった。そしてもともと律法はユダヤ民族共同体の法であり(ローマ二・一七〜二九)、ユダヤ民族の問題はパウロの心をはなれたことがない。「私の兄弟、肉による同族、すなわちイスラエル人のためならこの私自身が呪われてキリストから離れてもよい」(ローマ九・三)。しかも他方、キリスト教に回心する前のパウロにとって律法は、「いのちに導くべき戒め」(ローマ七・一〇)なのであった。すなわち個人としての存在の本来性、永遠の生命は、律法の行によって与えられるのであった(ガラテア三・一二後半)。ここにパウロの共同体への関心と、個人の生への関心との接点がみられる。人間の本来性を問うパウロにおいて、共同体的関心と個人的関心のからみ合いがみられるのである。このからみ合いは上述のようにパウロの律法理解に表現されている。
ユダヤ教と異邦の両世界に接していたパウロは、実存的にも、共同体性と個人性の両関心に導かれていた。その彼は回心後、やはりユダヤ教と異邦の両系統をひく所、シリアのアンティオキアのキリスト教団にいた。こういうわけで彼の神学には、共同体性の神学Aと、個人性の神学Bがからみ合って並存し、さらに愛の神学Cへの展開をみせているのである。
〈3〉原始教団の神学――神・キリスト・聖霊
(A)新約聖書とキリスト論、三位一体論
以上述べたようにして、原始教団の思想の中には、A、B、C三つの神学が区別される。これらはそれぞれ人間の共同体性、個人性、対人性というあり方に対応するものであり、またこれらはそれぞれにおける実存の決定的な転回点、すなわち古い自己に死んで新しい自己に甦るところで、キリストに出会うこと、この転回はキリストに担われていることを証しするのであった。
神学Aはいう。「わたしは神に生きるために、律法を通して律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのはもはや私ではない。キリストが私の中に生きているのだ」(ガラテア二・一九〜二〇)。そしてこのようにキリストにあり、キリストを根柢とする実存は、共同体的統合への定めのもとにあり、共同体において統一→自由→(相対的)統合という運動をするのである。
神学Bはいう。「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、彼を死人の中から甦らせた神の力の信仰によって、彼と共に甦った」(コロサイ二・一二)。「イエスは神の子であると告白する者は、神は彼の中に在し、彼は神の中にある」(Iヨハネ四・一五)。「私(キリスト)が生きるので、あなたがたも生きる。その日は私は私の父の中にあり、あなたがたは私の中にあり、私があなた方の中にいることがわかる」(ヨハネ一四・二〇。ヨハネ一一・二五参照)
そしてこのようにキリストにあって永遠の生命を受けた実存は、個人的・人格的統合へと定められ、個人的実存の意味で統一→自由→(相対的)統合という運動をするのであった。
神学Cも同様である。愛する者について、彼は神の中にあり、神は彼の中にあるといわれた。そして愛はキリストの戒め(ヨハネ一三・三四)であり、聖霊の実である(ガラテア五・二二)。そして愛の実存はキリストにあって対人関係における統合へと定められ、統一→自由→(相対的)統合という運動をするのである(前述のピレモンとオネシモの例を想起せられたい。二人は主にあって兄弟なのである。八、一六節)
このようにキリストは人間の共同体的、個人的、対人的なあり方に共通した存在である。すなわち、これが本章の結論となるわけであるが、キリストは宗教的実存の根柢なのであり、宗教的実存の運動を追跡することによって、キリストの働きの内容は、共同体的統合、個人的統合、対人的統合、それぞれの意味での「統合への規定」といいあらわせる、ということができる。もしこの結論が正しいなら、ここから出発して、逆に原始教団における神・キリスト・聖霊が全体として理解できなくてはならない。以下簡単にこの点を実際に吟味してみよう。もちろん以下神・キリスト・聖霊についていわれることは、原理的に神学A・B・Cについて共通に成り立つことである。だから我々はこの場合は、A・B・Cどの神学から章句を引用しても差しつかえないわけである。
さて統一→自由→(相対的)統合という場合の統合は、もとよりこの世界内の現象、そのつど実存が「キリスト」に規定されて実際にとる形であって決して絶対的・究極的なものではない。むしろその統合は新しい統一を成り立たせるが、この統一は再び統合の根柢から疎外された統一となりうるのであって、ここに再び統一→自由→(相対的)統合という運動が繰り返される。すなわちこの意味での統合を目指す運動は、水平面の事柄である。
それに反してキリストは宗教的実存の根柢であり、その働きの内容は「統合への規定」であるというときは、この規定はいわば垂直面の事柄であり、この垂直面の規定を受けて、水平面では統一→自由→(相対的)統合という運動が起こるのである。
さて統体は構造を持ち、「統合への規定」は構造の定めではあるが、上のようなわけで、キリストは決して現存する構造、現在実際に成り立っている構造ではない。キリストは現存する構造が根源的規定のもとにそのつど成り立ち、あるいは過ぎ去ってゆく、その構造の原理なのである。現存の構造自身ではなく、その根拠、その原理なのである。この意味で、キリストは、現存する構造に対して超越的であり、ただ現存する構造がキリストの定めに従って相対的にもせよ統合体となる、その限りにおいて、キリストはその統体の中に現存している(内在)。
すなわち人間存在がキリスト自身を根拠としながら、キリストの定めに従い、即している限りにおいて、キリストは人間の「中にある」のである。
キリストを根拠として成り立つ教会、また聖書、さらに神の言の告知としての説教、また個個の信徒の生は、このようにして超越的根柢としてのキリストが地上でとった形、キリストにある存在が地上で結んだ実(ヨハネ一五・一以下)なのである。それは決してキリストそれ自身ではない。そうではなくて、キリストがそのつど結んだ実、不完全な反映にすぎない(IIコリント三・一八、Iコリント一三・一二)
しかし我々がキリストを知るのは、超越のキリストを直接・対象的に知るのではなく、キリストは、地上で実を結び、宗教的実存に対してあらわとなった限りにおいて、自己の根柢として自覚されるのである(ヨハネ一四・二一)。すなわちロゴス(ヨハネ一・一の先在のキリスト。換言すれば教団によって「キリスト」と名づけられる前の「統合への規定」自身のこと。)が受肉した限りにおいてなのである。本章の最後の結論を先取りすると、ナザレのイエスという歴史的人格は、ロゴスの受肉した形と解すべきなのである。すなわちロゴスそれ自身とナザレのイエスとは区別しなくてはならない。後者はロゴスが地上でとった典型的な形、ロゴスの円満な具現、ロゴスの「顔」ともいうべき存在なのである。しかもそれは決して象徴ではなく、歴史的な事実として起こった存在なのである(もしこれが事実でなければ、キリスト教全体がその事実性を危うくせられるであろう)
話を前に戻そう。キリストが我々に対してあらわとなったのは、ロゴスが受肉する限りにおいてなのである。ゆえにロゴスの受肉が宗教的実存の、実存と認識の出発点なのである。ここに「ロゴスの受肉」の基礎的な意義があり、キリスト論の重要性がある。事柄上からいえば、イエスのみではなく、信徒も(Iコリント六・一九)、教会も(Iコリント三・一六、一二・二七)、聖書も(これは神言であり人言でもあると告白されている)、ロゴスの受肉した形だといわなくてはならない。そして受肉したロゴス、実となってあらわれたキリストは、「まことに人であり、まことに神である」といわなくてはならない。勿論人が――神から切り離された意味での人が――神なのではない。人となってあらわれたロゴスが、「まことに神・まことに人」なのである。我々は後述のように、超越的根柢としてのロゴスと、それによって成り立つ、ロゴスの具現としてのイエスを、決してドケティズム流に切り離すのではなく、区別する。その限りこういわなくてはならない。ナザレのイエスという人間が神なのではなく、イエスとして受肉したロゴスが、「まことに神・まことに人」なのである。
いうまでもなく、「イエス・キリストはまことに神であり、まことに人である」というキリスト論の教義は、古代教会(ニカイア、カルケドン両会議。それぞれ三二五年、四五一年)で成立したのであって、新約聖書の中には、そのままの形では記されていない。にもかかわらず、古代教会の教義は、新約思想の貫徹といえる面を持つのである。この教義は新約聖書が言おうとしていることをいい当てている。それは三位一体論についても同様であって、それを以下にのべる。
さて新約聖書ではキリストは以上のような意味での、構造の超越的根拠である。すなわち存在がどのようにあるべきかを定めるもの、それを受けた存在が「このように」あることの根拠なのである。つまりそれは、「ある」ものが、「どのように」あるべきかの根拠なのであって、それが「ある」ことそれ自身の根源ではない。構造の根拠はたしかに個物に先だつ究極的なものではある。しかし「統合への規定」が現実となるのは、それによって統合される存在者を必要とする。もとより構造への規定は、個々の存在者に先行する(ちょうどある引力の系〈たとえば太陽系〉において、引力の場は個々の物体に先行するけれども、引力が現実に働くためには物体がなくてはならないように)。即ち構造の超越的根拠としてのキリストは、存在者に優越するけれども、存在者と相関的な存在なのである。だから実際、キリストは万物の主(ピリピ二・九〜一一)、教会のかしら(エペソ一・二一〜二三)などとして、存在者と相関的に語られるのである。
すなわちキリストは究極的ではあるけれども、なお最終の究極者そのものではない。それは存在者が「どのように」あるかの根拠であって、存在者が「ある」ことそのことの根源ではない。そして存在者の「存在」の根源、すなわちあらゆる有の創造者は神なのである。だから新約聖書ではキリストだけではなく、神が語られ、神が創造者なのである。
さらにキリストは構造の「根拠」、統合への「規定」である。それは定めではあるが、しかしその「定め」があるからといって、すでにそれだけで世がその定めに従っているのではない。それどころか世はまだまだキリストを知らない(ヨハネ一二・三八以下等多数)。「定め」があるだけでは、その定めは成就しない。そこで「定め」を受けてこれを現実に成就する原理が聖霊なのである。だから聖霊は一方ではキリストから出るといわれる。キリストの「定め」の実現者だからである(ヨハネ二〇・二二、一四・二六、一五・二六前半)。しかし他方では、第一にキリストが在すから聖霊が下るというのではなく、すなわちキリストの存在と聖霊降下は直結しているのではなく、第二に聖霊は統合へと定められた存在者の「存在」を全うするもの、存在をはじめて全き意味で存在とするもの、「ある」ことを真に成り立たしめるものとして、聖霊は有の創造者である神から出たもの、神の霊なのである(ヨハネ一五・二六後半、ローマ八・九)。こうして聖霊は「父と子から」つかわされるものとなる(この教義は、東方教会と西方教会分離の一原因となった。東方教会は聖霊が「父と子から」であることを否定したのである。しかし上のように考える限り、これを認めた西方教会の方が聖書と事柄とに即しているといえる)
このように、「統合への超越的規定」ということからして、神・キリスト・聖霊の三位一体論的な関係が考えられなくてはならない。三位一体論も新約の中に教会教義そのままの形(「父・子.聖霊は三つの位格、ひとつの実体である」)では語られていない。しかし聖書の中に明言されていないからといって、その事柄がすでに聖書的思考の中に含まれていなかったとはいえない。すなわち聖書的思考の論理はすでに三位一体論を内包しているといわなくてはならない。のみならず、事柄としては三位一体論はキリスト論とともに新約聖書思想の中でも基礎的に重要なものといわなくてはならず、この点カール・バルトがその教会教義学の基礎論の部分にこの両者を置いているのは、新約神学にとっても示唆的であるといわなくてはならない。古代教会はこの論理を明白にいいあらわしたのである。ロゴスが受肉した場所(イエス・教会・聖書)――そこで受肉したロゴスは「まことに神・まことに人」である――においてロゴス=キリストを認識しつつ、世の最終的救済の根拠を考え抜くなら、そこにおのずから三位一体論があらわれるとはいえないだろうか。すなわち新約聖書では、神・キリスト・聖霊は、統体的存在へと定められている世の、それぞれ存在の根源、統合への規定、統合の成就者として一面区別されるとともに、統体的存在の究極の根拠としてひとつなのである。このゆえに、ロゴスが「まことに神である」ことがいわれうるのである。しかし以下において簡単のため、誤解のない限りいちいち父なる神、子なる神、聖霊なる神とは言わずに、神・キリスト・聖霊ということにする。
さて我々は神・キリスト・聖霊の各についての新約聖書の発言を、以上の関連を頭において検討してみよう。
(B)キリスト
キリストは統合へと定められた存在の、統合体という構造の定め・超越的根拠なのである。その意味で、キリストはロゴス(存在の理法、道理、論理、言葉)といわれるにふさわしい(ヨハネ一・二〜四)。注意すべきことは、繰り返すがロゴスは現存する理法や道理ではなく、その超越的根拠であることである。またロゴスとは、それが原始教団によって「キリスト」と同一視される以前、キリストと呼ばれる以前の「統合への規定」でもある。この規定はもとより、イエス以前から、そもそもの「はじめ」から(ヨハネ一・一)あった。さて上のように、存在するものの「存在」の根源、つまり有の創造者は神なのである。そして存在するものが「どのようにあるか」はロゴスによって定められる。だから、「すべてのものは、(神によって)、ロゴスを通じて、成った」といわれる(ヨハネ一・三)のである。キリストは存在の構造の定めであるがゆえに、それは「みえない神のかたち」といわれる(IIコリント四・四、コロサイ一・一五、ヘブル一・三)。さて統合体構造への規定は、決して人を機械的に強制する、自然法則のような定めなのではない。それへの従順がそのまま人の自由であるような定めである。だから一面では父が定めた者が信じる(ヨハネ六・六五、これは予定論を基礎づける)のであるとともに、信じる者は神から生まれた(ヨハネ一・一三。これは人の自由が不可侵であることを語る)のである。「予定」と「自由」は切り離してはならない。真実の自由は人間存在の定めへの従順と一つである。つまり人の自由はいささかも犯されはしない。それゆえに「定め」は強制ではなく、従順をうながす「語りかけ」の性格を帯びる。規定の実現は、自由を介して起こるからである。この意味でもキリストは神の語りかけ、神の「言《ロゴス》」(ヨハネ一・一〜三)なのである。換言すればロゴスは実存の根柢という「存在論的」な性格と、神の語りかけという「人格主義的」な両面を持つ。両者は矛盾するのではない。このように、存在が「このように」あるべきだという定めは、存在に対する神の意志・神の言葉なのである。それは神の「言」として、神をあらわす(ヨハネ一・一八)。神の言との出会いは、神御自身との出会いなのである。神の言をきき、神の言に従う者は、神御自身にきき従うのである。ちょうど――あえてアナロジー(異質なもの同士に認められる相似。ゆえにこれはあくまでもののたとえなのだ、ということを忘れてはならない)を用いるなら、テレビ電話から発するのは音や光にすぎなくても、あるいは手紙の字はインクのしみにすぎなくても、我々がそこで接しているのは語り手自身、書き手自身であるように、あるいはそもそも人が私に語りかけ私がそこで認め、聞くのは、光であり、また音波にすぎなくても、我々はそこでその人自身と出会っているように――神の言との出会いは神御自身との出会いなのである。そのように神の「言」は「神」をあらわす。神の言は神から出たものとして「神の子」であり(ローマ一・四、ガラテア二・二〇、ヨハネ三・三五以下)、神の言との出会いは神との出会いであるゆえに、「神の子」は「神」なのである(ヨハネ二〇・二八、ヨハネ一・一参照)。神の言が神と無差別に同一だというのではない。存在は「このように」あるべきだという定めは、存在が「ある」ということの根源(創造神)の意志であり言であることによって、それ自身究極者でありつつ、存在に対して神をあらわす。すなわち神の言のみが神をあらわすのであり、言との出会いは神との出会いにほかならない、ということなのである。
さて統体構造への定めとして、キリストは存在の原型という意味を持っている。だからここにテュポロギー的な歴史・存在把握が成り立つ。テュポロギーとは、キリストと世、また「キリストの領域」と「キリスト以前・以外の領域」とは、対応しつつ逆の内容をもつという見方である。すなわち世は統合への定めのもとにありながら、この定めに即し定めを実現してはいない。これは単に世の存在がキリストに根拠づけられていないというのではなく、それはキリストに敵対する力、この世を支配する力の支配下にあるのだ(原罪)。それゆえ、世の存在はまさにキリストの定めに反しているという意味で、倒錯に陥り、裏返しの形をとっている。従ってこの存在をキリスト自身と比べ、また世の存在がキリストの定めに即してとった形と比べるなら、そこには逆対応の関係がみられるのである。こうしてキリストと神を知らぬ世は、原型とその倒錯した写しの関係になり、またキリスト以前・また以外の領域の歴史と、キリスト以後・キリストを根柢として成り立つ歴史とは、やはり逆対応の関係となるのである(ローマ五・一二〜二一、ガラテア四・二四以下、ヘブル八・五、ヨハネ六・四七以下等)。すなわちテュポロギー的存在・歴史把握が成り立つのである。同様にして構造の超越的原型としてのキリストは、この世にある仮象・倒錯に対して「真の」ものであるといわれる。キリストはまことのパン(ヨハネ六・三二〜三三)、まことの葡萄樹(ヨハネ一五・一)、まことの光(ヨハネ一・九)なのである。存在の原型というと我々は当然プラトンのイデアやアリストテレスのエイドス(形相)を想起する。実際、ここにはあるアナロジーがあることは否定出来ず、アナロジーがあるからこそ、キリスト教は実際プラトンやアリストテレスの哲学と結びつくことが出来たのだ。しかし他方、違いもまた明らかであり、決しておろそかにすることは出来ない。第一に、キリストはイデアのような概念・理念、すなわち思惟の内容ではない。キリストが信徒に対してあらわとなるのは、決して思惟の活動の結果ではない。信仰はむしろ思惟の連続性を断つ性格を持っている(第四章〈2〉)。思惟が、人間存在の根柢を、特定の理念とか、あるいは特定の律法とか、人生の特定の目標とか、あるいは特定の人間関係のあり方としてとらえ、この上に自己の存在を基礎づけよう、こうして神の前に立とうとするとき、キリスト信仰はかえってこれらの努力の虚しさをさばくのである。思惟の対象となるような「何か」「何故」「如何に」が、存在の究極の問いへの答えを与えるのではない。キリストは、人間が理念の支配に対して、また律法に対して、自己に対して、世に対して、執着に対して死ぬときにはじめてあらわとなるのである。自己に死ぬとは、思惟による存在把握の努力の放棄にほかならないのである(第四章〈2〉)
第二に、キリストと世との関係は連続的ではない。上述のように、キリストと世とは逆対応の関係にある。即ちキリストと世とは、真と偽、光と闇、生命と死……として対立し、世はキリストに敵対する力の支配下にある。だから新約聖書では、統合への規定のもとにある存在が、その規定に即して統体となるためには、すなわち規定が成就するためには、前述のように(本章〈3〉の(A))聖霊を必要とするのである。世の在り方はひとたび審かれ、滅ぼされ、再生せしめられる。すなわち世にある存在は自力でキリストを認め、それに即した形に変わることができない。換言すれば、世は真理(キリスト)をも、真理を知る条件(聖霊)をも欠いているのである。それゆえキェルケゴールが、ギリシア思想とキリスト教の違いについて、ギリシア思想では人間は真理を持ち、ただそれを想起すればよいとされるのに対して、キリスト教では、(信仰以前の)人間は真理をも真理を知る条件をも欠いている、としたのは全く正当なのである。さてこのような存在が幸いにもキリストの定めを根拠として、聖霊の働きによって、キリストに即した形に変えられるとき(ピリピ三・二一参照)、そこには世を支配する力に対する審きがあり、古いあり方の滅びがなくてはならない(ヨハネ一六・一一、三三、IIコリント五・一七)。すなわち、原型と世の関係はこれほどに非連続的なのである。この点でキリストが存在の原型であるという聖書の考え方は、古典ギリシアの思想とは異なるのである。だからキリスト教の終末論は歴史との非連続、古い歴史を断ち切り滅ぼして新天地を再創造することを説くのである。
さて統体へと定められながら統体ではない存在が、この定めを根拠として統体となる出来事は、救済の出来事といわなくてはならない。ゆえにキリストは救済の根拠であり救済者なのである。しかし新約聖書の場合、イエス・キリストが救済者であるとされている事情がある。すなわち原始教団はロゴスと、ロゴスの受肉者としてのイエスとを無差別に同一視したのである。それゆえ、真理はイエスにおいてはじめてこの世の中に入って来た(ヨハネ一・一四、一七)のであり、イエスの死・高挙によってはじめて真理は信徒のもとに到達する(ヨハネ七・三九、一四・一六〜二〇。ヨハネ一二・二三〜二四参照)。これは神学Bの考え方である。神学Aでは、イエスの十字架が贖罪であり、従って神と人との和解・人の救済の根拠なのである(ローマ三・二三以下、IIコリント五・一八以下)。神学Cにおいては、イエスの十字架が我々の愛の根拠なのであった(Iヨハネ四・一〇)。いずれにせよ新約聖書では、このようにしてロゴスそのものではなく、イエス・キリストが神と人とを「和解」させた者(ローマ五・一、IIコリント五・一八)、救済者(使徒行伝五・三一)なのである。
さらに教会について、イエスは「復活」する。すなわち、我々の見解では、原始教団はイエスの死後「ロゴス」を見出だし、これをキリストの復活体と呼んだのだ。これはすなわち「統合への規定」にほかならない。さて「統合への規定」のもとにある存在が事実統体となる出来事は、前述のように「聖霊」によるのであるが、キリストを根拠とし、聖霊の働きによって統体へと組みなされた人々の共同体――教会――において、そこに統体への規定が実現されている限り、そこにはキリストが在するのである。すなわち統合体の中には、統合への定めが成就現臨しているのである(エペソ一・二三)。ゆえに一方ではキリストは教会の「かしら」(コロサイ一・一八)であり、他方教会はキリストの「からだ」なのである(Iコリント六・一五、一二章)。教会がキリストと無差別に同一だというのではない。しかし教会なしにキリストは世に現臨することはできない。教会はキリストが世に働く媒介であり、その意味でキリストは教会に在し、教会とキリストの関係は、生体の肢体と生命との関係に類比的なのである。こうして教会がキリストの定めを成就している限りで、キリストは教会の中に現臨する。これは教会がキリストの中にある(キリストに規定される)からにほかならない。こうして教会とキリストの相互内在がいわれる(ヨハネ一四・二〇、一七・二〇以下)。換言すればキリストは統体存在の超越的根拠として超越的でありながら、それによって統合体となった存在に対しては内在的なのである。
教会はキリストの媒介である。しかしそこには当然秩序がある。統体存在の根拠として、キリストは「主」なのである(ピリピ二・一一、IIペテロ一・一一、ローマ一・一以下)。統合者として「主」なのである(ガラテア三・二八)。そしてこの「主」は従う者に「自由」を与える(ヨハネ八・三二、ガラテア二・四、五・一)。なぜなら、ここでは従順即自由が成り立つからである。人は統合体となるとき真実に自由なのである。一例をあげれば言葉という根源現象において、人が真実自由に自分の認識を語るときは、彼は通念の「統一性」から抜け出て(自由)、そして単に抜け出ただけではなく新しい通念を構成すべく、言語共同体の中に語りかけるのである(統合)
このように言語という根源的現象自体が、人が統合への定めのもとにあることを示しているが、ここで「あるものをあるとする」という規範への従順においてこそ人は自由なのである。
だから「主」が「自由」を与える。そして当然のことながら、この「自由」は従順即自由の自由であって、単なる恣意ではない。あるいはまた「実存が本質に先行する」意味での「実存主義的」自由でもないのである。真理が自由を与える(ヨハネ八・三二)のだ。キリストは「真理」なのである(ヨハネ一・一七、一四・六)。真理とはギリシア語ではあらわにせられた存在の実相であり、それをあらわにする言葉である(ハイデッガー)。さらにヘレニズム宗教哲学ではこの世と二元的に対立する彼岸的・超越的存在のことである。ゆえにキリストが真理といわれるのはふさわしい。それだけではない。真理にあたるヘブル語エメトは「必ず成就すべきもの」なのであり、必ず成就すべき「統合への規定」はその意味でも真理《エメト》なのである。
真理は同時に「生命」でもある。生きているとは、生体が統合された状態にあることである。生命は、生体の如何なる部分でもなく、部分間の関係でもなく、統合力のことなのである。だから「統体への規定」は、生物学的意味での生命との類比で、「生命」と呼ばれる(ヨハネ一・四、一四・六)。そして人は統合体となるとき、自己の存在の実相を知るのである。この意味で、生命は同時に存在を照明する「光」である(ヨハネ一・九、三・一九、八・一二)(後述のように聖霊〈統合成就の原理〉も、統合の成就者として真理であり生命であるが、これは三位一体的連関を示すといわなくてはならない)
こうしてキリストは統合体の中に現臨するが、キリスト自身は統合の超越的根拠であって、世界内のいかなる存在者とも、また存在者同士のかかわりとも、等しくない。この意味でキリストは――再び三位一体的連関において――霊と呼ばれる(IIコリント三・一七)。霊とは肉(サルクス)の反対、世界内の相対的存在・関係ではない、その根拠のことである(この意味で神も霊といわれる≪ヨハネ四・二四≫)
つまり、キリストは、人の思想や業の産物ではない。キリストは「恩恵」なのだ(ヨハネ一・一七、Iコリント一・四)
キリストの恩恵によって人は新しい被造物に化せられる(IIコリント五・一七)。人が統合体という本来のあり方にもたらされうるのは、キリストを根拠としてなのである。このとき、人はキリストを、本来的存在の根拠として、「知る」(ヨハネ八・三二、一四・七)。あるいはキリストを「見る」(ヨハネ一四・九、一六・一六〜一九)。しかしそれは単に「見る」――すなわち世界内の相対的対象を見るように見る――のではない。キリストは成就すべき「統合への定め」であるゆえに、信徒とキリストの関係は、信徒がキリストに従うこと、成就の媒介としてこれに参与することである。統合への定めにアーメンを言い、これに従うことによって、キリストの定めの成就、究極的成就を待望しながらその媒介となること、これは旧約的意味においての信仰(ヘエミーン)にほかならない。この意味でも、また我々は今なおキリストをさながらにみてはいない(Iコリント一三・一二)という意味でも、信徒のキリストヘの関係は、「信仰と認識」のそれなのである(ヨハネ六・六九)
(C)神
上述のように、キリストは存在者と相関的であり、存在が「どのように」あるべきかの定めであるゆえに、それは究極的なるものではあるが、なお最終の究極者ではない。存在者が「ある」ことの根源が神なのであり、ゆえにキリストは神の子・神の言なのである(そしてこのようなものとして、まさにキリストの中に神があり、キリストとの出会いは神との出会いであり、かくてキリストは神なのだが)
ゆえに神はまずキリストの父であり(ヨハネ一四・六〜七、ローマ一・三〜四)――また旧約以来そうであるが、新約でも――世界の創造者なのである(マタイ三・九、マルコ一三・一九)。キリスト(存在の原型)も聖霊(原型の成就者)も神によって創造されたのではないが、神から出る。すなわち神は存在の維持者(Iコリント三・七、IIペテロ三・七)、究極の統治者(ヨハネ黙示録一九・六)として、また歴史の支配者、摂理の神なのである(エペソ三・二以下、ローマ九〜一一章)。それは同時にこの世に形をとる統合の、究極の根源であり、この意味で秩序の神である(Iコリント一四・三三、旧約では律法は神の戒めである)。それだけではなく、この世に支配する悪霊諸力を打ち滅ぼし、存在を本来のあり方において成就する究極者として、終末をもたらし神の国を成就させる終末の神である(マルコ一三・三一、Iコリント一五・二四以下、IIペテロ三・一一)。キリストが「統合への規定」であるゆえに、反キリストは、統合を破壊し、その成就を妨害するもの、すなわち悪霊.罪の諸力と死なのである。これらは存在のロゴスに敵対する反ロゴスであるが、神はキリストを通じてこれらを滅ぼす。ロゴスと反ロゴスの対立の彼岸にある、究極の終末論的勝利者がキリストの父なる神なのである(Iコリント一五・二六〜二七)
こうして神は、「すべてにおいてすべてとなる」(Iコリント一五・二八)。それはもともと神がすべてのすべてであるからにほかならない(ローマ一一・三六)。すなわち神は永遠であり(ヨハネ黙示録一一・一七)、全能であり(マタイ一九・二六、ヨハネ黙示録一一・一七)、全智であり(マルコ一三・三二)、遍在する(マタイ五・四五以下)。これは神が究極の無制約者であることを示す。この神がキリストにおいて我々の父(ローマ一・七)であり、救世主(Iテモテ一・一、テトス一・三)とも呼ばれるのである。
(D)聖 霊
聖霊は、存在を統合へと定めるキリストの、その定めの現実的成就者である。ゆえに聖霊は一方ではキリストの定めの成就者としてキリストから出、他方ではキリストと直結したものではなく、存在を全き意味で存在たらしめるものとして、存在の根源である神から出ること、つまり「父と子より」出ることは、すでに述べた。
聖霊は存在を統体に化する。そして統体になるとは「生きる」ことであるから、聖霊は「生かすもの」である(旧約聖書創世記二・七参照)。従ってマリアの受胎も聖霊の業となる(マタイ一・一八、二〇)
(これに関連して、個人の存在についても、統体であること、すなわち〈生きていること〉は、個人の霊をもつことであり、こうして死は〈霊が去ること〉となる≪ルカ八・五五≫。個人の霊――これについては新約には詳しい言及はない――とは、個人を人格として統体とするものにほかならず、つまり個人の〈霊〉も統体性ということから解される。)
さて単に生物学的な意味での生命ではなく、人格存在としての人間が、全人格として統体になるのも、聖霊の業である(ヨハネ六・六三、ローマ八・二、九、一一)。このとき人は自由になるゆえに、自由をもたらすもの、自由ならしめるものも聖霊なのである(IIコリント三・一七)。聖霊によって統体となった人間は、その本来的なあり方にいたるゆえに、彼には今や本来のあり方が可能ともなり、またキリストの定め(統合への規定)によって、要請もされる。すなわち倫理はキリストの戒めであり、また聖霊の実なのである(ガラテア五・二二以下)。特に愛が聖霊の実とされる(ローマ一五・三〇、ガラテア五・二二)のは、愛が「我と汝」の二極的統合の成就だからである。
聖霊によって人は統合体、すなわち分裂と無力と隷属とを克服した健全さに至る。その徴《しるし》が人のもつ「平安と歓喜」なのである(ローマ一四・一七、ガラテア五・二二)。個人の統合と対人関係の統合(愛)だけではなく、さらに教会共同体への統合も聖霊がもたらすのである。だから教会は聖霊によって成り立つ(使徒行伝二章、Iコリント三・一六、六・一九、一二章)
聖霊を受けて人がその本来のあり方に至らしめられるとき、人は自らを本来のあり方(統体としてのあり方)へと定める定めを知る。すなわち人は真理を知るのである。人は統体となってはじめて「統合への規定」を知るのだ。統体をとらえるのは統体が現実に成り立っているところでしかできない。というのは、部分をどれだけ分析してみても、統体は部分の単なる総和ではないゆえに、統体が現実に成り立っていないところでは、統体性は認識されようがないのである。こうして聖霊は、真理を知らせる「真理の霊」なのである(ヨハネ一四・一七、二六、一六・一三)。聖霊によって人は「イエスは主である」と言う(Iコリント一二・三)。キリストは真理であり、聖霊は真理をもたらすもの、真理認識の可能根拠である。反対に聖霊を欠くものは真理を知らない(ヨハネ一四・一七)。ギリシア思想と違って、キリスト教では、自然的人間は真理をも真理を知る条件をも欠いているというキェルケゴールの主張の正しさは前述のとおりである。
こうして真理認識を与える聖霊によって教会には宣教の言葉が与えられる(使徒行伝二・四、四・八)。また奥義が告げられる(ヨハネ黙示録一・一)。すなわち聖霊は教会を建て、神の言葉を告げ、これを語らせる。神が存在の原理であり、キリストは救済の原理であるというのなら、聖霊は教会の原理なのである。そして聖霊は「真理をもたらす」(統体化して同時に統合への規定を知らせる)ゆえに、聖霊においてはキリストが臨在する(ヨハネ一四・一六〜一七と、一四・一八を比べよ)のである。
〈4〉イエスの思想と原始教団の神学
我々は以上でイエスの思想と原始教団の神学を概観した。第一章で述べたように、もちろん両者の間には違いがある。イエスは神の支配を告知し、原始教団はイエスをキリストとして宣べ伝える。イエスの思想は神の支配の事実を根拠として成り立ち、原始教団はイエス・キリストの死と復活から出発する。イエスの存在・死・復活は救済の根拠なのだ。
にもかかわらず、両者の間に一致があることも第一章で示唆したとおりである。我々はこの一致を、イエスと原始教団の思想を概観したいま、以下のように確認することができる。
第一に、イエスの言葉は(1)愛について、(2)人生について、(3)律法について、(4)神の支配・神の国について、と分類することができる。そして愛は人間の対人性、人生は個人性、律法は共同体性にかかわり、「神の支配」は、人間のこれらそれぞれのあり方において、本来の生き方が成り立つ、その共通の根柢なのであった。
原始教団の思想において、神学Aは人間の共同体性に、神学Bは個人性に、神学Cは対人性に、それぞれの場所を持っている。そして「復活のキリスト」が、以上それぞれのあり方において本来的な生が成り立つ、その共通の根柢なのであった。
単に以上のような形式的な対応があるだけではない。なるほど原始教団の神学のほうが、分量的にみてもイエスの言葉より多く、内容的にも展開と分節が進んでいる。たとえばイエスは、ユダヤ民族の救済史や、人間の救済に対する律法の意味について多くを語ってはいない(内容的にはこれらに関する見解を少なくとも含意してはいるにしても)。また異邦人の救済や教会についても――当然のことながら――反省を展開させていない。
しかし思想の実質をみると、律法に関するイエスの言葉と原始教団の神学A、人生に関するイエスの言葉と原始教団の神学B、愛に関するイエスの言葉と原始教団の神学Cは、深い一致を示すといわざるをえない。イエスの思想において我々がいつも行き当たったのは、人の思いや業が人を立て、救うのではなく、逆に人の存在そのものが人の思いや業に先行する「定め」によって根拠づけられていることであった。対人関係において、人ははじめから他者とのかかわりの中にあり、かかわりにおける存在として定められている(愛)、個人としての人間は、自らの存在のための配慮によって立てられるのではなく、むしろそれ以前に、人はあらしめられてあるのであり、それは特定の「何か」のためではない。さらに人は共同体の一成員として社会の中におかれ、あらしめられている。律法の業が人を人たらしめるのではなく、律法は、人を社会の一員としておく定めからして根拠づけられる。ここで人は硬直した律法主義から自由となり、律法の根源にふれるところから、律法の真の精神に即して行為しうるのであった。そして人の本来のあり方を、対人性・個人性・共同体性の各領域において根柢づける定めが、「神の支配」なのであった。
我々は神学A、B、Cにおいて全く同じ事態に行きあたったのである。ここで我々は、イエスの場合より展開している概念性を手懸かりとして、「統合への規定」ということを読みとった。これは人間本来のあり方の定めであり、ここに基礎づけられて、人は共同体性・個人性・対人性それぞれの領域のそれぞれの意味で、同一→自由→(相対的)統合という運動の中におかれているのである。そして「神の支配」を「統合への規定」=「神の言」と置き直してイエスの思想の中に読みこんでも、実質上イエスの思想は変質しないのである。
以上のような、イエスと原始教団の一致を、我々は以下のように解釈する。もともとイエスが「神の支配」と呼んだリアリティは、原始教団の人々が「復活のイエス・キリスト、信徒の中に生きるキリスト」と呼んだリアリティと同じものなのである。このリアリティは人類に普遍的に妥当する事柄であって、なにもキリスト教会だけが知り、ここにだけあらわれたものではない(第四章〈2〉参照)。イエスはそれを「神の支配」として告知した。しかしイエスの生前、イエスの弟子たちはイエスの告知をほんとうには理解していなかった。彼等は、「神の支配」という事柄そのものを把握してはいなかった。しかしイエスの死後、弟子たちはこのリアリティを知ったのである。つまり弟子たちは彼等自身人間本来のあり方に変えられ、統合された人格となった。これは弟子たちの救済の出来事であり、同時に啓示の出来事である。すなわち、人間本来のあり方とその根柢とが弟子たちにあらわとなった出来事である。
弟子たちは、イエスと同じあり方に変えられ、はじめてイエスを理解するにいたった。彼等は――彼等だけがイエスと自分たちのあり方を比べることができる位置にいたのだが――この出来事を、イエスが復活してその力が弟子たちの中に働いた、復活したイエスが彼等にあらわれて彼等を新生させた、と解釈した。マルコ(六・一四)は当時の人々のこのような考え方を示している。バプテスマのヨハネの死後、イエスがヨハネのような業をしているということになると、当時の人々は、「バプテスマのヨハネが死人の中から甦ったのだ。だからあのような力がイエスの中に働いているのだ」と考えたのである。同様に、イエスの弟子たちも、彼等に全く思いがけないことが起こり、「新しい被造物」(IIコリント五・一七)となって、彼等自身イエスのように生きはじめたことを自覚したとき、イエスが甦ってその力が彼等の中に働いていると考えたのである。
事実は、弟子たちが新しいあり方の根柢として見出だしたものは、イエスが「神の支配」と呼んだリアリティだったのである。しかし弟子たちはそのリアリティを「復活のイエス(イエスの復活体)」と呼んだ。こうしてイエスが死んで甦ったという復活信仰が生まれた。そして弟子たちは、彼等にあらわれ(Iコリント一五・五以下の「あらわれた」、ガラテア一・一六の「啓示された」を参照)、彼等の存在を根柢づけるリアリティを、「復活のイエスしとして告知する。ここからして、イエスはあらためて「キリスト」(救世主)と告白され、さらに「キリスト」は前節で述べたように「神の子」「主」等々としていいあらわされ、またイエスはさかのぼって「神的ロゴスの受肉」した存在として告白されるのである。以上のようにして、イエスは「神の支配」を宣べ伝え、原始教団が「キリスト」を告知したこと、しかも両者の思想の実質的内容が一致していることが説明されるのである。
もう少し、イエスの思想と原始教団の神学との一致を考察してみよう。「キリスト」は前述のように「主」、「万物の支配者」であり、存在するものが「どのように」あるかの定めであるが、これは三位一体論的に考えれば、内容上まさに「神の支配」にほかならない。「キリスト」は「神の支配」なのである。逆に、イエスにおける「神の支配」は内容上、原始教団の神学を概観した立場からふりかえってみれば、まさに「統合への規定」そのものにほかならない。実際、神学現象の事実としてみても、第二章で論じたように、イエスにおける「神の支配」を人格化したものが、我々の解釈によれば「人の子」なのであった。「人の子」は、イエスとは区別されるが、神の支配を代表している限りのイエスの行為は「人の子」の行為なのであり、その限りイエスは自分の行為を「人の子」の行為として宣言することができた。
そして原始教団はイエス・キリストと「人の子」を同一視したのである。すなわち、イエスにおいては神の支配=人の子であり、原始教団においてはイエス=人の子=キリストであったのだ。だから「イエス」は「キリスト」となった。もちろん原始教団はイエスと「人の子」と「キリスト」とを無差別に同一視したのだが、右の等式が成り立つことができたのは、事実内容的にいって、神の支配とキリストとが同じリアリティであるからなのである。
さらに以下のような現象が注目される。イエスにおける「神の支配」は、一方では現存するものでありながら、他方では将来的なものであった。すなわち神の「支配」は現在あらゆる人に臨み、悔い改めと服従を要求している。それはまたイエスにおいてあらわれ、働いている。しかし神の「支配」の貫徹としての神の「国」の現出は将来に待望される。神の国の到来は栄光の「人の子」があらわれる時にほかならない。
原始教団の「キリスト」についても同様のことがみられる。すなわちキリストは教会の主、教会はキリストのからだであり、キリストは信徒のうちに生き、教会はキリストを告知する。すなわちキリストは一方では現在的である。しかも他方では、終末時におけるキリストの再臨が待望される。すなわちキリストは将来的なのである。そしてイエスにおいて神の支配は今すでにあらわれ、自己を貫いてゆくもの(成育してゆくもの)であった。同様に原始教団のキリストも、教会として世界の中に自己の支配を貫いてゆくのである(ローマ一一・二五〜二六、ヨハネ一〇・一六)
また神の支配はイエスにおいて、「何よりも大切なもの」であった(マタイ一三・四四〜四六)。原始教団においても、パウロは次のように言う。「かつて私に益であったこれらを、私はキリストのゆえに損と思うようになった。私は主イエス・キリストを知ることの圧倒的な大切さのゆえに、(他の)一切をほんとうに損だと思っている」(ピリピ三・七〜八)
こうして事柄上神の支配=復活のキリストということが確かめられる。さて原始教団の思想にはすでに三位一体論的な神・キリスト・聖霊の関係が、みられたが、イエスではどうであろうか。もとよりイエスの思想はこの点で展開を示してはいない。しかし「私が神の霊によって悪霊を追い出しているなら、神の支配はすでに君達のもとに及んでいるのだ」(マタイ一二・二八)という言葉は――イエスの言葉と考えてよいなら――すでに三位一体論を内包している。この「私」は肉である限りのイエスではなく、神の支配そのものの代表としてのイエスなのであって、ゆえに聖霊は一方では神の霊として神から出るが、他方それは「神の支配」から出るのである(私が神の霊によって聖霊を追い出す)。そして聖霊の中に神の支配が現臨するのである。ここには神・神の支配・聖霊の間に三位一体論的関係があり、ここにも神の支配とキリストとの事柄上の一致が認められるのである。
ヨハネ(三・五〜六)とローマ(八・五〜一一)を比べても、原始教団の思想における神の支配とキリストとの対応・内容的な一致が認められる。すなわち前者は、「私の言うことは真実である。だれでも霊から生まれなければ神の国に入ることはできない。肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊である。君達は新しく生まれなければならないと、私が言ったからとて、怪しんではいけない」と語り、後者は以下のように言う。「肉に規定される者は肉のことを思い、霊に規定される者は霊のことを思う。もしキリストが君達の中にあるなら、からだは罪のゆえに死んでも、霊は義のゆえに生きる。……もしイエスを死人の中から甦らせた方の霊が君たちの中に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中から甦らせた方は、君達の中に宿っている彼の霊のゆえに、君達の死ぬべきからだをも生かしてくださる」。つまり、「霊から生まれた者」は、神の国に入る、すなわち神の支配の下にあるが、これは「キリストが君達の中にある」ことにほかならない。原始教団において「神の国に入る」、「神の国を嗣ぐ」(多数)すなわち神の支配のもとにあるとは、事柄上、キリストのからだである教会につらなっていることなのである。
〈5〉復活信仰はどのようにして成立したか
以上のように、神の支配とキリストとの事柄上の同一性が確かめられる。そうだとすると、復活信仰の成立、すなわち「イエスは死んで甦った」という信仰の成立は、前述のように、弟子たちがイエスの死後、イエスが神の支配と呼んだリアリティを「復活のイエス」(イエスの復活体)と呼んだ出来事だということにならざるをえない。実際、復活信仰はこのようにして最もよく説明出来るのである。
ほんとうに死んだ人間が生きかえるはずはない、とだれしもが当然考える。それで「復活」に関して沢山の批判的研究が積み重ねられている(興味のある方は拙著『新約思想の成立』第六章および五〇三ページ以下を参照されたい)
私の考えのごく大筋だけを記しておくと、イエスの復活について問題となる史料は、第一にマルコ(一六・一〜八)をはじめとする一群の「空虚な墓」の物語と、ルカ(二四・一三以下)などの復活者との出会いの物語、第二にパウロに対する復活者顕現の記事(使徒行伝九・一〜一九など)、第三に――これが最も重要なのだが――、パウロ自身による復活者顕現の証言(Iコリント一五・三〜九、ガラテア一・一六など)である。
第一の「空虚な墓」の物語は歴史的事実ではなく伝説であると考えられる。その理由は、最も古く確実な証言を残したパウロは「空虚な墓」について何も言及していないのみならず、パウロによると復活体は霊的存在であって、墓から出れば墓が空になるような肉体ではない(Iコリント一五・三五以下)。パウロの「中に生きる」キリスト(ガラテア二・二〇)は、肉体的存在ではありえない。またマルコの記事自身に不可解な点が多い(イエスの死後三日目になってから遺体に香油を塗りに行く。大きな石で墓がふさいであることを知りながら、それを取り除ける力のない女だけで行く。白い衣を着た若者は史実らしくない、等)。さらに「空虚な墓」の物語は奇跡物語同様他に類例が多い。奇跡的能力を持っていた聖者が葬られた墓が空になっていたという話は達磨《だるま》をはじめとして仏教伝説に少なくない。これらの話を比較検討してみると、聖者は異常な能力を持ち、かつ不滅であるという信仰が「空虚な墓」の伝説を形成したことが見てとれるのである。イエスの場合だけに限って同様の話が史実だと考えなくてはならないいわれはない。
第二に使徒行伝における、復活者キリストがキリスト教徒を迫害していたパウロに顕現したという記事は、当事者の直接の証言ではないうえに、神がその敵対者に打ち勝つというモチーフは、しばしば天から幻があらわれるという形で語られたのであって、ほぼ同時代の文献にも類似の形式がみられるのである。また使徒行伝の記事では、パウロはキリストの顕現に接して回心したことになっているが、パウロ自身は決して「キリストがあらわれたから私はキリストを信じた」とは言っていない。むしろパウロは一貫して「信じる者はキリストと共,に死に、共に生きる」と言うのであって、その際自分だけを例外としているとは思えない。さらに使徒行伝の、著者ルカは、教会の歩みの決定的な時点に神の導きがあったことを語るのであり、このような神の歴史に対する介入はしばしば幻があらわれるという形式で記される(使徒行伝一〇章等多数)。つまり幻ないし神的存在の顕現は、神の歴史への介入を示すルカ的テクニックなのである。ゆえに我々は使徒行伝の記事をそのままの形で史実と受け取るわけにはいかない。第三のパウロ自身の証言は最も大切であるが、重要なことは、キリスト顕現以来、パウロは「死に」、パウロの中に「キリストが生き」たこと(ガラテア二・二〇)、すなわち顕現はパウロの新生と結びつき、新生の始まりの出来事であった点である。パウロに顕現したキリストは「墓から出てきて人々にあらわれ、天に昇ってまた見えなくなった」のではなく、パウロの中に生きつづけるのである。これと関連して、キリスト顕現は以下のような事柄と結びついているのが観察される。復活を述べる最古の定型句は、キリストの死・復活に関する神学的解釈を含み、この出来事を救いの出来事と理解している(Iコリント一五・三〜五、ピリピ二・六〜一一)。そして顕現は聖霊授与と結合し、同時に罪を定め・赦す権威の自覚、すなわち本来的実存の自覚を生む(ヨハネ二〇・二一〜二三など)。さらに顕現は、キリストの顕現に接した人々の召命・派遣を意味し、これらの人々は教会建設のために宣教をはじめた(使徒行伝二・二二〜四二など多数)。このことはまた、顕現に接した人々はみなクリスチャンとなり、非クリスチャンで顕現に接した人はだれもいない、ということでもある(Iコリント一五・三以下のキリスト、福音書における顕現の物語をみよ)
以上のことは我々のように考えればすべてきわめて自然に理解される。すなわち、キリスト顕現とは、弟子たち――統体への規定のもとにありながら統体ではなかった人間――がイエスの死後「新生」した、統体としての本来のあり方に変えられた出来事である。これは弟子たちには前章で論じたように「聖霊の業」と解される。すなわち新生の出来事は聖霊を受けることと結合する。このとき彼等には本来的実存の根柢が自覚されるが、弟子達はこれをイエスの復活体と解した。すなわち根柢の認識は、キリストがあらわれた出来事と解された。こうしてキリストの顕現は聖霊授与と結合し、新生の起点となるのである。だからパウロも、神がキリストを「私の中に」啓示したと言うことができた(ガラテア一・一六)。この場合の「私の中」は、「キリストが〈私の中に〉生きる」(ガラテア二・二〇)の〈私の中〉と同じ語であり、これは重要である。実際、我々の解釈によればキリスト顕現は外的な事件や幻視幻聴ではありえず、「私は死んで私の中にキリストが生きる」としか言いあらわしようのない出来事なのである。
さてこのリアリティを最初に「復活のキリスト」と呼んだのは生前イエスの弟子だった使徒達であったが、これは彼等だけが、師イエスのあり方と、今や彼等自身に与えられた新しいあり方とを比較することができたからである。彼等はそこに同一性を認め、この同一性を根拠として今や彼等自身の中にあらわれ、本来的実存の根柢として働くリアリティをイエスの復活体と解したのである。だから復活のイエスがまず弟子達にあらわれた(Iコリント一五・三以下のリストによれば復活のイエスがあらわれたのはまずイエスの直弟子達に対してである)のは全く当然なのである。そして伝承は伝説的な形で、顕現に接した人々はしばらくそれがイエスであることがわからなかったという記憶を保存している(ヨハネ二一・四〜七、ルカ二四・一五、三一参照)が、これも新生という予期しなかった事態を弟子たちみずからが解しかねて、しばらくたってからやっと、これはイエスが復活してその力が我々の中にあらわれ、働いているのだと考えて納得したことを示すのであろう。いずれにせよ以上のように考えれば、キリストがまず弟子達にあらわれたことも、またその後キリスト顕現に接した人はすべてクリスチャンとなったことも、さらに、「キリスト」は新生しない者には当然みえないのであるから、非クリスチャンでキリスト顕現に接した者がないことも、自然のことである。またキリスト顕現の出来事は、弟子達が本来的実存を自覚した出来事であるから、彼等は「人の罪を定め・赦す」権威を自覚するのである。そしてキリストはまさに「統合への規定」なのであるから、キリストに生かされる弟子たちが教会(宗教的実存の統合体)建設への召命と派遣を自覚したのもよく理解できるのである。また我々の考えによると宗教的実存となった信徒は使徒に限らずだれでもキリストを見るということになるが、実際そうなのであって、ヨハネは明らかにそう語っている(一四・九、二一、Iヨハネ三・六等参照)。だからよくIコリント(一五・三〜八)のリストからして、キリスト顕現はパウロを以て終わったのだ(キリストは昇天してしまった。使徒行伝・九以下参照)とされるけれども、このリストは別に完結を語っているものでもなく、この見解には何の根拠もない。以上のように考えると、最古の顕現報告が、キリスト顕現があったということだけを記して、それがどのようにして起こったかを描いていない理由も納得される。復活体験はよく言われるように幻視幻聴である(ブルトマン等)のではない。幻視幻聴はあるいは随伴現象としてあったのかもしれないが(確かな証拠は何もない)、それは事柄の本質ではなく、キリスト顕現は本質上外的な事件や内的な幻として描けるようなものではないのである。
弟子達が「キリストの顕現」に接する過程には次のような事情があったのかもしれない(これは推定であり、この推定が正しくないとしても、以上の議論に別に変わりはない)。弟子達はイエスの死後、イエスの死という謎に直面して深い困惑と絶望に陥った。そのとき、ユダヤ教に伝統的な考え方に影響されて、イエスの死は罪のない義人が人の罪をあがなうための死なのだ、と解したのである。このように解釈して教祖の死という(信徒にとっては)不可解な事態を説明することは、他にも例がある(高木宏夫『日本の新興宗教』、岩波新書、一九五九年、一一二ページ以下参照。仏教でも、釈迦の死を説明する必要がきっかけとなって、仏身に関する理論が展開したという)。
このとき弟子達ははじめて、従来克服出来なかったユダヤ教的律法主義から自由になった(律法が守れなくても、イエスの死によって義とされるから、律法はもはや救いの必要条件ではない)。弟子達は律法主義的な自己に死んだ。このようにして律法主義的自己に死んだとき、彼等は全く思いがけず新生したのである。このような新生は、今日なお多くの人々が経験するところではないか。そして弟子達は、今や彼等に自覚された本来的実存の根柢を、イエスの復活体と言いあらわしたのである。
もっとも、イエスの十字架を贖罪と解釈したことが、弟子を新生へと導いたという仮説は、従来私が提出した説の中でもっとも反論の多いものである。反論は、弟子たちはまず顕現に接して、ここからして十字架を贖罪のためと理解したのだ、と言う。しかしこう考えると、新約聖書の中で、どうしてあそこまで「イエスが十字架上で贖罪死をとげたから」我々の罪は赦されるのだ、と主張されるのか、説明できないと私は思うのである。たしかにパウロも、「キリストと共に生きる」事実の認識からして、逆に十字架を再解釈しているところはあるにしても(ローマ六章)、それは再解釈であって、パウロにおいては十字架が義認の根拠なのである。顕現の事実から十字架が解釈されたなら、十字架はシンボルとはなっても根拠とはならないのではなかろうか。いずれにせよ私はこの点では、上の問題をよりよく説明する解釈があれば、顕現の事実から逆に十字架の意味が解釈されたのだ、という説を受け容れてもよいと思っている。順序をこう考えてもその他の点は別に変更の必要はないのである。いずれにせよ上の仮説のように考えると、何故に使徒的告知において、イエスの死と復活とが共に言及され、そしてイエスの死が我々の罪のための贖罪死と理解されているかが説明される。こうして「イエスは我々の罪のために十字架につけられて死に、葬られ、復活した、このイエスこそキリストである」という最古の使徒的告知(Iコリント一五・三〜五参照)の成立の説明がつく。これを中心としてエルサレム教団において神学Aが展開し、これが異邦世界で既に本章で述べたように神学B、さらに神学Cへと展開されていったのである。
〈6〉現代の信仰のあり方
以上イエスの思想と原始教団の神学との、事柄上の関係及び歴史的な関係を述べた。今日の信仰にとっては、以上の事柄は何を意味するだろうか。それを以下に少し考えてみたい。
我々はイエスの思想と原始教団の神学との実質的一致をたしかめた。すると違いはどう解されるのだろうか。まずイエスの思想は直接「神の支配」に根拠をおいていて、イエス自身の存在や運命の上に成り立つというものではない。とすればイエスの思想と実質上一致する原始教団の神学にしても、やはり「復活のキリスト」に直接根拠をおいているものであって、実はイエスの到来と死と復活を根拠とするものではない、とはいえないのだろうか。
現象としては、使徒的キリスト教はイエスの到来・死・復活の上に成り立っている。すなわち歴史を根拠としている。そしてこの歴史の証人は使徒だけなのだから、ここに使徒の独自の権威が基礎づけられ、ひいては聖書が信仰の唯一の基準として排他的絶対性をもって来ることはすでに度々みたとおりである。そのゆえにキリスト教は自由な批判的精神と相容れぬ他律的権威主義の要素を帯び、哲学や他宗教をたかだか本来的実存への問いの表現としてしか評価しえず、それらがキリスト教のようにこの問いに対して答えを与えることは否定されるのである(ティリッヒ)。そしてこの聖書原理が強く主張されると結局は聖書を通してしか我々は真理に接しえぬということになり、ひいては聖書の方が神そのものより上におかれかねない傾向をさえもつ(バルトの場合)
この場合、神学諸学科の内部にも分裂と相剋が生じる。信仰が歴史を根拠とするとき、信仰は逆にその歴史の事実性を要求するから、信仰と聖書の批判的、史学的研究は抑圧される。あるいは聖書が持つ実存理解・存在理解が直接に規範化されるゆえに、本来人間存在の一般的構造への洞察の上に立たなければならない解釈学も、二千年前の人間理解に束縛されることとなる。科学とキリスト教の闘争と勝敗はここにいうまでもない。こうしてキリスト教は「神を知らぬ世」の不信仰を拒否したつもりでいながら、実は逆に正当な科学的認識が正当に通用する世界から拒否される結果になっているのである。
そればかりではない。事柄としてみても、「イエスが贖罪死をとげたから我々の罪は赦される」という考えは、神学Aをみれば明らかなように、「本来人は律法の行為によって救われるのだけれども」、それが出来ないから、イエス・キリストの十字架によって義とされるという考えを前提として含んでいる。
ところが、「人は本来は律法の行為によって義とされる、律法を守れば生きる」という考えは実際上到底正しいものとはいわれない。キリスト(神の支配)のリアリティに根ざさぬままどれだけ律法の行に励んだとて、それは決して正しい在り方に人を至らせはしない。それだけではない。イエスは決してこうは考えていなかったし、ヨハネにおいても律法は旧いアイオーンの原理で真理を欠いている(一・一七、一〇・七)。パウロですら、上の前提をしばしば――これは思想的には首尾一貫していないと言わねばならないが――放棄している。彼はユダヤ人の熱心は深い知識によらない(ローマ一○・二)、文字は殺し、霊は生かす(IIコリント三・六)、信仰があらわれた以上、我々は律法のもとにはいない(ガラテア三・二五)などというのである。つまり十字架の贖罪観は、正しからざる前提の上に立っている。実際また、他人の十字架によって私の罪が赦されるとは、誠に受け入れがたいことである。これは私の罪は私が自分で始末するということではない。それは不可能である。我々の罪は「キリスト」が「聖霊」において向こうの側から我々に到来する以外に、処理されようがないのである。同じことだが、我々の思いや業以前、我々の存在以前に、神が我々を肯定しているということがなければ、世は立ちようがなく、我々の罪は赦されようがないのである。つまり十字架という歴史的事実が我々の赦しの根拠だという考えは、それ自体としても受け容れがたく、その持つ前提も正しいとは言いがたいのである。
このように信仰が真理それ自体ではなく、歴史(使徒によって解釈された歴史!)の上に立つことが、どのような結果をもたらしているかをみるとき、我々は思想の事実と本質とを区別し検討することを余儀なくされるのである。
こうして、(1)もしイエスの思想が歴史ではなく「神の支配」の事実の上に直接成り立っているなら、そして、(2)原始教団の信仰の成立を我々が論じたように解することができるなら、さらに、(3)信仰が歴史を根拠とするという構造がそれ自身としてさまざまの問題を起こすのだとすれば、我々は二千年前の思想の事実はどうであっても、断然事実と本質とを区別して、キリスト教は本来歴史の上に成り立つのではなくて、イエスが「神の支配」と呼び、原始教団が「復活のキリスト」と名づけたリアリティそれ自身の上に立つと判断するのが正しいのである。このように考えるとき、もちろん問題はなくなるわけではなく、「神の支配」=「復活のキリスト」というリアリティがそれ自身としてどのようなものであるかを厳密に追求する課題が生じるわけである。我々はこのリアリティの内容を「統合への超越的規定」と解し、これから新約思想を統一的に解釈したのであるが、このような存在にかかわる規定が、事実あるかないか、あるとしたら、どのような意味であるのかはやはり問い続けられなくてはならないし、我々はこの課題に第四章である程度かかわるわけである。しかし上のように考えると、第一にキリスト教の権威主義的な他律性がなくなることはたしかなのだ。我々は聖書に書いてあることを、使徒の言葉なるがゆえに、信ずるのではなく、聖書によって教え導かれながら――この点では聖書の古典的価値は失せない――、そして第二に教会史上忘れることのできない多くの教師たちに導かれながら、幸いに「神の支配」=「復活のキリスト」のリアリティそのものにふれたならば、それから先は事実そのとおりだったら肯定し、そうでないものは否定する態度を貫くこととなるのである。歴史が信仰の根拠でない以上、いかなる批判的、史学的研究も、それが正当ならば受容すべきなのだし、受容して差し支えないはずである。また解釈学はキリスト教の根柢となるリアリティ自身への洞察から、聖書の思想を解明してゆけばよい。またキリスト教的真理の体系的認識と叙述を仕事とする組織神学は、このリアリティ自身を対象として認識に励むこととなる。そこにはもはや権威主義的他律は存在しないのである。そればかりではなく、キリスト教における時代制約(この場合ユダヤ教的な特殊性。つまり律法違反としての罪の概念や十字架による贖罪。我々非ユダヤ人は厳密な意味での律法を持ってはいないのである)も直接の意味を失う。
以上のようにしてキリスト教は総じてキリスト教外の宗教・哲学・科学の正当な認識を拒否したり恐れたりする必要は全くなくなるのであって、キリスト教は確かにこれらに一方的に依存することはないが、さりとてこれらを軽視したり拒否したりすることもない。これらに触発されて自己の内部から同じ認識を展開させるのは望ましいことであり、一見異質的なものから学ぶことも不可能ではないはずである。もちろんそこには真剣な批判的対決が要求されるであろう。聖書が権威主義的他律者となるときにこそ、かえって他の思想との良心的な批判的対決も萎縮してしまうのである。実際、以上のように考えたとしても、キリスト教はキリスト論や三位一体論をはじめ、その正当な認識を何ひとつ失うわけではなく、不都合な点だけがなくなるといえるではないか。
とはいえ、歴史を信仰の根拠とし、ナザレのイエスを信仰の対象とするという構造は、無視できない長所をも持っている。第一に、この場合信仰は具体的なイメージを持つのである。イエスの「神の支配」の場合、これは世界内の具体的存在ではないし、また具体的な人間関係や道徳でもないのだから、仏教の「無」と同様つかみどころがない。
それに反して「イエスは我々の罪のために十字架にかかって死に、復活した。このイエスこそキリストである。この救済の出来事によって、我々の罪の赦しと永遠の生命が保証される」という告知は具体的である。これを決断的に受容すればよい、それが信仰であり、信仰において人間には本来的なあり方が与えられる、というのは本来的実存に達するための実に優れた、確実な、そして容易な道である。イエスと原始教団の両告知をこの点で比べてみるとき、禅仏教と浄土仏教の対立を思い出すのは不当だろうか。禅は決してクリスチャンがとかく解しがちな意味での「自力」宗ではない。禅は決して目標を立てそれを実現すべく意志的に努力するのではなく、禅の禅たるゆえんは、到達すべき目標などというもの一切を奪い去るところにあるのである。しかし「悟り」は掴みどころのない、難しい道であり、これに対して浄土仏教は具体的な信仰対象とイメージをもつ、「易行道」なのである(その代わり、禅の方が仏教としてはより純粋で根元的であるように思われる)。
イエスの言葉を手懸かりとして、それを律法や道徳に化することなく、「神の支配」のリアリティそのものを把握するのは、禅の悟りの場合と同じく、決して容易ではないのだ。イエスの言葉は一見だれにでも解るようであるが、その全貌と、その根柢を把握するのはやさしくはない。しかし使徒的キリスト教の意味でイエス・キリストを信ずるのは、アミダ信仰と同じく、容易なのである。ただ問題は、上述のように、使徒的宣教の内容それ自身が現代人には受容し難い、ということなのである。それを信じるのが信仰だ、などということでは済まされないところがあるのである。
本書はもとより、では我々はどのように宣教したらよいのかという実践上の緊急の課題に直接答えるものではない。本書の主張は、イエスと原始教団の思想の実質的同一性を明らかにして、我々の信仰とは、かつて「神の支配」また「復活のキリスト」と名づけられたリアリティ、実は仏教にも知られている普遍的なリアリティそのものを根柢として実存することだ、ということなのである。もしこの主張が幸いに当たっているならば、我々の今後の課題は、一面このリアリティ自体およびこのリアリティと人間のかかわりを解明することであり、他面では現代の我々がこのリアリティに達するための確実で容易な道を見出だすということである。こうして課題が課題として明らかになる。
本章を終えるにあたって、従来の形のキリスト教に対する批判の要点を確認しておきたい。その第一は、信仰の根柢は「神の支配」=「復活のキリスト」と名づけられたリアリティそれ自身であって、歴史的事件ではない、ということである。第二は、これと関連するのだが、もし「神の支配」=「復活のキリスト」という等式が正しいなら、ナザレのイエスは、「神の支配」=「復活のキリスト」のリアリティとは区別されなくてはならない、ということである。イエスが自分自身と神の支配(=人の子)と区別したのは既述(第二章の〈2〉(D))のとおりである。またイエスが「復活」して、「復活のキリスト」となったのではない。「復活のキリスト」はもともとヨハネ(一・一)のロゴスと同一のリアリティであり、ナザレのイエスはこのロゴスが地上に人として現われた形、「統合への規定」に従って統合された人格、この規定の円満な具現なのである。すなわち、ロゴスとイエスの関係は、仏教における法身《ほっしん》(真理自体)と応身(真理を具現した、釈迦のような人間)の関係に等しい。もとよりイエスの存在をロゴスから切り離して考えることは絶対にできない。イエスはロゴスの具現(誤解されなければ、もとよりロゴスの「受肉」といってよい)なのだ。しかし原始キリスト教は、イエスと人の子、イエスとロゴス、イエスと「復活のキリスト」を無差別に同一存在と考えた。我々はこれを批判して、両者を区別しなくてはならない。この区別を明確に洞察したのは九大の滝沢克己教授である(『仏教とキリスト教』法蔵館、一九六五年。『聖書のイエスと現代の思惟』、新教出版社、一九六四年)。もちろん十九世紀の自由主義神学は、宗教的ア・プリオーリやイデーと、その具現としてのイエスとを区別した。しかし自由主義神学の「キリスト教の本質」把握は不充分であって、そのいわゆる宗教的ア・プリオーリやイデーや感情や体験は、聖書が証示する「神の支配」=「復活のキリスト」とは何としても同じものではない。
だから二十世紀の弁証法神学が聖書の言葉に即しようとしたのは、自由主義神学の批判としてはたしかに正しかった。そして弁証法主義神学の代表者カール・バルトに学んだ滝沢克己が、そのカール・バルトを一点において批判しつつ右の区別を主張するとき、これは自由主義神学の単なる蒸し返しと考えるべきではない。そして我々は、本書において、聖書自体に即しながら、聖書が証示し聖書がその上に立つ根柢を検討してきたのである。我々の「根柢」は、非聖書的な領域から無造作に輸入したものではない。その結果我々は、滝沢が主張する区別の正しさをも認めざるをえないのである。
こうして本書では二つの主要な批判点が提出されるわけである。すなわち、(1)歴史的事件は信仰の根拠ではないこと、(2)ナザレのイエスと、「神の支配」=「人の子」=「復活のキリスト」のリアリティとは、区別されなくてはならない、ということである。このとき、人の本来的実存を支える原リアリティは、教会の内外を問わずすべての人に本来かかわって来る普遍的現実であること、そしてこの現実からしてたとえば仏教のような他宗教を、同じリアリティの上に立つ兄弟として尊重する道が開けてくるであろう。そのときまた、キリスト教の絶対性・排他性も権威的他律も解消して、だれにも恥じる必要のない(ローマ一・一六)、真に自由な人間のあり方が確立されるであろう。そしてこのように排他性を解消するということは、決して世との安易な妥協、キリスト教が保持してきた正しいものの放棄、正しい生き方とそうでないものとの区別を曖昧にすることではないのであるし、あってはならないのである。
4 宗教的実存
〈1〉はじめに
さて以上で、新約聖書の思想を批判的に理解しようという本書の意図は一応達せられたわけである。本書の重点は新約思想の理解にあり、必要な限りでの批判は遂行したとしても、新約思想の真理性そのものを充分に検討することは、本書の仕事ではない。
しかし解釈論は本質論と切り離すことはできない。新約聖書がなぜあのように考えたかという問いは、やがて、それでは新約聖書が語っていることは真理なのかという問題を立てずにはおかないのである。
実際、緊急の問題として、本書のような批判的理解の立場には、一体何を真理と考えるのかということが問われざるをえない。このような立場では、信仰はどういうことになるのか、どういう神学が成り立つのかという問題に直面せざるをえないのである。
R・ブルトマンをはじめとして、聖書を批判的に理解しようとする試み――それは多くの場合、聖書の思想を人間の実存、ないし存在とのかかわりの中でとらえている――に対して多くの批判がなされている。本書に対しても当然そのような批判が予想されるし、実際従来私が公にした見解に対しても批判がなされたのである。
そのおもなものは、たとえば以下のようなものであろう。聖書を批判的に理解しようとする立場は、聖書を信ずるという正統的な態度をとらない。一体、それでは信仰と理解(ないし理性)の関係はどうなるのか。信仰は理性にのみこまれてしまうのか。また、聖書を人間の実存ないし存在とのかかわりの中で把握し、普遍的に確認可能なリアリティから説明しようという試みは、哲学への屈服ではないのか。実存論的解釈はやがて実存主義に陥り、実存が本質に先行すると考える結果、結局無神論ないしニヒリズムに帰着するのではないか。実存論的解釈などと言って、人間の生き方をまず問題にするなら、人間一般の生き方が前面に出てきて、キリスト教の独自性が曖昧となり、たとえば仏教のような他宗教との違いが失せてしまうのではないか。もしそうならば、世と区別された教会は成り立たず、キリスト教は意味を失うのではないか。そしてこのようにキリスト教独自の生き方すら曖昧となるなら、キリスト教が持つ鋭い罪の認識、原罪の教義まで虚しくなるのではないか。逆にいえば、キリスト教的倫理などということは成り立たなくなるのではないか。こうして、信仰の一角を世に売り渡すならば、キリスト教は、一皿のあつもののために長子権を失ったエサウ(旧約聖書、創世記二五・二九〜三三)の二の舞を演じ、神なく、信仰も失われ、神の国到来の希望も虚しくなり、結局キリスト教を一片の古代的遺物、訪れる者もない廃墟と化してしまうのではないか。
これは重大な疑義である。批判的理解という立場そのものに対して発せられた疑義であるだけに、いかに本書の重点は新約思想の理解であって、その真理性の検討ないし主張ではないといっても、右のような批判に全然答えないわけにはいかない。実は私は逆に、本書のような立場でこそ、キリスト教の正しさが真に維持されるとともに、その欠点が克服されるだろうと思っているのである。しかし本書の性格上このような問題を詳論することはできない。
それで右のような疑義を念頭において、本書のような批判的理解と結びつく信仰上の立場は一体どういうことになるか、我々自身は聖書的な事柄についてどう考えるかを、大体の方向だけでも以下でスケッチしてみたいと思う。宗教的実存の立場と他の立場の区別と関係、また宗教的実存の共同体(教会)と倫理、宗教的実存の立場で成り立つ信仰と希望について、ごく簡単にでも筋道を立ててみたいのである。分量からいっても不充分で、そのためよけい難解になったかもしれないが、予想される神学的批判への答えとして、本章を付け加えるわけなのである。
そして私の考えでは、聖書の批判的理解という立場は、聖書の思想を生み出した立場と全く別のものであってはならない。そうでなければ、批判の立場は、聖書を生み出した立場を理解しないままで、それを外からとやかく言っているということになるであろう。そうではなく、かつて聖書を生み出した立場自身が、今では聖書の批判的理解を要求するのである。我々自身が真であると考える以下のような立場は、大筋において聖書と一致し、それを理解・支持しながら、自らの論理を貫いてゆくときに、本書で述べたような批判の立場、いわゆる「信仰」ではなく、事実を事実として承認し、非事実を非事実として否認する立場をも生むのである。
〈2〉宗教的実存の立場
宗教的実存という用語は多少問題であるかもしれない。というのは、「実存」とは「本質」から疎外された、人間の非本来的なあり方を意味する(ティリッヒ)こともありうるからである。しかし他方では、実存とは一般性への頽落から脱出して自由な決断的主体となった、人間本来のあり方を意味することもできるわけで、この意味で宗教的「実存」という用語は正当性を持っているといえるであろう。またあえて「宗教的」実存というのは、私はキリスト教的人間のあり方と、仏教的人間のあり方に深い共通性を見ざるをえないからで、両者をあわせて「宗教的」実存といいたいわけなのである。
とするなら当然「実存」と、宗教固有の普遍的・本質的真理との関係が問題となる。以下でこのことに簡単にふれてみたいのだが、結論はすでに前の諸章からして一定の方向を与えられている。すなわち実存は統体性の文脈の中で解されることになる。統体には、その構成要素である「個」と、統体の形の原理である「統一」と、統体を統合へと規定する「根柢」とが統体の契機として考えられるが、ここで特に統一と根柢とは厳密に区別されなくてはならない。
統一とは、その点ですべての個が同一であるようなもの、共同体では法であり規範である。しかしまた、いわゆる抽象的一般者も統一的なるものである。人間とは何であるか、という問いに対して、あらゆる人間に共通の性質をとり出し、人とはこれこれの性質を持つものである、と定義することができるが、この場合この共通の性質が抽象的一般者としての統一性である。
もしかりにこの統一性のことを「本質」と称するならば、実存とはこの統一性に解消されない現実的・具体的存在であり、ましてこのような本質が、標準として規範に転化されている場合、実存はこの本質からはみ出すものである。人間性の具体的内容は、人間が創り出してゆくものであって、決して抽象的な人間性一般によって定められるものではない。
だからもし右のように「本質」を「統一」のことと解するなら、その限りではたしかに、「実存は本質に先行する」。しかし現象的な個を超えるものは「統一」だけではないのであって、本書の意味での根柢も、いやこれこそが、真の意味において超越なのである。もしこの超越の存在が承認されるなら、やはり「超越は個に先行する」といわなくてはならない。なぜなら、超越は、類比的にいえば、あたかも個々の物体の運動に対する引力の場のようなものであって、それは個物なしには現実に働きとしてはあらわれないが、しかし個物の存在と運動に先行するものだからである。超越は個の根柢であり、個は超越が世界に働く媒介なのである(手段ではなく、媒介である)
超越と個の関係はさらに弁証法的である。すなわち新約聖書は、一方ではたしかに「実存が本質に先行する」として、信仰的決断をする者には本来的存在が与えられるという(ヨハネ一・一二)。しかし同時に、他方では、根柢が決断に先行し(Iコリント・一二・三)、選ばれた者が信仰に至るとする(ヨハネ六・六五)。換言すれば、人間の自由は全く自由であってなんら他律ではないが、しかもその自由は根柢を根拠として成り立つ、服従即自由の自由なのである。
宗教的実存は、根柢を根拠として、統一→自由→統合という運動を営むのである。本章ではこれを前章とは別な観点から、人が本来の自己の全人格的なあり方を自覚する過程として見てみよう。
人間的なるもののうち、最も直接に明らかなものは快・不快であると言えるだろう。自分の生活は快・不快とは全然無縁だと断言できる人はいないだろう。実際、快楽を以て善とする倫理学上の立場は古代ギリシアから現代にいたるまで絶えないし、快楽を幸福と言い換えるなら、これが実際上有力な立場であることはだれも否定できない。
しかし、よく言われるように、快は欲求充足の結果であって、行動の目的ではない。それはもともと瞬間的な、訪れては過ぎてゆくものである。しかし人は快を記憶し、それをもたらす条件を知り、こうして快の追求が可能となる。快楽主義においては、その快は人の生における目標(これは観念存在である)となり、至高目的として他の諸目的を自己の手段に系列化してしまう。しかし特定の快の追求は他の欲求を犠牲にすることになり、この系列化に対して他の欲求が反抗するから、主体の中には無理と分裂が起こるのである。しかも快は多くの不測の条件に依存するゆえに、同じ快が予期どおり「反復」(キェルケゴール)されるとは限らない。
さらに他者との関係においても、快は個人的であるために、快の追求は他者との衝突を招き、これはやはり不快と感ぜられる。こうして快の追求は結局ほどほどに終わらざるをえず、つきつめれば却って消極的に不快を避け、快の魅惑に心を奪われない否定性に帰着することは、すでに、西欧古代末期の倫理思想(たとえばエピクロス派)が示すとおりである。こうして快の追求はかえってその否定に転化するのである。
ゆえに快と不快とを包み、それぞれを位置づけて、それぞれに然るべき位置を与える高次の立場が求められなくてはならない。これはすでに前の立場における統一性(すなわち快)からの自由、至高目的としての快の放棄を意味する。この立場はさしあたり、より大きな快のために小さな快を忍ぶ、より反省的な立場、すなわちものごとの性質をよく弁《わきま》えて、それを利用する立場である。個人的な快の追求は他者との不和を招く。しかしこのように明らかな目的を設定し、さまざまなものごとの性質を利用して、限定された目的を実現するというなら、ここに利益の一致に基づいた他者との協力も可能となるのである。
このような立場を、前の感性的な立場に対して悟性的な立場ということができる。ここで人間は「考える葦」としての一歩を踏み出す。考えることができるということ、限定された目的を設定して手段を択ぶことができるということ、これは既に自由の具体化への歩みなのである。
我々はさまざまな事物について莫大《ばくだい》な知識を持っている。しかしその知識は決して幾何学的な体系に組織されているわけではなく、むしろ一定の対象に関する、特定の方法によって獲得された、さしあたり多少とも断片的な性格の知識なのである。
とはいえ、知識が断片的であるからといって我々は精神分裂に陥るわけではない。我々は必要に応じて知識のひき出しをあけ、当面の問題解決のために必要な知識を、実践的な目的・手段関係の中に包みこむのである。我々はこの関係の中に事物に関する知識を包み、さらにまた予期された快(これは多少とも個人的な性格を失って、協同してこれを求める人々のいわば最小公倍数のようなものになっている)と、そのために忍ばねばならぬ不快とを包み、位置づける。このように計算された快は、感性的な快というより「利益」というべきものである。
悟性の立場の方が感性の立場より素朴・直截でないだけに、より人間的で成熟した立場、より自由な立場である。これは個人主義を基本にして他者との協同を求める立場、ゲゼルシャフト形成の立場であり、歴史的には、西欧近代の啓蒙主義から市民社会形成期にかけて典型的にあらわれ、確立されたといってよいであろう。
しかし悟性の立場も困難に逢着する。これはまだ最深の立場ではない。というのは、この立場は目的同士の矛盾対立を処理することができないからである。単に特定の利益の追求が、個人の生活の全体を包みこむことができず、個人の部分的な営みにかかわって全人格性を欠いているばかりではない。他者との関係においても、悟性は限定された目的を設定して協力を求める。しかしある人々と他の人々との目的が両立せず矛盾相克する場合はどうなるのか。この場合に起こるに違いない闘争は、どのように決着をつければよいのか。
だからさまざまな目的(利害対立)を包み、それぞれの目的を秩序づけ位置づける立場が必要なのである。この立場は、ゆえに限定された利益の追求からの自由を、自己の利益の究極化の放棄を要求する。実際の生活についていえば、これは法治国家の必要を意味するといえよう。なるべく争いのないように、人々がそれぞれの利益を秩序正しく追求することを可能とし、紛争が起こった場合には法を以て処理する、立法・司法・行政の三権を具えた法治国家が必要なのである。
同時にそれはまた、さまざまな目的それ自身を秩序づけて組織する、高次の理念の必要を意味する。利益追求の活動はできるだけ自由でなくてはならないが、しかしその際不当な差別があってはならず、各人は能《あた》う限り平等な条件を与えられなくてはならない。財の分配は正義に即してなされなくてはならない。その円滑な運営のためには確立された秩序がなくてはならない。このようにいうとき、自由や平等や正義や秩序が理念なのである。
そして理念を思惟し実現するものが理性だというなら、ここに理性の立場が成り立ち、この立場の現実的基盤は国家なのである。理性は悟性を包み、悟性的な目的をそれぞれの場所に位置づけるのである。
しかし理性の立場も最深のものではない。現実の国家が必ずしも理性的ではないことは論外としても、理性の立場そのものがなお問題なのである。というのは諸理念の間にもなお矛盾と対立とが存在するからである。人間の活動に無制限な自由を与えれば結果は不平等となる。秩序は保守的であるが正義は革新を求める。正義は既存の秩序に不正・不平等を見出だして、これを正そうとするからだ。こうして自由と平等、秩序と正義は矛盾し合う。もちろん自由と秩序も矛盾する。こうして国家の内部では、異なる理念を掲げる努力同士の衝突が起こる。これは同列の理念同士の争いであるゆえに、理性の立場では処理できないし、といって単に力の対決ですむことでもない。
それだけではない。いや、以上のようなことがあればこそ、ある国家(国家群)の理念と、他の国家(国家群)の理念が矛盾し、ここに国家の間に相克が起こる。また以上あげた理念のほかに、人間の基本的なあり方に即して、人間存在が個人としての存在であることに根ざす個人主義と、社会的存在であることに根ざす社会主義とが、やはり国家理念としてあらわれ、相克するのである。これは理性の立場自身が内包する問題の顕在化にほかならない。
ゆえに諸理念を包み、それぞれの理念にそれぞれの意義を与える立場が求められる。それは理性を包む立場として、同時に諸国家の壁を越えて諸国家を包み、人類的な立場に立って、人類的な平和を可能にする立場である。これは性急に国家とその理念を否定するのでもなく、特定の理念を立てて他の理念を排するのでもない。悟性が感性を包んで、より高い立場からこれを生かし、理性が悟性を包み、より高い立場からこれを生かすように、特定の理念の究極化から自由になりつつ、理念を包んでそれぞれにそれぞれの意義を与える立場、差別を超えた人類的連帯を現実に可能とする地平に立つ立場なのである。
この立場はなくてはならないし、また、ある。それが宗教の立場である。宗教の本質は、ひとたび理性に死んでこれから自由となり、超越者に生かされるところにある。宗教的実存の共同体、すなわちキリスト教の場合教会は、国家や民族や伝統の壁を超えた人類的共同体であることを本質とする。教会の希望、また使命は、キリストにある世界平和の実現なのである。教会はそれ自身としては権力を持たないし、また持つべきでもない。教会は政治的支配の機構ではない。教会は理念の対立を超えるゆえに非政治的である。しかしその仕方は、国家が(実際はともかく)本来は市民の利益追求活動とその対立を超えるゆえに、特定の利益団体を支持しないはずであることに類比的なのである。教会は、それが事実理性を超えた立場であるなら、政治運動と同じレベルで特定の理念を教会として支持しこれに奉仕すべきではない。これはもちろん教会員が市民として政治活動(また利益追求活動)をすることとは別の事柄である。教会はこれを制限してはならない。教会は、むしろ、教会としては、特定の理念の支配から自由であることによって、それぞれの理念に正しい位置を与える地平を切り開き(理念群は統体を形成すべきであって、ある理念が他の理念を自らの下に系列化すべきではない。後述参照)、人々を現実にその地平に立たせることによって、かえって人々が市民としてそのつど状況に応じて理念を正しく生かすことを助けるべきなのだ。換言すれば教会は国家的理念から一面自由でありつつ、他面では、人類的連帯の地平から国家に対して批判的発言の責任を負う。つまり原則的に、体制べったりではないし、といって反体制とひとつなのでもない。教会は、教会の存立自身が脅かされたときには、敢然と世と闘うべきである。しかし従来教会は右の性格のゆえにいつも権力からは睨まれ、民衆からは反動と目された。しかしこれは「此の世に宿れるもの、旅人」(ヘブル一一・一三、Iペテロ二・一一)である教会の耐えるべき宿命であろう。教会は、「ユダヤ人とギリシア人」とが、「男、女」とが、また「支配者と民衆」とが、その差別があるまま、しかしその差別にもかかわらず、「キリストにあって」現実に「兄弟である」地平の存在を証しするのである。
宗教的実存はひとたび理性の立場に死に、ここから自由となることによって、理性を超えた立場に立つ。宗教が理性を超えることは、当然主張されてきたけれども、とかくこの主張は宗教信仰が理性を単に無視し、明らかな事実と確からしさに目を閉じて、聖書や信条を受容・固守すること、つまり反理性の立場に立つことと解された。これは甚だ不幸な事態である。
この事態に対して、当然学的認識が異議を唱え、「宗教と科学の闘争」において科学が勝利を収めたのはいささかも怪しむに足りない。こうして神学それ自身も「学的神学」とならざるをえないのだが、これが十九世紀には宗教本来の立場を見失って、理性の立場(ア・プリオーリやイデー)に留まる傾向を強く持ったのは逆の不幸であった。学的神学のこの傾向は、今日といえども全く克服されたとは言いがたい。
宗教が理性を超えるとは、立場の違いのことであって、事実を無視することではない。否、宗教的実存とは本来最も事実に即したあり方であるはずなのだ。実際イエスは、権威や信仰に対抗して、事実をありのままに、「あるものをある」と率直に認めることができた。それはほぼ以下のような事情によるものである。
宗教的実存の立場は観念的、同一的なるものからの自由を含んでいる。悟性は感性的快の支配からの、理性は特殊の利益の支配からの、自由を含んでいた。そして宗教の立場は、特定の理念を究極化せざるをえない立場からの自由を含んでいる。一般に、感性・悟性・理性を究極の原理とする立場を知性主義の立場と総括できるなら(快の追求も、快が観念化されて目的.手段関係が意識されている限り知性の営みである)、宗教は知性主義における観念的統一の支配から自由なのである。
知性は自己同一的なるものに指向し、自己同一なるものを把握し、これを原理として諸存在を統一しようとする。「存在は……である」という形の究極の判断を獲得することが、知性の目標なのだ。実際、ギリシアの昔から、知性は経験の多様を統一する、自己同一的で不変.恒常の有の把握をめざしてきたのである。
しかし実は存在(人間存在とその歴史にかかわるもの)は統合に向かって規定されているのだ。統体において、統一的なるものの契機、不可欠の要素ではあるが、統体は統一に解消されはしない。統体は、相互に否定し合う一面を持つものが、にもかかわらず相互に依存して、全体としてひとつにまとまっているようなものである。相互に否定し合うものは、まさに同一なるものではないから、統一性は統体の抽象的一面ではあっても、全体を汲み尽くさず、その多様性を切り捨てるのである。実際、感性・悟性・理性の立場では、特定の観念存在を究極化してその実現を求めるとき、知性は統一を求めるゆえに、それと矛盾する他の存在は無視され否定され、ないし排除されるよりほかなかったのであり、だからその立場では必ず抗争があらわれたのである。そして知性の統一の立場では、統一に矛盾する事実は歪曲《わいきょく》され、無視されざるをえないのである。だから知性を超えた宗教の立場でこそ、本来事実が率直に事実と認められうるのである。明らかな事実を無視したり歪曲したりする信条主義の立場は、宗教の悪しき知性主義への頽落態にほかならない。
人間は自覚的存在である。ということは情報を受け取り、これを処理して、自らの行動の指令へと切り換え、また他者に情報を伝達する。この営みなしに人間は充分な意味で人間ではないとすれば、この意味でも人間ははじめからかかわりにおける存在であり、関係の極(磁石の極というような意味での極)なのである。
とするならば、情報が遮断され、ないし歪曲されることは、人間本来のあり方にとって致命的なのである。明らかに存在するものを無視したり歪曲したり、ありもしないものをあると言い張る、これが原理的に起こっているのは非本来的なあり方の徴候である。イエスのたとえに登場する祭司は、強盗に襲われて半死半生になって倒れている人の無言の訴えを無視した(ルカ一〇・三一)。それに反して、あるものはある、ないものはないと率直に事実に即して認めることが自らもできるし、また他者にも語ることができるのは、本来的実存の指標であると言ってよい。
非本来的実存においては、究極的でないものの究極化、相対の絶対化が起こっているのである。もともと相対的でしかないものの絶対化は、他の相対的存在の無視・否定ないし排除を招かないわけにはいかない。こうして「あるものをある」とすることは、原理的に不可能となるのである。そして非本来的実存の知性は、絶対化された相対者を原理として、この原理からして諸存在を統一・系列化しようとするのである。相対者が原理に高められたら、それに同次元の他の相対者を、自らの手段とするか、包摂するかして、支配するよりほかないではないか。統合ではない統一、共存ではない系列化ということが、非本来的実存の存在支配のやり方なのである。非本来的実存の知性の原理は統一性であって、統合ではない。
宗教的実存の立場は、感性・悟性・理性をひっくるめた知性主義の立場を超えなくてはならない。これが宗教が理性を超えるという意味である。相対的存在(快にもせよ利益にもせよ理念にもせよ)を究極化・絶対化して、これを原理として存在一般を統一・系列化し組織しようとするあり方に対して「死ぬ」立場、右のあり方から自由になる立場なのである。存在は統体へと定められているゆえに、統体が現成すべきなのであって、究極的、固定的な統一や系列化は不可能であることを洞察する立場なのである。
非本来的実存の知性の立場は、大脳皮質が人間全体を一方的に支配しようとしているあり方だといってよい。大脳皮質に描きこまれたプログラムに従って一切の情報が取捨選択され、行動の指令が発せられる。しかもこの場合、プログラムの中核には絶対化された相対者があり、プログラムはこの相対者がすべてを系列化し、支配するように、組まれているのである。しかし事実上、このような営みには全人格が参与するわけにはいかないのだ。大脳皮質は人格の重要な構成要素ではあるが、人格の全部ではない。
右のようにして大脳皮質に書きこまれていたプログラムが、解消される、ひとたび消されてしまう、ということが事実起こるのである。これが「悔い改め」であり「回心」なのである。もちろん人間が人間である以上、プログラムが消されたままということはありえない。これは前とは違った仕方で再生される。すなわち、統体性の視点に従って再生され、思考の営みにおいて、諸観念自身が統体を形成するのである。このとき、他方では人自身が統体としての存在の一部となる。換言すれば、人は他者とのかかわりを真に恢復するのだ。宗教的実存になるとは、大脳皮質に描きこまれていたプログラム、存在の平面的な青写真が一旦消し去られて、それが存在それ自体の法則、すなわち統体への定めに即して再生され、それによって人格それ自身が統合されるとともに、同じ定めに従って、他者とも統体を成すようになる出来事なのである。このときはじめて、存在は統体へと定められている事実が認識されるのである。これは出来事であって、事柄上、目的を設定してこれを実現させるという知性の営みとは違う。ゆえに知性主義は宗教的実存に至ることはできない。だから自然的理性は、宗教的真理を認識できないということが成り立つのである。だからまた、回心は知性主義的な、目的を設定してこれを実現する自力によっては達成されないのである。知性主義は、そもそもプログラムの解消などという事態に決して想い至ることはできないからだ。
〈3〉宗教的実存の倫理
統体になったときに、人は統体への規定そのものをも自覚する。換言すれば、その前は人は人を宗教的に実存させる真理の中になく、真理を知る条件をも欠いているのである(キェルケゴール)。新約聖書の用語でいえば、キリストが真理であり、聖霊(統体化の原理)が真理をもたらし、人に真理を知る条件を与えるのである。これがキェルケゴール的な「瞬間」であり、その前は、人は「原罪」の中にある。原罪とは、その本性上抽象的、統一的な言葉の世界の中に生まれてきた人が、先ず知性主義的なあり方に陥る結果、存在を統一の観点から理解・処理せざるをえず、その結果統体性から疎外されていることなのである。原罪はゆえに個々の人間の責任とは言い難い。しかし原罪の状態の中で陰に陽にあらわとなるさまざまな矛盾相剋に目をふさいで原罪の状態にとどまり、さらに深みに入り込んでゆくところには、個人の責任も問われうるであろう。ちなみに、罪とは真理からの疎外のことであるが、罪の形式は、秩序という観点からみれば、(1)秩序を欠いた状態(アノミア)、(2)正当な秩序への違背、(3)不当な秩序の強行ということになるであろう。しかしこの場合、秩序は一般に統一性的なるものに拡大して考えることができる。たとえば個人の場合、統一性は人格形成の目標にあたる。あるいは統一性を精神性という言葉で置きかえてみるなら、以上の罪の三つの形式は、キェルケゴールの『死に至る病』における絶望の三つの形式、すなわち(1)無精神性、(2)弱さの絶望、(3)強さの絶望に対応する。さらに新約聖書では(1)無律法、(2)律法違反、(3)律法主義の三つの形式が対応する。しかし本書における「統一性」は、個人的・対人的・社会的の三つのあり方および快の追求・悟性・理性のどれかを究極のものとする知性主義のそれぞれの領域に適用できる概念なのである。いずれにせよ罪の概念は統合への規定によって照明される。この「定め」がなければ、世が定めに即していなくても、そもそも罪はないであろう。また、定めがあっても、世がこの定めに即していれば罪はない。定めがありながら、世がこの定めに服していないところに、罪が成り立つのである。
さて宗教的実存(自覚的に統合への規定に即することをはじめたあり方)の以上のような認識は、やはり宗教的実存の認識能力に由るのであり、これを宗教的実存の理性と呼んでよい。これは知性主義の立場に死に、統体への規定を自覚した理性なのである。宗教的実存の理性は、統体としての実存の、一機能としての知性であって、かつてのように、自己と存在一般の究極の主となろうとする知性ではない(統一性の観点から存在を把握・系列化・処理するということは、一方的な支配にほかならない)。自己が究極のものではなく、むしろ統体の一機能であることを自覚した知性、世界観を完結させることを求めず、統体の一機能としてそのつど問題を見出だし、これを統体性実現の方向に向けて解決することを求める知性なのである。
宗教的実存の理性は盲目ではない。それはなるほど自然的理性の立場を超えてはいる。しかしそれは事実を無視するということではない。全く逆に、一方では存在の統体性の事実を認識し、他方では統一性の究極化によって曇らされない眼を以て、あらゆるレベルの事実について、率直に「あるものをある」と認めることのできる理性なのである。
それだけではない。「あるものをある」とすることは、要求された規範でもあるゆえに、「あるものをある」とすることはとりもなおさず、「あるべきことをあらしめる」ことでもある。そして「あるべきこと」とは、まさに統体性の実現にほかならないのだ。宗教的実存の実践理性は、あるべきことの成就を求めて、統体への規定の実現に参与せしめられ、参与するのである。こうして宗教的実存の理性は、知性主義を超えた、愛の業とひとつになる。逆に愛は真理をよろこぶのである(Iコリント一三・六)
人間存在は統体への規定のもとにおかれている。だから人間を肯定する、全人格的に肯定するとは、本書ではこれまでこのことに関する定義を省いてきたが、正確にいうと、人間を統合への規定のもとにある存在として受け容れることである。
人は第一に生体として統合へと定められている。健全な生体は統体である。そこでは相対的独立性を持つ諸器官、諸部分が、相互否定的な一面を持ちながら、しかしはじめからかかわりの中にあって相互に依存している。それはもともと一個の細胞の分化したものであり、すなわち分化した各部分ははじめからかかわりの中にあり、全体は一定の形(統一性)を保ち、ひとつのまとまりをなす。
人はまた個人として、すなわち欲求の系として統合へと定められている。統体の歪みがそのつど欲求として意識される。そして統体としての人間は、そのつどその欲求充足のために組織されるのだ。見るときは――すでに姿勢からしてそうである――全身が見るために働き、考えるときは全身がそのために働く。統体においては、目的の相互交換ということがある。各の働きはそのつど目的となり合い、手段となり合うのであって、ここが機械と違うところである。機械は特定の目的のために設計されたものであって、ここでは目的・手段関係は一方的である。しかるに人間ではその一部分は他の部分のためであり、また部分は全体の、全体は部分のために働く。だから人間は全体としては特定の「何かのため」に解消されないのである。「我と汝」の対人関係も、本来二極的統体であり、社会は多極的統体である。ここでは自由な、それゆえ相互否定的な一面を持つ主体同士が、相互に依存し合い、全体としてひとつのまとまりをなす。
社会における人間の行動は、やはり互いに互いを前提し、互いが互いの期待を充足することで成り立つのである。互いが互いに、他者から期待されている自分の役割を果たすことで、社会が社会として立ってゆくのである。ゆえにここでは、成員の役割を配分する規則が成員によって承認され、かつ守られなくてはならず、また成員がその役割を果たすことが守られなくてはならない。役割は具体的にはさまざまであっても、あらゆる役割を果たすについて原理的にまた共通に必要な通則(たとえば時間を守るというようなこともこれに含まれる)が存在し、また守られなくてはならない。そして他方では役割を配分する仕方(たとえば個人の能力主義や民主主義というような)、およびその根本にある原理(いくつかあるが、たとえば個人主義)が、社会秩序の原理として規範化されることになる。
このような秩序がなくては、社会の成員は役割を持つことができず、また他者がその役割を果たすことを期待するわけにはいかない。ゆえに秩序は当然必要なのだ。ただこの秩序が成員の自由を不当に圧迫し、統体たるべき社会において統一性の原理が不当に前面に出て、一切の系列化をめざすようになるとき、あるいは人間の特定のあり方(個人としてのあり方)が一方的に優越して他のあり方を許容しないとき、あるいは社会の中のある特定の役割部門(たとえば経済)が不当に優越して他の部門を自己の特殊の目的のために系列化しようとしはじめるとき、個はこのような統一性の支配から自由になって新しい秩序を構想せねばならず、ここに統一→自由→新しい、相対的統合という運動が起こることになる。そして統体性という観点からいえば、社会自体がこのような運動を許容するメカニズムを持たなくてはならない(法の改廃の手続きというようなこと)。そうでなければ社会の中に分裂と抗争が顕在化することになるだろう。
以上のようなふうに、人間存在は統合へと規定されている。だから人間は個としては統合された人格(その徴候は無欲である)となり、対人関係は二極的統体(愛の関係)を形成し、三人以上の人間は社会を成す(その健全さについては正義が指標となるであろう)。
さてこういうわけで、人間を肯定する、全人格的に肯定するとは、人間を統合への規定のもとにある存在として肯定することなのである。だから人間の肯定とは単なる現状の肯定ではない。そうではなく、統合への規定のもとにあるものとして肯定することであるゆえに、人間が統体でない場合には、統体になることを妨げているものを除去し、人をその本来のあり方においてあらしめるべく、皆で努力することが要請される。宗教的次元における人間肯定は、倫理を含むのである(個人倫理、対人倫理、社会倫理。また肉体性のレベルでは健康を求める。宗教が倫理を含むのであって、逆ではない)。他方、人間肯定ということは決して現状の単なる批判や秩序の破壊でもない。これが必要とされる場合があるにしても、統体は秩序の契機を含むゆえに、新しい統合は新しい秩序を要請するのである。また、人間肯定ということは、単に個々の人間を意味や役割や価値に還元して、これらを評価することでもない。逆に、意味や価値や役割は、もともと統合への規定のもとで成り立つことなのだ。統合への定めのもとにおかれた人間の肯定とは、ある人間が、その人が誰であろうとまたどんな人であろうと、神の栄光をあらわすべく定められているということの肯定であり、その人が私とのかかわりの中において、私と共存すべきことの肯定なのである。だから「殺すなかれ」が妥当し、「敵を愛せよ」が成り立つ。統合とは、全体性にかかわることであり、一面や部分のことではない。人間を、統合へと定められているものとして肯定することは、彼の全人格性の肯定なのである。そもそも自分が自分を肯定することも、このような意味でなされなくてはならず、自己の肯定とは、自己がかかわるべき他者の存在の肯定、他者との共存の肯定なのである。むしろ第一に統合への規定の肯定である。統合への規定とは、以上のようなわけで、理念ではなく、理念をこえてこれを立てるのである。理念は本来統体の中に位置づけられ、統体の中で意味を持つもの、換言すれば理念の系自体が統体を形成するものなのである。自由・正義・秩序・平等などの理念は、相互否定的であるとともに相互依存的である。どれかの理念が他に優越して他を自己の下に系列化してはならない。理念群はひとつのまとまりを成すべきなのだ――たとえ我々が現在それをイメージとして描き出すことができなくても、統体において個は自由である。そして同じ根柢に生かされ、同じ要請(統合への要請)のもとにあるものとして、すなわち等しく統体性に参与するものとして平等である。統合への規定は形あるものとして歴史の世界に現象する限り、そこには秩序があり、個は統体に参与するものとして、その役割に応じた配分を受けなくてはならない(正義)。統体において個は自由な主体であり、任意の個と個は、二極的統体を形成し、複数の個は社会となる。個人性、対人性、社会性は統体としての実存の共同体の三つの面なのである。統合への規定の内容は、ひとつの理念に解消することはできない。それはむしろ、特定の理念が自己を頂点として他のすべてを自己の下に系列化することの否定・批判・審判なのである。特定の理念が、その特殊の観点から、人の間に固定的、一義的な差別を作ることへの抗議なのである。統体性とは一般に系列化と差別への抗議であり、存在を一方的な目的・手段関係に編成したり、包摂・被包摂の関係に解消することの否定なのである。立体的構造を持つ世界を、平面的な統一性に解消し、存在の本質を統一性に見ることの否定なのである。
知性は存在を統一性の平面に解消しようとする。統体の立場はそれを超える。宗教的実存の理性は弁証法的なのである。統体とは一と多の綜合の立場であり、特殊の限定に解消されない全体なのである。だから統合への規定の内容は、分別的知性の立場からすれば「無」であるというよりほかない。これは無内容や虚無の無ではない。滅ぼし、生かす無なのである。
無というのは仏教(特に禅仏教)の立場である。こうして「統合への規定」は仏教の存在把握と通ずるところをもつ。仏教とキリスト教の関係をここで詳論することはできないが、統合への規定に生かされる宗教的実存の立場は本質的に仏教に近いというのが私の考えである。実際、仏教は原始仏教以来、存在を統体として理解してきたといえるのではないか。常識的に、釈迦は無我と縁起とを説いたというが、無我とは、「我」は実体(アートマン)ではなくて諸元素の和合によって成り立つものであり、縁起とは、諸存在は互いに依り合い補い合って成り立っということである。そして仏教の智慧とは、存在のこのようなあり方を洞察して、これに即して在るあり方のことである。これは統体性ということを、その存在論的な性格に即して洞察したものだといえるのではないか。それに対して、キリスト教は、統体性ということをその生成・生起の面に即して把《とら》えてきた。統合への規定といわなくてはならないような点が、キリスト教の存在把握にはあるのである。つまりキリスト教的存在把握の中心的関心は存在(ザイン)ではなく、むしろ生成(ゲシェーエン)にあった。だからキリスト教は、仏教が存在論的・哲学的であるのに対して、歴史的、倫理的な性格を強く持つのである。仏教とキリスト教というとき、よく「無」(あるいは法身としての仏性)と「神」が比較されるが、私見によればそれは誤りで、「無」に対応するのは統合への規定としての「キリスト」なのである。実際、「無」と「キリスト」の間には多くの対応が見出だされるであろう。私は、仏教とキリスト教の間には深い一致があると思う。それは決してキリスト教の価値を低くすることではない。それどころか、お互いに独立に成立展開した両宗教間に一致があるというのは、両宗教の真理性の保証となるであろう。キリスト教は他宗教との違いをことさらに立てる独善に陥ってはなるまい。
ただし仏教は神をいわない。キリスト教は上述のように、統体性を三位一体論的に分節して、「キリスト」の父なる神を語る。究極者という観点から見る限り、たしかにここには最も究極的なるものが語られているのだ。のみならず、キリスト教は神を語ることによって、人間の自己神化を厳しく排しているのである。仏教は、法身(真理そのもの)と応身(真理が世でとる形)という区別を持ちながら、神という最終の究極者をいわないため、滝沢克己が正しく指摘したように(『仏教とキリスト教』、法蔵館、一九六四年)、とかく真理そのものと、真理が世でとる形との区別が曖昧となり、人間の恣意が法の上に立つ傾向を脱しきれないところがあるのではないか。実存主義が、実存をいわゆる「本質」に優先せしめるとき同じ傾きがあらわれる。これは共に神を語らぬためではないのか。他方仏教は、存在ありのままの相《すがた》の洞察に徹して、キリスト教が陥りやすい神話性や教条主義を克服している長所が認められなくてはならない。
〈4〉教会・信仰・希望
「キリスト」に生かされる宗教的実存は、当然統体を形成しなくてはならない。その目に見える形は教会である。世界全体が、統合への規定のもとにありながら、その定めを実現していない限り、教会は――それ自身決して全き統体とはいえなくても――世とは区別された形をとる。ここでは人間はすべて同じ根柢に生かされ、ひとつの神の栄光をあらわすべきもの、それゆえ教会は国や民族や文化や伝統の差別を超えている。超国家的な地平に立つのが教会の本質である。教会は他方では、世界が自己と同一根柢の要請のもとにあることを信ずるゆえに、それ自身非政治的でありながら、なお世に語りかけ、統合への規定に即し、これに参与すべく要請することを止めることができない。それは伝道の教会、闘う教会なのである。
教会は世の差別を超えた地平を知っている。主人ピレモンと奴隷オネシモとは、一方が主人であり他方が奴隷であるまま、主キリストにあって兄弟であることをパウロが示したように、教会はあらゆる差別にもかかわらずそこですべての人が兄弟である地平を知り、また告知する。そして教会の告知は、結局不当な差別が解消されることを要求し、また促進するだろう。
教会は全人類的連帯の場を告知する。その中でこそ、人は互いに全人格的に肯定し合い、交わりの中に立つ。世が人を差別し、価値の観点からのみ評価しようとも、教会においてこそ人はキリストにある兄弟として本来のかかわりの中に立たなくてはならない。教会こそ人間性恢復の場所であることを、教会は自信を持って自覚しなくてはならないのだ。
教会の告知が反響もなく消え、その要請も無視され、この世の興亡の巨大な渦巻きの中で教会が見るも卑小な存在として、息も絶え絶えな姿を横たえていようと、統合への規定は必ず実現しなくてはならないゆえに、また事実小さい群れの中に実現の一歩を踏み出しているゆえに、我々は統合への規定が遂には勝利することを信じ、待望し、その働きに参与しようではないか。教会は終末論的希望に生きるのである。
しかし終末論的希望の最終の根拠は何であろうか。我々はこうして最後に再び神の問題にかえってくる。詳論の余白はない。現在、キリスト教の内部から神の非存在が表明されているところにもみられるように、神信仰は大きな問題をもっている。「雲の上のおじいさま」では現在、小学生でも納得しない。それは論外としても、絶対である神について、相対的存在の述語である「ある」「ない」をいうことはできない(ティリッヒ)という指摘も全く正当である。ティリッヒの言うように、神は個物ではなく、存在の究極の根柢なのである。
これをどう考えたらよいのか。統合への規定ということをつきつめて考えると、前述(第三章〈3〉(A)、(C))のように「キリスト」の父なる神をいわざるをえない。ひとくちに神といっても内容は実にさまざまで、そんな神なら決してありようがないという「神」も少なくない。我々の問題は「キリストの父なる神」「キリストがあらわす神」、すなわち三位一体における神以外のものではない。宗教的実存の立場で神(最終の究極者)を問うなら、キリストの父なる神、キリストにおいてあらわされるゆえに、キリストを素通りしては語れない神にゆきつかざるをえない。キリストの父なる神は、創造者であり、歴史の支配者であり、終末の完成者である。統合への規定にさからうもの、すなわち罪と死とは、神により、キリストを通して、克服される(Iコリント一五・二四〜二六)。我々はこうして神の国を待望する。さらにまた、統合への規定が遂に勝利すべきであるなら、個々人の存在も死を以て終わるべきではない。我々は死後の生を信ずべく促される。
しかしこれらすべて、すなわち我々が直接見ることのできないもの、神、創造、神の歴史支配、終末の到来と神の国の出現、死後の生、これらは再び「神話」ではあるまいか。これらはたしかに我々の生が真実かつ全く成り立つための制約を語ってはいる。しかし、だからといって、これらが事実「あり」また「来る」とはいえない。それは「実践理性の要請は神の存在を証明する」(カント)とはやはりいえないのと同じではないか。
統合への規定は確認可能なリアリティである(よしんばその最終の実現をみることはできなくても)。だから我々は統合への規定を自覚し、それに即しさえすればよいのだ。それ以上、世の初めや終わりについて、死後の生について、また世の最終の根柢について、思弁を逞しくする必要はない、ともいえる。この態度は、形而上学的な問題の解決は本来的な実存には不必要であるゆえに答えないとした仏教の「無記」の態度に近い、はなはだ優れた態度である。実際、ここで止まることもできる。そして我々の確認を超えた事柄は、宗教的実存を包む詩であるとみなすこともできる。事実、宗教的実存の理性は、神の存在や創造や終末や死後の生を、宗教的実存が自らを深く自覚するときにつむぎ出す詩的な神話とみるであろう。
しかしここで、本書がこれ以上追求することのできない問題があらわれる。宗教的実存の実践理性ともいうべきもの、あるいは統合への規定に根拠を置く、実存への意志ともいうべきものの問題である。存在解釈的な理性より、存在を意志する意志の方がより根源的なものであるとすれば、宗教的実存は右のような「神話」を確認不可能な神話と知りながらあえて維持するであろう。その信を否定し去ることは誰にもできないし、結局その信仰の方が存在の深みに真に根ざしていることもありうることなのである。人間の最も深い立場が、結局存在を最も正しく見、解釈するであろう。しかしこの信仰は、冷静な学への営みを再び妨げてはなるまい。実際、たとえば「回心」というような出来事を、従来のように単に「宗教心理学」的にではなく、まして従来の意味で「神学的」にではなく、宗教的実存の視点から学的に考察するとき、そこには何らかの法則性が認められ、そして「聖霊降下」といわれているものにかかわる現象について、より広い知見が開け、ここから「神」や「キリスト」についてさらに学的な展望が開けないとはだれにもいえないからである。
その展望の中心にあるものが「統合への規定」のリアリティなのである。これはたしかにあるとしても一体どのようにあるのだろうか。これは個物ではない。また個物同士の関係でもない。これらは「統合への規定」のもとにあるのであって、この規定自身ではない。また抽象的一般者でもない。統合への規定は個物でも普遍でもないのである。
この規定は何でもないし、どこにもない。しかもあるというのはどういう意味だろうか。思うにこれは力の場《ば》(フィールド)の類比で考えるのが一番よいのである。引力の場というものがある。これは物理的な空間と考えてよいのであろう。さてこの中で物体は引力の支配を受ける。この場の中では、たとえば太陽系において、太陽と惑星・衛星の系はひとつのまとまりをなしている。惑星は自分の軌道を運行するが(個性)、その運動ははじめから天体同士のかかわりの中にある(相互依存)。つまり天体の系は統体の類比を形成している。引力といっても勿論ゴムひものようなものがあるわけではない。個々の天体が実在なのであって、そのほかに何ら実在があるわけではない。しかも個々の天体は引力の支配下にあるのである。個々の天体以外に何もなくても、物理的空間(場)が存在し、それ自体の性質によって、その中にある天体は互いに引き合うのである。引力は天体なしには働かないが、場自体は個々の天体に先行する。引力は人と人とのかかわりの類比であり、引力の場としての物理的空間が統合への規定(「キリスト」)の類比となる。
生体という特殊の場(フィールド)がある。この場においてもひとつのまとまりをなす生体の各部分、各器官は自分自身の働き(個性)をもちながら互いに依存し合っている。個々の細胞や器官のほかに何か「生命」という物質や器官があるのではなく、ここでは個々の細胞や器官や器官の系だけが実在なのである。それ以外に実在はなにもない。しかも生体という場が存在し、この場は、それがはじめは一個の細胞であった事実に象徴されるように、それが分化してできた個々の器官に先行する。生体は統体である。生命は――これが意味のある概念である限り――場であり、そこでその中の器官が統合されるような場なのである。器官は個人の類比であり、生命の場は「キリスト」の類比である。
宗教的実存の共同体においても同様である。世界と人間以外に何か実在があるのではない。個々の人が実在なのである。ここに唯名論《ノミナリズム》――実存主義の正しさがある。しかも実存は、人を実存たらしめる場において実存なのである。人同士のかかわりといっても何か「もの」が人同士をつなぐのではないが、物理的空間において天体同士が引き合い、生理的空間において器官同士が依存し合うように、いわば人格存在の空間において、人格同士はかかわり合い、統合へと定められているのだ。このような場(フィールド)、すなわちそこで人間が本来的人格、宗教的実存として成り立つような場が「キリスト」なのである。人格存在の空間自身の性質によって人同士はかかわりの中におかれる。個人として、対人関係として、共同体として、統合へと定められている。このような場の存在と支配とは、世界と個々の人間だけが実在なのだという唯名論――実存主義と少しも矛盾するものではない。しかもここでは場が超越者として実存に先行するのである。ここに普遍が実在であるという実念論の真理契機がある(ただし普遍的観念が実在だというのではない。宗教の立場は理性主義を超えている。「場」が実存に先行するのである。この点をはっきりさせておかないと、宗教はたちまち観念論に陥ってしまう)。このような場が「キリスト」であり、ゆえにこれは事実、仏教的な「空」と近いのである。
人間と世界しか存在しない。これは全くそのとおりである。神は個的存在でもなく普遍でもない。神は個的存在ではない。個的存在だという主張は、ではどこにあるのだという素朴な反論の前に素朴に引き退がらざるをえない。神は普遍でもない。なぜなら普遍的一般者は、必ずしも個に先行するとはいえないからだ。しかし人間と世界しかないということは、それらがその中にある「場」が存在しないことではない。逆に、本来場においてこそそれらははじめてそれ自身なのである。新約聖書はこの「場」のことを「霊」という。この「場」の成り立ちを分節すると前述のように三位一体論とキリスト論があらわれるのである。
こういう考えがあまりに存在論的で、非人格主義的だという反論は当然予想されるが、こう考えるのは、場が「人格的」空間であることを看過しているのである。「キリスト」は私の人格を統合された人格として成り立たせ、愛の関係を基礎づけ、教会を建てる。教会とは「人格的空間」の眼に見える形である。「キリスト」は第一に私の根柢として私に語りかけ(私の中に生きるキリスト)、第三に「汝」の中から、「汝」の言葉として私に語りかける(宣教の言葉)。それは第三に、――引力の系に重心があり、生体や人格に中心というべきものがあるように――教会の中心として私に対立する。私に対立するということが人格の特徴なのである。ナザレのイエスは単なるシンボルではなく、史実であるが、彼は史実であるままで、この「中心」の徴なのである。
以上のような意味での「人格的空間」、「場」がリアリティであるなら、「統合への規定」も単に大脳皮質の中の観念ではないリアリティであるはずで、これに即することは、人格存在の最も深い本質、本来的実存への意志というべきものの歓びであるはずである。これに即することを、本来的実存への意志が肯定するはずである。これは最も深い意味での人性の自然、というより人間にかかわる天然自然であるはずである。実際それは、平安と歓喜を伴い、アーメンという肯定を発せしめるのだ。「神よ、汝は我等を汝に向けて創り給えり。ゆえに我等の心は安らわず、汝の中に憩《いこ》うときまでは」(アウグスティヌス)
アーメンはもともと肯定であると同時に、「御意の成らんことを」という願いである。このとき宗教的実存は、統体が世に全くは現成していないことを見る。ゆえにアーメンとは、神の国到来の希望であり、それをもたらすものへの信仰であり、キリストの業への参与の誓いなのである。
参考文献
専門書は多数あるが、本書が触れた範囲で、比較的入手しやすい邦語のもの若干をあげておこう。
一、聖書のテクスト
日本聖書協会による口語訳『聖書』が広く用いられている。福音書の訳としては、『福音書』塚本虎二訳 岩波文庫がすぐれている。抄訳としては、中沢・前田訳『聖書』世界の名著12 中央公論社 一九六八年 がある。
二、福音書研究
『原始キリスト教史の一断面――福音書文学の成立』 田川建三 勁草書房 一九六八年。
『時の中心――ルカ神学の研究』 H・コンツェルマン 田川訳 新教出版社 一九六五年。
三、イエス研究
『ナザレのイエス』 G・ボルンカム 善野碩之助訳 新教出版社 一九六七年(増補版)。
『イエス――その人と歴史』 E・シュタウファー 高柳伊三郎訳 日本基督教団出版部 一九六二年。
『イエス』 R・ブルトマン 川端純四郎・八木誠一共訳 未来社 一九六八年(第四刷)。
四、原始キリスト教神学
『新約聖書神学』 R・ブルトマン 川端純四郎訳 新教出版社 I 一九六三年 II 一九六六年。
『新約聖書神学』 山谷省吾 教文館 一九六六年。
『キリスト論の研究』 日本基督論研究会編 創文社 一九六八年。
五、解釈学関係
『ブルトマン』 熊沢義宣 日本基督教団出版部 一九六五年(増補版)。
『聖書のイエスと現代の思惟――八木誠一「新約思想の成立」を機縁とする一連の省察』 滝沢克己 新教出版社 一九六八年(二版)。
『聖書正典論』 渡辺善太 新教出版社 一九四九年。
六、本書関係の拙著・拙稿
本書の各章については、以下の拙著・拙稿を参照していただければ幸いである。
第一章について。「最近におけるキリスト教神学」 岩波講座『哲学』第一五巻『宗教と道徳』一九六八年 一〇〇〜一二二ページ。
第二章について。『イエス』 清水書院 一九六八年。
第三章について。『新約思想の成立』 新教出版社 一九六六年(再版)。『聖書のキリストと実存』 新教出版社 一九六七年。
著者略歴
一九三二年、横浜に生まれた。一九五五年東京大学卒業。同大学院修士課程卒業、博士課程終了。この間ゲッチンゲン大学に留学。ブルトマンが提唱した実存論的解釈を独自の方法論により展開させ、新約思想の研究により、一九六七年に文学博士(九州大学)となる。東京工業大学、国際基督教大学、ハンブルグ大学、桐蔭横浜大学などで教鞭をとる。著書に、『新約思想の成立』(学位論文)『聖書のキリストと実存』『イエス』などがある。
本書は、「講談社現代新書」として一九六八年二月に出版されたものです。